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花村萬月
ゲルマニウムの夜 王国記T
目 次
ゲルマニウムの夜
王 国 の 犬
舞踏会の夜
著者あとがき
[#改ページ]
[#小見出し] ゲルマニウムの夜
僕の耳の奥、鼓膜に接するその内側に仕込まれているのはわりと性能のいい銀色をした音叉だ。その音叉がいきなり共鳴した。僕は在日米軍払い下げのパイプベッドを軋ませ、腹筋だけでゆっくりと上体を起こした。そのせいで耳に突っこんでいた鉱石ラジオのイヤホンが引っぱられ、耳の穴から抜けおち、床から三センチくらいの高さで左右に揺れて振り子の真似事をはじめた。
じっと耳を澄ます。白がセメントで固めた地面を行く。小走りに。狂おしく。白の足音はいつだってちちちちちちと金属質だ。青い匂いの煌めきが脳裏をはしった。鼻の奥がつんとした。
たかが犬の足音だ。だが鉄とこすれる響きがある。おきあがることもないのだが、振り子のイヤホンと鉱石ラジオ本体をポケットにいれて、外にでた。
乳色をした夜霧が地面を這っていた。水たまりに飛びこむようなつもりで宿舎の階段から跳んだ。着地と同時に踵にかなり鋭い痛みと衝撃がはしった。舌打ちをすると霧は控えめに臑に絡んだ。しかしその抑制は手管なのだ。ゴム草履を突っかけた足が、もう濡れている。ゴムに接した足裏が夜の潤いで滑りさえした。
湿った夜気を胸に満たして伸びをしていると、白が薄黄色く汚れた尻尾を振ってまとわりついてきた。白、白、白、条件反射で三度犬の名を呼ぶと僕がパブロフの犬だ。白は名を呼ばれて歓喜し、僕のまわりを乱舞する。ベッドで聴いたちちちという足音も、いまや軽薄でせわしない繰り言に堕落し、青い匂いのかけらもない。
なんと薄汚い白色だろう。その筋肉の動きにあわせてさざ波じみた揺れを誇示する白の体毛は、まるで周囲に漂う夜霧だ。澱んだ夜霧の色彩が白に凝縮している。あくびまじりに腐ったミルク色の白を見おろしていると彼方で胡桃の実が落ち、妙に乾いた音をたてた。
もちろん初夏のいまごろは胡桃の実が熟す時期ではない。胡桃は薄いが強固な黄緑色の包皮を全体にかぶって、秋口にむけてじわじわと成熟をたくらんでいるのだ。しかし、なかにはこれからというときに引力に負けてしまう落ちこぼれもいる。
紫黒色の巨木に視線をやる。意図を察した白が走った。緑の胡桃を咥えてもどった。差しだした手に胡桃を落として得意そうに見つめた。僕は犬の奴隷根性が大嫌いなので、その喉をめがけて爪先で蹴りをいれた。ぐぇぐぇとくぐもった声をあげて白が転がった。これ見よがしに身悶えしてみせる。念には念をいれて、さらに喉仏を蹴りつぶす。白の口からあふれでた唾液の泡に血の緋色が混ざっていることを確認して、ちいさく頷いてみる。これで白は当分吼えることができず、しかも僕を避けるだろう。
白を白と命名したのは院長であるラテン系の白人神父ドン・セルベラで、その小屋には黒いラッカーで白と書かれた板が打ちつけてある。白はシロでもしろでもなくあくまでも白なのだ。日本人ならば白犬に白という漢字を当てるようなことをしないはずだ。なぜならば、白という漢字には、いや白という漢字に限らないが、漢字には意味が充満していて、それをたかが獣の名前に用いたりすると鬱陶しくてしかたがないという直感がはたらくからだ。漢字の白を愛するのは白い同性愛者の神父くらいのものだ。ひと月前、僕は十代前半に世話になっていたこの修道院兼教護院にふたたび舞いもどった。院長ドン・セルベラは僕を修道院附属農場に匿うための交換条件として、手による奉仕を要求した。僕は彼の陰茎をしごいてやったときに掌にうつってしまった恥垢の残り香を思い出し、こみあげた唾を吐いた。昏倒して痙攣し続けている白を見おろしながらイヤホンを手にとった。僕のラジオは米軍放送以外受信できないようにダイヤルを固定してあるのだ。まあ、東京都下のこのあたりでは米軍放送がいちばん電波が強いという現実的な条件もあるのだが、自作の特権である。
イヤホンの耳に挿入する部分は透明な樹脂で、そこにはたいがい少量の耳垢が侵入しているものだ。僕は月明かりにかざして耳垢を確認しかけ、この暗さではわかるわけがないということに思い至り、ひとりで照れた。そこへ、イヤホンの奥の奥からタイミングよく毛唐女がフォア・イイスト・ネェットワアクと粘っこい雄叫びをあげ、ブラッド・スエット・アンド・ティアーズ、血と汗と涙の大仰な金管によるナツメロが流れはじめた。午前零時をまわった深夜の米軍放送はフットボールかナツメロしか放送しない。なんとも潔いのだ。
BS&Tのスイングとまったく縁のないアレンジまみれの演奏にあわせてリズムをとりながら視線をもどすと、地べたに卒倒して幽かに喘いでいた白の尻尾がくるくると豚のペニスのように丸まった。犬は文字通り尻尾を巻いて逃げだす生き物だ。僕が一歩前に進むと哀れっぽく呻いてみせ、顔色を窺い、ときどき噎せるといった役者ぶりを発揮して逃げだした。蹴ったのは喉なのに、なぜか後脚を引きずって白の逃亡は遅々として進まない。これ見よがしな犬だ。
僕はこの修道院に附属する農場で、はじめて豚のペニスがくるくる丸まったドリル状であることを知った。それだけではない。豚にもホモセクシャルがあることさえ知った。豚舎の責任者である北君が、朧《ろう》君きてごらん見てごらん凄いよ凄いよたまらないよと息継ぎしないで迫ってきて、何事かと豚舎に駆けたら、ランドレース種の肉付きのよい出荷直前の二匹が後背位というのだろうか、俗にいうバック攻めで重なっていた。
豚の交尾を見るのは初めてだった。北君はこの情景にたいそう性的昂奮を覚えているようだったが、僕は肉弾相打つという古めかしい言葉を思い出した程度で、それ以上の感慨はない。それよりも下になって挿入されているほうが炸裂するような悲鳴をあげている。僕は腕組みなどして小首をかしげた。どう穿った見方をしても下になった豚は快感を覚えているようにはみえないのだ。あきらかに一方的な苦痛を与えられて悶絶しかかっている。ハツこと発情期の光景にあるまじき痛々しい修羅場だ。僕が北君にむきなおると、そうそうそうなんだよと頷いてきた。
僕は腰をかがめて、のしかかられている豚の睾丸があった場所に残る淡いピンクの去勢痕の紐状のよじれを確認し、犯されている場所が稲垣足穂好みの場所であることを悟った。上になっているのはどうやら種豚らしく立派に盛りあがった睾丸を誇る牡だが、下になっているのも去勢された元牡だったのだ。
『出血してるね』
『うん、出血してる』
『抜けないのかな』
『抜けないみたいだね』
『まいったな』
『まいったね』
僕も北君も語彙の少なさを露呈して、お互いにおなじ言葉を繰り返すばかりだった。牡と元牡が愛情交歓をしている姿は滑稽だったが、それ以上になにやら無様な哀しみに似た軽薄が漂って、しかも耳を覆いたくなるほどに姦しい。正直なところ僕はこの情況に対処不能だった。僕は同性である神父に手を用いて奉仕することを強要されたことはあっても、それ以上の行動をとったことがない。つまり二十二歳にして童貞なのだ。だから耳学問としてのあれこれは聞きかじっていても、交媾《こうこう》の実際的具体的なシステムがもうひとつ判然としない。だから、なぜ外れないのか理由もわからないという大雑把な三段論法が成りたつわけだが、それでもあまりの喧しさに閉口し、いいかげん外してやろうということになって、しかし僕が曖昧な薄笑いをうかべて傍観者に徹していると、北君が仕切りの鉄柵を乗り越えた。酸っぱい臭いのする糞をゴム長靴でぐちょぐちょ踏みながら、北君は重なる二頭に近づいて、なにを思ったのかいきなり結合部分を親指と人差し指でつまんだ。
僕は眼を瞠ったものだ。というのも北君は巨人症独特の末端肥大気味の躯をしていて力は凄いのだけれど、反射神経のほうはどうもスローモーションの映像を見ているような長閑《のどか》さがあるからだ。それが、いっぱつで暴れまわる二頭の結合部分をさぐりだし、つまみあげたのだ。しかも豚が暴れているにもかかわらず、北君は器用かつ強力に結合部の根元をつまみ続けている。僕は鉄柵から身を乗りだして大声で訊いた。
『どうするんだ』
『わかんねえ、どうしよう』
『なんとなくつまんじゃったのか』
『なんとなくつまんじゃったんだよ』
『抜けないか』
『抜けないよ、螺旋になってるから』
『螺旋』
『そう。豚って螺旋状になってるんだ』
DNAだって螺旋なのだから、豚が螺旋であってもなんら問題はない。そんないささか小悧巧な思いに耽っている最中に僕は夜の真ん中に立ちつくしている自分を発見し、米軍放送の粘っこい女性アナウンサーの声を疎ましく感じ、まとわりつく夜霧を蹴りあげたあげくにゴム草履を飛ばしてしまって片足でけんけんしてゴム草履を追い、それから漠然と胡桃の木の下にむかった。
あのときの北君は、あきらかに昂ぶっていた。豚の局部からの出血で指先を緋色に汚しながら囁くような調子で、しかし大声で、ホモって〈同じ〉という意味なんだと教えてくれた。それがどうしたというのか。僕は豚舎の煉瓦壁に寄りかかってやさしき巨人を嘲笑った。北君は同性愛傾向があるから牡豚同士が重なったって昂奮してしまうのだろうが、僕はじきにその光景に飽きはててしまった。同性であろうが異性であろうが、交媾というものがこの程度のものであるならば、僕は一生を童貞として過ごすことを誇りにさえ思うだろう。僕はその場から立ち去ろうと考えもしたが、鶏の糞掃除をするよりは〈同じ〉という意味についていい加減に考察していたほうが多少はましだ。退屈のあくびをかみころして見守っていた。そこへ宇川君が登場した。宇川君は豚舎を覗きこんで情況を一瞥するとすぐに植木鋏をもってもどった。どけと北君に命じると、植木鋏でちょきんと切断してしまった。宇川君の人間性は大嫌いだが、判断力と実行力に関しては僕も見習いたいものだ。
宇川君と北君は僕よりもひとつ年上で二十三歳だ。修道院に附属する教護院で僕より一学年上だった。だから深く付きあったことはないが、顔見知りではある。収容生は中学を卒業する年齢で教護院をでる。僕も十五歳で教護院を卒業し、悪さに磨きをかけ、ついには人をふたり殺し、ここに逃げもどったわけだ。しかし宇川君と北君は社会にでずにそのまま修道院付きの農場に就職し、統率者である修道士のもと、ふたりだけで広大な農場の諸々の作業をこなしてきた。宇川君と北君は社会にでるのが怖かったのかもしれない。その気持ちは、わからないでもない。社会は規模を拡大された、しかも壊れかけた修道院のようなものにすぎないのだから。
ところで豚の肌の色というものはたいそう美しい。まばらに生えた乳白色の毛のあいまから純粋な薔薇色が覗くのを眼にすれば、誰だってそう実感するだろう。切断された豚の触角は、アヌスに刺さったままゆらゆら揺れてさらに見事な薔薇色だった。調子にのって口ばしることを許してもらえるならば、世界の美が凝縮しているといっていい。それなのに、なぜ、アヌスに挿入されたまま腐りはてていくという悲しくもばからしい運命をたどらなければならないのだろう。それが螺旋の宿命なのだろうか。あるいは、美しいものなんて、どうせ、こんな結末を迎えるのだよという教訓だろうか。ああ、世の中は安直だな。僕は、それに輪をかけて安直だ。もう豚の触角について考察するのはやめよう。なまじぬめりのある薔薇色をしているせいで、僕には荷が重い。
宇川君と北君のふたりは社会に一歩もでずに十年近く農場で働いてきたわけだが、僕は出戻りの新入りである。だからこの農場でもっとも熟練が不要な鶏の係りをまかされている。四時半に起床して朝いちばんにすることは、組合の配合飼料や牡蠣殻などを混ぜあわせて夏向けの餌を調合し、それを五百羽ほどいる鶏に与えることだ。配合飼料を混合するのはかなりの力仕事だ。スコップで大まかに混ぜあわせたあと、さらに手をつかって丹念に攪拌していく。トウモロコシの破片が黄金色に輝く飼料に肘まで突っこんでかきまわしていくと、鼻腔に穀類のやさしい芳香が充満し、それらの細片のせいで腕の毛穴がつまっていく。しかも乾燥しきった穀類はひんやりと腕の温度を奪っていく。言葉にすると快不快は微妙なところだが、実際にはなかなかに心地よい作業である。
鶏はその黄色い脚を覆う鱗を見てもわかるように爬虫類じみていて、信じがたいほどに愚かな生き物だ。行動のすべてが本能のみで成りたっている。死んだ鶏を奴らの眼前に投げだしたら、先を争って仲間をついばんだ。縄張りを犯す異物として攻撃したのだろうが骨と羽毛しか残らなかった。
餌を前にして、数百羽がいっせいに狂乱してバタリーに体当たりする様は、僕のほうに鳥肌がたつほど恐ろしいものがある。しかも飛散する羽毛が鼻や喉の奥にまで入りこみ、埃などと違って強烈な自己主張をする。唾液で濡れて嫌らしく丸まり、粘膜に引っかかって息苦しさと不快感を加速する。さらに羽毛は空気よりも軽いその精緻な構造に鶏糞の微細な粉末を取りこんでいる。だから胸一杯、肺胞の奥の奥まであの原初的な芳香が充ちて、眩暈《めまい》まじりの辟易を醸しだす。そんな羽毛に喉を弄ばれて幾度吐きもどしそうになったことか。
それでも、ようやく鶏の獰猛さ、あるいは一直線の本能の恐怖にも馴れてきたが、鶏の境遇にだけは落ちぶれたくない。こいつらには、含みとか羞恥というものが一切ないのだ。僕は粟立つ不安を抑えこみながら、淡々と餌をやる。淡々は精一杯の虚勢である。なぜ、本能というものは人を恐怖させるのだろう。知性だ理性だ悟性だ感性だ個性だ人間性だなどと嘯《うそぶ》いてもそれらはごく薄い膜にすぎず、中身は本能で覆いつくされていることを思い知らされ、意識させられるからだろうか。鶏にプログラミングされている徹底した生への志向に対峙していると、確かに自分が風船にすぎなくて、その薄膜を針でつつかれるような恐怖と不安が迫りあがってくる。僕は鶏の眼の白い瞬膜を凝視しながら、修行だと思って大嫌いな鶏たちに餌を与えている。
餌を与えたあとは卵を確保する。白色レグホンや名古屋コーチンたちは、ここでは産卵する機械として存在する。毎日平均して三百強ほどの、ほとんど無限とも思える数の無精卵が籠に山となる。鶏卵製造工場の面目躍如といった妙にしらけた光景だ。だが嫌味な宇川君が言うには僕が鶏舎の係りになってから鶏どもの産卵率が下がっているとのことだった。宇川君は牛舎をまかされているのだが、日々の鶏卵産卵率をあらわした折れ線グラフを僕に突きつけて得意そうに北叟笑む。ところが北君にいわせると産卵率が下がっているのは季節的なもので、これから暑くなっていくに従ってさらに産卵率は落ちるから気にすることはないそうだ。誰が面倒をみても産卵率は低下していくということだ。宇川君は誰かを貶めることが大好きなのだ。気の弱い北君など、恰好の標的にされている。もっともそういった性癖は僕にだってある。僕が宇川君を疎ましく思うことは、ときどき独り言をするような調子で口笛を吹くことだ。その音色が幸福そうで、得意そうなことに耐えられない。身の程知らずの小悧巧が小賢しさという音程を用いて口笛を吹き鳴らしているというところだろうか。とにかくそんなちいさなことがひどく癇に障るのだ。僕も宇川君と五十歩百歩の小賢しさだからよけいに苛立つのだろう。
胡桃の木の下には、米国白灯蛾《あめりかしろひとり》の幼虫、つまり毛虫の死体が無数に転がっている。白く、幽かに緑がかった毛虫たちは、体毛を萎れさせて夜露に濡れて動かない。生きているときの張りはとうに失せ、折り重なって異臭を放ちはじめている。足の踏み場もないというやつだが、僕はあえて散乱する米国白灯蛾の死骸の上に足を踏みいれた。もちろん気配りはする。親指、いや足指のすべてをできうる限り折りたたんでゴム草履からはみださないように用心すると、我ながら器用なものだと笑みがこぼれた。なにしろこいつらはホリドールを土砂降りの雨のように浴びてくたばったのだ。相当に危険である。死骸に触れないように気を配って、しかし、のしのし歩く。ゴム草履の下ですこしだけ腐敗のすすんだ白灯蛾の死骸が軋んで潰れていく。そのぷちぷちした感触は好ましい。
この大量殺戮の実行者は農場の責任者である赤羽修道士だ。赤羽修道士が朝方、胡桃の木に梯子をかけて派手にホリドールを噴霧撒布したのだ。ホリドールは殺虫剤の王様だが、かなり以前に使用が禁止されたそうだ。にもかかわらず世間様と隔絶した修道院の農場には無数の百姓を殺したという究極の毒物が無造作に、かつ大量に安置されている。赤羽修道士の詳細な解説によると、ホリドールは昆虫の神経系統に劇的に作用するらしい。ところが、それを散布する人間の神経系統に対しても抜群の効果を発揮する。具体的には厭世的というのだろうか、中毒すると憂鬱な気分の極致を味わわせてくれるそうだ。赤羽修道士曰く『かったるくなってしまうのだな』。その結果、人は生きているのが嫌になり、中毒者はたいがいが自殺してしまうという。僕が推理する赤羽修道士のたくらみは、こうだ。カトリックでは自殺は禁じられている。大罪だ。赤羽修道士は修道士であるから自殺するわけにはいかない。出身は日本におけるカトリック教徒の一大産地、長崎は平戸である。自殺は絶対いけないことであると幼いころから徹底的に叩きこまれて四十五歳まできたわけだ。三つ子の魂百まで。いや、ちょっと意味が違うか。まあ、いい。とにかく自殺したい。しかし強力な心的規制がはたらく。そこでその規制を凌駕する自殺衝動が欲しい。だから、少しでも害虫が発生するといそいそとホリドール溶液をつくりはじめる。今朝だって、宇川君が胡桃の木の米国白灯蛾大量発生を発見して、それを告げたとたんに眼の色が変わった。ほんとうに眼の色が黒から紫に変わったのだ。ともあれ憂鬱にさせて自殺させてしまうというのだからいかにもボードレールあたりがよろこびそうな薬物ではないか。自殺したい修道士は嬉々として修道院の憂鬱を実行しているわけだ。
米軍放送を聴きながら、しばらく毛虫の死骸を踏みつぶすぷちぷちの感触を愉しんでいるうちに、ふと白のことが気になった。あのばか犬は僕の御機嫌とりのためにホリドールのたっぷりとかかった胡桃の実を咥えてしまったのだ。厭世的で憂鬱な犬なんて、絵になりすぎだ。僕は大量殺戮の現場から飛び退くと、白の犬舎に駆けた。
女がしゃがんでいた。紺のタイトスカートは藍色をした夜になかば溶けこんでいたが、純白の半袖ブラウスが鮮やかに浮かびあがっていた。その色彩は夜霧のように鈍いものではなく、眼球の芯に痛みに似た刺激をのこした。だから一瞬、清潔な幽霊を目の当たりにしたかのような錯覚にとらわれた。女が僕を振り返った。這いつくばって動かない白を示して、どうしたのかしら、と小首をかしげてみせた。その手にはビニール袋に入った鶏の骨があった。神父たちの食べ残しだろう。かなり肉がのこっているから白には御馳走だ。僕はブラウスの純白を視界から追いだす意識操作をして、しゃがみこんだ女の臀のふくらみで張りつめているタイトスカートを凝視した。腰が細いせいだろう、臀が過剰に大きく感じられる。
一呼吸おいて、咎める口調で鶏の骨をあげてしまったのかと問うと、いけませんでしたかと見あげてきた。鶏の骨は折れると縦に尖って裂け、竹槍みたいになって喉に刺さるから、犬や猫にあげてはまずい。僕はどこかで耳にした蘊蓄を囁き声で披露した。女はビニール袋の骨と白を交互に見較べて、その頬に狼狽のいろを滲ませた。僕は地面に散っている骨片を一瞥した。白は喉を潰されているにもかかわらず、とりあえず鶏の骨にかぶりついたらしい。
女は鶏骨を与えてしまったことを丁寧にあやまり、どうしたらよろしいでしょうかと尋ねてきた。僕は方針転換だ。とぼけた調子で、仔犬じゃないから明日になったら自然に外れるだろうといい加減に請けあった。女は不安そうに、そうでしょうかと眉を寄せた。犬猫は胃液の消化力が凄まじいから、放っておけば骨なんて溶けちゃうよ。すらすらと嘘をつくと、それが事実のような気がしてきた。嘘で固めた僕の真顔は、まさに真っ当真っ正直な心のこもった真顔なので女も納得したようだ。僕は古いプロレタリア絵画に登場する労働者のように腰に手をやり、軽く反りかえって見守った。こういう姿勢には確かに偽善が漲る。だが用い方によっては包容力、誠実さ、力強さ、真剣さ、木訥さといったばかの属性をあきらかにして相手を和ませる力がある。女は鶏骨の袋を白の視線から隠し、囁き声で呟いた。
「幼年部に隣接した森のなかで山鳩が青大将になかば呑みこまれていたことがあったんです。子供たちが青大将の口からむりやり山鳩を引っぱりだしたら、その頭ですが、ほとんど溶けて灰色くなっていました」
女は蛇の胃液と溶けた山鳩と鶏の骨を重ねあわせて安堵したらしい。僕は女の隣りにしゃがみこんだ。湿った髪の匂いがした。洗った髪がまだ乾いていないのだ。洗髪、洗浄。なんだか心地よく昂ぶらせる言葉だ。僕は実際に昂ぶりはじめていた。生身の女をかたわらにして、その性を意識したのは初めてのことではないか。自分にこんな瞬間がくるとは思ってもいなかったので、やはり落ち着かない気分だ。
僕が童貞である理由を告白しよう。じつは、僕は、女に性器的興味をもてないのだ。性的興味ではない。性器的興味、だ。その理由はわからないが、女性器を見たいと思ったことがない。だから僕は女性の姿に発情するが、それには条件があって、裸体でなく着衣であること。しかもその着衣はごく日常的で地味なものであって、どちらかといえば縮んでしまったかのように肌に密着し、躯の線を露《あらわ》にしているものでなくてはならない。その他にも種々の要望があって、僕の女性に対する好みは絶望的に狭量、狭隘にして偏狭、狭小、いわゆるピンポイントであるというわけだ。
僕にとって唯一の女性のことを告白しよう。僕はある女性週刊誌の特集カラーグラビアにあった洗濯のアイデア集で、洗濯したあげく縮んでしまったブラウスとタイトスカートを無理やり穿いて眉を顰めて苦笑している女の写真を宝物にしている。あら、こんなになっちゃった……そんなコピーが脇に添えられていて、妙に整った冷たい顔立ちのモデルが着衣に躯を締めつけられて戸惑ってみせている。僕は普段は概ね空想で自慰に励むが、ときどきはその写真をとりだして身悶えするほど烈しい自慰に耽る。十七歳のときからだから、五年越しの愛人である。その二次元の愛人と同じ顔立ち、同じ姿恰好をした女が実際に立体としてしゃがんでいた。しかも洗い髪の匂いを立ち昇らせて。僕がこの女を幽霊のように感じた理由がわかってもらえただろう。
女が洗髪に用いたのはシャンプーではない。石鹸だ。質素倹約を旨としている修道院である。シャンプーのような偽善は存在しない。洗浄に用いるもののなかでもっとも好ましい香りを放つものは、香料を含まぬ修道女特製の茶色く脆い、粗末な石鹸だ。それは植物の油と水酸化ナトリウムだけを用いて丹念に塩析をしてつくりあげられる。修道女のつくる石鹸は、なぜか動物の脂肪を用いることがない。だから匂いにはくどさがない。どぎつさもない。僕は女の髪の青草の香りを鼻腔に充たし、白を見つめた。白は僕と視線をあわせようとしない。その瞳にはちゃちな怯えがある。しかし、もう、自分の身に起きた災厄の原因を忘れかけているようだった。あるいはキリスト教的犠牲精神と愛によって僕を許そうとしているのかもしれない。とにかく白の心のなかにおける僕に対する諸々の思いや印象といったものの総体があきらかにずれはじめ、焦点をはずしていることがその黒目勝ちな、いや黒目しかない瞳から見てとれた。僕は徒労感を覚え、舌打ちをしそうになった。女の手前、声にださずに念を送る。こんどは、てめえ、ぶっ殺してやる、必ず。
白を睨みつけていると彼女の半袖ブラウスから露になっている上膊の熱が僕の上膊に伝わった。囁き声で訊いた。あなたは修道女《シスター》じゃないよね。女は首を縦にふった。はい、アスピラントです。そう誇らしげに答えた。
幼いころから途轍もなく素行の悪かった僕は幾度も補導されたあげく児童相談所送りになり、小学校高学年から中学の三年間をこの修道院兼教護院に閉じこめられていたので、アスピラントという言葉は知っていた。しかし、その意味はわからない。女は抑えた声でアスピラントが熱望する人という意味であると諭すような口調で呟いた。その口調や仕草が母親じみていた。僕は上体をかしがせ、上膊を触れ合わんばかりに近づけた。産毛と産毛が触れあった。そのとたんに僕は硬直してしまい、ぎこちなく喉を鳴らした。僕の二の腕に自意識過剰の鳥肌がたった。女はそれに気づかないのか、気にしていないのか、よけもせずに、くっきりとした声でアスピラントとは童貞さまになることを熱望している者のことですと宣言した。童貞さまとは修道女のことだ。僕は鳥肌のういた上膊を掌でこすり、女を見つめた。女が深く頷いた。
あわてて顔をそむけ、眼をとじ、目頭を揉んだ。瞼の裏に女が頷く仕草が残像としてのこった。僕は女が頷くのを目の当たりにしたのに、それを認めることができなかった。なぜか唾が湧き、口中がたっぷりと潤った。そっと眼をひらき、女の横顔を凝視した。女は僕の視線を意識しながら、微笑んでいた。女が微笑していることは頬に柔らかく幽かに穿たれたえくぼが証明している。僕は口のなかの唾を呑みこんだ。得体のしれない渇仰はおさまったが、すこしだけ息苦しくなった。
幼いときから家族に恵まれず、独りで生きてきた僕の弱点は、漠然とした母性的なるものに対する憧れだ。自覚があった。そして、その無様さを許せなかった。十五歳でここをでてからこうして出戻ってくるまで、僕は家族的なるものを全否定して自分なりにあれこれ考えぬいて徹底して個人的に生きてきたつもりだからだ。しかし女は肯定したのだ。母のように頷き、僕を肯定した。女の肯定が、僕に苛立ちに似た甘酸っぱい甘えの気持ちを湧きあがらせた。唾が湧いたのは、幼児化のさきがけだったのかもしれない。緊張が糸を抜き去るように抜けていき、躯が弛緩した。鳥肌もおさまっていた。そして制禦不能な剽軽な気分になった。喉元まで、声がでかかった。〈僕だって正真正銘の童貞さまだぜ〉母に告げるように誇らしげに言いたかった。もちろん、口にはしない。女は微笑を含羞みにかえた。修道女見習いの立場を照れているのか、僕の躯が近づきすぎていることに羞恥を覚えているのか。僕を支配している幼児性を理解したのか。
唐突に気づいた。僕が五年越しで愛しているあの縮んでしまったブラウスとタイトスカートを穿いた女は、躯の線が露骨にでてしまう衣装に身を締めつけられることによってあきらかに羞恥をその表情に滲ませているのだ。それは、ありきたりの着衣でありながら縮むことによって肉体と精神に対するある責具としての機能、羞恥を顕在化させる機械的能力を獲得していたのだ。
確信した。僕が惹かれる女には、なによりも羞恥が立ちあらわれていることが重要だ。含羞が僕を昂ぶらせる。僕は藍色の夜に穿たれた女のえくぼに触りたかった。皮膚に触れたい。肉に触れたい。いまだかつてなかった衝動だった。かろうじてこらえた。かわりに醒めた口調を意識して訊いた。
「ねえ、主イエズスはマグダラのマリアとやったかな」
「なにを、ですか」
娼婦とやることなんて、きまっているだろう。だが、精一杯悪ぶっているにもかかわらず僕は童貞なので、まるで拗ねた中学生になったような気がして顔が熱くなった。それをごまかそうと僕はいいかげんに肩をすくめた。相撲の蹲踞《そんきよ》のような体勢だったので、とたんにバランスを崩した。片手が地面につきそうになったが、それよりも早く女が僕の躯を両手で支えてくれた。僕は女の反射神経に憧れのような尊敬を覚え、しかもその指先の冷たさにふたたび得体のしれない昂ぶりを覚えた。
自慰を好む女は爪をのばさず、綺麗に手入れをしているということをなにやら二流の、しかも古典的な Pornographie で読んだことがある。僕は女の爪の美しさに閉じた卑猥な空想に耽った。十代なかばくらいだろうか、悪友たちは女性器に対する欲望を露にしはじめ、その情景をあれこれ推測を交えた口調で述べ、稚拙なタッチでその形状を描きあらわしたりするようになったものだ。ところが僕にはそういった衝動が全くなく、しかしそれを悟られるのはどことなくきまりが悪いのでもっぱら人並みを心がけて彼らに話を合わせて、その結果劣等感をもつ者にありがちな過剰に下劣な言辞を弄するばかな子供に成りさがってしまったものだ。ところが、いま、僕は女が自身の性器をその綺麗に切り揃えた爪をもつ中指で攪拌している光景を息苦しい昂ぶりと共に空想したのだ。もちろん女性器を見たことのない僕の空想は、控えめで緻密な肌色の雲に彼女の指が挿しこまれていき、微妙に躍るといった、指の動きだけがリアルな不完全なものにすぎない。
そっと訊いた。なんで僕を支え続けてくれているの。女は溜息をついた。寄りかかられているからです。僕は苦笑いをうかべて態勢を立てなおしたが、ずっと彼女に支えていて欲しかった。女がちいさく咳払いして尋ねてきた。農場にはひと月ほど前にいらしたんですよね。僕は頷いた。でも、出戻りなんですよ。どこか釈明の口調でそう付けくわえた。
教護院は小学一年から三年までの幼年部、小学四年から六年までの小学部、中学一年から三年までの中学部に分かれている。僕の隣りにしゃがんで漠然と白を見つめている女はアスピラントとして修道女になる修行をしながら、生徒たちの食事の準備や洗濯など女手の必要な部分をこなし、幼年部の子供の面倒をみているのだ。施設内は幼年部だけが独立していて、強制的に参加させられる宗教行事以外に小学部や中学部と交わることはほとんどない。つまり幼年部は女子修道院として機能しているわけだ。僕は訊いた。なぜ、あなたが相手をするのは幼年部だけなのですか。女が和らいだ声で答えた。幼い子たちですから、どうしても母のぬくもりが必要なのです。僕はそれを不服に思った。小学部、中学部は神父や修道士が鉄拳を用いてたっぷりと愛を注いでくれたが、やはりあの当時の僕にも、そしていまの僕にも絶対に母のぬくもりが必要だ。そんな意図的な甘えを含んだ思いをこめて女を見つめると、つくりものの笑顔がかえってきた。
僕は曖昧に視線をそらし、教護院に収容されていた当時をぼんやりと思い返した。この施設は常時二百人弱の男児を収容している。もともとは終戦直後に都下K市の広大な旧陸軍施設をGHQから払いさげられて修道院付きの孤児院としてスタートしたそうだが、いまでは社会と隔絶しておく必要のある常軌を逸した子供を閉じこめておく檻として機能しているわけだ。農場をまかされて多少の自給自足体制と牛や豚や鶏卵を売ることで現金収入を得ることを課せられている赤羽修道士のような例外もあるが、ほとんどの修道士や神父は教師教官として悪ガキを調教無害化する仕事についている。ここには暴力と、その結果である死がかなりの頻度で充満していたが、それが外部に洩れ伝わることはなかった。
「セルベラ院長さまが私たちのミサのときにあなたのことを感心な青年だとおっしゃってました。ここを卒業していったん社会にでたにもかかわらず、世俗を離れて心の修養をしたいとおっしゃってもどっていらしたのだとか」
「修道士にはならないよ」
僕は先手を打っておいた。セルベラ神父が僕のことを感心な青年だというのは、出戻ってきたその日に神父の要求に応えてその赤らんだ異様に大きな、しかし硬度に劣る絵に描いたような白人系の触角をこすって大量の白濁をぶちまける手伝いをしてやったからだ。セルベラ神父は敏感だから、僕が世俗を離れて心の修養をする気になどなるわけがなく、なにやら理由があってここに舞いもどってきたことを直観したのだ。僕は基本的にあれやこれやの作業を厭わないたちだが、またいずれセルベラ神父の求めに応じて手先と掌を用いたあの奉仕作業を執りおこなわなければならないことを考えると、いささか憂鬱になった。
しゃがむ姿勢に疲れたので膝に手をついて立ちあがった。立ちあがりついでにあいている左手で彼女の手首を掴み、立ちあがらせた。強引だったかなとも思ったが、女はありがとうございますと礼を言った。立ちあがった女は僕と同じくらいの背丈があった。純白のブラウスが乳房のふくらみで柔らかく尖っている。僕は遠慮なしに夜を犯す純白のふくらみに視線をはしらせたが、女は気づかないのか、気にしていないのか、臥せる白をじっと見つめている。
女を牛舎の背後の草叢に誘った。途中には張出屋根の乗った糞棄場があり、三方をコンクリート壁で仕切られたなかに牛糞、豚糞、鶏糞が層をなして盛りあがり、発酵し、眼に沁みるほど酸っぱい臭いを放っている。明るい時間ならばその混沌混濁のあちこちに天文学的数字の乳白色をした蛆どもが蠢く姿を垣間見ることができるのだが、夜が奴らを隠蔽している。顎をしゃくると女はのみこみよくそこに骨を投げ棄て、もう鶏の骨は二度と与えませんと呟いた。女が平然とした顔をしているので、臭いはだいじょうぶなのかとあえて訊いた。とたんに女は顔を顰めた。涙がでそうですと笑った。あまりの刺激に鼻の奥もひりひりすると囁き、凄いです、と付けくわえた。僕は頷きかえし、しかしこの臭いには馴染むところがあると正直な気持ちを開陳した。好きかと訊かれれば冗談じゃないと答えるが、その口調ほどには毛嫌いしていないというわけだ。すると女の唇がさりげなく動いた。
「生き物の香りですから」
いい返事だと思った。僕は発酵して旺盛に熱を放っている糞の山を振り返った。女は振り返らなかった。ともあれこうして成熟を待つ糞便の山はいわゆる有機農業の本質であり、必要不可欠なものだ。農業とは自然を露悪的に改変する超絶的テクノロジーだ。肥溜めで発酵する糞便の神秘は、悪意が充満した科学なのだ。気分と理屈だけの自然愛好家の顔をこの糞のなかに突っこんでやりたい。自然食好きの有機野菜好きにこの寄生虫の卵の充ちみちた糞の海を泳がせてやりたい。僕のもっとも嫌いなものは、選別にすぎないくせにそこに自然保護という名を冠して小市民の自尊心を擽《くすぐ》る西欧白人型の新たな植民地主義だ。もっとも、このような小賢しい言葉を脳裏に並べて思考したような気になったあとは、必ず憂鬱な自己嫌悪が這いあがってくる。
僕と女は斜面をのぼり、広大な草叢に足を踏みいれた。女の先にたち、なぜか居丈高な気分になって濡れた草々を踏みたおしてすすむと、噎せかえる青い匂いが立ち昇り、精霊飛蝗《しようりようばつた》が楕円軌道を描いて飛び去っていく。立ちどまってその軌跡を追っている最中に、いきなり告白衝動を覚えた。小声で言った。僕は逃げてきたんだ。
女が僕の脇にきた。僕はわざとらしい微笑をつくった。声をおとして切れぎれに囁く。ちょっと人を殺してね。警察がうるさい。どこに逃げようか思案して、ふとここに思い当たったわけ。軽口を叩いているとなぜか得意な気分になってきた。もちろん、女は真に受けていない。
犯罪者は逃亡する。どこかに逃げこむ。それはドヤ街であったり、海外であったりするわけだが、修道院に逃げこむというのは数ある逃亡隠遁のなかでも最上ではないか。現代のキリスト教カトリックは体制べったりという点で較べるものがない痴呆的集団だ。なにしろ信者自らを羊になぞらえるほど権力権威に弱いピラミッド型の集団である。価値は天の国にしかないのだ。だから無様なほどに迎合する。カトリックが真の宗教ならば、たとえば天皇制と相容れることなどあり得ないのだが、巧みに頬被りしてとぼけている。毛嫌いするのは共産主義だけなのだ。しかも神父や修道士修道女は仏教の坊主たちよりはなんとなく気高いような錯覚を世間一般の人が抱いている。つまり黄色い猿の被植民地根性や白人コンプレックスを巧みに利用しているということだ。その結果、盲点ができあがる。一見ひらかれた集団に見えるが、そのじつ警察権力さえも介入を躊躇う結界ができあがっている。だが、誰もが修道院という隔絶した世界に逃げこむことができるわけではない。過去にこの修道院兼教護院に閉じこめられていたことがあり、フランシスコ・アシジという洗礼名をもってさえいる僕の特権だ。
女が真顔で迫った。どんな罪を犯したのですか。だが、その手は夜露に濡れた草の首を千切るという余裕をもっている。僕は幽かに苛立った。さきほど人を殺したと言ったではないか。しかし、それをむしかえす気にはなれなかった。鋭く短く答えた。強姦。すると女が苦笑した。悪ぶっているんですね。悪ぶっているのではない。僕は、これから、強姦という肉体侵略の罪を犯す。うまくすれば心も強盗できるかもしれないが、そこまで高望みするつもりはない。僕は強姦という行為に童貞を捧げるのだ。強盗とはいえ、良心的なほうだろう。賭博でいえば〈いってこい〉というやつだ。だが、女は小首をかしげてふたたび囁いた。
「悪ぶっているんです」
僕はやりかえす。悧巧ぶっているよりはましだろう。善人ぶっているよりは、さらにましだ。そう声を荒らげると、女は僕になにか異様なものを感じたらしい。ほんのしばらくだが瞬きを忘れた。やがて声をひそめて、ほんとうに、その、強姦を、なさったのですか。そう問いかけてきた。なさったのではない。これから、なさるのだ。だから僕は首を左右に振った。女はそれが当然であるといった表情で頷いて、悪ぶるのはよくありませんとかさねて諭してきた。僕とたいして歳がちがわないはずだ。なぜ、姉のような口をきくのか。先ほどは女に母を見たくせに、僕はふてくされて口を尖らせた。女が怪訝そうに僕の横顔を窺った。補聴器ですか、それは。
僕はふてくされた表情のままイヤホンを抜いてそっと女の耳に挿しいれようとした。女の耳の穴はひどくせまかった。おさまらない。女が痛みを訴えた。僕の強姦はあっさりと挫折した。女は自分でイヤホンを押さえて耳にあてがった。器用な方ですね。右の耳で音楽を聴いて、わたしのお喋りは左の耳。ちゃんと受け答えをしていらっしゃいましたけど。そう笑いかけた。僕はイヤホンを受けとり、ラジオをポケットからとりだして月明かりにかざした。
ここに逃げこむことを思いついてK駅に降りたって、しかし決心がつかずに北口をうろついていたら、雑居ビルに東西を囲まれた古ぼけた木造平屋のプラモデル屋があったのだ。とりあえず暇つぶしに塗料用のシンナーでも買って吸おうと考えて店内にはいったのだが、お婆さんはすまなそうに、僕が好きな純トロことトルエンを多量に含んだシンナーはおいてないと言った。劇物取締法という気のきいた台詞まで吐いて、自転車屋でゴム糊を買って吸ったらどうかとアドバイスされた。がっかりして、漠然と店内をうろついた。お婆さんが背後から、取り締まりが厳しくなければ、幾らでも売ってあげるのだけれどと呟いた。取り締まりという言葉には多少緊張させられたが、逆に意地になっていたのかもしれない。僕は時間をかけて、淡々とした顔つきで古びて黄変した箱のプラモデルを見ていった。マニアが見たら歓喜しそうなイタリア、プロタ製のモデルが当時の定価のままなかばひしゃげて積みあげられたりしていた。お婆さんは僕がなにか買いそうだと期待して、あるいは万引きを懸念して、その脂気の失せた皺だらけの手をかさこそこすりあわせて見守っていた。やがて、僕は発見した。レジ脇のショーケースのなかでゲルマニウムラジオの自作キットが埃をかぶっているのを。しかもその隣にはいまではなかなか見かけることのない半田や半田ごてまで並んでいた。半田ごてのコードはビニール被覆の電線ではなく、布をかぶったゴム線だった。錫と鉛の合金が半田ごての先端で溶け、銀の滴となって不安定に揺れるところがありありと脳裏にうかんだ。しかも、あの松脂の焼ける独特の香りまでもが鼻腔を刺激した。眩暈がしそうになった。僕はゲルマニウムラジオを組み立てる自分を空想した。細い、細い、あの光沢のある茶色い銅線を一分の隙もなく巻きつけてコイルをつくる。指先に銅線のくぼみをつくるほどに力をこめ、集中して、僕は張りつめた氷のような磁場を露にし、自分のものとするのだ。ああ、それらの作業のすべてが青い匂いを放つだろう。磁場に立ちこめる閉曲線の匂いはとりわけ青褪めて、しかも六方晶系結晶、不純物を一切含まぬ凍った水晶の透明さをあきらかにするのだ。懐かしかった。たまらなかった。衝動買いしてしまった。その一部始終を女に細大漏らさず話した。女は真っ直ぐ僕の眼を見つめてきちっと話をきいた。僕は細部にこだわっていた。キルヒホッフの法則といった初歩の電気理論まで口にしかけて、自分の表現衝動とでも呼ぶべきもののねちっこさに驚きさえ覚えていた。
そして最後にもったいつけて、イヤホンでしか聴くことができないけれど、アンテナ線をどこか空高く聳える金属に巻きつけることができさえすれば、ひたすら電磁波をキャッチし続けることができるというこの鉱石ラジオの本質的な秘密を女にあかした。経済的ですねと女は笑った。僕は醒めた顔をつくって肯定したが、得意でならなかった。これは、つまり、永久機関なのだ。原理は簡単だが、米軍放送が消滅しても宇宙に充ちている電磁波のノイズ、つまり神の囁きをちゃんと拾うことができる宗教的永久機関なのだ。
僕がラジオの本体にイヤホンをくるくる巻きつけてポケットのなかに隠蔽すると、女が呟いた。わたしのお父様もそのラジオで音楽を聴けばいいんですよ。どういうことかと尋ねかえすと、女は自分の父がジャズやクラシック音楽を聴くために防音室までつくって、たくさんお金をかけていることを告発の口調で述べた。いわゆるオーディオマニアなのだろう。経済的ですねと女が笑ったとき、幽かにいやな予感がしていたのだ。永久機関の話をしているのに、物神崇拝者にして偶像崇拝者の話はないだろう。僕は精緻な偶像破壊主義者である。Iconoclasm を実践しているという自覚と自負がある。だから反撥を覚えもしたが、黙って女の言うことをきいていた。女がしたり顔で宣告した。
「音楽を聴くには、あなたのそのラジオのか細い音がいちばん美しく聴こえるのではないかと思います」
僕は口をすぼめた。嫌悪と紙一重の微妙なずれをもてあましていた。銅線の巻きつけられたちいさく単純なコイルに神が宿るという話をしているときに、ありきたりな清貧がどうこうという人生訓的水準にまで会話を貶めようとする女の小賢しさが僕を幽かに苛立たせた。だが女は自分に沈みこみ、他愛のない家族のことを語りはじめた。出身は赤羽修道士と同じく長崎で、父親は地元の実力者であり、彼女は長女らしい。僕は投げ遣りな気分を隠して女の話に適当に相槌をうちながら草叢の北側にある藁小屋に誘った。誘いかけの言葉は、立ち話もなんだからという大雑把なものだったが、女は素直に従った。
藁小屋は便宜上小屋と呼ばれているが、牛舎の二階におさまりきれない藁束を収容しておくためにつくられた建坪が七十坪ほどのかなり大きなプレハブの建物だ。藁は冬期、牛の餌の牧草の生育が悪く欠乏気味なときに飼料に混ぜて繊維質を補うためのものだが、コンバインやトラクターといった巨大な米国フォード社製農作業用機器や作業用トラックなどの屋内駐車場も兼ねている。まくれあがって壊れかけているシャッター脇のアルミドアを蹴ってひらき、なかに入る。天井がやたらと高いのと、基礎のコンクリートが完全に乾ききっていないせいで、内部はひんやりとしていてとらえどころがない。壁面に沿って数メートルの高さに整然と積みあげられた埃くさい藁束の匂いを意識しながら僕はトラックのドアをひらいた。トラックのシートは破れが目立ち、赤茶けたスポンジが露出しているし、運転席の床にはチョッパーで細かく裁断された藁屑が大量に忍びこんでいて、多少ふわついた踏み心地だ。僕は女の着衣が汚れはしないか心配だったが、女は気にせず、僕に臀を押されて背の高いトラックに乗りこんだ。臀を押すという行為はごく自然な親切心からのものだったが、そのふくらみが切れそうに張りつめていることが掌に伝わり、僕は緊張した。
女はトラックの助手席に座っても喋りつづけた。愚にもつかない身の上話だ。あきらかに憑かれている。制禦不能な状態に陥っているようだ。僕や北君といった日雇人足的立場の者はともかく、修道女をめざすという立場上、幼年部の子供を相手にするとき以外は祈りばかりで私語を禁じられている毎日だ。家族のことなどを話す相手に不自由していたのだろう。あるいはホームシックにかかっているのかもしれない。トラックのドアは開けはなっていたが、車内にまでは月明かりもとどかず、かろうじて女の膝小僧のあたりが仄かに白く浮かびあがっている。表情はわからない。
僕は女の傷ひとつない膝頭を盗み見て女のお喋りにいいかげんな受け答えをしていたが、この調子では陽が昇るまで喋りつづけそうだ。僕は閉口し、あれこれ思案した。女の口をふさぐ常套手段がある。しかし経験がないことは如何ともしがたい。実行に移せず、貧乏揺すりをした。女がお喋りを中断して貧乏揺すりする僕の膝頭、正確には太腿に近いあたりをそっと押さえてきた。僕は痙攣するのをやめて生唾を呑んだ。初志貫徹。そんな四文字熟語が脳裏にうかび、その無意味さに力づけられてなかば強引に躯をあずけた。我に返ると誘いこまれるように接吻していた。女の口中に舌先が吸いこまれていた。なんだ、女がしたかったのはお喋りではなくて、これだったのだ。女の口のなかは熱く、しかも唾液にあふれていた。しかし誘いこんだにもかかわらず、漠然とひらかれてとらえどころがない。動きの鈍いくせにいつのまにか周辺を縦横に這いずりまわってその銀色にぬめる痕跡を誇る蛞蝓《なめくじ》が僕を罠にかけようとしているかのようなあざとさがある。僕はなんとか戦況を好転させようとあがきながらも、戦いの方法がわからず、結局は乳児化して女の唾液を必死に吸った。すると、こんどは女の舌先がそれにあわせて僕のなかに侵入してきた。ごく控えめではあったが、その鋭利に尖った舌先の動きには童貞さまになろうという女とは思えない現実的なしたたかさと積極性があった。僕は悟った。この女は絶対に処女ではない。罠にかかったのはこの女ではなく、僕のほうだ。気づくと僕はブラウスの上からではあるが、乳房を鷲掴みにしていたし、もう片方の手はタイトスカートの奥、しっとり湿った下着の核心を爪の先で戸惑いながら圧迫さえしていた。僕は誘導されていたのだ。数分後には女が積極的な体勢をとり、僕の指は下着のあいだから熱の内部に没していた。だが、僕にはこうなった過程がまったく把握できていない。催眠状態に陥って誘われるがままだ。しかも僕の触角はいつのまにか露にされて女のちいさな掌に頼りなげに覆われ、刺激され、極限まで充血していた。僕は強姦されかかっていることをはっきりと意識した。女も僕もいつの間にやら下半身だけ裸になりかかっているという人間の尊厳を笑いとばす無様な恰好をしている。本来の僕は着衣の女にそそられ、昂ぶるたちなのに、中途半端の極致のような状態に追い込まれて、しかも拒絶できずに奥歯を噛みしめている。僕は女性器に興味がない。言い方をかえれば、微妙な嫌悪を抱いていた。いま僕は実際に、ある内臓的な生臭さのようなものを感じとって狼狽《うろた》えていた。それなのに僕の中指は痛みを感じそうなほどに締めつけられて呑みこまれ、その最奥に対する刺激を要求されている。嫌悪と昂ぶりの綯いまぜになった不幸な情況だ。だから必死に自分に言いきかせた。これは大人になるための試練なのだ。大人になるための試練。噴飯ものだ。繰り返すとばからしくなった。逃亡が不可能な以上、情況を受けいれるしかない。僕はみじめな鶏になろうとした。本能以外になにもないただの鶏だ。観察であるとか感慨といったものをもつ余地のない本能だけの生き物だ。そう必死に念じた。だが必死に念じなければならないこと自体がもう破綻を内包していた。観察や探究をやめることはできなかった。僕の中指は人並み以上に長いが、女の最奥にはかろうじて到達する程度で、余裕はない。指先は最奥に鎮座するとじた唇のかたちめいた部分をさぐりあて、その意外な筋肉質の硬さに戸惑いを覚えている。僕は訊いた。これって、どこ。間抜けな質問だ。女は僕の耳朶を咬むようにして答えをはぐらかした。たぶんこれは子宮の入口なのだろう。僕は自分の観念にある子宮という言葉と現実の子宮が一致しないことに強い鬱憤を覚え、苛立った。どのように探っても子宮内部にまで指先を挿しいれることはできなかったからだ。入口のくせにとじているのか。そう迫った。私にはわかりませんと、女が喘ぎながら言った。そういったやりとりをしている最中にも間断なく僕の触角は愛撫されつづけていたようだ。醒めていたつもりなのに、唐突に切迫を覚えた。炸裂しそうであることを訴えた。受けてあげると女が囁いた。それから先の、トラックの座席における女の積極的な行動と体勢は記述をはばかられる。僕の予想をはるかに超えていたからだ。ともあれ僕は次の瞬間に、僕に跨った女の胎内で烈しく爆ぜて童貞を喪っていた。女が頬ずりしてきた。どんな気持ちか尋ねてきた。僕は呼吸困難に陥っていた。酸欠で霞む頭を振って、かろうじて、凄く熱くてとだけ答えた。女は頷き、僕をおさめたまま、秘めやかな動作をはじめた。ようやく意識がもどってきた僕は心配になって訊いた。直接でちゃったけど、だいじょうぶなの。問いかけはどこか幼児語の気配があった。女がふたたび頬ずりしてきた。かまわないと囁いた。いくらでも充たしてください、なかをいっぱいにされるのがいちばんうれしいんです誇らしいのですと請けあった。それから小刻みな動作を続けながら父に対する怨みを披露した。私の父には情というものがないのです愛情が愛がわからないのです空虚な心しか持ちえない哀れな人なのです神を取りちがえているのです。なぜ、このようなときに父に対する怨嗟を口ばしるのだろう。僕には理解できなかった。しかも女の訴えはときどき喉に息が詰まったような痙攣状態に陥るせいで、切れぎれになった。さらに、そこに控え目ではあるが母音が中心の呻きが混ざるせいで、ひどくわかりづらい。僕は剥きだしの臀がトラックのビニールシートに汗で接着されて濡れた音をたてる不快感に耐え、昂ぶりながらもだらけているという焦点の合わない不思議な状態で女の訴えを解読しようと努力した。しかし無駄だった。女の収縮律動に対抗するのは難しい。しかも女の繰り言はとどまるところをしらないが要領を得ない。僕は悪戯心に似た気分で、浅ましく下方から女を突きあげていた。すると自分がようやく獣じみてきたことに不安まじりのよろこびを覚えはじめた。しかし彼女の訴えのあれこれに丁寧に頷きかえして恭順の意を示しはしたが、心底から女を信用したわけではなかった。この女は僕など較べものにならないほどの嘘つきであることが躯の蠕動や内臓から漂う香りから伝わってくるからだ。あるいはすべての女は嘘つきかもしれないが、この女は選りすぐりだ。僕の直観が告げている。白の小屋の前にしゃがんでいたのは計画だった。僕が深夜に彷徨する癖があることを知っていて待ち伏せしていたのだ。女は僕を奴隷に仕立てあげようとしている。その証拠に僕は自由を奪われて、それなのに制禦不能の快感に女の唾を吸い、涎をたらし、譫言《うわごと》を口ばしりかけている。不自由がこれほどまでに甘美であるとは。僕は女に絡めとられながら〈元后あわれみ深き御母の祈り〉の最後の部分を声にだして唱えていた。かんようじんじかんびにましますどうていまりあ。かんようじんじかんびにましますどうていまりあ。かんようじんじかんびにましますどうていまりあ。かんようじんじかんびにましますどうていまりあ。かんようじんじかんびにましますどうていまりあ。ああ僕の上で踊る女はまさに寛容仁慈甘美にまします童貞マリアだ。僕は女の乳首に吸いついて歯をたてた。女が好むのだ。そうされることを好む。痛く、痛くしてください。切れぎれに訴え、さらに切なさをました縦皺を眉間に刻み、胎内の僕に対する翻弄の度合いをます。眩暈をおこしつつある脳髄の片隅で、祈りとは反復に意味があるということを僕はいきなり理解した。いまおこなわれている性行為と同様に反復が祈祷の快感をもたらすのだ。寛容仁慈甘美にまします童貞マリアでも南無妙法蓮華経でもなんでもいい。すべての快感の本質は、反復にある。その事実において祈りと性行為がイコールで結ばれることを理解した。僕は宗教の真の快楽を知りつつあった。自我なき反復。これが最上のものだ。キリスト教において性が嫌悪忌避されるのは、快感というひりつくようなおまけで誘って、祈りよりもわかりやすいかたちで簡単に自我なき反復の境地に誘いこむものだからなのだ。祈りという忍耐を要する自発的行為の果ての自我なき反復よりも、本能に従うだけの性の反復の果てに起きる自我消失のほうがわかりやすいし、なによりも行いやすく、生と死の単純化モデルとして機能しやすい。だが、これを素直に認めてしまうと禁欲をメソッドとする教義は崩壊してしまう。苦労してるんだな、と嘲笑いかけたが、よく考えてみると忍耐と禁欲の果てに得られるもののほうが歪みが加わるだけに快感としては数段上質ではないか。動物的快感が強烈な熱狂をともないながらも線香花火じみていることは、いま、この瞬間の炸裂、白濁の放出が如実に示している。宗教的快感は欲深い。人がつくりだした究極の快楽だ。人の快楽はねじれにある。僕は肉欲に溺れながら、あるいは肉欲に溺れる女を適当にあやしながら、宗教的快感に対する切実な欲望をもてあましていた。
幾度爆ぜたことだろうか。女は僕に密着したまま、惚けた表情で寝息をたてはじめた。僕も眠りたくてしかたがなかったが、女が先に微睡んでしまったので必死に意識を保ち、ようやく痙攣的な熱狂が終わったことを悟り、しかしまだ女の内部にあって硬度を保っている自分の触角の猛々しさを疎ましく思った。やがて、女が目覚め、身悶えするように離れ、はずし、僕の健在ぶりに媚びの詰まった眼差しをむけ、驚いたことに躯を斜めにして僕の腰を抱き、口唇を用いて僕の触角を浄め、暗がりに躯をねじこむようにして意図的に隠蔽してなにやら自らの局部の後始末をし、手早く下着を身につけ、乱れたブラウスの裾をタイトスカートのなかにあせった手つきで挿しいれ、秘密めかした眼差しをむけてきた。その重い微笑に僕は幽かに怯んだが、気取られずにすんだようだった。不明瞭に微笑みかえすと、女は僕の唇を押しつぶすような強引な接吻をして幾度か振り返りながら去っていった。僕はせまいトラックのシートで虚脱し、なぜ自分が女性器に興味がもてなかったのかを考えてみた。
まず、自己愛だろうか。あるいは自尊心。あるいはマザーコンプレックス。女は異性である前に母であるという思い込みがあり、性の対象としてはならないという禁忌が作動した。そんなところかもしれない。あまりに単純でどことなく納得できないが、ひとつだけはっきりしていることがある。
「幼かったんだ、僕は」
だが、そんなことは初めからわかりきったことで、あえて声にだして確認するほどのことでもない。僕は頭でっかちの子供だ。しかし、女と交わって童貞をなくしたからといって幼児的性向を棄て去ることができるのだろうか。大人になれるのだろうか。しばらく悩んだ。しかしもっと重大な問題に気づいた。夜更かしをしすぎたということだ。
溜息が洩れた。農場の朝は早い。夏期は四時半起床、即作業。僕の仕事ぶりはいい加減であるとはいえ、農作業は片手間にできるほど楽ではない。すこしでも眠っておかないと日射病で倒れかねない。僕はトラックのシートに横になった。足を縮め、膝を抱くようにして眼を閉じる。鉱石ラジオのイヤホンを耳に挿し、異国の言葉で鼓膜を愛撫してやる。とたんに朦朧とした。交接による股間の鈍痛を幽かに意識して、即座に墜落した。
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[#小見出し] 王 国 の 犬
本来は豚舎の係りである北君の仕事だ。それを宇川君が手伝ってずっと二人で運んできたという。今朝、宇川君が仕事は平等でなくてはいけないと言いだし、その尻馬に北君がのった。単なる思いつきのくせをして、平等という言葉を楯に宇川君と北君がしたり顔で迫った。いまだかつて残飯を運んだことのない僕が、単独で、これから当分のあいだその役目を受けもたなくてはならなくなった。
なにが平等か。平等とはこの世界でいちばん無意味な言葉だ。だいたい僕が残飯を運んだことがないのは、いままで農場に存在しなかった、つまり新入りであったせいだ。新入社員に向かって、俺たちが過去にこなしてきた仕事をしていないのは不平等だと迫るのは誰が考えたって理不尽だ。僕は怒りのせいで完全な無表情になった。その無表情をまったく崩さず、昼休みに豚舎に出向き、残飯をいれるドラム罐三本を積んだリヤカーを引っぱりだした。ドラム罐の表面には残飯の澱がその全体に層をなしてこびりつき、茶褐色に変色して盛りあがり、強烈な腐敗臭を放っている。僕は顔を近づけて熱気さえ放つ酸っぱい臭いを胸一杯に充たした。それでどうにか怒りを抑えこむ。本来ならば幽かに漂っているだけでも腹立たしい腐敗臭であるが、糞便や残飯といった有機物のなれの果て、あるいは極致である香りの芯には神経を投げ遣りに和ませる力があるものだ。
行きはドラム罐が空であるからどうということもない。しかし帰路を思うと憂鬱だ。二百リッター入りのドラム罐三本である。それらに残飯を一杯に詰めこめば六百キログラム近くの重量になる理屈なのだ。身長百七十二センチにして体重五十六キロ、つまり自分の体重の十倍強の重さの残飯を車軸ベアリングの壊れたリヤカーで引っぱって農場に至る坂を下り、そして登らなくてはならないのだ。
農場から調理室の裏口に続く泥道を、だらけた足取りでリヤカーを引いていく。大きさの合わないゴム長靴のなかで足が泳ぐが、まあ、許容範囲だ。そう感じたとたんに、収容生たちがサッカーに興じる歓声が彼方から風にのってとどいた。僕はいまの境遇を許容してしまったのだろう。怒りが消えたわけではないが、あきらめまじりの気分でサッカーのざわめきに耳を澄ます。修道院を構成するピラミッドの頂点にいる白人のほとんどがラテン系、つまりイタリア、フランス、そしてブラジルといった国籍の者が多いので必然的にサッカー熱が高い。あるブラジル人神父などスータンと呼ばれる黒く長い僧衣の裾をからげて収容生にまじってサッカーボールを追い、桁違いの破壊力があるシュートを繰りだす。
たまには僕もサッカーボールを追って全力疾走してみたい。ここの収容生だった時分に僕はサッカー好きの神父に気にいられて、なかば無理やりサッカー部員にされていたのだ。部屋にはア式蹴球部と墨書された看板がさがり、発酵して粘る足指の股の匂いが充ちていた。当時は練習が嫌でしかたがなかったが、たしかに試合の最中にボールだけに集中して駆け、蹴る、あの瞬間には暴力をふるっているときに近い、戦争に似た昂ぶりがあった。もっとも僕は周囲の者にいわせると熱中が訪れた瞬間に理性を喪うたちで、いつもオフサイドの罠にかかって皆からばか扱いされていたものだ。言い訳をさせてもらえば、僕のオフサイドは確信犯的行為であり、ゲームの純粋性を穢すルールに対する異議申し立てであったのだが。
僕はリヤカーをとめ、道の脇に茂っている茶の葉の濃緑を一瞥し、ゆっくりと空を仰いだ。空梅雨の、よく晴れわたった暢気な青空が視野いっぱいに拡がった。季節感のない阿呆なひばりが乱雑な軌跡を描いて飛びまわり、囀っている。この類い希なる長閑さはS会という修道会の本質が醸しだすものでもあるだろう。人々は修道院といえば北海道の番外地にあって喋ることもままならぬ厳格な規律を戴いた、灯台の聖母トラピスト修道院のような形態のものを思いうかべるだろうが、じつは宗教的拘束力の非常に強い盛式誓願をたてて禁域に立て籠もり、世俗との関係を一切断ち切って祈りと労働の日々だけに集中する厳律修道会、観想修道会はごく少数なのだ。現実はイエズス会に代表されるように拘束力の弱い単式誓願をたてて民衆のなかに出て布教をするいわゆる托鉢修道会、教職修道会がほとんどで、ここS会はさらに戒律のゆるい活動修道会に分類される。つまり、だらけているのだ。
ひばりのあからさまなはしゃぎぶりを漠然と追っているうちに、くすぶっていた怒りもどこかに消え、すっかり毒気を抜かれた気分になり、大あくびをしてリヤカーをふたたび引っぱりはじめた。調理室で仕事をしているのは修道女とアスピラントだ。二百人分の食事をつくるのでかなり規模が大きい。炊飯をしているときに脇を通ると米の煮える甘く柔らかい香りがしてたいそう心地よいものだ。いまは昼食後なので、食器を洗浄する音が幽かに響くだけだ。
なにしろ初めてのことで、手順がわからない。僕は裏口前にリヤカーをとめ、アルミのドアをひらいた。コンクリート打ち放しの室内は、途中で段差があり、その一段高いところにしゃがみこんで玉葱の皮を剥いていた三十年輩の修道女が顔をあげた。僕は上目遣いのまま軽く頭をさげた。豚舎の残飯を受けとりにきたことを告げると修道女は黒い修道服に附着した玉葱の金茶色の皮をパタパタとはたいたが、胸にさげたロザリオが揺れるばかりで皮はなかなか剥がれ落ちない。まるで静電気で貼りついているかのような頑固さだ。
修道女は皮を落とすことをあきらめ、左右に躍っていたロザリオの先にさがるキリストの十字架像を、軽く胸を叩くような仕草で押さえつけた。
ここは食品を貯蔵しておくための空間らしい。一応は女の園なのだが、工事現場の生乾きのコンクリートじみた匂いの殺伐さがある。右側に巨大な据え付け型の冷凍庫があり、コンプレッサーが幽かな軋み音をたてていた。その奥まったところに調理場に入るためのドアがあり、僕はそのドアがロックされていることを確認した。たぶん修道女は独りになりたくて玉葱の皮を剥いているのだろう。そのドアの脇に青い合成樹脂のゴミ用大型ポリバケツが五つほど並んでいる。酸っぱい臭いから即座に残飯であることがわかった。このなかに昨夜から今日の昼まで一日分の残飯がおさめられているのだ。どうすればいいのかを訊くと、リヤカーを室内の段差の部分まで進入させて、ポリバケツを引きずって移動させ、中身をアルミの柄杓ですくってドラム罐に移し替えなさいと修道女が命じた。はいと神妙に返事をして僕は内部に踏みこんだ。空気がひんやり湿っていて、心地よい。修道女がいっさい手をいれてない薄茶色の眉をややつりあげて、ドアを閉めなさいと命じた。同時に値踏みするような視線が僕に絡んだ。僕は彼女の鼻の下に生えている産毛のように淡い金色の髭を凝視して、後ろ手にドアを閉めた。
「あなた。アスピラント教子になにをしたの」
不意打ちに僕は驚いた。なにをしたかと尋ねられても童貞さまには説明しづらい。なにしろ毎晩性交をしているのだから。すぐに居直る気持ちが湧いたが、それでも僕の唇は動かなかった。修道女が小首をかしげた。僕の背後を見るような眼差しをしていきなり冗談の口調で言った。
「お猿さんに玉葱をあげると、剥いて、剥いて、また剥いて……最後になにもなくなって怒りだすっていうわね」
それは、辣韮《らつきよう》でしょう。喉元まで出かかったが、やはり唇は動かない。修道女は微笑んでいる。僕はこれからの成りゆきを推測できず、しかたなしに不明瞭な笑顔をかえした。手伝いなさいと修道女が言った。僕は彼女のかたわらにしゃがんで玉葱をひとつ、手にとった。修道女も修道服の裾をからげてしゃがみ、玉葱をつかんだ。華奢な指だった。爪が健康的な桃色をしていた。
「アスピラント教子は、自分の意志でここにきたわけではないの」
僕は玉葱を離して、引力を確かめた。玉葱はコンクリート打ち放しの床を転がった。
「掻爬《そうは》。知ってるかしら」
またもや、いきなり、である。なにを言いだすのか。僕は素知らぬ顔をして転がった玉葱をひろいあげた。修道女は猿並みの手つきで玉葱の皮を剥きはじめ、そのリズムに合わせて軽快に、しかし囁き声で僕の顔を見ずに喋った。
「知ってるでしょう、アスピラント教子が長崎出身であることを。アスピラント教子は、じつはお父様の意向でわたくしにあずけられたかたちなんですよ。仕切られた、いえ仕向けられたっていうのかな。長崎でアスピラント教子は愛を誓いあった人がいたのね。で、妊娠したわけだけれど婚姻前でしょう。隠していたの。でも露見してしまってね、強引な掻爬がおこなわれたわけ。それがアスピラント教子の胎内をひどく傷つけたのですよ。もちろん心も傷ついた。そして無理やり童貞さまに仕立てあげられようとしている。わたくしはアスピラント教子から率直にすべてを相談されて、弱りはてました。なる気がないのに修道女にさせるわけにはいきませんが、だからといって即座に追いかえすわけにもいきません。なによりもアスピラント教子は掻爬とその結果による不妊を呪っているのです。父親を呪い、おろおろするだけの母を呪い、愛しあったはずの方の無力を呪っている。すべてを呪っているといっていいでしょう。わたくしはそれをなんとかしてあげたい。呪うことはたやすいです。たやすいことは楽なこと。楽なことは、やはり堕落への第一歩、それは肉の交わりとその最悪の結果である掻爬よりも危うい心の状態なのです。それはともかく、わたくしは、アスピラント教子とあなたとのことも薄々知っているのですよ」
「シスター。掻爬って、書けますか」
「テレジアです」
「シスターテレジア、掻爬って書けますか」
修道女は口を尖らせ、剥きかけの玉葱を転がし、指先を床につけた。掻爬。実際に書いたのか、いい加減に指先を動かしたのか、それこそ具体的なことは判然としない。もし書けたのだとしたら、名誉日本人にしてあげる。いままでの喋りだけでも充分に名誉日本人以上だが。
「さあ、あなたとアスピラント教子の関係を説明なさい」
僕は首を左右に振った。とても口では言えません。だから、立ちあがった。ジッパーをおろし、シスターテレジアの眼前に発情して血の充ちみちた充血器官の硬直を露にした。修道女が眼を剥いた。剥くのは眼ではなく、玉葱でしょう。そんな戯言を脳裏に描いて、彼女の顔を見つめなおした。驚いた。ただの青い眼ではなかった。右が青で、左は緑だ。僕はもういちど眼の色を確認して、無様な触角をズボンのなかにもどした。
「あなたは正気ではありません」
そのとおりだ。月並みすぎて羞恥を覚えるがあえて表明する。股間には狂気が充ちている。僕の場合は、多少ですが、という注釈が必要かもしれないが。まちがいありません、シスターテレジア、僕は自分の躯に生えている触角を硬直させるのが血ではなく、狂おしくも痛ましいなにものかであるということを悟りかけているのです。だから、これほどにまで異人種であるあなたの顔のそばかすに発情しているのですよ。
修道女の頬が血の気を喪っている。嫌悪がその緑色の瞳に、怒りがその青い瞳に浮きあがっている。唇の線を歪ませているのは狼狽だろうか。修道女はひとことも発しなかった。僕は彼女のかたわらにしゃがみこみ、猿に負けぬ勢いを意識して、玉葱の皮を剥いた。シスターテレジアも無言で僕に負けぬ勢いで玉葱を剥きつづけた。
昼休みの終わりを告げるチャイムが幽かに聴こえた。僕は立ちあがり、ポリバケツからドラム罐に残飯を移しかえることにした。シスターテレジアも手伝ってくれた。ただし僕の顔を見ようとはしない。憤った顔のまま大きな柄杓を器用に操って作業をした。僕は弟子入りをした気分で彼女の手順を真似た。残飯はたいした量ではなく、三本のドラム罐にそれぞれ半分ほどでしかなかった。移しかえることを手伝ってくれてありがとうございましたと僕が拙い日本語で礼を言うと、シスターテレジアは玉葱のお礼ですと呟いた。やはり僕の顔を見ようとはしなかった。
ベアリングのいかれたリヤカーが周期的に泣き声をあげる。左右の二十六インチタイヤはぺちゃんこにへこんで、タイヤの役目を果たしていない。リムが直接地面に当たっている。地面の凹凸が遠慮なしに手から肩に抜けていく。つまり残飯がたいした量でないと安堵したのは間違いだったのだ。貧弱非力な僕がかろうじて引ける重量だった。汗が頭髪のなかから出血のように湧きあがり、幾筋も額を伝い落ち、眉を濡らし、眉の液体保持能力が飽和状態に達すると、さらにそれが眼球に侵入し、表面を伝い、景色がぼやぼや歪んで流れていく。ゲッセマネの園でキリストは血の汗を流したという。モスカ神父様に教わったのだが、血の汗はほんとうに苦しいときに流れるもので、なんと眼球からも流れるという。モスカ先生。それは、血の汗ではなくて血の涙でしょう。僕は自分の汗を血に見立てて、全身を硬直させる。筋肉というものがどれほど収縮することができるかを試す。坂がのぼりに差しかかり、空が黒く見えだしたころには蟀谷《こめかみ》が痙攣気味に身悶えして、肺胞の芯に鈍い痛みがはしった。それでも僕は呻きながら前傾姿勢を堅持した。
全身から汗を滴らせて豚舎に辿りつき、首筋に浮かびあがってせわしない鼓動を刻んでいる血管に指先をあててへたりこんでいると、北君が駆けだしてきた。なぜ助けをもとめないのか、と言う。てめえが平等とかつまらねえことを吐かしやがったんだろうが、叩ッ殺すぞ、この畸形野郎。僕の口調は外で悪さをしていたころの柄の悪いものになっていた。社会とか世間という概念が他人事のような気がした。少しだけ懐かしい気分がした。あとは僕がやるからと泣きそうな顔で北君が迎合してきた。僕は心臓を喉から吐きだしそうな気分をもてあまし、幾度も唾を地面に吐いた。それから豚舎内にいき、北君の作業を背後から見守った。
赤煉瓦で組まれた竈の上に安置されたまま、その一部と化してしまった直径が一メートル以上ある大鍋に北君はアルミのバケツですくった残飯をうつしていく。腐敗酸敗を考慮して一応は火をとおしてから残飯を豚どもに与えるのだ。これから煮られる汚物は、僕たちが食べのこしたものだ。それを食べて豚たちは育ち、ふたたび僕たちの腹のなかにおさまる。今日の残飯のなかにだって幾らかは豚であった肉片であるとか脂などが含まれているはずだ。つまり豚たちは共食いをすることだってあるわけだ。これをリサイクルというのかな。あるいは輪廻か。神学上の正確なことは僕にはわからないが、たしかカトリックは輪廻を否定していたはずだ。輪廻を認めてしまうと死後に待ちうけている永遠の罰、つまり地獄の概念が崩壊してしまうからだ。輪廻なんてどうでもいいが、地獄にすがるキリスト教は無様だ。愛がすべてならば、地獄などなくてもいっこうに困らないではないか。なぜ、宗教というものはこういった卑しい側面をもっているのだろうか。僕の最大の疑問だ。
Evasi, effugi; spes et fortuna valete;
Nihil mihi vobiscum; ludificate alios.
これは三世紀ローマの墓に刻まれた文句だ。洗礼を受ける前の教理の勉強のときにやはりモスカ神父様に教わった。意味は〈私はうまく逃れたぜ。希望と運命よ、さらばだ。おまえたちはすでに私と関係がない。他の奴をだませ〉といったところだ。もちろんカトリックの教義上、輪廻はおろか天国も地獄も否定する小賢しい唯物論者の例としてひかれたのだが、地獄だ煉獄だ輪廻だ天国だと騒ぐよりも、希望だの運命といった欺瞞におさらばを告げて冷笑をうかべるほうがよほど潔いではないか。唯物論的思考は嫌いだが、神の王国などとほざいて詐欺に邁進するよりはましだ。王国なんて、流行らない。王は、どこにいる。国はどこだ。
大鍋から派手に湯気があがりはじめた。豚どもが落ち着きを失って発泡スチロールをこすりあわせたような泣き声をあげはじめた。竈から朱色の焔が立ち昇る。洩れた青白い煙が眼に沁みる。ようやく落ち着いてきた呼吸を意識して、じっと竈を、いや焔を睨みつけていると北君が得意そうに言った。
「なあ、竈に跨がるって知ってるか」
無視しきれずに僕は肩をわずかにすくめた。北君は勢いこんで解説しはじめた。鍋釜は金属でつくるだろう。竈は土とか石でつくるから、鍋釜のほうが貴いって意味だよ。つまり、子が親にまさるって喩えなんだな。
ゆっくりと立ちあがった。こんな愚劣な生き物を許せない。北君を殴りたい。心底からの欲求だった。それを抑えて黙って豚舎を出た。鶏舎にもどって餌置き場の壁に拳を叩きこんだ。幾度も、叩きこんだ。合板の壁がへこみ、ささくれだち、やがて拳のかたちに穴があいた。僕は拳の出血を舐めた。酸っぱい。鉄臭い。剥がれて垂れさがった皮を糸切り歯で噛み千切って食べた。
仕事を終えてもねじれた心をもてあまし、米軍払い下げのベッドに横たわったまま貧乏揺すりをつづけていた。鉱石ラジオから流れる異国の言葉も僕に平安を与えはしなかった。身悶えするように寝返りを繰り返していると、口笛が聴こえた。耳を澄ます。幻聴ではない。宇川君だ。宇川君が口笛を吹いている。しかもそのメロディは聖母マリアに捧げる聖歌ではないか。ひぃーひぃーと突きぬける高音だ。ビブラートまでかかっている。脳天を突きぬける。僕は跳ねおきた。廊下を行き、宇川君の部屋の前で深呼吸した。天《あめ》の后《きさき》のメロディを確認した。それからドアをノックした。昆虫じみた黒眼をした宇川君が顔をだした。宇川君の複眼に感情を喪った僕の顔が無数に映っている。まだ、吹いている。唇を尖らせて、得意そうに。海の星と輝きませアベアベアベアベマリア──僕の後頭部のあたりで歌詞が渦を巻く。それを追いだそうと首を左右に振ると、ようやく僕が普通でないことを悟ったらしく、宇川君は口笛を吹くのをやめた。僕は顎をしゃくった。
牛舎の背後の高台に拡がる草叢に誘った。教子を誘ったときと同じような微妙な昂ぶりを含んだ足取りだった。だから同じように臑のあたりまで夜露に濡れた。宇川君は僕よりもひとつ年上である。しかも本籍が上野公園という生粋の棄て児で、自らの天涯孤独ぶりを拠り所に威張りちらしてきたのだが、僕に何かが憑依していることを悟ったのだろう、やけに低姿勢だ。なあ朧君、喧嘩とかはくだらないぜ、言いたいことがあるんだろう、きくよ、きくから、だから、話し合いで解決しようよ。僕は宇川君を見据えて断言する。話し合いではなにも解決しない、と。それから教え諭すように耳元で囁いた。
「石を拾え」
「石を」
「そう、石を」
宇川君が腰をかがめた。草々をかきわけてひとつ拾って僕に示した。ちいさすぎると突き放す。ふたたび探しはじめた。たいして時間はかからなかった。小石が五個ほど宇川君の掌の上にのっている。
「食え」
「なにを」
「石」
「石」
「そうだ」
「食えないよ、食えるわけがない」
「とにかく口に入れろ」
「口に」
「世話のやける奴だな。俺が、じゃねえや、僕が入れてあげようか」
一歩前に進むと、宇川君は怯え、あわてて口に石を放りこんだ。ひとつ放りこんでしまえば、石を汚した泥の味にも馴染むのだろう。あるいは弾みがつく。宇川君の頬は口中の石でごつごつごろごろと膨らんだ。僕はゴム草履を脱いで裸足になった。とたんに夜露を接着剤に、足のあちこちに植物の種子をはじめとするなにやかやが貼りついているのが意識された。僕はその擽《くすぐ》ったさに微笑んだ。宇川君もつられて笑った。もちろん愛想だろう。口中を充たした石のせいで間延びした変な笑顔だった。
僕は用意してきたガムテープで宇川君の口をふさいだ。これで衝撃を与えても石が飛びでることはない。
間をおかずに蹴った。僕の右脚の軌跡はたいそう美しい。素敵に撓《しな》う。もと蹴球部の面目躍如だ。
宇川君の頬に足の甲が。
かしゃ……瀬戸物を割るような音があとから聴こえた。
こんどは左脚で蹴る。利き脚でないので右の蹴りほどに美しくはない。だが、美しくないときのほうが威力が増す場合がある。甲に石の硬さと軋みが伝わった。脚を地面についても微妙な違和感がある。しかし宇川君自身の頬が緩衝材になっているわけだから、痣になったとしてもたいしたことはないだろう。
僕は自分の蹴り、あるいは自分の足のことばかり考えている自分に気づき、その自分勝手さに、あるいは常に自分が、自分が、と自分の思いに必ず主語、つまり形式論理学でいうSが絡みついていることにやや嫌な気分になった。嫌な気分の主体は羞恥だ。
おかげで蹴り二発で醒めてしまった。強ばっていた脊椎が弛緩し、溶けていた。宇川君が焦点の定まらぬ眼差しをして草叢に膝を突いている。鼻が折れたのか、青黒く腫れあがり、福笑いのように露骨に斜めに曲がっている。鼻血はたいしたことがない。僕は腰をかがめて彼の口のガムテープをゆっくりと剥がしてやった。
とたんに宇川君は石を吐きだし、いっしょに折れた歯を吐きだした。
泣いた。
圧しころした声で泣いた。
いい泣き声だった。その蛭の唇から純粋な悲しみが洩れている。僕も少しだけ悲しくなった。しかしそれよりも草叢に散乱した歯に吸いこまれた。歯は大量で、骨の白さに血の朱色を纏って夜の藍色に挑むかのような、しかし抑制された輝きを放っている。左半分の欠けた上弦の月の光が程良いから、淡さ仄かさの中に意外にしっかりとした芯がある。
色彩とは、こうあるべきだ。骨の内包する白さが直に迫るのは遠慮に欠ける。押しつけがましい。血の緋色朱色が巧みにその脅迫ぶりを弱めてくれるわけだ。ああ、いい光景だな、詩情だな。僕はうっとりした。
宇川君が僕の足を舐めるような体勢で、考え違いをしていました、と、かろうじて言った。歯がなくなったのではっきりしない声だが、許してください、とも言った。宇川君の血と涎が僕の足指を汚した。それをもう片方の足指を使ってこすると、納豆のねばねばが連想された。僕は屈みこんで、まだ暖かな肉片のついている歯を拾いあつめた。月明かりだけで草叢に散ったすべての歯をさがすのは無理だと気づいた。しかしせっかく拾いあつめた分を投げ棄てるのも気がひける。だから宇川君のズボンのポケットにいれてやった。
「牛舎で転んだんだよな。糞で滑って、床に顔面を直撃した」
陳腐なシナリオだ。そう思ったとたんにまた羞恥を覚えた。そのせいで投げ遣りな言い方になった。詩情も失せ、現実が夜露に変身して立ちこめた。僕にはお話をつくる才能がない。自尊心が傷ついたような、なんともいえない落胆が這い昇ってきた。
それでも宇川君は血と涙と涎にまみれた顔でうなずいた。顔を打って奥歯まで喪うというのは理屈に合わないが、子供ではないのだから細部のリアリティについては自分で按配するだろう。僕は勝手に宇川君と信頼関係を確立したと決め込んで、頷いた。冷やしておいたほうがいいよ。それと今夜は眠らないほうがいい。眠ると腫れがひどくなって治りが遅くなるんだ。試合後のボクサーは眠らないんだよ。やさしく助言してやる。でも、歯は生えないよ。付け加えて言ってから、あまり冗談としては上等でないと感じた。だから宇川君の臀を蹴りとばした。
宇川君の頬には穴があいてしまっていた。左の頬だ。口中の石に尖ったものがあったのだろう、頬をわずかだが突きやぶってしまったようだ。試しに指を挿しいれてみたら、頬越しに宇川君の歯のない歯茎を弄ぶことができた。奥歯が生えていたあたりだ。しかも指を抜いたら、うっすらと脂がまとわりついてきて、血がそのうえで弾かれていた。じつは僕は脂に対する微妙な嫌悪を隠しもっているので正直なところ、困惑した。頬というものは筋肉だけでなくずいぶんと脂肪を纏っているものらしい。
それはともかく出血が止まらない。しかたがないので僕が救急車を呼んでやった。少々騒ぎになったが、宇川君は徹頭徹尾、自分が転んだと言いはった。しかも救急車に乗せられるとき、ぎこちなく僕を振り返って、救急車を呼んでくれてどうもと丁寧に礼を言った。僕は深く頷いた。宇川君のような猿だって、いや、昆虫か。とにかく宇川君のような生き物だって、こうして調教すれば礼儀を覚えるものなのだ。
五日後に宇川君が病院からもどって僕の眼をまともに見られなくなった。北君も僕に敬語を遣うようになった。赤羽修道士は他人にあれこれ命令することを嫌う人で、なにがあっても我関せずだから、僕は宇川君と北君を従えて農場の王様になっていた。でも残飯運びはつづけている。宇川君は総入れ歯になってしまったのだからこれくらいしなくてはという殊勝な心がけだ。僕は暴君にはなれないのだ。
もちろん僕は劣等感の強い若輩者の常として、暴君たりえることには身悶えしたいような憧れがある。ところがそれを凌駕する羞恥の感情があるのだ。僕がもう少し単純だったら人並みの不幸を纏ってもう少し幸せに生きることができたのではないか。そんなことを思うと、悲しい気分になる。悲しい気分で雨の中をリヤカーを引く。これが自己憐憫とかいうものだろうか。あるいは感傷か。
調理室の食品倉庫に入ると、僕は馴れた手つきを意識してドアをロックした。濡れた僕の躯をシスターテレジアが抱き締め、頬ずりしてくれた。それはいつもどおり、とりあえず母子の行いの気配が濃厚だ。シスターテレジアにも微妙な気持ちがあるはずだが、それらは見事に隠蔽されている。しかし僕は甘えるふりをしながら彼女の臀に指先を喰いこませ、かなり強引に核心にまで移動させる。もちろん着衣の上からである。それでも女の香りが立ち昇り、シスターテレジアの体温は急激に上昇する。
これ以上はいけません。そう、シスターテレジアが囁く。僕は素直に躯を離す。童貞さまが童貞を全うしたいと希《ねが》う気持ちは僕にも理解できる。男を迎えいれさえしなければ童貞さまでいられるというかなりあざとい身勝手な理屈付けがあるにせよ、だ。
僕は彼女の鼻の下で仄かに光る金色を黙って見つめる。髭なのか、産毛なのか。とにかく僕はこれを喪いたくないという奇妙な思いに囚われている。この産毛が教子の性器を擽るのだ。もちろん僕の勝手な妄想だ。修道女の産毛が教子の肉厚なそれを巧みに、秘めやかに摩擦する光景が僕の脳裏から離れない。この金色の繊毛が教子のぬめりを含むと、どのような艶と輝きを放つのだろうか。妄想はとめどなく落ち込んでいく。さすがに嫌悪が混ざる。ああ僕の性根はとことん下卑たものらしい。性器的興味をもてないなどと調子よく嘯《うそぶ》いていた僕は、いったい、どこにいる。
しかしシスターテレジアが教子と微妙な関係にあることは確かだ。シスターテレジアは僕と教子の間で揺れているのだ。それが切実に伝わってくるので、僕は強引なことができなくなった。古めかしい喩えを用いれば、波間に漂って沈みかけている修道女を僕が溺れさせることはできないということだ。シスターテレジアも僕も哀れな子羊にすぎない。つまり繊細なのだ。だから教子の貪婪《どんらん》さには太刀打ちできない。僕とシスターテレジアを平然とたいらげて悲劇の主人公になりきっていられるのだから。
僕は片耳で霧雨の降りこめる気配に耳を澄まし、もう片方の耳でシスターテレジアが意気込んで喋る子供の時分の他愛のない行状を丹念に頷きかえして聴いてやった。黙想会や聖体訪問の祈りに参加したときのことなど宗教行事に関連した話が多かった。つまり幼いときから彼女の生活のすべては宗教に彩られていたのだ。また、そういった宗教儀式の話からひきだした教訓でなんとか僕を教化しようという意図が仄見えてもいる。しかし、シスター。宗教儀式自体はべつに宗教あるいは信仰ではないのですよ。そんな拗ねた気分が湧いたが、シスターテレジアの単純さが愛おしくもある。
最終的にはルアーブルという地名だけが脳裏に刻みこまれた。シスターテレジアの生まれ育った土地だ。セーヌ川に聖母マリアの灯籠を流したとシスターテレジアは言ったのだが、セーヌ川はパリではなかったか。それともルアーブルにもセーヌ川が流れているのだろうか。しかし僕の乏しい地理の知識ではフランスがどのあたりにあるのかも判然としないので、追及するにも躊躇《ためら》いがある。
昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。僕は苛立ちに似た微妙な欲求不満を抱えたまま、残飯をドラム罐に移し、彼女の食品倉庫を辞去した。別れ際、彼女が接吻してくれた。唇と唇だった。だが乾いていた。教子と執りおこなうような舌の相互侵入も唾液のやりとりもなかった。せっかく口と口が触れあったのに僕は積極的に立ちまわれなかった。それどころか瞬時に硬直してしまった下腹の触角を、僕は修道女に触れさせないように腰を引きさえした。初対面のときに彼女の眼前に自分の下卑た醜い触角を示したことなど幻のようだ。
他愛のないものだ。僕はシスターテレジアを好きになってしまったようだ。ああ彼女の躯の中に僕を埋めこんで、あの灰色に濁った液体を胎内にぶちまけたい。欲求は切実だ。柄にもなく胸が苦しい。胸が痛い。だが、それは思いばかりで、行為にまで至らない。女という性に、このような執着をもったのは生まれて初めての経験なので、対処しようがない。いや、これは黙って耐えなければならないのだろう。
泥濘に車輪がとられる。濡れた関東ローム層の赤土は摩擦係数がゼロに近い。息む。どうにか前に進む。呼吸を整える。なんとなく教子のことを思う。ところが教子は教子という名詞にすぎず、その顔かたちが浮かばない。僕は苦笑いする。どうやら僕は夜毎、教子の躯を使って自慰行為に励んでいるだけのようだ。教子は僕に夢中になり、シスターテレジアを蔑ろにしはじめている。僕としては教子とシスターテレジアの関係もうまく転がればいいと考えているのだが、これは八方美人的にすぎるのだろうか。
ああ、力仕事はいい。息んでリヤカーを引いていれば、三角関係なんてたいしたものではなくなっている。八方美人などというどうでもいい台詞がうかんで、すべてを笑いとばしてしまえる。とりあえず僕はリヤカーを農場まで引っぱるしかないのだ。
エネルギーの割り振りの問題だが、脳髄にエネルギーを集中させるとろくなことがない。妄想が飛翔して収拾がつかなくなるばかりだ。しかも僕の場合、妄想がとことん下卑ていて文学的でないのが悲しいし、居たたまれない。僕は脳を頭蓋の中から抜きだして、このぬかるんだ赤土とまぜこぜにしてしまいたい。栄養は筋肉で消費するべきだ。
急にリヤカーが軽くなった。収容生たちだった。二十人ほどか。そのうちの幾人かが押してくれているのだ。おまえら、濡れてしまうぞ、今日はいいよ。すると少年たちはリヤカーを遠巻きにして僕に従った。四日ほど前に、残飯の量が多くてどうしてもリヤカーが坂をのぼらなかったので、しかたなしにサッカーボールを片づけていた収容生たちのところに行き、顎をしゃくるという横着な態度で応援を頼んだのだ。それ以降、毎日、いささかあきれる数の子供たちが集まってくる。なぜか寄ってくる。僕は自分の躯にそれなりの筋肉を纏いたいと考えてこの残飯運びをつづけているのだ。だから安易に応援を受けいれるわけにはいかない。
だが、この晴れがましさは、どういうことだ。恥ずかしさに雨に濡れた躯から湯気が立ち昇りそうだ。ほっとけ、消えろ! そう怒鳴りつけると、少年たちは怯みはするものの黙って距離をおいて見守り、心配そうにあとをついてくる。どうやら好かれているようだ。あるいは尊敬を集めている。憧れられている。僕は昔から年下の少年たちに好かれるところがあったが、これほどあからさまに慕われたことはない。しかも具体的なことはなにもしていない。ただリヤカーを押させただけなのだ。これはちいさな奇蹟かもしれない。そんなとんでもない思いさえ湧いて、僕も子供たち相手ならば暴君になれそうな気がする。主キリストに倣って僕も、僕のちっぽけな王国をつくろうか。いやハーメルンの笛吹き男が関の山か。
まとわりつく蚊を一撃のもとに殺傷し、掌に散った血の痕跡を一瞥して得意がり、口の端で笑う。すると蚊を叩き潰した音で覚醒したのか、教子が凝視していた。どうやら僕には適性があるらしい。夜毎の緊密の果てに意識を喪い、やがて呼びもどされて、その瞬間に教子は僕に畏れを含んだ眼差しをむけるまでになっていた。
Mechanism は幼稚であると思う。しかし女の目尻から涙が流れ落ちるほどの快をひきだしてやることに関していえば機械に対するデリケートな扱いがすべてであるような気がする。愛であるとかの精神的なものは、とりあえず彼方にのけておけばいい。女に死を味わわせるには機械を扱うときと同様の技術的習熟及びセンスがすべてのようだ。とりわけ教子という機械の操作には繊細さが要求される。ときに暴走し、あるいはなんの前触れもなく停止するおそれのある機械であるから、操縦には集中が要求されるのだ。そんな機械|弄《いじ》りを円滑にするために用いるのが言葉であり、愛してるとか美しいといった嘘だ。もちろん教子が美しいのは事実だ。しかし貪り白眼を剥いているその姿に美を適合させるのはいささか難しい。
我に返った。僕は教子しか知らないのだ。それなのに教子から演繹してすべての女を知ったような口ぶりである。そんな大それた生意気なことを考える資格がどこにあるのか。女性器に興味さえもてなかった僕が傲慢に構えることができる理由がどこにあるのか。ああ、まだ、ばかが治っていない。やや悲しい。
教子が汗に濡れた乳房を僕の胸にこすりつけてきた。堪能しているせいで教子の乳首に硬直はあらわれず、僕の肌に切迫のかけらも伝わらない。僕はトラックのシートに仰向けに倒れこみ、そのうえに教子が密着している。シートには教子が持ち込んだタオルケットが敷いてあるが、汗を吸ってじっとり湿っている。僕の触角はなかば柔軟にもどりつつあるが、まだ教子の胎内にある。
人間に含まれている汁をすべて絞りとると、どれくらいの量が採れるのだろうか。倦怠がひどい。夏バテかもしれない。睡眠不足は間違いのないところだ。こうして毎晩緊密を愉しんでいる僕の睡眠時間は平均して四時間弱くらいだろうか。教子も似たようなものだろう。しかし、窶れのかけらもみられない。肌の色つやなど僕のほうが臆してしまうくらいだ。教子から顔をそむけた。疲労のせいか眼が痒い。閉じた瞼を掌で掻きまくっていると、圧迫のせいで視神経が過剰反応して焔じみた円環が純白に発光する。
ねえ、朧。シスターテレジアを愛してあげたのですか。ねえ、朧ったら。シスターテレジアになにをしたの。僕は教子の声を遠くに聴いた。自分のつくりだした幻聴のような気がするが、そうではないようだ。眼を掻きながら、溜息をついた。抑えた声で、しかし投げ遣りに応えた。なにもしてないよ。
ほんとうになにもしていないの。してない。あやしい。いやしてないんだ。嘘です。嘘じゃないって。だって大きくなってきました。そうかな。硬くなってきました。そうだな。シスターテレジアのことを思って硬くしたんでしょう。まさか。白状なさい。なにを。薄情者の白状。へんな奴だな。僕は苦笑した。体勢を入れかえた。教子が焦れる角度を保ち、告白の口調で言う。
きっとシスターテレジアは両刃の安全剃刀の蒼さを滲ませて張りつめて清潔なかたちをしていると思う。でも、指でそこをそっと拡げると、その風情の奥に愛くるしい乱れが見られるんだ。おそらくは僕が裂いた部分だろうな。僕はシスターテレジアのかろうじて残されていた完全を、欲望を抑えきれずに壊してしまったんだ。すこし狼狽しているよ。狼狽えて凝視していると、血とリンパ液の香りがするんだ。僕は僕の触角を濡らした出血を彼女の尼僧衣の裾で大雑把に拭う。それから、さらに凝視する。僕の放った白濁がシスターテレジアの内腿を伝い落ちていく。
「やっぱり、おこなったのですね」
「いや、妄想だ」
それは純粋にして惨めな妄想だったので、さすがにどこか寒々とした気配が肩にのしかかってきた。僕は教子にシスターテレジアを破壊したいんだと告げた。したいんだけど、できない。すると教子が乱れた。好きなのですね。ひと声あげて僕の腰に両脚をまわし、きつく締めつけてきた。僕を、僕の全身をその胎内に取り込もうとするかのように両手両脚で僕にしがみついた。教子の目尻を伝う涙が悲しみを滲ませていることに気づいて、ようやく僕は女という性を Mechanism で括って悟りきってしまうことの愚かさをはっきりと自覚した。女は生き物だった。宇川君が昆虫であるように、教子もひとつの生き物なのだ。僕は僕という生き物の愚劣さを自覚して、憂鬱になった。このまま教子の子宮内に逃げこみたい。
性の限界は、いつかは終わることだ。僕が炸裂させてしまえば、男根は権力への意志を喪って柔軟化し、それで終わる。なんだ、宗教にまったくかなわないではないか。当たり前のことにいまさらのように気づかされて、僕はうなだれた。すると教子が僕の頭を撫でた。やさしく撫でてくれた。シスターテレジアも母を演じる。教子も交わっているにもかかわらず母を横溢させている。僕は素直に心をあずけることにした。教子のうえに脱力して突っ伏した。
「ねえ、朧。告解をしたらどうかしら」
いきなり囁かれた。なにを言っているのか理解できなかった。それなのに聴罪司祭モスカ神父の顔がうかんだ。僕は男の動作を加減しながら訊いた。教子は告解してるのか。
「ええ。毎週きちっと告解しているわ。ただし神様さえだましているの。わたしは分厚い罪の衣を頭からかぶって平然と聖体拝領をし、御聖体に向かって昂然と顔をあげる。しかもふと含羞んで、うつむいてみせたりもするの。その仕草は、主にその身も心も捧げ尽くした聖女。わたしは主に対する愛のかわりに穢れを一身に纏って、まるで殉教者のように打ち震える。いいこと。あなたとのことは聴罪神父様はおろか御父も主イエズスも聖霊も御存じないのよ。わたしは主を裏切ることがよろこびなの。わたしは地獄の業火に灼かれるの。焔が嫌らしくまとわりつく。わたしの肌に朱色の焔が這いまわる。灼き尽くされて、わたしのかけらもなくなって、それでも永遠がある。ああ永遠に灼かれるなんて」
教子が身震いした。半開きの口から涎が滴り落ち、眼球が完全に反転していた。汗で滑る肌が律動する。全力で僕にこすりつけて痙攣をはじめた。僕はその浅ましくも切実な動作に、灼かれる教子の裸体を見た。教子は灼かれたいのだ。罰されたい。打ち据えられたい。神の鞭で犯されたい。僕は自分の無力を確信すると同時に教子の収縮に耐えられず、呻き、爆ぜた。
モスカ神父の車椅子を押して、愕然とした。軽いのだ。軽すぎる。実感した。モスカ神父の病いはかなり重い。先生、縮んだね。そう囁くと、モスカ神父はちいさく頷いた。躯も脳味噌も縮んで、やがて子供に還るんだ。そう、呟きかえしてきた。さらに揶揄するような口調で言った。朧は、最近、生徒たちを組織しているんだってね。僕はきっぱりと否定する。あいつらが勝手に近づいてくるんだ。わけがわかんないですよ。残飯のリヤカーを押したがるんです。いいかげん厭きると思ってたけど、ずっと続いてる。僕が今日は押さなくていいと言うと、悲しそうな顔をするんだ。そして、黙って僕のあとをついてきます。あいつらは、確かにおかしい。不気味でさえあります。ただ、可愛いとも思うんですよ。気がむいたら、サッカーの相手をしてやることにしてます。
結局、僕の言葉は徐々に立ち消えになって、モスカ神父の呟きがはじまる。朧よ、君の纏った罪の匂い、贖罪の屠られた羊が切りひらかれた首筋から流す血の香り。朧の肌にこびりつき浸みこんだ嫌な匂いのする血と脂を抜く力があるのは告解だけなんだが、告白は、ときに快感をもたらすことがある。五十数年間、私は聴罪司祭であった。それでも罪を告白しながら、そうする自分によろこびを覚えて打ち震える者に罪の許しを与えることに対して、じつは気持ちのうえでの解決がついていないんだよ。そのとき私に、打ち据えろと神が囁く。囁くんだ。囁くのだよ。
僕はモスカ神父の呟きに耳を澄ますこと、そして車椅子を押すことに、心底からの誇らしさとよろこびを覚えながら聖堂に至る長く暗い廊下をいく。僕は修道院附属の救護院の収容生だった中学生の時分に、モスカ神父の車椅子を押す役目を受けもたされていたのだ。当初は嫌々ながらだったが、すぐに、その役目を誇らしく思うようになった。当時のことがじわじわと思い出される。僕はモスカ神父の車椅子を押しながら、いろいろなことを学んだものだ。とくに、物事をどう考えるか、どのように考えるかをモスカ神父から習った。答えが目的ではなくて、考えることそれ自体が目的であるということを徹底的に教わったのだ。モスカ神父は僕をほんとうに可愛がってくれた。正確には、厳しく可愛がってくれた。白人の愛玩物として存在する日本の子供たちであったが、モスカ神父と僕の関係はそれを超越していた。
聖堂と本館のあいだはトンネルじみた通路でつながっている。通路の床は褐色の板張りで、徹底的に磨きあげられている。黒ずんだ鏡のような状態だ。だから床には僕とモスカ神父のありのままの姿が映っている。僕はこの冷たい廊下で、こうして永遠に車椅子を押し続けたいと胸の裡で希う。僕はモスカ神父を押しながら、きっと神を押しているのだ。
僕が押す。神父は哲学的示唆を含んだ煌めく言葉を口にする。僕は、押す。神父が啓示と福音についてかすれ声で語る。真の福音は、マテオ、マルコ、ルカ、ヨハネの記したものにあるのではなく、また真の啓示も黙示録にあらわされているのではない。神秘は車椅子を押す力のなかに隠れている。神とは、あるいは神の存在とは、ある力学である。モスカ神父は僕が中学生のころから、そういったことをやさしく、しかし陳腐な喩えを用いずに論理的に説いてくれたのだ。
通路の壁面には十字架の道行きの聖画が掲げられている。聖堂のなかに掲げられている原画を絵心のある修道士が油彩で写した複製だ。十字架の道行きは、おもに四旬節に祈られるもので、第一留〈イエズス死刑の宣告を受けたもう〉から第十四留の〈イエズス墓に葬られたもう〉まで、キリストが十字架に架けられるまでをかなり写実的な祈りの文句でつないでいく。それは、じつに劇的かつ映像的で、救い主という名の無力なユダヤ男の血と暴力と性、そして死のスペクタクルとして愉しむことができる。数ある公教会の祈りのなかでも僕は十字架の道行きがいちばん好きだ。だが絵のかたちで空想できる生と死が好きということは、たぶん僕が幼稚であるということなのだ。
聖堂が近づくと、香の匂いが鼻を擽る。麝香、沈香、その他諸々の香りが絡みあう。甘く、華やかで、厳かで、しかも錆びている。それを嗅ぐと僕はいつだってくしゃみがでそうな気分になるのだが、実際にくしゃみをしたことはない。正直なところ、際限のない芳香は疎ましい。
車椅子の聴罪神父、モスカは僕の生まれるはるか前、戦前から日本で布教を続けてきたのだが、太平洋戦争中にスパイ容疑がかけられている信者の告解を受け、憲兵からその信者が告白した内容を明かすように追及され、拷問されたが、いっさい喋らずに車椅子が必要な躯になってもどってきたという。聴罪司祭は告解で聴いた内容を絶対に他人に明かしてはならないのだ。これはかなり徹底されているようだ。だからカトリック信者は赤の他人である神父を通して神に罪を告白することができる。わりあい合理的なシステムではある。守秘義務を徹底した結果、蹇《あしなえ》にされてしまったモスカ神父は、そうは思っていないかもしれないが。
聖堂の扉を開き、車椅子の前部を持ちあげてモスカ神父を聖堂のなかにいれる。リヤカー苦行は僕の躯に、いや骨格に対して緊縛の度合いの高い実質的な筋肉をもたらしていたが、それにしてもモスカ神父は軽い。再確認して、僕は柄にもなく項垂れてしまった。気持ちが落ちこんだことが癪に障った。ステンドグラスからの赤や紫、青や緑の光を一瞥し、逆光のなかで大げさに両手を拡げて十字架に架けられているキリストに意味もなく侮蔑を含んだ微笑みをむける。あんたも、ご苦労さんだね。Iesous という名前なのに、プロテスタントどもにイエスなんて肯定的な名前にされちゃって。そんなどうでもいいことを胸の裡で呟きながら、入口脇にある貝殻のなかの聖水で指先を濡らし、十字を切る。聖水が染みこませてある海綿は、人々の指先の垢で薄気味悪い茶褐色に汚れている。僕は牛や豚の糞が平気なくせに、このスポンジの汚れがひどく苦手だ。それでも気を取りなおして聖堂に出入りするときの祈りを素早く呟く。
主イエズスキリスト、主はまことにこの聖櫃のうちにましまし給う。われは天主たり人たる主を礼拝し、賛美し、かつ御身に感謝し奉る。アーメン。
それからモスカ神父を聖堂の向かって右側にある告解の部屋に運ぶ。聖歌の伴奏をするためのリードオルガンが安置されている場所の脇だ。告解室の内部はふたつに仕切られていて、モスカ神父は車椅子に座ったまま、告解をするほうは手を組んで祈る体勢をとって跪《ひざまず》き、仕切りをはさんで向きあうようになっている。それぞれの入口は床まで垂れさがった緋色の重く分厚いカーテンが扉のかわりになっている。しかも二重である。なまじ木製の扉などを用いるよりも吸音性に優れていて罪を告白する声が洩れづらいからだと推理する。神父と僕を隔てる仕切りには黒く塗られた薄い鉄製の格子がはまっていて、無数の小穴があいている。罪を告白する囁き声が聴罪司祭に通じるようにとあけられた小穴だが、どうもその並び方に規則性がある。間近でそれを見るとなにが描かれているのか判然としないが、腰を反らして観察すれば、やや肥満気味の十字架と、それを取りまく後光のような光のかたちであることがわかる。大雑把な点描なのだ。さらに注意してみれば、後光の周囲に天使らしき形状さえ見分けられる。もっともいかに取り繕おうとも仕切りのあるこの部屋は刑務所の面会室に酷似していることを否定できないし、刑務所よりもさらに暗い。それは比喩ではなく、実際に光がほとんど射さない構造であるということだ。
モスカ神父が告解室に落ち着いたことを確認して、僕は深呼吸した。十字架に架けられているということだけで公衆の面前で痩せたエロティックな裸体を曝すことが許されている男を睨みつける。男は身悶えし、眉根を顰め、憂愁をたたえた眼差しで僕を見おろしている。たかが等身大の木彫。しかしそこにあらわされた血と傷と裸体、そして苦悶は写実的にすぎて、おぞましい。荊《いばら》の冠、その無数の棘に刺し貫かれて血で髪を濡らし、恍惚をうかべるイエズスよ、その脇腹にひしゃげた菱形にひらいた深い傷痕は、まるで女性器を想わせるよ。あなたの両手両足を貫通する太く薄黒い釘は、男根そのものではないか。
血と裸体を露にする架刑像が容易に変態性欲に結びつくことくらい、公教会は判断できなかったのだろうか。僕は知っているのだ。このイエズスの姿に性的昂奮を覚え、自慰に耽る女がいることを。女だけではない。男もいるらしいが。
三位一体。御父、御子、聖霊。その三位一体を象徴する三角形、中心に逆三角形で描かれた神の瞳、そして神が見ているという監視者を肯定するマゾヒストの露骨な言葉。神は監視者に過ぎないのか。看守に毛の生えたような存在なのか。それらに対する疑義を押しのけて、頭ごなしに覚えこまされた無数の教義が無意味に脳裏を駆けまわる。
木曜日の告解の晩ではないから、聖堂内は無人だ。いま、この瞬間、聴罪司祭モスカは僕の貸しきりだ。独占が幸福をもたらすのか。それともその知性を敬愛している老人に告白できることで昂ぶっているのか。ステンドグラスで弱められ、色だけは鮮やかだが老人じみたしわぶきの含まれている西日を僕は浴び、至福感にちいさく吐息を洩らす。告解室に落ち着いたモスカ神父は、焦げ茶色に鞣《なめ》された羊革で装幀されている古ぼけた聖書をひもといて、ラテン語とギリシャ語で並行されて記述されている福音の文面から大きく顔を離して老眼の眼をしばたたかせ、口中でなにやら呟きながら文字を追っていることだろう。いつまでも老人を狭苦しい空間にひとりにしておくのは、よくない。聖書をひもときながらの死など想像しただけでも嫉妬してしまうではないか。
僕は逆光のなかのイエズスに軽く片手をあげ、背をむけ、告解室のなかに入った。湿気と冷気が充満している。黴臭くもある。鉄格子じみた仕切りを通してモスカ神父がちいさく咳払いした。僕も咳払いしかえす。仕切りにあいている穴がちいさすぎるのと、光量が足りないのとで、モスカ神父の表情はわからない。でも、たぶん、微笑んだはずだ。微妙な苦笑いが含まれた微笑みだ。僕はだらけて跪いていた体勢を、修正する。きちっと背筋をのばす。モスカ神父に合わせて唱和する。父と子と聖霊の御名によりて。アーメン。ああ、ここでも三位一体だ。そんな思いに妙に落胆し、のばした背筋をだらけさせ、うつむき加減でいると、モスカ神父が告げる。
「回心を呼びかけておられる神の声に心を開いてください」
告解室に至りての祈りが、いつのまにやら今風の言葉遣いに変更されていて、僕の記憶にある祈りの文句とはまったく違うものに変化していた。あわてて備えつけの真新しい公教会祈祷文の赦しの秘蹟のページを繰る。モスカ神父がマタイ伝の一節を囁く。
「イエズスは仰せになりました。もしあなたがたが人の罪を許すなら、天の父もあなたがたの罪を許してくださいます。しかし、許さないなら、あなたがたの父もお許しになりません」
「ねえ、先生。それって、人間の遣り口と変わらないじゃないですか」
「当然だよ。神が人間をおつくりになられたことの真の意味は、人間が神をつくったということだから。まちがいなく創造主であらせられる神が人間をおつくりになられたのだが、人間は人間に過ぎない。神を知りようがないのだ。だから人間の言葉で語られる神は、人間の尺度に囚われて卑小化する。神の言葉を人間の言葉に翻訳すれば、それは、もう人の言葉だ。わかるだろう、朧。日本語に翻訳された小説は、当然ながら日本語の小説だ」
「先生らしくない屁理屈だよ」
「うん。中学生のときの朧は、抽《ぬき》んでていた。私が神秘のかけらを口にすると、躊躇わず核心を掴むことができた。いまの朧は、知慧がついて、見えなくなった。だから理屈が要るのさ」
「僕は、見えなくなったのか」
「うん。見えていない。無知がいちばんなのだよ。知らなければ、穢れない。しかし、知ってしまった。知慧の木の実とは、そういうことなんだが、知ってしまった以上、とことん知るしかない」
「僕には、そのあたりが判断できない」
「だが、とことん知ろうと足掻いているだろう」
「うん。先生。僕は、知りたい。知りたいんだ」
「さあ、神の慈しみに信頼して、あなたの罪を告白してください」
「先生」
「なに」
「その、言葉ですけど、日本語として変ですよ。ちょっと待ってください。ふーん、公教会祈祷文にもそう印刷されてるな。誤植ってやつなのかな。それとも真剣にそう翻訳したのかな。とにかく、神の慈しみに信頼して、じゃなくて、神の慈しみを信頼して、じゃないかな」
「外国人が翻訳すると、こういうことがおきるんだね。これと同じように、人間が神について語ると、微妙にてにをはを誤るんだよ」
「ちょっと強引すぎますよ、理屈」
「わかった。引っこめよう。それはともかく、これから私が告解を受けるときは、朧が指摘したように言いなおすよ。朧。神の慈しみを信頼して、あなたの罪を告白してください」
待ちわびていた瞬間を、僕は、いま、迎えた。掌に滲んだ汗をズボンの太腿にこすりつけてから、昂ぶりそうな声を抑えて手短に告白した。
「先生。僕は、人を殺しました」
「そうか」
淡々とした声が返ってきて、僕は軽い肩透かしを覚えた。念を押すように訊いた。
「驚かないのですか」
「朧は、聴罪司祭としての私が告解の内容をいっさい喋れない、喋らないことを確信して、あえて告白したんだろう」
「そうです」
肯定してやると、モスカ神父は大きな吐息をついた。吐息には隠せぬ憂鬱があらわれていて、僕は頬がゆるむのを抑えられなかった。モスカ神父が躊躇いがちに尋ねてきた。
「誰を、どのように殺したのか」
「はい。世間でのことです。数カ月前ですが、正確な日時は覚えてません。いや、僕は日時というものを覚える気がはじめからないのです」
「世間とは」
「ああ、僕たちの言い方です。つまりここは修道院であり、学園であり、いまの僕にとっては農場ですが、なんていうのかな、結界なんですね。それに対して外の世界は、世間なんです。僕は世間で殺しました」
僕は為すべきことを為しているという実感に、とても能弁になっていた。逆にモスカ神父は、必要最低限のことしか口にしない。
「告白を続けなさい」
「はい。殺したのは、ふたりです。男と女。ひとりずつ。どちらも、いま、思い返すと、殺した理由に深いものはありません。カッとして、連続して」
「連続して、殺した」
「そうです」
「それぞれに性的な関係は」
「ありません。いきなり深読みですね。先生は信じてくれないかもしれませんが、僕が童貞を喪ったのは、ここに舞いもどってからなのです。この中で、僕は肉の交わりを知りました」
「そのことは、いずれ聴くことにしよう。まず、殺したことを具体的に」
「だから、カッとして、グサ、ですよ。僕は頭に血が昇ったんです。自尊心の問題かな。そいつらは僕を蔑ろにした。女のほうは僕を誘惑しました。そして僕が貞潔にこだわったら、僕を欠陥があるみたいにばかにしました」
「朧の言葉には自分を指し示す主語が多いな」
「はあ。自覚は、あります」
「まあ、いい。それは衝動的なものか」
「ええ。ただ、正直に言いますと、僕は、頭に血が昇っているときでも、醒めています。カッとしているのですが、やること自体は冷静です。カッとしている僕を、彼方から醒めた眼で見守り、適切な指示さえだすもうひとりの自分がいるんです。そういう意味では計画殺人というのかな、そういう感じです」
モスカ神父が幾度めかの淡い溜息をついた。
「朧。後ろめたくないのかい」
「なぜ」
「なぜって、殺したんだろう」
「ぜんぜん。だって、世界はなにも変わらない」
「だが、殺されたふたりの世界は」
「先生は、あのふたりの世界がどのように変わったか、わかるのですか」
「わからないよ。だが、朧が殺したふたりの力学。わかるか、力学」
「ええ。物の運動、そして釣り合い。先生は僕がそれを乱したと言いたいんでしょう」
「うん。朧が世界の終末のスイッチを押したかもしれないね」
会話が微妙にずれはじめてきた。僕の殺人は言葉と概念だけの抽象に変えられてしまった。僕はそれをしかたのないことと受けいれながらも、不満の笑いをあげる。
「ははは。でも、先生。たとえば戦争にいかされて、軍隊で人を殺した場合も、こうして告白するのですか」
「するよ」
「ほんとうかな」
「まあ、愛国心に名を借りて罪の意識をもたぬ者も多いだろうが、十戒の第五、汝殺すなかれ。特例は認められていないようだよ」
「なるほど」
「私の予感が当たってしまったね」
「先生の予感とは」
「うん。朧が私を試すんじゃないかっていうことだね。つまり宗教を試す」
会話が僕の望む核心にもどってきた。終末のスイッチのことなど、どうでもいいのだ。知ったことではない。大切なことは神の存在に関するシステムについてであり、宗教の作動原理である。僕はモスカ神父が逸脱しないようにさりげなく会話を先導してみることにした。
「よくわからないけど、先生は僕が犯罪者であるにもかかわらず、聴罪司祭という立場上、告解で知りえた僕の犯罪を誰にも明かすことができない。つまり教義のうえで聴罪司祭は告白の内容をいっさい洩らしてはならないことになっているから、犯罪者を野放しにするしかない。つまり正しい社会人の義務を果たすことができない。先生は無力です」
「朧。おまえは、そういう科白を吐きたいがためにふたりもの人を危《あや》めたのではないか」
「そのときは、そんなことは考えていませんでした。でも、いまは、そうであると確信しています。先生よりも先に、神。神様が僕の脳裏にあったんだと思います。僕は神様に訊いてみたかったんだ。あんたの無力は、諦めからきてるんですかって」
「確かに私は無力だ。しかし神は」
「無力ですよ。罰が罰として作用するのは、貧乏人か、その他大勢だけですもん。僕は貧乏だけど、その他大勢から抜けだしてるんです。そういう自負があります」
「神と罰の問題は、しばらくおいておく。いいか、朧。存在の問題について語りあおう」
「存在なんて、語るものではありません。僕は、どうやら、在るようなんですが、証明しようがない。問題は、人が露見した罪を裁くのと同様に、神は神で、なんらかの処置をする義務があるんじゃないかってことです。自分を信じろというならば、それくらいの責務は果たさなければ。だいたい現実の社会と宗教が僕のような下劣な犯罪者に対して無力ならば、あなたの存在自体が問われるでしょう。沈黙している場合じゃない。僕は、神様、あなたを試しているんだ。試みているんだ。もし、神がいるなら、いますぐ罰を、ですよ」
「だから言っただろう。神をつくったのは人間だと」
「それを言ったら、宗教なんて成りたたないでしょう」
「だが、罰はくだされない。朧はこの修道院に逃げこんで、平然と告白さえしている。国家の罰も、神の罰もない。もちろん私もおまえを罰する気はない」
「じゃあ、殺した者勝ちだ」
「そういうことじゃないだろう」
「はい。軽率なことを口ばしりました」
僕が折れてみせると、モスカ神父は搾りだすような声で言った。
「いいか、朧。神はいらっしゃる」
僕は嘲笑う。
「おまえの心の中に、なんて言わないでくださいよ」
「言わない。力学的存在として、神はいらっしゃる。存在の根底に力学として関与していらっしゃる」
「でも、そんなことを言っていると、最先端の、しかも行き詰まった科学者の言い草じみてしまいますよ」
「追求において、宗教も科学も切実かつ真摯だよ。ああ、朧も、真摯だな」
「買い被りですって。僕は肉慾に溺れていますよ」
「肉慾か」
「はい。こっちのほうは、事細かに告白する用意がありますけど」
「朧は、私をばかにしているね」
「はい。少しだけ」
「神が罰してくださらないことに苛立っている」
「そうです。無力だ。なにが御父か」
「無力ゆえに神の存在価値があるんだが」
「死にかけている先生の言いそうなことだ」
言ってしまってから、神父が冒されているであろう病いのことが頭をかすめた。モスカ神父が苦しげに咳払いした。
「肉慾について述べなさい」
いよいよ核心中の核心である。僕は下腹に気合いを込めた。聴罪司祭を、そしてそれを通して僕の罪を聴き、許す神を、いまから徹底的に試みる。モスカ神父は僕の沈黙を後ろめたさからであると勘違いして、おなじ台詞を吐いた。
「肉慾について。述べなさい」
「はい。修道女がいずれ僕の子を産みます。その子はエンマヌエルと呼ばれるでしょう」
神父は僕がなにを言っているのかしばらく理解できなかったようだ。僕は逡巡した。修道女がいずれ僕の子を産むなどという遠回しにではなく、シスターテレジアを犯したと率直に告白すべきか。思案していると、仕切りのむこうから頭髪を掻きむしる音が聴こえた。
「悪ふざけはやめなさい。冒涜が過ぎる」
「申し訳ありません」
「朧は、苛立ちながらも自らの能力を愉しんでいる」
「そうです。そのとおりです」
「つらいよ、朧。君は自らの殺人を茶飲み話でもするかのように告げ、さらには修道女の貞潔を裂いたことを得意がって私に告げる。私は悲しい。修道女の貞潔を裂くということは、殺人にも匹敵する卑劣な罪だ。なあ、朧。自らの意思で選択した貞潔と禁欲は、美しいものだ。なによりも美しいものだ。それを君は破壊しにきた。しかも、それをあえて私に告げる。だが私には守秘義務がある」
「ええ。先生は、秘密を守って、脚を喪われた」
「脚はついているよ。動かないが」
僕はモスカ神父が見事に罠にかかったことを確信し、歓喜して、そして鬱《ふさ》ぎこんだ。
「先生」
「なに」
「僕は、一生、先生の車椅子を押してもいいんです」
「ありがとう。いい子だ」
「本気なんですよ」
「わかっているよ。おまえがいちばん宗教に近い」
「そうおっしゃっていただけると、涙がでそうです」
「また、平然と心にもないことを言う」
「だが、僕の、先生といっしょにいたいという気持ちに嘘はないんです」
「それは、わかっている。私に会うためにもどってきたのだ。そうだろう」
「はい。と言いたいところですが、それは買い被りかな。肉慾の最中に、その相手から告解しろとすすめられたんですよ。ええと、この相手は妊娠した修道女ではありません。それはともかく僕は正直なところ、その女のアイデアに小躍りしたな。退屈を紛らわすには、最高だって。つまり、僕は先生を困らせたいんです。人殺しで肉慾の塊、しかも暴力ばかりふるっている僕なのに、誰も罰することができない。それを見せつけたくて」
「しかも私が、君の殺人を誰にも明かせないことをいいことに告白して」
「残念ながら特高だっけ、憲兵はいないんですよね。ああ、先生が僕の犯した罪を喋るようにって連行され、拷問を受けることを空想すると、すごく昂ぶりますよ。肉慾なんて較べものにならない」
「こんどは脚のかわりになにを潰されればいいのかな」
「命」
「なるほど」
僕は大きく息を吸い、ひと呼吸おいて、詰め寄った。
「こんな僕でも、赦されるのですか」
「赦されるよ。五十数年間、私は聴罪司祭であった」
「打ち据えろと神が囁く」
「いや、打ち据えろと囁くのは、おそらくは私自身なのだ。私の心の奥底の歪みだ。朧は陳腐だとばかにするだろうが、やはり、神は、赦しの別名なのだ」
「赦していればいいんだから、気楽な稼業だな」
「私はおまえの悪あがきを愛おしく思うよ」
「ありがとうございます。大雑把ではありますが、今日までの主な罪を告白しました。赦しをお願いいたします。さあ、赦してください」
「うん。天使祝詞を三回唱えなさい。それで赦される」
「たった三回だけ。一分もかからないじゃないですか。僕の殺人や肉慾は、その程度の罪なのですか」
「いや。一回では気持ちが入らないだろうし、百回では厭きるだろう」
「問題は回数ではなくて、心である」
「そう。さあ、それでは神の赦しを求め、心から悔い改めの祈りを唱えてください」
「なんだか、俺の負けみたい。たいした肩透かしですよ。殺人その他で天使祝詞、三回だもんな。脱力感がひどい。まあ、いいか。ええと、神よ、慈しみ深くわたしを顧み、豊かな哀れみによってわたしの咎を赦してください。悪に染まったわたしを洗い、罪深いわたしを清めてください」
「投げ遣りだ」
「はい。ばからしくなりました」
モスカ神父の苦笑の気配が伝わった。僕は殊勝な顔をつくってうつむいた。モスカ神父が仕切りごしに右手を差しのべて罪の赦しの祈りをした。僕はモスカ神父に合わせて十字を切り、アーメンと声を張りあげる。
めでたし、聖寵充ち満てるマリア、主御身と共にまします。御身は女のうちにて祝せられ、御胎内の御子イエズスも祝せられ給う。天主の御母聖マリア、罪人なる我等のために、今も臨終の時も祈り給え。アーメン。
告解室からでて、信者の席に跪き、素早く天使祝詞を三度唱えた。後半はほとんど早口言葉状態である。これで僕のすべての罪が赦されてしまったのだから、宗教とはなんと寛大にして、いい加減なものだろうか。僕は立ちあがって、モスカ神父がおさまったままの告解室の外から声をかける。
しばらく反応がなかった。不安を覚えたころ、ちいさな咳払いが聴こえた。僕はそっと緋色のカーテンをひらいた。さあ、先生。お部屋にもどりましょう。モスカ神父は頷いた。そして、溜息まじりに呟いた。
「朧に試されるとは、思っても見なかったよ」
僕は微笑みをかえす。告解室の外でモスカ神父からこんな愚痴がきけるとは思ってもいなかったからだ。僕は神父に対する愛おしさに、息苦しさを覚えた。なんだかこの老人をやさしく撫でてやりたいような気分だ。こんなに清潔な老人もいるのだ。僕も歳をとったら、モスカ神父のようになりたいものだ。ただし、無力なのは、いやだ。
モスカ神父の部屋は、本館の一階にあるが、広さは僕が農場で与えられているものと大差ない。米軍払い下げのベッドに若干の書物。それくらいしか見あたらない。過剰なのは西日だけだ。僕はベッドに移る神父に手を貸した。粗末なベッドが幽かに軋む。マットの端が裂けていて藁が飛びだしている。埃臭いカーテンを引いて、すべてをあからさまにしてしまう光を遮断してやる。ねえ、先生。院長の部屋は豪勢でしたよ。いけない雑誌もあったな。
僕の告げ口に、モスカ神父は軽く肩をすくめる。僕はさらに口ばしる。告白し忘れたけど、僕は院長に強制されていけないことをしたんですよ。貞潔をそこなうってやつ。
「今ごろ、なにを言うんだ」
「そうですね。今ごろ、ですよね」
横たわったモスカ神父は天井を見つめて深い溜息をついた。僕はモスカ神父のかたわらに膝をついた。おなじ祈る体勢でも、この粗末な部屋で跪くと、僕のような者だって敬虔な気分になる。
「ねえ、先生」
「なんだ」
「疲れてるかな」
「いや、だいじょうぶ。言いなさい」
「うん。あの、じつは、先ほどの告解で告白した罪のうち、修道女の貞潔を裂いたという告白は、未来に犯す罪です」
「未来」
「ええ。まだ、行われていません」
「そうか。画策したね」
「修道女がいずれ僕の子を産み、その子はエンマヌエルと呼ばれるでしょうって言ったでしょう。マテオの福音書に書かれていることといっしょ。僕は予言を成就するんです。とりあえず修道女は処女ですから、処女懐胎というやつです。ちょっと屁理屈が強引すぎますか」
「私をそれほどまでに苦しめたいのか」
「まさか。とにかく修道女は、まだ正真正銘の童貞さまです。しかし僕は未来の罪を告白しました。告白された罪は、為されなければなりません。でないと先生と神様は、存在しない罪を赦してしまったことになります。赦しの秘蹟が成りたたなくなってしまいますよ。しかも、この未来の罪は、先生の赦しの秘蹟によって神からとっくに免責が与えられているのです。僕は心おきなく実行に移すことができます」
モスカ神父が僕をまっすぐ見つめた。僕もモスカ神父をまっすぐ見つめかえした。
「でていけ」
そうモスカ神父は言った。
「立ち去れ」
そう、モスカ神父は言った。
「二度とあらわれるな」
そう、モスカ神父は、言った。
僕は微笑みをかえし、神の使徒を自負する滑稽な老人にむけて軽く片目を瞑り、後ろ手にそっとドアをひらいた。
いつものごとくリヤカーにドラム罐を積んでシスターテレジアの聖域である調理室脇食品倉庫を訪れた。僕は初めから自らの触角を充血させていた。モスカ神父に未来の罪を告白して三日たっていた。そろそろ頃合いだろう。成就させなくてはならない。それは僕の義務である。
シスターテレジアは僕を抱きしめ、頬ずりしてくれた。母の挨拶である。僕は、いつもだったら腰を引いて隠す触角の硬直を、シスターの核心にぴったりと押しつけた。押しつけて、小刻みに揺すり、こすりつけた。シスターテレジアは、避けなかった。冷凍庫のコンプレッサーが作動して軋み音をたてたとたんに、彼女は吐息を荒くした。しんと湿った倉庫内に思ってもみなかったシスターテレジアの切ない吐息が控えめに拡がった。僕はそのまま彼女を冷凍庫の銀色の壁面に押しつけた。尼僧衣をまくりあげ、下着を引き千切った。そこまでしたのに、彼女は態度を明確にせず、僕の為すがままになっていた。だから僕は自らの触角を露にした。シスターテレジアをさぐりたいという弓なりに反った意志をはっきりと示し、密着した。
そこから先は、判然としない。微妙な抵抗があったような気もするが、気づいたときには、僕は立ったままの体勢で彼女の内部にあった。即座に牡の動作を貫徹した。呻くように吼え、痙攣するまでにたいして時間はかからなかった。僕はひどく発汗して虚脱し、シスターの肩口に顔を埋め、乱れる息をかろうじて鎮めた。
僕が想像していたとおり、血とリンパ液の香りがした。立ったままであったが、彼女の奥の奥底まで僕を注ぎこむことができた。罪は成就した。行う前から赦された罪だ。だが、シスターテレジアは泣いていた。声をたてずに涙を流していた。僕は問いかけたい衝動を覚えた。よろこびの涙か? かろうじて抑えた。単純に割りきれる涙ではないことがわかりきっているのに、よろこびといった一方向にむいた鋳型に当てはめようとするのは、単純な悪意の中でも最悪なものだろうと考えなおしたからだ。
しかし泣きつづけるシスターを見守っているうちに、重量超過でもどってきた郵便物にあらためて切手を貼って出しなおさなければいけないときのような憂鬱な面倒くささが湧きあがってきた。シスターテレジアは泣くことでなにを取りもどそうとしているのだろうか。
僕は彼女の狡さに苛立った。僕が躯を寄せ、意志を露にしたとき、シスターテレジアは協力もしないかわりに拒みもしないという大人の態度をとった。その不明瞭さ、曖昧さこそが罪だろう。僕は僕の触角を濡らした出血を彼女の尼僧衣の裾で大雑把に拭う。黒い尼僧衣の生地に粘液の銀色とくすんだ血がこびりついて、意外な鮮やかさで光る。罪が成就し、予言が成就した瞬間である。そう、勝手に決めつけて、背をむける。残飯のポリバケツに手をかけ、いつもの作業をはじめる。我ながら柄杓を扱う手つきが見事だ。熟達だ。残飯移しの達人だ。いい気分だ。これを、ちいさな幸せというのだろうか。そんな陳腐な科白で頭をいっぱいにして無理やり気分を奮いたたせていると、僕の脇にシスターテレジアがやってきた。
シスターの手にはちいさな柄杓が握られている。泣きながら、残飯を移すのを手伝いはじめた。しばらくは無視して作業を続け、ほぼ残飯をドラム罐に移し終え、居たたまれない気分をごまかしきれなくなった僕が、そっと顔を盗み見ると、シスターテレジアは泣きながら微笑んだ。なんだか酸っぱい表情で、僕はようやく律儀な罪悪感を覚えることができた。しかも罪悪感を押しのけて、シスターテレジアに対する愛おしさが全身に充ちた。柄杓を床に叩きつけて彼女を抱きしめた。きつく接吻をした。そして、気づいた。あの鼻の下の金色の産毛がない。
「剃りました」
僕は大切なものを喪った落胆と、それを凌駕する愛しさとで軽く錯乱した。シスターテレジアが六本木とかの外人魔境に棲息する二流モデルのようなつるつるした顔になってしまったことが悲しい。しかし、彼女は僕に気にいってもらおうと顔をあたったのだろう。その気持ちがかわいらしく、いじらしい。僕は男女の関係において、自分でも意外なほどにごく当たり前の、真っ当すぎるくらいの感受性を獲得しているようだ。
「笑いましたね」
「うん」
「あなたは、笑顔がいちばんいい」
そう囁くと、シスターテレジアは僕をきつく抱き締めてきた。ふたたびこみあげた。おさめたばかりの触角を露にしてその硬直を示した。シスターテレジアが切実に頷いた。僕は彼女をリヤカーの縁に掴まらせて腰を突きださせ、背後から重なった。ドラム罐の中の残飯が揺れる。汚物が僕の動作にあわせて振動する。僕は背後からシスターテレジアの情景を丹念に観察した。残飯で充たされたドラム罐と大差ない。そして、これこそが僕が望むものだ。汚物は切ない。汚物は愛しい。僕はシスターテレジアの内部で僕の放つ灰白色の汚物がじわじわと発酵し、発芽することを念じて動作する。その最中に、ふと、宇川君に植木鋏でちょきんと切断されることを想った。シスターテレジアが眉間に遣る瀬ない風情の縦皺を刻んだまま、怪訝そうに振りむいた。僕は照れ笑いをかえし、しかし即座に鋼鉄《はがね》の硬度を取りもどす。
モスカ神父の葬儀が終った次の日の晩、僕は赤羽修道士と胡桃の木の脇に椅子をもちだして向かいあって座り、お月見をした。トラクターのエンジンオイルの罐にススキが挿してあるのは、赤羽修道士の茶目っ気だ。僕は満月と、その脇に聳える胡桃の木を漠然と見あげた。昼間に実を落として収穫したので夜の藍色にむけて背伸びする胡桃の木はなんだか惨めなくらいにまばらな印象だ。赤羽修道士は、胡桃の実を落とすと秋たけなわであるという意味のことをぼそぼそとした口調で呟いた。胡桃の実は、牛の乳を搾る大きなバケツに山盛り三杯ほどとれた。食用にするというよりも、院長室に附随する応接室の大きなテーブルを磨くための油脂として使うとのことだ。あれだけホリドールをまぶしてあるのだから、それが賢明だろう。有機燐系毒は院長にこそふさわしい。
「苦しまれたが、安らかに逝ったそうだ」
「矛盾してませんか、苦しんで安らか」
「矛盾じゃないさ。解放されたんだから」
「僕は、モスカ神父様が好きだった」
「モスカ神父も君が好きだった」
「いや、嫌われたんです」
「そんなことはない。朧がいちばん近い。モスカ神父の臨終の言葉だよ」
「僕がいちばん近い」
「うん。そう、おっしゃって、息を引きとられたそうだ。最初は、ろうという言葉がなにを意味するのか判然としなくてね、まさか君のことだとは誰も考えなかったが」
「復讐ですよ」
「なにが」
「その、今際《いまわ》の言葉です。僕はいちばん遠くあろうとした。それなのに、いちばん近いなんて」
「なにがあったのかわからないが、いい月だなあ」
「先生。それって、恰好いいですね」
「いい月だ、が、か」
「ええ。ほんとうにいい月だ。なんで、あんなに青褪めているんだろう」
「なんだ、朧。涙ぐんでいるのか」
「柄にもなく」
「ほんとうにおまえはモスカ神父が好きだったんだな」
「まいった。思いもよらなかったことですが、胸が痛いです。ほんとうに、痛い」
「おまえの父親のような人だったね」
「いや、あくまでも先生です。僕は、恵まれていた」
「うん。師に恵まれた者は、幸福だ。だから、おまえは、もっと、もっと、足掻けばいいよ」
「足掻くんですか」
「そうだ。君は足掻いているだろう。たとえば君は、宇川を壊した」
「気づいてたんですか」
「当然だよ」
「口笛が嫌だったんです」
「まあ、いい。いまや、宇川は君の犬だ。北など、はじめから君の犬だった」
「僕は宇川君も北君も大嫌いです」
「それでも、彼らは、犬だ。収容生たちも君にずいぶん懐いているみたいだし」
「なぜ、僕なんかに」
「さあな。みんな、犬だ。犬になりたい」
「僕自身が犬ですよ」
「王国の犬か」
「そういうことです」
「残念ながら、私は君の犬にはなれそうにないよ」
「当然です。先生は僕なんか較べものにならないくらいに考えている。そして、死ぬことしか考えてない」
「象の墓場があるんだよ」
僕は赤羽修道士を凝視した。象の墓場。そのひとことがなにを意味するのか。僕には、わからない。修道士の瞳の澱みは、解釈を拒絶しているし、僕はそこに底なしの痛ましさを見てしまったからだ。僕の前に、死にたいのに生きている人がいる。死にたいのに、死ねない人だ。そして、僕は人殺しだが、この人を殺すことができない。正確にいえば、資格がない。僕は秋風に冷やされた剥きだしの二の腕をそっとこすった。
「今日みたいな月の晩、さぞや象牙が蒼く輝くことでしょう」
「ああ。朧を連れていってあげたいな」
「無数の骨。漂白されて、うつむいて。骨って、いいですね」
「だが、朧。君は王国を目指せ」
「先生。王国って、なんですか」
「神の王国というだろう。さんざん聴かされ続けてきたはずだ」
「確かに。そして、僕も以前から神の、いや、単に王国のことが頭から離れません」
「君は神ではないから、それでいい。ただの王国でいいんだ。しかし、王国は、究極だ。君はイエズスの息子になれ」
「なれますか」
「さあな。目指すことは、できる。支配の究極は、やはり精神的支配だろう。宗教者の目指すところ。行きつくところ。あるいは、なれの果て。その象徴として、王国がある」
「先生。先生はどうする気ですか」
「農場を君にまかせるよ」
「先生は」
「私は、修道士をやめる」
「やめて、どうするんですか」
「言っただろう」
「象の墓場がある」
「そういうことだ」
ならば、僕は王国を目指しましょう。そう胸の中で呟いてみる。現実感は、ない。こうして会話したとたんに霧散してしまった。僕は赤羽修道士に嫉妬の感情を抱いた。
「先生のほうが絵になりますね」
「あたりまえだ。君とは年季が違う。だからこそ、最後の自由を奪われてなるものか」
「自由って、そんなに大切なものですか」
「そう、問いかけること自体が、王国の」
「犬」
「そういうことだ」
修道士が薄く目を閉じた。僕は見守る。修道士の頭髪には白いものがまじっていたはずだが、見事な夜色に染まっている。感傷の秋だ。感傷がたけなわだ。吹き抜ける風にススキがかさかさと控えめな泣き声をあげる。修道士が眼を閉じたまま言う。明日は、あいつを潰そう。
僕は頷く。あいつとはいちばん大きな雌の豚だ。彼女は、明日の午前中に肉になる。物になる。それから僕と赤羽修道士は、明日の作業について淡々と打ち合わせをした。
僕と北君が押さえつける役目だった。しかし、うまくいかなかった。逃がしてしまった。泣き騒いだ。普段よりオクターブ高い声で喚きちらし、暴れまわり、駆けまわった。追いつめられて激突し、柵の鉄柱を折りまげた。殺されるのだから当然だろう。それでも、どうにか、確保した。僕は肩で息をしながら北君と目配せした。手際の悪さに苦笑いが洩れた。ハンマーを手に、おもむろに近づいた赤羽修道士は、即座に終わらせた。修道士の技術は、殺人者を自負している僕など及びもつかぬ確かなものだった。殺すということにおいて、赤羽修道士の技量は突出している。
潰された雌豚の内臓が湯気をあげる。命が湯気になって消えていく。痙攣が消えたのを見計らって僕は修道士に指示されて、北君と協力して内臓をすべて取りだす作業にとりかかった。切開された腹部に腕をつっこみ、コンクリの床のうえに命を構成していたパーツを並べていく。作業は丁寧だ。命に対する倫理は、こんな僕でも持っているのだ。血と脂、そして傷つけてしまった腸から漂う便臭。なによりも熱。僕と北君は血と粘液で肘まで汚して作業に励む。赤黒い大腸をすべて引きだした。次の作業に取りかかろうとしたときだ。赤羽修道士がそれを止めた。腰をかがめてかなり空洞が目立つようになった腹部に手を挿しいれる。
「やはり」
そう、呟いて、引きずりだしたのは白い連続した房のようなものだった。子宮らしい。僕は唐突にいたましさを覚え、さりげなくうつむいた。豚は人間でいえば老婆の年齢らしい。まさか妊娠しているとは思わなかったのだ。だが、赤羽修道士は僕を見やって、密かな笑いをうかべた。僕は悟った。修道士は胎児がいることを知りながら、あえて、この雌豚を潰した。僕に、この子袋に連続して入っている命だったものを見せるために。僕と北君が立ちつくしている前で、赤羽修道士は淡々と作業を続け、子宮を裂いて、流れだした羊水で濡れて黒ずんだコンクリの上に可愛らしい仔豚のミニチュアを並べていった。
胎児は十四匹入っていた。仔豚のかたちをしているが、毛も生えておらず、粘液に覆われてつるつるだ。白みがかったなんとも柔らかな桃色に光っている。臍の緒だけが純白だ。それぞれが熟睡しているかのように瞳を閉じていて、その瞼がちょんと飛び出しているのが愛らしい。まだ個々の個性はみられない。しかし、生意気にもふたつに割れた薄黄色のあきれるほどにちいさい蹄が脚先にできあがっている。そのまだ地を踏んだことのない蹄の曲線の造形の見事さを凝視していると、やはり神はいるのだと呟きたくなるほどだ。僕はなんとなく口をすぼめてしまった。シスターテレジアの胎内にもこんなふうにつるつるの、僕の胎児が息をころしているのだろうか。
「綺麗なもんですね。食べないんですか」
赤羽修道士は僕の精一杯の軽口を無視して、十四匹の胎児を大竈の焔の中に次々とくべていった。焔の中で胎児の繊細な肌が即座に罅《ひび》割れ、黒ずんでいく。その罅割れた部分から真っ先に焔があがった。ぴしぱしと軋む音をたて、胎児は概ね赤い焔をあげて燃えている。だが、ときに、銀紙を燃やしたときのように青い焔をあげる瞬間がある。
僕は幾度めかの青い焔を確認して、作業にもどった。赤羽修道士は、竈の前にしゃがみこんで、焔を凝視しつづけている。背から真っ二つに断ち割る作業にはいって、しばらくして、汗まみれの僕は鋸を使う手を休めて振り返った。修道士が、じっと僕を見つめていた。その瞳には感情であるとか、意味のたぐいは見られなかった。少なくとも僕には、なんのかけらも見抜けなかった。それでも僕は頷いた。肉の焦げる香ばしい匂いが鼻腔に満ちた。
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[#小見出し] 舞踏会の夜
正面玄関脇のドメニコ・サヴィオ像に無数の枯葉が貼りついて朽ちている。枯葉の複雑な色彩のせいで、純白に塗りこめられているはずの彼が、一瞬だが直立した腐乱死体に見えた。西日のなか、仰角四十五度、我、貞潔に死すといった趣で神様がいらっしゃるあたりの虚空を仰ぎみる、建設的な美少年の死体である。僕は皮肉まじりの妄想を追い払い、立像に近づいた。
像の台座の継ぎめから水分が滲みだしていること、枯葉が湿っていることから推理すると、吸水しやすい石材なのだろう。葉っぱたちは像に含まれている水分で接着されているのだ。
このあいだの台風は凄かった。移動の速度が速く、規模のわりに被害は少なかったらしいが、十一月下旬という時期はずれのせいか意表を突かれた。雨台風で、大きな雨粒が真横に奔《はし》っていた。あの雨粒がドメニコ・サヴィオの奥深くまで浸透しているのだろう。試みに彼の鼻の頭に貼りついた枯葉を一枚剥がしてみる。
しん……とした秘めやかな植物独特の腐敗の香りが立ち昇って、僕はうっとりとしてしまった。植物が朽ちて腐って、たとえばこの楡の葉のように葉脈を徐々に露にしていく姿は本当に控えめで好ましい。
しかし、動物が腐るのは、たまらない。僕も動物だからあまり偉そうにいえないのだが、台風のあとのちいさな土砂崩れの中からあらわれた仔豚の死骸にはまいってしまった。仔豚は生後三カ月ほどで胃に潰瘍ができて、衰弱死してしまった。豚は人間並みに胃に潰瘍ができやすい動物なのだ。体長は六十センチほどで他の仔豚に較べて遜色なかったが、痩せていた。まずいなあ、と粉末飼料を加減して繊維分の多い餌に変えたが手遅れだった。
赤羽修道士に適当に埋めておけと命じられた。豚の係りは北君である。なんで僕がとふてくされ、修道士をやめると言ったのに、いつまで居座ってやがるんだと胸の裡で悪態をつき、農場裏手の斜面を適当に崩して埋めた。平らな地面に垂直の穴を掘るよりも、楽だったからだ。
それが、いけなかった。季節はずれの台風の雨と風で斜面にところどころ崩落がおき、どういう加減か僕が埋めた仔豚が関東ローム層の赤茶けた土のなかから出現してしまったのだ。
豚が出た、という北君の報告に、なにごとかと駆けた。穴のあいてしまった左頬をまだガーゼで隠し、絆創膏で止めている宇川君もいっしょだ。僕はひと月ぶりに出現した死体を見て小首をかしげた。雨で泥が洗い流され、純白の体毛を纏った肌を露にしている。完全に原形をとどめている。腐っていないのだ。埋めたときとまったく変化がない。いや、気のせいかもしれないが、土の養分でも吸いとって育ったのか、やや太ったようにも感じられた。
僕は宇川君と顔を見合わせた。北君は首を前に突きだして腕組みをしている。丹念に観察すると、眼球は縮まってほぼなくなっていた。といって眼窩が目立つほどでもない。黒茶色のちいさな窪みが遠慮がちに穿たれている。死骸であることにはまちがいない。僕は宇川君に向けて顎をしゃくった。宇川君は頷き、履いているゴム長靴の先で仔豚の脇腹あたりを蹴った。正確には爪先で押した、あるいはこすった程度だ。宇川君曰く、爪先にはまったく抵抗が感じられなかったという。
皮が剥けた。ずるりと剥けたという紋切型がぴったりとくる光景だった。もちろん、それなりの衝撃はあった。剥けた瞬間には相応の腐敗臭が漂ったし、強烈な火傷をした者の皮膚を戯れに引き剥がしたようなぬめりとした罪悪感が立ち昇ったからだ。火膨れの皮膚の下、やや膿みはじめ、緑色めいて血が腐り、リンパ液などでぬるぬるになっていて、その頼りない粘りを確認しつつ、なんの引っかかりもなく皮膚が剥がれていくのをなかば愉しむ、あの居たたまれない快感である。
鳥籠が見えた。精緻に編まれた見事な造形だった。眼を凝らした。肋骨だった。骨は濡れた薄黄色をしていた。骨だけでなく、仔豚の内側は総体的に黄変していた。黄みがかった乳白色とでもいうべき色彩が主体だ。そこには血の緋色や肉の桃色といった色彩も、脂の白も存在しなかった。薄汚い黄色のバリエーションが拡がっているばかりだった。
中身、どこにいったんだよ。そんな間の抜けた声をあげ、訝しがった。そのころになると強烈な刺激臭で僕も宇川君も北君も口と鼻を手で覆い、瞳を潤ませていた。沁みる。ひどく眼に沁みる。耐えられずにきつく眼を閉じると、目尻から涙が伝った。そして、ようやく眼が馴れた。薄黄色の粘液に瞳が惑わされなくなって、やっと気づいた。仔豚の中身は薄皮一枚と骨格だけを残して消え去っていた。血や肉や脂のすべては乳白色の蛆に取ってかわられていたのだ。
それは自然が創りあげた仔豚の剥製とでもいうべきものだった。ただし詰め物が蛆なのでいわゆる剥製のように乾燥しておらず、腐敗につきものの抜群の艶を誇っていた。僕がまだ童貞で女性を知らなかったなら、なかば感動の面持ちで、これほど見事な艶を知らないなどと胸の裡で呟いたところだろう。
僕たちは腐りかけたミルクのような色をした蛆がまるで液体のように波打って移動していくスペクタクルを凝視していた。幾千、幾万の蛆だ。ぬらぬらてらてらにちょにちょうじうじと蠢いているのだ。僕も北君も宇川君も凝視した。一匹の豚の中身が無限の蛆に変化した魔法を。もし、これに神様が関与していたとしたら、まさに奇蹟かもしれない。そんな戯言さえ胸に秘めて見守った。
宇川君が口を押さえたまま、くぐもった声で冗談を言った。この蛆どもをすくいとって茶碗にいれて山盛りにしてだしたら、北君なら御飯と間違って喰うかもしれないね、生きてる御飯粒とかいって──。もちろん僕も北君も大馬鹿野郎だから、ひゃひゃひゃなどという奇妙な笑い声をあげ、僕は実際に蛆を盛る容器がないか周囲にざっと視線を投げた。この斜面周辺からは、いつの時代のものかはわからないが、土器のかけらがよく出土する。それに蛆を盛って北君に喰わせようと思ったのだ。
だが、冗談は長続きしなかった。蛆たちが僕たちの足許に押しよせてきたからだ。伸びて縮んで、また伸びてを繰り返して蛆たちは雑ではあるがそれなりに絵になる放射状を描いて散っていく。ふと気づくと、ゴム長靴に這いのぼる図々しい奴もあらわれはじめていた。まるまると太って、極小の葉巻型だ。そいつが長靴の黒い甲の上に粘液の銀色めいたぬめりをこすりつけながら上へ、上へと這いあがってくる。こんなおぞましい幼虫にも上昇志向があるらしい。あわてて片方の足で甲の上を這う蛆を潰し、後ずさり、ついに限界を迎えた。
強がっていた僕たちであったが、申しあわせたようにいっせいに強烈な吐き気に襲われたのだった。それは耐えがたいもので、じわりと危ない唾が迫りあがって口中を充たした段階で、現場から逃亡しなくてはならなくなった。僕たちは匂いのとどかないところまで逃げ、幾度も唾を吐いて地面に無数の黒い染みをつくった。
僕は死を匂いでとことん教えこまれたのだ。仔豚の蛆の詰め物が放つ刺激臭は、じつは、いい匂いであるとか嫌な臭いであるといった悠長な判断を下す余裕のあるものではなかった。僕も北君も宇川君も、仔豚の内側の薄黄色い艶に気づいたときには、もう逃げだしたくてしかたがなかったのだ。もろに腰が引けていた。ただ、つっぱって軽口を叩き、悪ぶって相手の顔色を窺いながら、どうにか耐えていた。
腐敗した肉の匂いを忌避することは、おそらくは動物としての人の本能にすりこまれているものなのだ。それは、自分自身の死の匂いにも通ずるものだからだ。写真週刊誌の死体写真を観賞するのは胸躍りつつも長閑《のどか》なものだ。印刷インキの石油臭い匂いしかしないからだ。肉の腐って盪《とろ》けてかたちを喪っていく匂い。植物の朽ちていく香りに侘寂《わびさび》を覚えて愛でるのとはわけがちがう。同族の腐り果てていく匂いだから、嘔吐を催すのだ。細胞が拒否をする。
僕は自分が殺した男女のことに思いを馳せた。彼と彼女も、仔豚のように腐っているだろう。仔豚とちがって皮が薄いから、蛆どもはとっくに地面に散って、いまごろは蛹に、あるいは一人前の金蠅になっているかもしれない。彼も彼女も、そのサイズは仔豚の比ではない。だから、その腐敗臭も仔豚の比ではないだろう。
あの人たちは人間よりも室内飼いの愛玩犬を大切にしていた。ちっぽけなくせに権力欲の強い小賢しくて騒がしい馬鹿犬どもの体毛をペット美容室の女の子にあれこれ刈りこませて悦にいり、ところがときに新大久保の韓国料理店で冷凍して持ち込まれた犬肉を唐辛子で真っ赤になった鍋で煮込んで喰い、やはり赤毛のチャウチャウは旨いと満悦の体で、頭上の映りの悪いテレビから流れる動物番組の映像を頷きながら眺め、イルカは人の友達などと吐かしながら毎晩カルビばかり食べていた。つまり肉好きの動物愛護の人だったのだ。彼に至っては子袋が大好物だった。ざっと火を通し、眼を細めてこりこりと咀嚼していた。単にその食感が好ましいといった水準を超えて、なにやら子袋という臓器に対する精神的な執着と依存が見え隠れしていた。そんな姿が思い出されて、少し酸っぱい気分になった。脂肪が稲妻模様を描いている血色のカルビと真っ白な子袋が脳裏に並列された。それはそのまま死体の色彩に重なる。そんな紅白のおめでたい色彩に金蠅がたかる。
罪悪感とは、ちがう。憂鬱な気分でもない。ただ金蠅の金緑色をした光沢のある躯の色彩が頭の中を飛びまわっている。死の匂い、その腐敗臭は色でいえば、金緑色ということになりそうだ。安易な発想なので、誰にも言えないが、僕にとってはそれなりのリアリティがある。
*
指先でつまんだ楡の枯葉を弾いて棄てた。ドメニコ・サヴィオの顔に手をのばす。貼りついた枯葉を雑に剥がしていく。手持ちぶさたで軽く貧乏揺すりをするようなものだ。
「朧さんはドメニコ・サヴィオが好きなんですか」
「いや、べつに」
「でも枯葉まみれのドメニコの顔が綺麗になりました」
十五歳で逝き、ちいさき巨人と呼ばれることになった聖ドメニコ・サヴィオとジャンの顔が重なった。僕はドメニコ・サヴィオの像から離れ、とってつけたように肩をすくめてみせる。ジャンが意味不明の笑顔をかえしてきた。
「ねえ、朧さん。ドメニコの〈罪を犯すよりも死を〉って言葉、どう思います」
「逆に訊きたいよ。罪って、なんだ」
「穢れたこととか」
「穢れたこと」
「そうです」
「俺なんか、穢れっぱなしだぜ」
やや息んで言い、ジャンを一瞥し、曖昧に視線をはずした。ジャンの苗字は御厨《みくりや》という。おそらくはフランス系アメリカ人の混血だ。僕が勝手にストーリーをでっちあげれば、彼は白人米兵の父親と日本人の母親のあいだに生まれた。父はステーツに帰ったきり音信不通になり、母はジャンがじゃまになった。幼いジャンは寂しさからぐれて、母親はぐれたジャンを厄介払いするように放りだした。辿りついたのが、この檻だ。
聖なるサヴィオ、ドメニコよ──。いきなりジャンが歌いだした。なかば呆気にとられてその口許を凝視した。中学三年にもなって声変わりをしていないのだろうか。ジャンが聖歌を歌うのをやめ、見つめかえしてきた。美少年は苦手だ。その場を立ち去ろうとした。呼びとめられた。
「どこに行くんですか」
「院長」
「院長先生」
「そう。ベラ公の相手をしてやるんだよ」
「ドン・セルベラの」
「そう」
ふと、ドン・セルベラの陰茎をしごきにいくんだよと口ばしりそうになった。御用命により農作業のあいまに魔羅こすりだ。もちろん保身がまさり、口を噤んだ。ジャンが僕の顔を覗きこんでいる。鳶色の瞳になにやら切実な気配が漂い、逃げだすわけにはいかなくなった。僕は彼の足許に転がっている傷だらけで泥まみれのサッカーボールを漠然と眺めた。
「朧さん。ドン・セルベラは罪人です」
「まあな。そのとおりだ」
僕は直観した。ドン・セルベラはこの少年になにかした。顔を近づけて訊いた。白豚になにをされたのか、と。するとジャンは頬を染めた。これほどわかりやすい反応をかえしてくるジャンに僕は失笑し、そして微妙な感銘を受けた。
「なあ、ジャン。こんど僕と勝負をしよう」
「勝負。苦手です」
「PK勝負だ」
ジャンの顔が輝いた。コーチしてくださいと身を寄せてきた。幼い汗の匂いがした。女の、たとえば教子の香りとはあきらかにちがうが親和性がある。違いは、教子の匂いは僕を昂ぶらせるが、ジャンの香りは僕になんともいえない懐かしさを呼びおこさせる。匂いを味わって安らいでいるうちに、ふと蘊蓄をひけらかしたくなった。いいか、ジャン。サッカーはイギリスで生まれただろう。奴らは植民地政策に奉仕する武器としてサッカーを世界中に拡めたんだってよ。するとジャンが囁きかえしてきた。
「じゃあサッカーとキリスト教はいっしょですね」
僕は眼を瞠った。手をのばしてジャンの色素の薄い巻き毛を掌で押しつぶす。僕は掌を通してジャンの頭の中に熱を注入したような気分になり、満足した。黙って背を向けた。
正面玄関からあがり、向かって右側にある院長室のドアを手の甲、中指第二関節あたりでノックする。樫の木だろう。ノックの音は締まっていて、重々しい。でも、樫の木の実はどんぐりなのだ。それに思い至って僕は微笑んだ。意味のない笑いだと反省した。
室内に迎えいれられ、後ろ手にドアを閉めたとたんに、セルベラにきつく抱きしめられた。白人の挨拶としての抱擁を演じてはいるが、性的なものだ。黒いスータンの下に垂れさがっている神父の陰茎が徐々に肥大してくるのが僕の下腹に伝わった。老人の昂ぶりだ。スイッチが切り替わるように柔軟から硬直に移行する瑞々しさはない。じんわりと肥満していく緩慢な堅太りといったところだ。僕はセルベラによる接吻を避けるために顔をねじ曲げてワックス臭い床を眺め、スータンについている無数のボタンを投げ遣りにはずしていく。
ふつうはスータンの下にスラックスを穿いているものだ。セルベラはなにも身につけていなかった。丸だしであり、裸足であり、わざとらしい内股で立っている。本人は可愛らしさを演じているつもりらしい。この老人は自らの肉食獣じみた猛々しさを忘却してしまうのか、ときどき乳幼児か女の子のような仕草をして悦にいる。
肥満しきった毛まみれの腹の下、セルベラが白人であることを証明するかのようにその肌よりもより白い、まるでアルビノの巨大な蚯蚓《みみず》じみた陰茎が地面とほぼ水平に伸びている。神父の下腹の顔は包皮に完全に覆われていて表情がまったくわからない。おぞましい景色ではあるが、今日は初めからそれなりの硬度を保ってくれているので手っ取り早い。僕は両手の掌を用い、手早く処置をした。処置をしながら、思った。こんな投げ遣りな奉仕を受けるくらいならば、自分でこすりあげたほうがよほど心地いいだろうに。だが、性的快感の芯にあるものは、自分の思いどおりにならないという貴方まかせの不能感にあるのかもしれない。
精液が黄ばんだ膿に見えるのは、僕の眼に嫌悪のフィルターがかかっているせいだろうか。ともあれ僕は手仕事を終えてひと息ついた。初冬のいまは発汗も抑えられるのだろう、神父の腋臭もそれほど強烈に自己主張しない。それでも掌に染みついてしまった性器独特の酸っぱい発酵臭に、蛆の詰まった仔豚を前にしたときと同様の嘔吐感を覚えた。
もちろんそれは幽かなもので、とりたてて騒ぎたてるほどのこともない。しかし僕は悟っていた。こういったちいさなストレスが積もりつもって、ある日、唐突に爆ぜるのだ。しかもその暴発はストレスをもたらした当の対象には向かわずに、手近で安易なところで発散される。たいがいは身近な弱者が被害を受ける。僕は宇川を蹴る自分の姿を空想して、やや憂鬱だ。
「怖いよ」
ドン・セルベラのわざとらしく幼い声に、我に返った。思いを破られて舌打ちしたいところだが、僕の衣食住、つまり経済は院長であるこの神父に握られている。愛想笑いをかえして小首をかしげてやる。
「朧がいなくなったら、怖いよ」
「僕は、いますよ。ずっと」
「私に厭きて、いなくなるよ」
いなくなりたいところだが、そうはいかない理由があるのだ。もちろんそれを口にして説明することはできないが。
「ねえ、院長先生。なんで白人は臭いんですか」
「臭いか、白人は」
「はい」
「臭いか、私は」
「はい」
「厭な匂いがするか」
はい、と強く返事をしたいところだが、首を左右に振ってやる。愛嬌たっぷりの顔をつくる。
「ベッドの中で院長先生の匂いを思い出します。すると、不思議なことにありありと院長先生の姿が脳裏にうかぶんです」
「朧よ。五感とはなにか」
僕は律儀に指を折って勘定する。
「見る、聴く、触る。それと味わう。そして嗅ぐこと、ですか。これで五つですよね」
「そうだ。よくできた」
「一般常識ですよ」
「ところが、わかっていないだろう」
「なにが、ですか」
「五感のうち、匂い以外の四つは脳味噌の視床という部分をとおって大脳皮質のそれぞれの感覚野という部分に達して、甘いとか明るいとかうるさいとかいう感覚になるわけだ。そこで、おしまい。ところが」
「ところが」
「ところが、匂いの情報だけは脳味噌のなかでもっとも上等な働きをする部分、創造や思考を司り、人を人たらしめている前頭葉にまで辿りつくんだ」
僕は感心するよりも、怪訝な気分で院長を見つめた。セルベラのような男は、なにがなんでも神様、すべては神様に帰結させてしまって科学的な思考や事実を蔑ろにし、拒絶するものとばかり思っていたからだ。
「ある匂いを嗅いで、昔のことをありありと思い出すといったことがあるのは、匂いの刺激が前頭葉を擽るからなんだよ」
「見る、聴く、触る、味わう、それらの刺激は前頭葉にまで達することができないというわけですね」
あえてくどい口調で念押しをしてやると、セルベラは深く頷いた。
「そう。匂いは神様が与えてくださった最高の快楽なんだよ」
やっと神様が登場した。僕は満足して頷いた。まだ僕がここの収容生だったころ、セルベラにさんざん聴かされた逸話にこういうものがあった。
その科学者は完全な無神論者で、生命の発生を探究していた。彼の説によると海、海水は命のスープのようなもので、原初地球の海には、アミノ酸だかなんだか知らないが命の源の物質が大量に含まれていたという。しかし、命の源の物質が海水にいくら大量に含まれていたとしても、それだけでは生命は発生しない。重要なポイントは攪拌である。そして海水を攪拌したのは風であった。風が吹いて波がおきることによって、海という生命の揺籃《ゆりかご》がゆすられて、生命が発生、誕生した。そう科学者は聴衆の前で生命発生を解説したという。すると聴衆の中から小さな手があがった。まだ小学校にあがる前の男の子が質問した。
「先生。風を吹かせたのは、誰ですか」
セルベラが微笑んだ。僕も微笑んだ。セルベラの笑みは毒気のないものだが、僕の笑みはかなり嫌らしいものだ。
話の続きだが、科学者は誰が風を吹かせたかという子供の質問に、いきなり宗教に目覚めたのだ。悟ってしまった。風を吹かせたのは、神である、と。そして善きキリスト者として神に帰依したというのである。
この話が事実なのか、創作なのか僕にはわからない。この話の弱点は、つまりこの科学者の阿呆なところは、生命誕生を風が吹けば桶屋が儲かる式の気のきいた小悧巧な小咄、喩え話に変換してしまったことだ。だから子供に誰が風を吹かせたのかという素朴で無意味な質問をされて、転んだ。転びバテレンならぬ転び科学者と相成ったわけだ。
それにしても風程度で神に帰依してしまう無神論者というのも不細工なものだ。善意的に解釈すれば、生命を探究し続けるということは、たとえ科学であっても宗教的にならざるを得ないだろうから、この科学者は初めから宗教家に片足を突っこんでいたのかもしれない。
「匂いと脳味噌の話、意外でした。でも思い返せば、院長先生は昔から科学にかこつけてあれこれ話すのが好きだったですね」
「かこつけて」
「いや、ことよせて、か」
「いいんだよ、朧。私は君の正直なところが好きなんだ」
「僕は、正直ですか。正直に見えますか」
「君は悪い子だった。じつに悪い生徒だった。教務主任から忍者って呼ばれていたよね」
「はい。ばれたんです。あるとき、ばれた。品行方正の仮面をかぶって、裏で悪さばかりしているのがばれた。それまでは品行点はいつだって七でしたもんね。みんなの模範であり、鑑《かがみ》ってやつですか。でも、それからは必ず四で面会禁止ばかりだった」
「でも私は君が正直なことを知っていたさ。たとえ忍者であっても、ね。モスカ神父ばかりが君のことを愛していたわけではない。私だって君のことを強く愛していた。いいかい、朧。悪くなければ善くなりようがない。そうだろう」
悪くなければ善くなりようがない。なんとおぞましい。これで気のきいた台詞を吐いたつもりなのだ。世の中にはこのレベルの人物が満ちあふれていることは認めよう。知能指数百とちょっとの世界だ。しかし眼前でそれを露にされると、さすがに鬱陶しい。しかも、ここまで頭が悪いと、反撥もおきない。陳腐極まりない院長に向かって僕は真顔で頷いてみせた。それから意識を遮断する。
僕はソファーに沈みこむように座って、中学生時代の追憶に取りこまれた。ドン・セルベラはまだ院長ではなく、教官として僕たちと積極的に交わっていた。セルベラの得意技は硬球で僕たちを殴ることだった。白人神父たちはよほどの発作的激情に支配されて、しかも手近に武器がないとき以外は、おおむねなんらかの道具を用いて僕たちを折檻した。セルベラはスータンのポケットにいつも硬球をひとつ忍ばせていて、それで僕たちの顔面を殴打した。それにより顎を骨折した生徒もいた。殴られる瞬間に飛んで衝撃を吸収する技術を磨かぬ怠慢から、顎を砕かれてしまったのだが。
「セルベラ先生の、あの硬球は、きつかったですよ」
「ああ、ずいぶん叩いたね」
叩いたなどという生易しいものではない。しかし僕は愛想よく相槌をうつ。
「叩かれましたよ。さんざん叩かれた。叩かれた痛みや痣よりも、それで口の中がめちゃめちゃに切れて、食事がつらかったですよ」
「食事がつらい」
「ええ。硬球で殴られたことのない先生には思いもつかないでしょうが、衝撃で口の中を切るんです。自分の歯で口の中のあちこちを切ってしまう。すると味噌汁とかが滲みるんです。傷口に塩を擦りこむというやつですね。食事の時間が憂鬱でした」
「可哀想なことをしたね。育ち盛り、食べ盛りなのに」
「いえ。いちいち反抗した僕が悪かったんです」
いい加減に引いてみせ、和解の言葉を呈示してやる。神父は心底からの善意で僕たちを殴打したつもりであるから、なんの照れもなく和解にのってくる。
「先生。ひとつだけ訊いていいですか」
「なんだい」
「なぜ、先生は、硬球で僕たちを叩いたんですか」
「それはレールから外れた君たちの進路をもとにもどすためだよ」
「いや、そういうことではなくて。硬球でなく、手で叩くこともできたでしょう」
「ああ、そのことか。君たちは際限なく悪さをする」
セルベラはいったん息継ぎをし、軽くウインクをしてみせた。
「際限なく悪さをするから、私は際限なく叩かなくてはならない」
「だから硬球で」
「手が痛くなるだろう」
「はあ」
「叩くほうも大変なんだよ。毎度のことだから、手が痛くなる」
僕はドン・セルベラに満面の笑みを向けた。よけそこなって幾人が鼻を砕かれ潰されたことか。鼻梁の芯を失い、鼻全体が左右に動くようになってしまった子供の群れ。僕は幸いにもそのあたりの呼吸、あるいは反射神経が優れていたので鼻骨や鼻軟骨を破壊されずにすんだが。
「やっぱ、手が痛くなりますよね」
「心苦しいことなんだよ。決して君たちを愉しんだわけではない」
「叩くことを愉しんだわけじゃない」
「毎晩就寝前に祈ったさ。こんなことをしなくてすむようになりますようにと」
僕はあらためて微笑した。血まみれの殴打を叩くと表現し、硬球を使うのは手が痛いからだとほざく。白い神父が僕に微笑みかえした。うん、うんとやさしく二度頷いた。
日本人神父だって僕たちをとことん殴打した。日本人修道士もしかり。だが、硬球ではなく、あくまでも素手で僕たちを殴った。なかには増長しきった僕の反抗的態度があまりに生意気なので、瞳に悔し涙をためて殴りかかってきた修道士もいる。そのことの意味をあらためて反芻し、僕は膝に手をつき、ゆっくりと立ちあがった。馬鹿丁寧に御辞儀をして院長室を辞去する。
*
ベッドに躯を横たえても、もやもやしたものが消えない。ベッドが軋んだ金属音をたてていた。貧乏揺すりに気づいて、舌打ちをした。僕はごく幼いころに父から貧乏揺すりの頻発を指摘され、苛立ちや緊張が脚を小刻みに震わせるというかたちであらわれてしまうことを恥じ、自ら封印してきたのだ。だが独りでいるとき、こうして無意識のうちにカタカタと揺れていることがある。それに気づくと、じつに腹立たしくなる。
じっと掌を眺める。この手でセルベラに奉仕をした。もう白人恥垢臭は消えたけれど、分厚くラバーを巻いた棍棒を握りしめたようなあの感触は消えない。それを茶化してしまいたくて意識操作をする。無理やり戯言を脳裏に思いうかべる努力をする。なにがいいか。日本は、戦争に負けた。白人から受けた抑圧からくる連想のせいか、そんなことしか、うかばない。
神風は、肝心のときには吹かないものだ。八百万《やおよろず》の神だろうが、三位一体の神だろうが、とにかく神が吹かす風なんぞをあてにして戦争を始めたのだとしたら、あの日和った科学者並みの救いようのない愚かさだが、その結果、日本国は徹底的に叩きのめされ、占領された。そして植民地化されたまま、いまだに独立を果たしていない。原住民の僕は米軍放送を好んで聴き、白人神父様の陰茎をこすりあげることで露命をつないでいる。
「露命だってよ。なんでこんな言葉、知ってるんだろ。老人臭えなあ、俺は」
溜息をついた。あくびか溜息か、微妙なところだ。疲労してはいるのだ。農場の厳しい労働をこなしたうえに、院長様の巨大な、しかもやたらと臭いおちんちんを両手で捧げもち、お祈りさせていただいたのだから。
僕は足掻いた。できればすんなりと眠りに墜ちこみたい。しかし、心がそれを許さない。ふたたび顔の上に手をやる。仰ぎみる。この手で他人の陰茎をこすりあげたのは、ドン・セルベラが初めてではない。僕がそれをしたのは、中学二年の秋だった。好んでやったわけではない。強制されたのだ。それは夜毎の舞踏会だった。
*
僕たちはその食べ物をゲロと呼んでいた。原材料は在日米軍から寄付された軍用非常備蓄食の類で、正体は粉末状の純粋な澱粉だと思われる。湯で溶かれて中途半端な半透明ゲル状に固まり、皿にのったそれは、まさに吐瀉物だった。
調理をするシスターも、軍属に頭をさげていろいろな物資を寄付してもらう担当の司祭も、主食として夕食に、毎晩必ずそれを供することに罪悪感を覚えていたのか、一週間にいちどほどはゲロにチョコレート味をつけてくれた。これに用いるカカオ粉末も米軍のものだった。
嘘か真か神父が言うには、日本国が福祉予算から僕たち悪ガキに与える金銭は、衣食住のすべてをひっくるめて一日に均すと一人あたり百二十円とのことで、いくらなんでもぜんぶひっくるめて百二十円では三食真っ当なものを喰えるわけがない。
僕の直感では修道会が僕たちの金、いや日本国の金を着服しているような気がする。それはともかく食べ盛りの僕たちがまがりなりにも発育し、成長することができたのは、在日米軍からキリスト教精神とやらによって寄付された軍用の食糧に負うところがおおきい。ただし、それらは賞味期限をはるかに過ぎて廃棄処分になったものである、という注釈が必要だが。
つまりゴミだったのだ。僕はゴミを食べて成長した。僕の血と骨と肉と脂は、つまり僕の躯はゴミで出来ている。くどいが、あえて繰り返す。僕は安全保障条約のゴミで成りたっているのだ。
このゲロに飽いた僕はある晩、教務主任に向かって人殺しをする軍隊から食糧をもらうのはいかがなものかと青臭くも中途半端で生意気な議論をふっかけたことがある。
教務主任は反共の立場から日米安保は必要不可欠であるとの一点張りで、僕との議論をきりあげた。アカという名の唯物論が攻めてくると宗教が成りたたなくなるというごく単純で素朴な論法は個々人の心のありようをあきらかに無視し、均質化していることにおいて共産主義的であった。
アカが攻めてこようが、シロが攻めてこようが、僕の心は僕のものだ。中学生の僕にだってその程度の自覚はあった。僕の空想や妄想、心のありようはあくまでも僕のものなのだ。それとも神のものなのだろうか。
宗教の鋳型にはまることがファシズムの愉しさに充ちみちていることを否定はしないが、それでもキリストは、眼で犯すものは姦淫したのとおなじことであると、心のありように常に絡みついている始末におえないある自由さを、極論を用いて諫めたではないか。つまり神は個々人の心のありようを支配しきれていない。
僕は教務主任に軽くウインクなどしてもらい、こう言ってほしかった。日米安保は政治的にではなくて、君たちの生存に必要なんだよ、と。
それはともかくゲロであるが、たしかに澱粉を湯で溶いたものであるから主食にはなるのだろう。しかし雑味の全くない純粋な澱粉は、でんぷんという語感からとことんかけはなれた純粋化学物質的な味わいが極端に食欲を萎えさせる代物であった。
ゲロに較べると米はなんと甘く香ばしいことか。蕎麦は甘みにくわえて幽かではあるがなんと複雑なえぐみをもっていることか。小麦粉の弾力とお日様の匂いはなんと艶やかであることか。米も麦も蕎麦も確実な歯触りというものをもっている。ところがゲロときたら箸にも棒にもかからないどころかスプーンでさえも満足にすくうことのできぬ奇妙で不気味な粘液だった。
そのゲロにカカオの味と色がつくと、どうなるか。ゲロがクソに変わるのだ。甘いものに縁のない教護院生活である。ゲロが下痢便になったなどと悪態をつきながらも、僕たちはそれにむしゃぶりついた。しかし純粋澱粉の本質は変わらない。化学物質はカカオ味ごときにはまるで侵蝕されないのだ。
僕たちは数回クソに夢中になってそれを自分の皿に大量にすくうために啀《いが》みあい、殴りあいまでして取りあいしたあげく、唐突に醒めて顔をそむけるようになった。純粋澱粉と、やたらと酢のきいた春雨サラダ、その二種類のみの夕食のなんと優雅なことか。米軍からの寄付がなくなるまで、そんな美容食が毎晩、毎晩、延々と続いたのだ。
米軍からのゴミ、いや贈り物は僕たちのおやつにもまわされた。ただし禍禍しくも忌忌しい純粋澱粉ではなく、タイプCと呼ばれるレーション缶だった。
レーション缶も例外なく賞味期限を幾年も過ぎていたが、そのカーキ色に塗られた缶詰をあけると、中からはビスケット、キャンデー、チーズ、ココア粉末などがあらわれる。初めてレーション缶をひらいて、缶詰の中からさらにちいさな金色をしたチーズの缶詰が出現したときには、魔法、あるいは奇蹟の現場にでくわしたような昂ぶりのせいで、軽い眩暈《めまい》を覚えたほどである。
それらは客観的に評価すれば所詮は軍隊の食べ物、決しておいしいわけではない。しかし極限状態の生存、おそらくは核攻撃下におけるシェルター内での食糧として準備されたゲロとは較べものにならない彩りと複雑な香りを備えていた。僕たちはレーション缶を与えられて幸福だった。前歯で囓ったビスケットの中から干涸らびた蛆のミイラ、あるいは同じく見事に干涸らびた茶色い蠅の蛹が出現するまでは。
半地下の食堂はコンクリートの床が剥きだしで、収容生たちは長方形のテーブルに三人ずつ向かいあって六人で座る。椅子は背もたれのない、臀をのせる部分に穴のあいたドーナツ型のもので、コンクリと金属の脚がこすれるとなんとも嫌らしい軋み音が響く。私語は許されず、蛍光灯のしらけた光のもと、いつだって最後の晩餐の気配が濃厚だった。
その夜も、相も変わらずゲロの夕食だった。食べなければ飢える。喰えば自尊心が投げ遣りに痛む。中学二年だった僕にもその程度の感受性はあり、春雨サラダの春雨を選りわけて取りのぞき、人参片やレタス片、胡瓜のかけらを溜息まじりに口に運んでいた。
この素敵な学園に送りこまれてくる少年のなかにはときどき肥満児がいた。僕たちは肥満児の肥を略して彼らをマンジと呼んでいたが、マンジはこの美容食と規則正しい生活、および強制的にして過酷な運動のおかげでたいがいが二月ほどで見事に痩せほそった。
悪い仲間が自嘲気味に、刑務所に入れば糖尿病も治ってしまうと口ばしっていたことがあった。同じように肥満児にとってこの檻で供される食事は、余分な脂肪を削ぎ落とすという目的に対して見事に機能する。
僕は目の前に座ってゲロを啜っている新入りのマンジの二重顎を冷笑まじりに見つめていた。マンジは冷えたゲロを喰うのに、おでこや首筋にたくさん汗をかいていた。彼だってこんなものを食べたくはないのだ。しかし人並み以上の体格をしているし、世間で飽食して胃袋を拡げまくってしまったので、食べずにはいられないのだ。僕は自尊心を充たすために喰わなかったが、彼は純粋澱粉を泣きそうな顔で咀嚼していた。
僕はゲロさえも喰わずにはいられないマンジの肥満ぶりを冷笑していたのだ。しかし彼のまくれあがった真っ赤な唇がにちゃにちゃとこねまわすように動いていること、つまり咀嚼していることに気づいたとたんに、呼吸が苦しくなった。なぜ、ゲロを噛む。咀嚼ずみではないか。咀嚼ずみであるからゲロというのではないか。
これを因縁をつけるというのだが、僕はわざとらしく咳払いをした。それからケッケッと喉を鳴らした。口中にお誂え向きの濃度の見事な痰が出現した。当時、僕は木工所からトルエンを盗んで密かに吸っていたので大量の痰はお手のものだったのだ。
腕をのばし、中指でマンジの額を弾いた。マンジが顔をあげた。僕は監視している教官がよそを向いた瞬間に上体をのりだし、マンジの皿のゲロに、さらに青痰を盛りつけてやった。
『喰え』
『許してください』
素早く鋭いやりとりである。鋭さゆえに空気が軋む。気配がおきる。教官がこっちを見た。マンジの隣りに座っている少年が死角を利用してさりげなくスプーンを挿しいれ、ゲロと青痰を混ぜあわせた。
教官が近づいてきた。僕たちはマンジを除いて、みんなつまらなさそうにゲロを啜った。教官は僕が片肘をついて食事していることを事務的に注意してからマンジに命じた。
『贅沢をいわずに食べなさい』
教官の言葉には暴力の裏づけがある。つまり命令が命令として作用するのだ。マンジは僕に縋る眼差しを向けた。マンジの黒目勝ちな丸い瞳を認識した直後、僕は遮断した。彼の視線を完全に撥ねつけた。僕の前に彼は存在しない。だから彼は俯き、ゲロと痰の混合物をスプーンですくいあげた。マンジの隣りの少年が澄ました囁き声で訊いた。
『抜群の塩加減でしょ』
マンジは返事をするかわりにテーブルや皿に涙をぽたぽた落としてゲル状物質を食べた。さすがに痰まじりのゲルを丹念に咀嚼する気にはなれないのだろう。呑みこんでいる。僕は自分の意図が徹底されたことに満足した。
教官が僕を一瞥した。朧がなにかしたな。そんな眼差しだった。しかし教官は僕が陰で同級生たちを束ねていること、ゆえに僕を拗ねさせるとあれこれ面倒が起きることを熟知していたから、ちいさく肩をすくめるとテーブルから離れていった。
涙が悲哀を立ち昇らせるのか。悲哀が涙をもたらすのか。まわりの少年たちに悲哀が伝染して、それから醸しだされる居たたまれなさ、罪悪感、自分が虐め抜かれたころの哀切な追憶などが重なって、沈んだ静寂《しじま》が拡がった。僕は、やがてそれらが苛立ちと攻撃に変化することを理解していた。
他人の流す涙は、それが切実であればあるほど、悲哀のいろが強ければ強いほど、許せなくなる。とくに少年と呼ばれる年頃にはそれが顕著である。
感受性を濫費できる季節だ。余裕がないのだ。他人の悲しみが直截に刺さる。心を掻きむしる。しかも悲しみに感応してしまった自分が許せない。それは弱さとして認識されるからだ。少年は男になりたいのだ。男とは動じないということと同義語だ。男になりたくてしかたがなくて、そればかり意識する年頃だからこそ少年と呼ばれるのだろうが、過敏な自分に過剰に苛立つというわけだ。そこで涙ぐみそうになったり感情をうごかされた子供たちは、マンジに対してさらに残酷に接することになる。
僕はこういったイジメを率先して行うことにしていた。行きすぎた残酷を避けたいためだ。だから新入りがあらわれたときには、皆に先だってこうしてイジメを行う。つまりきっかけをつくる。そして少し離れたところから追従者たちを観察する。
自己弁護するつもりはないが、僕はそれなりのバランス感覚をもっているのだ。人殺しにバランス感覚もないと嗤われるかもしれないが、その当時の僕は、中学二年という集団を仕切るために、きっちりと役目を果たしたという自負がある。
僕がイジメの先鞭をつけるのには理由があった。人は誰かを蔑ろにしないと生きていけない。貶めたり嫉妬したりして自分の位置をさぐるのだ。そして攻撃する。仕組みや作動原理はともかく、どうせイジメがおきるのだから、総体的な位置からそれを適切に制禦しようという意図があったのだ。イジメの特徴的なことであるが、個である対象に対して集団がいっせいに集中砲火を浴びせるということがある。
集中砲火はイジメの効果からすると当然のことであるが、極端にはしりやすい。集団心理については、この強制収容所において躯で学ばされた。中学二年の僕は、それなりに集団心理を読むことができた。そのあたりの機微に関しては周囲の仲間よりも多少は抽《ぬき》んでていた。
少年は、子供は、自分のほうが残酷にふるまえるということを周囲に誇示したくてしかたがないのだ。だから極端を好む。抑制がきかなくなって非常識にはしる場合が往々にしてある。僕がいちばん最初にイジメるのは、仲間内にここらへんまでなら黙って見ているからな、という指針を示す意味がある。
そしてたとえばマンジに対するイジメが行き過ぎてきたら、僕は新たなイジメの対象をみんなにあてがう。イジメのエネルギーをちがう対象に向けてやる。そして僕は新たな対象の限界を冷静に判断するというわけだ。とにかくマンジは新入りとして必ずイジメの洗礼を受けるのだから、僕にコントロールされたほうが幸せなのだ。奴らときたら、歯止めがきかない猿なのだから。
もちろん僕は自分の精神の救いがたい傲慢さ、そしてごまかしようのない矛盾に気づいていた。僕はマンジがゲロを咀嚼したことが許せなかったのだ。肥満した躯を維持しようとする習慣、あるいは本能かもしれないが、それが癇に障った。ゲロさえも喰うという肥満した健康さ、膨れあがった健全さにサディズムを刺激された。つまり好悪の問題である。むかついた、というやつだ。だからゲロに痰で味付けをしてやった。
マンジが涙の夕食を終えた。いっせいに立ちあがって食後の祈りを唱える。とこしえにしろしめし給う全能の天主、数々の御恵みを感謝し奉る。アーメン。決まってラーメンと唱える馬鹿がいて、マンジは啜りあげながらもぎこちない手つきで教えこまれたばかりの十字を切った。その震え気味な手つきもじつにむかつく。しかし僕は意識的にあくびをして、すべては退屈であるという意思表示をし、席を立った。
むかついた奴は、行動を起こす前に、たいがいが薄笑いをうかべる。なぜだろうと思い巡らせながら食堂の出口に向かった。満腹とはほど遠いからいやでも脳味噌が活発にはたらく。歩行の一歩ごとにあれこれ想念があふれて耳鳴りのように渦巻いて止まらない。そんな僕に、教官がそっと躯を寄せてきた。耳打ちされた。追い込みすぎるなよ。
僕は抑えた声で、はいと返事をした。教官は満足そうに頷いた。僕は微笑した。教官も微笑んだ。教官はなにに満足したのだろうか。僕と共犯関係をもったような気でいるのだろうか。
マンジがトイレで首を吊らなければ、まあ、いい。それが教官の正直な気持ちだろう。ここ数年は新入りの自殺がおきていない。だから僕は食堂を立ち去るときに教官に控えめに釘をさされたのだ。教官にも保身があるから、僕を立て、しかし言いたいことは言っておく。そのために親密さを演出する。見え透いているが、親しみを演出されると、無下に逆らうわけにもいかない。
大人って狡いな。そんな子供の決まり文句を胸に、夕食後の休憩時間を潰すために講堂に向かいかけたときだ。僕の肩に腕がまわされた。僕は軽く狼狽した。意識していないときに自分の距離を侵されたからだ。接触が妙に馴れなれしかったからだ。
『三浦さん』
僕は上目遣いで頭をさげた。三浦が顔を寄せてきた。
『付きあえよ』
『はあ』
『付きあってくれよ』
目上の者に逆らってはならぬ。それが上意下達しかありえぬキリスト教組織の最重要事項である。僕はこの檻に閉じこめられるまで目上という言葉を知らなかった。日本人よりもはるかに背の高い白人司祭たちにとってはじつに都合のいい言葉であるが、上級生たちもこの言葉を巧みに利用していた。上級生という目上の者に逆らえば、上級生全員による私刑が待っている。それがこの檻の伝統だ。逆らいようがない。
連れていかれたのは屋上だった。立入禁止になっていて鍵がかかっているはずだが、三浦がドアノブに手をかけるとあっさりと外側に向かってひらいた。三浦が僕の背を押した。夜気が微妙な重量をもってのしかかった。晩秋の月が異様に明るい。息が幽かに白いような気がした。僕は首をすくめて三浦に押されるまま、給水塔の陰に行った。
給水塔は巧みに化粧されて教会の尖塔を模してある。近所では道案内に使われるくらいの高さがある。もともとこの敷地は旧陸軍の研究施設で、建物の基本骨格も当時のものが活かされているらしい。軍施設というものは無骨ではあるが、さすがに長持ちをする。そんな軍施設の給水塔に西洋寺院風の気取った隠蔽を施すのはエスプリがきいているとかいうやつだろうか。振り返ると屋上のコンクリート接合部分に埋めこまれた防水アスファルトの黒い線が遠近法の補助線のように伸びている。
幽かに石灰臭い匂いを胸に、僕は憂鬱だった。中二と中三のあいだには厳然たる階級が存在し、それを超えることはできない。誰もいない場所に呼びだされるということは、他人に聴かれてはならない、あるいは見られてはならない行為を強要されるということだ。性的な行為か、暴力か。どちらを強要されても体格の差こそあるが、棄て身で闘争すれば三浦を倒せないこともないだろう。しかし上級生すべてを敵にまわしてしまうことを考えると、自重せざるをえない。奴らが卒業するまでにまだ半年弱の期間がある。その間に徹底した私刑をくわえられてはたまらない。
いきなり三浦が前傾姿勢をとり、僕の顎にその頭頂部をぶつけてきた。加減されていたので、僕は舌を噛まずにすんだし、たいした痛みも感じない。三浦は僕の顎に頭を押しつけたまま、動かない。三浦は世間から入手したと思われる整髪料の香りをその髪から漂わせていた。芳香のようでいて、吟味してみると妙に石油臭く、しかも頭皮の皮脂の匂いが絡まっているので顔をそむけたくなった。
『三浦さん。なんの用ですか』
『朧』
『はい』
『ふふふ』
なにが、ふふふ……か。僕は咳払いした。年寄りじみていていやだが、精一杯の意思表示だった。三浦が僕の鎖骨のあたりに唇を押しあてた。鎖骨で膨らんだ僕の肌に伝わったのは、はじめのうちは荒れて乾いた感触であったが、やがて唾液で唇が接着された。僕は鎖骨をしゃぶられ狼狽し、後ずさった。給水塔のコンクリートの壁に背がぶつかった。
『なあ、朧』
『はい』
『新入りのマンジ、可愛がったでしょ』
『見えましたか』
『僕も朧の痰を舐めたいな』
『冗談でしょう。勘弁してくださいよ』
『冗談なんか言うかよ。なあ、朧。啜りたい。舐めさせてくれよ』
三浦の顔を窺った。夜に翳っていたが、見つめる眼差しの黒々とした奥に切実の気配があった。どうやら三浦は本気であるようだ。痰を味わいたいのだ。僕は居直った。三浦がサッカー部の部室で皆が放置した汚れた靴下に頬ずりをして貪るように匂いを嗅いでいたという噂を思いおこした。先輩は汚いものがお好きなのだ。頼まれてやろうという気になった。なるようになれだ。
『どうすればいいんですか』
『掌にカー、ペッてやって、それを』
『舐めるんですか』
『そうなんだよ』
『そうなんですか』
『そうなんだよ』
『誰の掌に』
尋ねると、三浦は顎をしゃくった。僕は頷き、下腹に力をこめて自らの掌に痰を吐いた。マンジに与えた痰の半分にも満たない量だった。いくらトルエンを吸いまくっていて咳き込むようになっていても、痰が無尽蔵にでるわけでもない。こんなもので気にいってもらえるだろうか。心配していると、細かく躯を揺らしながら三浦が僕の掌を覗きこんだ。
『いいかな』
『はい。どうぞ』
掌を差しだしはしたが、戸惑いは強烈だ。本当に他人の痰を自らすすんで舐める者が存在するのだろうか。まるで現実味がない。しかし三浦は僕の手首を掴み、自分の顔の高さにあげ、僕の掌、その上に吐きだされた痰に舌先を触れさせた。
『うふふふ』
いったん舌を引っこめて笑いかけてきた。僕はのけぞり気味に笑いかえした。ふたたび僕の掌に三浦の顔が近づいた。三浦の舌先が掌に接触した。三浦は痰を舐めるというよりも僕の掌の知能線だの生命線だの運命線だのといったあてにならない皺を舌先でさぐり、指の股にまで舌先を挿しいれ、僕が擽《くすぐ》ったさに身をよじると上目遣いで僕の表情を窺い、あいている手で自分の股間を円を描くようにまさぐりはじめた。
『だしちゃおうかな』
『はあ』
『ちんぽこだしちゃおうかな』
『勘弁してくださいよ』
冗談めかして終わらせてしまいたい。しかし手頃な冗談はうかばない。うかぶのは冷たい汗ばかりだ。三浦が僕の掌にきつく唇を押しつけた。上目遣いで僕の顔を見つめ、舌でこねまわしてから音をたてて啜り、飲みこんだ。
『病気になりますよ』
『なんか言ったか』
『いえ』
『てめえ、僕を病気だって言ったな』
『いや、痰は汚いから、その』
『病気だって言っただろう』
『はい』
『言ったんじゃねえか』
『意味が違いますけどね』
返事のかわりに、膝蹴りがきた。鳩尾《みぞおち》と肋骨に熱が触れて、じわりと苦痛に変化した。心づもりができていなかったので、呼吸困難のあとに訪れた嘔吐感をこらえきれず、いやな唾が口中に湧いた。僕は顔を横に向けて唾を吐いた。
『あ、ちょうだい』
僕は眼を見開いた。動けなくなった。三浦は僕の吐きだした唾がほしいというのだ。痰の次は唾である。僕は人間痰壺を前にして泣きたくなった。この檻に入れられて以来いちども泣いたことのない僕であったが、対処不能で狼狽《うろた》えて、途方に暮れて心細くなり、泣きかけていた。三浦がなにを考えているのか、いや三浦がなにを欲しているのか判断がつかない。痰を舐める奴。吐いた唾を受けようと口をひらく奴。幼い僕のノートにはこんな習性をもった奴は書きこまれていなかった。人は痰を喰わされれば屈辱と嫌悪に涙するものだ。マンジのように。
三浦が促した。僕は蹴られた鳩尾を押さえて、三浦の口のなかに唾を吐いた。三浦は跪《ひざまず》いて降りしきる雨を顔で受けるような体勢をとり、僕の唾で顔を汚した。そして顔に散った唾を指先でこそげて口に運び、ちらと僕に媚びの詰まった眼差しを向ける。僕は反芻する牛になったつもりで口をもぐもぐさせ、必死で唾をだす。ある程度たまると、三浦の鼻のあたりを狙って吐く。すると引力で軌道修正されて放物線を描き、おおむね口許に落下する。
顔に唾を吐く。喧嘩を売るときには、よくやった。しかし求められたことなどなかった。懇願されてそうしているのに、僕はなにやら申し訳ないといった感情さえ覚えて、しかもそのあまりの喜劇ぶりに取り乱していた。
ふと気づいた。三浦が股間を解放していた。僕の唾を浴びながら自慰に耽っていた。あまり出なくなっていた唾が、完全に出なくなった。三浦が僕の視線に気づき、微笑んだ。無邪気な笑顔だった。僕はなにがなんだかわからなくなった。三浦が立ちあがった。顔を寄せ、僕の耳朶を噛むようにして囁いた。
『ねえ、朧。跪いてよ』
『跪く』
『跪いて、僕の、舐めて』
『舐める。なにを』
『ばか。わかるだろ。これだよ。これ』
『いいかげんにしろよ』
『あ、朧、怒った。わかったよ。じゃあ、僕が先に朧のやつを舐めてやるからさ』
『そういうことじゃねえだろう、変態』
『変態』
『いや、その』
僕は口を噤んだ。なにやら声帯がふるえたのだが、なにを言おうとしたのかは自分でも判然としなかった。三浦の笑顔が微妙に引き攣れていくのがわかった。月明かりのせいで陰影の深く濃い顔は笑いのかたちに歪んでいるのだが、もう瞳は笑っていなかった。
『予定変更。キックガッツだ』
なんのことだか、わからなかった。戸惑って立ちつくしていると、三浦の蹴りが右の脇腹にめりこんだ。同時に聴こえた。
『ガッツ、ガッツ。キーックガッツ』
呪文のように繰り返す。祈りの文句のようにたたみかける。僕は腹部を中心に、無限に蹴りあげられていた。顔を狙わないのは、当然ながらこのキックボクシングによる傷や痣を教官どもに悟られないためである。この程度の狡さは僕も充分に身につけていたが、自分がやられるのは初めてである。三浦は一方的に蹴りを繰りだし、僕の脚、臀、下腹、脇腹、胸、そして背を蹴る。そして疲労すると息を整え、口の中であらためてガッツ、ガッツ、キーックガッツ、ガッツ、ガッツ、キーックガッツと繰り返す。蹴りと呪文が連結されて無限軌道となり、ひたすら連続した。
僕は耐えた。よけずに受けた。反撃すれば勝てるかもしれないが、そうはさせないなにかが三浦には充満していた。憑かれている者を相手にする勇気がなかった。そして、なによりも三浦にあらわれた歪みに茫然としていた。しかも、それについて考えさせられていた。愕然とした。人は殴られていても、いや蹴られていても、あれこれものを考えるのだ。
三浦は執拗だった。食後の休憩時間である四十五分間すべてをキックで埋めつくそうとしていた。いまなら彼に偏執狂というラベルを貼り付けて整理分類することができるのだが、当時の僕は偏執狂という言葉を知ってはいても、偏執狂の正確な意味を把握していなかった。三浦は怒りから暴力に身をまかせているのではない。ある執着から暴力をふるっているのだ。偏執は暴力においてもっともよく出現する。ただしパラノイア、偏執病とは重ならない。
僕は内臓をかばうために躯を縮め、エジプトのミイラのように腕を胸の前で組んでいた。死者の態勢をとらざるを得ない屈辱が僕を打ちのめす。しかも僕は蹴られながら愛想笑いさえうかべて勘弁してくださいよ、いてててまいったな……などとおどけて哀願してみせたりしていたのだ。もちろん、うわべの惨めな態度と裏腹に心は引き搾られ、縮みあがり、裂けそうだった。解放を求めて爆ぜそうだった。周期的に、あまりの理不尽さに炸裂しそうになる。しかし三浦を叩きのめせば、上級生全員を敵にまわす。そんな損得勘定をして耐えていた。なぜこの期に及んで損得勘定だったのかいまだにわからない。
ガッツ、ガッツ、キーックガッツ、ガッツ、ガッツ、キーックガッツ──。
痛みと熱が同義語になったあたりで、僕は悲しい意識操作をした。これは理不尽なリンチではない。僕は虐められているわけではない。僕の脳裏で僕が踊っている。踊りをリードしているのは三浦で、僕は躯を丸めて三浦に踊らされている。僕は蹴られているのではない。踊っているのだ。だから、まあ、いい。黒ずんだ夜が垂れこめる屋上で、僕は踊っている。僕と三浦の踊りは影絵になる。影絵ならば僕の顔にあらわれた苦痛の歪みはわからない。だから、
踊る。
踊る。
踊る。
踊る。
踊る。
『三浦さん。どうすればいいんですか』
『口でしてくれないかな』
『それは、できません』
『ガッツ、ガッツ。キーックガッツ』
踊る。
踊る。
踊る。
『三浦さん。手なら』
『手』
『だめですか』
『自分でするときのように、一生懸命してくれるよね』
『はい。します』
『でも』
『なんですか』
『キックガッツも愉しいよね』
『許してください。これ以上蹴られると』
『蹴られると』
『踊らされると、僕は』
『僕は』
『踊らされたくない』
『反撃、かましそうだね』
『そういうことです』
『じゃ、手でしてもらおうか』
僕は意を決して三浦に手をのばした。硬くて、硬くて、先端からなにやら熱く滲んでいた。運動量にあわせるように烈しく脈打ってもいた。暴力をふるっているときに勃起して粘液を滲ませる人がいることをはじめて知った。嘔吐しそうになった。嫌悪感からというよりも、鳩尾などを徹底的に蹴られたせいで胃が動転しているのだ。吐いてしまえば楽になるのだが、必死でこらえた。へたに吐きもどしたりすると、この痰壺野郎は吐瀉物をもよろこんで舐めかねない。僕は包皮ごしに冠のかたちを確認し、過敏な冠に集中して早く終わらせようと努力した。
勉強も、運動も、あれもこれも、努力しないでそれなりにこなせた。皆をリードすることができた。小学校低学年から天才扱いされてきた。僕の日々は努力と縁のないところで過ぎてきた。しかしこの夜、僕は努力した。頑張った。三浦が迸らせたとき、僕は努力の意味を悟った。心に刻み込んだ。これから先の人生、努力だけはしたくない。努力とは敗者の免罪符だ。
*
舞踏会は一晩だけで終わらなかった。毎晩開催された。僕は親友を装って三浦を籠絡しようと努力したが、三浦はそれにのらなかった。醒めた笑いをうかべて僕を突き放し、それで快感を倍加させていた。蹴られるよりは手で三浦の触角をこすりあげるほうがまだましである。僕に敵意はありません。素直にこすります。だからお願いです。蹴らないでください、撲たないで。そんな悲しい迎合をするようになっていた。つまり僕は奴隷に成りさがっていた。奴隷の心に取りこまれて身動きできなくなっていた。
しかし御主人様は主人であるがゆえに高みに立っている。僕を冷徹に俯瞰している。だから奴隷の惨めな保身をあっさりと見抜く。僕は毎晩三浦に蹴られ続けた。腹部や臑、腕や太腿に赤や青の鮮やかな痣ができ、そこをふたたび蹴られるものだから、皮膚の表面が細かい菱形の模様を刻んだあげくに裂けて血とリンパ液が滲んで着衣を汚すようになってきた。
夕食後に僕と三浦が消えることは、もうみんなの周知の事実であるはずだった。それでも僕は、知られたくなかった。蹴りまくられたあげくに三浦をこすりあげることを。毎晩三浦に奉仕していることを。
知られたくない──。それは僕の自尊心だった。奴隷になって、奴隷ほど自尊心が強いことを理解させられた。這いつくばるのは自尊心があるからだ。自我が強固にこびりついているからだ。僕が僕であるからだ。
それでも就寝前には毎晩、ベッドに跪いて祈ったのだ。寝室の埃っぽい澱んだ空気に身をまかせ、僕は生まれて初めて本心から神に祈った。就寝前にベッドの脇で跪いて祈るのはこの収容所の決まりであり、強制だ。それを端折ることはできない。皆は祈ったふりをし、手早く終わらせる。雑な十字を切っていっせいにベッドに潜りこむ。
しかし僕は祈った。時間を忘れて祈った。必死で祈った。皆の寝息が聴こえはじめるころ、教官が控えめな靴音を立てて消灯されて暗くなった寝室内を巡回しはじめる。僕は背中に感じる教官の気配に集中して必死に祈った。
モスカ神父に相談しようと思わなかったわけではない。だが、それは思うだけで、実行に移せないことがわかりきっていた。僕には自尊心がある。自分が虐められているという境遇が許せないし、さらに自分がそれを甘んじて受けているということが許容できないのだ。僕は三浦に額《ぬか》ずいているという現実を認めることができなかった。
僕の祈りは教官である修道士にも向けられていた。いままでは馬鹿にしきって鼻にもかけなかった修道士の気配に集中した。その意味では神に対する純粋な祈りとはいいがたい部分もあったかもしれない。だが僕の内部で修道士と神は同じものになっていた。
わかって欲しかったのだ。
僕の祈りの姿勢の切実さから、僕の異変に気づいて欲しかった。
ひと声、欲しかった。
解決など求めていなかった。神様が存在するならば、巡回する修道士を通してひと声かけて欲しかった。
言葉はなんでもよかったのだ。もう、寝なさい。そんなひとことでよかった。それで僕は涙ぐみ、救われたはずだ。
だが神は僕に言葉を与えてはくれなかった。人は神の口から出る総ての言葉によって生きるなどとほざきながらも、僕を見事に無視した。
ある晩、僕は神に見切りをつけた。十字も切らずに無表情に冷たいベッドに潜りこんだ。聖書をいくら読んでも僕がおかれているような情況の対処法は書かれていなかった。せいぜいが汝の敵を愛せよと僕の奉仕作業を大雑把に肯定してくれた程度だった。
それに僕は自尊心ゆえに、この奴隷の境遇に馴れはじめていた。自らを否定しないためには、情況に対して頷いてやらなければならない。ねじ伏せられているのではなく、自らすすんで行っているのだと自分に言いきかせ、それを信じこむのだ。いま思い返せば、それが宗教の発生ではないだろうか。そんな気がする。単純な言い方で気がひけるが、苛烈な現実の肯定が宗教だ。
中学二年の僕は追い込まれていた。瀬戸際でゆらゆらと揺れながら予感していた。このまま蹴られ続けると、ある晩、胸の中でことりと秘めやかな音がするだろう。ことり、は比喩や擬音ではない。実際になにかの鍵があけられる音だ。そして、手ではなく、口で三浦を愛撫する。手と口にどれほどの差異があるというのか。手と口に差があるとすれば、それは単なる自尊心の位置の差だ。僕はその日がくることを予感していた。自意識をなくす舞踏会の夜だ。僕は三浦の犬になる夜を待ちわびながら、恐れた。
僕が恐れた真の理由は、自意識喪失に対してではなく、その夜、そうすることによって僕が心底からの幸福を覚えかねない予感があったことだった。三浦の精を口に受けて安堵し、微笑みかねないことだった。マンジは痰を喰わされ、僕は精を飲みほす。それで奴隷が完成する。マゾヒズムに関する明確な意識はなかった。だが夜毎の舞踏会は自我の目覚めはじめた僕に、完璧な依存によく似た奇妙な精神をつくりあげていた。
『朧』
『なんですか』
『素直になったよな』
僕は自分の足許を向いて微笑んだ。三浦はズボンをおろして僕に奉仕させている。手の中には硬直しきった三浦がある。ところが、それが微妙に萎えるのが掌に伝わってきた。尋ねられた。
『なにを考えている』
僕は戸惑った。ほんの少し前から制禦不能の衝動が迫りあがってきていたからだ。
『舐め──』
『なに』
『舐めたい。です』
『舐めたい』
『うん。舐めたい。三浦さんを舐めたい』
そのとき僕は、心底から三浦に甘えてさえいた。僕はすりよったのだ。顔を寄せた。近づけた。頬ずりして、いいですか。鼻腔に三浦の触角の植物じみた香りと乾いた尿のアンモニア臭が充ちた。この瞬間、もう、なにも考えていなかった。ただ僕は三浦を収める袋になりたかった。自分のすべてを三浦にあずけてしまいたかった。
ところが、三浦が後ずさったのだ。僕を邪慳に振りはらった。意外な成りゆきに安物のドラマの気配が漂った。僕の眼前から、そして手の中から三浦が消えていた。僕は黙って顔をあげ、三浦を見つめた。薄闇のなか、三浦の触角がすっかり萎えているのがわかった。粗末を曝したまま両足首に下着とズボンをまとわりつかせたあまりに無様な御主人様だった。なんだよ、喜劇だったのかよ。僕は落胆した。三浦がうわずった声をあげた。
『うまいこと言って、おまえは僕を噛み千切るつもりだろう』
『噛み千切る』
視線が絡んだ。三浦が顔をそむけた。僕は吐きだす白い息を漠然と眼で追った。三浦が口にした噛み千切るという言葉をあらためて頭の中で繰り返してみた。舌打ちした。僕はある信頼関係を構築したつもりでいたのだ。ところが裏切られた。
『邪推しやがって。小物が』
怨みの言葉が洩れた。邪推という言葉はいまの僕の創作だが、そのときの僕のはっきりとしない呟きには悲しみの気配さえ漂っていた。
僕は小走りに三浦に駆けよった。そのままキックした。三浦のような中途半端な蹴りではない。いたぶるつもりはない。即座に結果をだす。
まず爪先が下腹に刺さり、連続して足の甲が押しこむようにめりこんだ。インステップでもありトウキックであるともいえるそのキックは精緻に意図されたものだ。ゴールネットを揺らすサッカーボールが脳裏にあった。ボールのかわりに剥きだしにされた睾丸を蹴りあげたのだが。
三浦が昏倒した。爪先を用いたのは外側を裂くことを、さらに甲をあてがったのは内側を破裂させることを狙ったものだ。爪先で切開し、甲でめりこませ、打ち砕く。いままで僕の奉仕で飛びちらせた粘液をつくる大元を破壊する。そんな意図があった。暴力をはたらくときに醒めきっているのは、僕の天性である。
裸の睾丸を蹴ったので、狙いどおり陰嚢が裂けて中身が露になった。しかし睾丸自体は破裂しなかった。僕が眼にしたのは血を弾く白い球体だった。楕円の球体であることは自分自身をさぐることから想像がついていたが、思いもしなかった色彩だった。それは細いなにかで腹の奥に繋がっていて転がり落ちることはなかった。僕は顔のまわりにまとわりつく夜を押しのけるように腰をかがめ、艶やかな純白に網目状の赤を纏った精巣を凝視し、呟いた。
『金色じゃないぞ』
そして、がっくりと肩をおとした。倒れて悶絶している三浦の股間やその下のコンクリートにじわじわと出血が拡がっていく。その口からは本当に泡を吹いている。泡を吹くというのは比喩ではなかったのだ。苦笑したが、笑いはうまく結実しなかった。ここまでやってしまえば、懲罰室行きだろう。一週間ばかり個室で正座でノートをつけて反省会だ。そして上級生の執拗な私刑が待っている。
だが、そんなことはどうでもいいのだ。僕はひどく落胆した。噛み千切られる──。これがオチである。僕の犬化に興醒めしたならともかく、三浦は被害妄想で身を引いてしまったのだ。やっと自我を棄てられたというのに、なんと安っぽいエンディングが用意されていたことか。こんなオチだけはつけてほしくなかった。陳腐すぎる幕引きだ。僕はがっかりして愚痴をこぼした。神様、あんまりですよ。それから首を左右に振って呟いた。
『やれやれ』
年寄りじみた情けない声が洩れて、さらに忌々しくなった。ひと月弱の舞踏会が終わった晩だった。
*
「三浦って人、きんたま、でちゃったんですか」
僕はジャンの口から吐き出される白い息を漠然と見つめた。十二月も中旬である。すっかり冷えこんでいた。僕たちはひよこの檻に仕込まれた電球に手をかざして暖をとってお喋りをしていた。慎ましい温もりである。ひよこたちは密集して押し合い圧しあい、鮮やかな黄色い塊となって姦しく囀っている。その熱気と立ち昇る蒸れたような香りが好ましい。生き物は、幼いうちはその排泄物の匂いさえも可愛らしさがある。僕は三浦の陰嚢から露出した精巣に思いを馳せ、抑えた声で応えた。
「そう。真っ白だった。意外だった。白いなんてな。思いもしなかったよ。救急車のなかで油紙かなにかをあてがわれて腹のなかにもどされてたな。オムツみたいだった」
「ざまあみろですね」
「うん。まあ、微妙なところだよ。なんか寂しかったりしてな」
「寂しい」
「そう。なんか気が抜けちゃってな。屋上で腕組みをして気絶してる三浦を見おろしてるあいだ、バグパイプの音が聴こえたんだ」
「なんのことですか」
「いや。バグパイプってあるだろう。スコットランドだっけ。びゃよよよよって」
「言ってることがわかりません」
「僕にもわからない」
「なんで舐める気になったんですか」
いきなり核心を突く質問である。ジャンは真剣だった。僕は口をすぼめた。なぜと訊かれても、あのときの気持ちはよくわからない。支配被支配などといった言葉を持ちだせば、なんとなく説明がついたような気になれるのはわかっているが、分析すればするほど言葉のオリンピックみたいになって鬱陶しさが増すだけだ。わからないことだらけだ。わかりたくもないと居直るしかない。するとジャンが物わかりのいい微笑をうかべた。
「舐めなかったんでしょう」
「舐めさせてくれなかったんだよ」
「僕は」
「なに」
「なんでもありません」
凝視すると眼を伏せた。深読みすればジャンはセルベラを口に含んだ。含まされた。いまでも含まされているのかもしれない。力になってあげたいが、こういうことは自尊心が絡むから、自力でなんとかするしかない。
僕は大人の態度であれやこれやを秤にかけ、セルベラをこすって我が身の安全保障をしているわけだが、これは仕方のないことだ。僕とセルベラの関係はギブ・アンド・テイクであり、その実体は、損得勘定からいけばセルベラが得るものよりも僕の得るもののほうがはるかに大きい。
もっとも情況が違って僕がいまのジャンの立場だったらドン・セルベラを殺すだろう。僕と三浦の関係、あるいは現在の僕とセルベラの関係とは微妙にちがうなにかが、セルベラとジャンの関係には挟まっているような気がするからだ。そのなにかを取りのぞくには、相手の命を抜きとって足蹴にするしかないようだ。陰嚢を蹴り破って精巣を露にするくらいでは追いつかないのだ。
僕と三浦の関係と、ジャンとセルベラの関係は、闘争の質が違う。そのことを口ばしりたい。喉元まで言葉が出かかっていた。もちろんこらえた。支配被支配を経済的要素のあるなしで割りきることは自己弁護にすぎないという直観がはたらいたからだ。
ジャンは無表情だが、泣きそうな張りつめかたをしている。もちろん僕はなにも気づかぬふりをして、とぼけた顔をつくって小指で鼻糞などほじる。
「喰うか」
「汚いですね」
「心底いやそうな顔をしたな」
「あたりまえですよ。でっかい鼻糞」
「精液とどっちがいい」
「精液」
「了解、ハイデッガー」
「なんですか、それは」
「なんでもない」
僕は鶏の配合飼料のなかに小指を突っこむ。冷たい餌のなかに入れたり出したりしているうちに、鼻糞はどこかに消えた。穀類の粉末をうっすら纏っただけの小指の先をジャンに示す。するとジャンは、朧さんはときどき本当に不潔な人に成りさがりますねなどと軽蔑した。成りさがりは望むところである。大きく胸を張る。
「ねえ、朧さん」
「なにかね」
「鼻糞くらいで偉ぶらないでくださいよ」
「じゃあ、なんじゃらほい」
「もう。ばかなんだから」
「ばかでスケベなんだよ。先祖代々ドスケベ。度し難いスケベがドスケベ」
「黙ってください」
「沈黙沈黙沈黙沈黙沈黙沈黙沈黙沈黙沈黙沈黙沈黙沈黙沈黙沈黙沈黙沈黙沈黙沈黙」
「うるさい」
「怒るなよ」
「僕が訊きたいのは上級生ですよ。三浦の同級生。あとで、やられなかったんですか」
「うん。三浦が屋上から運ばれていくとき、一応隠したんだけどポロッてこぼれ落ちちゃってな」
「どっちが」
「ばか。棒じゃねえよ。きんたま。裂けて飛びだした左きん」
「それをみんな見てた」
「そういうこと。衆人環視ってやつか。なんか細い紐で腹のなかに繋がってんだ。それがちょっと垂れさがってぶらぶら揺れてな」
「圧倒されちゃったのかな」
「どうなんだろ。左きんを見たくらいで上級生が僕を許すとは思えないんだけどな。実際なにもなかった。避けられはしたけど」
「血を弾くって言ってましたよね」
「ああ。プラスチックじみてるんだな。生臭い器官のはずなのに、へんにプラスチックだった。血が球のようになって弾かれてた」
ジャンがちいさく溜息をついた。なにを想っているのだろう。いまジャンの頭のなかを覗けたら、乳白色をした樹脂製の飾り球を血が伝う映像が見えるかもしれない。それは睾丸の正しいビジョンである。生臭い行為の源泉のような器官は、人体のなかでもっとも無機的な光沢を誇っているのだ。
三浦のことは遠い追憶である。ひたすらな屈辱が続いたならば、いまでも現実味をもってあれやこれや語ることができるのだろうが、僕は一発の蹴りでケリをつけてしまった。いまやあの夜毎の舞踏会について語ると、なんだか創作をしているかのようなこそばゆさが湧いてくる。僕はあの舞踏会の思い出を純で感傷的なものにしておくために、三浦の睾丸を蹴り破らなかったほうがよかったのかもしれない。三浦が卒業するまで半年間耐えればよかったのだ。僕は咳払いをして会話の転換を告げた。
「おまえは勉強、どうなの」
「そこそこです」
「席次は」
「十八人中、四番」
「中途半端だな」
「一生懸命やってるんですけど四番になったり、六番に落ちたり。そのあたりを行ったり来たりなんですよ」
そう言ってうつむき加減で微笑む。僕は教師のような顔をして意味もなく頷く。ジャンは高校に進学する気がないという。この檻では、中学三年の後半に入った時点で進学する気のない者は学業が免除される。正確な表現をすれば、労働力として木工か農場で作業に従事させられる。ふつうは働くのがいやだから、ほとんどの者は進学する気がなくても進学すると言い張るのだが、ドメニコ・サヴィオの立像の前で会話を交わした翌日から、ジャンは授業を受けずに朝から農場にやってくるようになった。僕の助手としてその美しく尖った鼻の頭に跳ねた鶏糞をこびりつかせて働くようになった。宇川君や北君にも助手がついていて、それぞれ牛舎、豚舎に引きこもり、いつもよりも静かなくらいだ。助手がついたから作業が捗るかというと、こうしてお喋りばかりで逆に効率が落ちるのだ。
収容生だったころの僕は受験勉強をしろという声を無視して、やはり自ら志願して木工の作業に従事していた。理由はトルエンの一斗罐である。木工には塗料希釈用のトルエンが大量にストックされているのだ。シンナー遊びというが、効きめがあるのはシンナーに含まれているトルエンである。
中学三年にもなると僕は自分が周囲と微妙に、いや大きくちがっていることを悟りはじめて悩んでいた。その差異、具体的には周囲の呆れるばかりの幼稚さは優越感をもたらすよりも戸惑いばかりを増幅させた。僕は精神的には同級生たちをはるかに超越していると傲慢に構えていたが、躯のほうは、あるいは欲望の質は人並みではなく、ひどく奥手であるようで、それを密かに悩んでいた。つまり頭でっかちでバランスがとれていなかったのだ。
モスカ神父は当時の僕をちいさき哲学者などと呼んで可愛がってくれ、教会の金でキリスト教系の高校に進学させようと目論んでいた。そこに入学すれば上智大学まですんなりと進学できることになっていた。ありがたいことである。しかし教えられることに辟易していたし、上智大学の先がどこかの神学校であることもわかりきっていた。僕は聖職者という名の忠犬などにはなりたくなかったし、なによりもこれ以上知識を与えられることを恐れていた。
たしかに僕は基準、あるいは標準から逸脱した子供だった。僕は自分の脳髄からとめどもなくあふれだす想念を制禦できず、もてあまし、悩んでいたのだ。十四、五歳当時の僕の悩みはちょうど二十歳前後の知的であるとされる青年のものに近かったような気がする。僕には知る前から悩んでいるようなところがあった。
「朧さんは、IQが凄かったんでしょう」
「なんでそんなこと知ってるの」
「有名ですよ。普通の人ふたり分の頭をもっていたって」
「過去形かよ」
ジャンは取りあわずに続ける。
「児童相談所でIQ記録を打ちたてて評判になり、ここに放りこまれてからもまったく勉強をしないで常に一番で、S高校の入試をわざと落ちた人だって」
「一番といっても、ここは学業レベルが低すぎるよ」
「そうですね」
「阿呆の坩堝だ」
「ふふふ」
「でも意外に馬鹿はいないんだよな」
「なんのことですか」
「ここに閉じこめられているガキ。基本性能は悪くない」
「ああ。そうかもしれません」
「おまえ、農場なんかより木工に行ったほうがよかったのに」
「なぜですか」
「トルエンがあるぞ」
「吸ってるんですか」
「いや。十六の終わりごろには、もうやめていたよ。脳味噌が溶けるのが露骨にわかるんだ。だから、わりと冷静に判断した。このあたりでいいだろう、って感じだよ」
「興味はあるんですよ。幻覚を見るんでしょう」
「お化けとかジェットコースターとか他愛のないもんだよ」
「神様は」
「そんなもん、ジェットコースターよりも他愛ないじゃないか」
ジャンが上目遣いで不服そうに口を尖らせた。いやというほど裏切られただろうに、ジャンにとって、神様はまだ有効なのだ。
「中二のときくらいにはじめて盗みだしてときどき吸って、いまのおまえみたいに毎日作業ができるようになってからは、夕の祈りをさぼって、寝る前に必ず一服するようになったんだ。夕の祈りってちょうど二十分くらいだろう。二十分くらい吸うと、手頃に効くんだな。みんなが講堂に集まって神妙に呪文を唱えているあいだに、僕はビニール袋に入れたトルエンをちゃぷちゃぷ揺すって吸いまくり、いい気分でふーらふら」
袋の下部を掌で揺すって気化を促す仕草をしてみせると、ジャンは興味津々といった表情で呟いた。
「大胆ですね」
「うん。教務主任にばれたよ。正確にはアクシデントがあって、しかたなしに自己申告だけどな。ばっちり懲罰のあげく、忍者呼ばわりされたな。いや、忍者って呼ばれてたのは、それ以前からかな。教務主任は忍者って言葉を僕に当てはめて、凄く得意がってたんだ。忍者ってのは善良そうな顔をして敵地で暮らして、いざというときに混乱させるなんて解説をされた」
「じゃあ、朧さんは敵地に潜伏してたわけだ」
「それ、いいな。僕は任務を全うしてただけなんだ」
「でもトルエンなんて、いったいどこで吸うんですか。監視されてて不可能でしょう。僕には思いつかないなあ」
「夕の祈りのときと言っただろう。全生徒が講堂に集結してるじゃん。ひとりふたりいなくなってもわかんないんだよ。先公どもも、まさか神聖なる夕の祈りをさぼる奴がいるとは思いもしないから、盲点だったんだ。しかも同級の奴らは絶対にたれこまないし。麗しき信頼関係。仲よきことはうつくしき哉」
「なに言ってんだか」
「いつもボイラー室に隠れて吸ってたんだけど、いっしょに吸ってた奴のC瓶に引火して、破裂したんだ。それで、ばれちゃった。奴は顔を大火傷。茶色いガラスの破片が顔中に刺さってたな」
「朧さんのことだから、破片を丁寧に抜いてやったんじゃないですか」
「そこまでやさしくないって。呪ったよ。無視するわけにもいかねえだろう。顔が燃えちゃってさ。髪の毛にも引火しやがって首から上が火だるまだよ。僕はシャツを脱いで奴の顔を覆ったんだ。それでどうにか消火……鎮火かな。よくわかんないけど、消えたんだ。そしたら顔中破片が刺さってて、手に負えない。しかも髪の毛はおろか、眉まで燃えてなくなって、血まみれのくせに煤ぼけた変な顔なんだ。しかもしばらく放っておいたら、どんどん火膨れがひどくなってきてな。顔がでこぼこに爛れてきたんだ。試しに触ったら、ほっぺがずる剥けちゃうしさ。リンパ液で指がねばねばよ。最悪に汚ねえんだ。仕方がないから、教務主任を呼んだんだ」
「他の人を呼ぶこともできたでしょう」
「たぶん僕は教務主任に自分のワルぶり、いや忍者ぶりか、それをひけらかしたかったんだな」
僕の呟きを無視してジャンが尋ねてきた。
「トルエン吸うと、気持ちよくなれるんですか」
「ばかになれるんだ」
ジャンがじっと見つめてきた。僕は戸惑った。ばかになれるなどと余計なことを口ばしってしまったことを恥じた。こんなところでちらっと見栄を張る自分が疎ましい。
「朧さんは、なにを悩んでるんですか」
「いいかげんにしろよ」
「昼休みに残飯のドラム罐を積んだリヤカーを引いて食堂に行くでしょう。そのとき、いつも俯いているんですよ。リヤカーを引きながらじっと俯いている。なんにも見ていない。見えていないっていうのかな」
「おまえ、ちょっと嫌な奴だな」
「すみません」
残飯をリヤカーに積んで農場にもどるとき、それを見守り、手伝ってくれる収容生のなかにいつもジャンがいた。ジャンはその美貌ゆえに目立った。真っ先に眼にはいった。だから、無視をした。完全に無視をした。それがいまはこうして僕にぴったりと寄りそっている。
「おまえ、卒業したらどうするの」
「働きますよ」
「就職先は」
「さあ」
ジャンが僕をさぐるように見つめてくる。擽ったさと鬱陶しさが綯いまぜになった微妙な感情が湧きあがってくる。ジャンは僕に言わせたいのだ。おまえ、農場に残れよ。僕といっしょに働こうぜ。もちろん、意地でも言わない。
僕は顎をしゃくる。いつまでもひよこのケージに張りついて暖をとりながら無駄話をしてはいられない。季節は冬に入って、為すべき作業は無限にある。
「よし。サイロに行くぞ」
「サイロ」
そんなものがこの農場にあるんですかといった表情で見つめてきた。ジャンは北海道の牧場にあるような赤い屋根のついた背の高いタワーサイロを想い描いているのだろう。ここにあるのはコンクリートの土管を利用した簡易サイロとでもいうべきもので、仕組みは一応はタワーサイロであるが、僕の肩あたりまでしか高さがない。他には地面を掘ってビニールシートで覆ったトレンチサイロが幾つかある。
ジャンが怪訝そうに見つめてきた。牛舎脇に縦に十ばかり並んだ直径一・五メートルほどの太い土管の前である。まだこれがサイロであることを理解していないようだ。
「おまえ、サイロってなんだかわかってるのか」
「いや。なんか、塔になってて」
僕は錘の石をのけ、シートをはずし、土管のなかの内容物を示す。黒緑がかった茶色とでもいえばいいか。徹底的に圧縮されて、それでも微妙に植物の形状を残した断片があらわれた。熱気と酸っぱい匂いが同時に立ち昇った。ジャンは顔を顰め、鼻をつまんだ。
「サイロの中身がサイレージ。牧草やトウモロコシをチップして混ぜあわせたものが入ってるんだよ。徹底的に圧縮してあるから保存食として最高。ちょっとで栄養」
「でも腐ってますよ、これ」
「発酵してるって言えよ。わざわざ乳酸菌を入れて発酵させてるんだよ。牛のための漬け物ってところだな。ふつうの草を喰わせるよりもよろこぶんだぜ」
「サイロって、そういうことなんですか」
「サイロは容れ物のこと。中身はサイレージ。二度言わせるんじゃない」
僕は宇川君にされたレクチャーと同様のことを同様の口調で述べた。ジャンはまだ納得できないといった表情だ。季節のいいうちはこの筒に牧草やトウモロコシをチップしたものを仕込むだけで、牛に食べさせることはない。サイレージは牧草の生育が悪い冬季、いよいよ青草が尽きたときの食糧となる。栄養価が高いのでチップした藁と混合して与えるのだ。
僕は宇川君からサイレージの状態の見方を習ったばかりだ。うまく発酵させられるときばかりではない。酪酸菌が発生してしまうとサイレージを腐らせてしまう。牧草にトウモロコシを混ぜるのは糖分含有量を調整するためなのだ。糖分が不足しているときにはトウモロコシを増やすだけでなく、さらに糖蜜を加えたりもする。それでpHをさげるのだ。僕は科学者気取りでサイレージに手を突っこむ。発酵による熱が伝わって、なんとも和らいだ気分になる。僕の指先に触れている無数の乳酸菌。見えはしないが、愛おしい。
ジャンも神妙な顔をしてサイレージに触れている。僕が一瞥すると、漬け物か……と独白した。馴れたのだろう、細片をつまみあげて眼前で吟味している。じつはサイレージの香りは悪臭ではない。最初は後ずさるが、馴染んでくると癖になる。嗅がずにはいられなくなる。
「これって足の指の股にたまった垢みたいな匂いですね」
「そうかな」
「そうですよ。そっくりだ」
「足の指の股に垢がたまるのか」
「たまりませんか」
「考えたこともなかった」
「朧さんは毎日風呂に入れるでしょう」
僕は頷いた。農場宿舎にはタイルを張りつめたちいさな浴槽とシャワーのついた風呂場がある。ボイラーの性能は悪くない。湯の勢いもなかなかだ。しかし収容生は火曜と金曜の週二日しか入浴できないのだ。それもシャワーのみである。シャワー室は細長く、薄暗く、常時湿っていて黴臭く、左右にトイレの個室とほぼ同じ大きさの個室が十ずつ並んでいる。学年ごとにそこに入ってぴったり十五分で躯を洗う。慌ただしく、面倒臭かった。僕は追憶に耽りながらジャンが思い詰めている気配を感じとった。
「どうした」
「僕たちのシャワー室は個室ですよね」
「なんだよ、いまさら」
「僕、覗かれたんです」
「せんずりでもこいてたのか」
「まさか。シャワーを浴びて躯を拭いて、服を着て」
「まどろっこしい奴だな」
「すみません。僕、アンダーシャツを着て」
「アンダーシャツを着て」
「その裾で」
「その裾で?」
「あれを」
「あれ」
「そうです。あれをこう、なんていうのかな、巻きつけたんです」
僕は陰茎をシャツの裾で包みこむ仕草をしてみせた。ジャンが頷いた。
「それをしているところを見られたんです」
「なんで、そんなことをするの」
「さあ──」
ジャンが首をかしげて、途方に暮れた。僕は昔からそうしてたんです。朧さんは、しませんか。
「しねえよ。シャツは上着。ちんちんはパンツ。先祖代々そう決まってるの」
揶揄しながらも、人それぞれにいろいろな習慣があり趣味があるものだと感心しながら納得していた。同時に疑問が湧いた。たかが巻きつけたところを覗かれたことが、それほど問題のある出来事なのだろうか。
「荒川って知ってますか」
「ああ。あのクソ生意気なガキだな」
僕はジャンの同級生の不細工な顔を脳裏にうかべた。鼻の下や顎にひょろひょろと無精髭が生えているのが印象に残っている。荒川はたしか陰で仲間からオヤジと呼ばれていたはずだ。農場作業のときは、僕に対しては一応は忠実に対処してつつがなく作業をこなしているが、たとえば気の弱い北君など完全になめられきっているようだ。
「あいつ、小六で脇毛が完全に生えちゃったんです」
「僕のころにもいたよ。一人だけ成長が早い奴。棄て子だろう。赤ん坊のときに歳がはっきりしないまま、いいかげんに施設に放りこんじゃうから一人だけ先に思春期がやってきてしまうんだな」
ジャンが見つめてきた。調子にのって軽い口調で喋りまくっていた僕は、ややたじろいだ。
「あいつ、僕を──」
「やられてるのか」
ジャンは答えない。下唇を噛んで俯いている。ジャンの唇からはすっかり血の色が失せていた。僕は溜息を飲みこんだ。久里浜少年院予備校という別称のあるこの檻のなかでは、刑務所と同様に美貌はマイナス要素なのだ。僕は少年の背にそっと手をおいた。
啜り泣きはじめた。切れぎれに訴えた。朧さん。荒川の野郎、ドン・セルベラにさせられているのと同じことを僕にさせるんです。そうしないと、あれをシャツに巻きつけてたことをみんなにばらすって脅して。
サイレージの放つむんと蒸れた匂いと熱気のなかでジャンが啜り泣く。僕は無表情にジャンの背をさする。サイレージの匂い、足の指の股にたまった垢の匂い。そして性器の匂い。たぶん共通しているのだろう。そんなことを漠然と考える。
「ジャン。僕がケリをつけてやろう。セルベラか、荒川か。どっちを先にする」
「いえ」
「そうか」
「はい」
「なあ、ジャン。たかが裾をちんちんに巻きつけてることくらい、ばらされたっていいじゃないか」
「朧さんはわかってませんよ。僕が朧さんにそれを言うのがどれほど恥ずかしかったことか」
そうか……と僕は嘆息した。恥ずかしいこととは人によって千差万別であるらしい。
「なあ、ジャン。売春婦だけが服を着るという文化もあるそうだ」
「なんのことですか」
「なんでもない。ドン・セルベラを脅して聖職者用の図書室に入りこんでるんだけど、このあいだ読んだ文化人類学の本に書いてあったんだ」
「なにが言いたいんですか」
「だから、恥ずかしいってことについてのあれこれだよ」
「わけがわかんない。朧さんてインテリってやつですか。本ばかり読んでるんでしょうね」
ジャンが拗ねた口調で、上目遣いに僕を見た。涙で濡れた頬に照れ笑いがうかんでいる。媚びがじわりと僕を蝕んだ。僕はジャンを睨みつけるように見つめかえした。焦った口調で本は読むが、小説は読まないなどと無様に釈明した。たしかにここに逃げこんでから、本ばかり読んでいる。だが、それ以前は読書とは縁がなかった。なぜかそのことを誤解されたくないと切実に思った。
ジャンが身を寄せてきた。直観した。悪魔がいるならば、それはジャンの姿をしている。陳腐な直観ではあるが、直観なんて、みんな平凡でありふれているものだ。そして僕は悪魔に逆らいきれないのだ。筋書きどおりに行動するに決まっている。実際に抗いがたい引力にひきこまれて、僕はそっとジャンを抱きしめていた。ジャンが密着してきた。骨格が細く頼りない。筋肉が薄い。余剰が一切ない。いや、欠落を抱きしめているような気がする。こんな肉体が健気に作動していることが信じられない。ジャンの控えめな質量が僕の肉に直接に伝わって、しかも幽かに酸っぱい汗と乾ききった髪の匂いさえ感知して、ああ張り裂けそうだ。ジャンの躯にまわした腕にきつく力をこめた。
「力になりたい」
「いいんです」
「じゃあ、なぜ、話した」
「甘えたかった。甘えてみたかった」
「おまえはそれでいいかもしれないが、僕はなんだか中途半端な気分で、苛立っている」
「でも、僕のことだもの」
「そうか」
「はい。自分でなんとかしますよ」
「ほんとうに、いいのか」
「はい。だって朧さんだけが僕の言葉をきいてくれた。そして言葉をくれた」
「言葉か──」
僕は三浦との舞踏会に追いつめられて夜毎祈った。ベッドに跪いて祈った。しかし、誰も言葉を与えてくれなかった。モスカ神父さえも気づいてくれなかった。僕は、あのときの切実で悲しい気分を思い出して、自分は可哀想だったとあらためて胸を痛めた。自己憐憫というのだろうか、僕はジャンを抱きしめながら自分を抱きしめた。中学二年の幼い自分を抱きしめていた。
抑えられてはいるが、鋭い咳払いが鼓膜に刺さった。僕はジャンの肩越しに教子の顔を見た。教子はその手になぜか搾った牛の乳を受けるアルミのバケツをさげていた。バケツは空であるようだ。たぶん、無理やり用事をつくって僕の顔を見にきたのだろう。教子はときどきそういうことをするのだ。そして隙を見計らって素早く接吻をして走り去ったりする。
僕はとっさに微笑んでみた。教子は誘いこまれるように唇の端を歪ませたが、その歪みは笑いにいたらず、嫉妬のかたちに変形した。僕は途方に暮れながら、計算していた。ジャンと教子、どちらを取るかだ。すぐに答えはでた。女なんてどこにだって転がっている。僕は、僕の腕のなかの華奢な悪魔を取る。そう得心してから、驚愕した。僕に同性愛の傾向はなかったはずだが。
ジャンがゆるゆると身悶えして僕の腕からすり抜けた。そっと背後を振り返った。僕と教子を交互に見較べ、納得したような笑みをうかべ、僕にだけ聴こえるように囁いた。
「アスピラント一号じゃないですか」
「一号」
「僕たち、アスピラントにランクをつけてるんです。綺麗な順に番号をつけてるんです」
「あいつは一号か」
「美人で色っぽいですもん。しかも清楚っていうのかな」
なにが清楚か。僕は教子を手招きした。割合に淡々とした気分だった。ジャンが遠慮して数歩さがった。教子は空のアルミバケツを胸の高さにまで持ちあげて、まるで楯のようにして僕のところにまで近づいた。そしてサイレージの匂いに顔を顰めた。
「バケツを借りたので返しにまいりました」
「それは、どうも。そこいらに置いてってください」
「はい」
返事をしはしたが、教子はバケツを置こうとはしなかった。僕はちいさく咳払いをして教子に身を寄せた。囁いた。
「なあ。こいつ、綺麗だろう。美少年だ」
「──ほんとうに綺麗な子です」
「教えてやってくれよ」
「なにを、ですか」
僕は答えない。女が美少年に教えることなんて決まっているではないか。僕は成就する前にほくそ笑み、こんどはジャンを手招きした。少しだけ首をすくめるようにしてジャンが近づいた。
「握手」
ひとこと言うと、ジャンは素直に手を差しだした。それを無視して教子は僕を凝視した。僕は見つめかえし、頷いた。教子は呼吸を整えるかのように軽く反り、いきなり踵をかえした。バケツを抱えたまま小走りに立ち去った。その後ろ姿に、僕は打たれた。いままで感じたことのない愛おしさが僕の脊椎を這い昇ってきた。
それにしても最近の僕は人を愛おしいと思ってばかりいるようだ。感傷に囚われているのだろうか。弱気になっているのだろうか。溜息が洩れた。ジャンが不審そうに僕の顔を覗きこんでいた。
*
先ほどから教子は僕をおさめたまま、喋り続けている。性の交わりを愉しみながら、僕とジャンとの関係を糾弾しているのだ。僕は運転席の天井を見あげて、教子に組み敷かれたような体勢だ。教子は適当に動作し、昇りかけると抑制し、喋りはじめる。少年と抱き合うなんて不潔すぎます。倫理に反しています。神父様のなかにはそうすることが大好きな方もいらっしゃいますけれど、ソドミーは許されません。
「なんだ、ソドミーって」
とぼけないで、といった表情で教子が僕の臀に手をのばした。指先があてがわれ、爪の先がわずかにめりこんだ。僕は嫌悪に身悶えした。同時に教子の内部にある触角が弛緩した。教子が耳許で秘めやかに笑った。僕は追いだされないように気を配り、動作し、刺激し、もとの姿を取りもどした。
「ねえ、ソドミー、してください」
「本気かよ」
「指、で」
僕は釈然としない気分で結合部分をさぐり、潤いをまとわりつかせ、そっと指先をずらして、さぐった。同性愛者たちがなにをするのかは知っていたが、迂闊にもいまのいままで、男女のあいだにもこのような技法があるとは思い至らなかった。
「やさしくして」
「──こんなの、誰に教えこまれたんだ」
「嫉妬してるの」
「うるせえ」
「私だって胸がきりきりと引き裂けたのです」
「だからジャンとは、なんでもないんだよ。奴がイジメにあってるんだ。その話をきいて、自分がイジメにあってたときのことを思い出して」
「抱きしめていた」
「そうだよ」
「大胆ですね」
「それが、邪心のない証拠だよ」
やりとりをしながらも、僕は指先でさぐった。もっとも、あまり奥まで進入する気にはなれない。隔壁を通して教子の胎内に僕の触角があることがわかる。そのあたりで臆してしまった。そっと教子の顔を窺う。愉しんではいるようだ。僕もこうされたら気持ちがいいのだろうか。
「なあ、本格的なソドミーがしたい」
「いきなりは無理じゃないかしら」
「そうなんだ?」
「そうらしいですよ。私は、知りません」
ほんとうに知らないようだった。だが、拒絶の気配はなかった。試みに僕は教子の胎内からはずす仕草をしてみた。場所を変えるぞ、と意思表示をした。
「試みてみますか」
「いいのかよ」
「私は朧、あなたにすべてをふさがれたいのです」
「そういう衝動があるのか」
「衝動かどうか。欲求でしょうか。私は朧、あなたに首を絞められても嬉しいのです」
教子を絞め殺すところを空想した。性のかたちをとったまま、教子の首に手をかける。教子が身悶えする。その肉体がきつく収縮する。胸躍る空想だ。だが、とりあえず僕はそれをしないだろう。教子の表情を窺いながら、腰をずらした。ゆっくりとはずし、いままで指先を挿しいれていた部分にあてがった。教子が上体をおこし、腰を落としこむようにして、協力の体勢をとった。軋みはしたが、おさめることは叶わなかった。
「この体勢では、きっと無理ですわ」
教子の眉間に苦痛の縦皺が刻まれていた。僕は即座にはずした。
「いいんですか」
「うん。じつは、それほどそそられないんだ」
「そんな感じですね。でも、私のことは考えなくていいんですよ」
「僕は意外とノーマルなんだな」
「そうです。それは、はじめからわかっていました」
「はじめから」
「ええ」
はじめとは、出逢った当初からということだろうか。僕は自分自身の性向にどことなく物足りなさを覚えながらも、これでいいのだと納得した。それにノーマルとはいえドン・セルベラの陰茎を平然とこすりあげる程度の図太さは獲得しているのだ。
僕が漠然とトラックの天井を眺めていると、教子が積極的に位置を整え、ふたたび自らの内部に僕をおさめた。教子の収縮に、僕は安らいだ。こうすることができるのだから、ソドミーとやらは用済みだ。それとも倦怠の果てには、ソドミーだなんだと悪あがきをするのだろうか。ソドミーとはあのソドムとゴモラからきているのだろうか。見あげると、動作する教子の吐く息が白い。視線が絡んだ。僕はさりげなく顔を横に向けた。
「朧」
「なに」
「もう、怒っていません」
「だから、怒るもなにも、なんにもないんだって」
「それは、嘘。私とあの美少年は天秤にかけられました」
僕は教子の鋭さに、心臓の鼓動を一拍とばしてしまった。そのとたんに教子が僕にかぶさってきた。きつく密着してきた。僕は思わず口ばしっていた。
「なあ、教子。痰はでるか」
「でません」
「でないのか」
「どうするの」
「うん。飲みたい」
教子は僕がなにを言ったのかを理解できないようだった。しばらくの沈黙ののち、恐るおそるといった様子で訊いてきた。
「唾を吸いあったりするだけでは物足りないのですか」
「わからない。とにかく飲みたい」
教子が僕から顔をそむけた。咳払いをした。すまなさそうに謝ってきた。無理みたいです。しかしその口調は口のなかに何かがあることからくるくぐもったものだった。僕は教子の唇をふさぎ、思いきり吸った。ごくわずかだが、唾液とはちがう液体が僕の口のなかに流れこんだ。僕は舌先に意識を集中し、味わい、喉を鳴らして飲みほした。教子が凝視した。僕はうっとりと眼を閉じてみせた。しかしとりわけ特別な感慨があったわけでもない。まったく感情が波立たないわけでもないが、昂ぶりにまでは至らない。この面でも僕はノーマルであるようだ。ただ教子が望むならば、僕は教子の汚物という汚物を口にし、咀嚼し、飲みほし、身に纏ってみせるだろう。異性のすべてが愛おしい。そんな実感があった。教子が小刻みに動作をはじめた。揺蕩《たゆた》うことを愉しむ気配が消え、切実になってきた。僕もそれにあわせて突きあげた。
「教子」
「はい」
「もう──」
「ください」
囁き声でやりとりをし、お互いに動作を切迫させた。僕はタイミングをはかることをせず、完全に自分を教子にあずけた。雄叫びをあげた瞬間に、教子もきつく反りかえった。そして同時に虚脱する。
夢を見た。僕は三浦ときつく口づけをして抱きしめあっている。僕と三浦は恍惚として痰や唾液のやりとりをしている。僕たちは全裸で、背景は完璧な夜だ。だから光がまったくとどかない。色彩がない。それなのに僕たちは蠢きながら、美しく発光しているではないか。おぞましい夢だと、夢を見ている僕が苦笑している。だが夢のなかの僕は、痰だけでは飽きたらず、精液を飲みほそうとして三浦の腰を抱き、烈しく頭を揺らせている。三浦が首筋をきつく伸ばした。天を仰いで呻いた。呻きには僕の名前の痕跡が認められた。僕は満足し、三浦が爆ぜるのにそなえて身構えた。その瞬間に、目覚めた。
僕のうえで眠りに墜ちこんでいる教子の肩が冷えきっていた。厚手の軍用ブランケットを引きあげ、教子の肩を覆った。それから教子の臀に手をまわし、ぼんやりとした圧迫をくわえ、その量感を愉しんだ。僕はまだ教子のなかにあった。夢に思いを馳せた。目覚めなければ、僕の口のなかに三浦の白濁が炸裂したはずである。たかが夢ではあるが、どことなく口惜しい。
「精液はどんな味がするんだろう」
声にならない声で呟くと、教子が掠れ声で囁いた。苦いんです。とても苦い。
「苦いのか」
「朧はとりわけ苦い」
「ふうん」
「私はその苦さをいつでも欲して、狂おしくなります」
まちがいなく自分がいちばん可愛い。自己犠牲なんて自分に対する可愛さがあまって憎さ百倍の異常行動か、他人の眼を意識する嫌らしい自意識過剰の行き過ぎか、道徳病を患って異常心理に陥ったかだ。しかし自分がいちばん可愛いにもかかわらず、自分以外の誰かを狂おしく求める。その証として、たとえば他人の痰まで欲する。自分以外の存在を求め、その証拠として関係性の象徴たりえる物を自らに取りこもうとする。これはどういうことなのだろうか。
自分以外の誰かを狂おしく求めるということは、どことなく宗教に、祈りに似ている。いま思えば、三浦は僕に対して祈っていたのかもしれない。祈りの文句は〈ガッツ、ガッツ。キーックガッツ〉である。あまりに突拍子もなく、しかも濁音が耳障りだったので、僕にはそれが心底からの祈りの言葉であることを理解できなかったが、まちがいない。三浦は素朴な祈りを祈っていた。
「和語っていうのかしら、濁音ではじまる日本の本来の言葉には、あまりいい意味がないのですよ」
「どういうことだ」
「いいこと。ビリ。ゴミ。ドブ。ドロ。ガッカリ。ゲッソリ。ゲンナリ──ああ、きりがないわ」
僕はちいさく笑って教子を抱きしめ、その頭を丹念に撫でた。三浦が僕を蹴ったことだって、じつは十字を切るのといっしょなのだ。ただ、祈りがあまりにも原初的というか粗暴で、幼かった僕には理解も対処も不能だった。たぶん三浦には言葉がなかったのだ。語彙が貧弱で、精緻に祈れなかった。ゆえに短絡した暴力に訴え、それで一方的に昂ぶった。僕はといえば、じっと耐え、その際限ない反復過程で、さすがに三浦の放つ暴力に込められた祈りを感じとり、それどころか三浦の祈りは僕にじわじわと浸透し、僕を突き動かしかけたのだが。
「三浦がキックガッツではなくて、たとえば巧みに愛の言葉を囁いたなら、僕は戸惑いながらもわりと率直に受けいれていたかもしれないな」
「あなたには、そういうところがある。断れないのです」
「敵味方にわけて考える気持ちも凄く強いんだけどな」
「ジャンですか。あの少年は、味方ですか」
「うん。僕はあいつに夢中だよ」
正直な気持ちが洩れてしまった。躯をやや硬くした。教子はやさしく僕を抱きしめた。怪訝な気持ちが湧いた。教子は僕とジャンの関係を嫉妬していたのではないか。思案した。そのことをあえて指摘すれば蒸しかえすことになりはしないか。
「私がいつ、嫉妬しましたか」
「いや、まあ」
「実験してみたのです」
「実験」
「ソドミー。あなたは指でさえも、どこか乗り気でなかった」
「僕は仕向けられていたのか」
当然だ、と教子が頷いた。愛おしげに僕に頬ずりをしてきた。
「朧は一線を超えることができないんです。恥ずかしいことですが、性的には私のほうがよほど奔放です。朧。あなたはモラリストなんですよ」
どうやら僕とジャンが肉体関係をもつことはありえないと納得したようだ。苦笑を呑みこんだ。僕はモラリストらしい。僕は自分がソドミーさえ貫徹できない単なる臆病者だと感じているのだが。いったいモラリストとはなんだろう。
「朧にとって、倫理や道徳は、単なる一般的な規律ではないのです」
「けっこう難しいことを言うじゃないか」
「侮ってはいけません。あなたは倫理を自分の生き方とわかちがたいものとして我が身に密着させ、実際のかたちとして探っているのです。私は朧の行動や態度からそれをすごく強く感じるんです」
「教子」
「なんですか」
「侮っていたよ。これからもなにか気づいたことがあったら、遠慮なく言ってくれ」
「どうなさったのですか」
「どうなさった、とは」
「すっかりやさしく、物わかりのいい男の子になってしまいました」
僕は声をころして失笑した。教子の言うとおりだ。僕は身に纏っていた棘を、こうして交わるたびに削り落としていく。いまではずいぶんつやつやとした肌をした蜥蜴《とかげ》になりつつある。すべすべの爬虫類は、好ましい。そうありたい。
「ジャンという子のせいですか」
「それもある」
「そうですか」
「うん。まるで自分が保護者になったような気分だよ。気になってしかたがない」
「綺麗な子ですものね」
「そうなんだ。でも、問題はジャンの心なんだよ。ジャンはまだ神様を信じている。世界に対してYESって頷いているんだ。肯定しているというのか。儚い希望をもっているんだ。望みを棄てていない。僕は推測するしかないんだが、神はジャンにずいぶんと過酷な試練を与えているようだ」
教子は僕の言葉をあえて聴き流し、いきなり尋ねてきた。
「私は綺麗ですか」
「ああ。ジャンが言っていた。僕たち、アスピラントにランクをつけてるんです。綺麗な順に番号をつけてるんです。彼女はアスピラント一号です」
「私は一号ですか」
「そうだ。抽んでている」
「私は目立ちたくないのです」
「無理だよ。どこに行っても一号だろうな」
「私が美しいのは、顔かたちにすぎないのですよ」
「それって、ちょっと傲慢な言い草だぜ。相手にされない顔かたちよりも、ずっといいじゃないか」
「わかっていない。朧には、わかっていない」
「熱《いき》りたつなよ。たしかに僕はわかっていないようだ。でも僕に美貌はない。だから、わかりようがない」
「わかりようがないというのは嘘です。私にはわかります。あなたはその年齢を大きく逸脱しているのです。なんでもわかっているくせに。見えているくせに、見えていないふりをする」
「それじゃ、僕が神だな」
呟いて、あくびをした。大きくひらいた口を教子が掌でそっと押さえた。僕は軽く躯を揺すってブランケットのなかに潜りこみ、教子の乳房を口に含んだ。吸うと尖り、舌先で先端をさぐると、幽かにざらついた。安らいだ。なぜ、僕は教子とこうなるまで、ひたすら女という性を避けてきたのだろう。機会ならいくらでもあったのに、なんで身を翻したのだろう。神に囚われていたせいか。それとも臆病さゆえか。それとも狡賢い保身ゆえか。しみじみと思った。こうして躯を胎児のように丸めて異性と密着していさえすれば、僕は人を殺すことなどなかったのではないか。
三浦には言葉がなかった。語彙が貧弱で、気持ちを伝えることができずに、僕を蹴るしかなかった。ところが僕は、いつだって頭のなかで言葉が渦巻いて収拾がつかなくなっていた。三浦は言葉足らずの人以前の生き物だった。僕は言葉が過剰で、それをもてあまして往々にして観念の奴隷になった。ところが僕の問題点は、その観念にすぎないものに突き動かされて行動してしまうことだった。奴隷の面目躍如ではあるが、困ったものだ。僕はインテリを自認して、黙って物思いに耽っていればよかったのだ。ところが僕の観念は抑制が難しく、しかもその行動たるや、欲求不満のチンピラがふるう暴力となんら変わるところがない。つまり結果的に、現象面において、僕は三浦と大差なかった。
拳を繰りだし、殴る。殴ったあとは即座に拳を引き、次の殴打にそなえる。その腕の動きはまるで性交ではないか。僕がひたすら暴力的だったのは、それが性交の代償行為だったのかもしれない。だが、こんなフロイトじみた理由づけは薄気味悪い。代償行為。神という概念に匹敵する便利な言葉だ。これさえあてがっておけば、すべてに説明がつくというものだ。
「言葉というのは、たいした発明だよな」
「どういうことですか」
「神の存在は、証明できるだろうか」
「さあ。証明云々といった問題ではないのではないですか。信じるか、信じないか。神様に関しては、そういう態度以外の態度は、無意味ではないでしょうか」
「すると、存在は証明できない」
「眼に見えるお方ではありませんから、しかたがありません」
「同じく、神の不在を証明することは、できない」
「できませんか」
「できない。神がいることを証明できないのと同様に、神がいないことを証明することはできない。僕は論理的な神の存在証明にであったことがないのと同様に、神の不在証明にもであったことがない」
「なるほど。アスピラントの私が言うことではありませんが、もともと、あやふやでしょう、神様という存在。唯物論を信じる方は、神はいないと叫ぶのでしょうが、ただ叫ぶだけにすぎませんね。それでは神を信じる者を折伏することはできません」
「そういうことだ。たしかに神はあやふやだ。教子の言うとおり、唯物論者は神はいないとがなりたて、喉を枯らす。でも、神さえもちだせば、この世界のすべてを説明できる。つまり神様のせいにできる。神様という奴は、そして、そのあらわれである言葉という奴はなかなかに強力だぜ。核兵器なんて陳腐なものさ。赦すと言ってしまえば、勝利する。あやふやゆえの万能ぶりだ」
「それが万能にして全能なる神ということですか」
「いや。正体は、言葉。あくまでも言葉。神の実態は、たぶん言葉の万能ぶりなんだよ。言葉は現実を解説するが、現実ではない。現実自体ではないから、なんとでも言いくるめることができる。ところが、人は往々にして言葉を現実であると勘違いする。ほくそ笑むのは、哲学者と小説家だけだ」
「神様は、どこへ行ったのでしょう」
「ちゃんといらっしゃるさ。言葉の背後に、地味に控えていらっしゃるよ」
僕はふたたびブランケットのなかにもぐり、乳房に顔を押しあてる。不確定な芯のある熱を頬で押しつぶし、歪める。喋りすぎによる照れと自己嫌悪が綯いまぜになった感情のせいで躯が熱い。それを乳房の熱と肉の歪みで隠蔽する。あれこれ偉そうに口ばしりながら、いつだって憂鬱になる。僕は幼いころから言葉の奴隷だった。つまり、神の、奴隷だったのだ。僕が拳をふるい、蹴りあげるのは、じつは言葉とその背後に潜んでいる神に対する嫌悪からなのかもしれない。僕は信じようと足掻いているのだ、百の言葉よりも一発の拳である、と。だが、それは逆説的に僕の言葉に対する盲信をあらわしているのだ。神は欲しているときに言葉をくださらないが、どうでもいいときには言葉のなかに満ち充ちている。つまり、神は遍在しているのである。
こういう具合に、安直に悟ることができればいいのだが、僕は、乳首に吸いついて幼児化して、錯乱する。世界におっぱいほどの存在感をもつものがどれだけあるというのか。仏教で呼ばれる煩悩というものだけが、確たる存在だ。そういえば、煩悩の犬という喩えがあったはずだ。煩悩は、犬のように人につきまとう。笑えるな。けっこう、笑える。煩悩は、僕の愛犬だ。
*
──願わくは、カルワリオにて親しく主の御苦難を仰ぎ見奉りし人々の心もて、このミサ聖祭にあずかることを得しめ、かれらに賜いし御恵みを、われらにも与え給え。特にわれらが祈らんとする死せる信者の霊魂に御慈悲を垂れて、この御功徳をわかち、主の御栄えのうちに入らしめ給わんことをこいねがい奉る。アーメン。
聖堂に感情のこもらぬ死者のための祈りの声が響く。降誕祭の三日後に死者のためのミサが執りおこなわれるとは誰も思っていなかったようだ。僕にも現実感がない。
聖堂内は暖房がないので冷える。人いきれだけが唯一の熱源であるが、心底冷える朝には、なんの役にもたたない。いちばん後ろの席はシスターやアスピラントが占めている。僕はその前、つまり男のなかではいちばん後ろの席で跪き、無数の頭の隙間からジャンの後頭部を見つめている。
香炉から立ち昇る煙を、ステンドグラスから射しこむ朝の光が葬式にふさわしくない鮮やかな色彩に染めていく。その香りは妙に艶めかしく、違和感が強い。ジャンの同級生たちからオヤジなる綽名を奉られていた荒川少年の死を悼む者など、ひとりもいない。荒川の唐突な死は、収容生たちに迷惑がられているのだ。せっかくのクリスマス気分がだいなしである。神妙な顔をつくってはいるが、神父や修道士たちにとっても荒川の死は他人事だ。荒川少年は、なんらかの感情移入を催させるには無様で、粗暴で、不細工で、汚らしく、しかも奇妙に老けていて、愛嬌ないことこの上なく、ひたすら嫌われ続けた奴で、これといった取り柄が見あたらないドブの泥水のような少年だった。どうせ棄て子でみなしご。悲しむ親族もいない。
だから二十七日の夕刻、ジャンが運動時間終了直後にバットの素振りをしていて、誤って荒川の後頭部を硬球がわりに打ち据えたという事故がおきても、皆は至って冷静だった。事故の詳細を僕は知らない。ただジャンがあの細腕でぶんぶんとバットを振りまわしていたらしい。そこにたまたま通りかかった荒川の後頭部がぶつかった。目撃者はいない。収容生たちは寒風吹きすさぶ運動場からとっとと逃げだしたかったから、チャイムが鳴ったとたんに先を争って本館に駆けたのだ。だから、なにが起きたのかはジャンの自己申告による。
荒川は意識がもどらず、その晩のうちに天に召された。人がひとり死んだ。しかし取り調べらしい取り調べも行われず、事件性なしとされ、こうして形式的ではあるがとりあえず荘厳に葬式ミサが執りおこなわれ、遺体はたぶん神奈川のカトリック墓地に葬られるだろう。いわゆる無縁仏に毛の生えたような扱いであることは眼に見えている。年があけた時点で荒川少年の存在は人々の記憶からも綺麗に消滅しているはずだ。肉体も朽ち、存在の記憶も失せる。完全なる死である。
僕は式次第に従って皆が立ちあがるときにも横着をしてだらけて跪いたまま、人垣のあいだからジャンの後頭部だけを見つめていた。だいたい僕が日曜でもないのにミサに参加するのは画期的なことであるから、傍らの赤羽修道士も僕のだらけた恰好を横目で見ながら、まあいいかしょうがないなといった表情である。見方をかえれば頽《くずお》れそうな僕の体勢は荒川少年の死を悼んでいるかのようにも受けとられかねないものだ。そう勝手に決めこんで、僕はだらけ続ける。
ジャンの薄い肩がふるえるわけでもない。その栗色がかった巻き毛が罪の意識でさらに丸まっているわけでもない。僕はジャンの背中の平然としきった他人事的淡々ぶりに少しだけ舌を巻いていた。うん、うん、と二度頷く。加害者は、こうでなくては。理想の加害者である。よしよしよし。
ミサは延々と続く。黒と紫を纏った司祭セルベラの説教がはじまった。案の定、荒川の死が事故であることをひたすら強調している。つまりすべては神の思し召し、誰にも責任がないというわけだ。運動時間終了後にもかかわらずバットを振りまわしていたジャンの責任を多少なりとも認めてしまうと、院長であり園長であり監督者であり責任者でありジャンの愛人を自認しているであろうドン・セルベラにも責任が及ぶ。ゆえにジャンの免罪は最初からわかりきったことだ。
こういうのを茶番劇というのだろう。死を悼むふりをしながら免責についての自己主張に終始する。神に死の責任を押しつけるのだから、聖職者とはなんとも図々しい偽善者である。まったく、かなわんよ。やれやれ。僕は迫りあがってきた眠気を必死でこらえた。眠気をこらえる理由は、聖堂内が寒いこと。これに尽きる。へたにうたた寝をすると風邪をひきかねない。だから、頑張った。それなのに赤羽修道士に揺り起こされた。僕はあわてて掌で眼をこすった。葬式のミサは終わっていた。掌にはちょっと黄色っぽい目脂《めやに》がこびりついていた。
*
葬式ミサのあったその日も、ジャンは農場に手伝いにきた。そろそろ鶏舎の糞掃除をしなければならない。しかし冬である。暑いときのように急速に鶏糞が腐敗発酵することもない。糞は冷蔵されているようなものである。季節柄ニューカッスル病とかの伝染病も冷蔵されているはずである。そう居直って強弁し、鶏舎に附属する薄暗い飼料置き場にジャンとこもった。
「ばか。ニューカッスル病は、人にも移るんだぞ」
「ほんとうですか」
「私は嘘を、ときどきしか、申しません」
「なんだかなあ」
「農場の生き字引、宇川によると、ウイルスの病気なんだってさ。気管支炎や肺炎、下痢なんかを起こしてだ、最終的には痙攣して麻痺こいて、死んじまうんだよ」
「だったら、ちゃんと糞掃除をしましょうよ。ずっとさぼっているんでしょう」
「そんなに糞掃除がしたいなら、僕は止めない。君は罪滅ぼしにクソでもすくうか」
「罪滅ぼし」
ジャンが繰り返した。ふたたび、呟いた。
「罪滅ぼしですか」
「そう。罪滅ぼし」
「なんの罪滅ぼしですか」
「なんでしょ」
僕は頭などかいて、腰をかがめる。飼料ボックスの陰に隠した電気ストーブを取りだす。ストーブの脚が床のコンクリにこすれると、錆びかけた銀メッキの反射板がその軋みを増幅して伝え、僕の鼓膜をふるわせた。ジャンが僕と電気ストーブを見較べた。
「どうしたんですか」
「盗んだ」
「どこから」
「幼年部」
「幼年部に忍びこんでいるんですか」
「そんなに驚くほどのことじゃない」
「大胆だなあ」
「僕はいまから暖をとります。貴君はウンチを掃除してね」
「僕だって暖をとります」
「ジャンが暖をとると断言したじゃん。どうだ、韻を踏んでるじゃないか」
「朧さんの場合、韻の字がちがうんじゃないですか」
「淫乱の淫」
「ふふふ」
「なにが、ふふふだ」
他愛のない会話を続けながら、僕は電気ストーブのプラグをコンセントに挿した。ぢ……と秘めやかに軋んで、埃の焦げる甘い匂いが立ち昇った。いまのところ石英管は血の抜けた蚯蚓のような白けた色をしている。忘れたころに赤熱するはずだ。僕はかたちだけストーブに手をかざしてから立ちあがり、飼料置き場の出入口をモップの柄を使って開かなくした。
「赤羽がきたら、うるさいからな」
「赤羽先生は朧さんにはうるさいことを言わないじゃないですか」
「まあな。でも、ストーブはまずいぞ。さぼってるだけじゃなく、ストーブまでってのはちょっときまりが悪いじゃないか」
ジャンが頷いた。しゃがんでストーブに手をかざした。満面に笑みをうかべて歓声をあげた。
「あったかいです。すげえ、あったかい」
僕も微笑んで、ジャンの傍らにしゃがむ。しばらく無言で赤く色づきはじめた石英管に手をかざしていた。掌ばかりが熱くなり、しかし躯のほうはあまり暖まらない。電気ストーブの限界であり、すきま風の勝利である。
「僕、朧さんに倣ったんです」
「なんのことだ」
「バット」
「そうか。でも僕に倣ったというのは、よくわからないな」
「三浦っていう人を蹴り殺したでしょう」
「ばか。三浦は死んじゃいないよ」
「三浦っていう人を蹴り殺したでしょう」
「ばか。三浦は死んじゃいないよ」
「でも、たまがでちゃったんだから、男としては死んだみたいなもんでしょう」
「甘いなあ、おまえは。なんでたまが二個ついてるんだよ」
「なんだ」
「そういうこと。一個でも充分に男として役に立つんだよ」
「立つ」
「そう。もろに立つ」
「じゃあ、あえて言わしてもらいます。僕も甘いかもしれないけど、朧さんは僕よりもっと甘いですね」
「まあな。おまえのように徹底しなかった。たしかにあのときは詰めきれなかった」
ゆっくりと顔を向けると、切迫した瞳で見つめかえしてきた。僕は肯定の思いをこめて、しかし、あっさりとした仕草を意識して頷いてやった。ジャンが曖昧に視線をそらした。含み笑いがジャンの口から洩れた。
「朧さんはきんたまを飛びださせたけど、僕は荒川の目玉を飛びださせてやりました。マンガなんかにあるでしょう。ぼよよーんて目玉が飛びだしちゃうシーン。あれ、実際に起こるんですよね。ほんとうに目玉が飛びだしちゃうんです。朧さんのきんたまもなんか紐みたいなもので繋がってたって言ってたけど、僕の目玉も紐みたいな何かで繋がってましたよ。だから転がりはしなかった。でも両方の目玉が飛びだしましたからね。片きんじゃない。僕はたしかに徹底してやりました」
「そうか。目玉がでたか。見事にジャストミートしたみたいだな」
「見たいでしょう、その瞬間」
「うん。話のタネになる」
「手が痺れましたよ。頭の後ろめがけてフルスイング。宇川さんや北さんと藁小屋で剣道ごっこをしたときに、朧さんに竹刀は手首で振り抜けって教わったでしょう」
「役に立ったか」
ジャンはストーブに手をかざしたまま、幾度も頷いた。唇の端が笑いのかたちに歪んでいた。それなのにストーブの石英管に涙が滴り落ちて、じゅっと音をたてた。涙は幽かな湯気をあげる。石英管に縞模様が浮かぶ。僕はジャンの頭に腕をまわし、そっと抱きよせた。しゃがんでいるので安定が悪いが、軽く息んで太腿や脹脛に力をこめて啜り泣くジャンを支えた。
「僕、セルベラにも話をつけました」
「もう、舐めなくてすむのか」
「はい。事情聴取って言うんですか。警察の人と教務主任とセルベラにあれこれ訊かれて、最後にはセルベラだけになったんです。それまではずっととぼけてバットが当たったのは偶然ですって言い続けましたけど、セルベラには言ってやりました。荒川君が死んだのは僕に舐めさせていたせいです、と」
「ベラ公はなんて言った」
「なにも言いません。なんか酸っぱい顔をしてました。僕は思いきりセルベラを、ベラ公を睨みつけてやりましたよ」
「うん」
「そうしたら、もう寝なさいって。やさしくおやすみのキスをしてくれました」
「笑わせるじゃねえか」
「はい。そして、思い詰めたような調子で囁いてきました。私と君とのあいだに行われたことは誰にも言わないようにって。そうすれば私も君を護るって」
「よし。おまえの勝ちだ」
「僕は勝ちましたか」
「見事な勝ちだ。おまえに較べたら、僕は中途半端だよ」
「うれしいです」
「泣くな。泣く理由はない」
「だって朧さんに褒められたんですよ。この収容所の伝説的人物に」
「伝説的人物。勘弁してくれよ。まだ生きてるんだぜ」
「朧さんは自分の人気に気づいてないんですよ。わかってないでしょう」
人気というのは、ひどく違和感のある言葉だ。僕は芸能人ではないし、人気とりに励んだこともない。
「意味がよくわからないな。正直なところ、僕は人気者になんかなりたくない」
「じゃあ、言いなおします。なんていうのかな。朧さんは自分の価値に気づいてないんですよ」
「僕に、どんな価値がある」
「あらためて訊かれると、困っちゃうけど」
「人気だの、価値だの、実体がないんだよ」
「でも、やっぱ人気ですよ。今年の中三は、卒業後に朧さんといっしょにいたいって奴がけっこういて、農場がだめなら木工でもいいからって競争なんです」
意外な言葉に、僕はどのような顔をつくっていいかわからず、苦笑い気味に失笑してみた。ジャンが涙で頬を濡らしたまま、微笑みかえしてきた。僕は納得できなかった。農場も木工も慢性の人手不足で、特に木工所など開店休業状態なのだ。
「みんな、世間に出たくてうずうずしてるはずだ」
「朧さんが舞いもどってくるまでは。朧さんが僕たちとサッカーをするようになるまでは。朧さんが黙って豚の残飯のリヤカーを引くようになるまでは」
僕は嘆息した。ますます、わからない。残飯のリヤカーを引くのに、なにか意味があるのか。僕は自分の躯に実用的な筋肉を纏わせたかっただけなのだ。
「ねえ、朧さん。僕はベラ公に言ってやりました。舐めさせてたことを、ばらされたくなかったら、僕を農場に残せって。僕を朧さんと一緒に働かせろって。ベラ公は他愛のない交換条件だって思ったみたいですけど、僕にとっては、これがすべてだったんです」
「なんか、おおげさだ」
「おおげさなものですか。僕は朧さんと一緒にいたいから荒川をバットで」
僕はジャンの顔色を窺った。飛躍しすぎである。ジャンは荒川に強要されて行う口唇による奉仕を終わらせたかったからバットをふるったのだ。この年頃は、こんな具合に勢いで話をつくってしまうものだろうか。僕は相当に嘘つきではあったが、こんな具合に話を変形させることはなかったと思う。
「信じていませんね」
「そんなこともないけどね」
「証拠をみせますよ」
「証拠」
間の抜けた声をあげた僕を、ジャンが見据えてきた。男同士って、いいですよね。そんな意味不明な台詞を口ばしり、僕に立ってくれと哀願してきた。
「立つのか」
「はい」
僕は不安を覚え、咳払いをした。なんとも情けない態度である。しかし窃やかな狼狽が脊椎を這いのぼって、なぜか下腹がむずむずするのだ。
「なあ、男同士のなにがいいんだ」
「なにがいいんだって、一緒にいたって咎められないじゃないですか。僕がたとえばアスピラント一号だったら、そして、こうしているところを発見されたら、大問題ですよ」
「ああ、そういうことか」
だらしなく迎合して、微笑みをうかべる。じつは、僕は教子と一緒にいるところを発見されてもまったく動じないと思う。居直るだけだ。開き直って男女の行為を見せつけてやるし、発見者にはぜひとも参加していただこう。罪をわかつ。なんと麗しいことか。だが、男同士はまずい。立ちあがった僕の腰をジャンが抱きしめ、頬ずりをはじめている。
「なにを考えてるんだよ、おまえは。汚いぞ。作業ズボンには」
「ウンチがたくさん染みこんでいます。牛豚鶏。溶けあって不思議な匂いです。強烈ですよ。でも、僕は、朧さんの匂いをちゃんと嗅ぎわけてますもん」
ジャンが僕の作業ズボンのジッパーを引きおろした。僕は露にされた。冷気に縮まっている。ジャンが不服そうに独白する。ストーブ、ぜんぜん暖かくない。朧さん、鳥肌。
「ジャン。おまえはこれが嫌で、荒川をバットで打ち据え、セルベラに二度とやらないと迫ったんだろう」
「誤解ですよ。これが嫌なんじゃなくて、荒川やドン・セルベラにこれをするのが嫌なんです。朧さんにしてあげるのは、僕の希いです。ずっと希ってました。僕は、朧さんだけに、こうしてあげたい。こうすることを許して欲しい。いいですか」
「いいですかって、おまえ、こら、おい」
僕の言葉は徐々に弱まっていき、壁際に逃げ、背が壁にぶつかった時点で含まれていた。ジャンが愛くるしくすぼめた口唇を用いる。舌先が丹念に、愛おしげに僕の形状を確認していく。半眼に閉じられた眼にうかんでいる笑みは、どこか聖像を思わせる柔和さで、しかし唾液の絡まる音が薄暗い飼料置き場のやたらと高い天井に幽かに響く。
ジャンの巻き毛が揺れる。一心不乱に奉仕してくれる。さすがに僕も抗しきれず、ジャンの口にいっぱいになってしまった。快が突きぬけないといったら嘘になる。教子にこうされるよりもジャンの切実さがはるかにまさっているから、僕は茶化すこともできずに下唇を咬んで洩れかける呻きをころす。その気配を悟ったジャンが眼をひらいて見あげてきた。
「なあ、ジャン。僕はおまえにこうされても、おまえにこうしてあげることはできないよ」
「見返りなんて欲しくありません」
いったん僕からはずして言い、ふたたび顔を埋めた。一心不乱に頭が揺れるのを漠然と見おろして、僕は徐々に肩の力を抜いた。わりと冷静に観察する。なぜだろう。教子との行為にみられるあの独特の褻《な》れた気配が漂わない。教子がこうするときに、上下はない。階級というのだろうか。そういったものを超越したところで愛しいから含む、愛しいから舐める。それらは自らのよろこびとなる。じゃれあうことが快感なのだ。ところがジャンは僕に仕えている。傲慢な見方であり印象かもしれないが、祈っている。
僕は悟りつつあった。僕はジャンに恩義、あるいは情愛を覚えて、お返しをしてはならないのだ。教子に含まれ、教子に舌を這わす、つまり同時に成就するような態勢をとってはならない。僕は一方的に奉仕されることを受けいれなければならない。
三浦との関係において、僕にはジャンのこの誠実さがなかった。舞踏会の夜、完全な奴隷になるのを恐れるあまり、自覚のないままに、なにやら棘々しい気配を発散していたのだろう。だから、いざ、僕が三浦を愛おしく思った時点で、三浦は噛み千切られるという恐怖心をもった。つまり、心はすれちがった。三浦の知能程度も問題だったが、とにかく僕には誠実さがなかった。
僕はジャンにこんなことをして欲しくはない。充血器官を充血硬直させながら、こんなことをして欲しくないなどと思うのも噴飯ものであるが、本音だ。ジャンとは友人でいたかったのだが。しかし、それは、おそらくは不可能なのだ。年齢差をはじめとする諸々が友情を不可能にし、成就しない愛情を醸しだしてしまったようだ。
ジャンが僕を含んだまま、その唇の合間から切なげな吐息を洩らした。おそらくはジャンの充血器官にも血が充ちて、張り裂けんばかりなのだろう。しかし、それに触れて痼りを解きほぐし、緊張を虚脱にかえることは許されない。ジャンは僕に奉仕しているのだから。ジャンは僕と離れ、ひとりになったベッドのなかで僕の硬直ぶりを思い返して自慰を行うだろう。それが奴隷のよろこびである。
僕はとても傲慢にはなれない。しかしこの情況をジャンのために貫徹してあげようと意思を固め、意識を集中した。僕はジャンの愛撫を受けながらしみじみと思った。僕は教子の、あるいはシスターテレジアの躯のなかに僕の触角を挿しいれて、教子の、シスターテレジアの煮こごりのように固まった血の奥底にある秘密を感知しようと足掻き、その片鱗を知り、満足する。
ところがジャンの口のなかに僕の触角は厳然としてあり、しかも教子やシスターテレジアとの行為の途中に必ずある中だるみのような揺蕩いとも縁がなく、ひたすらな緊張硬直状態にあるのだが、それなのに僕の触角はジャンの心も肉体もなにもかもを一切感知しない。ただ一方的に奉仕され、口唇と舌による摩擦という物理的現象に純化されて、薄暗がりの一点を睨み、それではあまりに芸がないと思い直し、ジャンの巻き毛に視線を据え、その栗色に指先を挿しいれて、幽かに汗ばんだ地肌をさぐる。
「ジャン」
小声で訴えると、ジャンが眼だけあげて、頷いた。僕は炸裂の瞬間にはずそうと考えていた。いかになんでもジャンの口中に爆ぜさせて汚すのは気がひける。教子に対しては平然と行えることも、関係性の不均衡がじゃまをする。つまり僕は教子の汚物を受けいれることができるが、ジャンの汚物を愛おしむことは不可能であるから、それなりに遠慮をしようと考えたのだ。
早口でそのことを訴えた。するとジャンは悲しげに首を左右に振ると、僕をその喉の奥の奥にまで呑みこんだ。こらえきれなくなった。僕は爪先立ち、反りかえり、じんわりと弾けた。烈しく爆ぜなかったのは遠慮のせいだ。しかし、じくじくじわじわと滲みだした。しかも僕は身をよじって喘いだのだ。
激烈な快感だった。僕はジャンに搾りとられた。ジャンは僕が身悶えしているのに、上目遣いで観察しながら平然と頭を揺すり、動作を連続させて僕の無力感を拡大していく。つまり、ちいさな逆転があったわけだ。なるほど、この瞬間が奴隷の生における最大のよろこびなのだろう。
ようやくはずされた。ジャンは僕に顔を向け、その口をひらき、舌のうえに拡がっただらしのない僕の灰白色の濁りを示し、僕が不明瞭に横を向くと、少しだけ得意そうに舌をもどし、飲みこんだ。それからふたたび僕の下腹に顔を寄せ、舌先を用いて丹念に浄めてくれた。僕はその途中で、焦り気味の手つきで下着を引きあげ、ズボンを引きあげた。ジッパーを引きあげ、ベルトを締めて、ようやく鳥肌が消えた。
疲労が全身に拡がり、僕は壁面に背をあずけたまま、ずるずると座りこんだ。ジャンが柔和な表情をくずさずに僕の隣りに座った。せっかくジャンと一緒に暖まろうと考えて調達したストーブは、はるか彼方でオレンジ色の光をぼんやりと滲ませている。ジャンが僕の肩にことんと頭をあずけてきた。
「おまえ、いつだったか足の指の股に垢がたまるって言ってたな」
「なんですか、いきなり」
「もし、たまっているなら、その匂いを嗅ぎたい」
「本気ですか」
「うん」
「汚いですよ」
「嗅ぎたいんだよ」
「わかりました」
ジャンが僕に躯をあずけたまま、投げ遣りな手つきで靴を脱ぎ、靴下を裏向けに剥がした。その時点でもう複雑な香りが漂っていた。週に二度のシャワーではすべてにわたって盛んで過剰なこの年頃の香りを洗い流すことができないのだろう。おなじ年頃の僕も、きっとこの香りを立ち昇らせていたはずだ。
ジャンが器用に脚を折りまげ、僕の眼前に向けた。ほんとうに、いいんですか。躊躇いがちに訊いてきたが、その足先はもう僕の眼前にある。僕はジャンの足首を掴み、その骨張った造形を観察して精緻に作動していることに少しだけ感動し、爪のほとんど存在しない小指と微妙に変形してしまっている薬指のあいだを拡げた。
垢は見事に黒かった。なにやら繊維分らしきものを含んで楕円形に丸まっていた。そっと鼻を近づけた。擽ったがってジャンが声をあげ、身悶えした。僕は強引に指の股の垢を人差し指の先で刮《こそ》げた。
「……サイレージの香りだ」
呟くと、ジャンがおとなしくなった。僕はジャンの脚を解放し、指先の垢に集中した。垢の香りはサイレージの匂いなどではなかった。それは仔豚の死体に充満していた腐敗の匂いだった。僕はもういちど鼻に近づけて、確認した。それから床になすりつけた。匂いに善悪はない。そう自らに言いきかせた。僕はこれ以降、死と腐敗の匂いに嘔吐しないだろう。膝に手をついて立ちあがった。昼食までまだ時間がある。そっとジャンの背を押して促した。さあ、鶏舎の糞掃除だ。
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著者あとがき
言葉を操っているうちに曲解します。意図して曲解する場合もあれば、流れのなかで自然と曲解することもあります。小説家の仕事には、あるいは小説家の才能には、言葉の曲解がある鍵となっているのですが、曲解したままではいけません。ですから、ときに、私にとって自明とされる言葉を辞書で引いてみるという確認作業は欠かせません。ここ数日、私は『物』を、あえて物質として狭義にとらえ、あらわす思考と仕事を続けていました。その意図的曲解を糺すために改めて広辞苑で『物』を確認すれば〈形のある物体をはじめとして、広く人間が感知しうる対象。また、対象を直接指さず漠然と一般的に捉えて表現するのに用いる〉とあり、質量を有し、場を成立させる『物質』として固定されていた私の内部の『物』も本来の字義に立ちかえりました。この本におさめられた三つの小説は、宗教を描く長大な作品のごく一部分として書かれました。あえて一人称ではじめたところに私の野心を嗅ぎとる方もいらっしゃるでしょう。いささか無謀なこの試みは、広義の意味での『物』語を志向する小説家としての私の挑戦であり、すべてを書き終えたときに、私は、この作品群に『王国記』という表題を冠しようと考えています。
*
この作品が文學界に掲載されるに至った経緯には、なによりもまず文藝春秋第二文藝部における私の前担当である加藤はるかさんの熱心な働きかけと献身がありました。文學界担当の舩山幹雄(あえて呼び棄てです)とは、原稿が書きあがると同時に精緻なディスカッションを重ねましたが、無数のメモ、とくに私の作品を読みこんで舞台となった修道院や農場の地理的関係を示す略図までつくりあげていたのには驚かされました。作品から多少なりとも贅肉が削ぎ落とされているとしたら、それは舩山の手柄です。本づくりを担当した樋渡優子さんがフランシス・ベーコンの絵画を用いた装幀を呈示してきたとき、私は昂ぶりました。宗教は善男善女のための長閑な寄り合いではありません。ベーコンは今世紀最大の宗教画家であり、その作品を呈示してきたということは、日本人には馴染みの薄いキリスト教の教義を軸に据えた作品を樋渡さんがきちっと読み解いてくれたという証左です。しかも樋渡さんはありとあらゆる労を惜しまず、丁寧に、しかも柔らかく仕事をしてくれました。最後に文藝部長白幡光明さんに、ようやく本になりましたね……と苦笑い気味に呟いて、終わりにしたいと思います。文藝春秋とは擦れ違いの多かった私が、こうして転機となる作品を上梓できたことに、ある不思議な気持ちを覚えています。
一九九八年八月二十一日 早朝
[#地付き]花村萬月
初出誌 ゲルマニウムの夜「文學界」一九九八年六月号
王国の犬「文學界」一九九八年六月号
舞踏会の夜「文學界」一九九八年十月号
なお単行本化に際し、「ゲルマニウムの夜」から「王国の犬」を独立させ、一篇としました。
単行本 一九九八年九月 文藝春秋刊
〈底 本〉文春文庫 平成十三年十一月十日刊