[#表紙(表紙.jpg)]
男のだいどこ
荻昌弘
目 次
君子、厨房に入る
酒、サカナ只今製造中
食い気いっぽう
つくっちゃァ、食い
女房料理の聖書群
ああら、食べすぎ、ふとりすぎ
食って勝つぞと勇ましく
鍋もの大全
私家版・ふるさとの味まつり
食いもの列島
お食後はいかが?
あ と が き
文庫版に際して
[#改ページ]
君子、厨房に入る
食うを語るはミットモないか[#「食うを語るはミットモないか」はゴシック体]
うまいものをたのしく食いたい、のは人間誰しもの望みで、だから私は、自分の食い意地の張りようを(べつに、いばろうともおもわないけど)人前からかくしたいなどとは全然かんがえない。男たちは平気で矛盾をおかす見栄っぱりの動物で、「ニューヨークではサーディでメシ食ったけど、アメリカもあの程度高くなると、さすがにマズくないねえ」うっひっひ、などとことさら大声で報告したがるやつが、近所の魚屋の店先では、きまりわるがって「そのブリ一と切れくれ」という声さえだせない。ふだんの|そうざい《ヽヽヽヽ》にもまごころがこめられないで、何がサーディか。
古典落語などをきくと、イキのいい、男らしい長屋の職人なぞが、
「おう、三|分《ぶ》の、二朱たァいい値じゃねえか。まァいいや、おろして持っつきつくれ」
などと、ぼてふりの魚屋に鰹《かつお》の刺身注文したりして、男性も食品に関しておおらかなコミュニケーションをおこなっていたことがおもいおこされる。ところがいっぽう、今になってもまだ、「君子、厨房《ちゆうぼう》に入らず」なぞと、誰がいったか当人もしらぬ古諺《こげん》を、大時代にふりかざすのが男の沽券《こけん》だと、本気で信じこんでる向きが多いのには、まったくあきれかえらされるのである。閨房のほうはイソイソして、厨房だけ遠慮してみたところで、べつに男の沽券が高騰するわけでないので、私などそう思いさだめてからは平気で、夕方のマーケットやデパートの食料品売場を、でかい紙袋かかえて、ひとり徘徊《はいかい》できる心境になっている。京都へ行けば錦の市場。札幌へ飛べば二条の市場。他の義理は御免こうむっても、あの市場の店先でシュンの菜魚をたしかめないことには気がおちつかない。ヒマがあったら、夕方、東京でも安いと評判の、大塚坂下町の商店街をのぞいてごらんなさい。私が買物籠さげて、うっとりと店先見ながらあるいておる。
かんがえてみるに、男の食い意地でみっともない≠フは、わずかに二種類の俗物だけなのである。ひとつは、やたら通ぶりゃがって、有名料理店に顔であることばかり誇りたがり、あの店で名物の何トカを賞味してたら旧知の元宮様、何某先生とおいでになり、やあやあと歓談ひとしきり云々、だけが自慢の手合い。
いま一つは、完全に生きる目的と手段が本末転倒し、板前のスペシャリストになる力も根性もないくせに、口をひらけば食ったものの思い出と店の評判を自分の手柄みたいにイバるのだけが取柄、という手合い。
こういう鼻持ちならぬ酢豆腐のうさんくささに比べれば、カミさんの尻についてデパートの地下室を粛々と歩んでいる亭主の誠実な善良さなど、夢にもマイホーム・パパなどとあざわらってはならないものだな。じつはある点、仕事のストレスにしばられきった男にとって、食品店散策ほど人間解放的なレクリエーションもありえないことを、私らはもっとしるべきなのである。男権回復、とまではいわない。が、少くとも「食いもの」へ積極的にかかわることは、男にとってすばらしいバランス回復作業である。
希こそ珍味[#「希こそ珍味」はゴシック体]
名だたる評判の料亭やレストランへかよいつめて、カミさんがその後三年くらい「高かったわァ」と値段ばかりおもいだすような料理を食ってゆけば、そりゃ確かに、信じられぬくらいウマいものにありつくこともできるだろう。京都、大市《だいいち》のすっぽんなどは、万一「世界でこれ以上ウマいものはない」と宣言されても、否定する根拠はそう簡単にとりだせないくらい、じじつうまい。わずかにこれに似た味とぬめりといえば、本式のフランス料理でもあまりしばしばは出ない蛙のコンソメくらいのものだろう。大市で味をしめたあとは、これはすっぽんという亀そのものがウマいのだ、と自分によくよく言いきかせ、安い「肉片入りすっぽんスープ」の罐詰を買って、自宅でひそかに雑炊をつくってみたりするのだが、やはり舌のほうはだまされてくれない。仕方ないからショウガのすりおろし汁だけ、ウンと増やして、自分をごまかすしまつである。
だが、この大市とか――マキシムなどで肉料理にかかってくるソースもそうだろうが、ああいった飛切りのプロフェッショナルの味は、一生にごく限られた回数、あっと驚きをもってぶつかるからこそ、舌の歓喜が心の悦楽となるので、私はかりにできたとしてもああいう品々を、そう毎月毎夜食いたいとはおもわない。またああいうものを常食にしてしまいたがる世をのぞまない。
この戦後、私たちの世界が獲得した「特権の市民化」という傾向は、なにより「名品」の規格的量産を作りだすことになってしまって、たとえば戦前、私が子供だった昭和十年ごろ、うまいそうざいとして評判になった千葉の「イワシのみりん干し」――あれですら近ごろは、昔と同じなのはゴマがかかって九尾並んだ形だけ、のくせに、妙な一般化をとげるにいたっている。昔は房州前のマイワシを、正直に醤油とみりんの混合液へ浸して乾したからこそ「みりん干し」であった。が、近ごろは、そんなぜいたくな作り方をしたら一夜で採算倒れになってしまうとみえる。全国から送られてくる冷凍のカタクチイワシを氷から戻し、塩とざらめと水あめの水溶液に漬けたあと、乾してアラビアゴムで照りをつけた品をも、みりん干しと|となえていい《ヽヽヽヽヽヽ》ことになっている。ゴム干しである。
もっともゴムをきたないというなら、切手の裏をなめるのもきたない原理で、その点は納得するとしても、ともあれマイワシがカタクチになっただけでも、若干味が下落したことだけは否定できないようにおもえる。だいいち近ごろのみりん干しが、さめるとカチンカチンに硬直化するのも、ゴムのせいか、イワシが変ったせいなので――今や、一部特権階層だけがウマいものを食う旧弊は打破できたかわり、全員がマズいものを食う時代に生きている、とはこのことなのである。
たとえば、近ごろは大量生産のあまり、犬さえ前肢をふってことわるようになった、などと陰口される、全国に有名な某店のクッキーなどは、その点の悲劇的典型といえるのではないか、とおもえる。私はあの有名クッキーが昔より味を落したとは決してかんがえない。だが、贈答品のなかにあの白と青の包装を見る瞬間、なるほど俺もけものだったら前肢をふりはしないか、とおもえる心理的抑制がはたらいてしまうのは打消しようがない。決して、犬だけを飽きっぽいと責めるわけにいかない普遍的現象である。
同じクッキーでも、たとえば銀座のレストラン「レンガ屋」のチーズ・クッキーとか、東京麹町二丁目に小さな店を構えるローザーという菓子店が頑として店裏の家内工場もひろげず、デパートの老舗《しにせ》街にも進出せず、だいいち、罐入りを郵送するサービスさえこばんで、味の希少価値をまもりつづけているのなどは、これと対蹠的《たいせきてき》な賢明さというほかない。べつにとびきり高額ではない買いものなのだが、手に入れるのに、ちょっと手間がかかる。その面倒がうまさを持続させているのである。出店も極度に制限してる日本橋のあられの枡久とか、一日の焼上げ枚数を制限しつづけている浅草の塩せんべい屋入山煎餅とか、京都の二条新町でお茶のための美しい干菓子だけコツコツ手製している亀屋伊織なども頑固≠ニいう商魂がみごとである。
食いしんぼう入門[#「食いしんぼう入門」はゴシック体]
私など、ごく平凡な食いしんぼうにとって食いもののたのしみをまもる≠ニは、まずこういう、万事、拡散化、規格化されてゆく世間の味のなかから、せいぜい、商標やコマーシャルにまどわされず、かくれた本物を安くさがしだす、くらいがスタートでありゴールなので、それ以上、御大層な有名店で高い料理を食うことなどは(よばれりゃうれしいから、ホイホイ舌なめずりしながら出かけるがね)、べつに人生の目的だとも私はかんがえない。率直なはなし、私自身、何が食いもののたのしみか、といえば、全国を旅して、東京にくらべ地方の人々はどんな安上りにうまいそうざいを食ってるか、を知ることと、うまい料理≠食わされたあとは、何とかそれを、自宅でヒョウセツ盗用できないか、と、せまい台所で工夫をかさねることくらいだ、といっていいのである。
熊本駅で列車を待たされたことがある。車中で罐ビールのつまみにしようと、弘済会の売店で、揚げた小魚の小袋(瀬戸内ではふたな煮≠ネどという、小エビや雑魚《ざこ》のから揚げ)を見かけ、意地きたなく買って、車内でポリポリ食った。これが、東京のデパートなどにでているのとはまるっきりべつの、ほんものの味がしたので、もう一度熊本へもどりたくなったくらい、感動したおぼえがある。弘済会売店などといって決してバカにしてはならぬ。旅のおりはかならず駅売店で、御当地製のものがあるかどうか丹念にたしかめることだ、とさとったことであった。
駅弁なども、決して大都会百貨店あたりの駅弁大会まで進出してくる、珍な有名商品ばかりをねらうべきではない。むしろごくあたりまえの弁当のなかに、良心的な逸品はかくれている。紀州白浜駅で売る幕の内弁当など、温泉へ行かれた節、こころみてみられて損はない味である。白浜といえば、(温泉の土産店など、だれだって敬遠するのが至当だが)ここでごくふつうの土産として売っている梅干製品はさすがのできばえである。天草のウニ、高知の酒盗とならんで、西日本から買ってかえれる瓶入保存食品の三傑であるまいかとおもうほどだ。ほかに、四傑目があったらゼヒ御一報いただきたいが。
画一という名で堕落しきった東京の(それもとくにデパートの)食品や材料にくらべると、日本の各地域はまだまだどれほどめぐまれた味をもっているか。たとえば熱海――あの低俗の化身である熱海でさえ、アジのひらきとサクラエビの干製品なら、東京で手にはいらぬウマい品がそのへんでいくらだって買えることで、知られよう。あのサクラエビの干したのを、さっと油でかるくから揚げして、パプリカのたぐいをふりかけたツマミは、じつにビールにあう。
最近の東京の、チキンと称するブロイラー肉には、これはもう、人造肉よりひどいではないか、とおもうほどのがあるが、東京からホンの一はしり、栃木市の大平山という丘の上へゆくと、これはバカみたいな安値でほんものの鳥鍋、焼鳥を腹いっぱい食わせる松野家という茶店的宿屋があったりする。
ネギとか、タマネギ、山芋なども、東京でマイカー族を気どるほどの人なら、デパートの駐車場などにならんで、延々と日曜日を空費しながら買物するのなンぞ、バカげている。一走り国道17号線を深谷へんまではしると、路傍に即席の八百屋がごまんとならんで、いかにふだん東京へはマズいものをおくっているかを、実証している。私なぞはあそこで後席のシートいっぱいに新鮮な安い野菜をしいれ、車じゅうにネギの匂いを充満させながら家へもどるのである。
コロンブスの瓢亭卵[#「コロンブスの瓢亭卵」はゴシック体]
料理、などとはおこがましくていえたものではないが、私が食いものを男の手でも作りはじめた最初は、じつは仕事がら、深夜ひとりで原稿にむかう間の空腹を、サンドイッチなどでみたそうとしたためだった。ごく平凡な動機である。
ダグウッド・サンドと俗にいう、よくアメリカのデリカテッセンででる、パンの上にあらゆる種類のハムやレタスの葉やソーセージや穴あきチーズをもりあげるあれだが、近ごろは年齢《とし》だな、ああいう味のごたごたしたものは、さして製作欲がわかなくなった。「バウルー」という、なかにサンドイッチをぎゅっと挾んで、ガスであぶり焼く「洋風たいやき器」あり。この押焼サンドは、味がバタくさいので若い者ほどやたらウマがる。二週間、連日これを自作して会社へ出た、という独身サラリーマンにあったが、私のようなおっちゃんになると、もうとてもそんな根性はつづかない。
ただこういうサンドイッチなどは、つくる手間じたいが一つの気分転換である。近ごろは電子レンジという便利な器具ができたおかげで、たとえば夜食も、ジャガイモ一個、水洗いして皮のまま、ポンと放りこめば三分後には蒸焼きまがいになるのだから、それで済ませてしまう。これも気分転換のひとつだ。
電子レンジという機械は、まったく気味がわるいほど妙なものだね。パンや餅を入れると、焼けるかわりに、製造時の原型《オリジン》にまで姿や味が還元してしまう。パンなどは、焼窯《やきがま》へ入れる前の状態にまでもどってしまって、食えたものではない。ただし、餅はよろしい。正月、台所に餅がごろごろしている時分は、硬直しすぎた一片をレンジになげこんでまず搗《つ》きたての状態にもどす。それを、樽からだしてひろげた広島菜の一枚にくるみこみ、醤油をつけて夜食とするのがうまい。餅さえよければ、この素朴な辛味は絶品と称すべきものである。NHKテレビを見てたら、経済の番組で、「アメリカで電子レンジが売れるのは彼らアメリカ人の舌が鈍感だからである」などと怪説を得々とぶってる教授がおった。きいたふうなことぬかしよって。ろくにためしてもみずに頭から電子レンジは何でもまずいものと、きめてかかってるこういう舌をこそ、鈍感とよぶのである。
――といって、むろん、拙宅では、私ひとりがサンドイッチや餅をとりしきっているのではないので、台所は、いうまでもなく、二十年つれそったカミさんが、昼夜ちゃんと支配権をにぎりしめてはいるのである。これははたらき者でしてね。たとえば生海苔《なまのり》からゴミをとる、といった面倒な作業とか、食器洗い機などいっさいつかわずに家族全員の肉の皿をあらう作業とか、不平ひとつこぼさず毎朝毎夜やってのける。そうか。キミんとこも、そうかい。
ただ彼女は、想像力の点で私に一歩ゆずるとかねて自認させられてきたので、毎朝、私が原稿をかいてる机の前に来、「今夜は何にしますゥ?」と指示をあおぐわけで、あらァイヤなものだが、人の問いには心からこたえるのが礼儀だから、私も連日、うんちくのすべてをかたむけ、料理名から製作法までを示唆するのである。そのおり、協議が妥結すればよし。「アラ、そんなの材料買いにゆくのが面倒」とでも彼女がいおうものなら、こっちは、頭のなかにイメージをつくらされただけで今や矢も盾もたまらず食い気がもえたってきてるから、やむなく、自分でマーケットへもはしる仕儀となるだけのことである。どっちが内助なのかわからないほど仲がよい。
このカミさんの実力をみなおしたのは、ついに二人の執念と底力で、京都は南禅寺前の瓢亭から、半熟卵の製法をぬすみとったときであった。周知のように瓢亭の半熟卵は、真ん中から真二つにわれて対に直立しており、しかも、白身は壁になるだけのかたさなのに、なかの黄身はとろとろの粘液状のまま、上をむいている。どうしてあんな形状が可能なのか。何としてでもウチであれをつくってみたい、相手はタカが卵ではないか、できるはずだ、とカミさんに決意をうちあけた。
カミさんを説得するまでには、当然御当地の現物をあらためてオゴらざるをえなくなったが、それからは毎朝台所で、二人は一日一個ずつ卵をつぶしつづけた。私が鍋に温度計をさしいれ、黄身を中心へ集中させるため卵をシャモジでころがしつづけながら、摂氏何度の湯に何分つけるといいのか、を計測する。カミさんは私より器用だから、ゆであがりを冷水の中でむく。できすぎてハードボイルドになることもあり、生卵のままのこともあり、うまくいった途端に水の中でくしゃりとつぶれることもあり、きれいにむけても、立たずに黄身がながれてしまうこともあり。なるほど、老舗三百年の秘伝を素人がぬすむのは容易なこっちゃなかった。
ついに、できたのは三カ月たったある朝であった。データを公開したって簡単にマネられるものじゃないから、書いてしまうが、卵は八十度の湯に六分間、ころがしながらつけるのが、拙宅ではいちばんよい結果になった。それを水中でそっとむき、包丁で白身の両端をそぎおとす。ここが文字通りコロンブスの卵的秘訣である。そして一端を片手でおさえ、真ん中からたちわると同時に、指と包丁の腹とで、左右へスッとひきおこせば、難なく半熟はたちあがるのである。やったやったと夫婦は欣喜雀躍したが、こんな程度の苦労ではキュリー夫妻とちがって賞はもらえない。
もっとも、この瓢亭卵は、伊丹十三くんも、まったくべつのやりかたでつくるそうですね。氏にいわせれば、当然、氏のつくりかたのほうがウマくできるとのことである。ま、どっちが本物に近いか。評定は瓢亭におまかせ、か。
ふりかえってみると、拙宅ではまあひとさまにだせるものといえば、結局はこのテの、たねもしかけもありようのない単純素朴な食いものか、それでなければ小学生でも根気さえあればつくれる、といった備蓄的食料のたぐいばかりである。拙宅のコーヒーなどは、その朝の気分によって、自分でブレンドした豆か、単品のときはエチオピアを豆からひき、ぐらぐらの熱湯をそそぎ、カリタという簡単な漉《こ》し紙でこすだけのいれかただが、カミさんの手にかかると、エチオピアなど真っ黒な色のわりに非常にマイルドにでるので、たいがいのお客さんが、うむ、これなら、とうなずく。これもただただ簡単な習練をくりかえさせた結果にすぎンのである。
束京神田のすずらん通りに、金寿司という、まァ屋台に毛のはえた程度のスケールのスシ屋があるのだが、ここの良心的なおやじさんは面倒な「ひっかき」をいやがりもせずつくってくれるのがありがたい。マグロの後頭部、あの巨大な塊りの脂肪層のあいだへ匙《さじ》をねじこみ、がりがりと肉の細片をひっかきだす、という脂ぎったマグロのミンチ、いわばターター・ツナ・ステーキであって、安い食いものだが、うまい首にあたったときなど、こたえられぬ超トロの味がする。
私は、少々ぶしつけだが、この「ひっかき」後の残骸的後頭部を時折払いさげてもらう。家へもちかえるや、このまぐろの首っ玉を、アルミの巨大なズンドウ鍋にいれ、大ぶりの大根の輪切りといっしょに、石油ストーブの上で煮こむのである。四日間は煮つづける。家中が魚くさくなる。これはじつに、ウチへもどるのがイヤになるくらいの、たまらぬ不快さである。マグロの首は、驚いたことに骨までサクサクと風化《ヽヽ》してしまうが、この、大根と、ほぐれたマグロ肉のうまさは、唖然たるものだといってよい。おやじさんは品をわたすとき「猫ですか?」ときくのだが、ウチにだって多少は猫より魚の味がわかる人間もいるのだからな。見そこなわないでもらいたい。
飛騨の高山へ行くと、特産の味噌を朴《ホオ》の葉で焼くための、いわば一人用小型七輪を売っている。義太夫の丸本がデザインしてあったりして、質朴でイキな民芸品である。この七輪に小さく炭をおこし、かけた金網の上へ、酒でぬらした昆布を一枚しいて、そこへ、生ガキや蛤《はまぐり》の剥身をのせる。これはうまいぞゥ。いわゆる「松前焼」である。やがてじくじく音がたちはじめるころには、貝へ昆布の味と香りがしみ、醤油で食うだけですばらしい味になる。昆布が熱でかわきかけたら、さらにちょっと酒でしめしてやる。つい食いすぎ、腹をこわしかねないほどのうまさで、真冬の夜、ひとりか、あるいは差しで酌みかわすとき、これほどムードのでるサカナはないとさえおもう。
――こういう単純な食いものや食いかたを、ひとつひとつ、他人《ひと》様からおそわり、ぬすみ、いちばん簡単なところから、じわじわとたのしみのレパートリーをひろげてゆくこと。私のやりかたはそれだけである。近ごろの醤油はマズくなった、と愚痴をこぼすと、かならずだれかが、「ああ、うちでは昆布の切れっ端をなげこんでおきます」とヒントをおしえてくださる。それをおぼえてきて、あとは昆布を日高のにするか利尻のにするか、そこはこちらの好みと工夫である。
味のとりいれ[#「味のとりいれ」はゴシック体]
いま、私がなんとか身につけたいのは、ドイツ人やフランス人が常食にしている、シュークルートというすっぱいキャベツ――あのおいしいつくりかたである。シュークルート(ザウァークラウト)をウインナ・ソーセージとスープで煮込んだ熱あつの皿を、マスタードで食う満腹感・充足感など、想像しただけでわくわくする。これも、キャベツ漬込みのコツさえ一度おぼえれば、つくるのはひどく単純そうにみえる点が、私の関心を異様にそそるわけである。
どこでもやってるものなのだろうが、うちのカミさんが女学校の先生からおそわってきた大陸的土俗食品に、拙宅で朝鮮漬と称してる漬物がある。白菜を縦に二つ割りしてなかば乾燥させた後、熱湯をくぐらせ、この葉一枚一枚の間に、せんぎりのニンジン、大根、ネギ、ニンニク、ショウガ、唐ガラシ、アミの塩辛ETC、やたらな混合物を詰めこんで、濃い塩に漬ける。約十日で水があがるころが食べどき、という単純なわりに栄養価充満の漬物であるが、私は自家製のこういう異郷的食品をあじわうたび、どんな遠い民族だって結局いちばん簡単でいちばん基礎的な食いものは、本格ではないにしても万国だれにでも普遍化しうるし、また、どこのものを食ってもうまいのだ、と痛感せざるをえない。自分でつくって痛感してるのだから、これくらい確実なことはない。
母親からのそうざいの味を、娘がつたえなくなった、という嘆きをだれでもがいう。まさにそれは事実なので、|ぬた《ヽヽ》とか、ヒジキの煮つけなどは、いま家庭ではもっとも味つけがむずかしいものだろう。京都へいって森嘉で豆腐と厚揚げを買うたび、ボール状にまるまって湯気をあげているオカラを横目でにらみ、安いなァほしいなァとおもうが、拙宅ではまだあれを充分うまく炒《い》る自信がない。
私は今、コマーシャルなどでさかんに「お徳用」と宣伝してる安い輸入肉をつかって、なんとか独自の牛肉佃煮をつくれないか、懸命に試作中だが、佃煮などというのも想像以上に味つけが至難である。煮あがってみないと味がわからない、のが面倒である。
しかし、一世代で食生活ががらりとかわるこの時代、娘が母親から佃煮やひじきの煮かたをまなびそこなったといって、それだけでこれからの女をせめるわけにはゆかないだろうとおもう。むしろ私たちがこれから何かをまなぶとすれば、シュー・クルートか朝鮮漬かはしらないが、結局世界の基本の味を、各民族がたがいに横から≠ニりいれあう形になってゆくことなのではあるまいか。
とすると、外《おもて》へ出るのが役目の亭主が、ぽやっと収穫なしにウチへかえってくるのを、何て芸のない人なの、とカミさんや娘からキメつけられる時代もけっして遠くない気がするので、その点からも、男は口をゆすいで味《あじ》感覚をみがいといたほうがいいように私にはおもえる。
[#改ページ]
酒、サカナ只今製造中
きっことニンニク[#「きっことニンニク」はゴシック体]
某夜、神戸での仕事をおえ、深夜のフライトで東京へかえろうと、伊丹飛行場へくると、灯をおとしたカウンターにぽつり、松岡きっこ嬢がたっていた。大阪でのテレビ劇をとりおえて、帰京するという。深夜飛行はYS11の旅だから、ジェット機の倍ちかく航続時間が長い。東京までの暗い機中、ねむたがる彼女にむかって、えんえんと集中講義をしつづけた。まわりの乗客たちにしてみれば、あの男、暗がりで美人を、ナニ夢中ンなってぼそぼそくどいてるのか、半睡の間にも大いに気をまわさざるをえなかったにちがいないが、じつは、講義内容は、徹頭徹尾、食いものについてであった。色気のなさはともかく、映画女優と映画批評家との対話としては、かなり斯界《しかい》の現状から遊離したことを反省せねばならない。
はじめは、「関西へ仕事にきてのたのしみは、けっきょく食いものですな」「ホント」みたいなところから話がしぜんに展開しだしたわけで、やがて話題は、神戸のパンと牛肉の礼賛にうつり、肉の鉄板焼を最初に食わされたときァ豪奢な印象だった、とおもいでを共感しあい――そして松岡嬢は「私、セリ、三ツ葉、サンショウなンて、匂いの植物はダメなんですけど、ニンニクは平気なの。ふしぎね」といいだしたのである。私はにわかに目と舌の目覚めをおぼえ、たちまちにうんちくを傾倒して、うまいうまいニンニク貯蔵法を、爆音の合間に伝授する形勢となったわけだった。
いうまでもなく、ニンニクは春から初夏、八月にかけてが買いどきである。近所の八百屋にたのんでおくか、デパート、スーパーで、身のこえたみずみずしい品々をみつけたとき、わが家ではごっそりとしいれて屋根の日陰につるしてほし、乾いたら過半を剥身にしてしまう。つまり、小鱗茎という、あのラッキョウ形の房をツルツルの裸にむき、これをインスタント・コーヒーの空瓶にぎっちりなげいれて、あと瓶いっぱいを醤油でみたしておくのである。ほんというと、この瓶ではフタがさびついていけない。モダンなスーパーあたりで、フランス製のジャム作り容器を手にいれるといいのだが、一瓶程度なら、あけたとたんカラになってしまうから、インスタント・コーヒーの瓶で心配はいらない。酒や酢などくわえたがる人もあるが、拙宅では醤油だけそそぐ。半年たつと、鱗茎は、黒蜜潰のラッキョウよりも黒く変色し、そしてエキスは完全に醤油のほうへ浸出をとげている。拙宅では、このニンニクを食うことはもちろん、醤油のほうも、焼肉のタレ、チャーハンの味付け等にもちいるのであって――ね、是非やってごらんなさい、とすすめると、きっこ嬢、あれが看板の美しい目をきらきらとかがやかせ、母上との試作を約束された。知合いの向きは、およばれにゆくとよいぞ。
この収穫! バーへもかよわずサカナ製造[#「この収穫! バーへもかよわずサカナ製造」はゴシック体]
かつて私にこのニンニクの醤油漬をおしえたのは、藤本真澄氏であった。氏は「巨人の王がウチへきて食ってなァ。翌晩、二本とばした。うわっはっはっは」などとPRしたので、私もききのがすことができなくなった。私は夜、べつだん後楽園で本塁打をうつ必要もない身であるが、他にまだ、夜、とばしてみたいものもないではなく、最初はその気でつくったのだが、半年後、完成してみると、この醤油ニンニクはソレ的効果より、スライスが、じつに酒のツマミに好適であることがわかった。以後、わが家ではとぎらすことのできぬ酒席用備蓄食料にかわったのである。漬けこみは長ければ長いほどうまい。最近ではローテーション三、四年のを拙宅ではもちいる。辛味噌《からみそ》漬はさらに美味である。
私はここ十年、日本でよぶいわゆる「バー」――つまり、和服のユリちゃんが横へすわり、というよりミニのおセツの横に私がはべって、ガブガブ水割りをのんじゃァ、双方、でたらめなウソのつきっこをし、モテたが如くモテざるが如く、かえるころにはエエとこのマキシのコは何という名だっけ、勘定も何もサッパリわからぬまま外へでちゃ、タクシーに木戸つかれて腹をたてるという――ああいった種類の店から、ばったり足をあらってしまった。あらうにいたった経緯はいろいろあるが、今おこなってるのは食い気の話であって、色気話ではないから、ここにはのべない。ただ、今でも事情をしらぬ男から同行をさそわれた場合、堅く固辞しつづけると、「ア、ああた、べつの御方面で」などと妙なかんぐりされるのが面倒だからたまにくっついてはゆくが、もはや馴染みをうしなった店で、見もしらぬ新顔のカスミちゃんやかつての妹分にあたるとかいうおカジと何の冗談いいあったって、今さらおもしろくなるワケがないのである。少し虫のいどころがわるい夕方などは、「僕はバーにはゆきませぬ。寝もしない女の生活費まではらうこたァないとおもう」と、心にもなく、本音に近いことまでいってにげる。しかし、じつをいうとそれ以上の本音は、私淑してやまぬ故獅子文六氏が一言で喝破されたのとひとしく、
「私は酒好きなので、酒を飲むには、女性が不要なのである」
驥尾《きび》に付していわせていただきたいとおもう。女をくどくときには酒はあったほうがいいものだ。が、酒をのむときは、女というものはいらないサカナなのである。私はそういう心境になった、近ごろ。
――そういう、女乗せない酒席に、ニンニクの醤油漬スライスとか、にんにく味噌などは、はなはだ小粋な箸休めとなるわけだ。もっともいかに女ッ気をはらうとはいえ、手の甲に食塩のっけて焼酎をのむのとはちがうからな。わが家で独酌するときも、この醤油漬のほか、さまざまの山海の珍味をならべないと気はすまないのだが、まあその珍味も、大半は、じつは調理も自作、といってよろしいのが、わが家の特色かとおもわれる。――むろん、中の小皿でとびきりウマいのは、残念ながらよりによって全部他人様の作品で、まさか、台湾のカラスミ、岡山のママカリ、知多のコノワタ、なんて品がわが家で自製できるはずもない。が、ちょいとした鶏モツの甘辛煮くらいは、ヘタな小料理屋より|まごころ《ヽヽヽヽ》こもった品をつくる確信がある。先ごろからは、店で買うかまぼこが、色ばかり白くて味も香りもうすい、とおもいはじめ、拙宅ではカミさんと共作で、かまぼこも自家製にふみきったくらいである。
|かまぼこ《ヽヽヽヽ》の原始的形態は|つみいれ《ヽヽヽヽ》だ、とかんがえれば、あれは簡単な食品なので、けっして、紀文、浜藤でなければつくれない、という代物ではない。|ひらめ《ヽヽヽ》など白身の魚肉を三枚にそぎ、ていねいに水でさらし、肉挽器にかけたあとを、よくよくスリ鉢ですりぬく。ここの忍耐の程度がカマボコになるかツミイレでおわるかのわかれめである。できればウラゴシにかけたいくらいで、その程度の微粒子にすれば紀文さんの如く、舌ざわりは、みごとなかまぼこができようとおもう。が、べつにキントンをつくるわけじゃないからな、拙宅ではウラゴシは目をつぶってしまう。
そのスリ身に、塩、砂糖、酒、みりん、薄口醤油など適宜くわえて卵白と片栗粉をつなぎとし、そうか、下の板には、門の表札をつかうか、などと大騒ぎしつつ、その、子供の粘土細工みたいな練りものを、うちでは電子レンジになげこむのである。一分間でかまぼこ様のモノができあがるから、驚きである。これをガスレンジの、魚焼きバーナーにかけて、上を茶色く焦がすと――形態上、市販品と完全にかわらなくなる。もっとも既成商品のように成型剤はつかってないから、歯ごたえは少々たよりない。オキシフルにはくぐらせてないから、色は灰色がかってる。が、味は、ふだん、ちらしズシからもかまぼこだけはほうりだす子供すら、あっという間に一本食ってしまう、そんな程度になるから、つくった当人がまずびっくりするのである。いかに、いまの大量生産は、安いことは猛烈に安いにしても、古来そのものがもっていた味とはちがうものをわれわれに売ってくれているか。
電子レンジなどに用のない方は、蒸し器で蒸せばもっと上等な結果になるが、拙宅ではかまぼこの成功いらい電子レンジ熱が復活し、この調子なら、まだまだおもいがけぬ食品も自家製造が可能なのではないか、と夢中になりかけた。いちばんわかりきって簡単なのは、ロースト・ビーフの製造である。これは一キロのモモ肉の塊りが、十分足らずで、みごとな紅色をなかにのこしたまま、ローストできる。味は、たいていの来客が、神戸のキングズ・アームズからとりよせた、とはおもわないが、荻家製とも信じない、という水準である。むしろこの調理は、ソースの自製のほうがむずかしい。醤油のなかへ市販のあらゆる香辛料を投げこみ、ニンニク、タマネギ、リンゴ、とすりおろしてまぜてみるのだが、ぴしゃり、冴えた味がつかめない。もっともそう簡単につかめるくらいなら、今ごろは土井勝氏か辻静雄氏みたいに料理学校の校長かなんかをめざしてたな。むろんこの場合、正式にオーブンで焼いて、そのとき自然にできるグレービー・ソースで食うならまったく問題ないわけである。
ロースト・ビーフがこれほどみごとにできるなら、瀬戸内名産、鯛の浜焼だってウチの電子レンジでつくれる道理ではないか、とカミさんに相談をぶった。二者、獣と魚のちがいだけで、塩にした肉をあぶるという調理の原則に、変りはないからである。でも、あんな立派な鯛がこのへんで買えるもンですか、とカミさんは、それが癖で、私のいいぶんに一応反射的に反対したが、デパート地下室の冷凍品ケースをのぞいてあるいてたら、なんと形、大きさとも浜焼のためにうまれてきたような桃色の魚がころがってたのである。アフリカ産にちがいない。鯛、とフダはついてたが、色、形、大きさの近似性はともかく、常識からいって日本は瀬戸内海の鯛であるわけがない。なんとなれば、「一尾どれでも百五十円」ときたからである。(本名はキレンコダイといい、今は三百円くらいする。)
そのガチガチにこおった百五十円をかかえてき、本来ならワラヅトにつつむのだが、ウチにそんな文明品はないので、半紙で全身をくるんで、その上から両面べったり食塩をまぶした。そして冷凍のまま電子レンジになげいれたのである。八分間でとりだし、そっと半紙をむいてみた。さけんだね。まさに、これを二つ折りの伝八笠につつみこめば、尾道で買ってきたとダマせそうな鯛が、尾をピンとはって目の前に焼きあがっていたからである。
げんに私の母は、皿にのせたその一尾を、てっきり瀬戸内ものと信じこみ、「今は何千円くらいするの?」ときいたほどであった。私はその一言ですっかり得意になり、同時に、原価をおもいうかべて食欲をうしなったが、これは少々塩っからすぎた点をのぞけば、けっしてできばえとして失敗の料理ではなかった。その深夜、うちでは私についで舌のシッカリしてる猫が、棚からひきずりおろして肉を食いちらしたことでも、味はニセでなかったとわかる。ただ一つ、どうしてかこれは、瀬戸内真正の浜焼とは決定的にちがう点があった魚で、つまり、口へ入れた瞬間、鯛の、あの独特の香りだけが、全然しなかった。アフリカのせいか、電子レンジのおかげか。
これを書いてるきょう、拙宅で自製中なのは、ハムである。これは目下塩蔵中だから、一本が完成するまであと半月近くはかかろうとおもう。もっともハムは、いくら電子レンジが便利でも、これを使うだけで製造できる代物ではない。途中、燻製《くんせい》にする必要があるわけで、いまカミさんに、新しいゴミ焼却器をもう一つ買え、とねだってるのだが、これは予算をおろすはずがない。といって、風呂のたき口をつかおうにもうちはガスだし、すでに使用中のゴミ焼き器でハムをつくるわけにもゆかんではないか、とおもう。いいお知恵があればかりたいくらいである。
酒のサカナをはなしてたつもりが、ハム製造まで逸脱したが、だいたい一本のボンレス・ハムを、自製するのと、小売店で買うのと、どちらが安あがりにつくか。――いうまでもなく、それは後者である。製造職人の私自身は全然工賃をいただかないことにしても、なおかつ、店から買ってきたほうが安くあがる。なぜ私はこんな、徒労にもひとしい調理をするのか、とおもえるほどの差である。しかし私にいわせれば、こういう食品自製の遊びには二つ、大義名分がある。
一つは、食品のできはじめに工場製などはなかった℃鮪タを、私自身に再認識させたいからである。クッキーだってハムだって、最初は当然、ヨーロッパ人のホームメイド食品だった。ちくわ、かまぼこは日本漁民の自家製品であった。その製造が分業化し、専門化したことじたいはすこしもわるくはないにしても、だからといって、かまぼこは工場でつくるものだ≠フほうが通説になってしまうのでは、私には常識の逆位相におもえる。漬けものにしたって、東京の中川屋、京都の八百伊、一般市民向きのうまい漬物店は幾軒もあってほしいが、だからといって、うちで浅漬のコツをわすれていい法はない。とおなじく、私はかまぼこもウチでつくりたいのである。
そして二つ目。私はおしなべて、今の「工場製」食品が、どうにもうさんくさくおもえるからである。たとえばのはなし、いま市販されているカレー粉の香りと味なら、「カレー粉」という製品を買うよりも、単一の各香辛料、つまりタイムとかクローブとかカエンヌとか、ああいった粉を手あたり次第さまざまにまぜあわせてみて、好きなようにカレー粉を自製したほうがずっと新鮮痛烈な感じがでること確実である。黄色は、高価にしたいならサフラン、ふつうだったらターメリックで出す。だいたい、カレーなどという植物が、インドにはえてるわけはないので、本場だって、あの辛さと香りは、さまざまな香辛料のまぜあわせからうみだすものにほかならない。しかしいま市販のカレー粉には、まるで黄色いだけがコショウより取柄、みたいな粉だってある。最近にわかに世論の批判が高くなったタラコの赤、グリンピースの緑、ゴマの墨――ああいう染料にしても、化学毒の堆積、もさることながら、食いものに染色するという根性のうさんくささの方がじつは猛毒なので、多かれ少かれ、それがかなりの「工場製」食品に感じられるのが、私は気にいらないのである。そういうものを強制的に食わされるなら、どんな手間がかかっても、せめて一歩でも半歩でもオリジンのほうへさしもどした状態で食いなおしたい。
防腐剤はタムシの薬[#「防腐剤はタムシの薬」はゴシック体]
酒というものは、なかでも、飲む身にとっては、「自然だけがつくる甘露」である。物理的には、人間のつくった商品とわかっていても、心理的には、いちばん人工から遠い食品だといわねばならないだろう。熟れた米を酵じ、熟したブドウを足でふんで、そこからあとは、神の摂理だけがみちびきつくりだしたもうた天与の露が、酒だ、と、あらゆる酒のみは、信じたがっている。でなければ、だれがあれを、生命の水とか、スピリッツなどと、ありがたがるものか。
――しかし、その酒にすら、日本の「工場製」は、防腐と称して、サリチル酸などをまぜたがるわけで、サリチル酸といえば、昔は水虫タムシインキンの薬だったが、ともかく世界のどこの国だって酒などには入れないこの皮膚病の薬を、日本だけは平然と酒になげいれて恥じなかった。ま、それもよかろう、厚生省が許可してるのだから、と、こういう点についてはまだまだ寛容な向きが多いのも、日本の特色であるが、しかしそういった太っぱらな御仁も、一回、目の前の酒で、実地の試薬試験をされてみなさい。げえっと渋い顔になること自明である。〇・五パーセントの塩化第二鉄の溶液を、スポイトで一押し、サリチル酸入りの酒になげいれてみよう。酒は一瞬に、インクよりも濃く青紫色に変ずる。
といって、酒だけは、いかにこのマメな亭主が電子レンジを駆使したって、自製するわけにもゆかない。インキンの薬をのまぬためには、ともかく一心に、ラベルの「添加物ナシ」をホントと信じこむか、マ、白鷹なら大丈夫やろう、あの店の菊正ならウソつかんやろ、こないだあそこで飲んだ賀茂鶴、剣菱、忠勇なら純粋やろ、といった、銘柄への信頼感にまかせきるか、もっと大ざっぱにいえば、さしあたり、やたらテレビのCMに出てこないヤツをねらうか――くらいの消極的防衛策しか、われわれ素人はかんがえつかないわけである。それでもまだ心配な苦労症のお方は、束京なら有楽町の交通会館に店びらきしてる、都立の消費者センターに現物をもちこむか、である。ここではあなたの目の前で、その酒が皮膚病の薬入りかどうか、ロハでテストしてくれるからである。
戦争中、二等兵で壱岐《いき》の島へながされてた私は、農家がプライベートに謹製してくれる|どぶろく《ヽヽヽヽ》を飲みにのみ、あれで十九の年から酒のうまさを知ってしまったのであった。今おもえば、ああいう自製には、タマには目のつぶれるようなけったいな代物もあったかもしれないが、いっぽう、都庁へ自分の飲みさしをもちこんで素姓をたしかめてくる、といったバカバカしい苦労は、けっして必要でなかった酒ばかりだったことがしのばれる。
もっとも近年、京都は伏見の「月の桂」から、中汲みと称して、全くの無添加――であるだけでなく、液そのものがどぶろく様に白濁しているにごり酒≠熄oはじめ、これが他の酒蔵でも一種の流行商品になったのは溜飲のさがる光景である。当然のこととはいえ、必ずしも純≠売る商魂が絶滅したとはいえないからである。中汲みとは、まあ、酒かすをおまじりにした酒だ、とかんがえれば感激にもあたらないが、「原酒」とあるこのラベルは信用できるかどうか。都でしらべてもらったら「こりゃ本物です」と太鼓判をおしてくれただけあって、しばらく放置しておくと、発酵がすすんで、シャンパンみたいに栓がとびかねない酒である。味はヒナ祭の白酒からみりんッ気をぬいた感じの相当な甘口で、度数がふつうの清酒より二度ばかり高いから、酔いはかなり強烈にまわる。口当りの甘さでワッサワッサとのむと、完全に足をとられて、転倒するが、私は数年、ウチでは日本酒はこればかりたしなんでは、こういう品が、ただ濁ってる≠ニいうだけの理由で超特級はおろか一級酒よりも安い、つまり二級の値段でしか売れない今の法律のおもしろさをあじわいつづけたこともあった。
この醸造元は律儀なことに、冬はオマケに酒粕までおくってくれることがある。私はあのやわらかな塊りがとどくと、それに塩、みりんをまぜて床をつくり、塩でしめた魚の切身をつつんで、粕づけを製造するのである。いい香りだぞゥ。実際、酒のみならだれでもしってることだが、酒だけは、高いからウマい、とわりきるわけにはいかない。たとえばのはなし、国産で出ている高級ブランデーと称する二種の瓶なども、Sラベルの五千円というXOと、マンズ・ブランドの三千五百円のVSOPとを飲みくらべると、どう味わっても、三千五百円のほうが、まだしも時にはコニャックに近い味がしたりする瞬間もある。要するに、差はない、のである。もっとも、VSOPとは、いささか僭越《せんえつ》にちかいがね。ま、ヘネシーで類推すれば星二つくらいの味である。香りは、まだ星のない夜だ。
わが果実酒づくり[#「わが果実酒づくり」はゴシック体]
さすがにこういう、どぶろく、ブランデーは自分じゃつくれないにしろ、果実を焼酎につけこむ程度のことまでを「酒づくり」といえるのなら、むろんわが家は、それは先刻、実行済みである。梅酒は一年もかかさぬ生産で、ローテーションは四年。つまり昭和五十一年にのんでるのは昭和四十八年製品である。十何年か前になるが、大蔵省がそのとき新たにゆるした十三種のほか、私は、エキスがアルコールに浸出しそうでウマそうだとおもえる植物を、手あたり次第、三十五度の焼酎につけてみた年があった。和漢洋、二、三十種はつくった。毎日毎日、焼酎を一升ずつ注文したので、酒屋が、すっかり不審をおこし、台所へ、何事ですか、そんなにおのみになって大丈夫ですか、と実状をさぐりにきたくらいだったが、べつに急性アルコール中毒にかかったのではなくて、パイナップルからイチゴ、スモモから朝鮮人蔘と、手近の果物、漢方薬を、片っぱしから広口瓶に密封してたところなのであった。
ブドウをつけこめば少しはブドウ酒に似た酒ができるかもしれぬ(もっとも、これだけは、今でも御禁制である)、とか、コーヒーをアルコールづけにすればクレーム・ド・カカオになるにちがいない、とか、あとでふりかえれば小児的すぎた試行もくりかえしたが、これらはすべて半年後、想像力の錯誤であることがはっきりした。当時、意外にイケたのが紅茶酒であった。氷砂糖を入れた焼酎のなかへティー・バッグを一コつるす。三日で美しい茶色が浸出するから、バッグをとりだしてしまう。三カ月後、ほろにがい香りの甘い酒がうまれたのには御機嫌となったものだったが、あと大半の製品は正直、舌にのるものじゃなかった。
ところが、年うつって、先日、あるテレビ局員がたずねてき、久方ぶりに私のこの果実酒道楽をほじくりはじめた夜、こちらもツイ話に興がのって、「こりゃァそのころのシクジリの一例ですがね」と、ガラナ酒、青ジソ酒、といった、当時、ナマナマしすぎてのむ気にもなれなかった失敗品をもちだし、再び一口あじわってみたところ――これはおどろいた。滝が養老の酒にかわったみたいなものだった。瓶の中身が、まったりとコクのある意外な美酒へ変質していたことに気づいたのである。かつて故三角寛氏に、驚倒的なうまさの梅酒をよばれたことがある。二十年間の貯蔵品だとおききして、果実酒の生命も時間にあることはキモに銘じてたつもりなのだが、わが家で同じ現象が生起するのをみては、自然の秩序の厳粛さ、あっとうならざるをえなかった。お宅でもむろん果実酒は得意中の得意であられようが、失敗品《オシヤカ》はけっして台所の流しにすててしまうことはない。すてたつもりで数年、棚の上にでもほうっておくべきである。そのへんで売っているいい加減ウスッぺらな梅酒など、足元にもよれぬうま酒を、神様がうんでくださる。
――と、まあ、こうはかいてきたものの、だからといって、この筆者が、かあいそうに、バーにもかよわせてもらえず、ウチでかまぼこつくっちゃァ、梅焼酎のんでるだけの男とみられるのも――ま、一向、それでも差支えはないが――少し事実とはちがうのである。こんな、万事、食品はホームメイド派、の私にさえ、酒という飲みものは、自宅よりは|おもて《ヽヽヽ》、つまり専門の酒家のほうが、同じ品でもべつものの如く美味にのめるのではあって、従ってボランタリーな夜は、私といえどもその美味の機会のほうをえらんではいるのである。妙な慣習で、その場合、都心だと洋酒、近所では日本酒、と、飲む店は本能的に分類されており、自由に店をえらぶ場合、この秩序はほとんど絶対にくずれない。親しくなりたいヒトとじっくり都心でかたるべき夜は、キレイな異性ならとくに、まずマキシムのバーからはじめ、霞が関ビルの三十五階に上り、幕はホテルオークラのスカイラウンジでとじる。このコースで一晩いくらかかるか。知るやつだけその驚くべき安さをしっていて、大方は全く最高に高い、と信じきってるからスポンサーは心底イソイソするのだが、それはともかく、ここまで静かにのみにのんで、はなしこんで、まだオトせなかったら、ああた、よほどムードづくりの音痴である。腕をみがきなおすべきである。
技、神に入るおかん=m#「技、神に入るおかん=vはゴシック体]
私はうまれてから東京小石川の、大塚にすみついて、比較的近いところに二店、東京の誇りとすべき日本酒の店をしっている。掛値なく大きなよろこびである。神楽坂にある伊勢藤と、大塚駅前の江戸一。ともに飲んべえには著名すぎるほどの店である。
伊勢藤は、カミさんの女友達であるかわいいお嬢さんが、ここのあるじと、お茶のほうで、何とか、といった講釈で、カミさんといっしょにそのお嬢さんにつれていってもらう。離れの、三畳の茶室にひっそりすわって、炉の炭火をじいっとみつめつつ、そのかわいいお嬢さんのお酌で、彼女の分、カミさんの分まで一人じめに静かにのんでいると、東京にこんなケッコウな場所が用意されているのか、とおもい、心から、今どき、バー、キャバレーでぎゃァぎゃァ猥談わめいてるやつの気がしれぬ、といったおもいもしてくるのだが、隣にカミさんがすわってるのだから、離れも、三畳のイロリも、かわいいお嬢さんも、もっぱら美術的効果だけである。つまりは飲み料が白鷹だからこっちも満面のホホエミなので、抹茶だったら、すぐさま、さよならさよならさよならとあとずさりするところだ。大塚駅前の江戸一てえのは、これにくらべると美学的にも山本周五郎作品の居酒屋ムードにちかい。えらく気が楽である。外語大に近いので、水曜の晩となると、教授会がハネたあとの、そうそうたる先生がたで、わんわんと満員になってしまう店である。あの人たちは全部スゴく外国語ができるのだァ、というお歴々が、大学というよりは保育園みたいに無邪気になっている。
ここ江戸一の、おかみ、というか、おばさんというのか、眼鏡をかけた、取りつく島もないほど無口な老婦人がつけるおかんのデリカシーは、これはもはや、絶品などといった次元ではなくて、(酒好きならこのいい方を納得するだろうが)神技である。「ぬるかったら、ソいってくださいナ」とただ一言、無愛想にちょうしをストンと目の前へおいてくれるのだけが、彼女、唯一の意思表示であるが、口にふくむその一杯の、温度、樽の香り――剣菱はこれ以上のどんな条件で人にのまれることを欲するか、といった完璧《かんぺき》さには、私など、ソいうも何も、ほとんど二の句がつげぬおもいさえしてしまう。
幾星霜、ある晩は徳利に温度計をつっこみ、あるいは京都の専門店から錫《すず》の酒器をとりよせ、ときには猪口《ちよく》を古い形にかえてみて、いかほど、わが家で、酒がうまくのめる条件、の探求につとめてきたか、私はわからない。それでいて、今夜はカンが上手についた、酒もウマくのめたぞ、などと自賛できる日は、一夜としてなかった、というほかない。――その現実を、しかも、百発百中の確実さで、わが腕に黙々とたたきこんでいる女傑が、すぐ近所に、名を多分、紳士録にものせず、恐らくは叙勲もうけずに現存しているのである。この事実は、おそろしい。
彼女が勲章をもらえないことがおそろしいのではない。そういう人間と、単純きわまる腕前が、この世にあることが、おそろしい。
[#改ページ]
食い気いっぽう
単純調理の勝利[#「単純調理の勝利」はゴシック体]
敗戦すでに四半世紀をけみして、今回の終戦記念日、わがテレビ番組では、往時の庶民生活を映像に再現し、かつての苦難の日をしのんでみたい。あなた何か、敗戦当時の暮しで、まだ腕に覚えの特技はお持ちじゃありませぬか、たとえばカルメ焼きとか何とか。――と、某放送局から若い声で電話がかかってきた。
敗戦生活とカルメ焼きと、どんな関係があるのかね。少くとも私の近所には、ザラメは配給されなかった。当時もし砂糖っ気があってナメられたものなら、カルメに焼くまでもなく私はザラメのまま口に入れたろう。それはともかくとして、私は、幼年期いらい、(帝国ホテル・コーヒーハウスのパンケーキとはゆかんが)ホットケーキづくりにゃかなり自信があるとしても、いまだカルメ焼きだけは一度として成功したためしがない。テレビにでて、わざわざ他人《ひと》様の目の前へ、棒でかきまわしてもシボむばかり、といった光景を御披露するのも芸のない次第で、今回は出演御遠慮しましょう、とおこたえもうしあげた。じゃァ何ができます? と先方の若者がといかえすから、サァ、当時のことで今も腕前に自信ある、といやァ何だろう、ゲートルまくことと、飯盒《はんごう》でメシ炊くことくらいかしら、と返答して、われながら、どうしてオレはまたこんな、在郷軍人じみたことしかおぼえていなかったのか。おもわず「バンダの桜」が口をついてでた瞬間のような、複雑な自省におそわれた。
結局若いテレビ局員は、芯から、敗戦当時、国民生活の象徴はカルメ焼きにあった、と信じきっていたらしく、私には、ではカルメ焼きはあきらめるからスタジオへ来て飯盒でメシを炊け、という御下命はなかった。今の日本のテレビ界では、女の子をパッパとぬがすことはできても、スタジオで「飯《ママ》パッパ」とはいかぬ、というわけで、ま、それはどうでもかまわんが、しかし今の時代、日本の男という男が、相変らず米の飯には執着をつづけながら、飯盒で米飯を炊く手順とコツは次代へつたえそこねてしまった、というのも何かもったいない気がしないでもなかったのである。もったいない、というより、褌《ふんどし》を色パンツにかえたくせに、相変らず汗かいて日本便所にしゃがんでいるような矛盾が、そこには感じられはしないか。イヤ、逆かな?
私は飯盒炊|さん《ヽヽ》に自信がある、と答えたのは、いい加減なちゃらっぽこではない。といって私がアルピニスト、あるいはワンゲルのベテランであるからでは、さらになくて、歩くほうは上野の山でもダメだが、じつはもっぱら食い気の欲のために、休日、子供を督励しては、庭の隅に穴をほって、飯盒でメシを炊いてあそんでるからである。あそぶといったって、五十面さげて、|ままごと《ヽヽヽヽ》をやるのじゃないからね。無論、|めし《ヽヽ》は、本式に炊く。本式どころか、電気釜など足元にもおよばぬふっくらとした美味に、炊きあげる。現今、家庭へ配給されてくる米のまずさについて、あれは必ずしも農民や米屋ばかりをうらむべきことではない、と気づくのは、飯盒で飯を炊いた瞬間である。
飯盒というのは、若い方だってご存じであろうが、何とも弓なりに彎曲した、アルミ製の容器で、いわば米飯用のコッフェルである。今も東条時代のままの形で運動具店で売っておる。老兵がたには、私など元二等兵が講義する必要はないなァ。この中で米をあらい、中に目印点があるから、二合炊くときは下の点、四合のときは上の点まで水をついで火にかける。はじめチョロチョロ、なかパッパ。蓋のすき間からプッとふきこぼれたら、火の強い薪をどけて、むらす。できあがりは、外から蓋をたたいて、中にたずねるのである。コツコツと充実した音がこたえてくれたら、完全に|炊はん《ヽヽヽ》成功である。
――私は近ごろじつをいうと、これ以上の肥満防止のためにはやむなく穀類を制限するほかない、とおもいさだめ、パンはフロイントリーブ、トップス、ドンク。飯は、新潟名物の日本風ピラフであるワッパ――あのワッパというのは、柳田国男説によると、元来各地で弁当入れにつかった曲物容器の総称らしいが――ともかくそのワッパ以外は、涙をのんで遠ざけている始末である。さる初夏、さそう人あって、長野と新潟の県境に近い十日町と津南《つなん》町によばれ、山菜料理の供応にあずかった。焼魚がイワナ、そのつけあわせがマタタビの実とサンショの芽のバタいため。天ぷらが、クコと藤の花と、沢ガニ。かつぶしあえがコゴミで、おひたしがワサビの葉。酢のものがキクラゲ。串焼きの肉が熊、といった、信じられぬ珍味の大盤振舞いで、もっとも、信じられぬ、といったって、昔はこれが最も自然で安い食いものだったわけだが、皮肉なことにこの珍味の数々より、私を文字通り驚倒させたのは、では最後に一膳、とさしだされた、その白米の飯の、想像に絶したウマさであった。
私は自分の口が信じられぬ、というおもいさえした。だが、抑制力というのはおそろしいものだね。生涯、食管法がつづくかぎりモウこんなのには二度と出あえまい、とおもったその白米のメシさえ、二杯目には私は茶碗をおろしたのである。ふとるのがこわい、などと、まさか浅丘ルリ子じゃあるまいし、そんな殊勝な恐怖心をいだいているのではないが、いわばもう、米はやめるのが癖になってしまっていた。わびしい。
飯盒炊|さん《ヽヽ》は、こういう私が、まれに、米というものを最も美味なおもいで効率的に食おうと念ずるときの、儀式とよんでいいものだ。この儀式は、しかし、する値打ちがあることだね。とくに、薪をもやした手の、あの、いぶった匂いをかぐとき、食べものは、もっとも簡単なものを、もっとも自然に近く単純に調理するときもっともうまい、という当然の原則を、人は強烈に確認せざるをえない。
東西のシンプルな美味[#「東西のシンプルな美味」はゴシック体]
神戸の三ノ宮駅、阪急のビルの北側、こまかい道すじは、口でいったって説明しきれぬから省略するが、「みやす」という、土地の通ならだれでも知ってる、炭焼きステーキの狭い狭い店がある。十人も席がないから、夕食どきには一度でスラリと入店できるなんてまずのぞめない流行店でもある。私はだから、いつも店には御迷惑なことだが、調理師さんたちが飯をかっこんでる夕方どきをねらわせていただく。あわててテーブルから皿や箸かなんかどけてるのをみると、気の毒で身のすくむおもいがするけどね。欲にはかてない。
ここのステーキ、とくにヒレというのが、これはもう、脂っけのない肉塊を、ただ備長《びんちよう》の堅炭の上へかざすだけ、というやりかたで、むろん調理の途中、何とかあの技術をぬすめまいか、じっとみつめてると、サラダ・オイル様のものを表面へぬりつけたりはしてるが、ともかく、単純といやァ、昔の海賊《バイキング》どもでももうすこし愛嬌のある焼きかたをしたろうとおもえるほど、方法は簡潔をきわめた料理である。ところがその単純な焼きあがりのステーキの、さらりと癖のない旨味と、やわらかさ――結局これは、肉のなかのいやな油っ気だけが、なんとも都合よく炭へたれおちてしまうからにちがいないのだが、ともあれ感嘆とうまさのあまり、食おうとおもえば幾塊でも食えてしまうのがあの店の危険な点で、だから私なんぞ、徹底して、毎回最小の塊一ときれしか食わんことを、店におぼえてもらってるしまつである。
私には、ここの炭焼きステーキの単純さは、東京は上野、いまはでかいアパート・ビルがたったが、元岩崎邸の下にある鳥料理屋の「鳥栄」――あそこの独特の水炊きと、東西双璧である、としかかんがえられない。鳥栄はある意味でじつに癖のつよい店で、だいたい、冬場の間だけ、千葉のほうの農家でうまそうなシャモが手にはいった時だけ、一晩二組の客にかぎって店をひらく。という、まァこういったポリシーそのものには色々な見方もあってしかるべきだと私はおもうのだが、ともあれ、そういう営業方針の癖のつよさ≠ノくらべると、鶏の味のほうは、あっとうめくくらいクセがなく′yい淡味が絶品になってるのが、おもしろい店である。ガラでとった塩味なしのスープを、ふつうのスキヤキ鍋にみたし、それにササミなどをなげいれて、だいこおろしとサンショと醤油であじわうだけという、これ以上、夾雑物はけずりようがない料理である。
私は、拙宅に、かすりのモンペをはいた千葉のおばさん≠ェ大きな荷物をしょってくるたび、「おばさん、今度はぜひシャモをしめてきてよ」とたのんでは、彼女持参の竹皮包みの鶏を鳥栄風に炊いてみるのだが、同じ千葉出身でも、鶏にはえらい上下の格差があるようである。一度として拙宅では鳥栄の模造品≠キら、できたことがない。みやすの牛にしても、鳥栄の鶏にしてもそうだが、ふしぎにたえないのは、こういう店の、単純をきわめた料理には、その肉がもっている特有の香り≠ェあって、しかし臭気はなく、拙宅で同じような肉から同じ手順をふんで料理を作ると、かならず、香りのかわりに臭気がのこる点なのである。
構内食堂八つ当り[#「構内食堂八つ当り」はゴシック体]
私はひところ、前述の、神戸三宮のみやすへ、月二、三回はかよいつめたことがあった。むろんさすがに、これは、ビフテキを食うためにだけ、関西へゆけるほどの金と暇をもてあましたからではなくて、週に一度は、あちらで仕事をもつことになった、その余慶にすぎない。週に一度の関西行き、となると、最初ははりきったものだったね。七日に一度は神戸で肉が食えるのだ、大阪のうどんも食えるぞ、京都のハモも食えるワ、などと胸算用したが、それは関西という広大な地域をただの一地点とおもいこんだ東京者の幼稚な錯覚で、実際にピストン往復をはじめると、ハモはおろか、うどん一杯食う時間もみつけにくいことがわかった。――だけならいいのだ、かならずがっくりくるのは、行き、帰り、の新幹線や飛行機の時刻とかちあうときの食事を、どこでとったら食いっぱぐれをまぬかれるのか。毎週、現実にはそっちのほうがズッと大きな問題となったことである。
以前、名古屋の空港は、食堂のきしめんが意外にうまい、とされていた。私は飛行機の旅でも東海道のドライブでも、よくあの空港二階の食堂にたちよったものだった。さして、うまい、ととびあがるほどの丼じゃなかったが、きしめんとはこの程度のものか、とおもいこんでれば不満も出ない味であった。近ごろ、新幹線や、東名・名神高速道路ができてからは、名古屋空港は私にはまったく縁遠い存在となってしまった。まだあのきしめんは、存在するのかどうか。
さて、その関西行でみつけだしたのだが、空港で旅行者の簡易食事に便利なのは、大阪伊丹空港の二階ロビー、グルメというサンドイッチ店だ、とおもう。東京だと、浜松町の貿易センタービル地下ほか、最近はやたら衛星店《サテライト》をちらばした。この店は、またやたら、むしろトリビアルなほど、種類豊富なサンドイッチを作る。たとえば「ローストビーフと野菜」七百五十円、というのは安かァないが、ボリューム、味ともいける店である。しかも、東京、大阪、どこの店も味が同じなのはうれしい。ただここの空港店は、最初、致命的に客さばきがおそいのが、みてて気の毒なぐらいであった。客というあらゆる客を、まだかまだできぬかと、イライラさせていた。
だいたい、駅や空港、列車の食堂というのはまたせない≠ニいうクイック・サービスこそ第一条件なので、野田岩へうなぎ食うつもりではいったンじゃないのだからね。時間におわれて浮足だってる客を、けっしてじらせてはいけない。その点は、東京駅丸の内口の精養軒にしても、新幹線の日本食堂のビュッフェにしても、羽田空港国内線出発ロビーのレストランにしても、客の心理をしらなさすぎる点、まったくの落第である。だいたい、あの新幹線ビュッフェで、ウェイトレスがいちいち客に水のコップをはこんでくる、なンてことからして無駄の標本だと思うので、イヤええと、筆が妙なほうへ八つ当りしたが、伊丹空港のサンドイッチ店グルメも、万が一、この拙文で若干混雑がましたりし、いよいよ客がさばききれなくなったあげく、私が飛行機にのりおくれる、などという事態が生じるとしたら、こりゃ一体どうしたらいいであろう。
新幹線の新大阪駅構内には、美々卯《みみう》が店をひらいていて、ここは、夏をのぞいて、おみやげ用のうどんすきまで、売っているのが、たのしい。だいこおろしをかけた冷たいそばなども安くてよろしい。もっとも率直にいって美々卯は、本店と衛星店の味が、現金なくらいちがうのである。奇特な方は、ためしてみられるがよろしい。
しかし、新大阪駅といった場所に、ともかく信頼のおける食い物屋が、一応サテライトをおいてくれている、という事実じたいは、正直、いそがしい旅行者にはありがたいことである。供用開始いらい、すっかり新観光地になってしまった東名高速道路御殿場インターチェンジをでて、数百メートル山中湖方面へはしった地点に、神田のロシア料理店バラライカが支店をたてて、ここはいついっても、信じられないくらい客が満員になってる。店内のハデな人いきれをみてると、三十年前、私なんぞが鉄砲かついではしらされてた荒涼たる不毛地の跡だとは、想像することすら不可能である。完全に東京都内という錯覚にとらわれる。東京神田のバラライカは私の好きな店の一つだが、あそこほどうまいわけでも、安いわけでもない。料理より安いのは店の普請のほうであるが、それでいて周囲を圧して客をあつめているのは、どうも、品質《ブランド》ならぬ商標《ブランド》のせい、といっていいであろうか。
どぜうノスタルジー[#「どぜうノスタルジー」はゴシック体]
――先日、大阪からの友人たちとここ御殿場まで運転してきて食事のあと、さあ次は東京まではしって、夕飯はどこにしよう、ということになった。やはり胸の底には、大阪の面々を、食いものの点で少しはウナらせてやりたい、という功名心がはたらいていた。私はべつに故郷を卑下するほど遠慮深くはないが、たとえば都心のサラリーマンが同僚と割カンで食いにでる、といった昼飯や弁当を、大阪と東京のどちらの店がうまく食わせるか。やはり残念ながら大阪だ、といわざるをえない。早い話、東京駅と新大阪駅で標準品の幕の内汽車弁当を、食いくらべてみなさい。べつに東京側の店へうらみをもつわけじゃないが、この勝負はえてして新大阪のものである。
私など、仕事での関西行で、食事は下りの新幹線のなかだ、ということになると、反射的に東京駅の駅弁をハッと想起し、そこで、あらかじめ、うなぎ屋へよって一串買ったうえ、そいつを車中で、幕の内にのっけて食うありさまである。客席でもぞもぞ、駅弁の上へもう一枚竹皮包みをひろげ、懸命にうなぎの串なんぞぬいてる格好は、ハタから見てもけっしてロマンチックな光景ではなかろうが、私はもう、舌のためなら、若干の見栄など犠牲にしていい心境にかわってきた、近ごろ。そうだろう、汽車の中で腹へらしてイキがっても、誰も見なおしてくれる年ではない。
さて、東上の大阪勢を、どこでウナらしたるかァ、ということになって、結局そのときえらんだのは、浅草は駒形の|どぜう《ヽヽヽ》(やはり、鰌は、こう書かないと感じがでない)であった。
ふしぎなことに、日本全国各地には、どぜうを食う習慣のない土地が、かなりあるそうである。最近きいた話では、たとえば高知などにはどぜう店もすっぽん店もないようだ、とのことである。あのあたりでは海の魚がうますぎるのか。二毛作で田んぼのどぜうが調子はずれになるのかな。そのへんはしらない。誤聞だったら、ごめんなさいよ。いずれにしろ、この二品がないとは若干、興ざめた土地だなァ、というおもいもするわけで、とくに近ごろ、大方のうなぎに信用がおけなくなった舌には、どぜうは得難い水中の美味である。
駒形の店の、威勢のいい空気は、関西連中をよろこばせた。大阪の水にだって、どぜうがすまないわけではなかろうが、つまり、ああいう駒形みたいな店の、それこそ江戸前の飾らない簡潔さ、あれが関西とは別ものなのであろう。実際、この駒形とか、深川の高橋にある伊せ喜、ああいったどぜう店は、いま、江戸明治の民衆生活の実感をかすかにもつたえる希有の実体として、貴重そのものの存在になってきているとおもう。両店とも、食事どきには行列ができるほどの繁栄だからたのもしいものの、将来、浅草からも深川からもあの店構えがきえさって、愛知県は犬山の、明治村かなんかで「駒形」の遺構をふりあおぐ、みたいなことになっては、私はかなしすぎる気がする。東京はとうとう今日までに、わずかにのこっていた江戸≠フなかから、まず海苔をおいだし、すしと天ぷらを、美味ではあるが妙に華奢なブルジョワ料理に形骸化させてしまった。のこるは千円だせば二鍋はとれそうな、ネギを山のようにもりあげて七輪で食うどぜうだけではないか。
むろん一口に東京といっても、私なんぞの想像よりはるかに広く深いわけで、まだまだこまめにさぐれば、意外な地点に、意外な自然食の美は存置されているだろう。先日、東京のなかの、いわば秘境といった場所の首長さんたちと、テレビで対話する機会があった。この時、私は新島の村長さんから、まァあの島としてはごくオーソドックスなお土産と称すべきなのだろう、くさやの干物を頂戴した。私はおどろいたのである。見た目には、形も不揃い、よごれてもいるそのくさやは、最高級と称してラベルがはってある都内のデパート販売品とは、まるで別の品かとおもえるほどねれた味で、かむほどにその味がふかまるのであった。二百年、魚をつけにつけた塩の液が、ひきしまった肉のなかにいきていた。もっとも、西丸震哉氏にいわせると、くさやの干物は、いっぺん顕微鏡でのぞいたら、しばらくは食う気がしなくなる食品だそうである。二百年の微生物があの美味の素なのだって。
東京を西のほう、山岳部へすすんだ奥多摩の秘境では、伊豆と同じ、ワサビもとれる、椎茸《しいたけ》もはえる。私、その日のテレビでは、ここの町長から、太いナラの株に密生して傘をひらいた椎茸を、ナラごとそのまま頂戴してきた。これは、おもわず頬がゆるんだほど絶妙な酒のサカナであった。
どうやって食うのが最もウマいのか、料理の本をさがす時間さえもどかしかったから、私は株から傘をはがし、あらったままのにバタをのっけて、電子レンジでやわらかくして、そのまま醤油をかけて食ってしまった。一株あっというまに、全部食ってしまった。そして、東京という、私自身がすむ自治体のなかで、こんな、八百屋にもならんでない茸がいまなお、うまれてることに、なんとも、けげんなおもいも、ちょっとの間、いだいたのである。
これだけわれわれ人間が、大自然を完膚《かんぷ》なきまでくいあらしたはずの東京でさえ、こうなのだから、全国にはまだまだ、こまめにさえあるけば、私の平凡な舌を感動させる程度の自然の美味は、無尽蔵にも保持されているであろう。
じつはこの拙文をかきだしてから、全国の、おもいもかけない未知の方々から、貴重な自然食品の製法や所在について、御丁重なおたよりをいただきっぱなしで、なかには、大蔵省がきいたら完全にアタマへくるような、つまり本物のブドウ酒製造法まで、精密に御教示くださる方もあらわれた。私はむろん徹底的に機密を保持して、ニュースソースなど絶対にもらさない。要点は頭へたたきこんだことだが、だいたい、こういうおたよりによっても、日本もある場所では、まだまったく手つかずの自然が、山の幸、海の幸をたわわにもりあげていることが察せられるのである。
そのような幾通かの来信によってはじまった交際のうち、私をもっとも感動させたのは、(この方はブドウ酒とは別件だからお名前をだすが)高知大学農学部の中川進先生であった。先生は年こそ私よりお若いが、斯道《しどう》では文句なく先輩格といってよい。私がトライしたかまぼこ、ハムはもちろん、バター、チーズ、ベーコン、ソーセージ、ジャム、塩コンブ、手打ちうどんなどの自製から、最近は豆腐の自家製造まで開始されている、ときいては、中途半端の私なぞ、兜《かぶと》をぬがざるをえない大人物である。研究室へ豚をひきこんで屠殺できないだろうか、県は許可をくれないだろうか、などとつぶやいてるのだから、私とは次元がちがう。
もっとも豆腐の自製は、評論家のM氏もはじめている、という噂で、評論家が行動をおこすくらいだから、原理じたいはけっしてむずかしい食品ではないのだが、ただあれは三宮みやすの炭焼きステーキと同じ、徹底的に単純な点が、かえって私など自信がもてない。最高級の大豆とニガリをもちい、森嘉のよりきめこまかな豆腐つくって、いっぽう、蛤《はまぐり》を醤油と蜂蜜で煮つめ、時雨《しぐれ》蛤にしたやつから、のこりの「たまり」をとって、それで冷やっこ、ときたら、そりゃこれほどの満足はないだろうが、かけだしで、しかも不精な私では、一生かかってもこういう創作の境地だけはむずかしそうである。
ソースだってつくっちゃえ[#「ソースだってつくっちゃえ」はゴシック体]
むしろ、私などには、自然食品の自家製造も、豆腐づくりとなると、製造技術というより「技巧」にちかい感じのしてくる点が、いちばん、気はずかしいのである。それは、私などとは別種の通《つう》のすることだ、という心理がつよい。デパートの食品売場へも、値段がガクンとさがる閉店直前にかけこみ、それも、値下げ率が極度に大きいのは休店日の前の日だ、といった知識と味覚程度でモノを食い、しゃべっている手前としては、いんちきな企業品に抵抗して自然食へもどるフィード・バック行動も、じつはもっと、大まかな味の領域のほうが、気楽にできる気がするのである。
たとえば私は、拙宅で、ソースを自製するのが好きだ。ソースったって、レジァンスやクレッセントや東京会館で銀の鉢にはいってくるやつたァ、質がちがう。コロッケにかけるやつ。あるいは、いわゆる朝鮮風焼肉――関西でいうホルモン焼き、あの肉をひたす漬け汁である。
肉にかけるソースであるが、市販のウスターソースは、あの味と匂いがよほど好きでたまらない人はともかく、私なら自製をおすすめする。つくりかたは、二種ある。
先ず第一種はナマアジ。口のひろい瓶に、まず味の素、コショウ、好みのスパイスを適当にふりこみ、次に卸し金で、ニンニク、リンゴ、タマネギ、セロリ、トマト、ショウガなど、旨味がでそうな野菜や果物を好きなだけすりおろして、あとを、醤油と、ブドウ酒でみたすのである。味をためすと少しツンとするだろう。それでよろしい。一昼夜おくと、だいぶやわらかくねれてくる。一週後くらいが最上。少し甘味がほしい、とおもったら、ちょっぴり蜜をいれる。こいつに、総菜屋のトンカツなどひたして食ってごらん。その味の品のよさ。アッ俺がつくったのか、とおどろく。
第二種はこれよりもっと一般的にソースらしい液体で、煮アジである。ニンジン、リンゴ、パセリ、タマネギ、ショウガなど、匂いの野菜をスライスして、ズンドウ鍋で水煮にする。煮こみに煮こむ。一晩ねかせた翌日、醤油、ブドウ酒、好みのスパイスで味と匂いを薄目につけ、さらに煮こみに煮こむ。そいつをふきんでぎゅうっとしぼり、こすのである。味見の小皿が手ばなせなくなり、スプーンでソースをのみはじめてしまうほどの味である。これを贈呈した某家では、子供さんが毎朝、ごはんにかけて食う習慣がついた――ナンテ嬉しいじゃないの。ただし、これは二種とも、保《も》たない%_には御注意。
朝鮮料理の焼肉のタレは、もっと簡単に即製できる。やはり瓶に、まず味の素とコショウをふりこんでおき、ショウガ、ニンニク、ネギを適宜すりおろしたら、こちらはそれへ、醤油とブドウ酒、砂糖のほか、当りゴマと、ゴマ油と、ほんの少し辛ミソをくわえるのが、ミソである。肉は、そして、この漬け汁へ、けっして長時間つけこんではならない。十分。せいぜい十五分が、辛味の限界である。
お前、こういうバカげたことばかりウチでしてて、いったい仕事はいつするのであるか、とといつめられれば、もうまったく一言もないしまつで、私はたぶん、役者がある人物像を自分なりの肉体で「再生」したい本能をもつように、よそからこうやって、食いものの製法をぬすんではこの手で再現することが、しんそこ好きなのだというほかないのであろう。こういう盗作はやはり著作権の侵害を構成するのか。私には恐怖があるがサッパリわからない。
昆布に梅干をまぜると酒のサカナにうまい、とおしえたもうたのは久保菜穂子嬢で、私は早速それをぬすみ、刻み昆布に梅干をいれて箸でつぶしてみると、なるほど、酒客のたいがいが、これはこれは、と首をうなずかせるものが完成した。バターを湯煎《ゆせん》でなかばとかし、そのなかへコニャックにつけた乾ぶどうの粒をうめこんで、冷蔵庫でかためた「バターレイズン」も、これをキャラメル大にきざんで楊枝をさすと、みごとな洋酒のつまみになる。これも、名古屋のバーでだされたのをそのままぬすんで、若干、製造手続きを簡略化しただけのものだ。テレビでこれをぬけぬけと(まあ、他製とことわりはしたが)放送したら、なにか別のチャンスにこれに似た食品をおもいついた男性が、早トチリのだれかから「その食品の開発者は荻昌弘だ」と忠告されたらしく、「先覚者がおられるとは存じませんで」と拙宅へ丁重に仁義の挨拶をよこされたことがある。
泥棒はつらい。ぬすんでも、だまって一人で食ってりゃよかった。全身、冷汗をかいたのである。
[#改ページ]
つくっちゃァ、食い
ジャリまでガン心配症[#「ジャリまでガン心配症」はゴシック体]
東京のTBSが親局になってる「全国子供電話相談室」という夕方のラジオ番組。以前、よくタクシーのなかで聴いては、えらいもンだ、こんな突拍子もない質問に即答できる先生なンて、じつにいい度胸だよ、とひとり感心しつづけたものだった。それが、いちどひきうけて子供の相手をしたとたん、すばらしくおもしろくなってね。わくわくするおもいでスタジオへでかけては、頑是ない無垢《むく》の電話に、かなり、じくじたる返答をおこなうありさまになった。
司会者だった高階玲子嬢は、自分の食い気まで私におっかぶせ、「荻先生は、お料理の質問もお答えくださいますヨ」などとジョークをいうものだから、そういうマクラがふられた日は、真《ま》にうけた子から、かならず食い物の質問がとどく。さすが、おとなとちがう。「チーズをお歳暮におくりたいが、どこのマークがおいしいですか」などという、あなたまかせの質問はこない。きたら、日本のプロセス・チーズは考えものです、私はあれでフォンデュをつくろうとしたら、靴底みたいなゴム様《よう》の塊りになりました、くらいのことはこたえたいが、むろん勝手な中傷はできない番組である。「綿菓子は、おいとくと、なぜ小さくなっちゃうの?」などとくる。可愛くて、罪がない。
「お豆腐は、お店だと水の底にしずんでるのに、湯豆腐にすると何故ういてくるんですか?」なんてのは、誰かがわきで、解答者をヘコませてやれ、といらぬ知恵をつけているのではあるまいか、とも邪推される。ぐらり、と豆腐のゆれた瞬間が、湯豆腐の食べどきである――ことは百も承知してるがね。ナゼ浮くのか、などと詰問されると、半世紀、そんな理由はかんがえてもこなかった、と脂汗かかざるをえない。ありゃァやっぱり、豆腐ンなかの空気があったまってふくらむンでしょうなァ。
つい先日は、「食べものにチクロがはいってるかどうか、自分ンちでしらべられますか?」と電話がかかった。そらお待ちかねがきたァ、とおもった。得々と、理論上からは可能であること、チクロの有無をしらべるには、食べものをきざんでまず水で煮てね、それを漉《こ》し紙でこして、さらに……と説明するうち、ハタと、最後にチクロを検出する肝心の試薬の名を、きのうまで一夜づけでおぼえてたのに、度忘れしてることに気づいた。もともと、専門家でもないのに、こんな質問がくるだろう、と山かけてきただけだから、首ひねったって難しい薬の名がおもいだせるはずがないのだが、うんうん話をのばすうち、いよいよ結論がシマらなくなってきた。付焼刃はいかんなあ。「ボクンちで、かまぼこがつくれますか?」なんて質問だったら、堂々胸をはってこたえるのだがな。ついに、カブトぬいで、オジサンはチクロをしらべる薬の名をしらんのだ、とあやまるていたらくとなった。タクシーのなかできいてたやつァ、わらったろう。
それにしても、子供まで発ガンの心配するほどになったとは、「チクロの害」もみごとにPRが徹底したものであった。スポンサーはだれかしらんが、近年のコマーシャルの大ヒットだったといえよう。あれまでテーブルの上へ、砂糖とならべて、親切にチクロまでおいててくれた帝国ホテルのコーヒーハウスなどからも、むろん突如、呪われた薬品はいっさい姿をけしてしまった。以前、レモン抜き≠ナ評判になった飲料水まで、新聞に「うちはチクロなど入れておりません」と広告するありさまであった。レモンもチクロもはいってないとすると、ではのこるは水ばかりか、ともおもわれたが、まァどうでもいいや。かくて肥満防止の私など、砂糖はナメるわけにゆかんから結局、甘味というものいっさいから断絶された格好である。
もっともチクロの代りに砂糖ナメてりゃガンなど安心か、といえば、郡司篤孝センセイの爆弾的な『危険な食品』(三一書房)によると、これももう、すでに世間には「精製白砂糖は前癌状態へ移行させる」という学説まで、チャンとあらわれてるのだそうだね。学説というものも、これほど食品工業について一つ一つ発癌の可能性を推定してくださると、かえって、人間、食っていいものは何一つなくなってしまう状態を通りこし、結局何食っても同じ、という結論に到達しかねない。気が楽である。
ハムがわるけりゃコンビーフ[#「ハムがわるけりゃコンビーフ」はゴシック体]
すでに繰返し書いたように、かねて、拙宅では、ハムを自製したい、と試行錯誤をつづけてきた。いつも、燻製の段階でハタと手段に行きづまっては、エエいたしかたない、ここで食べちまえ、とまるでブタくさいままの、できそこないのハムばかり食いつづけたのである。ところが、驚いたものだ、この『危険な食品』をひろいよみしていたら、近ごろ、気のきいたハム、ソーセージ・メーカーは燻製などという厄介な手間ひまを省略しちまうところが多いのだ、という個所にであった。某製薬KKが独占的に製造販売する「燻液」なるタール状液体を、肉にねりこんだり、食品ごと液へどっぷりひたすのだそうである。いわれてみりゃ、なるほど、セロハンにつつまれた「イカクン」など、この液をサービスしすぎるとみえる。どっぷりを絵にかいたような状態で売っとるぞ。
そんな便利なものができてるならうちのハムにも早速一瓶、と某製薬へ電話をかけたいところだったが、読めばつまり、これも著者は発癌物質の一例として、お名ざしになったのにほかならなかった。しかもこの本によれば、癌が危いのは、液ではなく燻製の煙じたいである、とのことである。これにはへきえきした。ハム製造の理想にもえ、何の草木をどうやって煙《けむ》らそう、と思案してた私、唖然として一瞬に志の萎縮を覚えざるをえなくなった。苦労して、カチカチ山のタヌキみたいに煙にむせたうえ、わざわざ癌にかかるのでは、何が食品自製か、だいいち何のため先年タバコをやめたのか、わけがわからない。
さすが、次にのべるこの食品だけは癌にもかかるまいから気持よく製法をおつたえしようとおもうが、拙宅では、「ハムも危い」と知ってから、保存肉製品の自製は、主力をコンビーフにうつすことにしたのである。いまや細君など自信満々、次から次と荻印コンビーフを生産しては、来客ごとに試食させつづけるしまつである。食わされたら、遠慮はいらぬ、正直に甘いか辛いか批評してやってください。ありゃァ、つくりかたは、じつに簡単だが、味つけがむずかしいのである。
最初は、百科事典や商品大事典を頼りに何とかつくれるだろう、と予想をたてたのだ。ところが、セールスマンにぎゅうぎゅう押しつけられて買った『ブリタニカ』には、CORNED BEEFの項目じたいがありませぬ(注)。また、たとえば平凡社『世界大百科』など「コーン・ビーフ」の項には、「日本国産には馬肉を混用したものがほとんどで、この方が日本人の味覚に合うのだといわれていたが、最近は馬肉の市価が高騰して牛肉とほぼ同じになったので、牛肉だけで作るようになった」などと、アッと驚く興味深い記述がみちみちてるにもかかわらず、肝心の製法は、残念ながら調理上の数字がいっさい欠落してるのが、不便しごくである。なにか良いタネ本はないか、とたずねあるくおりしも、散歩でたちよった近所の本屋の、ウンと上のほこりの棚に、主婦の友社発行の『料理百科』なる一冊をみつけだした。この昭和三十六年発行の大冊の一ページに、日活ホテル司厨《しちゆう》長馬場久なるかたの、コンビーフ製作法がでてたのである。あったあったァと、つくる前から私はもう、コンビーフができちまったほどの歓喜にのぼせあがった。そしてじじつ、つくってみれば、できちまったァ、と形容するほどこれはやさしい食品だったのだ。
拙宅の数十度の体験では、この本にかかれた胸肉<Rンビーフの製法をもちいて、じつは示唆だけが出てる牛|舌《タン》の塩づけ=\―つまりコン・タンを作るのが、最もうまくゆくようである。タンは、美味なわりに安い食品だ。表面の薄皮をそいであるやつでも牛のコマギレ肉と同程度の値段で手にはいる。万一、これでコンビーフ製造に失敗した場合でも、損害は胸肉の半値ですむ勘定である。この皮ナシを一キロ半ほど、つまりベロ一本分、まるごとしこむ。
〔注〕最初、私はこれを、『ブリタニカ』一九六〇年版によって、こう書いた。しかし本書を上梓《じようし》後、あらためて買いなおした『ブリタニカ』一九七〇年版には、ヾAUSAGE & READY-PREPARED MEATS≠フ項目中に、CORNED BEEFも小見出しであらわれているので、御報告しておきたい。ただし内容は、市販の罐詰のことだけで、家庭用製法は、ない。
まず、巨大にのたうってる牛のベロに、塩と黒砂糖と、少量の硝石をふりかけ、掌でぐいぐいすりこむのである(もっとも硝石は公害薬品の一つとされるから、潔癖なかたはやめられたほうがいい。味はかわらない。ただ、色が相当、食欲に影響する程度にわるくなるが)。ついで、この、パウダー・マッサージのすんだ肉塊へ、逆手ににぎったフォークの切っ先をずぶずぶつきさす。料理でも、こういう点、西欧人の残酷さはかくすことができない。くたくたになったこの肉塊へ、軽くおもしをのせて、一晩、冷蔵庫で血抜きをする。肉はひきしまる。
さて、ここからの漬けこみ液が、味の決め手の第一関門である。拙宅では馬場氏の指示を基準に、肉一キロ当り、次の液を煮たてる。水一リットル、塩百五十グラム、硝石数グラム、砂糖二十五グラム。あとは丁子《ちようじ》、メース、タイム、月桂樹の葉。これを湯にわかしたところへ、国産の安いヴァン・ロゼ、カップ二杯をまぜこむ。全体冷えきったところを肉にそそぎかけて、容器の中へおとしぶた――これを二週間、冷蔵庫へしまいこむのである。肉がうかんでこないかぎり、塩と硝石で防腐は完全である。何度食っても私はまだピンピンしてるからな。毒であるにしても急激には来ない点は保証できる。
さて半月後、表面にぬめりの出たやつを液からひきあげ、第二の味の関門は、塩ぬきである。これだけは数字でおしえてさしあげようがない。試行錯誤をくりかえすほかない。ま、三十分も、薄い塩水につけてみるか。そこで最後はボイルである。ふっとうした湯で三時間。ぜったいそれより短くてはいけない、長くては、なおいけませぬ。長くゆですぎれば、肉のエッセンスは全部ぬけだす。ことに胸肉などは、煮すぎたら、ボロボロに風化してしまう。
さあ、できあがった。さめたやつを、縦に薄ぎりにしてみたまえ。紅《くれない》のベロに白い霜降の線がはしって、独特の、コンビーフの甘いあぶらの匂いがまつわる。気味わるい、とおもっても、まあ、人生の我慢だ。一ときれを口へいれてみたまえ。おどろいたか。おどろいたろう。君は瞬間、オレでも日活ホテルの司厨部でやってけるのではあるまいか、と錯覚するほどである。数片のサラダ菜の葉にのせ、レモンの薄切りでもそえてオードブルにだしてみたまえ。客は、ホテルからとりよせた料理か、と錯覚する。じじつ、ホテルからおそわったにはちがいないが。
日本の味・雑煮[#「日本の味・雑煮」はゴシック体]
コンビーフが一応成功の段階に達したので腹もたたないけれど、じつをいえば、燻製があぶない、ときくまでは、ハムにつづく次の食品自製の主目標は、スモークト・サーモンにおこう、とひそかに狙いをつけていたのである。今や、志もとげぬまま、この目標は撤回のやむなきにいたった。郡司篤孝センセイには異をたてる形になるが、もし燻製があぶないのなら、やたらスモークト・サーモンを食うイギリス人は、もっと発癌してしかるべきではあるまいか、ともかんがえられる。しかし、あぶない、とハッキリいわれるものに未練をもつのも、男らしくないしわざであろう。私は当分、燻製関係の自製はあきらめることにする。
――それにしても、イギリスで食うスモークト・サーモンは、なぜ、ああ、うまいのであるか。いっぽう、日本のビヤホールで食わせるスモークト・サーモンは、なぜああ、時おりヤニくさく、べたべた、まずくなるのであるか。オレが製法を知ってたら、少くとも、これよりはうまくつくってやるが、くらいは、ビールのみながらかんがえない男とてないのではあるまいか。長くロンドン暮しをしてたNHK秋山雪雄氏の一言によると、日本の大半のスモークト・サーモンは「にちゃにちゃしてる」。この表現は、簡にして要を得た批評だな。まさに、本物は、あんな他人のかんだガムみたいに、歯の裏へねばりつく代物ではないのである。
ところが先日、意外にも日本料理で、あらおいしい、とさけびたいサーモンのひときれにであった。うかつにも、ああ。ウマいウマい、と気づいた瞬間、もうそのひときれは食道へおりており、なにしろ、出たのが親指くらいの一片だから、いったいスモークだったのか、なにか他のもので|しめ《ヽヽ》たものなのか、舌で正確に確認しそこなってしまった。大阪のロイヤル・ホテル地下に店を出している「吉兆」の、ひるのべんとうである。ありゃァウマかった。
ロイヤルという大阪のホテルは、盛り場から近いようで遠いようで、いったん中へはいってしまうと、館内で食事する以外テがない、とおもわせる建て方がしてある点、じつに土地選定がみごとである。しあわせなことに、中の店がけっこう、食えるわけで、とくに「吉兆」などが、さほどびっくり仰天しない値段で、ひとり、部屋着のまま(といってユカタなぞで地下へおりたら、しかりとばされるぞ)あじわえる趣向などは、これこそホテルへの出店≠フ、いちばんのうれしさではないか、とおもえる。当時、なますと汁を前菜にして、一口ずつの魚料理を盛りだくさんに重箱へつめた千五百円のべんとうは、同種中の秀編として推薦できるものだった。ただし、ぜんぶママゴトみたいな一口ずつだからね。さっきみたいに、ウマかった、と気づいたときはすでに後の祭り、といったお菜がでてくるのも、こりゃァ仕方ない。
この鮭ひときれにめぐりあったときの、汁は、雑煮であった。雑煮といっても、焼いた切餅の下に、小さくまるめた鶏のつくねがしずむだけの、心にくいすまし一椀である。わるくない味に、秋の深さがみえた。
だいたい、雑煮というものは、いろんな土地のいろんな伝統をきいてみても、だいたい昔はこの「吉兆」のお椀程度の、ひどくシンプルな汁であったようである。今や各地とも少し、栄養素に関して神経質になりすぎ、古式に比して雑多な具《ぐ》の、ごった煮に変化しすぎたのではないか、とおもえる。もっとも、九州、島原半島には、具雑煮といって、やたら多彩な、鍋焼みたいな、じつにあったかい雑煮がある。数年前、当時は「週刊朝日」記者だった角田秀雄氏と天草へドライブした帰り、島原のまちでいちばんうまい、といわれるきたない店をさがして食った記憶が鮮烈である。じつににぎやかな雑煮で、ボリューム、栄養感、味とも、ドライバーには文句なかった。が、ありゃァ一種の例外だろう。私のいうのは、元日に家庭でいわう雑煮のほうである。
東京大塚の三業地にある「なべ家」という店は、もと浅草の旧家であるが、ここの主人にいわせても、江戸いらいの東京の雑煮≠ヘ、今のより、もっともっと簡単なものであった。だいたい、武家と町人からして雑煮の作りはちがっていたが、下町の町人は、むらがち(紫勝)といって、醤油味の濃い鰹節の澄し汁、なかの具は、せいぜいが小松菜と里芋くらいであったという。鶏肉でもはいってたら、その家は鼻高々であった、と「なべ家」の福田浩君は述懐するのである。
この福田君という若主人は、じつに愉快な男性で、キャビアの採卵に成功した人から、なんとか残りのチョウザメも食えるようにできないか、と依頼され、日本ではじめてだろう、本格のチョウザメ料理を試作した人物である。いやアブラがギラギラしちゃって、どちらか外国でチョウザメ料理をなさるかた、ご存じありませんでしょうか、と、うちへ遊びにきたときいい、うむ、キャビアなら死ぬほど食いたいけど、チョウザメではねえ。いっぺんは試食したいけど、さして強烈な欲望もおこらないなァ。どうせサメの一種なんでしょ、煮こごりにしてみたらどう? と私は、日本料理専門家にむかって、出まかせのちゃらっぽこをいった。もっともそのあと、本物を食わせてもらったら、なるほど、塩焼にしてもバタ焼のようにみえるほど脂ぎった魚だったが、案外、和洋折衷的な味がして、まずくはなかった。
――話を雑煮へもどす。江戸をはじめ関東では、雑煮の餅は、角の切餅にきまっていた。焼いてもちいる。そして、汁の中でぐだぐだと煮こまない。これが、特色であり、誇りであった。つまり江戸の雑煮は、餅の上から汁をかけるわけで、けっして液はにごらないのである。ロイヤル「吉兆」で出してくれた雑煮は、奇しくも仕立てに関しては江戸であった。
これに対し京都の雑煮は、よく知られてるように、丸餅を、汁でいわば煮る≠フである。ダシは鰹節と昆布と酒でとるが、仕立ては甘口の白味噌である。味は塩か辛味噌で加減する。すべて関東と、どっちかが意識的に異をたてた、としかおもえぬほど対極のつくりかたである。以上、うちの細君にメモをさせてくれた先斗《ぽんと》町の女傑、京風お晩菜的小料理屋「ますだ」の、おたかさんによって、京風雑煮を紹介する。
だいたい、このおたかさんという人は、知る人ぞ知る天衣無縫の、しかも神経のはりつめた女性で、ヨーロッパ旅行にも箱枕を持参した(私、見たわけではないが)典型的京女である。来店の客の背中を、どえらい平手打ちで一撃し、一時ハヤッた「笑い袋」みたいな大音声で高笑いする商標的奇癖があり、これについては獅子文六氏がたしか「オール讀物」のおしまいのページに、みごとな短文のエッセイで活写をおこなわれたことがある。情のあついこと、胸がせまるくらいで、こちらが錦《にしき》の市場《いちば》ファンであることを知っては、市場を散歩中の私を、先斗町から追っかけてくる。タラコならこの店、田舎漬はあの店、おやめやすそんなカレイ、もっとエエおいしいお店いうたげますさかいに。言いにくいことまでヨソの店先で大声にいいはなっては、一軒一軒、また白魚もってきとくれやすな。挨拶がわりの注文をなげつつ、とっとことっとこ、こっちを先導してあるく。私はこの人のおかげで、どのくらいおもいしったかわからない。同じ錦の市場でも、どの店の魚はいかにまずく、どの店がいかにウマいか。
このひとのおしえてくれた、錦の通りをわずか大宮方向へ出はずれた、富太楼という店の昼飯は、はあ、とおもうくらい安くて、いい味である。たてこんでるから、客扱いがサラサラしてるのは致し方ない、が、最初行ったとき、味噌椀とおひたしと刺身と卵焼とメシで三百五十円はナカせた。今もここは安い。――話が、どっかから脱線したようだな。再び、雑煮へもどる。
京都でもじつは江戸と同じく、昔、雑煮の具に、動物性蛋白質は、もちいなかった。蛋白源は焼豆腐と味噌である。あとは雑煮に特有の細大根、小芋。そして、けっして切らない≠ワまの、八つ頭。なぜなら、正月早々かしらをきっては、まずいからである。そしてできあがりに、削り節をはらりとのせる。
考えてみれば、古風な雑煮が、東西このように、質朴な要素からしかなりたたなかったのは、雑煮の起源が、あくまで神事だったからにちがいない。しかし日本人はものごころついて以降、雑煮を神事から祝事に家庭化した。そして今や、祝事は、完全に、元旦の栄養料理に限定されたということなのだろう。ソバがすたれてラーメンとなり、ラーメン変じて、真っ赤なガラス看板の札幌ラーメンにうつった、あの流行の変転とまったく対応する五目《ごもく》化′サ象が、正月の家庭でも生起したのである。
栄養からみればこれはたいへんな進歩であるが、じつをいえば雑煮につかう餅じたいが、この二十数年、大都会では、率直なはなし、具でごまかさねばモタぬほど、堕落しきった、ということも、これはかくせないだろう。何が形骸化した、といって、ある意味で日本の餅ほど、昔と形ばかり同じ、内容が似ても似つかぬヤクザに変質した食品も、珍しいとおもう。ブロイラーはもっとひどいが、あれは鶏とまったくべつの薬品的蛋白源である、とわりきれば、わりきれないこともない。しかし、餅がたやすく歯で噛みきれるものに変質したくらい、憤《いきどお》ろしい改悪も少い、といわねばならない。日本人が日本で日本じしんをダメにしたのだから。老人が餅をのどにつかえさせて死んだ、という新聞記事を見るたびに、私は、いたましくおもういっぽうで、まだ日本にも、どこかには、のどにつかえるほどネバる餅が存在するのか、そっちのほうに目を白黒せざるをえない。
近ごろ、地下鉄の広告などで「新潟のお餅をどうぞ」なんぞと、突然腰を低くしだした農業関係の姿勢にぶつかる。都会消費者のひとりとして、また納税者のひとりとしても、じつに複雑微妙な心境にならざるをえない光景である。私はこのところ「米の飯」と名のつくものを(よそで出されてしまうならともかく)、自発的には、月に二度と食わない。ふとりすぎ防止のせいもある。が、希代の失政である食管法への、それは私なりの憤激のレジスタンスでもある。選挙対策で農村にばらまいた米代金の、その赤字が何千億円とたまったからと、まずい米ばかり高い値で都会へ押しつけやがって、だれが、へい、さいでございますか、政府も御苦労でしょう、などと買いとれるか。
で、地下鉄の広告を見ても、じつははなはだ釈然とせんのだが、くやしいことに、近ごろようポスターで宣伝しとる新潟の餅≠ネる、あの真空包装の、割れ目の入ったノシ餅――あれが、大半はどうということもなくマズいが、ものによってはかなりイケる味もあることは、公平にみて、私はみとめざるをえない。
スーパーマーケットで、真空包装の餅を買うときは、一応注意して生産地をマークなさることが肝要である。新潟、とあるのは、少くともそのへんの米屋でわけもわからぬ米を機械で搗《つ》いてきた餅より、餅らしい粘りを発揮するやつがママある、ということである。米どころ、の名はやはり伊達《だて》には称しないのだったらエラいが。
その米どころの新潟では、いったいどんな雑煮を食うのであるか。江戸と京都を見たついでに、知りあいの「田舎家」という料理屋――近ごろ池袋と新宿でやたらにノシてる新潟料理店の、女将におそわることにした。新潟はいなかだから、江戸、京都よりもっと質素な雑煮を食うのだろう、と予測したが、これは失礼な推測であったね。新潟の雑煮は、三都のなかで、いちばん栄養価のバランスもとれ、うまそうな、ごちそうであった。
新潟のダシは、鰹節でなければ、干子《ほしこ》である。調味は、醤油でする。具は、焼豆腐に、コンニャク、ダイコン、ニンジン、打豆、かまぼこ。それに里芋。動物性蛋白としては、鶏肉、塩引鮭、それに新潟特有の名でととまめ=Aつまりイクラ。なんだ、要するに、のっぺい汁ではないかと思われる具の、これはパレードである。
餅は、焼かない。大鍋に、人数分だけいれて、煮るのである。それへ、前述の具と汁をたっぷりかける。いかにも、北国の冬の料理である。私など、こんなの食っちゃァ、酒のんで、一ン日じゅうステレオきいてたら、正月がおわるころには、足腰たたず、試写室にも出かけられぬほど、ふとりっぱなしにふとっちまうのではあるまいか、とおもえた。
プロもうまけりゃアマもうまいさ[#「プロもうまけりゃアマもうまいさ」はゴシック体]
同じ日本の雑煮でも、三つの土地によって、これほどにちがう。私はありていにいって、雑煮でいちばんうまいのは、フグちりのあと、鍋に、餅をほうりこみ、とろけかかったやつを、チリのポンスで食う、あれにつきる、と信じこんでいるのだが、むろん、そんなことを頑固に信じるのが、えらいわけでも、見識でもありはしない。雑煮とは鍋ものの一変型にすぎぬ、とわりきれば、時に応じ処に応じ、具も仕立てかたもかえて、餅の、汁や具によって異質に変化する味を、さまざまに食いわけてみることにこそ、ふるさと料理≠ニしての雑煮の醍醐味《だいごみ》はあるわけだろう。この料理の決定版はこれだ、などと狭量に一つ味だけを墨守する野狐禅《やこぜん》を、私はご立派とも何ともおもわない。
前述、「なべ家」の福田君が、会って感じよいのは、彼、家庭の私たちに料理の眼目を講釈するとき、けっして、プロとアマを混同しないことである。たとえば彼、こういうふうにいう。
「御家庭では、お雑煮のときも、なにもけっして、一番ダシなどにこだわられること、ないンです。一番ダシをおとりになる。ついでに二番ダシをおとりになる。両方あわせて、おすまし、お鍋、どこにおつかいになっても、充分それで結構なンです」。一番ダシ、などといって神経をとがらす――それはプロの料理屋の心得《こころえ》≠セ、と彼はいうのである。私は、こういう、プロとアマのつかいわけが好きだ。だいたい、私ンとこあたりで買う魚屋の、(つまり、アマ専門の)魚をつかって汁つくるのに、ダシだけ一番ダシに限定してみたところで、料理屋なみの澄し汁ができる理由がないのである。
かつて、ちゃんこ鍋のつくりかたを、家庭用料理書で読んだことがある。その道の有名店の御指導なんだろう。説明がふるっていた。ちゃんこ鍋なんて、気楽に食える点が身上なのだろう、とおもってた私の常識を、完全に解体させるものだった。
「むぞうさにどんどん(具を)入れると、おいしくないばかりか、スープがにごる。さっと火の通ったころあいによそうこと。お給仕のホステスは、鍋につききりで、手早くよそったり、煮たり、火の調節をしなくてはならない」
いったい、何様がどこで召上るちゃんこ鍋かね。取的に給仕でもさせて、横綱大鵬、北の富士様でも召しあがるのかね。私などは、この分では、女中がやとえるほどの御身分にノシあがるまで、一生、ちゃんこ鍋とは無縁の衆生のままおわるほかない。だいいち、鍋につききりで手早く火の調節ばかりしている女中が、空腹のあまり目ェまわしでもしたら、こちらおちおち、鍋つついてるわけにもゆかんではないか。
福田君は、そこをいう。
「よく、鍋ものは、煮えた具をいっぺん全部さらって、あらためて生物《なまもの》をいれろ、なンてェいいますがね。御家庭でそんな食べかた、できゃしません。煮えたぶんから、煮すぎにだけはしないようにドシドシ召しあがってりゃ、それでいいんです。あと鍋料理の注意としちゃ、最初、うす目のダシからはじめること。ダシの出そうな材料は、なるべく早いときに煮ること。そう、それから、こっくり柔かく煮るんなら土鍋をつかうこと。――鍋ものは、この程度、誰にもわかりきったことなさってりゃ、それでもう、文句なくおいしいんじゃないですか。御家庭で、やかましいこといわずに、屈託なく食べられるからこその鍋料理なんですから」
私は専門家の、こういう言い方が好きだ。ウマいもの食いたかったら俺たちプロのやりくちを見ならえ、みたいな高飛車ないいかただけは、わざとはずして、それでいてウマ味のカンどころはおしえるところが、にくい。
さる牛鍋屋老舗の若主人の気負った発言を、趣味の店PR誌でよんだ記憶がある。「いま、御家庭で皆さんがなさっているのは、ありゃ、すきやきじゃありません。あれは、野菜の牛肉煮で」。なるほどなァ、ソ言われてみりゃ、ウチで食ってるのもすきやきたァいえねえなァ、たしかに野菜煮だなァ、と感心する半面、こういうナマァいうやつの店には、今後一生、行ってやらねえ覚悟をきめた。牛のウマい店だが、きめた以上は、今もまもり通す。すきやきだろうと、野菜の牛肉煮だろうと、こちとらこれで、ウチじゃうめえうめえと食ってるんだ。てめえッちのしったことか。なんでえ、たかが牛鍋に目玉のとびでるような金とりゃァがって、と。
すきやき、と拙宅などでは自称している野菜の牛肉煮、つまり、「また値がアガったのか、もったいないねえ」とやっとのおもいで買ってきた牛肉を、一人あたま百五十グラム程度つかって、鉄鍋のなかのネギや白滝を砂糖醤油で煮る料理は、あれは、牛肉と野菜をつねに交互に煮てゆく――そこがコツである。それだけまもってりゃ、うまい。あとはもう、好きなやつはネギもくたくたになるまで煮ればいいし、きどりたいやつは牛肉を赤身のまま、ぱくつきゃいいのである。ネギは生煮えでなきゃウマくない、なんて、そりゃじじつはそうにちがいない、にしても、少くもこれは、他人にお節介をやくべき領域のことではないはずなのだ。他人の食い気と色気に関して、「俺のようにしなけりゃ本物じゃない」なんて、ああいう出しゃばり方を、世間ではホントのバカ、という。
レストランが、牛肉の焼加減を客にオーダーさせるのは、調理者として、まさにあるべき態度である。日本の料理人は、その点、少し「通」の誇りが、排他的でありすぎるようにもおもえる。お宅のあれはすきやきではありません、たァ何たる言い草か。俺の味がわからねえやつは食うな、式の狭量は、けっして、豊かな料理文化をそだてるものとはおもえない。
もっとも、ある東南アジアの大ホテルのことであった。某会議の各国のメンバーが会食に居ながれ、給仕がうやうやしく、一人一人からビフテキの焼き加減のオーダーをとってまわった。ほう、本格じゃね、と十人余の客全員、めいめい口々に、レア、とか、ぼくはミディアム、とか、希望をのべたてたわけだが、さあっと一斉にでてきた肉の皿は、シェフ、慎重のあまり、焼きがすぎて、真ッ黒焦げであった。ひょうきんな奴が、思わずさけんだのである。
"All well done."
これも、こまる。
[#改ページ]
女房料理の聖書群
まずは肉屋へ八つ当り[#「まずは肉屋へ八つ当り」はゴシック体]
拙宅にハガキ一葉の来信あり。かなり怪筆にちかいペンの跡で、要するに、「貴兄の料理記事を読んだが、牛|舌《タン》の塩づけのごとき安くてウマい料理法を簡単に公表されてはたちまち値上り必然。これからはもっと、マズくて高いものをオイシク食べる方法を書け」との、まことに理にかなった苦言であった。ああありがたい忠告だ、「おい、見なさい、読者からこんな投書がきた」と家人へ注進におよぶと、
「なにいってるの、あなた。これ、三浦さんじゃありませんか」
はっと表をひっくりかえすと、なるほど大田区田園調布、私とは大学でゼミ同級生の三浦朱門先生ではないか。先生、ちかごろ中年ぶとりを気にやみ気にやみ、私が彼よりもっとふとったのを冷やかに遠望して安堵してたらしいが、ついに機いたって他人の原稿に接触≠オてきおった。相手が藤原弘達先生だったら、タダではすまぬ事態である。
――しかし、三浦先生は、たしかに御忠告、誤っておられなかった。私が牛舌によるコンビーフ製造法を書いていらい――はまったくおこがましいが、拙宅で毎度買いにいっていた池袋のデパートの肉売場からは、近ごろ牛舌がまったく姿をけしたのである。店員たるやケンもホロロで、「舌《タン》? 朝いらっしゃらなければ、ありません」と宣言するしまつ。正直に翌朝十時、開店と同時にガラス扉押しひらいて突進するや、ベロを半分にたちわって売ってくれるようになったな。「そっちの一本全部くれや」と懇願すると、「これは予約でございます」ときた。われ茫然自失。
私は国際映画祭審査の仕事で連日曾野綾子女史と顔をあわせるようになったおり、深く頭をたれて、夫君がハガキでしめされた先見に兜をぬいだわけであった。これで将来、地獄におちて、牛のエンマから舌でもぬかれることになったら、完全に損したのは私だけではないか。
あらためてここで、健啖《けんたん》な諸賢におしらせしておきたい。ウマいコンビーフを作るには、なにも、かならずしも牛舌をつかわずともいいのである。適宜、あぶらののってる部分なら、肉のどこでも結構。ゆとりのある方は、ウンとコストをはずまれて一向差支えないのである。拙宅におしらせくださったある女性は、ポークをもちいて製造されとるそうだ。コンポーク、いい名ではありませぬか。お宅はぜひ、そちらへ移行して、牛舌からお手をばはなしていただけまいか。
さて。この章は三浦朱門先生も文句はつけられまい、とおもう。牛舌が売ってもらえぬ仕儀となった以上、いやでも買う肉は牛の胴の部分に乗りかえざるをえないが、いったい、デパート、食肉店でガラス・ケースの上段にならんでおる、あの色もバラ色だが、値段のほうもディオールのスカーフなみの霜ふり。あれは、いつ、どこのどんなかたがお買いあげになって召しあがるのだろうね。私かつて、客があの百グラム何千円のスライスを買ってる現場など、目撃したこと皆無である。拙宅など、牛舌のかわりに購入するとなれば、バランスからいっても一ケタ下のヤツにおさえざるをえぬ。で、この章ではそんな私でもあんまり高くないとおもう牛肉――|たとえば《ヽヽヽヽ》農林省放出輸入牛、あるいはコマギレ、|きりこみ《ヽヽヽヽ》……ああいうしろものを、いかにうまく食うか、の研究にこころざしたい、とかんがえるのでありますけれども、朱門先生、いかがであろうか。
だいたい、牛肉豚肉を買う場合、「百グラム二百五十円のとこ頂戴」などと叫ぶのは、最も愚の骨頂である、と、あらゆる料理指南書が、すでに教授されておる。同じ百グラム二百五十円、でも肉にはさまざまな部位の別がある。肉はそのポジションによって、まったく味も用途もちがうからである、と。
――と、先生方は誰でももうされるがね。こころみにあなた、肉売場へでかけて女店員あたりに「三百円くらいでロインあるかね」などと気障《きざ》ァなきき方してみたまえ。キョトンとされて、水準。奥の肉切場にむかって、「ロインッてあるゥ? この人ロインの肉がほしいってさァ」などと破《わ》れ鐘のごとき蛮声で問いあわせてもらえたら、重畳《ちようじよう》重畳である。こういうのにかぎって、うしろをふりむいた姿をながめると、まさに腰《ロイン》が太い。「あんたの、そこだ」と指さしてやりたくなる。拙宅の家人など、胸肉を買いにゆき、「ブリスケェ? ブリスケッてどこですか?」とききかえされ、どこったってお宅の商品ではありませぬか、と憮然としてかえってきた。
先様がこういうしまつでは、われわれ消費者、今後すえながく、「百グラム二百五十円のとこ頂戴」式のいい加減不正確な買注文をくりかえさざるをえないが、だいたいこの、百グラム二百五十円の牛肉にしてからが、東京と関西とでは、肉の質にツカミ五十円の格差がひらくのは、ありゃぁ一体、どういう不均衡なのであろう。つまり確実に、関西の肉のほうが、うまくて安い。関西で三百円の牛肉は東京だったら、文句なく三百五十円はとられる、という腹立ちである。
神戸の三宮へたちよられた東京人は、阪急駅の裏手、「八百丑」へまわられるがよろしい。駅から手近で、構えは凡庸だが、安くて立派な肉を売る店である。ここのどんな安い牛肉を買ってかえっても、東京の夫人は感銘する。安いほど感動の度は深い。大阪で、駅から近いのは、梅田を出て御堂筋左側の|やまたけ《ヽヽヽヽ》。京都なら――駅からは少し遠いが、やはり、きわめつけは三条寺町の三嶋亭であろう。有名なこのすきやき店の横にガラス・ケースがならんでおり、ここは間然するところなく、みごとな肉が、東京からみると破格の価格で買える。前述した先斗町|ますだ《ヽヽヽ》の女将は、店がはねたあと、娘さんたちと、ここから買った肉ですきやき鍋をかこむ。
「どのへんの肉を買うの?」
こうきいた私に、女将はけげんな瞳を向けて答えたものだ。
「あたりまえどすがな、きりこみのいちばん安いとこ」
――プロでも、そういうとこを食って、生きてるのだよ。あなた、ほんとうに、見栄をはるこたァ、ないのだよ。
つくだ煮かシチューか[#「つくだ煮かシチューか」はゴシック体]
東京のデパートでは、私の貧しい体験に関するかぎり、数寄屋橋・阪急の肉が、かなり良心的におもえる。しかし、ここでしゃべりたいのは、こういうデパートで売っているすきやき肉ではありませぬ。東京だったら銀座の「スエヒロ」、広尾は外人向けのスーパー「ナショナル」あたりでサービスしてる、かなりおねうちのコマギレ――まあ牛肉とはいい条、赤い部分よりは確実に白い脂のほうが多いスジ的部分を、堂々と人類がオイシく食ってみせる方法である。
安い肉のうまい食い方は、大別して二つある、とメモしておかれるがよい。前述、「スエヒロ」「ナショナル」あたり、タチのいい店で買える脂の多い安肉は、徹底して煮こんで、シチュー、ハヤシのたぐいにばかすことである。ダイコンを煮こんでも、うまい。いっぽう、各デパート地下室に小山ともりあげて売ってる、薄きことティッシュ・ペーパーのごとき冷凍輸入肉。あれは、あの薄さを利用して、佃煮にしてしまうのが最上である。拙宅をおとずれる客は、あればかならず、この原産はオーストラリアの牛肉つくだ煮を試食させられるが、一人として、この肉が近所のスーパー出身のローコスト肉、と見破った御仁はいない。もっとも、「和田金」「三ツ輪」で買ったな、すげえ、などと早トチリした先生も、まだいないが。
調理のコツはたった一つ。シチュー、佃煮双方とも、煮込みの途中で、徹底して、浮いたアクと脂をすくいすてることである。だからこれは、完成までに一晩はこさせたほうが仕事は早い。つまり、寒い季節だと、前夜煮こんでおいた鍋の水面には、夜明け、白く脂が浮いてはりつめている。そこを一網打尽にとりのぞくのが、要領だからである。
佃煮製造からいこうか。まず輸入牛肉を、八百グラムから一キログラムもとめられよ。店に脂の多い肉しかなかったら、この際、佃煮はあきらめなさい。後述のシチュー、ハヤシに変更なさい。佃煮用には、なるべく赤肉のとこ。それもまず、鍋へいれる前に、手で、取れるだけの脂肪分を取りのぞいてしまう。冷凍だからパラパラはずれるわ。それを、ショウガの薄ぎりといっしょに、中火で煮る。煮たい先生は煮たいだけ水をさしさし、煮る。一心不乱に脂をとる。肉は次第にほぐれてしまう。柔らかくなり、水が半分くらいにへったら、そこで醤油とみりんと、蜂蜜を、好みでいれるのである。量は君の好きなだけいれていいが、まちがってもいれすぎてはなりませぬ。
醤油は、肉一キロにつき半カップ、が上限であろう。市販佃煮を外見だけでも模倣したい、などと、商人が色素でおこなっている着色を、こっちは正直に醤油でやってのけたりしては、塩からくって、猫も食ってくれぬ代物ができあがる。|えびすめ《ヽヽヽヽ》をつくるのじゃないのだからね。
それで終りか。終りである。できたのである。ね、佃煮という食品はわりかし簡単なものであることがわかったでしょ。「玉木屋」でなければ製造不可能、といった食品ではないのである。
これで、製品が冷えてきて、しかも肉のなかに白く脂がのこらなかったら――あなたは非常に誠意ある態度で、牛肉佃煮をつくった証拠、とほめられてよい。
次は安い脂身コマギレからの、シチュー製造を紹介しよう。広尾の「ナショナル麻布スーパー」は、商品万事、英語で書いてあるへんな店だが、100g250YENくらい読めぬ気づかいは、まずないから、おそれずはいられたらよい。外人客の前で安い肉なんか買えない、などというバカは、この際、縁がない。私にここの安い肉をすすめてくれた女性は、佃煮用にしてる、というのだが、この店の脂の多い安肉は、非常にうまいけれども、佃煮よりは、少し辛《から》めのシチューをつくってハヤシライスにしてしまうテが、最も美味である。後述のビーフ・ストロガノフだって製造不可能ではない。
こいつも一キログラム買ってくる。もっともきみが独身だったらそんなに食えもしまいが。まず中華鍋で、ざっと炒めるのが正式である。脂がでてくるから、それで今度はタマネギのみじんをじっくり炒める。しかし、拙宅では肉はジカに水に放りこみ、あとで、炒めたタマネギをたす簡便法のほうが多い。ともあれ双方を大鍋へほうりこみ、多量の水と、おまじないにマギーの固型スープをいれて、煮たてる。脂をすくいにすくいとる。以降、これまた、君の好きなだけ煮こむ。
味つけは、塩、赤砂糖、罐詰のトマトジュースか、ピューレー。ただしケチャップはおよしなさい。それにブドウ酒、香辛料《スパイス》である。各々いれたい量だけいれたらいいが、いれるほどにウマみが増大するか、とおもえば、それはまったくの間違いである。ブドウ酒とスパイスは、いれすぎたら最後、文字通り、鼻持ちがならぬ。――適当なところで、ニンジン、ジャガイモ、タマネギなどをくわえて、柔らかくなったところで、塩、コショウによる仕上げ。
一キログラムも肉をつかって、そんなにつくっちまって大丈夫なのか、とおっしゃるか。味をうすめにさえつくれば、うまいうまい、と、二、三日かかっても家族全員でたいらげちまうこと、必定《ひつじよう》である。学校の給食よりずっとおいしいよ、などと子供は正直なことをいいよる。学校給食と比較して絶賛されてりゃ、天下太平だ。
私はここで、書こうかかくまいか、朱門氏の顔色を予感しつつまようのだが、こういう西洋料理調理の際につかうブドウ酒――これが、例のスイートワインであってはならないことは、今日よくしられている。調理用の安い本物も出まわっているが、拙宅で、この種の調理に何でもぶちこむのに意外と重宝しているのは、メルシャンから一升入りで出ている徳用のヴァン・ロゼといっていい。そりゃむろん、ジカにのめば、あちらのものが恋しくはなる味だがな、国産の甘ったるい酒よりは、がまんできる徳用瓶である。活字になったとたんこれまた品切れか、と想像すると、なんと俺は人がよいのか、くやし涙にかきくれるが、朱門先生ゆるせ、みんなで安いものおしえあって食うのはうれしいことじゃないか。
さて、このコマギレシチューつまりハヤシは、米飯にかけてもいいが、この際の米飯はバターライスにしておくとかわった味だ。私のもっとも好むのは、スイス風のロスティを自製して、その上へどっぷりとこのシチューをもりあげる、珍な独創カロリー料理である。拙宅では「ハヤシ・ジャガー」と呼称する。
ロスティは、正式な調理法を、かつて大阪、辻調理師学校の、辻静雄氏にまねかれた夜、夫妻から綿密に実物で教授された。この夜のフランス料理正餐は、舌の目が眩《くら》むほどの圧巻であった。同席の星新一氏が、小松左京氏にからかわれながら、一品一品、丹念にメモをつづけておられたから、奇特な方は氏に製法の教えをうけられるがよい。私が自製するロスティなどは、この夜の品にくらべればロスティと呼ぶのもおこがましい。が、アッという間にできて、簡単なわりにいつもうまいのが、われながら取柄の食いものである。
ロスティ(LOSTI)の土俗風は、東京四谷の「スイス・シャレー」で食わせる。スイスの質朴なジャガイモ料理である。おろし金みたいな道具で、野菜を千六本におろす板を売っとるね。あれで、ジャガイモをせん切りにして、水にさらす。にぎって水気をきり、バターと、塩、コショウを適宜いれて、電子レンジへほうりこむ。レンジがなければ、むろんここで蒸したらいい。レンジでホカホカに軟化したのを、フライパンにバターいっぱいしいて、ホットケーキ風に焼きあげる。最初に炒めてからオーブンで焼きあげるテもある。それだけのことである。これへ、さいぜんの牛肉シチューをかけるのだ。うまいぞゥ。家人は、まめまめしく健闘最中の私を凝視しては、ほとほと嘆じてつぶやく。
「あなた、それでやせるのだけは、無理ね」
そうか。いかに米飯と絶縁を宣しても駄目か。
さあ女性雑誌を総まくり[#「さあ女性雑誌を総まくり」はゴシック体]
ロスティにシチューをかけるテをおもいついたのは、前述「スイス・シャレー」で、ビーフ・ストロガノフ風の子牛クリーム煮にこれをそえてだしてくれたからである。が、だいたい、あらゆる肉料理には、べつにレストランに行かずとも、ジャガイモがあうようにできているのである。こういう知識は、雑誌「女性自身」の読者なら、昭和四十五年二月七日号とじこみ、「保存版女性自身お料理便利カード」などを見て、高校卒業前からわきまえてる仕組みに、日本ではなっておる。
だいたい「女性自身」は、料理については行届いたアイデアをもつ週刊誌でね。電車の中吊広告などから、ありゃァ皇室と離婚とセックス記事のほか、ときどきはスターがしかられてる以外何ものっとらん雑誌だろう、などと邪推するのは、もっとも認識不足なのである。本誌をひらくと、パンティストッキングの広告ページだけでなく、料理記事にも凝視すべき部分がある。同年一月三十一日号グラビア、「こうすればカキはおいしい!」などは親切な料理基本記事であった。二月十四日号のカラー「夜食に《おじや》が流行中!」などは、懇切にも、浅丘ルリ子、弘田三枝子などという、痩身の右総代みたいなスターの、おじや礼賛談話まで併載して、おじやといえども、わたしとはちがって、食う人間が食えばけっしてふとらずにすむのだ、という事実を立証しておる。ただしこの雑誌、料理記事の見出しにまでスグ「!」をタラしたがり、いつも少々ショックの感動が過ぎて音痴にみえるのは、野暮で、それに、|おじや《ヽヽヽ》につけ何につけ、「流行なのだからあんたもなさい」といいたげなメンタリティがたえずちらつくのは残念である。「今、若い女性の間で、夜食におじやを食べるのがブームです!」
知ったことか。ブームだから食う食いものかね、おじやなんて。
いや、「女性自身」について語りだしたのは、ほかでもない。いったいわが女房たちは、つね日ごろ、身近に御愛読の諸雑誌から、どのような料理情報を収集しとる結果、朝晩ああいうモノを私に食わせてくれるのであるか。少々親身に探査してみるのも、私自身の舌生活のためわるくあるまいと、昭和四十五年冬二カ月、手近な婦人雑誌から、手当り次第、料理に関するページを全部ひっちぎって、ためてみたのである。いや、ありましたなァ。汗牛充棟、とはいかぬが、百花|繚乱《りようらん》の色刷りが、段ボール箱につまった。この二カ月号分の、料理をシッカリ身におさめたら、優にデパート大食堂程度のレパートリーくらいは、一人でこなせる情報量に達するのではないか、と私には推定された。
しかしそれだけに、料理執筆家にとっては、婦人雑誌の誌面というのはもう、こらあ試験の答案みたいなものですな。同じ先生が各誌から難問をだされては、さわやかに、「ピンチのときの五十円料理」とか「おもてなしの二つ重」とか、卑賤から高貴までをこたえわけておられる。いそがしいなァ。志の島忠先生などという、流行作家も三舎をさける態の、全誌に顔出しの、スーパーマン・ライターがおられることも、発見した。
いったい女房は、こんな貴重で多量な記事群を、どれだけ精読耽読しておるのであるか。うたがいつつも全体に目を通してみると、婦人雑誌の料理記事というのは、読者層の向きによって、完全に共通のパターンが支配してることに、気づいた。つまり表紙が似てる雑誌は、中の料理からその扱いまで似てるのである。
実用主婦雑誌には、まず申しあわせたように、一カ月連日の、日付いり料理カレンダーが一日ごとカラー写真つきで貼付してある。二月十一日(水)マトンの朝鮮焼き(一人四十四円)といったぐあい。これをじいっとながめた瞬間、各誌大同小異におこる感懐は、ああ女房、お前、ここまで手とり足とり、雑誌から指南をうけねば夕飯《ゆうはん》のチエひとつうかばぬのか、というそのわびしさである。もっとも、一ン日三度で一年三百六十五ン日だものな。毎回オカズを頭ンなかからひねりだしてちゃ、いかに良妻賢母も、チエはつきはてるわな。実用主婦雑誌隆盛のかぎり、今夜のオカズは日本全国一斉、主婦倶楽部誌御指定レバーソテー、といった光景がつづくのでありましょう。
しかし、調理に練達の主婦がたはともかく、私程度の素人には、こんな舌ったらずの文章で、三月十四日の晩のすきやきの煮方までおおしえいただくより、簡単な食いものでいい、一つ作りかたを徹底的に教授ねがったほうが、ずっと身になる思いもするものである。男が婦人雑誌に注文だしてりゃ世話ァないが。その点、たとえば同じ「婦人生活」でも、別冊付録「おいしいおかず四百種」なんて、親切だがコマギレの小冊子よりも、本誌上の江上トミ先生「お料理一年生」などという、卵料理、ふろふきダイコンの煮方、なんぞの基本記事のほうが、ああそうなのか、とうなずける点、私には格段に、ありがたい気がする。
「主婦と生活」二月号「ギョーザ、シューマイ、中華ソバ」もゆきとどいた基本指針であり、「婦人倶楽部」二月号「味づくり※[#「○秘」]公開」は、全国有名店の名物料理ひとつずつのコツを、ぴたりぴたりおさえて、これは出色の記事である。担当記者は、頭もいいが、かなりいい舌の栄耀《えよう》もあったとおもわれる。うらやましい。
女性週刊誌となると、料理欄は、こらあまァ全誌、カード式という点がよくもまァ似せたとおもうほど共通のサービスである。つまり、硬い紙に印刷してあって、ハサミで、切取線通り細分的にきりはなせるようになっている。親切便利、とおもうやろ。ところが、これがちがう。カードというものはだな、私がここで初歩を説教しても仕方ないが、片面だけを一項目につかう、のが原則のなかの大原則である。やむをえず両面つかう場合もだな、表裏とも同一項目でなければならん、のは、これ情報整理学最低の常識ではないか。カレーライスの裏ァひっくりかえすと、寄せ鍋の調理法がのってる、なんて、そんなカードは、一見もりだくさんにおもえて、そのじつ、あとになると何の役にもたたんのだよ。「女性自身」「女性セブン」「週刊女性」、この点では全誌落第である。この種のカード風色刷ページでは、文章、カラー、レイアウト感覚すべて抜群の「ミセス」でさえも、はさみで切ってお使いください≠ネどとある口の下から、裏には別の料理が印刷してある(注)。信じられんくらいの不親切、というほかない。いったいこの人たちは、本当に、自分で売ってるそのカードを、自分でハサミできってつかってみたことがあるのだろうか。
〔注〕雑誌「ミセス」の料理カードは、その後、一品を、表側に写真、裏側に製法、と一体化して紹介する方式にかわり、きりとっての利用がすこぶる便利になった。編集者のサービス感覚に敬意を表する。
女性週刊誌の料理カード≠フ内容は、読むほどに、抱腹絶倒のユーモアに達することがある。これら熱心な記者、執筆者がたは、女という種族がひきつけられるのは、安さと、仕上げの早さと、皿の仰々しさだけである、という哲学を先験的に信仰しきっておられるらしいな。ともあれウタい文句は、安い安いの一点張りである。「女性セブン」所載しゃぶしゃぶ≠ネぞ、一人前百九十二円、とある。いったい何を根拠に、百九十二円というハンパがはじきだされたのか。二円に、お前どこからついてきたの? とたずねかえしたくなる。
こういう料理カード≠ノ共通するのは、かならず、作り方指導記事より写真のほうがバカでかい、その割りつけ美学である。結果、「女性セブン」などは、一品の料理についての製法記事が、実質百八十二字。ペラ一枚にもみたぬ原稿量に泣いておる。料理の先生たァ、よほど電報みたいな名文がかけんと、全然、身がもたん職業だな。さすがの名文家も、しかし料理一品つくるのに百八十二字ではどうにもならぬ場合がでるとみえる。肝心の細部にくると、急に製法、頼りなくなったりするのは御同情にたえない。
舌足らずの一例をお目にかける。「女性自身」におけるピロシキ≠フ作成法である。まず材料の分量を御教示あったのち、
「@生イーストを発酵させる。A牛乳、バター、卵、砂糖、メリケン粉、生イーストをまぜる。約一時間、暗い所におき、ふくれてきたらガスぬきをする。Bひき肉、ネギ、春雨をいためてさまし、ゆで卵を加える。C皮のあわせ目はぴっちりと。Dぬれ布巾をかけ、十分したら弱火で七分間ぐらい揚げる」
そら、製作順序はこの通りで少しも間違いはなかろう。文章は簡潔である。だが、今までパンひとつ、正式な焼きあげかたもしらなかった女が、突如、生イースト発酵とかガスぬきといわれて、何をよう、しでかすかね。生イーストとは何か。どこで売っとるのか。イーストを粉にまぜる、とはどういうことか。室温何度のどこへおけばガスが発生してくれるか。ガスをぬくにはどんなテをつかうか。いったい読者の何人が知っとるのかね。執筆者の責任ではない。要するに、いっちゃわるいが、この料理カードとは、写真でウマそうな夢をみせるだけのページで、実質は何もおしえちゃおりゃせん、という編集の方針なのである。
「週刊女性」のカードも、調理の低廉を強調する努力では、ライバル誌にまさるともおとらない。かきの殻焼き∴齔l前七十円、とあるのにぎょっと目をこらすと、これは材料が「二人前でカラつき五個」だそうだ。二人で仲よく二つずつ食ったあと、さて最後の一個にはサゾ恨みものこることでありましょう。他家のことながら心配になってくる。同誌の料理は徹底的に二人前本位で、これは新婚家庭に狙撃点をしぼった狙いだろうが、せっかくのハネムーンに、カラつきカキ一個で不和の種を提供するのもイジワルな仕打ちではあるまいかとおもう。おなじページのジャガイモ挽肉詰め≠フ材料は、二人前で、合挽肉二十グラムだぞ。なるほど、確かに一人前四十円の安さでつくれる料理だろうが、台所の冷蔵庫に残りものの挽肉があればともかく、肉屋で合挽肉を二十グラムだけ売ってもらうのも、相当のエネルギー支出である。
同カードには、時計文字盤風に、料理の下ごしらえと調理時間が明示してある。この親切な示唆によると、若鶏の衣揚げは計三十分。カニのグラタンが計二十五分。鯉《こい》の唐揚げが、じつに一人前百四十円、二十五分で完成することになっている。こういうすばらしい雑誌で訓育された手の早い娘を、電子レンジといっしょに女房にもらえる未来の日本男性は、何という果報者であろう!
私はけっして、女性雑誌の料理記事を、見くびっているのではない。げんにこれらの克明熱心なカードを見くらべるうちに、私はじつに多くのことをまなんだ。最近は、ブリ一ときれの照焼より、本格的なミートローフのほうが安いそうざいになっているのだ、という事実も発見したりした。酒|粕《かす》と鮭でつくるあの温かいカス汁は、雑誌によって、粕と味噌を汁に溶かしこむ順序がまったく逆であることも、発見の一つであった。双方とも、こうしなければウマくない、と信じこんでる点だけ共通だが。このほか、「家庭画報」には土井勝先生の説得力ある盛りつけ♀本の解説あり、「ミセス」には石井好子さんの出色の「オックステール」記事があったりして、たのしいものだなァ結構――この国は、色気のみならず食い気もまた精力にみちみちている印象を、裏切られなかった。
もっとも朱門先生は、冒頭の私へのハガキで「尻尾の料理などはどんなことがあっても書かないこと」とクギをさしておった。が、ヨックごらんなさい。先生、油断しとるうちに石井の好子さんにオックステールの煮かたを書かれてしもうた。彼、いまごろ、地団駄踏んどるだろうが、まさかあの強い好子さんには八つ当りもなされまいて。
[#改ページ]
ああら、食べすぎ、ふとりすぎ
昔はこれでもドロンなみ[#「昔はこれでもドロンなみ」はゴシック体]
某月某日、朝食の卓にむかい、新聞を、恒例のオカズとする。ふと、某紙下段に、雑誌の広告が目にとまった。
「肥満対策」とある。ハッとしたね。目をこらす。「話題の特集! ふとりすぎ」と真っ先に描き文字。これなるかな、すぐさま一冊をあがなわねばならぬ雑誌の発売である。おおい、と家人をよびつけ、
「本屋に電話をかけなさい。きょう発売のをもってきてもらう。雑誌の名は、ええと……」
と……。なンやこれ、
「愛犬の友」、か。
犬にまで痩せかたをおそわってちゃァ、元禄も末世である。が、それにしても、ふとった、ふとりました。どうしようもない。背丈はここ二十年、いっこう、百六十五センチ以上にのびてくれぬというのに、体重だけは急カーブ上昇の一途。近ごろは七十キロをこえはじめて、とまらないのだから、気が気でない。「あんた、もうじき、耳がかくれるんじゃないか」などと、テレビで見てたやつが、ひやかすしまつである。子供がお多福風邪にかかったように、愛嬌よく頬っぺたがふくれてきた、という。
他人に指摘してもらうまでもないのである。誰よりもいちばん切実に実感心痛してるのは、毎朝、歯ァ磨くたんび鏡をみてる当人自身なのである。これでも昔はアラン・ドロンより痩せてたよなァ、と自らの頬っぺたに語りかけても、うなずくのは自分ばかり。今ではむしろ、どっちかといえばドロンより格段に栄作にちかい、などと言いにくいこといわれ、自分でも若干、むくんだツラなんぞホントに似てきたんじゃあるまいか、などとおもえば、くるうばかり胸ふたがるのみの毎日である。
先日、ある週刊誌の取材で、記者氏が「この記事には顔写真つかわせていただきますけど、ナニ、ウチの資料室でさがします」という。ほっといて、おくってきた雑誌ひらいて、驚愕した。マサカ総理大臣の写真がでてた、のじゃないよ。岸田純之助氏とまちがえたのではあるまいか、とおもえるほっそりスマートな青年の顔が、麗々しくこっちをむいておった。ハタチ代の私だよ。よほど古代資料の収集豊富な出版社とみえる。当人の次に茫然自失したのが、細君で、自分が十数年前えらびとったのはこういう男性であったのか、と、今さら、審美眼の高さにわれから驚倒するありさまである。ま、そこまではいいのだが、この記事をみた某青年、「せんせい、今のじゃあんまりヒドいから、ワザと昔の写真をだしましたね」とは、世間にゃァ、辛辣《しんらつ》な批評家でも言わないことを、臆面もなくいえるやつがいるもンじゃないか。こうまでいわれて、なおかつ、憤怒のあまりやせこける――ことにはならんのだから、こまる。
「水を飲んでもふとる」という俗語は、ほんとうのことで、それだけに極力、断つべきものは徹底的にたつ気ではいるのである。もっとも、私は断つべきものを少々まちがえたのかもしれない。あれでイヨイヨ運動不足の気味になってるのかもしれない。
色気はともあれ、食うほうでいえば、まず、菓子と名のつくものは、内外、いっさい断ちきった。鶴屋八幡も、マキシムのアントルメ・エ・パティスリ、すべて今は無縁である。暑さにむかえば、いてもたっても、いられない、京都は四条の鍵善「くずきり」がすすりたくなる。人情である。が、葛《くず》はいいとして、あの黒蜜はヤッパリあかんやろうなあ。家内は、なかなか本格のアイスクリームをうまくつくる日があり、高校生の娘とつくっちゃァ「アラ、こんどはおいしくできたわね」などと、いっしょにべろべろ食っておるが、私はそのときさえ、テーブルに肘《ひじ》ついて、ジーッとながめるのみである。
コーヒー、紅茶には、むろん砂糖はいれない。先日、ある席で、くばられたばかりのコーヒーをそのままがぶりと飲んだら、向い側のおばさんが、おもわず、「アッ、お砂糖!」と注意してくれた。よほど、そそっかし屋の私が、瞬間、にがい目にあったにちがいない、と心で泣いてくれたのである。「コーヒーにお砂糖いれないと、毒じゃありませんか?」ときいた親切なオバサンもあったぞ。にがいままのコーヒーは毒ではないか、もほほえましいが、気持はわかるようないいかたである。
米と訣別《けつべつ》したはなしは、前述した。近ごろは米だけじゃない。メンにも泣きわかれしとる。青山に「ワンさんの家」という、すばらしい中華ソバ屋がある。土産に買うギョーザの匂いで、車内いっぱいがニンニクくさくなってしまう、といったすごいのをつくる。が、最近ここから足遠くなったのも、主人ワンさん自身が不幸にもあの世へ旅だったからでもあるが、じつは、あの店の製作品はふとるものばかりだ、とおもいこんだからである。
もっともギョーザなんてのは、君ンちだって簡単にうまいやつがつくれる食いものではあるがね。
豚のひき肉を用意する。いっぽう、白菜をみじんにきって塩をふりかけ、しばらくおいてから、よくしぼりきる。この二つを、酒、味噌、醤油、すりおろしのニンニク、ゴマ油、コショウでまぜあわせ、団子ににぎって市販の皮につつみこめば結構だからである。あとは文字通り、煮て食おうと焼いて食おうと、勝手次第。――ええと、話を断《た》ち物へもどす。
浅草・入山煎餅の塩せんべい。これも離縁。東武東上線の小川町。ここの「二葉」にある有名な忠七飯も、涙で別れた逸品の一つであった。東京近辺で食えるメシで、これは最も美味な茶づけの一つではないか、と思われる。茶づけとはいえ、ここはダシをかけるのである。客が店へついてからたきあげたあつあつの飯に、海苔をまぶし、これにネギとユズとわさびの薬味をのせ、かなり塩味のダシをそそいで、さらさらとかっこむ。うまかったよなァ。たったそれだけのメシに、あの常時交通マヒの川越街道をはしってゆく値打ちが、充分あった。
たまに、したがって、浮世の義理、どうしてもこの場では炭水化物をとらねばならぬハメとなったら、決然と、覚悟のホゾをかためる。ままよ、やぶれかぶれ。耳がかくれようと、栄作に似ようと、しったことか。女房をすて愛人と駆落ちする破滅的心境で、含水炭素に立ちむかうのである。曾根崎心中や。先般、俵萌子さんと盛岡に飛んだ。幸か不幸か、情事・心中のたぐいではない。岩手日報によばれていっしょに講演にでかけただけだが、このときふるまわれた「直利庵」名物|わんこそば《ヽヽヽヽヽ》。私にとって、終生の思い出にのこる、久しぶりの含水炭素の解禁であった。まず卓に、ずらり薬味がならぶ。たのしいもてなしである。筋子、マグロのブツ、クルミ、ゴマ、削り節、おろしダイコン、海苔。オラアこげな山盛りが好ぎさ。そこへはこばれてくる汁つきのソバは、意外に小ぶりな椀で、ま、一杯が二口に食えてしまう。嫌味のないそばである。ほう、いいですね、と一椀をおえると、背後に立ちはだかるタスキがけの姐《ねえ》さんが、間髪をいれず次のをなげこむ、のは御案内の通り。こらァ手がかからなくていいや。食うほどにたのしくなり、目もすわってき、エエモウ、腹がどんなに出たって女房の思惑なんぞかまうものか。
点棒であるマッチをかぞえるのもわすれて、食いに食うほどに、周囲の全員はすでに椀をふせ、シーンと静まりかえってるのに、まだ一人、ほう、うまいなァ、などと食いつづけてる自分自身を発見する。貫禄のなさすぎる無邪気さである。もっとも、どうおもいだしたって合計四十杯くらいでやめたからな。二百杯とかいう記録保持者には、足元にもおよばない。
四十七士は、ソバを食ったエネルギーをその夜のうちに発散しつくせたわけだが、私などは、食って講演してその夜のうちに汽車にのって翌日はウチですわりこんで原稿書いてるのだから、カロリーも燃焼しようがない。帰京たちまちにして、盛岡わんこの報酬が豊頬《ほうきよう》にあらわれだした。現金なくらい、すべてが顔にでるタチである。さぬきのうどん。白石のううめん、あるいは小豆島のそうめん。うまいものは、よりによって含水炭素やなァ。
こういうとき、京都先斗町の「ますだ」、例の背中ドヤシのおたかはんが、飛行便でタケノコをおくってくれたのは天の配剤と称すべきか。これならいくら食ったって、もともとカロリーなんて全然ありゃしない植物なのだから、ふとる気づかいだけは、毛頭ない。食って、ウマ腹がみちて、しかもふとらないこんな食いものを、大地の胎内に準備してくれてる日本の大自然へ、つきぬ感謝をこめつつ、ああみごとな味だ、何という香ばしさだ、とひとりでいちどきに二本、まるごと、たいらげた。
定石の調理もすべてうまいが、私は柔らかなタケノコを精進揚にするのがとくに気にいりである。不思議なくらい、タケノコは揚げるとあまくなるのはナゼであるか。堪能して、さてこれでやせるな、と、翌朝、カンカンにのってみた――が、変なものだなあ。ソバ食ってふとるほうはたちどころに文字盤の目盛りにあらわれるのに、タケノコでやせるほうは、全く数字にでてこない。
ああ、おもえば悲し五年前。フトした思いつきから粋がって、タバコをやめたのが運のつき。ふとりにふとって今やかくの如く断ちものの連鎖反応となり、安心して食えるはタケノコとコンニャク、寒天ばかり、とは、いったい何のために生きているのか。
痩身のセンセイたち[#「痩身のセンセイたち」はゴシック体]
じつは、こうまで苦労して節食痩身の術に邁進《まいしん》するのは、目の前に、ホントに食餌療法でやせた実例が、立っていたからである。安倍寧という――こりゃ御紹介にもおよばないな、口八丁手八丁の、しかも底ぬけにおしゃれの食道楽だが、この先生の成功例さえ目撃しなかったら、私は今日、ぜんぜんくるしむことなど、なかったのだ。
あるパーティ。みんな背広なのに、ひょろっと電信柱みたいに高いのが、スカしたタキシードかなんかでおったってた。どんなやつか、この気どり屋は、と見あげると、別人みたいに顔の小さくなった寧だから、文字通り仰天し、
「安倍ちゃん、どうした、なンでそんなにやせたン」業病にでもかかったか、と目をむくと、
「ああ、半年、ライスと名のつくもの、全部やめてみた」と、得意になって、いう。この一言で、がっくりきた。評論家が、心にもないことをホザいているのと、次元がちがう。「使用前・使用後」の実例が眼前に屹立《きつりつ》しているのだから、説得力、うむをいわせなかった。
先輩、小森和子女史の直話によると、若山弦蔵氏が、今は、みごとに肥満を克服されたそうで、「荻チャンだってやせられるわよ」と激励のお言葉までいただけたのは、それだけでも脂《あぶら》がにじみ出て二、三キロは体重がへってもいいような感激であるが、ナニ、私はけっしてジェームズ・ディーンなぞには似なくてもいいのだ。せめて、はあはあ、肩で息せずに靴下がはける体にかわれれば、満足なのです。
ピアニスト中村紘子嬢のこれも直話によると、名指揮者岩城宏之氏がいま懸命に痩身化過程にあるということで、「エラいわよ、演奏旅行にもヘルスメーターをさげてらっしゃるのよ」という。カンカンを持ちあるくのじゃ、それだけでよい運動になって効果がでるだろう、と言ったが、いっぽう、岩城氏のあれほどのエネルギッシュな指揮動作さえ、体をほそらせることにはこれまであまり役立たなかったとすると、私などが大仏さま程度に膨脹しているのは、法の理にかなってる、ともおもわざるをえない。私の場合は大仏でもいいけどなァ、岩城氏の世界をながめわたすと、カラヤンなどという野郎は、何回来日しても、いよいよ細いままで、たくましくなっておるからなあ。わがホープがカンカンをもち歩く気持も、容易に察しはつこうというものである。
いうまでもなく、女子栄養大学発行・香川綾監修『やせるローカロリー食』などという名著は、精読を欠かしたことのない指南書で、ベッドサイドのテーブルにおき、毎夜かならず一度は手にとる。ホテルだったら聖書をおく位置である。読むだけで、感心ばかりしており、実行のほうは一向マネしない点も、聖書にちかいが、私はこれを読んだおかげで、自分の内部のどこに「悪」がひそむか、だけは鮮明に認識しつくした。アア、神の問題ではなくして、要するに、食事のバランスがいかんからふとるのである。私は結局、自分で何かつくっちゃァ、うまいうまいと自賛しながら、そればかり食ってた十字架を、今、ひとり背中にせおいあるいているにすぎぬ。
最近、石垣純二ドクターの誌上御診断をうけた結果によると、じつは、私のアンバランスは、含水炭素の食いすぎではなくて、油脂類の摂取過剰だったのだそうである。アイタ。今の今まで、リノール・サラダオイルをのめばスマートになる、などというコマーシャルを信じこみ、サラダにどっぷりかけておったが、あれはまったくの無駄だったか。ゴマ油は、うまい「岩井」のでもとくに無量寿≠ェ逸品だ、と卓上に常備して愛用してたが、あれも過剰であったるか。なんや、これまで、天どんはメシのほうがいかん、とばかりおもいこみ、涙とともにのこしてたが、逆に、エビ天のほうがいけなかった、のだという。うなどんも、メシはよくてうなぎが駄目。トロにぎっても、シャリはいいが……となると、ドクター、どないしてくれはる、食うもの、どぜう程度しかなくなってしまうではありませぬか。目のない好物だからいいようなものの、そう、駒形、伊せ喜ばかり、通いつめるわけにもゆかぬ。この上、栄作がヌルヌルしてきたら、どうなる。
だからといってブロイラーが食えるか[#「だからといってブロイラーが食えるか」はゴシック体]
うなぎはあぶない、となって、撫然《ぶぜん》たるおりしも、食欲とは別件の御用事で、大いなる期待をもってひらいた清水桂一著『スタミナ料理』なるカラー本に、「うなぎ中落ちから揚げ」という一品の調理が紹介されているのをみつけた。なるほど、ウナギの中落ちたァ、さすがに専門家は、イイとこに着眼されるものだなァ。脂ッ気は多すぎず、カルシウムはあり、さだめし、性中枢といった神経もながながとおさまってるところであろう。これなるかな、と、またまた、おおい、と家人を呼びつけ、近所のうなぎ屋へいって中落ちをわけてもらってこい、と、はしりにやらすと、「『ウチではそんなものあつかってません』ッて」と、子供の使いみたいな台詞《せりふ》でもどってきた。うなぎを割《さ》いてて、中落ちがない、たァ何たる言草《いいぐさ》であるか。てめえっちであきなってるのは海鼠《なまこ》か、とカゲで毒づいてやったが、「そんなにオコるなら、あなた自分でもらってらっしゃい」とたしなめられて、ワメくのはよした。女房に八当りすべき問題ではない。
結局、例の、「なべ家」福田君に、手をまわしてもらう、は大仰だが、知りあいのうなぎ老舗から中落ち十数本をゆずってもらい、こいつを塩水に漬けてあらったあと、えんえんと天日にほした。ほさずには、くさくって近よれたものではない品物だからである。頭は、もったいないが、犬の御馳走とする。じつは戦時中、拙宅の飼犬がセパードであったとき、軍用犬ということで、あいつには食糧の特配があり、かならず、うなぎの頭の干物が、粉米といっしょに配給されてきた。犬には申訳なかったが、粉米は若干、うなぎの頭は、全部、飼主が搾取収奪して、人間が食っちまった。二十数年間、犬のものまでとって食ったという罪の意識にさいなまれ通しであったから、今回は、蛋白源であるうなぎの頭を、現在の犬にかえしたのである。私は遠慮して、背骨だけ食うことにする。
ほして真田《さなだ》紐みたいになった骨を、料理バサミでたちきる。脱線するが、君は大阪万博へ行ったか。三、四館を除いて、ゆく必要はまったくなかったバカげた祭りであることは皆のいう通りだが、国際バザールのドイツ店で売ってたヘンケルの料理バサミ、二千円。あれは有益な土産であった。なに、デパートでも売ってる? なら、いよいよ万博など参詣の必要なかった。ウチで中落ちの乾物でもつくってたほうが賢かった。
この、寸断した骨を、手早く揚げて食うと、うまい――と清水桂一氏は記述されるのだが、私にゃ、手間かけたわりには、まァまずくはない食いもの、としかいいようがなかった。イワシのみりん干しを、骨だけ食ってる感じである。しかし、これでツヨくなるうえ、やせられもする、となれば、骨の干物だろうと、悠然と咀嚼《そしやく》しつづけなければならぬわな。ついでに、こちらの背も、うなぎのおかげで、のびたりしはじめれば望外の幸福であるが、四十を半分もすぎちゃ、それだけは無理だろうなあ。
――ふとらない料理、となると、誰でもかんがえつくのが、その次には、ブロイラーで、私も今まで、何度あれを、薬なのだ、食用粘土なのだとおもいなさい、とみずからにいいきかせながら食ったか数しれないが、諸君、それにしても、あのブロイラー、あれくらい、世の中に、なさけなくまずい食いものが、いくつあるだろうか。
前にも書いたが、東京上野、湯島の切通し下、岩崎さんちの近くにたつ「鳥栄」は、ある種の完全主義的良心にかけては、類を絶する店だ。千葉へ軍鶏《しやも》をさがしに行き、農家の庭先で落穂をついばんでる適当なやつが見あたらん限り、店をひらかない、というおやじは、季節外れに、座敷の予約なぞ申しこもうものなら、青草食っちまったトリは駄目だ、と、向うから客を謝絶する。
私、なにも、ブロイラーに、青草まで食うな、とはいわない。しかし、食うにことかいて、今のような人工エサを食うのだけは、もうおよし、といいたい。それにしても何を食わせて、あんな味のない、夢も希望もうせるような虚無的な肉がつくりだせるのかね。
ホープは子牛だ[#「ホープは子牛だ」はゴシック体]
各地飛行場の空港売店には(やたら割高なのが難だが)ときおり、食うにあたいする味の、御当地名産品がならぶことがある。北海道の千歳、および中国地方、四国、九州各空港の海産物は、一度、手にとられるだけの価値があろうというものだ。先日、高知の空港で、|しらすぼし《ヽヽヽヽヽ》などかなり仕こみ、帰途、大阪駅の手荷物預り所に一時預けしてもどってみると、係りのおっちゃんが頭掻きかき、すンまへんなァ、いう。じつは、あンまりネズミがあばれるよってに、猫飼いましてン。ほしたら、その猫、お客はんの袋かみちぎって、中のもンみんな食べてしまいましてン。
口のおごってる大阪駅の猫が保証したのだから、高知飛行場のは本物の魚である。
その、空港売店の、博多は板付店。鶏《かしわ》の水炊きなる罐詰が、かつて一個三、四百円。これは、少くとも、数年前までは、うまかった。すごく脂っこいからである。皮からでた黄色い水玉が、ギラギラしておった。拙宅では、鶏の水炊きをするたんび、この一罐をあけ、鍋に注ぎたして、味の補修をしたしまつで、そうでもしないと、ダシもスープもでぬような、文字通りの水$きしかできないのが、なさけなくも、あわれであった。
はっきり断定的に予言して、私は、今の不誠実な味と歯ごたえがつづくかぎり、ブロイラーの需要は、あと十年たらずのいのちであるとおもう。もうモチませぬ。ブロイラーが未来に望みを託しうるとすれば、給食とインスタント食品でそだてられた子が、味《あじ》音痴のまま大人になってくれるかもしれぬ、という保障だけではあるまいか。
その鶏の未来が横取りできるかどうかはともかく、いま、少くともブロイラーよりは本格のいきた味で、脂肪なくローカロリーで蛋白だけとれる肉があるとすれば、何か。私は、あるとすれば、それはヴィール、子牛であるとおもう。あれは、有望な肥満防止資源、そして、味の資源だよ。
子牛なんてえ肉は、ホテルのカツにしかならないのだろ、だいたい、男にうまれついたがふしあわせ、みたいな赤ん坊牛が、白い脂身もつかぬうちに撲殺されたなれのはてだ、くらいの知識しか、これまでの私にはなく、その点はあなたも同程度かもしれぬが、最近、私はこの認識不足を根底からくつがえされるできごとにぶちあたった。前述大阪の辻調理師学校長、辻静雄氏邸の晩餐会で、全員、あっと声をあげるみごとなステーキをだされ、それが子牛の肉と知ってからである。ブラウン・ソースにおおわれてあらわれたその肉塊は、ナイフにほとんど抵抗すら感じさせぬ柔らかさで、バラ色の均質の肌をさらし、一口、舌にのせたその香ばしい甘さと溶けるような崩れかたは、全会食者、辻氏が新種のソーセージでも開発しおえたのか、と目をむいたほどの、絶品であった。じつをいうと辻氏は、ヴィールの塊りを焼きあげ、周囲の固く焼けた部分は全部そぎとって、中のミディアム部分だけを、四角く塊りにのこして皿へ盛ったのである。生まれて三カ月、日の目もみせずに暗室へとじこめ、スキムミルク以外はそれこそ青草一本食わせずに冥土へおくりこんだ牛である。あわれなるかな、この柔らかさ以外、どんな誇りを彼はもつことができたろう、明日の種牛にもなりそこねたこの赤ん坊は。
惜しいかなヴィールは、いまほとんど需要が、ホテル、外人向きレストランにかぎられて、めったな肉屋では、買えない。東京だったら、紀ノ国屋とか麻布ナショナルといったスカシたスーパーにでる程度である。子牛は、原価計算上からも、たっぷり三カ月しかミルクのませんのだからな。二年ちかくもエサ食わせる普通牛肉より、格段に安くて当然である。ああた、年齢からいえば、飛行機でも映画館でもタダではいれる程度のジャリなのだからね。それこそさすがのマキシムだって、子牛(メニューには犢とあるから、読みそこないなさんな)料理は、ステーキだろうと骨付ソテーだろうと、親牛の半値でだしてくれることは、他人におごるときなどおぼえといたほうがトクな一項である。紀ノ国屋、ナショナルで、百グラム三百三十円から三百五十円。
フランスは、いうまでもなく、古来、子牛料理のメッカで、山本直文先生の大著『標準フランス料理』にも、したがって、豚肉料理より多いくらいの記述が、えんえんとつらなっている。白肉をよしとし、かつ、血をのこしたままのレアの焼きかたはいけない、ことをおしえるのはこの大著である。
焼け焦げ部分をけずりとるようなぜいたくなステーキは、辻静雄氏にまかせよう。家庭向きに絶大にうまいのは、この子牛で、おもいきってピーマン大のぶつぎりの塊りをこしらえ、好みのマリネにつけこみ、タマネギと交互に串でさしてジカ火で焼きあげるバーベキューである。成牛の、しかも若干お徳用な肉などをこんな焼きかたしたら、私などイキがってカジっても、とたんに前歯が二、三本すっとびかねないが、そこがヴィールの功徳。薄気味わるいほどの柔らかさで、甘い、癖のない肉が口の中へとけこむのが驚きである。ためしてみられよ。オレもまだこれほどアゴがシマるのか、と感激する。
もっとも、オレは歯は丈夫なのだ、ただ痩せたいのだ、という向きには、柔らかすぎる子牛より、豚の耳でもすすめるか。これ、即ち、肉ともつかず軟骨ともつかぬ、妙な部分で、少くとも、脂肪、澱粉《でんぷん》のつく恐れだけはない。沖繩料理ではすでにおなじみの部分。
最初、こいつの加工品は、デパート地下室総菜売場で、「豚ホルモン」とか称して売っとったのが、出会いの発端であった。何やこう、ヘンにコリコリしたゼラチン質のものと、ネギのせんぎりが、辣油《ラーユ》で和《あ》えてあり、私は、名前に釣られつつも同時に若干の羞恥をもって、一舟百円、買ってきた。ホルモンというからには、多分このコリコリ断片は、離れて腎臓、近づいて膀胱《ぼうこう》、よくすればもっと肝要な急所を斬りキザンだものにちがいない。一舟百円とは、もったいない部分を安く売るものだなァ、とうなりつつ、せっせとホルモン補給につとめたところ、女房がのぞきこみ、「あら、これは豚の耳よ」と、分析した。耳までホルモンに関係してるとは、さすが豚であって、惰弱な私などとは、体のできがちがう。
以後、それなら原材料を買ったほうが安い、と判断、家人をデパートにはしらせては豚の耳を買い、そいつをゆでて、せんぎりにさせるのが拙宅ではハヤリだした。これとほそくきざんだ長ネギ、キュウリ――それを辣油、醤油、ゴマ油であえると、じつに中華風な前菜がうまれるのがオツである。
ふりかえってみれば、私の戦後体格史は、日本食糧管理法の歴史、そのままであった。動員さきの肥料工場で、満洲からおくられてきた巨大な大豆粕をくだきとっちゃァ、ジカに火にあぶってむさぼり食っていた戦時中、私は体重は四十四キロしかなかった。そして昭和二十年、食器の隅の一粒の米までナメるように食わずには、腹がへって立ってもいられぬ気分だったこの第二乙の二等兵は、いま、でれり、皮下脂肪の塊りと化して、メシをやめたの、砂糖はぬくの、子牛を食うのと、栄作を後追いしつつある。私の七十キロのぶくぶくは、いわば、処置しようのない古古米の象徴である。牛だったら、まだ売れもしようがなァ。
と書いたあと、私ついに某日、本気で意を決し、敢然と「ふとりすぎ停止」の集中作戦にのりだした。それまで原則として≠竄゚てた炭水化物と甘味を、パーフェクトにたちきったのである。なんと減量はほんとに成功した。このあとに引用したのが、そのルポルタージュである。
減量なんて簡単さァ[#「減量なんて簡単さァ」はゴシック体](昭和四十六年七月二日・朝日新聞)
身長一六五センチ。その体重が七一キロにふくれてしまったのを、ここ四カ月間で七キロ(「アポロ百科」全三冊分である)減量させた。現在六四キロ。まあまあの線で足踏み中である。
▽鏡を見て自己けんお[#「▽鏡を見て自己けんお」はゴシック体]
男のくせになんでやせたがるんだ、と首をひねる向きがある。私は「やせる」のではない。浅丘ルリ子じゃないのだから。健康のため体重を標準値までもってゆくだけなのだ――と表向きは言ってたものの、じつは本音の理由があった。洗面の鏡に、ブクーッとふくれたわが面をながめるたびに、この膨張こそ内面の弛緩《しかん》そのものの象徴ではないか、と自己けんおに耐えられなくなったのである。
不幸にも私は、顔がむくむと、この国でいまいちばんエライ人に似てくる趣きがあり(団十郎なら似ていいけど)、これが私には最もこたえる点だった。ま、アラン・ドロン、西郷輝彦の線までは戻らずとも、私は私だけの顔になりたかった。その意味では、これも一種のストップ・ザ・サトウである。
私の場合、ふとりすぎの原因は、禁煙、運動不足、美食・過食とわかっていたが、減量開始にあたっては生理と食品の基本ルールは知っておいたほうがいい。香川綾さん(女子栄養大学学長)などの信頼できる指導書は、しっかり読んだ。これは読まなければいけない。大事なのは食事からカロリーを減らすことだ、「栄養」を減らすことなのではない、といった原理が頭にたたきこめるからである。
▽カロリーを減らせ[#「▽カロリーを減らせ」はゴシック体]
ただし、私は、香川さんのように、低いカロリーの別献立を家人に作らせるなどは、全くしなかった。そんなことは不可能だ、という断定から出発した。で、何をしたか。まず、目と舌でわかるかぎりの砂糖っ気を、全部排除した。コーヒーも砂糖抜き。コーラ、ジュースは飲まない。ケーキ、和菓子、チョコレートは全廃。砂糖っ気なんて、とらなくても何の心配もないんだそうだ。卵焼など、一口食べて甘すぎたらそこでやめる。
おもしろいことに、こんなふうに砂糖っ気を避けてゆくと、甘すぎる食いものは全然ノドを通らなくなってきた。じつにラクに成功できるストップ・ザ・砂糖である。
同時に、炭水化物と縁を切った。つまり米、飯は全廃。これはもう、われわれ消費者を愚弄《ぐろう》しきった食管法への、怨念《おんねん》をこめたハンストの意味もあるから、スグ実行できた。会議で幕の内弁当など出されたら、仕方ない、オカズだけ先に食いきる。こういう弁当がいかにヤボったく甘辛く煮つけてあることか。じつによく判る。パンは、食いたい半分だけを、バターをぬらずに食う。食べずに済めば食べない。めん類も、半分でよす。この点も、ふしぎなもので、いちど減食のクセがつくと、あとは食べようにも腹へはいらなくなってくる。つまりこれまでは、いわゆる資本の波及効果で、食いが食いを呼んで≠「たことを、痛烈に知らされるのである。
ツラいだろうなあ、といわれるのだが、ま、願望や祈念だけで体重は減ってくれないのだから、日常できる範囲での努力は、したほうがいいと思う。しかし、敵は砂糖と米だけ。あとは平然と、食いたいものはトンカツもウナギも食い、ジャガイモももりもり、酒も無限定。さア栄養はとれとれ、という姿勢なのだから、べつに悲壮な気は、今もない。
▽シャツもMサイズ[#「▽シャツもMサイズ」はゴシック体]
これが、こんにゃくとパイナップルだけ食べて、あとは断食、みたいなことだったら、私は、そのいじけた心根のわびしさだけで、挫折したろうと思う。むしろ克服がつらいのは、出された食事を「のこしていいのだ」と自分に納得させる、その価値観の転換である。
こうして日曜の朝ごと、起きぬけに体重計に乗って、グラフに書込む。効果があらわれだすまでのアホらしい期間(私の場合、約一カ月)を、動揺せずに乗切れるか、がカギであった。ある朝、ひょいと針が七〇キロを割った。やった、と思った。
さあ減りだすと、ズンズンである。ソックスをはくのさえアブラ汗流してたのが、立ったままはけるようになる。駅までの足の軽さよ。階段の降りやすさよ。シャツは今やMが買える。今年の夏は六尺フンドシでなく、市販の海水パンツで泳ぐぞ。ズボンはガボガボになったが、かつての、腹のボタンが次々とはじけ飛んだ悲しさに比べれば、何とうれしい困惑か。
結局これで、タバコをやめ、砂糖をやめ、米をやめて……生活費はさがるばかり。あと、何をやめて政府を困らせ、理想の六〇キロへもってゆくか。
[#改ページ]
食って勝つぞと勇ましく
アレは効くのか効かぬのか[#「アレは効くのか効かぬのか」はゴシック体]
頃年《けいねん》、いっとき、無我夢中、競馬に凝ったことがあった。
重賞レースの前晩、土曜の深更ともなると、拙宅へ講師の御出講をねがって、レース展開予想の総仕上げをおこなう。レクチュアにまいられるのは、東京開成中学同門の親友、というより、今や叙情詩的スポーツ・競馬大評論家としてかくれもない虫明亜呂無先生であったから、超ぜいたくの陣容である。
亜呂無先生としては、机のこっちでウィスキーやブランデーの瓶を引きよせちゃァぐびぐびのむばかりの昌弘生徒を前に、黙然と端座。東洋の哲人めいた顔貌をさらに深刻にひきしめ、目ェつぶり、四書五経でも講ずるが如き荘重さでのたもう。
「かくて、ホッケリウ、かならずそこでサシてまいります。あ、最後の二ハロン、わすれてならないのはインワードの存在です。彼、にげきろうとするホッケを猛然と大外から……」
先生の展開予想は、さすがプロだァ、翌日午後三時、テレビで目ェつりあげてる私の前では、スタートから一馬の狂いもなくその通り的中し、第二、第三コーナー、こんなあたりすぎていいのか、とおもうばかり前夜の指摘通りのはしりかたをして……さて最後の一ハロン、ここで不思議なことに、予測はかならず全馬メロメロッと崩壊してしまうのであった。出教授では、そこまで肝要なことはおしえられない、ということか。あるいは馬も、せめてラストくらいは虫明先生のいうこときかずに主体的にはしりたいものと、みえた。
生徒ばかりぐびのみをつづけるのは、さすが気がさす。「先生、一杯おあけになりませんか」と水をむけても、「いえ、私は、もう」と虫明先生、謹厳な相貌をおくずしにならない。ある夜はついに、恐懼《きようく》にたえず、「先生、お疲れでもございましょう、ぜひこれだけは」と、私はかねて手製、自家貯蔵中の、朝鮮人蔘酒を、グラス一杯だけ無理におのみいただいたこともあった。
翌朝、昧爽《まいそう》。私はときならぬ電話でたたきおこされたのである。
「荻さん、すごい。起きたら効いてました」
ホントか、と目をむく君に、おしえたいが、昭和四十五年、ロッテ球団の快進撃あったは何のおかげか。といえば、私のおもうところ、あれは朝鮮人蔘の影響以外にありえなかった。なぜなら、あの球団の親会社かその親類かが、大韓民国から日本への、人蔘一手輸入の総元締となった事実があるからである。そりゃあそうかもしれンが、同球団選手は自社のチューインガム噛むばかりで、べつに人蔘なぞのんどらんぞ、などという知ったかぶりのベンチ裏解説者がいたら、私はこうこたえたい。――そりゃなおすごい。人蔘は、社長があつかうだけで社員まで立たせたのだ!
もっとも、「家庭画報」昭和四十五年八月号大特集、「ご主人のスタミナ、パワーアップのための生理学」なる記事には、泰斗石垣純二先生の「スタミナづくりの神話」なる特別御寄稿あり。世俗につたわるスタミナ伝説のギマンが、心臓移植につづいて、こてんぱんに告発されていた。
「特に朝鮮にんじんは高価だから効くように思いこむわけですが、普通のにんじんと比べ特別の栄養分などは何も含まれていません。こんなものに大金を投じるくらいつまらないことはありません。誇大広告でとりしまったほうがよいと思うくらいです」
やれやれ。輸入発売元のほうは、営業妨害で取締ってもらいたいのではないかとおもうくらい、一刀両断、みごとにたたッきられておる。果して朝鮮人蔘は効くのか、きかぬものなのか。
もし、あれが本当に効くものだ、とすると、世界全員これ、飲用。もはや、地球上の男性、誰ひとりとして、暮夜ひそか、駅前裏通りのホルモン焼きなどで戦備をたくわえようとはせぬのが、道理である。女性の雀躍随喜の声、夜の果までみちみちて、騒音公害と化するはずだ。だいいち、その前に、大韓民国、朝鮮人民民主主義共和国ともども、驚異の経済大国にのしあがってGNP一位二位、栄作くそくらえの大躍進をとげるにちがいない。
では、ヤッパシあれは、石垣先生御裁断の通り、全然効かぬものなのであるか。
効かぬ――とすれば、しかし、私の毎晩のこの元気、これはどう証明してもらえるのでしょう。というのが、じつは、本章の趣旨である。君などには全然御用のない章となっておる。
よみがえるジョン[#「よみがえるジョン」はゴシック体]
なれそめのきっかけはわすれはてたが、いつのころからか、私は、ぜったい、朝鮮人蔘が効く、と確信するようになった。君にはしらんが、すくなくとも私の身体には効く。
だいたい、ロッテの箱入人蔘にくっついてくる説明書みたいに、あれは、いちどきにまるのまま一本も二本も煎《せん》じるようなムダでぜいたくな飲み方をする必要など、ゴウもない植物である。あんな商業政策にだまされちゃならない。カリカリに乾しあがって売られているヤツを、君はまず御飯蒸しで四、五分蒸す。表皮がすこしブヨついた程度のを、出刃包丁で、そう、親指の爪くらいに寸断する。そいつをもう一度乾しあげ、罐に貯蔵して、一回分は、この四、五片でいいのだ。そいつを土瓶か土鍋に、三合の水から弱火《とろび》で一合に煎じこむのである。本場韓国では、店でモウ、寸断して売ってくれるほどでね。これだけで充分、その晩の原稿執筆量と仕事持続力は、ふだんの三割がたパワーアップ。ついでに剰余の付加価値まで生じて、ほかのことにまで手が出かかる――ことに気づいたとき、私は、愕熱、卒然として人蔘党に転じたのであった。ほんとに手も出る足も出る、かんじ。
人蔘には、パイパン的な白蔘と、やたら毛ずねみたいな紅蔘とがあり、多くは前者が本場産で、効きは別ものみたいにそっちがつよい。先端が、くるくると巻いてないのが上物である。後者毛ずねは主に日本国産で、これは安い。私は、一本を三十五度の焼酎五合と、氷砂糖八十グラムの中に漬けこんで、ときにグラス一杯を飲用する。虫明先生を起床させたのは、この国産である。
ありていにいえば、私など、本物のパイパン人蔘がたやすく手にはいる欣《よろこ》びから、韓国へ駆けつけるほどなので、先年などは、買って日本へもちかえるだけではもったいない、滞在中にも飲まにゃ損そん、と、羽田をたつとき、子供から理科実験用のビーカー、五徳、アルコールランプを借りうけて行き、ソウルのホテルのトイレで煎じちゃァ、ちびちびとスタミナ源を補給した。掃除婦が見とがめ、しかるとおもいきや、彼女、たいへんな感激で、ナツメの実をくわえればもっと効キマス、ことをおしえてくれたのは彼女であったが――アッ、そうなのか。書いてて今、やっと、気づいた。彼女、その気だったの哉《かな》。
朝鮮半島における正式の人蔘調合法は、はなしだけだが、仰々しい。鶏をまるのまま一羽、毛をむしり、鍋のなかで蒸しあげる。たらりたらりと鍋底に体液がたまるからね。それで、人蔘とナツメを煎じるのである。キキマスヨ、センセイ、という。そりゃ効くだろうよ。人蔘などくわえなくても、これなら鶏だけで効く。昔の娘なら、身売りの仕甲斐があったくらい、父親は立つでしょう。
そこで私、いっとき、人蔘でも効くなら、巷間、催淫をつたえられる葉ッぱや根っこにも、全部それなりの根拠はあるはずだ――と非科学的な断定につっぱしり、古来妙な噂をもつ植物をかたっぱしから漢方薬屋にそろえさせて、これを各々、五合の焼酎、八十グラムの氷砂糖に漬けこんだことがあった。ニンニク、イカリソウ、シャクナゲ、オニク、ガラナ、クコ、といった瓶が、ずらり土間の暗がりにならんだ姿は壮観だったね。既にして紅楼に夢をむすぶのおもいがした。――半年後、わくわくしてとりだし、こいつらが到底、飲めるなンて味じゃなく、なかでもナツメグを漬けた一瓶などは、厠《かわや》の臭気止めとかわったか、とおもいしるまでは――。
ところが、それらを瓶のまますておいて三年。ある日、一本を一口、何気なく舌にのせてみると、まったりと薬草の香が酒にねれて、最初とはうってかわったうま酒がかもされていた話は、前にした。梅酒でもニンニクの醤油漬でも同様である。人生、ともあれ気ながに待つことが肝要なのだなあ。私、欣喜。ふるえる手で各瓶から若干ずつをとりあわせ、ジョニー・ウォーカーの空瓶へ、黒褐色もまばゆい神精霊酒をブレンドしおえた。何と名づけるべきか、この新酒を。瓶をかざして思案の私、はたと膝をうって、マジック・インキの新レベルを、麗々しくJohnnie Walkerの上へ斜めにはりつけたのであった。
John Waker≠謔ンがえるジョン。
煎じ薬、焼酎酒にかぎらない。拙宅では、大韓民国産人蔘を、中華人民共和国産ハチミツ一瓶に漬けこんで、時折ナメるくらいである。東西の緊張、ここに凝って力の甘露となる、のおもいさえいたすが、じつをいえばこの対決の両国とも、人蔘、蜂蜜にとどまらない、食物全般、われわれ日本ごときは足元にもちかよれないスタミナ王国であることは、君もよくしられる通りである。中国料理の栄養に関しては、今さら、いうも野暮。
韓国の食事にしたって、庶民的な裏町の焼肉屋から、高級高価な妓生《キーサン》ハウス。ともにカロリーと栄養価のバランスのよさは、到底日本の料亭など、遠くおよぶところではありはしない。あまり栄養がつきすぎる結果、かえってあちらでは毛のぬけるコまででるのではないか、とまでおもえるありさまである。
妓生ハウスの正餐《せいさん》は、これはもう、無国籍的インターナショナルもいいところだ。牛アバラの焼肉のとなりに味付|海苔《のり》があり、エビフライとならんで生の明太魚子《めんたいのこ》がひかる、といったぐあい。辻嘉一氏や土井勝先生は憤死なさるのではあるまいか、とうれえられる乱調だが、明快石垣ドクターの御託宣では、こういう無国籍的食卓こそ、じつは最上の食事法なのだ、とのことである。先般、万博スカンジナビア館の、バイキング・レストラン調理場をおとずれたら、巨大な北欧女性がひとり、超大の腕力をふるって、木桶のなかのヌカミソ風粘着物をねりまわしておった。これ、何や、と支配人のリンドバーグ氏にたずねると、卓上にのこってしまった各種チーズをここでは全部このようにねりあわせてしまう、これがじつにわが国の美味、どうだ、幾らでもかまわんから食ってゆきたまえ、と、なるほど、背も高くならァな、ポルノも書けるわナ、とおもわれる快答であった。地球の一方で、人間がこういう栄養の塊りをもりもり食ってセックスまでフリー化してるときにですね、こっちは朝の食卓の海苔が安くなりましたの何のと、それで、ご主人パワーアップの生理学。こりゃ、望みないことよ。
なんでうなぎに目の色変える[#「なんでうなぎに目の色変える」はゴシック体]
何が業腹《ごうはら》といって、あの良識ある新聞家庭欄などまでが、今年はうなぎがうなぎのぼり、われわれ庶民に手がでないのは何故か――などと、日本の夏の栄養補給源の本命はうなぎ一つだったのに、大変大変、みたいな騒ぎたてかたをする、ああいう類型的な月並意識くらい、横でながめてカタハラいたい風景はない気がする。うなぎは高い。たしかに近年はべらぼうである。キャラメルを四個あつめたくらいのを、蒲焼とか称するのには、じっさいあいた口がふさがらない夏であるが、商人がこういう滅茶をいいだしたら、われわれはだまってそんな品は見すててしまうのが、何よりもの効果的即決法だということをわすれたくない。正月の数の子しかりである。海苔しかり。あんなもの食わなくたって、だれも死にァしない。この期《ご》におよんでまだ「お正月は数の子、数の子」などとさわいでまわるのは、舌の貧弱さを宣伝してあるくようなものである。正月に食うものくらい、ほかにかんがえつかんのかね、ときいてやりたい。世間には、うなぎ、数の子より、安くてうまいもの、ごまんとあなたの舌を待ちかまえているのである。
あなたの舌を待って、しかし今日、うまくあなたの舌にとどいてない美味の、筆頭ははっきりいって、生魚《なまざかな》である。高値で売れるから、と高級品をほいほい料理屋へばかりながすうち、しめだされの一般市民は、魚は高いかマズいかどっちかだ、と次第におもいこみはじめ──いや、もはやすでに、そうきめこんでおるね。やがてはこの風潮のいきつくところ、市民は完全に、味も値も安定した肉のほうへ向きをかえてしまうにちがいない、という予感が、私にはする。すでに拙宅では、子供が、魚ばなれ現象をおこし、鮭も皮しか食わなくなった。やむなく親が身を食うしまつ。鯛は目玉を食うものだ、などという知識は今の子に皆無である。近い将来、町の魚屋は重大な関頭にたたされるのではなかろうか。
先般、「週刊言論」の日本縦断ドライブに参加して、山陰路の国道九号線をはしった。国府《こくふ》という町の浜辺で、漁協婦人部のおばはん連が、地べたにとりたての生魚をおいて、売っておる。尺余のハマチが、尾頭《おかしら》まるごと、四百五十円。なまのアワビは、二個で三百円でいい、という。私はもう、値段の安さにもあきれかえったが、その場でおばはんに刺身にしてもらった、このうまさにこそ、むしろ腹さえたつおもいがしたのであった。このあたりまえの魚のうまさ≠、だれが今、都会の私たちにむかって、拒絶しているのであるか。そしてこの拒否がつづくところ、やがては、街の若者が、逆におばはんの刺身までこばむ日も、やってきはしないのか。
だいたい、夏、うなぎひとつのアブラくらいに目の色かえねばならないことじたい、いわゆる和風料理が、いかに栄養無視の貧弱システムでいきてきたか、の証明である。この点、世間の婦人雑誌別冊付録がわあわあ色刷りでさわいどるスタミナ料理≠ネるものを点検しても、べつにあれは何の奇もありはしない、欧米や中国、朝鮮半島では、毎日だれもが食ってる程度の総菜の一品にすぎぬことが多い。あの程度でスタミナつけた気になられ、会社じゃァ猛烈を期待され、ウチへ帰って料理主からはもっときついエネルギーを期待されるのでは、御同役、われわれはホントわれながらヨク精の出る$カきものだよ。前掲、「ご主人のパワーアップ」では、「スタミナ食だけ食べれば、スタミナがつくと思ったら大間違い」などとタンカをきっておられるが、私はこんないいかたこそ日本では大間違い、といいたい。まず三食の平常を、それらのいうスタミナ食水準にパワーアップするのが、すべての先決である。はっきりいえば、高いばっかし、栄養は澱粉ばっかしの和食中心主義を、スッパリやめちまうことだ、と私はかんがえる。
もっとも、基調はほとんど完全に和食においたって、私たちは朝の食卓からかなりのスタミナ源はとれる。それは、次の一例からもしられよう。ごくわかりやすく、これは今朝の小生の献立である。★ブラッディ・メリー(冷したトマトジュースにウォッカをまぜたカクテル)★豆腐揚出し(薬味はネギ、ショウガ)★みそ汁(実《み》はワカメ、ネギ、納豆のすりおろし)★梅干コンブ★紅葉漬け(自製)★米飯ナシ
この「紅葉漬け」なる逸品は、酒井佐和子先生著『漬けもの小百科』にくわしい。鮭の筋子を買ってきなされ。斜めにきりおとした大根をヘラにつかって、その粒々をほぐしとる。つまりイクラである。それを、ブツにきったマグロ赤身にまぶし、少量の醤油に漬けて一夜おくのである。快絶である。三日目からは辛くなりすぎるのが難だが、これは上下戸ともにヨキです。もったいなくて、ジャリには食わせられぬほどの味。
以上の献立中、原価《コスト》高ェなァ、というのはこれだけで、あとは徹底して安物である。それをくみあわせ、バラエティとする。なかでも私、豆腐はもう、京都にとまるときなど、毎朝、嵯峨野の森嘉へ車をとばして、冷奴用と、厚揚げと、ひりょうずと、おからの玉を買いにいってあきないくらい、安くて、うまくて、好きである。早く食いたくて、あんまりあわてて、店の前のドブへ、車ごとおちたことがあり、豆腐で怪我をする、とは、なるほど、これであったか。合点したものだった。
豆腐の食いかたは、いろいろむずかしくいわれ、じじつ、辻留氏の『現代豆腐百珍』は愛蔵の一冊であるが、要するに、奴《やつこ》だって湯豆腐だって、うまきゃァいいので、要は煮すぎてスを通してしまわないことにつきるだろう。藤本真澄氏など、ナマを電子レンジになげこんで、即席湯豆腐とするそうで、なるほど、こらァ早い。むしろ、私が何度やっても上手にいかないのは、中国の、家常《チヤチヤン》豆腐とか、麻婆《マーボー》豆腐とかいわれる、つまり、豆腐と、豚肉と、とんがらしとのいためものである。六本木「楓林」とか、旨い店で食うと、こんな味にもつくれるのか、とおもえるあの渾然たる甘辛さが、私には、出せない。材料さえいいかげんにまぜあわせて、じゃァじゃァいためつければ中華料理になる――わけではけっしてないことを、痛烈におしえるのがこの簡単な栄養料理である。
豚肉でおもいだした。私は豚肉こそ、昨今、市民の脂肪・蛋白を補完する好適スタミナ源、とおもわないわけにはゆかない。近ごろの豚肉は、たしかに、鶏肉についで、味が紙の如くたよりなくなりだしたこと、否定しようもないが、あれは、じつは買いかたにコツがある。何千円がとこはりこみ、片胸分ぜんぶ、約三キロばかり、骨つきのまま、買いこんでしまうのである。もっとも、ノコギリで、一ときれ分ずつきりわけてもらうこと。そして調理にあたっては骨つきのまま、煮、ゆで、焼いて、かぶりつくことだ。それが美味のひけつ。だいたい、骨にしがみついてる肉のうまさというものは、これは、人間より舌の肥えた犬、猫でも目の色がかわるほどでね。
肉屋が鋸《のこぎり》でひいてくれるこの骨つき肉は、一ときれがほぼ二百五十グラムある。片胸で十一片はとれる。まず、家族の数だけ照焼きチョップにしよう。
醤油と酒・砂糖、あるいは代りにみりんを適宜まぜあわせ、トンガラシをかなり多量にいれてタレをつくる。これに、豚肉を、そう、一晩は漬けていい。四角いタッパーウェアに豚肉をおしこみ、上からタレをかけると、少量でうまくゆきわたる。あとは、オーブンで、じっくり、一時間もかけて焼きあげるだけである。これは豪放な味わいだ。まさにアメリカ西部の匂いがする。茶褐色に焼きあがって弓なりにそりかえった二百五十グラムの偉容は、まさに男性そのものでね。奮起するぞ。逆に、これに気押されて萎縮するようじゃァ、君は、豚一匹くらい食ったところで、ま、おぼつかない。
豚のソテーのつけあわせは、伝統的に甘い果物、ときまっておる。いちばん簡単にやる気なら、ジャムをなすりつけて食うだけで、がぜん豚公、うまくなる。もう少し手をかければ、パイナップル罐をあけ、輪切りをベークして上にのっける手であるが、それがもったいないむきには、もっと安あがりがある。冷凍ケースで売っているミックス・ヴェジタブル――とうもろこしや青豆、にんじんが粒々と凍ってるあれを、電子レンジでとかし、マギーとパイナップル罐のツユだけで、煮こむのである。そして柔らかくなったできあがりに、重曹を耳掻き一杯くわえて、シュッと酸味をとばしてしまう。このつけあわせは、いちばん、照焼きチョップに合うようだ。キザな娘に、ね、ハワイ風、などとすすめたら、いちころで――ゆくかどうかは、そのあとのああた、腕次第。
男のつくるホカホカ料理[#「男のつくるホカホカ料理」はゴシック体]
さすが、どんな大家族でも、二百五十グラム十一片はいちどきに食いきれんだろう。残りは、冷凍庫にいれておき、適量を、ポーク・ビーンズにする。おなじみ、ウェスタンの男たちの独壇場料理である。あいつを日本のキミンちでしあげよう。せめて一晩、料理なりと、ジョン・ウェイン、フランコ・ネロの向うをはろう。
西部の旅ではどうつくったのかしらんが、少くとも日本では、この製造は二日がかりである。単純なわりには時間をくう調理になっている。白インゲン(あるいは、ウズラ豆)を二合――新しくいえばカップ二杯、大きなボウルに水をはって一晩つけておく。いっぽう、大体、一寸角にきった豚肉五、六百グラム、もちろん骨つきのまま、それにも塩コショウして、一晩ねかせる。そこまでが下準備である。
翌日、これを深鍋にあわせ、トマト、タマネギ、ベーコン、ニンニク、月桂樹、丁子、好きなもの何でもぶちこみなさい。マギーで煮こむのであるが、コツは徹底的に弱火で煮る気の長さだけだから、どんなぶきっちょだって、つくれてしまう。仇討と投繩以外何の能もないカウボーイだってやった料理だものな。器用で繊細な君に、不可能であるはずがない。
――なに、ポーク・ビーンズをつくってもまだ豚肉がのこった? そうですか。片胸三キロはさすが、猛烈スタミナ男でもそう簡単には食いきれんとみえる。わかりました。あまりは、ポーク・ビーンズの食べのこしとあわせて、イタリア風ミネストロンにしてしまいましょう。これこそ、どんな料理の駆けだしにもできて、家じゅうが――ことに若い面々ほど、ウマいウマいと本気になって食ってくれる本格スタミナ料理である。
ミネストロンも、本格の製法は幾らでもやかましいのがあるだろう。麻布アントニオの主人にきいても、イタリアの各地で、それぞれ材料や製法がちがう。が、要は君自身ウマいとおもうのができればいいのだからね。要するに深鍋にとかしたバターで、こまぎれのベーコン、豚の三枚肉、みじんにたたきつぶしたニンニクを、いためる。次が好きな野菜。ニンジン、タマネギ、キャベツ、何でも、せんに切ったやつをシナシナになるまでいためぬくのである。これに水とマギーをつぎ、弱火で煮ながら、乱切りのジャガイモと、トマトをくわえる。ことこと煮こむこと数十分。できあがり寸前、固めにゆでたスパゲティを、寸断してちらす。野菜や肉だけは煮くずれするほど柔らかくし、かつ、けっして最後のスパゲティでは汁をにごさぬこと。この心掛けが、調理上ただ一つ君がまもるべきポイントである。
銀座のイタリー亭やその分けである飯倉のシャドネーでは、このミネストロンにウズラ豆がしのばせてある。奥ゆかしいセンスである。重い甘味が、トマトの酸味にまじって、何ともいえぬ。マネよう、と機をうかがううち、おもいついたのがポーク・ビーンズの食いのこしをここへほうりこむ妙手であった。シャドネーがそうやってる、などというとるのやないよ。こらボクの独創や。
ニンニク、わが珠玉[#「ニンニク、わが珠玉」はゴシック体]
ミネストロンは、汁のうえに、野暮といわれるほど、ぼてぼてと、粉チーズをかけて食うと、肌寒い秋の夜など、この世の至福の満腹があじわえる。檀一雄先生御推奨、オニオン・グラタンもうまく、クラム・チャウダーも天下の庶民的妙味であるが、たっぷりと粉チーズでトロミをつけたミネストロンの満足感も、そのいずれにも劣りがたい。パワーアップ? むろん、するだろうなあ。舌ですらこんなに御満悦なのだから。もっとも、ついでに、ウェイト・アップのほうもぬかりはなさそうだなァ。
ミネストロンのウマ味は、むろんベーコン、豚肉にもあろう。が、むしろそれ以上、核はニンニクにある、といわなければならぬかもしれない。
拙宅の台所は、一見、まったくニンニクの仕切場である。乾したの、むいたの、潰けたの、ところきらわずニンニクの雁首が散乱しておる。「料理をニンニクでごまかすなんて、素人か、邪道だわ」という金言はあたっているね。まったくお説の通りである。すべての料理を画一的に同じ匂いにしてしまう点、ニンニクと丁子は好一対のシマツわるい材料だといえよう。しかし、これをいれりゃ料理がウマくなる、とわかっていて、しかもこれをいれんのは、要するにああた、食わずぎらいにすぎぬ。夫婦相和してもちいるべき貴重薬かとおもわれる。
ニンニク使用のコツは、二つあるとおもう。一つは、できのいい製品をまとめて買って、買ったら徹底的に乾すこと。乾しおえたら面倒でも、匂いがほかへうつらんように配慮して、できれば冷蔵庫へしまうことである。乾燥をなまけると、確実に一房ずつから青い芽がふいてしまう。芽のふいたニンニクなんて、君、玉のなくなったあれよ。
第二は、調理に際して、かならずたたきつぶしてつかう原則である。切るより、すりおろすより、たたきつぶすほうが、ねとねととウマそうにみえる。だいいち、おろし金に匂いがのこらなくてよろしい。高知のカツオのたたきが、いつも切った<jンニクをそえてくるのは、たたいたら匂いがききすぎ、カツオの香りがとんでしまう、そのぎりぎりのバランスの問題なのであろうか。
疲れの激しい日、私などムキたてのニンニクをそのまま電子レンジであたためてクワイみたいに食べてしまうが、あのニンニクという玉、あれははたして伝説通り、有効そのもののスタミナ食なのであるかどうか。もう一度、虫明亜呂無氏をまねいて追試せんことには確証がないが、石垣純二先生もこれだけは、けちょんぱんとタタいておられんところをみると、案外、本気でイケる玉なのかもしれぬ。
[#改ページ]
鍋もの大全
書名をまずおひろめ[#「書名をまずおひろめ」はゴシック体]
某年、厳《きび》しくおもいたつことあって、一冊の本をあらわそうとこころざした。書名が真っ先にきまって、これが、『鍋もの大全』である。
皇国《みくに》としては、すきやき、てっちりから、しょっつる、水炊き、うどんすき――全国津々浦々の全鍋料理におよび、彼の国は火鍋子《ホーコーツ》、砂窩《サークオ》。スイスのフォンデュはもちろん、マルセイユはブイヤベースにも筆をとどかせて、すなわち、各国各地に伝来する地球上の鍋ものという鍋ものは、一網打尽にしらべあげようという遠大無双の魂胆であった。
峻烈に自らへ問いなおす、われらの内なる鍋料理、人間にとって鍋ものとは何か。その哲学、由来、製法、味覚……としるしきたれば、これ、ただに実用価値甚大たるのみではないだろう。またもって汝祖先の遺風を顕彰するに足らんや。社会学、人類学、なかでも当節、肩で風きる生態学に対しても、若干のアカデミックな貢献を期待しうるのではあるまいか。……鍋ものくらい、生物としての人類の、環境に対するすなおな適合を象徴する料理は、まずあるまい、とおもえたからね。
まァ、書きあげるにしても、山本直文先生著『標準フランス料理』みたいなドでかい大著になる気づかいは、到底なかったがな。すくなくとも、婦人某誌別冊付録「今夜の鍋料理ヒント集」といったたぐいよりは、自慢ではないが、質量ともに、若干、充実度の濃い述作くらいは、できそうな感じもしないではなかった。なぜといって、世に、婦人雑誌のあのオマケほど、気の散る本も珍しいからなァ。
先日も、某誌別冊付録「なべ料理と夜食」なる一冊を家内がほうりだしかけたのをひきとめた。ほう、これは貴重。すてるなぞと、そんなもったいないことしてはバチがあたりますよ。ととりあげると、美麗カラー口絵。しかしアリャなんとこれは、十三種類しか鍋ものはのっとらんよ。タイトルの手前からいって、いかにも数が足らぬ。はて、とあらためてもう一度表紙をめくりかえすと、「なべ料理と夜食」と大書した下に、〈付〉酒のさかな、おせち、朝食、漬け物、お弁当、とあって、なんや、これなら食いもの全部ではないか。いっそ、カレーライスとてんぷらだけが欠落しとるのは惜しまれる、みたいな小冊子である。私の『鍋もの大全』は、どうかんがえても、こうバラエティ豊富に、|おせち《ヽヽヽ》まで取りこんだものとはなれぬはずで、著者自身の目算によれば、筆は鍋料理と、〈付〉は、あるにしてもせいぜい雑煮くらいに集中するもくろみであった。
しかし、その大切な書名『鍋もの大全』を、いまこの章でつかってしまうのは、少々、もったいなく、かつ、若干、|早モレ《リーク》のきらいも、ないではないけれど、これは、私自身が使用をわすれちまっているあいだに、他人に先取りされるような不幸が万一おこると、あとでくやまれる。それをおもんぱかって、時期尚早の感はあるが、いわゆる、さきにツバをつけとく行為だ、と了解されたい。これで『鍋もの大全』というすばらしい見出しは、もう誰もかんがえつけなくなった勘定である。が、ナニ、以下この章でおひろめするのは、鍋ものの大宇宙にくらべれば、小全くらいのトバ口にすぎぬ、と謙遜しておかなければならない。
義理と人情、共食の傑作[#「義理と人情、共食の傑作」はゴシック体]
しかし、それにしてもあなた、鍋ものというのは、ナゼああ、たのしくもウマい料理なのでありましょう。日本に「鍋もの料理」が発達したのは江戸時代からだ、とされているが、冷静に観察すれば、あれが、人類社会にとって非常に原始的な共食形態であることは、打消しようもないほどの古代的料理である。みるからに、家族構造において個人意識が未分化である状態を、絵に描いてしめしたような調理ともとれる。食いかたもまた同断である。だってあなた、登呂の遺跡あたりにたって、かつて竪穴《たてあな》の繩文家族たちは、テレビも見ずに地べたへすわりこんでどんな食事をしてたか、想像してごらん。めいめいが丼かかえて札幌ラーメンすすってたとは、到底、かんがえられんことで、どうしたって、当時は、鍋ものなのであります。当時は田子の浦もうちいでてみるまでもなく、澄んでたから、彼ら、おそれることなく、サカナのチリを食った。
鍋ものも、まァ原点は繩文的未開人の食品なのだ、とかんがえると、見栄っぱりの君などは、たちまち意気|沮喪《そそう》して今年の忘年会は欠席する気になるかもしれんが、しかしこれは考えようなのだ。むしろ私などは、かような超古代文化が、よう廃絶することもなく、うまうまと今日まで継承されてきた――つまり、伝統の火をかきけさなかった祖先の味覚的努力のほうにこそ、胸ふるえるほどの感謝の念をおぼえざるをえない。あらゆる遺物旧跡をふみつぶす国にしては、大できのバトンタッチではなかったか。
だいたい、ひとつ食品源へ、各人が一斉にそれぞれの唾のついた箸をつっこんで、繩張りもあらそわず、適宜個々の裁量で、バランスよく全量を食いおさめる、などというシステムは、あきらかに一種の直接民主制の勝利である。しかも個人の主体性を、互譲と相互信頼のうちに、完全に保障しあったおどろくべき行為、とかんがえなければならない。相撲の世界に、もし古くから「ちゃんこ鍋」の風習があったとすれば、それだけであの社会の、意外な水平性が証明されるかもしれないことである。逆にいえばすくなくとも、帝国陸軍内務班のタテ社会では、鍋料理だけはぜったいに不可能なのだった。私自身、二等兵の兵舎生活では、ぜんぜん、鍋料理など食った記憶がないぞ。もっとも、ビフテキをだされたおぼえもないが。
なかでもこの日本に、「てっちり」などというスリリングな共食料理が存在してきたことは、死なばもろとも、義兄弟。それだけで、鍋ものという共食原理が、非常に根ぶかい身内《みうち》°、同体意識の連帯感から発生し、維持されてきた事実の、何よりの証拠ではないかとかんがえられる。だからこそ、鍋さえ食わせることができりゃ、もう女はできたも同然――と、世間で、イヤまだだれがいったわけでもないな、これは私がかんがえたにすぎない推定だが、どうですか、そういった程度のものではなかろうか。
だいたい、鍋料理というものは、屋内食と野外食の、接点に位置している。この印象が、とくに野趣≠ニいう心証を濃くして、女性はともかく、われわれ男性をうれしがらせるのにちがいない。スキヤキが鋤《すき》からでた、とは、ご承知のとおり今日学問的に否定されちまった怪説らしい。が、すくなくともジンギスカンの鉄鍋が、蒙古軍の野戦のカブトから発生した、などという怪説のほうは、見るからにホントらしくおもえるのである。
拙宅でかなり得意とする料理に「沢煮鍋」という、老若向きの寄鍋《よせなべ》の一種がある。豚肉のせんぎりを熱湯に通したやつ、薄焼卵のせんぎり、あとは野菜――ネギ、ニンジン、タケノコ、シイタケ、ウド、三葉、セロリ、ゴボウ、モヤシ……。細いのはそのまま、ほそくない材料は、つまり全部せんぎりにして、これを鶏骨《がら》スープと醤油・みりん・酒でとったうすい煮汁に、サッと、なげこむ。煮すぎず早目に汁ごとおタマでしゃくいあげて、コショウをふる。
味と歯ごたえ、和風のごとく、洋風のごとく、いってみりゃ柳メンを具《ぐ》だけモリモリ食うおもむきで、はなはだ栄養のバランスよろしき一鍋である。
田村平治氏によれば、この沢煮鍋は昔、猟師が干野菜をもって狩場にはいり、獲物とともに、沢で煮たからこの名がおこった、という。また、丸博行氏の解説では、漁夫が塩づけの肉と野菜をもって沖へでたのが起源、という。そンなら沖煮鍋となるのが至当ではあるまいか、とこれは私が邪推して、いう。まあ、つまるところ、世にいう、海のものとも山のものともわからない、とはこれのことらしいが、ともあれ鍋料理の発生がフィールド・クッキングにあったことだけは、これなど、ハッキリ明示する例となっている、といってよかろう。
その点、最近の、鍋料理をやたら小ぶり小ぎれいな小座敷趣味に堕《おと》してゆく世相は、あれはむしろ、系統発生に対する個体の逆行である、と断定してよい。ああいう末梢的洗練にくらべれば、亭主がつとめ帰りにデパート地下室で、発泡スチロール入り「てっちり」材料、一舟五百円で買いそろえ、春菊も豆腐もついてこなかったまま、うちのチャブ台で、かなりいいかげんに煮こんで、一人ウマがって食っちまうほうが、どれほど鍋の本質にかなうことか、しれたものではないのである。じつにありがたいことに、鍋の料理は、味に定説がない。どんなにこれまで台所の訓練をうけてこなかったモノグサ亭主でも、自分で煮て自分でウマくさえ感じればそれでOK、というところが、鍋料理はなはだの利点なのである。あとで残りの鍋をつっつく女房子供は、亭主の味覚水準に呆然としたのち、あらためて悠々と、味つけの補正を開始できる。鍋ものならではの功徳といわねばならない。
もっとも、とくに多くの場合、新婚時分というものは、なにもこれは舌の好みにはかぎらんけれど、もっぱら相手の嗜好の限度と領域を、たがいがさぐりあう時点である。これは御案内の通り。まあそこは、ハナから惚れっぱなしでいっしょになられたお宅でさえ、例の一致点を見いだすまでは、営々辛苦の試行錯誤と切磋琢磨《せつさたくま》をくりかえされたわけだが、色気などという余事はともあれ、こと重大な味覚に関していうならば、毎晩鍋料理をつくっちゃァ二人でたがいの舌の程度を検証しあってゆくのが、これはいちばんの夫婦和合の早道かとおもわれる。こんなありがたい料理が、どこにもとめられよう。
しかし、それはそれとして、鍋料理は、なぜ、ところもあろうに、世界で日本、中国だけを中心に、ああいう独特の発達をとげたのであろう。おかげで、日本の家庭たるや、それでなくとも狭い台所の袋戸棚に、土鍋、スキヤキ鍋、湯豆腐鍋、おでん鍋、味噌仕立用鉄鍋、ジンギスカン鍋、焼肉鍋、ブイヤベース鍋、フォンデュ鍋、火鍋子用煙突鍋、中華鍋……はてこれで幾つになったね。はあ十一か。つまり一ダースにちかい鍋もの容器を、常時準備せねばならぬていたらくである。
かんがえてもみなさい。ひとことで鍋といったって、煮出汁《だし》で煮る寄鍋《よせなべ》あり。割下で煮たてるスキヤキあり。湯で煮て、つけ汁にひたすチリあり。味噌で煮る土手鍋あり。油でいためるジンギスカンあり。いかに君が、会社では整理学の権威といえども、五種の、本質的に異質な調理を、ひとつ鍋ですますわけにはゆきませんよ。もっともこれを逆にいえば、日本じゃ、鍋ひとつもてば、かならずなにかの鍋料理はできる、ということに、ほかならないが、それにしても日本人のこの鍋好き、これはいったいなにに由来するのであろうか。
わが同胞は、百年前、はじめて本格的に牛という食いものに出あったとたん、まずあいさつもぬきに牛鍋を独創してのけた。この日本人に比して、欧州・米国に鍋料理らしい鍋料理がすこぶる少いことも、これまた世界の二不思議というにふさわしい奇現象である。シチューがある、なンていったって、あれは君、もともと硬すぎる肉を、ヤットコ長時間かけて柔らかく煮こむケチ用の汁料理である。わが鍋料理とはそもそも材料の鮮度の本質がちがう。だいいち、二日も三日も煮あげたとたん、せっかくのアツアツを一人分ずつ皿にわけちまってからテーブルへはこぶ、というあの個人主義。ナンと西洋くさくみずくさいやり口ではございませぬか。私、浅学|菲才《ひさい》を簡単に棚へあげるきらいはあるけれど、紅毛の本式鍋料理といえば、フォークにさした肉を油へつっこむフォンデュ・ブルギニョンか、魚介をサフランのスープで煮こむマルセイユのブイヤベースくらいしかしらないのが、われながらおどろきである。他に宝庫があったらトクと御教示ねがいたい。
もっとも、このブイヤベースは、マルセイユにかぎらない。パリでも、サンフランシスコのフィッシャーマンズワーフでもけっこう食えるが、何も飛行機にのらなくても、キミンちでも、もっと日本流に君らしくつくることができる。要するに、タマネギとニンニクをいためたうえに、エビ、カニ、貝、魚といった海の幸をならべ、カツブシ・スープにベイリーフと、乾かしたサフランをいれるだけの料理である。たかがフランスの港町の味ではないか。君のほうがズッと味はデリケートである。
つらつらおもんみるに、鍋料理を、かように、西洋でなく、日本・中国で発達させた真の張本人は、たぶん、ハシである。箸じゃよ。
君は、いやちがう、原因は魚介だ、とか、概念的なことをいいたがるだろうが、真因は箸なのである。だって君は、ナイフとフォークで寄鍋《よせなべ》のぎんなんがツマめるか? 駄目だろう。それみなさい。第一が箸。第二が炭。第三が土鍋。どうだ、こればっかりは西洋にあるまい、といった物質ばかりがドシドシ日本に集中していたおかげで、わが亭主らの大先輩は、世界に冠たる「鍋料理」という調理を開発しおえたのである。
もっとも君はやたら社会派をきどるからなあ。こういう唯物的推定ははなはだ意にみたず、ちがう、アジアで鍋ものが発達したのは、日本人のフロ好きと同じで、生活が貧しくて何とか食事であったまりたかったからだ、とか何とか、きいた風な解説をぶちたがるわけである。
じじつ日本人が、フロと電気ごたつと鍋とを、テレビの次に好む性癖は否定しようもない。が、事ごとに同胞を寒がりの貧乏ときめつけて、思考の責をまぬかれた気になるのは、はなはだ単細胞的な怠惰といわなければならない。むしろ、そこに日本的メンタリティをみるくらいならば、だいたい鍋料理は、一見食事進行のテンポが遅くて、早飯早糞の日本流儀に逆行するごとき料理ではありながら、じつは、調理と摂取とがいちどきにすませられてしまう点、きわめて日本人のせっかち好みに適応した食形態であること、なぞを指摘したほうが、ズッと頭もよくみえるのである。
おもむきある西の鍋[#「おもむきある西の鍋」はゴシック体]
当今、日本の鍋もののうち、もっとも特権的に高級化しているのは、西の大市《だいいち》のすっぽん鍋をのぞけば、牛肉のしゃぶしゃぶという料理であろう。この二つ、さすが何でも盗作してのける拙宅でも、おいそれとは再現できない点、つくりかたのむずかしさが共通しているのが小しゃくである。
すっぽんは、原料自体が高すぎてわが家などでは手にはいらぬうえ、土鍋を灼熱させる、などという高熱が、とうていわが家では得られない。いや、しかし、すっぽんはともかく、しゃぶしゃぶなら、ウチでもやってるよ、とおっしゃるか。その点はたしかに、某婦人雑誌別冊付録「なべ料理と夜食」にも、しゃぶしゃぶに関して「あこがれの牛肉を手軽に、好みのたれで味わえるところが魅力。すき焼以上と評判」などと垂涎《すいぜん》的キャッチフレーズがあるくらいだ。すき焼以上と評判のあこがれの牛肉など、そう手軽に食われたらどないするねん、とひとごとながら顔面蒼白になるが、私がむずかしいというのはじつはソコにあらず。「牛肉はできればロースを。しゃぶしゃぶ用といって、ごく薄切りを用意する」(上掲書)などという、そんなウスギリを肉屋から竹の皮包みで買ってきて、あなた、ウチでどう一枚一枚ハガすのか、である、問題は。一度でもこれをやったことのある人なら、おもいだしただけで絶望するだろう。
しゃぶしゃぶを美味に食う秘訣は、いうまでもなく、スープにおよがせた肉片を、灰色にもかわらぬうち、桃色のままサッとひきあげて、ピーナッツ、ゴマその他のタレで、一口にほうりこんでしまうことである。お湯でザブザブ洗濯しては(したけりゃしていいが、ホントは)ダメである。レアに近ければちかいほど、うまい。結局は、バイキンやゴミ覚悟で、ナマのうちに食っちまえばもっともウマいのではあるまいか。
その点を、学理的に追究した男性あり。
彼、肉を熱いスープにおよがす前に、肉片へ薄く薄く片栗粉を刷けば、肉は生《なま》にちかい状態のまま加熱される、という新事実を発見した。たぶん、湯豆腐の湯へ片栗粉をなげいれる知恵からの、水平思考にちがいない。世間には、しゃぶしゃぶひとつにしても、じつにマメな学究が存在するという教訓である。私はおそわって、やってみたが、肉が多少、ぼてっと、ヌラヌラ化する点をのぞけば、たしかに、桜色のままあったかい肉が食えることだけは事実である。
湯豆腐でおもいだした。世界に現存する鍋料理のうち、最も繊細な洗練に達した味は、いうまでもなく、湯豆腐をおいてほかにあるわけがない、とおもう。美味な豆腐と上質の昆布でつくって、むろんウマく、また、そこらへんのごくふつうの店の並級の豆腐をつかって(豆腐を湯からあげるタイミングさえあやまらねば)なおかつ、それなりにウマい、という点、湯豆腐くらい、つかみどころなくうれしい料理が、あろうともおもえない。しかもこれ、湯のなかの豆腐の、ひきあげどきほど、やさしいコツはないので、つまりは、ぐらりと一ゆれするのをただじいっと見て、ゆれたらとたんにあげてカツブシ醤油で食いさえすればいいのである。必要なのは豆腐を、ウマい状態で食いたいコケの一念のみ。これほど簡単な作業があるか。
二十年の昔になる。一日、黒沢明監督邸を訪れた。
正午から飲みはじめ、夜にいたり、なお話つきず、そして、夫人が、湯豆腐をだしてくださった。ウマさと湯気の温かさを、私は今にわすれることができない。三十になろうとしていた若い映画批評家は、その夜、強烈に内心へちかった。よし、俺は、遠い将来、かならず客に、うまい湯豆腐がだせるほどの人間になるぞ。
ただし私、湯豆腐の鍋だけは、東京風の土鍋、あるいは金属鍋ではなく、京風の、あの檜《ひのき》の、ままごとの風呂桶然とした、木の香でゆきたい。豆腐の湯舟のわきに、ちゃんと銅《あか》の火桶がついているあれである。あの湯舟のなかに、ねっとりと大理石の肌をみる快感は、ほとんどエロティシズムでさえあるだろう。同じ豆腐が、土鍋におよぐとなると、とたんに、あたたかみはあるが、エロもへったくれもきえうせること、ヨソの女とウチの――などという比較は、この際しても全然仕方ない他事であるから、きっぱりあきらめることが肝心だとして、それにしてもあなた、たかが鍋料理ひとつとっても、この湯豆腐のように、これまた、総体に、関東ものより関西種のほうが、ズッと多彩上質であるというのは、これいったい、どのような東西カンケイなのであろうか。
ま、大市のすっぽん鍋は、別格だから、いわないとして、私は、美々卯の「うどんすき」といったステキなそうざい鍋すら、大阪で食えて、東京ではこころみにくいことを、残念無念におもう。ぬすんでウチでもできないことはないにしても、選《よ》りに選《よ》ってこの「うどんすき」という鍋ものは、アナゴ、ひりょうず、湯葉、エビ芋、スダチ、うまくて柔らかくて溶けないうどん、と、関西なら子供でも買えるが東京ではあつめるだけで一苦労、みたいな材料ばかり必要なのが、イジワルである。ニンジンひとつにしてからが、これは関西の、文字通りマッカな京ニンジンでないと、鍋がさえない。
しかたなし私は、大阪から帰京するたび、新大阪駅構内の狭い美々卯にとびこんでは、いつも少し機嫌わるい表情の女給仕をこわがりつつ、みやげ用の「うどんすき」をあつらえ、三時間十分を、マテといわれっぱなしの犬的状態で、もじもじしつづけ、とんでかえるのである。あすこの女給仕は、むしろ本質的には親切なのだが、みやげ用うどんすきを注文すると、かならず「ありがとう」もいわぬさきに、「今日じゅうに召しあがりますか」とピシャッと念をおすのが、そりゃ中毒防止の悲願はわかるけどサ、こちらの気分を鼻白ませる。食うよ。食いたい一心で買うのだ。
もっともこの駅の、サテライトの美々卯は、大阪に点在する各美々卯中でも、どう譲歩していおうと最上の味とは評しがたかろう。かつ、長途の旅の結果、中身はドライアイスの影響で、あわれ、半冷凍状況にかたまってしまうが、それですら、東京で材料をそろえてつくるうどんすきとは、格段に根源の味がちがう。ウマいウマいとわが家で、一人前へ四人くらいが箸をつっこみつつ、どうしてこれが東国でつくれないか、なかば挫折的心境におちこまざるをえないのである。
じつは、このうどんすき以上に推薦できるのは、私の場合、京は、御池通りから麩屋町を柊家《ひいらぎや》の南へ下った、河道屋晦庵《かわみちやみそかあん》の「芳香炉」だといわなければならない。これは鍋料理の逸品であるとおもう。火鍋子の鍋に、ダシは昆布とカツブシ。そこへ、ホウレンソウ、ネギと鶏、マツタケ、湯葉、ひりょうず。あと、魚っ気は練物にとどめて煮こんだ、いわば何の奇もないかやくである。それへ点睛《てんせい》として当店極付のうどんとそばをくわえる。
かねてこれをすすめて、「うまくない」と首をかしげた人をしらない。さらにうなるのは、これを知って二十数年、いつも完全に、同じ材料、同じ味付け、寸毫《すんごう》もかわらぬそのウマさに、全然、飽き、というものがこないことである。
にくい。そばぼうろは、いっちゃわるいが、いささかあきちまったのに、なあ。
鍋料理、食べ方のコツおしえます[#「鍋料理、食べ方のコツおしえます」はゴシック体]
それにしても残念なのは、いかに関西の鍋が、美味だとはいえ、東京から一人で出かけて、たったひとり、ごたいそうな店へあがって、鍋ものを前にする、というのも、これ、絵にもサマにもならぬということである。たとえば三十三間堂前、わらじやの「うぞうすい」などは、冬の夜の至宝とさえいっていいだろうが、たったひとり、相手もなく、あの座敷で、鍋と向きあい、おじやのなかから輪切りンなったうなぎの胴なんぞツマミだしてる自分を、イメージしてみなさい。いかに食うはわが身ひとりの快楽、とはいえ、若干、あさましくも意地きたない印象ばかり、さきにたってしまって、欲気もいっきに萎《な》えてしまう。東京両国の、「ひょうたん」という、抜群に庶民的なふぐ屋なぞは、カウンターでひとりオダあげてよし。独酌で|ちり《ヽヽ》をつついてりゃ、いつのまにか、近所のおやッさんかなンぞ、あつまってきて、すっかり意気投合しちまい、来たときは一人だったが店をでるときゃ五人になってた、といった雰囲気であるが、なにせあたしに京は他郷。鍋食うさえママならぬ。
じじつ、鍋料理とは、一つの鍋を、最低で二人、いいとこ四人。ま、ポーカーよろしく、等距離で対象の鍋をかこむところに、安定感がでるわけで、むろんこれには、すわりかたにコツがある。
多人数の会食で――長テーブルなどが用意された場合、コト鍋料理に関しては、へたに、長辺の中央とか、短辺の議長席なんぞへすわらされたら最後、あなた、その晩は完全にアウトである。右手に左手をつぎたしてもなお箸は目標へ到達しないことを、あなたはしるだろう。ええモウこうなれば恥も外聞もあるものか、よし、スライディングの姿勢でいくぞ、なぞとやっと決心の臍《ほぞ》かためるころには、よくもまあやつらえらびとりやがったな。白菜のヒゲのはえたとこと、ネギの青いとこ、白滝のちぢれたのが、鍋の濁水のなかには泳ぎのこるのみである。
鍋ものは、出席者奇数、というのも御法度《ごはつと》である。たとえば七人。これなどは典型的に鬼門であるといわねばならない。この場合、店の女中さんはかならず気ィきかせ、ガス管一本を余分にひっぱり、二つの鍋を用意してくれるものだ。このとき、偶然、両陣の中間に位置した奴なぞ、内心欣喜雀躍、今夜は一人前の会費でふたりぶん食うかァ。トキの声あげつつ、あっちへよろめき、こっちへ色目。どっちの鍋がマシな味つけしやがったか、肉はどちらにのこっているか。洞ヶ峠の筒井順慶。ついには結局、うむこっちがうめえ、という鍋へベタッとへばりつくのが道理だから、そこまで苦心惨憺、なれぬ箸さばきで割下つぎたし、砂糖をおさえ、やっと味を適切に補正しおえてきた正位置の三人は、さあここから、モリモリ食うぞ、と膝をなおすその一瞬に、ありゃ、物《ブツ》は完全に遊撃者に先取りされてきえちまったことをおもいしらされ、呆然自失する。つまり、味つけの上手なやつほど損をするのである。
また、まかりまちがっても、すわってならぬのは、材料を山ともりあげた大皿の前の席である。初心者ほどここへすわると福がありそうだ、とおもいたがる。しかしこの位置というのは結局、あげくのはては、終始一貫、だれにいいつけられるとなく、鍋への材料補給係を一人でうけおうだけの結果となる場所で、しかも、あろうことか、「おい白菜ばっかしいれるな。水っぽくなるじゃねえか」などと自発的志願者《ボランテイア》がうけるべきともおもえぬバカげた一喝までくわされたうえ、最後になってよくかんがえると、自分は結局、今夜は肉を一ときれしか食えなかったのだ、とさとらされて、会食をおえる。げんに、大皿の前へすわったばかりに、大食いの友人達のため、徹頭徹尾、肉ばかり連続補給しつづけ、過労と空腹のはて、最後に目ェまわしてひっくりかえった男性の実例があるくらいで、初心者はよほど覚悟きめなければつとまらない位置なのである。
ひっくりかえったのは、私? はは、オレじゃないよ。
さて、自信のある男。社でも他人のすることばかし一々気になる男。ネギが煮えすぎると、お茶くみの小娘が結婚するより落胆する男。
こういう男は、鍋料理の会食のときは、じつはフットスライディングをしてでも、最初から|ガス栓の前《ヽヽヽヽヽ》の席を奪取しておくべきである。そしてもうあんた、火がほそいとおもったら自分でつよくしなさい。豆腐に|す《ヽ》がたってきたとみたら、だまって自分で火をほそめるべきである。他人がよい気分で、肉ぱくつきながら上役をこきおろしてるときに、遠くから、もっと栓をひねれのどうのと、こちゃこちゃぐちゃぐちゃ、ガス会社みたいな命令はくだしなさんな。
いっぽう、こういう鍋料理の会食にあっては、たとえ局長、部長の直命であっても、カンのニブい腰かけ仕事の女の子など、けっして、ガス栓の前へすわらせてはならない。女だからガスの栓ぐらいヒネるだろう、などと予想すると、これがかならず、ダービー、天皇賞、菊花賞以上のハズレである。実物のテキはもう、肉とマツタケばかり食うことと、スカートの前ひきおろすことだけに懸命になっておる。ことに猪口の二杯もふくんで、とろんとしちまうと、「やだア、やめて」と、まだこっちがモーションもかけていないのに、手ェふる以外、何の労働もしなくなること請合いである。鍋のこっち側としては、一々、醤油の煮つまりぐあいをたしかめつつ、「麗子さん、すまないけど、もうちょっとひらいてくれないか。あッ、いい、いい、ひろげすぎた。もう少ししめて」などと、とりようによっては非常にばかげてもきこえかねないことを、何の実効もなく、わめきつづけなければならない。健康にもよくないし、人聞きは、さらにわるいのである。「麗子さん、あんた烈しいな、ああシメすぎた、ほらガスがもれた」なんて、これはもう、なんですきやきなど食っていなければならぬセリフなのか、全然わからない。
しかし、もっとも能ある鍋の達人は、すきやき会食の場合、よし、味つけはオレにまかせとけ、などとけっして人前で胸はたたかぬものなのである。
なぜといえば、人間、すきやきとカレーライスに関しては、親から遺伝的におそわってきた味を最上の美味と心得、幼時から個人的嗜好を舌へ定着させてしまう結果、他人の味つけはどんな場合にも絶対ウマいとおもってくれない動物だからである。なんでえ、自慢するからよほど上手かとおもやァ、こんな程度かァ、などと、腹であざわらって、口でぱくつく。
鍋は火につれ時につれ[#「鍋は火につれ時につれ」はゴシック体]
しかし、それはそうであるとして、すきやきというのは、どうかんがえても珍しい一品だと、君、おもわないか。だって、あれくらい、料亭が、味つけに関する全責任を、完全に客へ委譲しちまってる料理も、世界にまれだからである。他にあるとすれば、横丁のお好み焼きくらいではないか。三ツ輪だ、ざくろだ、三嶋亭だ、江知勝だ、スエヒロだ、米久だ、というけれどもね。店が胸をはって責任もってくれるのは、生肉と醤油だけではないか。イエうちでは女中がシッカリ味つけを、などというが、このあいだ、丹波のさる温泉で但馬《たじま》牛をあじわったとき、おどろいた。サービスのつもりであるか、姐さんイキナリ、金物店から買ってきたまま、まだ防錆油がひかっていようという鍋を、ただあらったなり火にのせたな。処女はうれしいが「姐さん、これはひどいよ、この鍋ではまだ食えませんよ」。姐さん泰然自若として、「アラ、そうですか。もっとあらってこなくちゃいけませんか」
――割烹の女中さんが全員、料理の基礎知識所有者であるとは、これをもってしても、かぎらんのである。
ひびの入った土鍋は、お粥《かゆ》をたくことでスキマをうめる。というくらい、鍋は、要するに、使ってつかって使いこまないと、どうも、(うまくなるかはべつとして)落着きがでてこない。じつはこの真実は、ハードウェアとしての鍋についていえるだけではない。ソフトウェアのほうも、同じく、伝統がみがきこんだ鍋料理は、さすがに安定感がちがうようにおもわれてならない。
先日、札幌のサッポロビール第二工場で、開拓史館ビヤホールへおもむいた。風格のあるホールであって、卓上の樽からつぎたいだけ生ビールをつぐ着眼など、とくにうれしい。このとき、道産子鍋という、要するに鉄の平鍋で鮭をバタ焼きする料理にありついた。鮭より、紋甲のイカをバタ焼きするのが、じつにウマい。これはもう帰京後ただちに盗作の値打ちだな、とはりきったが、うまいわりにこの料理の雰囲気じたいは、まだ一歩、料理としての文体《スタイル》が定着していない印象である。エゾは新開地だからなァ。
私が定着とよぶのは、つまり、ヤッパシ、あたし子供のころから、これが鍋なのだ、と信じてそだってきた、ねぎま、蛤鍋《はまなべ》といった、ああいう洗練された単純さの料理のことに、かえってしまうのである。今はもうどこへきえたのか、あの底のあさいアルミの蛤鍋の、その味噌の泡だちの中にもりあがった、女の腿みたいなネギの白さをおもうと、ああ、東京の鍋ものの悪口などいってはならなかった、こちらにもまさに鍋ものはあったのだなァ、と、くるおしくノスタルジーが、舌と胃にわきおこらざるをえない。
いま、この懐郷の心を、わずかながらに実物でみたしてくれるのは、駒形、伊せ喜の、どぜう鍋であるだろう。なかでも、ひと鍋食いおわって、「姐さん、もう一人前」とさけびもあえず、姐さん、つぎの一鍋のどぜうだけを、前の鍋へ、ヒラッとスライドさせてこぼしてくれる、あの手つきと、どぜうのなめらかさ――はどうだね。
あれをみるためだけにでも、もう一人前追加したくなるほどの快味といわなければならない。動物園の、エサのどぜうのクダの前へむらがるラッコ、アザラシ、オットセイの心境が、つきささるようにこの人間へも納得される瞬間はここであって、ラッコとちがうのは、こちら、どぜうは火にかけて食う知恵がついただけのことである。
[#改ページ]
私家版・ふるさとの味まつり
郷土料理とはナニか?[#「郷土料理とはナニか?」はゴシック体]
御案内でもあろう。ちかごろ、何が自由になったといって、アメリカの新刊書、新作映画くらい、あなたの好きな赤|烏帽子《えぼし》、大胆露骨をきわめてオモロイことをえがくようになった文化財も、ちょいとみあたらない。世界の情勢、何ごとによらず、ポルノといえどイヤがらずに目をひからせておくのが、勉強であるからね。私も新幹線にのるたび、東京駅ちかくの洋書屋へたちより、なるべく、表紙は地味で英語だけやさしくて中身はすごそうな、一冊を、ポケットブックの棚からえらびだし、車内では、学術書ひろげるような顔して、検討にふける。これが病みつきの習慣となったな。あちらは同じポルノでも珍なの書いとるねえ。先日知ったのは、ぬぎっぱなしのドリアン・グレイ、といった二重人格譚だったし、その前検討したのは、未来SF物語、ジェームズ・ボンドが次の時代には、馬よりもつよくうまれかわったとしかおもえない一編であった。
さしずめ00セックスだな。こういう小説に登場する女は、全員、はなからしまいまで、いくら洋間でも隣の部屋にきこえはせぬか、と心配なくらい大騒ぎしっぱなしになるのが、共通である。高潮に達すると、セリフに全部、!がついて聴覚的になってくる。
ついちかごろ、またも新大阪行きの機会あり。今回はどんな奇書にあたるか、と書店の回転棚をまわすうち、あったわ、こいつは第一ページから目がすいついたままはなれないチャーミングな一冊を発見した。
『THE I HATE TO COOK BOOK』(お料理なんて大ッきらい!)
そうだよ。あなた何をカンちがいなすったかしらぬ。私はこういう家庭的な本をこそ熟読しながら、人生の旅をつづけるのです。
――アメリカの女も、私たちが日常つきあってる日本のもろもろの女《ひと》におとらず、台所で立ちずくめにはたらくのは、全く面倒でやなこった、とみえる。この著者は、読者である米国の主婦にむかって「この豆が煮えるあいだ、貴女は好きなだけベッドにいていいのです」とか、「つくってるあいだ、殺人ものがたのしめますワ」とか、「焼く時間の目安は、口紅を塗る間《ま》程度です」――つまり、考えつくかぎり甘美な口説《くぜつ》で、いかに調理というものが、ラクな日常の、ナガラ的些事にすぎぬか、を説得していた。説得される甘いやつァ、かわいい女だとして、そんな、女房が寝ながらつくった料理を、ルージュの匂いといっしょに食わされる亭主こそ、殺人的にあわれである、とおもえたが、しかし、私も読みすすむうち、だいぶ著者からくどかれたらしい。これなら私だって、00セックス片手に、ビーフ・ア・ラ・キングくらいつくれるのではなかろうか、と車中で錯覚しはじめた。
三時間十分、かくして小生の調理レパートリーは急激な増加をみたわけだが、新大阪で立ちあがって、ハッと気づくところあった。この本にならんでたオカズは、全部、なンかひとごとみたいなカンジだったが、そうか、これは全部洋食だった、という厳然たる事実である。なるほどアメリカたァ西洋だったァ、と、私はあらためてばかげた感心をし、こうしてみると彼我の日常食生活は、まだまだ根本的に異質というほかなく、われわれ、現在相当深刻に洋風化したとはいえ、なお生活の主体は和風の食いものに置きつづけること、明治百年、いっこうに変りはなかったのだなァ、と納得せざるをえなかったのである。
もっとも、今日、舌のふるさと、とか、おふくろの味、とかおだてられてる日本全国各地の郷土料理――あの全部が、百年は千年の昔から、地域の歴史とともに生きつづけてきた和風民俗調理とはかぎらんだろう。先日、非常に御親切なかたあり、北関東地方に今ものこる「しもつかれ」という総菜を、御教示くださる未知の電話がかかった。竹製のおろし具で大根をせん切りにし、煎った大豆とともに、醤油で煮しめる。冷えたのがまた美味、とか。私、あじわった覚えもないまま、他の知人にもたずね、やたら資料もしらべ、結果これが、異名だけでも十はくだりそうにない有名な郷土料理であり、すでに江戸のころから昔の料理≠ニ信じられてたことを、知った。なかには本気で、あれはカラさが「下野《しもつけ》のカレー」の如くだから、その名も「しもつかれ」とよぶのだ、と強硬に主張する物知りもないではなかった。もっともそれでは、柳亭種彦までこの名を知ってた史実と、時間の平仄《ひようそく》があわない。
ま、そのくらい古くつたわる郷土料理も、むろん、ないではないとして、現在、われわれの実感では、御当地でなければ手にはいりにくくなった自然材料――流通過程のアミの目からからくものがれでた希少材料を、この際、ナマの味そこなうもったいなさに、塩と醤油だけで処理した料理――その程度のを郷土料理、とよぶ実感のほうがつよまってきてるのではあるまいか。でなければ百年の開拓史しかない北海道が、あんな、全国のトップをゆく郷土料理の宝庫にのしあがってる意味なぞ、理解できるわけがない。
少くとも東京以外、ふるさとの持ちようのない私自身にとって、郷土料理ときいて目の色がかわるのは、一にかかってナマの素材の魅力、のほかありえない。郷土料理、といわれたとたん紺がすりの姐さんが土地の二級酒ついでくれる繩のれんの店をおもいだすかわりに、こちらが忽然とイメージするのは、札幌二条市場の冷たいコンクリートのタタキに、ゴム長であるきまわる威勢のいい魚屋のおにいさん、となっておる。
札幌なら二条へおいで[#「札幌なら二条へおいで」はゴシック体]
御当地へお出かけにあたっても、帰りにデパート一階、現地おみやげ品売場で、パラフィン紙張り干物の詰合せなどを買いあげ、うちへもどってからアゲ底に気づいて怒り心頭に発する、などは、これ、策の下と称すべきである。ましてや、ミヤゲなど帰りに飛行場でナマ干しの籠入りを買やァ、行ってきたことにならァ、束京へもどってから羽田の到着口で買うテもあらァ、などと横着をきめこむにいたっては、下も下、まったくかたるに値せぬ男というほかない。たしかに飛行場の売店は、悪くないものをあきなう瞬間もある。先日、板付でみつけたアジの一塩、一尾百円などは、その巨大さ、うまさ、帰宅後、愛猫とともに感嘆これ久しゅうするものあったが、いつも主人がこういうのをさげてかえるとは、猫といえど信じるわけがない。近ごろは飛行場も、売店までジャンボ化傾向はなはだしく、薬臭いウニとか塩をきかせすぎた明太魚子《めんたいのこ》――まったくもって、大量生産品にすぎぬやつを、正札だけはデパートの倍つけて売ったりするのを、具眼者は、するどく見ぬかなければならないのが悲劇である。
策の上は、いうまでもないこと。御当地に古くつたわる生鮮品市場をたずねて、みずから魚屋の店頭をさぐる一法につきる。同じくらいウマい品が飛行場の半額で買え、これを換言すれば、同額で味は倍、の逸品が入手できる。ただし、包装はわるいよ。古新聞にくるんだままのシャケなぞかかえて、帰京の飛行機でスチュワーデスにニッコリ笑いかける勇気をもたなければ、あなた、真の秋味にはありつけない。なに、あの絶世のスチュワーデスだって、今こそ首に絹の布などヒラヒラなびかせ、乙うきどっておるがね、ウチへかえりゃあ塩ジャケも食うのだ、とでもマジナイをとなえるのだな。それにしてもあのJALの制服はかわいくできとるな。
さて、この、市場をおとずれるにも、秘訣がある。あなた、やみくもに、札幌は二条だ、京都は錦だ、福岡は柳橋だとアセってはしりまわっても、めざすアナなどさぐりあてられるわけがないのである。あなた、御当地のアナに関しては完全な初心者なのだからしてね。そこは親切に、女の手で誘導してもらわなければ、エネルギーの無駄が出る、としるべきである。つまり、作戦としてはまず土地の名門料理店へあがり、そこで、なるべくもののわかりそうな仲居とねんごろにでもなって、じっくりと、御当地の市場での、品《しな》のいい店をききだすのがポイントである。うまくすれば、「あら、じゃ、あたし、明日ごいっしょするわ。おサキさん、このかたを市場へ御案内していい?」くらいの仕儀に、なりかねぬ。魚屋へごいっしょされて有頂天になるのもめでたいが。
そこを欲かいて、市場のあとの晩もねらおう、などととくに若くて可愛いのに口をかけたりすると、これはもう、てんでワヤで、つい先日この町へ出てきたばかり。市場の魚といえば、スーパー・マーケットでガジガジこおってるメルルーサのことかという。まだしもこっちのほうが土地カンもありそうな、それにしては顔だけはどうしてこう御当地産で可愛いのができたのだろう、とおもうような手合だったりし、そのうえ、お客さん食べるほうばかりなのね、だからふとるのね、などとひとりで合点合点されるのでは、男の沽券、どこにあるか、全然はっきりしなくなってしまう。仲居だけは、マスクは二の次。年代ものに、口をかけるべきである。
で、かくて私、札幌の二条市場では、本間と近藤という二軒の魚屋を知ることになり、札幌へ行きゃァまずここへ駆けつけるていたらくに、魚屋のほうがびっくりし、「お客さん、あんたよっぽど北海道に仕事があるンだね」とは、出稼ぎとまちがえられたらしいが、ともあれここで山のように北の味を買いこむたのしさは、アチラからかねて手配の本、レコードがどさりとおくられてきた瞬間の充実感に、おさおさおとらない。ねらう筋は、徹底的に、本州では買えぬ味、である。なまの筋子を一腹、店先でほぐして、その場で醤油、酒につけこんでもらう。用意のタッパーウェアにつめこんでかかえてかえるうれしさは、すでに舌の上、粒の一つ一つが躍動する如くである。北海道はルイベもいいね。シャケの刺身のシャーベット化である。ただし、これは御当地のいい店で食うときだけ、うまい。私は生の鮭を買ってきて、拙宅のフリーザーで冷凍させてみるのだが、ついぞまだ、ルイベになったためしがないのである。
最近の北海道の話題は、帯広にちかい池田町、ここの町営でつくられる十勝ワイン。この、とくに白ではあるまいか。堅実な味である。昨年、はじめてこんな北でもつくれる意外な葡萄酒を知って、行くたびに小売店をおとずれるのだが、品ぎれがちである。まだ大量生産に堕落していない証拠。くやしいが、この態度はこころづよいとせねばならない。池田町では、町民が一升瓶さげてブドウ酒を買いにゆく日本ばなれの風景が見られるそうだし、町営のビフテキ・レストランまであるそうだが、私は、ここの赤で北海道の肉を食うのもさることながら、親しめる白で現地の魚をいかす方策を、かんがえたい。東京一ツ橋、毎日新聞社のあるパレスサイドビル地下街の、|ほっけ《ヽヽヽ》の定食がやたらウマい北海道料理店「ユック」など、現地産をおいたらどうなのだろう。昨秋、札幌は「かにっこ」へ勝手にこの白の瓶をもちこみ、ひえてないのは仕方ない、NHKの旧友と二人、ぞんぶんに毛ガニ、花咲をたいらげた。わるくなかったなァ。
札幌の二条市場はまた、身欠きニシンの安さ・ウマさでも、東京の私らには夢の如きものがある。カチカチの薪ざっぽうみたいのを、ちょっと火であぶり、皮をサッとむいて、適宜、身をほぐしながら味噌つけて食っちまう。この主人の一挙一動を、ハナからしまいまで、猫が、まばたきもせず凝視しつづけるくらい、これはウマい。
が、ニシンといえば、私かつて、福島県は会津若松にちかい強清水《こわしみず》のニシンの天ぷら――あのくらい小ざっぱりとみごとな茶店の料理を、あじわったことがない。同業の品田雄吉先生と二人、天下太平なドライブ旅行の途中まったく偶然にみつけて、北海道本場産の品田氏がうなったのだから、これはニセではなかった。ニシンは米のとぎ汁でアクをぬく、としかしらなかったが、ここは清水の流れにさらすのだ、と優雅な話をきいたのは、あとのことである。その店はしかし、近ごろやたらハヤって立派になっちゃってなあ、とだれかからきかされたのはさらにあとのことだ。今、どうなのかな。
東北の郷土料理、ときけば、私、条件反射の犬のように鼻先へにおうのはホヤであるが、世間には往々、すっぽん、鶏レバー、そしてホヤ、よりによって、こういった美味が口へはいってゆかないという不思議な人間――ことに女が、生存するから、軽々に、あなたもホヤ党にちがいないなどと盲信はできない。三陸のウニ、カキ、秋田のしょっつる、山形の山菜、仙台のささかまぼこ、駄菓子、盛岡はわんこそば……東北は、私、胸のあつくなってくる愛好品の、いわば土蔵みたいな場所ではあるけれど、そのすべてがかかって、なお、ホヤの強烈な匂いにはかなうものがない。東京上野、駅近く、国電と昭和通りにはさまれた北畔《ほくはん》は、気軽に東北の味と香をあじわう最も手近な一軒であるだろう。いささかの文学少女的民芸趣味さえ気にしなければ、地酒桃川での生ホヤは、一瞬、私たちに、味の生気、という実存を確認させる。
ワン・アイテムの逸品[#「ワン・アイテムの逸品」はゴシック体]
全国各地、それぞれの旅籠《はたご》にはかならずのこっていたはずの郷土料理が、温泉旅館などのメニューから姿をけして、久しい。どこもかしこも、マグロ赤身の刺身に、冷凍のえびフライ、という献立、あれはどういうわけなのだろう、といまさらのような質問をうけたから、私は、ありゃたぶん、調理師学校の中央集権化のためではないでしょうか、と口から出まかせの珍説邪推をのべたことがある。
すなわち、ある土地ある店の郷土料理、マスコミの囲み記事なんぞでワッと評判になるとたん、店は拡張につぐ大膨張。それまで、台所で魚焼いてた女房は副社長、火ィおこしてた亭主は会長なんぞに祭りあげられてフロントへすわっちまう結果、新装なったステンレスの調理場には、東京の調理師学校出身のインテリかなンかずらりといながれて、これが、いまさらこんな田舎の|たにし《ヽヽヽ》なンぞ客に出せるかィ、さア学校でならってきたマグロとエビフライだ、と、かくて全国一律、熱海へ右へならえの温泉宴会料理。
ま、ともあれそういった情勢のなかで、横浜駅は崎陽軒のしゅうまい、横川駅は荻野屋の峠の釜めし、たとえ身は駅弁なりと一軒の店がワン・アイテムの名物をつくりあげて、その一品で全国の好感をうけるとなれば、これもまったく新しい郷土料理といってよい。この二軒と富山駅の|ますのすし《ヽヽヽヽヽ》、これだけはウチで賞味しなおしても充分の鑑賞にたえる駅弁ベストスリーではないかと――『駅弁マニヤ』の名著ある同業の大先輩瓜生忠夫先生にうかがいをたてたわけではないから専門家の定説はしらぬが、少くともアマチュアの私には、そんなことがおもわれる。
水戸は海にちかく、大洗ホテルをはじめ、あのへんの宿がもっぱら冬の「アンコウ鍋」をまもりつづけているのも、いまはまったく心たのもしいワン・アイテム主義である。近ごろ、あらゆる魚が、冷凍で味も匂いもなくなった結果、家庭料理でもけっこうアンコウ鍋がハヤりだし、なかには、「アラ、魚屋さん、ひどいじゃない。こんなキモばっかりくれて。ねえ、肉のとこだけ頂戴よ」と、これは実際にウチのやつが魚屋の店先で小耳にはさんで、世の中好き好きだわ、と感嘆してきた直話である。
私近ごろ、すっかり感心もし、かつ、反省もおこなわざるをえなかったのは、この、何もかも知られつくしたみたいな関東で、私など全然あずかりしらないまま、逸品といっていい手焼きの薄焼きせんべいがまだ手づくりされていた、その事実をおしえられたことであった。足利市の森田屋という店。ここの薄焼きは、せんべいの塩辛さとはこれだ、とおもわずうなずくほどに、香ばしく、かつ口あたりがさわやかに、はりっと乾いている。炭水化物をいっさいたちきったつもりの私、さすがにこれだけはとめることもできず、一ン日一枚、罐をかかえこむようにあじわいきって、さて「ああ食っちゃった。早速次の罐をたのみなさい」。家人に命ずると「だから最初、わすれないで、って念をおしたじゃない、ここのお店はぜったい郵送おことわりよ」と、絶望的な記憶を私によみがえらせる。
麹町のクッキー店ローザーと同じ。心にくいが不便きわまるタブーをまもる店が、まだこの関東にものこってるのである。
結局せんべい一罐を買いに、足利市まで東武線にのらねばならぬ羽目であるが、そこは世の中よくしたもので、先日は、こんなものがおくれるのかとおもう巨大な鯉の甘露煮が、佐久の魚甲本店からはこばれてきた。見れば見るほど偉大をきわめ、こんなものを尾頭つきのまま形もくずさず落し蓋で煮つめるには、どんな大鍋を要するのか、あらぬ心配までしたが、つつぎりした一きれをちょいと電子レンジであたためてみたコクは、まさに充実の一語につきた。なにしろ砂糖気いっさい謝絶の今日、甘露煮にふくまれてるアマ味など、コタエるコタエる。
信州は野沢菜。かつて甘味をゆるしてたころの私には、ここのアンズの甘煮とハチの子は、天下の珍味におもえたものだった。もっとも、万事アマいものばかり食ってたのではない。信州も北へ新潟にはいって、柏崎にいたれば、岩戸屋旅館主・中野平左衛門氏創造、鯛の子塩辛なぞは、珍中の珍、といえるものだった。かりにあの粒々《つぶつぶ》がサバ、スケソウダラの子孫のたぐいである、と仮定してさえ、これを、水にさらしたスライスのタマネギのうえへ、サラダオイルとともにまぶすオードブルは、抜群の疲労回復剤であることに変りはない。
食通でもしらぬ味[#「食通でもしらぬ味」はゴシック体]
新潟の味は、たった一つをえらんだら、むろんナンバンエビの刺身にとどめをさすだろう。博多の素魚《しろうお》と味や趣きはどちらか、ときかれたら素魚は趣き。味は? とたずねられたら、それはナンバンエビだ。舌にまつわる粘液的甘味である。
新潟はそもそも、日本郷土料理文化の拠点の一つである。その点では金沢、広島、博多などと並ぶ舌のたのしさをもつ町にちがいない。東京にも、文春ちかくのまつ井、池袋の田舎家、と、本式の郷土料理店をもてるのは、結局、それを背後でささえる現地の食いもの文化が、遠く奥ふかいからである。薄味の野菜うま煮にすぎないのっぺい汁にしても、釜飯を、炊くかわりに蒸した|わっぱ《ヽヽヽ》めしにしても、いや、バイ貝の酒煮ひとつにしてからが、万事、都ぶりからは遠い素朴な牧歌調でいて、しかも調味は粗雑にながれない。そこには大都会の人工的洗練とはちがう、歴史の練磨がこもっている。
こういった土地の味を賛嘆しながら、そのたびに感じさせられるのは、いま、日本の味がすべて全国で画一化してしまった、などというあの類型的な嘆きの、粗笨《そほん》さである。まだまだこの国には、そこへ行かなければけっして口にはいらないもの、そこでもとめれば東京とは確実にちがう味など、ごまんとひろがり、土地のひだにひそみかくれている。現に、私が日夜、絶品と賞味してやまない粒ウニの瓶詰は、金印発掘で有名な志賀島《しかのしま》の、駄菓子屋の店先から発掘したそれである。あるいは京都府竹野郡丹後町、下宇川漁業協同組合製造の武骨な製品、である。よほどの通《つう》でも、知らんだろう。しらないで当然。しってる私がエラい、のでも何でもない。これを要するに、この程度のほんもののウニの味なら、ないのは東京デパート地下室ばかり。津々浦々には、まだどこにだっていきているのだ、という当然の事実にほかならない。
たとえば東京からひと足の伊豆。ここでワサビ一本をもとめて、剌身用にすりおろし(注記する。伊豆ではまだ、ワサビ用の鮫皮のおろし板をさがすことができる。これでおろした|きめ《ヽヽ》と粘りは、他の板をつかったときの比ではない。突起の間にのこったワサビは、あと、ダイコンできれいに掻きよせるのが、われわれしもじものコツ)さてそのあとは、手づくりの|ワサビづけ《ヽヽヽヽヽ》にしてしまうのが、最上だ。茎はむろんのこと、葉も、皮も、ぜんぶをきざんで包丁の柄でたたきつぶし、酒粕に好みのみりんを加えて、漬けこめば翌日がピークである。これだ、あたしが子供のころ食べたワサビづけは。――また、沼津の旭園という菓子屋だけで、正月だけ売る「初夢」は、名は凡だが味は非凡。ナスからつくる珍菓である。
伊豆東海岸、八幡浜に、ゆきつけの舟宿「港屋」あり。先日、あぶらぎった|キンメ《ヽヽヽ》鯛の塩焼をノドまで食って、さて、隣りの不愛想だが良心的な魚屋をのぞくと、とりたてのイカが茶色の肌をぬらしていた。これなる哉。拙宅の女房は、このイカからきれいにワタ袋をひきぬき、塩をパラリとふりかけておいて、身をきざみ、ちょこちょことまぜて、イカの塩辛を即席自製するのが、彼女無数にもつ特技の、末席のひとつである。
あなた、この際、まちがっても市販の瓶詰イカ塩辛のあの味を、塩辛の標準、などと思いちがいしてはならない。身《み》の量に比してワタは極度に多く、塩は極度に少く。これが、ウチのかみさんの、名品塩辛自製の要諦である。他人に売りつけて翌年食わせるのじゃないのだからね。ひたすら自分の舌がよろこぶような楽しみをしなさい、というやつじゃ。塩を少くして腐らないか、って? 大丈夫。くさるどころか、まだ練れもしないうちに、子供が目の色かえて、食っちまう。
伊豆の魚屋にはこのとき、バケツに山と、ヒッパタキがつんであった。ヒッパタキ、とはまた、私、あらゆるものの通称中、最高傑作の名前の一つではないか、と、実物を見てはわらいだしてしまわずにはいられない。まさに、伊勢エビを岩にたたきつけた、としか見えない形の、偏平きわまるエビ様《よう》の怪物である。身も脳ミソも、なまで食って充分うまい。が、なにしろウチワみたいに平らなやつだからね、なさけないほど、量がたよりなく少い。昔は、漁網が切られる、といって漁師たちはいやがり、ぜんぶ海へすてていた。それが、時世だなあ。時にはマキシなんぞというバカゲたお腰《こし》さえハヤるごとく、北海道のししゃもとならんで、堂々、人間の食いものに昇格した。もっともこれは、すててたほうが阿呆である。
この店先でふっとおもいついたのは、そうだ、こいつをブイヤベースにつかえまいか、というケチなアイデアで、なにしろそのとき一尾百五十円、どんなにはりこんだって、一尾何千円の伊勢エビを買うような心配はあるわけがない。あいにく|こち《ヽヽ》がなかったので、蛤、キンメ鯛を買いたし、車につんだ宝物、桃太郎の意気で帰京するなり「ばあさん、今夜はブイヤベースをつくってもらうぞ」と叫んだ。
うちの|ば《ヽ》、はて、おかみさんは、お宅のもそういったかたなのかしれないが、いちど、ひょんなことからブイヤベース製作に成功していらい、ひたすらそれ一品に凝りだし、何につけてもひとことは亭主の献立に首をかしげなければ事がながれぬこの女も、「ブイヤベースつくるか?」ともちかけたときだけは「そうね、いいわね」と、あとはものもいわず魚屋へはしりだす。
さながらドブのゴミがスッとながれとおった、あの瞬間の快感である。亭主は、そのよろこびでいきている。
西洋の鍋ふうの煮物には、ことこと徹底的に煮こんでしまったほうがウマい料理と、ごくあっさり、タイミングの感覚よく火からはなさなければ味が生きない調理とが、当然ながら画然とわかれており、どうもブイヤベースは典型的に後者である。そこが、魚と獣肉との、根本の相違なのかもしれない、と私はおもったりする。この際ブイヤベースのスープは魚でとれば最上だが、いま東京のわれわれ家庭で、うまくのめる魚スープをとるのはほとんど不可能というほかない(おもいだした。レストランでは東京の麻布霞町、フィガロの魚スープ。これは傑作である)。ウチは一足とびにあきらめて、スープはカツブシとマギーにしとく。まず例によって、タマネギ、ニンニクを、いためにいため、そこへ魚類をならべ、白ワインをかけて、ばっとアルコールを燃したあと、むらす。あとは、スープをくわえ、トマトをいれて煮あげるだけのマルセイユ郷土料理であるが、そこは南ヨーロッパだから、これだけでは済まない。煮るにあたってロリエを一枚おとすのはもちろん、サフランを二、三片、ガスであぶって乾かしたのを揉みおとさなければ、あの黄金色と高貴の香りはうまれない。煮すぎると、いけませんですね。かつてアメリカで、魚の身がぜんぶほぐれて繊維そのものと化したシチュー様の皿を、ブイヤベースと称して食わされたことがあった。御当地では、フィッシュの仏語訳はぜんぶブイヤベース、とかんがえてるのかもしれぬ、と納得したことであった。
タラスミ哲学[#「タラスミ哲学」はゴシック体]
私の母は愛知でうまれた。したがって私、知多のこのわた、名古屋のカシワ、岡崎の八丁味噌、それらにだけは、他の郷土食とちがうふるさと%I触感をもつ。というのも、幼いころ、休みといえば母の|さと《ヽヽ》で、おじいさんの晩酌相手、徹底的にこのわたを食ってそだったからにちがいない。
いま、鶏のなかで最もトリらしい匂いがあじわえるのは、レバーを甘辛く煮つめて肉挽器にかけ、つくだ煮風そぼろにしてしまう、あの総菜であろう。
酒の箸休めによし、子供がメシにのせて、うまい。肝にだけ鶏は鳥の匂いをのこす、とは何という人間の非業。ブロイラー文化の悲劇的盲点であるが、しかしその肝さえじつは昔の肝ならず。四十年前、母のさとで食った肝のそぼろは、もっと強烈にトリの匂いそのものであったがなあ――となつかしむのは、ありゃ、田舎のことだ、血もぬかず煮ちゃったからであったせいかな。
最近、一日、この母が、いささかのしたり顔で一皿をもってあらわれ、これをちょっと、つまんでみておくれではないか、わが子よ、わたしの新しい開発であるから、とさしだされたのを見ると、形は小型の|からすみ《ヽヽヽヽ》である。へえ、と一ときれを口にいれると、味は少々辛すぎるものの、歯の裏へへばりつく粒のぐあいがまさに|からすみ《ヽヽヽヽ》だから、仰天し、何をどうなされました母上様。きくにニッコリ。なにタダのタラコを八丁味噌に漬けただけよ。――ははあ、たらすみか。
親子、夫婦、こんな調子で妙な食い物を自家製造しあっちゃァ、味はドウかね、と鼻うごめかす図は、昭和元禄も文化文政に近いが、タラコを味噌に漬ける、などというわかりきった着想さえ、まだこんな変った味をうみだせるのか、という発見は、私にとってかならずしも小さからぬ教訓にもおもえた。これにもコツがある。母のは少々カラすぎたので、私は早速盗作的改良にのりだし、極度に塩気のない生タラコをはりこんで、京都の最高級白味噌に漬けこんでみたが、これは完全にプチブル的失敗で、まじいまじい、冴えないこと、魚の手で味噌あんの柏餅をつまんだような、ノドを通らぬ妙ちきりんができあがった。安い塩のタラコを、素朴率直な八丁味噌でシメるところこそミソなのであった。高いだけが郷土の美味をうむのではない、というこの当然の原則くらい、今の料理文化への皮肉は、ないのではあるまいか、とおもったことだ。
[#改ページ]
食いもの列島
オカラとタケノコ[#「オカラとタケノコ」はゴシック体]
仲よしのテレビ・プロデューサーに、NETの高木君なる快人物あり。ムキたてのユデ玉子にサラダオイルを塗ったような、テラテラいきいきとした顔貌は、まさに食道楽をテロップでだしたような相好であるが、彼、今般、川崎敬三氏の司会による料理の新番組をはじめたについて、あんたもぜひ一度、割烹着で出演しなさい、という。美味で評判の料亭・レストランを探訪取材し、名題の品の味をぬすみとって、調理のコツをブラウン管で披露してほしいのだ、と虫のいい依頼。やだよ、勘弁してちょうだい、モウやめたのサ、割烹着は、とことわった。
だってね、高木くん。うちの娘が近所の肉屋へ買物にゆき、主人にちょっと調理法をたずねた、とおもいたまえ。と、肉屋がこたえたという言いぐさがうれしいではないか。「お嬢さん、ウチへかえりゃ、あんたのお父さんがよく知ッてるサ」
――ナニいってるのよッ、|ウチ《ヽヽ》の台所にはちゃんとお母さんもいますよッ、と、これを小耳にはさんだ一人の女性が、憤激心頭に発したのも、まこと無理からぬ仕儀。今後こういった様相のまま推移せんか、わが家では調理台の父権母権争奪をめぐって、不測の事態がおこるやも、はかりがたい。だから高木くん、わたしはもう手製料理の御披露にはいっさい出馬しないのだよ、と、事をわけスジを通して立候補辞退を宣したのだが、彼、ヘッヘ、エッヘとわらうのみ。ついに私は――割烹着はサスガ恐れはばかり、腹のでっぱりをかくすエプロンなら仕方ないや、と、なんやもう、根本的に節を屈してのスタジオいりとなった。
で、どこの店の何を盗作するかね、ときくから、そんならいちばん手のかからなそうな「卯の花」がいい、オカラを炒りましょう、そのかわり取材は京都だぞ、先斗町だ、とおどかしたら、彼ついに、観念して、オカラひとつのために京都までのアゴアシを持ちおった。快哉《かいさい》快哉。
味を盗みに潜入した先は、おなじみ、女将が客の背中をどやしつけるので評判の、おたかさん――すなわち京風おばんさい飲屋「ますだ」で、私はその清楚な台所にはいって、おたかさんの妹さん、おきよさんから手とり足とり――いや、足は全然とられる必要もなかった、オカラの炒りかたをおそわったのだが、おそわっておどろいた。オカラとは、中華鍋に、昨夜の残りの魚の煮汁とまぜて、びしゃあッとかきまわせばできるものだ、とおもいこんでたが、専門店ではこれがとんでもない早トチリであることを納得させられたのである。
澄し汁ふうのダシに、ニンジン、ササガキゴボウ、水にもどしたキクラゲをいれて煮たて、かなり濃いめに醤油、みりん、酒で味をつけて、こまぎれのカシワを煮る。そこへ、どさりどさりと、玉のまンま(京都ではまだ、森嘉でもどこでも、女のコの野球みたいな玉のまンまのおからを売っとるぞ。東京では、ビニール袋いりじゃ)の卯の花をほうりこみ、強火のまま、鍋底が焦げつかぬよう、三十分以上、炒りに炒るのである。彼女のあまりの激務ぶりに、「おきよさん、ぼくもてつだうわ」と、騎士道精神でしゃもじをかりうけるのだが、私の炒りかたなど、しゃもじが鍋底にも達せず。突き方、こね方、ともに不足。全然サマにもミにもならないとみえ、「せんせ、おかしやす」たちまち棒をうばいかえされるしまつで、結局私は、徹底的に、三十分、毒見役にまわるのみとおわった。炒るほどに豆くささがぬけて、甘い香ばしさがひろがるプロセスだけを充分取材したのである。
このオカラを炒ってる隣のこんろでは「ますだ」得意、タケノコが薄味で煮あがっており……、ああ、あのタケノコのかわいい円錐形に、|かつぶし《ヽヽヽヽ》のきれっぱしがティッシュのごとくへばりつき、上にハラリとサンショウの若葉が緑を点ずる――京都でもこれほどにうまい一品が、いったい、ほかにいくつ存在するかね。むろん、牛肉もハモもアナゴもすべて関西にかなわぬ東京であるけれど、なかでもタケノコとマツタケがろくにとれない点で、こちら、決定的にあちら様に頭があがらぬ。
東京でも、もちろん、タケノコは、以前世田谷あたりで充分とれた、といわれ、むろん今でも、市場では、関東産の今朝《あさ》掘りが、手にはいりはする。タケノコのうまさは、パンと同じ、時間だけが勝負で、近所の掘りたてをねらう以外テがないわけだが、こいつだけは、いくら外っ側から指でおしたって、ブラジャーの上からと同じ理屈で、中身のぐあいなどわかる道理がない。結局、穂先が、カラスとよばれるように黒変してないやつをえらぶのが柔らかいタケノコをよりわける唯一の目安である。もっともそれすら、今、東京の奥さんは、皮むくのを面倒がるそうだ。八百屋では、「近ごろ、生《なま》より水煮のタケノコのほうがよくハケるんです」とぼやいている。水煮のタケノコなんて、白い腹みせてアガッたどぜうと同じではないか、とおもうのだが、タケノコとは、ジュンサイみたいに、ハナッから樽のなかで水におよいでいる植物、とおもいこんでる夫人がふえたのかもしれんな。
君は乗るカイ「ムール貝買会」[#「君は乗るカイ「ムール貝買会」」はゴシック体]
さて、このテレビ新料理番組では、石井好子さんにも出ていただく、と高木プロデューサーがいうから、好子せんせいはどこの店をぬすむの、とたずねると、麻布霞町のフィガロだ、という。さもあろう。私だって石井さんくらい手料理に自信があったら、東京ならあの水準のフランス料理店からスープかソースをぬすむ。
フィガロでは、近ごろ、かなりの店でだすようになったムール貝を、じつにおいしくスープ煮にしてくれるのがうれしい。鉢に山盛りにもりあげた殻つきのムール貝の身を、空の貝殻じたいを即席のピンセットにして、ひょいとつまみだす。ハマグリなどにくらべれば、とくにウマくも何ともない貝なのだが、何か|α《アルフア》があるのだろう、鉢全部たいらげないと気がすまなくなる味である。
――このムール貝も、むろんフランスからおくってくるわけではない。日本中部、牡蠣《かき》もうまい伊勢は的矢湾の、養殖ものである。一説によると、ある一定数量さえひきとれば、プロのレストランでなくとも個人でも買えるのだそうな。されば同好の士をつのって「ムール貝買会《がいかいかい》」を設立しようか、ともおもいつのるのだが、どうかい、キミはのるカイ。
日本特産のムール貝といえば、これはアサリだろう。昔こそお椀の材料それ一つみたいなチエのなさだったが、今はスパゲティの具にも、クラム・チャウダーの基礎材料としても、じつに素朴な自然の美味があじわえる一つである。ただし、カラつき、剥身、冷凍という順に、匂いと味はぬける。とくに、これのシーズンの終りと、キャベツのハシリとがかちあうころ、即席の|ぬた《ヽヽ》にすると、これが亭主の創作か、と家内じゅうがおどろく新鮮な前菜になるのをしっておかれるといい。なに、剥身のアサリをじゃあっとカラ炒りし、いっぽう、せんぎりのキャベツをさっと熱湯でゆがき、両者を、おもにカラシの味で和《あ》えるだけの、子供にでもできる単純作業である。初夏の香りがする。
小さな小さなシジミは、皆に無視される味だけれど、私は、うまいシジミとうまい辛味噌で仕立てた塩辛い味噌汁は、日本の味の最高のひとつではないか、とおもう瞬間がある。ナメコの赤出しだけが高級味噌汁だとおもいこむのは、何とかの一つ覚えである。琵琶湖は、むろん、シジミのふるさとの一つ。ここでは、見渡すかぎりのミヤゲ屋で、シジミのつくだ煮の土産を売っているが、あれもけっしてバカにしたものではないな。先般、瀬田の唐橋から小舟をしたて、真っ昼間、宇治のほうへゆっくりとながしながら、これで一献はじめた。武陵桃源にあそぶ、とはこれこの謂《い》いか、のおもいがした。箸のさきを、胸のはちきれそうな女学生がホットパンツでボートを漕いだりし、ビワ湖周遊の眼福また、しじみ以上。
琵琶湖には、また特産「ふなずし」あり。京都の大市でも、すっぽんの前に、このスライスだけをだす。よほど舌をひきしめる効果があるとみえる味である。あの子もちの、クセの強い陶酔的匂いは、東北のホヤと双璧というほかない。ま、これをダマッて食って、アラおいしい、くらい平然という女だったら、たいがいの大胆な事柄はしでかす――だろうとおもっていいような雰囲気の、味である。タメシてみなさい。
――それにしても、かなりの女性というものは、どうして、ああ、ふなずしを筆頭に、香りの高い食品に関して、激しい好き嫌い……多くは拒絶反応をしめすのであろうね。匂いのつよい食いものにほど、官能的快楽をおぼえる男性からは、トンと察しのつかぬ点がある。へた油断すると、こんちの家庭、清汁にいれる三ツ葉まで、亭主は食わせてもらえなくなったりするしまつである。じつはこの御時世、ビニール促成栽培、時なしにできちまうダイコン、キュウリのたぐいとちがって、シュンにならねば頑として市場へ顔をださないという古風な野菜は、すべて、香りがつよいものだ、と断定してさしつかえない。
すなわち、日本臣民われら、やっと匂いの野菜によってのみ、季節の変移を知るありさまになっている。そいつを女房の次元で遮断されちゃァ、男たるもの、まったく四季もわからぬ生産機械となりはてざるをえないのである。
かくて拙宅、狭い庭ながら近年もっともダイジダイジにそだてるのは、ミョウガ、シソ、サンショウのたぐい。パセリ、ミツバなどは、セキスイ・プランターなる白いプラスチック容器に土をいれて、タネをまき苗を植え、柿に水やるカニさんよろしく、這えば立て立てばあゆめの親心。料理の自製昂じて、原材料の養殖にまでのりだした心情こそ切実である。来年あたり、池からは金魚を追放して、ぜんぶどぜうにきりかえるぞ、くらいのこと、われながら言いだしかねぬこそ、あわれなれ。
誰か広島菜を思わざる[#「誰か広島菜を思わざる」はゴシック体]
シソといえば、和歌山県は梅もうまいが、シソもよほど品がいいのだろう。私は梅干だけはここの御当地のものを、依頼する。最近、糖分をたちきったので遠ざけているが、しそにくるんだ梅干を、甘酢にねっとりと漬けこんだ「封じ梅」は、だれかが白浜温泉へ行くたんびに買ってきてもらうほどの、好物であった。白浜かァ、なンて軽蔑してはいかんよ。ここは梅干だけでなく、国鉄駅の駅弁幕の内さえ、広島駅の弁当とならんで、推薦にたる良心作の逸品である。西の駅弁は、あと博多がにぎやかだなァ。
広島はマツタケでも何でもうまいところだが、くりかえしおもわざるをえないのは、広島菜であるか。バカの一つ覚えみたいにいうけれど、菜の一枚をひろげ、電子レンジで|つきたて《ヽヽヽヽ》の状態にもどした餅をつつみこむ。いわば笹巻きのすしを笹ごと食う形で、口へほうりこむのは冬の味の極致である。カキとこれで、広島の冬はいうところのない土地だな。
瀬戸内、でだれしもおもうのは、魚である。私もむろん、想い、人後に落ちはしない。現地でナマをあじわうには、山陽側、四国側それぞれにアナ場ごまんと、数えきれないが、みやげでは、なかでも倉敷の玉島に本店をもって、岡山、尾道に店をひろげる鯛惣が、岡山名産マスカットの水気もさらなり。水産加工品の良心と美味でも、すすめるにたる一軒といえるだろう。たいそう、愛想のいい店でね。買物に行くとかならず椅子に招じて、まずお茶と和菓子をふるまってくれる。店で出す茶の、京都・一保堂ほどの味は、まァ、オレンちといえどもでるものではなく、その点、鯛惣も――ま、茶にろうらくされて、ホメるわけではないが、客あしらいが小ざっぱりと奥ゆかしいのが、さすが鯛の浜焼の本家である。ただし、肝心の浜焼のほうは、近ごろみるみる中身の桜鯛がコンパクト化してね。カメラ、テープレコーダー、電卓に先んじて、小型化の流行を必死に先取りするかにおもえるのは、包装の伝八笠ばっかしやたらブカブカ巨大にみえてきて、ツルシの洋服、選びそこなったごとく、私、とらざる点である。私自身は中年ぶとり防止が望ましいが、浜焼の鯛まで同情してチヂンでくれるこたァ、ないやな。
この店からは、こないだ家内が、カニミソの塩辛とかいうのを仕入れてき、これが意外に、なにかをおもわせる匂いで、わるくなかった。塩辛とは、じっさい、人類共通の生活の知恵だね。防腐と発酵と二つながらかねそなえた古典的化学処理品。気のきいた江戸ッ子など、東京湾でつりあげたハゼからも、たちまちにハゼの卵の塩辛をつくりあげる。これが、ビール・日本酒に絶妙であること、私はなじみのてんぷら屋、神田はすずらん通りの「はちまき」へ行くたんびにおしえられてくる。鯛惣の得手は、おなじみ、アミの塩辛である。むろん、そのまま熱い飯にのせても、あの微細な一匹一匹が、信頼するにたる歯ごたえでウマい。が、拙宅では豚ロースの塊りを少量の水で白くゆであげ、そのままスライスしてアミの塩辛をそえて食うのが、まさに夏の夕べのスタミナ料理となっている。檀一雄先生直伝の朝鮮風逸品である。
鯛惣や同業・二香の評判商品は、近ごろ、ママカリの酢漬であるだろう。飛行場、各地のデパートにも、常時、コハダとイワシの混血児みたいな光った肌がならぶようになって、かなりの時がたつ。たしかに冬場は、隣家から飯《まま》を借りたくなるほどウマい瞬間もある魚だといってよろしい。少し暑い時候になると、たちまちに酢と塩がききすぎてくるのが、打線の切れ目である。
頃日、鷲羽山のふもと、民謡で名高い下津井という漁港に行けば、塩っからいお土産品でなく、オリジンのママカリが手にはいるかもしれないよ、ときかされた。単純だねえ。本気で倉敷から車をとばして、漁村特有の羊腸の小径をさまようことしばし。季節はずれはダメはダメ。ママカリこそ手に入れそこねたが、かわりに、タコの刺身専門という、珍景なすし屋に、めぐりあった。もぐもぐと頭をふりたててうごめく巨大な一匹、調理台へ必死にしがみつくその生きた吸盤の引力を逆用して、さあっと足の皮をはぎとってしまう。あらわれいづるは、ずいきの茎みたいな、径、数センチはあろうという、真白な棒状の硬直的肉片である。
おやじ、そのプリプリと固く長いやつを掌ににぎりしめ、「朝、起きたとこだ」とぬかしおったが、私には、さっぱり意味が通じない。意味は判じ得たにしても実感がともなわないのは、さらに悲惨である。ともあれ、食ってみたそのナマナマしいタコ刺《さし》の味は、何ともうしましょうか、貝柱から繊維を欠如したごとく、私はタコという怪魚が、こんなサラリと美味な食いものであったのか、逆にいえば、ゆでるとあんなに味をおとすものであるか、をはじめて体得することができた。もっとも、ウマいわりにはアッサリした味でね。天、二物はあたえたまわず。翌朝の起床時にも、全身、ぜんぜん、タコの硬直をおもわせるものがなかったのは、やつ、アッサリしすぎてた、と称すべきである。
中国地方も、山陰へ山を越えれば、ここはカニが名産、とだれでもがいうけれど、私、カニに関しては、むしろ京都の伏見に、わすれえぬ思い出がある。某年某月、カニだからどっちみち冬だが、関西の悪童連中、伏見に、うまい山陰のカニを食わせるウチめっけたわ、来てみなはれ、と、さそってくれたことがあった。なるほど、いけるわ。|カニすき《ヽヽヽヽ》にして、食うほどに飲むほどに快い酔いを発し、さあ二次会は伏見名物や、と、カニとは全然関係ないが、演技者が舞台の上で脚をひろげ、ハカマをぬいで横にあるく点では、似てる点がなくもない劇場へくりだした、とおもいなさい。と、こちらはこれでも、招《よ》ばれたお客だからね。連中は私を、最上等のかぶりつき、L字型の交点、人間でいえば脇の下かどこかという席にすわらせてくれはった――はいいのだが、なにせ食い気いっぽうの児でしょう、私。カニすきの満足感、いちじに発して、酔眼のかなたに特出《とくだし》を大写ししながら、完全な御機嫌で、一クール、完睡してしまった。それが、私、ぜんぜん、悪気などなかったのだけれど、女性演技者が目の先、寸前で伏見名物をけいれんさせる熱演のたび、オーケストラボックスのトランペットに負けじと高イビキで応酬した、というのですね。ついに女流演技者、かんすけにイカりだし、アア実際、ゆりおこすのもヤボッたいし、こんな弱ったことなかったわ、と悪童ども、おもてへ出てから完全にヘキエキと挫折感をあじわいおった。――以降、カニを見ると、私はだから、異様なイメージばかり連想でうかびあがり、おかげで、まったく、「私は好奇心の強い女」などを見ても、全然、じんましん、など出てこないのであります。
山陰は、ナマの魚もむろん上乗であるが、ふしぎに水産加工品の傑作が多いのは、あれは魚がとれすぎるからか。逆に、冬の長い土地だからでもあるのだろうか。島根の野焼きを筆頭に、ちくわ、焼きフグ、かまぼこ、くんせい。玉造温泉あたりまではいってさえ、なお、味のある練製品にめぐりあえるのが、めでたい。かつて早稲田の宇野政雄先生と、これは北陸の金沢駅前、なんでもないおでん屋に入り、なんでもない、イワシ|つみいれ《ヽヽヽヽ》の、イワシらしさに、うむ、と感じいったことも、おもいあわされる。なぜに、このふつうの魚の味≠ェ今、東京からはきえうせたのであるか。
山陰の、しかし、象徴的な味のひとつは、ラッキョウといえるだろう。砂丘のかげにひろがるラッキョウ畑の単調なうねりは、まさに日本的偉観のひとつである。また、あのラッキョウという、酢につける以外、煮ても焼いても何のいかしようもない植物くらい、ある意味で日本的単細胞の直線性をあらわすものも、ない気がする。八百屋から|なま《ヽヽ》をどさりと買込み、一晩放りだしておくと、翌朝たちまちに青い芽をふいちまってるセッカチさも、はなはだしくベンダサン的に日本風である。
このなまのラッキョウを、芽のふかないうちに、丹念に水洗いして塩水につけ、ころあいをみて、好みの味の酢や黒砂糖に封じこめておく。おどろくほど簡単に、家庭でラッキョウづけがたのしめるのは薄気味わるいほどである。きざんでカレーライスにそえるだけが能じゃないのだよ。むしろ日本酒のつきだしに、これは来客向けの一皿である、といってよい。今や、人は、安くって簡単なものほどうれしがってくれる御時世だからね。
さて、当節のわれわれ、西洋人なみに、ビフテキの一枚くらいは、けっこう、台所で真似事に焼けるくらいにそだったが、しかしいっぽう、カツオの土佐風|たたき《ヽヽヽ》は、もともと焼きかたもしらない、とは、私たち、日本人とはどういう民族であるのだろう、と自省する瞬間がある。カツオの、できたら腹の部分を|ひとふし《ヽヽヽヽ》買い、金ぐしを四本、扇状にさして、強火のガス、それも遠火にかざす。焼き加減は、レアないしミディアム・レア。表面にういた脂と、焦げを、じゃあッと水であらい、酢、塩、砂糖など、軽く調味して、ばしっと掌でたたく。つまり、たたきのゆえんである。つけ醤油にはむろん、ワサビのすりおろしをそえるべきだが、つけわすれてならぬのはニンニクである。札幌ラーメンとカツオのたたきだけは、ニンニクをわすれちまうと、ゴム紐のくたびれた猿股をはいたような、なんかこう、食ってる間じゅう、シマらない感じで終始せざるをえなくなる。もっとも、以前、高知の司《つかさ》で、|たたき《ヽヽヽ》に山とニンニクをまぶして、うまいうまいと食った、のはいいとして、次の講演地丸亀へ、急行三時間で到着してしまう、ときいてあわてたことがあったな。ニンニクの臭味は牛乳できえる、の言いつたえ。必死ンなって駅ごとに牛乳を買っては飲みつづけたが、やッぱし甲斐なく、丸亀駅へおりたっても、あたりをはらう臭気で、ハヤバヤ高知から御到来、を広告した。こういう時にかぎって、出迎えは女性、とくるから、あわてふためく。
私、デベラという、せんべい状になった小さなカレイの干物は、山陽線沿線だけの特産、と信じていた。ところが先日、土佐名産とか銘うって、大きさはデベラ程度、しかも乾燥度はあれよりずっと生食にちかい小型カレイを、はじめて、女房から食わせてもらった。食わせてもらった、ッて、べつに、肉をむしって口へはこんでもらった、わけではない。そんなシーズンは忘却のかなたにきえさっちまったが、つまりせんせい、デパートの地下室あたり、郷土の物産展とかなんとかで酒盗のとなりにならんでたのをタマタマめっけだしてきた、の意である。意外な美味に、こりゃウマい、もっと焼けよ、と命じたら、二枚買ったきりよ、これ高いものォ、と平然としておる。ケチ。徹底的なケチだな。デベラを二枚、買ってくるのだからな。
和洋チャンポン九州の味[#「和洋チャンポン九州の味」はゴシック体]
うどんの腰は、そのデリケートなねばりづよさ、高松は讃岐うどんの張りに、しくものはないかもしれぬ。端的にいうと、ゆでてもゆでても、トロトロになってしまわないうどんである。が、あの、唇が切れそうな直角のうどんと、もうひとつべつに、うどんのウマ味を知ろうとするなら、(ま、この際、関西のソフトなうどんのうまみは、別格として)私、長崎の、皿うどんをあげなければ、とおもう。激しい味の濃さでは現地の札幌ラーメンに一歩ゆずるとしても、渾然たる味の、円満な風格と栄養価のバランスにかけては、勝者は長崎の皿うどんである。
要するに、油で焼そば状にいためたうどんに、焼きそばと同じ、好き勝手な五目をのっけただけの一皿であるが、味や雰囲気は、中華ソバとは全然ちがう。私がはたち代の昭和二十年代後半、神田は望知香という店の皿うどんは、ボリューム、味とも、若者の心をみたすものであった。今は国電から看板を見るたび味をおもうのだが、どうだろう。拙宅では、この程度の調理はぜんぶ自製と化した結果、業界の現状にうとくなったこと、まったくもって、はなはだしい。
皿うどんのうどんは、これがなかなか手にいれにくいのだが、細身でないとおもしろくない。揚げる油は、ひたすらに、ラードである。それ以外は、これまた、おもしろくない。ラードはしかしあなた、肉屋の店先で、ほこりと太陽光線にさらされた樹脂チューブ入りのなど(買いたい人はむろん買ってかまわんが)、私はおすすめしませんよ。ラードはもともと、お宅でつくるべき食品だ。肉屋にソウ言えばホイホイと豚の脂身をわけてくれるから、ね。これを一キロばかりもらって、ま、キャラメルくらいの大きさにきざみ、コップ一杯の水をさして、厚手の鍋で中火に煮こむのである。おどろくほど透明な油がわんわんじゅくじゅくとうまれでて、脂身じしんは、天ぷらの揚げ玉の如くちぢんでくれる。ね。そいつを漉《こ》して、冷やせば、それでラードはできあがりである。これくらい簡単で、しかもこれくらい美味で役にたつ揚げ油も、多くありませんよ。あまりのうまさに、数日間は、酢豚、チャーハン、八宝菜、と中華料理の連続。コロッケもカツも、はなはだしきにいたっては|たつた《ヽヽヽ》揚げさえも全部、お宅製のラードで試みずには気がすまなくなること、気味わるいくらい請合いである。
長崎の皿うどんをかたって、ラードの製法に脱線したが、じじつ九州の食いものは、完全な和風に基礎をおきつつ、そこへ突如、異国風がまじっても全然おかしくないところが、ふしぎな身上であるだろう。大分の城下《しろした》ガレイは、あそこ以外にありえない日本の美味だが、あのカレイの調理は、バタ焼き、フライ、唐揚げ、いかようにも国際化しえて、しかもそのどれもが、味のサマになっているのが憎い。北国のホヤ、東国のどぜうは、こうはゆきませぬ。どぜうのワカサギ風フライ、なんて、想像だけでげんなりする。
福岡市の、庶民的な食品市場は、駅から西、柳橋である。私はこの暗い、魚の水気でしめった小路をあるくたび、東京には珍しい商品として、多様な冷凍鯨肉の盛況に、目を見はらざるをえなくなる。もちろん、東京だって、鯨は、尾肉だろうと、さらし、赤身、買えないことはないけどさ。九州みたいに、冷凍鯨肉専門店が、凍った塊りのままの肉を、豚肉以下の値段から高いほうは牛の上肉クラスまで、多彩な展示をおこなってる風景は、ま、希少である。九州にいい鯨肉が多いのは、下関の港へ、捕鯨船が帰港するからだ、とおしえてくれた物知りがあったが、だったらこんど南氷洋からの帰りには、ちょいと東京へも立ちよってくれんかね。
値段としては、牛にくらべても、鯨としちゃいい身分だなァ、とおもえる、そのへんの尾肉を凍った塊りのまま、きつく古新聞にくるんでもらい、とるものもとりあえず羽田に飛びかえってくる。帰りに、銀座あたりで沈没しなければ、充分まだ、そのまま刺身で食える凍結状態がたもたれていて、じっさい、この霜降りの鯨尾肉の刺身は、ショウガ醤油で舌へのせる味わいが、なにか、こう、血のシャーベットといった印象。私、文句ない天下の美味の一つだ、と信じる。血が氷といっしょに流れ出、肉の肌が空気にさらされて黒くなると、鯨にかぎらぬが味は急速に生食むきでなくなるからね、そのときは厚手のフライパンにサラダオイルをしいて、ショウガ醤油にひたした厚味の肉片を、ジャアッとステーキにしてしまう。ヘタなビフテキなど足元にも及ばぬ味――も道理、こらァ、私がいつも買う牛肉の、倍の値段だわ。
私、じつは、熊本のバサシ(馬刺)が大好きで、さすが鹿児島の豚だけは、火を通さぬこととてない(そうだ、伊奈一男氏にきいた気持のいい豚料理があった。豚のうす切りを、ビールで水炊きにして醤油で食うのである。アッという間に、皿から肉がきえてしまうぐらい、いくらでも食べられる。少し苦味ののこった清潔な味わいは、酒のあとの食事に絶品である。)が、馬は平気で、ナマの刺身のまま食ってしまう。ああた、そんな調子で北海道へ行けばシャケをナマ、九州へ行けば鯨や馬までナマ、今にああた、ムシがわくわよ、と注意する女あり。かんぐってきけば、これはああた、全国各地でホカにもまだ、妙なナマものをこころみているのではないか、今にどっかから虫が名のってでたってしらないわよ、の当てこすりともおもえんではないが、私はじつは平気だ。イエ、名のってでられるほうはこまるが、ハラから虫がわくのは平気。今どき、虫が中で生きてられるほどの肉や魚だったら、つまり完全に人工的汚染からまぬかれてる逸品だと、かんがえねばなりますまい。これすなわち、食料の生鮮度のインディケーターではないか、などというのはめちゃくちゃかな。
ま、ともかく、自然にかえろうではないか、と私はつれあいの神経質を、なだめるのである。女房は子供を産み、亭主はムシがわく。かくて日本、天下安泰。
[#改ページ]
お食後はいかが?
女房とのむ夜明けのコーヒー[#「女房とのむ夜明けのコーヒー」はゴシック体]
年来、目から書物までの距離が次第にとおざかってゆく悲哀に反比例して、眠りが短くなる。毎朝五時にはもう、那須野における乃木老将軍よろしく庭におりて、荻動物園の飼育係を演じる。老若二匹の犬、ションベンに外へ出る猫、数十羽のセキセイインコ群、池の鯉、鮒、金魚にどぜう。寝床よりこんなのと仲よしになるのもまァ、老いの当然の宿命である。もっともそのほか、じつはもう一つ、庭の隅の棚においた植物栽培容器の、その朝ごとのなりゆきが、私、サルカニ合戦のカニさんの如く心配でたまらんからにもほかならない。大事大事の宝ものや。
栽培容器とはセキスイ・プランターとかいう、要するにプラスチック製の長い舟のなかに、網目のカゴがならんで、これに、土とも黒いゴミともつかん物質が、つめこまれてある。つまり団地のベランダやなんかにおいてチマチマ花をさかせる、あの入れ物である。このカゴのすきまから適宜、化学肥料と水をそそげば、全然床をぬらさずに植物がそだってくれる。最初は、ニヤケたおもちゃにすぎない、とおもってた。が、これ意外に便利なしろものですね。私はこの籠に、パンジーなんかをさかせる少女趣味は、全廃した。一つ一つに、それぞれ、パセリ、ミツバ、青ジソ――徹底して実用オンリーの香味野菜を植えつけたのである。育つ喜びは野菜だって花と同じじゃからね。ミツバなんぞ、八百屋から買ってきたあと、台所で細君が切りおとすあの根の部分、あそこだけ土にさしとけば、翌々日にはふたたび葉が出はじめる威勢ヨサである。したがって拙宅では、これらのほかに、庭へ自生するミョウガやサンショウをくわえれば、食事の直前、「わァ今夜は肝心のパセリを買いわすれたァ」などとあわてふためくこと、ほとんど絶無の食卓と化した。めでたいとしなければなるまい。あとこれで、生ワサビが庭でつくれりゃ、いうことないのだがな。あの栽培はむずかしいといわねばなりませんのでしょうね。
庭のプランターに水をそそぎおえて、顔をあらい、さて、日課の最初の儀式は、夜明けのコーヒーである。朝のめざめがコーヒーの香りとともに明ける風景は、数々、外国映画でごらんの通りであろう。起きぬけの女中さんが、シュミーズの腹へミル(挽き器)を押しあて、ごりごりとハンドルをこねまわす、という色っぽい映画も、あったなあ。私もまた、二十数年間、このコーヒーの香りのない朝はほとんど想像もできない暮しを、つづけてきた。もっともこっちは色気ぬきで。
日本くらい、サラリーマンの亭主がおもてでコーヒーばかり飲み、大方の細君がウチでコーヒーをいれたがらぬ国は、珍しく、また日本くらい、街中《まちなか》ではコーヒーを飲ませる店ばっかし目白押しにならんで、一歩、田舎へでるととたんにコーヒーの飲めなくなる国は、さらに珍しく、また日本くらい、コーヒーの故事来歴や配合の講釈ばかりヤカマシクて、しかもそのわりに、いつ煎ったのかさえトンとわからぬ豆を、湿度百パーセントのデパート地下室でばかし売ってる国は、もっと珍しく、また日本くらい、喫茶店のコーヒーといえば薄くもないかわりに本当に濃くもなく、やたら砂糖とミルクばかりぶちこんで飲みたがる国は、それ以上に珍しい、といわなければならない。要するに、裏千家、表千家、珈琲千家くらい理屈と形式はうるさいくせに、実践のほうはまるで無個性・画一的なのが、わが国のコーヒー文化である、と断じても、ここであまりしかられる気づかいはないだろう。
理屈ばっかり頭でっかちなこの国で、評論家の珈琲利休的寝言ばかりウノミにしてたら、とうてい気分よくほんとのコーヒーの香りなんぞ、たのしめたものじゃない。だから、私はことコーヒーに関しては、自分のきめたごくわずかなルール以外、他人の、七面倒な高邁《こうまい》博識の説教は、いっさいきかないのを、原則とする。ふだん、会社で飲まされてる茶が、せん茶か番茶かすら覚えないような神経で、やれ焙煎《ばいせん》がなンの、グアテマラとマンデリンがどうのとほざいたって、何の実効やある、という心境である。
コーヒーをウマく飲む原則は、ごく簡単である。自分で挽き、熱湯でいれる。コーヒーの粉はたくさんつかい、熱いうちに飲む。砂糖はもちいない。
以上。これで充分に、ウマい。これでなお、ウマくない朝があったら、それは不幸、コーヒーのほうがたまたまその朝、機嫌わるかったのである。たぶんどこか、微妙な手さばき指さばきに妙な違和があって、君の誘導に、コーヒーのほうがのりそこねたにすぎんのである。他日を期してハゲめば、次にはかならずコーヒーも機嫌をなおしてくれはるから気ィおとさんことが肝要や。同じ相手と同じ調子で事におよんでさえも、毎回かならず同じ結果におわることなどありえない、という厳然たる事実は、君、よくご存じのハズではないか。鈍な人間において然り。まして敏な珈琲においてをや。
コーヒーくらい、その点、同じ品が千変万化の味に変転する食品もありえない。同じレストランのカレーライスの味は、タマには少し趣向かえてみろや、くらいに同じである。が、ひとつホテルにとまりつづけて部屋へコーヒーをとりよせるとき、逆に、一度として同じ味のコーヒーははこばれて来ない事実に、おどろかされる。
闇夜のトンネルのようなコーヒー[#「闇夜のトンネルのようなコーヒー」はゴシック体]
ではコーヒーは、いつどこで飲む場合でも、ウマいマズいの運は先様《さきさま》まかせなのか、デパートの地下室で、今日のお買徳品などというバーゲンの安い豆買ってくりゃ、事はたりるか、といえば、もちろん、これは、そう、簡単にはまいりませんのです。私、無類の洋酒好きにかかわらず、酒はほとんどバーで飲まない。同じく、一ン日五、六杯飲むコーヒーも、ほとんど喫茶店では飲んだことがないありさまだが、少くとも理論だけからいえば、喫茶店という存在は、バーなど足元にもおよばぬほど、歴然たる格差で、店ごとに味に個性の等級がひらくはずなのである。なぜというに、ゴジラに妹がいたか、みたいなバー・ホステスのわきで飲んでも、シーヴァス・リーガル12はシーヴァス・リーガル12であり、ヘネシー・エキストラはヘネシー・エキストラであり、一方、オードリイ・ヘプバーンと司葉子の同性愛からうまれてきたようなママの前で飲んでも、トリスは永久にトリス以外の何ものにもならぬ。が、コーヒーのほうの味は、これはもうドアをあけてくれる突っ立ち嬢の美醜など問うまでもなく、完全にその喫茶店あの喫茶店の、コーヒー豆のあつかいと、いれかたの神経で、味にダンチの落差がついちまうものだからにほかならない。これは煎ったばかりの豆か。しかも今、挽いたばかりか。乾いているか。はたして粉はふんだんにつかっていれたか。ぐらぐらのお湯だけをそそいだか。色を濃くしようなどとコシ袋をサジでかきまわしたりはしなかったか。あっためなおしのコーヒーを客にだしたりはせぬか。――あたしゃ、喫茶店に行けば行ったで一々それらに神経たてねばならず。そんなことならイッソ面倒、コーヒーくらいウチで細君といれよう、という次第になってしまう。だいいち、安さがちがいすぎる。
コーヒー豆は、ブルーマウンテンが、いちばん味のバランスがとれてる、というのは定説で、じじつ、このくらい、品のいい味と香りに終始するコーヒーもない。だから、単品で(つまり、|まぜ合《ミツクス》せずにストレートで)もちいるときは、目ェつぶってこれを買っとけば、いちばん無難にまちがいのないコーヒーが飲めることは、きまっている。つまり目ェつぶらずにいられないほど、とびぬけてこの豆だけは高い。以前は他の品とそんな開きはなかったのに、コーヒー値上げのたびに、これだけが結城や大島の紬《つむぎ》なみに飛躍する。つまりはそこが日本で、有名になりだすと、猫もシャクシも、その品だけへ一辺倒の直参と化するからである。
私は結局、毎日の気分にしたがってのマイ・ブレンド派だが、好きなのは、エチオピアという、せんぶりの煎じすぎみたいな、色も味も闇夜のトンネルの中のように暗くにがい品を、ブラックのまま、つまり、コーヒーという名にまつわる喫茶店的な甘いムードをいっさいこばんで、飲むときだ。残念ながら、本物はなかなか日本で手にはいらないが、このあと口の、口中にクーラーが行きわたったようなにがい爽涼感は、あらためて、コーヒーのもうひとつの世界を、先鋭に開示してくれずには、おかない。
私の人生で、これまで、もっともおいしかったコーヒーの一つは、檀一雄氏のお宅で、息子さんがいれてくださった一杯だった。まったく南米風の、これならホントに、向うのやつが、コーヒー飲んだら性病にならない、と信じる気になるのも当然、とうなずけるほど、強烈な、ほとんどトロリと形容していい粘液で、飲むなり、こめかみが、手拭いで鉢巻したみたいに、きりきりとしめあがった。ま、こんなの、一日五、六杯飲みつづけたら、性病のバイキンはともかく、全身のほうが三日ともたんだろう。しかし、私、コーヒーという液体は本質的に、これくらい、激しさをそなえた毒液たるところが、身上なのではないか、と考えたりもする。私たち、少しコーヒーという飲料をバカにしすぎナメてるきらいはありはしないか。
もっとも私、だからって、コーヒーは濃くなくちゃいけませン、アメリカでだされる番茶みたいなコーヒー、あんなウスいのは、コーヒーではありませン、などとホザく、酢豆腐的野狐禅野郎――ああいう狭量な保守主義は、いちばんたまらない。コーヒーでなくて結構さ。アメリカで出されるあの番茶的コーヒーは、あれはあれで充分必然性がある。かつ、あれだけがおいしいという瞬間だって、この世の中にはきちんと存在する。西部の砂漠をドライブしてて、身体中ガリガリに乾きあがったころ、街道筋飲食店《オエイシス》でコーヒーを注文してみたまえ。おいしさはあの番茶風にトドメをさす。日本の喫茶店みたいに半端なの出したら、ピストルでぶちたおされるよ。
結局コーヒーの味をいちばん基本的にあじわってゆくには、まずいっぽうにブルーマウンテンをおいて、おいしさの一スタンダードとしてその味をおぼえておく。そしていっぽう、モカ、コロンビア、グアテマラ、ブラジルあたりを最少量ずつ買って、べつべつのガラス瓶(インスタント・コーヒーのあきビンが絶好)に入れ、一回ごと自分で配合を案分して、どういう組合せがいちばん気分にあうか、またブルーマウンテンに近づくか、遠ざかるか。私のやり方は、おさまるところその実験だけである。もちろん、買うのは、炒ったあとの、豆のままである。店員に一粒もらって、噛んで、はりっと乾いてたら、炒りたてである。それも一種を百グラム以上買ってはならぬ。湿りで香りがぬけて、丸損である。そして、組みあわせた豆を、自宅で一回ごとに挽く。一万円前後、ドイツ製の、じつにぐあいいい壁掛式家庭用電動|挽き器《ミル》がひろまっている。その挽いた粉を、例のカリタ――漉し紙使用の簡易点滴容器でいれる、というのが、最も安定、かつ永続性があるコーヒー道楽なのではあるまいか。私、以前は、若気のいたり、手動の挽き器をコリコリまわしたりするのがうれしかった。フランネルの漉し袋を洗いにあらっちゃァ、つかうのが自慢だったが、手動の挽き器は、自分でやってみると、動作も欧州映画に見るほどカッコよくないものだね。粉が粗くて粒がそろわんのも不便。いっぽう、フランネルの袋は、すぐ古いフキンみたいなイヤァな匂いがしてくるのが、たまらない。やめたのであります。
カリタをつかうコーヒーのいれかたは、至極簡単である。コーヒーをいれることなど、あのぶきっちょな白人さえできる動作だからね、抹茶はたてられんでも、ボクでも充分いれられる。細かく挽いた粉(注意! ただし一度挽いてある、たとえば罐入りの粉を、電動挽器で二度挽きしてはなりませぬ。粉ではなく機械のほうがこわれる)を、一人前、ふんぱつして小サジで山三杯。漉袋にいれ、ぐらぐらと煮たった熱湯をソッとそそぎまわす。うまく挽いた油っ気の多い粉だとね、ここでこまかい泡をふいて、ぐうっともりあがってくるからね、三十秒はそのままにして、またぐらぐらの湯をそそぐ。つまり、コーヒー粉へ湯をそそいでる間じゅう、湯のポットは、たえずガスへかざしとくのが心得である。そそいでは熱湯を煮たたせる、というこの動作をくりかえすことしばし。粉から出てた表面の泡に切れ目ができる。そこが、作業のきりあげどきである。まだ色くらいは出るンじゃないか、玉露でも三番は出すンだから、などとよくばるのは、うまくない。下の器へ滴下した液は、量こそ少くとも、かなり濃厚なはずである。あとの量は、それこそサラの熱湯でおぎなうのである。ウスいアメリカ風にしたければ、この熱湯を好きなだけ増量する。全体ヌルくなってたら、沸騰|直前《ヽヽ》まで火にかけなおして、熱い碗にそそぐ。
ああ、ウマい。ウマいですねえ。夜明けの室内に、官能の匂いがみなぎってまいります。このさわやかな匂いと味とを、ブラックで満喫するたのしみをしれば、もうほんと、コーヒーに砂糖などいれる気がしなくなるのは、まったく当然だ。じじつコーヒーと称する液で、絶対に砂糖が必要なのは、かのインスタント・コーヒーと、アイスコーヒーだけなのである。あれだけは、甘くしないと、だいいち、ベロにのりませんのです。
ティー・バッグはレッキとした紅茶[#「ティー・バッグはレッキとした紅茶」はゴシック体]
インスタント・コーヒーという名の粉は、あれはわるいものじゃない。だいいち、お中元にはかならずまじってきちゃうからね。どこのウチでも棚から断《き》れたためしがないのだが、意外に、あれをふつうのコーヒーの感じで飲む方法がある。まずぐらぐらの熱湯でいれ、甘味をつける。この際、汲みおきのマホウ瓶の湯などをそそぐのは、マズさにシンニュウをかけてゴチック活字で飲むようなものである。さて、上にホイップした生クリームをのせ(これは甘くない方がいい)、いわゆるウィンナ・コーヒー・スタイルにしたてるのである。インスタント・コーヒーをごまかして飲む味はこれにかぎる。もっとも、ウィンのやつが飲みゃ、ナメるな、このどこがオレたちのコーヒーか、といっておこりだすよなァ。しかし、少くともこの飲みかたは、あのクリープなどという粉ミルクを、インスタント・コーヒーにぶちまけて飲むよりは、舌が納得すること、確実であります。ええと、ついでに、では、そのクリープを生クリーム化するテも、いっとこうか。これは簡単。ボウルにクリープをなげこみ、適宜、牛乳をそそいで、泡立器でシャカシャカとかきまわしてごらんなさい。似て非ではあるが生クリーム状のものはできるシカケなのである。
しかし、インスタント・コーヒーとクリープをつかう気なら、これは熱くして飲むよりもっと簡便な法がある。この両者とパウダー・シュガーをシェーカーになげいれ、冷蔵庫の氷塊と水とで、猛烈にシェークして飲んじまうほうが、むしろウマい。手元にシェーカーが見当らなかったら、麦茶なんぞ冷やす筒型のタッパーウェアで充分である。べつにマンハッタンをつくって女をくどくのじゃないからね。駅のホームで売っとりますコーヒー牛乳なァ、あれとソックリな味がいたします。なるほど、あれもこんな調子でつくったのかァ、と判然する。インスタント・コーヒーを少量の熱湯で猛烈に濃くいれて、多めの砂糖で甘味をつけておき、タンブラーに氷塊をつめて、熱いままのをそそぐと、かなりイケるアイス・コーヒーがしあがる。
――正直なところインスタント・コーヒーは少々うさんくさい商品としても、私はしかし、ティー・バッグという紅茶の着眼――あれは、本格だとおもう。戦地の兵隊のためにかんがえだしたンだろうか。みごとな発明である。罐入りのトワイニングのダージリンを、竹の茶こしで漉《こ》さなければ、ほんとの紅茶が出ない(まあ、じじつ、出ないが)などと、そればっかしおもいこんでるのは、まったくの硬直思考にほかならぬ。ティー・バッグのいけません点は、形からして、「ぞんざいにあつかっていいよ」と消費者をそそのかすみたいにできてる点だね。そこは商品にダマされてはなりませぬ。あれも心こめてあつかえば、高貴な紅茶特有の香りも、かなりでるはずなので、だいたい、コーヒー、紅茶、緑茶で香りを出そうとおもったら、素材もさることながら、いれかたをザツにせぬこと――これ以外の方法は一つとしてありえない。
イギリスの喫茶店やホテルで紅茶を注文すると、日本みたいに、すでに、いれおえちまったやつに、レモンをそえて、できたワ、みたいに茶碗でもってくるような、あんちょこなマネはしない。とこれはだれでもがいう。葉をいれただけの、あつあつのポット。熱湯。脂っ気を吸取紙でぬぐいさった熱いミルク。その三つを仰々しくはこんできて、さあ勝手にいれてお飲みよ、とくる。紅茶いっぱい飲むのに、だからかなりの時間と、主体的動作を要します。
しかし、喫茶、というからには、じつはこれがほんとうだろう、とおもう。しかもこれだけ仰々しく準備をととのえられて、お湯に正対せざるをえなくなると、私ら素人でさえ、アラ、とおどろく香りの紅茶が、ティー・バッグからさえ、こぼれでてくること、びっくりの仰天なのである。京都寺町の一保堂は、店先で品物をつつませてるあいだ、かならず、一碗の緑茶をふるまってくれる。これがさすが、商売ものとはいえ、はあッこれがタダでいいのですか、とうなるくらいいいお味であるが、ま、心のこめようによっては、素人の私といえど、時にはあれに匹敵する紅茶くらいはいれられるのではないか、とまでおもえてくるのが、イギリスの喫茶店である。だって、それも道理。味の原点はもともと、葉のほうがしまってくれてるのだもの。
紅茶のいれかたは、私の場合はただ一つである。すべての関係容器を徹底的に熱くたもつ。熱してかわかしたポットに、少な目の葉をなげこむ。一人前、小サジすりきりより少な目である。そこへ、コーヒーと同じくぐらぐらの煮え湯を、これは火からはなして、ホンの少しおいて注ぎ、いそいでポットを、|ねんねこ《ヽヽヽヽ》でくるむ。ナニ? キミんとこは、赤ん坊つくらんのか。仕方ない。では、バスタオルでくるみなさい。砂時計をひっくりかえして、三分間。そこで充分あたためておいた茶碗に、そそいでごらんなさい。ほら、色からして、今までの紅茶とはちがった澄明感でしょ。最近は国産の罐も相当によくなって、日東のセイロン、ダージリン、ことにアッサムなど、非常にいい色が出るのは感動的である。あとの勝負は口あたりだ。舌のうえを液が、これが水道のお湯か、とおもうほど丸く柔らかく滑らかにながれたら、そりゃ最上の紅茶。
――もうひとつ、ココアなどという飲料。あれァまったく、味の勝負どころは(ま、ハナからマズい粉を買ったんじゃア、勝負もへったくれもないが)ほかに何もない、心こめてバッカみたいに粉を練りにねる、心得はそれだけである。ぼくぼくしたココア粉に、たっぷり砂糖をまぜて、わずか熱湯をそそぐ。いわゆる「耳たぶ」状のやつを、手首がしびれるくらい、テレビ一番組くらい、練りにねる。それを、熱くした牛乳にといて、飲む。この香りと甘さと豊かな質感。これこそまさに冬の夜の至福であった。あった、というのは、私、近ごろココアという自製飲料だけは、やめちまったからで――そうかァ、こうしてみると、私、砂糖を断って、結局、いちばん痛かったのは、ココアが駄目になったことだな。コーヒー、紅茶は砂糖なしこそウマいけれど、ココアだけは、砂糖抜き、これはイタダケません。
グレープフルーツの味[#「グレープフルーツの味」はゴシック体]
私は今、砂糖をとらない。糖尿病とは関係ないが、栄作症防止である。暮しのなかからあの白い砂を断ってみて、いっこう困惑も感じないまま、いっぽう、そうか、こんな不便もあったるか――と意外な伏兵におそわれた印象を受けるのは、朝の食卓でオートミールを食うときである。あのオートミールという皿は、なにも、まじないみたいに上から砂糖をかけるだけが能の料理でもないのだろうけどね。子供のころから、あれは上に銀砂のように砂糖が撒《ま》かれてるもの、という観念がぬけなかったものだから、砂糖なしでオートミールのぬめぬめしたのがもりあがってるのにむきあうと、黒ゴマをわすれた幕の内弁当みたいな、何かこう、あるべきところに毛のない人にであったときの不安定感はこんなであろうか、とおもわれるような、不定愁訴におそわれる。
グレープフルーツというのも、あれはイザ体験してみると、砂糖がないと、かなりはっきり、酸っぱい果物ですなァ。私、柑橘《かんきつ》業者にはわるいが、じつは、一ン日千秋の思いでこの果物の自由化をまちこがれていた組なのだ。けれど、イザそれが実現しても、砂糖ぬきで食いだしてみたら、かねて「安くなったら毎朝ハーフずつ食うぞ」とおもいつめてたころの幻影は、かなり萎縮してたことを、おもいしらざるをえなかった。甘さからいったら、最近、伊豆や南日本各地でつくられだしてる(東京の果物屋にも出てるが、ほとんどまだひろい注目をうけてない)ニュー・サマー・オレンジという果物のほうが、ずっと、ナマのままで甘い。私はこのニュー・サマー・オレンジなる果物、いま北海道で流行してる、あの、カボチャとメロンの混血児である夕張メロン――あれと双璧の、最近の秀作だとおもう。ただ、すこし高いのと、季節があるのとが難点である。もっとも、グレープフルーツとかレモンみたいに、ミカン族に季節がなくなっちまうのが、異常なのだけどね。
それにしても、あの、上下半分に断《た》ちわって、上から砂糖をかけ、好みでブランデーかデュボネをふって、サジでほりだしながら食う、あのグレープフルーツのさわやかなウマさといったら、何にたとえたらいいのであろう。もちろん、南方、熱帯の果物は、比類なく眩惑的で、南のホテルの、部屋のなかで、マンゴーやパパイヤなどにナイフをいれる瞬間、あたり一面、むわァッと芳香が充満する瞬間の陶酔感など、他では体験しようのないエロティシズムだが、それにくらべるとグレープフルーツは、まさに、朝の渇きと爽涼感のためにだけある果物である。そうだ、グレープフルーツには、いつも、「カリフォルニアの朝飯」の匂いがする。
なぜ、グレープフルーツは、朝飯の前《ヽ》に食べて、夕食の果物は、デザートとして食|後《ヽ》に出るのか。こういうバカげた雑学にくわしい方は、お教えねがいたいが、実際、砂糖を暮しからうしなっていらい、私は本質的に、食後の果物がかかせなくなった。米の飯も食わないので、一層、食後まで空腹感がいきのこり、夏だと西瓜などを、びしゃびしゃと、またかぶりつくのである。残りの皮は、拙宅ではセキセイインコがよってたかって食いちぎるほか、妙なことに、犬が、メロンの皮まで好物ときてるから、彼らにデザートとして提供する。ダストシュートにはすてるものがない家である。
キミの手で作る本式アイス[#「キミの手で作る本式アイス」はゴシック体]
さて、こちらが、犬と西瓜など食ってるあいだ、私以外、残りの家族は、食後、自分らでいそいそ製造したアイスクリームなど、べろべろなめておる。さすが、糖分を断った禁欲主義者にも、若干、誘惑的な光景で、これは、かなり胸にこたえる。
アイスクリームという菓子は、本格につくるには、冷却時の容器の回転が非常に面倒なものだ。口中にとけてゆくソフトな舌ざわりをきめてしまうのは、結局「冷やしかたと混ぜかた」であるらしい。しかし、口あたりはともかく、ただ、ひたすら、味だけはいい、という品をつくるのだったら、これはきわめて、簡単すぎるほど簡単な製品であって、ああた、スーパーマーケットの店頭で、ガラス・ケースをあけて、へんな、冷たい泥にバニラいれたような、紙箱なんぞ買ってくる必要なぞ、毫《ごう》もないのである。私などが、仕方なし、あのガラス・ケースから、「氷金時」とか、「みぞれ」とか、名前だけは人なみにまァ、典雅なのを買うのは、近ごろまたウルサ型のヤカマシズムが影ひそめたとみえ、ああいう氷菓子は軒なみ、全糖をやめて人工甘味料に逆戻りしとるからに、ほかならない。堂々と砂糖のとれるキミが、あんなのを食う必要はない。自製なさい。
自家製のアイスクリームとは、あんなのと全然ちがう。まったくの昔ながらの本物。それでいてしかも、小学生でもつくれるのだからおもしろい。なんとなれば、生クリームを買ってき、いっぽう、卵の黄身をといて砂糖をまぜておき、この両者をソッとあわせて(あまりかきまわしすぎると、製品は氷の壁みたいに固くなっちまう)、冷凍庫か、冷蔵庫の製氷室にいれておく。半凍のときもう一度、泡立器でかきまぜる。――え? そうなのですよ、それだけでできちまうしろものだからである。生クリームがなかったら、牛乳と黄身と砂糖を弱火でトロリとさせ、さましてから製氷室へいれても、できる。ともかく簡単だァ。
ただこの自家製アイスクリームという品は、時たま非常によくできて、ああ、戦前の、銀座で食えたのは、卵とクリームのこの匂いなのだ、と目頭があつくなる――場合もあるかわりに、この前つくったのはウマくいったからネ、などとぞんざいにこねると、今度はたちまちに失敗して、甘い冷凍卵のオシャカみたいのができあがるという、つまり、鮎の塩焼は、原理こそ単純だがだれでもいつでも焼けるとはかぎらん、という、あれと同じ現象が発生する、比較的ワガママな食品である。だから拙宅では、娘なンぞが、アラうまくつくれたわ、なんぞとつぶやきながらナメとれば、こっちは横目で、何いっておるか、「パパも一口どう?」くらいのことはいえ、と新聞の陰からにらみ、アラ失敗しちゃった、といえば、ハッハそうであろう、ソレごらんなさい、ぞんざいはいけませんよ、いいかげんにあつかえばアイスクリームといえど、機嫌がわるいのダ、と心底教訓をたれる。食いものの恨みはこの年齢になってもぬけんこと、浮気心がおさまらぬ面倒より、しまつがわるい。
ところで、チーズという食品は、あれも結局は、やせる材料というよりは、ふとる原料の側に属するのだろうが、私の場合、これはもう、甘いものを食うよりはずっと罪の意識は軽くて、食前、そして家族がアイスクリーム食ってる食後も、やたら食べる。私にとっては、ほとんど唯一の「菓子」である。
しかし、はっきり、営業妨害の意思でいうわけではないけれど、(そうきこえるなら、それも仕方ないが)日本のチーズ業者が、ああ徹底的に、プロセス・チーズしか売りださんのは、ほんと、いけないとおもいますね。あれだけをチーズとおもいこませるのは、インスタント・コーヒーだけをコーヒーと錯覚させるより、(イヤ同程度だな)ツミである。
チーズは、ときおり、それこそデパート地下室の売場で、在庫一掃か何やしらんが、外国のナチュラル・チーズをバーゲンセールではきだすチャンスがある。そこが買いどきである。買うのは手あたり次第がいい。売り子の講釈きいたって効能書読んだって、あれだけたくさんある種類の、しかも微妙な差の味が判然するワケはないし、だいいちあの、売場で乾ブドウくらいの粒に楊枝さして、「ねえそこの旦那さン、ご試食いかがですか。チーズですよ。バターに似てますけどこのまま食べられますよ」などと、目の前にさしつけられても、こちら、恐縮してシラケるばかり。「はあ、さようで。私もまた、バターとはちがうなァと見たのですが」くらいのアイサツで、早々に頭掻きかき、にげださねばならぬ。だからこういった場合は、向うのサービスを先取りして、いろんな種類ごとのいちばん小さなパック、手あたり次第、あれもこれも全部、買いとり、ウチでゆっくり、ひときれずつ皿にならべ、食いくらべてみるのが、先決である。チーズが、いかに同じ、チーズという名でも、豊富多彩な世界か。ナポレオンも負けるくらい、びっくりする。
もっとも、私と同好の紳士は、世間にごまんといるとみえるなァ。先日も、某百貨店地下室食料品売場。次から次とチーズのバーゲン包みをえらびとって、「ぼかァ、好きでねェ」などと売り子にニッコリ自己宣伝。しこたま買いこみ意気揚々とひきあげてった中老のダンナあり。こういう手合にかぎって、頭にはベレー、片手にパイプをもち、夏でも格子の背広など着こんでるのは、いかなる厄介な趣味か。それはともかく、ダンナきえさるやとたんに、今ニッコリされたばかりの売り子、レジの同僚にむかって、
「ねえ、あんた、スゴいねえ、今のお客さん。チーズばっかし三千円買ってったよ、あれドウいうンだろ」
その大音声、筒抜けに、ブルー・チーズをにぎって今しも買おうと身がまえてるこちらまできこえちまうから、シャイな私、ハッと赤面。きょうはここで買うのよそう、また明日、隣の店でバーゲンセールひらくの待とう、とスゴスゴひきあげざるをえなくなる、とは、食いものの恨み、またここでも、内攻が深化せざるをえんのである。
チーズの経済的な食いかたは三つある。いちばんはフォンデュ式に白ブドウ酒で煮とかしてパンの切れはしをひたして食ってしまうテである。グリュイエールかエメンタールか穴のあいたチーズがいいにきまってるが、ゴーダ・チーズもけっこうくわえられる。プロセスはダメよ。ゴムになる。第二はこれも種類はたいがい何でもかまわぬ。ナチュラル・チーズをきざんで、鍋に入れ、ゆっくり牛乳で煮とかして、つまり自家用のクリーム・チーズをつくっちまうテがひとつ。ときには失敗するが、うまくゆくと非常にかわった味がうまれる。今ひとつは、アメリカの本の受売り。クリーム・チーズの中へ、プロセス・チーズのみじんをきざみこんで練り(スリ鉢がいい)、残り肉のみじんやシェリー、タマネギなぞ、好きなものをまぜこんで、ゴルフボールくらいの球をつくり、ナッツの砕いたのをまぶして、冷蔵庫で冷やして供するというテである。うちの猫はチーズが大変な好物であって、チーズと知ればヒゲの立ちかたまでちがってしまう。
そして、結語[#「そして、結語」はゴシック体]
ふりかえってみれば、私がこういう、無邪気にも他愛ない手製の調理にのめりこんだきっかけは、暮夜、原稿執筆の息抜き――とはなかば本音、なかば口実――ひとり冷蔵庫あけて思案したのがはじまりであった。食パンの上にハムやチーズを山とのせて、いわゆるダグウッド・サンドをこさえてみる。スープはマギーで済ますにしても、こいつに何の野菜の切れはしをたして煮たらウマくなるであろう――などなどアサハカな工夫をこらすうち、ああら計算外。上手下手はべつとして、自分で自分の味をつくるのが病みつきになってしまった。
以降、つくって食っちゃァふとり、ふとりゃやせたいとさらに食いものを工夫し、必要は試行錯誤をうみ、体験は盗用をくわえ、百餞散乱、支離滅裂。見らるるごとき徳用私製のレパートリィを構成するにいたったのだが、取柄といえば唯一つ。ウマいマズいの批評は当人ばかり。他のお方には、猫と家族をのぞいてほとんど御迷惑をかけてないその「仁」の一事であったろう。結局は己れの舌に、よい想いをさせればいいのだからなァ。自分でつくって全部たいらげて「ウマいなァ」と感嘆してるかぎり、こんな無害で当りはずれのない道楽はない。
自分ひとりの美味探求であるから、私はいわゆる包丁の冴え≠ヘもとめない。ナニ、もとめたって生来のぶきっちょ、モノグサ。|かに《ヽヽ》を料理バサミで断ちきるのは大好きだが、生魚を刺身包丁でおろすのなど大ッきらい。だってヌルヌルするもの、の口である。
そんなやつがよくもまァ、こんな口はばったい講釈などできるものだな、と驚く純な方も多いが、これというのも秘密がありましてね。つまりは、ウチが、非常に極上の料理人兼買出し指南役を、台所に奉戴しとるからである。この方のマメな御指導とあざやかな台所さばきがなければ、私、とうてい、こんな御本など、書かせていただけやしなかったのです。
もっとも、厳然といっておく。わが家で、味の批評家は、彼女ではない。何となればあの女性は、私のつくったものを、一度として、その場で即座にホメたことがないからである。かならず一応は、まアね、などと首をかしげてみせるからである。ああいうのは、批評家として、いちばんラクな態度であって、いいとこにはランクできない。
むしろ拙宅で、真の批評家は、猫であるだろう。これは、私の製品が本当にウマいときは、私が食いおわるまで、涙がたまるような巨大な目を見ひらいて、じいっと私の唇を凝視しており、逆にマズければ、なげすてるように前肢の一本をふって、即座に冷然と遠ざかる。虚飾も包み隠しもないこと、いっそ、溜飲がさがるばかりの確信と洞察である。
ああ私も、ああいう批評が書けたらなァ、と、今日も、また、われ、猫とともに、食う、か。
[#地付き]〈了〉
[#改ページ]
あ と が き
正直な話、私は一生の間に、食いもの、あるいは食い気に関して、本をあらわすだろうなどと、想像したこともなかった。
だいいち、数年前、文藝春秋の福島由紀子さんから、「別冊文藝春秋」に、食い気の個人体験についてエッセイを書くよう、御依頼があったとき、向う見ずに大車輪で書きはしたものの、いったいこんな文章が世間をわたる値打ちをもつのかどうか、原稿が活字になるまで、不安と心配と後悔で、息をひそめ、小さくなってくらしたものだった。自分の原稿や顔が外へながれでるのを見るのは、好きなほうではない。とくにこのときは、いてもたってもいられなくて、だから、雑誌の発売直前、同社の小田切一雄氏から、おもしろいですよ、と一言なぐさめられたときは、大仰でなく、へなへなと腰がゆるむ心持がした。意外に、気が小さくいきている。
ふりかえってみると、それ以来、まる三年にわたって、「別冊文藝春秋」には、貴重な誌面を占拠させていただいたわけで、その間《かん》、筆足のおそい私の、尻をたたく担当記者も、福島さんから、内藤厚氏、中井勝氏とかわり、全量を本書にまとめあげるについても、出版局担当者は藤本一男氏から、小田切さんに交替した。最初、この本でいえば第一章にあたる部分をみとめてくださった小田切さんが、最後の校了まで責任もってとりあげ≠トくださる、というのも奇縁以上のことである。ほんとうに皆さん、遅飯遅書きの私を、よくまあここまで御鞭撻《ごべんたつ》くださいました。
本書をつらぬくものは、戯文のこころである。お笑い以外の何ものでもない。しかし、これを私が、ふざけて調子をゆるめて書いたか、とおもわれると、おもうほうは自由としても、書いたほうは若干ちがうので、私はむしろ、本業以外の領域でこういう徹底的戯文性を貫通すると、なんと自分はのびのびと自分自身でいられるのだろう、と実感しながらこれを書きつづけた、と終りに白状しておきたい。てれくさい言い方だが、私は本気でジョークをいっていた。
私がここでいいたかった主題、それはたった二つである。ひとつは、食をかたり、食の実作に手をそめることは、男にとって、恥でも何でもありはしないではないか、という提言。いまひとつは、それにしては現今、われわれをとりまいている日常の市販食品は、何と、うさんくさいものではござらぬか、御同役、という問いかけである。私は著者として、この二主題への、一人でも多い同意者を希求する。
これを書きおえて、私は今、食うという領域での言いたい放題は、言うだけいわせていただいた気がする。これ以上書くと、言わでものこと、べつに言いたくもないが仕方なくいうこと、もまじってしまうだろう。私はこれをもって、(いま自発的に継続中の仕事をのぞけば)食いものに関するおしゃべりを、当分とじることにする。口は今後、もっぱら、食うだけの用につかう。次に、またこの領域で一冊をまとめるとなれば、それは、よほど広く深く長くタネをしこんだあとでの、はなはだ学術的な『鍋もの大全』であるだろう。その節は、また、どうか、ほんとうによろしく。
――では、河岸へ仕入れに行ってまいりますワ。
昭和四十七年五月十五日
[#地付き]荻  昌 弘
[#改ページ]
文庫版に際して
本書の、もとになった原稿の終章を「別冊文藝春秋」にわたしたのは、昭和四十六年八月のことであった。それが、単行本をへて、このように「文春文庫」の光栄ある一冊にくわえていただくまで、わずか満五年にみたない。私には、このスパンは非常に短いものにおもえ、これほどに本書に対して支持をあたえられた広い世間に、あらためて、いいつくせないほどの感謝の心を、のべさせていただかずにいられない。
この五年のあいだ、とうぜん私には、これに書いたこととの、視点のちがいもうまれた。今にしておもえば、私自身、無知のまま軽率な断定をした個所もあり(無知な者ほど、軽率に断定のかたちをとりたがるのだ)、その後の勉強で新しい視角がうまれた点もあり、年齢の加わりで好みのかわった食物もあり、何よりも日本の食品事情や市販品じたいがちがってきた点もあり、また、なかには、本書の指摘によって、それまでの方策を検討されなおした向きも、ないではなかった。しかし文庫収録にあたっては、私は(今の責任において)それらの点は、特に補訂を要することに新たな注をつけたほかは、あえて書きあらためなかった。そこをなおしては、本書の唯一の身上である、私の食いものに対する初心と稚気そのものが、基本的にくずれてしまう、という気がしたためである。あらためたのは、文庫本の活字の大きさをおもい、訓よみの漢字をなるべくかなになおしたことで、ことに訓よみの動詞は、語幹が単音節でまぎれやすいものや、調理用語のほかは、あえて全部かなにしてみた。
ただ、ひとつ、これだけは本当にこまったのは、最初に書いた食いものの値段が、一つとして現在そのままで通用するものがないほど、ぜんぶ値あがりしてしまったことであった。この文庫収録にあたって、文中すべての金額を、もう一度当事者にあたりなおし、担当の小田切一雄氏と相談しあったが、古いままの価格を文章にのこしては実状と誤解されるおそれが大きすぎ、といって、値段だけを現在になおしては文意が完全に通じなくなってしまい、結果、やむなく、若干の個所で、価格の点はぼかさざるをえなくなったことをおことわりしておきたい。
昭和四十四年から四十六年にかけて書いた原稿を、昭和四十七年に単行本へまとめたときは、こんな苦労は、ほとんどせずにすんだ。それが五十一年初頭には、価格の値あがりこそが食いもの記事最大のネックになる。ここ二、三年のインフレこそ、じじつ身の毛のよだつ恐ろしさだ、ということを私はあらためて実感せざるをえなかった。なかでも、牛肉の値あがりが、文字通り手のつけられない¥態になっており、この現状では、かりにここで五十一年現在の価格を書きこんでも、また数年後には、突拍子もない改訂版をださねばならぬことになるのではないか、と小田切氏とにがくわらいあった。
先日、パリの近郊で、幼稚園児に対する学校給食を参観する機会があり、私はフランスの幼児が、日本だったら部長局長クラスでも毎日は食わないようなコースをひるめしに食っているのをみておどろいたが、その給食コストが、日本の学校給食のそれよりも安いという事実を知って、さらに衝撃をうけた。つまり、日本では途中の人件費のしめる率と額が、高すぎるのである。あのフランスよりこの日本で!
たぶんこれは、給食だけではあるまい。私たちは、いま、満足できる食いものを獲得するに際して、どこかで非常に無駄なロスをし、その結果、不当に高く、もとの値段の価値にあたいしないものを、食わされているにちがいない。この不合理を排撃し是正してゆくには、けっきょく私たち市民ひとりひとりが、自分の食いものに主体的、積極的な関心をもってかかわり、その根本をかんがえつめてゆく行動以外、解決方法はないわけで、本書もその点で、「食への同好者をふやす」ことによる社会への役だちがわずかなりとはたせれば、こんなしあわせなことはない、という気持に、いまの私はなっている。ご叱正を待機し、あわせて、小田切一雄氏に、あらためてのお礼をもうしのべる。
昭和五十一年春
[#地付き]荻  昌 弘
〈底 本〉文春文庫 昭和五十一年五月二十五日刊