フルメタル・パニック!
揺れるイントゥ・ザ・ブルー
賀東招二
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)深海《しんかい》パーティ
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)入場|歓迎《かんげい》ゲート
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)あいつ[#「あいつ」に傍点]の字だ。
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[#挿絵(img/03_000.jpg)入る]
[#挿絵(img/03_000a.jpg)入る]
[#挿絵(img/03_000b.jpg)入る]
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目 次
プロローグ
1:トイ・ボックス
2:深海《しんかい》パーティ
3:水圧《すいあつ》、重圧《じゅうあつ》、制圧《せいあつ》
4:ヴェノムがまわる
5:蒼溟《そうめい》の中へ
エピローグ
あとがき
[#改丁]
プロローグ
夏休みが終わる。
高校二年生の、夏休みが終わってしまう。あと一週間で。その事実《じじつ》を思うとき、千鳥《ちどり》かなめはついついため息を漏《も》らしてしてしまうのだった。
「はあ……」
眉目《びもく》のきりりと整《ととの》った、細面《ほそおもて》の少女であるが――いまは少々、元気がない。
夏の定番《ていばん》レジャーも一通りこなして、財布《さいふ》の中身も心細《こころぼそ》くなった時期《じき》だ。
ただひたすら、ダラダラとした日々。
友達もあまり構《かま》ってくれない。おもちゃ会社のバイトで忙しかったり、予備校《よびこう》の夏季講習《かきこうしゅう》がみっちり詰《つ》まっていたり、彼氏と旅行に行ってたり。
で、自分はと言えば、このクソ暑《あつ》い中、学校でへろへろしてるのだ。まだ一か月以上も先の、文化祭《ぶんかさい》のための準備《じゅんび》だった。
かなめは体操服《たいそうふく》姿《すがた》で、だれもいない廊下《ろうか》にビニールシートを敷《し》き、浮浪者《ふろうしゃ》のように寝《ね》そべっていた。ここは日陰《ひかげ》で、風通《かぜとお》しがよく、床も冷たいのだ。クーラーの壊《こわ》れた生徒会室は、現在《げんざい》、蒸《む》し風呂《ぶろ》状態《じょうたい》だった。
うつぶせになって、予算配分《よさんはいぶん》の書類《しょるい》に目を通す。
(ああ……虚《むな》しい)
模造紙《もぞうし》やらガムテープやら木材《もくざい》やら。そういう雑貨《ざっか》の無意味《むいみ》な数字。
あたしはいったい、ここでなにをやってるのだろう?
こうしてる間にも、キョーコはバイト先で社会勉強してる。ミズキは代ゼミで勉強してる。シオリは彼氏と伊豆高原《いずこうげん》のペンションで……ええい、ふしだらな娘《むすめ》め。
自分も思い出が欲しい。激烈《げきれつ》で、燃《も》え上がるような。インパクト充分《じゅうぶん》の、一生《いっしょう》忘れられない夏の思い出……!
だというのに、その夏が終わってしまうのだ。これはやっぱり、虚しいことではないか。
そんなことを考えながら、彼女は書類を一枚一枚めくっていった。
その手が、はたと止まる。
「……なによ、これ?」
かなめが眉《まゆ》をひそめたのは、文化祭で製作《せいさく》される『入場|歓迎《かんげい》ゲート』の製作費《せいさくひ》の請求書《せいきゅうしょ》だった。正門に設置《せっち》されるそのゲートは、毎年、工夫《くふう》をこらした意匠《いしょう》がほどこされ、陣高《じんこう》祭《さい》のちょっとした名物《めいぶつ》になっている。去年は美術部が『平和』をモチーフに、無数《むすう》の鳩《はと》が青空へと飛《と》び立っている光景を、立体的に表現した。
そのゲートの製作費が、異常《いじょう》なのだ。例年《れいねん》はせいぜい七、八万円くらいなのだが――
<<入場歓迎ゲート制作費――一四七万六〇〇〇円>>
見覚《みおぼ》えのある字で、しれっと書いてある。あいつ[#「あいつ」に傍点]の字だ。
「そ、ん、な……! 入場歓迎ゲートがあるかっ!」
かなめの全身に、みるみる怒《いか》りの活力《かつりょく》がみなぎってくる。彼女はがばっと跳《は》ね起きて、疾走《しっそう》した。矢のように廊下を駆《か》け抜《ぬ》け、中庭《なかにわ》の格技場《かくぎじょう》裏《うら》へ。
行事《ぎょうじ》の際の資材《しざい》置き場にもなっているその場所では、数名の男子|生徒《せいと》が汗《あせ》だくになって、ゲートの製作にいそしんでいた。完成《かんせい》には時間がかかるので、文化祭|実行委員《じっこういいん》が夏休みのうちから、作業《さぎょう》に取りかかっているのだ。
「こ、これは……」
はじめて、製作中の『入場歓迎ゲート』を見た彼女は、驚愕《きょうがく》に目を見開いた。
それはゲートというより、要塞《ようさい》――もしくは監視塔《かんしとう》だった。
二階|建《だ》てほどの大きさの、金属《きんぞく》フレーム。おそろしく頑丈《がんじょう》な作りで、あちこちに鉛色《なまりいろ》の鉄板《てっぱん》が貼《は》りつけてある。無骨《ぶこつ》なリベットに細長い銃眼《じゅうがん》。前に立った者を、容赦《ようしゃ》なく威圧《いあつ》するたたずまいである。
焦《こ》げた鉄の匂《にお》いが漂《ただ》っていた。金属板や鉄骨《てっこつ》、なにかの電子|機器《きき》や発電機《はつでんき》などが居並《いなら》び、電動《でんどう》ドリルやガスバーナーなどの工具《こうぐ》がすさまじい騒音《そうおん》を立てている。
「ちょっと、責任者《せきにんしゃ》! 出てきなさいっ!」
かなめが怒鳴《どな》ると、鋼鉄《こうてつ》のゲートの向こうから、現場監督[#「現場監督」に傍点]が顔を出した。
相良《さがら》宗介《そうすけ》である。
ざんばらの黒髪《くろかみ》に、むっつり顔とへの字口。黒ずんだ軍手《ぐんて》を着《つ》けて、バイザー付きの安全ヘルメットをかぶっている。
「千鳥か。どうした」
「ソースケ! なんなのよ、これは?」
「見ての通り、文化祭のゲートだが……」
「全《ぜん》っ然《ぜん》、そう見えない! 説明《せつめい》しなさい!」
彼は悠然《ゆうぜん》と腕《うで》を組み、未完成《みかんせい》の『入場歓迎ゲート』を見上げた。
「去年のゲートのモチーフは『平和』だったと聞く。そこで今年は――『保安《ほあん》』だ。このゲートは治安維持用《ちあんいじよう》の観測《かんそく》・防衛《ぼうえい》ポイントを兼《か》ねているのだ。北アイルランドやパレスチナの街中《まちなか》には、似《に》たような施設《しせつ》がしばしば見られる」
「ここは北アイルランドでもパレスチナでもないの! 東京よ!?」
「問題《もんだい》ない。……まだ未完成《みかんせい》だが、ほかに銃座《じゅうざ》やサーチライト、ラウドスピーカーも付ける予定だ。人の集まる催《もよお》しを狙《ねら》って、重武装《じゅうぶそう》のテロリストが襲撃《しゅうげき》してきても、かなりの時間、持ちこたえられるように設計《せっけい》してある」
幼《おさな》いころから海外の戦場で育ってきた宗介は、いまだに平和な日本での常識《じょうしき》を身につけていない。学校の文化祭を、重武装のテロリストが襲撃する可能性《かのうせい》は皆無《かいむ》……そういう現実《げんじつ》も、いまいち理解《りかい》できていないのだ。
「あのね。テロリスト以前に、警察《けいさつ》が来るわよ」
「大丈夫《だいじょうぶ》だ。たとえ警察の装備《そうび》でも、このゲートを破壊《はかい》することはできない」
「いや、そーいう問題じゃなくて……」
「当然《とうぜん》、テロリストもうかつに手出しはできない。つまり、一番の機能《きのう》は抑止効果《よくしこうか》だ。文化祭を訪《おとず》れる人々は、このゲートを見て安心感《あんしんかん》を覚えることだろう」
「安心感……?」
そびえ立つ『入場歓迎ゲート』は、不吉《ふきつ》なオーラをぶんぶんと発散《はっさん》させていた。安心など、できようはずもない。
「そういう事情《じじょう》で、あんたはこのガラクタに一五〇万円も請求《せいきゅう》するわけ……?」
「ああ。破格《はかく》の安さで、イスラエル製の複合装甲《ふくごうそうこう》が手に入りそうなのだ。普通《ふつう》だったら五〇〇万以上はするところを、フランスの武器商が旧知《きゅうち》のなじみで――」
すぱんっ!
かなめは手にした書類の束《たば》で、宗介の頭をはたき倒《たお》した。
「…………。いきなり、なにをする」
「うるさいっ! あんたね、文化祭の予算がどれくらいか知ってるの? 一五〇万円よ!? あんたの言うとおりにしてたら、どうなるか。なにも出し物がない学校の正門に、陰気《いんき》な要塞が『ずゴゴゴゴゴ……』とそびえ立ってるだけっていう――ある意味《いみ》、すさまじくシュールな文化祭になっちゃうじゃないの!」
「むう……」
「装甲板なんて、却下《きゃっか》よ、却下! ベニヤ板にしなさい。まったく……」
かなめはぶつくさ言いながら、鋼鉄《こうてつ》のゲートの周《まわ》りをぐるりと歩いてみた。確《たし》かに、ゲートの骨組《ほねぐみ》はやたらと頑丈《がんじょう》だ。苦労《くろう》して作ったのはよくわかるが――
(どうしてこう、いつもいつもいつも、まちがった方向にばかりエネルギーを浪費《ろうひ》するのかしね、こいつは……)
きょう何度目《なんどめ》かのため息をついて、かなめはなんとなしに、ゲートの中央をくぐろうとした。が、そのとき。
「いかん。千鳥、そこは――」
右足が、なにかのスイッチを踏む。すると彼女の頭上に取りつけてあった、剥《む》き出しのノズルが小刻《こきざ》みに震《ふる》えた。
「へ?」
直後《ちょくご》――ノズルから、猛烈《もうれつ》な勢《いきお》いで赤い粉末《ふんまつ》が噴射《ふんしゃ》された。
なにかの塗料《とりょう》だ。それが前後左右から、彼女めがけて吹《ふ》きつけたのである。たちまち付近《ふきん》は、朱色《しゅいろ》の濃霧《のうむ》で視界《しかい》ゼロになった。
「遅《おそ》かったか……」
手にした設計図《せっけいず》で霧《きり》を払《はら》い、宗介がつぶやいた。辺《あた》りが晴れていくと、そこには明太子《めんたいこ》みたいに全身|真《ま》っ赤《か》になった、哀《あわ》れなかなめの姿があった。
「けほっ……。な……なにが……」
「マーキング装置《そうち》の誤作動《ごさどう》だ」
冷静《れいせい》な声で宗介は言った。
「どういう……こと?」
「文化祭に武器を持ち込もうとした部外者に、反応《はんのう》する装置でな。逃走《とうそう》しても、一目で分かるように塗料《とりょう》を吹き付ける仕組《しく》みだ。まだ改良《かいりょう》の余地《よち》はあるようだが――」
「あんたって……あんたって……」
彼女は全身を震わせ、赤くなった髪《かみ》を逆立《さかだ》てた。
「落ちつけ、千鳥」
「よ、く、も…‥そんな口の利き方が……!」
突進《とっしん》していって蹴り飛ばそう……そう思う。ところが次の瞬間《しゅんかん》、かなめの胸にちがう感情が、津波《つなみ》のように襲《おそ》いかかってきた。
「……ぐすっ」
それは深い悲しみだった。
海よりも深い……とまでは行かなかったが、すくなくとも学校のプールよりは深い悲哀《ひあい》だった。さきほどから感じていたむなしさに、自分のみじめな有様《ありさま》が拍車《はくしゃ》をかけたのかもしれない。
「千鳥……?」
肩《かた》を落とし、目の幅|涙《なみだ》をぶわーっとこぼす彼女の顔を、宗介が怪訝《けげん》そうに覗《のぞ》きこむ。
「あんまりよ……うっ……うっ……」
「怯《おび》えることはない。その塗料は人体には無毒《むどく》だ」
「違《ちが》うわよっ!」
ごつんっ!
けっきょく、かなめは宗介を張《は》り倒《たお》した。彼はコマのように高速回転《こうそくかいてん》し、要塞ゲートのフレームに激突《げきとつ》して、それから地面にくずおれた。
「あたしはね、悲しんでるの……」
力なく横たわった宗介を見もせずに、彼女は嘆息《たんそく》する。
「……こんな調子《ちょうし》で夏が終わるなんて。けっきょく、あたしの青春は――高二の夏は、こんなもんなのよ。デリカシーがゼロの戦争ボケ男とドタバタした挙句《あげく》、シャア専用《せんよう》みたいに真っ赤にされて、クズ鉄の塊《かたまり》の下でみじめに半べそかいて……」
「…………むう」
「わかんないでしょうね、あんたには。女の子にとってはね、夏休みっていうのは特別《とくべつ》な季節《きせつ》なのよ」
宗介はむくりと起きあがって、
「そうなのか?」
「そうなの! すくなくとも、マンガとかドラマとかだと。……でもいいの、もういいの。特別な体験《たいけん》なんか、もう期待《きたい》しないから。あしたから学校が始まるまでの一週間、家でおとなしくゴロゴロしてるわよ。そうすれば、とりあえず、あんたのバカ面《づら》は見ないで済《す》むわけだし……」
さめざめと語るかなめの横顔を、宗介は神妙《しんみょう》な目つきで注視《ちゅうし》していた。
「……つまり君は一週間も暇《ひま》なのだな?」
「ええ、そーよ。悪かったわね」
「ふむ……」
宗介はあごに手をやり、しばらく黙考《もっこう》した。それから作業中の生徒たちを見まわして、彼らに聞こえないように、そっとささやいた。
「それなら――数日間、俺と遠出《とおで》しないか?」
「…………へ?」
「自然《しぜん》の豊かな南の島に、二人だけでな。ほかの奴《やつ》は抜《ぬ》きだ」
かなめは自分の耳を疑《うたが》った。宗介が自分を誘うなど、かつてなかったことだ。しかも、二人きりで、南の島に行こうなどとは……!
「ほ……本気で言ってるの?」
「ああ。旅費《りょひ》は心配しなくていい。前々から、おりを見て君を誘うつもりだったのだ」
数日ほど――つまり、外泊《がいはく》。若い男女が、二人きりで遠出して、外泊。ふってわいた突然《とつぜん》の誘いに、かなめはひどく動揺《どうよう》した。
「ちょ……。それは、あしその……あの……」
「気が進まないか?」
「そ……そーいうわけじゃないけど……」
「おそらく、君も満足《まんぞく》するはずだ」
「う…………ええと……」
かなめはしどろもどろになって、口をもごもごさせた。
どうしよう。困った。宗介がこんな大胆《だいたん》だったなんて。ここまでストレートに来られてしまっては。心の準備《じゅんび》ができてない。でも断《ことわ》ったら、次の機会《きかい》はないかもしれないし。とはいえ、やっぱり自分としては、もう少し手順《てじゅん》を踏《ふ》んでもらわないと。だいいち、自分と彼は、別に、その。でも……。
顔がぽおっと火照《ほて》っていた。思考がぐるぐる、どうどう巡《めぐ》りする。
「どうする。やはり、やめておくか?」
聞かれて、かなめは横目で彼を見た。そしてぽつりと、
「……変なことしない?」
「変なことしないぞ」
「……危《あぶ》なくない?」
「危なくないぞ」
「ちゃんと寝《ね》るところ、ある?」
「あるぞ」
「むむう……」
そうだ。考えてみれば、別々の部屋《へや》で寝てもいいわけだし。行かなくても、どうせ家でゴロゴロしてるだけだし。休みの最後に、ちょっと刺激《しげき》を求めてみるのも、いいかもしれない。夏休みの宿題はやってないけど――知らん。
(そーよね。ちょっとした冒険《ぼうけん》くらいのつもりで……)
彼女は肩をすくめて、答えた。
「い、いいわよ? どうしてもって言うんなら、付き合ってあげても……」
「そうか。では、決まりだ。あさっての朝、迎《むか》えに行くぞ」
そう言って、宗介は作業に戻《もど》っていった。
不運《ふうん》なことに、その小旅行は――ちょっとした[#「ちょっとした」に傍点]冒険では済まなかった。
[#改ページ]
1:トイ・ボックス
[#地付き]八月二五日 二三四五時(グリニッジ標準時《ひょうじゅんじ》)
[#地付き]マリアナ諸島《しょとう》近海《きんかい》 アメリカ海軍《かいぐん》潜水艦《せんすいかん》 <パサデナ>
「発令所《はつれいじょ》へ、ソナーです。方位《ほうい》二―〇―六に新《あら》たなコンタクト。|S《シエラ》15[#「15」は縦中横]に認定《にんてい》」
当直《とうちょく》ソナー員がそう報告《はうこく》した時、艦長《かんちょう》のキリィ・B・セイラー中佐《ちゅうさ》はちょうど、六時間ぶりに自分の休憩《きゅうけい》を告《つ》げようとしていたところだった。
トイレに行きたかったのだ。
艦《かん》の指揮《しき》を当直|士官《しかん》に任《まか》せ、艦長室に引っ込み、まず――便器《べんき》にまたがって思い切りふんばる。しかる後《のち》、のんびりキューバ産の葉巻《はまき》を楽しもうと思っていた。だというのに、部下が新しい目標を探知したという。その正体《しょうたい》を見極《みきわ》めるまでは、まさか艦長の自分が持ち場を離《はな》れるわけにはいかない。
だからセイラーはまず、発令所内の全員に聞こえるような声で悪態《あくたい》をついた。
「くそっ!」
彫《ほ》りの深い顔をしかめ、筋肉《きんにく》の盛《も》り上がった肩《かた》をぐいっとすぼめる。こわもてで、感情の起伏《きふく》が激《はげ》しい彼は、よく『コメディに出てる時のシュワルツェネッガーに似てる』と部下《ぶか》たちの間でささやかれていた。
ハワイの真珠湾《しんじゅわん》を出航《しゅっこう》してから一〇日目のことである。彼の指揮する|攻撃型原潜《SSN》・USS <パサデナ> は、深度《しんど》二〇〇メートルの海水の中を、二〇ノット――およそ時速《じそく》三六キロの速さで西へ進んでいるところだった。
「艦長……。こういう場所で、そういう言葉は少々、慎《つつし》んだ方が……」
若く、細身で、ハンサムな日系の副長《ふくちょう》――マーシー・タケナカ大尉《たいい》がいさめる。
「ああ!? タケナカ、おまえバカか? 俺《おれ》はクソがしたいから『くそっ!』って言ったんだ。艦長の俺が言うことに、副長のおまえがケチつけるのか? え?」
「それも僕《ぼく》の仕事のひとつですよ。そうする権利《けんり》を、軍は認《みと》めています」
すまし顔で答えた副長を、セイラー艦長は噛《か》みつきそうな顔でにらみつけた。
「はん、スカしおって。日本人ってのはみんなそうだ。ヘラヘラしてつまらん理屈《りくつ》を並《なら》べ立てる。だから嫌いなんだ」
「あー……。そのお言葉には、少なくとも二つまちがいがありますよ。一つ、僕はれっきとしたアメリカ人です。もう一つ、僕はヘラヘラしたりしません」
「だまれ、この原子力《げんしりょく》バカめ!」
艦長はいきなり激昂《げっこう》し、副長につかみかかった。
「うぐぐ……!」
「貴様と組まされてかれこれ二年になるが、ようやく分かったぞ。タケナカ、おまえは敵《てき》のスパイだ。我《わ》が愛する海軍から、予算《よさん》を分捕《ぶんど》る最大の宿敵《しゅくてき》――合衆国空軍[#「合衆国空軍」に傍点]の手先《てさき》だろう!? 理屈っぽいのがその証拠《しょうこ》だっ!」
「……なワケないでしょう!? 放してください、艦長……!」
発令所のクルーたちが、そろって『また始まった……』と言わんばかりに頭《かぶり》を振《ふ》った。この艦長と副長は、ことあるたびに意見が衝突《しょうとつ》する。小は食事のメニューから、大は原子炉《げんしろ》の出力《しゅつりょく》まで、なにもかもだ。
「あのー。発令所へ、ソナーです。S15[#「15」は縦中横]の件なんですが。いいですか?」
つい今しがた探知された、新しい目標のことを部下から言われて、セイラー艦長は我《われ》に返った。
「おう……そうだった。いかんいかん」
「けほっ……」
セイラー艦長はタケナカ副長の身体を放り出すと、発令所を横切り、すぐ正面《しょうめん》のソナー室をのぞきこんだ。
「で、どこだ。遠いのか?」
「ええ、この反応なんですが。断続的《だんぞくてき》な上に、信号《しんごう》が弱いので、まだはっきりとは……」
ソナー員は難しい顔でディスプレイを眺めていた。音源《おんげん》を示《しめ》す、緑色の滝《たき》のような画像《がぞう》をにらみ、せわしくダイヤルとスイッチ頬《るい》をいじっている。
潜水艦《せんすいかん》には、窓《まど》というものが一切《いっさい》ない。潜航中《せんこうちゅう》、外の様子を知る手段《しゅだん》は唯一《ゆいいつ》、音だけなのだ。もし騒音《そうおん》を一切出さない艦があったとしたら、すぐ目の前でダンスを踊《おど》られても、こちらはその存在《そんざい》に気付くことさえできないだろう。
「二軸《にじく》のスクリューで、かなりデカいようです。ロシア人の|SSBN《ブーマー》かもしれませんが――データには該当《がいとう》しません。|復調雑音《DEMON》もかなり違《ちが》いますし……」
SSBNとは、弾道《だんどう》ミサイル潜水艦のことをさす。核《かく》ミサイルを山ほど積《つ》んだ、大型の艦だ。全面|核戦争《かくせんそう》において、その尖兵《せんぺい》となるべく設計《せっけい》されている。
「タイフーン級《きゅう》の新型《しんがた》ってことか?」
「いえ、それはありえませんよ」
いつのまにか呼吸困難《こきゅうこんなん》から回復《かいふく》したタケナカ副長が、ソナー室に上半身を突《つ》っ込《こ》んできて口を挟《はさ》んだ。
「巨大なタイフーン級を建造《けんぞう》できる造船所《ぞうせんじょ》は、セヴェロドヴィンスクにしかありませんから。そんな新造艦《しんぞうかん》が海に出たら、まずバレンツ海に張《は》ってる大西洋|艦隊《かんたい》の連中《れんちゅう》が見つけてるはずです。SOSUSにも引っかかるでしょう。ですがCOMSUBPACは『警戒《けいかい》しろ』とは一言も――」
「それくらい知っとるわい、この垂直発射式《すいちょくはっしゃしき》バカ!」
一般人《いっぱんじん》が聞いたら全然わからない言葉の羅列《られつ》を、セイラーはぴしゃりと遮《さえぎ》った。
「…………。どうしてあなたは……。あー、こほん。とにかく。まったくの新型、と考えた方がいいかもしれませんよ」
「ふむ……」
セイラーはあごに手をやった。
つまり――国籍不明《こくせきふめい》、形式《けいしき》も不明の巨大な潜水艦が、この <パサデナ> の針路上《しんろじょう》を航行《こうこう》しているようなのだ。しかも、ロシア人の船ではないらしい。敵《てき》か味方《みかた》かもわからない。
だが潜水艦乗りにとって、そうした目標はすべて『敵』だった。
「少々、追《お》ってみるか。司令部《しれいぶ》から許可《きょか》を取ろう。潜望鏡深度《せんぼうきょうしんど》まで浮上《ふじょう》するぞ」
「はい。電文《でんぶん》は僕が作成《さくせい》しましょうか?」
「ふん。好きにしろ」
そこまで言ったところで――
「待ってください、艦長。いま……相手の距離《きょり》がわかりました」
近距離用の|高周波《HF》ソナーを操作《そうさ》していた水兵《すいへい》がつぶやいた。その顔が、みるみると恐怖《きょうふ》に青ざめていく。
「近い。でかい。六〇〇ヤード以下、接近《せっきん》してます」
わずか六〇〇ヤード。この艦の全長の、ほぼ五倍ほどの距離しかない。いつぶつかってもおかしくない距離だった。
いったい、いつの間にこんな至近《しきん》距離まで……!?
「…………! 深度《しんど》は」
「五〇〇フィート! このままでは衝突《しょうとつ》します」
その報告《ほうこく》が終わらないうちに、セイラー艦長は大声で告《つ》げていた。
「面舵《おもかじ》! 三―三―〇! 深度八〇〇! 下《さ》げ舵《かじ》最大だ、急げ!」
「アイ・サー! 針路三―三―〇、深度八〇〇、下げ舵最大!」
副長が弾《はじ》かれたように発令所へ引き返し、操舵手《そうだしゅ》に詳《くわ》しい指示《しじ》を出す。二人の操舵手が身体《からだ》をこわばらせ、操縦桿《そうじゅうかん》を素早《すばや》く、だが用心深く操作《そうさ》した。
たちまち艦が傾《かたむ》き、必死《ひっし》になって国籍不明艦との衝突《しょうとつ》コースを避けようとする。急な旋回《せんかい》で生まれた乱流《らんりゅう》が、『ごぼぉんっ!』と派手《はで》なナックル音をたて、船体がみしみしとうなった。
「ちくしょう、ホノルルのサーファーどもにだって聞こえちまうぞ。……ソナー! 相手に攻撃《こうげき》の気配《けはい》はないか!?」
「ありません! どのみち、近すぎます!」
突然のはげしい機動《きどう》で、<パサデナ> の艦内《かんない》は混乱《こんらん》の坩堝《るつぼ》と化していた。
「む、向こうも潜航《せんこう》しています! なお接近中! 距離四〇〇! いや三〇〇……!? 二五〇、二〇〇……」
ソナー員がヘッド・セットにしがみつくようにして叫《さけ》んだ。接近中の|S《シエラ》15[#「15」は縦中横]――謎《なぞ》の大型潜水艦は、まっすぐ衝突コースを突《つ》き進んでくる。
「くそっ! くそっ、くそっ!! なぜ避《よ》けん!? 向こうも気付いているはずだぞ!?」
「艦長、避けきれません!」
冷たい戦慄《せんりつ》が、セイラーの背筋《せすじ》を駆け抜けた。
深海での衝突事故。それはすべての潜水艦乗りにとって悪夢《あくむ》そのものだった。自動車事故とはわけが違う。船体にわずかな亀裂《きれつ》が生《しょう》じただけでも、おそろしい水圧《すいあつ》は決してそれを見逃《みのが》さない。もし船殻《せんこく》が裂《さ》けて、艦内にどっと海水が流れ込んできたら? もはや打つ手などないだろう。一三三名すべての乗員が、金属や油、そして核燃料《かくねんりょう》もろとも、ぐしゃぐしゃになって押《お》し潰《つぶ》され、海の藻屑《もくず》となってしまう……!
「距離一〇〇……五〇……! ぶつかりますっ!!」
「全員、なにかにつかまれ!」
艦内放送のマイクをとって、セイラーは怒鳴《どな》った。
艦内のすべてのクルーが、手近《てぢか》なものをぐっとつかんだ。それは頑丈《がんじょう》な手すりや、コンソール・パネルや、椅子の背もたれなどだった。ボールペンやフライパンを握《にぎ》り締《し》めた者もいた。わけがわからず、ズボンの上から自分の睾丸《こうがん》を握った水兵《すいへい》もいた。
そして、その直後《ちょくご》。
破滅《はめつ》をもたらす、すさまじい衝撃《しょうげき》が――
「…………!」
金属《きんぞく》の潰《つぶ》れる、醜《みにく》い悲鳴《ひめい》が――
「…………」
来なかった。
<パサデナ> はなおも潜航と旋回《せんかい》を続け、やかましい音をたてていた。だが、それだけだ。衝突が予想《よそう》された地点はとうに通りすぎていたが、彼らの世界は、まだ健在《けんざい》だった。
まず我《われ》に返った副長が、操舵手《そうだしゅ》たちに針路《しんろ》と深度を固定《こてい》させる。
たちまち艦内は静かになった。
「…………?」
クルーたちは気分の悪そうな顔で、恐《おそ》る恐る周囲《しゅうい》を見回した。襲いかかってくるはずのものが、いつまでたってもやって来ない。しゃっくりが止まった直後の、あのいやな感覚を、一三三名全員がいま共有《きょうゆう》していた。
「ソナー、発令所だ。|S《シエラ》15[#「15」は縦中横]は?」
セイラー艦長がささやくように聞いた。
「ソナーです。それが……その、消えてしまいました」
「なんだと……?」
「消えたんです。短波《たんぱ》アレイにさえ……本当に、影《かげ》も形も……」
ひどく自信のない声で、ソナー員が言った。
消えた。一瞬《いっしゅん》にして。ソ連タイフーン級並《な》みの巨大な目標が?
セイラーは半信半疑《はんしんはんぎ》で、機関《きかん》の停止《ていし》を命じた。まったく音をたてずに、慣性《かんせい》で艦《かん》をゆっくりと旋回させて、あたりを念入《ねんい》りに調べてみる。しかし、それでも――
「だめです。やはり、いません」
「そんなはずがあるか! BQQ―5の点検《てんけん》をしろ。洗《あら》いざらいだ」
機器《きき》の故障《こしょう》を考えて、セイラーは命じた。
「艦長。別に反対はしませんが……故障ではないと思いますよ」
タケナカが控《ひか》えめな声で言う。
「ああ? なぜそんなことが言える。根拠《こんきょ》でもあるのか」
「根拠とは言えませんが……。こいつは、例のあれかもしれません。『トイ・ボックス』です」
「なんだ、それは」
「幽霊《ゆうれい》潜水艦の噂《うわさ》ですよ。とてつもなく大きい。音もなく現《あら》われ、音もなく消える。しかも、おそろしく足が速い。味方《みかた》の何隻《なんせき》かが、すでに遭遇《そうぐう》しているらしいですが、どれも追跡《ついせき》には失敗《しっぱい》しているそうです」
この <パサデナ> を含《ふく》め、米海軍が運用《うんよう》する『改良型《かいりょうがた》ロサンジェルス級』は、世界でも屈指《くっし》の高性能艦《こうせいのうかん》だ。探知《たんち》できない目標はないと言っても過言《かごん》ではない。その高性能艦が、どれも追跡に失敗《しっぱい》するとは――
「とても信じられん。いま出会ったのが、その『トイ・ボックス』とやらだってのか」
「可能性《かのうせい》は高いと思いますが」
「…………」
セイラーはむっつりと押《お》し黙《だま》り、人差し指でこめかみをとんとんと突ついた。
「ぞっとせん話だな。俺たちでさえ探知できない国籍不明船が、好き勝手にこの海をうろついているなど……。もしそいつが、核ミサイルでも積《つ》んでいたらどうするのだ」
「それは……」
タケナカは一瞬、言葉に詰まった。
「その幽霊船がその気になれば、世界中のどんな都市や軍事|基地《きち》でも、確実《かくじつ》に消滅《しょうめつ》させることができる……ということです」
「そうだ。だれにも気づかれないうちにな」
それこそ、米ソの全面核戦争を引き起こすことさえできるだろう。いったい、どこのだれがそんな船を作ったのだ……? いや、そもそも、そんな船の存在《そんざい》を許しておいていいのだろうか……?
セイラーはなにかを決意《けつい》したように、席を立った。
「司令部に報告《ほうこく》するぞ。潜望鏡深度まで浮上《ふじょう》だ。それと、俺はこれからすることがある」
「どこへ行くんです?」
「便所《べんじょ》だ!」
宣言《せんげん》して、指揮《しき》をタケナカに委任《いにん》すると、セイラーは発令所を出ていった。
(それにしても……)
狭い通路《つうろ》を歩きながら、セイラー中佐《ちゅうさ》は思った。
もしいま出会ったのが、本当にその『トイ・ボックス』とやらだったら――ぜひ艦長の顔を拝《おが》んでみたいものだ。この俺様を、ここまでコケにしおって。きっと性格《せいかく》のねじくれ曲がった、最低のサイコ野郎《やろう》に違いない。
(見ておれよ、『トイ・ボックス』の艦長め。機会《きかい》があったら、必《かなら》ずやおまえに俺のケツを拭《ふ》かせてやるぞ。そう、たっぷりとな。それこそ舌《した》で舐《な》めさせてやる……!)
[#地付き]同時刻《どうじこく》 強襲揚陸潜水艦《きょうしゅうようりくせんすいかん》 <トゥアハー・デ・ダナン>
「どうかしましたか、艦長《かんちょう》?」
<トゥアハー・デ・ダナン> 副長《ふくちょう》のマデューカス中佐《ちゅうさ》は、テッサがいきなり背筋《せすじ》を震《ふる》わせたのに気付いてたずねた。
「いえ、ちょっと妙《みょう》な悪寒《おかん》が……。空調《くうちょう》が変なのかしら」
「そうですか? 私にはちょうど良いくらいですが……」
「なら、気のせいですね。ごめんなさい。風邪《かぜ》とかじゃありませんから」
作り笑いを浮かべて、彼女は手元《てもと》のスクリーンに投影《とうえい》された海図《かいず》に目を落とした。
艦長席に座《すわ》るテッサ――テレサ・テスタロッサ大佐は、まだ一六歳の少女だった。大きな灰色《はいいろ》の瞳《ひとみ》に、陶磁器《とうじき》のような白い肌《はだ》。アッシュ・ブロンドの髪《かみ》を束《たば》ねて、ていねいな三つ編《あ》みにしている
彼女が指揮《しき》する強襲揚陸潜水艦 <トゥアハー・デ・ダナン> の発令所《はつれいじょ》は、<パサデナ> などのそれとは異《こと》なり、いくらか広めだった。ロケットの打ち上げ映像《えいぞう》によく出てくる、管制《かんせい》センターを小ぶりにして、天井《てんじょう》を低《ひく》くしたような構造《こうぞう》だ。照明《しょうめい》はやや暗《くら》めで、青と緑の映像《えいぞう》が室内を照らしている。
正面《しょうめん》には三つの大型スクリーンが配置《はいち》され、それに向かって一五席分の座席《ざせき》がある。その場のクルーは、それぞれ専門的《せんもんてき》な作業《さぎょう》をになっていた。操舵手《そうだしゅ》と航海士官《こうかいしかん》、潜航士官《せんこうしかん》と火器管制士《かきかんせいし》、機関士《きかんし》と特殊《とくしゅ》機関士、甲板《かんぱん》士官などいろいろだ。ほかにも浮上後《ふじょうご》の揚陸作戦を管制《かんせい》するクルーが数名、必要《ひつよう》な時に席につく。
艦の耳となるソナーや、通信《つうしん》・電子戦《でんしせん》の部屋は、発令所のとなりにある。
いま、そのソナー室から報告《ほうこく》があった。
『|発令所《コン》、ソナー。|発令所《コン》、ソナー。我が友 <パサデナ> が浮上中。もうすぐ、わお、変温層《へんおんそう》の上に出ます。こちらが真後ろに張《は》りついてたのは気付《きづ》かなかったみたいですぜ。はっは』
妙なリズムを付けて、ソナー員のデジラニ軍曹《ぐんそう》が告げた。
マデューカスは眉《まゆ》をひそめたが、なにも言わなかった。叱《しか》り飛ばしたい気持ちをぐっとこらえて、眼鏡《めがね》のブリッジを人差し指で押し上げる。
(そうだ……ここは私のいた正規軍《せいきぐん》ではないのだから。忍耐《にんたい》だ、忍耐……)
などと、自分に言い聞かせたりもする。
となりのテッサは、ソナー員の態度《たいど》に気を悪くしたそぶりも見せず、手元のペンを操作していた。発令所の大型スクリーンに映った、<パサデナ> の詳《くわ》しいデータ表示《ひょうじ》が、最小化されて隅《すみ》に追いやられる。
「はい、ごくろうさま。<パサデナ> さんには、ちょっと悪いことをしてしまいましたね。がっくりしてないといいんだけど……」
「それは無理《むり》な相談《そうだん》です。私だったら、ひどくプライドを傷つけられるでしょうな」
マデューカスは答えた。
彼――リチャード・マデューカス中佐は四〇半ばの痩《や》せた男で、薄《うす》くなりかけた頭髪《とうはつ》の上に、英国|海軍《かいぐん》時代から愛用《あいよう》している野球帽型《やきゅうぼうがた》の帽子《ぼうし》をかぶっていた。紺《こん》の帽子の刺繍《ししゅう》には『S―87[#「87」は縦中横] HMS TURBULENT』とある。
|女王陛下の船《HMS》 <タービュラント> ――かつて彼が指揮《しき》していた潜水艦の名だ。だが『|荒れ狂う《タービュラント》』という言葉は、およそこの男の容貌《ようぼう》に似つかわしくなかった。さえない銀縁《ぎんぶち》の眼鏡と青白い肌《はだ》のせいで、とうてい海の男のイメージからは程《ほど》遠い。潜水艦の発令所よりは、満員の通勤《つうきん》電車にでもいそうなタイプだった。
「プライド……。やっぱりそう思いますか?」
「はい」
「でも、仕方《しかた》ないですよね。演習《えんしゅう》する相手《あいて》がいないんだし……」
「それも、イエスです」
この艦が所属《しょぞく》する軍事組織《ぐんじそしき》 <ミスリル> は、全世界で四つの戦隊を持っている。そのうち西太平洋での作戦行動《さくせんこうどう》を担当《たんとう》するのが彼女の <トゥアハー・デ・ダナン> だ。だが、あいにくこの戦隊は、ほかにまともな潜水艦を保有《ほゆう》していなかった。
日ごろの演習相手がいない <デ・ダナン> は、普段《ふだん》、こうして米軍などの艦艇《かんてい》を相手に、接近《せっきん》や攻撃、監視《かんし》や回避《かいひ》のテストをする。たいていは相手にも気付かれないように、ひそかに近づいてひそかに去るだけに留《とど》めているのだが――たまには、こういう手荒《てあら》な真似《まね》をしてみる必要が出てくる。
一方的に練習《れんしゅう》相手にされた方にとってみれば、たまったものではないのだが。
「しかし成果はありました。通常推進《つうじょうすいしん》での静粛性《せいしゅくせい》を、もうすこし下方修正《かほうしゅうせい》したほうがいいかもしれません」
「そうですね。あと一〇秒くらいは見付《みつ》からないと思ったんだけど……」
テッサは天井《てんじょう》を見上げて、ぼやくように言った。
この船が海に出て、まだ日が浅《あさ》い。
実戦《じっせん》は幾度《いくど》も経験《けいけん》しているが、それでも試《ため》すべき項目、改良《かいりょう》すべき設備《せつび》は山ほどある。艦の性能《せいのう》を最大限《さいだいげん》に引き出すためには、こういう迷惑《めいわく》な真似《まね》をするのも、いたしかたなかった。
余談《よだん》だが―― <トゥアハー・デ・ダナン> は艦の名前でもあり、同時に戦隊の名前でもある。小規模《しょおきぼ》な戦力なので、『艦イコール戦隊』という扱《あつか》いで充分《じゅうぶん》だからだ。つまりテッサは艦長であり、戦隊長でもある。繊細《せんさい》さと迅速《じんそく》さが重要《じゅうよう》になる作戦では、権限《けんげん》が集中《しゅうちゅう》することは好都合《こうつごう》なのだ。
ともあれ、試験《テスト》は上首尾《じょうしゅび》に終わり、<パサデナ> も去った。三日間の短い航海《こうかい》を終えて、そろそろ整備基地《せいびきち》のあるメリダ島に戻《もど》るころあいだった。
「さて……わたしたちも帰るとしましょうか。|電磁流体制御《EMFC》をパッシブに。通常推進を再始動《さいしどう》。前進原速《ぜんしんげんそく》です」
世界最大のハイテク潜水艦を指揮するには、いささかおっとりとした声だったが――それは仕方がない。マデューカスは上官の指令を復唱《ふくしょう》した。
「アイ・キャプテン。EMFC、パッシブ」
「EMFCステーション。パッシブ・モード、アイ。乱流制御《らんりゅうせいぎょ》を実行中《じっこうちゅう》。あと一五……一〇……五……全ディバイス、フェイズの補正完了《ほせいかんりょう》」
「通常|推進《すいしん》、コンタクト」
「マニューバリング。通常推進、アイ。一番、レディ。二番、レディ。通常推進、コンタクト」
「前進原速」
「フル・アヘッド・スタンダード。アイ」
各|部署《ぶしょ》の担当《たんとう》がそれぞれ応答《おうとう》すると、<デ・ダナン> が備《そな》える一対《いっつい》の可変《かへん》ピッチ・スクリューが回転した。十数層《じゅうすうそう》の形状記憶合金《けいじょうきおくごうきん》でできたプロペラが、まるで生き物のように形を変え、静粛性と推進効率《すいしんこうりつ》を最良のものにする。
三万トンをゆうに超える船体が、するすると前進をはじめた。わずかに床《ゆか》が震《ふる》えた程度《ていど》で、音はほとんどしない。
「艦長。現在《げんざい》三〇ノットです」
「はい。とりあえず、これでいいです。ソナー室は方位〇―五―〇|付近《ふきん》に注意しておいてください。あの辺《あた》りはいま、日本の漁船《ぎょせん》が操業中《そうぎょうちゅう》だから」
『はあ。なぜです?』
ソナー員がたずねる。
「たまに、漁船の網《あみ》に引っかかってしまう事故《じこ》があるんです。こちらは平気だけど――向こうの船が転覆《てんぷく》してしまいますから」
本当の話である。ベテランの艦長でも避けられないことがある事故《じこ》なのだが――公式には、そうした種類《しゅるい》の事故を各国の軍は認《みと》めていない。
『あ……なるほど。了解《りょうかい》』
なんのこだわりもない返事《へんじ》。そのやり取りを横で聞きながら、マデューカスはひそかな感慨《かんがい》にふけっていた。
ずいぶんとスムーズになったものだな、と患う。
当初――この <デ・ダナン> がはじめて海に出たころなどは、クルーのほとんどがテレサ・テスタロッサに反発《はんばつ》していた。それも無理《むり》からぬことである。いったい、どこの世界に、年端《としは》も行かぬ少女を艦長にする軍事組織《ぐんじそしき》があるだろうか?
しかも <デ・ダナン> のために世界中から集められたクルーたちは、それぞれの分野《ぶんや》に秀《ひい》でたプロフェッショナルだ(正規軍《せいきぐん》から放り出されるような曲者《くせもの》ばかりではあるが)。彼らは船を動かすことに、並々《なみなみ》ならぬ誇《ほこ》りを抱《いだ》いている。
主要《しゅよう》なクルーたちの前にはじめて彼女を引き合わせたときのことを、マデューカスは思い出した。『私は副長だ。艦長はこちらの御婦人《ごふじん》である』と告げたときの、この連中の顔と言ったら。まるで『ローマ法皇《ほうおう》が中国に亡命《ぼうめい》した』とでも聞いたような目をしていた。
それから紆余曲折《うよきょくせつ》はあったものの、いまや艦の乗員《じょういん》たちは、彼女への評価《ひょうか》を一八〇度変えている。
とりわけ、四か月前の『順安《スンアン》事件《じけん》』が決定的《けっていてき》だった。あのときの彼女の操艦《そうかん》は、まさしく神業《かみわざ》といえた。北朝鮮《きたちょうせん》のボートが雨あられと爆雷《ばくらい》を降《ふ》らせてくる中、巨大な艦をジェット戦闘機《せんとうき》のように操《あやつ》り、見事《みごと》に封鎖線《ふうさせん》を突破《とっぱ》してのけたのだ。
艦を熟知《じゅくち》し、限界《げんかい》ぎりぎりまでその性能を引き出すことは、この船を再設計《さいせっけい》したテレサ・テスタロッサにしかできなかっただろう。潜水艦乗りとして二五年を過《す》ごしてきたマデューカスでさえ、彼女の手際《てぎわ》と度胸《どきょう》には舌を巻いたほどだ。
彼女の実力《じつりょく》が証明《しょうめい》されたことで、<デ・ダナン> には独特《どくとく》の雰囲気《ふんいき》が生まれた。
男しかいない普通《ふつう》の潜水艦には、クルーの間に厳格《げんかく》な父権《ふけん》社会が自然と形《かたち》作《づく》られる。艦長――すなわち父親は、絶対的《ぜったいてき》な権力者だ。
しかし <デ・ダナン> は、テッサという族長を戴《いただ》く母権社会といえた。男たちは彼女に従《したが》い、彼女を守ることに充実《じゅうじつ》を感じる。その姫君が神のように賢《かしこ》く、見目麗《みめうるわ》しいとなればなおさらだ。
まったく、<|女神ダヌーの部族《トゥアハ・デ・ダナーン》> とは、よくも名付けたものだった。これはケルト神話の神々の名なのだ。
「……EMFCも良好ですな。このままいけば、昼には基地に戻れるでしょう」
個人《こじん》ディスプレイに映った細かいデータを見て、マデューカスは言った。
「ええ。良かったわ。これで誕生パーティ[#「誕生パーティ」に傍点]ができますね。それに、あしたは島にお客さんが来る予定だったから」
テッサはすこぶる上機嫌《じょうきげん》のようだった。
「と、申しますと?」
「チドリ・カナメさんですよ。サガラ軍曹《ぐんそう》に『彼女の都合《つごう》がいいときに、メリダ島に連れてきて』と言っておいたんです。<ベヘモス> の一件からあと、彼女とはほとんど話してませんでしたから」
「そうでしたか」
テッサの声が、『サガラ軍曹』のあたりで軽く弾《はず》んだのを、マデューカスは見逃《みのが》さなかった。二か月前に起きた巨大 |A S《アーム・スレイブ》との戦闘《せんとう》以来《いらい》、この少女は頻繁《ひんぱん》にあの若い軍曹の話題を口に出す。たぶん、自身《じしん》でも気付いていないだろう。
マデューカスは相良《さがら》宗介《そうすけ》軍曹のことをそう多くは知らなかったが、実直《じっちょく》で優秀《ゆうしゅう》な下士官《かしかん》だとは聞いていた。<デ・ダナン> の陸戦隊《りくせんたい》に属《ぞく》する精鋭《せいえい》、|特別対応班《SRT》の要員《よういん》であり、いまは東京での任務《にんむ》についている。と同時に、<デ・ダナン> が保有《ほゆう》する特殊《とくしゅ》なAS <アーバレスト> を唯一《ゆいいつ》まともに扱《あつか》える男でもあった。
じきにその相良軍曹とは直接《ちょくせつ》話して、品定《しなさだ》めしてやるべきだろう。場合によっては、ほかの部署《ぶしょ》に飛ばすなり何なりして、彼女から遠ざける必要《ひつよう》がある。
別に父親を気取るつもりではないが、妙《みょう》な虫がつかないように見張《みは》るのも、副長である自分の仕事なのだ。マデューカスはこれまで、艦のクルーや陸戦隊員たちから、テスタロッサ艦長の生写真を山ほど没収《ぼっしゅう》してきた。焼却《しょうきゃく》するのも気が引けたので、いまでも艦医《かんい》のゴールドベリ大尉《たいい》に預《あず》けてある。
通常推進での航走《こうそう》をはじめて一時間たったころ、<デ・ダナン> のマザーAIが、艦長を呼び出す小さなアラーム音を奏《かな》でた。
『艦長。回線《かいせん》E2にタスキング・メッセージ。現在|受信中《じゅしんちゅう》です』
女性の声でAIが告げる。
「わかりました。完了次第《かんりょうしだい》、私のところへ」
『アイ・マム』
深海《しんかい》で使う|極超長波《ELF》通信は、電文《でんぷん》の受信に少々、時間がかかる。それからおよそ五分もかけたあと、艦長用のスクリーンに電文が転送《てんそう》された。
テッサはそれを読むと、小さなため息をついた。
「マデューカスさん」
「はい、艦長」
「基地への帰還《きかん》はおあずけになりました。パーティも中止ね……。このまま南へ向かいますよ」
そう言って、着《つ》きたての電文をマデューカスに回してくる。すでに暗号解析《あんごうかいせき》の済《す》んだ電文には、<ミスリル> の作戦|部長《ぶちょう》からの命令が簡潔《かんけつ》に記されていた。
[#ここから2字下げ]
最優先《さいゆうせん》命令《めいれい》(98H088―0031)
260115Z
発=作戦部|統合司令本部《とうごうしれいほんぶ》/作戦部長ジェローム・ボーダ提督《ていとく》
宛《あて》=TDD―1 <トゥアハー・デ・ダナン>
A:区域《くいき》L6―CWにて『事態《じたい》B26[#「26」は縦中横]c』が発生《はっせい》。
B: <トゥアハー・デ・ダナン> は現在《げんざい》のミッションをただちに中止し、陸戦隊《りくせんたい》を搭載後《とうさいご》、五〇時間以内に北緯《ほくい》〇九―三〇・東経《とうけい》一三四―〇〇の海域《かいいき》へ進出、待機《たいき》せよ。
C:陸戦隊の合流《ごうりゅう》は北緯一七―〇〇以北の洋上で、適時《てきじ》に行うことが許《ゆる》される。
D:搭載される陸戦隊の規模《きぼ》・種別《しゅべつ》は、『事態B26[#「26」は縦中横]C』の内容に準《じゅん》ずる。
E:ROE(交戦規定《こうせんきてい》)は、指示《しじ》あるまで平時《へいじ》とする。
[#地付き]――以上
[#ここで字下げ終わり]
「まったく。提督《ていとく》も人使いが荒いんだから……」
「目的の海域《かいいき》は――ペリオ諸島《しょとう》ですな」
海図《かいず》を開こうともせず、マデューカスは言った。
ペリオ諸島。ここからずいぶんと南にある、美しい珊瑚礁《さんごしょう》の島々だ。ほんの数年前に独立《どくりつ》し、共和国《きょうわこく》の体裁《ていさい》をとってはいるが、実質上《じっしつじょう》はアメリカの庇護下《ひごか》にある。人口わずか二万弱の、観光《かんこう》で食いつなぐ小さな国である。
マデューカスは『B26[#「26」は縦中横]C』という事態《じたい》がなにを指すのか、すぐには思い出せなかった。<ミスリル> が想定《そうてい》している『軍事的|危機《きき》』は、大きくわけても一〇〇通り以上もあるからだ。よくあるケースの番号はともかく、そのすべてを暗記《あんき》などしていられない。
だが、テッサは違ったようだった。マデューカスが確認《かくにん》のためにデータ・ファイルを開こうとするより早く、彼女はつぶやいた。
「化学兵器《かがくへいき》がらみだわ。その貯蔵施設《ちょぞうしせつ》が、なんらかの武装《ぶそう》グループによって襲撃《しゅうげき》・占拠《せんきょ》された、ということです」
化学兵器――サリンやタブン、VXガスなどを代表とする大量殺戮兵器《たいりょうさつりくへいき》だ。
ペリオ共和国には、独立後《どくりつご》もわずかだが米軍|基地《きち》が残っている。その中に『特殊《とくしゅ》な弾頭《だんとう》』を解体《かいたい》・処理《しょり》する施設《しせつ》があると、以前《いぜん》にどこかで読んだことをマデューカスは思い出した。
観光《かんこう》シーズンでにぎわう南の楽園《らくえん》に、毒《どく》ガスの貯蔵庫。それを占拠したテロ・グループ。
「ぞっとせん話ですな。その化学兵器の貯蔵庫を爆破《ばくは》でもされたら……」
「ええ。ペリオ諸島の住民二万人……それと観光客の数万人も、ただでは済まないでしょうね。あの小さな国は、消滅《しょうめつ》してしまうかも」
「ですが、米軍も鎮圧《ちんあつ》作戦を行うでしょう。こういう場合に、常《つね》に備《そな》えている連中もいます。ASを装備《そうび》した特殊部隊を送り込めば、制圧は困難《こんなん》ではないかと」
「それで済めばいいんですけど。でも、なにかあったら――」
言葉を切って、テッサが正面スクリーンをにらみつけた。
「私たちの出番《でばん》よ。また戦争だわ」
[#地付き]八月二六日 一三三〇時(日本|標準時間《ひょうじゅんじかん》)
[#地付き]太平洋上空 硫黄《いおう》島《じま》の南西二〇〇キロ
相良《さがら》宗介《そうすけ》は焦《あせ》っていた。
飛行機《ひこうき》を乗り継《つ》いで、東京から一五〇〇キロ南の <ミスリル> 西太平洋|基地《きち》――メリダ島に向かう途上《とじょう》のことである。
高度はおよそ一〇〇〇メートル。彼はいま、双発《そうはつ》のターボプロップ機《き》のキャビンに座《すわ》っている。飛行中の機体《きたい》はばたばたと小刻《こきざ》みに揺《ゆ》れ、向かいの窓《まど》からは強い日《ひ》差《ざ》しがさしこんでいた。
その光が逆光《ぎゃっこう》になっているせいで――対面《たいめん》に座る千鳥《ちどり》かなめの表情が読み取れない。
思うに、彼女は不機嫌《ふきげん》だ。なぜなのかは、いまいち分からなかった。
(謎《なぞ》だ……)
けさ彼女のマンションに迎《むか》えに行ったとき、かなめはいたく上機嫌で、着替《きが》えの詰《つ》まったボストンバッグを抱《かか》え、満面《まんめん》の笑顔を浮かべていた。
『じゃ、行こ!』
などと、はつらつとした声で言ったものだった。
彼女を市内の調布《ちょうふ》飛行場《ひこうじょう》に連れていき、予約《よやく》してあったセスナ機に乗ると説明《せつめい》すると、『もしかして、ソースケってスゴいお金持ち……?』
などと、驚嘆《きょうたん》をあらわにしていたのだ。
それからセスナ機が八丈島《はちじょうじま》に向かって飛び立つころには、彼女は傍目《はため》にもすっかり有頂天《うちょうてん》になっていた。しきりに『見直した』だの『こんな甲斐性《かいしょう》があったなんて』だのと感嘆《かんたん》をもらし、うっとりと外の景色《けしき》を眺《なが》めていたのだが。
問題《もんだい》は、八丈島の空港で <ミスリル> の基地に向かう双発機に乗りかえたあとである。
かなめはどうやら、八丈島かその周辺《しゅうへん》で遊ぶのだとでも思っていたらしく、『機を乗りかえる』と聞いてきょとんとした。そろそろ正確《せいかく》な目的地を教えてもいいころだろう、と考えて、彼女に『 <ミスリル> の西太平洋基地に行く。テスタロッサ大佐《たいさ》が君に会いたがっているのだ』と説明すると――
どういうわけだか、たちまちかなめは黙《だま》り込んでしまったのだった。『あ、そう……」とつぶやいたきり、すでに四時間、無言《むごん》である。
おかしい。自分はなにか、ひどい見落《みお》としをしただろうか?
どうしても心当たりがない。
そんな調子《ちょうし》で、宗介は悶々《もんもん》と思い悩《なや》んでいるのだった。
機が北緯《ほくい》二〇度を過《す》ぎたころ、彼は咳払《せきばら》いして彼女に声をかけた。
「千鳥……」
「なんか御用[#「なんか御用」に傍点]? 相良軍曹殿[#「相良軍曹殿」に傍点]」
いきなり、これである。見えない悪意《あくい》がびりびりと伝わってくる。
「もしなにか不満《ふまん》があったら、言って欲《ほ》しい。可能《かのう》な範囲《はんい》で善処《ぜんしょ》するぞ」
「ああ。それだったら――」
かなめは皮肉《ひにく》たっぷりの微笑《びしょう》を浮かべた。
「あたしの不満は、しょせんあんたには解決不可能《かいけつふかのう》な問題だから。言わないことにしておくわね」
もはや取りつく島もない。
テレサ・テスタロッサ大佐との用事《ようじ》が済《す》んだら、かなめをある場所に連れていこうと思っていたのだが。こんな調子《ちょうし》では、その計画《けいかく》はあきらめた方がよさそうだった。
かなめは『話すことなどもうない』と言わんばかりに、上体をひねって窓の外に目を向けた。彼女のイヤリングが日光を反射《はんしゃ》して、きらりと輝《かがや》いた。
そういえば、彼女は普段《ふだん》、イヤリングなどつけていただろうか?
そのおり、操縦席《そうじゅうせき》の副操縦士が、キャビンをのぞきこんで告《つ》げた。
「サガラ軍曹。メリダ島から連絡《れんらく》です。あなたに」
「いまいく。……千鳥、すこし席を外《はず》すぞ」
告げても、かなめは返事《へんじ》をしなかった。渋面《じゅうめん》のまま、宗介は頭を低くして操縦室に入り、副操縦士から通信機《つろしんき》のヘッドセットを受け取った。
「こちらサガラ」
『おぅ、俺だ』
少々くだけた感じだが、よく通るバリトンの声。相手は宗介の同僚《どうりょう》、クルツ・ウェーバー軍曹《ぐんそう》だった。
「クルツか。なんだ」
『B待機《たいき》の命令《めいれい》が出たぜ。おまえにもだ。|可及的速やかに《ASAP》″q行中《こうこうちゅう》の <デ・ダナン> に乗艦《じょうかん》しろだとさ。こっちはもうすぐヘリで出発《しゅっぱつ》しちまうぞ』
宗介はうなり声をあげそうになってしまった。
よりによって、このタイミングで待機命令とは。
彼やクルツなどの陸戦隊員《りくせんたいいん》は、いつも強襲揚陸潜水艦《きょうしゅうようりくせんすいかん》 <トゥアハー・デ・ダナン> に乗り組んでいるわけではない。日ごろは訓練《くんれん》や、ほかの任務《にんむ》のために陸《おか》で生活しており、必要《ひつよう》なときに呼び出されて乗艦《じょうかん》・待機するのだ。
乗艦後の展開《てんかい》はまちまちだ。実際《じっさい》に戦う場合もあれば、数日以上待たされて、けっきょく出番《でばん》がない場合《ばあい》もある。
海に出ている <デ・ダナン> から乗船・待機の命令が出たので、メリダ島にいるクルツたちは、ヘリで飛んでいって艦と合流《ごうりゅう》することになる。ところが宗介はいま、そのメリダ島へと向かっている最中《さいちゅう》なのだ。クルツたちのヘリには乗れそうにもない。
『待っても二〇分くらいだとよ。どうだ、間《ま》に合いそうか?」
「無理《むり》だ。メリダ島までは、最低《さいてい》でもあと二時間以上はかかる」
『じゃあ、また例の方法[#「例の方法」に傍点]しかないな。風邪《かぜ》ひくなよ。いや、おめーはひかねえか。はっはっは』
「それは構《かま》わないのだが。問題《もんだい》はカナメだ。どうしたものか……」
「あー、そうか。テッサが海の中だもんなぁ……』
「カナメはメリダ島に待たせておくか、それともトンボ帰りさせるか……」
言ってみて、自分でも冷《ひ》や汗《あせ》が出てきた。
ただでさえ不機嫌なかなめに、この場で『急用《きゅうよう》ができた。基地で暇《ひま》つぶししててくれ』だの『すまないが東京に帰ってくれ』だのと……どうして告げられようか? だいいち、今回、彼女を誘ったのはこちらなのだ。
「どうしても、俺が乗艦《じょうかん》する必要《ひつよう》があるのか? ほかの奴《やつ》もいるだろう。一度、大佐殿に問い合わせて――」
『あー、ちょっと待った。……え? なに、姐《ねえ》さん』
無線《むせん》の向こうで、クルツがだれかとぼそぼそ話しているのが聞こえてくる。辛抱《しんぼう》強く待っていると、ほどなくクルツは戻ってきて、
『ああ。ちょうどいま伝言《でんごん》が来たぜ。テッサかららしいけど……もしカナメさんがよろしければ、一緒《いっしょ》に艦《かん》に連れて来てください≠セとさ。良かったじゃねーか。民間人《みんかんじん》に乗艦《じょうかん》許可《きょか》だ。一緒に来いよ』
「カナメにあれ[#「あれ」に傍点]をやらせるのか」
潜航中《せんこうちゅう》の <デ・ダナン> に単独《たんどく》で乗艦する方法――それが少々、特殊《とくしゅ》なのだ。
『あのコならできるだろ。あれ[#「あれ」に傍点]くらい』
「ふむ……」
もちろん、作戦|行動《こうどう》を控《ひか》えた戦闘艦に、彼女を乗せるのはいくらか心配だ。だが考えようによっては、超高性能《ちょうこうせいのう》な <デ・ダナン> の艦内《かんない》は、世界でもっとも安全な場所と言ってもよい。そう深刻《しんこく》に考える必要もないだろう。
「では、彼女も連れて行こう」
宗介は答え、二、三の細かい打ち合わせをすると、通信を切った。
一方、実際《じっさい》、かなめは完全《かんぜん》に不機嫌なのだった。
おととい、宗介の誘いに応《おう》じた当初《とうしょ》は、『やっぱり二人きりってのは……マズいかな』などと迷《まよ》っていた。変な間違い[#「変な間違い」に傍点]が起きるとも思えなかったが、旅行に行くことで、なにか目に見えない一線《いっせん》を越《こ》えてしまうような気がしたのだ。
たかが旅行というなかれ。
一六歳の平均的《へいきんてき》な少女にとっては、男と二人で遠出《とおで》するのは、やはり人生の一大事《いちだいじ》なのだ。日曜日に遊園地《ゆうえんち》へ行くのとは、わけがちがう。しかもその相手が宗介となると――これは重大《じゅうだい》な懸案事項《けんあんじこう》なのだった。
学校で彼を叱《しか》り飛ばす自分。お姉さんぶった自分。『仕方《しかた》ないから』面倒《めんどう》を見ている自分。そういう関係が、微妙《びみょう》に切り替《か》わってしまうような、言い知れない感覚《かんかく》。
距離《きょり》が近づくことで、むしろ居心地《いごこち》のいい場所が壊《こわ》れてしまうかもしれない……そういった不安感《ふあんかん》。
それらがない混《ま》ぜになって、胸の中がもやもやとしていた。
やっぱりキャンセルしようか。
何度も彼女はそう思ったものだ。
ところが昨晩《さくばん》あたりになってくると、その心境《しんきょう》も変化していた。いそいそと着替《きが》えや洗面《せんめん》セットをバッグに詰《つ》め込み、鼻歌《はなろた》をうたっている自分に、彼女は気付いたのだ。
(ま、なるようになるわよ。それでいいじゃない)
などと、素直《すなお》に旅行を楽しみに思いはじめていた。
難《むずか》しく考えないで、彼と思いきり楽しもう。おいしいものも食べまくろう。なりゆきに身をまかせてしまおう。もしあいつが、なにか変なことを求めてきたりしたら――まあ、その、どうしようか。いやいや、あたしはそんなに安くないぞ。でも、ムードがあったら。やっぱダメだ。困ったな。えへへへへ……。
こんな調子《ちょうし》だった。けさ、出発《しゅっぱつ》したときもだ。
こうした微妙で複雑《ふくざつ》な、心のひだの紆余曲折《うよきょくせつ》を経《へ》てきただけに――八丈島で『テスタロッサ大佐に会ってもらう』と言われたときには、どうしようもない脱力感《だつりょくかん》に襲《おそ》われた。
(ああ、そういうことだったのね)
彼女は納得《なっとく》した。
(また <ミスリル> の任務《にんむ》だったわけ。あんたの大切なあの娘《こ》に頼《たの》まれて、あたしを小包《こづつみ》かなんかみたいに、その変な島に届《とど》けるだけだった、と。二日間、あれこれと思い悩《なや》んで、困《こま》ったり浮《う》かれたりしてたあたしは、要《よう》するに、ただのバカ?)
みじめな気分だった。とてつもなく。
宗介は操縦席《そうじゅうせき》の方で、だれかと無線《むせん》で話していた。機内《きない》はうるさいし、英語の早口だったので、なにを言っているのかははっきりとしなかった。
キャビンに戻ってくると、宗介は落ち着きのない顔で座りこむ。
「どうかしたわけ?」
ぶっきらぼうな声でたずねてみる。宗介はちらりとかなめを見て、
「実は、予定《よてい》が変更《へんこう》になった」
「あ、そう」
「大佐は急用《きゅうよう》ができて、メリダ島にいない」
「それで?」
「君がもし良ければ、これから大佐のいる船に同行《どうこう》して欲しいのだが」
「ふぅーん……」
船。いつだったか、聞いたことがあるような気がする。宗介が所属《しょぞく》している極秘《ごくひ》のハイテク傭兵部隊《ようへいぶたい》 <ミスリル> は、キョウシュー……なんとかいう船を持っていて、テッサはそこの艦長だか何だかなのだと。
確《たし》かに、テッサに会う必要《ひつよう》は前から感じていた。自分に隠《かく》された秘密《ひみつ》について、彼女は知っている節《ふし》があるのだ。一学期の期末テスト前に起きた、有明《ありあけ》でのドンパテ騒《さわ》ぎ以来《いらい》、テッサとは電話口で何度か話しただけだった。
「いーわよ、別に……。どうでも」
無関心《むかんしん》な声でかなめは答えた。
「助《たす》かる。待機《たいき》していてくれ」
そう言って、宗介は操縦室の方へと引き返していった。
それからしばらく、宗介はたびたび操縦室とキャビンの間《あいだ》を行ったり来たりしていた。
キャビンの棚《たな》から大きなバッグを取り出したり、操縦席でなにやら無線機《むせんき》をいじって、パイロットと相談事《そうだんごと》をしたり。
目的地の変更《へんこう》が決まってから二時間が過《す》ぎたころ、宗介が彼女にたずねた。
「君は水着を持っているか?」
「はあ?」
いきなりなにを言っているのだろう。島に行くのは中止じゃなかったのか?
「いちおう……持ってきてるけど」
「着替《きが》えてくれ。キャビンの奥《おく》を使うといい」
「なによ、いきなり。ちょっ……」
「急げ。時間がない」
宗介は操縦室の方へ行ってしまった。妙《みょう》にあわただしい様子《ようす》である。
仕方《しかた》なく、かなめはキャビンの奥のトイレに入って、いそいそと水着に着替えた。黒地にオレンジのラインが入った、ワンピース水着だ。白のビキニも持ってきていたが、宗介の前で着る気はとうに失《う》せていた。
水着の上にバスタオルを羽織《はお》ってキャビンに戻《もど》ると、宗介がウェット・スーツを着ているところだった。私服の上に直接《ちょくせつ》、だ。
「……どういうこと?」
「すまない。君のサイズに合うウェット・スーツがなかったのだ」
「いや、そういうことじゃなくて――」
「手荷物《てにもつ》をこの袋《ふくろ》に入れてくれ。全部《ぜんぶ》だ」
彼はきびきびと、オリーブ色のバッグをかなめに押《お》し付けた。
「詰めおわったら、ファスナーを閉じるんだ。二重になっている。どちらもしっかりとな。そのタオルもしまっておいたはうがいい。できれば髪《かみ》も束《たば》ねておけ」
「……あのね。説明を――」
「軍曹《サージ》!」
パイロットに呼ばれて、宗介はまたしても操縦室に行ってしまう。わけがわからず、かなめは自分の手荷物をオリーブ色のバッグに詰めた。
「できたか」
すぐに宗介が戻ってくる。
「うん。だけど、なんでこんなことを……?」
「そのバッグは完全防水《かんぜんぼうすい》だ。衝撃《しょうげき》にも強いようにできている」
わけのわからないことを言いながら、宗介はもう一つのバッグを開けて、いそいそとその中身《なかみ》を身につけていった。
それは頑丈《がんじょう》なベルトと金具《かなぐ》が付いた、変な形のリュックサックだった。
「あのー。それって、もしかして……」
「君はこれをつけろ。急いで……いや、俺がつけよう。時間がない」
「ちょ……きゃっ! なにすんのよ!?」
宗介は無骨《ぶこつ》なベルトと金具を、あれよあれよという間に、かなめの身体《からだ》に取り付けていった。ゴム手袋《てぶくろ》をつけた彼の手が、彼女の腕《うで》や肩《かた》や、脚《あし》やお尻《しり》を這《は》い回る。かなめは真《ま》っ赤《か》になって抗議《こうぎ》しようとしたが、
「軍曹! あと一分!」
「わかってる!」
「燃料《ねんりょう》がないんです、やり直しは――」
「知っている、大丈夫《だいじょうぶ》だ!」
妙に緊迫《きんぱく》したやり取りに気圧《けお》されて、思わず口をつぐんでしまった。宗介はかなめに取りつけた金具とベルトを乱暴《らんぼう》に引《ひ》っ張《ぱ》って、その強度《きょうど》を確認《かくにん》する。
「いたた……。ねえ、いったい、なにを――」
「あと三〇秒!!」
機長《きちょう》が叫《さけ》ぶと、宗介が答えた。
「感謝《かんしゃ》する! また会おう!」
「へ?『また会おう』って? あの、ちょっと……」
宗介はかなめの背後《はいご》に回り込むと、自分の金具を彼女のそれに『がちゃり!』と取りつけた。ちょうど二人羽織《ににんばおり》と同じ格好《かっこう》で、二人はしっかりと固定《こてい》される。
「なに? ねえ? なんなの……?」
手荷物の入ったバッグを含め、すべての装備を身に着けた宗介は、かなめを抱《かか》えるようにして、キャビンの右側へと大股《おおまた》で歩いていった。
「え? え?」
ハッチのそばにいた副操縦士《ふくそうじゅうし》が、壁《かべ》のレバーを回した。スライド式のハッチががらりと開いて、いきなりすさまじい風が機内《きない》に流れ込んでくる。
「ひっ……!!」
エンジンの騒音《そうおん》がたちまち大きくなって、冷たい風がごうごうとうなった。青空の彼方《かなた》に水平線《すいへいせん》が見える。はるか眼下《がんか》に海面がある。ほかは――なにもなかった。
東京タワーなんか問題《もんだい》にならない、目もくらむほどの高さである。
彼は開いたハッチから発煙式《はつえんしき》のマーカーを機外《きがい》に放《ほう》って、外の風向きを見た。それからそばの副操縦士に親指を立てて見せ、次にかなめの肩《かた》をたたいて、
「よし……行くぞ、千鳥」
「『行くぞ』じゃないわよっ! この飛行機、まだ飛んでるじゃないの!」
「当然《とうぜん》だ」
彼女は機内に戻《もど》ろうとじたばたしたが、宗介にベルトで固定《こてい》されているせいで、思うように動けなかった。
「なにするの!? ねえ! まさか、あんた、ここから飛び降《お》りる気じゃ――」
「肯定《こうてい》だ」
叫《さけ》ぶなり、宗介は勢《いさお》いをつけてかなめもろとも機外《きがい》に飛び出した。
足元から床《ゆか》が消え、内臓《ないぞう》が浮かび上がるような感覚《かんかく》が彼女を襲《おそ》った。
「き……きゃあぁ〜〜〜〜〜〜っ!!」
……と、自分が叫んでいることだけは分かっていた。だが、その声は暴力的《ぼうりょくてき》な風の音にかき消されて、ほとんど自分の耳に届《とど》かなかった。視界《しかい》の片隅《かたすみ》にあったプロペラ機《き》の姿《すがた》が、みるみる小さくなっていく。
世界は青一色だった。
どこまでも透明《とうめい》な空と、きらきら輝《かがや》く海。そして太陽。本当に、それしかないのだ。
「あ…………」
真っ青な世界にいるのは、自分と彼だけだった。
二人だけの世界。もしここに重力《じゅうりょく》がなかったら、どれだけ素敵《すてき》だろう。これまでのなにもかも許《ゆる》せてしまうような気がする。そう、いまこうして、強引《ごういん》に飛び降《お》り自殺《じさつ》に付き合わされてる事実《じじっ》でさえ。
そんなことを、頭の片隅《かたすみ》で感じた瞬間《しゅんかん》――
がくんっ、と強い衝撃《しょうげき》が襲《おそ》ってきて、彼女の身体は乱暴《らんぼう》に持ち上げられた。いや、パラシュートが開いたのだ。
青だけの世界は消えてなくなり、頭上をオリーブ色のパラシュートが覆《おお》っていた。ほとんど裸同然《はだかどうぜん》の彼女を殴《なぐ》りつけていた風が弱まり、微風《びふう》が髪《かみ》をさわさわとくすぐる。パラシュートにぶら下がった二人は、今ではゆっくりと降下《こうか》していった。
「死ぬ……」
かなめはつぶやいて、海を見下ろした。宗介が言っていた船の姿など、影《かげ》も形《かたち》もない。
ほどなく、海面がみるみる近づいてくる。
「いいか、千鳥。着水の直前に、パラシュートを切り放《はな》すからな。息を大きく吸《す》え」
「なんで……?」
かろうじて、彼女はそうたずねた。
「溺《おぼ》れないために、だ。あと、三……二……」
すでに二人はビルの数階くらいの高さまで降下《こうか》していた。波の形もはっきりわかる。
「切るぞ」
かなめは泣きたい気持ちになりながらも、肺《はい》一杯《いっぱい》に空気を吸《す》い込んだ。パラシュートがぷつりと切り放されて、二人は固まったまま海に落下《らっか》した。
[#挿絵(img/03_057.jpg)入る]
最後の衝撃《しょうげき》。彼女の身体は、海水と気泡《きほう》に包《つつ》まれる。
覚悟《かくご》していたほど、水は冷たくなかった。
[#地付き]八月二六日 〇六三八時(グリニッジ標準時《ひょうじゅんじ》)
[#地付き]西太平洋 深度《しんど》三〇メートル <トゥアハー・デ・ダナン>
「発令所《はつれいじょ》へ、ソナーっす。方位《ほうい》三―一―七に人間サイズの着水音《ちゃくすいおん》を探知《たんち》。距離《きょり》は……推定《すいてい》で五〇〇ヤード」
ソナー員《いん》がテッサに告《つ》げた。
「はい。だいたい予定通《よていどお》りですね。針路《しんろ》はこのまま。三ノットに減速《げんそく》してください」
「速度《そくど》三ノット。アイ・マム」
のろのろ航行《こうこう》をしていた船体が、さらに減速する。いま海面に降下《こうか》したばかりの、宗介《そうすけ》たちを艦《かん》に収容《しゅうよう》するためだ。
「『タートル』を向《む》かわせてくだい。コントロールはゴダートさんに」
「了解《りょうかい》しました。右舷《うげん》、タートル1を発進《はっしん》させます」
甲板士官《かんぱんしかん》がスティックを握《にぎ》り、スイッチをたたく。
『タートル』とは、艦に搭載《とうさい》された有線操縦式《ゆうせんそうじゅうしき》の小型《こがた》無人艇《むじんてい》のことだった。サイズも形も、文字通り海亀《うみがめ》にそっくりで、通信機器《つうしんぎき》や光学《こうがく》センサーを積《つ》んでいる。さらにAS技術《ぎじゅつ》の応用《おうよう》で、ヒレを使って音もなく泳ぐことができる。いわば、『泳ぐ潜望鏡《せんぼうきょう》』だ。これを使うことで、<デ・ダナン> は自由に海上の様子《ようす》を探ることができるのだった。
このカメを、宗介たちのところまで泳がせる。潜水具《せんすいぐ》をつけた彼らがカメにつかまったら、二人を潜水中の艦まで引っ掛《ぱ》らせる。艦のハッチの一つに、カメを横付けさせて、気密室《みつしつ》に入らせて、収容完了《しゅうようかんりょう》……というわけだ。
宗介だけでなく、ほかの隊員も何度かやっている作業だった。わずか一人か二人の人間を収容する場合、わざわざ艦をまるごと浮上《ふじょう》させるのは、効率《こうりつ》が悪いしリスクもあるからだ。ちなみにほかの陸戦隊《りくせんたい》の方は、一時間前に艦を浮上させ、ヘリごとまとめて収容している。
そのおり、ソナー員が緊迫《きんぱく》した声で言った。
「こちらソナー。着水した人間が、水面で暴《あば》れてます」
「どういうことです?」
「溺《おぼ》れてるのかもしれない。激《はげ》しく水をたたく音と、悲鳴《ひめい》が……。まずいっすよ」
にわかに発令所のクルーたちが緊張《きんちょう》した。
着水したあと、濡《ぬ》れたパラシュートが身体《からだ》に絡《から》み付いて、溺れ死ぬ事故《じこ》はよくあることだ。まさか、宗介たちが……?
「大変だわ。第一二ハッチにダイバーを待機《たいき》させて。すぐに出られるように――」
「あー、ちょっと待った。なにか叫《さけ》んでます。すごい声です。これは……日本語か? 音を回しますよ。聞いてください」
ソナー員が回線《かいせん》をつなぐと、発令所のスピーカーから問題の音が流れた。
「…………」
確《たし》かに、乱暴《らんぼう》に手足をばたつかせる音がした。それと悲鳴のような声も聞こえる。テッサは固唾《かたず》を呑《の》んで、その叫び声に耳を澄《す》ました。
<デ・ダナン> に搭載《とうさい》された、超高性能《ちょうこうせいのう》ソナー・システムが捕捉《ほそく》した声は――
<<……やめろ、千鳥《ちどり》っ! ごほっ……>>
<<なによ!? あんたなんか、溺れ死んじゃえばいいのよ!>>
<<ごぼっ……。首を……絞《し》めるな……>>
<<うるさいっ! あたしの気持ちなんか……これっぽっちでも考えたことあるのっ!? え、人でなし! 最《さい》っ低《てい》! 大《だい》っ嫌《きち》い!>>
<<うぐ……ごぼぼ……>>
となりに突《つ》っ立っていたマデューカスが、判断《はんだん》を仰《あお》ぐような目でテッサを見ていた。彼も日本語は知らないので、会話の内容《ないよう》がわからないのだ。ほとんどの、ほかのクルーたちも同じだった。そろって背後《はいご》を振《ふ》り返り、艦長席《かんちょうせき》から身を乗《の》り出していたテッサの顔を、じっと眺《なが》めている。
全員の顔には、同じ疑問《ぎもん》が書いてあった。すなわち、『なぜ艦長は、助けを出そうともせず、ほけーっとしてるんだろう?』と。
「艦長?」
「…………。放《ほう》っておいていいです」
テッサはすこし不機嫌《ふきげん》な声で言うと、ぺたん、と座席《ざせき》に腰《こし》を下ろした。
すったもんだの挙句《あげく》――
かなめは慣れない潜水|用具《ようぐ》を着けさせられて、変《へん》なロボットのカメにつかまって、宗介と共に海へと潜《もぐ》るはめになった。
海中には、巨大な潜水艦が待っていた。
かなめから見た <トゥアハー・デ・ダナン> は、当然《とうぜん》のごとく、驚異《きょうい》の塊《かたまり》だった。
横幅《よこはば》のある、空でも飛べそうななめらかな曲線《きょくせん》。海上から降《ふ》りそそぐ、まばゆい光の雨の中に、ぼんやりと浮かび上がる船体のシルエットは、どことなく投げナイフの形に似《に》ていた。もっとも、あまりにもサイズが大きいので、本当にそんな形をしていたのかどうかは、少々|自信《じしん》がなかったが。
近づけば近づくほど、彼女はその大きさに圧倒《あっとう》されてしまった。新宿の超高層《ちょうこうそう》ビルほどはあるだろうか。海中に横たわる黒い山、とでもいった方がしっくりくるくらいだ。
彼女は宗介に手をひかれて、船体《せんたい》の中ほどにあった小さなハッチに入った。狭苦《せまくる》しい円筒形《えんとうけい》の気密室《きみつしつ》で待っていると、やがて海水がごぼごぼと吸《す》い出されて、やっとゴム臭《くさ》いマウスピースから解放《かいほう》された。
「げほっ……。潜水艦だなんて……聞いてなかったわよ」
かなめは軽く咳《せ》き込んで、拳《こぶし》を握ったり開いたりした。なぜかは分からなかったが、指先が痺《しび》れてひりひりしていた。
「何度も話したと思ったが。それに、君も一度|乗《の》ったことがあるぞ」
「うそ?」
「嘘《うそ》ではない。もっと手荒《てあら》な乗り方だったし、君は意識《いしき》を失《うしな》っていたがな」
「…………」
床《ゆか》のハッチを開けると、二人ははしごを伝《つた》って、下の甲板《かんぱん》へと降《お》り立った。
通路《つうろ》には、カーキ色の制服《せいふく》を着た、アッシュ・ブロンドの髪《かみ》の少女が待ちうけていた。
「テッサ?」
「ええ。おひさしぶりですね」
彼女はやわらかな微笑《びしょう》を浮かべて、わずかに小首をかしげた。
「ようこそ、チドリ・カナメさん。乗艦《じょうかん》を許可《きょか》します」
こうして、かなめは強襲揚陸潜水艦《きょうしゅうようりくせんすいかん》 <トゥアハー・デ・ダナン> への、二度目の乗艦を果たしたのだった。
[#地付き]八月二六日 一六二五時(ペリオ標準時《ひょうじゅんじ》)
[#地付き]太平洋西部 ペリオ共和国 ベリルダオブ島
[#地付き]アメリカ軍 化学兵器《かがくへいき》解体基地《かいたいきち》
攻撃《こうげき》ヘリの爆発《ばくはつ》が、夜の珊瑚礁《さんごしょう》を赤々と照らした。
炎《ほのお》に包《つつ》まれた機体《きたい》が、勢《いきお》いを失った独楽《こま》のように回転しながら落ちていき――海面に激突《げきとつ》してばらばらになる。
機関砲《きかんほう》の咆哮《ほうこう》。飛び交《か》う銃弾《じゅうだん》。燃《も》えあがる戦闘艇《せんとうてい》と、たちこめる黒煙《こくえん》。
戦場となった小島の波打《なみう》ち際《ぎわ》で、濃紺《のうこん》色のアーム・スレイブ――M6A3 <ダーク・ブッシュネル> が一機、擱坐《かくざ》していた。アメリカ海軍の特殊《とくしゅ》部隊・SEALに所属《しょぞく》する高級機である。
否《いな》、所属していた……とすべきか。
全高八メートルの人型兵器は、グロテスクな角度で手足を曲げたまま大破《たいは》していた。その周囲《しゅうい》には、金属製《きんぞくせい》のはらわたと高分子《こうぶんし》ゲルの血液《けつえき》が、無残《むざん》にぶちまけられている。
荒《あ》れ狂《くる》う爆音《ばくおん》と砲声《ほうせい》の向こうで、鎮圧《ちんあつ》作戦に参加《さんか》した兵士たちの怒号《どごう》と絶叫《ぜっきょう》が交錯《こうさく》する。それはやがて、絶望《ぜつぼう》の悲鳴《ひめい》へと変貌《へんぼう》していった。
『こちらエコー84[#「84」は縦中横]。被弾《ひだん》した! メイデイ! メイデイ!』
『脚《あし》をやられた! だれか支援《しえん》を――』
『ちくしょう、あの赤色め。よくもボブを……!』
『――された。くりかえす、ノヴェンヴァー1が撃破《げきは》された! 大尉《たいい》は死亡。以後《いご》の指揮《しき》はノヴェンバー3に――』
『脱出《だっしゅつ》しろ! とにかく逃げるんだ』
『助けてくれ! だれか! 助けて! 助けて……!」
無線機《むせんき》の向こうで、仲間《なかま》たちががなりたてている。だが彼――エド・オルモス二等|軍曹《ぐんそう》には、それらの言葉に耳を傾《かたむ》けている余裕《よゆう》がほとんどなかった。
彼の乗るAS――やはりM6A3だった――は、いま、コンクリートで固《かた》められた海岸を疾走《しっそう》している。周囲《しゅうい》に味方《みかた》はいない。オルモスの分隊《ぶんたい》の僚機《りょうき》二機は、すでに撃破《げきは》されていた。操縦兵《オペレーター》たちはいずれも、厳《きび》しい訓練《くんれん》を経《へ》て軍のエリート部隊に選ばれた、トップクラスの腕前《うでまえ》の持ち主だった。
だというのに。
彼らは殺されてしまった。あっけなく。たった一機のASによって。
赤色の、正体不明《しょうたいふめい》のASによって――
「ばかな……こんな、ばかなことがあっていいものか。くそっ」
コックピットの中のオルモスは青ざめていた。汗《あせ》が止まらない。どうしても歯《は》の根が合わず、黒い瞳《ひとみ》がせわしく敵《てき》を捜《さが》し求める。
奴《やつ》は。奴はどこだ。
M6A3 <ダーク・ブッシュネル> のセンサーは、いまだに敵機《てっき》を見失《みうしな》ったままだった。その目に映《うつ》るのは、濃密《のうみつ》な黒煙《こくえん》と味方《みかた》の残骸《ざんがい》、いくつかの半壊《はんかい》した建築物《けんちくぶつ》。
どこなんだ。あの赤色の奴は――
「!」
正面に突風《とっぷう》の渦《うず》が生まれた。叩《たた》き込まれた反射行動《はんしゃこうどう》で、オルモスは機体を横っ飛びに跳躍《ちょうやく》させる。飛来《ひらい》したロケット弾《だん》が、彼の左をかすめていった。背後《はいご》で爆発《ばくはつ》。衝撃《しょうげき》にひるまず、おぼろな影《かげ》に向かって発砲《はっぽう》する。機体のカービン・ライフルから四〇ミリ砲弾《ほうだん》が吐《は》き出され、白い光の尾を曳《ひ》いて煙《けむり》の中へと吸《す》い込まれていった。
三|連射《れんしゃ》を三回。当たったはずだ。しかし――手応《てごた》えはなかった。
敵機が現《あち》われた。煙《けむり》をかきわけ、急速《きゅうそく》に接近《せっきん》してくる。
暗い赤色のASだった。
細身《はそみ》だがたくましいシルエット。逆三角形の上半身にひし形の頭部。どちらかといえば、西側の系列《けいれつ》のASに似ていた。だが、どのカタログでも見たことのない機種《きしゅ》だ。外観《がいかん》は優美《ゆうび》なようでもあり、同時になにか、禍々《まがまが》しい力を秘《ひ》めているようにも見えた。
その敵機は――異様《いよう》なことに、笑っていた。
機体の外部スピーカーから、あざけるような哄笑《こうしょう》が響《ひび》いているのだ。
「くそったれが……!」
オルモスは逆上《ぎゃくじょう》し、雄《お》たけびをあげて突進《とっしん》した。敵めがけて、強力なグレネード・ランチャーを発射《はっしゃ》する。自機も巻き込まれかねないほどの、至近距離《しきんきょり》で爆発《ばくはつ》。さらに敵機のいた場所めがけて、ライフルの残弾《ざんだん》をすべて叩き込んでやる。
これならば、ただでは済《す》むまい。
そう思った直後――吹《ふ》き荒れる爆炎《ばくえん》と破片《はへん》の嵐《あらし》の中から、敵機が現われた。ゆっくりと。まったくの無傷《むきず》で。あれだけの攻撃を食らったのに。
「そんな……」
呆然《ぼうぜん》とするオルモスに向かって、赤色の機体は言った。
『弾《たま》切《ぎ》れかな? お寒《さむ》いねえ。資源《しげん》は大切にしないと』
「く……」
『ちなみにあんたが最後だ。泣いて命乞《いのちご》いする奴もいたが……まあ、よくがんばったな、兵隊さん』
「ふざけるなっ!」
<ダーク・ブッシュネル> は弾切れのライフルを捨《す》て、腰《こし》の兵装《へいそう》マウントから、小型のハンドガンを引き抜いた。
すばやく敵機の頭部に照準《しょうじゅん》し、発砲。
その弾丸《だんがん》が――空中ではじけ飛んだ。透明《とうめい》な盾《たて》にでもぶつかったように。赤い火花が散《ち》り散《ぢ》りになった向こうで、赤色の機体は平然《へいぜん》と棒立《ぼうだ》ちしていた。
「な……」
うろたえたオルモスに、赤色のASは人差し指を突き出し、左右に振《ふ》ってみせた。
『チッチッチ……。ダメダメ。俺が手本《てほん》を見せてやる。いいか?』
その人差し指を、ピストルの銃口《じゅうこう》のように、まっすぐにオルモスの機体に向ける。
そして一言――
『バーン』
刹那《せつな》、大気がゆがんだ。
赤色のASの指先から、見えない力が生まれ、宙《ちゅう》を走った。弾丸ではない、未知《みち》のもの。もっと異質《いしつ》な、エネルギーのつぶて。そのなにかが、堅牢《けんろう》な装甲《そうこう》を通りぬけ、<ダーク・ブッシュネル> のコックピットと、その搭乗者《とうじようしゃ》の肉体を爆発《ばくはつ》させた。
最後の瞬間《しゅんかん》まで、オルモスにはなにが起きたのか分からなかった。
鎮圧《ちんあつ》チーム最後の <ダーク・ブッシュネル> は、操縦者《そうじゅうしゃ》と制御《せいぎょ》システムを失い、その場にくずおれて、それきり動かなくなる。
機体の正面《しょうめん》装甲には、傷一つさえ付いていなかった。
●
敵の残存部隊《ざんぞんぶたい》が敗走《はいそう》し、戦闘《せんとう》が終わると、彼は点呼《てんこ》をとった。
部下のASは一〇機いたが、そのうち一機が撃破され、一機が左腕《うで》を失っていた。歩兵《ほへい》その他の損害《そんがい》は、戦死《せんし》が六名、負傷《ふしょう》が一〇名。
あまり小さな損害ではなかった。だが世界でもトップクラスの実力を誇《ほこ》る、アメリカ軍の特殊《とくしゅ》部隊を相手にしたことを考えれば、むしろ僥倖《ぎょうこう》といえただろう。
なにしろ――対する敵は、AS一二機すべてが撃破されたのだ。ヘリや戦闘艇《せんとうてい》も半数が破壊《はかい》され、取り残された死体の数は――少なくとも二ダース以上だった。もはや、彼らが祖国《そこく》に帰ることはない。
気の毒《どく》に。ああ、星条旗《せいじょうき》よ永遠《えいえん》なれ。
「さてと……」
彼は自分の操《あやつ》るASを、基地《きち》の化学兵器|貯蔵庫《ちょぞうこ》まで歩かせた。貯蔵庫の外壁《がいへき》は、流れ弾を食らってあちこちが崩《くず》れている。ここが猛毒《もうどく》の化学|弾頭《だんとう》を処分《しょぶん》する施設《しせつ》だと聞いた者なら、その光景《こうけい》を見て蒼白《そうはく》になったことだろう。
だが、彼はまったく頓着《とんちゃく》しなかった。
機体をひざまずかせて降着姿勢《こうちゃくしせい》をとり、コックピットから大地に下りる。右|脚《あし》の義足《ぎそく》も、ここ数週間でずいぶんとなじんでいた。
彼は殺戮《さつりく》に満足し、骨《ほね》を休めている自機《じき》を見上げた。
この赤色のASは、彼の組織《そしき》で『|設計案《プラン》1058』と呼ばれていた。通称《つうしょう》は <コダールi> 。なにかと欠陥《けっかん》の多かった、『|設計案《プラン》1056』の改良型《かいりょうがた》である。その旧型《きゅうがた》『1056』は四か月前、北朝鮮《きたちょうせん》の山中で、彼の右足を道連《みちづ》れにして失《うしな》われた。
「こいつに乗ってればなぁ……」
そのときの戦闘《せんとう》―― <ミスリル> の白いASとの戦いを思い出し、彼は暗い笑《え》みを浮《う》かべた。
「ガウルン」
彼を呼ぶ声がした。
一人の男が歩いてくる。年は三〇前後といったところか。大柄《おおがら》でたくましく、打撃系《だげきけい》の格闘家《かくとうか》を思わせる身体つきだった。人種《じんしゅ》はなんとも言えない。ラテン系のようにも見えるが、東洋系といっても通じそうな――そんな顔立ちだ。眠《ねむ》そうな目つきではあったが、同時《どうじ》に、何事にも動じない男たち特有《とくゆう》の匂《にお》いを漂《ただよ》わせている。
小さな丸眼鏡《まるめがね》が、丸い鼻《はな》の上にちょこんと乗《の》っているのが印象的《いんしょうてき》だった。
「クラマ。もう終わっちまったぞ。どこ行ってた」
「通信《つうしん》だ。ミスタ・|Zn《ズインク》とな」
クラマと呼ばれた男は、そっけなく答えた。つい今しがた行われた戦闘には、これといった感想《かんそう》さえないようだった。
「ふうーん」
「あんたの言うとおりだったよ。どうやら連中《れんちゅう》が来るようだ」
「ほう?」
「潜水艦《せんすいかん》が洋上で強襲部隊《きょうしゅうぶたい》を積《つ》み込んだらしい。監視《かんし》や偵察《ていさつ》だけじゃなく、やる気[#「やる気」に傍点]のようだな」
それを聞いて、彼――ガウルンはにんまりと笑った。
「くっく……。律儀《りちぎ》な奴らだよ。きちんと餌《えさ》には食いついてくれる」
「だとしたら、ずいぶんと豪勢《ごうせい》な餌だ」
クラマが戦闘|直後《ちょくご》の情景《じょうけい》を見渡した。いまだに燃え続けるASと、戦闘ヘリと、そこかしこに散らばった米兵たち……。この作戦の失敗で、|国防総省《ペンタゴン》のお偉《えら》いさんの首も、さぞや景気《けいき》良く飛ぶことだろう。
「そりゃそうさ。俺が派手《はで》好きなのは、あんたもよく知ってるだろう」
「そうだったな」
クラマはシガレット・ケースを取り出すと、中に収《おさ》めてあったタバコ|大《だい》の人参《にんじん》スティックを抜き取り、一口かじった。
「……もう一つ、知らせがある。あんたが大好きなあのカップル。あの二人が一緒《いっしょ》に乗り込んでるかもしれん」
「なんだと……?」
「こちらは、まだはっきりとはしないがな。実際《じっさい》、東京から姿《すがた》を消してるそうだ」
「へえ……。それは、それは。いいね。最高だよ」
「喜ばれても困るがな。もし <ミスリル> の連中と一緒《いっしょ》に死なれては、元も子もない」
「くっく……わかってる。大丈夫《だいじょうぶ》だよ。彼女は死なせないようにする」
ガウルンは、心から楽しそうに頭《かぶり》を振《ふ》った。痩《や》せこけた相貌《そうぼう》が、とうてい健《すこ》やかとは言えない悦《よろこ》びをたたえる。
実際《じっさい》、彼は嬉《うれ》しかった。この計画には、いくつか気に入らないことがあったのだ。その一つが、あの小僧《こぞう》と小娘を、別々に扱《あつか》わなければならないことだった。
だが、その状況《じょうきょう》がこんな形で変わるとは。
「うん、うん。気をつけるよ。死なせない。ただな……」
ガウルンはつぶやいた。
「ただ、なんだ」
「事故《じこ》ってのは、起きるもんだろ?」
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2:深海《しんかい》パーティ
[#地付き]八月二六日 〇八〇七時(グリニッジ標準時《ひょうじゅんじ》)
[#地付き]西太平洋 深度《しんど》二〇〇メートル <トゥアハー・デ・ダナン> 医務室《いむしつ》
久しぶりに会ったテッサは、前よりもきりりとした印象《いんしょう》だった。
カーキ色の制服姿《せいふくすがた》で、ひざ丈《たけ》のタイト・スカートとあい色のネクタイが、なかなか様になっている。前に会ったときは、彼女はだぶだぶのTシャツとカーゴ・パンツ姿だったので、どこからどう見ても『艦長《かんちょう》』や『大佐殿《たいさどの》』という感じではなかったのだが――
(ははぁ。本当に軍隊《ぐんたい》の人なんだ……)
目の前に立つテッサをしげしげと眺《なが》めて、かなめは妙《みょう》に感心《かんしん》した。
「な、なんです……?」
テッサは半歩下がって、困惑顔《こんわくがお》をした。
「いや……別に。元気してた?」
「おかげさまで。カナメさんは……ちょっとお疲《つか》れみたいですね」
かなめは毛布《もうふ》にくるまって、医務室《いむしつ》のベッドに腰《こし》かけ、ココアをすすっているところだった。体温や脈拍《みゃくはく》、血圧《けつあつ》など、簡単《かんたん》な検査《けんさ》をした直後《ちょくご》である。
かなめを診察《しんさつ》した艦医《かんい》は、ゴールドベリ大尉《たいい》と名乗《なの》る黒人のおばさんだった。彼女はかなめを診《み》て『すっかり良くなった』だの『あんたは頑丈《がんじょう》だ』だのと好き勝手《かって》にまくし立ててから、『問題ないわよ』とお墨付《すみつ》きを出した。
宗介《そうすけ》はといえば、医務室の扉《とびら》の前で、『休め』の姿勢をとり、胸をそらして突《つ》っ立っている。それをかなめは横目で見て、
「そりゃあね。飛行機《ひこうき》から突《つ》き落とされて、海に放《ほう》り込まれて、ブクブクと潜《もぐ》らされたら……よっぽどのバカでない限《かぎ》り疲れるわよ。ほんと……」
そう言うと、宗介のこめかみに一筋《ひとすじ》、脂汗《あぶらあせ》が浮《う》かんだ。
「ごめんなさい。普通《ふつう》の飛行機は、この艦には降《お》りられないんです。乱暴《らんぼう》かもしれない、とは思ったんですけど」
「いーのよ……。テッサには会いたいと思ってたから。それに、いろいろと話すことがあるんでしょ?」
「ええ。それもありますけど。その前に――サガラ軍曹《ぐんそう》?」
「はっ、大佐殿」
宗介が馬鹿丁寧《ばかていねい》に返事《へんじ》した。
「主格納庫《しゅかくのうこ》に行っててください。そうしたら、だれでもいいから『これから行く』と伝えておいてもらえますか?」
「…………。了解《りょうかい》しました」
宗介は、一瞬《いっしゅん》だけ逡巡《しゅんじゅん》するような仕草《しぐさ》を見せながらも、けっきょく敬礼《けいれい》をして医務室を出ていった。
二人のやり取りを見ていたかなめは、不思議《ふしぎ》な違和感《いわかん》を覚えた。テッサと宗介の会話はあくまでも実務的《じつむてき》で、なにか妙《みょう》な色気《いろけ》やら含《ふく》みやらは感じられない。
以前《いぜん》、テッサはかなめに『宗介のことが好きになった』と宣言《せんげん》していた。『お互《たが》いがんばろう』とも。『お互い』などとは巨大な誤解《ごかい》であって、自分は別《べつ》に宗介のことをどうこうしようだとか思ってなどいない。かなめの立場《たちば》としては、『あー、そう。ふーん。がんばんなさいよ』といったところなのだが――
やはり気になる。
あれ以来《いらい》、宗介が <ミスリル> の仕事《しごと》がらみで東京を留守《るす》にすると、かなめは落ちつかない気分になるのだ。自分のいないところで、宗介とテッサはどういう会話をしているのだろう? ずっと一緒《いっしょ》にいるのだろうか? ひょっとしたら、人目を忍《しの》んで艦の体育倉庫[#「体育倉庫」に傍点]とかで、ベタベタと……。
「カナメさん?」
「へ……?」
かなめは変な妄想《もうそう》から引き戻《もど》された。
「とりあえず、平服《へいふく》に着替《きが》えてもらえますか? これから艦内を案内《あんない》します。いくつか注意事項《ちゅういじこう》もありますし」
「う……うん。ちょっと待ってて」
医務室の奥《おく》に引っ込んで、着替《きが》えをはじめる。水着を脱《ぬ》ぐと、壁《かべ》の鏡《かがみ》に映っている自分の姿《すがた》に目が止まった。
鏡の中には、魅惑的《みわくてき》な少女の裸身《らしん》があった。なめらかで瑞々《みずみず》しい肌《はだ》。生乾《なまがわ》きの黒髪《くろかみ》が、細い肩《かた》や豊《ゆた》かな胸にまとわりついている。胸を隠《かく》すように自分の肩《かた》を抱いて、わずかに背中《せなか》をそらし、あごを引いて、流し目を送ってみると――
(おおー。これはなかなか、いや相当……グッドなのでは?)
さすがに妖艶《ようえん》とまでは行かないが、それでも充分《じゅうぶん》、匂《にお》い立つようなたたずまいだ。
とりあえず、負けてはおらんな……と自己満足《じこまんぞく》したところで、急に自分のやっていることがバカバカしく思えてきた。一人で赤くなって、いそいそと着替《きが》えを済《す》ませる。
深いブルーのワンピースを着て、髪《かみ》を赤のリボンで束《たば》ね、サンダルをはいて出て行くと、艦医のゴールドベリ大尉が横からなにかを差し出した。
「お嬢《じょう》さん。これを身につけてお行き」
それはチューインガム大の、プラスティックのプレートだった。
「これは?」
「リトマス試験紙《しけんし》みたいなもんだよ。多量《たりょう》の中性子に被曝《ひばく》すると、反応《はんのう》して色が変わっていく」
「ちゅ、中性子って……?」
「オレンジ色になってきたら危険信号《きけんしんごう》だ。なるべく急いで、機関部《きかんぶ》の方から離《はな》れるようにね。あと、艦を降《お》りるときは、あたしに返却《へんきゃく》しておくれ」
テッサが横から説明《せつめい》する。
「この艦の動力源《どうりょくげん》はP・S方式のパラジウム・リアクターなんです。そのプレートは、あくまで万一《まんいち》の場合《ばあい》の安全対策《あんぜんたいさく》ですから。あまり気にしなくていいですよ」
「…………?」
「じゃあ、付いてきてくださいね。はぐれると大変ですから」
そう言って、テッサは医務室を出ていった。
<トゥアハー・デ・ダナン> の通路《つうろ》は、かなめとテッサがようやく並《なら》んで歩ける程度《ていど》の幅《はば》で、天井《てんじょう》も低かった。学校の廊下《ろうか》ほどもない広さだ。
最初に艦内へ入ってきたときに、こうした通路を歩いた時の印象は、『意外にごちゃごちゃしている』というものだった。壁や天井には野太《のぶと》いパイプやケーブル類《るい》が這《は》っており、バルブやレバーやスイッチ類、消火栓《しょうかせん》などがあちこちに見受《みう》けられる。各所《かくしょ》に設《もう》けられた水密扉《すいみつとびら》は、ごつくて分厚《ぶあつ》くて頑丈《がんじょう》で、どでかいハンドルが付いている。
つまり、普通《ふつう》の船とそう変わりないのだ。
その外見から、SFアニメに出てくるような『宇宙戦艦』の通路――壁も天井もまっ平らな通路――を想像《そうぞう》していたかなめは、いささか拍子抜《ひょうしぬ》けしていた。
「けっこう狭いでしょう」
前を歩くテッサが、かなめを振《ふ》りかえって言った。
「これでも潜水艦にしては、広い通路なんです。緊急時《きんきゅうじ》とかに、走らなきゃならない乗員《じょういん》の安全も考えました。おかげで何かにぶつかって転ぶような、そういう間抜《まぬ》けな人は――きゃっ!!」
よそ見をしたのがいけなかったのだろう。テッサは壁からちょっと掛り出したパイプに肩《かた》をぶつけて、その勢《いきお》いできりもみし、背中《せなか》から床《ゆか》にたたきつけられた。
「ちょっと、平気?」
「だ……大丈夫《だいじょうぶ》です。これくらい、平気です」
涙目《なみだめ》で答えるテッサを、かなめは助け起こした。
「危《あぶ》なっかしいわねー……。本当にあんたが艦長《かんちょう》さんなの?」
「それを言われるとつらいんですけど……。でも、この船は……私の家みたいなものなんです。乗員のプライバシーを除《のぞ》けば、知らないことなんてありません。たとえば、いまぶつかったパイプは、B8系統《けいとう》の第二八番サービス管です。デザインしたとき、ほかのモジュールの配置《はいち》の都合《つごう》で、どうしてもあそこだけ壁《かべ》からはみ出さざるをえなくなってしまって……」
なにか観点《かんてん》のズレた弁解《べんかい》をしながら、テッサは通路を先導《せんどう》していった。
いくつかの戸口を潜《くぐ》り抜《ぬ》け、階段《かいだん》を降《お》りていく。
もう一つ印象的《いんしょうてき》だったのは、艦内の異様《いよう》な静けさだった。この船はいまも航行中《こうこうちゅう》のはずだったが、機関部《きかんぶ》の音などはまったく響《ひび》いてこないし、床も揺《ゆ》れたりしない。発車《はっしゃ》したての新幹線《しんかんせん》よりも静かだ。
「そういう風《ふう》に作ってあるんです」
かなめが疑問《ぎもん》を口にすると、テッサが答えた。
「潜水艦《せんすいかん》はステルス性《せい》が命ですから、騒音《そうおん》は大敵《たいてき》なの。うるさい船は、それだけ遠くから敵艦に探知《たんち》されてしまうんです。現代戦《げんだいせん》は普通、肉眼《にくがん》では捉えられないほどの遠距離《えんきょり》で撃《う》ち合いが始まりますからね。まあ……ECSの普及《ふきゅう》で、地上戦や航空戦《こうくうせん》はそうでもなくなってきてますけど」
「ふーん……」
話の半分くらいは、あまりよく分からなかったが、とりあえずかなめは相槌《あいづち》を打っておいた。
妙なのは、艦内で働いているクルーをほとんど見かけないことだった。通路は静かで、人の気配《けはい》がまるでない。一度、仏頂面《ぶっちょうづら》の若い乗員を見かけたが、その男も会釈《えしゃく》さえせず、かなめを避《さ》けるようにして通路の向こうに消えてしまった。
自分はどうも、歓迎《かんげい》されていないらしい。
かなめはそう思って、落ち着かない気分になった。いろいろ因縁《いんねん》はあるものの、しょせんは単《たん》なる民間人《みんかんじん》の小娘《こむすめ》だ。そういう部外者《ぶがいしゃ》が、自分たちの船に乗り込んできたら――まあ、いやがられるのも無理《むり》はないだろう。
「……この船って、何人くらい乗ってるの?」
「いまは二四〇人ちょっとです。必要《ひつよう》な時は、もっと乗れます」
「でも全然《ぜんぜん》、さっきから人を見ないんだけど」
「ええ、それは――」
テッサは言葉を切って、立ち止まった。
そこは通路の行き止まりで、目の前には一つ、閉《と》じた水密扉があった。彼女はその扉の前で立ち止まり、こほんと咳払《せきばら》いをする。
「カナメさんは、英語できますよね?」
「うん。一応《いちおう》」
かなめは三年ほど前まで、ニューヨークで暮らしていた帰国子女《きこくしじょ》だった。少々|錆《さ》び付いてきてはいるが、日常《にちじょう》会話レベルならいまでも支障《ししょう》なく使える。
「いまからそっちに切り替《か》えましょう」
「いいけど」
「では、こちらに。カナメさんは、あんまりこういうの、好きじやないかもしれませんけど……」
前置《まえお》きしてから、テッサは分厚い水密扉を押《お》し開けて、その向こう側に入っていった。
「?」
不審《ふしん》に思いながら戸口をくぐると、いままでなかった微風《びふう》が、彼女の頬《ほほ》を軽く撫《な》でた。油の匂《にお》いが鼻をつき、強い照明《しょうめい》が彼女の目を刺す。
「あ……」
そこには、昼間のように明るく、だだっ広い空間が彼女の前に広がっていた。学校の体育館に比《くら》べると、天井の高さはやや低めだが、奥行きはある。
天井からぶら下がるクレーンと、壁の上方にしつらえられた大きなスクリーン。ヘリ用の燃料《ねんりょう》タンクや、AS用のロケット・ランチャーなどが金属フレームに収納《しゅうのう》されて並んでいる。
ここは格納庫だ。
そしてその格納庫の左舷側《さげんがわ》に――およそ二〇〇人の乗員たちが、ずらりと整列《せいれつ》していた。
かなめのすぐそばから格納庫のずっと奥まで、三列になって整然と。人種《じんしゅ》も年齢《ねんれい》もまちまちで、着ている制服も多種多彩《たしゅたさい》だった。テッサの制服に似たカーキ色の上下、オリーブ色の野戦服《やせんふく》、オレンジ色や青の作業着《さぎょうざ》、ヘリのパイロットの操縦服《そうじゅうふく》、白衣《はくい》、コック、エトセトラ、エトセトラ。
その列の後ろには、全高八メートルの人型兵器《ひとがたへいき》――アーム・スレイブが六機、人間と同じように整列《せいれつ》していた。頭部が天井ぎりぎりの高さだ。これらの|A S《アーム・スレイブ》を、かなめは知っていた。五機はM9と呼ばれる型《かた》で、いちばん奥の一機だけは――以前、宗介が乗っていた白い機体《きたい》だ。
ASだけではない。ヘリや戦闘機まで、その向こうにきれいに並んでいた。
格納庫に勢《せい》ぞろいした、<デ・ダナン> の兵士と兵器。まずは、壮観《そうかん》といっていい眺《なが》めだった。
(なにしてるんだろ、この人たち……?)
かなめが疑問《ぎもん》に思っていると、すぐそばに立っていた中年男が、テッサの目配《めくば》せにうなずいた。ひょろりと痩《や》せ、眼鏡《めがね》をかけた、さえない感じのおじさんだ。
そんな容貌《ようぼう》の男が、いきなりとんでもない大声を出したものだから、かなめは驚《おどろ》いて身をすくめてしまった。
「|気をつけ《アテンション》!!」
休めの姿勢《しせい》から、直立不動《ちょくりつふどう》へ。二〇〇人と六磯が、同時《どうじ》に動いた。
「え……? え……?」
自分も『気をつけ』した方がいいのだろうか? 思わず後《あと》じさり、あたふたとしていると、さらにその中年男が声を張《は》り上げた。
「テスタロッサ大佐《たいさ》と我《われ》ら戦隊《せんたい》の数々の危機《きき》に際《さい》し、その並々《なみなみ》ならぬ勇敢《ゆうかん》さと行動力《こうどうりょく》、また厚情《こうじょう》を示《しめ》されたチドリ・カナメ嬢《じょう》に、全員、最大の謝意《しゃい》をもって――」
そこで一度、大きく息を吸《す》い込み、
「――敬礼《けいれい》っ!!」
号令《ごうれい》と共に、全員が右手を挙《あ》げ、それぞれの出身《しゅっしん》の軍隊《ぐんたい》のやり方で――ぴしりと敬礼した。
視線《しせん》が一斉《いっせい》に彼女へと注《そそ》がれる。あくまでも真顔《まがお》の者、微笑《びしょう》を浮かべた者、品定《しなさだ》めをするような目の者、なぜかうるうると目頭《めがしら》を潤《うる》ませている者……。
列の向こうには、オリーブ色の野戦服を着たカリーニン少佐《しょうさ》の姿も見えた。傷もだいたい癒《い》えたらしく、大柄《おおがら》な身体《からだ》をまっすぐに伸《の》ばして、かなめに律儀《りちぎ》な敬礼を送っている。
さらに六磯のASも敬礼して、彼女を見下ろしていた。
生真面目《きまじめ》に背筋《せすじ》を反《そ》らした白い機体に乗っているのは、宗介なのだろう。機械の人形なのに、なんとなく物腰《ものごし》が似《に》ているのだ。
奥から二番目のM9だけは、二本指で機体のこめかみをぴっと擦《こす》ってから、彼女に向かって右手をひらひらさせていた。軟派《なんぱ》な人型兵器。あれはたぶん、クルツだ。そのM9のわき腹を、となりから小突《こづ》いた別のM9は、マオかもしれない。
「ちょっと大げさかもしれませんけど」
[#挿絵(img/03_085.jpg)入る]
ただぽかんと口を開けているだけの彼女に、テッサがにっこりと微笑《ほほえ》みかけた。
「カナメさんが来ると聞いたら、みんなが『どうしても敬意《けいい》を表《ひょう》したい』と言いまして」
「え……あの? あ、あたしは……その」
ようやくこの場の主役《しゅやく》が自分らしいことを理解《りかい》して、かなめはひどく慌《あわ》てた。
四か月前のハイジャック事件と、二か月前の巨大AS事件。そのどちらでも、かなめは重要《じゅうよう》な役目《やくめ》を果《は》たしていた。どれも、のっぴきならない状況《じょうきょう》に放《ほう》り込まれて、仕方《しかた》なくとった行動だったのだが、結果《けっか》として何人もの命を救《すく》うことになったのだ。その中には、宗介やテッサの命も含まれている。
この出迎《でむか》えは、ただの民間人にすぎない彼女が示《しめ》した勇気に対する、<デ・ダナン> の人々の最大の敬意だった。
「えと……こ、光栄《こうえい》です。でも、あたし……そんな立派《りっぱ》なこと、してません」
耳まで真《ま》っ赤《か》になって、かなめはぼそぼそと言った。それをテッサが一同に伝えると、兵士たちはどっと笑って、拍手《はくしゅ》やら歓声《かんせい》やらをあげた。
「ヘーイ、見ろよ! 照れてるぜ」
「かわいいわ! いや、マジでかわいいわっ!」
「おい失礼《しつれい》だぞ、みんな……!」
「ね、ね? 僕の言ったとおりでしょうっ!?」
「カナーメ! わしのせがれのカミさんにならんかねっ!?」
「サガラめ。後ろから撃《う》ってやる……」
いきなり秩序《ちつじょ》を失って、はやしたてる乗員たち。初対面《しょたいめん》の人々に、ここまで騒《さわ》がれるのは妙《みょう》な気分だった。
「静かにせんか、貴様《きさま》ら!」
号令係のおじさん[#「号令係のおじさん」に傍点]が、こめかみに青筋《あおすじ》をたてて叱《しか》り飛ばした。その様子を、テッサは困ったような笑顔で眺《なが》めて、
「一皮剥《ひとかわむ》けば、こんな調子《ちょうし》なんですけど。でも、みんなあなたに感謝《かんしゃ》してるんです。わかってあげてくださいね」
「で……でも。本当にあたし、なにもしてないのよ? ここにいる人たちを助けたわけじゃないし」
かなめはすっかり困惑《こんわく》していた。実際《じっさい》、彼女はこの潜水艦を直接救ったわけではない。ここにいる何人かの戦いを、横から手助けしただけだ。ここまで大騒《おおさわ》ぎして歓迎されるのは、どうも筋違《すじちが》いのような気がした。
「それは違いますな、ミス・チドリ」
号令係の人が、彼女に向き直って言った。
「どのような結果《けっか》をもたらしたか――それは大きな問題ではありません。かかる事態《じたい》に直面《ちょくめん》したとき、なにができたか。その行為《こうい》が、いかに困難《こんなん》であったか。われわれはそれを、よく知っています」
「…………はあ」
「あなたのしたことは、一人前の兵隊でもそう易々《やすやす》とはできないことです。どうか誇《ほこ》りに思って欲《ほ》しい」
号令をかけたときとはまるで違う、淡々《たんたん》とした声だったので、かなめは素直《すなお》に受けとっていいのかどうか、迷ってしまった。
「マデューカス中佐《ちゅうさ》の言う通りですよ、カナメさん。……ともかく、儀式《ぎしき》はこれでおしまいです。これからここで、ささやかなパーティを開く予定ですから、カナメさんもご一緒《いっしょ》してくださいね」
「パーティ? いや、いくらなんでも、そこまで歓迎してもらうのは……」
それにそもそも、この船は軍艦ではないか。のんきに宴会《えんかい》なんてやっていいのだろうか……と素人《しろうと》のかなめでさえ心配になる。
「大丈夫ですよ。どうせ目的地《もくてきち》までは、まだたっぷり一日かかるんです。それに、もともとパーティは予定されていたの。別の理由《りゆう》で」
「はあ。別の理由って?」
「ええ。実は、今日はね……」
テッサはすこし嬉しそうに、格納庫の天井を見上げた。
「今日は、この子[#「この子」に傍点]の一歳の誕生日《たんじょうび》なんです」
[#地付き]八月二六日 一三三五時(グリニッジ標準時《ひょうじゅんじ》)
[#地付き]<トゥアハー・デ・ダナン> 主格納庫《しゅかくのうこ》
<トゥアハー・デ・ダナン> がはじめて海に出て、今日でちょうど丸一年。本来《ほんらい》はメリダ島|基地《きち》で盛大《せいだい》に祝《いわ》うはずだったのが、急な作戦《さくせん》が入ったため、こうして艦内《かんない》で小さなパーティを開くことになった……というわけだった。
格納庫の一角に、急ごしらえのパーティ会場が作られた。空《から》の弾薬《だんやく》ケースの上にテーブルクロスが敷かれ、料理が次々に厨房《ちゅうぼう》から運ばれてくる。片膝《かたひざ》をつき、リボンやらシーツやらで装飾《そうしょく》されたM9が、両手で横断幕《おうだんまく》を掲《かか》げていた。
『HAPPY BIRTHDAY DEAR "Tuatha de Danaan"』
メニューはいつもどおりのものだし、飲酒《いんしゅ》はご法度《はっと》だったが、それでも味気《あじけ》ない食堂での食事よりは、ずいぶんと華《はな》やいだ雰囲気《ふんいき》になった。
パーティは自然な形ではじまっていた。非番《ひばん》のクルーたちが会場に出入りしては、好き勝手《かって》に食事や談笑《だんしょう》を楽しんでいる。さしあたって当面《とうめん》は暇《ひま》な、陸戦要員《りくせんよういん》たちの姿《すがた》が比較的《ひかくてき》に多い。
短いが印象的《いんしょうてき》なテッサのスピーチが済《す》んだあと、クルツ・ウェーバー軍曹《ぐんそう》が司会を務《つと》めて、ビンゴ大会が催《もよお》された。
クルツは陸戦要員《りくせんよういん》の精鋭《せいえい》・|特別対応班《SRT》に属《ぞく》している。金髪《きんぱつ》碧眼《へきがん》、端正《たんせい》な顔立ちの若者だが、宴会《えんかい》の類《たぐい》には目のないタイプだ。
「と、いうわけでー……」
サインペンをマイク代わりに持って、クルツが一同に告《つ》げた。
「目玉|賞品《しょうひん》は三つっすー。まず三等賞。この <トゥアハー・デ・ダナン> が初めて海に出た際《さい》に壊《こわ》れた、レーダー・マストの先端部《せんたんぶ》。記念すべき、故障《こしょう》第一号です。責任者《せきにんしゃ》と艦長のサイン入り。割《わり》とお奨《すす》めの記念品です。お部屋《へや》のインテリアにどうぞ」
一同が『そんなガラクタ、いらんわい』とブーイングした。クルツはそんな不平《ふへい》などどこ吹《ふ》く風、といった様子《ようす》で続ける。
「次〜〜。メリダ島|基地《きち》の将校用《しょうこうよう》居住区《きょじゅうく》に、割と上等《じょうとう》な部屋が一つ、空《あ》いています。二等賞は、なんとその空室の居住|権《けん》! 兵卒《へいそつ》でもオッケーだそうです!」
下士官《かしかん》・兵卒が盛《も》り上がった。そばの同僚《どうりょう》と、口々に『それはなかなかイイな』だのと言い合う。だが、その居住区に住んでいる一部の将校たちはシラけたままだった。機関担当《きかんたんとう》の中尉《ちゅうい》が手を挙《あ》げる。
「軍曹。その空室の隣《となり》に住んでいる、この私が当たったらどうなるんだ?」
「関係ないっす。涙を飲んで諦《あきら》めましょう」
「……」
「そして、三つ目! 栄《は》えある一等賞! これはスゴい賞品です。ちょっと、普通《ふつう》では手に入りません。はっきり言って、俺が欲しい。その一等の賞品とは――」
クルツは手元のメモに目を落として、大仰《おおぎょう》に言った。
「なんと、テレサ・テスタロッサ艦長の熱〜〜いキッスです!!」
『お……うおぉ……!!』
これには、その場の男性|隊員《たいいん》のほとんどが、爆発的《ばくはつてき》に沸《わ》き立った。両腕《りょううで》を突《つ》き上げる者、鼻息を荒くする者、興奮《こうふん》のあまりバク宙《ちゅう》をする者……。
そばで突っ立っていたテッサは、しばらくの間、ただただ呆然《ぼうぜん》としていた。それから『はっ』と我に《われ》返って、
「ウ、ウェーバーさん!? わたし、そんなの、聞いてません!」
「えー? でもー。『わたしに協力できることなら、なんでも言ってくださいね』とか言ってたじゃん」
「そ、それは……確《たし》かに、そう言いましたけど」
「イヤだったら『愛用の下着を提供《ていきょう》』とか、そういうのにしてもいいけど?」
「もっとイヤです!」
「じゃあキスね。決まり」
一方的に告げてから、クルツはビンゴ大会を進行していった。
籠《かご》を回して、出てきた球《たま》の数字を読み上げる。すでに配《くば》ってあるカードに、参加者《さんかしゃ》たちがぶつぶつ言いながら穴を開けていく。最初に一列、五個の穴が揃《そろ》った者が、一等賞というルールである。
その間、テッサは壇《だん》の隅《すみ》っこで肩をすぼめ、ひたすら困り果てていた。
数字の読み上げが五回目になったときに、クルツが告げる。
「リーチの人は? そろそろいないかー?」
参加者《さんかしゃ》の一人が、むっつり顔で手を上げた。
宗介《そうすけ》だった。
「え……」
テッサはどきりとして、高鳴《たかな》る胸に思わず手をあてた。宗介のそばにいたかなめが、ざっと身を引き狼狽《ろうばい》している。参加者の男たちは、焦燥《しょうそう》をあらわにして舌打《したう》ちした。その中で、宗介一人だけが平然《へいぜん》と――だが、やや怪訝《けげん》そうな顔で、周囲《しゅうい》の反応《はんのう》を見まわしていた。この会場でこの男だけが、一等賞の意味《いみ》をよく理解《りかい》していないようだった。
「?……どうかしたのか?」
「お……おいしい奴《やつ》……」
クルツがうめいてから、ビンゴを続けた。
テッサの心中は、ますます穏《おだ》やかでなくなった。
このまま、もし宗介が当たったら? まさしく儲けものではないか。大手を振《ふ》って彼に急接近《きゅうせっきん》できる。自分の立場で。堂々《どうどう》と……! しかし、だからといって――百数十名もの部下たちが見守ってる目の前で、キスだなんて。さすがに恥《は》ずかしい。困る。どうしよう。
……などと、ひそかに彼女が悶々《もんもん》としていると。
「リーチだ!」
陸戦隊の士官の一人が叫《さけ》んだ。やはりSRTに属する、ゲイル・マッカラン大尉だった。カリーニン少佐の副官で『ウルズ1』のコール・サインを持つ。黒い口ひげをたくわえた、30[#「30」は縦中横]代半ばの小柄《こがら》な男だ。
「わたしも。リーチよ」
もう一人、輸送《ゆそう》ヘリチームのエバ・サントス少尉《しょうい》が挙手《きょしゅ》した。女性なのだが、妙《みょう》に楽しそうな表情を浮かべている。
(ああ、サガラさん。どうか……)
はやく来て。お願いだから。わたし、あなたを待ってますから……。
こればかりは本人の意思《いし》ではどうにもならないのだが、テッサはそう思わずにはいられなかった。彼女のそんな気持ちなど気付く風もなく、当の宗介はむっつりとビンゴのカードを見下ろし、首をひねっている。
「いよいよ盛り上がってまいりました……! サガラか、マッカランか、サントスか。じゃあ続けるっす」
籠が回り、球が出る。一同が固唾《かたず》を飲み、テッサがはらはらとしている前で、クルツがその番号を読み上げた。
「Bの……29[#「29」は縦中横]」
「すまんな、諸君《しよくん》。ビンゴだ!」
にんまりとして、マッカランが宣言した。
たくさんのうなり声とため息。膝《ひざ》を落として頭を抱《かか》える者、カードを床《ゆか》に叩《たた》きつける者までいる。
「はい、なんと! 一等賞はマッカラン大尉でした〜。外れた皆さん、ご愁傷《しゅうしょう》さま。……テッサ?」
がっくりと首をうなだれていた彼女は、力なくクルツに目を向けた。
「…………はい?」
「そーいうわけで。よろしくー」
クルツが言うと、気を取りなおした一同が、やんややんやと囃《はや》したてる。
マッカランがにこにこしながら、壇上に上がってきた。いつもは陸戦隊員たちを口やかましく叱《しか》りつける彼だったが、いまはずいぶんと顔にしまりがなくなっている。
「艦長。ごっついのを一発。頼《たの》んますよ!」
「やめてください、大佐殿《たいさどの》! 大尉はきっと病気持ちです!」
「いいから、やっちゃえ! 減《へ》るもんでもなし」
もはや是非《ぜひ》もなかった。ここで『いやだ』などと言ったら、彼はきっと傷《きず》つくだろうし、ギャラリーもさぞや白けることだろう。
(もう……)
公正な立場を保《たも》たなければならない。そうだ。思い出してみれば、小さい頃《ころ》に海のイロハを教えてくれた老船乗りには、挨拶《あいさつ》代わりでよくキスをしたものだ。そう深刻《しんこく》に考えることでもないのではないか……?
テッサは一度、ちらりと宗介の方を見た。彼はいまだに事態《じたい》が飲み込めない様子で、眉《まゆ》をひそめていた。その隣《となり》ではかなめが、なんともいえない複雑《ふくざつ》な顔を見せている。
彼女は『ふっ』と肩《かた》の力を抜いて、マッカランに言った。
「じゃあ……大尉。いいですか?」
「はっは……もちろんです、マム。光栄《こうえい》であります」
いい歳をしたおじさんが、子供のような笑顔を浮かべる。彼女はうっすらと目を細めて、彼の頬《ほほ》にちょん、とくちづけした。
たちまち、冷やかすような口笛《くちぶえ》と拍手《はくしゅ》、喚声《かんせい》が巻き起こる。
「いやまったく、人生最良の日ですな。私はツイてる」
ようやく一等賞の意味を理解した宗介が、人込《ひとご》みの向こうで目を白黒させていた。
ビンゴが終わると、一部のクルーが楽器を持ち出してきた。整備班《せいびはん》と水雷科《すいらいか》の兵士に混《ま》じって、SRTのメリッサ・マオ曹長《そうちょう》がキーボードを演奏《えんそう》する。
座《ざ》が盛《も》り上がってくると、かなめが周囲《しゅうい》に背中を押《お》され、『唄《うた》え、唄え』とはやし立てられた。彼女は最初、消極的《しょうきょくてき》な様子《ようす》だったが、坂本九《さかもときゅう》の『上を向いて歩こう』がウケたのに気をよくして、さらに数曲、カラオケ熱唱《ねっしょう》モードでその期待《きたい》にこたえた。テッサをステージ[#「ステージ」に傍点]に引《ひ》っ張《ぱ》り上げ、ジェームズ・ブラウンの名曲『セックス・マシーン』なんぞをソウルフルに歌ったりする。
「げらっぱ!」
「げ、げらっぱ……」
「げろんなっぱ!」
「げ、げろんなっ……ぱ?」
「声が小さい! そんなんじゃ命令どころかピザの出前《でまえ》も頼《たの》めないわよ! ねえ、みんな!?」
『イエーァ!」
「ブルックリン橋まで連れてって欲《ほ》しい!?」
「イエーァ!」
早口でまくしたてると、聴衆《ちょうしゅう》が足踏《あしぶ》みしながら答える。かなめはなおもシャウトを繰《く》り返し、テッサがあたふたとその後に続く。そんな調子だ。
曲が終わったところで、通信士官《つうしんしかん》がテッサに近づいてきて、なにかを耳打ちした。それまで心から楽しそうに笑っていた彼女は、一瞬《いっしゅん》――ほんのわずかに固い表情を見せる。だがすぐに柔和《にゅうわ》な微笑《ほほえ》みに戻《もど》ると、かなめと周囲の人々に断《ことわ》りを入れて、その場を辞去《じきょ》していった。
かなめたちは、しばしの間きょとんとしていたが、ほどなくテンションを取り戻し、パーティの続きに戻っていく。
「…………」
そんな人垣《ひとがき》の輪《わ》からぽつんと離《はな》れ、宗介《そうすけ》は一人、フルーツ味のカロリーメイトをかじっていた。格納庫の隅《すみ》の、小さなコンテナの上に腰かけて、かなめたちをなんとなしに眺《なが》める。
彼女のああいう面は、一つの才能《さいのう》だな……と宗介は思った。
この船に乗り込んでまだ数時間なのに、かなめはクルーたちとすっかり打ち解《と》けている。それどころか、すでに高い人気を勝ち取っているようだ。彼女の気取らない物腰《ものごし》や、あけすけな態度《たいど》、そしてあきれるほどの警戒心《けいかいしん》のなさ……そういったものが、彼らの気分を和《なご》ませるのだろう。
あのクルーたちに限《かぎ》ったことではなかった。彼女は学校でも、その外でも、出会った人間と仲良くなれる。それは――銃《じゅう》を撃《う》つことやASを操《あやつ》ることよりも、はるかに価値《かち》のある特技《とくぎ》なのではないだろうか?
彼女やテッサを見ていると、宗介はいつも、自分がひどく不完全《ふかんぜん》な存在《そんざい》に思えてくるのだった。
曲が軽快《けいかい》なジャズに変わった。
かなめが壇上《だんじょう》で歌い、かろやかなステップを踏《ふ》む。伏《ふ》し目がちな微笑《びしょう》で、優雅《ゆうが》に半身をひるがえすと、あの黒髪《くろかみ》がふわりと苗《ちゅう》になびいた。
ふと――彼の口から、かすかなため息が漏《も》れた。なぜか彼女が、世界でいちばん自分から遠い場所にいるような気がしたのだ。
「やっぱ綺麗《きれい》だよなー」
そう言われてはじめて、宗介はクルツがすぐそばにいることに気付いた。ノン・アルコールのビール缶《かん》を片手にしていた。
「スタイル抜群《ばつぐん》だし。センスもいいし。あれじゃあ、周りの男は放《ほ》っとかないよな」
「知らん。興味《きょうみ》ないな」
ぶっきらぼうに答える。
「歌もうまいし。リズム感もあるし。ガッコでもずいぶんモテてるんだろうな」
「指導力《しどうりょく》があるのは確《たし》かだ」
するとクルツは彼を横目で見て、意地《いじ》の悪い笑みを浮《う》かべた。
「…………。おまえ、彼女のああいうところ見て、なんとも思わないの?」
「別に」
「だったら、なんでため息なんかつくんだろうなー」
「…………」
さっきから、しっかりとこちらを観察《かんさつ》していたらしい。宗介はむっとした顔で、
「俺は……騒《さわ》ぎすぎを案《あん》じていただけだ。この艦《かん》は作戦行動中《さくせんこうどうちゅう》だぞ。歓談程度《かんだんていど》ならともかく、楽曲《がっきょく》の演奏《えんそう》など――」
「なにズレたことぬかしてんだよ、おめーは。テッサが『いい』って言ってるんだ。三下《さんした》のおめーが、あれこれ言う筋合《すじあ》いなんかねーだろが」
「それは……そうだが」
宗介は反論《はんろん》しなかった。
騒音《そうおん》は大敵《たいてき》の <デ・ダナン> だが、現在《げんざい》のところ、艦の周辺《しゅうへん》五〇キロにはこれといった水上艦《すいじょうかん》も潜水艦《せんすいかん》もいない。作戦|海域《かいいき》で潜航中《せんこうちゅう》に、こんな騒《さわ》ぎをするのはほとんど自殺行為《じさつこうい》だったが、いまは別だった。艦内で銃《じゅう》をぶっ放《ばな》したとしても、それを聞くのは近所を回遊《かいゆう》する魚くらいのものだろう。
もちろん、こうしてくつろいでいる瞬間《しゅんかん》にも、目的地《もくてきち》では死の恐怖《きょうふ》に晒《さら》されている人々がいる。だがそれを案《あん》じてみたところで、艦の到着《とうちゃく》までただ待つしかないことに変わりはないのだ。その時間を、こういうレクリエーションにふりあてるのは、そう悪いアイデアではない。
「みんな不安なのさ。どれだけ場数《ばかず》をこなしてても、な」
「…………」
どうせ明日になれば、艦内には厳重《げんじゅう》な騒音|規制《きせい》が敷《し》かれることになる。作戦前の張《は》り詰《つ》めた空気がたちこめ、重苦しい緊張《きんちょう》がクルーたちの心臓《しんぞう》をじわじわと絞めつけるだろう。
そして――戦闘《せんとう》がはじまるのだ。
そんな暗雲《あんうん》など存在しないかのように、かなめとクルーたちは宴《うたげ》を楽しんでいた。
「え? もう一曲……!? だって、ほら……あー、もう。困ったなぁ。じゃあさっき言ってたスティービー・ワンダーのアレとか。マオさん、いい?」
「OK、OK。なんでも来な」
「よっしゃ、いくわよー!」
かなめがぱちんと指を鳴らすと、前奏《ぜんそう》がはじまった。
[#地付き]八月二六日 一五一七時(グリニッジ標準時《ひょうじゅんじ》)
[#地付き]<トゥアハー・デ・ダナン> 中央|発令所《はつれいじょ》
格納庫《かくのうこ》でのパーティとは対照的《たいしょうてき》に、発令所は無機的《むきてき》な静謐《せいひつ》に包《つつ》まれていた。
正面スクリーンの青と、ステータス・ボードのグリーン。艦《かん》が知りうるすべての現実《げんじつ》は、デジタルな数値《すうち》と図表に置きかえられて、ここに整然《せいぜん》と並《なら》んでいる。
パーティを抜《ぬ》け出したテッサが戻《もど》ると、艦長席のそばにマデューカスとカリーニンが待っていた。
「状況《じょうきょう》は?」
「よくありませんな」
アンドレイ・カリーニン少佐《しょうさ》が答えた。陸戦隊《りくせんたい》の作戦指揮官《さくせんしきかん》であるこのロシア人は、いい知らせのときに居合《いあ》わせることがほとんどない。
「米軍の特殊部隊《とくしゅぶたい》が奇襲攻撃《きしゅうこうげき》を行い、それに失敗しました。詳細《しょうさい》はまだですが――どうも腑《ふ》に落ちないことが多すぎます」
正面スクリーンの一角に、化学兵器《かがくへいき》解体基地《かいたいきち》を占拠《せんきょ》した武装《ぶそう》グループの情報《じょうほう》が表示《ひょうじ》される。確認《かくにん》されている限《かぎ》りでは、フランス製《せい》のASが八機と、ソ連製の対空車輌《たいくうしゃりょう》が五輌。兵員がおそらく二〇名以上。それらの兵力を運び込んだ、中型の擬装輸送船《ぎそうゆそうせん》が基地《きち》の南側の海に放置《ほうち》してあった。
「確《たし》かに妙《みょう》ですね」
テッサは眉《まゆ》をひそめた。
「どこかのテロリストにしては充実《じゅうじつ》した装備《そうび》だけど。あの特殊部隊を撃退《げきたい》できるほどだとは思えないわ。貯蔵《ちょぞう》してある化学兵器は?」
「戦闘《せんとう》の影響《えいきょう》で、致死性《ちしせい》のガスが流出《りゅうしゅつ》した兆候《ちょうこう》はありません。意図《いと》した爆破《ばくは》などもないようです。テロリスト側の通達《つうたつ》では、『次は必ず爆破する』といっているようですが」
「力押しの鎮圧《ちんあつ》作戦なんて、よくやる気になったわね……」
いまのところ、この占拠事件はまったくマスコミに知られていない。アメリカ政府《せいふ》はこの基地の存在《そんざい》が公《おおやけ》になるのを嫌《きら》っており、問題をなんとか秘密裏《ひみつり》に処理《しょり》しようとしている。<ミスリル> 情報部の報告《ほうこく》では、そのテロ集団は、ペリオ諸島《しょとう》にある観光施設《かんこうしせつ》をすべて破壊《はかい》し、観光客を退去《たいきょ》させろと要求《ようきゅう》していた。彼らは <緑の救世軍《きゅうせいぐん》> と名乗《なの》り、今回の行動はペリオの美しいサンゴ礁《しょう》を護《まも》るためだ……と声明《せいめい》を出している。
<緑の救世軍> は、アメリカ側が出した別の条件《じょうけん》など、そうした種類《しゅるい》の交渉《ネゴ》には応《おう》じていない。だが、まともな産業《さんぎょう》は観光だけのペリオ共和国がそんな要求に応《おう》じられるわけがないし、『テロには一切《いっさい》妥協《だきょう》しない』というのが欧米《おうべい》諸国《しょこく》の基本政策《きほんせいさく》だ。
テロリストたちも、そんなことは百も承知《しょうち》のはずなのだが。
「気に入らないわ」
そう言って、彼女は自分の三つ編《あ》みの先っぽをぎゅっと握《にぎ》った。
「基地の占拠の手並《てな》みや、特殊部隊《とくしゅぶたい》のあしらい方、装備の入手《にゅうしゅ》方法……どれもテクニカルでプロ臭いのに。要求はまるでアマチュアの強盗《ごうとう》みたい。なにかの陽動《ようどう》かしら」
「わかりません。ですが、危険《きけん》なことには変わりがありません」
マデューカスが口を挟《ほさ》んだ。
「私の感触《かんしょく》では――作戦本部はこの件の鎮圧を、われわれにやらせる気のようです」
「是非《ぜひ》もなし、ということですね。まったく……」
おそらく今ごろは、アメリカ政府の高官と <ミスリル> の上層部《じょうそうぶ》が接触《せっしょく》していることだろう。順安《スンアン》事件|以来《いらい》、各国トップからの <ミスリル> に対する極秘作戦《ごくひさくせん》の依頼《いらい》は右|肩《かた》あがりだ。細かい折衝《せっしょう》や調整《ちょうせい》が済《す》めば、いずれGOサインが出るはずだった。
そのおり、艦のマザーAIが電子音《でんしおん》を奏《かな》でた。
『艦長。回線《かいせん》G1にインテリジェンス・メッセージ。情報本部発、ファイルN98H03811aとして解凍《かいとう》、保管中《ほかんちゅう》。……終了《しゅうりょう》。直《ただ》ちに表示しますか?」
[#挿絵(img/03_105.jpg)入る]
「ええ。おねがい」
『アイ・マム』
個人用のスクリーンに、新しい情報が表示される。
情報部から送られてきたその電子ファイルは、化学兵器工場での事件に関する追加《ついか》情報だった。特殊部隊がこっぴどく打ち負かされ、敗走《はいそう》したときの戦闘《せんとう》の状況《じょうきょう》が、未整理《みせいり》なままで記述《きじゅつ》されている。テッサたちはその文書と、添付《てんぷ》された図を黙《だま》って読んだ。
そこに記されていた事実《じじつ》は、さらによくないものだった。
米軍のASは、たった一機の敵ASによって全滅《ぜんめつ》したというのだ。
その機種《きしゅ》は不明《ふめい》。メーカーも不明。ただ、生還《せいかん》した兵士が撮影《さつえい》したビデオ映像《えいぞう》に、その姿だけが捉《とら》えられていた。
テッサはその映像を呼び出してみる。表示された静止画像《せいしがぞう》の中に、不鮮明《ふせんめい》な赤いASの姿があった。ふざけたように両腕《りょううで》を広げ、基地のはずれを疾走《しっそう》している。
マッシブな上半身。ひし形の頭部。長い手足と、並外《なみはず》れた瞬発力《しゅんばつりょく》……。
「これは……。あれの同型機《どうけいき》ね」
「そのようですな。順安《スンアン》でサガラやウェーバーが交戦《こうせん》した機体と、ほぼ同じに見えます」
凶悪《きょうあく》なテロリスト――ガウルンが乗っていた正体《しょうたい》不明の銀色のAS。それと戦ったARX―7 <アーバレスト> のミッション・レコーダーに残された映像から、テッサたちはその姿を見知《みし》っていた。
「…………。『ラムダ・ドライバ』を搭載《とうさい》してるのかしら」
「確実《かくじつ》でしょう」
「米軍が負けるわけですね。……ますます気に入らないわ」
テッサは三つ編みの先っぽを、自分の唇《くちびる》に押し付けた。
胸騒《むなさわ》ぎがした。ひどくよくないことが起《お》きそうな――口中が粘《ねば》つく不快感《ふかいかん》。頭のどこかが、『この海域《かいいき》に近づいてはいけない』と叫《さけ》んでいるような気がする。
できることなら、ここで艦を一八〇度|回頭《かいとう》させて、メリダ島に帰りたいくらいだった。
だが彼女は気を取りなおし、
「カリーニンさん。<アーバレスト> は?」
「いつでも使えます。初期化《しょきか》はけっきょく無理《むり》でしたが」
「サガラ軍曹《ぐんそう》は、まだ具体的《ぐたいてき》な説明《せつめい》を受けていませんね?」
「そういう方針《ほうしん》でしたので」
「けっこう。じゃあ、いまから変更《へんこう》します。レミング少尉《しょうい》に説明させるよう伝えてください。<アーバレスト> と、ラムダ・ドライバについて」
「どこまで話させますか?」
「いま分かっていることすべてを、です。そう多くはないでしょうけど……」
「了解《りょうかい》しました」
[#地付き]八月二六日 一七〇二時(グリニッジ標準時《ひょうじゅんじ》)
[#地付き]<トゥアハー・デ・ダナン> 主格納庫《しゅかくのうこ》
パーティがお開きになって、かなめが後片付《あとかたづ》けを手伝っていると、メリッサ・マオが声をかけてきた。
「悪かったわねー。いきなりヴォーカルに仕立《した》てあげちゃって」
「ううん? 別に。楽しかったし」
シーツをてきぱきと畳《たた》みながら、にっこりと答える。
「みんな結構《けっこう》、ノリがいいんですね。あたし、てっきり <ミスリル> って、ソースケみたいなのばっかりなんだと思ってた」
「はは……あの子はちょっと、特別《とくべつ》なのよ」
メリッサ・マオは宗介《そうすけ》の同僚《どうりょう》で、かなめも以前《いぜん》に何度か会っていた。ただ、こうしてゆっくりと話すのは、実は初めてかもしれない。
東洋系のアメリカ人だと聞いていたが、ばっと見は日本人とそう変わりない。実際《じっさい》、日本語も――クルツに比べると若干《じゃっかん》の訛《なま》りがあるが――流暢《りゅうちょう》に使える。ベリー・ショートの黒髪《くろかみ》で、吊《つ》り気味《ぎみ》の大きな瞳《ひとみ》が印象的《いんしょうてき》だった。
かっこいい女《ひと》だなぁ……といつも思う。なんとなく色っぽいし。
「テッサとはどう?」
かなめの仕事を手伝いながら、マオがふとたずねた。
「どうって……まあ、かわいい子ですよね」
「そう。ソースケとのこと、色々あるかもしれないけど、仲良くしてあげてね」
「え……」
どきりとする。だがマオの方は世間話《せけんばなし》でもするかのように、
「彼女、あなたに言ったんでしょ? 『ソースケが好きだ』って」
「そ、それは……言ってたけど。でも、あたしは別に、あいつのことは――」
「なんとも思ってない?」
マオがにまりとした。かなめはひどく歯切《はぎ》れの悪い声で、
「う……うん」
「ならいいんだけど。……ああ。ちなみにその話を知ってるのは、あたしだけだから。安心して。彼女とはプライベートで仲良しなのよ」
そう言って、アクリルの袋《ふくろ》に食器類を放《ほう》り込んでいく。かなめはその作業《さぎょう》を、棒立《ぼうだ》ちしたまま見守っていたが、ややあって質問《しつもん》した。
「でも、本当なんですか?」
「なにが?」
「その……テッサが、彼のこと……。パーティの間も、見ててあんまりそういう感じ、しなかったんだけど」
するとマオは、複雑《ふくざつ》な微笑《びしょう》を浮《う》かべた。だれかのことを不憫《ふびん》に思っているような、すこし哀《かな》しげな表情だった。
「そーね。なんていうのか……あの子は航海中《こうかいちゅう》、絶対《ぜったい》に『恋する乙女《おとめ》』にはなれないの」
「どうして?」
「どうしてか、っていうと……この <デ・ダナン> は、殺し合いをする船だから。それでもって、彼女はその船の指揮官《しきかん》だから。場合《ばあい》によっては、艦《かん》と乗員《じょういん》を守るために、部下に『死ね』と命令しなくちゃならないのよ」
「……」
「だから、部下とはなるべく距離《きょり》をとるの。すくなくとも、他のクルーの目がある場所ではね」
「そうだったんだ……」
考えてみれば、当たり前の話だった。潜水艦《せんすいかん》だろうが、会社だろうが、学校のクラブだろうが、どこでも同じだ。
リーダーは公正でなければならない。だれか一人に個人的な好意を持っていることを、チームの前で露骨《ろこつ》に見せてしまっては――ほかの人々はやる気をなくしてしまう。『このリーダーに付いていこう!』という気が萎《な》えてしまうのだ。
「大変なんですね……」
「そーね。大変だし、孤独《こどく》よ」
かなめはここに至《いた》って、ようやくテッサのすごさが分かってきたような気がした。こんな巨大な船を見せ付けられて、あれだけ大げさな歓迎《かんげい》までしてもらっても、まだいま一つ実感《じっかん》できなかったのだ。
でも、どうしてなのだろう?
自分と同い歳の少女が、なぜそんな重責《じゅうせき》を? このマオや、カリーニンなどといった大人《おとな》たちを束《たば》ねて戦うなど。それって残酷《ざんこく》なことなんじゃないだろうか?
それをマオにたずねようとしたとき――問題のテッサが格納庫《かくのうこ》に入ってきた。彼女はこちらを見ると、とことこと歩み寄《よ》ってきて、
「カナメさん」
「な、なに?」
「話があります。付いてきてください」
テッサに連れられて、かなめは艦長室《かんちょうしつ》に向かった。
<トゥアハー・デ・ダナン> は、ASやヘリなどを収納《しゅうのう》する特殊《とくしゅ》な潜水艦だ。艦の前半分は格納庫や武器|弾薬庫《だんやくこ》、魚雷《ぎょらい》発射管室《はっしゃかんしつ》などの『戦闘的《せんとうてき》な』施設《しせつ》で占《し》められており、船としての機能《きのう》を担《にな》うほかの施設――発令所《はつれいじょ》や居住区《きょじゅうく》、調理室《ちょうりしつ》や食堂、そして動力炉《どうりょくろ》などは、艦の中央から後ろに集中している。
「構造的《こうぞうてき》に似ているのは、ソ連のタイフーン級ミサイル原潜《げんせん》ですね」
歩きながら、テッサが説明《せつめい》した。
「実際《じっさい》、この船はもともとロシア生まれなんです。セヴェロドヴィンスクの造船所《ぞうせんじょ》で船体が建造《けんぞう》されたんですけど、内乱《ないらん》の影響《えいきょう》で、未完成《みかんせい》のまま北極海《ほっきょくかい》に廃棄《はいき》されることになって。それを、私たちがこっそり貰《もら》い受けたんです」
「つまり、作りかけのスクラップをガメたわけ?」
「…………。まあ、そういうことになりますけど」
なんとなく不満《ふまん》そうな顔をしながらも、テッサは続けた。
「その船体をもとにして、おもにわたしと――あともう一人で――設計《せっけい》をやり直しました。どんな国や企業《きぎょう》にもないスーパー・テクノロジーを注《そそ》ぎ込み、何年もかけて改修《かいしゅう》工事をして……ようやくここまで漕《こ》ぎつけたんです」
「ふーん……」
その話のすごさが分からないかなめは、気の無《な》い返事《へんじ》をするだけだった。
「艦《かん》の制御系統《せいぎょけいとう》も、高いレベルで自動化《じどうか》されてます。その気になれば、この船はたった一人でも操艦《そうかん》できるんですよ」
「一人で?」
これにはかなめも驚《おどろ》いた。
「ええ。ただ、その『完全自動モード』にはいろいろ欠点《けってん》もあるし、この艦の最大の強み――|超電導推進《SCD》が使えなくなってしまうんですけど。やっぱり、熟練《じゅくれん》したクルーがしっかり面倒《めんどう》をみないと、これだけ複雑《ふくざつ》な艦はまともに機能《きのう》しませんね」
ほどなく二人は艦長室に着《つ》く。テッサが|鍵《かぎ》を開けて、中に入った。
彼女が寝起《ねお》きする部屋《へや》だということだったが、いつのまにか、医務室《いむしつ》に置いてきたはずのかなめの手荷物《てにもつ》が運び込まれていた。
「これは?」
「ええ。カナメさんには、ここで寝泊《ねと》まりしてもらいます。好きなようにくつろいでくださいね」
その艦長室はさして広くもなく、質素《しっそ》なビジネスホテルのようだった。
収納式のベッドを開くだけで、ずいぶん狭苦《せまくる》しくなることだろう。部屋の奥にユニットバスがあるくらいで、ぜいたくな調度類《ちょうどるい》はまったく見当《みあ》たらない。すこし気になるのは、壁《かべ》に埋《う》め込まれた頑丈《がんじょう》な金庫くらいだろうか。
机《つくえ》の上にはポトスの鉢《はち》と、カラフルな蝋燭《ろうそく》、籐《とう》の籠《かご》が置いてある。そしてその籠のそばに、アクリル製《せい》の写真立てが伏《ふ》せてあった。
かなめが何の気なしに、その写真立てに手をのばすと――
「あ、それは……」
テッサが飛びかかるようにして、写真立てを両手で押《お》さえつけた。
「?」
「こ……これは、見ちゃダメです。その……機密事項《きみつじこう》でして。今週の命令コードとか識別《しきべつ》コードとか……そういう感じのメモが挟《はさ》んであるだけです」
赤くなって、しどろもどろに説明する。だが、写真立てにそんなメモを入れておくわけがないことくらい、いくらかなめでも分かった。
たぶん、だれかの写真だろう。たぶん――あいつの。
先刻《せんこく》のマオとの話を思い出して、かなめは複雑《ふくざつ》な心境《しんきょう》になった。ほほえましく、痛々《いたいた》しく、不安で、でもほっとする。それらの感情がない交《ま》ぜになって――胸の奥が、ほんの少しだけきゅっと絞《し》めつけられた。
だが彼女は、あえて無関心《むかんしん》を装《よそお》って、
「そんな大事《だいじ》なモンなら、もっとちゃんとしたトコにしまっておいたら?」
「そ……そうですよね。そうしましょうか」
写真立てを金庫にしまい込むと、テッサは小さな咳払《せきばら》いをした。
「さて……それじゃあ、適当《てきとう》に座《すわ》ってください。あと、お茶は?」
「うん。いただきます」
答えて、その部屋で唯一《ゆいいつ》のソファーに腰かける。テッサは彼女に背を向けて、キャビネットからティー・セットを取りだした。
かなめはすこし眠《ねむ》たかった。壁の時計はまだ夕方――一七二九時だったが、それはこの艦の中だけの、グリニッジ標準時だ。海の上の日本時間だったら、すでに夜中の一時半である。
それを知ってか知らずか、テッサが言った。
「たぶん、お疲《つか》れでしょうけど。もうすこし我慢《がまん》してくださいね。あしたから忙《いそが》しくなるんで、いまのうちにお話ししておきたいんです」
かなめは軽くあくびをして、
「……ふぁ。うん。で、その話っていうのは?」
「わたしたち[#「わたしたち」に傍点]のことです」
「 <ミスリル> の?」
「いいえ。あなたと、わたしの話です。それからあと何人か。正確な人数はわかりませんけど」
よく意味がわからず、かなめは小首をかしげた。
「どういうこと……?」
「『|ささやかれた者《ウィスパード》』――」
甘《あま》い吐息《といき》のような声。にも拘《かか》わらず、かなめは自然と身を固くした。
「――この言葉はもう聞いていますね?」
「…………うん」
静かな緊張《きんちょう》で、胸の鼓動《こどう》がすこしだけ高まっていることに、彼女は気付《きづ》いた。
<ウィスパード> 。そのことなのだ。
前からずっと、心の隅《すみ》に引っかかっていたこと。ひどく不安になるので、努《つと》めて考えないようにしてきたこと。自分の中に隠《かく》された秘密《ひみつ》――その秘密のせいで、自分は何度か、死にそうな目にあった。
テッサとの再会は、その秘密に対峙《たいじ》することなのではないかと、前から思っていた。根拠《こんきょ》はわからないが、そう感じていたのだ。
だからこそ、かなめは宗介に対して『はやくもう一度テッサに会わせろ』とせっつかなかった。テッサには会いたいと思っていたが、同時に――ひどく気が進まなかった。秘密に近づくことで、自分の家や学校、その世界に住む人々から、自分が遠ざかってしまうのではないか。そんな思いがどうしても頭から離《はな》れなかったのだ。
だが、そんな消極的《しょうきょくてき》な逃避《とうひ》にも、終わりのときが来たようだった。
「もうお気づきかと思いますけど」
テッサが言った。
「わたしもその一人です。あなたと同じウィスパード。知っているはずのないことを知っていて、場合によってはそれを引き出すことのできる人間です。全世界で、たぶん数人。潜在的《せんざいてき》には、数十人――それくらいしか存在《そんざい》しないでしょう」
陶磁器《とうじき》と金属の当たる、小気味《こきみ》のいい音。
時間がゆっくり流れているような気がした。ここが深度《しんど》二〇〇メートルの海中だということを、ついつい忘れてしまいそうになる。
「よくウィスパードは、『|存在しない技術《ブラック・テクノロジー》≠フ宝庫《ほうこ》』だと言われます。条件《じょうけん》がそろえば、現代《げんだい》の水準《すいじゅん》をはるかに超《こ》えた科学理論《かがくりろん》や技術《ぎじゅつ》を提供《ていきょう》することができるからです」
「あたしも?」
「ええ。ただ、普通《ふつう》の子がウィスパードとして生まれついた場合は、自分の力にはまったく気付かないまま育つでしょうね。でも成長するにつれて、精神《せいしん》が成熟《せいじゅく》し、知識《ちしき》や語彙《ごい》が増えてくると次第《しだい》に聞こえてくるんです。『ささやき声』が」
「…………」
「これが始まると、ウィスパードの知性《ちせい》は急激《きゅうげき》に高まっていきます。それまで理解《りかい》できなかった問題を軽々とこなし、独創的《どくそうてき》なアイデアを生み出し……どんどん『天才』に近づいていくんです」
「あ、あたしが……?」
「心当たりはありませんか?」
「え……と……。どうなのかな。でも……」
かなめは一学期の期末テストの成績《せいせき》を思い出していた。英語や社会はまあまあ良かった。国語はいまいちだった。この辺りは、いつもと同じだ。
だが、理科と数学に異常《いじょう》があった。
理数系|科目《かもく》のテストを受けたとき、かなめは『なんでこんな簡単《かんたん》な問題出すんだろ? みんな百点取っちゃうじゃない』……と思っていた。
だが、違《ちが》ったのだ。
理数系の科目における、学年の総合《そうごう》平均点《へいきんてん》は五二点で――対するかなめは九五点だった。物理《ぶつり》や微積《びせき》は大《だい》の苦手《にがて》だったのに。恭子たちはもちろん、宗介までもが驚嘆《きょうたん》していた。
あれが、まぐれではなかったとしたら……?
「そんなの、気味《きみ》が悪い……」
自分が自分でなくなってしまうような感覚《かんかく》。いくら労せずに苦手科目を克服《こくふく》できたとしても、喜べるわけがなかった。
「そうでしょうね。でも、事実《じじつ》です」
テッサの声は抑揚《よくよう》がなかった。患者《かんじゃ》に『あなたは癌《がん》だ』と告《つ》げるときの医者は、こんな喋《しゃべ》り方をするのかもしれない……とかなめは思った。
「そうした基礎的《きそてき》な知識《ちしき》と同時に、もっと高度な――『絶対《ぜったい》に知りうるはずのないこと』を、ウィスパードは時として知ります。『ささやき』を通じて」
ささやき。――あの声のことだ。
「いきなり?」
「ええ。わたしが知る限《かぎ》り、あなたはこれまで二回、その力を発揮《はっき》していますね。一度目は北朝鮮《きたちょうせん》の山中で。二度目はあの時―― <ベヘモス> との戦闘《せんとう》の時に。あなたには決して知り得《え》ないはずのことを、あなたは知っていた。もっとも二度目は――わたしが手助けをしましたけど」
「手助けって……」
「覚《おぼ》えていませんか?」
「ううん。なんとなく。でも……よくわからないの。あのときなにが……」
あのとき。ぼんやりとした意識《いしき》の中で、聞こえた声。一つはひどく薄気味《うすきみ》悪いなにかで、もう一つは――たぶん――テッサのものだった。
「あのとき起きたのは、『共振《きょうしん》』です」
「共振?」
「ええ。いくつかの条件《じょうけん》が揃《そろ》うと、ウィスパード同士は『共振』します。精神《せいしん》の深い部分、目には見えない場所――『領域《スフィア》』を通じて、思考《しこう》を共有《きょうゆう》することができるんです。わたしとあなたが、互《たが》いに『必要《ひつよう》だ』と強く感じた結果《けっか》――そういうことが起《お》きます」
「つまり、それは……その、テレパシーみたいなもの?」
馬鹿《ばか》にする気はなかった。『信じられない』などと一蹴《いっしゅう》しようにも、かなめはすでに、異常《いじょう》な体験《たいけん》を何度もしているのだ。
「テレパシー。どうかしら。微妙《びみょう》なところですね」
答えながら、テッサがお盆《ぼん》を持って近づいてきた。どうやらお茶が入ったようだ。彼女はかなめの前の小さなテーブルにティー・カップを置いて、ピストン式のポット――プランジャーから紅茶《こうちゃ》を注《そそ》いだ。
品のいい香《かお》りが、かなめの鼻をくすぐった。
「共振は……電話や無線機《むせんき》での会話のようなものとは、ちょっと違《ちが》うんです。一番近い関係《かんけい》は、パソコンのLANかしら」
「インターネットとか?」
「もっと小規模《しょうきぼ》ですけどね。なにしろ人数が少ないから。でも――共振はとても危険《きけん》な行為《こうい》なんです。この状態《じょうたい》になるのは、可能《かのう》な限り避《さ》けなければいけません」
「どうして? だって、もしホントに、そんな便利《べんり》な力があったら――」
「便利なモノというのは、いつでもどこでも諸刃《もろは》の剣ですよ、カナメさん」
彼女は諭《さと》すように言った。
「何度も言いますけど、ウィスパードの共振は『思考の共有《きょうゆう》』なんです。『会話』や『通信《つうしん》』ではなく。溶《と》け合うんです。たとえ一時的であれ……一歩|間違《まちが》うと、自分がだれなのか分からなくなってしまいます。たとえば、こんな風《ふう》に」
ミルクの小瓶《こびん》を手に取ると、テッサはそれを紅茶に注《そそ》いでいった。
カップの中で、赤と白とが渦《うす》を作る。くるくると回りながら、紅茶とミルクが混《ま》じっていき、それはやがて不透明《ふとうめい》な瑪瑙色《めのういろ》になった。
「こうなったら、もうおしまいです。お茶とミルクを分けることはできません」
「…………」
テッサはのほほんと、自分のミルクティーをすすった。
「紅茶だったら、口当たりがよくなるからいいですけど。でも、人の心はいけません。自己同一性《アイデンティティ》がバラバラになって、生きていくことができなくなります」
「なんか……わかったような、わからないような」
「抽象的《ちゅうしょうてき》な表現《ひょうげん》ばかりでごめんなさい。でも、わたしにも実際《じっさい》のところは、よく分かっていないんです。研究《けんきゅう》しようにも、<ミスリル> にいるウィスパードは、実質《じっしつ》わたし一人だけになってしまいましたから」
それを聞いて、かなめは目をぱちくりさせた。
「ほかに同じような人がいるの?」
かなめが指摘《してき》すると、テッサは辛《つら》そうな表情を見せた。心の中で、まだなにかが整理《せいり》できておらず、膨《ふく》れ上がる激情《げきじょう》をどうにか押《おさ》えつけようとしている――そんな顔だった。
「ええ……。数か月前に保護《ほご》した一名がリハビリ中ですが――彼女を別にして、わたしのように知識《ちしき》を使いこなす力を持ったウィスパードが、もう一人いました」
『いた』という表現がすこし引っかかったが、かなめはそれには触《ふ》れずに、
「どんな人?」
「名前はバニ・モラウタ。無口《むくち》だけど、やさしい子で……とびきり優秀《ゆうしゅう》だったわ。あの芸術品《げいじゅつひん》―― <アーバレスト> は、彼が作ったんです」
「 <アーバレスト> ?」
「あの白いASですよ。サガラさんの」
「ああ」
かなめははじめて、あの機体《きたい》にも名前があることを知った。
「M9のプロトタイプをベースにして、ラムダ・ドライバを搭載《とうさい》したのが <アーバレスト> です。生産性《せいさんせい》はまったく考えず、ただひたすら、ブラック・テクノロジーの導入《どうにゅう》を追究《ついきゅう》したASですが――もう建造《けんぞう》は不可能《ふかのう》でしょうね。バニがいないから……」
「テッサには作れないの?」
「ええ。ウィスパードは全知全能《ぜんちぜんのう》ではないんです。ラムダ・ドライバの理論《りろん》や技術については、わたしは限られたことしか知りません。意図的《いとてき》に『ささやき』を呼び出して、それを知ろうとすることも可能ですが……試《ため》す気にはなれませんね」
「どうして?」
「共振よりも、はるかに、危険だからです。精神の深奥《しんおう》に潜《もぐ》り、禁断《きんだん》の知識を得《え》ようとするたび、『ささやき』がわたしたちを乗っ取ろうとします。一度|彼《か》のものに主導権《しゅどうけん》を明け渡《わた》したら、決して元に戻ることはできません。わたしは、現《げん》にそうなってしまった仲間を知っています。彼が――バニがそうだったから……」
「乗っ取られた……と?」
「ええ。彼は発狂《はっきょう》して自殺したんです」
艦長室を沈黙《ちんもく》が支配《しはい》していた。
<トゥアハー・デ・ダナン> は、本当に静かな船だ。機関音《きかんおん》も、波の音もしない。船殻《せんかく》が水圧《すいあつ》できしむこともない。
あまりにも静かすぎて、気が狂いそうなほどだった。
「……さて、カナメさん」
テッサは飲みかけのティー・カップをそっと置いた。
「わたしがこうして、ウィスパードの何たるかを話しているのは……あなたとて例外《れいがい》ではないからです。すぐにではないにせよ、危険が迫っていることを知っておいてください。『ささやき』のこともありますが、それだけではありません。あなたやわたしのような人間を、是《ぜ》が非《ひ》でも欲しがっている人々がいるんですから」
「あの、ガウルンとかいう……?」
「ええ。彼は死んだようですが、その背後には何らかの組織があったようです。<ベヘモス> をタクマたちに提供《ていきょう》したのも、たぶん同じ組織でしょう。しかも、彼らにはラムダ・ドライバ搭載型ASを建造する力がある。……つまり向こうはすでに、一人かそれ以上のウィスパードを手に入れている、ということです」
「…………」
「彼らはあなたを欲《ほ》しがっています。わたしのことを知れば、もちろんわたしも。そのためには、どんな卑劣《ひれつ》なことでもするでしょうね」
かなめは落ち着かない気分になって、ワンピースの裾《すそ》を指先でいじった。
自分が狙《ねら》われている……それは前から聞いていたことだったが、いまほどその脅威《きょうい》がひしひしと伝わってきたことはなかった。そんな危険を肌《はだ》で感じるには、自分の住むあの世界――にぎやかな街《まち》や学校は、あまりに平和すぎて――
「でも、だって。そんな……」
「不安になるのは分かります。でも、あなたは孤立無援《こりつむえん》ではありませんよ。わたしたちは、あなたがその『敵』の手に渡るのを良しとはしませんから。<ミスリル> の上層部《じょうそうぶ》もそういう考えで、情報部《じょうほうぶ》から護衛《ごえい》を一人、あなたにつけています」
「それがソースケなのね……」
テッサは小さく頭《かぶり》を振《ふ》った。
「いいえ。サガラさんやわたしは、情報部ではなく作戦部《さくせんぶ》の人間です」
「?」
「あなたは気付いていないでしょうけど――サガラさんのほかに、もう一人あなたを護衛してる人間がいる、ということです」
青天《せいてん》の霹靂《へきれき》。まったくの初耳《はつみみ》だった。
「も、もう一人?……だれよ?」
「わたしも知りません。それに、知らない方がいいでしょう。そのエージェントは、敵《てき》からも味方からも完全《かんぜん》に見えないことが強みなんですから。あなたがその人を意識《いしき》したら、彼は――『彼女は』かもしれませんが――その強みを失《うしな》ってしまいます」
「なんと、まあ……」
かなめはなんとなしに、学校の生徒会長《せいとかいちょう》の顔を思い浮かべていた。あの沈着冷静《ちんちゃくれいせい》な秀才《しゅうさい》だったら、もしそうだとしても――あまり驚《おどろ》かないかもしれない。
いや。さすがにそれはないだろう。でも、だとしてほかのだれなのか?
「『順安《スンアン》事件」以降《いこう》、あなたのそばにサガラさんを付けておくことを提案《ていあん》したのはカリーニンさんです。あなたも骨身《ほねみ》に染《し》みているでしょうけど、サガラさんは……平和な社会では目立《めだ》ちますから。もし敵《てき》があなたを拉致《らち》しようと本気で仕掛《しか》けるなら、まずサガラさんを排除《はいじょ》しようとするでしょう」
それが意味するところを、かなめはおぼろげに察《さっ》した。
「ちょ、じゃあソースケは……オトリってこと?」
「そういうことになりますね」
思いのほか、けろりとして言う。
かなめは頭がかっと熱くなるのを感じた。
「そんな! ひどいじゃない。ソースケは――あんなに一生《いっしょう》懸命《けんめい》なのに。そりゃあちょっとは迷惑《めいわく》だけど、いっつもあたしのことを守ろうと、必死《ひっし》になってんのよ!? 悪い奴《やつ》らを釣るエサにするなんて――」
「そんなことはわかってます……!」
テッサがいきなり語気を強めた。苛立《いらだ》ちを隠そうともせず、きっとかなめをにらみつける。まったく――突然《とつぜん》の変化《へんか》だった。
かなめが気圧《けお》されて黙《だま》り込むと、テッサはすぐに我《われ》に返って、目を伏《ふ》せた。
「ごめんなさい。でも……ちょっと考えてみてください。そうせざるをえないのは、だれのためなのか……」
「え……」
虚《きょ》をつかれて、かなめは言葉に詰《つ》まった。
「……サガラさんは、もう一人の護衛がいることをすでに知っています。たぶん、自分が囮役《おとりやく》になっていることも。そして――それがひどく危険《きけん》な立場だということも。それでも彼は、その任務《にんむ》を引き受けているんです。これもみんな、ほかならぬ……」
あなたのために。
それが言えなかったのだろう。テッサはそれきり口をつぐんだ。
宗介が知っている――『影《かげ》の護衛』の存在《そんざい》そのものよりも、かなめはむしろそのことに驚いていた。なぜなら宗介はこれまで、そんなことなどおくびにも出さなかったからだ。いつも力んで、『君を守る』と言っているものの、本当のところは――彼の身がいちばん危《あぶ》ないのに。そんな大事《だいじ》なことは、決して自分には話さなかった。
(ソースケ……)
胸が熱くなるのと同時に、どうしようもない恥ずかしさが押し寄《よ》せてくる。自分の馬鹿《ばか》さ加減《かげん》が情けなくなり、テッサの辛《つら》さが痛いほどわかり、自己嫌悪《じこけんお》とやるせなさで――消えてしまいたい気分になった。
「て……テッサ……。あの……」
「…………」
「ごめん。あ、あたし……なんにも分かってなくて。その……ホントに……」
かなめはどう言ったらいいのかわからなかった。口籠《くちご》もっていると、テッサはふっと口元を緩《ゆる》めて、
「いいんです。悪いのはあなたじゃなくて、あなたを狙っている敵《てき》なんですから……」
「……怒ってない?」
「ええ。|大丈夫《だいじょうぶ》ですよ。ちょっと……あなたとサガラさんがうらやましくて、むきになってしまっただけです」
そう言って、テッサは大きなため息をついた。それから気分を入れ替《か》えるように、小刻《こきざ》みに首を振《ふ》って、
「でも……! わたしは、白旗《しろはた》を上げたわけじゃありませんから」
「は?」
「さすがにこういう航海中《こうかいちゅう》は控《ひか》えてますけど。平時《へいじ》で基地《きち》にいるときは、けっこう彼と会ってるんですよ?」
「そ、そうなの……」
「ええ。ついこの前だって、基地を二人で抜け出して、だれもいない砂浜で……」
「す、砂浜で……?」
「ふふ……。あとは秘密《ひみつ》です」
「あ、あんたねぇ……!」
かなめが思わず身を乗り出すと、テッサは肩《かた》をすくめてみせた。
「これでおあいこですよ、カナメさん。わたし、サガラさんのことが好きです。でもあなたは、自分でそれを認《みと》めてないもの。だからまだまだポイント差はありません」
「あのねぇ……! だからあたしは、そーいう……」
そこまで言ってから、かなめは急に、むきになっている自分がおかしくなってきた。意地《いじ》の悪い相手の目を、きっかり一秒、凝視《ぎょうし》してから、ふっと肩の力を抜《ぬ》いて、
「ま、いいか。……はは」
「ええ。……ふふ」
二人は屈託《くったく》のない声で、しばらくの間《あいだ》笑いあった。
ほんの数分前まで、まるで世界の終わりが来たように重苦しい雰囲気《ふんいき》だったことなど、すっかり忘れてしまっていた。
宗介の――あの戦争ボケの話題が、こんなに救《すく》いになるとは。かなめはひそかに、宗介に感謝《かんしゃ》していた。ただ、その『砂浜で二人きり』という話は、しっかりと頭の弾薬庫《だんやくこ》にしまっておく必要《ひつよう》があるが。
「話はおおむね、こんなところです。でも最後に、あと一つ」
ひとしきり笑ったあとに、テッサが言った。
「わたしがいま話したこと――特にウィスパードにまつわる話は、<ミスリル> でもごく一部の人間しか知りません。サガラさんも、ウェーバーさんも、メリッサも知らないことです」
「その、『最高|機密《きみつ》』とか……そういう話?」
「そうですね。実際《じっさい》にはもっと機密性の高い、『|存在しない事実《ブラック・ファクト》』という扱《あつか》いになりますけど」
テッサの声は、別に重々しいものではなかった。謎《なぞ》めいているわけでもなく、ましてや脅《おど》しのような響《ひび》きも一切《いっさい》なかった。だが――それだけに、現実的《げんじつてき》な迫力《はくりょく》があった。
「だから……ひとつ約束《やくそく》して欲《ほ》しいんです。この話を、だれにも口外しないと。サガラさんにも、あなたの学校の友達にも、ご家族にも。特に……あなたのお父様は、たぶん <ミスリル> のような組織《そしき》を好意的《こういてき》には思わないでしょうから」
「そうかも……ね」
やっぱり知っているんだ、とかなめは思った。
彼女の父親は国連職員《こくれんしょくいん》で、『|国連環境高等弁務官《UNHCE》』という仕事を務めていた。まだ創設《そうせつ》されてまもない役職《やくしょく》で、環境《かんきょう》問題の調停《ちょうてい》や規制《きせい》を担当《たんとう》する。ほかの国連組織――たとえば難民高等弁務官《なんみんこうとうべんむかん》――ほどの権威《けんい》も予算もなかったが、だからといって無視《むし》できる地位ではない。
「あなたのお父様の影響力《えいきょうりょく》を考えて、<ミスリル> の上層部《じょうそうぶ》は――わたしがカナメさんに事情《じじょう》を話すことを禁《きん》じてきました。その指令《しれい》は、いまでも続いています」
「え。じゃあ……」
「そう。わたしのしたことは、重大な違反行為《いはんこうい》です。ずいぶん長い間|悩《なや》みましたが……話すことにしました。上層部の政治的|判断《はんだん》のために、あなたを徒《いたずら》に危険なまま放置《ほうち》することはできない……そう考えたんです」
テッサが背負《せお》ったリスク。それは自分の想像《そうぞう》をはるかに超《こ》えるものだろう。この <ミスリル> に銃殺刑《じゅうさつけい》の類《たぐい》などがあるのかどうかは知らなかったが、すくなくともクビになるくらいのルール違反《いはん》であることは確《たし》かだ。
自分のために。
「でも、どうして……?」
上目遣《うわめづか》いにたずねると、テッサはかすかな動揺《どうよう》を見せた。妙なためらい。いや、これは――照《て》れだろうか?
「それは……深く考えなくていいです。そんなに大した理由《りゆう》じゃありません。……とにかく、口外《こうがい》しないと約束《やくそく》してくれますか?」
テッサがかなめをまっすぐに見据《みす》えた。かなめはそれを真正面《ましようめん》から受けとめて――
「うん」
躊躇《ちゅうちょ》せずに、うなずいた。
「だれにも話さない。約束する」
「友人として」
「そうね。友達として」
自然に、二人は握手《あくしゅ》した。
翌朝《よくあさ》、かなめは宗介とクルツに伴《ともな》われて、艦内《かんない》のあちこちを案内《あんない》してもらった。
食堂や待機室《たいきしつ》、魚雷《ぎょらい》発射管室《はっしゃかんしつ》や発令所《はつれいじょ》などを回り、その部署《ぷしょ》のクルーからあれこれと楽しい話を聞いた。
特にソナー室は面白《おもしろ》かった。
かなめはソナー員から、艦がとらえた海の音の、秘蔵《ひぞう》テープを聞かせてもらった。物悲《ものがな》しいクジラの鳴《な》き声や、豚《ぶた》みたいなイルカの鳴き声、そして海底火山《かいていかざん》の活動《かつどう》の音。海というのは、想像していたよりずっと賑《にぎ》やかな場所だったのだ。
格納庫の兵器も見学《けんがく》した。
戦闘《せんとう》ヘリの操縦席を見せてもらって、操縦|桿《かん》を握《にぎ》ったりした。ASのコックピットに入れてもらって、頭部だけ動かして遊んだ。手足も動かしてみたいと言ったら、宗介が『駄目《だめ》だ。危ない。非常《ひじょう》に……危ない』などと、なぜかムキになって断《ことわ》ってきた。
彼女はテッサから聞いたことを、宗介たちには一切《いっさい》話さなかった。それまで通りに、普通に接《せっ》した。
実際《じっさい》、ただのリゾート地に出かけるよりも、よほどこの艦内は面白かった。何から何まで、見るもの出会うものすべてが新鮮《しんせん》で、大なり小なり驚きに満《み》ちていた。
だが――その日の昼を過《す》ぎたころ、かなめは艦内の雰囲気がすこし変わってきたことに気付いた。
クルーたちの表情が、心なしか硬《かた》くなっている。整備作業《せいびさぎょう》で騒《さわ》がしかった格納庫が、静まり返っている。通路を行き交う人や、居住区《きょじゅうく》で暇《ひま》そうにしている人の姿が、めっきりと減《へ》っている。
どことなく、空気が緊張《きんちょう》しているのだ。
かなめがそれをたずねると、宗介が答えた。
「艦が作戦|海域《かいいき》に近付いたからな」
「作戦海域?」
「そうだ。もうすぐ実戦《じっせん》がはじまる」
[#改ページ]
3:水圧《すいあつ》、重圧《じゅうあつ》、制圧《せいあつ》
[#地付き]八月二七日 一八五七時(現地《げんち》時間)
[#地付き]ペリオ諸島近海《しょとうきんかい》
<トゥアハー・デ・ダナン> はペリオ諸島の北東数十キロの海域《かいいき》に到達《とうたつ》していた。
海上の波は穏《おだ》やかだ。夕日が映《は》えて、珊瑚礁《さんごしょう》の南洋が美しく輝《かがや》いている。
その水面下、燃えあがるような赤と薄闇《うすやみ》との境目《さかいめ》を、巨大な船体が進んでいく。それはある種、絵画的《かいがてき》な光景《こうけい》だった。しかも、不吉《ふきつ》な暗喩《あんゆ》の宿《やど》った絵だ。
ナイフかサメを思わせる黒いシルエット。殺戮《さつりく》と破壊《はかい》の機能《きのう》を秘《ひ》めた、優雅《ゆうが》でなめらかな曲線。この艦の全貌《ぜんぼう》を捉《とら》えることのできる魚がいたら、迷うことなくその場から逃げようとすることだろう。
この <デ・ダナン> の内部では、いま着々と戦闘《せんとう》の準備《じゅんび》が進められていた。
[#地付き]八月二七日 一四三六時(グリニッジ標準時《ひょうじゅんじ》)
[#地付き]<トゥアハー・デ・ダナン> 第一| 状況 説明室《じょうきょうせつめいしつ》
「ブリーフィングを始めるぞ!」
部屋に入ってきたゲイル・マッカラン大尉《たいい》が、好き勝手《かって》に雑談《ざつだん》をしていた兵士たちに向かって宣言《せんげん》した。
この状況説明室に集められた戦闘員《せんとういん》は、総勢《そうぜい》で三二名。どれもラフな野戦服姿《やせんふくすがた》だ。これが作戦開始前になると、それぞれの『よそ行き』――迷彩《めいさい》服やフライト・スーツ、そしてASの操縦《そうじゅう》服に変わることになる。
宗介《そうすけ》は読んでいた本から目を離《はな》した。ほかの兵士たちも雑談をやめる。だが宗介の後ろに座《すわ》るクルツだけは、となりの同僚《どうりょう》――ヤン・ジュンギュ伍長《ごちょう》に、ひそひそとなにやら話しかけていた。
「そこ、話をやめんか」
「ういっす」
マッカラン大尉が大型《おおがた》の液晶《えきしょう》スクリーンの隅《すみ》で、部下たちににらみをきかせる。
オーストラリア人の彼はカリーニン少佐《しょうさ》の副官《ふくかん》であり、同時《どうじ》に|特別対応班《SRT》のトップ――『ウルズ1』のコール・サインを持っていた。ビンゴ大会の時はゆるみがちだった顔も、いまではきびしく引き締まっている。
「全員いるな? では少佐殿から作戦全般《さくせんぜんぱん》の説明がある! 傾注《けいちゅう》せよ!」
その横を通り過《す》ぎて、カリーニン少佐が一同の正面《しょうめん》に歩み出た。手元のクリップボードに視線《しせん》を落とし、なんの前置《まえお》きもなく切り出す。
「すでに知らせてあるが、米軍の施設《しせつ》が武装《ぶそう》グループによって占拠《せんきょ》された」
来週の掃除《そうじ》当番《とうばん》でも決めるかのような、気取《きど》りも気負《きお》いもない声。
「米海軍の特殊部隊《とくしゅぶたい》がすでに一度、奪還《だっかん》を試《こころ》みたが失敗している。特殊なケースのため、より先進的《せんしんてき》な装備《そうび》を運用《うんよう》するわれわれが、彼らに代わってリターン・マッチを行うことになった。おもな任務《にんむ》は|敵性AS制圧《SEAS》と人質《ひとじち》の安全|確保《かくほ》、および重要施設《じゅうようしせつ》の破壊《はかい》阻止《そし》になる。……パーティ会場はここだ」
そう言って、大型スクリーンのスイッチをつける。わきのスロットにディスクを入れると、島の立体地図《りったいちず》が映《うつ》し出された。
楕円形《だえんけい》の小さな島だ。斜《ななめ》めに傾《かたむ》いたような標高差《こうていさ》になっていて、西岸が崖《がけ》、東岸が砂浜になっている。島の緩《ゆる》やかな斜面《しゃめん》、その大部分を占領《せんりょう》するようにして、米軍の基地《きち》が横たわっていた。
「ペリオ共和国・ベリルダオブ島の化学兵器《かがくへいき》解体《かいたい》基地。老朽化《ろうきゅうか》した化学|弾頭《だんとう》を、無力化《むりょくか》し焼却《しょうきゃく》・廃棄《はいき》する目的で建設《けんせつ》された。そのためサリンやタブン、ソマンなどの神経《しんけい》ガスが、まだ数百トン単位《たんい》で保管《ほかん》されている」
室内のほとんど全貞が顔を曇《くも》らせた。それらの化学兵器が、『猛毒』などという生易《なまやさ》しい言葉では済《す》まされないことを、よく知っていたのだ。
「問題の武装《ぶそう》グループは <緑の救世軍《きゅうせいぐん》> と名乗《なの》っている。今回の行動はこのペリオ諸島から観光産業《かんこうさんぎょう》を追い出し、サンゴ礁《しょう》などの自然を守ることだそうだ。『毒ガスをまく』という脅迫《きょうはく》で」
「メチャクチャですね……」
「守れなかったら『安楽死《あんらくし》』させるってことかよ?」
「なんや、おもろない小噺《こばなし》やなぁ」
隊員《たいいん》たちが口々に言った。ブラックなユーモアを感じた者もいたようで、何人かは低い笑い声をもらす。
「だいたい、なんでペリオみたいな観光地に、そんな物騒《ぶっそう》な施設があるんです?」
「物騒なだけに、アメリカ本土では建設《けんせつ》が困難《こんなん》だった、ということだ。住民感情、州知事《しゅうちじ》選挙《せんきょ》、ロビー活動、その他もろもろ……複雑怪奇《ふくざつかいき》な政治的プロセス。諸君《しょくん》が聞いても楽しくはないだろう」
「ごもっとも……」
たずねた隊員が肩《かた》をすくめる。
「一方、ペリオ諸島はつい最近まで、アメリカの委任統治領《いにんとうちりょう》だった。独立後《どくりつご》のいまもアメリカの保護下《ほごか》にあり、経済的《けいざいてき》にも軍事《ぐんじ》的にもこれに依存《いぞん》している。あの国はそうした施設の建設受け入れを押し付けられた……という形だ」
黙《だま》って話を聞いていた宗介は、どこでも同じだな、と思った。貧《まず》しい国や地域《ちいき》が、いつも貧乏《びんぼう》くじを引く。軍事基地、廃棄物処理場《はいきぶつしょりじょう》、原発《げんぱつ》。場合によっては、武力|紛争《ふんそう》というおまけがつくこともある。
カリーニンが話を続けた。
「いずれにしても、彼ら <緑の救世軍> には、その物騒な処分場からご退場《たいじょう》いただかねばならない。……基地を拡大《かくだい》しよう」
画面を操作すると、立体地図の倍率《ばいりつ》が上がった。
いくつかの低いビルと兵舎《へいしゃ》、そして事務所《じむしょ》。短い滑走路《かっそうろ》とヘリポートもあるが、港《みなと》はなかった。そうしたCGモデルの中で、ひときわ大きな半地下式の建造物――それが化学|弾頭《だんとう》の貯蔵庫《ちょぞうこ》と処理場だった。
「未処理の化学弾頭は、この地下の貯蔵庫に保管されている。情報《じょうほう》によれば、テロリストたちはこの貯蔵庫に大量《たいりょう》の爆弾をしかけているそうだ」
「じゃあ、それが爆発《ばくはつ》したら――」
「破滅的《はめつてき》な量の神経《しんけい》ガスが、爆風《ばくふう》によって上空数千メートルまで上昇《じょうしょう》し、風下《かざしも》の群島《ぐんとう》に拡散《かくさん》する。これらガスの致死量《ちしりょう》は、成人一人につき一ミリグラムだ。一日でペリオ諸島は無生物地帯《むせいぶつちたい》になるだろう」
カリーニンは淡々《たんたん》と言った。
重苦しい沈黙《ちんもく》。兵士たちの顔には、まったく同じ表情が浮かんでいた。すなわち、『メリダ島基地に帰りたい』と。
「したがって、まずこの爆弾を無力化《むりょくか》する必要《ひつよう》がある。その上で敵戦力を撃滅《げきめつ》し、同時に囚われている米軍人を保護《ほご》する」
「簡単《かんたん》に言うよなぁ……」
「そら、ウルトラCやで……」
「こんなのばっか……」
口々にぼやく隊員たち。それをマッカラン大尉が怒鳴《どな》りつける。
「黙らんかっ! 文句《もんく》を言う前に給料分《きゅうりょうぶん》の仕事をしろっ!」
一同は渋々《しぶしぶ》と口をつぐむ。
カリーニンは、何事《なにごと》もなかったかのように説明を続けていった。
「敵戦力は、現在《げんざい》のところAS九機と、自走式の|対空砲《トリプルA》五|輌《りょう》だ」
液晶《えきしょう》スクリーンに、敵《てき》アーム・スレイブの画像が呼び出された。
丸みを帯《お》びた装甲《そうこう》。ダウン・ベストを着たような体型は、アメリカ製《せい》のM6に似ていたが、この機種《きしゅ》には頭がなかった。小さなペリスコープが付いているだけだ。
「これが敵ASだ。フランス・ジットー社製の <ミストラルU> 。イスラム圏《けん》や南米の一部に輸出《ゆしゅつ》されているタイプで、電子系は質素《しっそ》だがタフな機体だ」
そこでヘリのパイロットが挙手《きょしゅ》した。
「なんだ」
「質問《しつもん》です。その <ミストラルU> ……まだまだ現役《げんえき》の機種ですよね。そのテロ屋は、それだけの数をどこから揃《そろ》えたんでしょう?」
「……七月 |中旬《ちゅうじゅん》、インドネシア陸軍向けに納入《のうにゅう》予定の同型機を積《つ》んだ輸送船《ゆそうせん》が、スリランカ近海《きんかい》で消息《しょうそく》を絶《た》つ事件があった。船は三日後に沈没《ちんぼつ》した状態《じょうたい》で発見されたが、積荷《つみに》とほとんど[#「ほとんど」に傍点]の船員は消え失せていたそうだ」
「ははあ……」
船員は買収《ばいしゅう》されたか、もともとテロリストの一味《いちみ》だったか……そんなところだろう。
「本題《ほんだい》に戻《もど》ろう。……これらのフランス製ASについては、通常《つうじょう》の装備《そうび》と戦術《せんじゅつ》で対応《たいおう》できる。対空砲《たいくうほう》もだ。だが――最大限《さいだいげん》の注意《ちゅうい》を払《はら》わねばならない敵《てき》ASが一機いる」
カリーニンがスクリーンの画面を切り替《か》える。
その『一機』の写真が映《うつ》った。
宗介はそれを見て、わずかに息を呑《の》んだ。クルツがその後ろで、小さなうなり声をあげた。二人の様子《ようす》に気付いたらしく、離れた席《せき》に座《すわ》っていたマオが、ちらりとこちらを見る。
ほかの隊員たちは、はじめて見る機種に眉《まゆ》をひそめていた。
あの機体だ。
四か月前に戦ったのと、同じ機種。写真の機体は、銀色ではなく赤だったし、頭部の形も若干《じゃっかん》違《ちが》った。しかし、間違《まちが》いない。
あいつが、また現《あら》われたのだ。
もちろん、あの時の操縦者《そうじゅうしゃ》――ガウルンは死んだ。だが宗介は、あの危険《きけん》きわまりない男の亡霊《ぼうれい》が、その基地をさまよっているような錯覚《さっかく》に襲《おそ》われた。
「米軍の特殊部隊は、この一機によって全滅《ぜんめつ》させられた。どの国のものかはまったく不明《ふめい》だが、M9と同じ等二世代型ASだ。動力源《どうりょくげん》はパラジウム・リアクター。きわめて静粛性《せいしゅくせい》に優《すぐ》れ――おそらく初歩的《しょほてき》ながら、不可視モード付きの|電磁迷彩《ECS》を装備《そうび》していると推定《すいてい》される。赤い塗装はそのためだろう」
ECSはレーダー波《は》や赤外線《せきがいせん》など、様々《さまざま》な電磁波《でんじは》から機体《きたい》を隠すステルス装置《そうち》だ。<ミスリル> の使う最新型ECSになると、可視光《かしこう》さえも通過《とうか》させることができる。だが技術《ぎじゅつ》的な問題で、波長《はちょう》の短い色――たとえば紫《むらさき》――を消すのは苦手《にがて》だ。その逆《ぎゃく》で、比較《ひかく》的に隠蔽《いんぺい》が容易《ようい》なのが、波長《はちょう》の長い赤色だった。
「つまり、この機体はわれわれ同様《どうよう》、忍《しの》び歩きと闇討《やみう》ちが得意《とくい》だと?」
「そういうことだ。ECCSを活用《かつよう》しろ」
ECCS。対ECSセンサーのことだ。
「さらにこの機体は『特殊な機材』を搭載《とうさい》しており、通常《つうじょう》の攻撃手段《こうげきしゅだん》を一切《いっさい》受けつけない。もしこのASに遭遇《そうぐう》したら――」
カリーニンは部下たちの顔を見まわした。
「直接《ちょくせつ》の交戦《こうせん》は避《さ》けるように。つまり、逃げろ」
これには一同も面食《めんく》らった。
「『逃げろ』って、そんなバカな」
「制圧任務《せいあつにんむ》なのに」
「だったら最初から、攻撃なんかしない方がマシですよ」
不平《ふへい》とも苦笑《くしょう》ともつかないような声が一斉《いっせい》にあがり、たちまち室内は騒然《そうぜん》となる。またもやマッカラン大尉が『静かにしろ!』と怒鳴ったが、今度はそれほど効果《こうか》がなかった。
そこで――クルツが天井《てんじょう》を仰《あお》いで、ぼやくように声を張《は》り上げた。
「くたばりてえのか、お前ら?」
マッカランほど大きな声ではなかったのだが――彼の一言は不思議《ふしぎ》に、室内をしん、とさせた。兵士たちは怪訝《けげん》そうな顔でクルツに視線《しせん》を注《そそ》ぐ。
「少佐の言うとおりだよ。こいつはヤバい。特別《とくべつ》なんだ。なにしろ五七ミリ弾《だん》がきかねえんだから。ほとんどインチキだよ」
「なんや? フォースでも使うんか? ダース・ベイダーみたいに」
性懲《しょうこ》りもなく、隊員の一人が言った。クルツは気のない目で彼を見つめて、
「そうだよ。奴《やつ》はフォースを使う」
「ほんなら大変や。みんなでヨーダに弟子《でし》入りせな」
そう言って隊員は笑った。クルツは笑わなかった。
「どうも認識《にんしき》が不足《ふそく》しているようだが――」
場《ば》が落ち着くのを気長に待っていたカリーニンが言った。
「私が『逃げろ』といったのは、助言《じょげん》や頼《たの》みではない。『命令』だ。無視《むし》した者は厳罰《げんばつ》に処《しょ》する。もっとも、生きていればの話だが」
「…………」
「このASを、便宜的《べんぎてき》に『猛毒《ヴェノム》』と呼ぶことにする。非常《ひじょう》に危険《きけん》な存在《そんざい》だが、作戦のためには排除《はいじょ》しなければならない。ヴェノムと交戦し、これを破壊《はかい》する仕事はサガラ軍曹《ぐんそう》にやってもらう」
隊員たちが、はじめて宗介に視線《しせん》を注いだ。
宗介は特に驚《おどろ》かなかった。たぶん、この機体の相手は自分がすることになるだろう……と思っていたのだ。
「 <アーバレスト> で、ですか」
彼は確認《かくにん》の意味《いみ》でたずねた。
「そうだ。ヴェノムと遭遇《そうぐう》したら、他の者は後退《こうたい》して君を援護《えんご》する。連携《れんけい》プレーと接近戦《せっきんせん》で絡《から》み付いて、休む暇《ひま》を与えるな。そうすれば必ず勝機《しょうき》は来る」
「もし自分が敗れたら?」
宗介の視線《しせん》をまっすぐに受けとめ、カリーニンは冷然《れいぜん》と言った。
「作戦は失敗だ。味方《みかた》は残らずヴェノムの餌食《えじき》になるだろう」
「…………」
宗介は、室内の全身分の体重を、自分の肩《かた》に載《の》せられたような気分になった。
危険な任務、死ぬ一歩手前の状況を、宗介はこれまで数え切れないほど潜《くぐ》り抜《ぬ》けてきた。だがそれは、一人の戦闘員《せんとういん》としてだ。
もしミスをしても、死ぬのは自分一人だけだった。それだって笑い事ではないのだが――とにかく、まだ責任《せきにん》は『チームの一員』レベルだったのだ。
自分はただの傭兵《ようへい》。
ただの脇役《わきやく》。
ただの『損害《そんがい》・一』で数えられる存在。
そのはずだったのだが。
それがあの時から―― <アーバレスト> と千鳥《ちどり》かなめに出会ったあの事件から、すべて変わってしまったような気がした。あのASとあの少女の存在が、彼に『失敗』を厳禁《げんきん》しつつあるのだ。
負けられない。絶対《ぜったい》にミスはできない。死ぬことさえも、許《ゆる》されない。
この恐ろしいほどの重圧《じゅうあつ》。
それでも宗介は、いつも通りのむっつり顔で、床《ゆか》を眺《なが》め、静かに答えた。
「了解《りょうかい》しました」
「けっこう。下士官《かしかん》としての義務《ぎむ》を果《は》たせ」
作戦|指揮官《しきかん》は一同に向き直った。
「今回の出撃《しゅつげき》は水中から行う。撤収《てっしゅう》はヘリだ。AS六機を三チームに分け、それぞれ突入班《とつにゅうはん》、狙撃《そげき》班、爆弾処理《ばくだんしょり》班とする。なお、爆弾処理班の潜入《せんにゅう》ルートには朗報《ろうほう》がある。概略《がいりゃく》は以上だ。詳細《しょうさい》は大尉から聞け。……マッカラン」
「はっ」
カリーニンが下がると、マッカランが入れ替わりに進み出た。
「まずASのチーム編成《へんせい》だ! 突入チームは私とサガラ。狙撃チームはウェーバーとグェン。爆弾処理チームはマオとダニガンだ。ほかのSRT要員《よういん》は歩兵《ほへい》の分隊《ぶんたい》指揮官としてヘリに待機《たいき》してもらう! なお、無線《むせん》の周波数《しゅうはすう》は――」
[#地付き]八月二七日 一六二一時(グリニッジ標準時《ひょうじゅんじ》)
[#地付き]<トゥアハー・デ・ダナン> 主格納庫《しゅかくのうこ》
ブリーフィングが終わると宗介《そうすけ》は主格納庫に足を向け、技術士官《ぎじゅつしかん》と打ち合わせをはじめた。
ARX―7 <アーバレスト> は一晩《ひとばん》のうちに、ダーク・グレーに塗装《とそう》されていた。
M9に使われているのと同じ塗料《とりょう》を、白い装甲《そうこう》に直接《ちょくせつ》吹《ふ》き付けただけの応急処置《おうきゅうしょち》だ。本格的《ほんかくてき》な隠密作戦《おんみつさくせん》で、あの白は目立ちすぎるからだった。
<アーバレスト> の体型は、M9同様《どうよう》、かなり人間に近かった。関節《かんせつ》は柔軟性《じゅうなんせい》に富《と》み、手足はすらりと長い。同時《どうじ》に力強くもあり――敏捷《びんしょう》でたくましい戦士を彷彿《ほうふつ》とさせる。
頭部の形も風変《ふうが》わりだった。
するどい二つ目のようなデュアル・センサーと、その下に設けられた兵装保持用《へいそうほじよう》のハード・ポイント。それが独特《どくとく》の顔付きに見えて、古い時代劇《じだいげき》にでも出てくる『巻物《まきもの》をくわえた忍者《にんじゃ》』を連想《れんそう》させる。
肩部に取りつけられた、左右それぞれ二枚ずつの羽根状《はねじょう》の部品《ぶひん》は、冷却《れいきゃく》を補助《ほじょ》する放熱《ほうねつ》ユニットである。この部分には、似《に》たような形のサブ・コンデンサや、場合《ばあい》によっては武器《ぶき》を装備《そうび》することも可能《かのう》だった。
こうした一種|独特《どくとく》のパーツ類《るい》と、鋭敏《えいびん》なフォルムを持つため、この機体には神秘的《しんぴてき》な風格《ふうかく》が漂っている。触《ふ》れただけで神罰《しんばつ》が下りそうな――そんな|雰囲気《ふんいき》だ。
たいていの人々が抱《いだ》くその第一|印象《いんしょう》は、あながち間違《まちが》いではなかった。
ラムダ・ドライバという未知《みち》の装置《そうち》。これを積《つ》んでいるために、<アーバレスト> は事実《じじつ》、神秘的な存在だった。
<アーバレスト> 担当《たんとう》の技術士官の話では、ラムダ・ドライバは主に三つの要素《ようそ》で構成《こうせい》されているという。
一つは、コックピットに取りつけられた『TAROS』と呼《よ》ばれる装置。
『オムニ・スフィア転移反応《てんいはんのう》(Transfer And Response Omni-Sphere)』の略《りゃく》だというが、それが意味《いみ》するところは技術士官も理解《りかい》していない。あいまいながらも分かっている部分は、搭乗者《とうじようしゃ》の全身の神経《しんけい》パルスを読み取り、それを特殊な電気信号《でんきしんごう》に変える機能《きのう》があるらしいということ……
もう一つは、ラムダ・ドライバの中核《ちゅうかく》となる小型|冷蔵庫大《れいぞうこだい》のモジュールだ。
中身はレーザーに似《に》た、美しい虹色《にじいろ》の光の束《たば》が納《おさ》まったシリンダーで構成《こうせい》されているそうだが――それがどういう機能《きのう》を果《は》たすのか、まったくわからない。『駆動《くどう》』の時には瞬間的《しゅんかんてき》に莫大《ばくだい》な電力を消費《しょうひ》するらしく、そのための予備《よび》コンデンサーが機体に積んである。このモジュールは機体《きたい》のAI <アル> とも直結《ちょっけつ》されているが、いくらソフトウェアを解析《かいせき》しても、どういうつながりがあるのかは不明《ふめい》だという。
最後の一つは、機体の全身を支える骨格《こっかく》系だった。
基本《きほん》はM9と同じ、チタン合金《ごうきん》やセラミックなどの複合素材《ふくごうそざい》らしかったが、その芯《しん》に風変《ふうが》わりな構造材《こうぞうざい》が鋳込《いこ》んであるという。微細《びさい》な結晶《けっしょう》が、まるで神経《しんけい》ネットワークのように複雑《ふくざつ》なパターンでつながりあって構成されており、電気を通すとそのパターンが変化する。だが、やはり――それがどういった機能を持つのかはまったく不明だった。
要《よう》するに。
わからないこと尽《づ》くしなのである。
AIの <アル> は起動時《きどうじ》に、必《かなら》ず『ラムダ・ドライバの駆動には|SGT《サージェント》サガラ≠フ搭乗《とうじょう》が必要《ひつよう》』と表示《ひようじ》してくる。ほかの操縦者《そうじゅうしゃ》を拒否《きょひ》するわけではなかったが、そうしたテスト操縦者を乗せても、ラムダ・ドライバは決して駆動しなかった。
相良《さがら》宗介が必要――その表示を消そうとする試《こころ》みは、これまですべて失敗してきたという。<アル> を初期化《しょきか》しても駄目《だめ》だった。ほかの強引《ごういん》な処置《しょち》を施《ほどこ》そうとすると、<アル> はきまってエラーを起《お》こして凍結《とうけつ》してしまった。
「つまりこういうことよ。お手上《てあ》げ」
妙齢《みょうれい》の技術士官――ノーラ・レミング少尉《しょうい》は、そう言って軽く両手《りょうて》をあげた。
「ただ言えるのは、この機械が『精神力《せいしんりょく》のようななにか』を増幅《ぞうふく》する装置《そうち》なのではないか、ということね。こんなオカルトじみたこと、本当は言いたくないんだけど」
「これを作った人物は?」
宗介はへの字口をいっそう曲げて、<アーバレスト> を見上げた。
「亡《な》くなったそうよ。私よりも、このラムダ・ドライバを知っているのは、あとは艦長《かんちょう》くらいのものね。ただ彼女も、TAROSについての理解《りかい》があるくらいで……」
「……そうですか」
「だからこの機体《きたい》、新たに建造《けんぞう》はできないの。スペアのパーツがすこしだけ残っていたから、千切《ちぎ》れた腕《うで》は元通りになったけど――今度左腕をなくしたら、次からはM9のパーツを流用《りゅうよう》するしかないわ」
「注意《ちゅうい》します」
「でも大丈夫《だいじょうぶ》よ。あなたはぶっつけ本番《ほんばん》で、これまで二回も『駆動』に成功《せいこう》してるんだから。きっと素質《そしつ》があるんだと思う」
「素質……ですか」
「そう。神様がくれた、すてきなプレゼントよ。だから自信《じしん》を持って、サガラ軍曹《ぐんそう》」
そう言って少尉は微笑《ほほえ》んだ。
[#地付き]八月二七日 一六五五時(グリニッジ標準時《ひょうじゅんじ》)
[#地付き]<トゥアハー・デ・ダナン> 厨房《ちゅうぼう》
どれだけ物珍《ものめずら》しい場所だとしても、一日もいれば、さすがに艦内《かんない》の景色《けしき》も見飽《みあ》きて、見学《けんがく》できる場所もなくなり、手持《ても》ち無沙汰《ぶさた》になってくるのだった。
宗介《そうすけ》たちも、なにやら『会議がある』と言っていなくなってしまったし、テッサにいたっては朝からほとんど姿《すがた》を見ない。発令所《はつれいじょ》に顔を出したとき、テッサは号令係のおじさん[#「号令係のおじさん」に傍点]となにかの相談に耽《ふけ》っていて、こちらには目線《めせん》で挨拶《あいさつ》をしただけだった。
ヒマだった。
そろそろ帰りたいなー、などと思ったりもする。
この艦が仕事を終えて帰投《きとう》し、基地《きち》に戻《もど》るのはあさってくらいになるそうだった。かなめが望《のぞ》めば、その前にヘリで基地まで彼女と宗介を送り、早めに東京へ帰してくれるという。だがそれも、その『仕事』――作戦《さくせん》が済《す》んでからの話だ。明日までは、この艦内でブラブラしていなければならない。
仕方《しかた》がないので、かなめは食堂の厨房に出かけ、コックの仕事を手伝っていた。山と積まれたタマネギを、一心不乱《いっしんふらん》に刻《きざ》みまくる。さらにニンジン、続いてジャガイモ。次から次へと。暇《ひま》つぶしにはちょうど良かった。
「いい腕《うで》してるなあ、あんた」
彼女の包丁《ほうちょう》さばきをみて、コックのお兄さん――この船の数少ない日本人だった――はしきりに感心《かんしん》した。
「どーも、どーも」
「オーブンの使い方もしっかり心得てるし。いっそ学校なんかやめて、この船に就職《しゅうしょく》しないか? 俺が深海《しんかい》料理の真髄《しんずい》を教えてやるぜ」
「ははは、遠慮《えんりょ》しときます」
笑っていると、艦内放送《かんないほうそう》が入った。
『艦長です』
テッサの声だった。
『これより本艦《ほんかん》は、作戦|海域《かいいき》に進入します。今回の作戦では、敵対的《てきたいてき》な水上・水中艦は存在《そんざい》しません。また、この艦自体が戦闘行為《せんとうこうい》を行う予定もありません。ですが例によって、わたしたちは影のように振《ふ》る舞《ま》うことになります。とはいえ、この艦と皆《みな》さんの力があれば、それはそう難《むずか》しいことではないでしょう。いつも通りに、きっちりと、注意深く仕事をしてください。神のご加護《かご》はわたしたちと共にあります』
スピーカーの向こうで、小さな咳払《せきばら》いがした。
『では、第二|戦闘配置《せんとうはいち》についてください。以上です』
放送が終わった。戦闘配置を告《つ》げるベルの音――本物《ほんもの》そっくりだが、たぶん電子音《でんしおん》だ――が鳴《な》り響《ひび》く。厨房のすぐとなり、食堂でくつろいでいた何人かのクルーが、慌《あわ》ただしく立ちあがり、自分たちの部署《ぶしょ》へと駆《か》け出していった。
「あーあ、はじまっちまったなあ」
コックがぼやいた。かなめはわずかに不安《ふあん》を覚えながら、
「これから戦うの……?」
「ああ。でも心配しなくていいよ。たぶん、この艦|自体《じたい》は戦わないから。戦うのはSRTの連中《れんちゅう》だろうな」
「SRTって……」
「特別対応班《とくべつたいおうはん》のことだよ。サガラ軍曹《ぐんそう》もその一人だね」
宗介がこれから戦いに行く。
改めてそう知らされて、かなめは落《お》ち着《つ》かない気分《きぶん》になった。これまでだって、彼が戦うところは見たことがあるし、一緒《いっしょ》に散々《さんざん》な目に遭《あ》ってもいるのだが――こういう形ははじめてだった。
これから戦う。
この前置《まえお》きは、なんとなく重たい。
「ちょっと……席外していいかな」
「え?」
かなめはぽかんとしたコックを置《お》き去りにして、厨房を飛び出した。
戦闘配置の発令直後《はつれいちょくご》で、人の行き交《か》いが激《はげ》しい通路《つうろ》を駆《か》け、宗介たちが寝起《ねお》きしている待機室《たいきしつ》に向かう。しかし、そこはもぬけの殻《から》だった。さらに二、三の心当《こころあ》たりを回り、それでも見付からず、格納庫《かくのうこ》まで来てみると――
「あ……」
すでに武装《ぶそう》を施《ほどこ》したASの前で、宗介が立ち話をしていた。
漆黒《しっこく》のAS操縦服姿《そうじゅうふくすがた》で、クリップ・ボード型の電子|端末《たんまつ》を手に、作業着《きぎょうぎ》姿の女性と相談事《そうだんごと》をしている。宗介からすこし離《けな》れた場所には、クルツとマオ、それから名前は知らないが東洋系の隊員《たいいん》がたむろしていた。
「カナメ?」
まず最初にクルツが気付いた。
「どーしたんだ、息切らして? あ……わかった、俺にお守り持ってきてくれたのね。昔から効《き》くっていうもんなー、処女《しよじょ》の陰《いん》――おぐっ!」
マオの肘《みぞ》がみぞおちに食い込み、クルツはその場にうずくまった。マオはこめかみの辺《あた》りをひくつかせながら、
「どうしてあんたは、そう、あんな風《ふう》にアレなのよ。……で、どうかしたの、カナメ?」
「えっと、その……特《とく》には。なんとなく……」
かなめはうろたえた。なにをしに来たのか、自分でもよくわからなかったのだ。
ちらりと宗介の方を見てみると、彼はいまだに技術者と専門的《せんもんてき》な話をしていた。かなめの存在《そんざい》には、まったく気付いていない。あまりにも真剣《しんけん》な様子《ようす》なので、とても気軽に声などかけられそうになかった。
「そう。ここは危ないわよ。出撃前《しゅつげきまえ》になるとASが歩き回るから」
「う……うん」
「いま、戦闘配置中なの。だから、すまないけど……ね?」
それが意味するところは、かなめにも分かった。マオは婉曲《えんきょく》に『出て行け』と言っているのだ。小さな疎外感《そがいかん》を覚えながらも、彼女はうなずいた。
「うん……邪魔《じゃま》してごめんなさい」
仕方《しかた》なく、かなめはきびすを返した。
格納庫の出口までとぼとぼと歩き、もう一度|振《ふ》りかえってみる。
マオが『すまんっ』と拝《おが》むようなジェスチャーを示し、クルツがひらひらと手を振っていた。
けっきょく宗介は、最後までかなめに気付いていなかった。
小さな後ろ姿。
彼が自分から、世界でいちばん遠い場所にいるような気がする。
(これが見納《みおさ》めとか、そういうのはないよね……)
そう思って、彼女はため息をついた。
[#地付き]八月二七日 一七五〇時(グリニッジ標準時《ひょうじゅんじ》)
[#地付き]ペリオ諸島 ベリルダオブ島の北東 一五マイル <トゥアハー・デ・ダナン>
出撃前《しゅつげきまえ》の発令所《はつれいじょ》は、部下たちの声であふれかえっていた。
「現在《げんざい》、深度《しんど》八〇。速力《そくりょく》三ノット。EMFC、問題《もんだい》なし」
「タートル1、深度一〇……五……停止《ていし》」
『ソナー室より。付近《ふきん》の海上に航空機はいないっす』
「ESMに反応《はんのう》。米海軍の水上艦《すいじょうかん》です。解析《かいせき》を実行中《じっこうちゅう》……」
「海流《かいりゅう》は北西から二ノット。海上は微風《びふう》です」
[#挿絵(img/03_159.jpg)入る]
『こちらウルズ1。第一|気密《きみつ》チェンバーに入りました
『ウルズ7より。第二気密チェンバーに機体《きたい》の誘導《ゆうどう》を完了《かんりょう》』
「ESM、解析|終了《しゅうりょう》。方位《ほうい》〇―八―〇に <アーレイ・バーク> 級|駆逐艦《くちくかん》。方位〇―七―九に <タイコンデロガ> 級|巡洋艦《じゅんようかん》。距離《きょり》は推定《すいてい》で、どれも三〇マイル以上」
『こちら右舷《うげん》、第一気密チェンバー制御員《せいぎょいん》。内部《ないぶ》ハッチ閉鎖《へいさ》を完了。気密|確保《かくほ》』
『左舷、第二気密チェンバー制御員です。内部ハッチの閉鎖《へいさ》を完了。気密確保。いつでも注水《ちゅうすい》OKです』
テッサのもとに、次々と報告《はうこく》が送られてくる。
彼女はそのすべてに注意《ちゅうい》を払《はら》いつつ、てきぱきと指示を出していった。
「……けっこう。では、第一から第六までの気密チェンバーに注水を開始《かいし》してください」
「アイ・マム。第一から第六までの気密チェンバーに注水を開始」
マデューカスが応《おう》じた。
今回、ASは水中から出撃する。
ひそかに目的《もくてき》の島まで機体を泳《およ》がせ、それから奇襲攻撃《きしゅうこうげき》を行うというわけだ。
格納庫の両側には、ASが収《おさ》まるサイズの気密室が三つずつあり、そこからM9やARX―7が艦の外に出られるようになっている。いまその気密室には、それぞれASに乗りこんだマッカラン大尉《たいい》たちがいる。あとはハッチを開くだけだ。
「さて……」
テッサは最後のチェックに、海上の様子《ようす》を探《さぐ》った。
<タートル> の制御《せいぎょ》を受け取り、小さなジョイ・スティックでその光学《こうがく》センサーを操作《そうさ》する。海面すれすれに浮かんでいるロボットが、小さな『潜望鏡《せんぼうきょう》』をわずかな時間、突《つ》き出した。
三六〇度を走査《そうさ》。鮮明《せんめい》な画像《がぞう》が、艦長用《かんちょうよう》のスクリーンに投影《とうえい》される。
夜の海だ。周囲《しゅうい》にまったく人工の光がない上、大気が澄《す》んでいるので、空が美しかった。水平線《すいへいせん》の上に無数《むすう》の星々がちりばめられ、豊《ゆた》かな色彩《しきさい》でまたたいている。
ため息の出るような光景《こうけい》だった。
一瞬《いっしゅん》、馬鹿《ばか》げた考えが頭をよぎる。ここで作戦《さくせん》を中止《ちゅうし》して、いきなり艦を浮上《ふじょう》させ、みんなで外の甲板《かんぱん》にあがって、自然の空気を吸《す》いこんで、彼とあの星を――肉眼《にくがん》で見られたら。きっとどんなに素敵《すてき》だろう。
「艦長?」
マデューカスが声をかけた。テッサは何事《なにごと》もなかったかのように、画面を暗視《あんし》モードに切り替《か》えて、付近《ふきん》に艦艇《かんてい》や航空機《こうくうき》がいないことを確認《かくにん》した。
すべて問題なし。あとは送り出すだけ。
ちらりと正面スクリーンのステータス・ボードを見る。そこには気密室の状態《じょうたい》を表《あらわ》す、図形と文字が表示《ひょうじ》されていた。
<<2nd ATC――■/ARX―7(Uruz7)>>
大丈夫《だいじょうぶ》だ。彼はとても強いんだから。それに――マオやクルツたちも付いているではないか。
テレサ・テスタロッサは息を吸《す》い込み、命令した。
「全AS用ハッチを開放」
「アイ・マム。全AS用ハッチを開放せよ!」
小さな衝撃《しょうげき》。
ごぼっ、とくぐもった音がして、第二ハッチが開いていった。機体《きたい》の周囲《しゅうい》を海水が駆《か》け抜《ぬ》けていく。暗視《あんし》センサーを通して、緑色の海が眼前《がんぜん》に広がった。
いまの <アーバレスト> には、水中用のオプション装備《そうび》が施《ほどこ》してある。胴体《どうたい》を前後から挟《はさ》むユニットには、酸素《さんそ》タンクとバラスト、そして高出力のウォーター・ジェットが内蔵《ないぞう》されていた。非常時《ひじょうじ》には水中|翼《よく》を展開させて、海上を高速で滑走《かっそう》することもできる。
<アーバレスト> やM9は、完全《かんぜん》な水中向けに設計《せっけい》された機体《きたい》ではないので、潜《もぐ》れる深度《しんど》はせいぜい四〇メートルくらいまでだ。しかし、日頃《ひごろ》の作戦では、その程度《ていど》の耐水性《たいすいせい》で充分《じゅうぶん》だった。
(よし……)
宗介はウォーター・ジェットの推力《すいりょく》を上げ、機体を艦から発進させた。背後《はいご》で、すぐさまハッチが閉《と》じていく。ほかのハッチから飛び出してきたM9が、細かな気泡《きほう》の尾《お》を曳《ひ》いて、<アーバレスト> を追い抜いていった。
『はっはあ。それじゃあ、リゾートめぐりと行こうぜ』
クルツの声。一機のM9が水中で、機体をくるくると回転《かいてん》させる。
『はしゃぐな、馬鹿者《ぱかもの》……!』
『えー、でも』
『でもじゃない……まったく。行くぞ』
マッカラン大尉《たいい》のM9が告《つ》げて、部下たちを先導《せんどう》した。武器を収《おさ》めた耐水《たいすい》コンテナを両手で抱《かか》え、<アーバレスト> と四磯のM9がその後に続く。きれいな隊列《たいれつ》――あるいは編隊《へんたい》――を組んで、深度三〇メートルを航走《こうそう》。みるみる速度をあげていく。
その後ろで、<デ・ダナン> が音もなく舳先《へさき》を下に向け、より深い海へと潜行《せんこう》していった。
そういえば、千鳥《ちどり》に一言も声をかけていなかったな……と宗介は思った。
二〇分ほど泳いだ。
海中は真《ま》っ暗闇《くらやみ》だったが、暗視《あんし》センサーが眼下《がんか》に海底《かいてい》の姿《すがた》をぼんやりと捉《とら》えている。さきほどまでは、その海底すら見えなかったのだから――それだけ海が浅くなり、陸地《りくち》が近づいている、ということだ。
ごつごつとした岩のそばを、熱帯魚《ねったいぎょ》の群《む》れが泳いでいた。昼の光の中で見たら、さぞ鮮《あざ》やかな色に見えることだろう。
『ソースケ?』
マオが無線《むせん》で呼びかけてきた。作戦《さくせん》で指定《してい》されたものとは、別のチャンネルだった。
「なんだ」
『あんた、すこし気負《きお》ってない?』
急に言われて、宗介《そうすけ》はわずかに動揺《どうよう》した。
「……なんのことだ」
『無理《むり》しないで。このチャンネル、ほかはだれも聞いてないから』
「関係《かんけい》ない。俺は――」
『もう。だってさっき、あんたカナメに気付かなかったでしょ』
「さっき? いつの話だ」
マオは苦笑《くしょう》のような声をもらした。
『ほらね、周《まわ》りが見えなくなってる。少佐《しょうさ》の話を気にしてるのね? あのヴェノム≠フことで」
「それは……当然《とうぜん》だ。俺がミスをすれば、チーム全員が死ぬことになる。責任《せきにん》の重さを留意《りゅうい》するのは――」
『タメよ、それじゃ。もっとテキトーに構《かま》えてなさい』
「なぜだ。あんたらしくもない」
いまはマッカランがチーム・リーダーだが、ほかの任務《にんむ》で三人|編成《へんせい》のときは、マオがチーム・リーダーを務《つと》めることが多い。責任感の強い彼女が、そんなことを言うのは妙《みょう》に思えた。
「だって。あたしが普段《ふだん》、いまのあんたみたいに思いつめてたら、それこそ大チョンボを連発《れんぱつ》してるわよ。自分一人で、全部《ぜんぶ》背負《しょ》い込もうなんて思っちゃだめ。「まあ、なんとかなるさ」くらいのつもりで構えてないと、気力《きりょく》がもたないからね』
「だが……」
『カナメと一緒《いっしょ》に、あたしたちまで守るつもり?」
その言葉にはぎくりとした。宗介が答えに窮《きゅう》していると、マオは小さく笑う。
『せっかくだけど、お気遣《きづか》いご無用《むよう》よ。クルツもマッカランも、ほかの連中《れんちゅう》も、みんなそう言うでしょうね』
逆《ぎゃく》の立場《たちば》だったら、宗介もそう言うだろう。
彼らはただの兵士ではない。これでも選《えら》び抜《ぬ》かれた精鋭《せいえい》であり、自分で自分の身を守る術《すべ》くらい――もちろん知っている。無謀《むぼう》な突撃《とつげき》はしないし、危険《きけん》から逃《に》げ延《の》びる力もある。
つまりは、そういうことだった。
「……そうだったな。覚えておく」
『素直《すなお》でよろしい。それじゃ』
マオはチャンネルを閉じた。
(しかし……)
それから一分もしないうちに、宗介は思った。
しかし、普通《ふつう》のASがあの敵機《てっき》とやり合ったら、まず絶対《ぜったい》に助からない。米軍のAS一二機は、あの一機に全滅《ぜんめつ》させられた。それは動かしがたい事実《じじつ》なのだ。
自分が負けたら最後。
どうあっても、その思いが頭から離《はな》れなかった。
作戦用《さくせんよう》のチャンネルから指示《しじ》が入った。
『|ウルズ1《マッカラン》より各員《かくいん》へ。いまウェイ・ポイント3を通過した。予定通り、これより三チームに分かれる。いいな?」
この|経 由 点《ウェイ・ポイント》を通過後、六機はそれぞれの持ち場に移《うつ》ることになる。化学兵器《かがくへいき》に仕掛《しか》けられた爆弾《ばくだん》を無力化《むりょくか》する潜入《せんにゅう》チームと、基地《きち》に直接《ちょくせつ》上陸《じょうりく》する制圧《せいあつ》チーム、そしてその上陸を支援《しえん》し、島全体を射界《しゃかい》に収《おさ》める狙撃《そげき》チーム。
制圧|作戦《さくせん》の開始後は、地下・海岸・敵の射程外《しゃていがい》――この三方向から敵を攻撃《こうげき》することになる。
『|ウルズ2《マオ》了解』
『|ウルズ6《ウェーバー》了解』
「|ウルズ7《サガラ》了解」
『|ウルズ10[#「10」は縦中横]《グェン》了解』
『|ウルズ12[#「12」は縦中横]《ダニガン》了解』
全員が応答《おうとう》し、二機ずつ、それぞれの持ち場へと散開《さんかい》していった。
潜入チームは、マオとダニガン軍曹《ぐんそう》のペアだった。
ダニガンはアメリカ南部のルイジアナ出身《しゅっしん》で、元は米陸軍の空挺隊員《くうていたいいん》だったという。年齢《ねんれい》はマオと同じくらいだったが、いくらか老《ふ》けてみえる。ただし体格は立派《りっぱ》なもので、一〇〇キログラムのバーベルを軽々《かるがる》と持ち上げる、筋骨隆々《きんこつりゅうりゅう》の偉丈夫《いじょうぶ》だった。
ASの操縦《そうじゅう》はもちろん、爆発物のエキスパートでもある。こちらのチームに選《えら》ばれたのは、それが理由《りゆう》だった。
二人の仕事の第一は、他の四機に先行して化学兵器《かがくへいき》貯蔵庫《ちょぞうこ》へと潜入し、そこに仕掛《しか》けられているという爆弾《ばくだん》を無力化《むりょくか》することだった。
潜入ルートは地下からだ。
島の西側は低い崖《がけ》になっており、その水面下に古いトンネルがある。それは旧《きゅう》日本海軍に潜水艦基地《せんすいかんきち》として使用されていた秘密《ひみつ》のドックで――半世紀以上前に建設《けんせつ》されたものだった。そのトンネルも長い歳月《さいげつ》と何度かの地震《じしん》で崩落《ほうらく》し、いまでは完全《かんぜん》に水中に没《ぼっ》している。そしてだれからも――当の米軍からさえも忘れ去られていた。
トンネルの最深部《さいしんぶ》と貯蔵庫《ちょぞうこ》を隔《へだ》てる岩盤《がんばん》は、厚《あつ》さ約二メートル。まずはそこにドリルで穴《あな》を開け、ファイバー・スコープで貯蔵庫の中を覗《のぞ》き見して、しかる後に岩盤を爆破《ばくは》。突入《とつにゅう》して起爆装置《きばくそうち》を破壊《はかい》してしまおう……という案だった。
「陸地が近いわ。そろそろジェットを切るよ」
『ああ、わかったよ……』
バックパックのウォーター・ジェットが止まり、細かい気泡《きほう》が消えうせる。
二機のM9は脚部《きゃくぶ》に装備《そうび》したフィン――ASサイズの足ヒレを使って、水面下五メートルを苦もなく進んでいった。
ダニガンの手際《てぎわ》はそつがなく、陸《おか》の軍隊あがりとは思えないほどだった。
実戦経験《じっせんけいけん》も豊富《ほうふ》だと聞く。米陸軍時代、危険《きけん》な任務《にんむ》を数多くこなし、|名誉負傷章《パープル・ハート》や|青銅星章《ブロンズ・スター》などをいくつも授与《じゅよ》されているらしい。勲章《くんしょう》らしい勲章はほとんどもらわず、海兵隊を不名誉除隊《ふめいよじょたい》になったマオとは天地《てんち》の差だ。
その差が理由《りゆう》なわけではなかったが、マオはダニガンと特に親しい仲ではなかった。
彼はつい二か月前に、<ミスリル> の南大西洋|戦隊《せんたい》 <ネヴェズ> から転任《てんにん》してきたばかりなのだ。腕《うで》が立つのは確《たし》かだったが、彼の性格《せいかく》や信条《しんじょう》などはまだよく知らない。
島まであと一マイルの距離に近づいたころ、ダニガンはぼそりと言った。
『……まったく難儀《なんぎ》なことだよ。まったく』
「なにが?」
『こんな辺鄙《へんぴ》なド田舎《いなか》で。こんなうんざりする任務《にんむ》なんて。ほかの連中《れんちゅう》にやらせればいいんだ、ほかの連中に』
「はは。そうボヤかないで。あたしらにしかできないことじゃないの」
『関係ない。どうせ爆弾が爆発したって、たいした被害《ひがい》にはならないさ。そりゃあ、ちょっとは、ここいらの貧乏人《びんぼうにん》がくたばるかもしれんがな』
「…………ダニガン?」
『冗談《じょうだん》だよ、冗談。本気にするなよ、チャイニーズ』
あくまで軽口《かるくち》のように言う。だがマオはそれをあしらおうとせずに、意識《いしき》して硬《かた》い声で告《つ》げた。
「作戦中《さくせんちゅう》に言う冗談じゃないと思うわ。それにあたしは『チャイニーズ』じゃない。メリッサ・マオよ」
『そうだったな。そうだった。まあ気にしないでくれ。仕事はきっちりとやるから。きっちりとな』
「そう願いたいもんね……」
二機は島のすぐ手前まで漂《ただよ》い、海流《かいりゅう》に乗るようにして西岸に近づいていく。高周波《こうしゅうは》ソナーとGPSのデータのおかげで、その目標《もくひょう》はすぐに見付《みつ》かった。
海中に没《ぼっ》したトンネル。
崩落《ほうらく》したコンクリートと岩塊《がんかい》が、その入り口をふさいでいる。人間が通るほどの隙間《すきま》もなかった。だがM9のパワーなら、これらの障害物《しょうがいぶつ》をどけることは難《むずか》しくない。波が高い上に夜なので、その作業を敵に気付かれる危険も少ないだろう。
それよりも注意《ちゅうい》すべきは、敵のトラップの有無《うむ》だった。
もしこの潜入《せんにゅう》ルートを、すでに敵が知っていたとしたら――作戦は中止だ。なにもせずに引き返し、ほかの味方《みかた》にもこっそり帰投するよう連絡《れんらく》しなければならない。作戦は一から練《ね》りなおし。別のやり方を考えることになる。
傍目《はため》には無策《むさく》なように思えるだろうが、ゴリ押《お》しをするよりはずっとましである。特殊戦《とくしゅせん》の典型《てんけい》は、映画《えいが》とちがってひどく地味《じみ》で、忍耐力《にんたいりょく》を要《よう》するものなのだ。
だが、今回は違《ちが》ったようだった。
マオはじっくりと、用心《ようじん》深く、M9のセンサーを総動員《そうどういん》して危険を探《さぐ》ったが、トンネルの付近《ふきん》にはトラップも監視《かんし》の目もなかった。
『確《たし》かなんだな?』
「|肯 定《アファーマティブ》。保証《ほしょう》してもいいわよ」
『では、入ろう。では……』
二機は岩塊《がんかい》をどけて、トンネルの奥へと踏《ふ》み込んでいく。地下からでは無線連絡《むせんれんらく》ができないので、有線式《ゆうせんしき》の中継装置《ちゅうけいそうち》をトンネルの入り口に置いていった。
狙撃《そげき》チームは、クルツとグェン伍長《ごちょう》のペアだった。
グェンはベトナム陸軍の出身《しゅっしん》だった。ジャングルでの戦闘《せんとう》に長《た》け、ナイフ・コンバットの腕《うで》は相当《そうとう》なものだ。東西を問わず、ASに搭載《とうさい》される火器《かき》についても詳《くわ》しい。
痩《や》せ型で、褐色《かっしょく》の肌《はだ》。頬《ほほ》のこけた不健康《ふけんこう》そうな顔立ちの男だったが――実際《じっさい》にはタフな男だ。ナイフ使いの常《つね》で、その日は鋭《するど》く、鷹《たか》を思わせる。
グェンはダニガンと同様《どうよう》、二か月前にほかの戦隊《せんたい》から転任《てんにん》してきた隊員《たいいん》だった。
一緒《いっしょ》に作戦《さくせん》をこなしたことは、まだそう多くはなかったが、するべき仕事はしっかりするタイプだ。ユーモア感覚《かんかく》もある。
「ウルズ6より。そろそろ狙撃《そげき》ポイントだ。……深度《しんど》を0に設定《せってい》するぜ」
『こちらも確認《かくにん》した。ケツを浮かすなよ』
グェンが答え、M9の姿勢《しせい》を微調整《びちょうせい》する。
クルツたち狙撃チームは、ベリルダオブ島の東・四キロの海中に来ていた。
この辺りは浅瀬《あさせ》になっていて、水深はわずか四メートルしかない。M9なら立ち上がるだけで、上半身がぽっかりと海上に出る浅さだ。
ここを狙撃ポイントとして、目標《もくひょう》の基地にいる敵《てき》ASや対空砲《たいくうほう》を攻撃《こうげき》する手はずだった。米軍のM6では、これほど遠距離《えんきょり》からの攻撃は効果《こうか》が望《のぞ》み薄《うす》だったが、M9の装備《そうび》と火器管制《かきかんせい》システムなら話は違《ちが》ってくる。
『|優先射撃ゾーン《PFZ》の設定《せってい》は?』
グェンが攻撃目標の選び方について聞いた。
「いらねえよ。俺が右端《みぎはし》から。お前が左端から撃《う》つ。簡単《かんたん》だろ?」
『いいのかよ、そんなので……』
「いいんだよ」
二機は攻撃準備《こうげきじゅんび》をはじめた。
クルツ機はグェンから一〇〇メートル離《はな》れた位置《いち》で、搬送《はんそう》してきた武器コンテナを開く。クルツの武器は七六ミリ狙撃砲《そげきほう》。単独《たんどく》で使うAS用の火砲《かほう》としては、もっとも強力な部類《ぶるい》に属《ぞく》するものだ。命中精度《めいちゅうせいど》も最高峰《さいこうほう》で、M9とは独立《どくりつ》した光学センサーと自己|診断《しんだん》センサー、そして弾道計算《だんどうけいさん》コンピュータを備えている。
グェン機の方は、八|連装《れんそう》の対地《たいち》ミサイル・ランチャーを持ってきていた。戦闘ヘリ用の <ヘルファイア> という空対地《くうたいち》ミサイルを、地上|発射式《はっしゃしき》にしたモデルである。高精度《こうせいど》で強力な上、無煙式《むえんしき》のロケット・モーターなので敵から発見されにくい。
「姐《ねえ》さんたち、うまくやるかなあ……」
クルツがつぶやくと、グェンが無線の向こうで鼻を鳴《な》らした。
『連中がしくじったら、ズラかるしかねーな。毒《どく》ガスの中でドンパチなんて、ギャラに見合わないぜ』
「ちがいねえ」
クルツは笑った。
グェンがさらにぼやく。
『…… <ミスリル> ってのは、装備《そうび》とギャラはいいんだが。どうもやり方が、まどろっこしくていけねえ。人質《ひとじち》を守れだの、化学兵器《かがくへいき》に気をつけろだの、胃《い》に穴《あな》が開きそうな作戦《さくせん》ばかりだ。そう思わねえか?」
「まあ、ただの突撃屋《とつげきや》には、これだけの待遇《たいぐう》はしねえだろ」
デリケートな作戦をこなすからこそ、それに見合った装備や給料《きゅうりょう》が与えられる。いつもは不平《ふへい》ばかり漏らしているクルツも、それくらいのことはわきまえていた。
『だがなあ、クルツ。オレたちは傭兵《ようへい》だぜ? つまりカネで雇《やと》われた殺し屋だよ。顧客《こきゃく》の敵と戦うのは――まあ、やぶさかじゃないが。ほかの問題で不必要《ふひつよう》に命を張《は》らなきゃならないのは、こりゃ契約違反《けいやくいはん》じゃねえのか?』
「そうなの? 俺、契約書ちゃんと読まなかったから」
そう答えると、グェンはうなり声をあげた。
『そんなんでいいのかよ。この稼業《かぎょう》だってビジネスなんだぜ? ビジネス」
「そんなご大層《たいそう》な代物《しろもの》じゃねーだろ」
『いいや。割に合わねえと思ったら、再就職先《さいしゅうしょくさき》を決めるべきだね』
「再就職、ねえ……」
気のない声で答える。グェンの与太話《よたばなし》はともかく、クルツは宗介《そうすけ》のことが気になっていた。
あのAS―― <アーバレスト> とかいう機体《きたい》。前にも思ったことだが、どうして必《かなら》ず宗介が乗《の》らなければならないのだろうか。マッカランかマオの方が適任《てきにん》のような気がするのだが。
かなめの護衛《ごえい》に、試作機《しさくき》での戦闘《せんとう》。彼一人にこんな重責《じゅうせき》を押し付けるのは、あまりに酷《こく》ではないのか?
(ただでさえ、あいつは堅物《かたぶつ》だってのに……)
宗介の生真面目《きまじめ》さ、責任感《せきにんかん》の強さは、クルツもよく知っていた。そこがあの同僚《どうりょう》の魅力《みりょく》だとも――絶対《ぜったい》に口には出さないが――思っている。
だが、それがいま、悪い方向に作用《さよう》しているのではないか……?
(まあ、いいさ……)
クルツは思い直した。あの『ヴェノム』が出てきたら、自分の狙撃砲《そげきほう》にものを言わせるまでのことだ。この七六ミリ砲が決定打《けっていだ》にならないとしても、最低《さいてい》、宗介の仕事をやりやすくするくらいはできるはずだ。
海面下に身を潜《ひそ》めたまま、クルツは戦いの始まりを待ちつづけた。
宗介とマッカラン大尉《たいい》は、突入《とつにゅう》チームの役回りだった。
マオたちが爆弾《ばくだん》を処理《しょり》したら、クルツたちが遠距離《えんきょり》からの攻撃《こうげき》を始める。同時《どうじ》に宗介たちが島に全速で上陸し、残った敵を叩《たた》く。マオたちは貯蔵庫から地表にあがり、その戦闘を支援《しえん》する。ASの戦闘が始まったら、<デ・ダナン> は浮上《ふじょう》。歩兵《ほへい》を乗せたヘリが離艦《りかん》して、この基地を完全制圧《かんぜんせいあつ》するべく飛来《ひらい》する。
そういう予定だった。
宗介の <アーバレスト> とマッカランのM9は、すでに海岸から六〇〇メートルの距離《きょり》に接近《せっきん》している。
動力源《どうりょくげん》がガスタービン・エンジンのM6では、ここまで近付くことは到底《とうてい》不可能《ふかのう》だろう。だが宗介たちのASでも、これ以上は水深が浅くて、敵に発見されずに進むことは無理《むり》だ。M9や <アーバレスト> のECSは、<デ・ダナン> が浮上中に使うそれとはちがって、半身を海水に浸《ひた》した状態《じょうたい》では使用できない。
<アーバレスト> は頭の上半分だけを波間《なみま》から出して、島の様子《ようす》をうかがってみた。
暗視《あんし》モードのデュアル・センサーが、フェンスに囲《かこ》まれた基地を捉《とら》える。まばゆいライトに照《て》らされた、背の低い建築物《けんちくぶつ》。すでに一度の戦闘を経《へ》たため、その傷跡《きずあと》が随所《ずいしょ》に見うけられた。
「…………」
敵の自走式《じそうしき》対空砲《たいくうほう》が、一輌《いちりょう》見えた。
キャタピラ式の車体の上に、二門の機関砲《きかんほう》を備《そな》えた砲塔《ほうとう》。<アーバレスト> のAIが自動的に識別《しきべつ》を済《す》ませ、その兵器のタイプを表示《ひょうじ》した。
ソ連製、2S6M <ツングースカ> 自走式対空砲。『対空』と呼ばれるものの、ASに対しても大きな脅威《きょうい》となる兵器だ。もしこちらに気付いたら、三〇ミリ砲弾を豪雨《ごうう》のように撃《う》ってくるだろう。
警戒中《けいかいちゅう》の敵ASが一機、基地の手前《てまえ》の海岸を歩いていた。
サーチライトで海面を照《て》らし、同じ場所を何度も行ったり来たりしている。ブリーフィングでの説明の通り、フランス製の <ミストラルU> だ。ややずんぐりとした人型だったが、頭部がない。主センサーは股間《こかん》についている。
あの <ミストラルU> はソ連製のRk―92[#「92」は縦中横] <サベージ> より装甲《そうこう》の防御力《ぼうぎょりょく》に優《すぐ》れ、射撃《しゃげき》の正確《せいかく》さも数段《すうだん》上だった。いくらこちらが高性能《こうせいのう》でも、数が揃《そろ》えば侮《あなど》れない。
まだほかに敵がいるはずだったが、建物《たてもの》や地形が死角《しかく》になって、この位置《いち》からでは見えなかった。
あのAS――『ヴェノム』の姿《すがた》は見えない。
海岸に、焼け焦《こ》げたASの残骸《ざんがい》が放置《ほうち》されていた。撃破《げきは》されたアメリカの <ダーク・ブッシュネル> だ。苦悶《くもん》のうちに息絶《いきた》えたように、その身をよじり、腕《かいな》を夜空へともたげている。
最新鋭《さいしんえい》のM9でさえ対抗《たいこう》できない相手に、そうとも知らず、一世代古いM6で立ち向かってしまった男たち。その無念《むねん》さはどれほどのものだったか。
一時間が過《す》ぎた。もう夜が明ける。
予定では、そろそろ地下に侵入《しんにゅう》したマオたちが、起爆装置《きばくそうち》を破壊する頃《ころ》だ。だが基地の方には、これといった異変《いへん》はまだ起きていなかった。
依然《いぜん》として、ヴェノムは見付からない。
格納庫で整備中《せいびちゅう》なのだろうか? ECSで透明化《とうめいか》して、どこかに潜《ひそ》んでいるのだろうか? もし……海にでも潜み、いま、こっそりと自分たちに忍《しの》び寄っているとしたら?
いま、マオたちを待ち伏《ぶ》せしていたら?
いま、クルツたちに襲いかかろうとしていたら?
根拠《こんきょ》のない疑問符《ぎもんふ》が、次々に浮かんでは消える。落ち着かなかった。
『サガラ軍曹《ぐんそう》』
すぐそばのM9から無線が入った。マッカランだ。
「はい」
『私はかれこれ九年間、ASを運用《うんよう》した作戦にたずさわってきた男だ』
「…………?」
『つまり……まあ、なんだ。いい機体も悪い機体も見てきた。その私が見た限《かぎ》りでは――貴様《きさま》の乗っているその機体は、そうひどいものではないようだ。貴様が日頃《ひごろ》の精進《しょうじん》を怠《おこた》ってなければ、問題はない。いつも通りにやれ。いいな?」
わざわざこんなことを言うのは、マッカランなりの配慮《はいりょ》だろう。いつも口やかましく、偏屈《へんくつ》な印象《いんしょう》をもたれている彼だったが、現場《げんば》指揮官としての自覚《じかく》と責任感は強い。
「了解《りょうかい》しました、大尉殿」
そう答えはしたものの――大破《たいは》し、波に洗われるM6の姿が、どうしても宗介の頭から離れなかった。
ややあって。
基地の方角から、くぐもった爆発音が響《ひび》いた。
爆音は貯蔵庫の地下からだった。
一瞬《いっしゅん》、化学兵器に仕掛《しか》けられているという爆弾か……と思ったが、そうではなかった。もっと小規模《しょうきぼ》な爆発だ。貯蔵庫の入り口から黒い煙が漏《も》れ出して、警備《けいび》についていた敵兵が、なにかを怒鳴《どな》り合っている。
(はじまった……)
宗介はスティックの音声命令スイッチをオンにして言った。
「アル。パワー・レベルをミリタリーにしろ……」
<<ラジャー。GPL、ミリタリー。出力|上昇中《じょうしょうちゅう》。……二〇……三〇……>>
低い男性の声で、機体のAI <アル> が告げる。最低レベルに抑《おさ》えていたジェネレーター出力の数値《すうち》が、みるみると上昇していった。
『こちらウルズ2! 起爆装置の破壊に成功! 繰《く》り返す、起爆装置の破壊に成功《せいこう》した! これより地上に向かう!』
マオの報告。無線|封鎖《ふうさ》が解除《かいじょ》された。首尾《しゅび》良く爆弾|処理《しょり》に成功したらしい。
『ウルズ6より。いつでもいいぜ』
『ウルズ10[#「10」は縦中横]より。こちらもだ』
クルツとグェンの狙撃チームが告げる。
<<……六〇……七〇……八〇……>>
ジェネレーターから発生した莫大《ばくだい》な電力が、<アーバレスト> の全身に行き渡る。関節《かんせつ》のあちこちから小さな放電《ほうでん》。青白い光。電磁筋肉《でんじきんにく》がきしみ、機体が震《ふる》える。
<<……九〇……九五……一〇〇‥…!>>
やるしかない。宗介は一度、大きく息を吸《す》い込んだ。
『ウルズ1より各員へ。狩猟解禁《しゅりょうかいきん》だ。攻撃せよ!』
「了解」
左スティックのスロットル・トリガーを目一杯《めいっぱい》に引く。
水中ユニットのウォーター・ジェットが、最大出力で駆動《くどう》した。背後《はいご》の海面で、爆発のような水柱《みずばしら》が立つ。がくん、と強い衝撃《しょうげき》。水中に潜《もぐ》っていた機体が、たちまち海上に跳《は》ね上がり、水の噴流《ふんりゅう》を吐《は》き出しつつ、陸地めがけて突進《とっしん》する。
加速《かそく》。さらに加速。スピード・メーターのノット数がぐんぐんと上がる。
機体がはげしく振動《しんどう》する。波を押さえつけるようにして滑走《かっそう》し、<アーバレスト> は砂浜に迫《せま》った。あと一五〇メートル――あと一〇〇メートル――
警戒中の <ミストラルU> が、こちらに気付いてライフルを向けた。
進行方向。真正面。回避《かいひ》などできない。
「…………っ」
<アーバレスト> は頭部の機関銃《きかんじゅう》をフルオートで撃《う》った。一二・七ミリ弾《だん》が秒間一〇〇発もの高速で吐き出され、敵機《てっき》の全身に降り注《そそ》ぐ。堅牢《けんろう》な装甲が銃弾《じゅうだん》をはじき、無数《むすう》の火花が表面に散った。相手は反射的《はんしゃてき》に自分のセンサーをかばって身をすくめる。それが数瞬《すうしゅん》の隙《すき》を作った。
その数瞬で充分《じゅうぶん》だった。
<アーバレスト> の機体は高速《こうそく》で砂浜に乗《の》り上げ、低く弾《はず》んだ。飛び散《ち》る砂塵《さじん》。勢《いきお》いに任《まか》せて砂上を転がり、敵機に体当たりする。猛烈《もうれつ》な衝撃《しょうげき》。<アーバレスト> と <ミストラルU> は、絡《から》み合うようにして倒れた。
敵機はあわてて上体を起こし、ライフルに着剣した単分子《たんぶんし》カッターを <アーバレスト> に突き立てようとした。だがそれより早く、<アーバレスト> は|散 弾 砲《ショット・キャノン》の銃口《じゅうこう》を、敵機のわき腹《ばら》に押し付ける。
発砲《はっぽう》。
至近距離《しきんきょり》から五七ミリ砲弾を食らって、<ミストラルU> が吹《ふ》き飛ばされた。
腰《こし》からほとんど真っ二つになった敵機は、オイルを撒き散らしてきりもみし、炎《ほのお》を吹《ふ》きあげて地面に突《つ》っ込む。
(まず一機……)
その一機の撃破《げきは》が、戦士の嗅覚《きゅうかく》を覚醒《かくせい》させた。
すでに基地では爆発がたて続けに起きていた。クルツの狙撃と、グェンのミサイル攻撃だ。マッカランも上陸に成功していた。対戦車ダガーで対空砲を潰《つぶ》し、背中からカービン・ライフルを抜いて移動《いどう》を始める。
宗介はすぐさま機体を立ち上がらせて、胴体《どうたい》を挟《はさ》んでいた水中ユニットを強制排除《きょうせいはいじょ》した。爆発ボルトが作動《さどう》し、ユニットを前後に弾《はじ》き飛ばす。
新たに現われた <ミストラルU> に向けて、<アーバレスト> は猛然《もうぜん》と跳躍《ちょうやく》する。
照準《しょうじゅん》。撃発《げきはつ》。回避《かいひ》。索敵《さくてき》。――そしてまた照準。
そうだった。これが俺の血肉だ。いつも通り。なにも変わらない。
戦う。倒す。撃つ。
切る。叩《たた》く。千切《ちぎ》って、燃やす。踏《ふ》みにじる。
この安心感はなんだ。
『猛毒《ヴェノム》』? それがどうしたというのだ。どんな呼ばれ方をしようと、それはただの『制圧目標』だ。あらゆる手段《しゅだん》で破壊《はかい》すればいい。
守ることなど――忘れる。それでいい。
喉笛《のどぶえ》を噛《か》みちぎるまで。息の根を止めるまで。
――はやく出てこい。
[#地付き]同時刻《どうじこく》 深度《しんど》三〇メートル <トゥアハー・デ・ダナン> 中央|発令所《はつれいじょ》
「はじまりました。M9のADMより交戦開始信号《こうせんかいししんごう》を受信《じゅしん》……!」
やや緊張《きんちょう》した声で、|戦闘情報士官《CIO》が告げた。
「全機《ぜんき》ですね?」
艦長席《かんちょうせき》のテッサがたずねた。
「肯定《こうてい》です、マム」
「では浮上《ふじょう》します。すべてのECSマストを上げてください。MBTを通常《つうじょう》ブロー」
その命令を聞いて、マデューカスは躊躇《ちゅうちょ》の色を見せた。
ECSマストは問題ない。浮上中、<デ・ダナン> を他の艦船《かんせん》のレーダー探知《たんち》から隠《かく》すための装置であり、必ず使用する決まりになっている。だが、『通常ブロー』というのが異例《いれい》だった。
潜水艦《せんすいかん》は海面に浮上する際《さい》、その浮力を得《え》るために、MBT――主バラストタンクからの|排水《ブロー》を行う。それにはいくつかの方式があった。<デ・ダナン> の場合《ばあい》、こういうときの浮上では、時間はかかるが付近《ふきん》の艦艇《かんてい》に発見されにくい、『静粛《せいしゅく》ブロー』という特殊《とくしゅ》な方式を採る。一方、通常《つうじょう》ブローは短時間で浮上《ふじょう》できるのだが、排水《はいすい》の音がうるさく、それだけ探知《たんち》されやすい。
「どうしました、マデューカスさん?」
「通常ブロー……ですか?」
「わたしは時間が惜《お》しいから、こう命じたんですけど」
「……は。失礼しました。……浮上|準備《じゅんび》!」
マデューカスは浮上|警報《けいほう》のスイッチを入れた。サイレンのような合成音《ごうせいおん》が艦内に響《ひび》く。同時にマザーAIの声。
<<浮上《サーフェス》! 浮上《サーフェス》! 浮上《サーフェス》!>>
「通常、低圧《ていあつ》ブロー!」
「通常、低圧ブロー、アイ。全MBTの低圧ブローを開始!」
「全ECSマスト、上げ! 電磁迷彩《でんじめいさい》を作動《さどう》」
「ECSマスト、アイ。一番、上昇《じょうしょう》。二番、上昇。三番……」
<<浮上! 浮上! 浮上!>>
『航空管制室《こうくうかんせいしつ》。ヘリ部隊各機《ぶたいかくき》へ。エンジン・スタート!』
『ゲーボ3、4、5、6! エンジン・スタート!』
格納庫《かくのうこ》の輸送《ゆそう》ヘリたちが一斉に、数千|馬力《ばりき》のターボ・シャフト・エンジンを始動《しどう》した。
無数《むすう》の気泡《きほう》に包《つつ》まれて、巨大な船体が舳先《へさき》を持ち上げる。低い轟音《ごうおん》。床《ゆか》が震《ふる》える。
それまで息をひそめていた艦内が、一気に騒然《そうぜん》となった。
「な……なにが始まったの?」
突然《とつぜん》の振動《しんどう》と騒音《そうおん》に驚《おどろ》きながらも、かなめはカレーを煮立《にた》てる鍋《なべ》を、しっかりと両手で押さえつけた。
「これは……艦が浮上してるんだな。海上に」
コックが答えた。こちらは山積《やまづ》みになった皿を、倒れないように支《ささ》えている。
「なんで? なんか問題があったわけ?」
「さあ、どうだろうな。これだけ騒《さわ》がしい浮上は普段《ふだん》、やらないけど。SRTの連中に、なにかあったとか……」
「……ソースケが?」
「サガラ軍曹《ぐんそう》のことかい? いや、わからないな。もしかしたら、何の問題もないのかもしれないし」
「そう……」
かなめは不安な面持《おもも》ちで、厨房《ちゅうぼう》の天井《てんじょう》を見上げた。
宗介。
大丈夫《だいじょうぶ》だろうか……?
[#地付き]八月二八日 〇四〇五時(現地《げんち》時間)
[#地付き]ペリオ諸島《しょとう》 ベリルダオブ島
朝焼けの中――
燃えさかる炎《ほのお》の向こうから、二機の <ミストラルU> が姿《すがた》を見せた。
左右に分かれ、高速で移動《いどう》。牽制射撃《けんせいしゃげき》を交互《こうご》にしながら、みるみると接近《せっきん》してくる。
凡庸《ぼんよう》な操縦兵《オペレーター》なら、回避《かいひ》しながら距離をとろうとするところだったが、宗介《そうすけ》は違《ちが》った。彼の <アーバレスト> は走るのをやめ、その場にしっかりとひざまずく。
どうせ敵《てき》は、こちらの攻撃動作《こうげきどうさ》を封《ふう》じたいだけだ。派手《はで》に動いて派手に撃《う》ち、次の一手《いって》――確実《かくじつ》な射撃《しゃげき》につなげようとしているに過《す》ぎない。
(そうだ、せいぜい撃って来い……)
敵の牽制射撃が <アーバレスト> の周囲《しゅうい》に着弾《ちゃくだん》し、アスファルトの破片《はへん》と白煙《はくえん》が踊《おど》りまわる。AIが『停止《ていし》は危険だ』という旨《むね》の警報《けいほう》を、小刻《こきざ》みなアラームで訴《うった》えた。
「うるさいぞ」
ショット・キャノンを両腕《りょううで》で構《かま》え、じっくり狙《ねら》って――発砲《はっぽう》。
敵の一機《いっき》がのけぞり返った。
金属の破片《はへん》を撒《ま》き散《ち》らして、<ミストラルU> は地面《じめん》に叩《たた》きつけられる。もげた右脚《みぎあし》が回転《かいてん》し、放置《ほうち》されたジープをなぎ倒した。
さらに発砲。
倒れた敵機は地面を弾《はず》み、もんどりうって爆発《ばくはつ》する。
ショット・キャノンが弾《たま》切《ぎ》れになった。予備弾倉《よびだんそう》に交換《こうかん》したかったが、もう一機が <アーバレスト> へと迫《せま》っていた。
宗介は機体《きたい》を前転《ぜんてん》させ、鮮《あざ》やかに敵の射線《しゃせん》を避《さ》ける。全身をばねにして跳《は》ね起きると、敵機はライフルを放《ほう》り捨て、柄《え》の長い金槌型《かなづちがた》の格闘用《かくとうよう》武器を抜《ぬ》いたところだった。
急接近《きゅうせっきん》。金槌が振《ふ》り下ろされる。
ぎりぎりで避《さ》けると、金槌が地面にぶつかって――爆発した。
(|HEAT《ヒート》ハンマーか……!)
爆風《ばくふう》にあおられ、機体を後退《こうたい》させながら、宗介は瞬時《しゅんじ》にその武器を判別《はんべつ》した。
HEATハンマー。
見た目は柄の長い金槌だが、その頭が強力な成形炸薬弾《せいけいさくやくだん》になっている。使い捨《す》て式で構造は単純《たんじゅん》。しかも安価《あんか》。しかし威力《いりょく》は、戦車《せんしゃ》さえ一撃で破壊《はかい》するほどだ。
<ミストラルU> は頭のなくなった柄を捨てて、さらにもう一本のHEATハンマーを抜《ぬ》いた。
今度は横なぎにそれを振《ふ》るう。危《あや》うい距離《きょり》で、<アーバレスト> はそのハンマーをかがんで避けた。敵の肩《かた》を左手でつかむ。ショット・キャノンを頭のハード・ポイントで保持《ほじ》し――つまり、『口にくわえて』――空いた右手で単分子《たんぶんし》カッターを抜く。
激突《げきとつ》。
二機がはげしくぶつかり合うと、ナイフ型のカッターが、<ミストラルU> の胴体に突《つ》き立てられていた。ふるえる敵機。耳障《みみざわ》りな装甲《そうこう》の悲鳴《ひめい》。宗介は構《かま》わずに単分子カッターを動かし、敵の制御系《せいぎょけい》をずたずたに切り裂く。
これで四機目。
ナイフを抜くと、<ミストラルU> はその場に腰《ひぎ》をつき、前のめりに倒《たお》れた。傷口から、火花と煙《けむり》が弱々しく漏《も》れ出す。宗介はショット・キャノンの弾倉を交換すると、豹《ひょう》のような敏捷《びんしょう》さで、さらなる敵を求めて機体《きたい》を走らせた。
(どこだ)
奴《やつ》は。『ヴェノム』はどこだ。
<アーバレスト> の頭部が小刻《こきざ》みに動く。額《ひたい》のECCSが、レーダー波をあたりに走らせ、敵の痕跡《こんせき》をわずかなりとも捉《とら》えようとフル稼働《かどう》する。
無線《むせん》から、各機の報告《ほうこく》が次々に入っていた。
『|ウルズ6《クルツ》だ。ここから見える的は全部|片付《かたづ》けたぜ。もっと敵をよこせ〜』
『|ウルズ12[#「12」は縦中横]《ダニガン》より。地上に出た。宿舎《しゅくしゃ》Bを制圧《せいあつ》・確保《かくほ》。敵の歩兵《ほへい》が一名死亡、二名|負傷《ふしょう》。人質《ひとじち》は無事《ぶじ》』
『こちら|ウルズ10[#「10」は縦中横]《グェン》。確認《かくにん》されているすべての対空砲《たいくうほう》を破壊した』
『|ウルズ2《マオ》より。宿舎Aを制圧・確保したわ。人質二三名を確認《かくにん》。全員無事。敵の歩兵四名を|電気銃《ティザー》で鎮圧《ちんあつ》』
ほぼ問題なし。敵ASの大半は撃破《げきは》され、歩兵も捕《つか》まり、捕らえられていたこの基地《きち》の職員《しょくいん》はマオとダニガンが守っている。
しかし――肝心《かんじん》の赤い機体《きたい》が見付かっていない。
『|ウルズ1《マッカラン》より各員へ。まだ『ヴェノム』と遭遇《そうぐう》していない。だれも見ていないか? わずかな痕跡《こんせき》でもいい。報告しろ』
指揮官《しきかん》の呼びかけに、全員が『否定《ネガティブ》』と答えた。
だがその直後《ちょくご》――
『いや、|肯 定《アファーマティブ》。こいつは……なんの冗談《じょうだん》かしらね』
マオが言った。
『どうした、ウルズ2。……!』
『な……?』
マッカランやダニガンが、続いてわずかな当惑《とうわく》の声をあげる。
その理由《りゆう》は、宗介にもすぐわかった。
あの赤いAS――『ヴェノム』が、基地の北東――いちばん高いビルの上に、堂々《どうどう》と立っていたのだ。ECSも使わずに。
(……なんのつもりだ?)
ひし形の頭部。やや大型の機体。尖《とが》ったシルエット。そして――赤い一つ目。
もし、毒《どく》付きの矢尻《やじり》を人の形にしてみたら、あんな外見になるのかもしれない。それほどに鋭《するど》く、禍々《まがまが》しい印象《いんしょう》を持つASだった。
ヴェノムは頭部を大儀《たいぎ》そうにめぐらして、戦火に包《つつ》まれた基地を睥睨《へいげい》する。手には大型のガトリング砲《ほう》。取りまわし辛《づら》いが、威力《いりょく》は絶大《ぜつだい》な武器である。
『さてさて、<ミスリル> のみなさーん……』
外部スピーカーから声がした。
それを聞いただけで、宗介の心臓《しんぞう》がばくん、と跳《は》ねた。
『久しぶりだなあ。会いたかったよ。特に――カシム。いや、最近はサガラくんなんだっけ?』
「ガ……」
ガウルン。
その名を口にしたわけでもないのに、その敵はおどけたように答えた。
『ご名答《めいとう》。俺だよ』
赤いASが重たげに、野太《のぶと》く無骨《ぶこつ》なガトリング砲を構えた。
[#挿絵(img/03_193.jpg)入る]
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4:ヴェノムがまわる
[#地付き]八月二八日 〇四一一時(現地《げんち》時間)
[#地付き]ペリオ諸島 ベリルダオブ島
『じゃあパーティだ。踊《おど》ろうぜぇ……ハハハ!』
嬌声《きょうせい》。ビルの屋上《おくじょう》から、ガウルンのASがガトリング砲《ほう》を乱射《らんしゃ》した。
ガトリング砲は六つの砲身を束《たば》ね、高遠で回転させて撃発《げきはつ》する武器だ。ライフルなどとは比べ物にならない連射速度《れんしゃそくど》で、砲弾《ほうだん》を雨あられと降《ふ》らせることができる。
『|ウルズ1《マッカラン》より|ウルズ6《クルツ》! 狙撃《そげき》はできるか!?』
『否定《ネガティブ》だ。この位置《いち》からだと、射線《しゃせん》が確保《かくほ》できねえ。現在《げんざい》、移動中《いどうちゅう》』
『|ウルズ10[#「10」は縦中横]《グェン》、ヘルファイアは!?』
『弾《たま》切《ぎ》れです、サー』
『ええい、くそったれっ』
三五ミリ砲弾《ほうだん》がビルやアスファルトを紙細工《かみざいく》のように引き裂き、地上の宗介《そうすけ》たちを追いたてた。破片《はへん》と煙《けむり》で真っ白になった視界《しかい》の中を、M9は全速《ぜんそく》で駆《か》け巡《めぐ》る。
『ウルズ7、前へ! 他は後退《こうたい》、援護《えんご》に回れ!』
マッカランが無線《むせん》の向こうでがなりたてた。
「7、了解《りょうかい》」
手短《てみじか》に答え、宗介は <アーバレスト> を這《は》うように走らせる。
ガウルン。
貴様《きさま》は死んだはずだ――そんな言葉は、もはや出て来なかった。苦《にが》い気持ちを伴《ともな》って、『もうたくさんだ』と思っただけだ。
あのとき――あの北朝鮮《きたちょうせん》の山中で、自分は確《たし》かにあの男を仕留《しと》めたと思っていた。
しかし、違《ちが》ったのだ。どんな悪運《あくうん》だったのかは分からない。ただ、奴《やつ》はこうして生きている。あの機体《きたい》――ヴェノムに乗って、目の前に立ちはだかっている。
一刻一秒《いっこくいちびょう》を争うあの状況《じょうきょう》では、奴の死を確認《かくにん》する時間もなかった。だが本当は、自分がそう信じたがっていただけなのではないのか?
(ガウルン。どういうつもりだ……)
やはり、これは罠《わな》なのだろうか? 奴はまるで、こちらが来ることを知っていたような口ぶりだった。だとして、こんな風に堂々と……奴はなにを考えている?
わからなかった。
先刻《せんこく》の不安――攻撃開始前の、あの感覚《かんかく》がよみがえってくる。
頭のてっぺんがむず痒《がゆ》い。息が荒くなって、どうしても落ち着かない。鋭敏《えいびん》だったはずの神経《しんけい》が、いくら鞭《むち》をくれてやっても働かない。
よくない。このままでは――ひどく、よくない。
大破《たいは》した <ダーク・ブッシュネル> 。あの残骸《ざんがい》の姿《すがた》が、仲間たちのM9と重なり合う。
もし、自分がしくじったら。
失敗したら。敗れたら。とり返しが付かないではないか。
相手はあのガウルンだ。順安《スンアン》ではなんとか逃げおおせたが、奴は――また俺の味方《みかた》を殺しにきた。あの時のように。三年前の、アフガニスタンの――
『ウルズ7っ!』
マッカランの声。我《われ》に返る。動きが単調《たんちょう》になっていた。
「!」
『そぉら、景気《けいき》付けはどうだっ!?』
ガウルンがガトリング砲にとりつけてあった、グレネード・ランチャーを発射《はっしゃ》する。小型の爆弾が降り注《そそ》ぎ、破壊《はかい》の惨禍《さんか》を降りまいた。泡《あわ》のように爆《は》ぜては消える炎。宗介は機体をジグザグに振《ふ》り回し、それらのグレネードをどうにか回避《かいひ》した。
『ウルズ7! なにをやっとる!』
後退したマッカランやマオ、ダニガンのM9が、ガウルンめがけてライフルを撃《う》った。正確無比《せいかくむひ》な射撃《しゃげき》が、ヴェノムに襲《おそ》いかかる。
四〇ミリの徹甲弾《てっこうだん》が次々と、頭部や胸、肩《かた》や脚《あし》に命中し――
いや、命中したように見えた。
それら砲弾が、ことごとく機体の手前で火花となって弾《はじ》け散《ち》る。ぐにゃりと大気が歪《ゆが》んだあと、ビルの壁《かべ》に放射状《ほうしゃじょう》のひびが走った。
ヴェノムは無傷《むきず》のままだ。
『あれがその手品か』
ダニガンのうなり声。
「肯定《こうてい》だ。奴には近付くなよ」
横っ飛びにガトリング砲の掃射《そうしゃ》を避《よ》けて、宗介は答えた。
敵の火力《かりょく》はすさまじく、なかなか懐《ふところ》に飛び込めない。<アーバレスト> がラムダ・ドライバの効果《こうか》を発揮《はっき》できる距離《きょり》は、これまでのデータでは数十メートル程度《ていど》。どうにかそこまで近付いて、例の射撃《しゃげき》――『気合《きあ》いを込めて、発砲』をやらなければならない。
『いずれにしても、これでは近付けんぞ。くそっ!』
ほとんどボロ雑巾《ぞうきん》のようになった倉庫《そうこ》の蔭《かげ》に隠《かく》れ、マッカランが悪態《あくたい》をつく。ここまですさまじい射撃《しゃげき》を避《よ》けつづけて来れたのは、M9の卓越《たくえつ》した運動性のおかげだった。しかしこの状態《じょうたい》が長く続けば、どの機体も無事《ぶじ》では済《す》まないだろう。
『ウルズ2より各位。機体じゃなくて武器狙ってみて! ガトリング砲の弾倉《だんそう》を……あっ!』
『どうした!?』
『大丈夫《だいじょうぶ》よ。損傷軽微《そんしょうけいび》。早く!』
了解《りょうかい》≠ニ答えるのももどかしく、マッカランたちは発砲した。跳躍《ちょうやく》しながら、あるいは身を伏せたまま。砲弾がヴェノムの右側に集中する。そのほとんどは例の力場《りきば》で弾《はじ》かれたが――
『ククク、無駄《むだ》だって……ん?』
閃光《せんこう》。爆発。
ワンテンポ遅《おく》れて飛びこんだ弾が、なにかの弾《はず》みでガトリング砲の弾倉に命中し、中の弾薬を誘爆《ゆうばく》させた。数百発という三五ミリ砲弾が、連鎖反応《れんさはんのう》のように破裂《はれつ》して、周囲《しゅうい》に破壊的な金属片《きんぞくへん》をばらまく。
ビルが半壊《はんかい》し、巨大な炎と黒煙《こくえん》に包まれた。ガウルンのASが見えなくなる。粉々《こなごな》になったのか、それともどこかへ吹《ふ》き飛ばされたのか……。
『やったか?』
『いや……』
『気をつけて!』
直後――
煙《けむり》を突《つ》き抜け、炎《ほのお》の衣《ころも》を身にまとうようにして、ヴェノムが空から飛び降《お》りてきた。至近距離《しきんきょり》であの爆発を食らったにも拘《かか》わらず、ほとんど損傷を受けていない。
『やるじゃないか、えぇっ!?』
ヴェノムはずしゃりと着地《ちゃくち》し、コンクリートを砂利《じゃり》のように蹴立《けた》てながら、高速で突進《とっしん》してくる。M9と同等――いや、それ以上の瞬発力《しゅんぱつりょく》だ。
『なんて野郎《やろう》だ』
『|12[#「12」は縦中横]《ダニガン》、下がっていろ……!』
宗介は告げると、迫り来る敵機に対峙《たいじ》した。いまこそ、ラムダ・ドライバを使うときだった。
腰《こし》だめにショット・キャノンを構《かま》え、照準《しょうじゅん》する。
スクリーンの正面、ターゲット・ボックスの向こうにヴェノムの姿《すがた》。両手にそれぞれ、大型の単分子カッターを握《にぎ》っている。
『カーシームー!』
ガウルンが笑った。四か月前のあの瞬間《しゅんかん》と、そっくりだった。
(やるぞ……)
できるはずだ。俺は何度もやっている。そう、必ず成功《せいこう》する……。成功しなければ……もし失敗したら……。
心を落ち着かせて――落ち着かなければ。
精神《せいしん》を集中《しゅうちゅう》し――集中しなければ。
砲弾のイメージを――イメージ。イメージが大切《たいせつ》だ。絶対《ぜったい》に必要《ひつよう》だ。
宗介はトリガーを引いた。
ショット・キャノンが撃発《げきはつ》され、五七ミリ砲弾が発射された。
照準《しょうじゅん》は完璧《かんぺき》だった。翼《よく》付き徹甲弾《てっこうだん》が飛翔《ひしょう》し、ガウルンのASに突《つ》き刺《さ》さり――
いや。
それまでと同じように、砲弾はヴェノムの手前で火花《ひばな》となって四散《しさん》した。
「…………!」
なにも起きなかったのだ。
いまのはただの射撃《しゃげき》。ラムダ・ドライバは動かなかった。
「っ……」
ヴェノムはすでに、こちらに飛びかかっていた。大型ナイフを握った両手を左右に広げ、<アーバレスト> を抱《だ》きすくめようとでもするように――
『ソースケっ!』
ガウルンのナイフが <アーバレスト> のコックピットを切り裂《さ》くより前に、横から飛び出してきたM9が、彼の機体を突き飛ばした。もつれ合うようにして倒れる二機。すんでのところでナイフは空《くう》を切る。
宗介は機体を起こしながら、
「……マオ?」
『しっかりして! なにをボーッと――』
マオの言葉はそこまでだった。急停止《きゅうていし》して振《ふ》り返ったガウルンが、右手を突き出し、その人差し指をM9に向けて、つぶやいた。
『バーン』
ヴェノムとマオ機とを結ぶ線、そのなにもない空間が、ぐらりと歪《ゆが》んだ。直線《ちょくせん》上をなにかが走り、見えない力がマオ機を捕《と》らえ――
いやな音がした。
ごきゅん、という鈍《にぶ》い響《ひび》き。金属のフレームが破断《はだん》する悲鳴《ひめい》。柔《やわ》らかいなにかから、ばちゃっ、と多量《たりょう》の液体が爆《は》ぜる音。
内側からの衝撃《しょうげき》で、M9の首が千切《ちぎ》れかけた。頭部がケーブルとパイプを引きずり、ろくろ首のように背中へと垂《た》れる。破《やび》れたパイプから衝撃吸収剤《しょうげききゅうしゅうざい》が流れ出し、地面にどろどろとした水溜《みずたま》りを作った。
「マオ?」
返事《へんじ》はなかった。
<アーバレスト> の腕《うで》の中で、M9はぐったりとしたまま動かない。
まったく――動かなかった。
それ以上、彼女の安否《あんぴ》を確《たし》かめている余裕《よゆう》はなかった。ガウルンが <アーバレスト> に指鉄砲《ゆびでっぽう》を向けたのだ。直感的《ちょっかんてき》に危険《きけん》を感じ、宗介はM9を抱《だ》いたまま、機体をすばやく飛び退《すさ》らせた。
ガウルンは低く笑う。
『おいおい、ビビってんなよ。指ィ向けただけだろ?』
「…………っ」
宗介は正面をにらみ、マオ機を地面に横たえた。
『ウルズ7、なにがあった!?』
マッカランとダニガンのM9が両脇《りょうわき》に回り、数百メートルの距離からガウルンをライフルで攻撃《こうげき》した。ガウルンはそれを小雨のように受け流し、力を蓄《たくわ》えるように身をかがめる。
『さあ、仕切り直しだ』
単分子カッターを振《ふ》りかざし、ふたたびガウルンが襲《おそ》い掛かってきた。宗介はさらに飛び退り、ショット・キャノンを撃ちながら、
『……こちらウルズ7。2が……やられた。生死は不明《ふめい》。俺がヴェノムを引きつける。彼女を見てくれ」
『なんだと。もう一度――』
「マオがやられた! 早く、彼女を見ろ!」
撃っても撃っても、ガウルンは追いすがる。ショット・キャノンの砲弾はことごとくはじかれ、まるで効果《こうか》がなかった。
(以前《いぜん》とは……違《ちが》う!)
前に戦ったときは、相手にもラムダ・ドライバを使う機会《きかい》に制限がある様子《ようす》だった。だが、いまは違う。まったく無制限《むせいげん》だ。奇襲《きしゅう》じみた射撃《しゃげき》さえ受け付けない。
しかもこちらは、それに対抗《たいこう》できる装置《そうち》が使えない。いくら集中しようとしても、ラムダ・ドライバが使えないのだ。
焦《あせ》って、使えない。使えなくて、焦る。この悪循環《あくじゅんかん》。
そこに通信《つうしん》が入る。
『ソースケ。俺だ』
「クルツ?」
『ヴェノムを連れて、島の東側に回れ。D1のビルへ戻《もど》るんだ』
D1のビル――ついさっき、ガウルンが屋上に出現《しゅつげん》したビルのことだった。
「どうする気だ」
『いいから。落ち着いていけ。俺にまかせろ』
「……わかった」
宗介は言われた通り、機体を北東のビルへと走らせた。
クルツもマオのことは聞いているはずだったが、彼の声は妙《みょう》にくつろいでいて、冷静そのものだった。だが、ああいうときのクルツは侮《あなど》れない。緊張感《きんちょうかん》のない、同僚《どうりょう》を苛立《いらだ》たせるだけの軽薄《けいはく》男――その仮面《かめん》を、彼はだれにも見えない機体《きたい》の奥深くで外しているのだ。
<アーバレスト> をガウルンが追う。その運動性、瞬発力はまったくこちらにひけを取らず、振りきることは至難《しなん》だった。
『つれないなぁ。どこまで逃げる気だよ……?』
ビルが近付いてきた。その建物《たてもの》は一〇階建てで、ASの身長の五〜六倍程度の高さだった。だが六階から上は、さきほどのガトリング砲の爆発によって半壊《はんかい》している。
『よし。そのままビルの前で停止《ていし》だ』
クルツが告げる。<アーバレスト> はビルの東側、車の残骸《ざんがい》やコンクリート片のちらばった入り口近くで立ち止まり、追っ手に向き直った。
そこで気付く。その場所からは、クルツたちが待機《たいき》していた狙撃《そげき》ポイントが一直線に望《のぞ》めた。センサーの倍率《ばいりつ》を拡大《かくだい》してみると、はるか洋上に大型のライフルを構《かま》えたM9の姿《すがた》が見える。
正面には、ガウルンのASが迫っていた。
赤い機体めがけて、ショット・キャノンを連射《れんしゃ》。すべて弾かれる。
『がっかりだぜ、カシム。ちったあ、腕を上げてるかと思ったんだがな……!』
ナイフが閃《ひらめ》く。とっさに盾《たて》にしたショット・キャノンが、真っ二つになった。さらに一閃《いっせん》。肩の装甲《そうこう》が切り裂《さ》かれた。
左右から鋭《するど》い突きが襲《おそ》いかかる。思いきって、機体を前に。なんとか両腕をつかむ。並《な》みの腕の操縦兵《そうじゅうへい》なら、この段階《だんかい》までに死んでいるだろう。
『がんばるなぁ。だが……!』
ナイフを握《にぎ》った両の手を、ガウルンは強引《ごういん》に押し付けてきた。<アーバレスト> の電磁筋肉《でんじきんにく》がきしみ、ナイフを全力で押し返す。機体《きたい》任《まか》せの力比べだ。
だが敵機《てっき》のパワーはすさまじかった。重量《じゅうりょう》も向こうの方に分がある。一歩、二歩と <アーバレスト> は下がり、その背中がビルの壁にぶつかった。
みしみしと骨格《こっかく》がうなった。高速《こうそく》で回転《かいてん》・振動《しんどう》する単分子カッターの切っ先が、<アーバレスト> の胸部《きょうぶ》装甲に迫る。
「くっ……」
『ほぉら、どうした!? 死んじまうぞ? 大事《だいじ》な大事なあの子と――』
『ウルズ7、動くなよ』
次の瞬間、ガウルンの機体が、なにかに真横から殴《なぐ》りつけられた。金属の破片《はへん》が粉となって散《ち》り、敵機の頭部ががくりとのけぞる。
クルツの狙撃《そげき》だ。四キロの彼方《かなた》から。
しかし強力な七六ミリ砲弾をもってしても、敵の力場《りきば》は破《やぶ》れなかった。遠距離からの不意打《ふいう》ちに対してさえ、防壁《ぼうへき》を使えるのだろうか……?
ただ、その猛烈《もうれつ》なパンチ力が、わずかに赤いASをよろめかせた。
その際《すき》が重要《じゅうよう》だった。
間髪《かんぱつ》を容《い》れず、クルツがさらに狙撃砲を撃つ。
二発。三発。四発。五発…‥。
続けて放《はな》たれたその砲弾は、ガウルンを狙ったものではなかった。すぐ背後《はいご》の、倒壊《とうかい》しかけたビル――その柱《はしら》と梁《はり》が、正確《せいかく》な射撃で次々に吹《ふ》き飛ばされた。
五階から上半分をかろうじて支えていた部分を失い、ビルがきれいにぽっきりと折《 お》れた。
いや、『ぽっきり』などという生易《なまやさ》しいものではない。無数の鉄筋《てっきん》が断裂《だんれつ》して、コンクリートが崩壊《ほうかい》し、ガラスというガラスが粉々になる轟音《ごうおん》。大気を震《ふる》わせるほどの、すさまじい断末魔《だんまつま》を伴《ともな》って、何百トンという構造物《こうぞうぶつ》が頭上から落下《らっか》してきた。
それはまっすぐ、<アーバレスト> と、その敵めがけて――
『ずらかれっ!』
クルツに言われるまでもなかった。宗介は機体を沈《しず》ませ、ガウルンに鋭い脚払《あしばら》いをかける。赤いASがバランスを崩《くず》して膝《ひざ》をついた。その敵を一顧《いっこ》だにせず、<アーバレスト> は低くすばやく、まさに脱兎《だっと》の勢《いさお》いで、その場から跳躍《ちょうやく》する。
直後――
崩れたビルが大地に激突《げきとつ》し、赤いASを押しつぶした。とどろく地響《じひび》き。建材《けんざい》が砂糖菓子《さとうがし》のように粉々になって、壁や床や、パイプや家具を撒《ま》き散らす。
もうもうと埃《ほこり》がたちこめ、視界《しかい》が真っ白になった。
『ソースケ。生きてるか?』
「一応《いちおう》な……」
地面に身を投げ出していた <アーバレスト> は、ゆっくりと立ちあがった。
クルツも無茶《むちゃ》な|真似《まね》をする……と宗介は思った。一歩|間違《まちが》えば、こちらも一緒《いっしょ》にあの世いきだ。とはいえ、彼の射撃《しゃげき》テクニックが神業《かみわざ》に近いことは、認《みと》めざるをえなかった。四キロ離《はな》れた距離から見れば、たとえビルの主柱《しゅちゅう》でも、針《はり》のような細さになる。それを続けて四発以上、一息で必中《ひっちゅう》させるとは。
「大した腕《うで》だ」
『大した腕なんだよ』
遅《おく》れて、その場にダニガンのM9が駆《か》けつける。
『やったのか?」
「わからん。……銃《じゅう》を。下がっていろ」
<アーバレスト> はダニガンのM9から四〇ミリ・ライフルを受け取った。残弾《ざんだん》を確認してから、両手でまっすぐにライフルを構え、瓦礫《がれき》の山へと近付いていく。
ガウルンが死んだかどうか、宗介には確信が持てなかった。
これだけの破壊力だ。いくらラムダ・ドライバの防壁《ぼうへき》をもってしても、ただでは済まないだろう……とは思う。しかし、もし奴がこの瓦礫の下で、こちらに飛びかかる機会《きかい》をうかがっているとしたら……?
今度こそ、なんとかラムダ・ドライバを使って敵を仕留めなければならない。
だが――自分に使えるのだろうか?
じわりと手のひらが汗《あせ》ばむ。そのとき、瓦礫の山に動きがあった。
「…………!」
唐突《とうとつ》な動きではなかった。
ゆっくりと、鉄筋《てっきん》コンクリートの塊《かたまり》が盛《も》り上がり、ばらばらと崩れ落ちていく。
赤い機体《きたい》が現われた。武器は持っていない。両手を挙《あ》げ、関節《かんせつ》のあちこちから蒸気《じょうき》を噴《ふ》き出して、ぎくしゃくと身を起《お》こす。
相手の意図《いと》がわからず、宗介はトリガーを引くのを躊躇《ちゅうちょ》した。決して油断《ゆだん》はしなかったが、撃《う》ったところで効果《こうか》があるのか――その自信もまた、なかった。
『……やられたぜ。またオーバーヒートだ』
ガウルンが言った。
空気の漏《も》れる音。赤い胴体《どうたい》がわずかに震《ふる》え、ゆっくりと前後に分割《ぶんかつ》していった。
ハッチが、開いたのだ。
あらゆるAS乗りにとって、敵前でのハッチ開放《かいほう》は降伏《こうふく》を意味《いみ》する。人体を模《も》したASという機械《きかい》は、骨格《こっかく》の構造《こうぞう》上、胴体を分割した状態《じょうたい》だとまともな運動がほとんどできなくなるのだ。見たところ、このヴェノムでさえ、それは例外ではなかった。
『いつぞやと立場が逆になったな……フフ。降参《こうさん》だよ。好きにしな』
「…………。降《お》りて来い」
努《つと》めて静かな声で、宗介は言った。
「撃たないのか? きっと後悔《こうかい》するぜぇ……』
それきり外部スピーカーの声は途絶《とぜつ》した。ややあって、割《わ》れた胴体の奥から、あの男が姿《すがた》を見せる。
暗い赤の操縦服姿《そうじゅうふくすがた》だ。額《ひたい》に刻《きざ》まれた、縦《たて》一文字の傷跡《きずあと》。首筋《くびすじ》に火傷《やけど》の跡。四か月前に比べ、かなり痩《や》せて見えた。
まちがいなく、ガウルンだった。
「……で? 俺はどうなるのかな?」
陰惨《いんさん》な笑顔を浮かべて、テロリストは言った。
[#挿絵(img/03_211.jpg)入る]
[#地付き]八月二八日 〇四四〇時(現地《げんち》時間)
[#地付き]ペリオ諸島 ベリルダオブ島
ガウルンとの戦闘後《せんとうご》、わずか三〇秒もしないうちに <トゥアハー・デ・ダナン> からの輸送《ゆそう》ヘリが飛来《ひらい》した。
同乗していたPRT――初期対応班《しょきたいおうはん》の兵士たちが、ヘリを降《お》りて基地内《きちない》に散開《さんかい》していく。M9がそれを後ろから支援《しえん》する。残存《ざんぞん》する敵の歩兵《ほへい》と散発的《さんぱつてき》な撃《う》ち合いが起きたが、たいした負傷者《ふしょうしゃ》も出ることなく、基地《きち》の制圧《せいあつ》は完了《かんりょう》した。
敵の捕虜《はりょ》は一七名。これらテロ・グループの大半は、各地《かくち》の紛争地帯《ふんそうちたい》からあぶれた、食《く》い詰《つ》めの傭兵《ようへい》ばかりだった。
元からこの基地《きち》にいた米軍人も、監禁《かんきん》されていた宿舎《しゅくしゃ》から救出《きゅうしゅつ》された。解放《かいほう》された人質《ひとじち》グループの数は四八名。日頃《ひごろ》はもっと多くの軍人が勤務《きんむ》しているのだが、いまは夏季休暇《かききゅうか》で、半数以上がこの基地を留守《るす》にしていた。
そしてこちらの損害《そんがい》。
メリッサ・マオは生きていた。ガウルンの『指鉄砲《ゆびでっぽう》』で破壊《はかい》されたのはコックピット・ブロックの真上から背中《せなか》にかけての部分で、搭乗者《とうじょうしゃ》そのものは傷ついていなかったのだ。ただ、衝撃《しょうげき》で脳震盪《のうしんとう》を起こしたらしく、彼女は意識《いしき》を失《うしな》ったままだった。
なにより大きな戦果《せんか》は、ガウルンと『ヴェノム』をほとんど無傷《むきず》で捕獲《ほかく》したことだ。この男と機体《きたい》を調べれば、背後《はいご》の組織《そしき》についても多くのことが分かるはずだった。
結果《けっか》からいえば、作戦《さくせん》は『大成功』の部類《ぶるい》に入るだろう。
あくまで、結果からいえば。
だが宗介の胸中《きょうちゅう》は、成功などからは程遠《ほどとお》いものだった。<アーバレスト> のラムダ・ドライバは使えず、マオを危《あや》うく死なせかけ、クルツの機転《きてん》とガウルン側《がわ》の機体《きたい》トラブルに助けられた。つまるところ、自分は何一つ貢献《こうけん》できなかったのだ。
運が良かった。
ただそれだけである。
マッカランは『気にするな。ご苦労だった』と言っていた。クルツは『まあ、そういうこともあるわな』と言っていた。ダニガンとグェンは、宗介のことを無視《むし》した。
制圧直後《せいあつちょくご》で、基地はいまだに喧騒《けんそう》に包《つつ》まれていた。
宗介の <アーバレスト> は、基地の西側、穴《あな》だらけになったヘリポートにいた。着陸《ちゃくりく》したヘリを護衛《ごえい》するように立つ。そばには中破《ちゅうは》したマオのM9と、あの赤い機体――『ヴェノム』が横たわっていた。
小型の輸送《ゆそう》ヘリに目を向ける。ヘリのそばには、PRTの兵士たちと共にこの基地に来たカリーニン少佐と、マッカラン大尉《たいい》、そして両手両足を厳重《げんじゅう》に拘束《こうそく》されたガウルンの姿《すがた》があった。
「よお、イワン。何年ぶりかな……?」
氷のように無表情《むひょうじょう》、大柄《おおがら》でたくましい『|ロシア野郎《イワン》』を目の前にしても、ガウルンは悪びれた様子《ようす》も見せなかった。
カリーニンはテロリストを凝視《ぎょうし》した。常人《じょうじん》ならばその視線《しせん》に心臓《しんぞう》を射抜《いぬ》かれ、絶命《ぜつめい》しかねないほどの――殺気《さっき》に満ちた目だった。
「なにを企《たくら》んでいる?」
わずかな間《ま》を置いて、カリーニンは言った。
「企むって? 何の話だよ?……ふふ」
「…………。いいだろう。言っておくが、私は貴様《きさま》になにかを容赦《ようしゃ》する気はない。取り引きの類《たぐい》もなしだ。なにもかも吐《は》かせた上で、この地上から抹殺《まっさつ》してやる。覚えておけ」
「おお、こわい」
おどけるガウルンに背を向けて、カリーニンはそばの兵士に告《つ》げた。
「連行《れんこう》しろ」
PRTの兵士に小突《こづ》かれるようにして、ガウルンはヘリに搭乗《とうじょう》させられた。カリーニンとマッカラン大尉は、離陸《りりく》をはじめたヘリから離《はな》れた。
「五分以内に撤収《てっしゅう》しろ。予定通り、私はこの基地に残る」
「はっ」
カリーニンには、じきにやってくる米軍|部隊《ぶたい》との連絡《れんらく》・事後《じご》の処置《しょち》の折衝《せっしょう》など、些末《さまつ》で政治的《せいじてき》な仕事が残されていた。数名の部下を除いて、ほかの隊員《たいいん》と装備《そうび》――ASや輸送《ゆそう》ヘリなどは、早々《そうそう》に引き揚《あ》げることになる。
ガウルンと『ヴェノム』は <デ・ダナン> へと移送《いそう》し、ほかの捕虜《ほりょ》は米軍に引き渡す。正直《しょうじき》、カリーニンはあの男をその場で射殺《しゃさつ》すべきだと思っていたが、ガウルンの移送は作戦本部からの命令だった。この措置《そち》で、米軍はテロリストのリーダーを奪《うば》われたことに反発するだろう。
マッカランと歩きながら、彼は暗い思いに沈《しず》んだ。
(あの男は、明らかになにかの強みを握《にぎ》っている。命綱《いのちづな》……その程度《ていど》のものだとしても)
カリーニンの知っているガウルンは、こんな無謀《むぼう》なテロ活動は決してやらない男だった。自堕落《じだらく》で享楽的《きょうらくてき》に見えるが、あの男もまたプロなのだ。必《かなら》ず入念《にゅうねん》な計画を立て、自身の安全を確保《かくほ》し、実現可能《じつげんかのう》な目的《もくてき》を設定《せってい》する。
ガウルンは、自殺などしない。自分の命は地球より重いと思っている。これはまず間違《まちが》いない。それに比べて、この基地の占拠劇《せんきょげき》や、馬鹿《ばか》げた要求《ようきゅう》、あっけない降伏《こうそく》など……今回はなにもかもが不自然《ふしぜん》だった。テッサの懸念《けねん》も無理《むり》はないのだ。
このテロ活動は陽動《ようどう》で、ガウルンの仲間が、どこか別の重要施設《じゅうようしせつ》を襲撃《しゅうげき》しようとしている――その可能性《かのうせい》はあった。
すでに <ミスリル> の上層部《じょうそうぶ》もそれを見越《みこ》して、監視体制《かんしたいせい》を強化《きょうか》、各国の保安機関《ほあんきかん》に警告《けいこく》を発している。いまのところ、それらしい動きはどの地域《ちいき》でも察知《さっち》されていなかったが――それでも敵がしかるべき準備《じゅんび》をしていれば、防《ふせ》ぐ手だては無《な》いに等《ひと》しかった。ちょうど、この基地のように。
いつも後手《ごて》に回らざるをえない――
それがこの <ミスリル> の根源的《こんげんてき》な問題だった。抑止効果《よくしこうか》を狙《ねら》って、あえて『世界最強』などと吹聴《ふいちょう》してはいるが、それが嘘だということは、この組織《そしき》のだれもが知っている。<ミスリル> だけではない。ありとあらゆる対テロ機関《きかん》は、同様《どうよう》のジレンマを抱《かか》えている。戦いとは、常《つね》に攻める側《がわ》が有利《ゆうり》なのだ。
<ミスリル> の強みは、高性能《こうせいのう》の装備《そうび》と人員――ただそれだけだった。その性質《せいしつ》上、量を増《ふ》やすことは決してできない。
非常《ひじょう》に強力だが、非常に稀少《きしょう》な破邪《はじゃ》の力。
J・R・R・トールキンの文学作品に登場する『|魔法の銀《ミスリル》』の名が、この対テロ傭兵《ようへい》組織に冠《かん》せられたのは、これがためだった。
「…………。ヴェノムについては、テスタロッサ大佐《たいさ》の指示《しじ》を仰《あお》げ。あの男……ガウルンの扱《あつか》いは君に任《まか》せる」
「はっ」
マッカランが応《こた》えた。
「監視《かんし》は常時《じょうじ》二名以上。人選《じんせん》は任せる。身体検査《しんたいけんさ》が済《す》んだら厳重《げんじゅう》に拘束《こうそく》し、なにがあっても拘束衣と手錠《てじょう》を解《と》いてはいかん。検疫《けんえき》が終わるまでは、完全《かんぜん》に隔離《かくり》しろ。シロとわかれば、ほかの衛生《えいせい》問題はすべて無視《むし》していい」
「たとえ急病になっても、ですな?」
にやりとする。マッカランは仮病《けびょう》のことを言っているのだった。
「そうだ。その結果《けっか》、死亡したとしても構《かま》わん。尊厳《そんげん》を与える必要《ひつよう》もない。知能《ちのう》の高い猛獣《もうじゅう》を扱《あつか》うつもりでいろ」
「了解《りょうかい》しました。では」
敬礼《けいれい》してから、マッカランは自分のM9へと駆けていった。
<ミスリル> のヘリが遠ざかっていく。
機体《きたい》の下部にASを吊《つ》り下げた輸送ヘリと、小型の兵員輸送ヘリ。途中《とちゅう》でECSを作動させたらしく、その姿《すがた》はたちまち朝日の中にかき消える。基地のあちこちでは、いまだに煙《けむり》が立ち昇《のぼ》っており、兵舎《へいしゃ》や通信《つうしん》センター、管理《かんり》ビルや格納庫《かくのうこ》は穴《あな》だらけだった。
彼――クラマは、砂浜に放置《ほうち》されていた <ダーク・ブッシュネル> の残骸《ざんがい》の下から這《は》い出した。もはや、隠《かく》れている必要《ひつよう》もないだろう……と判断《はんだん》したのだ。
「ふん……」
消えたヘリの痕跡《こんせき》――薄い紫《むらさき》色の帯《おび》を眺《なが》め、丸い鼻を小さく鳴《な》らす。
ガウルンは行ってしまった。
あとは奴《やつ》の運|次第《しだい》だ。そしてあの男の悪運は、この自分の目から見ても侮《あなど》りがたいものがある。
いや。それらの悪運を帳消《ちょうけ》しにするのが、膵臓癌《すいぞうがん》という彼の病《やまい》なのだろう。彼はすでに、死を我《わ》がものにしている。彼にはもはや、なにも畏《おそ》れるものがない。
クラマの見たてでは、計画の成功は五分五分といったところだった。分《ぶ》のいい賭《か》けではない。奴も彼[#「奴も彼」に傍点]も、酔狂《すいきょう》なことだ。
クラマは衛星通信機《えいせいつうしんき》のモジュールを引っ張り出し、アンテナを開いて手早くパネルを操作《そうさ》した。ほどなく専用の暗号化回線《あんごうかかいせん》が開く。
『はい……』
無線《むせん》の向こうで相手が応《こた》えた。けだるげで、眠たそうな少年の声。
「私だ」
『ああ……クラマか。どうなった?』
髪《かみ》をかきあげる音と、かすかな衣擦《きぬず》れの音。その背後《はいご》で、若い女が甘ったるい鼻声を漏《も》らすのが聞こえた。
「ガウルンはいま連れていかれました。『トイ・ボックス』に」
『ふーん……。じゃあ、賭けは僕の勝ちだな。ミスタ・|Au《ゴールド》から <リバイアサン> 三機と五ドル。今度ガウルンに会ったら、夕食でもおごってやらないと……』
「…………。また会えるとお思いで?」
『そう願いたいものだね』
そう言って、相手は小さなあくびをした。
『僕は三日もかけて、あの特製《とくせい》プログラムを作ったんだから。ミスタ・|Zn《ズィンク》に頼《たの》んで、お膳立《ぜんだ》てもしたし。まあ……出来《でき》の悪い妹には、ちょっと反省《はんせい》してもらわないと』
「さようですか」
『まあ。いずれにせよ、挨拶《あいさつ》くらいにはなるだろうから。期待《きたい》しないで朗報《ろうほう》を待つとするよ。……それで、これから君は戻《もど》ってくるんだろう?』
「はい」
『じゃあ気をつけて』
「ありがとうございます」
通信が終わると、クラマは衛星通信機をたたみ、それを――海に放《ほう》り込んだ。
自分の服装《ふくそう》をチェックする。当たり前の、アメリカ軍の野戦服《やせんふく》。階級《かいきゅう》は伍長《ごちょう》。名札はJ・ロック。IDカードも持っている。
おりしもアメリカ軍のヘリコプターが十数機、北の空から近付いてきた。
「さて……」
どれに乗って帰ろうか……とクラマは思った。
[#地付き]八月二七日 二〇一五時(グリニッジ標準時《ひょうじゅんじ》)
[#地付き]<トゥアハー・デ・ダナン> 主格納庫《しゅかくのうこ》
格納|甲板《かんぱん》にすべてのヘリが降《お》りると、くぐもった音を響《ひび》かせ、艦《かん》の船殻《せんかく》――フライト・ハッチがゆっくりと閉じていった。
ヘリから切り離《はな》されたASが、それぞれの駐機《ちゅうき》スポットに歩いていって膝《ひざ》をつく。ヘリの方はエンジンを止め、ローターを畳《たた》んで牽引《けんいん》された。デッキ・クルーや整備兵《せいびへい》が忙《いそが》しく格納庫を走りまわり、機体《きたい》の固定作業《こていさぎょう》や、武器弾薬《ぶきだんやく》の除装《じょそう》に取りかかる。
その格納庫の入り口で、かなめはそわそわしながら突《つ》っ立っていた。
彼女の横を、戦闘《せんとう》に参加《さんか》した男たちが通り過《す》ぎていく。その多くは疲《つか》れた様子《ようす》だったが、同時《どうじ》にほっと一安心しているようにも見えた。かなめにウインクする者もいる。
(じゃあ、みんな無事《ぶじ》に済《す》んだのかな……)
そう思っていると、マオが担架《たんか》で運ばれてきた。
怪我《けが》をしたらしい。心配して声をかけようとすると、彼女のそばにいた艦医《かんい》のペギーおばさんが告げる。
「大丈夫《だいじょうぶ》だわよ。ちょっとすっ転んだだけだから」
マオは医務室《いむしつ》に運ばれていった。
担架《たんか》を見送り、振《ふ》りかえると、宗介《そうすけ》が立っていた。彼もマオを見送っていたらしい。
無事だったのだ。ほっとしながら声をかけようとして、気付く。
「ソースケ……?」
かなめはたったひと目で、彼が落胆《らくたん》していることを見抜《みぬ》いた。
いつも通りのむっつり顔で、口をへの字に引き結んでいるのだが――視線《しせん》が床《ゆか》のあたりをさまよっているのだ。物腰《ものごし》もどこか覇気《はき》がない。
「えっ……と。お帰りなさい」
「…………」
宗介は応《こた》えもせず、すぐそばに停《と》めてあった小型の電気トラクターに腰かけた。かなめのことなど、ほとんど眼中《がんちゅう》にない様子《ようす》である。彼女がここにいたのは、宗介の無事《ぶじ》を確認《かくにん》したかったからなのだが――もちろん、彼はそんなことには気付いていない様子《ようす》だった。
艦内にアラームが鳴り響《ひび》き、合成音声《ごうせいおんせい》が『潜航《ダーイブ》、潜航《ダーイブ》』と告げる。床《ゆか》がわずかに傾《かたむ》き、震《ふる》えた。
いつのまにか、格納庫は静寂《せいじゃく》に包《つつ》まれていた。人の姿《すがた》もまばらだ。
「た……待機室《たいきしつ》には戻《もど》らないの?」
「……ああ」
「どういうこと……?」
「ミスをした。仲間に合わせる顔がない」
そっけなく言って、彼は操縦服《そうじゅうふく》を脱《ぬ》ぎにかかった。
首を衝撃《しょうげき》から守るギプス型のプロテクターと、薄手《うすで》のボディ・アーマーを外してから、胸のファスナーを下ろす。ちょうどバイクのつなぎかオーバーオールの要領だ。下半身は脱《ぬ》がないままで、袖《そで》をくるりと腰《こし》の前で結び、上半身はタンクトップ一枚になる。
「だれか……死んじゃったの?」
「いや」
「じゃあ、いいじゃない。マオさんも、そんなにひどい様子じゃなかったし……」
「気やすく言うな」
宗介が語気《ごき》を強めた。
「気やすくって……そんなつもりじゃ」
口籠《くもご》もるかなめ。
「一歩|間違《まちが》えば、彼女は死んでいたんだ。俺とあのASのせいで」
「え……」
宗介はそっぽを向いたまま、堰《せき》を切ったように喋《しゃべ》り出した。
「あの装置《そうち》――ラムダ・ドライバが使いこなせなかった。『精神《せいしん》を増幅《ぞうふく》』だの『イメージ』だの……わけがわからん。うんざりだ。そんなあいまいででたらめな代物《しろもの》は、兵器などではない。ただのまじないだ。呪術師《じゅじゅつし》でも乗せていればいい。俺は――」
彼は格納庫の向こうに駐機《ちゅうき》してある <アーバレスト> を見た。
「俺は、あの機体《きたい》が気に入らない。ひどく気に入らない。肝心《かんじん》なところで操縦者を裏切《うらぎ》る。プロが使う道具じゃない。あれを作った奴《やつ》は、最低の技術者《ぎじゅつしゃ》だ」
宗介がこれだけ不平《ふへい》や愚痴《ぐち》じみたことを漏《も》らすのは、はじめてのことだった。それに驚《おどろ》きながらも、かなめはエプロンの裾《すそ》を握《にぎ》って、控《ひか》えめな声で、
「ねえ、すこし休んだら? 疲れてるんだよ、きっと」
「俺は疲れてなどいない」
「でも……ちょっと、ソースケらしくないと思う」
かなめは心からそう思った。らしくない。こんなのは――宗介らしくない。なにがあったのか知らないが、恨《うら》み言みたいなことをブツブツと。いつもの彼はもっとひたむきで、決して周りの人や物を非難《ひなん》したりしないのに。
「君に俺のなにがわかる?」
怒鳴《どな》りそうになるのを、ぐっと押し殺したような声だった。
「え……」
「軽々《かるがる》しく『らしい』などと言わないでくれ。俺が押し付けられたものが、君にわかるのか? 俺はただの傭兵《ようへい》だ。普通《ふつう》の任務《にんむ》を、普通の装備《そうび》でこなしていれば良かった。だが四か月前のあの事件から、けちが付きっぱなしだ。ガウルン、あのAS、君の護衛《ごえい》……どれもこれも、俺向きじゃない。厄介事《やっかいごと》ばかりだ」
「そ……」
かなめは後頭部を殴《なぐ》られたような気分になった。
厄介事。自分の護衛も。
そんな風《ふう》に思われていたなんて。
「あ……あたしだって……」
かろうじて、彼女は言った。
「あたしだって、別にあんたに頼《たの》んだわけじゃないわよ。そんな、勝手《かって》に迷惑顔《めいわくがお》して……。だったら、や、やめればいいじゃない……」
「そうはいかん。俺にしかできない任務だ」
「なによ、それ……。任務って……。そんなの……」
宗介がかなめを見上げた。彼の目は憂鬱《ゆううつ》で、無関心《むかんしん》で、荒涼《こうりょう》としていた。
「疲れているのは君の方だな」
「疲れてない。……あたし、これでも心配してたんだよ? なのに……」
「わかった。わかったから、さっさと部屋に戻《もど》れ」
「…………」
かなめはそれ以上なにも言わずに、きびすを返した。
出口のそばでクルツと、もう一人東洋人の隊員とすれちがったが、彼女は会釈《えしゃく》さえせずに、力なく通路《つうろ》を歩いていった。
かなめが去ったあとも、宗介は床《ゆか》をにらんだまま、鬱々《うつうつ》としていた。
ガウルンが生きていたこと。奴がこの艦内《かんない》にいること。<アーバレスト> のこと。マオのこと。ラムダ・ドライバのこと……。
不安《ふあん》と悔恨《かいこん》だらけだった。見通しがたたない。頭が煮詰《につ》まって、重たかった。
「ソースケ」
声がする。いつのまにか、すぐそばにクルツがいた。その後ろにはヤン伍長《ごちょう》も。
「? クル――」
左の頬《ほほ》に、クルツの|拳《こぶし》がめりこんだ。
まったくの不意打《ふいう》ちになすすべもなく、宗介は電気トレーラーから転げ落ち、床に叩《たた》きつけられる。口の中が切れたらしく、ぬるりと血の味がした。
「…………っ」
身じろぎしてから、見上げる。クルツがさらに宗介に殴《なぐ》りかかろうとして、それをヤンが懸命に押しとどめていた。
「やめろよ、クルツ……!」
「うるせえ!」
クルツとヤンは激《はげ》しく揉《も》み合う。宗介は口の端《はし》の血をぬぐって、
「なんの真似《まね》だ……」
「悪いけどな、聞いてたぜ。んでもって、てめえのヒーロー気取りに我慢《がまん》ができなくなった。それだけだよ……!」
「ヒーロー気取りだと? 俺は――」
「だまれ。ちっと大活躍《だいかつやく》できなかったからって、ガキみてえにふて腐《くさ》れて、女に八つ当たりしやがって。てめえみてーな野郎《やろう》が将来《しょうらい》、近所迷惑な暴力亭主《ぼうりょくていしゅ》になるんだよ。わかってんのか、コラ!?」
「俺は八つ当たりなどしていない……!」
「してたじゃねえか、バーロー! あんないい子を泣かせるか、普通!? てめえはクソ野郎だ。死んで反省《はんせい》しろっ!」
「そ……」
かなめが? 泣いていた? いつ? なぜ?
極端《きょくたん》に視野《しや》が狭《せま》くなっていたせいか、宗介はそのときになってようやくはじめて、かなめのことに思い至《いた》った。
(俺が……? 彼女を……?)
ヤンになだめすかされて、クルツは落ち着きを取り戻す。肩で息をしてから、彼は宗介から顔をそむけて、
「気にしてんのは、まあ、わかるけどよ」
と、ぶっきらぼうに言った。
「……俺はな、作戦中のことじゃ、ちっとも怒ってねえ。もともと、あの <アーバレスト> ってのは、あやふやなASだ。ああなることは予想《よそう》できたし、そのために俺やマオやマッカランたちがいた。で、ヴェノムは捕《と》らえた。基地《きち》も奪《うば》い返した。つまり、仕事はうまくいったんだよ……! ちがうか?」
「だが、マオが――」
「なにをいまさら……。ああいうことはいつだってある。おめーだってトウシロじゃねえんだ、それくらい知ってるだろうが!」
「…………」
「一人で戦争してるつもりかよ? 気取ってんじゃねえぞ……?」
言い捨《す》てると、クルツは格納庫《かくのうこ》を大股《おおまた》で去っていった。取り残されたヤンは、腰《こし》に手をやり、深いため息をつく。
「ソースケ。大丈夫《だいじょうぶ》かい?」
「ああ……」
「さっきクルツの奴、君のことで『落ち込んでるみたいだから、からかってやろう』って言ってて。たぶん、彼なりに励《はげ》ますつもりだったんだね。それで、君と彼女の話を立ち聞きしてたら、急に……」
「そうか」
答えて、立ちあがる。
もう一度、口の端をぬぐった。
血の味。痛み。よく知っている感覚なのに、なぜか新鮮《しんせん》だった。
考えてみると、こういう形で人に殴られたのは、生まれて初めてかもしれない。
だからといって、気分が晴れたわけでもなかったが。
[#地付き]八月二八日 〇一一五時(グリニッジ標準時《ひょうじゅんじ》)
[#地付き]<トゥアハー・デ・ダナン> 中央|発令所《はつれいじょ》
艦《かん》を深度《しんど》三〇〇メートルまで潜《もぐ》らせ、針路《しんろ》を北北東にとり、速度《そくど》を三〇ノットにする。
音波をさえぎる海水のベール――|変温層《サーモ・レイヤー》の下に、アメリカ海軍の潜水艦《せんすいかん》が潜《ひそ》んでいた。こちらがベリルダオブ島の近海《きんかい》に来ていることは、当然《とうぜん》あちらも知っている。ついでに <デ・ダナン> ――向こうは『トイ・ボックス』と呼《よ》んでいるが――の音紋《おんもん》データを採取《さいしゅ》したかったらしい。対潜哨戒機《たいせんしょうかいき》に対潜ヘリ、フリゲート艦も出張《でば》ってきた。
テッサは艦《かん》の|超電導推進《SCD》と|電磁流体制御《EMFC》を駆使《くし》して、巧《たく》みにその包囲網《ほういもう》を潜《くぐ》り抜《ぬ》けた。いつものゲームだ。問題はなかった。
スクリーンの海図《かいず》を見る。
気象班《きしょうはん》の報告《ほうこく》では、この一帯《いったい》には西から低気圧《ていきあつ》が接近《せっきん》しており、これから一日、海上は大時化《おおしけ》になるそうだった。いい傾向《けいこう》だ。これで米軍は対潜《たいせん》ヘリを飛ばせなくなる。こちらの探知《たんち》は諦《あきら》めてくれるだろう。
順調《じゅんちょう》にいけば、明日の夜には、メリダ島|基地《きち》に帰還《きかん》できるはずだった。
マオの様子《ようす》を見に行きたかったし、宗介《そうすけ》ともいろいろ話したかったが、まださすがに、そんなゆとりはなかった。発令所から決して離《はな》れず、ささいな異変《いへん》にも目を光らせていなければならない。
捕虜《ほりょ》のことが気になっていた。
ガウルン。あの男が、生きていたとは。しかもその男が、新しいラムダ・ドライバ搭載《とうさい》機を伴《ともな》って現われた。
ベリルダオブ島に残ったカリーニンは、無線《むせん》で『くれぐれも、あの男には気をつけてください』と言っていた。『まだなにか企《たくら》んでいる』とも。
島の占拠《せんきょ》を聞いて以来、いやな感じがずっとしていたが、これはますますにおう話だった。あの男を監禁《かんきん》している第一|状況説明室《じょうきょうせつめいしつ》から、そのにおいが漂《ただよ》ってきそうなほどだ。
とはいえ、宗介たちはよく頑張《がんば》ってくれた。あの『ヴェノム』を無傷《むきず》で捕獲《ほかく》できたのは、僥倖《ぎょうこう》といえるだろう。
(さすがはサガラさん、ってところかしら……)
操艦《そうかん》の指揮《しき》で忙しく、まだヴェノム捕獲《ほかく》の細かい経緯《けいい》を聞いていなかった彼女は、ひそかに胸を躍《おど》らせていた。
技術士官《ぎじゅつしかん》のレミング少尉《しょうい》が発令所にきた。彼女には、艦に収容《しゅうよう》したヴェノムをざっと調べるよう命じてあったのだ。
「大佐《たいさ》」
「どうでした?」
「ええ。まだ分解《ぶんかい》さえしてませんが…… |L D《ラムダ・ドライバ》の基本的《きほんてき》な構成《こうせい》はARX―7と同じようです。細かいところはずいぶん異なるようですが。あの <ベヘモス> と、ほぼ同じ系統《けいとう》なのは確かです」
「そう……」
「それよりも、気になることがあります。あのAS――私はオーバーヒートして降伏《こうふく》したと聞いていますが、どうも……」
「なんです?」
「どこも壊《こわ》れていないみたいなんです。装甲《そうこう》はいくらかくたびれて、肩部のECSレンズも破損《はそん》していますが……」
それを開いて、テッサはあの赤いASが、突然《とつぜん》格納庫《かくのうこ》で暴《あば》れ出す図を想像《そうぞう》した。
「勝手《かって》に動き出すとか、そういう危険《きけん》はありませんよね?」
するとレミングは上品に笑った。
「それはありませんよ。ジェネレーターのコネクタを外しておきましたから。機体《きたい》のAIにどんなプログラムが仕込んであっても、電源《でんげん》がなくては動きません。自爆装置《じばくそうち》もありましたが、だれかが触《さわ》らなければ、決して作動《さどう》しません」
「なら、いいんですけど……」
だとして、なぜあのASは壊《こわ》れていないのか?
換言《かんげん》すれば――なぜまだ戦えたのに、ガウルンはあっさりと降伏《こうふく》したのか?
(まさか、わざと捕虜《ほりょ》に……?)
馬鹿《ばか》な。ナンセンスだ。あの男は慎重《しんちょう》な身体検査《しんたいけんさ》を受けて、これ以上はないほど厳重《げんじゅう》に拘束《こうそく》され、SRT要員《よういん》の監視《かんし》を受けている。検疫《けんえき》の結果《けっか》もシロで、なんらかのウィルスを保菌《ほきん》している可能性《かのうせい》はまずなかった。あのテロリストが、逃亡《とうぼう》したり、なにかの小細工《こざいく》をしたりする余地《よち》はないのだ。
だが、しかし――
「とにかく、お疲れさま。ヴェノムは基地《きち》で分解《ぶんかい》しましょう」
「はい、大佐《たいさ》」
レミング少尉は敬礼《けいれい》してから、発令所を出ていった。
「……マデューカスさん」
テッサはそばの副長《ふくちょう》に声をかけた。
「はい、艦長《かんちょう》」
「ちょっと、話があるんですけど……」
[#地付き]八月二八日 〇一一〇時(グリニッジ標準時《ひょうじゅんじ》)
[#地付き]西太平洋 アメリカ海軍|潜水艦《せんすいかん》 <パサデナ>
ひさしぶりに艦隊《かんたい》司令部《しれいぶ》から送られてきた命令は、こんな内容《ないよう》だった。
<<これから一二時間のうちに、おまえのいる海域《かいいき》のそばを、あの「トイ・ボックス」が通るかもしれん[#「かもしれん」に傍点]。だから息をひそめてろ。もし奴《やつ》を見つけたら、できるだけ尾《つ》けて、データを集めまくれ>>
USS <パサデナ> 艦長のキリィ・B・セイラー中佐《ちゅうさ》は、プリントアウトされたその命令書を握《にぎ》りつぶして、不機嫌《ふきげん》なうなり声をもらした。
「どうやって見つけろってんだ。まったく……」
あの近距離《きんきょり》でも見失ったというのに。受け持たされた海域《かいいき》は、半径《はんけい》一〇〇キロ。それこそ藁《わら》の中から針《はり》を探すようなものだった。
「たぶん、司令部《しれいぶ》もあまり期待《きたい》していないのでは?」
副長《ふくちょう》のタケナカ大尉《たいい》がのんきな声で言った。
太平洋|艦隊《かんたい》のほかの艦は、もっと南で『トイ・ボックス』探しに狩《か》り出されていたらしい。この <パサデナ> だけ、ぽつんと離《はな》れた海域にいるのだ。
「だろうなー。こういう任務《にんむ》をしていると、ノビーの奴《やつ》を思い出すわい」
「だれですか、そりゃ……」
「うむ。俺は子供時代、少年野球のチームを率《ひき》いておってな」
「はあ」
「ちなみにチーム名は『オクラホマ・セイラーズ』という。……で、その一員に、ノビーという救いようのないダメ男がおったのだ。俺様は奴をライトの八番にして、徹底的《てっていてき》に冷遇《れいぐう》した。エラーをしたら、キャシーの前でパンツを下ろさせた」
「キャシーって……?」
それには答えず、セイラーは遠い目をした。
「いま思うと、あの寒空《さむぞら》の下、ライトのポジションを守っていたノビーの気持ちが、すこしはわかるような気がしてなあ……」
「長い割《わり》にしょうもない話ですね……」
「なんだと? この俺様の、少年の日の美しい思い出を馬鹿《ばか》にするのか」
「だって、田舎《いなか》のガキ大将の与太話《よたばなし》じゃないですか」
「貴様っ!」
それから三分間、セイラーとタケナカははげしく罵《ののし》り合い、揉《も》み合った。
甲板士官《かんぱんしかん》が『いい加減《かげん》にしてください』と止めに入り、二人はぜいぜいと息をする。一分間の休息と五分間の議論《ぎろん》を経《へ》て、艦を変温層《へんおんそう》の境目《さかいめ》に静止《せいし》させ、『トイ・ボックス』を待ち伏《ぶ》せすることになった。
見付かるわけもない『トイ・ボックス』を。
つまり一二時間、鼻をほじって過《す》ごすだけの、退屈《たいくつ》な仕事になるはずだった。
そのはずだったのだが――
[#地付き]八月二八日 〇四三一時(グリニッジ標準時《ひょうじゅんじ》)
[#地付き]<トゥアハー・デ・ダナン> 厨房《ちゅうぼう》
新品《しんぴん》の電子《でんし》レンジとオーブンとの間に、ちょうどいい按配《あんばい》の隙間《すきま》があるのである。人間の肩幅《かたはば》くらいの、薄暗《うすぐら》い隙間が。いじけまくって、自分の殻《から》に閉じこもるのにはもってこいの空間《くうかん》だ。
かなめはその隙間にしゃがみ込んで、陰鬱《いんうつ》な気分に浸《ひた》りきっていた。膝《ひざ》を抱《だ》き、暗い目を伏《ふ》せ、身体《からだ》全体で『しゅん』とする。
頭の中は宗介《そうすけ》とのことで一杯《いっぱい》だった。腹《はら》が立ち、失望《しつぼう》し、哀《かな》しくなって、自分の存在《そんざい》がどうにも疎《うと》ましくなる。考えが煮詰《につ》まってくると、じわりと瞳《ひとみ》が潤《うる》んだ。そんな自分が情けなくて、またまた頭が熱くなる。
明日になったら、テッサに頼《たの》んで宗介を護衛任務《ごえいにんむ》から外してもらおう……とかなめは思っていた。だれか別の人に変えるか、それとも護衛そのものを打ち切ってもらうか。どちらでもいい。どうだっていい。
迷惑顔《めいわくがお》をされてまで、そばにいて欲《は》しくなんかない。これ以上、お荷物《にもつ》だなどと、思われたくない。それだけだった。
コックのカスヤ・ヒロシ上等兵《じょうとうへい》は、そんな彼女を放《ほう》っておいてくれた。
数時間ほど前、問題の宗介が食堂の方にやって来て、『チドリ・カナメを見なかったか?』などとカスヤにたずねていたが、彼は気を利《き》かせて『いませんよ』と答えてくれた。同じ日本人なのに、英語で会話しているのが変な感じだった。
疲れると、かなめはその場でうとうととまどろんだ。浅い夢から目を覚ますと、また思考《しこう》のどうどう巡《めぐ》りをはじめる。そしてまた、疲れて眠る。その繰《く》り返しだ。
ついに見かねたのか、カスヤが彼女に声をかけた。読みかけの学術書《がくじゅつしょ》――海洋学《かいようがく》の本だった――にしおりを挟《はさ》んで、かなめのそばまでやってきて、
「あのね……かなめちゃん。そこにいるのは構《かま》わないけど、すこし、なにか食べたら?」
「……いらない」
「あとね、寝《ね》るんだったら、艦長室《かんちょうしつ》に帰った方がいいよ」
「…………帰りたくない」
だれかと顔を合わせるのが、ひどくおっくうだった。
「そう言わずに。一度、シャワーでも浴《あ》びてぐっすり眠れば、すこしは元気も出るだろうから」
かなめはぼおっと相手の顔を見上げた。
「…………迷惑?」
「え……? いや、そんなことないけど」
困ったような笑顔。
どうやら、ここでもお荷物《にもつ》になってしまったようだ。かなめは仕方《しかた》なく立ちあがって、のろのろと厨房を出ていった。
[#地付き]同時刻《どうじこく》 <トゥアハー・デ・ダナン> 第一|状況説明室《じょうきょうせつめいしつ》
一時間|交替《こうたい》という早いサイクルで、テロリストの監視《かんし》は行われていた。
<デ・ダナン> には独房《どくぼう》などの施設がない。滅多《めった》に必要《ひつよう》とされない上に、限《かぎ》られた艦内《かんない》のスペースを奪《うば》うからだ。したがって、ごく稀《まれ》に捕虜《ほりょ》や来賓《らいひん》を乗せた場合は、そのときの空き部屋を使うことになる。
この場合は、日頃《ひごろ》のブリーフィングに使われる第一状況説明室が監獄《かんごく》代わりだった。
初期対応班《PRT》に所属《しょぞく》するリャン一等兵は、二度目の監視|任務《にんむ》についていた。SRTのダニガン軍曹《ぐんそう》と共に、部屋の入り口近くに腰《こし》を下ろし、テロリストを見張《みは》る。それだけの仕事だ。
問題のテロリスト――リャンは名前を知らなかった――は、拘束衣《こうそくい》を着せられ、猿轡《さるぐつわ》をかまされ、鎖《くさり》と手錠《てじょう》でがっちりと椅子《いす》に縛《しば》り付けられていた。義足《ぎそく》も外され、他の装備《そうび》とまとめて別室に保管《ほかん》してある。なにをどうしたって、この束縛《こうそく》から逃《のが》れることは不可能《ふかのう》だろう。
暇《ひま》だった。まだ監視を交替《こうたい》して、一〇分もたっていないのだが。
リャンがついついあくびを噛み殺すと、ダニガン軍曹《ぐんそう》がじろりと彼をにらみつけた。
「……失礼《しつれい》」
「おまえは狙撃兵《そげきへい》向きではないようだな」
同じ姿勢《しせい》で何時間も待機《たいき》する……そうした忍耐力《にんたいりょく》は狙撃兵《そげきへい》の絶対条件《ぜったいじょうけん》である。それがおまえにはない、とリャンは言われたのだ。
ダニガンは筋骨隆々《きんこつりゅうりゅう》の偉丈夫《いじょうぶ》で、リャンの見た限りではいつも気難《きむずか》しい顔をしていた。ほとんど会話をしたこともない。五厘刈《ごりんが》りの丸い頭と、右目の横の太い傷跡《きずあと》。瞳《ひとみ》は薄いブルーだ。
リャンは鼻を鳴《な》らし、
「ですがねぇ。たとえ上海《シャンハイ》雑技団《ざつぎだん》だって、あの状態《じょうたい》から縄抜《なわぬ》けするのは無理《むり》ですよ。だってのに……」
「あらゆる危険性《きけんせい》に備《そな》えるのが我々《われわれ》の仕事だ。それを忘れるな」
「危険性ったって……。じゃあ、どんな危険性があるんですか」
するとダニガンは眉間《みけん》にしわを寄《よ》せ、なにやら熟考《じゅくこう》する仕草《しぐさ》を見せた。自分の腕時計《うでどけい》を見て、次にテロリストを眺め、口を開く。
「そうだな……。たとえば、こういうのはどうだ、たとえば」
そう言いながら、ダニガンはポケットから筒型《つつがた》のサイレンサーを取り出し、自分の自動|拳銃《けんじゅう》の銃口《じゅうこう》にねじ込んでいった。
「…………?」
「たとえばの話だ、たとえば。この俺がこうしたら、どうする?」
拳銃をリャンに向ける。彼はぎょっとしながらも、
「な……なんですか、そりゃ。ズルいですよ」
「ずるくなどない。これだって危険性の一つだ。だから気を緩《ゆる》めるな」
青い瞳が、まっすぐにリャンを見据《みす》える。その顔つきはしごく真面目《まじめ》で、厳《きび》しい教えをたれる教師のようだった。
銃口は依然《いぜん》として、こちらを向いている。一等兵は唾《つば》を呑《の》み込み、小さくうなずいた。
「す、すみません……でした。軍曹殿」
「わかればいい、わかれば」
ダニガンが破顔《はがん》一笑《いっしょう》した。
リャンがほっとすると、軍曹はにやにやとしながら、こう付け加えた。
「だが、遅《おそ》すぎたようだな」
ダニガン軍曹は、引き金を引いた。
頭の真ん中に弾丸《だんがん》を受けて、リャン一等兵は即死《そくし》した。
銃声《じゅうせい》はとても静かだった。
鎖と手錠、拘束衣と猿轡を外されて、ガウルンはようやく人心地《ひとごこち》ついた。
長時間の拘束ですっかり凝り固まってしまった身体中《からだじゅう》の関節《かんせつ》を揉《も》みほぐし、首をぐるぐると回す。義足がないので、彼は椅子《いす》に腰《こし》かけたままだった。
「ふー。このまま放《ほう》っておかれるかと思った」
にんまりとしてガウルンが言うと、ダニガンは渋《しぶ》い顔をした。
「そうしようかとも思ったがな。あの作戦で決心《けっしん》がついた。ここはダメだ、ここは。甘《あま》ちゃん揃《ぞろ》いで話にならん」
「そうかい」
実のところ、ガウルンはこの男とは初対面《しょたいめん》だった。
彼の組織が <ミスリル> の上層部《じょうそうぶ》に植《う》え付けたスパイ――『ミスタ・|Zn《ズィンク》』が活動《かつどう》を始めたのは、つい最近《きいきん》のことである。ガウルンを解放《かいほう》したこの男は、そのミスタ・Znによって懐柔《かいじゅう》工作を受けた隊員《たいいん》の一人だった。
なんでも <ミスリル> は、やたらとモラルの高い人間が多いらしく、懐柔を受けそうな隊員を選ぶのには大変な苦労と危険《きけん》を伴《ともな》ったらしい。
だが、それはガウルンの関知《かんち》するところではなかった。彼の仕事は、この船を丸ごといただく――もしくは破壊《はかい》することなのだ。
「ともかくだ、<アマルガム> にようこそ。ミスター、ええと……」
「ダニガンだ。ジョン・ダニガン」
「よろしく、ジョン」
ガウルンが右手を差し出すと、ダニガンはそれには応じず、冷淡《れいたん》な声で言った。
「気安く呼ぶな、チャイニーズ。俺を『ジョン』と呼んでいい人間は限《かざ》られている」
「ははあ……」
「あくまでビジネスの付き合いだ、ビジネスの。それを忘れるな」
ガウルンは手をひっこめて、こめかみをぽりぽりと掻いた。それから相手の顔色をうかがうようにして、
「そのー。ついでに、『貴様《きさま》の指図《さしず》は受けない』とか?」
「ふん。よくわかってるじゃないか、チャイ――」
次の瞬間《しゅんかん》、ガウルンは|椅子《いす》から立つこともなく、すっとダニガンの手首を取った。相手がなにかの反応《はんのう》を示《しめ》すより早く、巧み《たくみ》にそれをひねり上げ、姿勢《しせい》を崩《くず》してやる。
さらに腕《うで》をねじって、回して、押《お》し戻《もど》して、引いて――まるで魔法のように、ダニガンの巨体が空中に浮かび、半|回転《かいてん》し、床《ゆか》に叩《たた》きつけられた。
「っ……!?」
倒れた相手の上に腰を下ろす。いつのまにか、ガウルンの手にはダニガンが隠《かく》し持っていたナイフが握《にぎ》られていた。
「やれやれ。油断《ゆだん》したかな? ジョォ〜ン」
ナイフを相手の首筋《くびすじ》に突きつけ、ガウルンは言った。
「ちなみにいまのは我《わ》が祖国《そこく》・日本の柔術《じゅうじゅつ》だよ。ジョォ〜ン」
「きさ……ま……」
「『気安く呼ぶな』? 『指図は受けない』? それじゃあ困るんだよ。ジョォ〜ン」
鋭《するど》い切っ先が、ダニガンの肌《はだ》をじりじりと切り裂《さ》いていく。
「うっ……あっ……あっ……!」
「なあ? ジョォ〜ン。いくらビジネスだって、先輩《せんぱい》には敬意《けいい》を払《はら》うもんだぜ? わかるかな? ジョォ〜ンんん……!?」
ダニガンは冷たい苦痛に身体《からだ》を震《ふる》わせ、びっしりと玉の汗《あせ》を浮《う》かべた。それから、ようやくたまりかねたように、
「わ……わかった。悪かったよ、悪かった……」
「本当にそう思ってる?」
「思っている。もうあんたを困らせたりしない」
「よーし。じゃあ仲直りの握手《あくしゅ》だ」
ナイフを食い込ませたまま、ガウルンは右手を差し出した。ダニガンはうつぶせで組み伏《ふ》せられた格好《かっこう》のまま、おずおずとその手を握った。
「さて。……で、俺の足はどこかな? あれに仕込んだディスクがないと、話がはじまらないんだよな……」
「持ってきてある。あそこの中だ……!」
さきほどまでダニガンが座《すわ》っていた椅子の下に、オリーブ色のバッグが置いてあった。
死んだリャン一等兵の野戦服《やせんふく》を着て、さらにサブマシンガンを奪《うば》い、ガウルンは状況《じょうきょう》説明室《せつめいしつ》を出た。すでに深夜《しんや》の時刻《じこく》だったので、照明《しょうめい》は暗く、人の婆《すがた》はほとんどなかった。
ダニガンの先導《せんどう》で通路を進み、上の甲板《かんばん》に続く階段へ。
「発令所《はつれいじょ》はこの上だ。艦長《かんちょう》もいる」
「よしよし……」
階段に足をかけたところで、背後《はいご》から声がした。
「どこへ行く気だ?」
振り向くと、その男はすでに拳銃を構《かま》えていた。
小柄《こがら》な白人の士官《しかん》だ。曲がり角から半身だけを出し、ぴたりと銃口をこちらに向けている。
「ああ、マッカラン大尉《たいい》。これはですな……」
「だまれ、ダニガン」
マッカランはぴしゃりと遮《さえぎ》った。
「こういうことだったとはな。少佐殿が『内通者《ないつうしゃ》の可能性《かのうせい》にも用心《ようじん》しろ』とおっしゃらなかったら、私がここに居合《いあ》わせることさえなかっただろう。だが、まさかSRT要員《よういん》の貴様《きさま》だったとは……」
するとダニガンは弁解《べんかい》しようとするのをやめて、皮肉《ひにく》のこもった笑顔《えがお》を浮かべた。悪《わる》びれもせずに、肩《かた》をすくめて、
「はは。俺は前から、あの小娘《こむすめ》が気に食《く》わなかったんだよ。前から」
「そういう事情《じじょう》は後で聞く。二人とも銃《じゅう》を捨《す》てろ」
ガウルンが口の端《はし》を吊《つ》り上げた。
「たとえば、いやだといったら?」
「死ぬだけだ」
マッカランは通路《つうろ》の角に左半身をうまく隠《かく》していた。銃《じゅう》の腕前《うでまえ》も、おそらく一流《いちりゅう》だろう。ここでこちらが反撃《はんげき》しようとしても、一瞬《いっしゅん》で二人が射殺《しゃさつ》されるのはほぼ確実《かくじつ》だった。
そこで、角の反対側からもう一人の隊員《たいいん》が現《あら》われた。
野戦服姿の東南アジア人だった。
「グェンか」
「大尉、これは?」
「見てのとおりだ。ダニガンが裏切《うらぎ》った。ウェーバーたちを呼《よ》べ」
油断《ゆだん》なく銃を構えたまま、マッカランが言った。
グェンはその場の男たち全員を見比《みくら》べ、自分のポケットから小型の自動拳銃を取りだした。サイレンサー付きの九ミリ口径《こうけい》。サイレンサー付きの――
「どうした、グェン!? はやく――」
「すみませんね、大尉」
グェンが銃口をマッカランに向け、引き金を絞《しぼ》った。
立て続けに三発。
すべての銃弾《じゅうだん》が胸に飛び込み、鮮血《せんけつ》が飛び散《ち》る。
マッカラン大尉は糸の切れた操《あやつ》り人形のように、その場にくずおれた。悲鳴《ひめい》も、罵《ののし》りも、悪態《あくたい》さえもなかった。
「ナイス・ショット……!」
ガウルンがうなるように言った。
「……で、もう一人の協力者ってのが、あんた?」
グェンはうなずき、
「そういうことになる。俺はグェン・ビェン・ボーだ。いまのはボーナスになるかい?」
「はっは。そうだな、交渉《こうしょう》してやるよ」
「頼《たの》むぜ、ガウルンさんよ」
グェンは指でOKサインを作ってみせる。
そのとき、かすかな物音《ものおと》がした。鋭敏《えいびん》な五感を持つ三人の男たちは、同時《どうじ》にその物音に目を向ける。
倒《たお》れたマッカランの向こうに、私服姿《しふくすがた》の少女が立っていた。
この戦闘艦《せんとうかん》にはおよそ似つかわしくない、淡《あわ》いグリーンのパーカー。黄色のショート・パンツ。長い黒髪《くろかみ》が、薄暗い照明《しょうめい》の中で揺《ゆ》れる。
少女は足下の血だまりを見下ろし、それからゆっくり、ガウルンたちに目を向けた。
線の細い、美しい顔立ちだったが――いまは当惑《とうわく》にこわばり、唇《くちびる》が小さく震《ふる》えていた。なにが起きているのか分かっておらず、自分がどういう状況《じょうきょう》に立たされているのかも、理解《りかい》できていない様子だった。
「っ…………」
我《われ》に返って、逃げ出そうとするところに、グェンが飛びかかる。動揺《どうよう》した少女では、鍛《きた》えぬかれた戦士の脚力《きゃくりょく》にはとうてい及《およ》ばなかった。後ろから抱きすくめて、黒いコンバットナイフを胸に押し付けると、彼女は小さな悲鳴《ひめい》をあげる。
「やっ……」
「|叫《さけ》んでもいいぜ、お嬢《じょう》ちゃん。でもそうしたら……な?」
グェンは耳元でささやくと、ナイフで少女の乳房《ちぶさ》を服の上から押し上げた。
「いろいろと痛い思いをするし、男の子にもモテない身体《からだ》になっちまうぞ?」
少女はかろうじて黙《だま》りこくった。
「艦長が呼んだ客だ、艦長が。始末《しまつ》しよう」
ダニガンが言うと、ガウルンは渋《しぶ》い顔で頭《かぶり》を振《ふ》った。
「ダメ」
「なぜだ?」
「いろいろとな。その子はなるべく、殺しちゃいかんことになってる。なるべく、だけどな」
グェンに引っ立てられた、少女の顔をのぞきこむ。彼女は息を呑《の》み込み、瞳《ひとみ》を潤《うる》ませながらも――自前の勇気を総動員《そうどういん》して、ガウルンをきっとにらみつけた。精一杯《せいいっぱい》の抵抗《ていこう》のようだった。
「ごぶさた、カナメちゃん。学校のみんなは元気?」
まるでホラー・ムービーだ、とかなめは思った。
北朝鮮《きたちょうせん》の山中で、宗介《そうすけ》に倒《たお》され、死んだはずのテロリスト。その男が生きていて、しかもいきなり、この艦内《かんない》に現《あら》われたのだ。そういう連中は、絶対《ぜったい》に近付けないはずのこの艦内に。
いったいなにが、どうなって……?
考えたところで、いまの彼女にわかろうはずもなかった。はっきりしているのは、またしてもピンチがやってきた、ということだけだ。
しかも今度は、かなりまずい。
この男――たしかガウルンといった――と、手下の二人は凄腕《すごうで》だ。二か月前に出会った、タクマの仲間のテロリストたちとはケタが違う。歩き方や身のこなし、全身にまとった静かな殺気《さっき》――それらすべてが、近寄りがたいほどの暴力《ぼうりょく》の匂《にお》いを漂《ただよ》わせている。恐《おそ》らく彼らは、息をするように人を殺せるプロなのだろう。素人《しろうと》のかなめでも、それがひしひしと伝わってきた。
たぶん、宗介よりも強い。
そんな漠然《ばくぜん》とした思いが、根拠《こんきょ》もなく鎌首《かまくび》をもたげてくる。
男たちはかなめを引き連れ、だれもいない通路《つうろ》を進んでいった。丸い頭の巨漢《きょかん》が先頭を進み、次にガウルンとかなめ、最後尾《さいこうび》を痩《や》せたナイフ使いが歩いていく。
階段を上がり、いくつかの戸口を抜けて、彼らが出たのは―― <トゥアハー・デ・ダナン> の心臓部《しんぞうぶ》・中央|発令所《はつれいじょ》だった。
艦長席《かんちょうせき》のテッサは、ベリルダオブ島での戦闘記録《せんとうきろく》に目を通していたところだった。
小さな劇場《げきじょう》のような構造《こうぞう》の発令所で、当直《とうちょく》についていたクルーの数はわずか九名。座席《ざせき》の半分近くが空いている。マデューカス副長《ふくちょう》も席をはずしていた。
まず、扉《とびら》に一番近い席に座《すわ》ったクルーが彼らに気付いた。
そのクルーは立ちあがりかけたところで、鼻柱《はなばしら》にダニガンの拳《こぶし》を食らって、座席《ざせき》の向こう側《がわ》に吹《ふ》っ飛《と》ばされた。その悲鳴《ひめい》と物音《ものおと》を聞いて、残りのクルーたちが一斉《いっせい》に入り口近くに注目する。
一拍《いっぱく》遅《おく》れて、テッサもそちらを見た。
「…………!」
SRTのダニガン軍曹《ぐんそう》。グェン伍長《ごちょう》に引きたてられた千鳥《ちどり》かなめ。
そして――サブマシンガンを持ったガウルン。
テッサは全身が総毛《そうけ》だつような寒気《さむけ》を覚えた。その四人を見ただけで、だれが裏切ったのか、そしてなにが起きようとしているのかを知ったのだ。
その場のクルーのほとんどが、席から腰《こし》を浮《う》かしていた。彼らがガウルンたちに飛びかかろうとする寸前《すんぜん》、テッサは叫《さけ》んだ。
「だめよっ!」
クルーが凍《こお》りつく。
「絶対《ぜったい》にだめ。これは命令です!」
二、三人が犠牲《ぎせい》になっても、なんとか取り押さえられるとでも思ったのだろう。
だがSRT要員《よういん》の戦闘力《せんとうりょく》を、テッサはよく知っていた。宗介、マオ、クルツ、マッカラン、ヤン……どれも善良《ぜんりょう》な人間だが、彼らは同時に、ほとんど超人的《ちょうじんてき》な殺人|技術《ぎじゅつ》の持ち主でもあるのだ。ダニガンとグェンも例外ではない。この二人ならば、素手《すで》でもこの場の全員を皆殺《みなごろ》しにできるだろう。
ましてや、銃器《じゅうき》を使われては。必要《ひつよう》がない限《かざ》り、艦内《かんない》ではどのクルーも武器を携行《けいこう》しない決まりだ。特に発令所への銃器・刃物の持ち込みは厳禁《げんきん》だった。実のところ、彼女はその禁《きん》を自ら破《やぶ》って、ひそかに小型の自動拳銃を隠《かく》し持っていたのだが――この三人を相手にしては、銃などなんの役にも立たない。
「さすが艦長どの。きちんとわきまえていらっしゃる」
のんきな声でガウルンが言った。それからテッサに銃口を向けて、
「聞きましたかー、みなさん? 変なこと、しない方がいいですよー。たとえば警報《けいほう》鳴《な》らすとか。そういうことをすると、かわいいかわいい艦長さんが、とてもヒドい目に遭《あ》います。どれくらいヒドいかというと、X指定《してい》です。未成年は、見てはいけないようなことをする方針《ほうしん》です。了解《りょうかい》?」
クルーたちは固い表情のまま、ゆっくりと座席《ざせき》に腰《こし》を戻《もど》した。
「やってごらんなさい。あなたたちが生きてこの船から出ることはありませんよ」
テッサが挑《いど》むように言うと、ガウルンは心から嬉《うれ》しそうに、
「うーん、かわいい! いい職場《しょくば》だなぁ。実はおまえら、もったいないことしたんじゃないか?」
ダニガンとグェンを見ると、二人は苦笑した。
「俺たちは関係ない、俺たちは」
「別に、なんかさせてくれるわけでもねーしな」
「なるほど。あ……ところで、カナちゃんはそっちに行ってね。二人とも大事《だいじ》な人質《ひとじち》だからね」
ガウルンは腕《うで》を引いて、かなめをテッサのそばに立たせた。
「カナメさん。怪我《けが》はありませんか?」
「うん……。でも、兵隊さんが一人……その……」
かなめが青ざめたまま、口籠《くちご》もった。
たぶん、殺されたのだ。だれだろう。テッサは苦い胸の痛みを感じたが、どうにかしてそれを心の中から追い出した。
「では、そろそろ本題《ほんだい》に移《うつ》ろうか。艦長さん。針路《しんろ》を北西の……そう、三―〇―〇にしてもらおうかな」
「お断《ことわ》りです」
「ふーん。これでも?」
ガウルンが一番手近なクルーに、サブマシンガンの銃口を向けた。
「やめて……!」
かなめが叫んだ。
銃を向けられたそのクルー――甲板士官《かんぱんしかん》のゴダート大尉《たいい》は、厳《きび》しい顔を崩《くず》すことなく、なにかを覚悟《かくご》したように息を呑《の》んだ。
「いけません、艦長」
まっすぐにテッサを見る。
「…………」
「自分は恨《うら》んだりしません。ほかの者もです。どうか――」
「じゃあ死んじまいな」
ガウルンが引き金を引こうとしたその直前《ちょくぜん》、
「待って」
テッサは言った。こらえきれなかった。無理《むり》だった。
ガウルンの指が止まる。
「おや? お断《ことわ》りじゃなかったのかい?……ククク」
相手の屈服《くっぷく》を楽しむように、テロリストは何度もうなずいた。
「…………取り舵《かじ》。針路三―〇―〇」
弱々しくつぶやく。
「艦長……!」
「まだ大丈夫《だいじょうぶ》です! 針路|変更《へんこう》くらいなら……。聞こえなかったの? 取り舵、針路三―〇―〇よ……!」
甲板士官が力なくうなずき、それを復唱《ふくしょう》した。一人の操舵手《そうだしゅ》が艦を動かす。ほぼ真北に向かっていた <デ・ダナン> は、ゆっくりとその舳先《へささ》を北西へとめぐらしはじめた。
これはまだ許容範囲《きょようはんい》だ、とテッサは自分に言い聞かせた。
だが限界深度《げんかいしんど》へ潜航《せんこう》したり、兵装《へいそう》を発射《はっしゃ》したり、パラジウム・リアクターの出力《しゅつりょく》をいじったり――そういった危険《きけん》な要求《ようきゅう》をされたら、今度こそ本当に突っぱねるしかない。たとえこの場の全員が、一人ずつ殺されていったとしても。
時間を稼《かせ》ぐしかない。そうすれば、発令所の外のクルーが異状《いじょう》に気付いて――もう気付いているかもしれない――状況《じょうきょう》も変わってくる。敵はおそらく、この三人だけだ。マデューカスやマッカランたちが知恵《ちえ》を絞《しぼ》れば、なんとかなる。
カリーニン少佐を島に置いてきたのは、手痛《ていた》い失敗だった。彼がこの艦内にいれば、どれだけ心強いことか……。
「時間を稼げばどうにかなる、とか思ってるのかな?」
ガウルンが言った。
「…………」
「ところが、だ。実はいまのは余興《よきょう》でねぇ。君が言うことを聞いてくれないときのために、こういうのも用意してあるんだよ。……ククク」
一枚の四角いディスクを取り出す。
ガウルンは艦長席の個人用スクリーンと、それに接続《せつぞく》されたコンピュータのモジュールをひとしきり観察《かんさつ》した。それは艦全体を統合管理《とうごうかんり》する、マザーAI <ダーナ> に直結《ちょっけつ》している数少ない端末《たんまつ》の一つだった。
まさか。
その可能性《かのうせい》を考えて、テッサは戦慄《せんりつ》した。
スロットルを確認《かくにん》してから、ガウルンは持っていたディスクを挿入《そうにゅう》する。
「んー……。これと……これ、ね……。わかりにくいなー。ったく……」
トラック・ボールで画面上のカーソルを動かし、キーボードを叩《たた》く。
「よし……と」
エンター。窓《まど》が表示《ひょうじ》される。ディスクの中のデータが、みるみる端末《たんまつ》へと吸《す》い出されていって――
<<COC準備中《じゅんびちゅう》/残り時間00:00:05>>
続いて表示。
<<警告《けいこく》/COCの実行は、T・テ A?t タロッサ大佐《たいさ》の承認《しょうにん》か dx‰戦本部の ‰i? 必要《ひつよう》です。パスワー A?a?O 入力を音 R?I? て D‰i?d?μ?U?・? 警 B‰e!!!!!!!!>>
<<………………>>
画面がブラックアウト。発令所《はつれいじょ》の正面スクリーンも、一瞬《いっしゅん》、真っ暗になる。
「そんな……そんな……」
テッサは青ざめ、そうつぶやくのがやっとだった。かなめやクルーたちは、なにが起きたのかも分からず、不安顔で彼女を見つめている。
彼らの疑問《ぎもん》は、回復《かいふく》したスクリーンの文字が教えてくれた。
<<ようこそ、ガウルン艦長《かんちょう》/ご指示《しじ》をどうぞ/あらゆる、ご指示をどうぞ>>
ガウルンは口笛《くちぶえ》を吹くと、テッサの肩《かた》にぽんと手を置いた。
「だってさ? 機械《きかい》ってのは薄情《はくじょう》だよな」
「…………」
COCとは、『指揮官交替《チェンジ・オブ・コマンド》』の略《りゃく》である。通常、テッサ以外にはできないはずの、艦長の登録《とうろく》が更新《こうしん》されてしまったのだ。たった一枚のディスクに入ったウィルスによって。<デ・ダナン> のプログラム言語語『|BAda《ベイダ》』は、ごくわずかな人間しか使いこなせないのに。
こんな芸当《げいとう》ができる人間は、彼女の思いつく限《かぎ》り一人しかいなかった。
「彼なのね……? 彼を……知っているの?」
「ククク……そういうこと。『よろしく』だとさ。だがね……とこまでスムーズにいくと、たぶん、あんたは彼と会うことになるよ」
テッサはすべて理解《りかい》した。これこそ『彼』の手痛い挨拶《あいさつ》。ガウルンと彼は組《く》んでいた。そしてこの男は、自分をこの艦ごと、彼の元へ引き渡そうとしているのだ。
「さて、AIくん?」
<<イエス、キャプテン?>>
どことなく官能的《かんのうてき》な女性の声。マザーAIの <ダーナ> が反応《はんのう》した。すでにガウルンの声紋《せいもん》データも入力されているのだろう。
「ちょっと避難訓練《ひなんくんれん》でもしてみようか。火災《かさい》とリアクター事故《じこ》の警報《けいほう》を鳴らしてくれ。主格納庫《しゅかくのうこ》に全員集合!」
<<アイ・サー>>
たちまち、ぞっとするようなサイレンの音が艦内に鳴《な》り響《ひび》いた。
[#改ページ]
5:蒼溟《そうめい》の中へ
[#地付き]八月二八日 〇五〇〇時(グリニッジ標準時《ひょうじゅんじ》)
[#地付き]西太平洋 USS <パサデナ>
「アラーム音だと?」
ソナー員の報告《ほうこく》を聞いて、セイラー艦長《かんちょう》は怪訝顔《けげんがお》をした。
「はい。方位一―五―八、変温層《サーモ・レイヤー》の下です。推進音《すいしんおん》はまったく感知《かんち》できませんが、動いていますね。たぶん南東から北西へ。かなりの高速《こうそく》のようですが……」
「どれ。聞かせろ」
ヘッドセットを受けとって、耳にあてる。
がー、がー、と猛獣《もうじゅう》が吠《ほ》えるようなサイレンの音。その向こうで、淡々《たんたん》とした女の声が聞こえる。英語なのは確かなようだったが、なにを喋《しゃべ》っているのかは不明瞭《ふめいりょう》で聞き取れなかった。
「ふむう……」
なにかの事故《じこ》だろうか?
ただ、その音源《おんげん》が潜水艦《せんすいかん》であることはまちがいなかった。しかもサイレン以外《いがい》はまったく無音《むおん》で、高速《こうそく》。この艦《かん》のソナーをもってしても、スクリューの音が聞き取れない。そしてこの海域《かいいき》にいる潜水艦《せんすいかん》は <パサデナ> だけのはず。
つまり、この音源は――
「艦長、『トイ・ボックス』ですよ!」
タケナカ副長《ふくちょう》に先に言われて、セイラーはむっとした。
「どうして貴様は……そう、アレなのだ……」
「え?」
「まあいい。なんにせよやっこさんめ、尻尾《しっぽ》を出したわけだな。……前進《ぜんしん》三分の一、深度《しんど》一八〇に浮上《ふじょう》! トイ・ボックスを待《ま》ち伏《ぶ》せるぞ!」
「アイ・サー。前進三分の一。深度《しんど》一八〇!」
海水のヴェールに身を隠《かく》すため、<パサデナ> はゆっくりと浅い海に上がっていった。
[#地付き]<トゥアハー・デ・ダナン> 主格納庫《しゅかくのうこ》
耳をつんざくほどのアラームと、AIの警告《けいこく》。
それらに叩《たた》き起《お》こされた乗員《じょういん》たちが、一斉《いっせい》に主格納庫へとなだれ込んでいく。彼らの表情《ひょうじょう》に恐怖《きょうふ》はなく、ただ当惑《とうわく》と――ある種《しゅ》のけだるさが漂《ただよ》っていた。動きはきびきびとしていたし、酸素《さんそ》マスクや救命胴衣《きゅうめいどうい》を回す手際《てぎわ》、そして武器弾薬《ぶきだんやく》をより安全な艦首《かんしゅ》の方へ移動《いどう》させる能率《のうりつ》も一〇〇点|満点《まんてん》だったが、それでも不平《ふへい》の色は濃厚《のうこう》だった。
こんなときに火災訓練《かさいくんれん》とは、テスタロッサ嬢《じょう》も意地《いじ》が悪い。そんな気分の者が大半だ。
<<すべての乗員は前部・主格納庫へ退避《たいひ》せよ。繰り返す、第二|機関室《きかんしつ》にて火災が発生。これは訓練《くんれん》である。第一コンパートメントに――>>
警報《けいほう》によると、火災は艦の最後尾《さいこうび》、機関室《きかんしつ》で起こったそうだった。その事故で大量《たいりょう》の煙《けむり》と有毒《ゆうどく》ガスが発生《はっせい》。さらに動力炉《どうりょくろ》が制御《せいぎょ》を失《うしな》い、危険《きけん》な中性子|漏《も》れを起こしているという。
そんな破滅的《はめつてき》な事故《じこ》は、AIか艦長が暴走《ぼうそう》したりでもしない限《かぎ》り、起こるはずのない状況《じょうきょう》だった。無論《むろん》、備《そな》える必要《ひつよう》があるのは確《たし》かだったが――
(妙《みょう》だ)
と、宗介《そうすけ》は思った。その他の下士官《かしかん》や、一握《ひとにぎ》りの将校《しょうこう》も同じ顔をしている。
いま艦内には重要《じゅうよう》な捕虜《ほりょ》がいるし、周囲《しゅうい》にはアメリカ軍の艦船《かんせん》がまだいるかもしれないのだ。その状況で火災訓練など。あの聡明《そうめい》な少女が、こんな戯《たわむ》れをするだろうか?
忙《いそが》しく動き回る二〇〇名のクルーでごった返した主格納庫を、宗介は駆《か》けずりまわった。
(千鳥《ちどり》……千鳥はどこだ……?)
見当《みあ》たらない。手ごろな水兵《すいへい》を捕《つか》まえてたずねても、誰も『見ていない』という。コックのカスヤ上等兵《じょうとうへい》も知らなかった。
かなめを探しに行こうと、宗介は格納庫から艦の後部《こうぶ》に続く扉《とびら》へ走る。だがそのそばに立っていた中尉《ちゅうい》が、彼を制止《せいし》した。
「いかん! これから扉を閉める!」
訓練《くんれん》のシナリオ上では、すぐそこまで有毒ガスが迫《せま》っている状況《じょうきょう》だった。
「客人《きゃくじん》のチドリ・カナメがいません。探しに行かせてください」
「だめだ! ここから後ろの人間は、もうすべて死んでいる!」
もちろん仮想上《かそうじょう》のことである。
「しかし――」
「あとで会ったら、『君は死んだ』と教えてやれ。あきらめろ、命令《めいれい》だ!」
「そっ……」
「命令だと言った!」
中尉《ちゅうい》が重《おも》たい水密扉《すいみつとびら》を閉《し》めようとした。独立《どくりつ》したサーボ・モーターの力で、厚《あつ》さ四〇センチの扉がゆっくりと回っていく。それは一度ロックされたら絶対《ぜったい》に外れない、おそろしく頑丈《がんじょう》な扉の一つで、艦の前部と後部を完全《かんぜん》に隔絶《かくぜつ》するものだった。
いやな感じがした。
この不審《ふしん》な火災訓練《かさいくんれん》。聞こえてこないテッサの肉声《にくせい》。ガウルンの存在《そんざい》。見当たらない千鳥かなめ。
だが上官《じょうかん》が『駄目《だめ》だ』と言っているのだ。命令違反《めいれいいはん》は許《ゆる》されない。宗介は棒立《ぼうだ》ちして、閉まっていく扉を眺《なが》めていた。あの向こうに、かなめがいるのに。
(千鳥――)
ここにいたら、もう会えなくなる。そんな無根拠《むこんきょ》な予感《よかん》が胸中《きょうちゅう》であふれかえった。
最後《さいご》に会ったときの彼女の顔が脳裏《のうり》に浮《う》かぶ。失望《しつぼう》と落胆《らくたん》で灰色に染《そ》まった瞳《ひとみ》。そして彼女の言葉。
(……あたし、これでも心配してたんだよ? なのに……)
だというのに。俺《おれ》ときたら。こんな場所で、また『命令』とやらに――
次の瞬間《しゅんかん》、宗介は扉の隙間《すきま》にすべり込んでいた。
「あ、こら。貴様……」
直後《ちょくご》、彼の背後《はいご》で水密扉が閉じ、野太《のぶと》いシリンダーがスライドする昔がした。安っぽいブザーと共《とも》に、電磁《でんじ》ロックが鋭《するど》くかかる。
残響《ざんきょう》。
格納庫の喧噪《けんそう》が嘘《うそ》のように消え、アラームだけが耳に残る。
彼の眼前《がんぜん》には、無人《むじん》の通路《つうろ》があった。薄闇《うすやみ》の中で、赤い非常灯《ひじょうとう》がちかちかと明滅《めいめつ》している。
一〇歩ほど進むと、待機室《たいきしつ》への戸口に、野戦服姿《やせんふくすがた》の男が立っていることに気付いた。肩を壁《かべ》にもたれて、腕組《うでぐ》みしている。
クルツ・ウェーバーだった。
「クルツ……?」
「いいのかよ。命令違反だぜ?」
床《ゆか》に視線《しせん》を落としたまま、彼が言った。
「そう言うおまえは、なぜここにいる」
「俺ぁな、基本的《きほんてき》に団体行動《だんたいこうどう》が嫌《きら》いなタイプなんだよ。特に避難訓練《ひなんくんれん》の類《たぐい》はな」
「それだけか」
「それだけさ」
クルツは小さく鼻を鳴《な》らした。
「しかしまあ……だれか来るだろうとは思ってたが、おまえとはね」
「おかしいか?」
「ふふ……いや。どうかな。むしろ『やっぱり』ってところかもな」
二人はようやく目を見合《みあ》わせた。すでに、なんのわだかまりもなかった。
「…………。たぶん、まずいことが起きてる」
「ああ。マッカランもいないんだ。ほかにも何人か……。ペギーおばさんに聞いたら、マオも病室《びょうしつ》から姿を消してたらしい」
やはりクルツも、この警報《けいほう》が妙《みょう》だと思っているようだ。
なにかが起きている。いまやそれは、宗介の中で確信《かくしん》に近いものになっていた。
クルツが宗介に近付いてきて、彼の背中《せなか》をぽんと叩《たた》いた。
「行くか」
「ああ」
一人は走り出した。
武器《ぶき》はなかった。情報《じょうほう》もだ。後ろ半分だけとはいっても、艦内は広大《こうだい》である。見通しも立たず、孤立無援《こりつむえん》。
だが少なくとも、ここにいるのはこの艦で最良《さいりょう》のコンビだった。
<トゥアハー・デ・ダナン> という潜水艦《せんすいかん》は、巨大で複雑《ふくざつ》な構造物《こうぞうぶつ》だ。だがその艦体《かんたい》は、単純《たんじゅん》に考えればわずか二つの区画《くかく》に分けることができる。
前部と、後部である。
前半分には、格納庫、魚雷《ぎょらい》やミサイルの発射装置《はっしゃそうち》、武器弾薬庫《ぶきだんやくこ》などの『兵器』の機能《きのう》。
後半分には、発令所《はつれいじょ》、機関室《きかんしつ》、動力炉《どうりょくろ》、居住区《きょじゅうく》、食堂などの『船』の機能。
この二つの間には、分厚《ぶあつ》く堅牢《けんろう》な隔壁《かくへき》が挟《はさ》まっている。片方が壊滅的《かいめつてき》な損害《そんがい》を受けて、そのすべてが浸水《しんすい》しても、もう片方は無事《ぶじ》になるよう設計《せっけい》されているのだ。
ガウルンが出した避難命令《ひなんめいれい》は、乗員を『前部』の格納庫へと移動《いどう》させるものだった。
そして発令所《はつれいじょ》は『後部』。
つまり、ガウルンは乗員を隔離《かくり》してしまったのだ。
乗員たちは決して馬鹿《ばか》ではなかったが、緊急《きんきゅう》の避難命令《ひなんめいれい》を無視《むし》するような人間でもない。こうした警報《けいほう》が出た場合、異論《いろん》は挟《はさ》まず、黙々《もくもく》と指示《しじ》に従《したが》うしかないのだ。
乗組員《のりくみいん》の避難《ひなん》が終わり、隔壁の扉が閉まって、それをマザーAI <ダーナ> が完全《かんぜん》にロックした。格納庫側からその扉を開けることは、もはや不可能《ふかのう》になった。
「つまり、助けはもう来ない、ってことだよ」
ガウルンが言った。
発令所のクルーは、テッサとかなめを除《のぞ》いて全員が手錠《てじょう》と鎖《くさり》で数珠《じゅず》つなぎにされ、発令所の隅《すみ》に縛《しば》り付けられていた。もはや飛びかかりたくとも飛びかかれない状態《じょうたい》だ。
「これで心置きなく、俺《おれ》はこの船を動かすことができる。うまい手だろ?」
「そうは思いませんね」
テッサが冷たい声で言った。
「格納庫にはASがあるわ。単分子《たんぶんし》カッターで隔壁《かくへき》に穴《あな》を開けることは可能《かのう》です。じきに何十名というわたしの部下が、武装《ぶそう》してこの発令所に殺到《さっとう》しますよ?」
「はは。だから、こうしようと思うんだ。……AIくん?」
<<イエス、キャプテン?>>
「前部への生活空気|供給《きょうきゅう》システムを逆流《ぎゃくりゅう》させろ」
<<アイ・サー>>
生活空気供給システムを逆流させる――つまり、酸素《さんそ》を送るのを止めるというのだ。ほとんどの乗員――二〇〇人がそちら側《がわ》にいるのに。そんなことをしたら、彼らはいずれ酸欠《さんけつ》で死んでしまう。
「やめて……!」
「ダメー。こうやって不自由な思いをさせないと、頭のいいあんたの部下たちは、いろいろ悪巧《わるだく》みをするだろうからな」
「それ以前に、みんな死んでしまうわ。お願い、すこしでいいから酸素を――」
「俺に指図《さしず》するなよー。さもないと、今度は本当に動力炉を暴走《ぼうそう》させちまうぞ? 艦を宙返《ちゅうがえ》りさせてみるのも面白《おもしろ》いな。水圧《すいあつ》で潰《つぶ》れるまで、深く深〜く潜《もぐ》ってみるのも楽しいかもしれないねぇ……クク」
いま、艦の制御《せいぎょ》は <ダーナ> による完全自動《かんぜんじどう》モードになっている。ほとんどの操作はガウルンの意のままであり、彼の脅《おど》しは冗談《じょうだん》ではすまないものだった。
そう――高度《こうど》に電子化《でんしか》されたこの <トゥアハー・デ・ダナン> は、制限《せいげん》付きならたった一人で操艦《そうかん》することも可能なのだ。
ただし、それは『艦を動かす』ということにおいてのみである。
膨大《ぼうだい》な情報《じょうほう》を読み取り、状況《じょうきょう》を分析《ぶんせき》し、的確《てきかく》な判断《はんだん》を下すには――専門知識《せんもんちしき》を持つクルーが何十人と必要《ひつよう》になる。舵《かじ》の操作《そうさ》でさえ、熟練《じゅくれん》した操舵手《そうだしゅ》の腕《うで》はコンピュータ制御《せいぎょ》に勝《まさ》る。保守点検《ほしゅてんけん》も、やはり最終的には人間がやらねばならない。この艦《かん》の最大の強み――超伝導推進《ちょうでんどうすいしん》と電磁流体《でんじりゅうたい》制御システムも、クルーなしではまともに使えない。
完全自動《かんぜんじどう》モードはそれらのすべてをAIが代行しようとするため、専門家《せんもんか》なら避《さ》けられるはずの不効率《ふこうりつ》や、致命的《ちめいてき》な事故《じこ》、戦術的《せんじゅつてき》な失策《しっさく》などを招《まね》くおそれがあった。
あくまで、最悪の場合の操艦《そうかん》モードなのである。
この状態《じょうたい》では、普通《ふつう》の軍艦《ぐんかん》一隻《いっせき》から身を隠《かく》すこともままならない。いずれ艦全体が深刻《しんこく》な危険《きけん》に陥《おちい》るのは明白《めいはく》だった。格納庫の部下たちも危《あぶ》ない。
(どうにかしなければ……)
自分の双肩《そうけん》に乗員すべての運命がかかっていることを、かつてこれほど意識《いしき》したことはなかった。部下が死んでしまう。苦楽《くらく》を共にした部下たちが。一人残らず。
テッサは気が遠くなるような重圧《じゅうあつ》を感じながら、懸命《けんめい》に思考《しこう》をめぐらせた。
いま、艦《かん》のAI <ダーナ> はガウルンのことを艦長だと見なしている。通常《つうじょう》の手続きでは、この登録《とうろく》を元に戻《もど》すことはできない。ガウルンの同意《どうい》が必要《ひつよう》だからだ。
だとしたら、<ダーナ> を根本的《こんぽんてき》に乗っ取り返すよりほかない。
<ダーナ> の心臓部《しんぞうぶ》――『|聖母礼拝堂《レディ・チャペル》』と呼ばれている中央コンピュータ室がある。そこにある『特殊《とくしゅ》な機材《きぎい》』で、自分自身を艦と同化させ[#「自分自身を艦と同化させ」に傍点]、制御システムの最深部を直接《ちょくせつ》操作《そうさ》するのだ。
そうすれば、艦《かん》の主導権《しゅどうけん》を <ダーナ> とガウルンから奪《うば》い返すことができる。完全自動モードと同様《どうよう》、艦の制御には限界《げんかい》があるが、格納庫《かくのうこ》に閉《と》じ込められたクルーを助け出せば、この不自由な状態《じょうたい》からもすぐに回復《かいふく》できるだろう。
艦との同化は、危険な作業《さぎょう》だった。航海中《こうかいちゅう》に試《ため》したことは、一度もない。だが、ほかに手段《しゅだん》はなかった。
だとして、どうやってそれを実行するのか? 『聖母礼拝堂』はこの発令所の真下、第三甲板にある。位置的《いちてき》・構造的《こうぞうてき》には近いが、行くには遠回りしなければならない。それに、あの部屋に入るには、艦長室に保管《ほかん》してある|万 能 鍵《ユニヴァーサル・キー》が必要《ひつよう》だ。
ガウルンたちの手を逃《のが》れて、自分にそこまでの行動《こうどう》ができるのか?
銃《じゅう》はある。まだ気付かれていない。座席《ざせき》の下に隠《かく》しておいた、ドイツ製の二二|口径《こうけい》ピストル。小型で、弾《たま》も計七発と少なく、殺傷力《さっしようりょく》は子犬を殺すのがやっとくらい。
それを使って、戦闘《せんとう》のプロ三人から逃走できるだろうか……?
絶対《ぜったい》に無理《むり》だ。
自分ではたちまち連中に捕まるか、殺されるだろう。銃の扱《あつか》いは下手《へた》だし、なによりも足が遅《おそ》い。運動|音痴《おんち》なのだ。こればかりは、自分の意思ではどうにもならない。
しかし『聖母礼拝室』で艦と同化し、<ダーナ> を乗っ取って、一時的にその代わりを務めることができるのは、この艦内では自分だけだ。
ウィスパードの自分だけ。
ほかのクルーには決してできない。そう、ほかの人間には――
いや。
すぐそばに、もう一人――
黙《だま》って事態《じたい》を見守っていたかなめは、そのとき、内心《ないしん》でぎょっとした。
かたわらのテッサが、こちらを見ている。その表情が、尋常《じんじょう》ではなかったのだ。
まるでかなめに向かって、銃かナイフを突《つ》きつけているような顔だった。いつもは愛らしいその瞳《ひとみ》が、いまは死人《しびと》のように大きく見開かれている。すさまじい苦悩《くのう》と躊躇《ちゅうちょ》が、彼女の眉目《びもく》に見え隠《かく》れしていた。それこそ『死んでください』といわんばかりの。
この子は、あたしにとんでもないことを押し付けようとしている――
かなめは直感的《ちょっかんてき》にそう悟《さと》った。
「…………」
ガウルンは少し離れたコンソールに腰かけて、生ハムをかじっている。ダニガンと呼《よ》ばれていた大男は、ときたまかなめを見てにやにやしていた。グェンと呼ばれていた方の男は、二つある発令所の出入り口のうち、片方に寄《よ》りかかって煙草《たばこ》を吸《す》っている。
ややあって、テッサが横からかなめの手をそっと握《にぎ》った。細い指が、じっとりと汗《あせ》ばんでいる。彼女が手を放《はな》すと、かなめの掌中《しょうちゅう》に二つのもの――小さな紙切れと、小さな鍵《かぎ》が残された。
(ちょっと、これってどういう――)
そう思った瞬間《しゅんかん》、彼女は声を聞いた。
(わたしの金庫《きんこ》の鍵です)
テッサの声……のように思えた。いや。誰も喋《しゃべ》っていない。ひそひそ声でさえ、なかった。ガウルンも、ダニガンもグェンも、ほかのクルーたちも喋っていないし、それに気付いてもいない。
テッサは焦点《しょうてん》の合わない目で、正面《しょうめん》スクリーンをぽおっと眺《なが》めているだけだった。
(……中して。集中を……。これが共振《きょうしん》……振です。感じて……)
(え……)
なにかが胸の奥に染み込んでくる感覚《かんかく》。しっとりとした、柔《やわ》らかいなにか。頭蓋《ずがい》の中を反響《はんきょう》する、知らない思考《しこう》。
「……金庫から別の鍵……ユニヴァーサル・キーを出して。第三|甲板《かんばん》……レディ・チャペルを探して……そこでもう一度、これを……共……振を)
(待ってよ。『レディ・チャペル』って?)
(次が……本番……賭《か》けるしか……)
(どういうこと? 鍵で、どうするの? ねえ?…‥ねえったら。ねえっ!?)
はっとした。自分が大声で『ねえっ!?』と叫《さけ》んでいたことに気付いたのだ。
ガウルンたちが、不審《ふしん》な日でこちらを見ている。
「『ねえ』って……?」
ハムをくちゃくちゃと噛《か》みながら、ガウルンが言った。
「い、いや……その……」
きわどいところで、鍵と紙片を手の中に隠《かく》す。となりでテッサが、ほとんど絶望《ぜつぼう》ともつかないような、深いため息をついていた。
「気になるなあ。いきなり『ねえ』って、なんだよ? 普通、そういうこと、こういう場所じゃ言わないだろ。教えてもらいたいなー。ねえ?」
ガウルンが近づいてくる。軽い足取り。その視線《しせん》が、ふとかなめの握《にぎ》り拳《こぶし》にとまる。
「なにを持ってる? 見せなよ」
「…………」
「見せな、って言ってるんだがね。聞こえねえのか」
棒立《ぼうだ》ちした、かなめの腕《うで》に手をのばす。
同時《どうじ》にテッサが動いた。
彼女の震《ふる》える手には、小さなピストルが握《にぎ》られていた。その銃口《じゅうこう》をガウルンに向け、ほとんど目を閉じたまま、引き金を引く。
軽く、乾《かわ》いた銃声が発令所に響《ひび》いた。
ガウルンが首筋《くびすじ》を押さえて、のけぞり返った。
「カナメさん、逃げてっ!」
テッサは叫ぶと、発令所の出口にいたグェンめがけて、たて続けに発砲《はっぽう》した。それなほとんどでたらめの、闇雲《やみくも》な射撃《しゃげき》だったが――グェンはとっさの反応で、その身を床《ゆか》に投げ出した。並《なみ》の兵士ならば、突《つ》っ立《た》ったまま銃弾《じゅうだん》を食らっていたかもしれない。
自分でも驚《おどろ》いたことに、かなめは躊躇せずダッシュしていた。
テッサが銃を持っていたことも、その彼女が人を撃ったことも、逃げてどうするのかということも――すべて考えるのは後回しにした。
ここでためらったら、なにもかも、ふいになる。それだけは理解《りかい》できた。
よろめいたガウルンの脇《わき》をすり抜ける。ダニガンが後ろから飛びかかってきた。ぬっと伸《の》びてきた手が、彼女のパーカーをつかむ。布《ぬの》が裂《さ》ける音がした。肩口《かたぐち》から破《やぶ》れたパーカーの袖《そで》が、ダニガンの手の中に残る。
[#挿絵(img/03_277.jpg)入る]
いける。逃げられる。普通なら転倒するところだったが、かなめは驚異的《きょういてき》なバランス感覚《かんかく》で姿勢《しせい》を立て直し、そのまままっしぐらに出口へと走った。身を起こしたグェンの手前で、椅子《いす》を踏《ふ》み台《だい》にして跳躍《ちょうやく》。男を飛《と》び越《こ》し、戸口を抜《ぬ》ける。
直後《ちょくご》、すぐそばの壁《かべ》で着弾《ちゃくだん》の火花が散った。
「止まれ!」
発砲したダニガンの怒鳴《どな》り声。かなめは止まらなかった。発令所から離《はな》れ、低《ひく》く飛ぶようにして通路《つうろ》を駆《か》け抜《ぬ》ける。頭上で銃弾《じゅうだん》がはじけたが、かまわずに角を曲がり、なお無我《むが》夢中《むちゅう》で逃げ続けた。後ろから重たい足音が追ってくる。そして獰猛《どうもう》なうなり声。
(小娘《こむすめ》め。殺してやるぞ、小娘め……!)
視界《しかい》がにじんでいた。
自分は泣いているのだと、かなめは走りながら気付いた。
残してきたテッサの運命と、これからの自分のことと、新品のパーカーが台無《だいな》しになったこと――それらすべてが涙《なみだ》の理由《りゆう》だった。
「おい」
宗介が言うと、クルツが立ち止まった。ごつい鉄パイプを握《にぎ》った彼は、通路《つうろ》の天井《てんじょう》を見上げ、目を細める。
「銃声……だな。たぶん、二二|口径《こうけい》が七発。……ありゃあ、ワルサーか?」
「発令所の方角だ」
「やっぱりか、くそっ」
「急ごう」
「わーってるよ。でもなぁ……こう入り組んでると」
彼らのいる第四甲板は、区画《くかく》のあちこちで水密扉が閉鎖《へいさ》され、ロックされていた。まっすぐに発令所に向かいたくても、向かえない状態《じょうたい》だ。空《あ》いてる扉を探すうちに、大きく回り道をしてしまっている。
行き止まりだらけで、普段《ふだん》のルートがまったく使えないのだ。
「艦のほとんどが、<ダーナ> の完全支配《かんぜんしはい》を受けている」
「ああ。その理由も、なんとなくわかったな。しっかし……便利《べんり》な船だぜ。ったく」
「とにかく、走るしかない」
「そういうことだな」
二人は先を急いだ。
かなめが発揮《はっき》した瞬発力《しゅんぱつりょく》には、発令所内のだれもが驚いていた。
テッサの後ろで、ただ怯《おび》えているだけの少女だと思っていたら――これである。屈強《くっきょう》な戦闘員《せんとういん》を振《ふ》りきり、銃弾を浴《あ》びてもひるまず、それこそ疾風《しっぷう》のように消えた。ガウルンたちも、完全《かんぜん》に不意《ふい》を打たれた形だ。
まったく、あっけに取られるほどの敏捷《びんしょう》さだった。
かなめを追って、ダニガンが駆け出していった。逃げ切れるかどうかは――神のみぞ知る、だ。賭《か》けるしかない。
(カナメさん、どうか……)
テッサは祈《いの》るように心中でつぶやいた。
彼女の銃は弾《たま》切《ぎ》れだった。だがこの非力な二二口径は、見事《みごと》な役目《やくめ》を果たしてくれたといえる。もしこの銃に二つの目があったら、きっと自分にウインクしているだろう。ワルサーTPH。テッサははじめて、銃器《じゅうき》の名前に愛着《あいちゃく》を覚えた。
もっとも、これが最後になるかもしれなかったが。
首筋を押さえ、身を折《お》っていたガウルンが、ゆっくりとテッサに向き直った。指の隙間《すきま》から、わずかに血が滴《したた》っている。弾丸《たま》は首をかすっただけで、致命傷《ちめいしょう》にはならなかったようだ。残念《ざんねん》。
テロリストが口の端《はし》を吊《つ》り上げた。
無機質《むきしつ》な微笑《びしょう》。その瞳は茶褐色《ちゃかっしょく》に濁《にご》り、暗い感情で燃《も》えさかっていた。きっといま、この男の頭の中では、テッサは何百回となく殺され、刻《きざ》まれ、ずたずたに解体《かいたい》されていることだろう。
ようやく姿《すがた》を見せた。これがこの男の本性《ほんしょう》なのだ。
「……やるじゃないか。お嬢《じょう》さん」
まったく抑揚《よくよう》のない声で、ガウルンが言った。テッサは精一杯《せいいっぱい》強がって、
「かわいそうだから、はずしてあげたの。感謝《かんしゃ》してくださいね?」
「そうかい」
ガウルンは彼女の三つ編《あ》みの髪《かみ》をつかんで、乱暴《らんぼう》に引き寄せた。
「んっ…………」
苦痛《くつう》に思わず声がもれる。首が折れるかと思うほどの力だった。男は血に濡《ぬ》れた手で、テッサのあごをぐいとつかみ、鼻息がかかるほどに自分の顔を近づけた。発令所のクルーたちはそれを見て、じたばたともがいたが――手錠《てじょう》と鎖《くさり》につながれて何もできなかった。
「調子《ちょうし》に乗るなよ、雌豚《めすぶた》」
「っ……ぁっ……」
「おまえを『殺すな』とは言われてるがね。正直《しょうじき》、そんな指示《しじ》なんざ、どうでもいいんだよ。はらわた引きずりだして、部屋《へや》を一周《いっしゅう》させてやろうか? え?」
「う……っ……」
爪先立《つまさきだ》ちして、必死《ひっし》にこらえていると、ガウルンは彼女を床《ゆか》に突《つ》き倒《たお》した。首の血を拭《ふ》き、グェンに告げる。
「あんたもあの娘を追え。どうせ艦《かん》の前部《ぜんぶ》には逃げられんからな。捕《つか》まえたら、足の一本でも折《お》っとくといい」
「あんたは?」
「ここは一人で充分《じゅうぶん》だよ。あと……避難命令《ひなんめいれい》を無視《むし》したクルーもいるかもしれん。見つけたら殺しといてくれ。 OK?」
「承知《しょうち》した」
グェンが淡白《たんぱく》に答えて、発令所を出ていった。
「さて……元・艦長さん。俺《おれ》はとても怒《おこ》ったよ。だがあんたは、まだ殺さないでおく。そこで、こんなペナルティを思いついた」
ガウルンは紙ナプキンで首の血を拭き、艦長席のそばまで歩くと、音声命令のスイッチをいれた。
「AI。潜望鏡深度《せんぼうきょうしんど》まで浮上《ふじょう》しな。速度《そくど》は五ノット。ESMで付近の水上艦を探せ」
<<アイ・サー>>
艦がみるみると浮上をはじめた。急な上げ舵《かじ》で乱流《らんりゅう》が発生し、いつもは静かな艦体がみしみしとうなる。これだけで、付近《ふきん》に潜水艦がいたら探知《たんち》されてしまうことだろう。
「な、なにを――」
「すぐわかるよ。そう、すぐにな……ククク」
かなめが掃除《そうじ》の用具入れの蔭に身を潜《ひそ》めていると、離《はな》れた通路を、追っ手の足音がどすどすと通り過《す》ぎていった。
どうやらやり過ごしたらしい。
もう大丈夫《だいじょうぶ》だろうか? いや、わからない。でも、ここにいても始まらない。
かなめはそっと、用具入れの脇から滑《すべ》り出た。破《やぶ》れたパーカーは、かろうじて肩に引っかかっているような状態《じょうたい》だ。鬱陶《うっとう》しいので、脱《ぬ》ぎ捨《す》てる。足音が心配なので、トレッキング・ブーツも脱いだ。あのとき、サンダルの方をはいてたら逃げられなかったかもしれない。命を救ったブーツの値段《ねだん》は、一足一万三千円。あとで回収《かいしゅう》に戻《もど》らなければ。
これでタンクトップとショート・パンツのみ。ほとんど裸同然《はだかどうぜん》だった。
裸足《はだし》で歩き出す。床《ゆか》は冷たかった。
艦が大きく動いていた。わずかに床が傾《かたむ》く。それが前なのか後ろなのかは、彼女にはわからなかった。
ロックのかかった扉だらけで、艦長室に行くのは苦労《くろう》した。追っ手のあの男――ダニガンも恐《こわ》い。どこかに潜《ひそ》んで、待ちうけているかもしれない。角の向こうや、半開きのドアの奥――そういったものが、いまのかなめには恐怖《きょうふ》の的《まと》だった。
艦長室まで来た。
合い鍵を使って中に入る。この鍵は、艦に泊《と》まり出してからテッサに借《か》りていたものだった。もう一つの、先ほど預《あず》かった鍵――金庫の鍵。それこそが重要《じゅうよう》なのだ。
壁に埋まった金庫は、一四型テレビほどの大きさだった。鍵をさし込み、回す。テッサから受け取った紙切れには、八ケタの番号が書き込んであった。プッシュ・ボタンをかちかちと押して、暗唱《あんしょう》番号を入力《にゅうりょく》する。
(3、1、1、2、8、7、6、5……と)
電子ロックが解除《かいじょ》され、金庫の扉はあっけなく開いた。中を覗《のぞ》く。分厚《ぶあつ》いファイルと、なにかの書類《しょるい》と、宝石箱のような四角いケース。直感的《ちょっかんてき》に、その『宝石箱』を手にとって開けると、小指大の頑丈《がんじょう》な鍵が入っていた。柄《え》の部分に『UNV』の刻印《こくいん》がある。
これがユニヴァーサル・キーだ。間違《まちが》いないだろう。テレビゲームのRPGなら、アイテム入手の効果音《こうかおん》が鳴《な》っているところだ。
実際《じっさい》、ほかには鍵のようなものは見当たらなかった。ほかには――
「…………」
金庫の奥に、写真立てが置いてあった。いまも伏《ふ》せてある。暗闇《くらやみ》の中に、ひっそりと。
パーティの後、はじめてこの部屋に案内されたときの写真立て。テッサが『暗号がどうの』とか言って、あわててここに隠したのだった。
見ることはない。勝手に見るのは、ルール違反《いはん》だ。
(でも……)
やはり。だが。どうも――気になる。
かなめはいけないと患いながらも、その写真立てに手を伸《の》ばしてしまった。
それは予想《よそう》通《どお》り、宗介《そうすけ》の写真だった。どこかの岩のそばで、テッサと二人で並《なら》んでいる。Tシャツにスパッツ婆《すがた》のテッサ。野戦服《やせんふく》姿の宗介。すこし後ろに、なぜか青いペンキでべとべとになったM9の姿がある。
かなめは見たことを強く後悔《こうかい》した。傍目《はため》にもこの二人はお似合《にあ》いのカップルで、自分が入り込む余地《よち》などまったくないように思えた。
あたしは部外者《ぶがいしゃ》。あたしはお客さん。あたしは――ただのお荷物《にもつ》。
だとして、なぜ自分はこんな場所で、こんなことをしているのだろう? 目的も分からぬまま、おそろしい殺し屋から逃げ隠《かく》れして。いったい、だれのために? ここで死んではいけない理由《りゆう》なんか、あるのだろうか? なにもかも放《ほう》り出して、この部屋《へや》の隅《すみ》にうずくまっていたって、別に構《かま》わないのではないか?
強い疑問《ぎもん》が脳裏《のうり》を駆《か》けめぐり、心がぐらぐらと揺《ゆ》れる。怖《こわ》いのも、疲《つか》れるのも、もううんざりだった。
だというのに、かなめは動きつづけた。ほとんど自動的に。理由は彼女にもわからなかった。
写真立てを金庫に戻《もど》して、扉を閉じる。手に入れたユニヴァーサル・キーを、ショート・パンツのポケットにしまい込む。机上《きじょう》のノート・パソコンを起動《きどう》して、なにか役に立つ情報が引き出せないか試《ため》してみる。操作にはパスコードが必要《ひつよう》だった。金庫の暗証コードを試してみる。やはり駄目《だめ》。起動はあきらめ、調度類《ちょうどるい》や書類を引っ掻《か》き回す。これも成果《せいか》はなかった。
やはり、この部屋にいても仕方《しかた》がない。
いま手に入れた、この鍵を持って『レディ・チャペル』という場所に行かなければならない。そこでどうするのか、なにをするのかは、行ってみてから考えるしかなかった。
だが『レディ・チャペル』というのは、どこなのだろうか? かなめのおぼろげな記憶《きおく》では、それはおそらく、聖母礼拝堂《せいぼれいはいどう》のことだった。そんな場所になにがあるのか? まったく見当《けんとう》が付かなかった。
だれかが艦の後部に残っていれば、たずねることもできるのだが。
ともかく、探さなければならない。
しかしこの艦内には、まだあの大男が自分を探してうろうろしているのだ。
マザーAI <ダーナ> が報告《ほうこく》した。
<<方位《ほうい》三―二―三に水上艦《すいじょうかん》を探知《たんち》。|E《エコー》1に認定《にんてい》。<ノックス> 級フリゲート艦。推定《すいてい》、距離《きょり》二〇マイル>>
ガウルンはそれを聞いて、満足《まんぞく》そうにうなずく。
<デ・ダナン> のセンサーが探知したのは、アメリカ海軍の旧式《きゅうしき》フリゲート艦だった。たぶん、この <デ・ダナン> を探している一|隻《せき》だろう。
海面近くまで浮上したせいで、艦体が横揺れしていた。海上が荒《あ》れているのだ。その波の影響《えいきょう》を受けて、<デ・ダナン> の巨体も細かく振動《しんどう》する。
どうするつもりなのか。テッサがそう思って見守っていると、ガウルンは突拍子《とっぴょうし》もない命令をAIに下した。
「よーし。では <ハープーン> ミサイルの発射準備。一番、二番。目標は|E《エコー》1。発射《はっしゃ》モードはBOL。あとは任《まか》せる」
「…………!」
<<アイ・サー>>
これがその『ペナルティ』か。ガウルンは、その船に向かって対艦ミサイルを発射《はっしゃ》しようとしているのだ。
テッサは立ちあがって彼の腕《うで》をつかんだ。
「やめて……彼らは無関係《むかんけい》でしょう!? 三〇〇人近くが乗ってるのよ!? それに、この艦が反撃《はんげき》されます!」
「へー、そうなの」
「わたしが憎《にく》いなら、わたしを好きにしなさい! ほかを巻き込まないで!」
テッサの取り乱《みだ》しぶりに、ようやく溜飲《りゅういん》が下がったのだろう。ガウルンは心から楽しそうに笑った。
「ククク……。ところがそうはいかない。あんたみたいな人種《じんしゅ》ってのは、周《まわ》りの人間を痛《いた》めつけた方がこたえるんだよな? 知ってるぜ。よーく知ってる」
そこでAIが告げた。
<<目標、|E《エコー》1。『|方位のみの発射《BOL》』モード。データ入力|完了《かんりょう》。一番、レディ。二番、レディ>>
「オッケー。では一番、二番の発射管に注水《ちゅうすい》」
「やめなさい、<ダーナ> !」
<<アイ・サー。……注水完了>>
「一番、二番の発射管扉を開いてねー」
「やめて! お願い!」
<<アイ・サー。……開放《かいほう》完了>>
腕にしがみ付いたテッサを、ガウルンは床に叩《たた》きつけた。
「見てろ、っての。……ウオッホン! では、一番、二番――」
「やめ――」
「発射!」
<トゥアハー・デ・ダナン> から、改良型《かいりょうがた》の <ハープーン> 対艦ミサイルが発射された。
ミサイルの発射音は格納庫《かくのうこ》のクルーにも聞こえた。
マデューカス中佐《ちゅうさ》は、重大《じゅうだい》な危機《きき》に艦内が陥っていることを疑《うたが》ってはいたが、それが自分の予想をはるかに上回ると思い知《し》らされた。
マザーAIの独断《どくだん》で、<デ・ダナン> の武器――水中発射式の対艦ミサイルが発射されてしまったのだ。
馬鹿《ばか》な。ありえないことだ。そんなことが……。いや……なにがありえないのだ? 私はいま、なにを考えて……。
「副長《ふくちょう》、ハープーンが……!」
部下の一人が叫《さけ》んだ。
「知っている。それはいい。扉を破《やぶ》って……発令所に……」
これまで、いくら発令所に呼びかけても返事《へんじ》はなかった。AIの声が『待機《たいき》せよ』と言ってくるだけだったのだ。慎重《しんちょう》になりすぎた。隔壁《かくへき》が閉鎖《へいさ》されて三〇分。もはや一刻《いっこく》の猶予《ゆうよ》もない。すぐに艦の後部に人を送って、状況《じょうきょう》を確かめなければ――
「発……令所に……」
頭痛《ずつう》がした。息苦しい。頭がまるで回ってくれない。自分だけなのかと思っていたら、他の者も同様《どうよう》だった。
酸素《さんそ》だ。酸素|供給《きょうきゅう》システムが故障《こしょう》――あるいは意図的《いとてき》に停止《ていし》されてる。
「マスクを……付けろ。OBAマスクを……」
床に倒《たお》れたまま動かない者がいた。仲間から酸素マスクをあてがわれても、そのままぐったりとしている者。なんとか立ちあがり、反応《はんのう》しない手動の酸素供給パネルを操作《そうさ》する者……。
「M9で……隔壁を……」
マデューカスは壁にすがるようにして叫ぼうとしたが、力が入らず、膝《ひざ》を落とした。
床が迫《せま》ってくる。そうではない、自分が倒れているのだ。
「艦……長……」
あなたの指示《しじ》は正しかった。あなたには……まったく……いつも、驚《おどろ》かされる……。
[#地付き]西太平洋 洋上
<トゥアハー・デ・ダナン> から発射された二発の <ハープーン> 対艦ミサイルは、海上に飛び出すとターボジェットを点火《てんか》し、高速《こうそく》で超低空《ちょうていくう》を飛翔《ひしょう》した。
全天候型《ぜんてんこうがた》のそれは、二〇秒と飛ばないうちにレーダー・シーカーを作動《さどう》させ、目標《もくひょう》を探知《たんち》した。
突然《とつぜん》の攻撃《こうげき》に、その旧式艦《きゅうしきかん》の艦橋《ブリッジ》内はひどく混乱《こんらん》した。初歩的《しょほてき》なECSしか積《つ》んでいないその艦は、新型の可変式《かへんしき》レーダーから身を隠すことができない。迎撃《げいげき》を試《こころ》みようとしたが、時間はあまりにも少なかった。
それでも艦の|近接迎撃兵器システム《CIWS》――20[#「20」は縦中横]ミリ・バルカン砲《ほう》が、迫《せま》り来る二発のうち一発をぎりぎりで破壊《はかい》した。
だが、もう一発は避《よ》けられなかった。
<デ・ダナン> の対艦《たいかん》ミサイルが、フリゲート艦の左舷《さげん》、喫水線《きっすいせん》のかなり上に命中《めいちゅう》した。
ミサイルは外板を突《つ》き破《やぶ》り、ヘリコプター格納庫に飛びこんで、無人《むじん》の対潜《たいせん》ヘリの尾部《びぶ》を吹き飛ばした。それでも勢《いきお》いは止まらず、ミサイルは反対側の壁《かべ》を突《つ》き抜《ね》け、ばらばらになって燃《も》え上《あ》がりながら――右舷側の海に落ちていった。
本来《ほんらい》あるべき、爆発《ばくはつ》はなかった。
そのミサイルからは、あらかじめ弾頭《だんとう》が取り外してあったのだ。
奇跡的《きせきてき》に、乗員《じょういん》はだれも負傷《ふしょう》しなかった。だが、仕事を終えたばかりだったヘリの整備員《せいびいん》は、怒《いか》り狂《くる》って地団駄《じだんだ》を踏《ふ》んだ。自分の命が、わずか一六歳の少女の用心深さに救われたことなど、彼にはもちろん想像《そうぞう》できなかった。
そのフリゲート艦から一八キロ離《はな》れた海中では、もう一つのアメリカ艦船が、蜂《はち》の巣《す》をつついたような騒《さわ》ぎになっていた。
攻撃原潜《こうげきげんせん》 <パサデナ> が、『トイ・ボックス』による友軍へのミサイル攻撃を探知したのだ。血気《けっき》盛《さか》んな艦長は、部下に戦闘配置《せんとうはいち》を命じ、実弾の|ADCAP《アドキャップ》魚雷《ぎょらい》を準備《じゅんび》するよう、青くなってがなりたてていた。
トイ・ボックスは敵。しかも、狂《くる》った敵。
一刻《いっこく》も早く撃沈《げきちん》しなければならない。
<パサデナ> は殺意《さつい》の塊《かたまり》となって、ほとんど無力な <デ・ダナン> に迫りつつあった。
[#地付き]<トゥアハー・デ・ダナン> 後部第四|甲板《かんぱん》
だれもいない。まったく――だれもいない。
かなめは息を切らしながら、薄暗《うすぐら》い通路《つうろ》をひたひたと走っていた。閉《と》じた扉《とびら》にぶち当たり、それを開けようと苦心して――あきらめ、別の道を探す。行き止まりばかり。テッサの『言っていた』レディ・チャペルというのが分からない。
どこにある部屋《へや》なのか。どんな部屋なのか。
「はあっ……はあっ……」
扉だらけで入り組んだ艦内《かんない》は、まるでゲームの地下迷宮《ダンジョン》だった。
あの大男がどこかにいる。すぐそこまで迫《せま》っているかもしれない。だというのに、こちらはほとんど迷子《まいご》の状態《じょうたい》なのだ。
「あっ……」
放置《ほうち》されたバケツが、足にひっかかって倒れた。とんでもない音がして、かなめは驚《おどろ》き、飛びあがった。
足音が聞こえる。いや、足音のようだが……わからない。近いのだろうか? それさえわからない。その不審《ふしん》な物音《ものおと》は、すぐにかき消えた。
(なに……なんなの……?)
不安《ふあん》が一層《いっそう》強くなる。後ろを振《ふ》り返りながら歩いていると、どすん、となにかにぶつかった。
正面《しょうめん》にあの大男――ダニガンが立っていた。
「!」
「見つけたぞ、見つけた」
かなめは逃げようとした。右腕《みぎうで》を掴まれた。おそろしい握力《あくりょく》だ。それでも諦《あきら》めずに振《ふ》りほどこうと、必死《ひっし》でもがく。ダニガンは彼女を引き寄せ、片腕だけで――彼女を手荒《てあら》に放《ほう》り投げた。
重さ四九キロの身体《からだ》が空《あ》き缶《かん》のように宙《ちゅう》を横切った。
背中《せなか》から|扉《とびら》にぶつかる。その拍子《ひょうし》で扉が開《ひら》き、かなめは船室の中に転がり込んだ。室内の椅子《いす》をなぎ倒《たお》し、床《ゆか》の上でうずくまる。あまりの衝撃《しょうげき》で、息ができなかった。
「っ……あ……」
大股《おおまた》でダニガンが近付《ちかづ》いてくる。かなめは這《は》うようにして、大男から離《はな》れようとした。相手の手には、銃《じゅう》ではなくナイフが握《にぎ》られていた。
ナイフ。なぜあんなものを持っている。なぜあの男は、自分を捕《つか》まえただけで満足しないのだ。
頭の中が真っ白になり、一つの言葉が何度も浮《う》かんだ。
(殺される)
この男は、自分をいたぶろうとしている。捕まえる気なら、放《ほう》り投《な》げたりなどしない。
ほのかな赤い照明《しょうめい》の中で、ダニガンの表情《ひょうじょう》が見えた。
子供のような笑顔《えがお》だった。これから、とっておきの悪戯《いたずら》をしようとしている子供の顔。虫やカエルを、面白《おもしろ》半分に解体《かいたい》しようとするときの――
「そうだ。逃げてみろ、チャイニーズ。逃げてみろ」
ダニガンが言った。
その物音《ものおと》と悲鳴《ひめい》は、かなり遠くから聞こえてきた。
右舷側《うげんがわ》の通路《つうろ》の向こう。階下《かいか》の第四|甲板《かんばん》からだ。
宗介《そうすけ》とクルツの二人は、ちょうど第一|状況《じょうきょう》説明室《せつめいしつ》でリャン一等兵の死体を見つけたところだった。抜《ね》け殻《がら》となった拘束衣《こうそくい》と、手錠《てじょう》、鎖《くさり》。ガウルンの姿《すがた》はない。リャンが持っていたはずのサブマシンガンも、だ。
「くそったれ」
「食堂の方だ」
二人は部屋を調べるのを諦《あきら》め、通路に戻《もど》って走り出した。
艦が傾《かたむ》き、揺《ゆ》れている。それほど大きなものではなかったが、彼らの知る限《かぎ》り、この <デ・ダナン> がこんな動き方をするのは初めてのことだった。
だれもいない通路と、いくつかの戸口を駆《か》け抜ける。第四甲板への階段に近付いたところで、背後《はいご》に人の気配《けはい》がした。
たったいま、彼らが通り過《す》ぎた曲がり角のあたりに、グェンが姿を見せた。
「グェン……?」
「ああ、二人とも。無事《ぶじ》だったか。いまな――」
左手を振《ふ》りながら、グェンが近付いてきた。もう片方の右手には九ミリ口径《こうけい》の自動拳銃《じどうけんじゅう》。
直感的《ちょっかんてき》に、二人は左右に動いた。棒立《ぼうだ》ちして、様子《ようす》を見ようなどとはしなかった。直後《ちょくご》に、彼らのいた空間をグェンの撃《う》った銃弾《じゅうだん》が飛びすぎていく。そばの壁《かべ》で跳弾《ちょうだん》が火花《ひばな》を散《ち》らし、狭《せま》い通路《つうろ》に耳をつんざく銃声が響《ひび》いた。
「はっ。さすが……!」
グェンが口笛《くちぶえ》を吹《ふ》いた。
「サガラ。おまえのガールフレンドは下みたいだぜ。だが――」
顔を出そうとした宗介のすぐそばで、銃弾がはじけた。金属《きんぞく》の破片《はへん》が頬《ほほ》を切り、彼は首をひっこめる。
「そこには行かせねえ。悪いけどな」
二人はいまだに半信半疑《はんしんはんぎ》だった。
まさか、SRT要員《よういん》のグェンが裏切ったとは。おそらく、階下にいるのもその一人だろう。古株のマッカランだとは考えにくい。おそらくは、新顔のダニガンだろう。
通路の左右、パイプの蔭《かげ》と船室の戸口に隠《かく》れた二人は、その場に釘付《くぎづ》けになっていた。階段はすぐそこなのだが、その階段にたどりつく前に、後ろから撃たれてしまうだろう。
宗介もクルツも、いまは銃器《じゅうき》やナイフを持っていない。途中《とちゅう》で拾《ひろ》った鉄パイプを、クルツが持っているだけだ。
このままでは、グェンの言う通りになる。かなめも危《あぶ》ない。
『ソースケ。こうしようぜ』
クルツが呼《よ》びかけた。向こうにも聞こえる声だったが――日本語だった。
『あのクソ野郎《やろう》は俺《おれ》が引き受ける。隙《すき》を作るから、なんとか階段へ突《つ》っ走《ぱし》れ』
『おまえ一人で? だが――』
『議論《ぎろん》はなしだ。かなめがヤバい。行ってやれ』
『…………。わかった』
『ちゃんと謝《あやま》ってやれよ?』
クルツがにやりとした。宗介はうなずき、身構《みがま》えた。
「なにをヒソヒソやってる?」
グェンの足音が近付く。クルツはその足音めがけて、戸口から鉄パイプを投げつけた。
「行けっ!」
同時《どうじ》に宗介は通路《つうろ》から身を躍《おど》らせた。
にやにやと笑いながら、ナイフを手にした大男が迫《せま》る。
かなめはパイプ椅子《いす》をつかんで投げつけた。ダニガンは造作《ぞうさ》もなく、それを腕《うで》ではじいた。なんとか立ちあがって、後ずさる。そのとき、自分のいる場所が食堂なのだとはじめて気付いた。
「がんばれ。逃《に》げろ」
男が近付く。容赦《ようしゃ》なく。こちらの目に浮かんだ恐怖《きょうふ》を見て、ダニガンは喜んでいた。
厨房《ちゅぼう》へ駆《か》けこむ。腰がテーブルにはげしく当たって、かなめはよろめいた。まだだ。まだ大丈夫《だいじょうぶ》。厨房には包丁《ほうちょう》がある。めん棒《ぼう》も。フライパンも。
重い足音。かなめの背後で、戸口をくぐるようにして男が厨房に入ってきた。
台の上にコショウの缶《かん》があった。投げつける。相手の胸に当たって、中の粉末《ふんまつ》がぱっと広がった。だがダニガンはにやりとしてから、コショウの雪《くも》を、鼻腔《びこう》に深々と吸《す》い込んで見せた。
「…………!」
訓練《くんれん》すれば、ある程度《ていど》は催涙《さいるい》ガスでも耐えられるようになる――宗介が以前《いぜん》、そう言っていたのを思い出した。そう、この男は訓練された戦士なのだ。
(ソースケ……)
彼はいま、どこにいるのだろう。もう、あたしを助けてはくれないのだろうか。あんな冷たい目で。あたしをお荷物《にもつ》だと――
「逃げ場はないぞ、逃げ場は」
ボウルを投《な》げた。はじかれる。
スプーンを投げた。意味《いみ》がない。
包丁があった。力一杯投げつける。映画のようには刺《さ》さってはくれず、柄《え》の方が当たって床《ゆか》に落ちた。
「来ないでっ!」
「そうはいかない、そうは」
厨房の窓口《まどぐち》から、食堂の方を見た。だれもいない。助けはこない。
男が突進《とっしん》してきた。まるで津波《つなみ》だ。細長い厨房の隅《すみ》に追いやられていたかなめは、なす術《すべ》もなく突《つ》き飛《と》ばされ、そのまま壁《かべ》に押しつけられた。鉄のように硬《かた》く、鍛《きた》えぬかれた筋肉《きんにく》の感触《かんしょく》。むかつくような汗《あせ》の匂《にお》い。
息ができない。苦しい。痛い。
「……っあ」
「聞け。俺は東洋人が嫌《きら》いだ。特にチャイニーズはニックを殺した、ニックを。俺のニックをな……! その貴様《きさま》に敬礼《けいれい》など……この屈辱《くつじょく》がわかるか!? この屈辱が!」
ここの男は狂っている。ニック。だれだろう。昔の戦友《せんゆう》だろうか。
それ以上考えるゆとりなどなかった。男がかなめの首をつかみ、もう片方の手でナイフを振《ふ》りかざしたのだ。狂気《きょうき》と喜悦《きえつ》に満《み》ちた目。こんな顔をする人間が、この世界に存在《そんざい》するとは――
「千鳥《ちどり》っ!」
食堂の入り口の方から声がした。宗介だった。
(ああ……来てくれた)
だが、遠い。ダニガンのナイフは自分の顔から三〇センチ。宗介は壁の向こう、十数メートルの彼方。間に合わない。遅《おそ》かったのだ。
ダニガンもそう考えたようだった。宗介の声に、一瞬《いっしゅん》、ぴくりと反応《はんのう》したが、すぐに気を取りなおし、かなめの首筋《くびすじ》にナイフをあてた。先にこちらを始末《しまつ》する気のようだ。腕に力がこもる。引く気だ。いま――
もうだめだ、とは思わなかった。墜落中《ついらくちゅう》の飛行機《ひこうき》のパイロットは、最後《さいご》の瞬間《しゅんかん》まで操縦桿《そうじゅうかん》とスロットルを動かしつづけるという。
いまのかなめは、そのパイロットだった。
そばの流し台の上を、じたばたと這いまわっていた彼女の右手が――なにかを掴《つか》んだ。ナイフでもない。棍棒《こんぼう》でもない。長方形で、薄《うす》っぺらい、プラスチック製《せい》の板《いた》だった。構《かま》うものか、なんでもいい。
「んっ……!」
その板で、力一杯相手の顔を殴《なぐ》りつける。男にとって、その打撃力《だげきりょく》は微々《びび》たるものだった。だが、その動作《どうさ》が――かなめの喉《のど》を切り裂《さ》く動作が――ぴたりと止まる。
驚《おどろ》きとショックでこわばったダニガンの顔。
その顔の左半分が、ごっそりと崩《くず》れていた。こめかみから顎《あご》にかけての皮がはがれ、黄色い脂肪《しぼう》とピンク色の頬骨《ほおぼね》が見えている。無残《むざん》なその傷を覆《おおい》い隠《かく》すように、みるみると出血がはじまった。苦痛《くつう》が男の顔を、さらに醜《みにく》く歪《ゆが》ませる。
「お……ああっ……! おおおおおっ!!」
ダニガンはかなめを放《はな》して、後ずさった。左手で顔を押《お》さえ、獣《けもの》じみた絶叫《ぜっきょう》をあげる。
「ごっ……ごほっ……。……?」
かなめはせき込み、壁際《かべぎわ》にへたり込んで、右手に握《にぎ》った板を見た。それは料理に使う、ABS樹脂製《じゅしせい》のおろしがね[#「おろしがね」に傍点]だった。その表面には、たったいま、こそぎとったものがべったりと――
「ひゃっ……!」
かなめはそれを放《ほう》り捨《す》てた。
ダニガンが青い瞳《ひとみ》を、狂《くる》おしい怒《いか》りで爛々《らんらん》と燃え上がらせ、彼女を改《あらた》めてにらみつけた。
「お……女ぁあぁっ!!」
地も割《わ》れ、天も裂《さ》けんばかりの叫《さけ》び声だったが、アドレナリンの援護《えんご》を受けたかなめは、ひるまずに敵《てき》を怒鳴《どな》りつけた。
「おんなー、じゃねえわよっ!? 来なさい! つ、次は三枚に下ろしてやるわっ!」
「ダニガンっ!!」
そのとき、厨房に宗介が飛び込んできた。
ダニガンの反応《はんのう》は早かった。腰《こし》のホルスターから拳銃《けんじゅう》を抜《ぬ》き、振《ふ》りかえりざまに発砲《はっぽう》する。宗介は床《ゆか》を転《ころ》がりながら、落ちていた包丁を拾《ひろ》い上げ、冷蔵庫《れいぞうこ》の蔭《かげ》に隠《かく》れた。
宗介は銃を持っていないようだった。かなめの経験《けいけん》から言って――持っていれば、彼はすでに容赦《ようしゃ》なくダニガンを撃っているはずだ。
「ダニガン。貴様もだったとはな」
「そうだ、俺もさ!」
「リャンを殺した」
「そうだ、いい気味《きみ》だった!」
宗介が動いた。冷蔵庫のドアを開《あ》け、即席《そくせき》の盾《たて》にする。ダニガンは構《かま》わず撃《う》った。閃光《せんこう》と銃声《じゅうせい》。同時《どうじ》に宗介がドアの蔭から、右手を一閃《いっせん》させ、包丁を投げた。それは正確《せいかく》に敵の胸を狙《ねら》ったものだったが――男はその前に半身を反《そ》らした。包丁が肩《かた》に突《つ》き立つ。それでもダニガンは銃《じゅう》を構《かま》えたまま、たてつづけに発砲した。
「隠《かく》れても無駄《むだ》だ、隠れても!」
宗介に武器《ぶき》がないのを看破《かんぱ》して、ダニガンが前進した。近付いていって、確実《かくじつ》に射殺《しゃさつ》する気らしい。
いけない。
かなめは後先考えずに飛《と》び出していた。銃を握《にぎ》ったダニガンの腕《うで》に飛《と》びつく。興奮《こうふん》した相手は、うなり声をあげ、彼女をオーブンに叩《たた》きつけた。耐熱《たいねつ》ガラスにひびが入る。
隙《すき》ができた。ダニガンが振りかえったときには、宗介は冷蔵庫の蔭から飛び出し、敵へと突進《とっしん》していた。
「うおっ!」
ダニガンは左手のナイフを横なぎに払《はら》った。宗介はそれを潜《くぐ》り抜ける。右手の銃を突きつける。宗介は発砲の直前《ちょくぜん》に、その銃口から頭をそらした。跳弾《ちょうだん》。外れる。
敵の両腕《りょううで》を握《にぎ》って、宗介は跳躍《ちょうやく》した。猛烈《もうれつ》な飛《と》び膝蹴《ひざげ》りが、男の顎《あご》に叩《たた》き込まれる。
「…………!」
のけぞり、ダニガンは拳銃を落とした。それでも滅多《めった》やたらに、ナイフの方を振《ふ》り回す。刃風《はふう》が宗介の頭髪《とうはつ》を切った。彼は床を転がり、落ちた拳銃を拾《ひろ》い、ひどく無理《むり》な姿勢《しせい》のまま、まっすぐに頭上の男を狙《ねら》った。
発砲。
二発、三発、四発。それで銃は弾《たま》切《ぎ》れになった。
「が……っ……チャイ……」
胴体《どうたい》に四五|口径弾《こうけいだん》をたらふく食らったのに、それでもダニガンは倒《たお》れなかった。弁慶《べんけい》のように突《つ》っ立って、一歩、二歩と後ろに下がり――
「寝《ね》ていろ」
宗介が立ちあがって、大男を無造作《むぞうさ》に蹴《け》り飛《と》ばした。巨体《きょたい》が背中《せなか》から床に落ち、その振動《しんどう》で、計量《けいりょう》カップが流し台の上で小さく弾《はず》んだ。
それきりだ。ダニガンは両目を見開き、天井《てんじょう》をにらんだまま絶命《ぜつめい》していた。
「…………」
オーブンの下にうずくまっていたかなめを、宗介が助け起こした。
二人とも汗《あせ》だくだった。特にかなめの有様《ありさま》はひどい。打ち身と擦《す》り傷《きず》だらけで、髪《かみ》は乱《みだ》れに乱れ、裂《さ》けたタンクトップには、ダニガンの血が付着《ふちゃく》していた。
「千鳥《ちどり》……?」
肩で息をしながら、宗介が言った。かなめは放心状態《ほうしんじょうたい》で、ただぼんやりと彼を見つめていた。
「怪我《けが》はないか。痛いところは?」
「…………全部」
[#挿絵(img/03_307.jpg)入る]
かなめは弱々しい声で、そう答えた。身体《からだ》よりも、胸の奥が痛かった。
けっきょく助けられてしまった。その事実《じじつ》は彼女を安堵《あんど》させ、同時《どうじ》に情けない気分にもさせた。矛盾《むじゅん》した二つの感情がないまぜになって、一つの強い気持ち――抑《おさ》えつけていた激情《げきじょう》が、いまくっきりとあらわになった。
「あたしは……」
あの金庫の前で感じた疑問《ぎもん》。なぜ自分は逃げもせず、手がかりを求めてこの艦内《かんない》をさまよっていたのか。こんな危険《きけん》を侵《おか》してまで、なにを証明《しょうめい》しようとしていたのか。その理由《りゆう》がわかったのだ。
「あたしは、お荷物《にもつ》なんかじゃない」
震《ふる》える声で、彼女は言った。
「あなたのお荷物なんかじゃない。ひとりでも、平気《へいき》。いまだって……いまだって……ちっとも……こわくなんか、なかったもん……。ちっとも……」
それ以上は言葉にならなかった。頭《こうべ》を垂《た》れ、詰《つ》まった喉《のど》から小刻《こきざ》みな嗚咽《おえつ》を漏《も》らす。太ももに、ぽたぽたと熱い雫《しずく》が落ちた。
「千鳥……」
宗介がかがみ込んで、彼女の肩《かた》に触《ふ》れた。永遠《えいえん》に思えるほど長い沈黙《ちんもく》のあと、彼は言った。ためらいがちに、不器用《ぶきよう》に。
「その……すまなかった。もちろん……君は、お荷物などではない」
「…………」
「忘れたのか? 君は何度も俺《おれ》に手を貸《か》してくれた。君がいなかったら、俺はとうの昔に死んでいる。いまもだ。銃を持ったダニガンが相手では、俺ひとりで勝てたかどうか……。たぶん、無理《むり》だったろう。君がいるから、俺は……」
宗介は一度、口籠《くちご》もった。
「君がいるから、俺はいまここにいる。だから『ひとりでも平気』だなどと、言わないでくれ」
かなめは泣き腫《は》らした瞳《ひとみ》で、彼を見上げた。
一瞬《いっしゅん》の間だけ視線《しせん》があったが、宗介はすぐにそっぽを向いた。落ち着きのない、憮然《ぶぜん》とした横顔。人差し指で、こめかみをぽりぽりと掻《か》く。
「……うん。わかった。とりあえず」
鼻をすすりあげながら、かなめは言った。それから、彼の脚《あし》と肩に血がにじんでいることに気付いた。
「ソースケ、怪我《けが》してる」
「大丈夫《だいじょうぶ》だ、浅い。手当てはあとだ」
「ホントに?」
「本当だ。心配するな。……君こそ立てるか?」
「うん……」
宗介が差し出した手を、かなめはきゅっと握《にぎ》った。その手は暖《あたた》かくて、やわらかくて、とても力強かった。
そのとき艦内《かんない》に、ピンと甲高《かんだか》い音が響《ひび》き渡った。金属かなにかが船体に当たったような残響《ざんきょう》。これまで聞いたことのない音だった。
「攻撃《こうげき》ソナーの音だ……」
宗介が天井《てんじょう》をにらみ、つぶやいた。
「どういうこと……?」
「どこかの潜水艦《せんすいかん》が、この艦に魚雷《ぎょらい》を撃とうとしている」
[#地付き]USS <パサデナ>
<パサデナ> は、『トイ・ボックス』がふたたび深海《しんかい》に潜《もぐ》り始めた音をキャッチした。
針路《しんろ》は北へ。増速中《ぞうそくちゅう》。およそ三〇ノット。彼我《ひが》の距離《きょり》はおよそ四マイル。
『トイ・ボックス』は、以前《いぜん》とは比《くら》べ物《もの》にならないほど、やかましい音をたてている。数日前に接触事故《せっしょくじこ》を起こしかけたときは、ほとんど優雅《ゆうが》とさえいえるほどの滑《なめ》らかな機動《きどう》だったのだが――いまはまるで、泳ぎ方を忘れてしまったクジラが溺《おぼ》れているかのようだった。
海中を滑《すべ》るように航走《こうそう》し、理想《りそう》的な攻撃《こうげき》ポジションへと移動《いどう》する。アクティブ・ソナーで最終的《さいしゅうてき》な『敵艦《てきかん》』の位置《いち》も割《わ》り出した。
この攻撃|原潜《げんせん》が搭載《とうさい》する魚雷《ぎょらい》は、|ADCAP《アドキャップ》と呼ばれるMk48[#「48」は縦中横]魚雷の最新モデルで――その雷速《らいそく》は六〇ノットを軽く越《こ》える。およそ三〇〇キログラムもの爆薬《ばくやく》を積《つ》んでおり、ただ一本で、ありとあらゆる艦船《かんせん》を撃沈《げきちん》する破壊力《はかいりょく》があった。
いま、そのADCAP魚雷が二本、発射《はっしゃ》の瞬間《しゅんかん》を待ちわびていた。
「三番と四番の発射管扉《はっしゃかんとびら、》開きました。いつでも……発射できます!」
タケナカ副長が告《つ》げた。きびきびとした口調《くちょう》だったが、さすがに緊張《きんちょう》で声がこわばっている。彼はけわしい目つきのセイラー艦長《かんちょう》をうかがい、念《ねん》を押《お》した。
「あの……マジですね?」
「マジだ! いまを逃《のが》したら、こちらが殺《や》られるぞ」
厳然《げんぜん》とセイラーは答え、命令《めいれい》した。
「容赦無用《ようしゃむよう》。三番、発射……!」
「アイ・アイ・サー! 三番、発射!」
圧縮空気《あっしゅくくうき》がADCAPを射出《しゃしゅつ》した。細かな気泡《きほう》の尾《お》を曳《ひ》いて、魚雷が水中を突《つ》き進む。
まず一本だけを撃ったのは、セイラーの非情《ひじょう》な戦術《せんじゅつ》だった。これから数分後に、<パサデナ> はもう一本のADCAPを撃《う》つ。敵艦は最初の一本を避《よ》けようとして、がむしゃらな機動《きどう》をとるだろう。仮に、どうにかそれを回避《かいひ》するか、致命傷《ちめいしょう》を免《まぬが》れるかしても――遅れてやってきた二本目が、とどめとばかりに襲《おそ》いかかるのだ。
確実《かくじつ》に息の根《ね》を止める。<パサデナ> の望《のぞ》みはそれだけだった。
計算《けいさん》では、最初の魚雷はおよそ六分後に『トイ・ボックス』に到達する。
[#地付き]<トゥアハー・デ・ダナン> 中央発令所
<<方位二―九―八の水中に高速スクリュー音。推定《すいてい》、なんらかの魚雷《ぎょらい》が一基《いっき》。おそらく本艦《ほんかん》に接近中《せっきんちゅう》です>>
腹が立つほど穏《おだ》やかな声で、<ダーナ> が告げた。熟練《じゅくれん》したソナー員なら、魚雷のタイプ、数、速度《そくど》、深度《しんど》……なにからなにまで看破《かんぱ》し、報告《ほうこく》しているところだが、<ダーナ> の力ではこの程度《ていど》の情報《じょうほう》が限界《げんかい》だった。
発令所《はつれいじょ》の正面《しょうめん》スクリーンに拡大《かくだい》モードの海図《かいず》が投影《とうえい》された。魚雷を示《しめ》すマークが、じりじりと <デ・ダナン> へと迫《せま》る様子《ようす》が表示《ひょうじ》される。あと五分もない。超電導推進《ちょうでんどうすいしん》も使えないいま、魚雷を強引《ごういん》に振《ふ》りきることは不可能《ふかのう》だった。
避けられない。命中《めいちゅう》したら――巨大な <デ・ダナン> でも沈没《ちんぼつ》は免れないだろう。破滅的《はめつてき》な水圧《すいあつ》で、なにもかもが押《お》し潰《つぶ》され、粉々《こなごな》にされ、数千メートル下の海底《かいてい》に、醜《みにく》い残骸《ざんがい》をばらまくことになる。
「最悪だわ」
テッサがつぶやき、そばのガウルンを睨《にら》みつけた。
「いますぐ操艦《そうかん》をわたしに任《まか》せなさい。操舵員《そうだいん》とソナー員だけでも拘束《こうそく》を解《と》いて。誓《ちか》います。彼らには抵抗《ていこう》させません……!」
「ダメー」
投《な》げやりな声でガウルンが言った。
「この艦《かん》が沈《しず》むかどうかの瀬戸際《せとぎわ》なのよ? わたしでも避けられるかどうか……あなたには絶対《ぜったい》に無理《むり》です!」
「それは、やってみなけりゃ分からんだろ?」
「あなたも死にます! 自殺する気!?」
「自殺……?」
ガウルンが微笑《びしょう》を浮《う》かべた。ひどく暗いユーモア――悪魔《あくま》のジョークでも聞いたような顔だった。
「自殺、か。だとしたら、世界一|豪勢《ごうせい》な自殺だな。なんせ数十億ドルの船が道連れだ。俺はそういうの、嫌いじゃないぜ? ククク……」
死相《しそう》。
テッサはそのとき、はじめて気付いた。この男には、生きることへの執着《しゅうちゃく》がない。
だからなのだ。無謀《むぼう》なテロ作戦を餌《えさ》にしたり、わざと捕虜《ほりょ》になる危険《きけん》を侵《おか》したり、無軌道《むきどう》にも米軍艦《べいぐんかん》をミサイル攻撃《こうげき》したり……。どこかへ生還《せいかん》するつもりの人間が、こんな真似《まね》をするわけがない。
わたしたちは、はじめからこの男を見誤《みあやま》っていた。なんということだろう。
「じゃあ、チキン・レースと行こうか。深度《しんど》一五〇〇まで潜航《せんこう》」
<<警告《けいこく》。その命令は、実用限界深度《じつようげんかいしんど》を超《こ》えています>>
「かまわんよ。試《ため》してみようぜ」
<<アイ・サー>>
艦がさらに大きく傾《かたむ》き、<デ・ダナン> は深海の淵《ふち》へと落下《らっか》をはじめた。
クルツ個人の危機も、依然《いぜん》として続いていた。
通路《つうろ》の向こうには銃《じゅう》を持ったグェンがいる。こちらは武器がない。勇ましく立ち向かいたいところだったが、逃げ回るのがやっとだった。
この戸口から外に出ていけば、今度は|間違《まちが》いなく、いい弾《たま》の的《まと》になるだろう。なにしろSRT要員《よういん》の銃の腕《うで》だ。どれだけ素早《すばや》く動いたところで、見通しのいい通路では、その照準《しょうじゅん》から逃《のが》れることはできない。
しかも――さっきの攻撃《こうげき》ソナーの音。たぶん米軍の潜水艦《せんすいかん》だ。じきに魚雷が来るだろう。このままでは、艦《かん》が撃沈《げきちん》される。
最悪《さいあく》だった。内憂外患《ないゆうがいかん》とはこのことだ。
「このままだったら、俺たちまとめて海の藻屑《もくず》だぜ。いいのかよ……?」
クルツが叫《さけ》ぶと、グェンの笑い声がした。
「平気《へいき》さ。聞いた話じゃ、この船は魚雷《ぎょらい》より速《はや》く走れるんだろ?」
「馬鹿野郎《ばかやろう》。最近の魚雷はとんでもなく速いんだよ。しかも相手は米軍だぞ!?」
「だから何だってんだ? 一致協力《いっちきょうりょく》してお祈《いの》りすんのか? くだらねえハッタリはやめなよ」
グェンが言った。自分の絶対優位《ぜったいゆうい》を、確信《かくしん》している声だった。
「だが……そうだな。両手を挙《あ》げて出て来いよ、クルツ。助けてやってもいいぜ」
「くたばりやがれ」
吐き捨《す》てるように言うと、グェンは通路の向こうでまた笑った。
「本当だって。一緒《いっしょ》に発令所《はつれいじょ》まで行こうぜ。ガウルンに話して、クルーの一人でも殺して見せるんだよ。そしたらあんたも、晴れて俺たちの仲間入りだ。ギャラもはずむぜ」
「うっわ、ダッセぇ……」
今度はクルツが笑う番《ばん》だった。自分が両手を挙げて出ていって、『わかった、ボクも寝《ね》返《がえ》るよ』などと、命乞《いのちご》いしている図を想像《そうぞう》したのだ。これは情けない。この非常時《ひじょうじ》に、吹《ふ》き出してしまうほどみっともない。
「絶対《ぜって》ェ、俺の女[#「俺の女」に傍点]には自慢《じまん》できねえな。グェン、おまえ、恥ずかしすぎるよ」
「黙《だま》りな」
嘲笑《ちょうしょう》を受けて、相手の声が険《けわ》しいものになった。
「ガウルンの組織が、俺にいくら払《はら》うか教えてやろうか? 五〇〇万ドルだ」
「ご……?」
日本円でおよそ六億円。一生、豪勢《ごうせい》に遊んで暮らせる金額だ。
「すでに前金で、俺の口座《こうざ》に二〇〇万入ってる。そりゃあ、そうさ。数十億ドルの潜水艦《せんすいかん》が丸ごと手に入るなら、五〇〇万なんざ安いもんだからな。……いいか、五〇〇万だぞ? それでもあんたは、『恥ずかしい』だの『ダセえ』だのと笑ってられんのか? 苦労知らずのボンボンでもない限《かぎ》り、そんな口はきけねえはずだ」
それだけの金額があれば、明日の食い扶持《ぶち》を心配することもない。一生、安泰《あんたい》だ。どこかの南の島で、毎日を面白《おもしろ》おかしく過《す》ごすことができるだろう。こんな血なまぐさい仕事から足を洗って、彼女[#「彼女」に傍点]をもっといい病院に移《うつ》すことも――できる。
「いいか、クルツ。<ミスリル> は傭兵部隊《ようへいぶたい》だ。正義《せいぎ》の味方《みかた》じゃあない。前にも言ったが――カネで雇《やと》われた殺し屋集団なんだよ。より高いギャラを出す顧客《こきゃく》の側《がわ》につくのが、俺らの常識《じょうしき》じゃなかったのか?」
「…………」
「カッコつけて義理立《ぎりだ》てしても、得しねえぜ。出てきな」
クルツは自分のいる船室を見まわした。どうということのない水兵の寝室《しんしつ》。二段ベッドと私物《しぶつ》。制服姿《せいふくすがた》のテッサの写真が壁《かべ》に貼《は》ってある。武器になりそうなものはない。
いや。戸口のそばに、消火器《しょうかき》があった。
「決めたよ、グェン」
「ほう?」
「てめえを片付けて、テッサにボーナスをせがむ。水着姿のセクシー・ショットを撮らせてもらって、艦《かん》の連中に二〇ドルで売りつけるんだ。一〇〇人が買えば二〇〇〇ドル。これで決まりだな」
「…………。おまえは、もうすこし利口《りこう》だと思ったんだがな」
それはひどく落ちついた声だった。だがクルツの嗅覚《きゅうかく》は、通路の向こうから漂《ただよ》う殺気《さっき》を敏感《びんかん》に嗅《か》ぎ取った。
「利口かどうかじゃねえ。俺は現実的《げんじつてき》なだけだよ」
クルツは消火器を手に取り、身構《みがま》えた。
かなめの言う『レディ・チャペル』という場所に、宗介《そうすけ》は心当《こころあ》たりがあった。
第三|甲板《かんぱん》の奥、ちょうど発令所の真下《ました》のあたり。一般《いっぱん》のクルーや陸戦要員《りくせんよういん》が閲覧《えつらん》できる艦内《かんない》の見取り図の中で、その部分だけが黒く塗《ぬ》りつぶされ、なんの名前も書きこまれていないのだ。深く考えたこともなかったが、その『機密区画《きみつくかく》』の存在《そんざい》は、以前から頭の隅《すみ》っこにあった。
<デ・ダナン> のクルーは民族も宗教《しゅうきょう》もまちまちなので、『従軍牧師《じゅうぐんぼくし》』のような役職《やくしょく》や『礼拝堂《れいはいどう》』のような施設《しせつ》は存在《そんざい》しない。『お祈《いの》りは各自《かくじ》が、各自のやり方で済《す》ますように』というのが、艦長《かんちょう》の通達《つうたつ》だった。だとすれば、『聖母礼拝堂《レディ・チャペル》』こそがその機密区画ではないのか……?
「あとすこしだ。がんばってくれ」
よろめくかなめの手を引くようにして、宗介は第三甲板のその部屋《へや》へと急いだ。クルツのことが気になったが、いまはこちらの問題《もんだい》――艦の主導権《しゅどうけん》をガウルンから奪《うば》い返すことの方が重要《じゅうよう》だった。そのヒントは、テッサが託《たく》したかなめの言葉にしか隠《かく》されていないのだ。
船体の振動《しんどう》は依然《いぜん》として続いている上に、床《ゆか》が大きく傾《かたむ》いていた。まるで急降下中《きゅうこうかちゅう》の旅客機《りょかくき》だ。艦内のあちこちから、やかましい物音《ものおと》が聞こえてくる。机上《きじょう》や棚《たな》から、小物類《こものるい》が床《ゆか》に落ちているのだ。
まろぶようにして角を曲がると――細長い通路の突《つ》き当たりに扉《とびら》があった。
駆《か》け寄《よ》る。扉には『LC』の二文字と、『艦長もしくは副長《ふくちょう》の許可《きょか》なく、この部屋に立入ることを禁《きん》ずる』との注意文《ちゅういぶん》。
「千鳥《ちどり》、鍵《かぎ》は?」
「あるよ。これ。……あ、入った」
艦長室にあった鍵をさし込むと、電子音《でんしおん》がして分厚《ぶあつ》い扉が開く。
その室内――『聖母礼拝堂《レディ・チャペル》』は狭《せま》かった。
薄暗《うすぐら》い照明《しょうめい》。直径《ちょっけい》四メートルくらいの、ドーム状《じょう》の空間。すべての壁《かべ》が、無数《むすう》の四角いモジュールで埋め尽《つ》くされている。ちょうど日本の雪国の『かまくら』を、中から見たような構造《こうぞう》だ。モジュールの一つ一つには、『A01[#「01」は縦中横]』『X16[#「16」は縦中横]』などといった番号と、いくつかのスイッチ、そして取っ手がついている。
そのドームの中央に、大きな機械《きかい》が据《す》え付けてあった。
ベッドのようでもあり、椅子《いす》のようでもある。蓋《ふた》の開いた棺桶《かんおけ》をほうふつともさせる。
人間一人が横たわるようにして腰掛《こしか》けられる形になっており――カバーがスライドすることで、その人物をすっぽりと包《つつ》み込む構造《こうぞう》だった。どことなくASのコックピット・ブロックに似《に》ている。
ちょうど頭部に被《かぶ》さるカバーの部分に、優美《ゆうび》な書体《しょたい》の英文字が刻《きざ》み込んであった。
<>
そこに書かれた言葉の一つを、宗介は聞いていた。
TAROS。技術士官《ぎじゅつしかん》のレミング少尉《しょうい》が言っていた、あの <アーバレスト> に積《つ》んであるという装置《そうち》だ。それがなぜ、この <トゥアハー・デ・ダナン> の最深部《さいしんぶ》に……?
ふと、かなめを見る。
彼女はその装置――TAROSを見下ろして、静かに言った。
「これは <アーバレスト> のTAROSより、旧式《きゅうしき》みたいね。接続《せつぞく》されてるのはラムダ・ドライバじゃなくて――この艦《かん》の制御系《せいぎょけい》だわ」
「なに?」
「……なんとなく、わかった。ああ。なるほど……ね」
別人のような声と、横顔だった。ぶつぶつと小さな声を漏らし、うなずき、それから――やさしげな目で宗介を見やる。
「……千鳥?」
あっけにとられている彼に向かって、かなめは微笑《ほほえ》みかけた。
「ありがとう、サガラさん。ここは、もういいです。今度は……わたしを助けに来てくれますか?」
クルツは戸口の外めがけて、消火剤《しょうかざい》を噴霧《ふんむ》した。
即席《そくせき》の煙幕《えんまく》だ。白い粉末《ふんまつ》が辺《あた》りにたちこめ、視界《しかい》はほとんどゼロになる。彼はすぐさま通路に飛び出し、グェンめがけて全力|疾走《しっそう》した。
敵が撃《う》つ。弾《たま》が腕《うで》をかすめた。発砲《はっぽう》のおかげでグェンの位置《いち》がよくわかる。飛びかかると、相手はすばやく体《たい》をかわした。それでもなんとか銃を握《にぎ》った手首を掴《つか》む。
「はっ……!」
グェンは左手を一閃《いっせん》させた。反射的《はんしゃてき》に頭を反《そ》らすと、クルツの首筋《くびすじ》をナイフが浅く切り裂《さ》いた。返す腕《うで》でもうひと薙《な》ぎ。とっさに相手の手首を引く。わずかに身体《からだ》のバランスが崩《くず》れたおかげで、辛《かろ》うじてその一撃《いちげき》も急所《きゅうしょ》を逸《そ》れる。
(くそ……)
近付けばどうにか五分《ごぶ》に持ち込めるかと思ったが、それは甘《あま》かった。この男はナイフでの格闘《かくとう》にも長《た》けているのだ。死角《しかく》などない。こうした狭《せま》い空間での戦闘《せんとう》は、熟練者《じゅくれんしゃ》の扱《あつか》う拳銃《けんじゅう》とナイフこそが最良だった。クルツはライフルの扱いは掛《か》け値《ね》なしの天才《てんさい》だったが、接近戦《せっきんせん》のセンスは『普通《ふつう》のエキスパート』でしかない。ほどほどには遣《つか》うが、素質《そしつ》は平凡《へいぼん》だ。グェンが相手では分が悪かった。
ナイフの切っ先が、鋭《するど》く突《つ》き出された。遅《おく》れて腕で払《はら》う。肩《かた》に刺《さ》さる。焼けるような痛みが走った。
「ん……おおぉおぉっ!」
クルツはナイフを持った腕をつかむと、強引《ごういん》に相手を引き寄《よ》せ、背中《せなか》から床《ゆか》に倒れ込んだ。そのまま脚でグェンの身体を持ち上げ、背後《はいご》に放《ほう》り投げる。
「うおっ……!」
変則的《へんそくてき》な巴投《ともえな》げだった。ナイフの脅威《きょうい》は逃れたものの、身体が離れてしまった。これでまたしても拳銃の的《まと》だ。クルツは立ち上がり、すぐそばの曲がり角に逃げ込もうとした。
次の瞬間《しゅんかん》、右足に鈍《にぶ》い衝撃《しょうげき》と痛みが走った。
「…………っ」
グェンの投《な》げたナイフが、太ももの裏側《うらがわ》に突《つ》き刺《さ》さっていた。踏《ふ》み出そうとしていた足から力が抜けて、よろめき、その場に膝《ひざ》をつく。壁《かべ》のパイプにしがみつくようにして、背後を振《ふ》り向くと、グェンの拳銃がこちらを向いていた。
距離《きょり》はわずか三メートル。もう逃げられない。
白い霧《きり》の中に、浅黒《あさぐろ》い顔が浮かんだ。殺人者特有《さつじんしゃとくゆう》の無表情《むひょうじょう》。自動的に人を殺せる戦士の目。それは冷たく酷薄《こくはく》で、もはや何の迷いも親しみもなかった
やられる。
そう思った直後《ちょくご》に、異変《いへん》が起きた。
グェンの頭が、わずかに痙攣《けいれん》した。電撃《でんげき》でも受けたかのように。そして――その彼の首筋に、外科手術用《げかしゅじゅつよう》のメスが突《つ》き立っていた。
「…………あ」
驚《おどろ》きに見開かれたグェンの両目が、右舷側《うげんがわ》の通路へと向く。メスを投げつけた誰《だれ》かが、そちらにいるようだったが、クルツの位置《いち》からは見えなかった。
もう一度、銀色の光が薄闇《うすやみ》を貫《つらぬ》いた。メスがグェンの胸に刺さる。男は自分の胸を見下ろしてから、なにかを思い出したように、拳銃をその見えない誰かに向けた。
そのときには、クルツが力を振《ふ》り絞《しぼ》り、グェンへと動いていた。足に刺さったナイフを引きぬき――それを腰《こし》だめにしっかりと構《かま》え、突進《とっしん》する。気分はヤクザ映画だ。心の中で、『命《タマ》ァ、獲《と》ったるわ』などと叫《さけ》んでみた。
この突撃《とつげき》――単純《たんじゅん》なようで、実は回避《かいひ》の難《むずか》しい一撃《いちげき》を、グェンは避《よ》けられなかった。
ざくりといやな感触《かんしょく》がして、ナイフが敵の腹《はら》に突《つ》き刺《さ》さった。うめき声が漏《も》れる。グェンが床を撃《う》った。さらにもう一発。そのはずみで、銃を取り落とした。
「つまんねえぜ、グェン」
鼻息《はないき》も荒《あら》く、クルツは言った。
「俺に言わせりゃ、そんな五〇〇万は紙くず同然《どうぜん》だよ。まったく、ケツ拭《ふ》く紙にもなりゃしねえ。痔《じ》になるし、便器《べんき》が詰《つ》まるからな……!」
グェンは白目を剥《む》いて天井《てんじょう》を見上げたまま、動かなかった。すでに事切《ことき》れている。最期《さいご》に耳元でささやかれた言葉が、『ケツ拭く紙』だの『痔』だの『便器』だのではあんまりだったが――これも自業自得《じごうじとく》だ。
クルツが身体《からだ》を離《はな》すと、元・ウルズ10[#「10」は縦中横]は力なく床《ゆか》にくずおれた。
「ふー……」
死体と肩を並《なら》べるようにしてしゃがみ込む。肩と足の刺《さ》し傷《きず》がひどく痛《いた》んだ。
消火器の煙《けむり》をかき分けて、のろのろと人影《ひとかげ》が近付いてきた。いましがた、グェンの死角《しかく》からメスを投《な》げつけた人物だ。
マオだった。
あられもない下着姿だ。オリーブ色のスポーツ・ブラと、ビキニのショーツ。医務室《いむしつ》で寝《ね》ていたままの格好《かっこう》だった。うっすらと汗《あせ》ばんだ、なめらかな肌《はだ》。細身《ほそみ》の脚線《きゃくせん》と豊かなバスト。引き締《し》まったウェストとヒップ。雌豹《めひょう》の美しさだ。
クルツがぽかんとしていると、マオは物憂《ものう》げに頭を掻《か》いた。
「クルツ……。あんたって、接近戦《せっきんせん》のセンスはホントに最悪ね……。飛びついたり……離れたり。まるでチンピラ。見てられないわ……」
生気《せいき》のない声でマオが言った。様子《ようす》がすこしおかしい。朦朧《もうろう》としている。
「そいつ……だれ? あ……グェン。なんてこと。どうしてクルツを……なに? え?」
死体を見下ろし、意味不明《いみふめい》の言葉をつぶやく。
「? 姐《ねえ》さん、なにしてたんだよ?」
「え? あたし……? たぶん医務室《いむしつ》で……目を覚《さ》ましたら、避難訓練《ひなんくんれん》の警報《けいほう》がガーガー鳴《な》ってて。このカッコで格納庫《かくのうこ》行くの……イヤだったから、隠れてたの。たしか。そしたら、こっちでドンパチが始まって……」
「おいおい……」
「ペギーったら……変な薬、射《う》ったのかしら。状況《じょうきょう》がわかんないわ。ヴェノムはどうなったの? ソースケは? それに……ん……頭がフラフラで……」
マオが浅い吐息《といき》をもらし、壁によりかかった。歩くのがやっとのようだ。この状態《じょうたい》で、メスを使ってあんな芸当《げいとう》をするとは――
「おっかねえ女……」
そのとき、あのピンというソナーの音がまた艦《かん》を襲《おそ》った。今度は何度も、断続的《だんぞくてさ》に。その間隔《かんかく》が、次第《しだい》に縮《ちぢ》まってくる。
それは――すぐ間近《まぢか》にせまった魚雷《ぎょらい》の探信音《たんしんおん》だった。
[#挿絵(img/03_327.jpg)入る]
自分がこれから発令所《はつれいじょ》まで急いでも、もう間に合わないだろう。その前に、魚雷が <デ・ダナン> を撃沈《げきちん》する。もはや打つ手がない。グェンに足止めを食い過《す》ぎた。
クルツは絶望的《ぜつぼうてき》な気分になれながらも、マオのしなやかな肢体《したい》を眺《なが》め、つぶやいた。
「くそっ。カメラがねえ」
魚雷がそこまで接近《せっきん》していた。
ピン…………ピン……ピン…ピンと、探信音がみるみる高まっていく。破滅《はめつ》への前奏曲《ぜんそうきょく》。恐怖《きょうふ》のリズムが、深海《しんかい》へと潜《もぐ》りつづける <デ・ダナン> をあざ笑う。新型のADCAPはタフだ。この深さでも逃げられない。
艦の深度《しんど》はもうすぐ一五〇〇フィートになる。
その水圧《すいあつ》は五〇気圧《きあつ》。
狂暴《きょうぼう》な海水の力の前に、チタン合金製《ごうきん》の船殻《せんこく》が屈服《くっぷく》しようとしている。いま、艦の全長は、水圧で数メートルも短くなっていた。無理《むり》に縮《ちぢ》んだ船体が、内部のあらゆる構造材《こうぞうざい》を歪《ゆが》ませた。破断《はだん》したパイプから、水や水蒸気《すいじょうき》、高圧空気が吹《ふ》き出し、ねじれたケーブルから火花が散《ち》った。
<ダーナ> が無責任《むせきにん》な『警告《けいこく》』を垂《た》れ流す。
<<――故障《こしょう》。警告、第三|甲板《かんぱん》B通路で火災発生《かさいはっせい》。警告、C系統《けいとう》・第一六番|送水管《そうすいかん》が破裂《はれつ》。警告、第一甲板、H7の圧力隔壁《あつりょくかくへき》に異常音《いじょうおん》。警告――>>
すさまじい騒音《そうおん》と、船体のきしみと、ソナー音の響《ひぴ》く発令所。その艦長席にふんぞり返って、ガウルンは哄笑《こうしょう》をあげていた。
「よーし、いいぞぉ……! きたきたきた………!」
捨《す》て鉢《ばち》。やけくそ。そんな言葉では形容《けいよう》しきれない、死神の笑い声だった。
だが、ひとつだけ言えることがある。この男はいま、この状況《じょうきょう》を心から楽しんでいる。自分が生きていることを実感《じっかん》しているのだ。
(まともじゃない)
甲板|士官《しかん》のゴダート大尉《たいい》は背筋《せすじ》を凍《こお》らせた。手錠《てじょう》につながれ、こんな無力《むりょく》な状態《じょうたい》のまま――なにも出来《でき》ずに自分は死ぬのか。この艦|本来《ほんらい》の、嵐《あらし》のような力を出しきることもなく。すばらしい航行性能《こうこうせいのう》を、二度と見ることもなく。
浅い海での奇襲《きしゅう》作戦を前提《ぜんてい》として設計《せっけい》されている <トゥアハー・デ・ダナン> は、このような深い海での活動《かつどう》はもともと重視《じゅうし》されていない。計算上、その実用限界深度《じつようげんかいしんど》は一二〇〇フィートであり――圧壊領域《あっかいりょういき》は一六〇〇フィートとされていた。
圧壊――艦が潰《つぶ》れる。ばらばらになる。その深度まで、わずか一〇〇フィート。
三二メートル[#「三二メートル」に傍点]しかないのだ。
そして背後《はいご》には高速の魚雷――
だというのに、テレサ・テスタロッサ艦長《かんちょう》はガウルンのそばにしゃがんだまま、沈黙《ちんもく》を保《たも》っていた。うつむき、うつろな半眼《はんがん》を床《ゆか》に向け、なにか熱に浮《う》かされたように口元を動かしている。それだけだった。AIの警告やガウルンの言葉には無反応だ。
おそらく、この残酷《ざんこく》な現実《げんじつ》が受け入れられずに、自分の殻《から》に閉《と》じこもってしまったのだろう。どれだけ有能《ゆうのう》でも、やはり一六歳の少女だった、ということか。
ゴダートは彼女に深い同情と、小さな失望《しつぼう》を覚えた。
発令所の出入り口は二つあったが、いまは <ダーナ> によって、どちらも内側からロックされている。助けが来ることはない。
魚雷が五〇〇メートルの距離《きょり》までくると、ガウルンが叫《さけ》んだ。
「AI! 面舵《おもかじ》いっぱいだ! ついでに囮《デコイ》をぶちまけろ!」
<<アイ・サー>>
それを聞いて、ゴダートは観念《かんねん》した。
駄目《だめ》だ。避《よ》けられない。早すぎるし、右に避けても無駄《むだ》なのだ。素人《しろうと》め。
「いくぞ、よけるぞ!? できるかな!? いや、できねぇかなぁ!? クックック……!」
すぐ背後まで近付いた魚雷の探信音《たんしんおん》が、極限《きょくげん》まで高まるその前に――
発令所の正面スクリーンが、一瞬《いっしゅん》、完全《かんぜん》にブラック・アウトした。
それは、長めのまたたきほどの、わずかな瞬間《しゅんかん》だった。
「…………?」
ゴダートやほかのクルーが怪訝《けげん》に思ったそのとき、テレサ・テスタロッサがすうっと顔をあげた。
その瞳《ひとみ》には、絶望《ぜつぼう》も悲嘆《ひたん》もなかった。冷徹《れいてつ》な意思《いし》と、静かな自信《じしん》。そうした何かを伴《ともな》って、彼女はよく通る声で言った。
「 <ダーナ> 。わたしの合図《あいず》で、一番、二番の対抗手段《カウンター・メジャー》を射出《しゃしゅつ》しなさい。深海モードよ」
<<アイ・マム[#「マム」に傍点]>>
<ダーナ> がそう答えた。『アイ・マム』と答えたのだ。
ガウルンが、ゴダートたちが驚《おどろ》きに目を見張《みは》り、テッサの横顔を見た。彼女はその視線《しせん》など気付いてもいない様子《ようす》で、オーケストラの指揮者《しきしゃ》のように、美しい人差し指を立て、リズムを刻《きざ》んだ。
復活《ふっかつ》の旋律《せんりつ》を、指先が優雅《ゆうが》に描《えが》き出す。
「そう……まだ……」
彼女は超人的《ちょうじんてき》な忍耐力《にんたいりょく》で、魚雷《ぎょらい》をたっぷりと引き付ける。
探信音《たんしんおん》は、いまやほとんど目覚まし時計だった。あと少しだ。命中する。いま――
そのときテッサが短く告げた。
「射出」
<<リリース、カウンター・メジャー>>
<デ・ダナン> が従順《じゅうじゅん》に、囮の音源――対抗手段《カウンター・メジャー》を射出した。
「続いて緊急《きんきゅう》ブロー、いま」
<<アイ。エマージェンシー・ブロー!>>
警報が鳴《な》った。緊急|浮上用《ふじょうよう》の排水機構《はいすいきこう》が作動《さどう》する。ほとんど爆発《ばくはつ》に近い音が艦内に響《ひび》き、高圧《こうあつ》空気が強制的《きょうせいてき》に、海水をバラスト・タンクから押し出した。瞬間《しゅんかん》的に、船体が莫大《ぼくだい》な浮力《ふりょく》を獲得《かくとく》する。
無数《むすう》の気泡《きほう》を吹《ふ》き出して、<トゥアハー・デ・ダナン> は急激《きゅうげき》な浮上をはじめた。
すさまじいノイズと予期《よき》せぬ機動《きどろ》で、魚雷は目標《もくひょう》を完全《かんぜん》に失探《ロスト》した。その探知範囲《たんちはんい》に残されたのは、テッサが絶妙《ぜつみょう》のタイミングではなった対抗手段《カウンター・メジャー》だけだ。魚雷はその囮めがけて突進《とっしん》し、信管《しんかん》を作動《さどう》させた。
<デ・ダナン> の直下《ちょっか》で魚雷が炸裂《さくれつ》した。
轟音《ごうおん》と衝撃波《しょうげきは》が艦《かん》の下腹部《かふくぶ》を殴《なぐ》りつけ、その巨体を強く跳《は》ね上げた。あらゆる人員や、固定されていない器物《きぶつ》が、床の上を弾《はず》み、転がった。テッサの身体《からだ》が発令所の後ろの壁に叩《たた》きつけられ、ガウルンでさえも――艦長席から振《ふ》り落とされそうになった。船体がきしみ、悲鳴《ひめい》をあげるさまは、さながら巨獣《きょじゅう》の咆哮《ほうこう》だった。
それでも <デ・ダナン> は、海中を舞い上がり続けた。
風船のように。ロケットのように。もっと叙情的《じょじょうてき》にいうなら――大空に羽ばたく鳥のように。
[#地付き]USS <パサデナ>
「避けた、だと!?」
セイラーが言った。
「はい。緊急《きんきゅう》ブローを使ったようです。現在《げんざい》、海面に向けて急速浮上中《きゅうそくふじょうちゅう》」
「あの距離でか……!? まさか。くそっ」
魚雷《ぎょらい》の円錐《コーン》状《じょう》の探知範囲から逃《のが》れるには、ぎりぎりまで引き付けて急激《きゅうげき》な機動をとるよりほかない。だが、あの図体《ずうたい》の艦で、あそこまで粘《ねば》ってみせるとは――
「なんて野郎《やろう》だ。あの艦長……鋼鉄《こうてつ》の金玉でも持ってるのか?」
「確かに……すごい。とんでもない度胸《どきょう》だ」
タケナカが唖然《あぜん》としながら言った。
だが、遅《おく》れて発射《はっしゃ》したもう一発の魚雷は、いまも『トイ・ボックス』に向かっていた。
命中《めいちゅう》まで、あと三分。
[#地付き]<トゥアハー・デ・ダナン>
艦がまっしぐらに海面に向かう。床が大揺《おおゆ》れに揺れていた。
発令所《はつれいじょ》の壁《かべ》に、しがみつくようにしてテッサが立ちあがる。ガウルンやゴダート大尉《たいい》、その他のクルーたちが彼女を見ていた。特にゴダートの彼女への目つきは――ほとんど、恋する少年のそれだった。
「どんな魔法を使った?」
ガウルンが言った。
「わかりませんか? なら、あなたは『彼』から、それほど信頼《しんらい》されていたわけではない、ということですね」
「…………」
「もう、この船はわたしのものです。あなたの好きにはさせません……!」
正面《しょうめん》スクリーンのステータス・ボードが拡大《かくだい》された。
テッサが命《めい》じてもいないのに、艦《かん》の機能《きのう》が正常状態《せいじょうじょうたい》に復帰《ふっき》していく。
後部と前部を隔《へだ》てる扉《とびら》が、次々に開いていく様子《ようす》が表示《ひょうじ》された。酸素《さんそ》の供給《きょうきゅう》システムも、格納庫《かくのうこ》に空気を大急ぎで送り込む。機関部《きかんぶ》も出力《しゅつりょく》を適正《てきせい》にして、入念《にゅうねん》な自己診断《じこしんだん》をはじめた。故障《こしょう》した系統《けいとう》は遮断《しゃだん》され、予備《よび》が作動《さどう》。
ほとんど赤一色だった艦のコンディションが、みるみるとグリーンに移《うつ》り変わる。
<ダーナ> ではない。だれかが、どこかから、直接《ちょくせつ》艦を制御《せいぎょ》しているのだ。
「あの娘《むすめ》か……!?」
ガウルンが歯噛《はが》みし、テッサが微笑《ほほえ》んだ。
「彼女は最高よ。あなたがわたしを殺しても、彼女がこの船を守ります。そして――」
そのとき、発令所の出入り口のロックが開放《かいほう》された。
二つある扉のうち、左舷側《さげんがわ》の扉が勢《いきお》いよく開く。拳銃《けんじゅう》を持った一人の兵士――宗介《そうすけ》が、疾風《しっぷう》のように発令所へと飛び込んできた。
掛《か》け声の一つもない。ガウルンが横|薙《な》ぎにサブマシンガンを撃《う》つのと、宗介が床《ゆか》を転がり拳銃を撃つのとは、ほぼ同時《どうじ》だった。
「!」
左|肩《かた》に銃弾《じゅうだん》を受けたガウルンが、一歩よろめきながらも、テッサに飛びつき、彼女を盾《たて》にした。宗介は無傷《むきず》で、すばやくコンソールの蔭《かげ》に半身を隠《かく》した。
「カシムか……!」
「逃げ場はない。降伏《こうふく》しろ」
宗介が言うと、ガウルンは笑い、テッサの顎《あご》にサブマシンガンを突《つ》きつけた。
「すると思うか? 考えろよ、ハニー」
「だろうな」
宗介が銃口《じゅうこう》をガウルンにぴたりと向けていた。頭を一発で撃ち抜こうとするが、ガウルンはテッサの身体《からだ》を、巧妙《こうみょう》に左右へと動かした。
「サガラさん、構《かま》いません。やって……!」
叫《さけ》ぶテッサを引きずるようにして、ガウルンは後ずさった。もう一つの扉――右舷側の出入り口から発令所を出ていく気だ。
「…………」
宗介が最大に集中して、照準《しょうじゅん》をガウルンの額《ひたい》に合わせた。三年前、彼自身が刻《きざ》んだ傷痕《きずあと》に。
彼がトリガーを引こうとした瞬間《しゅんかん》、猛烈《もうれつ》な衝撃《しょうげき》が発令所を撃《おそ》った。全員がその場から投《な》げ出され、床や壁《かべ》や――天井《てんじょう》に叩《たた》きつけられた。
緊急浮上していた <デ・ダナン> が、海面に飛び出したのだ。
大時化《おおしけ》の海面を貫《つらぬ》いて、高層《こうそう》ビル並《な》みの巨体が、轟然《ごうぜん》と虚空《こくう》へそびえたった。いくつもの排水扉《はいすいとびら》から、海水が滝《たき》のように吐《は》き出される。
怒濤《どとう》の浮上だ。その勢《いきお》いが頂点《ちょうてん》に達《たっ》すると、船首がゆっくりと下がっていった。それは次第《しだい》に加速《かそく》していき、ついには神の鉄槌《てっつい》となって、海面に叩き下ろされる。数万トンの船体がぶつかるその音は、雷鳴《らいめい》さながらだった。
強靭《きょうじん》な船体は、その衝撃にどうにか耐《た》えた。さらに舳先《へさき》を何度か上下させ、大量《たいりょう》の飛沫《しぶき》を散《ち》らしながら、嵐《あらし》のただ中に浮かぶ。空は灰色に包《つつ》まれ、波は荒《あ》れ狂《くる》い、暴風雨《ぼうふうう》が船体を横殴《よこなぐ》りにした。
前後左右へと揺《ゆ》られ、まともな航行さえできない状態《じょうたい》だったが、<トゥアハー・デ・ダナン> はまだ健在《けんざい》だった。
艦が揺《ゆ》れる。その痛みを感じて、かなめはかすかな吐息《といき》を漏《も》らした。
「あ……」
背骨《せぼね》がきしみ、肌《はだ》がちりちりと焼けるような感覚《かんかく》。いや、決して自分の身体《からだ》が痛いのではない。そんな気がしただけだ。
<トゥアハー・デ・ダナン> の最奥部に抱《いだ》かれて、彼女は艦《かん》と一体化していた。
TAROS――この神秘的《しんぴてき》な寝台《しんだい》は、彼女の脳波《のうは》と全身の電位を読み取り、それを艦の制御《せいぎょ》システムと合体《がったい》させる。瞬間《しゅんかん》的にTAROSと接続《せつぞく》できる人間――たとえば宗介やガウルン――はいても、持続《じぞく》的にTAROSと精神《せいしん》をやり取りし、自在《じざい》に『オムニ・スフィア』の中を泳ぐことができるのは、<ウィスパード> の彼女やテッサだけだった。
オムニ・スフィア。物質《ぶっしつ》の裏側《うらがわ》。TAROSを介《かい》した、その力の引き出し方は様々《さまざま》で――その一つがこの艦とのシンクロだった。あの『ラムダ・ドライバ』もその一つに過《す》ぎないことを、彼女はすでに理解《りかい》していた。
動力炉《どうりょくろ》は彼女の心臓《しんぞう》。バラスト・タンクは彼女の肺《はい》。無数《むすう》のパイプは彼女の血管《けっかん》。二対の潜舵《せんだ》は彼女の翼《つばさ》。なにもかもが思い通り。自分の身体以上だ。
マザーAIの <ダーナ> でさえ、彼女に対しては恭順《きょうじゅん》を示している。『死ね』といえば機能《きのう》を停止《ていし》するし、『艦長を戻《もど》せ』といえば、まちがった登録《とうろく》を打ち消す。
音が聞こえた。
嵐の大洋の下り深いところから、もう一本の魚雷が駆《か》け上ってくる。自分に向かって。まっしぐらに。
しかし彼女は、心配ないことを知っていた。テッサがそう言っていたのだ。
緊急浮上の衝撃《しょうげき》は、予想《よそう》以上だった。
宗介は拳銃を取り落とし、後頭部をコンソール・パネルに打ち付けていた。並《なみ》の人間なら失神《しっしん》していたところだったが、彼は首を振《ふ》り、歯を食いしばり、なんとか身を起こした。
発令所内を振《ふ》り仰《あお》ぐ。手錠《てじょう》で数珠《じゅず》つなぎにされていたクルーたちが、団子状態《だんごじょうたい》で固まって、悪態《あくたい》をついたり、うなり声を出したりしていた。テッサが右舷側の床の上に、力なく横たわっている。
ガウルンの姿がなかった。混乱《こんらん》に乗《じょう》じて逃げたようだ。
(くそっ……!)
どこまでも悪運の強い奴《やつ》だ。あの男には、死神が味方《みかた》についていると見える。
宗介は自分の拳銃を拾《ひろ》い上げると、後を追おうとした。
「軍曹《ぐんそう》!」
ゴダート大尉が叫《さけ》ぶ。
「こちらの手錠を外すのが先だ。もう一本、魚雷が来ている。大至急《だいしきゅう》で艦を制御《せいぎょ》しなきゃならん」
「っ……了解《りょうかい》」
そうだった。テッサの具合《ぐあい》も見なければならない。
宗介はゴダートたちに駆《か》けより、手錠の鎖《くさり》を片端《かたはし》から、拳銃で吹《ふ》き飛ばしていった。戒《いまし》めから解《と》き放《はな》たれたクルーたちが、飛ぶようにして自分の座席《ざせき》に走る。
だが迫《せま》るもう一本の魚雷は、あまりにも近すぎた。緊急浮上した艦は、すぐには潜《もぐ》れない。この嵐では、まともな機動《きどう》もできない。
今度こそは、避けられない。
「方位二―七―八にADCAPが一本! 距離六〇……五〇……! お手上《てあ》げだ!」
ソナー室に飛び込んだデジラニ軍曹《ぐんそう》が怒鳴《どな》った。
探信音《たんしんおん》が容赦《ようしゃ》なく近付き、正面《しょうめん》スクリーンの表示《ひょうじ》―― <デ・ダナン> と魚雷《ぎょらい》のマークが重なりあった。
爆発《ばくはつ》に備《そな》え、全員が身を固くする。宗介は失神《しっしん》したテッサをかばうように、床《ゆか》にしゃがみ込んだ。
「…………!」
しかし、その爆発はやって来なかった。
魚雷が <デ・ダナン> の真下《ました》をくぐりぬけ、ふらふらと旋回《せんかい》していた。何度もこちらを目指そうとしながら、決して一定の深度《しんど》から上がろうとせず、迷子《まいご》のように、艦の周囲《しゅうい》をうろうろとしている。
「これは……?」
スクリーンを眺《なが》め、宗介が言った。
「そうか……魚雷の安全装置《あんぜんそうち》だ」
しがみついていた椅子《いす》から手を離《はな》し、ゴダートがつぶやいた。
「近くに米軍の水上艦がいる。だから……向こうの潜水艦《せんすいかん》は、魚雷が一定の深度から、上には行かないようにセットしていたんだ。友軍への誤射《ごしゃ》を避《さ》けるために」
テッサが緊急ブローを使ったのは、この二発目の到来《とうらい》も予期《よき》してのことだったのだろう。その設定深度《せっていしんど》まで、事前《じぜん》に見抜《みぬ》いていたとは。
「なんて人だ。まったく……」
ゴダートがため息をもらす。
助かった。それがわかって、クルーたちはぎこちない笑顔で互いを見交《みか》わした。
「……大尉殿。大佐《たいさ》を頼《たの》みます。自分はあの男を」
ぐったりとしたまま、かすかな吐息《といき》をつく少女の横顔を見下ろし、宗介は言った。
「ああ、わかった。気をつけろよ、軍曹」
宗介は駆け出した。
(ガウルン……)
予感《よかん》がする。そろそろ蹴《け》りをつける潮時《しおどき》だと、頭のどこかが告《つ》げていた。
[#地付き]USS <パサデナ>
「また外れたか、くそっ!」
セイラー艦長《かんちょう》は怒鳴《どな》り声をあげ、地団駄《じだんだ》を踏《ふ》んだ。
「最初から、こちらの安全|措置《そち》を読んでいたようですね。もしくは偶然《ぐうぜん》か……」
「だまれ。魚雷《ぎょらい》の安全|深度《しんど》を解除《かいじょ》して、もう一度シュートだ。一番、二番の発射管《はっしゃかん》に注水《ちゅうすい》!」
<パサデナ> もあきらめない。さらに魚雷を発射するべく、艦が浮上《ふじょう》をはじめた。
[#地付き]<トゥアハー・デ・ダナン>
主格納庫《しゅかくのうこ》の有様《ありさま》といったら、目をおおわんばかりだった。
部下に酸素《さんそ》マスクをあてがわれて、マデューカス中佐《ちゅうさ》がなんとか意識《いしき》を取り戻《もど》したすぐ後に、あの衝撃《しょうげき》がやってきたのだ。
艦《かん》が急浮上《きゅうふじょう》していることはわかったので、意識朦朧《いしきもうろう》としたまま『なにかにつかまれ』と警告《けいこく》はできた。ほとんどの乗員《じょういん》は、ふらふらとそれに従《したが》った。だが格納庫は艦《かん》の前方に位置《いち》するため、緊急浮上での振幅《しんぷく》はことさら大きい。その場のクルーの全員が力いっぱい床《ゆか》に叩《たた》きつけられ、大なり小なり怪我《けが》を負っていた。重傷《じゅうしょう》の者もいる。
マデューカス自身も左|肘《ひじ》を捻挫《ねんざ》し、こめかみに擦《す》り傷《きず》を作っていた。ひどい頭痛《ずつう》がする。フレームの歪《ゆが》んだ眼鏡《めがね》には、無残《むざん》なひびが入り、いまにもずり落ちそうだ。
ヘリやAS、各種《かくしゅ》支援車輌《しえんしゃりょう》や弾薬《だんやく》コンテナは、フックで厳重《げんじゅう》に固定してあったので、大惨事《だいさんじ》には至っていなかった。もしヘリの一機でも固定がはずれていたら、機体《きたい》が格納庫内を跳《は》ねまわって、何十人という死者が出ていただろう。
これは貴重《きちょう》な経験《けいけん》だった。格納庫における積荷《つみに》の固《こてい》定は、非常《ひじょう》に重要《じゅうよう》だ。今後も規則《きそく》を徹底《てってい》させよう……とマデューカスは決意《けつい》していた。
いつのまにか、固く閉《と》ざされていた隔壁《かくへき》の扉《とびら》は開放《かいほう》され、生活空気|供給《きょうきゅう》システムもその機能《きのう》を回復《かいふく》していた。その他のあらゆるロック、あらゆる機材《きざい》もだ。
マデューカスが指示《しじ》するまでもなく、動けるクルーは格納庫を飛《と》び去《さ》り、自分の担当部署《たんとうぶしょ》へと急いだ。手の空《あ》いている者は、重傷者の手当てと医務室《いむしつ》への移送《いそう》を手伝う。怒号《どごう》の飛び交《か》う中を横切って、彼は艦内電話の受話器《じゅわき》を手に取った。
『発令所《はつれつじょ》です』
ゴダート大尉《たいい》が出た。
「私だ。何が起きている。説明《せつめい》しろ」
『副長《ふくちょう》、ご無事《ぶじ》で……! あのテロリストです。奴《やつ》がAIを乗《の》っ取《と》ったんです。あの野郎《やろう》、艦《かん》を自分のオモチャにして。ですが、艦長がどうにかしてくれました。<ダーナ> は回復《かいふく》してます。いやまったく、彼女には――』
「テロリストはどうなった」
その語調《ごちょう》から艦長は無事だと判断《はんだん》して、マデューカスは問い詰《つ》めた。
『逃げました。まだどこかに潜《ひそ》んでいます。ちょうどいま、アナウンスで警告《けいこく》を――』
「早くしろ、馬鹿者《ばかもの》! 体格《たいかく》と容貌《ようぼう》の説明《せつめい》を忘れるな」
ゴダートも艦のチェックで忙《いそが》しいことはわかっていたが、マデューカスはつい声を荒らげてしまった。
「いや、すまん。それから動力炉《どうりょくろ》と機関部《きかんぶ》、レディ・チャペルに警備《けいび》を回せ。大至急《だいしきゅう》で、武装《ぶそう》した陸戦隊員《りくせんたいいん》を各四名――」
そこまで言って、マデューカスは言葉を切った。
格納庫の向こう側《がわ》を走る、一人の兵士に目が止まったのだ。陸戦隊員の野戦服《やせんふく》。東洋人で、肩から出血している。手にはサブマシンガン。顔はよく見えない。ここから遠い上に、眼鏡が壊《こわ》れているからだ。
『副長……?』
いまは負傷者《ふしょうしゃ》がほとんどだったし、東洋系の隊員《たいいん》なら、この艦にはいくらでもいる。
だが、妙だった。なぜあの兵士は――ペリオ諸島《しょとう》で捕獲《ほかく》した、あの赤いASに駆《か》け寄《よ》ったのか? なぜあれほど熟練《じゅくれん》した手つきで、ジェネレーターのパワー・ケーブルを接続《せつぞく》し直しているのか?
「ゴダート。そのテロリストは……負傷しているか?」
『はい。サガラ軍曹《ぐんそう》に撃《う》たれて――』
「左肩か?」
『はい』
「いかん」
マデューカスは受話器を放《ほう》って駆《か》け出した。
「誰か……! 誰でもいい、奴《やつ》を止めろ!! 赤いASだ!」
叫《さけ》ぶと、そばで負傷者の手当てをしていた男たちが振《ふ》りかえった。何人かの若い兵士が、弾《はじ》かれたように走り出し、マデューカスを追い抜《ぬ》いていく。
だが格納庫はあまりに広く、赤いASまではあまりに遠かった。
そのASから一番近くにいた水兵たちが、すこし遅《おく》れて事態《じたい》に気付き、機体《きたい》へと走った。その彼らめがけて、テロリストはサブマシンガンをフルオート射撃する。水兵たちは泡《あわ》を食って横っ飛びし、小型トレーラーや弾薬《だんやく》コンテナの蔭《かげ》に逃げ込むしかなかった。
悪いことに、あの赤いAS――『ヴェノム』はうつぶせに横たわった姿勢《しせい》で固定されており、しかもコックピット・ハッチは開放《かいほう》されたままだった。その中に滑《すべ》り込むのもわずか一瞬《いっしゅん》である。
テロリストを飲み込んだ『ヴェノム』のコックピット・ハッチが、するすると閉じていった。
もう駄目《だめ》だ。人間の拳銃《けんじゅう》やライフルでは、傷《きず》一つつけられない。
「負傷者を連れて格納庫から退避《たいひ》! どこでもいい! 逃げろ!」
マデューカスは青ざめ、立ち止まり、周《まわ》りの兵士に向かって叫んだ。
ばしゃっ、と鈍《にぶ》い昔がした。『ヴェノム』がジェネレーターを起動《きどう》させ、間接《かんせつ》のロックを解除《かいじょ》したのだ。
赤い機体がみしみしと震《ふる》え、ゆっくりと力を宿《やど》しはじめた。指が、腕《うで》が、そして脚《あし》が動き出し、自らを縛《しば》り付けていたワイヤーを、次々に引きちぎっていく。切れたワイヤーが蛇《へび》のようにのたうち、床を叩《ゆかたた》いて火花を散らした。
『いけるぜぇ……。まだいける』
外部《がいぶ》スピーカーから男の声。くぐもった笑い声をもらして、『ヴェノム』が立ちあがった。頭頂部《とうちょうぶ》が、ほとんど天井《てんじょう》をこすっている。ASは手近《てぢか》な武装《ぶそう》コンテナに手を伸《の》ばし、それをすさまじい力で引き裂《さ》いた。
格納庫に残っていた将兵《しょうへい》は五〇人程度《ていど》。そのほとんどが危険《きけん》を察知《さっち》し、負傷者をかついで格納庫から逃《のが》れようとしていた。
このまま暴《あば》れられたら、この艦は間違《まちが》いなく破壊《はかい》される。だからといって、歩兵用《ほへいよう》の対戦車《たいせんしゃ》ロケットや対AS地雷《じらい》などでは、敵を攻撃《こうげき》できない。格納庫のすぐそばには、弾薬庫《だんやくこ》と魚雷発射室《ぎょらいはっしゃしつ》、垂直《すいちょく》ミサイル発射管、そして航空機用《こうくうきよう》のジェット燃料貯蔵庫《ねんりょうちょぞうこ》があるのだ。それらすべての爆発力《ばくはつりょく》は、この艦を一〇〇回|吹《ふ》き飛ばしても釣《つ》りが出るほどだった。
「副長、あなたも……!」
「わかっている。だが――」
別の方向から音がした。『ヴェノム』から離れて駐機《ちゅうき》・固定してあった <デ・ダナン> のASのうち一機が、ジェネレーターを点火《てんか》させ、間接《かんせつ》のロックを解除《かいじょ》したのだ。
そのASの鋭《するど》い二つの目が、一瞬《いっしゅん》、赤く光った。力を蓄《たくわ》え、腰《ひざ》を上げ、固定《こてい》ワイヤーを次々に引きちぎっていく。
(サガラ軍曹か……?)
ARX―7 <アーバレスト> が、重たげに立ち上がった。
見えない高波にあおられて、艦《かん》が右へと大きく傾《かたむ》く。
<アーバレスト> のデュアル・センサーが捉《とら》えた映像《えいぞう》が、コックピットのスクリーンに投影《とうえい》されていた。真正面《ましょうめん》、艦首《かんしゅ》方向に赤いASの姿《すがた》。
長方形の格納庫、その両端《りょうはし》に立ち、宗介とガウルンは対峙《たいじ》していた。
|土壇場の決戦《ショウ・ダウン》。
確《たし》か、そんな言葉があったな……と宗介《そうすけ》は思った。
散々《さんざん》に振《ふ》りまわしてくれたものだ。この戦隊《せんたい》―― <トゥアハー・デ・ダナン> をこれほどの窮地《きゅうち》にまで追い詰めたのは、この男が初めてだろう。
もう、認《みと》めなければならない。
ガウルン。俺《おれ》は貴様《きさま》が恐《おそ》ろしい。
三年前、貴様は俺から何もかも奪《うば》った。電気屋のハミドラー。勇ましきムハンマド。皮肉屋《ひにくや》のハリリー。たくさんの仲間たち。そして、俺に戦いのイロハを授《さず》けてくれた、あの老戦士――ヤコブ。
すべて貴様が殺した。あのとき俺は、はじめて『喪失《そうしつ》』というものを知った。
貴様の前に立つと、俺は脚《あし》が震《ふる》えるような気がする。『もう、たくさんだ』と思う。逃げ出したくなる。
そうだ。
そしていま、貴様はふたたび、俺から何もかも奪おうとしている。クルツ、マオ、ヤン。テッサ。たくさんの仲間たち。そして――かなめ。すべておまえが、殺そうとしている。
だが、それだけは許容《きょよう》できない。
わかるか。
それだけは、絶対《ぜったい》に、許《ゆる》さない。
だから――
「貴様は、殺す」
宗介はつぶやくと、機体をなめらかに操作《そうさ》した。脇《わき》の下の武装《ぶそう》ラックが音高く開き、単分子《たんぶんし》カッターがせり出す。
鋼鉄《こうてつ》の意志《いし》に突《つ》き動かされるように、<アーバレスト> はナイフをまっすぐ構《かま》えた。
『ククク……。嬉《うれ》しいぜ、カシム』
ヴェノムが武装《ぶそう》コンテナから単分子カッターを取り出し、すうっと半身に構《かま》える。
二機が同時に、単分子カッターを駆動《くどう》させた。エッジの微細《びさい》なチェーンソーが、内蔵《ないぞう》のモーターで高速回転《かいてん》し、耳障《みみざわ》りな高音が格納庫に響《ひび》き渡《わた》る。
両者が半歩、踏《ふ》み出した。さらにもう半歩。
ASとは、鍛《きた》えぬかれた兵士の肉体の延長《えんちょう》である。性能《せいのう》がほぼ互角《ごかく》の機体ならば、勝負を決めるのは搭乗者《とうじょうしゃ》のセンス――死への嗅覚《きゅうかく》、そして冷徹《れいてつ》な殺人の意思《いし》だけだった。
全高八メートル以上の機体同士が、一分《いちぶ》の隙《すき》もなく、じりじりと近付いていく。全身を緊張《きんちょう》させ、それでいて、くつろいだ動きで。
最初の間合《まあ》いに入った瞬間、二機のナイフが弧《こ》を描《えが》いた。
閃光《せんこう》が走り、ヴェノムの装甲が切り裂かれた。左腕部《さわんぶ》。浅い。<アーバレスト> はわずかに身を引く。
『おぉっと?』
「…………」
休む間を与えるつもりはなかった。
宗介は機体を低く踏《ふ》み込ませて、ナイフを横薙《よこな》ぎにする。ヴェノムは右|脚《あし》を引き、ぎりぎりでその一閃《いっせん》をかわしながら、袈裟《けさ》がけにナイフを振《ふ》り下ろした。<アーバレスト> がその腕《うで》を弾《はじ》く。つかんでバランスを崩《くず》そうとしたが――逃げられた。ヴェノムがその腕をつかみ返そうとして、宗介がそれに切りつけ、ナイフ同士がぶつかりあい、フェイントを見切り、鋭《するど》い突きが出て、敵が避け、動き、切り、薙《な》ぎ――
攻防《こうぼう》はみるみる加速《かそく》していった。
一呼吸《ひとこきゅう》に一度だった斬撃《ざんげき》が、二度、三度と増《ふ》えていく。残像《ざんぞう》の浮《う》かぶ素早《すばや》さで、狡猾《こうかつ》な手数が繰り出される。そのすべて――ひとつひとつに、明確《めいかく》な殺意《さつい》が宿《やど》っていた。
鉄と鉄とがぶつかり合う轟音《ごうおん》。飛び散《ち》る火の粉《こ》。
『そうだ、そうだ、そうだ……! 動け! もっと早く!』
ガウルンが嬌声《きょうせい》をあげた。
(戯言《ざれごと》を……!)
宗介の両目が見開かれた。集中力が極限《きょくげん》を越《こ》え、瞬間《しゅんかん》が永遠《えいえん》に引き伸《の》ばされる。
<アーバレスト> の左手が、ナイフを握《にぎ》ったヴェノムの手首をがっちりとつかんだ。機体のパワーに任《まか》せて、宗介はその腕を引き寄《よ》せ、敵のわき腹に膝蹴《ひぎげ》りを叩《たた》き込む。
『ごっ!?』
ヴェノムが吹《ふ》き飛《と》び、格納庫《かくのうこ》の壁《かべ》に激突《げきとつ》した。鉄骨《てっこつ》が曲がり、パイプがひしゃげ、天井《てんじょう》の照明器具《しょうめいきぐ》が脱落《だつらく》して、ガラスの破片《はへん》が雨と注《そそ》いだ。
続いて飛びかかり、ナイフを突き入れる。まったく容赦《ようしゃ》しない。<アーバレスト> の単分子カッターが、ヴェノムの左肩に突き立った。はずみで敵の装甲《そうこう》が吹き飛ぶ。さらにもう一撃《いちげき》を加えようと振《ふ》りかぶると、ヴェノムが左手の人差し指を <アーバレスト> の腹部《ふくぶ》に押しつけた。
「!」
衝撃《しょうげき》。
今度は <アーバレスト> が反対側の壁に叩《たた》きつけられた。
マオを倒《たお》した、あの『指鉄砲《ゆびでっぽう》』だ。ラムダ・ドライバを使った指向性《しこうせい》の衝撃波《しょうげきは》。それをまともに食らったにも拘《かか》わらず、<アーバレスト> の内部に損傷《そんしょう》はなかった。こちらのラムダ・ドライバの対抗機能《たいこうきのう》が作動《さどう》したのだ。いや、それ以前に、最初にヴェノムを傷《さず》つけた一撃から、この装置《そうち》は作動していたのではないか?
だが宗介は、それ以上考えなかった。
目の前の敵を叩き潰《つぶ》す。それだけが彼の関心事《かんしんじ》だった。
壁にぶつかったショックで息が詰《つ》まり、肋骨《ろっこつ》に猛烈《もうれつ》な痛みが走ったが、彼はそれを無視《むし》してヴェノムに突進《とっしん》する。小型のトレーラーを蹴《け》り飛《と》ばしたが、気にもしなかった。
だれかの獰猛《どうもう》なうなり声が聞こえた。自分の声だった。
蹴りを入れる。ヴェノムが避《よ》ける。
身を切り返し、肘打《ひじう》ちを繰《く》り出す。ヴェノムが避ける。
その首根っこをつかんで、ナイフを振り下ろす。ヴェノムは避けられなかった。
<アーバレスト> の単分子カッターが、敵機《てつき》の顔面《がんめん》を縦一文字《たていちもんじ》に切り裂く。赤い一つ目――ヴェノムのセンサーが破壊《はかい》され、血しぶきのように火花が散《ち》った。
『うっ、おお……!』
宗介は満足しなかった。目を失《うしな》った敵機の腹部《ふくぶ》めがけて、ナイフを突《つ》き入れる。その切っ先を、ガウルンは超人的《ちょうじんてき》な勘《かん》で読み、左腕《ひだりうで》を盾《たて》にした。肘のすぐ下にナイフが刺さり、その駆動系《くどうけい》をずたずたにする。まだだ。引き抜き、もう一度刺す。度重《たびかさ》なる使用《しよう》で過熱《かねつ》していた、単分子カッターのエッジが、甲高《かんだか》い絶叫《ぜっきょう》をあげ、ばらばらになった。
それでも宗介は飽《あ》き足《た》らず、壊《こわ》れたナイフの柄《え》を操《にぎ》ったまま、何度も何度もヴェノムの胴体《どうたい》を殴《なぐ》りつけた。
敵機が後ずさりして、格納庫の後方――エレベーター脇《わき》の壁に背中《せなか》をぶつけた。
『ごっ、おっ……!』
ヴェノムの動きが鈍《にぶ》くなったことに気付き、宗介はようやく殴るのをやめた。
敵機が震《ふる》え、<アーバレスト> にしがみつく。ちょうどボクサーのクリンチのように。
肩で激《はげ》しく息をしながら、自機《じき》の手首を見る。敵の装甲を力任せに殴りつづけたせいで、<アーバレスト> のマニピュレーターは壊れて使いものにならなくなっていた。
『くっ……クックック……。まいった……』
ガウルンがつぶやいた。まだ外部スピーカーは生きている様子《ようす》だ。
いまやヴェノムは、ほとんどスクラップの一歩|手前《てまえ》だった。頭部を破壊《はかい》され、左腕もほとんど動かず、胸の装甲も歪《ゆが》んで外れかけている。
『おまえの勝ちだよ……カシム。いや。そうでもないかな……?』
「?」
『ホントに嬉《うれ》しいぜ。最後まで付き合ってくれるなんてなぁ……ククク』
その意図《いと》がわからず、宗介はわずかに困惑《こんわく》した。もはや、ほとんど抵抗《ていこう》できないはずなのに。
いや、これは――
(自爆《じばく》する気か……?)
直感《ちょっかん》がそう告《つ》げた。
ガウルンはいま、全身全霊《ぜんしんぜんれい》で <アーバレスト> から離《はな》れまいとしていた。両腕《りょううで》と両脚《あし》をがっちりと絡《から》ませ、すべての余剰《よじょう》エネルギーを機体《きたい》の電磁筋肉《でんじきんにく》に回している。もともと、パワーそのものでは向こうが上なのだ。後先を考えなければ、無理《むり》もきく。<アーバレスト> はバランスを崩《くず》して、エレベーターの上に尻餅《しりもち》をついた。
『仲良くしようぜ。なあ?』
間違《まちが》いない。その気なのだ。
爆薬《ばくやく》はどの程度《ていど》なのだろう。自機が吹《ふ》き飛《と》ぶ程度なのか? それともこの艦に大穴《おおあな》を開けるほどなのか?
「…………っ」
そのとき、床《ゆか》ががくりと動いた。
二機を乗せていたエレベーターが、上昇《じょうしょう》を始めたのだ。それは一辺二〇メートルの四角い昇降台《しょうこうだい》で、格納庫の直上《ちょくじょう》、飛行甲板《ひこうかんぱん》にASやヘリを運ぶ装置だった。
発令所《はつれいじょ》のクルーたちは混乱《こんらん》していた。
格納庫での戦闘《せんとう》で、大小のパイプやケーブル類《るい》が寸断《すんだん》された問題もある。再潜航《さいせんこう》の準備《じゅんび》に必要《ひつよう》な、高圧《こうあつ》空気の充填《じゅうてん》がまだ済《す》んでいないという問題もある。アメリカの潜水艦《せんすいかん》が、しつこく魚雷《ぎょらい》を撃《う》とうとしている――深刻《しんこく》な問題もある。
だがなによりも彼らを驚《おどろ》かせていたのは、艦の前方のフライト・ハッチ――長さ七〇メートル近くの巨大な船殻《せんこく》が、勝手《かって》に開放《かいほう》をはじめたことだった。
フライト・ハッチは、ヘリやASが飛行甲板から飛び立つ場合に開かれる。艦の背中《せなか》が、でかでかと左右にスライドしていく仕組みだ。だが、こんな嵐《あらし》の中でハッチを開くなど、ほとんど狂気《きょうき》の沙汰《さた》だった。
発令所に駆《か》け込んできたマデューカスが、『なにをやっている!?』と叫んだ。ゴダートやほかのクルーたちは、『わけがわからない』と答えるしかなかった。
その彼らの前で、正面スクリーンに大きな文字が映《うつ》し出された。妙《みょう》に少女チックな、丸文字の書体《しょたい》だった。
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心配しないで。全部うまくいくわよ。
エレベーターは、依然《いぜん》として上昇《じょうしょう》していた。
『そーら、あと六〇秒! ちなみに爆薬は三〇〇キロ。この艦を沈《しず》めるには充分《じゅうぶん》な量《りょう》だ! どうする? さあ、どうする?』
ガウルンが叫んだ。ヴェノムの自爆装置は、時限式《じげんしき》らしい。
敵を振《ふ》りほどこうとする。ヴェノムは吸《す》いついたように離《はな》れない。その手がばたばたと巧妙《こうみょう》に逃げ回り、執拗《しつよう》に <アーバレスト> にしがみつく。
こちらは片手の指が壊れていて、相手を引き剥《は》がすこともままならないのだ。二機のASが絡《から》み合う姿は、寝技《ねわざ》を競《きそ》い合う柔道選手《じゅうどうせんしゅ》のようだった。
『はっはぁ! どうだ、こういうの!? なんだかみっともねえよなぁ……!』
ガウルンが笑う。冗談《じょうだん》好きな悪魔《あくま》の笑い声だった。
『ヒーローみたいに、カッコよく一撃《いちげき》で……なんてキメさせてやらねえ。じたばたあがけ! 一緒《いっしょ》に、派手《はで》に、おもしろおかしく行こうぜぇ!? なあ、カ〜シ〜ム〜っ!!』
(なんて奴《やつ》だ……!)
まともではない。いや――そんなことは前からわかっていた。この男の性根《しょうね》は腐《くさ》りきっている。人がいやがることなら、なんでもする男だ。
エレベーターの上昇《じょうしょう》が止まる。
二機のASは、無人《むじん》の飛行甲板にいた。巨大なフライト・ハッチがすでに開放されていて、暗黒《あんこく》の空が望《のぞ》める。滝《たき》のような雨と、波涛《はとう》の水しぶきが吹《ふ》きこんできて、<アーバレスト> とヴェノムを叩《たた》いた。地鳴《じな》りのような轟音《ごうおん》と、すさまじい振動《しんどう》。まごうことなき、嵐の只中《ただなか》だった。生身《なまみ》の人間がここにいたら、紙切れのように吹き飛ばされてしまうことだろう。
この飛行甲板の先端《せんたん》まで、なんとかヴェノムを引きずっていけば――自爆する前に、この敵を海に捨《す》てることができる。振りほどけないまでも、一緒に海に飛び込むことで、<デ・ダナン> を救うことはできる。
だれがエレベーターを操作したのか? だれがフライト・ハッチを開放したのか? それはわからなかった。いずれにせよ、この操作をした人間は、ガウルンの声を聞き、奴が自爆するつもりだと看破《かんぱ》したのだ。
だが、このエレベーターから、甲板の先端《せんたん》までは五〇メートル以上ある。こうして組み付かれ、自由を奪《うば》われた状態《じょうたい》では、這《は》うようにしか進めない。あの舳先《へさき》、大波を切り裂《さ》くあの縁《ふち》まで達するには、一分はかかってしまう。
間に合わないのだ。
それを知ってか知らずか、ガウルンが叫《さけ》んだ。
『あと三〇秒! どうする、ハニ〜!?』
「くっ……!」
機体を振って、ヴェノムを殴《なぐ》る。ヴェノムを蹴《け》る。でたらめに暴《あば》れる。
だめだった。ふりほどけない。
這ってみる。遅《おそ》い。飛行甲板の先端は、あまりに遠い。
自由の身ならば、<アーバレスト> は一瞬で一〇〇メートルを駆《か》けぬけるのに……!
『あと二〇秒! ウソ! ホントは一五秒です! ヒッ、ハァーっ、はっはっはっ!!』
つくづく最低な男だ。宗介は歯噛《はが》みしながら、飛行甲板を見まわした。
そして――それに目が留《と》まった。
飛行甲板に据《す》え付けられた、金属製《きんぞくせい》の部品。すぐ手の届《とど》く位置《いち》にある。陸上競技の、短距離走者《たんきょりそうしゃ》のスタート・ペダルを思わせる、長さ数メートルの突起《とっき》。
『あと一〇秒!』
その部品は、根元《ねもと》から白い蒸気《じょうき》を立ち昇《のぼ》らせながら、宗介に『早く、早く!』と告《つ》げていた。
<アーバレスト> は機体の背筋《せすじ》をフルパワーで動かし、床《ゆか》を跳《は》ね、その部品に手を伸《の》ばした。左手がそれをつかむ。腕《うで》に内蔵されたワイヤーガン――つり竿《ざお》のリールみたいなものだ――をリリースして、その部品のフックに絡《から》みつかせた。さらにそのワイヤーをヴェノムの胴体《どうたい》に巻き付けて、
『あと五秒! 愛してるぜぇ、カシム〜っ!!』
その言葉は無視《むし》して、無線《むせん》の全バンドで叫んだ。
「出せ!」
次の瞬間《しゅんかん》、その部品――蒸気カタパルトの|射 出 台《シャトル・ブロック》が駆動《くどう》した。
重さ十数トンのASや戦闘機《せんとうき》を、わずか数秒で離陸速度《りりくそくど》まで加速《かそく》させる装置《そうち》である。そのパワーたるや、絶大《ぜつだい》であった。
「…………!」
ワイヤーにからまったヴェノムと <アーバレスト> が、射出台の爆発的《ばくはつてき》な力に引っ張《ぱ》られて、飛行甲板の上を滑走《かっそう》した。甲板を跳《は》ねるようにして、機体が艦の最先端へと突進《とっしん》していく。
『お……お……おっ……!?』
二機は五〇メートルを一瞬で突き進み、飛行甲板の先端《せんたん》から、離《はな》れ離《ばな》れで海へと投《な》げ出された。
それまでに、<アーバレスト> はもう片方の腕《うで》のワイヤーガンを、どうにか飛行甲板にひっかけることができた。衝撃でワイヤーガンの銛《もり》――アンカー・フックがはずれかけたが、そのフックは甲板に残り、きわどいところで <アーバレスト> と艦との命綱《いのちづな》になった。
一方、ヴェノムには元からワイヤーガンがなかった。
赤いASはきりもみしながら虚空《こくう》を飛び、嵐の海、その大波に落下《らっか》する直前《ちょくぜん》で、大爆発を起こした。
『三〇〇キロの爆薬』というのは、嘘ではなかった。
荒《あ》れ狂《くる》う暴風雨《ぼうふうう》の中に、真っ赤な爆炎《ばくえん》が膨《ふく》れ上がる。<デ・ダナン> の正面、やや右で起きた爆発は、海面を叩《たた》き、破片《はへん》を撒《ま》き散《ち》らし、巨大な船体を左へと傾《かたむ》けさせた。衝撃波《しょうげきは》を食らった <アーバレスト> は、危《あや》うく海へと落下しかけたが――自由な方の左手で、なんとか甲板の縁にしがみついた。
燃《も》えあがる部品が散《ち》り散《ぢ》りになって海面に落ち、その炎《ほのお》の中を、<トゥアハー・デ・ダナン> が突っ切っていく。
宗介は振り落とされそうになる機体を注意深く操作《そうさ》し、飛行甲板《ひこうかんぱん》へと這《は》いあがった。
甲板上には、爆発《ばくはつ》した機体の一部がちらばって、いまだにめらめらと燃えあがっている。だがその炎も、雨に打たれてみるみると小さくなっていった。<アーバレスト> はカタパルトのそばでうつぶせに横たわり、はげしく肩を上下させる。
ガウルンは――死んだ。
今度こそ。間違いなく。決して、希望的観測《ぎぼうてきかんそく》などではなく。
仮にもし、いま、なにかの間違いで生き永らえていても、この大洋と嵐《あらし》が始末《しまつ》をつけてくれるはずだ。ここでの生存《せいぞん》は不可能《ふかのう》である。
宿敵《しゅくてき》は死んだ。戦友たちの仇《かたき》はとった。が、宗介はとても感傷的《かんしょうてき》にはなれなかった。そんな気分になるには、あの男はあまりにも品性下劣《ひんせいげれつ》だった。
徹頭徹尾《てっとうてつび》。最期《きいご》まで。ほとんど美徳《びとく》といってもいいレベルだ。
「まったく……」
汗《あせ》だくになって、激《はげ》しい呼吸《こきゅう》をしながら、彼は独《ひと》りでつぶやいた。
「カシム、カシムと……。馴《な》れ馴れしいんだ、クソ野郎《やろう》」
オープン・チャンネルで流されたその声を、かなめは謀《はか》らずも聞いてしまった。
あの宗介が、悪態《あくたい》をついている。でも、それはそれで、なにか微笑《ほほえ》ましかった。彼にもやはり人間味があって、あれこれとややこしい過去《かこ》がある。
たぶん、あの作戦の直後《ちょくご》の自分への態度《たいど》も、ガウルンと――それに連なる過去の問題があったのだろう。
(無神経《むしんけい》なこと言って、ごめんね)
かなめは心の奥底で思った。
(考えてみたら、あたしって、あなたのこと、まだ何も知らないんだよね……)
その通りだった。
自分と同《おな》い歳《どし》なのに、ベテランの傭兵《ようへい》で。こんな潜水艦《せんすいかん》の部隊の、トップクラスの兵隊さんで。いまもこうして、あの悪い奴を見事《みごと》に片付けてくれて。
すごい奴。正直《しょうじき》いって、カッコいいと思う。
そんな彼が、自分とのことになると、あそこまであたふたとしてしまうのが――彼女には妙に嬉《うれ》しかった。
艦の息吹《いぶき》を感じる。
<アーバレスト> が艦内に戻《もど》った。フライト・ハッチが閉じていく。必要な高圧空気《こうあつくうき》の充填《じゅうてん》も、もうすぐ終わる。<パサデナ> が撃《う》った魚雷《ぎょらい》が近付いているが、超電導推進《ちょうでんどうすいしん》が復帰《ふっき》すれば、それも上手に振りきれるだろう。
もう、大丈夫《だいじょうぶ》だ。
かなめはそう思って、『領域《スフィア》』から離《はな》れ、精神《せいしん》と物質《ぶっしつ》の媒介《ばいかい》――TAROSの中で目を開いた。彼女に被《かぶ》さっていたカバーが開く。<デ・ダナン> の『聖母礼拝堂《レディ・チャペル》』の天井が《てんじょう》見えた。
たぶん、きっとまた忘れるだろうと思っていたたくさんのこと――この艦の仕組《しく》みや、自分のしたことや、その力や、『領域《スフィア》』への関わり方。そのほとんどを、彼女はまだ理解《りかい》していた。
[#地付き]USS <パサデナ>
ソナー員が告《つ》げた。
「えー……。『トイ・ボックス』が遠ざかっていきます。深度《しんど》は五〇〇。すごい早さです。たぶん、五〇ノット以上。こちらの魚雷では捕捉《ほそく》できないでしょう。なんというか……」
そのあとをタケナカ副長《ふくちょう》が継《つ》いだ。
「逃がした、と。すごい船ですね」
セイラー艦長《かんちょう》は肩を落とし、恨《うら》めしげな目でタケナカを見た。
「じゃあ、俺たちは何なのだ。ン十万ドルもするADCAPを、四発も使って。これでは、ほとんどバカ丸出しではないか」
「仕方《しかた》ないですよ。だって、バカなんだから」
セイラーがタケナカにつかみかかり、ほかの部下たちが止めに入った。
[#改ページ]
エピローグ
死者《ししゃ》の数は四名だった。
裏切《うらぎ》りを働いたダニガンとグェン。この二名はまだいい。だが殺されたマッカラン大尉《たいい》と、リャン一等兵《いっとうへい》は浮《う》かばれなかった。
マデューカスやほかの将兵《しょうへい》は、『あの事態《じたい》で、わずか二名の死者で済《す》んだのはむしろ奇跡《きせき》だ』とコメントした。シージャックが発生《はっせい》してからの死者は皆無《かいむ》で、その功績《こうせき》の多くは艦長たるテッサ自身のものだったが、それでも彼女はひどく気落ちした。
後から事件を聞いたカリーニン少佐も、強い責任《せきにん》を感じた一人だった。なにしろ、問題の内通者《ないつうしゃ》は彼の管理下《かんりか》のSRT要員《よういん》から出たのだ。しかも自分の副官が死んだ。彼は人知れず、なにかを決意《けつい》したようだったが――それはその段階《だんかい》で、だれにも知りようのないことだった。
メリダ島|基地《きち》に到着後《とうちゃくご》、恒例《こうれい》のクルーの点呼《てんこ》が行われた。今も昔も、これは艦長の仕事《しごと》だ。そして <トゥアハー・デ・ダナン> では、陸戦隊員《りくせんたいいん》の点呼も含《ふく》まれる。
彼女は部下の名前を、すべて暗記していた。地下ドックに整列《せいれつ》した一同の前を歩き、テッサは言う。
「リチャード・マデューカス中佐《ちゅうさ》」
「はっ」
「ウィリアム・ゴダート大尉」
「はっ」
そんな調子《ちょうし》だ。百数十名の点呼を済ませたあと、テッサがその名を告げた。
「ゲイル・マッカラン大尉」
「パトロール中です、艦長」
マデューカスが答える。テッサは無表情《むひょうじょう》で、小さくうなずいた。ビンゴ大会での一等賞。彼の笑顔。自制心《じせいしん》の働くうちに、彼女はどうにかして、考えるのをやめた。
「メリッサ・マオ曹長《そうちょう》」
「はい」
「ロジャー・サンダラプタ軍曹《ぐんそう》」
「はっ」
「クルツ・ウェーバー軍曹」
「はいよ」
「サガラ・ソースケ軍曹」
「はっ」
SRTの中にダニガンとグェンの名はなかった。点呼はやがてPRT要員の名前へと移《うつ》り、彼女はもう一人の死者を呼んだ。
「リャン・シャオピン一等兵」
「パトロール中です、艦長」
冷酷《れいこく》にマデューカスが告《つ》げた。テッサはやはり、なにも言わなかった。
点呼が終わり、基地から遺体《いたい》の移送《いそう》が行われる。それぞれ六名の同僚《どうりょう》に担《かつ》がれて、マッカランとリャンの棺《ひつぎ》が運ばれた。
彼らの遺体は、故郷《こきょう》の墓地《ぼち》に埋葬《まいそう》されることになる。遺族には、『警備会社《けいびがいしゃ》 <アルギュロス> での勤務中《きんむちゅう》、事故《じこ》に遭《あ》って死亡』と知らされる。詳《くわ》しい状況《じょうきょう》は説明《せつめい》されない。テッサの存在《そんざい》さえ、知ることはない。彼女には、遺族|宛《あ》ての手紙を書くことさえ、許《ゆる》されていなかった。
だが、それがこの道なのだ。
そんなテッサの辛《つら》さを、かなめはこの事件で知るに至《いた》っていた。
擬装滑走路《ぎそうかっそうろ》から輸送機《ゆそうき》で棺を送り出した後、一人でメリダ島基地の居住区《きょじゅうく》に向けて歩き出したテッサを見かけて、かなめは宗介《そうすけ》に言った。
「言ってあげなよ。『元気出して』って」
宗介はすこしきょとんとしてから、テッサに近付いていった。
その様子《ようす》を、かなめは遠目《とおめ》に見ていた。だれもいない通路《つうろ》で、宗介になにかを言われたテッサは、彼の胸にすがり付き、顔をうずめ、むせび泣いていた。
かなめはため息をついてから、自分にあてがわれた基地の客室に帰っていった。
東京に帰る便の出発|時刻《じこく》が、あと四時間くらいになったころ、その客室に宗介が現《あら》われた。
「なに?」
「付いてきてくれ」
彼はライフル・ケースと弾薬箱《だんやくばこ》のようなものを持っていた。
わけがわからず、かなめは宗介に付き従って、九〇分ばかり基地の北部――岩山と広葉樹《こうようじゅ》に包《つつ》まれた場所を歩いた。
やがて二人は、西日のさしかかった海辺《うみべ》の岩場《いわば》に出た。
美しい景色《けしき》だった。
「これを」
宗介がライフル・ケースから、カーボン・ファイバー製《せい》の釣《つ》り竿《ざお》を取り出し、かなめに手渡す。
「これは……?」
「釣り竿だが」
「いや、そうじゃなくて。ここは……?」
彼女がたずねると、宗介が相変《あいか》わらずのむっつり顔で答えた。
「秘密《ひみつ》の釣りスポットだ。基地の中では、俺《おれ》しか知らん」
「釣りって……だって、東京行きの便に乗るなら、あと四〇分くらいしかここにいられないよ?」
「構《かま》わん。初期《しょき》の作戦目標《さくせんもくひょう》だからな」
「はあ?」
かなめが怪訝顔《けげんがお》をすると、宗介は仕掛《しか》けのついた釣り糸を、ぴゅん、と海に放《はう》り投《な》げた。
「もともと、俺は君をここに連れてくるつもりだった。それが……あれこれと、とんだ回り道をしてしまった」
「こ……ここに?」
「肯定《こうてい》だ」
腕時計《うでどけい》を見下ろし、宗介はうなずいた。
「さあ、釣れ。ひょっとしたら、わずか三〇分で大物が当たるかもしれん」
「バカ! なワケないでしょ?」
「どうかな」
宗介はどこか不敵《ふてき》に言った。
「君といると、俺はなんでも出来《でき》そうな気分になる。とてつもない大物を釣ることも、おそろしい危険《きけん》から逃《のが》れることも。だから、三〇分でもいい。すこし俺に付き合ってくれ」
「……ホントにそう思ってるの?」
「もちろんだ。君がいるから、いまの俺がここにいる」
かなめはぽかんとしていたが、やがて満面《まんめん》に笑みを浮かべた。
「よーし、いいわよ。じゃあ、あんたのその辺のジンクスを試《ため》してみようじゃないの」
釣《つ》り糸を海面に放《ほう》り、二人は並《なら》んで海辺にたたずんだ。それはわずか三〇分で、けっきょく一匹の魚も釣《つ》れず、さして変わった出来事《できごと》もなかったが――
その三〇分を、二人はたっぷりと楽しんだ。
[#挿絵(img/03_369.jpg)入る]
[#地付き][了]
[#改ページ]
あとがき
大変長らくお待たせいたしました。宗介《そうすけ》の宿敵《しゅくてき》が復活《ふっかつ》し、<ミスリル> をまたしても苦しめまくります。今回は海! 大洋の彼方《かなた》で軍事スリラー路線《ろせん》です! みたいな? え、そうでもない?……とにかくフルメタ長編第二弾『揺れるイントゥ・ザ・ブルー』、ここにお届《とど》けいたします。
なんか、また分厚《ぶあつ》くなってしまいました。よくないかなー、かない。ない。なない。
文章が変ですね。ウィスパード言葉ですね。たぶん頭が変になっているのです。
なんか、今回は妙《みょう》にいろいろ、ややこしい軍事用語やら略号《りゃくごう》やらが出てきますが、わからなくても大丈夫《だいじょうぶ》です。作者もきっとわかってません。雰囲気《ふんいき》です、雰囲気。ヤマトが『第三|艦橋《かんきょう》、大破《たいは》!』、ブライトさんが『左舷《さげん》、弾幕薄《だんまくうす》いよ、なにやってんの』っていうのと同じってわけで。問題ないっす。もっとわかりやすく言うなら、ドラえもんが『ハイ、タケコプター!』って叫《さけ》ぶのと変わりません。強襲揚陸潜水艦《きょうしゅうようりくせんすいかん》から飛び立つ、タケコプター装備《そうび》のAS部隊。ひらりマントで徹甲弾《てっこうだん》を回避《かいひ》。「アル、地球|破壊爆弾《はかいばくだん》だ」『ラジャー。EDB、レディ』。
空回《からまわ》ってます、空回ってます。
前回の|O N S《ワン・ナイト・スタンド》は、けっこうマイルド路線だったような気がするので、今回は|B M G《ボーイ・ミーツ・ガール》の基本《きほん》を思いだし、またちょっとハードにしました。でも海だけにしっとりした感じで。しっとり。まったり。してやったり。←ジャパニーズ・ラップ? 俺きらい。トレもそう言ってました。←だれよ?
空回ってます!
長編のあとがきは、いつもなに書いたらいいのかわからなくて困ります。そんなわけで、さようなら。壊《こわ》れ気味《ぎみ》のまま。グッバイ。
……まだ一ページ半ですね。こうなったら、またゲストを召還《しょうかん》しましょう。今回は賀東《がとう》がさんざん恩《おん》を受けた大恩人の人(←絵に書いたような悪文)。同じ富士見ファンタジア文庫で、『狗狼伝承《くろうでんしょう》』シリーズを執筆中《しっぴつちゅう》の新城《しんじょう》カズマ先生です! 社長さんで、ダンディなヒゲで、元|慶応《けいおう》ボーイでバイリンガルのナイスガイです(略《りゃく》してバイリンガイ?)。はい、拍手《はくしゅ》ー! ぱちぱち。どんどん、パフパフ。ぼふ。
新「あ、どうも、新城です。ついこないだ自分の小説で実況生中継版《じっきょうちゅうけいばん》あとがきを書いたと思ったら、またまたこんなことに。いいのかな、しかし」
――いいのです。これが久々にやりたかったのです。
新「お、そうなのか。……久々って、前にもやったっけ」
――そうですねー。私をフルメタで知った読者の人は、むかし『蓬莱《ほうらい》学園』の本とかで、こういう対談《たいだん》やってたの、知りませんでしょうしねー。
新「ううむ、そういえばそうじゃった。なつかしいのう(違い目)。しかし若者は未来《みらい》に目を向けねばならんのじゃよ。というわけで今回の長編は……なんだっけ、海の話だっけか?」
――そうなんです。夏の湘南《しょうなん》の恋物語です。ウソ。
新「……………………」
――ホントは豪華客船《ごうかきゃくせん》が沈没《ちんぼつ》する話です。オスカー総ナメです。ウソ。
新「…………(優しい笑みをうかべながら〉いや、僕はいいんだよ、続けても。でも、この調子で最後までページを埋めるとなると、また担当編集の三か月″イ藤さんからお叱《しか》りがくるのではと」
――その件なんですが。新城さんが佐藤さんを「三か月、三か月」とかいうもんだから、多数の人々が彼女を『妊娠《にんしん》三か月』と誤解《ごかい》したようなんですが。
新「わあ、またその話を。(富士見《ふじみ》書房《しょぼう》のある九段下《くだんした》のほうへ向きなおって)その節《せつ》はたいへんご迷惑《めいわく》をおかけしました、もうしわけありません。読者の皆《みな》さん、あのあだ名はそういう謂《い》われではありませんので誤解のなきように。佐藤|女史《じょし》は実《じつ》に立派《りっぱ》で有能《ゆうのう》な編集者であり、そのうえ(以下思いつくかぎりの美辞麗句《びじれいく》)であります。おほん」
――いやまったく。佐藤さんはガッツあるし、(以下思いつくかぎりの美辞麗句)ですよね。だからお叱りもきませんよ、きっと。はっはっは。……で、つまるところ、今回のお話は海で、潜水艦《せんすいかん》が出てくるのに、美少女艦長は水着姿を披露《ひろう》しないのです。これは問題かもしれません。
新「え、そうなの?」
群衆「マジ?」
米国|大統領《だいとうりょう》「それは本当か、賀東君!」
――本当なんですよー、大統領|閣下《かっか》。書き終わって、気付いたら、そんなシーン入れる余地《よち》がなかったわけで。とほほ……。
大統領「うーむ、そうなのか。私は小説|執筆《しっぴつ》のことはよく知らないが、いろいろと狗狼《くろう》じゃなかった苦労がありそうだな」
――ええ。それはもう。閣下の職場《しょくば》にはモニカさんみたいな人がいるから、日々をエンジョイできるでしょうけど、私の職場にいるのはガンダムのプラモデルだけです。いや、これはこれで、まあエンジョイできるんですけど。
新「いいのか、しかし。時事《じじ》ネタは避けるんじゃなかったのか? この本が出るときはまだクリントンだけど、来年には別の人がやってるぞ。ちなみにこのあとがき対談を書いてるのは二〇〇〇年の一月です、読者のみなさま」
――あ、しまった。ほかでも、フルメタ世界は二〇世紀末という設定《せってい》なんですが、このままいくと二一世紀になってしまうんですよねえ……。時間の流れというのは、いやはや。
新「むう。そういえばもう一九〇〇年代じゃないんだよな。昔は、二〇〇〇年とか二〇〇一年とかいうと、空中をエアカーが飛んでて、火星に植民地《しょくみんち》があって海底基地《かいていきち》でイルカと会話してる……という図が雑誌の巻頭《かんとう》なんかに載《の》ってたもんだけど。あれ、どうなっちゃったんだろうねえ、あのエアカーと火星(また遠い目)」
――火星。エアカー。未来ですねえ。あと透明《とうめい》なチューブの中を走る鉄道《てつどう》。
新「人型ロボットとか。あ、これはもう実用寸前《じつようすんぜん》まできてるか。やっぱいいよね、本田《ほんだ》技研《ぎけん》のP3。……って、話が壮大《そうだい》に脱線《だっせん》してるぞ。問題は艦長の水着|姿《すがた》だ」
――ええ。エピローグで出すのも手かなぁ、とは思ったんですが。やはりシリアスだったので。そのうち機会《きかい》を設《もう》けるなりなんなりしますんで、とりあえずファンの皆様《みなさま》には御容赦《ごようしゃ》とご辛抱を。今回の彼女はどっちかというと『かっこいい』モードです。
新「なるほど、楽しみを後にのこしつつキャラクターのいろんな面をアピールしていこうと。技巧派《ぎこうは》だねえ」
――いやいや、どうもどうも。てへへ。……と。(おもむろに時計を見る)お、そろそろこんな時間。ではみなさん、さようなら!
新「いきなりかい!(どこからともなくハリセンを取り出して打擲《とうてき》する)あ、そうだ、終わる前にこれを読んでくれって言われてたんだ。はい(ポケットから紙片を取り出して渡す)」
――えー。そんなの、自分で読んでくださいよー。……って、ああ、行っちゃった。あたかも青い旋風《せんぷう》のように。ブルー・ゲイル。涙《なみだ》はらって。
ふう。この形式《けいしき》の対談は、書いてる私が楽なもんですから、すいすい文字が埋まります。ああ、助かった。サンキュー。ついでにちょっと、正気に戻《もど》りました。で、メモは『狗狼伝承メイルゲームの紹介《しょうかい》』……と。
まあ、あんな風にヘンなオジサンですが、新城さんは実はけっこうスゴい人だったりします。作品の架空《かくう》世界を創造《そうぞう》する際《さい》、あのレベルまでディープでカッコよく、博学《はくがく》に迫《せま》れる作家はまさしく稀有《けう》なのですね(いやお世辞じゃなくて。マジで)。なにしろ、その世界の歴史や風俗《ふうぞく》はもちろん、言語体系《げんごたいけい》までバシっと作っちゃうのです(文法もだよ、文法も!?)。賀東もフルメタ世界を作るにあたっては、新城さんの影響《えいきょう》を少なからず(っていうか、かなり)受けてたりします。
……でもって、その新城センセの『狗狼伝承』シリーズの壮大・緻密《ちみつ》な物語世界に参加《さんか》して、遊んでしまおー、という『メイルゲーム』が今年(二〇〇〇年)、六月〜翌年の三月まで実施《じっし》されるのですね。葉書《はがき》や手紙を使って、全国ン千人の参加者が自分用のキャラを作って活躍《かつやく》してしまう……と。私もこの形式のゲームに携わって、あれこれ教えられたモンですわ。ああ、懐《なつ》かしい。
そんなわけで、このゲームに興味《きょうみ》を持たれた方は、
[#地付き]〒168―0081 東京都杉並区宮前二―一―一六―二二〇
[#地付き]エルスウェア『ブルーゲイル、ときめく力』係
……まで、御《ご》自分の住所・氏名を書いた名刺《めいし》大の紙と、返信用の九〇円切手を同封して、封書《ふうしょ》でご連絡《れんちく》を。インターネットに入れる方はのエルスウェアのホームページ(http://www.elseware.co.jp)からもパンフレットを取り寄《よ》せられます。
さて、今回もたくさんの皆《みな》さんに大変なご迷惑《めいわく》をおかけしてしまいました。とりわけ四季《しき》童子《どうじ》先生、本当にすみませんでした。まともな資料《しりょう》さえ送ることもできず、まったくもって、申し訳なく思っております。にも拘《かか》わらず、いつも最高にソウルフルなイラストをあげていただいて、マジで心の底から感謝《かんしゃ》しております。まったく、活字《かつじ》の限界《げんかい》を思い知らされているほどであります。
あと、最高にクールな|TDD《デ・ダナン》のデザインをして下さった高野《たかの》真之氏にも大|感謝《かんしゃ》。
編集の佐藤氏と、名前もうかがっていない制作《せいさく》関係者の皆様にも大感謝を。一月発売ということで、そのつもりでいらっしゃった書店の皆様にも大感謝を。一月のファンタジア文庫発売日|頃《ごろ》に私の作品を探してくださった読者の皆様にも大感謝&大|謝罪《しゃざい》を。
ほんっとに、ごめんなさい&ありがとうございます。
……と。けっきょく、今回は長めのあとがきになりました。
ではまた。次回も宗介と|地獄《じごく》に付き合ってもらいます。
[#地から2字上げ]二〇〇〇年一月 賀 東 招 二
[#改ページ]
[#挿絵(img/03_380.jpg)入る]
[#挿絵(img/03_381.jpg)入る]
底本:「フルメタル・パニック! 揺れるイントゥ・ザ・ブルー」富士見ファンタジア文庫、富士見書房
2000(平成12)年02月25日初版発行
2001(平成13)年10月05日7版発行
※底本中で用いられている「《」と「》」は、青空文庫ルビ記号と被ってしまうため、それぞれ「<<」と「>>」に置き換えています。
校正:暇な人z7hc3WxNqc
2009年10月15日校正
このテキストは基本的に青空文庫形式ですが、感嘆符や疑問符が二つ並んだ文字(本来なら「感嘆符二つ、1-8-75」や「感嘆符疑問符、1-8-78」などと注記しなければならない所)はテキストビューアの「縦中横」機能を当てにして半角文字二つで表現し、注記は避けました。
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使用したWindows機種依存文字
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「U」……ローマ数字2、Unicode2161
「」……縦書き用の二重引用符の始め
「=v……縦書き用の二重引用符の終り
縦書き用の二重引用符は多くのフォントで位置が(場合によっては向きも)間違っていて、大抵は二重引用符が中身の単語と離れすぎていて間抜けな印象に見えると思います(MS明朝やDFパブリフォントで確認しました)。これはフォントの問題ですので、フォント製作者によって修正されるのを期待するべきでしょう。
参考:http://www.geocities.jp/hiroki_mighty/hp1-01filespec.html
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底本の校正ミスと思われる部分
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底本64頁12行 ノヴェンヴァー1
底本64頁13行 ノヴェンバー3
統一すべき。