フルメタル・パニック!
悩んでられない八方塞がり?
賀東招二
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)影武者《かげむしゃ》のショウビズ
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)補助|魔法《まほう》なくしては
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)黒いギターケース[#「ギターケース」に傍点]を
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[#挿絵(img2/s08_000.jpg)入る]
[#挿絵(img2/s08_000a.jpg)入る]
[#挿絵(img2/s08_000b.jpg)入る]
[#挿絵(img2/s08_000c.jpg)入る]
目 次
約束のバーチャル(前編)
約束のバーチャル(後編)
影武者《かげむしゃ》のショウビズ
対立のフェスティバル
愛憎《あいぞう》のフェスティバル
あとがき
[#改丁]
約束のバーチャル(前編)
[#改ページ]
神聖《しんせい》ラブーン王国の辺境《へんきょう》、城塞都市《じょうさいとし》ピークニィのそばにある森林地帯。
そこは邪悪《じゃあく》な魔族《まぞく》が支配《しはい》する一帯であり、古くからたそがれの森≠ニ呼ばれていた。草深い森に差し込む光は、いついかなる時であろうと、暗い琥珀《こはく》の日差し――陰鬱《いんうつ》なたそがれの色をたたえているのだ。
貴重《きちょう》な交易品《こうえきひん》を東方から運んでくる商人たちも、魔族の襲撃《しゅうげき》をおそれ、決してその地帯には足を踏《ふ》み入れようとしない。そして無分別《むふんべつ》にもたそがれの森≠ノ踏み込んだ者どもが、闇《やみ》の眷属《けんぞく》による残虐《ざんぎゃく》な武具《ぶぐ》や、忌《い》まわしい呪《のろ》いの犠牲者《ぎせいしゃ》となることは、まさしく連日のことであった。
その呪われた森に、魔導師《まどうし》ザマとその仲間たちはいた。
「……というわけで、張《は》り切っていきましょう(^^)」[#「「……というわけで、張り切っていきましょう(^^)」」は太字]
一行のリーダーである魔導師ザマは、同行する三人の仲間に向かって言った。オーソドックスな顔文字もつけて。
「うーいw」[#「「うーいw」」は太字]
と、前衛《ぜんえい》を務《つと》める甲冑《かっちゅう》の騎士《きし》が答えた。
彼が身につけた黒い板金鎧《ばんきんよろい》には流麗《りゅうれい》な紋様《もんよう》が施《ほどこ》されており、金色の光をうっすらと発している。この光を発する鎧は、いくばくかの攻撃力《こうげきりょく》の減少《げんしょう》と引き換《か》えに、着用者に比類《ひるい》なき防御力《ぼうぎょりょく》を与《あた》えるものだった。至難《しなん》をきわめる探索《クエスト》の末にやっと入手できるような材料を大量にたずさえ、熟練《じゅくれん》した鍛冶屋《かじや》に大金を支払《しはら》うことによってのみ完成する、きわめてレアな逸品《いっぴん》である。
「おk。逝《い》かない程度《ていど》にがんばりますwwww」[#「「おk。逝かない程度にがんばりますwwww」」は太字]
と、攻撃力を重視《じゅうし》した格闘家《かくとうか》が言った。
彼の拳《こぶし》には、ほの暗い炎《ほのお》をまとったグローブがはめられている。大陸東方に位置する悪名高きダンジョン、『カーメイの洞窟《どうくつ》』に潜《ひそ》む狂暴《きょうぼう》な二つの炎の精霊《せいれい》、タイコンとデロガを退治《たいじ》することによってのみ入手できる、強力な火炎属性《かえんぞくせい》の魔法武器だ。
「はい☆ 回復《かいふく》と補助《ほじょ》はまかせてくださいねー(^^)b」[#「「はい☆ 回復と補助はまかせてくださいねー(^^)b」」は太字]
と、神官の少女が言った。
大地母神ミリアスの聖《せい》なる力を授《さず》かった癒《いや》し手である彼女は、くるりとその身を翻《ひるがえ》し、手にしたクリスタルの杖《スタッフ》を天へとかざした。使用者のマナ・パワー――精神と意志の力を増幅《ぞうふく》させる機能《きのう》を持つその杖《つえ》が、ひときわまばゆい光を発し、仲間の冒険者《ぼうけんしゃ》たちに祝福《しゅくふく》の補助魔法をほどこしていく。
攻撃力。防御力。移動《いどう》速度。回復力。特殊《とくしゅ》攻撃への耐性《たいせい》。毒《どく》攻撃への耐性。
空中に浮《う》かんだ、数々の神秘的な紋章《もんしょう》が円を描《えが》き、パーティメンバーの体に定着《ていちゃく》していった。彼女の補助|魔法《まほう》なくしては、メンバーの戦力は大幅《おおはば》に下がってしまうのだ。
「はい、OKです^^」[#「「はい、OKです^^」」は太字]
少女が告げると、冒険者たちは口々に丁重《ていちょう》な礼の言葉を述《の》べた。
[#ここから太字]
「あり^^」
「BUFFあり^^」
「ばふぁりんw」
[#ここで太字終わり]
重装備《じゅうそうび》の騎士はその場で膝《ひざ》を折《お》り、少女への感謝《かんしゃ》を示すポーズをとる。
[#ここから太字]
「どういたしまして。ささやかですけど……^^; わたしレベル足りなくて補助弱いから、これでいけるかどうか自信なくて……」
「そんなことないですよー><b」
[#ここで太字終わり]
と、騎士が言った。
「シアさんいなかったら、俺《おれ》ら、ここまで来る前にまず逝ってるしw」[#「「シアさんいなかったら、俺ら、ここまで来る前にまず逝ってるしw」」は太字]
と、格闘家が言った。
「まあ、そういうことだね」[#「「まあ、そういうことだね」」は太字]
魔導士ザマはパーティメンバーの状態《じょうたい》をざっとチェックしてから言った。正直に言えばこんな狩場《かりば》、自分ひとりでも楽勝なのだが、そこはそれ、自慢《じまん》めいた発言は控《ひか》えめにしておくにこしたことはない。
[#ここから太字]
「この一帯《いったい》は複雑《ふくざつ》にリンクする|MOB《モンスター》多いし、けっこう高レベルでも全滅《ぜんめつ》することあるんだよ、専業《せんぎょう》のヒーラーがいないとねえ」
「そ、そうなんですか……;;」
[#ここで太字終わり]
にわかにプレッシャーを感じたらしく、神官の少女は身をひきしめる。
[#ここから太字]
「ああ、大丈夫《だいじょうぶ》大丈夫。いざとなったら、ちゃんとフォローできると思うから。これまで通りに気楽にやろうね^^」
「はい^^」
[#ここで太字終わり]
少女はにっこりとして小首をかしげてから、こう付け加えた。
「でもでも、まずくなったら早めに教えてくださいね。わたし、トロくって……」[#「「でもでも、まずくなったら早めに教えてくださいね。わたし、トロくって……」」は太字]
作り物の仕草《しぐさ》とはいえ、その神官の少女――シアの物腰《ものごし》はどこまでも可憐《かれん》でたおやかだった。愛らしい丸みを帯《お》びた輪郭《りんかく》に、すこしたれ気味《ぎみ》の優《やさ》しい瞳《ひとみ》。波打つようなブロンドを、ていねいな三つ編《あ》みに結《ゆ》わえている。
「じゃ、とにかkいこうか」[#「「じゃ、とにかkいこうか」」は太字]
シアに見とれていたザマは、ついついあせってタイプミスしてしまう。
[#ここから太字]
「みす;;」
「あははw」
[#ここで太字終わり]
神官の少女は快活《かいかつ》に笑った。
四人はたそがれの森≠フ探索《たんさく》をはじめた。
戦闘《せんとう》に不慣《ふな》れなシアのフォローを、ザマはそつなくこなしてやる。防御系の魔法を展開してから、広範囲《こうはんい》の攻撃魔法でタイミングよく敵の体力を削《けず》り、仲間の仕事をやりやすくしてやった。
シアがあたふたと敵に追い回されていたので、『光の矢』――基本的《きほんてき》な単独攻撃の魔法――で適度《てきど》なダメージを与えてやる。大型のモンスターは標的《ひょうてき》をシアからザマに向け、一直線に彼へと襲《おそ》いかかった。続けて敵の足を遅《おそ》くする効果《こうか》もある風の魔法。とどめにもう一度光の矢。断末魔《だんまつま》の悲鳴《ひめい》をあげ、敵は粉々《こなごな》に砕《くだ》け散《ち》っていった。
[#ここから太字]
「助かりました〜><」
「いえいえ」
[#ここで太字終わり]
本来なら前衛《ぜんえい》の騎士が敵をひきつける役割《やくわり》なのだが、その騎士は他の敵との戦闘に夢中《むちゅう》でシアのピンチに気付いていなかった。
「ザマさんって、すごく頼《たよ》りになります^^ すごくテキパキ動けるし、あんな強い敵でも軽くやっつけちゃうなんて」[#「「ザマさんって、すごく頼りになります^^ すごくテキパキ動けるし、あんな強い敵でも軽くやっつけちゃうなんて」」は太字]
比較的《ひかくてき》に名の知られた魔導師であるザマにとって、この程度のことはわけもないのだが、正直、悪い気もしなかった。
[#ここから太字]
「シアさんも普通《ふつう》にプレイしてれば、けっこういいセン行くと思いますよ」
「ホントですかー? がんばりますー!」
[#ここで太字終わり]
うら若き神官の少女は、軽いステップを踏《ふ》んでからくすくすと笑った。その仕草がまた、たまらなくいとおしい。
その気になれば、自分で新たに同じ容貌《ようぼう》のキャラを作るのはわけもないことだし、実際《じっさい》、シアと同じ姿《すがた》のキャラはこの世界のどこにでもいる。だがなぜかザマには、彼女だけが特別な仕様《しよう》で作られた世界で唯一《ゆいいつ》の美少女のように思えてならなかった。
いけないよなあ、とザマは思う。
ゲームはゲーム。リアルはリアル。その辺を切り離《はな》して考えないと、かんちがいした痛い人だと思われてしまう。だというのに、彼はシアに心ひかれてしまうのを止めようがないのだ。
そこに、新たな敵の奇襲《きしゅう》があった。
今度はモンスターだけではなかった。高性能の鎧《よろい》や武器を装備《そうび》した、人間とおぼしきキャラクターが敵に随伴《ずいはん》している。何人かの戦士だった。もっとも強力で狡猾《こうかつ》で、どう動くか予測困難《よそくこんなん》な敵――プレイヤーが操《あやつ》るキャラクターである。
何千人というプレイヤーが同時に参加《さんか》しているこのゲームでは、プレイヤー同士が戦って殺しあうことができるようになっている。武器や装備、お金を奪《うば》って強盗《ごうとう》をすることもできるし、場合によっては倒《たお》したプレイヤーの身柄《みがら》を拘束《こうそく》することさえできるのだ。一般《いっぱん》プレイヤーから忌《い》み嫌《きら》われるPK、すなわち『プレイヤーキラー』の襲撃《しゅうげき》である!
「やば」[#「「やば」」は太字]
警告《けいこく》する間もなかった。
ザマたちのパーティは思わぬ方向から麻痺《まひ》の魔法を喰らい、二人の前衛が抵抗《ていこう》に失敗した。麻痺状態からの回復ができるのは、初心者のシアだけで、まずいことに彼女は操作に慣《な》れてなかった。
「落ち着いて! メニューを呼び出して、回復系を選択《せんたく》して。Anti-Paralysis=Bわかる? それを選んで――」[#「「落ち着いて! メニューを呼び出して、回復系を選択して。Anti-Paralysis=Bわかる? それを選んで――」」は太字]
ショートカットと超人的《ちょうじんてき》なキータイプを組み合わせて助言《じょげん》しながら、ザマは敵から仲間を守ろうとした。しかし襲撃者は強大であった。
「無駄《むだ》よ無駄よ無駄よ!」[#「「無駄よ無駄よ無駄よ!」」は太字]
爆炎《ばくえん》と共にボンデージ姿の女魔導師が出現し、高笑いした。ナイスバディのお姉さんだが、あくまでCGである。
[#ここから太字]
「この大魔王ヨーコの力の前には、あなたたちヌルゲーマーのキャラなど、署長《しょちょう》の前の巡査《じゅんさ》も同然! 机《つくえ》仕事の憂《う》さ晴《ば》らしに、そこの小娘《こむすめ》をもらっていくわ!」
[#ここで太字終わり]
大魔王を自称《じしょう》するヨーコ≠ニやらは、えらく高レベルの魔法――強制《ギアス》≠何度も使って、シアの操作系を奪ってしまった。
[#ここから太字]
「ああっ。ザマさん。動けません。助けてください」
「シア!? くそっ、そうはさせるか!」
[#ここで太字終わり]
ためらっている余裕《よゆう》はない。ザマは自身の持てる最強のアイテムを選択し、一度限りの攻撃《こうげき》魔法を敵へとぶつけた。
派手《はで》なエフェクト。吹《ふ》き荒《あ》れる閃光《せんこう》と炎《ほのお》。敵のHPが大幅《おおはば》に減少《げんしょう》する。
「ふっ……はーっはっはっは! やるわね!? さすがは疾風《しっぷう》のザマ=I 噂《うわさ》通りの男だわ! だがしかしっ!」[#「「ふっ……はーっはっはっは! やるわね!? さすがは疾風のザマ=I 噂通りの男だわ! だがしかしっ!」」は太字]
ヨーコの従《したが》えるモンスターとPK戦士たちが、陣形《じんけい》を組んで行動不能《こうどうふのう》のシアに迫《せま》る。
[#ここから太字]
「私との戦いにかまけていると、大事な彼女が死んでしまうわよ? 死んだら装備は全ドロップ。レベルもとんでもなくダウン! ヌルめの小娘プレイヤーに、そこまでやる根性《こんじょう》があるかしら!?」
「うわ、それイヤです! 助けて、助けて、ザマさん……!」
[#ここで太字終わり]
助けを求めるシア。だがいまのザマには、彼女を助けつつヨーコを倒す余裕はなかった。自身の防御《ぼうぎょ》魔法を展開しつつ、敵のモンスターの数を減《へ》らし、ヨーコを牽制《けんせい》するので精一杯《せいいっぱい》だったのだ。
[#ここから太字]
「シア、もう少し耐《た》えてくれ、僕が――」
「隙《すき》あり!」
「しまっ……ぐわああぁぁあぁぁっ!!」
[#ここで太字終わり]
ヨーコの最強魔法デイジー・カッター≠ェザマに襲いかかる。
「ザマさぁぁぁあんっ!!」[#「「ザマさぁぁぁあんっ!!」」は太字]
巨大《きょだい》な爆発が襲いかかり、ザマの体力がゼロになった。念のために装備していたかわりみの人形≠フおかげで、完全な死は免《まぬが》れたが――
ザマは遠く離《はな》れた出発点の町に、一人で吹《ふ》き飛ばされてしまった。
あわてて装備を調《ととの》え、襲撃の現場に急いだが、その場に残っていたのは、息|絶《た》えた戦士系の仲間二人だけだった。シアの姿はまったく見えない。残された戦士二人が身に着けていた武器や防具は奪われている。死亡直後の厳《きび》しいペナルティによって、彼らと会話をすることもできない。死んだら二時間近くは、他のプレイヤーとチャットすることができない(会話ができる職業《しょくぎょう》もあるのだが、それはシアのような神官職や、死霊使《しりょうつか》いと呼ばれる職業だけだった)。
だがザマには分かった。
いとしいシアは、あのPKの女魔導師ヨーコに連れ去られてしまったのだ。
●
もともと活気《かっき》にあふれたタイプというわけでもないのだが、きょうの風間《かざま》信二《しんじ》は、いつにもまして、げんなりとしていた。
眼鏡《めがね》の下には、濃《こ》いクマができている。教室で級友から挨拶《あいさつ》されても、上の空だ。そしてたびたび――おおよそ三分おきくらいに、深いため息をつくのだった。
「風間。なにかあったのか?」
朴訥《ぼくとつ》とした相良《さがら》宗介《そうすけ》でさえもが、見るに見かねてそう言ったのは、昼休みの教室でのことだった。
「…………。ちょっとね」
うなだれたまま、信二はつぶやいた。
「悪い奴《やつ》らに、ガールフレンドを奪われちゃってさ……」
「誘拐《ゆうかい》か?」
「うん。まあ、そんなところ」
「それは一大事だ。犯人グループの要求《ようきゅう》はなんだ? 手がかりさえあれば、アジトを突き止めて救出作戦を――」
「風間くんに、ガールフレンド!?」
宗介の言葉を遮《さえぎ》って、会話に割って入ってきたのは千鳥《ちどり》かなめである。彼女は驚《おどろ》きを隠《かく》そうともせず、身を乗り出した。
「それマジ!? いや、そういう意味じゃなくてね。奥手《おくて》な風間くんが、いつの間に? いったいだれと!?…………って」
眉《まゆ》をひそめている宗介と信二に気づいて、かなめの声はいくらかトーンダウンする。
「あ、いや……。それより、誘拐って? 警察に通報《つうほう》したの? こんなのんびり、学校来てる場合じゃないでしょ」
強引に話題を戻《もど》してかなめがたずねると、信二は小さく肩《かた》を落とした。
「それは……その。誘拐っていっても、ゲームの中での話なんだけど」
『ゲーム?』
異口同音《いくどうおん》に、かなめと宗介が言う。
「ドラゴン・オンライン≠チて聞いたことない? ネットで数万人が参加するロール・プレイング・ゲームだよ。パソコンの」
「はあ。ロープレねえ……」
ロープレと言ったら、スーファミの頃《ころ》のドラクエしかやったことのないかなめは、いまひとつ分からないまま相槌《あいづち》を打った。宗介に至《いた》っては、非常に高度で専門的《せんもんてき》な軍事《ぐんじ》用語でも聞いたかのように、眉間《みけん》にしわを寄せて首をひねっている始末《しまつ》である。
「よくわからんのだが」
「ファンタジー世界の中で、自分のキャラを操《あやつ》って、冒険《ぼうけん》したり、商売したり、仲間と遊んだり。そういうゲーム。日本中から――たまには外国からも接続《せつぞく》してくる人たちもいる。特にドラゴン・オンライン≠ヘ自由度が高くてね。プレイヤー同士で戦ったり、要塞《ようさい》や迷宮《めいきゅう》を建設《けんせつ》したり、モンスターを飼《か》い慣《な》らしたり……大抵《たいてい》のことはできるんだ。かなりスゴい人気でね」
「ふーん……。ひょっとして、そのガールフレンドって、そのゲームの中の?」
「まあ……うん。そうなんだけど」
たちまちかなめは気楽に笑った。
「なーんだ、あはは。ゲームの話なんだったら、そんな落ち込まなくてもいいじゃない」
信二はむっとする。
「笑い事じゃないよ。あのゲームは自由度が高い分、えらくシビアなんだ。往年《おうねん》のUOそこのけでね」
「ユーオー?」
「ああ、気にしなくていいよ。とにかくあのドラゴン・オンラインでは、死んだらほとんどそれっきり。一から育て直した方がいいくらい厳《きび》しいペナルティがあるんだ。それに……もし敵に捕《つか》まって、特別に作られた『魂《たましい》の牢獄《ろうごく》』って施設《しせつ》に閉じこめられたら、本当に身動きできなくなっちゃうんだよ!?」
「リセットすればいいじゃない」
「できないんだよ! キャラクターのステータスは、1アクションごとにセーブされてるんだ。しかもデータはサーバーの方に保存される。|チート《ずる》対策《たいさく》も徹底《てってい》しててね。だから自力で脱出《だっしゅつ》するか、だれかに助けてもらわない限り、ダメなんだ」
「じゃあその人、全然遊べないじゃない」
「うん。なにかあったら、すべて台無し。そういう緊迫感《きんぱくかん》が燃えるんだけど……」
信二はきょう何十回めかのため息をついた。
「そのせいで、ゲームやめちゃう人も多いんだよね……」
「ああ。つまり風間くんが好きな子も、拉致監禁《らちかんきん》されて、やる気なくなっちゃったんだ」
「いや。そうでもないみたい。彼女、僕にメッセで待ってます≠チて……。たぶん、僕が助けてくれると信じこんでるんだ」
そうつぶやく信二の声は、まさしく悲恋《ひれん》に身を焦《こ》がすものであった。
「ならば、彼女を救えばいい。授業《じゅぎょう》など出ている場合か?」
「そういう問題でもないでしょうが……」
宗介の指摘《してき》にかなめがぼやく。
「やってるさ!! 徹夜《てつや》で敵のアジトに挑《いど》んだんだ! 授業もサボって、ノーパソでキャラ育てて。でも……だめだった。あのヨーコって魔導師《まどうし》は本当に強い。前から噂《うわさ》は聞いてたけど……ゲーム内の仲間も、もう諦《あきら》めた方がいい≠チて……」
「すでに味方《みかた》がいないわけか」
「うん……。一人だけじゃ、あの子を救うのはまず無理《むり》だし……」
「ならば、俺たちが手を貸そう」
「ほ、本当?」
宗介の言葉に信二は顔を上げた。かなめは一人、渋《しぶ》い顔をする。
「あのー。俺たち=H たち≠チて? あたしそんなゲームできないよ。それに、ソースケだって未経験《みけいけん》でしょ」
「いや。ゲームなら、いささか心得《こころえ》がある」
「そ、そうだったの……?」
「肯定《こうてい》だ。こう言ってはなんだが、部隊内でもトップクラスの腕《うで》だぞ」
妙《みょう》に自信たっぷりに、宗介は言った。
最初かなめは消極的《しょうきょくてき》で、しばらくの間そのゲームに参加することもなかった。だがあるヒマな休日の夕方、ふと『そういえば、やってるのかな』と思い出し、特に考えもなくパソコンを起動した。
最近は、普通《ふつう》の性能のパソコンなど、往年《おうねん》の家庭用ゲーム機に毛が生えたくらいの価格で入手できる。実際《じっさい》、かなめも入学|祝《いわ》いに親戚《しんせき》からもらったデスクトップ・パソコンを持っている。たまのメール交換《こうかん》とブラウジングくらいにしか使わないのだが、その性能を信二に教えてみたところ、大丈夫《だいじょうぶ》だよ。そのスペックなら充分《じゅうぶん》≠ニのことだった。
とはいうものの――
「ちゃんと動くのかな……」
その手のゲーム経験が皆無《かいむ》のかなめは、疑心暗鬼《ぎしんあんき》のまま信二から教えてもらったドラゴン・オンライン≠フ公式ホームページにアクセスし、そこからクライアント・ソフトをダウンロードした。公式ページに書かれた手順に従って、ソフトをインストールする。
待つこと一分。インストールが完了《かんりょう》する。3Dエンジンを最新バージョンに。英語でずらずらと確認《かくにん》の文章が現れるが、そこはそれ、かなめも帰国子女《きこくしじょ》である。はいはいと斜《なな》め読みして、OK≠クリック。パソコンを再起動《さいきどう》して、さっそくゲームを開始する。
だが最初に『ゲームを開始するには、月額《げつがく》の利用料金を入金していただかねはなりません』と表示が出た。
「やっぱタダじゃないのね……」
学校で信二からもらったチケットを取り出し、そこに書いてある番号を入力する。涙《なみだ》ぐましくも、信二が自腹《じばら》を切って購入《こうにゅう》してきた、利用料金の入金を証明《しょうめい》するチケットだ。
認証《にんしょう》完了。
住所氏名を入力しろと指示《しじ》が出た。知らないところに個人情報を入れるのは気味《きみ》が悪いので、適当《てきとう》なウソ住所とウソ名前を入れておく。
確認。
ぼけーっと四、五秒待っていると――
ディスプレイにドラゴン・オンライン≠フロゴが表示された。同時にフルオーケストラの重厚《じゅうこう》なBGMが流れる。
「おおっ……」
思いのほか、鮮明《せんめい》な画像と音響《おんきょう》に感心する。
かなめはマニュアルを首っぴきにして、さっそくキャラクターの作成を始めてみた。
性別は女性。年齢《ねんれい》は一六。なにも考えてない。自分のまんまだ。
続いて職業。あれやこれやと考えた末に、かなめは一番|簡単《かんたん》そうな剣士《けんし》を選んだ。これなら、敵に近寄っていって斬るだけでいい。剣士にも細かく色々な種類があるようだったが、よく分からなかったのでテキトーに選ぶ。
「よし。……ん?」
できあがったキャラは、肌《はだ》の露出度《ろしゅつど》が妙に多い少女だった。マントを着けているのだが、ミニスカでおへそは丸出し、太股《ふともも》もむき出しである。しかも髪型《かみがた》が、なんとなく自分に似ていたりなどする。顔立ちもだ。
こんなカッコで、斬りあいなんかしたら大怪我《おおけが》するんじゃないかしら……?
素朴《そぼく》にそう思ったりはするが、これもまあ商業的な要請《ようせい》とか、そういうやつだろう。
細身の剣と小さな盾《たて》を持った少女が、画面の中でくるくると回っている。かなめはしばらく、そのキャラを眺《なが》めてうなっていたが、
「……ま、いっか」
とつぶやき、決定。ずいぶん後になって、外見のバリエーションが自由に選べることを知ったのだったが、このときのかなめは気づかなかった。
キャラ作成を終えようとすると、名前が入力されていません≠ニの表示。
「ああ、忘れてた。えーと……」
これに一番|悩《なや》んだ。どうでもいいことなのだが、妙に考え込んでしまう。
自分の名前をもじってKEY≠ニかは? それとも、好きな歌手の名前からBROWN≠ニか。好きな野球選手でICHIRO≠ニか。さっきの夕食のメニューからSABA≠ニか。そーいやマルゼン・マートの特売日《とくばいび》、明日だったっけ。MARUZEN≠ニか。あーそうだ、お風呂《ふろ》の洗剤《せんざい》切らしてたの思い出した。MAGICLIN=BTABASCO≠烽ネかったな。あとTOILET PAPER≠烽サろそろ買わないと。えーと……。
などと、意味もなく色々な名前を打ち込んでは消していたところ、もののはずみでエンター・キーを押してしまった。
「あ……」
最終的な決定画面が表示される。大きくWAIZ≠ニの文字。なんだかよく分からなかったが、勝手《かって》にこの名前になってしまったらしい。
「ワイズねぇ……」
もう名前で悩むのもうんざりだし、これでいいか。そう思って、かなめは最終的な決定をクリックし、電子の異世界《いせかい》に潜《もぐ》っていった。
――このときの彼女には分からなかったことなのだが、実はWAIZ≠ニいうのは、そのキャラクターが信仰《しんこう》する神の名前だった。肝心《かんじん》のキャラ自身の名前は、その下に小さく表示されていたのである。だがかなめは、それに気づきもしなかった。
かくして、うるわしき女剣士TOILET PAPER≠フ冒険《ぼうけん》が始まったのであった。
●
そこは街の広場だった。周囲《しゅうい》には石造《いしづく》りの建物《たてもの》。中央の噴水《ふんすい》には、水瓶《みずがめ》を抱《かか》えた美しい女神《めがみ》の像《ぞう》がそびえている。頭上の空は抜《ぬ》けるように青く、うっすらとたなびく雲が、右から左へと流れていた。
小鳥のさえずり。噴水の水音。広場を行き交う人々の雑踏《ざっとう》。遠くの聖堂《せいどう》からは、賛美歌《さんびか》が漏《も》れ聞こえてくる。
広場に面した鍛冶屋《かじや》の煙突《えんとつ》から、煙《けむり》がのぼっていた。隣《となり》の民家には洗濯物《せんたくもの》が干《ほ》してあり、そよ風に揺《ゆ》れていた(よく見ると規則的《きそくてき》な揺れ方だったが)。
映画や紀行《きこう》番組で見るような、ヨーロッパ風の古都《こと》が広がっている。
聞きしに勝《まさ》る臨場感《りんじょうかん》だ。
「さて……」[#「「さて……」」は太字]
信二の話では、この近くにアーレイ・バーク亭《てい》≠ニいう宿屋があるはずだった。信二はそこの常連《じょうれん》で、この都市――ピークニィに着いたら、まずその宿を訪《たず》ねるように言われていた。
ところが、その宿がどこにあるのか分からない。えらく広い街なのだ。かなめはごそごそと地図を取り出してみたが、真新しいその羊皮紙《ようひし》はほとんど真っ白だった。どうやら、歩いたことのある場所しか地図には表示されないらしい。
だれかに訊《き》いてみようか?
広場には、彼女のほかにもたくさんの人々がいた。かなめと同様《どうよう》、剣士風の男女もいれば、その他の職業もいろいろいる。魔導師《まどうし》、召還術師《しょうかんじゅつし》、神官、僧兵《そうへい》、狩人《かりゅうど》。商人や農夫なども見受けられた。変わった装束《しょうぞく》を身にまとった異国《いこく》の旅人や、角や尻尾《しっぽ》をはやした獣人《じゅうじん》などもいる。
彼らの姿も実にリアルだったが、ひとつ現実と違《ちが》うのは、その頭上に各人の名前とレベルが浮《う》かんでいることだった。
「あのー、すみません」[#「「あのー、すみません」」は太字]
かなめは噴水の前でヒマそうにたたずんでいた小柄《こがら》な獣人の少女に声をかけてみた。頭上の名前はMazzle=B猫《ねこ》耳で、かわいらしい錫杖《ワンド》を持っていた。
[#ここから太字]
「あい?^^」
「この近くで、アーレイ・バーク亭っていう宿屋があるそうなんですけど。ご存《ぞん》じですか?」
「といれとぺーぱー?w」
「は? いえ、アーレイ・バーク亭です」
「にゃはは。たぶんあっちですよ」
[#ここで太字終わり]
少女は錫杖《しゃくじょう》で西の方角を指す。
[#ここから太字]
「PCの経営《けいえい》してる店でしょ? それだったらあっちのエリア。わかんなかったら、まただれかに聞くといいよ^^」
「ありがとうございます」
[#ここで太字終わり]
礼を言ってかなめは広場を離《はな》れた。
石畳《いしだたみ》の道を歩いていくと、市場に出くわす。露店《ろてん》が軒《のき》を並べ、様々《さまざま》な商品が売り買いされていた。食料品、武器、鎧《よろい》、衣服や雑貨《ざっか》。食器や建材、本や花まで売っている。
(すごい。なんでも売り買いできるんだ)
人々の喧噪《けんそう》もおもしろい。商談や世間話《せけんばなし》。パーティの募集《ぼしゅう》や、危険《きけん》地帯の情報や、もうけ話が飛び交《か》っている(きょうの巨人《きょじん》ヤクルト戦の結果や、夕方のアニメの話題なども聞こえるのはいささか興《きょう》ざめではあったが)。
そうしたキャラクター同士の会話の中には不穏《ふおん》なものもあった。
[#ここから太字]
(聞いたか? スタウト市で最強のパーティが、全滅《ぜんめつ》したらしいぜ)
(たそがれの森≠ナ? やはりあの魔導師ヨーコの仕業《しわざ》か)
(まず間違いないだろう。かの魔女は着々《ちゃくちゃく》と力を蓄《たくわ》えている。やがては闇《やみ》の軍勢《ぐんぜい》を従えて、この国を蹂躙《じゅうりん》し尽《つ》くす腹だ)
(うむ。ラメージの荒《あ》れ野《の》にも、やつばらの手下どもが姿を見せているらしいぞ)
(おそろしや。王国の神聖騎士団《しんせいきしだん》はなにをしているのやら……)
(ダメダメ。あいつら正義の味方気取りの厨房《ちゅうぼう》ばっかじゃん。ぜってー、ヨーコたんにはかなわないってwww)
(だよなーw)
(悪の女王ヨーコ様サイコー。ハァハァ。踏《ふ》んでホスィ……)
[#ここで太字終わり]
こんな調子である。なにやら、強大な力を持つ魔女が、この街の平和を脅《おびや》かしている様子だった。
問題の宿屋はなかなか見つからない。かなめは何度か、通行人に声をかけて、アーレイ・バーク亭の場所を尋《たず》ねてみた。そのたびに、相手はなぜかトイレット・ペーパー?≠ニ聞きかえしてくるのだった。
[#ここから太字]
「いえ。アーレイ・バークなんですけど」
「wあっちですよ」
[#ここで太字終わり]
さっきからよく見かけるあのw≠ニいうのが、どういう意味なのかは分からなかった。後で知ったことだが、あのw≠ヘ(笑)≠ニいう意味なのだとのことだった。
そんなこんなで、かなめは目的の宿屋を発見した。いくつかの街路《がいろ》を曲がった区画《くかく》の、奥《おく》まった一角である。軒先《のきさき》に看板《かんばん》がぶら下がっていて、凝《こ》った意匠《いしょう》でARLEIGH BURKE≠ニ書き込んであった。
(やっと着いた)
ちなみに宗介が信二の助《すけ》っ人《と》を安請《やすう》け合いしたのは、もう数週前のことだ。その間、信二たちは他の友人知人にも声をかけまくって、有志《ゆうし》を募《つの》ったらしい。だれが参加しているのかは知らなかったが、その一部は、すでにゲームを始めているそうだった。ここに来れば、だれか知り合いがいるはずだ。
「こんにちはー」[#「「こんにちはー」」は太字]
戸口を抜けて宿屋に入る。一階は酒場になっていた。人気《ひとけ》のない、薄暗《うすぐら》い店内。
テーブル席に、黒いローブの魔導師が腰掛《こしか》けていた。頭上に浮かぶ名前はZama=Bレベルは最高の99[#「99」は縦中横]≠セった。かなめなど、及《およ》びもつかない超《ちょう》・上級者だ。
「なんか用?」[#「「なんか用?」」は太字]
気だるげに魔導師が言った。さらさらの黒髪《くろかみ》。知的な眼鏡《めがね》。窓からさしこむ光が、彼の姿に深い陰影《いんえい》を刻《きざ》み込んでいる。男の傍《かたわ》らには、龍《りゅう》の頭をかたどった、大きな杖が立てかけてあった。見るからに、強大な力を秘《ひ》めていそうな意匠だ。
「ここ、アーレイ・バーク亭ですよね?」[#「「ここ、アーレイ・バーク亭ですよね?」」は太字]
長い沈黙《ちんもく》。その魔導師はため息をついて、口を開いた。
[#ここから太字]
「そうだよ。ついでに言えば、冷やかしの初心者が出入りする店じゃない。ゲーム開始の最初期からある古い店で、それなりに修羅場《しゅらば》をくぐってきた者が集まる場所なんだけど」
「えと、あの……」
「わかんない? 帰れって言ってんだよ」
[#ここで太字終わり]
かなめが囲っていると、カウンター席の向こうで食器を磨《みが》いていた主人が言った。
[#ここから太字]
「すいませんね、お嬢《じょう》さん。そいつ、いろいろあって不機嫌《ふきげん》なんですよ。例のヨーコって自称《じしょう》・大魔王≠ノカノジョを奪《うば》われた上に、歯が立たなかったもんだから。しかも仲間の連中は、みんな役に立たない有様《ありさま》で」
「やめろよ、マスター」
「まあ、そういうなって。無愛想《ぶあいそう》にして悪かったな、お嬢さん。初心者は南一番街のギルド支局《しきょく》に行きな」
「あの、でも……」
「しつこいな、あんた」
[#ここで太字終わり]
魔導師が杖を手に立ち上がった。
[#ここから太字]
「このDO(ドラゴン・オンライン)じゃ、街の中でもPKはできるんだぜ? いくつか抜け道があってね。俺の腕なら、警備隊《けいびたい》をごまかす手なんていくらでもある。一度痛い目にあってみるか?」
[#ここで太字終わり]
それはただの脅《おど》しだったのかもしれないが、まるで余裕《よゆう》のないかなめは、必死《ひっし》に弁明《べんめい》した。
「す、すみません。でも学校の友達から、ここに行けって言われたものでして……」[#「「す、すみません。でも学校の友達から、ここに行けって言われたものでして……」」は太字]
すると魔導師は攻撃《こうげき》の構《かま》えを解《と》いた。
[#ここから太字]
「学校って、陣高《じんこう》の?」
「そうですけど」
「だれ?」
「あの、千鳥っていいます。彼のクラスメートでして……」
[#ここで太字終わり]
やおら、魔導師の動きが固まった。無表情《むひょうじょう》のままなのだが、気のせいか、あたふたしているようにも見える。
「あの? なにか?」[#「「あの? なにか?」」は太字]
たずねてみると、その魔導師はクールな顔のままこう言った。
[#ここから太字]
「ご、ごめんね、千鳥さん。もう誰《だれ》も来ないと思ってたんだ。君もなんだか気が進まないみたいな様子だったから……。参加チケット押《お》しつけちゃって、『強引《ごういん》で悪かったかなー』とか思ってて。あの、その」
「風間くんなの?」
「あ、うん。いや、普段《ふだん》はね? 初心者にもやさしい優良プレイヤーなんだよ? ただ最近、ヤなことが多かったもんだから。事情《じじょう》は話したでしょ? それにガッコのみんなも来てくれたんだけど、みんな好き勝手やり始めちゃって。全然、手伝ってくれないんだ。ちょっとやさぐれて、クダを巻いてただけってわけで。本当! ね、ね、マスター。そうだよね!?」
[#ここで太字終わり]
魔導師ザマ――すなわち風間信二に助けを求められて、宿屋の主人はこう言った。
「w」[#「「w」」は太字]
聞けば陣代《じんだい》高校のメンツは、最初は真面目《まじめ》にレベル上げに励《はげ》んだりたそがれの森≠フ探索《たんさく》を手伝ったりしていたそうなのだが、何度も敵から返り討《う》ちにあったり、追い回されたりしているうちに、こう主張《しゅちょう》し始めたのだそうな。
すなわち――
ぜってームリ。諦《あきら》めなよ
ほかの熟練《じゅくれん》プレイヤーたちと、同じ反応《はんのう》である。レベル上げの戦闘《せんとう》さえイヤそうな顔をするようになってしまったという。信二としても、無理強《むりじ》いするのは心苦しいし、なにより熱意に欠ける彼らの腕では、どの道、役に立つはずもない。
「もともと、無理のあるアイデアだったんだよね……」[#「「もともと、無理のあるアイデアだったんだよね……」」は太字]
そう言って、魔導師ザマはうなだれる。
[#ここから太字]
「さりとて、僕一人ではあの女――魔導師ヨーコは倒《たお》せない。せめて、腕のいい戦士系キャラが二人と、高レベルの神官系キャラが一人はいないと。ヨーコには腕利《うでき》きのPKが何人も味方してるんだ」
「ふーん……」
「もちろん、ゲームの中で悪党を演じることは否定《ひてい》しないよ? そういう自由度があるから、ここは面白《おもしろ》いんだ。そういう連中《れんちゅう》とも、僕は楽しく付き合ってる。でも……」
[#ここで太字終わり]
信二はしばらく黙《だま》り込んだ。
[#ここから太字]
「あのヨーコだけは許せない。徒党《ととう》を組んで初心者ばかりを狙《ねら》って、彼らの楽しみを奪っているんだ。新参者《しんざんもの》への間口《まぐち》が狭《せま》くなったら、このゲーム自体が衰退《すいたい》することなんて、分かりきってるのに……」
「そういうもんなの?」
「うん。こういうゲームは色んな人が集まるからね。ほとんどは善良《ぜんりょう》な人ばかりなんだけど、たまに性根《しょうね》の腐《くさ》りきった奴《やつ》らもいるんだ。限られた時間で一生懸命《いっしょうけんめい》レベルを上げたりお金を稼《かせ》いだりしてるプレイヤーに一方的ないやがらせをして、みんなが怒《おこ》ったりがっかりしたりするのを見るのが楽しくて仕方がない連中がね」
「イタ電して喜ぶような類《たぐい》かしら……」
「当たらずとも遠からず、かな。ああいう連中は『PKされて怒る奴は現実とゲームの区別《くべつ》がついていない』って言って一般《いっぱん》プレイヤーを軽蔑《けいべつ》してるんだけど、こういうゲームは社会性があるから、ある意味では半分は現実世界と同じなんだ。モニターの向こうにはたくさんの人間がいて、泣いたり笑ったりしてるんだから。区別がついていないのはそういうPK連中だよ。赤の他人をいたわったりする必要はないと思ってるし、困ってる人を見たら『自助《じじょ》努力が足りない』と切り捨てる。根本的《こんぼんてき》な感受性《かんじゅせい》の一部が欠けてるんだ。普通はイヤな気分になるもんだよ」
「はあ」
「まあ、あれだね。すこし昔の格闘《かくとう》ゲームマニアと似てるかもしれない。新作ゲームのロケテスト中に散々《さんざん》やりこんで強くなって、地元のゲーセンに行くわけ。で、初めてその格闘ゲームを見た一般客が、百円玉入れてインストカード見ながら操作《そうさ》方法をあたふた試《ため》しているところに乱入《らんにゅう》して、ボッコボコに叩《たた》きのめす。奴らは『悔《くや》しかったら強くなってこい』とかうそぶくんだけど、普通の客はバカバカしくなって二度とそのゲームをやらなくなるわけさ。そうやって格ゲーは衰退《すいたい》したんだ。ゲーム会社があわてて初心者でも楽しめる仕様《しよう》のゲームを作り始めたんだけど、時すでに遅《おそ》し。潜在的《せんざいてき》なライトユーザー層《そう》は、二度とゲーセンに戻《もど》ってはこなかった。あの現象《げんしょう》が今はオンラインゲームの世界で形を変えてはじまってる感じなんだろうなあ。いや、もうこちらでも手|遅《おく》れなんだろうね」
「なんだか風間くん、妙《みょう》に雄弁《ゆうべん》だね……」
[#ここで太字終わり]
おとなしく謹聴《きんちょう》していたかなめは、信二が一説《いっせつ》ぶっている問にパソコンの前を離《はな》れて、キッチンで午後ティーをグラスに注《つ》いで持ってきていた。
「っつーか」[#「「っつーか」」は太字]
これ以上長くなってもアレなので、かなめは話題を切り替《か》えた。
[#ここから太字]
「ソースケはどうしてるの? あいつ言い出しっぺでしょ」
「相良くんは行方不明《ゆくえふめい》だよ。最初の冒険《ぼうけん》で即死《そくし》したあと、出直す≠ニ言ってそれっきり。チャットで呼び出しても応答《おうとう》なし。たぶん、彼も諦めちゃったんだろうね」
「なに、あいつ? ゲームなら得意《とくい》だとか言ってたくせに」
「あー、ちがったんだよw」
[#ここで太字終わり]
信二は笑った。
[#ここから太字]
「こないだ最初に冒険に出かけたら、で、いつブロックは落ちてくるのだ?≠チて」
「はあ?」
「彼、落ちゲーだと思ってたみたい」
[#ここで太字終わり]
テトリスとか、コラムスとか。いつぞやの戦争で、前線の兵士が待ち時間の暇《ひま》つぶしにハマりまくったという類だ。
あした会ったら、とりあえず頭をはたいておこう、とかなめは固く決意した。
[#ここから太字]
「とにかく、そんなわけさ。正直、僕もほとんど、諦めてるんだ。千鳥さんにはせっかく来てもらったのに、悪いと思ってるけど」
「……でも、ガールフレンドの人は?」
「そうだね。彼女は僕の助けを待っている。だけど、どうにもならないよ。今夜のプレーが終わったら、彼女にお詫《わ》びのメールを送ろうと思ってる。いまのキャラは諦めて、一から始めてみたらどうか、って」
「そう……」
[#ここで太字終わり]
ネット上の会話のはずなのに、かなめは信二の言葉から寂《さび》しげなニュアンスを読みとった。
「千鳥さん。どうせだから、すこし遊んでいく? 手伝ってあげるから、手頃《てごろ》な場所でレベル上げしてみようよ。きっと楽しいよ」[#「「千鳥さん。どうせだから、すこし遊んでいく? 手伝ってあげるから、手頃な場所でレベル上げしてみようよ。きっと楽しいよ」」は太字]
確かに、街中《まちなか》をうろついただけで終わるのももったいない話だ。
「じゃあ、お言葉に甘《あま》えて」[#「「じゃあ、お言葉に甘えて」」は太字]
かなめはそう言って、信二と共に冒険の支度《したく》をはじめた。
二人でピークニィの街を出発し、街道《かいどう》を進んでラメージの荒《あ》れ野《の》≠ヨ。ここは上級者向けのエリアなのだそうだが、信二が言うには、初心者の修行《しゅぎょう》にはちょうどいい場所≠セとのことだった。
荒涼《こうりょう》とした丘陵地帯《きゅうりょうちたい》がどこまでも続く。街では美しかった青空も、ここでは色あせ、不穏《ふおん》な空気を漂《ただよ》わせていた。
[#ここから太字]
「だ、大丈夫《だいじょうぶ》なの?」
「大丈夫。僕がついてる」
[#ここで太字終わり]
当然のように信二が言う。
そのとき、低木《ていぼく》をかきわけ、三体のトロウルが現れた。身《み》の丈《たけ》三メートルはあろうかという、凶暴《きょうぼう》な人食《ひとく》い鬼《おに》である。青銅色《せいどういろ》の肌《はだ》に、たくましい筋肉《きんにく》。先頭の敵が、大きく開いた口からよだれを垂《た》らし、丸太のような棍棒《こんぼう》を振《ふ》り上げ、彼女めがけてまっしぐらに迫《せま》ってくる。
がう、ふうごぉおぉ!
そんな雄叫《おたけ》びだった。その迫力《はくりょく》に、かなめは半分、本気でおびえた。
[#ここから太字]
「ひっ……!」
「千鳥さん! そのまま!」
[#ここで太字終わり]
かなめの後ろで、信二が杖を振りかざした。黒いマントがはためき、周囲の空気がゆがむ。青白い燐光《りんこう》が駆《か》けめぐり、はげしい雷《かみなり》がほとばしる。
「行けっ!」[#「「行けっ!」」は太字]
まばゆい電撃《でんげき》が、三体のトロウルに襲《おそ》いかかる。肌を、肉を猛烈《もうれつ》に焼かれ、敵は野太《のぶと》い叫《さけ》び声をあげた。
「あわわ……!」[#「「あわわ……!」」は太字]
あわてるかなめとは対照的《たいしょうてき》に、信二はゆっくりと構えを解いた。
[#ここから太字]
「もういいよ、千鳥さん。硬直《こうちょく》してるから」
「へ?」
[#ここで太字終わり]
トロウルはまだ死んでいなかった。だが、動かない。
[#ここから太字]
「攻撃《こうげき》して」
「あ……うん」
[#ここで太字終わり]
言われたとおりに、信二からもらった武器を振るってみる。『どかっ!』と体力が減って、あっさりと敵は死んでしまった。炎《ほのお》に焼かれた紙切れのように、トロウルの姿が燃《も》え尽《つ》きる。
二体、三体。
かなめのレベルが一気に上がり、いまの所持金《しょじきん》の二〇倍のお金が入ってきた。
[#ここから太字]
「うわ。すご」
「でしょうw」
[#ここで太字終わり]
信二が笑った。
[#ここから太字]
「こういう『|強引なレベル上げ《パワー・レベリング》』は、マナー的にはあんまりやらない方がいいんだけど。ちょっとだけ仕様《しよう》の抜《ぬ》け穴利用してるところもあるし。でも一時間くらい続けたら、かなりのレベルまでどんどんいけるよ。まあ……そっから先が、いろいろ難《むずか》しいわけなんだけど」
「そうなの?」
「すこし成長させた方が、剣士《けんし》は楽しくプレイできるんだ。いまはちょっと味気ないかもしれないけど、すこしだけガマンしてね」
「あ……いや。ありがと」
「どういたしまして。じゃ、先に行こう」
[#ここで太字終わり]
快活《かいかつ》にこたえて、信二は荒野を進んでいく。いやみのない、その後ろ姿が、かなめにはやたらと凛々《りり》しく、頼《たの》もしく思えた。
これが、あの風間信二?
この冒険への準備中《じゅんびちゅう》に、アーレイ・バーク事の主人から聞いた話では、信二のキャラの異名《いみょう》は疾風《しっぷう》のザマ≠ニいうのだそうだ。事情通《じじょうつう》の間では、かなり名の知れた冒険者らしい。
戦闘時《せんとうじ》の圧倒的《あっとうてき》な力。あらゆるコマンドのスムーズさ。そして冷静な判断《はんだん》。
そのガール・フレンド――シアとかいう子だったか――が彼にクラッときたのも、なんとなくわかるような気がする。
(あたし、こーいうパターンに弱いのかなあ……?)
だとしたら、宗介に感じているモヤモヤも、すこし冷静に考える必要があるのかもしれない。なにしろあいつときたら、学校の方ではてんで役立たずのバカなわけだし。|こっち《ゲーム》の方では、あっさり逃《に》げ出して音信不通《おんしんふつう》なわけだし……。
(いや、まあ、これで彼に本気でグラッとくるわけでもないけど)
[#挿絵(img2/s08_041.jpg)入る]
ただかなめがかっこいいな≠ニ思ったのは、偽《いつわ》らざる気持ちだった。
一時間ほどの戦闘を経《へ》て、二人は荒れ果てた古城のそばまでやってきた。
[#ここから太字]
「まだいける?」
「うん」
「上等! じゃあしっかり付いてきて」
[#ここで太字終わり]
そのとき、二人を激《はげ》しい炎が襲った。
信二が事前《じぜん》にかけていた、防御系《ぼうぎょけい》の呪文《じゅもん》のおかげで、かなめも即死《そくし》は免《まぬか》れたが――それでも、次の一撃《いちげき》が来たら耐《た》えられないほどの攻撃だった。
「なっ!?」[#「「なっ!?」」は太字]
すばやく回復アイテムの薬をかなめに使いながら、信二が身構える。
「ちっ、生き残ったみたいね! さすがは疾風のザマってわけ!?」[#「「ちっ、生き残ったみたいね! さすがは疾風のザマってわけ!?」」は太字]
一人の召還術師《しょうかんじゅつし》が姿を見せた。兎《うさぎ》の耳をはやした獣人《じゅうじん》の女だ。水着みたいなコスチュームに、簡素《かんそ》な鎧《よろい》と長めのマント。爆炎《ばくえん》の生み出した風が、栗色《くりいろ》の髪《かみ》と紋章《もんしょう》入りの前掛《まえか》けを揺《ゆ》らしている。
[#ここから太字]
「くっ、君は……」
「しかし! そこの変な名前の女を助けながら、あたしの攻撃をしのげるかしら? 大魔法使いヨーコ様から、全幅《ぜんぷく》の信頼《しんらい》を受けたこのあたしから!」
[#ここで太字終わり]
兎耳《ウサミミ》の少女の頭上には、Mizu≠ニの名前が浮《う》かんでいた。
ザマ――信二は声を張《は》り上げる。
「稲葉《いなば》さん!?」[#「「稲葉さん!?」」は太字]
信二の言葉に、かなめは目を丸くする。
[#ここから太字]
「ま、まさか……ミズキ?」
「稲葉さん! なんでよりにもよって、あの女の味方をするんだ!」
[#ここで太字終わり]
すると Mizu こと稲葉|瑞樹《みずき》は高笑いした。
[#ここから太字]
「知れたこと! この王国は、いずれヨーコ様のものになるわ。あの御方《おかた》の偉大《いだい》なる力には、何者も逆《さか》らえない! 疾風のザマよ。おまえこそ、なにゆえヨーコ様に逆らうというのか!?」
「って、それならガッコで話したじゃないか! なんでそんな意地悪《いじわる》するんだよ! あんまりだ! 最初のレベル上げ、あれだけ辛抱《しんぼう》強く付き合ったのに。君にあげたチケット代、返してよ!」
[#ここで太字終わり]
いきなり地に足の着いた信二の抗議《こうぎ》。
[#ここから太字]
「ふっ……ごめんね、風間くん。あんたを殺すと、ヨーコ様から一〇万ガメルの大金がいただけるの。ついでに言えば、ヨーコ様の親衛隊《しんえいたい》は美形|揃《ぞろ》い。チヤホヤされるのが嬉《うれ》しくて……」
「騙《だま》されてるよ、それ! ぜったい、プレイヤーはデブオタキモメンのヒッキーだって!」
「おだまり! そういう諸々《もろもろ》を含《ふく》めて、あたしの美しい夢を壊《こわ》すあんたは、敵なわけよ、敵! わかる!?」
[#ここで太字終わり]
悪に墜《お》ちた召還術師・ミズは片手をさっとあげた。たちまち数十体のオーク鬼《おに》が、二人の周囲に現れる。
かなめは前に出て叫《さけ》んだ。
[#ここから太字]
「ちょっとミズキ!? ミズキなんだったらやめなさいよ! もともと風間くんを手助けする話だったじゃないの!?」
「? なにを知った風に……便所紙《べんじょがみ》は黙《だま》ってなさい」
[#ここで太字終わり]
ウサギ耳の瑞樹は冷たく言い放つ。
[#ここから太字]
「な、なんですって!? あんたね、いくらダチでも、言っていいことと悪いことがあるんじゃない? だいたい――」
「だって、便所紙じゃないの」
「――――っ!!」
[#ここで太字終わり]
怒《いか》りに震《ふる》えるかなめをそっちのけに、瑞樹は攻撃魔法《こうげきまほう》の構えに入った。
「とにかく、魔導師ザマ。そこの便所女がなにを言ってるかはわかんないけど、死んでいただくわ」[#「「とにかく、魔導師ザマ。そこの便所女がなにを言ってるかはわかんないけど、死んでいただくわ」」は太字]
瑞樹の体が白く光り、太古《たいこ》の魔物を呼び寄せる。
[#ここから太字]
「くっ……ヨーコの力で強化されたか!」
「安心しなさい。あした学校でハナマルパンの石破天驚《せきはてんきょう》コロッケパン≠ュらいはおごってあげるから。じゃあ、いくわよ!!」
「千鳥さん、下がっていて! うおぉおぉぉぉぉ!」
[#ここで太字終わり]
信二の周囲で、すさまじい灼熱《しゃくねつ》のオーラが吹《ふ》き荒《あ》れる。瑞樹と信二、二者の魔力がふくれあがった。
『食らえ――――っ!』[#「『食らえ――――っ!』」は太字]
二人が同時に叫んだ。
炎《ほのお》をまとった爆竜《ばくりゅう》の突撃《とつげき》。目もくらむような閃光《せんこう》の矢。その二つが同時に放たれ、ぶつかり合う。
大地を揺るがす爆発。
かなめはそれに翻弄《ほんろう》され、地面にたたきつけられた。
「うっ……」[#「「うっ……」」は太字]
炎と煙《けむり》が晴《は》れていく。
立っていたのは瑞樹の方だった。信二は地面に膝《ひざ》を折《お》り、苦しげにぜいぜいとあえいでいる。
[#ここから太字]
「風間くん!?」
「ぬかった……稲葉さんの力がこれほどとは……これでは……」
「さ、さすがだけど……ふ、ふははは!」
[#ここで太字終わり]
瑞樹の方もダメージは大きいようだったが、それでも、彼女はその場に仁王立《におうだ》ちして、こう宣言《せんげん》した。
「あたしの勝ちよ! さあ、手下のオーク鬼ども! あの二人を八つ裂《ざ》きにしてしまいなさい!」[#「「あたしの勝ちよ! さあ、手下のオーク鬼ども! あの二人を八つ裂きにしてしまいなさい!」」は太字]
鬼たちが歓喜《かんき》の声をあげた。邪悪《じゃあく》な武器を振《ふ》りかざし、かなめと信二に迫《せま》り来る。
いまの信二は、ダメージでろくに動けない状態《じょうたい》だった。スタン状態にもなっている。かなめはいまのレベルではあのオーク鬼の群《むれ》にまともな抵抗《ていこう》はできそうにない。
逃げようにも、それさえできないのだ。
[#挿絵(img2/s08_047.jpg)入る]
もはやこれまで――
二人が覚悟《かくご》を決めたとき、先頭のオーク鬼の首筋《くびすじ》に、一本の矢が深々と突《つ》き立った。
「!?」[#「「!?」」は太字]
オークが悲鳴をあげて仰向《あおむ》けに倒《たお》れる。さらに一撃。もう一撃。次々に飛来《ひらい》した矢が、後続のオークたちを倒していく。驚《おどろ》く瑞樹。だが鋭《するど》い矢は、さらに襲《おそ》いかかる。
同時に、一つの人影《ひとかげ》がどこからともなく出現《しゅつげん》し、混乱《こんらん》したオークの群に躍《おど》りかかった。異国風《いこくふう》の装束《しょうぞく》に身を固めた男だ。彼はいかなる武具をも使わず、鍛《きた》えられた拳《こぶし》や肘打《ひじう》ちを、邪悪な敵に容赦《ようしゃ》なく振るった。重たい打撃《だげき》。うなる拳が空を切り裂《さ》く。
「くっ……引け! 引け――っ!」[#「「くっ……引け! 引け――っ!」」は太字]
自らの不利を悟《さと》ったのだろう。瑞樹が命じ、生き残ったオークたちは敗走《はいそう》する。
あっという間に、その場は静かになった。
「助かった……」[#「「助かった……」」は太字]
瑞樹の逃げ去ったあとには、一つのずんぐりした石像が放置されていた。手のひらサイズだ。大きくつぶらな瞳《ひとみ》に、犬だか鼠《ねずみ》だか分からない顔。
(なんだろ、このアイテム……いかにも伏線《ふくせん》っぽいけど)
かなめは深く考えるのをやめ、その石像をしまいこんだ。そしていまLがた、自分を助けた男たちに目を向ける。
[#ここから太字]
「で、風間くん……この人たちは?」
「わ……わからない」
[#ここで太字終わり]
信二が言うと、ピンチを助けてくれた異国風の男――Baki≠ネる僧兵《モンク》と、茂《しげ》みの奥《おく》から矢を放った男――Seagal≠ネる野伏《レンジャー》が、姿を見せた。
バキとセガール。
[#ここから太字]
「ひょっとして……椿《つばき》くんと相良くん!?」
「肯定《こうてい》だ」
「今さら気づいたか」
[#ここで太字終わり]
信二が問うと、二人は同時にうなずいた。
[#ここから太字]
「このいかがわしいバカと、連日、山中で戦っていてな……」
「なぜかレベルが上がってしまったのだ。操作《そうさ》にも慣《な》れた」
[#ここで太字終わり]
見れば、二人のレベルはきっかり55[#「55」は縦中横]≠セった。彼らがゲームを始めたのは先週のこと。こういうやり方だと、不眠不休《ふみんふきゅう》ですさまじい激闘《げきとう》を繰《く》り広げれば、どうにか達成《たっせい》できるかできないか……という成長具合《せいちょうぐあい》だった。
[#ここから太字]
「……って、こっちでもいがみあってるわけね」
「そうみたい……」
「でもすごいわねー。二人で戦ってるだけで、そこまでレベル上がるものなの?」
[#ここで太字終わり]
まだレベルが18[#「18」は縦中横]くらいにすぎないかなめは、感嘆《かんたん》して言った。
[#ここから太字]
「うん、まあ……。敵を倒した経験値《けいけんち》だけじゃなくて、戦闘《せんとう》の内容でも経験値は入ってくるからね。PC同士で生きるか死ぬかってくらいの激しい戦いを続ければ、かなり早くレベルは上がるかも。ただ、普通《ふつう》はその途中《とちゅう》でどっちかが死んだり、モンスターの攻撃を受けて死んじゃったりするんだけど」
「はあ」
[#ここで太字終わり]
そんなかなめたちの呆《あき》れやら驚きやらにはかまいもせず、宗介と椿|一成《いっせい》はさっと離れて身構えた。
[#ここから太字]
「とにかく、風間を助けたので一時休戦は解除《かいじょ》だ」
「おう。今度こそ息の根を止めてやる」
[#ここで太字終わり]
あわててかなめが割って入る。
「ちょ、二人とも!? やめなさいよ! そりゃまあ、助けてくれたのは感謝《かんしゃ》してるけど」[#「「ちょ、二人とも!? やめなさいよ! そりゃまあ、助けてくれたのは感謝してるけど」」は太字]
いつもなら、素直《すなお》にかなめの言うことを聞く二人だったが、彼らはぶっきらぼうにこう言った。
[#ここから太字]
「なんだ、貴様は?」
「便所紙女は下がっていろ」
「…………」
[#ここで太字終わり]
後に語り継《つ》がれたラブーン王国年代記≠ノよれば――
王国最大の危機《きき》を救った四人の勇者は、薔薇《ばら》の花《はな》びらが散《ち》る王宮の園《その》にて巡《めぐ》り会い、一目で互《たが》いの志《こころざし》を知り、義兄弟《ぎきょうだい》の契《ちぎ》りを交《か》わしたと伝えられているが――
まあ現実は、こんなものだった。
[#地付き][後編につづく]
[#改丁]
約束のバーチャル(後編)
[#改ページ]
ついに勇者《ゆうしゃ》(自称)は揃《そろ》った!
比類《ひるい》なき魔術師《まじゅつし》、ザマ(信二《しんじ》)。一騎当千《いっきとうせん》の僧兵《モンク》、バキ(一成《いっせい》)。姿《すがた》なき狩人《かりゅうど》、野伏《レンジャー》のセガール(宗介《そうすけ》)。そして可憐《かれん》な女|剣士《けんし》、トイレット・ペーパー(かなめ)。
おそれを知らぬこの四人が、暗黒《あんこく》の魔女に最後の戦いを挑《いど》むこととなったのである!
目指《めざ》すは魔女ヨーコの居城《きょじょう》、たそがれの森の大城塞《だいじょうさい》。その地下牢《ちかろう》にはザマの愛する囚《とら》われの神官《しんかん》、シア嬢《じょう》が待っているのだ!
新たなる伝説の一章が、いまはじまる!
「……って、のっけから盛《も》り上がりかけたところでアレなんだけどさー」[#「「……って、のっけから盛り上がりかけたところでアレなんだけどさー」」は太字]
かなめはまったり口調《くちょう》で言った。
[#ここから太字]
「魔法使いは風間《かざま》くんだけじゃない。神官が要《い》るっていってたけど、大丈夫《だいじょうぶ》なの?」
「うーん……いまはまだ大丈夫かな。椿《つばき》くんが僧兵だから、ある程度《ていど》は回復系《かいふくけい》と防御系《ぼうぎょけい》の呪文《じゅもん》が使えるし」
「オレが? 呪文を? 知らなかった……」
[#ここで太字終わり]
驚《おどろ》く一成。宗介が鼻を鳴《な》らす。
[#ここから太字]
「自機《じき》のスペックも知らずに戦っていたのか。愚《おろ》かな……」
「うるせえ! そういう貴様《きさま》も、きのうまで棍棒《こんぼう》で戦ってただろうが」
「むう……」
[#ここで太字終わり]
レンジャーというだけあって、宗介の職業《しょくぎょう》は弓《ゆみ》の扱《あつか》いを得意《とくい》とするのだが、彼がそれに気付いたのはついきのうのことなのだった。
[#ここから太字]
「神官の問題は、あとで考えよう。とにかく椿くんはこれから呪文の使い方を覚えて。ショートカットを設定《せってい》するんだ。相良《さがら》くんは技能《ぎのう》を鍛《きた》える。弓は威力《いりょく》が低いけど、技能レベルが上がったらかなり強力だから」
「お、おう……」
「これからはチームワークを意識《いしき》してね。千鳥《ちどり》さんと椿くんがフロントで、僕と相良くんがバック。連携攻撃《れんけいこうげき》のやり方も、あとで教えるよ。大丈夫、簡単《かんたん》だから」
[#ここで太字終わり]
信二が細かい指示《しじ》をてきぱきと出し、二人が不器用《ぶきよう》に従《したが》っていく。『ああして、こうして』といわれて、宗介たちは『すまん、ここはどうすればいい?』だの『そんな難《むずか》しいことできねえぞ』だの。普段《ふだん》とは立場がまるで逆だった。
[#ここから太字]
「千鳥さんは今まで通りにね。すごくうまくなってきてるよ」
「そう? えへへ」
「じゃあ進もうか。しばらくはレベル上げと操作《そうさ》の練習ってことで」
[#ここで太字終わり]
四人はぞろぞろと荒《あ》れ野《の》を歩いていった。陰気《いんき》な空の下、いくつもの枯《か》れ木が身をよじらせ、あたりには冷たい風が吹《ふ》きすさぶ。
先頭のかなめに、一成が声をかけた。
[#ここから太字]
「千鳥。さっきから気になってたんだが……」
「ん?」
「君は一体、どういうつもりでそういう名前を……いや、気にしないでくれ」
「なによ?」
[#ここで太字終わり]
本来《ほんらい》ならば、自分の使うキャラクターの名前も頭上に表示されるところなのだが、かなめのクライアント・ソフトはなにかのはずみで設定《せってい》が変わっているらしい。彼女の頭上には『18[#「18」は縦中横]』というレベルだけが表示されていて、自分の名前が『TOILET PAPER』になっていることにはいまだに気付いていないのだった。
[#ここから太字]
「いいんだ。その手のセンスは人それぞれだからな……。すこし困惑《こんわく》しただけだ」
「? ヘンなの……」
[#ここで太字終わり]
かなめは先を歩いていく。背後《はいご》では、宗介と一成が『やはり気になる』だの『しっ。そっとしておけ』だのとささやき合っていた。
ほどなく、新たなモンスターが出現《しゅつげん》した。トロウルとオークの混成部隊《こんせいぶたい》だ。さっそく四人は戦闘《せんとう》に入った。
宗介が射《う》つ。信二が詠唱《えいしょう》する。かなめが切り込む。一成がなぎ倒《たお》す。たちまち敵は総崩《そうくず》れになって、戦闘は終了《しゅうりょう》した。
宗介と一成はびっくりしていた。信二の言うとおりに、装備を整理して戦い方を変えたら、目に見えて自分たちが強くなったからだ。
[#ここから太字]
「驚いたな」
「こうも違《ちが》うとは……」
「でしょ? ちょっと千鳥さんがダメージ食らったけどね。椿くん、治してあげて」
「ん? おお」
[#ここで太字終わり]
一成が使い方を覚えたばかりの呪文で、かなめのダメージを回復させる。
[#ここから太字]
「ありがと!」
「おう。ヤバくなったらすぐ言えよ。オレがいつでも治してやる」
「うん。頼《たよ》りにしてるね」
[#ここで太字終わり]
そこはかとなく、いいムード。チームの前衛《ぜんえい》を務《つと》める者同士が、なにやら急接近《きゅうせっきん》しているようにも見える。
二人の会話に宗介が割って入った。
[#ここから太字]
「俺《おれ》も少々、敵弾《てきだん》を食らったのだが……」
「知るか。ツバでもつけとけ」
「…………」
「さあ千鳥、行こうぜ!」
[#ここで太字終わり]
次の戦闘。ヘルハウンドの群れが現《あらわ》れて、前衛のかなめと一成に襲《おそ》いかかった。敵の動きはすばやい。かなめに飛びかかろうとする敵に、宗介が片《かた》っ端《ぱし》から矢を射《い》かける。苦戦《くせん》中の一成は完全無視《かんぜんむし》だ。信二が助け船をよこさなければ、連続攻撃を食らって死ぬところだった。
「やい相良! なぜ援護《えんご》しねえ!?」[#「「やい相良! なぜ援護しねえ!?」」は太字]
戦闘終了後、ボロボロの一成が食ってかかる。
[#ここから太字]
「援護ならしたぞ。千鳥は無傷だ」
「俺はこのザマだぞ!」
「知るか。ツバでもつけとけ」
「こ……のッ!」
[#ここで太字終わり]
一成の攻撃! 宗介は回避《かいひ》。
宗介の攻撃! 一成は防御《ぼうぎょ》。
「あー、もう。また始まった。やめなさいってば! ねえ!」[#「「あー、もう。また始まった。やめなさいってば! ねえ!」」は太字]
かなめが割って入り、軽く剣《けん》を振る。そのはずみで、彼女の切っ先が一成に――
どびしっ!!
軽いヒットのはずなのに、なにやらド派手《はで》な効果音《こうかおん》とエフェクトが出る。かなめが持っている剣は、信二から借りた強力な攻撃力を持つ武器だった。しかも、一成は敵との戦闘でダメージだらけ。HPもあとわずかという状態《じょうたい》だ。
かなめの攻撃がとどめとなって、一成はばたりと倒れ、動かなくなってしまった。
「あ……ごめん。大丈夫《だいじょうぶ》?」[#「「あ……ごめん。大丈夫?」」は太字]
一成は答えない。
「イッセーくん?」[#「「イッセーくん?」」は太字]
かがみこんで、ゆさゆさ揺《ゆ》すっても、一成は沈黙《ちんもく》したまま。彼女は宗介たちに振り返って、ぽつりと言った。
「死んじゃった」[#「「死んじゃった」」は太字]
そのころ、たそがれの森≠フ最奥部《さいおうぶ》、鬱蒼《うっそう》たる木々の中にうずくまる城塞で――
兎人《うさぎびと》の召喚術師《しょうかんじゅつし》ミズは、忠誠《ちゅうせい》を誓《ちか》うあるじの前で、膝《ひざ》をつき頭《こうべ》をたれていた。荘厳《そうごん》な謁見《えっけん》の間には、血のように赤い鎧《よろい》を身につけた騎士《きし》たちが整然と居並《いなら》び、鈍《にぶ》い光をはなつ長槍《ながやり》を、天に向けていた。
[#ここから太字]
「……申《もう》し訳《わけ》ございませぬ、ヨーコさま。目障《めざわ》りなあの魔術師《まじゅつし》――疾風《しっぷう》のザマ≠フ討伐《とうばつ》は、思わぬ邪魔《じゃま》が入ったため果たせませんでした」
[#ここで太字終わり]
大理石《だいりせき》の玉座《ぎょくざ》に腰《こし》を据《す》えたヨーコは、ミズの報告に眉《まゆ》をひそめる。
[#ここから太字]
「邪魔が入ったとな? 何者だ」
「はっ……バキなる僧兵《そうへい》と、セガールなる野伏《のぶし》にございます。さらに面妖《めんよう》な名前の娘《むすめ》が、かの魔術師に手を貸《か》しておりました」
「ほほう……」
[#ここで太字終わり]
暗黒の魔女は妖艶《ようえん》な微笑《びしょう》を浮《う》かべた。
[#ここから太字]
「おもしろいわ。このヨーコに真《ま》っ向《こう》から逆らう者どもがまだおったとは。そやつらには、わらわに刃向《はむ》かうことの愚《おろ》かさを思い知らせてやらねばならぬな……」
「御意《ぎょい》」
「っつーか、あんたのガッコの友達?」
「うん。たぶん」
[#ここで太字終わり]
[#挿絵(img2/s08_061.jpg)入る]
芝居《しばい》がかった会話に飽《あ》きて、二人は普通《ふつう》のタメ口に戻《もど》った。
[#ここから太字]
「ヒマ人ねえ。高校生なら勉強しろっての。怠《なま》けてると立派《りっぱ》な大人になれないわよ?」
「そういうヨーコさんは公務員《こうむいん》でしょ。よく昼間とかもプレイできるね」
「SEを丸め込んでね。職場《しょくば》のPCでプレイしまくりよ。もちろん通信費《つうしんひ》はタダ。うわっはっは」
「そっちの方がよっぽど問題があるような気が……。それで、ザマはどうすんの」
「放っときましょう。いまのあたしを倒せるのは、もはや奴《やつ》ひとり。いずれまた、ここにやって来るわ。地下にある『魂《たましい》の牢獄《ろうごく》』にはザマの恋人《こいびと》も閉じこめてるから」
[#ここで太字終わり]
美少女神官のシアのことである。ヨーコはただのPKと強奪行為《ごうだつこうい》では飽《あ》き足らず、最近は中堅《ちゅうけん》どころのPC(プレイヤー・キャラクター)を捕《つか》まえては、城塞《じょうさい》の地下室に監禁《かんきん》しているのだった。この牢獄に『監禁』されると、そのPCはまったく移動《いどう》ができなくなってしまう。装備《そうび》もお金もそのままで、外から開けてもらうしかないのだ。
このシステムは一般《いっぱん》プレイヤーの間でも非常《ひじょう》に評判《ひょうばん》が悪い。なにしろゲームにインしても、狭《せま》い牢屋の中から出ることができないのだから。これではゲームをやる意味などほとんどなくなってしまうし、実際《じっさい》、牢獄につながれてゲームを引退《いんたい》してしまうプレイヤーも後を絶《た》たない。抗議《こうぎ》のメールを管理《かんり》会社に送る者も多いのだが、管理会社は『仕様《しよう》です。PC間のトラブルは、PC同士で解決《かいけつ》してください』というテンプレートの回答を送ってよこすだけだ。
『魂の牢獄』を作って維持《いじ》するのには、相当《そうとう》な手間《てま》と金《ガメル》が必要になる。つまりヨーコ側もそれ相応《そうおう》のコストを支払《しはら》っているわけなのだが、組織だったPKグループを形成して、強盗《ごうとう》やらなにやら悪の限りを尽《つ》くしている彼女らにとっては、それほどの苦労ではないのだった。
当然、囚人《しゅうじん》となったPCを助けるために、その仲間たちが救出にやってくる。それはそうだろう。ここで仲間を助けにいかなければ、男がすたるというものだ。しかしヨーコはこの城塞に周到《しゅうとう》な罠《わな》と充分《じゅうぶん》な戦力《せんりょく》を準備《じゅんび》しており、高レベルのPCたちがやってきたとしても、首尾《しゅび》よくこれを撃退《げきたい》してきた。
そして、倒した救出チームから装備や持ち金を根こそぎ奪《うば》って転売《てんばい》するわけである。
[#ここから太字]
「友釣《ともづ》り作戦は効果《こうか》あるねー」
「くっくっく。当然よ……」
[#ここで太字終わり]
この非道《ひどう》かつ効果的な作戦のおかげで、ヨーコはプレイヤー殺しポイント≠ェダントツのトップだった。多くのプレイヤーは怒《おこ》るやらあきれるやら、匿名掲示板《とくめいけいじばん》で虚《むな》しい中傷《ちゅうしょう》を繰《く》り返すやらといった有様《ありさま》なのだが――悪には悪のカリスマがある。シニカルなプレイヤーは次々にヨーコの味方についてしまった。
しまいには悪の勢力《せいりょく》だけでオフ会なども行ったそうな。しかも現実《オフ》のヨーコがまたナイスバディの巨乳《きょにゅう》美女で、酒好き、カラオケ好き、現在彼氏|募集中《ぼしゅうちゅう》の豪快《ごうかい》な姉ちゃんだったりする。反ヨーコ派《は》のスパイがそのオフ会に潜入《せんにゅう》し、彼女の写真をネット上に公開して中傷しようとしたところ、むしろそれが逆効果《ぎゃくこうか》になった。前述《ぜんじゅつ》した通りの美女でもあるし、またその写真の公開に対しても『好きにすれば?』とクールな対応《たいおう》。これがまた彼女の人気に拍車《はくしゃ》をかけてしまった。
俺も、俺もと配下《はいか》に加わろうとする高レベルPCが続出《ぞくしゅつ》し、いまやヨーコの軍勢《ぐんぜい》は、王国を滅《ほろ》ぼしかねないほどの力を蓄《たくわ》えているのである。
そのヨーコに取り入った瑞樹《みずき》の、機《き》を見るに敏《びん》なところも見事《みごと》である。彼女はたちまち頭角《とうかく》をあらわし、高価な装備やアイテムを与《あた》えられて一気にレベルを上げ、ヨーコの闇《やみ》の王国の幹部《かんぶ》へと登りつめていた。
「それよりも気になることがある」[#「「それよりも気になることがある」」は太字]
高級回復ポーションをなみなみと注《そそ》いだグラスをくゆらせ、ヨーコは言った。
[#ここから太字]
「……近々、王国の神聖騎士団《しんせいきしだん》が大規模《だいきぼ》な攻勢《こうせい》をかけてくるわ。公式BBSで義勇兵《ぎゆうへい》を募《つの》ってるし」
「みたいだね。すごい数になりそうだけど。どーするの?」
「ふふ……それなら、見所のある軍師が最近入ったのよ。……ディーオノ! ディーオノはおるか!?」
「ははっ、これに!」
[#ここで太字終わり]
広間の片隅《かたすみ》、高くそびえた石柱《せきちゅう》の陰《かげ》から、一人の男が姿を見せた。血のように赤い鎧をまとった、美形の剣士である。
ディーオノもまた、瑞樹|同様《どうよう》、つい最近になってヨーコの軍団に名を連《つら》ねた新参《しんざん》の軍師であった。その素性《すじょう》は知れず、レベルもまた低いものであったが、ヨーコへの忠誠心は古株《ふるかぶ》の幹部たちにも劣《おと》らず、リアル生活が心配になるほどの熱心さで仕《つか》え、『死ね』と言えば躊躇《ちゅうちょ》なく己《おの》が命を絶《た》つほどの従順《じゅうじゅん》さを、この闇の女王に示《しめ》していた。
[#ここから太字]
「我《わ》が君。軍の再編《さいへん》と練兵《れんぺい》はとどこおりなく進んでおります。まもなく、王国を迎《むか》え撃《う》つ手はずも整《ととの》いましょう」
「作戦計画はどうなっておるか?」
「すでに三案をとりまとめ、メールにて。添付《てんぷ》のエクセルファイルにございます」
「うむ、大儀《たいぎ》」
「もったいなきお言葉……。この戦《いくさ》に勝利した暁《あかつき》には、例の件、くれぐれも……」
「ふふ……オフ会での膝枕《ひざまくら》であったな。覚えておるぞ」
「ははっ。ありがたき幸せ!」
[#ここで太字終わり]
軍師ディーオノはうやうやしく頭を下げる。
ヨーコは玉座《ぎょくざ》から立ち上がり、ぶわっとマントを翻《ひるがえ》した。
[#ここから太字]
「さあ、いよいよ決戦ぞ! まずは恐《おそ》れも知らず、この城砦《じょうさい》に攻《せ》め寄《よ》せる王国の騎士団どもを、ことごとく鏖殺《みなごろ》してくれよう! しかるのち、我が軍は余勢《よせい》を駆《か》って城塞都市ピークニィに進撃《しんげき》する!」
[#ここで太字終わり]
声高らかに闇の女王は叫《さけ》んだ。付近《ふきん》一帯に聞こえるシャウトモードで。
「破壊《はかい》と略奪《りゃくだつ》! かの都を、絶望《ぜつぼう》の支配する廃墟《はいきょ》に変えてしまえ!」[#「「破壊と略奪! かの都を、絶望の支配する廃墟に変えてしまえ!」」は太字]
城塞に巣《す》くう闇の眷属《けんぞく》たちすべてが一斉《いっせい》に吠《ほ》え猛《たけ》り、武具や盾《たて》を打ち鳴らす。ヨーコは邪悪な高笑い。まともな映画やアニメなら、このタイミングで雷《かみなり》が鳴ったりフルオーケストラの曲がかかったりしつつ、場面が変わるところなのだが――
「ねえねえ。ピークニィを廃墟に……って、できるの?」[#「「ねえねえ。ピークニィを廃墟に……って、できるの?」」は太字]
ふと、瑞樹は素朴《そぼく》な疑問《ぎもん》を口にした。
「無理《むり》。あの街《まち》ピースゾーンだから」[#「「無理。あの街ピースゾーンだから」」は太字]
黒衣《こくい》の魔女は悲しげに言った。
一方のザマ一行――
死亡ペナルティがかなり大きいこのゲームだが、復活《ふっかつ》ができないわけではない。ただ、普通《ふつう》のプレイヤーでは出せないくらいの莫大《ばくだい》なカネがかかるのだ。
荒《あ》れ野《の》からピークニィの街に帰り、一成を復活させたせいで、とんでもない出費《しゅっぴ》になってしまった。すべて信二の負担《ふたん》である。
だというのに――
[#ここから太字]
「つまるところ! 貴様が全部悪いんだ!」
「自身の回復を怠《おこた》った貴様のミスだ」
[#ここで太字終わり]
聖堂で復活するなり、一成は宗介と戦闘《せんとう》をはじめる。
倒《たお》れる神像。逃げまどう神官たち。NPCの警備隊が駆《か》けつけるのも時間の問題だ。そうなるといろいろ問題だったので、信二はため息をついて、いがみ合う二人に金縛《かなしば》りの呪文《じゅもん》をかけてしまった。
こいつらを野放《のばな》しにしておくと、まるで話が進まない。
「お騒《さわ》がせしましたー。あははは……」[#「「お騒がせしましたー。あははは……」」は太字]
固まった二人を引きずって、かなめと信二は聖堂を後にする。
[#ここから太字]
「あのー。ごめんね、風間くん……」
「いいって。僕の不注意だし」
[#ここで太字終わり]
信二は苦笑《くしょう》した。
[#ここから太字]
「でも弱ったな。椿くんの復活で、お金がほとんど無《な》くなってしまったんだ。本当は、みんなを強化する武器や防具を買おうと思ってたんだけど……」
「また稼《かせ》ぎにいこ。あたしもがんばるから」
「でも、元の金額まで貯《た》めるなら、たぶん一か月くらいはかかるだろうね」
「ええ!?」
「普通のロープレと違《ちが》って、この手のゲームはお金の扱《あつか》いがシビアなんだ」
「そ、そうだったの……」
「レベルの上限は99[#「99」は縦中横]。そこから先は、財力《ざいりょく》の勝負でね。ひとり五〇万ガメルあれば、ヨーコに対抗《たいこう》できる装備を買えるんだけど……いまの僕の所持金《しょじきん》は、一万ガメルもない。さて、どうしたものやら……」
[#ここで太字終わり]
そのおり、街路《がいろ》の一角に大きな人だかりが生まれているのが見えた。なにやら、新しく開店したプレイヤーの店が、景気《けいき》のいいバーゲン・セールをやっているようだ。
売り子の町娘《まちむすめ》が声を張《は》り上げていた。
[#ここから太字]
『いらっしゃいませー! いらっしゃいませ! 王都でも噂《うわさ》の薬局、マスモトヒヨシ≠ェこの街にも開店しました! 品数|豊富《ほうふ》、安さ|爆発《ばくはつ》! あなたの町のマスモトヒヨシ! 開店セール実施中《じっしちゅう》! いまなら回復ポーション一ダースが、なんと八〇ガメルで大奉仕中《だいほうしちゅう》です!』
[#ここで太字終わり]
どうも破格《はかく》の安さらしい。人々はこぞって買い求める。興味《きょうみ》半分でその店をのぞくと、売り子の娘――なんとなくナース・ルックに似た衣装《いしょう》を着て、メガネをかけたエルフがこちらを認めてこう叫《さけ》んだ。
「あ、風間くんだ! おーい!! >w<\」[#「「あ、風間くんだ! おーい!! >w<\」」は太字]
娘のキャラ名はKYO≠ニある。
「常盤《ときわ》さん。まだプレイしてたの?^^;」[#「「常盤さん。まだプレイしてたの?^^;」」は太字]
信二が言った。客の何人かが、ザマの本名は風間っていうのか。チェックだ、チェック≠セのとささやきあっていたが、信二はそれを捨《す》て置いた。
「うん。いい働き口を見つけてさ。ところで、そっちの変な人は? まさか、もう新しい彼女作っちゃったの?」[#「「うん。いい働き口を見つけてさ。ところで、そっちの変な人は? まさか、もう新しい彼女作っちゃったの?」」は太字]
キョーこと恭子《きょうこ》は、かなめをしげしげと見つめた。
[#ここから太字]
「キョーコ。あたしよ」
「? ひょっとしてカナちゃん? なんだ、参加してたの!? @ @」
「うん。なんとなく」
「お蓮《れん》さん! カナちゃんが来たよ!」
[#ここで太字終わり]
恭子は店の奥《おく》、行列のできたレジの売り子に呼びかけた。客に向かって折《お》り目《め》正しく挨拶《あいさつ》をしていた黒髪《くろかみ》の町娘が、こちらを見る。大陸東方の異民族《いみんぞく》の着物《きもの》をみにつけ、あでやかな髪飾《かみかざ》りをつけていた。
頭上の名前はREN=Bまんまである。
「かなめさんが? まあ……風間さんもご一緒《いっしょ》で。それに後ろで凍《こお》ってるお二人は?」[#「「かなめさんが? まあ……風間さんもご一緒で。それに後ろで凍ってるお二人は?」」は太字]
いまだに金縛り状態の宗介と一成を見て、美樹原《みきはら》蓮は怪訝《けげん》そうにたずねる。
[#ここから太字]
「ああ、この二人は無視《むし》していいから」
「そうですか」
[#ここで太字終わり]
あっさり従う蓮。
[#ここから太字]
「それで……キョーコとお蓮さん、なんで売り子なんてやってるの?」
「はい。せっかく風間さんにお誘《さそ》いいただいたこのゲームですが……どうも常盤さんとわたしは、争いごとが向かないようでして。あちこちをさまよっているうちに路銀《ろぎん》も使い果たし、食料や宿にさえ困ってしまいました」
「はあ……」
[#ここで太字終わり]
蓮はさめざめと涙《なみだ》をこぼす。
[#ここから太字]
「しまいには困窮《こんきゅう》のあまり、ひとかけらのパンをいただくために、殿方《とのがた》にこの身を売ろうかとさえ思い詰《つ》めまして……卑《いや》しい女とお笑いください……」
「あのー。……さすがにゲーム上で、そーいうのは無理《むり》では?」
「……でもないんだけどね」
[#ここで太字終わり]
ぼそりと信二。
[#ここから太字]
「へ?」
「いや、気にしないで」
「まさか? このゲームって、そこまで!?」
「ないないない! ただ、外見データをいじって、こういうチャットを使って、いろいろ遊ぶ連中もいるってだけで……」
「風間くんもそういうことするの!?」
「しないよっ!!」
[#ここで太字終わり]
やたらムキになって信二は否定《ひてい》した。
[#ここから太字]
「…………。まあいいや。それで? キョーコとお蓮さん、けっきょくここでバイトはじめたわけ?」
「はい。わたしは貧《まず》しさに耐《た》えかね、川に身を投げようとしていたところで、ご主人様に拾《ひろ》われたのです」
「あたしはね、町はずれの茸《きのこ》を食べて生き延《の》びてたんだ!w そこでお蓮さんが誘ってくれたのー」
「っつーか、そんなみじめな極貧《ごくひん》プレイ、よく続けてたわね……」
[#ここで太字終わり]
あきれるかなめの前で、恭子が清楚《せいそ》な看護婦風《かんごふふう》の服を見せびらかす。
[#ここから太字]
「でも、へへー、いいでしょ! こーんな制服《せいふく》まであるし。この薬局はね、六号店なんだ。ここ一週間で、ガンガン儲《もう》けて手広くやってるんだって^^」
「へえ。オーナーの人、よっぽど商売上手なのね」
「お褒《ほ》めにあずかり光栄ですな」
[#ここで太字終わり]
そう言って、一人の錬金術師《れんきんじゅつし》が近寄ってきた。
その錬金術師は長身、白皙《はくせき》、怜悧《れいり》な風貌《ふうぼう》だった。
白い詰襟《つめえり》のローブを着て、灰色の髪を総髪《そうはつ》になでつけ、知的《ちてき》さをかもしだす眼鏡《めがね》をかけている。頭上の名前はATSUNOV≠ニある。風格《ふうかく》は充分《じゅうぶん》だったのだが、レベルはわずか5だった。
[#ここから太字]
「あ、オーナー! ちょうど良かった。セールス品の攻撃速度増加《こうげきそくどぞうか》ポーションが、もうすぐ売り切れですー」
「ご主人様。ついさきほど、本日の売り上げ目標を超《こ》えました」
「うむ。その調子《ちょうし》で頼《たの》むよ、常盤くん、美樹原くん」
「はーい。あ、それと……この変な女の人、カナちゃんです。じゃ、あたし在庫《ざいこ》出しにいくから。またあとでね、カナちゃん^^」
[#ここで太字終わり]
恭子は店頭《てんとう》での呼び込みに戻《もど》っていく。
[#ここから太字]
「あのー、もしかして、林水《はやしみず》センパイ?」
「いかにも。私だ」
[#ここで太字終わり]
眼鏡のブリッジをくいっと押《お》し上げ、錬金術師は言った。
[#ここから太字]
「風間くん、センパイまで誘ってたの?」
「うん。生徒会室にいる人は全員誘った。みんなヨーコ討伐《とうばつ》はあきらめて、好き勝手はじめちゃったけど……」
「最近は放置気味《ほうちぎみ》ですまなかったね、風間くん。私は私なりのやり方をとらせてもらったのだ。ほかの生徒会の面々《めんめん》は、二号店を切り盛《も》りしている」
「はあ……」
「このチェーン店、林水|先輩《せんぱい》がはじめたんですか?」
[#ここで太字終わり]
かなめがたずねた。
[#ここから太字]
「うむ。効率的《こうりつてき》な交易《こうえき》と低価格|戦略《せんりゃく》、マーケティングをいろいろ試《ため》してみた。架空《かくう》世界でも、なかなかうまく行くものだな。勉強になったよ」
[#ここで太字終わり]
聞けば林水はこのゲームにインしてくるなり、レベル上げやら戦闘やらはほとんどやらないまま、あちこちの街を渡《わた》り歩いていたそうだ。そこで販売《はんばい》されてる商品を見比《みくら》べ、数え切れないほどの商人たちから話を聞いて、市場の動向《どうこう》や人気商品、その入手ルートを調べたらしい。
だいたいのことが分かったところで、林水は信二から一万ガメルを借りて、三日でそれを一〇〇万ガメルに増やしてしまったという。
[#ここから太字]
「すさまじい商才ですね……」
「現実世界に比《くら》べれば、それほど難《むずか》しくはなかったよ」
[#ここで太字終わり]
わけもない様子《ようす》で林水は言った。
[#ここから太字]
「たとえばこれだ。この睡眠耐性《すいみんたいせい》の使い捨てアミュレット。数週間前まではだれも見向きもしないアイテムだった。睡眠攻撃をしてくるモンスターとやらは、ここから西にある『常夜《とこよ》の廃墟《はいきょ》』に多い。睡眠は面倒《めんどう》な攻撃なので、不人気《ふにんき》な狩場《かりば》だった。ところがあの魔女《まじょ》が人気狩場の『たそがれの森』を占拠《せんきょ》したために、森を追い出された冒険者《ぼうけんしゃ》は廃墟の方に流れた。当然、睡眠関連のアイテムは需要《じゅよう》が上がる。そこで睡眠耐性のアイテムを需要の低い東方から、大量《たいりょう》に買い付けて売りさばく。それにゲーム自体のアップデートで、いろいろと条件《じょうけん》も変わるからね。情報さえしっかり押さえれば、薄利多売《はくりたばい》でも相当《そうとう》な利益《りえき》を上げることができる」
「はあ」
「イメージ戦略も重要《じゅうよう》だ。ここで買えばまず問題ない、良心的《りょうしんてき》なブランドだと、顧客《こきゃく》の間に好感を定着《ていちゃく》させることにも腐心《ふしん》したよ」
「イメージ戦略って……あのマスモトヒヨシ≠チて店名、どーにかならないんですか」
[#ここで太字終わり]
ありていにいって、パチモン臭さが全開である。
[#ここから太字]
「そうでもない。こうした架空世界だと、むしろ身近で陳腐《ちんぷ》なネーミングの方がインパクトがある。潜在的《せんざいてき》な客に『なんだ、それは?』と思わせれば勝ちなのだ」
「そんなもんですかね」
「そんなものだ」
[#ここで太字終わり]
林水はうなずいてから、かなめの頭上――彼女には見えないなにかを一瞥《いちべつ》した。
[#ここから太字]
「それより。私は君の名前の方が、よほど気になるのだがね」
「…………? ワイズのどこが変なんです?」
[#ここで太字終わり]
自キャラの名前は頭上に表示されないので、かなめの勘違《かんちが》いは未《いま》だに放置状態《ほうちじょうたい》だ。みんなもあえて触《ふ》れようとしない。
[#ここから太字]
「まあいい。それより風間くん」
「?」
「ちょうど良かった。君に会わせたい人物がいるのだ。付いてきたまえ」
[#ここで太字終わり]
林水は店の奥《おく》に歩き出す。相変《あいか》わらず固まったままの宗介と一成は置き去りにして、かなめたちは後に従った。
「私もただ商売だけをしていたわけではなくてね。自分なりに君の力になろうと思って、いろいろと動き回ってはいたのだよ」[#「「私もただ商売だけをしていたわけではなくてね。自分なりに君の力になろうと思って、いろいろと動き回ってはいたのだよ」」は太字]
戸口をくぐって狭《せま》い階段を昇《のぼ》り、事務室《じむしつ》へ。
その奥の応接椅子《おうせついす》に、一人の騎士《きし》が腰掛《こしか》けていた。白い板金鎧《ばんきんよろい》には、神聖騎士団の紋章《もんしょう》が彫り込まれている。頭上の名前はGOTO=B
[#ここから太字]
「こちらは?」
「神聖騎士団の団長、ゴトー卿《きょう》だ」
[#ここで太字終わり]
騎士は立ち上がると、信二とかなめにうやうやしく一礼した。
[#ここから太字]
「お初《はつ》にお目にかかります。それがしゴトー・ショージと申《もう》す者! ザマ殿《どの》の勇名《ゆうめい》は常々《つねづね》聞いておりますぞ。以後《いご》、お見知り置きを!」
「どうも。それで……僕になんの用です?」
[#ここで太字終わり]
不審顔《ふしんがお》で信二がたずねる。
[#ここから太字]
「ザマ殿も彼《か》の魔女のことは存《ぞん》じておろう。あのあばずれめの悪逆非道《あくぎゃくひどう》、もはや度《ど》し難《がた》いものがある! よって我《わ》が騎士団はいよいよ来週、魔女ヨーコを討伐《とうばつ》すべく挙兵《きょへい》することと相成《あいな》った。騎士団の精鋭《せいえい》と義勇兵《ぎゆうへい》、あわせて一三八名! 古今未曾有《ここんみぞう》の大部隊をもって、ヨーコの城塞《じょうさい》を攻《せ》め滅《ほろ》ぼす所存《しょぞん》!」
「ああ。公式BBSで募集《ぼしゅう》してたあれ?」
「……まあ、ぶっちゃけ、そうでござるよ」
[#ここで太字終わり]
なんとなく落胆《らくたん》したようなポーズをとって、ゴトー卿が同意した。
「ただ、ゴトー卿の兵力では、ヨーコの手下をおさえるので精一杯《せいいっぱい》だ」[#「「ただ、ゴトー卿の兵力では、ヨーコの手下をおさえるので精一杯だ」」は太字]
林水が補足《ほそく》した。
[#ここから太字]
「兵力そのものでいえば、騎士団は敵と伯仲《はくちゅう》しているといってもいい。だが、敵の城砦には数々の防衛兵器が配備《はいび》されている。損害《そんがい》もかなりのものになるだろう。高レベルで腕《うで》のたつPCでなければ、城砦の奥にはたどりつけない。そしてその先には、強大なアイテムで武装した魔女がいる、というわけだ」
「…………」
「ヨーコと互角《ごかく》に戦える者が必要だ。上級者キャラのことごとくがヨーコに討たれたいま、彼女を倒《たお》せるのは――風間くん、実質《じっしつ》、君しかいない」
「つまり、僕たちにその戦争に参加しろと?」
「お頼《たの》み申す、ザマ殿」
[#ここで太字終わり]
ゴトー卿がいった。林水も大きな金貨入りの袋《ふくろ》をじゃらじゃらさせて、微笑《びしょう》を浮かべた。
[#ここから太字]
「経費《けいひ》は負担《ふたん》する。充分《じゅうぶん》な装備も援助《えんじょ》できるよ」
「わかりませんね。そちらのゴトー卿はともかく……先輩が戦争に加担《かたん》する理由がないじゃないですか。僕のことなんかそっちのけで、商売に夢中になってたのに」
「うむ。確かに君の言うとおりだ」
[#ここで太字終わり]
林水がうなずいた。
[#ここから太字]
「だが私は薬局以外にも、いろいろと商売の手を広げていてね。武器、防具、食料品……神聖騎士団は大口の顧客《こきゃく》なのだ」
「ふむ……」
「それに、ヨーコの勢力《せいりょく》は大きくなりすぎた。彼女らはいずれ、私の交易路《こうえきろ》にまで手を伸《の》ばしてくるだろう。それは困《こま》る」
[#ここで太字終わり]
さも当然のように言う。ゲームをはじめてまだ一週間くらいのくせに、一年くらいプレイしているベテランみたいな風格《ふうかく》であった。
(うちの生徒でこのゲームに一番ハマっちゃった入って、実は林水センパイ……?)
わざわざチャットに打ち込みはしなかったが、かなめはひそかにそう思った。
[#ここから太字]
「まあ、いずれにしてもだ。この私が、けなげな善意《ぜんい》を理由にして支援《しえん》を申し出るよりは信用できるだろう。君にとっても悪い話ではないと思うが?」
[#ここで太字終わり]
信二はしばらく黙考《もっこう》していたが、
「いいでしょう」[#「「いいでしょう」」は太字]
と言った。
[#ここから太字]
「ただし、千鳥さんたちも連れて行きますよ。彼女らの装備も最高のものにしたい。アビリティ系のポーションも必要です」
「けっこう。すべて用意させよう」
[#ここで太字終わり]
林水と信二が真面目《まじめ》な相談をしている頃《ころ》、薬局の軒先《のきさき》では――
[#ここから太字]
「……ねえ、お蓮さん。この固まってる二人、他のお客さんの邪魔《じゃま》だね」
「ええ。なんだか怖《こわ》い顔で、やたら不自然な姿勢《しせい》ですし……」
「捨《す》ててこよっか」
「そうですね」
[#ここで太字終わり]
恭子と蓮はいそいそと、動かない一成と宗介(主人公)を薬局の裏手《うらて》のゴミ置き場に引きずっていった。
●
たそがれの森に集まったヨーコ討伐の兵力は、一三八名どころか二〇〇名近くにまでのぼった。本当の大戦争なら、普通《ふつう》はこの一〇〇倍くらいの人数がブワーっと走ってぶつかり合うわけなのだが、さすがにそんな人数はサーバーが処理《しょり》しきれない。むしろ、このゲームの常識《じょうしき》では、異例《いれい》の大兵力なのである。
数え切れないほどの古強者《ふるつわもの》たち――さまざまな武具に身をかためた騎士団《きしだん》と義勇兵たちを前にして、まず、騎士団長のゴトー卿が檄《げき》を飛ばした。
[#ここから太字]
「はい、みなさん、こんばんはー^^」
『こんばんは〜〜^o^\』
[#ここで太字終わり]
血気《けっき》盛《さか》んな兵たちが、勇《いさ》ましく応じる。ゴトー卿は満足げにうなずいてから、並《な》み居《い》る強者《つわもの》どもに、ただならぬ威厳《いげん》をもって力強い訓示《くんじ》を垂《た》れた。
[#ここから太字]
「騎士団長っつーか、幹事《かんじ》のゴトーです。いちおう偵察隊《ていさつたい》の報告《ほうこく》だと、森の中に伏兵《ふくへい》はいないみたいです。予想外にこちらが大兵力なのでw、消耗《しょうもう》を避《さ》けて籠城戦《ろうじょうせん》で迎《むか》え撃《う》つつもりみたいです。まあ念《ねん》のために、ヒマな人は攻城兵器《こうじょうへいき》の護衛《ごえい》についてください。敵の城塞の前まで着いたら、アツノフさんの計画通りに攻撃《こうげき》してくれると助かります。あ、それから今回の戦費《せんぴ》その他は、アツノフさんが出費《しゅっぴ》してくださってます。そんなわけで、アツノフさんからも一言、どうぞーw」
[#ここで太字終わり]
盛大《せいだい》な拍手《はくしゅ》。林水が前に出る。
[#ここから太字]
「どうも。資金援助者《しきんえんじょしゃ》です。薬草からポーションまで。冒険者《ぼうけんしゃ》の友、マスモトヒヨシ。いつでもやってるマスモトヒヨシ。総合《そうごう》薬局、マスモトヒヨシをよろしくお願いいたします。皆様《みなさま》のご支援《しえん》で、ピークニィの街に六号店が開店しました。ただいま開店セール実施中《じっしちゅう》です。戦場からのお帰りに、ぜひお立ち寄りください」
「おお〜〜〜」
[#ここで太字終わり]
王国史に残るような感動的|演説《えんぜつ》に、一同は拳《こぶし》を突《つ》き上げる。
[#ここから太字]
「はい、ありがとうございましたー。では、きょうこそはヨーコさんに一泡《ひとあわ》吹かせてやりましょうw」
『お―――w』
[#ここで太字終わり]
光|輝《かがや》く聖剣《せいけん》――闇《やみ》の属性《ぞくせい》の魔物《まもの》が恐《おそ》れる最強武器『ミスリル・ブレード』をかざし、ゴトー卿が声高く宣言した。
「全軍、出撃〜〜〜w」[#「「全軍、出撃〜〜〜w」」は太字]
重々《おもおも》しい太鼓《たいこ》が鳴り、兵士たちは緊張《きんちょう》もあらわに、鬱蒼《うっそう》たる森林へと分け入っていく。
[#ここから太字]
『すすめ〜〜w』
『逝ってきまっす><\』
『うはwwおkww』
『みwwwなwwwぎwwwっwwwてwwwきwwwたwww!! おぅえwwwww』
『トマホーク+3を300kで売ります。wispiz』
[#ここで太字終わり]
勇ましくたのもしい戦いの声が、軍勢の間からこだまする。かくして、王国|史上《しじょう》最強の軍勢が、決死の進軍を開始した!
[#ここから太字]
「なんなのよ、この緊張感のなさは!?」
「戦争というよりは遠足だな」
「椎茸《しいたけ》狩《が》りにでも来たみたいだ……」
[#ここで太字終わり]
義勇軍に同行していた、かなめ、宗介、一成は、口々に不平を漏《も》らした。
「いや、まあ、こんなもんだよ」[#「「いや、まあ、こんなもんだよ」」は太字]
信二が当たり前のように言った。
「それよりみんな、装備はちゃんとチェックした? これまでとはケタはずれの性能だから、着け忘れとかないようにね」[#「「それよりみんな、装備はちゃんとチェックした? これまでとはケタはずれの性能だから、着け忘れとかないようにね」」は太字]
一同は『うん』だの『おう』だの『了解《りょうかい》』だのとめいめいに応《こた》える。
いまやかなめたちは、瑞樹に襲《おそ》われた最初の頃《ころ》とは比《くら》べものにならないほどの強力な戦士たちに生まれ変わっていた。
準備期間の間にみっちり風間がついてレベル上げをこなし、三人はプレイヤー技能についても徹底的《てっていてき》に叩《たた》き込まれた。この『ドラゴン・オンライン』はレベルの上下関係はもちろんだったが、プレイヤーの腕前《うでまえ》で勝負の際《さい》にかなりの差が出てくるシステムになっている。戦闘《せんとう》や各種スキルに関する理解《りかい》ももちろんのこと、反射神経《はんしゃしんけい》や動体視力《どうたいしりょく》、とっさの場合の判断力《はんだんりょく》についてもプレイヤーの力が大きく求められるのだ。
その点では、かなめ、宗介、一成――この三人にはそれ相応《そうおう》の資質《ししつ》がある。なにしろ運動神経がいい。ゲームそのものには不慣《ふな》れでも、行動のすばやさやのみこみの早さ、コンビネーションのうまさについては、凡百《ぼんびゃく》のプレイヤーを寄せ付けない才能を発揮《はっき》していた。キャラクターのレベルがイマイチ低くても、信二が彼らにこだわったのはそういう事情《じじょう》があったのだ。
また、林水の申し出は実際《じっさい》、大きく役に立った。
まだ全然ペーペーの低レベルだったかなめは、高価きわまりない能力値上昇《のうりょくちじょうしょう》のポーションと、トップクラスの性能を誇《ほこ》る武具のおかげで、高レベル帯《たい》の敵と戦っても遜色《そんしょく》がないくらいには強くなっていた。
一成も同様で、滅多《めった》にお目にかかれないレアアイテム――SPTナックル・ショット≠準備して、一撃《いちげき》で強靭《きょうじん》なミスリル・ゴーレムを屠《ほふ》れるほどになっていた。
宗介には、技能レベルをあげるスクロールが惜《お》しみなく与《あた》えられていた。おかげで高レベルの野伏だけが使える必殺技《ひっさつわざ》――ゴッド・ボーガン束《たば》ね撃《う》ち≠ェ使えるようになっていた。さらに最強の長弓――地獄《じごく》の業火《ごうか》RF≠ワで与えられたのだが、なぜか宗介は一ランク下のやたらごっつい石弓《いしゆみ》を持っていくことにこだわった。
「なんで?」
かなめや信二がたずねると、宗介は自分の装備《そうび》ウィンドウを開いて見せた。
「武器名を見ろ」
[#挿絵(img2/s08_085.jpg)入る]
その武器の名はARBALEST≠ニいった。
アーバレスト。
中世ヨーロッパに実在した大型の石弓のことだ。
[#ここから太字]
「この方が縁起《えんぎ》がいい」
「なるほどね。あはは」
[#ここで太字終わり]
理由が分かるかなめだけが、からからと快活《かいかつ》に笑った。
偵察隊《ていさつたい》の報告《ほうこく》通り、ヨーコの城塞《じょうさい》までの道のりに伏兵《ふくへい》はいなかった。二〇〇人の軍勢は城塞の前に到着《とうちゃく》する。
陰鬱《いんうつ》な景色《けしき》だ。
重々しい楽曲。そして冷たい風の音が、戦場にひびきわたった。
ゴトー卿《きょう》がまず、名乗りをあげた。
[#ここから太字]
「えー、うおっほん!! 拙者《せっしゃ》は! 神聖ラブーン王国|騎士団《きしだん》団長、ゴトー・ショージ男爵《だんしゃく》である! 黒衣の魔女<ーコよ! おぬしの城はすでに包囲《ほうい》された! 罪《つみ》を認め、降伏《こうふく》して命|乞《ご》いすれば、助けてやらんこともない! さもなくば、正義のためになぶり殺しにしてくれようぞ! 返答やいかに!?」
[#ここで太字終わり]
城壁《じょうへき》の上から、ふらりと人影《ひとかげ》が現れた。だれあろう、黒衣の魔女ヨーコだ。
「ふん。これでも食らえ!」[#「「ふん。これでも食らえ!」」は太字]
雷光が一閃《いっせん》した。
電撃《でんげき》の矢が城塞から飛来《ひらい》し、ゴトー卿の胸に炸裂《さくれつ》する。クリティカル・ダメージ! ゴトー卿はのけぞって倒《たお》れ、びくびくと全身を痙攣《けいれん》させた。
[#ここから太字]
「ゴトー卿!?」
「あ、すみませーん。あとの指揮《しき》、だれか頼《たの》みます。……ガクっw」
[#ここで太字終わり]
かくしてゴトー卿は壮絶《そうぜつ》な戦死をとげた。副団長がほぞをかみ、滝《たき》のような涙《なみだ》を流しつつ、城塞をにらみあげる。
[#ここから太字]
「おのれ、よくも……!」
「ホーッホッホッホ!! 激弱《げきよわ》ね!」
「思い知らせてくれるぞ、淫猥《いんわい》なる魔女めがっ……! 戦闘開始ぃ! カタパルト、撃《う》て、撃て、撃てーい!」
[#ここで太字終わり]
ずらりと並んだ攻城兵器群が、一斉《いっせい》に火の玉や巨大《きょだい》な矢を発射した。たちまち敵の城壁のあちこちが、炎《ほのお》に包まれる。燃え上がり、悲鳴をあげて城壁から落下《らっか》する敵兵たち。
「突撃《とつげき》! 突撃!」[#「「突撃! 突撃!」」は太字]
ラッパがプカプカ鳴り響《ひび》く。王国軍の徹底的《てっていてき》な効力射《こうりょくしゃ》に続き、お手軽に作れる低レベルキャラクター部隊が、爆薬《ばくやく》を抱《かか》えて城門に特攻《とっこう》する。雨と注《そそ》ぐ矢に射抜《いぬ》かれ、特攻部隊は次々に倒れていくが、低レベルキャラは恐れを知らない。なにしろ死んだらまた作ればいいし。
とうとう勇猛果敢《ゆうもうかかん》な一人がいえーい! 一万ガメル、ゲェーットっ!!≠セのと叫《さけ》びながら、城門に突《つ》っ込んで爆死《ばくし》した。
続いて第二|波《は》、第三波が特攻。
城壁が揺《ゆ》れ、黒煙《こくえん》が巻き上がる。
[#ここから太字]
「よし! 重装歩兵《じゅうそうほへい》、前へ! 弓兵は援護《えんご》に集中せよ! なんでもいいから前進! 前進! 恐れるな! またダメだったら来週がある!」
[#ここで太字終わり]
すさまじい戦《いくさ》の炎が荒《あ》れ狂《くる》う。目をおおわんばかりの地獄|絵図《えず》が、そこかしこで展開された。
義勇兵たちの中に混《ま》じり、小さな盾《たて》で必死《ひっし》に頭上から飛来する矢を防《ふせ》ぎながら、かなめが言った。
[#ここから太字]
「いやはや。豪●先生にだけは読まれたくない戦争シーンね……」
「いまさら何を言っている。それより、ぬかるな! もうすぐ城門が破《やぶ》られるぞ!」
[#ここで太字終わり]
城壁の敵兵を石弓で射抜き、宗介が叫んだ。直後《ちょくご》、城門が音をたてて壊《こわ》れる。王国軍の兵士たちは、たちまち敵の城内へとなだれこんだ。一成はその先陣《せんじん》を切って飛び込み、立ちふさがるトロウルの戦士をなぎ払《はら》う。怒濤《どとう》となって突進《とっしん》してくるオークの群《むれ》に、信二が愛用の杖《つえ》を向け、二言、三言|詠唱《えいしょう》する。たちまち無数《むすう》の氷の矢が飛び、オークたちを蜂《はち》の巣にする。
[#ここから太字]
「せいっ!」
「ぐわああぁあぁっ!」
[#ここで太字終わり]
かなめも城内に入るやいなや、襲《おそ》いかかる黒衣の騎士と切り結《むす》び、鮮《あざ》やかな剣技《けんぎ》でこれを屠った。
「よっしゃあー! 次はどいつ!? かかってきなさい! くぬっ! くぬっ……むっ!?」[#「「よっしゃあー! 次はどいつ!? かかってきなさい! くぬっ! くぬっ……むっ!?」」は太字]
その瞬間《しゅんかん》、右の視界《しかい》ギリギリのところから、強烈《きょうれつ》な爆炎が襲いかかった。きわどいところで、かなめは回避《かいひ》する。
見れば、見覚えのある兎人《うさぎびと》の召還術師《しょうかんじゅつし》が、城内の階段――ちょうど二階くらいの高さの石段《いしだん》に立っていた。
[#ここから太字]
「くっ! あたしの必殺《ひっさつ》の一撃をかわすとは……腕をあげたわね、便所紙《べんじょがみ》!」
「ミズキ!?」
「馴《な》れ馴れしく呼ぶなぁ―――っ!!」
[#ここで太字終わり]
ふたたび火龍《サラマンダー》を召還し、瑞樹は火の玉をかなめに撃つ。これも回避。いや、回避しきれなかった。爆風を喰らって、かなめは壁《かべ》にたたきつけられる。
[#ここから太字]
「ぐうっ……」
「やい、便所紙! あんた、なんとなくムカつくのよ! その首級《しゅきゅう》をいただいて、ヨーコ様に献上《けんじょう》させてもらうわ!」
「やめ――」
[#ここで太字終わり]
さらに瑞樹の火弾《かだん》が襲いかかる。かなめはどうにかそれを回避し、跳躍《ちょうやく》した。カタパルトの荷台《にだい》に着地《ちゃくち》し、彼女はなおも訴《うった》える。
[#ここから太字]
「やめなさい、ミズキ! あたし、友達を殺したくない!」
「ふっ、戯《ざ》れ言《ごと》を! あたしは貴様《きさま》など知らぬ! それ以上の世迷《よま》いごとを抜《ぬ》かすならば、我《わ》が最強の召還術で葬《ほうむ》ってくれるわ!」
「ミズキ!」
「はあ―――――っ!!」
[#ここで太字終わり]
瑞樹の背後《はいご》に、ドラゴンの姿が現れた。
あの攻撃《こうげき》を喰《く》らっては、生き残ることはできないだろう。もはや是非《ぜひ》もない。彼女はすばやく跳躍し、手にした細身の剣《けん》を振《ふ》りかぶった。
[#ここから太字]
「くっ、ミズキィ―――――っ!」
「死ねえぇぇえぇぇ――――っ!」
[#ここで太字終わり]
閃光《せんこう》。赤い爆炎がふくれあがり、交錯《こうさく》した二人を包《つつ》みこむ。すさまじい衝撃《しょうげき》。そばにいたオーク鬼《おに》が吹《ふ》き飛ばされ、城塞の内壁《ないへき》がばらばらと崩《くず》れる。
濃密《のうみつ》な黒煙《こくえん》が次第《しだい》に晴れていった。
動かない二つの人影《ひとかげ》。
一人は立ちすくみ、一人はやがてくずおれ――
立っていたのは、かなめだった。
[#ここから太字]
「う……不覚《ふかく》……」
「ミズキ!」
[#ここで太字終わり]
虫の息の瑞樹に、かなめは取りすがる。血まみれになって横たわり、空を見上げる瑞樹。
[#ここから太字]
「わたし……死ぬのね」
「だめだよ、弱気になっちゃ!」
「無念《むねん》だわ……こんな……変な女に……」
「しっかりして、ミズキ!? いやあぁぁぁ!」
[#ここで太字終わり]
そこで瑞樹は素《す》に戻《もど》り、自分を腕《うで》に抱《だ》くかなめを見上げた。
[#ここから太字]
「っつーか……あんた、マジで馴《な》れ馴れしいわね。ミズキミズキって……だれ?」
「いや、だからあたしだってば」
「むー……。ひょっとしてカナメ?」
「うん」
「ああ、なんてこと! あたし、大切な友達を手にかけようとしていたのね!? 許して、カナメ。あたし、あたし……ヨーコに操《あやつ》られて、魂《たましい》のない操り人形に……」
「そうは見えなかったけど……」
「……っつーかさ、カナメあんた、なんだってまたそんな、けったいな名前を……う? ぐふっ」
[#ここで太字終わり]
瑞樹はかっくりと息絶《いきた》えた。
「み……瑞樹? ミズキ―――っ!?」[#「「み……瑞樹? ミズキ―――っ!?」」は太字]
かなめは絶叫《ぜっきょう》する。友人殺しの宿命とか運命とか、そういう重たい気分を盛《も》り上げるように、どどーんとBGMのボリュームが大きく鳴《な》り響《ひび》いた。
「許せない。許せないわ、大魔王《だいまおう》ヨーコ……!」[#「「許せない。許せないわ、大魔王ヨーコ……!」」は太字]
瑞樹の亡骸《なきがら》を胸に抱き、かなめは『血涙《けつるい》をながす』コマンドを入力した。そして『敵の死体を探《さぐ》る』コマンドを使って、瑞樹の亡骸から一〇万ガメルを手に入れた。あと、レベルが一あがった!
[#ここから太字]
「見てなさい、ヨーコ! 散《ち》っていった友達のために……あたしがあんたを倒《たお》してやるわ! うおおおおおお!!」
[#ここで太字終わり]
かなめは自己強化魔法の『攻撃力強化』を使って、燃え盛《さか》るオーラをまとい城砦《じょうさい》の奥《おく》へとダッシュした。
かたや宗介と一成。
これほど仲が悪いというのに、一度息を合わせると、ここまで強くなるコンビも珍《めずら》しい。城門に突入《とつにゅう》するやいなや、宗介と一成は背中合わせで、群《むら》がる敵を片《かた》っ端《ぱし》から始末《しまつ》していった。もう、そのべらぼうな強さといったら。二人の進むところ、敵の屍《しかばね》が山のようにできていく。NPCのオークやトロウルはもとより、PCが操る黒騎士《くろきし》たちも、『なんだよこいつら!? 死角《しかく》ゼロじゃん!?』だのと言って逃《に》げていってしまった。
[#ここから太字]
「……ふん、根性《こんじょう》なしどもめ」
「練度《れんど》はまずまずだが戦術がなっていない」
[#ここで太字終わり]
石弓《いしゆみ》と拳《こぶし》を構えたまま、二人は口々につぶやく。
日頃《ひごろ》いがみあっている分、互《たが》いが次にどう動くか、なにを考えて戦っているのか、知らず知らずのうちに熟知《じゅくち》しているのだ。もちろん、スキあらは事故《じこ》に見せかけ相手を倒してやろう――とはお互い思っていたのだが、ここまで厳《きび》しい敵中では、自分ひとりでは死んでしまうのは明らかだ。
そんなわけなので、宗介と一成は渋々《しぶしぶ》と協力して敵兵をやっつけまくっているのだった。
そこに新たな敵が現れた。
「ふふ。とうとう来たか」[#「「ふふ。とうとう来たか」」は太字]
赤い鎧《よろい》に身を包《つつ》んだ、美形の剣士だ。頭上の名前は『D-ono』。彼はさっと前髪《まえがみ》をかきあげながら、ニヒルな口調《くちょう》でこう言った。
[#ここから太字]
「フッ……オレの名はディーオノ。ヨーコ様に忠誠《ちゅうせい》を誓《ちか》う剣士だ。オレの指揮する軍勢を退《しりぞ》け、ここまで来たことは誉《ほ》めてやろう。しかし――」
[#ここで太字終わり]
すかさず宗介が石弓を射《う》ち、一成が回し蹴《げ》りを放った。
剣士ディーオノは壁《かべ》にたたきつけられ、矢に串刺《くしざ》しにされ、さらに何度も――何度も――殴《なぐ》られたり撃《う》たれたりした。
「ちょ――おい――待――」[#「「ちょ――おい――待――」」は太字]
何度も、何度も。
「や、やめ――俺は――」[#「「や、やめ――俺は――」」は太字]
さらに何度も。しつこく、しつこく――
やっと攻撃中止。
[#ここから太字]
「なんだ、こいつは?」
「さあ? 行こうぜ」
[#ここで太字終わり]
息絶《いきた》えたディーオノを置いて、宗介たちは階段を駆《か》け上っていった。
まっしぐらに地下牢《ちかろう》に向かった信二は、そこに愛するシア嬢《じょう》がいないと知って、すぐにぴんときた。
(中央の塔《とう》か……!)
乱戦《らんせん》ではぐれてしまった、かなめたちのことも気になったが――いまはシアの身が大事《だいじ》だ。おそらく、ヨーコは自分を待っている。数々の戦いを経《へ》ても、最後まで仕留《しと》めることのできなかったこの自分――疾風《しっぷう》のザマ≠待っているのだ。戦ってきたからこそわかる。ヨーコはそういう女だ。
たびたび遭遇《そうぐう》する敵を瞬殺《しゅんさつ》して、彼は尖塔《せんとう》を上がっていく。やがて階段を昇《のぼ》り切り、ヘリポートのように開けた屋上に出た。
はたして、仇敵《きゅうてき》はいた。ヨーコだ。
「ふふ……来たようだね、ザマ」[#「「ふふ……来たようだね、ザマ」」は太字]
屋上には強い風が吹《ふ》いていた。可憐《かれん》なブロンドの少女――神官のシアを盾《たて》にとって、ヨーコがマントと髪をなびかせている。
[#ここから太字]
「ざ……ザマさん!?」
「シア……助けにきた。もう大丈夫《だいじょうぶ》だよ」
「ククク……白馬の王子様ってわけね?」
[#ここで太字終わり]
追いつめられた悪役を完璧《かんぺき》にこなしながら、ヨーコは言った。遅《おく》れてかなめがその場に駆けつけた。宗介と一成もだ。
[#ここから太字]
「風間くん!?」
『風間っ!』
「く……」
[#ここで太字終わり]
四対一。もはや勝負は決《けっ》したも同然である。
[#ここから太字]
「見ろ、ヨーコ。この三人は手ごわいぞ。おまえがどうあがいても、ここから逃《のが》れる術《すべ》はない。シアをはなせ。おまえの王国はもう終わりだ」
「ふふふ。まったく、やってくれたわ。戦術のイロハも知らない王国軍が、ここまで強くなっていたとは……これもおまえの力?」
「どうかな。それにもう、関係ないだろう?」
[#ここで太字終わり]
信二がそう言うと、黒衣の魔女は自嘲的《じちょうてき》な笑《え》みを浮《う》かべた。
[#ここから太字]
「その通りね。……しかしっ! だからといって、あたしはおまえに白旗《しろはた》をあげたりはしないわ!」
「なにっ!?」
「この娘《むすめ》は人質《ひとじち》ッ!! どんな手を使ってでもッ! 疾風《しっぷう》のザマ! 貴様《きさま》の命だけはいただいていくッ!!」
「くっ……!!」
[#ここで太字終わり]
ヨーコはシアを盾にしたまま、最強|呪文《じゅもん》の詠唱《えいしょう》をはじめた。
[#ここから太字]
「ザ、ザマさん……! 逃げて――ッ!」
「逃げられるかよ――――っ!!」
[#ここで太字終わり]
そう叫《さけ》び、信二は両手で印《いん》を結《むす》んだ。高速《こうそく》詠唱。信二の眼前《がんぜん》で、白い光が燃《も》え上がる。
最大最強。術者《じゅつしゃ》の生命を糧《かて》にして、無属性《むぞくせい》のすさまじい電撃《でんげき》を周辺一体に放つ魔法だ。この術を使うことで、術者は60[#「60」は縦中横]%の確率《かくりつ》で完全に死亡する。だがそれと引《ひ》き換《か》えに、ほとんどの敵が生き残れないほどの強力なダメージを与《あた》えることができる。
[#ここから太字]
「これで引退だとしても構《かま》わない。貴様は……貴様だけは生かしてはおかないっ!」
「おもしろいわ、ザマ。おまえを仕留《しと》めること……それだけがあたしの生きる意味、あたしのすべてだった!」
「よかろう、ヨーコ! おまえに僕のすべてをぶつけてやる!」
「楽しいわよ、ザマ! 感じるわ、ここが全世界だとっっっ!!!!」
[#ここで太字終わり]
びびびっ! ばばっ! ひゅううううう!
なにやらただならぬエフェクトと竜巻《たつまき》が、信二とヨーコの周囲に発生した。
なんかヤバい。このサーバーで一番強い二人が、なんだか全力で範囲系《はんいけい》・無差別《むさべつ》の最強魔法を、死を賭《と》して使おうとしている。
かなめたちは思わず身を引いた。
[#ここから太字]
「あ……あの……あたしたち、なんか、巻き込まれそうな予感?」
「っつーか人質はどうなったんだ? やばいぞ、逃《に》げろ」
「いや……もう遅い……」
[#ここで太字終わり]
三人の見守る前で、信二とヨーコが同時に『くわっ!』と両目を見開き、猛々《たけだけ》しく叫んだ。
[#ここから太字]
「ザアァァァムアァァァァァッ!!」
「ヨオォォォクォオォォォォっ!!」
[#ここで太字終わり]
閃光《せんこう》。ザマとヨーコの最大の力が、牙《きば》を剥《む》いてぶつかりあう。ほとばしる閃光。沸騰《ふっとう》する大地。大爆発《だいばくはつ》が、塔《とう》の屋上を包《つつ》み込んだ。
あんまり大きい音だったので、かなめはあわててパソコンのスピーカーのボリュームを下げた。深夜のマンションはつらいのである。
魔力《まりょく》と魔力のぶつかり合いは、やはりヨーコに有利《ゆうり》に働いた。遠慮会釈《えんりょえしゃく》なく、持てる限りの魔力をぶつけてきたヨーコに対して、信二はシアの体力を残そうと思って、けっきょく力を出し切れなかったのだ。
信二ことザマは、床《ゆか》に突《つ》っ伏《ぷ》し、動けないでいる。いわんや、かなめ以下三人の惨状《さんじょう》は言うまでもない。ダメージを勘案《かんあん》すれば、三人とも、即死《そくし》状態である。
生き残ったのは瀕死《ひんし》状態のザマとヨーコ、そしてシアだけであった。ヨーコとて即死|回避《かいひ》のレアアイテムのおかげで、どうにか命をつないでいる状態だ。シアも同様のアイテムを装備《そうび》していたおかげで死んではいなかったが、もはや瀕死で意識《いしき》を失っている。
肩《かた》で息して、信二はあえぐように言った。
[#ここから太字]
「あ……ああ……千鳥さん……相良くん……椿くん……」
「クク……お仲間も息絶《いきた》えたご様子ねえ? あんたの魔力もゼロかしら。かわいそうに」
[#ここで太字終わり]
この期《ご》に及《およ》んで、ヨーコはなおも悪役路線《あくやくろせん》まっしぐらであった。
[#ここから太字]
「おあいにくさま。あたしはあんたにとどめをさすくらいの力は残ってるわ。……チェックメイトよ」
「うっ……く」
「覚悟《かくご》なさい、疾風《しっぷう》のザマ=I いま! あたしはおまえを殺す! ここでおまえを殺したとき! はじめてあたしの人生がはじまるのよっ!!」
[#ここで太字終わり]
ヨーコが最後の呪文を唱えた。信二はそこまで深い因縁《いんねん》とかはなかったよなぁ。でも、カッコいい台詞《せりふ》ではあるな=c…などと、朦朧《もうろう》とした意識で思った。
そのとき――
ざくっ!!
ヨーコの胴《どう》を、かなめの剣《けん》が後ろから貫《つらぬ》いていた。
「なっ!?」[#「「なっ!?」」は太字]
もっともレベルの低い女剣士だったはずの、かなめが生きている。ありえないことだった。
「ば……バカなっ!?」[#「「ば……バカなっ!?」」は太字]
それを言ったら、もう死ぬしかない台詞。『ばかな』をヨーコは唱《とな》えてしまった!
[#ここから太字]
「ぜえ……ぜえ……なんかよくわかんないけど……死んでないし。たぶん……前にミズキが落としてった……石像《せきぞう》のおかげね……」
「かわりみの人形? いや……ちがう。それは……『ふもふもの涙《なみだ》』か!? なぜ貴様がそんなレアを……、う、おお―――っ!」
[#ここで太字終わり]
そう、最初に瑞樹と遭遇《そうぐう》した戦闘《せんとう》で、彼女が落としていった人形――ふも口の愛らしい神像こそが、死にかけた持ち主のHPを完全に回復し、しかもMPも回復して、あまつさえすべてのステータスを劇的に上げる激《げき》レアアイテムだったのだ!
この世界を支配《しはい》する全能神《ぜんのうしん》、いと高きモッフルーノ神のさずけた奇跡《きせき》の力が、かなめを通じて漆黒《しっこく》の魔女へと襲《おそ》いかかる!
[#ここから太字]
「でもって! なんとなく、あんたが誰《だれ》だか見当《けんとう》ついてたりしてますけど!? え、ヨーコさん!?」
「おのれ! おのれ、便所紙めぇ!」
「っていうか、仕事しろっての、仕事! この不良警官っ!!」
「ぐ……ぐわあぁああぁぁぁぁ!!」
[#ここで太字終わり]
断末魔《だんまつま》と共に、ヨーコの体は燃え上がり、瞬《またた》く間に消え去っていく。
壮絶《そうぜつ》な悪の最後であった。
意識を取り戻したシアが、信二の胸でぐすぐすと泣いている。信二はあたふたとしている。おおかたの予想に反して――かなめの見たところ、シアは本当に女の子プレイヤーのようだった。ただし、その正体は謎《なぞ》のままだ。どうやら、陣代《じんだい》高校の生徒ではなさそうだったが。
謎は謎のままでいい。
こういう世界では、それもアリなんだろうな、とかなめは思った。
ちなみに宗介と一成は完全に死亡。翌日《よくじつ》になって学校で会うなり、『貴様のせいだ』といがみあいをリアルで再開した。
そして、ヨーコを討《う》ち取ったかなめは――
「やった、やった! 討ち取りました! ヨーコを倒したよ! すごいでしょ!!」[#「「やった、やった! 討ち取りました! ヨーコを倒したよ! すごいでしょ!!」」は太字]
かなめは塔《とう》の屋上からシャウトモードで宣言《せんげん》した。
(なに……?)
(本当か……?)
(ばかな、ありえん……!)
一同がざわめく。かなめは城壁《じょうへき》の縁《ふち》に立ち、ぐるぐると悪の象徴《しょうちょう》であるヨーコの杖《つえ》を振《ふ》り回した。
[#挿絵(img2/s08_103.jpg)入る]
[#ここから太字]
「ウソじゃないです、これこの通り! きっぱりあいつを討ち取りました! 無駄《むだ》な流血を避《さ》け、戦いを終わりにしましょう!!」
『おおっ……』
[#ここで太字終わり]
王国軍の人々の顔が、みるみる明るくなっていく。
やがて、彼らは口々に叫びはじめた。救国の英雄《えいゆう》である彼女を讃《たた》え、絶えることのない賞賛《しょうさん》と歓喜《かんき》を。
[#ここから太字]
「う、うおおおおぉぉぉ――――っ! 彼女がやったのか!?」
「救国の少女! ばんざ―――い!」
「トイレット・ペーパー! 万歳《ばんざい》!!」
[#ここで太字終わり]
かなめが『は?』と眉《まゆ》をひそめるのもかまわず、王国軍は剣を掲《かか》げ、なおも盛大《せいだい》に叫び続けた。
[#ここから太字]
「勇者、トイレット・ペーパー!!」
「麗《うるわ》しきかな、トイレット・ペーパー!」
「トイレット・ペーパーに栄光あれっ!」
[#ここで太字終わり]
ぽかんとするかなめの前で、『トイレット・ペーパー』の呼び声が、いつまでも、いつまでも響《ひび》き渡《わた》るのであった。
●
勇者の名は、かくして伝説となった。
王国|騎士団《きしだん》は彼女に最高の栄誉《えいよ》である『名誉《めいよ》のメダル』を授《さず》け、ピークニィの広場には巨費《きょひ》を投じて彼女の彫像《ちょうぞう》が建設された。
それから幾年月《いくとしつき》が過ぎたいまなお、大陸に暮らす人々の間では、彼女の名がささやかれている。
いまの平和はだれがもたらしたものなのか。
絶望的《ぜつぼうてき》な戦いの中で、闇《やみ》を打ち破《やぶ》り光をもたらしたのはだれなのか。
我《わ》が身をかえりみず、おおしく闇の女王に立ち向かった勇気《ゆうき》ある乙女《おとめ》。
その名はトイレット・ペーパー。
救国の乙女、トイレット・ペーパー。
あの時代を知る者たちは、決してトイレット・ペーパーの名を忘れないだろう。
そう、決して……
▼後日、非公式ファンサイトのインタビューより
○トイレット・ペーパーさんのコメント
[#ここから太字]
「だからやめました、あのゲーム;; ええ。二度とインする気ありません。っつーか、だれか一言、指摘《してき》してよ(TT)」
[#ここで太字終わり]
○ザマさん
「いや、気付いてるんだとばかり……。でも彼女には感謝です^^」[#「「いや、気付いてるんだとばかり……。でも彼女には感謝です^^」」は太字]
○バキさん
「やっぱりな。変だとは思ったんだよ……(汗《あせ》)」[#「「やっぱりな。変だとは思ったんだよ……(汗)」」は太字]
○セガールさん
「問題ない(>_<)b ←顔文字成功」[#「「問題ない(>_<)b ←顔文字成功」」は太字]
[#地付き][おしまい]
[#改丁]
影武者《かげむしゃ》のショウビズ
[#改ページ]
吉良《きら》浩介《こうすけ》は、明るいキャラクターと温厚《おんこう》な語り口、シャープな容貌《ようぼう》の三|要素《ようそ》を兼《か》ね備《そな》えた、まことに申《もう》し分ない男性アイドルだ。一〇代の少女から四〇代の主婦《しゅふ》まで、幅広《はばひろ》い層《そう》から人気を博《はく》しており、多忙《たぼう》な毎日を送っている。
そして彼の悩《なや》みは、まさしくその忙《いそが》しさにあった。
たとえばある日のスケジュールはこうだ。
未明《みめい》の五時前にマネージャーに叩《たた》き起こされて、青山《あおやま》の自宅《じたく》から奥多摩《おくたま》のロケ地まで出かけてドラマの収録《しゅうろく》。撮影《さつえい》が終わると都心《としん》に帰り、FM局の生放送。雑誌《ざっし》のインタビュー、バラエティの収録、公開録画《こうかいろくが》のイベントを一気にこなすと、すでに夕方になっている。赤坂《あかさか》のホテルで催《もよお》されたスポンサーのパーティに出席しても、挨拶《あいさつ》が忙しくて料理に手を伸《の》ばす暇《ひま》もない。三食はすべて移動中《いどうちゅう》の車内。弁当をかきこみながら、次の仕事の台本を必死《ひっし》に頭に叩きこむ。
もちろん遊ぶ暇《ひま》もない。写真週刊誌に『吉良浩介、某局《ぼうきょく》アナと深夜の密会《みっかい》?』なんて書かれると、泣きたいような笑いたいような気分になる。
麹町《こうじまち》の近所にあるスタジオの前で、ばったり会って挨拶しただけだっての。それを……密会だと!? たっぷり密会する時間があるなら、とうの昔に会っている! せっかく……せっかくだ。ガードが囲いと有名《ゆうめい》なあの局アナから何度も食事に誘われたってのに、やむなく『すみません、その日は仕事があって』を三連発したせいで、その局アナからは電話さえかかってこなくなった。別にイヤなわけじゃなかったんだ。ホントに仕事があったんだ。でもそんなの、相手は信じてくれるわけもない。
中学校の同窓会《どうそうかい》も参加《さんか》できなかったし、当時仲の良かった仲間たちの誘いも次から次へと断《ことわ》るしかなかった。みんな『仕方《しかた》がないよな、忙しいんだし』と理解《りかい》を示してはくれるのだが、やっぱりどこか、『お偉《えら》い売れっ子様になっちまったんだよなあ……』ってオーラが、電話の向こうから漂《ただよ》ってくる。
人付き合いはさておいても。
やっぱりこう忙しいと、自分の芸にも悪い影響《えいきょう》が出てきているような気がする。本番中なのに『ぼー』としてしまうこともたまにあるし、なんだか最近、メイク相手のグチが増えた。一人でため息をつくことも多いし、睡眠《すいみん》も浅くなったような気がする。
吉良浩介の毎日は、そういう調子《ちょうし》なのだった。
で、とうとうその晩《ばん》――
「もう、たくさんだよ!」
浩介は事務所《じむしょ》のマネージャーに食ってかかった。
東京|郊外《こうがい》の廃工場《はいこうじょう》を使ったロケ現場でのことである。とあるアクション映画の、撮影の合間《あいま》だった。
「ホントもう、クタクタなんだよ。そりゃあね、仕事がないのよりは全然マシなわけなんだけど。だからってこんな調子じゃ、近いうちにどこかおかしくなっちゃうよ。頭が先か体が先か。こんな生活ってあんまりなんじゃないの!? 普通《ふつう》の暮らしに戻《もど》りたい。せめて一日でもいいから。休ませてくれよ!」
するとマネージャーの井村《いむら》琴美《ことみ》は、おろおろしながらこう言った。
「む、無理《むり》ですよう。仕事の予定は、一年先まで埋まっちゃってますし……」
琴美は地味《じみ》な女だった。グレーのスーツに黒縁眼鏡《くろぶちめがね》。小柄《こがら》で童顔《どうがん》なせいか、ぱっと見はほとんど高校生だ。
「井村さん……。僕が毎日、どんな生活してるか知ってるでしょ?」
「もちろんです。でもでも、吉良さんにとって、いまは大切な時期《じき》なんですよ?」
「ほら、いつもそれだ! なにかこぼすと、二言目には『いまが大切』。『がんばりましょう』だの『ここを乗り切らなきゃ』だの。その大切な『いま』とやらが、いったいいつまで続くわけ? 何年何月何日の、何時何分まで続くっての!? いますぐ教えて欲しいんですけど!? スケジュールはあんたの仕事だろ!?」
「い、いじめないでくださいよう。事務所もいまは吉良さんの力がホント必要なんです。最近、経営《けいえい》がいろいろ苦しいし、ライバル事務所の劇団《げきだん》ライトニングに押《お》され気味《ぎみ》だし。みんなでとにかく頑張《がんば》って、バンバン売り出していきましょうよ。ね? ね?」
琴美は子犬のような目で哀願《あいがん》する。
で、次にはこう来るわけだ。自分のお人好《ひとよ》しな性分《しょうぶん》を知った上で、こういう泣き落としに出てくる。
これ以上|抗議《こうぎ》しても無駄《むだ》だと悟《さと》って、浩介は立ち上がった。
「わかったよ。もういい」
「ど、どこ行くんですか? 撮影はまだ終わってません」
「外の空気が吸《す》いたいだけだよ。すぐ戻る。一人にしてよ」
「あんまり遠くに行かないでくださいね?」
「……わかってるよ! ああ、もう!」
控《ひか》えのブースを出て、せわしく働くスタッフたちの間を通り抜《ぬ》けていく。
ロケ現場は強い照明《しょうめい》のせいでひどく暑かった。浩介は廃工場の外に出て、人気《ひとけ》のない暗がりへと歩く。錆《さ》び付いた自動車が数台、放置《ほうち》してある場所まで来ると、彼はぽつりとつぶやいた。
「逃げちゃおうかな……」
実際《じっさい》、浩介は自分の生活にうんざりなのだった。
中三のとき、とあるオーディションで三〇〇〇人の中から選ばれた彼は、この仕事に専念《せんねん》するために、高校進学をあきらめてしまっていた。周囲《しゅうい》には反対する者もいたし、芸能《げいのう》活動をしながら通える学校だってあった。しかしそれでも彼の決心――いってみれば背水《はいすい》の陣《じん》だ――は、揺《ゆ》らぐことがなかった。
それくらい、浩介はいまの仕事に対して真剣《しんけん》な気持ちで向き合ってきたのだ。
だが普通に友達と遊び回ったり、学校の休み時間にダベったり――そんな生活が最近は恋《こい》しくて仕方ない。
せめて一日でも、平凡《へいぼん》な高校生の暮らしを楽しめたらいいのに。
たった一日。それだけでいい。だれも自分を特別|扱《あつか》いしない世界に、すこしだけ戻ることができたら……。
そんな儚《はかな》い願望を抱《いだ》きながら、そばの廃車のボンネットに腰《こし》かけて、浩介が夜空を見上げていると――
「これは何の集まりだ? この工場は無人《むじん》のはずだが……」
いきなり、そばの暗闇《くらやみ》から声がした。
浩介はぎょっとして身構《みがま》え、目を凝《こ》らす。するとその暗闇――枯《か》れ木の茂《しげ》みの奥《おく》から、一人の男が音もなく姿《すがた》を見せた。
ざんばらの黒髪《くろかみ》。むっつり顔にへの字口。
詰《つ》め襟《えり》の学生服|姿《すがた》で、若い男だった。
肩《かた》にはギターか何かのソフトケースをさげ、右手を腰の後ろに隠《かく》している。
「え……」
浩介は相手を見てひどく驚《おどろ》いた。部外者の立ち入りはできないはずの撮影現場に、どこかの高校生が入り込んでいることよりも――相手の容姿《ようし》そのものにびっくりしていた。
その若者の顔立ちや背格好《せかっこう》が、自分にそっくりだったのだ。
すっと筋《すじ》の通った顎《あご》のライン。きりりとした眉目《びもく》。ちょっと目つきが厳《きび》しすぎるところはあるし、武道か何かをやっているような、どっしりとした物腰だが、それを除《のぞ》けば自分にうり二つ。まず、そう表現してしまっても構《かま》わないほどだった。
(いや……)
冷静になって思い直す。確かによく似ているし、一瞬《いっしゅん》、暗闇の中から自分の分身が現れたような錯覚《さっかく》に陥《おちい》ったのは事実だったが、相手はあくまで別人にすぎない。
美男美女というのは、自然と特徴《とくちょう》が似てくるものだ。無作為《むさくい》に選んだ数百人の顔写真を、コンピュータで平均化《へいきんか》したCGを作ってみたら、すごい美男子になった……などという番組を、前に見たことがある。
そう考えれば、大騒《おおさわ》ぎするほどのことではないのだろうが――
(いやいや、それにしたって、よく似てる!)
まるで幽霊《ゆうれい》にでも出会ったような気分でぽかんとする彼を、その『そっくりさん』は目を細め、しげしげと観察《かんさつ》した。
「救急車《きゅうきゅうしゃ》を呼ぶか?」
男が言った。
「へ?」
「肩とこめかみから出血《しゅっけつ》しているぞ」
「あ……こ、これはメイクです」
アクション映画の銃撃戦《じゅうげきせん》シーンなので、いまの浩介の格好《かっこう》はひどい有様《ありさま》だった。着ているシャツは煤《すす》だらけで、体のあちこちに血のりが付けてある。
「メイク。変わった化粧《けしょう》だな。とても社交用には見えないが……」
「とにかく、怪我《けが》じゃありませんから」
「そうか。……そこで爆発《ばくはつ》事故か殺人事件でも起きたのか?」
男が廃工場の方を見やった。
「え?」
「あの集団だ。工場に出入りしている」
「いえ……映画の撮影ですけど」
「ふむ。君はなにかの雑用係《ざつようがかり》か?」
「いえ。いちおう主役なんですが……」
相手は浩介のことを、まったく知らない様子だった。互《たが》いの容姿《ようし》がそっくりなことにも、まるで関心を示さない。それどころか、どこか浩介を『怪我のショックで呆《ほう》けている、みすぼらしい格好をした気の毒《どく》な男』とでも思っているようにさえ見える。
「君たちは、いつこの工場から撤収《てっしゅう》する?」
「え? さあ……でも何日か、毎晩ここで撮《と》るって聞いてるけど……」
自信なく浩介が答えると、男は渋《しぶ》い顔で小さなため息をついた。
「そうか。ではしばらくお預《あず》けだな……」
「あのー。ここに何か用が?」
「減音器《サプレッサー》付きの火器《かき》の試射《ししゃ》に来た。あの廃工場はインドアの射的《しゃてき》にちょうどいいので、前からよく使っているのだ。ヘッケラー&コッホの新品を手に入れたばかりでな、さっそく試《ため》してみたかったのだが……」
そう言って、男は黒いギターケース[#「ギターケース」に傍点]を指先でつついた。それがギターではなくライフルのケースで、中に特殊部隊《とくしゅぶたい》向けのサブマシンガンが入っていることなど、もちろん浩介には想像もできなかった。
「まあ、やむをえない。出直《でなお》すとしよう」
勝手《かって》に納得《なっとく》すると、男はきびすを返して、夜闇《よやみ》の中に消えていこうとした。その背中を、浩介は思わず呼び止める。
「ま、待って」
「なんだ」
男が立ち止まり、振《ふ》り返る。
「あの、いきなり変なことを言うけど……」
「?」
激務《げきむ》に疲《つか》れ切った浩介の頭に、いま、一つのアイデアが浮かんでいた。
まったく、見れば見るほど、この高校生は自分の顔立ちによく似ていた。確かに眉《まゆ》の形や、微妙《びみょう》な目じりの線、首まわりから顎にかけての筋肉《きんにく》のつき方などは違《ちが》っていたし、髪もいささか乱暴《らんぼう》な手入れしかしてない様子だ。自分よりも日に焼けているし、肩幅《かたはば》もすこし広いようだ。なによりも、ぎゅっと引き締まったその目つきの差は決定的とさえ言えたが――
やろうと思えばやれるんじゃないのか?
そうだ。前に仕事をしたハリウッド帰りのメイク係に協力してもらえば、熱心なファンでさえ見分けがつかない状態《じょうたい》にできるかもしれない。
このそっくりさんがだれなのかは知らない。だが、悪い人間ではなさそうだ。誠意《せいい》をもって協力を仰《あお》ぎ、それなりの謝礼《しゃれい》もはずめば――そうだ、きっとうまくいく!
「あなたにお願いがあるんです!」
「?」
「出来る限《かぎ》りのお礼もします。絶対《ぜったい》、悪いようにはしないから! この通り!」
怪訝顔《けげんがお》の男に向かって、浩介は地面に両手を付いた。
●
朝。始業前の教室。
めずらしく余裕《よゆう》をもって登校してきた千鳥《ちどり》かなめは、常盤《ときわ》恭子《きょうこ》や級友たちと、その日発売の週刊誌を囲んでいた。
「えー! 絶対《ぜったい》、ウソだって」
「わかんないよ。なんだかんだで、やることはやってんじゃない?」
「やだやだ、信じられなーい!」
恭子たちが、あれやこれやと人気アイドル――吉良浩介の局アナと密会°L事について、無責任《むせきにん》な感想をもらす。
「まあ確かに、遊んでそうだしねぇ……」
かなめがつぶやく。芸能関係の話題となると、アメリカのソウル歌手以外はてんで疎《うと》い彼女だったが、さすがに大ブレイク中のタレントの名前くらいは知っていた。
「そういえばさ。前から思ってたんだけど……吉良くんって、なんか相良《さがら》くんに似てない?」
吉良浩介の写真を眺《なが》め、恭子が言った。
「ソースケに? はっは、まさか」
「ねえ? だって吉良くん、なごみ系じゃん」
「全っ然! 雰囲気《ふんいき》違いすぎ!」
恭子一人がそうかなあ≠ニ首をひねっていると、そのおり、話題になった相良|宗介《そうすけ》が教室に入ってきた。
「あ、相良くんだ。おはよー!」
恭子が手を振った。宗介は反応《はんのう》せず、きょろきょろと室内を見渡《みわた》し、何度か出入り口の2―4≠フ表示を確認《かくにん》している。
妙《みょう》に落ち着かない様子だ。
「何やってんだろ?」
「さあ。どーせまた、敵の罠《わな》だとか何だとかを探してるんでしょ」
無関心《むかんしん》にかなめがぼやく。
「相良くん? おーい!」
もう一度恭子が叫《さけ》ぶと、宗介は初めてその声に気付き、恭子の顔を凝視《ぎょうし》した。それから、自信のない声で、
「や、やあ……」
と、柔《やわ》らかな微笑《びしょう》を浮かべて手を挙《あ》げた。
いきなり『や、やあ』ときた。宗介が。
「………………」
一瞬《いっしゅん》にして、場が凍《こお》り付く。クラス中の全員が、なにか名状《めいじょう》しがたき異世界《いせかい》からの珍獣《ちんじゅう》でも見たように、身を強張《こわば》らせた。
「ど……どうしたの、みんな?」
薄笑《うすわら》いのまま、宗介[#「宗介」に傍点]がさらに言った。
●
奥様《おくさま》向けの生活情報番組の収録《しゅうろく》現場。スタジオのカメラの前で、司会《しかい》のアナウンサーがにこやかに告げる。
「はい、お待たせしました。本日のゲストは、ドラマやグラビアで大|活躍中《かつやくちゅう》の、吉良浩介さんでーす!」
盛大《せいだい》な拍手《はくしゅ》。軽快《けいかい》なBGMと共に、大ブレイク中の男性アイドル、吉良浩介が入場する。腰の後ろに手を伸ばしたまま[#「腰の後ろに手を伸ばしたまま」に傍点]、周囲に油断なく目を配りつつ[#「周囲に油断なく目を配りつつ」に傍点]。
「お忙《いそが》しい中、ありがとうございます」
「…………」
吉良浩介[#「吉良浩介」に傍点]は黙《だま》ってうなずく。
「さあ、こちらに」
丁重《ていちょう》に勧《すす》められたゲスト席のソファーをにらみ、大人気タレントはその席の前にひざまずいた。クッションを取り除《のぞ》き、注意深い目でソファーの中に聞き耳をたて、背もたれをつかんで、二度、三度と前後にゆする。
ゲストの奇行《きこう》にどんなリアクションをしたらいいのか分からず、司会たちは手持《ても》ち無沙汰《ぶさた》になって彼の行動を見守った。
「あの……?」
「この席では駄目《だめ》だ」
彼は短く首を横に振る。
「は?」
「椅子《いす》の中に爆発物《ばくはつぶつ》やその他のトラップが仕掛《しか》けられた形跡《けいせき》はないようだが……それでもここは遮蔽物《しゃへいぶつ》が少ない。これでは敵に狙撃《そげき》してくれと言っているようなものだ」
彼はスタジオを見下ろすコントロール室を見上げ、窓《まど》の向こうの番組プロデューサーに向かって告げた。
「照明《しょうめい》を落としてくれ。もっと暗くしろ」
「いえ、それではカメラが……」
「ならば暗視《あんし》スコープを使え。それがいやなら、音声だけで放送しろ」
カメラの向こうの関係者たちが激《はげ》しくうろたえる。マネージャー嬢《じょう》も、おろおろとスタジオの隅《すみ》を行ったり来たりしていた。
「は、ははは……」
司会がどうにか気を取り直し、作り笑いを浮かべる。
「役作り……かな? ご紹介《しょうかい》の時間はまだなのですが、吉良さんは今度の映画で、はじめてアクションに挑戦《ちょうせん》されるんですよね?」
「作戦行動《アクション》なら、いつもこなしている」
「あー……まあ、とにかく。きょうは吉良さんの日常生活について、いろいろお伺《うかが》いするわけなのですが」
「話せる範囲《はんい》で話してやろう」
けっきょく長椅子のいちばん隅――ちょうどカメラの視線《しせん》から、司会を盾《たて》にした位置に腰掛《こしか》けて、吉良浩介が言った。
「……最近、ジョギングに凝《こ》っているそうですね。次のホノルル・マラソンに参加するご予定だと聞きましたが」
会場の片隅に陣取《じんど》った観客《かんきゃく》の奥様連が、『へえ〜』だの『すごいわね〜』だのと声を上げ、ADの合図《あいず》で一斉《いっせい》に拍手する。
「ジョギングか」
「ええ」
「よくわからんが、走り込みは定期的にやっている。四〇キロの装備《そうび》を背負って山中を駆《か》け回ると、いい運動になるぞ」
「ほお? クロスカントリーもご趣味《しゅみ》でしたか!」
「趣味ではない、仕事の一つだ。この業界《ぎょうかい》で長生きしたかったら、その程度《ていど》はこなしておかねばならない」
「えー……芸能界で生き残る秘訣《ひけつ》は、四〇キロの装備を背負って山中を走ることだと?」
「いや。それだけでは不十分だ」
彼はゆっくりと首を横に握《にぎ》った。
「銃火器《じゅうかき》、爆薬《ばくやく》、通信機器。そうした様々《さまざま》な装備に熟達《じゅくたつ》し、練度《れんど》と技能を維持《いじ》する必要がある。あらゆる脅威《きょうい》を予測し、適切《てきせつ》に対応するプロフェッショナルこそが……」
「芸能人だと?」
「肯定《こうてい》だ。それが無理《むり》なら、さっさと廃業《はいぎょう》した方がいい」
●
英語の授業中《じゅぎょうちゅう》。教壇《きょうだん》の神楽坂《かぐらざか》恵里《えり》が告げた。
「はい! 次のページの例文C。訳せた人はだれもいないの? じゃあ相良くん?」
恵里に指されると、宗介[#「宗介」に傍点]はひどく狼狽《ろうばい》した。
「ぼ……僕がですか?」
「早くしなさい」
「あ、あの……わかりません」
すると恵里は腹を立て、彼を叱《しか》りつけた。
「からかってるの、相良くん!? いつも海外の怪《あや》しい友達と、電話でペラペラ密談《みつだん》してるでしょ!? 英語で!」
「いえ。その、僕は、ちょっと」
「なんです? 新手《あらて》の嫌《いや》がらせ? 気持ち悪いからやめなさい!」
「違《ちが》います。僕は、ただ……」
「あー、もういいです。教室の後ろに立ってなさい」
「そんな。昔の小学生じゃあるまいし――」
「口答えはなし! いつも通り、黙《だま》って休め≠フ姿勢《しせい》で立ってなさい!」
彼は抗弁《こうべん》をやめて、渋々《しぶしぶ》と席を立った。心細い気持ちのまま、教室の後ろに立つと、生徒たちがひそひそとささやきあう。
(聞いたか? ボク≠セってよ?)
(何か変なモノでも食べたのかしら?)
(確かに、きょうの相良はおかしい……)
言うまでもないことだが、学校の一同が『妙《みょう》な宗介』だと思っているのは、ハリウッド帰りのメイク係の力で、完璧《かんぺき》な変装《へんそう》を施《ほどこ》された吉良浩介である。
渋る宗介を必死に拝《おが》み倒《たお》して、ある報酬[#「ある報酬」に傍点]を条件《じょうけん》に、一日だけ生活を入れ替わってもらったのだ。
たった一日だけど、普通《ふつう》の高校生活をのんびりと過ごせる……!
浩介はそう期待《きたい》していたのだが、なかなか思うようにはいかなかった。休み時間、浩介は事前に宗介から渡《わた》された顔写真で覚えておいた、何人かの級友に気さくな調子で話しかけてみた。だが彼らは例外なく、まるで恐《おそ》ろしい化け物に声をかけられたような反応を見せるのだ。
たとえば――
「やあ、風間《かざま》くん。元気してる?」
眼鏡《めがね》をかけた小柄《こがら》な少年――風間|信二《しんじ》に浩介が挨拶《あいさつ》する。すると信二は身を引きながら、引きつった薄笑《うすわら》いを浮《う》かべた。
「げ……元気だけど。あの……相良くん?」
「なんだい?」
「変な薬でも使ってるの?」
「なに言ってるんだよ。僕はいつも健康さ」
さらに信二はうろたえる。
「そ……そう。……あ、そういえばさ、この前くれるって言ってたイングラムのサプレッサー、どうなった?」
「え……。イング……なんだって?」
「イングラムのサプレッサー。使用済みの。あとトカレフのフレームも」
それが銃器《じゅうき》の部品の名前だということなど、もちろん浩介には分からなかった。聞いたことのないどこかのバンドの名前かな、と思った。インディーズ系だろうか?
「いや、その、忘れてた。ごめんな」
「あ、そう……」
残念そうな顔をする信二を見て、浩介はあわててフォローする。
「わ、悪かったま。イングラムなら、ほかにも持ってるからさ。今度|一緒《いっしょ》に貸《か》すよ。それから……トカレフ? いやあ、トカレフはお気に入りでさ。ついつい……」
信二のしかめっ面《つら》に気付いて、浩介は口をつぐんだ。
「トカレフが? お気に入り?」
トカレフというのはソ連の旧式な拳銃《けんじゅう》の名前であり、つくりの安っぽさと精度《せいど》の悪さ、そして日本のチンピラが愛用していることなどで知られ、決して立派《りっぱ》とはいえない類《たぐい》の銃だ。宗介のようなプロが『お気に入りだ』などとのたまうようなものではない。
だが、これまた浩介にはわからない。彼は冷や汗《あせ》を浮かべながら、曖昧《あいまい》な笑顔《えがお》でうなずくしかなかった。
「う……うん。言わなかったっけ?」
「だって、トカレフ[#「トカレフ」に傍点]だよ?」
「いいじゃないか、トカレフも。そのうち大ブレイクするかもよ?」
すると信二はしげしげと、浩介の顔を覗《のぞ》き込んで、大まじめに言った。
「相良くん。やっぱり君、病院にいった方がいいよ」
●
一方の宗介はそのころ、移動中《いどうちゅう》の車内でカロリーメイトのフルーツ味をかじっていた。スタジオの若い人間が出してきた仕出《しだ》し弁当には箸《はし》もつけず、『これでいい』と鞄《かばん》から取り出した自前《じまえ》の品だったりする。
「吉良さん。どういうつもりなんです!?」
運転席のマネージャー――琴美が言った。
「何がだ」
「きょうの仕事ぶりですよう! 次から次へと問題ばかり……これじゃあ、どんな噂《うわさ》が立つか分かりません!」
「噂など、放《ほう》っておけばいい」
「わたしだって、吉良さんが今朝から不機嫌《ふきげん》なのは分かってます。でもでも、仕事中の憂《う》さ晴《ば》らしはやめて欲《ほ》しいです!」
「別に不機嫌ではない。普通《ふつう》だ」
[#挿絵(img2/s08_129.jpg)入る]
それは本当だった。よく知らない環境《かんきょう》にいるため、周囲への警戒《けいかい》は欠かしていないが、だからといって機嫌が悪いわけではない。
いまの宗介はいつも通り、きわめて冷静だった。
「むー……。あ、あくまでそうおっしゃるなら、わたしは社長さんに一報《いっぽう》入れて、指示を仰《あお》がねはなりませんよ?」
「よくわからんが、そうするといい」
それを聞いて琴美はあっけにとられた。吉良浩介が事務所の社長に頭が上がらないのは、誰《だれ》しも知っていることなのだ。
「ホントに、ホントにいいんですか?」
「判断《はんだん》に迷ったら司令部《しれいぶ》に一報。普通の措置《そち》だ。フォン・ゼークト言うところの『勤勉《きんべん》な馬鹿《ばか》』とは組みたくないしな」
「よくわかんないけど……じゃ、じゃあ、言いつけちゃいますよ。いいんですね!?」
琴美は片手で携帯《けいたい》電話を取り出し、芸能事務所の社長と何かを相談した。
電話を切ってから、彼女は言った。
「社長さん、怒《おこ》ってました」
「放っておけ。それより、次の仕事の状況説明《ブリーフィング》を」
「…………。グラビアの撮影《さつえい》です。篠宮《しのみや》先生には、くれぐれも粗相《そそう》のないようにお願いしますよ?」
「だれだ、その篠宮とやらは」
「巨匠《きょしょう》の写真家さんですよう! なにか失礼なことしたら、吉良さんも事務所も大損害《だいそんがい》ですからね? ちゃんと挨拶してください!」
「写真家か。写真家なら付き合いがある。安心しろ」
どうということのない調子で、宗介はそう言った。
それから数十分後。車を降《お》りて、スタジオに。
宗介たちは、さっそく問題の篠宮先生と対面《たいめん》する。
「やっ。君が吉良くんか! なるほど、いい顔をしてるねえ」
五〇|過《す》ぎの脂《あぶら》ぎった男が、親しげに握手《あくしゅ》を求め、なれなれしく肩《かた》を叩《たた》いてきた。まあ、こういう業界ならそれほど変わった態度《たいど》でもないわけだし、相手は大先生である。営業スマイルの一つでも浮かべながら、その挨拶に応じるのが普通なわけなのだが――
知らない男が大声を出して急接近《きゅうせっきん》し、両手を出して肩に手を伸《の》ばしてきたら、紛争地帯《ふんそうちたい》で育ってきた傭兵《ようへい》の対応《たいおう》は決まっている。
「む……」
宗介はすかさず体をかわし、相手を大きくよろめかせてしまった。
たたらを踏《ふ》んでから、写真家は驚《おどろ》き半分、怒り半分で彼を見つめる。
「な……なんのつもりだね」
「習慣《しゅうかん》です」
さっそくのこの振《ふ》る舞《ま》い。アシスタントや雑誌社の編集《へんしゅう》が真っ青になる。マネージャーの琴美も、おろおろとスタジオを行ったりきたりする。
「き、君はいったい……」
うろたえる先生を遮《さえぎ》り、宗介は無遠慮《ぶえんりょ》に質問した。
「以前はどこで取材を?」
「は?」
「自分はアフガンやカンボジアで、何人かと付き合いがありました。流れ弾《だま》で死んだ男もいますが……」
「なにを言っとるんだ?」
「あなたは写真家でしょう」
「そ、そうだが‥‥‥」
「いい写真を撮《と》りたいなら、いまはバリク共和国《きょうわこく》です。あそこの内戦は長らく小康状態《しょうこうじょうたい》でしたが、来月あたりに政府軍の大規模《だいきぼ》な反抗《はんこう》がありますので」
「だから、なにを言っとるんだ?」
「まさか、バリク共和国をご存《ぞん》じない?」
「知らん」
宗介は露骨《ろこつ》なあきれ顔をした。
「よくそれで戦場写真家が務《つと》まるな……」
「せ、扇情《せんじょう》写真家だと!? 貴様《きさま》! 知った風な口をきくんじゃない!」
「いや。すくなくとも、俺はあんたよりも戦場のなんたるかを知っている」
「ふざけるな! おまえの歳《とし》でなにがわかる! 俺はこれまで一〇〇人以上の大スタァを撮ってきたんだぞ!?」
「それがどうした。俺はこれまで一〇〇体以上の戦死体を見てきたぞ」
笑えない自慢《じまん》。
凍《こお》り付く一同の前で、宗介は写真家先生と噛《か》み合わない口論《こうろん》を繰《く》り広げた。
●
一方の浩介。四時間目の体育の授業は、一五〇〇メートル走の計測《けいそく》だった。
世間《せけん》へのアナウンスとは裏腹《うらはら》に、吉良浩介は長距離走《ちょうきょりそう》が大の苦手だった。ジョギングが趣味《しゅみ》≠セなどというのは、事務所が勝手に言ってるだけだ。
そんな調子の浩介だったので、走りはじめて一〇〇〇メートルを越《こ》えるころには、ビリから三番目をヒイヒイ歩く状態になっていた。
「はあ……はあ……ぜえ……ぜえ……」
足をもつれさせ、内股《うちまた》で前に進む浩介。この姿を、彼が宗介≠セと思っている生徒一同は異常事態《いじょうじたい》と受け取った。
(どうなってんだ?)
(半ベソかいてるぞ、おい)
(やはり、たちの悪い病気か?)
なにしろ宗介は、長距離走については無敵《むてき》の存在なのだ。一〇〇メートルまでの短距離走では、彼より速い陸上部の生徒は何人もいるのだが、四〇〇メートル走から先は宗介の独壇場《どくだんじょう》だ。彼が陸上部に入って都の大会あたりにでも出場すれば、それこそ軽く優勝してしまうかもしれない。
優《すぐ》れた兵隊には、瞬発力《しゅんぱつりょく》よりも強靭《きょうじん》な持久力《じきゅうりょく》が問われるのである。残虐《ざんぎゃく》な敵に追われながら、密林《みつりん》に覆《おお》われた山岳地帯《さんがくちたい》を何十マイルも、何十キロもの装備を背にして、戦闘《せんとう》も交えつつ早足で移動《いどう》し続けるのは、短距離ランナーの体ではなしえない。
ところが、きょうの宗介≠ニきたら。
「ひい……はあ……」
七分三二秒の記録で、どうにかゴールインすると、彼はその場にへたりこんでしまった。クラスの男子、小野寺《おのでら》孝太郎《こうたろう》に助けられ、トラックの脇《わき》に運ばれると、はげしくせき込み、哀《あわ》れにあえぐ。
「おい、相良ぁ。大丈夫《だいじょうぶ》かよ?」
「ぜえ……ぜえ……」
おびただしい量《りょう》の汗《あせ》を拭《ぬぐ》い、彼はふらふらと立ち上がる。グラウンドの隅《すみ》、花壇《かだん》の向こうに、水飲み場があった。
「み……水……」
よろめきながら、彼はまっすぐに水飲み場へと向かった。その進路上《しんろじょう》に花壇があったが、彼は迂回《うかい》もせずに、草花を踏《ふ》んで突《つ》っ切っていこうとした。それくらい、いまは水が恋《こい》しかった。孝太郎があわてる。
「あ、おい? まてよ相良、そっちには――」
どっかん!!
突然《とつぜん》、花壇が爆発《ばくはつ》した。轟音《ごうおん》と衝撃《しょうげき》。爆炎《ばくえん》と噴煙《ふんえん》。浩介は煙《けむり》の尾《お》を曳《ひ》き、数メートルほど宙《ちゅう》を飛《と》び、地面に叩きつけられた。
「相良っ!?」
「ぐ……ぐはっ……」
舞《ま》い散《ち》る黒土と砂埃《すなぼこり》。混乱《こんらん》しながら唾《つば》を吐《は》き、浩介ははげしくむせかえる。
(あーあ、まただよ。今度は何の爆発だ?)
(自分の地雷《じらい》を踏んだみたいだぜ)
(やっぱり変だな、きょうの相良は)
運動着姿の生徒たちが、遠巻きに爆発の現場を取り囲んでいた。
「い……いったい、なにが!?」
ほとんど地面にめり込んでいた彼は、身を起こし、悲痛《ひつう》な声で泣き叫《さけ》んだ。
「なにって……地雷でしょ」
[#挿絵(img2/s08_137.jpg)入る]
ギャラリーの一人、体操服《たいそうふく》姿の千鳥かなめが言った。見ればハンドボールの授業をしていた女子も、騒《さわ》ぎを聞いて集まっている。
「じ、地雷!? なんでそんな恐《おそ》ろしいものが学校に!? だれがそんなことを!?」
「あんたでしょ、あんた!」
かなめが突進《とっしん》してきて、彼の頭をはたき倒《たお》した。手当《てあて》や心配など一切《いっさい》なしだ。
「うぐぅっ……」
「防犯対策《ぼうはんたいさく》だの何だの言って、あちこちの花壇に植えてたじゃないの! あれほど撤去《てっきょ》しなさい≠チて叱《しか》ったのに……。まだ残ってたのね!? いい加減《かげん》にしてよ!」
「いや、だって、そんな」
「だいたい、自分の地雷に引っかかるってことは――自分でもわけがわからなくなってる証拠《しょうこ》じゃない! この学校をカンボジアの田舎《いなか》みたいにする気!?」
「し、知らないよ! 僕は――」
「やかましいっ!」
さらにかなめは追い打ちをかけ、離《はな》れた花壇の地面を指さした。
「よく見りゃ、あからさまに地雷っぽい筒状《つつじょう》の物体《ぶったい》が、あちこちに球根《きゅうこん》みたく植えてあるじゃない! いますぐ除去《じょきょ》しなさい!」
「じょ、冗談《じょうだん》じゃないよ! なんで僕が――」
「あんたが埋《う》めたんでしょ!? 責任ってものを知りなさいよ、責任を! くぬ、くぬっ」
「痛い、痛い!」
陣高生《じんこうせい》には恒例《こうれい》の折檻《せっかん》である。かなめにごろごろと蹴たぐり回され、悲痛な叫び声をあげる浩介を、他の生徒たちは『やれやれ、またか』と遠めに眺《なが》めるばかりだった。
●
かたや、撮影《さつえい》スタジオの宗介。
怒《いか》り狂《くる》った写真家先生を、関係者が必死になだめすかしたが、やはり仕事はお流れとなった。おたくの事務所との仕事はこれきりだ≠ニ捨《す》て台詞《ぜりふ》を残し、写真家先生はスタジオを去っていき、気まずい空気の中に宗介たちは取り残された。
「くれぐれも粗相《そそう》のないように≠チて言ったじゃないですかぁ!」
ぐすぐすとベソをかきながら、控《ひか》え室でマネージャーの琴美が言った。
「あの先生に仕事を受けていただくために、大変な根回しと予算を投入《とうにゅう》したんですよ? 経費《けいひ》や権利《けんり》、契約《けいやく》その他で、たぶん二五〇〇万以上の損失《そんしつ》です。二五〇〇万ですよ!?」
「ヘルファイア・ミサイル一発分だな」
「意味不明《いみふめい》なこと、言わないでくださいよう! もう……」
そのおり、控え室に五〇前の男がどたばたと踏み込んできた。上等なスーツ姿だ。
「浩介はここか!?」
「あ……」
入ってきた男を目にして、琴美がその身をこわばらせる。
男の顔は怒りに歪《ゆが》み、真っ赤に上気《じょうき》していた。彼は宗介の姿を認めると、ほとんど突進するように詰《つ》め寄《よ》ってきた。
「聞いたぞ、浩介! 何が不満なんだ、え!? ここまで育ててやった恩《おん》を忘れたのか!? なんだってまたそんな真似《まね》を……うわぁあぁいっ!?」
男は宗介に腕《うで》をとられ、景気《けいき》良く床《ゆか》にたたきつけられた。その鼻先に、宗介は自動拳銃《じどうけんじゅう》を突きつける。
「相手が悪かったな」
「ひっ……」
「言え。貴様《きさま》の雇《やと》い主と名前は?」
男が答える前に、琴美が叫ぶ。
「しゃ、社長ぅ!」
「……社長?」
宗介は眉《まゆ》をひそめる。青くなった相手――所属事務所の社長の顔をしげしげと見つめ、彼はつぶやいた。
「確かに……どこかの暗殺者《あんさつしゃ》にしては、弱い上におびえているが……」
「き、貴様……!」
たちまち激昂《げっこう》する社長と宗介の間に、あたふたしながら琴美がなだめに入った。
●
かたや、陣高の浩介。
「もう……もうたくさんだ……」
対人地雷とかなめの暴行《ぼうこう》に消耗《しょうもう》しきった彼は、教室の席でぐったりとしていた。
終業時間が待ち遠しい。この危険な学校を、はやく離《はな》れたい。うかうかしていると、自分は死んでしまう。
そんな彼を遠目《とおめ》に見ながら、クラスの生徒たちは、更《さら》にひそひそとささやき合う。
(やっぱり変だ)
(あの程度のドタバタで消耗《しょうもう》するとは……)
(カナちゃんの折檻、そんなにキツかったかなあ……?)
そのおり、教室の扉《とびら》がばしぃんっ!≠ニ開け放たれた。
「相良ぁっ!」
「?」
戸口に立っていたのは、小柄《こがら》な男子生徒だった。短ランにバンダナ、その目ははげしく血走っている。
「あ、椿《つばき》くんだ。また決闘《けっとう》?」
恭子が手を振《ふ》る。だがその生徒――椿|一成《いっせい》は、ほかの生徒など目に入っていない様子で、ずけずけと浩介めがけて突進してきた。
「またすっぽかしたな!? 果《は》たし状《じょう》は渡《わた》したはずだぞ!?」
「え? あ、あの?」
「もう場所など選ばん! いまここで殺してやるっ!」
「ま、待っ――」
どきゃっ!
一成の拳《こぶし》がクリーンヒット。机《つくえ》と椅子《いす》を巻き込んで、浩介が景気よくひっくり返った。
「…………ん?」
あまりにも綺麗《きれい》に正拳突《せいけんづ》きが入ったので、一成も怪訝《けげん》な顔をして、自分の拳と浩介とを交互《こうご》に見やる。
「なんのつもりだ、相良?」
「う……あ……い……」
「からかってるのか? オレの拳など、ものの数ではないとでも言いたいのか!? え!?」
「ひ……う……」
一成は浩介の胸《むな》ぐらをつかみ、無慈悲《むじひ》にぐいぐいと締《し》め付けた。
「上等だ! ならば、貴様が本気になるまで痛めつけてやる!」
「や、やめ――」
「問答無用《もんどうむよう》。行くぞっ!?」
がすっ、どしっ、ばきゅっ! どどん!
四連続のコンボが炸裂《さくれつ》。壁《かべ》に当たってずり落ちかけた浩介に、一成は小パンチを連打《れんだ》して、とどめに奥義《おうぎ》芒昂岩《ぼうこうがん》≠叩《たた》きこんだ。
「ぐはあっ」
飛び散《ち》る鮮血《せんけつ》。一瞬《いっしゅん》にして、浩介の体力ゲージが0になる。ぐったりとくずおれた彼を見て、一成はますます不審《ふしん》げな様子を見せたが、さりとて手を休めるいわれはない。むしろ自分を馬鹿《ばか》にしているのだと解釈《かいしゃく》した一成は、さらに怒《いか》りの炎《ほのお》を全身からたぎらせた。
「おのれ、まだその気にならねえか!?」
「ちが……ゆる……ころさ……な……」
「だったらこのままくたばるがいい! 血のにじむような修行《しゅぎょう》の末、先週|習得《しゅうとく》したこの技《わざ》をくれてやる! はあぁあぁ〜〜〜!! 大導脈流《だいどうみゃくりゅう》 超絶奥義《ちょうぜつおうぎ》! 貫《かん》・鋼《こう》・片《へん》……て、こらやめろっ! はなせっ!」
闘気《とうき》をチャージし、さらに健康に悪そうな技を繰《く》り出そうとした一成を、見るに見かねたかなめたちが羽交《はが》い締《じ》めにした。
白い天井《てんじょう》と蛍光灯《けいこうとう》。
浩介が目を覚ますと、そこは保健室だった。
「やっとお目覚《めざ》めみたいね」
「…………?」
ベッドのそばのパイプ椅子に、千鳥かなめが座《すわ》っていた。体育の時間、浩介を乱暴《らんぼう》に蹴《け》たぐり回した相手だ。だがいまは、あのときのような凶悪《きょうあく》さはない。
むしろ、彼女は心配顔だった。
「きょう一日、あたしも横目で見てたけど……ホント、どうしちゃったの?」
「え? その……」
「そりゃあさ、本業の方とかで疲《つか》れてるのかもしれないけど。本当にヤバいんだったら、ちゃんと言ってよ」
上目遣《うわめづか》いに彼女は言う。
「ソースケが言《い》い訳《わけ》とかしないタイプなのは、あたしも知ってるつもりだよ? でもなんか……ちょっと寂《さび》しいよ。あたしって、そんなに頼《たよ》りにならない?」
きょう、はじめて会ったばかりの相手だったが、それでも浩介は胸がきゅんっ≠ニ締め付けられるのを感じた。
なんだ。すごくきれいで優《やさ》しい子じゃないか。そんな彼女が、二人っきりの保健室で、僕を気遣《きづか》ってくれている……。それに、もしかしたらこの女の子、僕のことが好きなんじゃないのか?
(そう、そうだよ! こういうのが欲しかったんだ!)
放課後《ほうかご》の甘《あま》いひととき。せつなくやるせない異性《いせい》とのやりとり。そこには脚本家《きゃくほんか》も演出家《えんしゅつか》もいない。あるのはこの自分と彼女とが、ひそやかに交《か》わす言葉と視線《しせん》だけ……。
これだ! やっと巡《めぐ》ってきた青春の一ページ!
内心で感動しながら、浩介は身を起こした。
「すまない。そういうつもりじゃなかった」
本来、この彼女は替え玉の彼のガールフレンドなのかもしれないが――構《かま》うものか。こんなチャンスを逃《のが》すわけにはいかない。浩介は初めて、あの替え玉の口調《くちょう》を真面目《まじめ》に思い出して、完璧《かんぺき》な演技を試《こころ》みようとした。
あいつ――相良宗介って奴《やつ》はどんな喋《しゃべ》り方だったか? どんな目つきをしていたか? 自分のことを『僕』なんて言ってたか?……そうだった、言ってなかった。『俺』だ。それじゃあ疑《うたが》われても仕方ない。浮《うわ》ついた気分を引き締めて、ちゃんと考えて喋らないと。そう、なにしろ自分は役者なんだから!
「確かに……きょうの俺はおかしかった。君の言う通りだ」
声のトーンを落として、浩介はゆっくりと言った。
「だったら……」
「君を心配させたくたかったんだ」
一二〇パーセントのシリアス顔で、浩介はかなめをまっすぐに見つめた。
「ずっと言い出せなかったが……かなめ。君が好きだ」
「え……」
かなめがぽっと頬《ほお》を赤らめる。
「はじめて会ったときから、そうだった。俺にとって、君は特別《とくべつ》なんだ。すさみきった俺の心……それを癒《いや》せるのは、君だけなんだ」
「そ……困るよ、いきなり……」
当惑《とうわく》するかなめの肩《かた》を、浩介はそっと抱《だ》き寄《よ》せた。
「タイミングなんて、関係ないだろ?」
「だ、だって……」
やさしくうなじに手を回し、その唇《くちびる》に照準《しょうじゅん》を合わせる。彼女は小さく震《ふる》えていたが、抵抗《ていこう》するそぶりはなかった。
「だめ……」
「だめなものか……」
そっと唇を近づけていく。
「だめだよ……」
「平気さ……」
あとすこし。そこで。
「だめって言ってんでしょ!?」
かなめが彼の両耳をつまみ、思いきりぎゅい―――っ≠ニ引《ひ》っ張《ぱ》った。
「いっ? いたたたたたたたっ!?」
すかさずシャープな正拳《せいけん》が炸裂《さくれつ》。鼻血を押《お》さえつつ、彼は抗議《こうぎ》した。
「……な、なにをするんだ、かなめ?」
「千鳥≠諱v
かなめは言った。
「あいつはそう呼ぶの。ついでに言えば、こんな積極的《せっきょくてき》なアプローチが、あのヴァカにできるわけないわ。幸か不幸かはさておいて」
「う……え?」
「吐《は》きなさい。あんた何者?……言っとくけど、女子高生にはジュネーブ条約《じょうやく》なんて通用しないわよ?」
「あ、その。や、やめ……」
凶悪モードに移行《いこう》したかなめが、指をぽきぽきと鳴らしながら、おびえる浩介に迫《せま》った。
[#挿絵(img2/s08_149.jpg)入る]
●
夕日の射《さ》し込む廃工場《はいこうじょう》、アクション映画のロケ現場で――
「もう限界《げんかい》だぞ」
くわえタバコに火を点《つ》けて、事務所の社長が琴美に告げた。
「今度、なにかトラブルを起こしたら、事務所《こちら》としても庇《かば》いきれない。かわいそうだとは思うが、浩介《あいつ》はおしまいだよ」
「そ、そんな……」
「もともと、あいつには甘えがあった。仕事と遊びの区別《くべつ》が付いていないんだ。そういうタレントは大成《たいせい》しないよ。経験《けいけん》からわかる」
琴美は青くなって、ロケ現場の片隅《かたすみ》の浩介≠見た。彼は映画の監督《かんとく》と、銃器描写《じゅうきびょうしゃ》のリアリティについて、あれこれと不毛《ふもう》な論議《ろんぎ》を戦わせていた。
(こんな派手《はで》なマズル・フラッシュはありえない。敵に自分の位置を知らせるようなものだ)
(観客《かんきゃく》には知らせたいんだって! 演出の問題だよ! まったく、これだから銃器オタクってのは……)
(俺はオタクではない。スペシャリストだ)
(それが何だ!? 俺はディレクターだ! さっさと控《ひか》え室でメイクを済ませてこい!)
(いいだろう)
(さっきみたいなヘボ演技だったら、監督生命をかけて、あんたを降ろすからな!?)
控え室に入っていく人気アイドルの背中に、監督が悪罵《あくば》を投げつける。リハーサルでさえこの調子だ。煙《けむり》を吐《は》き出し、社長が哀《かな》しげに告げた。
「…………。打つ手なしだな」
「あ、あう……」
ロケ現場の片隅で、琴美は悲嘆《ひたん》にくれるばかりだった。
実際《じっさい》、もはや打つ手なしなのだ。たった一日。わずか一日の間に、これまで二年間にわたって築《きず》いてきた信頼《しんらい》は失墜《しっつい》し、彼のキャリアのなにもかもが崩壊《ほうかい》しようとしている。いったい吉良浩介になにがあったのか? 多忙《たぼう》スケジュールへの抗議だとしても、これは度を越《こ》している。これ以上スタッフともめたら、どれだけ彼を庇おうとしても、すべて徒労《とろう》に終わることだろう。
「お待たせ」
ややあって、本番のために控え室から浩介が出てきた。
きのうと同じで、血のりをつけたポロポロの格好《かっこう》だ。
殺気《さっき》だったスタッフの視線。この雰囲気《ふんいき》では、いいシーンなど撮《と》れるわけもない。だが彼はその空気の中、飄々《ひょうひょう》と撮影機材《さつえいきざい》の谷間をすり抜《ぬ》けてきてから、こう言った。
「えー……。大変なご迷惑《めいわく》をおかけしました」
ごくごく柔《やわ》らかいトーンの声で、吉良浩介は言うと、スタッフ一同に頭を下げた。
「実は、入院中のお袋《ふくろ》が、今朝《けさ》からずっと危篤だったもので……。かなり自分を見失っていたようです。ホント申《もう》し訳《わけ》ないです。でも、もう大丈夫《だいじょうぶ》です。峠《とうげ》は越したようですから。今からちゃんと集中します。すみませんでした!」
一同は数秒間、口を半開きにしていたが――やがてスタッフがこう言った。
「そ……そうだったの?」
「はい」
「お母さんが危篤?」
「ええ。黙《だま》っていて申し訳ありませんでした」
気の抜けた様子で、監督たちはため息をついた。
「なんだ……。だったら、初めから教えてくれれば良かったのに。水臭《みずくさ》いじゃない、吉良くんさあ〜」
「申し訳ありません。まったく僕の不徳《ふとく》のいたすところです。今後は甘えないようにがんばります。つまり……」
浩介はうつむき、自らに言い聞かせるようにこう続けた。
「きのうまでの僕は、この世の中を甘く見ていました。世の中には、もっともっと……過酷《かこく》でおそろしい世界があることを、僕は大きく学びました。そこでひどい目にあっている、哀《あわ》れな人間がいることも、僕は身をもって思い知らされました。平凡《へいぼん》な日常とか何だとか……そんなものを懐《なつ》かしむ気持ちなんて、もうきれいさっぱりなくなりました。この世界が一番! ちゃんとやりたいことをやれて、自分を表現できて……なによりも、言われもなく虐待《ぎゃくたい》されたり殺されそうになったりする危険もなくて!!」
ふと、涙《なみだ》ぐむ浩介。いきなりのこの展開に、その場の一同はますます当惑《とうわく》顔になる。
「?」
「……とにかく気分を入れ替《か》えて、頑張《がんば》らせていただきます!」
瞳《ひとみ》をぬぐうと、いつも通りのきらきらした顔で、吉良浩介は声を張《は》り上げた。
「き、吉良さん……」
わけのわからないまま、マネージャーの琴美は大きな瞳《ひとみ》をうるうるさせて感動するのだった。
ロケ現場の廃工場から離《はな》れた、低木《ていぼく》の茂《しげ》みの中――
「あたしの見たところだと……かなり、ぎりぎりセーフっぽいんだけど?」
一転、和気藹々《わきあいあい》とした雰囲気になった撮影現場を遠目に見て、かなめはかたわらの宗介に言った。
学校の保健室で、浩介を締《し》め上げ事情を聞きだした彼女は、たちまち血相《けっそう》を変えてこう告げたのだった。
(ソースケを!? 替《か》え玉に!? なんて無謀《むぼう》なことを! あんた、このままだと確実に失業《しつぎょう》よ! あいついまどこいるの!? 連れていきなさい、いますぐ!)
そんなわけで、どうにかギリギリに間に合って、宗介と浩介はロケ現場の控え室で入れ替わることに成功したのだった。
「……無念《むねん》だ。俺が出れば、リアリティあふれる良い作品が撮れたと思うのだが……」
頭にでっかいたんこぶを作った宗介が、不服《ふふく》そうにつぶやいた。浩介と共に、控え室の窓から忍《しの》び込んできたかなめに、思いきり殴《なぐ》られまくったのである。
「バカ言わないの。あんたに芸能人が務まるわけないでしょ」
不機嫌《ふきげん》顔でかなめがぼやく。
「そんなことはない。きょう一日、俺はひとつのミスも犯《おか》さなかったぞ?」
「そ……そうなの? テレビやら何やら出演して?」
「当然だ。俺がメジャーデビューすれば、芸能界など一日で殲滅《せんめつ》できる」
「どんな仕事ぶりだったか、容易《ようい》に想像できるわね……」
暗闇《くらやみ》で両目をどよんとさせて、かなめは力無くぼやいた。
「……ところで。吉良くんから聞いたけど。なんかの報酬《ほうしゅう》につられて引き受けたんだって?」
「ああ」
「どんなエサだったの?」
「内緒《ないしょ》だ」
なぜか妙《みょう》な自信を漂《ただよ》わせて、宗介の瞳がきらりと謎《なぞ》めいた光を放った。
●
その翌日《よくじつ》。正午からはじまるバラエティ番組にゲスト出演した吉良浩介は、こめかみに一筋《ひとすじ》の脂汗《あぶらあせ》を垂《た》らしながら、変なプロモーションを展開した。
「はい! ええと……いまご紹介《しょうかい》いただいた僕の映画も大切なんですが、その……ちょっと、友達と約束してしまいまして。……ええ、これです。この写真。一見、かわいい着ぐるみですが……ベルギーのブリリアント・セーフテック社っていうところが売り出した商品だそうで。その……」
手元のメモを棒読《ぼうよ》みする。
「現代戦の様相《ようそう》を一変する、高スペックの強化服。七・六二ミリまでの防弾性能《ぼうだんせいのう》を保証。貴国《きこく》の治安対策《ちあんたいさく》、および低劣度紛争《ていれつどふんそう》に強く推奨《すいしょう》する=c…と」
きょとんとするサングラスの司会の横で、彼は愛想《あいそ》笑いを浮《う》かべた。
「と……とにかく、興味《きょうみ》のある方はこの番号までお問い合わせを!」
全国ネットの生番組で、吉良浩介はボードに書かれた宗介の電話番号(商売用)をかかげて見せた。
[#地付き][おしまい]
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対立のフェスティバル
[#改ページ]
<<フィーリング・カップル>>
<<お化け屋敷>>
<<迷路>>
<<カレー屋>>
<<カラオケ屋>>
<<まんが喫茶>>
<<コスプレ喫茶>>
<<同伴喫茶>>
<<同人誌専門店>>
<<新古書店>>
<<回転寿司>>
<<居酒屋>>
<<ランパブ>>
<<トップレス・バー>>
「いい加減《かげん》にしてよっ!!」
チョークをばしんと黒板《こくばん》に叩《たた》きつけ、千鳥《ちどり》かなめが叫《さけ》んだ。
ホームルームの時間中。クラスメイトたちのリクエストを、黙々《もくもく》と書き連ねてきた挙《あ》げ句《く》の一声である。
いまは一学期の七月だ。文化祭は二学期の九月|下旬《げじゅん》に実施《じっし》される予定だったが、クラスの企画書《きかくしょ》はいまのうちに提出《ていしゅつ》しなければならない決まりになっている。そんなわけで、こうして一同は文化祭の出し物を、ああだこうだと相談しあっているのだった。
「……確かに陣高《うち》の文化祭は規制《きせい》がユルいけど、限度《げんど》ってもんがあるでしょ? 出来《でき》もしない企画を、好き放題《ほうだい》言わないでちょうだい!」
かなめが言うと、クラスの一同はめいめいにそばの友人と顔を見合わせた。
「えー? だってなあ……」
「千鳥さんが『思いつくものは全部言え』っていうから……」
「そうしたまでの話なんだけど……」
口をとがらせ、ぼやく面々《めんめん》。かなめは頭をくしゃくしゃと掻《か》いて、『あー!』といまいましげなうなり声をあげる。
「あのね。なにをどうやったら、トップレス・バーやランパブが出来るの!?……っていうか、それ以前にそんな企画が認可《にんか》されるわけないでしょ!」
「そういうお店の内容を知ってるカナちゃんも、けっこうツワモノだよね……」
常盤《ときわ》恭子《きょうこ》がのほほんとつっこむ。かなめはそれを綺麗《きれい》にスルーして、クラスの面々に訴《うった》えかけた。
「ねえ、みんな。ホントにマジで決める気あるの? 去年だって、せっぱ詰《つ》まってめちゃくちゃな企画を出しちゃって、後でヒイヒイいったじゃない。まったく……」
「確かにトップレス・バーは無理《むり》かもしれない。でもよ、居酒屋《いざかや》なら実現可能《じつげんかのう》なんじゃないか?」
「未成年《みせいねん》の飲酒は禁止《きんし》!」
「じゃあ喫茶系《きっさけい》かなー。……っていうか、同伴《どうはん》喫茶っていったい何?」
「ノーコメント。まあね、あんたらのお父さんお母さんが子供だった時代には、まだ残ってたのよ、そういう施設《しせつ》。みんな貧乏《びんぼう》だったの。昭和《しょうわ》って奴《やつ》よ。カラオケ屋とか、そういうのも無《な》かったころの話よ」
かなめはなぜか違い目をした。
「たまに千鳥って変なこと言うよな……」
「しつもーん。それ、やらしいの?」
「やらしいの」
「その辺の内容を具体的《ぐたいてき》に……」
「知らんでよろしい。っていうかね、いい加減《かげん》時間ないし、そろそろ先進みましょー」
脱線《だっせん》から回復《かいふく》し、議題《ぎだい》を仕切《しき》りなおす。
「とにかく、実現可能な企画だけにするわよ。だから……ええと、これとこれとこれ、それから、これも消して、と」
ああだこうだとつぶやきながら、思案顔《しあんがお》のかなめは無理《むり》な企画を次々に黒板から消していった。次々に消滅《しょうめつ》していく、いかがわしい企画の数々。
そこでクラスの一人――むっつり顔の男子生徒が言った。
「射撃場《しゃげきじょう》はどうだ?」
「……回転寿司《かいてんずし》も無理《むり》ねー。新古書店は論外《ろんがい》。っていうか死ね、くたばれ、潰《つぶ》れてしまえ。あとは……うーん……」
「射撃場を提案《ていあん》する」
「こんなとこかな。ほかに何かあったら、いますぐ言ってね。もう決《けつ》を取っちゃうよー」
「射撃場。正しい実銃《じつじゅう》の取り扱《あつか》いを啓蒙《けいもう》し、事故《じこ》や偏見《へんけん》を減《へ》らすためにも、意義《いぎ》のある企画だと思うが」
「みんな、聞いてる!? もう他《ほか》にないわね!? じゃあ多数決《たすうけつ》ってことで」
「射撃――」
「やかましい!!」
かなめの投げつけた黒板消しを顔面《がんめん》に食らって、後席でしつこく挙手《きょしゅ》していた相良《さがら》宗介《そうすけ》がひっくり返った。
かなめは何事《なにごと》も無《な》かったかのように告げる。
「まずはフィーリング・カップル。これがいい人、手ェ挙《あ》げて」
五人が挙手した。かなめは無言《むごん》で、黒板に『正』の字を書き込む。
「次ー。お化《ば》け屋敷《やしき》の人は?」
これは八人が挙手。
「じゃあカラオケ屋は〜?」
そうして数分後。最終的に残った数案の中から、決選投票《けっせんとうひょう》で決まった企画は――
コスプレ喫茶だった。
「…………。なんでそうなるわけ?」
小躍《こおど》りする一部の生徒たちを斜《なな》めに見て、かなめはがっくりと肩《かた》を落とした。男子はだいたい喜んで、女子も一部はけっこう乗り気で、残りは『ええ〜〜?』といった風情《ふぜい》である。
[#挿絵(img2/s08_163.jpg)入る]
「えー、だって。楽しそうじゃない、色んなカッコできるんでしょ?」
「あれだよ、ナースとか巫女《みこ》さんとかメイドとか」
「かあーっ、いいね! メイド! ちなみに『メイド』と表記するのはマニア系の書籍《しょせき》とかだけで、新聞とかだと『メード』って表記に決められてるらしいぜ。ごっついレスラーにメイドのコスプレさせた漫画雑誌《まんがざっし》の編集長《へんしゅうちょう》が、やたら感心して言ってたよ。どうでもいい話だけどな!」
「ホントどうでもいい話ね……」
熱《ねつ》っぽく語るクラスの一人――小野寺《おのでら》孝太郎《こうたろう》を一瞥《いちべつ》してから、かなめはため息をついた。
「……まあ、いいや。あんまり変なカッコとか、やらしいカッコとかは却下《きゃっか》だけど、仮装《かそう》行列《ぎょうれつ》みたいなもんだと思えば楽しいかもね。OK、これで行きましょ。コスプレ喫茶! じゃあ文化祭実行委員会には、あたしがテキトーに書類作成《しょるいさくせい》して送っとくから。それでいい!? 異議《いぎ》なし!?」
『異議なーし』
いい加減《かげん》、議論《ぎろん》が面倒《めんどう》くさくなっていた二年四組の一同は、なんとなく投げやりな声で一斉《いっせい》に挙手した。
その二週間後。生徒会室で――
「どーして四組《うち》の企画《きかく》がダメなのよ!?」
書類の束《たば》を大机《おおづくえ》に叩《たた》きつけ、かなめはいきり立った。悠然《ゆうぜん》と構《かま》えてそっぽを向く、文化祭実行委員長を、鼻息《はないき》も荒《あら》くにらみつける。
「そう言われてもねえ……」
人差し指で顎《あご》の先をかきながら、文化祭実行委員長の富田《とみた》は言った。小さな丸眼鏡《まるめがね》をかけた、大柄《おおがら》な二年生だ。
「だって、コスプレ喫茶でしょう。そういう企画は、やっぱりいろいろ問題があるわけなんだよ。仮にも学校の中でやる模擬店《もぎてん》なんだから。いかがわしい風俗店《ふうぞくてん》みたいな内容を、見過《みす》ごせるわけないだろ」
「ウェイトレスがコスプレするだけよ? ほかはただの喫茶店じゃない。それのどこがいかがわしいっての!?」
「もちろん僕もそう思うけどね。職員《しょくいん》や父母はちがうわけで。誤解《ごかい》を受けて訴《うった》えられたら、だれが責任をとってくれるのか……っていう。わかるかな?」
「で、でも……」
「とにかく、認《みと》められないよ。悪いけど。これは僕の独断《どくだん》じゃなくて、文化祭実行委員会の総意《そうい》なんだから。この決定を翻《ひるがえ》すことはできません、と。……そうですよね、林水《はやしみず》先輩《せんぱい》?」
そう言って、富田は執務机《しつむづくえ》で執務をしていた林水|敦信《あつのぶ》に声をかけた。生徒会長の林水は、しばらく無言《むごん》で手元の書類をめくっていたが、やがて静かな声で言った。
「実行委員会の会議で決まったことならば、富田くんの主張《しゅちょう》が正しい」
「センパイ!?」
かなめが叫《さけ》び、富田がふんと鼻を鳴《な》らす。
「……富田くん。悪いが席を外してもらえるかな。千鳥くんはこちらへ」
書類に目を落としたまま、林水は言った。富田が肩をすくめて生徒会室を出ていくと、かなめは怒《いか》りもあらわに、林水に詰《つ》め寄《よ》った。
「センパイ。どういうことです? あいつの肩を持つなんて!」
「いま言った通りだよ、千鳥くん。私は文化祭実行委員会の判断《はんだん》を、可能《かのう》な限り尊重《そんちょう》しなければならない」
「だって――」
「あそこで私が『千鳥くんの言う通りだ。委員会の方に持ち帰って再検討《さいけんとう》しろ』と言ったら、実行委員はどう思うかね? 生徒会副会長のゴリ押《お》しで、自分たちの判断にケチがついたと考え、それを不服《ふふく》に感じることだろう。士気《しき》も下がる。私や君への不信感《ふしんかん》も募《つの》る。モラルの低下《ていか》で、文化祭全体にまで悪影響《あくえいきょう》が及《およ》ぶことだろう」
「だからって、あんな理不尽《りふじん》な言い分を許《ゆる》すんですか?」
すると林水は同情するような目で、かなめの顔を見上げた。
「当事者《とうじしゃ》が君でなければ、富田くんを叱《しか》ることもできたのだがね。しかしあいにく残念なことに、君は生徒会副会長だ。だからこそ助《たす》け舟《ぶね》をだせないこともある」
「不公平《ふこうへい》じゃないですか」
「その通り、不公平なのだよ。一般《いっぱん》の人間が思うよりも、権力者《けんりょくしゃ》というのは窮屈《きゅうくつ》を強《し》いられるものだ」
「そうなのかもしれないけど……」
まあ、正論《せいろん》だ。いきりたった感情も萎《な》えて、かなめはそれ以上|抗議《こうぎ》する気を失った。林水の説明で、すべてが納得《なっとく》できたわけではなかったが――少なくとも、これは彼なりの君主論《くんしゅろん》なのだろう。
「……でも、クラスのみんなになんて言えばいいんです?」
「私を悪役にしてもらっても構《かま》わんよ。誹謗中傷《ひぼうちゅうしょう》には慣《な》れている。それよりも、早く企画の代案《だいあん》を考えることだ」
「代案、ねえ……」
かなめは腕組《うでぐ》みした。
けっきょく、居残《いのこ》りのホームルームで相談した結果、二年四組の出し物はただの喫茶店《きっさてん》ということになった。宗介が性懲《しょうこ》りもなく『迫撃砲《はくげきほう》の正しい取《と》り扱《あつか》い教室』だのと言ってきたが、かなめは彼を蹴《け》たぐり回して却下《きゃっか》した。
実行委員長の富田は、すこし不満そうな顔をしながらも、『ま、いいでしょう』と言って喫茶店の企画書を受け取った。
翌日《よくじつ》には、彼から『二年四組の企画が通った』と連絡《れんらく》があった。
まずは一安心。そう思っていた数日後に、各クラスの企画内容を記したプリントが配布《はいふ》される。それを見た四線の面々《めんめん》は、そのプリントを見て怒髪天《どはつてん》を衝《つ》くほどの憤《いきどお》りに身を震《ふる》わせた。
申告《しんこく》した通り、二年四組の企画は喫茶店だった。だったのだが――
<<二年七組――仮装[#「仮装」に傍点]喫茶>>
と、そのプリントにはあった。
ちなみに問題の二年七組は、実行委員長の富田のクラスである。
「なんなんだよ、こりゃ!?」
「コスプレと仮装《かそう》のどこが違《ちが》うっての!?」
「ふざけやがって!! 抗議しようぜ! 謝罪《しゃざい》と賠償《ばいしょう》を要求して、二度とこのような悲劇《ひげき》を起こさないように……」
「どっかでよく聞く言い回しだが、とにかく怒《おこ》ったぞ!」
実際《じっさい》、彼らの怒《いか》りももっともだった。なにしろ実行委員会は、実質上《じっしつじょう》はまったく同じ企画内容を、ただの単なるタイトルの違いだけで差別《さべつ》したのだから。しかも優遇《ゆうぐう》されたのが、実行委員長のクラスとあっては。
『ゆるせん』、『ムカつく』、『暴動《ぼうどう》だ』。
そんな調子《ちょうし》で一同はたけり狂って怒鳴《どな》り散《ち》らした。学級委員のかなめは、むしろその騒《さわ》ぎを鎮《しず》めるべき立場だったが……
ばしんっ!!
彼女が黒板に平手《ひらて》を叩きつけた音が、教室中にこだました。
たちまち室内がしん、となる。
「カナちゃん……?」
「くっくっく……。あの富田……いい根性《こんじょう》してるじゃないの」
ぽかんとした一同の視線《しせん》の中、全身から青白いオーラを漂《ただよ》わせて、彼女は言った。顔面は逆光気味《ぎゃっこうぎみ》で真っ黒。二つの目がらんらんと光り、口は三日月形《みかづきがた》にひきつっている。
そう。かなめこそが、クラスの中で一番怒っている一人なのだった。
「……抗議なんかしたところで、始まらないわよ。どーせ、のらりくらりと逃《に》げられるのがオチなんだから」
「でもよー、千鳥――」
「こうなったら、正攻法《せいこうほう》で思い知らせてやりましょう! 小手先《こてさき》の見せ物で客を集めるんじゃなくて、単純《たんじゅん》に優《すぐ》れた喫茶店で勝負するの!」
『ふむ……』
クラスの一同はそれぞれ顔を見合わせる。その前で、かなめはどっかの国の昔の独裁者《どくさいしゃ》風《ふう》に身振《みぶ》り手振りをまじえ、声|高々《たかだか》と演説《えんぜつ》をぶった。
「……香《かお》り高いコーヒー! おいしい料理! 素敵《すてき》なインテリア! そして、どこまでも行き届いたサービス! これらすべてを総動員《そうどういん》して、客という客を釘付《くぎづ》けにしてくれる! 大衆《たいしゅう》を操《あやつ》るのはごく簡単《かんたん》よ!? 大きな真心《まごころ》の中に、小さな打算《ださん》を巧妙《こうみょう》に織《お》り交ぜるだけでいい。コスプレ喫茶の企画案|却下《きゃっか》という政治的大敗《せいじてきたいはい》、その失地《しっち》を挽回《ばんかい》するには、われわれは騎士道精神《きしどうせいしん》にのっとって立ち向かわねばならない! そうすることによってのみ、わたしたちは民族的に劣《おと》った七組のブタどもに、目にもの見せてくれることができるの! 決定的な敗北感《はいぼくかん》を植《う》え付け、人類の優良種《ゆうりょうしゅ》たるわれわれ四組への、真の畏怖心《いふしん》を抱《いだ》かせてやるべきなのよ!」
「なんか大げさっぽい上に危険思想《きけんしそう》っぽいけど、実は地味《じみ》な報復《ほうふく》だな……」
小野寺孝太郎がつぶやく。
「地味でけっこう! だからこそ、負けた連中《れんちゅう》は言《い》い訳《わけ》ができないって寸法《すんぽう》よ。どう!?」
「なるほど」
「悪くないかもね」
「異議なーし!」
級友たちが口々に言った。
「よし! じゃあこの企画はあたしに任せなさい! 有能《ゆうのう》なオレサマが、本気モードで本格喫茶をプロデュースしてやるわ!」
ふんぞり返ってかなめが宣言《せんげん》すると、常盤恭子が遠慮《えんりょ》がちにこう言った。
「でも、カナちゃん。そんな安請《やすう》け合いしてだいじょぶなの? カナちゃん副会長だし、いろいろ他《ほか》にも忙《いそが》しいんじゃない?」
「はっ! 大丈夫《だいじょうぶ》よ! いまは七月。文化祭は九月。全然|余裕《よゆう》じゃない。大船に乗ったつもりでいてちょうだい!」
どんと胸を叩いて、かなめは高笑いした。
実行委員長の富田は、各クラスの企画《きかく》が発表された段階《だんかい》で、二年四組の面々が猛抗議《もうこうぎ》にやってくるだろうと予想していたのだが、それがなかったことに拍子抜《ひょうしぬ》けしていた。
「はて? それほど熱意《ねつい》がなかったのかな」
七組の企画の小会議の席で、富田は首をひねった。
「どうだか知らないが、容赦《ようしゃ》は無用《むよう》だぜ」
七組の生徒の一人が言った。
「そうそう。これで去年の復讐《ふくしゅう》ができるってもんだ。四組の適中め。狙《ねら》い澄《す》ましたように、また同じ企画たててきやがって……」
「八方《はっぽう》手を尽《つ》くして、富田を実行委員長に仕立て上げたのは正解だったな」
ほかの生徒たちが口々に言う。
陣代《じんだい》高校にはクラス替《が》えというものがない。三年間、ずっと同じクラスなのだ。去年の文化祭で、富田たち二年七組は、お化《ば》け屋敷《やしき》を企画した。ところがかなめたちの一年四組が、やはりお化け屋敷を企画してきたのだ。
しかも、ただのお化け屋敷ではない。
『ロープレ風フィーリング迷宮《めいきゅう》カラオケトレーディングカレー付きお化け屋敷』
……などという、変な内容だった。
「なにがなにやら分からない企画だったが、結果として、四組に客をごっそり持っていかれたし……」
「そもそもトレーディングカレーつて、いったい何だったんだ……?」
「いずれにしても、おかげで七組《うち》は大赤字だった。だから今年は、汚《きたな》い手を使ってでも、四組《やつら》の妨害《ぼうがい》をすべきなんだよ!」
「いい、富田くん!? これからも連中の企画に、目に見えない圧力《あつりょく》をかけていくのよ!?」
熱心にまくしたてるクラスメートたちの前で、富田は肩《かた》をすくめた。
そうして、夏休みになった。
本気で文化祭の企画の準備《じゅんび》をするつもりならば、八月の内には取りかからなければならないのだったが――七組の生徒の予想通り、かなめたちのクラスの準備は思うように進まなかった。
原因《げんいん》のひとつには、中心人物たるかなめに問題があった。彼女は現役《げんえき》の生徒会副会長で、しかも去年は文化祭実行委員会の副委員長だったのだ。細かなことで、文化祭全体の雑務《ざつむ》を手伝うはめになり、なかなか自分のクラスの方にまで手が回らなかった。
しかも実行委員たちが、なにかと彼女にあれこれ質問《しつもん》をしてくるのである。『資材《しざい》の買い付けはどこからやるのか』だの、『予算の計上はどうすればいいのか』だの、『保健所に出す書類はなにがあるのか』だの。
それが富田からの遠回しな妨害だということに気付いたのは、二学期に入ってからのことだった。
それだけではない。かなめとしては、夏休みの終わりごろに余暇《よか》を利用して、クラスの企画の細かい計画を立てておこうと考えていたのだが、その時期に運悪く、遠い南洋で大事件に巻き込まれてしまった。
事件の後も、さすがに疲《つか》れて数日は文化祭のことなど考える余裕もなかった。
それでもって、二学期。
宿題も提出《ていしゅつ》し、ようやく文化祭の準備に集中しようかと思った矢先《やさき》――
今度は非常識《ひじょうしき》な留学生《りゅうがくせい》の少女が四組に転がり込んできて、かなめと宗介の生活を、二週間ほど引っかき回して去っていった。
ほっと一息ついたときには、文化祭は一〇日後に迫《せま》っていた。
ほとんど準備をしていない――
顔面《がんめん》滝汗《たきあせ》、しどろもどろになったかなめが、ホームルームでそのことを白状《はくじょう》すると、四組の生徒たちは悲鳴《ひめい》をあげた。
「そんな! どうしてよ!?」
「あと一〇日しかねーんだぞ!?」
「一か月以上も、なにやってたんだ!?」
級友たちの無責任《むせきにん》な叱責《しっせき》を、かなめは黙《だま》って聞いていた。やれ『がっかりした』、やれ『やる気あんのか』、やれ『あれだけ大口|叩《たた》いておいて』……。それなりに負い目のある彼女は、しばらくは殊勝《しゅしょう》にこうべを垂《た》れていたが、いつまでも罵声《ばせい》は鳴り止《や》まない。気の弱い娘《むすめ》なら『ごめんなさい。あたし、あたし……』とか泣き出してしまうところだったが、そこはそれ、かなめである。やがて我慢《がまん》の限度《げんど》を超《こ》えて――
「うるさーいっ!!」
真っ向から逆《ぎゃく》ギレ。彼女は声を張《は》り上げて、目の前の教卓《きょうたく》を蹴《け》り倒《たお》した。
「ひっ……」
「うわあ」
前の席の生徒たちが、倒れかかってきた教卓から、あわてて飛び退《の》く。教室の隅《すみ》でホームルームを見守っていた、担任《たんにん》の神楽坂《かぐらざか》恵里《えり》も、身を固くしてぎょっとした。
「……あたしだってねえ!? いろいろとあったのよ! 死にそうな目にあったり、死にそうな目にあったり……しまいには、死にそうな目にあったり。文化祭のことなんて考えてられなかったの! だいたいそもそも、何から何まで人任せにしといて、今さらその言い草はないでしょ!?」
『む……』
「……とにかく、準備をしてないのは事実なんだから、どうにかしないと。このままじゃ、ぜんぜん客が入らない喫茶店《きっさてん》になるわ。すると、どうなると思う?」
『……どうなるわけ?』
ほとんど投げやりな声で、一同は聞いた。
「赤字になるのよ。……で、赤字になると、打ち上げコンパの予算が出ないわけ。贅《ぜい》を尽《つ》くした海産《かいさん》料理も食べられないし、●ワーもビー●も日本●も、飲めなくなるのよ!?」
『それは困る!!』
全員が異口同音《いくどうおん》に言った。
「そーよ! 去年、なぜか大盛況《だいせいきょう》だった『ロープレ風フィーリング迷宮カラオケトレーディングカレー付きお化け屋敷』の収益《しゅうえき》で、どれだけの享楽《きょうらく》を味わったことか。あの栄光を忘れたわけじゃないでしょうね!?」
言われて、一同はしみじみ述懐《じゅっかい》する。
「あんときゃ、すごかったよねー……」
「ヘベレケのシオリが脱《ぬ》ごうとしたよなー」
「代わりにオノDが脱いで、ビルの屋上から千鳥にコクったんだよねー……」
「あと、遠田《えんだ》が路駐《ろちゅう》のベンツに傷付けて逃《に》げたんだよな。あれはヤバかった」
「それより井《い》の頭《かしら》公園の池にダイブしたの、だれだったっけ……?」
ちなみに教室の中には二人ほど、その話題に付いていけない人物がいた。転校生の宗介と、担任の神楽坂恵里である。
「……よくわからんが、打ち上げコンパというのは危険な宗教的|儀式《ぎしき》のようだな……」
「あの、みんな? 初耳……っていうか、いちおう、教師のわたしがこの場にいるんですけど……?」
それぞれ控《ひか》えめに言うのを、きっぱりと無視《むし》して、かなめは声高らかに叫《さけ》んだ。
「コンパの問題だけじゃないわ! ただでさえ四組《うち》は、家庭科室や水場の使用、器材《きざい》や資材《しざい》の優先権《ゆうせんけん》でも、いろいろと文化祭実行委員会から圧力《あつりょく》を受けてるの。他《ほか》ならぬ、富田と七組の仕業《しわざ》でよ。みんな、悔《くや》しくないの!?」
『悔しい!』
一同は即答《そくとう》した。
「よろしい。では、協力してもらうからね? 対策《たいさく》として、サクラを呼んでもらうわ」
『サクラ?』
「閑古鳥《かんこどり》が鳴いてる店には、悪循環《あくじゅんかん》で客が集まらないもんよ。これ鉄則《てっそく》。だから中学時代の友達とか、そーいうのに声かけて店に呼んで。それでどうにか物量《ぶつりょう》を整えるの!」
『ふむ……』
「各自で最低、ノルマ五人。いいわね!?」
『ういーす』
苦し紛《まぎ》れの方策《ほうさく》ではあったが、わざわざ異議を唱《とな》える者はいなかった。
その数日後。七組の企画《きかく》会議で――
「けっきょく、場当《ばあ》たり的な対策に終始《しゅうし》してるみたいだな」
四組の探《さぐ》りを入れてきた一人が、富田たちに報告した。
「メニューは間に合わせ。インテリアも適当《てきとう》。サクラを呼んで、どうにか盛《も》り上がってる感じにするだけみたいだ」
「しかも喫茶店をやる教室は、ほかの企画からはずれた南校舎の三階にしてやったし」
「これで今年は、七組《うち》の勝ちだな。クックック……」
悪の秘密結社《ひみつけっしゃ》の幹部《かんぶ》みたいに、七組の生徒たちはほくそ笑《え》んだ。
「いや……それだけじゃ足りないな。どうせなら、連中《れんちゅう》が呼んだサクラも、ごっそりいただいてしまおう」
富由が言った。
「いただくって……どうやって?」
「ゲートのそばに案内スペースがあるだろう。あそこに僕の息がかかった委員を配置《はいち》する。そこで『四組の企画は実質上《じっしつじょう》♂メ働《かどう》していない。代わりに七組の喫茶店へどうぞ』と勧《すす》めさせるわけだ」
つまり、かなめたち四組の面子《メンツ》が呼んだ友人知人の数々を、すべて七組の喫茶店に誘導《ゆうどう》してしまおう、という作戦だった。
「ケータイで連絡《れんらく》取られたら、すぐバレるんじゃないの?」
「無線部《むせんぶ》の奴《やつ》が、こないだ秋葉原《あきはばら》で電波|妨害機《ぼうがいき》を買ったって言ってた。あれを借りる」
「なるほど……。しかし汚《きた》ねえ手だなあ」
「いいんだよ。やるなら徹底的《てっていてき》にね。それに四組の底力《そこぢから》は油断《ゆだん》ならない」
丸眼鏡《まるめがね》の奥《おく》の瞳《ひとみ》をきらりと光らせ、富田は言った。
あっと言う間に一〇日間が過ぎた。
あわただしい準備《じゅんび》で校内が活気《かっき》づき、そこかしこで金づちやのこぎりの騒音《そうおん》が鳴《な》り響《ひび》く放課後《ほうかご》が続いた。
前日準備は遅《おく》れに遅れ、結果として、かなめたちは学校に泊まり込むはめになった。四組の主要なメンツは、ほとんど不眠不休《ふみんふきゅう》で喫茶店の内装《ないそう》を作っていたのだが、作業は思うようにはかどらなかった。
真夜中になって、いきなりエポキシ系《けい》の接着剤《せっちゃくざい》が必要になったり、電動工具が故障《こしょう》したり。実行委貞会に資材《しざい》を借《か》りに行くと、決まって『もうない』『このドリルは貸し出ししてない』だのと言われて、追《お》い払《はら》われた。
実行委員長たる宮田の影響力《えいきょうりょく》は、相当《そうとう》なものである。
業《ごう》を煮《に》やしたかなめたちは、実行委員会から資材と工具《こうぐ》を盗《ぬす》み出す計画を企《くわだ》てたのだが、富田たちもそれは予想していたと見える。あらゆる作業場に監視《かんし》が立っていて、窃盗《せっとう》はほとんど不可能《ふかのう》だった。
仕方ないので、かなめはクラスの男子の風間《かざま》信二《しんじ》を、ずっと遠くにある深夜営業のディスカウント店まで自転車で買い物に行かせた。ところが、その信二が泉川署《せんがわしょ》の横暴《おうぼう》な婦警《ふけい》につかまって拘束《こうそく》されてしまった。
『ひどいんだよ! 僕を見るなり、なんの根拠《こんきょ》もなく「あんたはむっつりスケベの顔よ。女湯のぞきとか下着ドロとかするタイプね」とか言うんだ!』
「いや、おおむね正しいような気も……」
電話口で訴《うった》える信二の涙声《なみだごえ》を聞きながら、かなめはぼそりとつぶやいた。
『千鳥さんまでそんなことを! あんまりだ、僕は――』
「あー、ごめんごめん。とにかく買い物はいいから。朝までには帰ってきてね」
『そっ……』
ぷつん。電話を切って、眠《ねむ》たい目をこする。
「ええい。こうなったら……」
夜になってから姿《すがた》の見えない、宗介の携帯《けいたい》番号を呼びだす。どうしても入手できない資材と工具だが、実行委員会は確保《かくほ》している。戦場育ちの彼を引き込んで、本格的な強奪《ごうだつ》作戦を展開しようという心づもりだったのだが――
「すまないが、クラスの仕事は手伝えない」
と、宗介は薄情《はくじょう》にも言った。
「生徒会の方の準備があるのだ。こちらも手一杯《ていっぱい》でな……。俺一人で、徹夜《てつや》仕事だ」
どんな仕事なのかは知らなかったが、そう言われては無理強《むりじ》いするわけにもいかない。かなめたちは内装の仕様《しよう》をあらためて、ありもので作業を進めるしかなかった。
そうして前日準備の修羅場《しゅらば》が明けて――
当日の朝。
快晴《かいせい》の空の下、中庭の特設《とくせつ》ステージで、文化祭の開会式が執り行なわれた。
なかなか立派《りっぱ》なステージだ。中庭の空には横断幕《おうだんまく》が掲《かか》げられ、数々の万国旗《ばんこくき》やテープ、リボンが校舎を飾《かざ》り立てている。まず実行委員長や保健《ほけん》委貞長などから、細かい諸注意《しょちゅうい》があった。その次に、司会の放送委員が告げる。
「えー。では次に、安全|保障《ほしょう》問題担当・生徒会長|補佐官《ほさかん》からの諸注意があります。では相良さん、どうぞ」
衆目《しゅうもく》の中、宗介が壇上《だんじょう》に上がる。
「会長補佐官です」
マイクを手に、宗介が告げた。
「本日は天気にも恵《めぐ》まれ、文化祭をつつがなく開催《かいさい》できることとあいなり、自分としても喜びに堪《た》えません。ただ、イベントを楽しむためにも、開会期間中は次の点に充分《じゅうぶん》、留意《りゅうい》してください」
こほんと咳払《せきばら》い。紙片を取り出し読み上げようとする。中庭や渡《わた》り廊下《ろうか》、屋上などに集まった生徒たちが、神妙《しんみょう》な顔で彼を注視《ちゅうし》した。
「……まず、不審《ふしん》な人物を見かけた場合は、話しかけずに通報《つうほう》すること。生徒会の強襲《きょうしゅう》チームが急行します。不審物を見つけた場合は、触《さわ》らずに通報すること。生徒会の爆弾処理《ばくだんしょり》チームが急行します」
『…………』
「次に、屋上には長さ五〇センチ以上の物品を持ち込まないでください。これを破《やぶ》った場合は、狙撃《そげき》目的のライフル類を所持《しょじ》していると見なされ、無警告《むけいこく》で射殺《しゃさつ》される場合があります」
『…………』
「なお、グラウンド側の外周などには、不法《ふほう》な侵入者《しんにゅうしゃ》に備《そな》えて対人地雷《たいじんじらい》が埋設《まいせつ》してあります。詳《くわ》しい地雷原《じらいげん》の範囲《はんい》は、後で配るパンフレットの別紙《べっし》をご覧《らん》ください。……また、正門ゲートに待機《たいき》しているドーベルマン二頭は、爆薬《ばくやく》を所持《しょじ》した人間の喉笛《のどぶえ》めがけて、容赦《ようしゃ》なく襲《おそ》いかかるよう訓練《くんれん》されています。ご注意ください。すべては保安のため――各種テロ対策《たいさく》と治安維持《ちあんいじ》が目的です。これらを破った者、なんらかの騒乱《そうらん》を起こした者は、しかるべき報《むく》いを受けることと覚悟《かくご》していただきたい」
お祭りムードが完膚無《かんぷな》きまでに停滞《ていたい》したところで、宗介は締《し》めくくった。
「以上です。では、楽しい文化祭を」
「楽しめるかっ!!」
ステージの奥で、副会長としておとなしく座《すわ》っていたかなめが突進《とっしん》してきて、彼を壇上から蹴り落とした。
「徹夜仕事って、それね!? 徹夜で地雷埋めまくってたのね!?」
「大変だったぞ」
「やかましいっ! クラスの仕事も手伝わないで……この人でなし!!」
壇上から飛び降り、宗介に馬乗りになったかなめを尻目《しりめ》に、司会が言った。
「えーと……。で、では……続いて生徒会長からのお言葉です」
林水が進み出て、マイクに告げる。
「あー、テスト。……ではこれより、第四九回・陣高祭の開幕を宣言《せんげん》します」
「あの……それだけですか?」
「それだけです。以上」
あっさり味の開会宣言《かいかいせんげん》。気を取り直した生徒たちが『わーっ』と盛《も》り上がり、各自の企画《きかく》へと散《ち》っていった。
こっぴどく宗介を説教して、地雷を無力化《むりょくか》させ、番犬を引っ込めさせ、二年四組の教室に帰った後でも――いまだに、喫茶店《きっさてん》の準備は出来ていなかった。
徹夜でがんばってはいるのだが。やっぱり実行委員会からの圧力はいかんともしがたい。いまだに木材やボール紙、模造紙《もぞうし》の類《たぐい》が散らばったままで、入り口の看板《かんばん》すら未完成《みかんせい》。厨房《ちゅうぼう》スペースの仕切《しきり》や、壁《かべ》の装飾《そうしょく》、メニューの仕込みさえ終わっていない。当初|想定《そうてい》していた喫茶店には、遠く及《およ》ばない状況《じょうきょう》である。
「どんな調子?」
かなめが訊《き》くと、開会式そっちのけで開店準備をしていた恭子が、げんなりとした声で答えた。
「だめ。昼までに間に合うかどうか……」
四組の生徒たちが、疲《つか》れ切った目をかなめに向ける。彼らが割《わ》り当てられた教室の完成度は、まだ六割|程度《ていど》というところだった。
「こりゃ、ダメかもしれないね……」
一同は肩《かた》を落としてため息をつきながらも、作業を続けた。
文化祭が始まって昼前になったころ、七組の偵察《ていさつ》に行っていた小野寺が、駆け足で帰ってきた。
「オノD、どうだった?」
「すげえよ。ちょっとだけ見たけど、さっそく混《こ》みはじめてるみたい。内装も立派らしいぜ。それに、ウェイトレスのコたちが――」
「ウェイトレスが?」
「水着にエプロン姿なんだと」
「!」
「もうすっかり評判《ひょうばん》だよ。『仮装喫茶』なんて表向きだな。あれじゃあ、ランパブと同じだ。……しかも、女性客も意識《いしき》して、ウェイターも水着姿にエプロン。あれやこれやとイケメン揃《そろ》えてよー」
「な、なんてあざといのかしら……」
かなめはあきれて、それ以上なにも言えなかった。一学期に、宮田は『コスプレなんて、父母から誤解《ごかい》される』だのと言っていたのだ。だというのに、その富田のクラスが、よりにもよって水着エプロンとは……!
「正攻法《せいこうほう》じゃ勝負にならねえよ。こうなると分かってたら、こっちもノーパン喫茶で対抗《たいこう》したのになあ……」
しみじみ言う小野寺を、かなめは横目でにらみつけた。
「まだ遅《おそ》くないわよ。あんただけでやってたら?」
「ん? んん? 見たい? 見たい?」
ベルトのバックルをガチャガチャいじり始めた小野寺をはり倒《たお》してから、かなめはため息をついた。
「ああ……。どうやら、今年は四組《うち》の完全|敗北《はいぼく》みたいね。汚《きたな》い手を使われたのは悔《くや》しいけど、結果は結果なわけだし……」
かなめの言葉を聞いて、一同はしゅんとした。自分の弱音で、著《いちじる》しく士気《しき》が下がっていることに気付いて、彼女は努めて明るい声を出した。
「でも、まあ……ね! サクラってことで、他校の友達とかを呼んだわけだし! わざわざ来てくれた人たちに、ちゃんとおもてなしはできるようにしようよ」
『うん……』
「あたし、ちょっとがんばって、明日からは、おいっしいお菓子《かし》とか仕込んでくるから。この際だから、打ち上げコンパとかは諦《あきら》めても、いい仕事はしよ? ね!?」
『そうだね……』
「さあさあ、急いだ急いだ! 他校のお客さんが来ちゃうわよ!」
かなめが手を叩《たた》くと、ほかの面々は自分の取りかかっていた仕事へ戻《もど》っていく。
「でも、おかしいなぁ……」
恭子がぽつりと言った。
「あたしの中学校の友達、そろそろ来てるはずなんだけど。ちゃんと『サクラやって』って頼《たの》んだのに。顔も見せないなんて……」
「え、キョーコも?」
クラスの一人、詩織《しおり》が言った。
「あたしの友達も『午前に来る』って言ってたんだよね。さっきケータイかけたんだけど、つながらないし……」
「シオリも?」
「あ、僕もだよ。変だな……」
何人かの生徒が口々に言う。みんな、文化祭に呼んだ友達が顔を出していないというのだ。かなめが怪訝顔《けげんがお》をしていると、その横で宗介までもが首をひねった。
「そうか……。俺だけではなかったのか」
「……って、ソースケもだれか呼んだの?」
「そういう決まりだっただろう。先週、様々《さまざま》なルートを駆使《くし》してな。あちこちに声をかけておいた」
「……まさか、<ミスリル> の人たち?」
かなめが小声でたずねた。
「いや。そちらは修理《しゅうり》の済んだ潜水艦《せんすいかん》のテストで忙《いそが》しい。大佐殿《たいさどの》はずいぶんと残念《ざんねん》がっておられたが……とにかく、一人も来ない」
「はあ」
「呼んだのは、いまの仕事とは無関係《むかんけい》の旧友たちでな。事前《じぜん》の連絡《れんらく》によれば、ほとんどは、すでにこの会場に来ているはずなのだが――」
「あんたの旧友?」
「ああ。傭兵《ようへい》時代のな」
「来てるわけ?」
「そのはずだ」
富田たち七組の喫茶店は、異様《いよう》な空気に包《つつ》まれていた。
――いや、そんな生やさしいものではない。むしろ、硝煙《しょうえん》の匂《にお》いが漂《ただよ》っているといった方が早い。
客の大半は、高校生ではなかった。
それどころか、日本人でさえなかった。
白人、黒人、アジア人。さらにアラブ系や、南米系の男たち。みな私服姿だったが、彼らに共通していることがいくつかあった。
目つきが鋭《するど》い。
笑顔《えがお》を浮《う》かべない。
そのわりには、変に礼儀《れいぎ》正しい。
おしなべて屈強《くっきょう》な、引《ひ》き締《し》まった体つき。上着の下やくるぶしに、なにか[#「なにか」に傍点]を隠《かく》している。常《つね》に周囲に気を配り、すぐに椅子《いす》から立ち上がれるような座《すわ》り方をしている。
ありていにいって、四組のあの問題児[#「あの問題児」に傍点]と、ほとんど同じたたずまいなのであった。
「あ、あの……」
「What?」
ウェイトレスの一人が声をかけると、そのアフリカ系の中年男性は、眉間《みけん》にしわを寄せて言った。陣高祭のパンフのほかに、なぜか京都の観光地図《かんこうちず》を握《にぎ》っていた。
「Excuse me, Mis. I'd like to see Sergent Seagal. Where is him ――」
「いえ、その。ご、ごめんなさい……!」
怯《おび》えたその女子生徒は、泣きながら店の奥《おく》へと逃《に》げ帰ってきた。それを見ていた富田たちは、青ざめてひそひそと口論《こうろん》する。
(どうなってるんだ!? なんでこんな客ばっかり……!?)
(知るか!)
(危険な香りのする外人ばっかじゃないか!?)
(ヤバいよ。ほかの客が寄りつかないぞ)
そう言っている内にも、水着ウェイトレスの評判を聞いてやって来た客が、店の入り口で回れ右してダッシュしていった。元からいたほかの客も、店内の静かな緊迫《きんぱく》に耐《た》えきれず、お茶も飲まずにそそくさと出ていく。
(ああっ……。店の雰囲気《ふんいき》、最悪だよ。フツーのガイジンさんならともかく……)
(富田! おまえ行って、出てくように頼《たの》めよ!)
(無茶《むちゃ》言うな! 英語なんて話せないよ!)
富田たちが、焦《あせ》りに焦って密談《みつだん》を交《か》わしていると――
「スミマセン! スミーマセン!」
部屋の一角に座っていたアラブ系のグループの一人が、声を張《は》り上げた。見ると、こちらを手招《てまね》きしている。やむにやまれず、富田が出ていくと、その男は単語帳《たんごちょう》を片手に、カタコトの日本語でこう告げた。
「ドーコ? カシーム。ワクシ、アウ。ワタシ、キク。トオク。トーク」
「は? あ、あの……」
「カシーム! ムスコ。トラ、バダーフシャン。ムスコ。アル・マジード!」
混乱《こんらん》の極《きわ》みに追いつめられ、富田が涙目《なみだめ》になったところで――
「ジャイード、ファヒム、グルロース!」
新たな声に振《ふ》り向くと、宗介がずけずけと店内に入ってくるところだった。
『ジャイード。よく来たな。ファヒムとグルロースも』
むっつり顔のまま、宗介がさび付いたウルドゥー語で言うと、三人のパキスタン人たちは、満面《まんめん》の笑みをたたえて彼を出迎《でむか》えた。そばでおろおろしていた日本人など、無視《むし》である。
『カシム。元気そうじゃないか。それよりなんだ、その格好《かっこう》は?』
『この学校の制服《せいふく》だ』
『学校? ここは学校だったのか……』
ジャイードたちはやっと合点《がてん》がいった様子《ようす》で、教室内をしげしげと見回した。
『それよりモハマドはどうした?』
宗介が訊《き》くと、三人のパキスタン人は急にしんみりとした。
『会ってないよ。もう二年になる。おまえから譲《ゆず》り受けたRk[#「Rk」は縦中横]―91[#「91」は縦中横]に乗って、タジキスタンの内戦に義勇兵《ぎゆうへい》として参加《さんか》してな』
『そうか……』
『あそこの状況《じょうきょう》もよくないらしい。敵にフランスのASがたくさん配備《はいび》されたそうだ』
『ミストラルUか。あのおんぼろサベージでは手に余《あま》るだろうな……』
『ああ。だが、モハマドならなんとかするさ。それよりカシム――』
ジャイードが周囲をちらりと見た。
『ほかにも友人がいろいろ来てるみたいじゃないか。いいのか?』
『ああ。すまない。また後でな』
『すまない』という言葉に驚《おどろ》いているジャイードたちを尻目《しりめ》に、宗介は他の客たちへ挨拶《あいさつ》して回る。
いかつい顔つきの黒人男性が宗介に手を挙げ、英語で言った。
『セガール。元気そうだな!』
『よく来てくれた、ジマー。訓練《くんれん》キャンプはよかったのか?』
『ああ。これから忙しくなるがね。弾薬《だんやく》の補給《ほきゅう》ルートが問題だ。それよりウェーバーとマオはどうだ。うまく行ってるか?』
『なんとかな。エスティス少佐はどうしてる』
『相変わらず不機嫌《ふきげん》だ。こないだは生意気《なまいき》な訓練生《くんれんせい》を、格闘戦《かくとうせん》の教練《きょうれん》で半殺しにしてくれたよ。わっはっは。ところで――』
そんな調子で、あれやこれや。
七組の喫茶店は、いまや宗介|専用《せんよう》の同窓会場――要するに、物騒《ぶっそう》な地域《ちいき》からはるばるやってきたベテラン傭兵たちの集《つど》う、超危険地帯《ちょうきけんちたい》と化していたのだった。
「相良くんって、いったい何者なの……?」
入り口からそっと様子をうかがっていた恭子が、だらだらと脂汗《あぶらあせ》を流しながらかなめに言った。
「なにを今さら……。つまり、あいつはああいう物騒な友達しかいないのよ」
ぼやくようにかなめが言った。
「うう……。外国の怖《こわ》いところ育ちとは聞いてたけど。なんか、実感《じっかん》……」
「とにかくはっきりしたわ。……どうやら七組の連中が、四組[#「四組」に傍点]の客まで横取りしてたみたいね」
「うん。ある意味、助かったかもね……」
そこで、アメリカ人の傭兵《ようへい》とおぼしき男と話し込んでいた宗介が、かなめの方に振り返って叫《さけ》んだ。
「千鳥!」
「なによ」
「四組の喫茶店の準備はどうだ? できればみんなを移動《いどう》させたいのだが――」
「ダメ! 絶対《ぜったい》ダメ!」
かなめは両手をクロスさせ、大きな『×』の字を作ってみせた。
「当分、開店できそうにないわ。申《もう》し訳《わけ》ないけど」
実のところ、四組の喫茶店はもうすぐ開店できる見込みだったのだが、彼女はあえてそう言った。相手の反応《はんのう》を見もせずに、そそくさとその場から立ち去っていく。宗介はかなめの言葉を真に受けて、そばの戦友にぼそぼそとなにかを喋《しゃべ》っていた。
富田たち七組の面々は、『早くどこかに行ってくれ!』と、ほとんど祈《いの》るように彼らの様子を見守っていた。
『――そういうわけだ、ノリス。しばらくここで時間を潰《つぶ》してくれ』
宗介が言うと、そのアメリカ人傭兵は顔を曇《くも》らせた。
『それはいいんだが……サガーラ。実はな、さっきから――』
『さっきから、なんだ?』
『振り向くなよ? おまえから見て四時方向。あそこにいるラテン系の二人が……前にコロンビアで戦った敵とそっくりに思えて仕方《しかた》ないんだ』
『コステロたちがか? 馬鹿《ばか》な――』
『いや、間違《まちが》いない。連中も気付いてる。きっと俺を殺す気だ』
その傭兵――ノリスは、いつでも懐《ふところ》に手を伸《の》ばせる姿勢《しせい》で、淡々《たんたん》と言った。
妙《みょう》にリラックスした物腰《ものごし》。
これはプロの戦士にとって、むしろ最大限の警戒体勢《けいかいたいせい》を示すものだった。
一方の富田たちは、ただただハラハラするばかりだったりする。
『……サガーラ。奴《やつ》らは本当におまえの戦友なんだろうな? 別のルートや第三者を通して、ここに呼んだということはないのか? 巧妙な手段で、おまえを利用して俺をここにおびき寄せた可能性《かのうせい》はないのか?』
『それはない。心配しすぎだ』
『サガーラ、おまえは命の恩人だ。だがすまない。信用できないんだ』
『ノリス。ここでの殺しはなしだ。それは全員に言ってある』
ノリスはごくりと唾《つば》を飲み込んだ。
『つまり……殺さずに無力化《むりょくか》するならいいんだな?』
『ノリス……!』
なにしろベテランの戦士ばかりである。ノリス氏からぷんぷんと立ちのぼる殺気に、ほかの男たちも敏感《びんかん》に反応した。
ある者はコーヒーカップを卓上《たくじょう》に置き、ある者はスーツの前のボタンを外し――またある者は、さりげなく[#「さりげなく」に傍点]壁際《かべぎわ》の方へと椅子《いす》ごと移動《いどう》した。ラテンの戦友たちも、『何かが来るな』と身構《みがま》える。
これほどイヤな文化祭の模擬店《もぎてん》も珍《めずら》しい。
『あのー。みなさん? もし仮にケンカとかする気でしたら、できれば店の外で――』
富田が言うが、もちろんだれも聞いていない。……というか、日本語のわかる人間がほとんどいない。
そもそも、これはケンカではない。実戦だ。
喫茶店《きっさてん》に張《は》りつめる、ぴりぴりとした空気。
それを破《やぶ》ったのは、七組のウェイトレスの一人だった。
『も……もう、いやぁっ!!』
耳をつんざくような悲鳴《ひめい》をあげて、駆《か》け出す少女。
それはちょうど西部劇の決闘《けっとう》シーンで、放《ほう》り投げたコインが地面に落ちたのと同じ効果《こうか》をもたらした。
次の瞬間《しゅんかん》、ほとんどの客が、ほとんど同時に動く。
騒音《そうおん》。怒号《どごう》。また騒音。
ガラスが割《わ》れ、テーブルがひっくり返り、何人かの男が壁や床《ゆか》に叩《たた》きつけられる。素人《しろうと》の目には到底《とうてい》とらえられない動きで、十数人の男たちが入り乱れ、仮借《かしゃく》のない大乱闘《だいらんとう》を展開した。
●
「いやー。話してみれば、悪い奴《やつ》らじゃないもんだな」
目の周りに青タンを作ったノリスが言った。
「セニョール。あんたもなかなかどうして、大した男だよ」
例のラテンの戦友――コステロが、自前のテキーラをかっくらいながら言った。こちらも絆創膏《ばんそうこう》だらけだ。
「いやまったく。一時はどうなるものかと思いましたがな」
これまた自前のバーボンをあおり、ジマーが言った。
「日本で良かったよ。さすがに銃器《じゅうき》は持ち込めなかったからねえ。カシムは普段《ふだん》、どんな手、使ってるんだ?」
カップを片手に、ジャイードが言った。
「それは秘密《ひみつ》だ」
宗介が相変わらずのむっつり顔で言った。
「だいたいお前ら……俺のはじめての文化祭なんだぞ? すこしは自重《じちょう》して欲《ほ》しいものだ。そもそも、俺が選んで、直接《ちょくせつ》呼んだ面子《メンツ》だ。それなりに信頼《しんらい》は置いているつもりだったのだがな……」
『いや、申《もう》し訳《わけ》ない』
宗介の古い戦友たちは、声を揃《そろ》えてからからと笑った。
「この業界も狭《せま》いからな」
「いろいろ疑心暗鬼《ぎしんあんき》になっちまって」
「あの店には、悪いことをしたよ」
いま一同がいるのは、七組ではなく四組の喫茶店の方だった。ちなみに七組の店は、先刻の乱闘《らんとう》で完膚無《かんぷな》きまでに破壊《はかい》され、めちゃくちゃになっている。彼ら宗介の戦友たちは七組の生徒たちに謝罪《しゃざい》し、『片づけと再建《さいけん》を手伝う』と申し出たのだが、富田たちは涙目《なみだめ》で『いいから、どっか行ってください』と告げたのだった。
「なあ、戦友諸君《せんゆうしょくん》――」
四組の喫茶店でしばらく快活《かいかつ》に談笑《だんしょう》してから、ノリスが言った。
「――せっかくこうして、サガーラを通じて知り合えたんだ。来年の文化祭も、この学校のこのクラスで、会合を開くというのはどうだね」
「なるほど。それはいい。情報|交換《こうかん》は歓迎《かんげい》するところだ」
「また乱闘《らんとう》かい? そいつは大変だ」
わっはっはっはっは。
傭兵《ようへい》たちが豪快《ごうかい》に笑う。宗介は相変《あいか》わらずのむっつり顔でしきりにうなずく。
[#挿絵(img2/s08_201.jpg)入る]
「来ないでください! 金輪際《こんりんざい》……っ!!」
横で聞いていたかなめが、顔面にびっしり脂汗《あぶらあせ》を浮《う》かべ、傭兵たちを力いっぱい怒鳴《どな》りつけた。もちろん彼らは聞いてなかったが。
文化祭の終了後《しゅうりょうご》に分かったことだが、四組と七組の売り上げは大体同じくらいだった。七組が被《かぶ》った、初日の天然《てんねん》テロ行為《こうい》による被害《ひがい》が大きかったともいえる。四組は、けっきょくほどほどの売り上げに留《とど》まり、どうにか赤字を免《まぬが》れた程度だった。
ただ七組の面々は、この一件で『二度と四組にはケンカを売るまい』と、固く心に誓《ちか》ったのだった。
ちなみに文化祭にまつわるドタバタは、ほかにもいろいろあったのだが――
それはまた、別の話である。
[#地付き][おしまい]
[#改丁]
愛憎《あいぞう》のフェスティバル
[#改ページ]
文化祭直前のある昼休み。二年四組の男子の一部が、各クラスに配布《はいふ》されたチラシを見て盛り上がっていた。
どこか、やにさがった雰囲気《ふんいき》である。
問題のチラシは、文化祭の大型イベントの一つ、『ミス陣高《じんこう》』の出場者を募集《ぼしゅう》するものだった。ちなみに去年のミス陣高は三年生だったので、卒業してもういない。それだけに今年の優勝者は予想がつかず、勝手な意見が飛び交っているのだった。
「今年はだれだと思う?」
「やっぱ王道で一組の佐伯《さえき》さんかなぁ。去年の二位だし、才色兼備《さいしょくけんび》の正統派《せいとうは》だろ」
「いろいろ異論《いろん》もありそうだが、まあ手堅《てがた》い路線《ろせん》ではあるな」
「演劇部《えんげきぶ》だしな。存在感《そんざいかん》というか、オーラというか……そういうのが違《ちが》う」
「でも三組の美樹原《みきはら》さんもいいよね。おっとりしてて目立たないタイプだけど」
「ああ、わかる! 隠《かく》れファンが多いんだよ!」
「しかもほら、あれだ、意外と着やせするタイプって奴《やつ》だしな。スカート長くておしとやかーって感じだけど、体操着姿《たいそうぎすがた》が……」
「そうそう、あれは飛《と》び道具《どうぐ》だ。前にな、短距離走《たんきょりそう》の計測《けいそく》の時に……」
「ああ、見た見た。揺れてた、揺れてた」
「あれはすごかった……。ヤバすぎ」
などと、好き放題《ほうだい》に意見が飛び交う。
ちなみに二年四組の企画《きかく》である、喫茶店《きっさてん》の準備《じゅんび》は難航《なんこう》している真っ最中である。その顛末《てんまつ》は前話『対立の〜』の通りだ。昼休みといえども、こんな調子でのんきに世間話《せけんばなし》をしている場合ではないのだが……。
「ほかのクラスもいいけどよ、四組《うち》の女子はどうかなー」
話の中心になっていた小野寺《おのでら》孝太郎《こうたろう》が言うと、ほかの面子《メンツ》はそれぞれ教室をぐるりと見回した。
「……まあ、ただ単純に、見てくれだけを評価《ひょうか》するなら――」
「まあ、そうなるはずなんだけどな……」
その場の面々が、教室の向こうで食事中の女子――千鳥《ちどり》かなめに注目する。
ロングの黒髪《くろかみ》に抜群《ばつぐん》のスタイル。すっと整った顔立ちに、秀麗《しゅうれい》な眉目《びもく》。すぐにでも、どこぞのモデルとして活躍《かつやく》できそうなたたずまいである。
いや、そのはずなのだが――
「あ〜〜〜。はむ。……もっふ、ふもっふ。んぐ。いやぁー、やっぱうめーわ! ハナマルパンの焼きそばロールは。こう、なんての? 五臓六腑《ごぞうろっぷ》に染《し》み渡《わた》る、ってェのかねェ? むしろ、この一瞬《いっしゅん》のために生きてるって感じ? たまんないよねぇ。ぐははははっ」
――などと、もはやコメントのしようもない色気のなさで、豪快《ごうかい》に笑っている彼女の姿が、そこにあった。
「カナちゃん……オヤジだね」
一緒《いっしょ》に食事中の常盤《ときわ》恭子《きょうこ》が、小さな弁当箱《べんとうばこ》をつつきながら、げんなりとつぶやいていた。
「これだもんなぁ……」
孝太郎がため息をつくと、周囲《しゅうい》の男子もそれにならった。
「そういや、去年も千鳥をミス陣高に推薦《すいせん》しよー、って話があったよな」
「ああいうノリ見て、けっきょく、やめにしたんだったっけ」
「あれで黙《だま》って、すましてりゃあなー」
教室の一角から、孝太郎たちの視線《しせん》が集まっていることに気付いて、かなめがきょとんとした。
「…………? なに、みんな。焼きそばロールだったら、あげないわよ? これはあたしの汗《あせ》と涙《なみだ》の結晶《けっしょう》なんだからね」
『いらねーよ』
異口同音《いくどうおん》に男子の面々が言った。
「……ミス陣高の話をしてたんだよ。そーいうガサツなところ、ちょっと隠《かく》して出てみたら、どうなるかなー、ってさ」
するとかなめはカラカラと笑った。
「ミス陣高ォ? バッカみたい。あんなの性の商品化よ。女性|蔑視《べっし》の最たる例よ。ミスコン反対。とにかく反対。わっはっは」
「…………。でも、おもしれーから出てみろよ。自薦《じせん》も他薦《たせん》もありだから」
「わりといいとこいけるかもしれねーぜ?」
「優勝の賞品がすげえぞ。DVDレコーダーだってさ」
孝太郎が言うと、そばの席でフランス軍の野戦食《やせんしょく》(美味《びみ》なことで有名である)に舌鼓《したつづみ》を打っていた相良《さがら》宗介《そうすけ》が、ぴくりと耳を動かした。
「小野寺。それは本当か」
むっつり顔でたずねてくる。
「ああ。五万くらいするやつだぜ」
「……ミスジンコーとかいったな。その競技《きょうぎ》、出てみる価値《かち》はあるかもしれん」
「…………」
真剣《しんけん》な面《おも》もちで考えこむ宗介を、かなめと孝太郎たちがどんよりとした目で見つめた。
「どうした? なんだ千鳥、その目は」
「ソースケ……とりあえず、あんたの想像《そうぞう》するミス陣高の意味を言ってみなさい。一〇〇字以内で。『、』や『。』も一字に数えて」
「……MIS陣高。Mission 陣高の略《りゃく》。過酷《かこく》な任務《にんむ》を出場者に課す、戦技競技会《せんぎきょうぎかい》。フル装備《そうび》の射撃《しゃげき》マラソンや、屋内での超接近戦《CQB》、制限時間《せいげんじかん》内での銃火器《じゅうかき》の組み立てなど、さまざまな成績を競《きそ》い合う」
「…………。そういう発想の飛躍《ひやく》って……ある意味、スゴい才能《さいのう》よね」
「?」
怪訝顔《けげんがお》の宗介を捨《す》て置き、かなめは孝太郎たちに向かって肩《かた》をすくめて見せた。
「……ま、とにかくあたしは興味《きょうみ》ないから。せっかくのお勧《すす》め、光栄に思うけどね」
「あ、そう」
ミスコンの話は、その場ではそれきりだった。
その翌日《よくじつ》の放課後《ほうかご》。生徒会室。
文化祭の準備《じゅんび》で忙《いそが》しい中、かなめが雑用《ざつよう》をこなしていると、扉《とびら》が開いて、一人の女子生徒が部屋に入ってきた。
カールのかかったセミロングの髪《かみ》に、切れ長の瞳《ひとみ》。肌《はだ》は白く、なめらかだ。背は高い。
(はて……?)
見ない顔だ。こんなきれいな子、うちの学校にいただろうか、とかなめは思った。制服の袖《そで》のラインを見た限りでは、二年生のようだが。
その女子生徒は生徒会室を見回し、こう言った。
「あなただけ?」
「え……? そ、そうだけど。みんな、買い出しやら打ち合わせやらに出かけてて……」
あわてて答える。
部屋はがらんとして、かなめと彼女以外の人間はだれもいなかった。
「相良くんはどこだか知ってる?」
ソースケと知り合い……? ますますかなめはいぶかしんだ。
「ゴミ捨て。すぐ帰ってくると思うけど」
「そう。じゃあ、待たせてもらおうかしら」
少女は手近なパイプ椅子《いす》に腰《こし》かけた。
「あのー……。失礼だけど、あなたは?」
かなめがおずおずとたずねると、少女は鼻を『ふふん』と鳴らした。
「わからないの? 千鳥さん?」
「うん。……えと、ごめんなさい」
相手は気分を害した風もなく、むしろ満足《まんぞく》そうにうなずいた。
「よしよし。ふっふっふ……」
「あ、あの……?」
「東海林《しょうじ》よ。東海林|未亜《みあ》」
すこしの間ぽかんとしてから――かなめは『がたっ!』と席を立ってのけぞった。
「え!? ええ……!?」
東海林未亜。
二年二組。女子バスケ部の副部長。一学期の球技大会で、トラブルを起こした生徒である。かなめとは、はっきりいって仲が悪い。ほとんど話すこともないし、顔を合わせることもない間柄《あいだがら》だ。
「あ……あんたが!?」
「そうよ」
「だって。だってあんたは――」
白い。きれい。
かなめの知っている東海林未亜は、もっと髪が短く、日焼けしていて、いかにも体育会系の外見だった。その彼女が、いつのまにやら、こんな大変身をとげていたとは。これはいったい……!?
「わたしが努力家なのは知ってるわね?」
未亜が静かに言った。伏《ふ》し目がちなその横顔に、すっとおくれ毛がかかる。
「球技大会の一件で、いろいろ考えたのよ。わたしは戦う前から、あなたに敗北してしまった。それは認めるわ……」
「は、はあ」
「でも、それで人間として負けたわけじゃない。血迷《ちまよ》った真似《まね》もしたけれど、もっと別のことで、増長したあなたを叩《たた》きつぶすことができるかもしれない。ある雨の日の午後、そう思ったの」
「いや、その。増長って……」
うろたえるかなめをそっちのけに、未亜は独白《どくはく》を続ける。
「野生《やせい》の猿《さる》みたいな体力バカのあなたには、スポーツでは勝てそうにもない。だから、わたしは決めたのよ。あなたに美貌《びぼう》で勝ってやろう、と……!」
「び、美貌ですか」
「そうよ。わたしは全然|納得《なっとく》できないけど、あなたは男子の間では評判《ひょうばん》なの。『黙《だま》ってれば美少女』だとか、『超音速《ちょうおんそく》のオヤジギャル』だとか、『恋人《こいびと》にしたくない贈呈品《ぞうていひん》イーター』だとか」
「あの、それ、光栄……じゃなくて、全っ然、ほめ言葉になってないんですけど……? っていうか、そんなこと言われてたの、あたし!?」
ほとんど涙目《なみだめ》になって言うかなめに、未亜は鋭《するど》い視線《しせん》を向けた。
「さぞ満足でしょうね、千鳥さん」
「不満足です。ものすごく」
「そういうのが、イヤミったらしくて嫌《きら》いなのよ。……とにかくそういうことで、わたしは夏休みの間、自身の美貌に磨《みが》きをかけることにしたの。大枚はたいてエステに通って、美白オイルまで買って、日焼けを避《さ》けるために大好きなサーフィンも今年は我慢《がまん》して。毎日、姿見の前に立って、男子にウケそうなムードを出すために、血のにじむような特訓《とっくん》をしたわ……!」
どちらかというと硬派《こうは》なイメージの未亜が、鏡の前でしなを作っている図を想像《そうぞう》して、かなめは言いしれない悲しみを感じた。
「そ、そうですか……」
「覚悟《かくご》はいいわね、千鳥さん? 今年のミス陣高はいただいたから。あなたが優勝することはありえない。今度は正々堂々と、あなたをうち破ってやるわ」
「え……?」
かなめが目を丸くすると、未亜は眉《まゆ》をひそめた。
「もちろん出るのよね? ミス陣高」
「いや、あたしは別に――」
かなめが言いかけたところで、生徒会室に宗介が入ってきた。手にしたからっぽのゴミ箱を置いて、彼は言う。
「まいった。ゴミ捨て場がパンク寸前《すんぜん》だ。文化祭の準備の影響《えいきょう》だろうが、対策《たいさく》を考えんと、厄介《やっかい》だな。……む?」
室内の二人を見て、宗介が小さく鼻を鳴らした。かなめが身を乗り出し、『ねえ、ソースケ。見てよ、東海林さんが――』と言いかけたところで――
「東海林か、どうした」
と、宗介が先に言った。
まったく、驚《おどろ》いた様子《ようす》もない。
「遅《おそ》いわよ、相良くん。女子バスケ部のやるクレープ屋の準備、手伝ってくれる約束だったじゃない。忘れたの?」
「そうだったか?」
「そうよ。それから、見て。ほら――」
にこりとして、未亜は手にした紙袋《かみぶくろ》からエプロンを引《ひ》っ張《ば》り出した。制服の胸にあてて見せ、くるりと身をひるがえす。
「きのう買ってきたの。店の方で着ようと思って」
「ふむ」
「どう? かわいいでしょ」
「そうかもしれんな」
宗介と未亜のやりとりな、かなめは呆然《ぼうぜん》と眺《なが》めていた。ほとんど付き合いがないと思っていたこの二人が、こんな風に親しげに。
未亜はこれ見よがしに、宗介に馴《な》れ馴れしい態度《たいど》を取ってから、かなめに向かってこう言った。
「じゃあ、これで失礼するけど。ミス陣高の方、出場をやめておくなら、いまのうちよ? あなたにはそれが言いたかったの」
「ちょっ。あ、あたしはもともと、出る気なんか――」
「安心して。『千鳥かなめが逃《に》げた』なんて、言いふらす気はないから」
「むっ……」
悠然《ゆうぜん》とした微笑《びしょう》。彼女は宗介に『あとで部室の方に来てね』と言ってから、生徒会室を去っていった。
未亜がいなくなってから、かなめはとげとげしい声で言った。
「……どういうこと?」
「なにがだ」
「あいつよ。あんた、いつから東海林さんと、あんな仲良くなったわけ?」
「仲良く? 俺は普通《ふつう》に付き合っているだけのつもりだが……」
「ふーん……。あれで?」
「ああ。二学期になってから、しばしば彼女の方から話しかけてくるようになってな。なにかと相談事《そうだんごと》を――千鳥。なぜ怒《おこ》っている」
宗介が眉《まゆ》をひそめた。
「別に。怒ってなんかいないわよ」
「とてもそうは見えないが」
「怒ってないったら!」
露骨《ろこつ》に怒った声で言う。その横顔を、宗介は怪訝顔《けげんがお》で眺《なが》めるばかりだった。
翌朝《よくあさ》の授業前――
「出るわよ」
かなめの出し抜《ぬ》けな言葉に、小野寺孝太郎はぽかんとした。
「出る。何に?」
「ミス陣高。オノD、推薦《すいせん》したがってたでしょ。あたしのこと」
「……どういう風の吹《ふ》き回しだよ?」
「急に賞品のDVDレコーダーが欲しくなったのよ。理由はそれだけ」
「え? でもよー、だって――」
「推薦するの? しないの? さっさと決めなさいよ」
「いや、オッケーだよ? だけど――」
「そ。ありがと」
そっけなく言ってきびすを返すと、かなめは早足で自分の席に戻《もど》っていった。
「なにやら、ただならぬ気迫《きはく》だな」
たまたまそばにいた宗介がつぶやいた。
「ああ。あれは本気で勝つ気だぞ……」
「例の、ミス陣高とやらにか」
「そうだよ。きのうは『興味《きょうみ》ない』って言ってたのに。どうしたんだろな。相良、おまえ、心当たりあるか?」
「いや。まったくないが」
救いようのないことだが、宗介は本心からそう答えた。
文化祭の日がやってきた。
クラスの企画の準備《じゅんび》や、生徒会の仕事などで忙《いそが》しい中、かなめは余暇《よか》を見つけては、手鏡を覗《のぞ》いたり髪《かみ》をいじり回したり、化粧《けしょう》関係のムック本をめくったりしていた。初日は初日で大騒《おおさわ》ぎだったが、とにもかくにも無事《ぶじ》に終了《しゅうりょう》。
そして文化祭の二日目。
ようやくクラス企画《きかく》の喫茶店《きっさてん》の運営が軌道《きどう》に乗ってきた昼前に――
「うおっし! クラス企画はこれでよし。じゃあ、次いくわよ……!!」
と、かなめはいきなり自分の頬《ほお》を叩《たた》いて気合《きあ》いを入れた。
「次って?」
恭子がたずねる。かなめはふんと鼻を鳴らし、不敵《ふてき》な笑《え》みを浮《う》かべた。
「ミス陣高よ。中庭で。午後から。知ってるでしょ? あたしも出るの」
「あ、そっか。……でもカナちゃん、なんで急に出る気になったの?」
「二組の東海林未亜よ。あいつが身《み》の程《ほど》知らずにも、あたしにケンカ売ってきたの。見てなさいよ。そっち方面での、あたしの底力《そこぢから》ってやつを、思い知らせてやるんだから」
「なんか、自信あるみたいだね」
「ふっ、まあね。チョロいもんよ」
傲岸不遜《ごうがんふそん》にも、彼女はそう言った。
「そういうカナちゃんって……なんか、あんまり好きじゃないな」
「む……」
女子の社会――とりわけ日本女子の社会では、こういう自信たっぷりな態度《たいど》は敬遠《けいえん》されがちだったりするのだが、かなめはいまいちそういうノリが理解《りかい》できないタイプだった。
彼女としては、陰《かげ》でこそこそ努力しておいて『えー、あたしなんて全然かわいくないよー』だのと謙遜《けんそん》する態度の方が抵抗《ていこう》があるし気持ち悪いと感じるのだ。同じ理由で、テスト前に猛《もう》勉強しといて『全然やってない。自信ない』とか言うノリもイヤで仕方《しかた》ない。やることやってて自信あるなら、きっちりそれを主張《しゅちょう》しなさいよ!? だのと、いつも思っている。
ただこの場合、恭子の『好きじゃない』と言った意図《いと》はいささか違《ちが》う種類《しゅるい》のものだったのだが、そのときのかなめは『またあのノリか』と思っただけだった。恭子はいい奴《やつ》だけど、やっぱりそういう『変な奥《おく》ゆかしさ』みたいなのはあるんだよなー、と。
「……い、いーの! こういう場合は、ちょっと傲慢《ごうまん》なくらいで。モハメド・アリも昔、こう言ったわ。『自信のない奴になにができる』って」
「そうだっけ」
「うん。去年のミス二位の佐伯さんは強敵《きょうてき》だけど。すくなくとも、東海林未亜にだけは絶対負けないつもりよ……。それに、最大の強敵は出場しないし」
「だれ、それ?」
「あたしとは正反対のベクトルで、強力な萌《も》え要素《ようそ》を保有《ほゆう》してるコよ。マニアックながらも、そのポテンシャルは決して侮《あなど》れないわ」
「うー。それじゃ、わかんないよ……」
困ったような笑顔を浮かべる恭子。天使のようなその微笑《びしょう》を、かなめは横目でじっと見つめ、聞き取れないほどの小声で『おそろしい奴……』とつぶやいた。
「?」
「なんでもない」
そのおり、教室の入り口から東海林未亜が顔を見せた。たったそれだけなのに、男子の客が一斉《いっせい》に彼女に見とれる。
実際《じっさい》、いまの未亜はきれいなのだ。はかなげなところもあるし、大人びた感じもある。数か月前の、ぎすぎすした体育会系の雰囲気《ふんいき》など微塵《みじん》もない。ある面では、かなめと同じ系統《けいとう》の、ノーブルな魅力《みりょく》の持ち主だった。
「あ、噂《うわさ》をすれば……だね」
恭子が言う。未亜は入り口のそばにいたウェイターの宗介に声をかけ、なにやら話し込んでいた。ここからでは、会話の内容は聞き取れなかったが、親しげな様子だ。すくなくとも、かなめにはそう見えた。
「いいの? カナちゃん」
「なにがよ」
「東海林さん、相良くんに気がある……っていうか、興味《きょうみ》があるみたいだけど。最近、よく話してるとこ見かけるし」
かなめはそれをそっけなく受け流した。
「別にいいんじゃない? あいつがだれと話そうが、あたし関係ないもん」
[#挿絵(img2/s08_221.jpg)入る]
そうだ。それに数時間後には、東海林未亜なんかよりも、あたしの方が上だってことがはっきりする。
あいつもちょっとは、反省するだろう。
しどろもどろで『似合《にあ》ってる』とか『きれいだ』とか、言わせてやるのだ。
見てるがいい!
「ニューヨークに行きたいかー?」
しーん……。
「……失礼しました」
マイクを片手にした司会の生徒が、打ちひしがれた様子で言った。
空は快晴《かいせい》。北校舎と南校舎に挟《はさ》まれた、中庭の特設《とくせつ》ステージ。豪華《ごうか》に飾《かざ》り立てられたミス陣高の横断幕《おうだんまく》。なぜか泉川《せんがわ》商店会から贈《おく》られた、花環なんかも置いてある。ギャラリーの数は、軽く二〇〇名を越《こ》えているだろう。屋上や渡《わた》り廊下《ろうか》などからも、大勢《おおぜい》の生徒たちがステージを見下ろしている。
「でも、かわいい子には会いたいよね?」
『会いた〜〜〜いっ!』
打って変わって、いきなり聴衆《ちょうしゅう》(おもに男子)が熱《ねつ》っぽく叫《さけ》ぶ。
「……さて。なにげにかわいい子が多いことで有名な我《わ》が校ですが――今年もやって参りました。文化祭の目玉企画《めだまきかく》、ミス・陣高! 一部の女子生徒、女性教員の反対の声を黙殺《もくさつ》して、容赦《ようしゃ》なく開幕《かいまく》です。美貌《びぼう》という才能。魅力《みりょく》という凶器《きょうき》。この罪深《つみぶか》き素質《そしつ》を競《きそ》い合うべく、ここ特設ステージに集《つど》った女神《めがみ》たちは、総勢《そうぜい》三二名! その競演《きょうえん》の、なんと甘美《かんび》なことか。みなさん! 存分《ぞんぶん》に酔《よ》いしれ、あるいは嫉妬《しっと》しましょう。それではまず、審査員《しんさいん》の入場です!」
司会の宣言《せんげん》で、一〇人ばかりの男女がステージに上がってくる。
「……伝統に基《もと》づき、ミス・陣高の選定《せんてい》はみなさんの投票と、審査員の得点によって決まります。なお得点の集計方法は――」
教師|陣《じん》からは、坪井《つぼい》校長と養護教諭《ようごきょうゆ》の西野《にしの》こずえ、美術科の水星《みずほし》庵《いおり》。生徒会からは、会長の林水《はやしみず》敦信《あつのぶ》。それから数人の生徒たち。
それら審査員の中に、宗介の姿も混《ま》じっていた。自分がなぜここに呼ばれたのか、今ひとつわかっていない風情《ふぜい》である。
「……なんでソースケが審査員なわけ?」
ステージの上手にいたかなめは、司会の説明を聞きもせず、ぽかんとしていた。
「聞いていなかったんですか、千鳥さん?」
そばにいた美樹原|蓮《れん》が言う。
「う……うん」
「生徒会からの審査員だそうですよ。副会長のあなたと、書記のわたしがエントリーすることになってしまったから……。本当はわたし、辞退《じたい》しようかとも思ったんですけど、みんなから熱心《ねっしん》に推薦《すいせん》されてしまって……。本当、困りました……」
しっとりとした黒髪《くろかみ》を揺《ゆ》らして、ぽっと頬《ほお》を赤らめる。
「ここにも強敵が一人……」
「はい?」
「いや、別に。……まあいいや」
なぜなら、最後に笑うのは自分なのだ。
ここ数日の研究で、男子の心をガッチリつかむ手段《しゅだん》は考えてある。オーソドックスだが、確実《かくじつ》な方法だ。
(そしておそらく、それを自覚してるのは、ただ一人――)
すこし離《はな》れた場所に立っていた未亜と、目が合い、火花が飛び散《ち》る。
(ふん……上等よ!)
そうこうしているうちに、司会がミスコンの開幕を宣言した。
ルールはこうだ。
三二名の出場者に与《あた》えられた、それぞれの持ち時間は三分。その間は、なにをしてもいい。スピーチだけで済ましてもいいし、なにかのパフォーマンスをしてもOK。服装《ふくそう》も自由だ。出場の順番《じゅんばん》は抽選《ちゅうせん》である。
選考は点数制で、一〇〇点満点。まず客の拍手《はくしゅ》や歓声《かんせい》を測定《そくてい》して、その音量に応《おう》じて五〇点までが算出される。残りの五〇点は、審査員による得点だ。一〇人の審査員の持ち点は、一人五点。
そういうシステムである。
「――では最初の一人目、三年二組の佐藤《さとう》酌子《くみこ》さんからでーす! 拍手でお迎《むか》えくださいっ!!」
盛大《せいだい》な拍手と口笛《くちぶえ》の中、ロングの髪の女子生徒がステージに上がる。
「こんにちはー! 佐藤酌子でーす! 趣味《しゅみ》はぁ、えっとお、飲酒とパチンコと、締切《しめき》り破《やぶ》りの作家を蹴たぐり回すことでーす! きょうはぁ、ここで久保田《くぼた》の万寿《まんじゅ》の一升瓶《いっしょうびん》をイッキ飲みしまーす! せぇのぉ……!」
「こらこらこらこらっ!!」
校長や司会に取り押《お》さえられ、その生徒は仕方《しかた》なくボンジュースをイッキ飲みして去っていった。
電光|掲示板《けいじばん》に得点が出る。
歓声による得点は、四二点。審査貞の得点は二八点。合計で七〇点であった。
「おーっと!? 観客《かんきゃく》の高評価に比《くら》べ、審査員の得点はおしなべて低めです! これはいったい!? 坪井校長、コメントを!」
「当たり前ですっ!」
最低点――『1』と書かれたプラカードを掲《かか》げて、校長がぜいぜいと肩《かた》で息していた。
「では、林水会長は?」
最高点――『5』のプラカードを掲げた林水が、こほんと咳払《せきばら》いする。
「はい。一番手という重圧下《じゅうあつか》で、あのパフォーマンス。その大胆《だいたん》さと度胸《どきょう》は評価されてしかるべきです。おかげで場が盛《も》り上がった。彼女には特別賞を与えたいほどですな」
ちなみに宗介は三点だった。水星教諭は二点。西野教諭は四点。
「なるほど!……では次、一年一組の仁矢《にや》乃鈴《のりん》さんです!」
そんな調子で大会は続行される。
確《たし》かに林水の言うとおり、一番手のおかげでずいぶんと場が沸《わ》いた。しかも出場者は、さすがにこういうイベントにエントリーされただけあって、かわいい子ばかり。歓声の得点は例外なく四〇点を超《こ》え、観客の数も増《ふ》えていくばかりである。
一三番手の佐伯|恵那《えな》――去年のミス二位が出てくるころには、会場周辺は濃密《のうみつ》な人垣《ひとがき》で隙間《すきま》もないほどになっていた。
佐伯恵那はかわいらしいチャイナ服(ズボンの方だ)で登場し、最近こっているという太極拳《たいきょくけん》の演舞《えんぶ》を披露《ひろう》した。初心者にしては流麗《りゅうれい》で繊細《せんさい》な演技《えんぎ》に、観客は大いに盛《も》り上がった。得点も最高の九一点。うち観客の点は四七点だ。
そうして出場者のうち二〇人ばかりのパフォーマンスが終わった。かなりいい線を行ってる出場者も多かったが、依然《いぜん》としてトップは恵那の九一点だった。
「――さあ、続いてエントリー・ナンバー二二番! 二年六組の美樹原蓮さんです!」
さっそく男子の一部が歓声をあげる。伏《ふ》し目がちの蓮が、しずしずとステージに入ってきた。その古風《こふう》な容貌《ようぼう》に似合《にあ》った、和服姿《わふくすがた》だ。落ち着いたうぐいす色の生地《きじ》に、鮮《あざ》やかな山吹色《やまぶきいろ》の柄《がら》があしらってある。
「蓮と申します……」
それだけ言って、あらかじめステージに運び込んであった大きな琴《こと》の前に上品に座《すわ》る。不思議な沈黙《ちんもく》の中、彼女はほっそりとした指で、琴《こと》の演奏をはじめた。
優雅《ゆうが》で繊細《せんさい》な調べ。これほどの演奏をするには、何年もの稽古《けいこ》が必要だろう。そしてそのかんばせ。蓮は終始《しゅうし》、穏《おだ》やかな微笑《びしょう》を浮《う》かべ、静かな旋律《せんりつ》を紡《つむ》ぎ出す。
やがて演奏が終わった。
「お粗末《そまつ》さまでした。では……」
ぽかんとする一同の前で、蓮はていねいにお辞儀《じぎ》をしてから去っていった。ヤクザ屋さん風の男が二名、ステージに上がってきて、琴をいそいそと運び去る。
やや遅《おく》れて、観客が思い出したような拍手を送る。声の大きさを基準《きじゅん》にした観客点は四二点にとどまった。審査員《しんさいん》の点は五〇点満点で、合計は九二点。
「ええ……と。いやはや驚《おどろ》きました。惜《お》しまれるのは観客点ですが――ルールはルール。仕方ありません。それでも合計は本大会最高です! いかがでしょうか、水星先生?」
審査員の美術家教師、水星庵に司会がたずねる。水星は感涙《かんるい》にむせび、取りだしたハンカチで何度も目尻《めじり》を拭《ぬぐ》っているところだった。
「っ……心、打たれました。この曲にこめられた哀切《あいせつ》。それはカノン的な無限《むげん》の上昇《じょうしょう》における逆説《ぎゃくせつ》と錯覚《さっかく》、あるいは二重|構造《こうぞう》の意味的な文脈《ぶんみゃく》による――」
「はい、ありがとうございましたー!!」
腕時計《うでどけい》を見ながら司会が叫《さけ》んだ。
「ちなみに相良さんはいかがでしょう!?」
「上手だ」
「シンプルなコメントに感謝します!……さあ、残り出場者は一〇名! 美樹原さんの叩《たた》き出したこの得点を破《やぶ》れる者はいるのでしょうか!? みなさん、刮目《かつもく》しましょう!」
舞台裏《ぶたいうら》で、かなめは胸をなで下ろしていた。
恵那と蓮。この二強のパフォーマンスこそ、警戒《けいかい》して然《しか》るべき要素《ようそ》だったのだ。だがこの二人は、予想通り詰《つ》めが甘《あま》かった。
恵那の演舞は見事《みごと》だったが、色気の面《めん》で明らかに弱い。同じチャイナ服でも、大胆《だいたん》なスリットの入ったドレスだったら、観客点は最高に達していたかもしれない。それを、いやはや、ズボンとは。わかってない。まったくわかってない。佐伯恵那は致命的《ちめいてき》なミスを犯した。
蓮もだ。まあ、彼女は天然《てんねん》だし、欲もないし、そういうところが自分も好きなのだが、場の空気を考えていない。急にがらりと毛色のちがうパフォーマンスを見せられたら、それがどれだけ優雅《ゆうが》なものでも、観客《かんきゃく》はいささか戸惑《とまど》う。ルールを把握《はあく》していれば、もうすこし計算した魅《み》せ方ができただろうに。
(クックック……。工夫《くふう》が足りなかったわね、お二人さん)
などと、ひそかにかなめはほくそ笑《え》む。
……だというのに、舞台裏に下がってきた蓮や恵那は、なにやら満足そうだった。『緊張《きんちょう》した』だの『楽しかった』だのと言って、出場を終えた面子《メンツ》と笑いあっている。
その笑顔の群れを、かなめは斜《しゃ》に構《かま》えた目で眺《なが》めていた。
(ふん……。勝たなきゃ意味ないのよ、勝たなきゃ)
まったく、なにを楽しそうに。
芸というのは苦しいのだ。辛《つら》いのだ。瞳《ひとみ》を輝《かがや》かせて、さわやかな笑顔を浮かべるのは客の前だけでいい。ああやってお気楽に楽しんでいるうちは、まだまだアマチュアだ。血のにじむような努力。冷徹《れいてつ》な計算と緻密《ちみつ》な打算《ださん》。艱難辛苦《かんなんしんく》のその果てにこそ、真の勝利者になるチャンスはある。
(そう、それがプロのタレントってもんなのよ!)
まあ、かなめは別にプロでもなんでもないのだが……。
とにかく、勝たなければならない。
(特に、あいつにだけは……!)
見ると、東海林未亜も同じ考えのようで、蓮たちを冷ややかな目で眺めている。
(なによ……。あたしに敵愾心《てきがいしん》燃やすのは勝手だけど、あいつにまでちょっかい出すってのは、どういうわけ? そういう当てつけって最低じゃない? 東海林には、絶対《ぜったい》思い知らせてやる必要があるわ……! それから、ヘラヘラ鼻の下のはしてるあいつも、きっちり目を覚《さ》まさせてやるんだから……!)
未亜の出番は次の三〇番だ。どういう運命のいたずらか、かなめは最後の三二番。これから蓮の九三点以上を叩き出す可能性《かのうせい》があるのは、この犬猿《けんえん》の仲の二人だけだった。
『――ではエントリー・ナンバー三〇番、二年二組の東海林未亜さんですっ!』
司会の声。未亜がかなめを一瞥《いちべつ》し、にやりと不敵《ふてき》な笑みを浮かべ、明るいステージへと向かっていく。
その服装は、色気もへったくれもない、学校指定のジャージ姿だった。
「二年二組の東海林未亜です。バスケ部の副部長を務《つと》めています」
営業スマイルで未亜が言った。切れ長の日に整った細面《ほそおもて》。首を動かすたびに、はらりと揺《ゆ》れ動くつややかな髪《かみ》。
観客の反応《はんのう》は悪くはなかったが――いかんせん、ジャージ姿が足かせになった。歓声《かんせい》や拍手《はくしゅ》も、蓮や恵那の時よりはずいぶんと落ちる。
「こういうイベント、あまり出たことないから、何したらいいか迷ったんですけど……。やっぱり、大好きなことが一番いいかな、って思いました。一生《いっしょう》懸命《けんめい》やります。見てください」
はにかみ、照《て》れくさそうに言ってから(計算済みだろう。絶対《ぜったい》)、未亜は手にしたバスケット・ボールを手のひらの上でもてあそんだ。
人差し指の上で、ボールをくるくる回す。三秒、四秒。……六秒、七秒、八秒。観客がその技《わざ》に見とれたあたりで、彼女はぴたりと手を止め、ボールを床《ゆか》に置く。
『…………?』
観客が不審《ふしん》に思ったところで、未亜は照《て》れ笑いを浮かべた。
「ごめんなさい。緊張して、なんだか体が火照《ほて》っちゃって……」
彼女はボールを床に置き、さっとジャージのファスナーを下ろした。日を見張《みは》る一同の前で、するりと、優雅《ゆうが》に、ジャージを脱《ぬ》いでいく。一枚ずつ、たっぷりと間をもたせて。それだけで、男子の観客が『お……おうおうおう……!?』とうなり声をあげた。
ジャージの上下を脱ぐと、彼女はバスケ部のユニフォーム姿になった。赤いタンクトップにショートパンツ。ただし、その下に着るはずのTシャツやスパッツはなしだ。
しかも――
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唯一《ゆいいつ》の着衣であるタンクトップとショートパンツのサイズが、二まわりほど小さいのである……!
他の追随《ついずい》を許さない、フェティッシュな色香《いろか》。考えつくされた悩殺《のうさつ》スタイルだ。
ほっそりとした肩《かた》と、のびやかな脚線《きゃくせん》。タンクトップの下で締《し》め付けられる、豊かなバスト。そして引き締まったウエスト(微妙《びみょう》にへそ出し!)があらわになる。
「ん……」
さすがに恥ずかしいのか、未亜は上気した顔をうつむかせ、浅く小さな吐息《といき》をついた。その仕草《しぐさ》がまた、男子生徒の脳天《のうてん》を直撃《ちょくげき》する。
「じゃ……じゃあ、いきます」
ボールを拾い上げ、軽くドリブル。それから熟練《じゅくれん》した手つきで、ボールを体に這《は》い回させる。バスケというより、新体操の要領《ようりょう》だ。
あとはもう、なんでもよかった。
未東がボールを取り回している二分間、観客の男子は熱狂《ねっきょう》して、大歓声を吠《ほ》えたてまくっていた。
「くっ……」
ステージ裏から様子を見ていたかなめは、声にならない声をもらした。
「そうよ……正解よ。いくらあざとくても、恥知《はじし》らずでも、本気で勝つ気ならそれしかない。やるわね。東海林未亜……!」
最初に地味なジャージ姿で、観客の失望を誘《さそ》っておきつつ――次に脱ぐ。容赦《ようしゃ》ない悩殺スタイルで、男子のリビドーを激震《げきしん》させる。なんと狡猾《こうかつ》な、なんと計算しつくされたパフォーマンスであろうか。
相手にとって不足なし。
そうだ。そうでなくては。我《わ》が敵にふさわしいとは言えぬ。
「かなめさん……。楽しそうですね」
蓮が横から声をかけた。
「くっくっく……その通りよ。見て、あの観客の熱狂ぶり。あたしの選択《せんたく》は正しかった。それが分かったんだから むしろ安心して出ていけるわね。東海林未亜には、露払《つゆはら》いをしてもらったようなもんよ。ふふふ……」
「でも、かなめさんのご格好《かっこう》は、ずいぶん風変わりに見えますけど……」
いまのかなめは、背中に大きく『闘魂《とうこん》』と書かれたガウンを着込んでいた。ずいぶん昔に観戦《かんせん》にいった、アントニオ猪木《いのき》の試合会場の売店で、発作的《ほっさてき》に購入《こうにゅう》したアイテムである。
「この下が重要なのよ」
そう。このガウンの下は、夏に買ったビキニ水着を着用している。このスタイルで、マイクにすがりつくようにして、マドンナの『ライク・ア・バージン』をかわいらしくアレンジして歌い、踊《おど》りまくってやる計画だった。全部、原語でだ。帰国子女の英語パワーを見せてやる。
問題の水着は白のレース地で、われながら、かなり大胆《だいたん》なデザインだった。
だが自信はある。姿見の前で検討《けんとう》もした。だれもいない部屋で、一人であれこれとバカなポーズをとるのは――生きるのが辛《つら》くなるほど空しい作業だったが、その努力の甲斐《かい》はあった。
ミス陣高の出場者は、どうのこうの言っても、さすがに水着姿になる度胸《どきょう》はないのだ。プライドもあるだろう。だが、そのプライドこそが伽《かせ》になる。その壁《かべ》をうち破《やぶ》ってこそ、勝利の光が見えるのである。
「そうよ……。負けるな、あたし。逃《に》げるな、あたし……! おそれるな、瞳《ひとみ》こらして。それ復活《ふっかつ》のとき。……よし、かなりオッケー」
「あの……かなめさん、すこしくつろがれた方がよろしいのでは……?」
ミスコン出場の美少女というより、試合前の闘士《ファイター》の目をぎらつかせているかなめに、蓮はおろおろとした。
「ありがと、お蓮さん。でも悪いけど、今回はあなたにも敗北の苦渋《くじゅう》を舐《な》めてもらうわ」
「いえ……わたしは出場させていただいた上、先輩《せんぱい》の満点をいただいただけでも幸せなのですけど……。それよりかなめさんは――」
「大丈夫《だいじょうぶ》。媚《こ》びて媚びて、媚びまくってやるわ……!」
「はあ……」
やがて大盛況《だいせいきょう》の内に、未亜のパフォーマンスが終わる。彼女の得点は九六点だった。蓮を上回る、最高得点である。そのうち、観客点は五〇点満点。考え得る限り、最高の盛《も》り上がりをつかんだということだ。
審査員《しんさいん》点は四六点。うち宗介は五点だった。司会に問われて、『これだけみんなが喜んでいるのだ。当然だろう』などとコメントしている。――宗介まで最高点とは。
(なによ……。見てなさい!)
待つことしばし。三一番の子が終わって、かなめの出番《でばん》が来る。
『……それでは、最後の一人です! 果たして東海林さんの最高得点を破《やぶ》ることができるのか!? エントリー・ナンバー三二番、二年四組の千鳥かなめさんです!』
「うぉっしゃあっ!」
司会の声と共に、かなめはぴしゃりと頬《ほお》を叩《たた》き、ステージへと勇躍《ゆうやく》した。
でもって、数百人の前で、しなを作ってこう告げる。
「えぇと、こんにちは! 千鳥かなめでっす。いま、とってもドキドキしてますH[#「H」はハート(白)、1-6-29、Unicode2661]」
そんなコテコテなアプローチでも、観客は素直《すなお》に、盛大《せいだい》に騒《さわ》ぎ立てた。ガウンを脱《ぬ》いで、文句《もんく》なしに魅惑的《みわくてき》な水着姿を披露《ひろう》したときには、この大会でも最高潮《さいこうちょう》といえる歓声《かんせい》が、会場を支配した。
あなどってはいけない。
これがかなめの実力なのである。
歌って。踊って。
これまた文句《もんく》なし。技巧的《ぎこうてき》にも、相当《そうとう》なものだ。しかも歌やダンスという見せ物は、派手《はで》さやアピール力においても申し分なかった。
当然《とうぜん》、観客の声を測定《そくてい》する形での得点は、未並と同様《どうよう》、五〇点満点だった。そうなると、問題は審査員の点ということになる。
未亜が審査員から奪《うば》った点は、四六点。この点を破ればミス陣高はかなめのものだった。
「――さあ! 東海林未亜さんの驚異的《きょういてき》な得点を、千鳥かなめ嬢《じょう》は超《こ》えることができるでしょうか!? 審査員の皆《みな》さん、どうぞ!」
司会が告げる。一〇人の審査員が、得点のプラカードを挙《あ》げる。五点、五点、五点。次々に『5』のカードが掲《かか》げられていく。その様子を、かなめはさすがに緊張《きんちょう》した面《おも》もちで見守っていた。
(大丈夫……大丈夫……)
林水は五点。……ありがとう、センパイ。
水星も五点。……先生、最高!
坪井校長は、苦笑《くしょう》しながら四点。……まあ仕方ない。こういうセクシー系のアプローチだったし。めっけもんだ。
西野こずえは、にっこりして五点。
他に二人のカタブツな審査員が、それぞれ四点。……おまえら、地獄《じごく》に堕《お》ちてしまえ。
残ったのは宗介一人だった。
ここで宗介が五点を出せば、合計九八点。未亜の九七点を上回る。
(よし、これなら……! 頼《たの》むわよ!?)
なにしろ、未亜にも五点を出した宗介だ。
かなめが半ば勝利を確信《かくしん》し、きゅっと拳《こぶし》を握《にぎ》る。宗介は相変《あいか》わらずのむっつり顔で、プラカードを掲げた。
「え……」
宗介が出したその数字は――『3』だった。
表彰式《ひょうしょうしき》で林水から優勝のトロフィーを受け取ると、東海林未亜はうつむいて泣き出した。この涙《なみだ》は本物だろう。こんな軟派《なんぱ》なイベントだが、彼女はそれなりに努力して、正々堂々と勝ったのだから。
かなめとしては、二位のトロフィーを掲げて、ひきつった笑いを浮かべるしかなかった。
だが表彰式が終わると、かなめはだれもいない校舎裏に行って、一人で悔《くや》し泣きした。
(あたし、バカみたい……)
もともと、たいして出たくもなかったあんなミスコンに出場して。絶対勝ってやる、なんてリキみまくって。あんなバカな水着姿にまでなって。
そのあげく、負けた。
あの未亜に負けた。
よりにもよって、あいつの点数のせいで。
優勝なんか、どうでもよかった。けっきょく、あの五点が問題だったのに。
本当、あたし、バカみたいだ。
校舎の壁《かべ》におでこをあてて、肩《かた》を震《ふる》わせていると、背後から小さな足音が近付いてきた。
「千鳥……」
すこし口ごもった声。宗介だった。
「なによ」
背中を向けたまま鼻をすすり、涙を拭《ふ》いて、かなめは言った。
「探していた。さっきの件だ。常盤にいろいろ言われてな」
キョーコ。あのお節介焼《せっかいや》き。
「……別に? 気にしてないわよ。あんたのお気に入りが彼女だったってだけでしょ?」
「いや――」
「はっ。あいつが五点? まあ、いいんじゃない? おかげで一位の景品《けいひん》、もらい損《そこ》ねたけど。でも、それだけよ」
「千鳥――」
「あたしは何とも思ってない。わかったら、さっさとどっか行ってくれる?」
冷たい声で言う。
「わかった。だがその前に聞いて欲しいのだが――」
「うるさいわね。消えろって言ってるのよ。言い訳なんか――」
「俺は、あの点で正しいと思っている」
かなめを遮《さえぎ》り、宗介はきっぱりと言った。
「え……」
「……ああいうのは、千鳥らしくない。俺は口が下手《へた》だから、うまく言えないのだが……本来の君は、ああいう感じではない。……そう思ったんだ」
長い沈黙《ちんもく》。かなめはおずおずと振《ふ》り返り、赤く泣きはらした目で宗介を見た。彼はばつが悪そうに、そっぽを向いて、こめかみをぼりぼりとかいていた。
そういうことなのだろうか。
セクシー水着でウィンクして、心にもない笑顔《えがお》を浮かべる自分。わざわざ計算して組み立てた、がらにもない演技をする自分。そうとも知らない観客《かんきゃく》や審査員《しんさいん》が、こぞって拍手《はくしゅ》する自分。
そういうかなめに、唯一《ゆいいつ》、疑問を持ったのが宗介だった。
――そういうことなのだろうか。
「だから……三点なわけ?」
「そうだ。その……不公平《ふこうへい》だったか?」
おそるおそる、かなめの様子をうかがう。悪戯《いたずら》を叱《しか》られた子供のような、その仕草《しぐさ》。彼女は自分の中で、怒《いか》りや悲しさやみじめさが、不思議《ふしぎ》と消えていくのを感じた。
「ん……。なんか、納得《なっとく》した。もういいよ」
大きなため息をついて、かなめは言った。
「本当か?」
「本当よ」
「本当に、本当か?」
「しっこいわねー。納得したって言ってるでしょ? さっさとヤなことは忘れて、クラスの方、手伝いに行こ。ほら……!」
苦笑しながら、かなめは宗介の肩《かた》をどんと叩いた。
「それなら勝てた」
「え?」
「いまの君なら満点だ」
すまし顔で言った宗介の脇《わき》に立ち尽《つ》くして、かなめはしばらく、耳まで赤くなっていた。
[#地付き][おしまい]
[#改ページ]
あとがき
この本は月刊ドラゴンマガジン2001年12[#「12」は縦中横]月号、2002年1月号、2003年6月号〜8月号の連載《れんさい》短編《たんぺん》を加筆修正《かひつしゅうせい》し収録《しゅうろく》したものです。
書き下ろしは……えー、その。ごめんなさい。今回はちょっと無理《むり》でした(滝汗《たきあせ》)。できれば次の短編集でまとめてお届《とど》けできたらなー、と思っております。
なお現在、ドラゴンマガジンでは長編シリーズの連載が続いてまして、短編シリーズは事実上《じじつじょう》の停止状態《ていしじょうたい》です。長編『つづくオン・マイ・オウン』を書いたためか、もともときわどいところにあった長編・短編のバランスが、作者の脳内《のうない》で一気に傾《かたむ》いてしまった感がありまして……。
とはいえシリアス話ばっかりやってると、無性《むしょう》にバカな話をやりたくなってくる性分《しょうぶん》なので、『短編の展開はこれでおしまい』とかいう感じでもなさそうな気も? 自分でもよくわかりません。まあ、なるようになるさー(遠い目)。
そんなこんなで、各話のコメントをば。
『約束のバーチャル(前・後編)』
オンラインゲームというか、MMOのお話です。
いつぞやのシンデレラ話みたいなもんで、キャラだけ使って別世界《べつせかい》を舞台《ぶたい》に……ってのは、作者としてはいい気分|転換《てんかん》になったりします。自分が子供の頃《ころ》読んでた『うる星やつら』とかで、おなじみのキャラを使って名作のパロディをやらせる番外編《ばんがいへん》がよくありましたな。
この話は……なんというのか、横書きで出したかったっす! 顔文字やシステムメッセージなんかは、普通《ふつう》の小説みたいな縦書《たてが》きだと臨場感《りんじょうかん》がなくなってしまうのですな。最近|巷《ちまた》で話題になった『電車男』の本なんかも、あれは横書きの媒体《ばいたい》じゃなきゃ成立《せいりつ》しないわけでして。
シアさんの正体は、文庫|収録《しゅうろく》できっちり明かそうか迷《まよ》ったりしたんですが、やはりこういうゲームは曖昧《あいまい》な部分があってこそ……などとも思ったりなので、あえて想像《そうぞう》にお任せすることにしました。
で、このMMOなんですが。
本当のところ、劇中《げきちゅう》のかなめたちみたいに、たった数週間で大活躍《だいかつやく》できるようになるのはちょっと難《むずか》しいゲームだったりします。たいていの場合、学業や仕事、友人関係や家族関係を完全|放棄《ほうき》して、徹底的《てっていてき》にレベル上げや資金稼《しきんかせ》ぎに腐心《ふしん》したプレイヤー――いわゆる『廃人《はいじん》』だけが天下《てんか》をとれるような仕組《しく》みになっています。一日三〇時間のプレイという矛盾《むじゅん》!……とか、そういう世界の人たちじゃないと(相対的《そうたいてき》に)強くなれないので、普通の健全《けんぜん》な人は活躍できません。かくいう僕も某《ぼう》MMOをちょこちょこプレイしているのですが、なかなかインできなくてレベルも上がらず、ずっと弱いまんまです。でもって、親の金で遊んでる無職《むしょく》の高レベルプレイヤーにいばられて、しょんぼりしてたり。
ただ、面白《おもしろ》いこともありまして。自分は作家という身分を隠《かく》して、無名《むめい》のキャラクターとしてゲーム世界をうろうろしているわけです。するとたまに、出会うわけですよ。
自分の作品のキャラ名を使っている人に!!
心あたりのあるあなた。そう、フルメタに限らず、なにかの作品のキャラ名を使っているあなたです。モニターの中で『よろしく^^』[#「『よろしく^^』」は太字]とか言ってパーティ組んでるキャラの中には、ほかでもない作者がいて、ひそかにニヤニヤしてるかもしれませんぞ!
いまためしに、自分がやってるMMOで『テッサ』ってキャラを作ろうとしてみたんですが、すでに存在《そんざい》する名前なので作れないそうです……。
『影武者《かげむしゃ》のショウビズ』
なんと申しましょうか、オーソドックスな替《か》え玉《だま》話です。あと、ゲストの吉良《きら》くんは某大ヒットロボットアニメの主人公とは関係ありません。いやホントだって!
ところで自分の脳《のう》内には『フルメタのキャラを演《えん》じている架空《かくう》の実写《じっしゃ》の役者さん』というのがいます。手塚《てづか》治虫《おさむ》の漫画《まんが》とかで同じ顔のキャラが別作品に出てくるような感じというか(わかりにくい?)。このエピソードでは何かの撮影《さつえい》トリックを使って『宗介を演じている架空の役者さん』が一人二役をこなしているような感覚で書きました。
ちなみに賀東《がとう》の脳内の『架空の役者さん』は、こんな感じです(※現実のアニメの声優さんとは無関係《むかんけい》です、念《ねん》のため)。
▼宗介役の人……実はおとなしくて、乱暴《らんぼう》なことが苦手な人。ミリタリーのことは全然わからない。普段《ふだん》は笑顔を絶《た》やさない好青年《こうせいねん》で、これまでは端役《はやく》が多かった。
▼かなめ役の人……比較的《ひかくてき》に役と同じタイプ。オーディションでン千人の中から選《えら》ばれた。元気ではきはき。別の作品では暗い役、影《かげ》のある役が多い。
▼テッサ役の人……実は一三歳。しかもフランス人。日本語は全然わからない。髪《かみ》も本当は黒。三歳から子役をやってきた。悪戯《いたずら》好きで、宗介役の人になついている。
▼クルツ役の人……実は妻子《さいし》持ちのアーティスト。家族を溺愛《できあい》。日本人とカナダ人のハーフ。日本語はペラペラ。菜食主義者でエコロジスト。
▼マオ役の人……実は日本人。舞台《ぶたい》出身で、映像《えいぞう》作品はこれが数本目。小さな劇団《げきだん》を主宰《しゅさい》してる。役と同じで、姉御肌《あねごはだ》の大酒飲み。
▼恭子《きょうこ》役の人……実はブレイク中のアイドル。CDも何枚か出してる。普段はおさげでもメガネでもない。現役の高校生。
▼林水《はやしみず》役の人……実はお笑いタレント。喋《しゃべ》りも関西弁《かんさいべん》。収録中《しゅうろくちゅう》はアドリブ連発《れんぱつ》。テッサ役の人の大ファンなのだが、滅多《めった》に会えないので嘆《なげ》いてる。
▼ガウルン役の人……かなり有名《ゆうめい》なベテラン俳優《はいゆう》。刑事ドラマの主役、大河《たいが》ドラマの重要《じゅうよう》レギュラーなども演じてる。本格的《ほんかくてき》な悪役は初挑戦《はつちょうせん》。
……っと。いやまあ、別に深い意味はないのですが。なんとなくこういうイメージなのですな。ただ最近は、アニメの方の関《せき》さんや雪野《ゆきの》さんのイメージが強くなっていて、前記した感覚はかなり薄《うす》れていたり。
ほかにも自分が昔『蓬莱《ほうらい》学園』シリーズで短編を書いてたときに出てきた桐部《きりべ》征良《せいりょう》と竹中《たけなか》正樹《まさき》、オニール神父《しんぷ》は、同じ役者さんがフルメタにも出演してて、それぞれ長編の米海軍潜水艦《べいかいぐんせんすいかん》 <パサデナ> 艦長《かんちょう》のキリー・B・セイラー、副長のマーシー・タケナカ、そして『ミイラとりのドランカー』に出てくるオニール牧師を演じている……という感覚だったりします。
別に公式|設定《せってい》とかそういうわけではないので、みなさんも『こんな人が演じている!』とか想像《そうぞう》してみると楽しいかもしれません。
『対立《たいりつ》のフェスティバル』
文化祭のお話、その一です。
自分も文化祭の準備《じゅんび》に四苦八苦《しくはっく》した思い出があります。自分はブラバンの練習あったし、クラスの方では安っぽい出店《でみせ》を作るのがせいぜいだったような気もしますが、実行委員会の連中は夏休み返上でごっついゲートを製作《せいさく》したりしてました……。っていうかてっちゃん、ここ見てたらごめんな! あのときほとんど手伝えなくて! あと富田《とみた》もすまん! 委員長職押し付けた上に、十ン年後に悪役にまでしちまって!
ちなみに宗介のごっつい友達の一人のジマーさん。『オン・マイ・オウン』のころはどうしてるんでしょうなあ……。無事《ぶじ》だといいけど。
『愛憎《あいぞう》のフェスティバル』
文化祭のお話、その二です。
普通に考えれば、ミス陣高《じんこう》があるならミスター陣高もあるはずなのですが、そこは枚数の都合《つごう》で割愛《かつあい》です。未亜《みあ》に限《かぎ》らず、陣高の女性キャラ総出演《そうしゅつえん》って感じでも良かったかもしれません。
宗介の言うとおり、あんまり要領《ようりょう》よくて媚《こ》び媚びなかなめというのも不自然な感じがしたりするのですが、いかがでしょうか。むしろ。なんだ。ミスコンで負けてこっそり一人でいじけて泣いてるかなめの方がぐっと来るのではないかと。宗介もその辺、最近はわかってきたようです。
……以上です。
この本が出る二〇〇五年七月から、アニメ第三弾の『フルメタル・パニック! The Second Raid』がWOWOW(ノンスクランブル)さんで放映《ほうえい》開始です。制作は『ふもっふ』の京都アニメーションさんと武本《たけもと》監督《かんとく》。『2nd[#「nd」は縦中横]』というくらいなので、一作目の長編シリーズの続きという体裁《ていさい》になります。すでに第一話のほとんど完成パージョンを拝見《はいけん》したのですが、もー、すごい。動く動く、戦う戦う。あと音がすごい。ぜひぜひ5・1チャンネルで鑑賞《かんしょう》して欲しいのですよ。迫力満点《はくりょくまんてん》ですよ。
それから月刊ドラゴンエイジで、春から上田《うえだ》宏《ひろし》氏による新コミックの連載《れんさい》がはじまっております。先日|完結《かんけつ》した館尾《たてお》氏のコミックを引《ひ》き継《つ》ぐ形で『終わるデイ・バイ・デイ』のエピソードから描《えが》かれているんですが、これまたボリューム満点、迫力満点。も−、とにかくご覧《らん》いただければ、と。
本書の制作にあたって、またしてもたくさんの関係者の皆様《みなさま》に大変なご迷惑《めいわく》をかけてしまいました。誠《まこと》にありがとうございます。っていうか本当すみません。謝《あやま》ればいいと思ってるんだろ! とかお叱《しか》り受けてしまいそうなのですが、それでもごめんなさい(土下座《どげざ》状態《じょうたい》)。
それでは、また。
次回もまだ、かなめのハリセンがうなります。
[#地付き]二〇〇五年 六月 賀 東 招 二
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初 出
約束のバーチャル(前編) 月刊ドラゴンマガジン2003年7月号
約束のバーチャル(後編) 月刊ドラゴンマガジン2003年8月号
影武者のショウビズ 月刊ドラゴンマガジン2003年6月号
対立のフェスティバル 月刊ドラゴンマガジン2001年12[#「12」は縦中横]月号
愛憎のフェスティバル 月刊ドラゴンマガジン2002年1月号
底本:「フルメタル・パニック! 悩んでられない八方塞がり?」富士見ファンタジア文庫、富士見書房
2005(平成17)年7月25日初版発行
※底本中で用いられている「《」と「》」は、青空文庫ルビ記号と被ってしまうため、それぞれ「<<」と「>>」に置き換えています。
校正:暇な人z7hc3WxNqc
2009年10月15日校正
このテキストは基本的に青空文庫形式ですが、感嘆符や疑問符が二つ並んだ文字(本来なら「感嘆符二つ、1-8-75」や「感嘆符疑問符、1-8-78」などと注記しなければならない所)はテキストビューアの「縦中横」機能を当てにして半角文字二つで表現し、注記は避けました。
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使用した外字
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「H」……白抜きハートで、DFパブリフォントの外字(0xF048)を使用しています。
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使用したWindows機種依存文字
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「U」……ローマ数字2、Unicode2161
「」……縦書き用の二重引用符の始め
「=v……縦書き用の二重引用符の終り
縦書き用の二重引用符は多くのフォントで位置が(場合によっては向きも)間違っていて、大抵は二重引用符が中身の単語と離れすぎていて間抜けな印象に見えると思います(MS明朝やDFパブリフォントで確認しました)。これはフォントの問題ですので、フォント製作者によって修正されるのを期待するべきでしょう。
参考:http://www.geocities.jp/hiroki_mighty/hp1-01filespec.html
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注意点
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底本69頁7行 >w<\
底本80頁16行 ^o^\
底本82頁8行 ><\
AAの手の部分が底本では「ノ」なのだけれど、ノの横書きが無理なのでこのテキストでは「\」で代用しました。
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底本の校正ミスと思われる部分
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底本235頁12行 だから むしろ安心して
読点が抜けている?