とある魔術《まじゅつ》の禁書目録《インデックス》SS
鎌池和馬 / イラスト・灰村キヨタカ
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《》…ルビ
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(例)殺傷域紫外線|狙撃《そげき》装置
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底本データ
一頁17行 一行4?文字 段組1段
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とある魔術の禁書目録SS
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contents
序章 開戦前の穏やかな一日 Breakfast.
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第一章 鍋と肉と食欲の大戦術 A_Required_Thing.
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第二章 灰色の無味乾燥な路池 Skiif-Out.
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第三章 イギリス潰教の女子寮 Russian_Roulette.
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第四章 酔っ払った母親の事情 The_Two_Leading_Roles.
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終 章 一つの意志と小さな鍵 The_Present_Target.
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序 章 開戦前の穏やかな一日 Breakfast.
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ちくわが一本余ってしまった。
「……うーむ」
賞味期限が本日午前一〇時ジャストのちくわを眺め、上条当麻《かみじょうとうま》は台所で呻き声をあげる。
ハムの代わりにサラダへぶち込むのが最近のマイブームな訳だが、これ以上投入すると彩りが悪くなってしまう。かと言って、あと二、三時間で賞味期限をオーバーするちくわをこのまま放っておく道理はない。
学生にとって、朝の時間は貴重である。
いつまでもうんうん悩んでいられないんだけど、この余ったちくわどうしよう………?と上条が途方に暮れていると、台所スペースに三毛猫《みけねこ》がにゃんにゃん鳴きながら突撃してきた。冬毛になったからか成長したのか、少し膨らんできた気がする。
(……、)
上条は台所スペースから、ベッドの置いてある方にそっと視線を向けた。
そこには一人の修道女がいる。
名前はインデックス。
早寝早起きが信条なのか、いつもはだらけて床の上をゴロゴロしているだけなのに、この時間だけはシャッキリと背筋を伸ばし、床に膝をついて、両手を組んで静かに朝のお祈りなどを行っている。
三毛猫《みけねこ》がこちらに来たのは、インデックスが構ってくれないからかもしれない。
(ふむ)
上条は余ったちくわを欄むと、台所の床に屈み込んで、決してインデックスには届かないよう、細心の注意を払った小声でこう言った。
「……ちくわを食べたいかー?」
にゃーん!!と三毛猫《みけねこ》が大きな声で鳴いた。
嬉しさMAXという感じでしっぽをピンと立てている小型の愛玩動物に、上条はちくわを一本丸ごと押し付ける。
と、三毛猫《みけねこ》はちくわの真ん中辺りをがぶりと唖えると、まるで犬が骨をもらったような格好で、再び台所から走り去ってしまった。
猫は自分のエサを取られないようにするため、一定以上の大きさの食べ物は隠れてコソコソ食べる習性があるのだ。
おそらくテレビの裏とかに潜り込むんだろうな、と上条は適当に考え、朝ご飯の支度に戻ろうとする。
そこへ三毛猫《みけねこ》と入れ替わりに、インデックスが突撃してきた。
彼女は叫ぶ。
「ちくわを食べさせたいかーっ!?」
「は?いやちくわは一本しか余ってないし!!」
三毛猫《みけねこ》がちくわを唖えているのを目撃したのだろう、インデックスの目がギラギラと輝いていた。しかも『何故三毛猫《みけねこ》は摘み食いが許されて私は許されないのか』的なドロドロした感情まで追加されている。
上条は慌ててインデックスを押し留めようとする。
彼女に好き嫌いはない。外国人における和食への戸惑いもないし、このままではちくわ一本どころか台所にあるものが全て消えてしまう。
「待てインデック!!あと一○分、いや七分で朝ご飯です!だから冷蔵庫の中身を勝手に漁ろうとするのは―――」
「ちくわをちくわちくわーっ!!」
「もう意味が分からないし、溢前さっきまで一体何を祈ってたんだ!?このシスターさんは欲望全開じゃない!!」
待ってそれ作りかけだから待って!!と上条が止める暇もなく、インデックスは台所でバクバクと口を動かし始めてしまった。
一〇月三日、午前七時二分。
自分の分の料理も食べ尽くされた上条は、菜ばし片手に呆然と立つしかなかった。
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第一章 鍋と肉と食欲の大戦術 A_Required_Thing.
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1
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そんなこんなでお昼休みである。
「ぶあー。腹がぐーぐー鳴ってるー……」
諸事情により朝ご飯を食べ損ねた上条は、何とか午前中の授業を耐え抜いた。
昼休み開始直後の教室からは、学食や購買へ向かう生徒達がダッシュで消えていた。廊下からは『こらーっ!廊下を走っちゃ駄目なのですよーっー!!』という小萌先生の声や、『走ってません!上履き脱いで靴下で滑ってます!!』『靴下ドリフト展開中!!』などという運動部の声が交錯している。よほどの速度なのか、運動部の方はドップラー効果が出ているぐらいだ。
ただでさえ体力のない上条はそういった高いテンションから完全に出遅れた。
いつもなら昼休みにこの遅れは致命的なものとなるのだが、しかし今日は問題ない。
彼は薄っぺらい学生鞄を机の上にドカンと置くと、その中から必殺お弁当箱を取り出した。
さーて食べるかー、と上条が蓋を開けようとした所で、ふとポケットの中の携帯電話がぶるぶると震えた。
見ると、最近電話番号とアドレスを交換したばかりの御坂美琴《みさかみこと》からメールが届いている。
「ありゃ?」
と、その内容を確かめるため液晶画面を見た上条は首をひねった。
『データが破損しているためこのメールを開く事ができません』と書かれている。
(何だろ。とりあえずこっちからメール送っておくか)
上条は親指でポチポチとボタンを押して、意味分かんないのでもう一度送れこの野郎と書いてからメールを送信した。
とりあえず携帯電話はポケットにしまうとして、今はお弁当である。
「むむ。何だか今日は珍しい」
そこへ近づいてきたのは小さな巾着を持った姫神秋沙《ひめがみあいさ》だ。
いかにも和風な長い黒髪の少女で、何気に彼女は毎日お弁当なのだった。
「また美味そうなのを持ったヤツが来たな」
「ただで分けるおかずはない。やるならトレード」
言いながら、姫神《ひめがみ》はその辺にあった椅子をずずずと引きずってくる。
上条は自分のお弁当箱の蓋をカパッと開けつつ、
「……昨日のご飯の余りがあったから、朝ご飯作る前に適当に詰めておいたんだけど……この弁当だけはあいつに食われずに済んだんだよな……」
「?」
上条の眩きを理解できず、姫神《ひめがみ》は首を傾げている。
昼休み開始直後の喧騒は、クラスの大半を占める食堂組や購買組が廊下へ消えて行った事で一時的に退いていた。残る弁当組は自分の机だろうが他入の机だろうがお構いなしに陣取り、勝手にくっつけて食事スペースを確保している。
上条は登校中に手に入れておいた冷たい麦茶(故にぬるくなった)を鞄の中からごそごそ取
り出しつつ、
「姫神《ひめがみ》ってよく毎日弁当用意する気力があるよな。残り物を詰め込むだけでも面倒臭かったぞ」
「一度習慣づけてしまえば。それほど苦労する事もない」
二人のお弁当の出来は一目瞭然で、姫神《ひめがみ》の方には野菜の天ぷらが入っているし主食は白米ではなく混ぜご飯だし、何だかものすごく美味しそうに見える。単に残り物を詰め込んだだけの上条と、最初からお弁当を作るつもりで料理を作った姫神《ひめがみ》の違いだろう。おまけに上条の方は、煮物などをそのまま入れてきたため、どろりとした煮汁がご飯ゾーンに侵食していたりもする。
やや気の毒そうな姫神《ひめがみ》の視線に、上条はプラスチックのお箸を握りつつ、
「お弁当は見た目じゃないのです。煮汁が染みてたりすると意外に美味かったりするのです」
「……。負け惜しみ?」
「負け惜しみではない!!今日の煮物は芋の柔らかさから煮汁の出来まで完壁であって、その煮汁が染み込んだご飯だって美味いんだよ!てっ、テメェ、そんな顔をするならこの里芋をつついてみなさい! みりんの使い方がまた一段とレベルアップした上条当麻《とうま》の底力を知る事になるから!!」
じゃあかぼちゃの天ぷらと交換、という事で上条と姫神《ひめがみ》のお箸が交差する。
(どうでも良いけど朝っぱらから面倒臭い揚げ物を作るって、こいつ何時に起きてんだ?)
意外に努力家なのかもしれない、と上条は思いつつ天ぷらを口に放り込んでみる。悔しいが美味い。お弁当箱に長時間入れておいたはずなのに、未だにパリッとしているのが謎だ。これは頼み込んで姫神《ひめがみ》レシピを伝授してもらわなければ。
一方、姫神《ひめがみ》はあんまり形の良くない、単身赴任のお父さんが仕方なく料理を覚えました的な里芋をちょっと眺めると、それを口に運んでもぐもぐと噛み、
「うん。悪くはないかも―――」
言いかけた所で、姫神《ひめがみ》が唐突に『むぐっ!?』と呻き声をあげた。そのまま背中を丸め、喉に手を当てている。
どうやら喉に詰まったらしい。
「だっ、大丈失か!?」
上条が思わず大声で言っても、姫神《ひめがみ》から返事はない。
ペットボトルのミネラルウォーターに手を伸ばす姫神《ひめがみ》は、やや涙目だ。上条はうろたえたが、姫神《ひめがみ》が空いた手を自分の背中の方に回しているのを見て、
「え、何だ。さすった方が良いのか!」
そう叫ぶと、姫神《ひめがみ》は水を口に含みながらこくこくと頷いた。
上条は長い髪に覆われた姫神《ひめがみ》の背中の真ん中に手を当てて、どのぐらいの加減が良いんだろ、と優しく上下させる事にしたが、姫神《ひめがみ》の苦しそうな震えは収まらない。
「くそっ! これはもう保健室に連れてった方が―――ッ!」
「むぐ。もぐぐ」
「あ、そうか。もっと強くか!?」
後ろに回した手で背中の真ん中辺りを指差しつつ、小刻みに首を縦に振る姫神《ひめがみ》。上条は一刻も早くこの状態から姫神《ひめがみ》を助けるため、もう無我夢中で彼女の指示通りに強く背中をさすったが、
ぷちっ、と。
ブラのホックが外れるイレギュラーな感触が上条の指に伝わった。
その途端に姫神《ひめがみ》は無言で拳を握ると、それを上条のお腹の真ん中へ容赦なく突き刺した(乳揺れ率上昇)。ズドム!! というとんでもない音と共に上条の体がくの字に折れ曲がり、そのまま床に転がった。姫神《ひめがみ》は胸の辺りを押さえて化粧室へと走っていく。
「げぶっ。い、言われた通りにやったのに……何でこんな不幸な目に……」
床の上でぶるぶると小刻みに震えている上条の元に、おでこで長い黒髪で巨乳のクラスメイト、吹寄制理《ふきよせせいり》が惣菜パンのビニール袋を片手にやってきた。どうやら吹寄《ふきよせ》はロッカーから食料を取ってきた帰りらしい。彼女は呆れた声でこう言った。
「……何やってんだか」
「ふ、吹寄《ふきよせ》?」
上条はのろのろと起き上がって椅子に座り直してから、彼女の昼食を眺めて、
「お前、何でいつもそんな味気なさそうなパン食べてる訳?」
「味気なさそうじゃない!!ちゃんと美味しいわよ!!」
むきになって吹寄《ふきよせ》は叫ぶが、彼女の持っているパンの包みには『脳を渚性化させる一二の栄養素が入った能力上昇パン』とか書かれている。薬みたいなご飯だった。
ムスッとしている吹寄《ふきよせ》は上条の机にドカリと腰掛けてガブガブとパンにかぶりついているが、やはり美味しそうには見えない。
「おかずがないなら、俺の里芋を食べるかね?」
「……言っておくけど、今日のあたしはフロントホックよ」
「?」
唐突なカミングアウトの意味が分からず、首を傾げる上条。そんな彼の様子を見て、吹寄《ふきよせ》はごほんと咳払いをした。
「しっかし、貴様が弁当作ってくるというのも珍しいわね」
「さっき姫神《ひめがみ》にも言われた。自分でも珍しいとは思うけど」
上条が改めてお弁当を箸でつつき始めると、購買に駆け込んでいた連中が惣菜パンを片手にぞろぞろと教室に戻ってくる所だった。食堂組はもうちょっと後になるだろう。旬の話題が好きなヤツは、わざわざ学校の外に出て、この頃解禁されたばかりのコンビニおでんなどを買ってきている。
生徒達の昼休みの過ごし方は色々だ。
食後にいらなくなったプリントを丸めてキャッチボールをするヤツもいれば、ご飯を食べながら携帯電話のテレビ機能を使ってバラエティ番組をチェックしているヤツもいる。
しかし、ここ最近の話題はある事に共通していた。
漫然とそれらを聞いていた吹寄《ふきよせ》は彼らと同じように、何とはなしに口に出した。
「……戦争、か」
ポツリと出てきた物騒な言葉に、上条は思わず箸を止めてしまう。
吹寄《ふきよせ》は上条の様子に眉をひそめ、
「なに、貴様知らないの?ちょっとはニュースぐらい確認しなさいよね」
「知ってるよ。流石にな」
むしろ、上条は誰よりもそれを深く知っているかもしれない。
言ってどうなる事でもないが。
「まあ、それぐらい貴様でも知ってるか。ウチとどっかのでかい宗教団体がぶつかるかもって話だったけど。なんか、世界中でデモ行進とか抗議活動とか起こっているんでしょ」
それこそニュースからの受け売りなのか、吹寄《ふきよせ》の言葉はどこか頼りない。
「参ってしまうわよね」
吹寄《ふきよせ》は若干の不安と懸念を口調に乗せて、そう言った。
上条の顔が曇る。
箸の止まった彼に気づかず、吹寄《ふきよせ》はため息をついてさらに続ける。
「だって、戦争が始まったらお肉とか野菜とかの値段が上がっちゃうんでしょ。あとお決まりの石油とかも!」
いきなりの場違いな台詞に、上条は少しだけ面食らった。
しかし周りから聞こえるウワサも、そんなものである。
携帯電話のテレビを眺めている運動部の連中は、
「街の入退場制限が厳しくなるから、社会見学なくなるかもって話だぜ」
「マジでかーっ!? 一端覧祭《いちはならんさい》にまで影響しねーだろうな!!」
とか言っているし、その横にいる女子達は、
「さっき職員室の前で聞いたんだけど、警備員《アンチスキル》《アンチスキル》の先生達が対策練るから中間テストどころじゃなくなるってさ」
「おっしゃラッキーっ!! 今回の身体検査は全く自信がなかったから助かったわーっ!!」
「もしもし。むしろ皆を出し抜こうとスプーン片手に猛特訓していたガリ勉ちゃんの私はどうすれば?」
などと笑い合っている。
これが学校……というか、街中で流れている、現在の『戦争が起こす大きな問題』だった。
学園都市とローマ正教の大きな争いが起こる、というのは分かっていても、それが具体的に自分達の身へ降り注ぐ、という所までは想像が働いていない。
それで良い、と上条は思った。
あんな血みどろの戦いを緻密に想像できるような環境になってしまったら、もう終わりだ。
そうならないように、上条当麻《とうま》は行動するべきだ。
「??? 貴様、さっきから何を黙ってる訳?」
「い、いや、何ても」
「……人様の胸を見ながら言葉を詰まらせるのやめなさいよね。ったく、何を想像してんだか!」
「想像なんかしてねえよ!! くそう、たまに真剣になってみればこんな調子か!!」
上条は苛立ち紛れにお弁当の里芋に箸をザクザク突き刺し、
「でも、肉とか野菜ってそんなに高くなんのか? 学園都市って、クローン食肉とか野菜の人工栽培とかやってんじゃん。ほら、そこらの農業ビルとかで。第一七学区の工業地帯とかが有名だったと思うけど」
「それにも限度ってのがあるんじゃない? 完全な自給自足なんてできたら、よその協力機関と連携なんか取らないでしょ!」
「ふうん」
上条は教室に戻ってきた姫神《ひめがみ》を視界の隅でチラリと追いつつ、
「なら、今の内に鍋とか食べておいた方がお得なのかな。後になって、値が高騰してから食べときゃ良かったー、みたいな事にならないように」
「ま、一理あるわね。もうスーパーとかだと値上がりはじわじわと始まってるみたいだし、そういう事なら冬にはまだ早いけどさっさと食べといた方が良いかもしれないわ」
と、そんな言葉が耳に入ったのか、黒板の辺りで話し込んでいた青髪《あおがみ》ピアスと土御門元春《つちみかどもとはる》が
『だから、膝枕で耳かきなんて本当は存在しないねん。あれはフィクションの中だけの産物だっつの!』『……いや、あるんだけどにゃー……』という談義を止め、上条達の方を見た。
青髪《あおがみ》ピアスは言う。
「あれ、カミやん今日鍋にすんの?」
土御門《つちみかど》元春が続けてこう言った。
「にゃー。すき焼きだったら安くて美味い店を知ってるぜい」
その会話は伝播していき、隣にいた生徒も加わり、
「一〇月なのに鍋って早すぎないか。なあ?」
そこから一気に会話の輪が広がっていく。
クラスメイト達が次々と接近してくる。
「何だ。お前ら今日どっか店行く訳?」
「美味い店の独り占めとは許せませんな」
「俺はむしろ鍋より焼肉の方が好みなんだが」
「待て待て。みんなで金を出すんだから多数決で決めようぜー」
あれ? と上条は目を点にする。
いつの間にか会話の主題が捻じ曲がっている。『お肉高くなる前に鍋でも食べておこう』から『クラスのみんなで晩ご飯を食べに行こう』になってしまっている。
「つか、何でまたいきなり鍋な訳?」
「大覇星祭《だいはせいさい》の打ち上げ―――はこの前やったよな」
「一端覧祭の準備式とかそんな感じじゃねーの?」
上条を取り巻く集団の中で様々な憶測が勝手に飛び交ったが、最終的には『もういいよ理由なんて!』『鍋が食えればそれで満足じゃーっ!!』という方向で収束していく。そもそも話題の中心にいた上条とかはポツンと置いてきぼりで。
「多数決多数決!!」
「すき焼き!」
「焼肉!」
「おでん」「ボクモオデンー」
「誰だ今腹話術使ったヤツ!?」
「しゃーぶーしゃーぶー(×6)」
「5.1チャンネルサラウンド!?誰か能力使って音源増やしてやがるぞ!!」
どばあ!!と教室全体がスタジアムみたいに大声で爆発する。
しまいには土御門《つちみかど》元春が『この土御門《つちみかど》式隠れた名店メモがあればどんな二ーズにも応えられるにゃーっ!!』と叫び、青髪《あおがみ》ピアスが『じゃあカッ飛んだウェイトレスさんのいるお店がええなあ! 巨乳で天使の笑顔で彼氏なしの!!』と切り返した事で、場の騒ぎが『いやチアリーダーみたいな制服のウェイトレスさんはいるって!!』『いないよそんなの!テニスウェアっぽいのは見た事あるけど!!』という訳の分からない討論へ移っていく。
ぎゃああ、と上条はおろおろした後、
「ふっ、吹寄《ふきよせ》さん?どうしよう、なんか大変な事にっ!?」
「ったく……」
吹寄《ふきよせ》は小さく息を吐くと、一度顔を洗うように両手で表情を隠し、その両手を一気に上にあげて頭の後ろへ回して、耳に引っ掛けていた髪を完壁な形でオールバック状に整え直したのち、さらにいくつかのヘアピンで固定していく。
彼女は本気だ。
上条は思わず叫んでいた。
「―――吹寄《ふきよせ》おでこDXッッッ!?」
「さあ!! このあたしが面倒見てやるからさっさと清き一票を入れなさいッ!!」
吹寄《ふきよせ》は教壇まで行くと、あんまり綺麗に掃除されていない黒板をドバンと叩いて大声を出す。
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[#ここで字下げ終わり]
見た目一二歳の女教師、月詠小萌《つくよみこもえ》と年がら年中ジャージの爆乳女体育教師、黄泉川愛穂《よみかわあいほ》は並んで廊下を歩いていた。もうそろそろお昼休みも終わりである。
「……なので、猫ちゃんの脳は人間で言うと「一歳半ぐらいなのです。学園都市の時間割り《かりきゅらむ》は最年少でも五歳から始まりますので、結論から言って猫ちゃんに能力は使えない……というのが霧ヶ丘女学院《きりがおかじょがくいん》の磯塩《いそしお》さんの論文内容なんですけどー」
「何だか嘘臭いじゃんよー。他の動物だって能力が発現したって報告はないじゃんか。ま、イレギュラー能力開発が売りの霧ヶ丘なら、それぐらいぶっ飛んでる頭の方が色んなアイデア出てくんのかもしんないけどさ」
黄泉川は適当に後ろで束ねた黒髪を揺らしながら、
「霧ヶ丘って言えば月詠センセ、また新しい家出少女を保護したって言ってたじゃん。あの子どうなってるの〜」
「えへへー。姫神《ひめがみ》ちゃんが学校の寮に入ってからちよっと寂しかったですけど、結標《むすじめ》ちゃんが来たからもう大丈夫なのですよ。その霧ヶ丘で何かあったみたいで、とりあえず向こうから事情を話してくれるまで先生は待っているのです。姫神《ひめがみ》ちゃんと違って家事ができない子なので、そっちの方も勉強中なのですよー」
へえー、と黄泉川は素直に感心した声を出し、
「……ウチの居候は、薄情にもさっさと出て行っちまったじゃんよー。それも書き置きの一つもなしじゃん。今朝、長点上機学園から転入手続き完了の紙切れが突然届いたって感じ。どうやら今はそっちの寮にいるらしいんだけど」
「えっ!? 長点上機《ながてんじょうき》学園って言ったら能力開発分野でナンバーワンなのですよ! ほら、今年の大覇星祭でも常盤台《ときわだい》中学を打ち破って学校部門で優勝したっていう」
「そうなんだけどねー。なーんか腑に落ちないっつーか、もう一人の居候を置いて出て行くのが不自然っつーか……ま、こっちも色々あるじゃんよ」
とか何とか言い合っている内に、それぞれ受け持っているクラスの前へやってきた、小萌先生と黄泉川のクラスはお隣さんなのだ。
同じ学年なのだが空気というかカラーの違いは一目瞭然で、黄泉川の方は昼休み終了五分前なのに、もう次の歴史の教科書などを揃え、余った時間で宿題を見せ合ったりしている。黄泉川が受け持っているのは体育なので関係ないが、おそらく歴史教師は心の中で涙を流して喜んでいるだろう。
それに対して小萌先生のクラスは、
「けってーっ!! 今夜はみんなですき焼きに決定しましたーッッッ!!」
どおお!! とロスタイムにゴールが決まったサッカースタジアムみたいな歓声が前から後ろへ突き抜け、その大轟音に小萌先生がひっくり返る。廊下の窓ガラスまでがビリビリと振動していた。
小萌先生はよたよたと起き上がると、
「わつわわわ!! よ、黄泉川先生っ。申し訳ないんですけどちょっと収拾をつけてくるのですーっ!!」
おろおろしながら自分の教室へ飛び込んでいく小萌先生。
その背中を眺めながら、黄泉川はポツリと眩いた。
「……良いなあ。馬鹿みたいな事ばかりで」
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3
[#ここで字下げ終わり]
そんなこんなで今夜はすき焼きである。
クラスメイト全貝+小萌先生+インデックス+三毛猫《みけねこ》というメンツで、土御門《つちみかど》元春の知っている鍋の店へと歩いて行った。大覇星祭の打ち上げの際、すでにインデックスはクラスの中に乱入して五秒で馴染んでしまっていたので、今回はもう何というかクラスに対する説明すらも不要だった。
完全下校時刻を過ぎているため、電車もバスもない。
従って、お店は第七学区の中限定という事になる。
そこは複雑に入り組んだ地下街の一角で、様々な料理や栄養関係の学校が実験的にお店を集めているようだった。さては土御門《つちみかど》の義妹の舞夏《まいか》の家政学校の店も入っているな、と上条はこっそりため息をつく。
件のすき焼き屋さんはと言うと……
「……おわあ」
上条は思わず呻き声をあげた。
近代的なデザインばかりの地下街で、その一軒だけが妙にすすけているというか、もっと口語的に言うとポロっちい。客を集めている感は限りなくぜロだった。『こういう所が意外に美味しいんだよ、頑固オヤジとかいてな』ではなく、もはや『……逆にこの店構えで不味かったら、どうフォローすれば良い訳?』のレベルである。
よほど自信があるに違いない、と上条は息を呑みつつ、何となく最前列にいたので入口の戸をガラガラと横に引いてみる。
レジの所にいたのはやる気のなさそうな学生店員だったが、上条達の総数が四〇人に届くと聞くと店の奥へ引っ込み、そちらからは『おおっしゃーっ!! 大漁じゃあーっ!!』『おい売り上げグラフが今日だけ上にとんがっちまうぜーっ!!』というゼニ丸出しな声が飛び交う。
上条は肩を落としつつ、
「ま、団体様だもんな」
「そもそも電話もしないでいきなり四〇人も店に向かうのがおかしいし、そいつを笑顔で丸ごと受け入れられる時点で普段のガラガラぶりを感じて欲しいにゃー」
と言ったのは土御門《つちみかど》だ。そこへさらに、
「ところでなのです」
小萌先生が割り込んだ。彼女は壁にかかった、やや油を吸っているっぽい色合いのお品書きを眺めて、
「土御門《つちみかど》ちゃんは、何で地ビールだけで三〇種類も揃えているアルコール最高のこんなお店を知っているのです?」
「ぐっ!? い、いや!! 違うですにゃー高校生がアルコールの摂取など考えられないにゃーっ!!」
「土御門《つちみかど》ちゃん? 土御門《つちみかど》ちゃーん?」
小萌先生が限りなく胡散臭い瞳を向けていたが、ここで騒がれると鍋はお預けになってしまう。上条達クラスメイトは小萌先生の全身を掴むと、まーまーまーまーと言いながら強引にお店の団体様用宴会席へ向かう。
先生は何か言いたそうだがみんな取り合わない。
当然ながら一つの鍋を四〇人前後でつつきまくる訳にはいかないので、自然といくつかのグループにテーブルが分かれる事になる。『始まるぞお!』「鍋が始まるぞおーっ!!』と各々は勝手にテンションを上げ、意味もなくテーブルの上にあるガスコンロのツマミをひねったり、割り箸を綺麗に割るコンテストを決行したりと大忙しだ。
三毛猫《みけねこ》は小さな鼻をひくひく動かしては嬉しそうにみゃーみゃー鳴いていたが、またもやネギ類禁止令のためすき焼きはお預けである。
あまりにも無残なので、上条は鍋と一緒に注文したものの先に来てしまった手軽なおにぎりを三毛猫《みけねこ》の前に置いた。『おのれーっ!! みんなは肉なのに俺だけシャケかよ!!』と三毛猫《みけねこ》は不機嫌そうにしっぽを膨らませながら、前脚でおにぎりの両サイドを掴み、頭からガブリとやっている。
注文した鍋を待つ間、クラスで話題になっているのは、やはり学園都市の『外』で起きている混乱についてだ。
姫神《ひめがみ》はボソボソした声で、背中合わせの位置にいる吹寄《ふきよせ》に話しかけている。
「そういえば。大能力以上の子には。身元の申告書類を提出するようにって話がいっているみたいだけど」
「大能力とか超能力とかって言ったら相当の使い手でしょ。ふん、やっぱりやばくなったらあたし達も矢面に立たされるのかしらね!」
むしろ逆かも、と吹寄《ふきよせ》の隣に座っている上条はこっそり思った。近くにいるインデックスは訳が分からなそうな顔で首をひねっている。
御坂美琴と御坂妹の関係を見れば分かる通り、能力は単純なDNA情報だけで決定するものではないらしい。となると、貴重な能力を持つ生徒達をみすみす失いたくはないだろう。特に超能力者《レベル5》となれば、それだけで専門の研究所が作られかねないほどの価値があるのだから。
それに関連する話題としては、
「なーなー。常盤台中学の学バスは耐爆防弾仕様だって本当なん? なんかウワサじゃ不意の砲撃でも安心とかいう話らしいんやけど」
「にゃー。つか巷でささやかれている『学舎の園』の情報なんて嘘臭いぜい。あそこの機密が一般に漏れるなんて事はある訳ねーだろ」
上条から見て斜めの席にいる青髪《あおがみ》ピアスと、どこかへ電話をするために席を立って、今戻ってきた所の土御門《つちみかど》の会話は、馬鹿馬鹿しいが妙に信憑性がある気がする。
仮に常盤台中学のお嬢様達がごっそり犠牲になったら、政財界を中心にあっちこっちで激震が走るのは間違いなしだ。人の命って平等じゃねえよな、と上条はため息をつく。
他にも、
「はああ!……。保護者の皆様から『もし戦争が起きたら学園都市は危ないから子供を返して』っていうお問い合わせが増えているのですよー」
「え、そんな話にもなってんですか」
ちょっとやつれた調子の小萌先生に、上条はきょとんとした。
テーブルを挟んで上条の向かいに座っている小萌先生はなかなか来ない鍋を気にしつつ、グラスに入った冷水を口に含み、
「ま、大切なお子様ですからね。理解できる一面もあるのですけど……でも学園都市より安全な場所ってどこなんでしょう? 国内外を問わず、これほど警備体制が充実した安全地帯はそうそうないと思うんですけど」
それはどうだろう、と上条は苦笑いになった。
この数ヶ月で何回病院送りにされたか、もう数えたくもなかったりする。
そこへ上条の隣にいるインデックスが、
「とうま、私はお腹がすいたんだよ」
「……もうすぐ鍋が来るから。つか、お前は本当にマイペースだな」
「私もおにぎり」
「駄目だ! それは三毛猫《みけねこ》用!!」
上条が叫ぶと、三毛猫《みけねこ》は全身の毛を逆立てて『ふざけんな! 俺は肉も食べられないのにシャケすら取られんのか?』と威嚇の声で鳴きまくった。
と、
「鍋が来たぞーっ!!」
土御門《つちみかど》が嘘つき少年みたいな大声を出した。
上条達がそちらに注目すると、数人の店員さんが両手で黒い鉄の鍋を持ってきた所だった。
すでにぐつぐつ音を立てている鍋からは、確かに土御門《つちみかど》が勧めてくるだけあって、家庭では作れなさそうな良い匂いが漂ってきている.
どれどれ、と上条は店貝さんの持っている鍋を覗き込もうとする。
ここで上条は周辺のクラスメイト達から取り押さえられた。近くにいたインデックスが小さな悲鳴をあげ、吹寄《ふきよせ》は鬱陶しそうな顔で息を吐く。
「ぐわっ!? テメェら何をする!!」
「馬鹿野郎! お前が関わったらあの鍋がひっくり返ったりするんだッ!!」
「唐突にな! ほら特にあの可愛い顔で胸は巨乳の店員さんとか超危険!!」
「お前の幸せのために俺達が空腹になるのは間違っているだろう!?」
色々と反論したいのだが、多勢に無勢である。彼の右手に宿る幻想殺し《イマジンブレイカー》は食欲満載のクラスメイト達には何の効力もないのだ。
そんな事もあったせいか、今回は何の前触れもない不幸は訪れなかった。
ただ、例の可愛い顔で胸は巨乳の店員が、現行犯逮捕みたいになっている上条を見て『だ、大丈夫ですか?』と言ってきたので、クラスメイト達は結局やられたなと思ったらしく、
「……せめて不幸にならないと余計にイラついてくる」
「ボソッと言うなよ怖いんだよ!!」
たくさんの腕を振り解いた上条は叫ぶが、クラスの連中の注目は鍋である。
上条は気を取り直してすき焼き用の生卵をテープルの角にぶつけ、バコリと殻を割って中身を茶碗に落とす。それを割り箸でガチャガチャかき回していたが、
「……上条。何で貴様はそんなにモタモタと卵を溶いてる訳?」
不意に、隣に座っていた吹寄《ふきよせ》が超不機嫌な声でそう言った。
「へ?」
「ぐああもう見てるとイライラする!! ちょっと貸しなさい、卵ってのはもっと素早くやるのよホラこうやって!!」
「ひぃ仕切り屋!?」
茶碗を奪われた上条は、さりげなく吹寄《ふきよせ》から菜ばしを遠ざけて拓く。このままではせっかくのすき焼きで野菜だけをてんこ盛りにされかねない。
一方、青髪《あおがみ》ピアスはまるでこの展開を読んでいたかの如く吹寄《ふきよせ》から一定の距離をキープした安全地帯で、のんびりと上条に声をかける。
「メニューを見る限りだと、まだ値段は変わっとらんようやね」
「あ、ああ。でも仕入れの段階では上がってるかもな。これが一時的なものかどうか分からないから今は様子見してるだけで、実は今すぐ値上げしたいかもしれないぞ」
「つまり今の内に食っておけって事やね!そりゃーっ!!」
「そりゃーじゃねえよテメェ肉ばっか取りやがって!吹寄《ふきよせ》さんもこのブラックバスみたいに鍋の環境を破壊する肉食野郎をどうにかしてーっ!!」
上条も負けじと菜ばしを伸ばすが、こういう時に限って肉だと思ったら煮汁を吸ったしらたきだったり、掴めたと思っても小さな切れ端だけだったりと散々である。おまけに吹寄《ふきよせ》から無闇に菜ばしで鍋をかき回すな豆腐が崩れると言われてグンコツをもらった。
それでも何だかんだ言ってもみんなで鍋を食べるのは楽しいものだ。むしろ何で今までウチでは鍋をやらなかったんだろう、と上条は首をひねっていたが、
「はっ!? そうか……インデックスの腹具合の問題が―――ッ!?」
その懸念に気づくより一足早く、白い修道服を着た少女の目がギラリと輝く。
とんでもなく嫌な予感がした。
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4
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育ち盛りの高校生達はセットの鍋だけでは物足りず、追加注文がテーブルに届くまでは各自自由行動という事になった。大半のメンバーはお店の中でぎゃあぎゃあ騒いでいるが、上条はちょっと外に出て一休みしている。と言っても、そこは地下街なのであまり外という感じもしないのだが。
(戦争、か……)
実感の湧かない、いや、湧かない方が良い言葉を、上条はふと思い浮かべる。
地下街には、大学生を中心とした、上条よりもやや年上の人達が行き交っていた。その誰もが楽しげに笑っていた。それは平和そのものだ。どこにでもあるいつもの街並みだ。戦争という言葉の信愚性が薄れてしまいそうになるぐらいに。
それでも、爪痕は確実に残っている。
九月三〇日に起きた騒動で、街の一角は複数のビルが薙ぎ倒されているし、学園都市外周部は地形が変わるほどの爆撃を受けていた。そういった爪痕は、一日二日で直せるものではない。
これからは、あれが世界中で起こるのかもしれない。
地球儀をバラバラに打ち砕くような出来事だって、絶村起きないとは確約できない。
ローマ正教。
神の右席。
(……、何とかしないとな)
具体的に何ができるかなど知らない。そもそも、一介の高校生にできる事の範囲を超えてしまっている気もする。
しかし、つい先日この街へやってきた、前方のヴェントはこう言っていた。
上条当麻《とうま》を抹殺するために学園都市を襲撃した、と。
大きな流れの中に、上条がいるのではない。
上条を中心として、大きな流れができつつある。
(何が何だか分かんねえが、それなら俺にも何かができるかもしれない。蚊帳の外にいるんじゃない。誰が決めたか知らねえが、俺が話の軸にいるなら、その流れの方向性を動かす余地ぐらいは残されてんじゃねえのか)
せっかくの鍋なのに、考えれば考えるほど気持ちが沈んでくる。上条は気分を変えるために携帯電話を取り出してみると、いつの間にかメールが着信していた。
相手は御坂美琴《みさかみこと》。
昼休みの件かなと思ってメールを開こうとしたが、受信フォルダを開いても『件数〇』とか書かれている。どうもスパム扱いされ、別のフォルダに自動で隔離されてしまったらしいが、親指であれこれ操作しても、そのスパム用フォルダが一向に見つからない。普段あまり使わない機能なので見当もつかなかった。
「???……何だったんだ?」
上条は首をひねるが、詳しい事は後にしようと携帯電話をポケットにしまう。
「カミやん」
と、そんな上条の背中に声がかかった。
振り返ると、そこには土御門《つちみかど》元春が立っていた。
その手には一五センチぐらいの小さな金属ボトルが握られていた。中身はウイスキー辺りだろう。小萌先生に内緒でこっそり飲みに来たのかもしれない。
土御門《つちみかど》の見た目はあくまで普通だった。絆創膏一つない。しかし九月三〇日にはこの男もこの男で命懸けの戦いをしていたらしく、注意して見ると、歩き方などが微妙にぎこちなかった。
普段からスパイを自称している土御門《つちみかど》が、素人の上条から見ても『ぎこちない』と分かってしまうぐらいなのだ。やはり、軽傷ではないのだろう。
土御門《つちみかど》は、上条がどうしてクラスの輪からこっそり抜けたのか、それを理解しているらしい。
彼は笑ってこう言った。
「……これから起こる『戦争』が、全部自分のせいだって思ってんなら間違いだぞ。お前のせいでクラスのみんなが巻き込まれるんじゃない。お前はこれまで、周りの連中を守ってきたんだ。だから、そこで疎外感を覚えるのは筋違いだな」
「……そうか、な」
「そうだよ。戦争が起こったのは裏方がしくじったからだ。カミやんみたいな素人は、『どこかの誰か』のせいだって憤ってりゃ十分だろ」
その声を聞いて、上条は思わず笑った。
結局上条も土御門《つちみかど》も全く同じように、自分で自分の荷物を背負おうとしていたらしい。
土御門《つちみかど》は言った。
「始まるぞ」
「ああ」
「戦いの規模が変わる。ガキのケンカでどうにかなるレベルを超えちまう。カミやんも自覚した方が良い。今のままで、これからの局面を潜り抜けるのは難しいだろう」
「……そうだな」
上条はわずかに視線を落とした。
そこには、緩く握り締めた自分の右拳がある。
「俺だって、このままで良いとは思えない。何が不足している、っていうより、不足しているものの方が多いぐらいだからな。むしろ、今まで何とかできてきた方が奇跡的だったんだ。多分、そいつを正しく認識できなければ、俺はこの先には進めない」
「向こうはこっちの準備なんかのんびりと待ってくれないぞ」
「そうだろうな。それでも、やるべき事は分かってるんだ。どんなに小さい事でも、一つ一つ学んでいくしかない」
そこまで言って、上条は再び視線を上げる。
「足りないものに愚痴を言っても始まらねえだろ。「一センチでも一ミリでも前に進む。ただでさえ難しい問題なんだ。それぐらいしないと目的の連中には絶対に近づけねえよ」
「カミやん……」
土御門《つちみかど》は何かを言おうとして、しかし呑み込んだ。
彼は上条と違い、プロのスパイだ。『ガキのケンカで済まない世界』を上条よりも深く知る人物だ。その彼が言い淀むほど、上条の口調からは迷いがなくなっていた。
「今まで俺は甘えてたんだ。自分の知らない世界の事を、全部他人に任せてた。土御門《つちみかど》にも迷惑をかけたと思う。でもこれからはそれじゃ駄目だ。俺は、今まで見てこなかった新しい世界に足を踏み入れなくちゃいけないんだよ」
上条は、そんな土御門《つちみかど》元春を前にして、気を引き締めた。
幻想殺し《イマジンブレイカー》の宿るその右手を静かに握り締め、
「土御門《つちみかど》、俺は決めた」
強い意志の籠った声で、きっぱりと告げる。
ある意味で、この業界の先輩たるスパイに対して、
「そう、俺はこれから英語を勉強するッッッ!!」
……………………………………………………………………………………………………。
「は?」
思わずポカンとしてしまう土御門《つちみかど》などお構いなしに、上条はズボンのポケットから携帯電話を取り出すと、
「ほら見て土御門《つちみかど》!携帯のアプリで『らくらく英語トレーニング』をダウンロードしたんだよ! 今、日常会話編のレベル3に挑戦してんだけど、やっぱ英語って難しいな。でもいい加減に日本語以外の言葉も覚えないと。ローマ正教とか『神の右席』の連中だって、いつもこっちの言葉に合わせてくれるとは限らねえからな!!」
「あの」
あまりにも真後ろに退きすぎて、土御門《つちみかど》は思わず初対面の人に話しかけるような口調になっていた。
「何故、この局面で英語?」
「え? ローマだからイタリア語の方が良いのか。でも連中って、世界中に二〇億とかいるんだよな。なら英語の方が良くないか」
上条からキョトンとした声が返ってきた。
生き残るための具体的な方法とか、そういう事は念頭にもないらしい。
どうも、本気で二〇億相手に言葉を叩きつけるつもりのようだ。
「まあ言葉が通じなくたってソウルは伝わると思うけどさ、やっぱ通じるに越した事はないと思うんだよ。みんながみんなリドヴィアとかビアージオみたいに日本語できる訳じゃねーもんな。っつーか、今まではみんな日本語で合わせてくれてたけど、こっちがそれに甘え続けるのは駄目なんだよ。つまり結論を言うとだな」
「―――、」
ゴドン!! という鈍い音が地下街に響き渡った。
あまりにも馬鹿馬鹿しいので、土御門《つちみかど》がほぼ反射的にグーを放ったからだ。
土御門《つちみかど》はやれやれと首を横に振ると、その辺に転がっている少年を無視して、肩を落としながらすき焼きのお店に戻って行った。
その後、上条当麻《とうま》が追加されたお肉の山に少しもありつけなかった事は言うまでもない。
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第二章 灰色の無味乾燥な路池 Skiif-Out.
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同日、一〇月三日早朝、と言っても、分厚いコンクリートに阻まれた四角い地下空間にいる一方通行《アクセラレータ》には、今が朝か夜かも分からなかった。そして、分からなくても問題はなかった。均一な光を投げかける蛍光灯の下で、彼は杖をついて立っている。
射撃演習場だった。
部屋の奥行きは五〇メートルほどあるが、実際に人が歩けるエリアは手前の一〇メートルほどしかない。そこから先は横長のテーブルによって区切られ、立入はできない。テーブルの向こうには人型の的がたくさんあり、これらは訓練プログラムに応じて、網の目のように走る金属レールの上を縦横無尽に移動するようにできていた。
横長のテーブルには薄い仕切りがいくつも取り付けられていて、一三レーンほど射撃エリアが確保されていた。一レーン辺りのスペースは電話ボックスぐらいのものだ。
一方通行《アクセラレータ》は、その中央部分、第八レーンに立っている。
その細い手には小型の拳銃が握られていて、辺りから花火のような匂いが漂っている。
『演習ナンバー四二、開始します』
録音された女性のアナウンスと共に、五つの的が同時に動いた。
(手前から順番に。一つずつブチ抜くだけ)
一方通行《アクセラレータ》は片手だけで拳銃を構え、それらを正確に撃ち抜いていく。
広い地下空間に銃声が連続する。ただでさえ大きな音はより一層圧力を増して鼓膜へ跳ね返ってくる。
本来、一方通行《アクセラレータ》は右利きだが、杖をつく関係上左手での射撃を強いられていた。
『演習ナンバー四三、開始します』
一回あたりの所要時間はおよそ七〇秒程度だ。
(照準に集中しすぎンな。視界の端の動きまで全体を見ろ)
その問、一方通行《アクセラレータ》はひたすらに撃つ。彼の場合、射撃よりも銃弾の装填の方が難しい。右手で杖をついているため、左手一本でやるしかないからだ。
マガジンを抜き、引き金に人差し指をかけたまま拳銃をくるりと回し、マガジン挿入口を上にすると、左袖の中から口で引き抜いたマガジンを突き入れ、再び拳銃を半回転させて、今度は口でスライド部分を咥えて強引に引く。
この間、わずか二秒。
だが、これでも遅いと一方通行《アクセラレータ》は思う。
『演習ナンバー四四、開始します』
他にもたくさんの銃を試し撃ちしたのだろう。
(選ぶ基準は装墳の速度と片手で振り回せる重量後は射撃の反動か)
レーン手前のテーブル部分には軍用、護身用、競技用など様々な拳銃の他にも、ショットガンやサブマシンガン、ライフルなどがゴロゴロと転がっている。
彼の足元には落ち葉の山のように空の薬莢が敷き詰められていた。こちらも銃の種類によって様々な形や大きさがあり、銅のような色をしている金属もあれば、青いプラスチックもあった。
『演習ナンバー四五、開始します』
レールの上を高速で移動する的は次々と撃ち抜かれていく。
(一発の破壊力に頼るな。使いやすい弾丸を何発もぶち込める方が汎用性は高ェンだ)
標的の速度に緩急をつけようが、無数の切り替えポイントを使って鋭角的に軌道を曲げようが、お構いなしの命中精度だった。
正式な訓練を受けた警備員《アンチスキル》でもこうはいかない。銃を使い始めてからまだ日が浅いのに、杖をついた不安定な体勢で、すでに一方通行《アクセラレータ》は手の中の銃を使い慣れた万年筆のように扱っていた。
しかし、
「―――使えねェ」
機械が記録的な数値を出力する前に、一方通行《アクセラレータ》は苛立った声を出した。レーンのテーブル部分にある電卓のようなものを叩くと、演習プログラムを中断させる。それから、手にしていた拳銃をテーブルの上へと叩きつけた.
彼は振り返らずに言う。
「何の用だ、変装野郎」
すると、わざとらしい足音が一つ、カツッと響いた。一方通行《アクセラレータ》の背後からだ。おそらく、それはノックの代わりだろう、
「自分なりに気配ってヤツを断ってみたんですけどね。やはりまだまだ修行不足のようです」
柔らかい男の声だった。
改めて一方通行《アクセラレータ》が後ろを向くと、そこには線の細い、茶色い髪の少年が立っていた。名前は、確か海原光貴《うみはらみつき》。ただ、名乗った直後から、顔も名前も偽物だと言っていた。
「よろしければ、参考にしたいのですが。射撃演習中ですから、音に頼っていた訳ではないでしょう。どうやって自分の存在を察知したのですか」
「ベラベラとやかましい野郎だ。オマエの補強に付き合うつもりはねエよ」
吐き捨てるように言ったが、実は一方通行《アクセラレータ》は海原光貴の接近に気づいていなかった。
少なくとも、普通の感覚器官に頼った方法では。
だが、
(チッ。また震えてやがる……)
一方通行《アクセラレータ》の拳銃を握る手が、射撃による疲労以外の理由で痛みを発していた。
どういう訳か知らないが、数日前に初めて会った時からこうだった。海原光貴という男が近くにくると、自分の意思とは関係なしに、指先が小刻みに震えてしまうのだ。おまけに胸の上にバスケットボールを置かれているような、ゆっくりとした圧力まで感じる。
こんな時に、決まって頭に思い浮かぶのは、
(木原数多《きはらあまた》)
土砂降りの雨と、鈍い痛みに、鉄のような血の味と匂い。
(打ち止め《ラストオーダー》)
理不尽な暴力に苛まれ、今にも消えそうだった小さな命。
そして、
(……あの時俺の背中から飛び出した、黒い翼)
曖昧で、抽象的なイメージに過ぎない。そしてその存在を意識し始めたのは、この『グループ』に関わってから……いや、より正確には木原数多《きはらあまた》という研究員を撃破してからか。
しかし、これを目の前の男に相談しても仕方がないだろう。
弱みを見せて得をする事など何もない。
「何の用だって聞いてンだよ」
「武器の方は決まりましたか」海原の笑みは崩れない。「精査している時間的余裕はありません。こちらも仕事が差し迫っていますしね。早い所、あなたにも手順を覚えていただかないと」
「しっくりくるモンはねェな」
一方通行《アクセラレータ》は吐き捨て、それからテーブルの上に置かれた数々の銃を眺める。
「世界中の銃を集めても見つからねェかもなァ」
「能力使用を前提とした装備リストを固めてみては?」
「知ったよォな口利くンじゃねェよ」
彼は自分の首にある、チョーカー型の電極をトントンと叩いて、
「コイツは頼りにならねェ」
「何故でしょう。以前のものを改良したんでしょう?『グループ』の技術部の報告によると、能力使用時間が一五分から三〇分へ延長したという話ですが」
「『グループ』ね……」
一方通行《アクセラレータ》はくだらなさそうに復唱する。
九月三〇日、木原数多《きはらあまた》粉砕後に現れた駆動鎧《パワードスーツ》の連中にここへ連れてこられてから、一方通行《アクセラレータ》はそういう名前の枠組みに組み込まれたのだが、そこの正規メンバーになった一方通行《アクセラレータ》ですらその詳細は不明。今の所、『グループ』は彼を含め四人ワンセットで行動する事になっているようだ。だが、同様の部隊が後いくつあるのか、あるいは一つだけなのか、それすらも把握できていない。あの駆動鎧《パワードスーツ》《パワードスーツ》の連中も、一方通行《アクセラレータ》とは別の『グループ』の所属なのかもしれない。
長点上機《ながてんじょうき》学園への転入。
黄泉川愛穂や芳川桔梗《きっかわききょう》に対しては、そういう事になっている。良いやり方だ、と一方通行《アクセラレータ》も思っていた。確かに学園都市最高峰の学校なら、機密重視の特別クラスがあってもおかしくはない。当の生徒達すら知らない、たった一人だけの研究室が。
そこに付け込んで、書類だけの生徒として登録させたのだろう。
(『グループ』を束ねる『連中』か。いまいち全貌は見えねェが、上の『連中』にはそこまでやる力と目的があるって訳か。何とも胡散臭ェ話だな)
一方通行《アクセラレータ》のいる『グループ』には、数多くの下部組織が存在する事が分かっている。たった四人のための雑用……装備品の開発・整備、人員の輸送、証拠の隠滅などをこなすために、膨大な人数が割かれているようだ。
その恩恵を受けている一人、海原光貴はきょとんとした顔で、
「電極のチューン状況に不満があるのですか」
「ハッ。三〇分だろうが三日聞だろうが根本的にゃ変わンねエよ。イレギュラーが起きればそれまでだ。電極が故障したから戦えませンじゃ生き残れねェだろォが」
それは、実際にバッテリーが切れた状態で木原数多《きはらあまた》という強敵と対峙して得た実感だった。
もう、何かに頼っていれば安全という次元は終わっている。
これからは、どんな状況に追い込まれても戦わなくてはならない。
「はは。となると、苦心して電極を解析した技術部のメンツは丸潰れですか」
知った事か、と一方通行《アクセラレータ》は一言で切って、
「用件はそれだけか」
「いえ。本題はこれからです」
海原はそこで一拍おいて、
「統括理事会から我々『グループ』に仕事のオーダーが入りました」
「……、」
「学園都市は対ローマ正教用の布陣を固めている所ですが、その『対ローマ正教用』に重点を置くあまり、内側への防御が手薄になりつつあるのも事実です。今回は、その隙をついて学園都市の機能へ打撃を与えようとしている勢力を一掃します」
「くっ。ははは」
一方通行《アクセラレータ》はそれを聞いて思わず笑った。
「人間様をここまで堕として首輪までつけさせておいて、上からやってくるありがたいお達しがゴミ掃除の命令だと? 人生ってなァ分かシねェモンだよなァオイ」
赤い瞳のラインを楽しそうに細くして、その唇を嘲りの形に変えて。
「木原のクソ野郎の穴埋めをやらされるってェ話だったが、まさかここまでくだらねェ仕事を回されるとはなァ! ハハッ、『上』にとっちゃ俺も木原も同じクズって訳か!!」
「自分に当たられましても。勝手に堕ちてきたのは貴方ですし」
言葉に対し、一方通行《アクセラレータ》はその細い腕を伸ばして海原の胸倉を掴み上げた。ちょうど胸の中心をわざと狙って。
その気になればあらゆるベクトルをそれこそ血液の流れをも『逆流』、させる指先が、海原の肉体を捉える。
「良いか小僧、一つだけ教えてやる」
掴んだシャツを手前に引きながら、一方通行《アクセラレータ》は表情を変えずに言った。
「人間の命ってなァ貧弱だ。俺が指先で触れた程度で壊れちまうぐらいにな。だから少しは気を遣え。じゃねェといらねェモンまで砕いちまいそォだ」
「気をつけましょう」
しかし台詞とは裏腹に海原の口調はサラリとしたものだったし、口元にはゆったりとした笑みがある。
チッ、と一方通行《アクセラレータ》は軽く舌打ちすると、海原の服から手を離した。
「続けてもよろしいですか」
「勝手にしろ」
「標的となる対象は『スキルアウト』。あなたの方が詳しいかもしれませんね」
海原の言葉に、一方通行《アクセラレータ》は眉をひそめた。
『スキルアウト』というのは、平たく言えば無能力者《レベル0》の武装集団だ。
学園都市におけるステータスは学力と能力の二つで決まる。無能力認定というのは、つまり〇点のテストを首から提げて学校生活を送るようなもので、中にはそういった扱いに耐えられない者もいるらしい。
学園都市には潜在的に一万人ほどのスキルアウトが存在する。とはいえ、その大半が寮は借りているが学校には行かない者や、学校に通っているものの夜だけスキルアウトとして動いている者などとなる。武装集団というイメージを作っている、学校にも寮にも戻らない路上生活者は全体の一%ほどだ。
彼らに明確な目標はない。
夜道にたむろしている少年達が無能力者《レベル0》なら、それでもうスキルアウト扱いされてしまうのだ。従って、夜のコンビニの駐車場に集まっている三、四人のスキル・アウトもいれば、一〇〇人単位でチームを作って街を闊歩するスキルアウトも存在する。
「オイオイ、どンどン話のスケールが小さくなってねェか。上の連中はどこで俺がキレるか賭けてンじゃねェだろォな」
「いえいえ。ところが最近、スキルアウトの方でも再編成の話が出ているようでして。鎮圧に向かった警備員《アンチスキル》の一部隊が返り討ちに遭って逃げ帰ったというのですから、まあ非正規部隊である『グループ』に話が回ってきてもおかしくはないんじゃないですか」
ふン、と一方通行《アクセラレータ》は忌々しげに息を吐く。
知力か武力か。路地裏の不良達は、そのどちらかを仕入れたという事か。
「現在、スキルアウト側はオモチャを作っているようです」
「オモチャだと」
「樫の木材をくり貫いて、中に爆薬を詰めたものです。直径五センチ、全長七〇センチほどで、どうやらロケット兵器のつもりらしく、全体的なラインは流線形ですし、側面には塩化ビニール製の羽が三枚ほど確認されていますね」
「オイオイ、棒火矢《ぼうひや》かよ」
一方通行《アクセラレータ》は思わず鼻で笑ってしまった。
「江戸時代の試作兵器だぞ。連中は考古学にでもハマってやがンのかァ?飛距離は二〇〇〇メートルくれェとか言われてるが、威力の方は大した事ァねェ。先端に高級品のプラスチック爆弾でも積めば話は変わるだろォが、連中の事だからどうせ爆薬も手製だろ。それで騒ぎを起こすっつっても研究施設の外壁なンかは傷もつかねェンじゃねェのか」
「ところが、多少の下準備を行えばかなり大きな効果が出るようなんです」
海原は静かな声でそう言った。
分厚い壁に囲まれた射撃演習場に、彼の声が良く通る。
「彼らはこの数日の間に、あちこちで工作を行っています。災害時の誘導経路の傍に放置自転車を移動させたり、VIP施設の出入り口周辺の排水口にゴミを詰めて塞いだりと、やっている事のレベルは小さく、保安上の問題として取り上げるようなものではありませんが」
「……いつから俺達はガキのイタズラの後始末まで回されるよォになったンだ」
「ただ、この『エラーにする必要性の低い問題』はすでに二万件以上『設置』されているそうです。そして、平時では放っておかれるようなものであっても、第二級や第一級の警報時には『エラー』として検出されてしまうんです。つまり」
「例の棒火矢が起爆すると問題が発生するって訳か」
ロケット兵器を使えば第二級警報の誘発ぐらいはできるでしょう。警戒レベルが上昇すると同時に、スキルアウトが数日かけて設置した二万件の『爆弾』が一斉にエラー報告を打ち出す……という寸法です。大量のエラー報告によって通信網を整備する中継局がダウンしてしまえば、街でスキルアウト達が好き勝手に暴れても、警備員《アンチスキル》はやってこれなくなりますね」
この『穴』は一日二日で塞げるものではないそうです、と海原は言う。
「ご大層な話だが……何でオマエはそこまでヤツらの狙いをキッパリ断言できる?全部オマエの推測とかっつったら物理的に叩き潰すそ」
「いえいえ。何人か捕まえて個別にしゃべらせましたから、おそらく間違いありません」
海原の言葉に一方通行《アクセラレータ》はわずかに黙ったが、非難する義理はないか、と思い直した。経歴で言えば、自分の方が軽く一万倍はぶっ飛んでいる。
「わざわざ下拵えをしねェと暴れる事もできねェとはな。ちまちまと面倒な事を考えた所で、根っこの部分はチキン野郎の集まりか」
一方通行《アクセラレータ》は吐き捨てるように言って、
「連中の狙いは。軍事研究所でも襲って駆動鎧《パワードスーツ》でも盗ンでくンのかね」
「いえ。その手の機関の場合、施設内に独立した警備局を置いています。おそらくスキルアウトの狙いはもっと単純に……能力者に対する反逆ではないかと」
「はン。通信網を切断して囲んで潰すだけか。数で押したがる無能力者《レベル0》が好みそォな方法だな」
数十人から数百人で一人の能力者を追い詰め、撃破する。これを繰り返して街を練り歩けば、無能力者《レベル0》の集まりであるスキルアウトでもそこそこの惨事を生み出せるはずだ。
「……スキルアウトの計画が成功した場合、最低でも二、三学区分の通信網は落ちるそうです。となると、予想される被害もかなりのものになると考えるべきでしょう」
しかし、と海原は言った。
彼は首を傾げ、一方通行《アクセラレータ》に疑問を投げる。
「このように、スキルアウトは派手な事を考えているようですが、そうそう上手くいきますかね。拳銃や護身用品などで武装して、何十人という単位で囲んだとしても……例えばあなたのような超能力者《レベル5》を打倒できるとは思えませんが」
「多少の穴があっても魅力的に見えりゃあ、馬鹿どもは食いついてくンだろォさ。おそらくスキルアウトが立てたこの計画は不完全燃焼で終わンだろォな。半端な計画に半端な成果に半端な被害、そンなモンだ」
今のスキルアウト達が劣等感丸出しで最も憎んでいるのは、一方通行《アクセラレータ》のような超能力者《レベル5》だ。
しかしこの程度の計画で、超能力者《レベル5》が倒れるとは思えない。そしてスキルアウト達は、もっと手っ取り早い標的に狙いを変更して満足しようとするだろう。
結局、そこで倒れるのは力のない低能力者や異能力者達だ。
異能力者達。
量産軍用能力者と、それを束ねる上位個体の少女。
目的すら見失ったくだらない暴力は、一体どこの誰にツケを払わせる気だ。
「……、」
くだらねェ、と一方通行《アクセラレータ》は口の中だけで眩いた。
その上で、海原に言う。
「危険なのはスキルアウトじゃねェな」
一方通行《アクセラレータ》は床に唾を吐いた。
「スキルアウトが与えたダメージを糸口にして、どっかの宗教団体が一気に攻め込ンでくンのが危険なンだろ。統括理事会なンて腐った連中は、元々路地裏の人間なンざ気にもかけてねェ」
「良くご存知で」
「で、オマエは何をチンタラやってンだ。連中の狙いが分かってンなら自動警報を解除すりゃ良いだろ。第二級警報以上が発令されなきゃ通信網はダウンしねェンだからよ」
「今が戦争中でなければ、そういう手も使えたんですけどね。それはいつ攻撃されるか分からないパソコンのセキュリティソフトを停止しろと言うようなものですよ」
「内も外も敵だらけ、か。学園都市ってなァよほど多くの人間から恨まれてるみてェだな」
「そういう人々を何とかするのが我々の仕事です」
海原はニコリと笑って話を続ける。
「今から学園都市の警備体制を見直しても間に合いません。警備員《アンチスキル》や風紀委員《ジャッジメント》は、スキルアウト側が仕掛けた下拵え……エラーの元となる誘導経路やVIP施設出入り口周辺などの『妨害』を取り除こうとしているようですが、これも完了するまでスキルアウト側が大人しく待つという保証はありません。ですから、我々の手でスキルアウトを物理的に停止する必要があります」
「ハハッ。警備員《アンチスキル》の連中には頼めねェ汚ねェ方法でか」
「ターゲットの名前は駒場利徳《こまばりとく》《こまばりとく》。現在のスキルアウトを束ねるリーダーで、頭脳でもあります」
海原は携帯電話の画面に写真を表示しながら言う。
「第七学区の路地裏では結構な顔役らしいですが、ご存知ですか?」
「ねェな。覚える必要がねェ」
「今回は、この駒場利徳《こまばりとく》を速やかに処分する事で、スキルアウト側の計画を未然に防ぎます」
「その程度でクソ野郎どもの動きが収まるかよ。下準備は終わってンだろ。向こうは第二級以上を出しゃあ勝ちなンだ。今、学園都市全域に発令されてンのは第三級。ゴールは見えてンじゃねェか。りーダーが死ンでも後は勝手に部下が引き継ぐだろォが」
「いえ」
海原は、一方通行《アクセラレータ》の言葉をあっさりと遮った。
「彼らの計画には正確な爆破地点が用意されているみたいです。先ほども言いました通り、彼らはVIP施設の出入り口周辺や誘導経路などに小細工を施しているんですが……どうもその『仕掛け方』に特徴があるようですね。一点の爆破によってある地点で第二級以上を発令し、まず一定エリア内で自動警備のエラーを誘発させます。後は機械の方が勝手に『該当エリアの施設は保安上問題があるので、人員を移すため近辺エリアのチェックに入る』と判断し……それに合わせてコンマ数秒で一気にエラーエリアを広範囲へ拡大させていく、という魂胆らしいです」
ちなみに、と海原は前置きして、
「その『第一爆破地点』は、駒場利徳《こまばりとく》しか知らないようです。少なくとも、自分が捕らえたスキルアウトのメンバーは情報を持っていませんでした。何でも『計画の暴走を防ぎ、正確に実行するには誰かが手綱を掴んでおく必要がある』という話ですが」
「ケッ。身内に対して保険をかけてるだけだろォが」
一方通行《アクセラレータ》は吐き捨てるように言って、それから掌を軽く振った。
「その駒場って野郎を潰すのは自由だが、俺が暴れ回った事で第一級警報が発令したりはしねェだろォな。俺はオマエらと違って、ちょっとばかり派手だからよォ」
「駒場の指定した『第一爆破地点』以外で第二級以上が出たとしても、彼らの計画は成就されません。学園都市の警備区画は細分化されていますから、おそらくごく小さなエリア内で警報が発令されておしまいでしょう。広域エリアに飛び火させるには小細工が必要なんです」
「……ったく、そこまで分かっていながら、肝心の『第一爆破地点』の場所が全く掴めねェとはな。その情報がありゃ事前に警備も敷けただろォによ」
「まあ、それを知るには、駒場利徳《こまばりとく》に直接尋ねるしかありませんし……」
海原光貴はニコニコと微笑みながらこう言った。
「そんな事をするぐらいなら、さっさと潰してしまった方が手っ取り早いと思いませんか?」
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現場へは自動車で向かう。
一方通行《アクセラレータ》が助手席に乗っているのはゴミ収集車だ。ただし、ボディは漆黒、ウィンドウも全てスモーク仕様になっているが。
「死体の処分などもありますから、こちらの方が何かと便利なんですよ」隣でハンドルを握る中年の男はそう言った。「後部の収納部分は、内装が使い捨てになっていましてね。一回の収集のたびに、死体ごと廃棄して交換する仕組みです」
掃除機の詰め替えパックかよ、と一方通行《アクセラレータ》は呆れ返る。
「クソ野郎の死体を漁る収集車か。笑えねェ話だ」
動力部はガソリンではなく電力のようだ。おかげで駆動音はほとんど聞こえない。隠密行動には打ってつけと言えるだろう。
一方通行《アクセラレータ》は窓の外に流れる景色を見ながら言う、
「しっかし黒塗りにスモークガラスってのはどォなンだか。成金野郎の送迎じゃねェンだぞ」
「ま、顔を見られたら困る仕事ですから」
この収集車も運転手の服装も、間に合わせとは思えなかった。この仕事のために学園都市が正規品を用意している。どこから予算を捻出しているかは知らないが、一学区の警備員《アンチスキル》級の資金を得て、それをフルに使って装備を開発しているはずだ。
中年の男は、車内無線で何らかのやり取りをしながら、その合間に口を挟む。
「確か、あなたは『グループ』の一員でしたね。今回が初陣だそうですが」
「だから何だ」
「いえね」前を見たまま、運転手は言う。「私みたいな下っ端は、こんな風に運搬するしか能はないんですけど、たまに思う訳ですよ。もしも私がここにいなければ、地獄に落ちる人が少しは減るんじゃないかって」
「……、」
「ま、運転手の代わりなんていくらでも補充できるとは思うんですけどね。それでも考えるんです。このままアクセル全開で振り切っちまえば、一人ぐらいは助けられるかもとか」
「ハッ、イイ根性だ。そォいうイイ根性はこンなトコで無駄遣いするべきじゃねェな」
つちみかどうなばらなぜ
「土御門《つちみかど》さんとか、海原さんとか、助手席に乗る皆さんそう答えるんですよ。何故でしょうね」
そりゃあオマエが善人の甘ったれだからだ、と一方通行《アクセラレータ》は口の中で眩いた。
GPSカーナビが、録音された女性の声で目的地に到着した旨を伝えてくる。電気動力の収集車は音もなく停止した。
一方通行《アクセラレータ》は助手席のドアを開けると、現代的なデザインの杖を地面について、やや薄汚れた
路上へ靴をつける。
後ろから声が聞こえた。
「指示通り、二〇分後に回収に来ます。お気をつけて」
「勝っても負けてもソイツに乗る訳か。生身か死体かはさておいてな」
一方通行《アクセラレータ》は振り返らずに、小さく笑ってそう答えた。背後から収集車が走り去る。そちらを無視して、彼はゆっくりと周囲を見回した。
どこにでもあるような、普通の街並みだった。
ただし空気が違う。ギスギスと刺さる気配は悪意ある視線のようで、そこかしこにある路地の入口は、一度入れば抜け出せない沼地のように見えた。
路地の入口に立つと、足元の路面には無数の鉄杭が打ち込んであった。
中途半端に錆びた杭は、長さ一〇センチから三〇センチとまちまちで、入口から奥へ一メートルほどの間に、びっしりと植えられている。まるで鉄の草むらだ。
(警備ロボット対策、か)
一方通行《アクセラレータ》は鼻で笑う。
学園都市にあるドラム缶型のロボットは、多少の段差は乗り越えられるように作られているし、エレベーターなどを赤外線信号で操る事もできる。
しかし、こういう意図的なバリケードを敷かれると侵入できなくなる。
ある程度『障害物回避シークエンス』を繰り返した後、『保留・省略』して、よそへ行って
しまうのだ。
「……、」
頭上を見ると、空を覆うように、ビルとビルの間にビニールシートが張られていた。色は青を中心に赤や黄色もあって、とりあえず間に合わせの物で空間を埋めているのが分かる。おかげで日光に変な色がつき、まだらなステンドグラスのようになっていた。
こちらは人工衛星の監視を逃れるため。
こういう「妨害』は、警備員《アンチスキル》などが週や月に一度の頻度で強制撤去する。しかしスキルアウトの連中は撤去と同時に再び『妨害』を繰り返し、意図的にいたちごっこの構図を築いている訳だ。
それがヤツらのやり方。
簡単に作り簡単に捨てて簡単にやり直す。
バリケードを破られれば新しいものを用意するし本拠地が壊されればすぐ近くに別の居場所を作るし組織が潰れればあぶれた人間を集めて次の組織が誕生する。
だから永遠になくならない.
ゴキブリが絶滅しないのと同じ理由で、彼らは少しずつ学び抗体を強めていく。
負を中心とした、誰にも望まれ組進化の形。
「……懐かしい空気だ」
思わず一方通行《アクセラレータ》の口元が緩んだ。
前方に広がる暗い路地は、警備ロボットも人工衛星も届かない無法地帯。つまり何が起きても誰の目にも留まらない、助けがやってこない事が当たり前となっている世界だ。
「さて」
行くか、と思った所で携帯電話が鳴った。
欝陶しそうな顔でそれを取ると、表示には『登録3』とだけある。
「土御門《つちみかど》か」
『そろそろ初陣だと思ってな。仕事を始める前に、お前に忠告しておく事がある』
忠告ときたか、と一方通行《アクセラレータ》は吐き捨てた。
『内容は何だよ、センパイ』
『オレ達の事を信じるな』
土御門《つちみかど》は一言で言い切った。
『オレにしてもお前にしても、「グループ」のメンバーは全員、その存在が表に出ただけで問題になるような連中ばかりだ。そういう人間ばかりを選んで作られた「グループ」に、抜け穴はない』
「……この俺が、ご褒美を期待してるとでも言いてェのか?」
『統括理事会が決めたルールに従っているだけじゃ、ヤツらは出し抜けないって話だ。どうやったってヤツらが儲かるようにできている。その上で勝つにはどうすれば良いか、そいつを認識しておけよ。オレもお前も、守るべきものを持ってんだからな』
「、」
一方通行《アクセラレータ》はほんのわずかに黙る。
思い出されるのは、今も病院にいるはずの一人の少女。
しかし、その表情も、その仕草も、その言葉も、鮮明になる前に全て封じた。
「用件はそれだけかよ」
『そうだな、それだけだ。早い所終わらせて帰って来い。結標《むすじめ》の方も、そっちでそろそろ仕事を始めるだろうしな。一応言っておくが、勝手に巻き込まれるなよ』
仕事だと?と一方通行《アクセラレータ》が眉をひそめた途端、
バガン!! と。
細い細い路地の向こうから、
甲高い爆発音が響き渡ってきた。
距離は遠そうだが、空気が押されてきたのか、生暖かい風が一方通行《アクセラレータ》の顔に当たる。塵と埃にまみれた大気を浴びながら、一方通行《アクセラレータ》は土御門《つちみかど》に尋ねた。
一瞬、駒場利徳《こまばりとく》の『計画』が頭をよぎったが……それにしては、電話先の土御門《つちみかど》は妙に冷静だ。少し考えて、一方通行《アクセラレータ》は適当に予測をつける。
「結標《むすじめ》の野郎、爆弾でも使ってンのか。にしても、競争とは聞いてねェンだけどな」
『アイツが狙っているのは人じゃない。金だ』
土御門《つちみかど》は淡々と答えた。
『スキルアウトにも活動資金があるからな。いろんな手を使って分散しているようだが、あいつにはそっちを叩いてもらってる。持ち逃げされるぐらいなら燃やした方がマシという事だ』
爆発音は連続している。
しかしスキルアウトはそういった武器での争いに慣れている。その程度では怯まないだろう。
この戦場に個人が立つには、相応の能力が必要となる。
確か結標《むすじめ》淡希の能力は座標移動《ムーブポイント》……三次元的な制約に囚われず、物体を好きな場所へ移動させるものだ。
あの力を、再び行使しているという事だろうか。
「っつーか、アイツは『グループ』のお飾りだと思ってたンだけどよ。まだ使い物になったンか。
ヤツの場合、精神状態が不安定になると思うよォに動けなくなるンじゃなかったっけかァ?」
「お前と同じだよ』
土御門《つちみかど》は電話越しに爆発音を聞きながら、さらりと言った。
『補強してる』
「そォかいそりゃ結構。で、俺はこの混乱に乗じて、統制を失ったスキルアウトの連中を一気に潰せばイイって話か」
『資金源を直接叩かれてる最中だからりーダーがあっさり逃げるとは思わないが、最優先のターゲットの名前は駒場利徳《こまばりとく》、そこらの連中を束ねているクソ野郎だ。そいつだけは逃がすなよ』
「むしろ、壊しすぎねェかが心配だがな。瓦礫に埋まった肉を掘り返すのは面倒臭そうだし」
一方通行《アクセラレータ》は適当に言いながら通話を切った。
携帯電話をポケットにしまうと、杖をついたまま、もう片方の手を首筋に軽く当てる。まるで関節の調子を確かめるような仕草だが、そこにはチョーカー型電極のスイッチがあった。
「そンじゃまァ、始めるとしますか」
ザワリ、と複数の人の気配が浮き上がる。
路地の奥から、ビルの窓から、ほんのわずかな物陰から、拳銃やボウガンなどの照準が二〇以上集められる。
それを前にして、一方通行《アクセラレータ》は薄く薄く笑っていた。
かつては泥の中を這いずってでも抜け出したかった場所へ、
「お片づけだ。一〇分で終わらせてやる」
彼は、笑って帰ってきた。
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結標《むすじめ》淡希は暗い路地の中を歩いていた。
頭上は、ビルからビルへ様々な色のビニールシートが渡してあるため、日光に別の色が混ざり、路地が青や赤、黄色などに染まっていた。空気の流れは滞り、ゴミや埃の匂いも沈殿しているようだ。壁は粗雑な落書きで埋め尽くされ、どこから持ってきたのか蓋をこじ開けられたATMの残骸が錆びたまま置いてある。事件が絶えない地域なのか、歯の折れた鋸や砕けた木材なども転がっていた。
そんな中を歩く結標《むすじめ》の格好は、裸の胸にインナーのような布を巻き、その上から学校指定のブレザーを羽織っているだけというもの。スカートの丈も極端に短く、まるで事件を誘っているような服装だった。`
しかし、彼女に触れられる者はいない。
たったの一人も。
「……単純ね」
鉄パイプを手に殴りかかってる大男も、ビルの窓から弓で狙撃してくる痩せぎすの女も、対処は同じ。結標《むすじめ》は座標移動《ムーブポイント》の能力を使い、周囲にある錆びた廃自動車や金属製のダストボックスなどを強制的に自分の手前へ転移させ、それを盾にする。相手の攻撃を防いだら、今度はこちらが手持ちのコルク抜きを標的の手足へ直接叩き込む。そのワンパターンでおしまいだ。
彼女は能力を補助するための、警棒にも使える軍用懐中電灯を右手でくるくる回す。懐中電灯は主に能力の照準を合わせるためのアイテムだ。結標《むすじめ》の力は自由度が高すぎるため、自分なりの基準を設けないと狙いが曖昧になってしまう。
手の中の道具を振りながら、結標《むすじめ》は退屈そうに眩く。
「人数を集めれば有利という訳ではないし、武器を揃えれば勝てるという訳でもないわ。それに気づかない辺りは所詮、路地裏の不良集団といった所かしら」
冷静な彼女とは対照的に、その周囲は轟音の嵐と化していた。
全方向からの攻撃を防ぐため、結標《むすじめ》は自分を中心に小型の竜巻を起こしていた。それを形成するのはマンホールの蓋や鉄板などの分厚い金属製品だ。彼女の座標移動《ムーブポイント》に音はないが、そういった盾に無数の弾丸がぶつかって大音響を作り出していた。
結標《むすじめ》は手榴弾のピンを口で抜くと、蓋の消えたマンホールへ放った。
下水道内部でくぐもった爆発音が響く。
事前情報によると、そこにハンドバッグほどの手持ち金庫が隠されているらしかった。
「これで九個目。……歯応えが足りないわ」
彼女は九月一四日に起こした事件で風紀委員《ジャッジメント》の白井黒子《しらいくろこ》に返り討ちにされて以来、精神の変調から能力が使えない状態に陥っていた。
それが今、こうして復帰しているのは、
(……最初に話を聞いた時は胡散臭いと思ったけれど、技術部の腕もそれなりといった所かしら)
結標《むすじめ》の両肩と背中には、湿布のような外観の電極が取り付けられている。小型の低周波振動治療器……平たく言えば体に電流を流すマッサージ器だ。機械は結標《むすじめ》の脳波の乱れを測定し、そこから最も効果的なパルスパターンを作り出す。
完壁とは言えないまでも、確かに一定のストレス軽減効果は認められる。
(体中に湿布をつけて街を歩くなんて、女の子の生き方ではないけれどね)
機械の力を借りてまで結標《むすじめ》が現場に復帰したのには、やはり九月一四日の事件が大きく影響している。
あの事件の首謀者は結標《むすじめ》淡希だが、犯行グループは彼女だけではない。『樹形図の設計者』の一部分である『残骸』を奪うため、結標《むすじめ》は同じ思想を持った数十人の能力者達に協力を仰いでいた。その大半が、あの超電磁砲《レールガン》に撃破されて警備員《アンチスキル》に捕まってしまった。
そして、表に出られたのは彼女だけだった。
現在、学園都市には反逆罪という明確な罪状は存在しない。しかし、そもそも街の安全を脅かす裏切り者達の人権など誰も保護しようとは思わない。つまり、それなら法の及ばぬ範囲で人知れず制裁が行われるだけだ。法がない事を逆手に取るような、惨たらしい方法で。
何とかしなくてはならない。
かつては同じ道を進んだ『仲間』の危機なのだから。
「……、」
結標《むすじめ》はエアコンの大型室外機の隙間に手榴弾を放り込み、中に隠されていた紙幣の束を隠し場所ごと粉々にした。
さらに結標《むすじめ》は路地の奥へ進む。
(……にしても、現金、金塊、ITバンクの架空団体名義アクセスカード……相当分散しているわね。ヤツらはどうやってこれだけの活動資金を得ているのかしら〉
この辺り一帯を取り仕切るりーダー駒場利徳《こまばりとく》は、少女の売春を禁じているらしい。手っ取り早い稼ぎを自ら封じている以上、別の方法があるという事だが……。
(私の知った事ではないわね。こちらは破壊目標を確実に叩くだけ。あと一四ヶ所潰したらさっさと帰還するだけだし)
気楽に考えて、結標《むすじめ》は手の中の懐中電灯を緩やかに回転させていたが、
「……少しは加減して欲しいものだな。能力者」
不意に、男の声が結標《むすじめ》の思考に割り込んだ。
狭い直線の路地において、彼女の前方およそ一〇メートルの位置に、ゴリラのような大男が立っていた。どうやら、ビルの裏口から出てきたらしい。厳つい筋肉を安物のジャケットが覆っていたが、少しでも力を込めればすぐに内側から破れそうだ。
破壊の権化のような人相だが、それに反して口調は陰欝。
まるで、コピー用紙をそのまま吐き出しているみたいに、男は言う。
「こちらが資金を分散していたのは……一度の摘発で全て奪われるのを防ぐため。言ってみれば……カツアゲを恐れる小心者が複数の財布を持つようなもの。それを捕まえて、身包みを全部剥ぎ取るというのは些か大人気ないと思うが……」
結標《むすじめ》は応じず、敵の前で堂々と携帯電話を取り出した。
画面を見て、そこにある写真を確かめ、呆れたようにため息をつく。
「駒場利徳《こまばりとく》。……あらまあ、こちらが先にターグットとぶつかってしまったわ」
いつの間にか、結標《むすじめ》を取り囲んでいたスキルアウトの面々はいなくなっていた。
駒場がその権限を使って退避させたのだろう。
己の足を引っ張らせないように。
「恨まないでね、一方通行《アクセラレータ》」
「……その名前……。これは欲を張らずに資金を捨てて逃げるべきだった。そんな大物まで来ているとは……」
駒場の言葉にも、結標《むすじめ》はあまり取り合わない。
パチンと二つ折りの携帯電話を畳み、彼女はポケットに仕舞った。
それから改めて軍用懐中電灯を緩やかに構え直す。
「座標移動《ムーブポイント》か……。厄介な力だ」
「厄介程度で収まると思う?」
「ああ、まあ……そうだな。厄介以上に憎らしい」
無能力集団スキルアウトとしての特性か、コピー用紙のような駒場の言葉に暗い感情が混ざる。
だからどうした、と結標《むすじめ》は思った。
距離は一〇メートル。地形は細い1本道。この状況ならコルク抜きで狙い撃ちだ。どれだけ駒場に体力があったとしても、三歩も進めずに地面へ崩れる。拳銃などの飛び道具を隠していたとしても、結標《むすじめ》は『盾』を呼び出せばそれで済む。
「眉間にぶち込んで終わらせてあげるわ」
「痛みを与えるつもりはない、と。……涙が出るな」
それ以上は何も言わず、結標《むすじめ》は懐申電灯を振ってポケットの中のコルク抜きに命令を飛ばす。三次元上の見た目のベクトルを無視し、二次元上にある理論上の数値を駆使してコルク抜きは空間を渡り、駒場利徳《こまばりとく》の額の真ん中へと、当たらなかった。
「な……」
何もない虚空へ取り残されたコルク抜きを見て、結標《むすじめ》は驚愕に目を見開く。背筋がわずかな痛みを発した。緊張に応じて、ストレス軽減用の低周波振動治療器がより強いパルスを流したのだ。
結標《むすじめ》淡希が、狙いを間違えたのではない。
突如として、駒場の体が消えたのだ。
轟!! と。
ダンプカーが真横を通り過ぎたような鈍い烈風が、結標《むすじめ》淡希の真後ろから響いてくる。
「……遅いぞ」
平淡な声と共に、結標《むすじめ》淡希の頭の頂点、つむじの辺りに重いものを落としたような鈍痛が突き抜けた。駒場の拳が勢い良く振り下ろされたのだと、結標《むすじめ》はぐらりと揺らぐ意識でそう思う。
ジリジリと肩や背中に電流が走る。
今まではこの器具に助けられてきたが、こんな風になっては邪魔でしかない。
「くっ!?」
彼女は振り向きざまに廃自動車を呼び出し、駒場の立っている位置へと叩き込む。防御のためではなく、標的を食い潰すために。
しかし駒場はそこにいなかった。
その揚から、真上に七メートルほど跳躍していたからだ。
「驚くなよ……」
おそらく以前は看板かエアコンの室外機でも取り付けていたのだろう、二階部分の壁面から伸びた四角柱の鉄棒を、空中にいる駒場の脚が捉える。
ズバン!! という破裂音と共に四角柱の鉄棒を蹴り破り、結標《むすじめ》の元へと高速で叩き込む。
「こちらだって真面目にやるさ」
たん、という駒場の着地音を結標《むすじめ》は聞いていられなかった。
凄まじい速度で鉄棒の鋭い断面が複数一気に襲いかかってきたからだ。
「ッ!?」
結標《むすじめ》は攻撃に使った廃自動車を慌てて眼前に呼び戻す。
盾として使うつもりだったが、高速射出された何本もの鉄棒は、ビスドスガス!! と簡単にその防御を貫通する。思わず両手で顔を庇う結標《むすじめ》の太股を掠め、凶悪な刺突兵器はアスファルトに突き刺さってようやく動きを止めた。
ビィィィン!! と細かく振動する鉄棒を見て、結標《むすじめ》の背筋に冷たいものが走る。
(盾を使っても、それごと粉砕されては意味がない……ッ!!)
「……不満そうな顔をするな。貴様のような化け物と戦うんだ。これぐらいの準備があっても良いだろう……?」
結標《むすじめ》の耳に、駒場利徳《こまばりとく》の低い笑い声が届く。
真っ赤に錆びた廃自動車の、ガラスのなくなった窓越しに、結標《むすじめ》は駒場の顔を見つけた。左右をコンクリート壁に阻まれた狭い路地の前方一〇メートルほど先に立っている。
(仕留める!!)
結標《むすじめ》の眉間に力が集中する。警棒にも使える軍用懐中電灯を軽く振り、手近な地面に転がっていた五本ものコルク抜きを呼び寄せ、一気に駒場の体内の座標へと叩き込む。
だが、
「……当たらんよ」
ブオン!! という轟音が鳴った。人間の体から出る音とは思えない捻りだった。駒場はその圧倒的な速度をもって狭い路地の中で左右ヘジグザグの軌道を描き、結標《むすじめ》が放つ転移攻撃の連射を全て避けたのだ。
それだけでなく、
「お返ししよう。俺は上品な葡萄酒よりも、安酒の方が好みでな」
駒場は一通りコルク抜きを避けきると、その脚を振り上げ、
「コルク抜きなど、もらった所で使い道がない」
ビュン!! と鞭のような蹴りが炸裂した。その脚は、まだ空中にポツンと取り残されていたコルク抜きを正確に捉え、恐るべき速度で結標《むすじめ》の元へと発射する。
「―――ッ!!」
軍用懐中電灯を動かし、『座標移動《ムーブポイント》』の力を使う暇もなかった。
手前にあった廃自動車の窓を通り抜け、コルク抜きは一気に結標《むすじめ》の元へと返ってくる。
結標《むすじめ》がとっさに首を横に振ると、右の頬に直線的な薄い傷が走った。耳一兀で鳴った鋭い風切り音に、肩や背中に貼り付けた電極が過剰なまでの緩和信号を出してくる。
(痛ッ……。生身の人間とは思えない、この運動性能……)
駒場の動きは、ただ直進するだけの自動車とは訳が違う。
そこには生物特有の繊細な微調整が備わっている。
「その機動力、服の内側に『発条包帯《ハードテーピング》』を仕込んでいるわね!!」
「流石に気づいたか」
駒場は足音を感じさせない歩みでじりじりと結標《むすじめ》との距離を測る。
間に廃自動車があっても、駒場の脚力なら軽々と乗り越えてこれるだろう。
結標《むすじめ》はそれを阻止するため、前後に一歩ずつ、不定期的な歩みを使って間合いを乱す。
いつの間にか、攻防は完全に逆転していた。
「俺の場合は……膝にある六つの靭帯を保護し、大腿骨、脛骨、腓骨を繋ぐ足の各部筋肉を外側から補強している。後は靴に鉄板を仕込んで足が自壊するのを防いでいるぐらい……。超音波伸縮性の軍用特殊テーピング……手に入れるのに苦労した」
実際にはメインの脚だけでなく、補強用として全身にも細かくテーピングを施しているのだろう。体のバランスは脚だけで取れるものではない。それでは高速移動中に重心を崩して派手に倒れてしまう。
「いわば……駆動鎧《パワードスーツ》の運動性能部分だけを抜き取って、独立化させたものだと思えば良い。俺を殺すつもりなら、貴様は対装甲兵器用の重火器を用意するべきだった……」
「ふん。『発条包帯《ハードテーピング》』とは、それほどに便利なものだったかしら」
結標《むすじめ》は口元に笑みを貼り付けながらそう言った。
ただし、顔の表面には冷たい汗がうっすらと浮き出ている。
一一次元上の理論ベクトルから三次元上の制約を無視して様々な物体を移動させる結標《むすじめ》だが、例外的に自分自身の肉体を移動させる事には極端な精神的ダメージを要する。低周波振動治療器による補助を受けているとはいえ、それでも確実に実行できるかは不明。むしろ可能性は五分五分より低いだろう。下手をすると精神面からの圧迫に耐えられず、ろくに力を使えないまま記憶の錯乱や判断能力の低下などに陥る危険もある。
簡単には下がれない。
しかし、不利な体勢を立て直すにしても、そのためのきっかけは自分で作らなくてはならない。
それを考えながら、結標《むすじめ》は口を動かして時間を稼ぐ。
「駆動鎧《パワードスーツ》があれほど大きなサイズになっているのは、何も動力部分や装甲の厚みがかさばっているせいではないわ。パイロットに対する安全装置に手間を割いているからよ」
言いながら、結標《むすじめ》は周辺の確認を怠らない。
路地は狭く直線的。駒場が突撃してくれば逃げる事はほぼ不可能だろう。結標《むすじめ》の手前には盾にしている廃自動車があるが、これだけで足止めできるかどうかは怪しい。
「駆動鎧《パワードスーツ》は装着者よりもはるかに高い機動力を……それこそ一〇倍以上の速度を出す事もできるわ。でも、それを着ているのはあくまで生身の人間よ」
駒場の攻撃は避ける事も防ぐ事も難しい。
結標《むすじめ》は懐中電灯を握る力に強弱をつけつつ、さらに分析を続けていく。
「ふん。……身体的プロテクトの事か」
「直立状態からいきなり高機動を出力すれば、全身の筋肉が肉離れを起こす危険すらある。だから駆動鎧《パワードスーツ》にはそれを防ぐための安全装置が複数用意されているのよ。私が使っている低周波振動治療器みたいに、常に筋肉へ電気的刺激を与えて、『準備運動状態』を維持し続けて急激な運動によるダメージを防ぐようにね」
結局、相手の攻撃が届く前に座標移動《ムーブポイント》の力で駒場利徳《こまばりとく》を叩き潰すしかない。
最初の一発が放たれるより先にとどめを刺さなければ、こちらの命が危ない。
「あなたの『発条包帯《ハードテーピング》』には、そういった安全装置がない」
結標《むすじめ》は軍用懐中電灯をくるくると回しながら告げた。
駒場利徳《こまばりとく》の表情は、変わらない。
「それは警備員《アンチスキル》の試験運用からも落ちた欠陥品よ。貴方の体にも相当の負荷がかかっているのではないかしら。それこそ、私が手を下すまでもないほどに」
「ふ……」
明確な弱点を指摘され、それでも駒場は笑っていた。
「その程度の覚悟は、決まっている……。無能力の身で、貴様のような化け物どもと戦うと誓った時からな」
ゴリラのような巨体が、さらに一回りほど大きく膨らんでいく。
おそらくは少しでも負荷に耐えるため、プロのアスリート以上に繊細で合理的な調整を施した肉体が、一つの凶器に変わっていく。
「早急に決着をつけよう」
(チッ)
「……俺の前には、やるべき事が山積しているのでな!!」
(やはり下がりはしないわね!!)
ドン!! という轟音が炸裂した。
駒場利徳《こまばりとく》は己の身を削りながら、列車をも追い抜く速度で結標《むすじめ》の元へと突っ込んでいく。
「ッ!!」
結標《むすじめ》は思わず一歩下がり、軍用懐中電灯をくるくると回す。
駒場利徳《こまばりとく》の現在位置に、錆び付いた巨大な看板を叩き込む。
しかしその命令が実行された時、すでに駒場利徳《こまばりとく》はそこにいない。アスファルトを踏み砕き、ロケットのような勢いでさらに前へ前へと駆けていく。
(くっ……速すぎて、座標を指定している暇がない!!)
結標《むすじめ》の喉が干上がる。
ダン!! という轟音が響く。
駒場の体が高速で飛来し、結標《むすじめ》が盾にしている廃自動車の屋根の上に着地した。赤錆びた鉄板がバキバキと崩れ、彼の脚が深く沈む。それを無視して駒場は靴底を振り上げた。廃自動車を盾に身を守っていた結標《むすじめ》を、上から踏み潰すために。
駒場利徳《こまばりとく》の魔手は、もうあと一歩の所まで迫っている。
「あ、ああああッ!!」
ゾッという悪寒と共に、結標《むすじめ》は後ろへ下がる。
もはや攻撃は諦め、結標《むすじめ》は手近にあった金属製のダストボックスを、とにかく自分の眼前に敷いた。ユニットバス四つ分ほどの、分厚い金属の箱を使ってとりあえず駒場からの一撃を防こうとしたのだ。
だが、
「薄いな……」
分厚いはずの壁の向こうから、うっすらとした笑い声を、結標《むすじめ》は確かに聞いた。
そして、
「……その程度の膜では、この俺を止める事はできない」
結標《むすじめ》淡希は己の眼前で、ごあっ!! と、ダストボックスが中心から外周に向かって爆発的に膨張するのを確かに見た。
駒場利徳《こまばりとく》が、『発条包帯《ハードテーピング》』で補強した脚を使い、向こう側から鉄杭のような蹴りを叩き込んだのだ。
直後に巻き起こった轟音を、結標《むすじめ》の耳は捉えられただろうか。
ズパァン!! と駒場の足の裏はダンプカーのようにダストボックスへ突っ込み、分厚い金属の箱を一撃で食い破り、その中身を撒き散らしながら全てをメチャクチャに引き裂いた。
がらんがらん、と金属が地面に落ちる嫌な音が響く。
爆発した残骸は、駒場から前方へ一〇メートル以上にわたって飛び散っていた。それは巨大
な竜が吐潟物の噴射を行ったようにも見えた。
死体など判別できない。腐りかけのゴミに混じって、赤黒いものが散乱しているだけだ。紫色の破片は内臓だろうか。そんな中に混じって、警棒にも使える軍用の懐中電灯が転がっていた。無残にひしゃげて、真っ赤な液体をべったりとこびりつかせて。
「ふん……」
血と一緒に髪の毛の付着した遺留品を見ても、駒場利徳《こまばりとく》の顔色は変わらなかった。
相変わらず、コピー用紙を吐き出すような口調で、彼は言う。
「……あっけない。本命を出す前に終わってしまった……」
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宣言通り、一方通行《アクセラレータ》は一〇分間でスキルアウトの集団を黙らせた。
とはいえ、その間ずっと能力を使っていた訳ではない。
最初の一瞬で大気を操り、風速五〇メートル以上の突風を生み出し、敵をまとめて地面に転がす。能力を切ったら、集団の動きが乱れた所で銃弾を叩き込む。相手が反撃しそうになったら再び先手を打って突風を生み、無力化してから銃弾で黙らせる。この繰り返しだ。
一〇分間もあれば楽勝だった。
その上、実質的な能力使用時間は、三〇秒も経っていない。
木原数多《きはらあまた》率いる『猟犬部隊《ハウンドドッグ》』との戦闘で、この電極のバッテリーがどれほどの弱点かは思い知らされている。一方通行《アクセラレータ》にはその節約法を学ぶ必要があった。
「さてさて。ウワサの駒場利徳《こまばりとく》って野郎はどこにいるのやら。まさか、今の中に混じってたとかっつう展開じゃねェだろォな」
一方通行《アクセラレータ》は首筋に手をやり、電極のスイッチを切る。周囲を見回し、敵がいない事を確認してから、さらに路地裏の奥へと進んでいく。
暴風で何もかもを薙ぎ払ったはずだが、ほんの一〇〇メートルほど歩いただけで再び風景のあちこちに錆びた金属のゴミが目立ち始め、色とりどりのビニールシートが青空を隠す。
ふと、一方通行《アクセラレータ》は足を止め、杖に体重を預けた。
遠方で行われているはずの結標《むすじめ》の爆破が止まっていた。
「チッ、向こうのノルマは終わったか。やだねェ一人で残業ってのも」
やれやれと彼は首を横に振ったが、
「それなら……休ませてやろうか」
不意に、そんな声が一方通行《アクセラレータ》の耳に届いた。
狭い路地を少し進むと、そこには建設途中らしきビルがある。巨大なジャングルジムのように鉄骨を組まれただけの建造物の、その中間階層四階の位置に、ゴリラのような大男が立っていた。
大男はコピー用紙を吐き出すような、平淡な声で語る。
「一方通行《アクセラレータ》……か。随分と有名人がやってきたものだが……まさか統括理事会の犬になって、この程度の制圧作戦に駆り出されているとは……」
「そオいうオマエは駒場利徳《こまばりとく》だな」
一方通行《アクセラレータ》は鉄骨を見上げて、
「一応理由を尋ねてやろオか。オマエがこの計画を立てた理由は何だ」
「スキルアウトが能力者を叩く理由なんて……聞いても面白いものではない」
「はン。その口ぶりだと、やっぱ街を混乱させた上で無差別攻撃ってトコか」
「無差別ではない。……標的ぐらいはこちらで選ぶ……」
「なかなか余裕があるみてェだが、今の状況掴めてンのか」
「先ほども……似たような事を言っていた女がいた」
言いながら、駒場はズボンのベルトに挟んでいた物を取り出し、それを鉄骨から下へ軽く投げた。
それは血まみれの軍用懐中電灯だ。
ガン、ゴン、と何回か下階の鉄骨にぶつかり、最後にアスファルトの上に墜落して、懐中電灯は保護ガラスと電球をまとめて砕かれる。
「俺が殺した」
「……、」
あっさりと放たれた言葉に、一方通行《アクセラレータ》はわずかに黙った。
駒場の方が、逆に眉をひそめる。
「丸くなったな……。話に聞いていた人物像とは違う。……やはり昔と変わったのか。日陰者達は、普通ならここでためらわない。……俺の前に立ったから死人が増えた。死体の処分方法に頭を悩ませるなど三流のやる事だ……」
「そォかい」
小さく眩いて、一方通行《アクセラレータ》は微かに笑った。
「知ってるか。俺の前に立ったクソ野郎は、普通ならミンチになるンだぜ」
笑いながら、彼は首筋にある電極のスイッチに手をかける。
「ふ……」
駒場は思わずといった調子で息を吐いた。
「いきがるなら……せめて体勢ぐらいは事前に整えておけ……」
「学園都市最強の超能力者《レベル5》にナニ語ってっか分かってンのか」
「……そういう化け物と対峙するのがスキルアウトの習性でな」
駒場は自分の人差し指で、首筋をトントンと叩くと、
「その電極……何らかの電子情報を送受信しているな」
チッ!! と一方通行《アクセラレータ》は舌打ちして電極のスイッチを入れた。
脚力のベクトル変換を実行。足元のアスファルトを粉砕し、ロケットのような推進力で一気に駒場の立つ四階部分へと飛び上がる。
しかし駒場の方が早かった。
彼は懐からスプレー缶のような物を取り出すと、それを鞭のような蹴りで弾き飛ばした。常人とは思えない威力の足技は金属製の缶を紙屑のように引き裂き、その中身を空中に撒き散らす。
薄暗い路地裏でもキラキラと輝いているのは、シャーペンの芯ケースぐらいのサイズの、金属製の薄い膜だった。薄い二枚羽のそれらは、極めて小さなヘリコプターのローターのようにも見える。
何百という金属膜はゆっくりとした速度で竹とんぼのように回転しながら、空中でピタリと静止していた。
「……『攪乱の羽《チャフシード》』、電波蝿乱兵器の一種だよ。……マイクロモーターと、東南アジアに分布しているフタバガキ科の植物の種子の構造を参考にして空に浮かばせている……」
駒場は表情を変えずに言う。
「元々は無線機能を潰し……生意気な風紀委員《ジャッジメント》を叩くために用意したものだ」
「―――ッ!!」
ガクン、と一方通行《アクセラレータ》の上昇力が一気に落ちる。
駒場の立つ四階部分に届かず、そのまま彼の体が下の三階部分の鉄骨へ墜落する。
最低限の『反射』も死んだのか、月並みな激痛が一方通行《アクセラレータ》の背中一面に拡散していく。
「ごっ、ァ!?」
思わず声が漏れたが、のた打ち回る余裕はない。
「似たようなものを……先ほども見た」
頭上から聞こえる平淡な声に、一方通行《アクセラレータ》はハッと顔を上げる。
「……あの空間移動系の襲撃者も、肩にそのような装置をつけていた。……おそらく使用している方式は異なるだろうし、それを装備する貴様達の事情までは分からんが……大方、能力補助のためなんだろう?」
影が差す。
上の四階部分から、駒場が両足を揃えて一方通行《アクセラレータ》の腹目がけて飛び降りてきた。
あんなものを喰らえば内臓が破裂する。
手元には拳銃があるが、撃った所で落下してくる巨体は止められない。
「チッ、野郎!!」
一方通行《アクセラレータ》は攻撃を諦め、手足を縮め、細い鉄骨の上をボールのように後ろへ転がった。
一瞬前に彼のいた場所へ、勢い良く駒場の両足が直撃する。
ゴォン旦という金属の鈍い音が響いた。
転がる動きを止め、一方通行《アクセラレータ》は片手で拳銃を構えて反撃したが、駒場は上半身を大きく振っただけで二、三発の弾丸を避けた。弾を見ているのではなく、銃口から逃れている動きだった。
花火の匂いのする薬英が、はるか下の地面へ落ちていく。
「……無様だな」
駒場の笑みが広がる。
「お前の能力が万全ならば銃を使う必要もないし……俺の一撃を避ける必要もないだろうが」
(クソッたれが。それなら腰の中心をぶち抜いて動きを止めてやる!!)
歯噛みした一方通行《アクセラレータ》は狙いを変えようとしたが、
「ふん……。振り落とされるなよ」
駒場の声と同時に脚が真下へ落とされ、三階部分の鉄骨が木の枝のようにへし折れた.
(……ッ!? この脚力―――ッ!!)
生身の体で繰り出せる攻撃ではないし、駒場は無能力者《レベル0》だ。となると、何らかの装備品で補強をしているのだろう。
「……くっ!!」
ただでさえ不安定な細い足場が斜めに傾いだせいで、一方通行《アクセラレータ》の射線が駒場の中心から大きく逸れる。そして、狙いを戻す前に駒場の巨体が一方通行《アクセラレータ》の元へ突っ込んできた。
(チ、カラは、まだ使えねェか!!)
視界の端でキラキラと輝いている無数の金属膜『攪乱の羽《チャフシード》』は、相変わらず竹とんぼのような動きで空中に静止したままだ。この一帯をまんべんなく覆っているため、多少手で振り払った程度では状況の打開もできない。
舌打ちする一方通行《アクセラレータ》の眼前に、駒場利徳《こまばりとく》が迫る。
轟!! という風が吹く。
不安定な足場であるにも拘らず、駒場はほんのへ瞬で数メートルの距離を詰めてくる。
そして、その強靭な足を使い、踏み潰すような蹴りが襲い掛かる。
「―――ッ!!」
とっさに身をひねるが、その足は一方通行《アクセラレータ》の拳銃を弾いて鉄骨の下へ落とした。初めから体ではなく武器を狙っていたのだろう。今のは反応できる速度ではなかった。
「……真っ赤に弾けろ」
そこへ今度は、駒場がズボンのベルトから自分の拳銃を引き抜いた。引き金の手前に太いマガジンが二本突き刺さった、奇妙なフォルムの大型拳銃だった。
左右へ首を振った程度で避けられる一撃ではない。
(クソッ!!)
意を決して、一方通行《アクセラレータ》は勢い良く横へ転がり、そのまま鉄骨から飛び降りる。
次は二階部分。
だが下も見ないでダイブした結果、着地のタイミングを誤り、衝撃を殺せずに一方通行《アクセラレータ》の体が鉄骨に激突した後、さらに一階まで落ちる。ゴン! という鈍い音が炸裂した。途中にワンクッションを置いたが、三階から地面まで墜落したのだ。歯を食いしばった程度で耐えられる痛みではない、まして、これまで体を鍛えず能力任せだった一方通行《アクセラレータ》には余計に堪える。
「ぐおおおォォあッ!!」
肩口を押さえ、一方通行《アクセラレータ》は絶叫する。
駒場は無視して引き金を引いた。
一方通行《アクセラレータ》は汚い地面を転がりながら、どうにか弾丸を回避する。
放たれた弾丸の威力は尋常ではなかった。射線の途中にある鉄骨に突き刺さり、その太い金属の塊を内側から爆発させた。鉄骨は大量の細かい破片に変貌し、一方通行《アクセラレータ》の上へと雨のように降り注ぐ。彼は地面の上を転がったが、それでも皮膚が細かく引き裂かれていく。
「チッ!!」
一方通行《アクセラレータ》は何かを求め地面へ視線を走らせる。
(……ツ!あった!!)
そのまま、駒場の足で地面に蹴り落とされていた自分の拳銃を掴み取った。
仰向けに体勢を変え、両手で拳銃を構え、銃口を頭上の鉄骨に向けて引き金を引く。
ガァン!! という鋭い発砲音が響いた。
しかしそこに駒場はいなかった。何もない場所を突き抜けた弾丸は空を覆うビニールシートの端に当たった。留め具を吹き飛ばされたのか、シートが大きく煽られるだけだった。
「……チェックメイトだ……」
抑揚のない、文字を吐き出しているだけの声が、斜め上方の死角から聞こえた。
すでに別の鉄骨へ飛び移っていたらしい。
「最期に選べ……。どこを撃ち抜いて殺して欲しい」
「……スマートウェポンか」
忌々しげに眩くが、この状態から銃を動かすのは難しい。
視界の外から駒場の声が響く。
「俺の演算銃器は赤外線を使って……標的の材質厚さ、硬度、距離、それらを正確に計測する。……そして、破壊に最も適した火薬をその場で調合し……合成樹脂を瞬間的に固めて弾頭を成型する。鋼鉄の板を撃ち抜く事もできれば……豆腐の中に弾を残す事もできる。好みの死に方があるなら早めに言え。……マニュアル操作なら大抵の死体を作る自信がある……」
そォかい、と一方通行《アクセラレータ》は眩いた。
ここで彼が倒れれば、駒場利徳《こまばりとく》は第二級警報の穴を突いて通信回線を潰し、その混乱に乗じて周辺一帯の能力者達へ無差別攻撃を行うだろう。しかし、それは何の成果も生まない。結局スキルアウトの力は学園都市全体を制圧するほどのものではない。
だから、その暴力の矛先は当初の目標から大きく外れ、自分達にでも倒せる適当な『敵』へ変更される。
本当に恨んでいるはずの超能力者《レベル5》や統括理事会ではなく、もっと手頃な『敵』へ。
一方通行《アクセラレータ》の顔面の皮膚が歪む。
善と悪ではなく、強と弱によって成立する裏路地の法則。それを改めて突きつけられ、彼は自分の芯がじくりと痛むのが分かった。あまりにも馴染みがありすぎて、吐き気がする。そして『これ』と戦うために、一方通行《アクセラレータ》は光の世界と決別して『グループ』へ飛び込んだのだ。
一方通行《アクセラレータ》は奥歯を噛む。
――――そうやって、スキルアウト達を束ねていくつもりか。
『キミの場合、今後も他人からの甘い言葉に警戒する癖はそのままの方が良いかもしれないわね。守るべきものの価値を知っているのなら、特に』
――――そうやって、自分の都合で事件を起こして喜ぶつもりか。
『……どんなに無様だろうが、一円でも一銭でも払い続けるしかないじゃんよ。その積み重ねは必ず君の道を開く。なに、君には私と違って力がある。一気に返済する手はいくらでもあるじゃんよ』
――――そうやって、何の罪もない人間から順番に不幸にするつもりか。
『ただいまー、ってミサカはミサカは定番のあいさつをしてみたり……って痛ッ! 何で無言かつ連統でチョップするの? ってミサカはミサカは頭を押さえて嘘泣きしてみる!!』
――――自分だけが満足するために、溜まりに溜まった鬱憤を晴らすために、それだけのために他人の幸せを貪り尽くすとでもいうのか。
「ふざけンじゃねェぞ、このクソ野郎」
その言葉を合図に、二つの銃から弾丸が放たれた。
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それで勝負は決した。
勝敗は火を見るよりも明らかだ。一方通行《アクセラレータ》の能力は空中にばら撒かれた金属膜『攪乱の羽《チャフシード》』に阻まれ、頼みの綱の拳銃も、標的たる駒場とは全然違う場所に向いていた。
その上で、彼の死角となる位置から、駒場利徳《こまばりとく》は正確に演算銃器の銃口を向けていた。これは将棋で言うなら完壁な王手。こちらの攻撃は届かず、あちらの攻撃が一方的に命を奪う、そういう構図だ。
放たれた銃弾は柔らかい肉を突き破った。
演算銃器の弾丸は、ぞふり、と脇腹の肉を食い千切る。弾き飛ばされた衣服の破片すら血に染まり、重量を得て浮かぶ事すら許されず、ボタボタと地面へ落ちていく。
一歩遅れて、焼けるような痛みが走った。
しかし、傷ロへ手を当てるだけの余裕すら、ない。
「何、故」
自然と、言葉が漏れる。
その口の中にも血の味が広がっていき、やがて唇の端から赤い液体がわずかにこぼれる。
「何故、お前の『反射』が生き返っている?」
鉄骨の上で血を吐いている駒場の様子を眺め、一方通行《アクセラレータ》は汚い地面にぶっ倒れたまま薄く笑った。
「バッカじやねェの?」
薄く薄く薄く薄く、ひたすら薄く。
まるで剃刀の刃のように引き裂かれた、血に飢えた笑み。
「チャフってなァ、空気中に金属箔をばら撒く事で電波障害を起こすンだよ。なら話は簡単じゃねエか。辺りに漂ってる金属膜をどけちまえば良い。例えば換気するとかなア」
「……ま、さか……」
駒場は頭上を見上げた。
人工衛星対策として、ビルとビルの間を覆うように張られた色とりどりのビニールシートが大きくめくれ上がっていた。一方通行《アクセラレータ》の弾丸が留め具を弾き飛ばしたせいだ。
『掩乱の羽』は不意に吹いた風のせいで、布陣を大きく乱されていた。『掩乱の羽』にはある程度の自律浮遊機能があるが、それでも強い突風に耐えられるほど高性能ではない。今までの平均的で緊密な配置から、大きくぽっかりと穴を空けてしまっていた。
「さァって、と」
ダン!! という地面を叩く音が響いた。
仰向けに倒れていた一方通行《アクセラレータ》が、どういうベクトルを変換したのか、ドア板が開閉するようにそのまま起き上がる。
「無能力者《レベル0》の分際で超能力者《レベル5》にケンカを売るその根性、もォ一度見せてもらおうかァ!!」
「……チッ!!」
駒場はもたもたとした動きで懐へ手を伸ばす。
特殊な銃器があろうが強靭な脚力があろうが、一方通行《アクセラレータ》のベクトル変換能力が生きている間は、駒場利徳《こまばりとく》は何をやっても勝ち目がない。
となると、新たな『攪乱の羽《チャフシード》』を散布し、その間に撤退して状況を立て直す気か。
「遅っせェンだよ!!」
一方通行《アクセラレータ》は足元にあった小石を蹴飛ばした。
それだけだった。
にも拘らず、ベクトル変換された石ころは弾丸のような速度で駒場の掌を貫いた。ゴバッ!! という轟音が、手の肉が弾けた後にやっと炸裂するほどだった。
「ぐァあああああああッ!!」
駒場は取り出しかけた『掩乱の羽』の容器を落とし、撃ち抜かれた手首を押さえてうずくまろうとする。しかしそこでバランスを崩した。丸まりかけた体勢のまま、鉄骨の三階部分から転落していく。
その程度で駒場利徳《こまばりとく》は死なない。彼には鉄骨を折るほどの脚力がある。途中でバランスさえ取り戻せれば、後は軽々と地面に着地できるはずだ。
だからこそ、一方通行《アクセラレータ》は容赦をしない。
「ハハッ!もっと楽しませろコラ!!」
ドン!! と脚力ベクトルを変換し、ロケットのように前へ突っ込む。そして今まさに地面へ着地しようとしていた駒場の腹を掌で掴むと、手近な鉄骨の柱へ思い切り叩きつけた。
駒場の転落ペクトルすら正面方向へ変換した一撃。
それを受けた分厚い鉄骨が、ガギィン!! と不自然な歪みを生んだ。駒場の巨体がビクリと震えた。彼のポケットにあった携帯電話や『攪乱の羽《チャフシード》』の予備ストックなどが、バラバラと地面に落ちていく。
「ご、ぽっ!?」
駒場は血を吐くが、それは一方通行《アクセラレータ》の顔に当たるや否や、一滴も付着せず左右へ弾かれる。
それすらも、彼は拒絶した。
「チェックメイトだよなァ。もう下半身の感覚ねェだろ?」
「くっ……」
「こォなっても演算銃器を手放さなかったのは褒めてやる。まだやりてェなら思う存分やってみろよ。そォいう自殺も面白ェンじゃねェか」
ターグットの腹を掴んでぶら下げたまま、一方通行《アクセラレータ》は唇の端を吊り上げて言う。
「無能力者《レベル0》ってなァ確かに弱ェが、それだけじゃ悪にはならねェ」
死に際すら汚して楽しむために。
「あァいう連中が邪魔者扱いされてンのは、ひとえにオマエらみてエなスキルアウトがハシャいでるせいだ。権利の獲得? 安全の保障? 馬鹿馬鹿しい、そォいった行動がオマエの首を絞めてるって事ぐれェ気づけなかったのか」
「……ふ」
歯を全部真っ赤に染めながら、しかし駒場は笑った。
「もしもの……話をしようか」
コピー用紙をそのまま口から吐き出しているような声で。
「……お前の語る『無害な無能力者《レベル0》』を意味もなく襲撃する……それが腐った能力者達の近頃の流行りだとしたら……どうする」
一方通行《アクセラレータ》のまぶたが、つまらなさそうに細くなる。
「能力者としての優劣に、人格的な問題は考慮されない……。中には、強大な力を弱者に振りかざして、悦に入る事しかできない醜い人間もいる。……俺はそういう能力だけの能力者を、何入も何十人も見てきた……」
駒場利徳《こまばりとく》は命乞いすらせずに、ただ一方通行《アクセラレータ》の目を見て語る。
スキルアウト。
その本来の結成目的は、強大な能力者から身を守るためのもの。
「もしもの話だ……。そういうヤツらが、組織されたスキルアウト以外の無能力者《レベル0》だけを、競って襲うゲームが流行っているとしたら……お前はどうする……」
地面に何か光るものがあった。
駒場利徳《こまばりとく》を鉄骨に叩き付けた時に落ちたものだろう、彼の携帯電話だ。二つ折りの電話は落下の衝撃で開き、待機状態だった画面に光が点っていたのだ。
待ち受け画面にあったのは、粗雑な解像度の写真だった。
小学生ぐらいの小さな女の子と、居心地の悪そうな顔で立っている駒場利徳《こまばりとく》。
それは路地裏やスキルアウトという単語からはかけ離れた風景だった。
あるいは、駒場自身が努力して切り離した結果なのか。
(この野郎……)
スキルアウトの再編成。
事件の目的とその効果。
駒場利徳《こまばりとく》の抱えるもの。
「ふん。場違いな行動を取り続ければ、いずれこういう結末を招くとは分かっていたが……」
声に、一方通行《アクセラレータ》は再び顔を上げる。
「……最期に良い物を見せてもらった。これでよしとする……」
駒場は一方通行《アクセラレータ》の表情を見て、血まみれの口で笑う。
超能力者《レベル5》の顔色の変化に、駒場は一体何を得たというのか。
駒場はのろのろした動きで一方通行《アクセラレータ》の眉間に銃口を突きつけた。
「どうやら……今の俺とお前は……同じような境遇にいるらしいな」
その顔に、迷いやためらいはない。
「手土産だ。この無様な光景を胸に刻んでおけ」
ドン!! という銃声が周囲を震わせた。
一方通行《アクセラレータ》の『反射』に例外はない。跳ね返った弾丸は演算銃器の銃口へ飛び込み、鉄の凶器を内側から粉々に打ち砕き、さらに延長線上にあった駒場の顔へと突き進む。そして駒場利徳《こまばりとく》の顔面が消失した。ぼちょり、という生々しい音が地面に落ちる。引き千切れたパーツは、縁の欠けた丼のように見えた。脳みそを収めただけの、皮膚と髪のついた粗雑な容れ物に。
一方通行《アクセラレータ》は、それを至近距離で眺めていた。
誰よりも近い位置で。.
「……、」
手を離す。
地面に落ちた胴体は、ぐにゃぐにゃとした動きで手足を折ると、そのままへばりついてしまった。それはもう何も言わない。あれだけ厄介な敵として立ち塞がった男からは、完全に抵抗が失われていた。
これで仕事は終わり,
初陣は、滞りなく完了した。
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『ご苦労様です』
携帯電話の向こうで、海原光貴はそう言った。
『死体の搬送、及び証拠の隠滅。薬英や血痕などの回収はこちらで行います。例の黒い収集車を送りますので、あなたはそちらに乗ってください』
「いや」
一方通行《アクセラレータ》は電話を欄みながら、短く言った。
「こっちは勝手に帰る、オマエらの世話にはならねエよ」
『構いませんが、知人と遭遇するのは避けてください。我々は紛れる事に意義があり、浮き出る事はマイナスでしかありません。それは誰にとっても不利益にしかなりませんからね』
「いちいち上からモノを言ってンじゃねェよ。殺すぞ」
適当に言って、一方通行《アクセラレータ》は携帯電話を切った。
(……それにしても、チャフか。人為的な電波障害の対策がいるな。爆弾でも携帯して、空気中の異物をまとめて吹っ飛ばしゃァ何とかなンのか?)
今後やるべき事を頭の中でまとめながら、もう一度汚い地面を見る。
そこには顔の上半分を失った駒場利徳《こまばりとく》の死体。そして、落下による衝撃で使い物にならなくなった、軍用の懐中電灯が転がっていた。
ケッ、と一方通行《アクセラレータ》はつまらなさそうに息を吐いて、
「生きてンだろ、結標《むすじめ》淡希」
告げると、路地裏の奥からコツンという足音が聞こえた。
「途中からビルの窓際で見せてもらっていたけど……どこで気づいたのかしら?」
「ふン。バレバレなンだよ」
駒場利徳《こまばりとく》の銃撃を避けるため、自分から鉄骨の二階部分へ落下した後の事だ。
一方通行《アクセラレータ》は地面に着いた後、先に落ちていた拳銃を拾って反撃に出ている。しかし、だ。冷静になれば分かる通り、それはあまりに都合が良すぎるだろう。ちょっと手を伸ばした範囲にきっちり自分の銃が落ちているなんて事は、普通に考えればありえない。あれは結標《むすじめ》淡希が座標移動《ムーブポイント》の能力を使って、事前に一方通行《アクセラレータ》の手元に引き寄せておいたものだ。
「鬱陶しい真似しやがって……」
「あら。命の恩人に対してそういう言葉遣いで良いのかしら」
「―――、オマェ。殺して欲しいのか」
「そいつはお互い様ね」
結標《むすじめ》はうっすらとした笑みを浮かべると、吐息がかかるほど顔を近づける。
彼女のまぶたが、皿のように見開かれた。
「忘れたの? 私が今こんな場所にいるのは、貴方があの日余計な真似をしてくれたからよ。あれさえなければ一度潜伏して体勢を立て直し、改めて武力と人貝を用意した上で、拘束施設を襲って『仲間』達を助けられたかもしれないのよねえ?」
真横に引き裂くような笑みを浮かべて、結標《むすじめ》はゆっくりと語りかける.
「ふ、ふふ。その力で私を手伝って『グループ』に貢献し、その結果『仲間』達が解放されれば、私は貴方を許してあげる。だけど、少しでも足を引っ張るなら殺す。これ以上、自分の価値を落とさないように注意なさい。さもなくば体中にコルク抜きを突き刺してやるわ」
「ゴチャゴチャと騒がしい女だ」
一方通行《アクセラレータ》はくだらなさそうに首の関節を鳴らしながら答える。
「オマエこそ分かってンのか。この俺に一撃で粉砕されたお荷物がハシャいでンじゃねェよ。その動作不良の脳みそに刻ンどけよ。俺の人生を一秒でも無駄にしたらオマエは路地裏の染みになるってなァ」
「……、」
「……、」
二人はしばらく睨み合っていたが、その時、短い問隔のクラクションが数回鳴った。どうやら黒い収集車が路地の出入り口近くに来たらしい。
気を削がれた彼らは同時に力を抜く。
馬鹿馬鹿しい、と一方通行《アクセラレータ》は吐き捨てた。
その通りよね、と結標《むすじめ》淡希もあっさり頷いて身を退いた。
今はまだ、その時ではないのだから。
「駒場の野郎をどォやって騙した?」
「割と簡単よ。あいつの足技は威力が高すぎたから、どうせ死体なんて残らないし。ダストボックスを盾にしたのよ。料理店の裏手にあったもので、豚の骨や内臓なんかがそのまま捨ててあるゴミ箱をね」
自分の体に座標移動《ムーブポイント》を使ったから、途中で一度吐いたけどね、と結標《むすじめ》は言う。
どうやらディティールを詰めるために、自分で引き抜いた髪の毛を懐中電灯に巻きつけたりもしたようだ。座標移動《ムーブポイント》を使って髪の毛を切断したのだろうが、そういう細かい事はできるくせに、自分の体を移動させるのは難しいらしい。
「……たまたまあった、内臓入りのゴミ箱ね。運の良いヤツだ」
「そうね。運が悪かったら別の盾を使っていたわ。例えばスキルアウトの一人とかね。使わずに済んだのはやっぱり幸運だったと私も思うけれど」
結標《むすじめ》は死体の側にあった軍用懐中電灯を拾い、
「見事に壊れているわね」
退屈そうな口調で言った。
「海原から連絡があったでしょう。彼はなんて言っていたの?」
「収集車が来るから乗って帰れとさ。さっきのクラクションがそれだろ」
「そう。私の回収地点は少し遠いのよね」
「オマエはここで待って代わりに収集車に乗れ。俺は勝手に帰る」
その言葉に、結標《むすじめ》は怪訝そうに眉をひそめる。
「あら。どこかへ寄って行くの? まだお昼には早い時間だと思うけれど」
「あの優男にも聞かれたが、大した事じゃねェよ」
一方通行《アクセラレータ》の手には、携帯電話がもう一つあった。
今はいない人間の血を受けた、プラスチックの電子機器。
その待ち受け画面には、幼い少女の笑顔が映っている。
そしてボタンを操作すると、そこにはいくつかの電話番号があった。
登録カテゴリは『無能力者《レベル0》襲撃・要注意入物』。
彼はそれに目を通す。
そうしながら、力を抜いてこう言った。
「残業だよ。サァービス残業」
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第三章 イギリス潰教の女子寮 Russian_Roulette.
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ロンドンの朝は学園都市より九時間遅く訪れる。
柔らかい陽射しと小鳥のさえずりの中、神裂火織《かんざきかおり》は女子寮の脱衣所で呆然と立ち尽くしていた。
彼女の眼前にあるのは、学園都市製の最新鋭全自動洗濯機だ。
「ですから言ったんです……。布団丸洗いオーケーなんて宣伝文句を簡単に鵜呑みにしては駄目だって」
流石に最近は冷えてきたため、神裂《かんざき》はいつものTシャツと片足ジーンズの他に、へそぐらいまでの長さのジャケットを羽織っている。その上着にしても、右腕部分がばっさり切断されていて、肩まで大きく見えていた。
「……ただでさえ、この洗濯機は小難しい理論で動いているのに……」
がしゃん、という物音が聞こえた。壁に立てかけておいた七天七刀《しちてんしちとう》が倒れたのだが、もはや神裂《かんざき》はそれすらも意識に入っていない。
一〇月三日の洗濯当番は神裂《かんざき》だったのだが、そこヘアニェーゼ=サンクティスが「布団も洗えるんならやっちまいましようよ』とか何とか言って、分厚い掛け布団を太巻きみたいにして洗濯機に放り込んだのが全ての元凶だった。
現在、AI完備の精密家電製品は今にも黒い煙を噴きだしそうな調子で『ぶこご。ぶこごこごご』と人を不安がらせるような低い捻り声をあげ、左右にガタガタと震えている。
「……、」
ちなみに件のアニェーゼは言うと、何やら彼女なりに追い詰められているらしく、半分涙目で青い顔になっていて、できる限り洗濯機から距離を取ろうと考えているのか脱衣所の壁に背中をぴったりと張り付け、洗濯機に負けず劣らず小刻みに振動している。生クリームぐらいなら泡立てられそうな勢いなので、これでは神裂《かんざき》としても責めるに責められない。
そこへやってきたのはオルソラ=アクィナスだ。
頭の先から足の先まで全部黒い修道服で隠し、顔しか出ていない巨乳修道女はにこにこと微笑みながら、
「朝ご飯の時間でございますよー」
「唐突過ぎます! 今までの流れとか少しは考えてください!!」
「まあ。でもいつもこの時間に朝ご飯を用意する方が自然な流れでございますよ。むしろ洗濯機の方がイレギュラーでございましょう?」
む、と神裂《かんざき》は少し黙り込んだ。
確かに言われてみればその通りである。
一方、そちらに気を取られている隙に、アニェーゼが「あ、あああ朝ご飯―。あっさごっはんーっ』と歌いながら高速で脱衣所から出て行った。
神裂《かんざき》はため息をついて黒いポニーテールの頭をがしがし掻くと、床に落ちた刀を拾って食堂に向かった。隣のオルソラは実は眠いのか、廊下を歩いているにも拘らず、微笑みながら時々体が左右に揺れたりしている。
「そういえば、神裂《かんざき》さん」
「何ですか」
「先日神裂《かんざき》さん宛てに届いた荷物は何だったのでございましょう。確か日本の土御門《つちみかど》さんからという事でございましたけど」
ビクゥ!! と神裂《かんざき》の肩が大きく動く。
彼女は人差し指と親指で自分の前髪をいじりながら、
「さ、さあ、大した物じゃありませんよ。わざわざ報告する必要性は感じられません」
「そうでございますか。荷札にデカデカと『堕天使メイド一式』などと書かれていたので皆さん大層気味悪がっていましたけど、気にする事はないのでございますね?」
「えっ、ええ!! ありませんともッ!!」
ガタガタガタガターッ!! と神裂《かんざき》は高速振動しながら首を縦に振りまくる。
オルソラはそんな神裂《かんざき》の様子に気づかないのか、もしくは思考パターンが戻ったり進んだりしているのか、
「ところで、その刀は長くて邪魔ではないのでございますか?」
「む、むしろ、私の場合は多少重量がある方が振り回しやすいのですが」
「まあまあ。宗教的に意味のある長さだと思っていたのでございますよ」
「いえ、もちろん日本神話上の意味はありますけど」
ようやく話題が逸れてきた、と神裂《かんざき》は胸を撫で下ろしつつ、オルソラと一緒に廊下を歩きながら言う。
「宗教的な刀が多いのは、単に日本の支配階級が剣や刀を重んじていたからに過ぎません。斧を重んじていれば斧が増えていたでしょう。地域によっては魚や野菜などを奉じる場所もありますし、包丁や鍋といった場合もあります。ようは、その地域の人にとって何が一番大切か、という事なんです」
彼女は七天七刀《しちてんしちとう》の柄を指先で軽くなぞり、
「神道の場合、基本的には八百万《やおよろず》の理論―――つまり神は何にでも宿り、何であっても魔術的な道具に成り得るという考え方がありますから。天草式十字凄教《あまくさしきじゅうじせいきょう》で頻繁に使われる、身近な物品を使って術式を組み立てるという戦術もこの八百万を応用したものなんですよ。もっとも、物品によって宿る神は異なりますから、一品であらゆる術式を行使できるという訳ではないんですけどね」
「ふぁああ……ねむねむでございますよ!」
「ッ!! 自分で尋ねておきながら右から左ですか!?」
神裂《かんざき》は唖然として叫んでしまったが、当のオルソラは目元をごしごしと擦りながら、さっさと食堂の方へ行ってしまった。
置いてきぼりとなった神裂《かんざき》は、肩を落としてとぼとぼと食堂に入る。
中は広かった。
元々ここを使っていたのは七〇人程度だが、最近いきなり元アニェーゼ部隊が二五〇人ほど追加された。それでもきちんと収まるぐらいなのだから、どれほど空間が余っているかは分かるだろう。
『必要悪の教会《ネセサリウス》』の活動時間は特に決まっていないため、修道女達の食事のタイミングはまちまちだ。だから普段は食堂が満席になる事はないのだが、
「……オルソラが料理当番のリーダーを務める日だけは全員着席とは。なんというか、非常に現金です」
神裂《かんざき》は呆れながらもテーブルに着いた。
近くにはアニェーゼ、オルソラ、ルチア、アンジェレネらが座っている。鋭い目つきのルチアが小柄で猫背のアンジェレネのほっぺたを引っ張っている所を見ると、また食事前にこっそり摘み食いでもしたんだろう、と神裂《かんざき》は呆れていたのだが、
「ふぇ、ふぇすから私はシスター・オルソラに秘訣を聞こうとしただけなんですよ」
「何が秘訣ですか、馬鹿馬鹿しい」
「そうは言っても私だっておっぱいを大きくする方法を知りたいんです」
……何の話をしているんだ、と神裂《かんざき》は頭を抱えてしまった。
その間にもルチアとアンジェレネはぎゃあぎゃあ言い争いを続けている。
「シスター・アンジェレネ。修道女に胸など必要ありません。数多の欲から切り離されるべき修道女が殿方を誘惑させるような危険性を抱えてどうするのですか。むしろ私やシスター・オルソラの方が不完全と言えるでしよう」
「うわっ! とか言いつっ何でさりげなく巨乳宣言しているんですか!? その冷酷な線引きに私は反抗しますもんね!どうせ『いい加減に成長も止まったと思っていたのですが。最近何だか張ってきたような気がして、少し痛いんです……』とか困り顔で相談してくるようなシスター・ルチアに私の気持ちは分かりませアギュ!?」
何か言いかけたアンジェレネの金髪三つ編み頭を、ルチアは顔を赤くして全力で上から押さえつける。彼女達が暴れるたびに、テーブル上のナイフやフォークがガチャガチャ揺れた。
呆れ返った神裂《かんざき》は横から注意する事にした。
「アンジェレネ、それにルチアも。食事前の祈りを捧げる時間なんですから、あまりドタバタするものではありませんよ」
が、アンジェレネは人の話を聞いていない。
彼女は神裂《かんざき》の顔よりもやや下の辺りへ視線を投げると、
「ポイントは和食ッッッ!!」
「いい加減にこの冒涜的な話題は終わりにしなさい、シスター・アンジェレネ! それから神裂《かんざき》火織。あなたも修道女ならば、そのふしだらなものをしまうべきです!!」
「べっ、別に取り立てて表に出しているつもりはありません!!」
神裂《かんざき》は思わず叫び返したが、それを聞いた(心身ともに)控え目な修道女達が顔を逸らしたり小さく舌打ちする。
そんな訳で妙にギスギスした雰囲気を醸し出しつつも、食前の祈りを捧げたら朝食開始だ。
女子寮の食事なんてものはとても大雑把で、まず前日に集められた「明日の朝食は食べるカード』を数え、後は五右衛門風呂みたいに巨大な鍋で一種類の料理を一気にガーッ!! と作ってしまう訳だ。
が、オルソラはその辺がとても器用で、一度の朝食でいくつものメニューを同時にこなしてしまう。実際には彼女一人で何百人という朝食は用意できないので、他にも十数人の修道女達の手を借りているのだが、オルソラはとにかく様々な料理のレシピを知っていて、それを的確に伝えるのが上手いのだ。
だから神裂《かんざき》の前には白いご飯と味噌汁があるし、アニェーゼやルチアにはパスタ、アンジェレネにはフランスの郷土料理が並んでいる。
神裂《かんざき》は『いただきます』と眩いてから箸を手に取って、
「しかし、あの洗濯機はどうなんでしょうね。浴衣の帯は脱色されましたし、今回も簡単に壊れましたし。まさかと思いますが、学園都市側は我々の衣服に装着された霊装効果を排除するために洗濯機を送りつけてきたんじゃ……」
「あ、あはは。今はご飯に専念しましょうよ。ほら、ほら」
アニェーゼはやたら乾いた笑みで話題を変えていく。
一方、長身のルチアと猫背のアンジェレネは、
「うへえ。シスター・ルチアはそれだけでお昼まで足りるんですか?お皿の半分ぐらいしかパスタが載ってませんよ」
「シスター・アンジェレネ。むしろあなたの食事量が過剰なのですよ。何ですかそのメニューは。修道女の朝食にチョコレートドリンクやデザートのアイスクリームなど必要ありません。常に節制を心がけ、規律と信仰をもって食に感謝すれば、一皿の麺だけで満腹となるのです。むしろ今の私には多すぎるぐらいの恵みと言えるでしょう」
「へぇ……。じゃあいらないなら食べてあげますよ」
「ッ!? 人のパスタをフォークで絡めるのはやめなさい、シスター・アンジェレネ!!」
バタバタと暴れる大小修道女コンビに、神裂《かんざき》は焼き魚の身から骨を器用に外しながらため息をついた。先ほどの胸だの何だのの会話といい、ほんの数週間前まで刃を掲げて異教徒殺すぜうがーとか言っていたとは思えない光景だ。
(人の評価など切り口次第という事ですか……)
妙にしんみりしながら、神裂《かんざき》は焼き魚の骨を全て外し終えると小さなビンの蓋をバゴッと開けて、その中から梅干を取り出した。合成着色料を使っていないせいか、赤というよりはベージュに近い。
と。
ふと神裂《かんざき》が顔を上げると、ルチアとアンジェレネが目を丸くしてこちらを見ていた。
「な、何ですか?」
たじろぐ神裂《かんざき》に、二人の修道女はひそひそとした声で、
「(……シスター・アンジェレネ。東洋人が見た事もない変なのを食べようとしています。あれがウワサに聞く武士の国のウーメボシというヤツでしょうか)」
「(……多分アマクサ術式に必須なんですよ。ほら、確か向こうにはヒノマル弁当という言葉があったはず。何でも国旗を模しているそうですけど)」
「(……国旗を食べるという行為には何らかの宗教的な意味が付随しているのでしょうか。これは独特の方向牲を得て発展したアマクサ術式の経緯を知るチャンスかもしれません)」
妙な勘違いを訂正するべきかどうか悩む神裂《かんざき》の肩を、アニェーゼがちょんちょんとつつく。
見ると、アニェーゼは神裂《かんざき》製の梅干に目を釘付けにしたまま、
「それ、どんな味がするんですか。一つ分けて欲しいです」
「は、はあ、構いませんけど……って、パスタに!?」
ギョッとする神裂《かんざき》の目の前で、アニェーゼはすでにホワイトソースの絡んだクリーム色の麺に梅干をポトリと落としてフォークでぐちゃぐちゃにかき混ぜてしまった。パスタの色が薄いピンク色に変化していく。
見ている神裂《かんざき》の顔色が青くなるが、パスタを絡めて口に含んだアニェーぜは意外に好感触そうに表情を綻ばせ、
「むぐ、結構新鮮です。味がさっぱりすんですね」
マジか本当ですか!?とルチアとアンジェレネが異様なテンションで食いついてくる。しかし一番驚いたのは神裂《かんざき》だ。和風パスタと言えばしょうゆや明太子だが、クリームソースに梅干を突っ込んでも本当に美味しくなるのだろうか。
ちなみに唯一食いついてこないオルソラはというと、先ほどから首を斜めにしたまま、極めて幸せそうな顔で『うふふ。このパスタは何メートルあるのでございますかー……』と眩き、何もない空間で永遠にフォークをくるくる回していた。多分あれは寝ている。あの調子で作ったご飯がこんなに美味しいという事に神裂《かんざき》は思わず首を傾げてしまう。
そちらは放っておいて、
「かっ、神裂《かんざき》さん!はいはい私もはい!! くださいウーメボシ食べてみたいですそれ!!」
アンジェレネがテープるから身を乗り出して大声で言った。ちなみに彼女の主食は見るからに柔らかそうなクロワッサンだ。一体どこに梅干を使う気だ、と神裂《かんざき》は思わず口に出しかけたが、そこでふと、
(いや、梅干はご飯と一緒に食べるもの、という先入観がいけません。アニェーゼのように窓口はあくまで広く、まずは梅干の味を知ってもらった上で、そこから本来の和食というものへ踏み込んでいただけば何の問題もないはず)
「え、ええ。まあ数に不足はありませんし、食べてみたいというのでしたら……」
控え目な肯定だったが、実はこの梅干は市販品に満足できない神裂《かんざき》が女子寮の屋上を借りて天日干しにした自家製だ。頻繁に天気の変わるロンドンの空で日照不足に悩み、ビニールハウス状に梅干をガードし、もういっその事魔術で光を作るかいやいやそれでは天日の意味がと試行錯誤を繰り返した末に生み出された会心の出来であり、それが今まさに認められようとしているこの瞬間に内心では超嬉しかったりするのだが、そういった感情は全て冷静沈着な表情の下に隠しておくのが大和撫子である。
神裂《かんざき》が箸を使ってビンから取り出し、小皿に載せた梅干を、わーいと言って受け取るアンジェレネ。
さてどんな反応が返ってくるかと神裂《かんざき》はアンジェレネの顔色を窺っていたのだが、
「ウーメボシって主食につけて食べるものなんですよね。いやあ、私、ジャムとかマーマレードとか果物系のペーストには弱いんですよ」
は?と神裂《かんざき》は目を点にする。
何か壮絶な勘違いをしている気がする、と彼女が危惧するのもお構いなしに、
「東洋の甘味ってこちらのものとはまた違うんですよね。ワガシって言うんでしたっけ。前からずっと興味があったんですよー」
アンジェレネは警戒心ゼロで、ぽいっと自分の口に梅干を放り込んでしまった。
直後、両目をバッテンにし、唇を尖らせたアンジェレネが椅子ごと後ろにひっくり返った。
彼女は食事を放棄し、何事かを叫びながら食堂から飛び出していく。
天草式十字凄教《あまくさしきじゅうじせいきょう》の歴史と技術の粋を集めた梅干は、市販品とは出来が違う。
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朝食が終わればいよいよ洗濯機と格闘再開である。
「取扱説明書よし、ドライバーなどの工具類よし。……い、いざという時の保証書は……え、お客様相談センターの電話窓口は日本……という事は国際料金ですか!?」
覚悟を決めているのか決意が鈍っているのか微妙なラインのまま、神裂《かんざき》は女子寮の廊下をとぼとぼ歩いていく。
と、ずらりと並んでいるドアの一つが不意に開いた。
中から出てきたのは、寝不足気味で乱雑に頭を掻いているシェリー=クロムウェルだ。ライオンのような金髪に、野性味のある小麦色の肌。もう陽も高くなりつつある時間だが、未だに黒いネグリジェを纏っていた。
その手には、彫刻用の盤と玄能が握られている。
「……おう神裂《かんざき》。朝飯まだ残ってる?」
「また石を削るのに夢中で時間が経つのを忘れていたんですか。朝食はないでしょうが、料理当番のリーダーはオルソラなので両手を合わせて拝み倒せば何か作ってくれるのでは?」
言いながら、神裂《かんざき》はシェリーの肩越しに部屋の中を見た。
シェリーは女子寮の部屋を二つ借りている。寝室と作業部屋だ。霊装などの管理のために複数の部屋を借りる者は少なくないが、純粋な趣味だけの部屋は比較的珍しい。
彫刻部屋、と銘打ってあるのものの、シェリーの部屋には彫刻がない。部屋の四隅には、バラバラに砕かれた石像の成れの果てが山のように積んであるだけだ。
ただ一つ、部屋の中央に置かれた小さな少年の像以外には。
等身大の大理石像の台座には、Ellisと刻まれている。
「そいつも失敗作よ」
神裂《かんざき》の視線を理解し、シェリーはつまらなさそうに息を吐いた。
「目も当てられない失敗作のくせに、それだけは何故か砕く気が起きなかった」
と、ほとんど独り言のように言われても、神裂《かんざき》には『「エリス」=「シェリーの使うゴーレムの名前」』という認識しかない。なので、『それは術式の名前じゃないんですか?』と素直に尋ねたところ、
「……名付けた時は、それしか思い浮かばなかったのよ」
ふてくされたような返事がきた。
「自分の身を守るための人形を作ってから、そいつの名前を決めようって段になった時、真っ先に浮かんだのがあいつの名前だった。未練がましいのは分かってんだけどさ」
シェリーは両手にあった彫刻道具を部屋の中へ適当に投げてドアの鍵を締めると、それ以上は一言も告げずに食堂へ向かった。神裂《かんざき》には詳しい事情は分からないが、その背中は何故か少しだけ小さく見えた。
(まあ、余計な詮索は無用でしょう。首を突っ込むだけが救いの道とは限りません)
救われぬ者に救いの手を、という魔法名を背負う神裂《かんざき》は微妙に全身がムズムズしているのだが、今はそっとしておく事にした。
「い、いたいた。神裂《かんざき》さーん……」
そこへ今度はアンジェレネが小走りに近づいてきた。朝食の途中で席を立ってどこかへ消えてしまった彼女だが、今は何故かその手に歯磨き粉のようなチューブが握られている。多分中身は生チョコだろう。
「どうしたんですか、アンジェレネ。あれからどこへ行っていたのですか。そうそう、あなたの分の朝食はもう片付けられてしまったと思いますけど」
「くっ……。い、いや、良いですよ。気にしません。その分次の昼食が美味しく食べられるだけですから」
「でしたら、その時はまた梅干を差し上げましょうか。次はちゃんとご飯に載せて」
「完全に結構ですからッ!! なっ、何がウーメボシですか、あんな悪魔の食べ物! 口の中がおかしくなって、ホットミルク飲んでも全然直らないから今チョコ食べてるんですよ!! 私は一気に日本への憧れがなくなっちゃいましたよーだ!」
そう言われてはしょんぼりするだけだが、神裂《かんざき》火織は奥ゆかしく感情を制御できる大和撫子なので見た目に変化はない。本人がそう思っているだけで実際には肩が落ちているのだが。
「無理には勧めませんが……。で、私に用件があるのでは?」
「そっ、そうでした。あ、いえ、用件と言っても私ではなくてですね、その……」
「ああ、誰かから伝言でも頼まれているんですか。アニェーゼからでしょうか」
「い、いえ、伝言ではなく寮の代表を呼んできて欲しいとの事で……。あのあの、それから、シスター・アニェーゼからじゃないです」
「じゃあルチアですか」
「えと、その、シスター・ルチアでもオルソラでもなくてですね、あと、シスター・カテリナとかアガターとか、とにかくここの寮の人じゃないんです」
「???」
ここは一応イギリス清教の女子寮なのだが、寮の人間以外に誰がいるというのだろう、と神裂《かんざき》は首を傾げた。
「うーん、なんて言いましたっけ……」
アンジェレネもちよっと首をひねってから、
「そうそう、サーシャさん。サーシャ=クロイツェフさんです」
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サーシャ=クロイツェフ。
ロシア成教が誇る魔術戦闘特化部隊『殲滅白書《Annihilauts》』の正式メンバーである。専攻分野は人間以外の『あらざる者』の殲滅。そのためならば、ラスプーチンの腐敗政治以後ロシアでは一切禁じられている魔術の行使もためらわず、対象出現エリアを遺跡ごと吹き飛ばし、地形を大きく変化させる事も珍しくないという。おかげで、文化財を守ろうとする一部の国家からは入国を制限されている状態にあるらしい。
魔術師同士の単体戦闘能力はイギリス清教の『必要悪の教会《ネセサリウス》』に比べると劣ってしまう。
しかしサーシャは鋸や金槌など、イギリス製の対人用拷問霊装を装備する事でその不利を補っている。見た目は小柄な金髪の少女だが、その腰に差してある七つ道具同様『戦術を切り替える事であらゆる局面に対応できる』オールマイティな魔術師と言える。組織のエージェントとしては理想的な実力を持つと評価できるだろう。
……他にも神裂《かんざき》は日本の海岸で『彼女』の別の側面を見ているようだが、その『彼女』の事は今は切り離しておいた方が良さそうである。
サーシャ=クロイツェフはロシア成教のエージェントだ。
その彼女が、何故ロンドンの、それもイギリス清教の女子寮へやってきたのか。
まさか観光や迷子という訳ではあるまい。
ローマ正教と学園都市が一触即発の状況にある最中では、サーシャの訪問にも自然と政治的な匂いを感じてしまう。
協議、対談、取引、あるいは警告か。
アンジェレネに連れられる形で、神裂《かんざき》は気を引き締めながら女子寮の玄関へ向かったが、
「第一の解答ですが、迷子になりました」
ええーっ!? と神裂《かんざき》は思わず叫んでしまった。
愕然とする彼女の顔色を見て、サーシャは小さく頷くと、
「第二の解答ですが、よいリアクションをありがとうございます」
「嘘なんですか!?」
はて、サーシャ=クロイツェフとはこんな軽口を叩く人間だったか、と神裂《かんざき》は疑問に感じた。
が、やはりあの『彼女』とは別人なのだろう。
「第三の解答ですが、おそらくそちらも感じている通り、私はロシア成教の使者としてこのたびこちらに伺いました。しかし補足説明させていただきますと、ロシア成教正式の会談という訳ではありません。ここには私個人の思惑があるため、あくまでも非公式対話という形にしていただきます」
どうやらロシア成教からの明確な敵対行動という線はないようだ。
神裂《かんざき》はやや警戒心を緩めた。
「そうですか……。では立ち話も何ですから、とりあえず中へどうぞ」
「第四の解答ですが、お気遣い感謝しま――」
言いかけて、不意にサーシャの声が途切れた。
神裂《かんざき》がそちらへ振り返ると、ちょうどサーシャが自分の右手を後ろへ回した所だった。
何となー、彼女の指先が不自然に震えていたようにも見えたが……。
「第一の質問ですが、やはりこの施設では魔術的な防衛策が施されているのですか」
「いえ……。この女子寮はイギリス国内の不穏分子をおびき寄せて叩くためのエサですから、意図的にそういう事は避けています」
「第二の質問ですが……なら、それ以外に何か魔術的な作業をこの施設内で行いませんでしたか?」
「はあ」
ええと、と神裂《かんざき》は少し考えてから、
「言われてみれば、女子寮のメンバーの中には霊装保護のために、保管用の術式を施している者もいます。ただ、ここまで漏れる魔力はほとんどないと思いますけど」
先ほどの指の震えと何か関係ある話なのだろうか、と神裂《かんざき》は首をひねる。
一方、サーシャはそれで納得したのか、小さく頷いた。
「……第五の解答ですが、何でもありません。では、話のできる場所はどこですか」
彼女は小さな手を胸に当てて一度深呼吸すると改めて前を見た。神裂《かんざき》の勘違いだったのか、
やはり彼女の指先に変化はない。
神裂《かんざき》はサーシャに道を譲るように横へ移動しつつ、どこへ案内しよう? と考えていた。ここは女子寮なので、来客をもてなすような空間はない。しかし、相手はロシア成教の特使として来た以上、神裂《かんざき》の寝室などという個人スペースに招待する訳にもいかない。
やはり食堂しかないかな、と思いつつ、
「しかし何故こちらに? イギリス清教の代表なら聖ジョージ大聖堂に控えていますが」
「第六の解答ですが、そちらにはワシリーサ……ああその、あまり補足説明をしたくない人柄の上司が向かっています。本来はそちらの『会談』がメインであり、私はワシリーサの補佐という形でイギリスへ入国しています」
神裂《かんざき》、アンジェレネ、サーシャの三人は廊下を逆戻りして食堂へ歩いていく。
「ますます状況が掴めませんが。補佐役ならば、今まさに会談を行っているロシア成教代表の側を離れてはまずいのでは」
「第七の解答ですが、ロシア側にも事情がありまして。イギリス側にとっては失礼な話に聞こえるかもしれませんが、私個人としてはこちらの方が重要と感じているほどです」
「……、」
この不安定な情勢下では、適当な理由ではロシア成教の魔術師はイギリスには入国できない。
だからサーシャは『会談』というイベントに乗じてやってきた、という訳だろう。
きな臭くなってきた、と神裂《かんざき》は警戒心を高めるが、
「(……あの、あのう。神裂《かんざき》さん)」
ちょいちょい、とアンジェレネが神裂《かんざき》のズボンを引っ張ってきた。
「何ですか、アンジェレネ」
又……この方は神裂《かんざき》さんのお知り合いですか。なんというか、その、とっても個性的な服装の人ですけど)」
ピクリ、とサーシャ=クロイツェフの肩が大きく動いた。
彼女の格好は黒いベルト状の拘束服にインナーそのもののようなすけすけの衣装、後はその上から羽織った赤いマントだけだ。
しっ!と神裂《かんざき》は人差し指を口に当てて、
「(……世の中には文化という言葉があります。あれにはきっとロシア成教に伝わる重要な意味があるんですよ)」
「(……え、ええっ? 本当にそうなんですか。私にはどうも、夜道に出没する変な中年男性みたいにしか見えな)」
「(……アンジェレネ!そのような口を利いてはいけません。あなただって自分の信仰心を馬鹿にされたら怒るでしょう!」
ぶるぶるぶるぶる、とサーシャは小刻みに振動しているが、爆発には至らなかった。ただ、その口から時折『……私だって好きでこんな格好を……』『……ロシア成教はそんな変態の集まりじゃ……』『……ワシリーサ殺す……』などという言葉の欠片が漏れている。
そうこうしている内に食堂に着いた。
朝食は終わっているが、元ローマ正教のシスター達を筆頭に、まだかなり多くの人数がテーブルで談笑していた。彼女達には明確な出勤時間はないので、待機する時はひたすら待機なのだ。
「ん?」
オルソラにありあわせの食材で作ってもらったらしきハムとレタスのサンドイッチ(オルソラはやっぱり眠いのか、サンドイッチの具がパンからはみ出ている)を頬張っていたシェリーは、食堂に入ってきた三人に目を向けて、
「夏でもないのに水着のヤツがいるぞ」
ビキリ、とサーシャのこめかみに青筋が立った。よりにもよって露出度満点のネグリジェ女に言われたのがよほどショックだったらしい。口の中で『ワシリーサに死をワシリーサに死をワシリーサに死を……』と念じているのが怖い。
神裂《かんざき》は人差し指を口に当てるジェスチャーでシェリーを黙らせつつ、
「え、ええと、彼女はサーシャ=クロイツェフ。ロシア成教のエージェントで、今回は非公式会談のためにここへ来たとの事です」
神裂《かんざき》の言葉に、食堂の皆が耳を傾けていた。例外はオルソラぐらいだろう。よほど眠たいのか、彼女は上品なティーセットの乗ったトレイを両手で抱えながら、ふらふらとした動きでテーブルとテーブルの間を行き来している。
代わりに、はあ、と眩いたのはトランプを持っているアニェーゼだ。彼女は向かいの席でポーカーフェイスを作っているルチア、隣で涙目になっているカテリナ、斜めで自分のカードを睨みつけているアガターらから目線を神裂《かんざき》に移すと、
「そのサーシャさんの非公式会談……。まさか亡命でも希望しているんですか?」
「なるほど。着の身着のままとはまさに言葉通りですね。もう大丈夫ですので安心してください」
トランプをテーブルに置きながら語るアニェーゼやルチアの言葉に対し、サーシャはついに口をへの字に曲げて傭いてしまったため、神裂《かんざき》火織は全力のジェスチャーで『服装に触れるの禁止!!』と示した。
気を取り直して、と神裂《かんざき》はサーシャに手近な席を勧めた。
ようやく眠気が覚めてきたらしきオルソラが紅茶の入ったカップを運んでくる。
サーシャはそれを一口含み、舌を湿らせてからこう言った。
「本日は皆様に第三の質問があります」
食堂全体に行き渡らせるように。
それでいて、粛々とした空気を生み出すように。
「此度のローマ正教と学園都市の間で起こる戦争あなた達は、どちらの側に着くつもりですか?」
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戦争。
もはや誰にとっても他人事ではない言葉だ。
従来の戦争は国境という区切りの元で行われていたが、これからの戦いは違う。思想と思想のぶつかり合いに国境は存在せず、地球上全ての領域が例外なく突発的に戦場となる可能性がある。『○○という国にいれば大丈夫』とか『××という基地は防衛が堅い』などという安全神話は存在しない。最悪、一つの部隊の中で争いが起こる危険すらありえるのだ。
「第八の解答ですが、ここは良い街ですね」
サーシャは大きな窓の外を眺めた。
「補足説明しますと、ロンドンではローマ正教や科学サイドによるデモ行動がそれほど見られません。ちなみに我々ロシア国内はとても緊迫した状況にあります。昼間でも不意の暴動を恐れ、シャッターを閉める店も増えています」
イギリス清教、ロシア成教はそれぞれ国教だが、別に『国民は全員それを信仰しなくてはならない』という制約はない。なので、ロシア国内にも多くのローマ正教徒がいるのだろう。科学の方は説明するまでもなく、もはやその恩恵に頼っていない人間の方が少ない。
神裂《かんざき》はそういった事情を思い浮かべつつ、
「しかし、何故私達の元へ? 私達はイギリス清教の一員に過ぎず、独断での組織的行動は禁じられています。これから起こるであろう戦争に関する今後の動向を探りたければ、やはり聖ジョージ大聖堂に控えている最大主教の方に……」
「第四の質問ですが、本当にその通りですか?」
「何ですって?」
神裂《かんざき》も、アニェーゼも、ルチアも、アンジェレネも、シェリーも、その他全員も、サーシャの一言で表情を訝しげにした。オルソラだけがのんびり居眠りしている。
「第五の質問ですが、この戦争において、あなた達は本当にイギリス清教に従い続けるつもりはあるのですか?」
「……、」
広い食堂に、ロシア成教の言葉だけが響く。
「補足説明しますと、神裂《かんざき》火織、及びアニェーゼ=サンクティスはそれぞれ元天草式十字凄教《あまくさしきじゅうじせいきょう》、元ローマ正教アニェーゼ部隊という別組織の象徴的立場にあるはず。その他『必要悪の教会《ネセサリウス》』のメンバーの大半にしても同様……あなた達は目的を果たすためにイギリス清教にいるのであって、イギリス清教の人間だから『必要悪の教会《ネセサリウス》』に加入したのではありません」
単刀直入な断言だった。イギリスへの入国手段といい、今日のために色々と下準備を進めてきたようだ。
サーシャは続ける。
「さらに補足しますと、現在のローマ正教と学園都市の戦力はほぼ拮抗しているというのが我々ロシア成教の見解です。そこで勝敗を左右する項目としては、イギリス清教やロシア成教といった第三勢力の動向が大きいでしょう。我々ロシア成教は今回の戦争にあまり興味がありません。どちらが勝とうが構いませんが、どうせなら勝つ方に協力をして優位な位置を確保したい。そこで、イギリス側がどう動くのか、意見を調整しておきたいのです」
イギリス清教は魔術サイドの勢力だ。
しかし同時に宗派の違いからローマ正教との仲は悪く、学園都市とは特別なパイプがある。
この一大魔術組織がどちらに着くのか、予想するのは困難を極めるだろう。
おまけに、イギリス清教内には神裂《かんざき》やアニェーぜという『傘下に収まっているだけの小組織』が無数に存在する。個人にしても同様。ステイルは一人の少女を守れればどこへでもつくだろうし、土御門《つちみかど》はそもそもどの陣営にいるかも定かではない。シェリーなど、純粋なイギリス清教でありながら、派閥間の問題で同じ組織にいるインデックスの命を狙ったぐらいだ。
世界を揺るがす大戦争の鍵の動きが全く読めない。
確かに探りを入れたくもなるだろう。
(……あるいは、そこへ一石を投じる事で、我々の動きを分かりやすい方向へ誘導するつもりか)
ともすれば仲間割れをしろとも受け取れるサーシャの言動に、神裂《かんざき》火織はこの戦争の意味について考えてみる。
神裂《かんざき》火織はすでに天草式十字凄教《あまくさしきじゅうじせいきょう》から離反した存在だが、かといって彼らが守るべき者である事に違いはない。
そして、現天草式はオルソラ=アクィナス救出の際にローマ正教と敵対している。天草式の戦闘メンバーは五〇人程度しかいない事を考えると、イギリス清教の庇護なしに生活していくのはほぼ不可能だ。
同様に、元アニェーゼ部隊も『アドリア海の女王』の一件以降、ローマ正教からは完壁に敵として認識されている。この戦争に乗じて無理にイギリス清教から離反した所で何の得もないだろう。
しかも、神裂《かんざき》火織は過去に自分の大切な入達を、数回にわたって学園都市……いや、正確にはそこに暮らす一人の少年に助けられている.
(心情としては学園都市……)
この戦射にローマ正教が勝利し、世界中にその勢力が拡大すれば、イギリス清教の抑えは利かなくなり、現天草式も元アニェーぜ部隊も潰されてしまう。そう考えると学園都市に協力したい所だが、
(しかし、相手は科学サイド……)
学園都市が勝利しても危険な状況に変わりはない。戦勝の波に乗り、科学サイドが魔術サイドそのものを一気に職滅する可能性がある。その場合はもう小勢力も大勢力も関係ない。『滅ぼすべき世界中の魔術勢力』の一つとして、現天草式や元アニェーぜ部隊は消滅するだろう。
戦争の意味する所は大きい。
こうして考えると、普通に勝敗が決した所で、どちらに転がってもイギリス清教は大きな損失を受ける気がする。となると、おそらく最大主教はそれだけでは終わらせない、何らかの策を用意するつもりだろう。
サーシャ達がイギリスの動向を気にかけるのも頷ける。
この状況を乗り切るには、様々な策を巡らさなければならないのだ。
そんな中をどう立ち回るかも重要だが、
(くっ……。本当に戦う選択肢しかないのですか)
神裂《かんざき》火織は、打算する事そのものに苦悩した。
(こういう考え方が最も嫌いだから私は魔法名を名乗っているというのに、目の前にはそれを避ける道は一つもないのですか……)
場合によっては、神裂《かんざき》は『敵』に刃を向けなくてはならないかもしれない。
明確な『敵』を設定し、助けるためではなく殺すために。
あの少年と少女が自らの手で掴み取った、平和な生活を引き裂く可能性もある。
サーシャーークロイツェフから言い渡された命題。
この戦争でどちらの陣営に着くか。
(私は……)
神裂《かんざき》は思わず奥歯を噛み締め、
(私は……ッ!!)
「それなら大丈夫でございますよ」
その時、今まで居眠りしていたはずのオルソラ=アクイナスが唐突に言った。
食堂にいた全員が彼女の方を見た。
一体どこまで人の話を聞いていたかは疑問だが、それにしてはやけに堂々とした一言だった。
「第六の質問ですが、大丈夫、とはどういう意味ですか」
「そのままの意味でございます」
さらりと言葉は返ってきた。
考える素振りもない。あるいは、悩むほどの事でもないのか。
「たとえどのような情勢下であれ、私達のやるべき事は変わらないのでございますよ。救いを求めている入がいればこれに手を差し伸べ、痛みを訴える者がいればこれを癒し、争いを望ま戯者がいればその仲裁に当たる。それだけでございましょう?」
「第七の質問ですが、それができれば苦労はしません、補足説明しますと、これから始まる戦争は、そのような綺麗事では」
「だとしても」
オルソラはサーシャの言葉を寸断するように告げた。
「私達のやるべき事は変わらないのでございます。戦争が起きたからと言って、救いを求める人を拒む理由にはなりませんし、痛みを訴える者に鞭を打つ理由にはなりませんし、争いを望まぬ者に剣を握らせる理由になどなりません」
「……、」
そのきっぱりとした言葉に、サーシャ=クロイツェフはわずかに黙り込んだ。
オルソラ=アクィナスは異教の地で十字教を広めるためのエキスパートだ。
周囲からの敵意、思想上の暴力、そういったものに幾度となく触れてきて、それでも武器を持とうともせず、言葉だけで己の為すべき事を貫いてきた人間だ。
「私達は、小さな力の持つ意味を理解しているのでございます」
だからこそ、彼女の言葉には力が宿っていたのだろう。
少なくとも、争いが起きるたびに武器を振るってきた神裂《かんざき》などよりは。
「絶対に不可避と思われた課いを、奪われる事が当然だという命を、決して折れずに前へ進むだけで解決してきた、小さな力を。味方の未来を救い、敵の未来すら奪わず、こうして一堂に揃う機会を与えてくださった、あの力を。……威光も背景もない『彼』にできて、何故私達にはできないのでございましょう? 『彼』一人であれだけの救いをもたらせるのならば、私達が力を合わせればどれほどの救いをもたらせるのでございましょう?諦める事に意味などございませんよ。意味を見出したければ、諦めない事が重要なのでございます」
その言葉を、皆が聞いていた。
アニェーゼはふんとそっぽを向き、アンジェレネはルチアの衣服を小さく掴んだ。ルチアはその小柄な同僚の肩に手を置き、シェリーは目を細める。その他の修道女達にしても同じだった。各々はオルソラの言葉を聞き、ある少年を思い出し、それから何事かを考えているのだろう。自分が進むべき道を。
神裂《かんざき》が自然と思い出したのは、『彼』と初めて遭遇した時の事だった。
鋼糸を使った『七閃』に拳を切り刻まれ、全身を七天七刀《しちてんしちとう》の鞘で強打され、それでも聖人の前に立ち塞がった少年は、確かにあの時こう言った。
『だったら、テメェはこんな所で何やってんだよ!』
彼女は。
『それだけの力があって、これだけ万能の力があるのに……何でそんなに無能なんだよ……』
神裂《かんざき》火織自身は、どんな顔をしていただろうか。
「では……」
その中で、ただ一人、あの少年を知らないサーシャは慎重に告げた。
「第八の質問ですが、あなた達はどう動くつもりですか」
「私一人に皆の決定権などございません。皆はそれぞれがやるべき事をやるのでございましょう。ただ」
オルソラ=アクィナスはにっこりと微笑んで、
「私個人としましては、勝ち負けの二元論などまっぴらでございます。そこには存在しない第三の選択肢そもそも誰も倒れない、というぐらいのハッピーエンドを用意しなければ、助けていただいた『彼』に申し訳が立たないと思うのでございますよ」
すでに開戦直前という状況で、世界で最も輝いている綺麗事を堂々と言い放った。
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結局何も掴めませんでした、とだけ言って、サーシャ=クロイツェフは去った。
神裂《かんざき》火織はその後も食堂の椅子に座り、背もたれに体を預け、しばらく天井を眺めていた。
(己の為すべき事……)
彼女の場合、オルソラとは事情が変わる。聖人という、世界で二〇人もいない才能を持つ彼女は、科学サイドにおける核兵器に近い戦力を誇る。戦争という事態に対し、言葉だけでなく、実行力を持った直接的行動を起こせるのだ。
(私の魔法名。そこに刻んだ意味。それをまっとうするには……)
大きな戦争の勝敗そのものを握る事はないが、局地的な戦況だけならひっくり返せる。
その小さな勝利は、連鎖的に大局をも揺るがす可能性もある。
目の前に広がる選択肢の山。
戦争だから何もできないのではなく、何かができるからこそ、神裂《かんざき》は悩む。
(私だけが持つ戦力、ですか。まったく、なんという傲慢な考え方でしょう。これなら洗濯機の事で頭を痛めていた方がまだ良いというものです)
はあ、と神裂《かんざき》は思わずため息をつく。
彼女の博愛精神は、聖人という強大な力の存在が大きな割合を占めている。つまり、自分には力があるから、周りより余裕があるから、その分だけ多くの人を救おうという……見方によっては他人を見下しているとも受け取れる、とても醜い性根によるものだ。
そんな神裂《かんざき》からすれば、何の力も持たずに(という、この表現自体が修行不足だと神裂《かんざき》は感じている)自己を貫き他人へ手を差し伸べる、オルソラや『あの少年』のような生き方はとても眩しく映る。
「神裂《かんざき》さん、どうしたのでございますか」
そんな風にぐじぐじ考え事をしていると、件のオルソラが再び食堂へやってきた。
何となく目を合わせづらい神裂《かんざき》は、天井を見上げたまま、
「……己の鍛錬不足に恥じていた所です。このような未熟者が、一時とはいえ天草式を束ねていたなどと…-考えるだけで背筋がゾッとします」
「人とはそう簡単には熟せぬ存在でございましょう。主の教えを理解した気になるのは簡単ですが、真にその道を解するのは困難を極めるのでございますよ。かくいう私も、先ほどは随分と未熟な発言をしたと感じているのでございますけどね」
「そうですか? 私は概ねあなたの意見に賛同できました。戦争が起きるからといって、誰かを殺す事のみに固執するのは良くない。その通りだと私も思います」
「うふふ」
と、そこで何故かオルソラは含み笑いをした。
神裂《かんざき》は背もたれに体を預けたまま、横目でオルソラを見たが、
「概ね、でございますか」
「それがどうかしましたか?」
「いえいえ。となると、それ以外にも戦う理由があるのでございますね。やはり建宮さん達の言っていた『元女教皇《プリエステス》には学園都市に想い人がいるのよな』発言は的を射ていたようでございますよ」
がたーん!! と神裂《かんざき》は椅子ごと後ろにひっくり返った。
床に倒れたまま彼女は叫ぶ。
「なっ、何ですかその不的確な発言は!? 現天草式はどうなっているんですか!?」
「あらあら。一輪の花を携えた騎士団長《ナイトリーダー》が割と体をコチコチに固めて日本人街に訪ねてきた際、教皇代理の建宮さんが応対した時の話でございますよ。天草式の女教皇を舞踏会へ招待したいのだがいやいやそれは無理ってもんなのよという押し問答を繰り返したのち、建宮さんがしっしっと手を振りながら『元女教皇は年上にリードされるより年下をリードする方がお好みなのよ!!』という前置きと共に騎士団長に告げた一言として、それは半ば伝説となりつつありますけど」
「ねっ、根も葉もない事をーッ! しかも何故そこで伝説として語り継ぐんです!! おのれ建宮斎字《たてみやさいじ》、言い訳にしてももう少し穏当なものがあるでしょうに!!」
「ちなみにこの一件に関して、同天草式の五和さんから『がっ、がんばります!!』というコメントをいただいているのでございますよ」
「そのニュース原稿を読み上げるような発言は何なんですか!?」
神裂《かんざき》はぎゃあぎゃあと喚くが、元々オルソラは人の話を聞かない事に関しては折り紙つきである。彼女はほのぼのと笑って『あら。紅茶のストックは?』と言ったきり、台所へ引っ込んでしまった。
知らぬ間に大変な事になっている状況を遅まきながら気づかされた神裂《かんざき》は、しばらく青い顔で呆然としていたが、
「ぎゃあああああああああああああああああああッ!!」
今度は食堂の外からぶっ飛んだアニェーゼの悲鳴が聞こえてきた。
「ああもう次から次へと!!」
神裂《かんざき》は立ち上がると、勢い良く食堂を飛び出した。
声のした場所は分からないが、大雑把に方角だけあたりをつけて、後は長い廊下をひたすら走る。
と、脱衣所の前でへたり込んでいるアニェーゼ=サンクティスを発見した。
神裂《かんざき》が近づくと、アニェーゼは座り込んだまま、脱衣所の中を指差した。
「せっ、洗濯機が……洗濯機が……っ」
息も切れ切れの言葉に、神裂《かんざき》のこめかみがブチッと嫌な音を立てた。
またあの洗濯機か。
朝食前にも問題を起こしたのに、そっちの収拾がつく前にまた次の問題か。
こっちは戦争だの想い人発言だのでさんざん頭を悩ませているのに、この期に及んでまた洗濯機か。
(やはりあれは学園都市が送り込んだ憎きハイテクAIスパイなのでは!? そうでもなけれこう連続して様々なトラブルを引き起こすとは思えません!!)
これ以上何かあれば七天七刀《しちてんしちとう》でぶった斬ってやる、ぐらいの意気込みで神裂《かんざき》は脱衣所へ突撃した。
風呂場は西洋圏では珍しい大浴場なので、脱衣所も大きい。件の洗濯機は体重計と一緒に広広とした脱衣所の隅っこに置かれているはずだった。
そちらに視線を向ける。
神裂《かんざき》の浴衣の帯を脱色し、布団を詰め込まれて動作不良に陥っていたグズでノロマで役立たずの学園都市製ガラクタ洗濯機は、
ぐいんぐいんと音を立てて。
ぎゆうぎゅうに詰め込まれた布団をしっかり洗濯していた。
「なっ……」
神裂《かんざき》は思わず息が詰まる。
本来この洗濯機は静音設計が売りで、このように音を立てる事自体がイレギュラーだった。
つまり、それぐらい無理を重ねて動いているのだろう。設計上の限界値を超え、動作環境をはるかに凌ぐ注文を出され、それでもひたすら耐えて耐えて耐え抜いた結果、この洗濯機はついに布団丸洗いの偉業を成し遂げようとしていた。
(なんという事でしょう……)
神裂《かんざき》の全身から力が抜け、彼女は思わず脱衣所の床に膝をついた。
怒りという感情が、猛烈な恥へと切り替わっていく、
つい先ほど己の未熟ぶりを反省していたというのに、もうこれか、と神裂《かんざき》は思った。この洗濯機は、到底洗えるはずもない巨大な布団を詰め込まれ、強引にスイッチを押され、勝手に諦められて放置された後も、ずっとずっと一人で頑張ってきたというのに。痛いのも苦しいのも我慢して、ひたすら己の為すべき事を守り続け、ついに実現不可能な偉業を達成しようというのに、あろう事かそれを『これ以上何かあれば七天七刀《しちてんしちとう》でぶった斬る』などと……。
洗濯機は何も言わない。
搭載されたAIに会話機能がないのだから何も言わないのが当然だ。
しかし、確かに神裂《かんざき》火織は聞いた。
洗濯機の声を。
神裂《かんざき》さん。
俺、ちゃんとやりましたよ。
「〜〜〜〜〜ッ!!」
ぶわっ!! と神裂《かんざき》の目尻に涙が浮かんだ。
もう言葉は出なかった。彼女は七天七刀《しちてんしちとう》を放り捨てると、まるで離れ離れになった家族と再会した時のように洗濯機の四角いボディにすがりついた。
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第四章 酔っ払った母親の事情 The_Two_Leading_Roles.
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学園都市にとって、夜の一〇時は比較的遅い時間と言える。
そもそもこの街は電車やバスの最終便が、学校の最終下校時刻に設定されているためだ。場所によってはそれに合わせて閉店にしてしまう店舗もあるため、どうしても雰囲気が『大人向けのお店ばかりが開いている』状態となるのだ。
街中には教師と治安維持部隊を兼ねた警備員《アンチスキル》が巡回しているため、補導覚悟で出歩いているような連中でもない限り、普通の学生は寮で大人しくするだろう。
逆に言えば夜の学園都市はそういう不良連中ばかりが凝縮される時間帯でもあり、不用意に普通の学生が出歩くと『小さなトラブル』に巻き込まれやすい訳だが。
そんな中を、カツコツと杖をつく音が響いていた。
一方通行《アクセラレータ》だ。
(あーあー……。『残業』のせいで結構遅れちまったなァ……)
彼の帰る先は、黄泉川愛穂のマンションではない。
長点上機学園の一生徒として書類登録してあるものの、そちらの寮でもない。
それ以外の、『グループ』の間では『仮眠室』というコードで呼ばれている建物だ。
とはいえ、それは「グループ』内の規則という訳ではない。土御門《つちみかど》元春は普通の高校に通い学生寮で生活しているし、結標《むすじめ》淡希はどこかのお節介な女教師の下に居候しているらしい。
海原光貴の話は聞かないが、彼は彼で勝手に自分の居場所を作っているようだ。あまり『表舞台』で派手に動かない限り、基本的に行動の自由は確保されているらしい。上の連中が『グループ』の住み家についてとやかく言ってくる事はなかった。
他のメンバーがどこで何をやっていようが関係ないし、向こうも同じような事を考えているだろう。ぶっちゃけた話、自分に被害がなければ、今すぐこの『グループ』という組織が潰れた所で何の問題もない。
その方がやりやすい、と一方通行《アクセラレータ》は思う。
下手に馴れ合って好転するような事態はすでに終わっている。
「……チッ。コンビニ寄ってコーヒーでも買ってくっかな……」
今飲んでいる缶にもそろそろ飽きてきた頃なので、別のものに切り替えるか、と考えながら一方通行《アクセラレータ》は進行方向をわずかに変えた。学園都市の雑多な夜景を作る蛍光灯に惹かれるように、その辺の雑居ビルの一階にあるコンビニへ向かった所で、
「うっ、ううーん……」
ふと横合いから寝言みたいな声が聞こえた。
しかしそちらに人間はいないはずだ。何せそこにあるのは赤いポストなのだから。メール全盛の時代に本当に役に立っているのか疑問な金属製の郵便ポストでしかなく、どう見てもそこはベッドではない。
なのに、
「う、うぎゃー……気持ち悪い……」
変な酔っ払いの女が寝転がっていた。抱き枕みたいにポストの支柱を両手で抱えて頬ずりしている。
おそらく大学生ぐらいだろう。格好は簡素なシャツと黒系の細いスラックス……なのだが、多分高めのブランドものだ。おまけに少し離れた所には財布以外に何も入らないような小型のハンドバッグが無造作に落っこちている。襲ってください馬鹿野郎と全身で表現していた。あまりにもウェルカムすぎて逆に構う気が起きなくなる。
さっさとコンビニ行くか、と一方通行《アクセラレータ》は素通りしようとしたが、
(んン? そのツラ、どっかで見たよォな気が……?)
ふと立ち止まった。
酔っ払い大学生の顔を改めて見る。肩まである茶色い髪に、整った顔のライン。目は瞑っているので分からないが、おそらく元気が有り余っている感じだと簡単に予想できた。背丈やプロポーションは全然違うのに、妙にあの少女の事が頭にちらつく。
打ち止め《ラストオーダー》の家族、という事はない。
量産型能力者にそんなものは存在しない。
(……何なンだコイツ? 他人の空似ってオチか……)
どうにも気になって、一方通行《アクセラレータ》は女の近くによってじろじろと顔を見ていたのだが、
「うああー……はいはーい、御坂美鈴《みさかみすず》さんですよー……」
不意にパチッと彼女の目が開いたと思ったら、いきなり酔っ払いがこちらに抱きついてきた。
のろのろとした動きだが、そもそも一方通行《アクセラレータ》は杖をついている身である。
一緒に汚い道路に転がる。
腰の辺りに抱きついた女は、自分の体が密着している事を全く気に留めず、
「趣味は数論のお勉強、特技は水泳、おっぱいは九一センチでーす……あ、いけね。私結婚してたんだった。ほらパパに悪いから馴れ馴れしく私に触るんじゃねー」
言うだけ言うと、一方通行《アクセラレータ》をぐいっと押しのけて、ちょっと離れた所にぺたんと座り込んだ、一瞬、彼はその頭に鉛弾をぶち込みたくなる衝動に駆られたが、
「あれー……。断崖《だんがい》大学のデータベースセンターってどこだっけ? そこの白いの。アンタなんか知ってる?」
もはや酔っ払いは無敵状態だった。
多分この女は、今なら統括理事長だろうが米国大統領だろうが、誰にだって同じように管を巻くはずだ。
(ば、馬鹿馬鹿しすぎて相手にするとこっちの格が落ちそォだ……。さっさとコンビニ行ってコーヒー買って帰るぞ。こンな女なンざ知った事か)
一方通行《アクセラレータ》は杖に体重を預ける形でゆっくりと立ち上がり、ズボンについた汚れを片手で簡単に払うと、ため息をついてその場から離れようとして、
「おいちょっと、つれないわねー。無視すんなよ白いのー……」
ガッと酔っ払いに足首を掴まれた。
ぐわっ!? という叫びと共に一方通行《アクセラレータ》が再び転ぶ。
変な酔っ払いはそこへ乗りかかりつつ、
「この白いのー、私は年下なら男の子でも女の子でもチューしちゃう人だぞー」
「さっきっから意味の分かンねェ事ばっか言ってンじゃねェ!!」
一方通行《アクセラレータ》は思わず叫んでから、しまったと思った。
見ると、ようやく相手にしてもらった寂しい酔っ払いが、にまぁ……と、すごく嫌な笑みを浮かべている。
「だからー、断崖《だんがい》大学のデータベースセンターってどこだっけえ? 美鈴さんはあ、これからそこでお勉強しなくてはいけないのでーす。何故ならレポート溜まってっからー、ぶはー」
酒臭ェ!!という怒濤の感想を一方通行《アクセラレータ》はどうにか呑み込み、
「知るかボケ! そこらのタクシーでも捕まえてろ!!」
「ああん。タクシーってどうやって捕まえるんだっけえ?」
ちょうどその時、運良く一台のタクシーが通りかかった。一方通行《アクセラレータ》はほとんど地面に押し倒されてしがみつかれた状態で、それでも手を挙げて勢い良く振る。
タクシーは緩やかに停車すると、何故か運転席から中年の男が飛び出してきた。
「だっ、大丈夫ですか!? 何かの事件!?」
「……これ以上ウザい事になったら一人残らず叩き殺すぞ……」
低い声で眩き、一方通行《アクセラレータ》は自分の上にのしかかっていた酔っ払いを横へ押しのける。『あれー。ねえ白いの、タクシーってさあー』とか何とか言っている変な女を無視すると、タクシーの運転手に向かって『後は勝手にしろ!!』と叫んで、今度こそ彼は歩き出した。もうコンビニとか缶コーヒーとかはどうでも良い。とにかく一刻も早くあの酔っ払いから遠ざかりたかった。
学園都市最強の能力者も人間であり、苦手なものの一つはあるようだった。
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「だからさ、それを言ったらコロッケだってもはや鍋の一つだと思う訳よ」
上条当麻《とうま》は隣を歩いているインデックスにそう説明した。
彼らはすき焼きのお店から出て、クラスメイト達とも別れて、今は寮に帰る途中である。途中でコンビニに寄ったため、同じ寮に住む男子達もいなかった(もっとも、インデックスと同居している事が知られても困るので、何らかの時聞差は必要だったのだろうが)。
「こう、カセットコンロをテーブルに置いてだな、そこに油の入った鍋を乗っけて、あらかじめパン粉をつけておいた具を油の中に入れていくのが一番美味いんじゃね? 多少時間はかかるけど、その間は別のおかずで時間を稼げば、揚げたて直後のコロッケが待ってんだぜ」
「でも、作りたてが美味しいっていうのはどんな料理にも当てはまるかも」
「そりゃそうだけどな」
「はっ!? それならいっそ私の前でとうまが料理を作ってそれを全部私が食べちゃうのが一番美味しいんじゃ!? こっ、これは大発見だよとうま!!」
「ふざけんじやねえ!! 俺はその美味しい料理を一口も食べられないじゃん!!」
人として当然の抗議を行う上条だが、それに対してインデックスと三毛猫《みけねこ》はとっても良い案なのにみゃーみゃーとふてくされるばかり。
何だか料理を作る気がしないので明日の朝食は冷凍食品でいいや、と上条が極めて投げやりな逆襲を決意したところで、ふと行き先の道にタクシーが停めてあるのが見えた。ちかちかと黄色いウィンカーが瞬いていて、後部ドアは開きっ放しで、何故かそこから大学生ぐらいの女性が上半身だけ、でうっとはみ出ている。
ぐべちゃー、と路面に突っ伏した女性は、運転手らしき中年男性と口論になっていた。
「だから、ドアを勝手に開けたら車を出せないでしょう?」
「なんだとこらー、それは全日本半ドア連合に対する挑戦かちくしょー」
「はいはい。そのナントカ連合のメンバーはあなた一人しかいないんですよね。聞き飽きましたからさっさと座席に戻ってください」
「何をー。そう言われた以上は意地でも戻れねーなー、へっへー」
運転手と女性客の全く噛み合わない会話が上条の耳まで届く。
(うわあ、嫌なお客さんだーっ!!)
上条は思わず道を変えようとかと真剣に思った。
あの女性は会話を楽しんでいるのではなく、とにかく構ってもらうのが楽しい人間だ。万が一にもあんなのに絡まれたら、それこそ朝になって酔いが覚めるまで延々とトラブルに巻き込まれ続けるに決まっている。
元々不幸が染み付いた上条からすれば、最も相手にしてはいけない人間だ。
「んー?」
と、酔っ払いの首がにょろっとこっちを向いた。
相変わらず下半身はタクシーの中に、上半身は地面にへばりついたままだ。
「あーあーあーっ! アンタは確か上条くんだ上条くん!!」
上条は、びくう!! と肩を大きく動かした。
何でコイツ俺の名前知ってんだ!? と上条が改めて酔っ払いを見てみれば、それは大覇星祭の時に出会った女性、御坂美鈴だった。あのビリビリ中学生、美琴の母親である。
「……まあ、あいつの家系ならこんな感じでも妥当かな」
誰にとっても失礼な発言だが、それを聞いた美鈴は、にへー、と弛緩しきった笑みを浮かべるだけだった。
「ちきゅーの重力って偉大よねえ」
「は?」
「なんつーか、美鈴さんはもーう何もいりまっせーん。このまま寝ますおやすみーむぎゃ」
直後、本当に寝息らしき音が聞こえてきたので上条は起こすかどうか迷ったが、
パチッ、といきなり美鈴の両目が開いた。
「あっ、いけね。ストレッチしてないし乳液も塗ってないじゃん!ちくしょー努力を怠るとすーぐ肌に返ってくんのか。どーせ私は一児の母ですよーっ!! うぶっ吐きそう!?」
とりあえず美琴には絶対にアルコールを飲ませないようにしよう、と上条は誓う。
未成年の飲酒は法律で禁止されているのだ。
一方、タクシーの運転手は『た、助かったーっ! やっと酔っ払いの保護者が出てきたか!!』
という目でこちらを見ていたが、あまりにもキラキラした瞳を上条は受け止め切れない。
美鈴も美鈴で、ターゲットを運転手から上条へと移そうとしているらしく、タクシーの後部座席に下半身を突っ込み、上半身だけ路上にはみ出ている格好から、
「おっふ、おっふ。た、立てない……」
どうやら起き上がろうとしているようだが、どうにもその動きは無駄が多いというか、水族館にいるオットセイみたいな仕草にしか見えない。
近づきたくないけどあのままじゃなあ……、と上条が不用意に傍に寄ったところ、そこへ美鈴が思い切り抱きついた。
「おっしゃーっ!! 年下の坊やげっとーっ!!」
「ぐおおおあっ!?」
むぎゅー、ぐらいなら胸も高鳴るが、どうも美鈴は普段から運動を欠かさない人物らしく、背骨の辺りがメシメシミシミシ!! と変な音を立てた。
「こーんな時間にぶらぶらしちゃってえ、美琴ちゃんはどうしたのよー? ぶはー」
「ぎゃわー刺激臭!?」
「あれえ? 酒臭くて目がとろんとしてるお母さんはセクシィじゃありませんー?」
「プラスの材料一個もないよそれ!! た、助けてインデックス!!」
上条はとっさにヘルプを求めるが、インデックスは思い切り冷たい目でこちらを睨むばかりで、何故かちっとも手を差し伸べてくれない。彼女に抱えられている三毛猫《みけねこ》も、アルコールの匂いだけで駄目なのか、インデックスの手の中でバタバタと暴れていた。
美鈴はぼんやりした目でインデックスを眺め、
「そういやー、そっちの子って誰だっけ? 自己紹介プリーズ」
「ふ、ふん。別にあなたみたいな人に名乗る名前なんてないかも」
「なんだとこらーっ! さっさと自己紹介しねーとこっちの男の子の鼻に指突っ込んじゃうぞーっ!!」
「わわっ!! インデックス! 私はインデックス!!」
という感じで、人を振り回す事に関して右に出る者なしのインデックスすらも、今の美鈴タイフーンには翻弄されるだけだ.
「ねーねえー。断崖《だんがい》大学のデータベースセンターってどこだっけえ?」
「は?」
「あれよお、ほらAIとか演算ソフトとかー、プログラム関連の電子情報群を集めてる閲覧保管施設の事よおー」
「い、いやデータベースセンターの解説とかいいですから。ええと断崖《だんがい》大学って確か―――」
「そうだ、電話番号とアドレス交換しよう?」
「唐突!?」
「どうせ美琴ちゃんとも交換してんでしょー。こっちも仲間に入れなさいよー。んでね、私のアドレスはあー」
つらつらとアルファベットや数字を並べていく美鈴。かくして美琴が汗と涙の機種変大作戦によって得た成果を、この母親はものの三分でグットしてしまった。
「はいはーい。君の番号は『友達』のカテゴリに登録しとくからねえ」
「……なんか、この一連の会話にはオルソラパターンと共通するものを感じる……」
どっと疲れが溜まってきた上条は、とりあえずいつまでも万力のように抱きついてくる美鈴を強引に引き剥がし、
「つか、何で御坂のお母さんがこんなトコにいるんですか。許可もなく学園都市には入ってこれないと思うけど」
「へいへーい。美鈴さんは大学生であるからにして、レポートを提出しないと駄目なのです。だけどそのための資料が学園都市にしかねーとかいう話だから、わざわざここへやってくるしかなかったのですー」
「それでデータベースセンターか……。まあAI系のバンクは学園都市にしかないだろうけど」
上条は呆れたように言った。
タクシーの運転手は今すぐ逃げたそうだったが、上条は睨みを利かせて押し留める。
「ついでに美琴ちゃんの顔ても見てやろうかと思ったのによー、なーんか常盤台中学の女子寮はチェックが厳しいから駄目だってさ。親なめんなよー」
「……そりゃあ、酒臭い酔っ払いが『おたくの学生の保護者でーす』とか名乗ったところで誰も信じないでしょ。っつか、そもそも見た目が全然母親っぼくないんだし」
「おっ、こいつ今さりげに褒めやがった。でも違うのよー、ホントは美鈴さん結構努力してんのよー。毎週屋内プールでばしゃばしゃ泳いだり、風呂上りには体中に保湿クリーム塗ったくったりしてさあ。ちょっとでも怠るとすーぐに変化は訪れる訳よお。くああもうこの何もしないでぴちぴちしてる一〇代が憎たらしい!!」
美鈴はバタバタと暴れようとしたが、酔いが回っているせいか、足元がおぼつかない感じだ。
これ幸いとばかりに上条は相変わらずこっそり逃げようとしているタクシーの運転手を捕まえ、彼の協力を得て美鈴を車の後部座席へ押し込める。
「ちょっと、こら! 話はまだ終わってねっすよーっ!!」
「はいはい、続きはまた今度、その全身に行き渡ったアルコールをどうにかしてからな」
「ちくしょ、子供にあしらわれたーっ!!」
ぐだぐだの美鈴だが、上条が手を振ると、タクシーの運転手は『ホントにこいつ金払うんだろうな』という顔でしぶしぶ車を発進させた。ぷーんと遠ざかっていく排気音を聞きながら、彼は小さく息を吐く。
「さて」
上条はふと背後に殺気立つような人の気配を感じ取って、思わず身震いした。
発信源は言うまでもなく、三毛猫《みけねこ》を抱えたあのシスターだ。
「……後はこの聞題をどう切り抜けるかだな……」
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3
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結局盛大に頭を噛み付かれた上条は、後頭部をさすりながら寮の部屋の鍵を開けた。
「ん……。帰ってくると少し肌寒さを感じるなあ」
などと言いながら、上条は部屋の明かりと一緒にエアコンのリモコンを掴んでスイッチを入れた。インデックスがテレビの方へ走っていくのを尻目に、上条はユニットバスへ向かい、浴槽の側にあるパネルを操作して自動給湯モードをオンにする。今日は猫も体を洗う日なので、洗面器を一個用意しておく。
(ご飯を作ったり食器を洗ったりしなくて良いって……やっぱ楽ちんだー)
両手を上げて大きく伸びをしながら上条は風呂場から出た。お腹はいっぱいで、後はこのまま湯舟に浸かって歯を磨いて寝るだけとは極楽すぎる。今日みたいな事があると思わず外食派への誘惑に心がなびきそうになるが……しかし携帯電話の会計アプリを使って律儀につけている家計簿データを見る限り、それをやったら月の中旬から下旬辺りで『食事は水と塩だけ』になるのは確実だ。
あれ、今日の鍋でどれぐらい響いたかな、と小心者の上条は早速親指で携帯電話を操作していると、その電話が不意に着信音を鳴らした。
モードを切り替えると、画面に表示されたのは御坂美琴の番号だ。
上条は通話ボタンを押して、
「??? なんか用事か御坂?」
『っつーかメールの返事はいつになったら返ってくんのよー!?』
メール? と上条は首をひねる。
「うーん、なんかそんなのあった気がするなあ」
『ッ!? ちょ、アンタ、投げやりにも程度ってモンが―――』
美琴は何か叫びかけたが、その時、彼女の声が遠くなったと思ったら、いきなり通話がブツッと切れた。上条は携帯電話の画面を見るが、電波状況は別に悪くない。
(……御坂の方で電波が途切れたのかな)
適当に考え、上条は携帯電話を再び家計簿アプリに切り替える。
部屋の中央にあるガラステーブルの手前にドカリと座りつつ、
「インデックスー。お前テレビからもっと距離を取れって」
「そっ、そんな事を言われたって『思考力を高めるSF健康クイズ』は今まさに正念場を迎えているんだよ!!」
「……なんか、最近そういう風に科学とか脳と結びついたクイズって多いよな」
まあ学園都市の授業にも通じる部分はあるんだけど、などと上条は適当に思いつつ、クイズには興味がないよという素振りで仰向けになってエアコンの温風を浴びている三毛猫《みけねこ》の方に視線を移す。
「ふうん。暇なら先にお前を洗っちまうか」
言いながら上条が動物用のシャンプーボトルや猫の顔っぽく切り抜かれたミニスポンジを引っ張り出すと、三毛猫《みけねこ》は何かを察知したのか『泡とかお湯とか嫌いなんじゃーっ!!』と高速で台所の方へ引っ込んでしまった。軸そらく冷蔵庫と戸棚の間に隠れてぶるぶるしている事だろう。
埃まみれになったんじゃなおさら念入りに洗わなきゃな、と上条が重い腰を上げた所で、
「ん〜」
携帯電話が小刻みに振動した。
今度は美琴からではない。
小さな画面には、ついさっき登録したばかりの番号があった。
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4
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御坂。
道路にぶっ倒れていた酔っ払いの女は、確かにそう言った。
(……、偶然。いや)
一方通行《アクセラレータ》は一人で杖をついて暗い路上を歩きながら、ぼんやりと思う。
打ち止め《ラストオーダー》の遺伝子提供主である御坂美琴……ではない。となると、その姉か何かだろうか。
学園都市にいるという事は、彼女も何らかの能力者かもしれないが、一方通行《アクセラレータ》はそういう情報を耳にした記憶はなかった。元々、他人にあまり興味のない彼は、他の能力者の詳細など大した事は知らないのだが。
しかし、一点だけ妙に気になる点と言えば、
(服装、だな。エルモに、Az、スケール、ロシブ、香水はゼロプラスの新作……って、ありゃティーン向けじゃなかったか? まァとにかく上から下まで片っ端からブランド品っぽかったが、どォも学園都市の『外』の企業ばかりみてェだった。むしろ『中』のものは一つもなかったのが引っかかる)
よほど好みのブランドがあるのなら、『外』から一式取り寄せるという事もありえるが……
酔っ払いの服装は、別に一種類のブランドで統一されている訳ではなかった。シャツもスラックスもベルトも靴もハンドバッグも、各々は気に入った物を適当に選んでいるだけで、特にブランド的なこだわりがあるようには思えなかった。
それなら学園都市の『中』の品が一つぐらいはあっても良さそうなものだ。
あの状況で、それが一切なかったという事は、
(あいつは『外』からやってきた可能性がある)
ただでさえ人通りの少ない夜の学園都市で、さらに滅多に入の通らない道を意図的に選びながら、一方通行《アクセラレータ》は考える。
(だとすれば、理由は何だ。確かあの女は断崖《だんがい》大学のデータベースセンターに用があるとかって話だったが、この戦争直前の準備期間にそンな事ってあンのか? 外からのゲストどころか、物資の搬送業者だって背後関係を洗い直してる状況だってのに。それとも他に何か、あの女には別の理由があるのか)
理由。
御坂の家系がこのタイミングでやってくる理由。
それはオリジナルである御坂美琴に関するものかもしれないし、あるいは、
(……あのガキに関係ある事か)
チッ、と舌打ちして一方通行《アクセラレータ》はポケットから携帯電話を取り出した。
アドレス帳を開き、そこに『登録3』とだけある項目にカーソルを合わせて通話ボタンを押す。
同じ『グループ』にいる、土御門《つちみかど》元春の番号だ。
電話に耳を当てると、コール音もなしにいきなり繋がった。
『一方通行《アクセラレータ》。何か用件ですか』
応対したのは丁寧な男の声だった。しかし、それを聞いた一方通行《アクセラレータ》はわずかに目を見開いた。
土御門《つちみかど》元春はこんな声をしていないはずだし、口調も全く違う。
割り込まれたか、と一方通行《アクセラレータ》は思いつつ、
「悪趣味な野郎だ。オマエが『グループ』の『上』か」
『質問の内容を承ります』
「チッ。……オマエに聞くよォな事は何もねェよ。こっちの事はこっちでやる。だから図々しく保護者みてェな上っ面で人間を管理するンじゃねェ。抉るぞ」
『こっちの事、ですか。参りましたね、こちらからもお暇でしたらお耳に入れていただきたい案件があったのですが』
「あ?」
『御坂美鈴様の件について。と言っても、名前だけでは分かりませんよね』
「……、」
一方通行《アクセラレータ》は思わず周囲に目をやった。
何の変哲もない夜の街を見ながら、
(ただの情報提供か、それとも衛星から見てやがったか……?)
「その御坂美鈴ってのは? 超電磁砲《レールガン》の関係者か」
『ええ、そうです。ちょうど良かった、こちらも今始まった所ですよ』
なに〜と一方通行《アクセラレータ》が眉をひそめた直後、
ドン!! と、
街の一角が、
唐突に爆炎で赤く照らされた。
距離は遠い。光に比べて音が数秒遅くやってきた。
一方通行《アクセラレータ》は携帯電話を耳に当てたまま、そちらを振り返る。
無数のビルで隠れそうになっている地平線の近くで、不自然な光が揺らめいている。
『かの御坂美鈴様より、断崖《だんがい》大学のデータベースセンターの使用申請が出されていましたものですから、そちらを襲撃させていただきました。利用者は彼女一名のみ、私設警備の駐在が数名確認されていますが、まあ許容の範囲内でしょう。主要データは全てネットワーク上にバックアップがありますので損害を憂慮する必要はありません』
「襲撃だと?」
『ええ』
「……その御坂ってのは何者だ。プロの工作員って訳じゃあねエだろ」
「お察しの通り、御坂美鈴様は御坂美琴嬢の母親に当たります。背後関係は白。そこは安心していただいて結構です』
母親? と一方通行《アクセラレータ》は美鈴の顔を思い出しながら、わずかに怪訝な顔になった。
しかしそれより気になるのは、
「何故その母親を襲う? 背後関係は白だってオマエが今言ったンだろォが」
「一般人には一般人なりの危険性というものがありまして。先ほど言いましたお耳に入れていただきたい案件というのは、ここからが本題なんです』
電話の声は平淡に告げる。
『回収運動という言葉はご存知ですか』
「最近ささやかれるアレか。学園都市が戦場になるかもしンねエから、保護者がガキを取り戻して安全な地方へ移ろォとかっていう」
『その考え方自体は国土防衛事情を全く考慮していない愚策に過ぎませんが、それでも問題は生じます。多くの学生達が学園都市を離れてしまうと、色々と困るのですよ』
「……、」
何故困るのか。
戦力としても使える学生達をみすみす手放したくはないのか。
研究サンプルとしての能力者が外部へ漏れるのは避けたいのか、
違う、と一方通行《アクセラレータ》は思った。
電話の相手は『グループ』の『上』だ。そういった連中が、そんな一般論を語るはずがない。
ヤツらが困ると言ったら、それはもっと深い位置にある計画についてだろう。
例えば、
九月三〇日に垣間見た、木原数多《きはらあまた》、猟犬部隊《ハウンドドッグ》、巨大な羽の化け物、打ち止め《ラストオーダー》に対するウィルス注入、学園都市への静かな攻撃など様々な舞台裏の断片に関するものとかだ。
『御坂美鈴様は回収運動における保護者代表のような立場にあります。彼女が我々の問題を意図的に起こそうとしている訳ではないのは掴んでいますが、たとえ偶然であっても困るものは困りますので……ここで摘んでおく事に決定しました』
一瞬、一方通行《アクセラレータ》の脳裏にあの酔っ払いの顔が浮かんだ。
確かに欝陶しい女だったが、かといって闇の世界に引きずり込まれる道理はないだろう。
しかし、もう遅い。
爆発はすでに起きている。おそらく御坂美鈴は最初の一発でバラバラに吹き飛んでいる。
ところが、電話の相手はこう言った。
『あなたも参加しますか、一方通行《アクセラレータ》』
「何だと?」
『稼ぎになる、と言っているのですよ。今回の件はスキルアウトに金を渡して依頼したのですが、いやあ、手際が悪い。この程度の問題で下手に「グループ」を持ち出すのは露出の面から危険かと判断したのですが、逆に仇になりましたね。アシストしていただければ、多少はポイントアップします。九月三〇日の損失補填の第一歩にもなりますよ。約八兆円の借金、そちらも早く返済したいでしょう?』
「……、」
一方通行《アクセラレータ》はわずかに考える。
電話の声が遊んでいなければ、御坂美鈴はまだ生きているという事になる。
「お断りだ」
そして、一言で切り捨てた。
「スキルアウトだと? 無能力のクソ野郎と混じって雑用なンざやってられっかよ。それに、そもそもオマエみてェなヤツに頭ァ下げて便宜を図ってもらう必要もねェな。俺は借金のためにここにいる訳じゃねェ」
言いながら、彼は首にあるチョーカー型の電極を確かめた。
昼間に多少暴れたが、バッテリーには余裕がある。
たかがスキルアウトの一集団なら、これだけあれば問題はない。
御坂美鈴を助ける。
一方通行《アクセラレータ》は自然とそう思っていた。木原数多《きはらあまた》の時と同じ気持ちだった。理不尽なほど大きな力によって、ちっぽけな命が危機にさらされている。自分でも笑ってしまうが、それだけで嫌悪感があった。この状況を作った連中に、一泡吹かせてやりたいほどに。打ち止め《ラストオーダー》のために戦った、あの時を思い出すほどに。
闇のくせに。
闇であっても。
「オマエみてェな人間にゃ分かンねェだろォが、俺の人生は俺のモンだ。そっちにどンな思惑があるかは関係ねェ。判断はこっちでする。いいか、俺はオマエの手足じゃねェンだよ」
『そうですか。仕事をしないというのでしたら、早く帰宅してください』
電話はやや落胆したようにこう言った。
『それまで、あなたの能力はこちらで預かって瀞きますね』
ピーッ!! と、首筋の電極がひとりでに変な電子音を鳴らした。
(なっ……に!?)
一方通行《アクセラレータ》は慌ててスイッチに手を当てるが、反応がない。カチカチと音がするだけで、通常モードから能力使用モードに切り替えられない。
「オマエ、電極に細工しやがったな!!」
『おや、能力を使わなければならない用事でもありますか?』
チッ、と彼は舌打ちする。
『グループ』の技術部にバッテリーを改良するため一時的にチョーカ一型電極を接収されたが、その時に内部構造にも手を加えられたのだろう。おそらく電話の主の遠隔操作で自由に安全装置をかけられるようになっているのだ。
俺達の事を信じるな。
午前中に土御門《つちみかど》元春の言っていた台詞の意味が、ここにきて現実味を帯びてきた。
『では、これ以上の質問がなければ失礼させていただきます。おやすみなさい、一方通行《アクセラレータ》』
通話は切れた。
フン、と一方通行《アクセラレータ》はつまらなさそうに息を吐く。
(イイね。こォいう事になると、より一層ヤル気が出ちまう)
その瞳に凶悪な光が帯びる。
携帯電話をポケットにしまいながら、一方通行《アクセラレータ》は歯噛みする。
(……使えンのは拳銃一丁に弾丸が五〇発ほど。スキルアウトの人数、武装、戦力は分からねエが、これだけであの酔っ払いを連れ出せるか)
難しいが、少なくとも木原数多《きはらあまた》率いる『猟犬部隊《ハウンドドッグ》』を相手にした時よりはマシだろう。スキルアウトは並の能力者程度なら武器だけであしらえるが、かといってプロの訓練を受けている訳ではない。
今一番問題なのは、むしろ美鈴だ。
すでに襲撃は始まっている。無能力集団とはいえ、銃器や護身用品で身を固めた不良達は、ただの一般人からすれば十分な脅威だ。下手をすると、向こうに到着する前に美鈴は殺されるかもしれない。
「……、」
一瞬だけ、駒場利徳《こまばりとく》の顔が脳裏にちらついたが、一方通行《アクセラレータ》はそれを無視した。
場違いな行動を取ろうとした悪党の事など、今ここで思い浮かべる必要はない。
自分の意思で決め、傍若無人に突き進む。
それだけあれば良い。
(チッ。ウザってェ問題はさっさと済ませるか)
襲撃地点は断崖《だんがい》大学データベースセンター。
ここから数キロ先だ。杖をついて歩くよりは、どこかで車を拾うしかねェなと一方通行《アクセラレータ》が大通りに向けて進路を変えようとした時、
ダッ!! と。
勢い良く、ある少年の背中が一方通行《アクセラレータ》を追い抜いた。
「―――、」
見覚えのある少年だった.
というより、忘れる訳がなかった。
中肉中背の体格に、黒くてツンツンした頭、そして握られた右の拳。携帯電話を使って誰かと会話をしながら駆けていく方角には、燃え盛る断崖《だんがい》大学の襲撃地点がある。何をしに行くかは明白だった。想像するなという方が難しかった。
(あ、の――――野郎!!)
こちらが暗がりにいたせいか、完壁に意識がデータベースセンターに向いていたからか、あちらは一方通行《アクセラレータ》に全く気づかなかったようだった。もっとも、ここで鉢合わせになれば二人は殺し合いをしていたかもしれない。それぐらいの相手だった。
一方通行《アクセラレータ》は無理に首を振って、意識を切り替えようとする。
(チッ、今はそっちじゃねェ。潰すべきはスキルアウト。『上』の連中の都合なンざ知った事か。ヤツらの考えに従う義理はねェ。五〇発の弾丸で場を収める事だけ考えろ)
ギリギリと奥歯を噛みながら、彼は杖をついて歩き出した。
御坂美琴の母親。
別にそいつの人生に干渉する義理はないが、彼女もまたあのガキとは無関係ではない。
量産型能力者に肉親など存在しないし、美鈴は作り出された小さな命の存在すら知らないだろうが、それでも、美鈴とあのガキには繋がりがあるのだ。
おそらく一生二人が接する機会はないだろうし、あっては困るのだが、これを見殺しにして良い道理はない。多分、それはこんな所で失わせてはいけないものだ。たとえお互いが何も知らないままであっても。
一方通行《アクセラレータ》は悪党だ。
だが、彼は自分が悪党である事に制限を設けない。悪人であるから善人は救わないとか、善人ではないから正しい道は進まないとか、そういうつまらない前提条件は全て捨てた。
(さァて、と)。
表通りに出て、酔っ払い客を捕まえるために緋徊していたタクシーのヘッドライトを見据え、学園都市最強の能力者は薄く微笑んだ。
(大真面目なツラを提げて、柄にもねェ事をやってやろォじゃねェか。最も救いから遠い方法で、何もかもを血みどろに救ってやるよ)
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今から少し前の事だ。
御坂美鈴はデータベースセンターにいた。
中心となるのは直径五〇メートルほどのドーム状の建物で、その周辺に小さな四角い構造物がいくつもくっついている。美鈴は最初、ドームの中でコンピュータを動かして調べ物をしていたのだが、今は隣接する別の建物へ移っている。
異変が起きたからだ。
最初は耳をつんざくような爆発だった。次に施設の明かりが全て落ちた。データを守るための補助電源があるのか、演算機器類だけが生き残った。
(なっ、なに、何なのよ、あれ)
ドーム施設の隣にある建物の、学校の教室三つ分ぐらいの空間で息を潜めながら、美鈴は神経を尖らせる。
アルコールで浮ついた気分まで吹き飛ばされた気がした。
爆発と同時にかなり大きな炎が出たようだが、そちらはすぐに消火されたようだった。壁のすぐ向こうドーム状のメイン施設をバタバタと行き来する、この異変を引き起こした連中にとってもイレギュラーな事態だったようで、
『ちくしょう、誰だセキュリティ切り忘れたのは!? ったく、本来なら最初に一発ぶち込んで逃げるだけだったのによぉ!!』
『時間は!? 向こうに自動通報が入ったんなら五分ねえぞ!』
『いや作動してるのは演算機器を守るために独立配備したものだけだ。通常のセキュリティはちゃんと切れてる』
『ようは火災報知機だけか。どのみち時間はねえが……よし、例の女を捜すぞ』
などという声が飛び交っている。
声色や口調から察するに、中高生ぐらいの少年達のようだ。数は一〇から二〇。手にしている物の詳細は分からないが、ガチャガチャという金属音を耳にしただけで身がすくみそうだった。先ほど聞こえた爆発音を聞く限り、銃弾や爆弾までありそうだ。
(女。例の女を捜す? わ、私以外に誰かいたかしら)
この時間帯で施設を利用しているのは自分だけだし、警備の人は皆男性だった……気がする。しかも、彼らの口ぶりから考えると、目的はただの強盗や破壊活動ではなく、『例の女』の方にあるようだ。
(駄目だ。私しかいない。この施設に女は私しかいない! もう、一体どうなってるのよ!)
美鈴は壁に背中を預け、ずるずると床に座り込んだ。
ここはサブの演算装置が置いてある部屋らしく、まるで図書室のように金属製の棚が並べられている。収められているのは分厚い本ではなく、透明なケースに覆われた大量のマザーボードだ。CPUの冷却には空冷ではなく液冷方式を採用していて、ファンのモーター音は聞こえない。代わりに血管のようなチューブが縦横無尽に走っていた。
蛍光灯の切れた真っ暗な部屋には、赤や緑のアクセスランプだけがチカチカと瞬いている。
(で、出口。非常口は……)
周囲を観察するが、それらしいドアは見当たらない。
逃げられない。見つかったら終わりだ、という事実を受けて、美鈴は何故か少しだけ興奮した。酔いが変な風に回ったのか、気分がおかしい。マラソンのスタート前のような、妙な高揚感に包まれている。先ほど、殴られたように酔いが飛んだかと思ったが、いくらか残っている。
こんな事態になったのだから完壁に覚めれば良いものを、そう簡単には切り替えられないらしかった。
(どうなってんのよ……〉
美鈴はポケットの中から携帯電話を取り出す。
最新の通信履歴には三ケタの電話番号がある。この街の治安維持機関、警備員《アンチスキル》に対する緊急通報番号だ。酔いの回った頭でも覚えている。自分は確かに襲撃直後に電話をしたし、丁寧な口調の男が応対に出た。ドーム状のメイン施設を闊歩している少年達は警報装置からの自動通報を恐れていたが、そうでなくても美鈴はきちんと連絡を入れている。あれから数分経っている以上、そろそろ警備員《アンチスキル》が駆けつけてくる頃なのだが、
何故か一向にやってくる気配がない。
(……何でよ)
美鈴は思わず通信履歴を凝視する。
そこにある番号に間違いはない。きちんと警備員《アンチスキル》の詰め所に連絡がいったはずだ。しかし現に誰もやってこない。彼女の心に不安がよぎる。あれは本当に警備員《アンチスキル》だったのか。あの妙に丁寧な口調の男は一体誰だったのか。
(何でよ。何で来ないのよ! 私は確かに電話した。私は何の手順も間違えていない! なのに何で私が損をしないといけないのよ!!)
指先の震えが増す。
酔いで拡散されていた恐怖心が、ついに美鈴の中心を蝕む。
少しでも物音を立てたら終わりなのに、何もかも忘れて叫び出したくなる。
(一人はまずい。一人はまずい。一人は追い詰められる。会話、何でも良い、誰でも良いからとにかく破裂しかかっているこれを吐き出す相手が欲しい)
携帯電話のアドレスを開く。
こんな時だが、何故か夫の顔は浮かばなかった。例えば学園都市外部の第三者に連絡して、そこから警察に通報してもらうという手もあるが、学園都市の内部はほとんど治外法権化していて警察の介入を許さない(一応、独自の『法律』ではなく『条例』になっているが、これは日本という国家のプライドを守るための方便に過ぎない、というのが大多数の意見だ)。そうなると、第三者に連絡を取るにしても街の内部にいる人聞でなければならない。
しかし自分の娘に電話をかけるのはためらわれた。それはおそらく、母親として最後のプライドだろう。そこに弱みを見せて寄りかかったら、多分自分はもう二度と親を名乗れなくなる。
学園都市の中にいて、すぐに連絡が取れる人物。
それも、自分の娘以外の人物。
合致するのは一人しかいなかった。
(はは……)
御坂美鈴は親指で携帯電話を操作する。
押し潰すような心の重圧を少しでも緩和させるため、彼女はある少年に電話をかけた。
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学園都市の電車やバスは最終下校時刻と共に役割を終える。
「くそっ!!」
なので、上条は暗い街を走るしかなかった。今度スクーターの免許でも採ろうかな、などと真剣に思いながら、目的地となる断崖《だんがい》大学データベースセンターへひたすら駆ける。
同時に、耳に当てている携帯電話に向かって叫ぶように言う。
「御坂さん。さっき連中は武器を持っているって言ったな。多分、今そっちで暴れてるのはスキルアウトだ。普通の能力者の集まりなら、その手の『力』に頼るはずだからな!」
『その、スキルアウトってのが分かんないんだけど』
「ようは武装したギャングみたいなもん。ものすごく危険な武器を持っている不良集団って考えれば良い!」
ようやく施設のシルエットが見えてきた.
走りながら、上条は最初に見えた炎がなくなっている事に気づいた。美鈴から報告された通り、データベースセンターには自動消火設備が整っているのだろう。
『その不良達が、私を狙うのは何故?』
「さあ……そいつは知らないけど!」
もしかしたら美琴関連かな、と上条は思い……そこでふと気づいた。
「御坂さん、アンタの娘には電話したのか」
『え?』
「アイツは学園都市でも七人しかいない超能力者《レベル5》だし、普通の警備員《アンチスキル》よりもよっぽど頼りになる! もしもまだ呼んでないなら―――」
『待って!』
美鈴はそれまでなかったほど強い調子で遮った。
「美琴ちゃんはパス! 戦力になるとかそういう問題じゃない。私の問題にあの子を巻き込んだら、その時点で私はもうあの子に顔を合わせられないわ!!』
普段なら、甘っちょろい意見だと上条は思っただろう。
まるで新聞でも読みながら正論だけを吐いているようにしか聞こえないと。
しかし、美鈴は現在進行形で命を狙われている。
その状況にあって、彼女は美琴の参戦を即答で拒否したのだ。
「……分かった」
上条は走りながら、携帯電話を握る手に力を込めて、
「それなら俺が行く。潜伏先は『サブ演算装置保管庫』で合ってるんだな!!」
『え、待っ……君にそこまで頼んでは――――ッ!!』
やかましい、と上条は思った。
もうデータベースセンターは目と鼻の先だ。
その施設は断崖《だんがい》大学の敷地に隣接していたが、メインとなる大学よりも、データベースセンターの方が二回りぐらい大きかった。ドーム状のシルエットの中から、今も散発的な銃声や破壊音が聞こえてくる。最初に大きな爆発があったせいか、結構な数の野次馬が集まっていた。
それに反して、警備員《アンチスキル》の数は極端に少ない。狙撃の可能性を恐れているのか、車を盾にしながら無線で応援を求めている。が、何らかのトラブルがあるのか、警備員《アンチスキル》同士でほとんど口論になりかけていた。
上条はその横を駆け抜け、一気に施設へ走る。
後ろから警備員《アンチスキル》の制止の声が飛んできたが、いちいち気にしていられない。
(スキルアウトの連中とは、これまで何度か路地裏でやり合った事はあるけど……)
不幸中の幸いか、彼らは施設内部の捜索に手一杯で、外への注意は怠っているようだ。遮蔽物のない広場を走っても、狙い撃ちされる事はない。
(基本的には、逃げるか道の角に隠れて反撃かの二択しかなかったからな。こんな風に、自分から飛び込んでいくのは初めてかもしんねえ!!)
面倒臭い事になってきた、と思いながら、彼はドアのガラスが全部砕けた正面入口へと突入した。
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浜面仕上《はまづらしあげ》は苛立っていた。
当初の計画では、暗闇に紛れて盗難車で施設に近づき、手製の焼夷ロケット砲を八発撃ち込んで逃げるだけだった。施設の見取り図は入手しており、どこを焼けば全ての出口を塞ぎ、効率良く煙を内部へ充満させられるかも事前に知らされていた。
最初の失敗は、用意した八発の内、三発が不発で爆発しなかったという事。
さらに残る五発も、着火直後にデータベースセンターの自動消火設備によって、あっさりと鎮火されてしまった。爆発によって建物の構造を歪ませてはいるものの、外壁の一部を石鹸の泡のようなものに包まれた建物が全壊するほどではない。メインとなる炎と煙を使えなければターグットは生き残ってしまう。
おかげで浜面達は立ち去る事もできず、自分達の手でターゲットを殺す羽目になった。
しかも
「まだ見つかんねえのか……例の女は」
依頼人に渡されたのは顔写真だけで、具体的な素性は名前すら知らなかった。仮に施設から逃げられ、サングラスやニット帽などで顔の特徴を隠し、人混みに紛れられたら捜索のしようがない。何としてでもここで仕留めなければならないのだが……。
「まだ見つかんねえのかって聞いてんだよ! くそがぁ!!」
野太い声で叫ぶが、同じスキルアウトの連中はチラリとこちらを見るだけで、特に口も開かず捜索を再開してしまう。
そう、同じスキルアウトだ。
彼らを数時間前まで束ねていたのは駒場利徳《こまばりとく》という男だ。その駒場が消えた事で浜面がトップの座にスライドしたのだが、その新たな力関係はすぐに浸透するものではなかった。むしろ、漂う空気からは不満の色の方が強い。何か組織全体の失態があれば、すぐさまその責任を全て押し付けられるだろう。
駒場利徳《こまばりとく》と浜面仕上《はまづらしあげ》の違いは明白で、駒場が自然と人の輪の中心に立っていたのに対し、浜面は自分でもやりたくない仕事を無理矢理任されただけだ。だからどれだけの仕事をこなしても、自分自身の中から異物感が取れない。他人から見ても違和感は拭えない。
それが分かっているから浜面は苛立っている。
見つからないターゲットも、統制の取れていない捜索方法も、それら全てが自分の足を引っ張るための裏切り行為に思えてしまう。
浜面は苛立った顔のまま、鼻につけたピアスを指先でいじる。つい先月穴を空けたのだが、調子はすこぶる悪かった。わずかな感触が集中を乱すし、何より汗が溜まる。
「……後がねえ。俺達には後がねえんだ。くそ、駒場の野郎。大それた計画を企てながら、自分だけあっさり死にやがって。残された俺達はどうすりゃ良いんだちくしょう……」
と、数人の少年達がドアの前に集まり出した。
まだ調べていない部屋を発見したらしい。施設内には基本的に鍵のかかるドアはない。難なく少年達が中へ入っていくと、中から短い女性の悲鳴が聞こえた。
当たりのようだ。
誰も無線を使おうとしないので、浜面は仕方なく自分の手で他を捜索している仲間に指示を出す事にした。これじゃリーダーというより雑用係だな、と思いながら、浜面も少し遅れてそちらの部屋へ向かう。
「こちら中央ドーム。ターゲットをサブ演算装置保管庫で発見。こちらで始末するのでお前達は撤収の準備。車を回して来い」
りょーかい、というやる気のない返事が来るかと思ったが、
『がっ!? テメェ、待っ―――ザザざざざザざっ!!」
訳の分からない声と酷い雑音が鼓膜を打った。
おまけに、同じ施設のどこからか銃声が二回聞こえてきた。
(警備員《アンチスキル》か? チッ、時間をかけすぎたか!)
首の後ろを掴まれ、部屋から引きずり出されたターゲットを見ながら、浜面は無線を使ってどう指示を出すか考えていたが、
『はっあァーい、クソ野郎ども』
ビクリ、と浜面の肩が震えた。
音質の悪い無線越しでも分かる。これは明確に仲間の声ではない。こんな異質で、金属を擦り合わせたような声はそうそう耳にするものではない。そして相手の方も、ごまかそうともせず自分の声色をはっきりと伝えようとしている。
『全軍に告ぐ。オマエらスキルアウトに天国への日帰り旅行をプレゼントしてやる。いやァ、コイツはなかなかお得だぜェ。あまりにもイイ所だから帰る気起きなくなるかもなァ。そンな訳で、まァ手始めに臨死っとけ』
言うだけ言って、一方的に無線は切られた。
直後、
耳をつんざくような銃声が、連続して響き渡った。
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上条当麻《とうま》は通路の角に背中を張り付けていた。
その両手には、窓枠から外した四角い防弾ガラスが握られている。ズシリとした窓の重さは七キロから一〇キロ程度、サイズは一辺が一メートル前後というところか。
施設の中で見つけたものだが、防弾性能はそれほど高くないだろう。何せ、一番強固であるべき玄関の正面ガラスは襲撃の際に全部砕かれていたのだから。
それでも、何もないよりは良い。
スキルアウトは拳銃を持っている事も珍しくない。
漫画雑誌をシャツの下に仕込むぐらいなら、まだこちらの方が安全な気がする。
(……、)
足元にはスタンガンを持った男が気絶したまま転がっていた。ここで待ち伏せ、出会い頭に防弾ガラスを思い切り振り回し、枠部分のステンレスを思い切り鼻っ柱へ叩き込んだのだ。男はバナナの皮でも踏んだように大きく後ろへ倒れ、そのまま動かなくなった。
この調子で、すでに上条は四人ほどスキルアウトを沈めている。
武器を持った相手と戦うなら、向こうに攻撃の機会を与えないのが鉄則だ。お互いに正面から身構えるような事態になったら、もう負けると思った方が良い。しかし逆に言えば、どんな武器であっても使う前に封じてしまえば怖くない。刃物だろうが拳銃だろうがそれは同じだ。
(二人組とか三人組とかのセットで動かれてたら、この戦法は使えなかったんだけど……皆さん馬鹿でありがとう。揃いも揃って一人歩きしやがって、ちょっとは数の使い方を学んでおけっつーの)
スタンガンを拾い上げる。
一応倒したスキルアウトから武器は没収しているが、これは武装するというより、再び敵に持たせたくない、という意味の方が強い。
どのみち、防弾ガラスで両手を塞がれている以上、他の武器を並行して使うのは無理だ。
「さて……サブ演算装置保管庫ってのはどこだ」
大きなガラスを持ち直しながら、上条は眩く。
このデータベースセンターはドーム状のメイン施設を中心に、二階建てや三階建ての小さなビルが隣接している、という構造になっている。
どう考えても中心のメイン施設にはスキルアウト達が集合しているだろうから、上条はドームの周りにある小さな建物と建物を繋ぐ連絡通路を使って、ぐるっと遠回りしている訳だ。
場所によってはドームからしか入れない建物もあるようだが、今の所上条は行き詰まっていない。とりあえず連絡通路を使って一周回ってみるか、と次のビルへ向かおうとした所で、
ダン! バン! という銃声が聞こえた。
「……ッ!?」
一瞬、遅かったか……という悪寒が背筋に走るが、どうも音を聞く限り、蜂の巣をつついたような騒ぎになっている。当然、美鈴は銃など持っていない。となると、別の誰かが応戦している事になる。
(警備員《アンチスキル》か、それともスキルアウト同士の仲間割れか。まあ良い、どっちにしてもこれはチャンスだ!!)
上条は通路の角に来るたびに慎重に向こうの様子を窺い、誰もいないのを確認してから別の建物へと移っていく。
しかし、ほどなくして行き止まりに突き当たった。
より正確には、ドーム状のメイン施設への通路しかないのだ。
(ええい、結局こうなるのか! とはいえ、ここで立ち止まっている訳にはいかねえし!)
とりあえず通路を走り、中央ドームへ繋がるドアに近づく。
息を止め、手を伸ばし、そこで一度ためらって、ゆっくりとノブに触れる。
爆弾処理みたいな繊細さで、じりじりとノブを回す。カチリとドアの金具が動く音が聞こえた。ピタリと閉まっていたドアに、うっすらと線が開いた。
中を覗く。
木の年輪のように、同心円状にビジネスデスクが配置されていて、そこにはたくさんのコンピュータが置かれている。施設の照明は落ちているが、モニタだけは生きているのか、部屋の中はぼんやりとした光に包まれていた。
そのドーム状の建物の片隅に、四、五入の少年達が固まっていた。
しかもその中央には、御坂美鈴らしき女性が無理矢理座らされている。
距離にして一〇メートルほどだが、少年達はスキルアウトの中でも上位にいるのだろう。全員が拳銃で武装している。下手に近づけば蜂の巣にされるのは避けられない。
(……最悪すぎて笑えてくる。あんなのどうやって助けんだよ!!)
どうも、少年達は口論をしているようだった。施設内での銃撃戦に対し、美鈴をさっさと殺してここから立ち去るか、彼女を入質として使うかで意見が割れているみたいだ。
殺害派が美鈴の頭に銃口を押し付け、人質派がそれを押しのけるの繰り返し。あのままでは本当に殺す気はなくても、弾みで引き金を引かれるかもしれない。
「くそっ……」
上条は思わず眩き、一度だけドアから下がる。
(相手は四、五人。全員が銃を持ってる。叫び声を上げて突っ込めば良いってモンじゃねえな)
これまで倒してきたスキルアウトから奪った武装を確かめてみる。
スタンガンや警捧、催涙スプレーの代わりなのか、長射程の殺虫剤などもある。どれもこれも頼りない上に、
(防弾ガラスを運ぶのに両手を塞がれてるから、武器か防具か、どっちかを選ばなくちゃならないか……)
上条は改めて大きな防弾ガラスに目をやって、
(駄目だ、このガラスは捨てられない。スタンガンや殺虫剤ぐらいじゃ拳銃持った相手を一発で無力化できないし、それができなくちゃ絶対に反撃を食らっちまう)
となると、やはり防弾ガラスを持ってドームに入るしかない。
汗でぬるぬるする掌を使い、上条はもう一度防弾ガラスを掴み直す。それからドームの鉄扉に近づき、再びうっすらと開けた。
状況は相変わらず。
口論している四、五人の少年達と、彼らに囲まれている美鈴。
距離およそ一〇メートル程度だが、間はパソコンの載ったデスクの列に遮られている。
直進はできない。
(遠いな)
しかし、上条は自分のいる出入り口の近くに、薄汚れた鞄が置いてあるのを発見した。ビジネスデスクのすぐ横の床に、無造作に放ってある。おそらくスキルアウトの物だろう。ファスナーは開いていて、スプレー缶のような物や拳銃が顔を覗かせている。
(……、)
上条はゴクリと唾を飲み込んだ。
鞄はここから三メートルぐらい先の床に置いてあり、手を伸ばしても届かない。その中に入っている拳銃を掴むには、やはり扉をある程度開けてドームへ潜り込む必要がある。
(いける、か?)
施設の電源は落ちている。
現在ある明かりは、非常電源に守られているパソコン関連だけで、そのぼんやりとした光は中空を照らしているだけ。足元はほとんど真っ暗と言っても良い。
その上、ドームの床は毛の短いカーペットだ。
いくら何でもこっそり美鈴に近づいて、こっそり連れ出す事はできない。
だが、この三メートルの距離なら。
実際に撃つかどうかはさておいて、拳銃さえ手に入れてしまえば。
衆人環視の美鈴の下まで行くのではない。
誰にも気づかれていない状況で、たった三メートル進むだけなら。
(……やるしかない)
上条は防弾ガラスの窓枠を両手で欄み直し、
(鉄砲の使い方なんてサッパリ分かんねえけど、連中と対等の武器があれば威嚇ぐらいはできるはずだ。こっちには防弾ガラスもある。ヤバくなっても、俺の方が有利のはずだ)
無理にでも楽観的な材料を探し出し、震える足に力を入れて、上条はうっすらと開いている鋼鉄のドアの表面に掌を当てる。
ゆっくりと前へ押す。
スキルアウトの連中が、わずかなドアの動きに気づいた様子はない。上条は身を屈めながらドームの中へ歩を進めた。じりじりと慎重に。たった三メートル、拳銃の入った鞄までの距離が、いやに長く感じられる。
と、上条と一〇メートル先の美鈴の目が合った。
「え?」
思わず美鈴が声を出した瞬間、スキ〃アウトの連中が一斉にこちらを見た。
上条は、バッ!!と手近なデスクの陰へ飛び込みつつ、
(アホかあの女ーッ!!)
わなわなと震えるが、もうどうにもならない。隠れる所は見られていないかもしれないが、不自然にドアが開いているのは確実にバレた。
誰かがこちらに近づいてくるのが分かる。
デスクの陰にいる上条からでは、人相や武器は全く見えない。
かつかつこつこつという足音だけが響いてくる。
足音の聞隔は一定ではない。床は毛の短いカーペットだ。もしかすると足跡が残っていないか調べながら近づいてきているのかもしれない。この暗がりで正確にチェックできるかどうかは分からないが、仮に看破されれば上条は終わりだ。
(拳銃はっ!?)
上条は伏せたまま辺りを観察したが、床に置かれた鞄は、ちょうどデスクとデスクの間にある、細い通路の向かいにある。手を伸ばせば届きそうだが、そんな事をすれば即座に見つかってしまうだろう。
彼らの拳銃に、幻想殺し《イマジンブレイカー》は通用しない。
冷や汗が背中一面から噴き出すのを感じた。
心臓の音が耳全体を支配するように思えた。
(くそ……)
上の歯と下の歯がカチカチと音を鳴らしそうになる。
極端な緊張のせいか、息を殺そうと思えば思うほど荒く吐き出されていく。
見えない位置から、足音だけが聞こえてくる。
(やるしかねえ。このまま丸まってても絶対に見つかる。だからやるしかねえ! 一発だ。一発で怯ませれば何とかなる。相手が体勢を取り戻す前に、拳銃の入った鞄に飛びつけば逆転できるはずだ!!)
その時、
かつっと。
身を屈めている上条のすぐ横に、大きな靴が踏み出された。
これ以上は待てない。
待っても相手に先手を取られるだけだ。
「ッ!!」
上条は大きく息を吸うと、身を屈めた状態から一気に身を躍らせ、ビジネスデスクの陰から飛び出した。急激に起き上がる動作に合わせ、手にしていた防弾ガラスを横殴りに振り回す。
鼻にピアスをつけていた大男は、ポカンとしているように見えた。
直後、上条の視界からそいつの顔が消える。ゴッ!!という鈍い音と共にスキルアウトの体
が床に叩きつけられたからだ。肉が干切れたのか、金属のピアスだけが妙にゆっくりと空中を漂っていた。
一人撃破。
しかし上条の顔に喜びはない。
すぐそこに拳銃の入った鞄があるのに、そちらへ手を伸ばす事すら忘れていた.
目と鼻の先に、ほんの一メートルもない距離にもう一人、妙に青白い顔をした少年が突っ立っていたからだ。
(見回りに、二人来てたのか!?)
思わず身を強張らせる上条だが、それは向こうも同じだったらしい。拳銃を持っている事を除けば、何の訓練も経験も積んでいない学生なのだ。いきなり同僚が吹き飛ばされた事に動揺を隠せないのだろう。
キン、という小さな音が聞こえる。
宙を舞っていた鼻ピアスが床に落ちた音だ。
「「……ッ!!」」
それで上条と青白い顔の少年は同時に動こうとしたが、そこへ別の動きがあった。
美鈴の側に待機していた別の男が、上条に銃口を向けたのだ。親指で拳銃のハンマーを押し上げたのか、ガチッ罵という鋭い金属音が鳴る。美鈴の近くには二人の少年がいて、その内の片方……手足に細いチェーンを巻いた男が震える手で銃を握っている。その近くにいた別の一人―――シャツやズボンに無数の切り込みを入れた少年が止めようとしたが、その前に引き金が動いた。
「オイ冗談だろ―――ッ!?」
叫びかけたのは上条ではなく、上条の間近にいた青白い顔の少年だった。
しかし銃声は連続した。
ガンゴンバギン!! という、轟音とも衝撃波とも取れない音が炸裂する。
とっさに防弾ガラスを構えた上条の手首に、ビリビリとした痛みが走る。弾が当たったのではなく、防弾ガラスが受けた衝撃が骨に伝わっているのだ。
一方で、上条の間近にいた青白い顔の少年が、ハンマーで殴られたように床へ吹き飛ばされる。脇腹の辺りから赤黒い液体が漏れている事に気づいて上条は歯噛みしたが、この状況ではどうにもならない。
一度物陰に隠れるかどうか迷った上条だったが、
(くそっ! とにかくあれを止めないと――――ッ!!)
彼は防弾ガラスを前面に構え、美鈴の元へより正確には美鈴の側に立っている二人のスキルアウトの元へと一気に駆ける。
距離は一〇メートル程度。
並べられたデスクとデスクの間をくぐるように走る上条だったが、
次の銃撃が来た。
弾丸は窓の表面に当たったが、それだけで上条の上半身が仰け反りそうになる。どうにかバランスを取り戻そうとする上条だったが、さらに弾丸が防弾ガラスに直撃し、彼の手が窓枠から離れた。
ガシャン、という金属質の音と共に、大きな窓が床に落ちてしまう。
再びそれを拾い上げる暇はない。
痛みと緊張でびっしりと汗の浮いた手から顔を上げると、二つの銃口がこちらを睨みつけていた。今度はチェーンの男だけでなく、切り込みズボンの方もためらわない。
わずか五メートル。
蛍光灯が消えているとはいえ、上条にはスキルアウトの少年達の表情が見えた。その内の一人の鼻の筋から唇の端にかけて汗が落ちるのを確かに見た。小刻みに震える照準、ギリギリと錆びた人形のように動く人差し指、それら全てが音のなくなった一瞬の中で、奇妙に生々しく上条の網膜に焼きついていく。
最後に、上条は視界の端に美鈴の顔を見つけた。
ぺたりと座り込んだ彼女は、呆然としたまま何かを叫んでいる。
唇は動いているのだが、上条の頭まで言葉が入ってこない。
指一本動かせない、まるで時間が止まったような状況の中、
ズパァン!! と甲高い銃声が炸裂した。
全ての音が元に戻った。
その瞬間、上条当麻《とうま》の心臓は掛け値なしに止まったと思う。,
しかし上条の体に九ミリの風穴は空いていなかった。こちらに銃口を向けていた二人の内の片方、手足にチェーンを巻いた男が、不自然な体勢で真横に吹き飛ばされるのが分かる。赤黒い血が尾を引き、そのまま抵抗なく床へと転がる。
美鈴の意味のない絶叫が聞こえた。
残る切り込みズボンの少年が、そのままグルリと視界を横へ向ける。
そちらにあるのは、上条が入ってきたのとは別の出入り口だ。
誰かがそこからスキルアウトを撃ったのだ。
「てっ、テメェ!!」
拳銃を持った切り込みズボンの少年の叫び声が聞こえた。
上条の金縛りに似た感覚はここでようやく解けた。
接着剤で固めた紐を指で折って再び柔軟性を取り戻したように、自由を得た上条はとっさにビジネスデスクの下へ身を隠す。
その体勢を維持したまま、上条は数メートル先で呆然と座り込んでいる美鈴に叫んだ。
「伏せろ!!」
叫んでも美鈴は呆然としているだけで、体を動かそうとしない。
「御坂さん、伏せるんだ!!」
ドンバン!!といくつもの銃声が上条の大声をかき消していく。
誰が銃撃戦を始めたか知らないが、このままでは美鈴に流れ弾が当たりかねない。
(くそっ!!)
ビジネスデスクの陰に隠れた上条は、一度だけ小さく息を吸うと、
(いけるか……。ちくしょう、この中を突っ切るしかない!!)
低い体勢のまま飛び出した。
五メートルの距離を駆け抜け、ぺたりと座り込んだままの美鈴へ覆い被さるようにぶつかり、そのまま床に押し倒す。
銃声は続いている。
「逃げるんだ……」
無理にこの戦闘を収める必要はない。
「早く!!」
上条は美鈴の腕を掴むと、一刻も早くこのドームから脱出するために走り出す。
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一方通行《アクセラレータ》は、ドーム状のメイン施設に踏み込んだ際に、とりあえず銃を購えているヤツ全員に鉛弾を叩き込む事にした。手始めに美鈴の近くに立っていた二人の内の片方、手足にチェーンを巻いた男に銃口を向けて、無造作に引き金を引く。
パン! という乾いた音が響いた。
胴体から血を噴いて真横に吹っ飛んだ男を見て、近くに座り込んだ美鈴が短い悲鳴をあげる。
人間は不便だ。
どれだけ図体を大きくしても、たった九ミリの風穴が空いただけで簡単に倒れる。
「て、テメェ!!」
残る一人のスキルアウトが何か叫びながら拳銃を向けてきたが、一方通行《アクセラレータ》は鉄扉の陰に隠れて何度か銃弾をやり過ごし、返す刀で銃弾をばら撒いていく。
上着やズボンに切り込みを入れた男はデスクの陰に隠れたが、それを無視してデスクごと体を撃ち抜いて黙らせる。
(さて、と。あと残ってるスキルアウトは)
「あれか」
美鈴の腕を引っ張って出口のドアへ向かおうとしている黒い人影に、一方通行《アクセラレータ》は銃口を向けて適当に発砲した。、
「おわあああああっ!?」
派手な叫び声が聞こえたが、弾丸は人影からわずかに横へ逸れた。標的の側に美鈴がいる事を意識してしまったのだろう。照準が明らかに甘くなってしまった。
銃口から逃れるため、人影は美鈴を連れて走り続ける。両手を上げて立ち止まるという選択肢はそいつの頭にないらしい。
チッ、と一方通行《アクセラレータ》は舌打ちして、
「ヘェ面白ェ……、まァだ依頼を諦めねェとはイイ根性じゃねェか」
一方通行《アクセラレータ》は口元の笑みを引き裂くと改めて拳銃を握り直し、狙いをつける。
「出来損ないのクソ野郎が! ここでスクラップにしてやるぜェ!!」
「黙れ馬鹿野郎! 美鈴さんが何したってんだ!? 何の罪もない人を付け狙った挙げ句、スキルアウト同士で仲間割れまでしやがって!! もう勝手にやって勝手に死んでろ!!」
ぎゃあぎゃあと騒がしい声が耳に入るが、一方通行《アクセラレータ》は構わず引き金にかけた人差し指へ意識を集中する。しかし、やはり美鈴の背中が邪魔で発砲できない。
そうこうしている内に彼ら二人は別の出入り口へと飛び込んでしまった。
一方通行《アクセラレータ》は、自分の拳銃の銃口でこめかみを掻いて、
(……あン? スキルアウト同士で仲間割れ?)
先ほどの言葉を少し考え、
(俺もその一員だって思われたのか。って事は、アイツはスキルアウト以外の人間なのか。この施設の利用予定者は御坂美鈴一人のはずだし……風紀委員《ジャッジメント》とかなのか?)
銃を使って反撃してこなかったのも気になる。動き自体は訓練された警備貝や風紀委員《ジャッジメント》という感じにも見えなかった。
(御坂美鈴の名前を知ってたってのも引っかかるが……まァ、知り合いじゃなくとも標的の名前ぐらいスキルアウトにゃ伝達されてたかもしンねェし)
何となくそちらに銃口を向けて数発追い撃ちしつつ、一方通行《アクセラレータ》はドーム施設の奥へ進む。
「さァって、と」
とにかく美鈴と、彼女を連れ去った人影を追う事にする。
あの人影の正体が何者かは知らないが、美鈴をここで殺して一人で逃げなかったという事は、最悪アイツがスキルアウトであっても、安全な場所へ行くまでは美鈴を殺すつもりはないらしい。一方通行《アクセラレータ》がドームへ踏み込んできた時にも反撃して来なかったという事は、おそらく銃を持っていないのだろう。
となれば、
(ヤツらが敷地を出る前に追いついてケリを着けりゃイイ)
そう思っていたのだが、一方通行《アクセラレータ》の耳にバタバタという複数の足音が複数の方角から届いてきた。
先ほどの銃撃戦の音を聞きつけたのだろう。
どうやら簡単には先へ進めないらしい。
(一度下がって潰すしかねェか。ドームの中の遮蔽物じゃ銃弾の盾にはならねェ)
戦う場所を探し、ぐるりと周囲を見回した一方通行《アクセラレータ》は、そこでふと顔の動きを止めた。
ドームの中で倒れているクズは三人。
対して、床に落ちている拳銃は四丁。
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上条と美鈴はドーム状のメイン施設から連絡通路を通り、別の小さな四角い建物に入り、さらにそこにあった非常口からようやく外に出た。
正面出入り口の方は野次馬が集まっていたが、こちらは裏口であるためか、人気は全くなかった。
上条は美鈴の手を引きながら、
「とりあえず、人の多い所へ行こう。表の方なら野次馬とか警備員《アンチスキル》もいたし、そっちに回れば多分安全だと思う」
「はあ。なんだかんだ言っても男の子ねー。私は最初から最後までずっと頼りきりだったし。まったく、保護者って冠が霞んでくるわ」
美鈴は妙に沈んでいるが、あの状況で毅然としていうという方が難しいだろう。正直、上条だってもう一度同じ事をしたいとは思わない。
だから、特に責めたりはしないで先を促す事にした。
「早く。どうにか外に出たけど、別に連中を全滅させた訳じゃない。ここでまた襲われたら振り出しだ」
「はいはい、と。それじゃ手を引いてエスコートよろしくお願いします」
言われて、急に恥ずかしくなってきた。上条は掴んでいた手を離そうとするが、そこで美鈴から逆に握り返される。
からかっているようにも見えるが、実は本当に怖いのかもしれない。
上条はそのまま敷地を歩く事にした。
ドームの直径は五〇メートルほどで、その周囲の建物群を合わせても、それほど大きくはない。ここから正面玄関へは、歩いてもほんの数分だ。一番危険な状況は脱したので、上条は口で言うよりは安全だと思っていた。相手が野次馬ごと自分達を殺そうとするような連中でもない限り、正面玄関まで行ければそれでスキルアウトは勝手に退くだろうと。
だが。
「動くな」
正面玄関への道を遮るように、人影が立っていた。
あのドームの中で、防弾ガラスを使って殴ったヤツだった。
おそらくすぐに目を覚ましたのだろう。その鼻にはピアスを強引に千切られたためか、赤黒い色が付着している。状況が状況だったとはいえ、やはり気絶した後に手足を縛れなかったのがまずかった。
「動くんじゃねえ……。テメェは何なんだよ。何でこのタイミングでやってこれた。やっぱりあの依頼そのものがダミーで、俺達は嵌められたのか……?」
その言葉に、上条は眉をひそめる。
「依頼だと?」
「何だよその確認は。分かってんだろ。駒場の野郎が殺されて、代わりに俺が指揮を執るしかなくなっちまった。あいつの後始末だよ。路地裏に対する制圧作戦を回避するには『奴ら』に取り入るしかねえと踏んだんだが……くそ。やっぱりテメェら最初から見捨てる腹だったのか!!」
「何の事かサッパリなんだけどよ」
上条は断片的な言葉を整理しつつ、男に向かって言い放つ。
「俺はこの人から電話を受けてやってきただけだ。テメェが何を想像してるかは知らねえが、それほど複雑な事情は抱えちゃいねえさ」
言うと、男はポカンと口を開けた。
それから、彼は小さく笑った。
「はは、」
全然楽しくなさそうな笑みだった。
「つまり、あれか。俺達はここで全員リタイヤして、警備員《アンチスキル》に捕まっちまうのは確実だってのに、その中心にいるお前には思惑すらねえってのか? この浜面仕上《はまづらしあげ》の人生がここで終わるっつーのに、その一番最後のフィナーレだっつーのに……せめて巨大な陰謀に巻き込まれたとか、とんでもない策士がいたとか、そういう風にごまかす事もできねえってのか。ははは。はははははははッ!!」
言いながら、浜面と名乗った男は右手を後ろに回した。
ズボンのベルトに挟んであったのだろう。
伸縮式の警棒を取り出し、勢い良く振って引き延ばす。
「たまんねえなオイ。殴り殺さなくちゃ気が済まねえよ」
浜面は一気にこちらへ駆けてくる。
上条は美鈴を横に突き飛ばす。
そのせいでワンテンポ遅れた彼の耳に、ビュン!! という風を切る音が響いた。テニスラケットを振るような音の正体は、当然警棒のものだ。
「ッ!!」
とっさに顔を守るように左腕を上げた。
こめかみを狙った一撃は、鈍い音を立てて上条の手首の下に直撃する。
ミシミシという嫌な振動が骨に伝わる。
痛みに顔を歪める彼の腹に、浜面はさらに思い切り膝を突き立てた。
ドン!! という、太鼓を叩くような轟音が鳴る。
「ごっ、あ!!」
上条の口から息が漏れた。
衝撃で、ズボンのべルトに挟んでおいた物がバラバラと地面に落ちた。それはスタンガンや警棒など、これまで倒してきたスキルアウト達から奪ってきた護身用品だ。
(ちくしょう、無能力者《レベル0》相手に幻想殺し《イマジンブレイカー》は通用しねえ)
歯噛みする上条は、湿った地面にあるスタンガンを拾い上げるため素早く屈み込んだが、
「させると思うか?」
武器を掴んだ上条の手を、浜面の靴底が思い切り踏みつける。
鈍い痛みを感じるだけの暇もない。
「こういうモノの扱いは、俺達が一番良く知ってんだよ!!」
ゴッ!! という嫌な音が響いた。
上条の手を踏みつけたまま、浜面がもう片方の脚で上条の顎を蹴り上げたのだ。
「ぶ、がっ!?」
意識が揺らいだ。
それでも舌を噛まなかっただけマシだったかもしれない。
上条の体は真後ろヘブリッジを描くと、そのまま地面に仰向けに転がった。美鈴が小さな悲鳴をあげたが、そちらを構っていられない。上条は地面の土を雀り取ると、それを浜面の顔目がけて投げつける。
「ッ!!」
顔を片手で守られたため目潰しにはならなかったが、浜面は怯んで後ろに下がる。
上条は素早く起き上がると、中腰の体勢から浜面の腹の中心目がけて思い切りタックルをぶつけた。まるでドア板でもぶち破るように、ドン!! という轟音が肩から響く。
ずずっ、と浜面の脚が土の地面を滑る。
それでも、彼の体は後ろには倒れなかった。
(コイツ……ッ!?)
「悪いが、こっちは無能力者《レベル0》なんでね」
耳元で、ささやきかけるような声が聞こえた。
胴体に抱きつくような格好の上条に、至近距離で浜面は語る。
「路地裏で能力者達と渡り合うには、それなりの肉体作りが必要だ。まったく馬鹿だよな。そこらのスポーツ選手と同じ事やってんのに、誰にも褒められねえんだからよお!!」
言葉と共に、警棒の尻を首の後ろへ叩き込まれた。
ビキリ!! というこれまでになかった鋭い痛みが背骨全体に走る。
呻き声をあげる上条へさらに二、三回警棒が振り下ろされる。ようりと揺らいで倒れそうになった上条の胸倉を、浜面は警棒を持っていない左手で掴み上げる。
彼は至近距離で笑う。
「あーあー。って事はあれだよな、テメェが『奴ら』と関係ないって事は、『奴ら』と交わした取り引きはまだ有効って訳だ。そっちのターゲットの死体を持って行きゃあ、俺達だって匿ってもらえるかもしれないと。ははは!!」
しかし、その言葉は失敗だったかもしれない。
ギン!! と。
ぐったりしていたはずの上条の眼光に、明確な力が籠った。
「もう一度―――――言ってみろテメェ!!」
腹の底から叫び、上条は浜面の顎と下唇の間へ目がけて、自分の額を思い切り叩き付けた。
バゴッ!! と、高い所から植木鉢を落とすような音と共に、浜面の首が大きく後ろへ仰け反る。
そこへ、上条はさらに鼻のてっぺんに握った拳を叩き込んだ。
ブリッジを描きかけた浜面の体が、一気に地面へ叩き付けられる。
「あがあああッ!!」
鼻を押さえて転がる浜面に、上条はさらに足で追撃しようとした。が、思ったより体にダメージが染み込んでいるのか、足元がおぼつかない。
「くそ……雑な戦い方しやがって」
そうこうしている内に、浜面はもぞもぞと起き上がった。
先ほどの頭突きで前歯が折れたのか、唇は真っ赤に染まっている。
「無駄な事はやめて、さっさとその女の死体を差し出せよ。そういう取り引きになってんだ。駒場が失敗したせいで、俺達には後がねえ。依頼をこなさなくっちゃならねえんだ……」
あれだけ攻勢に出ていたにも拘らず、言葉が妙に弱々しい。
上条は眉をひそめたが、すぐに気づいた。
彼らは元々、強者から一方的に攻撃されるのを恐れて組織された無能力者《レベル0》の集団だ。
だからこそ、どれだけ力をつけた所で、本質的に他人から殴られる事には慣れていない。
それを考えながら、しかし上条は吐き捨てた。
「ふざけんなボケ」
言いながら、自分でも突き刺すような言葉だなと思った。
「依頼依頼って、殺す理由もねえヤツから宿題みてえな感覚で殺されてたまるか。人の命を何だと思ってやがる。簡単に物や金と天秤にかけられるって、本気で信じてんのかよ。馬鹿にすんのもいい加減にしやがれ!!」
「仕方ねえだろ。こうでもしねえと俺達無能力者《レベル0》は生きていけねえんだ! どこへ行っても馬鹿にされて、居場所を作れば景観の美化っつー名目で全部壊されて。……そんな状況で、他人を食い物にする以外に、無能力者《レベル0》にどんな道があるっつーんだ!? ああ!?」
スキルアウト。
無能力者《レベル0》達が結成した自衛集団。
自衛集団ができたからには、作らなければならない事情でもあったのだろう。
決して表沙汰にならないような、暴力と不条理が渦巻く出来事が。
だが、
「……一緒にするんじゃねえよ」
「なに?」
「全ての無能力者《レベル0》を、テメェみてえなクソ野郎と一緒にするんじゃねえよ」
「テメェ……。そうだ、テメェの能力は何だ……? さっきから一度も……」
口元の血を拭いながら、浜面はギョロギョロと目を動かして眩く。
上条は無視して自分の言いたい事を言う。
「無能力者《レベル0》に居場所はあるのかだと、あるに決まってんだろ。他人を食い物にする以外に道はあるのかだと。あるに決まってんだろ!! 無能力の人間なんざ学園都市にはゴロゴロいる。そいつらはみんな普通に学校に通って普通に友達作って普通に生活してんだよ! 何がどこへ行っても馬鹿にされてるだ。そういう風に考えてるテメェ自身が一番無能力者《レベル0》を馬鹿にしてんじゃねぇか!!」
「そう、か。テメェも俺達と同じ……ッ!!」
「同じじゃねえよ。少なくとも、俺はそういう風には動かねえ。力がないからって理由で、力を持ってるヤツを攻撃しようとは思わない! 確かに俺は無能力だけどな、他人の足を引っ張って喜ぶほどマイナスになったつもりはねえんだよ!!」
「マイナス?」
浜面は眉をひそめて繰り返した。
「俺達がマイナスだと? 馬鹿馬鹿しい、俺達こそがプラスなんだ! 力がないって理由だけで人を排斥し、力を持っていても何も与えてくれないあんな連中に比べれば、俺達スキルアウトの方が一〇〇倍マシだろうが!!」
「じゃあ、そう言うテメェは助けを求めてる人に手を差し伸べたのか?」
「……ッ!?」
「答えられないなら、テメェも同類だよ。くだらねえ。誰にも力を貸そうとしない人間なんて、誰が助けようとするモンか。自分が幸せになるのが当然だって顔で、他人が幸せになる事を考えもしない人間になんて、誰が関わろうとするモンか! 結局それらは全部テメェらの問題だろうが!!」
あまりにも馬鹿馬鹿しくなって、上条は思わず叫んでいた。
この無能力者《レベル0》は、あまりにも弱い。
弱い上に、その弱さに理由をつけようとするから、いつまでも成長しない。
「もしもスキルアウトを結成するだけの力を使って、もっと弱い立場の人を助けていたら、それだけでテメェらの立場は変わったんだ!! 強大な能力者に反撃するだけの力を使って、困っている人に手を差し伸べていれば、テメェらは学園都市中の人達から認めてもらえたはずなんだよ!! そんなのいちいち改めて言うほどの事じゃねえだろ!!」
「黙れ!!」
浜面は顔面を歪ませて叫んだ。
「そういう風に生きてきた駒場利徳《こまばりとく》って無能力者《レベル0》のりーダーは、ほんの半日前に殺されたよ。場違いにも弱者を守ろうとしてなぁ! 結局俺達に綺麗事なんてこなせない。路地裏の落ちこぼれがそれをやろうとしても鼻で笑われるだけなんだ!!」
「そうかよ。だがそいつにはテメェにないものがあったはずだ。どんなヤツか見た事はねえが、絶対にテメェと違って駒場の世界はもっと広がってた! だから最期まで逃げずに戦ったんじゃねえのか? 『弱者』なんて呼ばずに、『仲間』を守るために! そんな駒場は本当に周りから鼻で笑われてたのか。実際に戦って死ねっていうんじゃない。それぐらいの気持ちで仲間を守ろうとした駒場は、テメェと違って仲間からも慕われてたんじゃねえのかよ!!」
「ふざけんな……」
浜面の唇から、どろりとした一言が漏れた。
溜まりに溜まった汚れが溢れるような言葉が、
「馬鹿にしやがって、無能力のくせに、ろくな力も持ってないくせに、俺達を馬鹿にしやがってええええええええええええツ!!」
警棒を構え直し、震える足を動かして浜面はこちらへ突っ込んできた。
上条当麻《とうま》は拳を握る。
こんな野郎はもう怖くない.
化けの皮が剥がれれば『こんな』程度の男でしかない。
「テメェらが馬鹿にされてきた理由は、力のあるなしなんかじゃねえ。今からそいつを見せてやる」
美鈴が止めるのも構わずに、上条は自分から前へ踏み込んだ。
向かってくる警棒も気に留めず、ただ己の拳をさらに固く握り締める、
「これが俺とテメェの違いだ! そんなつまんねえ幻想なんか自分でどうにかしやがれ、このクソ野郎が!!」
ゴン!! という鈍い音が響き渡った。
警棒と拳がそれぞれの顔面に叩きつけられ、割れた額から血が溢れ、双方共にグラリとバランスを崩した。
しかし、倒れたのは一人だ。
もう片方は、決して倒れない。
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上条としてはこのまま寮に帰って眠りたかったが、美鈴に言わせると流血がひどくて洒落にならないという事で、結局救急車を呼ばれる羽目になった。情けない話ではあるのだが、この治療代や入院費などが上条の家計を圧迫している大きな理由でもある。
そういう訳で彼は今、救急車への前段階として担架に乗せられている。白いヘルメットを被った救急隊員と一緒に、何故か美鈴がひょいっとこちらを覗き込んでいた。
「やっぱり学園都市も安全じゃないのね。いや、それを言ったらどんな街だって同じでしょうけど。もうこの国には、安心して子供を預けられる場所ってないのかしら」
ガラガラと担架の車輪の音がうるさくて、美鈴の声はあまり聞こえない。
「……実を言うとね、私は美琴ちゃんを連れ戻しに来たの」
それでも、その言葉だけは妙に鮮明に響いた。
美鈴は目を細めて言う。
「戦争が始まると危なくなるからね。ニュースじゃ国内の他の都市よりは学園都市の方が安全って言ってたけど、別にそれなら海外へ逃げちゃえば良いんだし。ま、私の大学の事は残念だけど、とりあえず長期休学って感じかな。別に留年でも困らないし。まだ辞める気はなかったから、レポート作成っていうのも一応本気なのよね」
そこまで言って、彼女は笑った。
上条の顔を見て、自然とこぼれたようだった。
「でもまあ、安心したよ」
何が、と上条が尋ねる前に、
「結局、この問題もさっきの彼と同じよね。どこへ逃げても本当の安全地帯なんてない。そこにいる人間の気持ち一つでいくらでも変わる。なら、下手にあの子の居場所を移すよりは、君みたいな子の側に置いておいた方が安全かもしれないわ」
そうこうしている内に、救急車に到着した。担架を支えている脚を折り畳んでいるのか、ガコガコと背中の辺りから小さな振動が伝わってくる。
救急車はすぐに発進するだろう。
美鈴もそう思ったのか、やや早口で結論を言った。
「つまり、君達みたいな子が美琴ちゃんを守ってくれれば、何の問題もないって話よん」
上条を乗せた担架が救急車に乗せられる。
彼は初め、美鈴の言葉を漫然と聞いていたが、やがて眉をひそめた。
(君『達』……?)
その疑問を口にしようとする前に、救急車の後部ドアは勢い良く閉められ、やかましいサイレンと共に出発してしまった。
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終 章 一つの意志と小さな鍵 The_Present_Target.
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「ふン」
暗がりに潜む一方通行《アクセラレータ》は断崖《だんがい》大学データベースセンターの正面ゲートを一瞥し、そこに美鈴の顔を見つけると視線を逸らした。
施設内には予想より多くのスキルアウト達が残っていて、そいつらを無力化するのに時間を食ってしまったのだ。
しかし、ああして美鈴が無事なのを考えると、やはりドームで会ったあの人物は美鈴の敵ではなかったらしい。彼女が救急車を見送っている所から、途中で負傷でもしたのかもしれないが。
どうでも良いか、と一方通行《アクセラレータ》は結論づけ、データベースセンターの裏口から敷地の外に出る。
そこで彼は声をかけられた。
「こちらにいると聞いたもので。その顔ですと、上手くいったようですね」
「海原か」
一方通行《アクセラレータ》はつまらなさそうに言って、そちらを見る。
茶色いサラサラした髪や好青年らしい顔立ちは、この暗闇には似合わない。しかも彼が近づいてくると、胸に妙な重圧がのしかかってくる。
表情には出さず、一方通行《アクセラレータ》はさりげなく海原から距離を取る。
ぼんやりと浮いた海原は、完全に闇を自分のものとした一方通行《アクセラレータ》に向かってこう言った。
「それにしても、また残業ですか。給料も出ないというのに、過労は感心しませんよ」
やかましい、と一方通行《アクセラレータ》は一蹴する。
改めて見れば、海原の近くには土御門《つちみかど》元春や結標《むすじめ》淡希まで立っている。これで『グループ』のメンバーは勢揃いという訳だ。
「……何の用だ。『上』に言われて俺に罰則でも与えに来たか」
「まさか。今後の確認だ」
土御門《つちみかど》はサングラスの奥から、ジロリと一方通行《アクセラレータ》の顔を見て、
「まず、御坂美鈴の件について。どうも遠距離から話を聞いた限り、娘を学園都市から連れ出そうという気は失せたらしい。なので殺害は中止。怪我の功名だが、これで一応は落着だな」
「『上』がそンな曖昧な結論で認めンのか? 口だけの話なンざ、いつ心変わりするか分かンねェぞ」
「認めるだろうさ。……主に海原の馬鹿が一人で頑張ったからな」
土御門《つちみかど》はほとんど呆れたように眩いた。
一方通行《アクセラレータ》は怪誹な顔で海原の方を見たが、彼は暗闇の中でニコニコと微笑みながら、
「いやあ、あの少年には一応、こちらの想い人とその周囲の世界を守ってもらうという『約束』を果たしていただけたようですし、自分も頑張らないといけないなあと思いまして。少しだけ肩に力が入りすぎてしまったんですよ」
「……この優男、さっきからずっとこの調子で具体的な回答を控えているのよ。おそらくよほど醜い手を使ったのでしょうね」
結標《むすじめ》は額に手を当てて首を横に振った。
土御門《つちみかど》は肩の力を抜いて、
「とにかく、だ。御坂美鈴は大丈夫だろう。残業込みで初陣お疲れ様って訳だよ、一方通行《アクセラレータ》。『グループ』の仕事はどうだった? 基本的にゃ誰かが食い荒らした残飯の後始末だが、それでも多少のやりがいは見つかったか」
「クソッたれが。この一日だけで暴力裏切り殺し合いのオンパレードじゃねェか」
吐き捨てるように一方通行《アクセラレータ》が答えると、土御門《つちみかど》も頷いた。
「その通りだが、そんな中であってもオレ達は自分のウィークポイントを守らなくちゃならない。捨てちまった方が楽になれるが、どうやっても捨てられない……役立たずの宝物をだ」
「……、」
「オレには義妹の存在があるし、海原には想い人がいる。結標《むすじめ》はかつて自分に協力してくれた仲間達、お前の場合は量産型能力者だな」
土御門《つちみかど》は皮肉げに唇を歪めて、
「その大切なものを守るには、普通の方法じゃ駄目だって事さ。『上』の連中は建前じゃ勝利条件を並べてくるが、はっきり言うがそれは全部嘘だ。場末の賭け事と同じだよ。結局終わってみれば主催者が勝つようにできている。だからルールに従ってるだけじゃ、ヤツらは出し抜けない。それでも勝つにはどうするか。ルールの抜け穴を探すか、それともチェス盤をひっくり返して暴れるか。そういう考え方で動くしかない」
「何故、そいつを俺に話す? 仲良しこよしになりてェ訳じゃねェだろ」
「お前がカードになるかもしれないからだ」
土御門《つちみかど》は軽い調子で答えた。
「何を企んでるかは知らないが、『上』にとってお前はよほど貴重なモノらしいからな。今の所は電極をいじって安心してるようだが、逆に言えばそこがチャンスでもある。手を結ぼうぜ、一方通行《アクセラレータ》。こっちでの生き方はオレが教えてやるから、お前は簡単に死ぬんじゃねえ」
「……、」
一方通行《アクセラレータ》は『グループ』のメンバーを見る。
土御門《つちみかど》元春、海原光貴、結標《むすじめ》淡希。
どいつもこいつも一癖ありそうで、腹の内では何を考えているかも知れたものじゃない連中ばかりだ。だが、それを言うなら自分も一緒である。打ち止め《ラストオーダー》を守るためなら、そのための手駒として使ってやっても構わないと考えているのだから。
「面白ェ」
彼は言った。
「ただし、オマエらが足を引っ張ンなら容赦なく切り捨てる。俺達の繋がりは有効価値の繋がりだ。それ以上を求めンなら破滅すンぞ」
「はん。威勢の良い小僧だ」
土御門《つちみかど》は笑いながら背を向けた。
まるでカラオケにでも誘うように、軽く手を銀って皆を促す。
「ついて来い。そろそろ『上』の連中へ反撃しようぜ」
一方通行《アクセラレータ》にとって最大の枷は、『上』の連中に遠隔操作される、電趣の安全装置だ。
電波の届かない地域では妹達の代理演算が使えなくなるため、『上』からの遠隔操作信号を遮るという方法では回避できない。それでは妹達との繋がりまで絶たれてしまう。
一見すれば完壁な制御装置に思えるかもしれないが、逆に言えば、この問題さえクリアできれば『上』の連中を出し抜くきっかけになる可能性もある。
まずは設計図だ、と一方通行《アクセラレータ》は思った。
カエル顔の医者の所へ赴いて、チョーカー型電極の設計図を手に入れる。そこから安全装置の仕組みを逆算しても良いし、もしかしたら時間をかければ二つ目を作れるかもしれない。
(楽しいね)
彼は自然と笑みをこぼした。
離れた所から見れば、同世代の仲間達と世間話をしながら夜の街を歩いているように感じられたかもしれない。
しかし一方通行《アクセラレータ》の中には、ぐるぐると熱いものが鑑いているだけだった。
電極を遠隔操作される直前に電話越しに話した、あの『男』。
そいつはどこかのソファに体を沈めてくつろいでいるのかもしれないし、今まさに同じ場所を歩いている可能性もある。電話越しの声ぐらいなら機械でごまかせるので、性別だって当てにならない。
あのクソ野郎の延長線上に、黒幕がいる。
あらゆる不幸の元凶となっている黒幕が。
(目的があるっていうのは、本当に楽しい)
夜の病院で、打ち止め《ラストオーダー》の体の調整を行っていたカエル顔の医者は、緊急の連絡を受けた。どうもいつもの少年がまた無理をして運ばれてきたらしい。救急隊員から苦笑いで急患の報告を受けるというのもどうなんだろうと思う。
九月三〇日に木原数多《きはらあまた》の手によって打ち止め《ラストオーダー》の頭に入力されたウィルスは完壁に除去し終わっていた。後は軽いリハビリをこなせば、元の生活に戻れるはずだ。
(ウィルス、か)
これを打破した事でアレイスターの計画の一端を妨害できた……訳ではないだろう。それが可能ならば、打ち止め《ラストオーダー》を簡単に解放するはずがない。いつも通り、重要な部分は全て塗り潰された上で、見た目だけは平穏無事という形で処理されるのだ。
しかし計画に打ち止め《ラストオーダー》の特殊な体質が利用されているのは間違いない。その辺りを追っていけば、彼が実行しようとしている事が分かるかもしれない。
カエル顔の医者は、ベッドの上で横になっている少女を見た。
体格だけなら一〇歳前後。ベッドのサイズを間違えているのではと疑いたくなるほど小さな女の子だ。
「今日の調整はここまで。僕は他の患者を当たらないといけない。余計な事はしていないで、早く寝るんだよ?」
言葉に、少女は小さく頷いた。
それから、打ち止め《ラストオーダー》は小さな唇を動かして言う。
「あの人は……」
カエル顔の医者は、それを黙って聞いていた。
「……あの人はどこ? ってミサカはミサカは尋ねてみたり」
おそらく、誰にも答えられないだろう質問だった。カエル顔の医者はもちろん、暫定的な保護者であった黄泉川愛穂や、量産型能力者を作り出した芳川桔梗ですら、→方通行が今どこにいるか掴めていないらしい。
それでも、カエル顔の医者は言った。
「すぐ戻ってくるよ。すぐにね」
「うん……ミサカも早く会いたい、ってミサカはミサカは頷いてみる」
おやすみ、と言ってカエル顔の医者は病室を出た。
運ばれてきた上条当麻《とうま》の元へ向かうため、暗くて長い廊下を歩く。
そうしながら、彼は打ち止め《ラストオーダー》の言葉を胸に刻みつけた。
彼は、患者に必要なものなら何でも揃える人間だ。