とある魔術の|禁書目録《インデックス》18
鎌池和馬
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第五章 傭兵と騎士の邂逅と激突 Another_Hero
一〇月一八日、午前〇時三〇分。
イギリス南部、フォークストーン近郊の山道にて。
目の前に広がるは精鋭の騎士《きし》四三名と、それらを束ねる騎士団長《ナイトリーダー》。
そしてクーデターの首諜者《しゅぼうしゃ》であり、カーテナー=オリジナルを握る者、キャーリサ。
第三王女ヴィリアンの命を狙《ねら》う凶刃《きょうじん》は数知れず。
しかし、そこへ立ち塞《ふさ》がる一人の男がいた。
ウィリアム=オルウェル。
かって騎士になるはずだった、傭兵《ようへい》崩れのごろつきである。
実在する伝説を、とある作家が極端《きょくたん》に誇張した結果、本来ならば登場しないはずの剣の効果を実現するために必要な数値を全《すべ》て算出し、理論上なら五〇フィート級の悪竜を殺す事が可能と言われる霊装《れいそう》アスカロンを手にした彼が取った行動は、極めてシンプルなものだった。
敵陣へ突っ込み、がむしゃらに騎士|達《たち》を斬殺《ざんさつ》していったのではない。
何らかの罠《わな》や策を使って、集団を一気に翻弄《ほんろう》させるのでもない。
彼はただ、アスカロンを上から下へと振り下ろす。
己の足元にある地面を爆発させるために。
ドバッ!! という爆音と衝撃波《しょうげきは》が炸裂《さくれつ》した。
莫大《ばくだい》な粉塵《ふんじん》が舞い上がり、あっという間に土埃《つちぼこり》のカーテンが騎士達の視界を遮《さえぎ》っていく。地面を揺さぶる震動《しんどう》はほとんど地震に近く、屈強に訓練された軍馬でさえも怯《おび》えのいななきを上げた。
「チッ!!」
そんな中、騎士団長《ナイトリーダー》が舌打ちをする。
部下である騎士の数人がとっさに弓を引き爆心地へ矢を放ったが、意味はなかった。
夜風が粉塵を払う。
すでに、そこには誰《だれ》もいなかった。ただ、アスカロンを振り下ろされた地面だけが、不気味な亀裂《きれつ》を残している。
「なるほど。まず第一にヴィリアンの安全を考えたの。この場で乱戦になれば、まとめて死にかねないしな」
第二王女のキャーリサが、自分の乗る軍馬を軽くなだめながら呟《つぶや》いた。
「……一見、冷静に対応してるよーにも見えるが、弱点が露呈《ろてい》してるし。最盛期の貴様なら、不出来な我が妹を守りながらでも戦おーとしただろーに」
「いかがいたしましよう」
騎士団長《ナイトリーダー》の問いかけに、キャーリサはつまらなさそうに息を吐《は》く。
「首を二つ持って来い」
彼女は刃も切っ先もない剣を改めて強く握り、
「私はカーテナ=オリジナルの調子を確かめ、手に馴染《なじ》ませるの。この作業が終わるまでに結果を出せ」
「了解しました」
「旧知の『敵』になるが、手を抜かないよーに」
「敵兵の知り合いなど、心当たりはありません」
騎士団長《ナイトリーダー》はそれだけ言うと、軍馬には乗らず、直接|闇《やみ》の奥へと足を向ける。
敵は近い。
この距離《きょり》ならば、己の足で進んだ方が早く着く。
第三王女ヴィリアンは、とある傭兵《ようへい》の腕の中にいた。
片手に一人の人間を、もう片方の手に人間よりも巨大な剣を抱える傭兵だが、その動きに重さのようなものは感じられない。というより、ウィリアム=オルウェルの軌道は普通の人間のものではなかった。
走る、という動きではない。
ほとんどボールの遠投のように、一歩一歩で二〇メートル以上も進む。地面だけでなく、木々の幹や枝を足場にして、大きく跳んでいく。
青い月明かりが印象的だった。
切り裂くような冷気が心地良い。
独特の浮遊感は、粘つく閉塞感《へいそくかん》からの解放のようにも思えた。
夜空を行く傭兵とお姫様は、まるで絵本に出てくるみたいだった。
くだらない政治的駆け引きに翻弄《ほんろう》される現実の王室ではなく。それこそ童話に登場する、何でもありの『おうさまの国』の一場面のようだった。
「ふ、ふふ」
第三王女ヴィリアンの口元に、笑みが浮かぶ。
彼女は自分でも、何故《なぜ》笑ったのか分からなかった。
直接的な危機を脱した安堵《あんど》からか、絶壁のように見えた第二王女キャーリサを上回る事ができた愉悦からか、たった一人でも自分のために立ち上がってくれる者がいた事実からか、それとも単純に目の前の景色が綺麗《きれい》だったからか。
とにかく、彼女は笑っていた。
久しぶりに、大きく口を開けて。イギリスという王国の第三王女というしがらみを全《すべ》てかなぐり捨てた、ありふれた少女のように無防備な笑みを。
「あはは!! あはははははははははははは!!」
ともすればウィリアムの手からすっぽ抜けそうなほど、バタバタと手足を振って笑う彼女だったが、傭兵《ようへい》は特に止めなかった。
やがて、ウィリアム=オルウェルは明かりのない山道に着地した。
抱えていた姫君をそっと地面に下ろすウィリアムに、ヴィリアンは質問する。
「ふふ。これからどうするのです?」
「逃げましょう。安全な所まで」
答えながら、ウィリアムは山道からやや外れた叢《くさむら》へと歩を進めていく。土でも盛ってあるのか、一メートル程度の小山のようなものがあり、そこにぼろ布が掛けてあった。ウィリアムがぼろ布を取り外すと、そこにあったのは、四本の脚を折り畳《たた》んだ金属製の馬だった。
銀色の馬の表面に彫られた文字を見て、ヴィリアンは怪訝《けげん》な顔をする。
「ベイヤード……?」
「一六世紀末の作家が夢想したような効果はありませんが、魔術的《まじゅつてき》なサーチをある程度かいくぐる隠蔽《いんぺい》性能を持っています。直接、肉眼で確認されない限りは『|騎士派《きしは》』に発見される事はありません」
「そう、ですか」
「ベイヤードには『|必要悪の教会《ネセサリウス》』の隠れ家の座標がセットされてます。カンタベリーの馬鹿《ばか》な老人どもと違い、実戦的な魔術師|達《たち》なら貴女《あなた》を見捨てる事はないでしょう」
第三王女ヴィリアンは、細く細く息を吐《は》いた。
それに気づかず、傭兵はさらにベイヤードの各所をチェックしながら。
「私もすぐに追いつきますので、姫君はベイヤードへ。『騎士派』については私が対処します。最低限、追跡作業は行えないよう手順を踏《ふ》みますので、ご安心を―――」
言いかけたウィリアムの言葉が、初めて止まった。
原因は、ヴィリアンの指先。
第三王女は俯《うつむ》いたまま、わずかに伸ばした手で、傭兵の衣服を小さく掴《つか》んでいた。
「もう、良いです」
ポツリと言った彼女の口元には、わずかな笑みがあった。
「ここから逃げて、どうしろと言うのですか。とりあえず命が助かった所で、そこからどうしろと? 姉君はすぐにでもイギリス全土を制圧し、ビクビクしながら隠れる私を処刑台へ引きずり出すでしょう。すぐに殺されるか、少し後に殺されるか。それだけの違いしかないじゃないですか」
力のない笑みだった。
ウィリアム=オルウェルは、ただその顔を見ていた。
「ベイヤードが送ってくれる『|必要悪の教会《ネセサリウス》』の隠れ家だって、私を受け入れてくれるとは限りません。王家の人間と言っても。実質的に何の力も権限もない第三王女の私を、リスクを負ってまで守る必要なんてないでしょう」
姫君の揺れる瞳《ひとみ》は、それが真実ではないと告げているようなものだった。
ならば、何故《なぜ》この場で、彼女は傭兵《ようへい》に嘘《うそ》をつくのか。
「だから、もう良いです。私は信じる事をやめました。そう、そうです。今までずっと手を貸してくれた騎士団長《ナイトリーダー》だって、クーデターの発生と共に私の命を狙《ねら》いに来ました。あなただって同じなんでしょう? やむにやまれぬ事情ができた時には、結局裏切ってしまうのでしょう? ならもう良いです。私はあなたの事など信じません。信じない事にします」
ヴィリアンの言葉だけが続く。
切れ切れにならないよう、慎重に感情を抑制した声だけが。
「おそらく私は、この国と世界を恨みながら死んでいく事でしょう。あなたもこれ以上戦う必要はありません。どれだけ努力をしても自分の事を信じてくれない者のために剣を握っても、虚《むな》しいだけでしょう?」
つまり、第三王女ヴィリアンはこう告げているのだ。
見捨てろ、と。
いかに強靭《きょうじん》な傭兵と言っても、所詮《しょせん》は個人。イギリスという国家そのものを制圧する第二王女キャーリサの勢力とまともにぶつかれば、ウィリアム=オルウェルがただでは済まなくなるのは目に見えている。
だから。自分の事はもう見捨てろ、と。
さっさと愛想《あいそ》を尽かせてここから立ち去れと、ヴィリアンは命じているのだ。
「……、」
ウィリアムは、傍《かたわ》らの地面ヘアスカロンを手放した。
そして、自由になった両手を動かすと、
「ひゃっ!?」
思わず小さく叫んだのは第三王女ヴィリアンだ。
傭兵《ようへい》は姫君の両腋《りょうわき》の下に手を通すと、まるで小さな子供のように、彼女の体を持ち上げたのだ。
「えっ、えと、あの……」
突然の事に驚《おどろ》くヴィリアンを無視して、ウィリアムは姫君をベイヤードの鞍《くら》へと載せる。それから金属製の馬の首の辺りを軽く撫《な》でると、何らかの信号が伝わったのか、今まで脚を折り畳《たた》んでいたベイヤードがゆっくりと起き上がった。
傭兵を見下ろす格好になったヴィリアンの手を取り、しっかりと手綱《たづな》を握らせながら、ウィリアム=オルウェルはこう言った。
「ご安心を」
彼は笑わない。
人を安心させる方法を知らない傭兵は、だからこそ、行動によってそれを示す。
「貴女《あなた》が私を信じなかったとしても、私が貴女のために戦う理由は何ら揺らぎません」
「待―――」
ヴィリアンが思わず何かを言い返す前に、ウィリアム=オルウェルは手の甲で軽くノックをするように、ベイヤードの体を軽く叩《たた》いた。
応じるように、金属製の馬が動く。
ぐんっ!! と後ろへ引っ張られるような反動に、思わず第三王女ヴィリアンは手綱を掴《つか》み直す。ベイヤードは完全に自動操縦で、モードを解除する方法もすぐには分からない。そうこうしている内に、ぐんぐんと距離《きょり》だけが開いていく。
「馬鹿者《ばかもの》……」
飛び下りる事もできず、ヴィリアンはその小さな手で、握り潰《つぶ》すように手綱を掴む。
あの傭兵を死地から違ざけるために放った言葉だったのに、それが結果として、あの傭兵をさらに一人ぼっちにさせてしまった。その事実に、彼女は奥歯を噛《か》み締《し》める。
「そんな言葉が聞きたかったのではなかったのですのに! この馬鹿者ォおおおおおお!!」
ウイリアム=オルウェルは、ベイヤードが見えなくなるまで闇《やみ》の奥へ目をやっていた。
やがて肩の力を抜くと、地面に転がっていたアスカロンを拾い上げる。
人の気配に応じ、ウィリアムはゆっくりと振り返る。
「第三王女はそちらか」
聞き慣れた声は、旧知である騎士《きし》の長《おさ》のものだ。
「だが、何故《なぜ》貴様がここで立ち塞《ふさ》がる。ローマ正教『神の右席』の一員である「後方のアックア」には、我が国の第三王女のために命を懸《か》ける理由などないはずだが?」
対して、傭兵《ようへい》崩れのごろつきは言葉ではなく、行動で返した。
全長三・五メートル、重量二〇〇キロを超す鉄塊《てっかい》を、真横に振るう。
空気を裂く音が聞こえた。
直後に、閃光《せんこう》が炸裂《さくれつ》する。
大剣を裏返し、背の部分の根元近くにある鋭利かつ分厚いスパイクを使って、手近にあった巨大な岩を打ち飛ばしたと、視認できた者は少なかっただろう。
すぐ近くにあった山肌が、爆発するように砕けた。大量の土砂《どしゃ》が真横から流れ込み、ウィリアムの背後に広がっていた細い山道を完全に塞《ふさ》ぐ。それは第三王女ヴィリアンへの追撃《ついげき》を防ぐと同時に、ウィリアム自身の退路を塞ぐ壁として機能した。
驚《おどろ》き、警戒を高める周囲の騎士《きし》に対し、その長である旧知の男だけが静かに頷《うなず》いた。
「なるほど、自分がどこに所属する何者であっても、やるべき事は変わらない、か。実に貴様らしい考え方だな」
「……、」
ウィリアムは片手一本で重いアスカロンを水平に構えたまま、周囲へ視線を走らせる。
傭兵を中心にした、半径三〇メートル前後の半円。それが、銀色の鎧《よろい》をまとう『騎士派』の包囲網《ほういもう》だった。剣、槍《やり》、斧《おの》、弓、棒、その他色々な武具が、月明かりを浴びてギラリと輝《かがや》く。
数は四〇弱。
その中心に立つ騎士団長《ナイトリーダー》を見て、ウィリアムはわずかに唇《くちびる》を動かした。
「……人死にが増えるのであるな」
その一言で取り囲む騎士|達《たち》の殺気が膨《ふく》らんだが、やはり、騎士団長《ナイトリーダー》だけが率直に頷いた。
「カーテナの力である程度増強しているとはいえ。貴様のレベルに付き合える者はそう多くはいるまい」
告げながら、騎士団長《ナイトリーダー》は己の親指で、自らの胸を差す。
そして、一言で言った。
「|決闘《けっとう》だ」
「ここは本物の戦場である。お上品な貴族の礼儀《れいぎ》作法に興味はない。本気でやるなら全員来い。無駄死《むだじ》にが嫌《いや》なら速《すみ》やかに退け」
「心配はするな」
騎士団長《ナイトリーダー》は、軽く腕を振る。
いつの間にか、その手には三センチほどの幅の刃を備えた、一振りのロングソードがあった。
軍馬を操りながら戦う戦士が扱うために最適化された、八〇センチ程度の長さの刃の剣だ。ただし、その剣の銀色の表面が、赤黒いザラザラした物に覆《おお》われていく。
「殺し合いという意昧での、古い決闘だ」
ボゴッ!! と騎士団長《ナイトリーダー》の持つ赤黒いロングソードの表面が泡立った。
単なる薬品による化学反応ではない。一つ一つの気泡はバスケットボールほどもある。剣の太さよりも明らかに巨大な泡はあっという間に数十数百と増殖していくと、一気にそのシルエットを崩していく。
新たなる刃が形成されていく。
ウィリアムの持つアスカロンと同じく、三メートル級の長剣が。
「フルンティングであるか」
その名は古い伝承に登場する。斬《き》り伏せた敵の返り血によって鍛《きた》え上げられ、強敵を殺すごとにその強度と切れ味を増していったとされる伝説の魔剣《まけん》だ。
「……貴様が出て行ってからの一〇年が、ここにある。もはやドーバーで貴様に昏倒《こんとう》させられた頃《ころ》の私ではない」
伝説の剣と同名の霊装《れいそう》を手にした騎士団長《ナイトリーダー》は、ただ静かに告げた。
「貴様の一〇年がどれほどの実を結んだか、我が一〇年で試させてもらおう」
それが合図。
共に人を超えた怪物を殺すための武具を構える傭兵《ようへい》と騎士《きし》の激突が始まる。
音は消えた。
光は飛んだ。
ただ真正面から飛び込んだウィリアムと騎士団長《ナイトリーダー》が、アスカロンとフルンティングを叩《たた》きつけた。それだけのシンプルな動作にも拘《かかわ》らず、周囲に撒《ま》き散らされた余波は甚大《じんだい》だった。
数瞬《すうしゅん》遅れて、爆風が発生した。
ゴバッ!! という轟音《ごうおん》と共に、二人を中心にドーム状の衝撃波《しょうげきは》が広がった。半径一〇〇メートルを超す爆風の嵐《あらし》が、周囲を包囲する完全武装の騎士|達《たち》を薙《な》ぎ払う。木々が千切《ちぎ》れ、山肌が削れ、アスファルトの山道がガラスのように砕け散る。
しかし、その衡撃波が広がった頃には、すでに二人の姿はそこにない。
彼らは夜空を跳んでいる。
ドッ!! と発射音のような足音が、彼らの動作に遅れて闇《やみ》に響《ひび》く。一〇メートル近い空中で二回、三回と巨大な刃が激突した。火花は雷光のようだった。そして、続けざまに撒き散らされる衝撃波が、打ち上げ花火のように球状へ広がっていくのを、騎士達は見た。
悲鳴を上げる者がいた。
身を屈《かが》め、ダメージを受け止めようとする者もいる。
衝撃波の渦は、それらを平等に叩き伏せていった。
「なるほど」
太い木のてっぺんに着地した騎士団長《ナイトリーダー》は、不甲斐《ふがい》ない部下をわずかに見下ろす。
ウィリアム=オルウェルが第三王女を先に逃がしたのは、おそらくこれが理由だ。守りながら戦うのが苦なのではない。死しても王女の命を守り抜くという悲壮感でもない。ただ、自らの力で護衛対象を死なせてしまう愚《ぐ》を避《さ》けるための策だったのだ。
騎士団長《ナイトリーダー》は、別の巨木の上に立つ旧知の傭兵《ようへい》を改めて睨《にら》みつける。
一見して、二人の男は剣と剣をぶつける肉弾戦で戦っているように見えるかもしれないが、その本質は『|魔術《まじゅつ》』にある。そもそも、馬鹿正直に筋力だけを増強した所で、あれだけの破壊《はかい》力《りょく》を生み出す事はできない。せいぜい一定のラインを越えた所で、自分の筋肉が内臓を圧迫してしまい。自滅するのがオチだろう。
彼らの真髄《しんずい》は人の身で圧倒的な破壊力を生み出すと同時に、無理な力や速度を出した結果起こるであろう。あらゆる弊害《へいがい》や副作用を事前に推測し、補助的な魔術によって摘《つま》み取っていく周到さにこそある。戦闘中《せんとうちゅう》は常に数百、数千も生み出され、なおかつ戦況によって一瞬《いっしゅん》一瞬で種類の変わっていく『弊害』を一つでも見逃せば、その直後に高速戦闘中の術者は死亡する。
『限界を超える』と口に出すのは簡単だが、そこまでやって初めて成し遂《と》げられる業《わざ》であり……そこまでやったとしても、『生身の体の限界』はやはり完全には拭《ぬぐ》えない。場合によっては、神裂《かんざき》火織《かおり》のように抜刀術で短期決戦を挑むなど、戦術の組み立て自体に工夫を凝《こ》らす事も有効だ。聖人にしてもカーテナの力にしても、単に強大な力を持っていれば強い、などという話ではない。結局、莫大《ばくだい》な力を振るう者には莫大な力を操るだけの技術や資質が必要とされているのだ。
ウィリアムは強い。
騎士団長《ナイトリーダー》は強い。
何らかの力を得ただけで、そのポジションに立てる訳ではない。元から強大な力や技術を持つ者だからこそ、特殊な『力』を上乗せする事で彼らは常人には想像もできない領域にまで足を踏《ふ》み入れる。
逆に言えば、相手が高速戦闘を補うために使用している魔術を妨害してしまえば、間接的に術者を倒す事もできるだろう。……しかし、今ここで戦う二人には当てはまらない。
ウィリアムは聖人という生まれついての資質や、『神の右席』で磨《みが》き上げた術式群。
騎士団長《ナイトリーダー》はカーテナと『全英大陸』、さらには騎士《きし》として効率化された魔術。
それぞれ魔術のキーとなっている象徴は容易に奪えるものではなく、なおかつ、極端《きょくたん》に優《すぐ》れた術者である二人は、数々の戦争を乗り越えた過程で容易には揺らがない精神を手に入れている。たとえ手足の一本二本を切断されても、魔術が暴走する事はないだろう。
二人はその構えを見据えるだけで、単なる兵士以上の情報を入手していく。
旧知である事など関係ない。
過ぎた時間と歩んだ道のりが、互いの知らぬ術式を構築している。
「ふん。確かに、聖人にしては優《すぐ》れた方だが……貴様の本領は発揮できていないようだ」
「……、」
「一撃《いちげき》一撃に、貴様の傷口が疼《うず》くのが伝わるぞ。得意の『水』を使わぬのも、滑《すべ》るような高速移動を行わぬのも、やはり学園都市での敗北が尾を引いているのか」
ウィリアムは答えない。
彼はただ、三メートルを超す巨大な剣をゆらりと構え直す。
「そうまでして、第三王女を守る理由はあるか」
応じるように、騎士団長《ナイトリーダー》も動く。
巨木の頂点で、彼は赤黒いフルンティングを静かに、滑《なめ》らかに動かす。
下方の地面では部下の騎士《きし》達《たち》がもがき、それでも震《ふる》える手で弓を掴《つか》もうとしているのが見えたが、改めて視線をやる事すらなかった。
「確かに、彼女の根幹にある慈愛《じあい》とモラルは特筆すべきだろう。だが、それで国家を動かせるとは思えん。ようは、どういう政策でこの国を動かすのが最も有効か、という問題だ。『軍事』と『人徳』、どちらの政策が今の英国を救うかと聞かれれば、答えは一つしかないだろう。そもそも、キャーリサ様は懸念《けねん》しているようだが、あの第三王女にカーテナ=オリジナルを振るえるとは思えん。人格的にも、能力的にもな」
「……、」
「カーテナが全《すべ》てとは言わん。だが有効な戦力であるのは事実。我々『騎士派』はイギリスにとって最優良な選択肢を採る。現状のそれがカーテナ=オリジナルを手にしたキャーリサ様である以上、我々は全力で支持する構えでいるのだ」
そこで、騎士団長《ナイトリーダー》はふと言葉を止めた。
小さな笑い声が上がったのだ。
傭兵《ようへい》の肩がわずかに上下している。しかし彼の顔にあるのは、騎士団長《ナイトリーダー》が知るような、強敵を前にした時に浮かべる荒々しい笑みとは違う。
失笑だった。
「言葉が多いな、我が友よ」
ウィリアム=オルウェルは、耳に入った言葉を全て否定した。
記憶《きおく》に留める事すら馬鹿馬鹿《ばかばか》しいという表情で。
「そうやって、自分にも他人にも言い訳を重ねなければ、自らの手で剣を取って戦う事すらできなくなったのであるか」
応じる声はなかった。
轟《ごう》ッ!! と。
巨木の頂点を蹴飛《けと》ばした傭兵《ようへい》と騎士《きし》が、ただ上空で激突した。
あまりの脚力に、足場にしていた二本の木々が砕ける。
ウィリアムと騎士団長《ナイトリーダー》は木の頂点から、真《ま》っ直《す》ぐ前方へと飛んだ。それこそ空中をスライドするかのような、重力を力技でねじ伏せた二人の体が、剣が―――中間地点で容赦《ようしゃ》なく激突する。
火花が爆発した。
衝撃波《しょうげきは》が無尽蔵《むじんぞう》に撒《ま》き散らされる。
前進に使ったエネルギーは初撃で完全に失い、傭兵と騎士は真下へ降下を開始。しかし二人にとって、重力落下は脅威《きょうい》ではない。彼らは構わず、さらに至近|距離《きょり》で剣を振るう。
ドガザザガガッギギギギ!! と刃と刃が複雑に噛《か》み合う。
足場のない空中戦では、まっとうに自分の体重を預ける斬撃《ざんげき》は繰《く》り出せない。そこでウィリアムと騎士団長《ナイトリーダー》は、相手の攻繋を受け止めたエネルギーを逆に利用して体を回転させ、様々な角度からさらに強力な一撃を返し、返し、返し、返し、返していく。
それは複雑に絡《から》み合いながら落下していく、二枚の歯車のようにも見えた。
工業用の円盤型カッターのように、分厚い刃を備えて互いを削り合う歯車だ。
足場なき状況を最大限に利用した、三六〇度からの応酬《おうしゅう》も、永遠に続く事はない。地面は確実に近づいている。そして着地の瞬間《しゅんかん》こそが、拮抗《きっこう》した状況を崩す大きなきっかけとなる。
それはすぐにやってきた。
二人の足が、下草の生えた地面へと接触する。
「ッ!!」
「ッ!!」
ドバッ!! という轟音《ごうおん》が炸裂《さくれつ》した。
ウィリアム=オルウェルと騎士団長《ナイトリーダー》の体が、それぞれ爆心地から五〇メートルほど後ろへ離《はな》れる。それこそ、大きな爆弾に吹き飛ばされる小石のように。
しかし、彼ら二人は自らの意志で仕切り直した訳ではない。
着地と同時に前へ更と踏《ふ》み込み、渾身《こんしん》の一撃を放った結果、互いが互いの攻撃の力に押されて地面を滑《すべ》ったのだ。
ザリザリザリ!! とウィリアムの靴底から嫌《いや》な音が響《ひび》く。
下草ごと地面の黒土を削り取った音だ。まるで線路のように、ウィリアムの辿《たど》った順路だけがまとめて抉《えぐ》り取られている。
余波によって多くの騎士|達《たち》が倒れる湯所から、戦場は移動していた。
ウィリアムの背は、自らが退路を断つために土砂崩れを起こした、幅数百メートルに広がるその斜面に触れそうだった。対する騎士団長《ナイトリーダー》は、赤黒い長剣を改めて構え直す。ウィリアムはこれ以上後ろには下がらないだろう。それは壁の厚さや高さによるものではない。その『壁』を越えられる事は、第三王女へ繋《つな》がるルートを明け渡すのと同義だからだ。
そして、ウィリアムを見れば分かる。
彼はすでに、巨大なアスカロンを手に体重を前に傾け始めている。
まるで、短距離走《たんきょりそう》のスタート直前のように。
かくいう騎士団長《ナイトリーダー》も、似たように突撃《とつげき》寸前の状態なのだが。
「怒れる理由は第三王女か。戦場で多くの人間を『敵』と定めて屠《ほふ》ってきた我々が、今さらそんな理由で剣を取って何になる!!」
「軽いな。上《うわ》っ面《つら》の言葉では軽すぎるのである!!」
「ふん。戦場に立つ者であっても、降伏勧告に従うような人物まで斬《き》るのは気に喰《く》わんとでも言うつもりか! お前らしいと言えばそれまでだがな!!」
爆音が炸裂《さくれつ》する。
騎士団長《ナイトリーダー》が赤黒い長剣を手にウィリアムの元へと突っ込み、応じるように傭兵《ようへい》も騎士《きし》の長《おさ》へと一直線に突き進む。
「だとしても、『人徳』を守るために『軍事』を敵に回すとは。そこまでして擁立《ようりつ》するべき価値があると確信できるのか、あの『人徳』に!!」
火花と衝撃波《しきうげは》が飛び散り、撒《ま》き散らされ、その間にも二人は高速で動く。
刃と刃が激突し、二人は至近距離で睨《にら》み合う。
「ごちゃごちゃと、語って聞かせる建前《かざり》など必要ない」
ミシリ、と。
ウィリアムのアスカロンが、騎士団長《ナイトリーダー》の剣を、押す。
「私の戦う理由は全《すべ》て、この身と剣で示せるものである!!」
傭兵は一度、わざと己の剣を退《ひ》くと、わずかに空いたスペースを埋めるように、勢い良く騎士団長《ナイトリーダー》の赤黒い長剣に己の刃を叩《たた》きつけた。凄《すさ》まじい衝撃に対し、ほんの少しだけバランスを揺さぶられた騎士団長《ナイトリーダー》の懐《ふところ》へ、続くウィリアムの二撃目が襲《おそ》いかかる。
その程度で絶命する騎士の長ではない。
彼は赤黒い長剣を振り回してこれを受けると、勢いに逆らわず後ろへ下がる。
両者の間に、一〇メートルの距離が開く。
(……おそらく、この傭兵は軍事的、政治的な理由など考えずに戦っている。第三王女が一国の姫君であるか否《いな》かすら、こいつの前では意味を成さない)
騎士団長《ナイトリーダー》は相手の内心を予測し、長剣の柄を握る手により一層の力を込める。
|その涙の理由を変える者《F l e r e 2 1 0》。
掲げる魔法名《まほうめい》の通り、冷たい涙を暖かい涙へ変換する事こそが、武器を取る理由なのだから。
(だが、その程度ではまだ浅い。この私を殺すに足る理由には程遠《ほどとお》いぞ、傭兵崩れ)
「……、」
一方、ようやく動きを止めたウィリアムは、改めて手の中にある大剣の柄《つか》を握り直す。
霊装《れいそう》アスカロン。
全長三・五メートル、重量二〇〇キロオーバー。一六世紀末の作家が、実在する伝承を基に紡《つむ》いだ物語に登場する聖剣と同じ効果の剣を、現実に存在する本物の魔術師《まじゅつし》が改めて必要な数値を全《すべ》て算出し直して作り出した、『理論上では全長五〇フィート級の悪竜を殺すための性能を持っ剣』。
両刃の剣の切れ味は均一ではなく、各々《おのおの》の部位によって厚みや角度が調節され、斧《おの》のようにも剃刀《かみそり》のようにも鋸《のこぎり》のようにも扱う事ができる。中には缶切りのようなスパイクや糸鋸《いとのこ》のように剣身に寄り添うワイヤーなどまで備えられており、いかにこの剣を作った魔術師が酔狂だったかが窺《うかが》える。鱗《うろこ》、肉、骨、筋、腱《けん》、牙《きば》、爪《つめ》、翼《つばさ》、脂肪、内臓、筋肉、血管、神経……どうやら、本気で『これ一本で悪竜の全てを切断する事』を志したらしい。
一方の騎士団長《ナイトリーダー》の手にあるのは赤黒い長剣。
霊装フルンティング。
全長三・九メートル、重量は不明だが、おそらくは原型のロングソードと同程度。かつてベーオウルフと呼ばれる神話の人物が使用していた魔剣《まけん》と同名の霊装。立ち塞《ふさ》がる敵を殺すごとに、その返り血によって硬度と切れ味が増していくらしいが……おそらくは、騎士団長《ナイトリーダー》の剣は『|天使の力《テ レ ズ マ》』を『返り血』に対応させ。大量に圧縮封入する事によって、莫大《ばくだい》な破壊《はかい》力《りょく》を得ているのだろう。すでに、その鋼《はがね》に通常の物理法則は通用しない。本来の質量に伴わぬ軽量感や、アスカロンを受けても傷一つつかない硬度―――そして何より、まともに受ければ一撃《いちげき》でウィリアムを即死させるであろう鋭利すぎる切れ味も、それで説明がつく。
(……結局は十字教における十字架と同じ、偶像崇拝の理論であるか)
荒々しい挙措《きょそ》とは対照的に、ウィリアムは冷静に解析を行う。
(英国を象徴する剣、カーテナとフルンティングを対応させ、英国の領内において『異質な力を制御する能カ』をさらに増強させている。……ふん、並の聖人を上回る総量の『|天使の力《テ レ ズ マ》』を、生身の体でどのように保存、運用しているかと思っていたが……剣と国家に命を預けるとは、相変わらず騎士《きし》のセオリーに忠実な男である)
相変わらず、の所でウィリアム=オルウェルはわずかに唇《くちびる》を歪《ゆが》めた。
気づかず、騎士団長《ナイトリーダー》はこう告げた。
「一対一の戦いで隠し事は不要。何なら、詳細に説明してやろうか」
「女王を欺《あざむ》いた者の台詞《せりふ》とは思えぬのである」
「第二王女の策は有効ではあるが、正直、少し辟易《へきえき》していた所だ。まあ、傭兵《ようへい》相手の、『息抜き』程度なら、我が流儀《りゅうぎ》を貫いても許容していただけるだろう」
「そうか。だが不要である」
ウィリアムは拒否した。
「タネは知れたが、その程度で倒れる敵でもあるまい」
「早いな」
率直に、騎士団長《ナイトリーダー》は称賛。
その上で、彼はこう言った。
「そして惜しい。一生で一度の勝負なら、万全の貴様と戦ってみたかったよ」
ドバッ!! という異様な音が、夜の闇《やみ》に炸裂《さくれつ》した。
騎士団長《ナイトリーダー》はその場を一歩も動かなかった。
ただ、フルンティングを無造作に振るっていた。
しかし、距離《きょり》など関係なかった。
音を聞いてからとっさに横へ回避《かいひ》したウィリアムだったが、すでに間に合わなかった。
左肩が鎖骨《さこつ》ごと数センテほど抉《えぐ》れていた。
(……フルンティングでは、ない……ッ!?)
今までとは明らかに異質な攻撃《こうげき》。
血が噴き出すより前に、ウィリアムはとっさにアスカロンを右手一本で構え直す。
「知っているか。魔剣《まけん》フルンティングで知られるベーオウルフだが、人生の要《かなめ》となる戦《いくさ》では不思議なほど。その剣は活躍していない[#「その剣は活躍していない」に傍点]」
音はなかった。
ウィリアムの懐《ふところ》へ、騎士団長《ナイトリーダー》は音より早く踏《ふ》み込んだ。
横薙《よこな》ぎに振るわれたフルンティングを、ウィリアムは片手だけで掴《つか》んだアスカロンで受ける。しかしそれとは別に、ウィリアムの耳に風切り音が届く。異様な悪寒《おかん》に応じ、ウィリアムが全力で首を振った所で、その頬《ほお》に浅い傷が走る。
「ベーオウルフの名を知らしめた対グレンデル戦では己の腕力を、続く対水妖戦では敵のアジトにあった古い剣を、極めつけには人生最後の戦いとなる対悪竜戦では、やはり別の刃物を使用している」
そこで、騎士団長《ナイトリーダー》がさらに動く。
回避のためわずかに体のバランスを崩したウィリアムの目の前で、アスカロンと咬《か》合わせていたフルンティングを解く。
そのまま長剣が振るわれた。
ウィリアムはアスカロンで受けたが、不安定で体重を預けられなかった事と、片手だけで握っている事が災《わざわ》いしたのか、その体が浮いた。
ゴッ!! と。
凄《すさ》まじい轟音《ごうおん》と共に、ウィリアム=オルウェルが飛ぶ。
「この話の教釧は一つ。己が命運を分かつ切り札は、常に複数用意しておけという話だ」
騎士団長《ナイトリーダー》の唇《くちびる》が動くと同時に傭兵《ようへい》の体が巨木に激突し、その太い幹をへし折った。
ベキベキと音を立てて倒れていく木を無視して。彼は言う。
「やはり、傭兵崩れではこの辺りが限界だな」
左肩から血を噴き、それでも右手でアスカロンを手にしたウィリアムは立ち上がる。
そんな傭兵の耳に、騎士団長《ナイトリーダー》の言葉が届く。
「一対一の戦いで、隠し事など不要。何なら、詳細に説明してやろうか」
ロンドン発フォークストーン行き、ユーロスター路線の貨物列車内。
上条《かみじょう》当麻《とうま》はその屋根に身を伏して、潜伏《せんぷく》していた。
列車の速度は速い。外国の列車の平均速度がどんなものかは知らないが、それでも普通は時速三〇〇キロ近くまでは出さないだろう。ロンドン市内では送電トラブル時用のディーゼルを使って低速で進んでいたが、途中で電力が回復したのか、速度が一気に増したのだ。
元々深夜で終電近い時間帯なので列車の本数は少なかっただろうし、何より、今はイギリスのほぼ全域でクーデターが発生していて、通常のダイヤなど守られていない。線路上に他《ほか》の列車がないからこそ、こんな無茶《むちゃ》な速度で突っ走る事ができるのだ。そんな訳で、
「もががががががががががががががががががががががががががががががががががががが」
時速三〇〇キロが生み出す相対的な突風を真正面から受け、微妙に顔の皮膚《ひふ》を歪《ゆが》ませる上条。
車内見回りの騎士《きし》達《たち》が、寒さにガチガチと震《ふる》えるド素人《しろうと》の彼を見つけられない理由は単純だ。
こんな所に身を隠すバカなどいる訳がないと思われているからである。
……いや、上条的にも自ら望んで屋根の上にいるのではない。最初は確かに貨物車両の中に隠れていたのだ。しかし不定期に巡回をする騎士の目から逃れるためには、一ヶ所に留《とど》まっているのはかえって危ない。そんな訳で、騎士の助きに合わせてあちこちをコソコソ移動している内に……何だか、気がついたらこんな所へ追いやられていた訳だ。
(ああ、なんかメキシコからアメリカへ密入国する不法移民は貨物列車の壁や屋根に張り付いていくって話だったけど、こんな感じだったのかなぁ……}
学園都市の学生寮で観たドキュメント番組を思い浮かべる上条。
しかし彼の場合、目的地に辿《たど》り着けばそれでゴールという訳でもない。
(インデックス……)
上条はわずかに歯を食いしばる。
クーデター勃発《ぼっぱつ》当時、インデックスはその首謀者《しゅぼうしゃ》であると言われる第二王女キャーリサと行動を共にしていた。現状、インデックスがどのような状況なのか全く分からないが、無事を保証されないような事態なのは明白だ。
彼女の頭には、一〇万三〇〇〇冊もの魔道書《まどうしょ》の知識がある。
少しでも戦力を増強しようと考える者なら、それを悪用しようと考えてもおかしくはない。
正直に言って、素人《しろうと》が一人で立ち向かえるような甘い場所ではないだろうが、
(……別に敵の親玉と、そいつを守ってる部隊を全部倒さなくちゃならない訳じゃねぇ)
上条《かみじょう》は己の右拳《みぎこぶし》に目をやり、
(とにかく隙《すき》を突いてインデックスを助け出す。それだけを考えるなら、むしろ大人数で敵陣に向かうよりも都合は良いはずなんだ)
と、そこで上条の視界の端《はし》に何かが映った。
改めて目をやると、貨物列車の車両と車両の連結部の辺りに、銀色の兜《かぶと》の頭頂部が見えている。単に車両を移ろうとしているのではなく、梯子《はしご》に手を掛けているようだ。
(巡回……? まずい、誰かが昇ってきてる!?)
鎧《よろい》の着用者は前方だ。上条は慌《あわ》てて車両の後部に向かう。高速で動く車両と相対的な突風に後押しされるように、上条は平べったい貨物車両の屋根を滑《すべ》りながら移動していく。高速で流れていく砂利《じゃり》の方へ落ちたら終わりだという事に悪寒《おかん》を覚えつつも、そのまま車両と車両の隙間にある、わずかなスペースへと飛び降りる。
貨物列車の連結部は、一般の電車と違って通路状にはなっていない。各車両は独立しており、上条が飛び降りたのも、金属製の手すりに囲まれた小さなスペースだった。
車両と車両の間は狭く、手すりを乗り越えれば車両間の移動もできそうだ。上条は足元を高速で通り過ぎるレールや砂利に背筋を寒くしながらも、隣《となり》の車両へと移動していく。
(くそっ、結構な速度で進んでるから、そろそろフォークストーンに着きそうなんだけどな)
心の中で悪態をつくが、到着一〇分前だろうが一分前だろうが、見つかればそれまでだ。高速で移動する列車の中では逃げ場がないし、大量の騎士《きし》達《たち》が一点にわらわら集まってきたら、右手一本で対処するのも難しい。正確な人数は把握《はあく》していないが、元々この列車は追加の兵員を第二王女の元へ運搬《うんぱん》するために走らされている。ざっと一〇〇人から二〇〇人の人間が詰め込まれていると見て間違いなさそうなのだ。
(……ったく、不良のケンカのレベルを振り切ってんぞ)
上条は両手を使って車両のドアをスライドさせ、中に体を滑り込ませる。
彼が身を潜《ひそ》めているこの辺りの車両は、人員の代わりに多数の装備品を積載している、正真正銘《しょうしんしょうめい》の貨物車両だった。大量の剣や槍《やり》がカテゴリごとに、まるで昔話に出てくる焚《た》き木のように無造作に束ねられている様子は、見ていて割と恐ろしいものがある。それらは屋敷《やしき》に置かれている装飾用の鎧の部品ではなく、一つ一つが人間を殺すために手入れされた、本物の凶器なのだ。
(それにしても)
明かりのない貨物車両の中で、上条《かみじょう》は息を吐《は》く。
彼は大して英話を話せない。教科書英語のように一字一句を区切って発音されれば多少は理解できそうだが、現地の人間が話しやすいように語句を繋《つな》げだり省いたりする高速発音になってしまうとサッパリ分からなくなる。
そんな上条でも、この列車に乗っている騎士《きし》達《たち》が、何やら慌《あわ》てているのが窺《うかが》えた。どうやら、緊急《きんきゅう》事態が発生したらしい。詳しい理由までは伝わらなかったが、彼らの口々から一つの名前が何度も何度も出ていた気がする。
(ウィリアム……か)
西洋人の名前としては割とポピュラーな気もするし、そんな名前の人物に心当たりはない。
イギリスにはそんな名前の人物にたくさんいるだろう。『|必要悪の教会《ネセサリウス》』の魔術師《まじゅつし》か何かだろうか、とも思ったが。これ以上深く考えても仕方なさそうだ。
と、
「|ヘイ《おい》」
不意に貨物車両の奥から声をかけられて、上条は心臓が止まるかと思った。
少女の声だ。
バッ!! と上条がそちらへ勢い良く振り返ると、ゴロゴロと積み上げられた銀色の甲冑《かっちゅう》の山の陰で、何かがモソリと蠢《うごめ》いた。それは人間だ。後ろ手に回された両手と、両足の足首をそれぞれ拘束具で固定された女の子だった。
(あれ。この服……?)
まるでラクロスのユニフォームのような少女の服装に、上条は首を傾《かし》げそうになる。
(どっかで見たような……。ロンドンじゃ流行《はや》ってるのか?)
と、そんな上条などお構いなしに少女は言う。
「『騎士派』の連中じゃなさそうだね。見習い従者の若造とかって感じでもなさそうだし。アンタも捕まって輸送されてる最中って感じ?」
いかにもかったるそうな口調だが、早口の英語ではサッパリ分からない。
向こうも上条の表情から考えている考えを察したのか、
「んー? そうかそうか、悪い悪い。どうやら日本人みたいだし、そっちの言葉に合わせた方が良いのかな?」
「わっ、分かるのか。俺《おれ》が日本人だって……」
「初対面の人間を見て、とりあえず気持ち悪い薄《うす》ら笑いを浮かべるアジア系は日本人だ」
……日本人の愛想《あいそ》笑《わら》いはそんな風に受け止められているのか、と上条はげんなりしたが、少女の方は気づいていないようだ。
「そんじゃ、もう一回質問するけど、アンタは『|騎士派《きしは》』じゃないんだよね?」
上条《かみじょう》は相手の真意が分からず、改めて少女の顔を見返した。
歳《とし》は一五歳ぐらいだろうか。色白の肌に金色の髪の女の子だ。後ろ手に回された両手と、両足の足首には、それぞれ拘束具がある。近代的な手錠《てじょう》ではなく、なんかギロチンに首を固定させるような、穴の空いた木の板みたいなものだ。
と、いつまで経《た》っても答えない上条に、金髪の少女は不快そうに眉《まゆ》をひそめ、
「……日本語で通じるんじゃないの? それともワタシの発音の方が間違っているのか」
「いっ、いや、通じてる、通じてるけど」
「あっそ。ワタシはフロリス。まあ、ちょっとした魔術《まじゅつ》結社の真似《まね》事《ごと》をしてたんだけど……その辺の話はどうでも良いか。とにかくアンタ手伝ってよ」
ウィリアム=オルウェルの左肩は五センチほど抉《えぐ》れていた。
その赤黒い傷からは、決して少なくない量の鮮血が溢《あふ》れる。腕力を失った左腕を無視して、傭兵《ようへい》は右手一本で巨大な剣を構えていた。
騎士団長《ナイトリーダー》との距離《きょり》は、およそ一〇メートル弱。
互いに一瞬で激突できる間隔《かんかく》だが、騎士団長《ナイトリーダー》は一歩すら動かない。
軽い素振りのように、赤黒い長剣が虚空《こくう》を裂く。
「ッ!!」
全く別角度の真横から、ウィリアムの首を飛ばすように斬撃《ざんげき》が襲《おそ》う。
身を屈《かが》めてこれを避《さ》けた所で、ウィリアムの周囲で複数の直線的な閃光《せんこう》が、チカッ!! と瞬《またた》く。
直後、
騎士団長《ナイトリーダー》がバトンを振るうように動かす長剣に従い、見えざる斬撃が全方位からウィリアムへ襲いかかった。下草が直線的に裂け、太い木の幹に爪痕《つめあと》のような傷が走り、夜空を舞う複数の葉が次々と切断されていく。
対し、ウィリアムは風の音でも聞き分けているのか。あるいは何らかの別の識別方法があるのか、それとも第六感的な未分類情報に全《すべ》てを預けているのか―――首を振り、後ろへ飛び、右腕を振るい、アスカロンの分厚い剣身で受け止め、弾《はじ》き返し、騎士団長《ナイトリーダー》が放つ凶刃《きょうじん》を、決定的な圏内から遠ざける。
ザザザギギギガガガガッ!! と火花の風《あらし》が炸裂《さくれつ》した。
音速を超える勢いで大剣を振るい、時には振り返らずに背中を守りながら、ウィリアムはわずかに遠い敵へ言葉を放つ。
「『射程|距離《きょり》』に細工を施《ほどこ》した程度で、安易に私を殺せるとは思っていないのであるな」
「……これも、早々に勘付《かんづ》かれたか。相変わらず、憎らしいほど必要な事以外は口に出さない男だ」
同じように高速で赤黒い長剣を振り回しながら、騎士団長《ナイトリーダー》は苦い顔になる。
彼が扱っているのは『パターン』だ。
北欧、ケルト、シャルルマーニュ、ゲルマン、それら戦士や騎士《きし》の物語には数多くの伝説の武器が登場するが、それらの武具には一定のパターンが存在する。
「数多《あまた》の騎士の道を究《きわ》め、統合していく事で一つ一つの弱点を補っていこうと考えた訳だが……どうも、複雑に複雑を重ねていくと、逆にシンプルな一撃《いちげき》へと簡略化が進んでいくようだな。太陽のような恒星の終焉《しゅうえん》にも近いか。肥大化し過ぎた星はやがて爆発し、ブラックホールを生み出す。……ただの重力の場という、理論は簡単だがあまりにも強大な力へとな」
あらゆる術式を重ね合わせた上で生まれた一撃。
故《ゆえ》に、魔術的《まじゅつてき》な妨害や解除も極めて難しいはずだ。紐解《ひもとく》くためには騎士団長《ナイトリーダー》の道のりを全《すべ》て辿《たど》る必要がある。
「とはいえ、今のは『完全な終焉としてのブラックホール』という訳ではない。恒星の終わりと言っても色々あるからな。星の質量が一定未満だと、中性子星や星間雲という別物になるらしい。私の一撃も、不完全故の『剣の個性』を得ているようだな」
騎士団長《ナイトリーダー》は繊細《せんさい》な指先で赤黒い長剣を力強く握り締《し》める。
「理論上、このレベルの一『剣の個性』は一種類に束ねきる事なく、いくつかの種類に区別される。分かりやすい所では、何でも切り裂く『切断威カ』、同じく絶大な破壊《はかい》力《りょく》を生み出す『武具重量』、絶対に破壊されない『耐久硬度』、何者にも追い着けない『移動速度』……レアな所では、特定の怪物を殺すのに必要な『専門用途』、ひとりでに動いて急所に向かう『的確精度』といった所だが……そんな中に、私が今操っている『パターン』も存在する」
「……つまりは、『射程距離』であるな」
北欧の|主神の槍《グングニル》、|雷神の槌《ミョルニル》、ケルトの|空飛ぶ剣《フラガラッハ》、|貫通の槍《ブリューナク》などに使われている法則を改めて分析し、組み合わせ、凝縮《ぎょうしゅく》していったのだろう。彼なりの進化の形は、まるであまりにも膨張《ぼうちょう》しすぎた恒星の終わり方としてブラックホールを生み出すように、全く新しい術式を構築している。
しかも、騎士団長《ナイトリーダー》が好んで術式に組み込んでいるヨーロッパの伝承以外でも、世界中に似たような伝説が……ブラックホールを生む『素材』があるはずだ。
「この『射程距離』を組み上げるために様々な文化や伝説、霊装《れいそう》、武具などを改めて分析し直した結果、分かった事がある。相手の攻撃の届かない所から、一方的に強力な攻撃を浴びせて勝利したい、という諸々《もろもろ》の人間の願望だ。……つまらん銃社会を肯定するようで気に食わんが、それなりに有効なのは認めざるを得ない」
(そして、それを具体的に実現する材料は……)
「ふっ!!」
真横からこめかみに迫る『長射程』の一撃《いちげき》を、ウィリアムはアスカロンで弾《はじ》き返す。剣の前面へ糸鋸《いとのこ》のように張られた細いワイヤーに当たって火花を散らし、手近な木の幹に突き刺さったのは、わずか数ミリの、赤黒い錆《さび》のような刃だ。
「剣の欠片《かけら》だよ」
騎士団長《ナイトリーダー》は本来隠し通すべきトリックを、あっさりと開示する。
彼は相変わらず。赤黒い長剣を振り回しながら、
「優《すぐ》れた武具や霊装《れいそう》の中には欠片となってもその力を誇示するものもある。シャルルマーニュの王が使っていた剣には聖槍《せいそう》の破片が組み込まれていた事だしな」
「これからフランスと戦おうとしている者が、その国の王の伝承を利用するのであるか?」
「珍《めずら》しく無駄《むだ》口《ぐち》だな」
ニヤリと笑う騎士団長《ナイトリーダー》。
轟《ごう》!! と。剣の動きに導かれ、錆の刃が数十ヶ所からウィリアムを狙《ねら》う。
「私は使える物なら何でも使う。大体、それを言うならカーテナにしても、その語源はフランス語にあるだろう。そういえば、あれも切っ先が折れた事による『短い剣』という意味だったか」
と、そこで騎士団長《ナイトリーダー》はふと手を止めた。
訝《いぶか》しんだのはウィリアムの方だ。
「そんな顔をするな」
騎士団長《ナイトリーダー》は改めてフルンティングを構え直し、それから言う。
「くだらん銃社会を肯定するのは気に食わんと言ったはずだ。誇り高き騎士《きし》は、相手に全力を出させた上で撃破する事を信条とする」
「……その誇りを自慢《じまん》するために、力を持たぬ使用人|達《たち》にまで剣を向ける気であるか」
ウィリアム=オルウェルはわずかに舌打ちした。
右手一本で構える大剣アスカロンが、赤い閃光《せんこう》を。放つ。
違う。その光は一色ではない。刃の角度に合わせてCDの表面のように輝《かがや》きを変える。
厳密には、それも正しくない。
全長三・五メートルのアスカロンの刃は一つではない。厚さや角度を変えて、斧《おの》のような部位も剃刀《かみそり》のような部位も鋸《のこぎり》のような部位も存在する。中には缶切りのようなスパイクや、剣身に寄り添う糸鋸のようなワイヤーまでも備えているほどだ。
アスカロンの輝きは、それらの機能に由来する。
数多くの攻撃手段を持つアスカロンの内、『どこをどのように』扱うかで変色するのだ。斧のような刃なら赤、剃刀《かみそり》のような刃なら青、缶切り状のスパイクなら緑、糸鋸《いとのこ》的なワイヤーなら黄……といったように、霊装《れいそう》の一部分へ集中的に魔力《まりょく》を供給し、その時々で最大限の破壊《はかい》力《りょく》を生み出すようリアルタイムで調整が行われた結果、各々《おのおの》の刃のルートに分かれて光の色が決められていくのである。
「可能なら、使わずに済ませられたらと思ったのであるがな」
「らしくないな。悪竜が示すものに遠慮《えんりょ》でもしているのか」
騎士団長《ナイトリーダー》は笑って、フルンティングの柄《つか》を強く握る。
十字教の価値観の中で、悪竜が象徴するものは一つではない。
例えば。
異教、異民族からの侵攻勢力。
そして[#「そして」に傍点]。悪に染まった堕天使[#「悪に染まった堕天使」に傍点]。
貨物列車の中で、上条当麻《かみじょうとうま》は両手足を拘束された少女と向き合っていた。
彼女の名前はフロリスと言うらしい。
……今回の事件の全貌《ぜんぼう》を知る者なら、とっさに『新たなる光』という組織名を思い浮かべたかもしれない。が、上条はあくまでも飛び入り参加の素人《しろうと》だ。『|必要悪の教会《ネセサリウス》』の情報を完全に共有している訳ではない。目の前で大怪我を《おおけが》負ったレッサー以外、メンバーの顔や名前を大して知らないのだ。
「ほら。ボケっと突っ立ってないで、さっさと手伝えってば」
「手伝うって……何をだよ」
「見りゃ分かんでしょ。これよこれ、外すの手伝って」
えいっ、と声を上げて差し出されたのは、両足首を戒《いまし》める木製の枷《かせ》だ。
それを見た上条が、何か嫌《いや》そうな顔になる。
「……こんなゴツいの嵌《は》められるなんて、お前一体何をやったんだ?」
「いやぁ、悪い事なんて何もしてないと思うんだけどねー[#「悪い事なんて何もしてないと思うんだけどねー」に傍点]」
ははは、と笑うフロリス。
それから彼女は、ボソッと早口の英語でこう追加した。
「(……『|騎士派《きしは》』のヤツらに『|必要悪の教会《ネセサリウス》』の聖堂から助け出された時は少し感心したけど、そのまま拘束されて貨物列車に詰め込まれるとは。やっぱ最初から口封じするつもりだったみたいね。ったく、『騎士派』のクソ公僕なんぞ信用するからこんな事になるんだ、ベイロープの馬鹿《ばか》野郎め。……ワタシはレッサーみたいにミッション一つのために潔《いさぎよ》く人生終わらせるつもりもないしなぁ)」
「は?」
「何でもにゃーい。っつか、そっちも似たような境遇じゃないの? 『|騎士派《きしは》』の不興を買って連行中とか」
「俺《おれ》はフォークストーンに行くために、この列車に潜《もぐ》り込んだんだよ」
こっちもこっちで意味深な台詞《せりふ》なのだが、フロリスは取り合わない。
とりあえず、『騎士派』側の人間でない事さえ分かれば問題ない。
「とにかく、ほれ。こいつを外すの手伝えって。ワタシは霊装《れいそう》の効果のおかげで、二メートル四方から外に出られない。だから……その……そっち。そっちの壁に掛けてある鍵《かぎ》を掴《つか》む事もできないんだ」
「あん? こんなんで良いのか?」
上条《かみじょう》は壁に掛けてある鍵の束に手を伸ばそうとして、その動きがピタリと止まった。
フロリスが怪訝《けげん》な顔をする。
「どしたの?」
「いや、俺の右手は|幻想殺し《イマジンブレイカー》と言いましてね。手っ取り早く言っちゃうと、この鍵が魔術《まじゅつ》の一品だったら触った途端《とたん》に砕け散っちゃう訳で、そうなるとお前の枷《かせ》を外す方法がなくなるという訳なんだ」
自分で説明しながら、上条はふと顔を上げた。
「あれ? でも、そうすると鍵がどうとか面倒な事しなくて良いじゃん。俺の右手で魔術の拘束具を直接|壊《こわ》しちまえば良いんだから―――」
「は? え、ちょ、待て待て待て!! 何をするつもりか知らないけど……ッ!?」
フロリスがごちゃごちゃ言っている側《そば》から、上条はその足首にある拘束具を右手で掴んだ。
バキン、という音と共に枷が粉々になる。
「ほらな。最初からこうしてりゃ良かったんだ」
「あ、あ……」
さらに後ろに回った上条は、フロリスの両手を戒《いまし》めていた拘束具も破壊《はかい》する。
「これでよし、と。はっはー、死ぬまで感謝したまえフロリス君―――」
「ちょっ、ぐわーっ!? そんな雑な方法で枷を壊したら、アンタ……ッ」
びー、と。
当然のように貨物車両に警報が鳴った。
車両の前と後ろの両方からざわざわという気配が。さらに続いて物理的な鎧《よろい》っぽい足音がガチャガチャと響《ひび》いてくる。
フロリスが死ぬほど血走った眼で上条を睨《にら》みつけた。
「どっ、どうすんの!? 試合開始一〇分でどん詰まりですけど!!」
「い、いや、諦《あきら》めるのはまだ早いぞ!!」
上条《かみじょう》は適当に言いながら鉄の扉へ向かった。
貨物車両なので、前後の扉の他《ほか》にも、車両側面の壁は荷物|搬入《はんにゅう》用の巨大なスライドドアになっている。上条は金具を外し、両手を使ってスライドドアをわずかに開ける。
突風が車両の中に吹き荒れた。
「どこだこの辺は?」
「そろそろフォークストーンに着くんじゃない?」
フロリスの言葉を聞きながら、上条は改めてドアの外へ目をやり、列車の進行方向を見る。
広がっているのは緑色の平原だ。ただし高速で流れ去る地面を見る限り、迂闊《うかつ》に飛び下りればどうなるかは一目瞭然《いちもくりょうぜん》である。
だから上条は言った。
「飛ぶしかないな」
「バッカじゃないの自殺なら一人でやれ!!」
「そうじゃない。もうすぐ川に差し掛かる! 脱出するならあそこしかない!!」
「えー、無理だって。水をクッションに高所からダイブで奇跡の生還って。そんなハリウッド的お約束は現実じゃ通用しな―――」
「行くぞ。手を繁《つな》いでいれば怖くないっ!!」
「え、え、ちょ、ホントに死ぬっつってんだろォォおおおおおおおおおおおおお!!」
貨物列車が古い石橋を通過する。
上条はいつまで経《た》ってもグダグダ言っているフロリスの腕を掴《つか》んで、開いたスライドドアから跳んだ。
水面まではおよそ一〇メートル前後。
落下への恐怖からか、上条の胴にしがみつくフロリスはこめかみに血管を浮かべて叫ぶ。
「終わったーっ!!」
「いや大丈夫《だいじょうぶ》、水面をクッションにすれば……ッ!!」
「その川は水深一メートルねーんだよォォおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
「……………………………………………………………………………………………ッ!!」
上条の目が点になる。
ぐりっと首を回して頭上を見れば、石橋通過中の貨物列車上にいる騎士《きし》達《たち》の数人が長弓を手にしていたが、その肩の力の抜けっぷりは、どこか呆気《あっけ》に取られているように見えた。そう、なんというか、『一応職務なんで追い撃《う》ちはしますけど、でもこれ絶対に税金の無駄《むだ》遣《づか》いだよなー』的な。
「だぁーもーちくしょう!!」
空中のフロリスが叫ぶと。突然彼女の両肩が光を放った。
何か金属のパーツのような物が取り付けられていて、そこから質量保存の法則を無視して、傘の骨のような細い金属棒が左右数本ずつニョキニョキと飛び出す。
「捕まってろ!! ワタシの翼《つばさ》で何とか速度を相殺《そうさい》してみる!!」
ボシュッ!! という音と共に、傘の骨と骨を繁《つな》ぐように、光の膜が噴き出した。まるでコウモリのように展開するそれを見て、上条《かみじょう》の頬《ほお》がわずかに引き攣《つ》る。彼はこう思っていた。
えーっと。俺《おれ》の右手の説明聞いてた?
魔術《まじゅつ》を使って速度を落とすって、なんかものすごーく不幸な予感がするなー、と。
様々な色彩の閃光《せんこう》を発するアスカロンと。
赤黒い血のような錆《さび》のような一色に染まる騎士団長《ナイトリーダー》の長剣。
剣と剣の距離《きょり》は一〇メートル弱。
「行くぞ」
ウィリアム=オルウェルは静かに告げた。
「来い」
騎士団長《ナイトリーダー》は静かに応じた。
轟《ごう》!! と。
四方八方から、騎士団長《ナイトリーダー》の長距離《ちょうきょり》斬撃《ざんげき》がウィリアムを襲《おそ》う。
様々な文化圏の騎士《きし》の神話に登場する術式や霊装《れいそう》を分析し、組み合わせ、凝縮《ぎょうしゅく》していった結果、膨張《ぼうちょう》しすぎた恒星がブラックホールを生むように構築された、進化系としての『射程距難』の一撃。それは『ありえない距離から一方的に敵を攻撃する』という各種攻撃を徹底的《てっていてき》に突き詰めた上で、錆《さび》のように細かい剣の破片を組み合わせて放たれる、騎士団長《ナイトリーダー》の包囲斬撃だ。
対し、ウィリアムは右手一本で、全長三・五メートルの大剣を振り上げ、手首を返して剣の背の部分を前面に出す。
その剣身が紅蓮《ぐれん》に輝《かがや》く。
示すは斧《おの》。
一直線に真下へ放たれた傭兵《ようへい》の一撃は、全万位から襲いかかる攻撃を打ち返すためのものではない。
狙《ねら》うは地面。
ドッ!! と大地そのものが震動《しんどう》した。
ウィリアムを中心に、半径二〇メートルほどが深く深く沈む。騎士団長《ナイトリーダー》の足場をも巻き込み、一瞬《いっしゅん》で三メートルほど沈下した傭兵の頭上を、無数の斬撃が空を裂く。
「なっ」
必殺の攻撃を外されたからか、足場が不安定になったからか、騎士団長《ナイトリーダー》の動きがわずかに鈍る。
時間にして、およそ一瞬ほど。
しかしウィリアム=オルウェルは真下へ刃を振り下ろす事で、身を屈《かが》めた体勢を最大限に利用して縮めた筋肉を爆発的に伸ばし、一気に騎士団長《ナイトリーダー》の懐《ふところ》へ飛び込んでいく。
ゴバッ!! という爆発的な足音は遅れて響《ひび》いた。
ただでさえ滑《すべ》る地盤が、徹底的に破壊《はかい》されていく。
アスカロンの輝きは赤から青へ。両刃の剣をもう一度手首で返し、今度は剃刀《かみそり》のように薄《うす》く鋭い部位を正面に構え直すウィリアムが、真っ向から騎士団長《ナイトリーダー》の胴を両断するべく真横に薙《な》がれる。
『射程距離』の長い短いなど問題ないと。
その程度の小細工で勝敗が揺らぐ事などありえないと、言外に語るが如《ごと》く。
ただし、
「扱える『パターン』とは『射程距離』だけだと言った覚えはないぞ、傭兵《ようへい》崩れ」
音が消えた。
ただウィリアムの目の前から、騎士団長《ナイトリーダー》が消えた。
傭兵の動体視力をもってしても、敵の動きを追えなかった。
「移動速度」
真後ろからの声。
迫る風圧に、ウィリアムは振り返らずに大剣だけを脇《わき》から背後へ突き出す。
ゴッキィン!! と鋼《はがね》と鋼のぶつかる音が響《ひび》く。
無理な体勢から攻撃《こうげき》を放ったせいか、ウィリアムの手首に鈍い痛みが返る。
それを無視して、傭兵は体ごと旋回した。
刃の色は青から緑へ。手首を返してアスカロンの刃の背を前面に。剣の中ほどに備え付けられた缶切りのようなスパイクが、自分の背中を取った騎士団長《ナイトリーダー》へと襲《おそ》いかかる。
「武具重量」
そこへ、予想外の衝撃《しょうげき》が返る。
不安定な状態で受けた前の一撃より、なお強力な反動が襲う。まるでスコップで岩を思い切り殴《なぐ》りつけたように、ウィリアムの体が逆に仰《の》け反りそうになる。
ジリジリと、黒土の上を傭兵の足が滑《すべ》る。
わずか三センチの予備動作。
その間に、騎士団長《ナイトリーダー》は赤黒い長剣を頭上に振り上げている。
「切断威力」
「ッ!?」
その不気味な響きに、ウィリアムは受け止める事を切り上げた。
とっさに距離を取るように後ろへ跳ぶ傭兵。
数ミリの所で回避《かいひ》した騎士団長《ナイトリーダー》の刃が、黒土にカツッと接触する。
ゴバッ!! と大地が割れた。
裂け目に呑《の》まれぬよう、さらにウィリアムは慌《あわ》てて横へ跳ぶ。
そこへ、
「射程距離」
ドバッ!! という嫌《いや》な音が炸裂《さくれつ》した。
ウィリアム=オルウェルの脇腹が、浅く切られている。
騎士団長《ナイトリーダー》の起こした現象は、彼の大言を証明していた。
操れるのは、『射程距離』だけではない。
何でも切り裂く『切断威力』、絶大な破壊《はかい》力《りょく》を生み出す『武具重量』、何者にも追い着けない『移動速度』……そして、まだ見てはいないが、おそらくは―――絶対に破壊されない『耐久硬度』、特定の怪物を殺すのに必要な『専門用途』、ひとりでに動いて急所へ向かう『的確精度』なども。
北欧、ケルト、シャルルマーニュ、ゲルマン、その他ありとあらゆる戦士や騎士《きし》の文化に登場する、伝説の霊装《れいそう》や儀式を凝縮《ぎょうしゅく》に凝縮を重ねた結果、逆に簡略化するほどに突き詰めてしまった攻撃《こうげき》の『パターン』……それを手中に収め、攻撃手段として自由自在に行使する。
「死ぬぞ」
赤黒い『武器』を手にした男は、ウィリアムから溢《あふ》れる血を見て、静かに告げる。
もはや、騎士団長《ナイトリーダー》の得物《えもの》はフルンティングではない。
剣ですらない。
「底は見えた。今の貴様に、私の刃を超える事はできん」
ただ、武器。
人間も魔物《まもの》も問わず、敵となる者|全《すべ》てを絶滅させる……作り出してはいけなかった道具。
その一撃は、圧倒的に鋭く、圧倒的に重く、圧倒的に速く、圧倒的に硬く、圧倒的に長く、刃の通らぬ性質の怪物であっても両断する専用性を秘め、なおかつ、それほどの大破壊を最も効率の良い弱点へ的確に導くもの。
先ほど、騎士団長《ナイトリーダー》は自身の攻撃を恒星の爆発に譬《たと》えていた。
今までのものが質量不足の恒星が中性子星や星間雲へと変じるのに対し、今度の攻撃はあまりにも肥大化し過ぎた恒星が最後に生み出す『究極のブラックホール』とでも言うべきか。
避《さ》けようとも『射程|距離《きょり》』や『移動速度』が許さず、受けようとも『切断威力』や『武具重量』が許さず、砕こうとも『耐久硬度』が許さない。
騎士団長《ナイトリーダー》が全力を出せば、次の一撃で決まる。
ウィリアム=オルウェルの両断は決定的だ。
今までそれをしなかった理由は何か。
それは感傷か。
「剣を捨て、英国より立ち去るか」
騎士団長《ナイトリーダー》は、両手で掴《つか》んだ『武器』をゆっくりと動かした。
「剣と共に、英国の土の一部となるか」
その長大な剣の切っ先を、遠く離《はな》れたウィリアムへと突きつける。
「選ばせてやる。どちらが望みだ」
結果は見えていた。
ウィリアム=オルウェルは無傷ではない。左肩を抉《えぐ》られた事によって、片手の感覚は消えている。脇腹《わきばら》を切られた事で、さらに出血は増している。そしてそれ以前に、学園都市での戦闘《せんとう》に敗北した事で、木来のポテンシャルを発揮する事すらできない。
騎士団長《ナイトリーダー》の放つ最大級の一撃《いちげき》が喧伝《けんでん》通りならば。
現状の傭兵《ようへい》がどうあがいた所で、絶対に勝ち目はない。
ならば、ここで何をすべきかは明白だ。
「……選ぶ前に、尋ねておくのである」
ウィリアムはアスカロンを手にしたまま、そう言った。
眉《まゆ》をひそめる騎士団長《ナイトリーダー》に、傭兵は続ける。
「貴様は本当に、第二王女を擁護《ようご》して第三王女を斬《き》れば、この国が救われるとでも思っているのであるか」
この傭兵は本来、多くを語らぬ人格だ。
ならば、その言葉には放たねばならぬ理由がある。
「第一王女の『頭脳』、第二王女の『軍事』、第三王女の『人徳』。……貴様が選び、そして切り捨てたものが本当に正しいものだったと、断言する事はできるのであるか」
「……最良とは言い難《がた》い」
騎士団長《ナイトリーダー》はポツリと言った。
それでいて、彼の眼光が揺らぐ事はなかった。
「しかし、すでに歴史は動いてしまった。時が元には戻らぬ以上、いずれかの陣営につくしかあるまい。この国にとって、最も高い利益を生み出す陣営に、だ」
そうか、とウィリアムは唇《くちびる》を動かした。
彼は動く。
改めて、血まみれの左手を、右手一本で掴《つか》んでいたアスカロンの柄《つか》へ添える。滑《すべ》り止め用に巻かれた白い布が。あっという間に赤く染まっていく。
「答えは決まったか」
騎士団長《ナイトリーダー》は、不動のままに質問した。
「敗走か、死か」
「いいや」
ウィリアム=オルウェルはその選択そのものを否定した。
その上で、彼はこう言った。
「選択は次の二つ。―――貴様を斬《き》るか、斬らぬかの問題である」
「……、なるほど。答えは決まったようだな」
息を吐《は》く騎士団長《ナイトリーダー》。
直接口には出さないが、おそらくウィリアムの目的は第三王女の救出。
傭兵の撤退《てったい》は、イギリス全土で侵攻中の制圧作戦の完全成功と、第三王女の処刑を決定づけるようなものだ。最後の砦《とりで》となっている以上、逃げるとは考えにくい。
「どうあっても、退《ひ》かぬか」
「語る事に、意味などない」
騎士団長《ナイトリーダー》の言葉に、ウイリアムは即答した。
その返答に、騎士《きし》の長《おさ》は舌打ちをする。
「率直に言って、確かに第三王女ヴィリアン様を処断するのはしのびない。第二王女キャーリサ様のやり方に辟易《へきえき》する事もある」
「……、」
「だが、すでにキャーリサ様は『変革』という形で動いてしまった。あの方が口先の言葉程度で止まるような人物ではないのは、この国の騎士なら誰《だれ》でも知っている事だ」
すでに戦いは終わった。
必殺の一撃《いちげき》を携《たず》えた騎士団長《ナイトリーダー》は、傭兵《ようへい》に向けて最後の言葉をかける。
「歴史が大きく動き出してしまった以上、もはや半端《はんぱ》な真似《まね》は許されん。この『変革』を内戦という形で長期化させれば、イギリス全体の国力は低下し、その隙《すき》を突いて外敵は容易に我が国を攻め落とすはずだ」
それは、敗者への慈悲《じひ》を問われる騎士の流儀《りゅうぎ》に則《のっと》ったものか。
騎士の長が剣を取って戦う理由は、最初から最後まで、そこにあった。
「この国を救うためには、一刻も早く矛《ほこ》を収め、新体制を構築するしかない。そして問題なのは誰がトップに立つか、という事だ。女王陛下を頂点に戻しても、現状の窮状《きゅうじょう》からは抜けられん。となると、それ以外の……『頭脳』の第一王女、『軍事』の第二王女、『人徳』の第三王女の誰を玉座に君臨させれば迫る危機を打開できるか。考えるまでもないだろう」
「くだらんな」
ウイリアム=オルウェルは一言で切り捨てた。
「そうやって、いらぬ台詞《せりふ》を重ねれば、正義という言葉で己の蛮行《ばんこう》の溝を埋められるとでも思ったのであるか」
「かくいう貴様は、この期《ご》に及んでまだ語らぬか」
「わざわざ口に出して言う事であるか」
傭兵は傷だらけの体を無視して、それだけ告げた。
騎士の長はその後に続くであろう言葉を推測し、唇《くちびる》を動かす。
「国家が『人徳』を失い『軍事』に奔走《ほんそう》すればどうなるか、とでも言いたいのか。だが、その質問に対して、絶対的に正しい優先順位など存在しない。ただ、私|達《たち》はどのカードを選ぶか決めていくだけだ」
数多くの攻撃手段を有し、生意気にもその側面に騎士の紋章すら備えた大剣を構えるウィリアム。
「そうか。だが我が理由はすでに示されているのである」
「なに?」
「ふん。それこそ、語る必要もない事である」
勝算など不要。
己の血に染まる大剣の柄《つか》を握る手にさらなる力を加え、傭兵《ようへい》は騎士《きし》の長《おさ》を正面から睨《にら》む。
(そういう男だったな)
騎士団長《ナイトリーダー》はわずかに目を細めると、突きつけた切っ先を真上へ向け直し、振り上げる体勢で構えを取る。
切断威力、武具重量、移動速度、耐久硬度、射程|距離《きょり》、専門用途、的確精度―――それら全《すべ》てを内包する究極の一撃《いちげき》。
「ならば」
騎士団長《ナイトリーダー》に迷いはなかった。
旧知の敵に対し、彼は最後に一言だけこう告げた。
「退《ひ》かぬのなら、ここで死ね」
二人は同時に動く。
ドッ!! という衝撃波《しょうげきは》じみた爆音が闇夜《やみよ》に炸裂《さくれつ》した。
ウィリアム=オルウェルは駆ける。
ただ前へ。
己の持つ全ての力を使って、一刻も早く敵の懐《ふところ》へ飛び込むために。
対し、騎士団長《ナイトリーダー》の一歩は移動のためではない。
体重を移動し、全力をもって両手で構えた剣を振り下ろすためのものだ。
彼に、敵の元まで走る必要はない。
ただその剣を振り下ろせば、莫大な『射程距離』を誇る一撃が放たれる。その圧倒的な『移動速度』は回避《かいひ》を許さず、その圧倒的な『切断威力』と『武具重量』は防御を許さず、その圧倒的な『耐久硬度』は騎士団長《ナイトリーダー》の刃を折る事を許さない。
これぞ必殺。
果たして、騎士団長《ナイトリーダー》は傭兵が自分の懐へ飛び込む一瞬《いっしゅん》前《まえ》に、容赦《ようしゃ》なくその長剣を振り下ろした。
シュパッ!! という空気の切断音が響《ひぴ》く。
そして直後に、剣にしては長大すぎる斬撃《ざんげき》が、真上からウィリアムへ襲《おそ》いかかる。とっさに反応した傭兵が、そのアスカロンを頭上に構え直すが、
ゴッキィィィン!! と。
二つの斬撃《ざんげき》が激突し、弾《はじ》かれる。
必殺であるはずの騎士団長《ナイトリーダー》の攻撃までもが、相殺《そうさい》される。
「ッ!?」
(……口で言うほどの事はない)
ウィリアムは駆けながら、思う。
(鋭く、重く、速く、硬く、長射程の必殺。……本当にそんなものが放てるのなら、左肩を抉《えぐ》られる程度で終わる訳がないのである!!)
そう。
確かに、騎士団長《ナイトリーダー》は『切断威力』も『武具重量』も『移動速度』も『耐久硬度』も『射程|距離《きょり》』も『専門用途』も『的確精度』も、その全《すべ》てを自由自在に操り、攻撃手段として行使する事ができるだろう。
ただし。
それらが同時に振るわれる瞬間を[#「それらが同時に振るわれる瞬間を」に傍点]、ウィリアムは見た事がない[#「ウィリアムは見た事がない」に傍点]。
つまり、一度に使える『パターン』は一つだけ。『切断威力』を優先すれば『射程距離』が損なわれ、『射程距離』を優先すれば『武具重量』が損なわれる。騎士団長《ナイトリーダー》の一つ一つの攻撃は各方面へ極限まで突き誌められているため、逆に併用させる事ができないのだ。
今まで全てを備える『必殺』が来なかったのは、何らかの理由によって躊躇《ちゅうちょ》されていた訳ではない。本物の戦場において、戦力を出し惜しみする理由などある訳がない。
単純に、そんな都合の良い必殺技など存在しなかったのだ。
ならば、そこに勝機がある。
『射程距離』だけを優先した一撃《いちげき》なら、傭兵《ようへい》の手で受け止める事は可能!!
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
そして、ウィリアムは騎士団長《ナイトリーダー》を射程圏に捉《とら》えた。
全長三・五メートルの大剣を、横薙《よこな》ぎに振るう。
「ッ!! 『移動速度』!!」
「甘い」
騎士団長《ナイトリーダー》の腕が高速で動き、かろうじて傭兵の一撃を受ける。
しかしそこには重さも硬さもない。
全力の一撃に対し、騎士団長《ナイトリーダー》の体がわずかに仰《の》け反りそうになる。
一秒にも満たないロス。
その間に、ウィリアムは手首で刃を返すと、背側の根元にあるスパイクへ意識を集中する。さらにアスカロンを振るう。
閃光《せんこう》の色は白へ。
ウィリアムや騎士団長《ナイトリーダー》の扱うような大剣は、超至近|距離《きょり》においては逆に威力が減る。その打開策として用意されているのが、剣の根元近くに取り付けられた鋭いスパイクだ。
一点に集約したウィリアムの魔力《まりょく》が、その貫通力をさらに増す。
これを止められなければ、倒れるのは騎士団長《ナイトリーダー》だ。
「『耐久硬度』だ!!」
「遅い」
ウィリアム=オルウェルが告げた直後。
接近戦用に取り付けられた―――おそらく本来はテコの原理でも使って悪竜の太い神経を肉の中から抉《えぐ》り出すためにでも使うのだろう―――根元近くにあるスパイクが、騎士団長《ナイトリーダー》の防御をすり抜けるように、その右胸に容赦《ようしゃ》なく突き立てられた。
全《すべ》ては。
軍事的クーデターに翻弄《ほんろう》され、咎《とが》なく処刑されようとしていた第三王女を救うため。
ドッパァァァン!! という爆音が炸裂《さくれつ》する。
今さら驚《おどろ》いて飛び立つような鳥はいない。
周囲の森の木々は半分以上が吹き飛ばされ、鳥や獣《けもの》はとっくに逃げ去った後なのだから。
[#改ページ]
一方、上条《かみじょう》当麻《とうま》とは別の列車に身を潜《ひそ》める者|達《たち》がいた。
アニェーゼ、ルチア、アンジェレネの三人である。
彼女達が乗っているのは、一〇両編成のごく一般的な電車だった。エジンバラ発ロンドン行き。イギリスの北から南へ縦一直線に進む路線である。
ただし、やはりクーデターによって他《ほか》の全ての列車が停《と》められているせいか、車両は普通ではありえない速度でビュンビュン進んでいくし、本来なら途中で停車するべき駅を次々と通過していく。
アニェーゼ=サンクティスの頬《ほお》に、冷たい風が吹きつける。
彼女達が佇《たたず》んでいるのは、車両の中でも、屋根でもない。壁だ。ルチアは木製の巨大な車輪を爆破させ、その破片で攻撃《こうげき》する事を得意としているが、今は鋭い破片をアルミ製の壁に突き刺し、それを足場や手すりとして利用しているのだ。
フリークライミングの練習場みたいな状態で、アニェーゼは身をよじって窓の中を覗《のぞ》き込む。普段《ふだん》は大勢の学生や会社員が乗り合わせているであろう車内には、白々しい蛍光灯の光しかなかった。ただし、『|騎士派《きしは》』の連中が持ち込んだのか、剣や鎧《よろい》を調整するための工具や機材が転がっていたし、通信用の霊装《れいそう》のような物もある。
それらを観察しながら、アニェーゼはほとんど口を動かさずに言った。
「(……やはり、前方の車両で捕らえたシスター|達《たち》を集中管理しちまっているようですね。『|騎士派《きしは》』の増員は後部でまとまってやがるみたいです)」
アニェーゼの言葉に、ルチアやアンジェレネも頷《うなず》く。
「(……ここはちょうど、両者の中間地点という訳ですか)」
「(……だ、だとすると、車両の連結を外してしまえば、『騎士派』と真っ向から戦わなくても仲間の皆さんを解放できそうですね)」
元アニェーゼ部隊のシスター達の多くは、エジンバラで拘束されているはずだ。それが。その場で斬首《ざんしゅ》されなかったのは、形式上だけでも宗教裁判を通して『理不尽《りふじん》な殺戮《さつりく》ではなく、法に基づいた正義の行い』であるとするためか、第二王女キャーリサの女王|戴冠《たいかん》の祭典の中で、盛天に旧敵対者達を処断するつもりか。
いずれにしても、ロンドンへの輸送が完了すれば、ろくでもない未来が待っているだろう。
だとすれば、アニェーゼ達がやるべき事は明快だ。
「(……始めましょう。シスター・ルチア、アンジェレネはそれぞれ飛び道具を使って、車両の外から窓を通して見張りの騎士達へ攻撃《こうげき》を)」
敢《あ》えて窓の外から騎士達を狙《ねら》う事で、『襲撃者《しゅうげきしゃ》は列車の外から狙撃《そげき》している』と錯覚《さっかく》させる事ができる。いずれ狙撃者の位置を逆探知されるかもしれないが、それより前に短期決着させてしまえば問題はないはずだ。
「(…私は『|蓮の杖《ロータスワンド》』で車両連結部を破壊《はかい》したのち、攪乱《かくらん》されている騎士達へ直接攻撃を仕掛けます。二人は私の援護を)」
「(……きっ、気をつけてくださいね。先制攻撃の奇襲作戦ならともかく、正面切って戦った場合、私達三人が束になっても騎士一人を倒せるかどうかは分からないんですから)」
アンジェレネの心配そうな顔に、アニェーゼは思わずその頭を軽く叩《たた》こうとしたが、壁から付き立った木片を掴《つか》んでいるだけの体勢がグラリとよろめき慌《あわ》てて杭《くい》を掴み直す。
三人は頷き合うと、行動を開始する。
ルチアとアンジェレネの二人は、木片から木片へと足場を変えて、列車の屋根に向かう。それを見送る事なく、アニェーゼの方は壁を伝って車両後部へ進む。目指すは車両と車両を繋《つな》げる連結部だ。
「|万物照応《Tutto il paragone》。|五大の素の第五《Il quinto dei cinque elementi》。|平和と秩序の象徴『司教杖』を展開《Ordina la canna che mostra pace ed ordine》」
彼女の武器である『|蓮の杖《ロータスワンド》』は、ロープで結んで肩にかけている。
小さな唇《くちびる》から言葉が紡《つむ》がれると、杖《つえ》の先端《せんたん》にあるうずくまった天使像の翼《つばさ》が花のように開いていく。
「偶|像の《Prima》一。|神の子と十字架の法則に従い《Segua la di Dio ed una croce》、|異なる物と異なる者を接続せよ《Due cose diverse sono connesse》」
アニェーゼは連結部の間近まで接近すると、片手だけで壁に刺さった木片を掴《つか》み直し、もう片方の手で『|蓮の杖《ロータスワンド》』を握る。
彼女の杖《つえ》は距離《きょり》を無視して、空間そのものを直接|叩《たた》く。術式の威力は杖を振る力……つまり、アニェーゼの腕力にかかってくる訳だが、
(流石《さすが》に、鋼鉄の連結部を生身の腕で引き千切《ちぎ》れるとは思えませんが)
彼女は足元を高速で流れる砂利《じゃり》に目をやる。
(地面に杖を押し付け、総体的には列車の勢いそのものを利用して、その力を連結部に当てちまえば、破壊《はかい》する事も可能でしょう)
わずかに身をひねり、連結部の位置座標を確認すると、杖の下端《かたん》をゆっくりと砂利の方へと下ろしていく。
その時だった。
突然、車両と車両を繋《つな》ぐドアが開くと、そこから銀色の鎧《よろい》をまとった男が入ってきたのだ。
連結部に近づくため、ほとんど自動ドアに張り付くようになっていたアニェーゼは慌《あわ》てて身を隠そうとしたが、もう遅い。
が。
車両の座席に置かれた通信用の霊装《れいそう》が、小さな音を発した。騎士《きし》がちょっと首を向ければアニェーゼに気づく位置だが、彼は慌てて通信用の霊装の方へ走った。
彼は通信の内容を耳にしながら、
「例の幻想殺しがフォークストーン行きの貨物列車に潜《もぐ》り込んでいただと。おのれ、キャーリサ様に一矢|報《むく》いるつもりだったか……?」
「(……ナイスです少年! 愛しています!!)」
アニェーゼは屋根で待機していたルチアやアンジェレネに身振りで指示を出すと、『|蓮の杖《ロータスワンド》』の矛先《ほこさき》を変えた。
ドバッ!! という轟音《ごうおん》が炸裂《さくれつ》する。
列車の自動ドアが外側から薙《な》ぎ倒されると同時、騎士の頭上の天井《てんじょう》が一気に崩れた。騎士は慌てて腰の剣を抜こうとしたが、そこへ三人の集中|攻撃《こうげき》が炸裂する。
三方向からの奇襲《きしゅう》に対し、騎士はそれでもルチアとアンジェレネの二人の攻撃を正確に受け止めていた。
カーテナ=オリジナルと『全英大陸』の力を借りた、『騎士派』に、真っ向から攻撃を加えても勝てるとは思えない。
だからこそ、アニェーゼは騎士本人ではなく、その足元の列車の床に攻撃を加えた。
「……ッ!?」
とっさに騎士が全力で応じたのも後押ししたか。普通の人間ならまず踏《ふ》み抜く事はないであろう列車の床を、銀色の鎧の足は発泡スチロールの板のように突き破った。
もちろん、それだけで百戦|錬磨《れんま》の騎士《きし》が倒れる事はないのだが、
(まずい、このまま無理に力を加えれば、この車両そのものが分断される。そうなれば前方の車両に集中させている『清教派』の捕虜達《ほりょたち》をみすみす逃がす事に……ッ!!)
瞬時《しゅんじ》にそこまで考え、とっさに動きを止めた騎士は聡明と評価できるだろう。
そこへ。
ズドム!! と鈍い音が響《ひび》き渡り、空間を無視したアニェーゼの『|蓮の杖《ロータスワンド》』の打撃《だげき》が、容赦《ようしゃ》なく騎士の体へ襲《おそ》いかかった。分厚い鎧《よろい》を無視して、生身の体へ直接、だ。
当たった場所は人体の急所だった。
より厳密に言うと、騎士の股間《こかん》だった。
時代劇で武士と武士が居合《いあい》切りを放った直後のように、騎士は数秒静止していた。
やがて、彼は呟《つぶや》くようにこう言った。
「……そ、その攻撃は、騎士道精神に反する……」
一撃で倒れなかったのは、やはりカーテナや『全英大陸』のおかげなのか。
鼻から息を吐《は》いたアニェーゼ=サンクティスは、胸を張ってこう反論した。
「我々は修道女だっつーんですッッッ!!」
ズドムズドムドゴン!! と同じ場所から嫌《いや》な音が連続し、騎士の鎧がビクビクと震《ふる》えた。兜《かぶと》のせいで表情は読めないが、おそらく凄《すさ》まじい事になっているだろう。
「ふむ。やはり、距離《きょり》を無視できる私の攻撃が一番有効みてぇですね。分厚い鎧の中にある生身の肉体を直接|叩《たた》けますから」
身動きの取れない騎士の体を杖《つえ》でつつき、抵抗の有無を確かめながらアニェーゼが言う。
あわわわわ、と顔を赤くしたアンジェレネは、気を紛《まぎ》らわせるためか、通信用の霊装《れいそう》の方に向かい、『騎士派』の情報を傍受する。
「え、ええと……何だかあのツンツン頭が、『新たなる光』の女魔術師《おんなまじゅつし》と一緒《いっしょ》に貨物列車内から逃走しているみたいですよ?」
ルチアは思わずため息をつく。
「まったく、どんな状況なんですか。いや、あの少年なら逆にいつも通りかもしれませんが」
「そ、それから川へのダイブに失敗して派手に水面へ叩きつけられ、下流へ流れていった所で同じく逃亡中の第三王女ヴィリアンに偶然拾われたみたいです。今、『騎士派』の追っ手を相手取って三人一緒に猛ダッシュしているとか」
「どんな状況ですか!? ジャパニーズモモタローッ!?」
ルチアが思わず噛《か》みつくように言うと、アンジェレネはビクッと肩を震わせ、
「いっ、いえ、私に言われても……ッ!? し、シスター・アニェーゼの方からも何か言ってやってくださ―――ひぃい!!」
再びアニェーゼの方を見たアンジェレネが、思わず悲鳴を上げる。
視線の先では、撃破《げきは》した騎士《きし》から力づくで情報を引き出そうとしているらしきアニェーゼが、何やら怪しげな手つきで『|蓮の杖《ロータスワンド》』を動かしていて、
「あら。やっぱ叩《たた》かれるより撫《な》でられる方がお好みですか。あはは、体をビクビク震《ふる》わせて何が言いたいんです。あら、あらあら? こっちも反応する? 先ほどよりも敏感じゃないですか。ふっふふ、殿方のくせに穴をいじられる方が感じるだなんて、この変態。いっその事、直接この杖《つえ》を奥まで突っ込んで差し上げましょうか」
「うっ、うぎゃああああッ!! し、シスター・アニェーゼがイケないモード大全開に!?」
「……シスター・アンジェレネ。今さら驚《おどろ》くような事ですか。シスター・アニェーゼは『法の書』の件で、建設中のオルソラ教会でもあんな感じだったでしょう?」
「いっ、いえ、で、でも、シスター・アニェーゼは実は純情|可憐《かれん》な乙女ではなかったんですか!? その、少年に裸を見られただけで卒倒するレベルの!!」
「ええ。シスター・アニェーゼは他人のスカートをめくるのはご満悦でも、自分のスカートをめくられるのは死ぬほど嫌《いや》がる人なんですよ」
さっ、最悪じゃないですか!? とうろたえるアンジェレネに、ルチアは『……あなたも似たような事をやっているでしょう』と面倒|臭《くさ》そうに息を吐《は》く。
「そろそろ止めますか。愛も欲もない単なる情報収集手段の一つに過ぎませんが、この辺りで中断しないと騎士の男の方が勝手に堕落《だらく》しそうですし」
「あっ、あんなマックスにトリップしたシスター・アニェーゼを阻止《そし》できるんですか!?」
「正気に戻すのは簡単ですよ。ですから先ほど言ったでしょう?」
ルチアは『|蓮の杖《ロータスワンド》』を操作するのに夢中でこちらの会話に気づいていないアニェーゼの尻《しり》を睨《にら》みつけながら、
「シスター・アンジェレネ。あなたの出番ですよ。シスター・アニェーゼは自分のスカートをめくられるのは死ぬほど嫌がる人なんですから」
闇夜《やみよ》に二つのシルエットが浮かんでいた。
一人はウィリアム=オルウェル。
一人は騎士団長《ナイトリーダー》。
今まで音速を超える勢いで動いていた彼らは、ピタリと静止していた。騎士団長《ナイトリーダー》の長剣は防御を失敗した不格好な体勢のままで宙で固定され、ウィリアムの大剣の根元近くにあるスパイクは、その防御を避《さ》けて騎士団長《ナイトリーダー》の右胸へと突き込まれている。
背側の根元近くに取り付けられたスパイクは、五寸釘どころのサイズではない、
全長三・五メートルの大剣に相応《ふさわ》しく、そのスパイクもほとんど杭《くい》のようだった。
まっとうに予想すれば、即死と言わずとも、右側の肋骨《ろっこつ》は全《すべ》て砕けているはずだ。
闇《やみ》に隠れる二人の表情は、対照的だった。
一人は苦悶《くもん》。
一人は超然。
ただし、
苦悶の表情を浮かべているのがウィリアムで。
超然としているのが騎士団長《ナイトリーダー》だった。
必殺と言わなくとも、ウィリアムが放った一撃《いちげき》は騎士団長《ナイトリーダー》を確実に行動不能に陥《おちい》らせられる程度の破壊《はかい》力《りょく》はあったはずだった。
だが、実際には傷一つない。
右胸に突き立てたはずのスパイクは、たった一滴の出血はおろか、騎士団長《ナイトリーダー》のスーツの布を破く事すらもなかった。
まるでスポンジのように不自然な感触に、流石《さすが》のウィリアムにも不審な表情が浮かぶ。
(……インパクトを外された……いや、違うのである。これは……ッ!?)
「ソーロルムという北欧の戦士を知っているか」
右胸にスパイクを押し当てられたまま、騎士団長《ナイトリーダー》は表情を変えずに言った。
「その戦士は魔術《まじゅつ》を使い、敵の剣の切れ味をゼロにする力があったそうだ。故《ゆえ》に、どんな攻繋を受けても傷一つつかず、ソーロルムの剣は一方的に相手を切り刻んだという」
「ま、さか……」
「私は私が認識したあらゆる武器の攻撃力をゼロに帰す術式を構築している。言っておくが、科学も魔術も問わんぞ。理論上は核兵器も無力化できるし、実証したものの中では……そうだな。極東の聖人が扱う、対神格用の斬撃《ざんげき》程度なら何とかなるようだ」
騎士団長《ナイトリーダー》は、ゆっくりと首を横に振った。
切り札は複数用意するべきだと言ったはずだ、と彼は続ける。
「各々《おのおの》の武器に対する効果時間はせいぜい一〇分間程度のものだ。まあ、弓矢や弾丸の場合は地面に落ちればそれまでだし、爆弾も一度不発になれば一〇分後にいきなり爆発するのではなく、再び外的要因で『起爆のきっかけ』を与えなければならないみたいだが。これは貴様には関係のない話だったな。とにかく、私が生み出すのはたった一〇分の猶予《ゆうよ》だが……本物の戦場でそれだけの待ち時間を敵に与えれば、どのような末路を迎えるかは明白だろう」
騎士団長《ナイトリーダー》は、真《ま》っ直《す》ぐにウィリアムを睨《にら》みつけた。
「昔、ドーバーでひどい不意打ちを受けたからな。こういう対策を講じたくなるものだ」
「ッ!!」
何でもない素手でアスカロンの刃を掴《つか》まれそうになり、急いで剣を後ろへ退《ひ》くウィリアム。
そしてわずかに距離《きょり》が開けた所で、次々と攻撃《こうげき》方法を変えた斬撃《さんげき》を放つ。
光の色は赤―――悪竜の筋肉を斬《き》るための斧《おの》のように分厚い刃。
「ゼロにする」
光の色は青―――悪竜の脂肪を切り取るための剃刀《かみそり》のように薄《うす》い刃。
「ゼロにする」
光の色は緑―――悪竜の鱗《うろこ》をめくるための剣身中ほどにある缶切り状のスパイク。
「ゼロにする」
光の色は黄―――悪竜の内臓を取り出すための剣身に寄り添う糸鋸《いとのこ》状のワイヤー。
「ゼロにする」
光の色は紫―――悪竜の骨格を切断するために背側にある巨大な鋸《のこぎり》。
「ゼロにする」
光の色は桜―――悪竜の歯牙《しが》を抜くためにある柄尻《つかじり》に取り付けられたフック状スパイク。
「ゼロにする」
光の色は白―――悪竜の神経を抉《えぐ》り出すためにある背側の根元近くにある接近戦用スパイク。
「それは先ほどゼロにしたぞ!! …そろそろ品切れか!!」
ドガガガガッ!! という連続音が。いきなり途切れる。
至近距離から放たれたアスカロンを、騎士団長《ナイトリーダー》は発泡スチロールの板のように素手で掴み取っていた。ギリギリと大剣の柄を握る手にさらなる力を込め、ウィリアムと騎士団長《ナイトリーダー》は睨《にら》み合う。
絶対的優位に立った騎士団長《ナイトリーダー》は、もう片方の手で赤黒い長剣を掴み直す。
「終わりだ」
動きを止めた二人は、至近距離で視線をぶつける。
騎士団長《ナイトリーダー》は傭兵《ようへい》の大剣を戒《いまし》めながら、揺るざない声で言う。
「あるいは武器を使わずに行使する魔術《まじゅつ》―――そう、お前の場合はルーンなどを使え私を殺す事もできるかもしれんが、試してみるか?」
その提案が本気ではない事は、声色からも伝わっていた。
ウィリアムと騎士団長《ナイトリーダー》の速度は同格だ。ここで別の魔術を扱うために肉体制御用の術式をおろそかにすれば、それこそあっさりと斬り殺されてしまうだろう。
「この力は、カーテナ=オリジナルを介して英国を守るために貸与されたもの。後先を考えもせず、ただ己の感傷のために国家を乱そうとする傭兵|如《ごと》きに、この私を殺す事などできん」
騎士団長《ナイトリーダー》の赤黒い長剣が、ウィリアムを狙《ねら》う。
一振りで傭兵を殺せる状態で、彼は最後にこう言った。
「第三王女と共に。天に昇れ」
「……まだ分からぬのであるか」
そこで、吐《は》き捨てるような言葉を聞いた。
それは、目の前にいる旧知の敵から放たれたものだった。
「こんなもの、わざわざ口に出すほどの事でもないだろうに」
「何だと……?」
訝《いぶか》しむ騎士団長《ナイトリーダー》は、そこで自分が掴《つか》んで動きを封じたアスカロンを見た。
より正確にはその側面―――金具で固定された、一つの紋章を。
「お前、何を考えている。何を企《たくら》んでいるのだ」
「しつこいぞ。この期《ご》に及んで、まだ言葉で問いかけるのであるか」
その言葉を聞いて、騎士団長《ナイトリーダー》はますます怪訝《けげん》な顔になった。
ウィリアム=オルウェルは単なる楽観主義者ではない。下手《へた》をすると。イギリスに留《とど》まり続ける騎士団長《ナイトリーダー》よりも、戦争の悲惨《ひさん》さを熟知しているかもしれない。
そんな傭兵《ようへい》ならば、分かっているはずだ。この局面で『軍事』と『人徳』、どちらの政策を擁立《ようりつ》すればイギリスを守る事ができるか。キャーリサを排除してヴィリアンを支持した所で、彼女の思考ではローマ正教の尖兵《せんぺい》と化したフランス一国すら退けられないだろう。
この男には、常に芯《しん》がある。
しかし、こんな破滅への道がウィリアムの揺るぎない心を構築しているとは思えない。
何か、騎士団長《ナイトリーダー》は勘違いをしているのではないか。
ウィリアム=オルウェルという傭兵は、一体価のために戦っているのか。
そこで、騎士団長《ナイトリーダー》は改めてウィリアムの握る武器を見た。
より正確には、大剣の根元に取り付けられている、|盾の紋章《エスカッシャン》を。
(まさか[#「まさか」に傍点]……)
その紋章は本来、とある傭兵が騎士《きし》に任命された際に使われるはずだったものだ。
結局その機会は失われ、バッキンガム宮殿の廊下には永遠に空白のスペースがわだかまるはずだったものだ。
(まさか[#「まさか」に傍点])
その紋章は、盾を四つに分けて、それぞれを青系の模様に塗り分けたものだった。
さらにその上から緑系でドラゴン、ユニコーン、シルキーの三つの動物を配したものだった。
(まさか[#「まさか」に傍点]!)
四つの区分と三つの動物。
それが示すものはただ一つ。
(まさか[#「まさか」に傍点]!!)
青の下地はイングランド、スコットランド、ウェールズ、北部アイルランド。
緑の動物は『王室派』、『騎士派』、『清教派』。
その紋章が示すのは、英国という組織の完全な調和。
この傭兵《ようへい》は、誰《だれ》を殺して誰を擁立《ようりつ》するという話ではなく。
第二王女も第三王女すら関係なく、三姉妹と女王の力を合わせたいと考えているのか。
「……本気か」
呻《うめ》くように、騎士団長《ナイトリーダー》は言った。
「貴様は本気で、そんな事を考えているのか?」
対して、ウィリアム=オルウェルはその固まった顔の筋肉を、ほんのわずかに緩《ゆる》めた。
ようやくそこまで考えが及んだかと、言っているように。
「言ったはずだ。語る事に意味などないと」
「不可能だ」
「構わん」
絶体絶命の状況下、ウィリアムは驚《おどろ》くほど気軽に返した、
「上《うわ》っ面《つら》の言葉を重ね、万人に理解してもらうために用意した『理由』ではない。貴様がさんざん語って聞かせた通り、元よりくだらん傭兵の個人的な感傷である。言葉で分かれとは言わん。貴様は貴様が信じる行いを、ただ無言のままに実行すればそれで良い」
「―――、」
奇《く》しくも、ここにきて騎士団長《ナイトリーダー》は言葉を失った。
かと言って、やはり傭兵の言う通り、ここで刃が止まる事もなかった。
どう考えた所で、変革を完遂《かんすい》させるのがイギリスのためだ。
この危機的状況下で第二王女が君臨しないと、どれだけの敵が押し寄せるか分からない。
故に、
(……結局、やるべき事は変わらんか)
互いの理由は提示された。
そこに言葉はいらなかった。
どちらかが勝ち、どちらかが負ける。
彼らの世界にあるのは、それだけだ。
(だが、全《すべ》ての武器を失った貴様に勝ち目はない)
アスカロンの刃は騎士団長《ナイトリーダー》が掴《つか》んで動きを止めているし、こちらの剣はいつでもウィリアムに向けて斬《き》りかかる事ができる。
武器の攻撃刀《こうげきりょく》をゼロにするソーロルムの術式の発動時間はおよそ一〇分間。ウィリアム=オルウェルという強敵が武器を取り戻す前に、職務を遂行《すいこう》する必要がある。
「決着、つけさせてもらうぞ」
「そうであるな」
率直な返答に騎士団長《ナイトリーダー》がわずかに怪訝《けげん》な顔をした直後だった。
直後、ウィリアム=オルウェルは全力を込めてアスカロンの柄《つか》を思い切り手前に引き―――そして、その柄が不意にすっぽ抜けた。
一時的に攻撃力《こうげきりょく》を失ったアスカロンの刃を掴《つか》んだままの騎士団長《ナイトリーダー》の方が。わずかにバランスを崩しそうになる。
(っ? 自壊《じかい》させたか)
そう思った騎士団長《ナイトリーダー》だが、それは正しくない。
ウィリアム=オルウェルの柄の先には、長さ一メートル以上の刃があった。
三・五メートルもの大剣の中に隠された、最後の名剣だった。
通常、刀剣の鋼《はがね》は、その一部分を柄の中に潜《もぐ》らせ(あるいは二枚の板で挟んで柄にする)ネジや楔《くさび》で留める事で、『振った瞬間《しゅんかん》に柄から刃がすっぽ抜ける』のを防いでいる。
アスカロンはその逆。
柄へ潜り込む鋼に寄り添う形で、大剣の中にさらに細い剣を収納していたのだ。
それは、巨大すぎる剣だからこそ実現できたギミックだろう。
そして。
隠されていたからこそ、騎士団長《ナイトリーダー》はその刃を認識できなかった。
ウィリアムはその巨躯《きょく》で剣を隠すように、一度|騎士団長《ナイトリーダー》に背を向ける。そしてその勢いのまま高速で身を捻《ひぬ》り、横から振り回す軌道で一撃《いちげき》を放った。
ビュオ!! と大気が裂ける音が響《ひび》き渡る。
「ッ!?」
初めて騎士団長《ナイトリーダー》の顔色が変わる。全力で後ろに下がる彼のスーツが裂け、胸板に真一文宇の傷が走る。赤い液体の噴出が、その後を追う。
そう。
北欧神話に登場するソーロルムを殺したのは、袖《そで》の中から飛び出した隠し刃ではなかったか。
ズキリという痛みは、鋭さよりも重さを騎士団長《ナイトリーダー》に押し付ける。
その奥の手が、継続する闘志《とうし》が、無言のままに放たれた一撃が。
ウィリアム=オルウェルの正当性を証明するように思えて、騎士団長《ナイトリーダー》は思わず咆哮《ほうこう》した。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
叫んだのは、騎士団長《ナイトリーダー》だけではない。
最後の名剣を、あるいはそれこそが霊装《れいそう》アスカロンの核心であろう刃を手にしたウィリアム=オルウェルは、さらに飛び退《の》く騎士団長《ナイトリーダー》を追い、その懐《ふところ》へ潜《もぐ》ろうとする。
抉《えぐ》られた傷が、失血が、騎士団長《ナイトリーダー》の動きを鈍らせる。
だが、まだ致命傷ではない。
騎士団長《ナイトリーダー》には二つの手段があった。
赤黒い長剣の攻撃力でウィリアムの肉体を切断するか。
ソーロルムの術式を使って、ウィリアムの剣の攻撃力をなくすか。
(剣を潰《つぶ》す)
騎士団長《ナイトリーダー》は即断した。
(抵抗の象徴たるその武器を粉砕してから傭兵《ようへい》を斬《き》らねば『勝利』にならん!!)
己の正義を信じる故《ゆえ》に。
安易に逃げ切る事をよしとせず、相手の正義を徹底的《てっていてき》に踏《ふ》み潰そうとする騎士団長《ナイトリーダー》。
浅く胸を裂かれた痛みを無視し、騎士団長《ナイトリーダー》はウィリアムの最後の武器を潰しに掛かる。この一振りさえどうにかできれば、後は騎士団長《ナイトリーダー》から一方的に攻撃できる。
「ゼロにす―――ッ!!」
言いかけたその口が、止まる。
ウィリアム=オルウェルの手の中に、刃はない。
両手で柄《つか》を握っているが、その上にあるべき刃がないのだ。
(な……どこに!?)
騎士団長《ナイトリーダー》の操るソーロルムの術式は、己が認識した武器の中で、標的とする物を選択して、その攻撃力《こうげきりょく》をゼロにする。
逆に言えば。認識のできない武器には干渉できない。
その時、騎士団長《ナイトリーダー》はキラリと光る物を見た。
ウィリアムの握る剣の柄《つか》から真上に、極めて細いワイヤーが伸びている。そして傭兵《ようへい》の親指は、柄に隠されたボタンのような物に触れていた。
(一度真上に射出したか!?)
おそらく騎士団長《ナイトリーダー》のタイミングを外した上で、ワイヤーを巻き取って刃を柄に再接続し、そのまま二撃目を放とうとしているのだろう。
確かに成功すれば騎士団長《ナイトリーダー》に大きなダメージを与えられただろうが、
気づいてしまえばそれまでだ! ゼロに―――ッ!!)
正面のウィリアムからその頭上へと視線を移そうとした所で、騎士団長《ナイトリーダー》の視界の隅で何かが動いた。
ニメートル前後の、人聞の腕ほどの太さの枝。
折れて地面に転がっていたそれの先端《せんたん》をウィリアムが踏《ふ》みつけ、シーソーのような動きで強引に直立させたのだ。
上の剣身と下の倒木。
いずれも武器として扱えるが、どちらがより危険かは言うまでもない。
(迷い、時間を与えるとでも思ったか!!)
騎士団長《ナイトリーダー》の視線は迷わず上へ。
己に致命傷を与えるであろう名剣の刃の攻撃刀をゼロに帰す。
(これで―――ッ!!)
必勝を確信し、騎士団長《ナイトリーダー》は赤黒い長剣を握る両手にさらなる力を込める。
しかし異変があった。
ウィリアムの持っ剣の柄と、宙にある刃を繋《つな》ぐ細いワイヤー。厳密にはミクロサイズのチューブの内側から、樹脂の液体のような物が噴出していた。それは空気に触れると膠《にかわ》のように固化し、四方八方に杭《くい》を飛び出させた、原始的な棍棒《こんぼう》へと生まれ変わる。
そう。
ウィリアム=オルウェルが最も愛用していた武器、巨大な棍棒《メイス》へと。
「ッ!!」
「ッ!!」
(間に合うか)
これが最後の一撃。
しのぎ切れば騎士団長《ナイトリーダー》が勝利し、押し切ればウィリアムが勝利する。
すでに目の前に迫ったメイスを前に、騎士団長《ナイトリーダー》は意識を集中させる。
(ゼロにする!!)
傭兵《ようへい》崩れは、全身の力を込めてメイスを振り下ろしていた。
騎士《きし》の長《おさ》は、防御を考えずに赤黒い長剣を振るって応じた。
二つの巨大な武器が交差する。
ドッ!! という轟音《ごうおん》が炸裂《さくれつ》した。
人肉を潰《つぶ》す嫌《いや》な振動が、辺り一面に響《ひび》き渡った。
その瞬間《しゅんかん》。
土壇場《どたんば》で騎士団長《ナイトリーダー》の術式は効果を発揮していた。
ウィリアム=オルウェルの握る杭《くい》つきのメイスは攻撃力《こうげきりょく》をゼロにされ、たとえ音速を超える速度で直撃させたとしても、騎士団長《ナイトリーダー》に傷一つ与える事はできない状態にあった。
闇《やみ》の中、二人の男は静止していた。
誰《だれ》の目から見ても、結果は明らかだった。
「……ふん」
先に口を開いたのは、騎士団長《ナイトリーダー》だった。
神話に登場する武具の『パターン』そのものを自由自在に操り、攻撃手段として行使する者。彼が最後の一撃で選択したのは、全《すべ》てを切り裂く『切断威カ』。刃に触れただけで地盤を断ち割るその破壊《はかい》力《りょく》は、いかに相手が聖人といえども、直撃すれば致命傷は避《さ》けられない。
「まったく、つまらん結末だな」
「……、」
騎士団長《ナイトリーダー》の言葉に、傭兵は答えない。
そして、騎士団長《ナイトリーダー》の体がグラリと横に揺れた。
その首の横に、ウィリアムのメイスがめり込んでいた。
より正確には、メイスの―――そして、剣の柄《つか》。
さらに厳密に表現するなら、剣の刃を射出する機構の一部として、その剣身を柄に固定しておくための小さな留め金がわずかに飛び出していて、それが騎士団長《ナイトリーダー》の首元にめり込んでいたのだ。
騎士団長《ナイトリーダー》は、自分が認識している武器の中から標的となる物を選択し、その攻撃力をゼロにする。逆に言えば、たとえ最初から目の前にあったとしても、それを武器と認識していなければ、その攻撃力に干渉する事はできないのだ。
「貴様と別れて一〇年……さんざん、己を鍛《きた》えてきたと……思ってきたが、結局はあの時のドーバーと同じく、不意打ちで決まった、か……」
騎士団長《ナイトリーダー》の持つ赤黒い長剣は、ウィリアムの一撃《いちげき》を受けて軌道が逸《そ》れ、その手からすっぽ抜けて遠くの地面に落ちていた。
「それに、しても……騎士《きし》も……顔負けの、気障《きざ》な男だ。……よもや、その三派閥四文化の調和を示す……紋章の中に、私の名まで加えるとは……」
決着は、ついた。
「……思えば、昔から……貴様は、そういう男だったよ……」
彼の体の傾きがさらに大きくなり、そして地面へ崩れ落ちた。
死んだのではない。
日本刀による峰打《みねう》ち同様、首を打たれて気絶したのだ。
攻撃力を干渉されなかったとはいえ、元々|騎士団長《ナイトリーダー》は留め金一本で殺せるような軟弱者ではない。そしてウィリアム=オルウェルはそれを知った上で、敢《あ》えて明暗を分ける最後の一撃を、その小さな留め金に託したのだ。
理由は明白だった。
「所詮《しょせん》は浅ましき傭兵《ようへい》崩れのごろつき。お堅い騎士に比べて自由|奔放《ほんぽう》に戦う身ではあるが」
たった一人で、傭兵はポツリと呟《つぶや》いた。
「……生憎《あいにく》と、古き友を斬《き》る刃までは持ち合わせがないのである」
彼にしては珍しい、無駄《むだ》口《ぐち》だった。
10
上条当麻《かみじょうとうま》はフォークストーンへ到着した。
川の水でびっちょびちょになった彼はガチガチと身を震《ふる》わせているが、今はそんな事に不満を漏《も》らしているだけの余裕もない。敵陣の真っ只中《ただなか》にいる緊張《きんちょう》からか、まっとうな感覚が薄《うす》れ始めているのもある。
(くそ、ユーロトンネルのターミナルってのはどっちにあるんだ!? インデックスがそこから運び出されていなければ良いけど……)
ろくな街灯もない山林の中、上条ばじっと闇《やみ》の向こうを見据える。
道中で謎《なぞ》の女魔術師《おんなまじゅつし》フロリスや第三王女ヴィリアンと出会っていた上条だが、現在、その二人は近くにいない。途中で新生|天草式《あまくさしき》の斥候《せっこう》と遭遇《そうぐう》し、彼らに二人の身柄を預けたのだ。どうやらアニェーゼから『上条|達《たち》がフォークストーンにいる』という情報を受けていたらしく、ちょうど水上レスキュー機を使って近くまで来ていた新生天草式は辺りへ斥候を放って、捜索《そうさく》してくれていたようだった。……何故《なぜ》かフロリスは天草式を見るなり『だっ、騙《だま》しやがったなこの野郎!!』と絶叫したが、あれは何だったのだろう、と上条は首を傾《かし》げる。
どうやらフォークストーンでは騎士団長《ナイトリーダー》という強敵が第二王女キャーリサを守っているらしく、あの聖人の神裂火織《かんざきかおり》も撃破《げきは》され、一時的に行動不能に陥《おちい》っていた。
負傷した神裂に追撃が及ぶのは避《さ》けたいし、そこに重要人物の第三王女まで加わると、天草式《あまくさしき》は必然的に防戦を選択せざるを得なくなる。今は気配を隠して『|騎士派《きしは》』の索敵《さくてき》を逃れ、隙《すき》を見つけて水上レスキュー機を動かそうとしているようだった。
『一応、「布陣」を崩して人員整理をすれば、何名か同行させる事もできますが』
天草式からそう言われた時は、正直、素直に甘えそうになった。しかし上条《かみじょう》は思い留《とど》まり、改めて冷静に考え直す。
「いや、お前|達《たち》はレスキュー機の方に専念してくれ。ここでもう一回ヴィリアンがさらわれたらまずいし、神裂だって回復|魔術《まじゅつ》とかやってんじゃないのか? だったら、こっちに来てもらうより、一刻も早く彼女に戦線復帰してもらった方が安心できるはずだし」
「しかし……」
「インデックスを助け出した後、どうやってフォークストーンから逃げるんだよ。ゴール地点を守ってほしいって言ってるんだ。そっちの方が俺《おれ》も安心できる」
という訳で、間接的な『大きな輪』の中に組み込む事で、ようやく新生天草式は不承不承《ふしょうぶしょう》納得したようだった。どうやら、彼らはよっぽど他人を見捨てられない性質らしい。
『騎士派』の最優先|破壊《はかい》目標は、第三王女ヴィリアンだ。
新生天草式という戦力は、彼女や神裂を守るために投入した方が理に適《かな》っている。
(……なーんか顔が赤くなってる五和《いつわ》がみんなに羽交《はが》い絞《じ》めにされてたけど。そんなにインデックスを助けたかったのか。やっぱ、この前の後方のアックア戦の時に仲良くなったのかなぁ)
それこそ五和に聞かれたら槍《やり》で刺されそうな事を平気で考える上条。
ともあれ、今の彼は一人である。
「……?」
そこで、上条はピクンと顔を上げた。
何か音が聞こえる。
そう思った上条の耳に、直後、衝撃波《しょうげきは》のような爆音が叩《たた》きつけられた。
(ッ!? 何だ……ッ!!)
特に意味もなく身を低くしながら、そちらを見る上条。
やはり、暗闇《くらやみ》の向こうは見えない。
近づいてもろくな事にならないのは目に見えているが、危険に飛び込まないとインデックスを助け出せない。
ゆっくりと、音源へ向かう上条。
途中までは、落ち葉の感触はするものの、基本的には舖装《ほそう》された細い道だった。それがある地点から亀裂《きれつ》が入り、砕け、かえって歩くのに苦労するような状態になり、最後には黒い土が掘り返されたり。太い木々が薙《な》ぎ倒されたりしていた。
相変わらず、街灯はない。
ただし、光源はあった。
「あれは……」
馬車、だろうか。
一〇メートルぐらい先に、何かがある。
えらく古風な乗り物の前方に、ガラスでできたランプをコの字型の反射板で覆《おお》ったような物がぶら下がっていた。懐中《かいちゅう》電灯の前身である、カンテラというヤツかもしれない。どうやらイミテーションではなく、本当に火を使っているらしい。闇《やみ》を照らす光は時折、不安定にゆらゆら揺らぐ。
だが、光はそれだけではなかった。
打ち合う刃と刃に、鋼《はがね》の鎧《よろい》と共に砕ける火花。
そこは、人と人とが戦う本物の戦場だった。
よくよく見れば。馬車は無事ではなかった。
四つある車輪の一つが壊《こわ》れ、不自然に傾いている。
そして、戦いが展開されているのは、その壊れた馬車の周辺だ。いいや、戦いと呼んでも良いのか。少なくとも、互角の力を持つ者同士が対等に戦っているようには見えなかった。
銀色の鎧をまとった複数の騎士《きし》が、様々な角度から飛びかかる。
中心に立つのは、全長三メートルを超す大剣を狩つ男。
何かが起きた。
上条《かみじょう》の目では捉《とら》えきれなかった。
ただ圧倒的な速度で攻防が繰《く》り広げられ―――結果として、銀色の鎧から派手な火花が連続的に炸裂《さくれつ》し、遠く遠くへ吹き飛ばされていく。
その内の一つが、上条のすぐ横に激突した。
偶然ではない。
中央に立っていた男は、首を向けずに、眼球だけでジロリと上条を見据えていた。
屈強な肉体。
青系の装束《しょうぞく》。
巨大な武器。
それらは総合して、上条|当麻《とうま》にゾクリとした悪寒《おかん》を与えてくる。単なる予感などという曖昧《あいまい》な感覚ではない、学園都市第二二学区で、実際に死の直前まで追い詰められたという『経験』が、上条当麻に危険信号を発してくる。
その元凶は、上条の顔を見ながらこう言った。
「ふん。忌々《いまいま》しい顔と出会ったものである」
「後方の……アックア!?」
思わず叫ぶ上条《かみじょう》。
『神の右席』の中でも格別に強大な力を振るう大男。一度は学園都市で退けた事もあるが、それは天草式《あまくさしき》のフルメンバーと『聖人』の神裂火織《かんざきかおり》の力を借りて、それでもギリギリの所でようやく勝てるような相手だ。
(生き……てた!? 確かにあの時、地下街の湖で大爆発を起こしたはずなのに……まさか、あれすらも凌《しの》いで学園都市を脱出していたっていうのかよ!!)
混乱する頭は、それでも様々な可能性を上条に提示する。
彼は強張《こわば》る体を震《ふる》わせながら、
(でも、何でこの局面でアックアが出てくる? もしかして、この面倒なクーデターをさらに『神の右席』が引っ掻《か》き回そうとしているのか!?)
どういう目的でここにいるかは知らないが、上条一人でどうにかできる人間ではない。
思わず歯噛《はが》みする上条は、知らず知らずの内に、口の中で呟《つぶや》く。
「(……くそ、ただでさえクーデターだの何だの色々大変なのに。なんつー不幸な偶然が起こっちまうんだよ!!)」
「偶然ではなかろう」
と、離《はな》れた場所に立っているにも拘《かかわ》らず、アックアは上条の口の中の声にまで反応した。その五感の鋭さに改めて警戒する上条に対し、アックアは無造作に壊《こわ》れた馬車の方を差す。
「貴様の目的が長期的にはクーデターの解決、短期的には禁書目録の再回収というのなら、我らの行動基準はいくつか合致する点があるのである」
なに? と上条はアックアの指先を目で追う。
すると、壊れた馬車のドアが半開きになっていて、そこから修道服のフードのような布地が飛び出しているのが見えた。普通のものではない。白地に金刺繍《きんししゅう》の、紅茶のカップのようなものだ。
「インデックス!!」
思わず大声を出すが、返事はない。
今すぐ駆け付けたいが、あのアックアから集中を他《ほか》に移すのも危険すぎる。
しかし、警戒する上条に対し、アックアの方はそれほど興味を持っていないらしい。何の気のない動きで馬車から離れると、そのまま上条に背を向ける。
「再回収が目的なら、手早く済ませろ。ある意味において、ここは制圧されたロンドンよりも危険度が高いのである」
「……?」
不思議と敵意のない『神の右席』に、訝《いぶか》しげな視線を送る上条。
しかし、事態はそれだけに留《とど》まらなかった。
「ふん。この調子だと、騎士団長《ナイトリーダー》は撃破《げきは》されたよーだな」
突然の声。
上条《かみじょう》とアックアがそちらを振り返ると、木々の合間から一人の女性がやってくる所だった。
赤を基調としたドレスの要所要所に、同色のレザーをあしらった英国王室の一員。その右手には、刃も切っ先もない剣が握られている。
「こいつを手に馴染《なじ》ませるまでに、首を二つ持って来いと命令しておいたはずなのに……手傷を負わせる程度に留まったか。面倒事ばかり増やしてくれるの」
第二王女キャーリサ。
このクーデターの首謀者《しゅぼうしゃ》だ。
「ッ!!」
上条は思わず身構えるが、第二王女は彼の方を見ていない。
アックアを見据えた彼女は、カーテナ=オリジナルを軽く振り上げる。
「面倒な事をしてくれたし。露払《つゆはら》いがいなくなると、私が自分で雑魚《ざこ》どもに対処しなければならなくなるのに」
「面倒事はもう消える。ここでクーデターの幕は下りるのであるからな」
「あまり私を舐《な》めるなよ。この手にカーテナ=オリジナルがある事を忘れたの」
巨大な剣を構え直すアックアを見て、第二王女は微《かす》かに笑った。
アックアの顔色が変わり、その大剣が動く。
それはキャーリサを狙《ねら》ったものではない。彼は大剣の側面で手近な巨木を殴《なぐ》り、その衝撃波《しょうげきは》を利用して上条を吹き飛ばし、転ばせたのだ。
一方。
第二王女キャーリサは頭上に掲げた奇怪な剣を、
「これは本来、地球という惑星から英国の領土を切り離《はな》し、その内部を管理制御するための儀礼《ぎれい》剣《けん》だが―――その特性を応用すれば、こんな真似《まね》もできるんだぞ?」
素気なく、振り下ろす。
ドッ!! と。
次の瞬間《しゅんかん》、次元が切断される光景を[#「次元が切断される光景を」に傍点]、上条当麻は初めて見た[#「上条当麻は初めて見た」に傍点]。
射程はおよそ二〇メートル弱。
ついさっきまで上条とアックアのいた射線上を、異様な音と共に何かが通過した。カーテナ=オリジナルの剣の幅の分だけ、何か帯か壁のようなものが展開されているのが分かる。色は白。まるで色を塗る前のプラモデルのように、物体として完成されていないはずの物体が上条《かみじょう》の眼前に現れている。
「さっきの『手慣らし』の時にも感じたけど……霊装《れいそう》それ自体は古臭《ふるくさ》い物だが、使用者の私が最新の『軍事』知識を基に振るうと、ちょっと毛色が変わるよーだし。……ま、同じ性質を持つ母上にも似たよーな事はできそーだが」
キャーリサの声に、愉悦が混じる。
「知ってるか。三次元物質を切断するとその断面は二次元になる。二次元物質を切断すると、その断面は一次元という形で現れるの」
ゴトン、という音が聞こえた。
不条理にも空中に浮かんでいた謎《なぞ》の帯状物質は、上条のすぐ近くに落下する。
質感は陶器にも近いが、見た目の質量に反して極端《きょくたん》に重量があるようだ。落下した後も、ずぶずぶと黒土の中へ沈み続けている。
「同じよーに、この三次元とは別の高次元物質または空間を切断した場合、断面は三次元という形で世界に出力されるの。結果として、このよーな断面の残骸物質が表出する訳だ」
ヒュン、と第二王女はカーテナ=オリジナルを肩に担《かつ》ぐ。
今のは攻撃《こうげき》ではない。
にも拘らず、第二王女の剣の軌道に合わせてバキバキと次元は断ち切られ、鉛筆を削ったカスのように、色の欠けた帯状物質がその足元へ落ちていく。
「もっとも、こいつは高次元低次元問わず、今この座標にあるあらゆる次元を同時に切断するのだがな。表出される断面物質の内、我々に知覚できるのは『三次元世界に現れるもの』だけであるよーだし」
(何だ、これ……?)
上条は呆然《ぼうぜん》としていた。
相手の言葉が真実なら、あの剣は次元なんていう存在するのは分かるがほとんど概念《がいねん》に近いものをまとめて叩《たた》き切る怪物武器のようだ。どれだけの鋼鉄を使って身を守っても、カーテナ=オリジナルは構わず次元ごと敵の体を両断するだろう。
にも拘らず。
もはや、上条は恐怖を感じる事もなかった。スケールが違いすざるのだ。ビックバンによって絶えず宇宙は膨張《ぼうちょう》しているらしいが、具体的に自分の五感で広がっていく宇宙を実感できる者はいないだろう。第二王女キャーリサが操っているのは、そういう領域の力なのだ。
「全次元切断術式[#「全次元切断術式」に傍点]」
キャーリサは手首のスナップでカーテナ=オリジナルをくるくると回し、世界の残骸《ざんがい》である断面物質をボロボロこぼしながら、ゆっくりと笑みを広げる。
「私も扱うのはこれが初めてだし……思った以上に使い勝手は良さそーだし。ただ一つ欠点があるとすれば、あまりにも簡単に決着がつくから、面白見《おもしろみ》に欠けるといった所か」
ここまで経《た》って、ようやく上条は驚愕《きょうがく》状態から徐々に思考能力を取り戻していった。
第二王女キャーリサ、クーデターの首謀者《しゅぼうしゃ》。
バッキンガム宮殿ではまともに会話できたし、一緒《いっしょ》に笑う事もできた。できれば殴り合いたくないが、現状、話し合いだけで場を収める事は難しそうだ。そして手を誤れば、馬車の中で気を失っているインデックスの身も危ない。
(……くそっ、話し合うのは戦ってからか!!)
人間の作った核シェルターどころか、地球も宇宙も丸ごと切断できそうな剣をこちらに向けるキャーリサ。
上条はチラリと横目でアックアを見た。
信用できるか。
誰《だれ》が何と言った所で、アックアがローマ正教『神の右席』の一員である事に変わりはない。
しかし一方で、こいつはこいつで騎士団長《ナイトリーダー》率いる『|騎士派《きしは》』と戦っていた。
どうやら共通の敵であるらしい事は推測できる。
わずかに逡巡《しゅんじゅん》した上条だが、迷っている暇はなさそうだ。
「おい、時間を稼《かせ》げるか」
「……、」
キャーリサを見据えたまま上条が話しかけると、アックアは案の定顔をしかめる。
無視して上条は言った。
「あのヤベえ切れ味は剣のエッジの部分だけみたいだ。側面辺りは普通の鋼《はがね》だろ。あそこにテメェの刃をぶつけて、一瞬《いっしゅん》でも良いからよろめかせろ。後は俺《おれ》の右手で霊装《れいそう》をぶっ壊《こわ》す」
「おー怖い」
キャーリサは丸っきりふざけた口調で遮《さえぎ》った。
「確か、お前の専売特許は|幻想殺し《イマジンブレイカー》と呼ばれてたよーだな」
彼女はくるくると回していたカーテナ=オリジナルを止める。
切っ先のない平らな先端《せんたん》は下へ。
ピタリと剣を静止させたまま、
「ならば、そいつに適した応用技をお見舞いしてやろう」
言って、キャーリサはカーテナ=オリジナルの先端を、思いきり地面に突き刺す。
ドッ!! という衝撃波《しょうげきは》が炸裂《さくれつ》する大音響《だいおんきょう》が上条の耳を叩《たた》いた。
第二王女を中心に、半径五〇〇メートル級のドーム状の破壊《はかい》の嵐《あらし》が巻き起こる。
おそらく全次元切断に使用するため集中させてある魔力《まりょく》の流れを、別のルートに変更させたのだろう。発生した破壊《はかい》力《りょく》は他次元を切断するほどの高出力には届かなかった代わりに、この三次元世界の全万位へ均等に衝撃波《しょうげきは》をばら撒《ま》いていく。
まさしく爆発だった。
地面がめくれ上がり、木々は薙《な》ぎ倒され、そして上条《かみじょう》の元へと一瞬《いっしゅん》で巨大な壁は到達する。
「お、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!?」
上条は叫び、とっさに右手を構える。
だが、それは失敗だったのか。
あまりにも莫大《ばくだい》かつ連続的に放たれる力は、上条の右手だけで完全に消し飛ばす事はできなかった。記憶喪失《きおくそうしつ》となった彼の頭に残る『知識』だけが、『|魔女狩りの王《イノケンティウス》』や『|竜王の殺息《ドラゴンブレス》』を無理矢理に想起させる。
凶暴な重圧が右手を襲《おそ》い、ミシミシギシギシと骨の軋《きし》む嫌《いや》な音と痛みが走る。
力に押され、両足が地面から浮くまで二秒もかからなかった。
そして体が一度宙に放り出されれば、後は簡単だった。
グワッ!! と上条の体が一気に飛ぶ。
半径五〇〇メートルのドーム状の爆発。
それに押されて斜め上方に射出された上条の体が、高度二〇〇メートルの夜空まで到達する。
下から押し上げられる力と、重力との均衡《きんこう》がピタリと合ったその一瞬、上条|当麻《とうま》はふわりと空中で静止しながら、フォークストーンのまばらな夜景を眺めていた。
(どうする……)
落下開始まで秒読み状態。
そして上条の右手には、二〇〇メートルの高さから無事に着陸できるような便利な能力は備わっていない。
(どうする!?)
重力という当たり前の力が、上条当麻に牙《きば》を剥《む》く。
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行間 三
英国女王エリザードは馬に乗っていた。
乗馬のために整備されたお上品なダートの上ではない。ウインザーからロンドンへ向かう、細い舗装路《ほそうろ》だ。つい先ほどまで暗い森の中を突っ走っていたのだが、今彼女の周囲に広がっているのは地平線の向こうまでなだらかに続いていく牧草地だった。
(……まったく、英国の国旗はイングランドやスコットランドなどの旗を融合《ゆうごう》させて作り上げた連合の象徴なのに、思いっきリバラバラになってしまっているな。やはり、もう一度まとめ上げるにはロンドンにある『あれ』を回収せねば……)
およその移動|距離《きょり》は五〇キロ弱。
先ほどの森や丘に比べれば、道はそれほど複雑ではない。(法定速度を無視すれば)自動車なら三〇分程度でロンドンに到着できるかもしれない。
ただ、
(軍馬とはいえ、やはりこいつでは限度があるか)
エリザードは手綱《たづな》を握りながら、わずかに息を吐《は》く。
競馬に出てくるサラブレッドの中には自動車よりも早く走るものもいるが、それは柔らかい土や芝生の上だからこそ可能な速さだ。硬いアスファルトの上で馬を全力|疾走《しっそう》させれば、たちまち蹄《ひづめ》が割れてしまうだろう。
おまけに、競馬場は馬にとっては短・中距離走みたいなもので、五〇キロという長距離走にその法則は当てはめられない。
結果として、女王は時速二、三〇キロ程度で流しつつ、時折短い休憩を挟ませて軍馬が潰《つぶ》れないように配慮《はいりょ》する必要があった。
(一応、公道用の特殊な蹄鉄《ていてつ》をはめたり、私の術式で馬の筋力やスタミナを増強してはいるものの……やはり無茶《むちゃ》はさせられん。古い街道の各所にある、軍馬の馬力を増強する大規楳な陣を利用できれば話が早いんだが……流石にそいつは使えんしなあ)
古い街道に施《ほどこ》された陣は英国政府の管轄《かんかつ》……つまり、使用すれば第二王女の息のかかった連中に情報が伝わってしまう。そうなったら面倒事になるのは間違いないだろう。
もどかしい状況だが、女王の表情に苛立《いらだ》ちはない。
むしろ、エリザードの視線は酷使《こくし》させている軍馬を労《いた》わるものだった。
「すまんなあ。こんな綱渡りみたいな場面に付き合わせてしまって」
軍馬に人語が分かるはずもないのだが、女王はついそう呟《つぶや》いてしまう。当然ながら馬は何の反応も示さなかったが、その逞《たくま》しい躍動《やくどう》には不満や怯《おび》え、戸惑いなどの感情はない。ただエリザードを乗せて前へ前へと進む筋肉の塊《かたまり》を見て、自分は本当に良い部下に恵まれているなぁと女王は思った。
そこへ、後ろから自動車のヘッドライトが照らされた。
『|騎士派《きしは》』か『王室派』の追っ手か、と女王は腰に提《さ》げたカーテナ=セカンドに意識を集中させたが、実際には違った。
チャラいオープンカーに乗ったチャラい若者が、エリザードの乗る軍馬の横を並走している。運転席の男もチャラければ助手席に乗っている女もチャラい。
というか、よくよく見てみると。
「いえーい。ヒッチハイク成功なりけるのよー」
「うっ、嘘《うそ》だろ!? ホントにあれから森の中でずっと車が通りかかるのを待ち続けたとでも言うのか!!」
馬上で驚愕《きょうがく》するエリザードに、助手席のローラ=スチュアートは笑顔で頷《うなず》く。
一方、運転席のチャラい若造は唇《くちびる》を曲げて、
「っつか最初は『ヒッチハイクをする幽霊《ゆうれい》』の一種だと思ってビビッてたんだけど、冷静に考えるとただのウザい変態だし。その辺で適当に捨てる予定だったんだけど、知り合いだったらさっさと回収してくんね?」
「それはすまんな。浮世《うきよ》離《ばな》れした馬鹿《ばか》はこちらで拾っておこう」
エリザードは心から謝罪すると、助手席の女をヒョイと片腕で掴《つか》み上げ、オープンカーから軍馬の後ろへと強引に乗せ換える。
すると、オープンカーのハンドルを握っている男は今さら気づいたようにこう言った。
「あっれ? そういえば馬だ、馬じゃね?」
「……見れば分かるであろう」
「ギャハハ! この馬ブルルって言ったよ今ブルルって! やべー、こんなに間近で馬見んの初めてかも。とりあえず一枚いっときますかー?」
「オイ馬鹿やめろケータイのカメラとか! フラッシュたいたら馬が驚《おどろ》くだろ! それから運転中に携帯電話を使うのも良くな―――ッ!!」
「はい、いただきまーす」
チャリチャリチーン、と馬鹿げた電子音と共にシャッターが切られる。
思わず反射的に対写真撮影用女王様スマイルを完璧《かんぺき》に決めたエリザードだったが、
「やっべー。チョー馬ブレてる。何が何だかサッパリ分かんねえよこれ。なんか上に乗ってるババァが昇天しそうになってるみたいに見えるし。っつか、あれー? こいつどっかで見た事あんなー。親戚《しんせき》のおばちゃんだっけか?」
「―――、」
英国女王エリザードは笑顔のままカーテナ=セカンドに手を伸ばす。
ざっと二割程度の力しか残っていない訳だが、ちょっとした次元程度なら切断できる儀礼剣《ぎれいけん》だ。
ズバンという音と共にオープンカーのラジエーターが綺麗《きれい》に切断され、溢《あふ》れ出した冷却液がエンジンに焼き付きを誘発《ゆうはつ》させる。
エンストを起こして路上に停《と》まるオープンカーに、女王はフンと鼻息を鳴らしかけたが、
「うーむ。せっかくの車がもったいなしにつきなのよ」
「くっ、しまった! あの車をかっぱらってロンドンに向かった方が時間を節約できたか!!」
ローラの言葉を聞いてちょっと後悔したエリザードだったが、やがてポジティブに思い返す。
彼女は軍馬の手綱《たづな》を握り直しながら、
「まぁ、こんな所で置き去りにする訳にもいかないしな」
適当に言いながら、エリザードとローラ=スチュアートはさらにロンドンへ向かっていく。
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第六章 騎士と王女の防衛線破壊 Safety_in_Subway.
第二王女キャーリサはフォークストーンの暗い深に佇《たたず》んでいた。
いや、元森林地帯とでも呼ぶべきか。
周囲にあった何十本、何百本という木々は先ほどの一撃《いちげき》で全《すべ》てへし折られ、薙《な》ぎ払われ、遠くへ追いやられている。今キャーリサを中心とした全方位にあるのは、掘り返された黒土と、かろうじて根元だけ取り残された、ギザギザの切り株のような物だけだった。
「ふん、やりすぎたか。……しかしまあ、この剣さえあれば『変革』も確実に成功できるという確証は得られた訳だし」
第二王女はカーテナ=オリジナルを肩で担《かつ》ぐと、軽く息を吐《は》いた。
全方位へのドーム状爆発は、カーテナの本来の扱い方ではない。それが影響《えいきょう》しているのか、担いだ剣はビリビリと小刻みに震動《しんどう》していた。じきに収まるだろうが、同じ事を繰《く》り返せば震《ふる》えの方が剣を折りかねない不気味さがあった。
(やはり、道具は取扱説明書を読んで正しく扱うべきだし。戦地での応急処置だけでなく、今一度バッキンガム宮殿で本格的な調整を行う必要があるの)
傭兵《ようへい》ウィリアム=オルウェルに奇襲《きしゅう》されていた馬車もまた、跡形もなくなっていた。確か、一〇万三〇〇〇冊の魔道書《まどうしょ》を搭載した禁書目録を運搬《うんぱん》していたはずだが、その生死ももはや確認できない。
あの禁書目録には、今回の事件の発端《ほったん》であるユーロトンネル爆破の首謀者《しゅぼうしゃ》がフランス政府であると証言してもらう必要があった訳だが、
(……まぁ、『合理的な言いがかり』程度の価値しかないから構わないだろう。もはや国家の舵取《かじと》りをする権限は私にあるし。『合理的ではない言いがかり』で戦争を始めてしまった所で、どこからも文句は来ないの)
キャーリサは刃も切っ先もない剣を肩で担いだまま、もう片方の手で携帯電話を取り出し、親指で操作する。メモリの中から短縮番号を一つ選択し、耳に当てた。
相手はロンドンのバッキンガム宮殿で待機している『|騎士派《きしは》』の部下だ。
「ロンドンの方はどーなったの?」
『我が国の首都を含め、英国の主要都市はほぼ全て手中に収める事に成功しました。現状、ロンドンの騒《さわ》ざは収束しており、民間による無謀な暴動なども発生する兆《きざ》しはありません』
「そう。こちらは騎士団長《ナイトリーダー》が敗れたよーだ」
『……ッ!! そ、それは……』
「気づいてただろう。否定して欲しかったの?」
第二王女キャーリサはせせら笑った。カーテナ=オリジナルを使って膨大《ぼうだい》な『|天使の力《テレズマ》』が『|騎士派《きしは》』や騎士団長《ナイトリーダー》へと送られている都合上、トップが敗れれば力の総量に『揺らぎ』が生じるはずだ。
(とはいえ、流石《さすが》に動揺は禁じ得ないよーだし)
キャーリサは適当な感想を抱いたが、特に気にせずこう続けた。
「これからそちらへ戻るが、ユーロスターの列車は動かせるの?」
『さ、先ほど兵員増強のための貨物列車が現地に到着したとの報告は受けましたが……』
部下の声はどこか頼《たよ》りない。
『直後に、ロンドン―フォークストーン間の路線の内、複数箇所で線路のレールが何者かの手で取り外された模様です。……現在、三ヶ所で復旧作業を行っていますが、他《ほか》にも線路に細工をされている可能性を考慮《こうりょ》し、全長一〇〇キロの路線を全《すべ》て再チェックするとなると……』
「なるほど」
(先ほどの東洋人は、その貨物列車に紛《まぎ》れてやってきた訳か。それを確認したのち、後続の列車に用はないので線路に工作し、我々のインフラを潰《つぶ》しに掛かったの)
ゲリラ的な反抗にキャーリサは含み笑いを漏《も》らす。
彼女は頭上の星空を見上げ、
「なら、フォークストーン近辺で哨戒《しょうかい》行動中の空軍のヘリを呼んで来い」
『しかし……その、大丈夫《だいじょうぶ》ですか? 対空術式の的にされるリスクもありますが』
「カーテナ=オリジナルに含まれる『|天使の力《テレズマ》』の総量を考えれば、空中分解に巻き込まれた程度で死ぬ身でもないの。一刻も早くバッキンガム宮殿へ向かう方が重要だし」
了解しました、と『騎士派』の部下は返答した。
さらに続けて、彼は言う。
『他に、留守中の出来事としては……フランス側から入電がありますが』
「議員程度なら無視しろ」
『一応、大統領も議員の一人に含まれるのですが、いかがいたしましょう?』
「無視してみるのも面白《おもしろ》そーだけどな。そこを経由してこちらに繋《つな》げ。お前も横で傍受した状態で良い。新しい国家元首の外交手腕を見せてやるの」
今度の『了解』には、わずかな笑みすら匂《にお》わせた。
数秒の間があって、通信のノイズの質が変わる。別の人物と接続したのだ。
『きっ、協力しよう』
開口一番、相手はそんな事を言った。
頻繁《ひんぱん》にメディアに登場する、フランスの大統領だ。
『今回の、ユーロトンネル爆破テロに関して、我々は協力するべきだ』
「おっと、ひどい雑音だな」
キャーリサは相手に伝わってもいないのに、分かりやすく嫌《いや》そうな顔を作った。
「ストリップバーから掛けてるの? いやらしい雑音ばかりでお前の言葉が聞こえてこないし。ダンサーのストッキングに紙幣を差し込む手を止めて、ちょっと真面目《まじめ》に話をしてくれないか」
『きっ、貴様こそ真面目にしろ!! お互いにとって最も賢明な選択をするために協議しようと言っているのだぞ!!』
「おいおい協議だと? 我々は殺し合うべきだろーが。お前は私のケツでも舐《な》めたいの。まぁ個人の趣味《しゅみ》についてとやかく言う気はないが、有権者には知られないよーに気をつけないと選挙に悪い影響《えいきょう》が出るんじゃないか?」
『ふっふざけるな!! 分かっているんだぞッ!!』
受話器に鼻息がかかったのか、今度こそ本物のノイズがキャーリサの耳に入る。
小さく舌を出してふざける第二王女の耳に、切羽《せっぱ》詰《つ》まったフランス大統領の言葉が続く。
『ドーバー海峡に駆逐艦《くちくかん》を派遣しているだろう! それも、かなり大型のミサイルを搭載して、だ! 威嚇《いかく》行動のつもりか知らないが、それが両国の関係に重大なダメージを与える事が分からないのか!?』
「ほう」
キャーリサはくだらなさそうな調子で呟《つぶや》いた。
「ドーバー海峡の海中に原子力|潜水艦《せんすいかん》を待機させてる人間に、そんな事を言われる筋合いはないと思ってたのに。頻繁にやり取りされてる暗号電信を傍受した限り、極めてフランス的な特徴を有するよーな気もするし、核ミサイルの照準をロンドンに合わせてるよーな気もするんだがな」
『……ッ!?』
ぱくぱく、と声もなく口を開閉する音が聞こえてくるようだった。
構わずにキャーリサは続けた。
「フランスはアメリカやロシアと同様の核保有国だし。そーいう選択肢があるのは分かるんだが……それにしても、おいおい。あからさまじゃないか。かつてローマ正教の力を借りてEUに働きかけ、禁止条約を盾に我が国から核兵器とその開発能力を奪った余裕なの? ともあれ、まさか先制の奇襲攻撃《きしゅうこうげき》一発で仕留められるとでも思ってないよな」
ドォン!! という爆音が聞こえた。
音源は遠い。遠雷のように光と音に齟齬《そご》が生まれるほどの長距離《ちょうきょり》だ。キャーリサははるか向こうにある、海側の方へ目をやった。
「んん、心配するな。駆逐艦からの連絡によると、ただのウミネコらしいの」
言いながら、キャーリサは電話を持つのとは逆の手でカーテナ=オリジナルを軽く振るった。ゴッ!! と一〇〇メートルサイズで次元が切断され、剣の軌道に合わせて扇型の白い残骸《ざんがい》物質が生み出される。
キャーリサは巨大な扇を『|神の如き者《ミカエル》』の力の一端《いったん》を秘める足で蹴飛《けと》ばし、夜空へと勢い良く吹き飛ばす。扇はヘリコプターのように高速回転しながら地平線の向こうへと消えて行った。
「……我が国のレーダーと対空防衛兵器はこの精度で空中の異物を発見・|迎撃《げいげき》できるの。旧式の大型ミサイル程度なら、ただの的だし。何の隠蔽《いんぺい》術式も施《ほどこ》してない鉄の塊如《かたまりごと》き、一〇〇発飛んで来ても一〇〇発|撃《う》ち落とせるだろう」
さらに続けて、キャーリサは二つ三つと巨大な扇を生み出しては蹴飛ばしていく。
『ち、違う。違う!! その潜水艦《せんすいかん》は我々のものではない。暗号電信? そんなものは、フランスの関与を匂《にお》わせるための工作だろう!!』
「まぁ、証拠はない訳だしなぁ」
第二王女キャーリサはあっさりとそれを認めた。
認めた上で、彼女はこう切り返した。
「なら、我が国の首都を狙《ねら》う不埒《ふらち》な所属不明艦は、こちらの自衛行動で撃沈させてもらって構わないな? フランスは一切関与してないのだから、乗組員の救助を手助けするはずもないし。……逆にこの作戦行動を少しでも妨害した場合、フランスもまた『所属不明艦』の協力者とみなして構わない、という事になる訳だが」
ッドォォォォォン!! という地響《じひび》きのような轟音《ごうおん》が炸裂《さくれつ》した。
今度は駆逐艦《くちくかん》の砲ではない。キャーリサの放った巨大な扇が海面に直撃し、その莫大《ばくだい》な重量を使って海中に隠れる『所属不明』の潜水艦を撃沈した音だった。
「ホールインワンっ、かな? ミサイル発射のために浅い所で待機してたのはまずかったな。今から慌《あわ》てて潜《もぐ》っても間に合わん。このままだと『所属不明艦』の艦隊は一分も保《も》たないぞ」
『きっ、貴様……ッ!?』
「そーだな。所属不明艦がフランス海軍に救援を求めるたびに、フランス国境側へ一ミリでも退避《たいひ》しよーとするたびに、我が国の駆逐鑑からバンカークラスターを搭載した巡航ミサイルを発射しよう。一発目はヴェルサイユ、二発目はパリ、三発目は……まー良いか。そこまで撃ってもまだ懲《こ》りなければ、その時決めれば済む事だし。……統治者の評価はどれだけの民の命を守れたかで決まる。今のお前の対応では赤点を取るんじゃないか?」
これで、せっかく展開していた切り札が沈められていくのを、黙《だま》って見ている事しかできなくなった訳だ。仲間の悲鳴を聞きながら、ただ耐える以外の選択肢を封じられたのだ。
言葉を失うフランス大統領に、キャーリサは嘲《あざけ》りを含めて言う。
「もう、揺りかごで不貞寝《ふてね》してる『首脳』のお姫様にバトンタッチしたらどーだ? 議会政治を勝ち取ったプライドかもしれないが、馬鹿《ばか》が頭数を揃《そろ》えた所で我々に対抗できる策が出てくる事もないの。お前はさっさとヴェルサイユの聖女サマに死ぬほど頭を下げて、あの忌々《いまいま》しい軍師にお伺いを立てた方が身のためだぞ。……さもなければ、個人の驕《おご》りで戦争を起こして自国を滅ぼした、歴史上最も無能な統治者として汚名を残す羽目になりかねないし」
子供の癇癪《かんしゃく》のような喚《わめ》き声が聞こえたが、キャーリサは無視して電話を切った。
バタバタバタバタ、というヘリのローター音が頭上で響《ひび》く。
フォークストーンで哨戒《しょうかい》行動中だった、空軍のヘリだ。観測用ヘリコプターというのは、ようは武装を外した攻撃《こうげき》ヘリの事なので、横幅は一メートル未満という極めて小型のものだった。本来は二人乗りだが、おそらくキャーリサを乗せるため。途中でパイロットの片割を地面に下ろすのに手間取ったのだろう。そうでなければ、この到着の遅さは許容できない。
キャーリサの存在に気づいた観測用のヘリは高度二〇メートル程度の高さでピタリと動きを止めると、ゆっくりと下降してこようとする。
しかし、その前に第二王女の方が動いた。
ダン!! と、垂直跳びで二〇メートルの高さまで飛び上がったキャーリサは、ヘリの側面に片腕で張り付き、鋭いヒールを装甲に突き立てた。驚《おどろ》いて息を呑《の》むパイロットの目の前でドアを開け、自家用車の後部座席に乗り込むような気軽さで中に入ってくる。
「……ヘリは便利だが、セットした髪が乱れるのが問題だし」
脚力だけで大空まで飛んだキャーリサは、頭に手をやって不快そうな表情を浮かべていた。
彼女は腕組みしたまま、お抱えの運転手に行き先を告げるような調子でこう続ける。
「バッキンガム宮殿まで頼《たの》もーか。向こうでこいつの仕様を組み替える必要がある訳だし」
キャーリサはカーテナ=オリジナルの側面を手の甲で軽く叩《たた》ぎながら、適当な調子でこう告げた。
「あまりもたもたするなよ。使えないよーならこの機を落とし、自力で走破しても構わないんだし」
「痛っつ……」
上条当麻《かみじょうとうま》は背骨の辺りに鈍い痛みを感じ、目を覚ました。
ボロボロになった建物の基盤に寄り添うように、山中に取り残された廃車の中だった。いかにも外国の車らしい、燃費の悪そうなデカい乗用車なのだが……中と呼んで良いのだろうか。天井がない。ドアも全《すべ》て外れている。廃車というよりはとんどシャーシしかないような場所に、上条は仰向《あおむ》けに転がっていたのだ。
ドアの外れたその向こうにあるのは暗い森だった。相変わらずの真夜中だが、いい加減に目が慣れてきたのか、黒一色の闇《やみ》―――ではなく、闇は闇なりに明暗や濃淡があり、物のシルエットが分かる。東京暮らしの上条《かみじょう》からすれば、星明かりというものをリアルに体感できるのは、割とレアな経験である。
(どう……なった……?)
ソファのように漠然と放置された後部座席のシートから上条はむくりと体を起こしながら、頭の中で情報を整理しようとする。
(……確か、第二王女の攻撃《こうげき》を打ち消しきれずに吹っ飛ばされて……ものすごく上空まで投げ出されなかったか……?)
常識的に考えれば、あの数百メートルの高さから落ちて無事でいられるはずがない。下にクッションがあれば何とかなるとか、そんなレベルを超えていた。しかし、現に上条は五体満足で、骨が折れている様子もないどころか、せいぜい擦《す》り傷がある程度のものだった。
と、そこへ、
「呑気《のんき》なものだ。ようやく目覚めたのであるか」
低い男の声が聞こえ、そちらへ上条が目をやると、
「いっ!? 後方のアックア!!」
思わず身構えそうになる上条だが、不安定な廃車の上で足がもつれ、浮かびかけた腰がもう一度後部座席にドスンと沈む。
後方のアックアは廃車の中へ入ろうとはしない。
相変わらず(しかし学園都市で戦った時とは違う)馬鹿《ばか》デカい武器を手にしたまま、廃車の外に突っ立っている。
上条は注意深くアックアを見据えながら、ゆっくりと尋ねる。
「生きて……やがったのか……?」
「その台詞《せりふ》は、相手を殺すつもりで攻撃を放ち、きちんと敵を殺した確信を得た者だけが放つべきものである」
アックアはくだらなさそうに息を吐《は》き、
「まぁもっとも、流石《さすが》に聖母崇拝の術式を使って蓄えていた力を内側から爆破させられるとは思っていなかったのであるがな。とっさにバイパスを築いて力の塊《かたまり》を体外に放出して事なきを得たが、おかげで一時的に並の聖人クラスにまで力が落ちる始末である」
割と無言でいるのが好みなアックアが、べらべらべらべらと意味不明な事をしゃべっている。言葉と一緒《いっしょ》に放たれる怨念《おんねん》に、『わー俺《おれ》ここで超ダイレクトに粉砕されるかもー』と上条はガタガタ震《ふる》え始めた。
「つ、つーか、めの爆発の後、俺は一体どうなったんだ?」
「ふん。大した事ではない。私が空中で拾って地面に着地しただけである」
さらっとすごい事言われた!? と上条は驚愕《きょうがく》したが、
「ん? おい、ちょっと待て。インデックスはどうなった!? 確か、キャーリサの最後の一撃って、全方位に爆発みたいに放たれてただろ! それなら、あいつの乗ってた馬車は!?」
「質問するなら周りを良く見て、自分なりに考えてからにしろ」
アックアが心の底から侮蔑《ぶべつ》したような目で指を差す。上条《かみじょう》がそちらを見ると、廃車の助手席に座らされたまま気を失っている、白い修道服のシスターがいた。
「……まさか、こいつも拾ったのか?」
「まぁ、あの状況では二人ぐらいが限度であろう」
そっけない調子で言ったが、キャーリサの一撃《いちげき》は間違いなく『爆発』だった。アックアはあの一瞬《いっしゅん》で馬車の中にいたインデックスを拾う、空中に飛ばされた上条を拾う、自分も最低限の防御をする、という三つの行動を実行したとでも言うのか。
(……ま、ますます勝てる気がしねえ。っつーか、そもそも何で学園都市の時はこんな怪物相手に生き残る事ができたんだ……?)
「何で……俺《おれ》を助けたんだ」
「確かに、見殺しにした方が簡単ではあったのであるがな」
アックアはためらいなくそう言った。
「自分が騒乱《そうらん》の元凶である事には自覚があるか」
「……、」
「とは言っても、私が学園都市で語った時とは状況が違うのである。単に、貴様がローマ正教の人員を撃破してきた事が問題なのではない。正真正銘《しょうしんしょうめい》、親玉の狙《ねら》いが貴様の右手だったという事である」
「何だと? 親玉ってのは……?」
「現在、ローマ正教とロシア成教の連合を束ねているのは、右方のフィアンマという男である。そして、そのフィアンマが狙っているのが。貴様の右腕と、その本領を発揮するために必要な禁書目録の知識である」
アックアは上条の戸惑いを無視して、一方的に言ってくる。
「だとすれば、ここで貴様の右腕を跡形もなく粉砕するか、禁書目録の脳を破壊《はかい》する事でフィアンマの野望は潰《つい》える、という解釈もできるのである」
「ッ!?」
状況は掴《つか》めないが、目の前にある危機に上条の身が強張《こわば》る。
しかしアックア自身が、その選択について否定した。
「だから、そのつもりなら最初から見捨てていれば、二人とも勝手に死んだはずである」
「……なら、お前は何を考えて動いているんだ」
「騒乱の元凶を粉砕する事」
アックアはサラリと答えた。
「ただし、幻想殺しや禁書目録は、真の元凶に寄り添う付属品に過ぎない事も承知したのである。計画の要《かなめ》を失えばフィアンマも焦《あせ》るであろうが、ヤツが計画を変更して再稼働《さいかどう》する恐れもあるし、自暴自棄《じぼうじき》になってより一層の無意味な破壊《はかい》が撒《ま》き散らされる恐れもある。……となれば、やはり元凶の中の元凶を破壊する他《ほか》あるまい」
それだけ言うと、アックアは上条《かみじょう》に背を向けた。
巨大な剣を手にした大男は、
「もっとも、その前に真の元凶から派生した、このちっぽけな諍《いさか》いに歯止めをかける必要が出てきたのであるがな。イギリス勢力の力を高める事で、ヨーロッパの勢力図のローマ正教化に歯止めをかけるきっかけを生む可能性も出てくるのであるし……結果として、それがフィアンマの狙《ねら》いを削《そ》ぐ要因にも繋《つな》がるかもしれないのであるからな」
「止める方法が、あるのか?」
「小細工など不要である。私のやり方については、貴様も多少は見知っているものと思ったのであるが?」
「でも、キャーリサと『|騎士派《きしは》』はイギリス全土を制圧してるんだぞ?」
「障害の大きさは問題ではない。……まあ、カーテナ=オリジナルを軸にした『キャーリサ』と『騎士派』の新体制は、だからこそ特有の脆《もろ》さも内包している訳であるが……」
「?」
「そこを突くのは私の流儀《りゅうぎ》ではない。やはり、正々堂々と真正面から向かうべきであろう」
吐《は》き捨てるように言うと、不意にアックアの体が消えた。
よほど高速で立ち去ったのか、上条の目で捉《とら》える事ができなかったのだ。
(後方のアックア、か)
上条は助手席に座らされたまま気絶しているインデックスの肩に手を置きながら、考える。敵に回すと死ぬほど厄介なあの男が、あるいは状況を覆《くつがえ》す一手になるのだろうか、と。
気を失っているインデックスをどう手当てすれば良いのかも分からなかった上条だったが、
しばらく待っていると、ようやく少女は目を覚ました。
「う、ううん……」
「インデックス! 大丈夫か、どっか怪我《けが》とかしてないか!?」
思わず表情を明るくする上条。
対して、インデックスはわずかに身じろぎして、
「……とうまが『騎士派』から助けてくれたの?」
「だと思うだろ」
上条はインデックスから目を逸《そ》らし、
「ところが、そんなに都合は良くない訳だ」
インデックスはしばしキョトンとしていた。
そして、
「むっ!? もしやまた知らない女の人と一緒《いっしょ》にここまで来て――っ!?」
「だと思うだろ。でもそんなに甘くはなかったんだっ!!」
上条《かみじょう》は大声で否定しつつ、
「でも、いつもの調子で良かったよ」
「とうま、夜食がほしいかも」
「それはいつも通りすぎる」
「?」
そんな訳で、肩の力を抜いた上条とキョトンとした顔のインデックスが暗い森を少しウロウロしていると、天草式《あまくさしき》のメンバーと合流できた。単なる偶然ではなく、第二王女キャーリサが巻き起こした大爆発を感知した天草式が、彼女に気づかれないよう隠密《おんみつ》行動で辺り一帯を捜索《そうさく》してくれた結果のようだ。
彼らの暫定的《ざんていてき》な拠点は、水上で離着陸《りちゃくりく》できるレスキュー用の大型飛行機だった。上条やインデックスを来せたレスキュー機は、細い川を無理に利用して、プロのパイロットでも青ざめるような勢いで夜空へ飛んだ。
飛行機は外から見ると大きく思えたが、流石《さすが》に五〇人以上の人間を乗せると手狭に感じられる。そんな中で、上条に話しかけてきたのは、建宮斎字《たてみやさいじ》だった。
「第二王女キャーリサは、一足先に空軍のヘリを使ってバッキンガム宮殿に入ったようなのよ」
なんか、飛行機の奥の方から、『五和《いつわ》、このチャンスに行けってーっ!!』『むっ、無理ですまだ酒|臭《くさ》いです私!!』『気のせいだって! 何時間前の話をしてんだお前!!』などという声が聞こえてくるような気がするのだが、良い感じに建宮が通せんぼをしている。
「クーデターを抑えるためには、やはり第二王女をどうにかするしかないのよ。幸い、キャーリサは女教皇様《プリエステス》と違って、生まれつき肉体そのものが『聖人』のように特別な訳ではない。クーデターの核は、あのカーテナ=オリジナルなのよ。あれさえ破壊《はかい》できれば、キャーリサの保有している全《すべ》ての力を奪う事もできるんだが……」
女教皇様《プリエステス》という言葉に、上条は思わず神裂火織《かんざきかおり》の方を見た。
彼女は飛行機の壁に背中を預けたまま、床に座り込んでいる。所々に包帯が巻かれていて、露出《ろしゅつ》した肌のあちこちに青痣《あおあざ》が浮かんでいた。神裂は上条の視線に気づくと、ポニーテールの頭を申し訳なさそうに小さく下げる。
「……すみません。元アニェーゼ部隊やシェリー=クロムウェル達《たち》も命懸《いのちが》けで『|騎士派《きしは》』と交戦している現状、本来なら私も率先して戦うべきなのですが……見ての通り、不覚を取りました。体力の回復に努めますが、動けるようになるまで時間がかかるかもしれません」
「いや、別に良いんだけど……大丈夫《だいじょうぶ》なのかよ、お前」
「問題はありません、と強がってみたいものですね」
神裂《かんざき》は小さく切れた唇《くちびる》をわずかに緩《ゆる》め、笑みを作ったらしかった。彼女が目配せをすると、小さく頷《うなず》いた建宮《たてみや》が会話を引き継ぐ。
彼が口にしたのは、上条《かみじょう》がアックアから聞かされた事について、だ。
「しかし、その大きな障害だった騎士団長《ナイトリーダー》がアックアの手で撃破《げきは》されたという情報が本当なら、経緯はどうあれ状況は有利に運ばれたみたいなのよな」
「……言っておくけど、相手は『神の右席』だぞ? それに俺は、アックアから話を聞いただけで、その騎士団長《ナイトリーダー》が実際に倒れている所は見ていない。そういう策だっていう可能性も考えておいた方が良いんじゃないか?」
「一応、斥候《せっこう》には確認させているのよ。どうやら、あの二人がフォークストーンで戦っている所までは確認できている。それでいてアックアが自由に動いている所を見ると、やはり『|騎士派《きしは》』のトップは敗北したと考えるのが妥当《だとう》なのよな」
もちろん、それすら含めて罠《わな》の可能性も捨てちゃいないが、と建宮は『一応』というニュアンスで付け加える。
上条は少し考え、
「……仮にアックアの言っている事が本当だとすれば」
「後はカーテナ=オリジナルを持った第二王女キャーリサのみ。……もっとも、これが一番|厄介《やっかい》な相手であるのも事実なのよな」
とはいえ、彼女を何とかしない限り問題は解決しない。
そこで、神裂が横から口を挟んだ。
「女王のエリザード様と、『清教派』トップのローラ=スチュアートはどうなっているんでしょう」
「報告なし。『騎士派』の通信|網《もう》によると、ウィンザー城からロンドンへ移送中に逃走を図ったらしいけど、その後どうなったかは分かっていないのよな」
建宮が苦い表情で神裂に答えた。
上条はそんな二人の顔を見て、
「やっぱ、百戦|練磨《れんま》っぽい女王様なら、こういう時でも一発逆転の秘策を思いついたりできるのか?」
「女王の手腕ならそういうストレートな戦力としても期待できますが、仮にそうではなかったとしても、エリザード様の存在自体が内政と外交の双方に強力な価値を生むでしょう。……逆に言えば、そこがキャーリサ新体制攻略への突破口になるかもしれませんが……」
「?」
首を傾《かし》げる上条に、建宮が締《し》めくくるように言う。
「とにかく、このクーデターを一刻も早く終結させるため、その中心核である第二王女キャーリサを叩《たた》くのよ。そのためには、まず彼女の持っているカーテナ=オリジナルの機能を停止させる必要があるのよな」
どうやってカーテナ=オリジナルという霊装《れいそう》を破壊《はかい》するかについては、上条《かみじょう》の右手があれば何とかなるかもしれない。
「でも、王女様はバッキンガム宮殿の中だろ? ロンドンも含めて国中が『|騎士派《きしは》』に制圧されている状況で、警備を固めた宮殿の内部に突っ込む事なんてできるのか」
「今のバッキンガム宮殿に正面からぶつかるのは、一国家の全軍隊と直接激突するよようなものなのよな。……ただし、ロンドン市内だけなら潜《もぐ》る事もできるかもしれないのよ」
「?」
「ロンドン市内にはいくつもの地下鉄の路線が走っているが、その中にヴィクトリア線ってのがあんのよ。そしてこいつはバッキンガム宮殿のほぼ真下を通っている。こいつを利用すれば、バッキンガム宮殿の敷地《しきち》に入らなくても、その周辺の地下鉄駅からちょっかいを出す事もできるって訳なのよな」
そこまで言うと、建宮《たてみや》は一旦言葉を切った。
それから話題を少し変え、彼は言う。
「そもそも、第二王女キャーリサは何でバッキンガム宮殿に戻ったと思うのよ?」
「あん? そりゃお前、クーデターのリーダーなんだから、簡単に倒れちゃまずいだろ。だから警備の一番厳重な要塞《ようさい》に―――」
「カーテナ=オリジナルの力は絶大だし、そもそも今のバッキンガム宮殿には魔術的《まじゅつてき》な防護術式は施《ほどこ》されちゃいないのよ。生身でぶらぶら歩いていてもそう簡単に倒せる相手じゃないし、立て籠《こ》もるにしても、もっと魔術的防護|網《もう》の厳重な……例えば、王室別宅のウィンザー城とか、適切な建物はいっぱいあるのよ」
「じゃあ何だよ。意味もなく宮殿に入った訳じゃないだろ。正当な政府として、ロンドンっていう首都から命令を飛ばす事になんか付加価値があるとか、そういう話か?」
「まぁ、そういうメツセージ性もあるにはあるだろうけど、もっと直接的な理由があんのよ。それがさっきも話に出てきたカーテナ=オリシナル」
「あの剣がどうしたんだよ?」
「カーテナ=オリジナルは強すざる。この国の中だけに限るけど、天使長に匹敵する力を扱える訳だからな。……だが、だとすると一つの懸念《けねん》が生まれるのよ。カーテナ=オリジナルは外敵を徹底的《てっていてき》に滅ぼす力を持つが、その力の制御を間違えた場合―――真っ先にその暴走に巻き込まれて消滅するのは、当の持ち主本人である、って感じにな」
そうか、と上条は思わず声に出した。
建宮は彼の表情を見て、一度|頷《うなず》く。
「当然ながら、オリジナルだろうがセカンドだろうが、カーテナを握るのはイギリスの中で最も偉い王様か女王様……万が一にも死なれちゃ困る相手なのよ。だから、暴走を抑えるための大型施設が必ず必要になる。例えば、万が一カーテナが暴走した場合、その力を的確に逃がし、大爆発を免れるための設備群が……一年で最も長い期間滞在している、バッキンガム宮殿に組み込まれているとかな」
「カーテナ=オリジナルは一度歴史から消失し、代わりにカーテナ=セカンドを使う事になった。この原因はピューリタン革命にあるって言われちゃいるんだが……そもそも、カーテナの力が万全なら、こんな革命は成功せずに、カーテナが抵抗勢力を皆殺しにしたはずなのよ。それが上手《うま》くいかなかったのは……」
「過去に一度、カーテナ=オリジナルは暴走した事があるのか……」
仮説に仮説を重ねるような状況だが、建宮《たてみや》の話によると、どうも天草式《あまくさしき》が保護した第三王女ヴィリアンもそうした『仮説』を肯定的に見ているようだ。
「となるとやはり、それを防ぐための策を講じているってのは信憑性《しんぴょうせい》の高そうな話なのよ。何しろ、かつてはその暴走が原因で革命を許すほどの隙《すき》を作ってしまったんだから」
建宮の言葉に、床に座り込んだ神裂《かんざき》が言葉を続ける。
「エネルギー的にカーテナ=オリジナルとやり取りを行う大型施設がある場合、そこから魔力《まりょく》を逆流させる事で、カーテナ=オリジナルへ干渉できるかもしれない……という仮説が生まれます。キャーリサがバッキンガム宮殿に入り、カーテナ=オリジナルの安定を求めた今だからこそ、その力を暴走・使用不可能にするチャンスが生じたんです」
カーテナ=オリジナルさえ使えなくなれば、第二王女は普通の人間レベルまで力が落ちる。
イギリス国内に限り絶大な力を振るう『|騎士派《きしは》』の連中も、そのブースト効果を失う。
なおかつ、
「キャーリサと『騎士派』は、それほど強い結束がある訳ではありません。そもそも、『騎士派』を束ねているトップは騎士団長《ナイトリーダー》という別の人物ですからね」
「? でも、一緒《いっしょ》にクーデターを実行してるんだろ?」
「それは、キャーリサの新体制がイギリスにとって最も有益であると『騎士派』が判断しているからです。逆に言えば、キャーリサに従い続ける事でイギリスが不利益を被《こうむ》ると判断した場合、『騎士派』は容赦《ようしゃ》なく第二王女を見限って撤退《てったい》するでしょう。つまり……」
「カーテナ=オリジナルを使えるか使えないかが、そのまま英国全土のクーデター成否に直結してる……?」
上条《かみじょう》はそのビジョンに顔色を明るくしかけたが、ふと思い留《とど》まる。
「待てよ。でも、バッキンガム宮殿って魔術的な仕掛けはないんじゃなかったのか? 確か、魔術っぽいものを用意すると、ゲストを罠《わな》の中に放り込む構図になるから外交上問題があるとか何とか」
「ですから、そのための地下鉄なんです」
神裂《かんざき》は即座に反論した。
「確かに、平時のバッキンガム宮殿には魔術的《まじゅつてき》設備はありません。ですが、宮殿の地下には地下鉄の線路が走っています。普通の路線から枝分かれした場所には魔法陣《まほうじん》を施《ほどこ》した待殊車両が控えていて、カーテナ=オリジナル暴走時には速《すみ》やかに特殊車両を動かし、バッキンガム宮殿真下へ運び込む仕掛けがあるんです」
確かにその方法なら、『あくまでもバッキンガム宮殿の敷地《しきち》内には魔術的設備はない』という尾理屈《へりくつ》は成立する。どうも、かつては大型の馬車に搭載して宮殿の敷地のすぐ外にでも置いておいたらしいものを、地下鉄の開通に合わせて乗せ換えたのではないだろうか……と新生|天草式《あまくさしき》では推測しているようだ。
カーテナ=オリジナルは何百年もの間、行方不明になっていて、バッキンガム宮殿にある地下鉄を使った安全装置はカーテナ=セカンド用に組み込まれたものだ。ただし、同じカーテナ系の霊装《れいそう》なので、第二王女キャーリサも地下鉄の安全装置を利用していてもおかしくはない。
「現在、イギリス清教の空中|要塞《ようさい》カヴン=コンパスと連絡を取り合っている所です。準備が整えば、カヴン=コンパスの大規模|閃光《せんこう》術式に使う超大容量の魔力を使って、地下鉄経由でカーテナ=オリジナルに強制干渉し、その暴走を促す作戦が実行される…という訳です」
「カヴン=コンパスからバッキンガム宮殿までの距離《きょり》は五〇〇キロ超ありますが、潜伏《せんぷく》しているイギリス清教の者が『中継ポイント』となる霊装を途中の一〇ヵ所ほどに設置して、膨大《ぼうだい》な魔力を誘導《ゆうどう》する手はずになっているそうです。成功すれば、あの厄介《やっかい》な剣を使用不能にしたり、弱体化を促したりできる可能性が出てきます」
「じゃあ、俺達《おれたち》が今ロンドンに向かってるのは、カーテナ=オリジナルを封じた後に、バッキンガム宮殿に突っ込むためって訳か?」
「それもあるんですが……」
神裂が珍《めず》しく言い淀《よど》んだ。
仕方がないといった調子で、建宮《たてみや》が先を言う。
「さっき、カーテナ暴走用の特殊車両は、地下鉄路線の枝分かれした所に待機しているって言ったのよな」
「まぁ。それが?」
「その枝分かれした路線の出入り口は、魔術的な隔壁《かくへき》が下りていて、普段《ふだん》は普通の壁と全く変わらないようなのよ。だからその隔壁を壊《こわ》して、ルートを確保する必要があるのよな」
なるほど、と上条《かみじょう》は自分の右手を見た。
大体、やるべき事は分かってきた。
「ようは、俺達の手でバッキンガム宮殿近くの地下鉄駅まで行って、その近くのトンネル内にある隔壁《かくへき》を右手でぶっ壊《こわ》せば良いんだな」
「そこで、問題が一つある訳なのよ」
「?」
「第二王女キャーリサを迎えたロンドンは、新しい警備体制を敷《し》いているのよ。それも。魔術《まじゅつ》に関して特に過敏に反応するようにな。平たく言うと、魔力《まりょく》を持つ者がうろうろすれば、一発でバレる。居場所は地図で表示され、あっという間に完全武装の騎士《きし》達《たち》が急行しちまうのよ。……となると、自分の力で魔力を精製できる魔術師はこの作戦には参加できない、という事になるんだが」
「え、それって……」
上条《かみじょう》が『聞き間違いか』みたいな感じで建宮《たてみや》や神裂《かんざき》の顔を見返すと、建宮どころか神裂までもが思わず彼から目を逸《そ》らした。
「……え、ええと、完全に魔力を精製できないか、あるいは民間人レベルの微弱な者……つまり、あなたとインデックスしか、この作戦で戦える人物はいないんです」
しかし、目を逸らしながらちゃっかり言う事は言う。
彼女は背《そむ》けた視線の先にいる第三王女ヴィリアンの横顔を跳めながら、
「地下鉄トンネル内に設置された魔術隔壁や魔法陣《まほうじん》を設置した特殊車両へは、『王室派』のヴィリアン様がいなければ干渉できません。従って、あなた達三人に頑張ってもらうしかないんです」
そんなこんなで敵陣中央超突破である。
上条、インデックス、ヴィリアンの三人はロンドン西部の高級住宅街・ケンジントンの辺りから、東へ進んでいた。
といっても、徒歩ではない。
ロンドンは東西数十キロの広さがあるので、単純に歩いて行けるものではない。今は第三王女ヴィリアンの運転する小さな車を使って、ガラガラの道路を進んでいる最中ある。絵本に出てくるようなお姫様がハンドルを握っているのにものすごく違和感を覚える上条だったが、
「……いくら何でも、そこまで箱入りじゃありません……」
というのが、二四歳ヴィリアン様の弁だった。
正真正銘《しょうしんしょうめい》の王女様を運転手扱いするのがとてつもなく申し訳ない上条だったのだが、かと言って、彼やインデックスには車を運転する事などできない。
目指す目的地はロンドン中央のバッキンガム宮殿間近にある地下鉄駅。宮殿の敷地《しきち》内までは入らないにしても、目と鼻の先まで接近しなければならないのだから、割と絶体絶命の状態だったりする。
ロンドンには数十万台の防犯カメラが設置されている、という話だったが、市街に着陸したレスキュー機で待機している建宮達《たてみやたち》によると、現在、そのカメラは機能していないらしい。
『本来、魔術的《まじゅつてき》活動を行う者はカメラの死角を縫《ぬ》うように移動したり、カメラに記録されないような術式を施《ほどこ》したりする訳だが……すでに国家機能をほぼ完全に掌握《しょうあく》した第二王女キャーリサは、面倒|臭《くさ》くなったんだろうな。おそらく市内の主要警備会社三社に命じたのよ。防犯カメラは止まっているみたいなのよな』
「カメラが止まってるって……どうやって警備会社の映像を盗んできてるんだ。天草式《あまくさしき》って、科学サイドのセキュリティにも精通しているのか?」
『いや、単に遠距離《えんきょり》から望遠鏡で観察しただけなのよ。防犯カメラにもオートフォーカスがついているけど、そいつが全く動いている様子がないのよな。ありゃあ機能していない。人間で言うと、瞳孔《どうこう》が開いたままって感じなのよ』
……えらくアナログな方法で解析されてしまった訳だが、おそらく建宮達の言っていた事は真実だろう。『新たなる光』という魔術組織の連中はカメラの死角を縫ってロンドン市内まで潜《もぐ》り込んで来ていたが、素人《しろうと》の上条《かみじょう》にそんな真似《まね》はできないし、インデックスも科学的なものには疎《うと》い。一応、上条達は裏通りを選んで進んでいるとはいえ、防犯カメラのセキュリティ網《もう》が正常に機能していれば、あっという間に見つかっていたはずだ。
助手席にいる上条は、街中にある動かないカメラを眺めながら口を開いた。
「でも、こんな風に誰《だれ》もいない街でエンジン音を鳴らして車で進んだりしたら、『|騎士派《きしは》』の連中にバレないもんかな?」
「大丈夫《だいじょうぶ》だよ」
そう答えたのは、後部座席に収まっているインデックスだ。
「現在の『騎士派』は魔術を使って警戒に当たってるの。体の五感に頼《たよ》らず、術式で増強した五感を利用した警備網だね。いくら『騎士派』が大勢だからといって、数十キロ単位のロンドン全域を指定の人数でカバーするには必要な事なんだよ。……でも、魔術的に逆手に取れば、目の前を通過しても気づかれないようにもできるんだね」
はー、と一〇万三〇〇〇冊の魔道書《まどうしょ》図書館の言い分に感心する上条だったが、そこでふと彼は思い直した。
「ちょっと待てインデックス。何でお前、『騎士派』の今の魔術を知ってるんだ?」
「え? だってそっちのビルの屋上にいるから」
うわっ!? と上条が慌《あわ》ててインデックスの指差した方を振り返ると、確かにビルの屋上には黒い人影が。ただし銀色の鎧《よろい》を着たシルエットはこちらに気づかず、ビュンッと別のビルへと飛び移っていく。
(……これだけ人がいなければ、エンジン音ぐらい聞こえそうなもんだけどな……)
魔術《まじゅつ》に頼《たよ》り過ぎている弊害《へいがい》だろうか。
とはいえ、インデックスが時折ヴィリアンに『あっちに曲がってそっちはゆっくり』と適当に(見える)指示を出さなければ、瞬《またた》く間に発見されている事だろう。
「でも、『王室派』とか『|騎士派《きしは》』とかって、軍とか警察も使ってなかったっけ?」
「そっちは民間人の対応に追われているんじゃないかな? 天草式《あまくさしき》の話だとホテルとか劇場とか大きな施設に集めているって話だったけど、何も知らない人達に言う事を聞かせるなら、『分かりにくい魔術』じゃ遠回りだもん」
言われてみれば、確かに得体《えたい》の知れない杖《つえ》やら水晶球やらを突きつけるより、銃口を向けた方が手っ取り早い。もちろん魔術も『威嚇射撃《いかくしゃげき》』すれば話は変わるだろうが、事あるごとに無駄《むだ》撃《う》ちするのも面倒だろう。
(それにしても……)
人のいないロンドンの風景を眺めていた助手席の上条《かみじょう》は、ふと隣《となり》の運転席でハンドルを握っているヴィリアンの方へ目を移した。
絵本に出てくるような緑色のドレスをまとった、白い肌に金髪の女性。浮世《うきよ》離《ばな》れしているという点ならインデックスも同じはずだが、二人を見比べると明らかに雰囲気《ふんいき》が違う。インデックスが科学などの異文化を見ても真正面から衝突《しょうとつ》するのに対し、ヴィリアンはひっそりと花を咲かせる高山植物のように、繊細《せんさい》な環境を整えなければそのまま消えてしまいそうな印象があった。
と、ヴィリアンが上条の視線に気づいた。
「いかがなさいましたか?」
「い、いや……」
上条は何でもないと首を横に振る。
何故《なぜ》かこの作戦を決行する前、新生天草式の神裂《かんざき》や建宮《たてみや》達から『曲がりなりにも英国王室に血を連ねる方ですからね!』『うっかりスカートめくれちゃいましたで不敬罪に問われるのよ!!』などと釘を刺されまくった訳だが、あれは何だったのだろうか?
「そういえば、魔力を練る事ができないヤツじゃないと、キャーリサ達の感知に引っ掛かるって話だったけど」
「え、ええ」
ヴィリアンは気まずそうな調子で、まるで上条の視線から逃げるように、緑色のドレスに包まれた身をよじった。
「申し訳ありません。王家の者として身に付けるべき教養だというのは存じているのですが、どうしても武力に応用可能な知識や枝術を学ぶ事に拒否感があって……。今の私にできるのは、せいぜい『すでに発動している霊装《れいそう》に触れて操作する』ぐらいのものでしかありません。姉君のキャーリサはカーテナ=オリジナルを扱える可能性があるとして私を処断しようとしていたようですが、私にそんな物を渡されても、実質的に扱う事はできないでしょうね……」
「あれ? でも、地下鉄駅の隔壁《かくへき》の問題は王家の血を引く者がいないと突破できないとか何とかって話じゃなかったっけ?」
「ええ……。せめて、母君かリメエアの姉君がいれば完璧《かんぺき》だったのですけど……私のような未熟者では、禁書目録に補佐していただいても、職務をまっとうできるかどうか……」
「そっ、そんなに落ち込まなくても大丈夫《だいじょうぶ》だと思うぞっ! というか、そもそも王様は魔術《まじゅつ》を学ばないといけないとか意味が分かんなくなってるし!!」
「……そうなのでしょうか……? 今回の作戦にあたって、バッキンガム宮殿側からも一般の使用人や料理人、庭師などが地下鉄トンネルに向かってきてくださるそうですし……。安易な暴力に頼《たよ》らないにしても、私にもっと皆を守るための手立てがあれば、あなた達《たち》にも危険な所へ赴《おもむ》いていただく必要もなかったでしょうに」
どーん、と気落ちしているヴィリアン。どうやらクーデター下で直接的な戦力を提供できない事に、彼女なりの負い目があるらしい。
どうにか話題を変えるため、上条《かみじょう》は強引に視線をロンドンの街並みの方へ移した。
「しっかし……一口に裏通りっつっても、やっぱ学園都市とは違うもんだな」
「とうま。路地裏の違いが分かる男って、別に何の自慢《じまん》にもならないかも」
別に自慢してる訳じゃねえよ、と上条は返し、
「それにしても、首謀者《しゅぼうしゃ》のキャーリサをどうにかしなくちゃならないし、その足掛かりとしてカーテナ=オリジナルの機能を潰《つぶ》さないといけないのは分かるけど……大ボスをやっつけたぐらいで、こんな大規模なクーデターってあっさり収まるモンなのか? なんか、そのまま泥沼の戦いが続いていく、なんて事にならないか心配なんだけど」
異変はロンドン市内だけではない。イングランド、スコットランド、ウェールズ、北部アイルランド……イギリスの主要四地域のほぼ全域が、第二王女キャーリサ率いる『|騎士派《きしは》』によって占拠されている。そこまで進行してしまった問題が、たった一人の柱を失っただけで奇麗《きれい》サッパリ元に戻るのか……正直、上条には自信がない。
ところが第三王女ヴィリアンが、おずおずとこんな事を言ってきた。
「おそらく、姉君のキャーリサさえ封じられれば、クーデターは終結すると思います」
「?」
上条が首を傾《かし》げると、ヴィリアンは困ったように眉《まゆ》を寄せながら、
「一口にクーデターと言っても色々あるとは思います。ですが、今回イギリスで起きている件に関してのみならば、首謀者を失った後も泥沼化する可能牲は低いのではないでしょうか」
オドオドとした調子のヴィリアンに合わせるように、インデックスも頷《うな》いた。
「さっき、天草式《あまくさしき》が『騎士派』の通信を傍受していたよね。『傭兵《ようへい》の手によって騎士団長《ナイトリーダー》が撃破《げきは》されたため、他《ほか》の騎士達に動揺が広がっている』って。……クーデター側は『騎士派』のトップと第二王女を精神的な柱に掲げているんだよ。そして、その内の一本はボキッと折れた。だから、残る最後の柱が壊《こわ》れちゃったら、おそらく『|騎士派《きしは》』の意志は瓦解《がかい》しちゃうかも」
「……計画に参加しろ参加しろと言っていた張本人が真っ先に倒れてしまったら、残された大勢の人々は戸惑うしかないとは思いませんか?」
ヴィリアンの言葉を聞いて、そんなものかもしれない、と上条《かみじょう》は考える。
さらに、インデックスは続けてこう言った。
「それに、イギリスは『王室派』、『騎士派』、『清教派』の三派閥で役割分担しているんだけど、これもクーデターに歯止めをかける材料になるんだよ」
「どうして?」
「他《ほか》の国との外交は『王室派』が一手に引き受けているからだよ。つまり、『騎士派』は直接的に戦う事は得意でも、他国と駆け引きを行う術《すべ》がないの。おそらく、国家間で対等の取り引きを行えるのは第二王女のキャーリサか、『王室派』を一番近くから補佐してきた騎士団長《ナイトリーダー》ぐらいじゃないかな」
「でも、それで矛《ほこ》が収まるか? 先行きが分からなくなった途端《とたん》に、『騎士派』の連中が暴走を始めたりしないだろうな」
「確証はないけど、多分|大丈夫《だいじょうぶ》だと思う。『騎士派』の目的はイギリスを守る事でしょ。そのために最も有効な方法として、第二王女主導のクーデターに賛同した。……でも、そのキャーリサを失った結果、これ以上クーデターを続ける事でイギリスが壊滅的《かいめつてき》なダメージを被《こうむ》ると分かってしまったら……おそらく、その時点で剣を収めるはずなんだよ。剣を収める事こそが、イギリスにとって最もダメージを小さく収め、最もこの国のためになる、って判断すればね」
「……、」
上条はしばし黙《だま》って後部座席のインデックスの顔を見た。
それから彼は、ゆっくりとこう言った。
「神裂《かんざき》とか五和《いつわ》とかならともかく、インデックスにそういう事を言われてもあんまり信憑性《しんぴょうせい》がないかもしれないなあ」
「……とうま。ひょっとして私が魔術《まじゅつ》以外は全くダメな子だと思っていない?」
いや現に食べて寝てテレビを見る子じゃない、と上条は進言しかけたが、そんな事を言ったら後頭部をガブリとやられるに決まっているので、ここは賢い沈黙《ちんもく》を選択する。
そうこうしている間に、目的の地下鉄駅に近づいてきた。
「停《と》まって。この辺からは流石《さすが》に車の音を鳴らし続けるのはまずいと思う。本拠地であるバッキンガム宮殿も近いしね」
インデックスに促されるままに、ヴィリアンは小さな自動車を路肩に停車させる。車から降りた三人は、改めて周囲を見回した。
今は深夜の二時近いが、それにしても、イギリスの首都にすれば極端に人口は少ない方だろう。通りには誰《だれ》もいないし、車道にも車は走っていない。フォークストーンへ向かう前には野次馬《やじうま》になりかけている住人|達《たち》を警官が押し返したりしていたのだが、今はそんな騒《さわ》ぎもない。
『|騎士派《きしは》』と『清教派』の市街戦も一応決着し、住人達の動きも制圧した結果、今ではロンドン市内のあちこちに人員を記置し、異常があれば増援を呼ぶ……という方法が取られているのかもしれない。
上条《かみじょう》は辺りを見回したが、少なくともそれらしい人影はない。
それどころか、地下鉄駅の向こうに見えるバッキンガム宮殿の方にも人の気配がしないのだが、
「?」
ふと、上条の右手が何か柔らかいものに包まれた。
改めてそちらに視線を移すと、ヴィリアンが手袋に包まれた小さな両手で上条の掌《てのひら》を覆《おお》っている。野暮《やぼ》ったい防寒具ではなく、王候貴族の装飾品としてのお上品な手袋だ。
「……くれぐれも敷地《しきち》には入らないでください」
彼女は上条の顔を見上げて、そっと言った。
「魔術《まじゅつ》に疎《うと》い私には分かりかねますが、木々に留まる羽虫の数まで正確にサーチできると、以前姉君のキャーリサが豪語しているのを聞いた事があります」
「えっ、ええと、ハイ」
シルクの薄《うす》い手袋越しでも分かる、明らかに男のゴツいものとは違う柔らかいマシュマロの表面のような感触に、上条はカクカクと頷《うなず》く。ヴィリアンの方は、そうした上条の反応に全く気づいていないらしい。
それを冷めた目で眺めていたインデックスが、ヴィリアンの言葉を補足する。
「おそらく狙撃《そげき》系の術式を備えた騎士達が、窓や屋上から何重にも走査を続けているんだと思うよ。『ロビンフッド』の補助に使われていた術式の広域応用版じゃないかな」
そう言われて、上条は地下鉄駅へ踏《ふ》み出そうとした足を止めた。
「じゃあ、このまま駅に向かうのもまずいのか」
「サーチの隙間《すきま》を縫《ぬ》ってみる。私の後についてきて」
言って、インデックスは物陰から飛び出した。特に何がある訳ではないのだが、彼女はまるで見えないサーチライトを避《さ》けるように、何もない空間を不自然に迂回《うかい》して地下鉄の駅へ向かう。ついていく上条やヴィリアンとしては、何を基準に何を避けるのかも分からないので、不安この上ない。
やがて、三人は地下鉄の駅に辿《たど》り着いた。
下りの階段を駆け降りると、インデックスがようやく安堵《あんど》の息を吐《は》く。
「ここまで来れば大丈夫《だいじょうぶ》そうだね」
「……何がどうなったのかさっぱりなんだが、俺《おれ》はとりあえず感謝をすべきですか?」
「感謝はしてほしいけど、これはどうするの?」
は? と上条《かみじょう》が怪訝《けげん》な顔をすると、インデックスは丁寧に前方を指差した。
「なんか、ピコピコのついた壁みたいなのが下りているんだよ」
それじゃあみんな、インデックス語を翻訳《ほんやく》してみよう☆
目の前に電子ロックのついた隔壁《シャッター》が下りて出入り口を塞《ふさ》いでいるけど、どうするの?
問答無用の午前中授業だ!!
なので、超能力開発の名門校・常盤台《ときわだい》中学のエースである御坂《みさか》美琴《みこと》はファミレスにいた。今の時刻は午前一一時前。お昼時にはまだちょっと時間があるため、客足はやや少なめ。美琴はここで早めの昼食を食べて、再び常盤台中学に戻る予定である。
何故《なぜ》舞い戻るのかというと、今が学園都市最大の文化祭『一端覧祭《いちはならんさい》』の準備期間だからだ。学校見学やオープンキャンパスも兼ねるイベントであるため、最大規模の体育祭『大覇《だいは》星祭《せいさい》』のように外部に開かれたものではないが……反面、『進学』という言葉に敏感な名門校ほど、多くの見学者《がくせい》を呼び込むべく熱を上げる傾向があるのだった。
当然、『大覇星祭』の時は開放されなかった常盤台中学も。この『一端覧祭』だけは部分的に一般開放される。美琴ものんびりしている訳にはいかないのだ。
(……それにしても)
美琴は鉄板の上に乗ったデカいハンバーグを一口サイズに細かく切り分けながら、
(何よこのファミレスは。たまたま今日初めて入ったけど、ここは巨乳の国なのか……?)
もはや悔しさを通り越し、呆《あき》れたような調子で辺りを見回す。
どうやら地理的に中学生よりも高校生が活用する店らしく、長い黒髪におでこな巨乳セーラー(とその向かいに座る、特に胸も大きくない巫女《みこ》装束《しょうぞく》の似合いそうな女)に、そこの学校の教師なのか、緑色のジャージを着たもう馬鹿《ばか》みたいに爆乳の体育教師。おまけに、あの窓際《まどぎわ》の座席に座っている、メガネで巨乳の……立体映像? 能力を利用した新手のサクラかもしれないが、それにしたってそこまで胸を大きくする必要はないだろう。
(ん? 待てよ。ほぼ全員にこんなにも分かりやすい身体的特徴があるという事は、もしや……この店の料理には乳を大きくする成分が!? な、何よそれノーベル賞確定じゃないよしそういう事なら!!)
と、割とポジティブに立ち直った美琴が、いつもよりも素早い動きでせっせとハンバーグを口に入れていた時だった。
テーブルの端《はし》に置いていた携帯電話が小刻みに振動した。
ひとりでに動いた電話がテーブルの端から落ちる直前に、バシッと美琴は携帯電話を掴《つか》み取る。
(こんな時に、黒子《くろこ》のヤツじゃないでしょうね)
などと考えて携帯電話を開いた美琴《みこと》は、小さな画面に表示された番号を見てひっくり返りそうになる。
ツンツン頭のあの馬鹿《ばか》だ。
「むぐっ!? ガハゴホゲホゲホ!!」
衝撃《しょうげき》に思わず喉《のど》を詰まらせそうになる美琴。
(なっ、何で!? 何の用なの! あの馬鹿の方から電話がかかってくるなんて滅多に……だーっ! 事前にメールで何の用かを送ってくれれば、こんなに慌《あわ》てなくて済んだのに―――いやダメだその場合だと今度は緊張《きんちょう》してメールを開けない……ッ!!)
などと一人でわなわなしている美琴だったが、このまま電話が切れてしまってもあれだ。着信履歴を元にこちらからかけ直すというのも、それはそれでハードルが高い。美琴は震《ふる》える親指を着信ボタンに伸ばし、
(そっ、そうよね。今日は学園都市中の学校が午前中授業なんだから、白由時間だって多いはず! 『一端覧祭《いちはならんさい》』の準備もサボれないけど、でも時間のやりくりをできれば少しぐらい……)
何やら両手で携帯電話を掴《つか》むと、普段は見せないお嬢様《じょうさま》スタイルで耳を当てる。混乱する美琴の耳に入ってきた最初の一声は、
『悪りぃ御坂《みさか》! これから地下鉄駅に忍び込みたいんだけどシャッターの電子ロックの開け方とか分かるか!!』
「………………………………………………………………………………………………………、」
御坂美琴は携帯電話を耳から遠ざけ、一度大きくため息をつくと、極めて冷静な動作で親指を使って電話を切った。
電話をテーブルに置いて巨大ハンバーグと向き合う美琴の耳に、再びマナーモードの小刻みな振動音がヴィィィ、と届いてくる。
彼女は気分を鎮《しず》めるためにノンシュガーのラテを一口だけ含み、紙ナプキンでお上品に唇《くちびる》を拭《ぬぐ》ってから、ようやく携帯電話に手を伸ばす。
『悪りい御坂! これから地下鉄駅に忍び込みたいんだけど―――ッ!!』
「聞こえてた上でシカトしてんのよ!! 気づけド馬鹿!!」
腹の底に力を込めて思い切り叫び、ようやくいつもの調子に戻ってきた美琴は怪訝《けげん》な顔で、
「大体、駅に忍び込むってどういう状況よ? 駅員しか入れない所にでも用がある訳?」
『違う違う。なんか出入り口のシャッターが下りちゃっててさ、中に入れないんだ。まあ緊急事態だから仕方がないし、そもそも本来この時間は終電を過ぎてるんだから、シャッター下りてる方が普通ではあるんだけど』
「は? 終電?」
美琴《みこと》は怪訝《けげん》を通り越して不審な表情になった。
今は午前一一時ぐらいのはずだ。昼前に終電が出る路線など聞いた事がない。
すると、向こうも美琴の疑問に気づいたようで、
『そっかそっか。時差があったんだっけか。悪りぃ御坂《みさか》、もしかして授業中とかにかけちまったか?』
「いやそれは大丈夫《だいじょうぶ》だけど……ちょっと待ちなさいアンタ。時差って、今どこにいんのよ?」
『ロンドン』
その回答に、美琴はもう一度電話を切ろうとした。
いくら何でもそれはない。彼女はファミレス店内の壁に据え付けられた巨大|薄型《うすがた》モニタに目をやった。画面の中では、深夜の真っ|暗闇《くらやみ》の中、外国人の取材クルーが同じようなニュースを何度も何度も伝えてきている。ロンドン中心部の人々はホテル、劇場、映画館、教会などの大型施般に身柄を移され、自宅にいる事すら許されない状態にあるらしい。何の冗談でもなく、指定された建物・施般から出たら銃器の使用も辞さないと伝令されているとまで報道されている。イギリス側から公式発表はされていないが、どうもクーデターが発生したという説は極めて濃厚らしいのだ。
(……でもこいつ、前はフランスに行っていたような……?)
一瞬《いっしゅん》、不吉な予感に囚《とら》われた美琴だが、慌《あわ》てて首を振って否定する。
そうそう何度もあってたまるか。
「アンタ、学園都市の『外』に出るのにどんだけ大変な手続き踏《ふ》むか分かってんの? 広域社会見学みたいな学園都市認定のイベントであっても結構面倒なのよ」
『本当にそのロンドンにいるんだけどなぁ』
何やらそれなりに困っているのか、電話の向こうで軽く頭を掻《か》く音が聞こえる。
『それに、ここのシャッターが開かない事にはどうにもならないのもマジなんだけど……』
「一体何に巻き込まれてんのか知らないけど、女の子に頼《たの》むような事じゃないわね」
美琴が呆れたように言うと、携帯電話は『う―――――――――ん』としばらく唸《うな》った。
その上で、上条当麻《かみじょうとうま》はほとんど投げやりになった調子で、一言だけこう言った。
『……ダメ?』
ダメじゃない、と美琴は思わず口に出しそうになった。
『ふむふむ、マーベラスロック社の225式パッシブね。それならパネル下のツメを二つ外すとメンテナンス用のジャックが出てくるわよ』
携帯電話のカメラで電子ロックのパネルを写して美琴《みこと》へ送信したら、五秒で答えが返ってきた。開口一番もうついていけなくなる感じのコメントを聞いて、上条《かみじょう》は『うっ』と言葉を詰まらせる。
「おい、学園都市の『中』と『外』の技術って、二、三〇年ズレてんだろ。『外』についても詳しいのか?」
『マーベラスロック社は学園都市と提携している協力機関なの。だからそこで使ってる技術はスペックダウンしたお下がりなのよ』
美琴は軽い調子で言った。
『流石《さすが》に「外」で独自に作ったモノまでは私も分かんないけど、開けられないとは思わないわね。だって、技術レベルなら二、三〇年も昔のモンなのよ。「外」にある軍事研究所のセキュリティですら、学園都市で投げ売りされてるパソコンのログイン管理にも届かないわよ』
「……俺《おれ》は南京錠《ナンキンじょう》も開けられないのですが」
『アンタの技術レベルは江戸時代ね』
などとチクチク言われながら、上条は電子ロックのパネルを指示通りに操作していく。
「しっかしお前、相談した俺が言うのも何だけど……こういうの本当に詳しいよな」
『かっ、勘違いするんじゃないわよ。私は自分の力の誤作動で万が一電子ロックに干渉しちゃわないか注意するために学んでいるだけで、別にコソ泥とかクラッカーなんかじゃないんだからね』
「オイその台詞《せりふ》、もうちょっと穏便《おんびん》なパターンで言えんのか?」
ハンカチを使って最低限指紋がつかないように気をつけている指先が色々動くが、正直、言われた事を言われたままやっているだけの上条には全く理解が追い着かない。
そうこうしている内に、ガコン、という音が聞こえた。
目の前に聳《そび》えていたシャッターが、ガラガラと音を立てて上に上がっていく。表通りを制圧されているせいで誰《だれ》もいないからか、意外に大きく響《ひび》く音に上条とインデックスは心臓に悪い気分を味わわされたが、『|騎士派《きしは》』の連中が聞きつけてくる事はなかった。
「開いた! サンキュー御坂《みさか》!」
『あいよー。言っておくけどこれは貸しだかんね』
「うん分かった。じゃあ俺急いでるから!」
『って、ちょっと!? これからほら「一端覧祭《いちはならんさい》」の準備期間で午前中授業が増える訳じゃない? だからええと時間を調節すれば色々遊べる時間も―――ッ!?』
何かやたら早口で言っていたが、不意にブツっと通話が切れた。『?』と上条が携帯電話の画面を見ると、アンテナがゼロになっている。
(……ま、大事な用なら後でかけ直せば良いか)
上条《かみじょう》は適当に考えて携帯電話をポケットにしまった。今はとにかく地下鉄駅の構内からトンネルに入り、『王室派』のヴィリアンの協力を得て魔術的《まじゅつてき》な隔壁《かくへき》を破壊《はかい》しなければ。
と、件《くだん》のヴィリアン様は、頬《ほお》に片手を当てたまま、開いたシャッターへ純粋に感心した瞳《ひとみ》を向けていた。
「流石《さすが》は科学技術の最先端《さいせんたん》、学園都市……。お友達の力を借りるだけで、こんな事までできるのですね」
「は、はぁ……。まあ第三位のビリビリだし、確かにこういう時は頼《たよ》りになるヤツだけど。……っつかインデックス、お前はお前で何でムスッとしてる訳?」
「……何でもないもん」
インデックスはそれだけ言うと、ようやく足を動かして上条の隣《となり》まで歩いてきた。ただしその小さい足で上条の脛《すね》の辺りを軽く蹴飛《けと》ばすオプション付きである。
(??? 何このイライラオーラ?)
疑問だらけな上条だが、迂闊《うかつ》に聞き返すとインデックスが爆発してガブリとやってきそうな雰囲気《ふんいき》なのは伝わってきたので、それ以上は言及しない事にする。
上条は視線を前に。
元々、シャッターが下りているような状態なので、地下鉄駅の構内に明かりはない。ただし、所々に非常口や避難《ひなん》経路を示すランプがあるため、完全な暗闇《くらやみ》という訳でもなかった。床に直接ランプが設置されているので、懐中《かいちゅう》電灯がなくてもとりあえず通路を歩ける感じだ。
少し進んで、上条は後ろを振り返り、
(……そういえば、出入り口のシャッターは閉めておいた方が良かったのか?)
などと思ったのだが、開け方も閉め方も上条には分からない。閉めるのにも美琴《みこと》に電話をかけなければならないし、脱出時にもさらにもう一回美琴にお願いする羽目になる。
「どうなされたのですか?」
「いや、何でもない。……そうだよな。もしもトンネルでトラブって緊急《きんきゅう》脱出する場合、いちいち御坂《みさか》に頼んでる時間もなさそうだし」
「?」
ヴィリアンは首を傾《かし》げたが、上条は勝手に言葉を切って自己完結する。
地下鉄駅からホームへの階段を下るまで人影らしい人影もなかったし、人の気配らしい気配もなかった。別に上条は索敵《さくてき》や捜索のプロではないが、その、なんというか……『人が潜《ひそ》んでいるのなら、潜んでいるなりの吐息《といき》』すら聞こえてきそうなほどの静寂に包まれていたのだ。
非常口や避難経路を伝えるランプを頼りに、それらのルートを逆走する形で地下鉄駅の奥へ奥へと進んでいく上条、インデックス、ヴィリアンの三人。
階段を下りて駅のホームまでやってくると、ようやく蛍光灯の明かりが見えた。
とはいっても、天井《てんじょう》に設置されているものではない。トンネルは駅とは電気系統が別なのか、ホームの向こうにあるトンネル壁面に取り付けられた蛍光灯だけが光を放っているのだ。
当然ながら、ホーム全体を照らし出せるだけの光量はない。
消灯時間の過ぎた病院のようだった。
上条《かみじょう》はホームの端《はし》から身を乗り出し、等間隔《とうかんかく》で蛍光灯の続くトンネルの先に目をやりながら、「……終電過ぎてるとはいえ、飛び下りるのには抵抗があるよな……」
とはいえ、先に進まない事には始まらない。
上条とインデックスの二人はホームから線路に降りたが、ヴィリアンはお姫様のように広がったロングスカートが邪魔《じゃま》をするのか、一息に移動できないようだった。手間取っているヴィリアンの体を支えるために上条が両手を差し出すと。予想外に全体重をかけてしなだれかかってきたので、うわぁーっと上条はそのまま線路上に倒れ込んでしまう。
「すっ、すみません。このような時の作法というものを存じていなくて……」
「だっ、だだだ大丈夫《だいじょうぶ》ですよ!! というか駅のホームから降ろしてもらう際のQ&Aとかマナー教室でも教えてくれないと思うし!! でもそろそろ離《はな》れていただいた方がよろしいんじゃないでしょうかヴィリアン様!!」
「とうま、不敬罪」
インデックスの冷たい言葉が上条の胸を貫く。一方、ヴィリアンの方は『は、はい。本当に申し訳ありませんでした』などと言いながら、そそくさと上条の上から移動した。
線路から起き上がった上条は、視線をトンネルの奥へと投げる。
事前に天草式《あまくさしき》に指定されたポイントは、ほんの数十メートル先らしい。ただし、バッキンガム宮殿の方向とは逆である。
「あっちか」
「ええ。私も話に聞いていただけで、実際に見るのは初めてですが」
ヴィリアンがわずかに緊張《きんちょう》した面持《おもも》ちで、そんな事を言った。
その時だった。
カツン、という足音が、上条|達《たち》の真後ろから聞こえてきた。
「!?」
上条達は慌《あわ》てて背後を振り返る。
(『|騎士派《きしは》』か……ッ!?)
一瞬《いっしゅん》、長距離《ちょうきょり》からの狙撃《そげき》で肩を切断されかけた『新たなる光』の魔術師《まじゅつし》・レッサーの事が思い出される。仮に暗闇《くらやみ》の向こうからあれと同じ霊装《れいそう》で狙われていた場合、右手だけで防げるだろうか。
そんな事を考えていた上条だったが、彼の予測は外れた。インデックスと共に庇《かば》われる位置にいたヴィリアンが、上条《かみじょう》の後からこんな事を言ったのだ。
「お、お待ちください! 彼らは敵ではないようです。バッキンガム官殿側から合流する予定だった使用人|達《たち》ですよ』
「……そのお声は、ヴィリアン様ですか……?」
確認作業のような言葉が飛んできた。
直前にヴィリアンが日本語で上条に話しかけていたせいか、暗闇《くらやみ》からの声も日本語に合わせたようだった。
それから、複数の人影がゾロゾロとやってくる。トンネルから駅のホームに来たのは、合計二〇人近い男女だ。色の褪《あ》せた作業服の初老の男から、どこに注文を出しているのかも分からないメイド服を纏《まと》う少女まで、多種多様な人々で溢《あふ》れている。
ヴィリアンは上条を追い抜き、前に立ちながら、彼らの顔を見回した。
「これで、全員ですか?」
尋ねると、二〇歳ぐらいのメイドが頷《うなず》いた。
「夜勤の者は数が限られていますし、本日は、その……フォークストーンへ随伴《ずいはん》するためにも人員を割《さ》いていましたから。バッキンガム宮殿に待機していた者の内、民間出身の人材はこれで全員となります」
「そう、ですか……」
フォークストーン、という言葉にヴィリアンはわずかに顔色を曇《くも》らせた。
言葉を詰まらせた彼女に代わって、上条が口を開く。
「アンタ達は、この作戦が終わったら俺《おれ》達と一緒《いっしょ》にロンドンを脱出する……って事で良いんだよな?」
「はい。本来ならヴィリアン様のお手を煩《わずら》わせる事なく、我々だけで地下鉄のトンネルに細工を施《ほどこ》せれば良かったのですが……。民間出身の我々だけでは魔術《まじゅつ》とやらの不可思議現象の仕組みも分かりかねますし、『王室派』特有の機密情報にも詳しくありませんので。危険を承知で、こうしてご協力願おうという訳です」
そうか、と上条は頷いた。
(だったら、こんなつまんない仕事はさっさと終わらせて、早く安全な所まで連れて行ってやらないとな)
そんな事を考え、上条は目的地である―――バッキンガム宮殿とは反対方向のトンネルに足を向ける。目的地はほんの数十メートル進んだ所らしい。
二〇人以上の人数で、息を潜《ひそ》めて向かう。
相変わらず両サイドはコンクリートの壁で、等間隔《とうかんかく》に蛍光灯が光っている。線路は左右に二本あり、その中間地点にトンネルを支えるための柱が、同じように等間隔に並べられていた。
「建宮《たてみや》とか神裂《かんざき》とかの話だと、特殊な列車を本線に載せるための枝分かれした線路があるって話だったけど……」
上条《かみじょう》は辺りを見回す。
見た所、それらしい出入り口はない。
ヴィリアンは不安そうな面持《おもも》ちで、周囲ヘキョロキョロ目をやっていた。
「この辺りにあるのは間違いないのですけど」
「分かるのか?」
「いえ、ええと……そのはず、なんですけど」
ますます弱々しい口調になるヴィリアンだったが、そこでインデックスが口を挟んだ。
「この辺り、あらかじめ魔力《まりょく》を利用したマーキングが施《ほどこ》されているよ。おそらく霊装《れいそう》を整備する魔術師《まじゅつし》が場所を見失わないようにするためのものなんだよ」
「そっ、そうだ。そうでした。言われてみれば、目印になるマークがあったはずです。ええと、描くもの描くもの……」
ヴィリアンが口に出すと、傍《かたわ》らにいたメイドが上質なレターセットと羽ペンという面倒|臭《くさ》そうな文房具を差し出した。インクボトルはメイド自身がキープしている。
第三王女は眉《まゆ》を寄せ、迷いながらも羽ペンを助かす。
「そう、確か、こう……こうです。こんな感じのマークが目印になっているんです。魔術についての知識が乏しいため、これが何を意味しているかまでは存知ないのですけど」
と、そんな前置きと共に差し出された便箋《びんせん》には、確かに一見して何を意味しているのか分からない、記号のようなものが記されていた。日常生活ではまず見かけないものの、得体《えたい》の知れない魔法陣《まほうじん》というほど分かりやすい異物感もない。『地図記号のレアなマークだよと言われたら信じてしまいそうな』感じのレベルである。
ただ一人だけ、魔術知識の塊《かたまり》であるインデックスだけが、ヴィリアンの提示した便箋を眺めてわずかに眉をひそめた。
「どうしたインデックス?」
「ううん。……でも変かも、『心臓』を警報の象徴に使うって、どういう応用なんだろ」
ブツブツ言っているが、上条の耳まで明確には伝わらない。
とにかくヴィリアンが描いたマークがどこかにないか探せば良い。そういう結論に至った上条|達《たち》は、各々《おのおの》バラバラに散らばって、トンネル内の壁や床を調べてみる事にした。二〇人弱の使用人達も、ただ隠れているマークを見つけるだけなら……と手伝っている。
(等間隔《とうかんかく》に蛍光灯があるから歩けないってレベルじゃないけど、やっぱり小さなマークを探すのには不便だな。トンネルに来るって分かってたんだから、ライトでも用意していれば良かったんだ……)
薄暗闇《うすくらやみ》の中で目を凝《こ》らしながら、上条は壁に沿ってゆっくりと歩く。
ともあれ、マークさえ見つけてしまえば、後は上条の仕事だ。どんなに強固な術式で守られていようが、|幻想殺し《イマジンブレイカー》を使えば手っ取り早く破壊《はかい》できるはずである。
と、上条《かみじょう》の右手の指が、カサリとした物に触れた。
「?」
壁から指を離《はな》し、改めて暗がりを凝視《ぎょうし》してみると、何やらポスターのような物があった。大きさは縦が二メートル、横が一メートル前後。明かりが頼《たよ》りなく薄暗闇《うすくらやみ》であるため何が描かれているかまでは分からなかったが……何やらテープが剥《は》がれたのか、上方右側の端《はし》がぺらりとめくれ、こちらに向けてお辞儀《じぎ》をしているように見えた。
(あれ……?)
上条はそこで、眉《まゆ》をひそめた。
剥がれかかったポスターへ顔を近づけ、何が描かれているかを確かめようとする。
(さっきまで、こんなのあったか?)
そして、見た。
それは、ポスターではない。
壁だ。
トンネルの壁の色や質感と全く同じものが、薄っぺらに貼《は》り付けてあった。まるで安い時代劇に出てくる忍者が身を隠す時に使うような。そんな大きな壁紙が、だ。
「これ……」
上条が思わず呟《つぶや》いた途端《とたん》、動きがあった。
バシュ!! という音が聞こえた。
剥がれかかった壁紙を中心に、トンネル壁面全体へ縦横に淡い光線が走った。ポスターと全く同じサイズの長方形の格子があっという間に広がっていき、
「これは……ッ!?」
「とうま!!」
異変に気づいたインデックスの叫びは、何かに遮《さえぎ》られた。
紙を擦《こす》るような音。
トンネルの壁一面が、大きく波打ったように思えた。上条が身構えた途端、四角く分断された壁のそれぞれがポスターのようにめくれ、剥がれ、巨大な紙片の集合体となる。
その内の何枚かは、枯葉のように地面へ落ちた。
おそらく、上条の右手に触れたか、そこから崩壊が連鎖《れんさ》した個体なのだろう。
だが、それ以外は力強く宙を舞う。
(魔術的《まじゅつてき》な……隔壁《かくへき》)
そこまで考えて、上条は思わず笑いそうになった。
グシャグシャグシャ!! と巨人の手で紙を丸めるような轟音《ごうおん》が響《ひび》く。
「魔術なんてもんに、俺達《おれたち》の常識が通じる訳はねえとは思ってたけど」
オフィスの中で嵐《あらし》が起こったみたいに渦巻いていた膨大《ぼうだい》な紙切れは、やがて一点に集中した。
その上、そこにはとある一定の法則性があった。
「壁が人に変形して襲《おそ》いかかってくるとか、常識外れにもほどがあるだろ!!」
トンネルの壁一面を覆《おお》っていた紙片が移動した事で、半円状の新たなトンネルが出てきた。
強引に本線へ線路を繋《つな》げるためか、まるで消防車の梯子《はしご》のように伸縮する特殊なレールまで備えられている。
だが。
代わりに立ち塞《ふさ》がったのは、紙でできた巨人だ。
全長は三メートル前後。
紙というと軽い印象がするが、
「ッ!?」
横に回すように振るわれた巨人の拳《こぶし》が、進行上にあるトンネルの柱を砕き、全く勢いを落とされずに上条《かみじょう》の頬《ほお》へ襲いかかってくる。一つ一つが学生|鞄《かばん》よりも大きなコンクリートの塊《かたまり》をまとう拳に、上条は右手で迎撃《げいげき》するのを諦《あきら》めた。ほとんど後ろへ倒れ込むような格好で、どうにか一撃を回避《かいひ》する。
短く、そして甲高《かんだか》い悲鳴が聞こえた。その主は民間出身のメイドか、あるいは第三王女のヴィリアンか。今まさに撲殺《ぼくさつ》されようとしている上条は、いちいちそちらに気を配っているだけの余裕すらない。
コンクリートを一撃で破壊した紙の巨人に目をやる。
ボコボコ、と。
体内で紙の束が動いているのか、まるで硬い筋肉のように巨人の表面が隆起していた。
(くっそ! ただの紙でも、あれだけ集まると逆に重量感が出てくる訳か!!)
いわば、分厚い本を満載した本棚を振り回されるようなものだ。人間の一人二人、あの巨人の腕なら文字通り粉砕できるだろう。
「とうま、離《はな》れて! あれはモックルカールヴィの作り方を参考にした霊装《れいそう》なんだよ!」
少し離れた所から、インデックスが大声で言った。
何だそりゃ、と上条が尋ねる前に、彼女は相手の正体を看破する。
「北欧神話に出てくる組み立て式の巨人! 神々の中でも最強クラスの剛腕で知られる雷神トールと戦うために設計されたんだけど、最後の最後で『心臓』に使う材料を間違えて貧弱な結果に終わったって話があるの。そいつはイギリス式の理論で材料を一から考え直し、この場を守るために最適化したカスタムモデルなんだよ! さっきヴィリアンが描いていた記号は、その新設計した『心臓』の記号だったんだと思う!!」
(また、由緒《ゆいしょ》正しい物騒《ぶっそう》なヤツだな!!)
上条《かみじょう》が舌打ちした途端《とたん》、紙の巨人が大きく動いた。
思わず距離《きょり》を取ろうとした上条だったが、巨人は自分が砕いた柱の残骸《ざんがい》を蹴飛《けと》ばした。サッカーボールほどの塊《かたまり》は下から突き上げるアッパーカットのような軌道で、上条の顎《あご》を思い切り跳ね上げる。
「が……ッ!!」
上条の背中が仰《の》け反る。口の中に血の味が広がる。
しかしそこで紙の巨人の動きは収まらない。
その巨大な足を利用し、一歩で大きく距離を詰めてくる。体重が完全に後ろへ傾きつつある無防備な上条に向けて、今度こそ紙の塊でできた、本棚以上の重量を持つ拳《こぶし》を振り上げる。
絶体絶命の状況に対し、
(……チャンス)
上条はとっさに右拳に力を込める。
紙の巨人と接近する時こそ、上条の|幻想殺し《イマジンブレイカー》にとって最大の攻撃の機会。外せば一発でミンチとなるが、襲《おそ》いかかる紙の拳を受け止められれば、それが必殺の反撃となる。
(ビビるな―――行け!!)
轟《ごう》!! と二つの拳が飛んだ。
一撃で自動車をスクラップにしかねない巨大な拳の中央に、上条の右拳が激突する。その瞬間《しゅんかん》に巨大な拳が動きを止めた。紙の巨人の結合が解け、大量の紙片の洪水と化す。何十、何百という大量のポスターに流され、上条の体は半ば埋もれそうになった。ゾゾゾゾゾ、という不気味な音響《おんきょう》と共に、その体が水流に流されるようにトンネルの壁際《かべぎわ》まで移動させられる。
「ぐ……ッ!! くっそ、やったか!!」
背中や後頭部に痛みが走る。上条は四肢《しし》を動かしてもがくが、布団《ふとん》で簀巻《すまき》にされたように自由が利《き》かない。それでも、ただの紙の集まりに戻った事から、モックルなんとかとかいう難しい名前の巨人はもう機能しないはずだ。ゆっくり時間をかけて、何ならインデックスに協力してもらって、紙の山から外に這《は》い出れば問題ない。
だが。
クシャクシャクシャ、と紙を丸めるような音に、上条の背筋に冷たいものが走る。
「嘘《うそ》、だろ……」
改めて目をやれば、奇怪なシルエットがある。最低限の紙を丸めてこよりにしただけの、針金のような四肢と背骨。それに反して、顔面だけは先ほどと同じく巨大なままだった。
人間の顔にも見える皺《しわ》を動かし、巨人は弓を引くように、その右手を後ろへ下げる。そこに屈強な拳はない。ただし、代わりに杭《くい》のように尖《とが》った先端が待ち構えていた。
(ヤバい、動っ、逃げらんねえ!!)
上条《かみじょう》は大量の紙束に体を押さえつけられ、身動きが取れない。
紙の巨人は、そんな上条の顔面の真ん中へ、正確に右の杭《くい》の照準を合わせている。
そして躊躇《ちゅうちょ》なく、壁でもブチ抜くように杭が射出された。
(ちくしょう!!)
その時だった。
突然横合いから、人影が割り込んだ。
それはバッキンガム宮殿の方からやってきた二〇人近い使用人|達《たち》の一人だった。色の褪《あ》せた作業服を着た中年の庭師は、紙の巨人の腕にしがみつくようにして、何とか杭の照準をズラしたのだ。
おかげで、上条の頭は砕かれずに済んだ。
ドガッ!! と、杭の腕は顔のすぐ横のコンクリート壁へ深々と突き刺さっている。
ただし、庭師の方も無事ではない。
紙の巨人の腕を押さえようとした庭師だったが、あまりにも威力が高すぎて、弾《はじ》き飛ばされていた。その上、紙の巨人の体は糊《のり》を何重にも何重にも塗って固めたような硬度で、ほとんどゴツゴヅした岩場の表面と変わらない状態になっていたのだ。おかげで庭師の作業服は強引に削り取られ、決して少なくない量の血も流れている。
上条は感謝の気持ちよりも、相手の命の危機に全身が総毛立った。
「馬鹿《ばか》野郎!! 無茶《むちゃ》な事しやがって……ッ!!」
崩れた本棚のような重たい紙の山から何とか抜け出そうともがきながら、上条は叫ぶ。そんな彼の様子を見ながら、倒れた庭師はうっすらと笑った。まるで自分を心配してくれる人を見て、喜んでいるような顔だった。
「……すみません……。俺《おれ》にゃあ魔術《まじゅつ》とか言われてもサッパリ分かりませんが、とにかく、あなたの力があれば、こいつに対抗する事もできるんでしょう……?」
ギッギッ、と紙の巨人は壁に埋まった杭を引き抜こうとする。
亀裂の入ったコンクリートから、パラパラと細かい欠片《かけら》が地面へ落ちていく。
「だったら、お願いします。こいつを何とかしてください。こいつの馬鹿げた杭がヴィリアン様に向かう前に、早く!!」
紙の巨人が現れると同時に、ヴィリアンの盾《たて》になるように前へ出た使用人は、庭師の言葉を聞いてふと肩の力を放いたようだった。
ヴィリアンは、嫌《いや》な予感がした。
この一夜だけですでに何度も味わった、嫌《いや》な予感が。
体を強張《こわば》らせるヴィリアンの方へ、若い女の使用人はゆっくりと振り返って、こう言った。
第三王女の直感が正しいものだと証明するかのように。
「ここは我々にお任せください、ヴィリアン様」
「……ッ!?」
「あの少年が復帰するまでの時間を稼《かせ》げれば、状況を覆《くつがえ》す事もできるようです。ろくに格闘《かくとう》の術も学んでいない我々ですが、それでも二〇人がかりで押し潰《つぶ》してしまえば身動きを封じる事もできるでしょう」
確かに、一般的ならそういう風に考えられるだろう。
だが、魔術《まじゅつ》について詳しくないヴィリアンでも分かる。今目の前で起こっている不可思議な現象には、そういう普通の法則は通用しない。何の力も持たない民間人が二〇人で突っ込んだとしても、紙の巨人は『普通では考えられない腕力や現象』を用いて蹴散《けち》らしてしまうだろう。
使用人|達《たち》の方も馬鹿《ばか》ではない。
厳密に数値を算出できないにしても、クーデター発生当初から肌で感じてきた経験によって、それぐらいは推測できている事だろう。
なのに。彼らはその事について一言も語らなかった。
まるで、ヴィリアンを心配させまいとでも言うかのように。
とある使用人は仕方がないといった調子で上着を脱いだ。とある料理人は少しでも手を保護するためか、ネクタイを解いて拳《こぶし》に巻いていた。とある服飾デザイナーは一瞬《いっしゅん》出口の方へ目をやったが、それでも勇気を振り絞って視線を紙の巨人の方へと戻していた。そうしながらも、同時に彼らは顔色が青ざめ、足だけでなく全身を震《ふる》わせていた。
怖くない訳がない、
にも拘《かかわ》らず、自ら死地へ向かおうとする使用人達を見て、ヴィリアンは思わず尋ねた。
「何故《なぜ》、ですか……?」
「理屈などありません」
若い女の使用人は、ほとんど苦笑いのような表情で答えた。
「人が立ち上がるのに必要な理由は、それほど特別なものでもありません。あなたのために戦いたいから集《つど》っている。理由なんてそんなものですよ、ヴィリアン様」
その時だった。
今まで上条《かみじょう》当麻《とうま》の顔のすぐ横の壁に杭《くい》を突き刺していた紙の巨人に動きがあった。埋まった杭を引き抜くのは不可能と処理されたのか、腕の先端《せんたん》部分の紙束がバラバラとひとりでに崩れていく。自らの体積を犠牲《ぎせい》に自由を取り戻した紙の巨人は、改めてその腕の先端を固く鋭く尖《とが》らせていく。
もう一度、今度こそ、確実に上条当麻を刺殺するために。
あの巨人に対抗する手段を持つ少年を排除するために。
それを見て、使用人|達《たち》も動こうとした。
そこで、第三王女ヴィリアンは若い使用人の肩へそっと手を置いた。
「あなた達の気持ちは理解できました」
今までにないほど、どこか強い力で。
「ですが、あなた達が死んでも良い理由にはなりません。あの霊装《れいそう》が『隔壁《かくへき》としての自己を突破する危険因子を優先的に排除するためにある』なら、囮《おとり》の役割は私が一番適任でしょう」
言葉を終えると同時に、ヴィリアンは飛び出した。
今まで誰《だれ》かの背中に隠れるように過ごしていた彼女が、誰よりも前へ出た。
「待―――ッ!!」
背後から使用人達の止めようとする声が聞こえたが、具体的にヴィリアンを羽交《はが》い絞《じ》めにする者はいなかった。とっさの事に反応できなかったのではないだろう。それ以前に、おそらく恐怖で足が言う事を聞かなくなっていたはずだ。
怖くて当たり前だ。
逃げ出したくても当たり前だ。
ギリッ!! と奥歯を噛《か》み締《し》め、ヴイリアンは暗いトンネルを走る。おそらく緊急時《きんきゅうじ》に手動でレールを切り替えるためのものだろう、壁際《かべぎわ》に配置されていたモップほどのサイズの巨大なスパナを両手で拾いながら、さらに先へ。走って走って走って、紙の巨人へと一直線に突っ込んだヴィリアンは、ズシリと重いスパナへ全《すべ》ての力を込める。
人が立ち上がるのに必要な理由は、それほど特別なものではない―――と、使用人は言ってくれた。ヴィリアンもそう信じたかった。だから彼女は、紙の巨人の頭目がけて巨大なスパナを真横に薙《な》いだ。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」
スパナを振り抜くと共に、公務では一度も発した事のない雄叫《おたけ》びをあげるヴィリアン。
対して、紙の巨人の方も動いた。
霊装は杭《くい》と化した腕の狙いを変更すると、迫るスパナに向けて鋭利な先端《せんたん》を勢い良く射出した。
ベギン!! という鈍い音と共に、ヴィリアンの頭に衝撃《しょうげき》が走った。
杭が直撃した訳ではない。
半分ほどの所で折れたスパナの先端部分が、ヴィリアンの顔にぶつかったのだ。
(……おそらく、姉君のキャーリサにとって、こんな仕掛けは全体の力から考えれば、小指の先にも満たない雑魚《ざこ》戦力にすぎないでしょう。私達がこんな風に努力している所を見ても、その無能さを嘲笑《あざわら》うだけでしょう)
仰《の》け反り、倒れるヴィリアンは、しかし視線を揺らがしたりはしない。
折れたスパナの残骸《ざんがい》を投げ捨てる。
基《もと》より、天草式《あまくさしき》からは『魔術的《まじゅつてき》な隔壁《かくへき》を開放するには王室の人間が必要だ』と言われていた。そのために必要な術式についてもレクチャーはされていた。
(ですが、そのちっぽけな戦力でも、私を支えるために立ち上がってくれな者|達《たち》を傷つけるのなら。さらに、これほどの恐怖が『ちっぽけ』と思えるほど圧倒的な力で、姉君が誰《だれ》かを苦しめようとするならば)
後は発動するのみ。
ヴィリアンは、自分一人で魔術を成功させるために動き出す。
あの紙の巨人は、地下鉄のトンネルとカーテナ用の特殊車両を守る隔壁そのものだ。そして、隔壁は王族専用の魔術によって制御される事をヴィリアンは知っている。
だから、突きつけてやるとヴィリアンは思った。
自分が英国王室の一員である事を、この紙の巨人に。
ここまで来てくれた使用人達を助けるために、さらにはカーテナ=オリジナルの暴走を促してキャーリサ支配下のイギリス全土を救うために!!
普段《ふだん》なら恐怖に震《ふる》えて目尻《めじり》に涙を浮かべていたかもしれない第三王女は、しかし明確に紙の巨人を睨《にら》みつける。
(―――私は抗《あらが》う!! なんとしてでも、最後の一瞬《いっしゅん》まで抗ってみせる!!)
だが、彼女が立ち上がる前に紙の巨人は再び腕の杭《くい》の照準をヴィリアンに合わせる。第三王女は無視した。回避《かいひ》や防御に時間を割《さ》く暇《いとま》で、口の中で必死に早口のように呪文《じゅもん》の詠唱を進めていく。
声はない。
紙の巨人は霊装《れいそう》として、あくまでも自動的に外敵を排除しようとする。
ゴッ!! と、腕の杭が飛んだ。
ヴィリアンの顔を正確に狙うコースだった。
そして、
「|軌道を変更《C A O》!| 右腕を右へ《MARATTR》!!」
どこかからインデックスの言葉が響《ひび》いたと思ったら、唐突に紙の巨人の杭のルートが不自然に逸《そ》れた。ヴィリアンの顔を貫くはずだった杭は、コンクリートの地面に深々と刺さる。
そこへ、第三王女の詠唱が追い着いた。
厳密には、一から一〇まで丁寧《ていねい》に詠唱を行ってきたヴィリアンが、途中からインデックスの言葉を参考にして、高速詠唱へ切り替える事に成功したのだ。
「|正しき血を継ぐ者の命に従い、速やかに開門せよ《O A C P A T A C O T P O T R B》!!」
最後の言葉と共に、紙の巨人の体の大半が砕け散った。
しかし、断末魔《だんまつま》のように右腕部分だけが形を取り残し、崩れながらも杭《くい》のように鋭い先端《せんたん》をヴィリアンの顔を目がけて突き出そうとする。
第三王女は目を瞑《つぶ》らなかった。
そこへ、
「悪りぃ。助かったよ、ヴィリアン」
紙の巨人の腕が、動きを止めた。
背後からケンカを止めるように、少年の手が強引に巨人の二の腕を掴《つか》んでいたのだ。
さらに崩れる巨人。
もはや原型を留《とど》めておらず、それでも少年の方に振り返ったのは、その右手が危機の優先順位を強引に変更させられたからか。
「後は任せとけ。今度こそ、ここで仕留める」
上条当麻《かみじょうとうま》と紙の巨人。
彼らは共に一瞬《いっしゅん》も待たなかった。
|幻想殺し《イマジンブレイカー》と杭の腕。
共に相手を必殺させる破壊《はかい》力《りょく》を持った一撃《いちげき》が、躊躇《ちゅうちょ》なく交差する。
ゴバッ!! という轟音《ごうおん》が炸裂《さくれつ》した。
今度こそ、上条当麻の拳《こぶし》は紙の巨人を完膚《かんぷ》なきまでバラバラに粉砕する。
今までかろうじて人の形を保っていた紙の巨人は、上条の拳を受けた場所を起点に、まるで爆発するように飛び散った。大量の四角い羊皮紙《ようひし》はトンネルの天井《てんじょう》近くまで吹き上げられ、それから重力に従ってゆっくりと落ちてくる。
「―――、」
第三王女ヴイリアンは、しばらく呆然《ぼうぜん》とその光景を跳めていた。
生まれて初めて明確に敵を倒すために行動し、その結果として大量の羊皮紙が舞い散る光景を。
彼女が何を思っているか、上条には分からない。
しばらくそっとしておこうと思った彼の体に、携帯電話の着信の振動が伝わってくる。
知らない番号だが、電話を耳に当てると聞き慣れた人物の声が飛んできた。
『あっ、良かった、繁《つな》がりました!』
「その声、五和《いつわ》か……?」
『は、はい! 完全に酒は抜けました五和ですこんばんは!!』
「?」
何やら元気いっぱいな五和《いつわ》に首を傾《かし》げる上条《かみじょう》だが、五和は気づかない。
『作戦は成功です。ヴィリアン様|達《たち》が魔術的《まじゅつてき》隔壁《かくへき》のロックを開放した事によって、遠隔地から特殊車両の動力源にアクセスできたんです』
「そっか。それならカーテナ=オリジナルへ間接|攻撃《こうげき》を加える事ができるんだな」
『それなんですが……現在、カーテナ用の特殊列車はバッキンガム宮殿直下へ配置するため、そちらに向けて猛スピードで走行しています! ですから早く離《はなれ》れてください!!』
ギョッとする上条に、五和はさらにこう言った。
『と、とにかく、これから特殊車両を経由して、空中|要塞《ようさい》カヴン=コンパスの心臓部とカーテナ=オリジナルをリンクさせます。力の「逆流」に伴い、大規模な魔力放出が発生する事でしよう。おそらく異変を察知した「|騎士派《きしは》」がそちらへ調査活動に赴《おもむ》くはずですし、そこにいると[#「そこにいると」に傍点]「爆発[#「爆発」に傍点]」に巻き込まれるリスクも高いんです[#「に巻き込まれるリスクも高いんです」に傍点]! 大至急こちらに戻ってきてください!!』
一〇月一八日。午前二時三〇分。
カーテナ=オリジナルは暴走した。
英国王室の住居であるバッキンガム宮殿を中心に、その爆発は半径五〇キロにも及んだ。とはいえ、それは普通に暮らしているごく一般の人達には感知のできない、あくまでも魔術的にしか意味を持たない爆発だった。
ビリビリビリ!! とガラスが小刻みに震動《しんどう》した。まるで、人間に感知のできない低周波に反応しているようにも思えた。
そして、血を吐《は》く音。
宮殿の豪奢《ごうしゃ》な絨毯《じゅうたん》を汚すように、血の塊《かたまり》が落ちる。
第二王女キャーリサだった。
「……カヴン=コンパスからの強制逆流、か」
いかに空中要塞の心臓部の力をまとめて叩《たた》きつけられたとはいえ、そんなものはカーテナ=オリジナルが制御する分の一割にも満たない。ただし、イレギュラーな力を強引に通された事でカーテナ自体が悪い方向に刺激され、かき乱された。安定を失ったカーテナ=オリジナルから漏《も》れた力の欠片《かけら》が、まるで袋いっぱいに詰めた刃物が内側から突き出るように、第二王女キャーリサの体を傷つける。
(だから、『大半』の拠点を制圧した事で満足をせず、『全《すべ》て』を潰《つぶ》すまで気を緩《ゆる》めるなと言ったのに……。いや、ここは連中の悪知恵に敬意を表するべきなの?)
カーテナ=オリジナルを使って『騎士派』に分配されていた力はほぼ失われた。
第二王女キャーリサ自身の力も、いくらか失われた。
実に五割程度が抉《えぐ》り取られただろうか。
だが、
(押さえつけた)
キャーリサには確信がある。
おそらく連中はピューリタン革命時にカーテナ=オリジナルが紛失したという史実から、カーテナの暴走こそ打倒国家元首の足掛かりになると判断し、こんな策を弄《ろう》したのだろう。しかし、倒れない。この程度ではキャーリサ勢力に致命的なダメージは与えられていない。
「きっ、キャーリサ様」
大きな扉の向こうから、部下の騎士《きし》の声が飛んできた。
「宮殿直下に配置された特殊車両の回収と再封印、完了いたしました。これで『清教派』によるカーテナ=オリジナルへの逆流干渉は行えなくなります」
「ふん」
キャーリサは手の甲で唇《くちびる》に残る血を拭《ぬぐ》い、
「それなら、カーテナ=オリジナルの暴走によって撒《ま》き散らされた力がロンドン一帯にどのよーな影響《えいきょう》を与えたかを実測しろ。それから、宮殿に備蓄してある霊装《れいそう》も一通りだ。下手《へた》をすると半分近くは使い物にならなくなってるかもしれないし」
刃も切っ先もない剣を、キャーリサは改めて握り締《し》める。
「霊装干渉用の工具を持ってこい。私はカーテナ=オリジナルの再チェックに移るし。よって、剣に対する仕様の変更・再調整は一時中断。カーテナに対する『小細工』よりも、今は国内の残存勢力の殱滅《せんめつ》に重きを置く事にするの」
了解しました、という言葉と共に、騎士は去る。
一見すると従順に見えて、心の天秤《てんびん》が揺らいでいるのをキャーリサは掴《つか》んでいた。
元々、『騎士派』は騎士団長《ナイトリーダー》というトップによって統率されていた集団だ。そしてキャーリサも騎士団長《ナイトリーダー》を『騎士派』の窓口として使っていた。それが失われた今、『騎士派』の水面下では動揺が広がっており、またキャーリサと『騎士派』の間には小さな溝が生じている。
なおかつ、ここでカーテナ=オリジナルの暴走だ。
実際には『清教派』による破壊工作の結果なのだが、心情的に『騎士派』の面々は心のどこかでチラリとでも、思うはずだ。第二王女はカーテナの制御を行えない女だ、と。
すでに直接的なリーダーを失い、さらには垣間見《かいまみ》える『劣勢』の兆《きざ》し。
ここで旧女王エリザードと『清教派』が結託して大々的な反攻作戦を展開した場合、『騎士派』の精神は持ちこたえられるか。実際の数字の上でキャーリサ側が断然有利である事など関係ない。人間の心情の問題として、『勝てる』と思い続ける事はできるか。国家元首キャーリサを『信じて』ついていく事はできるか。
(まー正直な所……反攻作戦が開始されれば、半数近くは意志が砕けるだろーな)
率直に算出しながらも、キャーリサは薄《うす》く笑う。
笑いながら、彼女は手にしたカーテナ=オリジナルを肩に担《かつ》ぐ。
(さて、と。腰抜けに用はないが、寝返ってもらっても面倒だし。……先手を打たせてもらおーか)
10
新生|天草式十宇凄教《あまくさしきじゅうじせいきょう》の建宮斎字《たてみやさいじ》は望遠鏡を手にしていた。
カーテナの暴走圏外である、ロンドン近郊の平原だ。どこまでが人工的な牧草地で、どこからが自然に放置された土地かも分からない、緑色の下草だけが広がっている場所。その一点に、イギリスの各所に散らばっていた、『清教派』のメンバー|達《たち》が集《つど》いつつあった。
「やっべーのよ。カーテナ=オリジナルの力をある程度|削《そ》ぐ事には成功したみたいだけど、やっぱりその反動みたいなもんの発生は避《さ》けられなかったみたいなのよな」
建宮が座っているのは、庭師が好むような脚立《きゃたつ》の上だ。まるでテニスの審判みたいな体勢で、望遠鏡を覗《のぞ》き込んでいる。
一方、脚立の下にいる大柄な牛深《うしぶか》が低く呻《うめ》くような声を出す。
「……第二王女を中心に、莫大《ばくだい》な『|天使の力《テレズマ》』が全方位に放出されましたからね。ロンドン市内に置かれた霊装《れいそう》や設備にも影響《えいきょう》が出ているみたいですよ。小型の教会が三つほど倒壊《とうかい》したようですし」
「聖ジョージ大聖堂に残してきた観測装置の数値が正確なら、ロンドン市内に滞留《たいりゅう》する『|天使の力《テレズマ》』はメチャクチャ濃慶が強いんすよ。現状、下手《へた》に市内で魔術《まじゅつ》を使用するとロンドン全域が起爆する恐れもあるみたいすね」
小柄な香焼《こうやぎ》が手帳に細かい数字を書き込みながらそんな事を言う。
建宮は望遠鏡を覗き込んだまま小さく頷《うなず》き、
「『|騎士派《きしは》』は団長を失って統制を欠き、そこヘカーテナ=オリジナルの暴走が重なった事で、第二王女への信頼《しんらい》すら揺らぎ始めているのよな。ここで一気に畳《たた》みかける事ができれば、正面|衝突《しょうとつ》しないまま『騎士派』を精神的に瓦解《がかい》させる事もできたかもしれなかったんだが」
彼の言葉を、初老の諫早《いさはや》が引き継ぐ。
「……やはり『|天使の力《テレズマ》』の自然拡散を待ち、ロンドンが安定してから敵の本陣へ突っ込むしかないか。その間にカーテナ=オリジナルの力が回復したり、『騎士派』の戦力をバッキンガム宮殿へ集中されたりする可能性は?」
「『騎士派』の戦力については確信はないが、カーテナについてはほぼ問題はないのよ。あれは扱う力が強すぎるために、一度暴走してしまえばそうそう簡単に機能回復はできない。カーテナ=オリジナルが制御している力の理論値から逆算すれば、最低でも一ヶ月はかかるのよな」
「となると……」
「こっちも向こうも小休止。と同時に、ここが最後の戦闘《せんとう》準備期間になるのよ」
皆の間を走る緊張《きんちょう》に、誰《だれ》かがごくりと喉《のど》を鳴らす。
と、そこへ、
「アンタら……それが分かってんなら真面目《まじめ》に仕事しなさいよ」
ふわふわ金髪の女性、対馬《つしま》が少し離れた所から呆《あき》れたように言った。対して建宮《たてみや》を中心とする男衆は口を尖《とが》らせてぶーぶーと反論する。
「変な言いがかりはやめてほしいのよな」
「そうですよ俺達《おれたち》は極めて真剣に作戦会議をやっているんだから」
「ここが正念場なんすから色々意見を調整しておかないとまずいんすよ」
「うむ。明暗を分けるという事については素直に賛同できるな」
満場一致な感じで対馬に言葉を浴びせかける男衆だったが、やはり対馬の方の態度も変わらない。彼女は細い人差し指で自分のこめかみをつつきながら、片目を瞑《つぶ》ってこう言った。
「だったら、何でその望遠鏡がエプロン着けた五和《いつわ》の方に向いてんのよ」
そんなこんなで最後の晩餐《ばんさん》である。
首都ロンドンから退去していた『|必要悪の教会《ネセサリウス》』のメンバーを始め、水上レスキュー機を操っていた新生|天草式《あまくさしき》、貨物列車から解放された元アニェーゼ部隊などなど、種々様々な宗派文化の人々が一ヶ所に集《つど》っていた。
上条《かみじょう》の周囲を行き交うシスターさん達は、様々な報告を交わしている。
「テオドシア=エレクトラ班も到着しました。これでイングランド地方にいる『清教派』の残存勢力はほぼ集結したようです」
「ステイル=マグヌス班がまだですね。スカイバス365の件で輸送機を借りていたのですが、どうもクーデター発生と共に軍の空港で交戦状態に入ったようです。自力でねじ伏せると豪語していたので問題はないでしょうが、もう少しかかるかもしれませんね」
などという声もあったが、概《おおむ》ね残存勢力のほとんどはここに結集しているようだ。
『清教派』の魔術師《まじゅつし》達は自分が扱う武具や霊装《れいそう》などの準備・調整を進めると同時に、自身の体調管理―――その代表格である食事も重要視していた。何しろクーデター発生からバタバタし続けたせいで、長時間の戦闘や逃走でスタミナの切れかけた者や、夜勤を考慮《こうりょ》して夕食を採らずに夜食をメインにしようとして食いそびれた者なども少なくない。
そして当然、色々な人が集まれば色々な種類の料理が集まる訳で、
「やっやべえ! 染《し》みる……あったかいスープって胃袋だけじゃなく全身に染みるものなんだ……ッ!!」
「え、えーっと、運動前ですから、何事もほどほどに―――」
「この局面で軽いサラダとかありえねえってんです!! こう、ガツーンと! 胃袋にボーリングの球が落っこちるみたいに重たい肉を!!」
「は、腹八分目辺りがちょうど良いと言いましてですね、満腹になってしまうと―――」
「おかわりを!! 問答無用のおかわりを要求する!!」
「よ、良く噛《か》んでー、ゆっくり少しずつ食べて、お腹《なか》がびっくりしないように―――」
「みゃーっ!!」
……大小無数のシスターさん達《たち》が修道女らしからぬ暴飲暴食モードに突入しているし、そんなシスターさん達の間で新生|天草式《あまくさしき》のエプロン少女|五和《いつわ》があわあわオロオロしているし、挙げ句の果てにはなんかウチの子らしき三毛猫《みけねこ》まで料理にがっついているような気がするのがちょっと申し訳ない上条《かみじょう》である。
何も載っていない小さな取り皿だけを手にした上条は、殺到するシスターさんや魔術師《まじゅつし》などについていく事ができず、やや呆然《ぼうぜんん》と立ち尽くしている。
一方、それらの騒《さわ》ぎから少し離《はな》れた所では、食いしん坊シスターの双頭であるインデックスとアンジェレネが同じテーブルに着いている。一見、彼女達は仲良く隣《となり》に座って料理を食べているように見えるのだが、
「わっ!! い、今、食べたでしょう? 私の料理食べたでしょう!!」
「食べてないよ』
「し、シスター・ルチアも見ていましたよね!? この食いしん坊が私のお皿にフォークを伸ばす所!!」
すると、アンジェレネの向かいに座っていた背の高い猫目のシスターは(目を閉じて食前の祈りを捧《ささ》げていたので見てないし興味もない)ため息をつき、
「シスター・アンジェレネ。隣人《りんじん》を愛すべき我々が人を疑うような事があってはいけませんよ」
「むぐっ!? そ、そうですかね。こいつ絶対に今、私の料理を食べていたような……」
「ひょいぱく」
「確実に今食べましたよね!! もう隙《すき》を見てコッソリとかいうレベルじゃなくて、正々堂々と真正面から私のミートボール食べたでしょう!!」
「食べてないげっぷ」
「語尾わざとでしょう!! し、シスター・ルチアも何とか言ってやってくださいよ!!」
半泣きで喚《わめ》くアンジェレネに、ルチアは仕方がないといった調子で、自分の取り皿を斜めに傾けながら、
「それなら私の分をあげますから、『怒り』と『大食』と『嫉妬《しっと》』の三重苦からさっさと脱しなさい」
「ぎゃーっ!! 野菜それも苦い系のベジタブルが満載です! 何ですかこれ、シスター・ルチアは食事にも試練や修行を持ち込むような人ですか!?」
恐る恐る一口かじってのたうち回り、ルチアが慌《あわ》てて差し出した野菜ジュースを一気飲みしてさらに身をよじらせるアンジェレネ。ほとんど痙攣《けいれん》する猫背三つ編みシスターを放って、インデックスはさらなる料理を求めて旅立っていく。
とはいえ、そんなインデックスにも災難はある。その正体は、たくさんの肉料理が並んでいるテーブルの近くにいた『清教派』の修道女|達《たち》だった。
「うわぁー、なっつかしい!! あたしの事覚えてる? レイチェルだよレイチェル。いつも一緒《いっしょ》に遊んでたろー。お、そうだ。ハンバーグ食べる?」
「もぐもぐ。さっきから人のほっぺたを摘《つま》んでいるあなたは誰《だれ》なの?』
「くくく、レイチュルのヤツ、やっぱり禁書目録の記憶喪失《きおくそうしつ》関連ですっかり忘れられてやんの。まぁ私の事も覚えてないだろうけど。でもまぁ良いや、相変わらず食いしん坊なのかなー。こっちの料理食べる? ほらあーん」
「むがっ!? さっきハンバーグは食べたしムガゲムッ!!」
「いやァァァァ!! やっぱり可愛《かわい》すぎる! 料理を口いっぱいに頬張《ほおば》っているだけなのにすごく愛らしい!! 私のっ、ほら私のハンバーグも食べちゃって!!」
「……う、うええ。もっ、もういらないかも……」
あのインデックスにしては異様に珍《めずら》しいレアな台詞《せりふ》を漏《も》らす銀髪|碧眼《へきがん》シスターさん。しかし『清教派』の修道女連は『私も私も!』『ワシも!!』『あたしも食べさせるっ!!』などと言いながらさらに増殖中である。
一方、様々な料理を提供している普通少女|五和《いつわ》も五和で心情的ピンチに陥《おちい》っていた。
例の少年はすぐ近くにいる。
イモ|焼酎《じょうちゅう》も体の中で完璧《かんぺき》に分解され、いつもの調子も取り戻している。
……のだが、辺り一面に展開しているシスター達が料理を料理をもっともっとグォオオオオオオオオオ!! と怒涛《どとう》のリクエストを放ちまくるせいで、身動きが取れなくなってしまったのだ。これは恋する乙女《おとめ》(伊達《だて》や酔狂ではなく、ガチで彼のためなら死んでも良いレベル)にとってはかなり堪《こた》える事態である。
と、そこへ救援がやってきた。
同じ新生|天草式《あまくさしき》の女性であるふわふわ金髪の対馬《つしま》だ。
「だー。目に見えて分かる空回りっぷりを発揮してるみたいだから、ここらで交代してあげる。ほら、例の少年は食欲シスター達に圧倒されて料理を取っていないようだし、あなたが持って行ってあげたらポイント上がるかもよ?」
「なっ、そっ、い、いや!! いいですよ、私は別に! そういうのは全然……ッ!?」
「打算的なアクションは嫌《きら》い? でも、そんな事を言っていたらいつまで経《た》っても距離《きょり》が縮まる事はないわよ」
「いえでも、戦闘《せんとう》続きで結構ボロボロですし汗|臭《くさ》いですし、こんな格好で顔を合わせるというのも……」
同じ女同士だからか、ごにょごにょしながらも本音が垣間見《かいまみ》える五和《いつわ》。
そこへ余計な男衆が首を突っ込んだ。
「じゃーん!! そんな五和にシンデレラ大作戦なのよ!! 先行販売ロードショーッ!!」
「とっ、突然出てきてロードショーとか意味が分からヒック!?」
五和の語尾が何となくしゃっくりみたいになったのは、あまりに驚《おどろ》き過ぎて呼吸が止まりかけたせいだ。ひゅーひゅーと声にならない声を出したまま、五和は震《ふる》える人差し指で建宮《たてみや》が手にしているものを差す。
彼が両手で広げているものは、
「イエス!! これぞまさしく大精霊《だいせいれい》チラメイドなのよーっ!!」
「なっ、げほっ!? ゴホゴホ!! たったた建宮さんが何故《なぜ》その最終兵器を!?」
「ふっ。お前さんが背中を押して欲しがっている事は承知の上なのよ。実はデザイナーの活動拠点がロンドンだったから、ちょっくらクーデター発生直後に調達してきたのよな。発売日前の大フライングというヤツなのよ」
「あの局面で何故《なぜ》その余裕!? おまけに私の個人情報の管理状況はどうなっていますか!!」
うわっスリーナイズもピッタリ過ぎて逆に不気味です!! とガタガタしている五和《いつわ》だったが、『あの少年』へ猛攻を仕掛けるカギとなるとは思っているのか、思い切ってバシンと地面に叩《たた》きつける事もできない所がアレである。
一方、その騒動《そうどう》からほんの数メートルの地点で、ようやく体力の回復してきた神裂《かんざき》火織《おり》は、誰《だれ》にも気づかれないようにそっと安堵《あんど》の息を吐《は》いた。
「(……ま、まぁ、イギリス清教の女子|寮《りょう》にあった荷物の大半は運び出せなかったようですし、堕天使《だてんし》エロメイドもまた闇《やみ》から闇へと葬《ほうむ》られていったでしょう。私としては、水上機の中へ持ち込んだ、ペットの熱帯魚と友である洗濯機《せんたくき》さえ無事であれば構いませんし)」
小声でブツブツ言っている事に自分で気づいていない神裂。
そこへ建宮《たてみや》はグルン!! と嫌《いや》な予感を誘発《ゆうはつ》させる勢いでこちらへ振り返ると、
「ご安心を!! 女教皇様《プリエステス》の大切な嫁入り衣装はきちんと死守していますなのよ!! 堕天使メイドと堕天使エロメイド、両方ここに保存しておりますのでお好きな方をなのよな!!」
「よっ、余計な事をォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
思わず本気で絶叫する神裂の目の前に提示されたのは、クリーニング店から帰ってきたばかりと見間違うように丁寧《ていねい》に畳《たた》まれた例の悪夢。というか、建宮や牛深《うしぶか》、香焼達《こうやぎたち》の様子を見る限り、一人で真面目《まじめ》な顔をして騎士団長《ナイトリーダー》に立ち向かい、ひたすらボコられた自分の方が馬鹿《ばか》だったんじゃないかと思わなくもない。
「こっ、こんな物は不要です!! そもそも女子寮に入るだけの時間的余裕があったのなら、素直に浴衣《ゆかた》などを持ってきてもらえば良かったものを……ッ!!」
「堕天使エロメイドなど、不要……? まっ、まさか、その先にハイパー堕天使ドエロメイドなどが待ち構えて!? ……ど、努力を惜しまぬ人なのよな……」
「そんなものなどありません!! なっ、何ですかハイパーとかドエロとか! もはやメイドという基本の軸が霞《かす》んでしまっているじゃないですか!! あなた達はエロけりゃ何でも良いのか!?」
神裂は顔を真っ赤にしてぎゃーぎゃーと喚《わめ》く。
が、新生|天草式《あまくさしき》男衆とて、単なる一発芸のために命を張っている訳ではない。
彼らの根底にあるのは、
「(…実は我々は女教皇様《プリエステス》の堕天使エロメイドをこの目で見ていないのよ! このままでは死んでも死に切れんのよな!!)」
「(……我々全員、当時は後方のアックアにボッコボコにやられてベッドの上でのたうち回っていましたからね。まさに一瞬《いっしゅん》の隙《すき》をついた早技でしたよ、あれは)」
「(……五和からの報告を受けて目から血の涙を流すかと思ったっす。そんなエロくて面白《おもしろ》そうなものを見ないで終わるとかありえないすよ)」
「(……ぬう。さらには堕天使《だてんし》エロメイドと大精霊《だいせいれい》チラメイドが直接対決するかもしれんという一〇〇年に一度の好機に恵まれたのならば、命を懸《か》ける程度の価値もあろう)」
牛深《うしぶか》や香焼《こうやぎ》といった若者だけでなく、既婚者の野母崎《のもざき》や初老の諫早《いさはや》までもが割とみんな元気な新生|天草式《あまくさしき》男衆を見て、もしや自分が無責任に出奔《しゅっぽん》したせいで天草式の方向性が歪《ゆが》んでしまったのでは……と生真面目《きまじめ》に心配し始める天然リーダー気質の神裂《かんざき》火織《かおり》。もはや姉というより母的な思考に近いが、そんな彼女は正真正銘《しょうしんしょうめい》の一八歳である。
さらに影響《えいきょう》は伝播《でんぱ》していく。
ルチアの善意による苦い野莱パーティを喰《く》らったアンジェレネは、涙目で草食動物の気持ちを味わっているその手と口を止めて、新生天草式|十字《じゅうじ》凄教《せいきょう》の内紛(?)に注目していた。
アンジェレネは後から合流してきたリーダー・アニェーゼ=サンクティス(さっきからサラミとかウィンナーとかいろんな肉の載ったデカいピザを一人占めしている。超|羨《うらや》ましい)の脇腹《わきばら》を肘《ひじ》でつつきながら、
「し、シスター=アニェーゼ! 何やら極東宗派が有り余る乳を無駄遣《むだづか》いして面白《おもしろ》そうな事を話しています! 放っておいて良いんですか!?」
「うむ。ようは誰《だれ》が一番オトナでセクシーなメイドかという勝負って事でしょう? 二五〇名ものシスター|達《たち》を抱える我々がここで黙《だま》って退くなんざありえませんが、かといって我々には彼女のように持て余すほどの乳がねぇのも事実。さて我が陣営は誰を柱に対抗策を練るのが最も効果的か……」
神裂や五和《いつわ》が聞いたら口から火を噴いて襲《おそ》いかかってきそうな台詞《せりふ》だが、そんな馬鹿《ばか》げた会話を聞いていたルチアにとって重要なのはそこではない。一番ヤバいのは、アニェーゼとアンジェレネの二人の視線が、何やら自分の方に向けられている事である。
女性らしいエロさの足りない(だが実は巨乳)ルチアは先手を打った。
「無理ですからね」
「世の中には小悪魔《こあくま》ベタメイドというものもあるみたいですね」
「しっかり聞いた上で先に進めているようですが、私は絶対にやりませんからね」
「悪魔ではなく小悪魔である事に特殊な意図があるようでしてね」
彼女達の口調はどんどん早口になっていく。
少し離《はな》れた所からそういった騒《さわ》ぎを眺めているシェリー=クロムウェルは、ひっそりと座っていた。ライオンのように乱れた金髪に、小麦色の肌の女。黒を基調にしたゴスロリのドレスはボロボロに傷《いた》んでいて、深夜の闇《やみ》に溶け込もうとしているようだった。
彼女は食べ物らしい食べ物を手にしていない。
食欲はなかった。
胃袋に重くのしかかっているのは、自戒と自嘲《じちょう》が生み出す猛烈な後悔だ。
『|騎士派《きしは》』に対して引け目がある訳ではない。
むしろ、たかが『騎士派』のクソ野郎どものために、ここまで自分の感情が揺さぶられたという事実の方が頭にきているのだ。どれだけ頭では否定した所で、自分を構成する柱の深い所にまでヤツらは食い込んできている。それを証明されたような気がした。自分の手で今まで積み上げていった経験や成果のようなものを、横取りされたような気分になるのだ。
(最悪だ……)
小麦色の肌に残る青痣《あおあざ》を軽くさすりながら、シェリーは吐《は》き捨てる。
ロンドン市内で『騎士派』の連中を踏《ふ》み潰《つぶ》すべくゴーレム=エリスを放ったシェリーだったが、どこかで意識が途絶えていた。彼女を気絶させたのが『騎士派』による決死の反撃《はんげき》だったのか、それとも途中から割り込んできた露出狂《ろしゅつきょう》の女魔術師《おんなまじゅつし》によるものだったのかも覚えていない。朦朧《もうろう》とする精神がかろうじて覚えていたのは、件《くだん》の女魔術師の手で担《かつ》がれ、混乱する戦線から強引に離脱《りだつ》させられたという事だけだ。
気だるい無力感がシェリー=クロムウェルの全身を包む。
そんな彼女の元へ、一つの人影がゆっくりと近づいてくる。
「差し入れでございますよ」
「チッ、アンタか」
必要以上に丁寧《ていねい》な物腰の修道女は、オルソラ=アクィナス。元ローマ正教の人間で魔道書《まどうしょ》の解読を得意としていたはずだが、気がつけば情報解析や鑑識《かんしき》関連の仕事でペアを組まされる羽目になっていた。
オルソラはシェリーの事情を知ってか知らずか、とりあえずサラリと口に含めそうな、野菜中心のサンドイッチを一通り持って来たらしく、
「これから忙しくなりそうでございますし。食べられる時に食べておく事も重要なのでございますよ。スタミナの有無が勝負を分ける事もあるみたいでございますからね」
「……鬱陶《うっとう》しいわね。そんなつまんない条件で死んでみるのも私らしいだろ―――ぶごっ!? てめっ、にっこり笑顔でサンドイッチを口に押し付けんモガブゴ!!」
ほとんど窒息《ちっそく》しそうになり、生命の危機を回避《かいひ》するために仕方なく咀嚼《そしゃく》を始めるシェリー。
オルソラはオルソラで、今度はサンドイッチの載った取り皿を丸ごとグイーッと押しつけながら、くすくすと微笑《ほほえ》んでいる。
シェリーは乱暴にサンドイッチを掴《つか》み取りながら、
「……そういや、アンタは女子|寮《りょう》を出るのが遅れたみたいだって話を聞いたんだけどよ」
「何かモタモタしている間に皆さん出て行ってしまったのでございますよ。最低限必要な荷物だけは持ち出すように、という話でしたのでございますけど、何やら予想以上の大荷物になってしまいまして」
「ハッ、アンタらしいわね」
シェリーは表面上は鼻で笑った。
しかしそこに、侮蔑《ぶべつ》や嘲弄《ちょうろう》はなかった。彼女はほんの数秒だけ沈黙《ちんもく》し、それから改めてオルソラの顔を見直した。
「で、命がけで運び出した大荷物の中には、こいつも含まれていたって訳?」
短い下草の上に座ったまま、シェリーは足で何かを蹴《け》った。
それは大理石でできた子供の像だった。
台座には『|Ellis《エリス》』とある。
「あはは。バレてしまったのでございますか」
「余計な真似《まね》をしやがって……」
シェリーは心の底から不機嫌《ふきげん》そうに息を吐《は》いて、
「こんな失敗作、別に命を賭《か》けて運び出すようなものでもないでしよ。……っつーか、いっその事消えてなくなっちまった方がすっきりすんのによ」
「まぁまぁ。別に、無理してすっきりしなくてもよろしいのではございませんか?」
「……、」
「未練を晴らす事は、死者を否定する事とは違うものでございますよ。過去を断ち切る、という言葉には語弊《ごへい》があるとは思いませんか? 死者との思い出を大切にする人間には、新しい人生を歩み、新しい家庭を築く資格がないなどと、この世の誰《だれ》が断言できるのでございましょう」
「……知ったような口を」
シェリーは雑な調子で呟《つぶや》いたが、それ以上の文句は言わなかった。
エリスの像の台座から足をどけ、ただ無言で失敗作の顔を見上げている。
しばらく、音はなかった。
これまでとは違う、優しい静寂だった。
「そうそうでございますよ」
「何だよ……?」
「シェリーさんのドレスも度重《たびかさ》なる戦闘《せんとう》でボロボロになっているみたいでございますので、代わりとなる衣装を用意してきたのでございますよ。いやー、女子|寮《りょう》から出てくる時にとにかく必要になりそうなものを片っ端《ぱし》から運び出しておいて正解だったのでございます」
「別にこいつは私の趣味《しゅみ》なんだから、ボロボロのままでも構わな―――べゴブゥ!?」
「じゃーん! 女神様ゴスメイドというらしいのでございますよ!!」
「ゴシックなめてんだろォォおおおおおおおお!! っつか、『何となく西洋っぽくて古そうな服』っていう以外に何の接点もないでしよォォがァァあああああああああああああ!!」
あら? とオルソラは小首を傾《かし》げている。
魔術師《まじゅつし》シェリーの珍しい反応……と思いきや、実はこの褐色のゴーレム使い、(特に戦闘中《せんとうちゅう》には)割と頻繁《ひんぱん》にテンションが上昇する人格の持ち主である。
とはいえ、流石《さすが》のオルソラでも女神様ゴスメイドが不評らしい事は分かったらしい。彼女は両手で特殊なメイド服を広げたまま、困ったように眉《まゆ》を寄せると、
「おかしいのでございますね……。世界各地の文化圏へ浸透し、いち早く流行を取り入れる事で有名な天草式《あまくさしき》の皆さんが、先ほどから堕天使《だてんし》エロメイドやら大精霊《だいせいれい》チラメイドやらの話をしていましたので、とりめえず流行最前線なのは間違いなしなのでございますけど……」
「くっ、精神的ババァキャラの語る流行とか全くあてにならねえ!!」
「しかしこのまま捨ててしまうのももったいないのでございますし……。あら、ではこうしましょう。着る人がいないのでしたら、仕方がないので私が」
「おい待て、ちょっと待て!! やめなさい! テメェみてえな無自覚系の爆乳がそんなふざけたメイド服を着たらとんでもない事になるわよ!! オイやめ、馬鹿《ばか》―――ッ」
11
そんな『清教派』の野営地から一キロほど離《はな》れた場所に、傭兵《ようへい》はいた。
ウィリアム=オルウェルが佇《たたず》んでいるのは、乳牛用の家畜小屋やサイロなどが連なる酪農《らくのう》施設の側《そば》だった。もっとも、農家の住居は別の場所に建てられているらしく、現在は完全に無人である。
全長三・五メートル、重量二〇〇キロ以上の大剣アスカロンは複数の刃で構成された、見た目以上に繊細《せんさい》で複雑な得物《えもの》だ。ウィリアムはそれらの機能を一つ一つチェックしていき、時には分解しながら調整を続けていく。
(……むしろ、剣より左肩の方が問題であるか。あれから多少は回復魔術を施《ほどこ》しているが……)
そんなウィリアムは、ふと顔を上げた。
闇《やみ》の向こうから聞こえてくる遠吠《とおぼ》えに反応した狼《おおかみ》のようだった。
実際、その印象は間違いではない。
彼は、遠方からやってくる魔術的な通信を捉《とら》えたのだ。
『聞こえているか、ウィリアム』
「……ふん。お互い、悪運の強さでも拮抗《きっこう》するのであるか」
そっけない調子で言いながらも、傭兵はわずかに、自分でも気づかぬほど小さく唇《くちびる》を緩《ゆる》める。
聞き慣れた声は、騎士団長《ナイトリーダー》のものだった。
『カーテナ=オリジナルがロンドン市内で暴走したようだな。バッキンガム宮殿直下にある安全装置を応用した人為的暴走だったようだが……お前は関与しているか? まぁともかく、おかげで「|騎士派《きしは》」の意志統一は瓦解《がかい》寸前だ。……とはいえ、それについては私自身の敗北も起因しているようだから、偉そうな事は言えないのだがな』
「あれはこの国が擁《よう》する魔術《まじゅつ》の専門家|達《たち》の仕業《しわざ》であろう」
ウィリアムは一度分解したパーツを組み直し、一本の大剣を形作りながら、
「それから、貴様がここで戦線復帰すれば、『騎士派』全体の意志も固まるのではないか?」
『……、』
「迷っているか」
傭兵《ようへい》は率直に言った。
「ならば皆の動きを眺めているが良い。いつまで時が待つかは分からぬが、軽率に命運を分けるよりかはマシであろう」
『その結果として、私が再び貴様の前に立つ事があった場合はどうするつもりだ』
「やる事は変わらん。同じように叩《たた》き伏せるのみである」
『チッ。敵《かな》わんな』
表情までは分からないが、騎士団長《ナイトリーダー》は苦笑しているようだった。
ウィリアムは、ふとアスカロンの調子を確かめる手を止めて、
「確か、貴様の扱うソーロルムの術式は、自身の認識する武具の中から標的となる物を、一〇分間程度使い物にならなくするものであったな。それを使えばカーテナ=オリジナルを潰《つぶ》す事もできるのではないのか?」
『阿呆《あほう》が、何事にも例外はある。そもそも確実に国家元首を殺害させるに足る兵装を常備している騎士など不敬罪に当たって当然だ。術式の理論構築時に王室関係者を殺害できぬよう細工を施《ほどこ》す事で、忠義を示すようにできているのだ』
「……第三王女を処刑用の斧《おの》て斬首《ざんしゅ》しようとした者の台詞《せりふ》とは思えんのである」
『だからヴィリアン様には己の武器を使っていなかっただろう。あの方の首を刎《は》ねるには「普通の道具」を使わざるを得なかったという訳だ』
いつの間にか、かつての軽口が戻っていたが、もはや騎士団長《ナイトリーダー》は気に留めなかった。彼はそのまま言葉を続ける。
『これから死地へ向かうであろうお前に、一つだけ忠告をしておく』
「何であるか」
『先ほどの戦いで、お前は一度だけこう懸念《けねん》したな。私の秘める最大級の一撃《いちげき》は、「切断威力」「武具重量」「耐久硬度」「移動速度」「射程距離」「専門用途」「的確精度」……それら全てを兼ね備えた、回避《かいひ》も防御も反撃も許さぬ必殺であると。……実際、私が一度に操れる「パターン」は一つしかなく、複数同時に操る事はできなかったのだが』
騎士団長《ナイトリーダー》は、そこで一度だけ言葉を切った。
それから、意を決するように彼はこう言った。
『第二王女キャーリサ様とカーテナ=オリジナルは、おそらくその一撃《いちげき》を実現するぞ』
「……、」
『本気で打倒するつもりなら、備えておけ。「実はその強さにはトリックがあった」「弱点さえ見つければ状況はひっくり返る」……そんな過小評価で乗り切れるような方ではないからな』
「敵が何であれ、私のやるべき事は変わらん」
ウィリアムは返答までに、一瞬《いっしゅん》も迷わなかった。
必要以上の言葉を語らぬ男は、己の言葉で己を鼓舞する事すら行おうとしない。
「騒乱《そうらん》の元凶は断ち切らせてもらう。ただしカーテナを手放す事で命を奪わずとも済むのなら、それもまた選択肢の一つではあろう」
ウィリアム=オルウェルも、後方のアックアも、その行動の指針にはわずかな差異もない。
かつて幻想殺しの少年を襲撃《しゅうげき》した時も、現状と同じ。騒乱の中心である(と思われた)右手を粉砕する事で少年を一般の生活に戻し、同時に世界中で起こる科学と魔術の争いを止められるのでは、と思ったまでである。
『どこで誰《だれ》と剣を取るかは分からぬが、会えるとすればまた会おう』
「うむ。いずれの場合にしても、全力を尽くす事は同―――ぬうッッッ!?」
そこで、無駄口《むだぐち》を省く男が珍《めずら》しく無意味な呻《うめ》き声を上げた。
むしろ緊張《きんちょう》したのは騎士団長《ナイトリーダー》の方だ。
『どうした、敵襲か!?』
「(……いかん。第三王女がこちらの気配に勘付き、接近して来ているのである! どうやら魔術的な運び屋も協力しているらしい。確実にこちらに向かっているのである!!)」
ウィリアムは小声で言いながら、大剣を分離するための工具を片付け、アスカロンの根元にある運搬《うんぱん》用肩当てに体を押し当てて担《かつ》ぎ上げる。
「(……つい先ほどこっ恥ずかしい台詞《せりふ》を吐《は》いたばかりである! 精神安定作用を期待したとはいえ、やはり不慣れな事は控えるべきであったか!!)」
いや、良く分からんがお前は大概《たいがい》恥ずかしい事を言っているよ、という騎士団長《ナイトリーダー》の言葉を無視して、傭兵《ようへい》はそそくさとその場を後にする。
各々《おのおの》の晩餐《ばんさん》は終わる。
後に待つのは英国の命運を分ける一つの戦争。
敵味方双方の生死すら保証のできない本物の闘《たたか》いに。
しかし彼らは、自然と集《つど》う。
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行間 四
ようやくロンドン近郊までやってきた女王エリザードだったが、軍馬の方がスタミナ的にへばってしまった。もっとも、慣れないアスファルトの道路を五〇キロ近くも走破したというのだから、馬にしてみれば上出来な方だろう。
「いや、本当にすまんなぁ。さっきから迷惑をかけっ放しだ。もしも私が政権を取り戻す事ができた時には、世界で初めて勲章《くんしょう》を与えられた馬にしてやりたいぐらいだ」
気遣《きづか》わしげに言うエリザードの両手には、水の入ったバケツがある。ここは平原だが、ちょっと先に進んだ所は人工の牧草地になっていた。そこの廐舎《きゅうしゃ》の水道から失敬してきたのだ。
ちなみに軍馬の方は『何を言いますか! 行けます、まだまだ全然行けますって!!』と首をロンドンの方角へと向けようとしているが、流石《さすが》にここは休ませなければ後が保《も》たない。女王は多少強引な手つきで手綱《たづな》を握ると。強引に首を下に向けさせ、水を飲ませてやる事にする。
多少|興奮《こうふん》気味の軍馬だったが、水が喉《のど》を通ると疲れを自覚してきたのか、ブルルと唸《うな》った後に四本脚を畳《たた》んで地面に座り込んだ。そのままの体勢で、アスファルトの横に生えた短い下草をむしゃむしゃと食べ始める。
(……本当に、皆には迷惑をかけているな)
この軍馬だけではない、イギリス中で戦っている者|達《たち》を思い。女王はわずかに目を細める。
彼女はカーテナ=セカンドに目をやって、
(……こいつの力を全開にして突っ走った方が早い気もするが、あれは長時間は避けたいしな[#「あれは長時間は避けたいしな」に傍点])
と、
「ふっ、ふひぃ〜。やはり軍馬というのは慣れぬと疲れたるのよー」
しんみりしたムードを叩《たた》き壊《こわ》す台詞《せりふ》を発しているのは、中腰で腰の辺りを押さえている金髪の女、ローラ=スチュアートだ。
エリザードは先ほどとは打って変わって軽蔑《けいべつ》した視線を向けると、
「軟弱だな。そもそもお前が軍馬のリズムに合わせて体を動かさないから、こいつが余計にスタミナを消耗しているんだろうが」
ギスギスした口調に反応したのか、軍馬の方が牧車を食べる口を止めて、エリザードの方に首を向けた。その優しげな瞳《ひとみ》は『まぁまぁ。人や物を運ぶのが俺《おれ》の仕事ですから』とでも言いたげな感じである。
(まったく、馬の方がよほど有能に見えるな)
その時だった。
ガサリという物音を、エリザードは聞いた。
鋭く視線を走らせると、そちらには一っの人影があった。
「あらまぁ、食欲|旺盛《おうせい》なお馬さん。こちらの人参《にんじん》などはお一ついかが?」
しっとりとした妙齢の女の声がエリザードの耳を打った。
ほとんど力を失ったカーテナ=セカンドを手に振り返った女王は、そこで力を抜く。
「リメエアか?」
「はい。第一王女のリメエアよ、お母様」
オレンジ色の人参を片手に持ったまま、片眼鏡の王女はニヤリと笑みを浮かべる。
エリザードは実の娘の顔を見て、怪訝《けげん》な顔になった。
「こんな所で何をしている?」
「あら。これでも一応、お母様を待っていたのだけど。『|騎士派《きしは》』の通信を傍受した限り、お母様|達《たち》が消息を絶った地点からロンドンを目指すとすれば、このルートを通る可能性が最も高いと判断できたものだから」
「……用件は何だ? お前の事だから、容易に私と手を組もうという訳でもあるまい。むしろ、私を叩き伏せてカーテナ=セカンドを奪い、そこからキャーリサ攻略の足掛かりを構築するといった方がお前の思考パターンとしては妥当《だとう》だな」
「ま、一時はその作戦もちょっと考えたのだけど……大部分の力を失ったとはいえ、カーテナ=セカンドと真正面から戦うのも面倒そうなのよね。『頭脳』の私としては、もう少しスマートな役割に徹《てっ》したいという訳よ、お母様」
「……足元にゴツい霊装《れいそう》をゴロゴロ転がしてある娘から意味深な笑顔と共に言われてもな。それと、そっちの茂みから伸びているワイヤーはクレイモア地雷だろう。一般車も通るかもしれんから撤去《てっきょ》しておけよ」
エリザードが適当な調子で指摘すると、リメエアは軽く舌を出しながら道路を横切るように張られたワイヤーを取り外す。
「よいしょっと。ところで、お馬さんは人参が好物だという話は本当かしら?」
「……草食動物だから食うには食うが、別段そればかりを好んで食べるという訳でもないぞ。こいつの主食は牧草だ」
「おや。山羊《やぎ》は紙を食べない、というのと似たようなオチだったのね。ごめんなさい」
リメエアは人参を引っ込めようとしたが、軍馬の方は『何で? もらえるもんは全部食べますよ?』とばかりに首を伸ばしてオレンジ色の野菜をかぷっと咥《くわ》える。
よしよしー、と笑顔で馬の頭を撫《な》でるリメエアに、エリザードは呆《あき》れたような顔になる。
「お前は本当に、権力や権益を伴わぬ相手に対しては素直な表情になるんだな」
「当たり前でしょう、お母様。私は私を知る者に私の信頼《しんらい》を預けるつもりはないわ。私は私を第一王女と知らなくても親切に接してくれる者達こそを信頼したいもの」
「……それもまた統治者として大切な事の一つであるのは認めるが……ええい、何で私の娘|達《たち》はこう色々と極端《きょくたん》なんだ。長女は策を弄《ろう》し過ぎて人間不信になるし、次女は戦う事に夢中で周りまで巻き込みまくるし、三女は他人に気を遣《つか》うあまり自分の意見を持たなくなるし……」
くしゃくしゃっと前髪を掻《か》き毟《むし》るエリザード。
言われたリメエアの方は、口元に力のない薄《うす》ら笑いを浮かべながら、
「あら心外ね、説教できるような立場かしら。そもそも放任主義かつ超スパルタなお母様の教育方針にも問題があるのではなくて? 特にヴィリアンなんて、その気になれば不自由ない生活を提供できたでしょうに」
「何を言う。パーソナリティの確立は自らの手で行わなければ依存を招くだけだ。特にヴィリアンの『人徳』は、ちょっとひねくれると他力本願に傾きかねないから、安易な救いは厳禁だ。だから長期的に見れば私のやり方に間違いはない。私はお前達と違って良識派だからな」
「まぁ。一〇年前にヴィリアンを囮《おとり》に差し出して南米を手に入れようとした輩《やから》が出てきた時に、カーテナ=セカンドを振り回して『王室派』で執政気取りだった政治屋達を片っ端《ぱし》から殴《なぐ》り倒していたのはどこのどなただったかしら」
「よっ、余計な事を言うんじゃない。あれもあれで親として必要な行動だった」
エリザードは否定するように言ったが、その辺でぐにゃぐにゃしているローラも『……いや、あれはかように甘っちょろきものじゃなりぬだったわよ』とボソリと呟《つぶや》いている。
「そうそう。極瑞と言えば、今回はキャーリサの方もかなり尖《とが》った方法に出たものね」
「……やはり、お前もキャーリサの狙《ねら》いはカーテナの『機能拡大』にあると思うか?」
でしょうね、とリメエアは頷《うなず》いた。
「カーテナ=オリジナルは英国内部でのみ、天使長『|神の如き者《ミ カ エ ル》』を国家元首に当てはめる霊装《れいそう》。でも、もしも英国の外に出てもカーテナの効果を発揮できるとしたら、イギリスの女王様はヨーロッパ全土を蹂躙《じゅうりん》する人災そのものと化すでしょうね。……たった一人で水爆よりも黒死病《こくしびょう》よりも甚大《じんだい》な死者を生む、人為的に策定された天罰《てんばつ》の実行者として」
「あの剣はイギリスを構成する四文化の地理的条件を組み込んだ巨大術式を制御する指揮棒のようなもの。『|騎士派《きしは》』は全勢力を使ってイギリス本土の防戦に徹《てっ》し、その間にカーテナを手にしたキャーリサが一人でヨーロッパを粉砕する。……確かに、その方法なら何とかなるかもしれんな。何しろ、カーテナ=オリジナルの力を完全解放できた場合、人類の魔術《まじゅつ》では傷一つつける事もできないかもしれないんだし」
もしもそれが実現した場合、本物の天使か、あるいは魔神《まじん》でも出てこない限り、キャーリサと拮抗《きっこう》するのは難しいだろう。
「……でも、本当にそれだけかしら」
「なに?」
「スコットランド地方のエジンバラ……キャーリサの使い捨ての手足として動いていた『新たなる光』の活動拠点に、密偵を放っていまして。ふふ、『確証が持てるまでは話せない』っていうベタな台詞《せりふ》を口にするのは、やはり頭脳派の特権でしょう?」
密偵、という言葉を使っているものの、それは英国王室|御用達《ごようたし》の魔術師《まじゅつし》や、軍の諜報員《ちょうほういん》という訳ではないだろう。リメエアは、そういった権力構造の中にあるプロやエリートを特に嫌《きら》う。おそらくエジンバラで活動しているのは、第一王女リメエアが頻繁《ひんぱん》に宮殿を抜け出し、『王女ではない顔』のまま、何の権力も使わずに己の手で絆《きずな》を構築した仲間|達《たち》を差しているのだ。
(この自力で頑張る自立心や独立心は三姉妹の中でも最優良なのだが……根底にあるのが人間不信でなければ……。やはり、手放しでは喜べんのがあれなんだよなぁ)
はぁ、とエリザードはため息をつく。
と、リメエアが続けて軍馬に新たな人参《にんじん》を与えているのを女王は怪訝《けげん》な目で見て。
「おい。その食材は一体どこから手に入れてきたんだ」
「あらご存知ない? つい先ほどまで、この辺りで『清教派』の残存勢力が結集して最後の晩餐《ばんさん》を催していたというのに。どうやら戦闘《せんとう》に必要のない機材や食器などはここに置いておいて、勝てる事ができたら回収に戻ってくるつもりだったみたいね」
「なっ」
「大丈夫《だいじょうぶ》よ。残っている食材や食品に関しては、一通りペットに『味見』させてあるから。少なくとも、食べて困るような物は含まれていないわ」
チチチッと第一王女が舌で小さな音を立てる。それは彼女がいつも可愛《かわい》がっている小型の室内犬を呼ぶ時のサインだ。
が、リメエアが合図を送っても、一向にペットがやってくる様子はない。
『?』と第一王女が辺りへ視線を走らせると、何やら扉の壊《こわ》れた小さなケージから飛び出した三毛猫《みけねこ》と室内犬が超至近|距離《きょり》で睨《にら》み合い、『何だテメェは!?』『ここは我が国の領土だ!!』と低い唸《うなり》り声を放っている。
「まぁまぁ可愛い三毛猫さん。アジアの種にも以前から興味はあったけど、実際に見てみると予想以上に愛らしいものね」
リメエアは完全無警戒の子供のような笑みで三毛猫を抱き上げ、室内犬が『おいちょっと! 命がけでその人参を「味見」してんのは俺《おれ》でしょうが!!』とキャンキャン喚《わめ》いている。
だが、女王エリザードが気にかけているのはそこではない。
「くそう!! ついさっきまでそんなオイシイ事をやっていただとう!? これはあれだ、おそらくポケットの中から恋人の写真などを取り出して、『俺、この戦いが終わったら結婚するんだぜ』的なあれこれがあったんだろう!! おのれ……私はこう今一番熱い所を見逃してしまう運命なのか!?」
「何だか皆で鼻息荒げてロンドンの中心部へ向かって行ったようだけど?」
「しかも置いてきぼりかよ!! ち、ちくしょう。行けるか馬! 私はこれから大至急ロンドンへ向かわなければならん!!」
あいよ、やっぱ女王はそうでなくっちゃ、と軍馬は四本脚を伸ばして起き上がる。
エリザードは軽やかに軍馬へ飛び乗り、相変わらずグニャグニャしているローラ=スチュアートを片腕で掴《つか》んで馬の後部に乗せながら、
「おい。例の『旗』の準備はどうなっている?」
「五分五分なりしといった所かしらね。モノ自体は大英《だいえい》博物館の一般展示品の中に紛《まぎ》れさせたるから、あれが霊装《れいそう》である事まで気づきたる者は少ない。後は博物館所属のチャールズ=コンダーが期待通りの働きをしてくれたれば、何とか使い物になりけるかもね」
「一般の社会人か。『|騎士派《きしは》』に動きを察知されれば命に関《かか》わるというのに……この国の紳士|達《たち》には敬意を払わねばならんな」
そこまで言うと、エリザードはわずかに沈黙《ちんもく》した。
心の中で、思う。
この野営地で準備を固め、ロンドンへ向かった者達の事を。また、魔術《まじゅつ》を扱えなくても命懸《いのちが》けで協力してくれる協力者達の事を。
(……ふん。『カーテナの権限を「外」でも扱えるようになる』だの『天使長のポジションを利用してほぼ無敵と化したキャーリサがヨーロッパを蹂躙《じゅうりん》する』というのも問題だが)
女王の顔色は変わる。
ロンドンの方角を見たエリザードの表情が、険しいものになっていく。
(カーテナ=オリジナルを手にしたキャーリサは、すでにイギリス国内ならその力を発揮できるという事実を忘れているのか。これからお前達が戦うのは、たった一人でヨーロッパを滅ぼしかねないほどの、水爆よりも恐ろしい人災そのものなんだぞ!!)
「まったく!英国の行く末のためとはいえ、ろくに切り札も持たんまま気合と根性だけで最終戦に臨みやがって、あの馬鹿《ばか》ども! 勝手にくたばったら承知せんぞ!!」
「うふふ。口調の割に結構|嬉《うれ》しそうね、お母様」
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第七章 王女と女王の素敵な悪党 Curtana_Original.
午前三時。
上条《かみじょう》は『清教派』のメンバー達《たち》と共に、ロンドンへ突入した。
とは言っても、今回ばかりは馬鹿正直に徒歩では移動しない。迅速《じんそく》にバッキンガム宮殿へ向かうため、彼らは二〇台以上の大型トラックに分乗している。
ロンドンに入った今も、一度も検問らしい検問はなかったのだが、上条にはそれが逆に不気味だった。『|騎士派《きしは》』はおろか、警察や軍を利用したものすらない。そうした検問を突破するための術式を用意していた新生|天草式《あまくさしき》の五和《いつわ》達も眉《まゆ》をひそめているようだった。
『「騎士派」の検問がないのは、戦力をバッキンガム宮殿に集結させているせいでしょうか』などと神裂《かんざき》は危惧《きぐ》していたが、考えても答えが出ない以上は拘泥《こうでい》しても仕方がない。今は本陣にぶつかる前に戦力を削られなくて良かった、と思うしかない。
幌《ほろ》のない荷台に座っている上条の顔を、冷たい秋風が叩《たた》く。
なまじ完全に制圧されているためか、ロンドンの大通りには他《ほか》に人や車などはない。そのため、上条達の乗るトラックも法定速度を無視していた。制圧時に慌《あわ》てて逃げたせいか、無人の自動車が車道の真ん中に放置されている事もあるらしく。時折トラックがうねるように蛇行《だこう》し、上条達の体を大きく揺らす。
上条は、同乗している『清教派』の面子《メンツ》の顔を、こっそりと見た。
彼らは誰《だれ》が政権を握るか、といった事にはあまり興味がないらしい。誰の下で国の舵取《かじと》りが行われようが、イギリスの住人さえ普通に暮らしていければ問題ないそうだ。ただし、逆に言えば、誰が指導者になろうとも、軍を使った虐殺《ぎゃくさつ》行為が公然と許される新体制の構築を、『清教派』は許さない。だからこそ、キャーリサと戦う決意に揺らぎはないのだ。
迷える子羊に、救いの手を差し伸べる事。
そういう意味では、『清教派』の目的は実に明快だろう。
「最後の確認をします」
同乗している紳裂が口を開いた。
「我々の目的は、一刻も早くバッキンガム宮殿に急行し、クーデター首謀者《しゅぼうしゃ》であるキャーリサを抑える事。その一番手っ取り早い方法として、彼女の持つカーテナ=オリジナルの破壊《はかい》を提案します」
「……確か、『|騎士派《きしは》』は騎士団長《ナイトリーダー》を失って、そこにカーテナまで暴走したおかげで、ホントに第二王女の実力を信じられるかどうか、自信が揺らいでいるんだっけか?」
いまいちピンとこない上条《かみじょう》。
しかし、近くでお上品に腰掛けている第三王女ヴィリアンは頷《うなず》いた。
『……カーテナ=オリジナルは、彼らが掲げるクーデターの象徴そのものです。それを目の前で砕かれれば、『騎士派』の心も折れるでしょう。姉君の怪物のような力は、カーテナによって支えられたもの。剣を失えば、ただの人に戻ってしまう訳ですからね」
「核ミサイルによって、国を変えようとするテロリストがいたとしましょう」
神裂《かんざき》は極めて物騒《ぶっそう》な譬《たと》え話を持ち出した。
「計画の中心にある核を失って、なおその計画をそのまま続行しようとする者がいますか?」
「まぁ、そりゃそうだけど……」
言い淀《よど》む上条。
と、横からインデックスがこんな事を言った。
「カーテナ一本でクーデターは終わる。でも、口で言うほど簡単じゃないかも。何しろ『全英大陸』の中において、カーテナ=オリジナルを持つ国家元首は天使長『|神の如き者《ミ カ エ ル》』として、人間ではありえないレベルの力を振るえるんだからね」
「……確かに。残存勢力を結集しても、正攻法であの剣を折るのは難しいかもしれませんね」
神裂の言葉には、どこか口先以上の重さがある。
それは実際に、ミーシャ=クロイツェフという天使と戦った経験があるからか。
「ですので、規格外の敵に対しては、規格外の人材に頼《たよ》る事にしましょう」
「や、やっぱ、そうなるのか」
正面から見据えられ、上条はわずかにたじろぐ。
「確かに、俺《おれ》の右手なら『魔術《まじゅつ》を使った物品』っつーだけで、カーテナだろうが何だろうが片っ端《ぱし》からぶっ壊《こわ》せるかもしれない。でも、今のキャーリサって神裂とかアックアより強いかもしれないんだろ。あんなものすごい速度でビュンビュン飛び回られたら、触る事ももできないぞ」
「ええ。分かっていますよ。元より普通の高校生に、聖人以上の戦いについて来いとは言いません」
神裂は頷く。
「ですので、あなたは『ゆっくりと動く高威力の移動砲台』として使わせていただきます。仮にキャーリサが高速機動で翻弄《ほんろう》する方向で攻めてきた場合……新生|天草式《あまくさしき》と聖人の私が速度で対応し、どうにかして、あなたのいる方向へ強引に弾《はじ》き飛ばします」
『清教派』の残存勢力には、新生天草式の他《ほか》にも、元アニェーゼ部隊やシェリーのように独立した魔術師も存在する。しかし、やはり速度という問題では『聖人』を軸に据えた新生天草式が最も優《すぐ》れているのだろう。
後は、速度に特化した新生|天草式《あまくさしき》と、その他のメンバーが放つ遠距離《えんきょり》攻撃《こうげき》や補助的|魔術《まじゅつ》がどこまで連携を成功させられるかで勝負が決まる。
「難しく考える必要はありませんよ」
わずかに黙《だま》った上条《かみじょう》に、神裂《かんざき》は言った。
「最後まで生き残ってください。それがあなたに与えられた、一番大きな役割です」
それは全員に共通する役割だろう。
誰《だれ》一人欠ける事なく終わらせる。
上条|当麻《とうま》は、自分の右手に視線を落としながら、改めてそれを確認する。
「……それにしても、大丈夫なのか? なんだかんだで五〇〇人以上の大移動だろ。さっきから『|騎士派《きしは》』が一人も出てこないのが逆に気になるし。この街を制圧しているキャーリサの方に気づかれたら……」
「ええ。今頃《いまごろ》は察知されているでしょうね。このままではバッキンガム宮殿に到着する前に、大規模な交戦が始まるでしょう」
神裂はサラリと肯定した。
ギョッとする上条に、続けて彼女はこう言った。
「ですが、たとえ察知されたとしても、具体的な迎撃策を実行できなければ問題はありません」
「?」
上条が眉《まゆ》をひそめると、何故《なぜ》か神裂は自分の片耳に人差し指を差し込むようなジェスチャーを示し、
「始まりますよ。耳を塞《ふさ》いでおいた方が賢明でしょう」
大西洋。
アイレイ島からさらに北西へ移動した空中|要塞《ようさい》カヴン=コンパスは、イギリスの国境のギリギリ外側の海上で待機していた。
イギリスの外側まで出た事によって、カーテナと『全英大陸』の追加補助を受けた『騎士派』の猛攻は一時的に中断されていた。
巨大な円盤状の要塞の各所から黒い煙が立ち上り、姿勢制御用の霊装《れいそう》にもダメージが入っているせいか、カヴン=コンパスは全体的に斜めに傾《かし》いでいる。それでも、要塞は物理法則を無視して、未《いま》だに宙に浮かんでいた。主要機関はまだ動く。
深夜の黒い海には、鋼鉄でできた島のような物が浮いていた。
こちらは『騎士派』が用意した海上要塞だったが、カヴン=コンパスと違って完全に航行機能を破壊《はかい》されて、ほぼ沈みかけていた。『清教派』の魔女達《まじょたち》は一矢|報《むく》いたと言って良いだろう。
黒煙を上げるカヴン=コンパスを守る魔女達《まじょたち》と、それを攻め落とそうとする騎士《きし》達の睨《にら》み合いは続いていた。
国境の外に出て、通常通りの力に戻った『騎士派』の数名は、箒《ほうき》に乗った魔女の手で撃墜《げきつい》されている。暗い海面を見れば、今もストロボ状の救難信号を放つ救助待ちの敗北者がいくつも揺れていた。
国境の外は魔女、国境の内は騎士。
人の決めた見えないラインを隔《へだ》てて拮抗《きっこう》する両勢力。
そんな中で、魔女の一人であるスマートヴェリーは、国境の向こう側から断続的に飛んでくる遠距離《えんきょり》用の術式に注意しながら、通信用の霊装《れいそう》に意識を傾けていた。
オペレーターからの声が届く。
『―――バッキンガム宮殿に向けての大規模|閃光《せんこう》砲撃、準備開始。所定の魔女は射線から逃れ、大規模術式の準備及び発射時にかき乱される大気の流れに箒の制御を奪われぬよう、細心の注意を払ってください』
事務的な言葉を聞いて、スマートヴェリーは思わず口笛を吹いた。
「直線距難で五〇〇キロオーバー……設計上想定している最大射程の一・五倍以上の距離。しかも今回は直接攻撃だから、中継ポイントを使った魔力の誘導《ゆうどう》も使えないしねー」
スマートヴェリーの口調はのんびりしたものだ。
「おまけに途中にはマン島の遺跡とか『干渉』を起こしそうな物も乱立しているって状況で、よくもまぁ頭の固い連中が承認したものねー」
思わず呟《つぶや》くと、別の通信ラインから同僚《どうりょう》の魔女が口を挟んできた。
『私としては、むしろバッキンガム宮殿に砲口を向ける許可が下りた方が信じられないがな』
「面倒な手続きに関しては、第三王女が『王室派』の権限を使ってゴリ押ししたみたいだけどねー。ま、こういう時は思い切りの良い権力者に感謝するしかないっしょー」
『……思い切りの良い権力者という意味では、クーデター首謀者《しゅぼうしゃ》の第二王女も似たようなものだがな』
「その辺、意外に似た者同士かもしんないよ? 方向性はズレてるけどさー」
と、魔女達の会話が途切れた。
通信用の霊装が、ガリガリガリガリ!! とノイズのような異音を発する。同時、スマートヴェリーの箒もグラリと揺れた。彼女が慌《あわ》てて制御を取り戻すと、通信用霊装の方からも同僚の驚《おどろ》いた声が飛んできた。
『ジ、ジ……始まっ、たか……ッ!?』
自然界にはありえないほど真っ白な光が、大西洋の暗い海から闇《やみ》を払う。
カヴン=コンパス上面。円盤状の空中|要塞《ようさい》の中心から。上方二〇メートル辺りにある空中の一点に、純白の球体が生じていた。大規模神殿が作り出す強大なエネルギーが辺りの空気を膨張《ぼうちょう》させ、気圧の変化を生み、嵐《あらし》のような暴風を生み出している。魔女《まじょ》の空母としても機能するカヴン=コンパスのもう一つの切り札が起動しようとしているのだ。
下面の空母と、上面の砲撃《ほうげき》。
実に巨大|要塞《ようさい》の半分もの力と役割を持つ大規模|閃光《せんこう》砲撃の矛先《ほこさき》が、イギリスという王国の首都に向けてギリギリギリギリと合わせられる。
『ザザ、発射に合わせ……て、「騎士《きし》、派《は》」から……ガガガ……妨害が入、ると思……うか?』
「多少はあると思うけど、捨て身で射線に飛び込むような|勇者様《バカ》までは現れないかなー? 大体。それをやる度胸があるなら、国境を割って全軍まとめて攻め込んできそうだしねー」
いや、騎士団長《ナイトリーダー》が健在だった頃《ころ》なら、それもあったかもしれない。
エリザードが統治していた頃ならば、喜んで実行した者もいただろう。
(……やっぱり、この辺が暴力の限界かねー。新女王のキャーリサ様)
動かぬ『騎士派』を眺めながら、スマートヴェリーはわずかにせせら笑う。
そんな彼女の耳に、オペレーターから通信が入る。
『―――砲撃開始。バッキンガム宮殿を破壊《はかい》します!!』
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ゴッ!! という爆音が、辺りのビルの窓ガラスをまとめて砕いた。
高速で動く大型トラックの直上、ロンドンの夜空を、直径五メートル以上の太い光の柱が突っ切っていく。
両手で耳を塞《ふさ》いでいても、体の平衡《へいこう》感覚をひっくり返すような衝撃波《しょうげきは》が、上条《かみじょう》の脳の奥まで震《ふる》わせてきた。運転手の五和《いつわ》が轟音《ごうおん》に驚《おどろ》いたせいか、あるいはトラックそのものが物理的に揺さぶられたのか、巨大な車体が不自然に横滑《よこすべ》りする。
砲撃は一度ではない。
二度、三度と……数秒の間隔《かんかく》を置いて、次から次へとバッキンガム宮殿の方角へ向かって発射されていく。
爆音に負けないように、上条は目の前の神裂《かんざき》に対して全力で声を張り上げた。
「お前……ッ!? 察知されても迎撃策を実行できなければって、こういう事だったのかよ!?」
「ええ、キャーリサ側には砲撃の防御に徹《てっ》していただければ、その間に我々が戦場へ駆けつける事も可能となります。遠距離《えんきょり》からの砲撃支援は、上陸戦の基本ですよ」
神裂はこの轟音にも表情を変えず、平然とした顔でそう言った。
さらに続けて、別の方角から追加の砲撃《ほうげき》がバッキンガム宮殿を襲《おそ》う。今度は星空や夜景を裂くような、細く鋭い漆黒《しっこく》の闇《やみ》のようなものだ。ただし、多い。一〇〇から二〇〇もの弾幕が、弧を描きながらまとめて宮殿のあるエリアへ突き刺さっていく。
「要塞《ようさい》って、一つじゃねえのか!?」
「あれはドーバーの海底を航行中の、セルキー=アクアリウムでしょうね。『|騎士派《きしは》』の猛攻に耐え、活動可能な状態を維持しているのはセルキー1、2、4、5の四|隻《せき》と聞いていますが。3、8は活動可能ではあるものの、キャーリサ率いる『騎士派』や英海軍と応戦するために専念しているようです」
どうやら人魚みたいに水中活動する魔術師《まじゅつし》達《たち》のための、潜水《せんすい》型の母艦《ぼかん》のようなものがあるらしい。イギリス―フランス間の国境で決定的な動きがあった際、速《すみ》やかに行動するために待機させていたものを、ここに来て砲撃支援に回してきたようだ。
(いや、デカい攻撃で協力してくれるのはありがたいんだけど)
「……正直、あんな状態のバッキンガム宮殿に入ったら、マジで死ぬかもよ?」
「むしろ、あれだけの大規模砲撃を使っても、キャーリサが倒れない現実を留意した方が良いでしょう。これから我々が刃を打ち合わせる相手は、そのレベルの強敵という訳ですから」
怪物どもめ、と思わず上条《かみじょう》は吐《は》き捨ててしまった。
戦艦の主砲みたいなもので集中砲火しても倒れない相手に、ド素人《しろうと》の拳《こぶし》一っで突っ込んでいくと言うのだから、我ながら無謀《むぼう》な戦場に向かっているものである。
「……しっかし、あんだけバカスカ撃《う》ちまくって、周りに被害とか出てないだろうな」
「一応バッキンガム宮殿の周囲の区画は大きな公園になってたから、流れ弾については大丈夫《だいじょうぶ》なんじゃないかな」
インデックスが自分の完璧《かんぺき》な記憶《きおく》と照らし合わせているのか、そんな事を答えた。
神裂《かんざき》もインデックスの意見に賛同した上で、
「それに、おそらくキャーリサ側も住民を管理しやすいよう、人口を所定の位置へ誘導《ゆうどう》しているでしょう。ホテル、映画館、劇場、教会などに街中の人々を集めているという訳です。仮に民家に誤爆したとしても、ただちに犠牲者《ぎせいしゃ》が出る可能性は低いですね」
……とはいえもちろん油断はできませんが、と神裂は予想外の悲劇まで視野に入れているような台詞《せりふ》を告げる。
ただ、その話だとやはりバッキンガム宮殿そのものは破壊《はかい》されてしまう可能性も高い。上条には建築物や美術品の価値は分からないが、あの宮殿の中にある物、そして宮殿そのものも、おそらく国宝の山になっているんだとは思う。
そんな事を考えながら、上条はチラリと第三王女ヴィリアンの横顔を見たが、
「……構いません」
彼女はしっかりとした口調で言った。
「ロンドンのみならず、イギリス全土で皆が痛みを分かち合っているのに、我々英国王室だけは無傷で済ましてほしいというのも虫の良い話です。……それで国中の騒乱《そうらん》が収まるのなら、あんな宮殿など木《こ》っ端《ぱ》微塵《みじん》にしてしまいましょう」
上条《かみじょう》は、そんなヴィリアンの口調と表情に違和感を覚えた。
出会ったばかりなので詳しい事は知らないが、どうも、バッキンガム宮殿でビクビクオドオドしていた頃《ころ》とは雰囲気《ふんいき》が変わっている気がする。
「気づかされたのです」
少年の視線を受けたヴィリアンは、手元のボウガンの各部をチェックしながら口を開いた。ボウガンと言っても野暮《やぼ》な金属製ではなく、王室の特注品なのか、バーカウンターに使われていそうな、飴色《あめいろ》の光沢を放つ木製のものだ。取り付けられたスコープも、ダヴィンチの愛用品だと言われても信じてしまいそうな、アンティークな質感の品だった。
「何の魔術《まじゅつ》も使えない使用人や料理人は、戦いを恐れる私を逃がすために、自ら窮地《きゅうち》に立ってくれました。あの傭兵《ようへい》もまた、私の身の安全を守るために、『|騎士派《きしは》』の集団と戦ってくれました」
ボウガンの全長は一メートルを超える大型のもので、女性の細腕で弦を引くのは難しそうだ。が、その事も考慮《こうりょ》しているのか、ボウガンの下部にはポンプアクション式のショットガンにあるようなスライドがついていた。おそらく歯車や滑車《かっしゃ》を利用して、簡単に弦を引けるようになっているのだろう。
「私が戦いから逃げる事で彼らを守れるのなら、私はどこへでも隠れましょう。ですが、もしもそんな事をしても彼らの窮地が変わらないのなら……後は戦う以外に道などありません」
緑色のドレスの上から古い時代の狩人《かりゅうど》のように矢筒のべルトをたすき掛けにしたヴィリアンは、控え目ながらも強い芯《しん》のある視線を上条に返す。
「あなたの方は……どうなのですか? イギリスという国家の危機に命を懸《か》けるほどの責務はないでしょうし、騒乱に巻き込まれた知り合いも、ひとまずは救出できた状態にあるはず。いわば安全地帯へ退避《たいひ》しても問題はないはずなのに、何故《なぜ》あなたは死地へと向かうのです?」
「……大層な理由なんかねえよ」
上条は夜空を突っ切っていく純白の閃光《せんこう》を見上げながら、口を開く。
「そりゃ、できる事なら危ねえ所になんか行きたくねえよ。切り捨てられる程度のもんなら切り捨てちまいてえよ。このクーデターに巻き込まれた人間みんながみんな、シューテイングゲームの雑魚《ざこ》キャラみたいに『狙《ねら》い撃《う》ちされるためだけに生まれてきました』オンリーのペラッペラな連中だったら、俺だってあっさり見捨てて学園都市に帰る方法を探してるはずだ」
彼はヴィリアンと違って、準備に必要な物などない。
ただ、右の拳《こぶし》を握り締《し》めるだけで完了する。
「でも、違うんだろ」
立て続けに起こる轟音《ごうおん》のせいで相手に聞こえていないかもしれないが、上条《かみじょう》は構わず続けた。
「そんなに分かりやすくて都合の良い人間なんか、どこにもいねえじゃねえか。みんなそれぞれ死ぬほど重いものを抱えて、そいつを失わないように走り回ってんだろうが。……だったら、そう簡単に切り捨てられるかよ。大それた理由とか責務の問題じゃない。立ち上がりたいと思ったら、もう立ち上がっても良いと思うぞ」
ヴィリアンは、しばらく上条の顔を見ていた。
やがて彼女はこう言った。
「……自身の中に完成された主義や思想はなくとも、その場その場で皆の声を聞き、どんな状況であっても最良の選択を採るための手段を惜しまない……」
「?」
「あなたは……ウィリアムとはまた違った種類の、傭兵《ようへい》なのですね」
うぃりあむ? と上条は聞き返そうとした。
しかし、その前に異変が起こった。
バタタタタタタタタ!! という風を切る連続的な音が、彼らの頭上から響《ひび》き渡ったのだ。
(ヘリ……!?)
上条は最初そう思ったが、それは間違いだった。
白。
未完成のプラモデルのように色の欠けた巨大な物質があった。扇型の巨大な物体が、高速で回転する事で浮力を得ている。
サイズは半径五〇メートル、扇の角度は九〇度ほど。
馬鹿《ばか》げた大きさの構造物の色彩に、上条は見覚えがめる。
「……カーテナ=オリジナルが生み出す、全次元切断の残骸《ざんがい》か……ッ!?」
彼が叫んだ直後だった。
水平状態を維持したまま高速回転していた巨大な扇が、カクン……と斜めに傾《かし》いだのだ。あっという間に浮力を失った回転物質は、まるでヘリコプターの墜落《ついらく》シーンにも似た挙動で地上目がけて落下してくる。
そう、上条|達《たち》の乗る大型トラックを狙《ねら》うように。
材木を一瞬《いっしゅん》で切断する巨大な回転刃のように。
「くそっ。ここに来るまで検問がなかったのって、こういう目的があったからか!?」
『……ガガッ……しっかり捕まっていてください……ッ!!』
運転席にいる五和《いつわ》の声が、荷台にくくりつけられた無線機から響く。
直後だった。
下端《かたん》に軸を据える事で実質直径一〇〇メートルの回転刃になり、上空から襲《おそ》いかかってくる構造物を避《さ》けるため、大型トラックが後部を振り回す無茶《むちゃ》な挙動で車線を変更した。回転刃は一気に二〇メートルほど地面へ沈むと、アスファルトどころか地中の地下鉄駅の構造物まで引きずり上げて辺り一面にばら撒《ま》いていく。
かろうじて直撃《ちょくげき》は避《さ》けた。
だが、衝撃《しょうげき》は大型トラックの横から来た。
巨大な回転刃は地面とぶつかった事で軌道を変え、ビルの側面にぶつかり、地面の上を跳ね、不規則に蠢《うごめ》いていた。そのランダムに軸を変える回転刃の角が大型トラックの側面を捉《とら》えたのだ。
横殴《よこなぐ》りの一撃だった。
一〇トン級の大型トラックが、一撃で車道から歩道を飛び越え、ビルの壁に直撃した。
「ぐああああっ!?」
体中を走る重たい衝撃に、上条《かみじょう》は思わず声を張り上げる。
とりあえず荷台から放り出される事はなかったが、トラック自体がくの字に折れ曲がっている。この状態で再び走り出すのは不可能だろう。
そこへ、さらに凶報が訪れる。
バタタッバタバタバタタタタタタタタタタタッ!! というヘリのローターのような轟音《ごうおん》。
一つではない。
身を強張《こわば》らせた上条が恐る恐る頭上を見上げると、一〇〇メートルを超す扇型の回転刃が四つち五つもフリスビーのように飛んでくる。
「くっそ!! 逃げろ!!」
上条が叫ぶまでもなく、荷台の上にいたメンバーは各々《おのおの》壊《こわ》れた車道へ飛び降り、できるだけ離《はな》れようと走り出している。上条は痛む体を引きずり、もたもたしているインデックスの手を引っ張って、荷台を降りた。
その時だった。
密集して飛んでいた複数の回転刃同士が、それぞれ勝手に激突した。空中で互いを弾《はじ》き返そうとする回転刃の群れは、ランダムであるが故《ゆえ》に余計に避けづらい軌道を演出し、こちらに向かって墜落《ついらく》してくる。
(―――ッ!!!???)
もはや、声は出なかった。
無数の刃がアスファルトを吹き飛ばし、ビルの壁面を容赦《ようしゃ》なく崩した。繁《つな》いでいたはずのインデックスの手が離れた……そう思った時、上条の体は空中に投げ出されていた。直撃自体は避けられたものの、めくれ上がったアスファルトと一緒《いっしょ》に体を持ち上げられたのだ。
受け身を取る余裕などなかった。
硬い地面に叩《たた》きつけられ、上条の呼吸が止まりそうになる。
(げほっ!? く、そ……)
「イン、デックス……? 神裂《かんざき》、五和《いつわ》!! ちくしょう、みんなは!?」
着弾の衝撃《しょうげき》で粉塵《ふんじん》が舞い上がり、視界を確保できない。上条はゲホゴホと不定期に咳《せ》き込みながら、辺りに響《ひび》くような大声でとにかく仲間の名前を叫ぶ。
爆音だけが鼓膜に返る。
浮力を得て、一定の速度で夜空を舞う回転刃と、遠方から襲《おそ》いかかる太い光線とが激突し、空中で巨大な閃光《せんこう》が炸裂《さくれつ》している。
そんな絶望的な状況で、上条は弱々しい声を聞いた。
聞き慣れた人物の言葉だ。
「こ、ちら……です」
「五和か!?」
「え、ええ」
上条は駆け寄ろうとしたが、行き止まりだった。いや、厳密には裏路地への出入り口が、崩れたビルの壁によって塞《ふさ》がれている。その向こうから、瓦礫《がれき》の隙間《すきま》を縫《ぬ》うように声が飛んできているのだ。
「それより、ヴィリアン様を追ってもらえませんか? みんながバラバラになった直後、ヴィリアン様が一人でバッキンガム宮殿へ向かってしまったのを見たんです」
「ッ!?」
上条は辺りを見回したが、ヴィリアンらしき人影はいない。まさか、本当に一人で先行してしまったのか。
(くそっ!!)
上条は思わずバッキンガム宮殿の方へ目をやったが、そこで何かに気づき、改めて五和の方へ視線を戻した。すると、壁の向こうにいる五和は、わずかな音か、あるいは声の『間』から何かを察したのか、こんな事を言ってくる。
「あはは。生き埋めになっている訳ではないのでご心記なく。我々は路地を通って、別のルートからバッキンガム宮殿を目指します。あなたとすぐに合流するのは難しいでしょうから、宮殿で落ち合う事にしましょう」
「でも、おい、大丈夫《だいじょうぶ》なのか? 本当に大丈夫なんだろうな!!」
「皆さんも、各々《おのおの》独自のルートからバッキンガム宮殿へ向かっているはずです。……とにかく、動いてください。一ヶ所に留《とど》まっていては、狙《ねら》い撃《う》ちにされるだけですから」
それだけ言葉が続くと、瓦礫の向こうで走り去るような足音が聞こえた。どうやら本当に、五和は路地を通ってバッキンガム宮殿へ進もうとしているようだ。
(他《ほか》のみんなは……ッ!?)
上条は辺りを見回す。
いくつかの影が、大通りの先へ走っているのが見えた。ビルの屋上から屋上へ跳んでいるのは神裂《かんざき》か。彼女に抱えられているインデックスが、こちらに向けて何かを叫んでいるようだったが、上条《かみじょう》の耳までは届かない。
見慣れた少女の顔に、とりあえずホッとした上条だったが……直後に、その顔が再び強張《こわば》る。ヴィリアンが引っ掛けたのか、近くの崩れたコンクリートのギザギザした断面に、緑色の布の破片があったのだ。乱暴に千切《ちぎ》られた小さな布は、ひどく不吉な暗喩《あんゆ》に見え……上条は根拠のない予感を振り切るように、慌《あわ》てて首を横に振った。
五和《いつわ》の話では、ヴィリアンは一人で先に行ってしまった、という事だった。
とにかく、バッキンガム宮殿まで走るしかない。
直線距離で二キロもないはずだ。
ただし、その二〇〇〇メートルは苦難と地獄の道のりと化した。
ゴン!! という鈍い音が聞こえる。
上条がハッと顔を上げた時には、直径二〇メートルを越える球体が落ちてくる所だった。色の欠けた、のっぺりとした白い球体。それは上条の行く手を阻《はば》むように一〇〇メートルほど前方に落下すると、不良然なほど深く沈む。おそらく地中の地下鉄の線路でも潰《つぶ》しているのだろう。
それでも、バウンドするような格好で球体はさらに浮かび上がる。
車道に乗り捨てられた乗用車を踏《ふ》み潰し、爆破させ、ビルの壁面に叩《たた》きつけられ、反対方向へ転がり……まるで生き物のようにランダムな動きで上条の方へ向かってくる。
「ちっくしょう!!」
上条はとっさに歩道に面したビルの壁に張り付いた。
そこヘ二〇メートル級の巨大球体が突っ込んだ。
軌道で言えばストレート。上条の体をローラーのように潰して地面に貼《は》り付けていたであろうコースだ。
だが、上条は即死せずに済んだ。
四角い箱の中に、同じ直径の球体を収めた場合、角に隙間《すきま》ができるはずだ。上条はビルの壁に貼り付く事で、その隙間の部分に潜《もぐ》り込んだのだ。
ただし、破壊《はかい》はそこで終わらない。
上条の頭上―――巨大球体のめり込んだビルの壁が、ボロボロと崩れ落ちた。頭上から降り注ぐ大量の瓦礫《がれき》に巻き込まれぬよう、上条は全力で前へ前へと走り抜ける。地響《じひび》きのような音が鳴り響き、背中を叩くように粉塵《ふんじん》が追いかけてくる。
休む暇などなかった。
扇のような回転刃がいくつも襲《おそ》いかかってきた。
重心が偏っているのか、起き上がりこぼしのように不自然に蠢《うごめ》く巨大な柱が道路を砕いた。
いくつものビルが倒壊《とうかい》し、上条の行く手を阻む。
(一つ一つの構造物自体は、それほど複雑な形はしていねえ……)
がむしゃらに前へ走りながら、上条《かみじょう》は歯を食いしばる。
(でも、サイズがケタ違いすぎる! 本当に戦艦《せんかん》の砲撃《ほうげき》みたいになってんじゃねえか!!)
一発二発の『砲撃』を回避《かいひ》する事に全力を注いでも安堵《あんど》はできない。一刻も早く距離《きょり》を詰めて『砲撃』そのものを止めなくては、上条やバラバラに行動している他《ほか》の仲間|達《たち》の危機は終わらない。
もしかしたら、ロンドン市内に『|騎士派《きしは》』がいなかったり、他の住人が別の場所に軟禁されているのは、いつでもこの攻撃を行えるようにするための下準備だったのかもしれない。
上条は瓦礫《がれき》と瓦礫の間にめる隙間《すきま》を潜《くぐ》り抜け、粉塵《ふんじん》のカーテンの中を突っ切り、崩れて地下鉄線路の見えている亀裂《きれつ》を飛び越え、夜のロンドンをひたすら駆けていく。
五和《いつわ》は『ヴィリアンは先に行った』と言っていたが。走っても走っても一向に人影は見えない。本当にこんな激戦地を通ったのだろうか、という疑問まで浮かんでくるぐらいだ。
そうこうしている間に、ようやくバッキンガム宮殿の敷地《しきち》が見えてきた。
カヴン=コンパスやセルキー=アクアリウムからの魔術的《まじゅつてき》な爆撃の影響《えいきょう》か、公園を取り囲む大きな柵《さく》はねじ曲がり、吹き飛ばされ、緑色の短い芝生《しばふ》に覆《おお》われた地面は巨人がゴルフクラブでミスショットをしたように、黒土が噴き上がり、クレーターを作り上げている。
壊《こわ》れた柵の残骸《ざんがい》の隙間を潜《くぐ》り、上条は迷わず宮殿の敷地内へ飛び込んだ。
そして、直後にゾッとした悪寒《おかん》に襲《おそ》われた。
理由もなく足が止まりそうになる。
時刻は深夜三時過ぎだが、地面から装飾用ライトの光を浴びた宮殿は、深夜の闇《やみ》の中でも白白しく浮かび上がっていた。遠方からの爆撃の影響か、宮殿の右側三分の一程度が瓦解《がかい》し、豪奢《ごうしゃ》な内装がここからでも見える。なまじ現実味のないほど華美な建造物であるためか、悲惨《ひさん》さは消えていた。巨大なドールハウスの屋根や壁を取り外したようにも見える。
そう。
敷地内に踏《ふ》み込んだ上条|当麻《とうま》にとって、半壊した宮殿は景色の中心にはならない。
彼が見ているのは、宮殿の正面にある庭園。
カーテナ=オリジナルが生み出したものだろう。全次元切断の余波として生まれる、白色の不可思議な巨大物体がいくつも突き刺さり、横倒しになったために、芝生もアスファルトもメチャクチャにめくれ上がっていた。
そんな中に、二人の女性が立っていた。
一人は第三王女ヴィリアン。
絵本に出てくるお姫様のような、スカートの大きく広がった緑色のドレスを着た色白の肌に金髪の女性。両手で持っているのはかなり大型のボウガンだが、華奢《きゃしゃ》な女性でも強い弦を引けるように、下部にショットガンのようなスライドの取り付けられているものだ。
もう一人は第二王女キャーリサ。
要所要所にレザーを織り交ぜた、赤いドレスの女。その手にあるのは刃も切っ先もない剣。何らかの方法で爆撃を防いだ過程で被《かぶ》ったのか、その頬《ほお》には多少の黒土や泥があった。しかし、そこにみっともなさはない。己の汗と混じった泥は、彼女の凄《すご》みをより一層増している。
「ッ」
「―――」
二人は何かを言い争っている―――というより、正確には一方的にヴィリアンが噛《か》みついて、キャーリサは軽く受け流しているようだった。
ヴィリアンは両手でボウガンを持っているものの、まだ弦を引いていないし、構えてもいない。まるで受賞式でトロフィーでも受け取るような、武器を武器として機能させられない持ち方だ。
対して、キャーリサは刃も切っ先もない剣を持った手をダラリと下げているものの、その手には一切|震《ふる》えがなかった。筋肉はいつでも準備態勢を整えていて、今この瞬間《しゅんかん》にも跳ね上げるような一撃《いちげき》が飛んできそうな状況だった。
それは両者のスタンスを示しているのか。
あくまでも会話を前に押して武器をおろそかにするヴィリアンと、会話を雑に済ませて武器の扱いへ全神経を集中させるキャーリサ。
なら、ここから起きる事は明白だ。
上条《かみじょう》からでは二人が何を話しているかまでは分からなかったし、いちいちじっくり耳を傾けているだけの余裕は与えられなかった。
(あの馬鹿《ばか》……ッ!!)
上条は全力で走り、ヴィリアンの背中から覆《おお》い被さるように突き飛ばす。
直後、迷わずキャーリサのカーテナ=オリジナルが動いた。
ゴバッ!! と。
轟音《ごうおん》と共に、ついさっきまでヴィリアンのいた場所の全次元が切断される。
全長一〇〇メートルにもわたって、不自然に白い物質が帯のように生み出された。整数で表現できる全次元を切断した、その『断面』としての三次元物質が、数瞬遅れてゴトンと地面に落ちていく。
突然の事に目を白黒させているヴィリアンの上から起き上がりながら、上条|当麻《とうま》は強大な敵を睨《にら》みつけた。
英国第二王女。
クーデターの首謀者《しゅぼうしゃ》にして、三姉妹の中でも特に『軍事』の才を持つ姫君。
そして、カーテナ=オリジナルと『全英大陸』を利用し、天使長の力を振るう者。
「キャーリサ!!」
「おめでとう、表彰モノのファインプレーだったぞ。ウチの弱腰な騎士《きし》どもに見せてやりたいぐらいだし。まったく、妹の『人徳』は思わぬ所で力を発揮するから侮《あなど》れないの」
上条《かみじょう》の叫びに、キャーリサは平然とした顔で応じる。
本来、闇《やみ》の中から豪奢《ごうしゃ》な宮殿を浮かび上がらせるためにある無数のライトの光が、第二王女に浴びせかけられている。そうであるのが当然だとばかりに、王女は光の中に君臨する。
上条|当麻《とうま》は、その全身から目を離《はな》せない。
美しさに起因するものではない。少しでも注意を逸《そ》らせばどうなるか。
素人《しろうと》の少年でさえ、それを肌で感じる事ができた。
「ところで、他は《ほか》どーしたの。お前の友軍は皆、瓦礫《がれき》の下か?」
「ッ!!」
上条の顔が強張《こわば》ったが、彼は最悪の想像を自ら振り切る。
彼らは無事だ。必ずここへやってくる。今はそう思って行動するしかない。キャーリサの注意をこちらに引きつける事が、結果として巨大構造物による『砲撃《ほうげき》』を止め、彼らの危険を取り除く事にも繋《つな》がるのだから。
しかし、そんな上条の楽観的な希望を打ち消すように、カーテナ=オリジナルを肩で担《かつ》いだキャーリサは、凶悪な笑みをさらに広げていく。
「だとすれば、意外に期待外れだったな、『清教派』も。わざわざ大それた準備をしてやった自分が馬鹿《ばか》みたいだし」
「準備……?」
胸の内から湧《わ》き出た嫌《いや》な予感を、そのまま口から漏《も》らしたようにヴィリアンが呟《つぶや》く。
直後だった。
ゴッ!! と。
上条|達《たち》の頭上を、何かとてつもなく巨大な物体が通過して行った。
それはハンググライダーのようなフォルムの物体だった。
ただし大きい。全幅が八〇メートル近くある。大型旅客機スカイバス365に匹敵する巨体は、一度上条達の頭上を通り過ぎた後、再び大きく弧を描いてこちらに機首を向ける。
「そんなに驚《おどろ》いた顔をするな。移動|要塞《ようさい》がカヴン=コンパスとセルキー=アクアリウムの二機種しかないとでも思ってたの? 大体、我々がイギリス国内の主要施設の大半を押さえた事ぐらいは知ってるだろう。特に、『騎士派』は直接的な戦闘《せんとう》行為のための霊装《れいそう》を大小無数に備えてるし。お前達を退屈させる事はないと思うぞ」
笑うキャーリサの言葉をかき消すように、さらに複数の轟音《ごうおん》・爆音が夜空を引き裂く。先ほどと同じ、八〇メートル級のハンググライダーのような『要塞《ようさい》』が、二〇機近くバッキンガム宮殿上空をゆっくりと旋回していた。要所要所を補強する銀色の金属パーツが、まるで鎧《よろい》かプロテクターのようにも見える。
キャーリサのドレスと同じく真っ赤に染め上げられた『要塞』を眺め、第二王女は言う。
「攻城戦用移動要塞・グリフォン=スカイ」
どんな攻撃《こうげき》を放ってくるか分からない移動要塞を見上げて絶句する上条《かみじょう》に、キャーリサの声だけが届く。
「地上の城塞《じょうさい》を攻撃するためのものだからスカイバス365のような高空は飛行できないし、無人式の霊装《れいそう》であるが故《ゆえ》にカヴン=コンパスのよーな柔軟・応用性がないのが難ではあるが、連携|戦闘《せんとう》行動は我が国の要塞の中でも随一《ずいいち》だし。愚鈍《ぐどん》だが従順。実に『軍事』の私好みのレイアウトだな」
(これが……全部)
個人の戦闘のスケールを超えた光景に、上条はしばし呆然《ぼうぜん》としていた。
(あのカヴン=コンパスと同列の移動要塞が、二〇機だって……ッ!?)
視線を夜空から正面へ戻す。
その上、本命のキャーリサにはカーテナ=オリジナルによる圧倒的な攻撃力があり、さらには『|騎士派《きしは》』の軍勢すらどこかに控えているはずだ。
いかに右手一発で剣を折れるとは言っても、この状況で上条とヴィリアンの二人だけで戦えるのか。
思わず、『新たなる光』の魔術師《まじゅつし》・レッサーを狙撃した『ロビンフッド』という霊装の事を想像し、周囲の暗がりに目をやって、より一層警戒心を強くする上条。
しかし、反してキャーリサはこんな事を言ってきた。
「伏兵などはいないの。まーちょっとしたライブ中継に使ってしまったし」
「……?」
「騎士団長《ナイトリーダー》を撃破した上で、カーテナ=オリジナルを暴走させる事で『騎士派』に私の国家元首としての資質を疑わせる……。いくつもの偶然に助けられたとはいえ、なかなかに鮮やかな心理戦だったと評価できるの」
キャーリサはくるくると回したカーテナ=オリジナルを肩で担《かつ》ぎ、
「だから、こっちとしても瓦解《がかい》しかけた『騎士派』全体の闘志を再びまとめ上げる必要が出てきた駅だし。多少荒っぽい方法を採らせてもらったがな」
ライブ中継。荒っぽい方法。
嫌な予感がする上条は、そこで見た。カーテナ=オリジナルの刃も切っ先もない剣身に、数滴の赤黒い液体がこびりついているのを。
「お、前……まさか……」
「んー、ちょっとした『制裁』って所だよ。バッキンガム宮殿周辺の警備レベルは下がってしまうが、それでも英国全土を管理制圧してる『|騎士派《きしは》』全体が崩壊《ほうかい》して、支配体制そのものが失われてしまうよりはマシだろーし。……それに、国家元首は天使長の力を使うからな。正直、近衛兵《このえへい》など必要ないの」
「斬《き》ったのか!? テメェ自身の仲間だろうが!!」
愕然《がくぜん》としたまま、上条《かみじょう》は思わず叫んだ。
その場面を思い浮かべたのか、ヴィリアンの肩が小刻みに震《ふる》えた。
しかし第二王女キャーリサの返答は、さらにその上を行く。
「その点は心配するな。なまじあっさり殺してしまうと、想像力が追い着かなくなるよーだし。最小の消費で最大の演出を施《ほどこ》すために、もー少し楽しい事になってるの」
死より恐ろしい生。
具体的にイメージもできない言葉を頭の中で思い浮かべ、上条は奥歯を噛《か》み締《し》める。
「……『騎士派』の連中だって、あいつらなりに信じるものがあって、今までテメェに従ってきたんだろうが。そんな風に一緒《いっしょ》に戦ってきた仲間をあっさり『消費』するなんて、どういう神経してんだテメェは!!」
ミシィ……!! という鈍い音が響《ひび》いた。
上条|当麻《とうま》が、知らず知らずの内に右手へさらに力を込めた音だった。
「ぬかせ」
対して、キヤーリサは顔色を変えずにこう返した。
「何のために高い地位を与え、血税の中から多くの報酬《ほうしゅう》を支払ってると思ってるのやら。国家有事の際には身を粉にし、英国の危機にわずかでも助力する事。それこそが騎士の本懐《ほんかい》であろーよ」
「テ、メェ……」
「彼らは実に役立ったの。おかげで浮き足立ってた臆病者《おくびょうもの》どもが寝返るのを防げたんだし」
キャーリサは、肩で担《かつ》いでいたカーテナ=オリジナルを改めてゆっくりと構えた。
手のかかる可愛《かわい》げのない子供を評価するような口調で、彼女は言った。
「ただまぁ、所詮は自らの足で死地にも赴《おもむ》けないチキンどもの集まりだし。ここは私自信の手で地均《じなら》しを行い、『クーデターを必ず成功させる』という流れをもー一度作ってやらなければな!!」
いくつもの巨大な要塞《ようさい》が天空を舞い、半壊した王宮を背に、伝説の剣を手にした第二王女キャーリサが大声を放つ。
それが、戦いの合図となった。
[#改ページ]
第二王女キャーリサを倒せば、このクーデターは終わる。
上条《かみじょう》当麻《とうま》は改めてそう思った。
今の『|騎士派《きしは》』は騎士団長《ナイトリーダー》が不在なため、このままクーデターを進めるか止めるか、判断が揺らいでいる。それを繋《つな》ぎ止めたのは、キャーリサの手による『制裁』だ。だからこそ、一時的に結束は固まったものの、キャーリサが力を失う事で、全《すべ》ては瓦解《がかい》する。
イギリスの全土を回って、騎士《きし》の集団を一人一人|叩《たた》いていく事に比べれば、大ボス一人で決着がつくというのだから、そちらの方がまだ楽なのだろう。
無理にでもポジティブに考え、体の緊張《きんちょう》を少しでも解こうと考えていた上条だったが、
「死ぬぞ」
と。真後ろから声が聞こえた時には、すでに風を切るような音が響《ひび》いていた。
一瞬《いっしゅん》で背後に回られた、どころの話ではない。
すでにカーテナ=オリジナルは、上条の首を目がけて横薙《よこな》ぎに振るわれている。
「―――ッ!?」
いちいち振り返るだけの暇もない。上条はそのまま真下に腰を落とし、かろうじてその一撃《いちげき》を回避《かいひ》する。いや、したように見えた。それでも耳の辺りに熱い痛みが走る。それを見たヴィリアンが短い悲鳴を発する。
さらに、ゴキィン!! という異音が発せられた。
横薙ぎに振るわれた軌道をなぞるように、不自然に白いのっぺりとした物体が生じたのだ。全次元切断の余波として現れる残骸《ざんがい》物質。それは鋼鉄の塊《かたまり》以上の重量で、真下へ避《さ》けた上条の元へと自然落下してこようとする。
(くっ、そ……ッ!!)
上条は転がるように残骸物質の落下地点から逃れる。ズズン!! という嫌《いや》な震動《しんどう》が上条の腹まで響く。
そこへ、
「―――遅いぞ豚。そんな事では切断だし」
轟《ごう》!! とカーテナ=オリジナルが振るわれた。
上から下への振り下ろし。整数全次元をまとめて切断する一撃は、カーテナから二〇メートルまでの直線軌遺で巨大な斬撃《ざんげき》を作り出す。
上条の上半身と下半身を分けるルートで、だ。
「ッ!?」
とっさに右手をかざした。
シッパァァン!! と鞭《むち》を打つような音と共に、生み出された斬撃《ざんげき》は途中で消失する。
(消、えた……?)
上条《かみじょう》は跳ね上がるように起き上がり、キャーリサの懐《ふところ》に飛び込もうとする。
握った拳《こぶし》が一発でち当たれば、それでカーテナ=オリジナルは壊《こわ》れるはずだ。
しかし、拳が届く前に第二王女はさらに剣を振るう。
剣の先端《せんたん》を立てたまま、右から左へ窓を開閉するような挙勤。まるでシャッターのように白い残骸《ざんがい》物質の壁が生み出され、上条の拳が阻《はば》まれたのだ。
鋼鉄を殴《なぐ》ったような、鈍い痛みが拳に返る。
ビリビリという感覚に顔をしかめる上条。
(今度はダメか! くそ、打ち消すための条件が分からねえ!!)
ゾッとする悪寒《おかん》に襲《おそ》われた。何しろ相手の得物《えもの》は整数で表現される全次元を切断する一撃。
読み違えれば右腕一本どころか、全身をまとめて両断されかねないのだ。
しかし、そんな事を心配している余裕はなかった。
のんびりと戦術を組み立てるだけの暇など、なかった。
「ふっ」
キヤーリサの吐息《といき》。
同時に、ゴッ!! という爆音が響《ひび》いた。
上条とキャーリサを阻む白色の壁を、第二王女自身が真上へ蹴《け》り上げたのだ。
鋼鉄よりも重たい残骸物質の盾《たて》が、一発で軽く一〇メートル以上も吹き飛ばされる。
キャーリサは足を下ろさなかった。
さらに続けて放たれた二発目の蹴りが、容赦《ようしゃ》なく上条の腹に突き刺さった。人間の格闘技《かくとうぎ》というよりも、ほとんどマシンガンに近かった。
ズドン!! という轟音《ごうおん》が炸裂《さくれつ》する。
上条の体が、軽く数メートルは飛ばされ、さらに地面を不規則にバウンドしていく。
「がっ、ば、ァァあああッ!!!???」
込み上げた吐《は》き気に抗《あらが》わないでいると、予想外にも赤い色の塊《かたまり》が噴き出した。
のたうち回る上条に対し、キャーリサは刃も切っ先もない剣をバトンのようにくるくると回し、細かい残骸物質を地面に振り落としながら笑っている。ヴィリアンはようやくボウガンを構えようとしたが、あまりにも目まぐるしく状況が変わるため、細かく狙《ねら》いを定めている余裕がないらしかった。
(ごっ……くそ……げふ……やっぱ、ついていける速さじゃねえ……ッ!!)
体の芯《しん》からごっそり体力が失われたのを自覚しながら、それでも上条は起き上がる。意識もしていないのに、指先が不自然に震《ふる》えている、
「おいおい、どーしたの。これでもセーブをしてる方なのに」
キャーリサの表情は変わらなかった。
起き上がろうと起き上がるまいと、大勢など揺らぎはしないと言っているように。
「不用意に莫大《ばくだい》な『|天使の力《テ レ ズ マ》』を肉体に封入すると、それはそれで副作用のよーなものが出てくるらしいしな。いずれ、その辺の枷《かせ》を外すための術式も組み上げないと、とは思うのだが」
(これで、セーブしているだって……?)
信じられないものを見るような目になる上条《かみじょう》。
そんな上条を見て、キャーリサはカーテナ=オリジナルを適当に振り、切っ先のない先端《せんたん》を使って、ある方角を指し示した。
「それより良いのか? ボーッとしてると危ないぞ」
その瞬間《しゅんかん》、上条は自分に迫るものの正体に気づいていなかった。
上空を飛ぶグリフォン=スカイ。全幅八〇メートル級の真っ赤なハンググライダーそのものには、これといった変化はなかった。ただし、月明かりが生む巨大な影に変化があった。それはギュルリと回転するように形状を変えると―――全くありえない事に、騎士《きし》の馬上|槍《やり》のような形と重さを伴い、真っ赤に色を変えて、地面スレスレの所を浮かんでいた。
どうやら。上空の『要塞《ようさい》』と地上の赤い『馬上槍』は連動しているらしい。
そんな状態で、グリフォン=スカイはバッキンガム宮殿上空を横断した。
当然ながら、連動している二〇メートル級の杭《くい》は地面スレスレを猛スピードで突っ切った。
するとどうなるか。
ドバッ!! と。
直撃《ちょくげき》を受けた上条|当麻《とうま》の体が、くの字に折れ曲がって宙を舞った。
「どっ、ぼ……ッ!?」
痛みの間隔が誤作動を起こして逆に麻痺《まひ》しかけるほどの激痛が、上条の上半身に襲《おそ》いかかった。ノーバウンドで一五メートル以上吹き飛ばされた少年の体が、ゴロゴロと土の地面を転がつていく。
蒸し返すように、痛みは後から襲いかかってきた。
「ごォォああああああああああああああああああああああああああああああああッ!?」
激痛にのたうち回る上条は、しかし別の方向から砲弾のようにやってくる別の杭を見て、慌《あわ》てて転がる。歯を食いしばっているはずなのに、口の中から赤い液体がこぼれた。
しかし、ダメージを与えた側であるキャーリサの方は不満そうな表情だった。
「チッ、霊装《れいそう》の自動判断能力か。本来なら城塞《じょうさい》の壁を直接|破壊《はかい》するためのものだから、上半身と下半身が千切《ちぎ》れるぐらいの事は起きなければおかしいの。所詮《しょせん》は無人|霊装《れいそう》、『標的の強度を自動算出し、無駄《むだ》を省いて最低限の消費で対象を破壊《はかい》する機能』が裏目に出たみたいだし」
そこまで言うと、一転して第二王女の顔に嗜虐《しぎゃく》の笑みが広がる。
「くくっ、ははは!! だが、くだらん誤判断に救われる事はもーないの! ―――手動判断能力を実行、全兵器の破壊力を『対ウィンザー城攻略レベルで固定』せよ。さあ、軽く触れただけで人肉が消し飛ぶ攻撃《こうげき》霊装の完成だし!!」
キャーリサの言葉に、上条の背筋にゾッとした悪寒《おかん》が走る。
あれで、手加滅。
霊装のリミッターが解除された今、同じものを喰《く》らえば上条《かみじょう》の体はミンチになる。
(くそ、カーテナ=オリジナルを持ってるキャーリサだけでも、倒すための糸口が見つからないのに)
血を吐《は》き、それでも拳《こぶし》を握り直し、上条は正面を睨《にら》みつける。
(その上、城塞《じょうさい》を壊《こわ》すための移動|要塞《ようさい》が二〇機も飛び回ってるだって。こんなの、どうやって逆転の策を練れば良いんだ!!)
その時だった。
はるか遠方にあるカヴン=コンパスから、強烈な閃光《せんこう》の柱がキャーリサ目がけて襲《おそ》いかかった。上空を一発通っただけで、ロンドン市街の窓ガラスが片っ端《ぱし》から砕け散るほどの破壊力を秘めた一撃だ。
対して、キャーリサはそちらを見る事もなかった。
ただ横に手をやり、カーテナ=オリジナルをバトンのように一回転させただけだった。
ガゴォン!! という轟音《ごうおん》が響《ひび》く。
剣の動きに合わせて全次元が切断される。それは半径二〇メートルほどの円盤だ。切断面という形で残骸《ざんがい》物質が生じ、地中深くまで抉《えぐ》り取りながら巨大な円形の盾《たて》と化す。
そこへ大規模閃光術式が激突した。
爆音が炸裂《さくれつ》する。
しかし盾は壊されず、行き場を失った閃光の柱は四方八方へと飛び散っていった。余波は庭園の大木を毟《むし》り取り、街灯を捻《ね》じ曲げ、アスファルトをめくり上げる。上空のグリフォン=スカイの数機が、嫌《いや》がるように一時的に高度を上げて余波から逃れようとする。
それだけだった。
第二王女キャーリサ自身には、傷一つない。
(マジか…)
上条は、しばし呆然《ぼうぜん》としていた。
(あれだけ派手な爆撃を使っても、かすり傷も負わせられない。カーテナを持つ国家元首っていうのは、あんなレベルの怪物だっていうのか……)
「驚《おどろ》くよーな事か」
思考を断ち切るように、キャーリサは言った。
彼女は盾《たて》を形成したカーテナ=オリジナルを、さらに手首のスナップで回転させながら、
「天使長を殺せる人間など、どこにいるの?」
ザギン!! と、第二王女は円盤の盾にカーテナ=オリジナルの先端《せんたん》を突き刺す。
次元を切断した事で生まれた残骸《ざんがい》物質の上から、さらに新たに次元を切断した結果か。
まるで巨大なジャガイモを突き刺すフォークのようになった状態で、キャーリサは片手だけでカーテナ=オリジナルを横薙《よこな》ぎに振るった。
半径二〇メートルもの、巨大な円盤の盾を引っ掛けた状態で。
「くっ、そ……ッ!?」
上条《かみじょう》は思わず両手で顔を庇《かば》うようにしたが、意味などなかった。
ゴバッ!! という轟音《ごうおん》が炸裂《さくれつ》した。
円盤の盾を半分ほど地面に埋めた状態で、半ば強引にカーテナ=オリジナルを振り回したのだ。巨大な重機で掘り上げられるように、地面は一気に崩れた。黒土もコンクリートもアスファルトも街路樹も地下を走る水道管やガス管も、全てまとめて一つの塊《かたまり》と化した。それは土石流にも似た状態で、津波のように上条の元へと突っ込んでくる。
回避《かいひ》などできなかった。
ただ圧倒的に莫大《ばくだい》な質量が、上条|当麻《とうま》の体を吹き飛ばした。
大量の土砂《どしゃ》の先端部分に押し出される形で、軽く一〇メートルは薙ざ払われた。それでいて、まるで生物の顎《あご》のように土砂は上条の下半身に噛《か》みついた。膨大《ぼうだい》な圧力に叫び声を上げる上条の視界の端《はし》で、カーテナ=オリジナルから円盤の盾がすっぽ抜けるのが映った。その巨大な構造物は宙を舞い、バッキンガム宮殿に激突し、崩れかけていた建物にさらなるダメージを与えていく。
「ぐぅ、ァ、ああ多ああああああああああああああッ!!」
太股《ふともも》まで埋まった足を、土砂の中から強引に引き抜く上条。その右足の太股に、いやに熱い感覚があった。見れば、ボールペンぐらいの太さの、折れた街路樹の枝が貫いている。
こちらに走ってきたヴィリアンが何かを呼び掛けてくれたが、激痛に眩暈《めまい》すら覚える上条には、何を言われているかも判断できなかった。ヴィリアンはどう手当てしたら良いかオロオロしているようだ。
上条は舌を噛まないよう、代わりに自分の袖《そで》を思い切り噛む。
その上で、自分の足に突き刺さった枝に手をやり、震《ふる》える指でその感触を確かめ―――それから一気に引き抜いた。
絶叫は、声にならなかった。
決して少なくない量の血を流しながら、上条《かみじょう》は砕けそうなほど歯を食いしばる。
「考えが甘かったんじゃないか?」
激痛を押さえつける上条を見て、キャーリサは平然とした顔で言った。
「多少、その手に不可思議な力が宿ってるとはいえ、たかが生身の人間|如《ごと》きが、天使長に触れよーなどとは、おこがましいにも程《ほど》があるの。何を為《な》せば勝利できるのか。そのための最初の条件そのものが、すでに間違ってるし」
たった一度、触れる事すらも許されない実力差。
イギリス国内に限るとはいえ、天使長『|神の如き者《ミカエル》』の力を振るう者。
今の第二王女キャーリサは、おそらく後方のアックアか、それ以上の力を持っているだろう。詳しい理論や技術は全く別物なのかもしれないが、次元を切断する事で生み出される奇妙な物体についても、どこかミーシャ=クロイツェフの『水翼《すいよく》』を連想させるものがあった。
「戦って勝てると思ってるのが間違いなのではないの」
キャーリサは一度、カーテナ=オリジナルの先端《せんたん》を下ろす。
先の攻撃《こうげき》で破壊《はかい》された黒土の中からは、シューという気体の漏《も》れる音が聞こえている、
「たとえ楯《たて》を突いても本気で逃げよーと思えば生存できる。……そんなレベルですら、すでに認識を誤ってるの。天使長とは、国家元首とは、そーいうものを意味してるんだし」
歯向かう者には容赦《ようしゃ》をしない。
天からの罰は、ただ一方的に壊滅的に降り注ぐ。対して人々に選択できる唯一の道は、ただひたすらにひれ伏して、一刻も早く怒りが収まるのを待つ事のみ。
すでにスケールは神話の領域。
そこに立つだけで、一つの伝説を構築してしまう女。
それこそが―――、
「……第二王女……キャーリサ……」
「国家元首だし、間抜け」
一瞬《いっしゅん》だけ不快そうな顔をしたキャーリサは、地面に下ろしたカーテナ=オリジナルの先端を、メチャクチャになったアスファルトに、コツンと軽く叩《たた》いた。
直後、シューという熱体の漏れるような音が途切れる。
地中で破れたガス管から漏れる、都市ガスの音が。
ボバッ!! と。
直後、第二王女キャーリサの背後の夜がまとめて紅蓮《ぐれん》の爆発を引き起こす。
爆炎自体は上条には届かない。しかし衝撃波《しょうげきは》はキャーリサを追い越し、少年の生身の体に容赦《ようしゃ》なく叩《たた》きつけられる。
「ごっ……ぼ!?」
壁に叩きつけられたように上条《かみじょう》の呼吸が止まり、その両足が地面から浮く。傍《かたわ》らにいたヴィリアンも同じように宙へ飛ばされている。
滞空時間は一秒半。
対してキャーリサは、上条よりも間近で爆風を浴びたにも拘《かかわ》らず、苦痛の色はない。宙に浮いた標的を見てニヤリと笑うと、むしろ心地良い追い風に背中を押されるように、トンッと地面を蹴《け》って前へ出る。
そう、辺り一面に広がる炎や爆風すら、キャーリサにとっては『|攻撃《こうげき》』ではない。
ここまでやっても、それは単なる移動手段を『補強』するための一手に過ぎなかった。
キャーリサの軽い一歩と共に、ガス爆発よりも恐ろしい爆音が炸裂《さくれつ》した。
バガッッッ!! と地面を踏《ふ》み砕いて、キャーリサが飛ぶ。前へ進むというより、ほとんど空間に突き刺すような挙動。ようやくたたらを踏んでバランスを取り戻そうとする上条は、ほぼ完全に無防備だった。
とっさに右手を振り回すが。そんなものは何の役にも立たない。
キャーリサは力技ではなく、しっかり上条の動きを目で追った上で、カーテナ=オリジナルの軌道を斜めに捻《ね》じ曲げ、防御の死角から首を狙《ねら》う。
刃も切っ先もない剣の軌跡に合わせ、全次元が切断されていく。
その切断面として、残骸《ざんがい》物質の帯が剣の後を追う。
科学の核シェルターだろうが魔術《まじゅつ》の大聖堂だろうが、問答無用で両断するであろうその一撃を目だけで追いながら、上条は頭の中で考える。
脅威《きょうい》となるのは、カーテナ=オリジナルだけではなかったのだ。
磐石《ばんじゃく》の体制を維持していた英国で、ほぼ完全にクーデターを成功させるほどの人物。
圧倒的に『軍事』に優《すぐ》れた第二王女キャーリサが、武芸に疎《うと》い訳がないではないか。
「死ね」
簡潔な単語だけが、上条の脳に伝わった、
直後、ドッ! という鈍い音が、その脳を不気味に揺さぶった。
上条|当麻《とうま》の視界が、グラグラと霞《かす》んだ。
両足は地面から離《はな》れ、重力を認識できなくなる。
呼吸は止まった。
そして、
(生きて……る?)
衣服の背中の辺りを強引に掴《つか》まれるような感触に、ようやく上条《かみじょう》は我に返った。
ついさっきまで自分の立っていた場所が、少し遠くに見える。キャーリサの振るったカーテナ=オリジナルは空振りしていて、策二王女はその結果に小さく舌打ちしていた。
断じて、上条|当麻《とうま》の身体能力では実現不可能なものだった。
その証拠に、
「……ようやく、まともな方法で大きな借りの中の一つを返す事ができましたね」
涼やかな女性の声が聞こえた。
同時に、背中の所を掴まれているような感触は消え、上条は優しく地面に下ろされた。見れば、上条と一緒《いっしょ》にヴィリアンも回収されていたらしい。第三王女はキョトンとした顔で、自分を守ってくれた者へと視線をやっている。
上条は振り返る。
そこに立っていたのは、
「神《かん》、裂《ざき》……?」
「私だけではありません。皆もすぐに追い着くでしょう」
サラリと言うと、神裂は一度だけ上条から目を離《はな》し、
「インデックス。魔術《まじゅつ》の解析を申請します。『王室派』からの圧力で一〇万三〇〇〇冊に偏《かたよ》りが生まれ、カーテナ関連の術式は記憶《きおく》されていない可能性もありますが、既存の魔術知識のみで再分析は可能でしょうか?』
「制御を奪うか、封じるかだね。分かったんだよ」
先ほど、大型トラック破壊《はかい》後に神裂と共に行動していたインデックスもまた、ここに到着していた。呆然《ぼうぜん》とした顔で眺めている上条に対し、インデックスはフンと鼻から息を吐《は》く。
世界で二〇人といない聖人と、世界中の魔道書《まどうしょ》の知識を蓄えた魔道書図書館。
共に魔術サイドでは大きな価値を持つ増援に対し、キャーリサの余裕は消えなかった。
「主戦場に到着する事すらままならなかった雑兵が、今さら戦《いくさ》の主役にでもなれると思ってるの?」
「どこかの物知らずなお姫様が市街地で派手にやってくれたおかげで、少々手間取りまして。いくつかの構造物が一般人ごと劇場を押し潰《つぶ》そうとするのを、迎撃《げいげき》する必要があったんですよ」
最大で一〇〇メートル級もの大きさを持つ構造物を、生身の体で受け止めた。
平然とした顔で恐ろしい事を言う神裂は、刀の柄《つか》に手を伸ばしながら言う。
「……それに、私一人で全《すべ》てを解決するつもりもありません。今の私には、背中を預けるに足る仲間がいるのですから」
[#改ページ]
『聖人』神裂《かんざき》火織《かおり》と、第二王女キャーリサ。
二人の女性の間に、チリッと焼きつくよう緊張感が走る。
具体的な物理現象などは引き金にならない。
その思念が火蓋《ひぶた》となった。
「ッ!!」
「ッ!!」
先に動いたのは神裂だ。
二メートル近い長大な刀を抜く……と見せかけ、その手で七本のワイヤーを操る。
七閃《ななせん》。
様々な角度から同時に襲《おそ》いかかる鋼糸に対し、カーテナ=オリジナルを掴《つか》むキャーリサは、
「この私を相手に出し惜しみ、ね。―――死ぬぞ」
ゴッキィィ!! という轟音《ごうおん》が炸裂《さくれつ》した。
気がついた時には、神裂とキャーリサは超至近|距離《きょり》で鍔迫《つばぜ》り合いをしていた。ただ真《ま》っ直《す》ぐ走って剣を振るっただけ。その単純な動作が、すでに上条《かみじょう》には見えなかった。
「この全次元切断に拮抗《きっこう》する、か。あらゆるものを切断する必殺同士、どーやら二つの法則の間に齟齬《そご》や矛盾でも生じてるのかもしれないの」
「……先ほどまでの動きとは違いますね。かくいう貴女《あなた》こそ、出し惜しみをしていると足元をすくわれますよ」
上条を擁護《ようご》してくれるような台詞《せりふ》だったが、『違う』と少年自身が心の中で否定した。
直感で分かる。『軍事』に優《すぐ》れたあの王女は、調節はしても加減はしない人物だろう。
「何分《なにぶん》、こいつは扱いにくいじゃじゃ馬でな。余計な副作用や隙《すき》を生まないためにも、状況に適したコストを払って必要な成果を上げよーとするのは当然だし。消費を軽減し、息切れを防ぐのもまた戦術には必要な技量だぞ」
ドッ!! と二人は互いの得物《えもの》を弾《はじ》き合い、そして再び刃を振るう。
両者の体が霞《かす》んだ。
そこから先は、二人の位置を把握するのも難しい攻防だった。ゴガガガザザガガギギギ!! とマシンガンのように連続する爆音が続き、同時に彼女|達《たち》の間にキラリと光るものが舞う。神裂の周囲にあるのは千切《ちぎ》られたワイヤー、キャーリサの周囲にあるのは鋭利な切り口と共に次々と切断されていく残骸《ざんがい》物質の牙《きば》だ。
直接的に、上条に加勢できるような状況ではない。しかし、カーテナ=オリジナルにとって、
|幻想殺し《イマジンブレイカー》がイレギュラーな脅威《きょうい》である事に違いはない。
(なら、やれる事は……ッ!!)
上条は意を決すると、二人の戦いを大きく迂回《うかい》するように走る。キャーリサの視界の外へ移動するように。実際には不可能であっても、キャーリサがほんの少しでもこちらに注意を割《さ》かなければならないように。
「ふっ、そこまで行くと健気《けなげ》だし」
上条の意図に気づいたキャーリサが、神裂《かんざき》と高速で剣を交えながら、振り返りもせずに口を開いた。
「だがくたばれ」
ゴバッ!! という爆音が炸裂《さくれつ》した。
今までの攻防の間に自然と生み出されていた残骸《ざんがい》物質。その内の一つ、とびきり鋭利な先端《せんたん》を持つ物を、踵《かかと》を使って真後ろに―――上条の立つ位置へと、正確に撃《う》ち込んできたのだ。
それこそ、屈強な兵士が放つ投げ槍《やり》のように。
「ッ!?」
慌《あわ》てて体をひねった上条だったが、頬《ほお》に傷が走る。鋭い刃の切り傷というより、海辺の岩場で転んだ時のような鈍い傷だ。
それを見た神裂が、自身の危機すら無視して叫んだ。
「上条|当麻《とうま》!!」
「構うな! 押せ!!」
他人を巻き込まないよう戦術を切り替えかけた神裂を、上条は怒声で食い止める。
その間にも、援軍は来た。
―――フランベルジェの建宮斎字《たてみやさいじ》や海軍用船上槍《フリウリスピア》の五和《いつわ》達《たち》を中心とした、剣や槍や斧《おの》や槌《つち》や弓や棒などを携《たずさ》える、新生|天草式《あまくさしき》十字凄教《じゅうじせいきょう》が。
―――『|蓮の杖《ロータスワンド》』のアニェーゼや巨大な車輪を持つルチア、複数の金貨袋を備えるアンジェレネ達、各種の霊装《れいそう》で身を固める修道女で構成された、元アニェーゼ部隊が。
他《ほか》にもゴーレムを引き連れたシェリー=クロムウェルやオルソラ=アクィナス達も集まっていた。おおよそ、突入時から欠けた人物はいないようだった。
遅れてやってきた彼らは、最初神裂やキャーリサの戦い方を見てわずかに驚《おどろ》いたようだが、そこで退かずに踏《ふ》み止《とど》まって加勢に入る。ある者は攻防の合間を縫《ぬ》って遠距離《えんきょり》からキャーリサを狙《ねら》い、またある者は神裂の負担を軽減するべく集団で近接戦を挑もうとする。
わずかに、キャーリサが舌打ちした。
「まったく、余計なコストを払わせてくれるし。雑魚《ざこ》どもを露払《つゆはら》いさせるために、多少は『|騎士派《きしは》』でも残しておくべきだったかな」
それでも、第二王女は倒れない。
ゴッ!! という爆音が発せられた。
神裂《かんざき》と連続的に打ち合いながら、キャーリサはその軌道が生み出す残骸《ざんがい》物質の流れすらも戦術に組み込んでいく。巨大な牙《きば》や肋骨《ろっこつ》のように鋭く尖《とが》った構造物が、全方位に飛び出した。それらは恐ろしい速度で様々な角度から襲《おそ》いかかる攻撃を防ぎ、突撃を食い止める壁となり、返す刀の飛び道具と化していく。
まるでお手玉だ、と自身も必死に攻撃を避《よ》けながら、上条《かみじょう》は思う。
キャーリサの手は二本、武器は一本しかない。それなのに、彼女は同時に一〇でも一〇〇でも敵の攻撃・動きに対応する。『一定以上の集団の人の波を使って、個人を押し流してしまう』という路地裏のケンカの常識も通用しない。
さらに、そこへ上空のグリフォン=スカイが割り込んでくる。
上空の真っ赤な『要塞《ようさい》』と連動するように地上スレスレを移動する二〇メートル級の巨大な馬上|槍《やり》が、シェリー=クロムウェルの操るゴーレム=エリスへ突っ込み、真正面から吹き飛ばした。最大級の一撃を受けた岩の塊《かたまり》が、空中で分解しながら元アニェエーゼ部隊の頭上へと降り注いだ。
慌《あわ》てて回避するアニェーゼやルチア達《たち》を見て、神裂が舌打ちする。
彼女は仲間の新生|天草式《あまくさしき》に向かってこう言った。
「対キャーリサ班と対グリフォン班に分かれましょう! 移動要塞の高度は二〇〜五〇メートル前後……ペテロ系の撃墜《げきつい》術式が通用する高度です。牛深《うしぶか》、香焼《こうやぎ》、野母崎《のもざき》! あなた達で、あれを落とすための術式を構築できますか!?」
「やってはみますが、向こうもデカいシールドで保護しているでしょう。削り取れる保証はありませんよ!!」
そう言った牛深達だが、彼らは迅速《じんそく》に動いた。
ゴーレム=エリスを破壊《はかい》し、さらに旋回して新生天草式の方へ突っ込もうとしていたグリフォン=スカイが、いきなりガクンとバランスを崩す。地面スレスレを走っていた巨大な馬上槍が、黒土の地面にぶつかって津波のように土砂《どしゃ》を撒《ま》き散らす。見た目の質量や速度以上の、霊装《れいそう》としての莫大《ばくだい》な破壊力を示していた。
だが、明確に墜落とまではいかなかった。
機体をぐらつかせたグリフォン=スカイは立ち直り、再び新生天草式の集団の下へと攻撃を加えようとする。
「ヤバ……ッ!!」
「いえ、ここまでやれば十分です!!」
牛深の叫びを神裂が打ち消し、彼女は聖人の脚力で前へ突進した。狙《ねら》いは地面にぶつかった事で速度を落とした巨大な馬上槍。神裂はその馬上槍を側面から、霊装としての爆発的な破壊力のない場所を抱き抱えるように両手で掴《つか》み取ると、腰をひねるようにして体を回し、容赦《ようしゃ》なく振り回した。
巨大な杭《くい》とグリフォン=スカイは『影』を利用し、動きを連動させている。
その状態で神裂《かんざき》が馬上|槍《やり》を掴《つか》んで振り回した結果、上空にあったグリフォン=スカイまでもが竜巻のように回転した。
もしかしたら、グリフォン=スカイの馬上槍には、本当に堅牢《けんろう》な城塞《じょうさい》にぶつけて引っ掛かるのを恐れるため、魔術的《まじゅつてき》な連動機能を切断・|分離《ぶんり》するための機能でもあったのかもしれない。しかし無駄だった。神裂は単に腕力だけでグリフォン=スカイを振り回しているのではない。高度な魔術によってそういった緊急《きんきゅう》用の解除機能を妨害しつつ、同時に聖人としての腕力を行使しているのだ。
神裂はグリフォン=スカイを大きく振り回して、上空を飛んでいる同型機の内の四機ほどを巻き込み、塊《かたまり》にした上で、トドメとばかりに振り回す『軸』の角度を変えて、上から下へと一直線に落とす。
それは超巨大なモーニングスターだ。
そして当然、狙《ねら》いはカーテナ=オリジナルを持つ第二王女キャーリサである。
ゴバッ!! という轟音《ごうおん》が炸裂《さくれつ》した。
ただしそれは、複数のグリフォン=スカイが墜落《ついらく》した事で起きたのではない。
第二王女キャーリサがカーテナ=オリジナルを下から上へと突き上げて、モーニングスターを一撃《いちげき》で両断した爆音だった。
「くそっ!! 移動|要塞《ようさい》五機分の鉄槌《てっつい》だぞ!?」
歯噛《はが》みする神裂の言葉を代弁するように、初老の諫早《いさはや》が叫ぶ。一方、海軍用船上槍《フリウリスピア》を構える五和《いつわ》は皆を鼓舞するように大声で言った。
「しっ、しかし落とせない訳ではない事は証明されたんです! 引き続き班を分けて、グリフォン=スカイにも攻撃を加えていきましょう。移動要塞の数が減る事でキャーリサに専念できる人員が増えれば、それだけ勝算も上がるはずですから!!」
彼らは頷《うなず》くと、誰《だれ》と相談するまでもなく二つのグループに分かれて、それぞれの敵へと向かって行く。
と、一時的に戦線を離脱し、仲間に打ち合いを預けた神裂が、失ったスタミナを回復させるために呼吸を整えながらも、上条《かみじょう》の方へと軽く跳んできた。
「心苦しいのですが、やはりあなたの右手に頼《たよ》る必要があるようですね。キャーリサの斬撃《ざんげき》―――全次元切断攻撃そのものを打ち消す事はできますか?」
神裂は断続的に飛んでくる白色の構造物を弾《はじ》き返しながら、小声で上条に言う。
「あれは強力な斬撃であると同時、飛び道具の砲弾を作る機能も兼ねています。一発でも打ち消せれば第二王女が組み立てる戦術は揺らぎ、そこに隙《すき》を見出《みいだ》せる可能性も出てくるんですが」
「一応やってはみるけど、確証は持てねえぞ」
上条は改めて右手を握り直しながら、
「どうも法則が掴《つか》めない。お前が到着する前にも何回かぶつかったけど、打ち消せる時と打ち消せない時があったんだ」
そこで、遠方から放たれた移動|要塞《ようさい》セルキー=アクアリウムの漆黒《しっこく》の闇《やみ》の弾幕が、空中の真っ赤なグリフォン=スカイを一機|撃《う》ち落とした。旅客機の墜落《ついらく》事故のように迫ってくる巨休に、神裂《かんざき》は上条《かみじょう》の首根っこを掴んで一跳びで二〇〇メートル以上移動する、
「中国には三種の剣の伝説があります。中でも最高の剣は、人を斬《き》っても斬った感触がなく、斬られた方も自覚がなく、何事もなく生きていくそうです。……まあ、思想教育のための譬《たと》え話に出てくるものなんですが、どうもカーテナはその譬え話を本当に実現してしまったようなものみたいです」
「?」
「ようは、本当に鋭すぎる斬撃《ざんげき》は、物体を切断してから現象が表出するまでにラグが生じるという事ですよ。具体的には全次元切断後一・二五秒後に切断面としての残骸《ざんがい》物質が三次元空間に出現します」
「……あの高速|戦闘《せんとう》の中で、分析までやってたっていうのか……?」
呆然《ぼうぜん》とする上条に対し、必要な事ですからね、と神裂は普通に返した。
彼女は続けて、
「魔術《まじゅつ》現象は次元切断能力のみ。残骸物質はあくまでも魔術後に生じる物理現象にすぎません。いわば、魔術の炎と燃え尽きた灰の関係でしょうか。あなたの右手は『斬撃』そのものを打ち消す事はできますが、そこから生じる残骸物質までは対応できないのでしょう」
「って事は……」
「カーテナ攻撃後一・二五秒以内に通過地点を攻撃すれば、斬撃を打ち消し残骸物質の出現を止められます」
一・二五秒。
コンマ以下までの正確な時間など、単なる高校生に実感できる単位ではない。
「……失敗すりゃ即座に窮地《きゅうち》に立たされるクロスカウンター、か」
「必ず決めろとは言いません。仮にカーテナ=オリジナルが大規模・|長距離《ちょうきょり》の次元を切断して巨大構造物を生み出そうとした際、手が届けば伸ばしてもらう……程度に考えてください」
「了解。焦《あせ》らず機を待てってトコか」
神裂は一度、自分の背中を預ける合図であるかのように、上条の肩を叩《たた》いた。それから改めて腹に力を込め、キャーリサとカーテナ=オリジナルの舞う主戦場へ飛び込もうとする。
しかし、状況は待たなかった。
ドバッ!! という轟音《ごうおん》と共に、第二王女を中心とした巨大な華が開いた。それは白色の鋭利な構造物が織り成す殺人の花弁だ。全方位に放たれた飛び道具が、新生|天草式《あまくさしき》を中心とした近接部隊をまとめて遠くへ吹き飛ばす。
「五和《いつわ》!! 建宮《たてみや》!?」
上条《かみじょう》が叫ぶが、彼らの返事の前にキャーリサが口を開いた。
「おいおい、大事な護衛対象を残して作戦会議か。狙《ねら》い撃《う》ちにしてほしーみたいだし」
言葉が終わると同時に第二王女が跳んだ。
カーテナから『|天使の力《テ レ ズ マ》』でも借りているのか、垂直跳びで一〇メートル以上だ。空中で刃も切っ先もない剣を構え、降下と共に『標的』を狙おうとするキャーリサに、神裂《かんざき》はとっさに動いた。
カーテナ=オリジナルを破壊《はかい》するためには、上条|当麻《とうま》の右手が重要な役割を持つ。
だからこそ、神裂はキャーリサが真っ先に少年を殺すだろうと考えたようだが、
「違う! 俺《おれ》じゃない!!」
その上条の方が神裂を押しのけようとした時、キャーリサは空中でカーテナを振るった。白色ののっぺりとした板が空中に生まれ、築二王女は勢い良くそれを蹴《け》る。
軌道が鋭角に変化する。
上条当麻を狙うコースから、それを呆然《ぼうぜん》と眺めていた第三王女ヴィリアンの元へと。
「ッ!?」
とっさにボウガンを構えようとしたヴィリアンだったが、もう遅かった。
ドッ! という音と共にキャーリサは第三王女の間近に着地し、片手で己の妹を地面に引きずり倒す。ヴィリアンが顔を上げた時には、すでにその喉元《のどもと》にカーテナ=オリジナルの先端《せんたん》が突きつけられていた。刃も切っ先もなく、それでいてあらゆる整数次元を切断する剣が。
「そもそも、ろくに魔術《まじゅつ》も扱えないお前が、どーしてこんな所にいるの。妙な正義感にでも駆られたか? それとも主戦力のみんなに置いてかれて、一人ぼっちで待ってるのが怖くなったの?」
ヴィリアンの持つボウガンの矢には、『清教派』からの助言でもあったのか、多少の細工が施《ほどこ》されている。しかし、カーテナ=オリジナルという英国最大級の霊装《れいそう》を握るキャーリサからすれば、ゴミ同然だ。赤、青、黄、緑……四つの属性色のマジックでラインを引き、その配分によって様々な魔術を形成しようとしているらしいが、こんな程度ではガキの恋占い程度の効果も生まないだろう。
「他人が起動した魔術を動かすのではなく、生まれて初めて自分の力だけで他人を害する魔術を発動し、地下鉄を利用して私のカーテナ=オリジナルを暴走させた事で、有頂天にでもなってたの? ……たった一度の偶然で無邪気にはしゃぎやがって。所詮《しよせん》、この辺りが無能なお前の上限じゃないか、お・ひ・め・さ・ま?」
ほとんど馬乗りになるような格好で、せせら笑うキャーリサ。
しかしその表情が、ピクリと止まる。
「……これが、そうなのですね。私を逃がしてくれるために、何の罪もない使用人や料理人、
そしてウィリアムが突きつけられたものは、こんなにも恐ろしいものだったのですね」
第三王女は、真《ま》っ直《す》ぐに自分の姉を睨《にら》み返していた。
勝つための意思を、率直に示すために。
「ならば、いい加減に私も立ち上がりましょう。一国の姫として、このような多大な恐怖から、皆を守るための屋根となれるような人物になるために!!」
叫ぶと、ヴィリアンは喉元《のどもと》の剣も無視してボウガンを構えた。
頭上にあるキャーリサ目がけて、相打ちも覚悟と言わんばかりに迷わず引き金を引く。
放たれたのは、先端《せんたん》に霊装《れいそう》として機能する鏃《やじり》を取り付けた、特殊な矢だ。
「ッ!?」
初めて、キャーリサの顔色が変わった。
彼女が行ったのは、首を横に振っただけだ。
ただし、第二王女キャーリサは、それこそ全力を込めて妹の矢を回避《かいひ》していた。
いかに女性の細腕でも扱いやすいように加工が施《ほどこ》されているとはいえ、全長一メートルを超すボウガンに次の矢をつがえるには、最短でも五秒前後の時間を要する。
その間に、カーテナ=オリジナルに命令を下せば、全次元ごとヴィリアンの首は飛ぶだろう。
「眠れ、夢想家」
これまでとは違う、恐ろしいほどの無表情で、キャーリサは告げる。
そして、
バガッ!! と。
キャーリサが避《よ》けて夜空に放たれた矢に、カヴン=コンパスの大規模|閃光《せんこう》術式が直撃した。
元々、ヴィリアンの扱っている矢の先端には、魔術的《まじゅつてき》な効果を生み出す細工が施されていた。てっきりキャーリサは、それは傷口を広げる類《たぐい》のものだと思っていたが……。
矢に当たった大規模閃光術式が変質した。
純白の閃光は数十トンもの水の塊《かたまり》となり、夜空で不気味にうねる。鞭《むち》というにはあまりにも巨大な、電波塔のような大質量の先端がしなりながら、空中を旋回する真っ赤なグリフォン=スカイをも巻き込んでキャーリサに襲《おそ》いかかる。
(コンビネーション攻撃!?)
ヴィリアン自身は具体的に魔術を扱う力も知識もない。しかし、遠距離《えんきょり》から飛んでくるカヴン=コンパスの魔力を利用すれば、状況は変わってくる。ヴィリアンは大爆発を起こす莫大《ばくだい》な魔術を用意しなくても、その起爆剤となる小さな魔術だけ自分で発動ですれば済む訳だ。
まして、『清教派』には一〇万三〇〇〇冊もの魔道書《まどうしょ》を保管する禁書目録がいる。
複数の魔術師の助言を受けて、見よう見まねで鏃に魔術的記号を織り込むだけでも、これらの現象を起こす事は可能だろう。
「くそ、小細工を!!」
直接的なボウガンの一撃《いちげき》に続けて、キャーリサは転がるように全力で巨大な水の塊《かたまり》を回避《かいひ》する。その間にも、ヴィリアンは微《かす》かに震《ふる》える手を強引に抑え、ショットガンのようなスライドを引いて次の矢をつがえている。
「ご存じありませんでした? 姉君が『軍事』に優《すぐ》れているように、私は『人徳』に優れていると言われている事を」
「他力本願の正当化か。同じ姉妹と思うのも忌々《いまいま》しいし!!」
ズォ!! とキャーリサの周囲へ見えない何かが噴出する。
ヴィリアンは気圧《けお》されず、冷静にボウガンの照準をキャーリサ頭上の夜空へと定める。放たれた矢に再びカヴン=コンパスの大規模|閃光《せんこう》術式がぶつかるが、キャーリサはそちらを見もしないで、ヴィリアン目がけて真《ま》っ直《す》ぐ駆けた。
巨大な光の柱は弾《はじ》けてゴルフボールぐらいの球の集合となり、豪雨のようにキャーリサの元へと降り注ぐ。しかしカーテナの力を借りたキャーリサの動きは人の領域を超えていた。ジグザグと小刻みな挙動で豪雨を回避しながら、的確にヴィリアンまでの距離《きょり》を詰める。
「これが他力本願の限界《げんかい》だ!!」
今度こそ打つ手を失ったヴィリアンへと、キャーリサはカーテナ=オリジナルを振るう。
このタイミングでは回避も防御も不可能。
後は第三王女の首が飛ぶだけだったのだが、
「ええ、これが他力本願の限界《ちょうてん》です。姉君」
ドバッ!! という轟音《ごうおん》が炸裂《さくれつ》した。
それは大量の足音だ。目の前にいたはずのヴィリアンの体が消え、入れ替わりに建宮《たてみや》や五和《いつわ》など、新生|天草式《あまくさしき》を中心とした近接戦闘用のメンバーが飛びかかってきたのだ。
明らかに、先ほどまでの速さとは違う。
三倍も四倍も素早く動き回る尖兵達《せんぺいたち》に対し、やたらめったらにカーテナ=オリジナルを振るって迎撃用の残骸《ざんがい》物質を生み出しながら、奥歯を噛《か》み締《し》めるキャーリサ。
(まさか、先ほどの豪雨の正体は―――攻撃ではなく、身体能力増強用の術式か!!)
高速で戦いながらも、思わず離《はな》れた所にいるヴィリアンを睨《にら》みつけるキャーリサ。
神裂《かんざき》という聖人の腕から降りた第三王女は、これまでなかった自信と共にこう告げた。
「だからこう言ったでしょう。私は『人徳』に優れたお姫様だと」
「ほざけ、こんな浅知恵で勝ったつもりか!!」
キャーリサは一度大きく後ろへ離れると、改めてカーテナ=オリジナルを大きく振り回す。カヴン=コンパスの力を借りて尖兵達の身体能力を補っている術式は、弾丸という形で地面に埋まっている。ならば一〇〇メートル級の巨大な残骸物質を生み出し、地面を丸ごと耕してし
まえば、それらの魔術《まじゅつ》を支えている数百個の核を全《すべ》て潰《つぶ》す事もできるだろう。
(終わりだヴィリアン。こいつらの動きを止めたら公開処刑でお前を八つ裂きにする!!)
そう思い、全力でカーテナ=オリジナルを体ごと回すように振り抜くキャーリサ。
しかし全次元は切断されなかった。
手応《てごた》えが逃げ、すっぽ抜けるような感触に、キャーリサは眉《まゆ》をひそめる。
原因は一人の少年。上条《かみじょう》当麻《とうま》。
そう。
この少年は、大規模・|長距離《ちょうきょり》にわたって全次元を切り裂く大振りな一撃《いちげき》に合わせて拳《こぶし》を振るうよう、神裂《かんざき》火織《かおり》と事前に打ち合わせている。
シッパァァァン!! と鞭《むち》を打つような音と共に、半端《はんぱ》に裂かれた次元が元へと戻った。
その『不発』と合わせるような格好で、
第三王女ヴィリアンが、さらに夜空に向けてボウガンの矢を放つ。
(来るか……ッ!?)
キャーリサは思わずカーテナ=オリジナルを頭上に構え、カヴン=コンパスと連動した強大な攻撃に備えようとする。
しかし第三王女の『人徳』はそこに留《とど》まらなかった。
さらに続けて、こんな言葉が響《ひび》いたのだ。
「|軌道を歪曲《B A O》、|下方向へ変更《C D》!!」
それは、一〇万三〇〇〇冊の魔道書《まどうしょ》を正確に記憶《きおく》した少女の言葉。本来は『|強制詠唱《スペルインターセプト》』と呼ばれる他人の魔術に干渉するために使われる、一種の迎撃方法だ。
ただし、それはキャーリサの持つカーテナ=オリジナルに対するものではなかった。
その少女、インデックスはカーテナの魔術術式をまだ完璧《かんぺき》には解析できていなかった。
彼女が手にしているのは、カヴン=コンパスと繋《つな》がる通信用の霊装《れいそう》。
つまり。
捻《ね》じ曲げたのは、真《ま》っ直《す》ぐ直進していたはずの大規模|閃光《せんこう》術式そのものだ。
「な―――」
第二王女キャーリサは、初めて怒りではなく驚《おどろ》きの表情を浮かべた。
ヴィリアンの放ったボウガンの矢を避《さ》けるように、カヴン=コンパスが放つ巨大な光の柱が、直角に折れた。それは上空から真下へ軌道を変えると、間にあったグリフォン=スカイを容赦《ようしゃ》なく貫通し、構えたカーテナ=オリジナルの死角を縫《ぬ》うように、一直線にキャーリサへと突き刺さる。
爆発が、起きた。
キャーリサの周囲に展開していた魔術師《まじゅつし》達《たち》すら転ばせるほどの、凄《すさ》まじい爆発が。
上条《かみじょう》当麻《とうま》の聴覚《ちょうかく》が飛びかけた。
莫大《ばくだい》な量の粉塵《ふんじん》が夜空に舞い上げられる。大規模|閃光《せんこう》術式が直撃《ちょくげき》した地点を中心に、半径二〇メートル以上のクレーターが出来上がっていた。新生|天草式《あまくさしき》を中心とした近接|戦闘《せんとう》部隊の面々が、ゲホゲホと咳《せ》き込みながらも起き上がるのが分かる。
やりすぎたんじゃないだろうか、と上条が思うほどの状態だった。
思わず敵の心配をしてしまうほどだったが、すぐにそんな考えは改めさせられる。
「……流石に[#「流石に」に傍点]、今のは効いたし[#「今のは効いたし」に傍点]」
ゾクリと、上条の背に悪寒《おかん》が走る。
皆の間に広がっていた安堵《あんど》の雰囲気《ふんいき》が、一瞬《いっしゅん》で消失する。
そして。
ビュオ!! という旋風と共に、粉塵の山が中心から吹き飛ばされていく。そこに立っているのは、カーテナ=オリジナルを手にした第二王女キャーリサ。所々にレザーをあしらった赤いドレスには泥がつき、破れている箇所もあった。その肌にも赤く滲《にじ》んだものが見える。だが、キャーリサは健在だった。カーテナも折れてはいない。
(マジかよ……)
上条は、足にわずかな震《ふる》えが走るのを自覚した。
RPGで膨大《ぼうだい》な体力を持つモンスターと永遠に戦わせられる状態を想像してしまう。
(あのレベルでも、正面から受け止められるのか。詳しい事は知らないけど、要塞《ようさい》から飛んでくる砲撃だぞ。応用性や総合的な戦闘能力ならともかく、単純な破壊《はかい》力《りょく》だけなら神裂《かんざき》の攻撃より上かもしんないんだぞ。それなのに、直撃してもかすり傷でおしまいなのかよ!?)
「……やはり、カーテナ=オリジナルを破壊しない限り、どうにもならないようですね」
神裂が、苦い顔でポツリと呟《つぶや》いた。
もっとも、あれだけの事をやっても倒れないキャーリサ相手に、上条の右手をどう近づけるかという大きな問題が浮上している訳だが。
対して、キャーリサは自慢《じまん》の剣を一度肩で担《かつ》ぐと、軽く夜空を見回した。
最初は二〇機近くあった移動要塞グリフォン=スカイだったが、カヴン=コンパスやセルキー=アクアリウムからの遠距離《えんきょり》砲撃や、地上の『清教派』からの攻撃によって、ほとんど全滅状態だった。ダメージを押してかろうじて飛行していた最後の一機も、キャーリサの見ている前でバランスを崩して墜落《ついらく》していく。
「やはり、無人機ではこの辺が限界だし。いや、攻撃用に設計されたものを真逆の迎撃に使ったのだから、単にスペックの問題という訳でもないかもしれないが」
「いずれにしても、後はお前だけだ、このまま押していけば……」
「おやおや。雑魚《ざこ》を倒してレベルアップでもしたつもりになってるの? カーテナ=オリジナルを手にした国家元首も、随分《ずいぶん》と低く評価されたものだな」
キャーリサは視線を夜空から正面へ戻し、剣を肩で担《かつ》いだまま上条《かみじょう》を見据える。彼女はドレスの開いた胸元に手を伸ばすと、そこから小型の無線機を取り出した。
「それに、そもそも雑魚はこれだけだと言った覚えもないぞ?」
「ッ!?」
一瞬《いっしゅん》、新たに別の移動|要塞《ようさい》を呼び出されるかと思ってキャーリサの無線機へ意識を集中させる上条。
しかし、その予想は外れた。
冷静に考えれば、何故《なぜ》魔術的《まじゅつてき》な霊装《れいそう》ではなく、無線機を取り出したのかが分かったかもしれない。とにかくキャーリサは無線機に向けてこう言ったのだ。
「ドーバー海峡で哨戒《しょうかい》行動中の駆逐鑑《くちくかん》ウィンブルドンに告ぐ。バンカークラスター弾頭を搭載した巡航ミサイルを準備するの。弾頭の起爆深度をマイナス五メートルに設定、ミサイルの照準をバッキンガム宮殿に合わせ―――即時発射せよ」
一番最初にギクリと身を強張《こわば》らせたのは、やはり科学サイドの上条|当麻《とうま》だった。
「ばっ、バンカークラスターだって!?」
「やはり知ってるか? 軍用シェルター施設を破壊《はかい》するために開発された特殊弾頭だし。ま、空中で子弾を二〇〇発ほどばら撒《ま》く爆弾だからな、グリフフォン=スカイが飛んでる間に撃《う》ってしまうと同士討ちを起こして破壊《はかい》力《りょく》を削《そ》ぎ落としかねなかったの」
右手にカーテナ=オリジナルを、左手に駆逐艦へ繋《つな》がる無線機を手にしたキャーリサは、今まで以上に凶悪な笑みを広げていく。
「本来はもーちょっと危機感を煽《あお》って、母上のエリザードを招き寄せてから撃ち込む予定だったが、スケジュールよりも早くグリフォン=スカイがやられたものでな。繰《く》り上げざるを得なくなったという訳だ」
「くそ!! 半径三キロ四方が吹き飛ぶ弾頭だぞ!! このバッキンガム宮殿だけじゃない。一発落ちるだけで、ロンドンだってただじゃ済まないはずなのに!!」
「喚《わめ》くのは結構だが、巡航ミサイルは速いぞ? コンコルドだのユーロファイターだの。フランスやEU諸国には随分と開発費をねだられたものだが、そのおかげで我が国は超音速関連の技術に強くなったの。収納式の翼《つばさ》の形状にこだわった巡航ミサイルは、確か低空でもマッハ5に届くかどーかといった所だったはずだ。一〇〇キロ程度の距離《きょり》など一分|保《も》たないはずだし」
「ちくしょう……ッ!!」
六〇秒で三キロ。人間の足では範囲外まで逃げきれないだろう。神裂《かんざき》のような聖人なら話は変わるかもしれないが、ここにいる『清教派』のほとんどは間に合わない。
「やらせはしません」
と、上条《かみじょう》の思考を遮《さえぎ》るように言ったのは、神裂|火織《かおり》だ。
彼女は手の中にあるワイヤーを確かめながら、
「空中に防護結界を張って迎撃《げいげき》します。効果範囲は半径三キロ、放出される子弾の数は二〇〇発……その程度なら、決して不可能なスケールではないはず!!」
「確かに、魔術《まじゅつ》の力を使えばバンカークラスターもどーにかできるかもしれないけど」
ニヤリと笑うキャーリサ。彼女自身、堂々と立っているのはカーテナ=オリジナルの力を借りる事で、爆風にさらされても無傷でいられるという確信があるからだろう。
そんなキャーリサは無線機を持つ左手で、夜空を示した。
そこに、星の瞬《またた》きとは明らかに違う人工的な光点があった。
「―――ただ、のんびり準備してる時間はないぞ?」
「ッ!!」
神裂はその言葉に弾《はじ》かれるように、夜空に七本のワイヤーを張り巡らせた。その糸が三次元的な魔法陣《まほうじん》を描き出し青白い光を走らせ、街の一ブロックを巨大で分厚い壁で覆《おお》い尽くそうとした。
それは聖人特有の、ケタ違いの魔術だっただろう。
だが、
「無防備だな。思惑通りだし」
「……ッ!? 神裂!!」
上条がとっさに叫んだが、舌舐《したなめず》りするキャーリサがカーテナ=オリジナルを振るう方が速かった。ゴバッ!! という全次元が切断される音と共に、何もかもが瓦解《がかい》していく。一〇〇メートル級の切断面をかろうじて回避《かいひ》した神裂だったが、そのせいで術式の準備が滞《とどこお》り、さらには夜空に張っていたはずの分厚い壁が、一直線に切り裂かれていたのだ。
そこへ迫る巡航ミサイル。
神裂は再び防御術式を構築しようとするが、間に合わない。
上空四〇〇〇メートルの辺りで、円筒形のミサイルが四つに分かれた。外殻が取り払われた後に現れたのは、まとめて詰め込まれた二〇〇発の爆弾。それらは空中でばら撒《ま》かれると、『高空から一直線に落下するエネルギーを使って地中深くにあるシェルターを貫通させる』機能を発動するために、槍《やり》のように降り注いでくる。
起爆深度をマイナス五メートルに設定、とキャーリサは言っていた。
地上の上条|達《たち》を吹き飛ばすため、わざと地上近くで爆発させるようにしているのだ。
逃げろ、という叫び声を聞いた気がした。
上条《かみじょう》は体を動かす事もできず、ただ呆然《ぼうぜん》とキャーリサを眺めていた。
己の敵。
イギリスの第二王女は、恵みの光を身に受けるように両手を広げていた。夜空に浮かぶ二〇〇発の光点を満足げに見ていたキャーリサは、そこで上条の視線に気づいたのだろう。視線を正面に戻すと、今まで見た事もなかった、笑顔という名前の全く違う表情を顔全体で表現しながら、何かを呟《つぶや》いた。
何を言ったのか、上条には分からなかった。
直後、バンカークラスターがバッキンガム宮殿へ襲《おそ》いかかった。
音はなかった。
視界は真っ白に塗り潰《つぶ》された。
ただ、上条の体がどこかに投げ出されたような感覚があった。大量の爆弾は空中や地表で爆発するのではない。一度地中に潜《もぐ》ってから、地面を下から突き上げるように起爆するのだ。
意識の断絶があった。
しばらく呻《うめ》き、指を動かし……ようやく、上条は自分がまだ生きている事を何とか自覚した。
(ごっ……ぶ……)
咳《せ》き込むように息を吐《は》いたが、自分の声が耳から入ってこない。首を振ろうとしたが思ったように体が動かない。それでもギクシャクした仕草で泥まみれの手足を動かし、上条はのろのうと起き上がった。自分の手足がワンセット揃《そろ》っている事が、これほど奇跡的だと思ったのはこれが初めてだった。
周囲を見回す。
意外にも、ロンドン市街に火災や倒壊《とうかい》は広がっていなかった。神裂《かんざき》が途中まで張っていた防御結界のおかげなのかもしれない。実質、二〇〇発の子弾の大半は空中で誤爆し、上条|達《たち》の頭上に降り注いだのは、カーテナ=オリジナルで切断された結界の隙間《すきま》からこぼれ落ちた分だったのだろう。そのこぼれた分にしても、魔術師《まじゅつし》達はとっさに防御用の術式を張って爆風の威力を軽減しようとしていたはずだ。
だが……、
「イン、デックス……?」
上条は土を被《かぶ》った頭も気にしないで、呆然と呟いた。
返事はなかった。
「神裂、|五和《いつわ》?」
少年の声だけが寒々と響《ひび》く。
土は掘り返され、建物は崩れ、自分の足元すらもおぼつかない。徹底的《てっていてき》に破壊された焼け野原の真ん中で、上条《かみじょう》は震《ふる》える唇《くちびる》を何とか動かす。
「シェリー、アニェーゼ! オリアナ!! くそっ……オルソラ、ルチア、アンジェレネ! 建宮《たてみや》っ、ヴィリアン!! ちくしょう。だれか……誰《だれ》か答えてくれ!!」
いくつかの呻《うめ》き声は返ってきたが、明確な言葉はなかった。
大勢の人が倒れていた。土の中に埋まっている人もいるかもしれ。その光景は、衝撃波《しょうげきは》に打ちのめされた体のダメージ以上に、上条の心に強烈なダメージを与えてきた。相手が奥の手を何段階用意しているか、予想も難しくなっていた。上条の心の方が追い着かなくなってきている。
そんな中で、たった一人だけ超然と立つ人影がある。
第二王女キャーリサ。
カーテナ=オリジナルを肩で担《かつ》いだ赤いドレスの女は、
「さぁーって、と。希望はまだ残ってるの?」
ニヤリと笑って、もう片方の手にある無線機を口に寄せる。
彼女は見せつけるように、容赦《ようしゃ》なくこう言った。
「―――駆逐艦《くちくかん》ウィンブルドンに告ぐ。バンカークラスター、続けて発射準備せよ」
[#改ページ]
第一王女リメエアは、トレードマークの片眼鏡を外していた。代わりに、大航海時代の船長が扱っていそうな、えらくアンティークな望遠鏡を覗《のぞ》き込んでいる。
(……あらあら。カーテナ=オリジナルを持つ国家元首がどれだけ恐ろしい存在かぐらい、この国の魔術師《まじゅつし》なら分かっていて当然のはずなのに。実際にまざまざと見せつけられて、『清教派』の残存勢力は壊滅《かいめつ》寸前といった所かしらね)
ロンドン市内のビルの屋上で、こっそり身を伏せていたリメエアは、遠く離《はな》れた戦場を見ながらも、口元には笑みを浮かべていた。
そんな彼女の耳に、通信用の霊装《れいそう》から声が届く。
今までは使用を控えていたが、キャーリサの意識がバッキンガム近辺に集中した今となっては、魔力の発生源を探知される事もないだろうと判断したのだ。
『おう、お嬢《じょう》ちゃん。ウチの若い連中にエジンバラの一帯を調べさせちゃいるが、どうも嬢ちゃんの睨《にら》んだ通りの事になってるみたいだな』
気の良いオヤジみたいな言葉だった。英国王室の血を引く者への配慮《はいりょ》もない。しかしリメエアの顔色は逆に綻《ほころ》んだ。そう、彼女は自分を第一王女と知らず、その立場を利用しようとしない者に対してはとても素直になる人物なのだ。
「という事は、やはり……『墓所』という方向でよろしいのかしら?」
『規模は小っせえが、それに反して精度のレベルがハンパじゃねえ。こりゃあ間違いなく一文明の王様クラスの「墓所」に相当すんだろうな。クフ王のピラミッドをワンルームに押し込めると、こんな風になるのかね』
資料を送るぞ、という言葉と共に、リメエアの傍《かたわ》らに置いてあった羊皮紙《ようひし》に、インクのような黒い点が生じた。それは見えない羽ペンが走るように、図面や滑《なめ》らかな筆記体の文字をびっしりと記していく。
片眼鏡を掛け直し、具体的な数値を目にしながら、リメエアは満足そうに頷《うなず》いた。
「なるほど……。となると、クーデター首謀者《しゅぼうしゃ》の狙《ねら》いは掴《つか》めたも同然ね」
彼女はしばし羊皮紙から視線を外し、思い返すようにポツリと呟《つぶや》いた。
「まぁ確かに、その方が彼らを殺していない事にも合理性があるかしら[#「その方が彼らを殺していない事にも合理性があるかしら」に傍点]」
『……なぁ嬢ちゃん。アンタはどっからこんなヤバい情報を仕入れてくるんだ? 確かストーンヘンジの管理維持を務める古い魔術師の一族とかって蝕れ込みだったけど、本当に……』
「うふふ。美人の謎《なぞ》を明かしたいのなら、もう少し仲良くなってからにしてくださいな」
適当に言いくるめると、リメエアは一度通信を切った。
そして矛先《ほこさき》を変えると、再び通信用霊装を起動させる。
素性《すじょう》は明かせずとも心強い仲間|達《たち》のおかげで、必要なピースは揃《そろ》っている。
後は、『頭脳』の第一王女らしい行動を実行するだけだ。
その時。
バッキンガム宮殿で第二王女キャーリサ護衛の任に就いていた騎士《きし》達は皆、倒れていた。カーテナ=オリジナル暴走によって浮足立った『騎士派』を再びまとめ上げるために、見せしめに『制裁』を受けた者達だった。
正直、カーテナを扱いきれなかったキャーリサに失望しかけていたのは事実だった。
しかし、その考えは甘かった。
一度暴走したとはいえ、カーテナ=オリジナルを振るうキャーリサはあまりにも圧倒的で、若い騎士達には為《な》す術《すべ》もなかったのだ。
そんな中で、もぞりと動く気配があった。
ガラクタのように転がる鎧《よろい》の中の一つだけが、ゆっくりと起き上がったのだ。
ここはどこだ、と彼は思った。
今まで自分達の血飛沫《ちしぶき》を貼《は》り付けていた、バッキンガム宮殿の中ではない。どこかの大きなビルのようだった。遠くの方から断続的に閃光《せんこう》が瞬き《またた》、爆音と震動が伝わってくる。それは落雷のように時間差のあるものだった。
痛む体を引きずるようにして、若い騎士は何かを探すように首を動かす。今まで気絶していた彼の意識を刺激したのは、通信用の霊装《れいそう》から聞こえてくる女性の声だった。
『聞きなさい。私は英国王室第一王女・リメエアです』
本来ならば、通信に割り込みをかけられているという事態に業務的な警戒を抱くべきだろう。しかし、あまりの激痛で朦朧《もうろう》としていた若い騎士は、そんな職務上必要なプロセスすら頭の中に構築する事ができず、ただ呆然《ぼうぜん》と流れてくる言葉を耳にしていた。
『エジンバラに放っていた密偵からの報告により、クーデター首謀者《しゅぼうしゃ》キャーリサの真の狙《ねら》いが分かりました。これはおそらく、あなた達「騎士派」の者にも伝えられていないであろう、我が妹キャーリサが胸に秘めた本当の狙いです』
(……、)
若い騎士は、ゆっくりと周囲を見回した。
死屍累々《ししるいるい》の惨状《さんじょう》の中、どうやら自分だけは生き残ったらしい。
何故《なぜ》、という疑問もあった。
『暴君』と化したキャーリサに筋肉も骨格も内臓も神経も痛めつけられた自分が生き残った理由についてもそうだし、バッキンガム宮殿で意識を失ったはずの自分が、何者の手によってここまで運ばれたのかという事も謎《なぞ》だった。
しかし。深く考えようとはしなかった。
理由が何であれ、第二王女キャーリサの『変革』のために命を賭《か》けて尽力した自分|達《たち》は、結局ただの捨て駒《ごま》だった事に変わりはない。もはや、裏切られた事に対する当たり前の怒りすら湧《わ》かなかった。ただ圧倒的な無気力感に、若い騎士《きし》は再び崩れ落ちそうになる。
『彼女はこの国の「軍事」を司《つかさど》る代表者として、ローマ・ロシア勢力からイギリス国民が脅威《きょうい》にさらされている事に、誰《だれ》よりも責任を感じていました。EUを手駒として、クラスター爆弾や他の兵器類の禁止条約を盾《たて》に国の兵力を奪われ、ユーロトンネルの爆破によってイギリスという国家そのものが挑発される状況に追いやられ、キャーリサは次のように結論付けたのです』
崩れそうになっている若い騎士は、そこで別の音を耳にした。
彼一人だけではなかった。
金属を擦《こす》るような音を聞き、若い騎士は振り返る。そちらでは彼と同じように、朦朧《もうろう》としながらも何とか身を起こそうとする同僚《どうりょう》がいた。
『このままでは、イギリスという国家そのものの価値や威厳を奪われてしまう、と。イギリスの民であるというだけで、よその国から嘲《あざけ》られ、迫害されるような時代がやってきてしまうと。だからキャーリサはこう考えたのです。戦争によって激変する時代そのものにイギリスの民が滅ぼされぬようにするには、武力によって国家の価値や威厳を保つしかない、と』
彼らは最初、リメエアの言薬など注意深く聞いていなかった。
全身を走る激痛でそれどころではなかったし、何よりこれだけの横暴を振るわれた直後だ。キャーリサを庇《かば》う言葉の全《すべ》てが欺瞞《ぎまん》に思えたのだ。
『そして同時に、キャーリサは悩みました。彼女は「軍事」に優《すぐ》れた才能を持っていたが故《ゆえ》に、カーテナの強さと恐ろしさの双方を、誰よりも理解していたのです。……もしも国家元首の手にカーテナがなければ、そこまで絶対的な王政でなければ、ローマ正教との戦争がここまでひどくなる前に民の声に耳を傾けて、国家の舵取《かじと》りを修正する機会があったのではないか、と』
しかし。
若い騎士達は、じわじわと気づいていく。
関節も内臓も骨格も痛めつけられていたはずだった。キャーリサはそういう風に狙《ねら》って『制裁』を放っていったはずだった。単純な死よりもおぞましい激痛を与え、それを眺めている者達を恐怖で縛《しば》りつける……それだけのために、彼らは体の奥の奥まで潰《つぶ》されているはずだった。
なのに[#「なのに」に傍点]、どうして自分達はきちんと起き上がる事ができる[#「どうして自分達はきちんと起き上がる事ができる」に傍点]?
骨を折るような行動不能に陥《おちい》る事もなく、一生引きずるような後遺症を残す事もなく……まるで、人間の急所だけを狙って外しているようではないか。
そして。
あれだけの暴虐《ぼうぎゃく》の中、たった一人の死者も出ていないのはどういう事だ?
『キャーリサは対フランス・ローマ正教の切り札としてカーテナ=オリジナルを振るう覚悟を決めた一方で、その戦いが終わった後には、この最終兵器を完全に封じようと考えています。……誤った国家の舵取《かじと》りを、誰《だれ》かが止められる制度を作るために。そのためには、カーテナを完全|破壊《はかい》するだけでは駄目《だめ》だったのです』
リメエアの声だけが続く。
『たとえここで全《すべ》ての王族を殺害し、カーテナ=オリジナルとセカンドの両方を破壊したとしても、一〇〇年、一〇〇〇年の時間の中で新たな王の血統が出現するかもしれません。破壊された残骸《ざんがい》を解析する事で、カーテナ=サードや、現代の我々では想像もつかないような霊装《れいそう》が開発されるかもしれません。……実際、歴史から消えたはずのカーテナ=オリジナルは、長い時を経てキャーリサの手に渡りました。それはキャーリサを優位に立たせると同時に、どうしようもないほど彼女を苦しめたのです』
自ら疑問を解決できない若い騎士《きし》は、ただその言葉を聞く。
『カーテナと「全英大陸」が形成する、王と騎士の支配体制には、元々「余力」が用意されていました。オリジナルが紛失した際にも統治を続けられるよう、セカンドを作る余地が意図的に残されていたのです。例えばオリジナルに「セカンドを作るための解析の糸口」を準備したり、オリジナル紛失下でセカンドを起動した場合、「全英大陸」の機構が混乱・競合を起こさないように配慮《はいりょ》したり、といった事です。……キャーリサは今存在するオリジナル、セカンドだけでなく、長い時間の中で別のカーテナが作られるかもしれない可能性すら完全封印しようとしているのです』
若い騎士は、見た。
窓の外。
崩れた宮殿の敷地内で戦うキャーリサの背中を。
直線|距離《きょり》で数キロも離《はな》れていたが、遠距離|狙撃《そげき》用のサーチ術式を備えている彼らには関係ない。今もバッキンガム宮殿で激戦を繰《く》り広げているその光景が、手に取るように分かる。
カーテナ=オリジナルの力を存分に振るい、バンカークラスターを搭載した巡航ミサイルまで扱い、まるで嵐《あらし》の中心のように君臨するキャーリサだが、何故《なぜ》だか若い騎士には、その様子がどこか寂しそうに見えた。
『キャーリサの狙《ねら》いはカーテナを使える可能性のある王族を全て殺害し、現存するオリジナル、セカンドの両方に干渉し、「サードを作るための解析の糸口」を潰《つぶ》す事。それによって、再び王とカーテナが現れてイギリスの舵取りを誤る―――という最悪のリスクを完全排除する事にあります。バッキンガム宮殿が破壊されたのも、「清教派」による攻撃だけではありません。キャーリサは、カーテナ=セカンド製造時に解析されたと思われる、現代の魔術師《まじゅつし》では解読不能な暗号文書や絵画群を徹底的《てっていてき》に破壊し、歴史の中でカーテナ=サードが生まれる可能性を潰したのです。……フランスやローマ正教との戦争が終わった後は、キャーリサ自身の手で封印し、破壊《はかい》したカーテナ=オリジナル、セカンドの残骸《ざんがい》と共に、残りの人生を死ぬまで「墓所」の奥深くで過ごす覚悟まで決めて』
誰《だれ》かが、ゆっくりと立ち上がった。
不思議と、立ち上がる事ができた。
それは、彼ら『|騎士派《きしは》』だけの力によるものではない。キャーリサは最初からそう配慮《はいりょ》してくれたのだ。クーデターに協力した『騎士派』を生き残らせるために、第二王女一人が暴君となり、『騎士派』が負うべき責任まで彼女だけが抱え込む事で。
あの人のために戦いたいと、若い騎士は素直に思った。だがそれは、キャーリサの命令に従ってクーデターを成功させる事とは一致しない、とも考えていた。
『結論を言います。キャーリサの狙《ねら》いは二つ。一つ目は、圧倒的な暴君と化してフランスやローマ正教を排除し、後世にこの国の汚点と言われるようになってでも、イギリスを守る事。そして二つ目は、その最強最悪の兵器であるカーテナを封じ、無能な王政を排除する事で、国家の暴走を民衆の考えで止められるようにする事です。……仮にこの先、何らかの要因が重なって私|達《たち》とは違う新しい王政が成立したとしても、その王が間違えた選択をしようとしかけた時に、王が民衆の言葉に耳を傾ける程度の「弱さ」を残すために。キャーリサはそれらの目的のために、「カーテナという極悪《ごくあく》な兵器を振るい、国の内外にいる多くの敵を虐殺《ぎゃくさつ》してしまった罪」を、暴君としてたった一人で背負おうとしているのです』
もしもキャーリサが、自分へ失望の目を向ける部下すら殺さないような人物でいてくれているとしたら。
これ以上、道を踏《ふ》み違えさせる訳にはいかない。
カーテナ=オリジナルの力を使わなくても、ローマ正教との危機的状況を乗り切るための方法はあるはずだ。
そう。
キャーリサをも含む、英国王室の女王と三姉妹が全員|全《すべ》て力を合わせる事ができるなら。
そして。
ビルの屋上に立っていた騎士団長《ナイトリーダー》は、紡《つむ》がれる第一王女リメエアの言葉を聞いていた。
「私はあなた方の行動を強制しません。あなた方にも国家の他《ほか》に守るべき家族がいて、友人がいて、恋人がいる事でしょう。彼らを哀《かな》しませぬため、逃げ出す事を否定はしません」
彼は、黙《だま》って目を瞑《つぶ》っていた。
リメエアは構わず、こう締《し》めくくった。
『ですが、もしも我が妹キャーリサを哀《あわ》れと思う方がいるのでしたら。第二王女という立場に関係なく、一人の女を助けたいと思う騎士がいらっしゃるのでしたら。今一度、剣を取ってはいただけませんか。おそらく、それだけで救われる女がいるはずです。どれだけの力を振るえるかではない。本当の意味で自分のために戦ってくれる人物がいる。その事実が伝わるだけで、救われる女が」
しばし、沈黙《ちんもく》があった。
おそらくはイギリス中で、同じような沈黙があるはずだった。
彼らは黙考し、そして一つの決断を下すだろう。
一人の騎士《きし》として、男性として、人間として……それぞれが、自由な決断を。
(もはや、イギリス全土へ命令を飛ばす必要すらあるまい)
騎士団長《ナイトリーダー》は音もなく頷《うなず》くと、どこからともなく一本の剣を抜いた。
カーテナと『全英大陸』からの力を失い、赤く変色する事すらできなくなった、銀色のロングソード。しかし、その剥《む》き出しの鋼《はがね》は今までよりも力強く見えた。
(言葉に出さずとも、我らの為《な》すべき事は決まっている)
本来の用途を取り戻した、騎士の剣。
それを手にした騎士の長《おさ》が、ビルからビルへと高速で跳んでいく。
第一王女リメエアは、うっすらと微笑《ほほえ》んでいた。
つい先ほどまで背後に騎士団長《ナイトリーダー》が立っていたが、彼女は結局一度も振り返らなかった。
彼女は、自分を第一王女だと知っている者を信用しない。
だからこそ振り返らなかったのかと聞かれれば、それは違う。むしろ信じられない人物に背中を見せるようなリメエアではない。
(……民を思い、クーデターを実行するほどに変わってしまったキャーリサに、そのクーデターで苦しめられる民を見て成長したヴィリアン)
再び望遠鏡で戦況を確認しながら、リメエアは考える。
(同じように、今度の件で私も少しは『強く』なったのかしらね)
髪に絡《から》まる泥を拭《ぬぐ》いもせず、地面に倒れたままのヴィリアンは、朦朧《もうろう》とした視線をとある少年の背中に向けていた。バンカークラスター爆弾によってほぼ壊滅《かいめつ》状態になった『清教派』残存勢力の中で、必死にキャーリサに抗《あらが》い続ける一人の少年の背中に。
他の多くの『清教派』と同じく、ほぼ瀕死《ひんし》で行動不能となったヴィリアンの耳には、姉である第一王女リメエアからの通信が届いていた。
あの少年は、今の通信を聞いただろうか。もしかすると、瓦礫《がれき》となった戦場に落ちている霊装《れいそう》から、同じような放送を耳にしていたかもしれないし、していないのかもしれない。
ただ、彼は揺らいでいなかった。
キャーリサの意図を知って揺らぐ『清教派』残存勢力の中で、彼だけが。
「さーどーする? 二発目のバンカークラスターは発射されたし! 先ほどとは違い、今度は魔術師《まじゅつし》どもも防御結界を張るだけの余力はないだろーなぁ!!」
「ッ!! ちくしょう、諦《あきら》めてたまるか!!」
「はははっ!! カーテナ=オリジナルを折れば、私が命惜しさにミサイルへ自爆信号を送るとでも? 核兵器ではあるまいし、生憎《あいにく》とあの弾頭にそんな機能はついてないの!!」
「まだだ!! セルキー=アクアリウムの弾幕を借りれば!!」
「そちらの方が幾分《いくぶん》現実的か。だがそんな事ができるなら、先ほどの一発目も迎撃《げいげき》されてるはずだし。自国開発・自国生産に固執し続けたせいで適応力を失ったフランス製のガラクタならともかく、この私が手掛けた巡航ミサイルはそー簡単には撃《う》ち落とせないの!!」
ウィリアム=オルウェルとは違い、完成した主義や思想など持っていない傭兵《ようへい》。確かに彼は、常に正しい選択はできないだろう。実際、キャーリサや『|騎士派《きしは》』に騙《だま》され、クーデターの発生を止められなかったのだから。
だけど、あの少年はそこに留《とど》まらない。
たとえ間違えたとしても、絶対に諦めない。どれだけ状況が悪化しても、そこからきちんと逆転できる最良の策を、どうあっても掴《つか》み取ろうとする。
だから。
あの少年は、この現状に揺らがない。
笑って迎え入れる事はあっても、驚《おどろ》いて迷うような事はありえない。
最初から完全に正しくあろうとする者と、最後にはみんなが笑える事をしようとする者は、果たしてどちらが尊いのだろうか。
「ほーら、バンカークラスターのご到着だし」
リメエアに胸の内を暴かれ、なお暴君として君臨しようとするキャーリサは、両手を広げて夜空を見上げた。
暗い空の一点に、星空とは違うミサイルの光点が生じている。
「吹き飛べ愚民《ぐみん》ども!! これが我が『軍事』の本領だ!!」
「ッ!!」
少年はわずかな可能性に賭《か》けようとしているのか、カヴン=コンパスやセルキー=アクアリウムに繋《つな》がる通信用|霊装《れいそう》を探そうと辺りを見回している。しかしミサイルで瓦礫《がれき》の山となった宮殿|敷地《しきち》内からそれを見つけるのは困難だったし、そもそも魔術知識に乏《とぼ》しい彼は、すぐ近くに落ちていても発見できなかったかもしれない。
そうこうしている内に、巡航ミサイルはバッキンガム宮殿の直上まで迫る。
このままでは二〇〇発の子弾がばら撒《ま》かれ、今度こそ宮殿を中心に半径三キロ近くの街並みが粉々に吹き飛ばされてしまう。
そこへ、
「――ゼロにする!!」
遠方から、新たな声が届いた。
直後、四つに分解して大量の子弾をばら撒くはずだった巡航ミサイルが誤作動を起こした。既定のポイントに到達してもミサイル外殻が開く事はなく、後部の噴射炎がいきなり消滅し、暴投したようにバッキンガム宮殿|敷地《しきち》外の道路へと落ちる。巡航ミサイルはかなりの重量のはずだが、道路に突き刺さる事なく、何度もバウンドしながら転がっていった。
まるで兵器の持つ攻撃力《こうげきりょく》を丸ごと奪ったような、不自然な現象。
呆然《ぼうぜん》とする第三王女の耳に、空気を引き裂く鋭い音が聞こえてきた。
カーテナ=オリジナルが生み出す残骸《ざんがい》物質。
長さ三メートルほどの鋭い杭《くい》は、戦いの最中にキャーリサが蹴飛《けと》ばしてきた物だった。轟《ごう》!! と真《ま》っ直《す》ぐヴィリアンの顔を狙《ねら》う杭だったが、それが彼女を貫く事はなかった。
莫横から。
唐突に飛び込んできた騎士団長《ナイトリーダー》が、右拳《みぎこぶし》で三メートル級の杭を殴《なぐ》り飛ばしたからだ。
ゴッキィィン!! という轟音と共に、その挙の指の間から赤黒い血が噴き出す。
しかし騎士団長《ナイトリーダー》の顔色に変化はなかった。
彼はただ、己の拳に目をやって結果だけを眺めている。
「……やはり、カーテナ=オリジナルと、そこから派生する諸現象には通用せんか」
「騎士団長《ナイトリーダー》……?」
泥まみれのヴィリアンは震《ふる》える声でそう呼んだが、彼の方は振り返らなかった。大勢の『|騎士派《きしは》』の男|達《たち》と共に現れた騎士の長《おさ》は、ヴィリアンの顔も見ずにこう言った。
「罰《ばつ》には応じます。このクーデターが終わったら、私の首は切断してもらって結構」
迷いのない言葉だった。
騎士団長《ナイトリーダー》は、自分がこれまで行ってきた事を『変革』ではなく、『クーデター』と初めて呼んだ。
「ですが、せめて処断を受けるための下準備程度は、我らの手で。なおかつ、願わくば……再び貴女《あなた》達『王室派』が力を合わせ、フランスやローマ正教と正しく向き合ってくれる事を」
言いながら、騎士団長《ナイトリーダー》は血まみれの手で一本の剣を握り直す。
カーテナ=オリジナルからの力の供給を断たれ、もはや本来通りの力を発輝する事もできなくなった騎士のロングソード。
「……キャーリサ様は、たった一人であれだけの事を成せる方です。その力を正しく扱い、なおかつ他の『王室派』の方々と力を合わせる事ができれば、必ずやローマ正教を退けられる事でしょう」
明らかに不利な状況で死地へと赴《おもむこ》こうとする騎士団長《ナイトリーダー》を見て、ヴィリアンの唇《くちびる》が自然と動いた。彼女は痛む体を引きずるように起き上がりながら、こう言った。
「待ちなさい」
その、今までの第三王女とは思えないほどしっかりと芯《しん》の通った言葉に、思わず騎士団長《ナイトリーダー》は動きを止めた。『|騎士派《きしは》』の長《おさ》を思わず振り向かせるほどの力を、すでにヴィリアンは内包していた。
「身勝手な死を押し付けられても迷惑なだけです。本気で償《つぐな》いをしたいというのなら、喜ぶような事をしていただきましょう。何をすべきかは、各々が自らの頭で考えてください。強要されて嫌々《いやいや》行うのではなく、自ら率先して行う事にこそ、意義はあるのでしょうから」
その言棄を、騎士団長《ナイトリーダー》はしばし噛《か》み締《し》めた。
それから今なお戦う上条《かみじょう》とキャーリサの間へと迷う事なく足を踏《ふ》み入れた。
「班を二つに分けろ。一つは辺りに倒れている『清教派』の回収と回復を。一つはキャーリサ様を直接止めるための攻撃《こうげき》を」
騎士団長《ナイトリーダー》の短い指示に、傷だらけの鐙《よろい》をまとった男|達《たち》が迅速《じんそく》に動く。一から一〇まで命令に従うのではない。トップから末端《まったん》までの全員が、各々の意志で動いていた。
「……必ず勝つぞ。これ以上[#「これ以上」に傍点]、キャーリサ様を一人きりにさせる訳にはいかん[#「キャーリサ様を一人きりにさせる訳にはいかん」に傍点]」
白色の巨大構造物を回避《かいひ》し、隙《すき》あればキャーリサの全次元切断を無効化させようとする上条の隣《となり》に、騎士の長は立つ。
「すまない。我が国と王女の行く末を、君達に預けっ放しにしてしまったな」
対して、上条の答えは簡潔だった。
彼は騎士団長《ナイトリーダー》の方を見もしないで、ただこう答えたのだ。
「おう。あいつを止めるために、協力してもらうぞ」
二人は同時に動いた。
上条は全次元切断を打ち消すために。騎士団長《ナイトリーダー》は直接的に切り込み、カーテナ=オリジナル自体の動きを食い止めるために。
騎士団長《ナイトリーダー》が握っているのはロングソードだ。八〇センチ程度の長さの刃を持つ、軍馬に乗りながら戦うための剣。己の振るう武器に目をやり、彼は苦い表情で何かを呟《つぶや》いた。
「(……やはり、長大化は封じられている。世界各地の騎士道の術式を結合した『パターン』系の魔術《まじゅつ》は使用不能。カーテナからの力の供給は断たれて当然か。扱えるのは自力で構築したソーロルムの術式と。高速移動用の補助術式。しかしソーロルムの術式はカーテナとそこから派生する諸現象には通じない。剣術にしても、カーテナからの供給がなければ力が大幅に減じてしまうのは避《さ》けられまい)
明らかに不利な状況を思い浮かべ、しかし騎士団長《ナイトリーダー》は小さく笑う。
本来の調子を取り戻したような、わずかに気障《きざ》ったらしい笑みを。
「(……半分の速度を出せれば良い所、か。だが殺さずに止めるためには、この状況の方が有難《ありがた》い!!)」
「なるほど。『人徳』のヴィリアンに続いて、『頭脳』の姉上まで来るとはな!!」
キャーリサは剣と剣をぶつけ合いながら。大きく叫ぶ。
そう、騎士団長《ナイトリーダー》のロングソードはカーテナ=オリジナルを弾《はじ》いた。全次元切断のフィールドの発生しない、剣の側面を正確に叩《たた》いたのだ。
「最高のタイミングを狙《ねら》った演説だったよ! 『|騎士派《きしは》』にしても『清教派』にしても、カーテナ=オリジナルの力で心を折られかけた直後だったの! だから余計に響《ひび》いたんだろーさ! 辛《から》い食べ物を食べた後に、甘い飲み物を口に含んだ時のよーにな!!」
それでもキャーリサの猛攻は止まらない。
騎士団長《ナイトリーダー》や『騎士派』という怪物|達《たち》を相手にお手玉のように攻防を繰《く》り返す。
「おまけにあれは、『騎士派』全体に向けて放たれたものではないし! そーいう風に見せかけて、お前個人に向けて発信されたメッセージだった! そりゃそーだよ。『騎士派』の実質的な柱は長《おさ》だからな!! お前一人の決定で、『騎士派』っていう集団の意見は大きく傾くだろう。一人一人に自由に選べというより、お前一人の意見を調整してしまった方が、結果として組織全体の動きを予測しやすいの。まったく、あの『頭脳』の姉上らしい、狡猾《こうかつ》な演説だったじゃないか!!」
「構いません」
対して、騎士団長《ナイトリーダー》はキャーリサの攻撃《こうげき》を回避《かいひ》しながら、表情を崩さなかった。
彼の決意は、すでに固まっていた。
「どれだけ演出されたものであっても、あなた様をお助けする原動力となるならば。『頭脳』のリメエア様に踊らされるのまた一興でしょう!!」
「騎士団長《ナイトリーダー》としての誇りか? だがカーテナ=オリジナル側からの供給を断たれては本領を発揮できないの。それともセカンド側からの微弱な供給だけで私に追い着けるとでも思ってるのか!?」
「力の有無など瑣末《さまつ》な事! その程度では揺らぎはしません!!」
「チッ、気持ちの悪い男だな!!」
叫ぶキャーリサは、しかし確かに『騎士派』の闘志《とうし》が回復……いや、最初よりも増大し、これまで以上に強烈な攻撃を繰り出してくるのを感じていた。おそらく倒れている『清教派』にしても、肉体面はともかく精神面では完全に復帰している事だろう。集団としての厚みが違う。その上、イギリス各地から続々と追加の騎士《きし》達《たち》が集まってくるとなっては、流石《さすが》にこれ以上遊んでいると面倒な事になりそうだ。
(忌々《いまいま》しいが、巡航ミサイル出し惜しみはなしだ!!)
一度大きくカーテナ=オリジナルを振るって牽制《けんせい》すると、キャーリサは大きく後ろへ跳んで距離《きょり》を取る。
わずかに時間的な『間』が生じた事で、改めて間合いを測り直そうとする上条《かみじょう》や『騎士派』の面々を見て、キャーリサはカーテナ=オリジナルを肩で担《かつ》いだ。
「対フランス|攻撃《こうげき》用に残しておきたかったが、やはりここでバンカークラスターを使い切るしかなさそーだし」
キャーリサの手には、小型の無線機がある。
ギョッとした上条《かみじょう》だが、騎士団長《ナイトリーダー》が挑むように一歩前へ出た。
「私の扱うソーロルムの術式にはカーテナ=オリジナルとその剣が生み出す諸現象を封じるほどの性能はありませんが、バンカークラスター程度なら攻撃力をゼロにできます。それでも無駄遣《むだづか》いをなさいますか?」
「確か、お前の扱う防御術式は『術者の認識する武器の内、標的となる物を選択して攻撃力を無効化する』といったものだったはずだし」
まるで部下に仕事の確認を求めるような口調で、キャーリサは言った。
そうしながら、彼女は無線機に口を寄せる。
「ならばこー指示しよう。―――バンカークラスター弾頭を搭載した巡航ミサイルを準備せよ。ドーバーで待機中の駆逐艦《くちくかん》ウィンブルドンから二四発、キングヘンリー7から二六発、シャーウッドから二〇発、ヘイスティングズから一五発、シェイクスピアから一五発。関係各位はバッキンガム宮殿に照準を合わせ、総勢八〇発のバンカークラスターを私の合図とともに発射せよ。さーて、私はどのミサイルを幻術で隠すと思う?」
「……ッ!!」
身を強張《こわば》らせる騎士団長《ナイトリーダー》に、キャーリサは凶悪な笑みで応じた。
「単なるハッタリかもしれないが、すり抜けたら終わりだし。その上、私がカーテナ=オリジナルで同時攻撃を仕掛ければダメ押しだな。一発でも逃せば全員が死滅する状況で、我が剣を押し返す事ができるかどーか、英国の騎士の真髄《しんずい》をテストしてやろう」
「チッ! 止めるぞ!!」
上条は騎士の長《おさ》を促しながら、自身も拳《こぶし》を握ってキャーリサの元へ突っ込もうとする。
だが、第二王女が指先を動かして通信ボタンを押す方が早い。
上条の拳が届くまえに、キャーリサは小さな無信機に向けて破壊《はかい》の命令を飛ばしてしまう。
「該当する五|隻《せき》の駆逐艦に告ぐ。巡航ミサイルを発射せ―――」
歯噛《はが》みする上条《かみじょう》だったが、対するキャーリサは何故《なぜ》か怪訝《けげん》な顔をした。
それからハッと頭上を見上げ、直後に真後ろへと跳び下がる。
そこへ、
ドッパァァァ!! と。
軍用通信に使う巨大なアンテナ塔が、先ほどまでキャーリサの立っていた場所へと勢い良く突き刺さった。
キャーリサに向かおうとしていた上条の体が、爆風に押されて後ろへ転がる。砂塵《さじん》の舞う瓦礫《がれき》の中央に突き刺さった巨大アンテナの残骸《ざんがい》の上には、誰《だれ》かが立っていた。その大柄な人影は、第二王女キャーリサを見下ろしながらこう告げる。
「これで英軍への無謀《むぼう》な指示は出せまい。彼らとてイギリスの民である。独裁者からの強引な指示なしに、本来死力を尽くして守るべき自国の首都へ巡航ミサイルを発射しようとは思わないであろうからな」
「なるほど、余計な真似《まね》をしてくれるし……ッ!!」
今まで以上に……もしかしたら、クーデターを通して一番|忌々《いまいま》しそうな表情で低い声を放つキャーリサ。
それに対して、大男はアンテナ塔から飛び降り、上条《かみじょう》と騎士団長《ナイトリーダー》の間に立ってこう言った。
「遅れたか。科学については見聞きする程度でな。付近の軍用アンテナを片っ端《ぱし》から探し出して破壊《はかい》するのに、少々手間取ってしまったようである」
そう言って。
とある傭兵《ようへい》は、三メートルを超す大剣を改めて構え直した。
個人の戦闘《せんとう》はおろか、集団の戦争においても戦い慣れたあの傭兵が、ついに戦線に加わる。
相変わらず、憎らしいほど最高のタイミングで。
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行間 五
結局は、くだらない事の積み重ねだった。
とある一つの特別な瞬間《しゅんかん》があったのではない。最悪の結末へ向かうレールのようなものは、昔からチラホラと見えてはいたのだ。
『賛成多数により、以上の兵器の使用は禁じられる事になりました』
バンカークラスターだけではない。
ローマ正教に牛耳《ぎゅうじ》られたEUの会議は、イギリスの主力として開発を進めてきた兵器だけを、ピンポイントで塗り潰《つぶ》すように次々と禁止条約を可決させていった。その態度は、時代遅れの大国など、もはや怒らせた所で怖くはないと言外に突きつけられているようなものだった。
もっとも。
一番初めは、まだキャーリサが『軍事』を担当する前、母親のエリザードの頃からだったらしい。その時にはイギリスの核兵器だけが禁じられた。フランスの核兵器は禁じられなかった。両者を分けたのは『爆発の破壊《はかい》力《りょく》の差』らしいのだが、以降のイギリスは『威力を低めに設定した核兵器』を開発する事も封じられ、挙げ句の果てにはイギリス製の核兵器は、全《すべ》てフランスに渡る事になったそうだ。表向きの建前は『EUの中で唯一の核兵器保有国となったフランスは、安全に核兵器を解体する技術を有している』との事だったが、真の理由は明白だった。
『攻撃《こうげき》』は、昔からあったのだ。
それがエスカレートした結果が、キャーリサの見ている惨状《さんじょう》だった。
EU加盟国の彼らは、陰ではこう囁《ささや》いているだろう。
ローマ正教の庇護《ひご》さえあれば問題ない。
イギリスが難癖《なんくせ》をつけてきた所で二〇億人もの大集団と正面から戦う訳がない。
時代遅れの大国。
お前|達《たち》の繁栄《はんえい》は、二〇世紀の序盤で終わったのだ。
―――国の価値が下げられている、と思った。
これらあからさまな挑発行為に乗る必戻はないと、国を治める母上は言った。しかしその結果は、周辺国家からナメられ、あの国には何をやっても許されるという環境を築きつつある。この状態が続いていけば、やがてはイギリスという国家は国家として認められる事すらなくなり、イギリス国民というだけで人々が嘲《あざけ》られ、罵《ののし》られ、自分がイギリス国民である事を隠して生活しなくてはならないような時代がやってくるだろう。
そんな事は、止めなくてはならない。
国の皆が笑って過ごせるような時代を失わせる訳にはいかない。
そのために、何年もかけて準備を進めてきた。方法はいくつかあっただろうが、自分は最初からその内の一つを自然と選んでいた。元より『軍事』だけに優《すぐ》れた女、剣を取って泥にまみれた戦場へ向かう事しか知らぬ者である。この自分が成功させるとすれば、クーデター以外の選択肢に、現実味があるとは思えなかった。
ただし、これはあくまでも準備だった。
いくつかの条件さえ整わなければ、決して実行される事のない準備。
あるいは、国を治める母上が外交手腕を発揮して国の威厳を取り戻せば、それで問題はないだろう。周辺国家がローマ正教の支配から脱し、各々《おのおの》が自らの意志で国を動かすようになれば、自分が行動を起こさずとも、危機的状況は自然と消滅しただろう。
しかし。
イギリスとフランスを繋《つな》ぐユーロトンネルは爆破された。
それと合わせるように、イギリス行きの路線を塞《ふさ》ぐようにハイジャック事件は起きた。
あらかじめ戦略的に設定していたいくつかのチェックポイントやボーダーラインといったものは、最悪の形で通過されてしまった。
もはや、一刻の猶予《ゆうよ》もないと判断した。
この機に動かねば、イギリス国民の価値は奴隷《どれい》よりも劣る位置まで落ちると。
結局、キャーリサはカーテナ=オリジナルを手に取った。
あれだけ忌々《いまいま》しく思っていた、王を決めるための剣を。
暴君になろう、と静かに決意した。
歴史上に最悪の汚点を残すほどの、圧倒的な暴君に。
元より自分は『軍事』に優れただけの、剣を取って戦う事しか知らぬ女、国家や世界を変える方法など、一つしかない。
キャーリサは誰《だれ》にも伝えずに、たった一人で決定する。
この戦いを終えたら、二本のカーテナと共に歴史から消える覚悟を。そして自ら作り上げた墓所の深くに潜《もぐ》り、誰にも知られぬまま眠り続ける末路を。
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第八章 女王と国家の国民総選挙 Union_Jack.
後方のアックアと騎士団長《ナイトリーダー》の二人は、並んで立っていた。
アックアは霊装《れいそう》アスカロンを、騎士団長《ナイトリーダー》は大きな武器の芯《しん》だけが残ったような一本のロングソードを、それぞれ握っている。
騎士団長《ナイトリーダー》は、旧友に話しかけているとも独り言とも取れる声で呟《つぶや》いた。
「……よもや、この人生でもう一度、お前に背中を預ける時が来るとはな」
「フルンテイングへの移行は不能、であるか。せいぜい足は引っ張らぬようにな」
「ぬかせ」
そこまで言うと、騎士団長《ナイトリーダー》はロングソードを軽く振るって前を見た。
もはや、いちいち一目置いて、注意深く目を見ながら語る必要もない。かつて共に数々の強敵を打ち破ってきた時と同じように、彼はぞんざいな調子で信頼《しんらい》を預けるように、こう言った。
「行くぞ。互いの一〇年の研鑽《けんさん》を。それぞれ点検してみる事にしよう」
ゴバッ!! と大地が裂けた。
二人が同時に駆けた事で、地面の方が耐えきれなくなったのだ。
アックアは右から、騎士団長《ナイトリーダー》は左から。
それぞれ回り込むような挙動で、もはや肉眼で追い掛けるのも難しい速度で、彼らはキャーリサの元へと突き進み剣を振るう。
「チッ」
対して、キャーリサはアックアの方へ反応した。全長三・五メートルもの大剣を身をひねって回避《かいひ》すると同時、その動きを活《い》かしてカーテナ=オリジナルを横回転するように振り回す。生み出された残骸《ざんがい》物質の盾《たて》が騎士団長《ナイトリーダー》のロングソードの動きを止め、
「―――切り飛ばすぞ、首」
キャーリサは超至近|距離《きょり》で、アツクアにささやく。
直後。
ゴッ!! と二つの斬撃《ざんげき》が激突した。続けて放たれた袈裟《けさ》切《ぎ》りに、アックアもアスカロンで応じる。彼はカーテナ=オリジナルの力を考慮《こうりょ》し、刃と刃をぶつける事はなかった。剣の鍔《つば》と鍔を叩《たた》き合うように、根元の部分で拮抗《きっこう》したのだ。
(……痛っつ……ッ!?)
今まで一方的に振るう側だったキャーリサが。予想外の反動に驚愕《きょうがく》する。
純粋な衝撃《しょうげき》が生まれ、両者の体が強引に後ろへ押し出される。下がるというより土を削りながら滑《すべ》るような動きだが、そこはまだ両者の射程の内。
続けて互いの必殺が走る。
「ッ!!」
「ッ!?」
剣の大きさなど気にかけず、武器ごと致命打を与えようと攻撃を放つ二人。それは西部劇の決闘《けっとう》のように、わずかな差で勝敗を決する事は間違いない。
だが、
「―――二人だけでっ、戦っているとは……ッ!! 思わない事です!!」
「なっ」
そこへ、真横から傷だらけの神裂《かんざき》火織《かおり》が突っ込んだ。ある程度結界で防御していたとはいえ、バンカークラスターの爆風に打たれた体を酷使《こくし》して、だ。他《ほか》の『清教派』が未《いま》だに身動きが取れない中、唯一立ち上がる事ができたのは、やはり『聖人』という資質によるものか。放たれたのは一神教の天使すら切断する『唯閃《ゆいせん》』。決して無視のできない一撃に対し、キャーリサは土壇場《どたんば》で剣の軌道を捻《ね》じ曲げ、これの防御に当てる。
当然ながら、そうするとアックアの攻撃に身を晒《きら》す羽目になる。
しかも、ダメ押しとばかりに騎士団長《ナイトリーダー》も動いていた。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」
一人だけではない、複数の雄叫《おたけ》びが重なって独特の震動《しんどう》を生み出す。
ビリビリと戦場を高揚させる心地良い衝撃と共に、複数の影が音速を超える。
キャーリサはアックアの足を蹴《け》ってバランスを揺らがせ、わずかに剣の軌道を曲げる。ギリギリの所をアスカロンが通過するのも待たず、カーテナ=オリジナルと拮抗する神裂の七天七刀《しちてんしちとう》を弾《はじ》くと、騎士団長《ナイトリーダー》の追撃から逃れるべく大きく後ろへ跳び下がる。
これまでとは違う、全力の回避《かいひ》だった。
しかし三人の超人は、それを黙《だま》って許す事はない。
ガガガガガザザザザギギギギギギッ!! と火花の嵐《あらし》が、下がるキャーリサを追うように一直線に進んだ。様々な角度から迫る攻撃に対し、キャーリサは転がっている瓦礫《がれき》や残骸《ざんがい》物質を蹴り上げ、カーテナ=オリジナルを振るい、次々と受け止め、いなし、弾き返す。対するアックアや神裂も瓦礫を切断し、残骸物質を撃《う》ち返し、迫る妨害を逆手に取って優勢を構築しようとする。
カーテナ=オリジナルは、斬撃《ざんげき》から残骸物質を作るまでに一瞬《いっしゅん》の間を空ける。
その残骸《ざんがい》物質の発生が遅れるほどの勢いで、四者の斬撃《ざんげき》が続く。
ひぅ、という息を吸い込む音が神裂《かんざき》の耳についた。
会話はおろか単語の発音すら許されぬ世界の中、それがキャーリサの意志を示すものだった。
第二王女は足元から二つの残骸物質を蹴《け》り上げると、シンバルを叩《たた》くように二つを思い切り打ち合わせて自ら破壊《はかい》する。
ドッパァァァン!! という衝撃波《しょうげきは》と共に、打ち上げ花火のように破片が散った。
「ッ!?」
全員は衝撃に押されてわずかに動きを止める。キャーリサだけが、その勢いをも利用して五〇メートルほど距離《きょり》を取る。
彼女|達《たち》のような怪物にとって、その程度の距離は一瞬《いっしゅん》で詰められるレベルのものだ。
「……なるほど……」
キャーリサの額から、一筋の赤い血が垂れていた。
神裂やアックア達が傷つけたのではない。キャーリサ自身が回避《かいひ》行動の時間を取るために破壊した、残骸物質同士の破片。それが第二王女に血を流させたのだ。
「そろそろお手玉も許容量を超えたか。いかに特別な力を手に入れているとはいえ、流石《さすが》に聖人級の怪物が三人集まるのは面倒だし」
「『特別な人間』だけで、全《すべ》てを成し遂げられるとは思わない事です」
神裂は特殊な呼吸法で体力を取り戻しながら、静かに告げる。
「我々が全力を出せるのも、それを支えてくれる者がいればこそ。現に、多くの魔術師《まじゅつし》によって全方位から常に照準を合わせ続けられる事で、あなたは自然と死角からの攻撃を意識せざるを得ず、本来なら数多《あまた》とあるべき選択肢を狭《せば》められてはいませんか?」
「かもしれない」
キャーリサは目だけをジロリと動かす。
「確かに、味方の数が勝敗を決するという事も、『軍事』においては間違いではないのだが」
隙《すき》あらば聖人や騎士団長《ナイトリーダー》の攻撃を縫《ぬ》って遠距離攻撃を放とうとする魔術師達を睨《にら》みつけ、
「だが、だからこそ―――そこに勝機があるとは考えなかったの?」
ゾワリ、と。
第二王女キャーリサから、これまでになかった嗜虐性《しぎゃくせい》のようなものが広がっていく。
直後。
彼女は足元にあった残骸物質を恐るべき脚力で蹴り上げた。限定的に天使長の力を振るうキャーリサの足は、五メートル以上もの鉄より重い塊《かたまり》を砲弾のように射出する。
それは、神裂やアックア、騎士団長《ナイトリーダー》などに向けて放たれたものではない。
倒れている『清教派』の傷を手当てするために後方で動いていた『|騎士派《きしは》』の集団の元へと、意図的に突っ込ませたのだ。
「なっ」
ドバッ!! という爆音と共に、複数の影が宙に飛ばされる。
神裂《かんざき》の視線がそちらへ向いた一瞬《いっしゅん》の間に、キャーリサはさらにカーテナ=オリジナルを大きく振るう。生み出されるのは一〇〇メートル級の残骸《ざんがい》物質。中央の所で捩《よ》じれた長方形の板は、どこか竹トンボを連想させる形をしていた。
キャーリサは竹トンボの端《はし》を爆発させ、その勢いを利用して巨大なプロペラを回す。斜め四五度に傾いた竹トンボは、全《すべ》てを引き裂く回転刃と化して壁のように群衆へ襲《おそ》いかかる。
「くそっ!!」
これに対し、騎士団長《ナイトリーダー》は音速を超える速度でプロペラの前へ飛び出し、その回転刃を弾《はじ》き飛ばそうとする。
そこへ、ドッ!! 真後ろから衝撃《しょうげき》があった。
キャーリサによる攻撃ではない。そちらの殺気に対しては最大限に配慮《はいりょ》をしていた。
騎士団長《ナイトリーダー》を襲った一撃は、本来味方であるはずの『清教派』の魔術師《まじゅつし》が、傷だらけの体を無理に動かして必死で放ったものだった。
「……ぁ……」
握り返れば、向こうも向こうで愕然《がくぜん》とした顔をしている。
悪意があったのではない。流れ弾だったのだ。
しかし。
容赦《ようしゃ》なく、バランスを失った騎士団長《ナイトリーダー》へと巨大な回転刃が襲いかかった。
「ッ!?」
慌《あわ》ててロングソードで迎撃しようとする騎士団長《ナイトリーダー》だったが、体勢を崩した状態では本来の力は入らない。中途半端《ちゅうとはんぱ》に弾こうとした結果、重たい衝撃に騎士団長《ナイトリーダー》の体は地面に叩きつけられ、回転刃は軌道を曲げて、生き物のようにのたうち回った。それがさらに別の被害を増大させていく。
「―――どれほどの数が結集した集団であっても、その本質が個と個の繋《つな》がりである事に変わりはないし」
続けてキャーリサは頭上に向けてカーテナ=オリジナルを大きく振るう。生み出された巨大な残骸物質は斜めに傾《かし》いだ巨大な吊《つ》り天井《てんじょう》と化し、天空から多くの魔術師を押し潰《つぶ》そうとする。
「―――ならば、個と個を切り裂くための隙《すき》は、どのよーな組織であっても必ず存在するの。たとえ魔術的な思念や科学的な脳波を接続した所で、これは絶対に消える事はない」
神裂は味方を守るために七閃《ななせん》のワイヤーで切り裂こうするが、そこへ第二王女キャーリサが跳んだ。鞭《むち》のようにしなる蹴《け》りを腹に受けて、神裂の体が大きく吹き飛ばされる。
「―――真の意味で一つの個として完成された集団など、所詮《しょせん》は夢想の産物」
数十もの遠距離《えんきょり》攻撃《こうげき》が突き刺さり、かろうじて吊《つ》り天井《てんじょう》は魔術師《まじゅつし》達《たち》を押し潰《つぶ》さずに終わる。その間にアックアは跳ね回り、地震《じしん》のような震動を与える吊り天井と大地の間を高速で潜《くぐ》り抜け、大剣アスカロンを手にキャーリサへと突撃する。
「―――むしろ。数が増えれば増えた分だけ、切り裂く糸口も増すというものだぞ」
ドッ!! という轟音《ごうおん》が炸裂《さくれつ》した。
アスカロンとカーテナ=オリジナルが、鍔《つば》に近い位置で拮抗《きっこう》した音だった。
だが。
ここまで連携が切り崩れてしまえば、もはや集団ではなく個と個の戦いへと劣化している。そして個としての力なら、学園都市での戦いで深手を負っているアックアよりも、英国内部に限り天使長の力を全開で使えるキャーリサの方が上なのだ。
ガガッギギギン!! といくつかの斬撃《ざんげき》が交差した後、アックアの体が後ろへ跳んだ。流石《さすが》に転がされる事はなかったが、彼の脇腹《わきばら》の辺りにジワリとした赤黒いものが滲《にじ》む。
「数千だろーが。数万だろーが、集まった所で揺らぎはしないの」
キャーリサはカーテナ=オリジナルを肩で担《かつ》ぎ、明確に宣言した。
ガキのケンカとは違う。
常に優勢なのではない。劣勢になるきっかけがあれば即座に封じ、大勢が揺らぐ前に全《すべ》てを予防してしまうからこそ、彼女の優勢はひっくり返らない。
「集団との戦いなど手慣れてるし。私が英国王室の中でも『軍事』に優れた者である事を忘れたの」
その言葉を合図に、悪夢が再開される。
そんな戦いを眺めている者達がいた。
いわゆる魔術師と呼ばれる人間ではない。しかし、全く無関係な一般人と割り切る事もできはしない。彼らはバッキンガム宮殿で英国王室のために働いていた、下働きの使用人や料理人、庭師などだった。
本当の意味で王家の者に最接近できるのは、主に近衛《このえ》侍女や武装側近と呼ばれる、魔術的にも洗練された専門の迎撃職の人間だが、ここにいる人々は違う。そのほとんどが、第三王女ヴィリアンによって招かれた、本当に王室とは縁のない民間出身の者達だ。
彼らはロンドンまで踏《ふ》み込む事はできたものの、戦場の中心地であるバッキンガム宮殿まで突入する事はできなかった。しかし、その逡巡《しゅんじゅん》は逆に彼らの素人《しろうと》臭《くさ》さを露呈《ろてい》していた。何故《なぜ》なら、安全と思っているその場所は、実際にはキャーリサの気紛《きまぐ》れでいつでも吹き飛ばせるポジションでしかなかったからだ。
そんな事にも気づかず、彼らは戦いを眺めている。
今までの日々は、英国人として身に余る幸福だった。それを与えてくれたヴィリアンを守りたいとも思うし、純粋に英国王室のためなら戦いたいとも思っている。
だが。
目の前の、この圧倒的な光景を前に、どうすれば良いのか。
軍事的なクーデターという意味でも、物理法則を超える『魔術《まじゅつ》』の大規模内戦という意味でも、もはや使用人|達《たち》の心のキャパシティを軽く凌駕《りょうが》してしまっていた。地下鉄のトンネル内でも戦おうと思っていながら、結局足が震《ふる》えて肝心の場面で動く事ができなかった。今もそうだ。恥も外聞もない。彼らは正直に、それこそちっぽけな一般人として、眼前で繰《く》り広げられる戦いを『怖い』とも思った。勇気とか正義感とかそういう次元ではなく、それは人間としてまっとうな心の動きだったのかもしれない。
キャーリサの『暴君』は、まさに絶望の象徴だった。
彼女の戦う真の理由を提示されてなお、一般人の使用人達を震え上がらせるほどに。
破壊《はかい》されたバッキンガム宮殿の敷地《しきち》内で、後方のアックアや神裂《かんざき》火織《かおり》という怪物と同時に戦い、『|騎士派《きしは》』の大多数とも決別しているにも拘《かかわ》らず、第二王女の残虐性《ざんぎゃくせい》は一向に衰《おとろ》える様子がない。むしろこれまでより苛烈《かれつ》に、圧倒的に、逆らう者への暴力を加えていく。事実、それはプロと呼ばれる魔術師の大半が地面に倒れてしまっているほどだった。
簡単に飛び込める戦いではなかった。
行って、一瞬《いっしゅん》で絶命する事も十分あるだろう。自分が足を引っ張った結果、プロの魔術師の方が倒されてしまい、それが勝敗を大きく左右する事にも繋《つな》がりかねない。
そういう風に考えていくと、彼らは立ち尽くすしかないのだ。
民間人という領域から、飛び出す事もできずに。
仕方がないじゃないか、と誰《だれ》かが言った。
自分達は単なる民間人だ。魔術なんて訳の分からないものが出てきたら、もう出番なんてある訳がない。それは民間人の中でも、右手を握って戦っている少年だっている。だけど、あの少年には特別な力があるらしいじゃないか。魔術に対抗できるだけの力を初めから持っていて、スカイバス365を乗っ取ったテロリストと戦ったりするような人間だったら、自分達だって迷わず駆けつけられる。でも、自分達にはそんな特別な力なんてありはしないのだ。
だから、仕方がないじゃないか。
「本当に、そう思っているのか」
その時、そんな声が聞こえた。
使用人達が慌《あわ》てて振り返ると、そこには見知った顔があった。
「あの少年とお前達の違いは、単なる右手の性能の差だけと、本気で思っているのか?」
「……、」
他人の口から改めて質問され、使用人達は黙り込んだ。
本当は、分かっている。
あの少年は右手に特別な力が宿っているから、あんな最前線で戦っている訳ではない。むしろ、最前線で戦っている少年の右手に、たまたま特別な力が宿っている、という風に考えた方が、すんなりとしているような気さえした。つまりは、それが答え。この内戦に参加できるか否《いな》かは、勇気や度胸によって決まるのだ。
「お前達には、それがあるか?」
もう一度、その女は質問してきた。
「どんなに個人的な感情であっても構わない。どんなに主観的な理由であっても問題ない。このイギリスの危機を救うために、圧倒的な恐怖に立ち上がるだけの、ちっぽけな勇気はあるか」
質問に、誰《だれ》かが顔を上げた。
俯《うつむ》く必要はないと判断したから、彼らは顔を上げた。
答えは決まっていた。
気持ちの部分だけはあの少年にも負けないと、使用人達は思った。震《ふる》え上がるほどの恐怖を自覚していても、戦いたいと願っていたからこそ、彼らはかろうじて逃げずに踏《ふ》み止《とど》まっていた。それが『戦いを眺める』という形に繋《つな》がっていたのだ。
だから、彼らはこう言った。
自分達も、一緒《いっしょ》に戦いたいと。
「よろしい」
と、その女は言った。
言って、英国女王エリザードは顔全体で大型船の船長のように力強い笑みを浮かべた。
「ならばついて来い。足りない部分は全部私が埋め合わせてやる」
必要なものは全《すべ》て揃《そろ》っている。
ここから先は逆転劇だ。
ゴバッ!! という轟音《ごうおん》が、バッキンガム宮殿の敷地《しきち》内に炸裂《さくれつ》した。
「……ッ!!」
慌《あわ》ててカーテナ=オリジナルを構えて応じ、それでもビリビリとした感触を両手に感じるキャーリサは、遠距離《えんきょり》から音速を超えて突っ込んできた襲撃者《しゅうげきしゃ》の顔を見て、今までで一番大きな声を張り上げた。
「よーやく顔を出したの、元凶たる母上よ!!」
叩《たた》きつけられたのは、全く同じ形をしたカーテナ=セカンド。
これまで押され気味だったアックアや騎士団長《ナイトリーダー》の間に割り込むように、真の国家元首はもう一つの『王を決めるための剣』を振るっていた。
二つのカーテナをギリギリと押し付け合い、二人の王族は正面から睨《にら》み合う。
「好きにやるのは構わんが、やるならば徹底的《てっていてき》に、そう、私以上の良策を提示してもらわなければな。どうやら私以下の展開になりそうだったので止めに来たぞ、という訳だ」
「ほざくな元凶、そーまでして玉座が惜しいの!!」
ズッ……という嫌《いや》な音が響《ひび》いた。
カーテナ=オリジナルとセカンドでは、当然ながらオリジナルの方により強い力が集まっている。鍔迫《つばぜ》り合いなど成立する訳もなく、セカンド側の刃に、オリジナル側の刃がゆっくりと沈み込んできているのだ。
それが一センチほどにまで達した時、両者が動いた。
ギギギッ!! と三発だけ、彼女|達《たち》は短く高速で剣を交差させる。
そのたびにカーテナ=セカンドの刃から火花が散った。同じ材質の鋼《はがね》がぶつかり合っている印象はない。彫金のように柔らかい金属が削り取られていくようだった。
「……どれだけお膳立《ぜんだ》てをして、組織と組織がぶつかった所で、最後はカーテナ同士の激突となるか。難しく考えてきたのが馬鹿《ばか》らしくなるよーな展開だし」
傷一つないカーテナ=オリジナルを手に、キャーリサは自嘲《じちょう》するように笑った。
互いの力は歴然だった。
「だが、カーテナ同士の戦いとなれば、それこそ私に負けはありえないし。八割以上の力を集めた私のオリジナルと、二割に満たない母上のセカンド。同種の力を取り扱ってる以上、単純に量の差が勝負を決するぐらい分からなかったの?」
対して、エリザードは小さく笑った。
意図的な演出ではない。本当に、思わず漏《も》れてしまったという感じの笑みだ。
「……意外と小さい女だな、我が娘よ」
「なに?」
「愚劣《ぐれつ》な王政の責任を取り、そしてイギリスの国民を守るため―――暴君と化してヨーロッパ中の敵国を丸ごと粉砕し、その後は政治の舵取《かじと》りを民衆に明け渡す。何やらスケールの大きな話だが、その端々《はしばし》にお前の小心が見え隠れしている事には気づいているか?」
「……、」
キヤーリサは言葉で答えなかった。
ゴッ!! とカーテナ=オリジナルが振るわれた。エリザードは己の剣で応じるが、その途端《とたん》に、これまで以上に大きくセカンドの刃に傷がつく。
エリザードの表情は、それでも変わらなかった。
「本当にこの国を変えたいか。政治を形作る巨大な柱をへし折ってでも、民を守りたいと願うのか。それなら既存のシステムになど頼《たよ》るんじゃない。やるならせめて―――これぐらいやってみろ」
言って。
女王は一度大きくカーテナ=セカンドを振ると、そのまま手を離《はな》し、キャーリサ目がけて思い切り投げつけた。慌《あわ》ててキャーリサはそれを弾《はじ》き飛ばすが、そこでふと気づく。
軌道を曲げ、あらぬ方向へと弾かれたカーテナ=セカンドは闇《やみ》へと消えた。
女王エリザードは、その力を支える特別な剣を、自ら手放したのだ。
「何を……考えてるの?」
あまりにも無謀《むぼう》で、無防備で、逆にキャーリサは身構えてしまった。
カーテナという因子を戦術に組み込んだ上で、普通に考えれば絶対にありえない選択肢。
それを望んで選び取った女王は、絶対の自信と共にこう答えた。
「変革だよ」
エリザードはその時、キャーリサ以上に堂々とこの場に立っていた。
「今までにない事、というのはここまでのレベルで初めて成立する。粋など取り払え。停滞するセオリーを覆《くつがえ》そうとする者が、そのセオリーにすがるんじゃない。史上初の行動を見て驚《おどろ》いている時点で、お前はまだまだこの国の太い柱に縛《しば》られているぞ」
(度胸の違いでも示したいのか)
あるいは、それもうろたえる群衆を奮《ふる》い立たせる策の一環かもしれない、とキャーリサは判断した。確かに、今のは効果的だ。馬鹿《ばか》な人間なら、エリザードの方が肝が据わっていると誤解してもおかしくはない。
だが、
(ならば暴君のやり方で応《こた》えさせてもらうの。ヤツらの目の前で斬《き》ってしまえばおしまいだ!! エリザードの惨殺《ざんさつ》死体と共に、こいつらは決定的な絶望に崩れ落ちる事になるし!!)
結論を出し、最も効率良く恐怖を与える死体として、縦に真っ二つにしようとカーテナ=オリジナルを振り上げるキャーリサ。
しかし、そこで彼女は気づいた。
我ながら、ようやく気づいたと判断するべき遅さだった。
「こ、れは……まさか……」
カーテナ=オリジナルの調子がおかしい。
その違和感の正体を知る者を睨《にら》みつけると、女王エリザードはこう答えた。
「だから言っただろう。これが変革というものだと」
バサリ、という空気を布で叩《たた》くような音が聞こえた。いつの間にか、エリザードの手には大きな布―――いや、旗があった。表には現在のイギリスの国旗、裏には白と緑を基調にした、かつてウェールズの国旗として使われていたものだ。
「英国の国旗はイングランド、アイルランド、スコットランドのものを併合したデザインを採用している。ウェールズについては、国旗制定の前に当時のイングランドが吸収してしまっていたからな。彼らの文化に敬意を表し、こうして表と裏を合わせて一枚の旗とした訳だ。……まぁ、大英《だいえい》博物館までこいつを回収しに行くのは骨だったが」
イングランド、スコットランド、ウェールズ、北部アイルランド。
英国を構成する四文化の象徴。
そして、カーテナ=オリジナルの操る力の基盤となるもの。
「もちろんこれがあれば誰《だれ》でも『できる』ものではないが……私の抹殺《まっさつ》を最優先しなかったのは間違いだったな。英国王室専用に設定された国家レベルの魔術《まじゅつ》の中には、こんなもの[#「こんなもの」に傍点]も含《ふく》まれているんだよ」
エリザードは一枚の旗を大きく振るい、夜空へ広げた。
|連合の意義《ユニオンジャック》、と。
女王は術式の名を呟《つぶや》いてから、一度だけゆっくりと息を吸い込んだ。
「命じる」
そして、大きな声を張り上げる。
どこまでも響《ひび》き渡るであろう、大きな声を。
「カーテナに宿り、四文化から構築される『全英大陸』を利用して集められる莫大《ばくだい》な力よ! その全《すべ》てを解放し、今一度イギリス国民の全員へ平等に再分配せよ!!」
エリザードの言葉と共に、カーテナ=オリジナルから力が失われた。
いや、違う。
今まで溜《た》め込んでいた力が、集めた端《はし》から別の所へと流されていくのだ。
「この力に上乗せして、英国女王《クイーンレグナント》エリザードから全国民に告ぐ」
カーテナの力は、王様と騎士《きし》を中心にしたピラミッドに力を与える。
だが、そもそも『王様になれる権利』とは何か?
それを究極まで突き詰めると、エリザードの示した術式[#「エリザードの示した術式」に傍点]の正体が見えてくる。
「クーデターの発生によって、今日一日で色々な事があった。軍の出動、都市の制圧、ドーバーに放たれた駆逐艦《くちくかん》、騎士|達《たち》による戦闘行為、おまけにバンカークラスターによる首都への爆撃《ばくげき》。多くの者は本質として何が起きているかも分からないまま、しかしそれでも異様な被害に遭《あ》っている事だろう」
そう。
そもそも、イギリス国民なら誰《だれ》にでも資格はあったはずなのだ。
「だが、今のお前|達《たち》には抗《あらが》う力がある」
英国王室は様々な戦いを経て成立したものだ。そこで歴史にちょっとしたIFが起きていれば、同じイギリスに住む別の誰かが『王の血筋』となっていたかもしれない。国外からの移住や政略結婚などを考えると、『IF』の幅はさらに広がっていく。
となると、重要なのはただ一点。
イギリスの民であるか否《いな》か。血筋や国籍《こくせき》の問題ではない。イギリスを愛し、イギリスを故郷としたいと願うか否か。
「詳しい理屈は明かせんが、今宵《こよい》この一夜に限り、お前達は平等にヒーローになれる。その目で見てきた、法則も分からない不可思議な現象そのものと戦える人間だ! 今のお前達なら何でもできる!! その上で、お前達には選んでほしい。誰のために、誰と共に戦うかは、お前達のその頭で判断しろ!!」
その上へ、女王はこう投げたのだ。
もしかしたら、王様になっていたかもしれない者達へ。
歴史にちょっとした変化さえあれば、玉座に座っていたかもしれない人々へ。
「私に協力したい者には感謝をする! クーデターに協力する者がいても一向に構わん! また、全く違う第三の道を提示してくれても問題はない!! 力があるからと言って、無理に戦う必要もない!! 迷惑だと感じた者は『返す』と念じれば良い、自分よりも信用できる者がいると判断した場合は『渡す』と念じればそれで済む!! 今この時だけ、それは正真正銘《しょうしんしょうめい》、お前達の力だ、戦うか、逃げるか。それすらもお前達が自由に判断しろ!!」
お前が掴《つか》むかもしれなかった力の欠片は《かけら》、そこにあると。
国家を動かし、変えるための確かな力は、そこにあると。
「誰かが言っていたから、それが正しいと教えられたから、そんな風に踊らされるな! 私自身の言葉すら否定しろ!! あらゆる情報に主観の優先順位をつけずに一度整理して、全《すべ》てを自分の頭で考えた上で、最後に残った正義と勇気と度胸にただ従え!!」
もしかしたら、女王エリザードが明け渡したのは、とても簡単なものだったのかもしれない。民主主義において最も基本となる、そして最も大事なものだったとも解釈できる。
「……いい加減に、お偉い人間に好き勝手やられて振り回されっ放しなのも飽きただろう?」
それは、ちっぽけな一票。
しかし確実に一つの国家を左右するであろう『力』を手にした者達に、英国女王エリザードはこう叫ぶ。
「さあ、群雄割拠《ぐんゆうかっきょ》たる国民総選挙の始まりだ!!」
その時。
―――ある所では、一人の少年が顔を上げた。突然起こったテロとも戦争ともつかない非常事態。軍の人間に腕を引っ張られて家の外へと引きずり出され、車両に乗せられて運ばれた先は映画館だった。建物から出れば射殺すると勧告され、暗闇《くらやみ》の中でただただ震《ふる》える事しかできなかった少年。しかし彼は、頭の中に響《ひび》いた声を聞いて、ゆっくりと立ち上がったのだ。
(……逃げても良い、他人に預けたって構わない)
提示された条件を自分の中で確認する。戦いというのは、数ある選択肢の一つにすぎない。自分の頭でよく考えて判断しろと、頭の中に響いた声は何度も言っていたが、
(戦う)
彼は、そう結論した。
映画館にある暗い階段状の通路を上って出口へ向かおうとすると、少年の両親と出くわした。彼らは少年の顔を見ても、驚《おどろ》かなかった。ただ一度、小さく頷《うなず》いただけだった。
(戦いたい!!)
同じ事を考えていた少年|達《たち》は、出口のドアを開けて外へと飛び出す。
踏《ふ》み越えれば射殺すると脅《おど》された、最後の一線を。
力の有無など問題ではない。
その一歩を踏み出した勇気は、彼らの心の中にだけあるものだ。
―――ある所では、多くの一般人を大型ホテルの中に軟禁していた軍人が、握った拳《こぶし》をギリギリと震わせていた。自分なりにイギリスのためにと考え、行動し、クーデターに協力していたのに、その首謀者《しゅぼうしゃ》を助けるために、クーデターを止めてほしいという話のようだった。それでは、一体自分は何のために戦ってきたというのだ。
軍人は壁に背を押し付けて、ずるずると床に座り込んだ。戦意を失った軍人の目の前でホテル出入り口の扉が開き、我先にとロンドンの住人達は外へ飛び出していく。おそらく彼らは女王の言う通り、ヒーローになるのだろう。しかし今までクーデターに協力してきた木偶《でく》の自分には、その資格がない。
その時だった。
蹲《うずくま》る軍人の目の前に、誰《だれ》かが立った。その人物は屈《かが》み込む。小さな子供に目線を合わせるような格好で、その人物は軍人に話しかけてくる。
おそらくは、大型ホテルに軟禁されていた一人だろう。中年のその男は、一家を守る者として暴虐《ぼうぎゃく》に抗《あらが》おうとしているようだった。父親として戦おうとするまっとうなヒーローは、今まで自分達を軟禁していた悪党に向かって、こう言ったのだ。
「あんたの力が必要だ。共に戦おう。確か、装甲車を運転していたな。そいつで戦場まで連れて行ってくれ」
しばし、軍人はその言葉を黙《だま》って反芻《はんすう》していた。やがて彼はズボンのポケットから装甲車の鍵《かぎ》を取り出すと、もう一度自分の力で立ち上がる。
―――ある所では、イギリスに本拠地を置く魔術《まじゅつ》結社のボスがため息をついていた。一二歳程度の幼い少女は、魔術業界においてあまりにも非常識な事態を前に、半ば呆《あき》れさえしていた。
「ボス。どうするんですか?」
「阿呆《あほう》が、まさか若さに任せて大参戦とか期待しているんじゃないだろうな。迷惑なら『返せ』と言って来ているんだ。そのまま返してやれば良いだろう」
「これを機に、カーテナについて解析してみるのも良いのでは?」
「下手《へた》に細工をするとあの王冠ババァがブチ切れるぞ。ここは一度不参加を決め込んで、ノーマークになった所を外側から観察する事にしよう」
「はぁ。でもボスの妹のパトリシア嬢《じょう》は鼻息荒らげてどっか行っちゃいましたけど?」
連れ戻せ馬鹿!! という珍《めずら》しく慌《あわ》てた声が、深夜のロンドンに響《ひび》き渡る。
―――ある所では、『新たなる光』と呼ばれている組織の少女、ベイロープが傷だらけの体を起こしていた。『清教派』との戦闘《せんとう》に敗れた彼女は治療《ちりょう》と拘束を兼ねて大聖堂に連れて来られていたが、クーデター開始と共に良く分からない隠し部屋へ押し込まれていたのだ。
彼女は近くにあったペン立ての中からマジックを取り出すと、即席で魔法陣《まほうじん》を描いて通信用の術式を発動させる。
連終先は考えるまでもない。
「届いてる、レッサー?」
『届いてますよん、ベイロープ。フロリスやランシスとも繋《つな》がってます』
返答はすぐにあった。
『ぶっちゃけ、どうします?』
「どうしますって言われてもね……」
ベイロープは自分の頭を軽く掻《か》きながら、ゆっくりと立ち上がる。
「はぁ。ま、クーデターの共謀者《きょうぼうしゃ》が何を今さらって感じだろうけど……一番イギリスのためになる事をやるのが私|達《たち》の流儀《りゅうぎ》なのよね。それならやっぱり、恥も外聞もなく動くしかないか」
―――ある所では、バッキンガム宮殿に勤めていた使用人や庭師達が、我先にと戦場へ飛び込んで行った。プロだとか民間人だとか。場違いだとかどうとか、そういう問題は全《すべ》て解決されてしまっている。後はただ最初の一歩を踏《ふ》み出す勇気さえあれば、彼らは平等に戦える。
「ヴィリアン様!!」
「ご無事ですか!? どこかお怪我《けが》は!!」
一斉に取り囲まれ、声を掛けられた第三王女の方が面喰《めんく》らっていた。やはり女王たる母君は違う、あれなら多くの人が集まるのも頷《うなず》ける……と、ひっそり思っていた彼女は、まさか自分の方に集まってくる人がいるなどとは考えもしなかったのだ。
「……何故《なぜ》、ですか……?」
だから、ヴィリアンは素直に質問した。
フォークストーンでは使用人|達《たち》に助けられた事もあった。地下鉄のトンネルで協力してくれた事もあった。だが、今は状況が違う。ここは本来、皆の心が女王へと集束していくべき場面のはずなのだ。
それをどうして、こんな所に寄り道する?
「もはや、王室も使用人もありません。皆は皆で判断し、皆のためにその力を使わなければ。まして、皆に希望を託され、一人で先に逃げ出したものの、結局は何の役にも立たなかった私に追従する必要など、どこにもないのですよ……?」
「自分の頭で判断し、自由に使えと、女王陛下は仰《おっしゃ》いました」
使用人の中の一人が、ヴィリアンの顔を見て言った。
「ならば、使わせてはいただけませんか。クーデター発生時、そして地下鉄のトンネルでも、力及ばず示す事もできなかった勇気を! ここにいる皆は、あなたに傷ついてほしくないと願ってきた者です。そう願っておきながら、結局は剣を取って戦う事もできなかった愚《おろ》か者の集まりです!! ですから、今一度! 今度こそ戦わせてください、あなたと共に!!」
その言葉を聞いて、ヴィリアンは己を恥じた。
何が『人徳』の第三王女か。
身近にある、こんなにも切実な想《おも》いを知りもしなかった自分には、大きすぎる冠だ。
「……それなら、私も自分のために使わせていただきましょう」
ヴィリアンはそう言うと、改めてボウガンを握る両手に力を込める。
―――この者達と共に行く未来を守るために、と心の中で付け加えながら。
「お、のれ……」
第二王女キャーリサは、カーテナ=オリジナルを手に低い声を発した。
対して、英国女王エリザードは何も持たない素手を構え直し、一代で築き上げた大企業を自慢《じまん》する社長のような笑顔でこう言った。
「大した変革だろう? どうせ歴史を変えるなら、国民みんなに活気を与えるようなものでなければな。特権階級だけが喜ぶようなやり方では誰《だれ》もついては来ないぞ」
至近|距離《きょり》で睨《にら》み合う、新旧の国家元首。
しかし怒れるキャーリサに対して、エリザードの表情には余裕がある。
「ガキの悪戯《いたずら》はもうおしまいだ。今から私が本物の国政を見せてやる」
「ふざけるな!! お前がやってるのは、何の力もない国民に武器を与えて戦場に送り出し、自分だけは安全な玉座の上で享楽《きょうらく》に耽溺《たんでき》するよーな事だし!! 身に余る力を押し付けるだけ押し付けておいて、守るべき国民を盾《たて》にしてでも己の利権が惜しーのか!?」
「……そういう風に考える事こそが、王の傲慢《ごうまん》と何故《なぜ》気がつかない?」
激昂《げっこう》するキャーリサに対し、エリザードは笑みを引っ込めた。
ただし、それはキャーリサに気圧《けお》されたからではない。
逆だ。これから第二王女を圧すためにこそ、女王は笑みを消した。
「普通の民にはカーテナの力を扱えぬなどと、誰《だれ》が決めた? カーテナ=オリジナルを持つ新女王だけが英国を収め続けなければ国家が崩壊《ほうかい》するなどと、誰が決めた!? カーテナによって戦争に勝利する、国家の暴走を民衆の考えで止められるようにする。―――確かに都合は良いが、結局お前はカーテナ=オリジナルの莫大《ばくだい》な戦力を唯一存分に使える特権階級……『国家元首』という呪縛《じゅばく》に囚《とら》われたままだ!! その程度の小さな変化など、歪《ゆが》みしか生まん。本当に捻《ね》じ曲げるほどの変革を求めるならば、自分の立ち位置の行方など恐れるな!!」
「なん、だと……ッ!!」
「ガキのくだらん自殺願望に説教をしてやると、一人の母親が言っているだけだ。後は……そうだな。お前があっさり絶望したほど、この国は安くはない。九〇〇〇万人もの民が、ヒーローとなる決意をしてまでお前を助けようと思ってくれている事を今から知ると良い!!」
女王の言葉と同時だった。
ドッ!! という爆音が鳴った。それが人の作り出す凄《すさ》まじい足音だとキャーリサが気づいた途端《とたん》、使用人や庭師といった、本来なら魔術《まじゅつ》を知らぬはずの人物|達《たち》が、立派な脅威《きょうい》として襲《おそ》いかかってきた。
そう。
イギリス中の人々が、|自らの旗《ユニオンジャック》の下に集《つど》い、この国を守るために。
バンカークラスターの余波で泥まみれになって体をふらつかせるインデックスは、一〇万三
〇〇〇冊もの魔道書《まどうしょ》の知識を使い、カーテナ=オリジナルに関する術式を解析しながらも、純粋にその光景に目を奪われていた。
視界の中央で戦うのは、カーテナ=オリジナルを手にしたキャーリサと、自らそれを手放した素手のエリザード。
そして徒手空拳《としゅくうけん》のエリザードを守るように、あるいは武器となるように、大勢の人影が宙を舞っていた。ただの魔術師だけではない。明らかに魔術を知らない風のメイドが一〇メートル以上の上空らキャーリサを狙《ねら》い、残骸《ざんがい》物質で作られた巨大な杭《くい》をスーツの会社員が叩《たた》き落す。普通の世界と魔術《まじゅつ》の世界の景色が交差し混ざり全く見た事もない舞台を作り上げる。
その光景を見て、今まで倒れたまま『騎士派』の介抱を受けていた『清教派』の魔術師|達《たち》が、もう一度自分の力だけで起き上がった。それはやはり女王の術式『|連合の意義《ユニオンジャック》』によるものか、あるいは素人《しろうと》が全力で戦っているのに自分達だけが寝ている事などできないというブロの魔術師の矜持《きょうじ》によるものか。
神裂《かんざき》火織《かおり》やアックア、騎士団長《ナイトリーダー》達を中心とした大勢力がキャーリサに向かっていくのを眺め、女王は笑って自分の娘を挑発する。
「ほらほらどうしたキャーリサ、顔色が悪いぞ! 確かにオリジナルとセカンドでの力の奪い合いでは負けを認めるが……九〇〇〇万対一の綱引《つなひ》きでも力を保ち続けられるか!?」
「ほざけ!! このっ、程度で……カーテナ=オリジナルが揺らぐと思うな! 現に今も、我がカーテナには……地下鉄での暴走である程度の力を失ったとはいえ、残された総量の八割強の力を維持し続けてるの!!」
「確かに。だが一瞬《いっしゅん》でも集中が途切れれば、即座にその力は九〇〇〇万人もの手によって、丸ごと削《そ》ぎ落とされるぞ。内の制御に躍起《やっき》になって、外からの攻撃をおろそかにせんようにな!!」
「ッ!! それが狙いか、この策士め!!」
今も闇《やみ》に沈むロンドンの向こうからごく普通の学生や店員みたいな人達が増援として続々と駆け付け、距離《きょり》的《てき》にすぐには難しいと判断した者もいるのか、さらに遠方上空から数十もの光弾が鋭角的な弧を描いてキャーリサに向かってくる。
「いわば巨大神殿の中で執り行われる最大級に精密な儀式《ぎしき》魔術の途中に、義勇軍の大部隊が突っ込んできたようなものだ。力の制御を失えば失った分だけ、こちらの軍が増強される事も忘れるなよ?」
「まやかしだっ!! どれだけ人口が増えた所で、総量ならば二割弱! 変わらず八割を掌握《しょうあく》するこの私を倒す事などできないはずだし!!」
いかにカーテナの力を再分配し、『|天使の力《テ レ ズ マ》』を手に入れたとはいえ、それだけで人は超常的な力を扱えるものではない。『その力をどう変質させて何を制御するのか』という部分には、やはり魔術的な知識が必須となる。
当然ながら、ただの民間人にそんなものがある訳がない。
となると、一体|誰《だれ》がどこからサポートをしているのか。
「そうか。ならば民だけには任せられん。なに、私も元々玉座よりは現場向きでな。―――正直、純粋に手合わせする楽しみも感じてはいるんだ」
「ッ!! お前、その力……ッ!? カーテナ=セカンドは自ら捨てただろーが!!」
「阿呆《あほう》が、女王とてイギリス国民の一人、清き一票を投じる権利ぐらいは持っているぞ。もはや生身の拳《こぶし》しか振るえぬ身だが、僭越《せんえつ》ながら花の舞台の最前線に立たせてもらおうか!!」
インデックスは、ある一点で視線を固定させた。
英国女王《クイーンレグナント》エリザード。
そんな細工ができるとすれば、彼女しかいない。カーテナから全国民へ平等に力が配布される際、演説に使った通信用術式を応用して、全《すべ》ての『|天使の力《テ レ ズ マ》』そのものに手を加える。使用者の思念に応じて性質を変え、なおかつ使用者を暴走に巻き込まない安定性を付加された『都合の良い形』に調整された『|天使の力《テ レ ズ マ》』を受け取る事で、初めて民間人は『自分が手に入れた力を使って、自分の考えた通りのアクションを起こす』事が可能となるのだ。
言葉にすれば簡単だろう。
かくいうインデックスも、かつては月詠《つくよみ》小萌《こもえ》を誘導《ゆうどう》する事で、間接的に回復|魔術《まじゅつ》を行使した事があるようだ(『|自動書記《ヨハネのペン》』モードだったので、完全|記憶《きおく》能力の彼女にしては珍《めずら》しく記憶が曖昧《あいまい》なのだが)。
だが、それは一対一の関係だからこそ成立した事だ。
イギリス全国民―――九〇〇〇万人もの人間を同時に誘導し、なおかつたった一人も暴走に巻き込ませない安定性を維持し続けるなど、一〇万三〇〇〇冊の魔道書《まどうしょ》を最大限に利用しても不可能だろう。
しかも、最も恐ろしいのはそこではない。
バッキンガム宮殿に集まってきた学生や会社員|達《たち》は、不可思議な現象を目《ま》の当たりにしている。そしてエリザードから受け取った力を使って、その争いを止めるために戦っている。
彼らはその目で見た超常的な現象に対し、自分なりの解釈で納得しようとするだろう。
―――人体に秘められた力が覚醒《かくせい》したと考える人もいるかもしれない。
―――占いの結果が最高過ぎたせいでこうなったと信じる可能性もある。
―――実はエリザードは宇宙船でやって来た異星人の女王様だと思う人もいるだろう。
―――ネス湖に潜《ひそ》む謎《なぞ》の恐竜のパワーを借りているのだと判断する場合だってありえる。
ただし、それら全ての仮説に言える事がある。
九〇〇〇万人の国民の中で、『魔術』という正解を導き出せる者はおそらく一人もいない。
インデックスが魔道書の知識を前面に押し出して月詠小萌を誘導するのと違い、女王エリザードはそうした魔術の『匂《にお》い』を徹底的《てっていてき》に隠す。それを民間人の胸中に忍ばせ、自由に扱わせつつも、決してその本質には近づけさせない。これによって、『魔道書の知識で民間人の脳を汚染する』という最悪のリスクすらもエリザードは除外しているのだ。
インデツクスは、宙を飛び交うメイドや料理人などを見回す。
彼らは自分が扱っているものの正体には気づかないだろう。
そして、そんな状態でも満足するだろう。どういう理屈とかどういう仕組みとか、そんな次元を超越した所にある、もっと本質的な気持ちの問題の部分で―――今宵《こよい》一夜限りのハロウィンパーティに全力で挑むはずだ。
これがエリザード。
様々な魔術《まじゅつ》に溢《あふ》れ、そしてイギリス清教の総本山がある国を治める、本物の女王様。
(もしかして……)
一〇万三〇〇〇冊もの魔道書《まどうしょ》を完全に記憶《きおく》する少女は、この戦いを跳めながら、今まで考えても来なかった事をふと思った。
(もしかして、禁書目録《わたし》が作り出されたもう一つの理由は、これをサポートするためなのかも……?)
そして、上条《かみじょう》当麻《とうま》もこの戦いを目にしていた。
負傷した騎士《きし》から武器を受け取ったメイドが巨大な剣を大きく振り回し、回転刃のように襲《おそ》いかかる巨大な残骸《ざんがい》物質に対し、数十人もの警察官が同時に飛び蹴《げ》りを放って逆に弾《はじ》き返す。
カーテナの力を身の内で制御しようと躍起《やっき》になるキャーリサには『軍事』の才としての頭の切れはなく、ただがむしゃらに剣を振るう内にどんどん追い詰められていく。
もちろん、本職の魔術師も負けてはいない。
二〇〇人を超す元ローマ正教のシスター達《たち》が、一つの集団となって武器を振るう。辺り一面の物体を取り込んだ巨大なゴーレムが残骸物質の攻撃《こうげき》を受け止める。深夜の大空を軍の輸送機が通り過ぎたと思ったら、大量のルーンのカードがばら撒《ま》かれ、炎の巨人が坐み出される。
(すげえな……)
上条は素直に思った。
女王エリザードが行った逆転劇だけではない。
もはやバッキンガム宮殿の敷地《しきち》を埋め尽くさんばかりに駆けつけてきた、大勢のヒーロー達を眺めて、上条は純粋に目を輝《かがや》かせていた。
(あまりにも主人公が多すぎて、俺《おれ》も、インデックスも、神裂《かんざき》も、アックアも、みんな霞《かす》んじまってるじゃねえか。何だよこの国、全員が主人公ってどういう事だよ)
おそらく、この光景の核は女王エリザードや|連合の意義《ユニオンジャック》などではない。
力はあくまでも手段。
それを掴《つか》み、自らの意志で立ち向かう事を決めた国民達こそが全《すべ》ての核だったのだ。
上条はキャーリサを見た。
カーテナ=オリジナルを振るい、莫大《ばくだい》な攻撃を次々と振るう第二王女。戦場という名前の巨大な台風の目として、決して人の波に呑み込まれない彼女は、しかし何故《なぜ》か寂しげな印象を上条に与えてきた。どういう訳か、今のキャーリサには『王者』という言葉が似合わない。
きっと、本当はキャーリサも知っていた。
イギリスの人々の中に、どれほど輝くものが眠っているか。
だからこそ、それを守るために必死になった。
今回の戦いは、言ってしまえばそれだけなのかもしれない。
ただし、その過程で彼女は『軍事』に頼《たよ》り過ぎてしまった。破壊《はかい》の一撃《いちげき》は外から攻めてくる者だけでなく、その内に抱えていたはずの国民までも傷つけようとした。差し詰め、極端《きょくたん》に威力の高いマグナム拳銃《けんじゅう》が、射手の手を痛めてしまうように。
(守ろう)
上条《かみじょう》当麻《とうま》は、戦場の中で改めて拳《こぶし》を握り締《し》めた。
(こんなふざけた負の連鎖《れんさ》から、必ずあいつを引きずり上げよう)
そして。カーテナ=オリジナルによる圧倒的な斬撃《ざんげき》と、巨大な残骸《ざんがい》物質による牽制《けんせい》攻撃の渦巻く地獄の戦場へと、改めて彼は自らの足で踏《ふ》み込んでいく。
その時だった。
「|カーテナの軌道を上に!《C T O O C U》 |斬撃を停止《S A A》、|余剰分の『天使の力』を再分配せよ《R T S T》!!」
インデックスの叫び声が響《ひび》いた途端《とたん》、カーテナ=オリジナルを握るキャーリサの腕が、不自然に跳ね上がった。『強制泳唱《インターセプト》』―――魔術《まじゅつ》の仕組みを解析したインデックスが、それを邪魔《じゃま》するべく割り込みをかけたのだ。
「く……っ!?」
キャーリサが歯噛《はが》みし、慌《あわ》てて剣の制御を取り戻そうとする。
わそらく硬直時間は数秒とない。
上条は改めて右手を握り締めたが、ここからでは間に合わない。
だから、上条は素直に自軍へ協力を求めた。
この最高の一夜へと、本当の意味で全力を注いで参加するために。
「アックア!!」
叫ぶと、屈強な傭兵《ようへい》は応じた。
上条が地面を蹴《け》って数十センチ程度の高さに跳ぶと、地面との隙間《すきま》を潜《くぐ》るように、アックアの大剣アスカロンが差し込まれる。上条はサーフボードのように巨大な剣の側面に足の裏をつけて着地する。
上条とアックアの二人は、作戦会議どころか言葉を交わす事もなかった。
そんな余裕はなかったし、言わなくてもやるべき事は分かっていた。
もはやここまで来たら上《うわ》っ面《つら》の言葉など必要ない。上条の覚悟はそういった考えを全身から訴えていて、その覚悟の重みを受け取ったからこそ、アックアはかつて敵対した者へと力を貸したのだ。
「―――ッ!!」
アックアが短く息を吐《は》き、横に振り回すような軌道でアスカロンを思い切り薙《な》ぐ。
負傷しているとはいえ、世界で二〇人といない聖人の全力だ。そんな事をすれば、剣の側面に立っていた上条《かみじょう》がどうなるかは明らかである。
ドッ!! という爆音が炸裂《さくれつ》した。
上条|当麻《とうま》の体が、アックアの膂力《りょりょく》を借りて砲弾のように射出されたのだ。
(なっ……)
その瞬間《しゅんかん》、キャーリサは掛け値なしに絶句した。
暴走寸前のカーテナ=オリジナルの制御はまだ手中に戻らない。そしてあらゆる魔術《まじゅつ》を打ち消す右手を持った少年は、数多くの味方|達《たち》の隙間《すきま》をかいくぐり、一直線にこちらに向けて突っ込んでくる。
着弾まで、〇・一秒あったか否か。
しかしその一瞬の間に、第二王女キャーリサは確かに見た。
強く強く拳《こぶし》を握る上条当麻の顔は、力強く笑っていた事を。
ズッドォォォォォォ!! と。
ノーバウンドで三〇メートル以上もの距離《きょり》を突き進んだ上条の拳は、真《ま》っ直《す》ぐにカーテナー=オリジナルへと直撃《ちょくげき》した。
王様を決めるための剣、カーテナ=オリジナルが一撃で砕かれた。
キャーリサにはそれを確認している暇もなかった。
剣を砕いた拳はそのまま彼女の顔面へと向かい、容赦《ようしゃ》なく突き刺さった。
糸に吊《つ》るした鉄球と鉄球をぶつけたように、今度は運動量を受け取ったキャーリサの方が砲弾のように夜空へと突き飛ばされる。崩れかけたバッギンガム宮殿の屋根の辺りに一度激突したキャーリサの体は、そこから跳ね上がるように軌道を捻《ね》じ曲げ、さらに遠く遠くへと吹き飛ばされていく。
上条の手首と肘《ひじ》と肩の三点で、同時に骨が外れるような嫌《いや》な音が聞こえた。
だが彼が苦痛を感じ表情を歪《ゆが》めるより前に、彼の体は一〇メートル以上前進してようやく地面に着地した。だが当然ながら二本の足で立ち止まる事などできる訳もなく、ほとんど転がるような格好で、さらに二回、三回とバウンドしていく。
(終わっ……た、か……?)
全身傷だらけになった上条は声を出そうとしたが、呻《うめ》き声しか出なかった。
しかし質問をしなくても、答えは目の前に提示されていた。
キン、という甲高《かんだか》い音。
見れば、半ばから折れた剣の先端《せんたん》が、数々の攻撃で耕された黒土の上に突き刺さっていた。それは上条の見ている前でボロボロと風化するように崩れていき、夜風に流れるように消えていったのだ。
カーテナ=オリジナルは失われた。
それは第二王女キャーリサの敗北と同時に、この長いクーデターの終結を意味していた。
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終 章 国家と黒幕の更なる強敵 Next_Step.
クーデターは終わった。
それと共に、女王|魔術《まじゅつ》『|連合の意義《ユニオンジャック》』によって民間人に与えられていた力も失われ、彼らは元の『普通の人』へと戻っていった。力がなくなって冷静になったせいか、あるいは戦闘《せんとう》が終わって物事を考える余裕が出てきたからか、ようやく学生や会社員|達《たち》は目の前の惨状《さんじょう》に、疑問の視線を投げるようになってきたようだ。
「……我ながら、随分《ずいぶん》とド派手にやったものだな」
女王エリザードは自嘲《じちょう》気味に笑うと、自ら投げ捨てたカーテナ=セカンドを、もう一度拾い上げた。オリジナルとの攻防によって、剣身の欠けてしまった『伝説の剣』。いっそスッキリあの少年に砕いてもらおうかとも考えていた所で、ふと近づいてくる人影に気づいた。
騎士団長《ナイトリーダー》だ。
「そもそもの発端《ほったん》が私にもあるため、心苦しいのですが……これから、いかがいたしましょう」
「いつまでも終わった事でくよくよするな、馬鹿者《ばかもの》め。貴婦人の前では死ぬほど強がるのが我が国の騎士道《きしどう》精神ではなかったのか?」
一国を揺るがすほどのクーデターの主犯格を前に、エリザードは投げやりに言った。
「それに、今日の事については問題ないだろう。参加した民間人は各々《おのおの》、この不可思議な現象を自分なりに解釈しようとするが、それで術式の構成まで暴かれる事はない。彼らは将来、孫に聞かせるべき良い思い出話を手に入れたというだけの話だ」
「しかし、魔術について思い至る者が出てくる可能性も、否定はできませんが」
「その時はその時だ」
エリザードは即答した。
何も考えていないのではない。逆だ。考えていなければ、あんな大技を簡単には使えない。
「もしそうなったら、認めてやれば良い。この世界には魔術というものがあり、それは日々お前達を陰ながら守っているとな。魔術国家イギリスの新生とでも言うベきか」
「それは……」
「歴史なんぞ常に変わる。魔術というものが永遠に人目についてはならない、なんて法則もどこにもない。なぁに、別に我らが世界初という訳ではないぞ。アフリカの部族などでは魔術師《まじゅつし》の一種が部族の意志決定―――つまり政治の舵取《かじと》りを任されていたりもする。決して不可能な政治形態ではないという事だ。歴史にちょっとした『もしも』が起これば、いつでも実現するかもしれない変革程度のものなんだよ」
それは実際に英国をほぼ完全に掌握《しょうあく》していたキャーリサに、真正面から『変革』を突きつけたエリザードから発せられると、恐ろしく現実味を帯びる言葉だった。
一方、当の本人は極めて気楽な調子でこう言った。
「……さて。吹っ飛ばされたキャーリサを回収しに行かなくてはな。ん? 表彰モノの少年はどこへ行った?」
第三王女ヴィリアンは、クーデターを収めた『清教派』や『騎士派』の集団から少し離れた所で、きょろきょろと辺りを見回していた。人を捜しているのだが、一向に見つかる様子はない。やがて諦《あきら》めたように動きを止めるヴィリアンは、曇《くも》った表情でポツリと呟《つぶや》いた。
「……やはり、ウィリアムは一言も言わずに、もう去ってしまったのですね」
「―――、」
その傍《かたわ》らにやってきた騎士団長《ナイトリーダー》は、どう答えるべきか逡巡《しゅんじゅん》したが、やがて頷《うなず》いた。
「ロシア成教圏に大きな動きがあるそうです。今、魔術《まじゅつ》と科学が正面からぶつかっている、この大きな戦《いくさ》に関《かか》わる重大な動きが。ウィリアムは共に『神の右席』を抜けた仲間からの情報を基に、イギリス清教とは別の方向からこの争いを止めるために行動するそうです」
「仲間、ですか」
ヴィリアンは小さな声で、そう言った。
「あなたもそうですが、一〇年という歳月で、皆は色々なものを手に入れていたのですね。私だけが、何もせずに止まっていたような気がします」
別れの言葉も言えなかった事に、ヴィリアンは人並み以上に傷ついているようだった。
そんな顔を見て、騎士団長《ナイトリーダー》は顔色に苦いものを混ぜる。
「(…まったくあの野郎。傭兵《ようへい》という身軽な立場を利用して、この私にこんな厄介《やっかい》な役割を押しつけやがって……)」
「?」
独り言が口から出ていたのか、ヴィリアンが小さく首を傾《かし》げていた。
騎士団長《ナイトリーダー》は慌《あわ》ててかしこまった顔を作り直し、それから改めて口を開く。
「とある傭兵から伝言があります。他の者に聞かれぬよう、必ずヴィリアン様が一人の時に伝えてくれと前置きされたものですが」
「なん、でしょう……?」
「―――いつか、この戦争が終わって世界が平和になったら、イギリスに戻りたい。願わくば、その時にバッキンガム宮殿の廊下へ飾られるはずだった|盾の紋章《エスカッシャン》を、改めて飾ってほしい、と。自分はそれまで必ず剣と共に紋章を守り抜くので、あなたにはバッキンガム宮殿の修復と、障害となるであろう様々な事柄に打ち勝つだけの強さを手に入れてほしい……との事です。まぁ、あの傭兵《ようへい》が誓いを立てるに足る姫君に成長してほしいという、あの男なりのプロポーズではないでしょうか?」
「……ッ」
第三王女ヴィリアンは目をまん丸にして驚《おどろ》いていたが、実は騎士団長《ナイトリーダー》、伝言の中に本来のウィリアム=オルウェルは告げていない台詞《せりふ》を勝手に織り交ぜてしまっている。
(……ま、言葉の足らないあの男だ。そのまま伝えては味も素っ気もなさすぎる)
どこまでが伝言で、どこからが脚色なのかは、メッセージを直接受けたこの男にしか分からない。ただし、ヴィリアンに見えないようにこっそり舌を出す騎士団長《ナイトリーダー》はこうも思っていた。
(この私の人格を熟知した上で、なおクサい伝言を頼《たの》んできた訳だから、どういう風に伝えられるかは分かっているだろう、ウィリアム?)
負傷者の手当て、及び傷のひどい者の搬送《はんそう》手続きを終えた神裂《かんざき》達《たち》・新生|天草式《あまくさしき》十字凄教《じゅうじせいきょう》のメンバーは、一仕事を終えると一息ついて、自然と一ヶ所に集まっていた。
口火を切ったのは建宮斎字《たてみやさいじ》だ。
「……で、結局今回も上条《かみじょう》当麻《とうま》に美味《おい》しい所を持っていかれてしまったのよな。これはこれはデカい借りが高利貸し級に膨《ふく》らみまくっていると思いませんかなのよ、女教皇様《プリエステス》」
「ちょっ!? 何を土御門《つちみかど》のような事を!! こっ、今回はチャラでしょう! ほらほら、みんなで力を合わせて頑張ったのだから、功績は皆で平等に分配するべきです。そこに借りや貸しなどはありません。ねっ?」
「という訳で堕天使《だてんし》エロメイドの出動という方向で。んっ? 堕天使メイドの方はまだだったのよな。この場合はどちらで攻めるべきなのよ」
「勝手に決めないでください! あんなものを着るのは二度と御免です!! のっ、野母崎《のもざき》、諫早《いさはや》も!! いい歳《とし》をしてダブルでダブルでなどとは叫ばないでください!!」
ぐだぐだ言っている神裂だが、彼ら新生天草式の男衆全員の気持ちは一つ。俺《おれ》達はまだ堕天使エロメイドを生で見てないんだから着ろ早く今着ろここで、である。
一方、そんな騒《さわ》ぎからわずかに隔《へだ》てた所では、
「(……こっ、今回は、みんなのために戦ってくれたという事は、私もあの人に借りがあるっていう風に解釈して良いんですよねっ。そうすると、私にだって、その、資格があるって訳で……いやぁ……☆)」
「ちょっと。一見ピュアそうに見えて女の欲望が剥《む》き出しになってない?」
同じ女性の対馬《つしま》から小声で指摘されるも、いちいち気に留める五和《いつわ》ではない。
と、
「ひっ、ひっ、ひぃいい〜〜。ようやくバッキンガム宮殿まで到着につきなのよ……」
変な日本語が聞こえたと思って神裂《かんざき》が振り返ると、何やら軍馬の上でぐったりと突っ伏している最大主教《アークビショップ》のローラ=スチュアートが、こちらへやってくる所だった。
「く、くそ、エリザードの野郎……大英《だいえい》博物館で例の旗を受け取りたる途端《とたん》、人に軍馬を預けてさっさと跳びて行きやがりて……。う、馬の動きとリズムを取る事ができなかったから、こ、こ、腰が……」
疲労でグニャグニャになっているローラと対照的に、馬も馬で不機嫌《ふきげん》そうだ。『こいつ相性悪いから嫌《きら》い』という感じで怒りの嘶《いなな》きを発している。
「ぬうう……おかげですっかり役立たずなりけるのよ。私は一体何のためにここまでやってきたりたのかしら」
「……そんな事を言って……どうせ、裏では貴女《あなた》が一枚噛《か》んでいたんでしょう。『|連合の意義《ユニオンジャック》』という国家レベルの大規模術式が歴史上これまで一度も使われてこなかった所を鑑《かんが》みるに、おそらく『王室派』の一存で発動できるものではないはず。貴女が何らかの許可を与えたか、あるいは強引にロックを外したか。どちらかではないのですか?」
部下からの指摘に、軍馬の上でぐったりしているローラは肯定も否定もせずに、ただ口元に意味深な笑みだけを浮かべる。
あれこれ勘操《かんぐ》る神裂だったが、そこでローラ=スチュアートが意外なヘルプを求めてきた。
「だ、駄目《だめ》だ……。もう力が入らずにつき、馬を止める事もできぬのよ。かっ、神裂ぃー……この馬止めて、そして私を降ろしてー」
「えっ、で、できませんよ。私、馬の扱い方とかは正直苦手ですし」
「その格好で!? 明らかに西部劇っぽい感じなりけるのに!?」
「いえこれは術式の構築にあたって、必要な物品を集めているだけでして。特に乗馬に思い入れがある訳では―――ぐわァァあああああッ!? 食ってる、この馬私のポニーテールを食《は》んでますけど!?」
神裂は馬の涎《よだれ》まみれな黒髪を見て絶叫するが、軍馬の方は彼女の方が気に入ったらしい。自然と立ち止まってじゃれつこうとする隙《すき》に、ローラはのろのろとした動きでようやく軍馬から地上へ足をつける。
「う、うむ。ところで神裂がエロ極まりなき格好でご奉仕したる少年はどこにいるのよ? イギリスに来たると言いしなのだから一度は見てみたいのだけど」
「くっ、後から出てきたくせに痛い所ばかり突きやがって! そもそも魔術的《まじゅつてき》な事件にあの少年を関《かか》わらせている点を考慮《こうりょ》すれば、あなたの方こそ堕天使《だてんし》エロメイドを着るべきなのではないですか!?」
第二王女キャーリサは、ロンドンの路上にぶっ倒れていた。
夜明けまではまだ少しだけ時間があるのだろう。クーデターは終結したものの、その影響《えいきょう》がまだ残っているためか、大通りにも車はない。
ここはどこだろうか。
バッキンガム宮殿の敷地《しきち》から、二キロ離《はな》れたか、三キロ離れたか。とにかく派手に飛ばされすぎて、もはや居場所の確認に戸惑うほどだった。
「……、」
キャーリサは、倒れたまま自分の右手に目をやる。
この期《ご》に及んで、未練がましくカーテナ=オリジナルの柄《つか》を掴《つか》んだままの右手。だが、その剣は真ん中の辺りでへし折れていて、魔術的《まじゅつてき》な力も失われていた。今頃《いまごろ》、天使長としての莫大《ばくだい》な力はカーテナ=セカンドの方へ移行している事だろう。あの母上が、そんな力に固執するとも思えないが。
しばらく、キヤーリサは無言だった。
九〇〇〇万人もの戦う意思について、少しだけ考えていた。何が、国民を守るだ。あれだけ強い人間|達《たち》が、他国から多少小突かれた程度で人間としての尊厳を暴落させられるものか。結局、目の前の状況に対して最も怯《おび》えていたのは、キャーリサ自身だったという事だろう。
と、その時だった。
「ハハッ、こいつはすごいな。お前がそんな風に血と泥にまみれて地面に転がっている様なんぞ、なかなか見られんモノだと思っていたが……実際、目《ま》の当たりにしてみると予想以上に愉快な光景だ」
男の声が聞こえた。
キャーリサが痛む体を引きずるように起き上がると、そちらに誰《だれ》かがいた。赤を基調にした服装の男。大して鍛《きた》えているとも思えない体つきだが、その印象以上に不自然なまでの異様な重圧を与えてくる人間だ。
「誰だ……?」
右手に力を込め、カーテナ=オリジナルが折れている事を思い出し、舌打ちと共にキャーリサは剣の柄を投げ捨てる。
「お前は誰だ……?」
「右方のフィアンマって言えば分かってくれるかな? ここまでヒントを出しても分からんのなら、諜報《ちょうほう》系の部門を一度解体して組み直した方が賢明だ」
「っ」
右方のフィアンマ。
ローマ正教を陰から操る『神の右席』の最後の一人にして、最大の力を振るう者。記録によれば、たった一撃《いちげき》で聖ピエトロ大聖堂を半壊《はんかい》させ、矛先を向けられたローマ教皇は今も予断を許さない状況にあるらしい。
そこまで情報を引き出していたキャーリサは、ふと何かに思い至って顔を上げた。
「対応してる天使は『|神の如き者《ミカエル》』……。カーテナが操るものと同質となると、狙《ねら》いはこの剣か!?」
「んー? そっかそっか。そういうやり方もあったかもしれんなぁ」
ふざけた調子のフィアンマを、キャーリサは注意深く観察する。
挑発を放ち、相手からの反応を見る。
「だが、ここにあるカーテナ=オリジナルは、すでに機能を失ったし。クーデターの混乱を機に奪いに来たのなら期待外れだったな」
「いやぁ、そいつは純粋に惜しかったな。もしかすると、そっちの方が楽だったかもしれん」
フィアンマは本当に深い事を考えない感じで呟《つぶや》いた。
真剣に感心しているように見えた。
「まぁ、やっぱ無理か。無理だよな。力の質という部分ではクリアしているものの、おそらく容量の方が保《も》たんだろう。俺《おれ》様の力を移した途端《とたん》に剣の方が爆砕するのがオチだろうなぁ」
「何を……言ってるの?」
「くだらん世間話だよ。ついでに言うと、お前の意見は半分正解。この混乱を機にイギリス清教の最暗部に保管されている『あれ』を奪いに来た訳だが、そいつの正体はカーテナなんてつまらんモンじゃない」
フィアンマはパチパチと白々しい拍手をしながら、
「いやぁ、正解は四分の一かな。何しろローマ正教経由でフランス政府をせっつかせて、イギリス国内に不穏《ふおん》な動きを誘発《ゆうはつ》させたのはこのためだったんだからな」
「なん、だと」
「ま、フランスとイギリスをガチで戦争させて、焼け野原になったロンドンから回収するって方向でも良かったんだが、その点ではお前は優秀だったぞ? 現実に、お前のくだらんママゴトのおかげで、この首都は虐殺《ぎゃくさつ》と略奪と陵辱《りょうじょく》の嵐《あらし》にならず俺様の目的を達せられる事になったんだから」
カッと、キャーリサの頭に血が上った。
カーテナのない第二王女には、直接的な|攻撃《こうげき》術式はそれほどない。人並み程度は保持しているものの、そのレベルでフィアンマに立ち向かえるはずもない。
現に、飛びかかるキャーリサに、フィアンマは指も動かさなかった。
ただ、ゴバッ!! という凄《すさ》まじい衝撃《しょうげき》が走り、キャーリサの体が一〇〇メートル以上吹き飛ばされた。
「おいおい、やめとけよ。俺様の目的はもう済んでいるんだ。夢見がちなお姫様を相手にする必要も特にない。女王のババァならともかく、お前みたいな雑魚《ざこ》なら見逃しても良いんだぞ」
フィアンマの右肩の辺りから、何か巨大なものが生えている。翼《つばさ》のような、腕のような……
この世のものとは思えない、不可思議な物質だ。
「チッ、やはり空中分解か。我ながら扱いにくいじゃじゃ馬を手にしてるもんだ」
フィアンマはわざとらしく靴底を鳴らしながら近づいてくる。
「何を、だ……。カーテナすらも霞《かす》むほどの物品だと。わざわざ戦争を起こしてまで隙《すき》を作り、その間に何をコソコソ盗み出そーとしてたの!?」
キャーリサは血を吐《は》きながら激昂《げっこう》するが、フィアンマの調子は変わらない。
「分からんか」
己の口を引き裂くように笑ったフィアンマは、両手を広げて自慢話《じまんばなし》のように宣言した。
「ちょっとしたお宝だよ。お前|達《たち》、『王室派』の方こそがコソコソ作っていた、な」
その言葉に、キャーリサはギョッと身を強張《こわば》らせた。
フィアンマの言っている意味が分かったからだ。
「まさか……実在、したのか……ッ!?」
「やはり、お前は知らされていなかったか。バッキンガム宮殿の中にポンと置かれていたから、俺《おれ》様の方も驚《おどろ》いたぞ。ま、本当の意味で秘密の品だからな。『クーデター発生と共に、重要な物品を持って逃げ出すように』指示されていた魔術師《まじゅつし》達も知らなかったのでは持ち出せない訳か」
歌うように呟《つぶや》きながら、フィアンマは右肩から生えた第三の腕をゆっくりと動かす。
あれが本領を発輝すれば、今のキャーリサぐらいなら粉微塵《こなみじん》にされるかもしれない。
「で、結局どうする? 諦《あきら》めて生き延びるか、もうちょっと頑張ってみて死んじまうか」
「ぬ、かせ……」
キャーリサは口からボタボタと血をこぼしながら、ゆっくりと立ち上がった。
もはや体は斜めに傾《かし》ぎ、バランスを保つのも難しいが、それでも眼光だけは衰《おとろ》えない。
「……ローマ教皇が、どーして最後までお前に抗《あらが》ったか……。分かるよーな気がするの……」
「そうかい。なら同じようにくたばるが良い」
グワッ!! という強大な風圧のようなものがキャーリサに襲《おそ》いかかった。
キャーリサはボロボロの体を引きずり、それでも目を閉じずに前へ向かおうとする。
そして、
ゴッキィィィィ!! と。
凄《すさ》まじい音と共に、突然横から割り込んだ少年の右手が、フィアンマの一撃《いちげき》を防いでいた。
あまりにも巨大な力は、それを受け止めようとした少年の体を大きく後ろへ吹き飛ばそうとする。しかしそれを、後ろからキャーリサが支えた。二人分の靴底が地面に削り取られたが、かろうじてその場に踏《ふ》み止《とど》まる。
「何やってんだ……テメェ……」
上条《かみじょう》は低い声で言うと、腕の調子を確かめるように、一度だけ右腕を大きくグルリと回す。やはり骨や関節の調子に影響《えいきょう》があるのか、それだけでゴキゴキと妙な音がキャーリサの耳まで届いた。
それを無視して睨《にら》みつける上条に対し、フィアンマは笑った。
これまでにないほどの、それこそ腹を抱えるほどの笑みを浮かべていた。
「くっ、はは!! 何だ今日は? 本日のラッキーな星座のアナタはピンポイントで俺《おれ》様でしたってオチか!? お前は最後の仕上げだと思っていたのに、まさかこんな所でダブルで手に入るとはなぁ!!」
「……、誰《だれ》だテメェ」
上条は短く尋ねたが、フィアンマは笑うばかりで答えない。
ふらりと彼の体から離《はな》れ、地面に突っ伏しそうになるキャーリサの方が、告げる。
「フィアンマだ……。右方のフィアンマ。『神の右席』の実質的なリーダーだし」
思わぬ声にギョッとする上条。
ようやく、フィアンマは笑いながらも上条の方を改めて見た。
「おいおい、自己紹介ぐらい自分でやらせてくれよ」
「フィアンマ……」
ローマ正教を牛耳《ぎゅうじ》る『神の右席』の最後の一人。全《すべ》ての戦争の元凶。こいつを倒せさえすれば、大きな争いが終わるかもしれない重要人物。
自然と今まで以上に拳《こぶし》を強く握り締《し》める上条を見て、フィアンマは応じるように右肩から伸びる第三の腕を動かした。ほとんど舌舐《したなめず》りでもしそうな表情で、彼は言う。
「やるか? 良いぞ。こちらは不格好で申し訳ないが、温まってきた所だ」
「黙れ!!」
上条が激昂《げっこう》して走り出そうとした瞬間《しゅんかん》、フィアンマの第三の腕が爆発的な光を発した。
音は消えた。
ただ、突き出した右手に強烈な衝撃《しょうげき》だけが、ドバッ!! と恐ろしく伝わってくる。
光が消えた時、上条とフィアンマは相変わらず睨み合っていた。
今の一撃だけで、そこらの大聖堂なら地図から消せる程度の破壊《はかい》力《りょく》は秘めていた。
「なるほど、流石《さすが》は俺様が求める稀少《きしょう》な右手。間近で見ると、改めてその特異性に驚《おどろ》かされる」
自らの攻撃を打ち消されて、しかしフィアンマは満足そうだった。
その第三の腕が独立した生き物のように蠢《うごめ》き、苦悶《くもん》する蛇《へび》のようにのたうち、空気の中へと溶けそうになっている。
時間切れか、とフィアンマは呟《つぶや》いた。
彼は第三の腕に注目している上条を見ながら、
「驚くなよ。お前が扱っている『右手』だって似たようなものなんだしな。まぁ、俺《おれ》様もお前も不完全である所までそっくりなんだが」
その時、フィアンマの第三の腕が一際《ひときわ》大きく、暴れるように動いた。
フィアンマは初めてわずかに顔をしかめ、
「しかしまぁ、やはり、欲を張るのは良くないな。今日はこの辺にしておくか。ここで殺すのは簡単だが、万に一つでも奪った霊装《れいそう》を破壊《はかい》されてしまうリスクを負ってまで拘泥《こうでい》する事でもない。……いずれ、近い内に手に入るであろう物な訳だし」
「奪った、霊装……?」
「すごいぞ。見るか?」
言ったフィアンマの手には、いつの間にか何かが握られていた。それは金属製の錠前《じょうまえ》だ。
ダイヤル錠のようなものだろうが、数字が多い。いや違う、数字の代わりに刻まれているのはアルファベットだ。本来、その小さなリングに二六文字ものアルファベットを刻めるスペースはないはずなのに、不自然なトリックアートのように収まってしまっている。文字が一つずつ刻んでいるというよりは、リング状の液晶に必要な文字だけを表示させているようなものなのかもしれない。
(何だ、あれは……?)
上条《かみじょう》は冴《いぶか》しげに眉《まゆ》をひそめたが、
「まずい!! あれを使わせるな!!」
キャーリサの方が切迫した叫びを発した。
だが、フィアンマは聞かなかった。右手の掌《てのひら》の中で霊装を転がし、親指だけを使って円筒形の錠前に取り付けられたダイヤルを的確に回していく。
直後、
ドッ!! という轟音《ごうおん》が炸裂《さくれつ》した。
何か白いものが、アスファルトを突き破って真下から飛び出してきた。
それは地下鉄か下水道でも通ってきたのだろうか。爆砕地点を中心として、半径一〇メートルほどのアスファルトが突き上げられて吹き飛ばされた。ちょうどその端《はし》に立っていた上条の体が後ろに転がり、キャーリサは危うく地下空間へと落ちそうになる。
その破壊力は凄《すさ》まじかった。
しかし、上条はそんな事になど驚いていなかった。
(なん……っ!?)
突然|襲《おそ》いかかってきたものの正体。
それは人間だった。
銀髪|碧眼《へきがん》の少女だった。
紅茶のカップのような、白地に金刺繍《きんししゅう》の修道服を着たシスターだった。
そう、
「……イン、デックス……ッ!?」
上条《かみじょう》は思わずその名を叫んでいた。
何故《なぜ》、彼女がフィアンマの合図に応じるように現れたのか。そして明らかに普通の腕力では不可能なほどの破壊《はかい》をどうやって生み出したのか―――そう、魔術《まじゅつ》を使えないはずの彼女が、魔術らしき補助を受けているのはどういう理屈か。
数々の疑問に答えるものは、二つあった。
一つ目はフィアンマの台詞《せりふ》
「禁書目録に備え付けられた安全装置……『|自動書記《ヨハネのペン》』の外部制御|霊装《れいそう》といった所か。『王室派』と『清教派』のトップだけが持っている秘蔵の品だ。とはいえ、『原典』の汚染もあるから、こいつを使うのは本当に最後の手段になるようだ。―――おかしいとは思わなかったか? いくら少女が望んだとはいえ、一〇万三〇〇〇冊もの魔道書《まどうしょ》を保存する禁書目録を、何の保険もなく科学の街にポンと預けるなんてありえるか? まして、こんな残酷《ざんこく》なシステムを築き上げた、あの最大主教《アークビショップ》が、だ』
二つ目はインデックス自身の台詞。
「はい、私はイギリス、清教内……第零聖堂、区『|必要悪の教会《ネセサリウス》』……所属の魔道《まどう》、書《しょ》図書、館です。正式名……称はIndex-Librorum-Prohibitrumで……すが、呼び名は略称の……ジジジザザザガガガガガガ」
無表情にブツブツと言っていたインデックスは、突然ガクガクと不自然に震《ふる》えると、そのままフラリと地面に崩れ落ちた。
「インデックス!!」
「おや。もしかして『|自動書記《ヨハネのペン》』にダメージでも入っているのかな。まぁ、肉体の完会制御ができないのは残念だが、この程度なら何とかなるか。……ちょっと霊装《れいそう》を細かく調整して『出力』を上げれば、一〇万三〇〇〇冊の中から自由に魔道書の知識とアクセスできるだろうしな」
フィアンマは思った以上につまらない玩具《おもちゃ》を手にしてしまったような顔で、
「何をした……インデックスに何をしたんだ!?」
上条《かみじょう》は今までにないほど大きな声で叫んだが、フィアンマは両手を広げて肩をすくめた。
「知らんよ。整備不良はそっちのミスだろ」
「テメェ!!」
拳《こぶし》を握り、今度こそフィアンマを殴《なぐ》り飛ばすべく、走り出そうとする上条。
しかしそれより早く、右方のフィアンマの方が動いた。
彼は第三の腕に命令を飛ばすと、莫大《ばくだい》な閃光《せんこう》を上条に放つ。
「そうだな。ちょっとロシアに行って天使を下ろした『素材』の方も回収しておかなくちゃならないし、それまでその右腕の管理はお前に任せておくか」
「―――ッ!?」
思わず右手で閃光の一撃《いちげき》を押さえつけた上条だったが、視界が元に戻った時には、すでにフィアンマはどこにもいなかった。後には血にまみれたキャーリサと、意識を失ったインデックスと、彼女が強引に壊《こわ》したアスファルトの残骸《ざんがい》が残されているだけだった。
バタバタバタバタ!! という複数の足音が建物の中に響《ひび》き渡った。
ロシア成教『殲滅白書《Annihilatus》』のメンバー、サーシャ=クロイツェフはピクンと顔を上げる。読んでいた分厚い本をテーブルに置き、死ぬほどブランデーの入った紅茶を一口含むと、ゆっくりとした挙動で椅子《いす》から立ち上がった。
窓の方を見る。そちらには、外の様子を窺《うかが》っている上司のワシリーサがいた。
「まっずいわねー。だからローマ・ロシア連合なんて無茶《むちゃ》な事はやめときなさいって進言していたのに。どうも『神の右席』の影響力《えいきょうりょく》がロシア成教の方にも伝わってきているみたい。サーシャちゃん捕獲命令を受けて、同胞のロシア成教徒までバリバリ出動しちゃってるよー」
「第一の質問ですが、長い物に巻かれて漁夫の利|狙《ねら》いなニコライ=トルストイ司教辺りが動いているのでは?」
「あのクソ野郎に付け狙《ねら》われるような心当たりはおあり?」
「……、」
その質問に、サーシャはわずかに黙《だま》り込んだ。
魔術的《まじゅつてき》、十字教的に考えれば……やはり、いつの間にか身の内に収まっていたと思《おぼ》しき、あの莫大《ばくだい》な量の『|天使の力《テ レ ズ マ》』の一件か。サーシャ自身には全く身に覚えはないのだが、どうも痕跡《こんせき》を調べる限り……天使を丸ごと一つ格納するほどの量が一時的に体内にあったらしいのだ。
と、ワシリーサもしばし深刻な表情で、
「うーむ。あまりにもサーシャちゃんが可愛《かわい》すぎるから、私の所から引き抜こうとしているのかしら。……だとしたら首を刎《は》ねる程度では許せねえなあのジジィ」
「馬鹿《ばか》げた意見は放っておいて解答しますと、何らかの理由からローマ正教が私の身柄を求めて傀儡《かいらい》となったロシア成教に掛け合った結果なのでしょう。第二の質問ですが、あなたはこれからどうするつもりですか?」
サーシヤは素気ない調子で尋ねた。
「補足説明しますが、いかにニコライ=トルストイ司教の思惑が別にあるとはいえ、ロシア成教正式の命令ならば、あなたにも従う義務が発生します。これ以上私に協力すれば、あなたも罰《ばっ》せられる事になりますが」
「むぃーん」
と、ワシリーサは訳の分からない声を発した。
彼女は自分の持ち物であるカバンの中から古い紙束を取り出した。それはどうやら仕事上の契約書のようなものらしい。腐っても上役なので、結構面倒そうな書類がいっぱいある訳だが、
「とりゃー」
ビリビリビリビリビリビリビリーッ!! とワシリーサはいきなりそれら契約書を片っ端《ぱし》から破り始めた。
「ちょっ、バ……第三の質問ですがそれは何をやっているのですか!?」
「えーっと、ロシア成教に対する背信とー、国家に対する反逆とー、関係各位に対する契約違反かしらねー」
あまりの事態に口をパクパクさせるサーシャに、ワシリーサはバチーンと気持ちの悪いウィンクを一発かまして、
「いえーい、割と世界の広い範囲を敵に回してしまったZE!! これでロシア成教の命令を聞く必要はないから、ずーっとサーシャちゃんの味方だよー?」
「よっ、酔っているんですか? 第四の質問なのですがあなたは正気を保てていますか?」
「んもー、私の事なんかどうでも良いから逃げちゃえ逃げちゃえ。ほら、こっちのカバンに着替えとかお金とか逃亡に必要な物はワンセットで詰まっているから、これ持ってそこの窓から脱出しちゃいなさーい」
話を勝手に進めるワシリーサは、窓を開けると先ほどとは違うカバンを取り出し、窓際でうろたえているサーシャに向けて思い切りぶん投げた。バスン!! と凄《すさ》まじい音と共にサーシャの体が窓の外へ消え、そのまま建物の外へと投げだされる。
下は深い新雪……落ちた所で大きな怪我《けが》はしないだろう。
ワシリーサが小さく息を吐《は》いた途端《とたん》、ドアが錠前ごと破壊《はかい》されて部屋の内側へ飛んできた。
そちらを見ると、同じ『殲滅白書《Annihilatus》』のメンバーである妖艶《ようえん》な女が踏《ふ》み込んでくる所だった。
「おやまぁ、サーシャ=クロイツェフがこっちに来ているって話だったんだが」
スクーグズヌフラ。
語源はロシアの妖精だ。森に棲《す》む者で、特に害意はなく、人間に恋をする事もあるのだが……あまりにもその性行為が激しすぎて、相手の人間を死なせてしまうといわれる妖精である。
拘束服―――それも実用重視ではなく、レースとレザーで構成されたセックスアピール最優先の拘束服でその肢体《したい》をギッチギチに締《し》め付ける女の正体は、ありとあらゆる性魔術《せいまじゅつ》のエキスパートだった。
「あらー。私好みの魅惑的《みわくてき》な格好だけど……サーシャちゃんに繰《みさお》を立てている私にあなたを差し向けてくるとは、これはニコライクソ野郎の嫌《いや》がらせかしらねー」
「私はそのサーシャ=クロイツェフの方と『遊び』たかったんだけどねぇ。今の気分はババァ趣味《しゅみ》じゃないんだけど、ヤルべき事はヤッておかなきゃこっちが怒られちゃうわ。上の連中はローマ正教と仲良くしたいらしいしね。悪いんだけど諦《あきら》めてくれない?」
参ったわねー、とワシリーサはのんびりした調子で呟《つぶや》いた。
それから、彼女は人差し指を唇《くちびる》に当てて、こう尋ねる。
「そうそう、何で私が、『殲滅白書《Annihilatus》』のまとめ役になっていると思うかしら」
「あん?」
「―――この組織の中で、私が一番強いからよ?」
轟《ごう》!! と見えない何かが渦巻いた。
ワシリーサを中心に噴き出す何かに、スクーグズヌフラは眉《まゆ》をひそめる。
「一本足の家の人喰《ひとく》い婆《ばあ》さん、幸薄《さちうす》く誠実な娘のために力を貸してくださいな」
年齢に似合わぬ、童女のような声でワシリーサは歌う。
ワシリーサの名の語源は、ロシアの代表的な童話に出てくるヒロインの名だ。幸薄く継母《ままはは》や姉に虐《しいた》げられてきたヒロインは、森に棲む人喰いの魔女《まじょ》から亡《な》き実母を想《おも》い続ける誠実さを気に入られ。命を奪われる事もなく、魔術の品々をもらって幸せを手に入れた事になっている。
「一本足の家の人喰い婆さん」
そっと。
ワシリーサは唇に当てていた人差し指を外し、大きなブランデーグラスを掴《つか》むように、掌《てのひら》を上にしたまま五本の指を緩《ゆる》やかに曲げる。
魔女《まじょ》の手による、しあわせをてにいれるほうほう[#「しあわせをてにいれるほうほう」に傍点]を実践するために。
「髑髏《どくろ》のランプをくださいな。不実な継母《ままはは》達《たち》を焼き殺す、炎を噴き出す髑髏のランプを」
ボバッ!! と。
爆音と共に、二人の魔術師《まじゅつし》の戦闘《せんとう》が始まる。
窓から深雪の上へ落とされたサーシャ=クロイツェフは、後ろ髪を引かれながらも、ワシリーサの決意を無駄《むだ》にしないよう、極寒《ごっかん》の大地を走る事にした。
気温はマイナス五度
これでもまだまだ暖かい方だ。ロシアの中では緩やかな方とはいえ、最低でマイナス二〇度になるこの地方の寒さは、下手《へた》な戦車ぐらいなら動きを止めてしまうほどの激しさを誇る。
魔術を使って最低限の断熱・保温性を確保しながら、サーシャは地吹雪《じふぶき》の舞う大地を進む。突風によって柔らかい雪が舞い上げられると、視界が全《すべ》て塗り潰《つぶ》されるのだ。
それでも、『追っ手』は正確にサーシャの位置を捕捉《ほそく》する。
チカッと、景色の向うで何かが瞬《またた》いた。そう思った直後、サーシャのすぐ近くにある雪の塊《かたまり》が、クレーターのように大きく吹き飛ばされた。サーシャは慌《あわ》てて身を伏せる。続けざまに二度、三度と遠距離《えんきょり》からの飛び道具が爆発を生み出す。
そうやってサーシャの動きを封じながら、別動隊がこちらへ近づいてくるのが分かった。スレイプニル。極寒《ごっかん》の地で運用する事を前提とした、八本足の金属の馬。移動用|霊装《れいそう》にまたがっているのは、おそらく『殲滅白書《Annihilatus》』のメンバー達で構成される追跡隊だろう。
(このままでは……ッ!!)
サーシャが歯噛《はが》みした時、その細い腕をグイッと何者かに掴《つか》まれた。伏せていた体勢から強引に起き上がらせるその人物は、
「こっちよ。ったく面倒|臭《くさ》いコトになっているわね」
全身を黄色い服装で統一した奇妙な女だった。顔の化粧も濃く、ピアスまでついている。
女の格好も不自然と言えば不自然だが。
「だっ、第一の質問ですが、どこから……」
「そこ。雪のせいで洞窟《どうくつ》の出入り口が隠れているのよ」
黄色い服の女はサーシャの腕をグイグイ引っ張りながら、
「やっぱ、イギリスではなくロシアにルートを変えておいて正解だったわね。状況的に考えて、フィアンマのクソ野郎はこいつを狙《ねら》ってくると思っていたよ」
「あっ、あの……第二の質問ですが、どちらに……?」
「『どこから』だの『どちらに』だの、アンタはガイドの尻《しり》についていくしかできない初心者観光客か。そもそも私がいなかったらどういうルートで逃げるつもりだったんだ」
う……、とワシリーサが見たら悶絶《もんぜつ》しそうな表情で、サーシャは押し黙《だま》る。
逃げよう逃げようとにかく逃げようという思いばかりが先行して、具体的な計画を全く考えていなかったのだ。とはいえ、いきなり大国ロシアの中で、国中の人間にウォンテッドされてしまえば無理もない事ではあるのだが。
しかし、黄色い服の女は間答無用で呆《あき》れた表情になった。
「まぁ良い。とにかくローマ・ロシア勢力の連合状態によって、ロシア国内も『神の右席』からの影響《えいきょう》を受けちまっている。とにかくこの国から出ない限りは一息つくコトもできない」
「……、」
「ここから一番近い国境は、エリザリーナ独立国同盟か。別にここまで協力する義理はないんだが、アンタを欲しがってる連中が気に食わなくってね。あいつに一泡吹かせるためなら慣れない事でもやってやるわよ」
「第三の質問ですが、エリザリーナ独立国同盟とは―――」
「だから私はガイドじゃないっつーの。ま、近年ロシアのやり方に納得できずに独立した小国の集まりだ。あそこの中ならロシア成教もローマ正教も関係ない」
「いえ、そうではなく……第三の質問を繰《く》り返しますが、私|達《たち》はローマ・ロシア勢力にとって最重要回収項目のはず。他国へ赴《おもむ》いてしまっては、戦争―――いえ、軍事的侵略行為の口実を作ってしまうのではないでしょうか?」
「もう遅い。……ロシア軍部を利用した独立国への攻撃《こうげき》は、とっくに始まってるわよ」
黄色い服の女の言葉に、思わずサーシャは息を呑《の》んだ。
「ローマ正教とくっつくコトで、戦争の勝者になれる。そういう風に勇み足っぼく考えたロシアの連中は、すでに『新しい世界の支配者』顔で独立国に侵攻を始めているのよ。このまま黙《だま》っていたって、エリザリーナ独立国同盟もじきに無差別空爆の餌食《えじき》になるだろうさ」
「そんな……しかし……第一の解答ですが、だからといって、一〇〇%確実に悲劇を生むであろう火種を持ち込んで良い理由にはならないはずです」
「逆よ、間抜け」
黄色い服の女は、サーシャの意見を一刀両断した。
「私達みたいな最重要人物が領内にいるコトで、ロシア側は無差別的な空爆や砲撃、虐殺《ぎゃくさつ》などは行えなくなる。回収対象である私達を殺してしまうワケにはいかないからね。それと同時に、『神の右席』―――というより、右方のフィアンマの目論見《もくろみ》を止めたいイギリス清教や学園都市の視線も、自然とエリザリーナ独立国同盟へと向けられる。知らぬ存ぜぬの国際社会を介入させるには良い機会なのよ。それが結果として、ロシア側の横暴を止める枷《かせ》になる可能性もゼロじゃあない」
「第四の質問ですが、それでは……」
「ま、これから潜伏先《せんぷくさき》の宿を借りる身だからね。宿代ぐらいは払うのが礼儀《れいぎ》だろ」
正体は分からないが、思わぬ味方ができたサーシャは、素直に頷《うなず》いた。
すると、黄色い服の女は呆《あき》れたような表情でサーシャの服装を眺めて、
「それにしても、何だその拘束服は? 潜伏するならもうちょっと目立たない感じにならないの?」
「第二の解答ですが、衣服に関して全身黄色なあなたに言われる筋合いはありませんが。一応、上司から必要な物は一揃《ひとそろ》え用意してもらっています」
サーシャは言いながら、ワシリーサに渡されたカバンを開けて着替えを取り出す。
超機動少女《マジカルパワード》カナミンのドレススーツだった。
「おい待て、何で戻ろうとするのよ。……は? あのクソ上司をぶん殴《むぐ》ってやる? ちょっとストップおい頼《たの》む止まれ止まれよ止まれってば!!」
上条《かみじょう》当麻《とうま》は、呆然《ぼうぜん》と立ち尽くしていた。
路上に倒れたインデックスの周りを、多くの人々が取り囲んでいた。イギリス清教のプロの魔術師《まじゅつし》達《たち》ですら、その表情には困惑があった。
気を失ったインデックスは、いつまで経《た》っても意識を取り戻さない。
傍《かたわ》らに屈《かが》み込んでいた神裂《かんざき》火織《かおり》は、こちらを見上げてこう言った。
「呼吸と脈拍は正常です。命に別状はないでしょう」
それを聞いても、上条の心は安らがなかった。
一体何が起こったのか、未《いま》だに理解が追い着いていないのだ。
「……どういう事だ」
ボソリという声が聞こえた。
上条ではない。少し離《はな》れた所でローラ=スチュアートに詰め寄っている、ステイル=マグヌスが発した言葉だ。ようやく皆と合流した彼が最初に見たものが、倒れているインデックスだった。
「どういう事だ!! 一体……一体、どこまで他人を騙《だま》して、あの子を傷つけ続ければ気が済むんだッ!!」
上司と部下という関係もかなぐり捨て、ローラの胸倉を掴《つか》んで激昂《げっこう》するステイル。しかしローラの方の表情に大きな変化はない。
「やめておけ。禁書目録に複数の安全装置を取り付ける事は、その子の基本的な人権を保障する上でも必要な措置だった」
エリザードの方が、横から口を挟んだ。
無言でいるステイルに、女王はさらに続けてこう言った。
「遠隔《えんかく》操作でロンドンから操れる仕組みを作っておかなければ、我々は常に『禁書目録が何者かに連れ去られる危険』を考慮《こうりょ》しなければならなかっただろう。例えば処刑《ロンドン》塔の一室で永遠に幽閉《ゆうへい》したり、逃走を防ぐために四肢《しし》を切断したりといった……だ」
「本気で……言っているんですか?」
「我々の個人的感情だけで済まされる一〇万三〇〇〇冊ではない。『これは完全に制御のできる安全なものだ』という事にしなければ、いざ窮地《きゅうち》に陥《おちい》った際、『禁書目録は危険だから殺してしまった方が安全だ』という意見に反論できなくなる。……そういった極論を封じるためにも、安全装置を複数用意しておくのは必要な事だった」
「くそっ!!」
ステイルは吐《は》き捨て、ローラを乱暴に突き飛ばした。
何だこれは、と上条《かみじょう》は思う。
ついほんのさっきまで、みんなは一つになっていたはずではないか。ハッビーエンドで終わるはずだったではないか。それを、あの右方のフィアンマが登場しただけで、こんな風になってしまった。たった一瞬《いっしゅん》で全《すべ》てはバラバラに散らばり、いがみ合う状況になってしまった。
『神の右席』の最後の一人。
右方のフィアンマ。
「本来、『|自動書記《ヨハネのペン》』を構成する重要な因子である『首輪』が、|幻想殺し《イマジンブレイカー》によってこうも簡単に壊《こわ》される事など、当初の計画で予測するのは不可能だった」
いつまでも固まっている上条に、エリザードは告げる。
「あんな風に『首輪』を壊された状態で、遠隔制御|霊装《れいそう》を使用する状況など実験していなかったため、こんな風な不具合が生じたんだな。この状態でフィアンマが禁書目録の知識にアクセスしようとすれば、そのたびにその子の体に重大な負荷が加わるだろう」
言いながら、彼女は路上に倒れているインデックスの傍《かたわ》らに屈《かが》む。
両手を使ってその小さな体を抱き上げながら、
「どうすれば良いかは分かっているな」
まるで挑むように、エリザードは言った。
「禁書目録の身柄は一度、こちらで預かるものとする。禁書目録という枠組みそのものを作り上げた我々の手によって専門的な治療《ちりょう》を行いつつ、可能な限りフィアンマ側からの干渉を遮断《しゃだん》するように努める。だが、それだけでは足りない。あいつを倒し、遠隔制御霊装を完全に破壊《はかい》しなければ、この子の身の安全は永遠に保証されないだろう」
「……、」
この女王様は、イギリスという国を守るために、ここを離《はな》れる訳にはいかないのだろう。
それはとても正しい事で、上条には反論などしょうがない。
そして、無理に手伝ってほしいと言うつもりも、ない。
「ステイル」
上条《かみじょう》は、赤い髪の魔術師《まじゅつし》に声をかけた。
「俺《おれ》はフィアンマを殴《なぐ》りに行って来る。その間、インデックスを任せられるか」
「……本気で言っているのか? この子をこんな風にした人間を、このまま何もしないで見過ごせと言うのか、この僕にッ!!」
それこそ殴りかかるような格好で大声を張り上げたステイルだったが、逆に上条はステイルの胸倉を掴《つか》んで手前に引き寄せた。
耳を寄せるような形で、上条はステイルにだけ耳打ちする。
「(……こんな風にいくつも策を巡らせている連中が、この先インデックスに何もしないなんて保証があるのか!!)」
「……ッ!?」
「(……俺には魔術的な詳しい仕組みは分からないから、四六時中インデックスに張り付いていても、小細工を見過ごす危険もある。右手のせいで、魔術的な施設には入らないでくださいなんて言われたらお手上げだ。だから、お前に頼《たの》んでいるんだよ!! 最後の最後の土壇場《どたんば》で、組織の思惑なんてものに振り回されずに、インデックスを守ってくれるような魔術師に!!)」
言うだけ言うと、上条はステイルを突き放した。
こんな風に考えるのは嫌《いや》だが、どうしても考えざるを得ない。フィアンマが振りまいた悪意が、先ほどまで確かに繋《つな》がっていた集団に個と個の溝を思い出させる。
苦いものを感じながら、上条は女王エリザードに向けて声を放つ。
「…もちろん意図的な攪乱《かくらん》の可能性もあるけど、もしもフィアンマの言葉が本当なら、あいつの次の狙《ねら》いはサーシャ=クロイツェフらしい。『神の右席』ってのは天使の術式を扱う連中なんだろ。だったら、サーシャは旨味《うまみ》がありすぎる。……何しろ、かつて本物の大天使をその身に宿したんだからな」
「禁書目録の制御を奪われかけているという情報は、極力隠しておきたい。となると、あの子を助けるため、というのは大義名分として成立しない。つまり……」
「……協力なら、必要ねえよ」
ポツリと、上条|当麻《とうま》は呟《つぶや》いた。
感情がないのではない。ふつふつと胸の内から湧《わ》き出てくる怒りの感情は、ようやく上条の体から外界へと噴出しつつあった。
「アシは自分で確保する。ロシアまで行って来て、フィアンマのクソ野郎を殴り倒してきてやる」
上条当麻は、最後まで言わなかった事が二つある。
一つ目は、自分がインデックスの件に関《かか》わった事で記憶《きおく》を失っている事。
二つ目は、右方のフィアンマの右肩から飛び出した第三の腕について。
まるで本来ある右腕を突き破って現れたような、不可思議な力の塊《かたまり》。フィアンマ自身の口から出てきた『お互いの使っている右手の力は似たようなものだ』という台詞《せりふ》。
聞くべき事は、山ほどある。
全《すべ》てを聞いた上で迷わず殴《なぐ》ろうと、上条は静かに誓った。
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あとがき
一冊目から順番に追い掛けてきてくれているあなたはお久しぶり。
二〇冊もまとめて一気にお読みいただいたあなたは初めまして。
鎌池《かまち》和馬《かずま》です。
ついに二〇冊目です! そして英国王室編完結です!! なので今回のあとがきは一七&一八巻の内容についてという事でっ! イギリスにある伝説の剣カーテナにまつわる物語はいかがだったでしょうか。一七巻ではとある傭兵《ようへい》を登場させる事で『騎士』という言葉を際立《きわだ》たせていますが、こちらの一八巻ではカーテナを使って『女王』の存在を際立たせてみました。ちなみにこのカーテナ、きちんと実在する剣ですので要チェック。現代でも国家元首の戴冠式《たいかんしき》で使われているものだったりします。
当作品の女王であるエリザードは、鎌池が考える理想の統治者そのものです。第一王女リメエア、第二王女キャーリサ、第三王女ヴィリアンの全《すべ》ての長所を備えた完璧《かんぺき》な女王様、という感じですね。女王自身が本編で『私の娘|達《たち》は何で極端《きょくたん》すぎるんだ』と嘆いていますが、それは『彼女自身がバランス良く三つ全部|揃《そろ》えた人物だから』こそ、自然に出た台詞《せりふ》でもあります。その下にいるお姫様グループは、絵本や童話のイメージが強く出ているかもしれません。特に他の姉から虐《しいた》げられる健気《けなげ》な第三王女ヴィリアンとかは典型的な絵本系のヒロインですよね。
王室以外の所では、SS2に出てきたシルビアの設定がチラホラと出てきたり、電撃《でんげき》文庫 MAGAZINEという雑誌の方で活躍していたとある魔術《まじゅつ》結社のボスなどもこっそり登場させています。お暇があればそういう所もチェックしてみてください。
イラストの灰村《はいむら》さんと担当の三木《みき》さんには感謝を。相変わらず面倒な戦闘《せんとう》シーンばかりで目を通す方も大変だったでしょうが、本当にありがとうございました。
そして読者の皆さんにも感謝を。主人公である上条《かみじょう》当麻《とうま》が二〇冊という膨大《ぼうだい》な道のりを歩んでこれたのも、あなた達の応援があっての事です。これからもよろしくお願いします。
それでは、ここで一度ページを閉じていただいて。
次も新たなページを開いていただける事を祈りつつ。
今回は、この辺りで筆を置かせていただきます。
この世界、ゲテモノメイド服は何種類あるのやら[#地付き]鎌池和馬
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とある|魔術《まじゆつ》の|禁書目録《インデツクス》18 鎌池和馬
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発 行 二〇〇九年七月十日 初版発行
発行者 高野 潔
発行所 株式会社アスキー・メディアワークス
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入 力 二〇〇九年十月十八日
校 正     年 月  日