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目 次
プロローグ
第一章 涙と汗の熟い日々
第二章 そんなばかな!? 紀元ニナ一世紀の幽霊船
第三章 魔法使いと捕虜
第四章 始動! 戦闘マシーン・ガンバスター
エビ口ーグ
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プロローグ
「十二世紀初頭、地球帝国とシリウス同盟の戦いは、泥沼の様相をていしていた。
ともにより多くの星を自分たちの陣営に取り込み勢力を拡大しようと、小さな戦いが絶えることなく続けられ、シリウスの魔法と地球の科学は、決して相いれようとしなかった。
ノリコやカズミが、ガンバスターで、宇宙怪獣たちから地球を護って、五十年。新たな戦いが、銀河の辺境を混乱させていた。
シリウス星域に移住が始まったのは、二十一世紀半ばのことだった。宇宙怪獣の危機が消失したことによって、人類は銀河の全域に植民星を作り繁栄を取り戻そうとしていた。地球人類は、名実ともに『銀河の支配者』となることを運命づけられているかのようだった。
しかし、シリウス星域に移住した人々は、地球の支配下から独立しようとしていた。
地球政府が植民星に課した過酷な重税も独立の原因の一つだったが、彼らが、地球人類以外の知的生命体が残した、超先史時代の遺跡を発見し、地球文化とは異なる思想を編み出したことが、一層シリウスの人々を地球と相いれない存在にしたのだった。
彼らは、精神のエネルギー化を体系とした『理力』を武器に、地球からの独立を宣言し、『シリウス同盟』を名乗った。
もちろん、地球帝国は、シリウス同盟の独立を承認しようとはしなかった。
宇宙怪獣を全滅させた『カルネアデス計画』(銀河中央に、ブラックホールを発生させる作戦)で、人的・物的資源の枯渇した地球は、植民星からの資源でかろうじて成り立っていたので、独立運動は即、地球経済を圧迫することになる。
ただ、地球帝国としても、シリウス同盟との全面戦争は避けたかった。
戦力の整わない(地球は持っていたほとんどの戦力を、『銀河殴り込み艦隊』として、宇宙怪獣との戦いに送り込んでしまっていた)地球帝国軍では、貧弱なシリウス同盟軍とせいぜい互角程度の力しかなく、そうなれば消耗戦になることが、明らかだった。それは、軍の建て直しをはかる地球帝国にとって、苦しい戦いになる。
また、地球帝国を牛耳っている、ほんの一握りの超エリートたちが、『カルネアデス計画』当時のスーパー・テクノロジーを独占し、封印してしまったことで、科学的・技術的停滞が始まっていることにも、地球側が全面戦争に踏みきれない原因があった。
軍事的に弱体な地球帝国とシリウス同盟の戦いはまだ、地域的な紛争程度の規模でしかなかった(しかし数百年後、この戦争が、銀河全域を震憾させる事件となるのだが)。
宇宙怪獣との戦いに生き残った人類は、愚かにも人類同士の戦いを始めてしまったのだった。
そして、二一〇三年。
宇宙の片隅で、悪夢がよみがえった。
それはまだ、小さな物でしかなかったが、人類全体を絶滅させるに充分な力を秘めていた。
彼らは無限に増殖し、人類の脅威となり始めていた。
しかし、地球帝国も、シリウス同盟も、戦いに追われ、まだその危機に気づいてはいなかった。
人類の悪夢が、再び始まろうとしていた。
[#改ページ]
第一章
涙と汗の熱い日々
冷たい宇宙空間に、銀色に輝く二機のマシーン兵器が浮かんでいた。
見える物といえば、白く輝く星々の光だけ。動く物など何もない。
そして、マシーン兵器のコクピットで、新入りパイロット、アレナス・Fは、疲れ切っていた。それも目をつぶれは、そのままズブズブと深く眠り込んでしまいそうなくらいに。ほんの数ヵ月前までいた士官学校では、こんなに疲れたことはない。いや、学校どころか、生まれて初めて感じる激しい疲労が全身を覆っていた。
何時間たったんだろ?
アレナスは、汗で額に張りついた銀色の前髪をかきあげる。いつもは反抗的に輝く瞳は眠たさに光を失っている。汗を吸った下着や制服が、ぺッタリと体に張りつき、先輩パイロットにみつからないように塗ってきた口紅やマーキュアも、ほとんどはげ落ちてしまっていた。気持ちも体も、最低のランクにまで落ちている。
二十八時間目くらいまでは、おぼえてたけれど、もうダメ。まるで脳が溶けて、ポタージュ・スープになったみたい
エーテルの風が、マシーン兵器の外装をビリビリ震わせる。宇宙空間を吹く風を、人間は知覚できないが、機械は敏感に感じとる。メーターが振れ、赤いランプが小さく光る。
エーテル圧が変わったのね
マシーン兵器のコクピットの中で、アレナスは思った。
きれいな光。赤くて、チカチカ点滅している。子供の頃、学校の先生がクリスマスツリーを飾ったけれど、それにもこんな明かりがついてたっけ
でも、クリスマスでもないのに、どうして光ってるのだろう?
何をしているの!
光の点滅が、アレナスの眠りかけていた脳を叩き起こす。
敵がいるの!?
アレナスは、噂の特殊機動部隊三十六時間耐久監視訓練、真っ最中だったことを思い出した。
センサー監視区域を、最大範囲に拡大する。宇宙の風エーテルは、微弱な光の圧力にも感応じて、流れる方向を変える。この真っ暗闇の宇宙で、光を発するものといえば……。
〈起きてるかよ、お嬢ちゃん〉
ヘルメットのスピーカーから、つぶれた声が響く。
「起きてます、中尉。ちょうど今、エーテル圧の変化を確認しました」
〈そうか。俺は寝てたよ〉
スピーカーの向こうで、ビルパート中尉は軽く笑った。
〈てっきり、お嬢ちゃんも寝てると思ったのにな〉
その笑い声は、まるでティッシュ・ペーパーを揉みくしゃにしたように聞こえる。きっとスピーカーの向こうでは、細く鋭い眼を閉して、本当に眠っていたんだろう。
失礼な奴
アレナスは、この小柄なビルパート中尉が好きではなかった。
パートナーを信頼しろ。それは特殊機動部隊の鉄則だったが、ビルパートだけは好きになれない。何しろ、いやらしい中年だから。アレナスの胸や尻をさわる。先輩風を吹かす。デリカシーがない。がさつだ。そして何よりも、アレナスを「お嬢ちゃん」と呼び、子供扱いするのが気にいらなかった。
〈寝てるのか? 監視区域は最大にしているのか?〉
しわがれた声が、アレナスを緊張させる。ビルパートの声帯は、シリウス軍との戦いでつぶれて、カサカサした音しか出なくなっていた。
「起きてます」
アレナスの疲労は限界にたっしていた。集中力はゼロに近い。一瞬でも気を抜けば、そのまま眠ってしまうだろう。だが、ビルパートにからかわれるのだけはいやだった。アレナスは残った集中力のかけらをひろい集め、コクピットの計器をにらみつける。
エーテル圧の変化は、小さくなっていた。半径二千五百メートル以内に、光を発するものはいない。敵は離れていったのだろうか。それともどこかで監視を続けているのか。
沈黙の時間が流れる。マシーン兵器の心臓が、微かな振動を伝えている。アレナスは、自分の呼吸音だけ。ハッとしてスティックを握った手に力が入り、その圧力に感応して、マシーン兵器はプラズマ・スピアを構える。しかし、敵はいなかった。エーテルの海に浮かぶ、小さなゴミだったのだろう。
アレナスはスペーススーツの中で、何百回目かのため息をつく。緊張感を持続させるのは、とても難しいことだった。神経を興奮させるアドレナリンも、すでに分泌しつくしてしまった。神経を張り詰めさせているのは、根性と気力だけだった。
そのとき、スピーカーの向こうでビルパートが、聞きにくい声でつぶやいた。
〈来たぞ〉
アレナスは、エーテル・レーダーをのぞきこむ。エ―テル圧に変化はない。動体感知計も沈黙したままだ。
「目標探知してませんけど」
〈勘だよ、お嬢ちゃん。学校出たばかりのお前さんには、わからんだろうがな〉
ビルパートのあざけるような笑い声がかえってくる。
アレナスはモニター画面をにらみつけた。真っ暗な宇宙空間が広がっているだけ。動くものなどありはしない。もちろん、レーダーも沈黙を続けている。
寝てたんじゃないの? と、アレナスが思った瞬間、レーダーがまばゆい光を発した。かなり近い。
でも、どうやって? レーダーは何も感知しなかったのに!
〈左翼後下方四十度、奴ら漂ってきやがった。アレナス、お前は右翼に展開。俺をサポートしろ〉
ビルパートの声は、こころなしかうれしそうに聞こえる。
ビルパートのマシーン兵器が光を放ち、一瞬にして視界から消えうせる。
アレナスも出力を最大にして、後を追う。アレナスは唇を噛み、しまった、どうして気づかなかったのだろうと後悔する。彼らは、ビルパートとアレナスのチームを急襲するために、エーテルの風に乗って、ゆっくりと宇宙空間を流れてきたのだ。さっき見たレーダーの反応は、彼らが方向転換に吹かしたバーニアの光を、機械が感じとったものだったのだ。それくらい、わからなければいけなかったのに。
だけど、とアレナスはビルパートのやせて、額の広がった顔を思い浮かべる。特殊機動部隊歴十五年の中尉が、気づかないわけがないのに……。
モニターに、小さな光の点が映る。ものすごい勢いで動き回っている。ビルパートが、格闘を始めたのだ。光の点は、ぶつかり、離れ、またぶつかりあう。アレナスも、大きく右方向に位置をとりながら、戦闘地点へ向かった。
アレナスの乗るマシーン兵器は、九十年前に宇宙怪獣との戦闘用に開発された、人型戦闘メカだった。当時、俗に『ルクシオン艦隊の悲劇』と呼ばれる事件で、通常航空機の延長線上にある宇宙戦闘機が、宇宙怪獣の前にまるで歯がたたなかったことが、軍で重要視されていた。そして軍は、宇宙怪獣の機動力と堅牢な装甲に対抗するために、ヒットアンドアウェイの戦闘機型ではなく、白兵戦・肉弾戦を主眼においた、史上初の人型戦闘機動兵器の開発に着手したのだ。胴休部分にメイン・ジェネレーターとコクピット、頭部に各種センサー、脚部と背部に推進用ジェットエンジンを配置していた。そして、両腕はフリーであったため、対宇宙怪獣用の各種武装を使用することが可能だった。
完成したマシーン兵器は、RXナンバーで呼ばれ、宇宙怪獣との戦闘に多大な成果をあげたといわれているが、その多くは人類を守るためのエルトリウム艦隊とともに、宇宙の果てへ旅立っていったままだった(帰還予定は、百四十年後とされている)。
そして、地球圏に守備隊として、残されたわずかなマシーン兵器は、現在でも格闘・白兵戦の主力とされていた。けれども、その性能は宇宙怪獣との戦いに使用された物と比べると、かなり低下していた。各種の高度技術や科学が、政府の極秘事項とされ、進歩を止められていた。新規に開発するだけの余裕もなく、古ぼけたマシーン兵器を修理して使っている。このことひとつを取っても、よくいわれる『地球文明の衰退』が、真実のように感じられた。
その中古品のマシーン兵器同士が、アレナスの目前で格闘を繰り広げていた。
ビルパート中尉の銀色の機体と、カルナック中尉のグレーの機体が、一瞬の隙、相手のミスを狙って、ぶつかり合っている。プラズマ・アックスとプラズマ・スピアが触れ合い、閃光が発せられる。モニターやレーダーが映し出すその姿には、九十年も前の兵器とは思えないような迫力があった。
〈ビルパート、今日も俺の勝ちだ。賭は忘れちゃいねえだろうな〉
スピーカーを通じて、カルナックの声が聞こえる。
〈バカ野郎! 今度は、俺がただ酒を飲む番だ〉
またか。アレナスは、彼らの会話を聞いて、うんざりする。最初は驚き、次にはあきれ、そしてがっかりした。地球の独立と、地球人の誇りを守るために設立された、マシーン兵器による特殊機動部隊は、あぶれ者や乱暴者の集まりになっていた。もちろん、そういった命知らずな奴らだからこそ、人型兵器に乗り込み、敵の基地へ突っ込んでいけるのだけれど
しかし、その規律のなさ、男たちのだらしのなさが、アレナスには耐えられなかった。
〈なに、ボケッとしてるんだ、バカ〉
ビルパートの怒鳴り声が、アレナスのヘルメット内に響きわたる。
〈俺がカルナックの相手をしてんだから、お前はエドガを探せ。それくらい、言わなくてもやれよ〉
「は、はい、中尉」
何してんの、あたしは。どうして、もっと機敏に対応できないんだ
冷汗をかきながら、アレナスは、カルナックのパートナー、エドガ少尉の白いマシーン兵器を探す。
〈真下だ、バカ〉
アレナスは慌てて、バーニアを最大加速で噴射する。強力なGで、胃の中がひっくり返り、戦時用の簡易食がこみあげてきた。
〈バカ野郎! そんなに逃げることはないんだよ〉
ビルパートに怒鳴られて、アレナスはモニターを見る。マシーン兵器の格闘が、ずいぶん遠くなっている。加速の秒数が長すぎて、戦闘宙域から離脱してしまっていた。
「す、すいません」
また、失敗した
アレナスは、マシーン兵器の格闘現場へ戻ろうと急いで機体の方向を変える。そして、バーニアを吹かした途端、目前に純白のマシーン兵器が姿をあらわした。
「エドガー」
慌てて、アレナスがバーニア噴射方向を変えて飛びのいた眼の前を、純白のマシーン兵器が悠然と飛び去っていく。
その姿が、アレナスの闘志に火をつけた。
悔しい。絶対に勝ってやるから
〈エドガ、お嬢ちゃん相手だからって、手を抜くな〉
〈アレナス! エドガなんかに負けたら、てめえ、ただじゃおかねえ!〉
カルナックとビルパートは格闘しながら、少しずつ近寄ってきた。新入り同士の戦いが気になるらしく、声には興味津々といった様子が感じられる。
エドガのマシーン兵器は、アレナスの真上で反転した。
〈行くぞ、アレナスちゃんよ〉
「アレナスちゃん」て、どーゆうことよ
アレナスはプラズマ・スピアを構えながら、小さな唇をひきしめる。
軽薄で一つ年下のエドガは、彼女より二ヵ月だけ早く入隊していた。カッコをつけてはいるものの、どことなく繊細そうな、気弱な感じのするエドガは、そのたった二ヵ月を鼻にかけて、アレナスに先輩風を吹かす。何かというと一番新入りのアレナスをからかう。
アレナスはそんな態度が気にいらなかった。技術だって、キャリアだって、ほとんど差のないエドガにだけは、バカにされたくなかったし、負けたくもなかった。
エドガのマシーン兵器が戦闘加速で迫ってきた。
〈ほらアレナス!〉
プラズマ・アックスを高くかかげ、アレナスめがけて降りおろす。アレナスはとっさにアックスをスピアで受け止め、モニターが閃光でブラックアウトするのを防ぐために、カメラにガードをかけて、視界を暗くする。
だが、閃光は起こらなかった。
〈なにしてんだ、アレナス。カルナックが行ったぞ〉
え?<rルパートの声に、ガードを解除したアレナスは、モニターいっぱいにカルナックのグレーに塗られたマシーン兵器が映っているのを見た。
しまった
アレナスは、初めてひっかけられたことに気がついた。エドガはアレナスを攻撃するふりをしてビルパートを足止めし、その隙にカルナックがアレナスへ向かったのだ。モニターの中で、グレーのマシーン兵器がプラズマ・アックスを突きつけている。
〈嬢ちゃん、悪いな。でもよ、ルールだから〉
カルナックは申し訳なさそうに、そしてうれしそうに言った。
アレナスは近づいてくるアックスの刃先を見ながら、唇を噛んだ。
また、やられたんだ、あたし……
この数回の訓練で、アレナスは何度だまされたかわからなかった。勝ちたいという気持ちばかりが先に立って、頭に血が登り、冷静な判断ができなくなってしまう。そして、その傾向は、負け数が増えていけばいくほど、強くなっていた。
突きつけられたプラズマ・アックスが、高電圧に青白い光を放ち、アレナスのマシーン兵器にふれる。もちろん、マシーン兵器の精密機器に影響のないよう、電流は最弱にしぼってあるが、髪の毛が逆立ち、全身の毛穴が開く。歯がガタガタ震え、全身が痙攣する。もしかすると、下着をぬらしてしまったかもしれない。
電撃を食らったアレナスは、声をあげて泣き出したかった。そうすれば、少しは苦痛をまぎらわせることができるかもしれないから。
けれども彼女は歯を食いしばって、悲鳴が漏れるのを防いでいた。
また、ひっかかった上に、悲鳴まであげたらみっともないじゃないよ!
アレナスは、そう思いながら、湧きあがる悲鳴を噛み殺し続けていた。
母艦への帰り道、ただ酒に浮かれているカルナックの後ろで、ビルパートが言った。
〈お嬢ちゃん悔しいのはわかるけどな、電流くらったら悲鳴くらいはあげるもんだ。お前が意地はってるから、カルナックだって面白がるんだぜ〉
スピーカーから伝わるビルパートの声を聞いて、アレナスはマイクのスィッチを入れずに、叫んだ。
「違うわ! わたしが、カルナックやエドガに負けないくらいに強ければいいのよ! そうすれば、ビルパート中尉だって、わたしをバカにしなくなるでしょ? わたしが、強くなれば!」
そして、アレナスはあぶれ出す悔し涙をぬぐった。
「誰にも、負けないくらいに強くなれば……みんなにあたしのことを認めさせてやるのに……」
モニターには、母艦の着艦用カタパルトが見え始めていた。
老朽化した地球帝国宇宙軍辺境星域防衛艦隊所属のマクスウェル級重巡洋艦グレゴリー艦内(もっとも、この時代の戦艦は、すべて九十年前の、宇宙怪獣との戦闘のために建造されたもので、新造艦なんでありはしなかった)で、しびれの残るアレナスを迎えたのは、きついビンタと、小言だった。
「何回、ひっかかりゃ気がすむんだ、お前は」
格納庫の隅にあるマシーン兵器用ハンガーの前で、テューズディ大尉がアレナスのはれた頬をつねりあげ、真っ赤に塗った長い爪を、肌に食いこませる。
アレナスは頬の痛みを感じながら、まずい奴につかまってしまったと体を固くした。
肩までとどく銀髪を輝せ、女性パイロットの制服の上から、男性士官用のジャケットを羽織っているテューズディ大尉は、マシーン兵器部隊副隊長で女性パイロットのトップだった。気が短く、気にいらないことがあると、誰とでも喧嘩を始めてしまう。その荒っぽさは艦内で誰に聞いても、彼女だけは怒らせるな、と教えられるほどだった。
そして、テュ―ズディは、アレナスの行動の一つ一つに文句を言うのだった。
「この下手くそ。あたしは口が酸っぱくなるほど、トリックに気をつけろと言ってあるだろ。それをお前みたいにドジな使い方しやがると、一回の出撃で、全部おシャカになっちまう。マシーン兵器が、お前みたいな小娘の命百個より、大切なものだって知ってんだろ?」
「それくらい、知ってます」
「知ってんなら、何とかしろよな。このガキ!」
テューズディの筋肉質の右腕が高々とあがり、アレナスの頬めがけて振りおろされた。
物凄い音が格納庫に鳴り響き、汗をぬぐうマシーン兵器のパイロットや、整儒兵たちがー斉にふり返って、
「またかことつぶやく声が聞こえる。
カルナック中尉と話しこんでいたエドガが、へヘンと笑うのをアレナスは見た。
ちくしよう、あんたには笑ってほしくないよ
年下のエドガに負けたせいで、あたしはこんなうるさい姉ちゃんに説教されてるんだと思うと、アレナスはむしように腹がたってきた。
しかし、アレナスにとっては、次よりも今が一大事だった。
なにしろ、容赦のないことで有名なテューズディの怒りに、火をつけてしまったのだから。
テューズディは静かに話し始めた。静かなふんだけ、怒っているのが、アレナスには(経験上)わかっていた。
「だいたいなァ、その反抗的な態度が気にいらないんだよ。お前、特殊機動部隊で、一番の新入りだって、わかってんだろ。わかってんなら、その生意気な態度をどうにかしろよな」
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「これは生まれつきですから、どうにもなりません」
あーあ、また言っちゃった
アレナスは自分の性格に、頭を抱える。
これで、また頬がはれあがるまで殴られるんだ
一言多いのは、アレナスの学生時代からなおせなかった性格だった。この性格のせいで、先輩や先生にどれだけ、嫌われ、怒られてきただろう。そして、眼の前のテューズディは、本気で怒っていた。損な性格だな、とアレナスは思う。同時に、言ってしまったのだから、殴られるだけ殴られてやれと、諦めてもいた。
「アレナスゥ……」
テューズディは、笑みを浮かべながら、アレナスの襟首をつかみあげる。テューズディは、アレナスより二十センチは大きい。アレナスの脚は床から離れて、ゆらゆらと揺れた。
「おぼえてんね。今度反抗したら、ただじゃ済まないって言ってあったの」
「……おぼえてます」
「それでも反抗するってことは、ブン殴られる覚悟があったってことだよねエ」
配属されてすぐ、テューズディが男の隊員二人と殴りあいをしているのを見たが、そのときも何だか楽しそうな表情をしていた。そして、鼻血をダラダラ垂らしながら、相手をノックアウトしたときのテューズディは、今と同じように笑っていたのを思い出す。でも、とアレナスは覚悟を決めながらも思う。どうせベコボコに殴られるんなら、言いたいこと、みんな言っちゃった方が、後味がいいかも。
「殴られるのはわかっていましたが」
アレナスは、できるだけ平然と話したつもりだったが、声がかすれ、あまりうまくいかなかった。
テューズディのイヤリングの輝きが妙に気になった。
「とてもお怒りのようでしたので、どれだけ怒らせても変わらないと思いました。それで、テューズディ大尉がどれだけ怒るか試してみて、後々の参考にしようかと思ったのであります」
格納庫に失笑の(小さな)渦が、巻き起こる。感心した声をあげる奴もいた。見物人がやってきて、二人をぐるりと取り囲んでいる。このことでエドガにからかわれるのだけはイヤだな、とアレナスはふと思う。
テューズディは、うれしそうに笑った。
「そうかい。じゃあ、参考にしてくれよ」
アレナスは力いっぱい床に叩きつけられ、腰を打って、ひっくり返った。
「ここまであたしに反抗したっていう勇気だけば、ほめてやるね。でもね、勇気だけあったって、どーにもならないってこと、教えてやるよォ」
テューズディは渾身《こんしん》の力を込めて、アレナスの腰を蹴り上げる。
アレナスは、打ったばかりの腰に、激痛を感じる。ヒールの先端が腰骨を打ち、衝撃は背骨を通って、頭をかすませた。口から漏れそうになる悲鳴を、必死で食い止めた。
「うっ……」
「かわいくないねェ。泣いであやまりや、少しはゆるしてやろうかって気にもなるのにさ」
テューズディの気配が近づく。今度ほどこを蹴られるんだろうと、アレナスは眼を閉じる。
女の肌に、またアザが残っちゃうよ。このままじゃ、まるでキリンかヒョウみたいになっちゃうじゃない(どちらもビデオでしか見たことはなかったけれど)
だが、次の衝撃はなかなかやってこない。
まったく、じらさないでよ。やるんなら、はやく済ませちゃってほしいんだけど
「まあ、そこらでやめとけ」
かすれた声がすぐそばで聞こえる。
眼をあけたアレナスは、ビルパート中尉が立っているのを見た。テューズディより頭一つ小さなビルパートが、そのむっつりした顔に、これ以上は無理というほどの笑みを浮かべ、まあまあと押し止めている。
「もう、いいだろお。勘弁してやってくれ、ここは、ほら、俺の顔をたてると思って」
「な、ほら、俺も教え方が少し足りなかったから、こーゆー事になっちまったんだし、な、ここはひとつ、何だ、ほら、とゆーわけで」
「あんたは、そーゆーけどね」
テューズディが渋い顔をする。
「女性隊員を預かっているあたしの身にもなってほしいな。この小娘、あたしに反抗ばっかりしてるんだよ。気にいらないね。あたしと同じ、銀髪ってのも、何だか腹がたつし」
「そこほな、ほら、この俺が、しっかりと、何するから、もう勘弁してやれや。死なせちゃうと、ほら、お前もまずいだろ」
ビルパートはそういって、怖い顔でアレナスをにらみつけた。
「このバカ、いつまで寝ころんでる。はやく、ちゃんとあやまれ。今日のは全部、お前が悪い。わかってるな、わかってるんなら、すぐあやまれ」
アレナスはノロノロと起き上がる。本当はキビキビ動いて、全然痛くありませんでしたとゆー顔をすれば、少しは気も晴れるのだろうけれど、腰の痛さがそうはさせてくれなかった。わざとお尻を叩いてほこりを払うふりをして、アレナスは直立する。そして敬礼。
「申し訳ありませんでした。以後、気をつけます」
テューズディは、露骨におさまらないといった表情でアレナスをにらみつけ、ビルパートの胸をこぶしで叩いた。
「今回は、あんたへの貸しにしておく。けど、今のままじゃ、あの小娘だけじゃなく、パートナーのあんたも実戦で死ぬってことだけば、忘れるんじゃないよ」
肩を怒らせて、見物人を蹴散らしながら立ち去る、テューズディの後ろ姿を見送って、ビルパートは言った。
「アレナス、強情をはるのもわかる。わかるけどよ、引き方も考えろ。あれじゃあ、テューズディだって、引っ込みがつかなくて、困るだろ。俺も確かに強情な方だが、お前のはただガキがわがままいってるだけだ」
ぐるりと取り囲んでいた見物人も、散り散りに自分の仕事に戻って行き、アレナスは一人取り残された。
そして、誰も見ていない格納庫の隅にへばりつき、疲れた体を璧でささえる。蹴られた腰はまだズキズキと鈍い痛みを発していた。
やっぱり、アザになってるよな。あんまり、お尻のアザなんてがっこいいもんじゃない。とりあえず、どっかで休んで、シャワーでも浴びて確認しようか
ボッとしているアレナスの眼の前に、突然スポーツ飲料の缶が突き出された。
「バカだよな、お前」
エドガがニヤニヤしながら立っていた。
「まァ、飲めよ」
アレナスは複雑な気分で、缶を受け取る。
こいつに負けちゃったことが、悔しかったから、反抗しちゃったんだ……
でも、疲れた体にスポーツ飲料は心地好かった。
サンキュー、アレナスは心の中でつぶやいた。
「勝ちたいんだろ、俺にさ」
エドガが突然話し始めたことに、アレナスは面食らった。
「あたりまえじゃない」
そして、アレナスはエドガの眼に見つめられているのに気がついた。
何をジロジ口見てんだ、こいつ。そーゆーのって失礼なんじゃない
アレナスはにらみ返し、エドガは照れくさそうに眼をそらす。眼を床に向けたままで、エドガはボソボソ話し始めた。
「さっきのやり方、教えてやってもいいぜ。俺も、カルナック中尉に教わったんだけどよ、敵の眼をくらませるのに、すごく便利でね。内緒にしろっていわれたけどさ、教えてやってもいいんだ」
エドガの口調は、どこか空々しかった。いつもの彼なら、テューズディとのことをからかうだろう。それなのに、今はそれに触れようともしない。その上、親切そうに、作戦を教えてくれるといっている。
まるで、本題は別にあるのに、隠しているって感じだった。
はっきりしてよね、こーゆーウジウジしたのは、嫌いだよ
「だからさ」
エドガは、意を決したように、アレナスの肩を抱き、笑った。
「俺と飯でも食いに行こうぜ? それからさ……」
このガキ! 結局、それが言いたいために、親切っぽくジュースなんか買って、近寄ってきたのか、お前は。一瞬でも、いい奴かな? なんて思った、あたしがバカだったんだ、まったく
アレナスは心の中でそう、エドガを怒鳴りつけた。
そして、肩を抱いた腕を振り払い、あっけに取られるエドガに向かって言った。
「同情って嫌い。あと、こーゆー風に交換条件を出してくるのも、大っ嫌い」
アレナスは、元気をふり絞って、できるだけ足音をたてながら、出口へ向かった。歩くたびに振動が腰を痛ませるが、怒りが痛みに勝っていた。その後ろでエドガは、何かを言おうとして、そのままうなだれる。
格納庫を出たアレナスは、そのまま自室へ向かう。腰の痛みがもう限界だったし、エドガに怒らされて一気に疲れが吹き出した。ひっくり返って休みたかった。
そういえば、三十六時間眠ってなかったっけ
目的地を指定すれば、自動的に動き出す艦内通路は、こんなとき便利だ。アレナスは、自室につくまでにぐっすりと眠り込んでいた。
アレナスは、人工受精で生まれた子供だった。この時代、出生率の低下が著しく、抽出された精子と卵子を、人工子宮(または、代理母)で成熟させる例が極めて多くなっていた(シリウス側は、これを「地球人類の、種としての衰退」と呼んでいる)。
そして、彼女は四歳まで、同じ境遇で生まれた子供たちと育ち、そののち、全寮制の寄宿学校へと入学した。
学校は、このような両親のはっきりしない子供たちに、支えを与えて、自我を確立させようとした。自分が誰から生まれた子なのか、自分は長い歴史のどこに位置しているのかがわからない子供、アイデンティティを持つことのできない子供は、成長してから、精神の崩壊を起こし、社会に適合できなくなるケースが、極端に多く発生したことへの対応だった。
ある子供は数学的能力に、ある子供は古典文学への情熱に、ある子供は宗教、ある子供は絵画にと、興味を持つ物に対して、最大限の援助が与えられ、子供たちは両親の不在を、自分のめざすもので置き換え、忘れることができた。
そして、アレナスの場合は、タカヤノリコ、オオタカズミという、五十年前の英雄に、興味を持った。この二人は、何のへんてつもない女子高生から、マシーン兵器パイロットになり、五十年前の最終決戦で地球を守護した英雄と呼ばれるようになった。しかし、彼女たちは決して特別な人間ではなく、結婚にあこがれ、マンガやアニメが好きなありきたりの、どこにでもいる少女たちだったのだ。
そんな少女たちが地球をたった二人で守りきることができたのは、人間が誰でも持っている、潜在的な能力と、それを引き出すための「勇気」の偉大さをさしている、と教科書や、歴史書は教えていた。
アレナスは、そんな二人にあこがれた。伝記を読み、そこに載せられた写真を見て、あこがれは強くなっていった。タカヤノリコも、オオタカズミも、自分と少しも変わらない、弱く、普通の人間であったことを知って、二人への愛情は増していった。彼女たちは、自分の暮らした時間を振り払い、自分が正しいと思ったことに、すべてを投げ打って立ち向かっていった。アレナスは、その勇気と、決断に強くひかれていた。
そしてアレナスは、中等部から高等部への移行に際して、宇宙高等学校を志望した。そこに入学したなら、ノリコやカズミと同様に、宇宙へ出ることができる。もし、自分が勇気のある行動を取れるなら、彼女たちのような充実した生を送れるかもしれない。そう思って、迷うことなく、沖縄女子宇宙高等学校マシーン兵器学科へと入学した。
もちろん、そこがノリコやカズミの母校であると知って。
しかし、オキ女は、アレナスの想像とは、かなり違っていた。
まずマシーン兵器が、現在では時代遅れとなっていることが、アレナスを驚かせた。
マシーン兵器は、宇宙怪獣との肉弾戦にこそ威力を発揮したが、シリウス軍の前にはほとんど無力なものと化していた。『理力』で遠隔地から攻撃をしかけるシリウス軍との戦いは、航空機の格闘戦に近く、つかみあったり、殴りつけたりするような状況などありはせず、戦闘の主力は、「コスモアタッカーXU」と呼ばれる、空間専用戦闘機に移っていた。
また、地球に残ったマシーン兵器の数が、あまりに少ないことにも驚かされた。当時、製造されたマシーン兵器の大半は、宇宙怪獣との戦闘に備えて、遠く銀河の果てへと旅立っていた。そして、宇宙怪獣との決戦に向けて、持てる工業力のすべてを動員した結果、地球には新たにマシーン兵器を製造するだけの余力は残っていなかった。わずかに残ったマシーン兵器は、次第に劣化していく。そのうえ、この五十年の科学的停滞と経済的衰退で、マシーン兵器の新規製造は行われていなかった。
地球圏に残されたマシーン兵器は、数百機にすきず、満足に稼働するものは百機を割っていた。すでにマシーン兵器は、地球帝国の戦力として数えられてはいなかった。
だが、オキ女のマシーン兵器学科は、存続している。現にアレナスは、入学した。
ただ、そこは、かつての栄光を忘れないようにと、宇宙軍が威信で存続させているだけで、マシーン兵器部隊の復権をめざしたものではなかった。百数十人の学生に、たった二台の訓練用マシーン兵器が与えられただけで、充分な研修など行えるはずもない。
それに、学生たちの質が、ノリコやカズミの頃とは、まったく違っていた。現在、優れた資質を持つ者は、宇宙戦闘機乗りを志願する。とうてい、乗ることのおぽつかないマシーン兵器、戦場で役に立たないマシーン兵器のパイロットをめざす者など、ただの物好きか、または、行くところがなくて、やって来た者たちだった。
マシーン兵器学科の入学式は、アレナスを何ともいえない気持ちにさせた。
アレナスとともに並ぶ少女たちは、ノリコやカズミにあこがれているわけでもなく、マシーン兵器で宇宙を駆けることを夢見ているわけでもない。ただ、このまま社会に出して、世間に迷惑をかけるよりはと、中等部の教師に無理矢理、入学させられた者たちばかりだった。校長の話を聞かず、おおっぴらにおしゃべりをし、終いにはつかみあいのケンカが始まった。校長は、それを無視し、ただ過去の栄光だけをならべていた。
アレナスは血の気の多い仲間たちを見回して、溜め息をついた。
ここで、トップを取らなきや、マシーン兵器には乗れないってわけか……
事実、アレナスは三年間を戦い抜かねばならなかった。
ある時などは、校庭に飾られた、ノリコとカズミの銅像にスプレーでいたずら書きをしている学生と殴りあって、停学(短いものではあったが)を食らったこともあり、素行自体は他の学生たちと大差なかった。
だが、アレナスはマシーン兵器にかけては、トップの才能を見せつけた。
幼い頃から、マシーン兵器やガンバスターについての本や、フィルムばかりを見ていたかいがあった。また、ここでトップを取らなければ、絶対にノリコたちに近づくことができないという危機感もあった。
そして、三年目の終わりには、晴れて軍のマシーン兵器パイロットとして、重巡洋艦グレゴリー所属の特殊機動部隊への配属を命じられたのだった(ちなみに、アレナスの在学していた三年間に、パイロット採用試験に合格したものは、一人もいなかった)。
目を開けると、光がまぶしかった。頭の中を白い霧が覆っている。
宇宙酔いかしら? と思って、アレナスはそれが疲労の残りかすだと気がついた。
気づくと、アレナスは自分のベッドで寝ていた。制服も脱いで、愛用のパジャマを着ている。着替えた記憶はなかったのに。
何時だろう……
枕もとの時計は、二十二時をさしている。
えっと……。確か、帰艦したのが、二十三時くらいだったから、まる一日眠ってたんだ
怖い夢を見たような気がするが、もうおぼえていない。確か、小さい頃に見た、お化けの出てくる映画のような夢だった。
左腕に感触がない。見るとうつぶせになった体の下敷きになっている。寝返りをうとうと体を動かしたとたん、脳髄を突き刺すような激痛が走った。
「痛ッ」
腰だ。腰が粉々になったみたいに、痛い。
どっかで、ぶつけたっけ?
そこまで考えて、アレナスはテューズディの怒った顔を思い出した。
まだ、怒ってるかな、テューズディ
怖い人だけれど、ネチネチしていないからね。忘れちゃっててくれると助かるな。今度はなるべく、蹴られないようにしなきゃ
そう思うと同時に、眠り込む前の記憶が吹き出してきて、アレナスの気分は沈んだ。
どうして勝てなかったんだろ……。あたしって才能ないのかな。何回、負け続ければ気がすむっていうんだろ。それに、エドガの奴……
「起きたんだァ」
狭い三人部屋のべッドの上で、腰を押さえて丸くなったアレナスは、首をひねって顔を上げる。同室のスティシィの、とろんとした眼が楽しそうに見つめていた。
「よく、寝たねえ」
「十代も後半になろうというスティシィは、どこかつかみどころのない性格をしていた。金色の長い髪を後ろに流し、きゃしゃな体に制服をちょっと崩して着る姿は、病的と妖艶のギリギリ中間くらいに見える。そして舌ったらずで、間延びした話し方をする。
初めて会ったとき、なんて軽薄な感じの女、とアレナスは思ったが、つきあってみると実際に軽い性格だったので、何となく納得した。年齢も上だし、めんどうみもいいので、姉ちゃんと呼んで、親しんでいる。けれど、そんな彼女が参謀付きの秘書だというのには、やはり不思議な気持ちがした。
「おなかすいてる?」
やはり、同室で東洋系の蔡嶺《さいれい》が、小さな個人用のデスクの中から、クッキーとジュースを差し出す。
「これしか、ないけど、今」
「あ……ありがと」
アレナスは、空腹かどうかわからなかったが、とりあえず受け取った。ベッドの上にうつぶせになったままで、一口かじってみると、猛烈に食欲がわいてくる。枕元をクッキーの粉とこぼれたジュースでベトベトにしながら、アレナスは夢中で口を動かした。
それほど甘い物が好きというわけでもないのだけれど、この時ばかりはそうではなかった。あっという間に、クッキーの箱と、ジュースの缶は、中身をアレナスの胃袋に移し終えていた。
「もう、何かないかな?」
「……これだけって言ったじゃない。大事なクッキーだったんだよ。あんなにバリバリ食べちゃって……」
蔡嶺は、空になったクッキーの箱を、悲しそうに見つめている。あまり表情を顔に出さない彼女が、本当に残念そうな顔をしている。
「ごめん」
アレナスは、ベッドから起きようとして、小さく悲鳴をあげた。
「ずいぶん、やったんだって。テューズディと」
と、蔡嶺。
「お尻にアザができてるって、本当? 薬塗ってあげるから、お尻出しなよ」
スティシィは楽しそうに言った。
[#挿絵(img\039.jpg)]
冗談じゃない、今気持ちが沈んでるとこだから、ほっといてほしいわ
「いいから、ちょっと静かに寝かせて!」
「そーお。でも、せっかくだからかわいいお尻出しなさいよ。お姉さんの言うことは、ちゃんと聞かないとひどいよ」
スティシィは、ベッドに飛び乗った。一人でも狭いベッドの上で、脚を押さえつけ、アレナスのパジャマに手をかけて、ひっぱりおろす。
「ちょっと、やめて! やだってば!!」
「やめるわけないじゃない」
「本当にやめてよ!!」
「あたしだって、女の子のお尻なんか見たくないけど、あんたのためを思ってやってるんだから」
そう言いながら、スティシィは笑っている。アレナスが逃げ出そうとすると、そのたびに腰をひっぱたかれて、力が抜ける。痛みとバカバカしさと、みっともなさで、涙がにじんで、笑ってしまう。
「お願い、やめて。蔡嶺、何とかして」
アレナスは、下着を半分おろされたままで、蔡嶺に助けを求めた。
「蔡嶺、お願い。チョコパでも何でも、好きなだけおごるから、何とかしてよ」
「スティシィ姉ちゃん、もうやめであげてよ。この子、涙ぐんでる」
蔡嶺はそういって、また笑い出した。
スティシィも、さすがにアレナスから手をはなす。アレナスは即座に下着を引っ張りあげた。
「いつもは生意気なあんたも、こーなっちゃうと形なしねェ。でも、医務室行って、蔡嶺に薬塗ってもらいなさい。本当に青くなってるからさあ」
スティシィは、親切なのか、意地悪なのかわからないような表情で笑っていた。
アレナスは、目尻の涙をぬぐって、大きく息を吸い込んだ。力いっぱい笑ったせいだろうか、マシーン兵器での敗北や、テューズディに殴られたこと、あのエドガのいやな態度が少しだけ気にならなくなっていた。
「じゃあコーヒーでも買ってくるね。あと、何か食べ物と」
スティシィは、扉の前に立つ。
「ほら、でもアレナスをいじめる機会なんであんまりないから」と笑った。
「冗談、ジョーク。本気にしないで」
スティシィの後ろ姿を見送って、蔡嶺はアレナスのベッドに腰をおろす。
「お姉ちゃん、悪気はないんだから」
「だとは思うけど……」
アレナスは、スティシィの楽しそうな笑い声を思い出す。
あの人、実はサディスティックな性格してるんじゃないのかな
「ねえ、それよりさあ、ちょっと聞いたことなんだけどね」
蔡嶺は急に声をひそめた。
「あのね、エドガ少尉と、あんたって、つきあってるの?」
アレナスは、蔡嶺の質問に、唖然《あぜん》としていた。あまりに意外で、予測もしていない質問だった。
「たってさ、エドガ少尉って、何かとあんたのそばにくっついてるじゃない。つきあってるんじゃないかって噂なんだけど……どこらへんまで進んでるのかなって」
「冗談でしょ!」
アレナスはやっと自分を取り戻して叫んだ。そして、そういう噂が流れているのに驚いた。いわれてみれば確かにエドガは、アレナスの周りをうろつくことが多かった。けれど、たいていからかったり、バカにしたりで、ふざけた奴としか思っていなかった。それに、さっきの、女をなめた態度が……。
「ねえ、本当なの?」
アレナスは、いわれのない、無責任な噂に腹が立ってきた。それもよりによって、あの年下で、生意気なエドガと、自分が恋人だって? 蔡嶺はアレナスの険悪な眼に、慌てて噂を否定する。
「だから、ただ聞いただけ。あんまり、気にしないで」
「まったく冗談にしても、タチ悪いよ」
そのとき扉が開いて、スティシィが帰ってきた。
「はい、コーヒーとサンドイッチ」
紙包みを手渡しながらスティシィは、アレナスの態度が一変していることに、興味を持った。
「どうしたの、この子」
蔡嶺が、気まずそうに説明する。
「あのね……アレナスとエドガって、全然なんでもないんだって」
「なーんだ、つまんないの。てっきり、お姉さんがいろいろ教えであげるわよ、とか言ってるのかと思ってたのに」
アレナスはスティシィの冗談を黙殺した。そして、寝たままで蔡嶺をにらみつける。
「その噂、誰に聞いたの?」
「え……それは、ちょっと、ね……」
「誰に聞いたのよ!」
口ごもっていた蔡嶺も、アレナスの眼が本気で怒っているのに気づいて、言った。
「……医務室にきた……エドガ少尉から……」
アレナスは何も言わずに、サンドイッチの包みをといて、食べ始める。
あいつ……何考えてるんだ。そこまでくだらない奴とは思わなかった
今度こそ、めっちゃくちゃに叩きのめしてやるんだから
もくもくとサンドイツチを口に運ぶアレナスを見て、スティシィと蔡嶺は、困った子だねと視線をまじわらせた。
マックスウェル級重巡洋艦グレゴリーの提督執務室は、古い船乗りたちの時代を思い起こさせるような印象がある。あまり広すきず、壮麗な飾りのない、簡素な執務室だった。装飾といえば、黒や赤などの原色を使った、幾何学的な抽象画の絵が一枚かかっているだけだった。これだけでも、この船が決して地球に残ったエリートたちの手に渡って私的な貿易などに使われたことのない、正真正銘の軍艦だということがわかる。そして、この執務室を使うオサダ提督自身が、やはりはえぬきの軍人だということも。
その執務室では、三人の男が執務用の丸テーブルについて、奥にある私室から、提督が姿を見せるのを、ひたすら待っていた。
「しかし、規定の時刻にはまだ一時間はあるというのに、提督も慎重な方ですね」
一番年若なクルサスパ参謀が感心したように言った。彼は、この作戦が初航海だった。
「まあ、これだけのメンバーが揃わなければ、発表できない重要な指令ですから、慎重なのも当たり前かもしれませんが」
それを聞いて、白髪の目立つオウリイ参謀長は眉をひそめ、シェン参謀は口髭をしごきながら苦笑いする。二人の態度の違いが、クルサスパにはわからなかった。
「クルサスパ参謀は、オサダ提督との航海は初めてでしたな」
シェンが、うれしそうに笑う。
「これから、長いつきあいになりますぞ」
オウリイは、神経質そうに眼を私室の扉に向ける。
「……まったく、提督にも困りますな」
そして、扉が開いた。香ばしいかおりが、執務室いっぱいに広がる。巨体を揺らしながら歩くオサダ提督のはげあがった額には、細かい汗がびっしりと浮かんでいた。七十歳が近いというのに、その肌は光輝いて、しみひとつなかった。それに、五十代といっても通用するようなバイタリティがあった。
「いや、待たせた、待たせた」
三人の参謀は直立し、敬礼で提督を迎えた。
しかし、提督は敬礼を返そうとはしなかった。両手が、ふさがっていたのだ。
「さて、まだ時間はあるようだから、私の趣味につきあってもらうぞ」
提督は執務用テーブルに、コーヒーセットー式をおろした。
「どうだね、シェン君。いい香りだろう」
「かなりなものですな」
シェンが、東洋人らしい細い眼をさらに、細めて言った。
「オウリイ君は、ミルクだけだったな。クルサスパ君はどうするかな?
ミルクも砂糖も本物だぞ。まじりっけなしの地球産だ。もっともきみはブラックが好きだと聞いてはいるが」
提督は、カップにコーヒーを注ぎ、うれしそうにたずねる。オウリイ参謀長は、そんな提督に不満な表情をしていた。
クルサスパ参謀は、あっけに取られていた。ふだんは仏頂面で、口を開くのもエネルギーの無駄だ、という雰囲気を漂わせている提督が、こんなに笑顔を振りまいていてよいのだろうか。それに、いつ自分のコーヒーの趣味を知ったのだろうか?
「あ、ではブラックでいただきます」
提督はクルサスパの返事に、表情を崩す。
「そうか、コーヒーの飲み方を知っているな。やはりコーヒー自体の味を楽しむのが大事だ」
提督の言葉には、趣味につきあおうとしないオウリイ参謀長への皮肉が、隠されているようだった。
提督は最後に、自分のコーヒーを注ぎ、巨体を席におろす。
「では、作戦の成功と、この宝のようなコーヒーを生み出してくれた地球への感謝をこめて、お茶にしよう」
シェンは提督のいれたコーヒーを、一口だけ口に含み、舌の上でゆっくりと味わっている。それに対してオウリイは、水でも飲むかのように、無造作に飲み干す。
クルサスパは、どうしていいのか、わからず、とりあえず普通に飲んだ。別に、どうということはない。モカの味がするし、合成コーヒーでないのはわかる。だからといって格別にうまいというわけでもない。
「どうだ、シェン君。わかるか?」
提督は身を乗り出して、探るようにシェンの顔を見つめている。
シェンは、再びコーヒーカップに□をつける。少しだけ、ほんの少しだけ舌の上に乗せて、難しい顔をしてうなっている。
「難しいですな」
「そうだろ、そうだろ。これはとっておきで、きみに対する切り札だからな。きみの連勝記録もこれまでだぞ」
提督は無邪気に喜んでいる。その笑顔はまるで宝物を自慢する子供のようで、それだけを見ていると、この提督がシリウス戦で勇名をはせた『鉄のオサダ』とは思えなかった。
「中国産ではありませんな、あの芳醇な香りが今ひとつですから」
シェンはぼそりぼそりと話し始める。
「だからといって、くせがないので、エジプト産でもありません」
提督は身を乗り出して、シェンの次の言葉を待っている。
「それで」
「しかし、他の地域とも思えません。何しろ、かなり強い太陽の光を浴びなければ、これだけのまろやかな味など出せそうにありませんし」
クルサスパは、提督とシェンのやりとりをじっと見ていた。肉体年齢がすでに老人期に達している、二人の将校が、子供のように眼を輝かせている。それと対照的に、オウリイはつまらなそうに壁にかかった絵をながめ、ときどき厭味《いやみ》っぽく、ブリーフ・ケースをもであそんでいる。
「どこかのコロニー産でしょう」
シェンは、長い沈黙の末、断言した。
「このムラのない味は、まんべんなく太陽の光を受けた証拠。地球上では、大気の影響で、こうはいきません。たぶん、ラグランジュ4あたりでの、コロニーでしょう」
「すごいぞ、シェン君はさすがだ」
提督は、感嘆の声をあげ、オーバーな身振りで両手を上にして降参する。
「きみの舌には、お手上げだ」
「私の民族は、何千年にも渡って、味覚を発達させてきましたから」
シェンは勝ち誇ったように、笑っていた。
クルサスパは、二人のやりとりをじっと見ていた。そして、コーヒーが冷めきっているのに気づいて、慌てて飲み干した。彼自身は、あまり食べ物・飲み物に執着する趣味はなかったが、これがこの提督のやり方なら、素直に従わなくてはならないと思った。それが、出世の早道なのだし。
「提督、お時間です」
オウリイが、時計をさしながら、提督とシェンの会話を断ち切り、ブリーフ・ケースを差し出した。
「標準時間〇〇・〇〇です」
「そうか。きみはしっかりしてるよ、いつも」
提督は、会話を邪魔されたことが気にいらないようだった。口先だけのほめことばで、オウリイから書類入れを受け取り、所定の場所にサインを入れた。次いで、シェンが、オウリイがサインを入れる。
そして、クルサスパがブリーフ・ケースを受け取る。それは冷たく黒い金属の板で、どこにも継ぎ目などない。表に、各責任者のサインを記す欄だけがあるだけの、ぶっきらぽうな代物だった。
だが、クルサスパがサインを入れたとき、ただの金属性の板のように見えていたブリーフ・ケースに、継き目ができ、蓋が開いた。
「五十年前の科学力ってのは、怖いくらいだね」
提督が、ぼそりと言った。
「こんなちっぽけな板に、サインを識別できるような装置まで詰め込むことができるんだから。なぜ我々はこの技術を失ってしまったのだ……」
オウリイ参課長が、書類を取り出す。
「よろしいですか」
提督はうなずいた。
「では……」
オウリイは、書類を読み上げ、提督は神経質に葉巻に火をつける。
銀河帝国参謀本部の指令に、クルサスパも、シェンも、いや読み上げているオウリイも、顔色を変えた。噂は本当だったのか。いや、この指令は、噂以上のものだった。
提督だけば、内容を知っていたらしく、葉巻をふかしながらコーヒーカップをのぞきこんでいた。
[#改ページ]
第二章
そんなバカな!? 紀元二十二世紀の幽霊船
オーストラリア大陸は、雨期を迎えている。
かつての光子魚雷実験の失敗、たび重なる戦争、宇宙環境の変化、雷王星軌道上での超重力崩壊などの結果、地軸が大きく歪み、それに伴う地殻の変化は、地上に大きな災害をもたらしていた。
そして、地震と津波がズタズタに引き裂いたオーストラリアの大地は、地球帝国新総督府建設の地として、復興を進められた。住人のほとんどが、死亡・退去してしまった無人の荒野を、改造しても、文句を言う者はいないという理由が、この地を総督府に決定させたのだった。残された力のすべてを使って復興された総督府は、人類文化圏最大を誇る、超文明都市となった。
地球帝国総督ユーリー・ミハイロフは、赤い絨毯の敷かれた執務室の窓から、雨の叩きつける外の景色をながめていた。総督府のある超機械化された旧メルボルン市、現シャイアン市の上空は、真っ黒な雲で覆われている。だが、遥か北の上空に、灰白色の切れ目があり、青空がほんの少しのぞいていた。
「夜には、雨も止むかもしれんな」
恰幅がいいとも肥満体だともいわれる総督のつぶやきは、広くきらびやかな執務室に集まった五人の男たちには聞こえていなかった。いや、男たちに黙殺されたといった方が正しかった。部屋の中央に置かれた、現在ではほとんど手に入らなくなっている、総ひのき造りの会議用テーブルを取り囲む五人の軍人たちは、昨夜から続く会議に苛立ち、軍内部の確執が噴出していた。もう怒鳴りあいが、何時間続いたことだろう。総督は再び、軍人たちの怒りを受け止めるのは気が重かった。だが、総督以外の誰も、決断をくだしてはいけないのが、地球帝国総督府のしきたりだった。
総督は、軍人たちの険悪な空気を感じながら、椅子に大きな尻を降ろす。
「バートン君、すまんがもう一度、説明してくれんか。頭が混乱してしまった」
執務室の片隅で、ひっそりと息を殺していた書記官がタイプライターを叩き始める。
軍人たちの中で最も年の若い、文官あがりで実戦経験の少ない銀河系圏防衛軍司令官フランク・バートンは、この事態を総督に理解させるのは不可能なのではないかと思った。やっと手に入れた最高権力者の地位を、一瞬にして失うかもしれないという事実が、本当にわかっているのだろうか。
「それが確認できたのは、ほんの四年前のことです。エリダヌス座の恒星イプシロンが、突如スペクトルの波長を変え、植民星が壊滅し、二万人の命が失われるという事件がありました。調査の結果、イプシロンが膨張し赤色巨星となって、植民星を呑み込んだという事実が判明しました。もちろん、そんな兆候はどこにもありませんでした。そして調査団は、イプシロンから二光年以内の恒星が、ことごとく赤色巨星化していることを発見したのです」
植民星軍司令グスコフ・マルティリヤーエ中将が煙草をくわえ、古風にマッチをすった。彼は、こんな会議には意味がないと常々、公言していた。軍人は戦場にあるもので、仲良くお茶をすすり、煙草を吹かして、敵が退却するものか、と。彼の言葉が真実であることは、その顔の半分を覆う、火傷の跡がしめしていた。進んだ医療整形技術を受けず、彼はその傷で、多くの人々を威圧することができた。
バートンは、発言の途中で息を飲んだ。グスコフが、その傷痕を大きく歪ませて、彼に微笑んだからだった。グスコフは微笑むだけで、何も言おうとしなかったが、バートンに黙って座っていろと脅しをかけているのがわかった。
「かつて、太陽系防衛戦争の時に、同様の事件が続発したのは資料の通りです。前総督は、この事態を極秘に、最優先課題として、原因究明に当たらせました。もしかするとかつての宇宙怪獣が復活したか、または生き残りが繁殖しようとして、恒星を貪り食っているのではないかとの推測で、イプシロンから半径五光年以内の植民星防衛軍が探査船を出し、情報の収集に奔走《ほんそう》したのです。ほとんどの船は何の手掛かりも見つけることができませんでしたが、ほんの偶然から、辺境貿易商船に乗り込んでいたガンジスカワイルカの雌が、異変に気づきました。それが植民軍に通報されて、あれの発見につながりました。ここから先は、私よりもグスコフ司令の説明の方が……」
バートンは、これ以上発言するのが、恐ろしかった。もともと、彼の地位は、親が金で与えてくれたようなもので、実際の戦闘経験などはほとんどなかった。ただ、優秀なブレーンが自分の回りを固めてくれている(もちろん、親の金で)ことで、現在の地位を保っているだけのことだった。そのため、彼はグスコフのような、たたき上げの軍人、煙と血の匂いが漂ってくるような軍人に、嫌悪と威圧を感じていた。
グスコフ司令にしても同様だった。このバートンという若造は、戦場を駆け抜けたこともなく、ただ無難に物事を済ませようとしている。総督と同じ、文官特有の、ことなかれ主義に毒された腰抜けだった。
「総督、説明など何の役にも立たん。結局は、地球に近づいて来るのが、銀河中心殴り込み艦隊に所属する、タシロ提督旗下の双胴戦艦ツインエクセリオン級だというのは、確かなのだからな」
グスコフは苛立ちをあらわにして、はっきりと言い切った。
[#挿絵(img\051.jpg)]
「しかし……やはり信じがたいのだが。銀河中心殴り込み艦隊が地球圏に帰還するのは、まだ百四十年も先のことだし……」
総督が額の汗をぬぐう。
「信じる、信じないの問題ではないわ! これは事実なのだというのが、まだ理解できんか!!」
グスコフは、机に拳を叩きつけて怒鳴りつける。
「実際、以降にも目撃されていますからな。事実とすべきでしょう」
不健康そうな肌色の辺境星域方面軍司令ホセ・シェンルーが、短気なグスコフを抑えるように、シリウスとの戦いの名誉の負傷だと噂された、義手である銀色の左手を振りながら言った。その話し方には静かで、ゆっくりと、それでいて脅すような響きがあった。彼は、その不吉な口調で不幸な報告や敗戦報告を告げるので、総督がもっとも嫌いな軍人の一人だった。
「何しろ、イプシロンの膨張にも、その他の星の膨張にも、ツインエクセリオンが観測されるようになっているのですから。ツインエクセリオンは星を膨張させながら、地球に近づいて来ているのですよ」
「シリウス軍の作戦とは考えられないのか」
総督は、内心に恐怖が目覚めているのに気づいた。あの人類の英知すべてを注ぎ込んで建造された戦艦と、衰退を見せ始めている現在の地球科学が、対等に戦うことができるとは思えなかった。
「シリウスが、植民星まで巻き込むような戦争をしてくれるのなら、どれほど楽かわかりませんな」
もっともシリウスとの接触が多い辺境軍のホセが、苦々しげに言った。
「奴らは、植民星人をジワジワと洗脳して、味方につけ、反乱を起こさせるのですよ。我々が戦闘以外にどれだけ、植民星の治安維持にエネルギーを割かねばならないかは、御存知でしょう」
グスコフは、ホセの制止を無視して、大声を上げた。
「いいか、昔、宇宙怪獣がしたように、ツインエクセリオンは恒星を巨星化しながら、近づいて来ているのだぞ! 貴様、それもわからずに、総督の椅子に座り続ける気か!」
「……わかった……ツインエクセリオンが地球、いや我々の太陽へ向かって来ているし、その進路にあった恒星が膨張して、赤色巨星と化していることもわかった。だが、きみたちはどう対処しようというのだ」
最も触れたくない話題を口にして、総督は肥満した体を椅子に沈めた。
「捕獲する」
グスコフは、彼には優柔不断に見える総督に向かって、宣言した。
「あれは、当時の最高級の技術と知識で建造された戦艦である。あれを手に入れ、その技術を再び我々のものにしたなら、シリウスどもを屈伏させることができるからな」
「できるか辺境軍に」
無表情にグスコフを見つめていた太陽系方面軍司令官レイ・シドバラが、嘲るように反対の表明をした。彼の薄い唇には、バカにしたような笑みがはりついていた。
「できるのかとは何事だ!」
グスコフは顔を真っ赤にして、シドバラをにらみつける。
「太陽系まで、到達するようなことはないと断言できるか」
シドバラは、グスコフを指さし、言った。
「シリウスの野蛮人如きに手こずっているお前たちが、本当にツインエクセリオンを制圧できるか、と聞いているんだ」
「貴様……貴様のように、地球の周りをウロウロしている奴に、そんなことを言われるおぼえはない!」
「なら、自分たちだけでツインエクセリオンを捕獲しろ。太陽系方面軍は一切手を出さん」
「貴様! 日和見《ひよりみ》を決め込むつもりか!」
執務室の中は、蜂の巣をつついたような大騒ぎとなった。シリウスとの前線にある辺境・植民星・銀河方面軍と、地球圈・太陽系圏方面軍の確執が、またも爆発した。声高に喋りあい、今にも殴りあいの始まりそうな勢いで怒鳴りあう将軍たちを無視して、総督は眼を閉じた。文官あがり、その上、財界の力と血縁関係だけで、総督となった彼には、軍人たちを止めるだけの実力も威厳も備わっていなかった。
ようやく、室内が静まり始めた頃、総督はポツリと言った。
「……結論は出たかな、諸君」
「とりあえず辺境星域方面軍艦隊の中から、特殊部隊を向かわせ、偵察を行わせる。可能なら捕獲。捕獲が不可能だった場合は破壊」
「もし……それに失敗したなら、どうするのかね」
「そのときは、全軍あげて、ツインエクセリオンを破壊する」
シドバラが嘲笑った。
「辺境軍の尻拭いを、我々がやらされるわけだ」
「貴様! もう一度、言ってみろ!」
軍人たちの争いが、また始まった。総督は、何もできずに軍人たちを見つめている。
部屋の隅でタイプを打っていた書記官は、恐ろしさに息を吐いた。
「全軍あげて戦えばいいんじゃないか……。だって地球の危機なんだろ?」
もちろん、彼のつぶやきを耳にした者はいなかった。彼はただの書記官であり、地球を支配している軍人たちは、互いを罵りあうのに忙しかった。
漆黒の宇宙空間を、まばゆい光が切り裂く。地球文化圈最速を誇る、宇宙戦闘機コスモアタッカーXUの編隊が、標的へと向かっていた。銀色の機体は、まるで流星のように輝いていた。
コスモアタッカーXUのスピードと、大きな攻撃力は、シリウス軍との戦闘で、大きな成果を上げていた。全速でシリウスの空間歩兵に限界まで近づき、光子ミサイルを叩き込んで、離脱する。昔ながらのヒットアンドアウェイ方式が、現在もっとも有効な戦い方だった。
〈ついて来てるか、マシーン兵器のド口亀ちゃんたちは〉
マシーン兵器のスピーカーを通じて、コスモアタッカー隊隊長の声が聞こえる。それもわざと全機に開かれた回線を通している。
〈さあねぇ、あんまり遅いんで、見失っちまいましたぜ〉
戦闘機パイロットの誰かが答え、笑いが起きる。
〈また、始めやがった。あのバカどもが〉
マシーン兵器のスピーカーを通じて、アレナスにはビルパートのつぶやきが聞こえた。
宇宙戦闘機部隊と特殊機動部隊の合同訓練は、いつも険悪なムードで始まるな、とアレナスはマシーン兵器を操りながら思った。もっとも、戦闘の主力は宇宙戦闘機部隊であり、危険に直面しているのは彼らだった。マシーン兵器部隊が、戦うべき敵を失って、治安維持やゲリラ的な戦闘にしか、その存在意義を認められなくなってしまい、お荷物となっている状況では仕方がないのかもしれない。
〈アレナス、あいつらの言ってる事をいちいち気にすんなよ〉
ビルパートの声が、アレナスのマシーン兵器だけの回線を通じて聞こえたが、それはパートナーのアレナスを気づかってというよりは、自分の怒りをまぎらわそうとしての言葉だった。
「気にしてませんよ、あんな連中」
アレナスは、明るい声でそう返事をしたが、実際はほかのマシーン兵器乗りと同様に、腹わたがにえくりかえる思いだった。
まったく冗談じゃない。アレナスは心の中でそう思っていた。
宇宙戦闘機なんて、ダーッと飛んでいって、ミサイルをバラ撒《ま》いて、逃げて帰って来るだけじゃない。それに引換え、あたしたちマシーン兵器乗りは、自分たちだけで、敵の真っ直中に突っ込んでいくんだからね。宇宙のお魚パイロットなんかに、バカにされるいわれはないわ
そしてアレナスはふと考えた。
戦闘機チームを、お魚というのは、誰かの口癖だったような気がするけど、いったい誰だったっけ
マシーン兵器と宇宙戦闘機隊の合同訓練は、巨大な岩塊を敵戦艦と仮想して行われている。宇宙戦闘機隊が、岩塊へ突撃し、ミサイルを数回打ち込み、敵の攻撃力が失われたと思われる時点で、マシーン兵器が取りつき、制圧する。このような方式の訓練が、ここ数日で、宇宙戦闘機隊とマシーン兵器隊のあいだでは、最も重要なものとなっているようだった。今までは、部隊ごとに個別の訓練しか行われていなかったのに、突然全部隊あげての訓練が、何度も何度も繰り返されるようになっていた。
「でも中尉、どうして急に合同訓練なんか始まったんでしょうねェ?」
宇宙戦闘機部隊から、爆撃終了の合図が出るまでの間に、アレナスはビルパート中尉に尋ねてみる。
さすがのアレナスも反抗しているだけじゃダメだと気がついていた。先輩隊員の言うことを聞いて、その考えてることを先読みする。そうやって技術を盗んでいかないと、あたしはいつまでたっても新入りのペーペーのままなんだ。
特にビルパートが、アレナスを教育しようとしていることがわかってからは。テューズディに蹴られたあの日以来、今まで放任に近かったビルパートも、アレナスに色々な指示を与えるようになっていた。
〈ん……。どうしてって言われてもな。俺が提督だったら、教えてやるけどよ〉
かすれた声が返って来る。ピルパートは、あまりその話題に触れたくないようだった。
だが、アレナスは食い下がった。キャリアの長いビルパートの推測は、当たっている確率も高いだろ
「中尉は、どのように思ってるんですか」
〈ああ……。宇宙海賊の討伐でもするんじゃねえか、と思っているよ〉
ビルパートの言葉通り、この時代宇宙海賊の暴挙が眼にあまるようになり始めていた。宇宙海賊自体は、人類が宇宙に生活環境を拡大した二十一世紀初頭から、存在していた。しかし、当時の彼らは、海賊というよりは植民星間の密貿易商人であり、銀河中心殴り込み艦隊と、『カルネアデス計画』の準備に疲弊《ひへい》していた地球政府は、経済を活性化させる要因のーつと見なし、必要悪として黙認していた。だが、地球帝国とシリウスの戦いが激化し、宇宙の治安が悪化するにしたがって、彼らは過激化し、密貿易に加えて、破壊と略奪に手を染めていった。宇宙海賊たちは軍の払下げ品、または軍からの略奪品で武装を整え、植民星を襲い、辺境星域で大きな勢力を持つようになっていった。ある星域では、宇宙海賊たちの同意がなければ、組閣することさえできないほどに、辺境の政治と経済に密接に結びついているとも言われている。
「宇宙海賊ですか……」
ビルパートの答えに、アレナスは胸の内が騒ぐのを感じていた。彼らとの戦いは、マシーン兵器隊最大の見せ場といわれていた。海賊行為は重罪とされたため、宇宙海賊たちは必死で抵抗する。それを鎮圧することが、現在のマシーン兵器部隊にとって最大の任務でもあった。
〈船籍不明の宇宙船をつかまえに行くってこともあるけどな〉
ビルパートは、興味なさそうな声でつぶやく。
〈どっちにしろ、お嬢ちゃんには初陣だ。最初に悪いのに当たると、後々まで苦労するぞ〉
ビルパートが声を殺して(もともとかすれた声だが)笑った。アレナスは笑われて、やっとビルパートが男≠フことを言っているのに気がついた。
〈エドガみたいなガキは止めとけよ。自分の尻もふけないようなガキじゃ、泣き出したくなるくらい痛いぞ。最初はやっぱり、ベテランがいいんだ。特に俺とか〉
そういって、ビルパートはヒッヒッヒッと笑い声をあげた。
「品がないんだから、中尉は」
どうして中年男は、ありとあらゆる物事をいやらしい方向に結びつけることができるのだろう、とアレナスは眉をひそめる。だからといって、誰がエドガなんか相手にするか。自分のお尻くらいはふけるだろうけど、女の子の口説き方も知らない子供なんかとつきあって、どうしようっていうんだ。
そのとき、光子弾が暗い空間に広がる。宇宙戦闘機部隊から、マシーン兵器隊出動のサインだった。
空間でイライラしながら待機していたマシーン兵器が、続々と行動を開始する。その動きには、戦闘機部隊たちに対するライバル意識で、異様な気迫がこめられている。
〈アレナス、行くぞ。俺のケツについてきな〉
ビルパート機が、スラスターを吹かして、岩塊へと向かって飛翔する。アレナスは、その後ろをついて行きながら、チラリとこのおじさんはちゃんとふいてるのかなと思った。
スケベ中年だけど、やっぱり年季は入ってるよな
ビルパートの宇宙海賊討伐という推測は、かなりいい線をいっているとアレナスは思った。二十四人のマシーン兵器パイロットたちは、格納庫の隅にある、薄暗いマシーン兵器用整備場の前で連日のように戦艦制圧作戦の講義を受けることになった。
「わかってんな、お前ら。敵戦艦内で動くものをみかけたら、とにかくブッ放せ。あいつら、何持ってるかわかんないんだしよ」
マシーン兵器部隊隊長ハルムス少佐はあまり□を聞かない地味な男で、眼をそらすとその存在を忘れてしまいそうに影が薄かった(ただ、戦場での指揮は、冷酷そのもので、必ず任務を遂行するという噂だったが)。
そのためか、ハルムス隊長はあまり表に出たがらず、隊員たちへの制圧作戦の説明を、あのテューズディ大尉に任せていた。アレナスはそこで、テューズディがほんの二−三機のマシーン兵器チームで、すでに六隻の海賊船を制圧している、海賊討伐の超ベテランだと初めて知った。
けれども、どうしてそんなエース・パイロットがあたしみたいな新入りに何だかんだと注目しているのだろう。おかげで、殴られたり、蹴られたりの散散な目に会わされる。
「人質を取られていなければ、無関係の奴を撃っちまっても、ニ〜三日の謹慎で済むけどな、もしためらって撃たれてみろ。虎の子のマシーン兵器はボロボロ、てめえの貧しい一生は、あっという間に幕をひいちまう。だいたい、海賊船に乗り込んでる奴に、真っ白な奴なんかいやしねえ」
「テューズディ、本当に二、三日だったのかよ」
隊員たちのあいだに、笑い声が起こる。昔テューズディは、海賊船に同乗していた辺境の大物政治家を撃ち殺したことがあるという噂をアレナスは聞かされていた。
ふーん、この人がねぇ
アレナスは話し続けるテューズディの顔をながめていた。
そんなに凄い人には思えないんだけどなァ。派手な街のチンピラみたいにしか見えないのさ
「エドガ、アレナス、お前たちに説明してるんだからな。ちゃんとわかって聞いてるか」
テューズディはアレナスの視線に気づいて、顎を上げるように二人を見た。
「初物はお前ら二人だけなんだからな。自分のドジで死んじまっても誰も泣かねえけどな、迷惑かけんのだけは勘弁してくれよ」
「生きてるうちに、気持ちのいいことは飽きるまでしておけや」
「アレナス、俺に乗換えた方がいいぞォ。ずっと気持ちよくしてやるからな」
マシーン兵器乗りたちは一斉に笑う。女性隊員たちは、声こそあげないものの、口許に笑みを浮かべている。
まったく仕様がないな、このおじさんたちは。どうあっても、私とエドガをくっつけたいわけね
アレナスは、自分のキャリアのなさが悔しかったが、初陣で華々しい戦果をあげて、一目置かせてやるという気持ちがあったので、そうも気にならなかった。
けれど、エドガの方はどうだろう。あの噂を聞いて以来、アレナスはエドガを完璧に無視していた。彼がどれだけ、ふざけてもからかっても、アレナスは一切、口を開かず、眼を向けようとしなかった。
こんな男にイライラするなんて、それだけでもバカバカしいよ
アレナスの冷たい態度に、エドガも話しかけようとしなくなった。ただ、一度広まった噂だけば、なかなか消えてはくれなかったが。
アレナスがふと視線を移すと、パートナーのカルナック中尉と、その友人のグス少尉に何かを耳打ちされ、真っ赤な顔で遠慮がちに笑っているエドガを見つけた。
いやらしいことでも吹き込まれてるんだよ、きっと。あっ、そうか、あんなおじさん方の言いなりになってるから、この前みたいな口説き方するんだ、こいつは。そのくせ、ガキだから、あんなこと言い出して。まったく仕様がないよ、ホント
突然、エドガは顔をあげ、アレナスの視線とぶつかった。
アレナスは何故か、反射的に眼をそらした。
「まあ、敵の対空砲なんかは、空飛ぶお魚さんが黙らせてくれてるから、お手柄は立て放題ってことだ」
そうか≠ニアナレスは思った。
宇宙のお魚ってテューズディの口癖なんだ
アレナスはテューズディの講義を聞きながら、ちらりとエドガの姿を盗み見る。彼は何となく意気消沈しているようで、いつもの元気がなかった。
私の責任かな? でも、エドガが悪いんだから、仕方ないよ
「アレナス!」
エドガの顔は後でゆっくり、キスでもしながら見ろって言ってんだろ」
テューズディの怒鳴り声が飛び、隊員たちが笑い出す。
「すいませーん」
アレナスは怒鳴られないように、テューズディの話に身を入れる。今度、テューズディと喧嘩したら二度と面倒を見てやらない、とルームメイトの蔡嶺、スティシィに脅されていたから。それに怒られるより、彼女の技術を身につけた方がずっと賢い。
けれど頭の片隅で、あの軽薄なエドガが、先輩隊員たちにからかわれている姿を思い出していた。
あのいつと一緒で、あたしも子供だからからかわれるんだよね
でも、実戦で成果をあげさえすれば、そんなこともなくなるよ。テューズディだって、あたしにー目置くんだろうし
アレナスは、作戦説明を続けるテューズディをじっと見つめていた。
いつ、あのお姉ちゃんに勝てる日が来るんだろうか。
その日を想像するのは、とても難しいことだった。
「ねえ、聞いた?」
二百人が一斉に食事に詰めかけた下士官用食堂は、さながら戦場のようだった。みんな一分でも早く食事をして、空腹を癒し、余った時間を自由に使おうと必死だった。そのため、学校の運動場ほどもある食堂は、このうえなくごった返していた。
そして、蔡嶺は一番値段の安い、カレーライスを口に運んでいた。彼女は男がいるらしく、普段は倹約して無駄使いせず、豪勢なデートをする主義らしい。噂では観測班の男らしいが、絶対に紹介してはくれず、その話題を避けようとしているようにも見える。不倫だという話も聞いていた。
どっちかってゆーと地味だし、真面目な性格なのに。もし本当だとしたら、面倒だろうな。相手の奥さんも、同じ艦内にいるんだろうし。ビルパート中尉の言ってた、最初が悪いと苦労するって本当かもしれない
「聞いてるの、アレナス」
蔡嶺が、不審そうな顔でのぞきこむ。
「あ、ごめん。少しボッとしてたんだ」
アレナスは、慌ててコーヒーをかき混ぜる。もう十数回目の合同訓練の直後で食欲がなく、つきあいだけで食堂に来ていた。
どうやら、勤務時間の区切りらしく(艦内は、八時間ごとの三交代制がひかれていた)、食堂は人が詰めかけ、疲労しているアレナスのくつろげる場所ではなかった。
「あんたが、怖い話苦手なの知ってるんだけど、どうやら本当みたいなんだ」
「ふーん……」
アレナスは、エドガのことを考えていた。
あの子も、あの情け無い性格さえ何とかなれば、顔だって、声だって嫌いじゃないんだけどなァ。でも、背伸びをして、あたしより大人だって見せたがるのが大嫌い
「ねえ、本当に聞いてる?」
さすがに蔡嶺もしびれがきれたらしく、声に不満そうな響きがこもっている。
[#挿絵(img\063.jpg)]
@@@@
「聞きたくないんじゃない」
「違う、ごめん。本当にちょっと疲れてるだけなんだ」
「そう……じゃあ、話すけどね」
蔡嶺は、カレーを食べ終わっていた。
「やっぱり幽霊船っていうの本当みたいなんだ」
「何の話よ……」
アレナスは、冷たい汗を背筋に感じた。
たいがいのものは怖くないけど、幽霊だけは苦手なんだから。ただ、怖がらせるだけだったら、やめてよね、蔡嶺
「聞いた話なんだけどね、とにかく今、亜空間探査をしているらしいの。空間のひずみを見つけたなら、それがどのような種類の船の航跡かっていうのを調べてるんだって」
「けど、それくらい普通の作戦でもやるじゃない。ボートと思っていた相手が、重戦闘艦だったら、眼も当てられないもんね」
「違うのよ、それが」
蔡嶺はいつもの穏やかな性格と違い、アレナスを強引に説得しているように見える。
「航跡を調べるのは当たり前なんだけれど、ある種類の船の航跡を見つけることが目的らしいっていうんだ。それも地球に向かっている船の航跡」
「なんの船よ、それ?」
アレナスは、煙草が欲しかった。疲れていたし、何だか話が、いやな方向に進みそうだったから。
「煙草ある?」
「あるけど」
蔡嶺は、バックからメンソール煙草とライターを取り出す。
「珍しいね、煙草吸うの」
「たまにはね」
アレナスは、食堂の天井めがけて、白い煙を吐き出した。しかし、流れた煙はちょうど定食の乗ったトレイを持って、席を探している男の顔を直撃する。
「おいマシーン兵器さんよ、混んでるんだから気をつけろよな」
「あ、ごめん、ごめん」
「で、その船っていうのが……内緒の話よ」
人に聞かれてはいけないことを話すように、蔡嶺は、テーブルの向こうから身を乗り出す。つられて、アレナスも顔を近づけた。
「あの銀河中心殴り込み艦隊の、行方不明になった戦艦なんだって」
「ふーん」
アレナスは、秘密を打ち明けられたというのに、大した感想が浮かばなかった。
そうか、そろそろあの英雄たちも帰って来るんだ。でも、帰って来て、マシーン兵器部隊が持て余されてるのを見たら、驚くだろうな
「ちょっと、アレナス。全然わかってないんじゃない」
「うん」
アレナスは正直にうなずき、煙草の煙を肺いっぱいに吸いこんだ。
「その戦艦が、幽霊船なのよ」
咳き込むアレナスを見て、蔡嶺は笑う。
「鼻から煙出してがっこ悪い」
アレナスは(ほんの少し)震える手で煙草を揉み消し、蔡嶺は再び声をひそめて話し始めた。
「だいたい、銀河中心殴り込み艦隊が帰って来るのは、まだ百四十年も先の話なんだよ。でね、その戦艦って、いくら交信しようとしても、返答しようとしないんだって」
返信しない船というのが、アレナスの気にかかった。あまりいいイメージではないし、沈黙を続ける船っていうのは……。
壊れ、煤《すす》け、無人で宇宙を永遠に飛び続ける宇宙戦艦。アレナスは慌てて、湧きあがってくる幽霊船のイメージを追い払う。こんなのを想像してたら、眠れなくなってしまう。
「それで、これって本当の話らしいんだけどさ」
蔡嶺はいっそう声を小さくした。
「その船って、実はもう誰も乗ってなくって、宇宙怪獣との戦いで死んだ人の魂だけが、漂ってるんだって。それで、その死んだ人の魂っていうのが、どうしても地球へ帰りたいんで、戦艦を動かしてるの。で、その戦艦をつかまえるのが、この船の任務なんだって」
「……そんなの嘘だよ」
アレナスは動揺を隠すために、冷たくなったコーヒーを飲み干す。もちろん味などわからない。
幽霊なんて、いるわけないし、幽霊船をつかまえるために出動した軍隊なんて聞いたことないよ
「だって、みんな海賊討伐だって言ってるよ」
「ちゃんと聞いてみた?」
蔡嶺が鋭く言った。彼女は、幽霊船だという証拠を握っているように見える。
……そういえば……。アレナスは先輩隊員たちが、妙に作戦そのものを詮索しないことに思い当たった。他のことなら、ああでもない、こうでもないと笑い話にするくせに、この作戦については、あまり話したからない。そういえばビルパート中尉だって、今回の作戦については口を濁す。まさか、相手が幽霊船だって知っているから……?
「でも……まさか、ねぇ、幽霊船なんて……」
アレナスは、辺りを見回す。食堂はまだまだ、混雑している。トレイを持った船員たちが、食事の終わった蔡嶺とアレナスの席を狙っている。みんなの食欲が活気を生み、この世に幽霊が実在するなんていう雰囲気はまるで感じられない。
「確かなんだって。ちゃんと聞いたんだから」
蔡嶺は断言した。
アレナスは一瞬、怖さを忘れた。
この子、男に聞いたな。だから、まるまる信じ込んでるんだ
しかし、蔡嶺の恋人を勘繰るよりも、幽霊の怖さが勝っていた。次の瞬間、頭の中で幽霊のイメージが増殖を始める。冷たい手、腐った体。頭蓋骨が剥き出しになった顔で、ぽっかり開いた顔の穴から、半分溶けた眼球が流れ出して……。
いやだ、いやだ。アレナスは、体を震わせる。
ビルパート中尉に聞いてみよう。いや、怒られないようにテューズディ大尉に尋ねてみてもいい。
だって、科学の粋をこらしたマシーン兵器が、幽霊船を捕獲するために出動するなんて……。そんなことがあっていいわけないよォ
「じゃあ、もう行こうか」
蔡嶺は何事もなかったように、トレイを持って席を立つ。その隙を狙っていた男たちが、そのわずかなスペースを奪い合う。
「いい、今の話、内緒よ」
蔡嶺は幽霊話が真実だということに自信を持っているようだった。
あんた、全然怖くないの?<Aレナスは平然としている、蔡嶺が憎らしくなった。
あんたのおかげで、寝られなくなるかもしれないんだからね!
アレナスは、勝手に体が震え出すのを感じていた。
しかし、アレナスの不安や好き嫌いとは関係なしに、噂は広まっていた。
いつの間にか艦内のどこにいても、誰かが幽霊船の話題を持ち出すようになっていた。みんな、情報に飢えていたし、好奇心が旺盛だった。そして、地球帆船時代の船乗りたちと同様に、宇宙船乗りたちも、どこか迷信を信じる心を持っていた。それも古参の船乗りになればなるほど、常識や理性で判断できない宇宙のできごとに遭遇していたので、その傾向が強かった。
アレナスにとって最大の不幸は、パートナーのビルパート中尉が、悪趣味な男だということだった。ビルパートは、アレナスが恐がりなのを知って、訓練で宇宙空間に出ると、長い待機時間を利用して怪談を話し始めるようになった。最大の盛り上がりで、アレナスが悲鳴を漏らすのを、何よりも楽しんでいるようだった。
〈あれはケンタウルス座α星近くでの戦いの直前だ。絶対に忘れられねえ〉
宇宙空間はいつものように真っ暗で、ときどきマシーン兵器がエーテル風に揺れる。慣れているはずの状況なのに、アレナスはこの上なく怖かった。
〈俺はまだお前みてーなヒヨッ子で、相棒のデュラックが宇宙で散るのを見てブルッてた。ベッドに入っても、飯を食っても、デュラックの死に様が眼にこびりついちまっててな。奴のマシーン兵器が、宇宙空間でベーコンみたいにつぶれちまって、コクピットから噴水みたいに血が吹き出したんだ。で、その血がな、風船みたいに漂って、俺のマシーン兵器のメインカメラにぶつかったから、モニターは真っ赤で何も見えやしない。後で聞いたんだが、相手が悪かった。シリウスでも指折りの魔法使いに俺たちは向かっていったってゆーからな。その頃は俺もシリウスの狂犬どもの恐しさを知らなかった。デュラックを潰した奴は、マイクロ・ブラックホールを呼び出すことだってできたらしいな。あの野蛮な狂人どもの中でも最強の奴だったってよ。だから、俺が生きてただけでも、もうけものだったかもしれん。アレナス、エーテル圧はどうだ〉
「……変化ありません」
アレナスは下腹に力をこめて、声を絞り出した。そうでもしなければ、声が震えているのに気づかれる。彼に、幽霊船の話を尋ねたのが、間違いだった。ビルパートは、アレナスの顔色を見て、彼女が怖がっていることに勘づいたのだから。
〈アレナス、歯が鳴ってるぞ〉
ビルパートはさらりといい、モニター・カメラは切ってあるのにアレナスの表情が見えているかのように話を続ける。
〈で、帰艦した夜だ。俺は落ちつかなくって、便所へ行った。ちょうど俺たちの艦は、前線を退いていたときだったから、みんな休憩をとって、静かだったんだよな。通路に人影なんかまるでなくてよ。たぶん電気系統がマヒしていたんだろうな。便所は真っ暗だった。俺はいやな予感がしたね〉
真っ暗……私たちの周りの宇宙だって真っ暗だよ。同じじゃない。アレナスの背中に冷たい汗が流れる。背筋のうぶ毛が、怒った猫のように逆立っている。
聞きたくない、聞きたくない。スピーカーのスィツチを切ってしまえばいいのだけれど、今は訓練中だし、意地悪くビルパートはときどき思い出したように、作戦の指示をくだす。応えられなかったときには、後でビルパートに力いっぱい怒鳴られる。
アレナスは、耳をふさいでしまいたい気持ちと悲鳴を押さえつけながら、なるべく意識を他に集中しようとしていた。
けれども、スピーカーからは、ビルパートの凄味のあるかすれた声が、怪談を続けているし、その声はアレナスの脳の中へと染み込んでいく。
〈だからといって、便所が暗くて怖いなんて、仲間に言えたもんじゃない。俺は仕方なく、真っ暗な便所で用をたした。するとだ、奥の方に人の気配がしたんだ。びっくりしたぞ、その時は。誰かいたのかとは思ったけれど、頭の中ではデュラックが帰って来たんだなって気がしてるんだから不思議なんだよな。そいつは鼻歌をうたってたんだ。けどよ、その歌が……〉
ビルパートは息を飲んだ。効果だとわかってはいても、アレナスにはその間か泣き出したくなるくらいに怖い。
〈死んだデュラックの好きな歌だったんだよな〉
やっぱり<Aレナスは、乗せられてはいけない、このおじさんはただ私が怖がるのを面白がっているだけなんだから、と口の中でつぶやいた。怪談の内容なんてわかっているし、想像もつく。けれども、怖いものは怖い。明るい宇宙戦艦の部屋や、太陽の光と大地のもとで聞くのなら、まだ我慢できる。けれども、特に何もない宇宙空間、手をのばしても誰もいない空間で、怪談だけは聞きたくない。
〈デュラックの声は楽しそうだったね。でも、奴は帰って来ちゃいけないんだよな。生きてる奴と死んだ奴が一緒に暮らしちゃいけないんだよ。俺は小便が止まったままで、そんなことを考えていたね。だけど、デュラックは俺の緊張なんてお構いなしだ。さっさと用を済ましちまって、一人で出ていったね。姿は見えないんだけれど、気配を感じるんだよな。そして、ちょうど俺の真後ろを通った時に奴は言ったね『ビルパート、先に行ってるぞ』ってな。俺は『てめえ、一人で行っちまえ』って言うだけが、精一杯だったけどな。奴の気配がなくなった後、俺は小便の続きをして、部屋に帰って寝た。死んだ奴のことを思い過ぎてたんだろうな、俺が。だから、奴は俺に会いに帰って来ちまったんだろうよ〉
かすれたビルパートの声の向こう側に、うれしそうに微笑んでいる顔が浮かぶ。こんな調子でビルパートの出会った幽官話を何本聞かされただろう。まるで、週に一度は幽霊に出会っているみたいだ。まったく冗談じゃない。ちょっと弱いところを見せると、いくらでもいじめにかかる。
そうは思っても、アレナスは奥歯を噛みじめなければ、歯が震える。我ながら情けないと唇を噛もうとしたが、間違えて舌を噛んだ。
〈実際、生きてる奴と死人が混じりあっちゃいけないんだよな。お前みたいに、目先のことばかり考えてる奴は、死んだ後どうなるかってのがわかってないから、一番危ない。そーゆーのに限って、早死にして、後で出て来やがる。……どうした、怖いのか〉
「こ、怖いわけないじゃないでふか」
アレナスは舌の痛みと怖さで悔しまきれにいきがってみせる。
「お、お、お化けの話で女の子を怖からせようなんて、しゅ、趣味が悪いですよォ」
〈女の子ってガラか、お前が〉
枯れた笑い声が聞こえる。
〈まったく、ガキのくせに見栄ばっかり張りやがって。テューズディじゃなくても、いじめたくもなるさ〉
……大きな御世話だってば。根性では絶対、誰にも負けない自信があるんだから。それに根性は実戦で最大の武器だって、教えてくれたじゃないの
ビルパートは、アレナスの無言の反抗を感じとったらしい。
〈このバカ野郎。だから、ガキだっていうんだよ〉
ビルパートはしばらくのあいだは黙っていたが、またすぐに声を落として話し始める。
〈これは俺がワープ航行中、実際に見たことなんだがな……〉
連日続いた空間戦闘訓練が、ここ数日は途絶えていた。突然の休暇がマシーン兵器パイロットたちに与えられた。
ビルパートを始めとする古参の隊員たちは、出撃も間近だと笑っていたが、アレナスは体を休め、ベッドで眠るのに忙しかった。とにかく激務の合間に、体力や集中力を回復しておけと、テューズディに固く言い渡されていた。
そして、ベッドの中で眼をつぶると、テューズディの言葉を思い出す。
「遊んでるんじゃねえぞ」
最後の訓練が終わった時、隊員たちみんなの前でテューズディはアレナスに言った。
「出撃のときに腰なんかフラフラさせて見ろ。お前もエドガもただじゃすまないんだからな」
眼の前に立つテューズディに、アレナスは反抗しなかった。あまりに疲れていたのと、同室のスティシィや蔡嶺に面倒をかけるのがいやだったから。エドガのことはもう面倒くさくなっていた。言いたい奴に言わせておいたって、実際にはつきあってもいないんだから、否定するのもバカらしい。
「はい、大尉。エドガくらいでフラフラするような、ヤワな腰はしていません」
隊員たちは笑った。ビルパートのかすれた笑い声も、その中に混じっている。
「口答えしなくなったな。少し賢くなったじゃないか」
テューズディは鼻で笑い、アレナスの頬を軽く叩いた。
「いい傾向だ、お嬢ちゃん」
そして、テューズディがエドガの方へ向かったのを見て、アレナスはエドガが、悔しそうにうつむいているのに気がついた。
あ……。別に嫌がらせをしようっていう気はなかったのに。かなりプライド傷ついたよな、きっと。年下とはいっても男なんだし
けれども、アレナスは心の中で言った。
あんたが悪いのよ。あんな嘘をつくんだから。年下なら年下らしく、もっと素直だったら、考えたっていいのに。それを、バカみたいに背伸びするから、こっちだっていじめちゃうんだよォ
スティシィも蔡嶺も任務で出ている、ガランとした部屋のベッドに寝ころんで、アレナスは自分のしつこさに少し呆れてもいた。いい加減、ゆるしてやってもいいじゃないの。つきあう気なんてなくたって、話するくらいはいいじゃない。
でも、それと同時に自分を子供扱いにする、エドガの生意気な態度を思い出す。
まったく……面倒くさいんだから
そんなことを考えながらアレナスは部屋のライトをつけたまま(暗くするのが怖かったから)、眠り込んでいた。
二日間の休暇が終わったアレナスたち、マシーン兵器パイロットは、下士官食堂への集合を命じられた。
提督の作戦内容説明が行われるという。
下士官食堂には、戦闘機、マシーン兵器パイロットだけではなく、砲や光子ミサイル操手まですべての戦闘に関わる三百名ほどの船員たちが部署ごとに集まっていた。
「ここ座れ、ここ」
テューズディ大尉が、うろうろするアレナスをみつけて、自分の隣の席を指さす。
テュ―ズディの隣か……。わずらわしいと思うが、断わってまた不機嫌にさせるのもバカバカしい。アレナスはおとなしく、言う通りにする。
テューズディは古参のパイロットと、作戦についての卑猥な冗談を言い合い、笑っている。アレナスに用があって呼んだわけではなさそうだ。ビルパートが、少し離れた場所でがすれた笑い声をあげていた。
しかし、下士官食堂の中は、形容できない緊張に包まれていた。騒々しくはあるのに、決して明るくも楽しそうでもない。みんな、自分の命をなくすかもしれない作戦の発表を、こころ待ちにしながら、恐れている。
アレナスも同様だった。だが、彼女には恐れより、期待の方が遥かに大きかった。
この機会に、何らかの成果を上げさえすれば、もう少し部隊の中でも、認められる。少なくとも、古参の隊員たちにからかわれることはなくなるだろう。
そう、成果さえ上げることができれば。
そして、でっぷり太ったオサダ提督と三人の参謀があらわれた。
「第二七七宇宙戦闘機隊及び第四マシーン兵器部隊は、地球最終防衛戦争より帰還した、ツインエクセリオン級宇宙戦艦を護衛する。今から十六時間後の、くじら座タウ恒星系付近で、我々は人類最大の英雄たちを、今再び地球に迎える」
オサダ提督の指令はそれだけだった。
以下の作戦内容概略は、各参謀によって告げられる。
宇宙戦闘機隊によって制宙権を確保し、マシーン兵器部隊がツインエクセリオンを制圧する。艦の砲塔は常に、ツインエクセリオン級を射程内におくらしい。つまりは海賊艦の武装解除と同じ作戦内容ということだった。
下士官食堂に集合した、気の荒い三百名の戦闘員たちは、何も言わなかった。誰も提督の指令に納得したわけではない。しかし、説明不足に対する抗議の意思をあらわそうともしなかった。
新入りのアレナスにでさえ、矛盾がわかる。どうして戦艦の護衛を目的とする平和な作戦に、重武装の海賊戦艦と同様の行動を取らなければいけないというのか。
アレナスは思わず隣のテューズディを見た。テューズディはその視線に気づいて、真紅の唇を歪め、ぞっとするような笑みを浮かべた。
「……幽霊船だね、こりゃ」
テューズディだけではなかった。誰もがそう思っているに違いない、とアレナスは気づいた。
幽霊船と、地球科学文明の戦いが、本当に始まるっていうの?
アレナスを含めた戦闘員の誰もが、それはとてつもなく異常でこっけいな戦いになると感じていた。
艦内は突然の作戦に、慌ただしく指令が飛び交うようになった。
かなり広い、戦闘機・マシーン兵器格納庫は、機械の最終整備に追われるメカマンたちが走り回り、パイロットは自分の機体だけを優先して整備させようと、メカマンたちを追いかけるので、誰がどこにいるかわからないほどの騒ぎとなっていた。
誰もツインエクセリオンとの遭遇を平和的なものとは思っていない。提督も参謀も戦闘とはいわないが、あきらかに戦闘を前提とした作戦を考えていた。
「幽霊船との戦闘なら、まだ海賊の方がましだよな」そんなグチがあちこちで聞こえる。だが、グチを言いながらも手は動かし、汗を流していた。みんな、生きて帰るための努力をしている。
マシーン兵器隊隊長は、戦闘機部隊と混合で偵察任務の先発隊を編成した。
テューズディを先頭に、屈強のマシーン兵器乗りが五人。彼らはツインエクセリオン級戦艦のワープ・アウト予想地点で待機し、レーダーで捕らえられない状況を逐一報告する。最終的にたよりになるのは、人間の眼だけしかない、という戦闘機・マシーン兵器パイロット共通認識からの作戦だった。
テューズディたちのマシーン兵器が、最優先のチェックを受ける。
アレナスは一人で、自分のマシーン兵器の生命維持装置のチェック(パイロットにとってこれだけはメカマン、つまり他人に任せられない点検だった)と、各部伝導系の圧力抵抗指数を正常値に戻すための整備に追われていた。ベテランのメカマンは、先輩隊員たちに取られてしまうし、メカマンにはメカマンの仕事があるから、アレナスのような新入りは、できるだけの整備を自分でしなければならなかった。
「まったく、こーゆーのって不公平だよ」
文句を言いながら、手を油まみれにしているアレナスの肩を誰かが叩いた。ビルパートだった。
「テューズディに挨拶して来い。野郎、こんなバカな作戦に率先して出ていきやがる」
「どういうことですか?」
アレナスには、ビルパートの言った意味がわからない。戦闘空域では、誰だって死の可能性を秘めているだろうに。
「だから、お前はガキなんだ」
ビルパートが顔を近づける。
「こうして生き残って来た奴はな、わざわざ危険な場所には飛び込まなかった奴だってことだ。死のうと思って出撃する奴は必ず死ぬ。それを、あいつ、わけのわからない作戦に志願しやがって」
ビルパートはそう言って、アレナスの尻を(軽く)蹴り上げる。
「だから、お前がテューズディに挨拶して来いって言ってんだよ。お前が一番、それを教わっているんだろ、あいつに」
教わったっけ、そんなこと
しかし、パートナーで先輩のビルパートに従わないわけにもいかない。
「は一い、わかりました」
アレナスは納得できないまま、マシーン兵器のコクピットに、点検表を投げ捨てて、カタパルトに一番近い所で整備を受ける、五機の出撃間近なマシーン兵器へと向かった。
アレナスが、広い格納庫を横切って、カタパルトにたどりついたとき、テューズディは初老の整備員と怒鳴り合っていた。
「冗談じゃないよ。右脚の調子が悪いなんて、この前の出撃の時は感じなかったよ。あんたたちが壊したんじゃないの」
テューズディが鬼のような形相で、白髪まじりのメカニックを怒鳴りつけている。
「こいつとはもう二十年のつきあいなんだ。何回もスクラップになりかかったのを、生き返らせてるんだ。お前たちがどうなろうと知ったことじゃないがな、こいつにだけば、生きて帰って来てほしいんだよ」
メカニックは、関節駆動部に顔を埋めたままで、静かに言い返す。
「バカ野郎、誰がお前の思い出聞いてるんだよ。こいつと一緒に帰って来てやるから、調子だけは何とかしてくれって言ってるだけなんだ」
テューズディは溜め息をつき、やっとアレナスが側に立っていることに気づいた。
「何だ、アレナス。何の用だい」
困った、とアレナスは慌てる。挨拶して来いとは言われたけれど、こんな時に何を言えばいいというのか。下手なことを言ったなら、気のたっているテューズディだから、二〜三発殴られても仕方ない。
「ビルパートに、テューズディと話して来いっていわれたから」
テューズディは苦々しそうに笑った。
「余計なお世話だ、あのおっさん」
それでいて、アレナスには笑顔を向ける。
「素直じゃないか、お前。かわいくなってきたな」
テューズディはポケットからクシャクシャになった煙草を引っ張り出して、火をつける。何も話そうとせずに、その煙を胸いっぱいに吸い込んでいる。
「吸うか?」
「いえ、別に今は……」
「あたしが吸えって言ってんだろ」
テューズディは、アレナスに無理矢理煙草をくわえさせる。
そして、アレナスが煙を吸い込んだとき、テューズディはニッと笑顔を見せた。そんな笑顔を見るのは、初めてだった。
「あたしだって、鉄でできてるわけじゃないから、怖いよ。でもな、怖いまんまじゃ、何もできないだろ。特に相手の正体がわからないなんて、バカな話だよ」
そう言って、アレナスの耳をつまみあげる。
「いいか、無鉄砲なのと臆病なのは、すぐにいなくなっちまうけどな、勇気があるのと慎重なのは長生きするよ。今のお前は戦場に出てすぐ、死んじまう奴の典型だ。待ってりゃそのうち、戦果が来てくれるから、それまで少し我慢しろ。あたしがそうだ、幸運がついててくれた。けど、今回はわかんないね」
テューズディは煙草を握りつぶす。くすぶっていた火が、手の平の中で消えていく。
「おっさん、どうだい、関節は治りそうか? あたしはあと四時間で出撃だからね」
そしてアレナスに言った。
「慌てるなよ、長生きしろ。あたしみたいに無鉄砲な奴は早死にする。ちょうど、今のお前みたいなもんだけどな。もういい、行きな」
アレナスは、自分のマシーン兵器が立つ、格納庫の隅に帰って来た。
そして、誰も点検してくれない自分のマシーン兵器のコクピットに座りこんで、少し考える。
テューズディは、あたしが焦っているのを知っていたんだ。でも、キャリアのない、新入りのあたしが、古参の隊員に認めさせるには、何か無理しなきゃならないんだ。あたしは早く、お荷物の位置から脱したい。でも、テューズディは、そんなあたしをお見通しだったんだ。だから、あんなにあたしのことを殴ったりして、気づかせようとしていたんだ。戦場に必要なのは、実力と幸運だってことを。運もないのに、焦っていたら、そのまま、帰ってこれなくなるって
「おい、何してるんだよ。整備してやるから、少しは手伝え」
若いメカマンが、コクピットをのぞきこんだ。
「チェック表渡せよ。このまま、出撃したくはないだろう」
「ありがと」
アレナスはチェック表を手にコクピットから飛び出した。
「待ってたんだ、誰か来てくれるの」
「だから、早く終わらそうぜ」
メカマンはすでに、各部点検パネルハッチを開け始めていた。
テューズディとはこれでお別れなのかな……。アレナスは、メーター類のチェックをしながらそう思い、少し寂しくなった。
格納庫の狂騒はほとんど静まっていた。
マシーン兵器五台、コスモアタッカーXU十機からなる先発偵察部隊が出撃して、六時間がたっていた。予測では、あと六時間でツインエクセリオン級の幽霊船が、この宙域にワープアウトしてくる。
静かなのはせいぜい、あと二〜三時間というところだろう。集中して作業を完了したメカニックマンたちは、最終点検を着々と終わらせている。
コスモアタッカーのパイロットたちはめいめいが好きかってなことをして、気持ちを落ち着かせようとしている。もちろん、マシーン兵器乗りたちも、出撃命令を静かに待っている。
そして、アレナスが、マシーン兵器のコクピットで、テューズディの言葉を考えているときに、スピーカーが隊長からの集合命令を伝えた。
「マシーン兵器パイロットは、至急、格納庫前、まあいつものところだ――に集合。二度は言わんからな」
アレナスはコクピットを飛び出し、集合場所に整列する。
格納庫前に集合した隊員たちの前で、いつもと同じ無表惰な声で隊長は作戦命令をくだす。
「マシーン兵器隊は今から空間待機。先発の戦闘部隊と合同で、ツインエクセリオン級戦艦の護衛に向かう」
「本当に護衛ですか、隊長」
誰かの声がからかうような口調で言った。
「わかってるだろ、お前たち。管理職は厳しいもんだ」
隊長は、一瞬辛そうな演技をして見せ、すぐに表情を冷たくする。
「小隊ごとの発進。小隊長は、俺の指示を待て。上はまだもめている。行け」
マシーン兵器乗りたちは瞬時に散った。誰もが、自分のマシーン兵器をトップにしようと燃えている。アレナスも、そうだった。
ついに出撃の時が来たんだ。これで、何か大きな成功をすれば、もう小娘扱いされることもなくなるし、古参隊員に甘く見られることもない。待ちに待った瞬間だった。
「よォ、アレナス!」
エドガがマシーン兵器に飛び乗ろうとするアレナスを呼び止めた。
「何、こんな時に。用があるんなら、早くして」
アレナスは、シートベルトで体を固定する。スーパーアイカメラ、各関節駆動部、ジェネレーターの点検。すべてOK。プラズマ・スピアと腕のコネクターも接続は完了。後は持ち上がった上半身を降ろせば、出撃できる。
「アレナス……」
だが、エドガが、コクピットハッチの向こうに立っていた。
彼の顔には、いつもの軽薄な笑いはなかった。
「何してんの。言いたいことがあるなら、はっきり言ってよ」
アレナスは出撃の興奮に包まれている。今は、エドガと話をしたい気分じゃない。
エドガは何かを言いかけ、そのまま言葉を飲み込んでしまう。頭の中で言いたいことが渦を巻いているようだった。どう言葉にしてよいのか、わからなくて苦しんでいるといった風に見える。
「どいて」アレナスは言った。
「あたし、出る」
コクピット・ハッチのクローズ・スィツチに手をのばす。上半身がゆっくりと、スライドされて降りていく。
「この前は悪かった! 俺がバカだったんだ」
エドガが意を決したように叫んだ。アレナスには、その言葉の意味がわからなかった。
この忙しいのに、何を言ってるんだ、こいと
「もし、帰って来たら、もう一度、話を……」
コクピット・ハッチのロック音が重たく響き、エドガの言葉を遮った。真っ暗になったコクピットに各種メーターの光が輝く。雑音に混じって、通信が飛び交っている。
「どうしたんだ、あいつ」
アレナスはモニター・スィツチを入れることさえ忘れていた。
もしかするとエドガって……。発進の興奮に包まれていたアレナスだったが、やっとエドガの言った言葉の意味がわかった。
さっきの言葉は、告白だよね、どう考えても。
コクピットに鈍い振動が伝わり、ビルパート中尉の声が響く。
〈どうした、ついにお待ち兼ねの瞬間だぜ。まさか、ブルってんじゃないだろうな〉
アレナスは慌てて、モニターをオンにする。格納庫が映し出され、明るくなるコクピット。マシーン兵器はペアごとの小隊で、カタパルトへと向かっている。そして、宇宙空間に背中のロケット・バーニアが噴射した光の矢が消えていく。
「待ってたわ、この時を」
アレナスは、作戦に集中できなくなりそうな自分に気合を込め、エドガのことを無理に忘れた。気迫の衰えたパイロットでは、せっかくのチャンスを生かせない。
〈元気だよな、お前は〉
ビルパートは、アレナスの気持ちを知らずに、気楽に笑った。
〈ビルパート、アレナス、出る〉
ビルパートの声と同時に、瞬間的に十Gを超す加速がかかり、四つん這いの形で、マシーン兵器は射出される。漆黒のエーテル空間を、バーニア噴射の光が切り裂き、舞い飛ぶ。
〈アレナス、俺たちは最後尾だ。慌てるこたあない。しっかりついて来い〉
「わ、わかってます」
アレナスの声は興奮で震え、その興奮が腕に伝わる。圧力感応スティックがアレナスの緊張を感知して、プラズマスティックを握ったままの右腕を突然振り上げた。
〈バ〜カ、なに慌ててやがる〉
ビルパートの声は、いつもとまるで変わらない。
〈そんなこっちや、戦闘始まる前に疲れちまうぞ〉
「やっぱり戦いですか?」
アレナスは、震え声にならないように、喉の奥で声を出す。
〈なるよ〉
おかしさを噛み殺すようにビルパートは答える。
〈ならなきゃ、戦闘配置の意味がないだろ〉
「じゃあ、相手は誰なんですか? まさか、帰って来た銀河中心殴り込み艦隊とか」
〈わかってんだろ、お前も。もちろん、幽霊船に決まってるじゃねーか〉
ビルパートの楽しそうな声を聞きながら、まずい話題に触れちゃったな、とアレナスは思った。できるだけ、その話だけはしたくなかったのに。
相手が幽霊でさえなかったら、あたしにもチャンスはあるわ。
スピーカーから流れてくる、ビルパートの怪談も、アレナスの興奮を消すことはできなかった。
アレナスの頭上をコスモアタッカーXUの編隊が警戒速度で飛んでいる。空間に漂うマシーン兵器の群れは、ある一点を凝視し続けていた。こんな状況がすでに三十分以上も続いている。はるか後方では、提督や参謀たちが、何をしてよいのかわからず、手をこまねいていることだろう。
「気味が悪いですね」
アレナスは、もう何度同じことをつぶやいただろ
〈そうだな〉
ビルパートも、同じ言葉を繰り返す。
α星を背にして、ツインエクセリオンは進んでいた。
銀河中心殴り込み艦隊の主力戦艦。アレナスたちの想像を遥かに絶した科学力で建造された戦艦は、ゆっくりと、静かに進んでいる。
アレナスはスーパーカメラアイを最大望遠にセットするが、何度見ても同じだった。
全長十キロはあろうかという双胴艦の外壁は、長い航海を意味するかのように、無数の小さな穴が開いていた。それは宇宙空間に漂う微小な浮遊物との激突が生んだ穴だった。
左舷エンジンブロックは、大きな空間ががつてそこにエンジンがあったことを知らせているだけで、完全に脱落していた。かつて純白に塗られていたであろう外装は、すでに汚れきって、内装が見えるような場所もある。そのうえ、ところどころにマシーン兵器が三機まとめてくぐれるような、被弾跡のような亀裂があった。無数にある航行灯はすべて沈黙し、艦首のレーダーも破壊されていた。ツインエクセリオンは瀕死の、または墓場から呼び戻されたような戦艦だった。
この船の中で人が生きていられるわけがない。アレナスにも一回でそれがわかる。
〈気づいてるかい、ビルパート〉
テューズディのマシーン兵器が近づいてきた。
生きてたんだ、テューズディ
アレナスは、ほんの少しだけほっとしていた。彼女が、最後に言った『長生きしろ』という言葉が、このときほどうれしく感じられたことはなかった。
テューズディ、あんたこそ、長生きしてるじゃないの
〈何がだ〉
ビルパートは普段と変わらない口調で話している。
〈左舷中央の亀裂だよ〉
アレナスはテューズディの指し示す亀裂を探す。
〈あれは……外から破れたものじゃないね。中から大きな力が加わって破れたものだ〉
亀裂の周囲には、内部から外へ出ようとしているようにも見える、大きな建造物のようなものがあった。金属の骨組みや光沢、いくつもの直線の重なりから、たぶん人間の手によるものなのだろうが、その印象は植物の根に近かった。しかし、それは差し渡し七百メートルにも及ぶ、巨大な物だった。そして、突然建造を放棄されたように、何とも中途半端なイメージがあった。
「生き物みたいだ」
アレナスは金属の根を見てつぶやく。
〈当時の科学力は何を生み出したんだ〉
ピルパートは畏怖したように言った。
〈どっちにしろ、人間はいないね〉
テューズディが不思議そうに言った。
〈でも、どうやって、ここまでやって来たんだ。レーダーが壊れたまま、ワープ空間に突入してみろ。いっぺんに宇宙のどこかに飛ばされちまう。レーダー手の坊さんやイルカだって生きちゃいないだろ?〉
〈各マシーン兵器パイロットへ〉
スピーカーがブリッジからの通信を伝える。
〈ツインエクセリオンに接近せよ。可能ならば、内部へ侵入し報告を〉
〈ついに痺れをきらしたね〉
テューズディが笑った。
〈第六−十ペアはあたしと一緒に右舷へ入る。ビルパート、アレナスを忘れないようにしな〉
〈バカ野郎、俺のところの大切なお嬢ちゃんだ。自分の尻忘れても、アレナスだけは忘れねえよ〉
ビルパートはマシーン兵器をアレナスに近づける。
〈アレナス、今回だけは俺も不安だ。何か起こるかわからねえ。だから、絶対に俺から離れるなよ〉
モニターに映ったビルパートは真面目な目で、アレナスをにらみつける。
[#挿絵(img/085.jpg)]
〈つまらねえ魂胆は捨てろよ、命が大切だったらな〉
アレナスは心の底を見透かされたような気がして、唾を飲む。
「大丈夫だから、心配しないで、中尉」
〈お前の大丈夫はな、どうも当てにならん〉
〈行くよ、ついて来な。微速航行な〉
テューズディの合図とともに、十一機のマシーン兵器が右舷へ向かう。同様に左舷、ブリッジを目掛けて、マシーン兵器の侵攻が始まる。アレナスの目の前で、ツインエクセリオンがじょじょに巨大になっていく。もう望遠を最大にしなくても、各部の損傷が見えるようになっていた。
〈アレナス、先行しすきだ〉
ビルパートは言うと同時に、アレナス機の肩をつかんで、ガスを逆方向に噴射する。ガクンいう大きな衝撃とともに、アレナスは最後尾まで連れ戻される。
〈わかってると思うが、勝手をするな。一番乗りはお前の役目じゃない〉
焦っている
アレナスは、手の平が汗でびっしょりと濡れているのに気がついた。
テューズディに言われたばかりじゃない。焦るな、幸運を待てって。
アレナスが深呼吸して、落ち着こうとしたその時、テューズディが叫んだ。
〈離れろ! 最大加速で離脱しろ!〉
思考よりも早く、体が反応していた。すさまじいGが、アレナスをシートに押しつけ、モニター内のツインエクセリオンがみるみる小さくなっていく。
ツインエクセリオンの周囲で旋回を繰り返していたコスモアタッカー隊が、急加速で降下していた。
何が起きたの¥\秒の加速を済ませて、アレナスは考えるだけの余裕を取り戻す。
「スモアタッカー隊の動きが、答えを教えてくれた。宇宙戦闘機の動きは、標的を見つけた猛禽類のように、旋回と降下を繰り返している。ただ、戦闘はまだ起きていない。威嚇行動を取っているだけのようだ。
〈マシーン兵器さんよォ、映すぞ〉
戦闘機隊の隊長の声が聞こえ、モニターの一部が戦闘機から送られてきた映像を映し出す。
〈まいったな〉
ビルパートがかすれた口笛を吹く。
映し出されたのは、ツインエクセリオン右舷格納庫から次々と射出される、宇宙戦闘機の群れだった。それも、地球圈最強の宇宙戦闘機といわれたコスモアタッカーXが。現在、主力となっているコスモアタッカーXUは、部品が劣化して使用不可能になりつつあったX型を簡略化したマスプロタイプの戦闘機で、外観も武骨だが性能にも格段の差がある。すでに失われた科学力が、コスモアタッカーXには満載されていたという。
しかし、アレナスにはそんなことよりも、気になることがあった。濃いスモークがかかったコクピットの中に、人の姿が見当たらないような気がしたのだ。
〈あの戦闘機は見えているか、マシーン兵器さん方には。コクピットに人影がないぞ。俺たちの相手が幽霊だってのは、どうやら本当らしいな〉
戦闘機隊隊長の声が響く。
〈とりあえず敵意はないみたいだな。もし敵意があったら、もうドンパチ始まってるよな〉
ビルパートは、まるっきり他人事のような感想を告げる。
戦闘機隊は、ありとあらゆる波長を使ってコスモアタッカーXと交信しようとしていた。しかし、ツインエクセリオンの戦闘機は、地球軍の使用するすべての波長、封印されていたコンピュータを呼び出す波長にも答えようとはしなかった。
ツインエクセリオンの周囲は、発進したコスモアタッカーXの編隊で覆われた。その編隊はただフラフラと飛び回るだけで、フォーメーションを組もうとも、規則だった行動をしようともしていないのが奇妙だった。ただツインエクセリオンの周囲で、ゆっくりと、無秩序に飛び回っているだけで、コスモアタッカーXU部隊やマシーン兵器に敵意があるのかどうかを確かめているようにも見えていた。
しかし、本船のブリッジでは、ツインエクセリオンの問題は後回しにされていた。
「どうして、シリウスの戦艦を、今まで発見できなかったというんだ!」
シェン参謀が温厚な人柄を忘れたように、レーダー手を怒鳴りつける。
「レーダー波に干渉して、機械的には発見できない状態でした」
レーダー手も、怒鳴り返した。
「目視探査は、この作戦では必要なしとされていました」
「それを、何とか見つけるのが、レーダー手の仕事だろ!」
「もういい、シェン君。奴らがこの事件に一枚噛んでいることがわかったんだ。ツインエクセリオンを操っているのか、手に入れようとしているのかはわからんが、奴らを撃退することが緊急課題だな」
オサダ提督は火のついていない葉巻をくわえて言った。
「奴らにはツインエクセリオンを渡せん。私の命を賭けても、それだけは阻止しなければ、ミリタリー・バランスが一気に崩れてしまうぞ」
「では……」
オウリイ参謀長が提督の決断を待つ。
「目標の変更。ツインエクセリオンから、シリウス戦艦へ」
提督は、葉巻に火をつけていないことに、まだ気づいていなかった。
何をするでもなく、死にかけたツインエクセリオンと、幽霊のような戦闘機を見つめていた戦闘員たちに、緊急通信で命令が下された。
「ツインエクセリオン後方に、シリウス軍戦艦を発見!」
「ツインエクセリオン級は後でいい! シリウスを撃退する! 奴らがこの戦艦に近づくことだけは阻止しなければならない!」
マシーン兵器部隊を指揮するクルサスパ参謀は、必死の思いで告げる。
シリウス戦艦の突然の到来は、各部隊に多少の混乱を呼んだ。だが、マシーン兵器部隊は比較的早期に態勢を建て直していた。
「目標変更、距離二千宇宙マイル。ペアを崩すなよ」
テューズディの指令がくだる。
宇宙戦闘機隊がマシーン兵器を追い越して、シリウス戦艦へ向かった。
〈ちくしょう、二千しか距離がねえんじゃ、すぐに捕まっちまう。レーダー手は何してたんだ〉
ビルパートは、シリウスの接近を許した本船レーダー手を毒づいた。
〈行くぞ、アレナス。幽霊船はこの後だ〉
「はい、中尉!」
アレナスにとっては、好都合だった。幽霊船かもしれない死にかけた戦艦よりも、正体のわかっているシリウス軍の方が、何倍もいいに決まっている。
マシーン兵器のモニターカメラが、宇宙戦闘機隊とシリウス・コマンドの戦いを映し出す。エーテル波が、爆発の衝撃を伝え、マシーン兵器の装甲を揺さぶる。コスモアタッカー隊が、光子ミサイルを打ち込んだのだ。
アレナスは、ついに待ちに待った、チャンスが到来したのを知って、体が熱くなるのを感じていた。
これよ、訓練じゃなく、この時を待っていたの! だがアレナスの興奮を感じたかのように、ビルパートのマシーン兵器が近づいてきた。
〈アレナス、前へ出るな。シリウス人はまともじゃねえ。狂ってるんだ。連中の魔法にかかっちゃ、マシーン兵器なんていちころでお終いになる。戦闘機隊が突破してくれるのを待て〉
ビルパートが、アレナスのマシーン兵器に触れる。
〈いいか、先行するな。お前が死んで、男便所で待ってた日にや、大笑いだからな〉
しかし、アレナスには突入する気など、まるでなくなってしまっていた。シリウス・コマンドを、初めて近くに感じたのだ。
シリウス人の魔法が、精神で肉体を覆う鎧を造るというのは、もちろん知っていた。その鎧が、あるときは無敵の強度を持ち、あるときは拳銃の弾で破れることも習っている。写真だって、フィルムだって見た。彼らが精神の力だけで、宇宙空間を自由に駆けることができるのも知っている。
だが、実際に遭遇するのは初めてだった。アレナスはマシーン兵器に包まれていながら、その気配を痛いほどに感じていた。
こんなに恐ろしい物だったなんて
エーテル圧計には何の変化もないし、他の計測機器も反応していない。けれども気配だけば、悲鳴を上げたくなるほど強く感じる。まるで、心や感情が押しつぶされてしまいそうな圧力を。
〈アレナス、感じてるか。これが、奴らの精神攻撃だ。もう少しで見える!〉
モニターに映るビルパートの額には汗が浮かんでいた。
〈泣いたり、怖がったりするなよ。そこに奴らつけこんで来るからな〉
モニターの中で、光子ミサイルの爆発光が輝く。肉体や機械を護る精神の鎧には、強弱の波がある。最大の威力を発揮している精神の鎧を、ミサイルの速射で揺るがせる。自分の直前で作製するミサイルの威力に、一瞬でも脅えてしまったら鎧の効果は低下する。もし鎧の弱くなった瞬間にミサイルの破片が飛び込んだなら、肉体自体は地球人と同じでしかないシリウス人はひとたまりもなく倒れてしまう。だが、それで優秀な魔法使いを失うことを恐れているシリウス軍は、移住したときに地球圏から持っていった、宇宙戦闘機を補助兵器として使っていた。確かに古い型の宇宙戦闘機ではあったが、精神装甲の護衛くらいの役には立つ。
「中尉、あれは!」
モニターに映る巨大な影に、アレナスは叫んでいた。その大きく揺れる長い影は、恐怖を誘い、異様な圧迫感を持っている。
〈あんなのまで、いやがるとは……〉
ビルパートの声もさすがに驚きを隠せなかった。
〈竜だ。いや毒蛇でもいい。精神装甲の中でも最強のランクの奴で、魔法使いどもの中でも、あれを造れるのはほんの少ししかいないって話だ〉
言われてみると、黒い宇宙空間を背にして、ミサイルの光の中に浮かび上がるそれはのたうちまわる竜、蛇に感じる。ミサイルの波の中を、自由に泳ぎ回る姿は、醜悪でありながら、神々しさをも感じさせるような力に満ちていた。竜があらわれたときに、空間を支配する圧迫感は、この上なく強くなっていた。そして、大きく振られた尾に触れると、ミサイルもコスモアタッカーも、瞬時にして見えなくなる。
〈あの尾に触れるとな、あっという間に押しつぶされて、豆粒みたいになっちまう〉
竜の出現で、コスモアタッカー隊は苦戦しているようだった。二十数機の戦闘機が、一度にミサイルを発射しても、竜は苦痛をあらわすかのようにのたうつだけで、決して消えはしない。そのため、コスモアタッカー隊は戦力のかなりを、竜の足止めに裂かなければならなかった。
〈駄目だ、いくらか、そっちへ行った。何とか、勝手に始末してくれ〉
戦闘機隊からの連絡が入る。
〈来るぞォ、シリウスの狂信者どもが〉
テューズディが感情を押し殺したような声でつぶやく。
〈竜さえいなけりや、こっちのもんだ〉
〈わかってるか。プラズマ・スピアをな、全力で叩き込むんだ。殴るなよ、突くんだ。かなり抵抗があるけどな、そこを無理矢理ギリギリっと押し込むと、パッと鎧が消えてお終いってわけだ〉
ビルパートは笑った。
〈アレナス、お前が男だったら、あの感触を説明してやれるのにな〉
「また、いやらしい冗談なんだから」
アレナスは、軽く笑い飛ばした。ついに実戦がやって来たのだ。中年のおっさんのギャグにいちいちつきあっていられない。モニターには、いくつもの影が映っている。丸い影、細長い影、歪んだ影。それが、シリウス人の精神装甲だった。それはゆっくりと近づいて来た。じょじょに影の形が、人間の姿に似ているのがわかるくらいの距離になる。
アレナスにとって、待っている時間がこれほど長く感じられたことはなかった。目前に戦いの相手がいるのに、彼らはゆっくり(実際には猛スピードで)近づいて来る。
アレナスは焦る気持ちを抑えて、彼らが格闘攻撃範囲内に届くのを待っていた。こいつらを倒しさえすれば、あたしだって……。
〈行くぞ〉
そして、テューズディの声と同時に、マシーン兵器隊は突入した。
〈アレナス!〉
ビルパートが叫ぶ。
〈大丈夫だったか?〉
部隊後方に後退させられて、アレナスは頭を振った。まだ、脳の芯がクラクラしている。
「生きてます」
〈バカ野郎! 背中にも眼をつけておけって、何回いった! 後ろなんか、取られるんじゃねえ〉
一瞬の油断だった。ツインエクセリオンを眼下に置いて、ビルパートと二人がかりで、一つの精神装甲と戦っていた。そいつは何本も腕のある影をまとって、ビルパートに襲いかかってきた。腕が動くたびに、アレナスの精神は翻弄され、興奮と憂欝の間を振り子のように行き来させられた。憂欝が最大限に達しかとき、ビルパートのプラズマ・スピアが精神装甲を貫いた、とアレナスには見えた。あたしには、何もできなかった。そう思わされた瞬間、周囲が真っ暗になっていた。プラズマ・スピアの下をかいくぐった精神装甲が、アレナス機の背後に忍び寄り、アレナスの精神を押しつふそうとしていたのだ。
そのとき、アレナスは、すべてが圧縮されていくのを感じていた。肉体の圧縮なら苦痛だったかもしれないが、精神の圧縮は奇妙なものとしか感じられなかった。記憶が凝縮され、感覚が混乱する。楽しかった記憶と激痛が、夢と人、学習と忘却、痛みと快感のすべてが、一つのものとなり、何もかもが同じ物としか感じられなくなっていた。
もし、ビルパートのプラズマ・スピアがあと何十秒か遅れていたなら、アレナスの精神は小さな点だけになって、何も理解することができなくなっていただろう。
〈本当に大丈夫なんだろうな〉
ビルパートは周囲を監視している。
〈おい、嫌いなものって何だ?〉
何か? アレナスにはビルパートの言葉がよく理解できない。嫌いって、何を言ってるんだろう。
〈バカ野郎、アレナス、このガキ! 俺はお前に『嫌いなもの』を言えって言ってるんだよ。てめえ、今から三数える間に言わなけりや、艦に帰って、腫れ上がって座れなくなるまで尻を叩くぞ! わかったか。わかったら、嫌いなものを言え〉
「……嫌いなもの……」
あたしは何か嫌いだろう。何かとっても嫌いなものがあったような気がするけれど、自信がない。食べることも寝ることも、男の子とおしゃべりすることも嫌いじゃないし、友達だって嫌いじゃない。軍人だって自分で選んだ仕事だし、マシーン兵器も頼りになるし。でも、あれっていやだったな、確か
「……幽霊」
あっ、あたしは幽霊とかお化けとか、何かよくわからないものが嫌い。見たことはないけど、ありそうな気がするし。それでいて、よくわからないところが大嫌いだ
〈……治ったか?〉
モニターの中でビルパートが探るような眼をして、見つめている。
「え? 何かですか?」
アレナスには、自分に何か起こったのか、まだ理解できていなかった。実際、このとき何か起きたのかを思い出したのは、ずっと後になってからのことだった。
〈バカ野郎。心配かけやがって。気づいてないんならそれでいい。行くぞ、次が来る〉
そのとき、マシーン兵器の戦線の一角が崩れた。翼を持った大きな人影が、マシーン兵器を蹴散らしている。その崩れた隙間から無数の影が、ツインエクセリオンの方向へと向かい始めた。
〈ちくしょう!『灼熱カラス』まで出て来やがった!〉
ビルパートが灼熱カラスと呼んだ精神装甲は、大きな翼で本体を包み、プラズマ・スピアやプラズマ・アックスをはじき返す。そしてその翼を羽ばたかせて、マシーン兵器の外装を歪ませていく。
だが、アレナスはそれが一瞬、天使に見えた。体の何倍もあるような大きな翼を持った黒い天使に。
もちろん、すぐにそんな考えは頭の中から追い出した。
あれは、シリウス軍の攻撃兵器なんだlj
〈一番、後ろ! ビルパート、こっちは何とかする! ツインエクセリオンの守備隊を援護してやってくれ〉
テュ―ズディのアックスが、灼熱カラスの頭部に降りおろされる。しかしアックスは、頭に触れる前に、溶けて歪んでしまった。
〈この化け物!〉
ビルパートとアレナスの横を矢のような影が、ツインエクセリオン方向へ向かって駆け抜けた。次いで、何とも形容できない色彩を発する歪んだ影が。
アレナスは無意識のうちに、スピアを突き出した。どうしようという意図があったわけではなかった。動物が動くものに気を取られるような感覚での、ほんのちょっとした動作だった。しかし、スピアは影を貫き通じていた。歪んだ影の色が、真紅に変わり、怒りの気が発散され、アレナスに襲いかかる。
アレナスはそのあまりに強い憎悪の気に、スピアを引き抜きそうになった。
駄目! ここで抜いてはいけない!
〈よくやった、アレナスー〉
ビルパートがスピアを叩きつける。スピアは影に深く突き刺さり、プラズマの光が輝く。影は色を失い、そのまま見えなくなった。そして、影のあった場所に、小さな人影が漂っていた。
〈見るなよ、アレナス。お前には、まだ刺激が強すぎる〉
アレナスはビルパートの後を追って、ツインエクセリオンへと向かった。アレナスは影の中にシリウス人がいることに気づいて、少し嫌な気持ちになる。
そう……戦争なんだから、自分が死ぬか、相手が死ぬかしかないのだから。
けれども、戦闘機や戦艦の砲塔員は、相手の死体を見ないでもすむ。自分が殺した死体を見るというのは、決して気持ちのいいものではない。
けど、今はそんなこと考えてる余裕はないわ。みんな、必死で戦っているんだ。あたしだって、そうしなきや!
そして、ツインエクセリオンの周囲でも、マシーン兵器部隊、必死の戦闘は始まっていた。宇宙戦闘機隊がいない分だけ、苦戦しているのかもしれない。精神装甲は数を増やし、マシーン兵器に猛攻撃をしかけている。竜や灼熱カラスこそいないものの、一対一の戦いでは、精神装甲に分があった。彼らは宇宙空間を、水の中の魚のように自由に動くことができる。そんな精神装甲に比べると、マシーン兵器は大きいだけに小回りがきかない。空間戦では圧倒的に不利だった。そして、マシーン兵器と精神装甲の入り交じった空間での戦いが、より苦戦を強いている。
〈ビルパートか? 助かるぞ!〉
カルナック中尉の声が聞こえる。
〈こっちはもう、大変だ! お前のところのお嬢ちゃんの手でも借りたいくらいだったんだ!〉
〈アレナス、お呼びだ。手を貸してやれ〉
ビルパートとアレナスは、戦いの渦の中へ飛び込んでいく。
アレナスは必死でマシーン兵器を駆る。殴ったり、突いたりで、精神装甲に立ち向かって行く。ビルパートが動きを止めた精神装甲を貫き、自分一人で追い帰す。だが、戦いは不利に進んでいるようだった。敵をしとめるよりも、リタイアしていく味方の数が多くなり始めていた。
〈コスモアタッカー隊は何やってんだよ! いつまで俺たちに化け物退治させようっていうんだ!〉
カルナック中尉の叫び声がスピーカーから聞こえる。
そういえば。アレナスは精神装甲に襲われながら、不思議に思った。ツインエクセリオンは一体、何をしているんだろう。スーパーアイを向けると、ツインエクセリオンの姿が映る。幸いなことに、精神装甲は取りついていない。ただ、あれだけ飛び回っていた、コスモアタッカーXが一機も見当たらなくなっていた。収納したのかしら。
〈アレナス、バカ野郎!〉
ビルパートの怒鳴り声が飛ぶ。遅かった。モニターいっぱいに映し出された長い腕を持つ影が、アレナスの自由を奪いとっていた。体が硬直し、動きが鈍くなる。まばたきをするのに、信じられないほどの気力と体力が必要だった。
〈アレナス!〉
ビルパートの叫び声は聞こえる。けれど、聞こえるだけで、反応できない。
今度は圧縮ではなかった。精神に大きな力がかかり、まるで紙を破るように、ちりぢりにされそうだった。凄まじい苦痛を感じる。すべての感覚器官の神経を炎で焼かれているようだった。そして頭の中に暴風が起こり、すべてが吹き飛ばされそうな感じがする。
だが、その暴風は、突然止まった。自由が戻ってくる。
痛みはすでにおさまっていたのに、アレナスは悲鳴をあげていた。それは、苦痛に襲われた時、叫ぼうとした声だった。
〈大丈夫か、アレナス〉
心配そうなエドガの顔がモニターに映る。
〈生きてんだろうな?〉
「……ありがと」
アレナスは、苦痛の記憶に顔をしかめる。そして無理矢理笑顔を作って、エドガに笑いかけた。
「助かったわ」
〈よかったぜ〉
エドガはうなずき、ほんの少し微笑んでみせた。
「死なれるわけにはいかないよな、お前には。まだ、話すこともあるしよ」
そして彼は、そのまま戦いに戻っていく。
エドガが助けてくれたんだ……。アレナスはふらつく頭をはっきりさせようと、頬を叩いてみた。痛みがはっきり戻ってくる。
この痛みを感じられるのは……エドガのおかげなんだ……
〈まずい、ツインエクセリオンの奴、ワープしようとしてやがる!〉
ビルパートが叫んだ。
〈離れろ! 巻き込まれるかもしれん!〉
ツインエクセリオンの右舷エンジンブロックが、淡い光を発し始めていた。縮退炉が活動を再開し始めていた。
けれども、アレナスにはビルパートの声が聞こえなかった。頭上から、急降下して来る影があった。その影はエドガを狙っている。エドガは、眼の前の敵に気をとられて、回避はできそうにもない。
まずい! このままじゃ、エドガがやられる! さっき、助けてくれた、エドガが!!
そう思ったとき、アレナスは自分でも予想しなかった行動をとっていた。
アレナスは最大加速で、頭上の敵に体当たりした。衝撃でシート・ベルトがひきちぎれ、アレナスは額をモニターに叩きつける。
〈アレナス!〉
誰かが叫んでいるのが聞こえた。でも、誰の声かわからない。
どこかへ落ちて行く感覚はあった。だが、落ちて行く先がどこなのかを考える前に、アレナスの意識は暗闇に閉ざされていた。
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第三章
魔法使いと捕虜
重く濁った霧が、アレナスの頭の中を覆っていた。
彼女は夢を見ていたような気がした。それは、懐かしく、悲しい夢だったような気がする。顔も知らない両親や、いるかどうかもわからない兄弟の夢だったのかもしれない。
ただ夢のかけらば、すべて指のあいだからこぼれ落ち、その感触だけしか残っていなかった。
アレナスは、こわごわと眼を開ける。涙がこぼれ落ちそうな気がしたし、あまり人には泣いている姿を見せたくはなかった。
以前、つきあっていた男とも、それが原因で別れた。素直に泣きながら、彼にすがってあやまればよかったのだが、彼女にはそれができなかった。彼が別れを告げたとき、彼女は平静を装い、大したことじゃないわと言っていた。
後でどれだけ後悔したか、わからない。彼は、とても失望していたのに。
アレナスの目の前は……暗闇だった。それも、光の筋や点すらない、真の暗闇。
鼻をつままれてもわからない暗さというのは、たぶんこんな場所をいうのだろう。実際、手を顔の前にかざしても、見えるのは暗闇だけだった。
「宇宙空間なの? 違うよね……」
とアレナスはつぶやいた。宇宙には、星々の輝きがあるし、マシーン兵器コクピットは各種メーターが輝いている。そういえば、ここはマシーン兵器のコクピットですらなかった。
どこだろう、ここ
見えない自分の手をのばすと、冷たい金属の感触を感じる。滑らかで、まるで戦艦の通路のような場所だった。
そういえば、あたし……
アレナスは意識を失う前の記憶をじょじょに取り戻し始めていた。
確か、戦っていて……エドガが襲われたんだった
あたしは生きてるみたいだけど、エドガはどうなったんだろう。それにテューズディやビルパートや、スティシィや蔡嶺……他のみんなはどうなったの?
それに、あたしが乗っていたマシーン兵器は?
「マシーン兵器は、どこ?」
アレナスがつぶやいたとき、すぐそばで何かが動く気配がした。
「……起きたか」
初めて聞く声だった。どこか奇妙な発音で、最初は何を言っているのか、わからなかった。
「誰か、いるの?」
アナレスは声の方向に眼を向けた。
暗闇。やっと自分の置かれた状況が把握できるようになる。
ここはグレゴリー艦内じゃないわ
叩き込まれたサバイバルの知識が眼を覚ます。
アレナスは、声から遠ざかろうと、あとずさる。しかし、ほんの数十センチ動いただけで、壁にさえきられてしまった。
「最初に言っておく」
闇の中から声が聞こえる。男の声だった。それも若い男の。どことなく、気弱そうな、軍人ではなさそうな声だった。高いところから聞こえてくるのは、男が立っているからだろう。
「旧地球帝国戦時憲章二十二項の条文に従って、きみはシリウス同盟軍の捕虜となった。これからすべての行動は、ぼくの指示に従ってもらわなければならない」
「冗談でしょ!」
アレナスはつい怒鳴ってしまった。何もわからない状態だったけれども、あまりに相手が一方的すぎる。知らないあいだに、捕虜にしたって言われて、はいわかりましたと応える弱虫のマシーン兵器乗りなんていやしない。
「誰が、捕虜になったっていうの! あたしは降伏してないし、武装解除だってされてないわ! それに、いつあたしがシリウスなんかに、捕まったっていうのよ!?」
アレナスの勢いに、男の声は沈黙した。何かを考えているようでもあった。
「黙らないでよ! そんなのずるいわ」
アレナスは男に気づかれないように、ウエスト・ポーチを探った。護身用の制式拳銃が、中に隠されているはずだった。
捕虜だっていうんなら、それでもいいわ。でも、こっちはそのつもりないのよ。あんたこそ、あたしの捕虜にしてやるから
男は神経質そうに、それでいて自信なさそうに話し始めた。
「えェ……ぼくの方が早く、意識を取り戻したから、きみを捕まえたんだ。それに武装解除は、ぼくがした。だから、きみはぼくの捕虜だと認定できると思うんだけども……」
ポーチの中に拳銃はなかった。拳銃だけではなく、詰め込んであった物すべてが、なくなっている。
まさか?
「武装を解除したんだから、きみの持っていた拳銃やなんかは、ぼくが預かっている。間違ってはいないだろ」
その言い方が、アレナスの頭に血を登らせた。確かにそうかもしれないけれど、男が女の持ち物を勝手に開けたことが納得できなかった。
「あなたねえ、女の子のポーチを勝手に開けて、中身を引っ張り出しといて、その言い方は何なのよ! 別にポーチごと、没収すればいいじゃない! 男の人に見られたくないものだって、入ってるんだからね。それに、顔も見せないであれこれいうのは、やり方が卑怯だよ。絶対に男らしくないよ」
闇の中で、男は息を飲んだ。
「男らしくないって言っても……」
「その、言い訳するところが、男らしくないって言ってるのよ!」
男はまた、沈黙した。男らしくないと言われたことが、かなり応えているらしい。
その隙にアレナスは、壁を頼りに起きあがる。少しだけ、頭がボーツとしているが、体に痛い所はない。声の主がどこにいるかは、真っ暗なのでわからないが、少しでも有利な態勢を取れるようにしたい。うまくいけば、蹴飛ばして、この男の手から逃げ出すことだってできるかもしれない。
それにマシーン兵器を見つけたら、シリウス人に捕虜がどうしたなんて、言われなくてもすむ。
アレナスは手探りで壁を伝い始めた。声の主がいる場所へ、そっと近づき、反撃を加えようと思った。しかし、暗闇の中では、距離感がまったくつかめなかった。
ただ、耳をすますと、男の静かな呼吸音が聞こえるだけだ。
だいたい、三〜四メートルくらいのところかな。一メートルを三歩で歩くとして、十歩目くらいで、殴りかかれば……
無鉄砲だとわかっていても、何もしないことに耐えられないのがアレナスの性格だった。
相手が拳銃構えてたら、どうしよう
その時、男の声がした。
「……わかったよ。きみの言う通りにする」
男は何かをつぶやいている。その小さな声が、暗闇の中に湧きあがる。
ラッキ
アレナスは声を出さずにつぶやいた。これで男の居場所が手に取るようにわかるようになった。想像よりも近そうだ。ほんの二〜三メートル。今ではほとんど絶滅してしまった野生動物のように、音をたてずに脚をおろす。
カラン。
しまった
床に転がる何かを蹴飛ばしてしまった。金属的な音が、やかましいくらいに響き渡る。
アレナスは息を殺して、男の出方を待った。
だが、男は物音に気づかなかったらしい。つぶやきだけが、じょじょに大きくなっていき、それだけに熱中しているようだった。そのつぶやきは、一定のリズムとリフレインで、気をつけなければ、鼻唄と間違えてしまいそうだった。いや、それは鳥や虫の羽ばたきや、鳴き声によく似ているのかもしれない。か細くって、繊細で、ほんのちょっとで壊れてしまいそうな精密感のあるリズムだった。
まあ、いいけど。気づかなかったなら、こっちのものだわ
アレナスは、慎重に歩を進め、声の手前で立ち止まった。
声は、アレナスより頭一つ高いところで聞こえる。
と、いうことは、ここら辺を蹴れば、おなかに当たるかな?
アレナスがだいたいの見当をつけ、脚を振りあげたとき、つぶやきが終わり、男は大きく息を吸った。
男の手がアレナスの額をつかむのと、アレナスが男の腹を蹴りあげるのは、ほとんど同時だった。
男はうずくまる。
「何をすんだよ! 今のはずるいぞ!」
男は苦しそうに言った。その右手には、アレナスの拳銃が握られていた。
「ずるいって言ったって、真っ暗で何にも見えなかったんだから、仕方ないじゃない」
蹴りあげた拍子に、引っ繰り返って、尻餅をついたアレナスも叫び返して、気づいた。
「……あれ?」
辺りが、うっすらと見えるようになっていた。確かに暗闇ではあるのだけれど、物の輪郭が見えるようになり始めていた。別に明るくなったわけではないのに、アレナスの眼は物の形を映し出すようになっていた。
「見えるわ……」
――どういうこと?――
「おれが!」
男はかなり怒っていた。ぼくが、おれに変わっていることからも、それが感じられた。
「きみの瞳孔を限界よりも、開くようにしてやったから見えるんだろ!」
そうなの?
アレナスには、男の言っている意味がわからなかったが、見えているのは確かだった。それもじょじょに輪郭だけではなく、薄暗がりの中が見えるようになっていた。
四隅が壁で囲まれているのも、床にパイプのような物が転がっているのも見える。そして、さっきつまづいたのが、ジュースの空き缶のような物だということも。
「だからきみは、おれが拳銃を持っているのも見えるだろ。手をあげて。動くなよ!」
「わかったわ」
アレナスは彼の手に自分の拳銃が握られているのを見て、両手を高くあげた。とりあえず、これ以上できることは残っていそうにもなかった。
だが、できることがないとしても、何もしないでいるのは悔しかった。
男は頭を振りながら、起き上がる。
「汚ねえよな、人が呪文となえてるときに……」と言いながら。
[#挿絵(img/105.jpg)]
場所は……宇宙船の一室のようだった。あまり大きくはなく、コンソールが幾つかある程度。たぶん何かの管制室だったのだろう。もちろん機械は沈黙し、人の気配は、彼女と男のものだけだった。荒らされた跡もなく、突然人が立ち去ったようだった。
「名前は!?」
男は、アレナスをにらみつける。
声の印象通り、男は若かった。アレナスより三〜四歳上で、それ以上ということはなさそうだった。背中まで届く髪は、後ろで無造作に縛られている。かなり線が細そうで、アレナスをにらみつける目も、どことなくおどおどしているような気がした。
全身をすっぽり隠す不思議な模様のマントと同じ柄のヘアバンド以外、別に普通によく見掛けるタイプの男だった。シリウス軍人とか言っていたけど、どうもそれが本当っぽくない。軍人というより、小学校の先生とか、本屋の店員とでもいった方がお似合いだ。
アレナスがイメージしていたシリウス人、テューズディやビルパートが教えてくれたシリウス人――狂気に眼を血走らせ、自分勝手な信念のために人間の命を犠牲にする――といった感じは、まるでなかった。
そのイメージのギャップが、彼があまりに普通だったことが、アレナスを少し大胆にさせた。
「アレナス・F少尉。地球帝国宇宙軍特殊機動部隊所属。それはいいけど、いつまで手を上げてなけりゃいけないかしら」
アレナスは、わざと強気に言ってみる。
こいつ気の弱いタイプだといいな……それならあたしが主導権を取れるかも
どうやら、アレナスの勘は当たっているようだった。男は、アレナスににらみ返されて、目をそらした。そして、アレナスと床を交互に見つめている。
「いいよ、もう下げても」
男は、自分の手の拳銃を確認して、言った。
「だけど、二度とあんなことはしないでほしい。ぼくだって、頭にくるんだから」
「わかった」
上げていた両手を降ろしながら、アレナスは答えた。
「ここは、どこなの」
アレナスは、壁に背中をつけたままで、座り込んだ。ポーチの中身(緊急医療セットや簡易食等)は、拳銃以外、すべて返してもらえた。シリウス人の男には、何が何やらわからなかったのだろう。
「おぼえてないのか」
男は立ったままで、アレナスを見下ろしている。
「お前が、突っこんで来るから、ぼくまで、こんなところに閉じ込められているんだぜ」
アレナスは、最後の戦闘の記憶を必死でたぐった。
シリウスの精神装甲に、アレナスのマシーン兵器は体当たりした。マシーン兵器の外装は、圧力でギシギシきしみ、メーター類が狂ったように回転していた。モニターいっぱいのツインエクセリオンは、みるみる大きくなっていった。最後の瞬間には、外壁の一枚一枚が、はっきり見わけられるくらいだった。
そして、何かに衝突した衝撃で、アレナスは意識を失ったのだ。
では、ここはツインエクセリオン艦内なのだろうか?
「じゃあ、あんたが、あの気持ち悪い影なんだ」
「気持ち悪いはやめてくれよ」
男は不満気につぶやいた。
「あれを習得するのに、どれだけ時間がかかるか知らないくせに」
「でも実際、気持ち悪いじゃないの」
アレナスはからかうような笑みを浮かべる。
男は、肩の力を抜いた。アレナスに向けていた拳銃も、下を向く。
「お前、普通捕虜って、もっと……従順なんじゃないか?」
「あんたなんかに捕虜にされたけど、それくらいはあたしの勝手にさせてよね」
「……わかったよ。でも……きみほぼくに従ってもらう。勝手な行動を取ったときには、無条件で射殺するからな」
この男は、絶対に撃たないな
アレナスは男の表情に浮かぶ、一回で造りものとわかる怒りの表情を見て、そう思った。
「来いよ、いつまでもこの部屋に閉じこもってるわけにもいかないだろう。食料だって、ほとんどないんだし」
男はアレナスを先に歩かせ、薄暗がりの中の扉をめざした。
「まぶしい!」
通路には、非常灯の明かりがついていた。その微かな明かりが、闇に慣れたアレナスの眼を、針のように突き刺した。
「そうだろうねェ」
男は、特別な方法を知っているらしく、楽しそうな声だった。やっと痛みがおさまり、アレナスは眼をゆっくりと開き始めた。
緑色の非常灯の光が、暗い通路を照らしていた。通路は、真っ直ぐにのび、暗闇へと続いている。
そして、少し離れた場所に、緑の光を浴びて輝く巨体があった。
「あたしのマシーン兵器じゃないの!」
アレナスは叫んだ。
了ン一ン兵器は壁に寄りかかった形で逆立ちをしていた。脚を天井に向け、頭と肩で体を支えている。両腕はだらしなく左右に投げ出され、まるで格闘技の専門家に、両肩から地面に叩きつけられたかのようだった。
駆け寄ろうとするアレナスの手を、男はつかんだ。
「待て、勝手な真似はするなよ」
アレナスは、自分の手を見つめ、その視線を男に移して、言った。
「そんなにあたしの手を握りたいわけ?」
「バ、バカなこと言うな」
男は慌てて手を放し、アレナスはマシーン兵器へ駆け寄る。マシーン兵器のコクピット・ハッチは、無残な形で歪んでいた。上半身と下半身をつなぐ油圧シリンダーは延びきり、外から内部機器が丸見えだった。各部機構はまだ生きているので、動くことは可能だが、ハッチを締めるのは無理だろう。
「全部、あんたが悪いんだ」男は言った。
「この艦の外壁を突き破ったのだって、ぼくじゃなくて、このロボットだったんだからな。もし自動外壁修復装置みたいなのが生きていなかったら、ぼくたちは外に吹き飛ばされていたかもしれないんだからな」
突っ込んだという男の言葉は確かなようだった。マシーン兵器の頭は、つぶれて痕跡すら残っていないほどだった。
しかし、コクピット・ハッチの壊れ方が不思議だった。外から、かなり強い圧力でも加わらないと、スペース・チタニウム製の外装が、紙のように歪むはずなどなかった。
「ねえ、このコクピットって、どうしたんだろ?」
アレナスは振り返らずに、背後でじっと見張っている男に尋ねた。
「あ?……ああ」
男は恥ずかしそうに答えた。
「ここに、突っ込んだ時、ぼくの精神装甲も、最低のランクまで落ちてたんだ。そんなときに、こんなでっかいロボットでぶん殴られたら、お終いだったから。最後に残った力で、あんたを引っ張り出したんだ」
何気ない男の言葉に、アレナスは初めて恐れを感じ、生理的な嫌悪を感じた。
マシーン兵器の装甲を破壊するだけの力を、このシリウスの男は持っているんだ。もし、その気だったら、あたしの胴体だって、ひとひねりなんだよ、きっと
それを知ってしまうと、うかつなことはできない、とアレナスは思った。
「もう、お別れはいいだろ」
男はマシーン兵器を熱心にのぞきこむアレナスにむかって、気の毒そうな声で言った。
「仕方がなかったんだ。爆発するんじゃないか、と思ったから」
「OKよ。もういいわ」
アレナスは、マシーン兵器をのぞきこんでいた体を起こす。うまく隙を見て、マシーン兵器に飛び乗ることができたら……。
でも、この状態のマシーン兵器が満足に動いてくれるという保証はどこにもない。
「じゃあ、来てもらおうか」
男はアレナスの腕を取った。
「どこ行くの?」
「あのさ、きみは捕虜なんだから、いちいち質問しないでくれよ」
「わかった」
そう言ってアレナスは、腕をつかんでいる男の手を振り払う。
「わかったけど、気やすく体にさわらないで。名前も知らない男に、さわられたくないの」
男は振り払われた手を見つめ、その手で頭をかいた。
「ごめん。……シシュフール・ファダンリルルト・ダグリナート」
「何か?」
男の言葉は、何かの呪文のようだった。さっきの鼻唄と一緒で、虫の羽音か、こずえが風に揺れるようにしか聞こえない。
「名前、聞いたのはきみだろう! シシュフール・ファダンリルルト・ダグリナートだ」
「名前だったの、今の」
アレナスは少し笑った。
「おぼえられるわけないじゃない、そんな名前」
「ダグでいいよ。兄貴たちは、そうやって呼んでいるから」
複雑な名前の男は、どことなく悔しそうな口調で言った。
「わかったわ、ダグ」アレナスは答える。
「じゃあ、わたしのこともお前とか言わないで、アレナスって呼んでよ。捕虜だから、あんまり大きなこと言えないかもしれないけど」
「わかったよ、アレナス」
ダグは、照れたように言い、その直後に表情を固くした。
「きみが……アレナスが先に進んでくれ。指示ほぼくが出すことを忘れないように」
はは〜ん、照れてるよ、こいつ。女の子とあんまり、おつきあいしなかったタイプね
アレナスは微笑みを噛み殺しながら、非常灯の下を歩き始めた。
どこに向かっているのかを、ダグは教えてくれなかった。
しばらくのあいだ、薄暗い通路を歩かされて、アレナスは文句を言い出した。
だが、ダグが何も答えてくれないので、その場にしゃがみこんでしまった。
「おい、立てよ」
「ねえ、いい加減、どこへ行くのか、教えて」
アレナスは、疲れた脚を投げ出して、通路に座りこむ。
何時間歩いたのか、わからない。その上、ダグは何も説明しようとしない。
「歩けよ。そんなに休み休み進んでいたんじゃ、全然距離を稼げないだろ」
そう言いながら、ダグも座りこむ。非常灯が照らし出す顔には、疲労の色が浮かんでいる。
「だいたいねえ、こんな大きな艦の中を歩こうって方が間違いなのよ!」
アレナスの言うことは、もっともだった。もともと、エクセリオン級の戦艦は、移動手段を艦内鉄道にたよっていた。巨大になりすぎた戦艦での人員移動を迅速に行うためには、当然の策といえた。そしてツインエクセリオンは全長十キロと、エクセリオン級よりも二回り大きい。ほんの二ブロック離れた区画へ移動するのにも、鉄道は必需品だったのだ。
「仕方ないだろ。歩くしか手段がないんだから」
「じゃあ、どこへ行くかだけ教えてよ」
アレナスは強気だった。印象通りに、ダグは神経が細く、繊細すぎた。強引に言われると、つい従ってしまうタイプだった。マシーン兵器部隊の荒くれ男たちに揉まれたアレナスにとっては、扱いやすい相手といえるかもしれなかった。
「どうして、捕虜にそんなことまで教えなければいけないんだ」
ダグは弱々しく反抗する。
「捕虜にだって、人権はあるじゃない!」
シリウスと地球の戦争協定には、確かにそう記してある。ただ、知る権利があるかどうかについては、アレナスにも自信はない。
「人権って言ったって……」
ダグは言葉を濁す。あとひと押し、とアレナスは思う。
「教えてよ!」
ダグは手に持っていた拳銃を見つめる。確かにアレナスが捕虜なのだ。拳銃が、それを証明している。ところが、何か間違えているような……。
「艦首に向かっている……」
ダグはつぶやいた。
こいつ、やさしすぎるんだ、とアレナスは心の中で思い、少しだけ同情した。
あたしみたいなのを捕虜にしちゃって、ずいぶんびっくりしてるだろうな
「どうして、艦首に向かうの?」
しかし、アレナスは□調だけは厳しく、彼に同情しているそぶりなど見せようとはしない。聞き出せるだけのことを聞いてしまい、少しでも自分を有利な立場に置いておけば、後で何かと役に立つかもしれないし。
「ブリッジを占拠すれば、この艦が自由になるだろ。ワープ航行しているくらいだから、各部機能は生きてるはずだ。それに……もし駄目でも、通信設備を使用すれば、仲間に連絡できるから……」
「そういえば!」
アレナスは最大の疑問を思い出した。
「誰が、この船を動かしてるの? この艦ってがらんどうだよ。ここまで歩いて来たのに、誰にもあわなかったじゃない! これって、どういうこと」
「ぼくに聞かないでくれ。……知らないんだから。自動操縦装置でも使ってるんじゃないのか」
ダグは薄暗がりの中で、アレナスから目をそらした。
「へえ、シリウス人のくせに、自動操縦なんて知ってるんだ」
ダグは何も言わずに、アレナスをにらみつける。しかし、にらみ返されて、眼をそらした。
「もう、いいだろ。先を急ぐよ」
ダグは立ち上がり、拳銃をアレナスに向けた。
「もっと、休みたいんだけどな」
アレナスは文句を言いながら、体を起こす。
何か、知ってるよな、こいつ。わたしに秘密にしてるんだよ
アレナスとダグは無人の通路を、歩き始めた。
「……何、……これ……」
アレナスは、暗がりの中で眼をこらす。静かだった。聞こえる音は、アレナスとダグの荒い息づかいだけだった。
しかし、その静寂は、今まで感じていたものとは違っている。これまでの静寂は、ただ空虚な空間をしめすだけのものだった。何も存在していない。
それは脅威でも、何でもなかった。飛び慣れた宇宙空間が、そうだったから。たとえ、エーテルに満たされているとはいえ、人間にとっては何も存在していないに等しかった。
「……どうしたっていうんだ……」
ダグの声も驚きに震えていた。
「誰が、こんなことを……」
そこはエクセリオン級戦艦には、無数に存在している、レクリエーション用の公園だった。いやかつて公園だった。人々が疲れを癒しに来る場所。心の安らきを求めて来るはずの場所だった。
しかし、アレナスとダグが目にしているのは、そんな場所ではない。
すべてが、破壊されていた。
海は枯れ、冷たい金属製の海底に無数のひび割れが走っていた。まるで、巨大な赤子がわけもわからず、手当たり次第にふざけて壊したように、ベンチは押しつぶされ、アスファルト道路がめくりあげられている。太陽灯は無残な破壊の跡を残し、空を映し出す天井スクリーンすら、見苦しく膨れ上がり、膿んだ傷痕をしめしていた。売店は上下を逆さまにされ、水中ボートが中に押し込まれている。郵便ポストは凄まじい力で上下に引き延ばされ、自動販売機から放り出されたジュースの缶はすべて、ねじれて糸のようになっていた。何か目的を持っての破壊とは思えなかった。
「……どういうこと? これって」
アレナスはもう一度、自分の疑問を口に出す。もちろん言葉にしたからといっても、何もわかりはしないが。
「わからないよ……ぼくには……」
ダグも、その破壊跡に目を見張る。
誰かが、破壊したのは間違いない。それがわかったといっても、誰が、何故破壊したのかわからなければ、何の意味もない。
けれども、ダグの態度には、何かを確信しているような様子が見える。アレナスがこの状況に唖然《あぜん》としていたときも、ダグは驚きこそすれ、どこか予想通りだとでもいうように落ち着いていた。
「何を……隠してるの?」
アレナスは、ダグを見つめる。暗がりの中でも、ダグが慌てる様子だけば、はっきりとわかった。
「地球人には、話せない」
ダグは、目をそらす。彼は真っ直ぐ人の目を見て話すのが、苦手らしかった。アレナスは、そんなダグの態度が気にいらなかった。捕虜だから、どうのということではなく、こういう態度の男がもともと好きではなかった。
「眼を見て、話してよ。男でしょ、あんた」
「関係ないだろ!」
ダグはアレナスを怒りのこもった目でにらみつける。何かが勘に触れたらしい。しかし、すぐに視線を落とし、唇を噛む。
「地球人だろ、地球人には話せないんだ」
「……わかったわよ」
ダグの依怙地《いこじ》な態度に、アレナスは溜め息をついた。こーゆー男はやりにくい。はっきり自信があるわけでもなく、追求されると頑固になる。面倒くさいこと、おびただしい。
「使える物がないか、探そうよ。もう、歩くのはイヤ。自転車でもあったら、楽になるし」
アレナスが、優しい口調で話しかけると、ダグはほっとしたように表情をやわらげた。
そしてそれは、芝生の下で見つかった。
「動くかな?」
ダグは興味深そうに、電動スクーターを見つめていた。
「わかんないよ。あたしだって、こんなの初めてなんだから」
公園内の遊戯設備の電動スクーターを見つけることができたのは幸運だった。
知恵の輪のように歪んだスポーツ用自転車や、真ん中から二つに折れたゴーカートが積み上げられた中に、何とか破壊をまぬがれたスクーターが見つかったのだから。
「バファリーはまだ大丈夫みたいだけど……運転できる?」
「ぼくは、できないよ」
ダグは驚いたように首を横に振る。
「こんなのは歴史書の中でしか、見たことがない」
「あたしが……運転するの?」
アレナスは、スクーターを起こしながら、言った。自転車くらいなら乗れるけれども、スクーターの運転は初めてだ。
「たのむ」
そういった後で、ダグは、アレナスが捕虜だということを突然思い出した。
「きみが運転する。これは命令だ。変なことをしたら、撃つからな」
アレナスは渋々、スクーターにまたがった。
「後ろ乗って」
アレナスはエンジンを作動させる。小さな振動がシートを通じて伝わってくる。
遊戯用スクーターは、二人が乗るには小さすぎた。ダグがシートの後部にすわると、二人の体は密着する。
「変なところ、さわらないように」
「バ、バカ言うなよ」
ダグは恥ずかしそうに体を放す。放したからといっても、アレナスの背中には、ダグの体温が伝わってくる。
「行くわ」
ダグが男だということを意識しないようにして、アレナスはスクーターを発進させた。
暗がりの中でスクーターを走らせるのは、とても怖いことなんだ、とアレナスは思った。凰が頬を切るのは気持ちがよいが、何を踏みつけるかわからない。つい先程も、自動通路の連結部にひっかかって大きく横転したばかりだった。
ガタン。スクーターが大きく揺れる。また、何かを踏みつけたらしい。
「おい、たのむよ!」
ダグが、アレナスの体にしがみつく。
「ライトか何か、つけてくれってば!」
「バッテリーが全然ないの。走ってるだけで精一杯なんだから」
アレナスはおかしかった。大の男が、後ろで悲鳴をあげている。それも拳銃を握りしめた男が。運転している本人にはかろうじて前方が見えていても、後ろに乗っているダグには、アレナスの後頭部くらいしか見えていないはずだった。何も見えずに時速三十キロは怖いかもしれない。そのうえ、さっきの転倒で、彼は腰を力いっぱい打ちつけていたし。その点、運転手はあきらめがつく。怖いながらも、大胆になれるものだった。
「怖いの?」
アレナスは、笑いながら大声で聞いた。
「怖くはないけどさ、たのむから、安全運転してほしいんだって」
ダグは必死で言い返す。
「怖くないんだったら、つかんでる手をね、もう少し下におろしてね」
「ご、ごめんー――」
ダグは慌てて腕を放し、もう少しで転げ落ちるところだった。
「落ちちゃえば、よかったのに」
アレナスは、ウエストにしがみついたダグを笑った。
「そんなこと、言うなよ」
ダグは、大きく息を吐いた。
非常灯の緑の光が、通路の行方をしめしてくれている。無人の艦内通路には、人の営みの気配が残っていた。あちこちに半開きのドアがあり、方向をさししめすプレートがかかっている。自動販売機が置かれた休憩場を幾つも通りこし、艦内鉄道のステーションを見た。それらの場所は、明かりをつければ、今にも人々が現れそうな気配があった。
あの、公園以外は、破壊跡も、まるで見られなかった。
アレナスは、誰かがスクーターのエンジン音を聞いて、飛び出してくるのではないか、と辺りに神経を張り巡らせる。しかし、それはすべて無駄だった。返ってくるのは、反響するエンジン音だけだった。
「気をつけてくれ。何だか、いやな雰囲気だ」
しがみついているダグが言う。
「何か?」
アレナスは何も感じていない。感じるのは寂しさと、虚ろな気配だけだった。ここには、何もない。想像とは違って、幽霊さえもいなかった。
「わからない! わからないけれど、いやな感じがする」
臆病なんだ。アレナスは心の中で笑った。
シリウス人っていうのは、怖がりなわけね。わたしは幽霊とかお化けじゃなければ、怖い物なんてないけどね
そのとき、アレナスは通路の先に非常灯の光が見えないことに気がついた。反射的にブレーキを踏むが、間に合わない。スクーターは大きな物に乗り上げて、宙を飛んでいた。
あっという間のできごとだった。
アレナスは背中を壁に叩きつけていた。スクーターが落下して、潰れる音がする。
アレナスは激痛に身をよしる。呼吸ができない。背骨を力いっぱい打ったらしい。体中の汗腺が、熱い汗を吹き出した。悲鳴が喉までこみあげているのに、声を出すことができなかった。
「大丈夫か」
ダグの声が聞こえる。
目を開けると、彼が心配そうにのぞきこんでいる。
「話せるか? どこを打った?」
アレナスは震える手で、背中を押さえる。しかし、腕をねじった瞬間、全身を高電圧の電流が走ったような衝撃が襲い、ついに悲鳴が噴出した。
「いいか、それを噛み締めて!」
ダグは、アレナスの口にハンカチのような物を突っ込んだ。そして、痛めた背骨を押さえつける。体をねじ切るかのような痛みに、アレナスはダグの手を振り払おうとする。
「動くんじゃない。そのまま、じっとして!」
ダグは、何かをつぶやき始める。あの、鼻唄とも呪文ともつかない物が、また始まった。けれどもそれはアレナスの耳には届かなかった。彼女に聞こえているのは、自分の悲鳴だけだった。
ダグが何かをつぶやいているあいだ中、アレナスは背骨を貫き通す、激痛の針に苦しめられていた。
心臓が脈打つたびに、痛みは大きくなっていく。
お願い、何とかして! 頼むから、この痛みをどこかにやって!
アレナスの頭の中には、ただ苦痛から逃げ出したいという感情だけしか存在しなかった。すでに、プライドも体面も考えられなかった。
ダグの呪文の調子が上がる。彼の額にも汗がにしみ、背骨に触れた手が強張っている。アレナスの口から悲鳴が漏れるたびに、ダグの表情が小さく震える。
そして、アレナスは意識を失った。
アレナスは目を覚ました。口の中に生臭い血の味が広がり、獣のような気分だった。
生きてるのね、あたし
血の感触が、何よりもそれを実感させた。
体を起こそうとすると、腰に近い背骨に鋭い痛みが走る。
「まだ、寝ていた方がいい」
ダグの声が聞こえた。
「背骨に傷がついたかもしれないから。析れてないとは思うけど」
アレナスが声のする方向に顔を向けると、ダグが膝を抱えて座っているのが見えた。全身にぐったりとした雰囲気がある。ものすごい重労働をした後のように、疲労が漂っていた。
「あたし……どうなったの?」
アレナスは、そう言ったつもりだったが、聞こえたのは口から漏れるかすれた音だった。
「応急処置だけはしたよ。もう少し待っていれば、痛みも感じなくなると思う。眠って待っていた方がいい」
疲れた声でダグは言い、アレナスに這い寄って、額の汗をぬぐった。そして手をかざし、目を閉じさせる。
アレナスは波となって襲ってくる鈍い痛みを感じながら、眠りについた。
再び目覚めたアレナスが最初に感じたのは、痛みではなく、全身の痺《しび》れだった。それも骨の中から発しているような痺れが、全身を覆っていた。
「あたし……」
体を動かすのには勇気が必要だった。あの激痛がまた襲ってくるかもしれないという恐怖が、彼女を脅えさせていた。
だが、痛みはなかった。痺れが、神経を強く揺さぶるだけだった。
「もう、痛くないだろ……」
膝を抱えたダグは、力なく言った。その声は、さっきよりはましに聞こえる。
「でも、しばらくは無理しない方がいい。治ったわけじゃないんだから」
アレナスは転がったままの姿勢が、一番楽なことに気がついた。背骨に負担をかけないようにして、ダグを見つめる。
「あなたが……治してくれたの?」
「治したわけじゃないって。ただ、神経をごまかして、痛みを感じさせないようにしているだけだから」
「どうやったの?」
ダグは体が重くて仕方がないといった様子で、立ち上がった。
「シリウス人なら、誰でもできる。きみたちが、医療道具を使うように、精神を使っただけだ」
ダグはアレナスの顔をのぞき込んだ。そして、アレナスの額にへばりついた髪をかきあげ、手をあてた。
「まだ、眠っていた方がいいだろう。ぼくも眠るよ。疲れた」
ダグは通路の隅へ行き、体を横たえた。よっぽど疲れていたのだろう。すぐに寝息が聞こえてきた。
アレナスは、暗い通路の天井を見上げながら、その寝息を聞いていた。彼は、ずっとアレナスを見守っていてくれたのだろう。それが、何よりもうれしかった。
しかし、アレナスは、彼が『魔法』を使えるシリウス人、地球人の敵シリウス人だということを、思い出した。
狂信者、野蛮人、全体主義者といわれるシリウス人が……彼女の苦痛をいやしてくれた。そのうえ看病もしてくれたのだ。
ありがとう……と言いいたかったが、何かが邪魔をして言葉にならない。
あたしってバカだな、そう思いながらアレナスは眠り込んでいた。
「いったい、これは何だろう……」
ダグは、通路をふさいでいるからみあった巨大な円筒状の物を見上げて言った。昨日の事故は、通路の床を這っていた、この円筒に乗り上げてしまったのが原因だった。
アレナスには思い当たることがあった。ツインエクセリオンの左舷中腹に生き物とも建造物ともしれない、巨大な金属光沢を発する物が、外壁を突き破るように見えていた。
それを聞いたダグは、金属の円筒を蹴飛ばした。
「確かに言われてみると、植物の根のように見えるな。でも、かなり植物にはくわしいつもりだったけど、こんなのは初めてだ」
金属の根は微妙な角度で湾曲し、ところどころから、小さな突起が突き出している。生きているように見えはするが、決して生物ではなかった。叩くと中が空洞なのがわかる。
「どこから生えているんだろう?」
ダグはからみあった根の隙間から、通路の向こうをのぞこうとする。
「駄目だ、全然見えない」
アレナスは座りこんだまま、動き回るダグを見つめていた。
昨日の礼を言っていないのが恥ずかしく、言葉をかけるのが照れくさかった。
「まあ、いい。ここからじゃ、ブリッジに行けないのだけははっきりしたんだ。仕方がない、戻ろう。艦尾が連結していたから、あそこへ戻れば、右舷に回れる」
アレナスは黙ってうなずき、腰をあげる。しかし、鈍い痛みが背骨を走り、小さく声を漏らしてしまった。
「大丈夫か?」
ダグが心配そうに、近づいて来る。
「歩けないんだったら、おぶって行こうか?」
アレナスは無理に笑顔を作って、答えた。
「大丈夫、歩けるから」
「まあ、いい。ゆっくり行こう。別に危険もないようだし、慌てても仕方がない」
アレナスはダグに手を取られて、起き上がった。
「あなたって、ずいぶん親切なのね」
アレナスは恥ずかしさを隠すために、つい言ってしまう。しかし、ダグにはその皮肉な調子が伝わらなかった。
「ぼくは、医者になりたかった」
ダグの口調には、どことなく諦めの気持ちがこめられていた。
「アレナス、休もう。もう無理だよ」
アレナスの額に浮かぶ、油汗を見て、ダグは言った。
「大丈夫、まだ行けるわ」
アレナスはそう言ったが、その声が全然大丈夫に聞こえないのは自分でもわかっていた。
半病人のようなァレナスを連れての道のりは、まるで進んでいなかった。無理をしようとするアレナスを、ダグはしかりつけながら休ませる。十五分歩いて、三十分休むといった調子だった。
「もう少しだけ、先へ進もうよ」
アレナスは激痛をこらえながら、強がってしまう。
「駄目だ、きみは何も食べてないじゃないか。そんな状態では歩けなくなる。きみは捕虜なんだから、ぼくの命令に従う義務があるんだし」
「じゃあ、あそこまで」
アレナスが指さしたのは、暗がりの中に浮かぶ休憩場だった。そこにはベンチがあり、自動販売機が並んでいる。うまくいけば、缶ジュースくらいは手に入るかもしれない。
「わかった」
ダグはアレナスの強情さに折れてみせる。
「あそこで休もう。でも、きみを歩かせるわけにはしカなど
そう言ってダグは、アレナスを抱きあげた。
「ちょっと、やだ、やめてよ」
アレナスがいくら抗議しても、ダグはおろしてくれない。何も言わずに、アレナスを抱えたままで、歩き始める。そのきゃしゃな体のどこに、こんな強さがあるのかと、アレナスが不思議に思うくらいだった。
「これは、どうやって使うんだ?」
ダグは自動販売機の前で言った。ベンチに寝かされたアレナスは考える。自動販売機の電源が死んだままでは、ポーチの中のコインもカードも役に立たない。もっとも、当時の戦艦と現在の戦艦の福利厚生設備が、同規格だったとすればの話だが。
「壊しちゃうしかないと思う」
ダグは困ったように腕を組む。
「壊すのか……」
そして、辺りを見回し、艦内電話の台に目をつけた。電話機を払い落とし、金属製の台を持ち上げる。
「耳を押さえていた方がいい。うるさいと思うから」
ダグはそう言って、台を販売機に叩きつけた。静かな通路に、金属のぶつかりあう音が響く。
ダグが息を荒くし、金属の台が歪んで使い物にならなくなった頃、やっと販売機のロックがはずれた。開いた機械のカバーの中には、ジュースの缶がいくつも並んでいた。
「これを飲みながら、食事しな」
ダグは汗をぬぐいながら、冷たくない缶ジュースをアレナスに渡す。
飲めるかしら。アレナスはジュースの缶に印刷された製造年月日を見つめる。それは変に歪んだり、左右が逆な文字で、二千三十五年製造と記されていた。でも、まあ、艦内時間にすれば、半年とか、それくらいなんだろうな。
アレナスはポーチの中から、味気のない緊急食のチューブを取り出した。『ステーキ味』なんて書いてあるが、とんでもない。歯磨き粉でもこれよりはましだろう、といつも思い、過大広告みたいな物ね、と諦めていた。
ダグはダグでウエストバッグから、板のような物を取り出してかじっている。缶ジュースの蓋を開け、おいしそうに飲み干した。
「缶ジュースっていうのは、どこで飲んでも同じような物だな。ぼくのところにも、これと同じメーカーの缶ジュースが、シェアの六十パーセントを占めているよ」と笑う。
「そりゃ、そうよ。あなたたちだって、ほんの五十年前まで、同じ物を飲んでいたんだから」
「そうだけどな」
ダグは苦笑いして、板をかじりだす。
食欲はなかったが、アレナスも食事を始める。チューブをくわえ、中のゲル状の『ステーキ』を飲み込む。ジュースの蓋に指をかけ、力を込める。
その瞬間、手の中で、缶が震えた。
アレナスは缶の蓋から手を放す。驚いた。ジュースの缶が、動物のように震えたのだ。
暗がりの中で、アレナスは目をこらす。じっと缶を見つめる。何も変わったところのない缶ジュース。これと同じ物は、アレナスの時代にもある。ロゴは違っているし、文字が微妙に歪んでいるが、デザインの違いなんて、当たり前のことだろう。
そう思っているあいだにも、缶は小さく震えた。
「嘘……」
アレナスはダグを見た。ダグはごく当たり前にジュースを飲み、ごく当たり前に食事をしている。このジュースの缶が生きてる、なんて言えなかった。
気のせいよ<Aレナスは自分に言い聞かせた,
きっと疲れてるんだ。怪我の後遺症かもしれないし≠サう思いながら、アレナスはジュースの蓋を開けた。
誰がが叫んだ。いや、動物の吠え声のような物が聞こえたような気がした。
「いやっ!」
アレナスは悲鳴をあげた。ジュースの缶が手の中で暴れ出し、蓋の開いたところから、何かが吹き出していた。生臭く、ぬるりとした物が、アレナスの顔や胸に飛び散った。
「どうした!」
ダグが、駆け寄ったときには、缶は勤かなくなっていた。しかし、中からは、ブヨブヨした物があぶれ出して、床にこぼれ続けていた。
「こ、このジュース、生きてたの!」
アレナスは瞳に涙を浮かべていた。気持ち悪いのと、生臭いので泣きたくなっていた。顔に飛び散った物が固くなり始め、髪の毛や服をゴワゴワさせている。もう、体裁をつくろっている余裕はなかった。他人に見せたくない、本当の自分が出ていることに、アレナスは気づかなかった。
「まさか、ジュースの缶が……」
ダグはアレナスから、缶を受け取る。
「別に、普通の缶だと思うけど」
そう言って、中をのぞき込む。
「うわっ、これは臭い。気持ち悪くなりそうだ」
ダグはそう言って、缶を投げ捨てた。
そして、驚きと生臭さで、半分泣き出しているアレナスの顔を手でぬぐった。
「び、びっくりしたんだからね!」
アレナスはしゃくりあげながらうったえる。
「それに、く、臭いし、気持ち悪いし!」
「かわいそうに、ジュースが腐っていたんだ」
ダグは、アレナスの髪にこびりついた物を、痛くないようにはぎ取っていく。
「生きてたんだってば! 動いたんだから!」
アレナスの言葉を、ダグは信じない。
「心配しないで。もう何もないから」
ダグは、やさしく言った。
しかし、ダグにいくら説得されても、アレナスは缶ジュースが生きていたのだと言い張った。手に残った、あの不気味な動きの感触を、はっきりと覚えていたのだから。
おかげで、アレナスはまたも、食欲を失ってしまっていた。
アレナスは吐き気とめまいを感じながら、ダグの後ろを歩いていた。もう、捕虜がどうしたの、前を歩けのと言うことはなかった。それどころか、ダグについていかなければ、気持ち悪さと、背骨の痛みで、のたれ死んでしまうことがわかっていた。
ただ、缶ジュースのおかげで、気力はゼロに近づいていた。服や髪にこびりついた物は、パリパリに乾いて、いくらこすっても落ちてはくれない。その上、時間がたつにつれて異様な臭気は強まって来る。それは、動物の内臓を腐らせたような匂いで、できることならー生かぎたくはない濃密な匂いだった。
背骨の痛みも相変わらずだった。痛みが激しくなり、悲鳴を押さえようと深呼吸すると、悪臭を胸いっぱいに吸いこんでしまう。そして、せきこみ、吐き気が襲ってくる。吐き気をこらえようと、息を飲み込むと、背骨が痛む。最悪のどうどうめぐりだった。
ダグも、この臭気には困惑しているようすだった。ときどき、匂いを避けて、アレナスに気づかれないように深呼吸している。だが、匂いに対しての文句を口にはしなかった。
しかし、アレナスはついに耐えられなくなった。通路の壁に手をつき、すべてを吐き出した。何も食べていないせいか、出てくるのは胃液ばかりだったが、それでも吐き続けた。
全身の力が抜け、自分の胃液の匂いをかきながら、しゃがみ込んだ。
涙があぶれて来た。悔しかった。何に対して悔しいのかはわからなかったが、屈辱感だけを感じていた。
「大丈夫か?」
ダグが、アレナスの口をぬぐおうとする。しかし、その手は振り払われる。
「さわらないでよ!」
アレナスは怒鳴った。怒鳴ると同時に、涙があぶれ出した。
見られてたって構うもんか。泣きたいんだから、泣いたっていいじゃないのよ!」
「何さ、大丈夫か、大丈夫かって! あたしは一人だって、大丈夫よ。あんたなんていなくたって、生きてられるんだから! 放っておいてくれてもいいよ! どうせ、あたしは素直じゃないし、可愛くない性格してるわよ。あんただって、そう思ってるに決まってるんだから!」
誰もいない通路にアレナスの鳴き声だけが、響き渡っていた。
ダグは、大声をあげて泣くアレナスを、黙って見つめていた。
泣き疲れて、静かになったアレナスの肩に、ダグの手がふれる。
「行こう。もう少し進んで、寝る場所を探そう」
アレナスは無言で首を横に振る。行きたくない。一人になりたい。自分は最低の女だ。。あたしなんか、いなくてもいいんだ。ダグはやさしすぎる。最低なあたしは、この人と一緒にいたくない
彼女の心の中では、そんな考えが浮かんでは消えていた。
「さあ、行くぞ」
ダグは、アレナスをむりやり背負って、歩き始めた。
「どこかに、水があるといいな。顔も髪も洗えるから」
ダグの背中にゆられて、アレナスは大声を上げて泣き出していた。止めようと思っても、涙はこぼれ落ちる。何故か、顔すら知らない両親が脳裏に浮かび、ダグの体温を感じ、大声で泣いていた。
この人はやさしすぎる
アレナスは、心にたまっていたすべてを、涙が洗い流してくれればいいのに、と思った。
ダグはアレナスが泣き止んだ頃から、ぽつりぽつりと話し始めた。
「ぼく、植物が好きだったんだ。小さな頃から。動物のように活発には動かないけれど(たまには例外もあるけど)、すごく生き物としてのバイタリティにあふれているから、とてもあこがれていたんだ。だって、どんな過酷な環境の星であったとしても、生命が生きていられるなら、植物は根を降ろすからね。シリウス星域の植物だけじゃなく、地球の文化圏の星に生える植物も好きだった。みんな、どんなところにも根を張る強さが共通しているから。
で、人類(シリウスも地球も含めた全部だよ)の知っている植物の総数が数えられなくなるほど多くなったとき、誰かが言い出したんだ。『いったい、この植物たちは、何のために存在しているのか?』って。理由なんか、どうでもよかった。けれど、シリウスの植物の半分以上が、何かの効果を持つ薬草として使えることは知られていたんだ」
アレナスは、鼻水をすすりあげながら、話を聞いていた。今まで、教えられていたシリウス人たちは、ダグのようなことを言う人間ではなかった。残虐で、全体主義で、利己的なのがシリウス人だと教えられていた。だから、シリウス人のダグの話は、意外性と驚きにあふれていた。
「ぼくは、一生植物とつきあえる仕事は何だろうって考えたんだ。そして、薬草を主とする薬剤師や医者になればいいんだって気がついた。そのために、親には黙って、精神治療の修行を受けたり、覚醒の勉強をした。きみを治療したのは、ぼくみたいな青二才でもできる、初歩の精神治療なんだ。もっと人数がいて、『旋律』を奏でることができたなら、痛みをなくしてもあげられるけど、ぼく一人の『独唱』では、神経をごまかすのが精一杯だ。ぼくの名前をおぼえているか?」
アレナスは少し考える。長ったらしくて、よくおぼえていなかった。
「ダグリナートって……」
「シシュフール・ファダンリルルト・ダグリナート。ぼくたち、シリウス人が今使っている銀河通商共通語だと、『偉大なる天理力使いシシュの子、栄光に包まれたダグ』って意味でさ、ぼくの親父は、シリウス木星の元老評議委員で、兄貴たちはみんなすごく才能があって、政治家か軍人で成功しているんだ。ぼくなんかはとうてい及ばない」
ダグの声はいくらか沈んで聞こえた。肉親のいないアレナスには想像さえできなかったけれども、ダグの兄や父に対する感情が、暗い物なのかもしれないと想像することはできる。
「で、一番上の兄貴が、植物いじりなんか止めろって言って、ぼくを軍隊に放りこんだんだ。軍なんて、人殺しのためにある物だろ。人命救助を目的にしている医療にたずさわろうとしていたぼくから、もっとも離れた場所にある職業だった。でも、おかげで」とダグは笑った。
「きみを助けることができたのかもしれないけど」
ダグの声には自嘲の響きがこもっていた。しかしそれを感じてもアレナスは、何も言えなかった。アレナスは今、自分を助けてくれた男に、何もできない自分が悔しく、また涙がにじんできた。
アレナスを背負ったままで、ダグは通路の扉を一つ、一つ開けてみる。
体力が消耗しきっているアレナスは、ダグが何をしているのかを考えられなかった。
「ここも違うな」
ダグが扉を開け、そしてつぶやく。
「何してるの?」
アレナスは、今にも眠り込んでしまいそうになりながら尋ねる。
「シャワー室を探している。この辺りは居住区のようだから、シャワー室くらいはあるだろう? 少なくとも、ぼくたちの船ではそうだったけどね」
「あたしたちの戦艦だってそうだけど……。でも、シャワー室なんかでどうするの?」
「こびりついた物を落とさなければ、匂いできみがまいってしまう」
「うん……」
アレナスは素直にうなずいた。熱いシャワーが懐かしかった。訓練後に蔡嶺たちといった下士官用シャワー室は汚く、水の腐ったような匂いがしたが、それでも疲れた体に熱いシャワーは最高だった。もちろん、熱くなくてもいい。水さえ出れば……。
「……水……出るかしら?」
「わからない。でも、出たら儲け物だろ」
ダグはそう言って、また扉を開ける。
「アレナス、アレナス」
誰かが呼んでいる声が聞こえて、アレナスは眼を覚ました。
薄暗がりの中で目をこらすと、そこは清潔な、冷たい感じの部屋だった。
「シャワー室だ。やっと見つけた」
ダグが、のぞき込んでいた。
「水も、あまり勢いはよくないけれど、出る。飲まない方がいいけれど」
アレナスは辺りを見回した。確かにシャワー室だった。彼女は、待合用のソファーに寝そべっていた。
「外で待っているから、終わったら呼んでくれないか。できれば、ぼくも水をかぶって、さっぱりしたいし」
「ありがとう……。やっときれいになれるんだね」アレナスは微笑んだ。
「じゃあ、待ってる」
扉の向こうに消えるダグに向かって、アレナスは言った。
「今度は、香水つきのいい匂いで会えるわよ」
「そうだな」
ダグは扉を閉める。
アレナスは大きく息を吐いた。そういえば、この二日というもの、一人きりになったのは(トイレの時以外は)初めてだった。一人になった瞬間に、アレナスは自由を感じていた。誰の目も気にしないで好きなことができる。みっともないところを見られなくてもすむ。そんな開放感が、アレナスを満たしていた。
誰もいないシャワー室(どうやら、女性士官用の物らしかった)は、静かで広く、簡単な敷居で囲われたシャワーが、七〜八つ並んでいる。
もしかして……。アレナスは淡い期待を抱きながら、ランドリー・スペースをのぞき込む。
「あったア……」
アレナスは、見慣れた紙袋が並べであるのを見つけていた。紙袋の中は、官給品の使い捨て下着だった。面白味のかけらもないただの白い下着だが、清潔であるということが、この際、重要だった。女性隊員のあいだでは、こんな下着を好んではくのはみっともないことの代名詞だった。誰もが数少ない酒保の派手な下着を身につけるが、そんなことを気にするような状況でもなかった。アレナスは、長い時間をへだてても、同じようなシャワー室を作る、軍の保守性に、この時ばかりは感謝した。
「と、いうことは……」
アレナスはシャワー室の中を探し回り、石鹸やシャンプー、タオルの販売機を見つけた。もちろん、電気が通っていないから、コインを使うわけにはいかない。
「ダグ!」
アレナスは扉を開けて、ダグを呼ぶ。
「どうしたんだ?」
アレナスはダグの手を引いて、バス用品の販売機の前に立たせた。
「壊して……これ」
「ぜいたくだな、女の子は。男だったら、水があるだけで、充分なんだけどな」一人用の椅子を手に、ダグはそう言いながら、シャワー室を震憾させる勢いで、販売機を叩き壊す。
「では、お嬢様、ごゆっくりと」
ダグは笑いながら、扉を閉めた。一人残されたアレナスは、てきぱきと衣服を脱ぎ捨てた。幸いなことに、制服には匂いは移っていないようだった。汗を吸った下着は、ダストシュートに投げ込み、さっさとシャワーのコックをひねる。
水は鉄錆の匂いがしたし、冷たかった。その上、チョ口チョ口と蛇口からもれだす程度のものだったが、今のアレナスには充分満足できた。販売機の残骸から取り出したシャンプーを五回分使って、髪の汚れをはぎ落とし、石鹸を肌にすり込むようにして、匂いを消した。途中でシャワーの水が出なくなったが、隣のスペースへ移ると、またチョ口チョ口と流れ出す。
幸せな気分が、アレナスを包み込んでいた。あまりはしゃぎさえしなければ、背骨も痛まなくなっている。それより、あのいやな匂いが、体から抜けていくのを感じるだけで、生き返ったような思いがした。
アレナスは、体を洗いながら歌を唄っていた。確か幼児教育でおぼえた、最初の歌、『それいけ、ぼくらのガンバスター』だった。そんな歌をおぼえていたことに、アレナスはまた気をよくした。そして、水が出なくなって、また次のスペースへと移動する。
そんなことをしているうちに、アレナスはこのシャワー室に自分以外の誰かがいることに気がついた,ダグではなかった。彼が、のぞきをするほど大胆な性格をしているようには思えなかった。もちろん、人の姿はどこにも見えない。暗闇の中に、誰かがひそんでいるとも思えない。
ただ、時々、アレナスの立てる音以外の音が聞こえた。何かがのたうつような音、何かを引きずるような音が、水のしたたる音の合間に聞こえてくる。
「誰かいるの」
アレナスはそっと言ってみる。暗く広いシャワー室に、人の気配はなかった。いくら眼を見張っても、動く物など見えはしない。ただ、静かな部屋に、ズルッという奇妙な音が響く。
アレナスは、スペースを移動する。音は聞こえなくなっていた。
「気のせいじゃないよ……ね」
アレナスはつぶやいた。缶ジュースの件もある。全身の泡を洗い流して、早めにシャワーを切り上げよう。
アレナスはそのスペースにだけ、シャワーの蛇口が二つあるのに気がついた。何の意味があるのだろう、アレナスはそう思いながら、コックをひねる。
水がゆっくりとしたたり落ちて来る。体を流れ落ちるのではなく、体にまとわりつくような感触がした。
「何だろう、これ」
アレナスは、粘りを持つ水を指ですくった。指と指のあいだで、ヌルヌルとし、微かに糸をひくような感触と、ピリピリするような痛みがある。そして、その匂いは……。
あの缶ジュースの匂いだった。
「ダグッ!」
アレナスが叫ぶのと、シャワーの蛇口が動き出すのは、ほとんど同時だった。ホースがいつの間にか脚に絡みつき、逃げ出そうとするアレナスは大きく転倒した。
「ダグ! 助けて!」
アレナスの前に蛇口が迫っていた。その無数に開いた、水の噴出する穴から、悪臭のする粘液があふれだしている。その粘液が体に触れると、肌が焼けるように痛い。
「アレナス! どうした!」
[#挿絵(img/135.jpg)]
慌てて飛び込んできたダグは、アレナスを見て、目を丸くした。
「何してるんだ? 何の冗談だよ」
ダグにはアレナスがホースを体に巻き付けて、ふざけているようにしか見えなかった。
「冗談じゃないんだってば! 助けてよ!」
アレナスの胸をホースが強く締め上げ、押しつぶされた肺が空気を求めであえぐ。
「おい、大丈夫か?」
やっと冗談ではないとわかったダグがホースと胸のあいだに、指をさし込み、力をこめる。しかしホースはひきはがされまいと、それに倍するような力で締めつける。
「アレナス、眼をつぶってろ」
ダグは腰にさしていた幾何学模様の記されたナイフ状の刃物を、シャワーホースに押しつけ、呪文を唱えた。ナイフは小さく震えながら、ホースに深く切り込んでいく。
シャワーホースから開放されたアレナスは、激しく咳き込んだ。涙がにしみ、鼻血があぶれ出していた。
ダグはまだ、シャワーとの格闘を続けていた。小さく刻まれたホースは、それ自体がヘビかミミズのようにのたうち回り、あの臭い粘液をまき散らす。そして、粘液がなくなった時、初めて静かになった。
「これも……そうか……」
ダグは凄まじい臭気の中で溜め息をつき、しまったというように顔をしかめて、むせ返った。そして、座り込んで咳き込んでいるアレナスに向かって尋ねた。
「怪我はないか……」
しかし、ダグはそれ以上の言葉をつげなかった。彼は真っ赤な顔で、息を飲み、視線をそらす。
アレナスは自分か全裸だったことを、やっと思い出した。呼吸を整え、鼻血を止めることだけしか頭になかったが、やっと恥ずかしいという感情が顔をもたげた。
「見ないでよ」
アレナスは石鹸の泡を、タオルでぬぐい、慌てて下着を身につけ、制服を着込んだ。髪の毛が濡れているが、そんなことを気にしてはいられない。
ダグはその間ずっと、ホースの切れ端を切り刻んでいた。アレナスが前に立ったとき、すでに服を着ているのに、恥ずかしそうに目をそらした。
「この匂い、さっきの缶ジュースと同じだわ。あれほど、強烈ではないけれど」
アレナスは、ホースの断片を見下ろし、おぞましそうに身を震わせる。
ダグは何も言わずにうなずき、細切れになったホースを見下ろしていた。
そして、アレナスは気がついた。
ダグがときどき、ホースを見るのと同じような眼で、アレナスを見つめているのを。
彼は、アレナスに何か重要なことを隠している。
しかも、それがこのシャワーホースや、あの缶ジュースに関係あるんだ。
「まだ、教えてくれないの?」
アレナスは、ダグをにらみつける。突然、彼に対する怒りがわきあがる。
あなたは、あたしを何だと思っているの? あたしはあなたに助けられるためだけの存在なの?
「……話せない。きみが地球の人間であるあいだは」
ダグは、そう言ってシャワー室を出て行った。
アレナスは、怒りと侮しさで涙があふれだすのを感じていた。
あたしには、何も話せないというのね
そして、涙をぬぐい、吐き気をもよおす臭気が充満したシャワー室を後にした。
シャワー室から出た後、二人は何も話さずに歩き続けた。
アレナスは、何かを隠しているダグに怒りをおぼえ、ダグはその隠し事に後ろめたさを感じていた。触れ合ったはずの二人の心は、地球軍所属の軍人と、シリウス軍所属の軍人の関係に戻っていた。違いは唯一、ダグが拳銃を構えなくなったことだけだった。
暗い通路を二人は無言で歩き続けた。アレナスは背骨の痛みをこらえ、ダグもそれについては聞かなくなった。
そして、通路の先に緑の光を浴びて横たわる、銀色の巨体が見えた。
アレナスとダグは、同時にそれを目にした。だが、アレナスは走り出さなかった。ダグも注意しなかった。二人はー歩々々確実に進み、マシーン兵器のかたわらに腰を降ろした。
「寝るわ、あたし」
アレナスは冷たく言った。
「ああ、許可するよ」
ダグはアレナスを見ようともせずに答えた。
そして二人は、眠りについた。
アレナスが目覚めたとき、ダグはまだ眠っていた。昨日までのできごとで、彼はかなり疲労しているはずだった。
今なら、拳銃を奪い返せる。それに、あの不思議なナイフも。
アレナスはダグの寝顔を黙って見つめていた。
この人はあたしに親切にしてくれた。とてもいい人だと思う。やさしすぎるくらいの人だ。でも、この男は決しであたしと同じ地球人じゃない。それどころか、あたしたちを殺そうとするシリウスの軍人なんだ。あたしたちと殺しあいを続け、無数の地球軍人を殺害した、シリウスの車人なんだわ。タカヤノリコやオオタカズミが守ったはずの地球を、混乱させ、破滅に導くのが、彼らシリウス人なんだ
ダグは小さく寝返りをうった。今なら、彼は無防備だ。
アレナスは、マシーン兵器を背に座り込んだ。
これで借りは返したわ。二度とあなたには頼らない。あたしは一人で生きていくわ。この船から脱出するまでは、一緒にいてもいいけれど、それ以上は絶対にいや。後は、もとの敵同士に戻るのよ
きっとあなたもそう思っているんでしょうね
アレナスはダグが目覚めるまで、じっとその寝顔を見つめていた。
アレナスとダグは、暗闇の中で、空々しい会話を続けていた。
「マシーン兵器を使うのが、得策だと思うわ。あたしたちは疲れてるんだから、次に何かに襲われたとき、これに乗っていれば心強いと思うの」
「しかし……、きみはそういうが……ぼくはきみを信用していいのか?」
アレナスはその言葉にカッとした。だが、この男に感情を見せようとは思わなくなっている。
「信用できないのなら、それでもいいわ。ただ、あたしはこの機械を使う方が、あたしたちにとって、より効率がいいと言っているだけだから」
「けれども……ぼくには、きみが何かを企てていたとしても、わからない。こんな金属の固まりに乗った上に、変なことを考えていたとしたら、ぼくは破滅だ」
「じゃあ、あなたは……」
アレナスは怒鳴りつけたい気持ちを押さえつけた。この男の頬を力いっぱい、張り飛ばしてやりたかった。
「あたしの首筋に、拳銃でも、ナイフでも突きつけておけばいいのよ。そうすれば、あたしが何をしても、怖くはないでしょう? 弱虫でお兄さんにいじめられてるあなただってね」
そう言って、アレナスは笑った。ダグが本当に兄にいじめられているかなんて、関係なかった。ただ、彼がそれを口にするとき、どことなく悔しそうだったからからかってみただけだった。
「じゃあ、そうしよう」
ダグはアレナスの罵倒を、軽く流した。ただ、その悪意だけば、強く受け止めたらしかった。
「きみみたいな、可愛げのない女が、他人の兄弟に口出しするとは思わなかったね」
二人はそのまま、何も言わずに、マシーン兵器を起こす作業に取りかかる。
アレナスは腰に走る激痛に耐えながら、冷たいマシーン兵器を押していた。努めて無表情を装ってはいたが、心の中では言葉が渦を巻いていた。
可愛げのない女だって! あたしを可愛げがないって! じゃあ、あんたは一体何なのよ! 親とか兄弟にコンプレックス感じてる、陰気な雑草収集家じゃない。恐がりで弱虫で気が小さくて、おまけにやさしいだけが取り柄の男じゃないのよ! あんたみたいな男に、一瞬でも心をゆるしそうになったあたしが、大バカ野郎だったのよ
作業中、何度かアレナスはダグの表情を盗み見た。彼も無表情を装っているが、やはりアレナスに言いたいことがあるようだった。
マシーン兵器のコクピットに再び、灯がともった。アレナスはコンソールを叩き、メインコンピュータに、各部機能をチェックさせる。
瞬時にディスプレイ上に、結果が表示される。だが、コクピット・ハッチは聞いたままで固定されているため、アレナスはシートの上に立ち上がり、ディスプレイをのぞかなければならなかった。
コクピット・ハッチロック不能。スーパーアイ稼働不能。左腕関節稼働不能。エーテル関知機稼働不能。バーニア稼働不能。プラズマソード接続不能。ECM・ECCM稼働不能……。
ディスプレイには、使えなくなった箇所が連ねられる。
アレナスは満足に動く箇所を探した。結果は……右腕と両足だけだった。
「どうなんだ?」
ダグが、背中カバーの前から這い上がり、脊椎パット前に陣取って尋ねる。その右手には、アレナスの拳銃が握られていた。
「歩くだけはできるわ」
アレナスはシートベルトで体を固定する。
「つかまって、揺れるから」
マシーン兵器は小さく振動し、耳障りな音を立てながら、第一歩を踏み出した。
「どこへ向かえばいいのかしら? あたしは命令されるだけですからね」
「艦尾へ。そこで連結通路を探して、右舷へ回る。後は、ブリッジへ向かって、一直線だ」
ダグはちきれたコードの束で、自分の体を縛りつける。
「わかったわ」
アレナスはマシーン兵器の進路を、艦尾へ、機関部へと向けた。
左舷機関節は静まり返っていた。高さだけで数百メートルある機関室には、人影はなく、光もなかった。戦艦の心臓部である縮退炉は、完璧に死んでいた。重力縮退を起こすはずのアイス・セカンドは失われ、炉は巨大な空の容器となりさがっていた。
「ここはいいんだ。左舷機関部が活動を停止しているのは知っている」
ダグは言った。
「右舷へ向かってくれ」
「どうやって?」
アレナスは、上部が暗闇の中に溶け込み、見えないほどに巨大な建造物に圧倒されていた。これほど巨大な戦艦でも、銀河中心殴り込み艦隊にとっては、中程度のクラスだったといわれている。現在の地球帝国軍には、これほどの巨大な戦艦を建造できるだけの技術は存在していなかった。
「駅がある。あの線路通りに進んでいけば、右舷機関室にたどりつく」
ダグが指さしたところには、確かに駅があった。『左舷主推進機前』という看板がかかっている。
「あれね」
アレナスは、マシーン兵器で改札をくぐり抜け(改札機がいくつか、壊れる音がした)、線路ののびる方向へ進んだ。
長いトンネルの中で、アレナスは尋ねた。
「右舷機関室は生きているの?」
「当たり前だろ。重力縮退が行われなければ、ワープなんかするわけがない」
「誰が整備しているのかしら?」
「そりゃ……」
ダグは途中で□をつぐんだ。
「どうせ、もうすぐわかるんだから、教えてくれてもいいじゃないの」
アレナスは、ダグが口を滑らすのを期待していたが、うまくいかなかったので、すぐ正攻法に転じた。
「それとも、あたしには絶対、教えないとでもいうの?」
「きみには……説明しない方がいい」
ダグはボソリと言った。
「そう」
ダグが少し気弱になったのを感じて、アレナスは黙り込む。ダグがこの沈黙に耐えられなくなるまで、必要以外の言葉は話さないぞ、とほくそ笑んだ。
そして、トンネルの先に明かりが見えた。それも非常灯の緑の弱々しい光ではなく、白く強い光が、差し込んでいた。
右舷機関室前中央駅に到達したアレナスは、数日ぶりの光に眼をくらませた。すでに眼は、暗闇の微弱な光に慣れてしまっていたため、普通の光が明るすぎるように感じられた。しかし、目を閉じていても、縮退炉の活動する鈍い音が聞こえている。腹の底へ響くような音が、機関室にはあふれていた。
アレナスは目を痛めないように、ゆっくりとまぶたを持ち上げる。鋭く強い光が網膜に焼きつき、しばらくのあいだは視界に黒い影が焼きついていた。
そして、物の輪郭がじょじょに戻って来て、アレナスは少しだけ、気分がよくなるのを感じた。右舷主推進室は、死にかけていた左舷と違い、活動していた。ここは生きている場所だった。
各部の補助機関、冷却装置、起動スレイブが、縮退炉を活動させるために、慌ただしく作動を続けていた。巨大な機械(アレナスには、それが何のための物かはわからなかった)が、ゆっくりと確実に動き、その動きを受けて、次の機械が作動を始める。左舷を支配していた、虚無の世界とは違い、ここには秩序があった。
そして、縮退炉の周りに人間より一回り小型の何かが、いくつも並んでいた。まるで、縮退炉の整備をするロボットが待機しているようだった。
アレナスはその緑色の小型ロボット(のような物)を、じっと観察していた。確かにそれは整備用のメカニックらしかった。素早い動きで、縮退炉のメーターを確認し、再びもとの場所へ戻って待機する。そんな行動を繰り返していた。機関員ではないアレナスには、詳しいことはわからなかったが、そんなメカニックがあることを初めて知った。
誰かいるかもしれない
アレナスはメインコンソールを探した。
あたしの艦では、コンソールはフロア全体を見下ろせる位置にあったわ。なら、この艦だって
アレナスの想像通り、コンソールボックスは、中空に吊り上げられるようにして、縮退炉全体を見下ろしていた。しかし、人影はなかった。ボックスには、グリーンのカバー状の物がかぶせられ、その端がユラユラと揺れている。
ずいぶん、趣味の悪いカバーだ、とアレナスは思った。深いグリーン地の布に、黄橙色、赤褐色の模様が、渦を巻いたように染め抜かれている。
でも、あれ布かしら
アレナスはカバーが妙な厚みを持っていることに気がついた。それに、その厚さが均一には見えない。端こそ布のように薄いものの、コンソールパネルにかぶさっている部分は、かなり厚く最低でも数十センチはありそうだった。そして、遠すぎて、はっきりとはわからないものの、自律的に振動しているようにも見える。
また、アレナスは整備用のメカニックと、その不思議なカバーが、同じような色調をしていることに気づいた。メカニックの模様が小さく、目立たない物だったので、すぐには気づかなかったのだ。
「いつまで、見ているんだ」
ダグは言った。その声には、アレナスを軽蔑するようなニュアンスが含まれていた。アレナスは振り返る。ダグは、カバーを、縮退炉を、整備用メカニックをにらみつけていた。その視線には、強い敵意が込められている。
そして、ダグはアレナスを見た。その視線にも、憎悪がこもっている。視線で死ぬようなことがあれば、アレナスは即死しているくらいに、強い敵意だった。
この人、何か誤解している
アレナスは瞬時にそれを理解した。しかし、その誤解が何かはわからない。それがわかれは、彼はすべてを話してくれるのだろうか? そんなことを考えながら、アレナスはマシーン兵器を進める。
右舷は明るいだけではなく、船全体が生きていた。空気清浄装置が作動しているため、吸い込む空気が心地好く、左舷のように重く、威圧的な雰囲気などなかった。
マシーン兵器が一歩進むと、そこには何かのリアクションがあった。たとえば、天井のライトが照らしてできるマシーン兵器の影が移動する。それだけのことでも、アレナスは、右舷の活力を感じて、陽気になった。
そんなアレナスの気持ちを感じとっているのか、ダグは陰鬱《いんうつ》に黙り込んだままだった。アレナスが、周囲に好意の視線を向けるたびに、ダグの敵意が強まってくる。
「陰気な男」
アレナスはそっとつぶやいた。
きっと、ダグは暗くて、静かな左舷の方がお気に入りなんだ。明るくて陽気な右舷なんかは、まぶしくっていやなのね
しかし、それが原因ではないことをアレナスは知っていた。ダグが話さない何かが、視線に悪意を込めているのを知っている。だが、それは彼が話してくれるまでは、謎のままだったし、それまでは彼の敵意を黙って受け続けなければならない。アレナスはダグを、感している以上にバカにすることで、その悔しさをまきらわせるしかなかった。
アレナスの視界の隅で、何かが動いた。アレナスが、その影を追ったときには、すでに見えなくなっている。
「まただわ……何だろう」
右舷には何かが生きていた。通路の隅で、十字路の向こうで、通風孔から、誰かがマシーン兵器を見つめている。何かはわからない。それはアレナスの前に姿をあらわそうとはしなかった。ときどき、視界の隅をかすめ、影をちらつかせるだけだった。
ダグは、そんな影がちらつくと、必ず不機嫌になる。いまいましそうに舌打ちし、通路に向かって、汚らわしそうに唾を吐く(ダグが唾を吐くのを見て、アレナスは驚いた。彼は、そんなことをするタイプとは一番遠いところにいる男だと思っていたから)。
そして、今あらわれた影は、人間のようだった。頭と手足が確認できた。違うのはそのバランスだけだった。胴体と脚が極端に短く、頭が異様に小さかった。ただ腕だけが太く長く、まるで腕を結びつけておくためだけに、胴体があるかのようだった。アレナスが、その影の持ち主を見つけようとしたときには、すでに影自体がどこかへ消え去っていた。アレナスの頭の中で、忘れていた単語がよみがえった。
――幽霊船――。
影は死んだ船員たちの迷える魂。魂たちは、生きているアレナスを羨望の目で見つめている。その羨望《せんぼう》が強すぎて、嫉妬の塊となった魂は、アレナスを死者の国へ引きずり込もうとするのでは……。
アレナスの握りしめた手は、じっとりと汗でぬれていた。奥歯が鳴るのを止めようとして、力を込めると、静まっていたはずの背骨が痛む。
大丈夫。怖くない。だって、わたしは一人じゃないわ。後ろには(今は仲が悪いけれども)ダグという、男の人がいるじゃないの。もし、何かが出てきたら、この人、きっと助けてくれるよ。お化けだって、幽霊だって、この人、魔法が使えるんだから
ダグを陰気な男とののしったことを思い出して、アレナスは自分に少しあきれた。
あれだけバカにしていても、頼らなければならないかもしれないなんて、あたしって凄くいい加減で、むしのいい女かもしれないな
そうは言っても、幽霊が怖いという性格だけは変えられない。もし、何か出て来たら、あやまってでも、追い払ってもらおう。
不機嫌そうなダグの舌打ちを、アレナスは黙って聞いていた。
艦首までは、あと二〜三時間というところで、アレナスもダグもねをあげた。
マシーン兵器は歩いているうちに、おろした脚の衝撃をそのままコクピットに伝えるようになっていた。かなり損傷していた各部関節のバランサーとショック・アブソーバーがついにおしゃかになったのだ。おかげで、コクピットは直下型の地震に襲われているような状況だった。
「何とか、ならないのかよ!」
脚が通路を踏み締めるたびに、座席後部から放り出されそうになって、ダグが叫んだ。
「何とか、なるんだったら、とっくにしてるわ!」
アレナスが叫び返す。そして、口を押さえた。
素人じゃあるまいし、マシーン兵器酔いなんて!
「もう、駄目だ、どこかに止めろ。いいか、今すぐ止めるんだ!」
結びつけたコードが体に食い込み、必死でシートにしがみついているダグは言った。すでに命令ではなく、嘆願だった。
「わかってる」
アレナスは、マシーン兵器を隠しておける場所を探した。幽霊みたいな物がウロウロしている通路には、放り出してはおけない。近くにマシーン兵器がくぐり抜けられるくらいの大きな扉を見つけ、そこに入り込んだ。
そして、目の前に広がる光景に、二人は言葉を失った。
その扉は、格納庫への入口だった。高さは数百メートル、奥行きはキロ単位の格納庫だった。だが、二人が息を飲んだのは、格納庫の大きさではなかった。
そこには、銀河中心殴り込み艦隊所属の戦闘部隊……つまりは、人類史上最強の兵器が、所狭しと並べられていたからだった。
何層ものハンガーに、コスモアタッカーXが収納され、人類を救ったメカニック、ガンバスターの量産型シズラーが、黒、銀、白のカラーリングも鮮やかに整列していた。
シズラーの足元には、無数のマシーン兵器RX−9が、補助兵器として並んでいた(アレナスの使用しているマシーン兵器はRX−9の前の前の型、RX−7のレプリカをレストアして、改悪したもので、RX−9との戦力比は十対一とも言われていた)。
「すごい……」
アレナスは、この戦艦の圧倒的な戦力に驚いていた。たぶん、このツインエクセリオンとこの艦載機群を自由に操ることができたなら、地球・シリウスの文化圏すべてを、手中におさめることができるだろう。そして、もしどちらか一方の陣営が、この戦艦を人手すれば、膠着《こうちゃく》しているミリタリー・バランスは、一気に崩壊するだろう。
この戦艦の捕獲を命じ、それがかなわなかった場合は、破壊せよといった指令の意味が、やっとアレナスにも理解できた。
そして、アレナスは、ダグの驚きをも感じた。彼にとって、これらの兵器は、遥か昔の恐るべき遺物であり、封印するか、破壊すべき物だったろう。この機械たちを生み出した文明の末裔が、彼らシリウスと敵対していることを考えるなら、それはもっともだった。
「ダグ……乗り換えない?」
アレナスは、シートベルトを解除しながら言った。
「あれにか……」
ダグは気乗りしていない。
「これ以上、このポンコツに乗っていたいなら、それでもいいわ。けど、あたしはあっちの機械に乗るわ」
アレナスは股間の昇降脚を延ばして、格納庫に下り立つ。
「待て、ぼくも行く」
ダグは体に巻きついたコードを、ひきちきろうと四苦八苦していた。
「ほどけたら、ついてらっしゃい」
アレナスは、RX−9に近づき、その銀色に輝く機体を見上げた。最強のマシーン兵器が、それもオリジナルな形そのままで、アレナスの前に立っていた。この機体が人類を破滅の淵から救い出したのだ。
だが、不思議と感動はなかった。それどころか、アレナスは失望と違和感だけを感じていた。
マシーン兵器って、こんなに見苦しい物だったかしら。歴史書に乗っていた写真と、ずいぶん雰囲気が違ってるわ
RX−9の外装は細かなトゲで覆われていた。その上、奇妙な凹凸と歪みが、装甲前面に広がっている。スペース・チタニウム合金製の外装のはずなのに、妙に表面が弾力を持っている。各関節を覆うゴム・カバーも、ゴムというよりは昆虫の関節のようだった。
「気持ち悪い!」
アレナスは、腰部アーマ――の裏側を見て、目をそらした。そこには、小さく赤黒い触角状の突起が無数に生え、小さくブルブルと震えていた。そして、アレナスが声を上げたのは、その突起一つ一つの先端に、小さな、とても小さな目のような球体がはえていて、それが一斉にアレナスを見つめたからだった。
「何よ、これ……。マシーン兵器じゃないんだ」
アレナスは、マシーン兵器から遠ざかって、つぶやく。よく見ると、シズラー・シリーズも、微妙に形が歪んでいた。ある物は手が長すき、ある物はメインカメラが血走り、ある物はカメラガードが口となり、舌のような長い突起が垂れ下がっていた。
これらの行き過ぎた模倣には、何か邪悪な意思が感じられた。精巧に作られてはいるものの、何かが足りないために、オリジナルと奇妙なくらいに印象を異なるものとしてしまっているようだった。その何かとは……簡単にいえば、人間の感性だった。人間の神経を持っているのだったなら、アーマーの裏に目玉を植えつけるようなことはしない。
「アレナス……」
ダグが小さく呼ぶ声が聞こえた。喧嘩をしていることも忘れて、アレナスは駆け寄る。
「何? 何か見つけたの?」
ダグは、コスモアタッカーXのハンガー・デッキを見上げていた。
「きみは……この宇宙戦闘機をどう思う?」
アレナスは最下段のディキによじ登り、戦闘機を観察した。きれいな銀色に輝く、新品の戦闘機。傷ひとつなく、実戦を経験したことがあるのかどうかもわからないほど、ピカピカに磨いてある。けれど、これも異常な戦闘機だった。伸縮し、機体下部に収納されるはずの脚桂は、まるで猛禽類の脚のように鱗《うろこ》状の脹らみで覆われており、タイヤは丸く固まった、脂肪の袋のようだった。機首前部のシーカーは昆虫の複眼だったし、エーテル・ピトー管からは黄色がかった粘液が、したたり落ちていた。
ダグはその粘液を指で受け、匂いをかき、その指をアレナスに向ける。
アレナスもその匂いはおぼえている。いや、絶対に忘れない。あの缶ジュースの、あのシャワーホースの匂いだった。
「どういうこと?」
アレナスは顔をしかめる。注意すると格納庫の空気に、この匂いが微かながら混じり合っていることに気づく。
「操縦席は見たか?」
ダグに言われて、アレナスはコクピットをのぞきこむ。ガラスに似た材質の風防(あえていえば、とても固いキチン質という感じだった)の中は、赤,黒、緑にいろどられた、生き物の内臓が黄色い粘液に満たされてピクビクと震えていた。
アレナスは吐き気をもよおし、口を押さえる。生きた内臓を見るのは、初めてだった。自分の体内に、あれによく似た物が詰まっているのは知っていても、あんなに醜い物とは思いたくなかった。
いつの間にか、ダグの姿が消えていた。見ると、一人きりで格納庫の奥へと向かっている。
戦闘機の複眼が、アレナスをギ口りとにらみつけた(ような気がした)。
冗談じゃない、こんなところに一人で残されてたまるもんか
アレナスは、慌ててダグの後を追った。
格納庫の奥の暗がりには、シズラーより一回り大きな人型兵器が四体並んでいた。
全長は四百メートル近くあった。首が痛くなるほど見上げても、その頭部をはっきり確認することができない。緑がかった淡いグレーに塗られた機体は、他のすべての兵器を威圧し、戦闘力の強大さを誇示しているようにも感じられた。
あの……あのガンバスター級戦闘メカだった。一機が宇宙怪獣数十億匹分の戦闘能力を持つといわれた、地球文化圏最大の兵器が、四機並んでいた。
贋物なんじゃないの、これ
アレナスは、そう思って、外装に目を走らせる。
やはり……本物のガンバスターではなかった。シズラーや戦闘機と同様に、その装甲は動物的な印象がある。小さなトゲや、細く短い剛毛が、一面にびっしりと生えている。
「そりゃそうだわ」
アレナスはつぶやいた。
「何か?」
ダグは、呆れたように巨大な戦闘兵器を見つめていた。これだけの機械を造ることができた地球の科学力と、機械に頼ることしかできなかった地球人の精神に嫌悪をこめた目をしていた。
「これ一機を造るのに、戦艦が十数隻造れるのよ。そんな大変な物が、四機も並んでるわけないと思ったの」
ダグとアレナスは、ガンバスターを模した巨大兵器の前を、ゆっくりと歩いていた。
「なぜ、こんな物まで造らなければならなかったんだろう……」
ダグはつぶやく。アレナスに尋ねたわけではなかった。一人ごとのように、自分の中の疑問を明らかにするように、自分自身に向けての、言葉だった。
「人類が生き残るためよ」
アレナスは、ガンバスターを見上げた。生き残った人類の愚かしさを感じながら。これだけの巨大技術を手にしながら、人類はそれを活かすことができなかった。もし、この技術が充分に人類のためになっていたなら、地球・シリウス間戦争などは起きなかったかもしれない。
人類を救ったガンバスター(に代表される)科学技術は、人類に生き延びることをゆるしただけだった。そして、生き残った人類は、愚かな行いを繰り返している。
「バカな話だわ……」
最後のガンバスターの前で、アレナスは脚を止めた。巨体を見上げ、外装を見つめ、そしてその装甲に手をふれた。
「まさか……」
アレナスは、走り出した。
「どうしたんだ!」
ダグは叫び、アレナスを後ろから押さえつける。
「離れるな! きみたちの疑惑は晴れたわけではない!」
「ちょっと、待ってよ! あとで、いくらでも聞いであげるから!」
アレナスはダグの手を振り払い、四機のガンバスターの装甲を、目で見て、手で触れて、確認していた。
三機のガンバスターは、色と手触りが同じだった。グレーの中に、赤や緑の斑が浮かび、小さなトゲに覆われている。ぶ厚い装甲は、生き物の甲羅のように滑らかな歪みと、曲面に包まれている。アレナスは、その装甲に鼻を近づける。
匂う。微かだが、あの缶ジュースとよく似た匂いが漂ってくる。
でも、あの最後の一機は!?
一番奥に立っているガンバスターは違っていた。その装甲は顔が映るほどにスベスベで、冷たい金属の手触りがあった。学校の体育館ほどもありそうな右足首の周囲を歩いてみると、非常乗り込み用ハッチがみつかった。ハッチ開閉システムの注意書きを読み取ることもできる。その文字は、かつて地球で使われていた文字で、アレナスにも見覚えがあった。決して歪んでいたり、上下が逆さまだったりはしなかった。
「本物なんだ……」
アレナスは笑い出していた。本物のガンバスターを見つけたのだ。
地球の救世主、ノリコやカズミが乗っていたガンバスター。銀河中心殴り込み艦隊以外の誰も見たことのないガンバスター。人類の未来と希望を託された冷たい機械が今、アレナスの目の前にあった。
誰も想像しなかっただろう。新入りのマシーン兵器パイロットが、人類最大の宝ガンバスターを発見した。アレナスは笑った。こんないい気分は初めてだった。かつての冒険者たちが地中に眠る金塊を見つけたときも、海底から沈没船を引き上げたときも、今のわたしの気分には決してかなわないわ。アレナスは、込み上げてくる喜びを押えることができずに、ただ笑い続けていた。
シリウス軍人の捕虜になり、背骨の痛みや吐き気に苦しめられた、ただの小娘が、ガンバスターを発見するなんて。
これに乗ることさえ、できたら、こんな船なんか、いっぺんに逃げ出してやれるのに
そんなアレナスの気持ちを感じたのだろうか、ダグが背後で拳銃に握りしめていた。
「さっきは何故、笑っていたんだ」
壊れかかったマシーン兵器に揺られながら、ダグは言った。
あの格納庫で眠るのだけは御免だ。それが二人の間の結論だった。疲労は頂点に達しているが、あんな気味の悪い場所では、目をつぶった途端、何か起こるかわからない。二人は、ぐったりしながらも、マシーン兵器の通れる扉と、静かな部屋を探していた。
「言っても……きっとわからないと思う」
アレナスは、急に襲ってきた躁状態を脱して、眠り込んでしまいそうな疲れを感じていた。
「あれば、きみたちの仕業ではないのか?」
「……何が?」
アレナスはダグの言葉にうわの空で返事をしながら左右の扉を見つめる。どちらも小さすぎる。マシーン兵器を隠しておくことはできそうもない。脚が何かを踏みつけた。機体が大きく揺れる。見ると、いつの間にか、通路にいろいろな物が飛び散るようになっていた。ガラスの破片。壁の残骸。めくれあがった床。照明が破壊されている場所もある。
「正直に言ってほしい。きみは本当に何も知らないのか?」
「何が? 何も知らないわよ、あたしは」
どうして、壊れてるんだろう?
その壊れ方は、無秩序な破壊の跡をしめしていた。扉がひしゃげ、床がめくれ上がっている。通風孔は何かがもぐり込んだように、大きくえぐれていた。こんなのを、つい最近見たことがある。どこでだったろう。疲れた頭で、記憶をたぐる。
左舷の公園か
「じゃあ、きみたちは関係ないのか……」
ダグは、そう言ったまま、黙り込む。
あの扉は何だろう。アレナスは左前方の扉を見つめていた。マシーン兵器が楽に通れる高さの扉があった。
扉は中から、想像できないような力で押し破られたようだった。扉の残骸にはプレートがぶらさがり、『生体科学研究室』と読める。右舷で、こんなに破壊された跡を見るのは初めてだった。どうしてだろう。部屋の中には、何の気配も感じられない。静かで暗い部屋だった。
どこかで、小さな音が聞こえた。虫が鳴いているような声だった。
アレナスは、格納庫の化け物たちが鳴くと、そんな声を出すのだろうと考える。
「ここで、休もう」
アレナスは、マシーン兵器の脚を止める。
「ここで?」
ダグは扉と、その破壊跡を見つめた。
「わざわざ、こんなところで?」
「だって……マシ一ン兵器の関節が、もう動かなくなりそうなんだもん」
アレナスは背伸びして、マシーン兵器上半身のディスプレイ画面を見る。
「オーバーヒートしそう。冷却装置が効かなかったのね」
そして、扉の破壊跡をマシーン兵器にくぐらせた。
二人は薄暗い部屋に下り立った。マシーン兵器の膝関節は、加熱で火傷をしそうだった。
「静かな部屋ね」
アレナスは、マシーン兵器を背に座り込んだ。
「静かだけれど……」
ダグは、暗闇を見透すかすようにながめ回す。
「ここで、何かいやなことがあったんだ、きっと」
「そうかなァ……」
アレナスは目を閉じた。すぐにも眠り込んでしまいそうだった。何をしようにも、もう体が重くて動かなくなっていた。
「じゃあ、ぼくは少し、辺りを見てくる」
ダグはあの不思議なナイフを手に、暗がりへと進んでいった。
「気をつけてね」
アレナスは、ダグの足音が遠ざかるのを聞きながら、深い眠りへと落ちていった。
アレナスは眠りの淵から、引き上げられた。むりやり起こされて、頭の芯がズキズキと痛んでいた。
「起きたか、アレナス」
ダグが、肩を揺すっていた。
「何か、あったの?」
アレナスは目をこする。目まで乾ききって、痛みをうったえている。背骨の激痛も、また始まったらしい。体を起こそうとすると、鈍い痛みが走った。
「来いよ。きみにも見てほしい。もしかすると、謝らなければならないかもしれない」
ダグは、まだ半分眠っているアレナスの手を取って、引っ張りあげた。
「待って、ちょっとだけ」
アレナスはポーチの中から、携帯用の小型ライトを取り出し、スィツチを入れる。闇に包まれていた部屋が、明かりの中に浮かび上がる。
「おい、そんな物を持っていたのか?」
ダグはまぶしそうに光を避けて、怒り出した。
「だって、あの時は、あなたが拳銃つきつけてたし、後で捕虜にしてやろうと思ってたから、秘密にしてたの」
アレナスは、ダグの顔を光で照らす。
「一方的に命令されるのって、あんまり好きじゃないから、チャンスを狙ってたの」
「わかった。わかったから、照らすのを止めてくれないか」
アレナスは光を部屋に向ける。少しだけでも眠ったせいか、ダグに対する怒りは、なりをひそめていた。
「汚いな、そういうのは」
ダグはつぶやきながら、アレナスを隣の部屋へ招き寄せる。
二人が気絶してるあいだに、ポーチを探るのもね」
そして、ライトに照らし出されたその部屋に、アレナスは衝撃を受けた。
「見ろよ、ここを」
[#挿絵(img/157.jpg)]
部屋の惨状は、言語を絶するようなものだった。何かを研究していたのだろう。各種パネルやコンピュータ、実験器具が並んでいたのが、想像できる。だが、今はまるで違っていた。何かが暴れ回ったようだ。コンピュータやパネルは中身を引き出され、実験器具はすべて破壊されていた。火災が起こったのかもしれない。部屋のあちこちに黒い焼け跡が残っていた。そして、あの匂いが漂っている。
「あそこ、見えるか」
ダグが指さす場所をライトで照らし、アレナスは息を飲んだ。手が震え、明かりが左右にふれる。白く細長い物が散乱していた。とてもきれいな純白の……骨だった。
「人の物なの?」
ダグはうなずいた。
「一つだけじゃない。全部で七人分はあると思う。散乱してるし、かなり損失しているけど」
アレナスは部屋の床をライトで照らす。ライトの光が移動するたびに、白い骨が浮かびあがった。あきらかに、人間の頭蓋骨らしい物が、横向きになって、転がっていた。
「いやだ……」
アレナスの奥歯が自然と鳴り始める。骸骨といえば幽霊。彼女にとって、それは当然の連想だった。
しかし、その時、アレナスの軍人としての思考が働いた。何かが異常だった。
無人の戦艦だったが、骨を見るのは初めてだ。艦員のすべてが死んでいるとしても、死体の痕跡すらないのはおかしい。非戦闘員はどうしたのだろう。
それに! アレナスは最大の疑問に気がついた。わたしたちの地球では六十年以上の時間が流れたが、この戦艦の内部ではたかだか数ヵ月のはずだ。長く見ても一年たっていないだろう。そんな程度の時間で、人間が白骨化するものだろうか。それに骨のいくつかは、砕け、へし折られている。
壁には焼け跡以外にも、黒い染みがついていた。近寄って観察すると、血液が固まって、こびりついた物だった。
「何が起こったの、ここで」
アレナスは、次の部屋へと向かうダグの背中を見た。
「どうやら、ぼくは間違っていたらしい」
ダグは振り返って、そう言った。
「でも、これは最悪の事態かもしれない。ぼくの想像通りであった方が、どれだけよかったか……」
アレナスは、ダグの後を追い、信じられない物を目にした。
「ここで研究をしていたんだ、きっと。ところが何か事故があったんだと思う」
ダグはアレナスの手を取って、標本ケースの前へ立たせた。
アレナスは標本ケースに顔を近づける。
生体保存液に浸された死体は醜く、全身から悪意を発散しているようだった。
いちばん小さな物は、甲羅をかぶった虫のような生き物で、アレナスの手の平に乗るほどしかなかった。緑と赤、揖色に彩られた甲羅には、小さなトゲが無数に生えている。その生き物には見おぼえがある。
「宇宙怪獣ね……」
ダグは何も言わずにうなずいた。
無数に並ぶ標本ケースの中には、少しずつ姿を変えていく怪獣の死体がおさめられていた。ある物は魚のように、ある物は花のように。獣や鳥にそっくりな物から、食堂のスプーンによく似た形の物まであった。
そして、もっとも大きなケースには、子供の大きさくらいの怪物がおさまっていた。
それは、とても小さな人間の姿をしていた。身長五十センチくらいの大人。
けれども、そいつの肌は、例の緑と赤、根色に染まっている。腹部に大きく裂けた縦の割れ目があり、そこから短い牙が突き出しているのが見えた。
「見ろよ、たぶん、ぼくらの見てきた物は、こいつらの成れの果てだ」
ダグの指さすそれは、身震いするほど、おぞましい物だった。
「きっと、こいつらを制御できると思っていたんだろうな。科学の傲慢さが、裏目に出てしまったんだね」
アレナスはダグを見つめる。彼の顔は青ざめていた。たぶん、あたしもそうだろうな。
「これと、あたしたちは戦うのね」
アレナスは死体に目を移し、ダグの手を強く握り返した。
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第四章
始動! 戦闘マシーン・ガンバスター
第一艦橋までは、直線にしてわずか二十七キロ。
壊れかかったマシーン兵器の脚でも、一時間弱で到達できる距離だった。
途中にあるのは、無人の大食堂、紅玉レーザー管制室、第一大公園といった施設。
何の障害もない……はずだった。
だが、生体科学研究室を抜け出した二人に向かって、無数の怪物たちが押し寄せてきた。
「アレナス、右!」
コクピットの後ろにしがみついたダグが叫ぶ。
二射、三射。返してもらった拳銃が、アレナスの手の中で火を吹く。
甲高い悲鳴があがり、影が床に倒れる。
見ないようにしていても、その死体に眼がいってしまう。
長い金髪が床に飛び散っていた。まるでスパディティをぶちまけたように。
「見るなよ」
ダグの声は怒っている。
「見たって胸が悪くなるだけなんだから」
「あたしだって見たくないわ」
見たくないけど、見てしまった。
この死体は、若い女のようだった。倒れたときに打ったのだろうか、顔の辺りから体液が流れ出して、通路を白く染めている。胸に開いた銃創からも、白い泡混じりの体液がビクンビクンとあふれていた。スカートの下から突き出た、スラッとした太腿が痙攣を起こしている。その肌は色白で、滑らかだった。ミニスカートがとってもよく似合いそう。
「気にするな、人じゃない」
「わかってるってば!」
生体研究室のコンピュータに、情報は残っていなかった。けれども、誰がつけていたのか、手書きの書類が残されていた。
「チチッ」
何かが舌打ちするような声が響いた。
「あの十字路! 影が動いた!」
「左右に隠れてるわよ、きっと」
開きっぱなしのコクピットをかばうために、アレナスはマシーン兵器の右腕を持ち上げる。
目前の十字路には、直進は右舷第一艦橋、右折は大食堂、左折は右舷大電算へと表示されている。本当なら、勤務を終えた船員たちでごった返しているはずの場所。
しかし、今は小さな声で鳴く、醜い影が詳がっている。
「ダグ、気をつけて! 突っ込むから!」
「ああ、いいよ」
十字路の影から、何かが踊り出て、マシーン兵器に飛びついた。コクピットは、無数の顔に覆われる。無表情で、人間とは思えない顔たちに。
小さな悲鳴をあげながら、アレナスは拳銃を乱射した。
かつて、人類をおびやかした宇宙怪獣に対して、地球では持てる科学・工業力のすべてを費やして、銀河中心殴り込み艦隊を結成した。旗艦エルトリウムは、全長七十キロを温かに超える巨大戦艦であったし、最終兵器ガンパスター三号は、最長部が八百七十キロに及び、圧縮した木星を核にした『ブラックホール爆弾』であった。
人類は、この銀河中心殴り込み部隊に、生き残りへの道を託していた。
しかし、もし、銀河中心殴り込み艦隊が、怪獣たちの前に敗北したなら。
人類の誇る、ガンバスター級戦闘兵器が、怪獣たちにかなわなかったなら。
切り札ブラックホール爆弾が、怪獣たちを全滅させることができなかったなら。
銀河殴り込み艦隊を見送った地球には、悲観主義の嵐が吹き荒れていた。
そして、それは、銀河中心殴り込み艦隊にも、少ながらぬ影響を与えていた。
ブラックホール爆弾が、完全な勝利をおさめることができなかったら、最後の防波堤を失った地球に、怪獣の津波が押し寄せる。すべての力を、銀河中心殴り込み艦隊に向けていた地球は、なすすべもなく怪獣たちの餌食となってしまう。
地球帝国総督府は、銀河中央殴り込み艦隊タシロ提督に、極秘命令を与えた。
地球が滅亡してしまった場合においても、人類の尊厳を守るために、宇宙怪獣たちには一矢を報いなければならない。蹂躙《じゅうりん》され、貪《むさぼ》り食われても、人類は復讐を胸に滅亡していこう。たとえ我等が異物であり、彼らが白血球であったとしても、異物には異物なりの抵抗がある。
『カルネアデス計画』最終ステージとともに、指令を実行するように。ガンバスター三号機のパイロット・オオタカズミ大尉のもたらした命令書には、そう記されていた。
そしてタシロ提督は、地球帝国総督府の命令に従い、銀河中心殴り込み艦隊の中から、ほんのわずかな戦力をさいて、指令をくだした。
銀河の核宙域へ到達する前に銀河中心殴り込み艦隊から、新鋭戦艦ツインエクセリオン級二隻、スーパー・エクセリオン級四隻、第三世代の重巡洋艦マックスウェル級四隻の別動隊が、銀河辺境へと散っていった。彼らは、地球帝国総督府からの特殊任務を受けていた。
任務の内容については、銀河中心殴り込み艦隊内でも極秘とされていた。宇宙怪獣との最終決戦にのぞむ兵員たちに無用な動揺を与えたくないタシロ提督は、総督府からの命令の規模を縮小して、誰にも知られないように別動隊を編成していた。
そして、別動隊に所属する艦名はタシロ提督の命で、記録から抹消された。脱走などと噂が立っては後の戦闘に差し支える。
別動隊に所属する艦艇は、各艦別個に宇宙へと散っていく。
誰も、別動隊が宇宙の闇に消え去ったことに、気がつかなかった。
しかし、別動隊のその後は不明だった。
大半が途中で宇宙怪獣に撃破され、生き延びることのできる惑星に移住し、未来に絶望して自沈し、宇宙海賊へと転身してしまったものと想像できる。
ただ、一隻の戦艦だけががろうして与えられた任務を忠実に遂行していた。
それが、このツインエクセリオン級戦艦だった。
ツインエクセリオンは、宇宙の片隅で、目的の物を発見した。
それは、衰退しつつある小さな宇宙怪獣の巣だった。
地球の生物学者たちは、宇宙怪獣の発生の中心を銀河殴り込み艦隊がめざす銀河系中心宙域と推測していた。宇宙怪獣の大半が、その領域にのみ観測され、またその領域を勢力範囲としていることからもそれは確かなようだった。
しかし、生物学者たちは、それとは別に周辺領域にも発生源があるだろうことを予測していた。確認された宇宙怪獣たちの中には、明らかに種の違った物が、いくつか混じっている。中心となる種族が、より攻撃性を高め、その特質だけを次の世代へと引き継ぐのに対して、ある種族は進化のスピードを高めるための触媒としての性質しか持っていない。また、ある種族では、多産性のみが次世代へと継がれ攻撃種を増やすための役割を受け持っている。
それに加えて、戦闘艦種の腔腸《こうちょう》動物と小型戦闘機種の節足《せっそく》動物、輸送艦種の輪型《りんけい》動物、機動歩兵種の鈎頭《こうとう》動物、対人殺傷種の棘皮《きょくひ》動物などでは、明らかにその起源が異なっていると思われていた。
つまり、宇宙怪獣とは、幾つもの宇宙生物から成り立った、一つの生物コロニーであると考えられた。ただ、そのコロニー群が、人類の脅威へと方向を限定して進化しているのだった(その方向が、偶然によるものなのか、何かの意思によるものなのかは、ついに特定することができなかったが)。
そして、ツインエクセリオンは、衰退しつつある宇宙怪獣の巣(すでに、発生の役割を完了していたのだろうか?)から、いくつものサンプルを手に入れ、実験を開始した。
この実験のため、特別に設けられた生物科学研究室には、種々の宇宙怪獣たち(大きすぎる物は、その一部)が運び込まれ、遺伝子特質、生態的特徴、異なる環境下での繁殖状況、進化のスピードとその方向が、微細な部分まで解読された。
ツインエクセリオンの研究者たちは、この結果に手応えを得たらしい。
宇宙怪獣といえども、人類の科学で制御できる、と。
そして、もし進化の方向性を曲げてやることに成功したなら、宇宙空間に放出する。
そうすれば、その爆発的な繁殖力と、臨機応変な進化を遂げる『人類製造の宇宙怪獣』、つまり宇宙怪獣の天敵が、生まれることになる。
彼らは数万年の後には、地球を滅ぼした宇宙怪獣たちを、食い荒らし、絶滅に近いレベルまで数を減らすことが、シミュレーション上では確認された。
人類が、宇宙怪獣の全滅を見届けることができるかどうかは、わからなかった。
ただ、天敵が生まれた宇宙怪獣たちにとって、宇宙は平穏な場所でなくなるのは確かなのだ。彼らは、人類の生んだ新たな怪物たちによって、安住の地を奪われる。
それが『カルネアデス計画』失敗に際して、地球帝国政府が打った保険だった。
たとえ地球が滅亡しても、宇宙怪獣が全滅すれば、復讐だけは遂げることができる。
それにもし、銀河中心殴り込み艦隊所属の艦艇が、一隻だけでも宇宙怪獣の目の届かない惑星へたどりついたなら……再び人類が復興する可能性がないわけでもない。
あまりに悲観的な、あまりに虚しい作戦計画ではあったが、全身全霊をかけた『カルネアデス計画』が、必ず成功するとは、誰にも断言できなかった。
人類は、復讐することで、その命脈を保とうとしたのかもしれない。
だが、その計画は成功しなかった。
ツインエクセリオン生体科学研究室の試験管では、人為的な進化を遂げた宇宙怪獣の生成に成功していた。しかし、それはまだ、強い生命力を持ってはいないので、実用品には遠かった。
ただ、異常に速い適応能力と、爆発的な多変性は、複雑な遺伝子操作の結果でも、失われていなかった。
あとは、この新たな宇宙怪獣に、旧来の宇宙怪獣への生態的な敵意を付加すれば、実験はほぼ完了したも同様だった。
この実験の成功は、宇宙怪獣たちの異常なほどに短い繁殖サイクルと、有利な条件だけを残そうとする強い形態遺伝の特色にあった。
生体科学研究室には、ホルマリンづけになった無数の宇宙怪獣の標本が並ぶようになった。遺伝子の型をほんの少し操作するだけで、宇宙怪獣はあらゆる姿に変化することができる。
しかし、ツインエクセリオンの科学者たちは、その適応能力の大きさを危機に思っていなかった。彼らにとって、宇宙怪獣は格好の実験動物であり、また人類にとっては最後の切り札だったのだから。
そして、試験管の中に適応じた姿を持つようになった怪獣が生まれ始めていた。
それが、アレナスとダグの見つけた手記の内容だった。
「この後はどうなっちゃったのかしら?」
暗い生体科学研究室内で、アレナスは携帯用ライトを消し、手記を閉じた。
「たぶん、何かの事故があったんだと思う。実験用の宇宙怪獣が、実験室を抜け出して……あとは全滅だ」
ダグは標本ケースの中の醜い怪物たちから眼をそらした。
「そして……その進化のスピードで、この船の生態に適応じたんだろうな」
「あの缶ジュースや、シャワーホースみたいに?」
「それだけじゃないと思う」
――そうね――
アレナスは、格納庫の怪物たち、主推進室の絨毯、左舷の巨大な金属製の根を思い出した。もっと、もっといるかもしれない。
「ぼくたちは……」
ダグはアレナスを見つめた。
「謝る……この宇宙戦艦が、きみたちの罠だと思っていたんだ。この戦艦が出現した宙域の恒星がみんな巨星化してしまったから、これはかつての技術を掘り起こした地球側の攻撃だ……と思って」
そして、ダグは眼をふせた。
「きみたち、地球人が、宇宙怪獣を自由に操る技術を見つけて、我々シリウスを攻撃するのだと思っていた……」
だがアレナスは、あまりの事態の大きさにまるで別なことを考えていた。
宇宙怪獣が復活したの? あのノリコやカズミが全滅させたはずの宇宙怪獣が
「このままじゃ、駄目よ!」
アレナスは叫んだ。
もう、ノリコやカズミはいなくなった。彼女たちがいつ帰って来るのか、誰も知らない。誰が、この宇宙怪獣たちを、退治することができるの?
「連絡しなきや、誰でもいいから。このままじゃ、宇宙怪獣が、大発生して、人類は全滅してしまう!」
そして、二人は生態科学研究室を後にしたのだったが……宇宙怪獣たちは、彼らを見逃そうとはしなかった。
「生きてるか?」
ダグはナイフを捨てた。刃が噛み砕かれていた。
「生きてるけど、気持ち悪い」
首筋に、胸元に、顔にこびりついた白い体液を、アレナスは手でぬぐう。手にもべットリと体液がついているから、大してきれいになるわけではないけれど、気分が少しだけ違う。
生き残った怪物たちは、一時的に姿を消していた。マシーン兵器の足元に、仲間の死体を残したままで。
「動くかな、こいつ」
アレナスが、歩行ユニットを調整すると、バランサーのいかれた右足が突然、前へ踏み出された。そして、その足の下で、踏み潰された男が、断末魔の悲鳴を上げる。
「やな物、踏んじゃった」
アレナスは、吐き気が戻って来るのを感じる。白い体液からは、あの異臭が漂ってきて、呼吸を困難にさせている。
「……急ごう、これからもっと数が増える」
ダグの声には疲労の色があった。
何人(何匹?)もの怪物たちが取りついた。それがコクピットの隙間から、関節の数が妙に多い手を突っ込んできた。その指先には、裂けた口と牙があり、アレナスの服といわず、首といわずに掻きむしり、拳銃とナイフでようやく撃退した。
「ダグ、あんた疲れてる」
アレナスは、制服の胸元が大きく破れているのに気がついた。少し恥ずかしい。そして、白い体液の粘つく胸に、真っ赤な血が流れ落ちる。手を当てると、のどの下に傷があった。傷自体はそう深くないのに、やたらと血が流れ出す。
「…どうした、怪我でもしたのか?」
自分が重傷のような声で、ダグは尋ねる。
「大丈夫、軽い傷」
アレナスはポーチから止血テープを取り出す。後ろを振り向くには、ちょっと胸元が大胆すぎる。
「そうか……」
ダグはそう言って、溜め息をついた。
「急いでくれ。早く、通信を送ろう。このままじゃ、連中の数に押し切られる」
「そうね」
アレナスは、のびあがってディスプレイをのぞきこむ。シートベルトはちきれていた。
「あと、直線距離で一・四キロ。三十分もあれば大丈夫なはずよ」
「……奴らが、黙って行かせてくれれば……の話だろ?」
ダグはシートの背に両手でしがみついたらしかった。
半分眠っていたダグが、目を上げて叫んだ。
「今度はでかい! さっきみたいにはいかないぞ、あいつ!」
やはり疲労で目が何を映しているのか理解できなかったアレナスにも、怪物が見えた。
場所は士官食堂前。艦橋までは、あとーキロたらず。さっきの大食堂以来、怪物たちの襲来かなりをひそめていたので、二人は油断していた。
マシーン兵器が士官食堂の前を通りかかったとき、その扉を突き破って、そいつらは出て来たのだった。
「何て、恰好してるの!?」
眠気が一瞬で覚めてしまったアレナスは、二匹の径物の姿に呆れた。
そいつらば、まるで冷凍庫に吊り下げられている、牛のようだった。皮をはぎ、内臓を取り去られ、頭を下にぶらさがった牛。それが二つ、マシーン兵器の前後に立ちはだかる。そして食堂からは、冷凍鶏が、冷凍豚が、冷凍のマグロが這い出してくる。
「悪い夢を見てるみたい……」
アレナスは、周囲を取り囲んだ冷蔵庫の中身たちを見つめていた。キイキイ、チイチイと甲高い声でさえずる冷凍肉たちの姿は、子供番組の一シーンか、寝苦しい夜の夢以外の何物でもなかった。
「ボケッとするな! 来たぞ!」
怒鳴られて、集中力を取り戻したアレナスの目前に、冷凍牛が追っていた。
半壊したマシーン兵器は冷凍牛の体当たりに耐えきれず、大きな音をたてて転倒する。
下敷きになった肉たちの小さな悲鳴と、女の悲鳴が聞こえる。
誰かいたの? アレナスはそう聞こうとして、気がついた。女の悲鳴は自分のものだった。今の転倒で、シートから放り出されたアレナスは、マシーン兵器の上半身と下半身をつなぐ油圧ジャッキに力いっぱい背中を叩きつけていた。脊椎の中心を、耐えがたいような激痛が走り抜け、動くことも、声をあげることもできなくなっていた。
そして、マシーン兵器の上に覆いかぶさった冷凍牛は、頭蓋骨の裂け目を口のように開く。そこには黒光する牙が並び、太く厚い舌があった。舌の上では唾液が泡立ち、アレナスの顔へとしたたり落ちる。
牛の肉に食べられて死ぬのだけはいや!
アレナスは、拳銃を構えようとする。が、手は上からない。それどころか、右腕の感触がなくなっていた。まるで、ひじから下が切れてなくなってしまったかのように。
いやだ! こんな死に方はいや!
ダグはシートの後ろにいるはずなのに、今はその気配もなくなっていた。目前には巨大で異臭を放つ口があり、コクピットの隙間は、小さく震え甲高く鳴くマグロや、皮をはがれ、首を落とされた豚や鶏で埋められていく。豚や鶏は、背中や腹にある大きな、そして鋭い牙のある口で、アレナスの肌を食いちぎろうとする。
アレナスは叫んだ。
「ダグ! 助けて、何とかして!」
だが、アレナスの耳には、自分の声が聞こえなかった。喉から漏れる風の音が、微かに響いて来るだけだった。
冷凍牛の口は、マシーン兵器のコクピットハッチに邪魔されて、アレナスを噛み砕くことができなかった。何度も、何度もハッチの中のアレナスを捕まえようとするのだが、ハッチの隙間はそれほど広くはない。
だが、その事実もアレナスには気休めにさえならなかった。
アレナスは全身にまとわりつく鶏や豚たちを追い払うのが、精一杯だった。牙を突きたてられる突き刺すような痛みと、皮をむしり取られる痛み。そして、背骨の芯を燃え上からせている激痛が、逃げ出すことのできない彼女を苦しめていた。
このままじゃ、生きたままで、冷凍勤物たちに食べられちゃう
もちろん、その想像はあまり心地好いものではない。
アレナスは銃を持った右手に力を込める。痺れた右腕は、彼女のいうことを聞こうとしない。しかし、何とか一匹の冷凍豚のこめかみ(と思われる所)に、銃□をつきつけた。
乾いた発射音が響き、豚の姿をした怪物が、体液を吹き出しながら転がり落ちる。
けれども、敵の数は多すぎた。アレナスの右腕に覆いかぶさり、銃はどこかへ行ってしまった。
こんなところで死ぬの?
アレナスは瞳を閉じた。怪物たちの攻撃から、少しでも眼を守っておきたかったから。
径物たちが、アレナスの体の上に這い上がり、その感触に鳥肌がたつ。
本当にあたし、死ぬのかしら
そう思った瞬間、声が聞こえた。
「アレナス! 目を閉じろ!」
さっきから閉じてるわ。そして、それがダグの声だと気づいた。
まぶたを通じて、目映い光が輝くのを感じていた。
チリチリいう音が聞こえ、肉のこげる匂いがする。冷凍勤物たちは悲鳴をあげ、アレナスの体から飛びのいた。
「急げ! マシーン兵器を起こせ!」
「じゃあ、もう眼は開いていいの?」
アレナスは虫よりも小さな声をあげる。それは言葉というよりも、喉が鳴っているといった方が似合っていた。
いくら待ってもダグの返事はなかった。アレナスは眼を開ける。
コクピットの中は、径物の体液でいっぱいだった。ベトベトして、凄まじい匂いを発している。けれども、今はそんなことに気を使ってはいられなかった。
「何したの?」
振り返ろうとしたアレナスは、脊椎をへし折られるような激痛に、目を閉じた。冷たい油汗が吹き出して、肌の熱が急激に失われる。
激しい寒気と、それにともなう震え。体は動かない。
小さな金切り声が聞こえ、第二陣の径獣たちがコクピット内へと侵攻してきた。
――駄目、わたし、体が動かない!――
アレナスが声にならない叫びをあげたとき、ダグの手が後頭部をつかんだ。
「動くなよ……」
ダグの声はか細く、今にも死にそうなくらいに弱々しかった。
切れ切れに聞こえるダグの声が、例の呪文をとなえている。ただ、以前の呪文とは、その勢いが違っている。抑揚がなく、精気に乏しい。まるで、死にゆく者のつぶやきのようだ。
そして、呪文は突然途絶え、アレナスの背骨の痛みは治まっていた。
「ダグ、どうしたの?」
振り返ったアレナスは悲鳴を上げた。
転倒したマシーン兵器の背部アーマーと、骨格フレームのあいだに、ダグの左腕がはさまれていた。そこからはおびただしい量の血が流れ、冷凍動物に擬態した径獣たちが群がり、音をたててすすっている。
「ダグ!」
アレナスは、怪獣の体液をぬぐい取って、マシーン兵器のスティックを握った。
きしんだ音と同時に、マシーン兵器はゆっくりと起き上がる。覆いかぶさっていた冷凍牛の怪物は転落し、その下敷きになった怪物たちは小さな声で鳴きながら、死んでいく。
アレナスはマシーン兵器の右腕で、冷凍牛の頭をつかみ、そのまま握りしめた。
握力四百キロを超える手の中で、冷凍牛の頭は鈍い音をたてながら潰れていく。白い体液が噴出し、薄緑色の脳髄がはじけとび、コクピットの中を悪臭で染める。
「ダグ! 返事をして!」
マシーン兵器の鈍い足が、転倒した怪物たちを踏みにじり、振り降ろされた右腕が怪物たちを叩きつぶす。
「返事をして! 眠っちや駄目!」
アレナスは拳銃を乱射した。マグロは、鶏は、内圧のために、小さな穴から内臓を吹き出し倒れ、通路はビクピク動く体内器官であぶれ返る。
「死なないでよ! ダグ!」
アレナスはマシーン兵器を走らせた。
第一艦橋までは、ほんのーキロだった。
艦橋周辺では、ほとんど目立った抵抗がなかった。
機械操作に適応じた怪物たちは、強い筋肉や大きな肉体を有していなかったため、マシーン兵器の前進を食い止めることができなかった。
「ダグ、もう少しだから」
アレナスは、ダグの腕の止血テープを取り替える。左腕の骨が折れていた。手にいたっては、骨が粉々になっているかもしれない。出血がひどく、ダグの顔色は真っ青だった。
出血多量で死ぬかもしれない
アレナスはマシーン兵器を急がせた。ディスプレイには、右膝の超伝導フロート関節が加熱で損傷しそうだという表示が、点滅している。すぐにマシーン兵器を止めろという表示も、赤く光っていた。
「止められるわけないじゃない!」
アレナスは拳銃に弾丸を込める。予備の弾丸も、最後の六発になっていた。
そして、艦橋の扉が見えた。
「通信施設はどこ!?」
マシーン兵器を艦橋に乗り入れたアレナスは、辺りを見回した。全長七・二キロのエクセリオン級戦艦の第一艦橋でも、最長部は二百メートルを超えていた。それが、エクセリオンより二回り大きいツインエクセリオン級になると……。
艦橋には、奇妙な怪物たちが群れをなしていた。
大きくて長い手が何本も、小さな体からはえているだけで、頭や脚はほんの申し訳程度の大きさしかない。まるで、大人の手だけを赤ん坊に移植したように見える。まるで人の体で造ったクモのようだった。
その径物たちは、マシーン兵器を見ると、我先にと逃げていく。
「……どこだ? 艦橋か」
ダグが、苦しそうにつぶやいた。
「気づいたの?」
アレナスは振り返る。左腕の出血も、どうやら止まったらしい。しかし、そうはいっても、大量出血の後だから、無理をさせるわけにはいかない。
「話さないで。今、通信施設を探しているから」
アレナスはブロックとブロックのあいだを走る。どのブロックにも、通信設備のプレートはかかっていない。
そろそろマシーン兵器も限界だった。ディスプレイには、起動停止の指示が、浮かんでは消える。右膝の関節はもう曲がらなくなっていた。
「アレナス、後ろから敵!」
ダグが声を振り絞って、アレナスの注意を喚起する。
「逃げろ!」
アレナスが振り返ると……そこには、格納庫で見たイミテーションのRX−9が数台……数匹いた。そいつらば、真っ直ぐにアレナスたちの後を追っている。
「ついに戦闘兵器のおでましだね」
ダグは力なく笑った。
「逃げろよ、アレナス。脚を使ってでもいいから」
「あんたのこと、置いていけるわけないでしょ!」
アレナスは、マシーン兵器を手近なブロックに突入させる。通信設備が見つからないのなら、この艦橋を少しでも破壊してやる。
「え……?」
アレナスは自分の眼を疑った。
そのブロックには、通信機材が装備されていた。
アレナスやダグこそ知らないことだったが、あまりに広大なブリッジを持つ、エクセリオン級以上の戦艦には、各ブロックごとに通信機材などは装備されていた。ただでさえ大きな艦構内での能率をあげるために、ほとんどのブロックが、ブリッジーつ分の仕事に対応できるようになっていたのだから。
「あった!」
アレナスは、マシーン兵器をブロックの入口に立たせ、ダグを引きずりおろした。
「いい、まず、あたしが使い方試してみるからね!」
アレナスは初めて見る通信機械を見ながら、キーを叩く。ディスプレイにメッセージが浮かぶ。パーソナルコードの入力。OK。通信波長のセット。地球帝国軍汎用の通信波。盗聴されても構わなかった。シリウス軍に聞かれようと、宇宙海賊に聞かれようと、人類の耳に届けば問題はない。
『地球帝国タージオン級重巡洋艦グレゴリーへ。
ツインエクセリオン艦内は、宇宙怪獣に満ちている。
宇宙怪獣は、適応し、人類への報復機会を狙っている。
至急、この艦の撃沈を望む。
第四マシーン兵器部隊所属アレナス・F』
この通信を方位を変えて、何度となく発信するように設定した。
「次、ダグの番!」
だが、その時、入口をふさいでいたマシーン兵器が大きな音をたてて、崩れ落ちた。
そしてイミテーションのマシーン兵器が、姿をあらわす。
そいつは自由に動かすことのできる複眼で、アレナスとダグを見つめていた。
アレナスの拳銃は弾丸がきれ、ダグは再び始まった出血で意識を失っていた。
二匹のマシーン兵器のイミテーションは、二人に鈎爪のついた腕をのばした。
「ダグ、ごめん! あんたにお返ししであげられなかった!」
アレナスは巨大な手につかまれて、そう叫ぶ。気を失っているダグに届かないのはわかっていた。だが、礼もいわずに死ぬのだけば、いやだった。
ツインエクセリオン級戦艦の電索室は、右舷と左舷の最前部にあった。ここには、超大型有機コンピュータと、メインレーダー・ルームが設置されている。
右舷艦首と左舷艦首をつなぐ位置にある艦橋をツインエクセリオンの頭とするなら、電幸室は目であり、耳であり、脳であった。
捕まったね、と一つの意思が思った。
ずいぶん、面白かったと、もう一つの意思が答える。
あの男は、あたしたちの知らない能力を持っていたよと、他の意思が思う。
あれは超能力だ、我々のファイルの中に組み込まれているじゃないか。
超能力とは思えない、と最初の意思が反論する。
超能力は人間の精神構造体の最深部に眠る能力が、不随意に発揮されるものと規定されている。あれば、何か特別な触媒を有して、それで能力を導き出している。問題は触媒の存在だよ。
そうだろうか? 四番目の意思が初めて、思考を送り出した。
結局は人間のやることだ、大した問題じゃないと思うが。
まあ、いいじゃないか。と別の意思が答えた。
ようは、会ってみればわかることだし。
メインレーダー・ルームでは、声のない会話が続けられていた。
アレナスはてっきり、マシーン兵器のイミテーションに、握りつぶされて死ぬんだと思って、目を閉じていた。マシーン兵器の手が、彼女の胴体をつかんだとき、その予想は絶対に正しいと断言できた。
いやだな
アレナスの脳裏に、冷凍牛に擬態《ぎたい》した宇宙怪獣の死に様が浮かんだ。マシーン兵器の手に頭をつかまれ、そのまま握りつぶされた。物凄い握力で、頭の中身が吹き飛んだ。
わたしもそうなるんだろうか? アレナスは一瞬のうちに想像していた。自分の胴体が圧迫されて、内臓が吹き出す場面を。
もし、そうやって死ぬとしたら、死んでから内臓が吹き出すんだろうか? それとも、内臓が出るから死ぬんだろうか? どうせなら、死んでから……の方がいいな。自分の口から体の中身がはみ出すのだけは見たくないし
だが、マシーン兵器の手は、アレナスが逃げ出さない程度の強さ以上に、彼女の胴体をしめっけようとしなかった。
どういうつもりなんだろう?
アレナスはそっと眼を開ける。
もう一匹のマシーン兵器型宇宙怪獣が、意識のないダグの体をつまみ上げている途中だった。まるで、汚れ物でも拾い上げるような態度で。
「ちょっと! その人、怪我してるんだからね! 大事に扱ってよっ」
アレナスはマシーン兵器の手の中で叫び、暴れる。言葉が通じないのはわかっている。けれども、傷ついたダグを乱暴に扱うのだけはゆるしておけない。
「わかってんの? 怪我人なんだからね!」
二匹のマシーン兵器は、アレナスとダグを抱えたままで、歩き出した。
「……どこ連れて行くのよ」
アレナスは、連れて行かれる先が、宇宙空間のような気がした。生ゴミのように、ポイッと捨てられてしまいそうな予感がした。
……それでも、握りつぶされるよりはましかもね
残りのマシーン兵器たちは、壊れてしまったアレナスの、本物のマシーン兵器を持ち上げようとしていた。
「生きてるんだ……ぼくは」
マシーン兵器の腕の中で、ダグは意識を取り戻した。
「生きてるわ」
とアレナスもマシーン兵器に抱かれたままで答える。
「怪我、大丈夫?」
「ああ」
ダグは何気なさを装っている。それは、額に浮かんだ汗を見るだけで、わかる。
「ただ……体が重いし、すごく眠たい」
出血のせいね。アレナスは、新兵が週に一度は出席させられる緊急医療の講習を思い出した。ダグの左手は、もう駄目だろう。骨が砕けてしまっているだろうし……。それだけではない。もし、出血が止まっていなければ、生命すら危うい。
アレナスは気づかれないように、ダグの左手を盗み見た。
止血テープは血を吸って、真紅に染まっていた。テープが吸収できない血が、指先を伝って、通路にしたたり落ちている。
もしかすると……でも安心して、ダグ。アレナスは、彼の左手から眼をそらした。
あなたが死ぬときは、わたしも死ぬから。たぶん、一緒なら、それほど寂しくないよ。きっと
「主電索室だって……」
ダグは静かにつぶやいた。
アレナスとダグは、主電索室に、そっとおろされた。
マシーン兵器たちは、扉を閉めて立ち去る。
二人は真っ暗な部屋に取り残された。音がやたらに響く部屋だった。かなり広くて、ガランとしているに違いない。
「何か、見える?」
アレナスは、ダグの手の止血テープを取り替えた。ポーチは奪われなかったし、テープの残りはまだ少しある。テープをはがした途端、手首の傷から鮮血が吹き出したが、アレナスはできるだけ平静を装った。彼にはこの傷に気づいてほしくない。
「全然………」
ダグは、消え入りそうな声でつぶやいた。
「でも確か……」
アレナスは、銀河中心殴り込み艦隊の戦艦のレーダー・ルームを知っている。もちろん、実物を見たことはないが、ノリコやカズミについて記した本には、その説明が載っていた。
「イルカや……お坊さんがいるはずよ。そういった人たちの超感覚を使って、宇宙を航行していたはずなんだから」
「ぼくたちのところは、今でもそうだよ」
ダグは力なく笑った。
「あたしたちのところは、すっごく複雑な計算機。あとクジラ類と。あなたたちの所には、クジラはいる?」
アレナスは、緊張していた。弱っているダグにこそわからないだろうが、この部屋には生き物の気配がある。どこかで暗闇を通じて、じっと二人を観察している。だが、その緊張を声に出すことはしなかった。今のダグには、なるべく静かにしていてほしい。せめて、血が止まるまでのあいだだけは。
「クジラはいない……似た動物はいるけれど、あんなに脳が発達していないから。会ってみたいよ、きっとぼくたちと同じような考え方をしてるんだろうな」
「わたしはイルカとなら、一度だけ話したことがあるの。学生の頃、修学旅行で。水族館のプールの中から、わたしたちを案内してくれた。すごく複雑なユーモアの持ち主で、しばらくたつまで、彼が何を笑っていたのか、わからなかったくらい」
きみたち、無理に話をして、思考を読まれないようになんて、考えなくてもいいよ。私たちには、きみたちの精神の最深部まで、手に取るように見えるのだから
アレナスとダグは同時にその声を感じた。
「誰?」
アレナスは緊張で体を固くする。声は耳を通じていなかった。精神感応力者がやるように、心に直に響いていた。
アレナス・F、緊張しなくてもいい。わたしたちには敵意はない
そう、安心したまえ。私たちは、きみたちを知りたいだけなのだから
「誰なの! はっきり答えて」
何をいきりたっているのだね? 私たちは、きみたちをよく知りたいだけなんだよ
その心に響く声に、アレナスは不吉な物を感じた。理由はない。ただ、心の底のどこかで、この声は危険だと、誰かが知らせていた。
そんなことはないよ、アレナス・F。私たちは、きみたちに害をなすつもりはないのだから
そう、それどころか、きみたちを保護しようと思っているのだ
わかっているね、アレナス
そうよ、わがままをしてはいけないわ
アレナスの胸に、鋭い痛みが走った。その苦痛に、アレナスの瞳は涙をたたえる。それは肉体的な苦痛ではなかった。ただ心のどこかが、崩れ落ちるほどに揺すぶられるような衝撃だった。その衝撃が、アレナスの心を突き剰した。
アレナス、泣かなくてもいい。お前の気持ちはわかっているから
その声は、アレナスが心に描いていた、顔すら知らない父の声だった。もちろん、父の声など聞いたことはない。けれども、アレナスにはわかった。この声は、自分の父の声なのだと。
そう、アレナス。あなたはもう寂しくないのよ
「止めて!」
アレナスは叫んでいた。それは、会ったことのない、やさしい母の声だった。けれども、絶対にそれは母の声ではなかった。母の声が、こんな所で聞こえるわけがないのだから。
「どうした、アレナス」
ダグが、右手を上げて、しゃがみこんでいるアレナスの膝に触れた。
「何が、聞こえるんだ?」
アレナスは黙って、首を横に振る。悲しかった。それでいて、うれしかった。
贋物かもしれない。いや、きっと贋物なのだけれど、会ったことのない両親の声が聞こえている。彼らの声はやさしく、アレナスが幼い頃に想像した通りのものだった。
アレナス、私たちは愚かな自分を捨て去ったのだ
と|父の声《ヽヽヽ》は告げた。
どうして、どちらかを滅亡させなければいけないのだろう? それは愚かなことではないかな? 互いに尊重し、互いに信頼して生きていけば、すべての生き物たちは、この宇宙空間を共有できる。それほど、宇宙は広いのだから
その通りだわ
アレナスは心の中でつぶやいた。両親との会話を、ダグに聞かれたくなかった。彼は、あまり、喜んでくれないだろう。何しろ彼は、父と兄弟にコンプレックスを抱いているのだから。
偉いわ、アレナス&黷フ声が褒めてくれた。その声には、愛情が込められている。
母が自分のことを褒めてくれるなんて。アレナスは、そんな時が来ることを、どれだけ待っていただろう。先生に褒められるのではなく、母に褒めてもらえる日を。
ありがとう、ママ。わたし、ずっとママに褒められたかったの。だから、どこかでママが見てくれてるかもしれないと思って、どんなことでも一番になりたかったの。ママだって、あたしがカズミやノリコのようになったら、喜んでくれるでしょう?
……そうかしら
母の声は暗く沈んだ。
あの人たちは、人間のためだけに行動したのよ。あの戦いで、たくさんの惑星がブラックホールに飲まれて行ったわ。そこに住む、罪のない生き物たちと一緒に。どうして人間だけが生き残るの? 人間はそんなに偉い生き物なの? 違うでしょ。人間は愚かで醜い怪物なのよ
違うわ、ママ<Aレナスは思った。
だって、あの戦いは、宇宙怪獣と人類の戦争だったのよ。どちらかが滅んで、どちらかが生き残るしか術がなかったの
アレナス&黷フ声には怒りがこめられていた。
ママを怒らせちゃった!≠ニアレナスはすくみあがる。
人類だけが生き延びれば、他はどうなってもいいというの? あなたがたが、クジラたちに人権を売ったことだって、過去に彼らを全滅直前まで追い込んだ罪の意識があったからじゃないの? どちらか一方だけが生き延びようなんて、ムシのいい話だと思わない? それが、人間の醜さよ。宇宙で唯一、他の生物を征服するのが好きな生き物。それが人間でしょう
いけないよ、アレナス&モフ声は言った。
その人類の身勝手さが、地球とシリウスの戦争を起こしたんだと思わないか? ほんの五十年前までは、ともに仲良く暮らしていたのに、彼らが『理力』を独占したことから、この戦争が始まったのだろう
人間であるから、いけないんだ。わたしたちと一緒においで。わたしたちの中へと溶け込んでおいで。そうすれば、お前だって、いい子になれる
でも、あたし……
アレナスは、両親の言ってることがわからなかった。
浴け込むって、どういうことなの?
簡単なことよ
母の声が言った。
わたしたちに脳をすすらせてくれればいいの。そうすれば、わたしたちは、あなたのうれしかったこと、悲しかったこと、みんな知ることができるんだから
そうだよ、アレナス
父が言葉をつないだ。
お前の耳からわたしの舌を差し込んで、脳をすわせておくれ。眼球をわたしに食べさせておくれ。お前の舌を、わたしにおくれ。わたしたちはお前の記憶とお前の苦痛を、数千年のあいだ、味わうことができるんだから
そうよ、アレナス。そうさせてくれれば、ママだって、あなたの意識を殺さずに、ずっと舌の上でもであそふことができるのよ。あなたはそのあいだ、わたしたちに取りこまれてずっとずっと苦しむの。こんなにすばらしいことはないでしょう?
……そう、そうかもしれない
たから、お前は、その青年から、『圧力』について教えてもらわなければならないよ。彼は心に障壁を張ることを知っているから、わたしたちには手におえないのさ。だから、殺してしまうけれど、『理力』の技術だけは手に入れたいのだからね
そうよ、アレナス。お前が彼に体を差し出せば、彼はすぐにでも『圧力』を教えてくれるわよ。彼はお前と一緒にいたいのだから。お前の体を抱くことができるのなら、『圧力』を教えてくれるわよ
そうすれば、お前の味わった快感をわたしたちも楽しむことができるのよ
だから、アレナス
母は言った。
その若者と一緒にお行きなさい。私たちが、どこかの部屋で暮らせるようにしであげるから
ママ、そんなことができるの?
できるわ、ママとパパにできないことがあると思う?
いいえ、パパとママだったら、きっと何でもできる
そして、その若者から、『理力』を習うのだよ
父の声が聞こえた。
お前も『理力』を使えるようになれば、彼と一緒だ。地球とか、シリウスとかまるで関係なくなるだろう
その若者のことを嫌いではないだろう?
そう、なかなかいい青年じゃない
母の声には、楽しそうな響きがあった。。一緒になるといい、私たちは反対しないよ
でも、パパ、ママ!
アレナスは沈黙した。
あたしは、このダグという男のことが好きなのだろうか? 確かに肋けてもらったし、弱音を吐かないし、線は細そうだけど、タフだった
そう、お前は、彼がシリウス人だというだけで、色眼鏡をかけて見ていたんだよ
そうよ、アレナス。あなたは、その若者が好きなのよ
そうだろうか?……でも、パパとママが言うんだから、間違いないのかもしれない
さあ、彼に告白しなさい。そして、彼にすべてを与えなさい
お前は彼のことが好きなんだ、何も怖がることはないよ
そのかわり、『理力』を習うのよ。『理力』を忘れてはいけないわ。わたしたちは、それが一番欲しいのだから
「アレナス、どうした? 聞こえるか?」
ダグの声が聞こえた。彼が、肩をつかんで、揺すっていた。
「……ダグ……」
アレナスは、その名前を口に出した途端、胸が熱くなるのを感じた。
どうしてだろう、この人が触れている肩がこんなに熱いのは。
この人の声がこんなに心地好いのは。
この人と一緒にいるのがこんなに楽しいのは
「アレナス、どうしたんだ。突然、黙り込んで。何が聞こえていたんだ?」
ダグは苦しそうだった。
その苦しみを、あたしが背負ってあげたい。彼を楽にしであげたい。
でも、今のあたしにできることは何もないわ
「ダグ……キスして」
アレナスは、上半身を起こしたダグに体をすり寄せる。
「どうしたんだ、一体……」
ダグは驚いていた。闇の中で表情は見えないけれど、それくらいはわかる。
「キスしてほしい」
アレナスはダグの首に両腕をからませて、体を預けた。
「お願い……」
ダグの静かな息だけが暗闇の中で聞こえる。彼は、右手でアレナスの首を抱き、折れた左腕を背中に回す。
「可愛そうに……何を聞いたのかは知らないけど、支配されてしまったんだね」
ダグはアレナスの唇に、唇を重ねた。
アレナスはその感触に酔っていた。
こんなキスは初めてだわ。誰もこんなにやさしいキスをしてくれなかった。その上、パパとママが見ていてくれる。あたしはこの人を愛しているんだわ
ダグの右手は、ゆっくりとアレナスの髪をなぜていた。
「ごめんね、かなり痛いけど、きみに目を覚ましてもらわなければ、ぼくはー人っきりになってしまう」ダグはそうつぶやいた。
アレナス! 止めさせなさい
頭の中で父が叫んだ。
彼は取り返しのつかないことをしようとしている!
いつもは冷静なはずの母も、必死で叫んでいた。
次の瞬間、激痛がアレナスの全身を駆け抜ける。背骨の中心に、電流が流されたように。髪の毛が逆立ち、汗が吹き出した。
「いやァ!」
アレナスの口から、悲鳴が漏れた。手足を振り回して、この痛みをやわらげたかったが、体はどこも動かない。しびれと苦痛が交互に襲ってくる。
ダグは、悲鳴を上げ続けるアレナスを抱き、呪文を始めていた。
そして、アレナスの背骨を襲う激痛が静まった頃、ダグは床に体を投げ出した。
「いったい、あたし、何をしていたの?」
アレナスは、うっすらと残った両親の記憶に酔っていた。
「パパとママは、どこ?」
ダグは倒れたままで、言った。
「後で説明するよ。だから、逃げ出そう。ぼくにはもう、ほとんど集中力が残っていない」
その途端、両親の声の話した内容が、頭の中を駆け巡る。
その邪悪さ、そのおぞましさに、アレナスは言葉を失った。
そして、涙があふれ出した。
汚い、やり方が卑怯だ。パパとママの声を使うなんて!
泣きながらアレナスは、ダグの指示通りに主電索室の扉を開ける。
通路の光が、暗い電索室の中を照らす。
金切り声をあげながら、大きな何かが、暗闇の中へと逃げ込んだ。
それは巨大な人の首だった。まるでアドバルーンのようで、頭には髪の毛が一本もなかった。緑色にみにくく膨れあがった肌が、人間の首ではないことをしめしていた。その頭をアレナスはどこかで見たことがあるような気がしたが、二度と見たくもなかった。
そして、アレナスは、ふらつくダグの体を引きずりながら、電索室を逃げ出した。
「どこへ逃げるの!」
ダグの体を支えながら、アレナスは叫んでいた。
どこへ逃げればよいのか。この船は、径物たちの巣だし、乗ってきたマシーン兵器は壊れてしまった。
どこにも逃げる場所などありはしない。
小さな声が、だんだんと通路に増えていき、動き回る影が目立つようになっていた。
「どこでもいいよ」
ダグはつぶやいた。
「もう逃げる場所なんか、ないんだ」
「じゃあ、このまま、食い殺されちゃうの!?」
そのとき、船体が大きく揺れて、二人は壁に叩きつけられた。
「なに?」
船はもう一度、揺れる。二人は船体を通じて、爆発の振動が襲ってくるのを感じた。
アレナスのポーチの中で、近距離通信機が、緊急の呼び出し音を鳴らす。
「まさか!?」
アレナスは、通信機のスィツチを入れた。
エーテルの波の中を伝わる電波は、戦艦の中では微弱な信号としてしか捕らえられない。けれども、通信機は、はっきりと言葉を伝えていた。
「アレナス、聞こえるか? まだ生きているなら、すぐに脱出しろ! これから、総攻撃が始まる! その戦艦は沈むぞ」
かすれた声が、スピーカーを通じて、アレナスの耳に届く。
聞き覚えのある声だった。馴染み深い声だった。
そして、アレナスはそれが、ビルパート中尉の声だと気づいた。たった三日間離れていただけだったのに、なぜかとても懐かしかった。
「聞いているなら、すぐに脱出しろ! ツインエクセリオンは破壊される!」
「どうしよう……」
アレナスは、ダグを見つめた。
「どうにもならないよ」
ダグは、真っ青な顔でうなだれた。
ツインエクセリオン艦内は、突如の攻撃に蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。様々な姿の宇宙径獣たちが艦内を走り回り、戦いの準備を整えている。かつての宇宙径獣たちに、頂点に達した人類の科学、ツインエクセリオンが味方している。
とうてい、人類に勝ち目があるとは思えなかった。
そして、アレナスとダグは、行く場所を失って、真っ直ぐ艦尾へと向かっていた。
「両親の声を聞いたと言ったろ」
ダグは、重たそうに脚を出す。
「その声がきみの想像した通りの声だったとも」
ダグの体を支えながら、アレナスはうなずいた。
「そうだったの……みんな、あたしがそうだといいなって思った通りの両親だったの」
「少し、休もう」
ダグは、通路の壁に背を当てて、そのまま座り込んだ。
アレナスもその隣に腰を降ろす。通信機のスィッチは入ったままだったが、よくわからない通信だけが飛び込んでくる。ときどき、誰かの声が聞こえるが、それはすぐに消えてしまう。
攻撃はますます激しくなっているようだった。船体を激しい揺れが、切れ目なく襲うようになっていた。
「今のは、どっちだろう?」
ダグは苦しそうにつぶやいた。
「光子ミサイル……それともレーザーの射撃かしら。わたしにはわからない」
二人は、口を閉ざした。脱出の術がないのでは、ここで死ぬのも仕方がない。
「さっきの話だけど……」
ダグは話し始める。
「ぼくたちの星系でも、そんな生き物が確認されたことがあるよ……。相手の記憶を感知して、それを再現して、精神に送り込むんだ。忘れていたような深層の記憶まで据り起こすからかかった人間はそれが真実だと思い込む」
「でも……わたしは両親を知らないわ。会ったことも、声を聞いたこともないのに」
「それは……」
ダグは苦しそうに息を吐いた。苦痛がかなり激しいのだろう。
「きっと、きみが理想として造り上げて、心の中に隠しておいた物を、引っ張り出して来たんだろう。記憶中では、現実も空想も、大差ないものだし」
「そうなんだ……」
アレナスは溜め息をついた。贋物でも、よかったのに。あたしにとっては、どちらでも構わない。初めて聞く、両親の言葉だったのだから。
「ぼくたち……」
ダグのつぶやきは、爆音に邪魔されて途中で聞こえなくなった。
「なんて言ったの?」
アレナスは、両親のやさしい声を思い出していたその声をもう一度聞けるなら、あの大きな首の所へ戻ってもいい。
「ぼくたち……このまま最後まで、一緒だな」
ダグの声は震えていた。
「危機が追っているのを知っているのに、脱出することさえできない。それどころか、こうして生きていることさえ、宇宙の連中にはわからないんだ」
「そうね……」
アレナスはうなずいた。あの大きな首は言っていた。一緒になるのなら、どこかで暮らせるようにしてやると。
「……一緒に、いてほしい」
アレナスは返事をしなかった。
あたしはここにいるけれど、あの人たちはどうしているのだろう。ビルパートも、テューズディも、エドガも、みんなマシーン兵器で戦っているよね
懐かしい顔が、脳裏に浮かぶ。
スティシィや蔡嶺は、どうしてるんだろう。あたしが生きているのを、知らないんだろうな
「一人になるのは、いやなんだ。誰かが一緒にいてほしかった。特にきみが一緒なら……」
「そうね……」
あたしのマシーン兵器は壊れてしまった。きっと、テューズディが怒るだろうな。あたしの命が百あっても足りないって言ってたし
「ぼくはずっとー人きりだった。兄貴たちはできがよくって、親父にいつも褒められていた。でも、ぼくはいつも失敗ばかりで、親父に嫌われていた。母さんや姉貴たちはやさしかったけれど、ぼくは親父に認めてほしかった……」
「わかるわ……」
今度、テューズディに会えたら、最初に謝っちゃおう。そうすれば、怒られないですむかもしれない。でも、今回は戦闘で壊したんだから、いくらテューズディでも怒ったりはしないだろうな。……そういえば、今は戦争の最中よね
「ダグ」
アレナスはダグの右手が、彼女の肩を抱いているのに気がついた。
「今は戦争中よね」
アレナスの肩を抱いた手に、ほんの少し力がこもる。
「……ああ。でも、ぼくときみとのあいだで、いまさら戦争とか……」
アレナスは小さく笑った。
「違う、違う。地球軍、このツインエクセリオンと戦っているわけよね」
ダグはほっとしたらしい。アレナスの体を引き寄せた。
「もちろん……そうだけど……」
アレナスは立ち上がった。そしてダグの右手を握る。
「行こう、あたしたちにはまだ、ガンバスターが残っているわ」
地球軍とシリウス軍は、個別にアレナスの発した通信を受信していた。
それは両軍首脳部にとって、驚きだった。
地球軍はツインエクセリオンと宇宙怪獣に接点があることは想像していたが、その中で彼らが繁殖しているとは思わなかった。それは未来に対する重大な危機となりえる。銀河中心殴り込み艦隊の技術を入手するという目的など、問題にならないほどの事態であった。提督は三人の参謀と会議を開き処罰を覚悟で、シリウス軍へ共同作戦を求めた。
「提督、それは軍規違反ですぞ!」
シェン参謀が叫ぶ。
「仕方あるまい……このままでは、地球・シリウスを問わずに人類は絶滅するのだから」
オサダ提督は、静かに笑った。
「私一人が処罰されるのなら、それでもいい。人類全体が助かることに比べれば、私なぞはちっぽけなものだからね」
そしてオサダ提督は、シリウス戦艦に通信を打った。
「宇宙怪獣を全滅させるために、協力したい」と。
シリウス側は、地球軍提督からの通信と、傍受《ぼうじゅ》していたアレナスの通信に、困惑した。
彼らは、ツインエクセリオンと恒星の巨星化の影に、地球軍の陰謀があると推測していた。ツインエクセリオン級戦艦が地球圈へ帰還する途上の実験として、辺境星域の恒星を赤色巨星としたのだろうと。それは、急激な巨星化のため壊滅した植民星で、シリウスの思想革命が進められていたことからも、明白だとされていた。地球人たちは、見せしめのためにかつての超科学を使って、星々を巨星化しているのだろうと。
しかしその地球軍所属の艦艇から、一時休戦、もしくは共同戦線、最悪の場合はツインエクセリオン攻撃を静観していてほしいとの申し入れがあった。
それも宇宙怪獣を全滅させるために、という理由で。
確かに宇宙怪獣はシリウス人にとっても、重大な脅威ではあった。怪獣たちの複眼には、地球人も、シリウス人も、区別がつかないだろう。彼らが全滅しようとしているのは、地球に発生した人類であって、そこから分離したとはいっても、シリウス人も『人類』に違いはなかった。
だが、それが地球軍のしかけた罠だとしたら? 宇宙怪獣の名前を出して、我々を誘き出そうとしているのでは? シリウス軍で評議を行っている最中に、地球艦艇はツインエクセリオンへ攻撃を開始した。光子ミサイルと、レーザー砲の遠距離攻撃に始まり、宇宙戦闘機が、マシーン兵器がツインエクセリオンを急襲する。それは決して、演習ではなかったし、手を抜いているようにも見えなかった。
彼らは、本当にツインエクセリオンを沈めようとしている。
シリウス軍評議会は、結論をくだした。
地球軍の攻撃を援助をする。ツインエクセリオンは、彼らの持ち物であるし、それを自分たちの手で沈めようというのだから、彼らに損こそあれ、我々に損害があるはずもない。
「もちろん、我々にとっても、宇宙怪獣は最大の敵だからな」
シリウス戦艦内の評議委員は、そのような決断をくだした。
その結果は、地球軍重巡洋艦グレゴリーへと送信された。
オサダ提督は、その通信を読み、人類の勝利に微かな希望を抱いた。
アレナスとダグは、やっと格納庫へとたどりついた。
「やっぱり……」アレナスはガランとしてしまった格納庫を見つめる。
マシーン兵器のイミテーション、宇宙戦闘機やシズラーに擬態した宇宙怪獣たちは、全機出撃していた。その数は、重巡グレゴリーの艦載機の数倍に当たるだろう。
「ガンバスターよ!」
アレナスは、ダグを支えて、格納庫の奥へと進む。
暗い格納庫の隅に、ガンバスターは残っていた。もちろん、イミテーションの宇宙径獣たちは、すでに出撃を終えている。
しかし、暗闇の中に腕を組んで立ち尽くすガンバスター級戦闘兵器の巨体は、この上なくたくましく、心強かった。
「でも、本当に動くのか、これは?」
ダグは、心配そうに、乗り気ではなさそうにつぶやく。
[#挿絵(img/195.jpg)]
「動かすの! だって、これが動かなきゃ、あたしたちこの船の中で死んじゃうのよ」
アレナスは左足側面にあった昇降用ハッチの前でダグの手を握りしめた。
「いい、あなたは副操縦室に座って。何もしなくていいわ。そこは管制室みたいな物だから。操縦はみんな、あたしがやる」
「できるのか?」ダグは、ほんの少し希望を取り戻していた。
「できる! と思う。カルネアデス計画のとき、これとよく似た機体に乗った二人が、あたしの小さな頃からのあこがれだったから。マニュアルだって、目を通したことがあるんだから」
「……ノリコとカズミだったね、確か」ダグは、小さく笑った。
「このマシーン、男子禁制ってわけじゃないんだ」
「よかった、その調子よ」
アレナスは、ハッチを開ける。補助電源の光の中で、一人用のエレベーターが二つ並んでいた。
「じゃあ、元気で」アレナスは副操縦室へのエレベーターにダグを乗せる。
「きみもな」ダグは、エレベーターの中のコクピット・シートへ体を固定した。
「そうだ、忘れてた」閉まりかけていた扉を、アレナスは開かせる。
「忘れ物か?」ダグは力なく笑った。出血が応えているらしかった。
アレナスはダグにキスをして、微笑んだ。
「さっきはありがとう」
ダグは何も言わなかった。体力の限界だったのだろう。口許で小さく微笑みを返すのが、精一杯のようだった。
アレナスは副操縦室用エレベーターの扉を閉める。
このガンバスターが動けば、生き延びることができるかもしれない。
アレナスは、操縦者用のシートに手足を固定する。
ガンバスター級戦闘兵器のコクピットは、操縦者の動きをトレースする、ダイレクト・モーション・コントロール・システムを採用していた。
「動いてね」アレナスはそっとつぶやいた。このガンバスターが、彼女の動きを追ってくれれば、戦場からダグを助け出すことができるのだから。
「冗談じゃねえ!」
マシーン兵器のコクピットで、ビルパート中尉は叫んでいた。だが、そのかすれ声は誰にも届かない。周囲はすべて敵だった。醜い姿のマシーン兵器が……いやマシーン兵器に擬態しているからこそ醜い宇宙怪獣たちが詳がっていた。
「退治しても、退治しても、次々湧いて来るじゃねえか!」
突然、マシーン兵器の加速が落ちる。モニター表示は、背部バーニアに、宇宙怪獣が張りついていることを示していた
「てめえ、とんでもねえことしやがる!」
宇宙怪獣は、バーニアの噴射孔に腕をつきたてた。その瞬間、怪獣の腕は溶けてなくなっている。だが、バーニアにも損傷が出た。腕をつきたてられた右バーニアの出力が、急上昇を始める。
「バカ野郎!」
ビルパートは、右バーニアを切り捨てた。そして、残るバーニアを最大加速にして、その宙域から離脱する。
暗い宇宙空間に、バーニアの縮退炉が臨界点を突破して、爆発する光が見える。その光球の中で、何匹かの宇宙怪獣が蒸発していった。
だが、残った宇宙怪獣たちは、バーニアをひとつ失って機動の落ちたビルパート機へと群がって来る
「てめえら、皆殺しだ!」
ビルパートは、予備のプラズマ・ビアンカを手に持つ。
暗い宇宙空間に、プラズマの青白い光が輝いた。
アレナスは、ガンバスター級の全天球モニター・コクピットで、各部をチェックしていた。
「この機体、ガンバスターとは少し違う。量産試作機みたいだ」
モニターに表示された各部機構が、それをしめしていた。
武器はガンバスターほど多くない。バスター・ビームとバスター・コレダーは装備されているけれど、ミサイル、バリアーはなかった。それに合体機構も、簡略化され、単なる脱出装置としての機能しか持たされていない。
だが、各部が満足に動いてくれれば、あのガンバスター級戦闘兵器なのだから、かなりな戦闘能力を持っていることだけは予想できる。
モニターに、各部機能チェックの結果が表示される。
「全駆動部稼働率八十五%、レーザー砲稼働率八十八%、スペースチタニウム・バスター合金製装甲劣化率〇・〇八%、すっごい優秀じゃない!」
アレナスは正面右上に、副操縦室を表示させる。
ダグは目をつぶっていた。眠っているのかもしれない。両肩が呼吸に合わせて、力なく上下する。
「待ってて、もうすぐ助かるから」
モニターに各部機能の稼働率をあらわす数字が並び、消えていく。
ガンバスター級戦闘マシーンは、今にも動き出すかのように思えた。
「提督! 敵です!」
クルサスパ参謀が、我を忘れたといった様子で大声を上げた。
「静かにしたまえ、参謀」
提督は不機嫌そうに参謀をにらみつける。
「参謀が、そんなことでどうするのかね。一般兵が動揺するではないか」
ブリッジは戦勝ムードに酔っていた。宇宙戦闘機隊、マシーン兵器隊の苦戦は伝えられてはいるか、シリウス軍の援護で、理力のバリアーを張った光子魚雷が、ツインエクセリオン級戦艦に次々と吸いこまれていく。轟沈までにそれほど時間がかかるとは思えなかった。
宇宙戦闘機隊もマシーン兵器隊も、損傷率は三十%以上だな
提督は試算していた。
だが、光子魚雷発射管も、レーザー砲塔も、対空パルスレーザーも、ほとんど被害を受けてはいない。あと十五分も戦えば、敵はほとんど全滅する。
そして、提督はクルサスパ参謀の報告に目をむいた。
「まさか、それは本当かね」
「はい……シズラー級に擬態した宇宙怪獣が二十七匹、ガンバスター級に擬態した物が三匹、ツインエクセリオンから発進しました。真っ直ぐ本艦へと向かっています!」
「すべての目標を、ガンバスター級に向けろ!
シリウス軍に光子魚雷のバリアー保護をたのめ!」
負けたか……提督は唇を噛んだ。
シズラー級、ガンバスター級の発進は、宇宙空間で戦うマシーン兵器部隊にも、はっきりと確認できた。
「あれと戦うのか……」
ビルパートはつぶやいた。
「マシーン兵器の三十倍はあるね」
テューズディが、事務的なほどの事実を口にする。
エドガはただ息を飲んだ。アレナスが生きているかもしれない、あの戦艦を沈めるのは、辛いことだった。だが、今はそんなことを考えていられない。ガンバスター級に擬態した宇宙怪獣が、彼らの前に追っていた。
「全砲門開け! 目標、人型宇宙怪獣。十秒後に発射。射線上の各部隊はすぐに、移動させろ」
重巡グレゴリーの砲門が一斉に火を吹いた。大出力紅玉レーザーの輝きが見る者の目に焼きつき、光子魚雷がエーテル波を切り裂いた。小惑星程度なら、残骸も残さずに破壊する火力が、宇宙怪獣たちの群れを白い光で包みこんだ。
「どうか、報告せよ!」
参謀がレーダー手を急がせる。
「脱落、シズラー級二匹! ガンバスター級は健在です。真っ直ぐ本艦へと向かって来ます」
「えーい、第二波攻撃の準備はまだか!」
日頃、冷静さを売り物にしている提督だったが、このときばかりはそうも言ってはいられなかった。
「撤退させろ! いや、退却だっ」
目前に迫る怪物たちに、提督は叫んでいた。
「あの怪物どもは、本艦を狙っている。マシーン兵器も、宇宙戦闘機もできるだけ遠くへ離脱しろ! シリウス戦艦に拾ってもらっても構わん。逃げろ、あれには絶対かなわん」
宇宙空間に幾つもの光球が浮かんだ。すべて、ガンバスター級・シズラー級の前から、逃げることのできなかったマシーン兵器と宇宙戦闘機だった。
重巡グレゴリーからは、光子魚雷が発射され、レーザーが紅に輝く。
すべて、宇宙怪獣たちの群れの中へと消え、白い光とともに爆発する。
「今度はどうだよ……」
ビルパートは、エーテル・センサーを食いいるように見つめている。
「駄目だろうね、きっと」
テューズディの言葉は当たっていた。シズラー級がたった一匹、脱落しただけだった。
「何だ、あいつら!」ビルパートが怒りの声をあげた。
「こんな戦力差じゃ、戦争になんかなりやしねえ!」
「ところで」
テューズディは、周囲に集まって来たマシーン兵器を数えていた。
「あと十七機だけど、あたしたちはどうしようかねェ」
「わかってんだろ、テューズディ」
ビルパートは、含み笑いをしていた。
「みんな、やる気だってことを」
「バカな奴ら」
テューズディも笑っていた。
「いいか、あたしとビルパートの後をついてきな! ガンバスターだ、シズラーだといっても、結局は宇宙怪獣なんだ。目と関節に、プラズマスピアでも、アックスでも叩きこんでやりな!」
十七機のマシーン兵器は、宇宙怪獣へと向かって飛んだ。
テューズディは後続の機体の中に、エドガ機を見つけて近寄った。
「いいか、坊や。アレナスの仇討ちだと思って戦いな」
エドガは何も言わなかった。テューズディに言われるまでもないことだった。
エドガはモニターの向こうのテューズディに白い歯を見せて笑った。
「言われなくても、やりますよ」
ガキのくせに、一端の男ぶりやかって
テューズディは、生き残ったら、エドガを男の仲間として認めてやろうと思っていた。
「どうして!」
ツインエクセリオンの揺れは激しくなる。残っていた右舷縮退炉が損傷したのだろう。たぶん、撃沈されるのに大した時間はかからない。制御を失ったツインエクセリオンの縮退炉は暴走して、大爆発を起こすだろう。最悪の場合、小型のブラックホールが生まれるかもしれない。激しい震動で、格納庫の壁は崩れ始めていた。
だが、アレナスはガンバスターを動かすことができなかった。
ガンバスターの機能に、問題はなかった。まるで、いま整備が終わったかのような状態だった。
しかし、ガンバスターの心臓である縮退炉が起動しようとしなかった。
縮退炉の核となるアイス・セカンドが、縮退炉の中におさめられていなかった。これでは、重力縮退が起こらず、ガンバスターに命を吹き込むことはできない。
「どうして、動いてくれないの!」
アレナスは、ありとあらゆる可能性を確かめてみた。補助電源での起動は、あまりの巨体ゆえに無理だった。わずかなアイス・セカンドが縮退炉内に残っていないかと、制御棒のすべてを引き抜いたが、ピクリともしなかった。特別な起動装置が存在しないかと、メイン・コンピュータを呼び出したが、メイン・コンピュータは縮退炉の起動まで眠ったままだった。
「せっかく、せっかく、ここまで来たのに、何もできないの!」
アレナスの瞳から、涙が落ちる。最後の一瞬で、望みは消えてしまっていた。
通信機から悲鳴があがった。
聞いたことのある声だった。
「ちくしょう! カルナック中尉のマシーン兵器が、怪物に握りつぶされた!」
それはエドガの声だった。
「どうにもならねえのかよ!」
ビルパートの声が聞こえる。
アレナスは、その懐かしい声に、必死の響きが込められているのを感じ、そして涙を流した。
仲間たちを助けることも、自分が助かることもできない。
そして、重傷で意識のないダグを助けることさえ
「……悔しい……あたしには何もできないんだ」
アレナスは悔し涙をこらえることができなかった。
「大丈夫」
泣いているアレナスを誰かが、慰める。
顔を上げたアレナスの目に副操縦室のダグの真っ青な顔が映った。
「……アイス・セカンドだろ……アイス・セカンドさえあれば……」
「ダグ、何をしようというの?」
アレナスは涙をぬぐう。何だか、いやな予感がした。
「アイス・セカンドは氷の同位体結晶で、常温で重力縮退をする……んだったよな」
「そう……そうだけど」
まさか、彼は。
「重力縮退なら……起こせると思う。やったことはないけれど」
「駄目! それは止めて!」
アレナスは、ダグが何をしようとしているのかわかった。ビルパートがシリウスの魔法でも、最高だと噂していたマイクロ・ブラックホールを呼び出そうとしているのだ。
「止めて、ダグ! あなた、それでなくても、重傷なの……」
アレナスは□をとざした。彼に傷のことを意識させるのはまずい。
「自分の傷の重さくらいわかっているよ。それに出血の量も。ぼくが医者をめざしていたのを忘れてただろう?」
ダグは、話すことさえ辛そうだった。一言ひとことの間に、大きく息をつかなければ、言葉が出てこないようだった。
「わかってるんなら、止めてよォ。死んじゃうよ! 死なないでよ」
アレナスは叫んでいた。涙が落ちそうだった。
だって、それじゃあ、あなたを助けられないじゃない
「どっちにしろ、死ぬかもしれないんだ。なら、きみだけでも生き残った方がいいに決まってるだろ
「だって、魔法って体力使うんでしょ? あなた、あたしを治してくれるたびに、やつれていったじゃない! それに、すごく難しいって聞いたことがある。そんな体で、できるわけないわ」
「できるかもしれないよ。だって、親父や兄貴たちにはできるんだから」
ダグはそう言って、小さく笑い、モニターのスィツチを一方的に切ってしまった。
「何かあっても、生き延びてくれよ」という言葉を最後に。
アレナスは自分が、操縦室に縛りつけられていることを後悔した。もし、間に合うのなら、殴りつけてでも止めてしまいたい。彼の望み通りにするから、止めてもらいたい。
仲間たちとダグ……どちらが大切とは言えなかった。けれども、あれだけ助けてもらって、親切にしてもらったダグに、何の恩返しもできなかった。
アレナスは両手で、顔を覆って泣いた。
二度と彼の笑顔を見ることができなくなる。
それが、何よりも悲しかった。
そして、縮退炉に火が灯った。
崩れ落ちていく格納庫の中で、ガンバスター級戦闘マシーンは、動き始める。
シズラー級、ガンバスター級の宇宙径獣たちの前に、重巡グレゴリーは抵抗の術をなくしつつあった。光子魚雷は全弾を撃ち尽くし、紅玉レーザー砲は八割が破壊された。残っているのはパルスレーザーだけだったが、致命傷を与えるほどの威力はない。せいぜい、艦に近づくのを防ぐだけだった。
マシーン兵器部隊も、五機を失い、残り十二機だけになっていた。全長七メートルのマシーン兵器の武器では、四百メートルのガンバスター級に何のダメージも与えることができなかった。
艦橋でモニターを見つめていた提督は、通信兵に命じる。
「彼らに、もう止めて、逃げろと伝えろ」
提督は秘蔵のコーヒーをすすっていた。
「これが最後のコーヒーかと思うと、名残借しいな」
クルサスパたち参謀も、提督最後のコーヒーにつきあっていた。いや、ブリッジに残る七十名全員に、提督のコーヒーが振る舞われていた。
「すまんな、きみたちまでつきあってくれることはなかったのに」
提督の声は沈んでいた。目はじっと、コーヒーカップに注がれている。
参謀たちは、提督の「つきあって」という言葉に、おかしさを感じた。いつもむりやリコーヒーを飲ませている提督の言葉とは思えなかった。
「脱出して、シリウス軍に保護を求めてもよかったのに」
提督は静かにコーヒーを飲み干し、参謀たちは意味を取り違えたことに気がついた。
「逃げろだって?」
テューズディはマイクに向かって笑った。
「逃げるんだったら、とっくの昔に逃げてるよ。そう提督に伝えておきな」
シズラー級の複眼をスピアで突き刺そうとした、マシーン兵器が、捕まり、握りつぶされる。
「今のは誰だ?」
ビルパートが怒鳴る。
「クラッススです。止めろって言ったのに!」
相棒のミハイロフが、涙声で応える。
「もういい、お前たちは逃げろ」
ビルパートのかすれ声が、スピーカーを通じて、全機に伝わる。
「後は古参のオレとテューズディの仕事だ。お前たちはどっかへ行っちまえ」
「中尉、あれを」
エドガの声が響いた。
ついに、ツインエクセリオンの縮退炉が、自己崩壊を始めていた。
「ブラックホールになってくれりゃあ、この化け物どもを飲みこんでくれたのによ」
そして、ツインエクセリオンの残骸の中から、巨大な影が飛び立った。
その光景は、グレゴリー艦橋のモニター・スクリーンにも映し出されていた。
「ツインエクセリオンから、ガンバスター級のシルエット発進。本艦へと向かっています」
通信兵の声にも、覇気がなかった。これ以上数が増えたとしても、撃沈までの時間がほんの数分早まるだけのことだった。
「そうか」
報告を受けた提督にしても、同じ心境だった。三匹が四匹に増えたといっても、何も変わりはしない。
「帝国総督府へ、事態は報告し終わったのかな?」
提督は後ろの座席で指令をくだす、クルサスパ参謀に尋ねた。
「はい……この宙域を完全封鎖して、宇宙怪獣の拡散を防げと」
「そうか……御苦労さん」
提督は満足そうにうなずき、もう一度クルサスパの名を呼んだ。
「すまなかったね、きみは初陣だったというのに、こんなことになってしまって」
クルサスパは提督に見られないように、涙をぬぐった。
そして、その瞬間、モニターの中で大爆発が起き、一匹のシズラー級が霧散した。
「どうしたのか? 光子魚雷でもひっかかっていたのかね?」
「わかりません!」
レーダー手は応えた。
「わからないとは、どういうことだ」
提督は、ほんの少しだけ眉をひそめた。
「最後に発進したガンバスター級の怪物から、高出力レーザー砲が発射されて、シズラー級に命中したんですが……また、発射されました! 目標シズラー級……」
レーダー手の報告の前に、シズラー級が飛び散っていた。
宇宙怪獣の群れが、一斉に振り返る。
そこに、アレナスの乗るガンバスターの姿があった。
その瞬間、宇宙空間を切り裂くような閃光が輝き、ビルパートを握りつふそうとしていたシズラー級を貰き通す。
怪物の体は霧散し、ビルパートのコクピットに聞き慣れた声がスピーカーから流れた。
「怪獣!! 絶対にゆるさないわ!」
「おい、聞いたか、今の!」
ビルパートは片方だけのバーニアを最大加速にして、戦場を離脱している。
「聞いた、本物か?」
テューズディも、信じられないといった口調でつぶやく。
「お、静かにしろ、また聞こえる」
ビルパートは、スピーカーから聞こえる通信に全神経を集中した。
「……どいて! この付近にいると、巻き込まれるから!」
乱れたエーテルの波が生む雑音の中で、微かに伝わる声は、アレナスのものだった。
「おい……本物だ」
ビルパートはつぶやき、大声で笑い出した。
「聞いたか、今のを! あのオレの可愛いお嬢ちゃんが、生きてたんだぜ」
「でも、まさか……」
エドガは後方モニターに映る、ガンバスターを見つめた。
「あれに乗ってるっていうのか? あいつが、本当に……」
「あんたたち! 絶対、生かしておかないからね!」
アレナスは、ガンバスターの右腕をシズラー級の腹部に叩き込んだ。宇宙怪獣の装甲は張り裂け、内臓器官が宇宙空間へ飛び散る。
怖じ気づいたように後退する宇宙怪獣たち。
「あんたたちの仲間は、全滅したのよ。どうして帰って来たりしたの」
コクピットの中で、アレナスは叫んだ。
この怪物たちが、息を吹き返したおかげで、多くの仲間が死んでいった。マシーン兵器部隊は残り少なく、宇宙戦闘機部隊はほぼ全滅に近い状況だった。重巡グレゴリーは大破し、船体の一部では火災が起きているようだった。
そして、副操縦室のダグが……。
「ゆるせない!」
襲いかかってくるシズラーの腕をつかみ、力いっぱいひきちぎる。体液が噴出し、怪獣の悲鳴でエーテルが揺れる。
「あなたたちが!」
その途端、アレナスは両手を誰かにつかまれ、左右に引っ張られる。
モニターにはガンバスター級の宇宙怪獣が二匹映っていた。そいつらが、アレナスの腕を仲間の仇を討つかのようにひきちぎろうとしていた。
[#挿絵(img/209.jpg)]
「冗談じゃない! ダグが命をかけたガンバスターよ! 地球を護るトップ部隊よ! そんなことさせるもんか」
アレナスは指先のコンソールを操作する。ガンバスターの下腕装甲が排除され、無骨なシリンダーが姿をあらわした。そしてシリンダーは凄まじい勢いで、宇宙怪獣の外殻を叩き割り、柔らかい内部器官を貫き通す。
「バスター・コレダー!」
アレナスは、喉が裂けるような勢いで叫んだ。幼い頃に熱中したTVドラマ『まんがガンバスター物語』の中で、ノリコ役の少女が叫んでいるのを、よく真似していた記憶が、アレナスにそう叫ばせていた。その瞬間、怪獣を貫いていたシリンダーが、青白く放電を開始する。一瞬にして、怪獣たちの体内は、黒い炭になっていた。
アレナスが、怪獣の死体からシリンダーを引き抜こうした隙に、もう一匹のガンバスター級が正面から襲いかかってきた。その硬い装甲に包まれた腕が、ガンバスターの頭部を直撃する。すさまじい衝撃が、コクピットのアレナスを襲い、彼女は奥歯を噛み砕いた。
「なめないでよ!」
ガンバスターの右膝が、宇宙怪獣を蹴り上げる。
その蹴りをよけようとした宇宙怪獣は、ほんのわずかな時間だけ、アレナスのガンバスターから目をそらした。
「バスター・ビームー」
高出力レーザーが、宇宙怪獣の額に、大きな穴を開けていた。
「残りは、どこ!」
アレナスは、辺りを見回す。全周囲モニターは、十四匹のシズラー級宇宙怪獣が、逃げ去ろうとする姿を映していた。
アレナスはビーム出力を最高レベルにあげる。モニターには、五秒間の機能停止があると注意の表示が浮かびあがった。
「ダグ……」
アレナスは沈黙したままの、副操縦室モニターを見つめて、つぶやいた。
そして、一瞬、宇宙が爆発したかのような光がほとばしる。
ガンバスターが再び機能を取り戻したとき、宇宙怪獣はすべて、蒸発していた。
「ダグ……」
アレナスは、もう一度つぶやいた。
「ありがとう……」
そして、アレナスはしゃがみ込んで泣いた。あまりの悲しさに、仲間たちが収容に来たのも気づかなかった。
[#改ページ]
エピローグ
アレナスとダグは、乾燥しきった大地に立たされていた。
ダグは白い包帯で、左腕を吊っていたが、顔色はまだ健康というには、ほど遠かった。
「治りそう?」
アレナスは、そっと左腕を見る。
「たぶんね。時間はかかるだろうけど」
ダグは、少しはにかみながら応えた。
「せっかく、動かしてもらったガンバスターなのに……壊されちゃったね」
「仕方ないよ。きみたちがあれを手にしたら、ぼくらシリウス人は全滅するかもしれないんだから」
ダグは真っ赤に染まった空を見上げる。
「あたしはそんなことしないわ」
アレナスも空を見上げた。
「わかってる」
重巡グレゴリーは自力での航行が不可能な状態だった。
また、多くの負傷兵を救出してくれたシリウス戦艦に借りがあったため、彼らの要求を飲まざるを得なかった。
結局、アレナスとダグを救出した後、ガンバスター級は破壊された。
アレナスは救急艇のベッドにくくりつけられていたが、その瞬間だけは目にすることができた。ダグは輸血のおかげで、生命をとりとめた。その際に、地球人の負傷者より、シリウス人を先にするのか、という不満が艦内で起こったらしいが、彼がガンバスターを起動させた、人類の恩人なのだと知ると、いつしか不満もおさまっていた。
そして、アレナスとダグは、二光年離れた、無人の惑星に降ろされた。
シリウス側の優先権に従って、彼らの要求する場所での、捕虜交換が行われる。
グレゴリーからの出席者は、クルサスパ参謀と、アレナスだけ。残りの仲間たちは儀式が終了するのを大気圏内外連絡艇の中で待っている。
「ねえ」
アレナスは赤い空を見上げたままで言った。
「初めて会ったとき、あんたのこと、すっごく意気地のない、だらしない男と恩ったんだよ」
ダグが小さく笑うのを、アレナスは感じた。
「仕方ないよ。ぼくも、きみのことを、わがままで生意気な女だと恩ったからね」
二人は、少し黙り込んで、空をながめていた。
「でも、第一印象っていうのは、よく当たるものだな」
「あたしもそう思った」
そして、二人は声をひそめて笑った。
シリウス側の連絡艇が着地して、中から負傷したパイロットたちが降りて来る。
その後ろに、長い布を体に巻き付けた、アジアの僧侶のような男が姿を見せた。
「兄貴だ」
ダグはこっそりと、アレナスに耳打ちする。
「あとで、こってりお説敦だ」
クルサスパ参謀と、ダグの兄の間で捕虜交換の儀式が始まった。
「そういえば」
アレナスは、頭ひとつ大きいダグを見上げた。
「あなたと一緒のあいだって、あたし泣いているか、怒っているかの、どっちかだったっけね」
「今度は、やさしい所とか、色っぽいところも見せてほしいな」
「アレナス・F中尉、捕虜を連行したまえ」
参謀が二人の会話を断ち切った。
「じゃあ、時間みたい」
アレナスはダグの開いている右手をとった。
「また、会えるといいな」
ダグは、アレナスにやさしく微笑みかけた。
「そうね」
アレナスも笑顔を返す。
そして、ダグはクルサスパ参謀に預けられ、アレナスの役目は終わった。
「嬢ちゃん、こっちへ来い! お祝いしてやる」
連絡艇の中では、マシーン兵器部隊の生き残りが、アレナスの任務完了を待っていた。
「安心しろ、もうお前をガキ扱いしたりはしねえ」
ビルパートは、すでに酔っているようだった。その後ろで、テューズディがニヤリと微笑む。
アレナスは、狭い連絡艇の待機室で、エドガの隣に腰を降ろした。
「お帰り、アレナス」
エドガは、何もなかったかのように、言った。
「ただいま、エドガ」
アレナスはそう言って、仲間たちの祝福の渦に巻き込まれた。
けれども、騒々しい歓迎の中で、アレナスの瞳から涙がこぼれ落ちていた。
こらえようとしても、止めることのできない涙が。
ダグとの三日間は楽しい思い出だった。そして、彼とは二度と会うことはないだろう。
アレナスの涙に、エドガだけは気づいていた。そして、彼女の手を握りしめた。
アレナスは、エドガの手の温もりを感じて、また涙があふれだすのを感じていた。
[#改ページ]
あとがき
『トップをねらえ! ネクストジェネレーション』の世界は深い。深いだけでなく長い。どれくらい長いかというと、ガンバスター3号機が爆発したのを二〇四八年として、一四二九二年にノリコたちが地球に帰ってくるまでの間なのだから、これがとてつもなく長い、年表が発表されている分だけでも、400年分くらいは軽くある。そのうえに深い! 聞いた話だけど、シリウス同盟は、物凄い数の宇宙戦艦で銀河に巨大な魔法陣を描いて、ブラックホールを召喚したりもするという。そのくせ、ブラックホールさえ呼び出しさえすれば満足して(思想・宗教上の理由らしい)、その後の戦局は関係ないとか。あと、クジラ類(近頃はホエール・ウオッチングとかありますね。よかった、よかった)が人権を買うとか、シリウスの理力はオーケストラのような物だ(今だと、ホコ天バンドなのでしょーか? シリウスの道端でも、「オレたち、こんな理力の使い方発見したんだぜ」って言って、魔法を見せたりしてるんだろ――なとか考えたりしてましたが、私)とか、いろいろある(と聞いた)。
とゆーわけだから、ぼくはとりあえず想像力の届く範囲とゆーことで、すっごくビデオ版『トップ』に近い時代の『ネクスト』とゆーことにしました。
まだシリウスは理力を手にいれたばかりだし、地球はカルネアデス計画の後遺症から立ち直っていないし。新しい概念『理力』をどう使っていいのか、対抗していいのかわからない時代。メカデザインをしてくれた今《いま》先生なんかは、「朝鮮戦争でジェット戦闘機が出てきたけど、みんな使い方がわからなくて困ったような物やね」とおっしゃってましたが、きっとそーなのでしょう(ついでに、シリウスは領土を広げることじゃなくて、自分たちの発見した哲学を広めることが目的だとすると、やっぱりこれって朝鮮戦争っぽい。この頃は共産主義、旗色悪いんだよな)。それで貧乏な宗主星と貧乏なくせに独立宣言してしまった植民星の戦いだから、涙が出るくらいに貧弱な戦争をしていたんでしょうね、きっと。でも、この数百年後には、銀河を揺るがす大戦争になるわけだから、今回のストーリーは、大戦争(宇宙怪獣)と大戦争(シリウスVS地球)のあいだの、闇に葬られた、ちょっとした小競り合いとゆー感じですね(でも本当は最大の危機のひとつだったりもする)。
まあ、ここまで読んでくれた人&もともと『ネクスト』を知ってる人は薄々勘づいていると思うけど、この小説では残念ながらノリコもカズミもオオタもユングもリングも登場しません(タシロ提督には登場していただきましたが。ほんのちょっとだけ。好きだよな、あの人って)。それを期待してた人は、まあ災難だと思ってあきらめてもらおうと。ワッハッハッ。笑ってもしよーがないけどね。
だってね、ゼネプロさんの公認の上に、本編と同じ美樹木先生のキャラでしょ。これって、やっぱり本家だよね、きっと(他意はない)。だから、ほら、ノリコが出てなくても、もうひとつの『トップ』とゆーことで、手をうっていただきたいなっとか考えてたりするわけですね。
でもさ、こーやって終わって(現時点ではまだなんだけどね)考えると、何だかまだまだ書き足りなかったなって印象があるんだよな、こーゆーのって。もちろん、書き足したら満足するかってゆーとそーでもないんだけど、どうしてもね。うーん、こーゆーのって、どっかで聞いたことあるな……。ああ、恋愛と一緒ね。ほら、あの人が歌ってるでしょ。もっとやさしくしとけばよかったわ、なんて。そーゆーもんなのかね?
でもさあ、この小説を書いてる途中で、ネコが入院しちゃってさあ、まいったな、これが。いや、原稿書いてる途中で邪魔する奴がいなくなったんだから、ちょっとほっとしたけれどもね、やっぱり凄く気にかかったりして。あとがきを書いてる段階では、後ろで寝てますが。お尻の毛を剃られて、手術のあとが見えてるのが、とっても痛々しく、ついでにみっともないです。毛がはえそろうまでは、外に出せませんね。これが私的には一番の大事件だったのかもしれません。
とまあ、こーゆーわけで完成した(だから、本当はまだなんだってば)『トップ』です。
編集の笠原さん、ゼネプロの岡田社長、神田さんには大変、お世話になりました。あと、キャラ設定の美樹木先生(ミンメイちゃんの頃からファンでした、ウウッ)、挿絵のヤマブキ先生、メカデザインの今先生(アジアで一番人件費が安い。笑)も、ありがとうございました。
えっと、それから私が貧乏で死にそうになってたとき助けてくれたゴールデン・アーム・ボンバーるちゃ先生と彼女のMさん、ミュージシャン兼マンガ家の佐藤先生、革命家の加藤さんも、どうもありがとう(特に後ろの三人は、あとで私を責めないように。事情を知ってるでしょ! とか言って)。
もちろん、読んでくれたあなた、そう、今これを読んでるあなたですけどね、御苦労さまでした。何だか、肩でも揉んであげたい気分です。そして、もし、買って読んでくれたんなら、本当にありがとう。この御恩は決して忘れません。そのうち、大きなつづらと小さなつづらのどちらかひとつをプレゼントしてもいいな、とか思ったりもしましたが、きっと実現しないでしょう(いい加減)。まあ、もし街でみかけたりしたら、声をかけてください(顔、知らないって)。食事くらいおごりましょう(しまった、こーゆーこと書くと、悪い友達が
「読んだぜ」とかいって、百回くらい、飯をおごらせようとするぞ)。
そうそう、忘れてはいけないのが、原稿書いてるとき、キャラクターのイメージになってくれた筋少の大槻さん、洋行帰りの雨野ケロ子さん、イギリスのトランスヴィジョン・ヴァンプのヴォーカル、ウェンディさんも、どうもどうも。いや〜。でもまさか極東の島国で、自分をモデルにした小説が出てるなんて、さすがに気づくまい(大槻氏がどーかは知らないが)。
とゆーわけで『トップをねらえ! ネクストジェネレーション』でした。お終い。
[#地付き]一九九〇年六月八日 苑崎 透
( WEB上に流れていたOCRデータを元に校正し、挿絵などを追加したものです。
[#地付き]校正子)