[#表紙(表紙.jpg)]
珠玉
開高 健
目 次
掌《て》のなかの海
玩物喪志
一滴の光
[#改ページ]
掌《て》のなかの海
もし、今、どこかの退屈しきった雑誌編集部からアンケート用紙が送られてきて、ロンドンについて何でもいいから忘れられないことを三つ書いて下さいと、あったとする。結局はその返事を書かないですませてしまうことになるだろうと思うが、何日間かは追憶を反芻してそこはかとなく愉しむことができるだろう、という気もする。三つめは何を書いてよいかわからないけれど、最初の二つはきまっている。これはうごかないところである。フィッシュンチップスと、夕方の酒場のオガ屑である。
フィッシュンチップス≠ヘタラとかカレイとか、白身の魚なら何でもいい、それを乱雑に叩き切って粉にまぶして油で揚げたというだけのものである。ポテトのフライといっしょにして新聞紙の三角袋につっこんでわたしてくれる。ごくざっかけな食べ物であって、料理といえるほどのものではない。町角のスナックである。つまみ食いのオヤツみたいなものである。ずっと後になって東京で知りあったイギリス人から──この人はケンブリッジ出身だったが──あれは新聞紙に秘密があってエロ新聞に包んでもらうといつまでもホカホカと温かいけれど、『タイムズ』なんかだとたちまちさめてしまうというんです、というジョークを聞かされたことがある。シンプソンのローストビーフも食べたはずなのに肉も皿も思いだすことができず、こんなフィッシュンチップスの一包みが生きのこって、いつまでも忘れられない。歩道の人ごみを縫って歩きながらひときれずつつまみ食いしていると、雨がポツポツと沁みて新聞紙の活字がぼやけていったことや、酢が赤かったことや、くずれた白身がいい匂いと湯気をたてていたことなどが、ありありと思いだせるのである。
もう一つは酒場のオガ屑である。その酒場は通りがかりにふらりと入ったので、店の名も、通りの名も、何ひとつとして思いだすことができない。しかし、白と黒のダイヤ模様のタイル張りの床にオガ屑がまかれてあって、それがまるで雨のあとの森のようにいきいきと香りをたてていたことが忘れられない。酒場はあけたばかりなので客の数が少く、明るい灯がつき、ソーダの爽やかな音がひびき、ジンやウィスキーの香りがクッキリと縞をつくって漂っていた。一日が終ったというささやかだけれど切実な歓びが人の声に感じられ、オガ屑のしっとりした、新鮮な香りを、ああ、いいものだと感じ入ったものだった。これは酔っぱらいの吐く唾や痰をからめとるためで、昔からの習慣である。今の酔っぱらいは教養があるのでおとなしいけれど、昔の酔っぱらいは行儀が悪かったんだよ、という説を聞かされたことがある。東京の酔っぱらいは夜ふけの駅や電車では盛大だけれど、バーやビヤホールで唾とか痰とかを吐いているのはあまり見かけたことがないし、ちょっと思いだすこともできない。教養≠ニなると疑わしいかぎりだけれど、そういう光景はおぼえがない。これまでにわたり歩いたバーの数は数えようもおぼえようもないけれど、夕方にオガ屑をまいてたのは、たった一軒だけである。
三十年近くも昔のことになる。
その頃、小説家になって間もなくのことだから、どうやって暮していいものか、教えてくれる人もなくて、途方に暮れていた。知人らしい知人もなく、先輩らしい先輩もいない。作品にしたいことが脳か心かにあって夜ふけに白い紙に向って専心しているときは何とかしのげるのだけれど、それが終ってしまって編集者に原稿をわたすと、いてもたってもいられなくなる。家にじっとしていられない。少年時代の後半期から持越しの、とらえようのない焦躁と不安が〆切日の翌日から流れこみ、こみあげ、小さな青い火で焙《あぶ》りにかかるのである。家を買った借金は月賦で返済しなければならず、妻と娘の一家三人のための生計は稼がねばならず、それはペン一本にたよるしかない。しかし、書きたいことは何もなくて、脳にのこっているのはどんよりした宿酔だけで、使い古しの歯磨きのチューブみたいな皺々の感触である。勉強部屋の窓に射す正当で、いかめしくて、しらちゃけた白昼光を見るだけでそわそわと立ちあがり、台所の妻に何やら口ごもり口ごもり弁解しつつ玄関へかけつけて靴をはく。言葉を見つけるためにと心にいい聞かせつつ靴をはくけれど、戸をあけるときには、きまって、ふと、スリが外出するときはこんな気持なのだろうか、と思いがかすめる。
半日がかりで新宿、渋谷、銀座と映画館をつぎつぎ立見して歩く。チカチカ煌《きら》めくこの暗闇だけが青い火をしばらく忘れるための応急診療所であった。凡作か秀作かは最後まで見なければわからないとしても、丹念に作ったものかどうかはカット一つを見るだけでわかるので、一カットか二カット見てから立見をつづけるか、空席をさがして坐りこむかをきめることにしてある。ときには満員をかきわけかきわけしてやっと空席を見つけて腰をおろしても青い火がきつすぎると、そそくさと立ちあがることもある。一つの映画を日を替えて三回も四回も見てやっと全部を見終ることがある。それが凡作なので映画館にその看板が出ている週は毎日その前を通過しつつ早く替ってくれないかと憎みつづけることもある。主役のスターはぼんくらの美男なのでどうでもいいけれど、ときどきしか顔を出さない脇役がどうにも渋くていいので、それだけを見たさに二度、三度かようこともある。シナリオは金言と名言の羅列だけれど、ときどき棘のように刺さってとれない科白《せりふ》に出会うこともあり、そんなときは何日間も平静でいられなくて膿みつづけることがある。
そうやって、ハシゴして歩くうちに、やっと黄昏になる。人ごみの暗い書斎から出て、歩道に白昼光が消えているのを見ると、ホッとする。頭のなかは何軒も切れぎれに立見して覗いて歩いたために西部劇、寝室コメディー、密林冒険、古代活劇、スパイ・スリラー、ガラパゴス島の海藻を食べるウミトカゲなど、まるで玩具箱をひっくりかえしたみたいにひしめいていて、へとへとである。その疲弊が心の火を弱め、酸を中和してくれて、かえってなじめるのである。突然の黄昏が不安をおぼえるほど新鮮に感じられることもしばしばである。焦躁はけっして消えてくれないけれど、長い距離をてくてく歩いて酒場まで抱いていくことができる。夜は着古した、手放せないシャツのようにしみじみしていて、ありがたい。汐留の貸車駅の近くにあるその小さな酒場に入ると、凸凹の古い赤煉瓦の床にまいた松のオガ屑のしっとりした香りが鼻と肩にしみこんでくれる。物置小屋のように小さくてみじめな、薄暗い店で、酒棚には何本も瓶が並んでいないけれど、毎夜毎夜しこしこと雑巾で拭きこんだ、傷だらけのカウンターに肘をのせると、まるで古い革のようにしっかりと、しっくりと、支えてくれる。その吸収ぶりとオガ屑の匂いだけに誘われてほとんど毎夜のようにかようのである。なぜ男が一軒の酒場にかよいつめるか。説明は言葉でできるか、できないかのようなものだが、しいてあげれば、ストゥールのすわり心地と、カウンターが肘をどう吸いとってくれるか、だろうか。それが信号の第一触である。最初の一瞥である。
「どう?」
「あけたばかり」
「ひま?」
「ひま」
「高田先生は?」
「このところ見えないね」
バーテンダーの内村は初老の薄髪頭を傾けてマーティニを作りにかかる。氷を白のヴェルモットで洗い、お余りをいさぎよく捨てる。ヴェルモットの薄膜で氷片を包むという形である。それを手早く水夫用のどっしりしたグラスに入れ、あらかじめ瓶ごと冷蔵庫で冷やしてあったジンを注ぎ、レモンの一片をひねってあるかないかぐらいの香りをつける。すると、研《と》ぎたてのナイフの刃のような一杯になる。一日の後味をしみじみと聞ける一杯になる。
「オガ屑は松の匂いがいいな」
「でしょう?」
「松の匂いがいいね、爽やかで」
「いろいろとやってみたんですがね。檜とか、杉とか。それぞれ持味があっていいんですが、ちょっと時間がたつと、もたれてくるんですな。いい匂いがかえってくどくて邪魔に思えてくる。しかし、松なら消えてくれる。これは酒場の、何というか、床まき香水。今風ならトイレット・ウォーター。そんなもんですな」
「森のなかで酒を飲んでるみたいだよ」
「そう仰言って頂けるとありがたいス[#小さな「ス」]」
ネズミの巣のような小さな薄暗がりで二人でぼそぼそと話しあう。話しながら内村は皿を洗ったり、酒瓶を拭ったり、小忙しい。毎夜おなじ言葉を交わしあっているのだが、気にならない。昨夜も、どう、とたずねたら、あけたばかり、と答えた。いそがしい、とたずねたら、ひま、と答えた。高田先生はどこかを船医として航海していてこのところずっとあらわれない。オガ屑には松がよくて、檜や杉だといい匂いが時間のたつうちにくどく感じられてくるのだそうである。たまたま昨夜はやらなかったけれど、まだ客の現れる時間ではないので、内村は手持無沙汰をいなすために西洋剃刀を革砥で研ぎにかかるかもしれない。それもしじゅうやってることなのである。彼は若い時代にバーテンダーになるまえに床屋で修業をしていたことがあるらしく、道楽とはいえない手捌きを見せる。革砥を使うのは剃刀の刃をたてるためではなくて、たてた刃を柔らかく丸めるためなのだそうである。剃刀は切れすぎてはいけない。鋭いだけではいけない。
「……ハガキのふちで撫でるようでないといかんのです。風でいえば春風のようでないと、いかんのです。肌を絖《ぬめ》のように仕上げるには。私はまだまだだね。とても死んだ師匠にはかなわねェ」
にがにがしく呟いて刃を柄にたたんでどこかへしまいこむ。口癖である。そうやって使いもしない剃刀をいつも彼なりに最良の状態に保つよう心掛けは怠らないけれど、何故、床屋をやめる気になったのか。どんな師匠だったのか。ほとんど何も聞かされたことがない。マーティニをだまって研ぎあげてみせるだけである。
この酒場にかよったのは三十代前半の五年のうちの三年ぐらいだったと思う。その後は国力の急進とともに年を追って外貨蓄積が急増し、海外渡航許可の枠が広がり、マスコミの海外取材が常識となり、常習となっていったので、新聞社や出版社の臨時移動特派員となってあちらこちらさまよい歩く年がかさなった。四十代前半まではもっぱら戦争、内乱、紛争などを追って歩いたけれど、それ以後はナチュラリストとなり、釣竿を片手に北半球と南半球の湖や河をわたり歩いた。そのためいつとなくこの酒場からも遠ざかることとなったが、一人の人物についての特異な記憶はいつまでも生きのこることとなった。その後、数知れぬ酒場でマーティニを飲み、酔っぱらいからちぎれちぎれの科白を聞かされたけれど、ほとんど忘れてしまった。酒精のキラキラ輝やく、うるんだ、明るい霧のなかで聞く言葉は、しばしばその場では閃光か啓示のように浸透もし、刺さりもするのに、ときには全心でふるえつつ聞き入ったりすることもあるのに、たった一夜明けただけで泡のように消えてしまう。ありがたくもあり、不気味でもある。相手の眼も、顔も、服も思いだせないのである。そういうことを思いあわせるとこのネズミ酒場で知りあった人物は傑出していたなと、つくづく感じ入らせられる。少くとも三十年近くもたってからペンで素描を試みたくならせるだけの放射能を持っていたのである。部屋を出て階段の踊り場にたってから、しまった、あれを言うべきだったとさとることを、フランス人はエスプリ・デスカリエ≠ニ呼ぶが、以下もまたそのひとつである。
たしかにこの酒場には三年かよって、いつもその日の最初の一杯を飲んだ。薄髪の、無口な、いるのかいないのかわからないようなバーテンダーをまえにして、一杯か二杯のマーティニを飲むと、いつもその場で金を払って、出ていく習慣であった。知人に教えることもなかったし、誰かをつれていくということもしなかった。あけたての時刻に入って作りたてのマーティニを一杯か二杯すするだけの客でありつづけた。だから、たまに氷屋や酒屋が註文品をとどけに入ってくるのは見かけたけれど、それ以外には誰にも会ったことがなかった。この酒場にどんな常連客がついていて、何時頃にあらわれて、どんな話をして出ていくのか、まったく関心がなかったし、知ろうとも思わなかった。朝から明滅しつづけてあぶりたてる青い火は一杯のマーティニで消えるものではなく、むしろ、いよいよ深く沈んで炎のない熾火《おきび》のようにどこか手のとどかないところでくすぶりつづける。けれど、それはそうだとしても、最初の一杯の冷えきった滴がひとつ、ふたつころがり落ちていくうちに、あくまでも見せかけとはわかっていながらもなかなかの出来と感じられる中和がじわじわとひろがって、無為の苦痛をやわらげてくれる。遠くの貨物駅で突放作業をやっているらしく、一台の貨物の連結器がぶつかってしっかり食いこむと、つぎからつぎへつながれた古鉄の箱が身ぶるいして響きをたてる。それが正確に一台ずつ小さくなっていくのを聞きながら、レモンの淡い香りのたつジンの冷えきった一滴一滴をすするのは、いいことだった。
この酒場で高田先生と呼ばれる初老に近い人物と、いつごろからか顔見知りになり、口をきくようになり、ときにはそのままつれだってアパートへいくようにもなった。黄昏のあけたてのこんな時間帯にこの酒場へ顔をだす客は先生の他には一人もいなかったからどうしても口をききあうことになるが、バーテンダーの内村が、無口なくせにいろいろと口をきいたり、気配りをしてくれたりするので、次第にとけあえるようになった。そうなると、もともとが淋しがり屋だものだから、先生の動静が気になってならなくなり、内村にくどくどと先生のスケジュールを聞きこんでから酒場へ出かける習慣となった。だからといって、先生とネズミ酒場で会っても、その姿を一瞥すれば何となくほのぼのとなりはしたものの、くどくど人生論や哲学論をかわすわけではないのだから、妙にうれしい、という、それだけのものだった。じつはそれが稀有のことに属する、とわかったのは、十年も、十五年もたってからのことだった。こんな小さなことがそれと等身大で知覚されるのにどうしてこんな長年月がかかるのか。
凛、と見える端正さで先生はいつも椅子にすわる。のんびりと楽に構えているのに背筋をつねに折目でもつけたみたいに伸ばしているので、ネズミの巣箱のなかではひどく目立つ人であった。オールド・パーをダブルで、ストレートで、それに氷水を添えて、というのが変ることのない好みである。骨張って、長い、感じやすそうな指でグラスをつまみあげ、一滴ずつ噛むようにしてすすり、そのあとゆっくりと水を一口すする。水割り、ソーダ割り、オン・ザ・ロックス、カクテル、そういう飲み方をしているのをついに見かけたことがない。淫祠邪教の類、と感じていらっしゃるのだろうか。
「今日はどうでした?」
声をかけると、しばらくしてから
「マーマーフーフー」
と呟いて、眼で微笑する。
ときには
「リーリーハオリー」
といってから
「いや」
といいなおすこともある。
「リーリーシーハオリーでしたかな。忘れちゃったな。昔は北京で、毎日、喋ってたのにな。年はとりたくないもんです。こんな挨拶まで怪しくなる」
いつか紙きれに書いてもらうと、リーリーハオリーは日日好日=Aリーリーシーハオリーは日日是好日≠ナある。マーマーフーフーは馬馬虎虎≠ナある。先生の片言には古典文と白話文の素養がうかがえて、うっかりできないのだが、若い頃には軍医をしていて北京や上海で永く暮したことがあると洩らされると、うなずける。先生は医師なのである。内科も外科もやる。どうかしたはずみの一瞥に冷徹と正確があらわれる。グラスを口にはこぶときに微笑すると体のあちらこちらに好人物らしい柔和さが沁みだすけれど、どこか不屈さもある。先生自身は内科医だったかそれとも獣医だったのかよくわからなかったですと卑下してみせるのだけれど。
「あなたどうでした、今日は」
「よくないというのは、中国語では?」
「プーハオでしょうな」
「毎日、それです。プーハオです」
「お若いですもの」
「プー・プー・ハオです、毎日」
「そうですか」
「何もしないで、映画ばかり見て歩いてるんです」
「………」
先生はさりげなく眼をそらせ、グラスのなかを眺める。骨張った、長い指でグラスをつまみ、灯を液に映したりする。
バーテンダーは無口だけれど、先生もけっして口数の多い人ではない。二人がときどき問わず語りにポツリポツリと話してくれたことをまとめてみると、つぎのようになる。先生の現住所は九州の福岡市で、病院とまではいえないにしてもその医院はかなり繁昌して大きかったものらしい。家はもう何代にもわたって医院でありつづけ、もともとその地方では指折りの素封家であったらしい。先生は毎月きまって一週間ほど上京してホテルに泊る。夕方になるとこの酒場にあらわれてウィスキーを二杯か三杯だけすすってホテルにもどる。ほかにどこへもいかない。毎月毎月そういうことを繰りかえしつづけている。
東京に出てくるのは警視庁の本庁へいって一人息子の行方を探るためである。全国から集ってくる家出人、行方不明人、変死者などの情報のなかに息子がまぎれこんでいはしまいかとさがすためである。息子は某大学の医学部の学生だけれど、趣味でスキューバ・ダイヴィングをやる。それで東京の下町の下宿先のアパートからウェット・スーツその他を持って出たはいいけれど、そのまま消息を絶って久しくになる。もし彼が日本国内の海底のどこかで事故を起して死体が発見されていたら桜田門の本庁に情報が入るはずである。死体が潮流にはこび去られていたらどうしようもないが、ボンベとかゴーグルとかフィンなどがどこかの海岸に漂着することがあるかもしれない。先生は息子の友人にあたり、指導教授にあたり、スキューバ友達にあたり、全国のクラブにあたり、思いつくかぎりの情報の糸をたぐったけれど、どれも手ごたえがなかった。所属クラブはわかったし、スキューバ友達もわかったので、レストランに招待して消失前後の日附のあたりの消息をさぐったけれど、誰も何も知らないと判明した。スキューバでは単独行動はきびしく禁じられているけれど、いくらか経験をつんで自信めいたものがついてくるとこのタブーはよく無視される。とくにタブーに逆らいたい気持でなくてもちょっと散歩がわりにといって一人で潜る人は多く、まわりの人間もついつい慣れっこになって見過しがちである。それをやったのではあるまいか。過信があったのではないか。単独行動に出たのではあるまいか。
いつだったか。
「フィリピンは多島海だそうですが」
「そう聞いてます」
「小島が数えきれないほどある。住民にも政府にも知られていない小島は珍しくないとか聞きますが。地図を見ましたけれど、たいへんな数です。くらくらしてきそうです。タイ国のマレー半島につながっていくあたりの海はアンダマン海と呼ばれていますが、ここも小島が多いようです。水のきれいな場所らしいですが」
「アンダマン海、ね」
「小島が多いというのでは、ほかに、モルジブ諸島というのもあります。ここもめったやたらに小島がたくさんつながったり、切れたりしています。水がきれいで、カツオがたくさんとれるらしいですが。しかし、一説によるとですね、南方のカツオは肉がしまっていないそうですな。日本列島へさしかかったあたりからうまくなるそうですが。カツオはそういう魚だそうですが」
そんな口調で、つぎつぎとミクロネシアやポリネシアの島々の名があげられ、最後にはインドネシア諸島のことをたずねられた。どの質問にもてきぱきと答えることができず、うだうだと口のなかでごまかす形になった。口調は平俗で淡々としておだやかだけれど、そのうらにはなみなみでない火があること。どうやら先生は日本領海をあきらめて外国へ眼を向けていること。水のきれいな島をさがしているらしいこと。そんなことを感知させられたのだが、それきりで雑談は終った。
そうやってかれこれ二年近く、先生は、毎月、福岡と東京のあいだを往復して警視庁の本庁に出頭してはうなだれて出るという暮しかたをしていたのだが、禅機一瞬、とあとになって述懐する行動に出る。某日、先生は発心する。則天去私と思いつめる。すでに妻は彼岸に去って久しくなり、今また息子が海で分解したのなら、家や、財産や、地所を持っていたところで、どうってこともない。息子のあとを追って海へ出よう。船医になって船に乗りこみ、この海に息子の体がとけているんだと思って墓守の心境で余生をすごすことにしようと思いきめる。医院を解散し、助手や看護婦たちと送別の酒を飲み、地所を手放し、自邸を売り払う。これまでの専攻科目は外科と内科と小児科だったが、あらためて接骨術とカイロプラクティクを勉強して船医の資格をとって、外洋航路の貨物船に乗りこむ。息子の下宿だった深川のアパートを拠点にして、あの船、この船、あの航路、この海、気の向くままに出かけていく。もどってくると色エンピツで通過した海を地図上で塗りつぶす。船医になりたがる医者は少いし、日本の船会社だけが船会社ではないから、アメリカ、イギリス、フランス、いつでも選り取り、見取りで乗りこむことができる。
この時期に会った先生は、すでに遠洋航海を二つこなしたあとだったが、日焼けして贅肉のとれた顔に精悍さがみなぎり、眼に底の入った光があって、かれこれ十五歳ぐらい若返っていた。カウンターにおいてあるのはいつものウィスキーのダブルである。
「海行かば、という歌がありますが」
「水漬《みづ》く屍《かばね》、という」
「お若いのに珍しいですな」
「若くもないですよ。昭和ヒトケタですからね。子供の頃は毎日のように歌わせられたり、歌ったりしてました。ドンガラの御一新以来は御無沙汰してますけど、いつでも歌えますよ」
「ドンガラの御一新とは敗戦ですな」
「そうです」
「目下の私の心境はそのあたりです。海行かば水漬く屍ですが。なるようになれ。野ざらしシャレコウベ、といいますか。そのあたり。しいて言葉にすればそうなる。海の上の行雲流水ですが。これがなかなかよろしくてね。船長も船員もドクター、ドクターといって慕ってくれます。何かといって酒やタバコを差入れしてくれたり、人生相談に来たり、かわいいもんです。人間がいちばんかわいいのは農業社会じゃないかと私は永いあいだ思うておったんですが、船乗りも血が濃くていいですな。めんこいですが」
「いそがしいんですか?」
「ひま。ひまも、ひま。あくびしたら口からおならが出るくらい。船員の怪我なんてたいていバンドエイドですみます。骨折だの、墜落だの、内臓破裂だのというブマをやるのはめったにおりません。毎日が日曜ですわ。私はトルストイの『戦争と平和』、中里介山の『大菩薩峠』、それと『西遊記』、これだけはどこへ行くにも持ちこむことにしています。どれも若いときから最後まで読みとおせなかった本ばかりです。それをこれから老いらくの眼と心でじっくり最後まで読みとおしてやろうと思うとります。なかなかのもんでしょうが」
「どれか最後まで読めましたか」
「これからですが」
「ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』というのもありますよ。誰も最後まで読みとおしていないらしいけれど、二十世紀の傑作ベスト・スリーにはきっと入るという、不思議な本です。文庫一冊きりですから場所をとりませんよ」
「それは買わなくては」
先生はグラスから長い指をはなし、サファリ・ジャケットのポケットから手帖をとりだして、書名を書きこんだ。悠々としているが、いそいそというそぶりでもある。トイレに先生がたつと、あとにプラスチックのペンがころがっている。バーテンダーの内村はそれをとりあげ、先生もやるワ、と呟いてにこにこ笑った。ペンには毛を生やした裸女の画がついていて、ペンをおくとインキがうごいて毛が見えなくなる。ヌード・ショーの店のオマケらしく、≪ヴァンクーヴァー≫とあって、≪ブッシュ・カンパニー≫、店の名と電話番号が入っている。上陸したとき若い船員たちにつれていかれたのであろう。酔歩は蹣跚《まんさん》なりしか。
それ以後、先生は定則なしにネズミの巣に姿をあらわすようになった。一カ月も二カ月も音沙汰なしに過ぎ、某日ふらりとあらわれる。前触れも何もなしにふらりとあらわれる。それから一週間か十日、定刻、定量、定式で儀式をつづけ、またどこかへ消えるといったぐあいであった。よれよれのジーンズのズボンに労働衣のダンガリー・シャツ一枚をひっかけて登場することもあれば、アロハ・シャツを着てることもあり、ときにはリヴァプールあたりの港町の古着屋で見つけたのだろうか、糸も縫目ものびきってよれよれだけれど元は正真、手織りのツイードだったとわかる上着を着てくることもある。ダブルのオールド・パーをちびりちびり噛むようにしてすすりつつ口重に、しかし眼は少年のように輝やかせて呆れたり、驚いたりしつつ、あちらこちらの港町の話をしているのを聞くと、先生の航路の選び方はまったく気まぐれ、風まかせであるらしかった。チリのヴァルパライソの話をしてたかと思うと、アイスランドのレイキャヴィクの話になる。マルセイユ名物のブイヤベースに入れるオニカサゴはとっくにとりつくしてしまったので今はどこか遠いところでとったのを輸入して使っているらしくてがっかりしたが、そんなことをいうならパリのカタツムリはハンガリーから、カエルはポーランドから来てるらしいですが、などという話もまぎれこむ。そうかと思うと、ふいに、コスタ・リカという中米の小国は軍隊をつくらないで国家予算の何と1/3を国民の教育費にしていると聞いた、などという話がほんとうに驚倒しているらしい声音で語られたりもするのである。人としての責務をことごとく果した年齢の人物がヒッピーになったわけだが、小さな事物を語る背後にしばしば鋭くて深い臆測が入っているので、聞いていて飽きない。けっして上手な語り手ではないけれど、あとになって反芻できることが多いので、感じ入らせられる。航海中はほんとに退屈しきっているらしく、持ちこんだ長大作をひたすら桑の葉をむさぼるカイコのように──ただし、いちいち頭をふらずに──読みまくっているらしい。そこで、『千夜一夜物語』とか、『三国志』とか、いずれも完訳本を欠冊なしにプレゼントしてあげたことがあった。カウンターに積みあげられた本の小山の影を見て先生はマスターベーションを見つけられた中学生のような顔で狼狽し、ついで呻めきを洩らした。
「いいんですか、こんなに」
「いいんです、気にしなくて」
「ありがたいですが」
「いいんですよ」
「ありがたいですが」
「………」
本の山をそっと先生のほうへおしやりつつ、ひとつのことを小さく恐れる。『ユリシーズ』をあなたにいわれて買いこんで、船室に持ちこんで、一生懸命読みにかかってますが、あの本のどこが面白いのでしょうか、とたずねられはしまいかと。内心ひやひや。それを……
いつのことであったか。
ある年の早春、どこを航海して帰国したあとだったか、すっかり忘れてしまったけれど、久しぶりに顔を見せた先生と肩を並べて定量を定式ですすっていると、下宿へ来ませんですかといって誘われた。バーテンダーの内村も誘われたのだが、店をあけたばかりだからつぎのチャンスにといって辞退した。戸外へ出てみるとすっかり昏《く》れていて、穢れて衰えた冬の夜が舗道によどんでいた。タクシーで行ったものだからどこをどう辿ったのか、まったく思いだしようがない。どこにでもありそうな下町の、ごみごみした、明るく灯のついた表通りの商店街から折れこんだ暗い裏通りのモルタル張り・二階建のアパートである。外壁につけられた、小さな鉄の階段をのぼっていくと二階の外廊下で、それに面して小さな部屋のドアが並んでいる。どの部屋のまえにもビニールのゴミ袋とか、からっぽの牛乳瓶とか、ラーメン鉢などが、わびしい、荒《すさ》んだ影をつくってほうりだされたままになっている。先生の部屋は六畳と四畳の二室きり。キッチンとも呼べない小さな流しの台があるけれど、トイレは外廊下のつきあたりの共同便所、風呂は銭湯で、という設計であった。おそらくは設計図なしで建てたアパートであり、部屋であった。小型の電気冷蔵庫はあるけれどテレビはなく、四つの壁のうち二つまでは天井近くにまで乱雑に古書と新刊書が積みあげてあるけれど、埃をかぶるままになっている。厚焼きのだし巻卵を折るみたいにして先生は敷きっぱなしの寝床を足と手でぞんざいに二つに折り、そこへ折畳式のチャブ台をおき、ポイポイと二枚の薄っぺらなざぶとんを投げた。そしてどこからかオールド・パーの瓶とグラスを手品のようにひねりだして、トンとおいた。グラスにスコッチをつぎ、タンブラーに冷蔵庫の氷を入れ、水道の水をつぐ、冷蔵庫に電気がかよい、水道栓に水がきてるのが奇異に感じられた。あとは畳も、壁も、窓も、すべて枯死しきっている。枯れて、萎《しな》びて、乾《ひ》からびきっている。つい今朝まで先生が寝ていたはずの万年床までが、枯れて、萎びて、匂いを失っている。古本の山のはずれに手垢と油によごれた水夫袋がたぐまってしゃがみこんでいるが、生きているのはそれだけである。
「人間本来無一物ですが」
まわりを見まわしてぼんやりしているこちらの顔を先生はのぞきこんで、ニヤリと笑い、そんなことを呟く。呟きながらいまさきタクシーをおりてから表通りの商店街で買ったポテト・チップスの袋をピリピリと破った。
「マ、一杯、やりましょ」
グラスにオールド・パーをトクトクと音たてていっぱいにつぐ。そのグラスと氷水を入れたタンブラーだけは精緻な切子模様を剃刀できざみこんだかと思えるくらいの、みごとなクリスタルであった。ためしにふちを爪ではじいてみると、低いけれど澄んだ、冷緻な金属音をひびかせた。この人は歪《いび》つな完全主義者らしいと、あらためて感じさせられた。日頃それとなく感じさせられているのが、にわかに、直下《じきげ》に、胸にきた。
「マ、やりましょ」
「どうも」
「今夜は両人とも李白ですな」
「李白、ね」
「|一杯 一杯 復一杯《イイペイ・イイペイ・フー・イイペイ》ですが」
うだうだとたがいに意想奔出のまま、滴の喋らせるまま喋っているうちに、先生は古本の山か、水夫袋のなかからか、一つのスェード革の革袋をとりだした。そして紐をほどくと、ザラザラと中身をチャブ台にあけた。これが小粒、中粒、大粒のアクアマリンであった。ことごとくアクアマリンであった。それ以外の赤い石もなく、緑の石もなかった。何箇あっただろうか。突然の異化効果にうたれ、眼を奪われて、数えるのを忘れた。女の細い指にいいと思える小粒もあれば、広くて豊かな女の胸に一粒きりですわりこめそうな中粒もあり、ニワトリの卵よりは一回りぐらい小さいかと思えるくらいの大粒もあった。長方形に切ったのもあれば、正方形で切ったのもあり、楕円形に切ったのもある。ふいに部屋に核心ができた。澄みきった淡い青の燦《きら》めきが、壁を、窓を、本を吸収した。苦もなくやすやすと吸収し、吸収したとも見せない。
「……ブラジルのサントス港はコーヒーの積出港ですが。そこにはじめて上陸したときに、しけた質屋のオッサンにこれは船乗りのお守りだよといって、一箇売りつけられたんです。何ということもなく買ったんですけれど、これが病みつきになりましてね。この年になって一切捨棄と思いきめたはずなのに、もう一箇、罠がありましたな。これは一生思いもよらなかったことなので、感動しましたが。こんなものがあるとは知りませんでした。不意打ちです。覚悟の外でした。それからボチボチと港に寄るたびにキュリオ・ショップや宝石屋へ立ち寄るようになりましたが」
「………」
「指輪の台座がついてない、こういう裸石をルースというらしいですが。船乗りは現代でも板子一枚下は地獄と思ってますから、ジンクスから離れられないんです。みんなめいめい何かしらお守りを持ってますよ。この石はきれいな海の水にそっくりなので、昔から船乗りのお守りだったらしいです。これもカットやポリッシュやらで出来はさまざまだし、色もさまざまです。なかには泡の入ったのもありますし、猫の眼のような一本筋の出るのも見たことがあります。私は、マ、気まぐれに見つかるまま買って歩いてるだけなんですが、李朝の壺を買う人もあれば、柿右衛門の皿を集める人もいる。そんなもんです。航海のあいだ船室でこういう石をひねくりまわして光のあそびにうつつをぬかしてるわけです。昔の中国の文人は硯や、筆や、紙に凝ってひとりで書斎でたのしんでました。ブンボウセイガンといいますが。ブンボウは文のボウ、ボウは房ですね。セイガンのセイは清らか。ガンはもてあそぶの玩。文房清玩です。それが私の場合はたまたま硯でもなく、筆でもなく、この石になったというわけです」
そんな成語をはじめて聞かされるので新鮮そのものだった。だまって先生の言葉にうなずきながらチャブ台の石の集群に見とれる。泡の入ったのもなく、猫の瞳の入ったのもないが、どの石もこの石も、煌《きら》めきわたる。指がちょっとふれただけでたちまち切子の面が新しい光をとらえて反射する。淡い青だけれど薄弱な青ではない。つよい、みごとな、張りつめた煌めきの青で底がない。淡いのに強いのである。それでいて暢達《ちようたつ》である。のびのびしている。衰弱や未熟の淡さではない。これは海の色の他の何でもないが、北の海ではなくて、まぎれもなく陽光に輝やく南の海のものであろう。それも深海ではなく、童女の微笑のように日光とたわむれる岸近くのさざ波であろう。プランクトンや、卵や、精のひしめきあいを含んでいるはずなのに一切の混濁と執着を排しきっている。
「……この石は昔から尊重されてたんですが、イギリスのエリザベス女王がネックレースにしてパーティーに出たとか、戴冠式に出たとか、そんなことからブラジルじゃピエドラ・エリザベチ、エリザベスの石と呼ぶようになったとか、聞きましたが。これは夜の光で見ると一層いいです。太平洋でも地中海でもよく私は夜になるとルーム・ライトを消して窓ぎわで眺めとります。マッチやロウソクの火もゆらゆらしていいですが」
先生は立ちあがると電灯を消し、どこからかロウソクを出してくると火をつけて、チャブ台にたて、窓をあけた。衰えかかった、穢れた冬といっても、冬はやっぱり冬である。寒気で思わず首がすくんだ。ロウソクの灯があやうげにゆらゆらし、まばたいた。闇というもののない大都市の夜の光が石を海にした。掌のなかに海があらわれた。はるかな高空から地球を見おろすようであった。掌のなかの夜の海は微風のたびに煌めきわたり、非情な純潔さで輝やいた。線が消えて深淵があらわれ、闇と光耀が一瞬ごとに姿態をかえて格闘しあい、たわむれあい、無言の祝歌が澎湃《ほうはい》とわきあがってくる。厖大な清浄に洗われる。まがいようのない浄福があった。
「文房清玩とはいい言葉ですね」
「さびしいですが、私は」
「清玩とはよくいったもんです」
「さびしいですが、私は。九州者のいっこくでこんな暮しかたをして、石に慰められとるんですが。どうしても血が騒いでならんこともあるです。私はさびしいです。さびしくて、さびしくて、どうもならんです」
先生が呟きながらたちあがって電灯をつけると、海が消えて、掌に青い石がのこった。壁が、窓が、古本が、水夫袋がもどり、先生はチャブ台のまえにすくんで正座している。一瞬、異域がこちらをのぞいた。骸骨がそこにすわっていた。長身で筋肉質の、たくましい肩幅の男の頬から肉が削《そ》げ落ちて大きな穴があいている。髪が薄くなり、額がぬけあがり、頭骨の地肌がむきだしになった。眼窩が凹んで暗い穴になり、眼が爛々と輝やいている。鬼相の輝やきである。酒も乱酔というほどにすすむとしばしばタハ、オモチロイとたわいなく口走っている相手の顔が、一瞬、変貌して、この眼を持つのを見ることがある。しかし、今夜は乱酔などというものではなかった。ほどよい微酔といったところだろうか。飲むというよりは一滴一滴を噛んで砕いて送りこんだにすぎないのである。しかし、先生はすでに形相を変え、体のまわりにはもうもうと陰惨がたちこめている。先生は羞《はに》かむようにして眼をそらしたが、爛々と陰火が輝やいている。肩をふるわせて激情をおさえおさえ、さびしいですが、私は、さびしいですが、といって先生は、すすり泣いた。かすかな声を洩らしているうちに崩壊がはじまったが、先生は大あぐらをかいてそれを支え、うなだれたまま肩をふるわせて声に出して泣いた。はばかることなく声をふるわせて泣きつづけた。手が濡れ、膝が濡れ、毛ばだった古畳に涙はしたたり落ちつづけた。
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玩物喪志
道道無常道
天天小有天
たっぷりと、肉太の、躍動するような筆で書いたそんな対聯《トイレン》が額に入って壁にかかっている。小さな、みすぼらしい菜館の朱壁からあふれだしそうな気迫が一字一字にあって、はじめて一瞥するとたじたじとなりそうである。菜館の店主がいつか雑談のときに説明してくれたところでは、この対聯は清朝末期のある文人の作であって、原典は老子だそうである。ただし、書そのものは台北在住の名書家による。わざわざ店主が台北へ出かけ、何人かの書家を訪ね歩いておなじ二行を書いてもらい、三人めだか四人めだかで、やっと満足できる筆に出会ったのだ、という。
渋谷の料飲街にはたくさんの横丁や、露地や、枝道があり、どれもこれもそっくりなので、けじめのつけようがない。この『随時小吃』という店もその一本のどこかにあり、右隣りが天ぷら屋、左隣りがスパゲッティ屋だというほかこれといった目印になるものは界隈に何もない。おまけにこの店は宴会式の御馳走をだす店ではなく、いわゆる家常菜≠ェ専門だから、店内もひたすらくすんでいてざっかけである。夕刻前のがらんどうのひとときだけを狙って出かけ、汾酒をすすりながらニワトリの足の五香をしっかりきかせた醤油煮込みだの、蹄筋という豚の足の腱の煮物などを一皿か二皿とる。調理も香辛料も徹底的に中国人好みに仕上げてあるところが気に入ってるのだし、何年たってもひたすら頑固一途におなじ味を守っているところが好ましいので、この時刻には他の店にいくことなど、思いもよらない。タバコの脂《やに》や人垢でくすぶった、薄暗い朱壁にもたれて、中国焼酎の滴を舌のあちらこちらにころがしつつ、流れていく表通りの雑踏をうつらうつら眺めるともなく眺めていると、海底の岩の穴にこもった何かのエビになったようである。
そんな時刻は客がなくてひまだから、よくキッチンから店主の李文明氏が出てきて雑談の相手になってくれる。日本語は流暢そのものでよほど幼少のときに日本へつれてこられてずっとここで育ったらしいなと見当はつくのだが、とくに立入って身上話を聞いたことがないので、どんな経験の持主なのか、ほとんど何も知らない。だからといって酒の味をそこなうような気づまりを感じさせられることは何もなく、むしろ気ままにのびのびと振舞うことができるので、何がしかの柔らかい放射能を分泌している人物なのであろう。話題が切れて手持無沙汰になりそうになると、手近の紙きれの裏にいきなり『走馬看花』と書いてみせ、これは馬を走らせつつ花を見ると読めるが、じつはあたふたとせわしいだけの観光旅行のことをいうのだよ、といって笑う。皮肉のみごとさにおどろいて思わず椅子にすわりなおしたくなる。それを見て李文明氏はおだやかに微笑するのだが、チャプスイ屋の初老のおやじの眼に文人があらわれて消える。いつもは、たいてい、前夜の麻雀でしたたかに沈められた話が多いのだが。
「……この対聯の道道無常道という言葉ね。これはもと老子の言葉ですよ。老子の言葉をもじったんです。この世に絶対不変の道、絶対不変の真理などというものはないのだ、というね。しかし、まあ、毎日、ささやかな別天地というものはある、と。だから天天小有天というわけです。料理屋の壁にかける科白としては名言中の名言だということ。もともと老子は、道可道非常道と言ったね。知ってますか。あなたなら知ってるでしょ。道ノ道《イ》ウベキハ常ノ道ニアラズ、というんですよ。口に出して言えるような真理はたいした真理じゃないと、こういうんです。それをもじったのがこの対聯ですワ」
李氏はそこらに落ちていた新聞の折込広告の裏に道可道非常道≠ニ書きつけ、さらにていねいに道ノ道ウベキハ常ノ道ニアラズ≠ニ書き、二つめの道≠ノイウ=A言ウ≠ニルビをふってみせた。どういうものかこの人は教えるのがたくみである。淡々とした口調で説くでもなく、唱えるでもなく、自分に向って話してるのか、他人《ひと》に向って話してるのか、ポツリポツリと話すうちにこちらのこころに静機と動機をさりげなくそろえて出会い≠ワたはほとんどそれに近い感触を生じさせてくれる。醤油と指紋にネトネトまみれたボール・ペンを李氏がおいたところで、そっとその折込広告の紙をとりあげ、ていねいにポケットにしまいこむ。老子がひっそりと重錘《おもり》のようにおりていく。それを見送って焼酎が理屈をつぶやく。すべて経験らしい経験というものも言葉にはならないじゃないか。言葉にしたとたんに灰になるじゃないか。口にできないものは道らしい道、真理らしい真理だけだろうか。
「さきほどからの話だと、道を真理と訳していらっしゃる。道は中国語だとタオ≠チていうんでしょうけれど、これを真理と訳していいものなんですか?」
「あまりまちがっていないと思いますですね。真理はどちらかというと西洋の哲学みたいに聞えますが、現代の人間にはタオというよりわかりやすい。そうではありませんか。中国人がタオと聞いて感ずるところと、日本人がミチと聞いて感ずるところでは、ずいぶんちがうものがあるのじゃないか。中国人自身も北京の中国人と香港の中国人ではタオはタオでもずいぶん解釈がちがうはずです。いや、ひょっとすると、両方ともわかったようでいて何もわかっちゃいないのかもしれない。ことに若い人はそうでしょうね。むしろサンフランシスコとかロンドンに住みついて何代にもなるチャイナ・タウンの老人の中国人ね。たくさんではないけれど。こういう人でないとタオは理解できないのかもしれない。何しろ口にできないのがタオだという。それなら道といおうが真理といおうが、たいして変りはないということになりそうですな」
「昔、中国で、道教の若い修行僧が、道とは何だろうかと考えたけれど、わからない。明けても暮れてもそのことばかり考えたけれど、やっぱりわからない。そこで祖師に、つまり先生ですね、たずねたところ、先生はたったひとこと、行け≠ニ答えたという。そんなエピソードがあるそうですね。いま思いだした」
「それは一つの解釈ですな。一つの解釈としてはそれでいいんです。しかし、十分だとはいえない。けっして道がそれでいいつくされたわけではない。何しろ口で説明できるものじゃないという根本的な問題には何一つとしてふれていない。道の理解はむつかしいものなんだということを語っている点ではその話は賢いし、正しい。けれど、やっぱり口で説明しようとした点ではまちがってる。むつかしいですね。道はむつかしいです」
李氏の眼から博雅が消え、辛辣がちらとうごいて消えた。真摯であろうとするための朦朧があらわれた。氏はうなだれて茶をすすりすすり考えこんだけれど、汾酒のグラスがからになるあいだに解答は浮上しそうになかった。酒からも、皿からも。壁からも。ネズミの巣のような店内に文字だけが竜の不屈さで渦動し、飛翔しようとしている。
ある日。
いつものように映画を見たあと、夕刻前にこの店に入り、ネギをニンニク味噌にまぶしたのを齧《か》じりつつ汾酒をちびちびすすって沈澱していると、初老の中国人が一人、入ってきた。男は張源徳といって李氏の老朋友だということだったが、骨と皮だけといってよいくらいやせこけている。ただし、骨組だけはいかついほどたくましく発達している。張は隅の席にこっそりすわってうなだれ、ときどき大きな吐息をついて、茶をすすった。李氏は向いあってすわり、低い声をかけたり、茶をついでやったりしたが、張はのろのろうなずくだけで、眼をあげることもできないでいる。そこへいきなり似た年配の女が入ってきて、甲ン[#小さな「ン」]高い声を張りあげてののしりはじめた。背の低い、小肥りの、髪をひっつめにした、醜い女であった。それが卓をたたいたり、唾をとばしたり、身ぶるいして張の茶碗をひったくって床へたたきつけたりして、荒れに荒れた。ひっきりなしに顔をまッ赤にして眼を血走らせて叫びたてる。茶碗のほかにコップがあるのを見ると素速くとって投げた。阿鼻叫喚≠ニいいたくなるような、怒脹ぶりである。李氏がおろおろととりなそうとするけれど耳に入れる気配がない。張はさいごまでうなだれたきりでひとことも抗議しようとせず、ののしられるまま、吠えられるままになっている。とうとう女は壁に貼りついたようになっている張の肩に両手をかけて力いっぱいひき剥がし、ひったてるようにして店を出ていった。
「どうしたんです?」
「麻雀で負けたんですよ」
李氏が床に散らばった茶碗のかけらをひろいつつ苦笑まじりに説明してくれる。張源徳は腕のいい料理人で日頃はまじめだし、よく働くのだが、ときどき発作が出る。賭博である。麻雀である。それも骨がらみの、負ければ負けるだけとことんまで、アリジゴクにころがり落ちるような打ちかたに没頭する癖が、やめられない。ここ五日間、彼は家業のラーメン屋の店をしめて連日連夜、打ちに打ちつづけ、とうとう店の権利書まで持出して台にのせた。そして、自分の店で働いているコックにそれをとられてしまったのだという。明日から張はポジションがあべこべになり、自分がキッチンに入って料理をつくり、コックが帳場に出てきて会計をやったり、客席をまわり歩いて註文をとったりするのだという。さっき荒れ狂っていたのは張の古女房で、家にいたたまれなくなって飛びだした張をここまで追ってきたのだそうである。
「奥さんにしてみると無理もないですな」
「ナニ、よくあることですよ。これがはじめてではないんです。これまでに二度やってます。そのうち張が勝負に勝てばいいんです。あれは勝負に夢中になりはするけれど、バクチの腕そのものはいいんです。一年もキッチンで豚の骨をゴトゴト炊《た》いてたら店をとりかえすでしょう。コックのほうもそれを承知なんです。いい仲ですよ、二人は。慣れあいでもつれあってるんです。男ならわかる。女には我慢できないでしょうな」
手荒い、したたかなものをひそめてはいるけれど淡々とした口調で李文明氏はそんなことをいい、二、三人の客が入ってきたのを見てキッチンへ消えた。木は不幸ではない。冬の木は葉を落して素裸かもしれないけれど、不幸ではあるまい。そう言いきったかのようであった。
唐辛子のような猛妻にひきずられて張源徳はしおしおと店を出ていった。悲惨とも滑稽ともつかない後姿だが、剽悍《ひようかん》な憂鬱といいたいものが一抹漂っている。おそらくはのしかかるような日々の辛苦、それを二十年、三十年とかさねたあげくやっとの思いで手に入れたにちがいない店を居抜きのままで麻雀台にのせる、そんな旺盛な、めちゃなのめりこみぶりが、うらやましかった。コックと二人して慣れあいでかわりばんこに店をやりとりしてるんだという李氏の表現は話を面白くするための誇張だろうけれど、事実はそれからさほど遠くはあるまい。とすれば、意外な場所でめずらしい光景を見たという気持になってくる。いつ頃から忘れたのか、期待しなくなったのか、それすら思いだせなくなっている稀れなものを見せつけられた思いがする。
この店の壁には腰板が張りめぐらしてあるが、椅子に腰をおろしてもたれると、ちょうど肩のところでそれが終る。そこから上は天井まで朱壁である。客が朱壁に頭をつけるものだから、その部分だけ丸くずず黒くなる。壁には一列にこの黒い頭の影が席の数だけついている。朱壁は洗ったり拭かれたりすることがないので、毎年、頭の影は濃くなるばかりである。三カ月から半年、海外へ出かけ、しばらくぶりで帰国してこの店に入ると、一瞥で影がこちらを見てうなずく。いつもの席に腰をおろし、朱壁に頭をもたれさせると、後頭部がなじみの枕の凹みにしっとり吸いこまれるように壁にとけこむのが感じられる。この店に何となくかようようになってから、何年にもなるが、いつもおなじ席なので、ときどき後頭部で影の画を描くのにふけっているような気持になる。誰に教えたこともなく、誰かをつれてくることもなく、いつもひとりきりで来る隠れ家のようなものである。
「今日は面白いものがあるよ」
「何かしら」
「アヒルの足の皮」
「それはいいな」
「いいところへ来たよ、あなた」
どこへ消えていたのだ、何をしていたのだなど、ひとこともたずねることなく、李文明氏はちょっとはしゃいだ顔つきで薄暗いキッチンからアヒルの足の皮を皿に入れて持ってくる。ちょうど足袋か手袋でもぬがすようにアヒルの足からきれいに皮を剥ぎとったものである。べろべろとしたそれにマスタードと酢をまぶして口にはこぶと、コリコリと歯ごたえがあって、汾酒がすすむ。
朱壁にもたれて飲んだりたべたりしながら記憶を反芻している。終ったばかりの旅さきでの見聞や経験を反芻している。ときどき出版社や新聞社から臨時の移動特派員だという身分証明書を発行してもらって出かけることもあるが、原稿は現場から送るので、帰国後は自由になれる。しかし、そうなると、小説家がめざめる。現場では記者と小説家が同行二人で行動してめいめいの書くものをとりあいしたり、ゆずりあったり、迷ったりするが、帰国と同時に記者は消える。小説家は経験から作品のネタをひろうのだという意識を持ってはいけないが捨ててもいけないと知っている。作品はだまっていると寄ってくるが呼べば逃げるものである。経験という果実はつぶして、砕いて、形を失わせてから酒にしなければならないが、いつ頃まで寝かせればいいか。それがわかるようでいてわからないことである。何年たってもうまくつかめないのでくたびれる。
とらえようのない不安と焦躁がいつもある。青い火にちろちろとあぶりたてられるようで、どこにいてもじっとしていられない。独楽《こま》のように回転しつづけなければたちまち倒れてしまう。ふつうの人なら就職や結婚といっしょにうやむやで消せるか、昇華できるはずのものが、三十代に入っても、四十代に入ってもつづいている。放浪をはじめた頃は海外で日本人が何人か集る席に顔をだすと、たいてい最年少だったものだが、近頃ではしばしば一座の最年長者になっていることに気がついて、たじたじとなる。ものをいいかけてふとだまりこんでしまうことが多いのである。それでいて年とともに火花は飛びにくくなり、引火はにぶくなり、受胎も跳躍も遠ざかる。経験は反芻されるばかりで、日夜、噛みこなされ、呼びもどされ、すりつぶされる。酒にはむやみに強くなったけれど、ただそれだけのことで、遅かれ早かれ、肝臓に罅《ひび》が入ることだろう。こわばって、紫色になり、乾《ひ》からびる。
暗がりにうずくまるものがあるけれど、そしてそれは外部へ出たがっているらしいけれど、形が見えない。戸口がわからない。戸口をあける鍵がどこへいったか。潜熱があって膚《はだ》の下でくすぶっているけれど発揚のしようがない。一言半句をつかめば懈怠《けたい》の胸苦しさも分解の恐怖も霧散するはずだが、バーで乱酔しても、町をほっつき歩いても、映画館の煌めく光と言葉の闇にも見つからない。スリが堅気人の服装をして家を出るようにして、ほとんど毎日のように妻子をおいて家を出てくるけれど、一言もかすめとれず、半句もポケットに入れないで、空手《からて》のままで家へもどる。そんな言葉で説明したのではなかったけれど、某日、やはり夕刻前のひととき、キッチンから出てきて茶をいっしょにしてくれた李文明氏に問わず語りに、窮境を語ったことがある。触媒≠ニいう字を紙きれに書いて化学現象としてのそれをわかりやすく説明したつもりである。
「酢はそのままだといつまでも酢のままです。しかし、それに何かまったくべつのものをふれさせる。近づける。熱くしてふれさせたりする。そうしたら酢がコロッと醤油になる。酒になる。酢にそういうことがあるとしてのたとえ話ですけれどね。鉛がプラチナに変ったり、銅が金になったり。たとえてみればそういうことなんです。そういう変化を起させる物を触媒というんですが。これが見つからなくて困っている。心の触媒がね。だから小説が書けない。書きたいことはあるらしいんだけれど酢のままでいるんです。近頃じゃ酢のままで腐りかかってきた。だからここで汾酒を飲んでる。明白《ミンパイ》(わかる)?」
「明白。明白」
李氏は穢れた歯を見せて微笑し、しばらくそのままでジャスミン茶をすすっていたが、立ってキッチンに消えた。五分もしないうちによれよれのトイレット・ペーパーにくるんだ、小さな物を持ってくる。ペーパーを剥ぐと、古綿があらわれ、そのなかから深紅の長方形の石があらわれた。いつか華僑仲間の広東出身の友人が金を借りに来たことがあり、抵当の代りにといってこの石をおいていったきりになっている。友人はさんざん苦労をしたけれど日本では芽が出ないとあきらめをつけ、シャトルへ引越していった。ときどき手紙がきて借金のことを謝っているが、もともと返してもらえる期待はしていなかったので、いまさら追及する気にはなれない。これはアルマンダイン・ガーネットという石だそうだが、自分は宝石に興味がないのでどれくらいの値がするのか、見当のつけようもない。これをしばらく貸してあげよう。こういう美しい物を眺めていたら何か気持が動くかもしれないよ。心が変るかもしれないよ。
「ショクバイというのか。それになるかもしれない。酢がスープに変るかもしれない。やってみなければわからないことじゃありませんか。それで小説が書けたら私にも一冊下さい。読んでみる。たのしみにしてるよ。友達は、これはいい石だといっていた」
長年月にわたって間断なく働いてきたらしい、節《ふし》くれだった、荒《すさ》んだ初老の指で李氏は石をそっとつまみあげ、よれよれの古綿でていねいにくるんだ。ついでそれを皺だらけの安物のトイレット・ペーパーでゆっくりとくるみ、二重、三重に折ってから、卓上をすべらせてこちらへよこした。思いがけなさにうたれ、燦光にたじたじとならされ、しばらく自失して声がだせなかった。
「……しかし」
声がしゃがれそうになる。
「しかしですね。こんな貴重品を貸して頂くのはうれしいですが、石を傷つけたらどうします。落すかもしれないし、汚すかもしれない。そうなると、とりかえしがつかない。どうしていいかわかりませんね」
李氏は静かに微笑し、重そうな手を持ちあげて、ゆっくりとふった。そしてしなやかな日本語で手短にこういうことを言った。これまであなたからときどき外国旅行の話を聞いた。それは愉しいことだったが、あなたはあちらこちらの国でずいぶん見ず知らずの人に助けてもらってる。町でも田舎でも通りがかりの人に助けてもらってらっしゃるようだ。どうやらあなたは星も人もよくて何かしらそんな気を人に起させるらしい。その人たちは人間を見る眼があったといってよろしい。それなら私もおなじことをしていいわけだ。私は自分の眼を信ずることにした。そんないいかたは大袈裟か。とにかくしばらくこの石で遊んでごらんなさい。それでも気になるというのなら三日おきか四日おきぐらいに店へ顔を見せに来たらいいじゃないですか。
その日の夜から核ができた。赤い核が意識のどこかにできて、消えなくなった。どこへ出かけて何をしてもついてまわり、明滅することをやめなかった。かさばった物のなかに入れたらポケットに入れても忘れることがあるまいと思いついたのでスェード革の古風な小袋を買い、トイレット・ペーパーにくるんだままでそのなかに入れて持歩くことにした。どれくらい高価な石なのか見当のつけようもないが、くたくたのトイレット・ペーパーと古綿にぞんざいにくるんだだけというあたり、李文明氏の痛烈と皮肉を思い知らされるようだが、ときどき笑いだしたくなる。夜ふけの書斎や白昼の公園のベンチで人眼を憚《はばか》りつつそっと古綿をとりのけ、深紅の燦光が手のなかで煌めきわたるのを見るたび、声と呼吸を呑みたくなるのだが、日と夜がたちまちそこへ収斂されきっていくのを感ずる。同時に開花するものがあって、晴朗に、明澄にあてどなく心を飛翔させてくれもする。石は深遠な暗赤をぎっしりつめこまれて針一本たてるすきもないくらい劇的な意志がひしめきあっているが、鋭い切子のさまざまな面で光がたわむれるとき、可憐、謙虚、清純などの顔を見せられることもある。書斎をまっ暗にしてロウソクで照らしてみたり、マッチで照らしてみたりすると、光がゆらめいて不定なので、思いがけない切子の面に思いがけない閃光があらわれたり、消えたりする。その幻戯ぶりの精妙と即興は見ていて飽きることがなかった。
これはいつかあったことだという記憶がやっとそこでよみがえってきた。これはいわゆるデジャ・ヴュ(既視感)ではなかった。ずいぶん以前に深川のほうのモルタル張りの貧寒をきわめたアパートの一室で高田先生が何箇となくアクアマリンを一閑張《いつかんば》りの机にならべて文房清玩≠ニいう言葉を教えてくれたことを思いだす。昔の中国の文人や書家が書斎に筆や硯や墨を集めて遊んだことをさす言葉だということであった。それを高田先生は海水青色の石で遊ぶのだった。清玩するのだった。壺や画を集める人がいるのだから、石を集める人があっても不思議ではあるまい。ことにアクアマリンという石は夜の光を、みごとにとらえて変貌する特質があるので、遠洋航海に出て月明の夜になると船医室の灯をすべて消して窓ぎわに石を持ちだして幻戯を愉しむことにしてあるのだということであった。あの一夜のことを、二十余年も昔のことを、まるで昨夜のことのように今まざまざと思いだす。いつとなく独楽《こま》のようにいそがしく回転しはじめてしじゅう海外へ出かけるようになり、あのオガ屑をまいたバーから遠ざかるようになって、忘れるともなく忘れてしまったことだが、いつか黄昏どきにいってみると、開発≠フブルドーザーがかかってその界隈は建物も、道路も、風景も一変してしまっていた。もちろん酒場は消滅してしまったが、バーテンダーから転居の通知も何ももらわなかったので、行方がわからない。つぎの週におぼろな記憶をたよりに先生のアパートを訪れてみたが、いきつくこともできなかった。バーテンダーも、先生も、剃刀も、石も、ことごとく消えてしまったのだ。先生は掌《て》のなかの海へ消えたのだ。
このガーネットは目方にしてどれくらいあるのか。方形に近い長方形にカットされ、四つの縁辺に斜面の鋭い切子が二重、三重にカットされていて、反射光が影をつくってかさなりあう。全体の大きさはウズラの卵の長径ぐらいあって、ズッシリと冷澄に、深厚に重い。裏をかえすと豊かなふくらみの三角錐になり、無数の小さな方形の切子面がきざまれていて四方八方に惜しむことなく燦光を散乱させる。これを清玩するとはおそらく石が語るまま、訴えるまま、精緻をきわめた気まぐれで喚起してくる像をだまってうけとって、追って、たわむれることかと思われる。その心の無碍《むげ》のうつろいにうつつをぬかして自失するままにゆだねることかと思われる。すでに最初の夜に第一撃の忘我が消えたあとで、東南アジアの夕焼空があらわれた。あそこでは短いけれど燦爛たる黄昏が見られ、毎日、宮殿が炎上するのである。空いっぱいに火と血が流れ、紫、金、真紅、紺青、あらゆる光彩がその日の最後の精力をふるって氾濫するのである。豪奢、燦爛、凄壮とそれは移っていき、最後に乱雲の裂けめに一抹の痛惨を輝やかせ、気がついたときには夜となっている。緯度の高い北方の国では長い、長い淡麗な黄昏が夜の十時、十一時になってもつづくけれど、この石の内蔵するような劇は見られない。水田に、ジャングルに、水牛の背に巨大な青銅盤を一撃したあとのふるえのようなものが音もなくこだまする。無数のツバメとコウモリが乱舞しつつ夜へすべりこんでいく。北国の夏の黄昏になじんだ眼には、それは、はじまったとたんに終る。気がついて熟視しようと眼をすえつけたときにはもう消えているのである。
緋色の研究の第一課はこうしてバンコックの夕焼空からはじまったのだが、石をなぶっているうちにどの切子の反射が命中したのだろうか、思いがけない赤を思いだした。闘魚の体にあらわれる赤である。この魚はベタと呼ばれ、せいぜい五センチから六センチくらいの小魚だが、産卵期になると雄に激しい闘志があらわれる。雄は背鰭《せびれ》、尾鰭、腹鰭が房のように旗のように発達して、ちょっと見たところでは可憐で優雅である。しかし、雄と雄が出会って闘志がこみあげてくると、見る見る体色が変る。赤も青も毒々しいほどにギラついてきて、それが二匹、からみあい、もつれあい、たがいに捨身になって鰭を噛みちぎりあうのである。最後には小さなボロぎれのようになってゆらゆらと水底に落ちていく。闘鶏、闘犬、闘虫と、南国人気質は思いつくままになけなしの金を賭けて一発勝負に熱狂するが、ベタも動員される。それは蹴爪に研ぎ澄ました刃を結びつけて蹴りあうシャモ(軍鶏)の決闘のように羽が散乱したり、血がほとばしったり、声を張りあげて叫びあったりするものではなく、澄んだ水中での無言劇である。ある豪邸に夕刻近くに招かれて出かけてみると、ハイビスカスとブーゲンヴィリアのたわわな鉢植えにかこまれた大理石のテラスに小さな木の桶が二つ置かれてあって、主人と客がにこやかに談笑しつつビールを飲んでいた。二人とも純白のトロピカル・スーツ姿である。桶の内壁と底にはたっぷりと肉厚に漆《うるし》が塗られ、赤と黒、二つある。赤い桶には青のベタ、黒の桶には赤のベタが泳いでいる。ときどき下男が小網で魚をすくって二匹をいっしょにしてみるのだが、衝突が起らなければもとの桶へもどしてやる。そうやって魚が闘志を起すまでいつまでも主客の二人はビールを飲んでおっとりと、静かに、談笑にふけるのである。これくらい優雅で静謐な賭博はちょっとほかに想像できない。
桶は惜しみなく漆を塗りこみ、盛りあげてあってみごとな出来栄えのものだった。そこへ爛熟しきった空の燦爛が射すのでちょっと木製品とは見えない照りと艶が輝やくのである。魚の闘志の発色の鮮烈さはすでにべつの場所で実見してあるので、それが起れば赤の桶であれ、黒の桶であれ、繚乱の閃光はさぞや……と声を呑みたい気がするのだが、その日はとうとう決闘は起らなかった。
「ここ二、三日、犬のノミをたっぷり食べさせたのにどうしたんだろうな。近頃はミミズもノミも高くなってなかなか手に入らなくなって困る。わが国も近代化が進んできたんだな」
「おれの家でもノミ屋を呼んでね。しっかり食べさせたんだよ。何といってもベタには犬のノミが一番さ。いろいろな意見を聞くんだけど、やっぱりベタにはノミさ。しかも狂犬にとりついていたノミだ。狂犬のノミを持ってこいと言っといたんだが、むつかしいと言ってな」
主人と客はゆっくりした、端正な英語でそんなことをいいあって、おだやかな笑声をたてた。空から最後の光彩がなだれ落ち、白壁、大理石、チーク材の柱、漆桶、二人の紳士の顔と胸、すべてが赤ぶどう酒を浴びたように輝やいている。顔が青血に染まりながら白い歯を見せて笑っている。
心臓や糖尿の患者がしじゅう薬を持歩くようにどこへ出かけるにも石を入れた革袋を持っていく。心の強化剤なのだと思えば何でもないことだし、この石にうつつをぬかしてやるのだと思いきめたからには当然そうなるのだった。公園のしらちゃけきった、きびしい白昼光でも、駅のトイレの死んだ蛙の腹みたいな蒼白い蛍光灯の光でも石が気稟をまったく損傷されることなくあらわれてくるところを見ると、そのたびにほのぼのとなる。むすぼれた思いをほどかれて眼が吸われ、のびのびと遊びはじめるのを感ずる。鉛が金に変るような効果はまだあらわれていないけれど、東南アジアの壮烈な夕焼を思いおこすことができたし、闘魚に犬のノミを食べさせることで強くするのだという、信じられるような、られないような細部、歳月の赤錆に蔽われつくしていたそんな記憶を発掘できたのは思いがけない収穫だといえた。あれはほんとの話なのだろうか。暗みがかった黄昏の大理石のテラスにひびいた二人の元大臣だという紳士の笑声は聞きまちがいではなかっただろうか。アンダマン海の小島で南洋玉と呼ばれる真珠で一波乱を企らもうとシロチョウ貝を養殖しているもう一人別の紳士の別荘に招待されたとき、毎夜、あたりが暗くなると別荘のまわりに四、五羽のアヒルを放すのを見た。アヒルは一晩中つれだって鳴きかわしつつ別荘のまわりを歩くのだが、それはキング・コブラを防ぐためだとのことであった。アヒルは毒蛇を恐れて声をたてるけれど、毒蛇は毒蛇でアヒルの雲古にふれて火傷するのを恐れて近づかないのだという説明を聞かされた。これが信じられるようなら闘魚が犬のノミで強化されるなどはやすやすと信じられることだといえそうであるが……
何日かして、李文明氏に会いにいく。三日おきか四日おきぐらいに顔を見せにくればいいじゃないかといわれたのでその約束を守ったつもりである。丁寧に礼をいって、石をスェード革袋に入れたのを見せると、氏はたいそうよろこんだ。いろいろと忘れていたことを思いだすことができるので、これは料理でいえば材料を買い集めにかかったのとおなじことになるだろうか。そういうと氏の眼に喜色があらわれて輝やいた。そこでいつもの汾酒はやめて竹葉青で乾杯することにした。これは竹の葉のリキャールで少し甘いけれど上品な淡白さがあって、ねばつかない。46度くらいの酒精度がある。氏は麻雀となると眼が細くなるが酒はほとんど飲まないのでグラスに半分ぐらいついでちびちびとすすった。いつか教えられた『道可道非常道』という句を紙きれに書いてわたす。
「宝石を見ていて味わう感動もこれだね。口に出しちゃダメだとわかった。口で説明できるものでもないしね。だまって眺めているだけでいいんだ。だまって手にとって眺めていると石がひとりで語ってくれる。そんなもんですよ。口に出して喋ると走馬看花になりそうです。よくわかりました」
「よい作品が書けるといいね」
「時間がかかりそうですね」
「いつまでも石は持っていていいよ」
「ありがとう」
舌に爽やかな竹の香りをのこして酒の滴が落ちていき、どこかで砕けて花となる。ほのぼのとしたあたたかさが昇ってくる。細脈をつたって、腹や、胸や、肩に、うるんだ靄《もや》がひろがりはじめる。若わかしい夜が表通りから流れこみ、煤けた朱壁から漂い、どこかで童女が声を殺してはしゃぐかのように感じられる。
石はつめたい。凛と張りつめて冷澄である。そこにみなぎる赤は濃くて暗くて、核心部はほとんど闇である。深沈とした激情と見える。どれだけ透かしてみても、泡、亀裂、罅《ひび》、引っ掻き傷など、何もない。石そのもののどこかに明るさがあり、のびやかな華と感じられるが、照り、艶、カット、色価、全体としての石品の何からくるものだろうか。指の腹で愛撫していると、カットの鋭さがヒリヒリとこたえて、いよいよ冷澄に感じられる。石化した焔である。氷の血ともいえようか。しかし、ある朝、革袋からとりだしたとき、なにげなく指でふれると、たちまち曇りがあらわれ、こまかい霜を吹いたようになった。色がくすんだ朱に変った。おやと思って眼を凝らすと、瞬後に曇りは散って、晴れて、朱のくすみが消えた。それは二度と発現しなかった。指の腹で何度撫でてみても、あたたかい息を吐きかけてみても、氷河の雪どけ水の青白い河のなかに明滅するサケの腹は、その婚姻色は、ふたたびあらわれようとしなかった。それは一瞬あらわれ、たちまち消えてしまったけれど、喚起されたものはその日一日じゅうつづき、つぎの日もつづき、花粉のようにつきまとってはなれようとしなかった。ヌシャガク河が石に内蔵されていて、満々とたたえられていたのが、流れ出てきたのだった。
東京駅。パリの北駅。ニューヨークのグランド・セントラル・ステーション。ほかにもたくさんの始発駅がある。アラスカのアンカレッジにもそれが一つあることはあるのだが、すべての始発駅にあるものが何もなく、そのかわりどこにも見られないものが一つあり、それは何度見ても慣れることができないし、飽きるのもむつかしい。この駅には高くて広い丸屋根もなければ、改札口もなく、レストランもなければ、新聞売場もない。むきだしの戸外に細長いコンクリートの台があって線路があり、枕木と枕木のあいだにワスレナグサやファイヤ・ウィード(ヤナギラン)が咲いている。貨物車の引込線は何本もあるが、そのなかに川が一本、流れているのである。これは小さな、浅い川で、どこでも歩いてわたれそうである。海は眼をあげるとついそこに見える。暗くて、静かで、荒寥としたクック入江である。六月になるとこの小川が動脈になる。海が赤い血と、精力と、栄養をおしあげにかかるのである。無数のサケが背を露出してつぎからつぎへとさかのぼってくるのである。川に入ったときサケは切ったばかりの銀のような色と艶で輝やき、まるまるとイルカのように太っているが、川をさかのぼりはじめると、たちまち婚姻色で赤くなる。日がたつにつれてそれは暗い、深い朱に変る。浅い川を何十匹、何百匹とつながって波を蹴たてて突進し、突進しつづけ、昼も夜も切れることがない。そうなると川は血の逆流する血管である。不安をおぼえるほど鮮烈で、荒あらしく、渦がしぶきをたて、形をおぼえられない。
アラスカ南東部の内奥にはいくつとなく河が流れているが、ヌシャガク河はその一つである。無数の支流を呑みこむのでそれは浅くて狭い上流から下っていくと、どんどん太くなり、広くなり、深くなる。その流域は何百平方キロ当り人口がゼロである。クマ、ムース、カリブー、ビーヴァー、カワウソなどが棲みたいように棲んでいるだけで、道路もなければ村もない。アルミの平底舟に乗りこみ、背後に食料品やテントを満載したゴム・ボートをロープでつなぎ、ゆるゆると気ままに下っていくと、海の近くの河口あたりに小さなインディアンの集落をひとつ見かけたが、それまでの一週間ほど、両岸に人の姿を見なかったし、動物のうごく姿も見えなかった。しかし、岸や川中島にはいたるところに新鮮な足跡があり、糞がある。夜営するときには岸からサケを追っぱらい、食料品はテントの外へ出し、茂みのなかを歩くときは口笛を吹いたり、咳払いをしたり、すべてクマを寄せつけないための工夫だとされているのだが、どれだけの効果があるのかわからない。スリーピング・バグの枕もとに毎夜、六発の弾丸をつめた大型の拳銃をおいて寝る。その弾丸の三発は軟頭、あとの三発は硬頭で、一発ずつ交互に充填してあり、軟頭弾はクマの体に大穴をあけるため、硬頭弾は貫通するためだと説明される。それだけ聞くとたのもしいようだけれど、寝込みをおそわれてテントにクマが侵入してきたとき、いわれたとおりに操作できるかどうか。たとえ拳銃をとりあげて、撃鉄を起して、グリップをしっかりにぎって、引金をひけたとしても、せいぜいのところ自分の足か腹を射つぐらいのことではあるまいか。第一、スリーピング・バグに首までもぐりこんで眠りこんでいるのに一瞬でどうやって体を起したらいいのか。それさえわからないではないか。
キング・サーモンのシーズンは終りかかっているが、シルヴァー・サーモンとレッド・サーモンの旅団の先発隊があちらこちらの浅瀬で、跳ねたり、くねったり、もぐったり、追っかけっこにふけったりしていた。そういう穴場にいきあわせると、青い川のなかに赤い川ができたかのようである。サケはめいめい種族の大義、生涯にたった一回のそれを果そうと夢中だから、その放列の頭上をボートで下っていってもびくともしない。手をのばせばつかみとれそうである。シルヴァーやレッドは集団で暮す魚だからどれもこれもおなじ大きさなので、それが数知れず行列をつくっているのを見ると、釣るよりも眠くなってくる。一匹釣っても、二匹釣っても、それを逃してやっても、行列は切れたと見えないし、穴があいたとも見えない。放埒なまでの生の氾濫である。海と、川と、森の精力の底知れなさに茫然となるばかりである。ときどきニジマスが釣れたり、アークティック・チャーが釣れたりするが、ためしにナイフで腹を開いてみると、食道にサケの卵がギッシリと目白押しにつまっているのがわかる。岸近くでよろよろしているキングにこっそり近づいてみると、その背後のちょっとはなれたところにチャー(イワナ)がいて、しぶとく、流れ落ちる卵を食べようと待ちかまえているのが見える。岸にうちあげられたサケの死体にはハエがたかって無数のウジがどろどろの肉のなかにひしめきあっている。それを水に落すとウジたちが乱舞するが、たちまち無数の小魚が集ってきて争いあって食べにかかる。その小魚にはサケ、マス、イワナの幼魚紋であるパー・マークがくっきりとついているので、死んだサケの一代前のサケの子供たちではないかと思える。サケは親を知らないで生まれ、子供を見ずに死ぬ魚である。サケの死体はウジをつくりだすけれど、さまざまな栄養に分解して川へ流れ、プランクトンを生みだし、川をミルクの流れに変えるのであろう。それを食べて仔魚が育ち、海へ旅立っていく。川は土を養い、草を育て、木をはぐくむ。その木は風に倒れて腐って土を養い、キノコを育て、虫を集め、その虫を食べる鳥やネズミをふやして、森を看護する。一切が連関しあい、もつれあい、からみあい、生は循環しあって、増もないが、減もない。質と量は恒存する。形が変るだけである。それがまざまざと肉眼で見える。輪廻は肉視できる。朱が発端であり、終焉であった。
ここに一軒の中華料理店があったとして、もし料理の味がよくなかったなら、客はどんな反応を示すだろうか。アメリカ人ならさんざん叱言《こごと》を並べたあげく、勘定をきちんと払い、チップもおいて、出ていくだろう。フランス人なら勘定は払うけれど、チップはおくまい。中国人なら叱言だけさんざん並べるけれど、勘定も払わず、チップもおかずに出ていく。日本人は叱言をいわずに勘定をきちんと払い、チップもおいて出ていくが、二度とその店にはもどってこない。という冗談があるのだが。李文明氏は、機嫌よく笑いながらそんな話をした。また、中国人は材料を徹底的に料理にするのであって、その徹底ぶりからするとフランス料理はムダばかりである。もったいない、といいたくなる。中華料理には残飯≠ニか屑≠ネどというものはないのだ。というような話である。
汾酒をすすりながらそんな話にしきりにうなずいているところへ張源徳が入ってきて同席した。今日の張は水浸りの藁《わら》のようにくたびれてしょんぼりし、先日ちらと横顔にも見せた剽悍な憂鬱はひとかけらもあらわれていない。日本語が不自由らしいので李文明が通訳してくれたところによると、あれからずっと自分の店のキッチンに入ってコックとして働いているのだとのことである。それ自体は苦にならないし、もともと彼はコックだったわけだから仕事はお手のものだが、年齢がひびいて手がしびれて困る。鍋の柄がしっかりにぎれないのだ。これが今までに味わったことのない経験なので、にわかに苦痛が心身にこたえる。いい年をしてバカをやったものだと、つくづく思う。いつになったら店をとり返せるだろうか。それもまたまた麻雀によるしかないと、ハッキリわかっていることだ。しかし、あんな大賭けをもう一回やるだけの気力と体力があるのだろうか。それを考えると心細くていてもたってもいられなくなる、と洩らすのだった。李文明はしきりに茶をすすめたり、肩を叩いてはげましてやったりするが、張は事物から剥離して蒼ざめている。覇気の余燼などという煙りのようなものは肩からも胸からもたっていない。自己破壊のやみくもな衝動からのめりこんでいったにせよ、やっぱり覇気は覇気であるはずだ。そのはずだった、と思うのだが。
「この男は上海から香港へ逃げてきたんです。香港のあっちこっちの料理店で働いて、それから東京へ逃げてきて、はじめは屋台をひいてラーメン屋をやった。それが苦労のあげくに小さいけれど店一軒が持てるようになった。その店を麻雀に賭けるんですからな。お話にも何もなったもんじゃない。日頃は酒も、タバコも、女も、何もやらないんですが、麻雀というやつ。これが命とりですわ」
「それにしてもやるもんだな。えらい気力だ。私なんかそう思うな。いっそみごとじゃないか。やることが徹底してるよ。そこまでなりふりかまわずに、何であれ、うちこめるなんて。うらやましいくらいのもんだ。あっぱれだ」
「中国人にはよくこういうのがいる。途中から引返すということができないんですわ。イデオロギーに狂う。女に狂う。金に狂う。昔は将軍から乞食までが阿片に狂ったね。一度ハメをはずしたらどこまでもいっちまう。君子が中庸を尊ばないんだね。こんなことがあるから中国人はいつまでも盆上の散砂だといわれる。バラバラの砂なんですな。それがわかってるからお上《かみ》はギュウギュウしめあげにかかる。すると、反抗するやつがでてきて一騒動やらかす、というわけです」
李文明が自分の意見を述べながらときどき通訳をする。いっそ徹底していてみごとなもんだというところを訳して伝えると、それまでうなだれるきりだった張源徳がやっと顔をあげ、ひきつれたように微笑した。励まされたと感じたのだろうか。傷のような皺と昆虫じみた忍苦にまみれた初老の顔にかすかなやわらかさがひろがる。ぬかるみに黄昏の光が射すのを見るようであった。意外に優しい眼をしている。
しばらくして二人と別れ、店を出て、夕刻の人ごみを押されるままに歩いていくと、一軒の酒屋が在庫一掃、特別投売りと、あばれたような字を出しているのを見た。狭い店内に入ってみるとコニャックやスコッチのあの瓶にもこの瓶にも新値段のカードがついている。それにまじってシャトォ・ヌフ・デュ・パープの一瓶が眼についた。カードを見ると、二度、三度と値段が書きなおされていて、いかにも棚ざらしで持てあましたらしい気配である。おそろしく安い値になっていて、やけくそじみている。蒸溜酒はタフだからいいけれど、ぶどう酒は瓶のなかで息づいているのだから、棚ざらしの瓶は避けたほうがいい。しかし、酒の悲鳴が聞えそうなくらいの安値と、冷やしたら何とかいけるかもしれないと思ったのとで、買いとることにした。その店を出て二、三歩行ってから、ポケットの革袋を思いだして、ふいにわきたつような、そそのかされるような興味をおぼえた。アルマンダイン・ガーネットの深紅とこのぶどう酒の明晰な鮮紅とを明るい灯のなかでくらべあってみたらどうだろうか、と思いたったのである。家の書斎の灯よりは酒場の灯のほうがいいかもしれない。もう酒場通いをやめてから何年にもなるし、店の噂さも聞かなくなっているが、銀座に一軒ぐらいはまだのこっているだろう。と思って、タクシーで銀座へ出て、表通りから折れ、露地を二つほどぬけて、心おぼえのドアにたどりつく。店内に入ってみると、水族館のような薄暗いなかで、顔を知らない、若いバーテンダーが氷を割ったり、グラスをみがいたりして夜の準備にかかっていた。ママは八時半頃にくるでしょうとの返事である。映画を見て時間をつぶして出直すからそれまでこの瓶を冷蔵庫で冷やしておいてくれと短い置手紙をして店を出る。
九時半頃におなじドアを押して入ってみると、穴蔵はすっかり化粧を終って夜の箱に変っていた。小型のシャンデリアに明るい灯が入って燦めき、ペイズリー模様を織りだしたドイツ製のカーペットがこぼれた反射をしっとりと吸いとり、何人かの若い娘がにぎやかな笑声をたてて雑談にふけっている。カウンターのなかで中年すぎの女が豊麗な和服を輝やかせ、老眼鏡をかけて帳簿をしらべている。こちらを一瞥した女の顔に笑いがさざめき、鳥の影より素速い手つきで眼鏡をとって胸もとにかくした。
「お珍しいわね」
「Long-Time-No-See-You だ」
「ぶどう酒はよく冷えてます」
「ありがとう」
「ジン・トニックはやめたの?」
「ちょっと赤の研究をしていてね」
「そう」
「ぶどう酒の色を忘れそうになったんで」
「お酒の色だけかしら」
カーペットを踏んですみっこの席へいき、腰をおろす。女が中背だけれど堂々と肉のついた体をはこんできて向いあってすわる。バーテンダーがやってきて、あまり手慣れない手つきでデュ・パープの栓をぬき、グラスを二つおいて消える。女が酒瓶をとりあげてグラスにつぎ、つぎ終りしなにさりげなくキュッと瓶の首を外側へひねって最後の滴をこぼさずに器用に瓶へもどした。二十年からの習練である。
「いまの眼鏡は?」
「熟年のただのアクセサリーよ」
「変ったな」
「何もかもね」
「客筋も変っただろうね」
「すっかり」
「いまは誰が来てる?」
「SFコミックバイオレンスって、とこかしら」
「昔の連中は?」
「点鬼簿っていうのかしら」
「あちら岸だな」
「みなさん引越しちゃって」
ふと女が眼を伏せると、シャンデリアから一滴か二滴の光が落ち、瞼の膚の荒れがまざまざと見えた。眼じりにも首すじにも見慣れない小皺がナイフの傷痕のようにくっきりとついている。十年前ぐらいの最盛時にはいつ見ても不屈といいたいほどの精悍がつやつやと膩《あぶら》光りしていたのに萎凋《いちよう》はいまそこかしこに露出している。その席からはついさきほど灯をしっとり吸いとって底光りしていると見えたカーペットからペイズリー模様がすり切れてもうちょっとで底糸の織目を見せそうになっているのがわかる。あちらの壁ぎわ、こちらのボックス席に穴があいている。そこで笑ったり、歌ったり、怒ったりしていた誰彼の顔が見える。作家や、評論家や、編集者たちが夜な夜なここで開花したり、消耗したり、口論したり、握手したり、瞬間、瞬間に開閉していたのだが、一人消え、二人去り、いま何人が、誰が生きのこっているものやら。数えようもない。お通夜に来たような。墓参に来たような。うそ寒いとも、懐しいともつかない、暗い潮がさしてくるのを感ずる。
「お酒、飲みましょうよ」
「うむ」
しかし、デュ・パープはそこなわれていた。飲むまでもなかった。女がグラスについだときに傷が眼に見えた。色が褪《あ》せかかっているのである。古い血の褐色がかった濁りがそこかしこにさらけだされている。それは舌のうえでザラつき、いやな酸っぱさやほろにがさが目立ち、力を失って荒んでいる。これまでに何度か味わったことのあるこの酒は若い女の太腿のようにつやつやと張りきって豊満なのに、なめらかで、まろやかであり、くどさがなかった。その鮮紅は明澄な夕陽のように輝やきわたり、閃めきに底深さがあって、見とれずにはいられないものだった。しかし、この、何年となく棚ざらしにほっておかれて萎《しお》れてしまった酒はやっきになってこうではない、こんなはずではないと、一滴ごとに思いこませるので、かえって記憶がよみがえってくる。あてどはないし、手ごたえもないのだが、誇張に一途に走ってしまいたくなる逆効果の功徳があった。これがレッテルどおりの名品だったらそんな渇えが生ずることはなかったと思われる。
河岸っぷち、坂の上、公園の横、大学の裏と、行くたびに泊る宿は変ったけれど、川の左岸の学生町ということではいつもおなじだった。夏でも冬でもどうしてかそれはおなじで、この界隈には何かのびのびでき、落着けるものがあって、はなれられなかった。タクシーが橋をわたってサン・ミシェル通りに入っていくと、いつも、あたたかい音楽が血管のなかにわきたつのを感じさせられる。しかし、このラテン区の一隅で暮した日々にはどことなく海岸の岩に出たり入ったりしている虫に似たところがあった。日中はひたすら下宿のベッドのなかで寝てすごし、食事時になると服を着て外出するが、食べ終るとそのまま下宿にもどって眠りこけた。ときどき美術館まで乗物代を節約するために遠い距離を歩いていってまた歩いてもどってくるのだが、歩きながら睡気で体重が増えそうになる。夜になると眼をさまして外出し、手近のキャフェでちびちびぶどう酒をすすって何時間もすわったままですごすか、そうでなかったらあてどなく街を歩きまわるかしてすごした。夜ふけの古くて冷めたい石の森のなかに終夜営業のキャフェの赤い灯を見つけて一杯か二杯をすするのは、長くて、くねって、とめどない文章のところどころに句読点をうつようなことであった。いまほの暗い遠方にあざやかな赤い光点を見るが、それはキャフェの灯であり、カウンターにおいたぶどう酒の風船玉《バロン》グラスであろう。
だらしなく中年太りした一人の男の姿態に見とれて半日から一日を公園のベンチですごしたことがある。この男が公園に出てきて稼ぐのはもっぱら夏だったから、二夏か三夏、毎日のように公園にかよったものだった。公園には各国からの観光旅行団がつぎつぎとやってくるが、男はカエルのはいった金魚鉢を持ってそれをじっと待ちうける。いいところでのろのろと出ていき、道のまんなかに立ち、苔の生えた舌をぺろりと出してみせる。観光客たちが何だろうと思ってまわりをとりかこむ。男は金魚鉢からカエルをとりだし、ゆっくりと舌にのせ、一息に呑みこんでみせる。呑みこむときには眼を一度|剥《む》きだして白黒させる。それから右手をあげ、手刀にして、腹をうつ。とたんに口からおびただしい水といっしょにカエルがとびだし、道の上に吐きだされる。男はカエルをつまみとって金魚鉢にもどすと胃液をていねいに洗ってやり、それからぬっと手をだして観光客から小銭を集めてまわり、ていねいに一礼して、植込みのかげに消える。これを男は終始だまりこんだきりでやるのである。はじめのうちは唖なのかと思ったけれど、ある日、公園からちょっとはなれたキャフェでカウンターに金魚鉢をのせ、主人と談笑しつつビールを飲んでいるのを見かけたことがある。この世の何もかもを徹底的に侮蔑しきったその動作と表情、しかもその露骨をいささか品はわるいけれど優雅のしぐさで柔らげている身ぶり、これは何度見ても小気味がよかった。局部でタバコを吹かす秘密クラブの女よりもよほど洗練されている。地下鉄の構内でバッハを弾く青年のような胸苦しさがない。歩道にチョークでマリアの顔を描く女画家よりはるかに巧みである。ガソリンを呑みこんで口から長い焔にして吹きだすジプシー男とくらべてみても、このなまけものは、ありふれていないという点で、やはり傑出していた。
毎夜、キャフェへ出かけて、呆《ほう》けてすごす。客や、給仕や、店の主人の動きを鮮紅色の風船玉グラスごしに眺め、じわじわと酒を吸いこんで海綿のように湿めってふくらむ。入ってくる客や出ていく客の顔を見て短篇や長篇の一部をつくったり、会話を考えたり、その顔がどうかしたはずみに思いがけない表情を見せると作品が瓦解するのでまたはじめから組みたてなおしにかかったり。何もかも渚の漂流物のように形を失っててんでんばらばらに投げだされたまま中年に向って日ごとに流されつつあるけど、こんなことでどうなるのだろうか、と考えてみたり。忘れてみたり。裏通りの暗くて冷めたい壁にできた赤い穴。と呼ぶしかないような、こういう酒場では、ときどき変人や奇人に出会うものだが、そのうち一人の老人と顔見知りになって、口をききあうようになった。老人は毎夜おなじ時刻にあらわれ、おなじ席にすわり、おなじリキャールを一杯だけすすって、よろよろと消える。冷めたい茴香《ういきよう》の匂いのツンツンとたつその安酒を老人は丁重そのものといった手つきで氷水で割り、ちびちびと舐めるようにすする。影に細い手と足がついたといいたくなるような枯れかただが、穢れた壁にもたれたところを見ると、青い瞳が薄れて水っぽくなり、淡い輪郭の線がのこっているだけである。生れたのはムードンのあたりだけれど、五歳のときにこの町内へ引越してきて住みつき、以後ここから出たことがない。職人奉公をして仕立屋の仕事をおぼえ、一人前になって独立して自分の店を持つようになったけれど、この町内から出ないですごしてきた。表通りにときどき出ることはあるけれど、セーヌ川は見たことがない。人の噂さに聞くだけである。この年になるまで汽車に乗ったことがない。飛行機に乗ったこともない。
「セーヌ川を見たことがない?!」
「ないね」
「一度も?」
「一度も」
「いま、おいくつになります?」
「七十五歳だよ」
古くなって、だぶだぶになり、あちらこちら伸びたり、たるんだりしてはいるけれど着心地のよさそうなツイードの服にくるまれ、老人は壁にもたれて、奇声をあげる日本人の小説家を愉快そうな眼で眺める。背が曲って、手がふるえているが、自尊にみちて、堂々としたそぶりである。
地下のトイレで用をすませて螺旋階段をあがってくると、店の主人がくわえタバコをして、コントワールのなかで新聞を読んでいる。シャツをめくりあげたその肘のあたりを指で突いて、低い声で、あの老人はセーヌ川を見たことがないと言ってるが、というと、主人はちらと眼をあげて壁ぎわの老人を眺め、大きくうなずいた。
「たぶんそうだろうよ。うちには毎晩お見えだがね。昔はああいう人がよくいたみたいだね。近頃はすっかりいなくなった。昔はよくいたらしいよ。昔はね」
主人はそういうと体を起して冷蔵庫のドアをひらいた。そして剛毛が生えたままのイノシシの足を一本ひっぱりだすと、指であちらこちら押して肉の熟れかたをしらべ、もとどおりに奥へおしこんでドアをしめ、新聞にもどった。キャフェの主人が老人を眺める眼が軽視でもなければ侮辱ではさらさらになく、むしろ尊敬に近いものであることに気がついた。
席にもどって老人とさしむかいで椅子にすわったけれど、新鮮で素朴な驚きがぴくぴくしてとまらない。セーヌ川はここから歩けば五分もかからないうちに坂をおりきって河岸へ出られる。だのに老人は七十年も見たことがないというのだ。この界隈には食品店、衣料店、靴店、レストラン、雑貨文房具店、何でもある。日常生活に必要な物は何でも買える。ただ寝起きするだけ、棲むだけというのならたしかにこの町内でやっていける。しかし、東京で隅田川を見ないで一生をすごす人がいると聞いてもさほどのことはないけれど、ここは、パリは、はるかに小さくて狭い市である。坂がどこにでもあるが、どの坂でもいいから思いつくままにとって道なりにおりていったらセーヌ川に出るという構図である。それなのに老人は七十年間も一つの町内で、井戸の底のような裏通りで、自分の足に寄生した何かの茸として服地を切ったり縫ったりしてすごしてきただけというのだ。この停滞というか、沈澱というか、ここには何かがありそうである。爛熟をくぐって永いゆるやかな下降と懈怠にさしかかっていながら死滅することもできないでいる生体が想像できないだろうか。自分の足で体重がはこべないまでに発育してしまった何か。動物でもなければ植物でもない、分類と解釈を拒む何か。部屋のなかでじっとしていられないのが人間の不幸だという感想をたしかパスカルが洩らしていて、それはそのとおりだとうなずくしかない心がしばしばあるが、その不幸を拒みとおした結果をこの老人に見るのではあるまいか。
毎夜このキャフェにかよい、おなじ時刻におなじ席にすわって、老人がぶるぶる震える手でリキャールを割るのを眺めつづけた。給仕が長いグラスに1/4ほど黄いろくねっとりした茴香酒を入れてくる。老人はそれに氷を二箇入れ、カラフの水をそそぐ。乳黄色になった液がグラスの八分目まできたところでぴたりと止める。鋭い茴香のひきしまった匂いが黄昏の鈴音のようにたちのぼる。赤ぶどう酒をすすりながらその香りを嗅ぐのはささやかな愉しみのひとつだが、その赤は地下の樽から移したばかりで、アルジェリア産の赤がまぜてあるので腰がしっかりしているというのが店の主人の批評である。名無し正宗も舌や鼻や歯茎がなじんでみるとそれでなくてはさびしいということになってくる。
「あなたは東京から来たのか?」
「そうです。東京です」
「ここから遠いね」
「ちょっと遠いですな」
「こわくなかったかな?」
「え?」
「飛行機がこわくないか?」
「ときどきこわくなりますね」
「東京にはいったことがない。ニューヨークもいったことがない。しかし、人の噂さによると、いそがしい都だという。たぶん東京もニューヨークも犬の都なんだな。現代生活というのは犬の生活だよ。みんな犬になって暮してるんだ。パリは猫の都さ。そうだったんだ。永いあいだ猫の都だったのさ。私は猫の生活をしてきたんだよ。今じゃ何もかも変ってしまって、パリも猫から犬になった。そんなぐらいの変化だ」
嘆くでもなく、怨むでもない、ゆっくりとした口調で老人は呟く。リキャールを一滴一滴噛むように単語を口ごもって選び選び呟くのである。そしてある晩、ポケットから小さなナイフぐらいの木のきれっぱしをとりだし、お守りにするがよいといって、手にのせてくれた。いやなこと、厄介なこと、危険なことがあったらいそいでこれにさわるといいと、いうのだった。字も像もきざんでない、ただの木片だが、暗がりで老人の指でみがきあげられてつるつるに光っている。もう何年持歩いているかわからないくらいだと、いう。
「あなたにお守りが必要だったんですか」
「私は永生きしたよ」
いささか即興の皮肉をいったつもりだったが、老人は短くそう断言したきりであった。その口調の底深さに感じ入らせられるものがあった。激しい温度ではないが、心身をほぐすあたたかい湯がわきあがってくるのを感じさせられた。
「帰ろうかな」
「一杯しか飲んでないわよ」
「一杯の半分さ」
「赤の勉強だとかはどうなったの?」
「十分にしたよ」
「だまりこくってたわね」
「秘すれば花、とかいうよ」
「つぎはいつお見えになるかしら?」
「元気でいてくれ、マ」
たちあがると、女もたちあがる。肩のあたりに一抹の怨みが漂っているようだけれど、眼は裸のままである。情事は気遠いほどに遠い記憶になってしまった。汗を散らしておたがいにむさぼりあった肉の親昵《しんじつ》は余熱も靄《もや》ものこしていない。揺れるものもない。光るものもない。
たまたま書店で買った宝石の小さな本にガーネットのことが短く出ている。それによると、ガーネット≠ニいうのは一種類の石のことではなくてグループの名だとのことである。緑色をしたデマントイドという石や、翡翠色のグロッシュラーライトなどという石もこの石の仲間になっているそうである。和名は柘榴石。一月の誕生石。石言葉は忠誠≠ニか、誠実=B昔から尊重されてきた石であって、十字軍の兵士たちは傷の流血から守ってくれる魔力があるとして指輪などにすることを好んだという。主産地はインド、ブラジル、スリランカ、マダガスカルなど。とくにこの石をカボション・カットにしたものはカーバンクル≠ニ呼ばれる。これはカットの図案で見ると銀杏《ぎんなん》にそっくりの長楕円形の仕上げであって、丸い背はすべすべして切子が何もつくってない。そういうシンプルな細工のことである。
これはまったくの暗合であり偶然であったが、手もとのホルヘ・ルイス・ボルヘスの『幻獣辞典』という本を読んでいるとカーバンクルのことが出てくる。この本は古今の伝説や、神話や、文学作品に登場する想像上の動物についての記述を網羅したもので、どこから読んでもいい、気ままな散歩を愉しめる書物である。この本のなかでボルヘスはカーバンクル≠フことを≪小さな石炭≫という意味のラテン語を語源とし、石としてはルビーをさすが、古代人にとってはガーネットのことだったとしている。ただしどれくらいの古代か。いつ頃の時代のことか。それは不明である。カーバンクル≠ヘ十六世紀の南米ではコンキスタドールのあいだで富と幸運をもたらす宝石、ただし竜の脳のなかにある宝石なので誰も見たことのない石だとされていたらしい。それも竜が生きているうちに首を切り落すのでないかぎり宝石として固まることがないというのだから、厄介である。この伝説にひかれてバルコ・センテネラというスペインの探険家はパラグァイ河の流域とジャングルを狩猟して歩いたけれど、とうとう一頭にも出会えなかったそうである。
ボルヘスからもとの小さな宝石の本にもどって、ルビーのことを読んでみると、末尾に一行、昔は赤い石なら何でもルビーと呼んでいたものだ、とある。これまた、どれくらいの昔≠フことなのか、不明である。近年は健忘症がはげしくなり、地名、人名、書物の名、日附など、かたっぱしから忘れるばかりで、そのことをくやしいともいらだたしいとも感じないというおめでたさである。ドイツ語もフランス語もすっかり忘れてしまって赤錆まみれのままである。しかし、昔、マルコ・ポーロの『東方見聞録』を読んだときにたしか巨大なルビーのことが語ってあったな、とおぼろげながら思いだした。このあたり、李文明の石から放射能が出ていてそれに刺激されたのだとしか思えない。そこで書棚を掘りさがしてみると、『東方見聞録』が出てきたので、さっそく調べにかかった。すると、やっぱりそのルビーのことが出ていて平凡社の『東洋文庫』版のうちの(2)の一六七頁である。
それによるとマルコ・ポーロは中国からの帰途にあちらこちらに寄港したが、セイロン島にも立寄り、そこで島の王様の所有する巨大なルビーを目撃したことになっている。長さが約一パーム(手首から指頭まで・手いっぱいの長さ)、厚さが男の腕くらいある石≠ナ、燃えるような真紅に輝やき、鵜の毛で突いたほどの瑕《きず》もない名品だったとのことである。元朝のフビライ汗がこの石の名声を聞き、都市一個分に相当する価格を払うから譲ってくれないかと使者を派遣して交渉させたけれど、島の王は祖先伝来の秘宝だからといってことわったと、ある。セイロン島とは現在のスリランカのことだが、この島では二〇〇〇年間にわたって切れめなくありとあらゆる種類の、しかも上質の宝石を産出し、出ないのはダイヤとエメラルドぐらいとされている。古代の宮殿のある部屋の壁に穴をあけてトパーズか何かの宝石をはめこみ、明りとりの小窓から射す日光をその石にあたるようにしたら、部屋全体が宝石の反射で明るくなったという伝説があるくらいで、その石はもうなくなったけれど、壁の穴はそのまま残っているそうである。そんな豊産ぶりなのだから、今から七〇〇年前ぐらいの、まだあまり掘り荒していなかった頃なら、ルビーも掌いっぱいくらいのものは出ていただろうと思いたい。ただし、この石、やっぱりルビーと呼ばれているけれど、ほんとにルビーだったのか。それともガーネットだったのか。あるいは他の何かの赤い石だったのか。その点は一切不明であるし、知りようもないことである。どんなカットだったのか。仕上げだったのか。美わしき物見し人は早く死す、と言った詩人があったが、マルコ・ポーロは七十歳まで生きた。
『道道無常道』の達筆の下に李文明と二人してすわりこみ、雑談にふけっているところへ、張源徳がそろりと入ってきて、同席する。今日の張はいささかはしゃいでいて、喜色が顔に射し、よく喋る。李の訳してくれたところでは、昨夜遅く女房の眼をかすめてコックと他二名の華僑仲間で一卓をかこんだところ、もののみごとに大三元をつくることができて、いささか溜飲が下ったとのことである。コックはこの道ではなかなかの辣腕で、自分でいい手をつくるよりは他人にいい手をつくらせないことに長じているのだが、あとの二人に油断があった。そこを突いて成功したのだとのことであった。それじゃドンブリ鉢の二十個か三十個くらいは取りもどせたか、何はとまれ、おめでとうと、軽く握手してやったが、張はさほど嬉しそうではない。彼にしてみると、心身を焼きつくす、いてもたってもいられない一点張りの地獄賭けでなければ勝負とはいえないという気質なのだから、ドンブリ鉢三十個くらいでは、とても満足なんかしていられないということなのだろう。
そこへどうしたことか、せかせかとした足どりで張の女房が入ってきた。これはまったくの偶然であったらしく、デパートへ買物に来た帰りにちょっと立寄ってみたんだとのことで、李文明に向って、先日カッとなって茶碗やコップを叩き割ったことをくどいくらい何度も謝って頭をさげた。張は女房の顔を見たとたんに収縮し、眼も、口も、眉もいっせいに閉じてしまった。彼はだまりこんで天井を眺めたり、茶をすすったりしてもぞもぞしていたが、そのうちキッチンへ消えてしまった。しばらくすると何か料理を盛った皿を持ってそろそろと出てくると、食べてみないかといって、すすめてくれる。キッチンへ入ったところ魚の頭が二、三個あったので、その鰓蓋《えらぶた》をひらいて赤いギザギザをとりだし、ありあわせの菜ッ葉といっしょにきざんで炒めてみたんだという。紙きれに『禿肺』と書いてみせる。
「いい腕をしてる」
「なかなかのもんでしょう」
「うまい。みごとだ」
「この男の病気は麻雀だけなんです。つまらないものを料理することにかけちゃ仲間でも評判の人物なんですわ。安物を御馳走にする天才です。私だっていつも感心するんです。惜しい男ですよ。東京の最高級ホテルの師傅にだってなれるんです。それはもうきわめつきです。だけどね、病気があるかぎり、ちょっと無理でしょうな。牌をにぎったら最後ですわ」
李文明がいたましいような、皮肉なような顔つきで説明する。張源徳はむっつりした眼つきで茶をすすり、指の割れた爪をじっと眺めている。九連宝燈の手でも考えているのだろうか。
汾酒を二杯だけすすって二人と別れる。夕刻の上げ潮のような雑踏にまぎれこんでぶらぶら歩いていくと、こないだデュ・パープを買った酒屋がまだ投売りのビラを張りめぐらしているのが眼についたが、店内の品数がさほど減ったようには見えない。そのちょっとさきで交通事故があったらしく、二台の小型自動車が大破したままでからみあっている。ガラスの細片が水晶の粉のように散乱し、血が何滴か光っている。発生してからちょっと時間がたったところらしくて、車体、タイヤ、ガラス屑など、すべてが形の内部に閉じこめられてうずくまっている。夕刻の暗みがかった光のなかで血の滴だけが生《なま》のままで輝やいているが、あとしばらくで形のなかへ引揚げることだろう。どの滴も中心が暗く、深く、濃くて、ガーネットにそっくりだけれど、匂いがたつほどおびただしくはないので、凶《まが》々しさが淡い。血には甘いような、淫らなような、ねっとりとした匂いがあり、すぐに腐敗する。腐敗が進行すると、それはとろけた肉や脂肪などとまじって屍液となるが、これは暗褐色をしている。棺のすみっこからその屍液がしたたり落ちるところは粘液である。重い玉が細い糸をひいてゆっくりと下降し、床にふれてはじけ、新しい玉が重錘《おもり》のようにひっそりと、ゆっくりと、下降にかかる。玉がはじけるたびに甘い、むかむかする屍臭が四散し、それにふれると涙が出てくる。
緋色の研究をしてみようか。
サイゴンの隣町に大きくて、広くて、ごみごみと旺盛な中華町があり、チョロンとか、ショロンなどと呼ばれたが、そこの裏通りの学校でテロがあった。中年のバナナ売りの女が若者二人を護衛にして教室へかけこみ、ピストルを乱射して男女四人の先生を射って消えたのである。わかっているのはそれだけで、背景も動機も、何もわからないし、消防車、警察、新聞記者、見物人、誰もまだあらわれていなかった。しかし、四人の射たれた先生の体はどこかへはこびだされたあとだった。スープの鍋、米飯を盛ったアルミの鍋、茶碗、箸、割れた眼鏡、女物のちびたサンダルなどが散乱し、タイル床におびただしい血があった。それは血というよりは何かのねばねばした、亜熱帯の白昼光のなかで暗紅色に輝やく、こんもりとした塊りである。一人分の血塊とするには多すぎるかと見える分量である。頭を射たれるとひどい血が流れ、胃を射たれると長時間苦しめられるなどと、当時誰彼によく聞かされたものだったが、何かの動物の死体かと思いたくなるくらい盛りあげられたこの血塊にはたじたじとなった。露骨で、不屈で、荒あらしかった。小さな教室にはすでに変質しかかった、ねっとりした血臭がたちこめ、食べさしの茶碗には六分目ほど飯が入っているが、それにも血がしぶいて、赤いお茶漬けになっている。血塊はおそらくすぐに褪せて、乾いて、いやな匂いをたてる煮こごりといった物になるはずだが、いまは異形の輝やきであり、氾濫であって、無意識の力がみなぎっている。
研究はまだある。
どこでも市場のまえにはちょっとした広場があるものだが、サイゴン市場にも小さなロン・ポアン(丸い点)≠ェあった。日頃はここにむっちりとうるんだ日光がみなぎり、バナナの皮や魚の尾が散らばり、あらゆる種類の果実、野菜、肉などが塩漬けの魚の匂いにまじってうごく、にぎやかな小広場である。しかし、学生や僧侶のデモがあると、その隊はきっとここになだれこむ習慣があって、そうなると野戦警察が出動して催涙弾、機関銃、棍棒が行使され、悲鳴と叫びの渦となる。ときには僧侶がガソリンをかぶって焼身供養≠することもあり、僧院が反政府闘争をやっているあいだは毎日のように真偽いずれともつかない焼身の噂さが流れる。そうなるとリポーターとしてはほとんど毎日のようにここへやってきてとぼしい芝生に寝ころんで待機しなければならない。
ある朝の未明、五時すぎ、ここで一人のヴェトコンの学生が銃殺された。学生は地雷、手榴弾、指令書、宣伝ビラなどを自転車ではこんでいるところを警察に逮捕され、軍事法廷の即決裁判で死刑ときまったのだった。見物人のなかにまじった学生の同志たちが手榴弾や迫撃砲で妨害に出るかもしれないというので、広場にはタンク二台、TV放送車一台、消防車一台、大型軍用トラック一台が出動し、完全武装した落下傘部隊と武装警察が広場に走りこむさまざまの通りを身うごきならないくらい封鎖した。鉄道会社の壁へコの字型に高く砂袋が積みあげられ、その中心に柱が一本たてられ、白シャツ姿のやせこけた、裸足の学生がその柱へ後手に縛られ、黒い布で眼かくしをされる。トラックの屋根におかれた投光器からギラギラと光が走るなかで十人の正装した憲兵が銃をかまえる。引金がひかれると学生の首、胸、腹などにいくつもの小さな黒い穴があき、血がひくひくしながらいっせいに流れだして、腿を浸し、膝を浸す。学生はうなだれたままゆっくりと頭を二度か三度ふる。将校が、拳銃で一発、こめかみを射つ。学生は静止する。蒼白い、裸足の囚人たちが何人かで柱から学生をほどき、ビニールを敷きつめた棺によこたえ、蓋をし、釘をうちこむ。消防車が水をまく。砂袋と柱がトラックへはこびこまれる。投光器のライトが消える。おびただしい疲労が空から落ちてくるのを感じた。熱い汗が全身に吹きだし、膝がふるえ、むかむかと嘔気におそわれた。その場にたっていられないくらい膝と足がふるえてとまろうとしない。嘔気をこらえこらえあたりを何となく歩きまわって震えを散らす。身震いはすぐにとまったけれど、疲労は消えなかった。それは全身に澱んで、たまって、からみつき、手も足もうごかすのがけだるくてならなかった。何かが粉塵に粉砕された感触が濃くあったけれど、まさぐりようがなかった。足をひきずりひきずり腐臭のたちこめる裏通りを歩いてホテルにもどり、一時間ほどぼんやりすごして夜が明けきるのを待ち、もう一度、現場へもどってみた。すでに広場では濃いガスをたててホンダが走り、三輪車が走り、ルノー4CVがドアを針金で縛りつけて走っていたが、凸凹の割栗石のあいだには未明の水がたまり、血が煙りか糸のようにもつれあって沈んでいるのが見えた。
午前五時すぎの闇のなかにギラギラするライトが走り、それに照らされると、やせこけた、薄い学生の体から流れる血は黒く見えた。流れ落ちていくうちにときどき鮮烈な赤が閃めいて見える。これが密林になると、やっぱり黒く見える。あまりにも濃密に木が茂りあっていて、日光がさえぎられてしまうのである。たまたま木洩れ陽に直射されると、それはオリーヴ・グリーンの野戦服のしたからむくむくわきだす鮮紅の流れだが、そうでない場所によこたわった兵士たちは水でぐしょ濡れのように見えた。時間がたって夕闇が土から、幹から、葉から海のようにじわじわと沁みだし、あたりが薄暗くなってくると、兵たちはあちらこちらでも水浸しのように見えてくる。いっせいに銃口をそろえて待ちかまえるゲリラの射程内に踏みこんで四方八方から乱射されたのが正午過ぎであったが、そのときは一大隊二〇〇人がいたはずだが、すでに無数の木にあいだを裂かれててんでんばらばらになっていた。それから以後は、三人、五人とかたまって右から射たれたら左へ逃げ、左から射たれたら右の地べたへころがりして、逃げまわった。無線兵が大後方の前哨陣地に連絡して地図をしらべしらべ大砲の援護射撃をたのみ、上空を飛びまわる偵察機には発煙筒の煙りを目印にしてロケットをたたきこんでくれるようたのんだりするのだが、ゲリラとこちらがあまりにくっつきすぎているために、榴弾やロケット弾はどちらの兵を殺しているのかわからなかった。そのうちニューズを聞きつけたスカイレーダー戦闘爆撃機がやってきて密林の梢すれすれに飛び、機関砲を乱射しつつナパーム弾を投下したこともあった。この爆弾は平地をごろごろころがりつつ中身の燃焼液を噴出し、スプレイし、それで広い面積を無差別に焼きつくすように作られている。それがジャングルに投下されると木にさえぎられてころがることができないから一カ所にひっかかって盛大な焚火をするくらいのことで終る。直撃弾でも浴びるのでないかぎりあまり効果はないのではあるまいかと思われる。
木の葉一枚一枚をゲリラの眼だと思え。うごくものはすべて敵だと思え。音をたてるものはすべて敵だと思え。そういう鉄則があるから合図はすべてだまったまま眼と指でサインしあう。固い、ひきしまった地べたにつみかさなった枯葉のうえを肘でひっそりと這いつつ、動悸と呼吸をおさえおさえ、まえをいく兵の靴裏を舐《な》めるようにして、右へにじり寄り、左へうごきする。ときどき木の根もとによこたわったきりになっている負傷兵にぶつかる。ジッポのライターをとりだし、そっと蓋をひらいてタバコに火をつけ、手渡してやろうとするが、兵の黒い眼は見開いてはいるもののすでに乾いた膜をかぶったみたいになっていて身うごきもせず、呼吸もしない。腹が大破して内臓がせりだして、落ちている。軍医が衛生兵をつれてやっぱり肘で這いよってくると、注射を射ったり、消毒したり、日附と処置をカードに書きつけたのを負傷兵の首に紐でかけてやっては、つぎの兵をめざして這っていく。密林の戦闘では弾丸が木の幹にあたってくるくる回転しつつ飛んでくるから、それにえぐられると、ひどい、醜怪な傷口がひらく。内臓がむくむくとはみだしたところは一瞥では魚屋のモツ桶を覗くようである。しかし、震えも出ず、嘔気も起らなかったのは奇妙であった。兵たちはそれを両手でおさえ、呻めきも叫びもせず、じわじわと顔が蒼白くなって、眼が乾いていった。日頃は安月給にもだえつつも、よく笑い、淋病にかかり、コオロギの喧嘩に我を忘れてはしゃぎあうのに、まるで日なたぼっこする人のようにひっそりとだまったままで彼らは落ちていった。
室外で石を見るときには朝の十一時前後の日光がいい。晴れているに越したことはないけれど雨上りのあとの外光がいい。室内で見るなら北に面した窓ぎわがいい。画を見るのとおなじである。そんなことを書いた宝石の本を読むとその場でたちあがって石を持って庭へ出た。また前日から雨が上るのを待ちかまえて翌朝の十一時頃に庭へ出て、洗いたての日光に石をかざしてあらゆる方向から透《す》かして見た。もう二カ月になるだろうか。この赤い石が毎日の核になってから、朝となく夜となく、室内と室外を問わず、見たくなれば革袋からとりだして見惚れてきた。書斎で堂々と眺めたし、ホテルのロビーでこっそりと眺めた。公園でも駅のトイレでもとりだして、撫でたり、さすったりした。電灯、シャンデリア、マッチ、ロウソク、ライター、思いつくかぎりの光で切子がどう顔を変えるか、そのたわむれぶりを見てきたのである。そしてそのたび魔法のランプをこするようにたちあらわれる緋色のイメージを玩味してきた。どんな短篇の、長篇の、どんな部分にそれらのイメージを使ったらいいか、ほとんど何も考えられなかったし、工夫もできなかった。光景は石から出てきてそのまま揮発するか、石へもどっていくかした。連想は飛躍し、明滅し、湧きだすのも収縮するのもつねに一瞬で、しかもどんなときにもけっしておしつけがましさがないので、湧くまま、消えるままに見送り、後追いしなかったことを悔いるこころはうごいたことがなかった。この石を何かの触媒にしたかったのならそれは失敗だった。
ある日の午後、デパートへ出かけて商品券を買い、贈答用の桐箱に入れてもらうと、それを持って李文明に会いにいき、革袋といっしょに手渡して手厚く礼をいった。今日は張源徳もあらわれず、その女房も見えず、店は薄暗くひっそりしていたので、李は悠々とした顔つきだった。石のおかげでいろいろと忘れていたことを思いだすことができた。そのあいだ自身を強くなったと感ずることができた。しかし、思いだしたことをとりこんで作品に仕立てるには時間がかかる、ということを述べると、李は注意深いまなざしで聞きこんでから顔をあげた。
「料理でいえば材料はいろいろと手にいれたけれど、鍋に入れるのはこれからだ。いつかそんなことを聞きましたな。あれからちょっと時間がたつけれど、それなら、竜の画は描いたけれど眼をまだ描いていないと。そういうことになりますか?」
「いいたとえ話です。しかし、現実にはどうもあべこべのようですよ。私は竜の眼ばかりを見てきたんです。体や、足や、爪や、雲なんかをあまり見なかった。そんな気がしますね。これからそれを考えなきゃいけない。雲のなかから竜をおびきだして鱗を一枚一枚描きこんでいかなければならない。たいへんですわ」
「石はいつでも貸してあげます。私が持っていてもしかたないんでね。いつでも来て下さい。気がねなしにおっしゃって下さればいいんです。私には友人が何人かいますけれど小説家はあなた一人なんでね。大事にしなきゃ」
李は何度もくりかえしてそう言ってくれた。そういうことを口にするときの彼の眼や口調には関係≠至上律として尊重する中国人らしさがまざまざとあふれ、底深さに圧倒されそうになる。とめどなくおしだしてくる広くて、厚くて、深いものがある。
夕刻の満員の地下鉄に乗り、人の体温と体温にはさまれ、たえまなく耳の穴に息を吹きこまれるような不快さに耐えてゆらゆらしていると、ポケットから革袋のかさばりが消えたことを痛覚させられた。寂しさがひしひしと迫ってきた。深紅の核が失われ、これからは残影でしかあるまい。沈黙が充足でなくなり、追憶や回想は遠いだまし絵になるのであろう。ふと、あの石は、どんな借金をしてでも、李文明から買いとるべきではなかったかという思いがこみあげてきた。その金のやりくり算段のためにのたうちまわることになるだろうが、おかげで血肉化するものもできてくるはずである。このままでは二カ月間の日夜、わが園を耕やしながらじつは借景であったということになるのでは、あるまいか。竜の眼ばかりを見てきたのは石に蠱惑《こわく》されて食われてしまったからではないだろうか。またしても事物の力に敗れたか。
[#改ページ]
一滴の光
数年後。
『石イロイロ。ゴキゲンの店』。
マジックでのたくったそんな紙を窓に貼った小さな店が六本木のはずれにある。ガラスと原色とネオンの狂騒のこの界隈でもそのあたりはふつうの住宅地で、夜は物静かでかなり暗い。だからたまたま明るい灯のついた窓があって小学生の落書めいたそんな貼紙があると、ちょっと眼につく。
店に入ってみると埃りっぽくもなく、垢じみてもいず、開店してあまり時間がたっていないらしい気配である。壁の腰板も棚もショウ・ケースもすべて北欧の松材の白木で、ワニスが金属のように光っている。大小さまざまなアンモナイト貝と三葉虫の化石が、棚や、壁ぎわや、床にころがしてあり、ショウ・ケースのなかにはたくさんのメノウが、赤、青、黄などの美しい縞を見せている。『恐竜の椎骨デス。U・S・A ユタ州』と書いた紙が貼りつけてあるのは石臼に似た砂岩のごろた石である。そういうごわごわした質感のあふれるなかにメノウがあると、美しくて精妙な、奔放な縞の輝やきがねっとりとあでやかに浮揚して見える。けれど、店内のどこにも埃りや垢がないのはいいとしても、事物がすべてよそよそしくて、そっぽを向きあい、素人《しろうと》が何かの思いつきで開いた店としか感じられない。物たちが店主のほうを注視していないが、入ってくる客の顔も見ようとしないのである。めいめいの形と質という鎧《よろい》のなかに閉じこもったきりでいる。明るさと清潔のなかで仮死しているかのようである。趣味はわるくないのだが……
カウンターの隅で新聞を読んでいた青年が物憂げなしぐさで立ってくる。背は高いけれど胸も腰も薄い。気弱そうな眼をしているがどこか拗《す》ねたところがある。感じやすそうな長い指が清潔である。ふと、何ということもなく、張源徳の指を思いだす。ゴミ箱行きの魚のアラを即席で瞠目的な一品に化けさせるその指はごわごわに節《ふし》くれだって傷だらけで醜いのである。
「石はこれだけかしら?」
「いえ、ほかにもちょっと」
「色石はおいてないの?」
「どんな色石でしょう?」
「たとえば、アクアマリンとか」
「ございません。残念」
「ガーネットとか」
「ございませんね、それも」
「あれば見たかったね」
「ムーン・ストーンならございますよ」
青年の動作にちょっぴり電流が入り、にわかにてきぱきとうごきまわった。あちらこちらの抽斗《ひきだし》をあけたりしめたり、箱をつぎつぎと蓋をとってしらべたりした。そして何粒かのインド産とスリランカ産の石をならべてみせ、またもとの物憂げなまなざしにもどった。
どれも小粒から中粒で、カボション・カットである。底面が平らで背が丸く、切子面のない仕上げである。アズキ大からエンドウ豆大というところだろうか。インド産のはパパイヤの果肉の芯あたりにありそうなピンクがかったオレンジ色で、内部に白い暈《かさ》がある。スリランカ産のは半透明の乳白色のなかにやはり暈があるけれど、強い青光りが煌めく。ほんのりと気品のある夜霧に冷澄の月光が射すのをまざまざと見るようである。青く煌めくその暈はいろいろうごかしてみるとそのたびに大きさと輝度を変えて精妙にたわむれる。一瞥でひきつけられるのを感じた。昔はこの石は月のその夜その夜の大きさに応じて青光りが満ちたり欠けたりするという伝説があったらしいし、インドあたりでは満月の夜にこの石を口に入れてお祈りをするといいことがあると言い慣わしたものらしいですよ、などと青年がよこから説明する。値段をたずねてみると、ひどく安い。手持の現金では買えないけれど、カードなら買える。カードを受けつけるかねとたずねると、青年はいそいそしたそぶりで、早口に受けつけます、受けつけますと答える。やっと商品が売れたとわかって雀躍しているらしいそぶりである。
「いい石らしいのに安いね」
「需給の原則ですね。この石は原産地ではたくさん出るんです。それに知られていません。お客がつかないんです。だから安いんです。どこかの女王様か大統領夫人がネックレースにでもしてパーティーにつけて出たら評判になって値が上るんじゃないでしょうか。ぼくはそう思ってハイ・ソサイエティーのパーティーの記事をよく読むんですけれど、残念、誰もやってくれない。でもネ、この石、妙にドイツ人が好きで、毎年、何万カラットと輸出されてるんだそうですよ。ヨーロッパではドイツだけ集中的に買ってくれるらしいです。どうしてですかね」
「ベートーヴェンのせいじゃないのか?」
「月光の曲ですか。なるほどォ!」
「ドイツでこの石が売れてるとは知らなかったね」
「ベートーヴェンか。月光の曲か」
「ナチスのせいかもしれないよ」
「月光かァ。なるほどなァ」
形ばかりのビロード張りの小箱に青年が石を入れてわたしてくれる。それをポケットに入れて店を出る。青年はぼんやりとしたまなざしで首をふりつつ、月光、月光、そこまでは思いつかなかったなァ、とつぶやきつつ戸口までついてきた。
その夜から書斎で清玩する。石であそぶのはアルマンダイン・ガーネットから数年ぶりである。その後ときどき書店で宝石の本を見つけると買って読むということはしたけれど、宝石店に入ったことはないし、入ろうと思ったこともない。宝石商とは一人も知りあったことがない。宝石のショーや展示会のニューズはときどき眼にするけれど、その場で忘れてしまう。けれどおなじ書斎で深紅のスクェア・カットの石に見惚れてすごした日や夜のことは忘れられないでいる。公園のベンチや駅のトイレやホテルのロビーでこっそりとりだしてうつつをぬかした記憶がなつかしい。どういうものかあの石はあらゆる角度と光で徹底的に凝視し、観察したつもりなのに、あとになるといつも何かがすりぬけてしまって、盗み見だけしていたような気持になってしまう。それで不安になるのでまたぞろこっそりとりださずにいられなかったのだが、子供のときに稀れにタマムシを手に入れると、恍惚となってしまって、何度眺めてもついに形をおぼえられないもどかしさにおそわれたのとそっくりである。キラキラ煌めく底深い光耀だけがあって虫の姿はないようなものだった。東南アジアの夕焼空や、闘魚や、パリのなまけものや、茸のような老人や、タイル張りの床にうずくまっていた血塊など、つぎつぎとあらわれる深紅の瞬間を生きることに追われ、強くて濃い時間がすごせたそのあとあときっと古綿をひろげて石をとりださずにいられなかったのも、幼年のこころからさほど遠くはあるまいと、感じられる。
ゴキゲンの店の物憂げな青年の説明では、月の盈虧《みちかけ》によって石の輝やきが変るのだという伝説が昔あったそうである。光源の変化で石の顔というか、石品というか、そういうものが一変することは、アクアマリンでもガーネットでもつぶさに目撃したことだから、この伝説はそれなりにうなずける。今後のためにどこかで毎月の月齢表を手に入れることとしたい。夜光の明珠といいたくなるくらいの変貌をひきおこしてくれる月光は、こんな時代に、どこで出会えるだろうか。それともこのエンドウ豆大の小石はどんな穢れた、衰えたものでも月光でありさえすればすかさず吸収してゴミ捨場のまんなかにあっても変身を遂げてくれるのだろうか。英語の "lunatic" という単語は狂気≠意味するが、語源は月≠セそうである。この小石に月光に呼応する狂気が含まれているのだろうか。それを知りたいし、見とどけたいと思う。タバコの脂《やに》で穢れた書斎のスタンドの光に照らして見ると、インド産の石のおっとりとしたピンクがかったオレンジ色は可憐である。ほの白い暈がその内部に浮いていて、清純な媚態と感じられることがある。しかし、おなじムーン・ストーン≠フ名で呼ばれてもスリランカ産のはいささか変ってくる。京都人が慣用語句の一つとしている形容詞にはんなり≠ェあって、白味噌汁だろうと、茶菓子だろうと、女の言動だろうと、すべてそれを極上のものと感じているかのようである。この石のたたえるおだやかな乳白色にははんなり≠ニ呼びたいものがある。春のおぼろ月夜に似たそれである。しかし、この石のおぼろさはそれだけではすまなくて、精妙な半透明があるために、冷澄≠竍玲瓏≠ェ入ってくる。はんなり≠ヘどちらかといえば人肌≠フ温感をしのばせるけれども、冷澄なはんなりとか、玲瓏としたはんなりとかいう美学はあるものだろうか。肌はつめたいけれど血は熱いという白皙《はくせき》の女がいたら、そうなるだろうか。
その、玲瓏の、気高い、澄んだ乳霧のさなかにほの白い暈が浮いて、くっきりと浮いて、青く光る。乳霧が青光りで煌めくのである。こうなると清楚を超えて凄みがあらわれる。指さきでいろいろな角度に向きを変えてあそんでいると、どうかしたはずみに、一瞬、暈が消えて清潔な青の燦光が石の内面すべてにみなぎるかと見えることがある。それは瞬後に消えて、煌めきは暈の内部へつつましやかにこもってしまう。こういう無言のたわむれに魅せられる。花の魅力の一つは自身の美しさにまったく気がついていないということにあるかと思われるが、この端麗な小石はさまざまにあそびながら、全身で歓声をあげてはしゃぎたちつつ、ふとだまりこんでしまう。それでいて冷澄に煌めきつづけ、無心でありつづける。何よりかより、終始、無心でありつづける。青い石も無心であったし赤い石も無心であった。疲れることも惜しむことも知らずに光耀を発しつづけ、無心でありつづける。まぎれもなくそれは一つの超脱だが、畏怖ではなくて、何と、いじらしさをおぼえることがある。うたれる。
璧に映る影を相手のひとり酒がついつい深酒になるのは、人にからんだり、からまれたりということがないからだろうか。酒の滴の熱い開花と波だちのまま、回想や、連想や、自惚れが輝やかしい朦朧のなかで明滅し、出没する。石とあそんでいると、燦光のたわむれから生ずる連想飛躍にこころをゆだね、自我が幻戯で膨らんだり、縮んだりするのを愉しみつつ見送るだけで、宿酔に復讐されて苦しむこともない。この青光りのする小さな石をなぶっていると、月下の白大理石の宮殿が見えたり、大いなる鐘の沈んだ夜の淵が見えたりする。これまでに通過してきたいくつもの高原や、山荘や、雑木林や、夜霧の光景が明滅し、出没する。しかし、この石には、何か謎めいたところがあり、つかみきれないものがある。訴えるものがあることはまざまざと感じられるのだが、直下《じきげ》に迫ってこないのである。石が開いてその内部に入りこむことができないのである。像《イメージ》と添寝すること、熱く生きること、濃く忘我することができない。ほの白い、気品の高い、玲瓏としたその暈のなかの青い光輝は、何度眺めても飽きないけれど、暗示が感じられるだけで、一歩か半歩手前ですりぬけてしまうものがある。おずおずしながらさりげなく拒むところがあって、茫漠とならされる。ただ眼を瞠ってその冷澄ぶりにぼんやり見とれるばかりである。しかたがなくなってその夜はそのまま古綿にくるみ、新しく買ってきたスェード革の袋に入れ、何日間か、ほっておく。それから、某夜、革袋をとりあげ、古綿をそっと開き、眠りこけている何かの小動物の姿態を盗み見るようにして、また、不意をうつようにして、素速く覗きこむ。けれど、すでにそれより一瞬速く石は変貌を完了してしまうらしく、いつもの輝度端麗さのままでさりげなくころがっている。石がついうっかり地顔をさらけだしているかもしれない。うとうと居眠りをしているかもしれない。そこをサッと眼で一撃して見とどけてやろうと思うのだが、事後≠ノしか出会えない。
某日。
午前中は古い文献を読んですごす。中国の歴史には数知れぬ王朝とその開祖があったけれど、そのうちの一人の王の波瀾の生涯中の一つの挿話を核として短篇か中篇が書けるのではないかと思いたって資料を集めはじめて数年になる。それを、唐代の人肉食いの習慣をからみあわせて書けるのではないかと思い、これの文献も読んでいる。喫人《チーレン》はいつの時代、どの民族にもあって珍しいことではないけれど、趣味や嗜好としてこれをやったのは中国人だけである。唐代には市場で人肉をぶらさげ、両脚羊=i二本足の羊)と呼んで切売りしていたというのである。しかし、いろいろと読みすすむうちに、興味が横道にそれ、読めば読むだけいよいよそれ、いまでは本道が見えないまでになってしまった。文献のための文献の、そのまた文献を読みあさり、そしてそういうことがやめられないでいるのである。犬は人につれられて鴨猟に出かけ、射ち落された鴨をくわえて人のところへ持ってかえるよう訓練されているが、年とってボケてくると、帰る途中で血の匂いに誘われて、その鴨を食べてしまうようになる。これをハンターは犬が落ちた≠ニ呼ぶらしいが、それにそっくりのことである。文献漁りで落ちかかっているか、すでに落ちてしまったらしいのである。そうとわかっていながらやめることができないのだから、頽落はひどい。いよいよ深い。これといい、記憶力の減退、執着の稀薄化、いよいよ干潮がはじまったなと思わせられるのだが、ただ眺めているだけである。毎朝がにがい。それでいて、何やら、薄く甘美でもある。
午後遅く、東京へ出る。
一年前に出版されたはずの一冊の本をさがすために東京駅前の大書店へいったけれど見つからないので、銀座のべつの大書店へいくが、そこにもない。念のために新宿の書店へいったけれど、やっぱり見つからない。主題が特異で時流からはずれすぎているから出版されたときすぐに買っておけばよかったのだが、ちょっと油断したばかりに逃げられてしまったらしい。しようがないからなじみの古書店に電話をかけて探してもらうことにしたが、乗気薄の倦《う》んだ気配がありありと電線を流れてくる。そうやって三軒の大書店をつぎつぎと渡り歩くと、形のよくわからない疲労がこみあげてくる。赤錆が体のそこかしこに吹きだしたようで、歩くのもけだるくなってくる。書店に入ると無数の本が、私が、僕が、俺がと口ぐちに叫びたて、わめきたてている。声はないけれどディスコのような狂騒である。昔はそういう殺到に出会うとたじたじとなって一度は後退しながらも、やがて闘志がわけもわからずこみあげてきて、ヨシ、全巻読破シテヤルゾなどと気負いたったものだが、いまはうなだれるか、こそこそ逃げだすかである。往年のやみくもな衝動はあっけなく霧散してしまい、あるのは背中の疼痛と、ひっくりかえった玩具箱を見るようなわびしさだけである。探している本が見つからなかったからそう感ずるのではあるまい。持病のようにいつも味わうことである。それに、三十年も本を読んだり書いたりにふけってみると、本は読むまえに見るものでもあるとわかってくる。本文の字組をチラと一瞥するだけで何となくわかるものがある。それはおぼろだけれど鋭くもあって、言葉にはならない勘みたいなものだが、これまでためしに最後まで本を読んでみた結果、ほとんどまちがっていなかった。もちろん例外はあるし、的はずれはあるしで、一瞥の傲慢を反省させられることはある。しかし、まずまずのところ、さほどの狂いはないと、感じさせられる。せかせかした観光旅行のことを走馬看花(馬を走らせつつ花を見る)≠ニいうのだと李文明にいつか教えられたが、この一瞥にはちょっとそれに近いところがないではない。としても、その馬上からの一瞥にとまる本がどの店にもこの店にもいかに少いことか。花らしい花が、いかに稀れであることか……
新宿からもう一度、銀座へ出る。あるホテルのロビーから新聞社に電話をし、家庭部の阿佐緒を呼びだす。原稿を印刷部門へおろして退屈していたところらしく、阿佐緒はあたりをはばかって声を殺しながらも雀がとびたつようなそぶりを声にのせた。待つ、来る、入ってくる、出ていく、話しこむ、考えこむ、まるで東京駅のような夕刻の雑踏をかきわけるようにして阿佐緒はすぐにやってきた。小さな、丸い顔にまだどこか娘時代の名残りのふっくらした頬があり、木株のかげからひょいとリスがのぞいたような大きな眼が生への興味にあふれて輝やいている。顔も小さく背も低いのだが、服の選び方が上手なせいか、ごくありふれたドレスなのにビアン・クーペ物のように見える。それに歩きかたが清潔で精悍なので一人前の堂々とした女のように見える。二人ですぐにバー・ルームに入っていくと、ほの暗いなかですでに氷が鳴り、あちらこちらでガラスが音をたて、ディナー・ミュージックがはじまったかのようである。爽やかなジンとビールの香りがひきしまった縞をつくって漂っている。顔なじみのボーイに、わざわざ、唇が切れるくらいシャープな、と註をつけてドライ・マーティニのオン・ザ・ロックをたのむ。
「……何にしようかしら、私。じいやならイギリスびいきだからシェリーになさいましというところでしょうけれど。それをロックでたのもうものなら物もいわずに顔をそむけるでしょうね。オイオイ泣きだすかもしれないわ。でもシェリーはおとなしいから、やっぱりキックのあるのがいいわね。ジン・トニックかウォッカ・トニック。ジントニがいいかしら。ほろにがくて、ピンとたってて、キックがあって。じいやもこれならしぶしぶ納得すると思うわ」
「じいやはその後健在かい?」
「あの人はノー・エイジ。年知らずっていうのかしら。毎朝きっちり四キロ走って、朝夕欠かさずお庭の手入れをして、日曜日はホッケーの試合に出かけるし。おどろいちゃう、ほんとに。いまは香港でオーシャン・クルーザーの出物を吟味してるの。オーストラリアのシドニーのマリーナにあずけてあるのを売ってこれと替えたらどうかしらというんだけれど、あれは内装がマホガニーで、いまじゃちょっとないっていうから惜しいし。ゆうべも九龍から電話があってこちらのは内装がチーク材です。でもベルギー産のクルミに替えることはできますからどうしましょうって。私はよく知らないからじいやのお好きなようにって返事したんだけど、ベルギーのクルミって有名なの?」
「知らないなあ、そんなこと。残念」
「気苦労がなくていいわネ、あなたは」
阿佐緒は運ばれてきたジン・トニックをひとくちすすると、そういってふっと肩で吐息をついてみせた。どうやら月末に近くて財布が薄くなっているらしい。それもよほど薄くなっているらしいと見る。シドニーのマリーナに船室がマホガニー張りのクルーザーがあずけてあるなど、これまで耳にしたことがない。財布が薄くなると彼女はじいやの話をはじめる癖があって、薄ければ薄いだけいよいよ意想奔出になる。イギリスびいきのじいやがいて彼女の面倒を見てくれているだの、ホッケーの試合だの、ベルギー産のクルミだの、ことごとく嘘である。法螺《ほら》なのである。架空も架空、荒唐も荒唐、口から出まかせ、その場その場の泡みたいな思いつきなのである。財布の心細さを忘れたいばかりにシンデレラになるのである。気苦労がなくていいわね、とたったいま肩で吐息をついてみせたが、そういう演技を淡々と、しかし、なかなか底の入った口調と身ぶりでやるのが、好きでもあり、上手でもある。どこか仔猫の身づくろいのようなところがある。
「シドニーのマリーナのクルーザーだけどね。キャビンがマホガニー張りだというのはいいとしてもエンジンはどうなのかな。マホガニー張りだけじゃ船は走れないだろ。エンジンをとりかえなくてもいいのかい?」
「ううん、それはいいみたい。もうせんにとりかえて、何だかスウェーデン製で、ヴォルヴォっていったかしら、自動車みたいだけど、それに替えたの。これはフィニ。処置済みなの。メカのことは私、知らないのよ。何《な》ァんも知らないの。みんなじいやまかせ。私はせいぜいキャヴィアをどれくらい積込もうか。ベルーガがいいか、オシェートラがいいか。それともプレッセをちょっとまぜたほうがお客さんによろこばれるかしらって。私って、そんなことを考えるだけなの。じいやがいなくなったらどうしようかしら。ときどき考えるとゾッとなるわ」
「そこまで凝るんだったら、つぎはシャンパンだね。キャヴィアなら辛口だろうね。ヴーヴ・クリコも悪くないがテッタンジェというのがある。日本ではあまり知られてないみたいだけど、これは量産品じゃないので尊重されてるようだ。じいやなら知ってるだろうと思うよ。あの人は若いときずいぶん遊んだみたいだから今時《いまどき》でない知識がある。一度、相談してごらんよ。いいかい。メモに書いときなさい。そうしないと忘れるよ。テッタンジェというの。マグナム瓶があるといいが」
阿佐緒はジン・トニックのグラスをおくと、ショルダー・バグから社用のメモ用紙をとりだして、そそくさとシャンパンの名を書きこんだ。記者としては素直で注意深く、勤勉である。
じいやがあらわれると阿佐緒の暮しはなかなかのものである。彼女はゴブラン織のタピストリーのかかった、チェスナット張りの寝室兼書斎で起居し、その部屋には小柄な男が背を曲げないで歩きまわれるかと思うほどの暖炉があり、ほの暗いなかにアラバスターの花瓶がしっとりと輝やいている。この炉に薪をふんだんに焚くと、銅の反射板が熱をたっぷり前方へ送ってくれる。そこで全裸になってワシントン条約以前につくられた白熊の敷物に寝そべり、モヘアの毛布を体に巻きつけて本を片手にうとうとするのが好きである。雨の午後、庭のハーブ・ガーデンの土にしみこむ雨滴の音に耳を傾けていると、全身にあたたかい潮がゆっくりとさしてくる。白い唐草模様のフランス窓のロココ調が少しわずらわしいかしらと思っていると、じいやが銀の盆にお茶とスコーンをのせて入ってくる。お茶はオレンジ・ペコー・ファニングときまっているけれど、ときどきゴールデン・チップスになることもある。スコーンがキュウリのサンドになることもあるが、どちらもじいやの手製である。じいやは器用な人で、鉛管工事もできるが台所仕事もできるのである。朝の食事もじいやが作ってくれるが、いつもキッパード・ヘリング(ニシンの燻製のバターいため)である。これは鉄分がたっぷり含まれているからとても体にいいとか。
じいやが消えると何もかもなくなってしまう。ゴブラン織が消え、アラバスターが消え、暖炉が消える。ハーブ・ガーデンが消え、フランス窓が消え、潮のさすような静謐な愉悦感が消える。お茶を持ってきてくれる人もいなくなり、朝食をつくってくれる人もいなくなる。月の中頃から月末にかけてじいやはよくあらわれ、月給日が過ぎて翌月の中頃ぐらいまでは鳴りをひそめる習慣である。東京の郊外は年々、遠くなるばかりだが、阿佐緒は往復に三時間近くかかる一軒の元農家の離れを借りている。農家は畑をつぶしてガソリン・スタンドを経営し、物置小屋を改造して小さな台所とトイレと風呂場をとりつけて一間きりの独立家屋に仕立てなおしをしたものらしい。その一間に洗濯機と、テレビと、再生装置と、冷蔵庫と、本棚を入れると、体をく≠フ字に曲げなければ寝られない。寝ころんだままで手をのばすだけで何でもとりよせられるというのが阿佐緒の皮肉な自慢である。前の晩に買っておいたパンを牛乳といっしょに立ったままで呑みこみ、満員電車で肋骨をきしませながら彼女は新聞社へ出勤し、家庭欄のために一日中、オムツ屋、ピッツァ屋、おにぎり屋などをかけめぐって情報を仕込み、記事を書く。夜は男の記者連中や大学時代の友達と焼酎呑み屋をハシゴして歩き、モツの味噌煮込みやオデンなどで腹をふくらます。だってオスタンドの小粒のカキだの、香港の新界のハトだの、ロス・アンジェルスのローリーズ≠フブラック・アンガス牛のロースト・ビーフだの、そんなものはもうせん食べ飽きちゃったもン[#小さな「ン」]、と彼女は体をくねらせて笑うのである。ちょっとひきつれたような甲ン[#小さな「ン」]高い声で。
「ぼつぼつ行こうか」
「うん。うん」
ジンが入って血管に明るい灯がついた。阿佐緒はいそいそとはじかれたように立ちあがって眼を輝やかせ、胸をふくらませた。唇にのこった杜松《ねず》の香りが冷めたく濡れていて、爽やかである。やっと一日がはじまるか。
二つのゆるやかな丘に挟まれた谷。
ちょっと遠いところにそんな場所がある。現在の町名も丘と谷の名がついているけれど、道路と建物に蔽われつくして地形を読みとることはむつかしい。丘の斜面はかなり崩され、造成≠ウれて、小さな家に埋められているけれど、急斜面は昔の雑木林のままになっているので、凹地を谷≠ニ見ることができないではない。いつ頃からかこの谷に小さなホテルが建てられはじめ、いまでは道の両側が軒並みことごとく三階建、四階建のホテルになっている。『合歓《ねむ》の木』はその一つで、四階建である。すべての部屋に、アカプルコ=Aワイキキ=Aロング・ビーチ≠ネどと、有名な海岸の名がついている。各室に再生装置があって、ボタンを押すと、太平洋やカリブ海やインド洋などの潮騒が録音テープからひびいてくるようになっている。入口で各室の内部を見せるカラー写真のパネルを見て部屋を選ぶ。コート・ダジュール≠ニいうのを選んでボタンを押すと、鉢植えのシュロの葉かげの穴からヌッと中年女の手が出て鍵をわたし、嗄《しわが》れ声で無愛想に、四階です、という。いつも同じ声である。
小さなエレベーターからおりて、花模様の厚いカーペットを踏んでいくと、赤い電灯のついた濃紺のドアがある。部屋に入ってドアの錠をおろすと、周囲の壁はすべて明るくて深い濃紺になっていて、壁のふちに額縁風の細い金線が走り、ほの暗いなかにベッドがおかれ、壁いっぱいの鏡が底深く輝やいている。部屋へ入った第一歩の一瞥には、いつも鏡のなかで、何頭かの正体不明の、顔のない怪物がたわむれあっているかと見える。いつもそう見える。怪物たちには顔がなく、たくましい背や、胴や、腿を見せてからみあい、もつれあい、声なく争いあっている。彼らは人見知りしやすくて感じやすい性質らしく、よく見ようとして眼を凝らしたり、明るい電灯をつけたりすると、瞬間、消えてしまう。音もなく、一頭のこらず、消えてしまう。顔がないのに視線だけがのこる。どこからか瞶《みつ》められているような気がしてならない。
その視線を背に負ってふりむくと、そこに阿佐緒がもうすっかり裸になって微笑しつつ立っている。スカートやシュミーズやブラジャーなどをいっせいに落し、そのたぐまった布の筒から足を踏みだすところだった。服の上からは想像のつけようのない、肉づきのいい、みごとな体である。小柄だけれど乳房が張りだし、胴がくびれ、堂々とした腰と太腿、どこもかしこもひきしまって樹液のみなぎった、無傷の果実の新鮮な固さがほの暗いなかに輝やく。童顔の小さな娘が、一変して、円熟をめざす一人前の女になっている。いつものことながらおどろかされる。眼を瞠る。
阿佐緒は微笑しながら低く
「今日も教えて下さいな」
といった。
「じいやに叱られないかな?」
「早く」
「たいてい教えてあげたけど」
「したいの。したかったの」
シーツにもぐりこむと阿佐緒が両腕をゆっくりと伸ばして抱きしめにかかってくる。若い健康な娘の清香と体温が湯のように全身にしみる。その爽やかなひろがりにほのぼのとなりながらも薄く冷めたい不安をおぼえる。近頃は不調になることが多いのである。初戦の立上りが不調だったり、中盤で萎えたり、終盤直前にうなだれたり。どこでどうなるかがあらかじめ感知できないのでおびえる。その不安にひっかかるとかえってそれが誘い水になるかと警戒してそっぽ向くように心がけるが、無視したいだけ意識しているのである。
舌、歯、指、爪、それらの使い方、にぎり方、しごき方、69、99、九浅一深、声をたてること、何よりも至上の頂上で二人が一致すること、誰でもが知っていることをこれまでにことごとく阿佐緒に教えてきたが、彼女は知ったばかりの悦びに溺れていて、まだまだ稚くて、ぎこちない。そのたどたどしさが可愛い。いじらしい。潮に押し流されてくらくらしながら一心不乱にむさぼろうとする激しさにうたれる。咽喉をつまらせ、鼻を鳴らし、身ぶるいしてうちこんでくるひたむきさにうたれる。そのうち暗くて、熱くて、濡れしょびれた、小さな炉の奥から何かがせりだしてくることがある。柔らかくて丸い、しなやかだけれどクリッとしたところのある瘤のようなものである。それが阿佐緒本人のまったく知らない至宝のひとつである。春丘≠ニでも呼ぶのだろうか、そのまわりと頂上をこつこつと攻めたてると、ふいに何かがうごき、しっとりと、しっかりと咥《くわ》えこまれ、同時に阿佐緒は炸《はじ》ける。崩れる。煌めきつつ四散する。切れぎれの叫びをあげながら墜ちていく。
「……!」
「………」
「……!……」
女の体にのると見えるものがある。終っておりると、それきり忘れてしまう。何が見えるか、のってみるまでわからない。何も見えなくなればおそらくこころの影の部分にひそむ資源が掘りつくされたのであろう。今日は何故か雨にけむる羊歯の原生林と恐竜の首が見えた。濃密な雨の降りしきる鬱蒼とした羊歯の密林がひろがり、その梢をつらぬいて一頭の巨獣の長い首が仏塔のようにそそりたっている。首はうごきもせず、揺れもせず、ただ佇立している。阿佐緒の呻吟にあわせて深く浅く体をうごかしながらこの奇異な史前期の光景にまじまじと見とれてすごしたのだった。女は画廊に似ている。地図にない孤島のようでもある。見ず知らずのはじめての町にも似ている。
汗まみれになった阿佐緒があえぎあえぎ頭を抱きしめる。力弱く頭を抱いてひきよせ、乳房におしあてる。薄ら禿のその場所にやさしく口をあててキスし、うっとりとなって何か口のなかでつぶやく。夕陽が直射したり、雨がもろにあたったりするのがありありと感知できる禿を彼女は何度かそッと舐め、耐えられなくなって腕をほどいて、昏睡にゆらゆらと沈んでいく。あちらこちらに水っぽい贅肉のついた、ぶざまに腹のせりだした初老の体をそのかたわらによこたえる。鏡には阿佐緒の壮麗な体だけが映るよう、その楯のかげにかくれるようにしてよこたわり、あえぎあえぎ汗がひくのを待つ。胸や、腹や、腿に形がもどるのを待つ。いつのまにか鏡の内奥にあの視線がもどり、きびしくしぶとくこちらを瞶《みつ》めているのが感じられる。若わかしい体温に浸され、規則正しい、ひそやかな寝息の音に耳を傾けていると、寂寥をおぼえる。いつかこの子が後姿を見せる日がくるという思いである。遅かれ早かれ、その日がくるにちがいない。捨てられるのだ。どこからか一人の若者があらわれると、遍歴は終ったと彼女は感ずるだろう。甘い疲労に蔽われて隠されているが、寂寥がくたびれた骨から沁みだしている。薄い汚水のように沁みだして、体のあちらこちらにひろがり、澱んでいる。紺碧の海に白いヨットの浮ぶ風景を描いた浴室のタイルは清潔だが、ひりひりと膚にしみこむ湯が暗い。跳ねる湯の音までがさびしい。古代の人は≪まぐわいのあとの悲しみ≫と言い慣わしたが、このようなおびえも含めてのことだろうか。
ほの暗いなかに青と金と鏡が輝やき、肉が余燼でけだるく、あたたかく火照る。鏡から顔をそむけてうとうとまどろんでいると、さほど厚くない壁ごしに夜に浸された町のさまざまな物音がにぶい潮騒の底鳴りとして聞える。今日は革袋に入れたまま書斎に残してきたけれど、青光りのする小さな石が闇のどこかに輝やいていると感ずる。この石のことを思いだすたびに月下に輝やく白い宮殿と巨大な鐘の沈んだ深い淵という光景が登場する。鐘の淵は古譚だけれど、白い宮殿か館のほうはどこかにありそうな気がしてならない。それがわからないのでいらだちをおぼえることがある。エンドウ豆ほどの石から宮殿を喚起するのは誇大妄想に近いけれど、最初の一瞥の魔力にとらえられているのだし、朝露の一滴にも天と地が映っているのだという託宣からすれば荒唐とは感じられない。うつつをぬかして見惚れるまでである。浴室から出てきた阿佐緒がそっとシーツにもぐりこみ、甘い疲労を肩で息をつきつつおさえ、ぐったりとなって放心している。
「月光に輝やく白い宮殿を知らないかな。こないだからよくチラつくんだけれど、わからない。どこの国にあるのか。どこかにたしかにそんなのがあると思うんだけど、これだという答えが出ない。わかったらフレンチ・ワインつきの御馳走を奢ってあげる。北京ダックでもいい。松阪牛でもいい」
「わが国のお城ですか?」
「いや、どこか異国だよ」
「ポンパドール夫人のお館かしら」
「一度見たけれどね」
「ノイシュヴァンシュタインのお城」
「わるくないけど、設計がちがうようだ」
「白いの?」
「うん。純白。それが玲瓏と月光に輝やくんだ」
「白いお城はたくさんあるけれど」
「白い大理石のは?」
「一年ほどになるけれど、日曜版の家庭欄に世界の有名なお城を特集で紹介したことがあるの。いつもいつもオムツの話じゃ飽かれますからね。いまポンパドール夫人とかノイシュヴァンシュタインとか、即座に出てきたのはそのせいなの。トルコじゃトプカピだったかしら。インドはタージ・マハールだったと思う。これもすごい構築物ですよ。ムガール帝国の金庫がやせたっていうの。何しろ建てるのに二十二年もかかったんだから。死んだお妃のために王様が建てたお墓。それが宮殿だというんです。これはたしか白い大理石だったと思うけど。調べてあげましょうか」
「うん。そうしてくれ。これは噂さに聞くだけでまだ見たことがない。いつかどこかで写真を見るか。画をみるか。記事を読むか。したんだろうね。それが何かのきっかけで迷い出てきたのかもしれない。フレンチ・ワイン付ディナーは今晩これから行こうや」
「メインには何をとってもいいの?」
「お好みのまま。何でも。どうぞ」
「ピン! ポーン! 正解ッ!」
やにわに阿佐緒はチャイムの口真似をしてシーツからとびだし、カーペットにぬぎっぱなしたままの服にかけつけ、シュミーズだの、スカートだの、くねくね体をうねらせて体につけた。手品のような素速さで彼女は童顔の小娘にもどった。それまで眼にあたたかい煙りか靄のようにたちこめていた熟女がかったうるみがすっかり消え、びっくりしたリスのようないつもの眼にもどっている。
デリーから汽車なら三時間でアグラにいける。ここにムガール帝国第五代の王が死んだ愛妃のために造ったタージ・マハールの廟墓がある。妃の名はムムターズ。その愛称がタージである。しかし、タージ≠サのものには立派な≠ニか、冠≠ニいう意味もあるらしい。インド、ペルシャ、オスマン・トルコなど、あらゆる回教圏から招聘した建築家、工芸家、書家などが働き、その指揮下に約二万人の職人が動員され、二十二年かかって完成された。廟の基壇の面積は丸ビルとおなじくらいあるが、ドームの頂上までは六十五メートル。これは現代のビルにすると十六階以上だとのこと。外壁は白大理石。内部の壁の草花模様には宝石や貴石を惜しみなく象眼して使う。≪孔雀《くじやく》の王座≫と呼ばれた王座にはサファイア、ルビー、エメラルド、真珠その他の宝石で二羽の孔雀が作られ、天蓋はエメラルドをちりばめた十二本の柱で支えられていたが、後日、ペルシャ軍が侵寇し、掠奪された。この廟の建築のため国庫が疲弊し、ムガール帝国は傾いたと伝えられる。バヴァリアのルドヴィヒ二世はノイシュヴァンシュタイン城を建てたあとで発狂し、湖に入水して死んだと伝えられるが、このインドの王も非命に倒れた。王は後日、第三子に叛かれ、幽閉される。死後、タージ・マハールに移され、愛妃とならんで永眠することとなる。現在この廟は一般に公開され、朝八時から夜十時まで、誰でも見ることができる。満月をはさむ九日間は特に深夜の十二時まで、公開される。
何日かしてから阿佐緒にわたされたタージ・マハールについての記事を要約するとそんなことになる。昼と夜のこの廟の光景を絵葉書にしたものもわたされたが、これは残念ながらただの観光写真だった。満月をはさむ九日間は深夜十二時まで公開≠ニいう一行のほうがよほど想像を刺激される。こんな規則を設けている名所などはあまり聞いたことがない。わざわざそういう規則を作ったくらいなのだからよほど卓抜な光景になるのであろう。満月の夜にアグラの町へいって九日間あらゆる角度からこの廟を眺めてみたい、と思った。波を選んで放浪して歩く若者がいるなら、月光を求めて旅をする初老の男がいても不思議ではあるまい。しかし、絵葉書を見てこの廟の形はよくわかったが、石は生きのびた。月下に玲瓏と輝やく構築物というイメージはどうやらこの廟のことらしいと見当はついたものの、それで爽やかな不安が解決されたわけではなかった。石は無傷ですりぬけることができたのだ。月光の絵葉書を見てドラキュラ伯が狂うとは思えない。たぶんそんなことなのだろう。と思う。謎めいたまま謎が漂っている。
阿佐緒が紅茶をすすりながらたずねる。じいやがいないから今日はただのティー・バグの茶である。これはメーカーの技師がひそかに埃《ダスト》≠ニ呼んでいるそうである。
「お気に召しまして?」
「うん。ありがとう」
「何故こんなことが気になるの?」
「自分でもよくわからないよ」
「ウソ」
「え?」
「何かあるんじゃない?」
「何かって?」
「よくわからないけど」
しげしげと茶碗のなかの澄んだ、濃いオレンジ色に見入りながら彼女は考えこむ。けれどそれ以上はつっこんでこなかった。直観力は鋭いけれどそれが的中していることには気がついていないらしい。よくあることである。ちょっとギクリとならされる。もう少しで打明けてしまいそうになる。しかし、何故かしら、踏みとどまる。黙りとおす。
九月の中頃に古書店から連絡が入った。かねてから探すようたのんでおいた書物の主題にほぼ近い書物が新潟の古書店にあらわれたというのである。これは文献漁りに熱中したために横道にそれてしまって、行方を失った作品のための遠い隅の一石となるはずの資料である。明治の中期に出版された本である。しかし、その新潟の古書店主がちょっと偏屈なところのある人物で、書物は東京へ郵送したくない、慾しければ新潟まで見にこいといってるとのことである。それは苦になるものではないから、すぐに手紙を送り、書物はけっして手放さないようにと、くどい念を押した。その手紙を書いているうちに帰途に山国の温泉に立寄ることを思いたって、心がにわかにせきたてられた。新潟、山形、福島、山梨、群馬の一帯は、湖といわず、渓流といわず、一昔前、イワナやヤマメを求めて渡り歩いたことがあって、なつかしいのである。ある渓流の獣道みたいに細い道に弱炭酸の温泉が噴きだしていて、ゼンマイ採りの小屋よりはいくらかましな山小屋を建てて老夫婦が細々と暮している。湯の量は豊富なので釣りの帰りに何度か立寄って体をほぐしたものである。阿佐緒を誘ってみると、一も二もなくとびついてきた。
「行きましょう。つれてって」
「紅葉が肌にプリント・インされるよ」
「すばらしいわ」
「それだけだ。ほかに何もないところ」
「まだタヌキなんか出るのかしら」
「ワサビ畑に出ることがあると聞いたけどネ」
「うむ。ヤルな」
女の眼の煌めきに底が入る。
十月に入って紅葉便りをちらほら耳にする頃、新潟へいって、古書店主と会い、文献を買いとった。目的の作品が行方不明になったのでこれは不必要になったのだが、いつ動機はよみがえるかもしれないし、そのときあわてて資料探しをしても追っつかないから、と考えることにした。いわば寒肥として、捨石として、とっておくことにしたのである。そういう資料はすでにうんざりするほど買いこんで蓄積してあるが、読むことはよくあるけれど使うことがめったにないので、水の涸れた河原の石のようである。
新潟発の電車からその山間の駅でおりると、それだけで肺が洗われるようである。紅葉しかかった山が駅に迫って空気が澄みわたり、しっとりしたなかに切ったばかりの杉の香りが漂っている。電車が去ってゆくと谺《こだま》が長く遠くひびきわたる。それすら耳にあざやかであった。袋の中の石ころのような日頃の暮しの垢と錆が消える。しばらく忘れていた脱皮である。これで朝早く渓流に出るとキュウリのような匂いが漂ってくる。その香りは何から出るのだろうか。何度考えたかしれない。
改札口で阿佐緒が待っていた。
「ちょっと酒を仕入れにいきたいんだが」
「どうぞ、どうぞ」
「ついそこだよ」
「ついていっていいかしら」
「どうぞ、どうぞ」
新設のハイウェイからも昔の街道からもはずれた山中の小さな町は淋しい。道の両側に家が並んでいるけれど、物音も子供の声もなく、人が住んでいるのかどうかとあやしみたくなるくらいひっそりしている。静かで、薄暗くて、枯れている。その道に面して≪猩々緋≫という古風でどっしりした看板をかけた造り酒屋がある。薄暗くて広い土間と帳場があって、通路をつたっていくと、裏に醸造場があり、ホーロー引タンク、ゴム管、瓶詰機などがおいてある。もうすぐ新米が入荷すれば作業がはじまってにぎやかになるのだろうが、いまは何もかも清潔で、乾いて、黙りこみ、形のなかにこもって仮死している。いたるところに影が澱んでいるが、どの影も老いて、棲み慣れ、ぼんやりしている。
若主人だろうと思うが、大学を出てあまり年数のたっていないらしい青年が出てきて、微笑しつつ、挨拶した。かれこれ十二、三年前にこの家に二度ほど見学≠ノ来たことがあるけれど、そのときはこの人の父が出てきて案内をしてくれた。イワナ釣りに来て町をぶらぶら歩くうちに造り酒屋があると、いきなり入って蔵を見せてもらい、一杯か二杯、利き酒をして引揚げる。その頃、そういう趣味があって、この近県のめぼしい造り酒屋はたいてい一度は訪れたのである。主人であれ、杜氏《とうじ》であれ、職人はたいてい口が重いものだけれど、技《わざ》を語るとなると、ときたま光った慣用語句が洩れ落ちることがあって、それを聞くのが愉しみであった。それに、一つの県の一つの郡でも酒屋によっては酒の味がどんどん変っていくのを舌で見るのも愉しみであった。もう引揚げようかと思う頃になってどこからともなく登場してくる秘蔵の古酒、三年物なり、五年物なり、あるいは稀れにもっと年とったのを味わうのが、何よりの愉しみであり、それが下心であった。これは主人の手なぐさみであり、趣味としての酒であって、どこにも売っていないものだが、この一滴こそ至高、至醇である。ときたまそういう一滴がある。
若主人につれられて蔵のなかを一巡して説明を聞く。ときどき先代のことを噂さし、こういうことをたずねたらこういう答えをしなさったものだ、というようなエピソードをはさむと、若主人は頬を赤くして感動するようであった。そうなると、もう、声を低めてねだるまでもなかった。紺の蛇の目を描いた利き酒用の茶碗を三個、手近の四斗樽におき、昨年出来、三年物、五年物と説明して酒をつぎ、どうぞ、と一歩さがった。塩を少しもらい、手の甲にのせる。それをちらと舐めては舌を新しくするのである。昨年出来は水のように淡白な、上品な酒だが、まだ青くて固いところがある。三年物になると柔らかくなって、米からとった酒なのにぶどう酒からとったシェリー酒のような香りと味が芽をだしかかっている。五年物になるとヴェルヴェットのような、まろやかな舌ざわりになり、シェリー体質がくっきりとあらわれ、咽喉へ落すと水のようである。
阿佐緒につぎつぎと茶碗をわたしてひとくちずつすすらせる。わかったような、わからないような眼つきで、舌をかるく打ちながら、樽と樽のあいだに背を丸めてかがみこむ陰翳をじっと瞶《みつ》めている。
「……昨年出来。これがいちばん若い。若いけれど、まろやかで、さらさらしている。甘口でもないが辛口でもない。灘あたりじゃ杜氏がうま口≠ニ呼んでる。飲んで飲み飽きない酒ということだね。ここの酒は原料の米を徹底的に精白する。精白して精白して、徹底的に糠《ぬか》分をとっちまう。それで酒をつくるとこういう水のようなうま口≠ノなるんだと。この人のお父さんに聞かされたところでは、そういうことだったね。どんな麹《こうじ》を使うかで酒の味は一変するけれど、いずれにしても捨てた物が出来た物を背後から支えているというか。そういう結果になってるね。日本酒の至境はネ、淡麗≠ノあるとされている。江戸時代に出来た言葉だけどね。女でいえば、ま、かぐや姫というところか」
「どんなのがいいお酒なんです?」
「こんな女がいたらさぞや迷わせられるだろうな、暗夜行路になるだろうな、と思いたくなるような酒。ただし、それは一つの定義。だまっていても二杯めを飲みたくなるのがいい酒だともいえる。咽喉ごしが水みたいなのはよく熟している証拠だ。ま、何十回、何百回と飲んで二日酔いでのたうちまわるうちに、自分の好みがわかってくる。いくらか自分と酒が読めてくる。なかには二日酔のままで一生を終るのもいるけどね」
「私って、そうなるんじゃないかしら」
阿佐緒が早くも丸い、ふっくらした頬に夕陽を射し、眼をうるませてつぶやく。温和に微笑しながら若主人が、いつのまに用意したのか、古酒をつめたビール瓶二本をしっかり紐でくくって、ショッピング・バグに入れてくれる。どこからか大事そうにとりだしてきた十二年前の芳名録を見せてもらったら、たくさんの名が並ぶなかに一点おしつけがましい、肩を怒らせた、ひどいも何もあったものじゃない金釘流があらわれ、見たとたんに瓦解して、汗が吹きだしてきた。粉末になって逃げだす。いまのいままで自信満々の口上を述べたてていたのがにわかにあちらこちらにぶつかりつつ猫背でよろよろと逃げだしたのを見て、二人が笑った。阿佐緒と若主人が声をたてて笑った。みずみずしい声であった。
山と谷はすぐそこへ来ている。タクシーで町を出て橋をわたると、そそりたつ紅葉の集塊と渓流である。山沿いの舗装道路を行くとすぐに温泉地があり、眼をそむけて通過する。この渓流は源流地点にダムが造られてから水がチョロチョロ流れになり、そこへ温泉が発達したので、魚は絶滅してしまった。しかし、湯脈は豊富にあるらしく、上流でも中流でもまめに掘ったらどこでも湯が噴出してくる。渓流の川底のすぐ下を湯の脈が走ってるんだ。谷の水の涸れた分はすべてそこへ潜って湯になってるんだ。などと土地の人はいう。だから、イワナと山菜とワサビは峰をひとつまたいだ隣りの山の沢へ入らなければどうしようもない。朝早く隣りの山の谷へ釣りに出かけ、昼頃に尾根をこえてこちらの谷へ入り、道路ぎわの穴にゴボゴボと湯が湧きっぱなし、流れっぱなしになっているところへつかって筋肉をほぐす、というのが、昔の日課であった。
崖ぎわにたった一本のアケビが生えている。それを目印にして自動車からおり、町へ帰ってもらう。アケビのたわわなほどの葉叢《はむら》の下をくぐって、そこから河原へおりる石段を一歩ずつおりていく。ゼンマイ採りの差掛小屋よりはいくらか成長して大きくなったけれどやっぱり山小屋≠ゥら出られないでいる棟が二つある。一つは客のため、もう一つは老主人夫婦のための家である。この夫婦は町に家を持っているので客のあったときだけここへ来るが、夜は町へ帰ってしまう。食料と酒と燃料を小屋へはこびこむとあとはすべて客にまかせて消えてしまう。客のための小屋にあがりこむと、小さいけれど二室になっていた。一室には囲炉裏が切ってあり、そこへ天井からまっ黒に煤けた自在鉤を吊し、古めかしい鉄瓶をひっかけ、湯がしゅんしゅんたぎっていて、部屋のすみっこには小さな組立テーブルと、茶の盆と、酒瓶などがある。もう一室は寝室である。ガタピシと襖の引戸をひくと寝具が積んである。川に面したガラス障子をひくと、そこが浴室になっている。河原の石をひろってきて組みあげた浴槽は古びて色が変り、湯垢がついているが、緑に見える湯が不屈の精力であふれるまま、流れるままになっている。なめらかな床の岩の上をたっぷりと厚く川になってさざ波をたてて流れている。小さな可愛い渦さえある。谷側の軒は長くつきだしているので、対岸からも河原からもこちらの室内は見えないはずである。浴槽に浸って左にも右にも正面にもそそりたつ山を眺めることができる。何なら部屋で裸になってごろごろころがっていくとそのまま浴槽へころがりこむことができそうである。豊かで、清潔で、熱すぎもせず、冷めたくもない。無傷で、老いて、柔らかいのにしかも不屈である。湧きたって、あふれて、また湧きたって、惜しむことがない。
「いい湯だな、ハ、ハ、ハン」
「いい湯だな、ハ、ハ、ハン」
「この湯を一升瓶にとって一晩おく。それで翌日に湯豆腐を炊くといいんだよ。湯豆腐は一にも二にもつけ汁が問題だし、豆腐が問題だけど、まったりと柔らかくていい鍋になるね。手紙でたのんどいたからどこかそのあたりに一升瓶があるだろうよ。鍋には山菜やナメコを入れたりして」
「おじいさん、出てこないわね」
「顔なじみだからね。あらたまって挨拶することもあるまいと踏んでるんだろう。もともと山国の人は内気で、ひっこみ思案で、人づきあいの苦手な人が多いんだよ。これがおなじ山国でも海の見えるところへいくと、ちょっと変って陽が射してくる。開けてくる。山猿は山猿でもはしゃぐようになる。自分たちのあいだではそんなふうにいいあってる」
二、三度、部屋のなかをいったり来たりしたかと思うと阿佐緒はたちまち浴衣姿に変った。めざましく凜としたところがあって爽やかである。うつむいて服をたたんでいるところを見ると、項《うなじ》に髪が三、四本乱れてそよぎ、白皙の膚に生えぎわが藻のように緑がかって見える。この子には久留米絣が似あうかもしれないと思わせられる。しゃっきりとした手織りの生地の深い藍に朱の飛白《かすり》を散らしたのを着せると、襟元に匂うようなものが、出はしないか。竹が爽やかに香るような、そういうものが沁み出てくるのではないだろうか。
山の空は変りやすい。それまで秋晴れで晴れきっていたのが、午後遅くになって風が吹きはじめ、つぎつぎと乱雲が谷を越えはじめた。けれど雲量は陽を埋めるほどではないので、雲の裂けめから斜光が二本、三本、キラキラ煌めいて射し、谷の底まで射しこみ、河原の小石が一個ずつ読みとれそうだった。谷の両側の斜面が濃い雑木林に蔽われていて、さまざまな木が、思い思いに葉の色を変えつつある季節なので、紅葉の赤だけではなく、緑、茶、金、その緑も浅緑、濃緑、茶がかったのや、朱がかったのが入りまじり、線になり、点になり、面になりしてからみあって、ちりばめられている。日光が黄葉に射し、紅葉に射すと、それぞれの集群が燦光を乱舞させて谷を明るくさせる。首まで湯に浸ってこの清潔で豪奢な色と光にたわむれに見惚れていると、阿佐緒がそっと肩を寄せてきて、声を呑み、眼をうるませている。その頬を輝やかせている明晰で毒のなさそうな血色や谷の紅葉などを見ると、数年前にアルマンダイン・ガーネットをなぶって緋色の研究にふけっていたとき、どうしてこれを想起できなかったのか、不思議に思える。
まだ間《ま》がある。まだちょっと間がある。と読んでいるうちに雲が空に張りつめて居坐ってしまい、にわかに光という光が消えてしまった。霧が上流からつぎつぎと流れてくるうえに中流でも湧きあがって谷筋をすっかり溺らせてしまい、雑木林の最後まで煌めきつつ隠見していた朱と金も消え、雨が降りだした。濛々とたちこめる霧のなかで雨音だけがひびく。浴室は暗くなり、屋根、壁、窓を無数の小さな拳が連打しつづけ、情事には巣ごもりの親密がたちこめた。雨音にとりかこまれた情事にはひとしおの深さと濃さがこもってくる。霧と雨のさなかにこの小さな湯殿が流れだし、谷の上空のどこかに揺れも傾きもしないで漂うかのようである。前後と左右からじわじわと迫ってたちこめる孤立感が二人をそそのかし、沸きたたせた。
湯けむりのなかで阿佐緒が頬を上気させ、左腕を伸ばしてそっと肩を抱きしめる。腿をぴったりからみあわせ、湯のなかでぎこちないしぐさで右手でまさぐりはじめる。おぼえたばかりの悦びを深めたい、広げたいの一心でしなやかに握ったり、しごいたりをはじめる。その肩をひきよせて、耳に口をつけ、大きくはないけれど明るい声を装って、あることをささやいた。小首を傾けて阿佐緒は聞いていたが、聞きおわったとたんにキャッと声をたてて叫び、体をはなして逃げようとした。すかさず肩をつかんでひきもどし、もがきまわるのをおさえおさえ、軽薄ではなくてかるみ≠めざしつつ、申しこむ。説く。ねだる。懇願する。69も教えてあげた。99も教えてあげた。世界一周も教えてあげた。のこってるのはこれくらいしかない。これは子供のときからの念願だったけれど、まだ果していない。生れてはじめてのことなんだ。杯《さかずき》のふちに口をつけたら底までとことん飲み干さなきゃいけない。バッチイだの、不潔だのなんてことはここにはない。この湯の清潔さと豊かさをごらん。あふれるまま。流れるまま。まるで川じゃないの。ここによこたわる。そこへまたがって。やって頂戴。ヘンタイなんてこともない。自分がしたいと思うことは誰もがしたがってることか、とっくにやってることじゃないの。男はゆっくりと成長するんだよ。教育する者が教育されるのが教育の理想ではなかったかしら……
聞かないような、聞くような。すくなくともそんな姿勢になって、阿佐緒がじたばたもがかなくなったところを見とどけておき、岩の壺からぬけだして、床に寝ころぶ。床は岩床だけれどすべすべに削って磨いてあるので痛くも痒《かゆ》くもない。湯がひたひたと、とうとうと体を浸して流れていく。腹を浸し、腿を浸して、なめらかに、しなやかに、ふるえつつ流れていく。猫に全身を舐められているようである。いずれ阿佐緒の世界一周≠烽アれに近づくのではあるまいか。そっくりになるのではあるまいか。
「きめた。きめました」
「よろしい」
「やります」
「よろしい」
「教育してあげます」
阿佐緒はふいに岩の壺からあがると、一度、犬のように全身をふるわせた。とたんに、肩を、胸を、腿を無数の湯滴が走った。若わかしく張りつめた、淡桃色に輝やく、雪洞《ぼんぼり》のような膚が湯けむりのなかで発光した。その壮麗な体がこちらの体をまたぎ、しゃがみこんだかと思うと、ひとつまみの叢林からおしっこがとびだした。はじめはおずおずと洩れていたのがすぐに大胆になり、とまらなくなり、阿佐緒は白い咽喉を反《そ》らせて哄笑した。
「立って、立って」
「たっぷりとございますわヨ」
「まんべんなくふりかけてくれ」
「溺死なさらないよう」
阿佐緒は肩をふるわせて笑いながら立ちあがった。眼のうえにつやつやと張りきった太い腿が円柱のようにそびえ、ゆたかな下腹が輝やき、天井の電灯が小さいために首も顔も影にかくれて見えないけれど、叢林に、赤い、可愛い芽がちらちらと隠見する。淡い金色の飛沫がふりかかる。あたたかいその滴が、顔に、眼に、胸に、腹に落ちると、その点、その点から膚がとろける。不潔もなく、汚辱もない。形が失われ、ぎこちない骨が消える。蒼古に海から陸へ這いあがってきた、薄い皮膜だけに包まれていた生命体が、干潟の甘いとろとろの泥のなかで味わった、季節の歓喜が、これに近いものではなかっただろうか。素朴だけれど、深い。広大で、無礙《むげ》である。幼稚なのに光瑩洞K《こうえいとうてつ》である。
しびれて、気遠くなる。
「つぎは私の番」
「………」
「私にもして下さいな」
「………」
「ね。早く」
阿佐緒にせきたてられるまま、四散した形や力をあちらこちらから拾い集めるようにして、よろよろと立ちあがる。阿佐緒は潺湲《せんかん》と音たてて流れる湯のなかに手と足をひろげ、のびのびとよこたわっている。髪が右に左に乱れたり、束になったりして揺れている。その体をまたぎ、固くこわばった肉を無理矢理つらぬくようにしておしっこをおしだす。痛みが矢のように下腹を走った。胸に、腹に、臍に飛沫がほとばしり、滴落すると、彼女は悲鳴をあげて悶えた。湯の急流のなかで呻めき呻めき彼女は体をよじり、両手で乳房をにぎりしめて、下腹を波うたせた。あえぎあえぎ彼女は叫び、ころげまわった。ついさきほどまでの光量ならその全身に森の緑と、朱と、金が映っただろうにと惜しまれる。ほの暗い闇のなかに湯けむりがこもり、天井にも壁にも雨が降りしきり、巣ごもりは若い呻吟で煌めきわたる。
「面積で五倍、深さで十倍」
「何のことですか?」
「皮膚が拡大されたと言ってるんだよ」
「とてもそんなもんじゃすまないわ」
濡れたまま浴室から出て、あらかじめ敷いてあった寝床に二人してたおれこんだ。純白のシーツは糊がよくきいていて、固くごわごわし、どこまでも清潔で、いい匂いがする。隣りの室では自在鉤の鉄瓶が音をたてつづけ、山と盛った炭がネオン管のように赤く輝やいている。障子ガラスの向うには谷と森があるはずだけれど、黄昏と霧にかくされ、冷気が息をひそめてこっそり忍びより、壁や窓をまさぐって歩きまわっているらしい気配がする。この小屋は見すぼらしくて古いけれど、まだ朽ちかかってはいないので、罅《ひび》や、穴が、どこにもない。夜は足音を殺してためらいためらい、しかし、あきらめることなく歩きまわり、待ちつづける。
「すごい色だわ」
「魔羅。梵語。サンスクリット語」
「力《りき》んでらっしゃいますわヨ」
「修道の妨げになるものはすべて魔羅と呼ばれた、と。権力慾も、虚栄心も、金銭慾も、ケチンボも、すべて魔羅という。だけどそれだけがいつからか魔羅と呼ばれるようになって、ほかのものはすべて忘れられた。権力慾はあるやつもいるし、ないやつもいる。虚栄心は持ってるやつもいるし、持ってないやつもいる。稀れですがね。だけど、この、セックスというやつ。こればかりは誰にでもある。いつもある。どこにもある。だから生きのびられたんじゃないか。たしか、大槻文彦が『言海』のなかでそう言ってたと思うな。これは読んで愉しいたった一つの辞書だよ。たった一人で全巻を書いた。サムエル・ジョンソン博士の『英語辞書』に迫るか」
「可愛い。可愛いわ」
阿佐緒がやわらかくしごいたり、頬ずりしたりしている。眼のまえに張りつめた白い臀が迫り、貪婪なような、とぼけたような、可愛い肛門が迫ってくる。首をもたげてそれを舐めたり、小皺を舌でおしのけたり、指さきで突いたりする。ふいに、とどめようなく、腰の底深い中枢のあたりに湧出があった。それはまっしぐらに突進し、阿佐緒の小さな舌のそよぎに呼応して、ほとばしった。眼に熱い闇がたちこめ、微塵の火華が煌めきつつ、右に、左に、流れた。呻めきつつ、叫びつつ、混沌の渦動に墜ちていく。かすかな、甘美な嘔気がこみあげてきて消えていく。とろりとした眩暈がたゆたう。
阿佐緒はひっそりと体からはなれ、たちまち甘睡にひきこまれていったようである。小さな、すこやかな寝息が聞こえてきたので、しばらくしてから上体を起してみると、彼女は手も足も投げだして眠っていた。小さな死をむさぼってひたすら眠りこんでいる。髪が汗で頬に乱れたまま張りつき、額も眉もひらきっぱなしになっている。かすかにひらいた唇から白い、小さな歯が見え、ぽってりとゆたかな肉づきの下唇に一滴、精が光っている。寝床のすぐそこまでしのびこんだ黄昏の微光のなかでその滴がキラリと光って見えた。思わず眼を凝《こ》らした瞬間に遠くから青光りが音もなくかけより、滴の内部にもぐりこみ、たちまち消えた。
(……女だったのか)
このところずっと耳のうしろに漂いつづけていた疑いとためらいが一挙に氷解したような気がした。とけてみるとそれはまったく幼稚で、はじめからわかりきったことであったような気がする。けれど、迷いは迷いだったのだ。月下の白い宮殿はのこる。大いなる鐘の沈んだ淵ものこるであろう。けれど、核は出来たのだ。ふいに、思いもかけず一瞬で、仕上ったのだ。ふたたび甘美な、気遠い、熱い晦冥《かいめい》のなかへ重錘《おもり》のようにゆっくりと沈んでいく。
(女だった……)
初出誌 「文學界」一九九〇年新年号
単行本 一九九〇年二月文藝春秋刊