西の善き魔女外伝 ガーラント初見参
荻原規子
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)契約と金|次第《し だい》
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「ロウランド家のチェスを動かす。そう決めた」
ユーシス・ロウランドは宣言した。二十歳を迎えたばかりの御曹司《おんぞうし 》に、勇み足がなくはなかったが、声の響きは落ち着いてゆるぎない。この言葉のもつ意味を十分知り抜いていることを匂わせた。
「だから、貴君《き くん》を呼んだ。この一件は、秘密裡《ひ みつり 》に確実に遂行《すいこう》しなければならないからだ」
彼の前にのっそり立ったガーラントは、しばらく見ないあいだに、ユーシスが自分に負けない長身に育ったことに気がついた。
(大きくなったものだな、おぼっちゃんは――)
だが、契約で腕を買われるのが傭兵であり、感想をうかつに述べることはない。ことに、ロウランド家ほどの大家であれば、たとえ父と子であっても契約対象を分けて考えるべきだった。口に出してはこう言った。
「自分は一介の傭兵隊長であって、伯爵不在のロウランド家で、采配をふるう立場にはありませんがね。意見などはもっての他ですが――」
「言いたいことがあれば、遠慮なく言え。ちなみに、ベントマンの了承はとったぞ」
間髪入れずにユーシスは応じた。ガーラントは、口のはしに笑みが浮かぶのを抑えられなかった。
「御曹司がチェスをなさることに、異議申し立てはありませんさ。ただ、ロウランド家の持ち駒は他にいくらでもある。外部の傭兵を選んだわけは? 小手調べのおつもりで?」
ガーラントの顔を見て、ユーシスもちらりとほほえんだ。だが、いくぶん苦笑めいていた。
「わたしがまだ知らないと思っているなら、今のうちにあらためろよ。貴君は、わが家の最強のふところ刀だ。父がおまえを子飼いにしないのは、そのほうが切れ味が鋭いからに他ならないだろう」
「ほほう――お褒《ほ》めにあずかって光栄ですな。しかし、あえて言わせてもらえるものならば、使いこなせるものですかな。お手前に、伯爵の隠し刀が」
「だれにでも、初めてのときはある」
ユーシスは言い切った。率直な口ぶりだった。未熟な自分が見えないわけではなく、かといって、父の懐中に手をつけることに臆《おく》してもいないのだ。
(まっすぐな目だ――)
澄んだまなざしを受けとめながら、ガーラントは、前にもこうして感銘《かんめい》を受けたことを思い出した。そのころのユーシスは、まだガーラントの肩に背がとどかない、ひょろりとした子どもだった。髪の色だけは、当時から目立つ赤毛だったが――
「ポーンではなく上級の駒が必要だ。事情が込み入っている。女王家にかかわり、しかも、女王陛下に対して内密にはこぶべきものごとだ――」
ユーシスの説明を耳にとめながら、ガーラントはわれ知らず当時に思いをはせていた。
* * *
レオン・ガーラントが最初にロウランド家にやとわれたのは、二十代の前半だ。
先代伯爵に二年ほど仕え、それから当代オーウェン・ロウランドの下で働いた。
それまで、南部の中小貴族のもとを転々としていたガーラントが、北部の雄《ゆう》と謳《うた》われるルアルゴー伯爵家へ出向く気になったのは、「箔《はく》をつけに」行くつもりだったからだ。北部人はお人好しで目はしがきかず、いくらでもうまく立ち回れると聞かされていた。
風聞《ふうぶん》を半ば信じていたガーラントも、先代伯爵やオーウェンがお人好しにはほど遠い、腹に一物《いちもつ》も二物もある人物と知り、うわさはうわさに過ぎないことを思い知った。大貴族となれば、南部も北部も関係なく、丁々発止《ちょうちょうはっし》の化かしあいに生きるものらしかった。
オーウェン・ロウランドは、ガーラントと年齢が近いこともあり、かなり気安く接していたが、何を考えているのかわからないところは先代と同じだった。気に入られていることは、ガーラントもうすうす感じたが、たんにオーウェンの好みが風変わりなだけかもしれない。この伯爵にあまのじゃくな趣味があることは、重用しているメリング医師の人となりを見れば、よくわかるものだった。
「――ところで、ガーラント。このたびの用件は、じつは息子に関することなのだ」
その年オーウェンは、久々に顔を合わせたガーラントを前にして、話のついでのように言った。
「ユーシスどのですか」
「息子の顔を知っているかな」
「しかとは……遠くにお見かけしただけですが。しかし、髪の色はわかっています」
当代伯爵はしかつめらしくうなずいた。
「だろうな。だれもがそう言う。あれは染めさせているだけなのだが」
「本当ですか」
「いや、冗談だ」
眉ひとつ動かさず、伯爵は答えた。ガーラントは沈黙することにした。
「……だが、染めさせた少年が一人、行方不明になった。誘拐犯のしらべはおおかた済んでいるが、隊長には、かどわかされた少年の奪回に動いてもらいたい。なるべくなら無事な姿で」
少々顔色をあらため、ガーラントはたずねた。
「ご子息の身代わりの少年、というわけですか。そのような奸計《かんけい》がロウランド家に対して計られていたこと、いつからお気づきでしたか」
「いつのときでも、あってないようなものだ。今のところ、ロウランド家の世継ぎはユーシス一人きりだからな。表向きには」
裏向きにはどうなんだと、ガーラントは心の中で問わずにいられなかった。次の言葉をためらっていると、ふいに背を向けたオーウェンは言った。
「ついて来たまえ。ユーシスに引きあわそう」
伯爵の息子は、先代伯爵が亡くなる一年前に生まれている。流れた年月を数えれば、今年は十二歳になるはずだった。興味をひかれて、ガーラントは伯爵に続いた。その間ずっとルアルゴー州にいた身ではないが、誕生祝いの華やかさはよく覚えていたのだ。
生け垣で仕切った裏庭の一角で、同じ年頃の少年が数人、剣の稽古に汗を流していた。なかでも、ひときわ赤い髪をした少年が目をひいた。
「やっぱり、目立ちますな……」
「本人はまだ、自覚していないがな」
伯爵は、声を高くしてユーシスの名を呼んだ。稽古をやめた少年たちは、領主の姿を見てあわてて礼をとり、赤い髪の少年だけが息をはずませて駆けてきた。
「父上」
「おまえの新しい師匠を紹介しよう。レオン・ガーラント、傭兵隊長だ」
ガーラントは、とまどって伯爵を見やった。
「師匠? 自分がですか?」
どこ吹く風で、オーウェンはさらに息子に向かって言った。
「この隊長の手足となって、数日――そうだな、五日ばかり修行してこい。今まで知らなかったことを教わるはずだ」
「ちょっと待ってくださいよ」
ガーラントはさらにあせった。期待の目で見上げるまなざしを避け、顔をそむけながら伯爵に問う。
「さっきは、誘拐の救出に向かえとおっしゃったでしょうが。どちらが今回の自分の仕事なんです」
「救出に向かえ。ユーシスもその場につきあわせる」
ごくあっさりと伯爵は告げた。
「そろそろ、館の外のものごとを知ってもいい年齢になった。隊長は、何もこれを特別扱いする必要はないぞ。この子を身代わりの少年だと思ってくれてもいい。どちらか一人を失っても、わたしは苦情を言わぬことにする」
(なにを考えているんだよ、あんたは!)
ガーラントが大声でわめきたいのをこらえているうちに、オーウェン・ロウランドはすたすたと歩み去ってしまった。後には、見上げる少年だけが残った。
しぶしぶながら、伯爵の背を見送るのをやめて少年に向きなおる。すると、どんな不安も迷いもない、まっすぐな瞳がガーラントを貫《つらぬ》いた。
「よろしく、ガーラント隊長。父に一任されるほどの、りっぱな騎士と知りあえて光栄です」
「傭兵は騎士じゃない。おまえさんの父親が積んだ金子《きんす 》のなんぼで働く人間だ」
ぶっきらぼうに告げたが、少年の瞳はくもらなかった。
「あなたの腰にはりっぱな剣が下がっている。女王陛下の国グラールで、剣をふるうことが許される人物は、騎士だけでしょう」
「表向きはな」
そう答えてから、ふと思い当たった。ひとくせもふたくせもある伯爵の言葉を、真に受けるほうが愚直《ぐちょく》かもしれない。息子に引きあわせると言っておきながら、こちらは替え玉の少年なのかもしれない。本物のユーシスは誘拐されて、じつは、抜き差しならない情況におちいっているのでは。
(だいいちこの少年、伯爵に少しも似ていないし……)
疑いをこめた目で見ると、目の前の少年はあまりに屈託がなさすぎた。いかに箱入りで育てたとしても、あのオーウェンの息子が、これほど無邪気でよいものか――
「とにかく、伯爵のご命令はご命令だ。これから、かどわかされた赤毛の少年の行方を追う。日帰りで帰って来られると思うなよ。本気でついてくるつもりなら、野宿ができる恰好と支度をしてこい」
「はい」
少年ははずむ声音《こわね 》で返事をした。どう見てもうれしそうだった。
「なにをはりきっているんだ。伯爵のおっしゃったことに、不安はないのか」
「どうしてです。ぼくは初めて、自分自身で恩にむくいる機会が与えられたんだ。お許しが出たなんて、夢みたいですよ」
やっぱり、こちらが替え玉の少年であるらしかった。少しして、実用的な服に帆布の荷袋を背負った少年が、すんなりと一人で現れるのを見て、ますますその確信は強まった。
(身代わりをつれていくことを命じた、伯爵の真意はどこにあるんだ。すり替え……? 真の息子の奪還を、相手に気づかれないようにする……?)
ガーラントがあごをなでて考えこんでいる最中に、背後から細くて高い声がきこえた。
「アデイルも、お花つみに行く――」
ぎょっとして顔を向けると、明るいふわふわの髪をした七歳くらいの女の子が、スカートをにぎって立っていた。陶器のように色白で、花を飾ったドレスをまとい、どこかで見かけた人形のような子だ。
「あっ、どうしてこんなところまでついてきたんだ」
少年はあわてた表情になり、女の子に駆けよって背をかがめた。
「一日では帰れない遠くだって言っただろう」
「いっしょに遊ぶって約束したのに。いつもいつも、お兄様はどうしてアデイルを置いていっちゃうの」
「いつもじゃないだろう」
「いつもだもん」
女の子はしばらく拗ねたが、まもなく駆けつけてきた侍女二人にさとしきかされ、ようやく見送ることを承知した。どうやら、伯爵の下の姫にまちがいなかった。
「まいったな、アデイル嬢か。してみると、おまえさんは本物のユーシスということか」
あきれた声でガーラントが言うと、少年はうなずいた。
「たぶん。少なくとも、アデイルにとってはぼくが兄です」
「たぶん、ってどういうことだ」
首をすくめてから、ユーシスは言った。
「どうでもいいことなんです。ぼくたちにとって、だれの子どもかということは」
詳細をあらためて入手し、ガーラントにも今回の誘拐事件の様相がつかめてきた。
ルアルゴー伯爵はそのころ、女王顧問官として、不正な交易で利益を上げた南部貴族の三家を摘発しようとしていた。だが、外聞の悪いことに、この三家に伯爵の奥方の実家、メロウ家が肩入れしていたらしいのだ。
拉致された少年は、メロウ家の別荘に隠れもなく滞在していた。誘拐ではなく招待したと、いくらでも言いのがれのつくものだったが、そこには警告と脅しが含まれているというわけだ。
(ことを表沙汰にすると、ロウランド家の夫婦仲が疑われそうなてんまつだからな。伯爵が、裏方稼業の傭兵に仕事をふってきた理由もうなずける……)
ガーラントは考えたが、請け負い仕事としてはずいぶん楽な部類だった。別荘の警備は目立つほどのものではなく、拉致《らち》された少年の生死を深刻に案じる必要もない。しかも、伯爵は「なるべく無事に」としか言及しなかったのだ。
(――だからのついで仕事が、このおぼっちゃんに、もう少し世間を教えろということか)
それもまあ、いいだろうと、ガーラントは思った。彼の部下と行動をともにしたユーシスは、子犬のように元気よく、何をするにもめずらしそうに興味を示した。
「傭兵の請け負う仕事は、公認の騎士より多岐《たき》にわたるぞ。騎士はおのれの栄誉のために戦えばいいが、おれたちの仕事に名声やら表彰やらは無縁だ。むしろ、表に出せない場所にこそ、みがいた腕の発揮しどころがある。こういう仕事は、騎士の役目より種がつきないものなのさ」
かたわらを歩くユーシスに言ってきかせると、少年は目を見はるようにしてたずねた。
「それは、表で知らされる事件よりも、裏に隠れた事件のほうが多いということですか」
「当然すぎるな」
「でも、たとえ栄誉がなく裏に隠れた仕事にも、善悪はあるでしょう」
「傭兵は、そんなことは問わん。契約と金|次第《し だい》だ」
にべもなくガーラントは答えた。
「たとえば、今回はたまたま救出に向かうが、これが、とらわれた少年の抹殺を命じられることであっても、おかしくもなんともない。そういう仕事だ」
しばらく考えてから、ユーシスは言った。
「父が、そのような命令を下すこともあるという意味ですか」
「ものごとのきれいな面ばかり見ていても、本質はつかめない。伯爵が、今回おまえさんに学んでもらいたいのはそのことだろうよ。おれたちの存在を見せておきたかったのは」
厳しいようだが現実だと、ガーラントは考えた。
「聞いただろう、伯爵はどちらか一人を失っても苦情を言わないと。誘拐された少年とおまえさんは等価だと言ったものだ。それは、傭兵への指示としては抹殺すれすれだ。一人をつれてもどれば報酬は保証される、とな」
「そうですね……」
さすがにユーシスも神妙な顔つきになった。だが、黙りこんでしまうかと思うとそうでもなく、ふたたびたずねた。
「ガーラント隊長は、騎士になりたいと思ったことはないのですか」
(――そりゃあ、ある)
幼少の日々に、華々しい正義の騎士になりたいと思わなかった者がいるだろうか。けれども、貴族と庶民の条件差をここで語る気になれなかったし、耳をかたむけている部下の手前もあった。
「後ろ暗い仕事も、だれかがその役目を引き受けなくてはならない。おれは傭兵に向いている。なんたって自由だからな」
「自由?」
「そうさ、どこにも属さない。ルアルゴー伯爵も、契約を離れればおのれの主人ではない。金で仕えるということは、こちらからも相手を選べるということだ。腕のいい傭兵隊であれば、どの州へ行こうと需要はある」
仲間の顔をちらりと見て、ガーラントは笑みを浮かべた。
「この面子《めんつ 》は、全国各地からおれ自身がスカウトした、いわばおれの財産だ。もとから州兵とはできが違うぞ。こいつらを食わせるのは、領主でなくこのおれだし、風のむくまま気のむくまま、みんなで国を出て行くことだってできるのさ」
「ああ、それはいいな。いいなあ――風のむくままか」
少年は驚いたように言い、夢見る顔でつけくわえた。
「ぼくも傭兵隊に入って、よその国まで行ってみたいなあ」
中部の森を抜けて行くには、敏速な部隊でも二日二晩かかった。ともに野宿をしたユーシス少年だが、その年齢にしては足手まといにならなかった。
貴族の子弟《し てい》は、親族のもとで従者をつとめて行儀見習いをすると聞いているが、この少年も従者としてよくしつけられている。こまごました手伝いをいやな顔を見せずにやってのけ、傭兵の野営地でも、十分率先して動くことができるようだった。
初めてらしい失敗もいくつかやらかしたが、じきにガーラントの部下たちは、荒っぽい親しみをこめてユーシスに声をかけるようになった。部下たちもまた、彼が本物の御曹司だとは信じられない様子だった。それほどにこの少年からは、北部一の貴族の子だという尊大さが匂ってこないのだ。
(これほど性格がよく、しかも正真正銘ロウランド家の御曹司だとしたら、いっそいやみに受け取れないか……?)
思わず、そこまで考えるガーラントだった。若いうちから傭兵稼業で世間をわたり、ものごとを額面どおりのみこむ愚かさを知り尽くしている。いまだに、ここにいる少年が真の伯爵の息子かどうか、断定はしていなかった。
目的地が間近になり、数名の斥候《せっこう》を放って待機したとき、ガーラントは彼にたずねてみた。
「メロウ家の別荘にいる少年とは、顔見知りなのか」
ユーシスは一瞬考えてから、首をふった。
「きっと、知らない顔だと思います。本当は以前に知っているやつだったということが、なくはないとは思うけれど」
「ロウランド家の替え玉として、髪を染めた少年がいることは知っていたんだな」
「ええ、他にもいましたから」
「一人二人ではないということか」
少しためらってから、少年は声を低くして言った。
「死んだ子がいるんです――もう、ずいぶん前に。どうして死んだかは教えてもらえなかったけれど、館に遺体がかえってきたのを見ました」
「知らない子どもだったのか」
「ええ。でも、その子とぼくと、大きな違いはないのだということはわかりました」
ガーラントは鋭く少年の顔を見たが、はしばみ色の目は伏せられていて、どういう気持ちで口にしたかはわからなかった。
「前にたしか、自分はだれの子どもでもどうでもいいと言ったな」
ゆっくり念をおすと、少年はうなずいた。ガーラントは、少しわかってきたように思いながら言葉を続けた。
「由緒ある血統に生まれておきながら、なんのつもりだと思ったものだが、ひょっとしておまえさんは、伯爵の嫡子《ちゃくし》だということに確信がないのか。だれが替え玉でだれが本物のユーシスか、伯爵は本人にも明らかにしないのか」
貴族の家に隠し子はつきものだ。通常の場合、主だった家々で公表される子息子女の数は少なめで、一子か二子が多い。だが、子孫が絶えて家を失った話はめったに聞かず、家督《か とく》相続にもめごとが起こった際には、『長らく行方不明だった』子息子女がぞくぞくと現れるのがお約束だった。
少年は、困ったような顔で少し笑った。
「うーん……たしかに、本当に父の子かどうかはっきりしません。母上の子だということは、なんとなくわかる気がするけれど。だれの子だろうとどうでもいいということは、このあいだ妹に――アデイルに諭《さと》したことなんです」
「アデイル嬢? そういえば、あの子とおまえさんも似ていなかったな」
「ぼくが途中で死んだりせず、大きくなって強くなって、騎士と認められる人間になれば、なんの問題もないんです。そうでしょう?」
急に同意を求められて、ガーラントは少々めんくらった。まっすぐに見すえた目で、ユーシスは口調もあらたに言った。
「父上は、女王の騎士になる器《うつわ》のある息子だけを、息子だと認めるでしょう。ぼくは、それでもいいんです。今はぼくの他に、何人も横並びにそういう子どもがいるけれど、きっといつか、どんな身代わりも必要としない強い人間になるから」
ガーラントの一隊は、メロウ家別荘の位置を確認し、いっきにたたいて決着をつけることにした。ロウランド家がなんらかの手段に訴えてくることを、先方が承知している以上、小手先のあれこれを考えるよりも、迅速に思い切りよく片づけたほうがいい。
ガーラントはもちろん、突入にユーシスを加えなかった。彼には、目立つ赤毛を頭巾で隠すことを命じ、隊長の予備の剣をもつ待機要員とした。十二歳には妥当な役回りと言えるだろう。
ユーシスは役目に不服を言わなかったが、ガーラントは、念には念をおいて言い聞かせた。
「おれたちを甘くみるなよ。おまえが言いつけにそむいて顔を出し、今いる少年の代わりにとっ捕まったとしても、二度と救出などしないからな。最低一人をつれてもどるのが請け負った条件だ。成立した時点で、おまえがどうなっていようと引き返す」
「わかっています。あなたがたの仕事は、とらわれた少年を取りもどすことだ」
彼はおとなしくうなずいた。だが、手にもたされた剣をしげしげと見ているのが、ガーラントは妙に気にかかっていた。
だから、予兆があることはあったのだ。
別荘警護をしている兵の数は多くなかったが、手だれがいないわけではなかった。池のある庭に続く芝のスロープでは、しばしのあいだ、あちこちで剣戟《けんげき》の音が響きあう事態がおこった。
とはいえ、優勢はガーラントの側にあり、相手に手負いや逃げ出す人数が増えていく。やがて、部下の二人が開け放った扉から、赤い髪をした少年が走り出してきた。
ガーラントは、まだ刃向かう連中と剣を交えていたため、少年がどこも支障のない様子だということを、目のすみでとらえただけだった。背かっこうは、同伴してきたユーシスとよく似ているようだ。
それだけ確認して目の前の敵に集中しようとしたとき、あろうことか、もう一点の赤い髪が目に飛びこんできた。
池を回って駆け出してきた、剣をかかえる赤い髪の少年が、建物をのがれて池へ走った赤い髪の少年と、芝の上で出会おうとしている。
ガーラントが仰天《ぎょうてん》するまもなく、池を回った少年は大声で叫んだ。
「ユーシス!」
芝のスロープを走り下った少年は、正面から名を呼ばれて立ち止まった。その少年に向かって、もう一人は持っていた剣の一本を突きだす。
「ぼくと立ち会え。どちらがロウランド家にもどるかは、この剣の勝負が決める」
(なんだと――)
ガーラントは、あやうく自分より劣った敵に斬られそうになった。別荘にいたユーシスが、相手の投げた剣を受けとめ、ためらいなく鞘をはらったのが見えた。
(おれは伯爵に、誘拐された少年の抹殺を命じられなかった。抹殺は、あの子自身の役目だったからなのか。初めから、もどるのは一人と決まっていたのか。どこが伯爵に似ていない、だ。無邪気そうな素直そうな態度で、おれたちを手玉にとって――甘いのはこのおれのほうか――)
ふがいない自分に無性に腹が立ったガーラントは、猛然と剣をふるい、その形相に恐れをなした敵方は、最後の抵抗者まで背を向けて逃げていった。だが、ガーラントが赤毛の少年たちのもとへ駆けつける前に、二人の一騎打ちにはけりが着いていた。一方の少年が、鋭い突きで相手の剣をはじき飛ばす。
剣を失った少年は手首をおさえ、力なく芝の上に倒れた。あわやと見えたが、剣をふるった少年は、その切っ先を相手の首筋寸前で止めた。
二人とも同じような髪の色、同じような体格だ。そして、両方ともうつむいて息を切らせているので、たどり着いたガーラントは最初どちらがどちらかわからなかった。だが、少し冷静にながめてみると、勝ち残った少年のほうが身なりが粗末で、こちらがいっしょに野宿をした少年らしかった。
立っているユーシスが、座りこんだユーシスに、まだあえぎながら声をかけた。
「……きみは、もう髪を染めなくていい。もう、むやみに危険にさらされなくていい。ぼくは、きみを解放するためにここへ来たんだ。きみには恩を受けたと思っている」
芝をつかんだ少年は、やり場のない怒りをこめ、にごった声音で叫んだ。
「ふざけたおためごかしを言うな。魂胆はわかっているぞ」
大きく息をついてから、立っている少年はうなずいた。
「うん、たしかにそうだ。よけいなことを抜きに言えば、ぼくはきみより強い。その勝負がついたからには、負けたきみは二度とユーシスにもどれない。メロウ家の手引きをするのはきみの勝手だけど、ロウランド家へ帰るのは、このぼくだ」
「一度のまぐれだ。次のときは――」
「それはルールにない。不正なしの勝負だったことは、ここにいるガーラント隊長が証言してくれる」
敗北した少年は、目のふちを赤くし、隠しきれない憎しみの表情を浮かべて立ち上がった。その瞬間から、二人は似ても似つかない二人になった。勝者のユーシスも、今初めてそのことに気づいたらしく、まじまじと相手の顔を見つめてから、そっと言った。
「ルアルゴーまでは、いっしょにもどろうか……?」
「願い下げだ!」
もう一人の少年は、かけられた言葉を肩でふり払うようなしぐさをすると、池を回って木立の中へ消えていった。
(やれやれ――おれの任務は、とどのつまりは立会人かよ)
大いなる脱力感をいだきながら、立ち去る少年を見送ったガーラントは、かたわらの少年にけわしい視線をもどした。
「おい、見事なくらいの言いつけ無視だったな。おまえのようなやつは、生涯たのまれてもおれの傭兵隊には入れてやらん」
「すみません。ぼくは、騎士になるしか道はないようです」
反省した様子でユーシスは言った。本当にすまなそうに言うところが小づら憎い。
ガーラントは頭をふり、その場を去りかけてから足を止めた。
「今ひとつ確認しておくが。おまえさんの髪は、やっぱり染めていたんだな」
少年は木立の向こうを見やった。
「……あの子の代わりに新しいユーシスが来るようなら、このつぎは黒髪かもしれません」
「本当なのか」
「いえ、冗談です」
――疲労度が何割か増したガーラントだった。
ガーラントの報告を聞き終えたルアルゴー伯爵は、あごの下に手を組んでたずねた。
「――それで、隊長はうちのユーシスに関して、どのような感想をもったかな。最初に同伴したユーシス、という意味だが」
「いや、まあ。その、なんと言いますか……将来どうなるかが楽しみな男の子ですな。あまり見なかったタイプというか」
どこまで口にしていいか、わかったものではないので、用心して当たりさわりなく答えると、オーウェンはしばらく黙って相手の顔を見ていたが、いきなり言った。
「予言しておくぞ、ガーラント。おまえはいつも自由な傭兵稼業を吹聴《ふいちょう》しているが、ロウランド家には三代|仕《つか》えることになるだろうよ。必ずや」
彼はこのときも眉の毛一本動かさなかったが、それでもガーラントは、伯爵が上機嫌でほくそえんでいる気がしてならなかった。
(つまり、だ……)
今回の一部始終は、じつはいいかげん伯爵の親バカで、彼がご自慢の息子をガーラントに見せびらかしたかったという、ただそれだけなのではないか。ことの真相はどうやらそういう運びではないか――
とんだくわせ者だという思いをあらたにしながら、伯爵の居室を出てきたガーラントだが、ユーシス少年のまなざしを思い出すと、いつのまにか片ほおに笑みが浮かんでいた。
(……おぼっちゃんだが、箱入りではなかったな。あいつはあいつで、複雑で裏の多い環境を生きぬいている。あの子はたぶん、打たれ強いのだ……)
彼が少年の中でひときわ目をひいたのは、なにも髪の色ばかりではなかった。どんなに打たれてもひね曲がらない、その資質が光るのだ。すれっからしの自分にも、そのくらいのことはわかる。ユーシスが、今のまっすぐな伸びやかさを失わずに大きくなるものならば、当代伯爵とはまったく異なるルアルゴー伯爵が誕生するに違いなかった。
(あの子が、ユーシスのまま無事に成人を迎えたとき――)
顔を合わせて、あのまなざしをなくしていないとわかったときには、三代目に仕えてやるのもいいさと、ガーラントは考えた。
* * *
「本当に聞いているのか、ガーラント隊長。なにを途中でにやついている」
目の前の貴公子は怒っていた。なめられていると思ったようだ。ガーラントは急いで顔をひきしめたが、目が笑ってしまうらしかった。
「いや、これは失礼。誘拐された少年の救出と聞いて、ちょっと昔が思い出されましてな」
「そりゃあ、隊長はさまざまな仕事に手を染めているだろうが、参照事項はわきに置いて、現在拉致されている少年に注意を払ってほしいものだ」
髪をふりたててユーシスは言った。いまだに赤いその髪。しかし、ガーラントとは違って、彼は当時のことを思い返さないようだった。まだほんの少年だったし、ユーシスにとっては、ふり返るほどのこともない過去のできごとなのだろう。
前方しか見ないその態度も、いかにもユーシスらしかった。鈍さもまた、屈折せずに生きるには必要な資質なのだろうから。
「それでは隊長、この一件、のるか降りるか決めてもらいたい。気がのらないなら断ってくれてもいいんだぞ」
ユーシスは口調に真剣味をこめた。傭兵隊長は一度肩をすくめた後、内ポケットから小さな品を取りだして、彼に向かってはじき飛ばした。放物線を描いてユーシスの手に収まったものは、チェスの駒だった。
「黒のナイト。それが現在の自分の定位置ですさ。のせてもらいますよ、御曹司」
レオン・ガーラントは初めて大きく破顔した。
[#地付き]了
[#改ページ]
底本:「コミックブレイド増刊 ZEBEL Vol.3」 マッグガーデン
2006(平成18)年03月17日発行
入力:TJMO
校正:TJMO
2006年10月03日作成