遠藤周作
月光のドミナ
目 次
シラノ・ド・ベルジュラック
月光のドミナ
パロディ
寄港地
宦官
松葉杖の男
地なり
イヤな奴
あまりに碧い空
再発
葡萄
月光のドミナ
シラノ・ド・ベルジュラック
私は子供の時から本を集めることが好きだったから、外国に行っている時もせっせと書物を買った。だが貧しい戦後留学生が漁《あさ》る書籍など知れたものだ。せいぜい三、四百円の普及版か、どんなにはりこんでも千円の特製本である。「本は読めさえすればいいのだ」と私は口惜《くや》しまぎれに考えてみる。けれども、やはり、良い紙質の良い印刷の頁を開けば、それだけこちらの頭もひき締る気がする。初版本をひろげれば、作者にそのまま触れるように思われる。
そんな貧弱な蔵書だが、その中にたった一つ私が珍しいと思う文献がある。文献といえば大袈裟《おおげさ》だが、日本では私一人しか持っていないのである。ロスタンの戯曲「シラノ・ド・ベルジュラック」のモデル、実在したサヴィニヤン・ド・シラノ・ド・ベルジュラックの手記を写したものだ。原本は四つ折りの厚い羊皮紙に鵝《が》ペンで書かれたものだが、既に紙の縁もインクの跡も褐色に変色していた。私がこの原本を見たのは、ウイ先生の家でだった。
その冬、私の下宿はリヨンのプラ町の一角にあった。表は街路で、十九世紀の遺物のような市電がガタピシ音をたてて走っている所だ。裏は行きづまりの路で、雑貨屋と靴屋と、それから労働者相手の飯屋がある。店の名を「ベル・ニッション」軒という。
私はこの「ベル・ニッション」軒に毎日、飯を食いに行った。ここを特に選んだのは別に料理がウマいからではない。一日、四百円以上の食費を使うことのできぬ日本の貧乏書生には、この店の値段が安直で有難かったからにすぎぬ。汗くさい労働服を着た人夫たちに交って、靴底のように固い肉を齧《かじ》りながら、私は英国留学当時の貧しかった漱石《そうせき》のことをよく考えたものだ。彼もまたロンドン時代、こうした一膳飯屋で飢えをしのいだことをむかし読んだ記憶があった。
こうしてこの店に通うようになってから、ある日、ふしぎなことに気がついた。毎日ではないが、非常に屡々《しばしば》、私は「ベル・ニッション」軒の小さな暗い片隅のテーブルで、一人のあご鬚《ひげ》の白い老人が大きな書物を読みながら黙々として食事をしているのを見かけたからである。地味な古ぼけた黒服こそ着ているが、そのキチンとした身なりや上品な食事の仕方は、場所がら私には奇異に思われたし、それよりも彼の机においた本が私にはわからぬギリシャ文字の書物であったのには更に驚かされたのだった。
「だれ? あの人」私はある日、店の親爺《おやじ》にそっと訊《き》いてみた。
「お前、学生だったナ」白内障《そこひ》か何かで片目の潰《つぶ》れた親爺は肩をすぼめて「いくら本を読んでもよ、あのウイ先生のようにコキュウされたらお終《しま》いだナ。もとは大学の先生だったのだぜ」
コキュウというのは「妻を寝とられた」の意である。私は非常に賤《いや》しい好奇心から先生の卓《テーブル》をソッとふりかえったのだが、老人は静かに白いあご鬚を指で撫《な》でながら、皿の運ばれるのを待っていた。
下宿にかえると私は急いで大学の古い年鑑を拡げてみた。そして亭主の言葉どおり、ウイ先生がむかしリヨン大学の修辞学講師であったことも、五年ほど前に退職したことも確かめた。
もともと、私は他人の私生活の秘密を知るのが好きな男である。子供のころから、私は紳士録や人事興信録のたぐいをひろげて、そこに書かれている名士たちの住所や職業や家族の名を調べ、あれこれ空想する性癖があった。その人の私生活や妻の顔や娘の顔を考えていると何か肉慾に似た快感を感じてくる。後になって文学に興味を持つようになってからも、私はまず、それを書いた作家、評論家の趣味、情事、金銭関係などを探れば探るほど、その書物がわかってくるような気がしてくるのだった。もう一度、断っておくが、たしかに、この気持のなかには情慾に似た悦びがあった。
私がウイ先生に近づいたのは、別に先生からギリシャ語や仏蘭西《フランス》文学を教えて頂こうという篤学心からではない。もし「ベル・ニッション」軒の親爺が先生の私生活の秘密を教えてくれなかったならば、私はこの老人と言葉を交さなかったかもしれない。
私は早速、大学の仏蘭西人学生から、先生の夫人が非常に醜女であったことを聞いた。そして五年前、リヨンのオペラ座つきの若い役者と駈落ちしたことも知った。爾来《じらい》、先生は大学をやめ、サン・ジャン町の暗い下宿で孤独な生活を送っていることもわかった。
だが「ベル・ニッション」軒にあらわれる先生の表情や身ぶりからは、そのような過去の暗い秘密を想像することはできなかった。夕暮になると、きまった時刻に黒い、古ぼけた服をキチンと着こみ、分厚い本を手にもってこの老人は店にやってきた。ナプキンを首にかけ、姿勢ただしく、彼は白いあご鬚を撫でながら皿の運ばれるのを待っていた。料理が運ばれるとフォークをゆっくり動かし、葡萄酒をゆっくり飲み、時々、書物に眼をやった。その静かな動作や、落ちついた表情は私を幻滅させるどころか、かえって好奇心を疼《うず》かせたのだ。
遂に、ある日、私は先生の卓《テーブル》に近づいた。自分がこの町の大学に留学している日本人であること、仏蘭西語を教えてくれる教師を探していることをうちあけた。
「文学部に在学していられるのかね」
「はあ」
私は老人を窺《うかが》ったが、彼の顔色は微塵《みじん》も動かなかった。
先生はリヨンでも一番、歴史の古いサン・ジャンの丘に住んでいた。二間つづきのアパートで、玄関からすぐ、書斎となり、その奥に寝室があった。窓からは冬がれたリヨンの町が一望できる。その窓ぎわに、広い大きな机があった。幾つもの硝子《ガラス》をはめた書棚が寝室まで続いている。
私は今、先生の生活ぶりを一言で象徴するようなものを、あの書斎の様子から思いだそうとしているのだが、実際、なにもないのだ。第一、先生の洗濯物さえ、私は見たことがない。パジャマだって、ガウンだって寝室の人目につく場所には決しておかれていなかった。洗濯物やパジャマでもあれば、私はもっと先生を掴《つか》む手がかりを得たかもしれない。だが私が今、思いだせるものは、いつもキチンと整理された大きな仕事机と、よく磨かれた書棚を埋める本だけなのである。
「そこにある書物は、自由に読んで宜しいよ」その書棚を指さして先生は言った。「だが、読み終ったら必ず返してほしい」
本棚をみるようなふりをして、私は別なものを探していた。たとえば――先生の過去の写真、醜かった夫人の写真、この老人の暗い情熱の思い出を匂わせるようなもの、私が彼をもっと良く知るための手がかり――だが、それは無駄だった。ウイ先生は決して自分の私生活にも大学の思い出にも触れないのである。スチームがチン、チンとなり、机の上の置時計がチク、タクと時を刻み、外には粉雪が降り、そして私は先生から週一度、仏蘭西語を教えてもらうのだった。
彼の生活は驚くほど規則正しいらしかった。私はそのことを先生のアパートの門番から何気なく探ってみたのだ。九時に起き、昼まで書斎に閉じこもる。昼飯は必ず近所の修道院でとり、二時に帰宅する。それから一時間の午睡。七時まで書斎に閉じこもり、八時頃「ベル・ニッション」軒に出かける。そして夜の十一時には時計よりも正確に(これは門番夫婦の表現だった)電気を消すのである。
「洗濯や掃除は誰がするのですか」
「|あたしだよ《セ・モア》」
肥った門番の内儀は指で自分の大きな顔を指さした。いけないことにはこの忠義ぶった夫婦は先生の過去となると牡蠣《かき》よりも口が固かった。
このようなことを書いたからと言って、私がその頃先生を内心、軽蔑《けいべつ》していたとは思わないでほしい。いや、当初、私はその人間や学識に敬服すればするほど、先生にたいする好奇心が増していったのである。私はただ黄昏《たそがれ》のしずかな水面の底に何が営まれているか、外面の先生ではなく、本当の先生の姿を知りたかったのだ。先生はどのように妻を愛していたのか。どのような指先で妻を愛撫《あいぶ》したのか、その醜かった妻はなぜ、彼を裏切ったのかを知りたかったのだ。恥ずかしい話だが私は先生の寝室と寝台をチラッと覗《のぞ》いた時、こんなことさえ思ったのである。(老人は毎夜、このベッドに寝る時、何を考えるのだろうか)私は嫉妬《しつと》を抑えようとして苦しんでいる先生の寝姿さえ、そこに想いうかべたのだった。
私の仏蘭西語を匡《ただ》すために、先生はロスタンの「シラノ・ド・ベルジュラック」をテキストに使った。先生は例によって指で白いあご鬚をゆっくりと撫でながら、私の朗読を聞いている。それから、本を閉じさせて暗誦《あんしよう》を命ずる。言葉遣いにたいする先生の態度はきびしかった。一寸《ちよつと》でも私が原文の表現を暗誦しそこねると、白いあご鬚の上を動いている先生の指がピタリととまるのである。
「ムッシュー、文学とは結局、修辞学《レトリツク》ですぞ」
次第に私は、この頑固な老人にいらだちさえ感じてきた。文学とは私にとって修辞学や言葉の美だけのものではなかった。それはまず、人間の真実であり、生きた人間と、その心の闘いを描くものの筈だった。私に仏蘭西語を教え、「ベル・ニッション」軒で食事をする先生ではなく、妻に裏切られ、嫉妬にくるしむ先生でなければならなかった。
「シラノ」の場合も同じことだった。先生にとって「シラノ・ド・ベルジュラック」はまず、朗読の美しさであり、言葉の抑揚であり、韻のふみ方であり、劇の構成法であったが、シラノのロクサーヌにたいする情熱やその苦悩ではなかったのである。
(先生は触れたがらないんだ)私は先生に叱られるたびに心の中でひそかな軽蔑を感じながら考えた。(シラノの情熱に触れて、自分の過去の傷を思いだしたくはないんだ)
先生のレッスンのなかでシラノもロクサーヌも次第に生命のかよわない人形となり、ひからびた死体となればなるほど、私は意地になっていった。時として私は先生の顔を指さし、そこにあの「ベル・ニッション」軒の親爺が吐きすてた同じ言葉を叫んでやりたいと思うことさえあったのである。
「あんたは妻を盗《と》られた男だ」
だが私はそんな失礼なことを言わなかった。第一、私には先生を言い負かすだけの能力も学識もありはしなかった。私は先生は学者であり、一方、自分は日本に帰れば小説を書く男なんだなと思うことにした。おなじ文学を扱うにしても、修辞学や文法は先生のような学者がやることなんだ。学者というものはこの黒い古ぼけた服を着た老人のように九時に起き、十二時に昼飯を食い、書斎にとじこもり、十一時に部屋の灯を消すヒカラびた人間であればイイのである。「シラノ」の戯曲中に語と語の関係をさぐることを文学と考えればイイのである。だが文士とはそんなものではない。文士にとって文学とは生きた人間の心の葛藤《かつとう》であり、暗い孤独の追求なのだ。私は結局、この学者と文士と違う点でも先生とは無縁な存在であると考えようとした。けれども、それだけでは矢張り私の気持はおさまらなかった。私はなにか――なにかの機会が先生のあの規則正しい生活を狂わせ、ゆっくりと白いあご鬚を撫でる指先を震わせ、書物に眼をやりながら、葡萄酒を口に運ぶ動作をかき乱せばいいと、期待していたのである。
そのなにかが、遂にやってきた。
それはリヨンに朝から粉雪のふりだした日だった。昼すぎになると空が晴れた。街は真白に陽に赫《かがや》き、人影の稀《まば》らな道路を人夫たちが雪をかいていた。ちょうど先生のレッスンを受ける日だったから、私は午後三時ごろ、サン・ジャン町の彼の下宿に出かけた。
ところが、老人は不在だった。いつも近所の修道院で昼食をとるのが先生の習慣だったが、その日に限ってまだ帰宅されていなかったのである。部屋の中ではスチームがチン、チンとなり、机の上は丁寧にかたづけられ、置時計が秒を刻んでいた。
私は窓のむこうの、すっかり銀白になったリヨンの街をしばらく眺めていたが、やがて退屈になり、書棚を調べはじめた。
幾つもの書棚はウイ先生の性格をしめすように時代別にキチンと本を分けてある。私は「シラノ」の主人公の生れた年代を考え、ただそれだけの理由で、ぼんやりと十七世紀の本のはいった場所に近づいていった。
本棚の片隅に紙で包んだ四角いものがあった。形は書物のようだったから、そこに指をかけてひきずりだした。紙を開くとボール紙の箱である。私はなんだかこの箱のなかに先生の秘密がかくしてあるのではないかという気がした。たとえば先生の夫人の写真が出てくるのではないかと思った。
先生の不在中に、先生の秘密を探ることは、私といえども余りいい気持のものではなかった。だが、その時、私の心には先生のあの落ちついた静かな顔、白いあご鬚にゆっくりと這《は》っていく指の動きが浮び上ってきたのである。
(文学は修辞学か)と私は呟《つぶや》いた。(この書棚の本を自由に読んで良いと言ったのはあの老人だからな)
そして私はその箱をあけた。ナフタリンのきつい臭いがした。
そこには私の欲していた写真はなかった。四つ折りの古い羊皮紙と、タイプで文字をうった紙とがはいっていたのである。
無遠慮に私は羊皮紙を開いた。紙も文字も既にうすい茶色に変色していたが、その筆跡は私にはムツかしすぎて読めなかった。次にタイプで打った紙を見た。そして、そこに私は、シラノ・ド・ベルジュラックという文字を見つけたのである。
本当の所、私は失望していたのだ。おそらく、これは先生がむかし大学で講師だった頃の講義案だろうと思った。もし私があの老人のレッスンで「シラノ」をテキストにしていなかったならば、おそらく興味のない紙屑《かみくず》にすぎなかったろう。だが、始めの紙を素早く読みくだしながら私はオヤと思ったのである。
先生はそこに、この羊皮紙を手に入れた径路を簡単に説明していた。彼は四年前、巴里《パリ》で、ド・ヌーヴィレット男爵家の売立てに立ち会ったのだ。ド・ヌーヴィレット家とは、シラノの恋仇《こいがたき》であり、ロクサーヌの夫となったクリスチャンのモデルの家系である。その時先生は幾冊かの十七世紀の古文書を手に入れられたが、その古文書の中に偶然、このシラノ・ド・ベルジュラック自身の手記がはさまっていたのだ。
「真偽のほどはわからぬが、珍しいので保存しておく」と先生は書いていた。「ただ、この紙片が他ならぬヌーヴィレット家の所有本から発見されたこと以外に私の興味はない」
けれども続く頁に老人は羊皮紙の手記をそのままタイプで複写していた。今日、私が持っているのは、ほかならぬこの複写の方である。
先生が帰宅されるまで、それからどの位の時間がたったろう。三十分だったかもしれぬ。一時間だったかもしれぬ。兎に角、そういうことはどうでも良い。私はかたい椅子の上に腰かけてロスタンの描いた架空のシラノではなく、実在のサヴィニヤン・ド・シラノ・ド・ベルジュラックの血のかよった手記を読んだ。そして、そこには創作のシラノよりも、もっと怖《おそ》ろしい苦悩ともっと悪魔的な叫びとが告白されていたのだ。
言うまでもないことだが、戯曲のシラノは自分の従妹《いとこ》であるロクサーヌを心ひそかに愛した男である。愛しながら彼は自分の醜い鼻のために、心をうち明けることができなかった。しかも、彼はこの従妹をクリスチャンとよぶ、顔こそ美しいが凡庸な男にゆずるために、あらゆる美しい友情を注ぐのである。アラスの戦でクリスチャンは戦死し、ロクサーヌは修道院にはいったが、シラノは生涯、彼の恋を秘めかくしていた。
この美しい恋物語は真実の世界では全くウソだったのである。すべてウソなのである。
私はここに実在のシラノの告白をすべて翻訳する余裕もないから、大体の概略だけを紹介しておきたいと思う。
実在のシラノは戯曲のように生来、鼻の醜い男ではなかった。むしろ青年時代までは美貌の持主で、子供の頃はさまざまの貴夫人に可愛がられもしたし、長じてからは日夜、はげしい遊蕩《ゆうとう》や悪徳に耽《ふけ》ったが、やがて従妹のロクサーヌ嬢(実名はロビノオ嬢であるが、私はここでロクサーヌの名を借りよう)と、リシュリウ侯の命令で愛情のない婚約をするようになる。当時、シラノは十九歳だったが、この年、思いがけぬ悲劇が彼を見舞ったのである。
十九歳になった年の夏シラノは巴里、ドゥ・ポルト街の生家を離れてドヴニイの荘園に遊びにいった。ここで昔の遊蕩のむくいが、突然、腫物《はれもの》となって鼻にあらわれた。
はじめは一つの吹出物が翌日は二つにふえた。更に次の日は三つとなった。やがて、それは大きな肉腫《にくしゆ》にかたまり、膨れあがっていった。
「ある深夜俺は痛みに耐えかねて床を起きた。そして鏡の中に毒蕈《どくきのこ》のような鼻を見た。過去において俺が犯した数々の放蕩の罪を神が罰せられたのだと考えた時、俺は号泣して主の慈悲を乞おうとした」とシラノは書いている。「その時である。俺は大きな嗤《わら》い声をこの耳に聴いた。俺の笑い声ではない。外には風もなく、館は既に寝しずまっていた。俺の心を嘲笑したのはこの化物のごとき鼻であった」
ドヴニイから巴里に戻ると、シラノはロクサーヌとの婚約を破棄した。もともと、愛情のない政略的な婚約であったからロクサーヌもただちに承諾した。人々は変り果てた彼を憐《あわ》れみ、あるいは袖を引き合って嘲笑する。その苦しみから逃れるため、シラノは哲学者ガッサンティの門を叩いたし、また、当時、有名な剣士であったムウサアルの道場に剣法を習うのである。なぜならガッサンティの人生肯定的な哲学はこの苦悩をいやしてくれると思えたし、また烈しく剣を振る時、シラノは少なくとも自分の鼻を忘れる瞬間を持てたからだ。だがしかし、「だが然し、鼻はふたたび声をたてて嗤った。夕暮の光の洩れる部屋の中で、俺はまたも凡《すべ》ての俺の努力を嘲《あざけ》る鼻の嗤い声を聴いた」
どうしてだか、先生はまだ帰ってこなかった。屋根をすべる雪の塊がベランダの鉄柵《てつさく》にぶつかり、白い炎のような煙をたてて落下していった。部屋のスチームは先ほどと同じようにチン、チンと鳴っていたが、私は窓を開けずにはいられぬほど息苦しさを感じた。胸は動悸《どうき》をうっている。私はなぜ先生がこのシラノの真相を世間に発表しないかがわからなかった。ロスタンの甘い創作などよりは、ずっと貴重な真実の声を一人じめにする権利が、ウイ先生にある筈はないと思った。
シラノがクリスチャン・ド・ヌーヴィレット男爵と会ったのはロクサーヌとの婚約破棄後一年ほどたってからである。先にも書いたがこの婚約はもともと愛情のない政略結婚だったから、その解消は思ったほど困難ではなかったらしい。シラノの手記も僅か、二、三行しかその点に触れていない。
クリスチャンに会うまで、シラノは鼻を恥じて人目を避けていたかと言うと、そうではない。むしろ逆に進んでガスコン青年隊の友人や仲間たちと会うように努めたと彼は書いている。
「それはもう自分の顔を忘れたためではない。悟りを開いたためでもない。むしろ心が兇暴《きようぼう》になればなるほど、俺は外面《そとも》を平静に保とうと努めた。この計略は少なくとも仲間や友人には成功したようである。彼等はやがて俺の面貌に馴れ、それについて蔭口《かげぐち》を言うことに飽きたからだ。のみならず、その時、俺にとっては好都合なことが一つあった。それはガスコンの青年隊にクリスチャン・ド・ヌーヴィレットとよぶ田舎貴族が入隊したことである」
クリスチャンと言う男はロスタンの戯曲では顔だちこそ美しいが、凡庸な性格と泥臭い感情を持った人間として取り扱われている。戯曲のうちで最も憐れな役割である。
実在のシラノはクリスチャンと会った日から、この男を憎んだと告白している。不幸にしてクリスチャンはシラノとは対照的に整った顔だちと美しい鼻すじを持った青年だったのだ。シラノは彼の顔をみるたびに蕈のように拡がり、膨れ上った自分の鼻のことを思いださざるをえなかった。
「俺はあの日以来、ドゥ・ポルト街の館にある凡ての鏡をとり外していた。顔を映したくなかったからだ。にも拘《かかわ》らず、クリスチャンの顔は俺にとって鏡のようなものになった。その鏡のなかに俺は自分の醜さを見ねばならなかった」
この日からシラノは少しずつ、クリスチャンにたいする復讐《ふくしゆう》を考えはじめた。シラノは隊内の友人が、自分ほどではないが、やはりこの美青年を妬《ねた》んでいることに眼をつけたのだ。
シラノの属していたガスコンの青年隊は文字通りガスコン出身の生え抜きの青年貴族でかためられた徒党である。ところが、クリスチャンはノルマンディの田舎貴族にすぎぬ。こうした点からクリスチャンは入隊こそしたが、言葉をかけてくれる一人の友も隊内にはなかった。
シラノは仲間に率先して、この田舎貴族を時には嘲笑し、時には侮蔑した。クリスチャンの教養のなさ、無趣味、下手な話術は一同にとって恰好の笑い種《ぐさ》にされたのである。
実在のシラノがクリスチャンをこのように苛《さいな》んだのは、たんにその美貌にたいする嫉妬だけではなく、むしろ友人の軽侮の眼を自分の鼻から逸《そ》らすための手段だったらしい。
「やがて友人たちは俺の鼻を忘れ、クリスチャンを嘲ることの方に熱中しはじめた。少なくとも俺の計画は図にあたり、外面では心の平和をとり戻すことができた。あの嗤い声さえ、久しく聴くことはなかった」
一六三九年の秋、この心の平和を乱す一つの事件がシラノに起きた。彼はヴィラン伯の家で偶然、二年前、別れたロクサーヌを見たのである。
先にも書いたが、ロクサーヌとシラノの婚約はリシュリウ侯の命令で成ったもので、愛情で結ばれたものではない。当時、彼は一片の愛情もこの娘には持たなかったと告白している。
「俺はロクサーヌと婚約こそしたが、決してこの女性に心|惹《ひ》かれてはいなかった。それはこの婚約がリシュリウ侯の命によって、俺の心に反して成ったためではない。
自分のものときまっている女性には情熱は起きぬ。人は失ったものにこそ、心を向けるのである。ロクサーヌが俺の所有物である以上、今更、彼女に対し執着する必要はどこにあろう。
だが、今日、俺はこの鼻のために彼女を失った。ロクサーヌはもはや俺の手の届かぬ所にある。婚約者でもなければ未来の妻でもない。明日にでもなれば、別の男に抱かれるかもしれぬ。この想像が突然あの日ヴィラン伯の邸でロクサーヌをかいま見た時、俺の心に浮んだのだ。目に見えぬ不安と嫉妬で俺の胸は苛まれはじめた。一瞬の後、ロクサーヌは女中に伴われて姿を消した。ロクサーヌがこの時ほど美しく見えたことはない」
「その時、俺はまたも、あの嗤い声を聴いた。久しく、沈黙をまもっていた鼻はふたたび嘲笑しはじめたのだ。主の慈悲で俺はヴィラン伯の邸をとり乱すことなく出た。既に黄昏だった。躰《からだ》は苦肉の汗にまみれていた」
シラノがこの奇怪な嗤い声と闘いはじめたのはこの日からである。それは翌朝、彼がただちに巴里を発し、二年前の夏はじめてその嗤いを耳にしたドヴニイの荘園に馬を走らせたことでもわかる。ガッサンティの哲学もムウサアルの剣法も消すことのできなかったこの悪魔の嗤い声にシラノは真向から立ち向う決心をしたのである。
「ロクサーヌにたいする執着は俺の胸を掻《か》きむしったが、しかし、この鼻はもはや、あの女を手に入れることの不可能を嘲っていた。ドヴニイの館で眠れぬ夜と夜、俺は寝床で反転しながら、ゲッセマネの基督《キリスト》のごとく苦しんだ。俺は闇の中で眼をあけ、庭の樹々をざわめかす暗い風の音を聞いた。ヴィラン伯の邸で俺が得た苦しい教訓を無にしてはならぬ。その教訓とは安定は愛を殺すが、不安はそれをかきたてると言う単純な原理だったのだ。ロクサーヌと婚約した日、俺は彼女に愛を感じず、彼女を失ってはじめて執着しているのだ。と言うことはロクサーヌが遠ざかれば遠ざかるほど、俺は不安や目に見えぬ嫉妬にくるしみ、情熱は昂《たかぶ》ることだ。あの嗤い声に打ち勝つためにはこの矛盾した情熱の法則を逆手に使う以外はない。
五日目の黎明《しののめ》が訪れた時、俺の考えは既にきまっていた。召使に出発の準備を命じ、俺は翌日巴里に戻ってきた。
巴里に戻るとガスコン青年隊の仲間は俺の突然の失踪《しつそう》を案じていた。その仲間の顔の背後に、あのクリスチャン・ド・ヌーヴィレットの、歪んだ、悲しげな表情を見た。可哀相にこの男は友情に飢えているのだ。
彼の顔を見ていると、霊感のように俺の脳裏をある考えがかすめた。ロクサーヌを俺の手の届かぬ世界におく以上は彼女を誰かに縁づかせるべきだとわかったのだ。その相手がどうしてこの愚昧《ぐまい》なクリスチャンではいけないことがあろう。クリスチャンは友情に飢えている。俺が手を差し延べれば、犬のように飛びついてくるだろう。そしてこの田舎貴族がロクサーヌとの縁組を悦ばぬ筈はない。
だがロクサーヌの気持をクリスチャンに傾けるには、どうしたら良いか。それとて難しい仕事ではあるまい。俺はあの娘をよく知っているのだ。男を知らぬ深窓育ちの初心《うぶ》な娘は誰でもよい、初めて恋を囁《ささや》いてくれる者に必ず夢中になるものだ。
俺は自分の行動が奇怪なことを知っている。自分の執着している女性を他の男の手に、それも最も詰らぬ田舎貴族の手に進んで渡そうとしているのだ。この俺の気持はだれに対する復讐なのだ。クリスチャンの美しい顔にたいしてか。それとも自分の醜い鼻にたいしてなのか、俺にもわからない。
怖ろしいことだ。俺の狂暴な眼はロクサーヌがもし、クリスチャンと結婚したとしても、数カ月もたたぬうち、彼女の心がこの無趣味、無教養な男に幻滅すること位、はっきり見透しているのである。だからこそ、俺はこのクリスチャンを彼女の夫として選んだのだ。やがて彼女の心を空虚な風が吹き続けるだろう。だが、神の名で結ばれた結婚という重い鎖は二人が死ぬまで、たがいの躰をしっかりと縛りつける筈だ。彼等はまもなく、互いに疲れ、互いに飽き、互いに罵《ののし》り、そしてその愛はすぐにも冷えるだろう。結婚という安定は情熱を殺すからだ。
だが俺はちがう。俺はもはや人妻となり、俺の手の届かぬこの女を空想の中で飾りたて、不安や嫉妬によって更に執着しつづけるのである。
だが俺のロクサーヌにたいする感情は愛なのだろうか。おそらく愛ではあるまい。なぜなら人は愛する者をこのように扱う筈はないからだ。だが愛でなければ、この感情は一体何なのだろう。情熱か。それとも暗い執着か。俺は、この醜悪な鼻のために、顔や肉体だけではなく、魂まで腐っていくような気がする」
先生の複写はそこで途切れていた。だが、この複写がそれ以上、書かれていたとしても私はもう読みつづける力がないほど疲れていた。
ベランダに積っている雪が次第に暗紫色の翳《かげ》をおびはじめてくる。夕方になったのだ。そして空がふたたび鉛色に曇りだした。また雪になるかもしれなかった。なぜか部屋のスチームはチン、チンと鳴るのをやめ、あたりは非常に冷えこんできた。
私には先生がこの貴重な文献をこうした書庫の奥ふかくに蔵《しま》われている理由がわからなかった。「真偽のほどはわからぬが、ただ、この紙片が他ならぬヌーヴィレット家の所有本から発見された以外、私の興味はない」と先生は書いている。だが、もし、これが本当に実在したシラノ・ド・ベルジュラックの告白だったならば、どうするつもりなのだ。あのロスタンの架空のシラノよりも、もっと興味のある、もっと真実のシラノの姿がここにあるのではないか。文学は言葉の美であり修辞学というために、こうした人間の真実まで先生はかくす権利があるのだろうか。
その時、入口のノブを静かに廻す音がした。ウイ先生は私を見ると、黙ってうなずき、ステッキを傘たてに入れて、黒いオーバーをゆっくりと脱いだ。オーバーの肩には粉雪が少し白く残っていたが、私には老人が何時《いつ》もと違って妙に弱っているような気がした。
「待たせてすまなかった」
少し喘《あえ》ぎながら先生は私のそばを通りすぎ、椅子の上に投げだされている羊皮紙とコッピイの紙にチラッと視線を注いだ。だが先生はそれについては何も言わなかった。
「授業にとりかかろう。何頁からだったかね」
何時ものように先生は書斎の片隅にある古い大きなソファに腰をおろし、眼をつぶると、あご鬚に指をもっていった。私は渋々、暗誦をはじめた。しかし、テキストよりはあの怖ろしい手記にまだ動顛《どうてん》していた私は幾度も言葉を間違え、文章を抜かした。
私は顔をあげた。先生が何も言わないからである。老人は顔をうつむけたまま、額に手を当てて何か、ほかの事に気をとられていたようだった。夕暮の翳のなかで、その姿はひどく疲れて見えた。
「続けたまえ、ムッシュー」
「先生」と私は叫んだ。「私はさっきからこの複写を拝見していたんです」
「偽作だね。そんなものは」
「本当に偽作でしょうか」
「本当のものかも知れぬ」老人は気のない調子で答えた。「しかし詰らぬものだ。暗誦を続けたまえ」
私にはその時、白いあご鬚をつけたこの老人の顔が愚かな山羊《やぎ》の表情のように思われた。私はテキストを手にしたまま黙って棒のようになっていた。
「もしあの手記が本当なら、こんな書物よりは生きていると思います」
老人はとじた眼をふたたび開いて、しばらく私をぼんやりと眺めていた。
「あれは文学ではないものだ」
「ですが、人間の真実でしょう」
「真実ではない。事実だ。事実は文学とは何の関係もない。本当のシラノがどのような男であろうと彼は君のテキストのシラノには及びはしない」
「でも文学とは人間の真実を追求することでしょう。私の国では……」
と言いかけて私は口を噤《つぐ》んだ。
「君の国ではそうかも知れぬ。しかしこの国ではそうではないのだ。そんなものは宗教がやってくれる。ムッシュー。文学とはまず言葉です」
先生は椅子からたち上り、私の眼を見つめながら厳粛な声で答えた。それから彼は突然、よろめくようにして窓の方に歩くと、硝子に顔を押しあてたまま、じっと動かなくなった。
既に部屋は夕闇にすっかり包まれていた。ベランダに積った雪の微光が僅かに先生の横顔や力のない肩をうかびあがらせていた。
「どうかしたのですか。先生」
私は今の会話が彼の機嫌を損じたのだと思った。
「いや、何でもない。疲れたのだ。今日は授業をやめて頂けないだろうか」
私はオーバーを手にとって書斎を出た。先生は私の背後から従《つ》いてきた。
戸口の所で私が一礼をした時、突然、先生の顔は歪んだ。私は彼の顔が泪《なみだ》で濡れているのを知った。
「ムッシュー。私の妻が昨夜、自殺したのだ。|彼女は理性を失ったのです《エラ・ベルデユ・ラ・テエト》」
外には粉雪がふり始めていた。大地もない。空もない。街路では車も人も、まるで生の営みが薄い灰色のカーテンのむこうでひそかに続けられてでもいるように動いていた。一人の酔っぱらいが曲り角で私にぶつかり大声で叫んだ。
「ああ、生活なんて詰らねえなあ」
月光のドミナ
巴里《パリ》のはずれにあるジュルダン街は普通、学生村といわれている。村といえば大袈裟《おおげさ》だがここには大きな敷地の中に色々な国から来た学生のためにアパートが並んでいるからだ。アパートとアパートの間には学生のための病院や食堂やホールや郵便局も建っている。
日本人留学生のアパートは薩摩《さつま》会館ともいうが、これは巴里に長く住んでいられた薩摩治郎八氏の好意でできたため氏の名前をとったのである。館長は私のいた時は巴里大学の先生だと言う老人だったが、ほとんど顔をださなかった。その代り日常、身のまわりの世話をしてくれる女中《ボンヌ》や門番《コンシエルジユ》はみな仏蘭西《フランス》人である。室数は二十ほどあるが二人用の部屋もあるから三、四十人は入れるだろう。もっとも私があの建物に下宿していた頃は留学生の数も少なく、画家でも派遣教授でも日本人であればホテルの代りに使うことができた。
率直に言ってこの日本人館はジュルダン街の学生村の中で最も貧弱なみすぼらしい建物だった。場所も街のはずれにあり、周りにある英国館やカナダ館の美しさに比べると、悲しいほど不体裁で不恰好である。懸命に東洋趣味をとり入れようとしたために、かえって屋根も壁も安っぽく、その上、何処《どこ》となく陰気な感じがするのだ。昭和のはじめに出来たと言うから無理もないが、ほかの国の建物はみなその国の政府が金を出しているのにこの日本人館だけは薩摩氏一人の犠牲的な寄付に頼ったためであろう。
※
十月のはじめ、私は古いトランクを下げて二年間住みなれたリヨンから巴里に上ってきた。その日、巴里には霧のような雨がふっていた。ジュルダン街でバスをおりた時は既に夕暮だったが、歩道には雨と泥とによごれた大きなプラタナスの枯葉が散らばり、その上を夕食にでかける学生たちがレインコートの襟をたてて歩いていた。
薩摩会館は雨と靄《もや》の中にまるで古い倉庫のように黒く陰気に沈んでいる。受付にだけ青白い灯がともり、ほかの窓はどれも真黒だった。その受付にも誰もいない。机の上に随分よごれた電話帳が一冊、開いたままになっている。
「今日は」と私ははじめ日本語で声をかけた。それでも返事がないので「ボン・ジュール」と怒鳴った。
ここに下宿するということはリヨンを出る時、館長から手紙で許可をえていたし、今朝、汽車に乗る時、電報で知らせておいたのである。私はチッキで送った自分の荷物がその辺に転がってないかと探してみたが、それも見当らなかった。突然、机の上の電話がたかい音をたてて鳴りはじめたが、相変らず誰もでて来ない。玄関からは鉛色に光った廊下がむこうの闇の中に消えている。その両側の部屋もひっそりとドアを閉じている。
おそらく皆、外出したか、夕食をとりに出かけたのだろう、そう私は考えた。受付の壁をみると、寄宿人の名札がかかっていて、その端に私の名前もぶらさがっていた。部屋番号は二十四号となっている。
私はトランクを持って、薄暗い廊下の電気をたよりに一つ一つ、部屋の番号を調べて歩くことにした。二十四号という部屋は一階にはない。私は靴音をカタコトならしながら二階にのぼっていった。
その時、一人の背のひくい青年が階段の手すりにつかまって私の登ってくるのを訝《いぶか》しそうに見おろしていた。私はトランクを持ちなおし、上をむいて、
「門番《コンシエルジユ》はいないんですか」
相手は返事をしなかった。
「どうしたんでしょう。幾ら声をかけても出てこないんです」
階段を昇りつめた私を背のひくいその青年は少し後ずさりしながら、怯《おび》えたような眼つきで眺めた。私が今でも憶《おぼ》えているのは彼の頭髪がうすく、その上、顔色が非常に悪かったことだ。悪いといっても青いというのではない。鉛のような色をしているのである。その上、唇が妙に赤黒かった。
「どうしたんでしょう」
「知りません。僕あ」
彼は手すりに手をかけたまま、また、二、三歩、後にさがった。私はこの青年がなぜ、このように暗い怯えた眼をするのかわからなかった。
「今日、ここに着いたんです」
「そう、失礼」くるりとふりむくと彼はすぐ近くのドアをあけて姿を消した。
リヨンという日本人のいない田舎都市で二年間も同胞に会わなかった私は、巴里で久しぶりに見る同国人の青年から、こんなおかしな態度をとられるとは少しも思っていなかった。古トランクを床におろし、私は彼の部屋のドアをしばらく眺めていた。名刺ほどの大きさに切った画用紙に「千曲《ちくま》」というローマ字が書いてある。部屋の中からはかすかな物音もきこえない。
その夜、私は一人でジュルダン街を少し離れた小料理屋に行き、酒をのんだ。薩摩会館に戻った時は夜の十二時ちかかった。幾つかの部屋からは灯影がまだ洩れていたが、千曲の室は先ほどと同じようにひっそりとしているのである。
「何しているんだい。あの千曲って人」
翌朝、部屋を掃除に来た女中に私はそっと訊《たず》ねた。「留学生かね」
女中は箒《ほうき》に両手をかけてニヤッと笑った。私の質問を既に待っていたようである。
「絵かき。いつも独り」彼女は軽蔑《けいべつ》したように肩をすぼめた。「いつも独り」
「何時《いつ》ここに来たんだい」
「半年前」
それから彼女は急に声をひそめ、いかにも大切な秘密でも打明けるように呟《つぶや》いた。
「あの人の部屋、とてもくさい」
「くさいって、薬の臭気かな。油絵に薬ぬるだろ」
「そうじゃない。あの人の躰《からだ》のにおい」
その言葉をきいた時、私は突然、昨日みた彼の赤黒い唇の色を思いだした。なぜ、あの唇の色だけを心に浮べたのか、わからない。だが、あれは古くなった魚の血のような色をしていた。
女中の言ったことは本当だった。千曲はこの薩摩会館でほとんど誰とも交際をしなかった。一緒に食事にでかけたり、誰かの部屋に遊びにいくこともない。一日中、部屋に閉じこもっているかと思えば、二、三日帰らぬこともあるらしかった。ここにいる宿泊人たちも千曲を軽蔑しているようである。
「変ってるなあ。千曲さん」娯楽室で私はもう二年前から此処《ここ》にいる画家の関根氏に訊ねた。
「いつも、怯えたような顔をしてますねえ」
「たまに口を開けばわけのわからんことを言うし」関根氏も千曲のことを良く思ってはいないらしかった。「自分から僕等とつき合おうとしないんだから仕方ないやね。まさか首に縄をつけて仲間になれとも言えんし」
「絵はうまいんですか」
「さあ、どうだか。見たこともない」
冬がちかづいた。巴里の冬はほとんど青い空ののぞくことはない。一日中空は暗く、古綿色に曇っている。その陰気な季節の中で薩摩会館は益々、ひっそりと静まりかえった。外出先から帰った時、ふと千曲の部屋の窓をみあげると、鎧戸《よろいど》が片一方だけしめてあることが多かった。私はその部屋の空気がどんよりと白く濁っているような気がした。その白く濁った空気の中に千曲が坐っているような気がした。
「相変らずあいつの部屋は臭いかね」私は女中にそっと訊ねた。
「くさい」彼女は自分の鼻をつまんで見せた。「モルモットを飼っている。二匹」
「へえ。モルモットをねえ」
私はモルモットの小さな、眼を心にうかべた。千曲の暗い眼はあれに似ている。彼がなぜモルモットを飼いはじめたのか、私はふしぎに思った。
私は千曲を軽蔑はしていたが、他の連中のように特に嫌ってはいなかった。ただ、世間によくある人間嫌いな変人たちの一人だろうと思ったのだ。しかし廊下や階段で偶然、出会った時の彼の怯えたような表情や鉛色をした顔色や、とりわけ、あの赤黒い唇にはなぜか生理的な嫌悪感を持った。なにか不潔な隠微なものを私はそこに想像したのである。「千曲は男色家だ」という噂話《うわさばなし》を私は半ば本当かもしれぬと感じながら聞いていた。
十二月のはじめ、私はシテにある裁判所を見学に出かけた。将来、小説家になりたいと思っていた私はこういう見学も勉強の一つだと当時は考えていたのである。
勿論《もちろん》、どういう裁判が今日、開かれるのか知らなかった。傍聴席には汗臭い菜葉服を着た男や青い前掛をしたお内儀《かみ》さんたちが、たがいに押しあいながら前に進もうとしている、そのうしろから私も背伸びをして被告台にたっている栗色の髪をもった額のひろい中年の女を眺めた。裁判は投げやりな雰囲気の中で進んでいる。罪状文をとぎれとぎれに読んでいた検事が証人を呼びはじめた。
「子供の泣き声が何時も廊下に聞えましてね」被告と同じアパートに住んでいる男が証言をする。「俺たち、よくあの子にそっとパンを呉《く》れたものでさア」
イボンヌ・サラクルウというその被告は継子《ままこ》を虐待死させた女だった。平生から食事も与えず、叩いたり、煙草の火で苛《いじ》めたりしたという事実が次から次へと証人たちによって暴露されていった。揚句の果て、彼女はその子を台所に入れてガス栓をひねって殺したのである。そうした事実を検事が読みあげるたびに、傍聴席の群衆から溜息《ためいき》とも吐息ともつかぬ声が洩れた。被告台にたったイボンヌのひろい額は汗で光っていた。
その時、私は傍聴人の前列に千曲の姿を発見した。彼は両手で仕切りの柵《さく》を掴《つか》み体を乗りだすようにして耳を傾けていた。私がそばに寄ってその肘《ひじ》をつつくと、彼はびっくりしたように、あの怯えた眼でこちらを見上げた。
「どうして、ここに来たのよ?」先手をうつように千曲は早口で訊ねた。
「どうしてって」私は顔をしかめ「ぼくあ、裁判をみるのが好きだから」
「え? なら、その気持、君にわかる?」と彼は金属的な高い声を出した。
「気持って、何です」
「あの女は継子を台所に入れてガス栓を捻《ひね》ったのよ。そして隣の部屋に行って自分の男と寝てたのよ。その時のイボンヌの気持……」
千曲の言葉使いはまるで女の子のようだった。
私たちは一緒に裁判所を出た。もう夕暮だった。セーヌ河から冷え冷えとした風が吹きあげ赤いランプをつけた達磨船がゆっくりとのぼっていく。川岸では古本屋の老人が版画や書物を箱に入れて帰り仕度をしている。
「ぼく」急に千曲は甘えるように私により添ってきた。「あのイボンヌの家を見にいこうと思うの」
「住所まで調べてるんですか。君」私は驚いてたずねた。
「そうよ。地下鉄《メトロ》で十分もかからないのよ」
こんな親しげな口のきき方や態度をする彼を私は薩摩会館で一度も見たこともなかった。それより、私の興味を唆《そそ》ったのは、このイボンヌ事件に示す彼の異常なほどの好奇心だった。
私はまだ憶えている。ガンベッタ街のうしろ側には施療病院の灰色の塀が続いていた。その塀には「リッジウェイ・ゴー・ホーム」と白ペンキで大きくなぐり書きがしてあった。町工場の破れた窓に金属を焼き切る青白い光が明滅している。イボンヌ・サラクルウの住居はその街の角にあったのだ。一階は労働者相手の酒場になっていて中にはベレー帽をかぶったアルメニヤ人たちがスタンドに靠《もた》れながら酒をのんでいた。
千曲は私の前にたって暗い階段を上っていった。その階段もひどく磨《す》りへっている。
「下の郵便箱みたら三階らしいけれど」
私はこの真暗な家の臭気がたまらなかった。ひょっとすると千曲の部屋の臭いもこれと同じようなのかもしれぬと思った。だがそれよりも私が先ほどから掴もうとしていたのはこの事件に憑《つ》かれたような千曲の心である。彼が一体なにを考えているのか、さっぱりわからないのである。
「これ。この部屋」
突然足をとめると彼は上ずった声をあげた。灰色の夕靄のなかで千曲の眼が気味のわるいほど光っていた。その上、唇の色が何時もよりもっと赤黒くなったように私には思われた。
「このドアの奥でイボンヌは子供を叩いたり、煙草の火で苛めたのよ」
私は彼がゴクリと唾を飲みこむ音をきいた。
「台所はどこだろう。ぼくはどうしても見たいんだけど」
私を残して彼は路に面した古い物干場の方に一人で出ていった。階段はもうすっかり暗くなっている。下の入口のドアが鈍い音をたてて軋《きし》み、それからバタアンと音をたてて締った。それから女の高い笑い声が反響してきた。私は突然、「あの感じ、わかる?」と言った千曲の言葉を思いだした。継子が死んでいくのを、男とベッドの中でからみ合いながらジッと待っていた女。その女の住所をつきとめ、眼を光らせながら歩きまわる千曲。(異常な奴だな)外套《がいとう》のポケットに手を入れながら私は考えた。(奴、どんな絵を描いているんだろ)
彼は戻ってきた。指を口に当ててしきりに舐《な》めている。
「窓が高いので手をかけたら、指を切っちゃった」
「そんなにイボンヌのこと、気にかかるんですか」
「だって興味あるじゃないの。遠ちゃん」彼は急に私のことを遠藤といわずに遠ちゃんとよびはじめた。「あんた、あの女に興味ない?」
「君ほどはないやね」
「そうかしら。男と一緒になるために子供を殺した女よ。情慾のためには、何もかも抑えられなかった女よ。僕あねえ。今、窓に手をかけて中を覗《のぞ》いてみてたの。勿論、なかは真暗。でもその真暗な中であの女が情夫と一緒にだき合ったり、寝たり」その声は妙にかすれていた。額が被告台のイボンヌと同じように汗でべっとりと濡れている。「継子の体を煙草の火で焦がしたり……」
私はすこし後ずさりをした。本当を言えばこの男が気味悪くなったのである。その後ずさりをした私を見ると千曲は急に口をつぐんだ。廊下の灯の下で彼はいつものように暗い怯えたような眼つきをすると、先にたって歩きだした。
「ふしぎな男ですね。気味が悪くなった」
私は次の日、昼飯のあと、娯楽室で関根さんに昨日の一件を話した。
「興味の対象が常人と一寸《ちよつと》ちがう」
「アブだね。奴」
「モルモットを飼ってるって女中が言ってましたけれど、何のためでしょう」
「知らん」関根さんはパイプを画家らしい太い指で掃除しながら不機嫌な声をだした。
「俺にはあんな男、関心がない」
窓のむこうに糸杉の樹が冬の風に震えている。その糸杉の間から千曲が背を曲げて、せかせかとした足どりで歩いてくる。
「奴、帰ってきましたよ。昼飯から帰ってきましたよ」
「そうかね」
「彼、どんな絵をかくんでしょう」
硝子《ガラス》ごしに千曲はキョロ、キョロとした眼でこちらを覗いた。私は声をひそめた。
「そんなに見たきゃあ、自分で調べてくればいいじゃないか」と関根さんは言った。
「そうだな。見てこようかな」
だが私がたち上ると関根さんは眼を細めて疑わしそうにこちらを見つめた。
千曲の部屋は例によって静まりかえっていた。いるのか、いないのか、わからない。私は思いきって靴先でかるくドアを蹴《け》った。
「だれ?」
「ぼくです」
しばらく彼は返事をしなかった。よほど引きかえそうとした時、ドアのノブを廻す音がした。
「何の用」彼は戸を細目にあけたまま、姿をみせなかった。
「別に用はないんだけど、遊びにきたんです」
私は勇気をだして体ごとドアをゆっくりと押した。茶色いボロボロのガウンを着た千曲は薄い頭髪の中に指を入れて、こわそうに私を見上げた。
部屋は乱雑そのものだった。新聞紙やスリッパやアルコール・ランプや雑誌や油絵の道具、テレビンの瓶が足のふみ場もないほど散らばっていた。
だが、それよりも私が辟易《へきえき》したのはあの女中が話してくれた部屋の臭気だった。そう、何と言ったらよいのか、大蒜《にんにく》のような吐き気のするイヤあな臭いである。その臭気はそれら床に散乱している新聞紙や雑誌にまで深くしみこんでいるような気がする。
「ぼく、この部屋に人を入れるの嫌いなんだ」千曲は私から視線をそらして呟いた。「ぼくは薄暗い部屋でなければ住めないんだ」
「いいんですよ。みんな、この薩摩会館の連中はやもめ暮しだもの」
私は片隅の大きなトランクに腰をおろし、彼の描いた絵をさがした。だがそれは見つからなかった。
「絵かいてないんですか。見せて下さいよ」
「今はイヤ」千曲は首をふった。「今は自分の絵は誰にも見られたくないの」
「なぜ」
「なぜでも。まだ自信がないから。でもいつかは立派なものを描《か》くつもり」
彼は私のうしろの何処か遠いものを見つめているようなおかしな眼つきをした。
二人はしばらく黙っていた。
「モルモット、飼っているって本当ですか」やがて私はかすれた声で訊ねた。
「だれに聞いたの」
「女中が言ってましたよ。写生するんですか」
千曲は困ったように笑った。
「そうじゃないの。ぼくあ、子供の時からモルモットなんか、手で握った時の感触が好きなのよ。遠ちゃん。その気持わかる?」
昨日これと同じことを千曲は私に訊ねた。台所で継子が死んでいく間、男と情慾の営みをする女の気持、モルモットを掌の上にのせて、その暖かい柔らかな体を握りしめる感触。部屋の大蒜のような臭気が強くなる。突然、嫌悪感とも吐き気ともつかぬものが、私の咽喉《のど》もとにこみあげてきた。
「千曲さん。あんたは変だ」と私は怒鳴った。「よしなさい。そんないやらしいことばかり言うの」
「知ってるわよ。君に言われなくても」
「なら、やめなさい。そんなの一種の情慾だ」
「勿論、情慾よ。でも君だって情慾があるでしょ」
「それはあるけど、もっと健全なやり方で処理すればいいじゃないか」
窓に体を靠れさせて千曲は挑むように顔をあげた。唇が赤黒く濡れている。
「健全なやり方って何よ」
私は口ごもった。どう説明していいのか、わからなかった。
「女と寝るなり……女がいなければ金を出して娼婦と寝るなり……その方がよっぽど健康的だ」
「でも寝たくない人間はどうするの。遠ちゃんは女と寝れば、それでスムかもしれないけれど、ぼくはそうはいかないんだ」
「なぜ、駄目なんだ」
「君にあ、わからない」
千曲は急に顔を歪《ゆが》めて今にも泣きだしそうな顔をした。私はその時、この千曲は世間でいう男色家なのだなとふと、思った。だが後になってわかったが彼はただの男色家でもなかったのである。
その日から、彼は私とも口をきかなかった。もっとも、こちらから話しかけでもしない限り、誰ともつき合わぬような青年だから私には別に気づまりもしないし困ることもないわけだ。放っておけばよいのである。
毎日、鉛色に曇った日が続く。大学村の中で薩摩会館だけが益々、暗い重くるしい表情をしている。千曲の部屋の窓はいつも鎧戸がしまっている。私はもう彼のことに昔ほどの好奇心も興味も持たなくなってきた。関根氏や会館のほかの宿泊人たちと同じようにこの変人を自分の世界とは全く無縁な人間としか眺めないようになった。
そんなある日、部屋を掃除しにきた例の女中に、
「千曲の部屋、まだくさいかね」
「あの人、もう、いない」箒に靠れて女中は馬鹿のようにニヤニヤ笑った。
「え、出ていったの? いつさ、それ」
「二週間前」
「何処に?」
「知らないよ」
薩摩会館の連中には一人として千曲の引越しに気がついた者はなかった。千曲はだれにも挨拶もせず、行先も告げず、そっと滑り出るように何処かへ消えてしまったのである。ある日の午後、彼が昔いた部屋のドアが開いていた。新しく巴里に来た日本人が此処にはいるにちがいなかった。そっと覗くと冬のわびしい陽が白く指紋のついた窓硝子を通して床にさしこんでいた。
半歳ほどたって私は日本に帰った。もう少し巴里にとどまりたかったのだが、三年間の留学が体を悪くさせたのである。関根氏や薩摩会館の友人たちは巴里の駅にまで送ってくれたが、その中には千曲の姿はみえなかった。汽車の窓から首をだして手をふっている私も彼のことなどすっかり忘れてしまっていた。
日本に帰ると私は時々、発熱する体をベッドに横たえて小説を書く勉強をした。二年間書きつぶした原稿用紙が行李《こうり》一杯に溜った頃、私はどうにか、ある文学賞をもらうことができた。
賞をもらってから四カ月ほど経ったある日の朝である。郵便屋が持ってきた手紙類の中に私は大きな褐色の封筒を見つけた。懐かしい仏蘭西の切手が幾つかはりつけられていたが、方々の港を二カ月もかかって送られてきたらしく、隅々が所々、小さく破れている。指につまんでみると、ずっしりと重い。その上、差出人の名前も住所も書いていないのである。
私は自分の部屋に戻ると、ゆっくりとその封筒を切った。中には油紙で包んだノートがはいっている。そのノートの上に書かれた名前で私はこの封筒の送り主が千曲であることを知った。
仏蘭西のノートには方眼紙のような細かい縦横の線が引いてある。千曲はその網の目のような線の上をまるで活字に似た四角な文字で埋めていた。
長い間、忘れていたあの薩摩会館のこと、千曲の不健康な鉛色の顔、髪の毛に指を入れる手つき、それから古くなった魚の血のような唇の色……そういったものが一時に眼の前に浮んできた。だがなぜかそれは今の私にとって昔ほどイヤなものではなかった。嫌悪の情も唆《そそ》らなかった。
遠ちゃん。賞をもらったそうね。日本から送って来た新聞であなたのことを知ったのです。(と彼は書いていた)遠ちゃんが小説家になろうとは一度も考えたことがなかったので――失礼ごめんなさい――僕あ、自分の眼を疑ったくらい。だが新聞を読み終った時、とっても懐かしく思いました。本当よ。なぜかしら。裁判所のこと憶えている? あのイボンヌ・サラクルウの家を見物にいったのも今は昔の思い出ね。小生はあれから皆さんに黙って(黙ってというのは理由もあったんです)ジュルダン街からこのスルシエ街に引越したけれども元気は元気。
私は一、二枚、頁をとばした。千曲の近況、そんなものには殆ど興味はなかった。私が好奇心をもったのはこの男が何のためにこのノートを親しくもなかったこの私に送ってきたかということだった。
※
遠ちゃん、あなたは作家になった。賞をもらったあなたの作品がどういうものか僕は知りません。日本から雑誌を送ってもらって読もうとは思っていますが、何しろ船便で二カ月もかかるでしょう。手にはいるのは何時のことやら。
でも遠ちゃんが今、作家であるだけで僕には充分なんです。ぼくがこの手紙を送る相手も作家になったあなたにたいしてであって巴里時代の遠ちゃんにではないんだ。そのこと、わかってもらえるかなあ。
遠ちゃん。憶えているかしら。僕がこの手紙を書いたのはねえ、あなたの受賞を知った時、急にあの冬のことを思いだしたからなんです。三年前の冬の午後、突然、あなたが僕の部屋に来たことがあったでしょ。あの頃、僕は薩摩会館の中で独りぽっちだった。みんなからも敬遠されていたし、僕自身もあんな話のわからぬ馬鹿な留学生先生や自称、おゲイジツカたちとは御交際したくなかったんだ。今だから言うけどね、遠ちゃんもそんな鼻もちならぬ一人だと考えていたんだ。
だから、君が部屋に来てくれた時も、真実、迷惑な気持だったわけ。早く部屋から出ていって呉れないか、そんなことばかり思ってたんです。その気持の底には、あの薩摩会館の連中がまだ見抜いていない僕の秘密をあなたにも知られたくない下心もあったのでしょう。
だがあの日、思いがけないことから二人の会話は変な方向に走っていきました。モルモットのこと。僕がモルモットを飼っていること。継子を殺したイボンヌの家に尋ねていくことを遠ちゃんは情慾だと言いました。同じ情慾でも、それは不潔な病的な情慾だと罵《ののし》りました。
かくしはしませんよ。本当なんだ。モルモットを握ることも、イボンヌの家を歩きまわったことも、僕あいつも情慾の暗い衝動に押されてやったんです。
あの日、君が、
「健全なやり方で情慾を処理すればいいじゃないか」と怒鳴った時、僕は負けずに言いかえしました。
「健全なやり方って何よ」
「女と寝るなり」あなたはそう答えた。「女がいなければ金をだして娼婦と寝るなり――その方がよっぽど健康的だ」
「寝たくない人間はどうするの」と僕は叫びました。「遠ちゃんは女と寝れば、それでスムかもしれないけれど、僕はそうはいかないんだ」
遠ちゃん。あなたは作家なんだから、嫌がらずにこのあとを読んで下さい。僕だって作家のあなたが見詰めねばならぬ人間の一人です。僕がどんなに不潔でいやらしくて病的でも、遠ちゃんはその僕を拒絶する権利はない。僕は文学はわからない。わからないがこのことはハッキリ言えるんじゃない? あなたは作家になった日からもう巴里時代の遠ちゃんではない責任ができた。薩摩会館の留学生や先生諸君のようにこの僕を、「あいつ、アブだぜ。醜悪だよ」と切り捨てることはもうあなたには許されないんじゃないの。遠ちゃんが僕を怒るなり、憎むなりは勿論、勝手だし自由なんだ。だがその判断は先《ま》ず、読んでからにしてよ。わかろうと努めてからにしてよ。
遠ちゃん。君にあの冬の午後、つい洩らしたように僕は、ついぞ女性と寝たいと思ったことのない男なんだ。ひょっとするとあなたは僕のことをアレだと考えるかもしれない。僕、言葉まで一寸、女の子みたいでしょう。だが僕は男色家ではないんだ。言葉使いも子供の時からの環境で自然にそうなっただけで何時も改めようとは考えているんだけれど、どうしても駄目なだけなんだ。
男色家なら僕は真実どれほど良かったろうと思っている。どんなに倖《しあわ》せだったろうと考えている。戦後の東京ならそうした欲望を充たす相手はすぐに見つけられるし、特色のある酒場や喫茶店にでも行けば充分、処理できるようになったでしょう。早い話、この巴里にくれば、僕みたいな男にも色々、誘いをかける男に不足しないことぐらい君も重々知っている筈だ。
だが僕は……そうじゃないんだ。僕は……思いきって書きます。アレではない、アレよりもっと暗い、もっとどうにもならぬものを背おった男なんです。
いつから、そうなったのか、わからない。霧のように濁った過去の海のむこうに、それでも幾つかの小さな小波《さざなみ》はみつけることができるかもしれぬ。その小波の一つ、二つをここにとりだしてみたい。
ぼくは子供の時、東京の郊外の三宿《みしゆく》に住まわされていた。「住まわされた」という言い方は変だけど、僕は早く母親に死なれて祖母の隠居所で育てられたんだ。株をやっていた父は仕事と女とにかまけて、ほとんどこの家には帰ってこなかった。
祖母はほかに兄弟のない僕を甘やかした。舐めるように可愛がったと言ってよいでしょう。なぜか知らないが僕は小さい頃、随分ながい間、この祖母から女の子のような着物を着させられたり、女の子の玩具《おもちや》まで与えられていたんだ。古いアルバムをめくると、顔色の青白い、そしてひどく神経質そうな子供が、人形を両手で押えて、ひがんだような眼つきでこちらを見ている――そんな写真が幾枚かはりつけられている。この子供が僕だ。
遠ちゃんは今の三宿を知ってるだろうが、当時、あの辺は練兵場や兵営の多い所でね、ネギ畠が方々に拡がっていたんだよ。真中をペンペン草のはえた玉川電車の線路が一本、走っているだけ。その線路の上を付近の農家の鶏が餌《えさ》を探して歩いている。電車から車掌が飛びおりて、その鶏を追う。そんなのどかな光景がまだ見られる所だったんです。
第一の思い出は六歳の時だ。六歳になった時祖母は僕を幼稚園に連れていきました。祖母がついて来ない日にはマサという女中が行き帰りの送り迎えをやってくれたのです。
我儘《わがまま》なくせに、人一倍内気で人見知りをする僕は入園した日から大声をたてて走り廻る子供たちにすっかり怯えてしまった。誰かに髪の毛を引張られる。手を抓《つね》る。そんなに苛められても叩きかえすという考えさえ頭にうかばず、ただ眼を大きく開いたまま、怺《こら》えているだけ。祖母に女の子のように育てられた僕は男の子の遊び方は一つも知らず、友だちもできなかったわけだ。
そんな僕が幼稚園に通えたのは房子という女の子を見るためでした。見ると言っても僕のことだから、今から考えると、樹木のかげにでもかくれて、髪を長く肩にたらしたこの女の子を指でもくわえてそっと眺めていたのだろうね。いつも青空のような色をした洋服を着て、胸に真白なハンカチを安全ピンでとめていた女の子だった。
房子のまわりには何時も男の子や女の子が集まってくる。彼女が何かをして遊ぼうと言うと、みんなその遊びをやりはじめる。もう、イヤ、と言いだすと誰もがその命令通りになる。幼稚園や小学校にはよくそんな我儘で横暴な君主のような子がみんなを支配しているだろう。房子がそれだったんだよ。
ある日のことだ。僕はまた何時ものように二、三人の男の子から苛められていた。折角作った僕の砂山をその一人が足で蹴ると、もう一人が髪の毛を引張ってね。例によって僕は拳《こぶし》を振り上げることさえ出来ぬ弱虫だった。恐ろしさと苦しさとで僕は泪《なみだ》を一杯、眼にためて引きずり廻されるままになっていたのだと思う。
その時、僕は頭上で子供たちを追い散らす声を聞いたんだ。それは幼稚園の先生の声じゃなかった。
「新ちゃん、およしってば。その子、いじめるんじゃないわよ」
砂まみれになった顔をあげると、房子がそこにたってよく光る黒い眼で僕を見おろしていたんだ。「ね、立って。こっちに来なさいよ」
それはまるで大人のような口調だった。まぶしい陽の光がこの女の子の長い髪の毛に光っていた。「立ちなさいよ」と房子は言った。僕は魔術にでもかけられたように立ち上った。「来なさいよ」と彼女は言った。僕はそのそばに走っていった。
「これからいつもあたしのそばで遊ぶのよ。そしたら新ちゃんなんかにイジめられないわよ」
その日から僕は木洩日《こもれび》のゆれている幼稚園の庭でこの女の子の言いつけるままに、その横で石をならべたり、唾だんごを作って遊ぶようになった。煉瓦を石でこすると赤い粉が溜る。その粉の中に唾を入れてだんごを作る遊びだ。
僕はいつも房子が唇をすぼめて白い唾を煉瓦の粉の中に吐きだすのをそっと横眼で眺めていた。なぜか知らないんだが、子供心にも僕はその時、眩暈《めまい》でもしたような気持にさせられたんだ。房子は魔法を知っていると言って僕たちを支配していたんだが魔法がなくても、僕にはこの女の子の言いつけを聞くのが嬉しかった。彼女の我儘な気分のまま、その命令通りに動くことが楽しかった。
そんな日のある時、僕は彼女が口にふくんだゴムの酸漿《ほおずき》をうっかり地面に落してしまったのを見たことがある。ゴム製の赤い丸い酸漿だった。地面にころがったその酸漿は房子の唾に濡れて光っていた。
「いいわよ。そんなの、落ちて汚いんだもん」それを拾おうとした僕を流石《さすが》に房子はそういって止めた。
だが唾だんごの遊びに飽きた彼女がみんなを連れて滑り台の方に行きかけた時、僕は誰にも気づかれぬようにその酸漿をポケットに入れた。僕はその時、六歳だったけれど、勿論、その唾に濡れた赤いゴムの酸漿が汚いぐらい知っていた。知っていたからこそ、それを拾ったんだ。房子の唾に濡れているものが僕には何よりも大切だったんだ。
第二の思い出は小学校の頃だ。僕は十歳ぐらいじゃなかったかしら。
三宿の家に静岡から若い叔母がやってきて泊っていたんだよ。叔母といっても母の一番下の妹でね、女学校を出たばかり。東京に来て縁談の来るのを待っていたのかも知れない。
ほとんど化粧はしないが目鼻だちの整った娘だった。祖母は親爺《おやじ》の母親だからこの叔母とは血のつながりはない。初めは「ノブさん、ノブさん」と遠慮した口ぶりを示していたが、その内、箸《はし》の上げ下ろしにまで嫌味を言うようになった。祖母がそうだと、僕も僕でこの若い叔母を次第に軽蔑するようになった。僕にとっては彼女がこの家に勝手にはいってきた憎らしい居候という気もしてきたんだ。祖母の言うことはきいても、この叔母の言いつけは頭から馬鹿にしていた。時には彼女を叩いたり、足蹴《あしげ》にしたこともあったんじゃないかと思う。
僕は外では遊んでくれる友達がいなかったから樹木のかぶさった暗い広い三宿の家の中で色々な楽しみを作るほかはない。その楽しみのうち、最も陰険なものは祖母に叔母のことを告げ口することだったんだ。
「本当に強《こわ》い娘《こ》だよ」祖母が独りごとのように呟くのを黙って横で聞いたあと、
「あのね、ノブ叔母さんたら、こうなんだぜ」と僕は純真そうな顔できりだす。
「子供がそんなこと言うもんじゃない」祖母は視線をそらして一応、そうたしなめる。だが、そのあとを彼女が聞きたがっているぐらい子供の僕は心得ていたんだ。夜になって茶の間の長火鉢の前で叔母はキチンと両手を膝《ひざ》にそろえたままいつ終るとも知れぬ祖母の説教をきかされる。「あの子だってこう言ってたよ。子供の教育にも悪いじゃないか」そんな祖母の声を僕は廊下一つ隔てた部屋で寝床の中からそっと聞いていたんだ。
あれは冬のある日の夕暮だった。祖母はその日、なにかの用足しで外出をしていた。僕はもうすっかり陽の翳《かげ》った自分の部屋で少年雑誌を寝ころんで読んでいたと思う。葉の落ちた庭の樹木が風になっていた。家の中はいつもよりも更に静かだった。
部屋に突然、叔母がはいってきたんだ。音一つたてず滑るように部屋にはいると黙って襖《ふすま》をしめた。
「なにさ」僕は雑誌から顔をあげて叔母の蒼《あお》ざめた顔を見上げた。「出ていけ」
「坐んなさい。そこへ」叔母は立ったまま畳の真中を足で示した。「坐んなさい」
その声は僕がそれまで彼女から聞いたことのないほど静かな圧力がこもっていたんだ。叔母の表情は硬張《こわば》っていたが、びっくりするほど美しかった。
「手を出しなさい」
言われるままに坐った僕に叔母はまた低い声で命じた。
「もっと腕をだすのよ」
それから突然、叔母は僕の腕の肉をちぎれるかと思われる程の強さで抓《つね》った。
「声をたてるんじゃない」彼女は怖《おそ》ろしい顔をこちらにむけた。「承知しないから。一寸でも声をたてると」
歯をくいしばってその痛さを怺えている僕を叔母は唇を少しゆがめ、残酷な微笑を浮べながらいつまでも眺めていた。
「いいこと、これからあたしの言うこと何でもきく?」
「きく」
「告げ口をしないわね」
「しない」
「今日のことも絶対に言うんじゃないわよ」
「言わない」
叔母は指を離した。それから唇にまだ謎《なぞ》のような微笑をうかべたまま、音一つたてず部屋から滑り出ていった。彼女が去ったあと、部屋の中は不気味なほど静かだった。僕は眼に泪の溢《あふ》れているのを感じた。けれどもその泪にくもった眼の中にまだ唇をゆがめ残酷な微笑を浮べた叔母の顔が残っていたんだ。その夜、僕は祖母に何も言わなかった。叔母がこわかったからじゃない。叔母にあのような形でまた愛されたかったんだ。
遠ちゃん。こんな思い出をいくつ書き並べたってきりがない。こういう経験ならどんな人間の子供時代にも一つや二つは出てくるものなんだから。この僕だけが味わった特殊なものでもないかもしれない。でもねえ、ほかの人には遠い出来事、何でもないエピソードとして忘れられるようなこうした経験もこの僕には生涯の下地になってしまったんだよ。種といっても良いかもしれないな。
種は種である以上、僕はもっと早くそいつをつまんで捨てるべきだった。この種から芽が出て茎が伸び葉をだし、もうどうにもならぬほど深く根をおろす前に切りとっておくべきだった。だがそれがなぜ切りとれなくなってしまったか、それを遠ちゃんにわかってもらうために面倒でも、僕の別の思い出を語らせてくれないか。この事がなければ僕は……もう少しマトモな人間として生きていたろうね。けれどもこいつがあったため、僕は生涯が変っちゃったんだ。心も情慾も決定的な一つの方向に向いてしまったんだ。
叔母のことがあってから僕は長い間、二度とそんな不思議な悦びや欲望を感じたことはなかった。体は幾分、腺病質《せんびようしつ》で、相変らず内気な人見知りのする子供だったけれども、芝の中学にはいった頃はほかの級友に比べて、そう違ってはいなかった。成績も良くはないが特に悪いというほどじゃない。弱虫は弱虫だったが組の中で同じような性格の子は三、四人はいたから友だちもできたんだよ。要するに平凡な目だたない中学生だったにちがいない。
戦争が南に拡がりはじめた年、僕は四年生になっていた。その夏休み大磯の海岸で友だち三人と過したことがある。そろそろ上級学校の入学試験を準備せねばならなかったから、漁師の家の二階を借りていたんだ。
部屋はいつも魚の臭いがした。その魚の臭いに僕たち三人の若い体臭がまじる。窓をあけると海の湿った、けだるい風しか流れこんでこない。その部屋の中で僕等は時々、勉強をやめて、獣のように光った眼でお互いの体の変化をそっと探りあっていた。遠ちゃんにも思い出があるだろう。あの夏の僕等は自分の体に生れてきたほの暗い衝動をどうしてよいかわからない年齢だったんだ。
夜になると一つの蚊帳《かや》の中で三人が寝た。誰かが寝がえりをうつ。毛布を引きずり上げる。溜息とも吐息ともつかぬものを洩らす。そんな時、耳にきこえる海のもの憂い鈍い波の音は僕にはたまらなくイヤだった。
そんな夜のことだ。どうしても眠れないので蚊帳を出て、僕は窓の所で涼んでいた。月の光が水のように屋根や路をぬらしている。ふと浜辺に行ってみようかという気が起きたので僕は下駄を引っかけて外にでた。
漁師たちの家々はひっそりと眠っている。軒の影、屋根の影がはっきりと路に落ちている。その家並を通り抜けると、突然、風が海鳴りの音と共に僕の額に吹き上げてきた。
砂浜は眼の前に拡がっている。砂丘も窪《くぼ》みも月光を反射して拡がっている。浜に曳《ひ》き上げられた漁舟が獣のようにうずくまっている。
海はむこうから黒くうねりながら押し寄せてきた。僕の眼の前で砕け落ち、砕けては抱き合うように盛り上って退《ひ》いていく。水に濡れた砂浜が銀色の魚のように飛び跳ねていた。その濡れた砂の上にたって波の一点を見つめると、僕の体までが引き込まれそうだった。
その時、僕は黒い海の波間に誰かが泳いでいるのを見つけたんだ。波の動きにかくれて、その人は急に見えなくなったと思うと、また現われた。現われたと思うと姿を消した。それから突然、すぐ近くに浮びでると、両手で波を押えつけるようにして海からたち上った。
若い女だった。白人の女だった。のみならずその人は一糸もまとってはいなかった。顔をふって額を覆った栗色の髪を払うと、長い脚で砕ける波をふみしめながら、ゆっくりと浜に近づいてきた。
月光がその人の濡れた髪や顔や真白な立派な体にかがやいていた。僕にはその肩や乳房や脚に光っている玉のような水滴まではっきり見える気がした。
その人は僕をじっと見つめながら浜に上ってきた。それから立ちどまって僕とむきあった。
長い間、二人は黙っていた。突然、彼女は右手をあげると烈しい音をたてて僕の頬を撲《ぶ》った。
水によろめいて倒れた僕の眼の前に彼女の濡れた細かい砂のついた両脚があった。その足の指を月光に輝いた波が押しよせては洗い、洗っては退いていく。僕はその人に打たれた痛みに酔っていた。その痛みは頬だけではない、五体の隅々にまで痺《しび》れるような不思議な感覚を伴ったものだった。口惜《くや》しさも怒りも僕は感じなかった。なにか暗い世界に引きこまれ、落ちていくような気がする、その暗い世界は人間が死後、すいこまれていくあの涅槃《ねはん》のようなもの、考えることも、苦しむこともなくただ眠ることのできる涅槃に似ていた。
波は幾度もうち寄せ、僕の両手、僕の衣服を濡らしていった。その人の足はもう眼の前にはなかった。(ドミナ)という言葉がその時、流星のように僕の頭を横ぎった。なぜ、そんな言葉が脳裏をかすめたのか知らない。でも僕はあの人の名がドミナであり、ドミナと呼ばれねばならぬとわかったんだ。それから……
それから長い戦争の日が続いた。僕は翌年、東京高校の理科にもぐりこんだため、どうやら兵隊に行かずにすんだんだが、もし兵隊にとられていたら僕なぞは一番はじめに苛められて死んでいたろう。あなたも覚えがあるだろうが、学校ではほとんど授業らしい授業もなく、僕も川崎の工場で飛行機の部品を作らされていたんだ。
東京は次々と焼けていく。くたびれ果てた人々がその街の中で半ば死んだように生き続けている。そんな世界で僕が考えることは、ただ一つのことだけ。あの人は何処《どこ》にいるかと言うことでした。おそらくもう大磯にも住めまい。東京にもいないだろう。だが僕は焼けただれた街を歩いても、あの人の幻影をむなしく探してたんです。あの人に会いたい。もう一度ぶたれてみたい。もう一度、あの人の足もとに倒れてみたい。あの人から受けた頬の痛みはまだ焼けつくように生々しく記憶の中に残っていた。工場で機械をまわしている時も、一日の労働で綿のように疲れて三宿の家に戻っても、僕は部屋に独り坐ってあの感覚を心に甦《よみがえ》らせることができた。空襲の夜、炎で真赤にそまっている東の空を眺めながら「ドミナ!」と叫んだこともあった。
あの人が探しだせぬことがはっきりとわかると、今度は賤《いや》しい情慾に悩まされはじめた。あさましくも手近な女たちでその渇望を充たそうとしたんだよ。そうする以外には仕方がなかったんだ。
今でも思いだすけれどそれは高校の仲間が教えてくれた新宿の淫売屋だったのよ。金さえだせば何でもするという女がいると聞いたんだ。見廻りの憲兵や巡査に見つからぬように僕は背広にゲートルを巻いて出かけたのでした。
女は僕の頼みを聞くと高い声をだして笑いました。さむざむとした部屋には空襲と見廻りを警戒して風呂敷をかぶせた裸電球がぶらさがっているだけ。その電球や僕たちの影が壁にゆらゆらと動いていたな。
「イヤだよ、そんなこと。イヤ」女はしきりに笑ったんだ。
イヤなのはこの僕の方だった。部屋も部屋の臭いもそして笑った時の女の金歯も僕にはたまらなく不潔に思われたんだ。それだけじゃない。彼女は金をもらったから心ならずも僕の要求に応じただけ。この女から芝居がかった技巧で叩かれても凌辱《りようじよく》を受けても、僕には白々とした空虚感しか感じられない。あの大磯の海岸でドミナから受けた痺れるような感覚の一片も僕は味わうことができなかった。それでも僕はこの店に幾度か通ったんです。
通わざるをえなかったんだよ。普通の男たちとちがって、この僕には自分の暗い欲望を充たしてくれる女性が何処にいよう。恋人が何処にみつかろう。
このような浅ましい十字架を背負っているのは自分だけなのだと僕は思いました。誰にも話すことのできぬ恥ずかしい秘密。一人で処理せねばならぬ欲望。恋人を持っている学校の友人たちの幸福にかがやいた顔を心に浮べ、まともに女を愛することのできぬ自分を心から汚いと思い憎みもした。しかしその時の僕はもう駄目だったんだ。房子から叔母、叔母からあの人を経て味わった烈しい感覚の思い出は消すことはできやしない。新宿の女の家で遊んだあとの空虚な気持は何時《いつ》も穴のようにぽっかり心の底に残ったけれど、僕は少なくともあの部屋にも部屋の臭いにも、鼻に皺《しわ》を寄せて笑う女にも次第に馴れていくことはできたんだ。
戦争が終った。あのドミナにふたたび邂《めぐ》りあえるかも知れない、そう思うと胸が震えるようだった。街を歩く。あの人と同じような白人の女たちに幾人も出会う。その形のよいすんなりとした脚を僕はいつも眼で追いかけた。あの夜、砂浜に倒れた僕の前に波に洗われていたあの人の足。だがこれら異国の女たちは決してあの人ではなかった。あの人は月光の中でもっと美しく、もっと残酷な顔をしていたんだ。
折角、入学した大学もやめて僕は三宿の家にとじこもるようになりました。空襲中、そういうことには目先のきく父親が捨て値で戦災地を買ったおかげで僕は勤めに出る必要もなかった。一日中、部屋に坐って僕は自分の心にきざまれたあの人の顔をカンバスに描いては日を過したわけ。だが月光をあびたあの人の表情はどうしても描くことはできなかった。その顔を本当に描ける日、彼女に会えるかもしれない、そんな気持さえしてきたんです。
(遠い国に行こう。ひょっとすると、彼女はそこにいるかもしれぬ)そう思うと矢も楯《たて》もたまらなくなり、親爺には絵の勉強をしたいとねだって、戦争が終った四年目、オランダの貨物船に乗ってしまったんだ。
遠ちゃん。あとは君も知っての通りだ。日本にいる時と同じように僕はあの薩摩会館で独りぽっちで過した。あなたたちとは話もしたくなかったし、話したところでどうにもならないんだ。僕の秘密、あの人から吹きこまれた感覚はだれにも知られたくなかった。だが月光のドミナが見つからぬ以上、僕はまた浅ましい情慾に苦しまなければならない。だから時には僕はイボンヌの家をたずね、時にはモルモットを飼い、時には……モンパルナスの裏にある、特殊な家にも行ったんだ。遠ちゃんは知らないだろうけれど、巴里にはそんな家もあったんだよ。ベルをそっと押すと、赤毛の女が戸を開けてくれる。そして階段を昇って色んな小道具のおいてある真暗な部屋につれていく……隣からは男の呻《うめ》き声がきこえてくる……。
だがそうした商売屋に出かけても僕の心はあの新宿の女の家と同じようにしらじらとして虚《うつ》ろでした。赤毛の女に叩かれても、その打擲《ちようちやく》には本当の凌辱感、痺れるような感覚が欠けているんだ。彼女は月光のドミナではない。その上、彼女のやることはみな商売のためであり、ニセものの技巧なんだ。
ある夕暮、ぼくはこの家の階段をおりようとした時、一人の青年にすれちがいました。ちょうど遠ちゃんが帰国した年の冬頃でした。その青年は外套の襟で顔をかくすようにして僕の横を駈け昇っていった。だがその顔色の悪かったこと……。彼はすれ違いざま、どんよりと曇った眼で僕を眺めました。こいつはもう完全な癈人《はいじん》になっていました。
その日、スルシエ街の下宿に戻ると僕は鏡に自分の顔をうつしてみました。僕の顔も驚くほどむくんで蒼黒《あおぐろ》いんです。窓が風にゆれて寂しい音をたててなり、巴里の冬空は灰色に曇っている。(こんなことじゃ、いけない。やめるんだ。普通の人間のようになるんだ)僕は自分に言いきかせたんだ。だが心のどこかで僕はこの業から逃げられない、一生、この浅ましい情慾を背負って生きるだろうということも感じていました。
遠ちゃん。あなたがもし此処《ここ》まで読んでくれたのなら随分、読みづらかったろうね。それよりも僕を軽蔑《けいべつ》したでしょう。嫌悪の情をもったでしょう。だが君に与えるそんな軽蔑や嫌悪感を知りながら、僕がこの帳面を君に送ったのは……本当のことを言おうか。僕はうち明けたかったんだ。自分がまだ他人から拒絶されていないことを願ったからなんだ。どんな浅ましい人間でも人間である以上、拒絶する権利のない作家商売をえらんだ君なら、この僕の孤独だけは察してくれると思ったんだ……。
※
私はその千曲の送ってきたものを一切、新聞紙にくるんで押入れに放りこんだ。始めはこの私も半分の好奇心、半分の興味で読みだしたのだが、その内に頭の痛くなるような嫌な気分におそわれたのである。率直にいうとそれは生理的な嫌悪感だった。なにか用事があって押入れをあけ、ふとその包みが眼につくと、私はあわてて視線をそらした。千曲の赤黒い唇がひょっと頭にうかんでくるのである。あの大蒜《にんにく》のような部屋の臭いがその包みから発散してくるような気になるのである。
包みの上には次第にうすい埃《ほこり》が溜《たま》りはじめた。その上に私は雑多なガラクタをおいてしまった。彼はふたたび、私には無縁な人間になってしまった。だが時々、新宿や渋谷の人ごみの中で私は千曲によく似た背のひくい顔色のひどく悪い青年にすれちがうことがあった。そんな時、私は突然、千曲の言葉を思いだす。(僕も人間である以上、遠ちゃんには僕を拒む権利はない筈だろ)私は首をふって、その言葉を大急ぎで頭の中から消そうとするのだった。
「こういう男が巴里にいた頃、住んでいました。名前は一寸《ちよつと》、言えませんが」
ある雨の夕暮、私は心理学者のM先生と偶然、おなじ車に乗っていた。その日、婦人雑誌から私は先生のお話を伺う役目を命ぜられ、ちょうど帰りがけだった。
「なぜ、こうなったんでしょう」話し終って私は一寸溜息をついた。
「いや。その男だけじゃないね」M先生は車のむれた空気に曇った眼鏡をふきながら「多かれ、少なかれ、誰の心理にもそういうマゾヒズムなり、サディズムの衝動はあるんだよ。他人を苛《さいな》みたい。あるいは他人からまともな人間としてではなく、一種の道具や物のように扱われたいというふしぎな欲望がひそんでるんだ」
「この人たちの心にもですか」私は車の窓の外を指さした。雨にぬれた歩道を幸福そうな恋人たちが同じ傘の中によりそいながら歩いていく。勤めがえりのサラリーマンがレインコートの襟をたてて足早に車道を横断する。
「そうさ。ひょっとするとこの二十パーセントはすこし病的な連中かもしれないよ。あとはそこまでいかないが。しかし近頃随分、ふえましたよ。やはり一種の文明病だね」
「どうなるんでしょう。この男なんか」
「さあ、もう一寸、救いようがないかもしれないなあ。こいつだけは深みにはまったら大変だ。泥沼みたいなものだから」
渋谷に来た時、私は車をとめてもらって濡れた路に飛びおりた。(救いようがないかもしれぬ)と言ったM先生の言葉が私の頭にひっかかっていた。
小さな酒場で酒をのみながら私は考えた。
(いいじゃないか。千曲が救われようが救われまいが、俺の知ったことか)
本当に千曲が救われようが救われまいが私の知ったことではなかった。彼は私の生活、人生、とは縁のない人間にちがいなかった。彼がその暗い情慾に苦しむにせよ、それのために孤独であるにせよ、それは私にとってもう興味のないことだった。
一年たった。押入れに放りこんだ彼のノートは雑誌や原稿用紙の屑《くず》の中に埋まって何処《どこ》にいったかわからない。あの男のことはただ一度だけ巴里から久しぶりに帰った画家の関根さんに一寸、きいたことがある。
「あいつ、まだ巴里に残ってるんですか。日本には帰らない気かしら」
「いや」関根さんはパイプの穴に指を入れて首をふった。
「巴里にもいないらしいぜ」
「何処に消えちゃったんだろう」
「知らんね。興味がない。おい、そのパイプ入れ、とってくれ」
関根さんは相変らず千曲のことには関心がないようだった。
今年の春だった。私は小沢という人から電話をうけた。お忙しいだろうが少し話したいこともあり、またお渡ししたい物があると言うのである。
午後、約束の時間きっちりに小沢さんは家に来た。私よりも四つ五つ若い眉目《びもく》秀麗な青年だった。話しているうちに私は彼が有名な舞台俳優の令息であることを知った。
「ぼくはリヨンに行っていました」小沢青年は言った。
「遠藤さんもあそこに居られたのでしょう」
「そうでしたか」私は懐かしかった。巴里に上る前、私は、あの中仏の都会で二年間もわびしい下宿生活を送ったのである。「で、リヨンにはもう日本人は沢山きているでしょうね」
「まだまだ。三人か四人ぐらいなものです。巴里に比べると問題にもなりません」
私があの霧の深い街にいた時は日本人といえばもう何十年前に仏蘭西の女性と結婚してここに住みついてしまった老人が一人いるきりだった。私は小沢さんの顔を眺めながら寂しかった自分のリヨン時代のことを思いだしていた。
「リヨンという町はあれでも非常に悪魔的な都会だったでしょう。黒ミサ(悪魔に捧《ささ》げるミサ)なんかまだ秘密|裡《り》にやっているって聞かされましたが、君も耳にしませんでしたか」
私は小沢さんが同じ大学に通った人間として家にたずねてきてくれたと思ったから、しきりに街のことを話題にのせようとする。
「いや」だが小沢さんは首をふった。「遠藤さん。千曲という人、御存知ですか」
「千曲? 絵をかいている千曲?」
「ええ。リヨンに千曲さんもいたのです」
机の上においた風呂敷包みを膝の上におくと小沢さんは話しはじめた。
千曲は小沢青年がリヨンに留学してから半年ほどたってこの街にやってきた。駅に近い裏町の小さなホテルで下宿していたらしい。ほとんど小沢さんとも他の三、四人の日本人とも交際はしなかったのである。そんな話をききながら私は薩摩会館時代の彼とそっくりだなと思った。
「気持のわるい男だったでしょう?」
「いや」小沢さんはだまって微笑した。
「今もリヨンにいるのですか」
「死にました」
「死んだ?」と私は驚いた。「自殺でしたか」
だが自殺ではなかった。千曲はサン・チレーネ病院で病死したのである。肺結核ではないが肺に悪性の壊疽《えそ》ができその手術中に死んだのだった。
千曲が亡くなったという知らせは流石に私の胸にある感慨をよび起した。私はなぜかその時、あの薩摩会館で彼が去ったあと、弱い冬の夕暮の陽ざしが床の上にたまっていたわびしい部屋を思いだしていた。
「ほかに友人もない人なので後始末をぼくたちリヨンの日本留学生がやって」小沢さんはしんみりと言った。「千曲さんの持物にはトランクが一つあったのですが、そのなかにあなたに宛《あ》てた紙包みがはいっていました」
風呂敷の結び目をといて小沢さんは細長い紙包みをとり出した。
「中身は何でしょうか」私はそれを受けとりながら訊《たず》ねた。
「さあ、存じません」
小沢さんが帰ったあと、私はその包みの中から、また一冊のノートを見つけた。だがそのノートの中に一枚の紙がはいっていた。紙には例の活字のような千曲の字体で、
(この帳面を読んで下さい)
そう書いてあるだけだった。
(十月二十日)リヨンに来てしまった。来てしまったと言うよりは遂に此処まで堕《お》ちたという感がふかい。
僕がこの街の話をきいたのは二週間前だった。夕暮、モンパルナスにある例の家から逃げるように外に出た時、一人の中年男と戸口で出あった。立派な外套を着こんだ商人風の男だったがそのひどく黒ずんだ眼の周りや唇を見ただけで彼もまた僕と同じ病気の人間だとわかってしまった。
彼は僕の前をゆっくりと歩いていった。お互いにどういう人間か察しているだけに具合がわるかったのだ。突然、彼はたちどまると葉巻に火をつけるようにして僕を待った。「ムッシュー。お差支えなかったらお茶を御一緒にしませんか」男は礼儀正しい言葉で、しかし僕の顔にその口をちかづけて低い声で誘った。
珈琲《コーヒー》店で僕たちは何時間しゃべったことだろう。長い間、孤独だったため同じ仲間を見つけたという嬉しさで僕の胸は一杯だった。その男はリヨンの商人で、取引きのため巴里に上ってきたと言っていた。
「あんな家はツマらない」珈琲茶碗を両手でかかえるようにして男は呟いた。「リヨンにはもっと楽しい家がある」
僕は肯《うなず》いた。金をとるために赤毛の女が僕たちにやってくれるのは義務的な演技である。本当の拷問ではなくてニセの拷問。本当の苦痛感ではなくて白々とした虚ろな感覚しか彼女から味わったことはない僕には男の言葉は全く同感だったのだ。
「でも何処で僕たちは満足させられるでしょうか。何処にもありやしない」
僕はこの十何年間の長い歳月を思いだしていた。新宿の女。赤毛の女。女の家を出る時、僕の胸には何時もうつろな風が吹きすぎていくような気がしていた。
男は長い間、探るように僕の顔を見ていた。それから声をひくめて「君は信頼できるだろうね」
「と、思いますが」僕は何かを期待しながら肯いた。
「リヨンに行きなさい」男は顔を近づけて教えてくれた。「商売のためじゃなくて、同じ苦しみを持った人たちが集まる家がある。私が紹介状を書こう。このロック夫人という女に電話をかけるんだ」
男と別れて僕はひとりでモンパルナスからポール・ロワイヤルにむかう長い歩道を歩いた。枯葉が一面に歩道を埋めている。僕は彼の書いてくれた紙をポケットの中に触れてみた。苦痛と悦びとのまじったふしぎな感覚が胸を疼《うず》かせた。
だが下宿に帰って、独りで椅子に腰をかけていると、静まりかえった部屋の何処かで、(行くな。そんな所に行くな)と必死で僕をとめる声が聞えてきた。(お前はまともな人間になろうと決心した筈じゃないか。やめるんだ。もう一度、人生をやりなおすんだ)部屋の中はもうすっかり真暗になっている。時々、中庭の方で子供が唄を歌うのがきこえる。僕は長い間、灯もつけず椅子の上に腰をかけていた。だが今度はその闇の中で男の教えているロック夫人の家が眼にうかんだ。緋色《ひいろ》の垂幕が窓も壁も覆っている。部屋の中には香の匂いがたちこめている。そしてロック夫人が薄絹を着たまま、もの憂げに寝台に横になっている。(行くな。そんな所に行くな)僕は首をふって眼に浮ぶ様々な光景を追い払おうとした。
二週間、僕はこの妄想と闘い続けた。今までの経験から言ってベッドにもぐりこんで眠るまでの間が一番、こうした想像をかきたてるのを知っている。だから僕は無理にでも書物を寝床の中で読もうと努めてみた。だが白い頁と頁の間から薄絹をまとったロック夫人は現われた。
汽車がローヌ河をまたがる鉄橋を渡った時、僕は自分が遂にリヨンに来てしまったことに気がついた。どのように下宿を出て、どのように汽車に乗ったのか、はっきり思いだせぬ。こう言えば誇張にもなるが本当にそうだった。昨日の朝、僕はまだ決心がつきかねていたのだ。それが何時の間にか鞄《かばん》に衣服を詰め駅に行き、リヨンにむかう夜汽車に憑《つ》かれたように乗っていたのだった。黒ずんだ霧がまだ眠っているリヨンの街を覆っているのを汽車の窓から眺めながら、僕は(まだ引きかえすことができる)と考えた。だが一方では自分が引きかえさぬだろう、あの男の紹介状を持ってロック夫人をたずねるだろうと感じていた。眼には見えぬ何か強い力が僕を一歩、一歩、こうした地獄の中に堕《おと》していく。僕はそこから逃れようとする。だが逃れられぬことは知っているのだ。
(十月二十二日)およし。紹介状を破いて捨てなさい……彼が僕の耳もとに囁《ささや》き続ける。(はじめは辛いだろう。だがその辛さはこれからお前が味わい続ける苦痛にくらべれば耐えられるものなのだから。我慢しなさい。せめて二週間我慢しなさい)彼は僕にそう言う。彼とはこの頃、ぼくに呼びかけてくるあの影の声のことだ。彼はどこにでも僕についてくる。部屋の中、階段、ベッド、至る所で彼は僕がロック夫人の所に行かぬように必死になって止めている。その声を僕は近頃(彼)と考えるようになった。なぜなら彼は僕ではないからだ。僕はその声にもかかわらず、どうしても浅ましい情慾のため押し流されていく男だ。
今日、電話を手に握った時も彼は泣きそうな声で叫んだ。(受話器をおきなさい。一度、ダイヤルを廻してしまえば……)
だが僕はダイヤルを廻した。どうしようもない。長い間、受話器の奥で相手を呼び続けるベルが鳴っていた。それから――それからあかるい、よく澄んだ若い女の声が聞えてきた。
かすれた声で僕は巴里で会ったあの男のことを話した。
「明後日の夜、いらっしゃい。その夜、集まりがあるんです」ロック夫人は心得たように答えた。「勿論《もちろん》、どなたにもおしゃべりにならぬことは約束して下さいますね」受話器をおいた時、手はまだ震えていた。夕暮になってから僕は外に出た。夫人から教えてもらった住所の家を一刻も早く見たかったからだ。明後日まではとても待てなかった。サン・ジャンからバスに乗り五つ目の停留所でおりる。右側は学校で、その長い塀が鉛色の道のむこうまで続いている。左に同じような形の鉄の柵《さく》でかこまれた家が幾つか並んでいる。ロック夫人の家はその中の一軒だったのだ。窓にはカーテンがしまっている。灯はともっていない。それは僕がこの二週間、想像していた暗い陰気な彼女の家とはあまりにもちがっていた。
(十月二十五日)ホテルには何時に戻ってきたのか憶《おぼ》えてはおらぬ。それから何時間、眠り続けたのかも知らぬ。眼をさますと部屋は真暗だ。舌も咽喉《のど》も海綿のように乾き切っている。
だが始めから思い出そう。正確に書くんだ。昨夜、僕は十時にホテルを出た。その十時になるまで、僕は椅子に腰をかけたまま彼の哀願を冷やかに聞いていた。彼とは例の影の声のことだ。彼は僕を時には脅かし、時には理窟《りくつ》をこね、そして最後は泣くように訴えはじめた。(行くんじゃない。他の所なら何処にでも行っていい、たとえそれが裏町の娼家だとしても、その方がはるかに良いのだから。あの女の家でお前が教えられることは、ただの情慾じゃない。一度、沈んでしまえばもう浮び上ることの出来ない泥沼なんだ。私でさえその沼からお前を救うために手を掴《つか》むこともできぬかもしれないのに)僕は黙っていた。何時間も彼は囁き続けたが僕の心はもう定《きま》っていたのだ。ベッドの横においた時計が十時を指した時僕はたち上って外套《がいとう》を着た。戸口の所で彼はもう一度、たちふさがった。(どうしても行くのか)そして最後に悲しそうに呟《つぶや》いた。(では行きなさい。私には辛いことだけれどもその情慾がいつかお前に私を求めさせるだろう。情慾の底の底まで沈んだ時、お前は私に手を差しのべるかも知れぬ。たとえ誰がお前を見捨てようとも、私だけはお前を忘れはしない)
僕は階段をかけおり、霧に包まれた路を歩いた。ローヌ河からたちのぼる霧は街路樹も家も塀もすべてを消してしまっている。店は戸を閉じて眠っている。一昨日、下見をしておいたからその霧の中で夫人の家を探す必要はなかった。
ベルを押すと洒落《しや》れた洋服を着た青白い青年が戸をあけてくれた。彼は夫人から僕のことを聞いていたのだろう、肯いて玄関に入れてくれた。廊下を歩きながら眼に黒い隈《くま》のできたその青年は突然僕に訊ねた。
「君は苦痛の方ですか。凌辱の方ですか」
「|え?(パルドン)」僕はその意味が解せなかったので聞きかえした。
「いや」青年は微笑した。僕は彼の唇が妙に赤いのに気がついた。口紅をつけていたのかもしれない。「会の人には苦痛を求める人と凌辱を欲しがる人と二種類あるんでね。始めての人はまだ自分の好みが区別つかないが、まあそのうちにはこの微妙な感覚のちがいがわかってくるでしょう」
僕は黙っていた。わからなかったからだ。あの大磯の夜の海で僕が味わったものは苦痛の悦びであったのか、それとも凌辱を受けた悦びであったのか、その違いさえ考えたことはなかった。あの人から打たれた時、痺れるような痛みを頬に感じはした。しかし波に洗われた砂浜に倒れた時味わったものはその痛さの悦びとはまた別のものだった。
「あなたは?」僕は唾を飲みこみながら訊ねた。「どちらなんです」
「僕? 僕あ、後者です」と青年は赤い唇にうすい笑いをうかべて答えた。「本当のこの快楽は苦痛よりも凌辱の方にあると思っていますよ。僕らが痛さをほしがっていると思ってるのは世間の心理学者たちの間ちがった考えだな。あいつ等ときたらマゾッホの本を後生大事にかかえこんでいるんですから。ね、君、マゾッホの小説の欠陥はあまりに苦痛感を強調したことですよ。あれはウソだ。僕等は人間ではなく物にまで引きさげられたい連中なんです。いいですか。物にですよ」
廊下はスチームの熱さが金属の焼けるような臭気と一緒にこもっていた。僕は眩暈《めまい》がしそうだった。
「さあ。もし、君が苦痛だけがほしいなら右の部屋にいらっしゃい。でなければ左の奥の方なんです」
廊下の真中で彼は壁に靠《もた》れて足をくんだ。その廊下は病院の内部のように暗い電燈の光をつけて真直ぐに伸びていた。
「左の方に……」と僕はかすれた声で答えた……。
左手の部屋をあけると三人の男が椅子に腰かけていた。部屋の中は手術室のようにあかるかった。なぜか僕は衣服を剥《は》ぎとられたような恥ずかしさを感じた。男たちは僕をチラッと見上げたがもの憂げに眼を伏せた。
「坐んなさい。ムッシュー」僕がそのまま戸口にたっていたので、一人の男が独りごとでも言うように呟いた。ほかの二人は黙っていた。
「始めてですか。あんた」
「ええ」僕は椅子に腰をおろし両手を膝にのせた。
「始めての時はいい」
疲れたように彼は言った。その男の顔もやっぱり蒼白《そうはく》だった。眼のふちに黒い隈ができている。モンパルナスの女の家で見た青年、僕をここに紹介してくれた商人、彼等も皆この男のように黒ずんだ眼ぶたをしているのを僕は思いだしていた。
「なぜ、始めての時はいいんです」
「今にわかる。あんたも私たちのようになるね。最初は長い間の望みもやっと充たされたと思うんだが、やがてそれだけでは飽きがくるんだ。もっとあたらしい方法が欲しくなる。すぐそれも駄目になる。次の刺激を考える。最後にはどんな方法を考えても無駄なんだ」
彼がしゃべっている間、あとの二人は一言も言葉をはさまなかった。彼等は眼をとじたままその会話に耳を傾けていた。
「じゃ、なぜここに来るんです」
「ほかに行く所があるかね。家庭で女房にこの苦しみを治してくれと頼むのか。この人だって」彼は椅子に眼をとじている眼鏡をかけた頭のはげた男を指した。「ピエール。いいだろう。あんたのこと、話しても。このピエールだって外に行けば中学校の先生だ。家では三人の子供の父親だ。いいかい。だが彼の本当の心の欲望をだれが察してやったかね。人にはうちあけられぬ恥ずかしい欲望だもの。それを充たしてくれるのはここのロック夫人やその友だちしかいない。私だってそうだ。私はこの四十年間、一つのことしか願わなかった。自分でもわからぬ欲望だ。あんただってこの気持はわかるだろう」
その時、部屋の戸があいて先ほどの青年が顔をだした。準備ができたというのだった。三人の男たちはたち上り、それぞれ廊下に消えていった。
「ここでいいんだよ、君は」と青年は彼等と同じように廊下に出ようとした僕を手でとめて、
「もうすぐ女の人がここに来るからな。その人はマダム・ラバンと言うんだ。君はここで待っているんだ」
それから彼は別の出口から姿を消してしまった。僕は両手を膝においたまま待っていた。どれくらい待ったのかわからない。秒をきざむ時計の振子の音がきこえるような気がした。だが真白な壁のどこにも時計はなかった。それから廊下をこちらに歩いてくる跫音《あしおと》を僕は耳にした……。
(十二月二十七日)二カ月の間、この帳面に何も書かなかった。書かなかったのではなく書けなかったのだ。堕ちる所まで堕ちたというのが今の本当の僕の気持だ。霧が今夜もリヨンを包んでいる。この安ホテルの窓を一寸でも開くと黄濁色の霧が流れこんでくるのだ。この頃はなぜか知らぬが、ひどく胸が痛い。結核にかかったのではないかと思う。
だが今の僕は病気にせよ病気でないにせよ、ほとんど屍《しかばね》のようなものである。鏡にうつる顔はどす黒くなり、それに眼のふちにも黒い隈ができた。あの家に行く連中と同じ顔になっていく。これが僕等の種族の顔だ。
僕は今、霧の中を長い間、歩きまわっていた。駅前の広場には牡蠣《かき》を売る老婆が一人、青白いアセチレン・ランプの下で腰かけている。その横で一人の男が駅から出てきた四、五人の労働者にとりかこまれながらビラを渡していた。彼は僕にもその一枚をくれた。
「幸福を願わぬ者はない。平等を願わぬ者はない。その願いを充たすのは共産党のみ」
アセチレンの灯影で僕は印刷のわるいその文字を読んだ。だがこの霧の中で今、眠っている人間の中には不幸や苦痛や死さえ求める連中もいるのだ。ロック夫人の所に集まるあの孤独な男たちがみなそうだ。そして、この僕がそうだ。
そう言えばこの頃僕は彼の声を聞かなくなった。彼とはあの影の声だ。僕がここに来ることを、ロック夫人の家に行くことを必死になってとめた声のことだ。
僕は窓に顔をあてる。これから僕がどうなるのかわからない。でもロック夫人の家で僕は決してドミナを見つけることはできなかった。あのくたびれた男が教えてくれたようにある刺激に飽きると次から次へと新しい刺激を求め、それにももうなにも感じなくなったのが今の僕だ。ドミナは追いかければ追いかけるだけ遠くへ逃れていく。
彼ももう近頃は何も言わなくなった。彼とはあの影の声だ。僕がリヨンに来た時、あの夫人の家をたずねる時、必死になって止めた声だ。(だがお前がその泥沼から手を差し伸べる時)と彼は言っていた。(人々がお前を見捨てても私はお前を忘れない)だが僕にはどうしようもない。この浅ましい情慾の行きつく所まで行くより仕方がない。
ノートはここで終っていた。千曲がこの続きをどのように書きつづけたかと私はぼんやりと考えたが、これ以上もう読む必要はないようにも思われる。私の部屋にはちょうど夕暮の弱い光が少しずつ退きはじめ、その代り灰色の翳が次第に忍びこんでいる。その翳の中に身を委《ゆだ》ねていると、私は千曲も私も小沢さんも住んでいたあのリヨンの夜がふと心に甦ってくる。人影のない窓の外に黒ずんだ雪が冷たく光り、教会の鐘が時々、時刻をつげる以外は物音一つしないリヨンの夜。その夜のなかで千曲がきいたという影の声とは一体、何ものなのだろうか。私はあのジュリアン・グリーンがある日、自分の主任司祭に悲しく告白した会話を考えた。「基督《キリスト》は世の終りまで、私たちの苦しみを背負ってくださると言われました。でも基督は私たちの一番辛い苦悩、私たちの肉慾の苦しみを知らないのでしょう」
グリーンのその言葉に、司祭は長い間だまっていた。それから彼は眼をつむったまま首をふった。「いいえ、彼は我々の肉慾の苦しみも背負ってくれるのです。背負ってくれるのです……」
パロディ
※
もう十一時ちかくだ。今日もこれで、そろそろ終ろうとしている。先程までテレビを囲んでいた君と女中とは子供をあやしながら茶の間であかるい笑い声をたてている。たった今、家の前をタクシーの軋《きし》る音がした。隣の向井さんがまた会社の宴会から遅く御帰還らしい。ぼく等の家は平凡な郊外住宅地の一角にあるから、こんな時刻になると、もうひっそりと静まりかえってしまう。
君は今、ぼくがなにをしていると思う? ベッドの上に寝ころんで小説か、雑誌でも読んでいると思っているだろうか。それとも何時《いつ》も就寝前にそうするように、日記でもつけていると考えているのだろうか。
ぼくが今、書いているのは日記ではない。ぼくは結婚以来、大学ノートに欠かさずその日の出来ごとをつけてきたが、それは君が見てもほとんど興味のない事務的な仕事のメモにすぎぬ。その中にぼくは殊更に毎日の自分の気持を書くことを避けてきた。
なぜ、そうしたかというと、別に君に読まれる場合を考えたためではない。第一、君は今日まで決してぼくの日記を見ようとしたことのない女だ。たとえ、このノートが誰もいない日に机の上にほうり出されていたとしても、君は絶対に覗《のぞ》きこんだりはしないだろう。夫のひそかな気持や秘密を知りたい好奇心は君にもあるだろうが、一種の育ちの良さがそうした卑劣な行為を君に許さないのだ。ぼくは君の性格を知っている。たとえ友人たちから「そう思いこんでいるのが甘いのだよ。夫の引出しを探らん女房があるかい」と言われても、君にはそんなことは出来っこないとぼくは考えている。
二年前、ぼくたちは結婚した。それはほとんど見合い結婚にちかいものだった。二人は偶然、同じ大学の、同じ仏蘭西《フランス》文学科の先輩、後輩の間柄だったのだが、勿論《もちろん》、学校では一度も顔を合わせたことはない。巴里《パリ》にぼくがいた時、知り合った君の妹に、紹介されなければ、二人は出会う機会はなかったろう。
姉妹でその後、ぼくの家に遊びにくるようになっても、ぼくは君が自分の女房になろうとはついぞ、考えたことはない。万事につけて派手で頭の動きも早い君の妹の方が遊び友だちとしては面白かったし、君はただ横でいかにも女子学生らしい洋服を着て、微笑をうかべていただけだったからである。むしろ君を見て我々の結婚を奨めたのはぼくの両親である。
奨められて見れば、学校も同じ、先輩や知人や友人も多い点が、ふっとぼくの心を動かした。学校から帰ったあと、母親に代って万事、家事を監督しているという君の家庭的な性格も考えてみた。君ならば、まずまず、危なげのない妻になるだろうと、ぼくは思ったのだ。
正式の婚約をとりきめる前の日、父が君を食事に招《よ》んだ。ぼくが外出先から少し遅れて帰ると、夕暮の暗い応接間で白い綸子《りんず》の和服を着た君が、両手を膝《ひざ》の上にきちんと重ねて、父の話を黙ってきいていた。ぼくの顔をみるとホッとしたように微笑《ほほえ》んだ。「なかなかいいお嬢さんじゃないか」何かにつけて近頃の娘は、と言う父も、あとで君のことを賞めていたのである。
婚約期間といえば一緒に出かけたり、食事をしたりするのが普通だろうが、ぼくらにはほとんど、そんな機会はなかった。子供の時から日本舞踊をやっていた君は師匠すじに当る人がちょうど、その頃、弟子たちと仏蘭西に行くことになったので、通訳かたがた一緒に渡仏したからである。
八月の入道雲が真白に赫《かがや》いている日に、君は羽田からエール・フランスの飛行機に乗って行ってしまった。見送りに来た人たちと別れる時、君はチラッとぼくの方をむいて困ったような顔をして微笑んだ。ふしぎなことだが、ぼくはその時、別に寂しいとも、不安だとも思わなかった。君ならばむこうの国で万事、きちんと生活をし、失敗をすることはないだろうと考えていたのだ。
ニースから、モナコから、カンヌから、マルセイユから、君はまめに短い便りを寄こした。英国に行けばロンドンの、独逸《ドイツ》に旅行すればライン河の絵葉書を送ってきた。そうした便りには、いわゆる婚約者同士がかわす歯の浮くような甘い言葉の一つもなかった。と言って、事務的な無味乾燥な手紙でもない。君はほど良く、こちらの気持も考え、かしこい文章を書いてくれたのである。こうした婚約期間中にぼくが一番、おそれたのは君が日本を離れ婚約者を持っているという莫迦莫迦《ばかばか》しい感傷に酔うことだった。なにごとであれ、陶酔した人間を見ることの嫌いなぼくは、これらの手紙を見て更に安心したものだ。
一年たった夏、君はラオス号という白い船で横浜に帰ってきた。君の家族にまじって埠頭《ふとう》に出むかえたぼくを始めて見た時、君は例の困ったような微笑を顔にうかべた。
「何時、お前たち結婚をする」と父にきかれた時、「さあ、二人で良く相談してみましょう」とぼくは返事をした。君がまだ大学を卒業していない女子学生であることを考えたからだ。だが、その相談を持ちかけた時、君は「何時でも……」と答えて、また、少し、くるしそうに微笑んだ。
こうしてぼく等は結婚をした。
ここまでは何でもない。だがこれから書くことは時として君の心を傷つけねばならぬ部分、自分でも顔を赤らめる個所が出てくる筈だ。
自惚《うぬぼ》れでないならば、ぼくは今日まで世間並みには君にたいしては善良な夫、子供にたいしては良い父親になろうと努めてきたつもりだ。少なくとも他の男たちに比べて、それほど劣らぬ亭主であろうと心がけてきた筈である。そして君自身も今日まで特にぼくを非難しなかった所を見ると、そう考えていると思っても間違いではないだろう。その君の持っているイメージを今更わざわざ突き崩す、そんな権利がぼくにあるか、どうか、わからない。わからないが、今夜ぼくはどうしても書かずにはいられぬ気持になったのだ。ただ書くこと、書いて引出しにこの紙を放りこむだけでいい。あるいは火をつけて燃やしてしまってもいい。それだけでも心は鎮まり、ある疏通《はけ》口《ぐち》を見つけてくれるだろう。
本当のことを言おう。結婚して一週間もたたぬ日に、ぼくたちが残暑の日差しがまだカアッと照りつけているお茶の水の坂路を歩いていた午後を君は憶《おぼ》えているか。(新婚旅行から帰った翌々日のことだ。なぜ、あの日、あの坂路を歩いていたのか、ぼくには今よく思いだせない)
ちょうど二時頃のことで、あの付近の学生街から学期始めの授業を終った学生たちが駅にむかって歩道に溢《あふ》れていた。Yシャツを腕まくりした彼等の間にまじって、底の平たい靴をはき、白いブラウスを着た女子学生たちの姿も見えた。彼女たちはぼくたちの横を通りすぎる時、一寸《ちよつと》まぶしそうな表情でこちらを眺め、視線をそらした。
その時、ぼくは君もまた、彼女たちと同じように女子学生の身であることを思いだした。式の間にも旅行の時にもそれをぼくはすっかり忘れていたのだ。本当ならば今日、この昼さがり、君は大学のあの固い椅子に坐って、ぼくよりずっと年下の学生たちと万年筆を走らせながらノートをとっている筈だった。彼女たちと同じように底の平たい靴をはき、シャボンの匂いのする白いブラウスを着ている筈だった。
だが、君はぼくを一寸みあげると膝のあたりに和服用のハンドバッグを両手で軽く押えてすこし上眼づかいに笑った。その表情には、なぜかぼくをハッとさせるような、今まで見たことのない人妻の表情があった。それは一年の婚約の間に、なにか真面目な決意を強いられる時、君が顔にうかべた娘らしい困ったような微笑ではなかった。(いつ変ったんだ。こいつは)
ぼくは君の少し濃い化粧や油で光っている若妻風の髪の形を驚いて眺めまわした。だがその変化は決してそうした外見のためだけではなかった。どこが違っているとはっきり言うことは出来ないが、君の歩きぶりや声の調子までが、もう娘ではない一人の成熟した女のようになっていたのである。
その瞬時恥ずかしいことだが、ぼくは非常に狼狽《ろうばい》した。式を挙げてから僅か一週間もたたぬ内に、君はもうすっかり妻に変っている。君の視線の中に(私が変ったように、あなたも今は夫として変っている筈ですわ)というひそかな自負と要求とをぼくは感じとった。だが、ぼくは自分が夫であること、一人の女に一生つながれるだけの決心をした夫であることが自分にも実感として浮んでこないのだった。まるで毛虫がその翌日には似ても似つかぬ蝶に変るように、君はまたたく間に脱皮して娘から妻になっていたのだ。そして君はそれをあたり前だと思い、少しも疑ってはいない。女とはこのように平気で変身も脱皮もできるものなのだろうか。だが男はとてもその速度には従《つ》いていけない。
残暑の照りつけるあの坂路で、ぼくはその時なにかを失ったこと、何を失ったのかわからないが、兎に角、あるものを生涯、捨ててしまったのを感じていた。これからは、ぼくは青年でも男性でもなく一つの家庭の主人として、夫として生活をせねばならぬ決心を少し苦い薬でも飲むように、ぼくは飲みこんだ。あさましい話だが、そばを通りすぎて行く青年や娘たちを、むさぼるように眺めたのだった。
夫であるぼくの口から、こういうことを言うのは可笑《おか》しいが、予想していた通り、君は申し分のない妻だった。結婚後も手頃な家がみつからぬままに、父の離れに住んでいたのだが、独身時代はどんなに掃除してもらっても男の体臭のとれなかった部屋が、君と一緒に生活して以来、みちがえるように美しくなった。洋服にはきちんとブラッシがかけられ、Yシャツが穢《よご》れていたことは一度もない。
外出先から帰ってくると、ぼくが部屋の中に嗅《か》ぐものは先《ま》ず家庭の匂いだった。清潔で、きちんと整理された良家の匂いだった。その家庭は今まで長い間、暮していた両親の家庭ではなく、まさしくぼくのものだった。真中に君が坐り、そうした匂いを周り中に漂わせている。(さあ、これがあなたの家庭だわ)まるで君の存在はそう言っているようだった。(あなたはこの家の夫。私は妻。これが私たちの家庭。だからあなたは夫の義務、以外には何をなさってもいけないんです)
「俺の世話ばかりせずに」ある日、ぼくは君にすこしくたびれた声で呟《つぶや》いた。「自分の勉強もしてくれよ。そろそろ卒業試験だろ」
結婚以来、ほとんど君は学校に行ってはいなかった。学校に行くよりは、まず家事に夢中になる方が君の性に合っているようだった。
「大丈夫よ。何とかなるわよ」
「何とか、ならなかったら、どうする」
「なら、それでいいじゃないの」アイロンをかけながら君は微笑して答えた。「もう学校をやめたっていいのよ。結婚したのですもの」
その時、なぜか結婚以来はじめて、ぼくは君にかすかな憎しみを感じた。君が学校をやめてもよいと言ったためではない。そんなことはどうでも良い。ぼくは女が文学などを勉強するより、もっと別のことを習った方がよいと考えている旧式な男である。だが君が健全な女房になろうとすればするほど、ぼくはなにか重くるしいものを心のうちに持ちはじめた。それはおそらくぼくの我儘《わがまま》にちがいないだろう。にもかかわらず、この不満、このかすかな憎しみが何処《どこ》から来るのか掴《つか》めないままに、それはしばらく心のうちで燻《くすぶ》っていたのである。
それから二、三日したある日、外出先からの帰り路、ぼくは疲れた体を電車のつり皮で支えながら、真直ぐに帰りたいという気持になれなかった。電車を乗り変えねばならぬ新宿のホームで、ぼくは少し考え、人々の間にまじって外に出た。その外には霧のような秋雨が降っていた。
独身時代と同じように雨の中をぶらぶら歩く悦びがぼくの胸をしめつけた。赤や白のすきとおったレインコートを着て若い娘たちが歩道を通りすぎていく。ビヤホールの中にはテレビを見ながら色々な男がジョッキを傾けている。ぼくは当てもなく街をふらつき、小さな洋食屋で飯を食い、それから久しぶりで酒湯にはいってみた。
女給たちとたった独りで話をするのは一苦労だった。だがぼくは彼女たちのそばで何か鎖から解き離されたようなこころよさを感じていた。
十一時頃、帰宅した時、君はまだ寝ずに待っていた。「田崎君にさ、途中で出会ってつき合わされてね」とぼくは寝巻に着かえながら呟いた。「そう。たまには外でお酒を飲むのもいいでしょう」君は脱ぎ捨てたぼくの洋服をたたみながら、時には手綱をゆるめねばならぬ夫の心理を万事心得ているように答えた。ぼくはその時、酒場の女たちのあの無関心な眼、金以外には何も要求しない気楽な眼のことを思いだしていた。
※
結婚以来、君は少しずつ肥っていった。腕にも胸にも腰にも毎日は目だたぬが肉がついていくのが一緒に生活しているぼくにもわかってくる。
「去年の洋服、なんだか小さくなってしまったわ」
一緒に外出をする時なぞ、君は鏡の前にたって、しきりに体の線を気にする。
「肥ったって、いいじゃないか」ぼくは煙草を横ぐわえにして新聞に眼を落しながら、気のなさそうな返事をする。
「そうはいかないわよ。着られなくなったら勿体《もつたい》ないわ」
その女房らしく脂肪のつきはじめた君の腹部がそこだけ特別に膨らんでいるのにぼくはある朝、気がついた。
「君」とぼくはかすれた声で言った。
「ええ」君はその時、久しぶりで娘時代によく、やった、あの困ったような微笑をうかべた。
「五日ほど前、母と病院に行ったんですけれど、やっぱり、そうなんですって」
それから、ぼくがしばらく黙っていると君は不安になったのであろう、小声で「嬉しくないの?」とたずねた。
「そりゃ、嬉しいさ」
だが、ぼくには自分が父親になるという実感も悦びもほとんど胸には湧《わ》いてはこなかった。ただ、一種奇妙な恥ずかしさに捉《とら》われただけだった。この間まで俺は普通の青年だった。それが夫になり、またたく間に父親になっていく。この外部から押しつけられた変身を前にして、実際、ぼくは戸惑っていたのである。
けれども君はちがっていた。妊娠をぼくに告げた翌日から君は素早く、母親に、しかも賢い母親になり変っていた。生れてくる赤ん坊のため、カルシウムを飲む。あたらしい育児の本を買ってくる。「蹴《け》るわよ。ここを時々、蹴るわよ」産衣《うぶぎ》を頬にあてながら、君はもう母親らしい眼の細め方さえやっていた。
生れてくる赤ん坊、とぼくは考えた。だが、その顔もその肉体もぼくには見えなかった。全く無関心ではなかったが、父親としての本能愛はまだ、ぼくの裡《うち》に生れてはいなかった。雨の降っている日に、陽のあたる風景を想像するように、ぼくは遠い所に父親としてのぼくの姿を手探るより仕方はなかった。
ある日曜日の午後、ぼくはふと部屋の真中に坐っている君を見た。すっかり前に膨らんだお腹《なか》に両手をあてて、君は窓から差しこむ西陽を顔に受けながら、ぼんやりと何処かを眺めていた。それはいかにも重そうな体だった。脂肪のすっかり、ついた体だった。
それを見つめながら、ぼくはなにか眩暈《めまい》に似たものを感じていた。この君は、もうあの婚約の前日、応接間で白い綸子の和服を着て、両手をきちんと膝に重ね、腰かけていた娘時代の姿ではない。膝の上のハンドバッグを両手で軽く押え、少し上眼づかいに微笑んでいた若い妻の君でもない。君のどこからか、一本の太い根が生え、その根が地中に深くもぐりこんでいくのが、その時、ぼくにははっきりと見えたのだ。家庭という小さな世界の上にすっかり腰をおろし、押しても引いても動かぬようなどっしりとした重量感がそこにあった。君はもう女性ではなくまず妻であり、そして母親になる女だった。
「そんなに子供が可愛いか」
ぼくは少し、嗄《しわが》れた声で言った。その声に驚いて君はこちらをふりかえり、曖昧《あいまい》な笑い方をした。
「可愛いわよ。あたり前よ」
「まだ生れてこない前に、そんなに可愛いか」とぼくは更にしつこく訊《たず》ねた。
「そりゃ、母親の本能ですもの」
「母親の本能など俺は信じないな」
急に君に反抗したい気持に駆られて、ぼくは学生の頃、近所に起った実際の出来ごとを話しはじめた。それは看護婦をしていた若い母親の犯行だった。寡婦である彼女はある男と結婚するために邪魔になった七歳の娘を、ある朝、台所に入れてガス栓をひねったのである。娘が死んでいく間、その母親は隣室に寝ていた男の横に同じように体を横たえて、事が終るのを待っていたのだ。
「うそだと思うかね。この話」今から思うと滑稽なほど、ぼくはむきになった。「その看護婦を見たことがあるぜ。娘の手を引いて買物なんて行ってさ。そんなことをするような女じゃ、なかったんだ」
君は西陽を顔に受けながら、相変らず、窓の外を眺めていた。その窓のむこうに隣家の子供の小さな洋服が干してあるのにぼくはやっと気がついた。君はぼくの愚劣な話など聞かず、その洋服をじっと見つめていたのだった。
「どう思う。こんな母親を」
「馬鹿じゃない? その人」君はただ、うるさそうに一言、答えただけだった。
あとになってぼくは自分のこの時の反抗も、持ち出した話もまことに子供っぽい、愚劣なものであったことに気がついて独り苦笑したものだった。だが「馬鹿じゃない? その人」と自信をこめて撥《は》ねつけた君の声の調子だけはぼくの耳にいつまでも残っていた。
妊娠の疲労は次第に君の世界を縮めていったように思う。あの長いくるしい十カ月の間、君はいつか、外界のことに、好奇心も興味も失っていった。ぼくはひそかにその頃の君を観察していたのだが、君は新聞さえ家庭欄以外は読まなくなっていた。一年前は、わからぬなりにも世の中のこと、社会の出来ごとをぼくに質問することもあったが、もう、そうした自分の生理や実生活には、縁遠いことは関心も失せたようだった。ただ家庭欄だけは赤鉛筆を持って、丹念に注意をしていたのである。
「赤ちゃんはね、生れるとすぐ黄疸《おうだん》になるんですって」
「男の子なら一貫目はなくちゃ、駄目よ。むかしの標準体重はもう当てにはならないんですもの」
食卓をはさんでの話といえば、赤ん坊のことばかりだった。興味はないというよりは母親の本能から、それ以外の世界を君は拒絶していたのである。まず良い母親になること、そして良い母親になることは良い妻にもなることだと君は信じて疑わなかった。ぼくにたいしてもその母と子とをまもる雄としてよりほかは何も望まなかった。無理もない、とぼくは思う。あの頃自分の中に次第に生れてくる生命を育てるため全力を注いでいた君に、それ以上のことを要求するのはぼくの我儘にちがいない。
だがぼくがなにか不満を感じはじめたのは、それとは別のことだった。
君が入院をする二月ほど前に、ぼくのむかしの友人だった坂本が妻と子とを捨てて、何処かの街の女と木更津《きさらづ》で心中したことを君はまだ憶えているだろうか。ぼくがそれを知ったのは朝の新聞を開いた時だった。
新聞にはただ、邪恋を清算するためという標題で、小さな五、六行の記事しか載っていなかった。その隅にもう十年も会わぬ坂本のなにか人生にくたびれたような寂しげな顔の写真がつけられていた。
「あいつが……」とぼくは呟いた。「妻と子を捨ててまで死ぬなんて、よくよくだったんだなあ」
君はチラッとその記事を覗いて、一言のもとに判断を下した。
「馬鹿じゃない? その人。奥さんやお子さんまであるのに……」
ぼくはその時、ふたたび君を憎んだ。なぜか知らないが、この前よりもずっと憎んだ。
春の終りに子供が生れた。信濃町《しなのまち》の病院から退院した朝、みどり色の若葉が陽に赫いて神宮|外苑《がいえん》を包んでいた。
「運転手さん。ゆっくり車を走らせて下さいね。赤ん坊の体にさわりますから」タクシーの中で子供を胸にだきしめながら君はしっかりとした声で言った。お産の疲労が君の顔を少し窶《やつ》れさせていた。だが、うつむいて赤ん坊に乳をふくませている姿はもう完全に母親の姿だった。車が午前のあかるい陽のあたるお茶の水の坂路にさしかかる。登校する学生たちが交叉点《こうさてん》の前にたっている。彼等の中には赤い鞄《かばん》をさげた女子学生もまじっていた。一年半前、この同じ坂路で一人の妻に素早く転身した君のことをぼくは思いだしていた。自分も、もう父親なのだ、とぼくは心の中で言いきかせようとした。だが君の膝の上で手を握りしめながら眠っている小さな肉塊がぼくにはよくわからなかった。
「出生届をだして下さったわね」
「うん」ただ赤ん坊のことから話題をそらし、君を母親だけの世界から引き離すために、ぼくは聞えないふりをした。「おい。この間、佐藤に会ったがね、木更津で死んだ坂本の奥さん、その後バーを開いて働いているそうだぜ」
「そう。そんなこと、どうでもいいわ。出生届だして下さったわね」
「何故《なぜ》、どうでもいいんだ」ぼくは自分でも驚くほど烈しい語調で怒鳴った。勿論、ぼくとて君と同じくらいに、坂本の細君の今後を心配したり、興味をもっているわけではなかった。そんなことは君とぼくとの間ではどうでも良かったのだ。だが窓の方に視線をやってぼくはしばらくの間、不機嫌に黙っていた。
お産をしてから一カ月ほどの間、母親はできるだけ安静にしておかねばならぬ。その医者の忠告をきちんと守ってベッドに横になった君は、しかし家庭を乱雑にすることはしなかった。入院中、すっかり穢れた家を里から連れてきた女中を指図して、またたく間に掃除し整理する。ぼくの洋服にはブラッシがかけられ、タンスの中につっこんでおいたYシャツは真白なものに変っていった。
だがふたたびはじまった君との生活はぼくになぜか、前よりももっと重いものを感じさせた。こういう言葉をあえて書きつけるのは辛いが、君を見ると身動きのとれない息苦しさをおぼえるのだ。それは寸分も無駄のないように空間を利用した家、あまりに合理的に建てられた住宅に住んだ時に感じるあの息ぐるしさ、あの拘束感に似ていた。君がふたたび良妻であろうと努めれば努めるほど、ぼくは夫としての責任や義務を考えてしまう。君が赤ん坊の聡明な母であればあるほど、ぼくは父親として以外にはぼくの生活はないのかと感じてしまう。無駄でもいい、ただ寝ころぶ部屋、窓のあいた部屋がほしかった。お産で君が入院している僅か一カ月の間のことだが、散らかった乱雑な部屋で一人で起き、一人で飯をくい、一人で寝た生活がぼくにはなにか失ってしまった貴重なもののように思えたのだった。
けれども少し反省してみれば、これはぼくの我儘にきまっていた。申し分のない良妻である君にこのような重くるしさを感じるのは、あまりに身勝手な贅沢《ぜいたく》な気持にちがいない。世間の常識から言っても正しいのは君であって間違っているのがぼくであることは始めからわかっているのだ。
それにしても、どうしてぼくはこんなに息ぐるしいのだろう。妻として母としての義務を非のうちどころもなくやってくれる君のことを考える時、なぜ、あの残暑の西日に照りつけられた部屋に坐っていた君の脂肪のつきはじめた体、妊娠で膨らんだお腹のことしか思いだせないのだろう。結婚生活というものは、それ自身でこんなに息ぐるしいものなのだろうか。もし君がだらしない女であり、悪妻であり、家庭を裏切るようなことでもしてくれたならば、ぼくはまだ大きく息をつけたかもしれない。
書いたあと、火で燃やしてしまうこのノートならばついでにあのことも述べておこう。
三カ月ほども前のことだ。日曜日の朝のことだった。茶の間の電話がなって、ぼくが受話器をとりあげると、若々しいが非常に落ちついた声が耳にきこえた。
「成瀬というものですが」とその声は言った。「秋子さんは御在宅ですか」
相手が君のことを奥さんと言わずに、秋子さんと呼んだことが、ぼくを微笑させた。
「成瀬さんという男の人から電話だぜ」
いささか寛大な亭主づらをしてぼくは台所にいる君をよびに行った。
「成瀬?」君は手をエプロンで拭きながら、すこし眉をひそめて考えこんだ。「ああ、セコちゃんのことね」
電話口でその青年と話しはじめた君の声は、一寸ぼくも驚くほど、懐かしそうなはしゃいだ声だった。「ええ。いつ、お帰りになったの。そう。渋谷でね。主人に聞いてから御返事するわ」
君は片手で送話器を塞《ふさ》ぐと、ぼくに、巴里にいたころ、随分世話になった成瀬という書記官が帰国したので会いにいってよいかとたずねた。
「行ってこいよ。勿論」
ぼくは思わず微笑しながら答えた。君がいつになく紫色の耳飾りなどをして出ていったあと、ぼくは畳にねころんでその成瀬という書記官の顔だちを色々心に描いてみた。
成瀬君からはその後、幾度か電話がかかった。君が直接出ることもあれば、ぼくが受話器をとることもある。そのたびごとに彼は例の若々しいが落ちついた声で「秋子さんは御在宅ですか」と言うのだった。
彼は君をあの後も、二、三度、どこかに誘いだしたようだった。
「成瀬さんと映画をみてきたわ」と君は嬉しそうに言った。「巴里時代にはあんまり元気のない人だったけれど、日本に帰ってらしたら、見ちがえるようだったわ」
そんな報告をうけるたびに、ぼくはひそかな悦びを感じながら君をみつめていた。
ふしぎなことだが、ぼくはその成瀬という青年に悪意をいだいたことはない。電話で声をきくだけで顔をみたことはないが、その顔も洋服の着かたも趣味も想像できるような気がする。銀座の珈琲《コーヒー》店で君を待っている姿も眼にうかべることができる。他人と結婚した女までわざわざ誘いだす所をみると巴里以来君に好意をもちつづけているのであろう。だが、そんなことはぼくにはどうでもよかった。彼から電話がかかるようになってから、君は自分では知らないが少しずつ変っていたのだ。赤ん坊を生んで以来、ぼくと外出する時もめったにつけたことのない耳飾りをしたり、スカーフを首にまいたり、まるであの娘の頃と同じように若やぎはじめたのだった。思いなしか、君の近頃、脂肪のつきはじめた、いかにも主婦臭くなった躰《からだ》までが少し痩《や》せてきたようにさえ見えた。そうした詰らぬこともぼくを久しぶりにあの息ぐるしさから解放してくれたのである。
だが、それだけではない。恥ずかしいがこのことも書いておこう。彼に誘われた君の帰宅が一度、いつもより少し遅くなったことがある。遅いといっても夕食の時刻を僅かにずらせたほどだったが、あたりが次第に暗くなっても君が帰ってこないので、ぼくは散歩がてら、駅まで迎えにいってみた。来る電車、来る電車にも君の姿は見えない。ふと、ぼくは君が今夜は帰らないのではないかという気がした。成瀬に誘われて踊りに行き、食事をし、巴里にいた頃のように自動車に乗り、そして……。
そして姦通という言葉が突然、ぼくの頭にうかんだ。おそらく君の場合には絶対、起りえないようなこの言葉。だが、そんな君であるために、あまりに良妻で賢母でありすぎる君のために息ぐるしさを感じ続けねばならなかったこの二年半のぼくの生活がはっきりと思いだされたのだ。ふしぎなことだが、ぼくはその時、成瀬君には嫉妬《しつと》の感情をすこしも持ってはいなかった。むしろ彼が君を自動車に乗せ、どこかに連れていき、そして妻であり母でしかない君の知らぬ暗い罪の世界、くるしみの場所に突きおとすことさえひそかに願っていたのだった。そうすれば、君はもう、木更津の黒い海に女と自殺をした坂本をあのように撥ねつけることはないだろう。
「馬鹿じゃない……その人」
だがその陰気な楽しみのまじった想像もすぐ覆された。次の電車から君が驚いたような顔をしておりてきたからだった。「御免なさいね」君の手には糠味噌《ぬかみそ》の臭いのする食料品包みがぶらさげられていた。「ついでだったから渋谷の市場によってきたの」
成瀬君からは次第に電話がかからなくなった。むかしと違ってすっかり主婦らしくなった君とは遊んでいても面白くなかったにちがいない。君のことだから珈琲店でも彼に赤ん坊のことしか話題にしなかったのだろう。「成瀬君は?」とある日、ぼくはきいた。「あの人、あの人ならまた巴里に帰ったわ」無邪気に君はそう答えた。そしてふたたび君は耳飾りをすることもなくなり、躰には脂肪がつきはじめ、ぼくの息ぐるしさは前よりも、もっとひどくなっていった。
こうした夫としての秘密をぼくは一度も君に語ったことはない。語ったところで、どうにもならぬ。「馬鹿じゃない、その人」と言った君の声がすべて、ぼくにその勇気を消してしまうのである。
だからといってぼくはいつか君と離婚しようなどと考えているわけではない。今後もぼくは相変らず君には善い夫、子供には善い父親として生活していくつもりだ。ぼくたちのアルバムにはこの二年半のさまざまな写真がはりつけられてある。その写真の中で君はいつも良妻賢母の微笑をうかべ、ぼくも幸福そうに笑っている。
寄港地
眼がさめると、まだエンジンの鈍い音がかすかに部屋に伝わっていたが、船は停っていた。船室の丸窓から海の塩辛い臭いが漂ってくる。同室の神谷氏はもうデッキにでも出かけたのであろう。彼のベッドの上で扇風機だけが徒《いたず》らにまわっていた。
寝台にあぐらをかいて、私は壁にかけてある寒暖計をしばらく、ぼんやりと眺めた。今日も温度が随分たかい。別に寒暖計をみなくても、朝の体のけだるさ、首や胸のベトベトとした湿気でもう私はその日の午後の暑さを想像できるようになった。これも五日間、退屈な印度洋を通りすぎている間に何時《いつ》のまにか覚えてしまったことなのである。
「やっと眼がさめたな」白い麻服を着た神谷さんがドアがわりのカーテンから陽にすっかり焼けた痩《や》せた顔をのぞかせた。「起きなさい。もうペナンだよ。デッキの方が船室より、まだ涼しい」
「どんな町です。ペナンて」
「さあ……今、見たところではまだ、よくわからん。入江が浅いんでね。船は港から大分、離れて停ってるんだ。あんた。航空便のレター用紙をくれないか」
「ええ。その引出しにはいっています」
丸窓に顔をあてると、成程、船は入江にはいっていた。泥をふくんでいるのか、海はひどく褐色で、そのむこうに暗く樹木の覆いかぶさった岸が迫っていた。
「今日もこれあ、ひどい暑さですよ」私は白く光っている空を睨《にら》みながら舌うちをした。神谷さんはパイプをくわえながら、タイプを叩きはじめた。NHKのロンドン駐在員だった彼は、今度、東京に三年ぶりで帰るのだそうだ。その彼と留学生活を終って同じように帰国する私とが、この日本貨客船では二人きりの船客だった。
神谷さんの仕事を邪魔しないように私はYシャツをひっかけると船室を出た。デッキはもう強い陽に照りつけられて白く赫《かがや》いていた。ペンキをぬった壁には波の小さな影がゆれ動いている。ペナンの港は遠くに黒い桟橋がみえるだけである。そのうしろにクリーム色の時計台が一つそびえていた。
私は甲板におりる鉄の階段に腰をかけて荷物を運び出している三、四人の中国人の人夫を見おろしていた。上半身、裸になった彼等の肩や腕が汗でキラ、キラと光っている。彼等は木箱を太いロープでくくり、船の下で待っている小舟におろしているのだった。
いつの間にか、私のうしろに一人の船員が煙草を横ぐわえにしながら、たっていた。彼は私を見ると一寸《ちよつと》、会釈をしたが、急に大声で叫んだ。
「おい、箱はもう幾つ、おろした?」
驚いたことには、その声をきいた中国人の人夫の一人が手で顔の汗を拭いながら、明朗な日本語で答えた。
「四個です」
その人夫は眼鏡をかけていた。よく、眺めていると、この男が他の人夫たちを指図しているようだった。
「あの男、日本語がうまいですね」私はうしろを振りかえりながら訊《たず》ねた。「ペナンには戦争中日本軍がいたんですか」
だが、船員はもう姿を消していた。誰もいないデッキが強い陽に照りつけられて白く光っているだけだった。
朝食の食堂で戦争中のペナンのことが話題になった。機関長がちょうどその頃、海軍の嘱託としてペナンにいたと言うのである。
「ここを占領していたのは海軍部隊でしてね、あの頃は芸者屋までがこの街にはあったんだが……」
でっぷり肥った機関長は椅子からはみ出た体をテーブルに傾けて、オートミールを音をたててすすった。「考えてみりゃ日本もこんな所まで占領したんだから、大したもんですよ」
「いい時、戦争さえ、やめとりゃあ、ここも日本の領土になっとったものを」事務長が肯《うなず》いた。「全くアホですわ、日本の軍人たちは。残念な話やねえ。こんなことにならなんだら、本船もうるさい手続きなしに大手を振って港にはいれたものを、負けたばかりにマレー人たちにもペコペコせにゃならんし」
「上陸はできるんですか」とそれまで黙っていた神谷さんがナプキンで口を拭いながらたずねた。
「まあ、できんことはありませんが、あまりお奨めはしませんな」事務長はうすら嗤《わら》いを唇にうかべた。「ここに寄港したのは戦後、本船がはじめてですわ、住民の気持も町の様子もよう、わからんし。それに機関長、ここには見物するような所はありませんやろ」
「蛇寺というのが名所の一つだが、まだ残っているか知らんねえ。兎に角、神谷さん、事務長の言うとおりだ。海軍さんが随分あばれた場所ですからな。上陸されるなら用心するに越したことはないですぞ」
神谷さんはポート・サイドで買った細い葉巻に火をつけて、残念そうに言った。
「一週間ちかくも印度洋で海ばかり見させられた揚句、上陸禁止ですか」
機関長はしばらく考えこんでいた。
「そうですなあ。あとで船長とも話してみますが、どうです。我々、この食事のあとで手続きのため上陸しますから、面倒でも一緒に出かけんですか、もっとも三、四時間しか町にはいませんがね」
「それがよろしい」事務長も賛成をした。「それなら税関のマレー人がついてきますからこりゃ安全ですわ」
船室に戻ると神谷さんは久しぶりに浮き浮きとした様子で、スリッパを白靴にはきかえた。
「君、支度しないの」
寝台に腰をかけて、じっとしていた私をふしぎそうに見上げながら神谷さんは、
「上陸するんだろ。勿論《もちろん》」
「したいんですが……船長なんかと一緒ならロクな所も見られないでしょう」私は気の進まぬ返事をした。「それに、なんだか頭も痛いし……」
「そうか、そりゃ、いかんなあ。船酔いがまだ治らないのか。船医さんに薬をもらったらどうだ」
「あとで、そうします」
神谷さんが船室から立ち去ったあと、私は寝台に仰むけになって、少し開いた丸窓から見える真青なマレーの空をぼんやり見つめていた。船室の中はひどく息ぐるしく、じっとしていても汗が首から滲《にじ》みでてきた。
扇風機をかけて、私はしばらく眠ろうとした。頭がいたいと言ったのは勿論、上陸をしないための口実である。直射日光の照りつけた黄色い泥海をランチで渡り、砂漠のようなペナンの町を歩きまわるのは考えただけでもイヤだった。私は本能的に暑さや烈しい陽の光が嫌いなのである。それに仏蘭西《フランス》にいる時、胸を悪くした体には強い紫外線ほど悪いものはないのだった。
何時間、眠ったか知らない。眼をさますと汗が背中をぐっしょりと濡らしていた。そして部屋の中に私たちの係りの若いボーイさんが掃除道具を持ってはいってきた所だった。
「お客さんは、上陸されなかったでありますか」戦争中、水兵だったと言うボーイさんは神谷さんや私に軍隊用の敬語を使って話しかけるのである。
「神谷さんは先ほど船長やパーサー(事務長)と御一緒にランチに乗られたのを自分は見ましたが……」
「見物するような町じゃないんでしょう」私はゴシゴシと右手で首をかきながら、「それに今からじゃ、ランチも出してはもらえないし」
ボーイさんは神谷さんのベッドをなおしながら、しばらくこちらに背をむけて黙っていたが、
「お客さん。上陸されるのでしたら今、小舟が一隻ありますよ」と小声で言った。
「さっき、木箱をおろしていた舟ですか」
「はあ、あれにはペナンに住んでいる日本人の人夫が乗っていますから、何なら自分が話をつけても宜しいです」
「日本人の人夫?」
今朝甲板に出た時こちらを振りむいて日本語で答えた眼鏡の男を私は思いだした。
「あれは日本人だったんだねえ。いや、今朝見ましたよ。あんまり日本語がうまいんで驚いたくらいなんだ」
「はあ、何でも戦争中はここにいた海軍の兵隊でしたが、日本に帰らずシナ人と結婚して住みついたそうであります」
「どうして日本に帰らなかったんだろう」
「自分はふかい事情は知りませんが、今ではシナ人の名前を持ち、シナ人になりきっているそうです」
私は急にその男に軽い興味をおぼえた。
「一緒に舟に乗せてくれるか、きいてもらえますか」
私はボーイさんに頼んだ。
達磨舟の端に私はしゃがんで泥海が次第に狭くなり、黒い桟橋がゆっくり近づいてくるのを眺めていた。
日本人の人夫は船荷のかげで縄をもって、桟橋にたっている中国人の苦力《クーリー》と何か大声で合図をしあっていた。この舟に乗る時、彼は私に体を近づけるようにして「港につくまで黙っていて下さいよ」と小声で囁《ささや》いたのである。なぜ黙っていろ、というのか私にはわからなかった。日本語で話しあうのを他の人夫たちにあまり見られたくないのか、それともひそかに私をこの達磨舟に乗せたことを港の仲間にかくすためなのかと私は想像した。
年頃、三十五から四十ぐらいの男である。海軍の下士官たちによく見られる角ばった四角い顔をしている。さきほど眼鏡の奥から私を眺める時の表情にはどこか警戒するような光があった。ボーイに頼まれたからイヤイヤ、舟には乗せたものの、それ以上、私とは話をしたくはないらしい。腰にはいたズボンも足首の部分のつまった中国人の労働者の着るものである。眼鏡をかけているという以外には、この男のどこにも日本人らしい様子、他の中国人の人夫とちがう部分は見つけることもできなかった。
桟橋に舟が着いた時、彼は纜《ともづな》を大きくまわしながら、岸壁にたっている男に投げつけた。その時、陽の光が筋肉のもり上った彼の腕にキラキラと光った。
岸壁にのぼった彼等は私にはわからぬ中国語でなにか話しながら、時々、こちらを振りかえった。私は視線をそらせて、港に平行に並んでいる真黒な小屋を眺めるふりをしていた。ペナンの町はこの港の少し奥にあるらしかった。
「おりて下さい」突然彼は私に言った。「あんた。パスポート持ってきたですか」
「はい」
岸壁に上ると何故《なぜ》か陽の光が急にまぶしく、私の頭はくらくらとした。
「……町に行くには……どう行ったらいいのですか」相手があまり黙っているので私は当惑して訊ねた。
「あっちです」
男は無愛想に答えた。
教えられた通り(そして仕方なく)私は広場にむかって歩きだした。クリーム色の時計台が真中にたっていて、周囲には水のすっかり枯れた噴水池がこしらえてある。その広場には白いブラインドをおろした建物の真黒な影が不気味なほどくっきりと落ちているだけで、人影一人みえなかった。
私は急に船に戻りたくなった。だが船に戻るためにはどうしてよいのか、わからなかった。結局、船長や神谷さんの出かけた税関事務所を探して一同を待つより仕方がないようである。
池の縁に腰をおろして私はハンカチで汗を拭った。今まで気がつかなかったが向い側の建物のわきに日本の百日紅《さるすべり》に似た樹が真赤な花をつけていた。建物と建物との間には雲一つない、暑くるしい空が拡がっていた。
あの日本人の男はまだ岸壁にたって両手を腰にあてたまま私の方を窺《うかが》っていた。やがて彼はゆっくりとこちらに近づいてきた。
「何処《どこ》へ行くですか。あんた」
男は池の縁にたつと私を見おろし、眼鏡ごしにひどく厳しい眼つきをして訊ねた。
「何処って、あてもないんです」
「今、街を歩いたって仕方ありませんよ、こういう所は三時ごろまで、みんな死んだように眠るんだ」
「蛇寺でも見物しようと思っているんです」
「駄目だ。蛇寺までは車で一時間もかかるんですぜ」
その怒ったような声をきくと、私は咽喉《のど》の乾きをひどくおぼえた。氷を入れた麦酒《ビール》が飲みたかった。
「酒を飲む家はありますか」
「酒? 店はまだ閉っているんだ。四時にならなきゃ開きはしない……あんた、ここの金を持っているんですか」
私は肯《うなず》いた。今朝、朝飯のあと事務長に両がえしてもらったここの金が日本金で二千円ほどあった。
男は二、三歩歩きかけたが急にふりかえって暗い眼でこちらをじろじろと眺めた。
「わしの家に来ませんか……」彼は急にひくい声で囁いた。「三時までわしの家で待っていればいい」
私は彼が酒を買ってもらいたがっているんだな、と考えた。しかし彼の家に行くことはこちらの願うところだった。
「麦酒をこれで買って下さい……」彼に持金の半分を渡すと、
「そうですか。そりゃ、悪いですな」だが唇にうすい嗤いをうかべて男は札を握りしめた。
「わしの家に来なさい。それがいい、一人でこんな街を歩いてては危ないからな。わしと一緒なら大丈夫だね。ここでは高という名前でシナ人と同じなんだ。昔の名は多田と言うんだが」
彼は口の中で何かを呟《つぶや》きながら先にたって歩きだした。
広場から港にそった路には人影はなかった。先程の人夫たちももう姿を消していた。家畜小屋のような家が岸壁にそってたちならんでいる。
「もう、ペナンに住まわれて何年になります」
私は肩をならべながら訊ねたが彼は黙っていた。今は何も話したくないらしかった。
やがて中国人の住む地区らしい路地の中に私たちははいった。店々はまだ戸を閉じて大きな漢字を書きつけた扉の前で、竹の長椅子にランニング・シャツ一枚になった四、五人の中国人が仰むけになって眠りこんでいる。猫が一匹、ゆっくりと路を横切っていった。
尿の臭い、安物の食用油の臭いのこもった路地に高さんは足を入れた。薄暗い煉瓦づくりの物置小屋のような家が彼の住家だった。中庭には中国人のきる黒いズボンが二、三枚、干してあり、土間にはいやな臭いのする汚水が流れていた。
通りすぎた二つの部屋にはいずれも老人や女たちが石のように転がって眠っていたが、これは高さんの家族ではないらしい。すると彼はこの暗い家の一部屋を借りて住んでいるようである。
二、三人の子供が崩れた壁にもたれて不安そうに私をながめた。彼等はズボンも下着もはいていない。頭に腫物《はれもの》をこしらえた子供に高さんは先ほどの金を握らすと、早口の中国語でなにかを命じた。
「ここで待ってなさい。あんた」
私は一人、とり残されて湿った暗い土間にたっていた。子供たちは壁にもたれたまま、指を口にくわえて、じっと私を見詰めている。
やがて奥でなにか烈しい女の怒鳴り声と高さんの大声とが入り乱れてきこえてきた。
「あんた、シナの酒は飲まないだろ。麦酒の方がいいかね」
ひっそりと静まりかえった土間に木の椅子と卓子をならべ、高さんは子供に買わしてきた麦酒の瓶を並べた。
「奥さん、怒ってるんじゃないのですか」と私は小声できいた。
「いや。そんなこと、無いですよ。だがカカアだけはシナ人より日本の女がいいです」
高さんはまたうすい嗤いを唇にうかべると麦酒を飲みはじめた。そのうすら嗤いはなぜか不愉快だった。久しぶりに異郷の町で出会った同胞がとり交す懐かしい感情を彼は別に感じていないようなのである。
「日本には、もう帰らないんですか」
「帰れんです。帰ったところで、どうにも仕方がないね」高さんは西瓜《すいか》の種を齧《かじ》りながら面倒臭そうに答えた。
「奥さんは勿論、あなたが日本人だと知っているんでしょう」
「女房ですか。そりゃ知っとります。仲間だって知っとるよ。だから、自分もこのペナンで骨を埋める気持は持っとるね」
「ペナンには終戦後、ずっといられたわけですか」
私は彼の陽に焼けた顔がすぐに酒で赤黒くなりはじめたのに気づいた。
「いや」彼は首をふった。「わしはシンガポールにいたんだ。事情があったからな。まあ、聞かんで下さい。方々で危ない目には随分会ったもんでね」
そう言われると、こちらはもう話のつぎ穂を失ってしまう。二人は長い間、黙って西瓜の種を齧り、麦酒を飲んでいた。
「ひどい蠅だな」
私がそう呟くと高さんは手で卓に集まってくる蠅を幾度も幾度も追いはらった。
「あんたは何処の帰りですか」彼は最後の麦酒の瓶をあけると、自分だけのコップに注いだ。
「仏蘭西、ふん仏蘭西か」私の返事を高さんはうつろに繰りかえして、「日本に帰って政治家にでもなるつもりかね」
「とんでもない」
「じゃ、何になるつもりだ」彼は急に執拗《しつよう》に訊ねた。
「え、何になるつもりだ」
「まだ、考えてもいません」
高さんは酒で赤黒くなった顔に不機嫌な色をみせて黙りこんだ。そして眼鏡の奥から私をしばらく、じっと眺めた。そのくぼんだ陰気な眼を何処かで私は見た記憶があった。そういえば、この陽に焼けた骨ばった四角い顔も見憶《みおぼ》えがあった。しかし、それが何処で見たのか、何処で会ったのか、私には思いだせなかった。
「ペナンに始めて寄った日本船はぼく等の船でしょう」
私はやっと話題をみつけて訊ねたのだが高さんは相変らず黙りこくっている。中庭の奥で子供の烈しく泣く声、それを叱りつける女の高い声がきこえた。
「今でこそ、こんなペナンで働いているが、ね、あんた」急に彼は私から視線をそらせて独りごとのように話しはじめた。「こう見えてもわしはシンガポールでは肩で風を切って歩いた男ですぜ。水兵なんぞじゃねえ。将校だって下士官の俺に一目、おいてたんだ」
どう返事をしてよいのかわからぬので、私はコップの中に残った麦酒に口をつけた。それは非常に苦かった。
「あんた等が俺を馬鹿にしとるぐらい、よう、わかっとる。だが、今に見かえしてやる。いつまでもチャンコロやマレー人と同じような人夫生活をしてはいない。昔はシンガポールの作業部隊で百人からの兵隊や原住民をあごで使った男だからな。シンガポールで俺の名をいえば……」
それから彼は急に口を噤《つぐ》んだ。私は彼のくぼんだ眼が先程よりももっと暗い光をおびてきたのに気がついた。
「日本人はこのペナンであなた、一人ですか」
「日本人はもう一人いるよ。あんた、尋ねたいか」高さんはまた唇にうすい嗤いをうかべた。
「尋ねたいなら、俺が案内してやる。案内してやるが来るか」
「帰船の時刻があるから……」
「それがなんだ。あんた、ペナンまで来て同胞に会わずに帰るつもりか。それでも日本人のつもりか」
コップが木の卓子から土間に落ちて鈍い音をたてた。私はその時はじめて、この高さんの顔を見た場所を思いだした。それは私が入営した鳥取の部隊の内務班の中だった。それは薄暗い棚に足を投げだして、私たち新兵をみおろしている男たちの顔だった。
私が高さんのあとから家を出た時、陽差しは幾分、弱くなっていた。店屋はやっと戸を開けはじめた。下着だけをつけた痩せた男たちが路にしゃがみこんで私たちの通りすぎるのを眺めていた。
私が驚いたことにはこのペナンの街はマレーの町なのに、マレー人の顔がほとんど見えぬことだった。出会う人間はどれもこれも、中国人なのである。店屋の店員は勿論のこと、辻で客を待っている輪タクの男までが中国人の青年だった。
その輪タクをよびとめて高さんは中国語で行先を教えた。
「輪タクがこんな所にもあるんですね」私は思わず叫んだ。「ぼくは日本だけか、と思っていた」
中国人の青年は自転車にとび乗ると、ゆっくりとペダルをふみはじめた。方角は西だった。私たちはふたたび黄色い泥海にぶつかりそれから家畜小屋のような家々の横を通りすぎた。
陽は既に西に傾いていた。私はその時ほど大きな、赤い夕陽を見たことはない。夕陽はいつまでも私たちの向う方向にあった。
町をぬけると椰子《やし》の林が続いた。林の中ではじめてマレー人たちのみじめな小屋をみることができた。地面の湿気を防ぐためか、それは床を二|米《メートル》ほど高くこしらえてある。
前の輪タクには高さんが乗っている。その高さんのうしろ姿を眺めながら、私はこの男がなぜ、ペナンに残ったのかを考えてみた。シンガポールに終戦まで残っていたとすれば彼は当然、他の日本兵と行動を共にできた筈である。それをなぜ彼一人だけが方々を逃げまわったのだろう。
私は彼の酔いのまわった暗いくぼんだ眼を思いうかべた。それは私に六年前鳥取の部隊でおなじような眼を持った男たちから撲《なぐ》られ続けたイヤな思い出を心に蘇《よみがえ》らせた。なぜか私は彼が日本に帰らなかったこととあの頃の私刑とを結びつけて想像した。
しばらくして、高さんの輪タクが椰子の林のそばでとまった。
「ここで降りるんですか。高さん」
だが高さんは返事をせず先にたって夕陽の赫いている林の中にはいっていった。
林の中はムッとするような熱気がこもっている。どこから飛んでくるのか黒い大きな蠅が私の顔のまわりを飛びまわった。
高さんが足をとめた場所には乾いた土がもり上って土饅頭《どまんじゆう》のようになっている。その地面に夕陽があたっている。ペナンにいる、もう一人の日本人とはこのことだった。
「埋めたのは高さんですか」
私は土饅頭のそばにしゃがみこんだが、
「いや、埋めたのはマレー人です」高さんの酔いはもうすっかり醒《さ》めていた。「わしの全然、知らん兵隊です」
「どうして、こんな所で死んだのかな」
「わしがあんたらに見てもらいたいと思うのは」突然、高さんは呻《うめ》くように、「こんな死にざまをどうしていいのかたずねたいためだ。だれにも知られず一人ぽっちで死んだこいつらを何がむくいてくれるかね。世の中が良くなろうが、生き残った者が幸福をたのしもうが、わしは知らん。わしが知りたいのはこんな死にざまに何の意味があったかということです」
「でもそのおかげで平和がきたのでしょう」
「平和が何だ」高さんは憎々しげに叫んだ。「あんたらは平和をたのしむ。しかし、こいつは、何も償われん。こいつはもう死んでしまった。生きていた時の苦しみはどうなるんだ。わしはそればかり、毎夜、毎夜、考えるんです」
私は土饅頭に手をあてた。土の底から掌にこもったぬくもりが伝わってくる。そのぬくもりはこの兵隊の生きていた頃の体温のようだった。
宦官《かんがん》
午前十時――
「西村さん、西村さんたら。郵便が来てますに」
朝十時、私がアパートの玄関を出た時、廊下で掃除をしていた管理人の内儀《かみ》さんが追いかけてきた。
「どうも……」
私は頭をさげて彼女が濡れた指先でつまんだ葉書を受けとったが、見ないうちからそれが木更津《きさらづ》の療養所にいる病妻の便りだとわかっていた。
今日も昨日と同じように曇った日だった。アパートの前の路はぬかるんでいる。いくらか乾いたその両端も、私より前に出勤したサラリーマンたちの靴痕《くつあと》が入り乱れている。夜、同じ編集部の江木や神戸と無理をしてつきあったためか、今日は殊更、胃に鈍痛があった。
三十五をすぎたこの頃、私は妙に体力が弱ってきたのを感じる。自分ではまだ青年のつもりだったが、勤め先の婦人雑誌社で校了の間ぎわなど、徹夜にちかい頑張りかたをしたり、昨夜のように遅くまで同僚とつき合うと翌日は意気地のないほど体が疲れるのである。もう二十代の時のように一晩も二晩も夜更しをして次の日も飛びまわるというわけにはいかない。それに――半年ほど前から私の胃は具合がわるくなっている。慢性の胃カタルだと医者は言ったが、空腹時には鳩尾《みぞおち》がさしこむように締めつけられ、食事のあとは重石《おもし》でも腹に入れたような感じが続く。私は近頃、出勤の時、甘草《かんぞう》という薬草を煎《せん》じたのを瓶に入れて出かけることにしていた。
ぬかるみ路をやっと抜けてバス道路まで出た時、冬の弱い日差しが曇った空からやっと洩れてきた。今頃、出勤できるのも私が雑誌社の社員だからである。もうバス停留所には出勤する人影もない。私は縫目の切れた外套《がいとう》のポケットから妻の葉書をとりだして、ゆっくりと読んだ。
「この二週間、お便りを頂きませんが御丈夫でしょうか。スプリング・コートはしまう前に洗濯屋に出して下さい。あなたの丹前は母に縫いなおしてくれるよう頼んでおきました。昨日の検査で血沈が十八になりました。少しずつ体も良くなっていくようです」
私は二十日ほど前、見舞いに行った時あった妻の姿を思いだそうとした。妻は夕暮の病室のなかでベッドに脚をなげだし眼をつむって壁に靠《もた》れていたようである。だがその妻のくたびれたイメージも私には掴《つか》みどころのないほど遠く漠然としていた。漠然というよりはそんな彼女の、姿もほかのことも考えるのが何故《なぜ》かだるいのである。別に妻を憎んだり嫌っているわけではない。だが、この頃私には自分の仕事にたいしてと同様、大袈裟《おおげさ》にいえば人生や家庭にも昔のような気力がなかった。それはこの重くるしい胃のせいでも、三十五歳という年齢のためだけでもないようだった。だが、それ以上理由を突きつめるのも私には面倒だった。
午後二時――
編集室は今頃が一番いそがしい。部屋をとびだす者、部屋にはいってくる客、開いたり閉ったりする戸の軋《きし》んだ音がたえることがない。電話が鳴る。窓の下から自動車のクラクションや電車のかすれた車輪の響きが旋風のように舞い上ってくる。
ベレー帽をかぶり汚れたレインコートをひっかけた若い神戸がパンを手にもって息をはずませながら編集室にとびこんできた。それを待ってたように受話器を耳に当てていた女の子が、
「神戸さん、電話」
「だれ?」
「小山先生」
神戸はパンを口におしこむと急いでのみこんで電話にしがみつく。
「ええ、そうです、先日、お願いいたしました」彼はまるで執筆者が眼の前にいるように笑ったり、頭をさげたりしながら「つまりですね、女性と読書という問題をですね。どういう角度からお書き下さっても構いません、先生のですね、御自由な立場から……ええ、結構でございます」
私はゆっくりと机から体を離すと、神戸の額に落ちているツヤツヤとした長髪をながめた。彼は指にはさんだ赤鉛筆を器用にクルクルと廻している。それは編集長の岡倉のまねが何時《いつ》のまにかうつったにちがいない。入社して一年半の神戸はここの仕事に身をうちこむのがまだ、いかにも楽しそうだ。
私はこった首すじを左手でもみながら片一方の手で甘草の煎薬を茶碗につぐとそっとすすった。にがい液体が胃壁にしみていくのがわかる。
「これですんだ。すみました、と」神戸は独り言をつぶやきながら壁につるした黒板の編集予定表から「女性と読書――小山先生」という項目をチョークで力強く消した。するとその時、私には木更津の療養所で壁にもたれながら蒼黒《あおぐろ》い眼をとじていた妻の暗い顔がふっと思いうかんだ。そのような妻をもった自分が今こうやって女性のための雑誌を作っているのが私にはウソのような気がした。(女性と読書……女性と社会……女性と進歩……何年の間、お前はそんな同じ題目で雑誌を編集してきたのだ。お前は本当にそれらを信じているのか)心のなかで、もの憂い、けだるい声が呟《つぶや》いている。(お前は本当に信じているのか)
しかし私にはその言葉が自分に向けられているのか、それとも前の席でもう赤鉛筆を走らせている神戸に向けられているのかわからなかった。便所にたつようなふりをして私はそっと編集室をすべり出た。
何処《どこ》にいくあても勿論《もちろん》ない。胃のわるい私は午後には珈琲《コーヒー》をのまぬことにしている。外套を忘れてきたので上衣《うわぎ》のポケットに手を入れ、あごを襟の中に埋めるようにして私は歩道をのろのろと歩いた。曇った空の下で瘤《こぶ》だらけな街路樹の枝が風に震えていた。煙草屋のショーウインドーに眼鏡をかけ、頬骨のとびでた私の顔がうつっている。顔色は今日も黝《くろ》ずんでいるようだった。
横断歩道を渡ろうとした時、敷石の上で鼠の死骸を見つけた。鼠は横むきに四肢を伸ばしたまま口から鋭い前歯だけをみせて死んでいた。潰《つぶ》れたその腹から赤黒い肉がはみでている。灰色の毛についたひとすじの血だけが妙に鮮やかだった。それを眺めた時、私は嫌悪感とともに一種の淡い感動に捉《とら》えられた。なぜかしらない。おそらくどんな生きものにでも生きている時よりは死んだ姿の方になにか生々しいものが感じられるためかもしれなかった。これから俺は何をするのだろうと私はぼんやりと考えた。会社に戻る。机にむかう。甘草の煎薬を口にふくみながら赤鉛筆を動かす。女性と読書、女性と進歩、新しい恋愛……入社して以来、幾年のあいだ、私はあきもせず毎月、毎月、おなじ題目で雑誌のために働いてきたのだろう。(お前は本当にそれを信じているのか)だが三十五歳の私には仕事も妻も自分の生活もどうでもよいように思われる。
(午後四時)
みなの顔にそろそろ疲労の色がうかびだす。薄暗い部屋に重く濁った空気が沈澱《ちんでん》していく。電気がつくと、一瞬だけみなはホッとしたような表情をとり戻すが、ふたたび、くたびれた体を無理矢理に机にむける。その机には出前持ちがとりにくるのを忘れた丼がきたなく黄ばんで積み重ねてある。
たった今、外出先から戻ってきた編集長の岡倉が夕刊の第一版を机にひろげてじっと眼を通していたが太い眼鏡を机におくと、
「こりゃ、やはり、自殺したらしいワ」
「愛生《あいせい》さんと恋人の久保君ですか」神戸が待っていたように声をあげた。
「ああ。伊東に泊ったという若い二人はやはり別もんだったらしいぞ」
それから岡倉は夕刊を見おろしたまま「髪の素《もと》」の小瓶をうすくなりはじめた髪の生えぎわにふりかけた。そんな姿は平生、いかにも精力的にみえる彼を突然、編集室の暗い電気の光のなかでわびしいふけた中年男に浮びあがらせた。
「来月号はどの雑誌もこいつを記事にするだろうからな。うちはルポと座談会で頑張ろうや。……西村君」
私はつかれた眼を指で押えながら彼の方を向いたが気は重かった。三日ほど前から学習院の二人の男女学生が突然、姿をけしている。女子学生がもとの満州国皇帝の姪《めい》であったため新聞ではこのところ、毎日、三面に大きく扱っていた。それは私たち婦人雑誌には持ってこいの材料だった。
「伊豆にいってくれるか。あんた」
「神《かん》ちゃんとアベックで、いけませんか」
「なぜ」岡倉は髪の素の瓶を動かすのをやめて私の顔をながめた。彼は眼鏡の奥から私の狡《ずる》い心を素早くみぬくと、不愉快な表情を頬にうかべた。
「まだ行方がはっきりせんのだから」私は口ごもった。「一人より神ちゃんと手わけした方が……」
「行きますよ、僕」神戸は既に両手で机を押えながら腰をあげていた。「テーマは純愛で押すんですね、岡倉さん。あとの座談会はだれにしますか」
午後八時――
「十一時二十三分の湘南《しようなん》電車で伊豆に出かけましょう。伊東どまりですよ」
酒場のとまり木に腰かけながら神戸はダブルのハイボールを飲みほすと手で口をぬぐった。彼はいかにも明日の仕事がたのしそうだった。
「できればですよ。彼等の自殺現場の写真を新聞社から手にいれたいですね」
「まだ、自殺とはきまってないじゃないか」
「自殺しますよ」神戸はコップを両手にかかえて、それをじっと見詰めた。「二人は旧陸軍の拳銃を持って出たんですからね。純粋だなあ。やはり人間、死ぬことを覚悟した時、純粋なものがありますね」
一杯のジュースを前においたまま私はグラスを拭いているボーイの手つきをだまって眺めていた。私は酒に酔いはじめた神戸の幾分、大袈裟な陶酔したような声が少しイヤだった。それは毎日毎日、私たちの婦人雑誌をつくっていくリズムや手ぎわよく整理された人生論や恋愛論の調子を連想させた。飲むつもりのないジュースに唇をあてて、私は今日の午後つめたい歩道にころがっていたあの鼠の死骸のことを考えた。開いた口から強暴な鋭い歯をむきだしていたあの獣。おし潰された体から破れでた柘榴色《ざくろいろ》の肉。
「座談会にですよ。杉野氏よぶのはマズイな」うつむいたまま神戸は一人で呟いた。「西村さんどう思いますか。岡倉さんはあの人にこだわっていますがね。古いですよ。杉野氏より、社会学の新倉氏なんかに出席してもらった方がいいんじゃないですか」
杉野氏をよぼうが新倉氏をよぼうが今の私にはどうでもいいことだった。誰が出てきてもおなじことなのだ。料亭の机によりかかって二人の男が箸《はし》を動かしながら、あいづちを打ったり、考えこむふりをする座談会風景に今日まで幾十回、私はたち合ったろう。来週、彼等が話す声、その話の運びかたまでが既に私には速度をゆるめた録音テープのように物憂く耳にきこえていた。
「愛生さんと久保君の心中は日本のね、古い家族制度や封建主義にたいする新世代の反抗でしょうね」
「しかし、死の抵抗というのはイケないね。近松物から一歩も出ていない。そういう抵抗意識をもっと合理的な創造的なものにむけるべきですよ」
私はふたたび泥によごれた鼠の毛についていたひとすじの赤い血の色を心にうかべる。
「誰が出たって同じだよ。杉野氏で結構さ」
「そうですか。そんなものかな」神戸は疑いっぽい眼つきで私を眺めると、額に垂れた長い髪の中に指をゴシゴシと入れた。「じゃ、我々は執筆者をどうして選ぶんです」
「切りこむ角度の面白い人を選べばそれでいいよ」私は面倒臭かった。「でも斜めに切っても横から切っても林檎《りんご》は林檎だからねえ」
神戸はなにかを反駁《はんばく》しようとして唇を震わせたが私はもうそれを遮った。
「まあ、仕事の話はやめようよ。君は恋人がいるのかい」
「いますよ」神戸は少しムッとした声で答えた。「子供が一人いる女です」
彼はまるでそうした境遇をもった女性を背負うことに陶酔しているように肩をあげた。
「未亡人だね」
「亭主が今度の戦争で死んだ女です」
「結婚するの、その人と」
「まだわかりません。しかし誠実な恋愛はしたいと思っていますよ。僕は若いですからね、西村さんのように人生を莫迦《ばか》にしてないんだ」彼は昂然《こうぜん》と叫んだ。
神戸と別れた時は十一時をすぎていた。もうバスはないので私は神田駅まで歩いて国電に乗った。電車には乗客たちが眼をつむって吊皮《つりかわ》にぶらさがっていた。彼等が体を動かすたびにその日の疲労の深さが息の臭いや体臭にまじって私には感ぜられた。窓のむこうを灯を消した建物の黒い影やネオンの輝きがかすめていった。
「彼はミスター・イエスタデイだね」私の前で二人の高校生だけが元気よく誰かの噂《うわさ》をしていた。
「あれは全く戦中派だよ。ミスター・イエスタデイさ」
なるほど、ミスター・イエスタデイか、――その会話を耳にしながら私はふと、神戸が先程、吐きだすように言った言葉を考えていた。
「僕は若いですからね。西村さんのように人生を莫迦にしてないんだ」
だが私は人生を莫迦にしているのではなかった、ただこの窓のむこうの建物やネオンの光にも日々の生活にも革命や世界の動きにも木更津にいる妻の姿にも私は気のりがしないのである。何時の間にこう変ったのか、何故こう無関心になったのか、自分にもわからないのだ。それは胃をわるくし三十五歳になった私一人だけなのだろうか。それとも疲れた体を車の動揺に委《ゆだ》ねながら眼をつむっているこれら車中の人々も同じようなのだろうか……。
※
あの伊豆出張の二日間、私はなぜ神戸にたいしてあんなにシニックで意地が悪かったのだろう。本当に私はあの日、なにかに復讐《ふくしゆう》でもするようにこの事件を愚弄《ぐろう》し、神戸の一言、一言に逆らったようだ。
伊東にむかう湘南電車に腰をおろすと神戸はボストン・バッグからこの三、四日間にわたる今度の事件の新聞切抜きを見せた。どの記事も結局は同じだった。満州国皇帝の姪にあたる愛生さんは同級生の久保君とひそかに愛しあっていたのだが家族も親類も二人の交際をみとめない。そこで彼等は四日前、拳銃を持って家を出たのである。
私はその切抜きの中に中国服を着て寂しそうな翳《かげ》を顔に漂わしている愛生さんの写真をみた。けれどもそれよりも私の眼は一緒に並んで映っている久保君の太い眼鏡をかけた強張《こわば》った表情の方に注がれた。どこか暗い怯《おび》えたようなその顔が私にはなぜか醜悪にみえ不愉快だった。だがどうして不愉快なのかその理由は私にはわからなかった。
「よくないね。この久保君の顔」
「そうですか。空手なんかやるひどく律義な青年らしいですね。でもこんな可憐《かれん》な女性に愛されたんだから命冥加《いのちみようが》につきた男ですよ」神戸は昨夜の酒場とおなじように詠嘆的な声をだした。
「愛されたかどうか、わかりゃしないよ。愛生さんはこの久保君の暗い情熱にひきずられたのかもしれないよ」私は先輩ぶったうす笑いをうかべて、「第一、彼女が普通の娘だったら新聞だって駆落ちと書いたろうな。君も伊豆までわざわざ行く必要はなかろうね」
神戸は無理矢理に苦笑しようとした。しかし彼はたしかに私のひねこびた言い方に傷つけられたらしかった。彼はだまってポケットから小瓶のウイスキーをだし、独りでなめはじめた。
「飲みますか」やっと彼は嫌々そうに呟いたが私は首をふった。
「西村さん」神戸はウイスキーで力をえたのか急にむきになって、
「このルポをどう押すつもりなんです。まさか駆落ちで書くんじゃないんでしょう」
「そりゃ、純愛でいきますよ。その方が女性読者にうけるからね。雑誌は売れなくちゃ困るからね」
「自分がですよ。信じてもいないことを書くなんて」神戸はイヤな顔をした。「そんな無責任なことを僕あしたくない」
「そうかね、人間、三十五にもなればそんなことは考えなくなるさ」
「それじゃ、雑誌をつくる者の立つ瀬がないじゃないですか」
私は甘草の煎薬を飲んだ。なぜ私は急にこんな自嘲的な態度をとったのか自分でもわからなかった。原因はどうやら、あの久保君の写真にあるようだった。あの写真をみた時の不愉快な気持はまだ私をイライラとさせていた。
レインコートを着たまま白けた顔でウイスキーをなめている神戸を眺めながら、私は自分も彼のように仕事に熱中した時があったのか、と考えた。だがそれもよく思いだせない。今は愛生さんと久保君の恋愛が誠実であろうが、彼等が自殺しようがしまいが私は無関心であり無感動なのである。明後日、社に戻れば私はただ雑誌を買う女性をうっとりとさせるため、このルポを純愛物語にしたてるだろう。その意味で私は有能な雑誌記者にちがいなかった。しかしその事は私の人生とは関係のないことなのである。そのくせお前の人生とは何だ、と訊《たず》ねられても私には答えることができない。私は眼をつむってひからびた自分の心をおしはかった。
「君は終戦の時、幾つだったね」
「十三歳でしたよ」神戸は私から視線をそらして低い声で、「学童疎開をしていました。なぜ、そんなことをきくんです」
「いやね。戦争中、あんまり人の死体なんか見すぎたせいかな、僕は誰が死んでも感動もしないんだ」
それは正直な告白のつもりだったのに、神戸は私の嫌味としかうけとらなかった。
「心がすりへったんでしょうね」彼は軽蔑《けいべつ》したようにポツンとつぶやいた。
伊東の駅に着いた時、二人の気持は白けて気まずくなっていた。そんな我々の感情を嘲《あざけ》るようにこの湘南の駅の広場がまぶしい程あかるく輝き、海の匂いまで漂っている。よごれたレインコートを着てボストン・バッグをもった神戸はだまったまま独りで先にたって広場を横切っていく。陽に白く輝いた地面にうつるその肩を怒らせた影に私は若い彼の軽蔑感を感じた。
宿をとる前、私たちは伊東の警察署をたずねた。丸腰の警官が三、四人、赤く燃えたストーブに手をかざしていたが私たちをみると急に話をやめて、
「なに? 婦人雑誌、婦人雑誌がこういうものを記事にのせるんかね」その中の一人がひどく横柄な口調で、「わからん、まだわからんよ。行方不明のままだ」
結局ここで私たちが知ったのは愛生さんも久保君も伊東に泊った形跡がないことだった。地もとの警察は勿論、青年たちも手わけをして天城山を探しまわっているが二人の行方はまだ発見されていないのである。今日の四時までに手がかりがなければ捜査をうち切るという瀬戸際だった。
「四時まで待とうよ。それで駄目だったら帰らないか。神戸君」警察を出た時、私は相変らず不快な表情をしている神戸をなだめるように言った。「捜査がうち切られれば、ルポも書きようがないじゃないか」
「いや、僕は帰りませんね」
神戸は白い路におろしたボストン・バッグに腰かけて駄々ッ子のように首をふった。
「ともかく宿屋で待つんだな」
「西村さん、休んで下さいよ。僕は、ひとりで新聞社の通信部を廻ってくるんだから」
私は神戸に別れて紫明館という宿に部屋をとった。食事をしたあとまた胃が石でも入れたように重い。それを我慢しながら私は机にむかってルポの下書きを書きはじめた。愛生さんが久保君と家を出た事情を先程の新聞からつなぎあわせて私は見出しを入れる。「灼熱《しやくねつ》の恋に高貴な身をかけた女子学生」「二人の愛は死をこえた」そんな歯のうくような恥知らずの言葉を私は甘草の煎薬を口にふくみながら平然とつづった。
夕暮になって神戸が戻ってきた。
「どうだった」
彼はもの憂げに首をふり、
「捜査はうち切りです。地元の青年団だけが探しているんです」
「何処に雲がくれしたんだろうね。二人とも偽名で伊豆東海岸の温泉にでも泊っているんじゃないか」
「泊りませんよ」神戸はまたイヤな顔をした。「二人は絶対にそんなことをする連中じゃない」
「そうだろうな。一緒に泊れば男女はもう自殺なんかできなくなる」
神戸は突然たちあがって戸を荒々しくしめると部屋を出ていった。しばらくの間、私は先程、自分の書きつけた「二人の愛は死をこえた」という文字をぼんやりと眺めていた。
神戸が部屋を出ていったあと、私は念のためM新聞通信部に電話をかけてみた。受話器に出た若い男はひどく興奮した声でついに手がかりが見つかったことをしゃべった。
「たった今、愛生さんのノートの切れ端がみつかったそうです」
「切れ端? どこにですか」
「天城山トンネルを一寸《ちよつと》ぬけた国有林にはいる山径《やまみち》です。ノートの切片が幾枚も落ちていたようです」
私は電話をきり畳に仰むけになって両手を頭の下にくんだ。窓のむこうには夜の迫った空がみえる。このニュースを神戸に教える気はない。意地になっている彼はすぐ現場に行こうと言いだすだろうし、それが私には面倒だったのである。どうせ明日の朝刊をみればわかることだった。
(愛生さんに久保君か)私は起きあがり窓に腰をかけて灯のともりはじめた街やそのむこうに拡がる黒い寒そうな海を眺めながら二人の姿を心に描いた。あの寂しげな愛生さんをなぜ久保君はひきずったのか。暗い陰気なあの青年の顔。
その時、私はこの顔がなぜ今日一日の間、私を不愉快にし、イライラとさせていたのか、やっとわかったような気がした。あれは終戦の前年、学生のまま召集をうけた私の苦痛に歪《ゆが》んだ顔と似ていたからである。運命に怯え強張ったこの二つの不幸な顔はどこか同じような醜さと影とをもっていた。私はあの頃の自分の顔にひそんでいた暗い衝動やエゴイズムや恐怖を痛いほど思いだした。私はそれらすべての記憶を久保君の上に移しかえてみた。なぜ彼が愛生さんを道づれにしたのか、その心のひだの一つ一つまでがわかるような気がする。
(なにが純愛だ。久保は一人で死ぬのが怖《おそ》ろしかったんじゃないか)私は唇をまげて嗤《わら》おうとした。しかし嗤うことができなかった。
翌日の午後、私と神戸とはハイヤーにのって自殺の現場に赴いた。葉の落ちた雑木林にかこまれた路を車は幾度も登ったり下ったりする。昨日のうちに死体の処理もついたらしく、路にはほかの車も人影もみえない。
「愛生さんと久保君、三日前にここを通ったんですね」少し機嫌のなおった神戸は車の窓に顔をあてて眼をしばたたいた。「二人はどんな気持だったろうなあ」
伊豆にきて二日のうち、この時ほど私が神戸にやりきれない気持を感じたことはなかった。戦争の時、田舎に疎開をしていた彼。戦争で心の芯《しん》までもすりへらなかった彼。だから何事にも陶酔でき、何事にも情熱をもてる彼。だから生活の上でも仕事でも誠実や純粋という言葉を平気で口にできる彼。
「歩きましょうよ。西村さん、僕は歩いて二人の気持に浸ってみたいな」
神戸はハイヤーをおりて枯葉に埋まった山径を歩きだした。私も黙ってそのあとを従《つ》いていった。時々つめたい風が足もとの笹原をならし、冬のにぶい光線の中で雑木林の樹々が銀色に光っていた。ここで二つの生命が消えたのですねと神戸はうっとりして言った。
たった二つの生命ですか。空襲の夜、空襲の朝、まだ黄色い煙のたちのぼっている東京の街でこっちはもっと沢山の、もっと惨めな死体をまたいで歩かされたのにと私は思う。しかし若い神戸の言葉一つ一つにそんなひねくれた反応をする自分の心も憐《あわ》れだった。枯葉をふむ靴音をききながら、私はできることならばもっと素直に単純になりたいと思った。だがこの反省も東京に帰ればふやけて消えてしまうことも私は知っているのである。
やはりそうだった。東京に戻るとふたたび私は甘草の煎薬を飲み、編集室の机によりかかってメロドラマ風のルポを書きあげた。
ルポが仕上るとこのルポのあとに掲載する座談会が新橋の料理屋でひらかれ、私が係りになった。退屈な莫迦莫迦しい座談会だった。約束の時刻は五時だったが出席者の一人である心理学者の杉野氏は一時間も遅れて姿を見せた。
「やあ、ごめんごめん。試写があったものだから」杉野氏はそう言うと眼鏡をとって女中の差し出したタオルで太い首をゴシゴシ拭きながら「君、今日の角力《すもう》、若乃花と千代の山はどちらが勝った」
女中が勝敗を調べに階下におりると私は今日の座談会のテーマを杉野氏ともう一人の出席者、山室女史に説明した。そしてやっと座談会がはじまった。
「統計によるとね」箸で酒の肴《さかな》の雲丹酢《うにず》をつつきながら杉野氏は「青春の自殺のうち二十歳から二十五歳までが全体の三割をしめて一番多い。愛生さんと久保君もそれに当るわけだが」
山室女史はまだ料理に手をつけない。彼女は両手を膝《ひざ》におき眼鏡をキラキラ光らせながら高い声をあげる。
「この事件は日本の家族制度や親子の問題をしみじみ考えさせますわね」
「そうだよ」杉野氏は盃《さかずき》を口に運んで、「もう少し愛生さんの親が家柄をこえた考え方をすべきだね」
「戦後十年たっても封建主義がこういう形で出ていると思うのよ」
「全くだ。ところでこの蟹《かに》はうまいねえ。山室さん、杢蔵蟹《もくぞうがに》の味噌汁ってたべたことがある? 蟹の肉に豆腐にせり、蕗《ふき》のとうを入れてね、僕はあれが一番好きだな」
私はしばらく二人に蟹の話をさせておいてから話題を「純愛」に戻す。私たちのうしろでマッサージ師のようにかしこまった背の低い猫背の男が速記をとっている。彼が走らす鉛筆やメモをめくる音がにぶくきこえてくる。
手あかによごれ符牒《ふちよう》のようにきまった思想。今までどこかの座談会で幾十回、幾百回としゃべった言葉。今日もこの二人はすりきれたレコードのように繰りかえしている。(あなたたちはそれを信じているのか。本当に信じているのか)
出席者たちを送りだしたあと、私はガスストーブだけがまだ乾いた音をたてて燃えている部屋に戻る。灰皿の中に彼等のすった煙草の吸いかすが幾本も散らばっている。私はふかい疲れとも空虚感ともつかぬものを感じながら眼をつむった。(もし俺が執筆家だったらこんな厚かましい発言はしなかったろう)しかし同時に私はそうなったとしても、彼等と同じようなことをいう自分を知っていた。
※
(こういう毎日がいつまで続くのだろう)編集室で私は時々、ペンをおき煎薬の瓶をあけながら考えこむことがある。私の眼の前では神戸が相変らず赤鉛筆をクルクル廻しながら楽しそうに電話をかけたりレインコートをひっかけて急いで編集室を飛びだしたりした。そんな彼を見ると私はやはり羨望感《せんぼうかん》とも嫉《ねた》ましさともつかぬものを感じる。
伊豆出張以来、私と神戸との間はどうやらシックリいかなかった。勿論、編集室では調子よく口をききあってはいたが、時々、机のむこうから私を見つめる彼の視線にはふと、軽蔑のこもることがある。(今に君も僕と同じようになるさ)私は顔を伏せて考える。だが私も私であの天城山で神戸に感じたやりきれない感情を忘れてはいなかった。
雨の降る夕暮、私が社から帰ろうとすると一足先に編集室を出た神戸が雨に光った歩道を走っていくのが見えた。電柱のかげから傘をすぼめて一人の和服姿の女がそっと顔をだし、神戸はその女に何かを渡していた。あれが戦争で夫をなくした神戸の恋人なのだな、と私は気がついた。
月はじめの日曜日私は久しぶりに木更津の療養所に妻をたずねた。妻はちょうど手術室で気胸を入れていたので火の気のない火鉢だけがおいてある待合室で私は車中で開いた朝刊を読みなおしながら、明後日の編集会議にもち出すプランを探した。ちょうどフィリピンのアンビル島で十年間もジャングルに逃げこんでいた日本兵が三名、発見されたという記事が載っている。(こいつは材料になるな)私はその日本兵と彼を十年も待っていた妻との劇的な再会はグラビアに入れられるなと思いついた。
「来てたの?」その時針をいれられた左胸を痛そうに押えながら妻は手術室から姿を現わした。
「義母《かあ》さんに頼まれて寝巻と肌着を持ってきた」
「海岸の方におりましょう。病室じゃ、みんなの眼がうるさいから」
私たちは兵舎のように憐れな病棟と病棟との間をぬけて黒い冬の海の拡がる浜に降りた。むこうの工場の煙突から煙がたちのぼり灰色の空に消えていく。
「胃はどうなの」
「相変らずだ」
「食事や洗濯は?」
「義母さんがみんなやってくれる」
「どうしているの毎日?」
「アパートを出て社にいく。社からアパートに戻る」私は微笑しながら「君がいた時と全く同じような生活だよ」
妻はしばらく黙っていた。それから顔を横にそむけて掌で砂をすくっていたが、
「いいのよ、浮気したって。あたしは当分こんな体ですもの」
私はたちあがり波が物憂く白い泡をたてている渚《なぎさ》に近づいた。家畜の白い骨や黒く焦げた木ぎれが足もとに流されてくる。
「ほかの人たちも」いつの間にか私の横にきた妻は寒そうに首を襟に埋めてつぶやいた。「みんな私たちと同じようなのかしら」
私は妻の不在中他の女と交渉をもったことは一度もなかった。だがそれは妻にたいして情熱を持ち続けているためではなく、今更、他の女を相手にするのが億劫《おつくう》だからにすぎなかった。そして万一、そんな事態になっても私のひからびた心は妻にたいして裏切りの気持も良心の苛責《かしやく》もそれほど感じないにちがいなかった。
木更津から戻ると私は早速、新聞をたよりに住井光子の家を探した。フィリピン、アンビル島の密林で十年間も終戦を知らずにかくれていた三人の日本兵が最近、発見された。その日本兵の一人が住井光子の夫だった。私は長い別離をしていたこの夫婦の再会場面をできることならグラビアに撮りたいと考えたのである。午後にある編集会議に出す前、私は彼女の内諾だけはえておきたかった。
小田急の梅ケ丘をおりて豪徳寺にむかう路ぞいの小さい家をたずねると襟に白布をつけた小柄の老婆が顔をだした。それが彼女の母親だった。玄関には小学生の子供のものらしいゴム靴がころがっていた。
「あれはもう、とっくに勤めにでまして」私の来意をきいた老婆はすまなそうに頭をさげた。私は彼女の勤め先である貿易会社の住所を手帖にひかえると「お婆さん、ほかの雑誌社の人は来ましたか」と小声でたずねた。
市ケ谷の事務所で光子と会った時はもう昼だった。私は彼女を事務所の前の軽飲食店に誘ったが、袖口がすれて光っている黒いスーツを着た彼女はまるで小学校の教員のようだった。運ばれてきたライスカレーにも手をつけず膝の上に組み合わせた中指にはよごれた繃帯《ほうたい》がまきつけられていた。血色のよくないその顔には生活の窶《やつ》れがみえた。それは木更津にいる私の妻によく似ていた。
「御主人、いつ帰られるんです」
「わかりません、まだ」彼女は卓子に眼をおとしてひくい声で答えた。
「新聞を見ますと引揚援護局の人は今月の終りにマニラに迎えに行くんでしょう」
「えっ」
「あなたも……いや、奥さんも勿論、いらっしゃるんでしょう」
「費用のことで」彼女は弱々しく首をふって、「家族は日本に待つことになったんです」
「手記、書いてみませんか」私は本題にとりかかった。「読者は感動すると思うんですがねえ」
光子は眉をよせて私から視線をそらせたまま黙った。
「おいやですか」
「…………」
「むつかしくはないんです。今日までの御苦労のことをそのままお書きになれば、それでいいんです」
「神戸さんに」急に、彼女は口ごもった。「神戸さんが」
「神戸? 社の神戸、御存知ですか」
驚くほど彼女は狼狽《ろうばい》して眼を伏せた。突然、私の心にはいつか神戸が自分の恋人のことを打明けた言葉や、あの雨の日に電信柱のかげで彼を待っていた女の姿が甦《よみがえ》ってきた。「神戸さんに聞いていらっしゃったと思ったんです」光子は口早に弁解しはじめた。「あたし、そう思ってたんです」
「大丈夫ですよ。奥さん」私はゆっくりと肯《うなず》いた。「第一、彼だって知っているんでしょう。今度のこと」
「ええ」うなだれた彼女は弱い声で肯いた。
住井光子と別れたあと、私の心にはまだ動悸《どうき》がうっていた。世間とは広いようで狭い。真実、私はそう思った。市ケ谷から四谷にむかう歩道を歩きながら胸もとからこみあげる興奮を――興奮というよりは一種の快感を私はゆっくり楽しんだ。
初めのうち私は神戸を驚かすつもりだった。編集室に戻り、彼の肩を叩いて「君の恋人に会ったよ」そして彼の狼狽ぶりをからかうつもりだった。だが神戸のような青年が生活の窶《やつ》れさえみせている女性を愛する気持が私には解せなかった。
(同情かな。神戸のことだからあんな女を助けることに何か悲壮な気分を感じだしたのだろう)すると私はあの天城山で彼に感じたやりきれなさを再び思いだした。あの日から彼が私を眺める時、眼にあらわす軽蔑の色を思いだした。私は自分とちがって生活にも仕事にもムキになれるこの青年を少しばかりからかいたかった。それは戦争で気力も情熱もすりへらした私の世代が彼などに加える一寸した報復のような気がした。
壕《ほり》を埋めたグラウンドで球なげをして遊んでいる子供たちを眺めながら私はベンチに腰をおろした。(恥ずかしくないのか)と私は考えた。しかし心には別に苦痛感も苛責も起ってはこなかった。編集室に戻ると神戸の姿はみえない。
「神ちゃんは?」
「風邪ですって」ちょうど外出しようとしていた女の子は赤いベレー帽を片手で押えながら肩をすぼめてみせた。私は少し失望したが彼が今日、なぜ休んだかわかるような気もした。
その夕暮、編集会議があった。埃《ほこり》くさい応接室に私たちは茶碗や薬罐《やかん》をもって集まる。ぬるい出がらしの茶を飲みながら、私たちは自信なげにボソボソと自分のプランを述べる。ほかの雑誌とはちがって婦人雑誌だけはもうしぼりだすものがない。
「もっと、こう」編集長の岡倉は痒《かゆ》そうにうすい頭を掻《か》きながら顔をしかめた。「もっと、こうピンとくるやつを」
「じゃ、岡さん、名案あるんですが」机にこぼれた水に指を入れて私は光子という名をかいた。「芯にはならないが手記物、一つ考えたんですがね」
岡倉は私の話を聞いたが気乗りがしないようだった。「どうもパッとせんな。しかしやりかたによっては成功するかもしれん」
「演出ですよ。四月号に手記をのせる。夫を失って以後の生活の苦労、子供のこと、いろいろ、あるでしょう。五月号に彼女が夫と再会した瞬間の感激的グラビアを入れる。どうですか。神ちゃんにやってもらったら」
「君がなぜしない」
「そういう仕事は若い者むきですよ」
翌日、神戸は出社した。まだ熱があるのかまぶたが酒でも飲んだように赤かったが私をみる眼にはオドオドと怯えたものがある。(住井光子からきいたな)しかし私は相変らず物憂げに机にもたれ、甘草の煎薬を口にふくんだ。
午後四時頃、私が便所から出てくると彼は強張った顔をして廊下にたっていた。
「話があるんですが、西村さん」
「そう。いいですよ」
私たちはひえびえとしたビルの階段をおり、冬のうすい陽がかすかに残っている玄関の入口に腰をおろした。
「神戸ちゃん。何だい」
「ひどいな。ひどい人だ」ズボンの膝をつかんで神戸は吐きだすように言った。「西村さん。住井光子に会ったでしょう。光子と俺とのことを知りながら、今度のプランを出したんでしょう」
「僕もためらったんだよ。でも会議では誰も名案一つださないんだ。察してくれよ。岡倉さんはイラだつし、江木君もチャコも黙っているんだ」
私は頭をさげ、スマなかったと小声で言った。神戸はうつむきながら靴を石段にこすりつけ、こすりつけ、
「あやまれば、それですむ問題じゃない」
「住井さんが手記を断ったと報告しようか」
「あたり前ですよ。そうしてもらいますよ」しかし彼は恨めしそうに首をふった。「だが駄目だ。岡倉さんならそんな時、自分で口説きにでかけるんだから」
「そうなんだ。強引なんだ」
私は困ったようにふかい溜息《ためいき》をついた。
「どう、思いきって住井さんに手記を書かせられないの」
「じゃ僕は光子に何と弁解するんです」
「手記は手記、君たちの愛情は愛情じゃないか。雑誌に何を発表したってそれは読者を惹《ひ》きつけるだけのためさ」
「そんな無責任な。――僕は西村さんのような人生は送れないんだ」
怒りにみちた顔で彼は私を睨《にら》みつけたがそのままあらあらしく階段をかけのぼって編集室に戻っていった。
こうなってみると、やはり寂寥《せきりよう》とした気分に私は捉えられた。一人の青年を苦しめたことの寂しさがやはり胸を疼《うず》かせる。(俺は全く宦官《かんがん》みたいな男だな)なぜ宦官という言葉がその時私の心に浮んだのかわからない。中国の宮廷で後宮に仕えるため自分の性器をきった男。情熱をもつことも行為をすることもできなくなった男。私は昔、李太后《りたいこう》に仕えた宦官の写真をなにかの古い本で見たことがある。写真の中でその肥った白服を着た男は物憂げに壁に靠《もた》れてとろんとこちらを眺めていた。人生にも生活にも興味も好奇心も失った悲しそうな顔をしていた。しかし宦官が情熱を持つことが出来なくなったのは彼の肉体的な不具のためだけではなかった。宮中監視役でもある彼は人の心のたよりなさその狡さを見すぎてしまったのだろう。(宦官か)石段に腰をおろした私は両手でかかえた膝の上にあごをのせた。(どうして、俺は真底から他人も自分も信用できないんだろう。雑誌も執筆者も神ちゃんの誠実もやっぱり信じられないんだ。理屈や思想のせいじゃない。そんな立派なものなど俺は持ってはいない。ただ、俺のひからびた心は……みんな戦争のせいかもしれない)
神戸はその日から私に口をきかない。机のむこうから時々こちらを窺《うかが》う顔には私にたいする嫌悪感と怒りとが露骨に浮んでいた。それを見るのはやはり辛かった。締切日が次第に近づいているのに彼は何も手をつけていない。昔、一つの仕事を終えるたびに嬉しそうに予定表を強く消していた彼が机に坐ったままうつむいているのである。
「神ちゃん、住井さんは承諾したのか」ある夕方、岡倉が鼻毛をぬきながら向うの席から声をかけたが、彼は苦しそうに顔を伏せただけだった。
「住井さん、いやがって承諾しないようです」私はあわてて口を入れた。「神ちゃん、たびたび尋ねていってるんですがね」
「どうしてだい。書けないというなら神ちゃん、話をきいてルポしなさいよ。あれがないと四月号は地味になるんだ。なんなら俺が口説きにいこうか」
岡倉は本気で自分がでかけるつもりらしかった。夕方になって外には細かい雨がふってきた。
退社時刻、私はビルの玄関にたって帰り支度をすませた神戸を待った。階段をおりてきた彼は私から急に視線をそらせるとそのままプイと横を通りぬけようとした。
「神戸君。僕の話も聞いてくれないか」
二人は黙って雨にぬれた歩道を歩きだしたが彼の体から発散する怒りや憎しみがこちらの肌にもじかに伝わってくるような気がする。
「水に流してくれよ」と私はしんみりとして言った。「こうなれば岡倉さんに事情を打明けた方がいいんじゃないの。話しにくいなら、俺が彼に説明してもいいんだよ」
突然、神戸は足をとめた。私たちはその時ちょうど、独逸《ドイツ》料理を食わせるレストランの前を通っていたのだが、その入口から洩れる蛍光燈の光に照らされた彼の顔には私が驚いたほど不安な色が走った。
「言わんで下さい」
「じゃ、君から説明するかい」
「放っといて下さい」
「だってこのままじゃ仕方がないよ。締切は迫る。どうするつもりなんだ」
「いいから言わんで下さい」彼は執拗《しつよう》に首をふった。その調子はほとんど哀願に近かった。その拒みかたも冷たい拒絶ではなく、なにかを怖れている当惑した様子があった。
私には彼の心中の動きがわかったような気がした。岡倉に事情を説明する。今度の手記のプランを引っこめてもらう。だが住井光子との関係を公にした以上、身動きがとれなくなる。どうしても彼は光子を背負わねばならなくなる。神戸は無意識にそれを怖れているのではないか……。
あの天城山で彼に感じたやりきれぬ気持が再び私の心を襲ってきた。誠実とか純愛とかを口に出せる彼。すぐ陶酔し、すぐ感激できる彼。しかしその陶酔も感激も自分の罠《わな》に気づかぬためにできるのである。私はもう一度、この青年に幻滅をおぼえながら、
「そうか。それじゃ、君の好きなように」と呟いた。だがその時、私は一方では自分の想像が間違っていることを、間違うことをひそかに願っていた。馬鹿でもいい無知でもいい、もし神戸がこの三十五歳の男の陰険なからかいなどハネつけて、住井光子を背負ってみせると気負ったならば私は自分のひからびた無感動な心、気力も情熱も失った毎日を恥じただろう。人生における決意の美しさ、人間のもつ誠実の価値をもう一度、素直に信じたいと思ったかもしれない。(これで、お前は再びぐうたらな人生に戻るのか)雨に煙る夜路をアパートに戻りながら私はあの壁に靠れていた宦官のどこか孤独な疲れ果てた眼を思いうかべた。(あの宦官と同じような顔をして生きていくのか)
翌朝も雨が降っていた。九時半頃、私は眼をさました。雨は窓のむこうの黒い屋根を濡らしている。隣の部屋で赤ん坊の泣く声がきこえる。
もしかしたら、私の想像は間違っていたのかもしれない。神戸が怯えた顔をみせたのも別の理由だったのかもしれない。岡倉に住井光子のことを打明け、そのために雑誌に迷惑をかけるのが苦しかったのかもしれない。寝床のなかで私は天井を見つめながら、無理矢理にそう考えてみた。あんな想像をしたのも自分のひねくれた心のせいだともう一度思いたかった。(確かめてみようか。今の生活に戻るのはいつでもできるしな)
私はその日、何時もより早く会社にでかけた。
「岡さん」私は岡倉の机に近づいて、「神ちゃんが手こずっているらしいから、僕が住井さんにあたってみますよ」
「そうかい。そうかい」印刷所に廻す原稿に赤鉛筆を入れながら岡倉は歌うように言ったが急に廻転椅子を軋ませて私を訝《いぶか》しそうに眺めると、「なんだ、君かい。君が住井を口説くというのか」
「押せるだけ押してみます。でも彼女がどうしてもイヤと言ったら、この手記は諦《あきら》めてくれませんか」
「冗談じゃないよ。大先生の原稿じゃあるまいし、取れんというのがどうかしてるんだ」岡倉は不愉快な顔をした。しかし私はこの原稿をどうしても彼が投げるようにしなければならなかった。
昨夜からの雨が風をまじえて少し嵐のようになっていた。私は傘を斜めにしてその雨と風との中を住井光子の勤め先まで出かけた。この間と同じ色のあせたスーツを着た光子は事務所の扉をあけて出てきたが、待っているのが私だとわかると露骨にイヤな表情をうかべて、
「困るんです。仕事中、外に出るのは」
「この廊下で五分だけ暇をくれませんか。僕はあなたにあやまりたいんだ」
光子は白い眼でチラッと私を窺った。その指にはこの前の繃帯がやはりうす汚れたまま巻かれていた。
「神戸君から話をきいたでしょう。僕の不注意からあなたにも迷惑をかけちゃって」
「…………」
「手記のことは、もういいんですよ」
「神戸さんは昨日ここに来たんです」光子は抑揚のない声で言った。それから突然、片手を顔にあてて泣きはじめた。
バケツをさげて廊下に現われた掃除婦が探るような眼つきで私たちを眺めた。光子は壁の方に顔をそむけて肩を震わせていた。
「私たち、別れることにしたんです。どうせ、いつかはこうなったんです」
「神戸が別れるって言ったんですか」私は息をのんで訊ねた。
「あの人はその方が誠実だと言われるのです。苦しいけど諦めようと言うんです」
「で、あんたはどうなんです。どう答えたんです」
光子の低い嗚咽《おえつ》はいつまでも続いた。苦痛と恥ずかしさとで私はこの場を逃げだしたかった。
「え? 何ですって」私は彼女の口に耳をあてるようにして嗚咽の間から洩れる言葉をききとろうとした。
「あの人……私の家に下宿してた時から同情して下さったんです。でも同情して頂いて私が悪かったんです」
「じゃ、御主人が戻ってこられたら会われるのですか」
「ええ仕方ありません」
仕方がないのじゃない。もう、そうしたいのだ。死んだ筈の夫が帰ってくる。新聞にその記事がのる。周囲の者が彼女を見つめている。安全な生活に戻るため、彼女は、こういう風に理屈を作ったにちがいなかった。そして今、その理屈を本気で信じようとしている。
私は十二年前に自分が召集をうけた日のことを思いだす。あの日、私はこの住井光子と同じように、少しずつ、身動きのとれぬ心をだましはじめた。やがてその偽りを真実だと信じることもできたのだ。その時の暗い顔は愛生さんを道づれにした久保君の顔に似ていた。そして久保君は……。
「私ね、手記を書きましょうか」うしろをむいて歩きだした私に彼女はわざとらしい声をかけてきた。
既に外は真暗だった。雨のなかをタクシーが二、三台、走りすぎていく。傘をさした時、私の胃はまた、締めつけられるように痛みはじめた。
編集室に戻ると、暗い電気の下で岡倉が一人、残っていた。
「住井光子、手記を承諾したそうだな」彼は私を見ると満足そうに微笑した。
「これで四月号もカタがつくな。うまく、いくかもしれんね」
「誰から聞いたんです」
「さっき、神ちゃんが電話で報告してきたよ。もう戻ってくるだろう。君が出かける必要はなかったな」
岡倉も引きあげたあと、私は一人で編集室に残っていた。ストーブも冷えて、部屋の中には紙屑や新聞や泥によごれた雑誌がちらばっている。壁にかけた編集予定表にはもう「夫の生還を信じて」という光子の手記の題名が書きこまれていた。それは神戸が電話で提案したものにちがいなかった。
私は頬杖をつきながら一匹の鼠が編集室の壁をつたってドアの向うに走っていくのをぼんやりと眺めていた。このビルには鼠が多い。いつか歩道で見た鼠もその一匹だ。あれは四肢を伸ばして鋭い歯を覗《のぞ》かせながら死んでいたのだ。
電気を消して部屋を出ようとすると神戸が階段をゆっくり登ってきた。
「手記がとれるそうだね」私は皮肉な調子で、「仕事は仕事。僕の言ったように君たちの愛情は愛情でうまく割り切れたじゃないか」
神戸は階段の手すりに靠れて、私を睨みつけた。
「ひどいことを言う。住井光子の幸福のために身を引く決心をしたんです。それが彼女にたいしても一番、誠実だと昨晩、一晩中、考えたんです。西村さんなんかにはわかりはしない」
「そうか」私はゆっくりと肯いた。「それが一番、誠実かもしれないな」
「西村さん、西村さんたら。郵便が来てますに」
朝十時、私がアパートの玄関を出た時、廊下で掃除をしていた管理人の内儀《かみ》さんが追いかけてくる。
「どうも……」
今日も昨日と同じように曇った日だった。アパートの前の路はぬかるんでいる。いくらか乾いたその両端も、私より前に出勤したサラリーマンの靴痕《くつあと》が入り乱れている。そのぬかるみ路をやっと抜けてバス道まで出た時、冬の弱い日差しが曇った空から洩れてきた。この頃、私には自分の仕事にたいしてと同様、大袈裟《おおげさ》にいえば人生や家庭にも気力がなかった。それはこの重くるしい胃のせいでも三十五歳という年齢のためだけでもないようだった。だがそれ以上理由を突きつめるのも私には面倒だった。
松葉杖の男
※
菅《すが》がはじめて加藤昌吉を診察したのは去年の七月である。朝から息ぐるしいほど暑い日で午前十時にはもう予診室の窓にぶらさげた温度計が三十度を越していた。鉛筆を握っていると汗が机の上に落ちてくる。それでも彼は半年前から自分の担当になっている十四歳の少年のロールシャッハ検査の結果を懸命に計算していた。分裂病にかかったその少年の治療成績は今日の結果からみても決してはかばかしくはなかった。
「辛いなあ」
彼は新生に火をつけて誰に言うともなしに声をだした。すると背後のカーテンのかげで入江の命令で電気ショック療法をうけた老人を世話していた相沢看護婦が、
「はあー」吐息とも溜息《ためいき》ともつかぬ声をだして肯《うなず》いた。
(いっそ、外科手術をしてみようか。入江のように患者にたいしても少し冷酷になれたらな)と彼は煙草を左手に持ちなおしながら考えた。(だが電気衝撃や脳を手術したりする治療は俺にはむかん)
神経科の医者を長年やっている以上|勿論《もちろん》、そうした外科手術の効果を菅も知っている。けれども今まで精神的に苦しみつづけてきた神経症の患者たちにこの上、肉体的な苦痛を倍加することは彼にはどうしても忍びない。そんなためか同じ科の入江の颯爽《さつそう》とした成績にくらべて菅の治療はいつも遅れがちだという同僚の噂《うわさ》である。
便所に行こうとして部屋のドアをあけると、風の通らぬ濁った廊下では家族につきそわれた四、五人の患者が狭い長椅子にぎっしり腰をかけている。爪をかみながらじっと何かを考えこんでいる鬱病の男もいれば、一人で何かをぶつぶつと呟《つぶや》いている中年の女もいた。その衣服からは汗の臭いだけではなく、これら病人特有の暗い苦しみの匂いが鼻につくのである。菅がその前を通りすぎる時、彼等は眼をあげて怯《おび》えたようにこちらを眺めた。
「君、手があいてる?」
便所から戻ってみると部屋の中で入江が団扇《うちわ》がわりにしたカルテでパタパタと胸をあおぎながら菅を待っていた。精力的なその太い頸《くび》やYシャツからのぞく厚い胸も汗で蝋《ろう》のように光っている。
「ああ、今、例の子供の検査、すませたところ」
「結果《レズルタ》はどうだい」入江はロール・シャッハの検査表をパラパラとめくりながらたずねた。
「相変らずでねえ」菅は眉と眉との間に皺《しわ》をよせて、「困ったもんだよ」
「いっそ、白質切断《ロイコトミー》で前頭を手術させなさいよ」
「ああそれがねえ。……」菅はあいまいな返事をした。「用事は何だね」
「初診、一人引きうけてくれないか。吉野さん、今日、出張だから俺一人じゃあとの患者とても片づかん」
入江が大股《おおまた》でたち去ったあと菅は彼の放り出していった初診患者のカルテをとりあげた。病歴表をみるとこの患者は二年前まで東京のある中学の事務員である。名前は加藤昌吉、妻と一人の男の子がいる。年齢は菅と同じ三十四歳で特に兄弟、父母に特別な精神病や梅毒の遺伝はない。半年前に下肢にしびれるような感じや脱力感があるためG病院で診察をうけた。病院では脊髄《せきずい》に疾患があるのではないかと考えてテスト入院をさせたのだが、入院一週間目にこの男は便所で突然、両足が硬直してたち上れなくなったのである。
整形外科やその他の治療も彼の場合に効果はなかった。G病院ではセネストパチーではないかと考えて菅たちのような神経医に行くことを奨めたという。
セネストパチーとは人間の心理的な苦しみがいつか内臓のしびれや疾患になってあらわれることだ。たとえばこの病院にもつい半年ほど前一人の顔色の青白い表情の強張《こわば》った娘が診察をうけに来たことがある。彼女は咽喉部《いんこうぶ》の狭窄感《きようさくかん》や心悸亢進《しんきこうしん》にくるしんでいた。二カ月の分析の結果娘の病気は外的原因ではなく結婚問題から起っていることがわかった。母親が執拗《しつよう》にすすめる縁談を彼女はのむまい、のむまいと悩むうちに肉体的にも飲食物を飲みくだすことができなくなってしまったのである。
入江から廻されたこの新患者が同じようなセネストパチーかどうかは勿論わからない。病気が本当に心理的なものから起ったのか、それともたんなる肉体的な疾患かを区別するまでは熟練した分析医でも長い忍耐と努力がいる。時には一切の労力が水泡に帰することも屡々《しばしば》ある。それを考える菅は経過のはかばかしくない自分の担当患者の中にこの男をくわえることは気が進まなかった。
「次の患者さん、どうしましょう」戸口にたった相沢看護婦がそう訊《たず》ねた時、菅はカルテに書かれている三十四歳という年齢のことをぼんやり考えていた。この病人と菅と同じ年に生れている。その上、自分と同じように妻と一人の息子もある。菅は、急に駒場《こまば》の小さなアパートで今頃山のような洗濯物を洗っているつかれた妻の顔や彼女にうるさく纏《まつ》わりついているにちがいない赤ん坊のことを思いだした。三十四歳、人生の若さをあの戦争ですりへらした世代。この中学事務員もおそらく自分と同じ傷をうけ、同じ生活を送っているかもしれないのである。この連想が彼にたいする親愛感とも連帯感ともつかぬ気持を菅に起させた。
「呼んでよ。このカルテの人だ」
窓のブラインドをおろして患者の心を鎮めるほどの暗さにすると彼は椅子に腰をかけて加藤を待った。
松葉杖をついた患者は相沢看護婦に助けられて診察室に姿をみせた。顔色のわるい眼鏡をかけた男である。ねずみ色のズボンは膝《ひざ》がぬけていたが開襟シャツだけは家族の心づくしか白く洗濯されている。汗のためずり落ちた眼鏡の奥から、彼は小さな暗い眼で菅を不安そうに見あげた。あきらかに患者はこの診察室や今からはじまるふしぎな治療をこわがっていた。
「さあ、気楽に腰かけて」菅は自分の前におかれた患者用の寝台を指さして、「松葉杖はそこにおいて下さい。ここじゃ痛い治療なんかしないんですよ」
まだ尻ごみをしている加藤の体を、手なれた相沢看護婦は両肩で支えながら、一歩一歩足をふんばった。
「加藤さん。今日から私を医者じゃなく友人だと思って信頼して下さいよ。あなたは大正十三年の生れですね。私も大正十三年の人間だ」
分析にとりかかる前に何げない雑談から菅はこの中学事務員と自分との間にラポール(関係)をつくろうとする。ラポールとは分析医にたいして病人が警戒心をとくことだ。患者が今日まで社会にかくし自分も眼をそむけていた心の謎《なぞ》、意識下の秘密を徐々に剥《は》がすためにはこの下準備は絶対に必要だった。
ブラインドで窓をふさいだため、暗く翳《かげ》った部屋は先程よりももっと暑くるしくなった。隣の部屋から電気衝撃療法で昏睡《こんすい》した老人のひくい鼾《いびき》がきこえてくる。
「気やすくおしゃべりしましょうよ。なんでもいいんだ。思いつくまま昔のことを話してごらん。私の診察はそれでいいんだから」
だが加藤は黙ったまま、両手を膝の上において床に視線を落していた。まだ菅にたいして警戒心をとこうとはしていないのである。
「姉弟《きようだい》は三人ですね、姉さんのマサエさんと弟の庸平さん。弟さんはガソリン・スタンドで働かれている」
菅はさりげなく加藤の幼年時代に探りを入れた。父母にたいするさまざまな愛憎、姉弟にたいする微妙な嫉妬《しつと》、そういう原型経験が河床をあらう泥水のようにこの男の三十四年の運命にどういう変化や影響を与えたか調べる必要がある。けれども蒼黒《あおぐろ》い患者の顔はそうした質問にもほとんど反応らしい反応をみせなかった。返事もしないわけではなかったが気のりなさそうに「はあ」とか「いいえ」ぐらいしか答えない。すると、たとえ父母姉弟に子供の頃、多少のコンプレックスがあったにせよ、それは大したものではないらしい。少なくとも今日、この男が苦しんでいる脱力感や足の硬直という病状には直接の原因にはなっていないようである。
患者はおどおどした眼つきで菅の顔を眺め、時々、うすい血色のわるい唇を神経質に舌でなめていた。落ちつきのないそれらの動作の中に菅は鬱病に特有な強迫感をみてとった。まだはっきりと断定はできないが加藤昌吉はなにかに怯え、なにかを怖《おそ》れているらしいのである。そしてこの何かが彼の両足を突然|麻痺《まひ》させてしまったのかもしれぬ。
三十四歳という歳にしては薄くなった髪が汗にぬれている。ねずみのように小さな眼。その小さな眼が暗い光をおびていた。年齢よりは老けてしなびた顔の色。その顔色をみて菅はまたこの男にかすかな憐《あわ》れみを感じる。雨のふる街の歩道で、夕方のラッシュ・アワーの国電の中で菅は自分や彼と同じような年頃の同じような疲れた顔を毎日、幾つもみつけている。それはあの戦争のあいだ心の芯《しん》まですりへらした連中の顔である。
「子供時代のことはどうです。子供のとき、嫌だった思い出はありますか」と菅は分析をつづけた。「自由に何でも思いだしてごらんなさいよ」
暑くるしい部屋に、ふたたび隣室で電気衝撃療法をうけた老人のかすれた鼾がきこえた。菅はその鼾から、
「年とった人は」と言った。「たとえばお祖父《じい》さんなんかとは一緒でしたか」
患者は首をふった。
「お祖母《ばあ》さんはどうです」
突然、相手の肩がかすかに震え菅にむけた困惑した視線をあわてて横にそらした。
「お祖母さん、好きでしたか」
「…………」
「あまり好きじゃなかったのですね」
「……母が……」はじめてこの中学事務員はかすれた声をだした。
「母が祖母にいじめられまして子供心にも嫌いで」
「どんな事がありました」
だが膝をのりだした菅は三十分の後、ハンカチで首すじの汗をぬぐいながら、溜息をついた。
「疲れたでしょう。また再来週《さらいしゆう》、同じ日に来てもらうかな」
残念なことには加藤がもらした祖母の話も特別に病症の手がかりとはなりそうもないのである。しかし今日の一時間にわたる診察のうち、この祖母へのかすかな敵意だけが僅かな収穫と言えば言えた。
昼を告げる病院のサイレンが鳴った。廊下では事務ノートを片づけて昼食をとりにいく職員の足音や話声がひびいた。相沢看護婦が診察室の戸をあけて、
「すみましたか」
「すんだよ。加藤さんを助けてあげて下さい」
中学事務員は寝台からたちあがる時、ふたたび、ずり落ちた眼鏡の奥から小さな暗い眼で菅を見あげた。
「加藤さん。足は必ず治りますよ」一時間の疲労をかくして菅は頬に無理矢理に微笑をつくった。
消毒液の臭いの漂う病院食堂には食事をする付添いや患者の家族や職員たちがたてこんでいる。片隅にやっと席をみつけた菅は小瓶の麦酒《ビール》を飲もうかと考えたがやめた。贅沢《ぜいたく》をする代りにその金で今朝、妻に頼まれた子供の下駄を買おう。その妻も子供も今頃はアパートの狭い部屋で簡単な昼の膳にむかっている筈である。
(俺は医者だ。医者だが平凡な人間だ。この病院では部長にもなれんだろう)笊《ざる》蕎麦《そば》をすすりながら菅はいつもながら同じことをぼんやり考える。(そんな平凡な神経科の医者であるだけで今日もまた人間の苦しみや傷に指を入れる仕事をやっている。指を入れるだけでなくそれを治そうとまでするんだ)
第二回目に加藤を診察した日は霧のように雨の降る午後だった。窓からは雨の音にまじって自動車やバスの響き、街の騒音がながれこんできた。その窓をしめようとしてすぐ近くのお茶の水の駅や濡れて光る線路やM大学の白い建物をしばらくみていた菅は、
「学生たちが原爆反対のプラカードをたてて歩いてますよ」とベッドに腰かけた加藤をふりかえった。「あれじゃ、雨にずぶ濡れだ。それに日本の学生がいくらデモってもアメさんは実験をやめないだろうに」
この日、菅は質問の形式をやめてT・A・Tの検査をやってみることにした。これは米国で行われている方法である。さまざまな人物の顔や風景を描いたカードを幾枚か患者に示し、それらの絵から心にうかんだ空想をそのまましゃべらせる。
「では幾つかの絵を見せますから加藤さん、あんたはこれからできるだけ小説のような話を考えて下さい」と菅は説明した。「なぜこんな事が起ったか、人物はなにを感じ、なにを考えているか、どんな結末になるかを創作するわけですね。一枚の絵に五分かけていいんです」
最初、彼が示したカードは口髭《くちひげ》をはやした中年の男と若い青年がほとんど顔を近づけるばかりに向きあっている絵だった。年齢のちがう二人の男はいずれも深刻な表情をうかべている。幼年期に深い父性コンプレックスを持った患者ならこの中年の男を父にみたてて、それに関係のある連想をするものである。同性愛の傾向のある者なら向きあった二人の男性に性的関係を想像するだろう。たとえその秘密をかくそうとしても眼の赫《かがや》きや小さな身ぶりにも特別な反応をあらわす筈である。
「始めますか」時計をみながら菅が促した時、加藤は眼鏡を鼻さきにずり落しうすい唇を舌で舐《な》めながらカードを見つめていた。開襟シャツの肩が雨に濡れていた。表情の動きに菅はひそかに注意したが、これといった感情をこの顔色のわるい中学事務員はあらわさない。
「どうです」菅は五、六分の後、もう一度たずねた。「物語を思いつきましたか」
「これは社員が上役から」加藤はひくい小さな声で呟いた。「命令をうけているので……」
「続けてください。続けて」菅は肯いてみせた。この絵から命令や叱責《しつせき》をうけるという連想をするのはおおむね現実にたいしてある恐怖をもった患者に多い。勿論、加藤はあきらかにその傾向があるのだ。
だがそうした強迫感は鬱病にも分裂病にもみられるものだから範囲は広いのである。更にそのあと加藤がつづけた話や連想は粗雑で単純なものだった。ただ菅は「せざるをえんので」とか「しなければなりません」という強制感をふくんだ表現を加藤が二、三度使ったのに注意をした。
こうして十枚にちかい絵を次から次へと示した後もう一つふしぎな反応を加藤の中に発見することができた。それは女、というより年配の女にたいする加藤の敵意である。たとえば四番目にみせたカードには耕作地で働く青年と娘と、樹に靠《もた》れてそれを眺めている母親らしい女性が描かれている。普通の人間にはいかにも田舎の牧歌的な風景にうつるような絵である。
だが加藤昌吉はこの時はじめて一風変った見かたをした。
「先生、こりゃ監視されとると考えてええですか」
「カンシ? ああ」と菅は肯いた。「わかりますよ」
「つまりこの婆さんは、自分の養子の働きぶりを見とると思います」菅が同意をみせると加藤は幾分自信なげな口調をあらためて唇をなめなめ話しだした。画中の母親らしい女を意地のわるい姑《しゆうとめ》にしたてあげ、働いている青年は彼女の養子だというのである。
年をとった女にたいする彼の敵意はこのカードの場合だけではなかった。七番目と九番目の絵にもそれぞれ働く主婦なり、老婆の姿なりが描かれていたが、加藤の空想物語のなかではこの女たちは決して善い役割を与えられない。性悪で他人の弱点を窺《うかが》うような女性にしたてられるのである。
(加藤の過去で年とった女がある不快な思い出を与えたにちがいない)と菅はすぐ考えた。(母親かしらん、それとも妻かしらん)
だが先々週の診察で患者の妻は当人よりも八年も年下であることはわかっていた。母親にたいする愛着も常人並みである。ただあの日、祖母にたいしてだけ加藤はかすかな憎しみを告白していたが、それは両足硬直という病状の原因につながると思えない。
カードをしまいながら、まだ雨に煙っている窓の外を何気なさそうに眺めていた菅は突然、
「加藤さん。年上の女の人でイヤあな思い出のある人はいない?」
「は?」加藤はふたたび小さな眼で菅を不安そうに眺めた。
「たとえば伯母さんとか知り合いの女で不愉快な人はおりませんでしたかね」
「さあ」両指で薄い髪をかきむしりながら相手は困惑したように顔をしかめた。「私には別に記憶がないですが」
けれども相沢看護婦に助けられて寝台から立ち上った時、足を曳《ひ》きずりながらこの男は初診の時と同じようにふりかえった。その悲しげな小さな眼や鼻にずり落ちた眼鏡は菅になにかを哀願しているようである。(先生、私を治して下さい)無言のその訴えを感じて菅は思わず顔をふせた。俺は神さまじゃない、と菅は床をみつめながら思った。神でないのに人間の傷口や滲《にじ》む血に触れているのだ。
それを治すためには加藤昌吉の三十四年の過去のなかから、彼自身も気がつかぬ彼を苦しめている傷口を甦《よみがえ》らさねばならぬ。いつから加藤は年上の女に恐怖や敵意をもちはじめたのだろう。それが菅につかめれば療法の糸口はわかるかもしれない。不幸なことにはその理由を病人自身が思いだせないのだった。
※
けれどもそれに続く数回の診察ははかばかしい成績をもたらさなかった。もたらさないだけではなく逆に事態を悪くさせてしまったようである。
菅はゲスタルト検査をはじめ、さまざまな手を使ってこの年上の女の正体を加藤の記憶の底から浮び上らそうとした。けれどもそれらの方法がいずれも無駄な結果に終ると、菅は少しずつ急《あせ》りだした。患者自身も疲れておどおどとする。彼は診察を早く終らせるために軽いウソをつくようになった。
患者が軽いウソをつくことは心理療法にとって最も悪い障碍《しようがい》となる。加藤の場合も検査中に菅が思わずみせる不満げな表情や失望した態度に敏感になっていった。そして相手を悦ばすために精神分析医の関心をひきそうな反応を意識的につくりだしはじめたのである。
「俺なら麻酔分析をやるがね。麻酔分析を」
ある日、病院の帰り、菅を国電駅ちかくのトリス・バーに誘った入江は加藤の話をきくと濡れタオルで顔を拭きながら大声で言った。
「便利な方法がいくらでもあるのに、菅君、あんたは少し臆病すぎるよ」
「別に臆病じゃないんだが、ただ……」飲めぬコップに唇だけをあてて菅は眼をしばたたいた。
麻酔分析とは第二次大戦中から英国の医者が使いはじめた方法で患者の静脈にゆっくりと麻酔をうち、意識を失わせて質問に答えさせる方法である。
「ただ……あれは患者が分析医の暗示にかかりやすいからなあ」菅が小さい声で呟くと入江は、
「しかし、その何と言ったかな。加藤か。加藤がそんなに頑固なら他に方法はねえじゃないか」
入江の精力的な首や顔だちをみながら菅はこの男が戦争中、優秀な軍医であったことを思いだした。本当をいえば菅が麻酔分析に足ぶみをするのは、たった今、入江に抗弁した理由のためではなかった。患者の体に薬をうち、その自由を奪い、意識を失わせて過去を告白させる方法に菅はなぜか後ろめたさを感じるからである。たとえ治療のためとはいえ患者を実験の材料にすることに菅は本能的な嫌悪をおぼえた。それはふしぎに彼にとって戦争中のさまざまな思い出につながっていた。麻酔療法と戦争の思い出が何故《なぜ》つながるか、彼自身にもはっきり説明はつかなかったが、しかし入江のようにすぐ外科手術や麻酔にたよって成績をあげることは彼にはどうしてもできなかった。
「患者は早く治りたがってるんだろ。医者も早く治してやるべきじゃねえか」数杯目のコップに顔を赤黒く光らせた入江は菅を軽蔑《けいべつ》したように見おろしながらからんだ。「お前さんみたいに手段のため目的を見失っているのは、俺、反対だね」
「手段と目的か」
菅はその時ふいに、加藤を診察していた日、病院の窓から見えた学生たちの行列を思いだした。霧雨のなかを彼等は原水爆反対と書いたプラカードをたてて駅前の濡れた車道を歩いていた。菅はああいう行列をみると、ともすればその不毛さ、空《むな》しさを感じてしまう。戦争中に学生だった彼はながい間、悪にたいする苦い諦《あきら》めに狎《な》らされてきた。さまざまの悪、政治の悪、社会の悪、人間の悪、そうしたものにたいする無力感、俺一人が頑張ってもどうにもなりはせんという敗北感があの戦争の時以来、錘《おもり》のように心の底ふかく沈んでいるのである。その彼が復員後他人の苦しみを治療する精神医を選んだのも一つはこの自分の宿命感と闘うためだった。(一人の患者の苦しみをとり除こうと働くこと――たとえば加藤昌吉の足を硬直させた心の傷口をふさぐことは逆に俺自身のためなのだ。決して絶望しないこと――それは俺が戦争からもらった、疲労感や宿命感にたいする抵抗になるかもしれん)バーの片隅から甘いジャズがきこえてくる。そのジャズにぼんやり耳かたむけながら菅はそう考えた。
「あの曲は何だね」
「そんなもの知らんね、俺は」入江は皿にもった柿の種を口にほおばると、またウイスキーを注文した。
翌日、病院の帰り路、菅は急に思いたって加藤昌吉の家を訪問することにした。分析医が患者の家族やその家庭の雰囲気を知っておくことは必要である。前から一度、たずねようと考えながら忙しさのあまり延ばしていたのだった。
渋谷からバスに乗り松見坂という停留所でおりた。停留所の前のきたない食品店で加藤の家をたずねるとステテコとシャツ一枚の亭主がすぐこの裏だと教えてくれた。
このあたりはまだ十年前の空襲の名残りが残っている。白い埃《ほこり》をかぶった夏草のおい茂る宅地の跡に、焼けた煉瓦がころがっていた。その間にどれも同じ形をした平屋の木造家屋が幾棟も並び、狭い庭には子供のおしめなどが干してあった。何処《どこ》からかラジオがきこえてきた。
加藤の家はそれらの木造家屋の一軒だった。顔をだしたのは色の白い平凡な顔をした女である。菅はそのどこか世帯やつれした顔を一目みて加藤の妻だとわかった。
「父ちゃんは今、新宿の病院に行ったんですけど」五、六歳のあせもだらけの男の子を膝にかかえて彼女は言いにくそうに答えた。「なんでも注射一つで病気をなおす先生がいられると近所の人が教えてくれたもんですから」
「注射ではどうかなあ」菅は急にこみあげてきた情けなさを抑えながら「御主人の脚はそんな単純なものじゃないんですよ」
玄関の上りぶちに腰をかけて彼は加藤の妻に今日、訪問した理由を詳しく説明した。
「だから奥さん。御主人の病気を治すためには、医者だけじゃ駄目なんです。家族の協力がいるんですよ」
唐紙のやぶれた襖《ふすま》があいていたので隣の六畳が玄関からみえた。部屋には子供のこわれた玩具《おもちや》や卓袱《ちやぶ》台《だい》が転がっていた。
「こんなこと伺うのは奥さんに気の毒なんですが」菅はきり出した。
「御主人の身辺になにか不愉快な思い出のある年寄りの女の方はいられなかったでしょうか。たとえば御親類で御主人と特に仲の悪かった女の方は心あたりがありませんか」
「さあ……」と加藤の妻はおくれ毛をかきあげながら考えこんだ。
裏口で井戸をくむ鈍い音がきこえてきた。「さあ、別に」
「よく考えて下さいよ。御主人はテストの結果、なぜか年よりの女性に本能的な警戒心をもたれていられるようなんでね。それがわかればあの足も恢復《かいふく》するかもしれないんです」
加藤の妻はすまなそうにどうしても思いつかないと言った。
「御主人、毎日なにをしてられます」
「なにって、ただ、ぼんやりと。先生、父ちゃんはもう神経科に通うのがイヤだと言いまして。いくら通っても目だった効果がないんでしょうか。それに近所の人まで変な噂をしますし」
「どんな噂ですか」
「神経科に通うのは父ちゃんが気が変なためじゃないかと、陰口をきかれるもんですから」
夕陽のあたる路地を菅は情けない気持で戻った。松見坂の停留所から乗ったバスが走りだした時、彼は偶然車の窓から加藤の姿をみつけた。松葉杖をついた加藤がこちらには気がつかず松葉杖にもたれてバスの通りすぎるのを待っていた。(加藤君、もう少しの辛抱だ。もう少しの辛抱だ)硝子《ガラス》窓《まど》に顔をあてた菅はその辛そうな加藤の姿が消えていくのを見つめながら心の中でそう呟いた。
次の停留所で近所に女学校があるらしくバスの中は制服をきた女生徒が四、五人のりこんでいた。そのバスが坂をくだる時、夕暮の光にキラキラと光る街がみおろせた。車の振動に身をまかせながら菅は今後、加藤にたいしてどのような治療を使おうかと途方にくれた。思いきって入江の奨めるように麻酔分析をやろうか。けれども麻酔は使わずにすむなら使わないでおきたかった。
夕陽が茜色《あかねいろ》に反射している街の真中から工場の煙突の煙がゆっくりと流れている。その煙の下には黒い小さな人家やビルディングが重なりあっていた。あそこにも無数の人間が働いたり生活したり愛したりしているのである。加藤の心にコンプレックスと苦しみを与えているらしい年上の女がもし本当に実在した人間ならば、彼女は今どこに生きているのだろうと菅はふと思った。だがなぜ加藤はその女のこととその出逢いを思いだすことができないのだろう。
(なにか彼の記憶を刺戟《しげき》するうまい方法はないか)つり皮にぶらさがった女学生が隣の友だちからまるめた画用紙をうけとっているのを眺めながら菅はふと加藤に絵を書かせてみたらと考えついた。
(そうだ。どうして今まで気がつかなかったのだろう。彼に紙と鉛筆を与える。年配の女の顔や姿を幾枚でも描《か》かせてみる。そしてそこから加藤の連想を引きだせはしないか)
自分自身でやったことはないが菅は、児童の性格テストに人物画をかかせて調べる方法は知っていた。バックやマッコーバが使ったこの古典的な分析方法はその解釈が主観的すぎるという批判もある。患者には絵のうまい者もいる。下手な人間もいる。そうした微妙な違いは図式的な解釈がみのがしているというのである。だが菅が今、思いついた方法はこの人物画法のように性格や心理を判断するものではなかった。それは年とった女の顔を加藤に幾枚も描かせながら、少しずつ当人の記憶の裏に沈んでしまった暗いえたいの知れぬ過去の一瞬を甦らせることだった。
加藤昌吉の次の診察日は五日後である。その日まで菅はさまざまの顔や服装をした年配の女性の写真を集めた。そこには農家の庭で冬の陽差しをたのしむ老婆の顔や、台所で働く主婦の姿を写した写真もあった。菅ははじめ加藤にこれらの写真を模写させてみようと考えた。
「これを隅から隅まで、まねして描けばよいのですか」
加藤は鉛筆を手にもち少し腹をたてたように言った。彼はなぜ自分がこのようなテストを強いられたのかのみこめないらしいのである。
「できたらそうしてみなさい。背景は省略してもよいですが人物だけは詳しく写してくださいよ」
菅は時計をみながら三十分後にここに戻ってくるからと言うと診察室を出た。自分がいない方が加藤の心理に微妙な圧迫や暗示を与えることがないと思ったからである。それから研究室に戻るのをやめて病院を出た。
病院から近くのお茶の水駅に通じる路に陸橋がある。その陸橋にもたれて菅はしばらくの間、眼の下のプラットホームにたっている人の群れをぼんやりとみおろしていた。国電がすべりこむたびに人々が吐きだされ、吸いこまれていく。このお茶の水の駅を十数年の間自分が往復したことを菅は思いだす。大学の時も毎日この駅におりこの陸橋を渡ったのである。それは戦争中だった。菅は作業服にゲートルをまいて学校に通っていた。この陸橋にも冬のわびしい風が吹き、家も店も戸を閉じたまま黒くよごれていた。時々、にぶい音をたてて満員の人を乗せた都電が通りすぎるだけだった。それから空襲の夜が続き、街は茶褐色に焼きはらわれてしまった。
(あの戦争の頃はまるで夢のようだ。こんなに人が多くいる)菅は活発に動き歩いているプラットホームの人々を眺めて考えた。(だが拭い消そうとして消せぬものがある)
病院に戻った時、既に三十分をすぎていた。加藤昌吉は眼鏡を鼻にずり落したまま、鉛筆でゆっくり与えられた写真を模写していた。彼は菅のはいってきたのをみると、小さな眼を虚《うつ》ろにあげただけだった。この作業になんの感動も反応も示してはいなかった。
※
真実のところ、菅は諦めたかった。諦めて眼をつぶり、この頑固な患者の体に麻酔をうとうかと考えた。しかし患者に麻酔をうち、その心の自由を奪うことは自分と彼との人間的なつながりを断つことだった。人間的なつながりを断って、患者を実験の動物のように扱うことだった。
菅は加藤の描いた絵を写真とくらべながら苦い敗北感のこみあげてくるのに耐えていた。黒い鉛筆でぬられた加藤の絵は決してうまいものではない。うまくはないがこの男の実直な性格をあらわすように細心に正直に模写していた。
初秋の陽のさしこむ窓の下で絵と写真とをぼんやり見おろしていた菅はその時、一つのことに気がついた。写真は養老院の窓に靠れている老婆の顔を写したものだったが、その疲れた哀しそうな老女の瞳《ひとみ》を加藤は実際以上に強く描き、黒い眼球の部分を真中に近づけている。そのために描かれた老婆は眼をじっと光らせて、敵意と憎しみをこめながらこちらを睨《にら》みつけているように見えた。稚拙ではあるがそこにはある種の迫力があった。
菅はこの時はじめて自分が試みたテストがそれほど無駄ではなかったことを知った。少なくとも闇のなかを手さぐりで歩いていたような今までの心もとなさ、頼りなさから、少しは脱《のが》れられたような気がした。この老婆の眼と加藤の硬直した足との間にはひそかな関係があるという予感がしてきたのである。
集めた写真のなかから菅はできるだけ正面をむいた顔をえりわけた。そして特にその顔のなかでも大きくひらいた眼を探した。もし彼の推測がまちがいではないならばこれらの眼が加藤の無意識を刺激し、埋もれてしまった過去の一瞬を再現するかもしれないのである。
次の診察日は翌週の火曜だった。その日は第二回目の診察日と同じように窓の外には霧雨がふっていた。
加藤昌吉はもう一度、鉛筆と紙とを与えられた時、困ったように菅から視線をそらしおずおずとした声で言った。
「先生、描きません。私の足は駄目だ。治りはせん」
「やれるまでやりましょうよ。君を治すことはぼくにとってもねえ」
そして菅は口を噤《つぐ》んだ。自分が何を言いたいのか言葉がみつからなかった。彼は同じ世代の加藤の足が萎《な》えたように菅自身の心に戦争や一つの時代からうけた傷が残っていることを語りたかったのである。そして加藤を治すことはその自分の傷を一部分だけではあるが、ふさぐことになるかもしれないと述べたかったのである。
「今日は顔だけを模写してください」
「顔だけでええんですか」加藤は自信なさそうにうつむいた。
「顔だけで結構。この写真は何かに驚いた女の顔だけれども、これを写して下さい」
「こんな子供みたいな作業をなぜさせるんだ」突然中学事務員は膝の上の鉛筆をほうりだして手を顔に当てた。「俺はかきませんぜ。かいたって何もなりはせん」
「かくんです」菅は我慢しながら静かに言った。「加藤君、かくんだよ」
両手を顔にあてた加藤は泣いているように思われた。その彼を残して菅は先週のようにそっと診察室を出た。そして患者たちの帰った人影のない廊下にたち、窓硝子に顔をあてて雨にけぶる外をじっと眺めていた。その時、別の部屋からカルテの束をもった入江が出てきた。
「診察はすんだのか」通りすがりに入江は煙草をポケットから出しながら大きな声をかけた。
「まだね。いつか話した患者が残っているんだよ」
「経過はどうだい」
菅が首をふるとこの同僚は唇にうすい嗤《わら》いをうかべ、憐れむような眼つきで彼を眺めると大股でたち去っていった。
二十分後、菅が部屋を覗くと加藤は鉛筆を手にしたまま、じっと画用紙を見つめていた。その薄い髪の下の額に汗がにじみ、顔をあげようともしなかった。画用紙には女の顔が半分ほど描かれたままだったが、顔の中の眼だけはこの前と同じように兇暴《きようぼう》なほど荒々しい強い線で形づくられていた。菅は息をこらしてじっとたっていた。加藤の肩がかすかに震えているのである。
「さあ、思いだしてごらん」
だが相手はなにも答えなかった。その肩に手をかけて菅はもう一度、
「さあ、思いだしたことを一つ一つ、話してごらん」と言った。
「俺はやったんです。だが命令だったんです」加藤の小さな眼から泪《なみだ》がこぼれだした。
「戦争の時だね」
「そうです。いやだった。だが命令だったんです」
「相手はだれ」
「中支の小さな部落でした。部落にスパイがいるというので若い男を掴《つか》まえたんだ。すぐ殺すことになって俺と一人の伍長とが銃剣でやったんです」
「誰かがそれを見ていたでしょう」
「男のお袋が地べたに足をこすりつけて泣きわめいてました。そうだった。思いだします。男が殺された時、その婆あが怖ろしい目で俺たちを見ていました」
「捕虜はどういう姿勢で殺したの」
「手と足とを縛って動けなくしました」
菅は診察室のブラインドをあげた。お茶の水駅や駿河台《するがだい》の坂が雨にふりこめられ憂鬱そうに沈んでいた。さまざまな色のタクシーが駅の広場から出ていく。M大学の白い塔から時間を知らせるチャイムの静かな音がここまで聞えてきた。それは一昨日や昨日と同じような何もなく何も起らない学校街の風景だった。
(俺は今からこの男になんと言ったらよいのだろう)菅は硝子窓に手をかけてぼんやりと考えた。普通ならば患者が決定的な告白を終えた時、医師はその告白にふくまれた劣等感や罪悪感が実は架空の恐慌であることを示せばよい。それによって患者はたちなおる勇気と足がかりとを掴むからである。
だが今、菅は加藤昌吉を長い間、脅かし続けてきたこの罪悪感が無意味なものだとは言うことができなかった。(命令だったんでしょう。それは加藤さん、あんたのせいじゃない。戦争のせいだ)彼はその言葉を無理矢理に呟こうとした。けれどもそうした慰めがもっとも卑怯《ひきよう》なウソであることを戦争中育った菅は知っていた。その言葉は加藤昌吉だけではなく菅自身にもはねかえり、彼の心の最も下劣な部分を傷つけるにちがいなかった。(みんながやったんだ。あんた一人じゃない。一人で苦しむ必要はないじゃないですか)ああ、しかしこれもウソだ。はじめは加藤はそんな軽薄な弁解を咽喉《のど》の乾ききった男のように飲もうとするかもしれない。だがやがてこの弁解の裏にある偽善さ、いやしさをひそかに感じとるだろう。(忘れてしまうんです。それはもう終ってしまった過去の悪夢なんだから)だが菅は戦争の思い出のなかで消せるものと消せぬもの、忘れることのできるものとできぬものとのあることを考えた。もし神があったら。神のようにこの罪を許すと言える存在があったら。しかし分析医は神ではない。俺は平凡なつまらぬ医者にすぎぬ。その平凡な俺が今日も亦《また》、人間の傷口に指を入れたのだ。
「来週、またいらっしゃい」菅はかすれた声で呟いた。「いや、来週じゃない。再来週の火曜がいい」そう告げるより仕方がなかった。
加藤昌吉は鼻にずり落した眼鏡の奥から小さな暗い眼で菅をみあげた。まるで動物が憐れみを乞うような眼差しだった。何かを言おうとしたのか彼の唇は細かく震えた。
「さあ……」と菅は壁にたてかけた松葉杖をとって促した。
廊下で待っていた相沢看護婦に助けられながら加藤が松葉杖にのしかかるようにして一歩一歩去っていく姿を菅は壁に靠れて見送っていた。(あれは俺たちの世代の姿だな。今日も加藤を治すことができなかった。俺をなおすこともできなかった。だが諦めはせん)と菅は自分に言いきかせた。
雨のため暗い階段から松葉杖の軋《きし》む音が消えた時、菅は診察室の戸をふたたび開けて、中にはいっていった。
地なり
ただ今は御苦労さんでございました。PTAの父兄の連中も先生のお話を伺ってさぞ悦んでおりましょう。わたしは折あしく事務が残って失礼しましたが、さっきな、柳沢訓導がとてもタメになるお話だったと申しておりまして、ほんに有難うございました。実際、避暑にでも先生らが蓼科《たてしな》にこられなければ我々の小学校で話をして頂くことはないんだから、厚かましいと思いながらお願いしたわけでして。
蓼科はどういう印象ですかな。はあ、まだ二週間にもならんですか。ここは空気も良うて涼しいから先生らが本を読まれたり、書きものなさるにはそりゃ良い場所だが、ただ路が悪いのが玉に瑕《きず》でしてな、晴れた日は黄色い埃《ほこり》がたつし、雨の日は雨の日で道という道が沼みてえに泥んこになる。本当に困りもんですよ。県の方でも予算が足りねえのかなかなか舗装工事まで手が伸びねえらしいね。
さあ、飲んでください。この酒は舞姫というて諏訪《すわ》では銘酒だがわたしには少し甘口だ。わたしもここの小学校で校長を勤めてからも五年ちかいが、冬になると酒を飲むほかたのしみがありませんな。若えもんにはやれスキーだ、やれスケートだと娯楽がありますがわたしのように五十過ぎた人間には雪の積る夜、一人で酒をなめながら昔のことをさまざま思いだすよりなすことがない。先生は小説家だからわかりんさると思うが五十もすぎると見るもの、感ずるものことごとく、自分の体の衰えと結びつけられましてな。たとえば雪の上に凍え落ちた雀の亡骸《なきがら》があると若い頃は見むきもしなんだものだが、今はじっとそれを眺めとる自分に気がついて思わずハッとします。そんなもんです。わけても年をとった惨めさというもんは結局、若い連中と違うて今更、自分をどうにも変えようもない年齢になったということかもしれませんやなあ。
先生はお幾つです。はあ、三十五歳ですか。するとなんだ。大正十二年の生れですな。関東大震災のあった年だ。東京でお生れでしたか。神戸……神戸とするとあの地震のことは知らないですな。
わたしは、先生、あの年、東京におりましたよ。いや、訓導をしてたんじゃないです。訓導になったのはずっとあとで、兵隊でね、わたしの本籍は東京府|荏原《えばら》郡で、そのため第一師団に入隊しましてな。あとで憲兵隊に所属しましたが師団長は森岡という中将でした。
あの震災のあった九月一日は、朝早うから烈しい雨と風で、二百十日の前日でもあったから別段ふしぎでもなかったが、午前十時ごろには嵐もすっかり治まって颱風《たいふう》一過というか、拭われたような秋でした。その日は山本権兵衛閣下が内閣を組織される日でわたし等は麻布《あざぶ》の憲兵分隊詰所で警戒の任に当っておりましたが、正午ちょっと前のことでしたな。急に風が止《や》みまして気味わるいほどあたりが静まりかえったですよ。暑さが妙に重く圧しつけてくるので我々も怪訝《けげん》に感じた矢先、遠くからゴオという怪体《けつたい》な地鳴りが押し寄せてきました。その時、分隊詰所の前にある松方伯爵の邸の壁が波のようにゆれはじめ、土煙をあげて崩れたのが今でも眼にみえるようだ。詰所を飛びだす。瓦が頭上を雪崩《なだれ》みたいに落ちてくる。恥ずかしい話だがわたしら兵隊も地面に四つ這《ば》いになって前に進む始末だった。
電柱も車も電車も見ている前で横倒しになるんだからね。周りの家が崩れるたびに砂煙が濛々《もうもう》と巻きあがって、その煙のなかから着のみ着のままの人々が水の中を泳いでいるような格好でわたしらの方に逃げてくるんです。今とちごうて軍隊といえば非常の際は頼りになるような感じを民間の人に与えとっただからな。本能的というか我々に救いを求めにきたんだね。みれば顔や手から血が流れている人も多かったです。
それからすぐに揺りかえしだ。砂煙がたち、物の地面にぶつかる地響きにまじってあちこちで悲鳴が起る。「火事だあ」と誰かが叫ぶんで眼をそちらに向けると倒れた家屋からもう黒い炎があがっとるです。火事はここだけじゃない。芝区では金杉町、琴平町、本郷町なんぞから火の手が拡がったそうで、その上、なんというたかねえ、あの学校は。そう、慈恵大学だね。その大学と高輪《たかなわ》御殿の宝物殿に発火薬品がありましたのがいけなんだ。路にはもう地震ではなく火事で避難する人が列をつくりはじめた。わたし等のあたりじゃそれほどでもなかったが、この人波にふみたおされて死んだ者も多かったってね。
わたし等憲兵分隊の詰所には七、八人の兵が残っとったが行列を誘導しようにも誘導できん。「火を消せ」と叫んでも踏みとどまる者はおらんです。やむなく分隊長の判断で高輪御殿を守るべく急行したです。だがその方面もかえって避難してくる人波で進むに進めん。火の粉がふってくる。先頭の連中が悲鳴をあげて引返そうとするから、後から押してくる人にぶつかって文字通り阿鼻叫喚の混乱だ。わたし等も御殿に行くのを諦《あきら》めて一応、本隊に戻って命令をうけることにしましたがね。
先生はあんまり酒すかんですか。遠慮せんとやってください。蓼科に戻るバスは最終、九時四十分にこの学校前に停りますからまだ時間も十分ありますからな。
わたしはね、今日一つ平生から心にひっかかっていることを聞いてもらおうという気になりました。別に地震の話じゃないがね、ただあの大正十二年の九月にわたしがまきこまれて未《いま》だに忘れられんことです。先生は小説家だから人間を扱う商売だし、わたしも曲りなりにも子供の教育をする田舎校長だ。どっちも心の底では何を考えてるかわからんが、表面では人間を信じているような顔つきをせねばならんしね。あんたはどういう動機で小説家になったか知らんが、わたしの場合はあの震災直後の経験がなければ師範学校なんぞ入らんかったでしょう。
地震が終って翌日のことだ。東京をなめつくした火の手はまだ夜通し燃え続けとる。路には死体もそのままだ。空地という空地では煤《すす》けた顔、眼ばかりギョロリとした罹災者《りさいしや》の群れがごったがえしていたが、午前中に内田臨時内閣の布告で東京府一帯に戒厳令がひかれました。市の北部を近衛《このえ》師団が、わたしらの第一師団は南部を警戒することになったです。わたしも中隊命令で三人の兵と麹町《こうじまち》の憲兵分隊に転属しました。分隊長が天洲《あます》大尉、副官が森という曹長でした。
この天洲大尉は三重県の人だそうだが、どう言うたらよいか、上官の中でもイヤな将校の一人でした。昔は兵隊を人間とも思うてくれん陸士出が多かったもんだが、この人もその一人だ。三十四、五歳になるのに、わたしらにたいして厳正というより自分の気持次第で苛酷にもなるし。自尊心が強うて我儘《わがまま》なんだね。たとえば毎朝サイド・カーで詰所にあらわれる。羽をむしった矢を鞭《むち》のかわりに持ち、気どった格好で兵隊の挙手をうける。たまに気を入れてその敬礼をやらん兵がおると、たちまち鞭で撲《なぐ》るんだね。当番兵は佐々木という一等兵だったが、彼の話によると天洲大尉は代々木の貸家に中学生の甥《おい》と二人で住んどるそうでした。同じ陸士同期の連中が自分よりも良いポストにいることが非常に不服らしゅうて、夜になると酒を飲んでは刀をふりまわすこともあるとききました。その点、副官の森という男は軍隊でしか働けん万年曹長さんでな、銃剣術だけしか能がなく、四角い顔、骨ばった体をしていて裸になると針金みたいな粗《あら》い毛が胸に生えた百姓あがりの男でした。
九月二日にわたしが麹町憲兵分隊に転属してから数日の間、焼けつくした東京には流言|蜚語《ひご》がながれまして、たとえば小菅《こすげ》の監獄から二万人の囚人が脱走して道々で掠奪《りやくだつ》を働いとるとか、政府は東京を捨てて京都に遷都することをきめたとか、とりわけ一番信じられたのが例の朝鮮人暴動の噂《うわさ》だ。ただでさえ黒い炎を夜空にみながら、揺りかえす余震に怯《おび》えとる罹災者にはこのみえん恐怖のほうが、はるかに怖《おそ》ろしかったかもしれんね。
先生、わたしはこの流言がどんな風に拡がるかをその時見ましたよ。忘れもせん。あれは地震がすんで三日目の夜だ。わたしと斎藤という上等兵は天洲大尉に従って飯田橋から水道橋にむかう堀ばたを巡察しとりました。
この夜は月が出て堀の土手にはその光に照らされながら毛布にくるまっとる黒い影がみえました。九段、神保町《じんぼうちよう》、駿河台《するがだい》、神田一帯、このあたりは市内でも最も火災の烈しかったところだから、まだ遠くで建物の燃える乾いた音がきこえとる。表の辻々には抜身の銃剣をもった兵隊がたってな、自警団の連中までが要所要所で通り過ぎる者を鋭い声で訊問《じんもん》しとるです。その表通りをさけて羽をむしった矢を右手にもった天洲大尉が長靴《ちようか》をならしながら歩いていく。相変らず兵隊にはなにも言わんので、わたしらも彼のあとをだまって従《つ》いていきました。時々、大尉は土手の上にたって焼けつくした九段から神保町を腕をくんではじっと眺めるのだが、一体なに考えとるのか、その時はわからなんだ。
遠くの土手から自警団の声が風にのって流れてきました。ひどくわめきたてとるのですが、よくきこえん。土手に蹲《うずくま》っていた罹災者たちが毛布や破れた布団から体を起してその声にじっと耳を傾けている影が月の光のなかではっきり見えます。
「砲兵|工廠《こうしよう》の――」その声はやっと聞きとれました。「砲兵工廠の毒物が――濠《ほり》の中に投げこまれているそうですから御注意ねがいます」
しばらくの間、土手の人影たちは同じ姿勢でじっと動かなんだ。それからひくい私語や騒《ざわ》めきがあちらからこちらから起ってきました。
「飲まんようにしてくださあい。水は飲まんようにしてくださあい」
また彼方の土手で声がひびいてくる。三、四人の影がその方向に走っていく。起き上った人群れの中から赤ん坊の烈しい泣き声までが聞えてきました。
わたしは天洲大尉の顔を見あげて命令を受けようと思った。そりゃ当然のことです。砲兵工廠には第一師団所属の小隊が三日前から警戒の任にあたっとってそこの毒物が濠に投げこまれることなどありはせん。あきらかに流言である。わたしら兵卒でもわかっとることでした。
だが分隊長は長靴を土手の石にかけたまま鞭を膝《ひざ》において黙っとる。黙っとるだけではなく月の光の中でうすら嗤《わら》いを唇にうかべとるんだ。
「分隊長殿」とわたしが言いますと、
「放っておけ」
ひくい声で呟《つぶや》くと彼は背をかがめたまま、土手の斜面を見おろしとるだけだ。しばらくすると、体に感じられるほどの余震がまたおそってきました。余震は三日目も朝から幾度かあったんだが場合が場合だけに避難しとった連中に異常なショックを与えたんだね。子供が泣く。「もっと大きな揺りかえしがくるぞお」と一人が叫ぶ。「馬鹿なことをいうな」と別の者がそれを叱りつける。みんな地面に顔を伏せたままです。
今度は、さきほど自警団の声のした方角から高い鋭い笛の音がひびいてきました。遠くで黒い空に動物の呻《うめ》きのような喚声がひろがると、「朝鮮人が掴《つか》まったらしい」こちらの叢《くさむら》の中でうつ伏しただれかが呟きました。
天洲大尉は靴を石にこすりつけながら何かを考えとった。それからやっと、土手をおりるとすぐその方向に向って歩きだした。勿論《もちろん》、わたしらもそのあとに従いました。
闇のなかに赤い提燈《ちようちん》の灯が二つ、三つ見えて、鉢巻をして泥だらけの長靴をはいた青年たちが路の両側に並んどりました。提燈の灯にうつしだされた彼等の顔は酒にでも酔ったようにひどく真赤で眼だけがギラギラ光っとった。
「だれだ。兵隊さんですか」とその一人が提燈をあげてかすれ声で言いました。「鮮人らしいのを一人、掴まえましたところです。濠ばたにかくれて毒物を水に流そうとしとった」
青年たちが指さしたのは土手の背後にある真黒な松の木立だ。近寄ると提燈の灯が幾つも動いていて罵《ののし》る声や体にぶつかる固い音がきこえてくる。掴まった男が自警団の連中に撲られとるんだ。
我々が中にはいると自警団は場所をサッと開きました。泥まみれのシャツにズボン下一枚の中年の男が倒れとるのです。みんなに蹴《け》られたり、踏まれたりして顔中、赤黒い血が流れとる。口から泡をふいとったです。
先生、わたしはその時、提燈の灯をかざした自警団の連中の顔を当分、忘れられんかったね。さきほど路ばたで我々に声をかけた青年たちも眼だけが光っとったが、ここに集まっておる人間も暗い灯に照らしあげられて顔に黒い隈《くま》どりができていました。棒をもった者。日本刀を腰にさした男。いずれもまるで顔中ギラギラ光って、肩で息をして眼だけは獣みてえに大きく開いている。まるで女に欲望をみたしたあとのような顔でした。一人として声をだす者はおらん。おらんがその息づかいがはっきりわかるんだ。誰かが一歩、足をふみだす。すると地面に倒れたズボン下一枚の中年の男はみんなに踏み殺されるにちがいなかったね。
わたしは眩暈《めまい》がしそうだった。わたしがたじろいだのは男のシャツについた血の色や顔の傷じゃない。それを囲んどる連中のことだ。この人たちも平生ならばわたし等と同じ平凡な人間なんだね。愛想のいい八百屋、子煩悩な煙草屋、働き屋の職工、そうした市民の顔がこんなに凶暴に怖ろしく歪《ゆが》んでいる。ここまで変ることができる。先生、すると人間の顔というものはどちらが本当なんかね。顔をどこまで信頼してよいもんかね。
「助けてくれえ」地面に両手をついた男はこちらを小さな哀しそうな眼で見あげて哀願するんだ。その手を誰かが蹴とばす。
「軽率なことをやってはいかん」やっと天洲大尉が制しましたよ。鞭の両端を握りながら、円陣のなかをゆっくり歩きながら演説しはじめた。「戒厳令の布告されている現在、民間人は軍の許可なく勝手な行動は慎んでもらいたい。特に憲兵隊にあっては……」
その声にわたしはなぜかウソを感じながらぼんやり聞いとった。まるで中隊長がわしら兵隊に訓示を与える時のように大尉は気どっとるじゃないか。この人も出来事の本当の怖ろしさがちっともわかっとらんのだ。偉そうにしゃべっとる彼だっていつ同じような行為をするかわからんのだ。わたしは胸のどこかでそんな予感を感じました。だがこの演説でとも角も中年男の命は助かったわけです。
可哀相な男でしたよ。神田の本屋の主人だったそうだな。家を焼かれ妻子を失って少し頭がヘンになったまま濠ばたをうろついとったんだね。勿論、朝鮮人でもなんでもありはせん。
彼を釈放したあと、暗い土手を詰所に戻りながら天洲大尉が得意そうに洩らした言葉をわたしは今でも忘れられんです。
「お前たちはさきほど、俺が何を考えとったか、わかるか」
わたし等が黙っていると、彼は唇にうすい嗤いをうかべながら、こう言った。
「お前たちも憲兵の職責に徹するためには、今夜のことから学ぶべき点がある。民間人というものはああいう風に恐怖さえ与えられると、子供みたいにどんなにでも動くもんだ。これは憲兵として戦争中の後方|攪乱《かくらん》だけではなく、平和時にも利用できることだ」
わたしはさきほど、彼が「放っておけ」といって土手の石に長靴をかけていた黒いうしろ姿を思いだしました。早く兵役を終えたいと、真実、その時しみじみ感じたんです。
先生。飲まんね。わたしの話が詰らんですか。いや、もう、勝手なことばかり話してしもうたが……まだ八時半じゃないですか。あとバスが来るまで一時間あります。退屈しのぎにもう少しあとを聞いてください。
一週間ぐらいたつと治安もたちなおってきた。軍からも鉄道隊、電信隊、工兵隊が出動して復興に乗りだしました。焼けあとにはバラックやトタン小屋がたちはじめ、色々な商売をやる者もでてきましたよ。日比谷公園にもウドンや牛めしを売る露店が並ぶし、テント張りで髪床を開業する者、荷車で避難者の荷物を運ぶ運搬屋が随分、儲《もう》けたという噂でね。そんな噂がでるくらいだから一週間前の馬鹿馬鹿しい流言ももう消えてしまったわけだ。
蜚語風説が消えると憲兵隊のわたし等は少しずつ暇になる。毎日巡回する必要もありませんからな。分隊詰所でも何処《どこ》となくダレた空気がみなぎり、暇な時は兵隊らも女郎の話ばかりするようになった。実際、戒厳令はまだ解かれておらんからわたしらも外出は許されん。欲望の発散場所がないわけだ。森曹長が時々、士気を鼓舞すると言うて銃剣術の訓練を詰所の中庭でやらせたが、それだけでは若い兵隊の体はどうにもならん。
ところで天洲大尉の部屋には時々、若い青年将校たちが訪れてなにか雑談しては帰っていきました。大尉もほとんど外出せん。あのイヤな思い出のある午後もそうだった。当番兵の佐々木が公用の日で、わたしがかわりに茶をもって分隊長室にはいった日でした。隊長室は建物の庭に面した一番奥にあったんですが、ドアの前にわたしがたった時、内側から、
「社会主義者の奴等を……」
というひくい声がきこえたのを憶《おぼ》えております。わたしが「はいります」と叫ぶと声は急にやみました。天洲大尉が机の上に長靴をかけ、手を首に廻して椅子に靠《もた》れながら、同じような青年将校と話しとりましたが、その青年将校は胡散臭《うさんくさ》そうにわたしを眺めたんです。詰所の庭からはヤアッとかヤッと叫ぶ兵隊の声がひびいていた。森曹長が例によって銃剣術を我々にやらせては得意がっとる時刻でした。
天洲大尉もわたしをジロリと見ました。その眼はこの日、すこし血走っとった。顔にもべっとり脂が浮いている。その顔をなぜながら、「休暇がとれんと、体をもてあましてな」と大尉は呟きました。「馬でも走らせれば何とか処理できるが。独身は辛いよ」
わたしが敬礼をして部屋を出ようとした時、相手の将校の声が、
「俺はそげん時、兵にヤキを入れることにしとる。それでまだ、気がまぎれるわ」
廊下の外まで高い笑い声がきこえました。イヤなことを言う、わたしはそう思うた。将校のおもちゃに兵にヤキを入れられてはたまらんですからな。廊下を二、三歩、歩きかけた時だ。
「何のざまだ。その兵は。そんな格好で刺せると思うか」
天洲大尉の怒声が響き渡りました。急にドアが開くと鞭を右手に持ったまま、彼はわたしを突きとばすようにして中庭に走っていきました。
あの時のことはまだはっきり憶えとる。その兵隊は吉岡という二等兵でした。小隊には必ず一人か二人はおるもんだが性来、不器用というか運動神経がないというか、軍隊生活では失敗ばかりする人間だ。本人は懸命にやっとるんだがね、可哀相なほど不ざまな印象を他人に与えるんです。
その吉岡をむごいことに大尉は羽をむしった鞭で叩いとった。顔といわず体といわず容赦なく叩くんだね。鞭の風を切る鋭い音や、吉岡の肉体にそれが食いこむにぶい音をわしらは眼をふせながら聞いとりました。
なんのために分隊長が吉岡を撲るんか、兵隊らはただ唖然《あぜん》として見とったが、それはたかが銃剣術に気合いがはいらんからと言うて、この折檻《せつかん》はひどすぎると思うたでしょう。わたしだけがその理由を知っとった。鞭をふり上げる天洲大尉の顔があの夜の自警団の連中と同じように汗で、ギラギラ光っているのをわたしは見ましたからな。あの連中の暴力は眼にみえんものに怯えての話だが、天洲大尉はそうではなかった。まるで情欲にでも酔うたように夢中な顔をしとりました。大尉は吉岡を教育するために叩いたんではない。もてあました体のはけ口のため、自分の楽しみのために叩いたんだね。人間の顔はどこまで変るか、先生、わからんもんです。
もっとも翌日、天洲大尉も少しやり過ぎたと思うたんでしょうか。それから三、四日の間は気味がわるいほど優しゅうなりましたし、次の日曜日には兵に特別外出を許可してくれました。わたしは彼が自分の過ちを反省したんじゃなくて中隊に兵の不満が伝わらんための狡《ずる》い手だとひそかに考えとりましたが。先生、木当はそうではなかったんです。
久しぶりの外出なんでわたしたち兵隊は大悦びだった。斎藤上等兵、吉岡二等兵それにわたしとは三人つれだって秋の日のかがやく市内に出かけてみました。街のいたる所から復興の木槌《きづち》の音がひびいてくる。まだ焼野が原は市民たちが運びだした荷物をそのままにして跡片付けをしていましたが、歩道にはもうさまざまの露店がたち並んでいます。一パイ五銭のゆであずき、うどん屋、牛めしを売る店、災況絵葉書を袋に入れて路に並べたヌケ目ない者さえあります。銀座の通りでは天賞堂も明治屋も山崎も大徳もウーロン茶店も跡かたもなく、ただ鉄骨や鉄筋や煉瓦の周壁だけが陽に赫《かがや》いてその周りをカンカン帽をかむった群集が歩きまわっていたが、その群集の顔も一週間前のように泥まみれで、眼ばかりギョロギョロとした罹災者の顔じゃない。すべてがもと通りの平和な静かな生活にかえろうとしておりました。
わたしたち三人は日比谷公園の樹木の下で持ってきた握り飯をくいながらそんな復興風景を眺めておりましたがその間中、一人の少年がわたしらのそばにしつこく寄ってきては、
「兵隊さん、握り飯をくれよ」と物乞いをしておりました。
顔の真黒にすすけた眼だけ落ちくぼんだ子供で、たまりかねた斎藤上等兵と吉岡二等兵とはちょうど食べ終ったばかりなので、そのまま腰をあげて手洗い場に歩いていきました。一人残ったわたしは乞われるままに残った握り飯をさし出そうとしましたが、思わず手を引込めたんです。
先生、わたしはなぜ、あの時、あんな気分になったのかわからん。別に握り飯が惜しかったんじゃない。その少年の乞食がうるさかったのでもない。ただわしが手を引込めた時、こちらを恨めしげに見上げた彼の大きな眼がわたしにふしぎな楽しみを与えたんです。わたしはその少年の前でゆっくりと握り飯をたべてしまいました。
少年が辛そうな顔をして唾を吐きながら去ったあと、後味のわるい気持が心に残りました。わたしはぼんやりと公園を歩きまわっている群集を眺めとりました。
だがそうした群集の顔を見ていた時、突然わたしはあの夜、提燈をかかげて一人の男をとり囲んでいた自警団の表情をひょっくり思いだしました。ひょっとするとあの連中も今は何事もなかったように町内に戻り、笑ったりたがいに挨拶をしたり、店や家の整理をやっとるんだろう。あの夜、罪もない一人の男を殺そうとして血走った表情をしたなど忘れてしまったにちがいない。この街を右往左往しているカンカン帽の連中も同じことだ。同じような血に飢えた凶暴な顔をいつもつかわからん。それにわたし自身だって今の子供にたいして似たような気持と顔をもったわけだ。今のふしぎな快感は天洲大尉が吉岡を鞭で撲った時の心に通じるのかもしれん。すると急に今までのんびりと街を歩いていた気分も白けてきたような思いでした。今日まであまり考えもせなんだことが胸につかえて、兵隊である自分がイヤになってきたんです。
「斎藤上等兵、俺は用を思いだしたから先に帰るよ」
ビックリしとる斎藤上等兵と吉岡二等兵を残したわたしは一人で麹町の分隊詰所に戻ってきました。詰所の入口には合田という兵がたっとりましたがこれも早く帰隊したわたしを見て怪訝な表情でした。
森曹長に報告をしようと思ったが曹長はおらん。天洲大尉の部屋の前を通りました。それは九月十六日の午後一時半頃のことです。
部屋の戸が開いている。中には大尉と森曹長とが二人椅子に腰かけとりました。わたしは敬礼して本日の外出の礼を述べ、戻ろうとすると、
「平井上等兵、待て」
上衣《うわぎ》をぬいで丸腰の天洲大尉が呼びとめました。
「お前、我々の話を聞いとったな」
わたしがしらぬと答えると大尉はしばらくの間じっとわたしの顔を鋭い眼で見詰めました。どこか遠くで金魚売りの声がきこえてきました。
「平井上等兵。お前は」と天洲大尉はひくい声で、「社会主義の連中をどう思うか」
彼の右手には例の鞭が握られとりました。わたしは社会主義のことは今まで考えたこともない。ただ人の噂や新聞で漠然と怖ろしいことを企んどる連中だと想像しとっただけです。
「よし」と大尉は肯《うなず》きました。「サイド・カーを用意しろ」
省線大久保の駅前は火事からまぬがれたとみえて町はそれほど痛んではおらなんだ。その駅前にチョボ髭《ひげ》をはやした痩《や》せた男がたっとりました。わたしと森曹長の運転するサイド・カーをみると彼は手を一寸あげて合図をした。
天洲大尉はサイド・カーをおりてその男としばらく小声で話をしとりましたが、ふたたび車に戻ると、
「今から淀橋《よどばし》警察署に行く」
ひくい声で命令をしました。
淀橋署の暗い木造建物のなかで金モールをつけた猫背の署長がわたし等を迎えると、これも天洲大尉と奥の部屋に姿を消しました。森曹長とわたしとは誰もいないガランとした柔道稽古場で古いよごれた背広に着かえましたが、わたしにも今日、自分がやることが段々わかってきたわけだ。
「曹長殿。社会主義者を検束するのでありますか」
そう訊《たず》ねると、長い足を不器用に背広のズボンに入れていた森曹長は、
「大物らしいて。わしもよう知らんが、大杉という男だってな」
柔道場の窓から午後のにぶい陽の光が白い畳の上に模様をつくっている。それをぼんやり眺めながら、わたしは今頃まだ街を歩いている斎藤上等兵や吉岡二等兵のことを考えました。今朝街を歩いていた時、ヘンなことさえ思いつかなければ詰所に帰らなかったものをと真実、悔まれました。わたしは当時、社会主義者が何をやる連中か知らんかった。知らんかったが自分と縁のない人間を検束する仕事を手伝うのはイヤだったし、憲兵分隊なぞに配属されたことも恨めしかったんです。
午後三時頃わたしら三人、それに淀橋警察の特高二人が豊多摩郡柏木にある大杉という人の家に出かけました。黒い古びた二階家で玄関もうすよごれた窓もかたくしまっている。薄暗い玄関をのぞくと下駄一つない。大杉という人は当局に眼だたぬようにひっそりと住んでいるように思われましたな。玄関の横に小さな不格好な無花果《いちじく》の樹が一本あって、沢山の実が赤黒くついていたのが眼につきましたね。
隣の酒屋に聞きこみに行った森曹長は大杉とその女が一時間ほど前南の方向に出かけたということを調べてくると、チョビ髭をはやしたさっきの特高が一応、署に戻るということになりました。天洲大尉と森曹長ともう一人の特高(これは縁のない眼鏡をかけてカンカン帽をかぶった男でしたな)が表通りの果物屋の二階で、わたしは店の前の電信柱のかげにたって張込みをしたわけです。残暑の暑い陽がカッと道路を照りつけて、その路で子供が三、四人メンコをして遊んどりました。その子供を見ながら、わたしは突然、このイヤな兵役をすませたら師範学校にはいりたい――そんな考えがうかんできたんです。なぜそんな気持が起ったのかわからん。ひょっとすると、わたしは今朝日比谷公園で自分が同じような子供にした行為を思いうかべとったのかもしれません。
五時半頃、天洲大尉が窓からソッと合図をする。と、白い背広を着て中折帽をかぶり、眼鏡をかけた紳士が洋装の女の人と、そうだね、七、八歳ぐらいの男の子をつれてこちらにやってくる。わたしは思わず眼を伏せました。
なにも知らん洋装の女の人は果物屋の前で、
「宗ちゃんに梨を買っていくわ」
「そうか」
紳士が静かに答えて店の外にたちどまります。顔色の蒼黒い、痩せた人だったね。口髭をはやしとったが胸でも悪かったんじゃなかろうか。時々大きな眼がギョロリとして空咳《からぜき》をしていたが、男の子はその紳士の手にぶらさがって、電信柱の横にたっているわたしの顔を大きな眼でふしぎそうに眺めとった。可愛い子でした。わたしが微笑《ほほえ》むとその子供も人懐っこく笑うんだ。
その時、森曹長が二階の階段をおりてきました。洋装の女の人と言い争う声をきいて紳士は店のなかにはいりました。
「一度、帰宅させてもらえないか」
「いや、このままおいでください」
わたしはそんな会話をぼんやりと聞きながら、外で待っている少年の頭をなぜておりました。あの頃の男の子は丸坊主が普通でしたが、この子は女の子のように髪をのばしとった。やわらかな髪の毛でした。
検束した大杉夫婦と少年とを天洲大尉と特高がつきそって淀橋署の車に乗せ、わたしと森曹長はサイド・カーで彼等に遅れて麹町の憲兵分隊に戻ったわけです。隊につくと既に夕暮でした。大杉は既に隊長室の隣の部屋で取調べを受けとった。細君の方は隊長室で一人待たされとったようです。子供は外出から帰ってきた分隊の兵隊にかこまれてキャラメルや羊羹《ようかん》をもらいながら遊んどりました。
「坊や、名前はなんという」
だれかが訊ねますと、
「宗一」と答える。
「あの人は坊やの父ちゃんか」
「叔父さん」
吉岡二等兵はこの子が国に残した甥《おい》に似とると言うて、とりわけ世話をやいとりました。わたしはわたしでこの子供を見ながら今日、柏木の路上で師範学校に入ろうなどと考えたことをぼんやり思いだしとった。
隊長室からもその隣室からも物音一つしない。なにを訊問しとるのかわたし等にはわからん。一、二度、森曹長が我々の部屋にはいってきて、
「おい、茶を飲ませろ」
たちながら兵隊の差しだした茶碗をうけとると、それを一口で呑みほして出ていきました。彼の上衣のボタンがはずれて顔から首すじの部分が蝋燭《ろうそく》をぬったように汗で光っとりました。
子供がそのうち、段々しおれてくるんです。兵隊たちがいくらお伽噺《とぎばなし》をきかせても菓子をあたえても顔を固くして隅の方に引込んで、
「叔母さんのところに行きたい」
そう泣きはじめた。もう少しで用事がすむからとあやしても一向に聞きわけん。吉岡二等兵が困ったように、
「じゃ、私が行って偵察してまいります」
部屋を出ていきました。
何分かたったが、その吉岡も戻ってこん。子供はますます萎《しお》れた顔つきになる。今度はわたしが腰をあげました。
夕暮の光が少しずつ引いていく廊下のむこうから吉岡が一人でふらふらと歩いてくるのが眼についた。
「どうした。調べは終りそうか」
わたしは小さな声で訊ねたが彼は返事をせん。返事をせんだけではなく、顔を急にそむけてわしのそばを逃げるように通り過ぎていきました。
何かあったな、イヤな予感がその時そんなものがわたしの心にうかびあがってきました。大杉が訊問されとる部屋も、その細君が待たされとる隊長室も相変らずひっそりと静まりかえったままだ。悪いことだとは思いながら隊長室のドアの隙間からそっと覗《のぞ》くと、あの洋装の女は分隊長の机に右肘《みぎひじ》をつき、ひとりでじっと何かを考えこんでおりました。夕暮の光が部屋の中にさしこんで物思いにふけっとるその女性の姿はまるで西洋の絵にでもあるようでしたな。
壁一つ隔てた隣室では大杉が調べを受けとる筈だ。わたしは廊下を見まわして誰も来る気配のないのを確かめると、扉に耳をあてました。
「軍人なんか馬鹿にみえて仕方がないだろう」
これは天洲大尉の声でした。相手の返事はきこえんのです。
「お前たちから見れば自分らは一番イヤな奴だろうな」天洲大尉の言葉が続きました。「それにお前たちはこの震災の混乱がもっと大きくなるのを願っとるんだろう」
「君たちと……考え方が違うんだ……」大杉はどもるような言い方でした。
「それじゃどうだ。自分らも自分らの考えを正しいと思っておる。そっちも社会主義を信じているんだろ。ところでお前らはその主義のためなら相手を殺害しても構わんと思うかね」
天洲大尉の声は低くてまるで友人とでも議論でもしているような調子です。
「そりゃ……止むをえんでしょう」
急に椅子の軋《きし》む音や何かが落ちる音がしたのでわたしはあわてて扉から離れました。
なぜかわたしは皆のいる部屋に戻りたくなかったんで庭に出ました。庭には向日葵《ひまわり》の花が咲いとりました。隊長室の窓がみえます。あの洋装の婦人は相変らず机に右肘をついているらしく、その思案に耽《ふけ》っているような小さな顔がうす暗い部屋のなかでぼんやりうかんでいました。
背後から天洲大尉の姿が近寄ってきました。(大杉の調べはもうすんだのかしらん)そうわたしが思うた時だ。女の首を仰むけに抱きかかえるようにして大尉の右腕がその咽喉《のど》を締めつけました。それから二人の影がもつれあいながらまるで海草みたいにゆっくり椅子からたちあがって女の体は崩れてしまったので、窓には大尉の横顔だけが映っとったが、その顔は眼を細めてまるで何かに酔ったようでした。なんと言うてよいのかわからんがこの間、吉岡二等兵を鞭で叩いた時よりも、もっと痺《しび》れたような恍惚《こうこつ》とした表情だったんです。わたしはその顔の意味がわかるような気がしました。わたしだって僅かだが今朝、日比谷公園でこの感じを味わったんです。
突然、子供の大きな泣き声と兵隊の足音が廊下からひびいてきました。わたしが駆けつけた時は天洲大尉は少しよろめくようにして隊長室から出てきたところでした。さきほどの森曹長と同じように丸腰で、軍服の上衣のボタンが二、三個はずれとりました。手の甲に血がにじんどる。その手を口にあてながら、
「子供をよこせ」と言いました。
「分隊長殿。子供だけは許してやってください」
少年をかかえるようにして吉岡二等兵が哀願しましたが駄目でした。われわれ兵隊たちは火をつけられたように泣きわめく子供の声が隊長室でしばらく続いたと思うと、急にその声が静かになるのをじっと聞いとりました……。
これで終りです。ありのまま話しましたが、退屈だったでしょう。
もう何時になりますか。九時二十分ですか。長いことわしみたいな老人が詰らん話をして先生にも難儀だったでしょうな。だが先生、もう一寸《ちよつと》だけ辛抱してください。話しだした以上は最後までしゃべりたいからね。
あの九月一日の震災からこの十六日の事件まで今のわたしにはまるで悪夢みたいに思うとります。だが悪夢ならば忘れることもできるが忘れられんことが一つある。それは先生、人間が人間を殺そうとする時のあの顔だ。飯田橋の濠ばたで提燈をもった自警団の連中の顔、吉岡二等兵を鞭で撲《ぶ》ちのめした天洲大尉の顔、それから大杉の妻の首を締めた時の彼の顔がそれだ。人間というものはいつもはそのような顔が自分にあるとは思うとらんでしょうが。地震の襲うた日、眼にみえん恐怖におびえた時、戦争の時、あの憎しみに歪んだ顔ができることもたしかだな。憎しみだけじゃない。人を殺す時天洲大尉みたいに嬉しそうな顔さえできるんです。わたしは若い者のように社会主義というものはようわからんが、この主義も同じことだという気がします。なんでもあの事件があって後、社会主義の男が今度は大杉の復讐《ふくしゆう》というて、天洲大尉の甥を刺し殺そうとしたと言うことでした。その男がどんな人かはわたしは知らんし、大義名分というか、立場がどこにあるかもわからんが、話を耳にした時、思いだしたのはやはり顔のことでした。彼も大尉の甥御を刺そうとした時、どんな歪んだ顔をしたかは想像できるような気がするわけだ。先生はこの顔がいつかは人間からなくなると思うとられますか。わたしはねえ子供たちを教育する仕事につくはついたが、あの思い出がある限り、どうも自信のもてんものが残っとります。無邪気な学童たちと遊んどる時も、この子たちもひょっとするとあの自警団の連中と同じ顔をするかもしれん、天洲大尉と同じ表情をするかもしれん。そういう考えがふっと心にうかぶ。それはもうどんな立派な主義でも教育でも、どうにも変えられん宿命みたいな気がしましてな。どうでしょう。先生、心にこんな馬鹿馬鹿しいことがひっかかってはわたしは立派な校長とは言えんのだが。
さあバス来る時間だな。そろそろ、停留所に行きますか。足もとが暗いから躓《つまず》かんようにしてください。
イヤな奴
※
「おい、なんやね。駄目やないか」
急に声をかけられたのでびっくりして振りむくとムカデという渾名《あだな》のある主任が作業着のポケットに手を入れて背後にたっていた。
「見とられんと思うて仕事をさぼっても、こちらにはわかるんやで。こちらには」
「痛いんです。頭が」
江木は臆病な男だったから思わず出鱈目《でたらめ》の言い逃れを言ってしまったのである。
ところが苦しそうに顔を歪《ゆが》めて手で額を拭うとふしぎに江木は頭痛があるような気がした。足にも力がなくなってヒョロヒョロとよろめいた。
二、三歩ぶらぶら通りすぎた主任はこちらをふりかえって疑わしそうに江木の動作をじっと見つめていたが、
「本当に熱があるんかい」と近寄ってきた。
「はあ」江木は溜息《ためいき》をついた。
「そんなら早う病気だと言わんかね」ポケットに手を入れたまま主任は不機嫌に眉をよせた。
「仕様ない学生やな。早引けを申告したまえ」
他の学生の目を逃れて工場の外に出た時、江木のやせこけた頬には狡《ずる》いうす笑いが浮んだ。八時間の勤労奉仕からうまく脱《のが》れた悦びや、あの主任を騙《だま》してやったという快感が強かったのでクラスの仲間にすまないという気はあまり起きなかった。むこうからモンペ姿の女子|挺身《ていしん》隊員の娘たちが防空|壕《ごう》でも掘らされたのであろう、くたびれた足どりで畚《もつこ》やシャベルを引きずりながら歩いてくるのを見ても、江木は自分が卑怯者《ひきようもの》だという気持にもならず、下宿のある信濃町《しなのまち》に戻った。
江木の住んでいる下宿は基督《キリスト》教のある団体が信者の子弟のために作った寮だった。だが近頃は信者の学生も学徒出陣などで退寮するものも多くなったため、最近江木のような普通の学生も入寮させるようになったのである。もっとも寮といっても茶色いペンキをぬった二階の木造建で部屋数も十五、六しかなかった。
どうせ部屋に戻ってもすることはないし、他の寮生もまだ帰っていないと思ったから江木は久しぶりに外苑《がいえん》に出た。芝生に坐って冬のつむじ風が藁屑《わらくず》や古新聞を捲《ま》きあげながら動いていくのを見ていた。それから肩にぶらさげた救命袋からアルミの弁当箱をとりだし、その隅に押しやられた一握りほどの飯を惜しそうにゆっくり食べた。
箸《はし》を動かしながら江木は自分の今後のことをボンヤリと考えた。戦争が今後どうなるのか江木には皆目わからない。日本が勝とうが負けようが彼には近頃興味がなかった。ひもじいこと、学生なのに工場で働かされる辛さだけが毎日のすべてであり、やがて先輩の学生たちのように兵営につれていかれる日のことが彼をビクビクさせていた。
冬の空は相変らず曇っていた。その空の遠くで飛行機の爆音なのか鈍い音がきこえていた。芝生のむこうの路を慶応病院の若い看護婦が二人、なにか笑いながら歩いてきた。
江木は弁当箱をそこにおいて亀の子のように首を前につき出したまま、通りすぎていく看護婦の笑い声をむさぼるように聞いていた。すべてが息ぐるしい毎日の中で若い娘の笑い声やモンペではなく白い制服を着ている姿までが彼にはたまらなく新鮮にみえたのである。
「おい」突然江木は大声でだれかに呼びかけられた。汗のしみついた軍服の腕に憲兵と書いた腕章をまいて一人の下士官が自転車を手で支えながらたっていた。
「おい。何をしとる。学生か」
江木は相手の鋭い眼つきや骨ばった四角い面がまえに恐怖を感じて黙っていた。その頃は工場をさぼる徴用工や学生を憲兵が見つけて訊問《じんもん》しているという噂《うわさ》が、江木の働いている工場でもよく話題にのぼっていたからである。
「貴様返事をせんのか」と相手はゆっくりと言った。それから自転車を樹の幹にたてかけると腰にさげた剣を右手で握りながら江木に近づいてきた。
江木はかすれた声で工場から病気のため早引けをしたのだと答えた。ところが彼の怯《おび》えた様子はかえって相手を小馬鹿にしているように見えたのである。
「気分、わるう、なった、もんすから」
眼をそらしながら彼はおずおずと言った。
瞬間、江木は頬に鉄棒で打たれたほどの響きを感じて、大声をあげると手で顔を覆った。「なめるのか、貴様」
無法にも憲兵は江木の腰を蹴《け》ったので、怯えた看護婦たちがだき合うようにこちらを見ている前で江木はみじめに地面に両手をついたのである。皮靴が更に一、二度、彼の膝《ひざ》や足に烈しくぶつかった。
「お許し下さい」江木は少しでも憲兵の怒りをとくため卑屈に軍隊用語を使った。「自分が悪くありました。お許し下さい」
皮靴が荒々しい音をたてて自転車が路の遠くに消え去ったあとも江木は地面に両手をついたままじっと動かなかった。殴られた時、地面に飛んだ眼鏡を眼でさがしたが、つるの曲った眼鏡は枯芝の中にころがっていた。この時初めて焼けつくような屈辱感が胸の底からこみあげてきた。看護婦たちはまだ立ち去らず、樹陰からこわそうにこちらを見ている。(早く向うに行ってくれよ)江木は心のなかで彼女たちにそう哀願した。(早く向うに行ってくれよ)
痛む足を曳《ひ》きずりながら寮に戻ると飯島というM大の学生が玄関でゲートルをぬいでいた。この飯島は江木と共に寮の中で基督教の信者でないもう一人の学生だった。江木は今、起った事件を口に出しかけたが相手に軽蔑《けいべつ》されたくないので黙っていた。
「腹がすいてやりきれんなあ」教練をすませてきたという飯島は足をもみもみ、
「このアーメン寮じゃ飯さえケチケチしてやがる」
「はあ」と江木は弱々しく頷《うなず》いた。
「お前、御殿場に行くんか」
「御殿場ですか。なんのためです」
「知らんのか」空手の選手だという飯島は腕を曲げながら言った。「愛生園とかいう癩《らい》病院に来週行くんだぜ。この寮の行事の一つだってよ。どうせ大園のようなアーメンの連中の思いついたことだろうがアーメンでもない俺たちまでが加わる必要がどこにあるんだね」
飯島を玄関に残して部屋に戻ると万年床に横になった。さきほど蹴られた膝が痛みはじめた。そっとズボンをあげると、皮がかなりむけて血がにじんでいた。その傷をみていると自分と同年輩ほどの憲兵が全く無法に暴力をふるったことに江木はにえくりかえるような怒りを覚えた。なぜ殴りかえさなかったんだろう。なぜ反抗をしなかったんだろう。けれども江木は暴力や、肉体の恐怖の前にはなにもかも挫《くじ》けてしまう意気地ない男だと知っていた。(ああいうもんは一種の天災だからなあ)彼は弱々しく自分に呟《つぶや》いた。(反抗するだけ、こっちが損するだけだ)
夕暮までうとうと眠った。時々眼をうすく開くと窓の外が夕靄《ゆうもや》のなかに灰色に沈んでいく。部屋の中は寒く、膝の傷が痛んだ。壁ごしに隣室の大園が机を動かしているコトコトという音がわびしく聞える。大園はこの寮では一番ふるい信者の学生だった。なぜか三日に一度は机を変えずにはいられない顔色の蒼白《あおじろ》い神経質な東大生である。
夕食の頃、眼がさめた。痛む膝を我慢しながら食堂におりると、スープ皿に僅かにもった飯を寮生たちが黙って食っている。そして大園一人が直立して日本殉教者伝をみなの前で朗読していた。基督教のこの寮では設立者の命令で毎晩の食事の時、祈りを唱え、当番の学生がなにか宗教書の一節を朗読することになっている。
江木はみなと同じように不機嫌な表情をして箸を動かした。この頃は一日中の教練や工場での勤労奉仕で疲れきって寮生は食事の時もほとんど話などする元気も気力もない。
「ドドイ責めは手と足とを縄でくくって背中の一点でくくり合わせ、天井にぶらさげて役人が鞭《むち》でうつ拷問である」大園が声をふるわせて読んでいるのは明治のはじめに広島県で殉教したきりしたん信者の物語らしかった。
だがだれもそんな話に興味を持つものはいなかった。信者でない学生はもちろん、信者の学生もただ義務だけで耳をかたむけているふりをしているだけだった。
「こうしたドドイ責めにあっても甚右衛門や茂平をはじめとして中野郷のきりしたんは誰一人として転ぶと言わなかった。サンタ・マリアの祈りを合唱しながら彼等はこの苦痛を与えたもうことをかえって神に感謝したのだった」
ここでパタンと大きな音をたてて大園は本を閉じた。そして形だけは敬虔《けいけん》に十字をきるとスープ皿の中にいそいで鼻をつっこんで、大豆米をたべはじめた。その大園の縁のない眼鏡をかけた神経質な顔をそっと窺《うかが》いながら江木はこの男が本気でこんな本を朗読していたのかしらんと考えた。(出鱈目ばかり書いてやがる)と隣席の飯島が呟いた。江木は流石《さすが》にそうは思わなかったが大園が朗読する殉教者伝がどれもこれも暴力にも拷問にも屈服しない人々の話ばかりであることは確かだった。江木は突然、今日の午後、頬にうけた一撃、地面に四つ這《ば》いになって哀願した自分、枯芝にとんだ眼鏡のことが苦々しく心に甦《よみがえ》った。自分が肉体の恐怖にあまりに弱い人間であることが情けなかった。
「お前なんぞ幸いにもきりしたんの家に生れなくってよかったよ。一発くらっただけで神様なんぞ裏切ったにちがいねえからな」飯島が冗談半分に大声で江木にそう言ったが誰も笑うものはなかった。江木も江木で今日の自分の醜態を考え、別の意味で思わず顔を強張らした。
その夜おそく故郷から送ってきたスルメを江木は電熱器にかけてはしゃぶった。電熱器を使うとヒューズが切れるので寮では禁止していたのだが彼はいざという場合のため戸棚の中にかくしているのである。スルメの香ばしい匂いが外に洩れると、同じようにひもじい他の寮生が嗅《か》ぎつけるから、一枚焼くたびに彼は窓を半分あけて空気を入れかえた。
壁ごしに大園が部屋を出る気配がする。戸が軋《きし》み、バタンと音をたててしまった。
(便所にでも行くんだろう)
そう思ったので万年床に寝ころんでゆっくりと口中のスルメの味を楽しんでいたのが不覚だった。大園は縁なし眼鏡をキラリとさせてその蒼白い顔を扉からさし入れ部屋の匂いに気がつくと眼を光らせて江木をじっと見つめた。
「スルメですが」気の弱い江木はその視線に耐えられず卑屈な声をだして、「故郷《くに》から送ってきましてね」
黙ったまま大園は一きれのスルメを血色のわるい薄い唇の間に押しこんだ。
「うん。来週の日曜、寮生は御殿場の愛生園に慰問に行くんやけど、その費用は往復五円やから前もって知らせよう、と思うてね」大園は電熱器にまだ残っているスルメの足の塊にじっと眼を落しながら「君は新しい寮生やさかい初めてやろうけど、この慰問はこの寮で毎年やることなんや」
大園の説明によると癩病院の愛生園はこの寮を設立した基督教団体の同じ経営になるものだった。そんなわけで毎年一度、ここの寮生が御殿場の病院に慰問をするのが習わしだと言うのである。
「君は信者やないけんど、信者であるなしにかかわらず寮生である以上、こういう行事には加わってくれると思うてんやけど」
「行かない人、――誰ぞいるんですか」
「飯島の奴が――いや飯島君が始めは渋っとったけど舎監に通告する言うたら、承知したよ」
大園が部屋を去ったあと、江木は真実困ったことになったと思った。あの病気については何も知らないが、子供の時から漠然とした恐怖を持っていたからである。彼の故郷では時々、指の曲った乞食が細い声をだして物乞いにくることがある。そんな時、祖母はまだ幼かった彼をあわてて押入れの中にかくしたものであった。そしてまた中学時代、彼はこの病気に一時はげしい強迫観念をもったこともあった。それは大人の読む娯楽雑誌に不気味な骸骨の絵と癩の徴候という幾カ条の症状をかいた広告を読んだためだった。
(体に傷口があるとあれは伝染するというが)
ズボンをそっとまくし上げるとさっき布で縛った膝の傷は熱を帯びて腫《は》れはじめていた。
(こんな傷があるからと言って断ろうかしらん)と江木は考えた。しかし一方彼は大園や信者の学生たちから利己主義者だといわれるのもイヤだったのである。(行くとしても出来るだけ患者に近づかんこった)
そう心の中で呟いた時、流石に江木は自分がうす穢《ぎたな》い人間だと思わざるをえなかった。病院まで見舞いにいき、そこの患者を嫌悪感から避けようとする――そんな行為がどんなに卑劣なものかは江木も重々知っていたが、彼にはまず伝染をおそれる気持や肉体的な恐怖の方がどうしても先にたつのである。
※
日曜日の朝、江木たち寮生は東京駅から御殿場に行く汽車に乗った。三十分ほど前に駅についたのだが汽車の中はもう足のふみ場もないほど満員だった。リュックを膝の上においた国民服姿の男やモンペをはいて風呂敷包みをもった買出しの主婦たちがぎっしり客席と客席との間の通路に新聞紙を敷いて坐っていた。
プラットホームには弱々しい声で軍歌を歌うまばらな円陣がポツン、ポツンと一組、二組みえたが汽車の連中もホームを走る者も近頃はふりむきもしない。江木たち寮生だけが客車の入口にたってぼんやりそんな出征風景を眺めた。彼等はやがて自分たちも円陣にとりかこまれて顔を強張らしながらあのように送られるのだなとぼんやり考えていたのだった。そしてお互いそんな表情に気がつくと思わず視線を横にそらすのだった。
寮を出て東京駅にくる間も、また発車をまつこの汽車の中でも信者の学生たちとそうでない飯島と江木との二つのグループにわかれてしまった。露骨にこの一日の慰問旅行にたいする不満を顔に出す飯島を時々ふりかえりながら信者の学生たちはなにかを小声でひそひそと話している。
「ちえっ、大園がまたイヤらしいことをしやがる」
客車の入口の階段にしゃがみながら飯島は声をあげて唾をはいた。体をのりだして江木がホームを見ると大園は応召する人をかこむ円陣の中に加わって手拍子をうちながら軍歌を歌ってやっていた。いかにも偽善的なその身ぶりをみると江木も大園が気障《きざ》だと思わざるをえなかった。
寿司づめの列車がのろのろと動きだした時、飯島はまた走りすぎていく線路に唾を吐きながら、かたわらに来た大園に、
「円陣つくって送られて、ノコノコ戻りゃ男もさがる。ああ、大園さん」と歌うように言った。これは先年、学徒出陣の時、盛大に見送られながら即日帰郷で寮に戻った大園にたいする皮肉である。大園は神経質な顔を赤くして黙った。
便所のドアに凭《もた》れながら江木は江木でやがて自分もああいう風に送られる日のくることを想像していた。兵営の生活が始まる。内務班の暗い部屋で毎日なぐられる。肉体がうけるそんな苦痛を思うと江木は胸が重くなるのだった。一週間前、外苑の芝生で「悪くありました。お許しください」と四つ這いになった自分の姿や意気地ない言葉がふたたび心に甦ってくる。俺は兵隊にいけば必ずあんな格好をするにちがいない。撲《ぶ》たれるのがコワさに自尊心も平気で捨ててしまうにちがいない。俺はそんな人間なんだ。
列車の振動に身を任せながら江木はぼんやり考えた。(俺には心より体の苦痛の方がもっとコタえるんだからな。そのために自尊心も信念も裏切ってしまうんだ)
三時間後に汽車はやっと御殿場についた。空は暗く曇っていた。汽車をおりると既に連絡があったのか、改札口には白衣を着た中年の男が微笑を顔につくりながらたっていた。
「よくいらっしゃいました」その男は愛想よく寮生に頭をさげた。彼は愛生園の事務員だった。「患者たちはもう一月前から今日のことを楽しみにしてましてな」
駅前の広場には人影がなかった。むかしは土産物を売っていたらしい店も戸を半ば閉じて静まりかえっていた。一台の古い木炭バスが一同を待っている。まるでボロ布のようにつぎだらけのバスなのだと事務員は説明した。なるほど車内にはいると消毒液の臭いがぷんと鼻についた。
この消毒液の臭いをかいだ時すっかり忘れていた不安と恐怖とが急に江木の胸にこみあげてきた。ひょっとするとこの座席に今まで幾人かの患者が乗ったのかもしれない。江木はあわててズボンの上から膝をそっと押えてみた。バスが車体をゆさぶりながら動き出し、ガタガタと町を通りぬけて松並木の街道を白い埃《ほこり》をあげて走りだすにつれ、汽車の中ではほとんど感じなかった傷の痛みまでが彼の頭にひっかかってくる。今朝出がけに調べた時、傷口にはうすい白い皮がやっと覆いはじめていたがまだすっかり良くなってはいない。愛生園での今日一日の間に菌がつかぬとも限らぬのだ。そう思うと彼はこわそうにひびのはいった皮の椅子や埃の溜《たま》った窓を怯えた眼つきで眺めまわした。
大園が座席と座席との間にたって信者の学生たちに聖歌を歌おうと提案した。そして深刻な顔をして彼は指を額まであげると、
「一、二、三」と声をかけた。
来たれ信徒よ 喜びの凱旋《がいせん》をもて
来たれや来たれ ベトレヘムに
みよ群を離して いやしき産屋に
呼ばれし牧者等 いそぎて来たる
「ふん。いい気なもんだて」
背後の席で飯島が吐き出すように呟いた。
「飯島さん、大丈夫でしょうか」
うしろをふりかえって江木は小声で言った。
「なんじゃい」
「伝染せんでしょうか」
「俺あ知らんね」飯島は顔をそむけた。
「大体、俺はこの寮の慈善趣味が気にくわねえよ」
飯島のようにハッキリ割りきれればどんなにいいだろう。埃で白く汚れた窓から通りすぎていく農家や畠を江木はうつろな眼で眺めた。
(この傷さえなければ俺だってもっと素直な気持で病院に行けたろうにな)
彼は愛生園の患者たちを怖れる自分を賤《いや》しいと思わざるをえなかった。それは一週間前、憲兵に殴られて、「悪くありました。お許し下さい」と怯えて哀願した時と同じように肉体の恐怖から心を裏切る卑劣な自分である。大園の態度がいくら気障で偽善的でも、自分にはできない強さがあるように江木にはみえる。彼には飯島のように信者の学生を軽蔑することはできなかった。
バスはやがて林の間をゆっくりと通りぬけた。空は曇っていたが午後の弱い光がその林の幹を銀色に光らせている。この辺にはもう人家はない。愛生園は普通の部落からも隔離された場所に建てられているのである。
屋根の赤い木造の建物がその樹立のむこうにあらわれた。建物の玄関の前には白衣を着た男が二人こちらに手を振っていた。
「着きましたよ」運転手の横に坐っていた事務員がふりむいて声をかけた。こうして寮生はやっと愛生園に着いたのである。
バスをおりた時、江木は患者がその辺を歩いているのではないかと、怯えた眼であたりをみまわした。しかしそれらしい影は冬の弱々しい光のあたった建物の周りには見当らなかった。
江木は本能的に飯島のそばに近寄ろうとした。飯島のそばにいる方が、信者の学生のグループにまじるよりはまだ彼の怯懦《きようだ》な心に言い逃れと弁解とを与えてくれそうな気がしたからである。けれども飯島は古|外套《がいとう》のポケットに手を入れて、唾を地面にとばしながら江木から離れていった。
屋根の赤い建物はこの愛生園の事務所だった。その事務所の応接間で江木たちは皿に山のように盛ったふかし藷《いも》と番茶の接待をうけた。そのふかし藷を寮生たちは犬のようにガツガツと食った。
「院長が今日は生憎《あいにく》、静岡にまいりまして」背広の老人が笑いながら部屋にはいってきた。「私は事務におります佐藤ですが今日は御苦労さんでございました」
それからこの小肥りの老人は患者が一カ月前からこの慰問を首を長くして待っていたのだと欠けた歯をみせながらニコニコと説明した。
「このお藷さんも患者が自分の食料の一つずつを皆さんのためにとっておいたもんでしてな」
そう言われると流石に寮生も口を動かすのをやめてシュンと黙りこんでしまった。
「連中はもう、講堂で半時間前から待っとりますよ。よほど、あんた等のなさることを楽しみにしとるんでな。ところで講堂にいかれる前、消毒をされますか。伝染はせんと思うがまあ一応の気休めにはなりますからな」
その言葉に江木と二、三人の学生が椅子からあわててたち上ろうとした時、大園が憤然としてたしなめた。
「患者さんの好意を考えたら消毒なぞするもんやないよ」
「まあまあ」老人は大園の興奮に少し驚いたようだった。「もっとも消毒もあんまり効果がないものですが」
少し白けた沈黙が流れた。江木はズボンの膝と皿のふかし藷とを当惑した眼で見つめてそれからそっと顔をあげて飯島をさがした。その飯島は腕をくんでムッとしたまま天井を見あげていた。
「ではそろそろ参りますか」老人が困ったように言った。
老人と若い看護婦につれられて寮生は中庭を横切り病舎の方に歩いた。今にも雨がふりそうに空は曇っていた。病舎は古い兵営のようなペンキの剥《は》げた長細い三棟の木造建物である。その病舎の隣に運動場なのであろう、広いグラウンドがあり、そして更にそのむこうに軽症患者たちが耕作する赤土の畠が古綿色の雲の下にひろがっていた。
すべてが江木には暗い憂鬱な風景にみえた。ハンセン氏病の患者たちは一生の間この狭い土地から外に出られないのである。肉親からも世間からも見離されてここで死ぬ以外に方法はないのである。そう思うとさすがに江木は憐憫《れんびん》とも悲しみともつかぬものに胸がしめつけられた。だがその時肩にかけたレインコートが病舎の壁にふれたのに気がついて、江木はあわてて体をずらしたのである。
講堂というのは、百畳敷ほどの畳の広間だった。粗末ながら舞台らしいものもあるらしい。佐藤老人はここで軽症患者たちが精神訓話をきいたり月一回の演芸会を催すのだと言った。
「先月はマグダレヤのマリアと基督の話を劇にしくみましてな」と老人はふりかえった。「患者のなかには器用な連中がおりますからなあ。好評でしたよ」
「ぼくらそんな立派なもんお見せできんけど」大園は顔を紅潮させて大きく頷いた。「頑張ります」
けれど他の寮生たちは息をつめながら消毒薬の臭いのこもった楽屋口の階段を登った。楽屋口と広間との間には黒い幕がたらしてあるため、集まった患者たちの姿はみえなかった。が、咳《せき》をする者、鼻をかむ気配で江木は七、八十人の病人たちが坐っているのだなと思った。
不安がだんだん江木の胸をしめつけた。どうしたのか例の傷がここについてから余計に痛みはじめていた。既に菌がどこからか飛んできたのではないかと考えると彼は先ほど消毒をさせなかった大園が今更のように恨めしかった。
佐藤老人が舞台にたった時、まばらな拍手が楽屋にきこえてきた。黒いカーテンの小さな破れ目を覗いていた飯島は渋い顔をしながら江木を見つめていった。
「みろよ。ここから。うじゃうじゃいるぜ」その時佐藤老人がふたたびまばらな拍手に送られて楽屋に戻ってきて言った。
「さあ、あんたらお願いします」
いつの間に計画をねったのか、大園を先頭に信者の学生たちが五人ほどおどり上るように階段を登っていった。
今度は大きな拍手が起った。拍手が終ると大園が例の女のような声で「一、二、三」と合図をするのがきこえた。
彼等が患者たちのため聖歌を合唱している間、信者でない学生たちは不機嫌におし黙っていた。大園たちに対抗するため、歌を歌おうにも一緒に合唱する歌も知らないのである。大園たち信者の連中が自分たちに何かを誇示し見せつけるために今日までひそかに練習をしていたことがやっとわかったのである。合唱の声がピタリとやむと、東大の文学部にいっている浜田という学生が独りで独逸《ドイツ》のリートを歌った。それから今度は大園が、
「みなさん詩を朗読させて下さい」
と興奮した声で叫んだ。
人の世はくるしみの路
と大園は震えた声をあげた。
いかなる試煉《ためし》に会おうとも
われ死のきわまで
「詩か。へん、詩かね」いまいましそうに飯島は楽屋の窓をあけて唾を吐いた。「患者が悦ぶもんかね」
江木はさきほどその飯島が覗いていた黒幕の破れ目におそるおそる眼をあてた。そしてここに来てはじめて彼の怖《おそ》れていた患者たちを見た。
広間は薄暗かったので患者の一人一人の顔は、はっきり区別できなかった。そして江木はここに集まっているのがほとんど年をとった中年の患者たちばかりだと最初考えたほどである。だが眼が馴れるにしたがってそれら頭が禿《は》げぬけあがった人々の中にメイセンの和服や白いエプロンの若い娘たちがいることに江木は気がついたのだ。彼女たちは両手を膝において首をうなだれながら耳を傾けていた。江木は更に後列をみた。その後列には担架が幾つか並べられ白い布を顔にまいた重症患者が仰むけになったまま、大園の詩をきいていた。
人の世は苦しみの路
いかなる試煉《ためし》に会おうとも
われ死のきわまで
この路を歩きつづけん
大園が朗読しているその詩が誰の詩なのか勿論《もちろん》、江木は知らなかった。そしてまた大園がなぜこんなくるしい詩を態々《わざわざ》えらんだのかもわからなかった。時々、隅で咳きこむ音がきこえるほか、会場の中はしんと静まりかえっていた。ながい詩がつづくにつれ髪のぬけた女たちの中には毛布やハンカチで眼を拭うものさえあった。
「飯島さん……」と江木は思わず言った。
「何かしましょうよぼくらも」
「俺たちがか」飯島は頬に嘲《あざけ》るような笑いをうかべた。そして楽屋から舞台の方を覗いている佐藤老人や他の学生にはみえぬように五本の指をわざと歪めた。「これになってもいいんかい」
するとふたたび白く皮をはった自分の膝の傷口が心に甦ってきた。彼は楽屋の戸をあけて外に走り出た。人影のない運動場と耕作地が雨雲の下で暗く陰気に押しだまっている。遠くから御殿場を通りすぎる汽車の音がかすかにきこえた。(お前はイヤな奴だ)彼は自分にむかって思いきり大声で叫びたかった。(ああイヤな、イヤな、イヤな奴だ)
信者の寮生の演芸が終ったのはそれから三十分ほど後だった。江木は広間の患者たちが最後の一人まで引きあげる光景を中庭に面した窓からじっと眺めていた。はじめ女の患者たちが去っていく。それから男の患者だった。彼等の中にはびっこをひいたり、松葉杖をついたりする者も多かった。そして最後に重症患者たちが担架に寝たまま療友の軽症患者に運ばれていった。担架にのせられぬ者はその友だちの肩に背負われ消えていった。
佐藤老人につれられて応接室にふたたび戻った寮生たちはここで東京では滅多に手にいらぬ牛乳とジャムのついたパンをたべさせられた。そのパンを齧《かじ》りながら応接室の壁をみていた飯島は突然、
「野球なんかも、できるんですかい」と老人にたずねた。それはユニホームを着てバットを持った患者たちが二、三人の看護婦と並んで写っている額入りの写真を壁に見つけたからだった。
「やりますよ。軽症の連中だがね」老人は欠けた歯をみせて微笑した。「わしは野球は知らんが、なかなか強いようですな」
「大園さんよ」急に飯島はさきほどの興奮のため、まだ顔を紅潮させている大園に声をかけた。
「あんたら、ここのチームと今から野球の試合したらどうだい」
これは信者の寮生たちに対する飯島の意地わるい嘲笑にちがいなかった。舞台の上から病人たちをみおろし詩を読んだり歌を歌ったりする慈善なら誰にだって出来らあ、だが患者とどうしたって体をぶつけあわねばならん野球をやれるものならやってみるがいい、と飯島は言っているのだ。
「やろうやないか。みんなで」大園はむきになって仲間に言った。「佐藤さん、ぼくらにグローブ貸してもらえますか」
「職員用のがありますけど」老人は今度もあわてて白けた気分を不器用にとりなした。「まあ、そこまでやって頂かんでもええんですが」
そして大園が立ち上ると信者の学生は不愉快そうな表情でそのあとに従った。何も知らずに嬉しそうに職員用のミットやグローブを運んできた看護婦たちは病舎に野球の試合を知らせるため小走りに駆けていった。
病舎の隣の運動場に出ると、借りたグローブを手にはめて学生たちはしぶしぶと球投げの練習をはじめた。その球にはどこか力がこもっていなかった。少し寒い風が耕作地の方から吹いてくる。
「おい、江木君」突然大園はこちらを向いて叫んだ。「外野をやってくれよ」
そして彼はこちらに一つ余っているグローブを放った。江木はくるしげな眼でチラッと飯島をふりかえったが、古外套のポケットに手を入れた飯島は背をこちらにむけながら、耕作地をじっと眺めていた。
病舎の方から歓声が起った。窓という窓から男女の病人たちが顔をのぞかせて手や手ぬぐいをふっている。患者の選手たちがちょうど泥によごれたユニホームを着て病舎から走り出たからである。
一見、これらの軽症患者の選手たちはどこも変ったところはないようにみえた。だが寮生たちにむかって彼等が、
「有難うございます」
丁寧に帽子をぬいで挨拶をした時、江木は彼等のある者の頭に銭型大の毛のぬけた部分があり、他の者の唇がひきつったように歪んでいるのに気がついた。
外野にたった江木は眼をつぶって先程見た講堂での風景を思いだそうとした。白い布を顔にまいて仰むけになりながら大園のまずい詩をじっと聞いていた重症患者、その重症の仲間を助けて肩に背負いながら歩いている仲間たち。両手を膝において首うなだれていた女と娘――そうした人々を見捨てようとした自分、(イヤな俺。イヤなイヤな俺)彼は口の中でその言葉をもう一度くりかえした。そして眼の前をちらつく膝の傷口のイメージを懸命に追い払った。
試合はいつの間にか進んでいた。寮生の守備が終り、患者たちの攻撃はどうにか無得点でくいとめた。思ったより手ごわい相手だった。
「江木君、今度は君が打つ番だぜ」
そう誰かにいわれた時、江木は自分のそばでただ一人観戦している飯島の頬にうすい嗤いのうかんでいるのをチラッとみとめた。
バットを持って彼が歩きだした時、その飯島はいかにも作戦でも与えるように近よってきた。
「おい江木」彼は口臭のまじったひくい声で意地わるく囁《ささや》いた。「こわいだろう。お前伝染するぜ」
江木は思いきってバットをふった。バットに重い手ごたえを感じ、白球が遠くに飛んだ。「走れ」とだれかが叫んだ。だが江木が夢中で一塁を通りぬけて更に駆けだした時、既にサードからボールを受けとった一塁手が彼を追いかけてきた。二つのベースにはさまれた江木はボールを持った癩患者の手が自分の体にふれるのだなと思うと足がすくんだ。(止ってはいけない)と駆けながら彼は考えた。一塁手が二塁にボールを投げた。その二塁手のぬけ上った額と厚い歪んだ唇を間近に見た時、江木の肉体はもう良心の命ずる言葉をどうしても聞こうとしなかった。彼は逃げるように足をとめ、怯えた顔で近づいてきた患者を見あげた。
その時、江木は自分に近づいてきたその患者の選手の眼に、苛《いじ》められた動物のように哀しい影が走るのをみた。
「お行きなさい、触れませんから」
その患者は小さい声で江木に言った。
一人になった時江木は泣きたかった。彼は曇った空の下にひろがる家畜小屋のような病舎と銀色の耕作地とをぼんやり眺めながら、自分はこれからも肉体の恐怖のために自分の精神を、愛情を、人間を、裏切っていくだろう、自分は人間の屑《くず》であり、最もイヤな奴、陋劣《ろうれつ》で卑怯で賤しいイヤな、イヤな奴だと考えたのだった。
あまりに碧《あお》い空
杉が今年の夏かりた小さな家はテニスコートのすぐ近くにあった。別荘地の中心部からあまり遠からぬそのテニスコートでは夕方、暗くなるまで白いスポーツ服をきた青年や娘がラケットをふりまわしている。威勢よく叩きつける球の音やわきあがる歓声などが杉の部屋にきこえ、彼の仕事をさまたげた。このコートは昨年、皇太子のロマンスなどで有名になったためか今年はひときわ集まる者も多いという話だった。
「いい気なもんだぜ」
鎧戸《よろいど》をしめて杉は書きためた原稿用紙の枚数を数えながら苛立《いらだ》たしそうに舌打ちをした。真実のところ彼は自分より十歳も年下のこれら若い青年や娘をひそかに嫌っていた。この嫌悪は自らの仕事があの連中に妨げられているからではなくもっと別の理由からきているようだった。
仕事はなかなか捗《はかど》らなかった。そんなある日、彼の家に、ある出版社の出版部長の田淵《たぶち》氏がひょっこり遊びにきた。
「別に用事じゃないんですよ」羊歯《しだ》のはびこった庭をポロシャツの田淵氏は陽に焼けた童顔をほころばせながらドサドサと歩いてきた。「明後日、恒例のゴルフ大会があるでしょう。だから昨日、こちらに来ましてね」
そういえばこの別荘地に住む文壇の先輩たちがちかいうちにゴルフの試合をすることを杉も耳にしている。
「へえ、田淵さん、ゴルフやられるんですか。どちらにお泊りです」
「社の寮がちかくにありましてね。……ああ、奥さん、わざわざお構いなさらんでください」
田淵氏は庭に面した廊下ともベランダともつかぬ場所に麦酒《ビール》を運んできた杉の妻にも愛想よく挨拶をして、
「杉さん、あんたもゴルフやったらどうです。その体も随分良くなりますぜ。胃腸病なんか、すぐ治る」
杉は笑いながらゴルフマニアは新興宗教の布教員に似ていると思った。その効験あらたかな所を病気の治癒に結びつけて宣伝するところまでそっくりである。
それにしても田淵氏はゴルフをやっているためか、ひどく健康そうだった。まぶしい陽のあたる庭に白い歯を見せて笑っている。その背後には向日葵《ひまわり》が炎のような黄色い大きな花をこちらにむけて咲いていた。
「田淵さんは木の根のような腕をしているなあ」杉は客の陽にやけた腕を指さしながら訊《たず》ねた。「やはりゴルフのおかげですか」
「いや、ぼくあ学生時代、ボートの選手だったからね」
麦酒を一息にうまそうに飲みほしながら田淵氏は嬉しそうに自慢した。麦酒を飲む時、太い彼の咽喉《のど》がごくごくと動くのを杉が羨《うらや》ましそうに眺めていると、
「ジャーナリストはまず体力ですからね」
「でもこの間こんな話をききましたよ。勿論《もちろん》、冗談でしょうが、焼場の死体のなかで……」
焼場に運ばれた死体のなかでジャーナリストや新聞記者の頭蓋骨《ずがいこつ》はすぐわかるという。他の人の頭の骨とちがって、これらの職業の人の頭蓋骨は少し叩くとポロリと崩れるのだそうだ。脳みそは勿論のこと骨まで削りとるほど頭を使い尽した半生のため、彼等の頭蓋骨はひどくもろく薄くなっているのだと杉はきいた。
「陰惨な話だな」田淵氏は童顔を少し曇らせながら肯《うなず》いた。「でも実感がこもっていますよ」
「でしょう……」
杉はふたたび庭の炎のように黄色く赫《かがや》いている向日葵の花に眼をむけた。テニスコートからは相変らず、球を打つ音や歓声がきこえてきた。
それから五日のちに、杉は東京からの電話で田淵氏が急死したことを知らされた。
「冗談でしょう。この間、元気そのものでぼくの所に寄られたんだ」
受話器をもった彼の声は上ずっていた。だがこの知らせは本当だった。前日まで田淵氏の同僚も部下も、氏自身さえも明日、彼が倒れるということを夢にも想像していなかったのである。
当日めずらしく早目に帰宅した田淵氏は家族と共にテレビをみているうち、眼が突然みえなくなったという。頭痛を我慢しながら壁をつたって寝室に戻る途中、朽木のように倒れた。倒れてからは一昼夜息を引きとるまで昏睡《こんすい》状態だったそうだ。
その日から杉は仕事をしながら時々、庭をみた。秋ちかい高原の空はあくまでも澄みわたり、銀色の羽を光らせながら赤トンボが右左に飛びまわっていた。向日葵は相変らず、黄色い炎のような花をこちらにむけて咲いていた。透明な空やもう眩《まぶ》しくはない空気をみていると田淵氏の死んだという事実が不意に胸を突き上げてくる。杉と田淵氏とは特に昵懇《じつこん》な間柄ではなかったから彼の心には故人を偲《しの》ぶという感慨よりは、五日前この陽のあたる羊歯の庭で、健康そうな真白な歯をみせていた人がもう死んでいるという衝撃と、その死にかかわらず秋の空が残酷にも澄みわたっていることにたいする苛立ちの方が強かった。
「おおい」杉は妻を大声でよんだ。「あの向日葵を切ってくれよ」
「どうしたの」花模様のついたエプロンで手をふきながら杉の若い妻は驚いたように顔をあげた。「勿体《もつたい》ないわ。こんなに綺麗《きれい》に咲いているのに」
「いや、目ざわりだよ」
本当は残酷だと言いかけて彼はその言葉を咽喉にのみこんだ。今日もテニスコートからラケットに球のぶつかる音がきこえてきた。杉があの若い男女に嫌悪感を感じる気持は、どうやら一人の人間の死にもかかわらず空が美しく澄み、向日葵が炎のように咲きつづけているという冷酷な事実につながりがあるようだった。
別に田淵氏の死によって刺激されたわけではない。彼もこの一年前ぐらいから深夜、眼をさましてふと死ぬ日のことやその瞬間の姿勢をぼんやり想像するようになっていた。いつかは自分が死なねばならぬことを彼は真暗な闇の中で鳥のように眼を大きく見ひらきながら考えることがあった。そんな時、杉は隣のベッドでかるい寝息をたてて眠っている妻にかすかな憎しみを感じるのである。二十代の妻はまだ死ぬことを考えもしないと彼に言っていた。そう言われて杉自身もふりかえってみると十年前、二十代の頃は自分の死ぬことや死ぬ時の姿を心に想像するようなことはなかった。こんなことを考えるようになったのはやはり三十を幾年かすぎてからである。
杉はこの頃、よく原稿用紙の端に「躯《からだ》」という字を書いてそれをじっと眺めることがあった。杉の友人の吉川はこの「躯」という文字を「体」や「躰」のかわりにかたくななまでにその作品の中で使っている。実際、吉川の小説を読んでいると男女の躯のさまざまな機能、つまり「躯」を形づくっている三つの口の字と万華鏡のように複雑な心理の翳《かげ》や情熱の陰影との関係が心憎いほど描かれているのである。だが三十数歳をすぎた杉はこの「躯」の文字をみると、死の黒い口がそこに三つ、洞穴のようにぽっかりと開いているような気がしてくるのだった。
自分が死ぬ時、どういう息の引きとりかたをするのか勿論、杉には想像もつかない。彼にはただ思い出の中から自分の祖父や叔母の臨終の光景を引き伸ばしたり重ねあわせるより仕方がない。叔母が死んだのは夏のあつい日だったが、ひろい樹木の多い庭に面した病室には彼女が死ぬ五、六時間前から一種、生臭い匂いがまだ子供だった杉の胸に息ぐるしいほどこもっていた。この匂いは病室の窓ちかくにならべられている花瓶にさした百合《ゆり》の香りにちがいなかった。病人が百合の好きなことを知人や親類はひろく知っていたから、次々と訪れてきては廊下でそっと辞去していく見舞い客までがみなこの匂いのつよい花をたずさえてくる。その匂いに包まれてベッドに仰むけになった叔母の胸はさきほどから小きざみに縮んだり膨らんだりしている。祖母が夏布団からはみ出た彼女の腕を握っていたが、その手を離すと、病人の白い腕の肉に指の痕《あと》の凹《へこ》みがそのまま残ったのである。杉はこの時はじめて人間が死ぬ時は躯がむくむことを知った。そして今まで山百合の香りだとばかり思っていた部屋の生臭い臭気が、叔母の体から発散する死臭の前ぶれであるとやっと気がついたのだった。
(自分も死ぬ時はあのような臭いを発散するのだろう)
この想像は杉に嫌悪感を催させたので彼はそれを追い払うためにも妻に無神経な冗談さえ言わねばならなかった。
「俺が死んだら、君、再婚しろよ。再婚しても時々は僕の墓に線香ぐらいあげてくれるだろうな」
もちろん妻は自尊心を傷つけられたように黙ってうつむいた。そのうつむいたことがまた杉の神経を傷つけた。
祖父の臨終はこれとは少し違った光景だった。実業家だった杉の祖父は仕事をやめてから伊豆に隠居をしていたのだが、自分の死期をちゃんと予感していたらしい。身の周りの整理もきちんと片付け、友人や身内にも死後のあれこれについて手配した手紙まで書いていたからである。
脳溢血《のういつけつ》で倒れた祖父の臨終に東京にいた杉の家族は間に合わなかった。そのころ中学生だった杉は母と共に電話をうけると大急ぎで伊豆に駆けつけたのだが、既に遺骸をおいた十畳の座敷には黒いモーニングをきた人々が膝に両手をおいて坐っており、祖父の顔にも白い布がかぶせられていた。杉がこの時おぼえているのは十畳のむこうにみえる松の樹立に西陽が暑くるしく当っていたのと、滝のように鳴いているカナカナの声だった。それは中学生の杉にさえも月並みな芝居の一場面を思い起させた。
叔母の死体の臭いや祖父の幾分、俗っぽい死の風景は現在の杉にある程度の嫌悪感を催させるがそれは人間の死らしい自然さをもっているような気がする。今の彼に耐えられないのはこうした死の姿勢ではなく、田淵氏の場合のように、その人が消滅したあとも、秋ちかい高原の空が青く静かに澄みわたり、すすきの穂が白く光り、テニスコートからはボールを打つ音や歓声がまるで何事もなかったように続いているという残酷な事実だった。向日葵の花は妻の手で杉の命令通り切りとられてしまったが、花がなくなるとかえってそれが彼の心をいらいらとさせた。
そう――彼はテニスコートの二十代の連中をひそかに憎んでいた。大袈裟《おおげさ》な言いかただが彼はあのボールの音や歓声を我慢しながら毎日、仕事にとりかかるのだった。
だがもう少しこれらの連中にたいする自分の嫌悪感をみきわめるため、彼はある日の午後、テニスコートまで出かけてみた。その日は昼すぎに突然、高原特有の驟雨《しゆうう》がふったため、地面はまだしっとりと濡れ、乾いた部分からは土と草の匂いが発散していた。
コートの中では若い青年男女が例によって白線のなかをはねまわっている。ショート・パンツをはいたり、白いみじかいスカートをつけた娘たちがラケットを握りしめて身がまえる時その陽にやけた脚には男の子のように逞《たくま》しく力こもってみえた。向うの観客台には一試合おえた仲間がそれぞれ、うすいスェーターをかかえながら、友だちの試合ぶりを見物していたが、時々きれいなプレイがあると拍手をした。
背後で突然なにかの気配を感じたので杉がふりむくとカメラを持った二、三人の記者らしい人が小走りで走ってきた。二十|米《メートル》ほど遅れて眼鏡をかけた背のたかい青年が少し照れ臭そうな笑いを長い顔にうかべながら、こちらに向って歩いてくる。その隣には黒いカーディガンを着てラケットを手にした令嬢がやはり微笑をつくりながらよりそっていた。令嬢が清宮であり、青年がつい先ごろ、彼女と婚約した人であることは杉にもすぐわかった。
テニスコートの金網にそった濡れた道を一行が進むと観客席の連中もコートの方ではなく、小さな行列に視線を集中していた。空はうす曇りだった。
この時、杉はまた馬鹿げた古い追憶を心に甦《よみがえ》らした。彼は別に自分の弟妹にひとしい連中がたのしそうにテニスに興じていることに嫌悪感をもっているのではないことに先ほどから気がついていた。わだかまるのは別のことだった。自分の十数年前の記憶のためだった。
戦争が終る数カ月前の春、まだ学生だった彼はたった二日間ほどだったがこの別荘地にちかい古宿という部落に住んだことがある。彼の姉と弟とが父母や杉から離れてこの古宿の百姓家に疎開生活を営んでいたので、いつ学徒出陣で赤紙のくるかわからない杉は応召前の別れを告げにでかけたのである。東京はほとんど毎日、空襲つづきだったし、汽車の切符を買うためには夜暗いうちから起きねばならぬ頃だった。のみならず汽車は焼けだされて東京を離れる人々で混乱をきわめていた。
姉と弟とは古宿部落の百姓家の納屋で痩《や》せて動物のように眼を光らせて住んでいた。二人は杉の顔をみるとこちらの状態をきく前に自分たちはもう東京に戻りたいと口をそろえて訴えた。
「冗談じゃないぜ、死にに来るようなもんだ」杉が舌うちをすると姉は、
「死んだっていいわ、ここより東京の方がまだ、ましよ」
「どうして」
「三日、住んでみればわかるわよ。そりゃ部落の人は疎開者に冷たいのよ……」
四月下旬の信濃《しなの》の部落には白い木蓮や黄色いれんぎょうの花が咲きはじめ、部落の裏をながれる渓流は雪どけの水が増していた。周囲の風景はこんなに生き生きとしていたが疎開者の生活は姉の言葉通り悲惨だった。姉と弟とは一握りの大豆米を一日、二回、ゆっくり噛《か》みしめている状態である。
「闇米は買えないのか」
「冗談じゃないわ、ここの土地じゃお米はほんの少し、とれるぐらいなのよ」
火山灰でかためられた貧しい土地には疎開客にわけ与えるほどの米は収穫できないようである。米だけではなかった。杉がここを訪れた翌日のひる頃、彼は母屋の方から罵《ののし》る声をきいた。
一人の外人の女性が古オーバーに体をつつんでリュックサックを手にもったまま庭にたっていた。彼女は弱々しい片言の日本語でしきりに卵をゆずってくれないかと頼んでいる。
「ねえよ。ねえよ。卵なんぞねえよ。あったって毛唐には売らねえんだから」
姿は見えないが男の荒々しい声が母屋から聞え、障子が烈しい音をたててしまった。外人の女は空のリュックを背おったまま首垂《うなだ》れながら去っていった。
「毎日、あんなのを見るの……辛いわ」
頬におちたおくれ毛を指でかきあげながら姉は呟《つぶや》いた。
「ようし、俺、食糧を探してくる」
杉も顔をそむけて自転車に乗り街道に走り出た。街道に出ても勿論、行く当てはない。自転車はいつか東の別荘地の方にむいている。
霧雨が少し降っていた。その針のような霧雨のなかに雨戸をとじ羊歯にうずもれた別荘がみすぼらしく捨てられていた。杉は姉や弟のことを喘《あえ》ぎながら考え、やはり東京につれ戻した方がいいのではないかと思った。
テニスコートの前で彼は急に自転車をとめた。金あみも破れ、木のベンチの残骸が雨にぬれている。見棄てられたコートは誰も今は使うものがなく、隅はいも畠にさえなっている。だが彼はそのコートに一人の少女がラケットを手にもったまま、じっと立っている不思議な光景を眼にしたのだった。
少女がラケットを持ったり、モンペもはかずにコートなどに遊びにきている姿は杉の眼には異様なものとしてうつった。もし土地の警察や警防団にみつかればどんなに烈しく叱責《しつせき》されるかも知れない。他人《ひと》ごとながら杉は不安な気持でじっと彼女を窺《うかが》っていた。
杉の見ているのも気づかず、彼女はしばらくコートの真中にたってプレイのまねをしはじめた。それはまるで向う側に彼女の相手がおり、その相手と試合でもしているような姿だった。
一瞬だったが杉はこの時、戦争を忘れた。自分たちをとりまいている死の匂いを忘れた。すべてがあかるく、少女は真白な運動着を着てとびまわっているようにみえた。陽がまぶしく照っている。雨あがりの若葉が青々と光っている。青年と少女とが飢えも、怯えも毎日の悲惨な生活も心から消して白い球を追っているのだ。そして杉は我にかえった時この少女もまたなんのために見捨てられたテニスコートに来たのかが杉には痛いほどわかるような気がした。
霧雨がベンチをぬらしているコートが眼の前にふたたび現われた。ラケットをもった少女は足をひきずるように去っていった。このくたびれたうしろ姿は先ほど見た外人の女のそれにそっくりだった。
翌日の夜、杉は古宿で一寸《ちよつと》した事件に出会った。部落のはずれには冬の間、山から切った氷を貯蔵する氷室《ひむろ》の小屋が幾つかあるのだが、その小屋の中で一人の中年の男が口に藁《わら》をくわえたまま死んでいたのである。
姉の話によるとその中年の男は一週間前、東京が焼けた時、徒歩でこの信州まで逃げてきたということだった。あまりの空腹のため古宿で食物を盗もうとして、土地の青年たちにひどく撲《なぐ》られ追分《おいわけ》部落の方に逃げていったそうだ。
「頬に火傷《やけど》をしていたわ。空襲の時やられたのよ」姉はもうたまらないという風に両手を顔にあてた。「きっと食べるものもないから藁をくわえて死んだのよ。そうよ。きっとそうよ、もうこんな所にいるのはいや」
杉は暗い氷室のなかで藁を口にくわえたまま死んだ中年男の顔をぼんやりと心に想いうかべた。彼は東京の毎夜の空襲で妻も子供も喪《うしな》ったにちがいなかった。頼るべき親類も知人もなくむかし一度、訪れたことのある信濃の国まで逃げてきたのかもしれぬ。杉は眼をつむってこの想像を追いはらうため、前日見たコートの少女の姿を思いだそうとした。
古宿から東京に戻ると一カ月ほどの間は東京は比較的しずかだった。春の空は毎日、鈍色《にびいろ》に曇り、東京特有の四月下旬の風が砂埃《すなぼこり》をあげながら焼けあとを吹きまわっている。その鈍色に曇った空の遠くで敵の偵察機でも来ているのだろうか、ひくい、かすかな爆音と豆をはじくようなパチパチという音がたえずきこえてはいたが東京には大きな爆撃はなかった。だがこのしずかさも一カ月も続かぬうちに五月二十三日の空襲がやってきた。
杉の家は世田谷の経堂《きようどう》にあった。その夜も彼は工場での勤労奉仕のために骨の芯《しん》まで疲れ果てて晩飯の雑炊をたべるや、ゲートルを足にまいたまま眠りこけた。ゲートルを足にまいて鉄帽を枕元において眠るのはもう二、三カ月以来の習慣だったが、しばらく眠ったと思うと彼は父の大声で眼をさまさせられた。既に敵の編隊は東京の空を飛びまわり、その轟音《ごうおん》や高射砲の炸裂《さくれつ》する響きのために杉の寝ている部屋の窓《まど》硝子《ガラス》は小きざみに揺れていた。その窓をあけて見ると、渋谷、青山付近の空が古血のような赤黒い炎の色を反映して拡がっていた。火の粉は風に送られて時々、屋根の上を飛びすぎて消えていく。遠い家々の燃えるような音にまじって群衆の叫ぶ喚声がドッときこえてくるのである。勿論、群衆の喚声があのように伝わる筈はないのに杉の耳にはたしかにそれがきこえた。炎の反射のため、少しあかるい庭では父と母との影が身のまわりの品や食糧を入れた金属製の箱をよろめきながら防空|壕《ごう》のなかに運ぼうとして動いていた。杉はその影をみると老人のあさましさを感じて寝床に戻った。
「早くおりんか」父は庭から息子を呼んでいる。「まだ運ぶものが沢山あるんだ」
しかし杉は寝床に体を横たえたまま眼をあけて夜空をじっと眺めた。敵機の尾燈と星屑《ほしくず》の光とが夜空の中では見わけがつかぬ。探照燈の青白い光が空を駆けめぐっている。時々、二つの長い光が一点で結び合うとその真中に両足をひろげた虫に似た大きな飛行機の影がうかびあがった。トタン屋根の上に小石のぶつかるような音がはじまった。家の焼ける臭気が少しずつ強くなった。
杉はこの時、今、誰かが死んでいるのだなと感じた。そして自分もひょっとすると今夜死ぬのかもしれぬと思った。だがふしぎにこの時は死にたいして恐怖は起らなかった。毎日の疲労や毎日のくるしい生活にたいする嫌悪感が死の恐怖より強かったからである。青白い探照燈の光をながめ、彼は眼をつむった。眼をつぶったが眼《ま》ぶたの裏には赤黒い炎の反映がうつしだされていた。それから彼は父に烈しくゆり起されるまで眠りこけていた。
既に空襲は終っていた。ぶきみなほどあたりは静かだった。遠くでパチパチというまだ家々の燃えている音がかえってその静かさを深めるのである。空襲の時は気がつかなかったのに月が黒ずんで屋根のむこうを照らしている。つかれ果てた杉の心には今夜も一晩だけ生きのびたという疲労とも諦《あきら》めともつかぬ感慨が起っただけだった。
翌日もまた勤労動員で工場に行かねばならぬ。杉の乗る小田急は東北沢から次の駅まで不通になっていたから、この区間を彼は肩に防空袋をかけたまま歩いた。
余煙はまだ焼け落ちた家々のあとからたちのぼっている。防空団の男たちが、崩れおちたそれらの家々の間を歩きまわっている。血だらけの老婆がその男の一人に背負われて杉の横を通りすぎていった。それを見ても杉は特にどうという気持ももう起きはしなかった。こうした空襲の翌日の光景を彼はこの半年の間、幾度も見ていたからである。灰になった焼けあとの中で生きのこった家族が何かをほじくりだしている。欠けた茶碗の一つでさえ、丹念に集めている。杉にとって幸いなことには今日はまだあのロースト・ビーフのように膨れ上った焼け死体にぶつからぬことだった。
だが駅ちかくまでやっと来た時、杉は二人の防空団員がなにかを乗せた担架を見おろしている光景にぶつかった。死体には莚《むしろ》がかけてあったが、その莚の上部から眼と口とを大きく開いて歯を見せた若い娘の顔が仰むけに覗《のぞ》いていた。
「窒息死だよな、これあ」と男は杉にきかすように仲間に言った。
「変なもんだな。女が焼け死ぬ時は仰むけになるし、男はうつ伏せだからな」
この口調にはなにか淫《みだ》らなものが交っているのを杉は感じた。眼をそらして彼は足早に駅に急いだ。
駅には乗客の影がなかった。電信柱からちぎれた電線が線路の上にぶらさがっている。それなのに空はひどく碧かった。線路のはるか向うに丹沢の山がみえるのである。杉はその山を見ていた時、突然、一月前、信州の別荘地でみたテニスコートの少女のことを思いだした。なぜ、こんな時、あの少女が心に甦ってきたのかわからない。おそらくあの少女とたった今、莚をかぶせられていた娘とが同じ年ごろであったせいかもしれなかった。そしてもしあの少女が東京にいたならば、彼女も仰むけに地面に倒れて死んでいたかもしれぬと連想したのかもしれなかった。
テニスコートでは今日、あの少女のような娘たちが白線のなかをラケットをふりまわしながら飛びまわっている。彼女たちが身がまえる時、その陽にやけた脚には男の子のように力がこもる。彼女たちが自分の死ぬ日を一度も考えたこともないと杉は勿論、知っていた。そしてそれが当然のことであり、正しいことだと理屈の上では承知している。にもかかわらず、彼の心にはこれらの連中にたいする嫌悪感を捨てることができないのである。
杉は午後になって晴れあがった空を見た。田淵氏が死んだのに空があまりに碧いのは残酷だった。自分の嫌悪感はこのあまりに碧い空と、あまりに青年や娘たちが若々しすぎるためであることに杉は気がついていた。もし空が碧く、娘たちが死ぬことを考えないでよいならば、あの田淵氏が急死したり、十二年前、莚の上で一人の少女が仰むけに転がされていた事実はどう辻褄《つじつま》を合わせればよいのであろう。辻褄を合わせることの不可能も杉は知っていたが、その矛盾は彼の胸をつきあげてくるのである。
その夜、夜の食事のあと、彼の妻は椅子に腰をかけて生れてくる子供のために小さなスェーターを編んでいた。杉は杉で一人の詩人の本を読んでいた。その本のなかに、生が秋の果実のようにふくらみ、稔《みの》り、死の光とうつくしく調和していった詩人の生涯が書かれていた。杉は憤りを感じて本をとじた。
「おい、俺は戦後は嫌いだよ」
彼は突然、妻にそんな言葉をなげつけた。勿論、彼の妻はその意味もわからず当惑したような顔をしただけだった。
「どうして?」
「これは碧空のようだ」と彼は答えた。「みんなが死んだにかかわらず自分だけが晴れあがった碧空のようだ」
再発
満点とまではいかなくても佐田の妻はまずまず良妻のようでした。家事、料理、育児という点で彼には細君に不平をいうべき理由が別段みあたらなかったからです。
だが不平を言うべき理由がみあたらないのに、彼女にたいして佐田はいつも漠とした空虚感を感じていました。そのくせこの空虚感がなぜ起るのか、どこから来るのか彼にはよくわかりませんでした。
それは妻がキチンと掃除した部屋で花をきったり、こたつにあたって四つになる下の子供に絵本を読みきかせている姿を見る時など、まるでぬるい液体のように彼の胸にこみあげてきました。夜おそく宴会から帰ってきた佐田に細君が背後から着物をきせる時にも不意に感じることがありました。
「そりゃそうさ。どんな夫婦だって、同じだよ」
ある夜、佐田が学生時代からの友人に酒場で会ってこの気持を一寸《ちよつと》洩らしますと、友人は大きく肯《うなず》いて麦酒《ビール》を飲みほしました。「女房という奴で主婦であり、子供の母親である以上、もう女じゃないのさ。良妻であり賢母であるほど、女房は女を失うらしいな」
そう言われてみると佐田はなるほどと思いあたります。結婚以来、佐田は細君が細君として成長すればするほど、彼女を一人の女として眺めるのを忘れていたし、細君も細君でいい主婦、いい母親になるために自分のなかの女を何時《いつ》の間にか捨てていました。それが自分に漠とした空虚感を感じさせていたのだと佐田はやっと理解することができました。
しかし彼は妻にはそんな気持を持ったことを一度も話したことはありません。友人に打明けて説明を求めたことも黙っていました。
そのころ佐田は商売上の取引きと調査とで二カ月ほど海外に出張せねばならなくなりました。九州出身の佐田の一族は明治以来|製釘《せいてい》製鋼の工場を経営しているのですが、今度建築用の新しい釘《くぎ》を大量生産することになり、その機械を工場にそなえつけるために、佐田が一カ月か二カ月ほど独逸《ドイツ》に出かけることになったのです。
五、六年ほど前に胸をやった彼は外国に行くのが多少不安でしたが、その夜、晩飯の食卓で冗談まじりに妻に言いました。
「お前も一緒についてきたいかね」
もちろん、ついてくるかねと言っても佐田は本気で誘ったのではありませんでした。しかしその時、妻は子供に魚をむしっていた手をやめると、白い顔をあげて今までに彼がみたことのないほど眼を光らせ、少女のようにコックリ肯きました。すると佐田は急に狼狽《ろうばい》して下をむきました。
「ええ、行きたいですわ」
「おい、冗談だよ」
すると突然細君は以前、胸の弱かった佐田がいつか海外旅行する時は看護婦がわりに連れていってやろうと約束したと言いだしました。そんな約束に毛頭おぼえのない佐田は、細君がいつになく真剣そのものな顔をしてこの約束を主張しだしたので驚いてしまいました。
ところが三日のちに細君はこの約束を既に夫が認めたものとして話を進めてきました。「一緒について来るかね」と冗談半分で洩らした佐田の言葉も彼女はいつの間にか、「一緒についてこい」という言葉にすり変えてしまっている。その上、彼女は自分自身がこの変化を行っていることに気がついていないのです。
「俺はやっぱり、そんな約束をした記憶がないんだがなあ」
「あら、その話はもうすんだじゃありませんか」
「そうかなあ。だが、そちらさんの旅費はどうするんだ」
「あたし一人分なら株を売ればできるわ。どうせ、あの株は実家の父がくれたものですし……」
佐田は一寸イヤな顔をして横をむきました。実家の父がくれた株だからあなたの懐は痛ませないでしょうと言う言い方が気にくわなかったのです。けれども、そんな端《はし》たないことまで口に出すほど妻が顔を赫《かがや》かせているのを見て、佐田は今、彼女が主婦でも子供の母親でもない一人の女に戻りつつあるような気がしました。ともかく今日までまずまず不平をいうべき理由の見当らぬまでに家事をやってくれたのだからこの機会にサービスをしてもよいなと考えました。それに五、六年ほど前に胸をやられた彼はやはり一人で外国に出かけるのは不安でした。
こうして佐田は細君をつれて飛行機に乗ることになりました。彼は夫婦同伴で海外に行くなぞ思いあがったことではないかと心配したのですが、細君は案外平気で出発前の準備に走りまわっていました。
十一月のある夜遅く、夫婦は一群の知人に送られて北極まわりの飛行機に乗りました。
ケルン、ハンブルク、ストラスブールと廻り十二月の上旬には日本に送るべき製釘機械の交渉もあらかた終りました。仕事がすんだあと一カ月ほど各国の工場を視察する予定が残されていましたが、これは名目上のことで本当は赤《あか》毛布《ゲツト》よろしく残った金をできるだけ倹約しながら仏蘭西《フランス》と伊太利の大きな街を見物して日本に戻るつもりでした。
ストラスブールから巴里《パリ》にきた時はちょうどクリスマス前のあわただしい気分が街にみなぎっている頃でした。佐田夫婦は二流か三流といったホテルに小さな部屋を借り、知人や子供たちに土産物を買いに出たり、案内パンフレットをひねくりながら所謂《いわゆる》、巴里の名所旧跡を歩いてまわりました。
この頃から佐田は妙に体のけだるさを感じはじめました。初めは馴れぬ石畳の路やホテルの階段を一日に幾度も登りおりするせいだろうと考えていましたが、いくら休養や睡眠をとっても疲れは体の芯《しん》からぬけないようです。そのうち、左の腿《もも》から脚にかけてかるい引攣《ひきつ》るような感覚が始まりました。一寸した坂を登っても息がきれるようですし、掌や頬に時々、火照ったような感じのすることがありました。
かつて患った肺が再発したのではないかという暗い不安が佐田の心をかすめました。五、六年ほど前、佐田は左の鎖骨の下に直径一|糎《センチ》ほどの病巣を発見され、二年間ほど治療をうけたのです。幸いその時は病巣がそれほど大きくなかったため、半年ほどすると気胸をうけながら会社に通うことも出来たのですが、
「再発はしないで下さいよ。佐田さん。今度、再発すればね、肋骨《ろつこつ》の二、三本は切らなくちゃなりませんよ」
そう、医者にいつも言われていたのです。
クレベール街を歩きながら佐田は鼠のように狼狽した眼で妻を眺めました。なにも気づいていない彼女は巴里に来てから買った帽子をかぶって、ショーウインドーを一軒、一軒のぞいていました。
「やはりこちらの品物は染色がちがうんですね。こんな色、とても日本では出せないものですわ」それから夫の怯《おび》えたような眼つきに気がついて、「どうしたんです。脈などはかって」
佐田は眼をしばたたきながら妻を見かえしました。彼は言おうか、言うまいかと一瞬迷いましたが、
「いや。なんでもないさ」と呟《つぶや》きました。
もし自分が再発したとなると、折角、巴里まで来ていながら直ぐにでも日本に戻らなくてはならない。それではあれほど今度の旅行を望んでいた妻が可哀相だ、と心のなかで自分に言いきかせました。しかし本当のところ、佐田自身が再発したのだと妻にも自分にもはっきり言いきることがこわかったからです。眼をそむけたかったからです。冬の弱々しい陽がおちている石畳道を夫婦は肩をならべてゆっくりと歩きました。
ふしぎなもので佐田が自分の病気を否定しようとすると息ぎれや火照った感じは急に消えていきました。やはりあれは旅の疲れと気の迷いだったのだなと佐田は思いました。ちょうどその時、巴里にはモリエールとかいう古い作家の「気で病む男」という芝居がかけられていると日本人の若い留学生から教えられて、彼はまるで自分のことを言われたように苦い笑いをうかべました。
だが、それも束の間、今度は別な症状が起ってきました。誰かと一時間ぐらい話をしただけで左の背中に鉛をいれられたような重い疲労感を感じだしたのです。稀《まれ》には僅か、二、三十秒だけですが息がつまりそうな感覚におそわれる時もありました。
佐田はこれは医者に行かねばならんと思いました。けれども言葉も通じぬ外人医者をたずねた上、あのレントゲン写真の上に空洞を暗示する白い輪がうつるのはやっぱりいやでした。そうなれば否でも応でも帰国せねばならぬ。危険な手術をうけ肋骨を幾本も切りとらねばならぬ。その不安が彼に診察を受けるのを一日、一日ためらわせました。彼が寄りかかることのできるのは、まだ咳《せき》もなく痰《たん》もでないということでした。咳もなく痰もでない以上、たんに疲れや息ぎれだけで再発を想像するのは思いすごしだと自分で自分に言いきかせました。
彼はまだ妻に自分の体のことを黙っていました。妻に言うことは自分の病気を認めることになりそうだからです。
やがて真夜中なぞ、クレベール街の三流ホテルの部屋の中で彼は突然眼をさますようになりました。巴里の夜はいつまでも長い。闇のなかで眼をじっとあけていますと隣の部屋で誰かが咳ばらいをしているし、繁華街の方からまだ自動車の音がきこえます。妻が規則ただしい健康的な女の寝息をたてて眠っています。
(こいつは何時もこうだ。規則正しい。そして健康的だ。俺にとっては良妻で、子供にとってはまともな母親だ)
そう考えると佐田は急にその妻になぜか腹だたしい気持を憶《おぼ》えるのでした。腹だたしい感情が引くと佐田は妙な寂しさをおぼえました。異国の街の、みすぼらしい安ホテルで夫と妻とが枕をならべて眠っている。もう結婚をして五年以上にもなるのだ。それなのに夫が病気の不安で眼を大きく開けて闇をみつめているのにこいつにはそれが通じない。
こいつは俺の不安そうな動作や視線から、それには気づくこともできない。何もかも理解しあっている筈の五年以上にもなる夫婦。それでこれなのだ。佐田は結婚して初めて夫婦とは一体なんだろう、俺たちは本当に愛しあっていたのかしらん、などとぼんやり闇のなかで眼をしばたたきながら考えるのでした。
「ぼくは再発したのかもしれない」
朝食の時、佐田は珈琲《コーヒー》を茶碗にそそいでそれをグッと飲みほしながら、できるだけ無造作な口調で言いました。
「再発? なにがですの」
「胸」
佐田の妻は小さなナプキンを握っていた手を膝《ひざ》の上におくと、しばらくの間、だまっていました。佐田は部屋の窓に冬の蠅がかすれた音をたててぶつかるのを、じっと聞いていました。
「冗談でしょう」
ナプキンの両端を握っている妻の指に力がはいっているのに佐田は気がつきます。
「ね、冗談ですわね」
「いや」
「どうしたんです。どうして再発したんです」
「再発したとはきまってやしない。したのかもしれんと言ってるんだ」
佐田は言葉少なく巴里に来て以来の体のけだるさ、午後になると肩から左の胸にかけての重くるしい疲労感を妻に説明しました。
「もっともこれだけじゃ胸が悪くなったとは断定できないんだけれど」
「旅づかれだわ。きっと」妻は急に、かすれた声をだして早口に言い始めました。「ねえ、二週間前にあなた荷づくりを沢山なさったでしょう。あれで肩や首がこっているんですわ」
「そうかな」
「そうよ、そうだわ。第一、熱もないじゃありませんか。咳も出ないんでしょう」
それから彼女は自分の考えを自分で信じるように夫の顔をジロジロみまわしました。
「顔色だって、悪くないわ」
だが佐田は妻が一生懸命に彼の健康を主張すればするほどその眼に不安な怯えた翳《かげ》が走るのに気がつきました。
(おやおや、こいつも同じだ。懸命になってこちらの再発を否定しようとしてやがる)
佐田はなぜか可笑《おか》しさがこみあげてきたのでした。自分たち夫婦が再発という不吉な動物に追いかけられて、あちこち逃げまわっている二匹の小鼠のような気がして滑稽だったのです。
そのくせ彼自身もこの細君の言葉をひそかに信じこもうとしていました。彼女の言う通り、自分は咳もなければ、格別、熱も出ていないようだ。鏡を見ても特に痩《や》せたとは思えない。どうして肺病だと断定するのだ。
だが、この時、佐田の心にはなぜ妻が懸命に自分の病気を打消そうとするのかを少し意地わるく想像したい気持がゆっくりと浮びあがってきたのです。
(俺が病気となるとこの旅行もおしまいだからな。それがこいつにはタマらないんだろう。とに角、あれほど望んでいた外国見物なんだから)彼は首をまげて、妻の横顔をひそかに窺《うかが》いました。(だから彼女にしても俺の再発を否定せざるをえんわけだ)
けれども細君はそんな佐田の心の動きに気がつかず、相変らず熱がない、顔色がいいと繰りかえしていました。
この日から佐田の胸にもう一つの新しい漠然とした疑問がひっかかりはじめました。一体細君はこの旅行と彼とどちらを大切に思っているかが佐田にはわからなくなったのです。細君が主人の再発をおそれるのは本当のところ、この旅行を中絶するのがイヤなためではないだろうか。
(もっとも、こいつだって両方を秤《はかり》にかけた時、どちらが大切か気がつかぬほど馬鹿でもないだろうしな)
彼はまずそう考えて安心しようとしました。今までの間、家事にも育児にも文句のつけようがほとんどないほどつとめてきた妻ですから決して悪妻ではない筈です。そして彼女が文字通り、良妻ならばなによりも夫の体のことを第一にするにちがいありません。これが佐田の理屈でした。亭主として自分に都合のいい理屈でした。
ところが佐田はやがてこの理屈が不動のものではないことがわかったのです。
いつまでも自分だけで煩悶《はんもん》していても仕方がないので彼は大使館の館員からこちらに留学している若い日本人の医学生を紹介してもらいました。仏蘭西人の医者のところに行っても言葉が通じないし、それに白人と日本人の体格の違いが誤診を生むのを心配性の彼はおそれたのです。
セーヌ河の河岸にそったベル・シャッス町の下宿屋に大阪出身だというその日本人の若い医学生は自炊をしながら生活していました。埃《ほこり》だらけの机の上には大阪から送られてきた海苔《のり》やツクダニの罐《かん》が医学雑誌の間にころがっていました。
「ぼく本当は臨床内科が専門やないんです。外科なんですけんど」まだ子供子供した表情のその若い医学生は佐田の突然の来訪に困ったような顔色をうかべて弁解しました。
それでも彼は聴診器を耳に入れて佐田の裸の体を診察してくれました。時々、ひとかどの医者のように「大きく息をして」「息を吐いて」などと命令しました。
「こんな方法では結核かどうや、わからんのです。でも胸からはラッセル音がきこえますけどね、必ずしも胸とは言えませんけんどレントゲンを一度かけはったらどうでしょ」
「咳や熱は出ておりませんが」
「結核必ずしも咳や熱を伴うとは限りませんね。まあ、できるんやったらこれ以上の旅行はやめられて、レントゲン受けられるにこしたことないんやがなあ……」
佐田は謝礼のかわりに日本から持ってきたトロロこぶの大きな箱をおいてホテルに戻りました。
部屋のベルを押すと戸をひらいた佐田の妻は扉のノブを両手でしっかり握りしめたまま、蒼《あお》い顔をして彼を見あげました。
「あなた、どうでしたの……」
「はっきり言われなかったけど」佐田は溜息《ためいき》をついて、
「これ以上、旅行はしない方が無難らしいな」
「旅行やめると言うと」彼女は驚いたように声をあげました。「ニースにもマルセイユにも見物に行かないんですか」
「ああ、ニースにもね、マルセイユにもね」佐田は少し残酷な快感を噛《か》みしめながら、「そうだよ。ニースにも、マルセイユにも。イヤかい。イヤだろうなあ」
「仕方ありませんわ」妻は掌をうらがえして指先をじっと見つめながら答えました。「何と言ってもあなたの体が第一ですからねえ……」
しかしこの良妻らしい言葉が彼女の本意ではないことはすぐそのあとの態度でわかりました。五年の結婚生活で佐田は妻が自分の感情と闘わねばならない時、どういう動作をとるか知っていたからです。
スプリングのきかないベッドの上にひっくりかえって天井を眺めている彼の耳には、妻がトランクを引きずる大きな音がきこえてきました。
「どうしたんだ」
「荷物の整理をしてるんです。どうせ、もうマルセイユにもニースにも行かないんでしょ。だから手荷物と船便で送る荷物とだけは今のうち別々にしておいた方がよいと思いますからね」
言葉はおだやかでしたが、その声にはどこか腹だたしさを抑えるような調子がふくまれていました。あれほど期待していた仏蘭西旅行を、自分のせいでもないこんな出来事のために放棄せねばならぬ。その不満を妻は今どこにぶちまけていいのかわからぬようでした。パタンと大きな音をたてて彼女は鞄《かばん》をしめると鍵穴《かぎあな》に鍵を手荒くさしこみ舌うちをして、
「ああ、こんな安物の鍵じゃ、鞄がしまりやしない」
「なんだって?」佐田は少しムッとして声をあげると、
「なんでもありませんよ」妻は強張《こわば》った表情でこちらにむきました。
佐田はこうした表情が二日も三日も続いちゃたまらないという気分に襲われました。相手がはっきりと自分の不満を言葉に出していわずに鞄や鍵に感情をぶちまけているだけに、余計やりきれない気持になりました。
「おい、やっぱり方々を見物しようよ」彼はいらいらしながら吐きだすように言いました、「その方がいいんだ。その方が……」
言い終った時、佐田はああ自分は進んで何かの罠《わな》に足を入れたなと気がつきました。
「いいんですか、そんな無理をなさって」果せるかな細君はふたたび良妻らしく眉の間に心配そうな影をうかべて言ったのです。「あたしは知りませんわよ。もし再発なさったって」
こうして結局、佐田夫婦は汽車にのって予定通り南仏蘭西を廻ることになりました。今や佐田の心にはもう見知らぬ土地、見知らぬ街を見物して歩くという興味も楽しみもほとんど消えうせてしまいました。要するに再発の不安を自分の心に、誤魔化すために、そして妻の不服そうな表情を見たくないために、疲れた体に鞭《むち》うってこの旅を続けているという感じです。なにか義務で、いや義務というよりはやけくその気持で汽車にのったようでした。
巴里からマルセイユに向う汽車は白い雪に覆われた田や畠の中を走っていきました。時々、町や村が通りすぎ、その町や村の真中には必ず教会が建っていました。客室の中の八人掛けのコンパルトマンにはアルジェリアに出征していたらしい兵隊が四、五人と孫娘をつれた山羊《やぎ》のようなお婆さんが腰をかけていましたが、彼等は時々、佐田夫婦を窺うように見つめ、視線が会うと、あわてて眼をそらしました。コンパルトマンの中はスチームの熱と人いきれで息ぐるしく、佐田は屡々《しばしば》、額や首の汗を拭いました。
「大丈夫ですか」と佐田の妻は心配そうにそっと訊ねました。「熱でもあるんじゃないんでしょうね」
だがその細君の言葉を佐田は、昔のように素直に信頼できなくなっていました。そんなに気を使わねばならぬ病人ならなぜ汽車に乗せたんだと言いかえしたくなります。だがそうなじれば細君はこの旅行をきめたのは佐田自身じゃないかと返事するにちがいありません。
(そうだな。たしかに最後にはマルセイユやニースに行こうと言ってしまったのはこの俺だからな)佐田は苦笑しました。(しかし、そう、俺に言わせたのは誰なんだ)
彼は隣の席でさも自分の体を気づかうような言葉を口にする細君を横眼で睨《にら》みました。どんな時でも良妻の立場をつくれる女。だから夫は彼女を非難する方法をみつけられないのです。佐田はなにか不潔なものを感じて席からたち上りました。
絹製品で名高いリヨン、その昔、羅馬《ローマ》を追われた法王の宮殿のあるアヴィニオン、夫婦は予定通り、これらの大きな街や名所旧跡で汽車をおりました。ふしぎなことに、佐田はいつのまにかあの息ぎれや背中の重い鈍痛を感じていなくなっていたのです。こうした健康な状態が四、五日続くと彼自身もあの巴里でひどく不安だったことを忘れてしまいました。彼は妻より先に立ってリヨンの美術館の階段を駆けおりたり、有名なサン・ジャン教会の内陣を歩きまわりました。
アヴィニオンの法王庁を見物している時彼はふと細君の唇にうすい嗤《わら》いがうかんでいるのを発見しました。ふるい法王庁の壁にはめこんだ色《いろ》硝子《ガラス》を通して冬の夕暮の光が床にさしていました。その光を頬にうけた妻は、大股《おおまた》で歩きまわる夫を見ながら、ゆっくりと微笑していたのです。
「なにが、可笑しいんだ」
「いいえ、なにも可笑しくはありませんわ」そう言って妻は横をむきました。
が、佐田には彼女がなぜ笑ったか、わかりました。あれほど再発のことで騒ぎたてたくせに、今、咽喉《のど》もと過ぎれば熱さを忘れるで人一倍元気に歩きまわる夫をひそかに軽蔑《けいべつ》して嘲笑しているにちがいない。小心で大袈裟《おおげさ》な男だと思っているにちがいない。
眼をしばたたきながら佐田は、あまりに早く元気な姿を妻の前で見せてしまった自分が無思慮だったと思いました。けれども同時に自分が元気となったことを悦んでくれる代りに、夕陽のなかで冷笑を唇にうかべた妻にもムッとしました。しかし、それよりも外国に来て以来、いや、この再発の不安が始まって以来、自分たち夫婦が以前とはちがってお互い、お互いの言葉の裏を探りあい始めたのを少し悲しく思いました。
そのくせ佐田は翌日から妻の前では出来るだけ元気な自分の姿を見せないようにしはじめたのです。昨日の妻の頬にうかんだうすい嗤いはまだ彼の頭の何処《どこ》かに小さな刺《とげ》のように残っていました。非常に疲れたとまではいかなくても、いつも、くたびれた表情と口調をつかって彼は妻に接するようにしました。自分の行為があまりに子供っぽいことと重々、わかってはいましたが今はこうするより仕方がなかったのです。
しかし佐田の細君も夫のこの芝居にすぐ気がついたようでした。昨日まで大股で歩きまわっていた夫が今日はノロノロと自分のあとをついてくるし、時々たちどまって右手の脈を調べている。彼女はなにかこのわざとらしい夫の動作がもう面倒臭くなり、彼の行為や溜息をわざと黙殺し無視するようになってしまいました。こうした心理のまま二人はマルセイユからニースを廻ったのです。
こうして再発の不安は夫婦の心の動きにまで影響を与えるようになってしまいました。これはもう佐田の体の問題だけではなくなってしまった。今まで夫の眼からも不平をいうべき理由が別段みあたらぬほど良妻に見えていた妻がこの頃、別の姿で佐田にうつり始めたからです。
彼は今更のようにこの旅行に細君を連れて来るべきではなかったと思いました。もし彼女を連れてこなかったならば、佐田は妻をむかし通り、まずまずそれほど悪くもない女房だと今なお考え続けることもできた筈です。
けれどもそれよりも、佐田は、自分が本当に病気なのか否かで毎日、心をくるしめたり妻と子供っぽい争いを続けるのにくたびれてしまいました。
(えい、いっそのこと、喀血《かつけつ》でもしてくれい。血痰でも出てくれい)
再発なら再発で早くはっきりしてくれた方が自分のためにも、夫婦の気持の上にもどんなにさっぱりするかわからない、巴里を発つ前とは違って佐田はこんなことさえ考えるのでした。
しかし皮肉なことには幾分ヤケクソになった佐田が再発を望むような気持になると、今度は体の方が自覚症状をみせなくなってきたのです。いや、勿論《もちろん》、ある程度の疲労や肩のこりが連発的には襲ってきました。しかし巴里ではほとんど毎日感ぜられた顔や掌の火照りや息ぎれなどは消え去っているのです。
佐田はまるで眼にみえぬものに馬鹿にされているような気がしました。この眼にみえぬものは佐田夫婦にひそかな敵意をいだいていて、再発の不安という心理を通して彼と妻とを愚弄《ぐろう》しつづけてきたのではないか、そう思われたのです。
佐田は苦い気持で妻を連れてマルセイユからニースを廻りました。ここだけは一月だというのにあたたかい陽が白い町にさし、地中海のおだやかな波が町の浜辺にゆっくりとうち寄せていました。その浜辺には卓子《テーブル》さえ、持ちだして避寒客の老人夫婦や女たちが日光浴をたのしんでいました。佐田も妻と一緒にその卓子の一つでマルティーニ酒を飲みました。
「子供に絵葉書を送りますわ」
いつのまにか妻も日本にいた時と同じような良妻賢母の姿勢をとり戻していました。佐田は長い間、自分がこの妻に漠とした空虚感を感じてはいたが、妻であり、子供の母である限りでは信頼していたことを思いだしました。だがその信頼感も今はどこかなくなってしまった、傷がついてしまった。その理由を佐田は考えながら妻が白い指を動かして子供に葉書を書いているのをぼんやり見つめていました。
海岸で日光浴をすると二人は水族館を見物にいきました。水族館といっても、ほんの子供相手の小さな建物で四角い硝子箱にこの近辺でとれるごく平凡な魚類が飼われているだけでした。キャッキャッと叫び声をあげる白人の子供たちにまじって佐田夫婦はそれら硝子箱の一つ一つを見てまわりました。
「来てごらんなさいよ。この魚、周囲の色にあわせて体の色を変えるんですって」
妻によびかけられて佐田が水槽の中を覗《のぞ》きこむと茶色の砂の上に比目魚《ひらめ》によく似た魚がじっと横になっていました。なるほど、その魚は白い砂の部分にのせた体は白くなり、茶褐色の小石にちかい部分はその小石の色そっくりの色になっていました。佐田はその魚を見た時、頭の奥にあるものが何か触発されたようなもどかしい気がしました。しかし何が触発されたのか、その時彼にはまだはっきりしませんでした。
その夜、ホテルでは食事に比目魚が出ました。その比目魚の小さな骨がひっかかったのか、幾度も水をのんでも咽喉に軽い痛みを彼は感じました。
その軽い痛みで佐田は真夜中、眼をさましました。闇のなかに眼をあけていると遠くで波の押しよせるもの憂い音がきこえます。彼は巴里のクレベール街のホテルでもこのようにじっとベッドに横たわっていたことを思いだしました。あの時は波の音の代りに、夜の町のざわめきの名残りをきいたのです。妻は同じようにかすかな寝息をたてて眠っていました。夫婦とは一体なんだろう、赤の他人とどう違うんだろう、巴里の夜と同じようなことを彼はまた考えだしました。
魚の骨がひっかかったような感じがまだ咽喉もとから去らないので佐田は洗面所の灯をつけてコップに水を注ぎました。それから痰を出すように咽喉に溜ったものを洗面台のタイルに吐きました。
赤い血でした。赤い血は蛍光燈の青白い光に照らされて余計に鮮やかにタイルに飛び散っていました。鏡にうつった佐田の顔は蒼黒《あおぐろ》くしかし心の中ではああ前からきまっていたものが来たのだという気持です。
夫が水を流す音で眼をさました妻が声をかけました。
「どうなさったんです、今ごろ」
「血を吐いたんだ」
しばらく佐田の背後では沈黙が続いていました。突然、
「あれほど、あたしが巴里から日本に戻ろうと言ったのに……」かんだかい声がきこえました。「無理をなさって旅行を続けて再発しても知りませんよとあたし申し上げたじゃありませんか」
佐田は洗面所の壁にもたれて眼をつむりました。彼の眼《ま》ぶたの裏に今日の昼間、町の水族館でみた変てこな魚のイメージが浮んできました。なぜか佐田はこの魚と妻とが本質的に同じような気がしました。理由はわかりませんが、佐田にはそう感じられたのでした。ああ、このイメージこそ自分が妻のなかで見たことのない、主婦でもなく子供の母親でもない女の本質なのだと佐田は考えました。
「ああ」彼は力のぬけた声で答えました。
「俺がわるかったのさ」
葡萄
深夜、二時半ごろ立花はきまって浅い眠りから眼を覚すようになった。ねしずまった病院は真黒な闇の塊である。その闇の塊のなかで眼を大きく開いて立花は風の音をきくのである。病室は崖《がけ》の上にあったから、下の窪地《くぼち》から吹きあげる風は笛の音のように鋭く鳴り、風の鋭い音のため余計に闇の黒さが濃くなるのだった。
四日ほど前からこの風声にまじって立花は気味のわるい呻《うめ》き声を耳にした。初めは風と風とがぶつかりあい、病院の建物と建物との間にある電線をならす響きではないかと、寝がえりをうちながらじっと考えたが、やはりそれは人間の呻き声だった。立花は昔、兵隊のころ朝鮮の山奥で狼《おおかみ》の吠える声を聞いたことがあったが、この呻き声も狼の哀しそうな遠吠えのようにいつまでも長く続くのである。長く続いたあと、突然、響きがピタリとやむ。それからまるですすり泣いているような呻きがふたたび始まるのである。
最初は麻酔の切れた手術患者が苦しんでいるのではないかと思った。けれどもこの一週間ほど手術《オペ》はないと聞いていたから、この声が術後の痛みに耐えかねて呻く患者のものでないことは確かだった。一両日は、立花も眼をあけて耳を傾けていたが、三、四日もすると何故《なぜ》か真夜中に眼をさますたびに風の音に交るこの気味のわるい声を聞くのがひどく不愉快になり始めた。
(君だけが病人じゃないんだ。隣近所の迷惑も考えて、少しは慎んだらどうだろう)
勿論《もちろん》、あさになるとその声はぴたりと歇《や》んだ。五月のまぶしい陽の光が病院の庭にさしこんで、新芽をふきだした橡《とちのき》や馬酔木《あしび》の樹がキラキラと光った。特に馬酔木は今、しろい小さな花をつけ始めた時だった。その白い花の下で白い看護婦にかこまれた二階の結核病棟の軽症患者たちが散歩をしていた。
立花の病室には二つ窓があった。西側の窓は夕暮になると西陽がさしこんだ。これでは夏の夕暮は苦しいだろうと彼は窓に寄りかかりながら考えた。するとこの窓の隣の窓に葉の茶色く枯れかけたゴムの植木鉢がおいてあって、その裏で一人の中年の男の患者がタオルを首にまいたまま、じっと横たわっているのがみえた。男の顔色はひどく蒼黒《あおぐろ》く、不精髭《ぶしようひげ》があごのあたりに伸びていた。立花はあわてて黙礼をすると窓の前から離れた。
例の気味のわるい呻き声はそれからも毎夜きこえた。もちろん、それは中年の男の住んでいる西側の隣室から洩れてくるのではなかった。それは立花の病室からずっと離れた廊下の突き当りの方角からひびいてくるのである。立花でさえ気がついているのに、他の患者たちが知らない筈はない。知っていてみんなは何故だまっているのだろう。
「あのね、眠れないんですよ」彼はある朝、検温にきた看護婦に不平を言った。「他の人たち、文句を言わないのかな」
「困りましたねえ……」
看護婦は眼鏡の奥で眼をそらすと、指につまんだ検温器を桃色の液体のはいった消毒器に入れただけだった。
「手術をした人ですか」
「じゃ、ないんですけど……」
「あの声、どうしたんです」
気の弱そうな微笑をうかべて看護婦は眼をしばたたいた。立花がやっと黙ったので、救われたように彼女は部屋を出ていった。
立花だって病院内では患者の病症を看護婦が他人に口軽にしゃべってはいけぬ規則があることぐらい、知っていた。知ってはいたが、こちらがそのために夜の眠りが妨げられると言っているのに黙っているのは奇怪だった。何かをかくしていることはうすうす感ぜられた。
病院では火曜日が入浴日ときまっていた。重症患者は勿論、看護婦から体をふいてもらうが、そうでない病人は病状の程度で外湯を使うか浴槽に入れるかが医師によってきめられていた。
立花はその火曜日、一人の老患者と浴室で一緒になったので、何気なくあの声をきかないかと訊《たず》ねてみた。洗い場の隅にしゃがんだ老人の四肢《しし》は枯木のように細く、体を手ぬぐいでゆっくりとこするたびに肋骨《ろつこつ》が一本一本染みのついた胸から浮きでる。立花がなにを話しかけても首をふるか頷《うなず》くだけだったが、この質問にも老人は聞えないのか、返事をしたくないのか黙っているのである。
「お爺さん。お爺さんは知らないのかねえ」立花も執拗《しつよう》にくりかえした。「随分、気味わるい声なんだよ……」
しかし老人は口の中で何かをもぐもぐと呟《つぶや》いただけだった。頭の奥に腫物《はれもの》ができてそれを近いうちに抉《えぐ》りとらねばならぬという彼は他人のことより近いうちに行われる自分の手術のことをぼんやり考えているらしかった。
ある日中庭の馬酔木の真白な花が雨にぬれた。まだ梅雨には程遠いというのに霧のような雨が降る日が多かった。その雨が時々晴れると雲の間からあかるい光が樹木の枝や葉にキラキラと反射して一雨ごとに樹のみどりが濃くなっていくのが手にとるようにわかるのである。
外の風景に幾分でもこうした変化があるのが無聊《ぶりよう》な立花の療養生活にわずかな慰めを与えた。彼はわざと西側の窓をできるだけあけないようにしていた。それは隣室の患者をぬすみ見る無礼を避けるためでもあったが、それよりも、窓ぎわに茶色く枯れたゴムの植木鉢と、その背後にいつも同じ姿勢で横になっている中年の男を眺めたくないからだった。仰むけに天井を向いて、その顔色のひどく蒼黒い男は生ける屍《しかばね》のように動かなかった。二、三匹の蠅がその上を飛びまわっているのもわかった。そして彼の不精髭は今まで一度もそられたことがなかった。この中年男の顔や仰むけになったまま一週間も二週間も動かぬ姿勢が立花の心をくるしくさせるのである。
一方、夜になるとあの吠えるような声は風の音にまじってやはり彼の耳にきこえてきた。時にはすすり泣くような長い呻きに変ることもある。立花は心の中でいつのまにかその声の持主と隣室の中年男とを結びあわせていた。昼間は身じろがぬだけに、昼間中に耐えた苦痛を夜、思いきり吐きだしているような気がしたのである。
しかし勿論、あの声の患者が隣室に住んでいる筈はなかった。一度など立花は闇の中をベッドからすべりおりて西側の窓からそっと覗《のぞ》いてみたことがある。中年男の病室の窓はそこだけほの白い四角な輪郭で浮びあがっているが、その周りは風が黒い闇の塊を集めて吹きつけるようだった。眼にはみえなくてもあの男が昼と同じように仰むけになったまま身じろぎもしていないことがわかるのである。
「ええ、隣の患者さんかねえ……」
ある日、彼は病室に病院付の散髪屋をよんで髪を切ってもらっていた。
「谷口さんのことでしょ。あの人は三階の大部屋にいたんだがね。この前から個室に移ったんですよ」
頭の禿《は》げた肥った散髪屋は鋏《はさみ》を動かしながら立花がなに気なく聞いた隣室の患者のことをうっかりと口に出した。立花はただ夏には西陽があの部屋に当るのではないかと誘い水を入れたに過ぎなかったのである。
「個室に……」
立花はふとある事に気がついた。今まで大部屋にいたのが手術でもないのに態々《わざわざ》、個室に移された理由をあの蒼黒い、不精髭ののびた顔と結びあわせて考えたのである。
「そんなに悪化したの」
「うん。白血病だからね。あの病気は歯ぐきから血が出るともう駄目なんだってねえ……」
「歯ぐきから血が出ているの」
「いや、そこまでは行ってないんでしょう、まだ。だから個室に入れて出来るだけ安静にさせて治療するわけなんでしょう」
立花の指はいつの間にか彼の口のあたりをなでていた。白血病というのは実質のない白血球の数が無やみに増加することだとは勿論知っていた。しかしそれは必ずしも不治の病気ではなかった。
「悪いといえば、廊下の奥のあの患者さん、あの人も悪いらしいな」
散髪屋は鋏をやめて鏡の中の立花の顔をじっと窺《うかが》って、
「知ってるんですか」
「知ってるよ」立花は首にまいた白布を内側から指で動かしながら答えた。「あんなに毎晩、呻くんだもの」
「へえ、そんなに呻くんですか」
「ああ」
「やっぱりねえ。当人が医者だから自分の病名を知っているだけ余計いけないんだそうですよ。結婚してね、町で開業したと思ったら癌《がん》にかかったんだからな。若いでしょう、アッと言う間に癌細胞が体中に拡がったらしいね」
立花がもう口を噤《つぐ》んでいるにかかわらず、散髪屋は鋏の音を軽くたてながらしゃべり続けた。もう手術も間に合わぬ。最も新しい薬を使っているが、容赦なく細胞は体中にひろがっていく。
「痛いんだってねえ、癌は。その人も三十分おきに麻薬を打ってもらうんだそうだけど……波みたいに痛みが押しよせてベッドに寝てられねえそうだ」
真黒な闇の塊のなかで眼を大きく開きながら立花は下の窪地から吹きあげてくる風の音と、それにまじる「彼」の呻き声をじっときいていた。
立花は勿論「彼」の名前も、その顔も知らなかった。知っているのは「彼」が三十三歳の男で結婚をしたばかりの若い医者であり若い頑健な体だっただけに癌細胞の転移は肺に拡がったこと、そしてこの病院でももう手術も諦《あきら》め、今は抗生物質の注射をうっているがそれも気やすめにすぎぬこと――つまり死が彼を今、確実に正確に蝕《むしば》みつつあることだけだった。
しかし立花はこの闇の中でその跡切れ跡切れの呻き声に耳を傾けながらその患者の言葉なぞには言えぬ恐怖が足の裏から伝わってくるのを感じた。彼は寝台の上に起きなおり、毛布をたたんでその上に正座した。
残酷なことはその患者は医者であるために自分の病気をはっきりと見ぬいていることだった。そして病魔が今、自分の内臓のどこまでを侵蝕《しんしよく》しているかまで正確につかむ怖《おそ》ろしい知識をも持っていることだった。
「だから、いつも自分で鏡をつかって瞳孔を毎朝、調べるんだそうですよ。そして今日はまだ死なないなんて……看護婦にそう言うそうですよ」
散髪屋がしゃべったそんな話もまだ立花の耳の奥に鋭く突きささっていた。闇の中で彼は首をふりながら、その話を追い払おうと試みた。
風がやむと呻き声も少しはやんだ。そしてふたたび呻き声が始まるとまるでそれに促されたようにあの不吉な風が窪地から笛のような音をたてて押しよせてくるのである。
(俺がもし彼だったなら、本当にどうするだろう……)と立花は思った。(この風の音をききながら、自分があと二週間もしないうちに確実に死ぬことを考えているのだ)
スリッパをひっかけると立花は東側の窓に近づいて顔を窓《まど》硝子《ガラス》に押しあてた。夜はまだまだ長く、空は白んではいなかった。白むかわりに炎のようなほのかな赤黒い光が空の一部分を彩っている。あれは銀座や新橋のネオンの反射にちがいなかった。そして二カ月前、立花もまたその光の下で友人や女たちと酒を飲んでいたのである。彼はAやBやCなどが今ごろ、同じようにあの地下室を降りたり、狭い階段を登って扉をあけ女たちに迎えられているのだろうと考えた。「いらっしゃいませ。お待ちしてたのよ」そして有楽町のホームに風が古い新聞紙をくるくると吹き動かし、拡声器からもの悲しい声がながれ、一日の仕事でつかれ果てたサラリーマンをのせた国鉄電車がゆっくりと滑りこむのである。Bは女の子をつかまえてタンゴをおどり、女の子は立花やCにむかって「あなた、おどらない」「いや、おどらない。まだ酔っていないからな」
立花は窓を離れてふたたび凹《へこ》んだベッドの上に正座をした。ベッドの上には先ほどの彼の体温がまだ残っていた。
(頑張れよ。生きろ。頑張るんだ)
呻き声が跡切れ、はじまり、跡切れ、はじまるごとに正座したまま彼は祈りのようにこの言葉を心のなかで繰りかえす。まるで自分が脂汗にまみれながらその病魔と闘っているような気持である。部屋のなかに少しずつ朝がたの白い冷気がしのびこんでくる。立花は自分がまるで、見たこともない、顔も名前も知らないその患者の身内のような気がしたのである。しかし彼は自分が祈りのような言葉を心で繰りかえす以外、なにもできぬのが哀しかった。
「何とか助けてやれないのかしらん。治療の方法はないの」
検温に来た看護婦に立花は哀願するように言った。
「できる限りのことは先生がたもやっていられるんですよ」
看護婦は眼鏡の奥で眼をしばたたきながら呟いた。彼女が決してウソをついているのでないことは確かだった。あの患者には癌に対抗するすべての抗生物質が使用されたろうが、もう病勢を食いとめるわけにはいかぬらしかった。
「あたしだって、困っちゃう……」
看護婦はふっと溜息《ためいき》をついた。白衣をつけた職業的な顔やかたい縁なし眼鏡の奥にはじめて女らしい表情がうかんだ。
「死ぬことがわかっている患者さんをどう慰めていいかわからないんです。あたしはあの人にこう言ったんです、結核だって十五年前は不治だったけど、今じゃ薬も手術もできて治る病気になってしまったでしょう。それと同じにひょっとして、明日、癌を治す薬が発見されるかもしれないって……」
「うん」
「だから、明日まで生きて下さい。明日まで生きて下さいって……そう、言ってるんです……」
そうか……と立花は唾を飲んだ。せめて明日まで生きてくれ。そういう慰め方をもし、自分が何時《いつ》の日か言われたら、どんな気持だろう。いっそ安楽に死ねる注射をうってくれと頼まないだろうか。
「ねえ……」彼はもう一度唾を飲みながら言った。「あの人に安楽に死ぬ注射をしてやってはいけないの。どうせ遅かれ早かれ一週間後は死ぬ人なのだろう。無駄に苦痛をなぜ与えるんだ。それくらいなら、たった一本の注射で……」
言ってしまってさすがに彼はハッとした。自分がなにか怖ろしいことを口ばしったような気がしたからである。
「いけません」看護婦は鋭く口走った。「禁じられてるんです。いけないことになっているんです」
看護婦はそれから二カ月前、この病院の産科で起った出来ごとを教えてくれた。一人の赤ん坊が生れた。母体から出てきたこの子は仮死状態だったが、それよりも手も脚も全くないまるい体だけの畸形児《きけいじ》だったのである。この体では生涯義手も義足もつけられないし、石のように何十年間も横になっているほかはない。そんな余りに残酷な運命がこの子供に背負わされていた。そんな場合だって安楽死の注射は打ってはいけなかったのである。
「なぜさ。法律が禁じているからなの……」
「法律だけじゃないんです、あなたがその子の親だったら許さないでしょ」
看護婦はそう言って彼の顔をじっと覗きこんだ。立花は唇をキッとかみしめて頷いた。看護婦が出ていったあと、彼は自分をひどく無神経な、心のひからびた男だと思う。
(なんという思いやりのないことを言ったんだよ、お前は。注射で安楽に死なせてやれなんて)
もし自分があの闇のなかで呻いている若い癌患者の身内だったら、そんなことを申込めたろうか。自分はあの男の苦しみに同情しているように思っていたが、本当の愛情とはこんなものじゃないのだ。自分がただあの死を目前にひかえた声をきくのがイヤなため、あの声から耳をふさぎたいためにベッドの上で正座していたにすぎなかったことに気づいたのである。けれども、もう助からぬだけでなく、麻酔の注射さえ効かぬ苦痛を味わっている男をこれ以上、苦しみ続けさせている……自分が身内の一人だったら、やはりそれにも耐えられないような気がしたのだった。
一週間たったが「彼」の呻き声は毎夜、毎夜つづいた。今度は立花にとって、その声を聞くのが、むしろ待遠しい感じにさえなる時もあった。待遠しいといっては語弊があるが、深夜、例によって浅い眠りからふと眼がさめて、笛のような音をたてて窪地から吹く風の音以外、なにも聞えぬ時、彼はじっと耳をかたむけてあの呻き声を待つのだった。どうかすると、その声がいつまでも掴《つか》めない時がある。そんな時、
(死んだか)
思わずハッとするのである、だがハッとした直後に、やはり風声に遠くなり近くなりながら「彼」の声がまじったのがわかると、やはりなぜか安心するのだった。
けれども立花は「彼」の病状については看護婦に根ほり葉ほり問いただして知っていた。肺癌に特有な血痰《けつたん》の量は一カ月ほど前から急激にふえたし、この胸痛は初めのチクチクとする感じから、激烈な苦痛にまでふかまっていた。特にこの患者にとっていけないのは骨髄腫《こつずいしゆ》という骨の癌が同時に発生したことだった。この二週間以来、肺の半分ほどは癌細胞に犯されてしまったし、骨髄腫のひろがりもひどかった。普通の患者ならもはや死んでしまっている状態である。それなのに「彼」はまだ、まるで手足と尾を切られた蜥蜴《とかげ》のように生き続けているのだ。
中庭の樹木はこのところ、益々そのみどり色を濃くしていった。路に落ちるそれらの樹木の影も日ごとに強く濃くなる。夏の近づきがその影や光で眼にみえてわかるのである。
隣の病室では相変らず枯れたゴムの植木鉢を窓ぎわにおいて、その背後で例の中年の男がじっと天井を見あげて動かなかった。立花はなぜこの男がすっかり茶色く枯れてしまったゴムの植木鉢を何時までも窓ぎわにおいておくのかわからなかった。別に陽をさえぎってくれるわけでもない。鉢だけでも別に棄てて惜しいという物でもない筈だ。それなのに男は例の蒼黒い不精髭ののびた顔をじっと仰むけにして一日中、身じろがぬのである。
ところがこの二、三日、彼のそばに一人の女が来て、床にひざまずくようにして病人の手を握っているのを、時々、眼にした。その態度や服装からみて女はどうやら病人の細君らしかった。背のひくい、顔の丸い、まだどこか娘々した若さが残っている女だった。
ある日、立花が洗面所の奥で腕を手ぬぐいで拭っていると、窓の下でその女と看護婦とがしゃがみながら話しているのが見えた。洗面所の窓の下には貧弱な花壇がつくられていて花壇には向日葵《ひまわり》が少しだけ成長していた。
「言えない……」
「言えないでしょうねえ……」
「先生は知らせたら、とおっしゃるけど……」
「御主人うすうすと知ってられるの」
「この間、一度だけ歯ぐきから血が出たでしょう。それ以来、考えこんでいるんです」
看護婦は頷いたまま、しばらく灰色になった白靴で地面を蹴《け》って黙っていた。そして彼女がたち去ったあとその若い細君はしゃがんだまま、じっと向日葵の葉を凝視していた。
歯ぐきから血が出るということは白血病ではもう最後の段階らしかった。立花は暗澹《あんたん》とした気持で洗面所から離れた。
西側の窓をあけるのは死を運命づけられたあの中年の患者に礼を失した行為だとは思ったが、その日から立花は思わず自分の視線がそちらに向うのをどうすることもできなかった。彼は昼はその中年の男の心を考え、夜は夜で闇の塊のなかで癌と死の恐怖に呻く青年の声をきかねばならなかった。
西陽のあたった窓に茶褐色に枯れたゴムの植木鉢の背後で相変らず顔色の蒼黒い中年男は天井を向いていたが、そのそばで彼の細君がかがむようにしてその寝顔を覗きこんでいる。その細君の小さな背中が男に何かを言おうとして、何も言いだせないつらい気持をいっぱいに表現していた。近頃急に暑くなった西陽の赫《かがや》きを通して立花は彼女の苦しみを噛《か》みしめた。
細君は夫の手を握っていた。たがいに手を握る以外に一組の夫婦が間もなく訪れてくる別離にどうすることもできない――この黄昏《たそがれ》の小さな光景は辛かった。
立花はベッドの上にうつ伏せになって(もう止《よ》せ。もう止せ)と小声で呟いた。神というものがあるならば、その神にもう止せと言いたかったのである。しかしこの西陽のあたる西側の小さな窓のような光景は夜になるとほのかな赤黒い光を反射している街の到るところにあるにちがいなかった。その時、夫婦とか、愛しあっている人間はあの夫婦のようにただ手を握りあうことしかできないのだろうか。
「でも手を握ってあげるだけで違うのよ」と看護婦は長い彼女の看護の経験を話しはじめた。
「あたしたちはよく手術中に声を上げて苦しんでいる患者にどうすることもできない時なぞただ手だけを握ってあげるんです。そんな時大きな男の患者さんまでが、静かになることがあるんです」
「手を握るだけで?」
「ええ、手を握ってあげるだけで……掌と掌を通して、あたしたちが一緒にいるっていう気になるんでしょうか……」
人間の心には連帯へのどうしようもない欲求がある。我々の苦痛のなかにはたんに肉体の苦痛だけではないものが同時にふくまれている。自分一人がくるしまねばならぬ孤独感、自分一人だけが苦痛を味わっているくるしさ……それが掌を握られるだけで鎮まっていく。中年の男の掌を細君が握っているのはそのためなのだ。嵐に襲われながら身をすりよせる二羽の小禽《ことり》のように西側の窓からみえる夫婦は死に手を握ることで抵抗していたのである。
立花は自分がやがて恢復《かいふく》する日のことを想像した。自分はふたたび、あの夜のネオンの街で友だちや女たちと暗い地下室のような酒場に行くだろうか。勿論、行くにちがいない。生活はそんなに易しくはないし働かねばならぬからだ。しかし、この西陽のあたる小さな窓の光景は、琥珀色《こはくいろ》の液体を飲んでいても、他の思い出と同じように急に浮びあがってくるにちがいない、あるいはまた、たとえば崖の上や陸橋の上からたち並ぶ家々やそこに住む人間の生活を見おろす時など、ふと心を痛く辛くかすめるにちがいないと思った。
立花には一日、一日の経つのが随分ながく感ぜられるようになりはじめた。それはもう死が決定的になっている二人の患者が今日も生き続けているせいらしかった。彼自身はその二人の人間とやがてくるその二つの死の傍観者にすぎないだろうが、しかし夜が白むたび、朝のうすあかりが病室の窓を白くそめるたび、ああ昨夜もまだ死なないでくれた――そう思うのだった。一日が暮れるのがひどく長く、一日がすぎるのがひどく時間のかかるのもそのためなのである。
「昨夜、あたしも怖ろしかったですわ」
看護婦がそんな朝、脈をとったあと話しはじめた。
「昨夜、不寝《ねずの》番《ばん》だったでしょう。午前二時ごろだったかしら、廊下をあるいていたらあの癌の人の部屋があいているの。中を覗いたらあの患者さん、窓をあけて、乗り出すようにしてるんです」
「よく窓まで行けたね」
「這《は》うようにして壁をつたいながら行ったんですわ。あたしを見ると、こんなに苦しむなら、いっそ今、死にたいと言って……」
「彼を夜、一人にしてやってはいけない」と立花は言った。「だれか手を握ってやる人が必要だ」
「あたしもそう思ってます」看護婦は頷いた。「あたしたちも今夜から当番の人が夜中十分でも二十分でもあの人の横にいてあげることにきめましたわ」
その夜、いつものように深夜、眼をさますと、風は同じように音をたてて吹いていた。呻き声はやはり跡切れ跡切れにきこえている。その声に耳を傾けながら彼はふたたび浅い眠りに引きこまれていった。
突然、バサッと、何か鈍い物体のぶつかるような音がひびいた。それっきりでふたたび風のうなりが闇をふかくするのである。
(やったな)
立花は寝台からはね起きた。はね起きたが彼は窓をあける勇気がなぜか、とてもなかった。西側の窓から月の白い光が隣室にうつっている影がのぞきみえた。その音に当直の看護婦が気がつかなかったのかと耳をしばらく澄ませたが、深夜の病院のなかは何時までもひっそりとしているだけだった。
立花が次に眼をさました時、まぶしい朝の陽が病室の隅々までさしこんでいた。彼はこわごわと窓の向うに眼をやったが、変った気配はひとつもなく、中庭の馬酔木の白い花が匂うばかりに咲いているのである。それから廊下で一日の活動をはじめる掃除の人々らしい足音がきこえてきた。立花は便所にいこうとして病室の戸をあけた時、壁にもたれてすすりないている隣室の若い細君と、その肩に手をおいている看護婦の姿が眼にはいった。
(癌の男ではなくて……あの中年の人が死んだのか……)
やっと気がついた彼は眼を伏せて二人の前を横切った。病院は平生と少しも変りなかった。廊下には消毒薬の臭いがただよっているし窓からは五月の光の束がながれこんできている。そして売店の前で入院患者のための果物屋が、果物の木箱を開いている。彼はそこで一房のマスカットを部屋に届けてくれるように頼んだ。
「息を引きとられたのだね」と病室に戻った彼は食事を運んできてくれた看護婦に小声で言った。
「ええ」
看護婦は不機嫌に答えると眼鏡の奥で眼をそらした。
彼は運ばれてきたみどり色の葡萄を掌の上にのせた。一人の人間が死んだその朝、この一房の葡萄はあまりに透き通り、あまりに柔らかかった。彼は自分の背中の向うで……そう、あの西側の窓でだれかがカーテンを引く音を、じっと我慢しながら聞いていた。
この作品は昭和四十七年三月新潮文庫版が刊行された。