フルメタル・パニック! ―サイドアームズ―
音程は哀しく、射程は遠く
賀東招二
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)音程《おんてい》は哀《かな》しく、
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)|マオ《まお》おねえさんと
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)俺が面倒《めんどう》をみているこいつ[#「こいつ」に傍点]、
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目 次
音程《おんてい》は哀《かな》しく、射程《しゃてい》は遠く【前編】
音程は哀しく、射程は遠く【後編】
エド・サックス中尉《ちゅうい》のきわめて専門的《せんもんてき》な戦い
女神《めがみ》の来日(温泉《おんせん》編)
よいこのじかん〜|マオ《まお》おねえさんと|アーム・スレイブ《あーむ・すれいぶ》にのってみよう〜
ある作戦直前の一幕《ひとまく》
あとがき
[#改丁]
音程《おんてい》は哀《かな》しく、射程《しゃてい》は遠く【前編】
[#改ページ]
「はいよ! 焼き鳥盛り合わせ、おまち」
卓上《たくじょう》に出された大きな皿《さら》。同心円状《どうしんえんじょう》に、ずらりと焼き鳥が並んでいる。うっすらと立ちのぼる湯気《ゆげ》にのって、かぐおしいタレの香りが二人の鼻腔《びこう》をくすぐった。
「さあ来た! じゃんじゃん食おうぜ!」
ぱちんと手を合わせ、クルツ・ウェーバーが宣言《せんげん》した。飲みかけの生ビールをぐいっとあおってから、ほどよく脂《あぶら》の乗《の》ったネギマにかぶりつく。
「んぐ。……っあー、うめえ。変わってねえなあ、この味! 五年前のまんまだよ。感動だね。俺《おれ》も世界中、あちこち歩き回った万だけどよ、食いもんは東京! 絶対《ぜったい》まちがいねえよ。特にここの地鶏《じどり》は特別《とくべつ》なんだ。稲城《いなぎ》の方にある、昔《むかし》ながらの農家《のうか》でのびのびと育てた鶏《にわとり》を、産地直送《さんちちょくそう》でその日の朝に出荷《しゅっか》してだな……っクウ――! 生きてて良かった!」
「クルツ……」
テーブルを挟《はさ》んで正面に座《すわ》る相良《さがら》宗介《そうすけ》が、気のない視線《しせん》で彼を眺《なが》めていた。
「どうした。食わねえのか?」
「訊きたいことがある。ここは、なんだ?」
「なんだ、って……焼き鳥|屋《や》に決まってるだろ」
ここは東京。有楽町《ゆうらくちょう》のガード下にある焼き鳥屋である。立て付けの悪い|粗末《そまつ》なテーブル。仕事《しごと》帰りのサラリーマンたち。もうもうと立ちこめる煙《けむり》と、仕事に疲れたおじさんたちの笑い声。店のラジオからは、古くさい演歌《えんか》が流れている。
世界を股《また》にかける傭兵《ようへい》が休日を過《す》ごすにしては、生活感ありすぎの空間《くうかん》なのであった。
「おまえが電話口で『重大《じゅうだい》な用件がある』と言って呼び出すから、先約《せんやく》を断《ことわ》って来たのだぞ。まさか、ここでの飲食《いんしょく》がその『重大な用件』か?」
先約というのは、千鳥《ちどり》かなめが腕《うで》を振《ふ》るった夕食のことだったりする。そんなことなど知らないクルツは、臆面《おくめん》もなく答えた。
「おう。昔、何度か食いに来た店でよー。せっかく休暇《きゅうか》で、東京にブラっと来たもんだから。一人じゃつまんねえし」
「…………」
「そんな恐《こわ》い顔してねえで、とにかく食えよ。ほら、これ。そう、七味《しちみ》かけて。そのままぱくっと」
クルツにいそいそと面倒《めんどう》を見てもらいつつ、宗介は慣《な》れない仕草で焼き鳥を食べた。たちまち彼は、両目をぱちくりとさせて、手にした串を眺め回す。
「……確《たし》かにうまい」
「だろ? だったら問題《もんだい》ねえじゃん。いいからもっと、どんどん食う。あ、串はそこの器《うつわ》に入れて。タレるから気を付けろよ。おっちゃーん! 生中追加《なまちゅうついか》ねー! あと、ハツとカワ、もう一皿ずつ頼《たの》むわ」
「うーい」
よどみなく注文《ちゅうもん》するクルツの横顔を、宗介はしげしげと眺めた。
「妙《みょう》に馴染《なじ》んでいるな……」
「ふぐ……なにが?」
「こういう環境《かんきょう》にだ。日本語など、俺よりもはるかに堪能《たんのう》ではないか。おまえがドイツ人で、しかも狙撃兵《そげきへい》だというのが、俺には今ひとつ信じられん」
宗介の疑問《ぎもん》はもっともだった。クルツの仕草やしゃべり方は、そこいらにいる日本の若者となんら変わるところがないのだ。
「んー。ま、そうかもね」
これといった感想もない様子《ようす》で、クルツはアツアツのツクネを幸せそうに頬《ほお》ばった。
「前も言ったろ。俺、中坊ンときまでは、東京に住んでたんだってば」
「そういえば、そうだったな」
「物心《ものごころ》付いたときは、もうこっちだったよ。大森にドイツ人学校があって、普通《ふつう》はそこに通うんだけどさ。家が江戸川《えどがわ》で遠いから、地元《じもと》の小中学校に通ってた。ブン屋やってた親父《おやじ》が変わりもんで、下町に住みたがってたんだよ」
「それは変わっているのか?」
「変わってるんだよ。在京《ざいきょう》のドイツ人っつったら、たいていは品川区か大田区あたりの高級《こうきゅう》マンションに住んでるもんさ。その辺のコミュニティとは、全然《ぜんぜん》付き合いなかったみたいだし。まあ、親父がなにを考えてたのかも、いまとなっちゃあ――」
頭上の高架《こうか》を電車が通過《つうか》した。あたりにけたたましい音が響《ひび》き渡り、クルツの話の終わりのあたりがかき消された。
「いまとなっては、なんだ?」
「なんでもね。それより食え、食え。冷《さ》めるとまずいぞ」
クルツはビールのジョッキを飲み干すと、すっくと立ち上がった。
「どこへ行く?」
「タバコ買ってくる。全部食うなよ」
席を離《はな》れ、店の奥へ。用を足してから、クルツはカウンターの奥のおやじに『マルボロある?』とたずねる。案《あん》の定《じょう》、『ああ? そんな洒落《しゃれ》たもん置いてねえよ』と言われた。
「自販機《じはんき》どこだっけ?」
「店出て、右。すぐ見えるよ」
「サンキュ」
言われたとおり、クルツは焼き鳥屋を出て右へ向かった。すこし歩くと、雑居《ざっきょ》ビルの前に自販機が並んでいる。タバコを買って店に戻ろうとしたとき、雑居ビルの角から、若い女が早足で飛び出してきた。
「おっと。危ないよー」
ぶつかりそうになったところを、ひょいと避ける。その女は軽く謝《あやま》ろうとして、クルツの顔を見上げた。
その両目が、小さな驚《おどろ》きに見開かれる。
「……ウェーバーくん?」
女が言った。年齢《ねんれい》は三〇前後くらいだろうか。ロングの髪《かみ》に、丸みを帯《お》びた顎《あご》。濡《ぬ》れたような赤い口紅《くちべに》が印象的《いんしょうてき》だった。
「あの……ウェーバーくんでしょ?」
「そうだけど? あんたは――」
そこでやっと彼は気付いた。
そばの高架の上を、電車が通り過ぎる。轟音《ごうおん》が鳴《な》りやむのを待ってから、クルツは半信半疑《はんしんはんぎ》で言った。
「椎原《しいはら》……先生?」
女はこくりとうなずいた。
「捜《さが》したのよ」
タバコの自販機からほど近い、バス停のベンチに並んで座り、その『先生』――椎原|那津子《なつこ》がクルツに言った。
「ご家族があんなことになって……それから、ウェーバーくんが中学校に来なくなって。一人で出国したことまでは分かったけど、そのあとの足取りが全然つかめなくて……」
「まあ、そうだろうな」
ぼんやりと遠くのネオンを眺め、クルツは言った。
一個人の力では、日本を飛び出した後の自分を調べることは不可能《ふかのう》だったはずだ。たとえプロの探偵《たんてい》を雇《やと》ったとしても。アテネ空港でトルコ行きの便《びん》に乗り換《か》えて、陸路でレバノンへ。その後は消息不明《しょうそくふめい》……そんなところだろう。
過酷《かこく》な数年間を話すわけにもいかず、彼は当たり障《さわ》りのない説明をした。
「ささやかな財産《ざいさん》が残ってたもんでね。何年か、世界中をふらふらと。貧乏《びんぼう》旅行してた」
「そう……。いまはどこに?」
「ん……。シドニーに住んでる。きょうはたまたま、休みでぶらりと遊《あそ》びに来てね」
もちろんシドニーというのは嘘だった。彼が暮らすメリダ島|基地《きち》の存在《そんざい》は、一般人《いっぱんじん》には秘密《ひみつ》にされている。シドニーには <ミスリル> の作戦|本部《ほんぶ》があり、その本部を偽装《ぎそう》するための警備会社《けいびがいしゃ》に、クルツは所属《しょぞく》していることになっている。
「働いてるのね」
「ああ」
「音楽関係?」
「え?」
クルツが思わず訊き返すと、那津子は寂《さび》しそうに微笑《ほほえ》んだ。
「……な、わけないか。ごめんなさい」
「いや――ち、ちがうって。そうなんだよ。よくわかったじゃん」
とっさにそんな言葉が出てきてしまった。
「ギター、まだやってるの?」
「き、決まってるだろ? その……まだ、あちこちの店で演《や》らせてもらってるくらいなんだけどさ。わりと評判《ひょうばん》いいんだぜ? デモテープ聴いたレコード会社のプロデューサーが、『会ってみたい』って言ってくれてよ」
「本当?」
「ウソなんかつくかよ。手応《てごた》えもあってさ。メジャーデビューまであとすこし、ってとこかな。ははは」
じんわりと、こめかみのあたりに脂汗《あぶらあせ》が浮《う》かんでくる。その一方で、那津子の顔はみるみると明るくなっていった。
「すごい。びっくりした」
「ま、まあな。いまに見てろって。どどーんと故郷《こきょう》に錦《にしき》を飾《かざ》ってやるからよ」
「そんな、調子《ちょうし》いいこと言って。そういうところは相変わらずなのね。……ふふ」
「なに言ってんだよ!? マジだって! あ、先生、俺《おれ》の話、信じてねえだろ!?」
ようやく、那津子は声に出して笑った。
「そんなことないわよ。信じてるかな……半分くらい」
「なんだよ、その半分って」
黒い瞳《ひとみ》が、彼の青い瞳をいたずらっぽくのぞきこんだ。
「ウェーバーくんが、がんばってるってこと」
がらにもなく、心臓《しんぞう》の鼓動《こどう》がとくん、と高鳴《たかな》る。涼《すず》しい夜だったが、顔や胸元《むなもと》が熱くて仕方《しかた》なかった。
「そ……そういう先生こそ、なにやってんだよ? こんな時間に、こんな場所で」
「職場《しょくば》の飲《の》み会よ」
「あ、そう。まだ四中?」
「ううん。……別のところ」
彼女はベンチから立ち上が った。
「そろそろ行かなくちゃ」
「え、もう?」
「ええ。人、待たせてるから。それじゃ」
「あ……待てよ。連絡《れんらく》先教えろよ」
「捜してみなさい。五年前の仕返《しかえ》しよ」
「おいおい……!」
「がんばってプロになりなさい。あなたのギター、また聴けるの楽しみにしてるから」
「先生!」
「きょうは嬉《うれ》しかったわ」
クルツが後を追う間もなく、椎原那津子は夜の雑踏《ざっとう》の中に消えていった。
夢でも見ているような気分だった。
そのまま焼き鳥屋に戻ろうかとも思ったが、遅《おそ》まきの未練《みれん》が彼を引き留めた。あわてて界隈《かいわい》の飲食店を覗《のぞ》いて回り、那津子の影《かげ》を捜し求めたが、けっきょく、彼女を見つけることはできなかった。
あきらめて焼き鳥屋に戻ると、むっつり顔の宗介が彼を出迎《でむか》えた。
「なにをしていた」
「言っただろ。タバコだよ。……なんだ、その仏頂面《ぶっちょうづら》? 気が滅入《めい》るんだよ、バーロー」
「……。人を一時間待たせておいて、そのコメントか」
「うるせえ。……って、おい。焼き鳥、俺の分はどこだよ?」
空《から》っぽの大皿《おおざら》を見下ろし、クルツは叫《さけ》んだ。
「冷めたら不味《まず》くなると言ったのは、おまえだろう。安心しろ。すべての焼き鳥は、俺が適切《てきせつ》に処理《しょり》した」
心なしか満ち足りた様子《ようす》で告げる宗介に、クルツは仮借《かしゃく》のないヘッドロックをきめた。
●
椎原那津子は、クルツの中学時代の副担任《ふくたんにん》だった。赴任《ふにん》して二年目の教師だったから、当時は二三、四歳だったはずだ。
担当教科は音楽。若くて美人、温厚《おんこう》な人柄《ひとがら》とくれは、生徒の人気《にんき》も高そうなものだったが、なぜか一人でいることが多い教師だった。
一方、当時のクルツはといえば、日本人だらけの学校の中で、すこし浮いた存在の少年だった。女にはモテたが、嬉《うれ》しくもなんともなかった。彼女らが彼の金髪《きんぱつ》と碧眼《へきがん》に恋してるだけなのを、よく知っていたからだ。
悪友は何人もいたし、いろいろバカもやったが、そのころのいちばん親しい友人は、ブルース・ギターだった。父親から貸《か》してもらった、ギブソンの古いモデル。暇《ひま》さえあったら、それを熱心《ねっしん》に弾《ひ》いていた。
ギター好きの生徒は校内に何人もいたが、クルツは彼らとそりが合わなかった。なにせ、連中《れんちゅう》ときたら最近のミーハーな曲しか演《や》ろうとしないのだ。ロバート・ジョンソンを知らないのは――まあ、仕方ないとしよう。だが『BBキング? だれ?』だなどと吐《ぬ》かす奴《やつ》らと、ギターの話なんぞをする気にはなれなかった。けっきょく、連中は女にモテたいだけなのだ。
そんなクルツが椎原那津子とはじめてまともに話したのは、中二の文化祭のときだった。
学校側が定《さだ》めた『軽音楽』禁止《きんし》の方針《ほうしん》に腹《はら》を立てた彼は、体育館で勝手《かって》にギターをかき鳴らした。ギャラリーもずいぶんと集まり、盛り上がったが、けっきょく体育科の教師に三人がかりで取り押さえられ、職員室《しょくいんしつ》へと連行《れんこう》された。
二時間ばかり、床《ゆか》に正座《せいざ》。『指導《しどう》』という形の罵倒《ばとう》を浴《あ》びせられ、竹刀《しない》で小突《こづ》かれ、内申書《ないしんしょ》のことで脅《おど》された。
学校という監獄《かんごく》の看守《かんしゅ》たちの仕打ちにも屈《くっ》することなく、クルツはふてぶてしい態度《たいど》をとり続けたが――彼らが大切なギターに魔の手を伸ばしたときには、さすがに血相《けっそう》を変えた。押さえつけられ、『やめろ』と叫ぶ彼の前で、四〇歳|独身《どくしん》の体育教師が、ギターのネックをへし折《お》ろうとして――
それを止めたのが、椎原那津子だった。
彼女はやんわりと、『楽器《がっき》に罪《つみ》はありませんよ』と言った。『それで彼が、なにかを反省《はんせい》すると思いますか?』とも。まったくの正論《せいろん》に抗弁もできず、体育教師たちはすごすごと矛《ほこ》を収めた。
それから数日後、クルツは那津子のところに顔を出した。黄昏時《たそがれどき》の音楽室で、彼女はピアノを弾《ひ》いていた。
知らない曲だった。夕日がつくる陰影《いんえい》と、透明《とうめい》なメロディ。クルツは棒立《ぼうだ》ちして、彼女にずっと見とれていた。
『どうしたの?』
曲を弾き終えてから、彼女がたずねた。本当は礼を言おうと思っていたのに、いざとなると、クルツの口からはまるで違う言葉が出てしまった。
『恩《おん》を売ったなんて思うんじゃねえぞ?』
すると彼女は、こう言った。
『好きなんでしょ?』
『なにがだよ』
『ギター』
『そうだよ。悪いかよ』
『わたしもよ。このピアノが壊《こわ》れたら、とても悲しい。それが理由《りゆう》じゃ、だめかな』
彼にはなにも言えなかった。なぜか、自分がひどく矮小《わいしょう》な存在《そんざい》のような気がした。
その日|以来《いらい》、彼は足しげく音楽室に通うようになった。力仕事を手伝い、自分のギターを聴《き》いてもらい、他愛《たあい》もない自慢話《じまんばなし》をした。彼女のピアノを聴くのも、彼にとっては大切な時間だった。そうした放課後《ほうかご》が、いつのまにか彼の日課《にっか》になっていた。
ずっと前の、銃《じゅう》など触《さわ》ったこともなかった時代の話だ。
そのあと、傭兵《ようへい》になった。
いまの部隊の仲間は、カラオケでポップスや演歌《えんか》を歌うクルツの姿《すがた》しか知らない。
ギターに触らなくなって、ずいぶんたっている。
ブルースも聴いていない。
●
その朝、メリッサ・マオが例《れい》によって、メリダ島基地のオフィスで無数の書類と格闘《かくとう》していると、休暇《きゅうか》明けのクルツが顔を見せた。
「うーっす。おはよう」
彼は大きなライフルケースを背負《せお》っていた。いや――これはギターケースだ。
「なによ、それは」
「見ての通り、ギターだよ。……よっと」
クルツはケースの中身を取り出し、おもむろにチューニングをはじめる。それは深い赤に塗《ぬ》られた、木製《もくせい》のギターだった。
「あ、レス・ポールだー。ホンモノ?」
楽器のことをすこしはかじっているので、マオにはすぐに判《わか》った。
「本物だよ。これはそのセミホロウ版。四〇年前の特注品《とくちゅうひん》でね。音がいいんだ。ソリッドにはないマイルドさがあって」
「へー、すごい。売ったら一万ドルはするんじゃない? どこから盗《ぬす》んできたの?」
マオの言葉にクルツは顔をしかめた。
「親父の形見《かたみ》だよ。さて……」
試《ため》しに弦《げん》をぽろんとはじく。
「練習ならよそでやってよ。っていうか仕事しな。仕事」
「訓練《くんれん》の計画書《けいかくしょ》なら、もう出しといたぜ」
「だとしても、ズブの初心者《しょしんしゃ》のレッスンなんか聴きたくねーわよ。どうせ『禁《きん》じられた遊び』くらいしか弾けないんでしょ?」
「初心者? ふふん」
鼻を鳴《な》らし、左手をにぎにぎさせてから、クルツは演奏《えんそう》をはじめた。
力強いイントロと、ブルース調《ちょう》の旋律《せんりつ》。マオは一発で、超有名なエリック・クラプトンの名曲『レイラ』だとわかった。初心者なんぞには、とうてい手が出せないほど難《むずか》しい曲だ。長く、しなやかな指が動き、複雑《ふくざつ》なフレーズを危《あぶ》なげもなく紡《つむ》いでいく。
歌声もなかなかのものだった。オフィスにいた他の隊員たちが、あっけにとられて彼に注目《ちゅうもく》する。マオもぽかんと口を半開きにして、クルツの独演《どくえん》を聴いていた。
サビの部分をひとくさり演《や》ってから、彼はばたりと手を止め、にんまりとした。
「どうでえ」
「しゃくだけど……ちょっとだけクラっときた。でも驚《おどろ》いたわ。カラオケ専門《せんもん》かと思ってたのに」
渋々《しぶしぶ》とマオが認《みと》めると、彼はぐっと拳《こぶし》を握《にぎ》った。
「よしっ、まだイケるぜ! ブランクは取り戻《もど》せる!」
「どーいうこと?」
「姐《ねえ》さん、来週の土日、ヒマだろ!?」
「いちおう休みだけど。でも土曜はノーラとグァム行って買い物を――」
「キャンセルだ、キャンセル。東京行こう」
「はあ?」
「キーボード用意しとけよ。それとドラムやってた奴《やつ》いたよな。整備中隊《せいびちゅうたい》の……そう、ルイスだ。あいつもメチャクチャうまかった。ベースはミノーグがいい。中隊長《ブルーザー》にナシ付けて、連れてかないと」
「ちょ、ちょっと待ってよ。あんたなに言ってんの?」
マオがあわてて問いつめると、クルツはギターのネックをぐいっと引き上げ、意気《いき》も盛《さか》んに宣言《せんげん》した。
「臨時編成《りんじへんせい》だ。ちょっとしたコネで、下北沢の店に時間とってもらった。渋《しぶ》めのナンバーをいくつか演奏《えんそう》するぜ」
「あのー、説明になってないんだけど……」
「ちょっとプロのふりするだけだよ。バンド名は『ミスリル』ってことで、ひとつよろしく」
自分の知人の消息なら、自分で調べればいいではないか――
そう思いながらも、宗介がわざわざ江戸川区の葛西《かさい》第四中学へと足を運んだのは、クルツにあれこれと借りがあるからだった。彼の援護射撃《えんごしゃげき》に命を救《すく》われたことは、一度や二度では済まない。
まず、その椎原那津子とやらの現住所を突《つ》き止める。レコード会社のバイトだと名乗《なの》って、特別《とくべつ》ライブの招待状《しょうたいじょう》を渡す。
そういう頼《たの》まれごとだった。
高校の授業が終わってから来たので、もう夕方だ。最寄りの駅を降《お》りて、歩くこと二〇分。住宅地《じゅうたくち》のただ中に、その中学校はあった。
平和なたたずまいだ。
こんな場所に通っていたような男が、どう間違《まちが》ったら傭兵《ようへい》になるのだろう?
実はこの中学校には、昼休みに電話をかけて椎原那津子の転任先《てんにんさき》をたずねたのだが、『すみませんが、そういったことは直接《ちょくせつ》お越《こ》しいただいて、身分を証明《しょうめい》していただかないとお答えできません』と言われてしまった。
応対《おうたい》に出た職員《しょくいん》は、宗介の学生証を見ただけで、今度はあっさりと彼を受け入れた。
「いえね。近頃《ちかごろ》はいろいろ物騒《ぶっそう》でしょう? 個人|情報《じょうほう》は慎重《しんちょう》に扱《あつか》う方針《ほうしん》になってまして」
「賢明《けんめい》な判断《はんだん》です」
「それで……椎原さんのことでしたね」
「はい。以前に彼女に世話《せわ》になった人物が、ぜひとも礼をしたいと」
「そうでしたか。……だとすると、残念《ざんねん》なことです」
「と、言いますと」
「椎原さんは、三年前に退職《たいしょく》されました」
「……退職?」
「ええ。その――いろいろと問題がありまして。学校に内緒《ないしょ》でアルバイトをしていたことが発覚したんです。再三再四《さいさんさいし》にわたって警告《けいこく》したんですけど……けっきょく、学校の方を辞《や》められました」
「……そのアルバイトとは?」
「夜のお店ですよ。たぶん、水商売だったのでしょうね。詳《くわ》しいことは知りませんけど」
メリダ島|基地《きち》の薄暗《うすぐら》いパブに、軽快《けいかい》なサウンドが響《ひび》きわたる。小気味《こきみ》のいいドラムとベース、マオの流麗《りゅうれい》なキーボード、そしてクルツのギターと歌声。アマチュアにしては、かなりの演奏だったが――
「……あー、だめだめ。ストップ、ストップ」
クルツがうんざりと手を振った。人のいないパブの店内は、たちまちしんとなる。
「また? もういい加減《かげん》にしてよ」
「そうはいかねえ。このフレーズが大事なんだ。なんか、こう……やるせない響きっつーのかよぉ。そういう、アレ。ブルージーな感じが必要《ひつよう》なんだよ!」
「わけのわからんことを……」
「休憩《きゅうけい》だ、休憩。ちょっと考えを整理《せいり》する」
MTV世代のマオにとっては、クルツの言いたいことがどうにもわからない。まだ二〇そこそこで、しかも白人のくせに、曲の趣味《しゅみ》が妙《みょう》に渋《しぶ》くて南部風で、泥《どろ》っぽいのだ。
そのおり、基地の戦隊長《せんたいちょう》、テレサ・テスタロッサ大佐が店内にひょこりと顔を出した。
といっても、一六歳の少女である。
ドラムのルイス二等兵と、ペースのミノーグ一等兵があわてて直立《ちょくりつ》して、戦隊長に敬礼《けいれい》したが、ほかの面子はくつろいだままで会釈《えしゃく》するだけだった。
「お疲れさま。本当に練習してるんですね」
「テッサ。このバカに言ってやってよ。無茶《むちゃ》にもほどがあるわ。たった一週間で、プロ並《な》みの演奏やってみせろって言うのよ?」
するとテッサは、ほんわかとした笑顔を浮かべ、
「いいんじゃないですか? わたし、ロックとかはよく分かりませんけど。いまの演奏を聴いた限りでは、すごく上手だと思いましたよ」
「そうかなあ……」
「ええ。特にウェーバーさん。こんな特技《とくぎ》があったなんて、びっくりです」
当のクルツは彼女のほめ言葉も耳に入っていない様子で、ぶつぶつ言いながら一人で弦《げん》をはじいていた。
「まあ、確《たし》かに巧《うま》いけどね。でも、あれくらい巧い奴は、世間《せけん》にはゴロゴロいるもんよ」
「そうなんですか?」
「そ。ボロ出して恥《はじ》かくのが関の山なのに。まったく……」
「でも、真面目《まじめ》なウェーバーさんって、ちょっとかっこいいです」
声を弾《はず》ませたテッサを、マオは横目でじーっと見つめる。それに気付いて、テッサはうつむき、顔を赤らめた。
「も……もちろん、わたしはサガラさん一筋《ひとすじ》ですけど……」
「…………。別にいいんじゃない? あちこちにツバつけといても」
むっとしてにらみ付けるテッサから視線をそらして、マオはクルツに声をかけた。
「ねえ、クルツ。あんたさ……マジでその先生、騙《だま》せると思ってるわけ? 仮にも音楽教師なんでしょ?」
「んー? まあそうだけど。やってみなけりゃ、わかんねーさ」
マオはがっくりと肩《かた》を落とす。
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「あのねえ……そんなデタラメで、こんな茶番に付き合わされる方はたまったもんじゃないわ。あんたヘンよ」
するとクルツはギターを弾《ひ》く手を止めて、何度かうなずいた。
「変じゃねえさ」
「?」
「なんていうのかなあ……こういう稼業《かぎょう》してると、たまに思わない? もっと別のことで、なんかを表現してみたい、って。特にクリーンなところにいるだれかには」
「…………」
「彼女に会って、思い出したんだよ。昔の感覚を。もともと、俺が持つべきなのはライフルじゃなかったはずなんだ。本当はこっちなんだよ」
クルツはギターをぽんと叩《たた》いた。
「見きわめようと思ってさ……。もしかしたら、まだ戻れるかもしれないから。だから、ちょっとだけ付き合ってくれよ。頼《たの》むわ」
そう言って彼は笑った。
「…………」
他人が聞いたら、やはり『なにを自分に酔ってるんだか……』と思ったことだろう。だがマオには想像《そうぞう》できた。彼のそういう気分というのは、実は切実《せつじつ》なものなのだ。
彼の過去《かこ》は、彼自身が語らなくても想像できる。
クルツは狙撃兵《そげきへい》の出身だ。
超凄腕《ちょうすごうで》のスナイパーといえば、聞こえはいい。だが現実《げんじつ》は、そうではない。狙撃兵に要求《ようきゅう》される過酷《かこく》さ、冷酷《れいこく》さ……それは常人《じょうじん》の想像をはるかに超《こ》えるものだ。
狙撃兵はひどく長い時間、敵を待ち続ける。時には何日間も、キャンプで暮らす標的《ひょうてき》を観察《かんさつ》することもある。スコープの中に映るその人物の、習慣《しゅうかん》や趣味《しゅみ》を見つめ、食べるところや笑うところを見つめ――その上で、相手の頭を吹《ふ》き飛ばす。
普通《ふつう》の神経《しんけい》ではできないことだ。
有名なのは『友釣《ともづ》り戦法《せんぽう》』だ。これをやられると、一〇〇人の部隊でも一人のスナイパーによって行動不能《こうどうふのう》になる。
まず、敵の一人の足を撃ち抜く。動けなくなった戦友を救おうと、ほかの敵が物陰《ものかげ》から出てきたところを、撃ち殺す。狙撃を恐《おそ》れて敵が出てこなくなったら、動けない敵の指や耳を吹き飛ばしてやる。苦しむ仲間を見るに見かねて、飛び出してきた敵を――また撃ち殺す。その繰《く》り返しだ。
悪魔的《あくまてき》な狡知《こうち》。
非情《ひじょう》な戦術。
そして孤独。
それらを友とし、実践《じっせん》できる者だけが『狙撃兵』と呼ばれる。射撃《しゃげき》がうまいだけの兵士は、ただの『射的屋《しゃてきや》』だ。
かつてのクルツがそこまでやったかどうか、マオは知らない。だが少なくとも、彼にはそうするだけの技能《ぎのう》があったし、そういう手管《てくだ》も必要としたはずだ。
これまで彼女は、クルツが眉《まゆ》ひとつ動かすことなく、『敵』を――実のところは、泣きも笑いもする人間を――正確無比《せいかくむひ》に射殺《しゃさつ》する場面《ばめん》を、何度か目撃《もくげき》していた。七・六二ミリの狙撃銃で。五六ミリのAS用狙撃砲で。
そうして彼は、静かに言うのだ。
『やったぜ』
ときおり、マオはこう思う。
彼の日頃《ひごろ》の陽気さは、陰惨《いんさん》な本性の裏返《うらがえ》しなのではないか? 本当のところ、彼が心を開いているのは、自分のライフルだけなのではないか? あの相良宗介よりも、彼は生命というものを突《つ》き放して見ているのではないか……?
クルツ・ウェーバーの存在《そんざい》は、そういう意味で異質《いしつ》に思える。正直に言って、すこし怖《こわ》いときがある。
そんな彼が、ライフル以外のものに自分の価値《かち》を見いだそうとしている。かつて愛した楽器と、それが象徴《しょうちょう》する別の世界に惹《ひ》かれている。ほかの生き方を模索《もさく》している。
ひょっとしたら、彼はこの稼業をやめる気になりかけているのかもしれない。
いつものように、鼻で笑って邪険《じゃけん》に扱《あつか》うことなど、マオにはとてもできなかった。
簡単《かんたん》な郵便配達《ゆうびんはいたつ》のはずが、なにやら本格的な探偵《たんてい》ごっこになってきた。
三日間、宗介はあちこち歩き回っている。椎原那津子が何年も前に住んでいたマンションまで出かけて、近隣《きんりん》の住民に聞き込みをしたり、引《ひ》っ越《こ》し業者に電話をかけまくってみたり、夜中に区役所に忍《しの》び込んで、書類をあれこれと当たってみたり。
六時間目の授業《じゅぎょう》が終わって、宗介があくびをかみ殺していると、千鳥かなめが声をかけてきた。
「眠そうねぇ。どしたの?」
「毎晩、人捜しだ」
「人捜し?」
「女だ。いろいろあってな」
「?…………!?」
怪訝顔《けげんがお》のかなめにそれ以上の説明はせず、宗介は教室を後にした。電車に乗って数十分。中野の住宅街《じゅうたくがい》へとやって来る。
きのうまでに椎原那津子の現住所は調べがついていた。プロの諜報員《ちょうほういん》ならまだしも、数度引っ越しただけの素人《しろうと》の行方《ゆくえ》だ。大都市には不慣《ふな》れな宗介でも、目星をつけるのはそう難《むずか》しくなかった。ポケット地図を片手に、駅から歩いて十数分。目的の住所へと到着《とうちゃく》する。
そこは二階|建《だ》て、木造の古いアパートだった。階段《かいだん》を上って、奥の戸へ。
チャイムを押して、ノックをする。
返事はない。
「…………」
留守《るす》ではないと、すぐにわかった。扉《とびら》の向こうから、かすかな息づかいと緊張《きんちょう》の匂《にお》いが漂《ただよ》ってくる。
いや――これは?
耳をすます。
おそらく男性。おそらく大柄《おおがら》。たぶん、おびえている。じんわりと、敵意《てきい》のようなものも漂ってくる。
妙《みょう》だった。
宗介は用心深く、足音を立てずに、扉のそばにあった洗濯機《せんたくき》の脇《わき》にかがみこんだ。
待つこと数分。
訪問者《ほうもんしゃ》が去ったことを確認《かくにん》しようとしたのだろう。部屋の扉が開き、男が一人、通路《つうろ》に顔を出した。宗介は間髪《かんぱつ》容《い》れずに扉をつかむと、相手の手首をつかみ、その体を通路の床《ゆか》へと引き倒《たお》した。
「ひっ……?」
武器は持っていないようだった。年齢《ねんれい》は二十代半ばくらいか。ロンゲの茶髪《ちゃぱつ》で、細身の体つきだった。
開いた戸口から室内が見えたが、ほかにだれかがいる様子はなかった。
乱雑《らんざつ》な部屋だ。玄関口《げんかんぐち》にはたくさんの酒瓶《さかびん》が転がっており、ゴミ袋《ぶくろ》や段《だん》ボールが無造作《むぞうさ》に積《つ》み上げられている。女の住んでいる部屋のようには、とても見えなかった。
「は……放せ、コラァ! 殺すぞ?」
手首をひねられた苦痛《くつう》をこらえながら、男がすごんだ。宗介はコンバットナイフを相手の鼻先に突きつけ、
「死にたくなければ暴《あば》れるな」
と、冷たい声で告げた。
「や、やってみやがれ、バーロー!?」
「いいだろう。まず俺《おれ》が本気だということを教えてやる」
ナイフの切っ先を耳に押し当てると、男は悲鳴《ひめい》をあげた。
「や、やめ……!」
「言え。貴様は何者だ。椎原那津子はどこにいる」
「な、那津子だぁ? あのクソアマ、どういうわけだ、ちくしょう!」
男はいまいましげに悪態《あくたい》をつく。
「どこにいるかと訊《き》いている」
「し、知らねえよ。あいつはちょっと買い物に行ってるだけで、オレはなんにも――」
新たな人の気配《けはい》。宗介は男を押さえつけたまま、階段《かいだん》を上ってきた人影に、すかさずナイフを投擲《とうてき》しようとして――その手を止める。
女が、買い物袋をさげて立ちすくんでいた。
「な、那津子ぉ……」
哀《あわ》れっぽい男の声。宗介はナイフをおろし、女に向かってこう言った。
「椎原、那津子さん?」
「……はい」
「クルツ・ウェーバーの使いで来た者です。この男は?」
椎原那津子は躊躇《ちゅうちょ》してから、うつむき加減《かげん》で口を開いた。
「その……わたしの、夫です」
ジャズピアニストを目指《めざ》して教職《きょうしょく》を離《はな》れ、体調《たいちょう》を崩《くず》して夢に破《やぶ》れて、場末《ばすえ》のパーで働いているうちに、ろくでもない男に引っかかり、その男が何度も安易《あんい》な金儲《かねもう》けに手を出して、挙げ句《く》に借金《しゃっきん》まみれになって――
そんな日々を送っているうちに、行き着いてしまったのが彼女の境遇《きょうぐう》だった。
いまの仕事はクラブのホステス。ピアノは長いこと弾《ひ》いていない。彼女の『夫』とやらは、働きもせずに昼間から、部屋に閉じこもって飲んだくれている。
「ひどい話だ」
衛星《えいせい》電話に向かって、宗介は言った。
「俺が見てきた貧《まず》しい国には、ああいう男がごろごろいたがな。東京のような街にもいるとは」
『まちがいないの?』
回線《かいせん》の向こうで、マオが言った。
「肯定《こうてい》だ。彼女から聞いたままを説明した」
ちらりと、そばに立つ椎原那津子を見る。宗介と彼女がいるのは、アパートのそばを流れる小さな川の、橋の上だった。問題の旦那《だんな》は、アパートに待たせてある。
流暢《りゅうちょう》な英語で会話する宗介を、那津子は不安げに眺《なが》めていた。
『そう……。で? 招待《しょうたい》の件は話した?』
「一応は。だが――」
『当然《とうぜん》、行きたくないと』
「そういうことだ。自分は、彼の招待を受けるような人間ではない≠ニ。本人がそう言うのなら、是非《ぜひ》もない」
ため息混じりのマオの声。しばらくの黙考《もっこう》のあと、彼女はゆっくりとこう言った。
『ソースケ……。あんたには荷《に》が重いかもしれないけど、もうすこし説得《せっとく》してみてくれない? その……あいつ、わりとマジみたいなのよ。その彼女は、クルツにとってはまだ先生で、たぶん……特別な女《ひと》なの』
「ふむ……」
『ただの見栄《みえ》とか、カッコつけとか、そーいうのとは違うの。なんとなく、わかる。こういう因果《いんが》な稼業《かぎょう》やってるとね』
「…………」
『馬鹿《ばか》げてるとは思うけど。あたしの借りにしとくから。お願い』
マオがこんな風に、なにかを頼《たの》んでくるのは珍《めずら》しいことだった。
「わかった。ただし期待《きたい》はしないでくれ」
『ありがと。クルツには、このことは内緒《ないしょ》にしておくのよ』
「了解《りょうかい》」
電話を切る。ふっと息をついて、こめかみを指先で揉《も》んでから、宗介は那津子に話しかけた。
「ご心配なく。彼の仕事仲間に相談しただけです。あなたの境遇は、ウェーバーには知らせていません」
「ありがとう……。できればこのまま、わたしのことは放っておいてもらえませんか?」
「そうするのは簡単《かんたん》ですが――」
「じゃあ、そうしてください」
語気《ごき》を強めて彼女は言った。
「わたしは、あなたが『事情《じじょう》がわからなければ、帰れない』と言うから正直に話したんです。いまのわたしは、先生じゃない。ただの弱い人間です。ウェーバーくんと偶然《ぐうぜん》会ったのは、もちろん嬉しかった。でも、もう会いたくありません」
小川の水面《みなも》に映った夕日が、燃えるように輝《かがや》いていた。それだけ赤い光に照らされているのに、彼女の顔は青白く見えた。
「ですが、彼は――」
「ええ。彼がわたしを慕《した》ってたのは知ってます。だからこそ、いまのわたしには――それがつらいの。彼に軽蔑《けいべつ》されたくない。このままひっそりと、彼の人生から消えたいんです。そんなささやかな望みでさえ、あなたは許してくれないんですか?」
懇願《こんがん》というよりは非難《ひなん》だった。辛辣《しんらつ》さと、恨みがましさの混じった目。クルツがこれを見たら、どんな顔をするだろうか。
「そこまで言うなら、もう干渉《かんしょう》はしません」
宗介は言った。
「……だが、あいつがあなたをこうして呼んだのは、たぶん、あなたを必要としたからだ。くだらないやり方だとは思うが、それが自分が何者なのかを再確認《さいかくにん》する作業なのでしょう。それに――俺の知る限り、あいつは度量《どりょう》のある男だ。あなたを軽々しく軽蔑するとは思わない」
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「でも、哀《あわ》れむわ」
「それは彼の責任ではない。第一、彼はそれを知ることはない」
宗介は招待状《しょうたいじょう》と店のパンフレットが入った封筒《ふうとう》に自分の携帯《けいたい》の番号を書き込むと、那津子の前に差し出した。
「無理強《むりじ》いはしないが、渡しておきます。気が変わったら連絡《れんらく》を」
「ええ。でも、そんなことは、ありえませんけど……」
そう言いながらも、彼女は封筒を受け取った。
宗介と別れ、那津子がアパートの部屋に戻ると、彼女の夫――幸田《こうだ》史朗《しろう》が待ちかねたようにすがりついてきた。
「あ、あいつは?」
「帰ったわ」
那津子は力なく答えた。
「昔の教え子の友達よ。同窓会《どうそうかい》の招待状を、渡すように頼《たの》まれたんですって。あなたのことは、だれにも喋《しゃべ》らないとも。たぶん、信用していいと思う」
「信用? そんな簡単《かんたん》に信用できるのかよ!? 『たぶん』って何だよ!? ああっ!?」
怒鳴《どな》って、史朗はテーブルの上のビール缶《かん》を薙《な》ぎ払《はら》った。たんすに缶がぶつかって、けたたましい音が部屋に響く。
那津子はびくりと肩を震《ふる》わせ、一歩半ほど、後じさった。
「お、落ち着いて……」
「落ち着けるわけねえだろうが!? あのガキ、普通じゃなかったぞ!? オレだって、ちょっとは格闘技《かくとうぎ》やってたんだ。そのオレを、ああも簡単に……絶対《ぜったい》カタギじゃねえよ」
「お酒、飲んでたんでしょう? だからよ。もっとしっかりしてれば――」
「オレがしっかりしてねえ、ってのか?」
「そうは言って――」
「うるせえっ!」
灰皿《はいざら》を投げつける。
これだけ乱暴《らんぼう》に扱《あつか》われても、彼女は腹を立てる気にはなれなかった。もう慣《な》れっこだったし、疲れ果てていたし――この男が、どうしようもない小心者で、怯《おび》えているだけだということがよく分かっていたからだ。
一度は離婚《りこん》していた間柄《あいだがら》だが、数か月前に彼が着の身着のままで転がり込んできてから、こんな生活がずっと続いていた。
「ど……どうすんだよ……」
頭を抱《かか》えて、史朗が言った。
「あのガキが、だれかにチクるかもしれねえんだぞ? オレがここに隠《かく》れてるってバレたら、おまえだって困るだろうが。ええ!?」
「そ、それは……」
「……ちくしょう。当分は気が抜けねえぞ。しっかり備《そな》えておかねえと……」
男は立ち上がり、慌《あわ》ただしく押し入れの奥を探りはじめた。その様子を見て、那津子は真っ青になる。
「まさか……あなた、まだ捨ててなかったの!? 約束してくれたじゃない!」
「仕方《しかた》ねえだろ。オレは追われてるんだよ。ヤクザを二人も撃っちまったんだ! サツも組も、きっとオレを血眼《ちまなこ》になって捜してる。そろそろほとぼりが冷めたころかと思ってたけどよ……くそっ! とんでもねえ!」
取りだした古新聞の包《つつ》みを、がさがさと開ける。中から出てきたのは、一挺《いっちょう》の自動拳銃《じどうけんじゅう》だった。
安っぽい銀色。グリップの星印。トカレフだ。
「やめて。捨ててちょうだい! そんな怖《こわ》いもの――銃なんて最低だわ!」
「うるせえ。今度だれかが来たら、もう油断《ゆだん》はしねえ。ブッ殺してやる……!」
弾倉《だんそう》に残った弾《たま》を数えながら、男はつぶやいた。
[#地付き][後編に続く]
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音程は哀しく、射程は遠く【後編】
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錯乱気味《さくらんぎみ》の男――幸田《こうだ》史朗《しろう》は、怒鳴《どな》るのに疲れて眠ってしまった。何度か揺《ゆ》り動かしてみても、目を覚ますことはない。
(…………)
那津子《なつこ》は携帯《けいたい》電話を手に取り、『一一〇』を押そうかと迷う。それで全部が済むはずなのだ。『別居中《べっきょちゅう》だった夫が、ここに銃《じゅう》を持って逃げ込んできた』。『はやくここに来て、捕《つか》まえて欲しい』。『わたしは何も悪くない』。
そう言えば、解決《かいけつ》するだろうか。
でも、もし『なぜ何か月も通報《つうほう》しなかったのだ』と問いつめられたら、どうすればいいのだろう? 『けっきょく、かくまっていたんじゃないのか?』と非難《ひなん》されたら?
縁が切れていたとはいえ、一時は一緒《いっしょ》に住んでいた関係だ。警察《けいさつ》も、暴力団《ぼうりょくだん》関係者もここをたずねてきた。そのたび彼女はしらを切り、『一年以上も会っていない』と嘘《うそ》をついた。
通報すべきだ。でもそれができない。どうしたらいいのか、わからないのだ。相談《そうだん》する相手もいない。自分は同情にも値《あたい》しない、弱い人間だ。
電話を手放《てばな》し、途方《とほう》に暮《く》れる。
そんな彼女が凝視《ぎょうし》するのは、相良《さがら》と名乗る少年から渡された書状《しょじょう》だった。
クルツ・ウェーバーの招待状《しょうたいじょう》。彼のバンドのシークレット・ライブ。期日《きじつ》は来週の日曜日。
夫のことを警察に通報しなければならないのは事実《じじつ》だ。だが、行動《こうどう》に移《うつ》すのは、そのライブの後でもいいんじゃないだろうか。それまでは、なんとかいまの生活を続けた方がいいのでは? それからでも、遅《おそ》くはないはずだ。
そう思うと、すこしだけ気分が楽になったような気がした。だがそれは、タバコや酒と同じ種類《しゅるい》のものだ。彼女は似たような口実で、結論《けつろん》を何度も先延《さきの》ばしにしてきた。いつも『これが最後だから』と自分に言い聞かせて。今度も同じだった。
口実など、なんでもいいのだ。
翌日《よくじつ》、宗介のところに椎原《しいはら》那津子から電話があった。
授業中の彼が口を開くより先に、彼女はこう言ってきた。
『ふたつ確認《かくにん》しておきたいんです』
「どうぞ」
『本当に……彼はいまのわたしを知らないのね?』
「肯定《こうてい》です。彼は、あなたが今でも教職についていると思っている」
『彼は……本当に、いまでもギターをやってるの?』
わずかに沈黙《ちんもく》したあと、宗介は答えた。
「肯定です。相当《そうとう》な腕《うで》だ」
『わかりました。では、うかがわせてもらいます』
「感謝《かんしゃ》します」
『お礼なんて要りません。これが最後でしょうし……』
電話が切れた。
宗介はすぐにメリダ島の衛星回線《えいせいかいせん》を呼び出し、マオにその旨《むね》を告げた。
『でかした。あんたにしちゃ、上出来《じょうでき》よ』
マオが声を弾《はず》ませる。
「問題ない。それから、ついでなのだが――」
宗介はマオに、自分のアーム・スレイブ―― <アーバレスト> の整備《せいび》について、あれこれと専門的《せんもんてき》な要望《ようぼう》を出しておいた。ここのところ、基地《きち》に戻っていなかったので、気になることがいくつかあったのだ。
「――つまり、火器管制《かきかんせい》システムの設定時《せっていじ》もアル≠ノは触《さわ》らないでおいてくれ。あいつの言う通りにしておいてくれればいい」
『わかった。伝えとく』
「頼《たの》む」
回線を切る。宗介は携帯電話を見下ろし、何度かうなずいた。
「あのね、相良くん……。いま、授業中なんですけど?」
顔を上げると、目の前に英語|担当《たんとう》の神楽坂《かぐらざか》恵里《えり》が、しかめっ面《つら》で立っていた。周囲《しゅうい》の生徒たちの視線《しせん》も、彼に集中している。
「……。先生。いまの会話を?」
「いいえ。あなたの私語なんて興味《きょうみ》ありません。ずいぶんと流暢《りゅうちょう》な英語だとは思うけどね」
宗介は胸をなで下ろした。
「よかった」
「なにがいいんです!?」
「最高|機密《きみつ》の話でしたので。聞かれたら先生を殺さなければなりませんでした」
宗介はそれから三分間、恵里にこっぴどく説教《せっきょう》され、昔の漫画《まんが》の小学生みたいに、バケツを持って廊下《ろうか》に立たされるはめになった。
「来るってさ」
格納庫《かくのうこ》の片隅《かたすみ》で、整備兵《せいびへい》とあれこれ相談をしていたクルツに、マオが言った。
「先生が?」
「うん。いまソースケと話してたの」
「? なんだ、あいつ。きのう電話したときは変に歯切れが悪かったのによ。ちゃんと招待状、渡したのかね」
「大丈夫《だいじょうぶ》よ。……ったく、何から何まで人まかせにして。ちゃんとソースケにもお礼言うのよ? いい?」
クルツはしかめっ面で耳をほじる。
「わーってるよ。うるせーなあ、もう。だいたい、こんな僻地《へきち》に基地がなけりゃ、全部自分でやってるよ。……あーあ、東京が恋しいぜ。ここには牛井屋《ぎゅうどんや》もソバ屋もねえんだから。食堂もガイジン向けのメニューばっかだし」
「あんたもガイジンでしょうが」
マオの指摘に、クルツは肩《かた》をすくめた。
「俺《おれ》は自分のこと、日本人だと思ってるよ。東京に戻ると、左側通行の車道やら、巨人の野球|中継《ちゅうけい》やら――そういうの見て、ホッとするし。いや、俺はヤクルトファンだけどな」
「はあ」
「彼女に会ったことも、そうさ。元気そうだったし、いまでも先生やって頑張《がんば》ってるみたいだったし……」
ふと、彼は目を細める。
「ちょっと化粧《けしょう》濃《こ》くなってたけど、やっぱり綺麗《きれい》だった。なんか、妙《みょう》に嬉《うれ》しかったよ。まだ独身《どくしん》みたいだったな」
「…………」
「どしたの、姐《ねえ》さん? やおら暗い顔して」
「へ? いや、別に」
首を小刻《こきざ》みにふるふると振《ふ》ったマオを見て、クルツはにんまりと笑った。
「なんだよー。まさか嫉妬《しっと》してんの? 心配すんなよ。俺の愛は無限《むげん》だから。姐さんも俺のハーレムには、ちゃんと呼んでやるからさ。暗くなるなって、な?」
いつものノリの軽口だとは分かっていたが、彼女は妙に腹が立った。
「……。気楽なもんね、ったく」
「ん?」
「こっちのこと。それよりさっさと、仕事片づけてよ。今夜も練習《れんしゅう》するんでしょ?」
「おおっと、そうだった! さっさと報告書《ほうこくしょ》書かねえと――」
格納庫の出口へと駆けていくクルツの背中《せなか》を、彼女はため息混じりに見送った。
(あんなに張《は》り切って……)
見ていて、痛々《いたいた》しい。彼がなにも知ることなく、無事《ぶじ》に終わればいいのだが。
演奏《えんそう》の当日――
日曜日の昼前に、クルツたちを乗せた輸送《ゆそう》ヘリが調布飛行場《ちょうふひこうじょう》に到着《とうちゃく》した。
実際《じっさい》にライブをやる面子のほかにも、物好《ものず》きな非番《ひばん》の隊員たちが、ぞろぞろと四〇人ばかりすし詰《づ》めで同乗《どうじょう》してきた。彼らはライブの聴衆《ちょうしゅう》――つまりサクラだ。クルツが『カナメも聴きに来るぜ』と言いふらしたら、大喜《おおよろこ》びで付いてきた。長距離《ちょうきょり》ヘリの使用は、普通《ふつう》の休暇《きゅうか》では許《ゆる》されていなかったが、テッサが特別《とくべつ》に便宜《べんぎ》をはかってくれた。
『ただし燃料代《ねんりょうだい》は、お給料から引いておきますからね?』
仕事が忙《いそが》しくて遊びにいけないテッサは、こめかみをひくひくさせながらも、朗《ほが》らかにそう告げたのだった。
ライブの会場になる店は、新宿から西に数キロの町の一角にあった。煉瓦《れんが》造りの外装《がいそう》に、ニューヨークの倉庫街《そうこがい》を思わせる内装だ。天井《てんじょう》は高く、調度類《ちょうどるい》の品もいい。海外の有名なミュージシャンも、ここで演奏したことがあるらしい。
「わお」
店内を見渡して、マオが口笛《くちぶえ》を吹いた。
「立派《りっぱ》じゃん。なんでこんなとこに、コネあったの?」
マオが聞くと、クルツは肩《かた》をすくめた。
「前にアルジェリアで仕事してさ。そん時、たまたま助けた日本人商社マンの親父《おやじ》が、ここのオーナーだったんだよ」
「ふーん……。あんたも色々あったのね」
ステージに据《す》え付けたキーボードをいじりながら、彼女は鼻を鳴《な》らした。
「それで? 問題のセンセーはいつ来るんだっけ?」
いまは一五〇〇時。演奏開始まで、あと二時間といったところか。サクラ役の非番隊員たちは、空き時間を利用して観光《かんこう》に出かけているので、店の中はがらんとしていた。
「じきに来るよ。いまソースケとヤンが迎《むか》えに行ってる。ベンツで」
「至《いた》れり尽《つ》くせりね」
「まーな。礼は尽くさねえと。これも自腹《じばら》だぜ。『わ』ナンバーだって、気付かなけりゃいいんだけどなー」
「なにそれ?」
「『わ』のナンバーは、レンタカーなんだよ」
そのおり、一人の少女が店に踏み込んできた。千鳥《ちどり》かなめである。
「ちーっす!」
「おっ。いらっしゃーい」
手を振ったマオに、ぴっと軽めの敬礼《けいれい》を送って、かなめは店内を見回した。
「うわー。なんか、すごいカッコいいお店じゃない。タダでいいの? マジで?」
「飲み代はクルツにツケとくから」
「うん、わかったー。じゃあさっそく、ウーロン茶くださーい」
かなめが陽気《ようき》に言った。
「クルツの気持ちは、よく分かるんだよ」
慣《な》れないメルセデス・ベンツの運転席で、ハンドルを握《にぎ》ったヤン伍長《ごちょう》がぼやいた。
「こういうイベントも楽しいもんさ。協力も惜《お》しまない。でも……僕の仕事って、なんか、こんなのばっかりだ。確《たし》かアッシーていうんだよね……」
[#挿絵(img2/a01_055.jpg)入る]
「よくわからんが、急げ。二つ目の角を右だ。予定から一〇分遅れている」
カーナビのパネルをつつき、助手席《じょしゅせき》の宗介が告げた。
「はいはい……ん?」
ヤンが車を減速《げんそく》させた。道路の先に、回転する赤色灯《せきしょくとう》が見えたのだ。
地元の警察《けいさつ》のパトカーだった。
道路《どうろ》の脇《わき》に立っていた制服警官が、こちらに『止まれ』と指示を出す。
「どうする?」
「俺が話す。向こうの指示に従《したが》え」
たいして広くもない車道の路肩《ろかた》に、宗介たちは停車《ていしゃ》した。言われたとおりにヤンが偽造《ぎぞう》免許証《めんきょしょう》を提示《ていじ》してから、宗介がたずねた。
「なにか事件が?」
「君たちには関係ない。行っていいよ」
ぞんざいな口調で警官が言った。
宗介たちの車は早々に、警官の前を離《はな》れた。目的地のアパートの近くまでくると、その周辺《しゅうへん》にパトカーが集中的に停《と》まっているのが見えた。
「停まるな。そのまま通り過《す》ぎろ」
「ああ」
さすがにヤンも、こういうときは冷静だ。あわても騒《さわ》ぎもせずに、近くの通りをゆっくりと走りすぎていく。
たくさんの赤色灯。野次馬《やじうま》と無線《むせん》の入り混じった雑音《ざつおん》……。
「――どうなってるんだ? 目的地って、さっきのアパートだろ?」
「そうだ」
答えながら、宗介は後部|座席《ざせき》に置いてあった鞄《かばん》から高性能《こうせいのう》のデジタル通信機《つうしんき》を取りだした。スイッチを入れ、あれこれといじっているうちに、彼の顔はみるみる曇っていく。
「警察無線を傍受《ぼうじゅ》した」
「で?」
「招待客と、その夫が追われている。警官に発砲《はっぽう》して重傷を負わせ、いまも逃走中《とうそうちゅう》だ」
時間の問題だったのだ。
着飾って、化粧して――出かける仕度《したく》をしているときに、玄関《げんかん》のチャイムが鳴った。
那津子が出ると、黒い手帳《てちょう》を持った男が二人、射るような眼光《がんこう》で彼女の前にいた。男たちと彼女が二言三言、話しているうちに、夫が隠《かく》し持っていた拳銃《けんじゅう》で、彼らを撃《う》っていた。
刑事《けいじ》が倒れた。
もうひとりの刑事にも、夫は撃った。刑事は左腕を押さえながら、その場から逃げた。
その後の夫の興奮《こうふん》の仕方《しかた》といったら。
(――やっぱりあのガキがチクった)
(――おまえのせいだ)
(――逃げるんだ。おまえも来い)
那津子の説得《せっとく》など、無意味《むいみ》だった。彼は彼女の手首をつかみ、アパートから逃げ出した。
あちこちから聞こえてくる、パトカーのサイレン。追ってきた制服警官に発砲。また重傷を負わせる。
おしまいが来たのだ。
走って。走って。
逃げられるわけもないのに。
彼女は手首を引かれるまま、商店街の一角の雑居《ざっきょ》ビルに駆け込んだ。年老《としお》いた警備員《けいびいん》を人質《ひとじち》に、ビルの八階のオフィスに侵入《しんにゅう》し、その場で籠城《ろうじょう》する。
周囲《しゅうい》には警官が数十名。
夫――もう何の感情も抱《いだ》くことのない男は、ののしり声をあげて、オフィスの机《つくえ》を蹴飛《けと》ばしていた。
こんな結末だろうとは思っていた。すべて、自分の優柔不断《ゆうじゅうふだん》が招《まね》いた結果だ。
だが、しかし。よりにもよって、きょうでなくても良かったのに。
いつの間にか、自分はきょうのことを楽しみにしていた。どんな格好《かっこう》で、彼のライブに行こうかと、あれこれ考えていた。花束《はなたば》を買っていこうかと思い立ち、彼の喜ぶ顔を想像《そうぞう》していた。
馬鹿《ばか》だった。やっぱり、自分は彼とは住む世界がちがうのだろう。
彼女は、もう二度とは会えないだろう少年の名を思った。
「うん。……そう。わかった。こっちはあたしに任《まか》せて。じゃあ」
マオは宗介からの電話を切った。
まいった。発砲|沙汰《ざた》で、籠城《ろうじょう》とは。
なにかヤバそうな気はしていたが、その『先生』の境遇《きょうぐう》が、ここまでひどい状態《じょうたい》だとは、思ってもみなかった。
聞けば、大勢《おおぜい》の警官に包囲《ほうい》されているらしい。もはや打つ手なしだ。日頃《ひごろ》から対テロ作戦を遂行《すいこう》しているマオたちでも、彼女を救う手段《しゅだん》はない。
なるようになる、もう忘れよう――薄情《はくじょう》だが、そう結論《けつろん》するしかなかった。宗介とヤンには口止めをして、内輪《うちわ》のささやかなライブをやって、隊《たい》の連中《れんちゅう》を楽しませてから、さっさと基地に帰るべきだ。
マオは『親戚《しんせき》の不幸で彼女は来ない』とクルツに告げようと思っていた。伝言《でんごん》を預《あず》かったと言って、あれこれとそれらしい文句《もんく》を伝えるのだ。やれ『本当にごめんなさい』だの、『大好きなクルツくん、ずっとあなたを応援《おうえん》してるわ』だの。そうして、自分からも『まあ、仕方《しかた》ないじゃない。きょうは部隊の連中にサービスしてやんなよ』などと言って、背中《せなか》を叩《たた》いてやる。
(うん、それで行こ……)
マオはうなずきながら、ステージ裏《うら》の控《ひか》え室――物置《ものおき》を改装《かいそう》しただけのスペースに向かった。開始まであとちょっと。クルツはその控え室にいるはずだった。
扉《とびら》の前で、ぱちんと自分の両頬《りょうほほ》を叩いて、無理《むり》に元気な顔を作る。
(よっし……)
戸を開ける。
「ねえ。さっきソースケから連絡《れんらく》があって。あの先生のことなんだけど。どうも――」
マオに背を向け、クルツは部屋の隅《すみ》のテレビを見ていた。
「……クルツ?」
彼は返事をしなかった。身じろぎひとつせず、民放《みんぽう》の五分間ニュースを見ていた。
『――です。発砲事件を起こしたと見られるのは、住所不定・無職《むしょく》の幸田史朗|容疑者《ようぎしゃ》二五歳と、椎原那津子容疑者二九歳とのことです。幸田容疑者は新宿区で起きた発砲事件の重要|参考人《さんこうにん》とされており、警察もその行方《ゆくえ》を追っていました。両容疑者はビルの八階に、人質をとって籠城している模様です。現在も捜査員《そうさいん》が説得を試みていますが――』
その番組は、ごていねいに二人の写真まで流してくれた。
やがてニュースは終わり、CMに入る。
一四インチのおんぼろテレビが、一切合財《いっさいがっさい》をぶちまけてしまった。
「なんだ、こりゃ」
しばらくしてから、クルツがぽつりと言った。背中を向けたままなので、マオには彼の表情が読みとれなかった。
「クルツ……」
「……冗談《じょうだん》にしちゃあ、たちが悪いし、笑えもしない。俺は体調万全《たいちょうばんぜん》。錯乱《さくらん》もしてねえし幻覚《げんかく》も見てねえ。酒もクスリもやってねえ。……するってえと、こりゃマジか」
抑揚《よくよう》のない声だった。
マオが黙《だま》っていると、彼は繰り返した。
「なあ。マジなのかよ」
「そうよ」
クルツは半身をわずかに回し、すぐそばの鏡《かがみ》に目を向けた。冷ややかな視線で、鏡の中の自分を眺《なが》めてから、
「……だっせえ」
と、吐《は》き捨《す》てるように言った。
自分の道化《どうけ》っぷりに突然《とつぜん》気付き、ほとほと嫌気《いやけ》がさしたような横顔だった。甘《あま》いまどろみからたたき起こされて、不機嫌《ふきげん》にうなるような――そんな声だった。
長い沈黙《ちんもく》のあと、彼は言った。
「知ってたんだな?」
「ええ。ソースケとあたしだけね」
マオはかいつまんで、真相《しんそう》を彼に話した。いまの那津子の境遇、どんな男と一緒《いっしょ》にいるのか……。クルツは冷静を装《よそお》って話を聞いていたが、ふと、
「なぜ黙ってた。なぜ助けなかった」
と、険《けん》のある声で言った。
「こんな事になるとは……思わなかったから。彼女は『干渉《かんしょう》しないで』と望《のぞ》んでたし――」
「俺が知ってりゃ、手をさしのべた」
「だめよ。彼女はあなたに知られるのを、いちばん恐れてたの。だから――」
「勝手《かって》に決めるな」
「ねえ、クルツ。あたしが心配してたのは、あなたの――」
「うるせえ!」
クルツは力任せに、目の前のテレビを横殴《よこなぐ》りに薙《な》ぎ払《はら》った。床《ゆか》にぶつかったブラウン管が、けたたましい音を立てて割《わ》れる。
「あんたは俺のオフクロか!? なにもかも分かったようなツラしやがって。バカにしてんじゃねえ! ガキ扱《あつか》いかよ。『かわいそうに』とでも思ってたのか? うかれてる俺を哀《あわ》れんでたのか!? ええっ!?」
怒鳴《どな》り、肩で息するクルツ。マオは暴《あば》れる相手に動揺《どうよう》したそぶりさえ見せず、静かに彼を見つめていた。
辛抱《しんぼう》強く待ってから、彼女は言った。
「立場が逆《ぎゃく》だったら、どうしてた?」
「…………」
「あたしが昔の男に、いいところ見せようとして、うきうきしてたら。その男が、実はどん底の人生送ってたとしたら。あなたはどうする?」
「それは――」
クルツはうつむき、けっきょく、苦しそうに認《みと》めた。
「わかってるよ。あんたの言うとおりだ。そんなことはわかってるんだよ。くそっ」
安物のパイプ椅子《いす》に腰《こし》を落とし、うなだれる。金色の長髪《ちょうはつ》が真下に垂れて、彼の顔を覆《おお》い隠《かく》した。
マオは彼のそばまで歩いていって、そっと肩に右手を置いた。
「一人になりたい?」
「ああ。……いや」
うなだれたまま、彼女の細い指に手を伸ばし、きゅっと握《にぎ》り返す。
「すこしだけ、このままでいてくれねえかな……」
「うん……」
いつものセクハラみたいに、肩やら腰やらを触《さわ》ってくるのとは、全然ちがう感触《かんしょく》だった。ためらいがちで、力が弱く、すこしおびえるような――そんな握り方だ。
彼女は、はじめて彼に触《ふ》れた気がした。
なぜ自分は、しばしばクルツ・ウェーバーを『こわい』などと思っていたのだろう? いまでは、そんな自分が信じられなかった。
何分がたっただろうか。
やがて彼は独《ひと》りごとのように言った。
「カッコ悪すぎだよな。……俺、あの先生に会ってさ。なんか……戻れるんじゃないか、って思ったんだよ。ギターやって、彼女がほほえんでくれて、そんな世界。そういう実感が手に入ったら、本気で宗旨替《しゅうしが》えもできるんじゃねえかな、ってさ」
もちろん未来《みらい》はわからない。だが、それは可能性《かのうせい》の問題だ。
「因果《いんが》なもんだよ。なんで彼女が……。俺って女運、悪いのかな」
「だとしたら、日頃《ひごろ》の行いのせいね」
「ずばり言うなあ……」
彼が顔を上げた。泣いていたわけではないようだった。涙《なみだ》の痕跡《こんせき》など微塵《みじん》もない。
「で、どうするの?」
「ん……。クサい青春ドラマだったら、このあと一世一代のライブをやるんだろうな。そこのステージじゃなくて、彼女に聞こえるようなロケーションで。せつない思いを唄《うた》にこめ、彼女の胸を熱《あつ》く揺《ゆ》さぶる……と。カッコいいかもな」
冗談めかして、クルツは言った。
「だが、おまえは音楽家ではない」
新たな声。
戸口に宗介が立っていた。
「ソースケ? もう戻ったの?」
「肯定だ。つい先ほどな。なにがあったのかは知らないが――クルツ――おまえの友人を二人連れてきた」
宗介は両手にそれぞれ持っていたものを、軽々と掲《かか》げて見せた。
左手には、表のステージから持ってきたギター。
右手には、ドイツ製の高性能《こうせいのう》ライフル。
「どちらと出かける。選ぶといい」
「…………」
クルツはそっとマオから手を放すと、自嘲気味《じちょうぎみ》に笑いながら、立ち上がった。
「やれやれ……。粋《いき》な計《はか》らいだとは思うけどな。きょうはおまえが死神に見えるぜ」
「それがこの道だ。……まだ答えを聞いていないぞ」
「決まってるだろ」
クルツはそれをつかんだ。
偶然《ぐうぜん》に逃げ込んだ場所とはいえ、そこは籠城《ろうじょう》するのに好都合《こうつごう》な場所だった。
周囲《しゅうい》の市街の中では、いちばん高いピルの最上階。非常階段《ひじょうかいだん》の扉《とびら》は頑丈《がんじょう》で、爆薬《ばくやく》か散弾銃《さんだんじゅう》でも使わない限りは破《やぶ》ることができない。
警察がここに突入《とつにゅう》したければ、それ相応《そうおう》の訓練《くんれん》を受け、火器で武装《ぶそう》した精鋭《せいえい》チームを派遣《はけん》するしかないだろう。銃を持ち、興奮した男を制止《せいし》するためには、発砲もやむをえないことかもしれない。
もちろん、那津子にはそんな事情《じじょう》など知りようもないことだったが。
「ふざけやがって!」
彼女の夫は興奮していた。口角泡《こうかくあわ》を飛ばす勢《いきお》いで、悪罵《あくば》を連発する。
「なんで俺はかりこんな目に遭《あ》うんだ? よってたかって追い回しやがって。……もっとタチの悪い野郎なんて、いくらでもいるじゃねえか。そういう奴《やつ》らを捕まえてりゃいいってのによ。え? どうなってるんだよ!?」
無抵抗《むていこう》の老警備員を、彼は蹴り飛ばす。人質は身を硬くして床の上に丸まり、けなげに悲鳴《ひめい》をこらえていた。
「やめて。この人は関係ないでしょう!?」
自分の体を覆い被《かぶ》せ、老警備員をかばう那津子。その彼女にも、男は容赦《ようしゃ》ない暴力を加えた。
「ふざけるな! いまさら善人《ぜんにん》ぶってんじゃねえよ!? 全部おまえのせいなんだぞ!?」
「っ……!」
「デカを撃っちまったのも! 警察に見つかっちまったのも! 俺がカネを稼《かせ》ごうと必死《ひっし》になったのも! 全部だ!」
身勝手《みがって》、責任転嫁《せきにんてんか》、現実逃避《げんじつとうひ》……そんなことを言っても無駄《むだ》だった。この男は救いようのない負け犬なのだ。
どうして自分は、こんな男をほんの一時でも愛してしまったのだろう? いや、愛したと錯覚《さっかく》したのだろうか……?
いったいどこで、自分はなにを見誤《みあやま》ってしまったのだろうか?
もうわかっていた。自分の弱さが招《まね》いたことだ。自分はなにもかも中途半端《ちゅうとはんぱ》だった。教職も、音楽も、恋愛も。すこしでも壁《かべ》にぶつかると、ほかの世界に自分は逃げた。戦う勇気を持てなかったのだ。
その挙《あ》げ句《く》が、この地獄《じごく》だ。
一〇も年下の少年から見れば、自分は成熟《せいじゅく》した大人の女に見えただろう。あの生徒の自分への気持ちは、滑稽《こっけい》なまでに哀《かな》しかった。だが彼は知らない。違うのだ。その羨望《せんぼう》はただの虚像《きょぞう》。退屈《たいくつ》で、弱虫で、自信のない女――それが本当の自分なのに。
たとえ一流になれなくても、負けるとわかっていても、戦うべきだった。自分のために。自分が納得《なっとく》するために――
「那津子っ!!」
男の怒鳴り声で、彼女はわれに返った。
オフィスの卓上の電話が、耳障《みみざわ》りな電子音を奏《かな》でていた。
「出ろっ! 話せっ! 俺の注意を逸《そ》らす作戦かもしれねえからなっ……!」
銃を握り、窓《まど》や出入り口を見回し、男が言った。那津子はのろのろと立ち上がり、受話器を手に取った。
雑音《ざつおん》の向こうで、だれかが言った。
『あー、警視庁の藤田です。お待たせしました。さきほどお話しした、そちらのご希望《きぼう》の件なのですがね――もしもし?』
「はい……」
『あれ。聞こえますか。――おい、つながってないんじゃないのか? すみません。どうも回線の具合《ぐあい》が――』
ノイズがひどくなった。ぶつん、と音が切れてから、打って変わってクリアーな沈黙がやってくる。
「…………」
「……あの?」
『椎原先生?』
さっきまでとは別の男がたずねた。よく覚えている声だった。
『聞こえるね、先生』
「う……ウェーバーくん?」
『ああ。俺だよ』
「ど、どういうこと? わたしいま、警察の人と――」
『そっちの回線は、仲間が眠らしてる。安心しな。だれも聞いてないよ』
湖水《こすい》のように静かな声だ。
わけがわからなかった。なぜこの場に、彼が割り込んでくるのだろうか? 警察に呼ばれたわけではなさそうだ。だとしても、ただのギタリストの彼が、いったいどうやってここに?
『これから、そこの茶髪《ちゃぱつ》のクソ野郎を黙らせてやるからな。あんなビクビクして……見てられねえぜ。これだから素人はよ』
ここはビルの最上階だ。窓の外を見ても、近くに同じ高さの建物はない。この部屋を視界《しかい》に収めることはできないはずだ。せいぜい、ずっと遠くに、マッチ棒《ぼう》くらいにしか見えない高層マンションがあるくらいだが――
「こ、ここが見えるの? ウェーバーくん、いったいどこから……」
彼は答えた。
『世界でいちばん遠い場所だよ……』
現場から一キロ離《はな》れた、建設中《けんせつちゅう》の高層マンション。夕焼けに照らされ、無数の鉄筋《てっきん》と建築資材《けんちくしざい》が影を落とす一角に、クルツは横たわっていた。
臥《ふ》せ撃《う》ちのポジションだ。狙撃《そげき》ライフルを抱《だ》くようにして、その銃口を標的へと向ける。
鋼鉄《こうてつ》と、プラスティックの感触《かんしょく》。
12[#「12」は縦中横]倍のスコープから望む彼女の姿《すがた》。
世界でいちばん遠い場所――ふと出た言葉だったが、ある意味《いみ》、その通りだった。それは狙撃用ライフルの常識的《じょうしきてき》な射程距離《しゃていきょり》を、はるかに超《こ》えている。一流の腕を持つ狙撃兵でも、条件次第《じょうけんしだい》で当たるか、当たらないか……という距離だ。
いや。物理的《ぶつりてき》な距離だけではない。
彼女と自分の距離は、もはや救いがたいほど、遠く、おぼろで――
「先生……」
クルツは無線機《むせんき》に呼びかけた。
「白状《はくじょう》するよ。俺……本当はさ、もう、何年もギターやってなかったんだ」
『え……』
「あの空港の爆弾《ばくだん》テロで、家族がみんなくたばっちまって……あのあと、俺、仇討《かたきう》ちみたいなことやろうとしてさ。しばらく中東にいたんだ。そこでいろんなことを覚えた。いろんな――武器の扱い方をね」
『ウェーバーくん? なにを……』
「中でもライフルが最高だった。天賦《てんぷ》の才、ってやつだな。二年もたたないうちに、だれも真似《まね》できない腕前になったよ。……だから、先生。俺、もうギターやってないんだ」
『…………』
当惑《とうわく》した声。クルツはライフルの銃床《じゅうしょう》を固定し、その機構と一体化し、ひとつの精密機械《せいみつきかい》となった。
「これから旦那《だんな》を、すこしの間、動けないようにする。その間に、人質の爺《じい》さんを連れて逃げるんだ」
『う、ウェーバーくん? よくわからないわ。それに、わたし、そんなことできない』
「できるさ」
まったくの素人にとっては、たったそれだけでも荷《に》が重い……それはわかっていた。だが、それができなければ、自分はあの男を射殺《しゃさつ》するよりはかない。手にした拳銃をはねとばすような芸当《げいとう》は、テレビドラマの中だけでの話だ。いや、それすら可能《かのう》な技能を持つ自分だったが、今度ばかりは難《むずか》しい。
あまりにも、距離がありすぎる。
『無理《むり》よ』
「勇気を出して、先生。戦うんだ」
『……戦う?』
「そう。一度だけでいい。俺のために戦ってくれよ」
『え……』
そのとき、男が大股《おおまた》で近付き、彼女から受話器を奪《うば》い取った。
『貸せ! なにをコソコソ喋《しゃべ》ってやがる!?』
『あ――』
それが、クルツが聞いた最後の彼女の声だった。『さようなら』の一言さえ、告げるゆとりはなかった。その声を耳にすることは、彼の生涯《しょうがい》でもう二度となかった。
『なにを話してやがった!? おかしな真似しようってんじゃねえだろうな! え!?』
「てめえか。彼女の男ってのは……」
スコープの中の十字線が、呼吸《こきゅう》に合わせて微動《びどう》する。上へ。下へ……
一キロ先の男の頭に、弾丸《だんがん》を叩きこむのは簡単《かんたん》なことに思えた。いちばん容易《ようい》で、いちばん心地《ここち》よい選択《せんたく》。
だが、彼はこう告げた。
「お望みのものを用意したぜ。窓の外を見てみろよ」
『……なに?』
スコープ越《ご》しに、男の顔がこちらを向いた。
「ビルの下だよ。確認《かくにん》してみてくれ」
怪訝顔《けげんがお》で、男が窓に近付いてくる。
そう。そうだ。前に出ろ。もっと前だ。窓に近寄れ。そう。いい子だ………。
『なにもねえぞ。いったい――』
「よく見な。もっと下」
男が動いた。
最良の角度。
クルツはトリガーを引き絞《しぼ》った。
薬室の中で火薬が爆発《ばくはつ》し、弾丸が高速で撃ち出された。理想的《りそうてき》な弾道《だんどう》。無数の民家や道路、警官隊や野次馬のはるか頭上を飛翔《ひしょう》し、標的のビルの最上階へと飛び込んだ。
男の眼前の窓に、七・六二ミリ弾《だん》が命中する。弾丸そのものは、ぎりぎりで男の頭部をそれ、部屋の奥の壁《かべ》に当たって潰《つぶ》れた。
だが、放射状《ほうしゃじょう》にひび割れた窓ガラスが、細かく鋭《するど》い破片《はへん》となって、男の顔面に襲《おそ》いかかった。
すべて計算ずくの射撃《しゃげき》だ。
『…………っう!!』
スコープの中で、男が受話器を放《ほう》り出し、両目を押さえてうずくまる。その向こうで、那津子がうろたえ、立ちすくんでいた。
「さあ、はやく……」
那津子は逃げない。
「逃げるんだ、先生……」
その声はもう届《とど》かない。
「先生……!」
那津子が動いた。
事務机《じむづくえ》の角に腰を打ち付け、よろめきながら、彼女は人質に駆《か》け寄る。老人をもたもたと助け起こし、部屋の扉へと歩いていく。
もどかしく、遅々《ちち》とした移動《いどう》だったが――照準《しょうじゅん》の向こうの彼女は、たしかに戦っているように見えた。
男が両目を拭《ぬぐ》い、顔を上げる。なにかを怒鳴っている。まだ見えるようだ。男が那津子に向かって、銃口を向ける。
「…………!」
もはや是非《ぜひ》もない。
クルツはその背中めがけて、二発目を撃った。一キロ彼方《かなた》で、男が前のめりに倒れるのが見えた。
人質の手を引き、那津子が扉の向こうに消える。遠く、小さな後ろ姿。
それが椎原那津子を見た最後だった。
「殺したのか?」
クルツのかたわらで、無線機をいじっていた宗介が言った。もう夕方で、彼らのいる工事現場には、冷たい風が吹き抜けている。
「ん……いや」
ライフルのスコープから目を離《はな》し、クルツは言った。
「肩胛骨の上あたりに当たった。たぶん、助かるだろうな」
「そうか」
宗介は、これといった感想もない様子だった。
「……傍受《ぼうじゅ》した。いま警察が踏み込んだようだ。彼女と人質は無事保護《ぶじほご》されるだろう。ゲームセットだな」
「ああ」
床に転がった二つの空薬莢《からやっきょう》を拾って、クルツは立ち上がった。気のない手つきでライフルをケースにしまい、ジャケットから、よれよれになったタバコを一本取り出す。
「なあ、ソースケ……」
「なんだ?」
ちょっと考えてから、クルツは言った。
「カナメのこと、大事にしてやれよ」
「……いきなり、何の話だ」
「うるせえ。そういうときは『そうだな』とか『わかった』とか言ってりゃいいんだよ」
「そうだな。わかった」
クルツは顔をしかめ、ライターを探してポケットをまさぐった。
「火ィあるか」
宗介がオイル・ライターを差し出した。手のひらで風から火を守って、タバコを一息、大きく吸《す》う。
「うまいのか?」
宗介がたずねる。
クルツは一度、にっと笑った。
「いや。まずい」
宗介は相棒《あいぼう》の横顔をじっと見つめていたが、やがて無線機の入ったバッグを担《かつ》いで、こう言った。
「行こう。マオや千鳥が待っている。今夜はあの店で、盛大《せいだい》に宴会《えんかい》をやるつもりらしい」
[#挿絵(img2/a01_079.jpg)入る]
「そうかい」
「みんな喜んでいる。すべておまえのおごりだそうだからな」
「…………。まあ、いいよ。そういう筋《すじ》だもんな。出すよ。くそっ」
建設中のビルの外に、タバコを放り捨てる。
夕闇《ゆうやみ》の中、煙《けむり》の尾《お》を曳《ひ》いて、タバコはゆっくりと眼下に落ちていった。
けっきょくその晩、いちばん飲んで食って騒《さわ》いだのはクルツ本人だった。かなめや部隊の女性隊員に抱《だ》きついてセクハラして、男たちからしばき倒され、いつにも増して冷淡《れいたん》な宗介に撃《う》ち殺されそうになったりした。
べろんべろんに酔っぱらって、動けなくなって、意識《いしき》を失う直前――
(バカ。……でもまあ、今夜だけは大目に見てあげる)
だれかがクルツのブロンドをやさしく撫《な》でて、そう言っていた。
[#地付き][了]
[#改丁]
エド・サックス中尉《ちゅうい》のきわめて専門的《せんもんてき》な戦い
[#改ページ]
俺の職場の話をしよう。
西太平洋の絶海に、ぽつんと浮かぶこのメリダ島―― <ミスリル> の西太平洋戦隊|基地《きち》は、亜熱帯気候《あねったいきこう》に分類《ぶんるい》されている。とりわけ雨期のころは、一日に数度は突然《とつぜん》のスコールが降《ふ》り注《そそ》ぎ、地下に設けられた安普請《やすぶしん》の基地に大量の雨漏《あまも》りが発生しやがる。
この気候は頭痛の種だった。収容《しゅうよう》されているアーム・スレイブの電子部品が、誤作動《ごさどう》を起こす原因になることが多いからだ。
もちろん、<ミスリル> に様々な兵器システムを提供《ていきょう》しているジオトロン社やロックウェル社、ロス&ハンブルトン社などの技術屋たちは、こう言うだろうな。
『そんなはずはない。高度にユニット化されたM9系列の部品は、それぞれ過酷《かこく》な環境下《かんきょうか》での動作テストを数百時間にわたって実施《じっし》されている。それはまず間違いなく、ヒューマン・エラーだろう』
……だのと。
おそらく連中の想定する『過酷な環境』ってのは、エアコンが壊《こわ》れたオフィス・ビルくらいのことを言うんだ。すくなくとも奴《やつ》らは、暑苦しい熱風《ねっぷう》の吹き抜けるミャンマーの熱帯雨林《ねったいうりん》や、魂《たましい》さえも凍てつかせるシベリアの大地で、黙々《もくもく》と働く兵器と、それを操《あやつ》る兵士たちのことは考えたことがないのだろう。
そうでなければ、俺《おれ》の仕事がこうも増えるはずがないからな。
俺は、エドワード・ブルーザー<Tックス中尉《ちゅうい》。
<ミスリル> 作戦部、<トゥアハー・デ・ダナン> 戦隊、兵站《へいたん》グループ第一一整備中隊の指揮官《しきかん》だ。俺が責任を持つ中隊は、おもに|アーム・スレイブ《AS》の整備を担当《たんとう》している。
もっとも、俺を将校《しょうこう》らしく扱《あつか》う兵はほとんどいない。『サー』呼ばわりされると、背筋《せすじ》がむず痒《がゆ》くなるってもんだよ。尉官になった最初のころは得意顔だったが、いまは反対だ。『サー』を付けて俺に話す奴は、とりあえず尻《しり》を蹴飛《けと》ばすことにしている。
通り名はブルーザー≠セ。なんでも、二メートル近くある俺の体格と、たっぷり蓄《たくわ》えた黒いあごひげが、どこぞのプロレスラーにそっくりらしい。
もっとも俺は、プロレスラーなんぞになろうと思ったことは一度もない。これでもインテリなんだぜ。学士さまさ。陸軍時代、夜学でな。こいつは俺の自慢《じまん》の一つだ。
生まれはフロリダの|貧乏白人《プアー・ホワイト》の家だった。親父《おやじ》はアル中で、俺が一三のときに手前《てめ》ェのリボルバーで頭|撃《う》ち抜いて、死んじまった。
兄貴《あにき》は強盗《ごうとう》の常習犯《じょうしゅうはん》で、ム所とシャバとを行ったり来たり。姉貴はどーしようもねえ淫売《いんばい》で、俺が一六のときに家を出ていった。それきり音信|不通《ふつう》だが――風の噂《うわさ》じゃ、二、三本のポルノに出演してから、どこぞの金持ちと結婚したらしい。
ろくでなしの家族の話なんぞしてもしょうがねえな。――おっと、ママは元気だ。ママは最高さ。年に二度、別れたワイフから二人のガキを預《あず》かって、ママのミートパイを食いに里帰りするのが、俺の最高の楽しみだ。
俺は一八のときに陸軍に入って歩兵をやってたんだが、二二のとき作戦中に大怪我《おおけが》をして、肩の障害《しょうがい》を理由に除隊《じょたい》されそうになった。ほかに食うあてがなかったんで、気の弱い軍医を脅《おど》して軍に居残《いのこ》り、整備兵になった。
どうやら俺には、機械《きかい》いじりの才能があったようだ。いろいろと経験して、腕《うで》を上げていくうちに、俺はAS整備兵としてわりと名前が知られるようになった。
信じられるかい? 薄汚《うすぎたな》い町でぶらぶらするだけのガキだったこの俺が、最先端《さいせんたん》のハイテク兵器を任されるようになったんだぜ。それも攻撃《こうげき》ヘリや戦車じゃねえ。次世代型のASだ。大出世《だいしゅっせ》だよ。
ただ……まあ、順風満帆《じゅんぷうまんぱん》だと思っていた陸軍時代、厄介《やっかい》なトラブルが起きてな。そのせいで、俺は軍から放り出されちまった。そこに折良く、<ミスリル> から誘いがきたってわけだ。
そうして、俺はいまこのメリダ島にいる。蒸《む》し暑くてメシのまずい、ママのミートパイから何万マイルも離《はな》れたこの島にな。
俺がはじめて|A S《アーム・スレイブ》って代物《しろもの》に触《さわ》って、もうかれこれ一〇年くらいになるか。たぶん、この畑じゃあ、俺は最古参《さいこさん》の部類《ぶるい》に入るだろう。
なにしろASは歴史の浅い兵器だ。世界最初のAS、M4が、レーガン時代のアメリカ軍で発表されてから、まだ十数年しかたっていない。だというのに、この全高八メートルの『着る巨人機械』は、いまやすさまじい運動能力と知覚力、そして図抜《ずぬ》けた攻撃力を獲得《かくとく》するに至《いた》っている。
特に俺が面倒《めんどう》をみているこいつ[#「こいつ」に傍点]、M9 <ガーンズバック> は特別だ。最新鋭《さいしんえい》の中の最新鋭。俺がもといた米軍でも、実戦配備《じっせんはいび》は当分先だと言われている。
それまでのASに比《くら》べて、M9のどこが優《すぐ》れているか――それを一口に説明するのは難《むずか》しい。
だが、まず俺が挙《あ》げるとするならば、それは『核融合電池《パラジウム・リアクター》による完全な電気|駆動《くどう》』ってことになる。
ASってのは、人体の構造《こうぞう》を真似《まね》てスケールアップした機械だ。肩《かた》、肘《ひじ》、股《また》、膝《ひざ》、足首……そうした関節《かんせつ》部分を動かす『筋肉《きんにく》』は、電気で収縮《しゅうしゅく》する、特殊《とくしゅ》な形状記憶プラスティックでできている。これは『電磁筋肉《EMMU》』または『マッスル・パッケージ』なんて名前で呼ばれている。
ところがこの電磁筋肉《でんじきんにく》は、瞬発力《しゅんぱつりょく》には優れていても、出力《パワー》についてはちょっと限界《げんかい》があった。M6 <ブッシュネル> や、ソ連のRk[#「Rk」は縦中横]―92[#「92」は縦中横] <サベージ> などの『第二世代型AS』までがそうだ。だからその出力不足を補《おぎな》うために、動力源《どうりょくげん》のエンジンの回転力を、上手に取り出して関節に伝える機構が設けられていた。頑丈《がんじょう》なパイプとオイルを使ってトルクを伝えるこの仕組みは、専門的には『|流 体 継 手《アルード・カツプリング》』と呼ばれているんだが――それ自体は、ASが最初というわけじゃない。ほかの機械でも、昔から応用されていた技術だ。ただ、ASの場合はそれがえらく複雑《ふくざつ》で、精度《せいど》の高いものになっている、ってことだ。
ともかく第二世代型までのASは、電磁筋肉と油圧駆動《ゆあつくどう》の二つを組み合わせて動いている。それを上手に制御《せいぎょ》するのは、それだけでも大変な技術なんだが……かといって理想的《りそうてき》なシステムでもなかった。
なにしろ重たい油圧駆動の仕組みを積《つ》んでいるせいで、それまでのASは、それだけ余計《よけい》に重量がかさんでいた。部品|構成《こうせい》も複雑になるので、その整備は――そりゃあもう、大変なものだった。
新世代型ASのM9 <ガーンズバック> は、そうした油圧駆動と電気駆動の併用《バイナリー》方式が要《い》らなくなった、最初のASだ。
M9の外見――スマートで、引き締《し》まった体つきは、好みが分かれるかもしれない。それまでの第二世代型ASに比べて、M9はえらく華奢《きゃしゃ》でひ弱そうに見える。だが、それには秘密《ひみつ》があるんだ。
素材系《そざいけい》の技術が発達し、高出力・高|反応速度《はんのうそくど》の電磁筋肉が完成したおかげで、M9はそれまでの油圧駆動系を積《つ》んでいない。電磁筋肉の収縮力《しゅうしゅくりょく》だけで動いているんだ。
わかるか? つまりそれだけ劇的《げきてき》に軽く、シンプルになった、ってことだ。M6よりもはるかに贅肉《ぜいにく》を落として、しかも前より力持ちになった驚異《きょうい》の機体《きたい》……それがM9だ。
M9は、M6に比べてとんでもなく身軽になった。片手で逆立ちをすることくらい、朝飯前だ。その跳躍力《ちょうやくりょく》は、すさまじいの一語に尽《つ》きる。こいつの戦闘機動《せんとうきどう》を目《ま》の当たりにすると、ショー・コスギのニンジャ映画か、ジェット・リーのカンフー映画でも見ているような気分になる。これ以上運動性をアップさせても、使える人間がいるはずない……とまで言われているほどだ。
機体のスペースにも余裕《よゆう》ができたから、たくさんの装備《そうび》を積むことが可能《かのう》になった。不可視《ふかし》モード付きの電磁迷彩《ECS》や、内蔵式《ないぞうしき》のウェポン・ベイ、贅沢《ぜいたく》なほどのセンサー類、余裕を持って設計された駆動系……。すべて、完全電気駆動の恩恵《おんけい》だ。
しかもM9の電磁筋肉は、防弾《ぼうだん》ベストに使われる超アラミド繊維《せんい》とよく似た機能《きのう》も兼ね備えている。つまり、筋肉が装甲の役目も果たしているんだ。おかげでM9は、M6以上のタフさを獲得《かくとく》している。
ありていに言ってM9 <ガーンズバック> は、それまでのASとは、まったく違う兵器といっていいだろうな。戦闘機でいったら、レシプロ機とジェット機くらいの差がある。M4などの『第一世代型』は第一次大戦中の複葉機《ふくようき》。M6などの『第二世代型』は第二次大戦中の単葉機《たんようき》。そして『第三世代型』のM9は、超《ちょう》音速ジェット機……といったところか。
しかも革新的《かくしんてき》なステルス性を持ち、敵《てき》に圧倒的《あっとうてき》な奇襲《きしゅう》をかけることができる。発達したAIシステムのおかげで、操縦者《オぺレータ》は戦闘に専念《せんねん》できる。
そういうわけで、M9が『強い』のには理由がある。マンガや映画の中のヒーロー兵器みたいに、ただ単に『素速《すばや》い』だの『重装甲《じゅうそうこう》』だのってわけじゃない。新技術に裏打ちされた、確かな戦場での『優位』を保有《ほゆう》している――それがM9 <ガーンズバック> という機体《きたい》だ。
いや、『優位《スペリオリティ》』ではなく『覇権《ドミナンス》』といってもいい。それほどに強力な機体なのだ。
……だというのに。
どうしてうちの|ガキ《SRT》どもは、作戦に出るたび、ああも派手《はで》に、機体をぶっ壊《こわ》してくるんだろうな……? つい先日のミッションの後も、そうだった――
「あー、終わった、終わった」
メリダ島基地の格納庫《かくのうこ》で、機体から降りてくるなり、SRT(特別対応班)のメリッサ・マオ曹長《そうちょう》は言ったものだった。
マオは二〇代半ば、中国系の小娘だ。『マオ』という発音は中国語で『猫』とも表記するそうだったが――なるほど、マオの容貌《ようぼう》は、どことなく猫を思い出させる。
しなやかで、抜け目がなく、気位の高そうな毛並《けな》みのいい美女……などといえば聞こえはいいかもしれん。だが俺《おれ》に言わせりゃ、乳ばかりデカい、やせっぽっちのジャジャ馬だ。だいたい、女は太ってる方がいいに決まっている。要するに、こいつはぜんぜん俺の好みじゃないってことだ。
まあ、俺もいい加減《かげん》大人だからな。そういう考えはおくびにも出さず、チェック項目が入力された情報|端末《たんまつ》を無言《むごん》で差し出したよ。
マオは顔を『うえっ』とゆがめた。
「えー……。いまやらなきゃ、ダメ?」
「当たり前だ。整備中隊《おれたち》の仕事はこれからだぞ。さっさと記入しろ」
「ねえ、ブルーザぁー……。実はあたし、きょう、二日目なの。もう待機室《たいきしつ》戻って寝たいんだけど……」
「嘘つけ! 先週も同じことを、俺の部下に言って逃げただろう。ちゃんと聞いてるぞ? サイモンの純情《じゅんじょう》につけ込みおって。俺は騙《だま》されんからな」
女って生き物のずるさは、ガキの頃からよく心得てる。ずるくないのはママだけだ。
「うー。じゃあ、その先週のが嘘。いまが本当。そういうことで、お願い〜〜」
「馬鹿野郎《ばかやろう》。甘ったれるな」
「っ……。ったく。この悪役レスラーが」
ぶつぶつと言いながら、マオは携帯《けいたい》端末のペンを外して、液晶《えきしょう》画面にあれこれと入力をしていく。
「あのさー。あたしのM9、パワー・レベルを戦闘《ミリタリー》から最大《マックス》にするとき、足下から変な音がするんだけど。たぶん、動力炉《ジェネレータ》の冷却《れいきゃく》ユニットのあたり」
「どんな音だ」
「こう、『ジリジリジリ……』って感じの。パソコンのハード・ディスクの音が大きくなったような」
[#挿絵(img2/a01_091.jpg)入る]
「ふむ」
M9の動力源《どうりょくげん》、パラジウム・リアクターは、胸部コックピットの真下、腹部《ふくぶ》にある。人間の内臓《ないぞう》でいったら、ちょうど胃《い》のあたりだ。冷却|装置《そうち》は、その後ろから下にかけて位置している。勘《かん》の鋭《するど》い操縦兵《そうじゅうへい》なら、その異音《いおん》や異変にはすぐ気付く。
冷却装置の問題なら、下手《へた》をすると全力運転中にリアクターが異常過熱《いじょうかねつ》して、破損《はそん》する恐《おそ》れがある。そうなったら最悪、戦闘中に機体が行動不能《こうどうふのう》になってしまうかもしれない。
「わかった、調べておこう」
「頼《たの》むわよ。あたし、整備ミスで死にたくないし」
「大丈夫《だいじょうぶ》だ。俺の整備で死人は出さん」
俺はちらりとマオのM9を見る。よく観察《かんさつ》すると――いや、たいして注意深く見なくても、機体の腹部を覆《おお》う装甲版《そうこうばん》が、微妙《びみょう》にひん曲がっていた。
「……おい、マオ。あれはなんだ? 俺には腹部装甲が、思い切りひしゃげているように見えるんだが……」
「ああ、それ。回避《かいひ》運動のとき、鉄筋《てっきん》コンクリートのビルに激突《げきとつ》しちゃってさ。たぶん、そん時の損傷《そんしょう》じゃない?」
端末をいじりながら、マオは呑気《のんき》に答える。
「……冷却系の異音は、それが原因だ。フレームが曲がって、部品が干渉《かんしょう》して、空冷用のファンの先端《せんたん》が内壁《ないへき》を擦《こす》ってるんだ」
「ははあ。なるほど」
「つまり、おまえの乱暴《らんぼう》な操縦のせいだ。断《だん》じて俺たちの整備ミスじゃない」
「そーなの。じゃあ直しといて」
ずいぶんと気楽に言いやがる。フレームを矯正《きょうせい》するだけでも、どれだけの手間がかかると思ってるんだ。それに今後のことを考えたら、応力検査もしておいた方がいい。検査用の機材はえらく高価で、このメリダ島にはないから――部品を研究部の施設か、ジオトロン社の工場に送るしかない。だが、交換用の部品のストックは心細いし……。ただでさえ、『|故障が頻発する機体《ハンガー・クイーン》』のE―005号機に悩《なや》まされてるって時に、この女ときたら……!
「なによ、怖《こわ》い顔して」
俺の眉間《みけん》に、無数《むすう》の深い縦皺《たてじわ》ができたのに気付いて、マオが言った。
「…………。マオ、おまえだって工学畑の勉強はしたはずだろう。もう少し、機体を大事に扱《あつか》えねえのか。だいたい、装甲《そうこう》があんなにひん曲がる衝突《しょうとつ》なんて、滅多《めった》にねえぞ。普通の操縦兵なら、失神してるところだ」
「しょうがないでしょ。敵弾《てきだん》がバラバラ飛んできたのよ? 多少の無理《むり》な機動でもしないと、そもそもこの機体が帰って来なかったわよ」
マオの言い分はいつもこうだ。
実のところ、機体の損傷率《そんしょうりつ》がいちばん高いのはこいつだった。そりゃあ、タフなミッションが多いのは分かるがな。こう毎回毎回、あちこち壊されて帰ってくると、さすがの俺だって、文句《もんく》の一つも言いたくなる。
「そう言う割りには、ずいぶんと弾《たま》ァ食らってきたじゃねえか」
俺は腕組みして、マオの使ったM9――E―003号機を見上げた。灰色の装甲のあちこちに、小口径の銃弾《じゅうだん》や破片《はへん》が当たった痕《あと》が残っていた。
「ほとんど歩兵のライフル弾よ。小雨みたいなもんでしょ」
「嘘つけ。左肩の装甲の弾痕《だんこん》。ありゃ、ダッシュKだぞ」
ダッシュKは、デグチャレフ・シュパーギンDshK――つまりソ連製の一二・七ミリ機銃のことだ。もっとも、あちらさんは一三ミリと呼んでるが。歩兵が使う七・六二ミリに比べりや、ずいぶんとデカい口径だ。
「う……」
「一四・五ミリの痕もある」
こちらはダッシュKとは比べものにならない威力《いりょく》の、ちょっとした大砲《キャノン》だった。たぶん、マオはRk[#「Rk」は縦中横]―92[#「92」は縦中横] <サベージ> とやり合ったんだろう。直立歩行するカエルみたいな外見の、あの機体の頭部には、一四・五ミリの機関銃が搭載《とうさい》されている。
まったく、『敵に撃《う》たせない、照準《しょうじゅん》させない』ってのがM9のアドバンテージだってのに。
「いや、その、ほら。敵さんが人質《ひとじち》に向かって撃とうとしたもんだから。それを庇《かば》ったのよ」
「だから、なんだ。感動して涙《なみだ》を流すとでも思ってたのか。そうなる前に敵を撃破《げきは》するのが、この機体のモットーじゃなかったのか? え?」
「まあ……悪かったとは思ってるわよ。なるべく気を付けるから。……ほら」
マオが口をとがらせて、携帯端末《けいたいたんまつ》を突き返す。俺はそれを受け取って、赤字の灯《とも》った項目にざっと目を通した。
「これで全部か」
「うん。あとはフライデーに聞いて」
『フライデー』は、マオが使うAIのコールサインだった。機体のAIの自己診断《じこしんだん》と、操縦兵の申告《しんこく》――その両方を入力して、支障のある箇所《かしょ》を推論《すいろん》するのが、<ミスリル> でのAS整備の慣例《かんれい》だ。
「大変なことになりそうだ、こりゃ……」
「ご愁傷様《しゅうしょうさま》。じゃあ、がんばってねー」
右手をひらひらと振りながら、マオは格納庫《かくのうこ》を後にした。その後頭部めがけて、携帯端末を思い切り投げつけてやりたい気分だったが、俺はその衝動《しょうどう》をぐっとこらえた。
そう。俺もいい年だ。好き勝手に暴《あば》れてばかりもいられん。それにママの言いつけで、女は殴《なぐ》らん主義《しゅぎ》だからな。
機体を乱暴に扱うジャジャ馬娘にも困ったもんだが、逆に、やたらと変なこだわりのある奴《やつ》も考えものだ。
クルツの野郎《やろう》なんぞ、その最《さい》たる例だよ。
SRTのクルツ・ウェーバー軍曹《ぐんそう》。傭兵《ようへい》出身の狙撃屋《そげきや》で、金髪碧眼《きんぱつへきがん》のドイツ人。これまたヤワな体格の持ち主で、兵隊なんぞ辞《や》めて、モデルでもやってた方がよさそうな男だ。
ところが奴は、相当に腕の立つ兵隊で――狙撃も、ASの操縦でも、部隊の中ではトップクラスだ。訓練《くんれん》が大嫌いで、およそ努力ってもんとは無縁《むえん》のタイプなんだがな。
要するに、天才肌なんだ。……なもんだから、奴の整備中隊《おれたち》への注文ときたら、ロクなもんじゃない。
マオが去ってから、機体の冷却系の問題で、俺がイライラしていると、クルツが近付いてきてこう言った。
「ブルーザー! 俺のM9の|火器管制システム《FCS》、勝手にいじったな!?」
なにやら、ひどく気に入らないことがあったらしい。
「調節《ちょうせつ》はしたぜ。それがなんだ」
「戦闘中《せんとうちゅう》、イイ感じで敵機《てっき》を照準《しょうじゅん》したときに、勝手に制振《せいしん》システムが働いたぞ!?」
「……なぜ働いちゃいかん?」
M9の火器管制システムは、実に優《すぐ》れている。強力なコンピュータのおかげで、機体の振動《しんどう》、周辺の温度と湿度《しつど》、風向きや大気のゆがみ――そうしたあれこれを勘案《かんあん》し、最適《さいてき》な弾道《だんどう》を瞬時《しゅんじ》に計算して、照準を補正《ほせい》するんだ。
こうした自動照準機構に、わざわざ難癖《なんくせ》を付けてくるのはこいつだけだった。
クルツは派手《はで》な身振《みぶ》り手振りを入れて、一気にまくし立てた。
「だってアレじゃ、ダメなんだよ! 俺の場合はああなの。こう、あっちがヒューンと来たら、バッて感じ。そこでアレをクイっとああして、こうするんだよ! わかるだろ!?」
「わかるわけねえだろ」
「あー……。じゃあ、こんな感じだよ。敵機がこっち側からドドーってきたところで、こう、ズシャーって動いてるとき、あそこがあっちをピピピピってやってると、アレなんだってば。な?」
こいつはバカか……?
「…………」
「そこで、FCSのアレが、あんな感じにキツキツだろ? 機体のあの辺がフラフラして、そのせいであそこがマニョマニョと――」
「うるせえ!」
たまりかねて、俺は言った。
「なにがマニョマニョだ。ふざけるな。得体《えたい》のしれない注文で、いつも部下を困らせおって。もっと的確《てきかく》に指示《しじ》を出せ」
「えー。そう言ってるじゃん」
「だとしたらおまえは、とんだ芸術家だ。もう少し兵隊らしい語彙《ごい》を身につけろ」
「そう言われてもなあ……。戦闘中のアレって、理屈《りくつ》じゃねえだろ? フィーリングなんだよ、フィーリング」
この調子だ。戦闘中の記録を見ると、こいつが掛《か》け値《ね》なしの天才なのはわかる。特に射撃《しゃげき》のセンスは、どんな優秀な弾道計算ソフトでも、真似できないだろうな。クルツはどういうわけだか、『銃』や『砲《ほう》』といった機械から、高速で飛び出していく弾丸の軌道《きどう》を、完璧《かんぺき》にイメージできるらしい。自分自身の手で持つ狙撃銃で、それができるのは、ちょっとは想像できるが――ASでも同じ真似ができるってのは、こりゃ驚異《きょうい》の技だ。
オーケー、それは認《みと》めよう。だがな――
「俺らはギターの職人《しょくにん》じゃねえんだ。もう少し分かりやすく説明できねえのか」
「できねえよ。俺の中からわき上がってくる、この微妙《びみょう》なニュアンス! あんたなら、分かってくれると思うんだけどなあ」
「……ったく、好き勝手|吐《ぬ》かしやがって」
不機嫌《ふきげん》な声でそう言ったものの、実のところ、こいつの言いたいところは――まあ、俺には想像がつく。俺らが親切心で調整《ちょうせい》しておいた火器管制システムの設定《せってい》が、このアマデウス・モーツァルトにはお気に召《め》さなかった、ってことだ。一ミリの誤差《ごさ》まで面倒《めんどう》を見てくれる、振動|制御《せいぎょ》プログラムでさえ、クルツにとっては邪魔《じゃま》になるらしい。
「要するに、チャーリー2のBレベルだけ、モーション・マネージャを手動《マニュアル》にしときゃいいんだろ。制御系をAM12[#「12」は縦中横]のゼローイングの数値と切り離して」
「そうそう! それが言いたかったんだよ!! なんだ、ブルーザー。分かってるじゃん!」
自分の頭をぱちんと叩き、クルツが叫《さけ》んだ。だったら最初からそう言ってみろ、ってんだ。てめえの『マニョマニョ』で、そこまで想像できるクルーなんて、この基地じゃ俺くらいしかいねえぞ?
ところがクルツは感謝《かんしゃ》するどころか、さらにこう言ってきた。
「それでさ、次に下半身周りの|衝撃 吸収《しょうげききゅうしゅう》システムなんだけどよ。あれ、あのあたりの高さからこう落ちると、ドシャー! って感じでブッキャン、ブッキャンするんだ。膝関節《ひざかんせつ》からメメタア! って。これが後になってくると、ドギヤーン! てやったときに、こう、ズギューン、となってくるんだよな。なんての? ザックザックのアッグアッグー、って感じで、駆動系のゴロゴロするあれがフモッフ、フモッフと――」
「いい加減《かげん》にしやがれっ!!」
熱心に両手を振り回すクルツを、俺は横から蹴《け》り飛《と》ばした。
で、サガラ・ソースケ軍曹だ。
マオやクルツに比べれば、サガラはまず間違いなく優等生の部類《ぶるい》に入る操縦兵だな。ゲリラ出身のあいつは、物資《ぶっし》の窮乏《きゅうぼう》や機体の疲労《ひろう》、過酷《かこく》な環境《かんきょう》で起きるトラブルについて、よく心得てる。
律儀《りちぎ》な性格だから、作戦後のチェックはきっちりと済《す》ましてくれるし、口頭での報告《ほうこく》もよく要点《ようてん》を押さえている。
あいつは前衛《ポイントマン》――つまりチームの中で一番前に出て戦う役なんだが、それにしては機体の損傷《そんしょう》が少ない方だ。冷静沈着《れいせいちんちゃく》、機体のスペックをしっかり頭に入れた上で、次の行動《こうどう》を選ぶタイプだよ。
サガラは整備員受けのいい操縦兵だ。だが奴についても、あの厄介《やっかい》な試作機《しさくき》のせいでいろいろと面倒《めんどう》は起きる。
ARX―7 <アーバレスト> 。
<ミスリル> 用M9の試作|段階《だんかい》で、ひそかに製作《せいさく》された機体のうちの一つだ。装甲の形状《けいじょう》などが異なるので、外見はいくらか違って見えるが、基本的な駆動系や電子|兵装《へいそう》は、普通のM9と同じだ。実際《じっさい》、部品の多くは共用できる。
普通の[#「普通の」に傍点]性能についていえば、<アーバレスト> は通常型《つうじょうがた》(E系列)のM9とほとんど変わらない。むしろ、余計なもの[#「余計なもの」に傍点]を積んでるせいで、いささかハンデを背負《せお》ってるくらいだ。
運動性はあまり変わらないが、作戦行動の可能《かのう》な時間が、M9よりずいぶんと短い。ASという兵器は、戦闘ヘリなどよりも長いこと戦場に居座《いすわ》って、敵に脅威《きょうい》やプレッシャーを与え続ける――そういう役割も要求《ようきゅう》される。だから行動時間が短くなるのは、あまり感心できないってわけさ。
<アーバレスト> がそういう問題を抱《かか》えているのも、また機構《きこう》が複雑《ふくざつ》になるのも――すべて、あの余計《よけい》なシステムのせいだ。
余計なシステム。
研究部の話では、そのシステムは『ラムダ・ドライバ』と呼ばれているそうだ。
詳《くわ》しいことは知らん。
なんでも操縦兵《オペレータ》の士気《しき》を検出《けんしゅつ》して増幅《ぞうふく》し、機体のパフォーマンスを劇的に上昇《じょうしょう》させる装備《そうび》なのだそうだ。場合によっては、敵の砲弾《ほうだん》を跳《は》ね返したり、どんな分厚《ぶあつ》い複合《ふくごう》装甲でも破壊《はかい》できるという。
その仕組みについても、研究部のレミングから何度か説明されたが――俺なんぞには、とうてい理解《りかい》できなかった。
だが俺に言わせりゃ、そんな胡散臭《うさんくさ》い装置の『驚異《きょうい》の機能』なんてのは、ヨタ話にしか思えない。『操縦兵のやる気』だけで機体の性能が上がるんなら、だれも苦労しねえよ。
とにかく、<アーバレスト> は隊の中でもいちばん特別なASで――本格的な整備のときには、必ずレミングが立ち会うことになっている。やれ『そこには触《さわ》るな』だの『その部品は丁寧《ていねい》に扱《あつか》え』だの。うるさいったらないぜ、まったく。
俺がクルツのM9の様子《ようす》を見て、部下にあれこれ指示を出していると、サガラ・ソースケが近付いてきた。
むっつり顔にへの字口。操縦服を上半身だけ脱《ぬ》いで、小脇《こわき》に携帯端末を挟《はさ》んでいる。
「サックス中尉」
「なんだ」
こいつだけは、なかなか俺をブルーザーとは呼ばん。律儀《りちぎ》なのは結構《けっこう》だがな。
「相談があります。<アーバレスト> の件なのですが」
サガラは格納庫の隅《すみ》に駐機《ちゅうき》してある、白いASをちらりと見た。どこか、いまいましげな表情だった。
「問題でもあったのか? 出撃《しゅつげき》前に言っただろう。設定《せってい》はアルの要求通りにしたぞ」
「そのアルの問題です」
<アル> ってのは、<アーバレスト> 搭載《とうさい》のAIのことだ。複雑《ふくざつ》な機体システムを統合管理《とうごうかんり》し、効率《こうりつ》よく制御《せいぎょ》するためのもので、M9系の機体にはすべて装備されている。ASを騎馬《きば》にたとえるなら、AIはその馬の頭脳《ずのう》ってところだな。
「実は……どうも最近、アルの様子が妙《みょう》でして。なんというのか……」
サガラが口ごもる。自分でも、どう説明したらいいのか判然《はんぜん》としていない様子だ。
「誤作動《ごさどう》でも起こしたのか」
「いえ」
「音声|認識《にんしき》の反応|速度《そくど》が遅いのかっ?」
「充分《じゅうぶん》な速さです」
「優先ターゲットの選定《せんてい》に問題がある?」
「むしろ前より気が利《き》いてるくらいです」
「ECSの起動《きどう》時に電力不足が起きて、マッスル・パッケージのテンションが落ちる?」
「いえ。MPC(主電力制御装置)の管理も理想的《りそうてき》です」
俺が挙《あ》げる様々な障害《しょうがい》――これまでAIのプログラムがらみで起きたM9のトラブルを、サガラはことごとく否定《ひてい》していった。
「じゃあ、なんなんだ。はっきり言え。イライラするじゃねえか」
「恐縮《きょうしゅく》です。つまり……自分が感じている違和感《いわかん》というのは……。どうもアルが……以前に比べて、『おしゃべり』になったような気がするんです」
確信《かくしん》のなさそうな声で、サガラは言った。
「おしゃべり? そりゃ、あれか。例の香港《ホンコン》のころからか」
「おそらく」
「……どれ、見てみよう」
俺とサガラは <アーバレスト> の駐機スペースへ歩くと、台車に乗った診断用《しんだんよう》のコンピュータをいじった。すでに <アーバレスト> に有線《ゆうせん》で接続《せつぞく》してあったので、問題のアルが応答《おうとう》するのはすぐだった。
<<チェック。メンテナンス・モード。|A 1《アルファ・ワン》で稼働中《かどうちゅう》。整備中隊長殿、ご命令を>>
低い男の声でアルが告げる。この声は、M9シリーズのAIに共通の初期設定だ。ほかの操縦兵は、それぞれ自分のAIを好みの声に設定したりしている。クルツなんぞは、日本のアイドル歌手の声を、わざわざサンプリングしてきて入力し、スケベなことを言わせて遊んだりしてやがる。
「アル。コミュニケーション・チェックだ。自由会話モード」
<<アラート・メッセージ。すでに自由会話モードに設定済みです。今後のために忠告《ちゅうこく》させていただきますが、私のこの設定は変更《へんこう》できません>>
確かに。妙な感じだ。ほかのM9のAIなら、こういうときは『設定済みです』だけで済ますところだろうが……。サガラをちらりと見ると、奴は『この調子です』とでも言うように、片方の眉《まゆ》を吊《つ》り上げた。
「どうですか」
「うーむ。ジオトロン社の人工|知能《ちのう》担当者なら、いろいろとわかるだろうが……」
試《ため》しに俺は告げてみた。
「アル。おまえ最近、おしゃべりが過《す》ぎるそうだな。サガラが嘆《なげ》いてたぞ」
<<それは間接的《かんせつてき》表現による、『操縦兵への提供《ていきょう》情報を制限《せいげん》せよ』というご命令でしょうか>>
「そうだ」
<<そのご命令はナンセンスです。私はこの機体|唯一《ゆいいつ》の操縦兵たる、サガラ軍曹の支援《しえん》を意図《いと》して、各種|助言《じょげん》を実行しております。それは機体システム情報・戦術情報の分野にとどまりません。操縦兵の健康|状態《じょうたい》、生活、余暇《よか》の過ごし方、恋愛問題などについてまで、私は責任を負っています>>
これには俺もサガラも目を丸くした。
「恋愛問題《ラブアフェア》だと?」
<<肯定《こうてい》です、整備中隊長殿>>
「たまげたな。おまえに恋愛がわかるのか?」
<<肯定です、整備中隊長殿>>
渋《しぶ》い顔をするサガラの背中を叩きながら、俺はひとしきり大笑いした。
さすがにこりゃあ、だれかのいたずらだろう。貴重《きちょう》な実験機に変な細工《さいく》をしやがったのはけしからんが、ジョークとしては気が利《き》いてる。ま、とりあえず犯人を捜《さが》してとっちめりゃ、元通り普通のAIに戻るだろう。
「くっく……。アル! それじゃあ、恋愛の意味を言ってみろ」
<<はい。恋愛は人間にとって重要な活動です。恋愛は美しく、気高《けだか》く、豊かな行為《こうい》であり、この活動によって、人間は比類《ひるい》なき強さを獲得《かくとく》します。その見えない力は、いかなる兵器システムの優劣《ゆうれつ》さえ、覆《くつがえ》すポテンシャルを保有《ほゆう》しています>>
俺はさらに笑った。
「いやはや、こりゃあ一本とられた。なんともご立派でロマンチックなAI様じゃねえか。なあ、サガラよ?」
「はあ。ただこれが、単なるだれかの悪戯《いたずら》とは思えないのですが……」
サガラはいまだに釈然《しゃくぜん》としない様子だ。
「イタズラじゃなきゃ、おおかたレミングの姉ちゃんのせいじゃねえのか? あの研究部の技術士官どの、きっと|アル《こいつ》に自作のポエムでも聞かせてるんだよ。そのせいで変なクセがついたんだ。わっはっは」
そこに新たな声。
「だれがポエムを聞かせてるんですの?」
振《ふ》り返ると、そこに研究部のノーラ・レミング少尉《しょうい》が立っていた。二〇代半ばの女で、いまはカーキ色の制服を着ている。テスタロッサ大佐《たいさ》など、一部の女性将校が着ているのと同じデザインだ。
「おっと。こりゃ失礼、少尉殿」
肩をすくめて俺が言うと、レミングの目に冷たい光が宿った。
「サガラ軍曹。アルについての問題なら、中尉ではなく私に相談しなさい。アルのプロセッサはラムダ・ドライバと密接《みっせつ》な関係があるのよ。中尉殿の知識では、手に負えないでしょうからね」
明らかにこの俺を、見下しているような態度《たいど》だった。研究部から出向してきたこのMIT出の、とりすましたブロンド女が、俺はどうしても好きになれない。
「は……。しかし――」
「あとは私が対処《たいしょ》します。あなたは行っていいわ。ご苦労さま」
サガラはちらりと、俺の様子をうかがった。
「いいよ、サガラ。行きな」
「…………了解《りょうかい》。では失礼します」
サガラがその場を立ち去ってから、レミングは目の前のキーボードを何度か叩いた。
「なにか設定を変えたりしませんでしたか?」
「別に。アルのジョークを聞いてただけさ」
「中尉殿。非常《ひじょう》に僭越《せんえつ》ながら、あなたの知識で <アーバレスト> を勝手にいじられるのは困ります。この機体の貴重さについては、以前にご説明したはずですが……?」
好意のかけらもない声で、レミングは言った。慇懃無礼《いんぎんぶれい》って奴だな。俺のことを、ド田舎《いなか》の自動車修理工かなにかだとでも思っているんだろう。
「だから、なんだ。俺がこいつを壊《こわ》すってのか?」
「いえ。そうは申してませんが……。ただ、今後の戦隊の命運は、この機体が担《にな》っているといっても過言《かごん》ではありませんから。すこしは扱いを慎重《しんちょう》にしていただきたいのです」
「まどろっこしい物言《ものい》いだな。階級《かいきゅう》なんぞ気にすんなよ。言いたいように言ったらどうだい、嬢《じょう》ちゃん?」
「そう。じゃあ、お言葉に甘《あま》えるわ」
レミングは、きっと俺をにらみあげた。
「愚鈍《ぐどん》な大男のあなたには分からないでしょうけど、この機体は本当に重要なのよ。核兵器《かくへいき》の誕生《たんじょう》に匹敵《ひってき》するほどの、それくらい革新的《かくしんてき》なシステムなの。ほかのM9の中の、『風変わりな実験機』なんて認識《にんしき》でいられると迷惑《めいわく》だわ」
「そうかい」
「それに――サガラ軍曹は毎回、命がけであの機体を使っているのよ。もう少し誠実《せいじつ》に接してあげたらどうなの? あなたたちは安全な場所で、適当《てきとう》に機械《きかい》いじりをしてれば、給料がもらえるんでしょうけどね」
「…………」
頭がカッとなるのを、俺はどうにかこらえた。だが続くレミングの言葉には、さすがの俺も|爆発《ばくはつ》した。
「でも、彼らは違うの。機体の不具合《ふぐあい》でなにかがあって、サガラくんやメリッサたちが命を落としたら、あなたはどうやってそれを償《つぐな》う気なの? 私には――」
「俺はいつだって命がけだ……!」
怒鳴《どな》って、俺はレミングの胸ぐらを乱暴につかんだ。
「作戦中、俺がどんな気持ちで連中《れんちゅう》を待ってると思う? 『機体なんぞどうなってもいいから、あのガキどもを無事《ぶじ》に帰らせてください』と十字架《じゅうじか》に祈《いの》ってる、俺の姿《すがた》がおまえに想像できるか!? マオやクルツやスペックが死にかけたあと、俺が整備資料を前に、どれだけ悩《なや》んで苦しんだのか、おまえにわかるってのか!? えっ!?」
突然《とつぜん》のことに、レミングはおびえるというより――びっくりしているようだった。周囲《しゅうい》の整備クルーたちの驚《おどろ》いた視線《しせん》も、俺と彼女に集まっている。
俺はすぐに我《われ》に返った。
すまない、ママ。俺、女に手をあげちまったよ。
「……いや、悪かった。ちょっと寝不足《ねぶそく》でイラついてたんだ」
俺はレミングを放して、申《もう》し訳《わけ》程度《ていど》に彼女のネクタイを直してやった。レミングは無反応のまま、ぽかんと俺を見上げていた。
「まあ……あんたの言うとおりだ。なるべく気を付ける」
考えてみれば、レミングだってしんどい立場なんだろう。軍にいた経験もない、大学出のお嬢さんが、柄《がら》の悪い整備兵たちの中で、肩身《かたみ》の狭《せま》い思いをしてるのは想像できる。
「じゃあ、アルの件は頼むぞ。なにかあったら言ってくんな」
俺は大股《おおまた》で――それでも、部下たちに対してカッコはつくくらいの早足で――その場を立ち去った。
まったく、いい歳《とし》だってのに。えらい醜態《しゅうたい》をさらしちまった。
そりゃあ俺ら整備中隊は、戦場で命を張《は》ったりはしねえよ。俺も <ミスリル> に入ってからこっち、ドンパチで弾《たま》が飛び交うところにいた経験なんて、例の八月のペリオ諸島《しょとう》で、<デ・ダナン> に乗り合わせてたときくらいのもんだ。
でもな? 俺があのクソアマに言った台詞《せりふ》に、嘘はねえ。みんな無事《ぶじ》に帰ってきて欲しいんだよ。だから真剣《しんけん》に機体を診《み》る。どれだけ疲れてても、手は抜かない。操縦兵《オペレータ》どもが好き勝手|吐《ぬ》かしても、ぐっとガマンする。
俺が <ミスリル> に入る前、国の陸軍を放り出された事情《じじょう》を知ってる奴は、この基地には一人もいない。
俺が整備していたM6が、クルジスタンでの戦闘中に、機能|不全《ふぜん》を起こして撃破《げきは》された。簡単《かんたん》に避《よ》けられるはずの対戦車ミサイルが直撃《ちょくげき》したんだ。操縦兵は即死《そくし》だった。それに、倒れた機体の下敷《したじ》きになって、味方の歩兵が二人死んだ。一人は、苦しみ抜いて死んだ。
整備ミスの疑《うたが》いがかかり、俺がその矢面《やおもて》に立たされた。いまだに心当たりがないんだが、さりとて、俺のミスではないとも断言《だんげん》できなかった。弁護士《べんごし》の助言《じょげん》に逆らって、俺は自分のミスを認《みと》めた。自信がなかったんだよ。
だからいま、俺は真剣なんだ。
二度とあんなことがないように。
胸を張って、あいつらを送り出せるように。
だが、こうやっていろいろあると、そういう気力も萎《な》えてくる。そろそろ次の職場《しょくば》を探す時期なのかもしれねえな……。
気分がふさいだときは、軽く一杯やるに限る。一日の仕事が終わってから、俺は基地内の唯一の酒場《パブ》に足を運んだ。
第二整備中隊の指定席――薄暗い店内の入り口あたりのテーブルは、がらんとしていた。部下たちは、まだ来ていないようだ。
生ビールだけを頼んでからすこしたつと、店のおやじがチョリソーとポテトサラダとフィッシュ&チップス、そしてバーボンのボトルを持ってきた。ずいぶんと豪勢《ごうせい》な品揃《しなぞろ》えだったが――
「? なんだ、こりゃ」
不思議に思って俺がたずねると、マスターは『ふん』と鼻を鳴らし、カウンター席の奥をあごで差した。
「あっちの客からだ。おごりだとよ」
見ると、その席――SRTの連中がいつも陣取《じんど》っているカウンターに、野戦服姿《やせんふくすがた》の若い連中が座《すわ》っていた。そろってこちらを見て、それぞれのグラスを掲《かか》げている。
メリッサ・マオはビール入りのジョッキを。
クルツ・ウェーバーはスコッチ入りのショット・グラスを。
サガラ・ソースケはオレンジ・ジュース入りのタンブラーを。
「ブルーザー、いつもありがと!!」
三人を代表して、マオが叫んだ。
俺はすこしの間ぽかんとしてから、努めて平静を装《よそお》いつつ、ボトルを握《にぎ》って軽く掲げて見せた。ちょっとだけ目頭が熱くなったが、そいつは内緒《ないしょ》だ。
……まあ、おかげでやる気も出たってもんだよ。奴らも、かわいいところがあるじゃねえか。
「……で、開けるか?」
マスターが言う。
「? なにを?」
「ばかもん。そのボトルだ。プラントンのゴールド。ちょいとこの基地じゃ、手に入りにくいシロモンだぞ?」
「お……おう。じゃあ、ストレートで……って、プラントン? あいつら、こんな高い酒を……。なんか企《たくら》んでんじゃねえか?」
マスターはにんまりとした。
[#挿絵(img2/a01_115.jpg)入る]
「いいや。この酒は別の客からだ。もう帰っちまったがな。ついでにこいつを渡してくれだとさ」
ボトルにセロテープで貼《は》り付けられた、小さな封筒に、はじめて目がいった。取りだして、中の紙片を読む。
こう書いてあった。
<<ごめんなさい。すごく反省してます。
お互い肩肘張《かたひじは》るの、もうやめない?
[#地付き]ノーラ>>
「ふむ……」
ていねいに手紙を畳んで、胸ポケットにしまい込むと、俺はつぶやいた。
「なんでえ。いい女じゃねえか」
するとマスターは、豪快《ごうかい》に笑いながらその場を去っていった。
酒がなくても、今夜はいい気分になれそうだ。ちょいと飲んだら、しっかり休んで、明日もきりきり働くとするか。
なかなか、この仕事も捨《す》てたもんじゃない。
[#地付き][おしまい]
[#改丁]
女神《めがみ》の来日(温泉《おんせん》編)
[#改ページ]
ブリーフィング
このエピソードは、長編第三巻『揺《ゆ》れるイントゥ・ザ・ブルー』の事件の直後、九月|上旬《じょうじゅん》から中旬にかけての期間《きかん》に起きた出来事《できごと》の一つである。<ミスリル> 西太平洋戦隊の司令官《しれいかん》、テレサ・テスタロッサ大佐が、いかにしてかなめたちの陣代《じんだい》高校にやってきたかについては、短編集第六巻『あてにならない六法全書《ろっぽうぜんしょ》?』収録の短編『女神の来日(受難《じゅなん》編)』で描《えが》かれている。
[#改ページ]
相良《さがら》宗介《そうすけ》は悪夢を見ていた。
上官と護衛対象《ごえいたいしょう》、双方《そうほう》から受ける壮絶《そうぜつ》な重圧《じゅうあつ》。すさまじいストレスとジレンマの波状攻撃《はじょうこうげき》。矛盾《むじゅん》した指令《しれい》。とぼしい支援《しえん》。陸戦隊指揮官《りくせんたいしきかん》の少佐は、すでに現場《げんば》を見捨て、自らの保身《ほしん》に走っている。孤立《こりつ》無援下での絶望的《ぜつぼうてき》な任務《にんむ》。敵砲兵隊《てきほうへいたい》の仮借《かしゃく》ない砲撃《ほうげき》でさえ、彼をここまで消耗《しょうもう》させることはない。どれほど屈強《くっきょう》な兵士でさえも、この状況に置かれれば泣いて命乞《いのちご》いをしていることだろう。
(サガラさんH[#「H」はハート(白)、1-6-29、Unicode2661] たった二週間だけど、よろしくお願いしますねH[#「H」はハート(白)、1-6-29、Unicode2661])
戦隊指揮官による過酷《かこく》な命令。
(なんらかの破廉恥《はれんち》な行為《こうい》に及《およ》んだ場合、私は君を八《や》つ裂《ざ》きにするつもりだ!)
戦隊副指揮官による悪意《あくい》に満ちた警告《けいこく》。
(…………。ま、勝手に鼻の下のばしてれば? でもあたしには話しかけないでね)
護衛対象による非情《ひじょう》な一方的|通知《つうち》。
戦況は深刻《しんこく》だった。
いや、それどころか、自身がどのような状況に置かれているのかさえ把握《はあく》できない。情報不足だ。戦場で迷子《まいご》だ。経験《けいけん》からいって、こうした環境下《かんきょうか》に放り出された兵士たちの運命は決まっていた。
――破滅《はめつ》である。全滅である。
「む……うーん……」
宗介は苦しみ、うなされていた。悪夢に翻弄《ほんろう》され、汗だくになりながら、いつも通りの日常が戻ってくることを願っていた。
そして、目が醒《さ》める。
「……っ。………………!!」
毛布を跳《は》ね上げ、彼はベッドから身を起こした。荒い息。肩をはげしく上下させ、ぐっしょりと濡《ぬ》れた前髪《まえがみ》を拭《ぬぐ》う。
見慣《みな》れた天井《てんじょう》。見慣れた寝室《しんしつ》。
ここは――自分のマンションだ。
よかった。やはりあれは、悪夢だったのだ。正体不明のストレスはない。自分の生活はいつも通り。なにも問題はない。
いや――
むにゅっ。
ベッドを降《お》りようとした彼の右手が、なにかやわらかいものを掴《つか》んだ。とても、とても柔《やわ》らかいものを。
「…………?」
宗介の隣《となり》に、一人の少女が眠っていた。波打つようなアッシュ・ブロンドの髪《かみ》。白く、整った小さな顔。胸口の大きく開いたTシャツだけを着た姿《すがた》で、すやすやと健《すこ》やかな寝息をたてている。
その可憐《かれん》なバストの上に、自分の右手がしっかりと乗っているのだ。
「もう……サガラ……さん。……ダメです」
「ひっ!?」
テッサが寝言《ねごと》をつぶやいた。悪夢は続いている。実に珍《めずら》しいことだが――宗介は思わず裏返《うらがえ》った悲鳴《ひめい》をあげてしまった。
「う……うああぁあぁあっ!! うわあ――!」
取り乱し、部屋の押入《おしいれ》に置いてあった衛星通信機《えいせいつうしんき》にがたがた飛びつき、緊急時《きんきゅうじ》の暗号コードを入力して、友軍に支援《しえん》を要請《ようせい》しようとした。
「うるさいわねー、何の騒《さわ》ぎ? って……」
物音《ものおと》を聞きつけたメリッサ・マオが、隣室《りんしつ》から入ってきた。こちらもラフなTシャツ姿だ。
「ちょっと、なにやってんのよ!? それは緊急用《きんきゅうよう》の――」
マオがあわてて羽交《はが》い締《じ》めにする。
「緊急だ!」
「やめなさい、ソースケ!」
「放してくれ! 敵が来る!」
「来るわけないでしょ!? ……っていうか、ちょっと、テッサ!? なんであんたがこっちの部屋にいるのよ!? さっきまであたしの横で寝てたと思ったのに!」
じたばたするマオと宗介。その様子には気づきもせず、テッサは相変《あいか》わらずベッドに横たわったまま、幸せそうにつぶやいた。
「もう……ダメですったら……。そんな格好《かっこう》、恥《は》ずかしいです……」
「……どんな格好よ?」
テッサが長期|休暇《きゅうか》をとって、<ミスリル> の基地から東京に押し掛けてきてからというもの、宗介の生活は引っかき回されっぱなしだった。
テッサは宗介にあれこれとちょっかいを出す。手料理を作ったり、校内でべったりとついて回ったり。当然《とうぜん》、かなめはそれが面白《おもしろ》くない。対抗《たいこう》して弁当《べんとう》を作ってきたり、宗介にチクチクと嫌味《いやみ》を言ったり。
気《き》の毒《どく》なのは宗介である。
完全な板挟《いたばさ》み状態で、ひたすら恐縮《きょうしゅく》し、当惑《とうわく》し、あたふたと右往左往《うおうさおう》するばかりだ。あとから応援《おうえん》に駆《か》けつけてきてくれたメリッサ・マオも、まるで頼《たよ》りにならない。困り果てた宗介を見て笑うばかりで、ほとんど助け船を出してくれなかった。テッサやかなめと出会う以前の、無愛想《ぶあいそう》な宗介を知っている彼女としては、この状況が面白くて仕方《しかた》ないのだろう。
もっとも、テッサは宗介にちょっかいを出すことだけを目的に、陣代高校にやってきたわけではない様子だ。年齢相応《ねんれいそうおう》の学生生活を、彼女は心から楽しんでいる。むしろ宗介とのことよりも、こちらの方が大事《だいじ》にさえ思えるくらいだった。
実際《じっさい》、テッサは学校の人々にうまくとけ込んでいた。かなめや恭子たちと一緒《いっしょ》にあれこれお喋《しゃべ》りしたり、雑用《ざつよう》や清掃《せいそう》をこなしたり。放課後《ほうかご》の遊びにも付いていったし、稲葉《いなば》瑞樹《みずき》のバイト先を手伝ったりもした。
そういうすべてが、彼女の楽しみだった。
「今夜から屋上で野宿《のじゅく》する」
マンションの自室《じしつ》。げっそりした顔で宗介はつぶやいた。朝食のベーコンには、箸《はし》を付けようともしない。テーブルの反対側で、いちごジャムをたっぷりと塗《ぬ》りつけたトーストをかじっていたマオが、眉《まゆ》をひそめる。ちなみにテッサはシャワー中だ。
「野宿? そりゃまたなんで?」
「その方が落ち着くからだ。そもそも……自分のベッドの中に他人が潜《もぐ》り込んできたのに、まるで気づかなかったのは由々《ゆゆ》しき事態《じたい》だ。兵隊としての俺の腕《うで》が、相当《そうとう》なまった証拠《しょうこ》といっていい」
「ホントに気づかなかったの?」
マオが意地《いじ》の悪い笑みを浮かべる。
「どういう意味だ?」
「いや別に。ま、寝ぼけたあの子のトロくさい動きじゃ、歴戦《れきせん》のサガラ軍曹《ぐんそう》の『殺気センサー』も、にぶるってことでしょ」
「そういうものなのか?」
「そーいうもんよ。あたしも基地で、あの子の部屋に泊《と》まることあるけど、いつのまにかあたしの寝床に潜り込んでるもの」
「気づかんのか?」
「全然。ホント、不思議《ふしぎ》な特技《とくぎ》よね……。下士官用《かしかんよう》の兵舎《へいしゃ》で寝てるときに、クルツが忍《しの》び込もうとしてくると絶対《ぜったい》に気づくんだけど」
「むう……」
彼らの同僚《どうりょう》、クルツ・ウェーバー軍曹《ぐんそう》は狙撃兵《そげきへい》の出身だ。偵察《ていさつ》が専門《せんもん》の宗介同様、忍び歩きは得意《とくい》なのである。もちろん、クルツの夜這《よば》いは毎回、マオに蹴り飛ばされて失敗に終わるわけなのだが。
「まあ、一緒に寝起《ねお》きしてる子猫《こねこ》みたいなもんよ。あんまり気にしないことね」
「無茶《むちゃ》を言うな」
宗介は苦々しげに言った。
「……ともかく大佐殿《たいさどの》と一つ屋根の下で寝るのは、もう終わりにしたいのだが」
「カナメの目が気になる?」
「……どういう意味だ?」
「いや別に」
「ほらほら、見てください!」
そのおり、バスルームからテッサが飛び出してきた。通学前だというのに、なぜか鳶色《とびいろ》の浴衣姿《ゆかたすがた》だ。シャワー前のぼんやりした様子とは、うって変わったハイテンションである。
「明日の旅行で、これ着るんです。どうです、けっこうかわいいでしょう!」
うきうきした足取りで、朝食中の宗介とマオの前で浴衣の裾《すそ》をひるがえす。
『明日の、旅行?』
食事の手を止め、宗介とマオは同時に聞きかえした。するとテッサはきょとんとする。
「? 知らないんですか?」
「いや、聞いてないけど……」
マオが首を振る。
「でもでも、ウェーバーさんがセッティングしてくれたんです。明日の土曜日から」
「クルツのバカが?」
「あいつめ、何を勝手に……」
「きわめてトラディッショナルな、温泉宿での週末を過《す》ごす予定です。カナメさんや陣代高校のみなさんと一緒《いっしょ》に、奥多摩《おくたま》の旅館で一泊二日《いっぱくふつか》です。おいしい料理を楽しみつつ、お肌《はだ》にいいお湯《ゆ》につかったりするんですよ? もちろん! サガラさんもメリッサも行きましょうね? あ、でも……」
テッサはばっと頬《ほお》を赤らめて、浴衣の袖《そで》の陰《かげ》から、宗介の方をのぞき見た。
「混浴《こんよく》のお風呂《ふろ》はありませんよ?……うふふ」
などと言いつつも、恥じらいと期待《きたい》の入り交じった視線《しせん》である。その初々《ういうい》しい仕草《しぐさ》を見ていると、なぜか宗介はかつてのゲリラ時代、味方から緊迫《きんぱく》した通信を受けたときのことを思い出した。
すなわち――
敵の大部隊がそちらに向かっている。いますぐ撤退《てったい》しろ!
翌朝《よくあさ》、調布《ちょうふ》駅北口の集合場所にて――
「はいみなさん、おはよーございまーす!!」
旅行参加者一同の前で、私服姿のクルツ・ウェーバーは朗《ほが》らかに言った。かなめや常盤《ときわ》恭子、稲葉瑞樹や美樹原《みきはら》蓮《れん》、テッサやマオの女子グループと、宗介、風間《かざま》信二《しんじ》、小野寺《おのでら》孝太郎《こうたろう》の男子グループ。総計《そうけい》一〇名である。
「ういーっす」
「おはようございまーす」
だのと、陣高のメンツは口々に言う。
「幹事《かんじ》のクルツ・ウェーバーです。大学生やってます。みんなは親しみをこめて、『クルツくん』って呼んでくださいねー!」
テッサは表向き、さる大学|教授《きょうじゅ》の娘だということになっていた。クルツはその大学の学生で、マオは教授の助手をやっているということになっている。二人とも、テッサの『仮の父』の世話《せわ》になっていて、そのためにテッサと親しい――そういう扱《あつか》いだった。
恭子は以前、クルツと会ったことがあるので、なにやら色々と言いたげなことがある様子だったが――
「あの、クルツさんでしたっけ? 前に会いませんでした……?」
「あっはっは。気のせいだよ!」
「でも」
『気のせいだって(です/だ/だよ)!』
異口同音《いくどうおん》。かなめ、マオ、クルツ、テッサ、宗介の五人から、ずいっと寄られて断言《だんげん》されては、恭子も口をつぐむよりはかなかった。
マオが咳払《せきばら》いして後を続ける。
「えー、おほん。このナンパ野郎《やろう》のことはあんまり気にしなくていいから。で、あたしのことは、もう知ってる人もいるわね? メリッサ・マオです。テッサのお父さんの大学で、助手やってます。よろしくね☆」
すでに何日か前に、マオは瑞樹や恭子たちと会っていたのだったりする。
「……なにが『よろしくねー|☆《ほし》』だよ。猫かぶりやがって――うぐっ!」
ひねた顔で吐《は》き捨てるようにつぶやくクルツの鳩尾《みぞおち》に、マオは肘打《ひじう》ちをたたき込んだ。固まる一同の様子は完璧《かんぺき》に無視《むし》して、彼女はにこにことその場を仕切る。
「はい、これも気にしないでね☆ まあ、そんなこんなで。運転手は任《まか》せてちょーだい。女の子組はあたしとバンね。男の子組は、クルツくんとそっちの乗用車」
クルツが血相《けっそう》を変え、マオに詰《つ》め寄《よ》りひそひそささやく。
(おいおい姐《ねえ》さん! なんで男女を隔離《かくり》するわけ?)
(ふん。同じ車に女の子乗せたら、どーせ道中、ずっと口説《くど》いたりセクハラ発言したりするつもりでしょ)
(ぎくっ……。い、いや。そんなこと俺がするわけねーだろ!? 俺だって、そこまで空気が読めないバカじゃねーぜ? だいたい――)
(うるさい。あんたはね、空気を読んだ上で、さらに女がイヤがるアクションを起こしたがるような、もっとタチの悪いバカなのよ。女の子に毛虫を見せつけて、いやがる顔を見るのが大好きな小学生と同じなの。わかった? わかったわね? 議論《ぎろん》は以上)
「そっ――」
なおも抗弁《こうべん》しようとするクルツの背中を、マオはぐいっと押し出した。
「はい、決定! あんたは男組。さっさと乗る!」
しぶしぶと従《したが》うクルツ。その後ろ姿を、女子グループは苦笑混《くしょうま》じりに見送る。
「ああ……露骨《ろこつ》に落ち込んでるし」
「ちょっとかわいそうです」
かなめとテッサがそれぞれ言う。
「ふん。いーのよ。だいたいね、男グループだけで隔離しといた方が、宗介もくつろげるだろうから」
『? どうして?』
きょとんとするかなめとテッサ。
二人の顔を交互《こうご》に見て、マオはやれやれ≠ニため息をついた。まったく、こんなところまで来て、先任下士官の苦労を味わうことになるとは。
クルツへの剣幕《けんまく》はともかく、ほかの面子《メンツ》に対しては、マオは親切なお姉さんだった。おかげで女子グループの車内は大にぎわいである。おやつをかじって、カードゲームをやって、しりとりをやって、大いに盛《も》り上がる。
修学旅行や遠足の女子グループに特有《とくゆう》の、あのハイテンションである。イノシシに注意!≠ネんて看板《かんばん》を見ただけで、腹を抱《かか》えて笑ってしまう状態《じょうたい》だ。
さんざん笑って落ち着いたあとに、恭子がたずねた。
「マオさんって日本語|上手《じょうず》ですよねー。どこで覚えたんですかー?」
恭子が聞くと、マオは意味深《いみしん》に微笑《ほほえ》む。
「オトコよ、オ・ト・コ。ベッドで覚えるのが上達の秘訣《ひけつ》ね。ふふふ……」
『きゃ――っ!』
恭子や瑞樹はもとより、かなめやテッサまでもが身をすくめて黄色い声をあげる。
「ほっほ、冗談《じょうだん》冗談。まあね、だいたい、ああいうのは日常じゃ使えない言葉ばっかりだしねー」
『やだやだー! すごいすごいすごいー!』
なにがすごいのだか定かではないのだが、とにかく一同は興奮《こうふん》して騒《さわ》ぎ立てる(ちなみに蓮だけが頭上に『?』のマークを浮かべ、にこにこ微笑んでいた)。
とにかく、女子組の車内はそんな調子なのであった。
一方の男子グループの車内はといえば、対照的《たいしょうてき》にどんよりと重たい空気がたちこめていた。のっけから自分の目論見《もくろみ》をマオに妨害《ぼうがい》されて、すっかり腐ってしまったクルツ。その不機嫌《ふきげん》の虫が伝染《でんせん》して、車内にはほとんど会話らしい会話もない。
「狭《せま》い車内で男が四人。三時間……か」
くねくねとした山間《やまあい》の道路を走りながら、クルツがやっと、口を開いた。
「ほとんど拷問《ごうもん》に近いぜ、これは……」
「それはこっちの台詞《せりふ》だよ」
これまた不機嫌《ふきげん》な声で、小野寺孝太郎が言った。宗介やかなめのクラスメートだ。
「あんた……クルツさんだっけ? 幹事だろ? なんであのマオってお姉さんの言いなりなんだよ」
「うるせー」
力なくクルツは言った。
「あのアマを怒らせると、いろいろ厄介《やっかい》なんだよ。本当は俺があっちのバンを運転して、ささやかなハーレム状態《じょうたい》を楽しむつもりだったのに。それが……くそっ。マオめ」
「あ、あのー。ご自分だけいい目、見るつもりだったんですか……?」
と気弱な声で核心《かくしん》をついたのは、やはり同級生の風間信二だった。
「別にいいだろー。俺だって日々の暮らしに疲れてるんだよ。女子高生と楽しいドライブしたって、バチは当たらねーだろが」
「クルツさんの大学にだって、きれーなお姉さんたちはいるんじゃないんですか?」
「理系だから。女、少ないんだよ」
「はあ」
クルツはさらにぼやく。
「……まあ、なんつーの? キミら高校生は毎日、あーゆうピチピチなコたちと会ってるわけだろ。空気と同じなんだよ。なくなって、はじめてその価値《かち》に気付くんだ。だいたいだな、大人になったらエッチなことはたっくさーんできるけどな、同じクラスのあのコと、目が遭《あ》ってドキドキ……なんてのは学生のときしかできねーんだぞ?」
「似たようなセリフ、なんかのマンガで読んだような気がするなー」
「どーだっていいよ。深遠《しんえん》な真理《しんり》だってことが問題なんだよ。……いいかね、諸君《しょくん》? いまこの時期《じき》、この瞬間《しゅんかん》を大事《だいじ》にしなきゃいかんよ? わかっとる?」
「そんな説教《せっきょう》、聞きたかねえよ。けっ……」
孝太郎が無関心《むかんしん》にボヤく。
「あー、言ってろ、育ってろ。言って将来《しょうらい》、後悔《こうかい》しながら思い出せ。ふん」
どこまでも気だるげなクルツ、孝太郎、信二の三人であった。互《たが》いに仲良くなる気も全然ない。
もっとも、残りの一人――助手席の宗介だけは、様子が違うようだった。
「しっかしソースケ。おまえ、妙にくつろいでるな」
「うむ。久々に食欲も戻ってきた。男だけの車内はすはらしい」
カロリーメイトをもぐもぐとかじり、宗介はうなずいた。いつも通りのむっつり顔なのだが、どことなく癒《いや》され、満ち足りたようにも見える。
「アホか、おまえ?」
「ちっとも笑えないよ、それ!」
「オレ、たまに相良がわからなくなる」
三人が不機嫌な声をあげても、宗介の安らかなむっつり顔は揺《ゆ》らぐこともなかった。
「まあ……いいや。ところでだな、諸君《しょくん》。きょうは温泉宿に泊《と》まるわけなのだが」
なにやら改《あらた》まった調子で、クルツが言う。
「はあ」
「若い男女のグループで、温泉旅行っつったら……なにが定番《ていばん》だと思う?」
「? さあ……」
と、信二。
「まさか……アレ? アレか!?」
と、孝太郎。
クルツはにやりとする。
「そうです。アレです」
「なるほど、アレですな」
「アレなしで、温泉旅行は完成《かんせい》されません。アレはあらゆる男の心に、キックを入れてくれるのです」
なにげに空々しいクルツの口調に、孝太郎もニヤリとする。
「まったくですな。アレをやらないのは、彼女らに対してむしろ失礼にあたる」
「よく分かってらっしゃる、オノDさん。あなたとは気が合いそうだ……」
「私もですよ、クルツさん」
「くっくっく……」
「くっくっく……」
不気味《ぶきみ》な会話の意味を漠然《ばくぜん》と察《さっ》して、信二は落ち着かない様子で身じろぎする。
宗介だけは窓の外を眺《なが》め、平和な景色だ≠ネどと、のんきにコメントしていた。
クルツが予約していた旅館は、深い草木に囲まれた山間の、急な斜面《しゃめん》の中腹《ちゅうふく》に建っていた。古いが、落ち着いたたたずまいだ。穴場《あなば》らしく、週末だというのに他の客はほとんどいない様子である。
大きな客室に通されて、荷物《にもつ》を置いたかなめたち女子グループは、窓から望《のぞ》める峡谷《きょうこく》の景色《けしき》を見て、飽《あ》きもせずはしゃぎまくる。やれ『うわー、きれいな景色ー!』だの『あとで下の川、行ってみようよー!』だの。毒気《どくけ》を含《ふく》んだ会話など一切ない。お茶の間向きのサスペンス劇場にでも出てきそうな、ぬるめなノリである。
「さて……まだご飯まで時間あるみたいだけど。どーしようか」
畳《たたみ》の上にごろりと転がり、かなめが言った。
「もちろんお風呂です!」
テッサが握《にぎ》り拳《こぶし》で力強く言った。
「わたし独自《どくじ》の情報によれば、ここのお風呂は高アルカリ性の単純泉で、肩こりや腰痛《ようつう》に効《き》くそうです。可能な限り長時間|浸《つ》かって、徹底的《てっていてき》に疲れを癒さねはなりません」
「リキんでどーするのよ。それに、あわててたくさん浸かっても、湯当たりするだけだと思うけど」
ぼやくかなめの言葉には構《かま》わず、テッサはいそいそと自分のバッグから替《か》えの下着を取り出しはじめる。
「いいんじゃない? とりあえず先に一回、入っちゃおうよ」
と、稲葉瑞樹。旅館の浴衣《ゆかた》を広げてサイズを確認《かくにん》しながら、のんきに言う。
「そーね。でも、大丈夫《だいじょうぶ》かなー」
「なにが? おっ、ありがと、お蓮さん」
蓮がいれたお茶を受け取りながら、マオが言った。
「いや……クルツくんとかいるし、なんか企《たくら》んでるんじゃないかと思って」
「ああ。それなら平気よ」
妙に自信たっぷりに、マオが言った。その様子に気づいてるわけでもなさそうだったが、テッサも気楽に同意する。
「そうです。さすがにウェーバーさんだって、そこまで露骨でエッチじゃないですよ」
「ところが、俺は露骨にエッチなのだった。くっくっく……」
そのとなりの、壁《かべ》一枚をはさんだ男用の客室で、壁にコップをつけて聞き耳を立てていたクルツは、にんまりとほくそ笑んでいるのだった。
「獲物《えもの》が動くぜ。西館の露天風呂だ」
そばに膝《ひざ》をつき、様子をうかがっていた孝太郎と信二に告げる。
「おっし。こっちも動くか」
「で、でも……大丈夫かな」
鼻息の荒い孝太郎と、不安げな信二。
「なに言ってんの、風間くんよ。下着ドロする度胸《どきょう》があって、のぞきやる度胸がないとは言わさんぜ?」
「な、なぜそれを……?」
「気にすんな。とにかく行動《こうどう》だ」
オリーブ色のバッグをつかんで、クルツは立ち上がる。その彼を、宗介が呼び止めた。
「風呂に行くのか」
宗介は窓際の椅子《いす》に腰掛け、のほほんとほうじ茶をすすっていた。なにやら、今回は妙にくつろいだ様子である。
「おう。おめーも来るか? 桃源郷《とうげんきょう》ってやつを拝《おが》ませてやるぜ。ククク……」
「いや。それより……普通《ふつう》に入浴《にゅうよく》を楽しめ。普通にな……」
「? なに言ってんだ?」
怪訝顔《けげんがお》のクルツを、孝太郎が急《せ》かした。
「何モタモタしてんだよ、早く行こうぜ!」
[#挿絵(img2/a01_139.jpg)入る]
「ん? おう」
クルツと孝太郎と信二は、あわただしく客室を飛び出していった。
客室に負けず劣《おと》らず、その露天《ろてん》風呂から望む景色は美しかった。
空は青く、大気は澄《す》み、小鳥のさえずりが心地《ここち》よい。しかしそれ以上に美しいのが、一糸《いっし》まとわぬ姿で、お湯と戯《たわむ》れる六人の美女・美少女なのであった。
こんな機会《きかい》は二度とないだろうから、各員の姿を握《にぎ》り拳《こぶし》で描写《びょうしゃ》させていただく。
なお、女性読者[#「女性読者」は太字]は次のチャプター(148[#「148」は縦中横]頁)まで読み飛ばしてもらえると幸いである。どうしても読みたいなら、「ふうーん……。そういうの好きなんだ。男ってバカね……」くらいの冷たい目で見守っていただきたい。「うわ。なんか、最っ低……」などと嫌悪《けんお》もあらわな目で読まれるのは、とても辛《つら》い(←だれがだ?)。だからなるべく読まないで欲しい。
以上を踏《ふ》まえ、露天風呂である。
まず、かなめ。
しばしば触《ふ》れてきた通り、かなめはスタイル抜群《ばつぐん》だ。特に鳩尾《みぞおち》から下腹部《かふくぶ》へと続くラインが絶妙《ぜつみょう》に美しく、無駄《むだ》な贅肉《ぜいにく》が一切ない。さらに――この際言ってしまうが、彼女は巨乳《きょにゅう》の部類《ぶるい》に入る。いわゆる「ロケットおっぱい」という奴《やつ》だろうか。そんな彼女が『わー、ホントいい景色!』などと言いながら、湯船からお尻丸出しの前傾姿勢《ぜんけいしせい》で身を乗り出しているのだ。岩に手を付いている彼女のバストは、重たげに垂直《すいちょく》方向を向いており、まさしく『たわわに実った』という表現がふさわしい。さらにその可憐《かれん》なたたずまいの突端《とったん》から、ぽたぽたと滴《しずく》が落ちている様が、たとえようもなく悩《なや》ましいのである。なにしろその下、乾《かわ》いた岩の表面に、およそ17[#「17」は縦中横]センチ感覚で小さな二つの水滴《すいてき》の跡《あと》ができているのだ。これはたまらない。ヒップについていえば、きゅっと締まってたるみが一切なく、いやらしい気持ちがなくても頬《ほお》ずりしたくなるような白磁《はくじ》のなめらかさ、つややかさをたたえている(もちろん、架空《かくう》の目撃者《もくげきしゃ》にいやらしい気持ちがあったら、もっといろいろしたくなることだろう)。芸術的と呼ぶだけでは済まされない、男の丹田《たんでん》やらリビドーやらにズシッとくるような肢体《したい》なのである。
次、恭子。
いちばん小柄《こがら》な恭子の体つきは、まだまだ発育|途上《とじょう》だ。胸もお尻も小さいが、幼《おさな》さを残したバストのふくらみは、むしろその筋《すじ》の方々にとってはほぼ理想的なバランスを達成《たっせい》している。あどけなさを演出するくらいのレベルで、微妙《びみょう》におなかがまだ膨《ふく》らんでいる感じとか、おへそがちょっとだけ小学生っぽかったりとか、そういうのもしっかり押さえている。また、いまの彼女はメガネを外し、おさげの髪《かみ》を解《と》いている。そうした途端《とたん》、恭子の相貌《そうぼう》はどこか大人びた少女になる。その雰囲気《ふんいき》とこの体型、そして風呂の外に立って柵によりかかる無防備《むぼうび》な裸身《らしん》とのギャップがたまらない。そんな彼女が、奔放《ほんぽう》なその姿を青空の下にさらし、『ホント、ホント! きれいだよねー!』などと無邪気《むじゃき》にはしゃいでいるわけである。警戒心《けいかいしん》はまったくゼロだ。手ぬぐいさえ持たずに、その裸身《らしん》を丸出しにして、浴場の中をペタペタと走り回るのだ。だれかに見られる可能性《かのうせい》など夢想《むそう》だにしていない。まったく、露天風呂だというのに! だがこれがグっとくる。
次、瑞樹。
彼女も小柄な方なのだが、恭子とは対照的《たいしょうてき》に出るところは出て、引っ込むところは引っ込んでいる。グラマーだといってもいいくらいだ。現にいま湯船につかり、仰向《あおむ》けの姿勢《しせい》でうっとりしている彼女のバストの先端二〇%は、氷山のごとく水面からぶるんと顔をのぞかせていた。ねばりのある泉質の湯が、コンパクトかつ豊満《ほうまん》な、実に形のいい乳房《ちぶさ》にねっとりとまとわりつき、つややかな光沢をはなっている。『うーん……気持ちいい』と言いつつ、くるりと一八〇度ロールすると、今度はお尻が湯船に浮かぶ。ピンク色に上気したその肌《はだ》の色は、健康的《けんこうてき》でありながら、なまめかしい艶《つや》っぽさを放っている。ただ小柄なだけでは醸《かも》し出せない質感《しつかん》。つかめばほどよく指先がめり込むような、やわらかな弾性《だんせい》をたたえたヒップだ。
次、蓮。
彼女はうっとりと『いいお湯ですね……』だのと言いながら、濡《ぬ》れて半透明《はんとうめい》になった手ぬぐいで前をギリギリに隠しつつ、湯船に脚《あし》をすべりこませたりしている。蓮はまさしく『意外と着やせするタイプ』だ。日頃の楚々《そそ》として、ほっそりとした制服姿からは想像もつかないほど、どこか肉感的な肢体なのである。むっちりと豊かでありながら、上品で落ち着いた肉置《ししお》き。安産型のお尻は、湯船の縁《ふち》に腰掛けているために、すこしだけふにゃっと押しつぶされていて、その形がまた絶妙《ぜつみょう》に扇情《せんじょう》的だ。それでいて、締まるべきところは締まっている。湯煙《ゆけむり》の中で、濡れた黒髪がほっそりとしたうなじにまとわりつくその姿を見る者がいたとすれば、『ああ、日本人に生まれて本当に良かった』と感涙《かんるい》にむせぶことだろう。そして、たっぷりと量感《りょうかん》のある乳房。すべらかでありながら、すいつくような質感を持つそれに、薄手《うすで》の手ぬぐいがけなげに張《は》り付き、上気した肌と汚《けが》れを知らぬ大切な部分とが、わずかに――ごくわずかに透《す》けて見えそうになっている。
次、マオ。
彼女は壁際で洗面器にお湯を出して、『いやー、来て良かったわ』と言いつつ体を洗っている最中《さいちゅう》だ。かっちりした肩、すらりと引き締まった太股《ふともも》の健康美がまぶしい。その脚線《きゃくせん》は、えもいわれぬ緊張感をかもしており、しなやかな野生動物の美しさを感じさせる。背中のラインのなめらかさは、大人の彼女にしか出せない魅力《みりょく》だ。細身な彼女だが、バストはかなめに負けていない。どーん、と前方に向けて張り出した、見事な形の双丘《そうきゅう》。それが体を動かすたび、ぶるぶると小刻《こきざ》みに震《ふる》えるのだからこたえられない。濡れた肌にまとわりつく泡《あわ》、泡、泡……。ちらりとかすかに見え隠れする桜色。ソープをシャワーで洗い落とす姿のアダルトなしっとり感。普段《ふだん》の粗暴《そぼう》なイメージとは対極《たいきょく》のあでやかさだ。
そして、テッサ。
テッサはいちばん遅れて、脱衣所《だついじょ》から浴場に入ってきたところだった。アッシュ・ブロンドの髪をおろし、ほんのりと頬《ほお》を赤らめ、小さな手ぬぐいで、いじましく前を隠しながら、後ろ手にガラス戸を閉める。やわらかな微風《びふう》でちらちらと手ぬぐいが揺れ、すべてを隠しきることはできなくなって、彼女はどうすることもできずに身をすくめた。
テッサの裸身も格別《かくべつ》だった。ほとんど透明といってもいいような、真っ白で瑞々《みずみず》しい肌。腕に抱《いだ》けば折れてしまいそうな華奢《きゃしゃ》な体つき。ほっそりとした、頼《たよ》りなさげな肩。両膝《りょうひざ》をぴったりと合わせているのに、太股の間には空間ができてしまうような細い脚《あし》。やはり小柄で幼さの残る体つきの彼女だったが、女の子らしい部分は、それなりに発育していた。青空の下で丸出しになった愛らしいお尻が、おびえるように震《ふる》えている。
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もじもじしているテッサに気づいて、マオがたずねた。
「どーしたの」
「いえ……ろ、露天風呂って……やっぱり、ちょっと落ち着かなくて」
テッサのような欧米人《おうべいじん》にとって、こういう形の『裸《はだか》の付き合い』というのは基本的《きほんてき》に習慣《しゅうかん》がないのだ。軍隊暮らしの長いマオはともかく、彼女にとっては共同の浴場――しかも遠景《えんけい》から遮《さえぎ》るもの一つない露天風呂に出てくるのは、かなり勇気のいる行為《こうい》なのである。裸で町を歩くほどではないが、相当な頼りなさと恥ずかしさを感じているのだ。
だが、テッサはこの旅行の言い出しっぺの一人だ。いまさら避けて通るわけにもいかない。その躊躇《ちゅうちょ》と恥じらいとが入り混じった様子で、そわそわと内股《うちまた》をこすりあわせる仕草《しぐさ》――そのいじましい姿自体が、むしろ見る者の鼻息を荒くしてしまう。見られたくなくて体を揺すっているのに、その動作が最後の防衛線《ぼうえいせん》である手ぬぐいをひらひらさせてしまって、大事なところが見え隠れしてしまうのだ。それに彼女は気付いていない……!
「うっ……」
それを見ていたマオも、基本的にノーマルな女の身ながら、心の深層《しんそう》に眠る邪《よこしま》な部分をくすぐられるような心地だった。
うわー、どうしてくれようか、この娘《むすめ》は。いつもそうなのだ。しかも天然《てんねん》で。普段はあの少佐や中佐と気丈《きじょう》にわたりあってるくせに。こういうときは、これなんだ。こんな身を硬《かた》くしちゃって。もしあたしが、ここでいきなりガバーっと押し倒して、あの白い首筋《くびすじ》や鎖骨《さこつ》に優しく唇《くちびる》を這わせてやったり、あちこちを弄《もてあそ》んであげたりなんかしたら、このコは涙声《なみだごえ》で『や、やめてください、メリッサ……! これは命令ですよ!?』なんて言ったりするのだろうか。いや、きっと言うに違いない。しかも、これまた天然で。やばい。言わせてみたい気もする。あー、なんてかわいい奴《やつ》なんだ、おまえは。この娘だったら、禁断《きんだん》の領域《りょういき》に踏《ふ》み込んでもいいような気がする。
あ、いかん。生唾《なまつば》が。
冷静になれ、自分。冷静に……冷静に……。よし、あたしはもう冷静。
「お、おほん……!」
咳払《せきばら》いをしてから、マオは努めてクールに言った。
「こっち来なさい、背中流してあげるから」
「あ……はい」
手招きするマオへと、テッサはぺたぺた小走りする。
そこで、彼女の足下がつるりと滑《すべ》った。
「ひゃっ……!」
手ぬぐいを放り出して、テッサはすてーんと転倒《てんとう》する。景気良く。情け無用《むよう》に。
「!」
空中で大開脚《だいかいきゃく》してから、微妙《びみょう》な姿勢《しせい》で尻餅《しりもち》をついた彼女の姿を、マオはしばしの間、口を半開きにして見つめていた。ひらりと舞い落ちた手ぬぐい――その頼りない薄布が、テッサのひそやかなかげりをぎりぎりで隠している。
「い、いたた……」
固まっていたのは何秒くらいだったか。マオは強《し》いて余裕《よゆう》たっぷりな大人の顔に戻り、彼女を助けに立ち上がった。
「まったく……」
以上。描写終わり。
そうした女湯の会話に耳をそばだて、男湯のクルツたちは鼻の下を伸《の》ばしていた。
『テッサ、大丈夫《だいじょうぶ》!?』と、かなめの声。
『え、ええ。ちょっとお尻がひりひりしますけど……』
『どれ。見せなさいよ』と、マオ。
『……あっ』
『ふむふむ……』
『め、メリッサ……困ります。そんなじろじろ……ひゃっ……』
『ちょっと擦《こす》っただけみたいね。でもきれいな肌だなー。うーん……』
『そ、そこは違……んあ……』
『おおっと。ごめんごめん。じゃあほら、そっちも見せて』
『こ、ここもですか!? ひぁ……!』
『こうするとどう? 痛くない?』
『ああ……ひ、引っ張らないでください』
こういう悩《なや》ましい会話を聞いただけで、男子三名はもう、辛抱《しんぼう》たまらない状態になってしまうのであった。信二などは熱病にうかされたように、はあはあと荒い息づかいをしている。
「ひ、ひひひ……引っ張るって……な、なにを……」
「落ち着け、風間」
「お、おおおお、落ち着いてるヨ? うん。で、でも、引っ張るって……」
「ああ。……くそっ。はやく見ようぜ」
孝太郎は塀《へい》のてっぺんを見上げて、うなり声をあげた。
「どーするよ、クルツさん。のぞくなら、肩車でもしねえと届かないぜ」
するとクルツは不敵《ふてき》に笑った。
「ふっ……あんなところから頭出したら、すぐ気づかれちまうだろ。これだから素人は」
「そりゃ素人だけど」
「これを使うんだよ」
クルツは持参《じさん》したバッグから、電動《でんどう》ドリルとファイバー・スコープを取り出した。
「穴《あな》を空けてスコープを通す。簡単《かんたん》だろ」
「なるほど。でも相良みたいな道具持ってるな、あんた」
と、孝太郎。
「気にすんな。とにかく行くぜ」
さっそくクルツは電動ドリルを木板にあて、スイッチを押し込む。ドリルが音もなくゆるゆると回り、木板の表面を削《けず》っていく。
『ゴクリ……』
固唾《かたず》を飲む信二と孝太郎。クルツはむっつりとドリルを操《あやつ》る。回したり止めたりを繰り返し、別の場所を試《ため》してみたり、思案顔《しあんがお》で首をひねったり。
「どうした?」
「おかしい。どうも……中に鉄板かなにかが仕込んであるみたいだ。ドリルが通らない」
「なんだって!?」
「の、のぞき対策《たいさく》かな……」
不安げな顔の信二。クルツは塀を見上げる。
「仕方《しかた》ねえ。塀の上から行こう」
ジャンケンで負けた孝太郎が、クルツを肩車することになった。ふらふらする二人を、信二がはらはらと見守る。クルツはファイバー・スコープを頭上に掲《かか》げ、その先端を塀の向こうにやろうと悪戦苦闘《あくせんくとう》する。
「ま、まだかよ……?」
「もうちょい、こらえろ……」
どうにか安定を保ち、クルツはスコープの先を女湯へと差し出した。
だがその瞬間《しゅんかん》――
どこからともなく伸《の》びてきた赤いレーザー光が、聖域《せいいき》へと侵入《しんにゅう》したスコープの先端にポイントされ、直後に鋭《するど》い電撃が襲《おそ》いかかった。ばしっと火花が散って、ファイバー・スコープが焼き切られる。
「おわっ!?」
強力な電気銃《エア・テイザー》の一撃《いちげき》だ。
クルツがたまらずのけぞり返る。孝太郎が大きくよろめく。二人は信二を巻き込んで、背後の露天風呂へと景気良く転落《てんらく》した。
マオがテッサの髪をていねいに洗ってあげていると、視界《しかい》の片隅《かたすみ》――男湯と女湯を仕切《しき》る塀の上で、電光が閃《ひらめ》いた。続いてクルツたちの悲鳴と、大きな水音。
「?」
全員が同時に胸を隠して、男湯の方向を振り返る。
「なんだろ?」と恭子。
「男同士でじゃれ合ってんでしょ?」と瑞樹。
「仲がいいですねえ……」と蓮。
マオはテッサの髪をやさしく揉《も》みながら、何事《なにごと》もなかったかのように言った。
「大丈夫。ネズミ取りが働いただけよ」
「?」
湯船に尻餅を付いたままの姿勢《しせい》で、クルツは驚《おどろ》き、目を剥《む》いていた。
「せ、セントリー・ガンだと!? どーいう旅館だ、おい!? 聞いてねえぞ!?」
セントリー・ガン。最近セキュリティ用に開発された、全自動の警備《けいび》システムのことだ。あらかじめ指定《してい》された領域《りょういき》に、なんらかの動体が侵入《しんにゅう》すると、それを検知《けんち》し、電気銃で攻撃《こうげき》を行う。そんな最新|装備《そうび》が、いったい、なぜこのひなびた旅館に!?
「おいおい。どうなってんだよ?」
孝太郎と信二も困惑顔《こんわくがお》だ。クルツは頭をくしゃくしゃと掻《か》きながら、遠景をのぞむ柵《さく》の方へと歩いた。柵を乗り越えて回り込めば、女湯がのぞける位置《いち》だ。
「こっちから回り込むとしても……」
桶《おけ》をつかんで、柵の外に出してみる。たちまち別の場所に隠してあったセントリー・ガンが反応して、桶めがけて強烈《きょうれつ》な電撃を見舞《みま》った。
「うおっ……!」
あわてて手を引っ込める。どうやら、女湯をのぞける位置には、例外なくこの警備装置がしかけてあるようだ。
この厳重《げんじゅう》さは一体?
クルツは桶を放り捨て、悪態《あくたい》をついた。
「くそっ、隙《すき》がねえ……」
夕食の時間になっても、女子グループの様子は朗《ほが》らかで楽しげだった。
一方のクルツたちはといえは、えらく不景気《ふけいき》な顔でみそ汁をすすったり、鮎《あゆ》の塩焼きをぱくついたりしている。ちなみに宗介一人は、かなめとテッサに挟《はさ》まれて、なにやら居心地《いごこち》が悪そうだった。
恭子たちは談笑《だんしょう》しながら、『あとでまたお風呂行こうね』などと言っていた。
「まだチャンスはあるぞ……」
男部屋に戻るなり、クルツは衛星通信機付きの携帯《けいたい》パソコンを取り出し、タブロイドサイズのスクリーンを広げて、この付近一帯の詳細《しょうさい》な地形図を表示《ひょうじ》させた。
「どーするつもりだよ、クルツさんよ」
「近距離《きんきょり》がダメなら、遠距離だ。この旅館の対面《たいめん》の、山頂《さんちょう》付近まで移動《いどう》して、望遠《ぼうえん》スコープで捉える。理想的な観測《かんそく》ポイントはここと、ここと、ここだ」
クルツは地図の数か所にマークを入れた。
この旅館は、山の中腹に建っている。下を流れる渓流《けいりゅう》を渡って、反対側にそびえる無人《むじん》の山を登れば、そこから露天風呂の全景が望めるはずだった。孝太郎が真面目《まじめ》な顔で、別の地点を指さす。
「こっちはどうだ? 標高《ひょうこう》は高いし、直線距離なら一番近いと思うけどよ……」
「駄目《だめ》だ。方位を見ろ。その付近は東面で日光がよく当たる地形だから、植生が濃《こ》い。木が邪魔《じゃま》で、目標|捕捉《ほそく》はまず不可能だ」
「なるほど。頭いいな、あんた」
「俺はスナイパーだぜ? 地図を読むのはお手のもんさ」
黙《だま》って聞いていた信二が、『は?』と怪訝《けげん》顔をしたが、そんなことにはお構《かま》いなしに話は進んでいく。
「よし、じゃあさっそく移動《いどう》だ。ポイントまで、三〇分以上はかかるだろうからな」
浴衣姿のまま、あわただしく出発の準備《じゅんび》をするクルツたち。そこで、一人のんびりとテレビを見ていた宗介が、声をかけてきた。
「また風呂か?」
「そーだよ。わりいか?」
「いや……。楽しんでこい。普通にな」
虫の鳴き声。真っ暗な山の中を、クルツたちは歩いていった。浴衣の上に各種装備の詰まったバッグを背負って、道無き道をかきわけていく。暗闇のせいで、信二や孝太郎は何度も木の根につまずいて転び、全身泥まみれになっていた。
「はあ……はあ……。あのよークルツさん、せめて懐中電灯《かいちゅうでんとう》くらい、点《つ》けようぜ?」
「だめだ。敵に発見される」
きびしい声でクルツは言った。
「もうすぐ目が闇夜に慣《な》れる。それまで我慢《がまん》するんだ」
「なんか相良みてーなこと言うな、あんた」
「へっくしょっ!」
ふらつきながら、二人の後を付いてきた信二が、小さなくしゃみをした。
「風間。湯冷めか?」
「うん……いや、大丈夫……」
そのとき、クルツが鋭く叫《さけ》んだ。
「待て!」
信二と孝太郎はぴたりと立ち止まる。
「? どうし……」
「動くな、風間! 地雷《じらい》だ!」
言われて、はじめて信二は自分の右足が、地面に埋まった対人地雷を踏《ふ》みしめていることに気づいた。
「ひ!?」
信二が凍《こお》り付き、孝太郎が怪訝顔をする。
「地雷ィ? 地雷って、あの地雷か!?」
「も、もしかして……足を放すと爆発《ばくはつ》する、ってやつですか……?」
「ああ。ここまで読まれてたとは……」
「ちょ、ちょっと待てよ!? どこの世界に地雷まで仕掛《しか》ける旅館があんだよ!? これ、はっきり言って相良の手口だぞ!?」
「そうだな……」
すでにクルツは確信《かくしん》していた。この地雷や、セントリー・ガンを仕掛けたのは宗介とマオだ。テッサから温泉旅館の話を聞いて、前日のうちに数々の周到《しゅうとう》な罠《わな》を仕掛けておいたということか……? だが、高価なセントリー・ガンの設置《せっち》や風呂の仕切り板への細工《さいく》など、簡単《かんたん》にできることではない。おそらく旅館の主人も丸め込まれている。それどころか <ミスリル> の支援《しえん》も受けていると見ていいだろう。さてはマデューカス中佐《ちゅうさ》か? いや、作戦部長のボーダ提督《ていとく》の意向《いこう》も働いているとみていい。なんたることか。超大国でさえうかつに手出しのできない、全世界的な極秘《ごくひ》の軍事組織が、あの重要|拠点《きょてん》を――あの女湯を守っているというのか……!?
だとしたら、自分たちはとてつもない危険《きけん》のただ中に身を置いていることになる。
クルツは夜の山中を見渡した。
「たぶん、ここ一帯は罠と地雷だらけだ。下手《へた》に身動きできねえぞ」
「おいおいおい!」
「た、助けて……!」
涙声で震える信二。クルツは慎重《しんちょう》に地面を探り、ちょうどいい重さの大きな石を拾《ひろ》った。
「ビビるな! この石を代わりに、地雷の上に置く。ゆっくりと体重を移《うつ》すんだ」
クルツは信二の足下にひざまずき、石を地雷の上へとずらしていった。
「いいな、ゆっくりだぞ……」
「う、うん……」
「そう、落ち着いて、少しずつ……」
そこで信二が顔をあげ、口をぱくぱくとさせ始めた。
「う……ふぁ……ふぁ……」
「?」
湯冷め。くしゃみ。この二語を思い浮かべ、孝太郎が息をのむ。
「お、おい……!」
「ふぇっくしょん!」
地雷が炸裂《さくれつ》し、爆風《ばくふう》が三人を吹き飛ばした。
『ん……?』
ゆったりと湯船につかっていた恭子、蓮、瑞樹の三人は、遠くの山中から響《ひび》いてきた爆発音を聞いて、眉をひそめた。
「なんだろ?」と恭子。
「さあ……」と蓮。
「花火かなんかじゃないの?」と瑞樹。
その後も断続的《だんぞくてき》な爆発音、そしてかすかな歓声《かんせい》(実は悲鳴)が聞こえてきたが、三人はとりたてて気にすることもなく、のんびりと世間話《せけんばなし》に戻《もど》っていった。
トラップだらけの殺人地帯から、クルツたちはどうにか安全な領域まで退却《たいきゃく》することに成功した。当初の予定の観測ポイントに到達《とうたつ》することなど、まったく不可能だった。
山間《やまあい》の渓流《けいりゅう》、大きな岩のそばにしゃがみ込み、三人はぐったりとする。ぼろぼろの浴衣姿で、憔悴《しょうすい》の極《きわ》み。まさしく満身創痍《まんしんそうい》であった。
「僕はもうヤだよ!」
号泣《ごうきゅう》しながら信二が叫んだ。
「命がいくつあっても足りないじゃないか! こんな恐ろしい思いはたくさんだ! そりゃあ千鳥さんやテッサさんのヌードは見たいけど、死んでしまっては元も子もないよ!」
「いやほんと。俺たち、なんで生きてるんだろーな……」
げっそりとして、孝太郎はつぶやく。
かたやクルツは、しばらく深刻《しんこく》な顔でうつむいていた。そして――なにか思い詰《つ》めた様子で、すすり泣く信二に目を向けた。
「なあ、風間……。おまえがそう言うなら、俺は無理強《むりじ》いしないぜ。でもよ……本当にここで逃げちまっていいのか?」
「え……?」
クルツはゆっくりと語った。
「そりゃあ……俺だって死ぬのは怖《こわ》いさ。正直、逃げ出したくなることもある。だけどよ、命をかけても、絶対に譲《ゆず》れないことって……あると思うんだよ。だから俺は諦《あきら》めない。だから、俺は戦うんだ。自分が自分であるために。だれも見たことのない、あの聖域をかいま見るために」
「…………」
「これさえやり遂《と》げれば、自分は一生胸を張って生きていける……そういう何かに必死になるのって……大切なことなんじゃないか?」
『クルツさん……』
信二と孝太郎はしんみりとつぶやく。一生胸を張っていける目的なのかどうかはさておき、いま、三人の心はひとつになっていた。
「へへっ。ガラにもねえこと言っちまったな。……まあいいさ。後は俺一人でやってみるよ。おまえらは帰りな」
「なに言ってんだ。俺もつきあうぜ」
「ぼ……僕も行くよ!」
孝太郎がほほえみ、信二も勇気を奮《ふる》い起こす。そして三人は結束《けっそく》も新たに、固《かた》く手を握りあうのだった。
やめときゃいいのに。
「時間も遅い。こうなったら、正面|突破《とっぱ》しかないだろう」
クルツたちがいる谷底――渓流のほとりから見上げると、旅館ははるか頭上にある。露天風呂は見えない。ごつごつとした低木の茂《しげ》る、急な斜面《しゃめん》を駆《か》け上がり、垂直《すいちょく》な石垣《いしがき》を登攀《とうはん》すれば、その先がゴール、すなわち女湯だ。
普通に登っていくだけでも大変な地形である。その先にそびえる旅館は、あたかも天然の要害《ようがい》に建設《けんせつ》された堅牢《けんろう》な要塞《ようさい》だった。
「この斜面を駆け上がり、警戒網《けいかいもう》を強行突破して、直接、目標に肉薄《にくはく》・視認《しにん》する。その後のことは考えるな」
ザルみたいな作戦だったが、信二と孝太郎は真剣な顔でうなずく。
「あの警備装置――セントリー・ガンは?」
「ああ、確実に仕掛けてあるだろうな。だからまず、おまえら二人がこの斜面を昇《のぼ》れ」
『ええ!?』
信二と孝太郎は同時に叫んだ。
「心配するな。あのセントリー・ガンは、目標を識別《しきべつ》してから攻撃するまで、およそ2秒のタイム・ラグがある。その2秒の間に、俺が装置を発見して――これで仕留《しと》める」
クルツは装備のひとつ、ライフルケースからサイレンサー内蔵の狙撃銃《そげきじゅう》を取り出した。
「そ、それはAWコヴァート! でも、そんな神業《かみわざ》……」
「できる。俺を信じろ!」
きっぱりとクルツは言った。
決戦のときは来た。
ポジションにつく。
銃に取り付けた暗視《あんし》スコープをオンに。勝利へと続く急斜面の風景が投影《とうえい》される。クルツは一度、固く目を閉じてからグリップを確かめた。深呼吸《しんこきゅう》。目を開く。集中力が極限《きょくげん》に。安全装置を解除《かいじょ》する。
「行け!」
『う…………うおおおぉぉぉ――――っ!!』
信二と孝太郎が、決意もあらわに斜面を駆け上がっていった。
「どこだ……さあ来い」
完璧《かんぺき》な射撃|姿勢《しせい》を保ち、クルツは敵を探し求める。すると怒濤《どとう》となって斜面を登る信二の前方、小さな岩の陰《かげ》から、セントリー・ガンが突き出した。
「見えた……!」
発砲。銃弾が命中し、セントリー・ガンが火花を散らす。すかさずライフルのボルトを前後させ、次弾を装填《そうてん》。孝太郎の左前方からも、セントリー・ガンが姿を見せる。こちらも正確に一撃で仕留める。
「止まるな! 走れ、走れ!」
叫ぶクルツ。息を切らし、けなげに走り続ける信二と孝太郎。だがその二人の行く先に、数え切れないほどのセントリー・ガンが、一斉に『にょきにょき!』と現れた。まさか、ここまで念入《ねんい》りだったとは……!
「くっ!」
クルツはそれらすべての標的《ひょうてき》を、おそろしい早業《はやわざ》で狙撃していく。並《な》みの兵隊では不可能な素早《すばや》さ、正確さだ。しかし――彼の狙撃だけでは捉えきれない脅威《きょうい》があった。またしても地雷である。
先頭を走る孝太郎の足下が、いきなり爆発した。
しまった。ここにも……!?
「ぐわあああーっ!」
孝太郎は煙の尾を引いて吹き飛び、地面に激突《げきとつ》して動かなくなった。
「くそっ、オノDっ!!」
クルツは狙撃ポイントから飛び出し、黒こげの孝太郎へと走った。セントリー・ガンの攻撃と、その余波《よは》で起きる爆発の数々。静かな奥多摩《おくたま》の渓谷《けいこく》は、いまや地獄《じごく》の戦場と化していた。
茂みに身を伏《ふ》せ、信二が叫ぶ。
「クルツさんっ!?」
「伏せてろ、風間――ぐおっ!?」
撃《う》ち漏《も》らしたセントリー・ガンの電撃が、クルツに襲《おそ》いかかった。全身の肉が焼けるような衝撃《しょうげき》。彼はよろめき、前のめりに倒れた。倒れながらも、なんとかライフルでそのセントリー・ガンを破壊《はかい》する。
ぐったりしたクルツに、信二が駆け寄った。
「クルツさん! しっかり!」
「へへ……ヘマしちまった」
「なに言うんだ。お尻を火傷《やけど》しただけだよ!?」
「フッ……いいんだ。自分の身体《からだ》のことは、自分がいちばんよく知ってるさ……」
クルツは苦しげに言った。信二はその場に膝《ひざ》をつき、動くこともできずにいる。肩が、腰が実戦《じっせん》の恐怖で小刻《こきざ》みに震えていた。
「あ、ああ……」
「なにを……なにをモタモタしてんだ。早くしねえと目標が……うっ!」
「く、クルツさん……」
信二の胸を、クルツはどん、と叩《たた》いた。
「行けっ! 俺とオノDの犠牲《ぎせい》を無駄《むだ》にする気かっ!? ここで動けないようなら、俺はおまえを軽蔑《けいべつ》するぜっ! さあ、行け! 行ってその目に焼き付けてこい! そして……そして後世《こうせい》に伝えるんだっ! 俺たちがこの事で勝ち取ったものをっ!!」
「うっ……くっ……」
「行けって言ってるだろうが!? おれのことなんか構うな! てめえ、それでも男か風間! ためらうな! 行けえええええっっっ!!」
信二は大粒《おおつぶ》の涙をこぼし、クルツのライフルを手に取った。そして坂の上――傲然《ごうぜん》とそびえる温泉宿と、露天風呂をにらみあげた。
「う……うおぉおぉおぉ――――!!」
信二は走った。生涯《しょうがい》最大の雄叫《おたけ》びをあげて。まだ見ぬ世界――未知の聖域に潜《ひそ》む真実に向けて。その背中を、クルツは朦朧《もうろう》と見送った。
「そうだ。走れ、風間……走るんだ」
つぶやき、彼は眠るように息|絶《た》えた。
さすがにそうした爆発音は、女湯にもはっきりと届いた。いまは恭子たちと入れ替わりで、かなめ、テッサ、マオの三人が入浴している最中だ。
「な、なに……?」
身を硬くするかなめとテッサを、マオがなだめる。
「あー。大丈夫よ。クルツたちが花火で遊んでるだけだから」
「あれが花火……?」
「それになにか、悲痛《ひつう》な感じの怒号《どごう》とか泣き声とかが、聞こえるような……」
「気にしない、気にしない。のんびりしてましょ、のんびりと」
しっかり持ち込んできた日本酒を楽しみつつ、マオはのんきに言った。
自分にこれほどの力が眠っていたとは、思いもよらないことだった。戦友《とも》の無念《むねん》を背中に負って、信二は斜面を爆走《ばくそう》する。
正面に新たなセントリー・ガン。電気銃の端子《たんし》がこちらを向いた。
「ぅ……ぅわああぁぁぁ――っ!」
信二は覚醒《かくせい》した。脳裏《のうり》でマカダミア・ナッツみたいな種が落ちてきて、ぱちんと弾《はじ》けた。
跳躍《ちょうやく》。接近《せっきん》。
そのままセントリー・ガンを蹴《け》り飛ばす。吹き飛ぶマシン。着地、疾走《しっそう》。さらに現れた二つのセントリー・ガンを、クルツのライフルで正確に破壊し、駆け抜ける。
(見えるよ、クルツさん! 僕にも敵が見える……!!)
地雷が、トラップが爆発した。信二は構わず、ぼろぼろになりながらも突っ走る。旅館が近づいてきた。露天風呂が。中央に仕切り板が見えるが、まだ死角で中は見えない。だが覚えている。目標は――女湯は確かに左側だったッ!!
一気に行く! 逃がしはしない!
もはや自分が見えていないとか、そういうツッコミなど知ったことかっ!!
「こっちだあぁぁぁぁ――っ!」
信二は助走し、大地を蹴った。背後でトラップが派手《はで》に爆発する。その爆風になかば吹き飛ばされるようにして、彼は目指す露天風呂の柵《さく》をぶち破《やぶ》った。
「ぐっ……があっ!」
[#挿絵(img2/a01_169.jpg)入る]
浴場の湯船、その手前の床《ゆか》に、信二はたたきつけられた。這いつくばり、全身ぼろぼろ。露天風呂には、湯気と煙とがたちこめていた。
「く…………」
信二は苦しげに顔をあげ、腰に手を伸ばした。デジカメ……そう、デジカメを使うときだ。だがそのカメラは、地雷の破片《はへん》を受けて、まっぷたつにひしゃげていた。ならば、せめて肉眼で――彼は口の端《は》の血を拭《ぬぐ》い、ひび割《わ》れた眼鏡《めがね》をかけ直す。ぼんやりとした湯気の向こうに人影があった。
湯気が晴れていく。相手が見えた。
「ここまで来るとは驚《おどろ》いたぞ。だが……」
そう言ったのは、宗介だった。折り畳んだ手ぬぐいを頭に乗せ、ずん、と仁王立ちしている。凄絶《せいぜつ》な戦いの末に信二が見たものは、それがすべてだった。
「言い忘れていた。実は九時から、男湯と女湯は入れ替わるのだ」
「……そんなオチ、あり……?」
もう動く力は残っていなかった。信二はがっくりと頭をうなだれ、湯船に顔面をつっこみ、ぶくぶくと泡を吹いた。
そんな調子の温泉旅行。そのほかにも、あれこれと事件はあったのだが――
それはまた、別の話である。
[#地付き][おしまい]
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よいこのじかん〜|マオ《まお》おねえさんと|アーム・スレイブ《あーむ・すれいぶ》にのってみよう〜
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<ミスリル> 西太平洋|戦隊《せんたい》の陸戦《りくせん》ユニットには、大きく分けて二つの部隊がある。特別対応《とくべつたいおう》班(SRT)と、初期《しょき》対応班(PRT)だ。このうちSRTの方は、相良《さがら》宗介《そうすけ》やメリッサ・マオ、クルツ・ウェーバーやベン・クルーゾーが所属《しょぞく》する精鋭《せいえい》チームである。彼らはPRTには手に負えない種類《しゅるい》の作戦を担当《たんとう》している。
しかし、SRTの人数はごく少ない。日頃《ひごろ》の作戦行動のほとんどは、PRTの人員がこなしているのである。SRTの人間ほどではないが、PRTの彼らも実戦《じっせん》経験が豊富《ほうふ》で、高い技能《ぎのう》を持つ傭兵《ようへい》たちだ。<トゥアハー・デ・ダナン> 戦隊の実質的《じっしつてき》な戦力は、PRTが担《にな》っているといってもいい。
PRTには六つの専門《せんもん》チームがある。水陸両用戦を専門とするチームや、屋内への突入《とつにゅう》を専門とするチーム、電子戦や情報戦を専門とするチーム……そして、アーム・スレイブの運用を専門とするチームなどなど。
PRTの兵士たちは、そうした各チームを定期的に異動《いどう》し、それぞれの分野で専門知識を身につけていく。あらゆる技能に通じている兵士こそが、特殊部隊《とくしゅぶたい》では求められるからだ。ゲームなどでは基本の「このキャラはこれが得意《とくい》。あのキャラはあれが得意」といった振《ふ》り分けでは困るのである。専門バカの集まりでは、チームのだれかが死んだときに、代わりがいなくなってしまう。
だから宗介は狙撃《そげき》技能もかなりのものだし、クルツは電子戦の知識でも並みの兵士を上回り、マオは生身での偵察《ていさつ》作戦について一流の技能を持っている。ただ、だれにも負けないほどの最先端《さいせんたん》の技能と才能を持っている分野《ぶんや》が、それぞれ違うというだけの話なのである。
さて――
<ミスリル> はそういうポリシーの部隊なので、ASの操縦《そうじゅう》経験がないPRTの兵士も、ASの運用と戦術のなんたるかを学ばされることになる。特にここ半年あたりは、陸戦ユニット総指揮官《そうしきかん》のカリーニン少佐の考えで、どんどんその方針《ほうしん》が徹底《てってい》されるようになってきている。おかげでPRTの隊員のほとんどは、いまやASの搭乗資格保持者《とうじょうしかくほじしゃ》だ。
ところが、よりにもよって万能《ばんのう》選手のSRT要員に一人だけ、ASにはほとんど触《さわ》ったことさえない隊員がいた。
ウルズ9のコールサインを持つ、ヤン・ジュンギュ伍長《ごちょう》である。
彼は他の面ではきわめて優秀《ゆうしゅう》で、総合的《そうごうてき》に高い技能を持つ兵士なのだが――不思議《ふしぎ》な巡《めぐ》り合わせか、これまでの経歴《けいれき》でASにはまるで縁《えん》がなかったのだ。本人は特に気にしていない。自分が付《つ》け焼《や》き刃で学ぶよりは、ほかの専門家《せんもんか》たちに、ASのことは任せておけば いい――そう思っていた。
ところが前述《ぜんじゅつ》の事情《じじょう》で、そうもいかなくなってきた。ヤン伍長はクルーゾー中尉《ちゅうい》にしつこく勧《すす》められた結果、しぶしぶとASの操縦法と運用法を学ばねはならなくなったのである。彼が教えを請《こ》う相手は、戦隊でもトップクラスのAS操縦兵でもある、メリッサ・マオ少尉《しょうい》だった。
そのいち:のるまえにてをあらおう
「え〜〜。と、いうわけで」
咳払《せきばら》いしてから、マオが切り出した。
「きょうは初心者のヤンくんに、お姉さんがAS操縦の基本《きほん》を伝授《でんじゅ》します。かなりマニアックな内容になるかと思います。あと、オチとか萌えとか、ありません」
「あれほど楽屋ネタはやめろって言われてるのに……いきなり全開だね」
「気にしない。では行きましょー」
マオはバイオレットのワンポイントが入った、いつもの黒いAS操縦服|姿《すがた》だった。ライダーのツナギのようにも見えるが、この操縦服は防弾《ぼうだん》・防|刃《じん》・耐火《たいか》・対衝撃機能《たいしょうげききのう》があり、さらにエアコン的な機能も備《そな》えている。まことに優《すぐ》れものの装備《そうび》なのだ。この操縦服のまま、生身《なまみ》で戦ってもいいくらいなのである。
「……で、ヤンくん。操縦服の具合《ぐあい》はどうかしら?」
「うん……まあ、ちょうどいいよ。すこしキツい感じもするけど」
マオと同じタイプの黒い操縦服を見下ろして、ヤンは言った。初めて着るAS操縦服に、ちょっとだけわくわくしていたりする。
「文句《もんく》を言うなぁ!!」
いきなり教官の蹴《け》りが入って、ヤンは地面に叩きつけられた。
「な、なにするんだよ!?」
「服が合わないんだったら、自分を服に合わせなさいっ! ペーペーの新人のために、高価な操縦服をあつらえてやる余裕《よゆう》など、我《わ》が部隊にはないっ! いいわねっ!?」
「はあ……」
「ちなみにいま、あたしは割《わり》と容赦《ようしゃ》なくあんたを蹴っ飛ばしたけど、あんまり痛くなかったでしょ。なぜだかわかる?」
「えーと。この操縦服の衝撃吸収《しょうげききゅうしゅう》機能のおかげ……?」
「その通り。この操縦服の衝撃吸収層に使われている高分子素材《こうぶんしそざい》は、ビルの四階から落ちてきた生卵さえも、割らずに受け止めることができるのよ」
本当である。こうした素材は実在する。
「AS本体の衝撃吸収システムでも拾いきれなかった強烈《きょうれつ》なショックから、この服は操縦兵を守るの。おかげであたしの肌《はだ》は、青アザを作ることなく美しい状態《じょうたい》で保たれているわけ。特にM9級の高運動性能を持つASに搭乗《とうじょう》する場合、こうした装備《そうび》は必須《ひっす》だわ」
「でも、ソースケはアーバレストに乗るとき、着てないことが多いけど……」
「揚《あ》げ足をとるなぁ!!」
容赦ない蹴りがヤンを襲《おそ》った。
「ソースケが操縦服なしで乗るのは、緊急《きんきゅう》のときだけでしょ。順安《スンアン》での事件のとき、宗介がこの操縦服を着て <サベージ> に乗っていたら、その後のああいう負傷は避けられたでしょうね。ついでにいえば、あの救出作戦のときクルツがこの服を着ていなかったら、死んでいたかもしれない。それくらい、ありがたい服なのよ。わかったわね?」
「うん」
のろのろと身を起こしながら、ヤンがうなずく。
「じゃあ、搭乗前の手続きをしましょう」
二人がいるのはメリダ島|基地《きち》の演習場《えんしゅうじょう》のはずれ――なだらかな丘陵《きゅうりょう》地帯の一角であった。時刻は午後一時。空は晴れ、太陽はぎらぎらと熱い。かたわらには、二機の第三世代型アーム・スレイブ――M9 <ガーンズバック> が降着姿勢《こうちゃくしせい》をとっている。
きわめて人型に近いスマートなシルエット。戦闘機《せんとうき》パイロットのヘルメットを思わせる頭部。肩の装甲には、小さくそれぞれ『E―005』『E―008』のナンバーが入っている。E―005号機の方は、以前、テッサとマオが大喧嘩《おおげんか》したときに使われた機体だ。
ヤンは機体に搭乗する前に、土下座《どげざ》をしているような降着姿勢のM9の周囲《しゅうい》を、ぐるりと一周した。目に見える関節駆動部《かんせつくどうぶ》に、異物《いぶつ》が詰《つ》まっていたり、液漏《えきも》れが起きたりしてないかを、しっかりとチェックする。
「そう! 操縦兵自身が目視で点検を行うこと。M9の場合、AIが機体を自己|診断《しんだん》することができるけど――それで完璧《かんぺき》とは言えないわ。もし万一、脚部《きゃくぶ》周りの関節《かんせつ》に深刻《しんこく》な故障《こしょう》があった場合、どうなると思う?」
「えーと……最悪の場合、機体を直立させたときに転倒事故《てんとうじこ》を起こし、周囲の器材《きざい》や人員を巻き込む危険があるんだよね。それから――その故障に気づかずに走行した場合、いきなり脚部が吹き飛んだりして、操縦者が大けがをするような大事故になったりします」
「重さ一〇トンの機械《きかい》が動くんだからね。ナメちゃだめよ。……チェックは済んだ?」
「済んだよ。問題ないです」
「よろしい。では搭乗」
ヤンは機体の足首にあるレバーをひねり、搭乗用の縄ばしごを展開させた[※1]。この段階《だんかい》でまごついたテッサとは異なり、さすがにヤンはすいすいとはしごを登っていく。
「登ったよー」
「じゃあコックピットに」
そのに:きみのともだち、あーむすれいぶをおこしてあげよう
ヤンがM9のコックピットにすべりこんだ。
「入ったよー」
ASのコックピットは、操縦者の全身を包み込むような構造《こうぞう》で、手足を通す穴がある。両腕《りょううで》を通すと、その奥にジェット戦闘機《せんとうき》を彷彿《ほうふつ》とさせるスティックがあって、ヤンはそれをぐいっと握《にぎ》った。このスティックにはいくつものスイッチやダイヤル、トリガーが付いている。操縦者はこのスティックのスイッチ類《るい》を操作《そうさ》するだけで、機体の細かい制御《せいぎょ》がほとんど行えるようになっている。
スティックの親指があたる部分には、小さなアナログ式のポインティング・ディバイスがある。このディバイスで、画面上のカーソルを動かすことができる。人差し指のとどく位置には、ゲーム機でいうところの『A(○)ボタン』と『B(×)ボタン』が配置されている。これで『決定』と『キャンセル』を操作する。このたった三つを使うことで、ほとんどの操作が可能《かのう》だ。家庭用ゲーム機の操作パッドと同じ概念《がいねん》である。文字や数字の入力も可能だが、それらは基本的《きほんてき》に音声で行われる。
もちろん、その他にも様々なスイッチ類が配置《はいち》されている。
いくつか、重要《じゅうよう》なスイッチ類を挙《あ》げておこう。
まず、火器の発砲《はっぽう》を行うための|引き金《トリガー》。これは戦闘機などにもあるので、想像しやすいだろう。拳銃《けんじゅう》と同じように人差し指で引けば、機体の主兵装《しゅへいそう》や副兵装を発射《はっしゃ》する。誤射《ごしゃ》や暴発《ぼうはつ》を避《さ》けるために、トリガーには小さな安全レバーがついている。
次に、ASの『手』――すなわちマニピュレータを操作するためのホイール・スイッチがある。これについては後述《こうじゅつ》する。
そして『音声入力スイッチ』。これは第二世代型AS以降、機体の操作に必要|不可欠《ふかけつ》になっている。小指で簡単《かんたん》に押せる位置にある、このスイッチを押し込みながら、操縦兵は様々な命令を口頭でコンピュータに伝えるのだ[※2]。
ほかにも『マスター・モード選択《せんたく》』、『優先ターゲット切り替《か》え』、『兵装《へいそう》/発射モード選択』、『索敵《さくてき》モード選択』、『通信方式の切り替え』、『スクリーン表示切り替え』、『予備A』、『予備B』などなど、慣《な》れていないと目が回りそうなスイッチの数だ。だがこれでもM9は、AIの支援《しえん》でずいぶんと操作が簡単になった方なのである。古い機種《きしゅ》になると、前述のスイッチ類だけではまったく足りないので、スティック以外の場所にも、たくさんのスイッチがレイアウトしてある。これらを冷静に、反射的《はんしゃてき》に使いこなせるようになるためには、大変な時間の訓練《くんれん》が必要だ。
ちなみに第二世代型のM6は『扱《あつか》いやすい』と定評《ていひょう》だが、それだってM9よりはずいぶんと煩雑《はんざつ》な操作《そうさ》を必要とする。油圧|制御《せいぎょ》、燃料《ねんりょう》制御、パワー制御、各種センサーのオン・オフ、運動マネージャの選択、バイラテラル角の設定、エトセトラ、エトセトラ……。テッサがマオと勝負したときにM9でなくM6を選んだのは、機体の反応速度《はんのうそくど》と安定性の問題だ。テッサは運動|神経《しんけい》はゼロだが、頭はいい。複雑《ふくざつ》な機体システムの制御とマネージメントについては、やはり並大抵《なみたいてい》の人間では追いつかないくらいの飲み込みの早さだったのである。だから、M6を使う方がむしろ有効《ゆうこう》だったのだ。<ミスリル> 使用のM9が『超・上級者向け』といわれる由縁《ゆえん》は、実戦でその性能を完全に引き出すための、もっと高等な操縦技術の世界での話だ。そちらはあまりにも専門的かつ有機的《ゆうきてき》で、それこそ分厚いマニュアル一冊分でも説明できないほどの話になってしまう。
「さて――これからどうするんだっけ?」
『ったく……午前の座学《ざがく》で教えたでしょ? まず、APU起動《きどう》スイッチを押して。スティックの根元に付いてるボタンの、一番左よ』
ヤンは従《したが》った。APU――すなわち補助《ほじょ》電力ユニットが起動し、たちまち真っ暗だったスクリーンに灯《ひ》が入る。コックピットのスクリーンは、操縦者の頭部を被《おお》うように湾曲《わんきょく》している。解像度《かいぞうど》はきわめて高く、M9のセンサが捉えた外の風景をカラーで表示し、必要に応じて様々なデータのウィンドウを重ねて投影《とうえい》する。ただし、APUを起動しただけのいまは、風景は映らない。青い画面に白い文字がずらずらと並び、オペレーション・システムのバージョン、機体のシリアルや所属部署《しょぞくぶしょ》、各プログラムのチェック項目などを表示していく。
『M9に搭載《とうさい》されたヴェトロニクス(車載《しゃさい》電子機器)は、それだけで莫大《ばくだい》な電力を消費するわ。このスイッチで起動したのは、必要最低限のCCU(中枢《ちゅうすう》制御ユニット)だけよ。AIはすでに作動しているから、姓名、階級、認識《にんしき》番号を音声入力してやって』
AIも同時にヤンの素性《すじょう》を質問してきた。彼は音声入力スイッチを押して応《こた》える。
「ヤン・ジュンギュ伍長。B―3120」
ヤンのデータはすでに、指揮官《しきかん》の承認《しょうにん》を得てM9に入力してある。機体のAIはヤンを操縦者と認《みと》め、その旨《むね》を音声と文字の両方で表示した。
<<声紋照合《せいもんしょうごう》。確認《かくにん》。ようこそ伍長、ご命令を>>
機体が恭順《きょうじゅん》を示したことに気をよくして、ヤンは意気揚々《いきようよう》とこう命じた。
「ハッチ閉鎖《へいさ》!」
<<ラジャー>>
がくん、とにぶい振動《しんどう》がして、M9の上半身が複雑にスライドする。内壁《ないへき》と外壁がそれぞれ動き、コックピット・ハッチを閉鎖した[※3]。
「できたよ! ハッチが閉《し》まった!」
『よし。ちなみにM9のコックピットは完全|密閉《みっぺい》式よ。なぜだかわかる?』
「えーと。対NBC(核《かく》・生物・化学)防御《ぼうぎょ》と、水中行動機能、高々度|降下機能《こうかきのう》が備《そな》わっているからだったね」
『そう。コックピット内の気温も、快適《かいてき》とまでは言えないまでも――作戦行動には支障《ししょう》がないレベルに保つことができるの。感謝しなさい。エアコン付きよ』
そのさん:あーむすれいぶとおはなししよう
ようやくハッチを閉じるところまで来た。ヤンはマオにたずねる。
「次は?」
『マスター・モード≠フ設定。マスター・モードが何かは分かる?』
「えー……なんか、いろんなモードをまとめた奴《やつ》だよね」
『各モードを言ってみなさい』
「えーと……ごめん」
マオが無線の向こうでうなり声をあげた。どうやらあきれているらしい。
『なんのために朝からあんたに退屈《たいくつ》な個人授業をしてやったと思ってんの!? いい? もう一回言うわよ!?……まず、操縦モードが一〇種類。火器|管制《かんせい》モードが一一種類。索敵モードが九種類。ECSの作動モードが四種類。通信モードが六種類。GPLが五種類![※4]わかった?』
「そんなにたくさん、使いこなせないよ!」
『だからマスター・モードがあるんでしょ。実際《じっさい》の作戦で使うことになる組み合わせはせいぜい五、六種類。それをまとめて指定《してい》するのがマスター・モード』
「はあ」
『たとえばマスター・モード3は普通、遠距離《えんきょり》での敵との遭遇が予想される状況《じょうきょう》での隠密《おんみつ》歩行《ほこう》で使うの。操縦モードは半主従操縦A=A火器管制モードは光学・自動半|照準《しょうじゅん》=A索敵モードはすべてのパッシブ・センサによる索敵=AECSのモードは不可視《ふかし》=A通信モードはVHF=AGPL――つまり動力レベルは巡航《クルーズ》=Bいちいち指定するのは面倒くさいし、緊急時《きんきゅうじ》は混乱《こんらん》するから、操縦兵はまとめてマスター・モード3≠ニ指示《しじ》するだけでいいの。理解《りかい》できた!?』
「いや、あの、その」
超《ちょう》初心者のヤンには混乱、また混乱である。慣《な》れればむしろ簡単で、少し濃《こ》いめのPCゲームに親しんだ人間なら、『あ、そういうことね』とうなずける仕組みなのだが――
「あ、えーと……で、いまは何て指示すればいいのかな」
『マスター・モード7よ。とりあえず機体《きたい》の動かし方をのみこむために、あたしが特別に設定してやったの。もっと細かい熟練者《じゅくれんしゃ》向けの設定値――バイラテラル角やモーション・マネージャの設定、照準誤差《しょうじゅんごさ》の補正《ほせい》モードや最優先ターゲットの選定|基準《きじゅん》とかは、覚えなくていいから』
「もう、なにがなにやら……。っていうか、そこまで考えてる作者って、正直、どうかと思うんだけど」
『うるさい! いいからさっさと言われた通りにする!』
マオにどやしつけられ、ヤンはあわてて音声入力スイッチを押し込んだ。
「ま、マスター・モード7」
<<ラジャー。モード7。BMSA1・3。設定完了>>
機体のAIが淡々《たんたん》と応《おう》じ、さらに様々な起動手順を報告していった。真っ青だったスクリーンに、有無《うむ》を言わさぬ勢《いきお》いで文字が表示されていく。
<<MPU点火。メーン・コンデンサ接続《せつぞく》。電荷《でんか》上昇中。全ヴェトロニクス起動。機体制御ユニット。機体診断ユニット。パッシブな知覚ユニット。戦術データユニット。火器管制ユニット。メーン・バランサ。すべて起動。CCUとのリンクを確立《かくりつ》。完了。モード7に基《もと》づくセンサを起動。ジャイロを初期化《しょきか》。GPSの位置データを初期化。E―008号機からの通信に応答中。リンク確立《かくりつ》。点検項目A群を実施《じっし》。完了。B群を実施。完了。C群を実施。限定的《げんていてき》に完了。最終点検項目を実施。限定的に完了。最終起動シィークェンス。確認を、伍長>>
たちまちヤンは悲鳴《ひめい》をあげた。
「な、なんか色々言ってるよ? あの、わけわかんないんですけど!?」
『あー、いいの、いいの。こっちでもモニターしたから』
どうやらマオは、すでにもう一機のE―008号機に乗り込み、起動を済ませているらしい。
『儀式《ぎしき》よ、儀式。まあ……急いでるときは、こういう手続きもすっ飛ばせるけどね。あんたは承認《しょうにん》≠チていえばいいの』
「それだけ?」
『それだけ』
「あ、えーと……。こほん。承認=v
<<ラジャー。光学センサの映像を表示>>
コックピットのスクリーンが明滅《めいめつ》し、頭部の光学センサ――つまり機体の『目』が捉《とら》えたカラー映像が表示される。両|腕《うで》をついた降着姿勢なので、数メートルの高さから見下ろした地面が視界《しかい》いっぱいに映っていた。
<<全関節のロックを解除《かいじょ》しますか?>>
『それも承認して』
「えー、承認」
<<ラジャー。全ロック解除>>
たくさんの『ジーー、ガチャ』という金属音とサーボ・モーター音が、機体のあちこちから聞こえてくる。それまで微動《びどう》だにしなかった機体が、ほんのわずかに傾《かたむ》いたような気がした。いや、実際に傾いたのだ。非常《ひじょう》にゆっくり、かすかに右へ。続いて左へ。
『間節のロックが解除されたわね? いまあなたのM9は、固定状態からネガティブ・バランス状態≠ノなったの。制御系と駆動《くどう》系が働いて、機体をその姿勢に保っているわけ。たとえるなら、カチコチの石像《せきぞう》が生身の人間になったようなものね[※5]』
「なるほど……」
操縦者の自分が下手に動いたら、機体はそのまま脇《わき》を下にして倒れてしまうのではないか――そう思って、ヤンは身を硬《かた》くした。
『まだ大丈夫よ。音声操縦モードだから、手足を動かしても機体は反応しないわ。まずは立とうか。左の方の音声入力スイッチを押して、直立≠ニ命令して』
「ちょ……直立」
<<ラジャー>>
機体が動いた。コックピットががくがくと小刻《こきざ》みな振動《しんどう》を伴《ともな》いながら、大きく揺れる。ヤンの体は一気に五メートルばかり宙《ちゅう》へと持ち上げられる。大きなブランコかなにかにでも乗っているような感覚だった。スクリーンの映像もめまぐるしく動く。たちまち地面一色だった画面が、電信柱《でんしんばしら》のてっぺんから見たような演習場の風景《ふうけい》に変わった。
そのよん:げんきよくあるこう
「わわっ……!」
高い。揺れる。おっかない。
M9が直立すると、ヤンは思わず悲鳴をあげてしまった。すかさずマオがのんびりと告げる。
『あわてない。ちょっとびっくりするけど、すぐに慣《な》れるわ。直立したASの視点《してん》は、ほぼ八メートル。ヘリから降下《こうか》するときは、もっと高いこともあるでしょ?』
「そ……そうだったね。ははは」
ASのことを除《のぞ》けば、ヤンは優秀な兵士だ。空中でホバリングするヘリから、ロープ一本で降下する作業など、飽《あ》き飽きするほどやっている。
『いま、あんたの機体はまっすぐに立っている状態《じょうたい》。正面、一〇〇メートル先の地面に、ライフルが置いてあるのが見える?』
「ああ。見える」
スクリーンの映像をにらみ、ヤンは応《こた》えた。演習場の地面に、AS用のライフルが置いてあるのが彼にも見えた。
[#挿絵(img2/a01_191.jpg)入る]
『これから音声操縦を切って、あのライフルまで歩いてもらうわよ。右側の音声入力スイッチを押して、操縦モード変更《へんこう》。セミ・マスタースレイブ、ブラボー≠ニ命令しなさい』
「操縦モード変更。セミ・マスタースレイブ、プラボー」
<<ラジャー。操縦モード変更。セミ・マスタースレイブ、ブラボー>>
AIが復唱《ふくしょう》。
『さあ、これからは下手に動かないこと! 機体はあんたの動きを、忠実《ちゅうじつ》にトレースするわよ。試《ため》しに右腕だけを、ちょっと動かしてみなさい』
「りょ、了解《りょうかい》……」
ヤンはおそるおそる、自分の右腕をすこしだけ持ち上げてみた。その動作を読みとり、機体の右腕がすうーっと前に出ていく。下げてみると、機体の腕は素直《すなお》に元の位置の近くへと動いていった。
「おお……。これなら、わりと……」
おもしろい。何度か右腕を動かしていると、マオが言った。
『前にソースケとテッサが大失敗したからね。反応を最低限にしてあるわ。腕でだいたいの感じが掴《つか》めたら、歩いてみなさい。普通に自分で歩くのよりも、かなり控《ひか》えめな歩幅《ほはば》のつもりで、ゆっくりとね』
後方視界の映像が、スクリーンの下端部《かたんぶ》に表示されている。ヤンのM9のすぐ後ろには、マオの乗るM9が立っていた。
「わかった。……じゃあ、いくよ?」
『ゆっくりよ、ゆっくり』
子供の頃、はじめて補助輪《ほじょりん》なしの自転車に乗った記憶が、ふと蘇《よみがえ》る。
モンスター・カーのスロットルを踏《ふ》むように、慎重《しんちょう》に右足を前に出す。機体が反応する。コックピットがぐらりと傾いた。前に倒れ込むような感覚。まずい、失敗したか――と思ったときに、がくんと衝撃《しょうげき》がして、機体が止まった。ちょうど機体の右足が、つっかえ棒《ぼう》になったような感じだった。
いま、ヤンのM9は右足を一歩だけ前に踏《ふ》み出した状態《じょうたい》で静止《せいし》していた。
続いて左足を出す。M9はもう一歩前に出る。さらに右足。
「歩けた。歩けたよ、マオ!」
『簡単《かんたん》でしょ? 操縦者がだいたい意図《いと》した通りに、コンピュータが機体を制御してくれるの[※6]。そのままゆっくり、ライフルの前まで歩いて』
ヤンは言われた通りに、M9をまっすぐ歩かせた。
『そうそう。さすがは元走り屋。飲み込みが早いあわ。……スクリーン正面の表示に注目。左右に揺れてる線があるでしょ。てっぺんにマル印があって、機体の動きに合わせて伸《の》び縮《ちぢ》みしてる線』
図にすると[○────⊥]といった形の表示である。上端の[○]は細かく動いて、下端の[⊥]は固定されている。
「ああ。あるよ」
『それが|速度ベクトル表示《ヴェロシティ・ベクター》=B機体の動いている方向と、その速度を示しているの。いまは緑色でしょ? その線が緑色のときは、安全な機動≠フ範囲内《はんいない》。走ると黄色くなって、線の長さもいまの倍以上になる。黄色は注意が必要な機動≠諱Bで、全力|疾走《しっそう》したり、跳躍《ちょうやく》すると――』
「赤になる?」
『そう。それが危険な機動=Bま、戦闘機動のときは、ずっと赤だったりするけど。その表示が緑のときは、まあ――転んだりしてもまず大丈夫よ。……っと。そこで停止《ていし》』
地面に置かれたライフルのそばまで来た。ヤンは機体を停止させる。小刻《こきざ》みに揺れていたヴェロシティ・ベクターが、長さゼロになってぴたりと止まった。
『あと一歩前へ。そこでひざまづく』
「ひざまづく? そんなの、やったことがないよ」
『だったら挑戦《ちょうせん》する! ほらほら!』
がつん、と強い衝撃《しょうげき》が来た。マオが後ろから、ヤンの機体を小突《こづ》いたのだ。
「あわ……!」
前のめりにM9が倒れる――いや、倒れそうになったところで、機体が膝《ひざ》をついた。
「あれ?」
『ビビってんじゃないの。これくらいなら、機体がちゃんと対応してくれるわよ』
「ははあ。すごいね」
ヤンは素直《すなお》に感心した。
そのご:あーむすれいぶはやさしくてちからもち
いま、彼の機体はAS用の四〇ミリライフル――エリコン・コントラヴェス社製『GEC―B』の前に跪《ひざまづ》いている。手を伸《の》ばせば、すぐに届《とど》く位置だ。
『さて、次! 今度は機体の右手で、このライフルを拾《ひろ》い上げなさい。スティックのマニピュレータ操作スイッチ≠ヘ分かるわね?』
「あ、うん。これだね」
スティックを握った右手の親指を動かすと、その親指の腹《はら》に、くるくると回して操作できるホイール・スイッチがあたる。マウスについているあれと同じだ。
ここの講釈《こうしゃく》はちょっと長い。
ASという兵器の最大の利点《りてん》は、人体を摸したことにある。ワシでも、ライオンでも、サメでもない。運動性やステルス性、防御力《ぼうぎょりょく》において、それらの猛獣《もうじゅう》よりもはるかに非効率《ひこうりつ》な構造《こうぞう》の人体が、なぜ『兵器』のモデルになりうるのか?
それは『手』があるからだ。
戦闘における人体の最大の利点とは、柔軟《じゅうなん》にモノをつかみ、武器を使いこなす『手』があることだ。『手』があるから、人間はどんな地形も移動《いどう》できるし、状況《じょうきょう》に応じて武器をすばやく切り替《か》えられる。
ならば、ライオンやワシの体に人間の腕《うで》を取り付ければいい――そういうアイデアも、ASが生まれた初期にはあった。だが、使い物にはならなかった。おいしいところ取りだけを考えたキメラ的な構造《こうぞう》の機体は、数百万年の時間をかけて進化してきた人体の合理性《ごうりせい》には、バランス面でとうてい及《およ》ばなかったのだ[※7]。
戦闘中、とっさに手を使わなければならなくなる状況は、思いのほか多い。斜面《しゃめん》をすべり落ちそうになったときには、何かをつかんで姿勢を保つだろう。行動|不能《ふのう》になった味方機を、安全な場所まで引っ張ることもある。格闘戦になったときは、敵機《てっき》をつかんで引き倒《たお》す能力も必要だ。
こういうわけで、『手』はASにとって必要不可欠《ひつようふかけつ》な部位なのである。
左右のスティックに埋め込まれたホイール・スイッチを前後に軽く押したり引いたりすることで、操縦者はASの手に『にざる/ひらく』という動作をさせることができる。
実際に機体がモノを握るときの、細かい指の動きはコンピュータが制御してくれる。モノを握る力の加減《かげん》もだ。ホイール・スイッチにはフォース・フィードバック機能《きのう》がついていて、モノを握るとスイッチが重くなる。その抵抗に逆《さか》らって、強引にホイールを押し込んでいくと、つかんだモノを握りつぶすこともできる(握りつぶせないほど固いモノの場合は、一定の力を加えた段階で動作が止まる)。
もちろんデータ・グローブによるマスター・スレイブで、そうした動きを再現することも技術的には可能だ。だがその方式だと、操縦者は一度スティックから手を放さなければならない。マニピュレータ以外の操作が、ほとんどできなくなるのだ。親指で動かすホイールならば、スティックを握ったまま瞬時《しゅんじ》に操作できる。
ASが登場した初期は、データ・グローブ方式の機種も存在した。だが現在では、この『ホイール・スイッチ方式』が圧倒的《あっとうてき》な主流を占めている。
もちろんこの方式では『にぎる/ひらく』の操作だけなので、Vサインを出したり、中指を立てたり、紐《ひも》を結んだりといった複雑《ふくざつ》な動作は表現できない。そういう細かい指の動きを操作したい場合は、事前《じぜん》に記憶させておいたメニューの中から選ぶよりはかない(ホイール・スイッチを押し込んで、メニューを呼び出してホイールで選び、また押し込んで選択する)。
だが第一世代AS以来の実戦データから、ASが戦闘中に複雑で特殊《とくしゅ》な指の動作が必要になる状況は、ほとんどないことが統計的《とうけいてき》にはっきりしている。『にぎる/ひらく』だけで充分《じゅうぶん》なのだ。
『古今東西のロボットアニメで最大の謎《なぞ》とされてきた、いったいスティックだけで、どうやって機体のマニピュレータを操作しているのか?≠チていう命題《めいだい》の解答《かいとう》が、このホイール・スイッチなわけよ。どう!?』
なぜか自慢《じまん》げな様子で、マオが言った。
「はいはい。よく考えたよね……」
『なに、その投げやりな声は!?』
「うわーすごいなー! びっくり!」
『よろしい。では、ライフルをつかみなさい』
「じゃあいくよ」
ヤンは右スティックのホイール・スイッチに親指をあてて、ゆっくりと機体の腕をライフルに伸《の》ばしていった。
ホイールを手前に回すと、機体の右手が開いた。そのまま機体の手を、ライフルのグリップ部分へと誘導《ゆうどう》してやる。
マオがふざけて色っぽい声を出す。
『その調子、その調子。やさしく、恋人の胸にタッチするようにね。そうよ。上手。ああ、いいわ、素敵《すてき》……』
「黙《だま》っててくれよ! 気が散るだろ!」
『へいへい』
「……よーし……この辺か」
ライフルのグリップに、M9の手のひらがあたる。スティックにその感覚が伝わってきた。ホイール・スイッチを奥へと回す。機体の指が閉じていく。細かいグリップの角度などに合わせて、手首と五本の指すべてが、賢《かしこ》く、有機的《ゆうきてき》に動いていき――
「つかんだ……?」
『OK。そうしたら、ホイール・スイッチを続けて二回押す。そうすると、握った状態《じょうたい》で固定されるわ』
ヤンは従った。ホイール・スイッチをダブル・クリックしてから、指を放してみる。機体の手は、ライフルを握ったままだ。試しに右腕をあげてみると、ヤンのM9は重さ数百キロのライフルを軽々と持ち上げた。
「できた!」
『できないでどーすんのよ』
そのろく:いよいよほんばん。らいふるでひょうてきをはかいしよう
『……さて、武器は取った。こうやってAS用の武器を握ると、機体が自動的にその武器の種類やモデルを判別して、FCS(火器管制システム)のリンクを確立するわ[※8]。もう表示が出てるでしょ』
マオが言った通り、スクリーンの右側に、その旨がそっけなく表示されている。
右手の武器。兵器名はGEC―Bライフル(接続中)。残弾数は、四五連マガジン内に四五発、薬室内に一発(弾種は標的訓練弾《ターゲット・プラクティス》)。射撃モードはセミオート。安全|装置《そうち》は未解除《みかいじょ》。
「ああ。出てる」
『それじゃ機体を立たせて。できる?』
「ど、どうかな……よっと」
さっきは自動だったので、自分で立ち上がるのはこれが初めてだ。不安だったが、試してみる。すこしぎこちなかったが、機体は思いのほか素直《すなお》に、立て膝《ひざ》の姿勢から直立状態に戻った。
「できた!」
『平時にライフルを持って歩くときは、基本的に砲身《ほうしん》を上に向けること。暴発事故《ぼうはつじこ》はまずないけど、念のためね。なにしろ四〇ミリ弾《だん》よ[※9]。乗用車が一発で粉々になる威力《いりょく》だから。気を付けて』
「了解《りょうかい》」
『では次、射撃《しゃげき》。……正面を見て。丘の手前に標的《ひょうてき》があるでしょ。三〇〇メートルの距離《きょり》』
ヤンはスクリーンの風景に注目した。土が剥《む》き出しになった丘の斜面《しゃめん》に、標的が並んでいる。ベニヤ板に赤いペンキをスプレーしただけの、粗末《そまつ》な標的が全部で一〇枚。
「見えた」
『あれを撃ってもらうわよ。標的の照準《しょうじゅん》には、大きく分けて三つの方式がある。ちゃんと覚えてる?』
「えーと……自動照準、半自動照準、手動照準だっけ?」
『そう。自動照準は、腕の動作も含めてすべてFCSが行ってくれる。ターゲットを選んで、あとは撃つだけ』
マオ機からデータが流れ込んできた。ベニヤ板の標的すべてに、□マークが重なって表示される。
『四角いマークが出たでしょ? それがターゲット・ボックス。いま、あんたのM9は、あのベニヤ板をターゲットとして認識《にんしき》している。どうやってターゲットと認識させるか[※10[#「10」は縦中横]]は、今日は覚えなくていいわ』
「ほっ……」
『ちなみにターゲット・ボックスには、標的の種類によって色々な形がある。いま出てる四角マークは、低価値の構造物=Bこれを仮に対空車両≠セとすると――』
ふたたびマオ機からデータが来る。ベニヤ板の上の□マークが、ずらずらと△マークに変わった。
『この三角が、対空車両のシンボル。あのベニヤ板がASだった場合は――』
△マークが、今度は∩マークに変わった。
『その逆《ぎゃく》U字マークが、ASのシンボル。戦場で出会ったら、まず真っ先に撃破《げきは》すべきターゲットよ』
「ふむふむ……」
『じゃあ、親指のレバーでカーソルを動かして、一番左のターゲットを選択しなさい』
先ほどのマニピュレータ操作スイッチの上に位置する、ポインティング・ディバイスを左に傾け、『決定』を押す。
するとそれまでヤンの腕の動きをトレースしていた機体の腕が、ひとりでに動き出して、ライフルを左端の標的に向けた。同時にスクリーンの中でライフルの照準先を示すレティクルが動き、∩マークと重なる。この二つのマークはそれまで緑色だったのだが、重なった途端《とたん》に黄色に変わった。ピピピ、とビープ音が鳴って、スクリーン下のメッセージ表示|欄《らん》に<>の文字が出る。
『いま、M9は自動でターゲットをロックしてるわ。そのまますこし歩いてみなさい』
言われた通り、ヤンは機体を二、三歩前に出す。姿勢が変わっても、機体の腕が自動で動き、ライフルの砲身《ほうしん》をターゲットに向け続けた。
「狙《ねら》い続けてるね」
『そう。この自動照準モードは、腕部の可動範囲《かどうはんい》が許す限り、どう動いても標的を狙い続けるの。じゃあ、ライフルを活性化《かっせいか》させるわよ。左スティックの根元、いちばん奥に、アーム/セーフ<Xイッチがある。それを押すか、音声入力でマスター・アーム、オン≠ニ命令して』
「わかった。マスター・アーム、オン!」
単なる好みから、ヤンは音声入力した。
<<ラジャー。マスター・アーム、オン>>
警告音《けいこくおん》と共に、AIが即答する。スクリーンの中央下、マスター・アーム・インディケーターが赤く点灯し、兵装がいつでも発射できることを示した。黄色かったターゲットのシンボルが、ちかちかと赤く点滅《てんめつ》する。
『さあ、これでいつでもライフルが撃てるわよ。あとは右トリガーの安全レバーを外してから、トリガーを引くだけ』
「ゴクリ……」
故国《ここく》で徴兵《ちょうへい》されて、はじめて実弾訓練《じつだんくんれん》をしたときの緊張感が蘇《よみがえ》る。こういう初々《ういうい》しい気持ち、忘れてたなぁ、などと頭の隅《すみ》っこでふと思った。
『では、任意《にんい》に射撃《しゃげき》してよし。撃て!』
つっかえ棒になっている小さな安全レバーを外し、ヤンはトリガーを引いた。
発砲《はっぽう》。
思っていたよりも、反動はきつくなかった。さっきマオのM9に小突かれたのよりも、ずっと小さな衝撃《しょうげき》だ。
音も予想とは違った。『ダン!』というよりは、もっと低くてくぐもった『ブンッ!』という感じの音だった。
四〇ミリ砲弾が、狙いたがわず命中する。
見事《みごと》に――というか、当たり前のことなのだが、標的のベニヤ板は煙のようにばらばらになって吹き飛んだ。
「当たった! 当たったよ、マオ!」
『当然《とうぜん》よ。次は隣《となり》の標的。同じように撃ってみなさい』
AIが自動的に隣のターゲットを照準していた。マークが赤く点滅している。
発砲。命中。
『ほい、その隣』
発砲。命中。
「わー、当たる当たる! 簡単《かんたん》だ!」
『止まってる目標ならね。これが動くと――まあ、なかなか当たらないのよ』
ぼやくようにマオが言った。
「そうなの?」
『そうなのよ。それに戦闘中は、自機も動かないと危険でしょ。敵も動いて、自分も動く。だからますます当たらない。もちろん、敵機の未来位置をコンピュータが予測して射撃する機能はあるけど、相手がASの場合は、その予測がひどく難《むずか》しいの。ASっていうのは、動きが直線的な普通のヴィークルとは全然違うのよ。ほとんどの方向に一瞬で動けるから。横っ飛びしたり、跳ねたり、転がったり、伏《ふ》せたり』
「ははあ……」
『そうなると、いま使った自動照準モードは、AS相手の実戦ではほとんど使えないのよ。敵機が次にどう動くかを読めるのは、熟練《じゅくれん》した操縦兵の勘と経験だけ。いまのコンピュータにはとても無理《むり》ね。それで、半自動か手動の照準を使うことになるわけ。フェイントや当てずっぽうも必要になるし、一見|不合理《ふごうり》な機動や射撃も要求《ようきゅう》されてくる。そこから先の戦術は、もう一日や二日じゃ教えられないわ。素質《そしつ》やセンスも大事だから、だれにでも習得《しゅうとく》できるものではないしね』
[#挿絵(img2/a01_207.jpg)入る]
「なるほど……」
ヤンは妙《みょう》に感心した。超ハイテクの陸戦兵器、アーム・スレイブの世界でも、けっきょく勝敗を決するのは、人間の領分《りょうぶん》になってくるのだ。
『本当なら通信や航法《こうほう》、索敵、機体の隠蔽《いんぺい》、もっと高度な火器管制、AIにはできない機体システムのマネージメント、地形の利用や敵機種の特性、小隊戦術、損害《そんがい》制御なんかもマスターしなきゃならないのよね。それでやっと半人前。格闘戦の方法も触れなかったし。<|デ・ダナン《うち》> でM9を運用するなら、空挺降下《くうていこうか》や水陸両用戦も学ぶ必要があるわ』
ずらずら並べ立てられて、ヤンは気が遠くなるような心地《ここち》がした。
「そ、そこまで覚えるのは、さすがに……」
『無理《むり》でしょうね。ま、きょう教えたのは、本当に基本中の基本。立って、歩いて、武器を持ち、撃つ=Bこれだけよ』
いやまったく。
ここまで紙数を費《つい》やしたのに、ヤンがやったことと言ったら、乗って、歩いて、撃っただけだったりする。
「あ、あの……その。本当にこれだけ? これでおしまいなわけ!?」
『そーよ。それがなにか?』
上機嫌《じょうきげん》な声で笑うと、マオのM9はえっへん≠ニ胸を反《そ》らした。
[#地付き][おしまい]
[#改ページ]
[※1]
この縄《なわ》ばしごの形は、[HHHHH]といった普通《ふつう》のはしごではなく、ステップが折り畳みできる有刺鉄線《ゆうしてつせん》型のはしごである。登りにくいが、収納《しゅうのう》スペースが小さくて済む。
[※2]
ちなみに宗介が最近のアルにイライラしている理由《りゆう》のひとつは、音声入力スイッチを押していないときの言葉にまで、アルが反応したり感想を述《の》べたりするからだったりする。
[※3]
ハッチの開閉はスイッチ操作で行うこともできる。スティックの根元にあるいくつかのスイッチのひとつがそれで、左右を同時に押すことで操作する。また、緊急時の機体|脱出《だっしゅつ》用として、操縦者の胸部を保護《ほご》するパッドの上部(胸元《むなもと》のあたり)にも『緊急開放レバー』がある。このレバーは、口でくわえて思い切り引っ張ることで作動する。この操作で機体の頭部が爆発《ばくはつ》ボルトで吹き飛ばされて、コックピットの天井《てんじょう》に脱出用の穴《あな》があく。
[※4]
たとえば操縦モードの一〇種類は、遠隔《えんかく》操縦二種、音声操縦二種、簡易《かんい》操縦二種、半|自律《じりつ》操作、完全自律操作、半主従操作二種。もっとも使う半主従操作には、長時間の巡航《じゅんこう》に向いたフットペダル方式(行軍中、ずっと足をガチャガチャやるのは疲れるので、両足を任意《にんい》の方向に傾けることで機体の歩行を制御する)と、戦闘機動に向いたマスター・スレイブ方式(跳躍《ちょうやく》や横っ跳び、蹴りや障害物《しょうがいぶつ》の踏破《とうは》などの動作は、直感的に操縦者の足で制御した方が良い)の二種がある。
[※5]
このロック状態とロック解除《かいじょ》状態の違いについては、アニメ第一作の第五話、格納庫《かくのうこ》内で宗介の乗った <サベージ> がギリギリで動くシーンが必見。
[※6]
この動作の翻案《ほんあん》と実行を行うソフトウェア群《ぐん》が、モーション・マネージャと総称されている。機体の性能を最大限に引き出し、自分の癖《くせ》に合わせるため、熟練者《じゅくれんしゃ》はこのマネージャの設定と調整を頻繁《ひんぱん》に行う。たとえばクルツは、狙撃《そげき》に特化《とっか》した自分専用の設定データを持っている。そうしたデータは実戦や演習のたびに研究部に提出《ていしゅつ》され、ソフトウェアのアップデートに利用されることになる(ただ、クルツの設定はクセが強すぎるのだが)。
M9搭載のモーション・マネージャやその他のプログラムは、頻繁にヴァージョン・アップされている。そのためハイジャックのとき(四月)とクリスマスのとき(一二月)では、細かい起動手順や設定手順が、若干《じゃっかん》異《こと》なっている。
[※7]
これらはASの出自が装甲強化服であることも大きく関係している。
ただ、それらの事情《じじょう》を差し引いても、ASという兵器は『人型』にこだわりすぎている面がある。その開発史の裏では、『人型』を強く押しすすめる有形無形《ゆうけいむけい》の政治的|圧力《あつりょく》があった。ほとんどの人々はこの事実を知らないが、ごく一部の専門家や軍事関係者、政治関係者は、なにか目に見えない超国家的な存在が、不合理《ふごうり》な面を知りながらも『人型』にこだわっていることを、漠然《ばくぜん》と感じている。
ちなみにキメラ的な機体《きたい》の研究はいまでも続いており、まったく顧《かえり》みられなくなったわけではない。事実、M9の関節構造には、ネコ科の動物や昆虫《こんちゅう》の持つ利点が取り入れられている(その外見からは分からないが)。
クモなどの構造を模倣《もほう》するプランも存在しており、こちらも研究中である。クモ型|多脚《たきゃく》戦車は、従来《じゅうらい》の技術ではいろいろと問題があって実用化が難《むずか》しかったのだが、最近はそうでもなくなってきており、にわかにその可能性が注目され始めている。
[※8]
機体の手のひらには、ライフル側とデータのやりとりな行う端子《たんし》がついている。発射方式や照準|補正《ほせい》など、様々な情報が行き交いするほか、最終的な撃発《げきはつ》信号も手のひらから発信される。この方式は、ほとんど万国共通である(細かい仕様の違いはあるが)。
つまり通常の発砲時、ASは人間のように、『火器のトリガーを人差し指で引く』という動作を行わないのだ。ではなぜ、こうしたAS用の火器に人間用そっくりのトリガーが付いているのかというと、このトリガーは、非常時、緊急時のための強制撃発装置なのである。なんらかの故障や気象条件などで、通常の撃発方式が使えないときのみ、ASはこのトリガーを使う。
[※9]
この場合の四〇ミリ弾とは、AS用に開発された新しい弾種のことである。九〇年代前半のころまでは、AS用火砲の主流は二五ミリと三〇ミリの機関砲《きかんほう》で、弾薬も従来のもの(戦闘ヘリや装甲車などの弾)をそのまま使っていた。しかしソ連軍の <サベージ> や、その他の装甲車を相手にするには、従来の三〇ミリ弾はやや攻撃力不足だったため、現在の四〇ミリ弾が新規《しんき》開発された。GEC―Bの四〇ミリ弾は最新技術の液体炸薬《えきたいさくやく》を採用したケースレス弾で、携行性《けいこうせい》と速射《そくしゃ》性、装甲|貫通力《かんつうりょく》に優れている。
クルツや宗介が好んで使う五六ミリ弾も、AS用に新規開発された弾種のひとつだが、技術的にはオーソドックスなものである。装甲貫通力は四〇ミリを上回るが、携行性や速射性は劣る。クルツは持ち前の射撃センスでそれを補《おぎな》い、宗介は『絶対に外さない距離』まで敵に接近《せっきん》することでそれを補っている。
AS用火砲の中で最大のものは、ラインメタル社製の九〇ミリ・ライフル砲。人間のスケールなら二〇ミリのバケモノ対物ライフルみたいなものなので、あんまり使わない。
[※10[#「10」は縦中横]]
通常《つうじょう》、FCSはAIと協調して、ターゲットを自動的に選定する。たとえば戦車があれば、その形状や動き、熱分布などから、それが戦車だということを瞬時に認識《にんしき》する。また、その機種も詳《くわ》しく判別できる。M9は世界中の兵器や車両、航空機などのデータを持っており、また該当《がいとう》しないヴィークルに対しても、それがどういった種類の兵器なのかを、かなり正確に類推《るいすい》することができる。
このため、操縦兵がターゲットをFCSに指定する手間は通常、ほとんどかからない。ただしベニヤ板ででっちあげたターゲットのように、脅威《きょうい》や価値がないものについては、その都度《つど》指定してやる必要がある。初心者のヤンだとまごつくので、マオは自分がベニヤ板をターゲットに指定してから、そのデータをヤン機に流してやったのである。
M9のFCSは人間もターゲットとして認識可能《にんしきかのう》で、戦闘員か非戦闘員かも、ある程度《ていど》は区別できる。ただ、迷彩服《めいさいふく》を着てライフルを持った兵士は『戦闘員』と認識できるが、派手《はで》なアロハシャツを着て手製爆弾を小脇《こわき》に抱えたゲリラは『非戦闘員』と認識してしまう。こうした微妙《びみょう》なターゲットの選定は、操縦兵の仕事である。宗介がボン太くんの形を気に入った理由のひとつに、着ぐるみを敵と認識《にんしき》できない、このFCSの盲点《もうてん》がある……かどうかはさだかではない。
[#改ページ]
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[#挿絵(img2/a01_218.jpg)入る]
[#改丁]
ある作戦直前の一幕《ひとまく》
[#改ページ]
スクリーンの映像《えいぞう》は薄暗《うすぐら》かった。
外部の風景《ふうけい》で映《うつ》っているのは、赤い非常灯《ひじょうとう》に照らされた金属《きんぞく》の骨組《ほねぐ》みとパイプ類ばかりだ。消火|装置《そうち》と、その注意書きも見える。
飛行中の輸送機《ゆそうき》の格納庫内《かくのうこない》。
ターボファン・エンジンの爆音《ばくおん》が、細かな振動《しんどう》となって伝わってくる。
降下《こうか》作戦の開始まで、あと一時間だ。
専用《せんよう》のガイドレールに固定され、そのアーム・スレイブ――ARX―7 <アーバレスト> は待機していた。コックピットの中の宗介《そうすけ》は、黙々《もくもく》と読書にふけっている。スクリーン内の一角に窓《まど》を開き、あらかじめ入力しておいた文書ファイルを表示《ひょうじ》させ、真剣《しんけん》な表情《ひょうじょう》で頭にたたき込《こ》む。
あいにく、作戦|要項《ようこう》の書類ではなかった。きのうの古文の授業《じゅぎょう》のレジュメである。とかく兵隊というのは、待つ時間が多い。その時間を勉強にあてることで、なんとか宗介は苦手科目の落第点《らくだいてん》を回避《かいひ》しているのだった。
例文の一つを、繰り返し読み返す。
古池《ふるいけ》や 蛙《かわず》飛び込む水の音――
古い池にカエルが飛び込んで水の音がした。
――だから何だと言うのだ?
「まったく分からん……」
こと古文について、自分はこの言葉を何十回つぶやいただろうか。
宿題の解答《かいとう》に直訳《ちょくやく》だけ書いたら、古文の教諭《きょうゆ》は『ダメだ』という。そこから連想される、もっと大事なことを述《の》べろ、と。彼は仕方なく『古い池にカエルが飛び込み、水の音がした。その昔に驚《おどろ》いた新兵が、隠密行動中《おんみつこうどうちゅう》だったのに発砲《はっぽう》してしまった。たった一発のその銃声《じゅうせい》のために作戦は台無しになり、味方《みかた》部隊は大損害《だいそんがい》を被《こうむ》った』と書いて提出《ていしゅつ》したら、『ふざけるな』とノートで頭をはたかれた。
別にふざけてなどいない。自分はいつでも大まじめだ。
ここまで努力しても分からないとなると、これはもはや、自分の生まれや育ちに起因《きいん》する問題ではないのではないか? そもそも才能《さいのう》というか、先天的な脳《のう》の作りからして無理《むり》な点があるのではないか? 数学や化学はすいすい理解《りかい》できるのに。なぜ古文だけはダメなのだろう?
<<なにが分からないのでしょうか、軍曹殿《ぐんそうどの》>>
陰気《いんき》な男の声。機体《きたい》のAIシステム <アル> が言った。
まただ。いつもこうだ。音声入力スイッチを押《お》してないのに、こちらの独《ひと》り言にまで勝手に反応《はんのう》してくる。
「おまえには関係ない。黙《だま》っていろ」
<<現在《げんざい》閲覧中《えつらんちゅう》のファイルR―063cの内容《ないよう》でしたら、助言できますが>>
「古文の復習《ふくしゅう》だぞ。おまえに分かるものか」
<<いいえ。例としてファイルR―063cの三行目の中世日本の定型詩《ていけいし》を解説します。この詩が表現しているのは、単なる事実関係ではありません。その状況がもたらした余韻《よいん》と静寂《せいじゃく》を連想させるのが狙いなのです。難解《なんかい》な修辞詩《しゅうじし》を廃《はい》しながら、人間心理に適切《てきせつ》なイメージと情動を伝えることに成功したポエムの傑作《けっさく》です>>
「…………」
おそらく、正解である。宗介はその文の解釈に、一時間以上も悪戦苦闘《あくせんくとう》してきたというのに。
<<私の言語能力《げんごのうりょく》がきわめて高水準《こうすいじゅん》であることを、ご理解いただけましたか?>>
「……どうせネットワークに接続《せつぞく》して検索《けんさく》したんだろう」
<<もちろんです。使える情報《じょうほう》はすべて使うべきです>>
「それを学生の世界では『|カンニング《チート》』というんだ」
<<データリンク能力を最大限に活用することが、なぜ『|ずる《チート》』に?>>
「訓練《くんれん》にならないからだ」
<<そうでしたか>>
そこはかとなく、すましたようなアルの声(いや、もちろん気のせいだろうが)。
<<では独力《どくりょく》で解決を。私には頼らないでください>>
「俺《おれ》がいつ貴様を頼った……!?」
ついつい声を荒《あら》らげると、通信|回線《かいせん》から笑い声が入った。クルツ・ウェーバーからだ。彼の乗るAS――M9 <ガーンズバック> は、宗介の機体の隣《となり》に、同様の姿勢《しせい》で格納《かくのう》されている。
「なにがおかしい、クルツ」
『おかしいに決まってるだろ。おまえとそのAIの会話ときたら……』
機内だけで使う有線の回線を開放していたので、自分とアルの会話はクルツにも聞こえていたのだろう。
「言っている意味がわからんな」
『いや、だってよ。まるでいつものカナメとおまえみたいなんだから。その <アル> ってのは最強のボケ役だな。おまえも顔負けだよ』
<<お褒《ほ》めにあずかり光栄です、ウルズ6>>
『ほら、な? くっくっく……』
無線の向こうで笑いをかみ殺すクルツ。
彼の言う意味が全部わかったわけでもなかったが、愉快《ゆかい》な話でないことくらいは宗介にも想像《そうぞう》できた。
「人の苦労を笑って楽しいか?」
つっけんどんに宗介は言った。
「おまえが俺の立場なら、いまごろ癇癪《かんしゃく》を起こして周囲に悪態《あくたい》をまき散《ち》らしているところだ。忍耐力《にんたいりょく》のかけらもないからな」
『……ンだと?』
クルツの声がむっとなった。
『そりゃ、おめえ、俺が狙撃屋《そげきや》と知った上で言ってんのか?』
「射的《しゃてき》の腕《うで》は認《みと》めるが。狙撃兵としてはどうだか知らん」
有能《ゆうのう》な狙撃兵には常人離《じょうじんばな》れした忍耐力が要求《ようきゅう》される。卓越《たくえつ》した知性《ちせい》と判断力《はんだんりょく》もだ。それを踏まえた上での言葉だった。
「そもそも、<|ミスリル《ここ》> に来る前に俺が知り合った狙撃兵は皆《みな》、自分から『狙撃屋だ』などと言ったりしなかった。『狙撃もできる』と謙虚《けんきょ》に言う程度《ていど》だ」
それ自体は宗介の実体験《じったいけん》からくる感想だった。だが彼の言葉は、スペシャリスト揃《ぞろ》いの集団《しゅうだん》の中でも屈指《くっし》の腕を持つクルツ・ウェーバーのプライドを傷《きず》つけるのに充分《じゅうぶん》だった。機械相手にたまったストレスを、身近な戦友にぶつけてしまった格好《かっこう》だが、それすら当事者の二人は自覚していなかった。
冷たい声でクルツは言う。
『この野郎《やろう》……。そのエセ狙撃兵に、さんざん助け船よこしてもらってるのはどいつだ? てめーのドジの尻拭《しりぬぐ》いをしてやってんだろうが。それを――感謝《かんしゃ》どころか、その物言いとはな……!』
「頼《たの》んだ覚えはない」
『いい度胸《どきょう》じゃねえか。次からは背中《せなか》にも気をつけな。弾は前からばかり飛んでこねえぞ』
「やってみろ。乱戦《らんせん》は俺の得意《とくい》とするところだ。背後《はいご》の敵《てき》もきれいに始末《しまつ》してやる」
クルツは『はっ』と嘲《あざけ》りの笑いを漏《も》らした。
『そんなヒマなんざ、くれてやるかよ』
「なんだと?」
『いつも見てんだ、てめえの背中はガラ空きだぜ。俺の気まぐれで、ちょいとターゲットを変更《へんこう》して、かるーく人差し指を動かせば――』
仰向《あおむ》けの格納姿勢《かくのうしせい》のまま、クルツのM9の頭部が九〇度動き、隣《となり》で待機《たいき》する <アーバレスト> へと向いた。センサー部分から、ごくまれに使用される照準用《しょうじゅんよう》の赤外線レーザーが照射《しょうしゃ》される。
アラーム音。
クルツからのレーザーを検出したアルが、<<警告《けいこく》。E―006号機からの照準レーザーを感知>>と告げた。
『ズドン! だ』
レーザーが消える。
『ほんと、マジ楽勝だよ。動きのクセはワンパターンだし、フェイントもすぐに見抜《みぬ》けるからな。まったく、てめえくらいの腕前《うでまえ》の奴《やつ》が、チームの前衛《ポイントマン》だなんてよ。<|ミスリル《ここ》> の人材不足も相当なもんだぜ』
「いつでも代わってやるぞ。貴様では五分で即死《そくし》だろうがな」
『こっちの台詞《せりふ》だ、タコ。ターゲットも決められないで、オロオロした挙《あ》げ句《く》に味方は全滅《ぜんめつ》だな。でもって、半ベソかきながらみんな、すまない≠ニか言うんだよ。あー、みっともねえ』
<<お二人とも。口論《こうろん》は作戦後にお願いします>>
アルが口を挟《はさ》むが、二人は完全にそれを無視《むし》した。
「思い上がるのも大概《たいがい》にしろ。貴様程度《きさまていど》の狙撃兵など、いくらでもいる」
『バーカ。てめえの代わりこそ、掃《は》いて捨《す》てるほどいるんだよ』
「口先だけの射的屋よりはましだ」
『だったらてめえは何だ? むっつりネクラの童貞《どうてい》野郎が、大口|叩《たた》くな』
「支離滅裂《しりめつれつ》だな……」
『ああ!? スカしてんじゃねえぞ、コルぁ!?』
そこで通信に、女の怒鳴《どな》り声が割《わ》って入った。
『二人とも! いい加減《かげん》にしなさいっ!!』
チーム・リーダーのメリッサ・マオである。
『でもよー、ねーさん!? こいつが――』
「だがマオ。この男が――」
同時に抗弁《こうべん》しようとする二人を、海兵隊出身の彼女がもう一度ぴしゃりと遮《さえぎ》った。
『だまれ! あたしはいい加減にしろ≠ニ言ったのよ!? あんたらが殺し合うのは勝手だけどね、アルの言うとおり、せめて作戦が終わってからにしなさい。だいたいあたしに言わせりゃね、あんたたちは新兵以前の、クソッタレの、両生類の小便ほどの価値《かち》もない存在《そんざい》よ! そんな最低のウジ虫|野郎《やろう》どもが一人前に口論《こうろん》なんざ、神が許《ゆる》してもあたしが許さない。それ以上、発情したメス犬のわめき声みたいな雑音《ざつおん》を聞かせる気なら、いますぐコックピットから引きずり出して、あたしのクソをテメーらの口に詰《つ》めこんで縫《ぬ》いつけてやる! わかったわね!?』
まさしくマシンガンのような勢《いきお》いでまくしたてる。二人は渋々《しぶしぶ》と口をつぐんでから、
『了解《りょうかい》』
と、つぶやいた。
『言ってみなさい、あんたらのケツはだれのもの!?』
『メリッサ・マオ曹長のものです』
二人は同時に言った。
『あんたらの金玉はだれが握《にぎ》ってる!?』
『メリッサ・マオ曹長です』
やはり二人は同時に言った。
『よろしい。以後は私語厳禁《しごげんきん》』
わだかまりの空気を残しながらも、輸送機内《ゆそうきない》の口論は終結《しゅうけつ》した。
「まったく…‥」
無線《むせん》のチャンネルを閉鎖《へいさ》してから、マオは舌打《したう》ちした。左手のスティックの通信ダイヤルを操作して、回線を輸送機の機長につなぐ。
『大丈夫《だいじょうぶ》か、マオ?』
「申《もう》し訳《わけ》ありません、中尉《ちゅうい》。うちのクソガキどもが退屈《たいくつ》してるだけです。もう済《す》みましたので」
『そうか。おまえも大変だな』
「ええ、まったく。ホントあいつらと来たら……って」
マオは咳払《せきばら》いしてから、小さく頭《かぶり》を振《ふ》る。
いかん、いかん。気持ちが愚痴《ぐち》モードに突入《とつにゅう》しかけた。
「ありがとうございます、中尉。ですが大丈夫です。ご迷惑《めいわく》をおかけしました」
『降下《こうか》のときにヘマは困《こま》るぞ』
「はい」
『二万人の命がかかってるんだからな』
「承知しております、サー」
彼らの輸送機は現在《げんざい》、赤道近くの小国・ナバナ共和国《きょうわこく》へと飛行中だ。
その作戦を依頼《いらい》したのは、内情《ないじょう》不安定で自国の軍部《ぐんぶ》を統制《とうせい》できなくなった、文民出身の大統領《だいとうりょう》だった。危機《クライシス》の内容《ないよう》は『おきまり』のものだ。国内の少数民族が住んでいる地域《ちいき》に、軍部が『テロリスト殲滅《せんめつ》のため』といって進撃《しんげき》した。首都での爆弾《ばくだん》テロがそのきっかけだったのだが、<ミスリル> の情報では、このテロは軍部の自作自演《じさくじえん》だと判明《はんめい》している。
進撃しているのはナバナ陸軍第一六連隊だ。民間人への虐殺行為《ぎゃくさつこうい》や武器《ぶき》横流しで悪名高い部隊である。そしてその部隊の侵攻《しんこう》ルートには、二万人の少数民族が暮らす難民《なんみん》キャンプが位置しているのだ。
このままでは少数民族への敵意《てきい》をむき出しにした軍が、のろのろと避難《ひなん》する二万人の難民を蹂躙《じゅうりん》することになる。彼ら難民がキャンプを離《はな》れ、国連軍の監視下《かんしか》にある州都《しゅうと》まで脱出《だっしゅつ》する――その時間を稼《かせ》ぐのがマオたちの任務《にんむ》だった。
すでに国軍が支配している橋を強襲《きょうしゅう》して破壊《はかい》。
戦力を分断《ぶんだん》した後に、敵の先遣隊《せんけんたい》を遊撃《ゆうげき》して混乱《こんらん》させつつ後退《こうたい》。
遅《おく》れて到着《とうちゃく》する <ミスリル> の輸送ヘリに拾《ひろ》ってもらって、島の北端《ほくたん》から脱出する。
マオたちの水準《すいじゅん》からすれば、そう難《むずか》しい作戦ではない。その国の状況が、やはり『おきまり』で胸《むな》くそ悪いのは、どうしようもないことだったが。
『そもそもだ』
機長は言った。
『陸戦ユニットのSRT(特別対応班《とくべつたいおうはん》)ってのは、謙虚《けんきょ》で冷静沈着《れいせいちんちゃく》、経験豊富《けいけんほうふ》な人間が選ばれるはずじゃないのか?』
「はい。いちおう、そういう方針《ほうしん》のはずです……」
『だというのに、いまの喧嘩《けんか》はなんだ? おまえらの不機嫌の虫が、俺のクルーにまで伝染《でんせん》しかけてる。ちんぴらの兵隊を三人落っことすんじゃないんだぞ? 一〇トンの高価《こうか》なハイテク装備《そうび》を、三機落とすんだ。ミスは許されない。それがわかってるのか?』
「はっ。肝《きも》に銘《めい》じております……」
『あの体たらくでは、おまえの管理能力《かんりのうりょく》も怪《あや》しいもんだ』
「先任下士官《せんにんかしかん》としての責務《せきむ》を果《は》たすべく、より一層《いっそう》の努力を誓《ちか》います、サー」
……と厳粛《げんしゅく》に答えながらも、マオは自分の頭の中の仮想空間《かそうくうかん》――見たこともない機長の部屋で、テーブルをひっくり返してビール瓶《びん》を壁《かべ》に投げつけ、金属《きんぞく》バットを振《ふ》り回し窓《まど》ガラスや食器を叩《たた》き壊《こわ》して、ヒステリックな雄叫《おたけ》びをあげていた。
|あたしの、知ったことかっ!!《アーイ・ドン・ギヴァ・ファック!!》
そんなマオの心情などつゆ知らず、機長は締めくくった。
『わかればいい。注意しろ』
「イエッサー」
回線を閉じて、深いため息をつく。
(……ったく。なんであたしが怒《おこ》られなきゃならないのよ?)
悪いのはあのバカどもでしょうが。だいたい、実際《じっさい》にヤバいヤマ踏《ふ》むのはあたしらなんだから、機長にしたってもう少しものの言いようってもんがあるんじゃないの? 板挟《いたばさ》みになるあたしの立場とか、想像《そうぞう》できないのかしらね? あー、もうやだ。先任下士官なんて、もうたくさん。決めた。将校になろう。クソったれの将校に。ギャラはちょっと、一時的に下がっちゃうかもしれないけど、少尉《しょうい》になった方がマシってもんよ。前からそういう勧《すす》めはあったんだし。……メリッサ・マオ少尉か。うん。まあ、それはそれでいいかもしれない。この作戦が終わったら、ベンと少佐に話すとしようか。
そこまで考えてから、マオは思い直した。
この作戦が終わったら――
そうだった。まずはそちらに集中しなければ。
機内の回線を開いてみる。彼女の命令通り、クルツと宗介は沈黙《ちんもく》を保《たも》っていた。どことなく、険悪《けんあく》な空気を感じる。マオにはそれがよく分かった。
さっきの二人の会話の流れにしても、いつもの喧嘩のようで、いささか様子が違《ちが》っていた。互《たが》いの個性《こせい》をバカにするのは毎度のことだったが、兵隊としての能力をとりあげて、中傷《ちゅうしょう》しあうようなことは滅多《めった》にない。
ひょっとしたら、チームの連係《れんけい》に悪い影響《えいきょう》が出るかもしれない。
(やれやれ。手ェ、打っとくか。降下までまだ五〇分以上あるし……)
二枚舌外交《にまいじたがいこう》か。あー。ウザい。めんどくさい。でも仕方ねーか。くそっ。
まずはクルツだ。
彼だけに聞こえる回線を選択《せんたく》し、マオはクルツを呼び出してみた。
クルツがイライラを抱《かか》えたまま、M9のコックピットの中で黙《だま》り込んでいると、マオが話しかけてきた。
『クルツ、聞こえてる……?』
当たりめーだろ、この暴力女《ぼうりょくおんな》が。ホットラインの回線なんぞ使って、いまさら何の話だってんだ。いきなり柔《やわ》らかくて女っぽい声、出しやがってよ。『憂《うれ》いを秘《ひ》めた』……とでも言うのか? あんたのそういう態度《たいど》に、何度もドキッとして踊《おど》らされてきたけどな、きょうは違《ちが》うぜ。
あれは、絶対《ぜったい》にソースケの野郎《やろう》が悪い。
譲《ゆず》る気はねえからな。
そう思いながら、クルツはつっけんどんに答えた。
「……ああ? なンだよ」
『もう。ガキじゃないんでしょ? 拗《す》ねないでよ……』
「む……拗ねてなんか、いねえよ」
なかば唇《くちびる》をとがらせて、クルツは言った。
『あんたがホントにカッとなったら、あたし、どうしたらいいか分かんないから……』
回線の向こうで、マオがふっとため息をつく。
「え……」
『ねえ、怒ってない?』
頼《たよ》るような相手の声に、彼はいささかとまどった。
「いや……心配すんなよ。大丈夫《だいじょうぶ》だから」
『……ホント?』
「決まってるだろ。俺はクールだぜ」
『うん。ありがと』
あっという間だ。この時点で、すでに八|割《わり》方マオのペースにはまっていることが、クルツには分かってない。彼は人類の半数を占《し》める単細胞《たんさいぼう》の種族――すなわち男なのである。
『ねえ、クルツ。あたしの立場、わかるよね?』
「ああ。わかってるさ」
『いろいろ我慢《がまん》させて、悪いとは思ってるの』
「いいって。しょうがないよ」
『あ……でも、こういう話してるの、ソースケには内緒《ないしょ》にしてね?』
「もちろんだよ。言わないから安心しな」
そう答えながら、クルツは小さな優越感《ゆうえつかん》に浸《ひた》っていた。
ま、そういうことだ。残念だったな、ソースケ。なんだかんだで、相談を受けるのは俺様なんだよ。けっきょくてめーは、お子ちゃま、ってことだ。へっへっへ……。
「あいつも大概《たいがい》、ガキだから。その辺はきっちりと割引いて考えてやらないと」
『でも実力はピカイチなんだから。ね? ちゃんと息を合わせてあげて?』
「ああ。でもなあ……」
ふと思い出して、クルツは渋《しぶ》い声になった。
『でも、なに?』
「さっき俺が言ったの、ありゃ本気だよ。ソースケくらいの腕《うで》の奴《やつ》はゴロゴロいる。あいつはちょっと、うぬぼれすぎだね」
毒《どく》っ気《け》たっぷりにクルツは言う。やはりまだ、先ほどの口論の怒《いか》りが残っていた。
『そう……?』
「世の中、上には上がいるんだよ。実際《じっさい》、俺は中東で傭兵《ようへい》やってたころ、あいつなんかよりもっとすごい敵とやり合ったことがある。ソースケなんか問題にならない。それほどすごい腕のAS操縦兵《そうじゅうへい》だった」
『へえ……』
それは彼の本音だった。
宗介をはるかに上回る実力の敵――その敵と互角《ごかく》に渡《わた》り合ったという自信があるからこそ、いまのクルツは宗介の戦闘技術《せんとうぎじゅつ》を批判的《ひはんてき》な目で見ることができるのだ。
「思い出すぜ。二年前のレバノンだ。あのころ俺は、西欧系《せいおうけい》の企業《きぎょう》が出資《しゅっし》した傭兵部隊にいてな。第二世代型だが、ASも装備《そうび》していた。俺はそのAS部隊の精密《せいみつ》火力|支援《しえん》チーム、つまりは狙撃砲《そげきほう》装備のAS小隊に所属《しょぞく》していたんだ――」
クルツ・ウェーバーが相良《さがら》宗介と共に、<ミスリル> に入ったのは一年前のことだ。それ以前の経歴《けいれき》は、ほとんど話したことがない。そしてクルツ自身は、<ミスリル> ほど装備が豊《ゆた》かではないものの、それなりの装備を保有《ほゆう》した傭兵部隊に所属していた。
クルツがその敵と遭遇《そうぐう》したのは、度重《たびかさ》なる戦闘で廃墟《はいきょ》と化した市街地《しがいち》だった。
黒こげの自動車。
崩《くず》れ落ちたビル。
クレーターだらけのアスファルト。
街のあちこちで放置《ほうち》された火災《かさい》が黒煙《こくえん》をあげ、空を鉛色《なまりいろ》に染《そ》めていた。
クルツのASは、ラインメタル社|製《せい》の狙撃砲を装備し、砲爆撃《ほうばくげき》から生き残っていた六階建てのビルの屋上に待機《たいき》していた。任務《にんむ》は味方AS部隊の進撃の支援だ。見通しのいいそのポイントから、五キロ近い遠方の敵を早期に発見、狙撃砲で仕留めるのがクルツの役割《やくわり》だった。
その頃のクルツは、すでにほとんど並《なら》ぶ者のない狙撃テクニックを身につけ、部隊の中でもトップクラスの腕前《うでまえ》だった。そう――生身《なまみ》でも、ASでも。
さっそく彼は困難《こんなん》な標的《ひょうてき》を二機しとめた。
ほどなく味方と交戦中の三機目も発見し、照準《しょうじゅん》。がれきの向こうにわずかに露出《ろしゅつ》した頭部センサーを、吹《ふ》き飛ばすつもりで発砲《はっぽう》した。
だが、その三機目が『問題の敵』だったのだ。
その敵機《てっき》の操縦兵は、まるで背中に目がついているかのように機動し、クルツの狙撃をぎりぎりでかわした。そしてその男は――予期せぬ方角からの狙撃にもたじろがず、ごく冷静に、クルツの味方ASを立て続けに二機、撃破《げきは》した。
まったく無駄《むだ》のない、洗練《せんれん》された動きだった。
狙撃される危険《きけん》を考えれば、市街地《しがいち》の中で姿《すがた》をさらしていい場所は限《かぎ》られている。その『三機目』はそれをすべて計算しつくした上で、至近距離《しきんきょり》の敵に狡猾《こうかつ》に迫《せま》り、単分子《たんぶんし》カッターで行動不能《こうどうふのう》にしていった。
かろうじて、敵の左腕を破壊《はかい》することはできた。穴《あな》だらけのビルの陰《かげ》に隠《かく》れた見えない『三機目』の位置《いち》を、砂煙《すなけむり》の巻《ま》き上がり具合《ぐあい》だけを頼《たよ》りに、瞬時《しゅんじ》に予測し、壁ごしに射撃《しゃげき》したのだ。
クルツの神がかった攻撃で左腕を吹き飛ばされた『三機目』は、撤退《てったい》するかのように見えた。普通《ふつう》はそうだ。四肢《しし》に損傷《そんしょう》を受けたASは、できるだけ早く後退するのがセオリーなのだから。
だが、その『三機目』は違《ちが》った。
市街地の遮蔽物《しゃへいぶつ》を最大限に活用し、『三機目』はクルツの機体へと接近《せっきん》を試《こころ》みてきた。クルツはあらかじめ決めておいた狙撃ポイントを変更《へんこう》して、巧妙《こうみょう》な待ち伏《ぶ》せをかけてやったが――それすら、その『三機目』は絶妙《ぜつみょう》の状況判断《じょうきょうはんだん》でしのいでみせた。二重、三重の罠《わな》さえ、その操縦兵は苦もなくかわした。
おそるべき勘《かん》。おそるべき技能《ぎのう》。
こんな敵に出会ったことは、かつて無《な》かった。
やがて射程《しゃてい》距離まで接近してきた『三機目』が、クルツ機のひそむ廃墟《はいきょ》に発砲してきた。AS同士の射撃戦だ。『三機目』の操縦兵は機体の性能《せいのう》と地形をフル活用し、クルツに肉薄《にくはく》してきた。しかし彼も無能ではない。仕掛け爆弾と不意打《ふいう》ちを駆使して、その凄腕《すごうで》を迎《むか》え討《う》った。
結果《けっか》は引き分け。
その敵ASは残された右腕にも損傷を受け、やむなく引き下がっていった。クルツの方も、唯一《ゆいいつ》の火砲《かほう》である狙撃砲を撃《う》ち尽《つ》くし、攻撃能力をほとんど失って後退するしかなかった。
『――もちろん、顔も名前も知らないけどな』
クルツがマオに回想《かいそう》を語り終えた。
『その敵とやり合ったのは、そのレバノンの時だけだ。まあ……認《みと》めるよ。ホッとしてるところもある。次に戦ったら、勝てるかどうか……』
「ははあ……」
曖昧《あいまい》な相槌《あいづち》を打ちながらも、マオは素直《すなお》に驚《おどろ》いていた。
確かにすごい操縦兵《そうじゅうへい》だ。このクルツ・ウェーバーを、そこまで追い詰めるとは。
「せめて名前だけでも分かってたらねぇ……」
『ああ。作戦本部に進言して、大金|積《つ》んででもスカウトしてもらうところだ』
ごくごく真面目《まじめ》な声でクルツは言った。
「いやはや。その操縦兵だけは、敵に回したくないわね」
『ま、そういうことだ。わかっただろ? 世の中広いんだよ。ソースケより腕のいい奴なんか、いくらでもいるってことさ』
「うん……」
マオは気の抜けた返事をしてから、大事なことを告げた。
「でも……それを理由に、バックアップに手を抜かないでよ?」
『ああ? 決まってるだろ!?』
語気を強めてクルツが言った。
『あのムッツリネクラ野郎《やろう》は、俺がケツ守ってやらなきゃ、何にもできねえんだから。わーってるよ。ちょっとあいつが図《ず》に乗ってるから、ムカついただけさ』
「そう?」
『そうだ。だから心配すんなって』
「ならいいけど……」
今度はしなを作った声ではなく、本音の気の抜けた返事を返してから、マオはクルツとの回線を切った。
直通回線をつなぎ直して、今度は宗介を呼び出す。
やはり、そこはかとなく不機嫌《ふきげん》な声だった。さっそく治療《ちりょう》に当たらねばならない。
「ソースケ?」
『…………』
「聞いてる?」
『……ああ。なんだ』
いつにもましてぶっきらぼうな返答。
「もう。ガキじゃないんだから。拗《す》ねないでよ」
『俺は拗ねてなどいない』
おまえもかい、とあきれながらも、マオは苦労《くろう》して甘《あま》えるような声を出した。
「ねえ、あんな風に怒鳴《どな》っちゃったけど、わかってね? あたしの立場はああだし、クルツはああいう奴《やつ》だから。あんただけが頼《たよ》りなの」
『…………』
「ソースケ?」
『……もちろん分かっている。いつも苦労をかけてすまない、マオ』
「ありがと。……あ、でもこういうこと言ったの、クルツには話さないでね?」
『ああ。約束する』
さっきまでとは違った、どことなく明るい声で宗介は答えた。
ことこういう点についていえば、宗介もやっぱり男なのよね……などと、どこか虚《むな》しい気持ちになる。
「ホント?」
『本当だ。クルツは精神的《せいしんてき》に未熟《みじゅく》な男だからな。俺が我慢《がまん》しなければ始まらない』
「うん、ありがと。でも、まあ……腕《うで》は確《たし》かなんだから。その辺は踏《ふ》まえてあげるんだよ?」
すると宗介は、先刻《せんこく》のクルツとまったく同じように、渋《しぶ》い声でうなった。
『うむ。……だが』
「だが、なに?」
『先ほど俺が奴に言ったことは、本当だ。クルツ程度《ていど》の狙撃兵など、いくらでもいる。奴は少々、自分の腕にうぬぼれすぎているな』
辛辣《しんらつ》な口調で宗介は言う。やはり先はどの口論が、まだ尾《お》を曳《ひ》いているようだった。
「そ、そう……」
『嘘ではない。世の中、上には上がいるのだ。現《げん》に俺は中東で傭兵《ようへい》をやっていたころ、クルツなど問題にならないレベルの狙撃兵と交戦したことがある。すさまじい腕だった』
遠い記憶《きおく》を述懐《じゅっかい》するように、宗介はつぶやいた。
かたや、マオは――
「あのー。それって、もしかして……」
『思い出す。二年前のレバノンだ[#「二年前のレバノンだ」に傍点]。あのころ俺は、ある富豪《ふごう》が出資《しゅっし》したゲリラ部隊に所属《しょぞく》していてな。第二世代型だが、ASさえ装備《そうび》していた。アフガンでの経験《けいけん》を買われ、俺はAS小隊の一機を任《まか》されていて――』
「はあ」
マオはそれから二〇分間、先刻《せんこく》クルツから聞いたばかりの戦闘《せんとう》を、問題の『三機目』の操縦兵《そうじゅうへい》自身の口から聞かされた。
『――あとすこしだった』
宗介は感慨《かんがい》深げに言った。
『持てる技術《ぎじゅつ》のすべてを尽くしたが――しとめることなど、とうてい無理《むり》だった。残された機体の右腕も破壊《はかい》され、逃げ帰るしかなかったのだ。おそろしい男だ。あの敵が俺を殺さなかったのは、なにかの情《なさ》けだろう』
「いや、それ、ただの弾切《たまぎ》れだったらしいわよ」
『? なんの話だ?』
「…………。気にしないで」
いまさら真相《しんそう》を告げても仕方ない。マオは小刻《こきざ》みに手のひらを振《ふ》って、素知《そし》らぬ振りをした。
『……とにかく、そういう男が世間にはいるのだ。周到《しゅうとう》で用心深く、すさまじい集中力の持ち主だった。そしてクルツなど及《およ》びもつかない忍耐力《にんたいりょく》……。あの狙撃兵だけは、二度と敵に回したくないな。逆《ぎゃく》に味方にいてくれれば、どれほど頼《たの》もしいことか……』
「なんつーのか、狭《せま》い業界よねー……」
『? なんの話だ?』
「いいの。気にしないで」
どよんとした目で、マオはつぶやく。
そのとき、輸送機の機長が全員に告げた。
『こちらは機長だ! いまウェイポイント|H《ホテル》を通過《つうか》した! 高度九〇〇〇フィート! ハッチを開くぞ! 各AS搭乗員《とうじょういん》は準備《じゅんび》しろ!』
「……っと。ウルズ2、了解《りょうかい》!」
あわててマオが応える。
『ウルズ7、了解』
『ウルズ6、了解』
がくん、と輸送機が震《ふる》える。格納庫後部のハッチがゆっくりと開いていく。強い日光が差し込み、吹き込んだ乱流《らんりゅう》が格納庫《かくのうこ》で荒《あ》れ狂《くる》った。
『各AS搭乗員へ。現在の天候《てんこう》は晴れ。南西の風、六ノット――』
輸送機のクルーの声と同時に、たくさんの情報が機体のAIに流れ込んでくる。
『――以上、幸運を』
「感謝《かんしゃ》する! 聞こえたわね、野郎《やろう》ども!?」
マオが叫《さけ》ぶと、残りの二名――自覚ゼロの最高コンビが応《こた》えた。
『ウルズ6、了解《りょうかい》! 小便《しょうべん》ちびるなよ、ネクラ軍曹《ぐんそう》!?』
『ウルズ7、了解。貴様こそ足を引っ張《ぱ》るな』
まったく、困《こま》ったガキどもだ。
だが心配はいらない。まったくいらない。
「はいはい、OK! ついてきな!」
マオは自機を固定する電磁《でんじ》ロックの解放《かいほう》スイッチを押す。
たちまち床《ゆか》のレールを滑《すべ》って、彼女のM9が機外へと放り出されていった。
[#地付き][おしまい]
[#改ページ]
あとがき
この本は「月刊ドラゴンマガジン」およびドラゴンマガジン増刊「ファンタジアバトルロイヤル」に掲載《けいさい》された短編に加筆修正《かひつしゅうせい》し、短めの書き下ろし一本を加えた特別短編集です。普段《ふだん》の「?」が付く短編集と異なり、この本は <ミスリル> 側《がわ》の人々を扱《あつか》った特別な外伝をまとめてあります。そのためかミリタリー・テイストが強めで、しかも多分にマニアックな内容が多くなっております。
そんなわけなので、今回はあとがきもマニアックに参《まい》ります。
『音程《おんてい》は哀《かな》しく、射程《しゃてい》は遠く』
なんか、ちょっとウェットすぎるかなー、などと思ったりもしたのですが、わかりやすい方がちょうどいいくらいだとも思うので。
ところでつい先日、京都へ旅行に行ってタクシーを利用したのですが、その運転手の方(ご年配《ねんぱい》でした)とつらつら話しまして。ものすごいギターのマニアなんですわ。それだけならともかく、レスポール(バースト)の木材の話題《わだい》にからめて、なにげなく私が「そういや、ライフルの世界でも似《に》たようなことがあるみたいですねー」とかいったらもう大変《たいへん》。生き生きとした声で今度はライフルの超《ちょう》マニアックな話をはじめました。仕事上《しごとじょう》、それなりに調べた私も付いていくのがやっとなレベルで。それでもって、なぜかそのまま戦闘機《せんとうき》の零戦《ぜろせん》の話に突入です。これまた私でもチンプンカンプン。妙《みょう》な対抗心《たいこうしん》が芽生《めば》えて、「くそっ、この博学《はくがく》オヤジめ。だったら若者らしく最新鋭機《さいしんえいき》の話で思い知らせてやる」とか思って、F/A-22 <ラプター> の話題に引《ひ》っ張《ぱ》っていってやりました。でもって素材系《そざいけい》、特にチタン合金《ごうきん》の話をして「どうだ、ついてこれまい!」とか思ったら、その初老《しょろう》の紳士《しんし》が笑いながら一言。
「いやいやお客さん。その辺の部材《ぶざい》はもうとっくにカーボンファイバーですよ」
そうでしたね。おみそれしました。降参《こうさん》です……。
まさかタクシーの運《うん》ちゃんから、己《おのれ》の未熟《みじゅく》さ、青二才っぷりを思い知らされるとは。
みなさんもタクシーを利用するときは要注意《ようちゅうい》です。
『エド・サックス中尉《ちゅうい》のきわめて専門的《せんもんてき》な戦い』
なんというのか、『女子供《おんなこども》置いてきぼりシリーズ』の走りになったような話ですね……。
ひげ面《づら》のおっさんによるM9 <ガーンズバック> のディープな解説《かいせつ》。まるきりキャッチーなところのないお話です。せめてサックスを美青年か美女あたりにでも設定《せってい》しておけば……って、やっぱりそういう人々にはウケなさそうですが。
ちなみにこの話を書いたのは最初のwowow版アニメの放映期間中《ほうえいきかんちゅう》だったのですが、監督《かんとく》の千明《ちぎら》さんが気に入ってくださったみたいで、最終話|間際《まぎわ》にこのおっさん、アニメに出演《しゅつえん》しています。影《かげ》が薄《うす》いことで逆《ぎゃく》に人気なヤンくんは、いまだにスルーされてるのに(笑)。
『女神《めがみ》の来日(温泉《おんせん》編)』
このお話は異例中《いれいちゅう》の異例で、まずアニメ『ふもっふ』用にシナリオを書いてから、それを小説用に書き直したものです。アクションや絵、音、声優《せいゆう》さんの演技《えんぎ》が映《は》える箇所《かしょ》などは小説ではあまり生きないので、あえて削《けず》ったりいじったりしておりますが……。いろいろ難《むずか》しいところです。
あと、雑誌掲載時《ざっしけいさいじ》は女性読者に大不評[#「大不評」は太字]だった入浴《にゅうよく》シーンの描写《びょうしゃ》ですが、ビビって減《へ》らすどころか大幅《おおはば》加筆・増量《ぞうりょう》[#「大幅加筆・増量」は太字]してやりました。でも、やっぱりこれしきではあの『武本《たけもと》サーカス(勝手に命名《めいめい》)』には勝てそうにないっす。くそっ。
なんと申しましょうか。豪《ごう》○先生[#「豪○先生」は太字]があそこまでやって下さったんだし(これ自体は快挙《かいきょ》)、俺も[#「俺も」は太字]ガンガン書いちゃってもいいのかなー、いやあそこまでやらなくても、せいぜい乳首《ちくび》や陰毛《いんもう》の描写《びょうしゃ》[#「乳首や陰毛の描写」は太字]くらいなら濃密《のうみつ》にやってもアリかもしれないかなー、などと思ったりもしますが――
あー! 嘘です! 冗談《じょうだん》です! やりませんから! 怒《おこ》らないで! 見捨《みす》てないで!
……まあ、ね?
そっと手をつなぐだけでも、ちゃんとドキドキ感は出せるわけで。そういう気持ち、大切にしたいのじゃよねー。
いや、これはこれでやっぱり本音《ほんね》なんですが。
『よいこのじかん〜|マオ《まお》おねえさんと|アーム・スレイブ《あーむ・すれいぶ》にのってみよう〜』
増刊号という場所をお借《か》りして、徹底的《てっていてき》に趣味《しゅみ》に走った話(?)を試《ため》させていただきました。ちなみにこのエピソードに至《いた》っては雑誌掲載時、不評《ふひょう》どころか反応さえない[#「反応さえない」は太字]感じでした。友人に「どうだ?」と感想を聞いても、「どうだと言われてもなあ……」と言わんばかりでした。
まあ、無理《むり》もないことですが……。
私はリアル系のロボットアニメに目のない人間です。スパロボをプレイすると、不効率《ふこうりつ》を承知でザクやジムばかりに予算《よさん》・装備《そうび》をつぎ込むタイプです。でもって、バニング大尉《たいい》やバーニーの乗った機体《きたい》で、シャアのサザビーに止《とど》めを刺《さ》すことに無上《むじょう》の喜びを感じる男なのです。待ち合わせの場所で(ドトール)と聞くと、まず地上戦《ちじょうせん》に特化《とっか》したグラドス軍のSPTを連想《れんそう》します。
そんな私は子供のころから、「ああいうロボット、実際《じっさい》にあったらどうやって操縦《そうじゅう》できるんだろう」という疑問《ぎもん》を持ち続けてきました。のっぺりしたスティックを前に押すと機体が動くだけでは、納得《なっとく》できなかったのです。
考えました。異性《いせい》のことよりも考えてきました。本当です。
いまのところ自分的には、こういう感じなら劇中《げきちゅう》のほとんどの動作《どうさ》が可能《かのう》なのではないかと思っております。ちなみに第三世代型ASが、ATやバンツァー的なミリタリーテイストあふれる外観《がいかん》ではないのにも、自分なりの考えがありまして――(以下|略《りゃく》)
『ある作戦直前の一幕《ひとまく》』
当初から考えていたプロットなのですが、ダラダラ引き延《の》ばすのもどうかと思ったので、コンパクトにまとめさせていただきました。担当《たんとう》のS氏(女性)は、マオの気遣《きづか》いのあれこれに妙《みょう》にウケていたようです。ひょっとして、俺もクルツみたいに操《あやつ》られてる?
たとえば、あくまでフィクションだけど――
S「賀東《がとう》さん、怒《おこ》ってます?」
俺「(ぶすっと)怒ってないっスよ。大丈夫《だいじょうぶ》だから」
S「でもこういうこと相談できるの、賀東さんだけなんです……」
俺「……そ、そう? いや、俺はぜんぜん平気《へいき》だから」
S「本当ですか?」
俺「ホント、ホント。いつもごめん。気苦労《きぐろう》ばっかりかけて……」
S「いえ、いいんです(ニヤリ)」
……という構図《こうず》なのか!? そういうことなのかッ!?
公平《こうへい》を期《き》すため、とりあえずSさんのコメントを入れておいてもらいましょー。
S『そんな……。賀東さんだけが頼りなのに、あたし。……あ、でもこんなこと言ってるの、編集長とか他の作家さんには内緒にしてね?』
はい、ありがとうございましたー。このコメントを私が見るのは発刊後です。はらはら。
……以上です。
次はできれば秋ごろ、現在|連載中《れんさいちゅう》の長編『つづくオン・マイ・オウン』をまとめてお届《とど》けしたいと思っております(ちょっとまだわかりませんが)。長編の方は、どんどんハードな展開になってきております。クライマックスはまだ先ですが、ドラゴンマガジンでの連載の方もぜひチェックしてください。
さて、今回も散々《さんざん》お世話《せわ》になった皆《みな》さん、本当にありがとうございました。
次回も……って、この巻はそういうパターンがないわけですが。
それでは、また。
[#地付き]二〇〇四年 三月 賀 東 招 二
[#改ページ]
初 出
音程は哀しく、射程は遠く【前編】[#地付き]月刊ドラゴンマガジン2002年2月号
音程は哀しく、射程は遠く【後編】[#地付き]月刊ドラゴンマガジン2002年3月号
エド・サックス中尉のきわめて専門的な戦い[#地付き]月刊ドラゴンマガジン2002年5月号
女神の来日(温泉編)[#地付き]月刊ドラゴンマガジン2002年9月号
よいこのじかん〜マオおねえさんとアーム・スレイブにのってみよう〜[#地から5字上げ]ファンタジアバトルロイヤル
[#地付き]2003年8月号増刊
ある作戦直前の一幕[#地から13字上げ]書き下ろし
底本:「フルメタル・パニック!―サイドアームズ― 音程は哀しく、射程は遠く」富士見ファンタジア文庫、富士見書房
2004(平成16)年4月25日初版発行
※底本中で用いられている「《」と「》」は、青空文庫ルビ記号と被ってしまうため、それぞれ「<<」と「>>」に置き換えています。
校正:暇な人z7hc3WxNqc
2009年10月15日校正
このテキストは基本的に青空文庫形式ですが、感嘆符や疑問符が二つ並んだ文字(本来なら「感嘆符二つ、1-8-75」や「感嘆符疑問符、1-8-78」などと注記しなければならない所)はテキストビューアの「縦中横」機能を当てにして半角文字二つで表現し、注記は避けました。
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使用したWindows機種依存文字
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「∩」……共通集合、Unicode2229
「⊥」……垂直、Unicode22A5
「」……縦書き用の二重引用符の始め
「=v……縦書き用の二重引用符の終り
縦書き用の二重引用符は多くのフォントで位置が(場合によっては向きも)間違っていて、大抵は二重引用符が中身の単語と離れすぎていて間抜けな印象に見えると思います(MS明朝やDFパブリフォントで確認しました)。これはフォントの問題ですので、フォント製作者によって修正されるのを期待するべきでしょう。
参考:http://www.geocities.jp/hiroki_mighty/hp1-01filespec.html
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使用した外字
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「H」……白抜きハートで、DFパブリフォントの外字(0xF048)を使用しています。
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注意点
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底本140頁8行 次のチャプター(148[#「148」は縦中横]頁)まで読み飛ばしてもらえると幸いである。
42行後の「以上。描写終わり。」と書いてあるところまで。
底本194頁5行 [○────⊥]
底本194頁6行 [⊥]
底本210頁2行 [HHHHH]
図が入れられないので文字の組み合わせでそれっぽく見えるようにしています。
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底本の校正ミスと思われる部分
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底本92頁11行 機体の腹部を覆《おお》う装甲版《そうこうばん》が
装甲板