丸谷才一
女ざかり
「新日報」の創刊は日露戦争が終つた年の翌年、つまり一九〇六年(明治三十九年)の十一月十二日で、前日に藝者の情夫殺しがあつたため、第一号の紙面はすこぶる花やいだ。「社員一同、天の霊寵《れいちよう》によるものと大いに喜ぶ」と社史にはある。わかりやすく言へば、この殺人事件は天がわが社を祝福しての贈り物だといふわけで、何となく被害者が不憫《ふびん》な気もしないではないが、しかしまあ、昔も今も新聞記者|気質《かたぎ》はこんなものか。爾来《じらい》、あるいは民本主義を唱へて政府に楯《たて》つき、あるいは軍閥におもねつて侵略を鼓吹《こすい》し、時には条約の中身をすつぱ抜いて喝采を博し、時にはでつちあげの大誤報を載せて世の失笑を買ひ、しかしながら競争の激しい業界にあつて廃刊にも追ひ込まれず、破産や合併の憂き目も見ず、六大新聞の一つと称しながら社運いつこうに傾かず、近く創刊九十周年を迎へようとしてゐるのは、やはり敬意を表するに足る偉業であらう。
こんなふうに新日報社がまあまあの成績をあげて来たことについては、とにかく他の大新聞の轍《てつ》を踏まないのがよかつたといふ、某評論家の冗談半分の説がある。すなはち、社主である三家族がそのときどきの組合せで二家族と一家族に別れ、いつも対立して来たし、社員のほうも常に三つか四つの派閥に分れて争ひつづけ、このため社主側と社員側とに分れての激突といふ不幸な事態はつひに生じなかつた。実はそんな単純な形でではなく、もつとややこしい構造で内輪もめをつづけ、これが絶えず社内を活性化し、これによつて「新日報」は萎靡《いび》沈滞を免れたといふのである。あるいは然りか。
社主三家族が妙に意地を張つて、販売店の店主たちを手なづける競争に励み、祝儀不祝儀には金一封を贈つたり、邸《やしき》の花見に招いたり、さらにはゴルフ大会を催したりした功績も大きい。何しろ新聞社の経営では販売店に対する人心|収攬《しゆうらん》がものを言ふ。義理人情の絆《きづな》で縛れば、他社の切り崩しがむづかしくなるのである。
しかしもつと大事なのは、首都圏と京阪神だけに版図《はんと》を限つて、全国紙を目ざさず、地方新聞と張り合はなかつたことだらう。このため、赤字になる地域をかかへなくてすんだ。もちろんこれでは大部数を誇るわけにはゆかないから、広告のはいり方にはいささか問題があるが、それでも財政的な安定は歴然としてゐる。支局の数をふやさなくていいし、購読料を安く押へることもできるし、それに編集方針も都市的な線で通せる。「新日報」のまづまづの成功は、いはば、名を捨てて実を取るこの態度によるものであつた。
首都圏と京阪神以外に進出しないといふのは、大正中期の社主たちが定めた百年の計で、今はこの祖法がいささか崩れ、関東の一都六県と関西地方の七県まで拡大してゐるが、しかしそれはともかく、社主たちの先見の明は賞揚するに足る。戦後まもないころの首脳部が、プロ野球の球団を持つのはとかく不祥事を起しやすいからよさう、と判断したのも大した炯眼《けいがん》だつたが、事の軽重《けいちよう》から言つて格が違ふだらう。
ただし、まづまづの成功とは言ひながらも、新日報社の歴史は常に多事多難であつた。これをいちいち、不況だの筆禍事件だのとあげて言つては切りがないから、話をはしよるけれど、近頃、最大の悩みは社屋の狭隘化《きようあいか》である。今の建物は半世紀も前に出来たもので、隣りのビルを買ひ足してもまだ足りないところへ、コピー機、ワープロ、ファックスなどをそれぞれの部署で置いたため、いつそう狭苦しくなつたし、印刷をコンピューター・システムに替へれば空間を節約できるといふ話を真に受けた結果、どうしたわけかいよいよ窮屈になつた。それに、新聞を積んだトラックが出てゆく裏口の交通難、冷暖房設備の老朽化と、悪条件が重なる。どこかに土地を物色して新社屋を建てなければならないことは、目に見えてゐた。
だが、東京の地価はべらぼうに高く、新日報社にはゆとりがない。全社員は引越しのことをいつも頭のどこかで心配しながら、しかし、そんなことを考へるのは社長や専務の仕事だと思つて、毎日を過してゐた。枢要《すうよう》の位置にゐるのではないのに、その件を一番気にしてゐたのは、おそらく論説委員たちであらう。と言つても、それが彼らのいつもの主題である、日本の土地政策、遷都《せんと》は是か非か、土地と税制、などと関係があるせいではない。冷暖房設備の老朽化によつて最もひどい目に会つてゐるのが六階の論説委員室だからである。大した広さではないのに、冷暖房いづれにせよ同じ温度の空気が流れて来なくて、えらくきつい箇所があると思ふと、まつたくきかない席があるのだ。夏は論説委員長の席がすさまじい寒さで、いつも厚手のカーディガンを用意し、手袋をはめなければならない。そして冬になると、「方寸帖」といふ夕刊一面下の短評欄の筆者は、小さな扇風機をまはしながら思案に耽《ふけ》ることになる。月に二へん土曜の夜に論説委員室で一杯やる会があつて、その集りでの最も陳腐な冗談の一つは、冷暖房がよくなれば社説が目ざましく向上するといふ台詞《せりふ》であつた。そしてこの長篇小説は、冷暖房の心配があまりない季節のこの部屋からはじまる。
四月一日付の異動で新しい論説委員が二人任命されるのは、例年にくらべて多いわけではない。しかし三月十日に内定した途端、情報が社の内外を駆け抜けたのは、まつたく思ひがけない人事だつたからである。情報の伝はる速度は意外性の二乗に正比例する。浦野重三が論説委員になるといふしらせの衝撃は強く、こんな人事をするやうでは五大新聞に伍して何とかしのいで来た「新日報」ももうおしまひだと嘆く者さへあつたが、社員の大多数は、受付や交換手まで、彼とこの仕事との関係が呑みこめず、キヨトンとしてゐた。他社の記者たちも同じ反応を示した。といふのは、浦野が記事が書けないことは広く知れ渡つてゐたからである。
これは半人前の記者だといふわけではない。社長賞を一度、編集担当重役賞を二度、受けたほどで、有能なのは鳴り響いてゐたし、またそれだからこそ警視庁キャップに抜擢《ばつてき》されたのだつた。しかし取材にかけては辣腕《らつわん》なのに、どうしたわけか文章を書くのが大の苦手で、大学ノートにメモを取るのは平気なくせに、ザラ紙に五字づつ三行で記事を書くとなると鉛筆が止つてしまふ。まして続き物を二百字詰の原稿用紙に書くことなど、とてもできない。そこでいつも取材の結果を誰か同僚にしやべつてまとめさせ、記事を作つて来たのだ。
これは取材の仕方と関係があるのかもしれないと浦野は自分で思つてゐたし、人にも言つた。といふのは、特種を抜くときの彼の流儀は、普通の記者とずいぶん違ふものだつたのである。
浦野は関東の生れで東京の大学を出たが、入社するとすぐ大阪近郊の支局にまはされ、そこで刑事たちと接触してゐるうちに、鬼と仏の二役に分れておどしたりすかしたりする容疑者取調べの方法を取材に応用してはどうだらう、と思ひついた。この着想を実行に移したのは、数年後、関東に戻つてからで、埼玉県某市役所の汚職事件のときが最初である。問題の市長にはいつも二人で会ふやうにして、まづ浦野があれこれ質問する。市長が言ひのがれしたり嘘をついたりしてゐるうちに、理屈が合はなくなつて来て、そこを突つ込まれると、腹を立てる。そのとき、横でメモを取つてゐた記者が、わざと郷里の訛《なま》りを強くした、のんびりした口調で、浦野をたしなめ、市長の肩を持つ。このため、あやふく打切られさうになつた面談もつづくし、もう一人の記者がしやべつてゐるあひだ、浦野は次の質問を考へることができるし、そのせいで市長はいよいよ窮地におちいる、といふ仕組だつた。この作戦は功を奏して、三度にわたるインタビューで自信を得たあげく、逮捕の前日、大きな記事を打つことができた。これが最初の手柄で、以後、着実に二人組の藝を磨いて行つたのだが、こんな具合に複雑な鼎談《ていだん》で真相をさぐるのだから、当事者が文章にまとめるのはむづかしく、そこで自分では記事が書きにくいといふのが浦野の言ひ分である。一人で取材したときも自分でまとめないのだから、こんな理屈、誰も真に受けなかつたけれど。
しかし記事が書けないことは浦野記者の欠陥といふことにならなかつた。千葉の若妻殺しのときも、川崎の老人夫婦失踪のときも、成城の輪姦事件のときも、さらに、某銀行の不正融資(これで内閣が倒れる可能性もあつたのだが、上手にもみ消された)のときも、「新日報」は浦野の力で他の五紙に先んじることができたのだから、無理もない話である。社の上層部としては、記者の一人が自分で記事を書かないことなど、某大家の連載小説の主人公がはじめは下戸で途中からとつぜん酒乱に変つた事件よりも、もつと些細《ささい》なことだつたらう。
浦野が論説委員になつたのは派閥争ひのせいである。論説副委員長は二人ゐて、別々の派閥なのだが、飲み仲間だし、野球のひいきチームも同じだし、好きな女のタイプはまるで違ふからバーで衝突することもないし、気が合つてゐる。そこで欠員二名に対し、めいめいの属する派閥、つまり社長派と副社長派から一人づつ選んで委員長に上申した。これが二月上旬のことだつた。委員長は社長派だからあつさり了承して、編集局長に申し入れたところ、会長派である編集局長がどうしても首を縦に振らない。ここから話がもつれだし、それならあれはどうだと持ち出される記者を三派が互ひに退けてゐるうちに、年齢が次第に下つてゆき、ふと、これ以上若くなつては困ると気がついたときは三月十日で、もう遷延《せんえん》は許されない。そこで、会長派であるが社長に気に入られてゐる南弓子、社長派であるが副社長派の要所要所に受けのいい浦野重三で手を打つことにした。前者は四十五歳、後者は四十六歳である。もちろん副社長派には別の人事で色をつけるのだが、ほかの異動もあるし、毎日の仕事はあるし、三派はすつかりくたびれ、このため、女の論説委員は一人だけといふ不文律をつい失念し、経済部出身の女の委員がすでにゐるのに家庭部のデスクの南弓子を取つたのだから、警視庁キャップの浦野が文章が書けないことを忘れるくらゐ、別に不思議はなかつた。
もちろんこれは栄転だから、おめでたうと祝福される。しかし浦野としてはあまり嬉しくなく、一人きりのときには憮然たる表情でゐることが多かつた。ただしそれは、原稿を書かなければならないのが憂鬱なのでも、奔放な野人が退屈な職をあてがはれてしよげてゐるのでもない。いや、それもすこしはあるが、主として、これで社会部長になる道がとざされたと思つて、暗澹《あんたん》たる心境だつたのだ。実を言ふと、彼は将来、社会部長になり、編集局長になり、あはよくば役員にならうと志を立ててゐたのに、この新聞社では、論説委員になつたらもうそのままといふ傾向が強かつたし、論説室から転じて社会部長になつた者は一人もないからである。記事が書けない記者に社説を受持たせるなんて異例の人事がおこなはれる以上、前例など意味がないといふことが心に浮ばなかつたのは、つまりそれほど落胆してゐたわけか。
四月一日の正午すこし前、浦野は論説室の、自分の席と決つた机についた。何しろ狭い社屋なので、一人で一つの机といふのは入社以来これがはじめてである。その点はやはり嬉しい。今度の人事が内定してから何度も来て、委員長その他に挨拶したり、辞書や文房具を置いたり、前の本棚に小ぶりのカレンダーを貼つたりしたのだが、今日はやはり気分が違ふ。浦野の机は窓際から一つ置いて左なので、よく晴れてゐるこの日、春のうららの隅田川が……見えやしないけれど、見えるやうな気さへする。右隣りの窓際の席はこれも新任の南弓子で、ただしまだ出勤してゐない。浦野はもちろん顔見知りだが、人事異動が決つてからはかけ違つてばかりゐて挨拶をかはしてゐなかつた。その机にはワープロが据ゑてあり、文房具その他が、浦野の机の上とは違つてきちんと置いてあるし、本棚には辞書が十冊近く並んでゐて、彼の辞書よりもずつと手ずれ、黒ずんでゐる。背をビニール・テープでつくろつたものもある。その相異に浦野は気がついたが、しかし彼の辞書がみなケースにはいつたままなのに彼女の辞書は全部むき出しで立ててあることは、どういふわけか意識しなかつた。
本棚の一番上には、昨日まではたしかゐなかつたはずだが、縫ひぐるみの大きな犬が一匹、寝ころんでゐる。毛の短い、耳の垂れた、白い犬で、品種は何とも定めにくいから、たぶん雑種だらう。浦野は椅子から腰を浮かせて、その犬の鼻の、黒いビニールで出来てゐる小さな面積(もちろん濡れてゐない)を右の指でそつとつつき、
「やあ」
と声をかけた。今後よろしく頼むぞといふこころである。
そのとき背後から、
「シロベエつて名前なんです」
といふ声があつた。振向くと、南弓子で、ローズいろのブラウス、白いストライプのはいつた紺のスーツを上手に着こなしてゐる。部署が変つての最初の出勤のせいか、普段よりも派手な服装だし、化粧も濃いやうな気がする。浦野は立ちあがつて挨拶し、二人は互ひに、くれぐれもよろしくと言ひあつた。
椅子に腰かけてから、また犬の話になつて、
「雑種なんでせう?」
「ええ、さうみたい」
「雄でせうね」
「はい、名前から言へば」
浦野は中腰になつて白い犬を引き寄せ、くるりと返して股間を見た。
「なるほど、名前で判断するしかない」
「いやあね」
と眉をひそめられても浦野は平気だし、相手のほうも、眉をひそめながらもさほど気にしてゐる様子はなくて、
「娘のお祝ひなの」
「羨しい。うちの息子たちは何もくれませんでした。娘さんは犬が好き?」
「ええ、大好き。あたし以上ね。犬が死んだとき、悲しがつて大変でした」
「どのくらゐ経ちます?」
「さうね、かれこれ一年」
「それで、新しい犬はまだ飼つてない?」
「ええ、死んだ犬への義理もあるし、それにマンションの規則でいけないことになつてますし」
「あれが困るんだよな」
夕刊の早版が戸口に届いた。そのとき、めいめいの机に配られるまで待たずに、奥から小走りに出て来た男がある。カーディガンを羽織つた頬ひげの五十男で、夕刊一面下の「方寸帖」といふ短評欄の筆者である。戸口の近くに立つたまま、ほかの記事には目もくれずに、今まで何度も読んだにちがひない自分の文章を、すごい目つきでまたもやくりかへし読んでゐる。新任の論説委員二人は、配られた夕刊を受取ると、一面のトップ記事を斜め読みしてから「方寸帖」にすばやく目を通し、その筆者に声をかけた。
「四月一日は年のはじめだつたといふ話、初耳でした。おもしろいわ、とても」
「一年中、四月一日の職業もあり、とは痛烈ですな。まさか……新聞記者のことぢやないでせうね」
頬ひげの男は満足さうな笑ひ声をあげるだけで、何も言はない。
いろいろな鞄をかかへた論説委員たちが次々にはいつて来る。たいていは浦野と同様、背広をきちんと着て、律儀にネクタイを結んでゐる。その流れに逆らふやうにして、替上着のポケットに夕刊を突つ込んだ、ネクタイをしない、禿頭の男がみんなに会釈しながら外へ出てゆく。「遊星通信」といふ、朝刊一面下にあるコラムの筆者で、毎日この時刻、近所の喫茶店に行つてコーヒーを二杯飲む習慣なのだ。彼と「方寸帖」の筆者は、論説委員ではあるけれど、会議には出なくていいことになつてゐる。彼とすれ違つた論説委員の一人が、今朝の「遊星通信」の最後に引いた四月馬鹿の俳句のパロディを口にし、替上着の男は上機嫌で何か言ひ返した。
十二時半近くになると、みんなが自分の席から立ちあがり、部屋の一隅にある大テーブルにぞろぞろ集つてゆく。ノートを何冊も持つてゐる者、夕刊の早刷りを手にしてゐる者、手ぶらの者とさまざまだし、煙草をすふ者、腕組みをする者、頬杖をつく者と、これもいろいろだ。大テーブルからすこし離れ、ソファに腰かけて、膝の上にノートを広げる者もゐた。南弓子は二十人ばかりの出席者のなかのもう一人の女と並んで、論説委員長の真前の席につき、そして浦野重三は社会部出身の古参の論説委員二人にはさまれて、女二人からさほど遠くないところにゐる。
委員長が、一人置いて隣りの男に熱心にすすめてゐた、ドイツの肩こりの薬の話をとつぜんやめて、改まつた声を出し、新任者を紹介した。二人が立ちあがつてお辞儀をしてから、委員長が言つた。
「では、早速で恐れ入りますが、明日の社説は新任の方にお願ひしませうか。第一論説は浦野君。第二論説は南さん」
浦野があわてて、
「そんな、最初の日にいきなりなんて。困りますよ、それは」
と断つたが、みんな笑つてばかりゐて、相手にならない。彼が南弓子に、
「ねえ、困るでせう?」
と声をかけても、笑ふだけで賛成しない。
「書くこと、用意してないですよ」
と言ふと、委員長と副委員長二人が、どうやら示し合せてあつたらしく、
「選挙違反なんかどうだらう?」
「今月は地方選挙が多いし……」
「浦野君ならおもしろい材料、いつぱい持つてるんぢやないか」
「みんなが手伝ふから」
などと、選挙違反を書くことに決められてしまつた。
手伝ふといふのはつまり放談をすることで、それから約一時間、論説委員たちは、選挙違反についてのいろいろのゴシップ、支局勤めのときの体験談、どこかの大学教授の受売りらしい政治原論的考察、評論家から仕入れた警句、政局展望など、多種多様な意見を語り合ひ、談笑し、浦野はそれをノートにせつせと書きとめ、十ページも埋めることになつた。やがて、誰かが言つた冗談に大笑ひした委員長が、
「ま、かういふのを参考にして、自分の意見を中心にまとめるんだよ、浦野君」
と言つたとき、この件は終つて、次は南弓子が、
「女性の就職事情について書きます」
からはじめて三分ばかり説明すると、もう一人の女性論説委員がいい着眼だと褒めたほかは、誰も口を出さない。いや、男がみんな静まり返つてゐるので、まづいと思つて、先任の副委員長が同じ意見を別の言葉でくりかへした。あとは、夕刊二面の「ゼロ発信」といふ随筆的なコラムに誰が何を書くかを決めて、二時ごろ、会議は終つた。
論説委員たちはそれから、遅い晝食《ちゆうしよく》のため社員食堂へ行つたり、蕎麦屋《そばや》へ行つたり、取材に出かけたりする。映画を見にゆく者もゐる。もちろん記事を書く番なら、それに取りかかる。南弓子はうちに電話をかけて、社説を書くことになつたから夕食を作ることはできないけれど、七時半にはきつと帰るから待つてゐるやうにと母に伝へた。最初の日に指名されるとは思はなかつたので、今夜は自分が料理をすると約束してゐたのである。そして三時半ごろ書きあげると、まづもう一人の女性論説委員に見せ、次に副委員長のうちの一人に見せて、別に問題がなかつたので、軽い食事を取つてから、調査室で調べものをした。五時ごろ論説室に戻ると、ちようど彼女の原稿のモニターが来てゐて、そのコピーを見た副委員長が声をかけ、これでいいと言ふ。モニターとは、コンピューターにどう打ち込んだかといふ証拠《しようこ》の紙で、電報の依頼紙くらゐの大きさである。弓子も副委員長の隣りの空いてゐる椅子に腰かけて、その、十枚ほどの黄いろい紙に目を通したが、直すところはない。そのとき副委員長が顔をあげ、さつき委員長が読んで、なかなか上手だと言つてゐたと告げた。弓子はそれに微笑だけで答へた。
校正刷が出て来るのを待つため、自分の席へゆくと、浦野が左の席で、さつきまでの悠然たる態度とは打つて変つて、深い吐息をついてゐる。机の上にも、足もとにも、紙屑が散らばつてゐて、苦吟を絵に描いたやうな様子である。
思はず、
「まあ大変」
と声をかけると、浦野は、
「やあ……」
と疲れた声を出しながらこちらを見たが、その表情は、照れくささうな感じを装はうとしながら、実は絶望し切つてゐることがあらはである。
「どうしました?」
と、ついいたはる声で訊ねると、
「うまくゆかないんですよ。何だか、わからなくなつて来ました。心配して見に来たけど、どうも変だなあと思つてるらしい。何かゴニヨゴニヨ言ふだけで、ちつとも参考にならない」
これはデスク、つまり論説副委員長のことか。浦野はさらにぼやきつづけて、
「困つたなあ。でも、まだ時間はあるんですがね」
「ええ、それはありますよ」
「しかしねえ、頭がぼうつとして来た」
「あ」
「何です?」
「お晝《ひる》、まだでせう?」
「本当だ。忘れてた」
「それなのよ。理由は簡単。ちよつと待つてて」
隣りのビルにある売店への往きも帰りも、そしてそのあとも、彼女は内心とても嬉しかつた。社会部随一の辣腕記者が噂通り原稿が書けなくて、しかし自分はとうに書きあげてゐることも、彼の書けない理由が空腹だと言ひつくろつて(それもすこしあると思ふが)、買物にゆくのも、じつに楽しい。買つて来た握り飯、牛乳、ウーロン茶を受取つて素直に感謝する浦野の表情も、金を払はうとして要らないと言はれると無理押ししない彼の態度も、感じがよかつた。実を言ふと、ワープロが据ゑてある机に向つて味はふかういふ幸福感の奥深くには、昨夜、男と逢つたせいでの満足といふ条件がかなりあるのだが、彼女はその方面のことはすつかり忘れてゐた。
浦野は握り飯を食べ、牛乳をストローですすつてから、
「どうも作文は苦手だなあ。小学生のときからうまく書けない。音楽よりも駄目でしたね。得意だつたのは、えーと、おや、何もないか。一つ読んで見て下さいよ。申しわけないけど」
と言つて、当然のことのやうに原稿を渡した。出来あがつたらまづ誰か同僚に見てもらふのは論説委員の心得だし、浦野が頼みやすい社会部出身の記者はもう引上げたのかもしれない。弓子はさう思つて、消しや加筆の書き直しの多い、意外に達筆な原稿を、愛想よく受取つて読み出した。文章が書けないので有名な記者がどんなものを書いたかといふ好奇心もある。
今年の四月は各種の地方選挙が多い月である。日本列島は、県知事から市町村会議員までを新しく選出して、風薫るゴールデン・ウィークに入ることになるのである。ただし、今月改選されない県知事その他も多いことは、いうまでもないことである。
ここで思い出すのは選挙違反である。なかでも買収と饗応であるが、ここで論じるのは買収である。これが以前から問題視されながら、依然として根絶できないのは遺憾の極みである。なぜ遺憾の極みか?
民主政治は、政見が自分になるべく近く、人格識見ともにすぐれた人物を自分の代行者として選び、その人物に政治を託す仕組になっているのである。買収などを行なう者が、人格識見ともにすぐれているはずがない。こういう人物を断じて当選させてはならない!
しかしこれはタテマエ≠フ議論であって、実際問題として買収は盛んに行なわれている。買収を行なった代議士をすべて除くならば、衆議院は半減以下になるであろうといわれている。これは杞憂ではあるまい。
そして、有権者としては、買収の話を持ちかけられたとき、断りにくいのもまた事実である。金銭欲のせいではない。それも多少はあるのであるが、別種の事情も厳として存在するのである。
筆者の同僚の一人は、支局勤務のとき、一緒に釣りに行ったことのある近所の顔役から、茶色い封筒を渡されて、投票を依頼されたそうである。そして、平あやまりにあやまって、返却し、事なきを得た。これは、東京の新聞記者という立場上まずいという理由で断りやすいので、土地の人ならば、断ればいろいろな支障が生ずるに相違ないのである。
なぜ支障が生ずるかというと、相手はこちらを自分の仲間と認めて、渡したのだからである。それを拒否しては、仁義に反し、これまでのつきあいがチャラ≠ノなるのである。また、向こうにしても、ほかの人に渡したのにこの人にだけ渡さなければ、顔をつぶすことになる。そういう身内の礼儀ということがあるのである。
そしてもし懐に入れれば、入れっぱなしで投票せずということにしにくいのは、人情である。そんな義理の悪いことはできないのである。先年、フィリピンの大統領選挙の際、カトリックの大司教が、ラジオで、金を受け取ってもいい、それとは無関係に投票せよ、と呼びかけたのであるが、そういわれてもマルコス氏に投票した人は多かったようだ。そういうものである。
フィリピンではいくらなのか不明であるが、わが国の相場は五千円から一万円という噂である。安くても五千円札を一枚、茶色い封筒に入れて渡すのである。千円札五枚は入れないのである。もっとも、家長の一票を五千円で買うのか、家族全体の票のとりまとめを五千円で依頼するのかは、明快ではない。買収は前近代的な行為だから、家族全体で五千円なのであろう。個人個人で分けることが前提ではないから、千円札五枚でないのだ、と考えることも可能であろう。
こういう事情であるから、全国で渡される五千円札はさだめし膨大な数にのぼるはずである。金融機関では五千円札が不足するという話を聞いたが、おそらく事実に近いのではないか? なお、大蔵省印刷局では選挙近くになると五千円札を大増刷≠キるに違いないのであるが、この点については裏が取れなかった。
そして、例の茶色の封筒は、告示後に大量に買うと、選挙違反の証拠とされるそうである。それゆえあれは、告示前、選挙区以外の文房具店で買うのがコツ≠セそうである。それならば、むき出しで渡せばよさそうなものであるが、裸では無作法になるのである。また、祝儀袋では費用がかさむのであろう。白い角封筒では目立ってまずいのであろう。やはり安くてさりげないのは、茶色の封筒であろう。
しかしながら、買収は民主政治を乱すものであり、法を犯す犯罪であることは、今さら論ずるまでもあるまい。買収による投票と代議制政治との両立は、はなはだ無理である。われわれは、もしも茶色の封筒を渡されたならば、相手の機嫌をそこねないよう、穏やかに返却しなければならないのである。
弓子は二へん読んだ。最初はをかしくて仕方がなく、笑ひ出したいのをこらへてゐたが、終りまで来ると自分の読み方に自信が持てなくなつて、もう一度、読み返す。そして今度はゆつくりと、考へ考へ読み進んで、再読を終へたときには、妙な具合に感動してゐたし、その感動のかなりの部分は自責の念であつた。これにくらべれば、自分がさつき書きあげて論説委員長や副委員長に褒められた『女性と就職』など、ただ器用にまとめただけの浅薄なものではないかと反省されたのだ。
もちろん浦野の論説は、文章の技巧といふ点ではかなりひどいもので、文の末尾を「である」づくめで行つたり、詰まらぬところで重々しく但し書をつけたり、俗語や隠語が頻出《ひんしゆつ》したり……いちいちあげたら切りがないくらゐ傷が多い。素人ならともかく、新聞の論説委員の書くものとしては、幼稚だし粗雑である。
論旨の運びもたどたどしくて、たとへば、買収に応じてはなぜいけないのか、論理的に詰めてゐない。悪いから悪い、みたいな話になつてゐる。五千円札のことだの、封筒のことだの、世間話に興じたあげく、とつぜん、相手の気持を害しないやうに返せといふ処世術になつて、それでおしまひ。何だか気持がすつきりしない。
しかし欠点は多いけれど、それにもかかはらず浦野の論説には魅力があるし、強みがある。第一、普通の社説とまるで違ふのがいい。普通は、これまでみんなが書いて来た陳腐《ちんぷ》なことをくりかへすのだが、浦野は誰も書かなかつた新しいことを言ふ。ただしその新しいことは、実はみんながまへまへから知つてゐることで、選挙違反は金銭欲のせいではなく、むしろ社交みたいな何かとしてあるといふ馬鹿ばかしい真実をあけすけに書いた。
封筒を渡されて当惑した話は、今日の会議で学藝部出身の定年間近な委員が友達の体験談として披露《ひろう》したもので、当人も、ほかの者も、笑ひ話のつもりでゐた。フィリピンの大司教の放送も、外報出身の者が、これも座興として言つたものだ。どちらも論説に使はれるなんて思はずにしやべつたのである。そして、かういふ話を論説に書いては不謹慎なことになるくらゐ、浦野だつていちおう心得てゐたらう。
それなのに敢へて書いたのは、
1 ほかに恰好な材料がない。
2 手持ちの材料(五千円とか、封筒の買ひ方とか)と関連があつて好都合。
3 同僚の顔を立てる。
4 記事が書けない記者の最初の論説もので、興奮してしまひ、じつくり考へる暇がなかつた。
5 こんな話を論説に書いてはいけないといふ認識が、多少はあつてもしかし充分にはなかつた。
などと、いろいろ理由があつたに相違ないが、決定的には、
6 選挙違反についての考へ方が実際的である。教科書で習つた西洋の理論の受売りではなく、自分が実地に見聞した生活からものを考へる態度である。
といふ事情によるものではないか。そしてこの男が社会部記者として沢山の手柄を立てたのも、ひよつとすると、この、いつも日本の(アジアの)現実を相手どる、観念的でない、流儀のせいではないか、このもつさりした泥くさい男は見かけによらず鋭い才能を持つてゐるのではないか、などと南弓子は感動してゐたのだ。(1から6まで番号を振つて書いたのは、いはば実景を写したもの。彼女はいつもかういふ具合に番号つきでものを考へるたちだつた。)
弓子がそんなふうに思ひながら、ふと隣りの席を見ると、驚いたことに、才能を秘めた俊敏な男であるはずの人物は、両手を合せて恭《うやうや》しく彼女を拝んでゐる。それはいかにも思ひ詰めた、真剣な様子で、ただし俊敏な感じではなく愚昧《ぐまい》な印象を与へる。呆気《あつけ》にとられて、
「まあ! どういふこと?」
と訊ねると、
「書き直して。頼みます」
と哀願した。
「これを直すの?」
「ええ。もう時間がないんです」
「だつて、これ、とてもいいのよ。おもしろかつたわ。目のつけどころがすばらしいもの。あたしなんか書けないと思ひました」
と褒めると、さすがに嬉しさうにして、左手でぶつ真似をしながら、
「おだてないで」
と言つたが、すぐ元の表情に戻つて、
「しかし、おもしろくたつて、これぢやあ新聞に載せるわけにゆかない。わかるでせう」
「それはまあ、デスクが困りさうな所はありますけど」
「それも一ケ所や二ケ所ぢやない。全体に手直ししなくちや。でも、どうしたらいいか、見当もつかない。ね、直して。どう直されても文句いはないから」
と両手を激しくすり合せて、また拝む。
「あらあら」
「頼む!」
それはいかにも切羽《せつぱ》つまつた感じで、はふつて置くと何か大変なことになりさうな気がしたが、この直感は正しかつた。そのとき浦野は、ここで土下座するのは見つともないな、逆効果かもしれないぞ、そんなことをしないで何とか承知させなければ、とあせつてゐたのだ。彼は今まで何度も、支局で、記者クラブで、本社で、同輩および後輩の代筆係を見つけて来たが、土下座したことはなかつたものの、最初に書かせるときはいつもそれなりに苦労した。しかし女に頼むのは今度がはじめてなので、どの手で行つたらいいのかさつぱりわからず、断られやしないかと心配でたまらなかつたのである。
南弓子は、
「でも、困つちやふ。今夜はいつしよに晩御飯食べるつて娘と約束したんです」
と言つて目の前に置いてある浦野の原稿をひよいと取上げた。それは、もう面倒だからこれとの関係を断ちたいといふ気持と、いい論説になりさうなものの下書だから未練があるといふ気持とが半々のしぐさだつたのに、何気ないつもりの動作に含まれてゐるほのかな意味合ひをとらへて、浦野は発止と声をかけた。
「ありがたう。助かつた」
「あら、そんなこと言つたつて」
とつぶやく語気は弱くて、もう引受けたことになつてしまつてゐる。弓子は再び電話をかけて謝り、母と娘は虫おさへにクッキーを食べてしばらく待つことになる。
小一時間かかつて出来たものを読み返すと、傷はないけれど、ずつと詰まらなくなつたし、生きが悪い。弓子はさう思ひながら、プリントした原稿を浦野に渡し、彼が読んでゐる最中にそつと立ち去つた。浦野はそれに気づいて立ちあがり、礼を言ひ、後ろ姿に最敬礼し、そして読みつづける。
今年の四月は知事選その他、全国的に選挙が多い。かなりの数の県知事から市町村会議員までを選び直してから、日本列島はゴールデン・ウィークを迎えることになる。
ところで、選挙と聞くと思い出されるのは選挙違反、ことに買収である。これは意外なほど盛んにおこなわれているのが実情であって、これを無視して日本の政治を論じては虚偽になるくらいだ。西洋の先進国ではすでに根絶したこの風習が、わが国ではびこっていることは、まことに残念である。
民主主義の社会は選挙にもとづく。選挙によって首長および代表者を選び、その首長および代表者に政治を委任する機構なのである。しかしその場合、わりあい自分の政見に近く、わりあい人格的に信頼できる人に票を投ずるのでなければ、この機構は正当に機能しない。
買収していいのならば、政見の近似、人格への信頼という二つの要素よりも、財力がものをいうことになる。これでは話にならない。買収による投票は民主主義を破壊するものなのである。
しかし、これまで述べて来たのは、いわば表向きの議論である。表向きの議論が間違っているわけではないが、実際問題となると理論どおりにすっきりと行かないのは事実である。たとえば、もしも知人から茶色い封筒を渡され、投票を依頼されたら、どうすればいいのか?
それについては、一つ面白い話がある。筆者の同僚は、地方で支局勤めをしていたころ、一緒に釣りに行ったことのある町内の顔役から、茶色い封筒を渡されて投票を依頼され、ひどく困ったという。平あやまりにあやまって、勘弁してもらったそうだ。これは、東京の新聞記者という立場上、まだ断りやすいので、その土地で生まれ育った人なら、いろいろまずいことになるに相違ない。社会生活が円滑を欠くことになるのである。
なぜかというと、相手はその人を自分の仲間と認めて渡したのだからである。それを拒否しては、礼儀に反するし、水臭いことになる。これまでのつきあいが無意味なものに化し、今後の交際も他人行儀で誠意のないものになる。というよりもむしろ敵対関係に変わるかもしれない、と心配するわけである。
かつて同僚が茶色い封筒を渡されたと書いたが、あれに入れるのは全国共通の買収のスタイルらしい。あの茶色の封筒は、告示後に選挙区内の文房具店で買うと、選挙違反の証拠となる、という話を聞いたことがあるから、風俗の型になっているわけである。あれは、むきだしでは失礼だという気持のあらわれで、祝儀袋に入れるのも仰々しいし、またそれでは費用がかさむから、封筒にしたのであろう。粗末な封筒ではあるが、とにかく贈り物という体裁になっていることは明らかである。つまり本来は、票を買う気持ではなかった。いわば挨拶のようなものであった。
しかし、そうは言っても、受け取った以上、もらいっぱなしでいるのは心苦しい。どうしてもお返しをしたくなる。これは人情である。そこで、相手は立候補している人だから、票を入れることでお返しをしよう、と考えるわけである。
先年、フィリピン大統領の選挙の際、カトリックの大司教がラジオで、金をもらってもいいからその金とは無関係に投票せよと呼びかけたことがあった。これは一見賢い忠告のように見えるかもしれないが、実際にはなかなかむずかしかったであろう。不正選挙であったと言われて、結局マルコス氏が失脚したのだが、それでも同氏がかなりの票を集めた事実は、このへんの心理をよく物語っていると思われる。
こう考えて来ると、われわれは二つの原理によって生きていることがわかる。贈り物をやりとりして和気藹々(わきあいあい)と暮らす村の原理と、都市的な近代代議政治の原理とである。そして、普段はともかく、選挙のときは、この二つは衝突する。それゆえ、茶色い封筒を渡されたなら、相手の機嫌をそこなわないよう穏やかな態度で返し、それとはまったく無関係に投票しなければならないのである。
浦野は、読み進むにつれて嬉しさが高まり、終りまで来たときにはかなり興奮してゐた。その喜びは、南弓子の癖を真似て分析すれば、三種類の感情の合成であつたらしい。すなはち、
1 とにかく社説が出来たといふ安心。
2 自分の考へが文章に表現できたし、かうして読んでみるとなかなか立派な意見だ、といふ自慢。
3 この相手に今後も原稿を書かせることができさうだといふ希望。
の三つで、それが渾沌と渦巻きながら、彼を満足させてゐた。
この嬉しさは、南弓子の書いたものに論説副委員長がずいぶん手を入れ、言葉づかひが鈍重になつたり、ところどころ意味不明になつたり、つまり改悪されたあげく、それがまづモニター、次いで校正刷になつたときも変らなかつたし、さらに翌朝、配達された朝刊を読んだときもすこしも減じなかつた。いや、いつそう増してゐたかもしれない。本物の新聞となると校正刷と違つて堂々としてゐるし、それに浦野は原稿の細部は覚えてゐないから、自分の意見がかういふ具合にきちんと表現されたことに改めて感動したのである。それは自分の取材した特種を若手の記者にまとめさせたときとは一味違ふ感動で、つまりこれが書くことの喜びだらうと浦野は思つた。彼は自分で書いたやうに思つてゐた。
新聞の論説は読まれることまことにすくなく、一説によると全国の論説委員を合計した数しか読者がゐないといふが、浦野の最初の作には一つ、反応があつた。掲載された日の午後、社長が銀座の床屋で与党の領袖《りようしゆう》某氏と隣り合せになつたが、その某氏が、あれはいけない、みんなが怒つてゐる。あれは針小棒大だよと評したといふのである。このことはただちにしらせがあつて、論説委員長は、つまり認めたわけぢやないか、手ごたへ充分だね、と笑つた。殊に、みんなが怒つてゐるといふ情報が彼を喜ばせ、「みんな」とは何人くらゐの代議士だらう、五人以下か、五人以上か、それとも十人を越すかなどと、副委員長と論じあつた。そして南弓子の論説には、読者からの投書一つない。彼女は、
1 浦野の論説に対する自分の評価は正しかつた。
2 自分が直したままで副委員長が筆を入れなければもつとよかつたのに。
3 それにしてもあたしは損な役まはり。
といふ三つが入りまじる複雑な感想をいだいた。
社長と某領袖がたまたま出会つた日の翌々日、浦野は論説会議で、「ゼロ発信」といふ夕刊のコラムを書けと指名された。これは論説委員が書く随筆的評論の欄だが、病気や海外出張の者が多いせいで順番がくりあがつたのである。もちろんこの人選は、反響のあつた論説の筆者をただちに起用する狙ひだけれど、今度もまた南弓子に書いてもらへるかどうか、これはおもしろいぞといふ好奇心もすこしはある。何しろ噂をひろめることにかけては本職が揃つてゐるわけだから、浦野の論説が出来あがるまでの一部始終は、論説委員のほとんどが知つてゐた。
浦野は、
「えつ、またですか」
などとさんざん渋つたあげく、
「勲章の内幕話ならすこし材料がありますが」
と言ふと、委員長以下みんなが、それはおもしろさうだ、月末発表の叙勲を控へてぴつたりぢやないか、とはやし立てて、会議は終つた。そこで彼はほうぼうに電話をかけて情報を探つた後、まづ、このあひだの体験を生かして蕎麦屋にゆき、ざると天ぷらそばを食べ、それから万一に備へ、サンドイッチと牛乳とウーロン茶を用意して机に向ふ。
浦野としては、「ゼロ発信」はわづかに八百五十字で短いし、論説ではなく随筆だからその分だけ楽なはずで、それに個人的な動機があるから力がこもつて書きやすい、といふ気持だつた。親類に村長を勤めた老人がゐて、勲章をもらへるはずと心待ちしてゐたのに、七十五になつても声がかからないでゐるうち、亡くなつたのである。さういふ運の悪い人は大勢ゐるはずだ。そこで、以前、総理府のキャリアの役人から仕込んだ話(オフレコだよとは言はれなかつた)を使つて慰めたいといふ鎮魂の思ひだつた。
しかしいざ取りかかつてみると、書くべき事柄は多く、字数の制限はきつい。とりあへず春の叙勲の日程を紹介することからはじめるつもりで、四月二十九日に発表、五月上旬に勲一等は天皇の親授式、勲二等は総理大臣の伝達式がある、勲三等以下は各省大臣の伝達式があつてそれから午後に宮中で天皇に拝謁、などとゴタゴタ書いたものの、これでは勲二等は天皇に拝謁しないみたいでまづい。あわてて「勲二等にも拝謁があることは言うまでもない」などと付け足してほつとすると、もうこれだけで四百字近く費やしてゐる。うんと削らなくちやならないが、それは後まはしにしてさきに進む。
さて、叙勲の資格が生ずるのは満七十歳である。七十になると当てにする人が多いやうだが、最近の高齢化のためダブツキ加減で、こんな具合にみんなが長生きするのも大所高所に立つて考へると一長一短である。いや、この「一長一短」は不穏当だし「大所高所」もをかしい。しかしまあ、この際、眼をつぶるか。えーと、内示があるのは四月上旬で、それゆゑ十五日になつても電話がかかつて来なければ、今年はもう駄目と諦めるのが正解であらう。高齢化社会だから立てこんでゐて、四年も五年も待たされることがある。おや、これは前に書いたことのくりかへしだ。しかも、待たされてゐるうちに死ぬこともあつて、その人の無念の思ひはいかばかりであらう、とここまで来て、昨日のことのやうに思ひ出す、親類の前村長から巻紙の手紙が来て、息子である世襲の村長が清酒を二本さげて頼みに来て、それで自治省へ行つて、何とかしろよ、そのうち何かで借りを返すからと頼み込んで、それから……いや、こんなことは書く必要なし。一体にこのへんは要らない、と鉛筆でグイグイ消してゐるうち、さつきから気がかりだつた、机の前の本棚にのせてあるサンドイッチのことがいつそう気になり出した。蕎麦屋でしつかり食べたあとだから別に食欲はなく、むしろどんな味かなといふ知識欲であつて、いや、知識欲などと名づけては過大評価であるけれども、しかし気になつて仕方がないから、いつそ味見をしてしまへば仕事に打込めるはず。そこで思ひ切つてハム・サンドイッチを試食し、つかへたので牛乳を飲み、卵と野菜のサンドイッチにも手を出すと、さすがに満腹で苦しい。腹ごなしのため社屋のまはりを早足で三周すると、体が汗まみれになつた。本当は地下の浴場へ行つてシャワーでも浴びたいところだが、時間が惜しいからそれはよして、また机に向つて思案することになる。さて、このへんで叙勲とはどういふものか説明しなければならないが、これは資料を写してゆけばいい。忘れてならないのは、叙勲ではどんな公職、いやそれよりはもうすこし幅が広いけれどまあ公職を、どのくらゐ長く勤めたかが大事だといふこと。これは例をあげるほうが話が早いので、つまり、大臣を一回やれば勲一等旭日大綬章をもらへるのであり、うんと下つて、この「うんと下つて」といふ言葉はきつと文句が出るからあとで直さなければならないが、とにかく勲四等では公立学校校長、税務署長、市会議員など、勲五等では警視正、村長、船長、歯科医、助産婦支部会長など、勲六等は統計調査員、郵便局長、少年刑務所看守長など、勲七等は消防団副団長、警部補、裁判所廷吏長、県文化財保護審査会長など、とだらだら書いて来て、長くなつて困つたなあ、どうしたらいいのだらうと舌打ちする。とうに倍以上になつてゐるが、どこをどう切つたらいいか見当もつかないのはサンドイッチのせいか。それに牛乳を一箱飲んだのも悪かつた。眠くて仕方がないので、ソファに行つて横になり、うとうとすると、夢の中で彼は子供になり、死んだ叔父が夏座敷で胸にビールの王冠をつけてくれる。子供あつかひされるのは厭だと言ひ張つて目覚め、夢が色つきから黒白、黒白からセピアと白になり、とうとう白一色になるまでぼんやりしてゐたあげく、かうしてはゐられないと自分を励まして起きあがり、顔を洗ひ、また原稿用紙に取組んだ。まづ今までのところを読み返し、何だかゴタゴタしてゐて感心しないけれどしかしまあ我慢することにする。ここでやはり念を押すほうがいいだらうと考へて、公職およびそれに準ずるものが目安なのである、名村長だから、鬼警部だからといふわけではないのである、と論じて、それから、いよいよ、大事にしまつてあつた秘話を書く。財界の超大物、本田宗一郎氏は、自動車工業会の副会長、東京商工会議所の副会長と、すべて「副」がついてゐたため、基準通りにゆくと勲二等になつてしまふのであつた。そこで賞勲局は、困つたあげく、同氏が売春対策審議会長であつたことを持ち出し、この「会長」のせいで勲一等がふさはしいことにした、といふエピソードである。まことに変な話ではないか。勲章などといふのは所詮こんなものである。もらへなくても、別に気に病むほどのものではないのである。終り。しかし読み返してみると、折角の秘話も期待したほど効果をあげてないし、理屈もすつきり通らないし、どうもをかしい。それは仕方がないとしても、前のほうを削つて規定の字数に収めるのがうまくゆかない。まして「ゼロ発信」らしく話の恰好をつけ、意見を述べたやうな述べないやうな具合にするなんて、とてもとても。ああ困つたなあ。絶望だ。浦野は悲観し、苦悶し、論説委員長を怨み、自分があのときいい気になつて引受けたことを悔んだ。実を言ふと、南弓子が晝すぎから姿を見せず、どうやら帰つてしまつたらしいことも腹が立つ。あの女は一体どういふつもりなのか。あ、さう言へば今日はデスクがちつとも寄つて来ない。見はなされたわけか。今は七時で締切りは八時くらゐまで延びるはずだが、この調子ではおそらく間に合はないだらう。誰か南弓子以外の論説委員をつかまへて、書き直しを頼まなくちやと考へ、でももう一度、読み返し、思案にふけつてゐると、とつぜん横で女の笑ひ声があつた。顔をあげると、南弓子である。
彼女は会議が終るとすぐ、アフリカの女大臣のインタビューに出かけ、デパートでカーテンと玄関用の小さな絨毯と漆塗りのお椀三客と自分の靴を買ひ、夕食は労働省にゐる女友達といつしよに軽くすませて、社に立ち寄つた。浦野のことなど忘れてゐたため、彼が先日とまつたく同じやうに憔悴《しようすい》して机に向ひ、頭をかかへてゐるのを見ると、思はず笑ひ出してしまつたのだ。
浦野は、
「あ、ひどいなあ。人がこれだけ困つてるのに」
「ごめんなさい。でも、このあひだとそつくりなんですもの」
「うん、滑稽だらうな。それはわかる。でも、笑ふのは失礼ですよ。お詫びのしるしに、これを直して下さい」
と言つて浦野は原稿用紙を差出し、内心、じつにいい呼吸だなあとわれながら感心した。弓子はまたもや、つい受取つてしまつた。今度はどんなものを書いたかといふ好奇心もあるけれど。そしてくすくす笑ひながら読み終へた。論説のときほどは感心しなかつたが、それでもやはり光るものがあるし、地獄耳と反体制的感情との結びつきが新聞記者らしくていいし、勲章をもらふ人を祝ふよりもむしろ、もらはなかつた人を慰めようとする態度が感動的だ。しかし、書き方は義理にも上手と言へない。
「とてもおもしろかつた。本田宗一郎氏の話、傑作ですね。笑つちやふ。本当なの?」
「大丈夫、大丈夫」
「かういふものなのね、官僚のすることつて。でも……」
と言ひかけると、浦野は、
「うん、このままでは出せません。わかる、わかる。第一、うんとオーバーしてるし。ところが、いくら頑張つても、削ることも直すこともできないんですよ。むづかしいなあ、文章書くのは。ぼくは小学生のときから作文が苦手で……。あ、この話、前にもしましたね。ねえ、直してくれよ」
とまた両手を合せて拝む。そして拝みつづけながら、
「すつかり書き直してかまはないから。ね、頼みます」
弓子は、
「ええ。書きますから、拝むのはよして」
と引受けて安心させてから、叙勲関係のことを根掘り葉掘り質問し、それから浦野を運動部と調査室にゆかせていろいろ調べさせた。前警視庁キャップはさすが呑込みが早くて、余計なことを問ひ返さず、言ひつけ通りに調べあげる。テキパキと能率がいい。用意が整つたところで弓子は書いた。
間もなく春の叙勲だが、叙勲そのものは非常に意義があるけれども選考の基準がをかしい、といふ書き出しからはじまつて、その基準は人物や業績ではなく、公職(およびそれに準ずるもの)の高下《こうげ》と回数である、と要約したのち、勲七等から勲四等まで叙勲者をさかのぼり、「途中をかなり飛ばす形になるが」大臣一回なら勲一等旭日大綬章、大勲位大綬章を生前に受けたのは二人の元首相、と紹介する。だがこの二人だつて、功績によるよりはむしろ、吉田茂は五回、七年間、佐藤栄作は三回、七年八ケ月、内閣の首班であつたから、といふのが叙勲の論理であらう。もともとそんな仕組だから、たとへばホンダの本田宗一郎氏の場合、売春対策審議会長だつたことを無理やり探し出し、そのせいで勲一等を授けるなんて苦しい話になるのである。さて、ここで結論。
これではまるで長嶋茂雄氏の経歴において、タイムリ・ヒットを数多く打ち、華麗な守備を見せて、ジャイアンツをしばしば優勝させたことより、引退後、ゲートボール協会の会長を勤めたことを評価するようなものだ。こういう滑稽で非合理的な基準は、そろそろ改める時期にさしかかっているのではないか。
七十何歳になつても勲章をもらへない人に対するねぎらひは、表面には記してないが、しかし論旨からおのづから導き出されるやうになつてゐる。これでいいわけだ。
浦野はじつくりと二度読んで、出来ばえを褒め、礼を言ひ、
「なるほど、長嶋をかう使ふのか。どうしてこんなこと調べるのかなあと不思議で仕方なかつたんですよ。うまい、うまい」
と派手におだてた。弓子は内心すこぶる得意であるけれど、
「長嶋さんとマリリン・モンローだけは、いくら褒めても誰も怒らないんですつて」
とその讃辞を受け流しながら、微笑した。
「さすがに才媛《さいえん》は違ふなあ。いや、ごめん、ごめん。美女にしてかつ才媛。じつにすばらしい」
「あら、論説委員にはもつたいないみたい。広告局長にぴつたり」
短い原稿の直しとはいへ文章を書いたあとなので、興奮の名残りで眼をきらきらさせてゐる。冗談は口をついて出るが、けだるさうで、すぐに引上げようといふ気配ではない。浦野はその様子を見まもつてゐるうちに、女教師に作文を直してもらつた小学生のやうな幸福な気分になり、そのついでに、じつにをかしなことを考へた。一体どうしてこんなに親切にしてくれるのだらうと思つたのだ。言ふまでもなく、自分がさんざん頼んだくせにこんな感想をいだくのは理屈に合はない。しかしとにかく彼はさう思ひ、そして一旦この疑問が心に浮ぶと、同時に論説委員になつた仲で席が隣りだからとか、大の男の新聞記者が文章が書けないで困つてるのが見るに見かねたからとか、目のつけ所がいい論説(と褒めたのはお世辞ぢやあるまい)だからとか、そんな理由ではすまない至れり盡《つく》せりの親切であるやうに見えて来る。これまでの、調べた結果を話して記事にまとめさせる場合には、部下とか、それに近いとか、まあさういふ関係だつたのに、今度は明らかに違ふし、今まで懇意だつたわけでもない。さう思つて不思議がつてゐるうちに、だしぬけに、突如、俄然、もつと奇妙な感想が彼を襲つた。ひよつとするとこの女は自分に惚れてゐるのかもしれない、と思つたのである。この発想にはわれながらびつくりしたが、しかし二度にわたつてこんなに優しくしてくれた以上、絶対あり得ないとは言へない、といふ感想が追ひかけるやうにして現れて、これがどうも捨てがたい。さう言へば眼前の立去りがたい風情の女には愛する男の苦境を救つた満足感が漂つてゐる……やうな気さへする。
南弓子が二十代で結婚し、すぐに別れたのちずつと独身をつづけてゐること、しかし男友達が多いため(ただしみんな社外の男ばかり)どれが恋人なのかわからないことは、かなり有名だつた。浦野はこの事情を思ひ浮べ、誰なのか不明なその男との縁が切れたばかりのところへ自分が登場したわけか、運命的なことだつたなあ、と感慨にふけつた。彼はかなりの運命論者で、殺人とか疑獄とか大がかりな事件を手がけるたびに、自分は前世でこの容疑者と何か関係があつたのかもしれないと空想する癖があつた。
そのとき南弓子は小さな欠伸《あくび》をした。それを浦野は、どうもすこし話があわただしすぎるやうだけれど、ひよつとするとこれはどこかへ行つて横になりたいといふ合図かもしれない、と誤解し、ぐづぐづしてゐては失礼なことになると判断して、まづ、
「どうです? 二へんも書いてもらつたお礼にどこかで御馳走したいんですが、お忙しい?」
と誘つた。しかし相手はじつに平然として、
「そんなお気づかひなさらないで。それに今夜はもう、お食事はすませましたから」
と言つて、
「また今度ね」
と微笑する。その笑顔がなかなか色つぽい。浦野は前半にはすこぶる落胆したけれど、この微笑に気をよくして、おや、あの欠伸は合図ではなかつたらしいが、しかしこの表情を見ると次に誘はれるのを期待してゐるらしい、それに今後も文章を直してくれるつもりらしいぞ、惚れてる以上当り前だが、と考へ、
「ぢや、次の機会つてことにしませう」
と賑やかに言つた。
そのとき副委員長が近づいて来て声をかけたので、浦野は、
「出来ました。持つてゆきます」
と答へ、原稿のおしまひに(浦)と筆者名を入れてから席を離れた。原稿に目を通した副委員長はにやにやして、
「なかなかいいぢやないか」
と批評し、
「書いてもらつたから」
と答へても、ただうなづくだけである。この「ゼロ発信」は、三ケ所ほど言葉づかひを無難にされ、その分だけ気の抜けた感じになつたあげく、無事に通過した。題は副委員長が煙草を二本くゆらして思案した、「勲章というもの」である。
席に戻ると、もう南弓子はゐないが、浦野はそれを、恋ごころを隠さうとしての可憐な態度と取らうとした。そして解釈の線をかう決めれば、華奢《きやしや》な感じは顔にも姿にもほのかにしか残つてゐない代りにどこかの男の丹精でよく熟《う》れた四十女が、少女のやうにあえかなものとして心に迫つて来る。彼は抒情的な気分になつた。
しかし浦野の抒情は、人手が足りないときに整理部長が自分でつける見出しよりももつと俗悪だつた。彼は帰り仕度をしながら、縫ひぐるみのシロベエを見るともなしに見てゐるうちに、ふと、大学出の女と寝るのはこれが最初になるわけだと思つたのである。
もともと学歴にはこだはるたちで、社の内外を問はず、誰がどこの卒業生なのか、中退なのか、場合によつては出身高校まで、ちようど運動部の記者がプロ野球選手の出身校や、甲子園に出たか出ないか、ドラフト、トレードなどを全部そらんじてゐるやうに、ごく自然に頭にはいつてゐたが、しかしこんなふうに女の学歴を気にしたのははじめてだつた。いや、実は、関係した女がみな高校卒ばかりで、例外は二人だけ、しかもそのどちらも女子短大卒であることを、内心、不満に思つてゐて、それがこんな形で意識の表面に出たのだらうか。
女子短大出の二人のうち一人は彼の妻で、もう一人は大阪の刑事の妻である。そのころ浦野はもうサツまはりではなくなつてゐたが、しかし女の亭主とは顔なじみだつた。今でもあざやかに思ひ出すが、真夏の晝さがり、いつしよに安ホテルから出て来ると、その刑事が、入口と向ひ合ふ電柱にもたれて、左右にそして前に何かキラキラ光るものがいつぱい散らばるなかに立つてゐる。もう絶体絶命といふ感じだつたが、えい、なるやうになれと度胸を決め、かねがね怪しいんぢやないかと疑つてゐた、しかし確證のない、ヤクザからの収賄《しゆうわい》をほのめかすと、刑事の顔が白つぽく変つて、何も言はずに妻の手を握り、引立てるやうに立去つた。あとで見ると、キラキラ光るものは菓子の銀紙だつた。甘党なのである。あれからもう十何年たつたわけか。
浦野はエレベーターに乗り、社を出、薄くらがりのなかを馴染みの鮨屋に向ひながら、南弓子のことを思つた。すると、恋慕のせいのほかに短大と大学の格差の分だけいつそう美化されて、彼女の眼は張りを、肌は若さを取戻し、顔の輪郭は一まはりほつそりとなつて、しかも四十女の色気と貫禄はそのままなため、そこにはいはば理想の女が出現して男ごころを悩ますのである。
コンサート・ホールからヴェトナム料理の店へゆくわづかの道を歩きながら、三人は五月半ばのよく晴れた夜空の下で、いま聞いたばかりの東欧生れのソプラノ歌手、殊に彼女のオペレッタの唄を褒めた。女子大英文科の大学院学生である南|千枝《ちえ》は、
「新種の鳥が一羽、見つかつたやうな声」
と形容した。大学の日本史の助教授である渋川健郎は、
「CDで聞いてる若いころより、ずつと心がこもつてる」
と批評した。そして大藏省理財局の課長補佐である三宅正也は、
「君たちの言ふとほりだな」
と賛成した。とすれば、料理屋での最初の話題が声のことになるのはごく自然なことだらう。
壁際のテーブルに案内されて、あぢさゐ色のワンピースの娘が奥に、背広の男たちがそれに向ひ合ふやうに席を取ると、渋川がすぐに、
「このあひだ電話でびつくりした。お母さんの声、よく似てる、そつくり」
と言つた。この娘の声とその母である「新日報」の論説委員、南弓子の声が似てゐるといふ話である。千枝はうなづいて、
「殊に電話になるとさうみたい。顔立ちは違ふのよ」
「ふーん」
「母はわりかし派手な顔で、伯母に近いの。あたしから言へば大伯母ですけど。大伯母は映画女優でしたから」
「ほう、何て名前?」
「柳あえか」
「知らないなあ」
すると、料理を注文してゐる三宅が、メニューを見ながら顔はこちらに向けずに、
「柳あえか? 名前だけは記憶あるみたい」
「でせう。わりかし有名だつたんですつて。昭和二十年代から三十年代はじめにかけて」
「生まれたばつか」
「にしては記憶いいぢやない」
三宅はそのまま給仕人と相談をつづけ、そして渋川は言つた。
「顔の感じは違ふのに声は似てる、おもしろいな」
「あたしは祖母に似てるの」
「ほう、それぢやあ、おばあさんもなかなかの美人……」
「あら」
そのときまた三宅が、ただし今度は顔を向けて、
「おい、お世辞はもつと上手に言へよ」
と横から口を出し、三人はにぎやかに笑つた。
彼らの笑ひがすこし明るすぎるのには事情があつた。二人の若者は高校以来の親しい友達なのだが、同じころ相前後して南千枝と知りあひ、どちらもこの愁へのきいた顔の、しかし表情の変化に富む少女に心を惹かれたのに、娘は二人に平等にしてゐる。あるいは、どちらにも好意は持ちながら恋ごころはいだいてゐないと言ふほうがもつと正しいかもしれない。当然、二人の若者は微妙な間柄になつたけれど、彼らの友情はこはれなかつたし、また、こはさないやうに努めた。もつとも、同じ待遇を受けてゐる以上それで差支へないわけで、二人はときどき娘の反応を報告しあひ、これからどうするかを相談しあつたりした。今夜も、千枝が国立大学の大学院入試にしくじり、出身校である女子大学の大学院に進むことになつたのを慰めようとして、二人で招いたのである。一方には恋のもつれがあるし、他方には受験の失敗といふ不幸がある。そのくせ名目は祝ひの会である。三人はできるだけ屈託のない感じで振舞はなければならないと自分に言ひ聞かせてゐた。
スモークト・サーモンの蕪《かぶら》巻きが来ると、これは果してヴェトナム料理と言へるかどうか、三人とも懐疑的な意見を述べてから、紹興酒で乾杯して、また声の話になる。千枝が、
「母のお友達でもさうなの」
と言つたとき、二人の若者はまつたく同時に、これは母親の男友達といふ意味だと了解してうなづいた。
彼らは、千枝がいつぞや問はず語りに語つた話から、家庭の事情を一応は知つてゐた。すなはち、母である弓子は銀行員と結婚したものの千枝を出産したのち離婚し、子供を引取り、その後ずつと独身をつづけ、そして父はいま北海道の銀行の頭取をしてゐるといふ程度のことである。娘としては、片親だと知れば結婚したい気持が薄れるかもしれないけれど、それならそれでかまはない、くらゐに思つてゐた。そしてこの話を聞いたあと、三宅(そのころは信州の税務署長)と渋川(そのころは講師)は、千枝がゐない席でじつに熱心に母親のことを論じあつた。独身だし、何かの雑誌で見た写真(それは三宅がゼロックスして渋川あての手紙に同封した)でわかるやうになかなかの美人だから、きつと男がゐるにちがひない、詰まらない相手には目をくれないはずだからそれはかなりの社会的地位のある既婚の男だらう、などと論じたのだ。
当然のことながら、その男が誰なのかといふ謎は残つたが、娘は手がかりになるやうなことを口にしなかつたし、二人の知人には「新日報」の関係者はゐない。そしてほかからは噂が流れて来ない。母親の男といふ問題は、大藏官僚と日本史学者とがときどき思ひ出す関心事になつてゐた。
しかし娘がつづけて語つたのは、その件とかかはりのありさうな話である。
「でも、音楽関係の方は違ふのね」
といふ前置きで、国際的に活躍してゐる某指揮者が先日、電話をかけて来たとき、千枝の一言二言を聞くとすぐ、
「あ、お母さんをお願ひします」
と言つたといふ話をしたのだ。
「うん、あの連中は、CDを聞いても、何列目の何番目のヴァイオリンがミスつたつてわかるんだつて」
と三宅は受けながら、反射的に、なるほどあの指揮者なら似合ひの相手だが、滅多に日本に来ないから女としては寂しいだらうな、と思つた。渋川は、
「すごい耳」
とつぶやきながら、おや、この男かな、と疑ひ、しかし娘が軽く口にするのだから何でもない仲だらう、と考へた。
三人は紹興酒を褒め、男たちはかなり、娘はほんのすこし飲んだ。千枝は、今夜はお返しに何かおもしろい話をしなければならないといふ気になつて、ただしほかに何も思ひつかないので母の男友達の話をつづけた。最近ぐつと値の上つた日本画家、次の次官と目される通産官僚、ノーベル賞候補と噂される化学者の名をあげて、彼らは、
「母が電話に出ると、『おや、今の声は君ぢやないの?』なんて気味悪さうに言ふんですつて」
と語つたのだ。
「ほう、すごい顔ぶれ」
「それがみんな電話かけて来る……」
「ええ、なぜか人気あるのね。これだけぢやないの」
と千枝は笑ひながら言つて、さらに癌研究の権威、近く派閥の領袖になると言はれてゐる与党の二世代議士、日本も中国も西洋も書く歴史小説の大家、もう一人の政治家(これは野党)、建築家、新技術の開発で知られる大企業の社長の名を付加へた。
「それがみなママの親衛隊?」
「ええ、グルーピー」
「ふーむ」
と三宅はうなづいて、ひよつとすると自分の義母になるかもしれない女の派手な交遊関係を誇らしく感じ、次に、これだけ大勢ゐてはどれが恋人かとてもしぼれないな、と諦めた。そして渋川は、普段は自慢めいたことを口にしない娘が今夜はどうしてこんな俗物的な話をするのかとあやしみ、一瞬のち、娘がかういふ微妙な表情で笑ふときはきつと話に落ちをつけることを思ひ出して、それを待つた。
「変だと思ひません? 大体おなじ年配の方で、多方面に一人づつだし。政治家だけは二人だけど」
「それだつて与党と野党だね」
と大藏官僚が受けた。
「わけがあるの」
千枝の説明によると、南弓子が二十代の後半、家庭部の記者だつたころ、新任の家庭部長(当時はまだ男が家庭部長)が、女が読むページなのに女が一番好きなもの、つまり男を扱はないのはをかしいぢやないかといふ冗談から思ひついて、「男・四十前」といふ連載をはじめることにした。これはいろんな分野の有望株である三十代の男たちのインタビューで、大抜擢《だいばつてき》で弓子が受持つことになり、好評を博したし、対象である人物からも喜ばれた。母はその縁で優秀な男たちと知りあひになれたのだが、ただ一人、美貌を謳はれた歌舞伎の女形《をやま》が急死したほかは全員が元気で、約二十年後の今日、各界の指導的な立場にあるやうになつたのだから、つまり、人選をした家庭部長、その準備のため情報を集めた新日報社のいろいろの部署が目が高かつただけなんですつて、と千枝は笑つたのである。
「いや、それは謙遜だよ。ああいふ連中は、有能な新聞記者とは友達でゐたいし、美人ならなほさらだもの。ずいぶん頭がいいらしいし……」
と三宅は言ひかけて、そのあとはつづけない。そのとき彼は、一般に男は魅力のある独身の女と出会へば友達以上の仲になりたがるし、見込みがないとわかれば遠のくはずなのに、こんなに長く友達でゐるなんてよほど賢い女なのだらう、それとも中年男は悠長で、じつくり待つのだらうか、と思ひ、しかし一瞬のち、下手にこれを言ふと、恋人の多い不身持ちな女だとほのめかすことになりかねないと思ひ直し、控へたのだ。だが、三宅が不自然に言ひよどんだことなど、誰も気にしなかつた。渋川が、
「ちよつと待つて」
と指を折りながら勘定をはじめたからである。彼は娘に問ひ返してインタビューの相手を数へ直し、
「半端な数だな。十でも一ダースでもなく、十一人だなんて」
「なるほど。一人ぬけてるのかな?」
「さうかも」
と千枝は答へた。彼女はもともと、イタリアのソネットとシェイクスピアのソネットの押韻法の違ひやジェイン・オースティンが長篇小説をいくつ書いたかにくらべれば、母の男友達のことなど重要視してゐなかつた。
ヴェトナム風春巻が来たので、三宅が、
「これはやはり紹興酒ぢやなく……」
と言つてビールを注文した。果して、くちなし色に揚げた春巻を紫蘇《しそ》の葉とサニーレタスに包み、ニョクマムをつけて食べると、味の取合せがいいせいで、いくらでも飲めさうな気がする。三人はまた思ひ思ひの言ひ方で春巻を褒めた。
しばらくして三宅がもとの話題に戻り、
「一流の男がそれだけ取巻いてるとなると大変だ。情報がはいつて来るだらうな。誰それにこの話をしておいてくれ、なんて頼まれたりもするだらうし」
と言つた。
「さうかしら」
「それはさうですよ」
「さうかも」
「つきあひが忙しいな、年に一人が一回としても」
と渋川が言ふと、千枝がうなづいて、
「会に誘はれたり、オペラや芝居の切符をいただいたり、さういふことらしいの」
と説明した。
このとき三宅が春巻の最後の一本をビールで流し込んでから、
「でも、グルーピーにもランキングがあるよね」
「親しさのランキング?」
「うん、一番親しいのは誰?」
三宅としては、独身である以上、決つた恋人が一人ゐると認めるほうが、かへつて身持ちがいいことの證明になるといふ気持だつた。しかし他人にはこの理屈はむづかしいし、まして当人の娘にはいよいよむづかしい。
「あら、そんなことわかるはずないぢやない」
と千枝がすばやく言ふと、渋川があわてて、
「おい、三宅、よせよ、そんな立入つたこと」
と制止した。しかし大藏官僚は気にしないで、
「お母さんの話の仕方で見当つくんぢやない?」
「そんなこと」
「ふーん、その十人以外かな?」
と顔をじつとみつめられて、
「どうかしら」
と娘はとぼけた。もちろん母の恋人が誰なのかはほぼ見当がついてゐるけれど、まさか明す気はない。すると三宅はつづけて、
「電話の様子でわからない?」
「わかりません。ああいふ立派な方々、電話で変なことおつしやいませんもの」
と千枝が言つたとき、前税務署長は、脱税を摘発するときのやうな運動神経で問ひ返した。
「おや、それ以外の男で変なこと言つたのがゐるの?」
千枝が一瞬どぎまぎして、顔を赤らめると、すかさず、
「誰? どういふ人? 間違つて君に言つたの?」
かうなると渋川も制止するのを忘れ、あるいは興味を惹かれてしまひ、返事を待つ。千枝が曖昧な顔で笑ひ、仕方なく打明けた。
このあひだ電話に出ると、
「あ、もしもし」
といふ、野太いやうなしやがれたやうな、聞いたことのない男の声があつて、
「はい」
と答へるといきなり、
「いつもいつも有難う。愛してる、君を愛してる」
とまるで選挙の連呼のやうに言ふ。
「あの、いま代ります」
と言ふと、
「え?」
と頓狂に問ひ返した。それから母が出て、そのさきどうなつたかは、ちようど洗濯屋が来たので聞きのがしたし、そのあとは母が手を振つて合図したので自分の部屋へ行つた。しかし電話が終つてから聞いた話によると、この四月からいつしよに論説委員になつた人で、このあひだまで警視庁詰のキャップだつたし、いろんな賞も取つた優秀な記者なのに、原稿を書くのが苦手で、人に書いてもらつてばかりゐた。もちろん今度は論説委員だからさうはゆかない。それで隣りの席にゐる母が、毎回、頼まれて添削してあげてゐるうちに、向うが、これは自分に好意をいだいてゐるのだと勝手に思ひ込み、夢中になつたのだといふ。
「母にひどく叱られて、しよげ返つたんですつて。もちろん母としては単なる同僚なのよ。それで、娘さんによろしく、ですつて。変なの」
二人の若者は何度もにぎやかに笑ひ、
「そそつかしいなあ」
「『よろしく』といふのは便利な言葉だから」
「新聞記者が文章書けないなんて」
「ゐるゐる、さういふの。大学教授にもゐる」
などと喜んだ。
「それでこれ貰つたの」
と若い娘が見せたのはバガジュリーのハンドバッグで、濃い緑があぢさゐ色の服によく合ふ。
「デパートから送つて来たの」
「あ、お詫びのしるし」
と三宅が言ふと、
「母へのお礼だつたんだけど、返すのも角が立つし、自分で使ふのも気が進まないでせう。それで母があたしに……」
「得をした」
「ええ」
「お礼と言つても実は……」
と三宅が言ひよどんだのは、実は恋の贈り物だといふ気持で、しかし露骨な言葉は避けたかつたのである。だが娘は、
「でせう」
とあつさり認め、ハンドバッグから小ぶりの扇を出してゆるやかに使つた。酔ひのせいもあるけれど、それより、しやべりすぎたやうで恥しく、顔がほてる。
そこへ豆腐の肉詰が来た。挽き肉を詰めて揚げたもので、なかなかうまい。
「これもおいしい」
「日本料理に取入れるべきだな。いいお惣菜になる。マーボ豆腐みたいに」
と二人が褒めると、三宅が声をひそめて、
「しかしこのさきが落ちるんだよ」
と言つた。
しばらくして渋川が、
「ちよつと見せて」
と頼んで扇を借りた。その小ぶりの白扇には薄墨の行書でのびのびと、
「『清風、翠眉《すいび》を拂《はら》ふ』か。なるほど女あふぎにふさはしい文句」
「お友達のお爺様が書家で、あたしに書いて下さつたの」
「知つてる人?」
「写真を見て、この女の子に、と言つたんですつて。変なの」
「親子とも、ずいぶん人気があるなあ」
と横から三宅が冷やかしたとき、渋川が落款《らくかん》の篆書《てんしよ》を読んでつぶやいた。
「晩山か」
「え、晩山?」
と三宅が驚いて、奪ふやうに扇を手にし、じつとみつめたのは、これが近頃官僚たちのあひだでいささか評判の人物だからである。
大沼晩山ははじめ地方の中学で習字と漢文を受持つてゐたが、戦後は中央に出て書道塾を開き、かたはら某大学の講師を兼ねた。ところが中学教師時代に教へた生徒が大臣になり、揮毫《きごう》を頼まれるため、字句の選定、字配り、運筆などを指導したのがはじまりで、彼が派閥の領袖となり首相となるにつれて、多くの政治家が入門するやうになつた。運筆を教へると言つても、かたはらにあつて声をかけ、むやみに褒めそやすだけだが、これが効き目があるやうに感じるらしく、人気が出た。一つには字句の解釈がわかりやすく、しかも一々もつともらしくて、演説に応用がきくのが受けたやうである。そしてこの首相が故あつて失脚し、その弟分が内閣を組織すると、晩山は二代つづきの首相の師といふことになつて気負ひ立ち、何となく安岡正篤を気取るやうになつた。周囲がさう仕向けたふしもある。言ひ添へるまでもないことだが、安岡正篤は吉田茂以下歴代の首相に師をもつて遇せられた漢学者で、声望すこぶる高く、その講筵《こうえん》に列することが政界、財界、官界の大流行となるほどであつた。そして大沼晩山には今のところそれほど偉くなりさうな気配はないけれども。
この説明を三宅から聞いて、渋川は、
「聞いたことない書家だなあ。いいのか、この字。しかし読めない字書く連中よりずつとましか」
とつぶやいた。そして千枝は、
「遊びに来たら大きい書を書いてあげるですつて。でもそんなもの貰つたつて」
と言つてから急に欲ばりになつて、
「高いかしら?」
「さあ、どうかな?」
と三宅が首をかしげたとき、真鯛の蒸物が来た。これは香料の使ひ方がしやれてゐて、まあまあの出来。幹事役の三宅は謙遜したが、二人は褒めた。
それから千枝が、どうして日本の政治家は揮毫するのかしら、とどちらにともなく質問した。渋川は三宅のほうをちらりと見たが、彼が遠慮するそぶりで手を振つたので、
「それは千枝ちやん、とてもいい問題提起でね。もちろん人が欲しがつて書いてもらふわけだが、ぢやあなぜ書いてもらふのか。君もぼくもあんなもの欲しいと思はないから不思議でせう。ところが……」
「おれだつて欲しくないぞ」
と三宅がおどけた声を出した。渋川は、
「ごめん、ごめん」
とあつさり謝つてから、こんなふうに説明した。
政治家に揮毫してもらふのは漢字文化圏の儀式である。言ふまでもなく、もとは中国だつた。中国の高級官僚は科挙といふ試験に合格しなければならない。科挙には書といふ課目はないが、論文は筆で書いて提出するから、当然、字が下手ならはねられる。はねられないまでも損をする。だから、これに合格して官吏になる者は全員いい字を書いた。もちろん学問があつた。このせいで、官吏に字を書いてもらふ風が生じたし、それが周囲の国に波及した。そしてこの延長で、字が下手で無学な軍人などにも書いてもらふやうになつた。たとへば日本軍の謀略で殺された張作霖は、無筆だつたのに、満洲を平定したあと字を覚え、揮毫してゐる。
軍人に書かせることでもよくわかるやうに、こんなのは藝術品としての書ではない。むしろ、書いてもらつた字を額にしたり軸にしたりして掛けることで、その庇護下にあることを示さうとした。揮毫するほうもそれを意識してゐた。
しかし、政治性ともいふべきこの機能の底に、もう一つ別のものがひそんでゐる。中国の政治は、為政者の徳によつて統治するといふ考へ方であつた。徳といふのは、ある局面では霊力である。一方、字には霊力があるといふ信仰があつた。たとへば河が荒れて、再三宝物を河神に献《ささ》げても渡れないとき、名筆の扇を投じたらたちまち凪《な》いだ、といふ伝説がある。そこで偉い政治家とか官吏とかの書く字には呪術的な力があるといふことになつて、彼らの書を飾つて置くと幸福を招き禍《わざは》ひを避ける、と信じられてゐた。すくなくとも意識下においてこの信仰があつた。
さういふ考へ方が日本にも伝はつて来て、殊に明治時代、元勲の書が喜ばれた。彼らは田舎の貧しい青年だつたのに革命に成功して、一躍、天下を取つた連中だから、大いにあやかる値打ちがある。つまり筆蹟を飾つて置いて効験がありさうだ。その伝統が今も残つてゐて、大臣クラスになると書を求められるのではないか。
聞き終つて、三宅が、
「あ、なるほど。専攻が幕末から明治維新だから、元勲の書のことで、前から考へてたんだな。はじめは、咄嗟《とつさ》にこれだけすらすら講義ができるのかと思つて、びつくりした」
と言つた。そのとき横から千枝が訊ねた。
「総理大臣の書、いくらくらゐ払ふのかしら?」
二人の若者は一瞬びつくりして黙りこみ、それから大笑ひした。
「表向きは只だけど、でも、あとでお礼出すだらうな。出しさうもない奴には書いてやらない」
と理財局の課長補佐が答へたあと、日本史学者が言ひ添へた。
「伊藤博文はいくら、犬養木堂はいくらなんてこと、わかつちやゐないけど、でもまあ、普通は只ぢやなかつた」
「ぢやあ賄賂《わいろ》を出すのには絶好ね」
「うん、さう言へばさうだ」
「なるほど」
と二人はまた喜ぶ。
それから三宅が、維新の元勲の書はいいのかと訊ねたので、渋川が、
「今の政治家の書とはくらべものにならない。みんな上手だよ。ずば抜けてすごいのは副島種臣《そへじまたねおみ》だけどね。でも、たとへば西郷隆盛なんて大変な謎の人物だから、結局、あの人のことが一番よくわかる史料は書かもしれない。個人研究の材料としてはね」
と説明した。西郷は上手ぶつた無気味《ぶきみ》な書を書くのださうである。
「気持わるいね」
と維新史の専門家は顔をしかめ、紹興酒を飲んだ。
「ほう、気持わるい? おもしろいな」
と三宅が興味を示したが、子羊のグリルが来たので、三人はしばらく料理の批評に熱中した。しかし輸入肉のことからとつぜん元に戻つて、政治家として有能な大久保は人気がなく、無能だつた西郷は人気があるといふ話になる。これは不思議なことだ。どちらも同じやうに非業《ひごう》の最期《さいご》をとげたのに。三宅は、
「大藏省でも半々くらゐだものね。もつと大久保派がゐたつていいと思ふのに。でも、みんな小説で読んだ程度で、詳しくないんだ。おれもさうだがね」
と言ひ、それから、
「千枝ちやんは?」
と訊ねた。どうやら、渋川は大久保崇拝と決めこんでゐるらしい。女子大の大学院学生はちよつと首をかしげ、
「何となく西郷。犬を連れてるせいかしら」
と冗談を言つた。もちろんみんなが笑ふ。これがきつかけで、上野公園にある銅像で西郷の横にゐる犬は牡か牝かを論じあひ、それから、千枝の家で飼つてゐた犬の珍談に大笑ひしたあと、渋川がとつぜん、
「でも、ぼくが好きなのは大正天皇だな」
と言つた。これは話題の切替へがだしぬけで、書の話になつたことが他の二人にわからなかつたし、いや、それがわかつてもまごついたに相違ない。二人は驚いて、
「え?」
「大正天皇て、昭和天皇の前の?」
と問ひ返した。
「うん、とても書がいい。脳に障害があつたといふけどね」
「シヨウガイつて?」
と千枝が訊ね、渋川が、どう説明しようかと迷つてゐると、三宅が横から、
「開院式に行幸して、勅語を読むとき、壇の上から、巻いてある勅語を望遠鏡にして議員たちを覗いた、といふ話がある……」
その話の途中から、三宅は両手で筒を作つて覗き、千枝を見てゐた。十本の指で作られた、暗くて太い、いびつな筒の向うには、あぢさゐ色の服を着た整つた顔立ちの娘がゐて、
「まあ」
と新情報に驚いてゐる。
「あたし、そんなこと知らなかつた」
大藏官僚はそのとき、母と祖母とそれから近くに住む伯母との女だけの家で四人の女がどんなことを語りあふのか、望遠鏡で眺めたやうな気になつた。両手をテーブルの上に置いてから、
「書がいいなんて初耳だつたな」
と三宅が言ふと、渋川が、
「いい書だよ。思ひ邪《よこしま》なしといふのかな。おつとりしてゐて、端整で。天皇がああいふすごい字を書いたから、大正時代はあんなにうまく行つたのかな、なんて思ひたくなる」
この説を聞いて、三宅と千枝はキヨトンとして、
「どういふこと?」
「あたしも、わかんない」
渋川は、
「うん、ちよつと説明が足りなかつた」
と苦笑してから、次のやうに言ひ添へた。
第一に大正時代は、経済的には日本資本主義が確立して成長率が高かつた。十九世紀半ばにスタートしたくせに、その数十年後、一人当りのGNPがオーストリア、イタリアなみになつたのだから、すばらしい成功である。政治のほうは政党政治がはじまつて、いはゆる大正デモクラシーになつたし、文化面では、美術も文学も演劇も、ヨーロッパの影響を上手に受けて、独特の成果をあげた。十五年といふ短い期間にしては上出来だつたと思ふ。欲を言へば切りがないけれど。つまり大正時代はなかなかいい時代だつた。
「これは近代日本史の大問題でね。といふのは、戦後の国力の充実は、この十五年間を大型にしたものかもしれないから。アメリカの学者みたいにうんとさかのぼつて、江戸時代が立派だつたせいで割切れば、話は別だけどね。ところが、なぜ大正時代がうまく行つたのかとなるとむづかしい。資本主義の上昇のせいで片付けるのぢや、経済的決定論みたいでね。マルクシズム史学ならそれですむかもしれないが」
と日本史の若い研究者が言ふと、同い年の大藏官僚が、
「うん、うん」
と大きくうなづいた。千枝は扇を手にしたまま黙つて聞いてゐる。
渋川が、
「しかし第二に……」
とつづけようとしたとき、三宅が、
「わかつた」
と声をかけて、早口に言つた。
「大正時代の成功の原因がうまく探れない。ところが大正天皇は稀代の能筆だつた。字には呪力があるし、天皇の書となればなほさらだ。ましてああいふ病気となれば無気味な神聖さがまして、その呪術性は大変なことになる。そこで古代人の考へ方でゆけば、大正天皇の書のおかげといふことになつて万事解決するが、現代の歴史家としてはまさかさうもゆかない……といふわけ?」
「その通り」
二人の若者は快活に笑ひ、千枝も微笑した。渋川としては、学生時代にはかなり議論好きだつた三宅が、キャリアの役人になつてから努めて議論を控へるやうにしてゐるのををかしく思つてゐただけに、この発言は非常に嬉しい。昔に帰つたやうな気がする。そこへ、春雨サラダと海老団子が次々に来て、テーブルの上に隙間がなくなつた。三宅が、
「かういふことになるから困る」
と、ちつとも困つてない口調でつぶやく。千枝が、海老団子とサニーレタスと胡瓜のせん切りをライス・ペイパーで上手に巻きながら訊ねた。
「でも、天皇がさういふ病気だと具合わるいでしよ、やはり」
「うん、まづいよ、もちろん。大変だつたらしいや」
と渋川が受けたとき、三宅は春雨サラダを皿に取つてからすこし考へこんで、だしぬけに、
「ぼくは昭和天皇は非常に賢かつたと思つてゐる」
と妙に力のこもつた言ひ方で言つた。渋川は紹興酒のグラスを持つたまま、
「う?」
と一瞬驚いて、しかしすぐに、
「うん、さうか。遺伝のせいでどうのかうのなんてこと、全然ないね。まつたく健全だつた、昭和天皇は」
と答へた。本当のことを言へばこのへんで別の話題、たとへば東南アジアの料理法とか、好きなサラダとか、さういふ無難な話題に移ればよかつた。それなら、この会もうまく進行し、無事に終つたらう。しかしまづいことに、三宅が、
「偉かつたと思ふ。戦後日本の繁栄はかなりの程度、昭和天皇のせいなのぢやないか」
と言つたのだ。
もう一人の若者は、社交的な心得と学問的良心(政治的信条もすこしはあつたか)のあひだで苦しみながら、
「うーむ、どうかな。別に偉くなかつたとは言はないけれど、しかしあれはやはり国民全体の力……ぢやないだらうか」
と、こころもち小さな声で言つた。彼としては、友達であり恋がたきである男と、天皇なんかで衝突したくないのである。すると相手は、これも仲よくしたい気持は充分なのだがしかし自説もまげたくなくて、
「うん、うん。さうだよ。でもね、天皇が一国を指導したといふ感じがするんだな、やつぱ」
「なるほど、さうかもしれない。さういふ面たしかにあるだらうな、うん」
と渋川は譲歩して、つまり嘘をついて、それから、当らず障らずの一般論を述べるつもりで、かう言ひ添へた。
「どうも天皇論といふのはむづかしくてね。国王崇拝といふ古代的感情がなぜ現代でも生きてゐるかといふと、大衆の自己愛の投影として非常に都合のいいのは天皇で、だから崇拝されるといふことになる。つまり自己崇拝。何しろ日本の天皇はほかの国の国王や女王と違つてひどく無限定的で朦朧《もうろう》としてゐるから、いくらでも美化されるわけだ。しかし一方、さういふ性格のものである天皇が、実際の歴史を動かしてゆく局面もないわけぢやないし……」
と後半はほとんどつぶやくやうに渋川が言つたのは、おや、これは三宅が厭がつてゐるらしいぞ、困つたな、と思つたからである。この判断は正しくて、三宅は天皇崇拝は大衆の自己愛を延長して投影したものであるといふ説に腹を立ててゐた。彼は、自分が昭和天皇に好感をいだいてゐることを知識人の歴史的人物論だと思つてゐたし、当然、自分のその意見を大衆の反応として認めたくなかつた。彼は自分が大衆の一人だと思つてゐなかつた。
そこで大藏官僚は、怒つた気配は一所懸命おさへるやうにして、
「うーん。でもねえ。たとへばあの八月、終戦のとき、あんなにうまくやれたのは、昭和天皇しかゐなかつたんぢやないか」
と言つた。そして、渋川がすぐにはうなづかず黙つてゐるのを見ると、次のやうに説明をはじめる。
理想的な名君のイメージを持つて来て、それとくらべて落ちるといふのでは実際的ぢやない。そこで、孝明、明治、大正、昭和の四代のなかで比較してみよう。孝明天皇の前は名前だつて知らないから、はぶくことにする。(ここで三宅は笑ひ、渋川も義理に笑つた。)孝明は、当時の日本人としては無理もないかもしれないけれど、西洋人の頭には牛のやうに角《つの》が生えてゐると本気で信じてるほど排外的だつたらしい。当然、アメリカに対して徹底抗戦を主張し、ひどいことになつたらう。明治天皇は戦争が大好きな勇しい人柄で、柔軟性がなかつたらしいから、焦土決戦で頑張り、亡国の道を突つ走つたのぢやなからうか。そして大正天皇は、さつきの話でわかるやうに、実務的な処理能力がまつたくないから、これは問題外。
「つまり昭和天皇が一番賢かつたわけだ。国難のときの君主がかういふ人だつたのはじつに運のいいことだつた、と思ふな」
と三宅はまとめた。渋川はうなづいて、
「なるほど。四人ならべて比較するといふのは説得力があるね。君の言ふ通りかもしれない」
と、これはかならずしも妥協した上でなく認めた上で、かう言ひ添へた。
「でも、賢さをもつと前に発揮してくれれば、もつとよかつたのにね。さう思はない?」
「原爆を落される前?」
「それでもいいし、開戦前ならもつといい」
「しかし天皇としては、憲法上、内閣に政治をあづけてる形だもの、仕方なかつた。西園寺公望から教はつた憲法解釈でゆけば、責任内閣制度を守らなくちや」
「しかし明治憲法の下ではああするしかなかつたといふのは、ちよつと違ふんぢやないかな。軍部は憲法なんか無視してやつてるわけだから、イギリスをお手本にした態度でゆくのは、かなり非現実的だつた。何につけても教科書どほりにやらうとした、近代日本の知識人の典型が、あの天皇だつたかもしれない。ひよつとするとね。それを非難するのは酷かもしれないけれど、しかし偉かつたと褒める必要もないやうな気がする」
たちまち一座の空気がこはばつた。三宅はうつむいて春雨サラダの皿をみつめ、それから顔をあげて、
「あのねえ」
と反論を言ひかけてから、千枝に向つて、ばつが悪さうに、
「ごめんごめん。変なことになつたなあ。君のお祝ひの会なのに、議論をはじめてしまつた」
と詫びた。
「いやあ、悪い悪い」
と渋川も謝つた。
「いいえ、かまひません」
と千枝は言つて微笑しようとしたが、うまく笑ひを浮べることができない。実を言ふとおもしろくて仕方がなく、すつかり興奮してゐるのだ。その興奮は純粋に知的なもので、彼女は二人の若者に対してまつたく平等だつた。今まで、知識人である男がまじめに意見を戦はせるのを見たことがなく、今後もさういふ情景に立会ふことはあり得ないと諦めてゐたのに、眼前で議論がはじまつたため、嬉しくてたまらないのである。当り障りのない話しかしない日本の社会のなかでも、女の学校の話題はとりわけ当り障りがないし、もし万一、対立するとなると今度はじつに程度が低い。千枝はそのことに飽き飽きしてゐて、知的な論争に憧れてゐた。彼女にもうすこしゆとりがあれば、友情しか感じてゐない二人の若者に長くつきあつて来たのは、かういふことのためだつたと思つたかもしれない。
その千枝のおもしろがり方をちらりと意識しながら、三宅は言つた。
「それほど桁はづれに偉い人だなんて、思つてないんだよ。ぼくの言ひ方、悪かつたかも」
「うん、うん、わかるわかる」
と渋川がうなづくと、三宅はつづけて、
「自己愛のせいで天皇崇拝になるのとは違ふつもりだよ」
「あ、あれは大衆のこと言つてるんで。君のことぢやない」
「うん、昭和天皇が西園寺公望から教はつた、君臨すれども統治せずのイギリス型でゆくのを切替へて、専制君主になつて、軍部と闘ふ。無理だつたんぢやないか。天才でなくちや、そんなことやれない。もしも下手にやつたら、軍部から幽閉されちやふ……」
「かもしれない」
「だから、軍部に対しては、ああいふ具合に柳に風でしのいでゆくのが一番よかつたと思ふ。開戦前も、開戦後もね。そこの所の呼吸がじつに巧妙……」
「巧妙、ねえ。さうだらうか」
と渋川は首をかしげて、それから妙に心が激して、あ、いけないと思ひながら、
「でも、あれはじつに馬鹿ばかしい戦争だつたな。正当性もなければ、勝つ見込みもない。まあ、はじめた以上、仕方がないのかもしれないが、せめて原爆前にやめてくれればよかつたのに。何しろ、天皇が終らせる気になつたから終つたんでね。どうもさうらしいや。とすると、どうしてもうすこし早く、その気にならなかつたのかと、つい愚痴をこぼしたくなる」
「しかしそれは無理な話。さつきから言つてるやうに」
「うん、それはわかるけど」
と渋川は言つて、
「同時代史といふのは血を荒らすなあ。あの天皇、自分は平和を大事にしたと、あとになつてあんなに言ひわけするくらゐなら、どうしてもつと早く、何とかしなかつたのか。台湾人や朝鮮人の兵隊なんか、ほんとに、ひどい目に会つたわけぢやないか。それにあの原爆二発の犠牲者……」
「あれはアメリカがひどい」
と三宅が口をはさむと、渋川は、
「それは無論さうさ。でも、ぼくの伯父、親父のすぐ上の兄だけど、兵隊で広島に行つててやられたんだ。親父が死んだ翌年、お袋が、あたしはあの人のほうが好きだつたと言つてね、ぽつんと。そつちにお嫁にゆくつもりでゐたらしい。兄弟のうち、兄のほうが、ずつとおもしろい人だつたんだつて。そんなこと言はれると、こつちもしんみりしてね。困つたなあ、あのとき。ま、お袋が伯父と結婚してれば、いま、ぼくは存在してないわけだけれど」
若手の日本史学者がしんみりとさう言つた直後、千枝がくすくす笑ひ出した。こらへようとしてテーブルの端をつかまへ、そのため皿やグラスが小さく鳴り、しかしとても我慢できなくて笑ひつづける。
「ごめんなさい」
と謝つてはまた笑ふ。いろいろな表情がすばやく交錯して目まぐるしい。ここで三宅も大声で笑ひ、すこし遅れて渋川もやうやく、をかしさに気がついた。
「なるほど」
とつぶやいたのは、これはたしかに滑稽だといふ意味である。彼は苦笑ひし、それを許可の合図のやうにして他の二人はもうすこし笑つた。やがて若者たちと娘は、いま自分が人間としてここに存在してゐるといふことの神秘感について語り合ひ、と言つても単に、
「変な気がするなあ」
「ほんとに不思議」
「普段は別に何とも思はないけれど」
といふ程度の台詞《せりふ》に万感の思ひをこめながら、紹興酒を飲んだり、ビールを飲んだり、何かを食べたりした。
「人生といふのは、何が何だかわからないうちに、とつぜんもらふ贈り物だから」
と大学助教授が比喩的に語ると、大学院学生はその比喩をもつと精密にして、
「宅配便みたい、ほら、たいてい手紙が添へてないでせう」
娘は八つも年下なのに、この二年ばかり若者たちとつきあつてゐるうちに年の違ひをあまり意識しなくなつて、ときどき同格に話をしたくなる。年上の男たちと友達づきあひしてゐる母親の影響もあるのだらうか。そして大藏官僚は、
「迷惑な話だよ。去年の暮なんか鮭が五本も来て困つた」
と体験に引きつけて、誰か見知らぬ者からの贈り物である宅配便としての人生を論じた。
緊張がすこし解けた。三人はまたいつか混合ダブルスをしようといふ話をした。千枝は女子大のテニス同好会に属してゐて、そのせいで国立大学の男の学生と知りあひ、彼の大学のテニス同好会の先輩である三宅と渋川に紹介されたのである。もつとも混合ダブルスの相談はまとまらない。日取りの調整がむづかしいし、それに二人の若者がどちらも、半分は冗談、半分は本音で、千枝と組むと言ひ張るからだ。この小康状態、あるいは和解のままで会が終ればよかつたのだが、三宅が紹興酒を一口飲んで、ふと思ひ出したやうに言つた。
「しかしまつたく無意味な戦争とも言へない」
渋川が聞えないふりをして黙つてゐると、三宅はつづけて、
「すくなくともあのせいで、イギリスはインドから、フランスはヴェトナムから、オランダは蘭印から、引上げることになつた。日本の戦後の繁栄だつてあのせいだ」
渋川が当惑しながら、ぼそぼそした声で言つた。
「うーん。さういふ意見の人、ゐるけどね。どうかな。朝鮮に唐辛子がはいつたのは豊臣秀吉の朝鮮出兵のおかげといふけれど、だからあの侵略に感謝せよとは言へない」
「まあ、それ以前はなかつたの?」
と千枝が驚いて声をあげた。
「うん」
「うまい理屈を言ふな、さすがに。それに変なことを知つてる。専門家だなあ」
と三宅が認めてから、
「しかしね」
と言ひかけると渋川が、
「ちよつと待つて。大東亜戦争はアジア諸国に侵略するのが目的だつたわけでね。アジアの解放なんて、口ばつかだつたから。戦後の繁栄にしたつて、あんな戦争しないで教育と産業に頑張つてれば、あんなにたくさん犠牲者出す前にうまく行つてたかも」
渋川としては、ここで相手は、戦後、日本の企業がうまく行つたのはアメリカの技術提携があつたからだ、それは敗戦国への恩恵だつた、と言ふにちがひないと思つたが、三宅は意外なことを訊ねた。
「ぢやあ、君はあの戦争で死んだ人はみな犬死《いぬじに》だつたと言ふの?」
不意を衝かれて、
「え?」
と、へどもどしてから、
「犬死ねえ。うーむ、はつきり言へばさうなるんぢやないか」
「でも、それぢやあ、かはいさうだなあ」
とひどく沈痛な声で三宅は言つたが、渋川はその沈痛な感じにこだはらないことにして、もうかうなつたら仕方がない、言ふだけのことは言ふかと覚悟を決め、ぼそぼそした口調で意見を述べた。
「君は彼らがかはいさうだから、歴史についての判断を曲げて、あの戦争は意味があつたと考へようとしてゐる。三宅らしい優しい思ひやりだと思ふよ。でも、それは供養でね。死者に対する贈り物としての歴史論で、つまり宗教的行為だらう。普通の歴史論とは違ふんだな」
「犬死なの?」
「うん」
「しかしああいふのまで犬死だなんて、人間と歴史との関係つてずいぶん残酷なものだな」
「だつてね、三宅」
と言ひかけたとき、娘の声があつた。
「犬死だなんてそんな言ひ方、どうしてなさるの? かはいさう」
その声を聞いて、すばやく正面を向いたとき(それまで二人の若者はお互ひを斜めに見るやうにしてゐた)、あぢさゐ色の服の娘は悲しみに沈む表情で、両眼に泪《なみだ》をたたへてゐて、それが同時に双の眼から一滴、二滴とこぼれ落ちる。その泪を見たとたん、彼らは同時に、あ、これは戦争で死んだ人間のための泪ではない、死んだ犬のため泣いてゐると直観的にわかつたし、それはかずかずの試験を何とか越えて来た彼らの経歴にふさはしく正解だつた。娘は激しい口調で、切れ切れにかうつづけたのである。
「マリコが死んだときの苦しみ方、とつても大変だつたの。胸を波うたせるやうにして、あへいで。大波よ。いまでも目に浮ぶ。犬死だなんて。あのときマリコははじめてあたしのベッドにのせてもらつたの。それまでは、いくらあがりたいと言つても、あげなかつたの。『いけません』なんて叱つて。あんなこと、しなきやよかつた。あたしの部屋の隅に座蒲団を置いて、バスタオルの古いのを置いて、それにくるまつてた。あたしが悪かつたの。曇つてる日だつたのに、『おい、何だか臭いなあマリコ』なんて言つて洗つてやつた。厭だ厭だつて逃げまはつたのにつかまへて。そしたら翌日から雨で、冷えこんで、風邪を引いちやつて。二へんお医者に連れて行つたけど、駄目だつたの。十二だもの、まだまだ長生きできたのに、本当にかはいさう。それに悪いことに、風邪を引いて二日目、あたしが雑誌見てて、『世界の犬』だつたかしら、つづきものの何回目かでミニアチュア・シュナウザーつて犬の写真見て、『あ、かはいい。この犬いいわね』つて言つて、ママが『およし、そんな話。マリコがとつても変な顔してる』つて言つて、あたしが『平気平気、わからないもん』なんて言つて、笑つて、そしたら翌日から弱つて、食欲なくなつたの。とうとう、水もひとりぢや飲めなくなつて。あの何度も何度も胸が破裂するみたいな苦しみ方。あたしもああいふふうにして死ぬのね、きつと。それなのに、犬死だなんて」
二人の若者は途方に暮れて黙つてゐる。そのとき、葱と干肉の微塵切りを浮べた粥と、ココナッツ・アイスクリームとがまた一度に来た。
南弓子の恋人は例の「男・四十前」の十一人のなかにはゐない。仙台の大学で哲学を教へる豊崎洋吉がその男だつた。この文学部教授は五十五歳の妻帯者で、十年前から弓子と親しくしてゐた。
仙台の大学の講義と演習を月曜日の午前と午後と水曜の午前中でこなし、水曜の午後は教授会に出る。木曜の朝、新幹線に乗つて、午後は東京の大学で講義をする。その夜は大学が宿泊費を持つホテルで弓子と逢ふ。弓子は泊らないで夜中に家に帰る。彼は金曜の午前、また東京の大学で教へ、その午後は編集顧問をしてゐる思想雑誌の編集会議に出て、それが終ると社の近くで親子丼か天丼を食べ、上野駅に向ふ。それが豊崎教授の一週間の主な日程であつた。
豊崎と弓子の仲が世間の噂にならなかつたのは、二人が細心だつたせいもあるが、主として新聞記者たちの哲学に対する偏見による。彼らは、自分が抽象的思弁に縁遠いことを勝手に延長して、女の新聞記者が哲学者に惚れることなどあり得ないと思ひ込み、豊崎教授をゴシップ的関心の外に、あるいは死角に、置きつづけたのだ。
弓子は千枝を産んで一年後に離婚し、その二年ほどのち、「男・四十前」の優秀な男たちと知りあひになつたのだが、言ひ寄られはしたし、際どいところまで行つたこともあるけれど、彼らとは別にどうといふことにならなかつた。社内の男たちとも何ともなかつた。身持ちが堅いといふよりも、そんな気にさせる男に出会はなかつたからである。三十を過ぎたころ新劇の役者と関係が生じ、これは二年近くつづいたが、切符を押付けられるので厭気がさしてゐたところ、別の女がよく切符を引受けてくれると自慢したのがきつかけで、縁を切つた。それからしばらくして、哲学者の豊崎と知りあひ、哲学の本など読んだことがなかつたせいか言ふことにいちいち感心して、つい恋仲になつた。もちろん最初から何となく気に入つてはゐたけれど。
言ふことに感心したといふのは、たとへばかうである。初対面は新日報社主催の展覧会の下見のときで、学藝部の記者に紹介されて、三人でお茶を飲んだ。その翌日の晝さがり、豊崎の出講してゐる大学に近い、歩道橋の真中でばつたり出会ひ、立ち話をした。別れ別れになつて橋から降りるとき、女が振り向くと、男も振り向いて手を振つた。そしてその翌日、能楽堂で隣り合せの席になり(別々の友達からもらつた切符とわかる)、それからいつしよに食事をし、酒を飲み、ホテルの豊崎の部屋へ行つたのである。広い東京で三日のうちに三度たてつづけに、しかも一度は隣りの席といふ偶然について女が寝物語で言ふと、男は、
「ぼくも嬉しかつた」
と答へてから、
「神の死といふ事件があつてから、いや、これは日本の場合も含めて、宗教が力を失つてからと言ふほうがいいけれど、人間は神とか仏とかまあさういふものを信ずる代りに、ロマンチックな愛を信ずるやうになつた。ところが、このロマンチックな愛の象徴に一番なりやすいものが偶然なんだ。どうもさうらしいや」
と説明したのである。弓子は、こんなとき、こんなふうに理屈を言ふことができるなんて、と驚嘆した。
そしてこのあひだも、十年つづいた記念にイタリア料理屋に行つたとき、哲学者は、かういふ間柄が持続したのは、結婚の社会性と本来的に対立する恋愛の反社会性を貫徹したのがよかつたからだ、と述べた。わかりやすく言へば、関係をひた隠しにしたため恋ごころが長持ちした、くらゐのところか。週に一度の逢瀬なので飽きが来なかつたのも大きいかもしれない。もつとも弓子ははじめのうち、このことに不満を言はなかつたが、近頃はさうでもなくなつた。
六月半ばの水曜の夜、弓子が家で、明日のことを楽しみにしながら調べものをしてゐると、仙台からの電話で、急に都合が悪くなつたと言ふ。
「休講?」
「いや、明日は休講はしないけれど、明後日は休講」
「東京にはいらつしやるの?」
「うん。いつしよだから」
「あ、奥様と?」
「ちよつと用があつて」
「用つて?」
「うん、大したことぢやないんだが」
ここで豊崎は、一昨年から更年期障害でノイローゼ気味の妻がいよいよひどくなつたので、金曜に病院へ連れてゆくと率直に言へばよかつたのだが、それを口にしなかつた。妻へのいたはり、むごい現実を見せて女の心を乱したくないといふ気持、男の虚栄心、その他いろいろのものがこんがらかつてゐた。
妻は一昨年の秋からふさぎがちで、部屋に引籠つてゐることが多い。外出は近くのスーパーマーケットにゆくときだけ。去年の暮、繁華街へ連れて行つてセーターやネクタイを選ばせようとしたが、以前はその種の買物が大好きで、人おぢしない快活なたちだつたのに、店員をこはがつて夫のかげに隠れるやうにする。レストランへゆくのも厭がるので、予約してあつたフランス料理はやめて帰り、シチューの残りで夕食をすませた。そして六月はじめのある夜のこと、しよんぼりした感じで書斎にはいつて来て、貯金通帳その他を渡し、
「これ、あげる」
と言つた。だしぬけだし、一千万近くあるし、驚いてゐると、
「あたしもう駄目だつて気がするから、これあげる。へそくり。あたしが死んだら、いろいろお金要るでせう。あげる」
と言ひ張るので、通帳はあづかることにして、あわてて東京の専門医に伝手《つて》を求めたところ、金曜に来るやうにと言はれたのである。
弓子がためらひながら、
「別のところでお目にかかれない?」
「ちよつとむづかしいな」
「さうね。やはり変よね」
「うん」
「ぢやあ来週」
それから二人は、どちらも努めて快活に話をした。弓子は、娘が「犬死」といふ言葉に怒つて泪を流したといふ話を披露した。さつき夕食のときに聞いて、母と二人で呆れたのである。豊崎は、来週は弓子の好きな仙台の菓子を買つてゆくと約束した。おしまひに女は、
「できたら明日、また電話を下さいね」
と言つた。男は、
「なるべくね」
と答へたが、これがほとんどの場合、さうはしないといふ意味になることを女は知つてゐる。事実、翌日は連絡がなくて、夜になると弓子は、恋人である男が妻といつしよにこの東京のあのホテルにゐることを意識しつづけ、それは彼らが別の都市にゐるのよりも遥かに辛いといふことを知つた。
金曜の朝食のあと、千枝が大学へ行つてから、祖母である悦子と母の弓子がお茶を飲んでゐて、
「犬が飼ひたいねえ。どうかしら。飼つてるお宅もないわけぢやないし」
と言つて、やんはりと反対された。これは今まで何度か小当りに提案しては、否決されてゐたもので、孫娘と二人で言つてもどうもうまくゆかない。理由はもちろんマンションの規則である。四十五歳の論説委員は、共同体の約束に逆らふことはなるべくしたくないと思つてゐたし、七十歳のその母は、娘のさういふ態度について、男女の仲のことでは社会の法に背いてゐるのにこんなことで法を守らうとするのはをかしい、と内心では思ひながら、しかしそれを口に出すのはためらつてゐた。言ふまでもなく、母親は、娘が妻帯者である大学教授と関係があることに勘づいてゐる。十年もつづけば気がつくに決つてゐるけれど。
今朝は料理も後片付けも弓子の番なので、悦子はのんびりとお茶をいれる。弓子は台所と居間兼食堂を行つたり来たりして、おしやべりの相手をする。一昨夜聞いた「犬死」の話になつて、祖母と母はまた笑つたが、祖母はしかし、こんな極端な意見を口にするのでは二人の男がどちらも結婚する気をなくしてしまはないかと心配した。孫娘が大藏省のキャリアの役人と大学の助教授とに言ひ寄られてゐるのは得意なことだつたが、近頃は、あまり煮え切らない態度でゐるとどちらも愛想を盡かすのではないかと案じてゐたのである。実を言ふと、大学院に進むことにもあまり賛成ではなかつた。
弓子はお茶を飲みながら言つた。
「だつて、その気になるまでは、仕方ないもの」
「さうねえ」
と悦子はうなづいたあとで、結婚のことをくどくど言つたあげく、ついうつかり、
「見合もいいかもねえ」
と口走つてしまった。「見合」といふ言葉はこの母子のあひだでは禁句なのに。弓子は両親がすすめた見合結婚で失敗したからだ。
もつとも弓子は、娘時代は、見合で結婚するのが当然と思つてゐた。親類に大病院の院長夫人がゐて、仲人好きなせいもあつて、何となく、恋愛で結婚するのは小説や映画のなかだけのやうな気がしてゐたのである。三つ年下の弟である商事会社の社員も見合だつたし、これは一時代前の話だから言ふまでもないが、両親もさうだつた。一族のなかで見合をしないのは、伯母の柳雅子、藝名柳あえか一人きりのはずだが、これは結婚など一度もしなかつたから仕方がない。そんな環境で育つた弓子は、新日報社に入社して間もなく、すすめられるまま見合をした。その日本銀行に勤める中原源一は十二歳年上で、すべてが大人びてゐて圧倒されたし、その気持を自分では尊敬だと解釈して、結婚することにした。
この、結婚前から離婚までのことをかへりみると、弓子はいつも、大東亜戦争はあんなふうにしてはじまり、そして終つたのだらうと思ふ。ついでに言へば、ペロポンネソス戦争も阿片戦争もあんな調子だつたのかと思ふ。つまり、小さな誤りがいくつもいくつもつづいたあげく、大変な破局に到達したからである。まづ弓子は、何となく、家庭と職業は両立すると思つてゐた。夫も姑も自分の職業に理解があると思つてゐた。すこしお金を奮発しさへすれば、家事を手伝ふ人手には不自由しないと思つてゐた。そして事実、弓子の実家に週三日手伝ひに来てゐる中年女が、八ケ月のときから週二日来てくれてすこぶる好都合だつたし、出産後は、実家は母が一人で切りまはすことにして、日曜日以外は毎日来てくれることになつた。ところが生後三ケ月たつたとき、この中年女がとつぜん北海道に転居すると申し出た。夫は予備校の事務員なのだが、その予備校が再来年の春から札幌に進出するので、準備要員として転勤を命じられたのである。もちろん後任を探したが、困つたことに、いくら探しても来てくれる相手がない。それからさきの人手探し、夫との話しあひ、姑の意見、実母との相談などといふあれこれのことを書いたら切りがないが、とにかく夫は家事と育児に専念してもらひたいと希望し、妻は職業と結婚を両立させたいと言ひ張り、そのうちに中年女の北海道への出発が近づいて、弓子は赤ん坊を連れて実家に戻り、週の大半は実母に育児をゆだねた。そして数ケ月後、離婚したのである。千枝の姓が中原から南に改まるのは、その一年さきのことだつた。
そんな事情があるので、弓子が、
「見合?」
と婉曲《えんきよく》に反対の気持を見せると、この朝、悦子は何となく鈍感で、
「あれは悪くないものよ、日本ではやはり」
そこで弓子が、
「お父様とのこと?」
と冗談めかして言ふと、母はまじめな口調で、
「ええ、それはお前のときはうまくゆかなかつたけれど。でも、お前がいいと言つたのだから」
弓子としては、何しろあのころは人生経験が乏しかつたから、両親がもうすこし親身になつて、「気が進まなかつたら、よしてもいいのよ」とか、「勤めと結婚を両立させるのは大変だよ」とか、せめて、「子供は当分、産まないやうにしたら?」とか、言つてもらひたかつたといふ気持がある。しかしこれが甘つたれた言ひ方だといふこともわかつてゐて、
「あたしも無分別だつたから」
とつぶやくと、母は聞きとがめて、
「も? あたしだつて後悔したから、孫の世話を引受けたんぢやないか」
「すみません」
「でも、お前だつて千枝がゐるせいでよかつたと思ふでせう。ゐないよりずつと」
「それはもう」
「わかつてゐればいいけど」
と悦子はうなづいてから、とつぜん不機嫌な声で言つた。
「ああ、詰まらなかつた。あたしは、孫の相手ばかり」
弓子はぷいと部屋に引籠り、やがて白地に小さな花模様のブラウス、濃紺のフレヤ・スカート、アクセサリは金いろのブレスレットだけといふ服装で出て来て、
「今日は遅くなります。原稿を書くことになると思ひますから」
と切り口上で言つて家を出た。
これは嘘ではない。そろそろ「ゼロ発信」の番がまはつて来るころだつたし、それにあのコラムにぴつたりの題材を見つけたので、もし何なら自分から言ひ出さうかと思つてゐたのだ。
先日、知人の孫娘の結婚披露宴に母が招かれて、同じテーブルに隣り合せた人から単身赴任マンションのことを聞いて来た。その男は某企業の高松支店長で、妻子を東京に残して高松で一人暮しをしてゐるが、単身赴任マンションにはいることができたため(前任者の住ひを引継いだのである)非常に調法してゐる。部屋は一部屋で狭苦しいけれど、一階にある食堂で朝食と夕食が食べられるため、栄養が片寄らなくてすむ。夕食は接待のため料理屋へゆくことが多いが、朝食のとき野菜をたくさん食べられるので助かる。外食や男の自炊ではああはゆかない。それはいいのだが、入居の際に誓約書を出して、家族以外の者は部屋に招じ入れないと約束しなければならないし、訪問者はいちいち住所、姓名、年齢、性別、居住者との関係を書かせられる。しかも、この規則に背いたことが発覚すると、退去命令を出される。
「このあひだ一人やられましてね。四階の某氏(特に名を秘す)は入居規定に違反しましたゆゑ退去していただくことになりました、なんてロビーに貼出すんですわ。たまりませんな。わたしは問題の四階ですから。何しろ狭い街でせう。人口三十万。それにわたしたちのゆく店は大体みな同じですもの。『支店長、あんたやない?』なんてからかはれる。いちいち弁解するのが面倒くさくて面倒くさくて」
といふ話だつた。弓子はこれをおもしろがつて、単身赴任マンションは全国にどのくらゐあるか(すくなくとも、札幌、仙台、郡山、新潟、富山、金沢、静岡、広島、徳島、高松、福岡にはあつた)、その食堂の献立はどうなつてゐるかなどを調べ、『支店長の朝食』という題の読物にまとめようと思つてゐたのだ。もちろん結びは男の品行についての冗談で、
「ホウレン草のおひたしか。それとも中年の恋か。ここが思案の支店長」
と終るはずだつた。
これではいくら何でもふざけすぎで、副委員長に直されるかもしれない。今日の担当は堅物だから、なほさらだ。彼女は昨日から、もつと穏やかな終り方を見つけようとして苦心してゐたが、どうもうまくゆかないのだ。
そんなコラムの手順を、弓子は地下鉄の電車の中で復習し、これは母から材料をもらつたやうなものだから、お礼のしるしに鮨屋へでも誘はうかしら、娘と三人でゆかうか、いや、伯母にも声をかけないとひがむかもしれない、などと思つて微笑した。伯母の雅子は以前は弟のほうが気に入つてゐて、弓子には冷たかつたのだが、彼女が離婚してから妙に優しくなつた。職業を大事にするところを評価したのか。それとも、ぐれた者同士といふ気持なのか。階は違ふにしても同じマンションに住むやうになつたのは、この親愛感のせいだつたかもしれない。弓子も伯母を大切にしてゐたし、それに女優と新聞記者が生活感情が近いところはたしかにあつた。
論説室にはいつて早刷りの夕刊を読んでゐると、論説委員の小中信子が夕刊を手にして寄つて来て、
「ねえ、読んだ? これとこれ」
と赤丸をつけた記事を指さし、
「あら、きれいなブラウス。ここ、いいかしら? いいわね」
と浦野の椅子を借りた。チェックのスカートに水いろのシャツ、襟なしの白のジャケットといふ服装で、小さなイアリングの金いろが、眼鏡の青い縁の片側にあしらつた金いろの半月と合せてある。それを褒めてから弓子は読んだ。
どちらも扱ひが小さい記事である。第一のものは国内政治の雑報。
山村元首相は十四日、鹿児島県**市の水子供養塔除幕式に臨み、「妊娠中絶が好ましくないことは水子供養が盛んに行われることでもわかる。昔の女性は子供が好きだった。子沢山だから産児制限や中絶をするというのはおかしい。東郷元帥(げんすい)は平八郎という名で、八男だったが、それでも中絶しなかったから、日本海海戦で日本はロシアに勝った」との認識を示した。
そして第二は社会面の、これも短い記事である。
東京都板橋区**町*丁目石工業「東京メモリアルアート」の川崎社長(四五)を恐喝していた疑いで、板橋署は十四日夕、同社元従業員、練馬区**町*丁目、無職長谷武吉容疑者(五三)を逮捕した。調べによると、長谷容疑者は川崎社長が水子地蔵の売りつけで利益を得ながら脱税しているとして恐喝していた。
読み終つて顔をあげると、小中信子が、
「目茶苦茶いつてる、あの爺さん」
「ほんと。変なところで東郷元帥を引張り出して」
「サービス。鹿児島だから東郷平八郎」
「世代的に日露戦争が好きなのね」
「アメリカの評論家にも、ゐたぢやない。イギリスだつたかしら? ほら。不幸な環境で生れて来る子供はかはいさうだからなんて中絶してゐたら、マリアの子のイエスは生れて来なくて、キリスト教もなくなるしキリスト紀元もクリスマスもなくなつて人類は大変だつた、と書いた男」
「そつちのほうがユーモアがあるみたい」
「どつちもどつちよ」
と小中信子は溜息をついて、
「もう、この政治家。妊娠中絶と産児制限の区別もつかないなんて」
「記事の書き方、をかしいのかしら?」
「こんなもんでしよ、政治家の話つて、アバウトで」
「さうねえ」
と弓子はうなづいて、
「でも皮肉。同じ日の夕刊に水子地藏の脱税のことが出るなんて」
「ひどいのよね。たたると言つて、おどして、金儲けするんだから」
「それで、お書きになる?」
と弓子は訊ねた。小中信子はこの問題にまへまへから熱心で、以前、中絶の許容時期が短縮されることになつたとき、自分でも(ただし社説ではなく署名入りで)書いたし、反対論者の女医の文章が読者投稿欄に別格あつかひで載るやうにはからつたりした。だから当然これを明日の論説に取上げるつもりだと思つたのである。しかし話は違つてゐた。
「それが駄目なの。今日は『アジアの中の日本経済』のシンポジウムで司会するから。うちの社の主催」
「あ、さうだつた」
「あなた書かない?」
「今日あたり『ゼロ発信』だと思つて準備して来ちやつた。単身赴任マンションの話。おもしろいのよ」
と説明をはじめても、相手は、
「ふーん」
と気のない返事をするだけで、乗つて来ない。おや、何か家庭の事情があるのかな、この人の夫は何をしてるんだつたつけ、と考へても、いつか聞いた情報が思ひ出せない。そこへ浦野が来て、小中信子は引上げながら、
「ぢやあ、あのお爺さん助かるわけ?」
と言つた。
「癪《しやく》ねえ」
と弓子も笑ふ。
ところが会議がはじまると、これは席につく前から何となく変な気がしてゐたのだが、欠席者がむやみに多かつた。普段なら二十何人かが出るのに、十人近くも休みがゐる。まづ論説委員長が外遊中(ロシア、ドイツ、フランス、イギリス、イタリアの予定で、今ごろはベルリンにゐるはず)で、これは仕方がないが、副委員長のうちの一人は、恩師の葬式で京都へ行つた。政治部出身のうちのノツポのほうは、昨夜、バーの階段から転げ落ちて入院したし、小男のほうは痛風になつた。経済部出身の一人は、娘の結婚で四国へゆき、もう一人は韓国政府の招待でソウルにゐる。学藝部出の一言居士は、どこかの雑誌に頼まれて古代日本海文化とやらを調べに行つてゐるし、運動部出身の老人は、引退した野球の名選手に誘はれてシドニーへゴルフに行つた。しかし、かういふのはまあ、困らない。当面、差支へがあるのは、今日、論説を書くことにいちおう内定してゐた、航空料金割引の問題を論ずるはずの男が風邪を引いて四十度の発熱であること、少年犯罪の急増を憂へるはずの男が二日酔ひとギツクリ腰といふ二重の痛手を蒙《かうむ》つて、休んだことである。
座長である副委員長は、モスクワにゐる委員長から昨夜おそく聞いた、真黒なキャヴィアを大きなスプーンで食べるのがとつてもうまかつた、といふ話を披露したあと、一転して沈痛な声を出し、
「しかし困りましたな。どなたか、代つて下さる方はありませんか?」
と言つた。世界と日本の大問題を論じようといふ積極的な気構へはまつたくなくて、何とか急場をしのげればそれでいいといふのが見え見えである。それに悪いことにこの日は、アメリカ政府の要人は日本経済を論難せず、代議士たちは東京ドームで東西両チームに別れて野球の試合をし(始球式で首相がストライクを投げた)、近東もアフリカも事がなく、ロシアでは要人がみなお互ひに褒めあつてゐるし、中国では文学者が誰一人として党から批判されないといふ、全地球的にのどかな日だつた。これはどう見たつて、航空料金割引か少年犯罪がぴつたりの日なのになあ、と副委員長はくやしがりながら、
「どうでせう?」
とみんなの顔を見まはしたが、誰も何も言はずにうつむいてゐるので、滅多にものを書かないので有名な、皇室記者あがりの論説委員に声をかけると、
「このところ別段……」
と恭しく会釈する。竹の園生《そのふ》の御栄《おんさか》えはまことにめでたく、論ずるべきことが何もないといふのである。そこで経済記者の古株に訊ねると、金利がどうとかで日銀がどうとかし、しかるに一方、大藏省でどうとかでアメリカが……とくだくだしく論じつづけ、しばらく成行を見まもりたいと社説のやうな文体で述べる。以下さういふことが何人も何人もつづいたあげく(浦野もやうやく要領を覚えて上手に逃げた)、小中信子の番になると、今日の午後のシンポジウムを楯にとつてあつさりと断られ、その次の南弓子のときは、
「あたしは『ゼロ発信』、用意して来ましたけど」
と言つてあらましを説明した。不品行なことをすると退去を命じられるといふくだりまで来ると、論説委員たちは笑ひ声を立てたが、もし自分がさういふ立場に置かれたらと心配してゐるのか、それとも男同士の同情か、もう一つ盛りあがらなくて、それを書けとは誰も言はない。気まづい沈黙のなかで、弓子は、小中信子の夫は大学教授でアメリカにゐるんだつた、つまり単身赴任か、嬉しがらないのも当り前よね、と思つた。
このとき、さつきにべもなく手を振つて辞退した通産記者あがりが、「ゼロ発信」ならパチンコ屋の景品の問題でおもしろいことがあると言ひ、それとほとんど同時に、信子がやや大きな私語といふ口調で、
「ねえ、あれ論説にどう?」
と弓子に話しかけ、弓子が、
「あ、東郷平八郎?」
と応じた。
十何人かがざわざわとどよめいた。パチンコ屋も東郷も日本の男にとつて魅力的な話題だつたし、それに何よりもとうとう曙光が見えた感じなのがよかつた。「ゼロ発信」は通産記者あがりに任せ、何の話かは全然わからないが東郷元帥を論説に持つてゆけば、残るのは論説のもう片方だけだ、会議の終りは近いと喜んだのである。
女の論説委員二人の、どちらにともなく副委員長が説明を求めると、弓子が何となく当事者といふ形で、まづ二つの記事を読みあげ、それから、ときどき何人かが夕刊のページをひるがへす乾いた音のなかで、元首相の意見を非難した。信子がそれに加勢したことは言ふまでもない。
つづいて憲法担当の論説委員が、水子供養を攻撃することは信仰の自由といふ建て前があるからむづかしいと述べた。新聞社を代表して書くものなのに反憲法的と受取られる危険のある趣旨ではまづいといふのである。次に宗教担当の論説委員が、水子供養は御霊信仰の一種としてとらへるのが正しいこと、その点では民俗信仰として正統的なものだとも言へること、ただし胎児に霊があるかどうかは論者の立場によつて分れること、さらに、祖先供養の対象としての祖先が家族制度の崩壊によつてあまり切実に迫らなくなつて来たとき、それに代るものとして水子が選ばれたといふ一面もあること、などを単調な話し方でしやべつた。何が結論なのかははつきりしなかつたけれど、どうやら水子供養の件は避けて通れと言ひたいらしい。
しかしその場の空気としては、二人の発言は歓迎されず、冷やかに聞き流すみたいな感じだつた。二十人近くはよそよそしい表情で沈黙し、憲法第何条にも民俗宗教の伝統にも関心を払はなかつた。それはまづ、ここで南弓子に押付けなければ代りに誰が書くのか、憲法専門と宗教専門の二人のうちどちらかが引受けるのならともかく、それだけの責任感もないくせに、といふ反感のせいである。次に、男たちのほとんどすべては、妻あるいは妻でない女に妊娠中絶をさせた経験があつて、その体験がない者でも、自分がさういふことにならなかつたのは偶然にすぎないと思つてゐたからである。しかも憲法専門の論説委員は、子供が生れないためにいろんな漢方薬を試すことで有名な男だつたし、宗教担当のほうは男色者だつた。これなら何でも言へるわけで、彼らの言説はローマ法王の産児制限反対論と同様、空理空論と聞えても仕方がない。そんなわけで副委員長(妻に一度、妻以外の女に二度、中絶させたことあり)以下十何人かの男は、元首相もまた厭な問題に触れてくれたなあ、あいつはみな産ませたのかしら、ここは一つ女論説委員たちの希望どほり書かせるしかない、さうすればわれわれも助かるし、と思つてゐたのだ。
そこで副委員長は、宗教担当論説委員の話が終つたとたん、小中信子が発言を求めて右手をあげてゐるのを軽く制して、かう言つた。
「どうでせうか。これはやはり取上げるに値する重要な問題ですから、両君の意見を充分に参考にした上で、つまり水子供養のことはなるべく軽く触れるにとどめて、論説を書くことにする。さうしたいと思ひます。それで小中さんは今日、何でしたつけ、アジア経済のシンポジウムの司会がおありですから、まことに申しわけありませんが南さん、お願ひできないでせうか。単身赴任マンションのホウレン草のおひたしとヒジキの煮物は非常におもしろい話でしたが」
とここで微笑して、
「冷蔵庫に入れて置けば、もうしばらく持つでせう」
全員が義理で笑ひ、弓子も笑つたため、何となく了承したといふ形になつた。こののち副委員長は、まだ訊いてゐない相手に一人ひとり何か書きたい主題はないかと訊ねたが、誰も志願しないので、もう一つの論説は自分が引受けることにした。二人の副委員長はいつもかういふ場合に備へて論説を用意して置かなければならないので、それゆゑ彼らの書くものはとかく、日本の住宅問題はもはや深刻といふ事態を通り越してゐる、とか、われわれは喜んで税金を払ふがしかし不公平なのは我慢ができない、とか、たしかに重大ではあるがいつの新聞に載つてもかまはないものになりがちだつた。
そして「ゼロ発信」は、もちろんパチンコ屋の景品の話に決る。
散会して間もなく、弓子のデスクへ信子が、今日書く論説に関係のあるスクラップ・ブック四冊、本七冊、雑誌の特集一冊を、持つて来てくれた。浦野は会議が終るとすぐに姿を消したので、隣りの椅子はあいてゐるが、腰かけようとはせず、
「頑張つてね」
と手を振つて出てゆく。
弓子はまづ通信社の鹿児島支局に電話をかけて、事情をたしかめた。元首相は、早朝の集会なのにすこぶる元気で、原稿なしで即興的に語つたさうで、記事には書かなかつたけれど、過疎と人口減少を憂へ、このままではいくら自動車や電機製品を作つても買ひ手がゐなくなると案じてゐた。鹿児島の男はそんな話をしてくれて、とつぜん、
「東京はいい天気ですか? こちらは梅雨《つゆ》の真最中でしてね」
と愚痴をこぼした。東京の女はまるでお返しのやうに、
「今日は晴れですけど、明日あたり雨になりさうですよ」
と言つた。
それから弓子は資料を読みはじめた。斜め読みしてそれきりのものが多いが、大事さうなものは丁寧にノートを取りながら再読する。この主題をあつかふ限り、賛成論も反対論もとかく言葉がとげとげしくなりがちなやうで、これは洋の東西を問はない。欧米人の議論は、冷静に述べてゐるやうに見せて、しかし言葉づかひは激烈を極める。このことは弓子を警戒させた。今日は何しろあんなことで母と争つたあとだから、落ちついた言葉づかひで書くやうにしなければ、と彼女は自分に言ひ聞かせた。
弓子は中絶をしたことがない。結婚して最初の妊娠ですぐに子を産んだ。しばらくは産児制限をするつもりでゐたのに、どういふわけか失敗したとき、夫はもう中年だから、早く子供を育てるのもかへつていいかもしれない、と思ひ直したのである。そして離婚後の新劇俳優との関係、哲学者との関係では、さういふ事態にならなくてすんだ。もちろん産児制限はしたのだが、それでもこれは僥倖《ぎようこう》と言つていいくらゐ運がよかつたのだと思つてゐる。もし妊娠してゐたら、きつと中絶してゐたはずだ。何かと不都合が多く、自分も、生れて来る子供も、それから相手の男も、不幸になることが目に見えてゐるからである。その場合のことを想像すると、罪悪感といふやうなものはどうも感じさうもない。当然、水子供養などしないはずだ。病気その他、何か災厄に見舞はれたとき、水子のたたりだなどと脅す者がゐても、歯牙にもかけないだらう。これは家相や姓名判断を信じないのと同じことだ。こんなふうに処理するのは、結婚してゐないからではかならずしもない。前の夫と別れずにゐて、何度目かに妊娠したとき、中絶することは充分にあり得たらう。千枝を立派に育てることができたのも、自分が責任を持てるだけしか産まなかつたせいなので、これ以上の子育ては、たとへ母親の協力があつたにせよ自分の条件では無理だつたらうと弓子は思つてゐた。
彼女の考へ方によれば、産児制限を否定しない以上、何しろそれは百パーセントの成功を保證されてゐないのだから、もし万一失敗したときに中絶を認めるのは当然で、前者を承認しながら後者にきびしいのは論理的矛盾と言ふしかない。とすれば、中絶を殺人と同一視するのはをかしいので、これは産児制限の失敗の事後処置にすぎないのだから、積極的にであらうと不承不承であらうと肯定されなければならない。
そしてこの問題で根本のところにあるのは、性交は繁殖のためか、快楽のためかといふことだが、これについて二者択一で返事を求めるのは間違つてゐる。繁殖のためと快楽のためと二つの目的のためにある。二つを兼ねることもあるし、どちらか一つだけのこともある。人間の場合は、進化の過程で一年中が交尾期であることになつたため、話はこんなふうにややこしくなつた。さういふ入り組んだ性格の事柄を他の現実的諸条件と調和させようとして、産児制限が発明されたわけだが、とすれば、あれは認めなければならないし、その延長として中絶を肯定するのは当然のことである。さう考へてゐる弓子にとつて、受精のその瞬間に人間となつて霊魂を得る、従つて中絶はみな殺人である、といふ考へ方は、一種の詭弁としか思へなかつた。
しかし彼女は、この立場をそのまま書かうとは思つてゐない。入社以来二十何年かのうちに、新聞がときとして偽善的な言辞を弄さなければならないことは身にしみてわかつてゐたし、経験の告げるところによれば、今日のこの主題こそまさにその手のものだ。ここはどうしても、きれいで上手で無難なものの言ひ方をして敵の口を封じ、中立側を同感させ、しかも同時に味方を納得させ、あはよくば喝采させなければならない。弓子は、遅い晝食をとつてからじつくり考へようと思つてゐた。
しかしさうはゆかない。食事のあと、まづ女子高校の同級生が二人、面会に来て、仲間でカラオケ大会を開くから会場その他を世話してくれと虫のいいことを言ふ。何とか追ひ返して、ほつとしてゐると、経済企画庁の女の課長から電話があつて、大学の恩師(七五)が近く女流陶芸家(五八)と再婚すると告げられ、それを手はじめに半ダースほどゴシップを聞く羽目になる。その直後には、別れた夫の紹介状を持つた北海道の男が訪ねて来て、何をどう誤解したのか、ゴルフ場の開発を支持する社説を書いてくれと言ひ、書類といつしよに白い封筒を差出した。もちろん角封筒のほうは受取らなかつたが、このとき弓子は、別れた夫がいまどういふ連中とつきあつてゐるのか、紹介状を書くのは義理といふことがあるから仕方がないけれど、しかしかういふ者がゆくから適当にあしらつてくれと一言いふだけの心づかひがどうしてないのか、あの人もをかしくなつたなあ、ぼけたのかしら、まだ六十前なのに、などと寂しい気持になつて、そのせいで何となく来し方ゆく末を思ひつづけ、ずいぶん時間を無駄にした。
それから読み残しの資料に目を通し、いよいよワープロに向ふと、もう四時になつてゐる。そして驚いたことには、何をどう書いたらいいのやらさつぱりわからなかつたのだ。もちろん自分の意見はある。中身ははつきりあつて、口に出して言ふことができる。しかしその中身を新聞の論説といふ形で社会にどう訴へたらいいのか、見当もつかない。
何十分かののち、弓子は、これではどうも心がはづまないなと思ひながら、ごくありきたりの書き出しではじめることにした。いくら考へても、いい出だしが思ひ浮ばないのだ。
山村元首相は十四日、鹿児島の集会で、産児制限と妊娠中絶を批判し、「昔の女性は子供好きだった。東郷元帥は平八郎という名前でわかるとおり、八男だったが、それでも中絶しなかったから、日本は日本海海戦に勝ち、日露戦争に勝った」という趣旨のことを述べた。
さらに過疎や人口減少のことを憂慮して、「このままで行けば、いくら自動車や電機製品を作っても、買い手がいなくなる」と語った、という。
驚くべき暴言だ。鹿児島だから御当地出身の東郷元帥にお世辞を言った、ですむ話ではない。
「もしも」を言い立てる歴史論については、「もしも」は言い出したら切りがないから(たとえばその東郷元帥が|もしも《ヽヽヽ》日本海海戦の直前に乱心したら?)、冗談としてはともかく、まじめに歴史を論ずる際は無効で、それにもとづく推論は意味をなさない、と答えよう。もうけ至上の経済主義に対しては、人は自動車と電機製品のみによって生きるものではない、と言えばよい。
だが、発言全体の根底にある、男性中心の考え方について言うとなると、話が長くなる。
元首相は、今の女性は子供が嫌いだから産まないと思っているわけだが、そうではない。合理的に産んで合理的に育てようとしている。そして産む産まないの判断は、当事者である本人にゆだねるのが一番いいのだ。
妊娠するのも、つわりになるのも、出産するのも女性。そして育児や家事に協力する夫は、すこしずつ増えて来ているものの、まだまだ少ない。やはり女性が自主的に判断して、自分で責任をとるしかない。
弓子はここまで、何べんも、削つたり書き直したり、吐息をついたり頬を軽く打つたりしながら、のろのろと進んで来た。こんなむづかしい主題をどうしてあつかふ羽目になつたのかと悲しみ、小中信子、論説副委員長、今日の予定の筆者二人を怨んだ。ほかの論説委員たちも怨まれる。山村元首相が憎まれたことは言ふまでもない。
そして、よくわかつてゐるのに改めて字数を勘定し、まだ前半しか出来あがつてないことをしぶしぶ確認した。後半はどうしようかしら。書くべきことはもう書きつくしたといふ気がする。まさかそんなはずはないので、つまりこれ以上踏み込んだら危険だと感じてゐるのだ。
意見はいつぱいあるくせに、自分自身の文章としてはともかく、社説としては、上手に書けるかどうか疑はしい。いや、書けないに決つてゐるといふ気がする。それぢやあ何で埋めてゆくかと考へると、代案が思ひ浮ばない。頭のなかは、まるで、大企業が打つ一ページ広告でデザイナーがうんと気取つたときの大きな余白のやうだ。普段なら一気に書けるわづか七百字を弓子は持て余してゐた。
時間は流れてゆく。早く何とかしなければならない。しかし書くべき言葉は出て来ない。浦野みたいになつてしまつたといふ自己批評が心をのろのろと横切り、そのついでにこのあひだ浦野から来た手紙のなかの呆れた一行のことを豊崎にしやべるつもりだつたのに、と思つた。あの電話のときはがつかりしたものだから、つい話すのを忘れたのだが、あれはやはり電話では惜しい珍談だし、それに寝物語でするのでなくては恰好がつかない。その達筆の手紙には、「お慕いする」とか「恋」とか派手な言葉を使つたあげく、「今後も何分よろしく御指導をお願いします」と鹿爪らしく挨拶し、その次の最後の一行が、いつたん書いた文字の上を丁寧に万年筆で消してあつたのだ。便箋を明りにかざすと、それは「あなたとやりたい」と読めた。
本当に失礼な男、あたしがあの一行を読んだとわかつてゐても平気で、「いや、何、きようだいのやうな愛情でもいいんです」なんて、たまたま二人きりになつたエレベーターのなかで言つたりして、と、弓子は思ひ出し笑ひをして、今度この話を聞いたら豊崎がどんな反応を示すだらうと改めて考へ、考へてゐるうちにとつぜん、小中信子や、論説委員や、今日の担当のはずなのに欠勤した二人の論説委員などを怨むのは筋ちがひかも、と思ひ直した。元首相は、まあ仕方がないにしても、その他の者には責任がないのかもしれない。責任があるのは豊崎で、だつて彼が今週の逢びきをすつぽかさなければ、あたしは母と争ふことにならず、従つて機嫌が悪くないから、こんな論説くらゐすらすらと書けたのに、と思つたのである。弓子は自分の力を信じたかつたので、不調は何かほかのことのせいにしたかつた。
そのとき、これもまただしぬけに、いま男と逢へないのは自分だけではなく、たとへば夫が単身赴任してゐる妻たちはみなさうだ、といふ考へが浮んだ。これはかなりの慰めになるし、彼女らに対する同情が湧いて来る。一月《ひとつき》に一度か二月《ふたつき》に一度しか逢へないだらう、辛いだらうな、海外赴任者の妻なんかせいぜい半年に一度くらゐかしら、いや、もつとひどいかも、まるで七夕《たなばた》ね、と優しい気持で憐れんでゐるうちに、「ゼロ発信」に書かうと思つてゐた支店長の恋のことは、視点が男の側にあつて、女の側から見てゐない、といふ自己批判がゆつくりと訪れて来た。どうして忘れてゐたのかしら、女の側に立つて考へることを。母と違つて男本位ぢやない考へ方をいつも主張してゐるのに。うつかりしてたなあ。留守宅の妻のことを忘れるなんて。するとそのとき、徳川時代、夫が参勤交代で江戸へ行つてゐる武士の妻たちは一年間、孤閨を守つたわけだ、といふことが心に浮ぶ。つまり単身赴任も参勤交代も男性中心の社会構造が女性を迫害するためのもの。昔も今もちつとも変らない。(本当は男性もまた制度によつて迫害されてゐるわけだが、弓子にとつてはそれは差当りどうでもいいことだつた。)たしか文楽で見たことがあるけれど、夫が留守の人妻は寂しさのあまり、三味線の節まはしにそそのかされるやうにして、あやまちを犯した。昔はそれで殺されたが、いまはそんなことはない。昔の男は武士で刀を持つてゐたが、いまは違ふから。しかし、もし妊娠したら? かなりの悲劇性。
ここまで来て弓子は、後半の七百字に書くべきことが自分を襲つた、と感じた。彼女は興奮し、そして、冷静になれと自分に命じて、まづ念のため学藝部の、文藝担当の女の記者に電話をかけて事情をたしかめてから、ワープロに向ふ。
たとえば単身赴任という制度を見ても、日本の社会が男性中心であることがわかる。徳川時代の参勤交代も単身赴任だった。留守宅の妻がどんなに寂しいか、考えようともしないのがわが国の伝統で、敗戦も、高度成長も、これを改めることができなかった。藩と会社という権力に圧迫されて、女性は辛い思いをして来た。
その寂しさのせいで生じる女性の悲劇は、江戸時代の文芸の一主題であった。現代文学はこれをあつかわないようだが、いまでも同種の悲劇は絶えないはずだ。つまり日本の国力は、海外に、国内に、夫を単身赴任させている妻の忍従によるものである。
こういう条件下において生きるための手段は、男性の場合は、社会の約束事として認められている。ひょっとすると、奨励されていると言ってもいいかもしれない。しかし女性の場合は社会は寛大ではない。むしろきわめてきびしい。
そういう場合、もしも産児制限と妊娠中絶が禁じられていたら、どんなに不幸なことになるかは、ここで論じるまでもない。家庭の崩壊は目に見えている。そして家庭は社会の最も基本的な単位であって、人間はまずこれによって生きる。これは現代の常識であるから、単身赴任制度の欠陥が明らかになるならば、会社の人事はすこぶるむずかしくなる。
それゆえこの問題は、わが将来の国力にかかわるものである。軽々しく取り扱うならば、長く悔いを残すことになろう。日本の経済的繁栄を持続するためにも、慎重に考えなければならない。
弓子はまづ表示画面の横書きの文面を読み返し、それから、プリントした縦書きの原稿を読み、これでいいと思つた。それは、
1 元首相の放言をすつきりと批判し、産児制限と中絶を擁護してゐる。
2 水子供養には触れてないから、宗教的に問題がない。
3 江戸時代と現代とを結んで女性史をとらへてゐる。
の三つの理由で、なかなかよく出来てゐると誇らしく感じたのだ。いや、それだけではなく、
4 無分別な男女関係のせいで妊娠した女を救ふことに貢献した。
と自負してもゐた。彼女は、大学も出てゐるし頭も悪くないはずの自分が、両親にすすめられるまま何となく結婚し何となく出産してそのあげく離婚することになつた経緯から見ても、女の悲劇はあらゆるところで生じやすい、まして十代の娘たちが軽はづみな恋をしたときの危険は大きい、とかねがね思つてゐたのである。
この場合、客観的には、
5 単身赴任者の妻の姦通は当然だといふことを、ぼんやり読んだのでは気がつかないくらゐ巧妙に論じた。
といふことも、自慢して然るべきだつたやうに見える。しかし、もしもそんなふうに褒められたなら、弓子はおそらくけげんな顔をしたのではないか。彼女は、すくなくとも後半に関する限り、自分が何を論じたか、はつきりと意識してはゐなかつたのだ。
弓子は、
1 とにかく与へられた課題にふさはしい作文を書く。
2 女性中心の立場を貫く。
3 規定の字数を書く。
ことに熱中してゐた。
4 新聞は偽善的であることを社会から求められてゐるから率直に書いてはいけない。
といふのもかなり気にかけてゐたが、しかし後半の主題が、
5 男に逢へなくて寂しいといふ自分の気持を他人に仮託《かたく》して表現する。
ものであることはわかつてゐなかつた。まして、自分の書いた論説の後半部が、無意識のうちに抑圧を受けて表現が曖昧になり、そのため社内のいくつかの関門を通りやすくなつてゐることなど、知る由もない。
「出来た」
とつぶやいて弓子は微笑し、やはり自分の才能はちよつとしたものだ、警視庁キャップから論説委員になつた社長賞受賞者などとはぜんぜん違ふ、と思つた。
だが、このとき弓子は、異様なことに気がついた。いまは五時半。普段ならかなり多くの者が残つてゐるこの広い部屋に、自分と女性秘書二人と論説副委員長の四人しかゐなくて、誰か同僚委員に目を通してもらふわけにはゆかないのである。変だなあ、と漠然と思つたものの、しかしそれは誰か有名人の名前に一字誤植がある記事を読んだときに似て、さほど気にならない。彼女は原稿を社内のコンピューターに送り、副委員長に声をかけた。副委員長は、
「やあ、出来ましたか。うん、うん」
とうなづいてから、プリントした原稿とデスクの横の表示画面との両方を見て読んでゆく。
そのとき副委員長の心を覆つてゐたのは、逃げ出した他の男たちが羨しいといふ感想だつた。彼らが、弓子に論説を読んでくれと頼まれて、日本中あるいは世界中の男を代表する立場に立たされ、バツの悪い思ひをするのが厭なので引上げたことを、彼はよく知つてゐた。知つてゐたからこそ、まへまへから引出しに入れてあつた自分の論説(高齢者が俳句、短歌、外国語、カラオケ、謡曲、ゲート・ボール、ゴルフなどを学習するのは有意義だから補助金を出すべきだといふ論旨)に手早く手を加へ、帰り仕度をしてゐる経済部出身の委員をあわてて呼びとめて、読んでもらつたのだ。事実、この委員が帰つたあとにはもう、朝刊の一面下の「遊星通信」の筆者と先程あげた四人がゐるだけで、「遊星通信」の禿げ頭の男は遅ればせながら事態に気がつき、大急ぎで退出したのである。普段の金曜なら、土日の二日分を書きためして、土曜に月曜の分を書くのだが、この際そんなこと言つてられないといふ判断だつた。
副委員長は、きつと不快なことが書いてあるにちがひない、ああ厭だなあと案じながら、南弓子の論説に目を走らせた。すると、果して男の悪口である。「男性中心の考え方」といふ言葉づかひを目にしたとき、彼は世界が暗くなつたやうな気がした。もともと彼には大嫌ひなものが三つあつて、第一は南瓜《かぼちや》、第二は地震、第三は女のヒステリー、殊に女が男性一般の悪口を言ふことである。「男の横暴」とか「封建的女性観」とか、そんなふうな言辞に接したとき、彼はいつも、ああ何といふ粗雑な見方だらう、世の中には女を大事にして生きてゐる男(たとへば自分)も少数ではあるが確実にゐるのに、といふ感想をいだき、そしてつづけて、しかしこんなことを思ふのは他の男たちに対する裏切りで、自分だけ点を稼がうとする卑怯な態度かもしれない、と反省し、ますます気がめいるのだつた。
次いで「育児や家事に協力する夫は……まだまだ少ない」のへんが眼に飛びこむと、自分の日常生活が無遠慮にそして悪意をこめて批評されたと感じ、顔をかすかにゆがめた。この種のことは彼の妻が四半世紀にわたつて言ひつづけてゐることなのである。その心理的衝撃のせいもあつて、副委員長は単身赴任制度批判を身を入れて読むことができず、かなり上の空で字面《じづら》をたどつた。つまりそれは斜め読みであつた。かういふ読み方をするのには、プリントしたモニターを右の眼で、ワープロの表示画面を左の眼で見るといふ条件が極めて好適であることは言ふまでもない。
そんないい加減な態度である以上、読みはもちろん浅い。それは、政治面に載つた、あるいはそれ以前に政治部記者が電話でしらせた、保守党の領袖の談話を他の領袖が解釈するときの正反対くらゐにテクストの表面を軽く撫でてゐた。従つて、弓子の論旨である、江戸期の参勤交代のときも現代の単身赴任の際も男は浮気あるいは売春によつて何とかすませることができるけれど、女は、たとへ浮気をしても妊娠といふ負担を引受けることになるといふ内容は、当然、副委員長にはまつたくわかつてゐなかつたのである。彼は、家庭の崩壊は避けなければならないと述べてゐるのを見ると、フムフムたしかにその通りだとうなづくだけで、弓子の言ふ家庭の崩壊とは実は留守宅の妻が男と遊んで子を産むしかなくなることだといふのは、わかつてゐない。彼は、まあこれならいいぢやないか、多少の不満はなしとしないけれど、筆者と自分とはおのづから立場が違ふから(当り前!)やむを得ない、などと考へた。そこへ、論説を書きあげた興奮がまだ残つてゐる南弓子が近づいて来て、隣りの空いてゐる椅子に腰かける。彼は陽気に声をかけた。
「いいですよ、結構、結構。かなりきついね、アハハ。しかしまあ、雉子《きじ》も鳴かずば射たれまい。単身赴任といふのは困つたことでしてね。わたしも前から批判的だつた。しかしあれもいろいろ事情があつて。たとへば子供の教育とかね。社会主義国の外交官なんかは、経費節減のため、国家が単身赴任を命ずるんです。あれはひどいねえ。でも、『慎重に考へなければならない』といふのは大賛成。わたしは長年かういふ方針でやつて来ました」
いつでもさうなのだが、原稿がデスク、つまり副委員長を通ると、ほつとする。弓子はおだやかな表情になつて、
「手を入れる所、ありません?」
と訊ねた。
「さうねえ」
と相手はまた斜め読みしながら、
「ええと、ムニヤムニヤ、うん、ここはよし。うん、ここの所ね、『留守宅の妻がどんなに寂しいか、考えようともしないのがわが国の伝統で……』、これは『概して考えようともしない』とするほうが……」
「あ、さうですね。直します」
と弓子が同意した。副委員長はしばらく瞑目してから、
「『出産するのは女性』といふ題はどうですか?」
と訊ねた。
「いいですね。いいと思ひます」
と弓子は、内心、もうすこしましな題はないかしら、でも、まあこのへんで我慢しなきや、と思ひながら言つた。副委員長がワープロに向ひ、題と直しの三字を入れてから正式出稿のボタンを押す。
四階で、三十代の女が、人名事典を引いて東郷平八郎(一八四七−一九三四)をたしかめた。事典には八男かどうかは書いてないけれど、そこまで調べる必要はないことにする。それにどうせ政治家の発言なんだし、新聞社が責任取ることぢやないもの。しかし男だけでも八人なんてすごいぢやない、多産系なのね、と校正係の女は表示画面のなかの原稿を見ながら思つた。ほかに女の子も産まれたらうから、全体で何人きようだいなのか、知りたい気もしたが、もちろん図書室までゆくほどの伝記的関心ではない。彼女は三年前に結婚したが、なぜか妊娠しないのである。東郷家の出産数に刺激された三十女は、自分のせいかしら、夫のせいかしら、医者にゆかうか、ゆくまいかとすこし思案してから、いつもと同じやうに、まあしばらく様子を見ることにしようと思つた。
同じ四階で、整理部の朝刊二面の担当が、表示画面のなかの論説を読み、ああ、またフェミニズムかと舌打ちした。彼は女性の権利を主張するのが好きな母親の息子で、妻を選んだのも母である。当然、妻も母親と同じ思想で、彼は二人の主義主張に困り果ててゐたから、女の論説委員が書いたにちがひないこの論説を、すこぶる苦々しい思ひで、しかし母や妻が女性の権利を言ひ立てたときに思ふ、何とか上手にやりすごさうといふ気持に近い気持で読んだ。それに彼はもともと元首相が嫌ひだつた。政治的理由のせいではなく、風采があがらないし訛りがあるのが厭なのである。それで、あいつが悪口を言はれてゐる、愉快だ、と思はうとしたけれど、これは彼のフェミニズム嫌ひと衝突する。さらに、彼の妻は子供好きで、男女合せて五人の子供がゐるし、彼はそれを、何かにつけて激しく後悔したり、幸福に思つたり、いつも複雑な思ひで暮してゐる。彼はしらけた表情で論説を読み終へ、それから、もしもほかの記事と同じやうに自分が見出しをつけるのなら、「男性中心の考え方は困る」とするのに、と思つた。かうして置けばたいていの男は読まないから、その分だけ時間の節約になる。もつとも、社説なんて誰も読まないから、どうでもいいか。
そのすぐ隣りの席で、四十代なのに白髪の多い男が、表示画面のなかの「出産するのは女性」を読んでゆき、「発言全体の根底にある、男性中心の……」といふ所まで来ると、ふと、ゴロンも男性だからこんなに長いあひだ家をあける、と思つた。ゴロンといふのは牡の飼猫である。本当は飼猫ではなく、別棟に住む両親の猫なのだが、両親は罐詰のキャットフードなのに彼ら夫婦は煮干しをやるためか、こつちの棟に入りびたりなのだ。その猫が一週間前からゐなくなつた。両親は平気だし、彼も妻もそれから娘も季節はづれの猫の恋だと言つて気にしなかつたのだが、明け方、ゴロンが夢枕に立つて mrmrmew と鳴いたので、彼はひどく心配になり、朝食のとき、写真入りのビラを作つてほうぼうの電柱に貼らうと言ひ出したところ、妻と娘に笑はれたのだ。だが、夢で聞いたあの声はひどく哀れだつた。恋仇の牡猫と争つて負け、どこかに倒れてゐるのではないか。それとも、よその家に世話になつてゐるか。彼は、ビラを作るとすれば写真が大事だが、うまく撮れてるのがあつたかしらと思案した。
同じ階の、彼ら二人から六メートルほど離れた席で、三十前の男が、眼下にある大きな表示画面のなかの朝刊二面を見てゐた。右に寄せて二つの論説が罫《けい》に囲まれてゐる。第一論説の題の真下に第二論説の題が来てゐないのは満足だが、第二論説の題が八字なのは短すぎる。「出産するのは女性である」と三字ふやせば上下がこんなにあかなくて坐りがいいのに、直すことができないのは残念だつた。論説は聖域。いぢるわけにゆかないのだ。若者は舌打ちし、それから、明日は午後一時成田出発で香港へゆくのだから、夜中の二時ごろ仕事が終つたら、社員食堂で酒を飲むのはやめてすぐに帰らなくちや、と思つた。誘はれて隣りのビルの七階へゆくと、四時か五時まで飲んでしまふ。絶対に断らなくちや。
彼はもう一度、二つの論説に目を通し、立ちあがり、視野をさへぎる柱をよけるために上体を左に傾け、六メートル向うの男に呼びかけた。
「ヤマさん、聖域を二つおろしますよ。いい?」
ヤマさんが腰を浮かせて、
「ちよい待ち」
と答へ、隣りの四十男に話しかけようとしたが、そのときちようど相手に電話がかかつて来た。白髪の四十男はとつぜん明るく微笑した。
「あんまりやつれてない? 埃まみれ? それはさうだらう。うん、うん。煮干し食べた? 牛乳は? あ、それならいいや。しかし、まづこつちに顔を出すなんて、をかしな猫だな。いいよ、そんな。かういふときだもの、足を拭くのを忘れるくらゐ何でもないさ」
そこまで言つて、デスクは、隣りの男の視線に気づき、うなづいて、人さし指と親指で丸を作つた。かうして、南弓子の危険な社説が「新日報」に載ることになる。
第二土曜と第四土曜の夜六時になると、論説室の会議用テーブルに、まづウィスキーの瓶《びん》が二本置かれる。それからミネラル・ウォーターの瓶、氷のはいつてゐる容器、グラスなど。ビール、日本酒、焼酎《しようちゆう》などの瓶がまじることもある。チーズ、ハム、蒲鉾《かまぼこ》、サンドイッチなども出る。それを見ると論説委員たちが集つて来て、恒例のささやかな宴会がはじまるのだが、隔週のこの会をみんなは飲み会と呼んでゐる。これはどうも立派ぢやない、何かもつともらしい名前をつけようと言ひ出した者もゐたが、誰かが、
「ぢやあ安岡正篤に頼む?」
とまぜつ返したため、大笑ひになつて、相変らず名前がない。これは言ふまでもなく、政治家が派閥の名前をあの学者につけてもらふ慣習を踏まへた冗談で、今なら、
「ぢやあ、大沼晩山に頼む?」
とからかふところか。もつともこの書家はまだ派閥名を命名するほど偉くはないけれど。
小中信子は下戸なので、馬鹿ばかしいと言つてこの会には滅多に出ないが、南弓子はすこしは酒をたしなむから、なるべく顔を出すやうにしてゐる。もつとも、せいぜい三十分くらゐで引上げるのだが。男たちは二時間ばかり飲みつづけ、それからまた河岸を替へる者もゐるらしい。
この日は、四月から論説顧問になつた経済学者の安西一朗が現れたので、おのづと彼を囲む形になつた。話術の巧みな快活な人物なので、人気があつて、いつもの飲み会と違ひ女性秘書たちも聞きに来てゐる。本当か嘘かわからない話をするのが得意で、今夜も、去年某国立大学を定年退職してからどうして私立大学に勤めないのかと訊かれると、水割りを片手に、
「学生時代、友達三人で約束したせいですよ」
と陽気に答へた。三人とも自分たちは当然国立大学の経済学の教授になるつもりでゐたから、将来われわれは博士号は取らないことにしよう(学位は学問の冒涜《ぼうとく》である)、定年後に私立大学に勤めないことにしよう(後進の就職を邪魔することになる)、と誓つたのだ。それなのに一人は銀行にはいつてやがて頭取になり、それはまあいいとしても、本業のかたはら論文を書いて経済学博士になつた。をかしいぢやないか。そしてもう一人は、学位を取つただけでなく、定年前に私立大学に移つて、あれは定年後についての話だつた、と言ひわけをした。
「ぼくは憤慨しましてね。かうなつたら、意地でも勤めるもんかと頑張つてるんですよ」
とにぎやかに笑つたが、これはもちろん講演と原稿書きに忙しくてその暇がないためなのだ。
ここで社会部の古手が、九州の知事選をめぐる新聞には書けない珍談を披露し、それから経済記者の持出したビール会社のシェアの話に移り、そして外報部出身の委員が、とつぜん、北欧には政府から補助金をもらつてゐる新聞社があるさうだ、と言ひ出した。それを聞いて、みんなががやがやしやべり出す。
「まるでオペラやバレエみたいですね」
「オーケストラなみだな」
「でも社会主義国の新聞はみなさういふものでせう」
「オランダもさうだと聞いたやうな気がする」
「つまり新聞で赤字にならないのはオーケストラと同じくらゐ無理……」
「オペラやバレエは補助金もらつても別に演出や何か変るわけぢやないから、いいけれど……」
「言論の自由、どうなるのかな?」
「大学はみんな、補助金もらひながら、学問の自由と言つてるでせう」
「やつぱり批判しづらい。金もらつてれば」
「学問の自由と言論の自由はちよつと違ふから」
「えつ? 違ふ?」
「しかし政府攻撃はむづかしくなりますよ。ただでさへ大変なのに」
「飴と鞭ですな。飴を受取つて政府に鞭を当てる……」
副委員長のうちの一人が、チーズを食べながら、テーブルの向うから安西に、
「どうでせうか?」
と水を向けた。経済学者が、
「ええ。贈与にはゴシユウといふことがつきものでしてね」
と言ひかけたとき、遠くから浦野重三が、
「え? 御祝儀?」
と問ひ返したが(実は南弓子もさう聞いて、変だな、と思つたのだ)、
「それは上手な洒落だけれど」
と安西は笑つてソファから立ちあがり、副委員長二人その他の椅子のうしろをまはつて正面斜め左、テレビの横の黒板に近寄り、白墨で書きながら、
「互酬。互ひに酬いる。英語では reciprocity ですね。ええと、相互関係とか交換とか」
浦野が、
「いやあ」
と頭をかき、みんなが笑ふ。経済学者がつづけた。
「社会学に交換理論といふのがあつて、人間は贈り物をもらつたら、きつとお返しをする、といふのからはじまつて、何でも物のやりとりで説明するんですな。もちろんさういふ面もあります。お中元とか、歳暮とかね。一般に近代生活のなかに残つてゐる古代的局面として要約されるでせう。クリスマス・カードやクリスマス・プレゼントもさうでせう。日本人がはじめて会つたときの名刺のやりとり、あれなんか典型的ですな」
「それぢやあ、政治家が選挙民を買収して、投票してもらふのは?」
と浦野が訊ねた。
「それはもうはつきり互酬。贈り物のやりとりです。でもねえ、変な学説もあるんですよ。代議士が選挙民から票をもらつたから、そのお返しに選挙民に利益をもたらすといふのはどうでせうか。もちろん、さういふ場合もあります。お返しに橋をかけたり鉄道を引いたりする。闇将軍の場合なんかまさしくそれです。しかし全部が全部とは言へないでせう。むしろ例外でせう。普通の代議士には、さういふ願望はあつても実現はむづかしい。一人一人の代議士の活動を検討しても、かういふ要素は、幸か不幸か、さほど多くはない。どうも何か違ふやうな気がします。それに、選挙民が投票する動機のなかには、もつと立派な動機もすこしはあるでせう。ないかな? ないかもしれない……」
と笑はせて、
「それから恋愛」
と安西は黒板をはさんで隣り合ふ形の南弓子と視線を合せ、ほほゑみかけて、
「恋愛にもこれを当てはめようとする奴がゐるんですよ。男が女に惚れて、花束とか宝石とか贈り物を渡す。そのお返しとして女の人が男に恋ごころを返す……なんてこと言ふ学者。あんな説明のし方、わたしは嫌ひです。ロマンチストなせいでせうか。どうも、その、散文的で厭ですね。もつと大事なものを忘れてますよ、ああいふ説は。わたしの体験から言つても違ひます」
男たちが各人各様の笑ひ方をし、弓子も微笑してうなづくと、安西は満足さうにして、
「ね、さうでせう? あんなのは拡張解釈ですよ。あの交換理論といふのは、経済関係を妙に濁らせるせいもあつて、嫌ひなんです。もちろん、中元や歳暮は日本経済にとつて重大ですよ。一般に贈与が盛んなせいで経済が活発になるといふのは本当です。でも、生産性といふ決定的に重要なものをとかく忘れがちなんですね。クロネコヤマトだけで日本経済は動くのぢやない。それが第一。第二に、贈与といふのは風俗ですから、それぞれの文化によつて非常に違ひます。従つて経済を説明する普遍的な条件となりにくい。そして交換理論を大事にすると、ときどき考へ方が下等になるんですな。あれが困ります」
弓子が言つた。
「それはわかりましたけど、でも、新聞社の場合はどうなんでせうか?」
「新聞社が政府から補助金をもらふときですね。やはり何かお返しをするでせうな、贈り物に対して。これは否定しがたい。ただしそのお返しは、政府に対するおべつか、阿諛追従《あゆついしよう》だけとは限らないでせう。もつと別のお返しもあり得るんぢやないでせうか?」
「と言ひますと?」
「つまり、直言、忠告、諫言《かんげん》。政府の欠点を批判し、悪政を正す。それもお返しになるはずですよ」
「まあ」
「すくなくともわたしはさう考へたい。楽天的にすぎるかもしれないけれど」
これを聞いてみんなが笑つたのは、彼の自己批評が正しいとつねづね思つてゐるからだらう。そのとき、長いあひだ運輸省の記者クラブにゐて、この省の人事はみんな彼が決めると言はれた(もちろん違ふ)論説委員が、遠くから質問した。
「でも先生、贈り物とかお返しは、相手が喜ぶものを選ぶわけでせう?」
学者は大きくうなづいて、
「ええ、建て前はね。でも、実際はなかなかさうはゆかないでせう。中元やお歳暮のこと、考へてみなさいよ。ラツキヨウが嫌ひな夫婦にラツキヨウが届いたり、下戸のところにブランデーが来たり……」
「さう言へばさうですな」
「そして古来、忠臣は、主君に対する忠誠のしるしとして、女色に溺れるな、とか、佞臣《ねいしん》を近づけるな、とか、言上《ごんじよう》したわけでせう。あれだつてお返しです。俸禄に対するお返し。講談にもいつぱいありますな。新聞社は補助金を受けながら、一つあれをやつたらどうでせう。素知らぬ顔で、お返しとして苦言を呈する。でも、駄目かな? やつぱり政府は怒るかな? 意地悪をされたと取るかな?」
と経済学者はみんなを笑はせ、それから椅子に腰をおろして新しくウィスキーの水割りを作らうとする。
「先生、あたしがします」
と弓子が言ふと、
「いやいや、自分でやりますよ、こんなことくらゐ」
論説委員たちが口ぐちに言つた。
「まづ政府与党に交換理論を講義する必要がありますな」
「それから補助金をもらふ……」
「年賀はがきや暑中見舞はがきに籤《くじ》がついてゐるのは二重の贈与……」
「でも安西さんの説こそ拡張解釈ぢやないかな?」
「ほら、切腹を賜るといふのがあつた。あれも贈与」
「忠臣が切腹させられたりして……」
そして安西はただ笑つてゐる。やがて彼は、全員に向けて言ふのではない声で、しかし別に声をひそめてではなく訊ねた。
「南さん、あなたでせう。今日の社説」
「はい」
「いやあ、おもしろかつた。高度成長以後の日本経済とセックスを結びつけたのはあれが最初ですよ。じつにユニークな論旨」
弓子が顔を輝かせて、
「お読み下さいました? まあ嬉しい。ありがたうございます」
と礼を言ふと、
「しかしラディカルですなあ、あなたの立場」
「あら、さうでせうか」
すると、いつの間にか横に来てゐた浦野が自分のグラスに氷を三つか四つ入れながら、
「ああいふのを読むと、筆者自身の生活はどうなつてるのか、と考へますな」
「さういふのはセクハラよ」
とすかさずたしなめられて、浦野は首をすくめ、経済学者は大笑ひした。そして弓子はこれを汐に退出することにする。例の「男・四十前」の十一人のうちの一人、荻野左近といふ日本画家の小品展が京橋の画廊で今日からはじまるのだ。
しかし、エレベーターの前で弓子は振返つた。浦野が、
「ちよつと〜」
と追ひかけて来て、
「変なこと言ふやうですがね。これ、お宅の娘さんぢやないですか?」
と新聞を差出したのである。その表情を見ただけで、悪いニュースではないとわかるものの、それでもやはり驚いて手に取ると、全五段の大きな広告で、六人の娘がめいめい、紅茶、クッキー、ビールのつまみなどを推薦してゐる。最初の紅茶は「大学院学生南千枝さん」で、家で見せるのとはすこし違ふほほゑみ方で笑つてゐる。
「娘です。よくおわかりになりましたね」
「だつて似てるもの」
「さうかしら」
「うん、第一印象で似てると思つた。それに大学院学生とあるし」
「宣伝会社に行つてゐるお友達から何か話があつたなんて言つてたけど」
と、その経済紙の夕刊を見て、六人のなかでは一番目か二番目にきれいなやうな気がすると思つてゐると、浦野は、
「持つて行つたらいいですよ。まだ送つて来てないと思ふ」
と言つて引返した。
一人だけのエレベーターのなかで弓子は、娘のそれとすこし似てゐる微笑を浮べた。娘の写真も嬉しかつたし、何を見ても反射的に南弓子を思ひ浮べる男がゐるといふのも得意である。しかし何よりも、社説のことを言はれたのが満足だつた。といふのは、安西と浦野の言葉があの論説の最初の反応だつたからである。
普通、「ゼロ発信」を書いたときには、何しろ随筆仕立てで読みやすいから、電話とか投書とかでいくらか読者の反響がある。社説の場合、さういふことはほとんどない。もしあつたなら、それは例外的な事件である。これは委員同士でも同じで、「ゼロ発信」はおしまひに姓名のうちの一字を記すせいもあつて、お互ひに挨拶めいた読後感のやりとりがあるのに、まつたく無署名の社説のときは、それをいいことにして、たいてい最初から読まない。わりにしつかり読んでくれるのは「遊星通信」と「方寸帖」の筆者たちか。何しろ毎日の材料に困り果ててゐるから。はじめのうち弓子は、委員同士で何も言はないのを物足りなく思つたが、追ひ追ひ慣れて来て何とも感じなくなつた。しかし今日の社説を無理に書かせた恰好の小中信子が、二度も顔を合せたのに何も言はないのは、ずいぶん無神経な仕打ちのやうな気がした。あの論説の出来の悪さ、あるいは大胆な論旨に呆れて黙つてゐるのだとは、弓子は思はなかつたのである。ついでに言へば、「遊星通信」と「方寸帖」の筆者たちも、びつくりして、お世辞の言ひやうがなかつたのだし、浦野にしても、何か機嫌をとりたいことはやまやまだつたが、どう言つたらいいかわからなくて困つてゐたところへ、客員論説委員がひとこと触れたため、その機会を上手に(?)利用したのだつた。
そんなわけで、弓子は上機嫌で個展の会場へはいつてゆく。一般の客はもうゐなくて、懇意な者が荻野左近を囲んで酒を飲んでゐる。画家の娘とその夫の新進画家もゐる。新日報社の美術記者も来てゐる。弓子は、とうに小さな赤札のついてゐる十点の絵を丁寧に眺めてから、画家夫婦に改めて挨拶した。画家は紺にペンシル・ストライプの背広、水いろに白の細縞のシャツ、そして朱の地に濃い緑のペイズリのボウタイである。夫人は、利久いろの縮緬《ちりめん》の単《ひとへ》に綴《つづれ》の一重帯で、白つぽい地に咲く花は鉄線花。総じて渋く押へたのは、絵を引立てようとしてだらう。
荻野の妻は、夫との仲を疑つたのか、数年前までは何となく打ち解けない感じだつたが、これも個展のオープニング・パーティーのとき、十代の娘がゐると口をすべらせてから、気を許すやうになつた。以来、何かといふと娘のことを話題にしたがつて、今日も鮨を小皿に取り分けてくれながら、
「もう御卒業になりまして?」
と訊ねた。弓子は、またはじまつたと思ひながらも別に不愉快ではなく、
「それが今年から大学院ですつて。英文科なんです」
などとやりとりがつづいたあげく、夕刊の広告写真を見せた。画家の妻が褒めそやし、画家が黙つて見入り、人々の手を一巡する。各人各様のお世辞ののち、改めて眺めてゐる荻野から返してもらつて、持ち帰つたのだが、しかしこの写真は当人の千枝にも、その祖母にも悪評だつた。千枝などは、これを個展で披露したと聞いて、
「厭ねえ、ママ」
と眉をひそめる。そこへ大伯母の柳雅子、つまり元は映画女優の柳あえかが顔を出して、持参の菓子でお茶を入れさせながら、千枝の顔はどの角度から撮ればいいのかを論じ、腕の悪いカメラマンのせいでひどい目に会つたといふ長い長い思ひ出話をはじめた。
翌日、家族揃つての日曜の朝寝ののち、朝晝兼帯の食事をしてゐると、荻野から電話があつて、母子像を描きたいから千枝と二人でモデルになつてくれとのことである。来春の出品作にするのださうで、秋の展覧会に出す絵は小下図《こしたづ》がとうに出来、明日か明後日、下図を描く所だが、それが完成したら、八月の末にでもすぐに取りかかりたいといふ話だつた。
弓子は丁重にではあるがしかし即座に断つた。自分もさうだし娘もまた忙しい身だから、郊外の画室に足を運んで長い時間を拘束されるのは間尺に合はないと感じたのである。画家は、自分一人でさうあつさりと決めないで娘さんとも相談してみてくれと笑ひながら言つた。まるで結果を予想してゐたやうに。
そして結局モデルになることになつた。悦子は、折角の機会なのに勿体ない、第一、絵が評判になれば方々から縁談が来るかもしれないぢやないかと惜しんだし、ふらりと現れた雅子つまり柳あえかは、これは大変な宣伝で、お金に換算すればすごいことになるし、それに、本絵はもらへないにしても下絵をもらへばかなりの儲けになるとそそのかしたし、そして千枝も、最初は気が進まないやうな口ぶりだつたのに、だんだんぐらついて、荻野左近ほどの画家に描いてもらふのはやはり一生の思ひ出になるかもしれないと言ひ出したからである。夕方、弓子は電話をかけて、母と伯母と娘の三人にとつちめられた顛末《てんまつ》を語り、モデルを引受けた。かうして、母子が成城にある荻野の画室を訪れるのは九月中旬と決つたが、この間、二月《ふたつき》ものあひだ、和服がいいか洋装がいいか、髪はどうしようなどと女四人で相談するのは、思ひがけない気晴らしになつた。といふのは、夏の盛りから秋の半ばまで、弓子は社内で、入社以来はじめての辛い思ひを味はつたからである。
月曜には何事もなかつた。月曜の午後、取材に出ようとするとき、一階の受付の前で社長と出会ひ、ちよつと立話をしたが、そのときの様子では何の異常もない。普段と同じ血色のいい顔で、快活に、若い娘たちの使ふ新語のことを訊ねられ、説明すると礼を言はれた。あとで思ふと、あのとき社長は例の社説を読んでゐなかつたはずだし、そして社長が社説に目を通さないのはむしろ普通のことなのだが。
火曜も何もない。論説会議のあと、隣りのビルの八階にある本屋にゆくと、副社長がゐて、動物の写真集を熱心に見てゐた。弓子が挨拶すると、もうヌードなんか関心がなくなつた、と言つて笑つたので、こちらもただ笑ふだけにした。あのとき副社長も例の社説は読んでゐなかつたはずである。その夕方、論説室からエレベーターで降りてゆくと、元専務でいまはテレビ会社の社長をしてゐる男が立つてゐて、乗るのを遅らせてお世辞を言つた。あれは、よくはわからないが何となく変な気がする、と弓子はあとで思つた。
水曜は論説委員長が出社したが、パリの三つ星の料理屋で歴史小説の作家(例の「男・四十前」の十一人のうちの一人)と偶然いつしよになつて、君は元気かと訊ねられた、人気あるねえ、といふ土産話のほかは何も言はれなかつた。旅さきでも社説はみなファックスで読んでゐるのに、弓子のものの文意をとらへそこね、気に留めなかつたわけである。
その夜おそく、一人でテレビを見てゐると、経済部の記者から電話があつて、今日、経済三団体の連絡会議で、弓子の書いた社説が問題になつたと教へてくれた。単身赴任制度を批判するのはかまはないけれど、留守宅にある妻の不倫を奨励し、赴任中の夫の心理を乱すのは利敵行為とも言ふべきものだと経済先憂会の理事が発言したが、協議の末、これを問題にすればかへつて夫たちの不安を増大するし、それに女性の反撥も恐しいので、不問に付すことになつた。そんなわけだからもちろん記事にはならないし、社にも報告しないが、念のためあなたにだけ伝へて置くといふ話であつた。この記者は入社したばかりのころ家庭部にゐて、経済部に移つてから、弓子が、切れ者の通産官僚と新技術開発で知られる実業家(いづれも「男・四十前」の十一人のうち)に紹介したことを徳としてゐるのである。
電話が終ると、弓子はすぐにスクラップ・ブックを出して社説を読み返した。自分の文章なのに、まるで暗号を解読したやうに意味がよくわかる。中絶を認めさせようとする余り、姦通を肯定しておどしをかけてゐるのだ。それを読み抜いた経済先憂会の理事某は、よほど頭がいいのか、それとも閑で閑で退屈しきつてゐたのかと思つた途端、これだけの読解力の持主なら、きつと、筆者は男と逢ひたがつてゐる女だと見抜いたに相違ないと気がついた。経済三団体の老人たちは、立派な椅子やソファでその説明を聞いて、各人各様の笑ひ方をしたのぢやないかしら。弓子は、ああ恥しいな、これが十年前だつたら顔をあからめるにちがひないと思つた。
しかし考へたのはせいぜいそのへんまで。それ以上は心配しなかつた。これは新聞記者の習性としての楽天癖といふこともあるが、自分が論ずるのにあれほど手を焼いただけあつて攻撃するのはむづかしさうだ、と思つたせいもかなりある。何しろ経済三団体の頭のいい年寄りたちが見のがすことにしたくらゐだもの大丈夫に決つてる、と弓子は安心することにした。
その翌々日は豊崎洋吉のホテルの部屋で夕食を食べた。先週は逢びきをすつぽかされたため不出来な社説を書くことになつたと女が責めると、男はさんざん詫びてから、
「しかし、議論としてはそれは結果論だな。かへつて集中して、いいのが書ける場合だつてあるもの」
と述べた。経済学者の、贈り物についての説を紹介すると、
「安西さんね。話がおもしろい人でせう。一度、京都で御馳走になつたことある。おや、お返ししてないな」
と言つてから、
「そりやあ経済学の先生としては、交換理論、気に入らないさ。立つ瀬がなくなるもの。でもね、贈り物が普通、好意的な相関関係の表現だといふのは事実だぜ。その好意的な相関関係のなかに恋愛が含まれるのは当り前ぢやないか。それに、モースといふフランスの社会学者、彼のせいで贈与論がこんなに盛んになつたんだけど、このモースが、えーと南太平洋だつたかな、アフリカだつたかな、とにかくどこかの原住民の習俗を研究して、わかつたんだが、贈り物には贈り手の魂がくつついてゐて、これが大事なんだつて。たとへば貝殻で作つたブレスレットを贈る。それに魂が付着してゐる。生霊《いきりよう》だね。問題なのはこれなんだが、その魂にうんと重点をかければ、恋と贈り物だつて結びつくぢやないか」
「あ、さうなの。物より魂なのね、大事なのは」
「うん。ぼくはね、贈り物をリボンで飾つたり、紙で包んだりするのは、あれはリボンや紙に魂を付着させるためぢやないかと思つてる」
「え? さうかしら」
「あやしいかもしれない」
夜ふけにまた二人は話をした。仙台みやげの菓子をつまみながらで、今度はわりに静かな、落ちついた話し方である。女が、母子《おやこ》で荻野左近の春の出品作のモデルになることを言ふと、男は、二三年前、銀座で母子とすれ違つて紹介されたとき、それからいつか写真を見たときの印象を思ひ浮べ、女のかつての夫の顔立ちを推定しようとした。しかし女が、娘は父親似ではなくむしろ祖母に似てゐるとしきりに言ひ張るため、北海道の銀行の頭取がどんな顔なのかを思ひ描く試みはうまくゆかない。男はヘーゲルの骨相学の話をした。女は、さういふ話を聞くとその本を読みたくなるけれど、しかし今までの経験では、読まないで話を聞くだけのほうがずつとおもしろいと笑ひながら打明けた。
女は一行だけ消してある手紙のこと、その一行を明りに透かして読んだことを話した。男は哲学者には似合はない高笑ひをし、それからすぐに、その書き方にはいくつもの仕掛けがある、それを君がときどき使ふ番号つきの並べ方をして言へば、
1 下品と上品の混乱。
2 禁止を犯させることによる共犯関係の成立。
3 その結果として生じる親愛感の予想。
の三つがとりわけ大きいと論じた。女は、三つともみな自分だつて思つたことで、それをあなたはむづかしい言葉で言つてゐるだけだと評した。男はその批評には取合はずに、その人は同じ手を何度もやつてるね、と言つた。女はこれには言ひ返さずに大きくうなづき、それから二人でいつしよに笑ふ。
社説が経済三団体で物議をかもしたことは、女は語らなかつた。何だか咎めるやうで可哀さうだつたし、論旨と実生活との関係がわれながら滑稽に感じられたし、それに結局、表沙汰にならなかつたのだから、と思つたのである。
七月の第一週のある日、来客があつて一階のレストラン兼喫茶室で話をしてゐると、副社長が同年輩の男女二人とはいつて来た。弓子が会釈すると何かまぶしさうな目つきで礼を返した。それは今まで見たことのない微妙な表情で、変な気がしたが、用談がすんで弓子が立去るとき、軽く手をあげた副社長の態度は、いつもと同じだつた。そして社長とはずつと顔を合せないし、論説委員長の様子にはをかしな所はちつともない。
七月の半ば、隣りの庭の月見草がとてもいいと母と語りあつた翌日、朝刊の「遊星通信」も夕刊の「方寸帖」も月見草をあつかつてゐる、さらに朝刊の三面の、これは他の新聞の真似であることが歴然たる短い詩の鑑賞のコラムでも月見草の句を引いてゐる、同じ日に三つは珍しい、いや、ほかにもまだある、といふのが論説会議の話題になつた。会議が終りかけるころ、人事担当の役員である長谷川から弓子に電話があつて、今日のうちに話をしたいと言ふ。午後は取材の約束があるので、すぐに役員室へゆくことにした。
長谷川は血色の悪い大男で、眼が細く、いつも眠さうな感じである。秘書が声をかける前に出て来て、上機嫌で、隣りの広い応接間へ案内した。上着を手に持つてゐるところを見ると、長くかかる話なのかと思つたが、応接間は生ぬるい役員室と違つて冷房がよくきいてゐた。
長谷川は見かけによらず話術が上手で、まづ他の新聞社の社主や社長をめぐる噂話でさんざん笑はせてから、某社の事業局を褒め、さらにもう一社の事業局を褒め、一転して自社のその部署の弱体ぶりを嘆いた。たとへばこの数年、主催した展覧会はみな赤字のものばかり、いや、それは時と場合によつては新日報社たるもの多少の損失くらゐ敢へて辞するものではないけれど、赤字でしかも文化的意義が低いのは許せないと言つて悲しんだ。それから長谷川はくしやみをし、上着を着て、弓子に、寒くはないか、もし何なら秘書の女の子からカーディガンを借りようかと訊ね、弓子が、まあ優しいのね、長谷川さん、でも大丈夫です、と言ふと、大きくうなづいてから、新聞社にとつて事業局がどんなに重要かといふことを説いた。それは新聞社の文化的使命を最もわかりやすく表現して、大衆、いや、さう言つてはいけないな、社会に滲透《しんとう》させ、さらにあはよくば莫大な、とはゆかないまでもかなりの、現金による収入を得て、そのことにより新聞の発行といふ至高の、いや、それは言ひすぎだが、しかし偉大な、事業に裨益《ひえき》する部門だ、といふのである。弓子はこのへんまで来ると、内心、小首をかしげて、何となく変な話になつたなあと思つてゐた。
それから人事担当役員は、昔の「男・四十前」からはじまつて、アメリカの自動車工業都市のルポルタージュ、地上げ屋の妻たちのインタビュー、「自衛隊女性幹部の生活と意見」「東京女性新商売」など、弓子の書いた記事を褒めそやす。かういふ記者がゐることは、単に新日報社だけではなく、むしろ日本のジャーナリズム全体の誇りだなどともつともらしい顔で言ふ。弓子が、
「あらあら、そんな」
とか、
「そのくらゐでよして、長谷川さん」
とか、三分の一は嬉しく、三分の一は当惑し、そして残る三分の一は不安になつてさへぎると、相手はさらにつづけて、しかしあれは単なる文章力といふものではなく、現実に対する透徹した認識力と聡明な実務の才に裏づけされたものだと述べ、社としてはこの方面の才能もまた発揮してくれることを希望してゐると言ふ。そして、
「さういふわけでね。実は今度は一つ、あなたに部長待遇で、ね、部長待遇ですよ、事業局に移つてもらつて、あそこを活性化してもらひたい。かう思つてゐるんですが、どうでせう?」
弓子は思ひがけないことを耳にして茫然とした。話が妙な方角へゆくと怪しんではゐたものの、しかし、これはきつと大英博物館とかトプカピ宮殿とかから何かを借りて来る展覧会、それとも女子のテニスとかマラソンとかゴルフとか、あるいは案外ファッション・ショウかもしれない、の提燈《ちようちん》記事を書いてくれといふ頼みだらう、それ以外はあり得ない、スポーツは詳しくないから困つたな、なるべくならファッション・ショウ、などと呑気なことを思つてゐたのである。
それから一時間ばかり、弓子はいろいろな口調で、さまざまの角度から、問ひ返し、反論した。つまりこの配置転換を断つたわけだが、人事担当重役はのらりくらりと答へるだけで事情はちつともはつきりしないし、こちらが興奮して大きな声を出しても、そんな反応には慣れてゐて、とりとめのないことをのんびり言ひ返す。弓子は結局、来週また話をすることにして引下つた。
提案を拒否したのは、第一に、新聞記者本来の仕事をつづけたいからである。弓子は子供のときから、女に生れたせいで家庭に引籠らなければならなくなるといふ不安をいつも感じてゐたし、生き生きした社会に憧れてゐた。大学で社会学科を選んだのも実はこのためで、主任教授の最初の講義を聞いて、これは選択に失敗したと悔んだ。そのくせ、商事会社にはいるとか官庁に勤めるとかいふ気はなくて、社会に対し一つ距離を置いてつきあひたい気持が強く、そのへんのことと文章がわりあひ得意だといふ条件とを考へ合せれば、新聞記者といふ職業は自分に最適のものだと思はれた。その考へ方でゆけば、アメリカ中の美術館の金屏風と銀屏風を借りて来て展覧会を開いたり、『奥の細道』にちなむ、東京から平泉を経て大垣までの大駅伝大会を企画して挫折したりする新聞社の事業局といふのは、当然、商事会社や官庁の同類である。そして新日報社では(他の新聞社も似たやうなものだと思ふけれど)出版局に移つた記者が再び編集局に戻る例は滅多にないし、まして事業局へ行つたのでは記者としての経歴は終つたも同然だつた。
第二に、弓子本人の意向とは別に、全体として異様な印象を与へる。この四月一日に論説委員になつた者が七月の中旬に転出を命じられるのはいくら何でもあわただしすぎる。恣意《しい》的、あるいは常識はづれな人事である。それに論説委員には、存分に筆をふるはせるといふ気持から、一種の身分保障があると聞いてゐた。つまりむやみに異動させないし、なるべくは定年まで論説委員をつづけさせるといふ不文律である。もちろん例外はいろいろあるにしても。その不文律ないし慣例をこんな形で踏みにじるのは、論説委員制度を軽んずるものではないかしら。さらに言へば、女の論説委員の数を制限しようとする態度もちらちら透けて見えるやうな気がする。この理由から言つても承服しかねる内示だと弓子は思つた。
そして第三に、転出の理由が納得できないといふこともある。事業局の弱体を長谷川は強調したけれど、あの部署が駄目だといふことが二ケ月前に見抜けないはずはない。もちろんこれは何か事情があるので、差障りのある記者は調査部、社史編纂室、事業局あたりに飛ばされるに決つてるし、さういふ場合、一階級昇進は常套手段だから、それで破格の部長待遇なのだらう。そしてなぜ飛ばされるかといふことだが、論説委員長とも副委員長とも一ぺんも衝突してないから、彼らの意向ではない。社内では概して円満にやつて来たはずで、ひよつとするとどこかで思ひがけない怨みを買つてるかもしれないけれど、まあ大丈夫のはず。これはおそらく社外からの圧力なので、社の上層部はそれに屈したのだらう。ここで思ひ出すのは経済三団体のことだが、どうしてまた蒸し返すのだらう。財界の意向で新日報社の人事が左右されるとすれば、これは論説委員制度の危機であり、言論の自由の侵害であり、さらにその人事の対象が女性論説委員なのだから女性に対する差別であつて……といふやうなことを弓子は考へつづけた。
そして翌日、論説委員長に訊ねてみると、キヨトンとしてゐるし、どうやらとぼけてゐるのではなく、本当に知らないらしい。論説室には相談なしに決められた人事なのである。委員長はそれほどなめられてゐて、この転出はそれほど急を要したのかと弓子は不審に思つた。当然のことながら委員長は憤慨して、早速、長谷川に抗議すると息まいてゐたが、次の日からは顔を合せるのを避けるやうになつた。何かおどされたのだらう。
論説委員長だけではない。そのあと小中信子をつかまへて、相談といふよりはむしろ愚痴をこぼしたところ、絶対に拒否しなければとか、抗議すべきだとか、励ましてくれたのに、数日たつと態度が変り、沈黙がちになつた。それは「新日報」に限らず一般に新聞が、大物政治家に対して急に辛く当つたり、筆をやはらげたり、金融政策についてとつぜん口をつぐんだりするのによく似てゐる。きつと何かあつたのだ。
この調子では誰ひとり頼りにならないと弓子は思つた。会長に言つても駄目だらうし、一時、社会部にゐたころに部長だつた、今は広告担当の役員に相談しても、それから、スポーツ新聞の社長をしてゐる元の家庭部長に話をしても、向うを困らせるだけだらう。さういふはしたないことは慎まなければならないと自分に言ひ聞かせると、まるで自分が一面の政治関係のニュースのなかに小さくぽつんとある、マヨネーズの記事中《きじなか》広告のキューピーになつたやうに、ひどく孤独な思ひがした。
とは言つても会社の言ひなりになるつもりはないし、抵抗するにはまづ情報が必要である。そこで例の経済部記者に、経済三団体のその後の反応を訊ねると、あのあとはまつたく問題にしてゐないはずだし、第一、あの社説を取上げた経済先憂会の某理事は先週、親知らずの手術で入院したから、それどころではないと思ふ、何かあつたのですかと怪訝《けげん》さうに言ふ。親切な相手に隠して置くのは心苦しかつたが、いや、別に、ちよつと気になつたので電話したまでだと答へた。次に、「男・四十前」の一人である社長に連絡を取ると、一昨日アメリカから帰つたばかりなのにもうゴルフで、早朝の自動車のなかで詳しく事情を聞き取り、一時間後、経済部記者とまつたく同じことを言ふ。どうやらこの線は違ふらしいが、財界からの圧力といふ考へ方は捨てかねた。
そこで、これも「男・四十前」の一人である通産省の通商産業局局長に電話をかけてみると、会議が二つ取りやめになつたさうで、のんびりした感じで話を聞いてくれる。局長は、経済三団体の件は何も知らないとのことだつたが、新日報社の筆頭社主の家の女主人がオペラ好きが昂じてオペラハウスを首都圏かそれとも京阪神に建てたがつてゐるといふ噂を聞いた、事業部に女の部長待遇を置くのはそれと関係がないだらうか、と言ひ出した。しかしこれは初耳だし、新日報社にそんな力があるとは思へないし、それに弓子は、筆頭社主であるその老女には挨拶をしたことがある程度にすぎない。局長の地獄耳には感心したものの、合点のゆかない話だつた。
翌日、文化部へ行つて音楽記者に訊ねてみると、まづ二三度、大きく手を振つて否定の意を表現してから、
「夢物語を口走つたのが、尾ひれがついて伝はつたんでせう。たしかに大変なオペラ狂で、年に何度もゆきますよ。ウィーン、ニュー・ヨーク、ミラノ。でも、オペラハウスとなると、とてもとても、うちの財力では。それよりもまづ」
と天井を指さして、
「社屋を建てるのがさきでせう。何があつたんですか?」
それには適当にはぐらかして、礼を言ひ、立ち去らうとすると、音楽記者は新聞記者特有の不審さうな目つきで、じつとみつめつづける。それは一種の見送りに似てゐた。
もちろん豊崎洋吉には話をした。そしてこれは、言ふまでもなく、情報を得ようといふつもりでも、相談するためでもない。それはむしろ、一昨日の地震のときあたしはちようど高層ビルの何十階かで紅茶を飲んでゐたけれど、あなたはどうしてゐたと訊ねるとか、マンションの中庭の花水木が枯れさうで寂しいとか、そんな話をするやうに、ごく自然に口をついて出たのだつた。
哲学者はそれに対して、会社側が納得づくで事を運ばうとしてゐるのは好都合な話で、たぶん事を荒だててはまづい事情があるのだらうから、できるだけ時間を稼いで延すのがいい、そのうちに何かのはづみで事態が好転するかもしれないと忠告した。これは弓子の考へたとほりである。そこで彼女は、
「哲学者にしては意外に平凡な意見」
とからかつた。
かうしてゐるあひだも、毎週一度、弓子は人事担当の役員の長谷川に呼ばれて、事業局ゆきを了承してくれと言はれ、それに対して、どうも話が腑に落ちないとか、真相を聞かせてくれとか、論説委員として何か失敗があつたのかとか、言ひ返した。向うの返事は、とにかく事業局の部長待遇になつてくれの一点張りである。言葉数は多いが、要約してみれば、それ以外のことは何もない。
八月になると長谷川のほうでも手ごはい相手だと思つたらしく、もう一人、事業局の局長を連れて来て立会はせることにした。その局長は鬚の剃り跡の濃い男で、洒落はよく言ふが、あとは黙つてテーブルの花を見てゐる。花瓶には二週つづけて百合が生けてあつた。
「仕方がないから、あたしも百合の花を見てる。あれは鬱陶しい花ね」
と弓子は豊崎に言つた。毎年さうなのだが、夏休みになると男は東京に来るために、講演や座談会をまめに引受けなければならない。今年はそのほかにもう一つ、女の人事話につきあふ苦労が加はつた。
「ときどきはほかの花にすればいいのに。薔薇《ばら》とか……」
と哲学者は言ひかけたが、季節の花の名前はそれしか思ひ浮ばなかつた。
さすがに八月の後半は呼び出しがかからないが、九月になるとまたはじまつて、今度は事業局長のほかにもう一人、印刷担当の役員待遇が加はる。これはわりにおしやべりな男で、ときどき口をすべらせ、気になることを言ふ。たとへば、ここで弓子が承知しないと会社が「某方面に対して」ひどく困るなどと。
「あの、某方面といふのは皇室でせうか? それとも……」
などと、花瓶のトルコ桔梗《ききよう》の向うにゐる男に厭がらせの質問をしたが、その挑発には誰も乗らなかつた。
弓子は、会社側の意志はいよいよ固いと見て、かうなつたら浦野に打明けるしかないかもしれないと思案した。情報を探るには彼の協力を求めるのが一番いいとまへまへから考へてゐたのである。その才能ではやはり群を抜いてゐた。
かねてから考へ、それなのに実行しなかつたのには理由があつて、浦野はこの一月《ひとつき》ばかり、彼女に対して何かよそよそしい気配だつたからである。もちろん、うはべは屈託なく、親しげにして、ときにはいささか際どい冗談さへ言ふのだが、しかしどうもをかしい、前とは様子が違ふと感じてゐた。たとへば一時は「弓子さん」と呼びかけてゐたのに、また「南さん」に戻したりするなど。
これはきつと何かあると思つたが、よくわからない。会社の上層部、たぶん長谷川あたりから人事異動のことを聞いたせいかとも疑つたが、浦野はそんなことで態度を変へる男ではなささうな気がする。買ひかぶりかしら。それに、もしさうなら、会社側がどう言つてゐるかがわかるかもしれない。弓子は晝食をおごると言つて、新聞社からすこし離れたフランス料理屋に誘つた。
実は浦野は恋をあきらめてゐた。
同期の入社ではじめは社会部にゐたが、やがて出版局に移つた、橋爪といふ男がゐる。週刊誌をやつたり、グラフ雑誌をやつたりして、いまは図書編集室付きの編集委員である。本好きで教養があるくせに商売上手な一面もあつて、ついこのあひだもタレント本のベスト・セラーを出した。特に親しいわけではないとこちらでは思つてゐるが、向うでは浦野のことを妙に気に入つてゐて、友達あつかひしてゐる。ひよつとすると、社内には浦野以上に懇意な者はゐないのかもしれないけれど。橋爪は色白で面長な男で、皮肉屋だつたし、それに某挿絵画家の妻と結婚したといふ前歴があつて、何となく翳《かげ》のある存在だつた。そして、他人のゴシップにかけては異常な嗅覚の持主である。
七月末のある日の午後、この橋爪が閑散な論説委員室にふらりと現れた。浦野が例の会議用の一劃にあるソファに案内して、世間話をはじめようとすると、橋爪は声をひそめて、いきなり本題にはいつた。
「こんなことを言ふ資格はないけど」
とここまでは照れくささうなシニックな表情で、そしてこのさきは律儀な顔になつて、
「でもね、友達として言ふんだが、あれはよせよ」
そして、浦野の机のほう、つまり南弓子の席のほうを見やつた。もちろんそこには彼女はゐない。講演を頼まれたとかで、論説会議が終るとすぐ横浜へ行つた。
「ほう、あれねえ。君ならもう耳にはいつてゐるだらうな」
「お節介な話だが、でも、よしたほうがいい」
「さうかい?」
「まだなんだらう」
「うん」
「それはよかつた」
「何かあるのかい?」
うなづいてから、橋爪は意外なことを答へた。右頬を人さし指ですつと撫でて、
「これがついてる」
驚いて、といふよりもむしろどう反応したらいいものかと思案して黙つてゐると、橋爪は説明した。
この四月下旬、夜おそく、都心のホテルのロビーに隣るラウンジにゐた。経済の入門書を頼んだ二流どころの学者が、プロレスが大好きだがテレビでしか見たことがないと言ふので、案内して、それからおでん屋で飲んだ。そこを出てから、このホテルのバーに寄らうと言ひ張るので二十何階まで昇つたが、満員で、やむを得ずラウンジで飲んでゐたのである。陽気にしやべつてゐた経済学者が静かになり、寝息を立てはじめたので、店内を見まはしてゐると、奥のテーブルにゐるをかしな取合せの女二人と男一人が目に入つた。男を真中にして、一列に、こちら向きで腰かけ、酒を飲んでゐる。男は知らない顔の中年者で、地味ではあるが贅沢な背広を着て、濃い無地のネクタイを結び、会社役員のやうでもあれば、政治家にも見えるが、しかしどちらでもない感じで、どうもよくわからない。女の一人は、以前、プロ野球の名選手と結婚して別れた、一時はかなり人気のあつた映画女優である。そしてもう一人は南弓子。
三人は上機嫌で語り合つてゐる。男をはさんで腰かけてゐるが、女二人は仲がよささうで、むしろ男はあまりしやべらず、うなづいたり、笑つたり、酒を飲んだりしてゐる。映画女優は両手を動かして派手に語り、そして女論説委員も、社内にゐるときとは違ふかなり蓮つぱな感じで冗談を言つてゐるらしい。話の中身は聞えないけれど。かういふ二人を連れてこんな所で酒を飲んでゐる男は、いつたい何者なのか。
そのとき、ふと、彼ら三人の左に視線がゆくと、すこし柱のかげになるやうにして、別のテーブルにごつい体格の男が五人ゐて、みんな前にグラスがあるのに手をつけず、そのうち一人は携帯電話をかけてゐる。明らかにヤクザの子分である。とすれば両手に姥桜《うばざくら》の男はヤクザの親分といふことになるな……と思つたとたん、彼はたしかにさういふ世界の凶悪で不逞《ふてい》な大物に見えた。もう、社長や代議士には決して見えない。
橋爪は、南弓子のやうな、知的な美人といふことになつてゐる女性記者がこんな男と懇意な仲であることに息を呑み、人間と社会について生涯で何度目かに慨嘆した。そして、これはじつくり観察しなければならないと自分に言ひ聞かせ、見てゐたのだが、まづ女優が親分に言つて子分の携帯電話を取上げ、どこかへかけて笑ひながら話をし、次に女性記者に電話を渡すと、これも上機嫌でおしやべりをはじめる。そのとき、残念なことにプロレス好きの学者が目を覚まし、もう帰らうと言つた。
翌日、橋爪は藝能記者のところへ行つて、名選手某の妻だつた女優がいまつきあつてゐるヤクザは誰なのかと訊ねたが、向うはまじめに相手にならうとしない。そこで警視庁詰を長くやつてゐた社会部記者に相談すると、刑事たちに訊いてみようと約束してくれて、十日ほどかけてやうやく、銀座のほぼ三分の一を取りしきつてゐる仁友会の会長、浅岡平五郎とわかつた。それが果してあのホテルのラウンジの男なのかどうか、確かめようとしたが、まさか自分の社の資料部に彼の写真があるとは思へない。前科が一つや二つあつても写真は処分してしまふと考へるのが常識なのである。しかし警視庁に頼むのも、ヤクザの抗争の記事で売る某週刊誌に伝手《つて》を求めるのも億劫《おくくう》なので、念のため、社の資料部へ行つて調べると、事項別の「暴力団幹部の顔」といふ封筒にはなかつた。なかば諦めながら人物別のところに当つてみると、Aの引出しに Asaoka と書いた灰いろの袋があつて、その右に Heigoro とあるので興奮した。そして袋のなかには、一九七三年つまり昭和四十八年に特別待遇でごく念入りに撮影したと覚しき肖像写真が五枚もあつて、先夜の中年者の十数年前の顔(かなりの男前)を見せてくれるが、それ以外にはスナップ写真すら一枚もない。記事の資料を調べても、浅岡平五郎関係のものは一行もない。これは一体どうしたわけかと橋爪は怪しみ、古参のカメラマンに当つてみたけれど、誰も知らなかつた。
しかし謎はあつけなく解ける。古株の記者に会ふごとに、浅岡といふ銀座のヤクザのことは知らないかと訊ねてゐるうちに(南弓子のことはもちろん口にしない)、ある日、社の近くの蕎麦屋《そばや》で同じテーブルについた販売促進部の嘱託が、てんぷら蕎麦に七味唐辛子を景気よく振りかけながら、
「うん、あれは話のわかる奴だつたな、あいつ、上出来だよ」
と言つて、以前、家庭部のデスクだつたときの思ひ出話をはじめたのである。それによると、昭和四十年代の末か五十年代のはじめ、部長の発案で「男・四十前」といふ連載インタビューをやることになり、各方面の有望株と目される三十代の男を取上げた。どんな顔ぶれにするか考へろと命じられてリストを作ると、何しろこのころは全共闘花やかなりし時代だから、もつと反体制を入れなくちやあと言はれた。
そこで頭をしぼつて、反体制的な学生に受けてゐる劇画作家を入れる。次に、男色者が主人公の映画に主演して人気を博し、彼自身ももちろんさうだといふ噂の高い歌舞伎の女形《をやま》を入れる。劇評家たちの一部は、将来きつと名優になると言つてゐたのだ。
しかし部長は、息子がいい大学にはいれなかつたのは劇画のせいと信じてゐるため、劇画作家は落ちるし、女形は、部長は今まで歌舞伎といふと『一本刀土俵入』をテレビで見ただけなので反対したが、この美男俳優の大のひいきである細君に説得された結果、翌日、選にはいつた。もう一人をどうしようかといふことになつたとき、家庭部のデスクは、自分の息子が好きな劇画作家の落選に腹を立て(デスクの息子は高校の成績がよかつた)、
「いつそ、ヤクザなんかどうですか」
とつぶやいて横を向いた。ところが部長はこれにひどく感心して、
「ヤクザ! それだよ。それでゆかう」
と叫んだのである。
これにはいろいろ反論が出た。犯罪者集団の長を持上げるのは反社会的行為ではないか、とか、読者の反応がこはい、とか、それよりも警視庁がどう言ふか、とか、誰か一人を取上げると嫉妬したヤクザが社を襲ひやしないか、とか。しかし部長はこの思ひつきにすつかり惚れこんで、
「責任はおれがかぶる」
と言ひ張るし、何しろ当時はヤクザ映画が学生に大受けで、若い記者が部長の肩を持つ。それで結局、十二人のなかに一人、ヤクザがはいることになり、手をまはして調べた結果、銀座の組の副会長、浅岡平五郎が選ばれて、ただし内々に、その組の会長某の了承を取付けた。
インタビューをしたのは南弓子で、場所は料理屋だが、カメラマンのほか、このときだけはデスクが同行した。ずいぶん率直に質問したが、答へ方も率直だつた。たとへば、現在、妻のほかに何人の女がゐるかといふ問には、五人と答へた。組の最大の収入源は何かといふ問には、これは勘弁して下さい、ただし麻薬と覚醒剤は絶対あつかつてゐませんと言つた。浅岡は弓子が気に入つたらしく、楽しさうにしてゐたし、弓子もこの博徒に好感をいだいたやうで、記事はユーモアたつぷりに、そして差障りのあることは上手にはぶいて書かれてゐた。もちろん各篇ともさういふ筆致なのだが。
連載の第一回は歌舞伎俳優だつたが、掲載の三日後に原因不明の自殺をとげたため、「男・四十前」は大評判になつた。一つにはこの注目度の高さのせいもあらうし、それに浅岡の、「むずかしくいえば犯罪ということになることもかなりやってます。でも、ほかの商売だっておんなしでしょう?」(本来は「ほかの商売」ではなく「政治家」だつた)といふ返事が引用されてゐるせいもあるが、最終回に載るはずの原稿を読んで部長が二の足を踏んだ。そこで部長は仁友会の会長に、弓子はデスクに付添はれて浅岡に、詫びを入れたところ、二人は快く了承してくれた。どちらも、声は立てずににつこりと笑つたさうである。
異様なのは、橋爪がこの話を聞いて、南弓子は浅岡の愛人だといふ自分の直感はこれで裏づけられたと思つたことである。つまりあの夜ふけ、自分は一人の男とその愛人二人が談笑してゐるところを見たのだと彼は信じてゐた。これはずいぶん短絡した論理、といふよりもむしろ飛躍した空想だが、この手の推定はわが国の新聞界においてはしよつちゆうなされてゐて、それだからこそあんなに誤報が多いのである。橋爪にとつて遠くから眺めた深夜の情景の衝撃はそれほど強かつたし、驚きながらの解釈は妄想じみたものになりがちなのだ。何しろ名うてのシニックな男が、さすがに銀座の親分ともなれば二人の愛人を仲よくさせるなどと感心してゐた。
しかしもつと異様なのは、情報の真贋を吟味するのが上手で、しかもこはいもの知らずな浦野がこの話をあつさりと真に受け、怯えたことだ。贈り物、恋文、食事に誘ふなどしてせつせと言ひ寄つたのに、柳に風と受け流され、彼は当然、弓子には男がゐると考へ、それは誰だらうと疑つてゐた。疑はれてゐるなかには「男・四十前」の十一人のうちの何人かもゐる。ところが自分の推定とまるで違ふ男が不意に差出されると、そのグロテスクな図柄に息を呑み、しかもそれは現実は得てしてグロテスクなものだといふ彼の体験と一致した。その途端、彼はこの情報を受入れたのである。
浦野は礼を述べ、
「あぶない所だつたな」
とつぶやき、
「命がけで惚れるのもしやれてるが……」
と笑ひながら言つて橋爪に叱られたが、心のなかではもう、あの女は追ひかけないことにしようと固く決めてゐた。さらに心の半分では、辛い片恋をあきらめるための口実が出来たことを喜んでさへゐた。
それ以来、冗談は言つても口説くことはせず、もちろん食事に誘つたり、恋文を送つたり、贈り物をしたりすることは慎んで来た。原稿を手伝つてもらふのもやめた。といふよりも、あの女に気に入られるには文章が上手でなければと考へて努力してゐるうちに、六月の末ごろ急に一人で書けるやうになつたのである。それはちようど、子供のころ、ある日とつぜん泳げるやうになつたときの感じに似てゐた。出来あがつたとき南弓子が横の席にゐれば、目を通してもらふことはあつたけれど、それもなるべく避けるやうにしてゐる。これでは、弓子が何かあると感じたのは当然だつた。
浦野はフランス料理屋で事情を聞いてゐるうちに、気持が変つてゆくのがわかつた。まづ弓子に信頼され、調査を頼まれたのが嬉しかつたし、次に、この人事騒ぎにはきつと何か背景があるといふ勘が働いて興奮した。しかし一番大きいのは、これだけ頼られてゐる以上、ここで一つ助けてやれば弓子が自分の恋を受入れるはずだといふ見通しである。彼は小瓶の赤葡萄酒をほとんど一人で飲んでから、グラス・ワインを一杯追加してもらひ、
「弓子さん、お役に立ちませう」
と願ひを快諾した。
かうなれば状況がいろいろ違つて見えるのは当り前である。浦野はその夜、眠りにつく直前、橋爪があんなに邪推(?)をするのは彼が弓子に惚れてゐて、自分(浦野)の接近に焼餅をやいてゐるからではないかと疑つたり、情婦が何人もゐる(きつとさうだ)大親分は四十いくつの女を持て余してゐるはずだから、自分のしてゐることは案外、彼に感謝されるかもしれないと楽観視したりした。
早速、まづ委員長に頼んで、社説、「ゼロ発信」、論説会議の三つを免除してもらつた。大スクープになりさうな情報を聞きこんだ、論説委員が首を突つこむのは筋違ひだが、いい所まで行つたら社会部にまはすから、と嘘をついたのである。そして、会議に顔を出したときも何もしやべらず、終るとすぐに出てゆく。弓子は一日中あいてゐる隣りの椅子を見て、浦野でさへこれほどてこずるのではあたしが探り出せるはずはないと考へたり、こんなに飛びまはつて調べるところを見ると、あたしはまだかなりきれいらしいと思つたりした。
そんなふうに何日か経つて、とうとう我慢できなくなり、
「ねえ、中間報告して下さらない?」
と言ふと、浦野は、
「うーん、本当はまとめてしやべりたいんだがな。ぢや、やりますか」
としぶしぶ承知したので、夕方、社の近くの小料理屋で逢ふことにした。実はその午後、弓子はまた人事担当役員の長谷川から呼び出しがかかつてゐたのである。ただし会社側の言ひ分には、この日もまつたく進展がない。長谷川としては、南弓子の態度に新しい展開がないと思つたことだらう。
すこし遅れて現れた浦野は、月に芒《すすき》の安物の軸をかけた床の間を背に坐つて、まづビールを二三杯たてつづけに飲んでから話をはじめた。女中が来るとするりと冗談に話を替へ、ゐなくなると笑顔をたちまち元の表情に改めて本題に戻り、もちろんニュース・ソースは全部はぶいて、要領よく報告してゆく。それはすつきりと頭にはいる話し方で、弓子は、なるほどこんなふうに説明してもらへば、記事にまとめるほうも書きやすいわけだと感心したり、いや、このごろは一人で書けるやうになつたから、それで話も明快なのかと考へたりした。
まづ、当然のことながら、この騒ぎの震源地は社内ではなかつた。社内であの社説が不当ないし危険だと思つた者はゐるかもしれないが、それを公的に口にした者はゐなかつた。論説委員長も副委員長も、一言も叱られてゐない。営業や広告でも騒ぎ立ててゐない。浦野が一番あやしいと思つたのは、今まで扱つてゐない水子地藏およびそれに類するものの広告を、今後、手がけようとしてゐるのではないかといふことだつたが、しかしこの手の広告は、何のかのと理由をつけて断つてゐる。差当り、そこまで手をひろげる気はないらしい。問題は社内ではない。つまり、外部からの申入れのせいで事は起つた。
そこまではほぼ確実だが、このさきはどうもはつきりしない。新日報社に働きかけたのはどの筋だつたか、結局のところよくわからない。
経済団体の線ではなかつたやうである。経済先憂会でちよつと問題になつたことは明らかだが、知つての通りその理事は親しらずで入院し、退院するとすぐ末の息子が麻薬でつかまりさうになつて、社説どころではなくなつた。そして三団体のほかの理事のなかには、彼の憤激ぶりを一笑に付す者(複数)がゐた。
宗教団体のほうもだいぶ当つて見たが、黒ではないらしい。実はこれが、数は多いし、統一はとれてゐないし、非常に難物だつたが、これまでのところでは何か働きかけたらしい様子がない。この線ははづしていいのぢやないか。
どうやら圧力をかけて来たのは政府与党の筋らしい。窓口になつたのはテレビ会社の社長(新日報社の元専務)か、それともスポーツ新聞の社長(新日報社の編集局長だった男でその前は家庭部長)だらう。その件でかどうかは不明だが、当時、テレビ会社の社長は与党の幹事長と赤坂の料理屋で、スポーツ新聞の社長は幹事長の一の子分と築地の料理屋で、話をしてゐる。この組合せは最近も会つてゐる。彼らのやうな政治部出身者が政治家とつきあふのはごくありふれたことだが、しかしいちおう記憶にとどめて置く価値はある。といふのは、先代社長の腹上死をもみ消したのはあの二人のうちのどちらか、あるいは二人合作だつたからだ。
「まあ、さうだつたの」
とここで弓子は頓狂な声を出した。
「知らなかつたわ」
「全然?」
「いいえ、もみ消したことは聞いてましたけど、でも、誰がしたとか、詳しいこと、噂がはいらなかつた。トップ・シークレットだつたのね」
「聞いたのはいつ?」
「お葬式の夜。あ、それでこんなに急いだのかと思つた。普通、うちくらゐの新聞社の社長となると、もつとあとでするでせう、もつと大きな会場で」
「うん、ぼくも葬式の日。式の直前でしたね。おや、社長もなかなかやるぢやないか、と思つた。尊敬したなあ」
「でも、あのもみ消し、奥様のためにはよかつたわね」
「うん、本当によかつた。とすればやはり、専務のしたことかな? あの細君のおかげで出世できたんだから」
「相手は? ホステス?」
「いや、素人。仏文を出た若い女で、口止め料がはりに一年、パリへゆかせた。さうしたらこれが、何とかといふフランスの演出家の愛人になつて帰つて来ない。社としては助かつた」
「さうなの」
と弓子がつぶやいたのは、自分が今まで知らなかつたのは、やはり女だから話してもらへなかつたのか、といふくらゐの気持である。本当はその演出家の名前を知りたかつたが、浦野が思ひ出すはずはないので、それはあきらめて、
「どういふふうにしたの? ホテルの十八階にあるレストランの個室で友人と食事中といふ発表でしたけど、つまり、ホテルの部屋から服を着せて、レストランまで運んで行つて……」
「そんなこと、しない、しない」
と浦野は笑ひながら手を振つて、
「警察を押へた」
「押へるつて?」
「国家公安委員長の原善六、えーと自治大臣の兼任、あれに頼んで承知させた。あとはもうイチコロでね、公安委員長、偉いもの。警察は言ひなりになるしかないし、警察発表でこれこれしかじかとあつたら、みんなそれを書くしかない」
「まあ」
と弓子は呆れて、
「原善六、今の幹事長でせう」
「さう、党幹事長」
「でも、よくウンと言ひましたね」
「それは事情があつて」
と、ここで浦野は焼酎《しようちゆう》に切替へ、弓子にもすすめるがこれは断られて、しかし無理じひはせずに話をつづける。実は新日報社社長の死の二月《ふたつき》ほど前、現職の文部大臣がゴルフ場で雷に打たれて死んだ。そんな危険を冒して遊ぶなんて馬鹿げた話だが、まづいのはその日が平日で、しかも一週間前、国家公務員の平日ゴルフを禁ずる通達が、官房長官名で改めて出てゐたことである。そこで、これは明らかにしては大臣の名誉に傷がつくし、内閣としても痛手を蒙るし、学生生徒に与へる影響もよろしくないと判断して、国家公安委員長が派閥は違ふけれど飲み仲間でかつ麻雀仲間なのをよいことに、心筋梗塞のため自室で頓死と発表された。数日後、どうやらゴルフ場の従業員らしい人物から密告の電話があつたが、裏がとれないのではふつて置いた。そこで専務か編集局長(あるいはその両方)は、この情報をうまく使つて国家公安委員長におどしをかけ、ベッドの上の死を食事中の死にすりかへたのだ。
「ニュース、すぐに広まりましたね。あつといふ間に。社内ではみんな知つてた。でも、どういふ具合にもみ消すのか、不思議だなあと思つてました。国家公安委員長なんて、気がつかないもの」
「水道管の大本《おほもと》でネヂをしめる。簡単簡単」
「すると、その貸しがあるから、今度、原善六が言つて来た……」
「證拠はないが」
「いちおうさう考へるとすると、でも、政府与党の悪口を書いたわけぢやないのに、どうしてでせう?」
「どこかが怒つた」
「どこ?」
「それがわからない。でも、どこかの筋が言つて来て、政府与党としてはそれに従ふしかなかつた……」
「経済団体?」
「だから、違ふらしい」
「宗教?」
「ぢやないらしい」
「どこなの?」
と弓子が言ふと、浦野が自信のない声で、
「ひよつとすると、アメリカかもしれない」
弓子は、ちようど地球儀をくるりとまはしてその国を探しあてるくらゐの時間を置いて、
「アメリカ? あ、ホワイト・ハウス?」
「うん、まあそのへん。あの国、中絶問題はいろいろうるさいから。それで大使館とか何か当つて見たが、わかりませんな、どうも。何しろ一人で調べるのでは、得意の手を封じられてるので」
と浦野は言つて、例の、刑事の取調べに示唆を得た取材法を披露した。弓子はこの話は二度目だけれど、義理に微笑を浮べ、やがて以前の顔に戻つて、
「でも、幹事長が圧力をかけることができるのは社に弱みがあるからですね……」
と半ば自問するやうにつぶやいた。
「さう。幹事長かどうか、はつきりしないんだが。厳密に言へば、政府与党かどうかもまだちよつと……」
しかし弓子はそれは問題にしないで、
「どういふ弱み?」
「それがわからないんです。たとへばうちの社が、水子供養を大事にしてる宗教団体の新聞を印刷して、それで息をついてるなんてこと、ないから」
「借金はどうですの?」
「それはまあ、いつもやつてる。やつてるが、最近、大口の話でもあるのかな? それで政治家が仲介なんてこと、あるのだらうか?」
「そのほかには何か?」
「新社屋を建てるので、国から土地をもらふ件がありますね。これはもうきれいに話がついた。政治部長が瀬踏みして、上で決つて、理財局に降りて来てゐる。もうすぐ国有財産審議会にかかつて、全会一致で通ることになつてます。ここまで来れば、もう引つくり返らない」
「大丈夫?」
「大丈夫」
ここで浦野は国有地払ひ下げについて説明した。払ひ下げてもらふのは南品川にある跡地だが、かういふ場合、等価交換が原則だから、それに見合ふだけの土地を用意しなければならない。現在の新日報社の敷地を差出してしまつては損なので、これは取つて置くことにし、まづ世田谷のボウリング場跡を買ひ取つた。そしてこれだけでは足りないので、千葉県にある社のグラウンド(戦争中は農場だつた)、埼玉県にある倉庫、大阪府に買つて置いた駅の裏の土地(まだまだ値上りしさうなので手ばなしたくないけれど)、群馬県のはづれの雑木林などを添へる。本当のことを言ふと、これではまだ足りないのだが、三人の鑑定者の構成は、一人が国側の推薦、一人は中立、もう一人は新聞社の推薦といふことになつてゐる。そして前の二人はごく穏当な値をつけるのに、新日報推薦の者は、国有地をうんと安く、差出す土地はうんと高く評価する。三者の数字の平均が価格といふことになるから、これでうまくゆくのである。
といふ話を聞いて弓子は、
「まあ、ひどいぢやない」
と思はず批評したが、浦野は、
「ほかの新聞社がみんなやつて来たことだから」
「それもさうね」
「うちは人がよすぎた」
「さうね」
ここで警視庁キャップ上りの論説委員は、ある社はどうした、別の会社はかうしたと地獄耳の成果を示した。しかし、なかでもすごいのは、某社の社長の伝記に、スキャンダルを書くぞ書くぞと記事のなかでちらつかせながら時の首相をおどし、新社屋のための一等地をせしめた顛末《てんまつ》が堂々と書いてある、といふ話である。
「あの社は図太いよ。うちの社なんか、とてもああいふ本は出せない。上品だなあ」
とのことだつた。
「さうかしら?」
と弓子が言ふと、
「ちよつと怪しい」
と笑つて、
「ね、どうです。このあとバーへゆきませんか? ホステスのゐない、いいバー、見つけたから」
と誘ふ。しかし弓子は、今夜は豊崎洋吉と逢ふ夜なので断つた。浦野はあつさりと引下つて、
「やはり調べがこの程度では、つきあつてもらへない」
と言つた。これは含みのある台詞《せりふ》で、今度はよく調べて置くから誘ひを断りにくいはず、と自分にも相手にも念を押すやうな気持であつた。例のヤクザの情婦云々の件は、相変らず疑ひの雲が晴れないものの、もし本当だとしてもかういふ知的な女に惚れるくらゐの渡世人なら分別があつて、まさか恋仇《こひがたき》(つまり自分のこと)をあやめたりはしまいなどと、虫のいいことを考へた。
しかし弓子の求めてゐた答は思ひがけない方角から訪れる。といふのは、荻野左近の春の出品作のため、週末の午後、娘と二人で成城にゆき、絵具皿がぎつしりと並ぶ画室の隅に坐つたのだ。娘は薄い緑の地にピンクの花を散らしたワンピース。そして母親は山鳩いろの紬《つむぎ》の一つ紋にぼうつと白く霞む綴《つづれ》の帯、鶸《ひは》茶の帯締め。母子《おやこ》で茶会に招かれたといふこころ。
その二日目のこと、二十分スケッチされて三十分休みのときの雑談で、荻野が展覧会の審査にまつはる滑稽な話で笑はせてから、近頃は何やかや雑務が多くて困ると愚痴をこぼし、こんなことを言つた。
「どの稼業でも似たやうなものでせう。このあひだ田丸さんと話をしてゐましたら、会社の社長の人事とか、土地を払ひ下げるのをどうとかなどと、そんなゴタゴタが多くて、政策を考へる時間を取られるとぼやいてゐた」
「田丸さんて、総理大臣の田丸さんですか?」
「ええ、同郷なので、たまに御一緒するんですよ。絵がお好きでね、あの方」
「ぢやあ、文化勲章の受章を早めていただいたらいいのに」
と言ふと、画家は大笑ひする。その様子を見ながら、弓子は冷えた心で、やはりこれだつた、新日報社への国有地払ひ下げがあの論説のせいでこじれたのだと直感した。そしてつづく二十分、およびその次の二十分のあひだ、画家の前で坐りながら、その推定を崩さうとするものの、どうしてもむづかしかつた。
夕方、帰るとすぐ、炊事は娘に任せて、政治部出身の論説委員に電話をかけると、すこし問ひ合せてみると言ふ。それで、母親の悦子といつしよに、茶碗蒸しに入れる銀杏《ぎんなん》をむいてゐると電話がかかつて来て、もうわかつたのか、ずいぶん早いと思つたら、銀座の親分、浅岡平五郎だつた。
「あら、会長さん、いつぞやは」
と挨拶したが、何となく普段の感じと違ふので、自分の部屋の電話で話すことにした。
浅岡はいきなり訊ねた。
「ねえ、弓子さん、君は御存じですか?」
仁友会の会長は、そのときそのときの気分次第で、南さんと呼んだり、弓子さんと呼んだりする。そして、良家の出だと思はせたいのか、言葉づかひがじつに丁寧である。弓子は問ひ返した。
「御存じですかつて、何のことを?」
「自分の首を差出されること」
「事業局に移るやうにと言はれて、夏からずつともめてますけど、そのこと?」
「ええ、それですよ。事情、わかつておいでですか?」
浅岡の説明によると、与党はこの前の選挙のとき、水子供養で儲けてゐる某宗教団体から秘密裡に巨額の援助を受け、やうやく勝つことができた。その負債はまだ返してゐないし、といふよりもむしろ、もともと返す気がなからう。そのパイプ役になつたのは幹事長で、今年の初夏、水子供養塔建立の際に元首相が行つたのも、幹事長が義理を果したのだ。ところが「新日報」に水子供養批判の社説が出たため、教祖が腹を立てて、幹事長に言つて来た。彼は借金(?)の手前、当惑したが、問題の社説を書いた論説委員の配置転換で穏便にすませようとした。それなのに当人が拒否してゐるため、すでに決つたはずの国有地払ひ下げを取消すと言つて新聞社をおどしてゐる、といふのだ。
「さうでしたか」
と、弓子が胸をつかれる思ひでつぶやくと、浅岡は、
「ええ、大体のところね。何か思ひ当ることおありですか?」
そこで事情を打明けると、黙つて聞いてゐて、
「その線でせうな」
と同意したあげく、大変なことを言ひ出した。
「それで、もしよろしかつたら、お役に立ちたいと思ひましてね」
「え?」
「もちろんお礼の御心配なんか要らないんですよ。昔からの親しいお友達だもの」
「まあ」
「只ほど高いものはない、なんてこともありません」
「まあ、会長さん」
浅岡が、たぶん万一の場合の盗聴を警戒してであらう、まはりくどい言ひ方で説明したことを要約すれば、幹事長の輩下の某代議士が関西の企業からある件を頼まれてかなりの金をもらつたのに何もしないため、返済を求められてゐる。このことを使つて、一つ幹事長と話をしてみようかといふのである。弓子が言下にではなく礼儀正しく間を取つてから断ることができたのは、この提案に字義通り息を呑んだためであつた。
「会長さん、ありがたうございます。そんなに御心配下さるなんて。あたしのやうな者にそこまでおつしやつて下さるなんて、本当に光栄なことです。でも、これは社にかかはる話で、あたし一人のことではありませんもの。ちよつと何ですよ、会長。やはりこれは御遠慮させていただきます」
「でもね、ここで見す見す何もしないで、向うの言ひなりになるのは癪ぢやないですか?」
このとき別の電話がかかつて来たので、
「あ、会長さん、電話がはいつたやうです。そのままちよつとお待ちになつてね」
と言ふと、浅岡は恐縮して、といふよりもむしろ狼狽して、
「いいえ、こちらはこれで終ります。お気持が改まつたら連絡なすつて下さい。いつでもようございますから」
と、そそくさと切つてしまつた。そして政治部出身の論説委員によれば、この十日ばかり、政府が大株主である航空会社の社長を誰にするかで大もめにもめてゐて、短い記事が明日の朝刊に出るといふ。やはり、首相は口をすべらせて、当面の悩みの種二つを例に引いたのだ。航空会社の社長人事と新日報社への土地払ひ下げと。
夕食のあひだも、そのあとも、このまま向うの言ひなりになるのは癪といふ銀座の親分の台詞について、くり返し思つた。それは、
1 しよせん負けるに決つてるが闘ふ。
2 その意味でこれは儀式にすぎない。
3 しかし、ひよつとすると、何かのはづみで勝ちが拾へるかもしれない。
といふ認識を語つてゐるが、彼のこのとらへ方はどう考へても正しいやうである。弓子は一人で部屋にこもつて、さすがに喧嘩が本職だけあると感心し、何度も溜息をついた。
その夜は自分の部屋でほうぼうに電話をかけたが、与党の代議士はどこにゐるのかわからないし、野党の代議士はアフリカへ行つてゐる。次の次官になるはずの通産官僚は丁寧に相手をしてくれたが、電話を切つてから気がついてみると、実《み》のあることは何一つ語らなかつた。そして、娘の千枝の男友達が大藏省理財局の課長補佐であることを思ひ出し、事情を探らうとしたが、十二時近くに帰つた若いキャリアの役人は、担当が違ふからわからないと千枝に答へてから、長電話のおしやべりをした。
翌日の月曜、浦野は風邪をひいたとかで休みだつた。弓子は、あの男がゐないせいでこんなに心細い思ひをするのかと驚き、論説会議のあひだもそのあとも一人で考へこんでゐたが、妙案は浮ばない。晝食のあと社の近くを散歩し、戻つて来て、新日報社の会長に頼むしかないと決心した。しかしこの七十五歳の老記者はこのところ引籠つてゐるといふのが秘書の返事である。その答へ方がそつけないせいもあつて、弓子は興奮し、ほとんど反射的に、今度は社長秘書に電話をかけて社長の都合を聞いたが、海外旅行中だと言はれてやうやく我に返つた。会長や社長が何もしてくれるはずがないことは、いままでさんざん自分に言ひ聞かせたことだし、いまとなつてはまつたく自明なことなのに、どうしてこんな真似をしたのかしら。弓子は自分を叱つた。
その夜、もう一度、与党の代議士に電話を、ただし今度は住ひのほうにかけてみると、若い男が、
「父は留守です。連絡さきはわかりません」
と言ふなり電話を切つた。受験勉強が辛くて不機嫌なのか、それとも失恋かと、見たこともないし名前も知らない若者についてあれこれ想像してゐると、パリにゐる指揮者から電話がかかつて来た。
「ユミー、元気かい?」
彼だけがユミーといふ愛称で呼びかけるのである。
「それがマエストロ、落ちこんでるの」
と弓子が答へ、一わたり事情を説明すると、指揮者は、
「日本にゐなければもちろんだけど、日本にゐたつて、ぼくは役に立てない話だなあ」
と正直なことを言つてから、
「ユミー、いつそそんな新聞社、やめてしまつたらどう?」
と思ひがけないことを口走る。
「え? やめる? やめてどうするの?」
「だつて、ユミーなら何とかなるさ」
「そんなこと言つたつて」
「大丈夫、大丈夫」
「さうかしら?」
「うん、君がどこに移らうが、何をはじめようが、ぼくの友情に変りはないよ、永遠に」
と指揮者はいつものやうに直訳的な挨拶を並べた。それは彼が、殊に外国からの電話で言ふと、ちつとも照れずに受取ることのできる言葉の贈り物である。このときも、電話が終つてしばらく経つまではかなり慰められた。
翌朝、弓子の机のそばに立つた浦野が、縫ひぐるみのシロベエの鼻をひよいとつついて、犬に向つてか、それとも飼主にか、
「お早うございます」
と声をかけたとき、弓子は、
「ねえ、事情がわかつたみたい」
と言つた。
「わかつた……?」
と鸚鵡《おうむ》がへしに言つて椅子に腰かけた浦野に、彼女は早口に、小声で、詳しく、画家の名もヤクザの名も隠さずに説明した。浦野はくやしくてたまらないといふ表情で聞いてゐる。弓子の説明が終り、浦野が、
「払ひ下げが取消し? もう不可能と思ひますがねえ。とうに決つてるもの。もうすぐ社長が挨拶にゆくはずですよ、大藏大臣のところへ」
と言つたとき、論説会議の席へみんながぞろぞろ歩き出した。
会議のあひだ、彼はうなだれて考へ込んでゐる。一つには調べが足りなかつたことを恥ぢ、さらには浅岡平五郎が登場したことを不快に思つてゐるのである。今日の社説は誰にするかといふ相談のとき、論説委員長が、前に頼まれてゐたことを忘れて、
「どうです? 浦野さん」
と声をかけると、彼はすばやく顔をあげ、無言のまま激しく手を振つた。それはあまりにも愛想のない態度だつたので、一座はしらけ、映画記者あがりの論説委員が、
「なるほど、かういふ断り方もある。覚えて置かなくちや」
とおどけて取り成したほどである。みんな笑ひ声をあげ、論説委員長もしぶしぶ笑つた。
会議が終つてしばらくすると、浦野が隣りの席から小声で話しかけた。
「すごいのと知りあひですね、仁友会の浅岡なんて」
「あ、それはね」
と弓子は普段と同じ声で「男・四十前」のことを説明し、
「そんなわけで十一人になつたの」
「それでずつとつきあひがあるわけだ」
「ええ、忘れたころに何かあるの。このあひだも……」
とホテルのラウンジでいつしよに酒を飲んだことを話した。その夜、弓子は、高校以来の友達でいまは名古屋で病院を経営してゐる女医が上京したのでフランス料理を御馳走になり、ホテルへ行つて遅くまでおしやべりした。(といふのは嘘で実は豊崎洋吉と逢つてゐた。いつものもつと安いホテルは満室なので、大学がこのホテルを手配したのである。)弓子が上の階から降りて来て、ホテルの外へ出ようとすると、入口のところで派手な感じの中年女が声をかけた。野球の名選手と別れた映画女優である。離婚したばかりのころ、弓子が同じ社から出てゐる週刊誌に頼まれてインタビューして、これが双方をきれいに品よく書いてゐて好評だつたため、うまく再出発できた恩人のやうに思はれてゐるのだ。ところが、彼女のうしろには地味な背広の浅岡平五郎がゐて、それで三人で飲まうといふことになつたが、気がついてみると、まはりには肩幅の広い大男が数人ゐる。ただし、この奇妙な一団は最上階のバーでは満員のため(たぶん本当だと思ふ)断られ、それでラウンジに屯《たむろ》することになつたが、子分を引き連れた親分といつしよにゐるのは歌舞伎の舞台面のやうでひどく照れくさかつた。
といふ一部始終を聞いた浦野が、
「え、さうだつたのか、弓子さん」
と言つたとき、その「弓子さん」といふ言葉が女論説委員の頭を強く刺激し、霊感がひらめいた。彼女は眼を光らせて、
「あ、浦野さん、あたしとあの会長のこと疑つてたの? さうでせう? 誰かゐたのね? あのホテルのラウンジ見てた人」
そしてじつとみつめられた浦野は、軽く右手をあげて、
「当り〜」
とおどけ、
「その通りでした〜」
「まあ、呆れた。誰? 誰なの? わかつた、それで急によそよそしくなつたのね」
「当り〜」
「見かけによらず臆病ねえ」
「うーん」
と浦野は絶句して、
「仁友会の会長が恐しいんぢやなくて……あんなのはこはくない、こともないが、えーと、そんな男とつきあふ人がこはくなつた」
「つきあふだなんて。あの会長と親しくするはず、ないぢやないの。あたしはインテリでなくちや駄目なの」
と弓子が思はず言ふと、浦野は、
「あ、インテリね。ぼくはどうだらうな。インテリかインテリでないか、それが問題だ」
とつぶやいて、しかし弓子が何も言はずにほほゑんでゐるため、誰か答へてくれる人を探したが、近くの席には誰もゐない。ちようどそこへ、喫茶店から戻つてきた「遊星通信」の筆者が通りかかつたので、立ちあがつて大声で呼びとめ、訊ねた。
「ね、どうでせう? ぼくはインテリ? それとも、ぢやない?」
禿頭の男は、にこりともせず、
「そんなこと、決つてるぢやないの」
と答へて、奥のほうの自分の席へ去つてゆく。浦野はおどけて、
「決つてる? 決つてる? どうもこれは解釈がむづかしい返事だなあ」
と首を振つてから、小声でつぶやいた。
「機嫌わるいなあ。きつと書けなくて困つてるんだ、明日のコラム」
その横で弓子はくすくす笑ひつづけてゐたが、しかしこの男が嘘の情報に踊らされてとんでもない空想をしたにせよ(いつたい誰が見てたのかしら)、会社側におどされて恋をあきらめたのでなかつた所だけはさすがだ、といふ感想が心をよぎつた。すると、まるでそのついでのやうに憂愁がしみじみと訪れて来て、
「どうしようかしら。筋を通すとすれば、社をやめるのが一番いいのかも……」
ととつぜん言ひ出す。浦野はびつくりして、
「それは気が早すぎます。えーと、とにかく明日までに裏を取りませう。そして具体策も考へて来るから、せつかちにならないで」
「さうね」
「長谷川に、やめると言はないこと、絶対に」
と浦野は励ました。
この日、弓子は歌舞伎座の夜の部を母といつしよに見て、帰つてからはまた部屋に引籠り、あれこれと思案したり、ほうぼうに電話をかけたりした。たとへば他の新聞社の女の論説委員とか、労働省のこれも女の局長とか。しかし事態が一向に展開しないことは前と同じ。朗報もはいつて来なければ、名案も浮ばない。とりわけ新日報社の政治部長は(この男に訊けば国有地払ひ下げの件がよくわかると思つたのだが)、銀座のバーにゐるのをやうやく探し当てると、ここで話をするわけにはゆかないから(当り前である)家に帰つて電話すると言つて、しかし二時になつても三時になつてもかけて来ない。明け方近く、こんなに眠れなくては明日に差支へると思つて、彼女はシェリーを飲むことにした。
そして翌日、浦野は論説会議の途中にはいつて来て、端の席にひつそりと腰かけてゐたが、会議が終るとすぐ、黒板の近くにゐる弓子のところに来て、時間がないからここで話をしようと言ふ。委員たちが引上げるのを待つて、彼は早口に語り出した。
それによると浅岡平五郎の情報はほぼ正しい。ただし教祖はまつたくの傀儡《かいらい》で、教団の実権は叔父が握つてゐる。もともと水子供養による教団といふのは彼の着想で、自分で教祖になるつもりだつたが、愛嬌のある顔だから不向きだと妻にいさめられ、甥を使つたのだ。そしてこの、顔立ちが宗教的でない男は、若いころから政治に目がないたちで、与党の大派閥に接近して喜んでゐる。一方、教祖と血のつながりのない有力な幹部がゐて、これが「新日報」の記事を楯に取り、表面は元首相を招いたことを非難する形で、暗に教祖の叔父の貸付け(実は献金)を攻撃したらしい。そこで教祖の叔父は与党幹事長に愚痴をこぼしたり金の催促をしたりしたため、幹事長はとりあへず論説の執筆者を配置転換させることでお茶を濁さうとした、と推定される。
「まあひどい。あたしこそいい迷惑」
「さうです」
「向うにとつてはちよつとした細工だけど、あたしにとつては人生の一大事だもの」
「さうですよ。幹事長の原善六は高《たか》をくくつてました。いつかの腹上死のもみ消しもあるし、今度の国有地払ひ下げもあるし。ところが弓子さんがウンと言はないので筋書きが狂つた」
「当り前でしよ」
「いくらせつついても駄目なので、払ひ下げはよすぞと言ひ出した」
「卑劣ね」
「うん。その意見、別に反対はしないけれど、でも、向うとしては、おれはそれほど人がいいわけぢやないと言ふでせうね」
そこからさきは余計な口はきかせない感じで、浦野は早口に、国有財産審議会の開催が急に延期されたいきさつを語つた。前例のないことなので理財局の国有財産総括課ではとまどひ気味ださうである。
「厭がらせね」
「ええ。でも本気でせう」
「このまま断りつづけたらどうなるのかしら?」
「もつともつと締めつけるでせう、うちの社を。顔が立たないもの」
「水子産業に対して?」
「ええ。あの社説の筆者をどこへ移す、と約束してあるんぢやないか」
長いこと黙つたあげく、弓子は自分に訊ねるやうに言つた。
「どうすればいいかしら」
「何かするしかないでせう」
「何か?」
「ぼくの案はね、総理です。幹事長ぢやない。幹事長はこの計画を進めて来たんだから、頭の切替へがむづかしい。今までの路線にこだはる。どうしても。別のところから言はれて改めるほうがやりやすい」
「でも、総理に何を言ふの?」
「女性の人気を落していいのか、自分がもし新聞社をやめて騒ぎ立てたら日本中の女はどう思ふか、なんて言つたらどうだらう?」
「さう?」
「妊娠中絶といふ、みんなが黙つてそうつとしてゐることを、日本中が大つぴらに論議することになりますよ、とか、女性票はどうなります、とか、これで日米関係がいよいよもめて……」
「まさか」
「でも案外……」
「さうかもしれない」
「日本の政治は要するに事なかれ主義だから」
「さうですね」
「これしかないと思ふ」
「しかし……」
「ほかに手がないなあ」
「さうねえ」
「総理のこと、調べてみたんですが、交渉の材料はそれしかないみたいだ。正攻法でゆくしかない」
と言つて浦野は大学ノートを開き、
「えーと、ざつと説明しますよ。年齢は六十九歳。酒屋の長男でした。家業は次男がついでゐる。三男は京都で弁護士。この兄弟関係はまあ良好。選挙区は富山二区。最近二回はトップ当選。選挙は強いほう。ここを攻めても駄目です。三十年くらゐ前、アメリカのノンフィクション・ライターが田丸代議士にべつたり取材して『日本の代議士』つて本を書いた」
「読みました。おもしろいけど甘口ね」
「一年近く居候してたんだから。妻は六十三歳。民政党系の代議士の娘で、この地盤をもらつた。一男一女あり。息子は化学者でアメリカの大学の教授。娘の亭主は、以前は商社勤めでいまは首相秘書。将来、代議士になるでせう。外国へゆくときは娘といつしよ。奥さんは十年前、ヘルペスが脊髄にはいつて、子供みたいになつてしまつたから」
「それ聞いたことあります」
「欲望が食ひ気だけになつた。総理の出戻りの姉といつしよに成城の家にゐるんですが、首相公邸にはいる前はいつしよに暮してゐた。これが問題でね。亭主が面談中ちよつと席をはづしたとき、はいつて来て、もちろんお辞儀なんかしないで、お客のお菓子をつまむ」
「まあ」
「パツと食べてしまつたところへ、書類を持つた御亭主が戻つて来て、『ママ、あつちへ行つてね』なんて追ひ出すんだが、お菓子はお客が食べたと思つてるでせう」
弓子は深い吐息をつき、痛々しくてたまらないといふ表情で首を横に振つた。浦野が言ふ。
「これは使へない」
「もちろんよ」
「まあ美人のほうでしてね。踊りの名取り。頭もいい……よかつたさうです。いつも祝儀袋を持つてて、誰かれに御祝儀を渡すので有名な人だつたといふ」
「政治家の奥さんには多いでしよ」
「いや、普通はあまり気前がよくない」
そのとき女秘書の一人が弓子を呼びに来た。人事担当役員の長谷川からの電話で、今夜、相談したいからいつしよに食事をしようと言ふ。豊崎と逢ふ日なので、日中に話をしたいと頼んだが向うも都合が悪く、結局、八時半には終るといふことで押し切られた。もつとも、逢びきのせいで、グレイと黒の杉綾の絹ふうのプリーツ・スカート、水いろのニットのTシャツ、ワインいろのジャケット、それに百合の花をかたどつた細長い銀のイアリングと、料理屋に行つても恥しくないなりをしてゐたから、それで承知したといふこともある。電話から帰つて来ると、大学ノートに何か書きこんでゐた浦野が、顔をあげて話をつづけた。
「女はゐますよ。宝塚出身の舞踊家で、三十八かな? 九かな? 四十かな? 以前は関西の実業家の妾だつた。総理が週末に箱根のホテルにゆくと、これもそのホテルに来てる。政治部記者はみな知つてるが書かない。これも使へない」
「ええ」
「下の弟の末娘、つまり姪がぐれてゐる。女子大にゐるんですが、相撲の追つかけをやつてる」
「相撲の追つかけつて何? 百字以内で説明して。入試問題みたいね」
「要するに若い娘の相撲ファンですね。相撲に夢中になつて、本場所、巡業、部屋、どこへでも、しよつちゆう押しかけて、親しくならうとする」
「親しくつて?」
「寝るんですね」
「結婚して、ゆくゆくは相撲部屋のおかみさんになるつもり?」
「いや、さういふのぢやなくつて。いま眼の前にゐる体格のいい、エネルギーがいつぱいの若い男と接触したいだけ。だから、別にスターでなくてもいいんです。誰でもいいんぢやないかな」
「まあ」
「本場所中は新聞記者の眼がうるさいから無理だけど、納会の夜以後はすごいですよ。両国のホテルは満員。ある小説家がついうつかり、その種のホテルの隣りの建物に仕事部屋を借りて、閉口したといふ話があります。建物がガタガタ震へるので字が書けない」
弓子が笑ふと、浦野も短く笑ひ声をあげてから、
「それで『ごつつあんです』で帰る。おかみさんにするなんて、全然。ロックの歌手のファンと同じです。あの一族で困り者は彼女ひとりぢやないかな。しかしこれも……」
「使へませんよ、そんなの。脅迫になるぢやない」
「いや、脅迫だつてね、多少はかまはないんだが。でも、これはやはりいけない。仁友会の親分の言つたスキャンダルは本当みたいです。神戸のヤクザも動いてるらしい。しかしあれの裏を取るのは急には間に合ひさうもない……」
そこで弓子は、
「ちよつと変な筋ですけど、大沼晩山といふ書家が田丸首相に影響力あるつて話、本当かしら?」
と訊ねた。浦野の返事はにべもなくて、
「影響力? そんなもの、ない。前の総理の中学時代の先生でしよ。以前は田丸も習つてたけど、いまは何しろ忙しくて仕方がないし……。どうかしたんですか?」
大沼晩山の孫娘が娘の同級生であるため、写真を見て気に入り、遊びに来たら揮毫してあげると言つたといふ話をすると、浦野はまづ微笑し、次いで小首をかしげて、
「ぼくはやはり、弓子さんが首相に話をするほうがいいと思ふな。でも、併用するか。ま、念のためね」
と言つてから、
「あのくらゐ年寄りになれば、遊びに行つても変なことしないでせう。体力もないし」
と笑つた。弓子は、
「すぐそんなこと考へる」
とたしなめてから、
「でも、一対一にならなければ大丈夫ね」
と言ふ。
そのとき浦野は時計を見て、
「もうゆかなくちや」
とあわて出した。
「本当にいろいろお世話になつて。ありがたうございます」
と弓子が礼を述べると、浦野は、立ち去りながら、
「当つて砕けろですな」
と励ましたが、この台詞は勝算のないことを認めてゐるやうにしか聞えない。
その夜の赤坂での会食は、ずいぶん異様なものだつた。まづ、長谷川と印刷担当の役員待遇のほか、営業担当の役員と事業局長が加はつてゐる。そのことについての説明はない。智恵が盡きた長谷川は、料理屋を奮発することと人数をにぎやかにすることで局面を打開しようとしてゐる、と弓子は思つた。そして長谷川は、程のよいところで、
「もうそろそろ、このへんで決着をつけたいものですな。協力して下さいよ」
とおだやかな口調で、しかし微笑は浮べずに述べ、恭しく頭を下げた。弓子も他の者も黙つてゐたが、印刷担当はその雰囲気を重苦しいと感じ反撥したのか、それとも単なるいつものおしやべりか、
「社の命運がかかつてるから」
とおどけた調子で言つた。弓子が、
「それはどういふ意味ですの?」
と訊ねると、長谷川があわてて、
「南さんが事業局を建て直してくれなくちや困る、といふこと」
と言ひ添へ、これには事業局長がいささか憮然たる顔になつた。
「そんなこと、とてもあたしには」
と言つてから、弓子は重ねて訊ねた。
「新社屋とは違ひますの?」
「そんなことぢやありません」
「土地の払ひ下げとは関係……」
「関係ない関係ない」
と苦り切つた表情で長谷川は答へ、
「純粋に事業局の問題として、南さんが必要なんです。そのさきは説明できないが、とにかくお願ひしたい」
ともつぱら頭を下げる。
当然のことながら話ははづまない。印刷担当の失言について、長谷川以外の者はなるべく口をきかないやうにしてゐる。事業局長も洒落を慎む。印刷担当は相変らず口を出したが、それでも旅行の話とか料理の話とかそんなことをたまに話題にする程度だつた。
弓子は絵志野の四方小鉢に盛つた木綿豆腐と松茸の酒蒸を食べながら、
「鐡齋の石榴《ざくろ》と梨の軸を背にして御馳走いただくなんて。こんなお話でなくてでしたら、味がよくわかるでせうね」
と言つて男たちを苦笑させた。そして、
「これだけ通信関係が発達したら、もう新聞社も都心ぢやなくていいのぢやないでせうか」
とか、
「人口問題について、今の日本は国民的合意あります?」
とか、男たちの厭がることを話題に選んで挑発しようとするのだが、長谷川はぬらりくらりと答へながら、合間に、
「南さん、もう時間の余裕はないんだよ」
「一つ助けると思つて」
「ここはぼくに貸しを作る気で」
などと頼みこむ。そして他の男たちは何も言はない。
社側が妥協案を出さうとしないのだから当然だが、弓子も折合はうとせず、さうかうしてゐるうちに約束の八時半になつた。彼女は長い廊下を玄関へと歩きながら、四人の男の疲れた気配を感じ取り、この二時間だけでもずいぶん憎しみを買つたわけだと思つた。
その夜おそく、二人でビールを飲んでゐるとき、弓子が事態を報告すると、哲学者は、
「向うも困つてるんだな、手が盡きて。だから御馳走する。来週はきつとフランス料理。再来週は中国料理。その次はイタリア。今夜、ぼくはカレー・ライスだつたな」
「さつき、わかつた」
「わかるはずだよ」
とうなづいて、
「でもねえ、幹事長ぢやなくて総理大臣を狙ふんだつて? どうかな?」
「それがいいんですつて」
「さうかな。その人、信用できる人だらうか? やはり幹事長のほうがいいやうな気がする。えーと何だつけ、善六さん。そつちがいいんぢやないかな」
と言つて豊崎が述べた理由は、まことに他愛のないものだと弓子は感じた。
「何と言つても幹事長のほうがこの騒ぎの当人だしね。日本の政治のナンバー2だと言ふけど、実は動かすのは彼で、動くのは首相だからね。うん、動く者と動かす者。論文の題にいいかもしれないな。それに、ほら、君が言つてたでせう、社長の人事とか、新聞社の土地とか、そんなことで時間を取られるのは厭だと愚痴つてたといふ話。とすれば、こんなことで何か言はれるのは歓迎しないんぢやないか。第一、幹事長のほうがきつと閑《ひま》だよ。首相は忙しいから、相手になつてくれない」
「さうかしら」
「ええ、閑です。何でもね、幹事長室の未婚の女事務員が女房持ちの新聞記者二人と、いいかい、二人と同時にだよ、恋愛して、三角関係になつて、それで、新聞記者に情報が洩れては困るといふので辞表を書かされた……」
「あ、聞きました、その話」
「ね、そのくらゐ閑なのが幹事長」
「それは女事務員が閑なだけで、幹事長が閑つてことにならないでしよ」
「アハハ」
「どうしてそんな話、御存じなの?」
「週刊誌で。哲学者は雑学が大事だから。アリストテレスだつて、ヘーゲルだつて、今の日本の哲学者だつたら、せつせと週刊誌を読んでた」
「まさか」
「いや、ほんと。ソクラテスなんて人は、自分自身が週刊誌みたいな人だもの」
「歩く週刊誌?」
「うん。最後は発売禁止になつた」
弓子は、豊崎が彼なりに案じてくれはするものの、しかし何しろ現実にうといため、かういふ冗談を言ふしかないのだと思つてゐたが、これはほぼ正解だらう。事実それから彼は、
「どうも贈与論的な事件になつてしまつたなあ。政府が新聞社に土地の贈り物をすると、そのお返しとして新聞社が君の首を向うに贈るなんて。これは給付と支配の形態であるのに先行して、契約の形態だね。言論の自由を保證する契約がこんな進物でおこなはれるのはとても皮肉な話だ。太古的と呼ぶことができる社会の特質が、二十世紀の日本の指導的階層に発見されるなんてね。もつとも、日本は大昔から進物といふ表現形式で成り立つてゐる国だから、何か事が起れば全部、物のやりとりでゆくんだが」
などと学問的に説明してくれたのだつた。
弓子はそれに、
「半分くらゐわかる」
とうなづく。
「半分?」
「三分の二かな?」
「それで充分さ。でも、原論はともかく、実際に、総理大臣にどう交渉する? どういふルートを使つて?」
「いま考へてるの。でも、名案が浮ばないのよね。一つ、こんなのもあるんですけど」
と弓子は、大沼晩山の件を説明した。それを聞いて豊崎は見る見るうちに顔を曇らせ、
「おい」
と声をかけて、じつと顔をみつめる。
「どうしたの?」
「ほんとに、ゆかせるつもり?」
「気が進まないのよ。子供に頼むのは厭ですもの」
「色じかけみたいな手を娘にさせるほど追ひ詰められてるのかと思つて、胸が痛くなつた」
「あら、色じかけなんて、下品ねえ」
とふくれられて、豊崎は言ひ直した。
「ぢやあ、色情を利用した好意の収奪」
「同じことでせう。とにかく困つてるの」
と投げやりに言つてから、弓子は、
「ねえ、泊つてゆかうかしら?」
男は女があつさり機嫌を直したことを喜びながら、
「いいよ。ぼくは本を読むけど」
「雑学の本?」
翌朝、弓子は銀座のデパートで、明るいグレイのウールのスカートとそれから緑いろの石のはいつた小さな金のイアリングを買ひ、ついでにファンデーションと口紅も買ひ、試着室で着替へてから出社した。化粧品は古いのがまだ使へるのに買つたので、これは気持を引立てようとしてである。プリーツ・スカートはデパートの紙袋に入れて持つた。
この日は久しぶりに社説の番に当り、午後のあひだ夢中になつて夫婦別姓のことを書いた。書きあげてから、どうやら社説を書かせるなといふ指令は出てゐないらしいと思つたり、いや、新聞社は何につけてもでたらめだから、指令は出てゐてもかうなることだつてあると思ひ返したりした。
そして豊崎洋吉は仙台へ帰る新幹線のなかでずつと、午前中の講義で語つたヘーゲルとナポレオンの関係とも、また、午後の編集会議で論じたフッサールの弟子では誰が偉いかといふ話とも無関係なことを考へつづけた。つまり、どうすれば弓子を救へるかを思ひつづけてゐたのである。これまで彼は、彼女の配置転換のことにもちろん無関心ではなく、心を痛めてゐたけれども、口出しするのは控へて来たし、向うもそれが当り前みたいな様子だつた。しかし近頃は何かさうもゆかなくなつた感じだし、それに、娘を使はうかとまで迷つたり、泊つてゆくなどと、かういふ仲になつてはじめてのことを言ひ出されたりすると、女の悩みの深さが手に取るやうにわかる。金曜の夜、仙台駅に降りたとき、哲学者は、恋人を助けるといふ実際的な方向に思惟を転じてゐる自分を発見してゐた。
土曜の晝近く、豊崎はまづ買物にゆき、目玉焼とホウレン草のおひたしと豆腐の味噌汁の食事を仕度し、妻の節子の部屋に運んで声をかけた。妻はベッドのなかで、壁のほうを向いたまま短く答へる。豊崎は新聞を読みながら居間で食べた。食器その他を洗つてから、溜つた郵便物の整理をしてゐると、豊崎節子様あてに来た封書の裏に「代議士 原善六後援会」とある。彼は二重に愕然とした。といふのは、どうやら原幹事長の選挙区はこの宮城らしいし(そのことを哲学者は忘れてゐた)、そして節子がその後援会の会員らしいぞと直感的に自覚したからである。妻のところへ行つて、
「おい、原善六の後援会にはいつてるのかい?」
と訊ねると、相変らずベッドで向うを向いたまま、
「だつて蕗子さんに頼まれたもの」
「ふーん、蕗子さんて?」
「同級生」
「その人、政治好きなのかい?」
「御主人のためだもの」
「あつ!」
「どうしたの?」
「原の奥さん?」
「ええ」
そこで哲学者は、どうもちよつとまづいなと心配しながら、実は新聞社の論説委員をしてゐる友達が幹事長の気にさはる社説を書いたせいでクビになりさうだ、何とか助けてやりたい、と言つた。節子は寝返りを打つてこちらを向き、
「ひどいことする、原さん。いい人なのに。見てくれは悪いけど」
「いい人だと思はせなきや、票もらへないから」
「かはいさう。家族が困るぢやない」
と節子はつぶやいて起きあがり、
「蕗子さんに電話する」
と言つた。自分から誰かに電話をかけるなどと言ひ出すのは、病気になつてからはじめてのことである。他人がこはく、かかつて来る電話もこはがつてばかりゐたのだ。豊崎は、この激変は一体どうしたわけかと怪しみながら、
「うん、頼む。ぼくが原さんに会ひたがつてる、なるべく早く、と伝へてくれ」
そして仕事部屋に向ひながら、あ、節子は論説委員は男ばかりだと思つてゐて、クビになりさうな男の細君に同情してゐるのだと気がついたが、女の論説委員だとはもちろん言ひ添へなかつた。
哲学者が夕食(豚肉と野菜のいため、罐詰のスープ)の仕度にとりかかるころ、代議士の事務所から電話があつて、来週の木曜、原は仙台に来るから、夜の九時に小萩といふ料亭に来てもらひたいとのことであつた。もちろん承諾して、来週は東京へゆかないことに決めた。豊崎は、自分が弓子のために盡す道はただ哲学的考察によつて幹事長を説得することだけだし、それはかなり見込みのあることだ、なぜなら自分の思考と講義の能力はすばらしいから、と信じてゐた。
その夜、十一時ごろ、南悦子はテレビを見てゐたのだが、居間のファックスが鈍い音を立てて軋《きし》んでゐるのを聞きつけ、着信した紙を一枚、弓子のところへ持つて行つた。机に向つて頬杖をつき、浮かぬ顔をしてゐた弓子は、その文面を読んで悲鳴に近い声をあげた。それは、
南様へ。豊崎。
この紙一枚のみ。
木曜夜、仙台にて原善六氏と面談します。従つて来週は上京しません。吉報をお待ち下さい。
といふのである。
「悪いしらせ?」
と母に訊ねられて娘はうなづいたが、それ以上は何も言はずに考へてゐる。豊崎教授と原幹事長の話しあひがどんなことになるか、事態はいつそう紛糾し悪化するにちがひないと心配してゐるのである。
悦子は訊ねた。
「ねえ、弓子、何か困つてること、あるんでせう」
「うん」
「社内のこと?」
「さうでもあるし……」
「社外?」
「ええ……」
と答へてそのさきをつづけようとしない弓子に、悦子はとつぜん怒り出した。
「いいかげんにしたら、どう? あたしは長いことじつと我慢してた。このあひだ断りもしないで泊つて来たときだつて文句いはなかつたぢやないの。毎週一回、遅くなつたつて何とも言はなかつた。教育上わるいなとは思つたけれど。みんな見当ついてます。でも、そんなこと仕方がない。大人なんだもの。弓子は四十五? 四十六?」
「五よ」
「四十五にもなつて二月《ふたつき》も三月《みつき》も、機嫌が悪くて、口もろくにきかないのは困るよ。千枝だつて心配してるぢやないか。ママ更年期かしらねえ、なんてこのあひだも言つてゐた。何かあつたの? どうしたの?」
「……」
「殊にこの一週間のヒステリー。をかしいよ。いつしよに住んでるのに心配事を打明けないのは水くさいぢやないか。これぢやあ、親子でゐる必要ないもの」
母親は立つたまま一気に言つて、それから娘のベッドに崩れるやうに腰かけた。娘は、
「ごめんなさい。そんなつもりぢやなかつたのよ。心配させないやうにしよう、一人で何とかしようと思つて。それで……」
と言ひながら椅子から立ちあがり、並んでベッドに腰かけて、事情を説明した。途中でスクラップ・ブックを取出し、例の社説を見せたりして。そして母親は部屋から老眼鏡を持つて来て丁寧に読み、これはどうやら頭にはいりにくかつたらしいが、それでもところどころうなづき、しかし社説掲載以後の経緯を熱心に聞いた。娘は、豊崎教授のことはすこしぼやかしながら、その他は何一つ隠さず、一部始終を語つた。途中でお茶をいれに立ち、お煎餅の罐を持つて来て、二人でつまみながらしやべつた。弓子がいちおう語り終へると、母親はしばらく考へ、やがてかう言つた。
「弓子、これはうちの一大事だからね。みんなで相談しませう。四人で」
「四人?」
「ええ、雅子姉さんも入れて。女四人で智恵を集めれば何とかなると思ふ。明日のお晝がすんでから」
「伯母さんは土曜だもの、泊つてくるんぢやない?」
と弓子が言つたのは、柳雅子つまり元女優の柳あえかは、週末にはたいてい、同年配の男友達と伊豆にゆくことになつてゐるからだ。しかし悦子は答へた。
「すぐに連絡する。姉さんは泊るとき、電話番号知らせてゆくのよ」
どうやら何か失敗をして、別れる前の夫に叱られてゐるらしいが、何しろ仄暗《ほのぐら》いなかのおぼろげな顔なので、誰なのかよくわからない。なぜ叱られてゐるのかは、もちろんわからない。きれぎれにつづく、あまり苦しくない夢のあと、目が覚めて、今日は日曜日だと気がつき、もうしばらくうとうとしようか、それとも新聞を取りにゆかうかと思案してゐると、ドアの下からそつと新聞を入れる音がする。
「千枝?」
と弓子が声をかけると、ドアがあき、
「起しちやつた? ごめんなさいね」
「いいの。カーテンをあけて」
あふれる朝の光のなかで、朱のガウンを金魚のやうにまとつた娘が、枕の横に朝刊を置いてから、まだ口紅を塗つてない口で言つた。
「さつき三宅さんから電話あつて、このあひだの件はママが言つた通りですつて。国有財産審議会は延期になつたと伝へて、と言つてた」
「さう。どうもありがたう」
「遅れてすみません、ですつて」
「はい、わかりました。やはりさうなのね。これが今日の家族会議に関係あるの」
「ふーん。国家と家族の一大事?」
と娘は笑つてから、
「今朝はあたしが当番。しやれたサラダを作ります。漫画とてもおもしろいわよ」
と言つて出て行つた。
当然、食卓につく前から、その四齣《よんこま》漫画のことが話題になるが、千枝と悦子が喜ぶほど弓子にはをかしくない。むしろそのことを三人で興がつた。この家で三代の好みが隔世遺伝のやうに分れるのは、漫画に限らずときどきあることだ。
食事がはじまるとすぐ、電話がかかつて来て、千枝はあとでこちらからかけますと言つた。そして、
「渋川さんから。ね、小海老のサラダ、どう?」
「おいしい。いま褒めようと思つてたとこ」
「ドレッシング、しやれてる」
「香りがいいのね。びつくりした」
などと二人はあわてて褒める。娘は、
「ああ、よかつた」
と満足して、それから一しきり、説明といふよりもむしろ自慢した。サニーレタス、アンディーブ、白ねぎ、完熟の赤いトマトそして香草といふ色の取合せがいいでせうとか、ふはつとまぜるのがコツなのよ、とか、小海老はさつと炒めるの、とか。しかし祖母も母もレシピを覚える気はない。二人はむしろ家族会議のことに頭が行つてゐる。弓子は、母や伯母と相談してどれだけの智恵が出るかしらと疑つてゐたし、悦子は、千枝の前で際どい話をしなければならないことをいささか気に病んでゐた。
目玉焼、サラダ、パン、紅茶、それに葡萄の食事が終ると、洗ひ物をするのは弓子で、千枝は自分の部屋から電話をかける。ただし途中で部屋から出て来て、
「ねえ、三時ごろなら家族会議、終つてるかしら? レーザー・ディスクやなんか返しにちよつと寄りたいんですつて」
「終つてるでしよ」
「あえか伯母さんは?」
「晝すぎには着くつて言つてましたよ」
「ぢやあ大丈夫ね」
ところがさうはゆかなかつた。弓子の伯母で、千枝から見れば大伯母である雅子、つまり元女優の柳あえかが戻つてきたのは一時をまはつてからだつたし、白いスーツに赤い大きな帽子の七十五歳の女が玄関で、悦子、弓子、千枝を相手に自動車の渋滞の話を一くさりして、それからお土産の干物の自慢をしてゐるうちに、もう一軒の用が早くすんだとかで渋川健郎がふらりと訪ねて来たのだ。
千枝は紺いろのシャツとデニムのズボンの若者に大伯母を紹介した。日本史の助教授は、派手な服装、派手な化粧の元女優が陽気に挨拶するのを、興味津々といふ表情で、しかしちよつとまぶしさうな目つきで見て、然るべく挨拶した。
このとき千枝は、これから家族で相談事があるからちよつと具合が悪いと言はうとしたのだが、大伯母が張つた声で、花やかに、
「さあ、どうぞどうぞ。お通り下さいまし」
とすすめたので、渋川は何となく靴をぬいで、雅子のために並べてあるスリッパをはいた。大伯母がこの家ではくことになつてゐる赤いスリッパである。悦子も弓子も、これは困つたと思つたけれど、仕方がない。そこで千枝が大伯母のため、新しく、客用の灰いろのスリッパを出し、かうして五人は居間でお茶を飲むことになつた。
テレビにマラソンが映つてゐる。いまのところ先頭集団は十人ばかりだ。ソファには縫ひぐるみの茶いろい小型犬が二匹、片方はうづくまり、片方はお坐りをして、のうのうと占領してゐる。渋川はその二匹を抱きあげながらソファに腰をおろし、それから両方をぐいと隅にまとめた。その近くの椅子に千枝が、千枝の隣りの椅子には弓子と悦子が腰かける。渋川の隣りは雅子のためにあけてある。弓子がお茶をいれた。
男一人と女四人はお茶を飲みながらマラソンの話をし、日本の街の景色を批評した。雅子はときどき体をひねつてテレビを見る。渋川が小声で千枝に言つた。
「実は頼みたいことが一つあつて。大沼晩山といふ書家のところへ連れてつてくれませんか。副島種臣《そへじまたねおみ》の書を五幅、持つてるらしいから」
「いいですよ。遊びにおいでと言はれてます」
「うん、この前さう言つてた」
「御一緒しませう。ちよつと待つてね」
それから大沼晩山の孫娘に電話をかけて事情を話すと、しばらくあつて電話がかかつて来て、今度の木曜か金曜、四時ごろ来るやうにとのことだつた。金曜日は二人とも具合が悪い。渋川は木曜日の午後はあいてゐる。そして千枝は中世英語の講読があるが、休むことにする。
そのあひだに弓子は、大沼晩山のことを渋川に訊ねた。若い日本史学者は、晩山氏のことは噂に聞いて知つてゐるけれど、書は見たことがないと答へてから、副島種臣の書のことをしやべつた。
「この人の字はいいですよ。明治維新以後、一番いいなんて言ふ人もゐます。でも、以前は漢詩が評判よくて、書のほうは大して言はれなかつたんぢやないでせうか。日露戦争のとき、元日に旅順が陥落して、三日にしらせがはいると、副島種臣は病気で寝てたんですが、起き出して、めでたいから詩を書くと言ひ出したんですつて。体にさはるといけないので、みんなが止めたけれど、人のゐないすきに、自分で大きな画仙紙を出して詩を書いた。七言絶句、七字づつ四句並ぶんですが、えーと、最後の句だけ覚えてます。『由来元旦是《これ》嘉辰』、もともと元旦はよい日にきまつてる、といふんです。そしてこれが絶筆になりました。三十一日に亡くなりましたから」
「まあ」
「よほど嬉しかつたんでせうね。書き終ると、あるだけのハンコを全部押せ、と息子に言ひつけたんですつて。でも、四つしか押してない。まさか四つしかないはずはないから……」
「ケチをしたのね」
と雅子は言つた。この元女優にとつて、ケチといふのは一番口にしやすい悪口なのである。そして妹の悦子のほうは、
「あまりたくさん押すと見つともないもの」
と副島伯爵の息子をかばつた。
マラソンの先頭集団は三人になつて、一人は水を取るのがどうも下手だ。女四人と男一人はマラソンの話をし、それからテニスの話をした。若者の冗談でみんながにぎやかに笑つた直後、千枝が渋川に、
「あの、実は申しわけないんですけど……」
と言ひかけたとき、弓子がそれを制して、
「いいのよ、千枝。渋川さんにも家族会議に加はつていただきませう。そのほうがいいと思ふの。申しわけありませんね、渋川さん。びつくりなさつたでせう。実は今日、家《うち》中で話しあひすることになつてまして、その件に書家の大沼晩山さんがすこし関係あるんです。直接ぢやないんですが」
「でもママ、そんなのあたし……」
と千枝が言つて、そのさきをまだ言はないうちに、渋川が、
「ぼくはかまひませんが、でも、議題は何なんです?」
と訊ねた。
「ちよつと妙な話でしてね」
と弓子が説明しかけると、悦子がおづおづと言つた。
「弓子、やはり具合悪いと思ふよ。すみませんね、渋川さん。ちよつと事情がありますので。これは家《うち》の者だけで相談するほうがいいんぢやない?」
弓子が言つた。
「さう? 具合悪い? でも、千枝が渋川さんと御一緒して、大沼晩山さんのところに伺ふなら、そのとき、千枝から話をしてもらはうかと思つたの。思ひつきだけれど。といふのは、大沼つて人は、政治家にとても顔がきくんですつて」
しかし悦子が、困り果てたやうな表情で、
「でもねえ。ここはやはり家族だけで話しあふほうが……。ごめんなさい、渋川さん」
と言つたとき、雅子がのんびりした声で歌ふやうに言つた。
「いいのよ、悦子。あたしと信伍さんのことが人様に知れるとまづいと言ふんでしよ。電話で話を聞いたときから、あたしが交渉することになるんだと思つた。いいのよ。かまはない。弓子が困つてるんだもの、あたしだつて何かしなくちや」
そこで四人の顔を見て、うち三人がキヨトンとしてゐるので、
「あ、悦子のほかは誰も知らないわけね。やはり一通り説明しなくちやならないかしら。昔の思ひ出話をするなんて、年寄りみたいで厭だけれど、でも、お聞きになつて下さいまし」
と渋川に向つて頭を下げると、若者はかしこまつて軽くお辞儀をし、
「はい、それはもう。ぼくが早く来たのが悪かつたのですから」
と、ずれた返事をする。何しろ歴史家だから、多少わからぬことがあつても平気でゐる態度は、身についてゐる。
弓子が座長のやうに、
「では、それでよろしいのですね」
と念を押すと、渋川が、
「はい」
と答へ、千枝が、
「ええ」
と言ひ、悦子がうなづく。
弓子がテレビを消した。
雅子が語り出したのは、まづ戦争の思ひ出である。昭和十七年の秋、恋仲だつた新人監督が兵隊に取られ、翌年の夏、中国で戦病死した。結婚するつもりでゐた男は死んでしまひ、映画に出ても出征兵士を見送る妻とか、姉とか、妹とか、それから看護婦の役ばかりだし、暮しのほうでは長袖の和服、ダブルの背広が禁止になり、銀座では婦人会が待ち構へてゐて長袖を鋏で切るといふ騒ぎで、本当に厭な世の中。恋人の戦病死の公報がはいつて間もないころ、文科系の学生の徴兵猶予がなくなり、いはゆる学徒出陣といふ事態になつた。ある日、来週おなじ連隊に入営するといふ学生が二人、ファンだから日章旗にサインをしてくれと言つて訪ねて来たので、茶の間に通して、配給があつたばかりのビールを出す。一人は大男で、唄が得意で、ディック・ミネの真似を上手にした。これは校長の息子。もう一人は中肉中背で、わりに美男で、冗談を言ふのがうまい。これは酒造業の長男。敵国の音楽だから聞いてはいけないことになつてゐるジャズのレコードをかけ、二人と一曲づつダンスを踊つて、二時間ほどゐて帰つた。
翌年二月の末、雪が降つて来さうな寒い午後、心当りがあると言つて婆やが買ひ出しに行つたので、一人で炬燵《こたつ》にはいつてゐた。お腹《なか》がすいて来て、何か食べたいなと思つてゐると、道でピーツと笛の音がする。あ、焼芋と思つてあわてて出て見ると、煙管《きせる》の羅宇《らう》直しだつた。吸殻を詰めてすふので、煙管が使はれるやうになつたのだ。
それでクスクス笑つて、また炬燵にはいつて、そのうちに、戦争はどうなるのかしら、とか、撮影所はいつまでつづくのか、とか、徴用なんて厭だなあ、しかし移動演劇も大変だなあ、なんて考へてゐると、悲しくなつて、いつそうひもじくなつて来た。そのとき誰かが来たので横の窓から覗いて見ると、去年の十一月、二人づれで来た学生のうちの一人、男前のほうなので、本当にびつくりした。あ、逃亡兵だ、と思つたのである。学生服に学生帽でリュックをしよつてゐるのに、なぜかさう思つた。こんなことを言ふと、うぬぼれみたいでをかしいけれど、兵隊が辛くて逃げ出して、死ぬ前、好きで好きでたまらない女優の顔を一目見たくて来た、と咄嗟《とつさ》に思つたのだ。
思はず声をかけて訊ねると、入営してからの検査で帰された、お米がはいつたので、困つてるのぢやないかと思つて持つて来ました、と言ふ。ちよつと待つててね、と言つて急いで化粧して、部屋を片付けて案内した。お米を五升と卵を十個、持つて来てくれて、とても嬉しかつた。炬燵にはいるやうにとすすめると、こんなふうに畳の上にぢかに置く東京のやり方では寒いと言ふ。それで、教へられた通り、敷蒲団を引いてその上に炬燵を置いたら暖かくなつた。それから、よかつたわね、即日帰郷ほんとうにおめでたう、と声をひそめて言つて、握手をした。念のため病院に行つたら何ともないと言はれたから、誤診かそれとも軍医の好意らしいといふ若者の話のあと、女優が、お友達はどうでしたと訊くと、うまいことにはならなくて入営したとのこと。それで、お腹がいよいよすいて来たし、田丸さん(その学生さん)もさうだと言ふので、御飯を炊いて、プレーン・オムレツをおかずにして食べた。おいしかつた、とつても。
それから二人で映画の話をした。主に外国映画の思ひ出だが、ときどき若者は柳あえかの出てゐる映画の話をしたがるし、こちらにとつてもそれは厭な話題ではない。楽しい気分になつて、とうとう、大事に取つてあるウィスキーのポケット瓶をあけることにした。お湯わりにして飲むと、とてもいい味。浮かれて冗談を言ひ合つてゐるうちに、とつぜん若者が黙りこみ、やがて、実は隠してゐたのだと言つて悲しいことを打明けた。あの唄のうまい大男が戦死したといふ公報がはいつた、入営してすぐ満洲へゆく輸送船に乗せられ、その船が撃沈されたらしい。さう言へば自分たちはみな真新しい軍服を着せられ、はしやいでゐたけれど、あれは外地へゆくせいでの晴着だつたのだ、ともう二月《ふたつき》ほどで二十二になる学生は語つた。
そして六歳年上の女優は、その運の悪い兵士に同情して、かはいさうね、あんなに若いのに、と何度もくりかへし、それから、何とか気を変へようとして、やはり男の人でも新しい服を着るのは嬉しいものかしらといふ話に移つた。そのへんの気持は学生にもすぐに通じて、即日帰郷と言はれてからの珍談を披露した。内務班に戻つて報告し、先刻つくつた小包をほどいてまた学生服に着替へてゐると、上等兵が近づいて来て、お前のやうな立派な兵隊がお国の役に立たないでむざむざ帰るのは残念だから、おれが軍医殿にお願ひしてみる、しばらく待つてゐろ、と言つた。内務班のベンチに腰かけ、心配しながら待つてゐると、二十分ほどして上等兵が来た。どうなつたかと訊くと、びつくりして、しかしすぐに鹿爪らしい顔になつて、残念ながらやはり入営させるわけにゆかないさうだ、体を鍛へてまたのお召しを待つやうに、と言つた。今にして思ふと、あれは上等兵がぼくをからかつたのだね、といふ話である。これは何人にも聞かせてゐるから、なかなかの藝になつてゐる。女優はおもしろがつて笑ひ崩れ、何度も笑ひ、そして……不意に泣き出した。死んだ恋人のことなど話をするゆとりはなく、ただ泣いた。若者はどうしたらいいかわからなくて、無器用に慰め、そのうちに二人は抱きあつてしまふ。
それから敗戦までの一年半、どんなふうに生きたのか、さだかな記憶はない。恋よりもむしろ空襲で夢中だつた。翌年二月の末、柳あえかの家の婆やは息子にすすめられて、いつしよに甲州に疎開した。結局はそこで空襲にやられ、しかし命だけは助かるのだが。そして若者は柳あえかの家に移り、勤労動員中の身なのでそこから工場に通つた。ただし勤労動員と言つても同級生はたいてい入営してゐるから、僅かの人数が分れ分れになつていろいろな工場で働くのだし、その工場がやがて空襲で焼ける。さうすると大学図書館の本の疎開の手伝ひをさせられ、そのうちにまた別の工場へゆけと命じられる。ときどき彼は工場を休んで防空壕を作つたり、畑仕事に励んだりした。
女優は撮影所の仕事がほそぼそとつづき、移動演劇には加はらなくてすんだ。相変らず詰まらぬ役ばかりだつたが、それにも次第に慣れてゆく。一度、介石政権の放つた女スパイといふ役がついて大喜びしたけれど、彼女が親しくするのが海軍軍人といふ設定であるため海軍側から文句がつき、やがてこの役自体が映画から消えてしまつた。
空襲は激しいが、女優の小さな家のあるあたりはいつの空襲でも取残された。そして富山からは米その他の物資が着実に届き、もちろん不自由はしたものの飢ゑなくてすんだ。一つには、彼の友達と物々交換をするせいでうまく行つてゐたといふこともある。
このころ、女優はラジオのニュースを聞くと怒るやうになつて、アナウンサーが何か言ふたびに、嘘ばつかり、馬鹿、とか、何が神州不滅ですか、何が御稜威《みいつ》の下《もと》なのよ、敗けるに決つてる、とか、弥次を飛ばす。若者は、外でそんなこと言ふと大変だぜ、気をつけて、と戒めた。
二十年の八月十一日、ちようど非番だつた若者は、このあひだ牛肉をもらつたお返しとして酒を一升、友達の家に持つて行つたとき、その親類である枢密顧問官が語つたといふ情報を耳にした。十五日に日本が降服するといふのだ。
帰つてから若者は考へた。「三日さきを知れば長者」とはこのことだ。十五日までに土地を買ひ占めれば大儲けする。先日、友達は、何しろ闇屋が駅で売つてゐる握り飯が一個十円なのに、この辺(新宿駅から私鉄で一つか二つ離れてゐる)の地価が坪一円か二円だから目茶苦茶だと言つてゐたつけ。そこで若者は明日の朝になつたら母に電話をかけて五千円か一万円送らせよう、後見人の叔父は反対するかもしれないが、絶対にさうしよう、と決心して、そのぼろ儲けの話を一晩中、女優に語りつづけた。ところが翌日、近所の家で電話を借り、やうやく通じると、母は、電話をかけてくれて本当によかつた、実はたつたいま八月十五日に入営せよといふ召集令状が来たところだと言ふ。この馬鹿ばかしい入営のせいで駄目になつたけれど、もしもあのとき土地を五千坪買ひ占めてゐれば、政治家になる必要なんかなかつたのに。
戦争が終ると、この田丸信伍といふ若者は大学の雄弁部にはいつて活躍し、やがて弟と相談して、家業は弟につがせ、自分は政治のほうに進むことに決めて、代議士の秘書になつた。婆やが甲州から帰つて来て、住ひは別にしたが、女優との関係はつづいたし、しかしこれは二人にほかの恋がなかつたことを意味しない。そして嫉妬深いのはむしろ男のほうだつた。
昭和二十七年十月の総選挙には三十歳の信伍が郷里から立候補して落選した。その直後久しぶりに現れた若者は、また国の訛りに戻つたと女優に叱られたあとで、今度、結婚することになるらしいや、と他人事《ひとごと》のやうに語つた。相手は民政党系の前代議士の娘で二十四になる。もう七十近い、そして病気で再起不能らしいこの男の地盤が婿引出《むこひきで》(といふ大時代な言葉を彼の叔父は使つた由)として譲られるのである。それを聞いて三十六歳の女優は別に悲しいとは思はなかつた。自分がこの年下の男と結婚する気はもともとないし、地盤がなければ当選できない以上、この縁談は仕方がないと諦めた。しかし、実を言ふと、彼が前代議士の娘と結婚しても二人の仲はこれまで通りなのだと何となく思つてゐたらしい。
ところが翌年の二月、伊豆で喜劇ものの撮影をしてゐると、信伍の叔父と名のる人から宿舎に電話があつて、近く御挨拶したいと言ふので、三日後に家に来てもらふことにした。信伍は、どうも雲行きがあやしいので選挙区と東京を行つたり来たりしてゐるが、何度も訪ねて来て、正月にも泊つた。それなのにもう縁談のことは口にしないので、立ち消えになつたのだと思つてゐた。
叔父は律儀《りちぎ》なのが半分、洒脱《しやだつ》なのが半分の、いかにも地方の土建屋といふ感じの人だつた。挨拶がすんでから、実は今度、甥は身を固めることになつた、お聞き及びかもしれないが、かうしないと代議士になれない、あの若者の志をかなへると思つて了承していただきたい、これまで大変お世話になつたが、最近はちらほら人の口にものぼるやうで、これでは票の取り方にも差障りがある、ここで一つ別れていただけないだらうか、ついてはまことに些少ながらこれをお納めいただきたい、と言つて奉書で包んだ厚い包みを差出した。そして、茫然としてゐる女の前に、邦文タイプライターで打つた受取りを置き、万年筆で署名させたのだが、その文言《もんごん》は、字面をたどる真似だけはしたのだけれど、何が書いてあつたか記憶がない。ハンコを押しませうかと言つて無理に笑ふと、その必要はないとのことだつた。客が立ち去つてから包みをあけると、五十万円はいつてゐる。
失礼なことをされたといふ屈辱感にひたつて、石油ストーブの青い焔《ほのほ》のそばに茫然と坐つてゐた。思つてゐたのはただ一つ、男が自分で来て渡すべきではないかといふことである。とすると、別れることと金を貰ふことはやむを得ないと思つてゐたのか。夜おそくゆつくりと風呂にはいり、お酒を飲んでやすんだ。
翌朝、鏡を見ると顔がずいぶん変なので、今日は撮影がなくてよかつた、ついてると思つた。朝はまつたく食欲がないが、無理にすこし食べることにする。それからまた石油ストーブのそばに長いことゐたのだが、晝近くになつて男に電報を打たうと決心し、文案を練つた。結局、
モツトデリカシーガホシカツタ」マサコ
と書いてみたが、しかし婆やに言ひつける寸前に思ひ直した。もつと金がほしいのを婉曲に言つてゐると疑はれさうだからである。昨日のあの土建屋ならさう取るに決つてゐる。それからは、いくら考へても然るべき電文が浮ばないので、電報はよすことにして、そのまま思ひに沈んでゐると、実は手つづきの問題で怒つてゐるのではなく、男と別れたくないのだといふことにやうやく気がついて、重大な発見をしたやうにびつくりした。
まるで筋書きが出来てゐたやうに、すぐに議会が解散になり、総選挙になる。柳あえかはこの間、温泉藝者の役を演じつづけ、これは頽廃美があるとかで批評家たちに受けたのだが、実生活は男断ちだつた。いくら何でも選挙が終れば信伍が訪ねて来て改めて挨拶するだらうから、そこで焼け木杭《ぼくくい》に火がつくはずと当てにしてゐたのである。
今度は地盤をもらつたのだから当選は固いが、そのとき祝電は打つのがいいか、打たないほうがいいか、ずいぶん考へた。はふつて置くほうが男ごころをそそつて有利といふ結論だつたのに、ラジオで当確を知つた途端、ついふらふらと電文を書いてしまつた。しかし五日経つても一週間経つても新代議士からの連絡はない。その代り、以前に面識のあつた某資産家から誘はれて横浜に遊びにゆくことになり、その晩も翌晩も泊つた。そしてこれ以後、四十年ばかり、代議士とは一度も会はずじまひである。
といふ話を、もちろんところどころ言葉は曖昧にしたが、事柄は別に伏せようとしないし、そのせいでかへつて生ま生ましく響くふしもある。この大伯母は千枝がまだ処女だとは思つてゐなかつた。そして千枝のほうは、自分が大人としてあつかはれることに満足しながら、初耳の話に驚いてゐる。いや、弓子だつて田丸信伍とのことはまつたく初耳なため、ここでとうとう我慢できなくなつて声を出した。
「まあ、さうだつたの。何も知らなかつた」
「だつてそんなこと」
と悦子が言ふと、雅子は、
「教育上、悪いものね。でも、弓子が生れたのは戦争が終つた翌年だから、あのころはかなり富山から来たお米を分けてあげた。それでおつぱいが出たかも」
「あら、感謝しなくちや」
「さうよ」
「ひどかつたものね。とうもろこし入りの御飯とか、お米の代りに葡萄糖の配給とか」
と悦子が四十年前を偲《しの》んだ。いまかうして生きてゐるのが不思議なやうに。
「あの、こんなこと、いいかしら?」
と弓子がおづおづと言ふと、雅子が、何を訊かれるかわからないのに大きくうなづいて、
「いいわよ、弓子」
「ずうつと長いあひだ会つてなくても、テレビではしよつちゆう見かけるでせう。新聞でも写真……」
「それから漫画……」
と雅子は笑つて、
「漫画や似顔絵はかまはないのよ。ああいふものだと諦めてる。あたしもさんざんな目に会つたから。でも、テレビと写真は見たくない。殊に大写し。しみだらけの、たるんだ顔を見ると、うんざりする。昔の、まぶしいほどのいい男があんなふうに変るなんて。顔だけのいい男なら撮影所にもゐるけれど、信伍さんは頭もよくつて。それがねえ。笑顔千両だつたのにすつかり駄目になつた。品がなくなつて。いつかテレビで、消さうと思つてゐると電話がかかつて来て、ついうつかり音のほうだけ消して、長電話の相手をしながら見てゐて、ほんとに厭になつた」
悦子が口をはさんだ。
「一度うちにお米持つて来てくれた若い男の人が田丸さんだつて言ふんだけど、あたし、どうも結びつかなくつて、両方のイメージが。別の人としか思へない。いい男だつた。ぐれてるやうな、坊つちやんみたいな」
「さう。さうなのよね。今みたいになつちやあ、もう見ないほうがいい。思ひ出の邪魔」
悦子が苦笑ひして黙つてゐる。弓子が、これは苦笑ではなく微笑を浮かべてゐる。千枝が興味津々といふ表情で聞き耳を立ててゐる。このとき渋川健郎が、思ひ詰めたやうにして、まるで招き猫のやうに(と千枝は思つた)右手を軽くあげて、
「ちよつと」
と声をかけると、悦子があわてて、
「あ、灰皿。いまお持ちします」
と腰を浮かしかけた。渋川はそれを手で制して、
「いや、いいんです。煙草ぢやなくて質問なんですが、いいでせうか?」
「どうぞ」
と雅子が答へると、
「あの、信ちやんとか信伍さんとか呼ばれてる人物は、現在の首相の……」
「ええ」
「……田丸信伍氏?」
「さうよ。あら、最初に言つて置けばよかつた」
と雅子が言ふと、
「やつぱり」
と渋川がうなづき、
「ふーん」
と千枝は感心し、
「あたしはすぐわかつた」
と弓子はつぶやいた。そして雅子は、いま自分が渋川に見られてゐることを充分に意識しながら、うつむき加減にしてお茶を飲んでゐる。
茶碗を置くのを待つて、渋川が言つた。
「次の質問ですが……かういふ特殊な思ひ出話をぼくになさつたのは? えーと、つまり、総理大臣と今日の家族会議の関係は、具体的に言ふと何なんでせうか?」
「それはね、弓子の勤め先のこと。お話してあげて」
「はい」
そこで弓子は一部始終を語つたが、もちろん発端の論説の件にしても、男と逢へなくなつたせいでもやもやして、それで妙なものを書いたなどとは言はない。女性の権利を擁護しようとして、つい、不貞を容認するやうな論旨になり、それが経済先憂会の理事を怒らせ、そつちのほうはまあ事なきを得たけれど、どうやら某教団を刺激したらしく、その結果、政府与党と約束してある土地を新日報社がもらへなくなりさうになつた。ところがその政府与党の頂点にあるのは田丸信伍である。
とここまで来たとき、渋川が声を発した。
「あ、納得がゆきました。ほら、あれみたい。海外旅行から帰つて、テレビのニュースを見てもチンプンカンプンで、いつたい何をこんな騒いでるのかと思ふ。でも日付の順に新聞を読んでゆくとわかつてくるでせう。あれですね、これは」
「まあ上手なたとへ」
と弓子が感心したのは、新聞が褒められテレビがけなされたせいが大きいので、客観的に見れば果して巧みな比喩かどうかあやしい。しかし論説委員は感嘆の声をあげ、その娘は何となく、飼犬がお客の前で藝をしたやうに得意になつてゐた。
どうやらこの分では大丈夫らしいと見当をつけながら、それでも遠慮がちに、悦子が雅子に言つた。
「それでどうなの? お願ひできる?」
姉は明るい口調で、
「当り前でしよ。うまくゆくかどうか、自信はないけど、とにかく会つて、頼んでみる」
「ありがたうよ。断られたら困ると思つてた」
「そんな。どう言つたらいいかな、久しぶりにいい役がついたつて感じ」
「ありがたうございます、伯母様」
と弓子がお辞儀をした。
「何でもないのよ、こんなこと。駄目でもともとなんだし」
「でも、こんなことまでしていただくなんて」
「何度もお礼を言ふのは水くさいよ」
「ぢやあ、もうこのくらゐにして」
と弓子が笑顔で言つたとき、渋川がつぶやいた。
「おもしろくなりましたね。映画でかういふの、なさつたことあります?」
「昔の男に会ひにゆく役?」
「ええ、会つてそれから……」
「ごねる?」
「言葉はちよつと不適切ですが」
「ぢやあ、脅《おど》しをかける役?」
「それも何だなあ」
「ヤクザの大親分のところへ文句つけに行つて殺される、バーのマダムつて役、やりました。なぜ押掛けたのだつたかしら。忘れちやつたけど」
「殺されるのはまづい」
「ウフフ」
と雅子は笑つて、
「シナリオでは生きてるはずでした。でも、試写で見たら殺されたみたい。よくわからないの」
みんなの笑ひがをさまつたところで、弓子が言つた。
「ごねるのぢやなくて、陳情していただくのよ。政府と与党が横槍をやめれば、あたしが今までどほり論説を書けるわけですから。さうすれば向うとしても全国の女性票を失ふ危険ないわけだし。ほんと、これが問題になつたら大変なんです。でも、あたしが総理にお目にかかりたいと言つても無理でせう。その点、伯母様なら……」
「さう、陳情よ、あたしの考へたのも」
と悦子が念を押すやうに言つた。
「さう、陳情。そして忠告ですね、首相に対する」
と渋川があわてて言つた。
「それはいいけれど、何をしやべるの? 台本がなくちやあ」
といふ雅子の問に、弓子が答へた。
「あたしが大体のところ書きますから、それを本《もと》にしておつしやつたらどうでせう」
「おや、いつしよに来てくれないの?」
「もちろんお供しますけど、でも、やはり伯母様がおつしやらなくちやあ」
「あたしも加勢するから、弓子が頼んだらどう?」
「二人きりでなくちや、お話しにくいでせう。邪魔者あつかひされるのは厭よ、あたしだつて。それに付添ひは入れてくれないんぢやない?」
「信伍さんが?」
「ええ」
ちよつと考へてから、
「大きな字で書いてね」
と言つたのが雅子の承諾のしるしだつた。
伯母に礼を述べてゐる弓子に、千枝が訊ねた。
「晩山先生にも運動するんでしよ?」
「ええ、それを千枝に頼まうと思つて。いい?」
「もちろんいいけど、でも、そんなに有力なの?」
「総理大臣を動かすほど?」
「ええ」
「それがわからないのよね」
「三宅の話ぢや、大したことないみたいでした」
と渋川は馬鹿にしてから、
「でも、いいぢやありませんか。何発も弾を撃てば、どれか当るでせう」
「ええ、あたしもさう思つたの。だから、お願ひしてみて。駄目だつたらそれでいいから」
「千枝さんのファンださうですから、引受けることは引受けるでせう。でも、首相がうんと言ふかどうかは別ですが」
と渋川は予想を立ててから、
「これはぼくも邪魔者あつかひされさうですね。晩山先生は二人きりで話をしたいんぢやないかな」
「そばにゐて応援して下さいね」
と千枝が言ふと、悦子が、
「よろしくお願ひ致します。本当にこのたびは何から何までお世話になりまして。さぞかし御迷惑でございませうが……」
と頼んだり謝つたりする。渋川はその長い挨拶や丁寧なお辞儀に対し、
「いや、そんなことは。もともと、ぼくがお願ひしたことでしてね。何、大丈夫ですよ」
と何度も頭を下げる。
「渋川さんが御一緒なら安心ね」
と弓子は自分を安心させてから、
「何発も撃つつて言へば、千枝も知つてるでせう、仙台の豊崎先生、渋川さん御存じですか?」
「豊崎……先生?」
「ほら、『いいかげんな現象学』とか『いいかげんな解釈学』とか……」
と千枝が説明した。
「あ、豊崎洋吉、あの……」
渋川は「あのいいかげんな哲学者」と言はうとしたのだが、そこは上手に踏みとどまつて、
「あの人の本おもしろいですね。よく売れるし」
弓子は微笑して、
「新書本だから儲けが薄いんですつて。物価は上るのに本の値段は上らないつてこぼしてました」
「それは仕方ないでせう」
「でも、新書本のほうはあたしでもすこしわかりますけど、厚い本式の本になるとむづかしくて。ああいふのは、署名入りをいただくのが申しわけないみたい」
すると横から雅子が訊ねた。
「哲学の先生がお友達といふのは大変でせう、弓子。お話してて頭が痛くなりやしないかい?」
「さういふ話はしませんから」
と論説委員は笑つて、それから渋川に、
「木曜に豊崎先生が、代議士の原さんに会つて下さるんです」
「あ、原幹事長。それはいい線ですね」
と言ひながら、心のなかでは幹事長のことよりもむしろ、おや、ひよつとするとこの哲学者が南弓子の一番親密な男友達なのぢやないか、と疑ふ。そして弓子は、あ、この若い男はいま疑つてゐると思ひながら、そ知らぬ顔で、
「奥様同士が同級生でいらつしやるとかで」
「ほう。しかし妙な取合せですね」
「ほんと」
「幹事長、きつと頭が痛くなる」
などとみんなが喜んでゐると、悦子が一人だけ笑はないでゐる。それを千枝が気にして、与党の幹事長と哲学の教授とが出会ふことのをかしさを説明すると、悦子は、
「さうだつたの。ぼんやりしてたものだから」
と言つて、
「ねえ、あのころで五十万円といふのはやはりひどいんぢやない? あとで聞いて憤慨したもの。三年か四年たつてから」
「さう言つてたねえ、悦子は」
と雅子は微妙な表情で答へた。別に不快さうな様子はない。その反応のせいもあつて、
「すると昭和三十年ごろの物価の問題ね」
と弓子が、新聞記者の意識でつい口走つたため、これを耳にした悦子がつぶやくやうに言つた。
「昭和三十年ねえ。台所を直したのよ、あの年。大工さんの手間がたしか七百円くらゐ」
「今は二万五千円くらゐでせう。二万六千円かな?」
と渋川が言つて、
「えーと、さうすると約四十倍。今の二千万円に当りますね。でも、かういふのは一つだけでは危険です。精密にするためにはもつと何か……」
と言ひかけたとき、悦子が、
「このあひだ、病院の近くでおそばを食べたら五百円でしたよ」
と言つた。外食することは滅多にないから、よく覚えてゐるのである。すると弓子も、新聞記者がコラムを書くときの気持になつて、
「昭和三十年のもり、かけ、いくらぐらゐかしら? 資料室に訊いてみませう」
と立ちあがりかける。渋川がそれを制して、
「あ、このあひだ劇画で読んだばかり。バツチリ。昭和三十一年か二年のもりの代、四十円ですつて」
弓子が、
「さうすると、えーと……と」
と暗算に手間どつてゐると、千枝がすばやく、
「約十三倍ですから六百五十万円」
と教へた。
「二千万円になつたり六百五十万になつたり、揺れがひどいでせう。ここがむづかしいんです。歴史研究の難問の一つですね。つまりわれわれはどうすれば昔の経済生活の実感を感じ取ることができるか? まづほとんど不可能でせう。しかし歴史の研究者としてはさうも言つてられないから……」
と渋川が陽気に説明した。だが、その歴史学方法論には誰も何も応じなくて、弓子が、
「何と言つても人件費があがりましたから」
と言ふと、悦子が口をはさんだ。
「安くなつたのは卵だけぢやないのかしらね」
するとそれにつられて、
「ブロイラーのせいで」
「でも味が落ちましたから」
「戦争前は卵が高くて高くて」
「海外旅行でびつくりするのは卵とそれからミルクですね。味がじつに濃厚です」
「アイスクリームもおいしくて」
などとにぎやかな雑談をはじめた。それで悦子も気を許して、
「でも、土地は人件費よりももつともつと」
と言つた。
「土地の値段のせいね、日本の物価がこんなことになつたのは」
と弓子が言つた。それにつられて渋川が、
「それにしても八月十何日かの五千坪の土地といふのは惜しかつたですね。それを買つて置けば、もつとたくさん……」
と言ひかけた。これは「もつとたくさん手切れ金を渡せた」と言ふつもりだつたのだが、あやふいところで自制心が働き、横目を使ふと、雅子は愁ひに沈んだ様子で遠くを見てゐる。渋川は反射的に、自分たちの(とりわけ自分の)にぎやかな物価の研究がいけなかつた、ロマンチックな恋の思ひ出を金額の話で汚してしまひ、雅子の心を傷つけたと考へ、大声で謝つた。
「あ、ごめんなさい。お金のことなんかしやべつて。つい無神経な話のし方をしてしまひました。申しわけありません」
すると雅子は渋川のほうを見て、
「いいんですよ。あたしはほかのことを考へてたの。関係あることですけれど。別に怒つてなんかゐなかつた。だつて、この話はもともとあたしが持出したのですもの、怒るはずなんかないぢやない」
と言ふ。そして、悦子、弓子、千枝が謝るのにも、
「いいのよ、さうぢやないのよ。違ふのよ」
と微笑して答へ、すこし考へてから、まるで誤解を解かうとしてのやうにかう語つた。
「あたしは一体に呑気なたちでしてね。女優なんてみんなさうかもしれないけれど。深刻にものを考へたりなんかしないんです。でも、若いころ二へん、ひどくショックを受けたことがあつたの。一つは男の人が兵隊に取られて戦死したことね。あれは何だか、神隠しみたいでした。不意にゐなくなつたんだもの。悲しいことも悲しかつたけど、でも、悲しいといふより、不思議でたまらない感じ。わかるかな? 千枝ちやん、あの感じ。わからないだらうな。千枝ちやんより二つか三つ上だつた」
そして千枝が、ここは何も言はないほうがいいと賢く判断して、ちよつと首をかしげてゐるのを見て、うなづいてから、柳あえかはまたつづける。
「もう一つは、さつき話したお金のときね。この二つでとつても参つてしまつて、あれこれと悩んだらしいの。らしいなんて言ふと他人事《ひとごと》みたいで変ですけど、でもさうなのよ。自分の心のなかのことがよくわからないの。次の恋がまたはじまつても、それでも心のどこかで気に病んでたのね。よほど気にしてゐたから、それであんなむづかしいことを考へたんぢやないかしら。あんな理屈つぽいこと考へたのは一生に一度でした。あれは代議士当選の翌年の夏でしたね、九月ごろ」
「つまり昭和二十九年」
と渋川が言つた。
「さうね、二十九年かしら。何かの会に出るので、四時か五時ごろ外に出たの。それで付人の佐竹さんといつしよに表通りを歩いてゐたら、町内のお祭だつたんです。軒並に赤い提燈が飾つてあつて、揃ひの浴衣を着た大人がゐて、どういふわけか子供はまだ出てゐなくて、電気屋と魚屋のあひだの町会の事務所が頭屋《とうや》になつてゐて、揃ひの浴衣の八百屋のおぢいさんや床屋のをぢさんが鹿爪らしく坐つてゐたりして、神様の名前の大きく書いた掛軸がかけてあつて、町内からの寄付が、一升|瓶《びん》三本とか、西瓜とか、白木の三方に盛つたお餅とか、桃とか並んでるの。そのすこしさきへゆくと、喫茶店と豆腐屋にはさまれて小さな神社があつて、あたしは立ちどまつてお賽銭を投げて、お鈴は紐が汚れててきたないから鳴らすのはよして、柏手をポンポンと打つて拝んだの。でも、さうしてるあひだ中、ここにも一升瓶だの、ビール、コカ・コーラ、白木の三方にトマト、玉ねぎ、お餅、メロンなんかが供へてあるのが変な気がして仕方がなかつた。変といふのも違ひますねえ。何かをかしくて仕方なかつた。こんなもの押付けられて、神様も迷惑ぢやないのかしら、と思つたの。何しろトマトの赤い色とコカ・コーラがとても下品な感じで、場違ひな気がしたので、それでかもしれませんけど。とにかくふつとそんな気がしたのね。お祭なんて子供のときから見てゐるのにこのときはじめてこんなこと思つたんです。でも、ありますよね、さういふこと」
渋川を含む全員がここでうなづいた。
「そのときあたし、かう思つたんです。床屋のをぢさんや、喫茶店の御主人や、豆腐屋のおかみさんは、神様にどうしたらいいかわからないから、かういふものを供へてる、だからこれで仕方ない、と思つたの。そしてそれにつづけてすぐ、神様としてはかういふものを差出されて、どうぞよろしくと言はれても困るけれど、しかしまあ相手が相手だから、どうも品がないことをするなあと思ひながら我慢してるわけね、と思ひました。それであたし、神様も大変ね、なんて同情してゐました。そのとき、八百屋で買物したばかりの買物籠持つたどこかのをばさんが横に立つて、十円かそれとも五円お賽銭箱にひよいと入れて、お鈴を鳴らして柏手を打つて、ムニヤムニヤ言つて、きつと願ひ事でせうね、あれは。それでパツとゐなくなつたの。ひどく忙しいのね。それを見ててあたし、こんな調子でお願ひされて、それをいちいち叶へるかどうかはともかくとしても神様も大変ね、と思つて、さう思つた次の瞬間、あ、この五円か十円だつて、あたしの百円だつて、トマトやコカ・コーラや玉ねぎや南瓜とおんなしぢやありませんかと気がつきました。ほんと、ちつとも変らないのね。つまりあたしが魚屋のをぢさんや床屋のをぢさんや豆腐屋のおかみさんと同じことしてると気がついたんです。同じくらゐ品ないわけね。お金なら品物より立派つてわけぢやありませんもの。あたしとしては何だかひどくショック。そのとき佐竹さんが、もうゆきませうと言つたの」
柳あえかはここでお茶を一口飲み、またすぐに話をつづけた。
「駅までゆけばタクシーがあるはずなのに、一台もなくて、電車でゆかうかしらなんて言ひながら、でも、駅前でぼんやり待つてゐました。そのとき、ああいふのを閃《ひらめ》くと言ふのかしらね、あたしたち人間が本当は何かもつとましなものを、何がいいのかわからないけどでもとにかく何かを神様に差上げればいいのにその何かを持つてないから、困つたあげく、仕方なく、玉ねぎだの、茄子だの、南瓜だの、トマトや白桃やお金や一升瓶を神様にあげるのと同じやうに、信伍さんはあたしに五十万円を届けさせたのかもしれない、と。つまり、ほかにどうする手だてもないから。だからあたしも神様みたいに、ああ下品な贈り物だなあ、でもまあいいとするか、なんて苦笑ひしながら黙つて受取らなければならないし、また、それでいいの、といふことを思つたの。をかしいでせう、あたしが神様になるんですもの。ね、をかしいのよ。ひつくり返つて笑ひたいくらゐでせう。それであたしクスクス笑つたの。そしたら佐竹さんがどうしたのですかつて訊ねたけれど、黙つてゐました、もちろん」
みんな黙つてゐた。驚いたり、ここで何か失礼なことを言つてはいけないと心配したり、それから、もちろんこの要素が一番多かつたのだけれど、感動したりしながら。悦子はじつとうなだれて聞いてゐる。弓子はびつくりして、すこし口をあけてゐる。千枝は身を乗り出すやうにして大伯母をみつめてゐるし、渋川は椅子の背にもたれて、いつの間にか引張り出した二匹の縫ひぐるみの犬を膝の上にのせてゐる。渋川が大きな吐息をついた。柳あえかが語りつづける。
「考へてみれば、お金つてやはりいいものですよ。あたしは五十万円をだらしなく費《つか》つてしまひましたけれど、でも、いろいろ役に立つ便利なものですから、ほかにどうしやうもないときこれを贈るのも納得がゆくのよね、それなりに。頭のいい人ならとうにわかつてゐるそのことを、あたしはお祭のおかげでやうやくわかつたのでした。ほんとに馬鹿ね。でも、さうわかつて、だから神様みたいに、内心げんなりしながらでも我慢しなくちやいけないと思つても、それでもやはり……腹が立つのよね。をかしいでせう、別れてから一年以上たつてゐたのに。さう大して惚れてたわけでもないのに。惚れてゐたのかしらねえ、それとも。でも、神様みたいにといふわけにはゆかないにしても、こんなふうにして、だんだんすこしづつ、気持がをさまつてゆきましたけれど。いまでも、あのお祭の日のこと、ときどき思ひ出します。一生に一ぺんむづかしい理屈を考へた日ですから、まあ、記念日みたいなものかしら。記念日と言つたつて、九月の半ばといふだけで、十何日なのかはつきりしません。ついこのあひだといふ気がするのに、もう三十年以上前のことなのねと思つてました。機嫌悪くしたわけぢやないんです。御心配なさらないで」
みんながしばらく黙つてゐて、それから口々に言つた、悦子は、
「やはりあの学生さんが一番好きだつたのよ。さう思ふ」
と、ぼそぼそつぶやいた。千枝は、
「伯母様、今日はとつても知性的」
と批評した。渋川は、
「いや、おもしろい意見でした。おもしろいと言つては何ですが、ジーンと来ました」
と言つて二三度うなづき、縫ひぐるみの犬を両方、押へつけた。そして弓子は、
「さうね」
とうなづいてから、
「でも、一つおつしやらなかつたことがあるのよ。問題なのは、その、富山から御自分で届けたのでなく、叔父さんに届けてもらつたといふことぢやないでせうか。それで傷ついたのでせう」
渋川と千枝が、
「もちろんそれは言へます」
「あたしも気がついた」
と賛成した。
すると雅子が言つた。
「それはやはり厭でしたよ。いい気持ぢやありませんでした。侮辱されたやうな感じでね。でも、だんだん諦めがついて行つたの。別れといふ悲しいことは、人生にはつきもので、仕方がないことでせう。本当は慰めやうがないのね。でも、ぜんぜん何もしないよりはお金を渡してくれるほうがまだしもましかもしれない、なんて思ふやうになつたの、お祭のせいで。お金とか物とかぢやあ話にならないけれど、しかしせめて気持をあらはしたいとき、それしか手がないでせう、寂しいけれど。結婚する気でゐた人が戦死したとき、それはあたし奥さんぢやないから文句つける筋ぢやありませんけど、日本の国はあたしに何もしませんでした。当り前ですけどね。あんなふうに死に別れさせた日本といふ国にくらべれば、生き別れさせた田丸家の態度のほうが、ほんのちよつと……ほんのちよつとより多いかな、上だと思ふことにしたんです。ええ、お金をくれた分だけね」
渋川が大きく吐息をついて頭を下げた。まるで日本国および田丸家を彼が代表して、責任を痛感してゐるやうに。そのあとで雅子がつづける。
「自分であのお金を持つて来なかつたことについても、だんだん許すやうになりましたよ。許しかけて、しかしすぐにまた怒つたりしたけれど。許すといふのは、つまりもしも自分が行つたら今まで通りになるんぢやないかと思つて、自信がなくて、それで叔父さんに頼んだ、と思ふわけね。きつとさうだつたのよ。しよつてるみたいで笑はれるかもしれないけれど。だつて、何から何まであたしが教へたのよ、そつちのこと。ですから……別れたくはなかつたはずなの。政治家になるためには地盤を手に入れなくちやならないから仕方なくて、泣く泣く別れることにしたのでせう、きつと。それはね、あたしだつて、いつまでもああいふ関係つづけられると思つてなかつたけれど……」
そしてまるで遠い夜な夜なを偲ぶやうに甘い声で、
「はじめのうちは無器用で、何も知らなくて、困つたものでした……」
悦子があわてて、
「お姉さん」
と呼びかけ、一拍置いてから、
「ねえ、お腹《なか》すいてません?」
と訊ねたとき、居間の隅に置いてある小さな機械が唸るやうに鈍く鳴り出した。
「あ、ファックス」
と嬉しさうに声をあげて千枝が立ちあがると、弓子と渋川も、これで助かつたといふ気持で、
「ファックスね」
「便利な機械だなあ」
とつぶやく。
受信した文面を千枝が母に渡した。弓子が読むのは浦野の筆跡である。
南弓子様
ご存じより、
この紙一枚のみ
新しい情報を入手。社は人事の方針を改めて局面の打開をはかろうとしている模様。
社長室付きの部長待遇という提案が明日なされるはず。
とりあえずおしらせ致します。
「社が明日、別のポストを提案するんですつて」
と弓子は言つて、読みあげ、
「あたしこんなの受入れない。本当の閑職ですもの」
「さう? このへんで手を打つ気はないの?」
と悦子が遠慮がちに訊ねたが、弓子は首をかしげたまま黙つてゐる。千枝の、
「社長室付きの部長待遇つて、前からある職?」
といふ質問には、
「あるもんですか。急にこしらへたのね。うちの社の人事、かういふこと多いのよ」
と答へた。すると横から雅子が、
「断るほうがいい。社長室付きなんて、ろくな仕事ぢやないに決つてるもの。封筒の上書きかなんかさせられるんぢやないの?」
とわかつたやうなことを言ふ。どうやら、撮影所の所長室付きか何かから連想したのらしい。
「それよりはすこし上でせうけど」
と弓子は苦笑して、
「でも、とにかく論説委員からはづされるわけですから」
「さうですよ。会社の言ひなりになんかならないほうがいい」
と雅子が言ふと、悦子もすこし考へてから、
「うん、さうかもしれない。とにかく総理大臣に会つていただくほうがいいんぢやない」
と同意する。弓子が渋川に訊ねた。
「どうでせう?」
「賛成です。やはりこれまでの方針どほりつづけるほうがいいと思ひますよ」
そこで弓子が雅子に言つた。
「では、お手紙書いて下さいませんか。短いので結構ですから。実は折入つてお話したい件があるといふお手紙。それを明日、総理番の記者に頼みます」
「ぢやあ、今夜のうちにね」
と雅子がうなづいた。
そのとき、母親の後ろに立つてメッセージを覗き込んでゐた娘が、
「ねえ、おしまひの変な模様、何なの?」
と訊ねた。なるほど、浦野が署名代りに描いた図形はゆがんでゐて、とてもハートには見えない。
千枝はローズいろに大小あられ小紋の訪問着で、帯は丁字茶《ちようじちや》に灰汁《あく》いろの亀甲。もともと荻野左近の絵のため新調したものだが、娘のほうは洋服でといふ画家の意向で、今日が仕立ておろしである。渋川健郎は濃紺のブレザーに白のシャツ、水玉のネクタイ。書家の機嫌をとるつもりの服装だつた。
迎へ入れた書家の孫娘二人は、これと対照的な服装である。胸いつぱいにフリルのついた白のブラウス、ざつくりと編んだ赤いカーディガン、黒の超ミニのスカートといふ、姉妹そろひのなりだつた。二人が違ふのは口紅の色だけで、姉の臙脂《えんじ》に対し妹は白つぽい桜いろである。千枝の同級生だつた姉のほうは、学校ではこんな突飛な恰好はしなかつたのに、家では違ふのかもしれないし、それとも妹の影響かもしれない。姉妹はこれもよく似た舌つたらずな口調で騒ぎ立て(学校では姉娘はこんな話し方ぢやなかつたのに)、客たちを居間に招じ入れた。仮表装の軸がいくつか掛けてある雑然とした部屋で、千枝は薔薇の花束、渋川は白葡萄酒を差出した。妹が渋川を「お兄《にい》ちやま」と呼ぶのに引きずられて、姉もさう呼ぶ。客たちはこの馴れ馴れしい呼び方に驚きながら、食卓を兼ねるらしいテーブルに向つて腰をおろすことになつた。
めいめいの紹介がすんでから、妹娘が出て行つた。そして、茶いろの泥大島を着くづし、角帯を結んだ、長身で髪も眉も口ひげも白く、顔は灰いろの大沼晩山がはいつて来ると、妹が、
「おや、お爺ちやま、はや〜い。いつもは勿体つけて、なかなか出て来ないのに〜」
そして姉も、
「千枝ちやんを早く見たいから。わかつてる〜」
とはやし立てたが、晩山は平気で、
「いや、そのまま、そのまま」
と椅子に腰かけ、
「よく来てくれました。じつに嬉しい。老生近来の快事。いや、花やかな顔、あでやかな衣裳」
とほほゑみかけてから、正面にゐる渋川に、
「君は誰だ?」
孫娘たちが、
「きびし〜」
「お兄ちやまに焼餅やいてる」
などとからかふなかで渋川は名刺を出し、書家の前に置いた。そして、姉娘の差出した大きな拡大鏡で読んでゐる晩山に恭しく、
「幕末から明治にかけてを研究してをりますので、副島種臣……先生の書を拝見させていただきたいと存じまして」
「このあひだ、電話でお願ひしました」
と千枝が口添すると、そばから孫娘たちがにぎやかに言ふ。
「さうよ、さうよ」
「また忘れた〜、お爺ちやま」
「あ、さうだつたか」
と軽くうなづいて、
「お土産の品々かたじけない」
と二人の客に頭を下げ、
「副島蒼海先生は漢の高祖の血筋を引く方で、それゆゑはじめは龍種《りようしゆ》、帝王の子孫といふ意味のお名前でありましたが、皇室に御遠慮申上げて種臣と改められた」
「漢といふのは中国の、あの秦とか漢とかの?」
と千枝が訊ねると、
「さうです。大昔だな。その子孫が日本に渡りました。ほぼ、邪馬台国の女王、卑弥呼のころかな?」
「まあ」
「そのせいもありませうが漢学に秀でてをられた。普通、日本の外交官は中国に使ひしても書が拙《つたな》く、詩が拙い。ところが先生はいづれにおいても彼らをしのぐ。外交において功をあげたのもこれが力大きいと言へませう」
「はい」
と渋川はもつともらしくうなづくのだが、孫娘たちは例によつて、
「ぢや、お爺ちやまも外交官になればよかつた〜」
「すごい功績をあげたかも〜」
などと冷かす。が、晩山は、
「いや、さうはゆかない。法律を知らないからな。蒼海先生は維新前に漢訳の万国公法をそらんじてをられた」
とまじめに答へる。渋川が笑ひをこらへ、そして千枝はをかしくてたまらないので微笑すると、晩山はそれに見入つて、
「いや、美しい。美人一笑千万金。しかしながら一介の老書生には贈るものがただこれしかない」
と言つて部屋の隅を指さした。孫娘たちが立ちあがつて、一人は硯《すずり》を持つて来て墨をすり、一人は色紙と筆の林立してゐる筆筒とを差出す。千枝はいつぞや貰つた扇の礼を述べた。晩山は相変らずその顔を見ながら、何やら詩句をつぶやくらしいが、これは誰にも聞き取れない。やがて灰いろの顔の老書家は色紙を左手に持ち、筆をとる。そしてとつぜん猛獣のやうな気配が老躯にみなぎつて、
月出皎兮
佼人僚兮
と楷書で書いた。姉娘が柱の色紙掛けにとめる。晩山はゆるゆるとまたもとの老人に戻り、
「月出でて皎《きよう》たり。佼人僚《こうじんりよう》たり。きれいな月が出た。美人がその月に負けずにきれいだ。『詩経』です。美人を慕ふ心」
と説明してから、その二行の書を眺め、
「どうも出来が悪い。字が詰まらない」
とつぶやいた。実は渋川もそのとき、上手は上手だが、畢竟《ひつきよう》、習字の先生の字で、おもしろみがないと思つてゐたのである。
そのとき、妹娘がはやし立てた。
「また催促してる〜」
そして姉娘はつづけて言つた。
「ずるい〜」
晩山は、
「いや、別にさういふつもりはないが、しかしまあ、風韻の問題だな」
とわかつたやうな、わからないやうな台詞《せりふ》を口にして、眼をしよぼしよぼさせる。
姉娘が立ちあがつて、どこからか一升瓶を持出した。妹娘が小さなコップを二つ出した。姉娘がとくとくとつぎ、一つは渋川の前、一つは祖父の前に置いて、
「お兄ちやまもお一つどうぞ」
すすめられて助教授は半分ほど一気に飲んだが、書家はほんの一口なめるだけで、
「それで思ひ出したが」
と独り言のやうに言ふ。そして、
「はい」
と千枝がうなづいたのを嬉しさうにしながら、
「大正十四年、わたしがはじめて上京した折りの住ひは、副島蒼海先生の御子息のごく近くでありました。もちろん蒼海先生はすでに他界してをられる。しかも偶然と言ふべきか奇縁と言ふべきか副島先生とゆかりの深い森……」
とそこで絶句して、
「森……」
コップ酒に手をのばしてまた一口なめ、
「森……」
姉娘が、
「森外?」
と訊ねると、
「いや、外先生ではなくて、えーと、森……」
すると姉娘が千枝と渋川に目くばせしながら、
「森蘭丸!」
老人は大まじめに首を振つて、
「いや、違ふ。森蘭丸ではない。大正十四年。現代の人だ。えーと、森……」
妹が、
「森の石松!」
老人は激しく首を振つて、
「違ふ違ふ。石松ぢやなくて、うーむ」
と眉をひそめてまたコップ酒をなめる。千枝は思はず笑ひ声を立てたが、姉妹はまるで喜劇役者のやうに上手に笑ひをこらへてゐる。渋川が見るに見兼ねて、
「あの、森槐南《かいなん》でせうか?」
と声をかけると、
「それだ森槐南。明治漢詩界の代表者」
と大喜びして酒を今度は一口ごくりと飲み、孫娘たちが、
「お兄ちやま、偉い〜」
「教養ある〜」
とお世辞を言ふなかで、
「その森槐南先生の令息がをられた。まことに由緒正しい風雅な町内でありました」
と往事を回顧して感慨に耽る。その思ひ出話によると、どこへ引越しても名士あるいはその子孫(たとへば乃木大将夫人の甥)が近くにゐるし、さらに彼と関係のあつた者のなかからはかならず有名人が輩出するのだつた。たとへば前首相のやうに。老書家は前首相の書について訊ねられると、大きくうなづいてから、
「一かどの人物はみな一かどの書を書くものです」
と答へ、また一口、酒をすすつた。
灰いろの顔にほんのすこし赤みがさして来た。しばらく瞑目したのち、紙に向つて息を整へ、ふたたび立つて『詩経』の詩句を書きつけると、百薬の長の功徳まことにあらたかで、のびやかな趣が古代の恋愛詩にふさはしい。老人は色紙掛けに改めて留めさせた二枚目の書を眺め、
「これはすこし、いいかもしれぬ。書はみな身の軽きをもつて尚《たふと》しとなす」
とつぶやいた。一杯やつたので体が軽くなつたといふ意味だらう。千枝と渋川が大きく吐息をついた。彼らは礼節を守つて口をさしはさまないが、感心してゐる様子は明らかだし、孫娘たちは、
「お爺ちやま、さすが〜」
「飲む前、飲んだあと〜」
「お酒のコマーシャルに出るといい」
「ほんと〜」
などとにぎやかに褒めそやす。
晩山はにこにこして聞いてゐたが、やがて筆に墨を含ませ、「清楊婉兮」(清楊 婉《えん》なり)とか、「華如桃李」(華やかなること桃李のごとし)とか、「佳人難再得」(佳人再び得がたし)とか、その他みなこの種の、女人の美をたたへる字句を次々に書き、
「お荷物になつて恐縮ですが、お持ち帰り願ひたい」
と千枝に言つて筆を投じた。そして、
「印を押して置くやうに」
と言ひつかつた孫娘たちが、
「あら、お兄ちやまにはあげないの?」
「不公平ねえ」
などと冷かしても聞えないふりをしてゐるが、千枝が礼を述べてから、
「副島先生の書を見せていただくほか、もう一つお願ひの筋があります」
と言ひかけると、これはよく聞えるらしく、
「ふむ、ふむ」
とうなづいて、
「あ、それはちらりと耳にしました。その件については後ほど人ばらひの上で伺ひませう。政局にかかはることらしいから。蒼海先生の軸は記念館のほうですから、そちらに御案内させませう」
と言ふ。
「お兄ちやまとあたしたちを追ひ払ふ」
「ずる〜い」
などとからかはれても平気である。どうも事情が呑込めなかつたが、事務員はまだゐるかとか、電話してあるから帰らないはずとか、そんなやりとりから察して、すこし離れたところに政財界の寄付で出来た大沼晩山記念館なるものがあつて、自身の代表作のほか所藏の逸品が飾つてあるらしい。渋川は、これはすこし話が違つて来たと視線で相談したが、千枝は、大丈夫よといふ気持でそつとうなづく。
渋川は娘たちと連れ立つて五分ほど歩いた。道すがら二人の娘は祖父のことでしきりに冗談を言ふ。たとへば、はじめおもしろみのない字を書いたのはお酒をねだる口実を作るためだとか。いや、それは冗談ではなくて本当かもしれないけれど。あるいはまた、首相、前首相および財界の超大物に手紙を出すときと、それ以下の人のときとでは封筒も便箋も違ふ、とか。いや、これも単なるすつぱ抜きか。さらに、テレビを見るのが大好きで、あるときひどく不満さうに、自分にテレビ局から一ぺんも出演依頼がないのはどういふわけだらうと独り言を言つたとか。これももちろん実話にちがひないけれど、娘たちはまるで家族が飼猫の奇癖について話し合ふやうに、相槌を打つたり笑ひ出したりしながら陽気に語るのだつた。
晩山記念館、正式に言へば大沼晩山書道記念館は、前首相の選挙区の出身である建築家の設計で、印材をかたどる趣向らしく、方形の建物の上に紐《ちゆう》に当る鳥の形がついてゐる。その大きな鳥は嘴《くちばし》を寂しさうに突き出してゐたし、新奇な建物は東京の黄昏《たそがれ》のなかですこぶる悪趣味に見えた。といふよりもむしろ、この種の建築を猫の額みたいな敷地に置くのは無理なのであらう。
しかし館内は小ぎれいだし、展示の仕方も気がきいてゐる。大沼晩山の書は当節の書家の作とくらべれば前衛ぶつたハツタリがない分だけましといふ印象だつたが、参考作品、殊に副島蒼海の数点とくらべると見劣りするのはやむを得ない。渋川はむしろ、かういふ不利なことを敢へてする晩山の人柄に好感を持ち、しかし、待てよ、ひよつとすると当人は見劣りしないと思つてるのかもしれないぞ、と疑つた。
一通り見てから、もう一度、副島種臣の軸や額の前に立つ。最晩年の書は、楷書と行書とをまぜたり、平然として略字を使つたりして、まことに自由放胆である。まつたく衒《てら》ひがない。枯れてゐて気持がいいが、エネルギーの衰へは明らかで、かうなるともう政治家ではないな、といふ気がした。娘たちはこの間《かん》、どこかへ行つてゐるので、じつくりと見ることができたが、やがてまた二人が現れて、にぎやかに話しかけた。渋川が話して聞かせた種臣の逸話のなかでは、例の、あるだけの印をみんな押せと言つたのに四つしか押してないといふのが一番受けた。晩山の印を押すのが姉妹の仕事だから、余計おもしろがるのかもしれないけれど。
宵闇の濃いなかを帰つて来ると、ちようど鮨屋の出前が届いたところで、これは記念館で言ひつけたものらしい。妹娘が受取り、姉娘が金を払ひながら、口々にする話によると、晩山は貝類が嫌ひな代り大トロと小鰭《こはだ》に目がないたちださうである。鮨屋は、注文通りに入れて置きましたよと笑ひながら言つて、帰つてゆく。
三人がにぎやかに家にはいると、居間では食卓の反対側に大小二つのソファがL字型に置いてあるのだが、その一つに晩山、もう一つに千枝が腰かけてにこやかに話をしてゐた。話題はここでもまた鮨のこと。
どうやら晩山は以前、小鰭が食はず嫌ひだつたのに、何かの拍子で食べてみたら気に入り、何十年かの空白が残念で仕方がないといふ話をしてゐたらしい。そのせいもあつて、殊に大好きな新子は毎年欠かさず食べにゆく、今度いつしよに銀座のどことかにゆかうと誘つてゐた。すると千枝は、
「失はれた青春を取返す話みたい」
とからかふ。そのやりとりを耳にしながらソファのほうへ近づいてゆくと、千枝がバツの悪さうな、照れくさいやうな表情でちらりと渋川を見て、それから、
「ええ、ゆきませう来年の夏」
と答へる。そして二人で笑ふ。何か二人のあひだの距離がぐつと小さくなつたやうな気配である。助教授は、これは例の件はうまく行つたらしいぞと考へ、その一方で、しかし何となく様子がをかしいと思つた。
そこへ妹娘が寄つて来て、
「お願ひのことうまくゆきまして?」
と訊ねたが、千枝と晩山が顔を見合せ、何も答へずに笑つたのを見て、
「あら、あやしい目つき〜」
とからかふ。それで渋川は、おや、自分ひとりだけの感想ではないらしいぞ、と思ふことになつた。
すぐに用意が整つて、五人が食卓を囲んだ。時計まはりに、晩山、千枝、姉娘、渋川、妹娘の順である。茶の係は姉、酒の係は妹。ただし今度はコップ酒ではなく、九谷の酒器を用ゐる。鮨はたしかに大トロと小鰭がすこしく多目だつた。
渋川がまづ記念館を褒め、次いで副島種臣のコレクションを褒めると、晩山は軽く一揖《いちゆう》してから、
「しかし惜しいものを一つ逃しました。貧書生は涙を呑むしかなかつた」
と答へ、以下は千枝に向つて話しかける。
「副島先生が漢の高祖の末裔であることはお話した通りですが、漢の高祖すなはち劉邦が項羽と争つて垓下《がいか》の戦ひに勝ち、項羽を烏江《うこう》において自決せしめた。これで漢の天下になつたわけです。紀元前二〇〇年くらゐでせう。ところが副島先生は明治初年、外務卿であつたが、その唱へる征韓論が容れられず野《や》に下り、足かけ三年のあひだ中国に遊んだ。その際、烏江において詠じた七言絶句が、先生一代の名作と言はれてゐます」
妹娘に目くばせして筆墨を命じ、小ぶりの楷書で、
鳴雁枯蘆天欲霜
烏江暮色正茫茫
沛公孫子今予在
鼓棹中流弔項王
と書いて、色紙を千枝に渡し、一通り目を通したと思ふころに訳をつける。それは思ひ入れたつぷりの、節をつけた台詞《せりふ》である。
雁は鳴き芦は枯れて霜が降りさうだ
烏江は夕暮で仄暗い景色
劉邦さんの子孫の私が今ここにゐる
舟を川中に漕ぎ入れて項羽さんを弔ふ
そして口調を改め、
「劉邦は兵をあげるとき、沛公《はいこう》と称しました。わたしの訳で御先祖を『劉邦さん』と呼ぶのは心安立てにすぎるかもしれませんが、しかし『沛公』ではハチ公の親類筋みたいでやはりをかしい」
ここで姉娘が派手に笑ふ。晩山はつづけて、
「まことにこの一篇の気宇雄豪なること、東洋の詩文の代表とすべきものでありませう。二千年を一望の下にとらへて歴史的感慨にふけつてゐる。維新以後の日本文学の最高のものと言ふことも可能であります。婦女子の色情を叙して生計を立てる当今の小説家流は、この二十八字詩の前に慚死《ざんし》すべきである」
ここで妹娘が小さくくすりと笑ひ、姉娘がそれにつづいたのは、老人が千枝に夢中なのと今の発言との関係はどうなるかといふ気持だらう。小説家にはそんな偉い祖先のゐる者はゐないから仕方がない、と思つたのではなささうだ。
渋川は、老人のこの詩の評価は褒めすぎだと思つたが、無表情で、
「その軸を入手できなかつたわけですね」
「左様」
とうなづいて晩山はその顛末を詳しく語る。話がごたごたしてゐてよくわからないが、とにかく渋川は、
「残念なことをなさいました」
と挨拶した。
ここで晩山が鮨をつまみ、酒を飲むと、姉娘はとつぜん千枝の訪問着を褒め、
「あたしたちも着物ほしい〜」
「ほんと。一昨年つくつてもらつたきり〜」
と二人でねだり出したが、老書家は、
「ふむふむ。その件はまた別席で」
とうなづいてから千枝に向つて、
「この絶句については特筆すべきことが一つあります。それは、よろしいですか、先生が御先祖の霊を弔はうとせず、御先祖の討つた項羽の霊をもつぱら慰めようとしてゐること。この優しい心根。じつに見上げた態度ですな。東洋の道徳なほここに存す。これでこそ武士道。これでこそ明治の元勲と言ふことができませう」
「はい。さう言へばたしかに」
と千枝は答へて海胆《うに》を食べる。妹娘は笑ひながら、
「別席なんて、忘れるくせに〜」
「ここで決めませう」
「ここに存す」
と騒ぎ、玉子焼だの海老だのを食べる。このとき渋川には、言ひ出したくてたまらないことが一つあつた。去年この詩を読んだときから思つてゐたことである。
種臣のこの詩は、たしかに構へが大きくて感動的だが、それは要するに祖先の勝ちいくさの古戦場に二千年後、子孫が行つたといふ事実のせいで心を打つのである。つまり事実のもたらす歴史的抒情。言葉の藝は何もない。四句はみな常套語の組合せにすぎない。しかし、考へてみると、明治の漢詩人たちを絶賛させたものは、二千年、先祖と子孫、古戦場への旅、の三つによる歴史趣味のほかにもう一つあつたのかもしれない。それは日本古来の御霊《ごりよう》信仰だ。日本人は昔から、たとへば配所で憤死した菅原道真の霊が雷となり、清涼殿に落雷して醍醐天皇その他を殺したと思ひ込んだのをはじめとして、政治的敗北者の亡霊は災厄をもたらすと信じてゐた。さらにまた、この霊をねんごろに弔へばたたらないし、むしろこちらの守り神になると信じてゐた。この信仰は長くつづいて、遥か後世の、たとへば西郷隆盛の死後にも見られる。明治政府は隆盛の怨霊をなだめようとして四苦八苦した。銅像を立てたのも怨霊慰撫の手段である。そして彼は種臣の親しい同時代人(征韓論の同志)であつたから、御霊信仰は種臣の心中にももちろん大きく影を投げてゐた。
さう思つてこの七言絶句を読むと、祖先の劉邦が亡ぼした敵、項羽の霊を慰撫して自分にたたらないやうにするための詩の供物《くもつ》だといふことがわかる。種臣は御霊信仰を深く信じてゐたし、あるいはすくなくとも、日本漢詩を支配する御霊信仰の伝統のなかで生きてゐた。それはちようど、北朝の天子の末裔である明治天皇が、維新の直後に、政治的敗北者として非業の最期をとげた南朝の皇子、護良親王を祀《まつ》るお墓を鎌倉に建て、その父、後醍醐天皇を吉野神宮に祀つたのと同じやうなものだつた。そして明治の漢詩人たちはもちろん御霊がたたると思つてゐたから、この詩による感動はその分だけ切実になつたのである。
といふことを、しかし渋川は口に出さなかつた。副島種臣の書は見せてもらつたからもうかまはないが、千枝の母親のことがあるから、やはり晩山と対立するのはまづい、機嫌をそこねないほうがいい、と考へたのだ。そこで、意見を述べない代りに、両脇の娘のついでくれる酒を飲み、鮨を食べた。娘たちは鮨もいいけれどフランス料理もおいしいといふ話をしてゐる。そして晩山は、千枝が話の合間に酌をすると相好を崩して喜ぶものの、仔鴨のテリーヌやオマール海老のフリカッセにはまつたく関心がない様子で、かう訊ねた。
「つかぬことを伺ひますが、お母様はどういふ方の追悼文をお書きになつたのかな?」
「書いてないと思ひます。さつき申上げましたやうに論説委員ですから」
「いや、さうではなくて」
と晩山は笑つて、
「偉人が亡くなつたとき、新聞は社説で哀悼の意を表するものだが」
渋川が横から、
「大記者が書いたのですね。今はその習慣すたれたやうですよ」
そして千枝が、
「大記者ぢやありません、母は。それに、論説委員になつたばかりですもの」
と言ふと、晩山は手を振つて、
「いやいや、なに。ほう、さうですか。近頃は論説は読まないので……」
これを聞いて孫娘たちが、
「好きなのは漫画」
「日曜版の漫画」
などとからかふと、苦笑するだけでそれには答へずに、
「副島先生|薨去《こうきよ》の際の諸新聞の論説は、明治年間最高のものと聞いてゐます。『日本新聞』は三宅雪嶺、『大阪朝日新聞』は内藤湖南、『東京日々新聞』は、えーと誰だつたかな、『東京朝日新聞』はたしか……池辺三山。当代の文章家が、みな心血を注いで哀誄《あいるい》をものした。あのころの新聞記者はみな筆をもつて立つ概があつた。なかんづく……」
「あら『新日報』は?」
と姉娘が訊ねると、晩山はぐつと答に詰まり、千枝の母への義理で当惑してゐたが、渋川が、
「まだ創刊されてませんでした」
と教へると、ひどく喜んで、
「なるほど。さうでせう。さすがに歴史にお詳しい。輓近《ばんきん》三代の日本史は学兄の 掌《たなごころ》 のなかにある」
と褒めそやす。妹娘が、
「お爺ちやま、よかつた〜。ツイてる〜」
と言つて、みんなを笑はせた。そしてこのときの老書家の表情がまさしく「莞爾《かんじ》」といふ趣で、じつによかつた。渋川は、これはなかなか魅力的な人柄だ、政治家たちもかういふ笑顔のせいで弟子になるのかしら、と思つたほどである。
それで気を許したためかもしれない。渋川はついうつかり、内藤湖南その他の書いた追悼論説について語りはじめてしまつたし、口を切つた以上、晩山が無表情を装ふ苦い顔をしてゐるのを見て、どうもまづいことになつたと思つても、途中でよすわけにはゆかない。
「『副島種臣伯』といふ伝記で読んだだけですが、たしかに壮観で、びつくりしました。何しろみんな名文ですから。しかしあれは、かなりの程度、体制批判的な性格のものぢやないでせうか。底のところにあるものは反体制的感情でせうね。もちろん論説の筆者たちはある意味で副島種臣を崇拝してゐたし、尊敬してゐました。それであの論説を書いたといふことは否定できません。でも、それだけぢやなく、当時の体制側の大物たちの、腐敗といふか、下等さといふか、程度の低さに言論界がゲンナリしてゐて、何か悪口を言ひたいけどいいキツカケがないし、それに何しろ戦争中ですから表立つた政府攻撃もしにくいし、そんなわけで困つてゐるところへ、ちようど具合よく、政府に対して一線を劃してゐて、批判的で、清廉《せいれん》潔白で、教養が高くて……といふ調子の絶好の人物、副島種臣が亡くなりました。それで当時のジャーナリストのうち権力に対してゴマスリでない人たちが、しめしめとばかりに利用して、当てこすりを書いた。そのせいで名追悼文がずらりと揃つた……といふ面もなきにしもあらずといふ気がします」
明らかに応答を求められてゐるのに、晩山は何も言はず、ときどき杯を口に運ぶ。娘たちも気まづさうに黙してゐる。といふよりも、どう取り成したらいいかわからなくて困つてゐて、千枝だけがいたづらつぽく微笑してゐる。晩山の沈黙があまりにも長くつづいたと感じたとき、渋川は、これはひよつとするとよく聞えなかつたのかもしれないと疑ひ、しかし同じことをくりかへすのは失礼だから、論旨をさらに展開する形で大声で言はうと決心した。
「副島伝の著者が第一章で、亡くなつたときの各紙の社説をあれだけ並べたのも、反体制的、政府批判的な心情のせいではないでせうか。何も知らない読者に種臣のことを一通り説明するのにこれが一番いいといふこともあります。それから、著者である丸山幹治は大阪朝日その他の新聞の論説委員をやりましたから、論説に関心がありました。これもあるでせう。でも、一番大きいのは体制批判。さう思ひます。その大阪朝日記者時代、彼が書いたのぢやない社説の言葉尻をとらへて、不敬呼ばはりして、政府が大阪朝日を廃刊させようとした無茶苦茶な事件があつて、えーと、白虹事件ですね。右翼が朝日の社長を庭の石燈籠に縛りつけたりした。それで朝日は、今後は忠君愛国主義でゆくといふ社説を掲載して謝ります。このへんのことはよく御存じと思ひますが。このとき長谷川如是閑ほか、何人かの記者が退社したなかの一人が丸山幹治でした。言論の自由なんてまつたくなかつた時代の一挿話ですね。ところが副島種臣なら、いくら賛美しても政府筋は何も言へない。右翼も何も言へない。そこで安全な副島種臣伝に託して胸中の鬱勃たる不満を訴へるといふ手は、きつとやつたにちがひないと思ひます」
渋川が、語り終へたことを明らかにするため猪口《ちよこ》を口に運び、二口ほど飲んでそれから妹娘の酌を受け、一口飲んで猪口を下に置いたのに、晩山は何も言はない。相変らず無表情なまま無言でゐる。そして千枝はのんびりとほほゑんでゐる。渋川は、これは困つたことになつた、かうなればもう我慢くらべみたいに黙つてゐるしかないが、権威におもねるのがこの書家の生き方とわかつてゐるのにあんなことを口にするなんて本当に馬鹿だつた、これですつかり機嫌をそこねてしまつたわけだから千枝の母親のことを取り成してもらふ件は駄目になつたらしい、ああ申しわけないことをした、でもそれはまあ仕方がないとしてもこの場はどう収拾したものか、と案じてゐた。案じつづけてしかし何の工夫も浮ばず、当惑してゐるとき、姉娘がとつぜん、おどけた様子のちつともない声で、
「お爺さま」
と呼びかけた。これまでの「お爺ちやま」とは違ふ呼びかけ方である。
「お爺さま。夜も更けましたし、もうお疲れでせう。お話がおできでないのなら、失礼して、休ませていただくのがよろしうございます」
これに対して晩山は答へない。平然として口をつぐんでゐる。そして姉の高飛車な叱り方につづいて妹娘もまた、今までとは打つて変つた四角四面な口調で、
「渋川先生、お気を悪くなさらないで。祖父は間もなく米寿でございますので、疲れやすくなつてをります」
と厭味を言ふ。明らかに、何か気に入らないときに黙り込むのはこの老人の常套手段で、孫娘たちはさういふ場合の応手を工夫してあるのだ。姉妹の変貌はじつに目ざましく、千枝がびつくりしてゐるのを見ると、渋川としては自分がどのくらゐ驚いてゐるか鏡のなかに見るやうな気がする。
これだけ痛めつけられてどうするのかと思つたが、しかし晩山は平気で、孫娘二人の言つたことなどまつたく聞えなかつたやうに、
「揮毫の用意をするやうに。雄心勃々たるものを覚える」
とつぶやいた。
「はい」
と口々に答へて姉妹は立去る。千枝は晩山に酒をつがうとしたが固辞された。渋川はもちろん受けてゆるゆると味はつてゐると、やがて妹娘が迎へに来て、
「お兄ちやまも、千枝ちやんも、どうぞ」
と声をかける。招じ入れられたのは八畳の間で、正面|鴨居《かもゐ》上には「晩山居」と刻字した厚い板の額を飾り、左には壁ぞひに棚がつらなつて、筆筒や紙、法帖などがぎつしりと置かれ、右の壁には仮表装の掛軸が三幅ほど。色褪せた緋毛氈《ひもうせん》に画仙紙が延べてあつて、そのかたはらで姉娘が大きな風字硯《ふうじけん》で墨をすつてゐる。老書家が緋毛氈に向ふ。妹娘が画仙紙上方やや横に片膝を立てて坐る。千枝と渋川は晩山の斜め後ろに坐つた。この部屋には座蒲団はない。
やがて墨客は硯面で筆を研《と》ぎ、気を整へてから上体を起して左手をやや前方の毛氈に軽くつき、墨継ぎおもしろく行書で一行、
隻手巧偸香
と大書して、左に小さく「八十五翁晩山醉筆」と記す。静かに筆を置いて、
「隻手巧《せきしゆたくみ》に香を偸《ぬす》む」
とつぶやいたきり何も言はない。
「これでおしまひ?」
と姉娘が訊ねると、
「うん、よく出来た」
と答へて、ふつと体から力を抜いた。妹娘がこの画仙紙をそつと手にして立ちあがり、壁に貼る。
つい今までと打つて変つて小さく見える、大島をだらしなく着た威厳のない老人に、姉娘が声をかけた。
「ねえ、どういふ意味?」
妹娘が壁際に立つたまま、
「わからな〜い」
と言つて、右手の人さし指を曲げて、
「何をコレするの?」
渋川はこのとき思はず吹き出したが、しかし彼だつてさつぱりわからないのである。老人が、
「笑つて答へず」
と言ひながら千枝の顔をちらりと見ると、娘たちは、
「あ、千枝ちやん知つてるらしい」
「あやしい〜」
とからかつたが、千枝は微笑して首を横に振る。妹娘が小首をかしげる。姉娘が居間から色紙を持つて来て印を押し、壁の画仙紙を指さして、
「あれも差上げるのでせう」
と訊ねた。晩山は、
「いや、呈上しない、記念館のほうに」
と答へ、
「では、老人はこれで失礼させていただかう。命あればこの秋は銀座で新子をつまみませうか、千枝ちやん。隻手巧に香を偸む。まことに楽しかつた」
とつぶやくやうに言つて、飄々《ひようひよう》と部屋を出て行つた。渋川は、まるで謎を解く手がかりがそこにあるやうに後ろ姿を見送る。
見送りながら、そして後ろ姿が視野から失せたあとも、彼は、晩山がこの揮毫をしたのは腹いせのためで、何の腹いせかと言へばまづ直接には渋川が副島種臣を弔ふ社説の解釈を論じて権門にへつらふ晩山の生き方を批判したこと(そんな気はなかつたが、結果的にさう取られてしまつた)、次に、いはば遠因として、晩山としては千枝が一人で訪ねて来ると思つてゐたのに若い男が同行したせいでの落胆(あらかじめ断つてあるのに怒られるのはをかしいが、年寄りが我儘で忘れつぽいのは仕方ないか)の二つだらうと考へ、しかしもしこれが腹いせだとすれば、揮毫した詩句(?)は何か渋川にとつて不快なことを述べてゐるはずだが、浅学の悲しさ、意味がわからない、「偸香」といふのは何か故事があつて、これを知つてゐるかと突きつけて老人は快をむさぼつてゐるはずだし、それにもう一つこの五字は老人が二人きりの席で何か千枝に言つたこと、したことと関係があるのではないか、さうでなければ厭がらせとして体をなさないはずだ、しかし何をしたのだらう、千枝が別に取り乱してゐないしむしろけろりとしてゐる所を見ると、ひどいことではなささうな気がするけれど、と疑つた。そして疑ひつづけながら、車を呼んでもらひ、千枝と二人で乗り込み、千枝の家の町名を運転手に告げたのである。
千枝としてはこのまま家に帰るのは気が進まなかつた。あの奇妙な家に数時間ゐたせいでの心労と、そこからとにかく解放されたといふ安堵と、それから、何のせいかわからぬ異様な寂しさ。さういふ気持のまじりあひがまづあつたし、そのほかに、今夜、母と大伯母は首相官邸に夜中にゆくため赤坂のホテルに部屋を取つてゐるし、祖母は同級会で箱根なので、帰つても誰もゐないといふ事情もある。しかしどこかへ行つてお茶でも飲まうと言ひ出すにしては、体がではなく心が、疲れすぎてゐたらしい。それゆゑ、
「約束してくれました。明日、二人に電話をかけて置かうつて。本当にお世話になりまして」
と報告したにすぎない。それに対して渋川は、
「やつた〜。うまくゆく……かもしれないな。お母さんたちは今夜?」
「ええ」
「いいかげんの豊崎先生は?」
「それも今夜。仙台で」
「三枚のカードのうち、どれか一枚、役に立てばいいんだけど」
「懐疑的ね」
「うん。歴史やるとさうなるんだつて」
「つまり、ぜんぜん駄目かも……」
「それはさうさ。晩山だつて、ぼくにあれだけ機嫌悪かつたもの。どうなるかわからない」
「黙りこんぢやつて」
「うん。あの姉妹おもしろかつた。普段は『お爺ちやま』なのに、叱るときは『お爺さま』」
あの三人のことをいろいろと論じ合つてから、渋川が言つた。
「晩山さんの書いた香を偸むといふのがわからない」
「あたしも」
「何かあつたの?」
「何かつて?」
「君に何か片手でしたのかい?」
その質問に対する答は、ゆつくりと浮べた微笑だけである。渋川はその白い顔の明るい表情を薄闇のなかで見てから、
「片方の手でうまいこと何かしたはずなんだよ。そこまではわかるが……まあいいや。教へてくれないなら一人で謎を解く」
「どういふふうにして?」
「辞書を引く。家に帰つてから。たぶん今夜中にはわかると思ふ」
「何冊も引くの?」
「うん、いろんな辞書を」
「どんな辞書?」
「まづ諸橋の大漢和。それから中国の商務印書館の『辞源』とか、出版社の名前は忘れたけど『漢語典故詞典』とか」
「中国語、出来るの?」
「出来ない。漢字で見当つけて、何とか読む。溥儀《ふぎ》つて満洲国皇帝、あのラスト・エンペラーも、日本語の新聞をさうして読んだつていふから、まあいいんだな」
「おもしろさう。そばで見てていいかしら?」
「君が? ぼくの所へ来るの?」
「うん」
渋川は弾む心で、
「いいよ」
と答へ、運転手に新しい行く先を告げた。言ふまでもなく、千枝が彼の住ひを訪ねるのはこれがはじめてである。
そのマンションは道の突き当りにある小ぶりな建物で、小さな門をくぐると中庭に柳の樹が数本、並木をまねる心で植ゑてある。もうすぐ落葉で、掃除が大変だらうと千枝は思つた。ロビーにはいると、郵便受けの下に、どこかの家の出した店屋物の丼がいくつか盆にのせてある。
五階の二部屋で渋川は暮してゐた。大きな部屋が寝室兼書斎で、もう一部屋は本その他の置き場になつてゐるらしい。大きな机の上は、ワープロ、本、ノート、雑誌、ジュースとビールの空罐、ネクタイ、鉛筆そして色鉛筆、まだ書き込んでゐない返信用の葉書、ずいぶん字の下手な男(たぶん男だらう)から来た手紙、ティシュー・ペイパーのつぶれた箱などで一杯だし、机の横の椅子の上も、ここしばらく来客がなかつたらしく、ゼロックスした書類、辞書、雑誌、靴下、ワイシャツ、全集本の箱だけ、などが積んであるのに、ベッドはきちんとしてゐて、シーツも枕カバーも新しい。千枝はこのことを異様に感じ、渋川はひよつとすると千枝が帰りに寄るかもしれないと思つてベッドをきれいにしたのではないかと疑つた。この直感はもちろん正しい。彼はさう思つてシーツや枕カバーを替へたし、実を言ふとそんなふうに用意したことは今まで何度かあつたけれど、誘つても断られてばかりゐた。それが今夜は意外にうまく行つたのだ。誘はなかつたのが、かへつてよかつたのか。
渋川は椅子のいろんなものを床の上に移し、千枝にこの席をすすめた。千枝は部屋のなかを見わたし、壁に何か額があればいいのに、とちらりと思ひながら腰をおろす。そのことをちらりとしか思はないのは、若い史学者があの五文字の謎をどう解くかが今の関心事だからである。渋川は机のいろんなものを床の上におろし、ワープロを壁のほうに寄せ、手近な参考書類の棚に並ぶ十何冊の漢和辞典の索引の巻を取つて、手早く調べ、それから第一巻のページを繰つた。探し当てた項目を斜めに読むと、
「あつた」
と低い声で言つて、その箇所を千枝に示す。
【偸香】9香をぬすむ。男女の私通をいふ。晉の賈充の女が香を盜み韓壽に贈つて情を通じた故事。〔晉書、賈充傳〕謐、字長深、母賈午、充少女也、父韓壽、字徳眞、南陽堵陽人、魏司徒曁曾孫、美姿貌善容止、賈充辟爲司空掾、充毎讌賓寮、其女輒於青中窺之、見壽而悦焉、……
このへんまで来ると、最初の語義の三分の一くらゐなのに、千枝は顔をあげて、
「あたし漢文、弱いの。ほら、言ふでせう、まるでギリシア語」
「ぼくも苦手でね。大学生になつてから『日本外史』で特訓した口なんだ。その字引だつて、返り点ついてるのに、よくわからない」
と渋川は打明けて、もう三冊、別の辞書を出し、次々に引きながら説明する。
「これはみんな中国の辞書。中国語なんか出来ないけど、字を見て見当つける。あ、さつき言つたね、この話。戦前の『辞源』はちやんとした漢字だからいいけれど、今の本は変な漢字だから困つてしまふ。あ、さうか、『世説新語』にある話か。助かつた」
別の部屋に置いてある『世説新語』の注釈本を持つて来て、問題の箇所に目を通し、
「書き下しがついてるから」
と言つて渡す。千枝が読んでから、渋川が改めて筋を語つた。
「韓壽はすばらしい美男だつた。賈充《こじゆう》は彼を招いて属官としたのだが、邸で会合を開くたびに、賈充の娘が飾り窓ごしに見て惚れてしまひ、恋の思ひを詩に詠む。侍女がその詩をたづさへて行つて、仲を取持ち、男の恋文を持ち帰つた。韓壽は身軽なたちなので、塀を乗り越えて通つた。娘が浮き浮きしてゐるので父親は怪しんでゐると、ある日、韓壽の体からすばらしい香りが漂ふ。この香は晉の武帝への西域からの贈り物で、自分と陳騫《ちんけん》だけが賜つたものだ。ははあ、娘は香を盗んで恋人への贈り物にしたのだな。さう推理して、娘の侍女をつかまへ、問ひただしたところ、事の次第を打明けたので、娘と韓壽を結婚させた、といふ話。この故事から『香を偸む』といふのは男女関係を意味するやうになつた」
「恋のエピソードの小道具にぴつたりね、西域の香」
「うん」
渋川はそこで千枝を、笑ひを含んだ眼でみつめ、
「ここまではいいが、はつきりしないのは今夜のことね。あの爺さん、片手で君に……何をした?」
千枝がためらつてゐると、
「あ、さうか」
とおどけた声で、
「君が片手で晩山に何かしたわけ?」
「まさか。向うがしたのよ」
「どんなことを?」
「言はなくちやなりません?」
「それはさうさ」
「どうして?」
「『どうして?』と訊かれると困るが、えーと、まづ、今夜のぼくは護衛役だから責任がある。それから、ぼくは君のことが好きだから知りたい。これは理由にならないか。それに、『隻手巧偸香』を解くといふぼくたち二人共同の知的探求の鍵として、やつぱ、その情報が必要だもん」
千枝が眼を輝かせて、
「三番目の理由、とてもいいみたい」
「ね」
と渋川が嬉しさうにした。そこで千枝が、まるでその理由がいいせいでのやうに、老書家と二人きりになつてからのことを語り出す。
「まづ、ソファのほうへ行つたの。大きなソファに二人並んで腰かけようと言ふから、向ひ合ふほうが話がしやすいと言つて、別々のソファにした」
「うん」
「それから母のことを頼んだの」
母親はどういふわけか、問題の社説を読ませたくなささうだつたのだが、読んでみると大したことがない論旨で、どうしてこんな騒ぎになつたのか、納得がゆかなかつた。でも、論旨をきちんと要約しようとすると意外にむづかしい文章なので、そこはいい加減にして、とにかく土地提供のことにからめて配置転換を迫るのは由々しい言論弾圧だし、しかも男の論説委員ならともかく女の論説委員に対する弾圧で、与党はきつと女性票を大量に失ふことになるから(このへんはしやべつてゐても我ながら飛躍がある)、よすほうがいいと思ふ、この旨を、旧制中学のときの教へ子で今は書道の弟子である前首相、およびその縁で書道の弟子になつてゐる田丸首相におつしやつていただけないでせうかと頼んだ。
大沼晩山はしばらく思案してからかう言つた。
「つまり政府与党は社内の人事に口を出すな。黙つて土地を新聞社に渡せ……」
ここで無言のまま微笑してゐると、
「もしも新聞社に土地を渡さなければ、女たちが暴動を起して内閣が倒れる……」
「原因と結果の関係、短絡してますけど、もしかすると、さうなります」
「アハハ」
晩山は笑つたが、千枝は、
「本当よ。本当にあぶないんですから、近頃は」
晩山はちよつと眼をつむつて考へてから、
「うーむ、わたしが口をさしはさむにしては、どうも事柄の次元が低いやうな気がします」
「さうかしら?」
「いいですか。古来、東洋の学者の理想は国王の師となることでありました。孔子や孟子は国王の師たらんとして諸国を巡歴し、ただし運が悪く、向うから断られてばかりゐた。その点、わが荻生徂徠などは、当時の事実上の国王、徳川将軍の師となつたのでありますから、学者の本懐と言ふべきでせう。わたしもまた二代の宰相の師となりました。国王の師に準ずるものでせうな。わたしを目して書の師匠と思つてゐる者が多いやうですが、これは違ふ。書を通して東洋の学問を教へる。一国を導く者に東洋の精神を教へるのである」
「はい」
「さう考へると、どうでせう、千枝ちやん、国王の師に準ずる者が説くにしてはあまりにも卑近……」
「ええ。さうかもしれません」
と千枝はいちおう逆らはずに、
「しかし先生ができるだけ長く首相の先生でいらつしやれば、それだけ日本はしあはせなわけです」
「うーむ、それはいささか過大評価だが」
「次の総理大臣が先生のお弟子になるかどうかはわからないでせう。それだけの識見のない人かもしれないぢやない」
「ふむ、ふむ」
「ひよつとすると、この次は先生も孔子や孟子と同じ目に会ふかもしれないのよ」
「ほう」
「ですから、今の内閣を長持ちさせなくちや。先生の思想を滲透させるためにも。そのためには、総理大臣に一言おつしやるほうがいいと思ふの」
「なるほど、孔孟と同じ目に会ふか」
老書家は、一つにはこのお世辞(?)が嬉しかつたし、さらには、もともと千枝の願ひを聞き入れるつもりで、ただ勿体をつけてゐただけだから、ここで一笑して、
「なるほど、うまいことを言ふ。さすがは才女。たしかにさういふ考へ方もありますね。これは由々しいことだ。よろしい、明日にでも両君に電話をかけて置きませう」
と約束した。つまり、呆気なく成功したのである。千枝が丁重に礼を述べると、
「いやいや。当節まれなる孝女への、心ばかりの進物」
と手を振つて、それからとつぜん妙な話をはじめた。
それは、自分はこれだけ千枝ちやんのことが好きなのに、気に入りの美人画がどれも似てゐないといふ話である。ボッティチェルリの『春』も、藤島武二の『蝶』も、上村松園の『焔』も、クラナッハの『ヴィーナス』も……といふ調子で十点ほどの名画を並べ立てるのだが、画家の名も絵の題も忘れてゐるものが多いので、二人で話し合つてそれを決めるまで時間がひどくかかる。このため千枝は、よりぬきの名画のなかの美女とくらべられるのを照れなくてすんだ。さらに、自分がこれまで好きになつた映画女優の誰とも似てゐない、といふ話になる。(ここで千枝は一つ質問したのだが、晩山は柳あえかといふ映画女優には感銘を受けたことがないらしかつた。)すなはち自分の恋慕は絵の影響でも映画の影響でもない。とすれば、自分がこれほど千枝に恋着してゐるのは一体どういふ因縁によるものなのか。先夜、彼は夜半の寝ざめにそのことを考へつづけたあげく、やうやく答を得た。幼くして死に別れた母(写真はただ一葉、小さくてぼんやりしたものしか残つてゐない)と似てゐるからに相違ないと思ひ当つたといふのである。
「えつ! さうですか。変な理屈。何だか詭弁みたい」
と千枝が言ふと、晩山はたぢろがず、
「なるほど、詭弁ですか。わたしは弱年のころ韓非子の思想を研究しましたが、あれは詭弁と言へないことはない。これは韓非の影響かもしれぬ」
と話をむやみに立派にして、それからいきなり大変なことを言ひ出した。
「そこで、母親の顔も見知らぬ男の残生の願ひとして申上げるのだが、一つ乳房に触らせていただきたい」
「えつ!」
と千枝は仰天して、
「そんなの、あり?」
とついうつかり、はしたない言葉づかひをしてしまつたが、相手が大まじめなのを見て、これは田丸首相に電話をかけることの謝礼、ないし交換条件なのだとすばやく考へ、
「ええ」
とうなづいて立ちあがつた。そして、左の胸を突き出すやうにして、
「でも、着物の上からよ」
晩山も立つ。その立ち方は、中年に戻りかけたくらゐに威勢がいい。そして向ひ合ふと、何しろ丈《せい》が高いから、いささか身をこごめなければならない。顔にしみの多い、髪も眉も口ひげも白い、そしてひげの剃り残しの目立つ男はゆるやかに手を伸べ、訪問着と長襦袢《ながじゆばん》の二重の隔て越しに乳房に触れ、掌のくぼみを盛上りに当ててやはやはともみつづけ、とつぜん顔を紅潮させ、荒い息になつて千枝を心配させたが、しかしその触り方はきつくない。これならまあいいと思つてゐると、大小あられ小紋から片手を放さずに、
「ねえ千枝ちやん」
と寂しく笑ひかけて、
「どうもこれでは亡き母をしのぶのに物足りない。どうだらうか、一つ袖口から入れて……」
「それはなしよ」
と断られて、老書家は、
「なるほど」
とうなづいた。千枝は反射的に、左の乳房を着物の上からといふ線は固守しなければいけない、さうしないといろいろのことを言ひ出し、やがてはスカートの下……ではなく着物の裾から手を入れることさへ要求するだらう、と思つたのだ。そして拒まれた老書家は、
「ふむふむ」
とつぶやいて、
「でもこちらも」
ともう一方の乳房にも触れようとしたが、
「駄目!」
とその手を軽く打たれた。
「おや」
とその手を放すと、
「こつちもおしまひよ、先生」
と宣言される。書家は、
「え? もう駄目? ああ、慈母の乳房とのはかない逢瀬であつた」
とつぶやいてから、大人しく両手をおろし、ソファに腰をおろして、
「いや、嬉しかつた。『孝経』にいはく、『天子より蛮人に至るまで孝に始終なし』とやら。至言と言ふべきである」
などと、色情の惑ひをあくまでも親孝行に仕立てようとする。千枝もソファに腰かけて、
「あら、これが孝行?」
と訊ねたが、
「左様、奇しくも孝子二人の出会ひであつた」
などととぼける。千枝は呆れてしまつたが、親孝行のことにこだはつてゐるとまた何かするかもしれない、ここは一つ話題を変へるほうがいいと判断して、
「先生、あたしお腹《なか》がすいて来た」
と言ふと、晩山もその話に乗つて来て、中国に行つたとき日本の総理大臣の師であることのせいでどんなに熱烈歓迎されたか、この近所ではラーメンはどこがうまいか、某製粉会社の社長(これも首相の友人)から送つてくる特製の最高級インスタント・ラーメンをもし買はうとすれば手に入れるのがどんなにむづかしいかなどと語りつづけ、やがて鮨のことに移つてしばらくのちに、三人が帰つて来たのだつた。
一部始終を聞いて渋川はほつと吐息をつき、それから微笑を浮べて、
「ぢやあ『男女の私通』はなかつたわけね」
千枝はふくれて、
「当り前でしよ。その漢和辞典をかしいわよ」
「辞書がをかしいのでも、晩山がをかしいのでもなくてね。漢詩は伝統を重んずるし、リアリズムぢやなくて、朧化……話をぼんやりさせるのが好きだから、故事を使ひたがる。ところが、故事を使ふレトリックは、見立ての幅がうんと広くなる。実際に関係するのも『偸香』、着物の上に手を置くだけでも『偸香』」
「あ、うまい説明」
渋川は褒められて気をよくし、
「もとの話では韓壽の娘が香を盗む。晩山の揮毫した書では彼の片手が君のオツパイを盗む。そこのところを窮屈に考へると変になるけど、そのへんは気にしない気にしないで、おつとり構へなくちや」
「あれは誰かの詩のクォウテイション?」
「わからない。あんまり都合よすぎるから、自作だらうな」
「なぜ書いたのかしら?」
「ぼくに対する意地悪。厭がらせ。焼餅をやかせようとして」
「やはりさうね」
「それは決つてる」
「副島種臣の追悼論説のことで怒つちやつた」
「うん。尊敬する人物の値打を下げられたと思つたらしいや。別にそんなわけぢやないのに」
「ああいふ見方、考へたこともなかつたのでせう」
「それに、自分の生き方への当てこすりだと思つた」
「変な怒り方。急に黙りこむなんて」
「おもしろいね。ああいふ手があるなんて」
「よく我慢したわ」
「ぼくが?」
「ええ」
「何でもないさ。君だつて触らせたぢやないか」
二人はここで声を揃へて笑ひ、それから、いままでゐた風変りな家の家族三人のことを改めて取り沙汰した。あの姉妹は何だかサーカスの猛獣つかひのやうな気がした、とか、年の勘定からゆくと祖父ではなく曾祖父かもしれない、とか。彼らの声色を使つたりして話をしてゐると、何か二人で危難を逃れ、安全な土地へたどりついたやうな気になる。
「あたしを残して行つて、心配でした?」
と千枝が訊ねると、
「さうね」
と渋川は首をかしげて、
「それよりも、帰つてから気になつたな。何かある、と思つて。それからやはりあの『隻手巧偸香』の書。意味ありげだもの。まだ気にかかる。ね、一体どのくらゐ触つたの?」
娘が何も答へずに立ちあがり、左の胸をこころもち差出すやうにすると、若者も立つて右手をそこに当てる。二人の眼が笑つてゐる。
「もうちよつと強かつた」
「このくらい?」
「うん。あ、それはゆきすぎ……」
とは言ひながらも右手を打つ気配はない。そのことに気をよくして、さらに左手を右の胸に当てても拒まうとせず、じつとこちらの眼を見返してゐる。それを承諾ないし誘ふ気配と見て、若者は両腕で抱き、キスしたが娘は逆らはない。そのまま二人でベッドに倒れた。若者は裾から手を入れようとしかけたが、だしぬけに、
「あ」
と叫んであわてて起きあがり、横になつたままの娘から、
「どうしたの?」
と訊ねられた。
「手が汚れてる。辞書で埃だらけだもの。洗つて来る」
と若者が答へた直後、娘もまた頓狂な声で、
「あ」
と叫んで身を起す。
「何?」
「帯、結べないの」
「帯? 困つたな」
と若者はつぶやいて、
「さういふホテルへゆかうよ。結ぶ係がゐるつて」
娘はそれに答へずに、しばらく思案してゐたが、
「家《うち》へゆきませう」
「君のところへ?」
と悲鳴のやうな声をあげて問ひ返したとき、若者は、この娘は頭がどうかしたのではないかと疑つてゐた。しかし娘はしつかりした口調で説明する。
「大丈夫。誰もゐないの。母は大伯母といつしよにホテルなんです。今夜、首相官邸へゆくから。祖母は同級会で箱根一泊」
「なるほど。うん、さうしよう」
と若者は言つた。これ以上の策はほかにあり得ないと咄嗟に判断したのである。
ちようどこのころ、柳雅子と南弓子は赤坂のホテルの一室にゐた。あしたの午前《ヽヽ》二時、首相官邸に来るやうにといふ連絡が今朝あつたのだ。首相は午後十時から午前二時まで眠り、それから二時間、官邸の執務室で書類を読んで、また四時から七時まで眠る習慣なのださうである。弓子は娘がもう帰つたかどうかと案じて電話をかけようとし、テレビを見てゐる雅子から叱られた。もうそろそろ子供を自由にしなければいけないといふのだ。弓子は電話をあきらめ、テレビ見物につきあふことにする。いまは九時二十分で、動物ものをやつてゐる。アフリカの草原に雨が降つてゐる。ガゼルの群れが草原にやつて来た。華奢《きやしや》で優美な、鹿に似た獣。とつぜん雨があがつて、灰いろの空に虹がかかる。虹と言つても、赤と黄と薄い青の三色だけで、太い帯が縦に垂れてゐるやうに画面に映つてゐる。じつに美しい。七十五歳の女と四十五歳の女が吐息をついた。
箱根の旅館の一室で、南悦子を含む三人の女が、敷いてある蒲団の上に腹ばひになり、ときどきテレビを見ながらおしやべりに熱中してゐる。三人とも宿の丹前を着てゐて、ほかの二人は学者の未亡人と中小企業の社長夫人である。草原の上の虹を横目で見て、学者の未亡人が声をあげた。
「あ、見て見て」
一分ほどのあひだ、三人は声を出さない。そして河馬の水浴びになつたとき、学者の未亡人が言ふ。
「きれいだつた」
悦子がそれに同意したあとで、社長夫人がおづおづと言つた。
「何だか……お詫びのしるしみたい」
「あら、お詫びのしるしだなんて」
と学者の未亡人が笑つた。
「神様がお詫びのしるしに虹を見せてくれるの?」
と悦子が訊ねると、社長夫人は、
「ええ。をかしいわね、こんな言ひ方」
とつぶやく。女学生のときから、何か言つてはすぐ気が弱さうに打消すたちだつた。
「わかる、その感じ」
と悦子は言つた。去年、彼女の孫が二人、交通事故で死んだことを悦子だけが知つてゐる。
豊崎洋吉は、仙台の小萩といふ料理屋の宴会用の座敷で、たつた一人で酒を飲んでゐる。ほかの座敷はふさがつてゐるし、与党の幹事長、原善六はまだ現れないのだ。きつとこんなことだらうと思つて、英独仏の哲学書を一冊ずつ用意して来たが、そつちは読まずに、この店に客が忘れて行つた週刊誌三冊を全部、読んでしまつた。
そして大沼晩山は、夜半の目ざめにミネラル・ウォーターを喇叭《らつぱ》飲みして、舌鼓を打つた。それから右手の掌をじつとみつめて微笑したのは、もちろん千枝の乳房の感触をなつかしんだのである。が、一瞬のち、老人はうろたへて眉をひそめた。あの娘と何か約束した記憶はたしかにあるが、何だつたか思ひ出せないのだ。書家は思ひ出さうとしていろいろ努力したが、三十分ほど経つとまた眠くなつたので、まあいいぢやないか、あれは国王の師たる者にふさはしくない些事だつた、孔子や孟子だつて等閑に付したらう、と思ふことにした。
もう十時近いのに原幹事長はまだ現れない。豊崎洋吉は夕食をすませてからこの店へ来て、三十人の宴会はできさうな座敷の奥で、ぽつねんと待つてゐる。末席から床の間へと長くつづくテーブルの、彼の前には、溜塗《ためぬり》の半月盆に、烏賊《いか》の塩辛と笹かまぼこと箸と杯、その横にお銚子があつて、これはたしか三本目である。おかみや女中がときどき現れては置いてゆくのだ。三本目のとき、藍染の縞の紬《つむぎ》にぴたりと合せた柿いろの紅型《びんがた》帯を結び、玉かんざしを髪にあしらつた、三十代も末と覚しいおかみが、酌をしてくれたまま座を立たずに話相手になつてゐたが、やがて、
「女の方のため陳情なさるんですつてね。先生からお聞きしました。いいわ。ロマンチック」
とからかつたところを見ると、どうやら幹事長と昵懇《じつこん》な仲らしい。哲学者は仕方がないから、
「よろしくお口添を」
と笑ひながら言つて、杯をさしたのだつた。
おかみが小型の名刺を出したので、豊崎も自分の名刺を渡す。それをしげしげと見て、
「哲学の先生ですつてね。哲学つてとつても賢い方がなさる学問でせう」
「いや、むしろその反対ぢやないかな」
「御謙遜を」
「たとへばね、かういふことを考へるんです」
と言つて猪口《ちよこ》を取上げ、
「この染付の杯と同じ色、同じ形の杯は小萩にもう三十ある。しかしこれとその三十とは別のものだ。別のものだが、しかし同じ杯だ。をかしな話ぢやないか、かういふ関係。それから、唐津の杯、九谷の杯、黄瀬戸の杯など、いろんなのが小萩にはたくさんある。それはこの染付と形も色もまるで違ふ。しかし違ふけれど、杯であるといふ点で同じだ。別なのに同じ。これはをかしなことだ……」
「でも、先生……当り前ぢやありません?」
「ね。当り前だろ。当り前のこと、わかり切つてゐることを改めて考へる。利口な人間のすることぢやない」
「あ」
と、おかみは派手に手を打つて、
「まあ、先生、うまい理屈。やはり頭いいのよ」
と褒めてくれた。
やがておかみのすすめに従ひ、ネクタイも時計もはづして飲むことにする。このレジメンタル・タイは、数年前に南弓子とニューヨークで落合つたとき、男物の店のショウ・ウィンドウを見てゐると店員がドアを開けたので何となくはいつてしまひ、その結果、買ふことになつたもの。そして腕時計は、どこかでなくしたと錯覚して空港で買つた安物。帰つてから整理してゐると、洗面道具のなかから出て来たのだが、それよりもこの安物のほうが気に入つてゐる。
現金なもので、美人の酌となると時間の経つのも早いのだらう、それからほんのわづかののち(のやうな気がする)、幹事長が騒がしく部屋にはいつて来た。仕立も生地も高さうな黒つぽい背広の男で、ネクタイもワイシャツも悪くない趣味だが、顔は知性よりもむしろ野性が勝つてゐる。豊崎が坐り直さうとすると、
「いや、そのまま、そのまま」
と声をかけて、床の間を背に坐り、
「遅刻の段、まことに申しわけない」
と深々と頭を下げてから、
「食事はすんだ。果物はまだ」
と言ひつけながら、おかみが座蒲団を当てがひやすいやうに腰を浮かす。そして、
「奥さんにはいつもお世話になつてゐます。よろしくお伝へ下さいよ。ところで問題の件……」
と促されて、豊崎は片手にネクタイを持つたまま、あわてて語り出した。
「『新日報』といふ新聞の論説委員が、さる方面の圧力で事業部に移されさうになつてゐます。これを何とか……」
原は、前に置かれた半月盆から猪口をひよいと取上げて酌をさせ、
「うん、うん。配置転換中止とそれから国有地の等価交換でせう。あれの復活ね」
とこちらの言つてないことまで付加へ、
「わかりました」
とうなづいた。そして右手を差出して掌を上に向け、
「でもね、只ぢや厭ですよ。下さい、下さい」
と豊崎の前で掌を上下させる。何がほしいと言ふのだらう? 哲学者はわけがわからぬまま、不安な表情で、持つてゐたネクタイをおづおづと渡さうとすると、幹事長は、
「いやいや。それではなく」
と手を振る。そこで、まさかこんなものをほしがるはずないけれどと思ひながら、さつきはづした時計を手にすると、相手はオーデマ・ピゲかそれともパテック・フィリップが左手首にきらきら光る手を激しく振つて、
「違ふ、違ふ」
と言つたし、そのかたはらでは小萩のおかみが笑ひをこらへてゐる。仕方がないから訊ねることにした。
「何ですか? 教へて下さいよ」
原は苦笑ひしながら一口、酒を含んで、それからゆつくりと説明してくれた。それによると、いろいろ縁があるから何とかしてお役に立ちたいのはやまやまだが、しかし元に戻すとなると多大の犠牲を払ふことになるから、物心両面においてまことに辛い、何かそれに見合ふものがほしいといふのである。幹事長としては、妻にいろいろ言はれても生返事ばかりしてゐたのに、昨日、与党の総務のウルサ型で、なぜか「新日報」が大嫌ひで、例の社説を使つてからんでばかりゐた老人が大病で入院するといふしらせがはいつた。それで態度は軟化しかけたのだが、しかしあの社説を不問に付すにはほうぼうに手を打たなければならないし、その煩はしさを思ふと、只では厭なのだつた。彼は只ばたらきが嫌ひで、そしてそのことを現実主義と思つてゐた。
大学教授は息を呑んで問ひ返した。
「何か見合ふもの?」
「ええ」
「つまり……金か物ですか?」
「はい」
「しかし金なんかありませんよ。無理な話です」
と言ふと、相手はまた一杯ひつかけてから、
「いや、先生。物でいいんですよ」
「物と言つたつて」
と豊崎は狼狽して、
「何もありません、原さん。本がすこしあるだけで、それもごくありふれた版の哲学書だし、書き込みで汚してますしねえ。これがベルグソンとかウィトゲンシュタインのした書き込みなら値打ちがありますが、ぼくぢやあね。何しろ日本語で書いたのがまづかつた」
と、外国語で書けばすこしは金になつたやうなことを言ふと、幹事長は、
「物と言つたつてね。範囲が広いんで、何でもかまはないんですよ。たとへば情報。いい情報を提供して下されば、それで結構です」
「情報?」
と教授は情ない声を出して、
「そんなものの持合せ、あるもんですか。つまらない情報なら知つてますよ。でも、今年の西田幾多郎賞が誰それに決りさうだなんて、そんなもの意味ないでせう。日本哲学会の会長人事にしたつて、哲学の学士院会員がいまなぜ空席かにしたつて、別にどうつてことないし。名前を言へばきつと御存じの日本哲学界の大御所が亡くなつてから、書簡集を編纂しようとしたんですが、急遽《きゆうきよ》、取りやめになつた。といふのは、同月同日の日付で、何人もの女にまつたく同じ文面で、恋文を書く癖があつたんですつて。今日もまた浅間の煙が立ちのぼつてゐる、わたしの恋の思ひのやうに、なんて、三人も四人もの女に同文の手紙を軽井沢から出すんださうです」
「ほう、それはいい手ですな。外国旅行で選挙区に絵はがきを出すときは同文でやりますが、ラヴ・レターで同文とは思ひつかなかつた。なるほど、浅間の煙ねえ」
と幹事長が思はず声を出すと、哲学者は苦い顔で、
「おもしろいですか?」
そして、かう問ひ返すと急に腹が立つて来たらしく、酒をぐつと飲みほして、
「原さん、断るならさつさと断りなさいよ。遠慮はいりませんから。貧乏学者に金や物を出せと言つたつて無理でせう。情報とおつしやつても、そちらに必要な情報をぼくが持つてるはず、ないもの。断るための注文だつてこと、見え見えですよ」
と言つた。しかし原は落ちつき払つて、
「いや、それは誤解です。断るためぢやありません。これはまあ、わたしの世界観の問題ですな」
「世界観?」
「ええ。義理があるときは、なるべく引受けるやうにする。しかしその場合でも、ぜつたいに只ではしない。只といふのはよろしくない。双方にしこりが残る」
「ははあ」
「さういふ信念をわたしは、政治家としての修業時代に叩き込まれました。これは日本の保守政治の精神と言つてもいいかもしれません」
「ふーむ」
哲学者は何となく感銘を受けて、
「なるほど、さうですか。しかし、差上げるものが何もないんですね。ほんとにない。別荘もないし、自動車はオンボロが一台……」
と嘆いた。政治家は、
「何かあるでせう。わたしに役立つもの。思ひがけない情報。将来の見通し……」
と言つてまた杯を口に含む。
「ありませんよ。金も、物も、情報もない……」
「ゴルフ上達法でもいい」
「ゴルフはやりませんから」
と言ひながら、ふと豊崎が見ると、幹事長の横で小萩のおかみが、自分の頭に人さし指を当て、しきりに目くばせしてゐる。彼に智恵をつけようといふ親切心らしい。その人さし指と目くばせをじつと見つめ、うなづき、それから豊崎は言つた。
「しかし考へることは商売ですからね。何か思想を提供することはできるかもしれない。原さんが使へるやうなアイデア……」
「ええ、それでいいですよ。大いに結構。むしろそれこそわたしの期待するものでした」
と幹事長は答へた。豊崎は、
「ぢやあ、しばらく時間を下さい。考へさせていただかないと」
「はい」
と幹事長はうなづき、それから、おかみに向つて、
「あれを練習しよう」
と言つた。そして二人は立ちあがり、末席のほうに行つて、幹事長は金屏風を背にして立つ。
豊崎が見るともなしに見てゐると、おかみがどこかから白いプラスチック製の蒲団たたきを持つて来て原に渡した。上部が丸に十の字になつてゐて、その十の字の縦棒が長く下へ伸びてゐるのだ。原はその真中を持つて横に構へ、小腰をかがめ、そしてどうやら眼をつむつてゐるらしい。あ、何とかいふ映画ぢやないか、えーと、ほら、と哲学者が思つたとたん『座頭市』の前奏が寂しくはじまつた。カラオケの機械の画面に文字が流れるのを、眼をあけた(きつとさうだらう)幹事長が読むわけだが、棒読みなのでちつとも感じが出ない。
俺たちゃな
御法度の裏街道を歩く
渡世なんだぞ
いわば天下の嫌われもんだ
そして小萩のおかみが、こんな唄よりはむしろ『フニクリ・フニクラ』や『サンタ・ルチア』に合ひさうな声で歌ひ、それに合せて幹事長は踊る。おそらくこの政治家は唄が下手くそで、しかし後援会その他で人気を博するにはカラオケが大事なため(哲学者の同級生である俳人も俳句結社の維持に大事なのはまづカラオケだと言つてゐた)、それでかういふ手を工夫したのだ。いや、ひよつとするとこれは小萩のおかみが考へたのか。
およしなさいよ 無駄なこと
言って聞かせて そのあとに
音と匂いの流れ斬り
肩も寂しい 肩も寂しい
「およしなさいよ」で幹事長は両手を交叉させて×を作り、「無駄なこと」で右手を軽く振る。「言って聞かせて」で口に手を当て、その手を前に出したのは、漫画の台詞《せりふ》などの吹き出しのつもりらしい。「そのあとに」で両手を仕込み杖(つまり蒲団たたき)にかけ、「音と匂いの流れ斬り」で居合抜き。そして「肩も寂しい」のくり返しで肩をすぼめてとぼとぼ歩き、それからあわててマイクを受取つて自分で言ふ。
いやな渡世だなあ
ここで小萩のおかみがカラオケを止めて、駄目を出した。
「先生、流れ斬りのところで、斬つてからすぐ刀を鞘《さや》に収めなくちや。もつと座頭市らしく」
「うん、うん」
と原はうなづいて、その演技をやると、おかみが上手に褒める。金屏風の前のそんな情景を遠くに見ながら、教授は瞑想に沈んで行つた。
三十分ほどたつて、ふと気がつくと、おかみがこちらに歩いて来て、床の間の花瓶から赤い薔薇《ばら》を二輪とり、また戻つてゆく。そしてマイクを持つと、
「ぢやあ先生、三番のところよ」
と言つて、カラオケのスイッチを押した。
おやめなさいよ 罪なこと
情知らずの さげすみを
花を散らして みだれ斬り
夕陽を浴びる 夕陽を浴びる
「花を散らして」のところで、おかみは隠し持つてゐた薔薇を宙にはふり投げ、幹事長はそれを斬つた。眼をつむつたまま振りまはす蒲団たたきに薔薇の一つがぶつかつて、赤い花が金屏風まで飛んでゆき、鈍い音を立てて衝突し、畳にばさりと落ちる。そして幹事長が「夕陽を浴びる」のくり返しで小手をかざすのは、夕陽がまぶしいといふ意味かもしれないが、座頭市は眼が見えないのだから、わけがわからない。が、とにかくこれで終り。おかみが拍手した。豊崎も遠くから拍手して、声をかけた。
「原さん、お待たせしました。考へがまとまりましたよ」
立ちまはりで一汗かいた幹事長は、背広をぬぎ、チョッキをぬいで、元の席に坐つた。まづビールをぐつとひつかけて、それから、
「うかがひます。どうぞ」
と促す。豊崎は語り出した。
「わたしが提案するのは日本の政治の根本にかかはることです。つまり憲法問題。かういふことを今まで提唱した人がゐるかどうか知りませんが、たとへゐたつて、みんなが知つてるわけぢやないでせう。もちろんわたしは知りません。えーと、わたしの提案は一言で言ふと憲法の廃止です」
このとき幹事長はげんなりした声で言つた。
「憲法改正? みんな言つてますよ」
幹事長は、この哲学者はさすがに浮世ばなれしてゐて、憲法改正、憲法護持で日本中が四十何年も騒いでゐるのを知らないのだ、と思つたのである。だが、豊崎は答へた。
「いや、憲法改正ぢやなくて、憲法廃止。廃止してしまふんです」
幹事長はまだ怪訝《けげん》さうに、
「憲法のない国なんてないでせう。よほどの後進……発展途上国でない限り」
「先進国で憲法のない国、ありますよ」
「え?」
「イギリス」
「あ、うつかりしてました。イギリス、憲法ありませんね。なるほど、イギリスと同じにする。名案かもしれません」
と幹事長は嬉しさうにして、
「それなら受けがいいでせう。皇室のことをとやかく言ふ連中だつて、イギリスもあるぢやないかと言はれるとぐつと詰まるやうです。親類にミニ・スカートが大嫌ひな老人がゐましたが、イギリスではじまつたものと知つて、あまり悪口を言はなくなりました」
ここで小萩のおかみが、
「あら、フランスぢやないんですか?」
「うん。知らなかつたらう」
と幹事長は答へ、それからまた哲学者に向つて、
「なるほど、いいかもしれませんな、その案。なんと言つても戦争放棄の第九条がなくなつて、交戦権が生じるのが好都合です。うん。憲法改正は引込める。その代りイギリスを見習つて憲法廃止。これはたしかに一考に価します」
しかし豊崎は、乗気になつてゐる幹事長の熱をさますやうにかう言つた。
「いや、戦争放棄の件は、実際にはどうなるかわかりませんよ。といふのは、紙に書いた憲法は廃止しても、日本人が戦後四十何年間にみんなで形成したもの、人権の尊重とか、平和の尊重とか、その他いろいろの取りきめは紙に書いてない憲法として作用する、といふのが肝心のところなんです」
「ははあ」
「イギリスでは紙に書いた憲法はないけれど、二度の革命で、王様を殺したり、追つぱらつたりしたことが国民全体の智恵と体験として働いてゐるわけでせう。憲法の代りみたいになつて。日本でもあれと同じやうにすればいいわけで、つまり戦後の日本人の智恵と体験が憲法の代りになる。これでゆけば、自衛権はもちろんありますが、しかし外地へ派兵することはどうなるか。そのへんは国民全体が考へることになります」
「ははあ……」
と幹事長は不審さうな声を出してから、
「でも、さうなると、なぜ憲法を……紙に書いた憲法を廃止するのかな? その理由は?」
「二つありますね。第一は、日本の実情と合つてゐない部分があるから」
「戦争放棄のところですか?」
「いや、前文ですね」
「前文のどういふ箇所?」
「あそこは日本人の生き方の原則が書いてあるわけですが、諸国民との協調とか、平和とか、民主主義とか、そんな話だけでせう。もちろん日本人はその方針でやつて来ました。殊に外国に武器を売らなかつたのはすごいことでした。武器を売らないでの繁栄といふものはすばらしい。でも、さういふのと並ぶ……いや、もつと根本的な、大原則が一つ落ちてますね。書いてありません」
「何ですか?」
と幹事長が訊ねると、哲学者は答へた。
「物のやりとりです」
「物のやりとり?」
「ええ。たとへばお中元とかお歳暮とか」
「そんなこと、憲法の前文に書くやうなことですか?」
「大事なことですよ。わたしたち日本人は昔からそれで生きて来ました」
「ふーん」
いぶかしさうな原幹事長に向つて、豊崎教授は次のやうな論旨を説明した。
まづ今の日本人のごく普通の生活を考へてみよう。初対面のときは恭しく名刺を交換する。これを忘れたら大変だ。七月にはお中元、十二月にはお歳暮を知りあひに送る。親類に、友達に、上役に送る。これは国民的行事である。その費用にあてるやうにと、会社や官庁は年に二回づつボーナスを出すと言つてもいい。もしこの風習がなかつたら、デパートも宅配便もみなつぶれてしまふだらう。
ほかにも贈り物の機会は多い。旅行する人には餞別、従つて旅行者はお土産を買つて帰る。死人には香奠《こうでん》、そして香奠をもらつたらお返し。婚礼のときもお祝ひとお返しがある。
それから正月には子供にお年玉。子供から親には母の日と父の日。バレンタイン・デーには女たちから同じ勤め先の男たちへチョコレート。そのお返しにはホワイト・デーとやらで男から女へ下着。これはさすがにあまり盛んではないけれど。ほかにもいろいろ。音楽会で演奏家に興行主と聴衆の双方から花束を贈る。あんなことヨーロッパではしない。歌舞伎の役者がお客に手拭を撒く。女剣劇でお客がおひねりを投げる。相撲で勝ち力士が次に出る力士に水をつける。引上げる勝ち相撲の肌にお客がさはつてツキをもらふ。あやまちを犯したヤクザはお詫びのしるしとして自分の指を切つて親分に贈る。あ、それからお賽銭。神様にも仏様にも。現代日本は贈与の帝国だ。
その点、西洋人はあまり贈り物好きではない。もちろんクリスマス・プレゼントはする。それから誕生日のお祝ひも。しかしどちらもやりとりの範囲が狭い。まして日本人みたいに、何につけても贈り物といふわけではない。たとへば香奠などまつたくない。贈り物の額も日本人にくらべて格段に低い。
わたし(豊崎)の知つてゐる若い英文学者が、オクスフォードかケンブリッジに一年ゐたとき、イギリス人から晩御飯に招かれた。かういふ場合どうすればいいのかと友達に訊ねると、葡萄酒を一本持つてゆけと言ふのでさうすると、向うの家の夫婦が、その葡萄酒が高額のものであることに仰天した。用心して、日本の標準からすれば安いくらゐのものにしたのに。
それから、これはわたし(豊崎)が知つてゐるフランス人の版画家。日本の女と結婚して、三十何年間、京都で暮してゐるため、自分の意見を曖昧にしか言はないとか、愛想笑ひをするとか、日本風俗をすつかり身につけてしまつた。当然の結果としてお中元やお歳暮を知人に贈るのだが、その場合、さすがにフランス人だけあつて品物の選び方がケチだなんて取り沙汰される。しかしこれはケチなのではなく、まだ日本人になりきつてゐないのだ。
名刺の交換の話をしたとき、あなた(原幹事長)は不審さうな顔をちらりとしたけれど、むやみに名刺を渡したがるのは日本人の一特徴らしい。先年、タイで、タイ人の少女が自分は日本人だと偽り、ほうぼうで詐欺を働いた事件があつたが、そのとき彼女の使つた小道具は名刺だけだつた。そして名刺はもちろん中国ではじまつたものだが、おもしろいことに、今の中国では初対面のとき名刺の交換をしない。つまりあれは日本人だけの風俗になつた。
かういふ国柄だから、日本経済を動かすのは贈与である。デパートも宅配便もこの風俗のおかげと言つたけれど、海苔《のり》、乳製品の詰合せ、ティー・バッグなど、贈られる品の製造会社も、包み紙や水引や紙紐の会社も、その他いろいろの業者がお中元とお歳暮の恩恵に浴している。それから、證券会社が損をさせた取引先に補填《ほてん》をするのも贈り物。会社が関係官庁の役人の天下りを引受けるのも贈り物。
政治だつて同じ。現場にゐる方(原)の前でこんなことを言ふのはをかしいかもしれないが、まあ、聞いて下さい。
民主政治の基礎は選挙制度だが、日本の選挙はかなりの程度、金で動いてゐる。候補者が選挙民に金を贈り、選挙民がそのお返しに票を贈ること、つまり買収が広くおこなはれてゐる。もちろん買収は禁じられてゐるが、選挙違反でつかまるのはよほど運の悪い連中だし、たとへさうなつても候補者は処罰を免れる仕組になつてゐる。さらに、候補者が普段から選挙民をバスに乗せて温泉に連れて行つたり、国会見学に案内したりして、そのお返しとして票を入れてもらふことはもつと多い。告示以前にさういふことをしても、別に咎められない。あ、うちの者(豊崎の妻)もあなた(原)の後援会にはいつてゐるから、どこかへ行つてるかもしれない。
候補者が死ぬと、その息子とか妻とかを立てる。これは保守、革新どちらでもやること。これを弔ひ合戦と言ふし、有権者は(保守も革新も)香奠がはりに票を入れる。あれも贈与。
日本の選挙はとかく政策の対立点をぼやかしがちで、党を選ぶことがむづかしい。これはもともと日本人がお互ひ同士、妥協と譲歩をしすぎるためだ。これでは近代代議政治が可能かどうか疑はれるくらゐだが、それはともかく、あの妥協と譲歩も一種の贈り物。
企業は代議士に自動車を提供する。秘書も提供する。
派閥の領袖は子分たちに金と役職を贈らなければならない。それで金集めが大変だし、大臣の在職期間が短くなる。そして領袖たちの合従連衡《がつしようれんこう》によつて首相は決まるのだから、おそらくこのとき豪勢な贈り物がなされるはずだ。
農業政策とはすなはち安い米をうんと高く買ひ上げて農民を喜ばせることであつたし、各市町村に一億円づつ金を贈るのが地方対策であつた。与党と野党のあひだにも種々の贈り物があるし、大新聞社で政府からまだ土地をもらつてゐないのは一社だけである。そして日本の外交政策とは、諸外国に金を贈ることであつた。これを一言で言へば、明らかに、日本の政治は贈与によつて機能してゐる。
一体どうしてこんな不思議な国が生じたのか。これはむづかしい問題だが、おそらく日本が、表層はともかく深部において古代的=原始的なものを極めて多量に残してゐる国だからであらう。われわれは近代化された様相だけにとかく注目しがちだが、実情はもつと渾沌《こんとん》としてゐるのだ。
古代日本人にとつて、贈与とはつまり契約であつた。旅人が幣《ぬさ》を幣袋《ぬさぶくろ》に入れて行つて道祖神に献げる。絹の布、麻の布、紙などを細かに切つたものを袋のなかから取出し、撒きちらすのである。(菅原道真の「このたびは幣もとりあへず手向山もみぢのにしき神のまにまに」は、『百人一首』にあるので日本人が誰でも知つてゐる和歌。何しろ急な出発だつたので幣を用意して来なかつたけれど、手向山の紅葉が幣の代りです、といふ意。)撒き散らすと、その幣には旅人の魂が付着してゐて呪力を発揮するゆゑ、道祖神はその呪力に感応して、旅人の安全を保證してくれるのだ。このやりとりは神と人との友好関係の確認、すなはち契約であつた。
契約といふ事情がもつと明らかなのは中世の八朔《はつさく》である。これはもちろん陰暦の八月一日だが、八月一日は奉公人の出替りの日で、新しい奉公人は主人にささやかな贈り物をして、その好意と保護を求めた。この風俗が鎌倉時代、関東の武士に取入れられ、やがて室町期になると、大名は将軍に、太刀、金銀、馬など高価な進物を献上して、その返しに扇子を与へられるやうになつた。忠誠と庇護の契約は贈与によつてなされたのである。
かういふ、契約の一形態としての進物は江戸期になつてもすたれなかつたし、それどころか、現代まで長くつづいた。日本人は古代以来ずつと村落的共同体に生きてゐたから、他人との友好関係がこはれやしないかと心配でたまらなくて、せつせと物を贈つたし、さうすると相手もそれにお返しをして、互ひに契りを結んだのだ。それは半年ごとに更改しなければ不安だつたから、中元とお歳暮が制度として定着することになつた。この制度の下には、供物を献げて神々ととりかはす契約が透けて見える。毎年、あの大事な隣人である神々に贈り物する以上、人間である隣人たちとの契約を廃止しないのは当り前だ。水引をかけ熨斗《のし》をつけての進物は、書類にハンコを押すことを儀礼的にしたやうなもので、お返しもまた呪術的な行為である。その契約の仕組によつて社会は動いてゆくのだから、つまりわれわれの社会の構造は宅配便のネットワークに似てゐる。
それなら西洋では日本ほど贈り物が盛んでないのはなぜなのか。西洋でも、肉、菓子、香料、衣服、宝石などの供物を神々に献げてゐたギリシア、ローマのころは、人々相互のあひだの贈与が盛んだつたのではないか。ところがキリスト教のせいで異教の神々への供物が禁じられると、それにつれて人間同士の物のやりとりもすたれたのであらう。これは理屈に合つた話だ。といふのは、贈り物に付着してゐる贈り主の魂なんて、キリスト教は認めないはずだから。
かういふ国柄なのに、憲法前文で贈与に一言も触れないのはをかしい。前文はその国の基本的な方針を述べる箇所なのに。かういふことになつた理由は簡単だ。贈与が個人生活の次元でしか、しかも小規模にしか幅をきかせてゐない、アメリカといふ国の某州の憲法を参照して作つたせいである。これは重大な手違ひだつた。一切が贈与によつて動く国柄は、もちろん多少の行き過ぎは是正しなければならないが、しかし概して言へばそれなりに誇るに足るものである。すくなくとも恥ぢる必要はない。このことは、その方針でやつて来たら繁栄と平和があつたのだからかなり確かなことだ。
しかしさうは言つても、これを憲法に書くとなると、むづかしいかもしれない。そんなことを前文に書いた憲法は世界中に今までなかつたし、といふよりもむしろ贈与なんて事柄は憲法になじまないのである。聖徳太子の十七条の憲法にしても、贈与のことを上手に書くのはむづかしかつたから、それで「和をもつて貴《たふと》しとなす」なんて漠然と書くしかなかつたのではないか。とすれば、イギリスに憲法がないのをいいことにして、書かずにすませるのが最も賢い処置であらう。
とここまで論じて来て思ふのは、イギリスもまた王権をはじめとする古代的要素を豊富に持つ国柄だといふことである。あれはやはり、成文憲法ではうまく書けないことが多いから憲法を制定しなかつたのではないか。その賢明な現実的態度をわれわれは見習はなければならない。つまり憲法は廃止するのがいいのである。
ここで第二の理由に移るが、憲法廃止によつて日本人は自分でものを考へるやうになるだらう。これまでわれわれは、憲法に書いてあるからそれに従ふ、といふ論法で論じつづけて来た。しかしこれは白い紙に黒いインクで刷つてあるだけのものを無条件にあがめる態度で、一種の物神崇拝《フエテイシズム》である。今後われわれは、憲法よりもむしろ戦後数十年の具体的な歴史と未来への展望から出発して、自分の態度を決めなければならない。その体験と予測のうち、自分(豊崎)は、まづ人権といふことが大事だと思ふし、これには誰も反対しないはずだ。次には他国と戦争しないことおよび他国に武器を売らないことがとりわけ貴重だと思ふけれど、さう思はない人がゐても仕方がないし、討議をつくしたあげくならばさういふ考へ方が主導権を握つてもやむを得ない。みんなが物神崇拝的に憲法に従ひ、あるいはその勝手な解釈に従つて行動するよりは、条文によつてではなく自分たちで考へ、論じ合つて行動するほうが、一国の政治として遥かに立派なのである。
「といふわけで、やはり憲法は廃止するほうがいいと思ふんですね」
と言ひ終へて、豊崎教授は小萩のおかみに声をかける。
「ビールを下さい」
そして一気に飲んだ。その飲みつぷりに刺激されたのか、原もビールを所望し、ただしこれは一口飲んだだけで、
「先生、とてもおもしろかつた。いちいち意表をついてますな。なるほど、贈与ねえ。さう言へば、ヤマタノヲロチなんかも贈与ですな」
「え、ヤマタノヲロチ? あの日本神話の?」
と哲学者がびつくりすると、
「ええ。スサノヲノミコトが姉さんのアマテラスオホミカミを怒らせて、追放されて、出雲へゆくでせう。爺さん婆さんが泣いてゐて、今夜、娘が、頭が八つあつて尾つぽも八つある大蛇に食べられますと言ひますね。そこでスサノヲノミコトが、八つの大樽に酒を入れさせて待つてゐると、ヤマタノヲロチがやつて来て、酔ひつぶれて、寝てしまつた。そこを斬り殺すと、尾つぽから剣が出て来た……」
「ははあ、酒を飲ませるのが贈り物で、剣がお返し?」
「はい」
哲学者は、これは贈与ではなくて単なるだまし討ちぢやないかと思つたが、しかしそのへんを説明するのは面倒くさいし、それにここは幹事長の歓心を買はなくちやならない場合なので、
「贈与です。立派な贈与」
と断定した。
「ね、聞いたとたん思ひ出したんですよ、あの話を」
と幹事長は喜ぶ。そして豊崎教授は、なーに、いざとなつたら何とか理屈がつくさ、同文の恋文を同時に何人もの女に送つた例の大哲学者も「散歩すれば理屈生ず」と一杯機嫌で言つたさうぢやないかと自分を励ました。
ここで幹事長は、
「おや」
と驚いて、
「先生とぼくの関係もまさにさうぢやないですか?」
哲学者は、内心、これはずいぶん強制的な贈与だなあと思ひながら、
「さうです、さうです、贈与関係。わたしの贈り物にお返しをして下さればね」
と答へる。幹事長はそれに対して微笑してから、つづけて言つた。
「じつに興味深い御意見でした。勉強になりますなあ。しかし先生、お話の核心は、新聞社に対する国有地の等価交換、まあ打ち割つて言へば国有地の譲渡ですが、あそこにあるわけですね。贈与で成り立つてゐる日本であり、その日本の政治であるからして、新日報社への土地の贈与を認めるべしとかうおつしやつてゐる。新日報社との契約を結べ、土地を渡して結べ、と。あれが眼目であつて……」
「当り〜」
と豊崎はふざけた口調で言つた。幹事長はそれにかまはずにつづける。
「憲法論はそれを入れるための……饅頭《まんじゆう》の皮みたいなものでせう。餡《あん》は国有地ですな。先生は何か理論をと求められて、あの憲法論をお考へになつた。その光彩陸離たる論旨は高く評価するにやぶさかでありませんが、あれはいはば壮大な冗談であつて……」
ここで豊崎は口をはさんだ。
「それはわたしが哲学者である以上、当然なことです」
「え?」
「ほかの哲学者の場合はどうか知りませんが、ソクラテスといふ人は一日中アテネの街を歩きまはつて冗談を言つてゐました。冗談が彼の哲学だつたんです。わたしも及ばずながら、さういふことをしたいと思つてゐます」
「ほう、ソクラテスがね。あれはさうですか」
と幹事長が怪訝さうに言ふと、おかみが、
「ソクラテスつて、ゲイだつたんでせう」
豊崎は向き直つて、
「ええ。でもね、ソクラテス一人ぢやなくて、あのころのギリシアの男はみんな、美少年が好きだつたもの」
そしてまた原に、
「ほら、ソクラテスの弟子が語る有名な恋愛論があるでせう。人間はもと、手は四本、足も四本、頭は二つ、耳は四つ、陰部は二つといふ具合に出来てゐて、そして、男プラス男、女プラス女、それから男プラス女といふ三種類あつたが、この人間たちが神々に逆らつたため、罰として、一人一人がめいめい二人に切り分けられた。それで現在わたしたちは、もとの相手を求めて恋をする、といふんですね。そのなかで男プラス男が二つに分けられた者は男を求める。つまりゲイ。女プラス女が分れた者は女を求める。レズビアン。男と女がくつついてゐたのが分れた者は異性を求める……といふのがありましたね」
「うん、あつたあつた」
と幹事長がうなづく。教授はつづけて、
「あれなんかまさしく、先生であるソクラテスの流儀の真似をした冗談でせう。冗談の型はちよつと違ひますが。まさか本気で思つてゐたはずないもの、あんな理屈。でも、ふざけたせいで、かへつて鋭い何かを述べることができた、と言へます。それに、もつと丁寧に言へば、冗談と真面目《まじめ》の区別をつけにくいのが哲学的話題なんですね。日常的話題と違つて、真面目と冗談との二項対立といふわけにはゆきませんから」
「おや、何だか説得されて来ましたな」
と幹事長が笑ふと、おかみが、
「あたしもさつき、お猪口の話でさうでした」
と言つてから二人に果物をすすめる。それは先程からずつと彼らの半月盆のそばではふつて置かれてゐたものだ。メロンを食べ終へた原はのんびりした口調で、
「しかしねえ、豊崎先生」
と話しかけた。
「お話は非常におもしろかつたけれど、でも憲法廃止といふのはあまりにも非現実的ですな。うんと巨視的にはいい線かもしれないと思ひますが、当面の策としてはね。実際にはどうすれば実行できるのか、見当もつきません。わが国民はやはり憲法をほしがると思ひますよ。あるほうが立派さうに見えますから。エッフェル塔を見ると、東京タワーを建てる。ディズニーランドにゆくと、そのコピーを作りたくなる。それが日本人でせう。イギリスが憲法なしですませてゐるのは、自国の植民地だつたアメリカの真似をするわけにゆかないからぢやありませんか。うーむ、むづかしいなあ。さういふわけでこの御提案はちよつと……」
と、そこで言葉を切つたとき、メロンの最後の一匙《ひとさじ》をすくひながら豊崎は言つた。
「あ、いいんですよ。わたしのこれはまあ、援護射撃みたいなもので、駄目でもともとと思つてましたから」
しかし幹事長は右手で軽く制して言つた。
「と言つても未練は残るんですな。どうでせう? もうしばらく、お待ちになる気はありませんか? 斬新な着想なので、捨てるに忍びない気がします。学者、評論家の方々に検討していただきたいんですな。これをヒントにして、何か出て来るかもしれませんから」
ちよつと考へてから豊崎は答へた。
「はい。結構です」
幹事長の言葉は、気まづい思ひで別れるのを避けるための配慮かもしれないが、向うがかう言つてくれるのに断る手はないし、それに自分のこの交渉はさほど重大ではなく、今夜もうすぐ南弓子の伯母が首相にどう掛合ふかが肝心だと思つてゐた。つまり彼は別に落胆してゐない。豊崎がうなづくと、原が言つた。
「でも、いちおう区切りをつけませう。二週間後に御返事します」
「楽しみですなあ」
と微笑すると、
「ではウィスキーの水割りでも飲んでお開きにしますか?」
「賛成です」
そこで改めて酒を酌みかはしながら、哲学者は訊ねた。
「これはあくまでも世間話として伺ふんですよ。実行する気なんか毛頭ありません。でもね。ちよつと気がかりだから」
「どうぞ何でも」
「二週間後にこの話がこはれ、そしてぼくが一部始終を、つまり何か然るべきもの、金でも物でも情報でもゴルフ上達法でも提供すれば交渉が成立する、と言はれたことをどこかの雑誌に公表すれば、どうなります? さういふこと、心配なさらないのかな、と思つて」
幹事長は水割りを飲み、グラスを小萩のおかみの前にそつと置いて二杯目を作らせながら、上機嫌で言つた。
「それはいけないよ、先生。まづいことになる。これを御覧なさい」
と渡した紙には、ワープロで横書きに、豊崎教授が東京で何月何日にどのホテルに泊り、そこへ南弓子が何時に訪ねて行つて何時に帰つたかが克明に記してある。一階のラウンジでヤクザの親分と談笑したことまで書いてある。
「おやおや」
「ね。これをちよつと使ふことになります」
「ははあ」
と豊崎が曖昧な声を出すと、
「私立大学は国庫補助で持つてますからね。あれも憲法違反ださうですが」
と幹事長は答へた。これを大学当局に示せば、次の年度から豊崎の講義を設けなくなるといふ意味だらう。
「なるほど。しかしよく調べたものですね」
と呆れながら書類を返すと、幹事長はおどけた口調でつぶやいた。
「いやな渡世だなア……」
元女優とその姪の論説委員は、上機嫌で美容院を出た。すつきりした髪で、それにもちろんしやれた服を着て、よいお天気の日に銀座を歩くのは楽しいので、どうしてもおしやべりになる。伯母のほうは紫に薄いグレイの水玉模様のワンピースである。ただし首相官邸に着てゆくのは別の服で、そつちはホテルの部屋に吊して来た。姪のほうはアルマーニのスーツで論説会議に出て、それから美容院へ来たのだ。
角を曲つて、しばらく行つたとき、柳雅子が、
「あ、ここでちよつと拝んでゆきませう」
と言つた。見ると、間口の狭いビルの一階と二階をぶち抜いて、神社にしてゐる。すこし引込んだところに白い石の鳥居があつて、黒と金の額をかかげ、その前に鈴があり、赤と白のだんだらの紐が垂れてゐた。弓子はときどきこの前を通りながら、別に気にとめずにゐた。あるいは、淡く意識しながら敢へて無視してゐたと言ふべきか。それで、ここにこんな形で神社があるのが不思議だといふ気持で、
「あら、お宮」
とつぶやくと、伯母は、
「銀座だつて日本だもの」
とたしなめる。姪はなるほどと思つて、さう言へば新日報社の屋上にもお稲荷《いなり》様があつたつけと思ひ出した。何かのとき、写真を撮つてもらふため屋上にゆくと、赤い鳥居のお宮がひつそりとあつて、その取合せに驚いたのだ。由来を記す立札によると、西国某藩の藩邸跡地に新日報社を建てる際、この祠《ほこら》を残したが、建て替へるとき、印刷工一同が相談してお金を出し合ひ(つまり編集の者も業務の者も無関心だつた)、屋上に移つていただいたのださうである。すると銀座のこの神社は、屋上に移るのを承知しなかつたため、無理をしてでも地上に残すことになつたのか。このビルの持主は新日報社の社主たちにくらべて信仰が厚かつたのか。
神社名を刻んだ黒と金の額の下に賽銭箱があつて、その前では、ちようど今、黒い鞄を横に置いた黒い服の大男が、頭を垂れて何か祈つてゐる。鳥居の奥、内陣の薄くらがりには鏡を安置して、磨きあげたその円形には、道ゆく人々の服や通りすぎる自動車の、赤や水いろやベージュいろがちらちらと映る。弓子は左手の壁にバーや小料理屋や鮨屋の名入りの提燈《ちようちん》が塵まみれになつて並ぶのを見上げ、一つ一つ全部を読んでから視線を元に戻したが、大男は相変らず動かうとしない。
「長いのね」
とささやくと、伯母は、
「よほど心配事があるんでせう」
と言ふ。二人はしばらく、男の黒い服と黒い鞄を、まるで苦悩がいつぱい詰まつてゐる容器を見るやうに見まもつてゐたが、やがて雅子が待ち切れなくなつて、
「ゆきませう」
と言つた。
「お詣り、よします?」
「いいえ。水天宮へゆきませう。あつちの神様のほうが格が上だもの」
と言つて、ずんずん歩き出す。
地下鉄まで歩きながらの話によると、十代の末、撮影所にはいつたばかりのころ、当時の大スター、佐保川千鳥に目をかけられ、お詣りのお伴をよく言ひつかつたといふ。弓子が、
「でも安産とか水難とかでせう、水天宮つて。藝能人に人気あるお宮?」
と訊ねると、
「さあ、どうかしら。水商売だから水天宮と思つてゐたけれど、何となく」
と言ふ。
「あ、さうなの」
と弓子は感心した。
人形町で降りると、銀座とはがらりと違ふ雰囲気である。庶民的で、昔ふうで、つまりいかにも下町といふ感じ。江戸時代の街がとつぜん現代につきあふ羽目になつて閉口しながら、しかし表面は何とか上手にしのいでゐる。弓子は、いつか一ぺん来たことがあつたと思ひながら、何で来たのかどうしても思ひ出せない。新聞記者も水商売みたいなもの、といふ感想がふはりと浮んで、をかしかつた。
一体に今風の店はすくないのだが、なかでもとりわけ古風な構への菓子屋に伯母は寄りたさうにして、しかし、
「帰りにしませう」
と思ひとどまつた。四つ辻の雑沓の向うに、社殿が聳《そび》えてゐた。甍《いらか》は緑、柱は朱、そして壁は白で、なかなかしやれてゐる。通りから境内へ石段を昇るのだが、入口の左脇に掲示があつて、由来を説く。弓子は斜め読みして伯母に説明した。
「祭神は天之御中主神《あめのみなかぬしのかみ》と安徳天皇と建礼門院と二位の尼で、壇ノ浦で水死した天皇と平家の一族を、平家の女官が九州で祀つたのがはじまりですつて。それを有馬の殿様が文政元年に江戸の赤坂に勧請《かんじよう》、つまり持つて来て、それから明治のはじめ、ここに移した、ですつて」
「ふーん。天之御中主神つて何だつたかしら?」
「聞いたやうな気がするけど。『古事記』に出て来る大昔の神様でせう」
「恰好つけだけね」
「ええ、恰好つけ。大事なのはやはり安徳天皇と建礼門院と二位の尼」
それから二人は、代る代る源平時代史の復習をした。壇ノ浦で平家が亡ぶとき、平清盛の妻である二位の尼が孫の安徳天皇を抱き、海の底にも都がありますよと言つていつしよに身を投じたこと、そして高倉天皇の妃であり安徳天皇の生母である建礼門院は入水したものの東国の武士たちに助けられて……と話がそこまで来たとき、二人は手水舎《てうづや》の近くにゐた。
本殿の前にたたずむと、赤ん坊を抱いた若い女、その夫、それから姑の四人が外陣に立ち、恭しく頭を垂れ、お祓《はら》ひを受けてゐる。弓子と雅子はその様子を見ながら、今夜の陳情がうまくゆくやうにと祈つた。賽銭箱に入れたのは、姪は百円で、これは自分としてはかなり気張つたつもりだつたが、伯母は千円である。論説委員としては、硬貨でなければ音がしないから感じが出ない気がしたし、元女優としては、柳あえかがわづかのお賽銭しかあげないのでは恥しいと思つてゐた。
社務所の前には休憩所がある。ベンチに並んで腰かけて境内を見まはすと、赤ん坊を抱いた若い女を立たせて若い男が写真を撮つてゐる。弓子は言つた。
「お宮参りなのね」
「さうねえ」
「千枝のときどうしたかしら? 忘れてしまつた」
と弓子は独り言のやうにつぶやいたが、ふとひらめくものがあつて、
「水商売だからぢや、ないんぢやありません? ほら、さつきの映画スター、佐保川千鳥といふ人」
そして、怪訝《けげん》な顔をしてゐる伯母に説明した。
「内緒にしてる……どこかにあづけてる子供がゐて、無事に育つやうにと……ぢやなかつたかしら?」
雅子はまづ遠い過去をあわただしく思ひ浮べ、新しい光の下で検討し、それから弓子に鋭い目つきを投げて、
「新聞記者は厭なことを考へる」
と答へた。この推定が正しいと見たわけだが、しかし弓子が、
「新聞記者だからぢやなくて、映画ファンだから、こんなふうに頭うごくのよ」
と言つたので、すぐに機嫌が直つた。映画の全盛期をなつかしむのを聞くと大喜びするのは、まへまへからの癖であつた。
それから二人はいろいろな話をした。鮎の形をしたお菓子を買つて帰らうかと思つたけれど十月では売つてないかもしれないとか、鳩に餌を与へないで下さいと大きく書いてあるのにあそこで男の人がポップコーンを次から次にやつてゐるとか。
雅子が遠くの鳩の群れを見てゐるあひだ、弓子は、このお宮は水に縁があるしそれに赤ん坊の守り神だが、それなら水子との関係はどうなつてゐるのかしらと考へた。しかしこのことは口に出さない。ひよつとすると伯母の過去に触れることになるかもしれないと案じたからだ。
伯母にすすめられて姪がおみくじを引くと、
運勢 吉
左によくすると右に悪くつねに迷いがあります。腹をたてず利欲をすて自分をいましめれば人望をまし利益をましましょう。
とあつて、
○願望《ねがいごと》 二つの願いごとを一度にかなえようとすると悪いことがおこりがちです。
それから三つ飛ばして、
○商売《しようばい》 よいけれども大きな得はありません。
「二つを一度といふのは、つまり、論説委員のままでゐたいといふのと、社が土地をもらふのと、二つかしら?」
「大きく儲けないといふのだから、さうかもしれないよ」
などと二人は語りあつた。おしまひのところに、
○出産《しゆつさん》 安産です。
○病気《びようき》 たいしたことはありません。
○縁談《えんだん》 あれこれと迷っては時期をうしないます。
とあるのが心のどこかを刺激したのか、弓子は前の話題を思ひ出し、
「でも、どうして建礼門院が祀つてあるのかしら? 安徳天皇と二位の尼はわかるけど」
と口にした。それを聞いた雅子は、変なことを言ふよといふ顔で、
「だつて母親だもの」
「でも、壇ノ浦で死ななかつたのに」
雅子はぐつと詰まつたが、すぐに、
「いつしよに祀らないと、生き延びたことを責めるみたいになつて、角が立つもの」
「あ、さうかもしれませんね」
と弓子は、気持とは裏腹に、いちおう同意するみたいなことを言つてから、
「でも不思議なの。安徳天皇、建礼門院、二位の尼の御霊《ごりよう》を祀ると入口の説明にあつたから。よくは知りませんけど、御霊というのは、怨みを呑んで死んだ人の亡霊が、はふつて置けばたたつて、自分を苦しめた相手にはもちろんだけど、生き残つたみんなにもひどいことをするので、さうしないやうに、いろいろ御機嫌をとるんですつて。贈り物をするのね。位を上げたり、御馳走を供へたり、音楽を聞かせたり、それからお相撲を見せたり、その人の一生を仕組んだお芝居をしたり……」
「まあ、お芝居。しやれてるわね。一昨年、藝術座から芝居に出てくれと言つて来たけど、断つちやつた。いい役ぢやなかつたもの」
これは聞くのが三度目だが、弓子はそんなことは言はないで、
「お出になればよかつたのに。ファンが喜ぶでせう」
「さうかしら?」
「さうよ。決つてます。とつても多いのよ、今でも。それでねえ、伯母様、そんなふうに御機嫌とられると、幽霊のほうはたたるのをやめ、すつかり気をよくして、今度は守り神になつて面倒見てくれるんですつて」
「おもしろいわね」
「それが御霊神《ごりようしん》。天神様も、曾我兄弟も、佐倉宗五郎もみんなさう。日本人は御霊神が大好きなんですつて」
「ほんと、みんな人気ある」
「ね。でも、をかしいのよ。安徳天皇と二位の尼は壇ノ浦で海に身投げして死にましたから、怨みが深いでせうけど、建礼門院は怨みないはずだもの。身投げしたのに、引上げられて助かつたでせう。そして敵の大将の源義経と関係して……、あ、その前に平家の軍船に乗つて瀬戸内海を逃げまはつてゐるとき、お兄さんの宗盛と関係したし、そのもつと前、高倉天皇が亡くなつたあとで、お舅の後白河法皇とも何かあつたにちがひないと言はれてゐるし、さういふいろんなことのある罪深き女なのに、お寺にはいつて、仏道に帰依したおかげで、亡くなるときには紫の雲が天にたなびいて、極楽へ行つたと言はれてるんですから、怨みを呑んでさ迷つてるはずないもの。ね、をかしいでせう」
「をかしいわよ」
と雅子は勢ひ込んで答へたが、しかしそれにつづけて言つたのは、
「お舅さんやお兄さんはともかく、義経みたいないい男と遊んだら、もうそれでいいぢやない。怨むなんて筋違ひでせう」
といふ妙な意見だつた。弓子は口をつぐんだ。
二人は近くの店に休んで豆カンを食べ、古風な構への菓子屋に立ち寄つた。赤坂のホテルにゆくと、伯母は椅子に腰かけてぼんやりしてゐるし、弓子は夕刊数紙を拾ひ読みする。ふと思ひ立つて、首相官邸の記者クラブに電話をかけ、様子を探つてみたが、何の事件もないらしい。それなら首相はたぶん機嫌がいいはずだ、などと二人は語り合つた。夕食は食堂に出てゆかずに部屋でとることにし、十二時まで、テレビを見たり、つけつぱなしのテレビの前でうとうとしたりした。
持参の玉露をいれて、人形町の栗羊羹《ようかん》をつまみ、それから念入りに身仕度をした。雅子は服を着替へる。ハンドバッグは二人ともよそゆきのものにした。社から呼んであるハイヤーに乗り(ただし社旗ははづしてもらふ)、出発したのは一時四十分である。
夜中だから永田町にはすぐに着く。指定された総理府下の、小さな交番のある角、高い鉄柵の門の前には、二時にはまだ早いから当然だが、目ざす人物は来てゐない。界隈を大きく一まはりしてもらひ、戻つて来ると、すこし開けた鉄の門を背にして男が一人、懐中電燈をつけて立つてゐた。
運転手にチップを渡し、しばらく待つてくれと頼んで降りる。
男が寄つて来て、
「柳雅子さんですね?」
と訊ねた。弓子が、
「はい。それと、付添の南弓子です。姪でございます」
と答へると、男は、
「総理の秘書の藤村です」
と言つて内ポケットに手をやつたが、
「いや、名刺は明るいところで差上げませう」
と笑ひながら、女たちの顔を照した。
光の輪のなかで雅子がほほゑんで、
「このたびは本当にお世話になります」
と挨拶する。秘書が、こんな時刻なのにネクタイをきちんと結んでゐることは夜目にも明らかである。表情は見えないが、首相と元女優との昔の仲を彼が疑つてゐることは確実だ、と思はれた。
「電話で申上げましたやうに靴はハイヒールぢやございませんね」
と言ひながら、二人の足もとを秘書は照した。
「はい」
「ローヒールです」
「人目につかないやう御案内するときは、この門からはいつていただくんです。裏道と言つてるんですが」
さう説明して懐中電燈をもう二つ出し、渡してくれた。
交番にちよつと声をかけて門のなかへ客を案内し、それから馬鹿ばかしく大きな錠をおろす。鬱蒼《うつそう》と茂る樹々の匂ひに包まれて、まるで森のなかにゐるやうな感じである。秘書が先頭に立ち、三人は足もとを照しながら、斜面につけた細い径を登つてゆく。径の左右どちらも、庭と呼ぶにふさはしいほど手入れはしてない感じで、いろいろの低木が雑然と植ゑてあり、どうしたわけか、ところどころに棕櫚《しゆろ》もまじる。電燈はついてゐるが仄暗いし、径は歩きにくい。秘書は慣れてゐるらしく、
「総理は十時におやすみになつて、二時ごろ起き出し、書類を御覧になるんです。考へ事をしたり、ハンコを押したり。そして四時から七時まで、また一眠りなさいます」
とか、
「このへん一帯を動きまはるものは全部レーダーにキャッチされます。たいてい、猫とか鴉なんですけどね。いまはわたしたち三人が映つてるわけです」
などと話をしながら歩くが、雅子も弓子も足を運ぶのに懸命で、話の相手はろくにできなかつた。
途中で左折してすこし登ると、急に平地になり、植込みのかげから出ると今度は芝生のある庭らしい庭、あるいはごく平凡な洋風庭園である。正面に明るいのは官邸の裏手にちがひない。二人はたちまちおしやべりになつて、
「女のお客はみなかうして案内されるのですか?」
とか(これは雅子)、
「秘密のトンネルがあるつて聞きましたけど、いつそのこと、そつちにしたかつたわ」
とか、
「青大将がゐるつていふのは今の坂ですか?」
とか(この二つは弓子)、質問した。おしまひの青大将の件では秘書の答がないうちに雅子が、いかにも女優らしい派手な悲鳴をあげた。
秘書がとある扉を開けてさきに立ち、明るい空間にはいつてゆく。二人の女は、いつかどこかで見た気がする階段の前に立つた。
「見覚えがあるでせう。ほら、新内閣が成立したとき記念写真を撮る。あれがここです」
と秘書は言つて、二人を階段の最前列に立たせた。柳雅子つまり柳あえかはグレイに紫とピンクの大柄な花模様の、絹のドレスで、上に濃いブルーの手編みのショールを上手に羽織つてゐる。手にしてゐるのはフィレンツェで買つたビーズの小さなバッグ。南弓子はくすんだ茶色の襟なしのスーツで、下に紫の絹のTシャツ。イアリングの金はスーツのボタンの金に合せたし、バッグは明るい金茶いろ。
秘書は数歩下り、両手で四角い形を作つて覗きながら声をかけた。
「厳粛な表情をなさつて下さい」
雅子と弓子は笑ひ出したが、静まり返つてゐる官邸に二人の声が響いたので、すぐにやめた。
秘書が名刺を出し、二人に渡した。雅子は受取つた名刺をすこし離してじつとみつめてから、
「大事にしまつて置いてね」
と姪にあづけた。弓子は、あたしのことを付人《つきびと》あつかひする、と内心びつくりしながら、自分がもらつた名刺といつしよにバッグに入れる。これより前に、弓子はもちろん自分の名刺を渡してゐるが、相手は彼女の身分を知つてゐた。藤村は如才ないたちで、
「何本か映画を見ました。いやあ、きれいでした」
と言つて雅子を喜ばせ、それから弓子に、
「政治部にいらしたことは?」
と訊ねたが、政治部記者だつたことは一度もないし、首相官邸はこれがはじめてなのである。
「ちよつとここでお待ちになつて下さい」
秘書はさう言つて立ち去り、急いで戻つて来て、
「誰もゐません。ゆきませう」
と促した。ポーチから出てゆくと、人影のない森閑とした広い廊下である。二人の女は、足早にゆく秘書につづいて進み、赤い絨毯を敷き詰めた階段を昇る。絨毯はところどころ傷んでゐて、しみがあるが、それでもこれが正面玄関にちがひない。さあこれからだと雅子も弓子も緊張した。
二階の廊下をすこし歩いてから、秘書の藤村が立ちどまつた。ちよつと待つてゐて、と身ぶりで教へてから、右手の茶いろい扉を開けて姿を消す。天井の高い廊下の、これも茶いろい壁の前で、二人は黙つて立つてゐた。藤村がすぐに出て来て、
「よろしいさうです」
と言つたので、雅子が思はずその扉に向ひかけたとき、すぐ目の前の、壁だと思つてゐたところが扉一つ分とつぜん開いて、むしろ初老といふ感じの男が顔を出し、雅子に、
「やあ、いらつしやい」
と声をかけたため、ごく自然にそこへはいつてゆく。壁と見わけのつきにくいその扉の前に弓子が残つた。
衝立《ついたて》のかげから雅子が出ると、そこは三十畳ほどの広い部屋で、右手のところに、低いテーブル三つと同じ色の布張りの椅子が六つ、向ひあつてゐる。手前のソファに田丸信伍は腰をおろし、すぐ横に腰かけるやうにと合図した。おだやかに、そしてすこし照れくささうに笑つてゐる。それがごく自然で、感じがよかつた。
三十何年ぶりに男と会つて、雅子は圧倒されてゐた。若くて様子のいい男が年を取つて衰へたのではなくて、いや、衰へはたしかにしたけれども別の威厳と力を備へて現れ、テレビや写真では伝へることのできない魅力を放つてゐたのである。殊に、夜中に起き出して書類を見るといふのにふさはしい、何か精悍《せいかん》な感じが心に迫つた。コールテンのズボンに洗ひざらしのシャツ、そしてカーディガンを羽織つた、白髪といふよりはむしろ半白の政治家には、くつろいでゐるだけになほさら、現役の、働きざかりと言つてもいい男のエネルギーがみちてゐる。さつき最初に受けた初老といふ印象は、さすがにすこし直さなければならないけれど。
雅子は心のなかで、ときどき週末にいつしよに伊豆へゆく、年は田丸より二つか三つ上の男とくらべてゐた。月極駐車場を関東から静岡にかけて、百とか百五十とか持つてゐて、そのあがりで気楽に暮してゐる男で、気のいい人だと好感を持つてゐたけれど、実は物足りない気持でゐたことが急にはつきりする。駐車場の会社の社長とは、雅子が田丸と別れて数年たつたころ知りあひになつたので、当時は映画館の経営者だつた。何度も言ひ寄られ、柳に風と受け流してゐるうち交渉が絶えたが、五年ほど前、女友達に誘はれてキプロス島に行つたとき同じホテルに泊つてゐて、親しくなつたのである。
田丸は、気の置けない来客のときはいつもかうするのだらう、右手中央を指さして、
「ほら、あれが執務机」
とわかりきつたことを説明する。その後ろには天皇、皇后の写真が飾つてあるし、脇机の左には三脚台にさした日章旗がうなだれてゐて、何か学校の校長室のやうである。校長室にしては広すぎるけれど。田丸はさらに右の隅の机を指さして、
「あそこにある電話、あれがホット・ライン」
と言つた。
「まあ」
と雅子は演技的な声をあげたが、そんなものに関心はないし、第一、ホット・ラインが何なのか知らない。そこで関心のある話題に戻ることにして、しみじみと言つた。
「本当に立派におなりになつて。やつぱりテレビや何かではライトが下手だから、さういふ風格が出ませんねえ。映画でなくちや。とつても貫禄がおつきになつて、いかにも大物つて感じ。あたしのやうな者が、昔の御縁をよいことに、かうしてお話できるなんて、嬉しいやうな畏れ多いやうな妙な気持が致します」
「ストップ」
と田丸は声をかけて、
「それは雅子さん、何とかつて怪獣映画の台詞《せりふ》だよ」
「怪獣映画? あたしは観ないから」
「出てたぢやないか」
「出てた?」
「うん。銀座のバーのマダムで出て、何とかいふ新劇の名優の扮するノーベル賞受賞の科学者に頼んだぢやないか」
「あたしが?」
「うん」
「あ」
「そのバーのマダムがまだ十代のころ、大科学者が学生で、隣りの家にゐたのだつた」
「あ」
「ね」
「でもどうしてバーのマダムが、怪獣のことで頼みにゆくの? 警視総監がゆくのならわかりますけど」
「それとも国家公安委員長ね」
「ね、どうして?」
「忘れたなあ」
「あたしも思ひ出せない」
二人は笑つた。といふのは、いつしよに暮してゐたころ、女の出演した映画の筋を男はいつも冗談の種にしたがつたし、それに二人は映画の台詞を日常会話に引用してよく遊んだからだ。七十五歳の女と六十九歳の男とは、遠い昔に戻つたやうな気になつた。
それから女がだしぬけに、
「あら」
と叫ぶやうに言つた。
「あの怪獣映画は代議士になつたずつとあと、十年以上あとぢやない? 観て下さつたの?」
「うん」
「あたしの写真はみんな観た?」
「かなり観たな。全部ぢやないけれど。途中から観て途中で出ることもある。だから折角はいつたのに無駄なときもあつた」
「まあ」
と女は感動して、思はず男の手を握り、そして男はこの機会を逃さずに、三十何年前のことを、あれは自分で会つたのではとても別れられなくなると思つて叔父に任せたと説明し、すまなかつたと謝り、そして女は泪を浮べながら、すべてを許すことにした。二人は手を握つたままで、遥かな日々の思ひ出のかずかずをなつかしんだ。女は、戦争の末期のころ、ラジオ放送でアナウンサーが見え透いた嘘をつくたびに自分が腹を立てると、男が、外でそんなことを口走ると憲兵につかまるから気をつけてくれとうるさく頼んだことを思ひ出し、あれだけ用心深い人が首相になつてからはどうしてときどき失言をするのかとからかつた。男は苦笑ひしながら、失言にもいろいろあつて、と説明した。男に言はせると、彼の失言の大半は見せかけのもので、ああいふ形で観測気球をあげ、反応を見るにすぎないのださうである。そして今度は男が女に、失言にまで気をつけてゐてくれることに感謝した。
掛合ひでする懐旧談が一しきりはづんだあとで、雅子が握つてゐる手をそつとはづし、ハンドバッグから白い角封筒入りの手紙を出して、
「ねえ、お願ひ、これを読んで下さらない? 今ここで。姪の書いたものなの」
「『新日報』の論説委員ね。なかなか美人ださうぢやないか」
と田丸は受取り、
「血筋だね」
と言ひながら執務机へ老眼鏡を取りに行つて、読みはじめる。雅子は部屋のなかを見まはした。左手の衝立の前には大きな地球儀があつて、これが校長室めいた感じをいよいよ強める。日章旗の向うは扉が開け放してあつて、明りがついてゐる。どうやら秘書室らしいが、誰かゐるかどうかはわからない。雅子は立ちあがつて絨毯の上を歩き、ホット・ラインの上に掛けてある紅葉の山の風景画(あまり感心しない)をゆつくり眺めてからソファに戻つた。
田丸が読み終へて顔をあげ、眼鏡をはづした。愛想のよい表情で、
「よくわかりました。事情が入り組んでゐるから簡単にはゆかないけれど、ぜひ何とかお役に立ちたい。さう伝へて下さいませんか?」
「といふのは、信ちやん、あらごめんなさい」
と謝つて、
「つまり、どういふこと?」
田丸は相変らずおだやかに、
「物事には時機といふものがありましてね、雅子さん。今すぐといふわけにはゆかないかもしれない。その場合にはしばらく待つてもらひたいな」
「どうして待つの?」
「内閣の立つ基盤がしつかりしてゐないから。それが固まれば、つまり力が充分に振へるやうになれば、すぐにでも解決します」
雅子はプンとふくれて言つた。
「どうすればその、基盤がしつかりするの? 総選挙?」
田丸がこれには黙つてゐると、
「あたしになら言つたつていいでしよ。水くさい人ね。それでどのくらゐ待ちます?」
「うむ、半年か、それとも一年かな?」
「まあ呆れた」
と雅子は両手をポンと合せて、
「弓子は六月からずつと我慢して来たのよ。それをもう半年なんて。もう一年なんて」
しかし田丸は落ちついた声でなだめた。
「辛いことはわかつてますよ。でも、長い人生のなかで、辛抱するときがあるのは仕方ないさ。代議士だつて落選することがあるもの。さういふときのしのぎ方で、勝負は決るんだよ。だから、しばらく自重して……」
「そんなこと言つたつて」
「代議士が落選したら、一年ではきかない」
「社内でいびられても、こらへるの?」
「社長室付きもいいぢやないか。事業部だつてかまはないと思ひますよ。新聞社といふのはいいかげんなところだからね。いつたん事業部へ移つたらもう記事は書けないなんて、そんなことないと思ふ」
「ぢやあ、助けて下さらないのね」
「いや……」
「新聞社は土地をもらへないし、そのせいで弓子は社内でいぢめられて……」
「いや、さうぢやなくて。君との友情から言つても、何とかしませう。ただし今しばらくはむづかしいから、時間を稼いでもらひたいといふことね」
といふやうなやりとりが長くつづいた。首相としてはこんな小事では幹事長の顔を立てて置きたいとか、党内の「新日報」嫌ひの面々のこととか、宗教団体の圧力とか、その他いろいろの条件があるから、必死になつてぬらりくらりと逃げを打つ。そして元女優としては、月極駐車場の社長との貫禄の違ひのせいもあるし、別れてからも自分の映画を観てくれてゐたことの嬉しさも手伝つて、ぴしりと脅しをかけることがどうもためらはれる。第一、こちらはかういふ交渉事ははじめてだが、向うは慣れきつてゐて、
「それにねえ、雅子さん、この種の話は案外、思ひがけない展開があるものです。悲観しないで待つのがいい」
などと励まして、一向に取りとめがない。どう切り返したらいいか、わからなくなる。
やがて雅子は、姪がこの部屋のすぐ外にゐるから、話を聞いてもらひたいと頼んだが、上手に断られた。もう時間がないといふのだ。こんなふうにして押し問答がつづいたあげく、田丸が、やすむ前に読まなければならない書類があるから今日はこのくらゐにしようと言つて立ちあがり、執務室の外へ見送らうとする。雅子も立ちあがつて、
「姪を御紹介しなくちや」
と言ふと、
「うん。君にどのくらゐ似てるのか、一ぺん見たいと思つてました」
といふ如才ない返事だつた。しかし衝立の向うの扉を開けると、静まり返つた真夜中の廊下には誰もゐない。首相と昔の恋人はそこにしばらくたたずんでゐた。
雅子が首相執務室にはいつて行つたすぐあとで、秘書の藤村が弓子に、
「閣議室ごらんになりますか?」
と訊ねた。
「見せていただけます?」
「ええ」
「まあ嬉しい」
今しがた藤村が出て来た扉から案内されたのは、立派な椅子が正面にいくつも並ぶ部屋であつた。
「閣僚応接室といひましてね。総理がここでお客様と並んで写真を撮ります」
そしてもつとゆつくりこの部屋を見てゐたいのに右手の扉を開けて、
「これが閣議室。どうぞおはいりになつて」
それはロの字型に机と椅子の並ぶ部屋で、と言つても縦にうんと細長いロの字である。一人一人の机に硯箱が置いてあるのは書類に花押《かおう》を書くためであらう。奥のほうはずいぶん遠くて、極端な遠近法で描いた絵のやうに見える。その奥のほうを指さして、
「向うが総理ですの?」
「はい。もちろん」
「行つて見て、いいでせうか?」
「どうぞ、どうぞ」
弓子がぐるりとまはつて正面奥へゆくと、藤村もついて来て、首相の椅子を指さし、
「おかけになりませんか?」
「それではお言葉に甘えて」
と腰かけてみるが、その革張りの椅子は何か湿つぽい感じで、すこし柔かすぎる。いつも腰かけてゐる論説委員室の椅子や、それから自分の書斎兼寝室の椅子のほうがずつとかけ心地がいいやうな気がした。
すこし離れて立つてゐる藤村が、微笑を含んだ表情で言つた。
「総理、何か一言」
そこで焦茶いろのスーツに紫の絹のTシャツの女は姿勢を正し、スーツのボタンの金いろに合せたもうすこし大き目の金のイアリングを光らせながら、
「エヘン」
と言つた。藤村が小さく拍手しながら笑ふ。
閣僚応接室を通りながら、弓子は話しかけた。
「あらかじめ椅子が置いてあるんですね。びつくりしました」
「と言ひますと?」
と不審さうな顔で問ひ返すのに答へて、弓子は、
「とつても恥しい話なんです。ずいぶん以前、内閣官房の首席参事官をなさつてゐた蒲田さんにお目にかかつたとき、どういふお仕事なのか伺ひましたら、閣議の前に椅子を全部、並べなくちやならないので大変です、とおつしやつて……」
「おもしろい!」
「まさか御自分で並べるはずはないと思ひましたけど、でも、どなたかがその都度《つど》、並べるのだと、何となく思つてました」
二人は声をひそめて笑ひ、それから首相執務室の前で、その蒲田がいまは厚生省の何局長かといふことを論じあつた。もちろん弓子の情報のほうが遅れてゐる。
その話が終ると、藤村は、
「では」
と言つて立ち去つたので、弓子はただ一人、残された。長い廊下にソファも椅子もない。いつか政治部の若い女の記者が、首相官邸の廊下に腰かけるものが何も置いてないのは、立ち聞きをさせないためかしら、と言つたことを思ひ出す。扉に近づいて耳をつけてみたが、話し声が聞き取れないので、また廊下の真中に戻る。こんなふうに廊下に立つのは、まるで学校で罰を受けたみたいだといふ感想が浮んだ。そしてしばらくすると、文庫本でも持つて来ればよかつたと思ふ。大き目のバッグだから、薄い文庫本なら楽にはいるのに。時計を見ると、二時四十分である。
そのとき右手の奥に人影が一つ見えた。白地の着物の上に何か重ね着した人で、こちらにゆつくりと、足を少し引きずるやうにして歩いて来る。かなりの年配の女だつた。
乱菊の浴衣を着て、上に紫の縮緬《ちりめん》の、しぼりの羽織を重ねてゐる。帯は黄いろい半幅帯。羽織の紐は薄い紫で、結ばずに垂れてゐる。素足にスリッパを履いてゐた。年恰好は七十くらゐのその女は、すぐそばまで来て、妙にあどけない表情でこちらを見た。弓子がまづ思つたのは、これはきつとこの家の人にちがひないから挨拶しなければならない、闖入者《ちんにゆうしや》だなんて怪しまれては困るといふことだつた。このとき、ここは首相官邸だといふことを忘れてしまつてゐる。弓子は微笑を浮べ、愛想よく声をかけた。
「今晩は。お邪魔してゐます」
それはわれながら気のきかない台詞《せりふ》だつたが、ほかに思ひつかないので仕方がなかつた。すると相手は、弓子の顔をしげしげと見て、首をちよつとかしげ、感に耐へたやうに言つた。
「とてもきれいだわ」
「あら」
「お嫁さんみたい」
その口調はすこしもつれてゐるやうだし、表情と同様、子供つぽい。
「あら、お嫁さんだなんて」
「きれいだもの」
「そんな。大きな娘がゐるんです」
「大きな娘……」
とくりかへしたのは、とてもそんな年には見えないからだらうと弓子は気をよくした。そしてかう言ひ添へた。
「美容院へ行つたから」
これはたぶん、きれいに見える理由を説明するつもりだつたのだらう。言葉つきがすこしぞんざいになつてゐるのは、相手に合せてゐるのである。相手が黙つてゐるので、弓子は言ひ添へた。
「銀座へ」
すると老女が急に泣き出しさうな顔になつて、
「銀座……美容院。ゆきたいな」
とつぶやいた。このとき弓子は、じつに遅ればせに、一体この女は何者だらうと思つた。この疑問がこれまで浮ばなかつたのは奇妙なことだが、動顛《どうてん》してゐて余裕がなかつたせいか。そして弓子はこのときもまだ、ここが首相官邸であることをさほど鮮明には意識してゐない。一種空白な状態で、これは誰だらうとあわただしく考へてゐるとき、女が媚びのある表情に変つて、哀願するやうに言つた。
「ね、パタパタない?」
「パタパタ? 何のこと?」
老女は左手の手のひらを顔の前に構へ、それに見入る態で、ちよつと口をすぼめながら、右手の指さきで頬を軽く打ちつづける。この化粧の身ぶりを見て、弓子はとつぜんこれは首相夫人だと悟つた。私邸にゐるといふのは浦野の誤報で、いや、あのときは誤報ではなかつたかもしれないが今夜は公邸に来てゐるので、たぶん夜中にふと目覚めて公邸のなかを歩いてゐるうちに迷子《まひご》になつて、官邸まで来たのだらうといふこと、そして食べることにしか関心がないといふのも不正確で、もう一つおしやれの欲望も衰へてないし、あるいはいつそう盛んになつてゐるのに、社交の席には出ないため紅白粉《おしろい》を取上げられ、それでお客にねだるのだといふ事情の一切が、ちようど遠い夜空に音もなくいくつか重なりながら打ちあげられた花火のやうに、一瞬のうちにひらめいたのである。
「ええ、あります」
と弓子はバッグから、いつか気晴らしに買つて以来ずつと使はないでゐて今日おろしたばかりのファンデーションを出し、その女に渡した。
「ありがと」
と相手は受取つて、その四角い金属の箱の蓋を開け、上からの光で鏡を苦労して見ながら、パフをつまみ、
「ねえ、いいかしら?」
と使ふことの許しを求める。弓子は言つた。
「いいんです、奥様、差上げます」
キヨトンとしてゐるのを見て、これではわからないらしいと思ひ、
「あげます。あげる。ね」
と自分の胸に当てた手を相手の胸へと持つてゆき、
「ね、あげるの。わかります?」
女はじつとみつめ、ぽつりと、
「わかります」
とくりかへして、パフをしまひ、蓋をして、それから、
「御親切に」
と恭しくお辞儀をした。大人と子供のいりまじつたその様子が心を打つ。弓子はハンドバッグからあわただしく、同じく新品同様の口紅を取出し、
「これも」
と渡す。女は、
「え? これも? まあ。ありがと」
と明るい表情で言ひ、くるくるまはして、赤くつややかな棒の尖端《せんたん》を出す。弓子があわてて、
「あちらでね。あちらで、奥様」
と右手の奥、女が出て来た方角を指さしたのは、もう帰つて、自分のところで化粧をするのがいいといふこころだつた。
女がうなづいて口紅を容器に収め、それとファンデーションを左手にしつかりと持ち、そして弓子に、
「どうぞ」
と会釈する。思はず顔を見ると、
「ね、ね」
と眼を覗き込むやうにして、手を握り、案内しようとする。しかしどこへ? 弓子はわけがわからぬまま歩き出し、廊下の突き当り(そのさきは手すりの下に廊下が見える)で右に折れ、階段を降り、左に曲り、そして左右にところどころ大きなガラス窓がある長い渡り廊下(十五メートルか二十メートルはあるかしら)を連れ立つてゆつくりと歩きながら、今はスポーツ新聞の社長で以前は「新日報」の家庭部長だつた男の口癖、「どこへでもずんずんはいつてゆくのが新聞記者」を思ひ出してゐた。例の「男・四十前」で銀座のヤクザ浅岡平五郎にインタビューにゆくときも、彼はかう言つて送り出したのである。弓子はいま心のなかで、ずんずん、ずんずんとくりかへし、住んでる人に案内されてはいつてゆくのだから何の遠慮もいらないと自分に言ひ聞かせた。
その長い廊下のはじまりに扉がないやうに、終りにもない。弓子は手を引かれるまま最初の部屋にはいつて、なるほど首相公邸とはかういふものかと感心した。といつても、別にどうつてことはない。正面に平凡な衝立があつて、その前の円い粗末なテーブルに週刊誌が置いてある。抜いてないビール瓶が一本、退屈さうに立つてゐる。その左にソファがあつて、サザエさんをアップリケしたクッションが一つ。
弓子としては、何となく、そのソファに二人で腰かけると思つたのに、しかし女は平気で衝立の向うへ進んでゆく。弓子はどきりとしたが、その衝撃の意味合ひを考へるゆとりはない。
衝立をまはると、右手が玄関で仄暗い。その隣りの、扉が開け放してある明るい小さな部屋には誰もゐなくて、ラジオが英語の唄を低く流してゐる。男が歌ひ、女が何か言つてゐる。その隣りはひどく立派なお手洗ひ。それと向ひ合ふ左側には、二つか三つ、同じやうな構への部屋がつづく。応接間だらうか。
応接間らしい部屋の並びが終ると、上《あが》り框《かまち》がある。そこからさきは絨毯が灰いろから薄茶に変る。女がスリッパを履き替へたので、弓子も靴をぬぎ、来客用のものらしいスリッパを履きながら、これは特種ものだと興奮してゐた。この上り框からさきへはいつた政治部記者は何人かゐるはずだが、まだ誰も書いてゐないやうだ。それに彼らは、某首相が誰それのことをかう評したとか、某首相夫人が夫の政敵についてかう皮肉を言つたとかいふことだけに関心があつて、首相公邸といふじつに特殊な個人住宅の様子など、見ようともしなかつたらう。あたしはそれを観察する最初の新聞記者になる、と弓子は自分を励ましてゐた。載らないかもしれないけれど、しかしとにかく書いてみよう。あたしが誰に案内されてはいつたか、その人の病気の具合などに触れなければ、何とかうまくゆきさうな気がするけれど。家庭面に載せてもいい。これだつて一種の家庭なのだから。そんなふうにあわただしく考へる合間に観察するのだから、自分が今夜ここにゐるのは自分の件で陳情してくれる伯母の付添としてなのだといふことは、すつかり忘れてゐた。
石庭に石燈籠があり、蹲踞《つくばひ》がある。竹に照明が上手に当ててある。どこかから風が持つて来たのか、ビニールの小さな袋が竹の根元に引つかかつてゐる。弓子はよく見て、しつかりと覚えようとした。二方を大きなガラス戸で、残る二方を壁で囲む、吹抜けの坪庭である。
この坪庭に向ひ合ふ形で、扉が二つあり、一つは開け放してあつて畳敷の部屋が見えた。突き当つて右に折れると今度は洋間で、板の扉が二つ。女は奥の扉を開け、なかから手まねきした。はいつてゆくとそこは二つの部屋をつなぐ狭い廊下で、左右どちらの部屋にも扉なしで通じてゐる。突き当りは浴室らしいが、これは当て推量。左の部屋は仄暗く、右の部屋は明るい。女はその明るい部屋へはいつてゆく。ついてゆくと、ペルシア絨毯を敷いた八畳ほどの面積に大きなベッドが一つ、椅子が二つ、衣裳箪笥が一つあつて、壁には油画の富士山を掛け、入口の近くには三面鏡が置いてある。女はベッドに近づいて、羽根蒲団をめくり、枕を取りのけ、シーツと敷蒲団をいつしよにめくつた。その下には、ちようど枕の真下を囲むやうに置いてあつた薄い木の箱がいくつか、細長いのや、正方形に近いのや、うんと小さいのや、いろいろ、馬蹄形に並んでゐる。一つは紫の布張りの箱だ。新聞記者としての功名心を持ちつづけるにしては、この小箱による馬蹄形のイメージは衝撃が強すぎた。かういふものをどうして自分に見せるのかと、弓子は呆気《あつけ》にとられてゐた。
女が細長い箱を取上げ、蓋を開け、薄い紙を取ると、ハートの形をつないだ銀のブレスレットと頸飾りが出て来た。
「きれい、きれい」
と女ははしやいだ声で言つて、弓子に渡す。銀はすこし曇つてゐるが、つややかで色つぽいし、あるいは、その曇りがいつそう哀れを深める。日本の細工ならかういふ場合とかく華奢《きやしや》なだけになりがちなのに、繊細ではありながらしかも同時に堂々としてゐて頑丈である。
「まあ、きれいですこと」
と弓子は褒め、しばらく眺めてから箱に戻した。
次の箱はケルトふう(?)の組紐文様の金の頸飾りで、ブランド名はわからないが、とにかくきらびやかでどつしりした凝つた細工。
「きれいねえ」
と女は言つて、そつと渡す。
「ほんとにきれい」
と弓子も吐息をついた。どうやら装身具の自慢に立会ふことになつたらしい、おそらく女は弓子のおしやれに対抗意識をいだいて、自分にもこれだけのものがあると示したいのだらうと見当をつけたが、立つたままで見るのも変なので、椅子を運んで来て腰をかけさせ、こちらも向ひ合つて腰をおろす。女は満足さうにうなづいて、次の箱に手を伸べた。
三番目の箱から現れた黒真珠の三連の頸飾りが、弓子を夢中にさせた。中央は大粒で端へゆくにつれて小ぶりになる真珠は、まるでライン・ダンスの踊り子たち。女は自分の頸に当てがひ、次いで弓子に向つて微笑し、それから満足さうに頸飾りを差出す。弓子はちよつと許しを求めてから三面鏡の前へゆき、頸に当ててみた。三列の黒い珠はスーツのくすんだ茶に調和して、おもしろい効果を生む。真珠の冷え具合を肌に快く感じてゐると、かういふ贅沢はつひにできないのがつまりあたしの一生だつたといふ感想が浮んだ。鏡のなかの顔が苦笑ひするのを見てから、弓子は椅子に戻つて箱に納めた。
次は布張りの小さな箱が一つ。大きなルビーのまはりにダイヤモンドをいくつもあしらつたプラチナの指輪で、これは女が指にはめ、光にかざして楽しんだきりで、どういふわけか弓子には渡さずに箱に納める。
枕とヘッドボードのあひだから取つた桐の箱には、典具帖紙《てんぐぢようがみ》にふうはりとくるまれて、象牙の大きな櫛がはいつてゐた。羽根をひろげた白孔雀が象牙のクリームいろに浮彫してあつて、琳派の画家の下絵を思はせる花やかさ。様式から言へば明らかに江戸後期だが、白孔雀が舶来したのはやはり明治になつてからかもしれない。女は誇らしげにその櫛を手渡し、手真似で、髪に飾れと促す。弓子は鏡の前でさしてみたが、その清雅な細工物は今日の髪とはどうも不調和だつた。
「きれい。とつても」
とつぶやいて、小ぶりの箱の紙に置くと、女もまた、
「きれい、とつても」
とくりかへしてから、ひよいと髪にさしたのだが、くしやくしやの髪なのに、それがぴたりと決つた感じ。おや、さう言へば踊りの名取りと聞いたから、この手のものは使ひ慣れてゐるのかもしれないと思つたとき、櫛は箱に返された。
うんと時代のついた次の箱からは、鼈甲《べつこう》の大ぶりな櫛。典具帖紙が除かれた途端、弓子は思はず、
「まあすてき」
と嘆賞の声をあげた。青貝の螺鈿《らでん》で葡萄を一房かたどり、その涼しくて豊かなものへ色漆と金の蒔絵の蜂が来て、うつとりと身をよぢり、蜜を、いや果汁を吸つてゐる綺想の妙、そしてそれにふさはしい精巧な細工に、心を奪はれたのである。これだけのものになると、どんな髪、どんな衣裳に合せればいいのか、趣向を立てるだけでも大変だらう。二人の女は手に取つて眺めるだけ、吐息をつくだけで、髪に添へてみようなどとはしなかつた。
最後に女は、うんと細長くて古びた、おそらく桑細工の箱を手にした。蓋を取ると奉書に包んだものが長く横たはつてゐる。紙をひろげると、
「あ、びらびら簪《かんざし》」
と思はず弓子が叫んだ。女は嬉しさうに、
「びらびら」
とつぶやいて、そつと真鍮《しんちゆう》製の脚のところを持つ。脚の長さは普通だが、耳かきはなく、尖端に贅美を盡した飾りをつけてゐる。切手二枚分ほどの楕円形《だえんけい》の黄金の台座の上に、梅の花々を珊瑚《さんご》(一輪だけ)と銀(五輪)で作り、葉が一枚だけは金《きん》の細工。そして台座の下には珊瑚の珠四つづつを連ねて下に銀の珠を吊した飾り総《ふさ》が十いくつ垂れてゐる。女がもう一度、うつとりした声で、
「びらびら」
とつぶやいてそつと揺らすと、珠と錆びた銀で出来た重い花房は黄金の笠の下で、春風にそよぐやうに身をふるはせつづける。
「すてき、奥様」
と褒めたたへると、女は微笑してその簪を手渡す。弓子が脚の真中のところを持つて、
「びらびら」
と口真似のやうにつぶやきながら揺らすと、今度は別の日の春風が花房に訪れて、すこし違ふふるへ方になる。
女が右手を出したので、本当はもうしばらく見てゐたかつたけれど返すと、向うはそれを奉書にくるみ、箱にしまひ、蓋をし、そして、
「ね、ね」
と首をかしげて機嫌を取りながら、弓子に渡さうとした。明らかに贈り物だといふのである。どうやら、はじめからこの簪を贈るつもりでゐて、しかしその前に他の品々を見せたくなつたものらしい。ああ申しわけないことをしたとは思つたけれど、弓子は自分の忖度《そんたく》のはしたなさなど深く恥ぢる暇はなくて、
「まあ、いけませんよ、奥様。こんな高価な品をいただくわけにはゆきません。こんな貴重な。奥様、あのファンデーションなんかとても安いもので。とんでもない」
と固辞したが、向うはぐいぐい押しつける。こちらは受取るまいとする。
「奥様、こんな立派な簪をいただくにふさはしいやうな者ではあたくしはございません。こんなおしやれなんて。もう四十も過ぎましたし……」
と断ると、しきりに首を振つて、
「大きな……大きな……」
とくりかへすので、思案したあげく、
「大きな娘?」
と問ひ返すと、こくりとうなづく。
「大きな娘がお嫁にゆくとき? お色直しに?」
と訊ねると、またうなづく。
「まあ! 優しいお心づかひ」
と感動して、
「でもねえ、奥様。そんなわけにはゆきません」
と言ひ返してゐると、騒ぎの最中に、女はとつぜん、
「あ」
と小さく叫んで箱を手ばなし、箱は二人のあひだに落ち、そして女はあわててベッドの上を探した。ファンデーションと口紅のことを思ひ出し、どこに置いたのかわからなくて困つてゐるのである。弓子もいつしよに探し、ベッドの下を覗いたりしたが、結局その二つはめくつた羽根蒲団のなかにひつそりとあつた。
女が快活な声で笑ひ、弓子もいつしよに笑つた。何だか不思議に楽しい気分。
女がファンデーションと口紅を拾ひあげて、いそいそと三面鏡のところにゆき、化粧をはじめた。それはきつと何年ぶりかの快楽なので、顔をゆがめるやうにして鏡をみつめ、パフをはたき、口紅を塗る。化粧を終へて満足げに戻り、また弓子と向ひ合つて、しかし今度はベッドに腰かけた。このほうがおしやれの成果を見せるのに具合がいいからだらう。弓子はその仮面のやうな顔を見て、やはり顔を洗つてからでないと化粧はむづかしい、とか、それにしても何もこんなに厚塗りしなくても、とか、あらあら口紅がまるで「新日報」の一頃《ひところ》の色刷り広告みたいに唇からはみ出てゐる、とか思ひながら、
「奥様、とてもおきれいですよ。とてもおきれい」
と褒めそやした。女はお世辞に喜んでうなづいたあげく、桑の箱を取上げて弓子の膝にのせたが、弓子としては、立ち去るときそつと置いて帰ればそれでいいわけだと思ひ返してゐるので、もう辞退はしない。
「ありがたうございます、奥様。本当に」
と礼を言ふ。女はそれを聞き流して、もう一度、七五三の写真を撮る童女のやうにツンと気取る。そこで弓子は、
「本当におきれいね」
とか、
「奥様こそまるでお嫁さんのやう」
とか、調子よく褒めてゐたのだが、そのうちに女がだしぬけに怯えた。
その表情に驚いて振り返ると、コールテンのズボンにシャツ、そして茶いろのカーディガンといふ服装の老人がこちらよりももつと驚いて立つてゐる。田丸首相だ、と思つたのは「新日報」の似顔絵にそつくりだからである。もしも、いつも眼を丸くしたやうにして首相を描くあの漫画家がゐなかつたなら、眼前の人物が彼だと認めることは遅れたに相違ない。彼は、テレビの画像や新聞の写真とはまるで違つてゐたのだ。
そしてこのときとつぜん世界が改まつた。コールテンのズボンとカーディガンの男が田丸首相になつた途端、女の新聞記者が首相公邸の奥の寝室にゐて、蒲団の下にかくしてある装身具を見せてもらつてゐることの異様さを、彼女は客観的な眼で眺めたのである。弓子は反射的に立ちあがつて名刺を出し、早口に言つた。
「『新日報』の論説委員の南弓子でございます。伯母の柳雅子の付添で参りました。したためましたものを伯母がお眼にかけたはずで、それには新日報社への国有地払ひ下げのこと、それから人事のことが書いてございます。ところが官邸の執務室前の廊下で伯母を待つてをりましたら、奥様……でございませう?」
田丸首相が黙つてうなづいた。
「……奥様がお見えになつて、お話してゐるうち、お望みによつて化粧品をお貸しすることになり、差上げることにしましたところ、お誘ひになるので、ここまで御一緒することになりました」
田丸首相はもう一度うなづき、ゆつくりと名刺を見た。そして、ベッドに腰かけてうつむいてゐる妻を見、それから訊ねた。
「『新日報』ね。社長は誰でした?」
「桐山典雄でございます」
「うむ、桐山君ね。知つてゐます。あのサッカーが好きな大男。君は論説委員の前は何でした?」
「家庭部でございます。社会部にも、経済部にも、ゐたことがあります」
「政治部は?」
「ありません」
と答へてから弓子は、自分が箱を持つてゐることに気づき、
「それで……奥様がこれを下さるとおつしやいますので、御辞退申上げてゐるところでした」
と説明したが、合点のゆかないらしい首相の表情を見て、箱を開け、びらびら簪を取出す。首相は、相変らず不思議さうにして、
「ほう」
と言つた。弓子はつづけて、
「はい。ファンデーション、これは白粉を固めたもので、つまりコンパクトでございますが、ファンデーションと口紅をお貸ししましたら奥様があまり嬉しさうになさるので、それで差上げると申しました。つい発作的に。さうしましたら、あたしをこの部屋にお連れになつて……」
「ほう、感激したんですね」
「それで、困りますつて一所懸命お断りしてゐる最中でした」
さう言つて簪の箱をベッドの上に置いた。田丸首相は、
「なるほど」
と妙に余韻のある口調でつぶやいてから、ちよつと思案し、夫人に語りかけた。
「ねえ、ママ。ここでお客様とお話するからね。大事なお話。だからママはあつちの……」
と向うにある自分の寝室を指さして、
「部屋へ行つて。ね」
そして夫人がためらつてゐると、きつい眼つきで睨んで、
「ね、向うへいらつしやい」
と声は優しく言つたのだが、その言葉と切れ長な眼の使ひ方との不釣合が弓子には恐しかつた。夫人はしぶしぶ立ちあがつて隣室へ足を引きずつてゆく。
田丸首相はこのとき、女記者と妻との出会ひのせいですつかり動顛してゐた。この南弓子といふ女記者は例の新日報社の土地の件、それから彼女自身の配置転換の件で怨んでゐるはずだし、女権意識が旺盛なことは社説の論旨で明らかだし、それに伯母と田丸との別れ方の一部始終をきつと耳にしてゐて、好感情をいだいてゐないに相違ないのに、よりによつて都合の悪い人物に妻の狂態を詳しく見られたものだと当惑してゐたのである。昔の恋人との面談の件は、ずいぶん心配してゐたが、どういふわけかうまく行つて、何とか言質を取られず帰すことができたのに、これでフイになつたと思ふと、じつに腹立たしい。といふのは、とにかく妻のことを書かれるのが厭で、何としてでも避けたかつたのである。
そこで田丸は、妻のことを眼前の女記者に書かれないためには、例の新日報社の件で全面的に譲歩するしかないとすばやく決断した。そんなことをすれば、いろいろまづいことが起るのは明らかだが、この際、それには眼をつぶる、これと引換へならこの女記者だつてさしあたり記事にしないはずだと覚悟を決めたのだ。
しかし実を言ふと、それだけでは足りなかつた。今後も長くこの件について書かれたくなかつた。この女記者が週刊誌に情報を売るなどといふことは、ニュース・ソースがあまりにも割り出しやすいのであり得ないにしても、たとへば後年、『女記者として何十年』などといふ自伝を書いて今夜のことに触れたりすることもないやうにしたい。彼はその秘匿の状態を渇望してゐた。首相夫人が深夜、公邸から官邸の執務室へ寝間着に羽織といふなりでふらふら訪ねてゆくとか、その途中で出会つた外来者に化粧品をねだるとか、さらにはその外来者を公邸の自分の寝室に連れて来て化粧をするとか、そんな、醜態といふよりはむしろ滑稽な事柄を日本人がみな知るやうになることを考へると、顔から火が出る思ひだつた。しかしその日本国民全員のことよりももつと大きく作用したのは、アメリカにゐる息子(化学の教授)と日本にゐる娘(秘書の妻)の二人がかねがね、彼らの母親を首相公邸に連れてゆくのはあぶない、いつどんなことが起るかわからないと何度も警告してゐたのに、彼がのんびりと構へて、なーに大丈夫大丈夫と何度も押し切つて来たことである。もしも自分の最晩年、それとも死後、今夜のことを暴露したこの女記者の本が刊行され、それが息子と娘に読まれたらどうなるか。父親の権威は丸つぶれではないか。殊に息子は何に対しても冷笑的な皮肉屋で、その猛烈な冷笑をからうじて免れるのはオペラしかないといふ人間だから、あいつにどんなことを言はれるかと思ふと、田丸はぞつとした。南弓子の遠い将来の本によつて家庭の秩序が乱れ、父権が全面的に失はれることを、彼は直感的に恐れてゐたのである。
それゆゑ田丸は、この女記者に今夜のことをいつまでも書かせないためにはどうすればいいかと、必死になつて策を立てた。何とか籠絡《ろうらく》する自信はあつた。若いころ女優と同棲したせいか、もともと女を言ひくるめるのは上手だつたし、権力を得るにつれていつそう腕があがつたと思つてゐる。しかも今夜は、雅子の陳情を無事に処理したせいもあつて、何か良計さへ浮べばきつとうまくゆくといふ気がしたのだ。本当はじつくり思案する時間がほしいが、さうはゆかない。南弓子が眼前にゐる今、ただちに処理してしまはなければ時機を失する。そこで田丸は一瞬のうちにいくつかの策を立て、一つ一つの利害得失をいそがはしく検討し、ああ困つたなあと嘆息し……さうしてゐるうちに霊感のやうにひらめくものがあつて、つひに絶妙の策を得た(やうに思はれた)。と言つても、二十五年前に成功を収めた手の焼き直しである。
田丸がまだ若手の代議士だつたころ、他の派閥の領袖から、アメリカ人のジャーナリストを一人あづかつてもらへないかといふ話があつた。それは日本の政治についての本を書かうと思ひ立つたノンフィクション作家で、日本語はもちろん堪能だが、問題なのは、誰か特定の代議士に密着して取材したいといふ点である。その大物はアメリカ人の知人から紹介されたので、断るわけにゆかないのだが、彼の派閥の代議士たちは取材されるのを嫌ふので(言ふまでもなく、金銭面を書かれたら困るのである)、特に君を見込んでお願ひするといふ話だつた。田丸だつてそんな密着取材は厭だが、この領袖には日頃いろいろ世話になつてゐるので、引受けるしかない。そこで承諾してから何日も考へたあげく、全部ありのまま見せてしまへと半ばやけくそになつて決意した。
アメリカ人のノンフィクション作家は三十代の陽気な男で、魚の塩焼と饂飩《うどん》と水泳が好き。一年近く、選挙区の田丸家に居候したから、これは確かである。東京に来たときはホテルに泊つたが、代議士の息子とキャッチ・ボールをしたり、プールに行つたりした。
代議士はこのアメリカ青年を妾宅にも連れて行つたし、選挙ブローカーに金を渡す現場にも立会はせた。それはいささか露悪趣味の傾向さへあつたかもしれない。ところがこれが功を奏した。ローマ人のモラルが勇気や克己であるやうに、アメリカ人の美徳は率直である。アメリカの青年は日本の政治家の正直さに打たれ、差障りのあるところはみな伏せて、しかしかなり興味深いノンフィクションを何とか書きあげた。選挙告示前に秘書が東京で茶いろい封筒を大量に買ひ込み、選挙区に送るといふ箇所があるけれど、あれはたぶん著者がうつかりして消し忘れたのではないか。そしてこの『日本の代議士』といふ本はアメリカでも日本でもなかなか好評で、田丸信伍の、殊にアメリカにおける名声は主としてこのせいだつたし、例の領袖に頼まれて逃げた連中は、ああいふ手もあつたのかと悔しがり、そしてその大物は、だから何でもおれの言ふ通りにしてゐれば間違ひないなどと胸を張つたのである。田丸信伍の最初の入閣は、この領袖が天下を取つたときであつた。かういふすばらしい成功があるので、田丸は今度もあの手でゆかうと決断したのである。本当のことを言ふと、ここで大沼晩山に電話をかけて相談し、『漢書』か何かの名文句を引いて励ましてもらへば一番いいのだが、この場合はさうはゆかないし、それに考へてみるとあのアメリカ人のノンフィクション作家のときは晩山と知りあひでなかつたのだ。
首相は弓子を腰かけさせ、自分も腰をおろして、それから小声で語り出した。おだやかな表情で、しかし相手の眼を覗き込むやうにして話をする。
「お手紙は拝見しました。御返事はいちおう雅子さんに申上げましたが、あれは本来、幹事長がお答すべき件でしてね。わたしからは、はつきりした応対は致しかねる筋なんですな。それもあるし、執務室といふ場所柄もあつて、含みの多い言ひまはしになりましたので、呑込みにくかつたかもしれない。どうもすこし機嫌が悪いみたいだつた。困りましたな。旧友として申しわけないことをしました。しかしかういふことは言へます。それは、いいですか」
とじつと眼を見て、
「新日報社の創立百年のお祝ひが新社屋であるときは、田丸は喜んで出席したいと桐山君にお伝へ下さい、といふことです」
「まあ」
と弾んだ声で弓子は言つた。
「新社屋でパーティーができるのですね。本当に有難うございます。早速、桐山に申し伝へます。どんなに喜ぶことでせうか」
「そのときわたしは、もし命あるとしても、おそらく引退してゐると思ひますが、南さん、あなたはまだ現役の論説委員でせうな。いいですか、現役の論説委員」
と微笑して言ひ添へる。
「健筆を期待しますよ」
「わかります。本当にありがたうございます」
弓子としては、伯母の線で交渉すればうまくゆくに決つてるとほぼ安心してゐたのだが、それでもやはり嬉しかつた。喜びながら心の底で、しかし自分が首相夫人と出会つたことはこの解決に関係があるのかしらとほのかに疑つてゐる。
「それから化粧品のことね。どうもありがたう」
と田丸は頭を下げて、
「すつかり御迷惑をおかけしました。こんな言葉はないと思ふけれど、化粧欲、それと食欲の二つだけになつてしまつたんです。かはいさうに。はふつて置くと、一日中、紅や白粉を塗つてばかりゐましてね。出来あがると化粧を落してまたはじめる。それで、もう買つてやらないことにしました。ところがさうすると、きれいな女のお客を見るとねだるやうになりましてね。本当に困ります」
「あの、別に迷惑なんて」
と弓子が言ふと、田丸はつづけた。
「よほど嬉しかつたんです、いい物をいただいて。あれはおさらひで『藤娘』を踊つたときにつけた、大事な簪ですよ。君の優しい心づかひに大感激したわけだ」
「恐れ入ります」
「普段は成城にゐるんですが、ときどきこつちへ来たがるんです。もう、子供のやうなものですから、我慢させるわけにはゆかない。それで、夜中に起きて、わたしの部屋に明りがついてゐるのに、ゐないので、途中、誰にも見つからずに、官邸まで行つてしまつたんでせうね。前に一度、夜中、わたしがゐないのを寂しがるので、お手伝ひが連れて官邸の執務室へ来たことがありました。それで覚えてゐたんでせう。これは里からついて来た者でしてね、長いあひだゐるんです」
弓子は黙つてうなづくと、また首相がつづける。
「こんなことになつたのも、わたしの不徳のいたす所です。ちよつと話が長くなりますが、いいですか?」
「はい」
「オフレコですよ」
「はい、わかつてをります」
と答へながら弓子は、そんなことあたしが書き立てるはずないのに、と思つたり、誰も知らない情報をぢかに得ることができるのは新聞記者としてじつに満足、と思つたりした。
首相がすこし声の調子を変へて、湿つぽい声で語りはじめた。
「雅子さんからお聞きかもしれないけれど、わたしたちの結婚は一種の政略結婚でしてね。わたしは婿引出として地盤を譲り受けました。岳父は、借金を払つてもらふのと、晩年の生活費を手に入れたわけです。これは……よくあることですね、政界に限らず」
「はい」
「でも、わりにうまく行つていたんですよ、はじめのうちは。いや、もしかしたら、ずつと無事に行つたかもしれない。ただ、変な事件が起つてしまつた。うんと話をはしよつて言ふと、ある年、いまから十五年くらゐ前ですが、わたしの選挙区のある市の市長に、いままで助役だつた男がなりたいと言ひ出しました。これが家内の踊りの師匠の兄なんです。弟である師匠は、名古屋とそれから東京に稽古場を持つて教へてゐた。その助役が市長になる件は、わたしもよからうと言つてゐたんですが、急に様子が変つて、党が別の候補を支持することになつた。わたしは支持できなくなりました。かういふ場合、仕方がないんですよ。個人の力ではどうしやうもない」
よくわかるといふ気持をこめて弓子がうなづくと、向うもうなづいて、
「もちろんその助役、兄のほうですね、兄には電話をかけて、一旦は納得させました。次はかならず君にする、と確約すればよかつたかもしれないが、そこまで約束するのは、あの当時のわたしではむづかしかつた。弟のほう、踊りの師匠ですね、こつちには電話をかけなかつた。これが失敗でした。いまでも悔んでゐます。そして兄は、わたしには出馬しないと言つたのに、結局、出ることになつて、もちろん落選しました。ここまでは別に大したことぢやないんです。いけないのはこのさきでした」
首相はここで一瞬、思案したが、すぐにつづけた。いままでよりはほんのすこし早口で。
「選挙から一ケ月後、踊りの師匠が富山のホテルで自殺しました。睡眠薬です。同じ日に、うちの家内が成城の家で睡眠薬を飲んで、これは一命をとりとめました。どちらも遺書はなし。わたしはアメリカから帰る飛行機のなかでした。わたしは知らなかつたが、二、三年前から、二人は関係があつたのですね」
弓子のスエードとエナメルの派手なハンドバッグが膝の上をすべつてゆき、床に落ちた。そして彼女はバッグのことなど気にしなかつた。ただ首相が初対面の女記者に、それも闖入者《ちんにゆうしや》同然の者に、ここまで思ひ切つて打明けるのはなぜだらうかと思つてゐた。
最初に浮んだのは、これはあたしを口説かうとしてゐるといふ考へである。今までの体験のせいもあるし、それに自負の念のせいもあらう、何かと言へばまづそれを疑ふのは弓子の癖になつてゐたが、しかしすぐに、それはどうもをかしいと判断した。場所柄その他から言つて、そぐはないのだ。
首相が身をかがめてハンドバッグを拾ひあげ(頭頂部の髪はさほど薄くなつてゐない)、
「きれいなバッグですね」
とつぶやいて渡してくれた。弓子は礼を述べ、それから、一番無難な台詞《せりふ》を口にした。
「どうぞおつづけ下さい」
田丸はまた話をはじめた。
「それ以後、家内は体が弱くなりましてね。病気がちになりました。そして五年ほど後、家のなかで転んで、それからヘルペスが脊髄にはいつて、子供みたいになつたのです。何とも不憫でしたね」
「お察しします」
と弓子は言つて、一体どうしてここまで打明けるのかしらと考へつづける。田丸は言つた。
「みんなにとつて不幸な事件でしたが、とりわけかはいさうなのは家内でした。しかし、だからと言つて、たくさん食べさせたり、好きなだけ化粧させたりするわけにはゆきません。それで御迷惑をおかけしてしまつた」
弓子がおだやかに訊ねた。
「あの、よろしいでせうか?」
「ええ、どうぞ」
「総理、初対面のあたしにここまでお話になるのは、どうしてですの? 長いあひだ内緒にしていらした家庭の秘密でございませう?」
田丸はゆつたりした態度で答へた。
「さうですね。君が家内に優しくして下さつたので、何となく身内のやうな気持になつてしまつた。それが一つ。君に若いころの雅子さんの面影があることも大きいでせう。しかし一番大きいのは、家内の悲劇に君が同情して、将来ずつと、今夜の挿話を書かないでくれるといいな、といふ狙ひでした」
「まあ、率直な方ですね、総理つて」
と弓子は思はず叫び、
「もちろん奥様のこと、一生書きませんよ。でも、かういふお話を伺はなくても、あたしはもともと今夜のことは書く気がありませんでした」
と、田丸を喜ばせたり、その喜びのなかに、おやおや失敗したぞ、これなら何もしやべる必要はなかつた、といふ悔恨の念を生じさせたりした。
このとき弓子が言つた。
「すこし質問をさせて下さい。新聞記者になつたばかりのころ、オフレコの話でも手を抜いて聞いてはいけない、しつかりと質問をして、事情がはつきり頭にはいつてなければならないと教はりましたので」
「はい、いいですよ」
と田丸はくつろいだ態度で言つた。
「ありがたうございます。ではまづ、遺書がないのに、お二人の関係がわかつたのは、どうしてでございますか? 奥様があとでおつしやいました?」
「昔からゐるお手伝ひに、しやべらせたから」
「すらすら明しました?」
「いや」
「では、どういふ方法でなさいました?」
ここで田丸は意外さうな表情で訊ねた。
「そんなこと答へなきやならないんですか?」
「はい、恐れ入ります」
「どうして?」
「先程も申上げましたやうにオフレコだからと言つて怠けると癖になると教はりましたし、それに、記事にはもちろん書きませんが、今後あたしの新聞記者としての教養になりますので」
「答へないと言つたらどうします?」
弓子は、体がふるへるのを何とか隠さうと必死になつて努めながら答へた。
「この事件につきまして、納得のゆくお答を総理からいただけない場合、やむを得ませんから、他の方々にいろいろ当ることになります。もちろんオフレコと申上げた上で」
「他人に質問してもかまはないの?」
「ええ。ニュース・ソースを明して、総理がかうおつしやつたと言つて、それで質問するのは、徳義上いけません。本当は、オフレコといふのは書かないことで、しやべらないことではありませんから、かまはないといふ見方もありますが、やはり徳義上、問題でせう。でも、かういふ噂があると言つて、それからいろいろ質問するのは一向かまはない、と教はりました」
「ふーん。たとへばどういふ相手?」
「お里からついて来たそのお手伝ひさんとか、当時の秘書とか、アメリカにいらつしやる御令息とか」
「あれは研究一筋の朴念仁でしてね」
「大変な秀才でいらつしやるとか」
「そのへんは専門外で何もわからない」
「御存じでせう、ノーベル賞候補の……」
と例の「男・四十前」の十一人のなかの一人である化学者の名前を出し、
「あの先生も御令息のお仕事を褒めていらつしやいました」
とこれは嘘をつく。
「邪魔されるのを厭がるんですよ」
「しかし国際電話でほんの短時間お話するだけですもの」
「仕方がないからお答しますか。そのお手伝ひの弟が警察官なんですが、いつまでも署長になれないのを何とかしてくれと頼まれてゐました。それを思ひ出して、全部ぶちまければ弟の件は引受ける、と持ちかけたんです」
「はい、わかりました」
と弓子は答へて、次の問に移つたが、これはむしろ確認である。
「十五年前と申しますと、奥様は四十代ですね」
「さう。四十八だつたんぢやないかな」
「立ち入つたことを伺ひますが、男の方は?」
「十《とを》年下でした。三十八だつた、たしか」
「その方、結婚してました?」
「してゐた。子供はゐなかつた」
「それで、奥様は以前にもさういふことがおありだつたのでせうか?」
田丸首相は妙な顔になつて言つた。
「どうしてそんなことまで訊くんだい?」
しかし弓子は平気で言ふ。
「はい、申しわけございません。でも、総理、良心的な新聞記者の態度としては、不審なところはきちんと伺はなければなりませんので」
「なるほど」
と首相はうなづいて、二十数年前のアメリカ人のことを思ひ浮べた。あのノンフィクション作家は何かといふとすぐ質問するたちで、これにはほとほと閉口したものだつた。とりわけ弱つたのは、選挙区のさる有力者の葬式に同行したときで、帰り道も戻つてからも、風俗習慣について問ひ訊《ただ》され、それも一通りの説明では納得せず、「なぜ?」を連発するので、まるで子供のやうな奴だと思つたくらゐである。なかでも一番答へにくかつたのは香奠の件で、何とか言ひくるめてから、つい調子に乗つて香奠の半返しのことを口に出したのが悪く、また「なぜ?」と喰ひ下られて泣きたい思ひをした。首相は、遠いあの日の辛さを思へばこのくらゐは何でもないと自分に言ひ聞かせて、元気のない声で答へた。
「たぶん最初のことだと思ふ。よくはわからないけれど」
「そのお手伝ひの方にはお訊きになりませんでした?」
「うん、訊かなかつたなあ」
とつぶやいてから田丸首相は苦笑ひして、
「ああいふ場合、そんなに詳しく問ひ詰めてる暇なんか、ありませんよ。ああなつてもやはり、体面といふことはあるし」
「さうでございませうね」
ここで田丸首相は、質問されるのを避けるためのやうに(事実それもかなりあつたのだが)また語り出した。
「踊りの師匠はかねがね不安でたまらなかつたんですね。気の弱い男だつた。疑心暗鬼でゐたから、兄が党の公認候補になれなかつたのは自分のせい、と思ひ込んだわけです。何から何までわかつてない男だつた。兄にすまないといふ気持もあつたでせうし、銀行融資その他でわたしに非常に世話になつてますから、仕返しされていぢめられるのがこはいといふ恐怖もあつたと思ひます。それからもちろん、事がバレたらもう逢へなくなるといふ絶望感。さういふいろんな気持が昂じて、あんな結果になつたのでせう」
弓子はそつとうなづいて、黙つてゐた。
「どう考へてもさうですね。お手伝ひの言つたことがあるし、それに睡眠薬を飲んだ時刻がまつたく同じです。偶然の一致ぢやなくて、申し合せた上での……心中でせう」
弓子が彼の眼を見ると、その視線に励まされたやうに田丸は言つた。
「ついでだから打明けてしまひますが、一度だけ、不思議な夢を見たことがありました。うちの者の事件とあの男の事件が別々のもので、示し合せたものぢやないとわかつて、大喜びする夢です。どうしてわかるのか、夢のなかなので、ぼんやりしてるんですが、とにかくさうでした。よほど気にしてゐたんですね。あれは辛い夢だつた」
弓子は何か言ひたくなつたけれど、適当な言葉がみつからないので黙つてゐた。田丸はつづけた。
「家内には訊ねませんでした。床上げするまで日にちがかかつたし、申しわけなささうにおどおどしてるので、とても咎める気にはなれませんでした。それに、多忙にかまけて寂しい思ひをさせたため、かうなつたといふ引け目もあるし、そんな気になれなかつた」
ここで弓子は快活に、
「総理」
と声をかけ、明るく微笑して、
「多忙にかまけて、とおつしやいましたが、その多忙は政治だけでせうか?」
「あ」
と田丸首相も微笑して、
「その他もありましたね」
「その他は何人ですか?」
「ひどい質問だなあ」
とじつに嬉しさうな顔になつて、
「何だか證人喚問みたいになつて来た。この野党委員は手ごはいぞ。いちおう二人でした」
「つまりそれ以外にもときどきあつたのですね」
「はい」
「そのお二人はどういふ方でした?」
「藝者と女優でした」
「やはり女優がお好きなんですね」
「あ、さうか。なるほど」
「ここで一つお願ひがありますが……」
「はい」
「実は『家庭としての首相公邸』といふ記事を書きたいと思ひます、家庭面に。もちろん奥様のことにはまつたく触れずに。いかがでせう? 取材をお許し願へますか?」
「いいですよ、わたしとしては。かまひません」
「ありがたうございます」
とお辞儀をすると、田丸が時計を見て、
「おや、もうこんな時間」
とつぶやいた。四時半である。そして首相はつづけて、
「変な一夜でしたね。これがみんな、家内が首相公邸にやつて来て君と出会つたといふ偶然からはじまつた」
と感慨に耽つた。弓子は、ここだと思つて言つた。
「でも総理、偶然といふのは馬鹿にしてはいけないんですつて。ある哲学者によりますと、ニーチェの言つた神の死といふ事件の以後、現代人はロマンチックな愛を神の代りにして祀る傾向があつて、そして現代人は、偶然性を、その新しい神が現れたしるしにするんですつて。さう言つてゐました」
「なるほど、それはいい所を衝いてゐるかもしれません。人間はいろんな偶然に意味をつけながら生きてゆくんですからね。君はなかなか読書家らしいな。偉い」
と田丸首相は言つた。
「買ひ込むだけで、読めなくて困ります」
と弓子は礼を述べたが、内心、この人は「ある哲学者」をハイデッガーかベルグソンあたりと取つてゐるらしいと思つて、をかしくて仕方がなかつた。彼女は立ちあがつて、
「ではこれで失礼します。総理、本当にお世話になりました」
と挨拶した。首相は、
「おやすみなさい」
と言つた。
「おやすみなさい」
と弓子も言つて部屋から出ようとしたとき、隣室から聞えて来る、ハトロン紙をザーザーと引裂くやうな音に驚いて訊ねた。
「あれは……何の音でせう?」
首相は苦い顔で答へた。
「家内のいびきです」
弓子が坪庭のところまで来たとき、だしぬけに、不思議な感覚が訪れた。何か途方もなく広大なもの、よくはわからないがたぶん宇宙が、いま自分がガラス戸越しに見てゐるこの凹み、狭くてみすぼらしい平凡な庭へと圧縮された、と感じたのだ。さつきはそんなこと、何も思はなかつたのに。その凝縮のエネルギーのせいで、ビニールの小さな袋の置いてある侘しい空間が、自分を圧倒し、まるで石庭と石燈籠と蹲踞《つくばひ》が月や火星やその他の代表、竹が地球の代表のやうになつて自分の前にある。弓子は両手の掌をガラス戸にべたりと突きながら、その厖大なエネルギーに堪へるせいで頭がこんなにしびれ、肩凝りがひどいのだと感じた。頭のしびれと肩凝りを振り払はうとして弓子は歩き出さうとする。からうじて、歩き出すことができた。それから気がついてハンドバッグを拾ひあげる。
上り框で靴に履き替へる最中、これでとうとう勝つたといふ喜びが、重い疲労感といつしよに湧いて来た。ソファのところに首相秘書の藤村が待つてゐて、車は正面玄関の前にゐると言つた。藤村が車の窓を叩くと運転手が眼を覚ましたが、伯母は首相夫人よりすこしおだやかないびきをかいて眠りつづけてゐる。
三月下旬の土曜日、夜六時。論説委員室で最後の飲み会がはじまらうとしてゐる。この会も出席者がすくなくなつたし、それに常連二人(運動部出身のゴルフ好きとバーの階段から転げ落ちたことのある政治記者)が、去年から今年にかけて定年退職し、いよいよ寂しくなつたので、今回限りでよすことにしようと幹事が決めたのである。論説委員長は難色を示して、「せめてこの社屋にゐるあひだは」と言つたけれど、相手にされなかつた。しかしこの台詞《せりふ》は新日報社の最近の気風をよく伝へてゐる。土地がやうやく手にはいつたばかりで、十二月一日に新社屋準備事務局が発足し、事務局長には広告局長、その上の担当役員には常務が就任しただけなのに、もうすぐ引越しみたいにみんなが思ひ込んでゐるのだ。
弓子が社長の桐山に首相の言葉を伝へた数日後、大藏官僚の三宅正也から、近く国有財産審議会が開かれるといふ内報が千枝にはいつた。(新日報社にも、大藏省詰めの記者、審議会の委員などさまざまのところからしらせがある。)そして十日ばかり経つと、等価交換が全員一致で認められたといふ電話がある。(これもその日のうちに複数の経路で新日報社に通知があつた。そして数日後、社長は首相と藏相のところに挨拶に行つてゐる。)どちらも、千枝としては非常に嬉しいニュースだつたが、しかし渋川とのことがあるので、いささか具合が悪かつた。ただしをかしなことに三宅からはその後ふつつりと連絡が絶える。そして七草明けに渋川健郎と会つたときそのことを言ふと、若い歴史学者は、
「それはさうだらう」
と微笑した。正月に遊びに来て、一杯機嫌で語つたところによると、三宅は十一月の末に某大企業の社長秘書と知り合つて一目惚れし、向うも三宅が気に入つてゐるのださうである。この機会だと思つて、渋川は千枝とのことを報告し、祝福されたといふことだつた。
「よかつた」
と千枝が喜んだことは言ふまでもない。
「おもしろいのはね、『別に欠点はないが、ただ一つ現代音楽が好きなのは困るなあ。どうしても聴いてて楽しくない』と愚痴をこぼしてたこと。『十二音の音楽つてのは胎教に悪いんぢやないか』なんて心配してた。気が早いなあ」
と渋川は笑ひ、そして一瞬のち、
「あ、別に早くはないのかも」
と想像力を働かせて、変なことを口走つた。
ところで成人の日の晝ごろ、大沼晩山の孫娘から電話がかかつて来て、千枝が途中で笑ひ出した。その朝、娘たち二人が祖父に、頼まれた件は実行したのかと訊ねたところ、すつかり忘れてゐると言つたので、まことに申しわけないがもう一度、用件を教へて下さいといふ話だつたのである。あの件はもう片づいたから御放念下さいと答へ、それから家中で大笑ひしたのだが、近く七十一歳になる悦子は、晩山の年を確かめ、もう十年以上あるとつぶやいてゐた。
ついでに言つて置けば、土地払ひ下げおよび弓子の身分についての情報はじつに早く各方面に伝はつたやうで、たとへば例のマエストロは十月末にシンガポールから電話をかけて来たし、与党の代議士、新技術で有名な会社の社長、通商産業局長などもそれと相前後してお祝ひの言葉を述べてくれた。愉快なのは銀座の顔役、浅岡平五郎がローマから出したクリスマス・カードで、どういふわけか大晦日に着いたその便りには、フィリピンでの仕事が忙しくてお役に立てなかつたが、とにかくめでたいと書いてあつた。フィリピンとローマとを結びつけるものと言へば法王庁しか思ひつかないけれど、と弓子は考へ込んだが、もちろん答は得られない。
弓子にとつて最大の変化は、人事担当役員の長谷川から呼び出されなくなつたことで、かうなつてみると、週に一度の面談のせいでどんなに鬱陶しい思ひをしてゐたかがよくわかる。十一月の中旬、社の一階の喫茶室で来客と話をしてゐるとき、はいつて来た長谷川がにこやかに近づいて来て、
「やあ、元気でいいね」
と声をかけた。このとき弓子はふと、一月《ひとつき》前とまつたく同じやうに血色が悪くて糸のやうに眼の細い大男に、奇妙な懐かしさを感じたらしい。空いろの背広と紺のネクタイの取合せを褒めたのは、半ばはそのせいだつたらう。
そしてちつとも変化がないのは、論説委員長との間柄である。彼は相変らず何も知らない様子で、人事異動が取消しになつたことについて一言も触れず、愛想よく振舞つてゐた。これは社内のかなり多くの者が、弓子の地位の安定をじわじわと知つて行つて、それまでの同情するやうな、警戒するやうな、バツの悪さうな態度を改め、屈託のない話しかけ方に変る(なかにははつきりとお祝ひを言ふ者もある)のと好対照をなしてゐた。
弓子が新日報社をやめようと思つたのはいつだつたか、はつきりしない。といふよりも、それは以前から心の底にわだかまつてゐる思ひだつたらしい。九月にパリにゐる指揮者から、いつそ新聞社をやめたらどうかと電話で言はれたとき、突飛なことを言ふ人だといふ思ひと、たしかにそれも一案だといふ思ひと半々だつたのも、その證拠になるかもしれない。そんな気持が首相公邸のあの夜以来、次第にはつきりして来て、新聞社勤めをしてゐる自分を妙に客観的に見るやうになつた。例の「家庭としての首相公邸」を家庭部のデスクに提案するときも、それが半ば予想通り政治部の反対で載らなくなつたときも、じつに冷静な態度でゐたし、新社屋準備事務局の最初の事業である、全社員にあてた「新社屋への要望アンケート」に書き込むときも、まじめに考へはしたけれど、しかし他人事《ひとごと》みたいな気持で希望を書きつらねた。たとへば、どの記者も論説委員と同じやうに一人に一つ机があるほうがいい、などと。そんな自分を半年近くみつめながら、退社の意向を固めて行つたのである。
もちろん豊崎とは何度も語り合つたが、なぜ社をやめるのかは、いくら論じてもはつきりしない。それは航空事故のときに専門家の意見を聞いて新聞記者が書く原因のやうに漠然としてゐた。問ひ詰められて、一度はこんなことも言つた。豊崎が原幹事長と会つたとき、現代日本はもののやりとりが盛んで、万事それですませるから、議会政治は必然的にむづかしくなるといふ意見を述べた、と聞いて、弓子は感銘を受けた。といふのは、そもそも新聞がヨーロッパで盛んになつたのは、議会政治につれてであつたから、日本の議会政治が見てくれだけで実質はあやしいとすれば、日本の新聞だつて中身はをかしいわけだし、今度の国有地払ひ下げ事件は、そのをかしい證拠として絶好のものなのぢやないかしら。
「ね、さうでせう。とにかく日本の新聞といふのはかなり特殊なものだなあ、と思つたの。あたし、いままで何となく、西洋の新聞と同じなんだと思つてゐたのに」
そんなふうに、根本的なところがわからなくなつたから、社をやめて考へてみたい、そして半年か一年休んでから評論や随筆を書くことにしたい、近頃は雑誌も多いし、女の書き手が求められてゐるから何とかなると思ふ、といふのだつた。豊崎は、
「日本に議会政治がないなんて、そんなこと言つたかなあ」
とか、
「しかし、もし議会政治が機能してないとすれば、その分だけいよいよ新聞が大事になる」
とか、
「それはヨーロッパの新聞とは違ふかもしれないけれど、しかし日本の新聞だつてやはり新聞なんでね。いいかい。染付の猪口《ちよこ》も、九谷の猪口も、黄瀬戸の猪口も、みんな猪口でせう。みんな同じ猪口だけれど、しかし……」
と仙台の小萩でしやべつたことをくりかへすとか、いろいろに論じて、何も退社しなくてもいいぢやないかと引止めたが、これはあまり有力な反論にならなかつた。退社の理由が明確でないのだから、理屈で反対するのがむづかしいのである。
弓子が豊崎にこのことを言ひ出したのは十二月の半ばで、正月に会つたときにはもう辞意は固まつてゐた。家族もみな同意してゐた。豊崎としてはいろいろ翻意させようと努めたものの、それはむしろ、軽はづみな行動でないかどうか確かめようとしてであつた。六月から十月までのわづかな期間に、いはば新聞社といふものを多面的に体験し、そのあらゆる局面を見てしまつた以上、これまでと同じ気持で勤めつづけるのがむづかしからうといふ同情は充分にある。二月には彼も賛成することにした。
かうして弓子はその旨を社に申し出、論説委員長とそれから例の長谷川に慰留され、いろいろあつたあげく三月三十一日づけの退社が本決りになつた。そして昨夜、ごく小人数の送別会が開かれたし、今夜の飲み会ではひとこと挨拶するやうにと幹事役から言はれてゐる。
今夜は浦野重三も挨拶することになつてゐる。彼は弓子に頼まれて宗教団体を調べてゐるうちに、某銀行の不祥事を嗅ぎつけ、どうやら頭取を辞職に追ひ込むことになりさうだ。そのスクープでまたもや注目されてゐるところへ、新社屋準備事務局の人事その他で異動が多くなり、結局、四月一日づけで浦野が社会部長と決つた。喜色を包み切れないことは言ふまでもない。
最後の飲み会は出席者が多く、噂を聞いて顔を出すOBもあつて、非常な盛況である。これならやめなくてもいいのに、と外報部出の論説委員が言ふと、学藝部出身の一言居士が、雑誌の終刊号が売切れるやうなものさとまぜつ返した。もちろん開会の辞の前にもうみんなが飲み出してゐる。
論説顧問の安西一朗が、数人を相手に、今度某大学の客員教授になつて大学院のゼミナールだけを持つことになつたと話し、
「まあ、これなら、後進の邪魔をすることになりませんから」
と言ひわけをする。経済部出身の論説委員が、
「安西さん、遠慮なさらないで、どんどん教へなさいよ。ケインズは最晩年、思ひ残すことはないかと訊かれて、『もつとシャンパンを飲むんだつた』と言つたさうですが、安西さんなら、『もつとたくさん教へるんだつた』と言ふんぢやない?」
「あ、それは、ぼくがよくしやべるといふ皮肉?」
と、経済学者はさすがに勘がよかつた。
やがて開会の辞があり、論説委員長の挨拶があり、副委員長の一人の発声で乾杯をしてから、浦野が指名されて、こんなことを述べた。
「本当は南さんがさきだと思ふけれど、アイウエオ順ださうです。この一年間は非常にお世話になりました。心からお礼を申上げます。実はこの論説委員室に一年間ゐたおかげで、ぼくの人生に大変革があつたのです。かう言へば、みなさんが、ははあ、あれだなとお思ひでせうが、いままでは書けなかつた原稿が書けるやうになりました(笑)。もちろん下手くそでありますが、しかしとにかく一人で書ける。書いてもらはなくていい。これはすばらしい進歩ですよ。ねえ、さうでせう(「その通り」の声あり)。これについては、南弓子さんに教へてもらつたこと、南さんが上手におだててくれたことが大きいんです。それですつかり嬉しくなつて、何とかこの女先生に褒められたいと思つて、一所懸命やつたのでした。その彼女が退社するのといつしよに論説委員室から移るのは、何か奇縁のやうなものを感じます。さう言へば論説委員になつたのもいつしよでした。とにかくいい先生で、教へ方が上手でしたな。そして南さんはどうやらインテリが好きらしいと見当がついたので、何とかインテリになつて、いつそう親密な仲になりたいと努力したのですが、これは失敗しました(全員大笑)。残念でしたなあ(笑)。今度はまた荒つぽい社会部ですから、インテリになるほうはもう見込みがないでせうが、記事の書き方だけは忘れないやうにします。えーと、話はどうも妙な具合になりましたが、とにかくお礼を申上げ、みな様の御健康と御健筆を祈ります。今後ともよろしく」
満場(と言つても三十人くらゐが)大喝采で大笑ひしてゐる。長くイタリアにゐた、知識人をもつてみづから任ずる外報記者などは、ハンカチを出して泪をぬぐふ始末だし、秘書の娘たち三人もクスクス笑つてゐる。そして弓子は、みんなに見られながら微笑を浮べてゐる。みんなの拍手が終つてもまだ拍手してゐるのは、論説顧問の安西である。彼は拍手をやめると、まづ右隣りの論説委員長に、
「いやあ、この挨拶は告白的でおもしろいですな。これは明日のうちに全社内に知れ渡るでせう。浦野君といふのはさすがに豪傑ですな」
と語りかけ、それからすぐ、左隣りの論説副委員長に向つて、
「南さん一人に教はつた、論説委員室全体に教はつたわけぢやない、といふところがミソですな。いやあ、おもしろい」
と無責任に喜んでゐる。
幹事が弓子のところへ寄つて来て、
「これぢやざわざわがひどくて、とても駄目だから、静まるまで待ちますよ、十分くらゐ」
と了解を求めた。もちろん承知する。論説委員の小中信子が来て、
「最初の本が決つたぢやない?『どうしても文章が書けない人のための文章読本』」
と笑ひかけた。焼酎のウーロン茶割りのグラスを右手に持つた浦野が近づいて来て、
「やあ、ごめん、ごめん。でもね、論説室との関係はあれに盡きるもんだから。では、またあとで」
と言つて向うへ行つた。会はすこぶる盛り上つてゐる。今夜は社の負担で幕の内弁当が出てゐるため、下戸も手持ち無沙汰にならなくてすむ。
そして十分後、幹事が手を叩いてみんなを静まらせ、弓子に声をかけた。彼女の服装は、去年の四月一日、論説委員としての最初の日に着て来た紺のスーツに、ブラウスは替へて、フリルのついた明るいグレイのもの。グラスを手にしてゐる人々、箸を休めてゐる人々に、弓子はこんな話をした。
「学生時代から新聞記者になりたいと思つてゐて、なることができて、そして二十年以上も働くことができて、非常にしあはせでした。何でも野球のたとへでゆくのは日本人の悪い癖ださうですが、プロ野球の選手になりたいと思つた男の子が、希望がかなつて入団し六番か七番あたりでせうけれどとにかくレギュラーの選手になつたやうなもの、と自分では思つて、満足してゐます(「もうすこし上」といふ声あり)。そのあひだ、いろいろとお世話になりまして、感謝してをります。さういふ好きな仕事をなぜやめるのかとおつしやるかもしれませんが、そのへんの事情は自分でもよくわからないんです。でも、この一年間、論説委員をしてゐて、その前の二十年以上に中身の濃い体験をしました。その体験のことをお話すると長くなりますのでよしますが、これから申上げるのは、それと関係があるやうな、ないやうな、個人的な事情です。実はうちの母がまへまへから犬を飼ひたいと言つてゐまして、でもあたしは、マンションの規則で禁じられてるからと言つて、反対して来ました。それが今度、ぢや飼はうか、なんて言つてしまつたんです。もちろん母は大喜びしてゐます。犬は娘の希望で、ミニアチュア・シュナウザーといふ種類で、来週来るはずで、母も娘もあたしも、とても楽しみにしてゐます。飼ふことにした理由は二つあります。
1 マンションの定款《ていかん》を詳しく読んでみたら、動物を飼つてはいけないと明記してはゐないこと。他の居住者に迷惑をかけてはいけないとあるだけなんです。これは新聞記者としては本当に恥しい調査不充分でした。理事会が拡張解釈して言ひふらしてゐたのでせうね。
2 これはとつても滑稽なんですけど、うちの母が到来物のポンカンをお裾分けしようと思つて、マンションの理事長さん、この人、ヤメ検の弁護士なんですが、そこのお宅へ行つたら、猫が飛び出して来たんですつて(全員爆笑)。こつそり飼つてたわけです」
ここで「方寸帖」の筆者は大砲のやうに大きな音を立てて拍手したし、社会部出身のOBで出席した老人は、
「いいぞ!」
と叫んだ。ざわめきがやむまで待つて、弓子は話をつづける。
「それで、うちでも犬を飼はうといふことになつたんですが、そこで考へたのは、どうして今まで反対してたのかしら、ひよつとすると、新聞でものを書いて、いろいろ立派さうなことを言つてるものだから、他人《ひと》に後ろ指をさされちやいけない、と思つて、それでぢやないか、といふことでした。その気配、かなりあつたやうな気がします。でも、マンション住まひしてゐながら、犬が飼ひたいなといふことを書く手もあつたのに、といまでは反省してゐます。社説では無理かもしれませんが、『ゼロ発信』でなら書けるかもしれませんね。デズモンド・モリスといふ動物学者の本で読みましたが、お年寄りは犬や猫を飼ふと血圧が下がるんですつて。これなんかほんとに『ゼロ発信』向きな話」
「その話、下さい。すぐに使ひます」
といふ声が黒板のあるほうからかかつた。見ると「遊星通信」の筆者で、みんなの注目を浴びながら、そして全員に好意をこめて笑はれながら、片手をあげてニヤニヤしてゐる。
「毎日、大変だもの」
と大声で同情したのは安西一朗。
みんながもう一度、笑ひ声をあげるなかで、
「はい、コピーを差上げます」
と答へてから弓子はつづけた。
「そんなふうに無理をする感じは、論説委員になる前からありましたが、なつてからはいよいよ強くなつた、やうな気がします。さう言へば、論説室に来てからは、新聞とはいつたい何なのかと考へるやうになりました。でも、これは、野球とは何かと考へながら野球をするやうなもので、あまりおもしろくありませんでした(「その気持わかる」といふ声あり)。それからまた、自分が誰の意見を書いてるのか、よくわからないことが多くなりました。そして自分の立場と新日報社の立場が一致して、書きやすいときは、困つたことに、何か型通りの文章になつてしまふのでした。さつき浦野さんがいろいろ褒めて下さいましたが、浦野さんの社説の書き方は、さういふ点、いつも型やぶりで、ものの見方が新鮮で、とても勉強になりました。でも、こんな調子でおしやべりしてゆくと、長くなつてしまひますね。それに自分の気持がうまく説明できないといふこともあります。そこでうんとはしよつて申上げますが、そんなことがいろいろ重なつて、何だかこのままつづけるのが厭になつたんですね。それで、思ひ切つて、その、プロ野球見立てで言ふと引退……しようと決心しました。半年か一年、休んで、いろいろ考へたら、また何かする気になると思ひます。さうなつたら書いてみたいこともあります。体の調子もいいみたいですし、どうぞ御心配なさらないで下さい。そして将来のあたしの仕事に期待をお寄せ下さい。いろいろありがたうございました」
ここでみんなが、浦野のときよりももつと大きな拍手を送つたのは、もちろん退職者への礼儀もあるし、犬の話がおもしろかつたせいもあるが、何よりも、彼らがぼんやりと知つてゐる、人事異動にからんで(そして土地払ひ下げをめぐつて)何かあつたといふことについて当人が一言も触れなかつた態度への好感ないし感謝による。そのせいで、彼らの論説の書き方への批判は見のがされる結果になつた。浦野が寄つて来て、
「やあ、やあ。お返しありがたう」
と大声で礼を述べ、ちよつと声をひそめて、
「あげる物があるから、帰るとき声をかけて」
と言つた。長いあひだ司法記者だつた無口な男が来て、珍しく微笑を浮べ、
「ヤメ検にはね、君、ああいふ男が多いんだよ。どうしてだらう?」
とつぶやいた。するとそれに答へる前に、学藝部出身の雑学で有名な一言居士が後ろから、
「南さん、南さん、シュナウザーは断耳断尾はするの? しないの?」
と話しかける。社説の書き方の話について感想を述べる者はもちろん多い。こんなふうに人気を集めてから約三十分後、弓子は浦野に合図を送つて自分の机に行つた。机の上も引出しのなかも片付けてあつて、荷物はほとんど持ち帰つてある。
浦野はリボンをかけた小さな包みを出し、
「おや、シロベエはもうゐないのですか。シロベエのものなんです」
と言つて渡した。
「何でせう? おもしろさう」
と弓子が開けると、小型犬用の赤い革の首環である。
「まあ、しやれた贈り物。いい趣味ですねえ。優しくつて」
と褒められた浦野は、得意になつて、
「さつきはスピーチでああ言ひましたが、まだ諦めてない。空家《あきや》になつたら、すぐ教へて」
「あら、変なレトリック」
と睨まれても、平気で笑つた。
弓子は地下鉄を乗りついで、豊崎のホテルへゆく。哲学者は午後に講演をして、それから自分持ちで泊つてゐるのである。腹をすかせて待つてゐる男の前に、女は、飲み会の直前にデパートで買つた品々を取出した。鴨のテリーヌ、ビーフ・シチュー、サラダ、御飯、ヒジキと油揚の炊合せ、青菜の辛子和《あ》へ、そして赤葡萄酒といふをかしな取合せ。代金は男から受取つてゐるのだが、献立を選んだのは女で、これはみな和洋をまぜるのが好きな男の好みに合せてある。このうちシチューと炊合せはルーム・サーヴィスに頼んで、電子レンジであたためてもらふ。
それが届くまでの短い時間、女はもらつたばかりの贈り物を見せるが、男の、
「何それ? ブレスレット?」
といふ問をおもしろがつて、手首にはめる。男はそれを横目で見ながら、出来合ひのおかずはこの一月《ひとつき》食べてゐないなと思つた。妻が元気になつて起き出したからで、かうなつたキツカケは、配置転換される論説委員に同情し、幹事長の妻に電話をかけたことであつた。それまでは電話機など恐しくて仕方がなかつたのに、他人への思ひやりのせいでとつぜん勇気が湧き、それ以後ゆるゆると、外界と向ひ合ふやうになつたのだ。
そしてとうとう二週間前には、彼が短い原稿を書いてゐるとき、妻が元気よくノックしてはいつて来て、ちよつとバツの悪さうな顔で、
「ねえ」
と言つた。
「何?」
「あれ返してよ」
「あれつて?」
「ほら、あげたでしよ。お金や何か」
「あ。どこにしまつたかな?」
とつぶやくと、妻は右手の人さし指で部屋の隅の戸棚の何番目かの引出しをさす。そこを開けると、大きな封筒に入れた貯金通帳その他がはいつてゐた。妻はそれを受取つて、
「あたし、もう治つたみたい」
「よかつた」
「うん」
「治るときにはじつに簡単」
「さうなのね」
それから妻は、明日の晩は何を食べたいかを訊ねて、出て行つたのだ。
男は犬の首環を女の手首からはづしてもてあそびながら、贈り物の趣向を褒めた。
「君が身につけるものぢやなくて、君の大事な犬が身につけるものを贈る。その間接性によつて抒情性が生じるんだな。気がきいてる」
すると弓子が、
「冗談ぽくていいな、と思つたんだけど」
「うん、それもあるね。緊張をとつぜんゆるめると滑稽が生ずるといふが、この場合は君への恋慕といふ緊張した抒情性を、君の持つてる縫ひぐるみの犬との関係に変へた。その喜劇性ね。その喜劇性で君を喜ばせようとしてゐるので、贈り物に真心がこもる。もちろんパツと思ひついたんだらうが、かなりの才能ですよ。君に惚れるだけの値打はある」
「絶賛ね」
「うん」
男が気前よく褒めたのは、一つには、この女が自分以外の男に心を移すはずはないと思つてゐるせいもある。その点、かなりの自信家だつた。
ホテルの者が来た。豊崎が葡萄酒の栓を抜き、ささやかな夕食がはじまる。葡萄酒は値段のわりには飲めるものだつた。テリーヌはまあまあの出来か。
まづ弓子が最後の飲み会のことを話題にした。自分のスピーチが新聞社批判になりさうなのを何とか切抜けて、犬とヤメ検の話で大笑ひさせたこと。浦野が告白的なスピーチで喝采を博したあと、まだ諦めてゐないと言つたこと。
「なるほど。男の模範と言ひたいほどの熱心さ」
と豊崎は褒めてから、二杯目をつぎ、昨日の仙台の新聞に原幹事長の隠し藝の話が出てゐたといふ話をする。これは妻が見つけて教へてくれたもので、もちろん短いコラムだが、驚いたことにはその終りに、
「哲学者の豊崎洋吉教授も、市内某所でこれを見て感動し、『舞踊と身体』といふ論文を送られた由」
とあつた。
これは年末に秘書から、憲法廃止の着想は実現の可能性に問題があると判断されました云々の手紙があつたとき、何となく抜刷りを送つたのだが、宣伝に使ふのはさすがにすごい、と豊崎は笑つた。
「舞踊なんてものぢやないでしよ」
と弓子はワイン入りのコップを手にして言ふ。
「うん、価値的にはね。範疇《はんちゆう》的にはやはり舞踊だろうな、あれでも」
「あ、それ説明して下さい。価値的と範疇的。何かためになりさう」
そこで豊崎は講義する。
「冷血漢のことを『あんなやつ人間ぢやない』と言ふでせう。あれは倫理的に立派な人間だけが人間だといふ考へ方で、価値的。でも、どんなに悪逆無道な犯罪者でも、霊長目のヒト上科のヒト科に属する動物なら人間である。ライオンでもゴキブリでもない。これが範疇的」
「相変らず明快だなあ」
「生意気いふな」
「その論文、あたしもらつてない」
「持つて来た」
彼は抜刷りを出して表紙にボールペンで、
豊崎洋吉
南弓子様
と書いた。のんびりしてゐるやうな、神経質なやうな、変な筆跡で、価値的に言へば字ではない。
ビーフ・シチューを食べながら、弓子は、伯母のところに先週なにがしといふ映画界の巨匠の新作に出てくれといふ依頼があつた、といふ話をした。舞踊からの連想である。その監督は、柳あえかさんの出る写真を撮ることは助監督時代からの夢だつたなどと調子のいいことを言つてくれるが、伯母はテレビではなく本篇だといふそれだけでもう大乗り気である。元首相の未亡人といふ役ださうで、
「運命のいたづらねえ」
とか、
「あたしのことが本当によくわかつてゐる」
とか、しきりに言つてゐた。弓子としては、田丸首相夫人の行状を語れば役づくりの参考になるかもしれないと思ふのだが、たちまち噂が千里を走りさうなので、黙つてゐることにした。
豊崎はビーフ・シチューを肴に葡萄酒を飲んだり御飯を食べたりしながら、
「ぢやあ、お母さんも伯母さんも御機嫌なわけか。めでたいなあ。娘さんは?」
「それも機嫌がよくて」
「ほう」
と哲学者がうなづいたとき、弓子としては、千枝と男友達二人のことについて話したかつたのだが、口に出す暇はない。豊崎が語り出したからである。
「君がいつか言つてゐたでせう。町内のお祭のときの供へ物を神様はどう思つて受取るのかといふ、伯母さんの意見。趣味の悪い贈り物だなあ、でもまあいいや、と思つて、神様が我慢して受取るといふ話。ぼくはあれに非常に感心してね。あのときはどう言つたか忘れたけれど……」
「自分自身の体験から出発して、自分の頭で考へる態度だ、偉いつて」
「あのあとで思つたんだけど、伯母さんの考へた神様の反応の仕方は、日本文化の二大特徴ですね。寛容と趣味性。神道の根本はそれだつたんぢやないか。寛容といふのは、悪く言へばいいかげんで、きびしくつき詰めない。相手の立場をできるだけ認める。対立を避ける。同一共同体のなかではね。すくなくとも自分ではそのつもりでゐる。そして趣味性といふのは、要するに美的だといふことね。神道で清さを尊ぶのだつて、倫理性でも衛生思想でもなく、美的なものでせう。そのほうがきれいで、気持いいから。そしてこの美的趣味性は、色ごのみの思想に通じると思ふ」
「色ごのみつて?」
「本居宣長は日本思想をもののあはれに要約したけれど、それを折口信夫はもつとはつきりさせて、色ごのみと言つた。エロチックな要素を主にした美的趣味性、これが平安朝の貴族の一番大事にしたものだつたし、実は日本人の一貫した主題だつた、といふんだね。光源氏なんて男はこれで生きてゐたし、日本人はその生き方を昔からずつと敬愛しつづけた。意地の悪い言ひ方をすれば、それ以外に何もなかつた」
「何もなかつた?」
「何もないと言つては何だけれど、内容が口では言ひにくいものなんだね。さういふ微妙な宗教だつた。ぼくたちの御先祖は、お互ひ言はず語らずで話が通じる暮しをしてゐたし、おしやべりぢやなかつたんです。だから、理屈をつけて立派にしようとすると、神道は儒教や仏教に頼るしかなかつた。儒教に頼つたのが垂加神道。仏教に頼つたのが神仏習合。もともと寛容だからほかの宗教と妥協しやすいせいもあるけれど、しかしまあ、宗教的内容がぼんやり……と言つてはよくないか、おつとりしてゐるせいも大きかつた」
これを聞いて論説委員がすこし別の方角のことを言つた。
「西洋の神様は正義とか愛とか、話がはつきりしてるのに、日本の神様はさうぢやありませんね」
「本当は何かあるんだらうけど、薄味なんだな」
「薄味の分だけ様子がいい」
「様子がいい……」
哲学者は考へて、
「なるほど。薄味で様子のいい神々が、大衆の献げる変な供物に辟易《へきえき》しながら、しかしまあ怒らないわけだね」
「寛容だから?」
「それもあるし、悪趣味で迷惑な贈り物にも誠意がこもつてること、知つてるから。それなりに相手を喜ばせようとしてること、わかるもの」
「誠意に感動して?」
「さう、感動する……のだらうな。その誠意がつまりマナで、呪力がある」
「ふーん」
と弓子は唸つて、
「でも、それで神様が願ひをかなへてくれるわけぢやないでせう?」
「さうはゆかない……場合が多い。人生には相変らず不幸がみちてゐる」
「さうなのね」
と言つて、自分でも驚くくらゐ深い吐息をついてから、弓子はあの話をしようかしらと思つたけれど、人生の不幸の話は食事の席にふさはしくないと思ひ返して、それは控へた。まだこれから、ヒジキと油揚の炊合せと青菜の辛子和へで御飯を食べるところなのである。しかし弓子は、いまの吐息が気にかかるといけないと思つて、ごまかすため、お茶をいれながら別の話をすることにした。
「先週、夜中に目が覚めて、変なことを思つたの」
と言つて、いたづらつぽい表情になり、
「あのびらびら簪、遠慮しないで、もらつて来ればよかつたな、と思つた。欲ばりねえ」
豊崎は微笑して、
「欲ばりぢやないな。ごく自然な心理だよ。想像力の遊びとして、自分を相手に冗談いつてるわけだから。それに、千枝さんの髪に飾りたいといふ気持もあるだらうし」
「自分でもちよつと、してみたい」
「日本髪、ゆつて?」
「似合はないかしら?」
それから、鬘《かつら》のことだの、鬘の借り賃のことだの、いろんな話をしてゐるうちに、今度は本当の打明け話になつて、
「ねえ、このあひだのことで一つ、内緒にしてたことがある」
「このあひだ?」
「首相官邸」
「半年前ぢやないか」
「だつて大事件だもの。ついこのあひだみたいな気がする」
「それはさうだ。この辛子和へ、うまい」
と豊崎が言ふのを相手にしないで、弓子はつづける。
「部屋から出て、坪庭の横を通るとき、変な感じになつたの。どう言つたらいいかな? 宇宙がギユツと詰まつてこの坪庭になつたといふ気がした」
「え?」
「それで頭が痛くて、体がしびれて。ガラス戸にべたつと掌をついて、じつとしてたの」
表情を改めた豊崎が箸を置いて、
「もつと詳しく説明して」
と促した。促されても言葉が流暢に出て来ないで、ぽつりぽつりと半年前のことを語ると、豊崎はしばらく黙つてゐる。
「夢だつたのかしら?」
と弓子が言ふと、
「夢ぢやないな、それは」
「ちよつとのあひだ、病気だつたのかも」
と言ふと、
「病気ぢやないと思ふ」
「ぢやあ何?」
「一種の宗教的体験。神秘的体験」
「あら、あたしが宗教的だなんて」
「神を見た、なんてわけぢやなくて、宇宙とか世界に対する認識なんだけど、でもまあ、擬似宗教的体験でせう。ほかに言ひやう、ないもの。無神論的な人間の宗教的恍惚」
「恍惚なんて、そんないい感じぢやなかつた。もつとザラザラして、気持悪いの。厭な感じとも違ふけれど」
「それだよ。それが宗教的恍惚。大体さういふものらしいや。もちろんぼくは知らないんだが」
「ふーん」
「病理的なものぢやないと思ふな。もともと庭は世界の縮図として、世界の縮図の状態に憧れて、作つたわけだから、さういふ認識は生じやすいのかもしれない」
「後で考へると、別に大したことない坪庭を、総理大臣の庭だからとありがたがつてるみたいで、つまり権力を崇拝したせいでの妄想みたいで、何となく恥しかつた」
「いや、それは間違ひ。さういふのはイデオロギー的解釈」
「そのせいもあつて、ずつと口に出さなかつたの。それだけぢやないけれど」
「政治性はないと思ふ。どこの庭でも、さういふことは起つたのぢやないか。むしろ……」
「むしろ何?」
「子供みたいになつた奥さんと君とが、夜中、白粉や口紅とびらびら簪のやりとりをしたでせう。あれは日常的現実を超越した感じでね。そのせいで何か神話的気分になつてたんぢやないか」
「さうかしら?」
「よくわからないんだが」
と豊崎はすこし気味の悪さうな顔をした。
食事が終ると、弓子は、今夜は泊つてゆくと言ひ、母に電話をかけるからちよつと席をはづしてくれと頼んだ。やはり照れくさいのである。電話に出たのは千枝で、次に悦子に代つたが、娘は、いまお隣りから桜餅をいただいたので食べるところといふ話をし、母は犬の話をした。弓子はそれから風呂にはいる。
夜ふけ、二人で酒を飲み出した。豊崎はウィスキーの水割りである。弓子はビールでつきあふ。しばらくすると、弓子がすこし違ふ声で話をはじめた。口調で、これは何か大事な用件だとわかる。
「先週、北海道から小包と手紙が届いたの。千枝の父親からでした」
弓子は別れた夫のことはいつもかういふ言ひ方をするのだ。もつとも、結婚当時は日銀の課長でいまは北海道某銀行の頭取である中原源一が話のなかに出て来ることは滅多になく、せいぜい、これで三度目か四度目なのだが。
「癌になつて、辞表を出したんですつて。医者の見通しは、手紙にはあんまり微妙な言ひ方で書いてあるのでそのままは覚えにくかつたけれど、でもとにかく、見通し暗いらしいの」
「いくつなの?」
「五十七」
「ぼくより二つ上か。早すぎるなあ」
「四月上旬に手術して、当分入院ですつて」
「どこの癌なの?」
「肺」
そんなやりとりがつづいてから、弓子が言つた。
「その手紙に、前から気にかかつてゐたものを別便で送るとあつて、小包にあたしの手紙が一束はいつてゐたの。婚約中にあたしが書いた手紙」
中原の生家の納戸に、古い小さなトランクが一つあつて、そのなかに弓子の手紙が入れてあつたといふ。それはたぶん、弓子も記憶がある、掛軸を入れた箱、書や絵の額などがぎつしり詰まつてゐる、あの薄暗い納戸だ。中原が再婚するとき、弓子に返すにはこだはりがあるし、さりとて焼き捨てるには未練があつて、それで生家に送つたのだらうか。
届けられた古い手紙は、いまの筆跡とはずいぶん違つてゐて、これが自分の字かと思ふ、しかしたしかに自分の手に違ひない字でしたためられた一種の恋文である。それを読み返してみると、並はづれた秀才である十二も年上の男を仰ぎ見る思ひ、いままで男の友達さへゐなかつたのに急に許婚者《いいなづけ》が出来た嬉しさ、そして恋ごころがなくていきなり結婚することへの不満(これは底流としてあるだけ)がいりまじつたをかしなもので、幼稚で恥しい文章である上に、何しろ生意気ざかりなので、ときどき失礼なことが書いてある。あるいは、失礼なことを書いて男ごころを惹かうとしてゐる。たとへば、これからはネクタイは自分の見立てで買はないで下さい、などと。それから、相手の手紙の誤字を直したり。そんな文面を読んでゐるうちに、羞恥心と、申しわけなかつたといふ気持と、かういふものを返してくれた思ひやりへの感謝とで胸がいつぱいになり、そのうちにゆつくりと一つの着想が浮んで来る。それはどう考へても絶妙な思ひつきだつた。
それを弓子はしみじみとした声で披露した。
「それであたし、これからしばらく看病してあげようと思つたの」
「ほう」
「北海道に行つて」
「うん」
「ちようど社をやめて、都合もいいから」
「なるほど」
「長くはできないけれど、二月《ふたつき》ばかり。さうすれば、向うの御家族も助かるし。ね、いいでせう?」
「うん」
と答へて豊崎は考へ込み、まづ思つたのは、こんなことをされたらその男は細君の手前、どんな気持だらうか、気楽に養生できないのではないか、病苦のほかに気苦労が加はつて大変なことになる、といふことだつた。だが、弓子の意気込みを見ると、とてもそんなことは口に出せないので、哲学者はさりげなく言つた。
「しかしねえ、向うの奥さんはどう言ふだらう?」
弓子の答は意外なものだつた。
「とても喜んでらつしやるの」
「おや、もう連絡したのかい?」
「だつて、善は急げ」
「気が早いなあ」
と豊崎が冷静を装つて微笑すると、
「昨日、電話をかけてお話したら、とつても助かります、ぜひさうなさつて下さい、大歓迎ですつて」
ここでいろいろ訊ねてわかつたことは、三年前の夏休みに千枝が一週間、北海道の家に招かれて(これは夫人の発案)、向うの娘たちとも仲よくしたことがあり、その際、もちろん弓子は北海道にゆかなかつたが、夫人に電話で挨拶してゐるから、今度も話をしやすかつたのださうである。豊崎としては、これは楽天的すぎる解釈だといふ気がしたけれど、さうは言はずに、
「それで、その人、えーと、何て言つたつけ?」
「中原」
「その中原さんの意向はどうなんだらう?」
「それはあとで電話がありました。非常に嬉しいと言つて、喜んでた」
「本人からの電話?」
「ええ。元気さうだつたけれど。でも、途中で咳をしてた。かはいさうだつた。君にみとつてもらへるなんて、夢にも思つてなかつた、なんて言つてました」
「ふーむ」
と豊崎は唸つて、内心、別れた夫を看護しにゆくといふのはたしかに美談だが、その男に妻がゐて別に不仲でもないのにさういふことをするのは、いささか異様ではないか、とか、これはやはりジャーナリスト特有の、新奇なプランを思ひつくと一人でのめりこんでしまふ傾向のあらはれだらう、とか、考へたのである。
つまり彼としては、賛成ではないけれど、別に反対する気はなかつた。中原夫人は、二人で手分けして看護するとなると、いろいろ厄介な事態が生じて、やがては最初に断ればよかつたと悔むだらうし、中原氏にしたつて、二人の女のあひだで疲れ果て、これならむしろ一人で死んでゆきたい、人間の死とは本来さういふもののはずではなかつたか、などと嘆くことになりさうだ、とは思つたものの、自分のことではないから、はふつて置くことにした。弓子が夢中になつてゐるのがよくわかるし、それに自分と直接、関係のあることではないから、どうだつてよかつたのだ。
彼は二本目のミニアチュア・ウィスキーで水割りを作り、弓子の前にあるビール瓶のせいで、ビールは瓶と罐のどちらがうまいかといふ、この夏、京都の哲学の教授と論じ合つたことを思ひ出しながら(そのとき自分がどちらの側に立つたのかは忘れてしまつた)、
「以前の日本では考へられないことだよ、これは」
とか、
「男の生き方の結末として、感銘の深い話だなあ」
とか、当らず障らずのことを言つてゐた。すると弓子は、それをみな自分の計画への肯定として受取り、
「これからは離婚がふえるから、かういふケースが多くなると思ふの」
とか、
「ときどきは千枝も来てくれますつて」
とか言ふ。この、娘が父をみとることには豊崎も大賛成で、それははつきりと言つたため、いよいよ彼が弓子の計画に同意してゐるやうになつた。
そこで弓子は、これから二ケ月の予定を語つた。病室に詰めてゐるとしても、いちおう本拠地は必要だが、長い期間だからビジネス・ホテルに部屋を取ることにする。途中に一度か二度、東京に帰ることもあると思ふから、そのときは仙台に寄る。何かにかこつけてあなたが北海道に来ることもできるはず、などと。
「さうだね。毎週は逢へなくなるが、ま、我慢するか」
と豊崎は答へた。それからは、学会でいろんな土地へ行つたときのビジネス・ホテル体験談。その呑気な話が一段落したところで、ビールのグラスをくるくるもてあそびながら女が言つた。
「あなたのときもさうする」
こころもち微笑して、おだやかな口調で言つたせいもあるし、それに何しろ青天の霹靂《へきれき》のやうな申し出なので、咄嗟《とつさ》には意味がわからない。キヨトンとしてゐると、
「看病してあげる」
「癌になつたとき?」
黙つてうなづいたのが答であつた。本当のことを言へば、ここで男はごくあつさりと、
「よろしく頼む」
とすこし悲しさうにつぶやくのがよかつたらう。
「暗い話題は避けよう」
と言つて手を握るとか、キスするとかもよかつたかもしれないし、
「へつ、自分は死なない気でゐる」
と笑ひ飛ばす手もあつた。しかし男はこのとき、もしもそんなことになつたら妻がまた鬱病になり、寝込み、またもや自分が、炊事をしたり、皿小鉢を洗つたり、家中を掃除したり、スーパーマーケットへゆく道すがら献立を思案する合間に、知覚される立方体は六つの面を同時に持つことが決してないといふ話が哲学者たちに持てはやされたのはやはり代表的な立方体が骰子《さいころ》であるせいか、と考へたり、いや、これはあまり哲学的な意見ではないなと思ひ直したり、そしてその直後、こつちの安い塩鮭のほうがあつちの高い塩鮭よりもうまさうだがはてどうしようと迷つたりするあの暗澹《あんたん》たる日々に戻るのかと戦慄《せんりつ》し(不思議なことに彼の想像のなかでは自分はもう癌でなくなつてゐる)、そのため、狼狽のあまり、最悪の台詞《せりふ》を口にしたのだ。
「いや、そんなこと、してくれなくていいよ」
女の表情がたちまち変り、とげとげしい声で短く訊ねた。
「どうして? どうして断るの?」
「だつて、前の御亭主の場合とぼくの場合とでは話が違ふもの」
「おんなしでしよ」
「違ふよ」
「どう違ふの?」
「いろいろ違ふ点がある」
と男は説明する。努めて冷静に、小声で。
第一に向うは君の夫であつた人だが、自分は夫でなかつたし、今もさうではない。もちろんこれは法律上の話で、愛情のことを言つてゐるのではない。第二に、当然のことながら向うの細君は君と彼との関係を知つてゐるが、自分の妻は君と自分との関係を知らない。この二点でかなりの相異がある。
「つまり……」
と女はかなり大きな声で言つた。
「奥さんに知られたくないんでしよ? 癌になつても」
すこし考へて男は答へた。
「うん、さうだな」
「をかしいぢやない。まつたく非論理的よ。哲学者のくせに」
「どうして?」
「わかりません? ぢやあ教へてあげる。いままでずつと、用心に用心を重ねて、二人でいつしよにゐるところをなるべく見られないやうに気をつけて来たでせう。映画は暗いからいつしよに観たけれど芝居は観ないなんて具合に。こんなの詰まらないつて言つたら、どうおつしやいました? もしバレたら逢へなくなる。二人の恋をつづけるためには、内緒にするのが賢いつて言つたぢやない」
「もうすこし小さな声で」
しかし女は相変らず高声で、
「でも、癌になつたら、逢ふ手は病室へゆくしかないぢやない」
「うーむ、かなり論理的……」
と男は笑ひにまぎらさうとし、そして女は堅い表情のまま睨んでゐる。男は言つた。
「でもね、二人のことを内緒にして置くのは君の意向でもあつた。かういふことは何も言ひ触らすやうなことではないし、それに誰が恋人なのかはつきりしないほうがいろいろ有利みたい、と君が言つてたぢやないか。例のほら、この贈り物……」
と縫ひぐるみのシロベエの首環を指さして、
「くれた人だつて、ぼくのことを知らないから思ひがいつそうつのつたのだらうし……」
「知つてたら恋がたきを恐れて諦めた?」
と女はからかつたが、男はそれには相手にならずに、
「だからこそ、あれだけ熱心に君のため調べてくれた……」
「それは結果論でしよ!」
と女が叫んだとき、隣りの部屋の壁がドンドンドンと激しく叩かれた。静かにしてくれといふ合図である。
男は肩をすくめ、無理に微笑し、片手で軽く女をなだめる身ぶりをするが、もちろん女は依然としてふくれてゐる。男は心のなかで、もしもこれが女の恍惚の声のせいで隣室の客にたしなめられたのなら、どんなに嬉しかつたらう、と思つた。
女が、少し抑へた声で言つた。
「恋だなんて。あなたはただ、いつも何かのついでにあたしと逢つてるだけぢやない」
「さういふ見方をすれば、さう見える。現実といふのは何でも玉虫いろでね。見方でいろいろになるのさ」
「さう?」
「さうだよ。人間的な現実といふのは、純粋な色であることはない。まつたくの黒とか、まつたくの白とか、そんなことはなくて、濃淡の段階はさまざまだがとにかく灰いろだ、とよく言はれるでせう。でも、あれは、話の都合上、あれでもまだ単純化してゐるので、本当はグレイぢやない。玉虫いろなんだ。それが光の当て方、視点の置き方でくるくる変る。空いろに見えたり、ピンクに見えたり」
「理屈ばつかり」
「ある見方からすれば、ついでに逢つてる。しかし別の見方からすれば、恋のためにあらゆる機会を利用してゐる。ほんとだよ。君に逢ひたいばかりに」
「いつしよに御飯を食べられないときもある」
「君の都合でさうなるときもあるから」
「二人でどこかへゆくなんて、滅多にないぢやない。ただ、逢つて寝るだけ。それぢやあ、恋ぢやないでせう。二人でいつしよにオペラを観たこと、一度でもある? 歌舞伎を観たことある?」
「さう言へばないな」
「十年間で一ぺんもないのよ」
「能を一度……」
「あれははじまる前ぢやないか」
と女は、椅子から跳びあがるやうにして叫んだ。その直後、男が何か言ふ前に、まるで返事の代りのやうにして隣室の壁がまた叩かれた。
「頼む。静かにして」
と男が哀願すると、女は不機嫌な顔でうなづいて、黙りこんでしまつた。仕方がないから男も黙つて水割りを飲んでゐると、やがて女は抑へた声で、
「いつしよに旅行しようなんて、思つたことないでせう」
「ニュー・ヨークへ行つた」
「自分で思ひついたの?」
「え?」
「学会でニュー・ヨークへゆくと言つたから、落合ひませうと言つたんぢやない。ちようど社の仕事でアメリカにゆくところだからと嘘をついて」
「嘘?」
「さうよ」
「さうだつたのか。すると、つまり、旅費は自分持ち?」
「当り前でしよ」
「さうか」
「いつしよに旅行したいと、前から思つてたから」
「なるほど」
「アメリカの記事、ちよつとしか書かなかつた。あんな程度の分量で、ゆかせてくれますか?」
「うん」
「それなのに二週間しかなくて」
「でもそれは仕方がない」
「一事が万事そんな調子」
「うーむ、参つたな、これは」
と男がつぶやくと、女はまた話を元に戻して、
「この一年間、いつしよに行つた展覧会、何があります? 演奏会、何を聴きました?一ぺんもないぢやない。二人で観たり聴いたりして、いつしよにいろんな感想を言ふからおもしろいんぢやない。ただ逢つて寝るだけぢや詰まらない」
「いや、それはね……」
「文化的つて言ふと人は馬鹿にするけど、でも、さうぢやないのよ。いつしよに何かを鑑賞するつて、とても嬉しいこと。それなのに……」
「うん。たしかにさうだ。悪かつた。でも……その代りぼくがいろんな話をしてゐる」
これがまた怒らせた。女はありつたけの声で叫ぶ。
「哲学の話? フッサール先生?『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』のあらすぢなんて話、あんないいことのあとで聞いたつて、頭にはいるはずないぢやないか!」
このとき豊崎の反応は複雑を極めてゐた。一方には弓子の述べた内容、つまり彼に対する批判による衝撃があつて、なるほどいまのは下手な弁解だつたし、女相手にフッサールの話を長い時間かけてしやべるのは馬鹿ばかしいかもしれないが、しかし何も直後といふわけではなくて、四十分か五十分は経つてゐたし、それも向うが質問するから答へ、おもしろがるから興に乗つて話が長びいただけではないか、などと自分で自分に向つて言ひわけをし、そして申し開きをしながらも何となく羞恥を感じてゐた。自分がいかにも話題が貧弱で野暮な男に見えて来て、その自分自身の肖像に困惑したのである。そして他方、弓子の叫び声の音量による恐怖があつて、いまのあの声はこれまでで一番すごかつた、隣りの客はきつと憤激するぞ、今度は拳骨ではなく、靴とか、スリッパとか、椅子とかで壁をしたたか打つのぢやないか、などと怯えたのだ。しかし、隣室の壁は叩かれず、ひつそりと静まり返つてゐる。そして弓子は、自分の発した声があまりに大きいのに驚きながら、その無気味な静寂のなかで茫然としてゐた。
やがて気を取直して、豊崎が何か言ひかけようとしたとき、ブザーの音が長く鳴り響いた。ドアの横のブザーが押されたのである。哲学者は立ちあがり、身なりを点検し、と言つたつて寝巻の前を合せただけだが、覚悟を決めて戸口に向ふ。
しかしドアを開けると、そこには誰も立つてゐない。廊下を見ると、もちろん男だらう、黒つぽい服を着た丈《せい》の高い後ろ姿が、十メートルばかり向うをゆつたりと遠のいてゆく。振り返らうとする気配などまつたくない。これは一体どういふ意味かと怪しんでゐると、足もとに白い角封筒が置いてあるので拾ひあげる。なかには便箋が一枚はいつてゐて、わりに上手な字で、
大変ですね。
一時間ばかり
散歩して来ますから、
その間に万事
解決せられよ。
椅子に戻つた豊崎がもう一度読んで、
「なるほど」
とつぶやくと、弓子が、
「何? 見せて」
と言ひながら手に取つて、
「しやれてる」
と吐息をついた。
「うん、しやれてるね。かなりの苦労人だ」
「詩みたい」
「詩? あ、行を分けて書いてる」
それから彼は、長い廊下を歩み去つてゆく後ろ姿について説明し、
「何だか意味ありげだつたなあ。象徴的だつた」
と要約した。
弓子は眼をつむつた。長いこと、じつとさうしてゐたあげく、眼を開いて、そつと言つた。
「その人、とてもよく見えた。どんどん歩いて行つた」
そしてつぶやくやうに、
「あたし、髪を洗つて来る」
「うん、それがいいな」
と答へると、立ちあがりながら、
「あの手紙で気が抜けてしまつた」
「それはさうだらう」
「でも、まだ怒つてる」
弓子が浴室に消えるのを見送つてから、別のミニアチュア・ウィスキーを開ける。そして、もちろんドアにさへぎられて聞えないのだけれど、髪を洗ふ水音が耳につくやうに感じながら、ゆつくりと事情を考へた。この十年間のこと、今夜のこと、女のこと、男のこと、恋のこと、死のこと。
あれやこれや思ひめぐらしてゐるうちに、ふと、去年の六月から今日までの十ケ月、弓子がちつとも取乱さなかつたことに思ひ当り、どうやらこれが急所らしいぞと判断した。つまり、長いあひだの心労とそれから今後のことでの不安が積つたあげく、その反動として生じた今夜の騒ぎ。さう考へると、この十ケ月ほどの彼女の態度はなかなか立派だつたと感心したくなる。もちろん当り散らされるのは困るけれど。
するとそれがきつかけになつて、弓子の美点がいろいろ見えて来る。顔立ちとか、姿かたちとか、品のよさとか、賢さとか。痴話喧嘩であんなふうにどなるのは、あれはまあ特殊な場合だから品がないことになるまいとか、あのくらゐの肥り方は年を考へれば仕方がないとか、かばつてゐるうちに、しみじみ、失ふのが惜しい女だといふ気になつた。それに、さつき聞いたばかりの、狭苦しい坪庭に圧縮された宇宙を感じ取つたといふ奇妙な体験。あれは不思議な切実さがあつて胸にこたへた。今まで知らなかつた(当人も知らなかつた)この側面のせいで、何か奥行の深い翳のある女だといふ気になつて、いよいよ魅力が増して来る。
などと思つてゐるうちに、とつぜん、弓子が先夫の看護などといふ飛んでもないことを思ひ立つたのは、ひよつとすると、自分(豊崎)とゐる時間が短いせいでの不満が昂じた結果ではないか、といふ考へがまるで妄想のやうに浮んで来た。その考へをためつすがめつして、これは案外、真実を衝いてゐるかもしれないと思つたり、自惚《うぬぼ》れもはなはだしいと自分を責めたりして……結論が出ない。しかし判断に迷ひながら、何となくいい気持になつてゐる。そしていい気持になりながら、これだけの女にこんなに惚れられてゐるのに手ばなすのは惜しいとまたしても考へ、しかしそれにつけても、しつかりと自分のものにして置かなければ、たちまち他の男(たとへば「新日報」の新社会部長)の恋人になるかもしれないといふ不安が湧いて来る。今まではそんなことはなかつたのに、今夜は、顔を見たこともないその新聞記者が、ホテルの長い廊下を歩み去つてゆく黒服の男のやうに無気味で、賢くて、粋な感じになる。
こんなふうにして、恐れと不安と、いや、まづ何よりも愛着が昂じたせいだらう、彼は決意を固めた。癌になつたら看病してくれ、と言はうと思つたのである。さうすれば、それで無礼を詫びたことになり、向うは機嫌を直し、今まで通りの仲がつづくのぢやなからうか。だが、言ひ方にコツがある。明るく、屈託なく、冗談ぽく言ふことだ。さうすれば向うも、自分の提案が非常識で、大人の恋にふさはしくなかつたことを悔み、同じやうに冗談ぽく答へることで、和解の儀式をきれいに成立させるのではないか。うん、これはいい。この手でゆかう。だが、もしもそれが本気の約束として受取られたらどうしようか。向うはまじめにさう思ひ込み、やがて何年かのち、あるいは来月! おれが癌になつたとき、病室で妻と弓子と二人が鉢合せして、おれは手術やラジウム照射や点滴の合間に、二人に言ひわけをしたり、なだめたり、謝つたりして、世にも凄絶な人生の局面に立ち向ふことになるわけだが……と考へてゐるちようどそのとき、弓子が浴室から出て来て隣りの椅子に腰をおろす。豊崎はすかさず髪を褒め、
「あら、調子いい」
といなされても平気で、
「あ、調子のいいついでに言つて置かう。さつきは御免。悪かつた。前言取消し。もしも癌になつたら来てくれよな」
と笑ひながら言つて、じつと表情を見る。弓子はただ笑つてゐる。何も答へない。まるで宇宙のやうにそれとも首相公邸の坪庭(見たことないけれど)のやうに渾沌としてゐて意味ありげで不可知的なその謎めいた表情を読まうとして、ちつとも読めないまま、哲学者はそのとき、発作的に、ああ何とかして癌以外の病気になつて死にたいものだと願つた。何か別の病気なら、約束の該当を免れて、あの悲劇的な情景は出現しないと推定したのである。何と形式論的な。何と軽率な。そのとき彼の意識においては、心筋梗塞、クモ膜下出血、脳卒中、筋萎縮性側索硬化症、強皮症その他、癌以外の病気による急激な死、緩慢な死のかずかずが未来を薔薇《ばら》いろに染めてゐた。
男がビールをついでやると、女は一息に半分ほど飲んで、
「ああ、おいしい」
と言つた。男も飲み、相変らず女の顔を見まもりながら、このお酌も贈り物なら、看護の前約といふのもたしかに贈り物だし、真心がこもつてゐるにちがひないのだが、しかし困るなあ、おれは変なものを供へられた神様だ、と思つた。そのとき、あ、神様としての自分、と心のなかでつぶやき、そこから、人間と神といふ組合せを軸にして思考が動きはじめる。ゆるやかな速度で、ときどき急に速くなつて。
まづ、人間が神を気取つてものを言はうとするとき、日常性および日常的な表現から脱出して聖なるものに近づくために、それは詩の形を取る。神々の託宣は詩だし、人間が神に訴へようとするときも詩の形で書くし、その名残りと言つてもいいかもしれない、詩人が詩を書くのは人間がアマチュアの神になつて書くものだし、それからさつきのあの黒い服の後ろ姿だけの男だつてわれ知らず神様みたいな役をしようとするときつい行を分けて手紙を書いた。詩のやうに。あれは散文だけれど、詩に近づけたい欲求が無意識に作用して行を分けてしまつたのぢやないか。詩は神を気取る人間のもの、そして散文は普通の人間のもの。前者は古代的で、後者は近代的。
それと同じやうに、商品として物を売買するのは近代的行為で、実務的で、人間的。一方、物を贈るのは古代的行為で、呪術的で、人間が神を演じてゐる。言ふまでもなく贈り物は好意の客観的相関物であるが、しかしこの重要な位相を見のがしてはならない。神に供へ物をするとき、供へる側の人間も威儀を正して擬似的な神にならうとするし、中世の武将に侍が八朔の礼をおこなふとき、武将は神になぞらへられ侍のほうもおのづから神に近づく。この双方が神に扮し神を演じ神になるのが、贈与といふ、儀式による契約の基本のところで、これによつて関係が聖化され、更新され、再認識される。
これがとりわけ鮮明なのは恋人同士の関係だ。その二人は恋愛といふ非日常的な次元にあるため、男神と女神に扮し、男神と女神を演じてゐる。男が花屋で買ふ花束は商品だが、それを女に渡すときたちまち供物になる。日本では古代から中世にかけて、和歌の形で男が女に言ひ寄り、そして女も和歌で男に答へたが、これは神だから詩といふのと、贈り物(返礼)だから詩といふのと、二重になつた形。
しかし人間は神ではない。アマチュアの神にすぎない。アマチュアの神のなかにも上手下手があるし、上手だつてときどきしくじる。ぼくがさつき死の床での看護といふ女神の贈り物を受取りそこねたのは無器用《ぶきよう》な男神だつたので、しかし男神にだつていろいろ事情はあるのだから女神のほうももうすこし、具体的環境から抽象する態度を慎んで……とそこまで来たとき、「新日報」の漫画家が日本神話見立てで描いたらきつとかうなるといふ図柄が、くつきりと脳裏に浮んだ。白い上衣、白い長い裳《も》、肩から薄い領巾《ひれ》をかけた髪の長い弓子が柳眉を逆立ててどなり、そして、髪を美豆羅《みづら》に結び、白い上衣に白いズボン、結んだ帯をだらりと前に垂らした自分が弱り果ててゐるところだ。この男神と女神の様子はじつに滑稽で、豊崎はつい微笑を浮べたらしい。
「ねえ、何がをかしいの?」
と女が訊ねた。
「うん、贈り物についてちよつと……哲学的なことを考へてゐた」
と答へながら、その哲学的思考の内容を聞いたら怒るだらうなと思つた。しかし女の反応は違つてゐた。弓子は、
「あ!」
と大きな声を出して、あわてて口を押へ、
「それいいわよ。贈り物についての本、お書きなさいよ」
と眼を輝かす。
「なるほど」
「新書版でわかりやすく」
「ほう」
と豊崎は嬉しさうな声を出したが、これは女が機嫌を直したことを喜んだのである。
「売れるわよ、きつと」
「売れたら御馳走する」
「フランス料理がいい」
「うん」
などと話し合つてゐるうちに、だんだんいいプランのやうな気がして来て、豊崎は言つた。
「題は『いいかげんな贈与論』?」
「『贈り物の哲学』のほうがいい。贈り物と聞くと、それだけで女は興奮するのよ」
「ほう、さうなのか」
「男の人だつて、おんなしだと思ふけど」
「さうかもしれない」
「きつとさうよ」
「それぢやあ一つ、書くか」
と哲学者は言つた。
単行本
一九九三年一月 文藝春秋刊
〈お断り〉
本作品を「文春ウェブ文庫」に収録するにあたり、一部の漢字が簡略体で表記されている場合があります。
また、差別的表現と受け取られかねない表現が使用されている場合もありますが、作品の書かれた当時の事情を考慮し、できる限り原文の通りにしてあります。差別的意図がないことをご理解下さいますようお願い申し上げます。
〈ご注意〉
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