TITLE : 舞踏会・蜜柑
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目 次
きりしとほろ上《しよう》人《にん》伝《でん》
蜜《みか》 柑《ん》
沼《ぬま》 地《ち》
竜《りゆう》
疑《ぎ》 惑《わく》
路 上
じゅりあの・吉助
魔《ま》 術《じゆつ》
葱《ねぎ》
鼠《ねずみ》小《こ》僧《ぞう》次《じ》郎《ろ》吉《きち》
舞《ぶ》踏《とう》会《かい》
尾《び》生《せい》の信
入社の辞
東京小品
芸術その他
我《が》鬼《き》窟《くつ》日録
注 釈
きりしとほろ《*》上《しよう》人《にん》伝《でん》
小 序
これは予がかつて三田文学誌上に掲《けい》載《さい》した「奉《ほう》教《きよう》人《にん》の死」と同じく、予が所蔵の切《きり》支《し》丹《たん》版《*》「れげんだ・おうれあ」の一章に、多少の潤《じゆん》色《しよく》を加えたものである。ただし「奉教人の死」は本《ほん》邦《ぽう》西《せい》教《きよう》徒《と》の逸《いつ》事《じ》であったが、「きりしとほろ上《しよう》人《にん》伝《でん》」は古来あまねく欧《おう》洲《しゆう》天主教国に流《る》布《ふ》した聖《しよう》人《にん》行状記の一種であるから、予の「れげんだ・おうれあ」の紹《しよう》介《かい》も、彼《ひ》是《し》相《あい》俟《ま》って始めて全《ぜん》豹《ぴよう》を彷《ほう》彿《ふつ》することができるかもしれない。
伝中ほとんど滑《こつ》稽《けい》に近い時代錯《さく》誤《ご》や場所錯誤が続出するが、予は原文の時代色をそこなうまいとした結果、わざとなんらの筆《ひつ》削《さく》をも施《ほどこ》さないことにした。大《たい》方《ほう》の諸君子にして、予が常識の有《う》無《む》を疑われなければ幸《こう》甚《じん》である。
一 山ずまいのこと
遠い昔《むかし》のことでおじゃる。「しりあ」の国の山《やま》奥《おく》に、「れぷろぼす」と申す山男がおじゃった。そのころ「れぷろぼす」ほどな大男は、御《おん》主《あるじ》の日輪の照らさせ給《たま》う天《あめ》が下はひろしと言え、絶えて一人もおりなかったと申す。まず身の丈《たけ》は三丈《じよう》あまりもおじゃろうか。葡《え》萄《び》蔓《かずら》かとも見ゆる髪《かみ》の中には、いたいけな四《し》十《じゆう》雀《から》が何羽とも知れず巣《す》食うておった。まいて手足はさながら深《み》山《やま》の松《まつ》檜《ひのき》にまごうて、足音は七つの谷々にも谺《こだま》するばかりでおじゃる。さればその日の糧《かて》をあさろうにも、鹿《しか》熊《くま》なんどのたぐいをとりひしぐは、指の先の一ひねりじゃ、または折りふし海べに下り立って、すなどろうと思う時も、海《み》松《る》房《ぶさ》ほどな髯《ひげ》のたれた顋《おとがい》をひたと砂につけて、あるほどの水を一吸い吸えば、鯛《たい》も鰹《かつお》も尾《お》鰭《ひれ》をふるうて、ざわざわと口へ流れこんだ。じゃによって沖《おき》を通る廻《かい》船《せん》さえ、時ならぬ潮のさしひきに漂《ただよ》わされて、水《か》夫《こ》楫《かん》取《どり》のあわてふためく事もおじゃったと申し伝えた。
なれど「れぷろぼす」は、性《しよう》得《とく》心根のやさしいものでおじゃれば、山ずまいの杣《そま》猟夫《かりゆうど》はもとより、往来の旅人にも害を加えたと申す事はおりない。かえって杣《そま》の伐《き》りあぐんだ樹《き》は推し倒《たお》し、猟夫《かりゆうど》の追い失うた毛物はとっておさえ、旅人の負いなやんだ荷は肩《かた》にかけて、なにかと親切をつくいたれば、遠《おち》近《こち》の山里でもこの山男を憎《にく》もうずものは、誰《たれ》一人おりなかった。中にもとある一村《むら》では、羊《ひつじ》飼《か》いのわらんべが行き方《がた》知れずになったおりから、夜さりそのわらんべの親が家の引き窓を推し開くものがあったれば、驚《おどろ》きまどうて上を見たに、箕《みの》ほどな「れぷろぼす」の掌《たなごころ》が、よく眠《ね》入《い》ったわらんべをかいのせて、星空の下から悠《ゆう》々《ゆう》と下りてきたこともおじゃると申す。何と山男にも似合うまじい、殊《しゆ》勝《しよう》な心映えではおじゃるまいか。
されば山《やま》賤《がつ》たちも「れぷろぼす」に出合えば、餅や酒などをふるもうて、へだてなく語ろうことも度《ど》々《ど》おじゃった。さるほどにある日のこと、杣《そま》の一むれが樹を伐《き》ろうずとて、檜《ひのき》山《やま》ふかくわけ入ったに、この山男がのさのさと熊《くま》笹《ざさ》の奥《おく》から現われたれば、もてなし心に落ち葉を焚《た》いて、徳利《とつくり》の酒を暖めてとらせた。その滴《しずく》ほどな徳利の酒さえ、「れぷろぼす」は大きに悦《よろこ》んだけしきで、頭の中に巣食うた四《し》十《じゆう》雀《から》にも、杣たちの食《は》み残《のこ》いた飯をばらまいてとらせながら、大あぐらをかいて申したは、
「それがしも人間と生まれたれば、あっぱれ功名手がらをも致《いた》いて、末は大《だい》名《みよう》ともなろうずる」と言えば、杣たちも打ち興じて、
「道理《ことわり》かな。おぬしほどの力量があれば、城の二つ三つも攻《せ》め落とそうは、片《かた》手《て》業《わざ》にも足るまじい」と言うた。その時「れぷろぼす」が、ちともの案ずる体で申すようは、
「なれどここに一つ、難《なん》儀《ぎ》なことがおじゃる。それがしは日ごろ山ずまいのみ致いておれば、どの殿《との》の旗本に立って、合《かつ》戦《せん》を仕《つかまつ》ろうやら、とんと分別を致そうようもござない。ついては当《とう》今《こん》天《てん》下《が》無《む》双《そう》の強《つわ》者《もの》と申すは、いずくの国の大将でござろうぞ。誰にもあれそれがしは、その殿の馬前に馳《は》せ参じて、忠節をつくそうずる」と問うたれば、
「さればその事でおじゃる。まずわれらが量見にては、今天《あめ》が下に『あんちおきや《*》』の帝《みかど》ほど、武勇に富んだ大将もおじゃるまい」と答えた。山男はそれを聞いて、斜《なな》めならず悦びながら、
「さらばすぐさま、打ち立とうず」とて、小山のような身を起こいたが、ここに不思議がおじゃったと申すは、頭の中に巣食うた四十雀が、一時にけたたましい羽音を残いて、空に網《あみ》を張った森の梢《こずえ》へ、雛《ひな》も余さず飛び立ってしもうたことじゃ。それが斜めに枝《えだ》を延《のば》いた檜《ひのき》のうらに上《のぼ》ったれば、とんとその樹《き》は四《し》十《じゆう》雀《から》が実のったようじゃとも申そうず。「れぷろぼす」はこの四十雀のふるまいを、訝《いぶか》しげな眼《まなこ》で眺めておったが、やがてまた初《しよ》一《いち》念《ねん》を思い起こいた顔色で、足もとにつどうた杣《そま》たちにねんごろな別れをつげてから、ふたたび森の熊《くま》笹《ざさ》を踏《ふ》み開いて、もと来たようにのしのしと、山《やま》奥《おく》へ独《ひと》り往《い》んでしもうた。
されば「れぷろぼす」が大名になろうず願望がことは、間もなく遠《おち》近《こち》の山里にも知れ渡《わた》ったが、ほど経てまたかような噂《うわさ》が、風のたよりに伝わって参った。と申すは国ざかいの湖で、おおぜいの漁夫《りようし》たちが泥《どろ》に吸われた大船をひきなずんでおったところに、怪《あや》しげな山男がどこからか現われて、その船の帆《ほ》柱《ばしら》をむずとつかんだと見てあれば、苦もなく岸へひきよせて、一同の驚《おどろ》きあきれるひまに、早くも姿をかくしたという噂じゃ。じゃによって「れぷろぼす」を見知ったほどの山《やま》賤《がつ》たちは、皆この情ぶかい山男が、いよいよ「しりや」の国《こく》中《ちゆう》から退散したことを悟《さと》ったれば、西空に屏《びよう》風《ぶ》を立てまわしたや山々の峯《みね》を仰《あお》ぐごとに、限りない名《な》残《ご》りが惜《お》しまれて、おのずからため息がもれたと申す。まいてあの羊《ひつじ》飼《か》いのわらんべなどは、夕日が山かげに沈《しず》もうず時は、必ず村はずれの一《いつ》本《ぽん》杉《すぎ》にたかだかとよじのぼって、下につどうた羊のむれも忘れたように、「れぷろぼす」恋しや、山を越えてどち行ったと、かなしげな声で呼びつづけた。さてその後《のち》「れぷろぼす」が、いかなる仕合わせにめぐり合うたか、右の一条を知ろうず方々はまず次のくだりを読ませられい。
二 俄《にわか》大《だい》名《みよう》のこと
さるほどに「れぷろぼす」は、難なく「あんちおきや」の城《じよう》裡《り》に参ったが、田舎《いなか》の山里とはこと変わり、この「あんちおきや」の都と申すは、このころ天《あめ》が下に並びない繁《はん》華《か》の土地がらゆえ、山男が巷《ちまた》へはいるや否や、見物の男《なん》女《によ》おびただしゅうむらがって、はては通行することもできまじいと思われた。されば「れぷろぼす」もとんと行こうず方角を失うて、人彼に腰《こし》を揉《も》まれながら、とある大《だい》名《みよう》小路《こうじ》の辻《つじ》に立ちすくんでしもうたに、おりよくそこへ来かかったは、帝《みかど》の御《ぎよ》輦《れん》をとりまいた、侍《さむらい》たちの行列じゃ。見物の群《ぐん》集《じゆ》はこれに先を追われて、山男を一人残いたまま、見る見る四方へ遠のいてしもうた。じゃによって「れぷろぼす」は、大《だい》象《ぞう》の足にもまがおうずしたたかな手を大《だい》地《じ》について、御輦の前に頭《かしら》を下げながら、
「これは『れぷろぼす』と申す山男でござるが、ただいま『あんちおきや』の帝《みかど》は、天《てん》下《が》無《む》双《そう》の大将と承り、ご奉《ほう》公《こう》申そうずとて、はるばるこれまでまかりのぼった」と申し入れた。これよりさき、帝の同《どう》勢《ぜい》も、「れぷろぼす」の姿に胆《きも》をけして、先《さき》手《て》はすでに槍《やり》薙刀《なぎなた》の鞘《さや》をも払おうずけしきであったが、この殊《しゆ》勝《しよう》なことばを聞いて、異心もあるまじいものと思いつろう、とりあえず行列をそこにとどめて、供《とも》頭《がしら》の口からその趣《おもむき》をしかじかと帝《みかど》へ奏聞した。帝はこれを聞こし召《め》されて、
「かほどの大男のことなれば、一《いち》定《じよう》武勇も人に超《こ》えつろう。召しかかえてとらせい」と、仰《おお》せられたれば、格別の詮《せん》議《ぎ》とあって、すぐさま同《どう》勢《ぜい》のうちへ加えられた。「れぷろぼす」の悦《よろこ》びは申すまでもあるまじい。じゃによって帝の行列の後ろから、三十人の力士もえ舁《か》くまじい長《なが》櫃《びつ》十《と》棹《さお》の宰《さい》領《りよう》を承って、ほど近い御所の門まで、鼻たかだかと御《おん》供《とも》仕った。まことこの時の「れぷろぼす」が、山ほどな長《なが》櫃《びつ》を肩にかけて、行列の人馬を目の下に見下しながら、大手をふってまかり通った異《い》形《ぎよう》奇《き》体《たい》の姿こそ、目ざましいものでおじゃったろう。
さてこれより「れぷろぼす」は、漆《うるし》紋《もん》の麻《あさ》裃《がみしも》で朱《しゆ》鞘《ざや》の長《なが》刀《がたな》を横たえて、朝夕「あんちおきや」の帝の御所を守護する役者の身となったが、幸いここに功名手がらをあらわそうず時節が到《とう》来《らい》したと申すは、ほどなく隣《りん》国《こく》の大軍がこの都を攻めとろうと、一度に押し寄せて参ったことじゃ。元来この隣国の大将は、獅《し》子《し》王《おう》をも手打ちにすると聞こえた、万《ばん》夫《ぷ》不《ふ》当《とう》の剛《ごう》の者でおじゃれば、「あんちおきや」の帝とても、なおざりの合《かつ》戦《せん》はなるまじい。じゃによって今度の先《さき》手《て》は、今まいりながら「れぷろぼす」に仰《おお》せつけられ、帝はおんみずから本《ほん》陣《じん》に御《ぎよ》輦《れん》をすすめて、号令をつかさどられることとなった。この采《さい》配《はい》を承った「れぷろぼす」が、悦《よろこ》び身にあまりて、足の踏《ふ》みども覚えなんだは、毛頭無理もおじゃるまい。
やがて味方も整えば、帝は、「れぷろぼす」をまっさきに、貝《かい》金《がね》陣《じん》太《だい》鼓《こ》の音も勇ましゅう、国ざかいの野原に繰《く》り出《いだ》された。かくと見た敵の軍勢は、もとより望むところの合戦じゃによって、なじかは寸刻もためらおう。野原を蔽《おお》うた旗《はた》差《さし》物《もの》が、にわかに波立ったと見てあれば、一度にどっと鬨《とき》をつくって、今にも懸《か》け合わそうずけしきに見えた。この時「あんちおきや」の人《にん》数《ず》の中より、一人悠《ゆう》々《ゆう》と進み出《だ》いたは別人でもない「れぷろぼす」じゃ。山男がこの日の出で立ちは、水牛の兜《かぶと》に南《なん》蛮《ばん》鉄《てつ》の鎧《よろい》を着《き》下《おろ》いて、刃《は》渡《わた》り七尺の大《おお》薙《なぎ》刀《なた》を柄《え》みじかにおっとったれば、さながら城の天主に魂《たましい》が宿って、大地も狭《せま》しと揺《ゆる》ぎ出《いだ》いたごとくでおじゃる。さるほどに「れぷろぼす」は両軍のただ中に立ちはだかると、その大《おお》薙《なぎ》刀《なた》をさしかざいて、はるかに敵勢を招きながら、雷《いかずち》のような声で呼ばわったは、
「遠からんものは音にも聞け、近くばよって目にも見よ。これは『あんちおきや』の帝《みかど》が陣《じん》中《ちゆう》に、さるものありと知られたる『れぷろぼす』と申す剛《ごう》の者じゃ。かたじけなくも今《こん》日《にち》は先《さき》手《て》の大将を承り、ここに軍を出《いだ》いたれば、われと思おうずるものどもは、近う寄って勝負せよやっ」と申した。その武《む》者《しや》ぶりのすさまじきは、昔「ぺりして《*》」の豪《ごう》傑《けつ》に「ごりあて《*》」と聞こえたが、鱗《うろこ》綴《とじ》の大《おお》鎧《よろい》に銅《あかがね》の矛《ほこ》をひっさげて、百万の大軍を叱《しつ》咤《た》したにも、劣《おと》るまじいと見えたれば、さすが隣《りん》国《こく》の精兵たちも、しばしがほどは鳴りを静めて、出で合おうずものもおりなかった。じゃによって敵の大将も、この山男を討たいでは、かなうまじいと思いつろう。美《び》々《び》しい物の具に三尺の太《た》刀《ち》をぬきかざいて、竜《りゆう》馬《め》に泡を食《は》ませながら、これも大《だい》音《おん》に名乗りあげて、まっしぐらに「れぷろぼす」へ打ってかかった。なれどもこなたはものともせいで、大薙刀をとりのべながら、二太刀三太刀あしろうたが、やがて得《え》物《もの》をからりと捨てて、猿《えん》臂《び》をのばいたと見るほどに、早くも敵の大将を鞍《くら》壷《つぼ》からひきぬいて、目もはるかな大空へ、礫《つぶて》のごとく投げ飛ばいた。その敵の大将がきりきりと宙に舞《ま》いながら、味方の陣中へどうと落ちて、乱《ら》離《り》骨《こつ》灰《ぱい》になったのと、「あんちおきや」の同勢が鯨《と》彼《き》の声をとどろかいて、帝《みかど》の御《ぎよ》輦《れん》を中にとりこめ、雪崩《なだれ》のごとく攻めかかったのとが、間《かん》に髪《はつ》をも入れまじい、ほとんど同時の働きじゃ。されば隣国の軍勢は、一たまりもなく浮《う》き足立って、武具馬具のたぐいをなげ捨てながら、四《し》分《ぶん》五《ご》裂《れつ》に落ち失《う》せてしもうた。まことや「あんちおきや」の帝《みかど》がこの日の大勝利は、味方の手にとった兜《かぶと》首《くび》の数ばかりも、一年の日《ひ》数《かず》よりは多かったと申すことでおじゃる。
じゃによって帝は御《おん》悦《よろこ》び斜《なな》めならず、めでたく凱《がい》歌《か》のうちに軍《いくさ》をめぐらされたが、やがて「れぷろぼす」には大《だい》名《みよう》の位を加えられ、その上諸臣にもいちいち勝利の宴《えん》を賜《たま》わって、ねんごろに勲《くん》功《こう》をねぎらわれた。その勝利の宴を賜わった夜のことと思《おぼ》し召されい。当時国々の形《かた》儀《ぎ》とあって、その夜も高《こう》名《みよう》な琵《び》琶《わ》法《ほう》師《し》が、大《おお》燭《しよく》台《だい》の火の下に節おもしろう絃《いと》を調じて、今《いま》昔《むかし》の合戦《かつせん》のありさまを、手にとるごとく物語った。この時「れぷろぼす」は、かねての大願を成《じよう》就《じゆ》したことでおじゃれは、涎《よだれ》もたれようずばかり笑《え》み傾《かたむ》いて、余念もなく珍《ちん》陀《だ》の酒《*》を酌《く》みかわいてあったところに、ふと酔《よ》うた眼にもとまったは、錦《にしき》の幔《まん》幕《まく》を張り渡《わた》いた正面の御《ぎよ》座《ざ》にわせられる帝の異《い》なおんふるまいじゃ。なぜと申せば、検《けん》校《ぎよう》のうたう物語のうちに、悪魔《じやぼ》と言うことばがおじゃると思えば、帝はあわただしゅう御《おん》手《て》をあげて、必ず十字の印《いん》を切らせられた。そのおんふるまいが怪《け》しからずものものしげに見えたれば、「れぷろぼす」は同席の侍《さむらい》に、
「なんとして帝《みかど》は、あのように十字の印を切らせられるぞ」と、卒《そつ》爾《じ》ながら尋《たず》ねてみた。ところがその侍の答えたは、
「総じて悪魔《じやぼ*》と申すものは、天《あめ》が下の人間をも掌《たなごころ》にのせてもてあそぶ、大力量のものでおじゃる。じゃによって帝も、悪魔の障《しよう》碍《げ》を払おうずと思《おぼ》し召《め》され、再三十字の印を切って、御《おん》身《み》を守らせ給うのじゃ」と申した。「れぷろぼす」はこれを聞いて、迂《う》論《ろん》げにまた問い返したは、
「なれど今『あんちおきや』の帝《みかど》は、天が下に並《なら》びない大《だい》剛《ごう》の大将と承った。されば悪魔《じやぼ》も帝の御身には、一指をだに加えまじい」と申したが、侍《さむらい》は首をふって、
「いや、いや、帝も、悪魔ほどのご威《い》勢《せい》はおじゃるまい」と答えた。山男はこの答えを聞くや否や、大いに憤《いきどお》って申したは、
「それがかしが帝に随《ずい》身《じん》し奉《たてまつ》ったは、天下無《む》双《そう》の強《つわ》者《もの》は帝じゃと承ったゆえでおじゃる。しかるにその帝さえ、悪魔《じやぼ》には腰を曲げられるとあるなれば、それがしはこれよりまかり出でて、悪魔の臣下と相成ろうず」と喚《わめ》きながら、ただちに珍《ちん》陀《だ》の盃《さかずき》をなげうって、立ち上がろうと致《いた》いたれば、一座の侍はさらいでも、「れぷろぼす」が今度の功名を妬《ねた》ましゅう思うておったによって、
「すわ、山男が謀《む》叛《ほん》するわ」と異口同音にののしり騒《さわ》いで、やにわに四方八方から搦《から》めとろうと競い立った。もとより「れぷろぼす」も日ごろならば、そうなくこの侍たちに組みとめらりょうはずもあるまじい。なれどもその夜は珍《ちん》陀《だ》の酔《えい》に前後も不覚の体《てい》じゃによって、しばしがほどこそ多勢を相手に、組んずほぐれつ、揉《も》み合うてもおったが、やがて足をふみすべらいて、思わずどうとまろんだれば、えたりやおうと侍だちは、いやが上にも折り重なって、怒《いか》り狂《くる》う「れぷろぼす」を高手小手にくくり上げた。帝《みかど》もことの体たらくを始終残らずご覧《ろう》ぜられ、
「恩を讐《あだ》で返すにっくいやつめ、匆《そう》々《そう》土の牢《ろう》へ投げ入れい」と、大いに逆《げき》鱗《りん》あったによって、あわれや「れぷろぼす」はその夜のうちに、見るもいぶせい地の底の牢舎へ、禁《きん》獄《ごく》せられる身の上となった。さてこの「あんちおきや」の牢内に囚《とら》われとなった「れぷろぼす」が、その後いかなる仕合わせにめぐり合うたか、右の一条を知ろうず方々は、まず次のくだりを読ませられい。
三 魔《ま》往来のこと
さるほどに「れぷろぼす」は、いまだ縄《なわ》目《め》もゆるされいで、土の牢の暗《やみ》の底へ、投げ入れられたことでおじゃれば、しばしがほどは赤子のように、ただおうおうと声を上げて、泣き喚《わめ》くよりほかはおりなかった。その時いずくよりとも知らず、緋《ひ》の袍《ころも》をまとうた学《がく》匠《しよう》が、忽《こつ》然《ねん》と姿を現わいて、やさしげに問いかけたは、
「いかに『れぷろぼす』。おぬしはなんとして、かような所におるぞ」とあったれば、山男は今さらながら滝《たき》のように涙《なみだ》を流いて、
「それがしは、帝《みかど》に背《そむ》き奉《たてまつ》って、悪魔《じやぼ》に仕えようずと申したれば、かように牢《ろう》舎《しや》致《いた》されたのでおじゃる。おう、おう、おう」と歎《なげ》き立てた。学匠はこれを聞いて、ふたたびやさしげに尋《たず》ねたは、
「さらばおぬしは、今もなお悪魔に仕えようず望みがおりゃるか」と申すに、「れぷろぼす」は頭《こうべ》を竪《たて》に動かいて、
「今もなお、仕えようずる」と答えた。学匠は大いにこの返事を悦《よろこ》んで、土の牢も鳴りどよむばかり、からからと笑い興じたが、やがて三たびやさしげに申したは、
「おぬしの所《しよ》望《もう》は、近ごろ殊《しよ》勝《しよう》千《せん》万《ばん》じゃによって、これよりただちに牢舎を赦《ゆる》いてとらそうずる」とあって、身にまとうた緋《ひ》の袍《ころも》を、「れぷろぼす」が上に蔽《おお》うたれば、不思議や総《そう》身《み》の縛《いまし》めは、ことごとくはらりと切れてしもうた。山男の驚《おど》きは申すまでもあるまじい。されば恐《おそ》る恐る身を起こいて、学《がく》匠《しよう》の顔を見上げながら、慇《いん》懃《ぎん》に礼を為《な》いて申したは、
「それがしが縄《なわ》目《め》を赦《ゆる》いてたまわったご恩は、生《しよう》々《じよう》世《よ》々《よ》忘《ぼう》却《きやく》つかまつるまじい。なれどもこの土の牢をば、なんとして忍《しの》び出で申そうずる」と言うた。学匠はこの時またえせ笑いをして、
「こうすべいに、なじかは難かろう」と申しも果てず、やにわに緋《ひ》の袍《ころも》の袖《そで》をひらいて、「れぷろぼす」を小《こ》脇《わき》に抱《いだ》いたれば、見る見る足もとが暗うなって、もの狂《くる》おしい一《いち》陣《じん》の風が吹き起こったと思うほどに、二人はいつか宙を踏《ふ》んで、牢《ろう》舎《しや》を後に瓢《ひよう》々《ひよう》と「あんちおきや」の都の夜空へ、火花を飛ばいて舞《ま》いあがった。まことやその時は学匠の姿も、おりから沈《しず》もうず月を背負うて、さながら怪《あや》しげな大《おお》蝙《かわ》蝠《ほり》が、黒《くろ》雲《くも》の翼《つばさ》を一文字に飛《ひ》行《ぎよう》するごとく見えたと申す。
されば「れぷろぼす」はいよいよ胆《きも》を消《け》いて、学匠もろとも中《なか》空《ぞら》を射る矢のように翔《かけ》りながら、おののく声で尋《たず》ねたは、
「そもそもごへんは、何《なん》人《びと》でおじゃろうぞ。ごへんほどな大《だい》神《じん》通《ずう》の博士《はかせ》は、世にもまたとあるまじいと覚ゆる」と申したに、学匠はたちまち底気味悪いほくそ笑みを洩《も》らしながら、わざとさりげない声で答えたは、
「何を隠《かく》そう、われらは、天《あめ》が下の人間を掌《たなごころ》にのせてもてあそぶ、大力量の剛《ごう》の者じゃ」とあったによって、「れぷろぼす」は始めて学匠の本《ほん》性《しよう》が、悪魔《じやぼ》じゃと申すことに合《が》点《てん》が参った。さるほどに悪魔はこの問答の間さえ、妖《よう》霊《れい》星《ぼし》の流れるごとく、ひた走りに宙を走ったれば、「あんちおきや」の都の灯火《ともしび》も、今ははるかな闇《やみ》の底に沈みはてて、やがて足もとに浮《う》かんで参ったは、音に聞く「えじっと」の沙《さ》漠《ばく》でおじゃろう。幾《いく》百《ひやく》里《り》とも知れまじい砂の原が、有《あり》明《あけ》の月の光の中にも白《しら》々《じら》と見え渡《わた》った。この時学匠は爪《つま》長《なが》な指をのべて、下界をゆびさしながら申したは、
「かしこの藁《わら》家《や》には、さる有《う》験《げん》の隠《いん》者《じや》が住居《すまい》致いておると聞いた。まずあの屋根の上に下ろうずる」とあって、「れぷろぼす」を小《こ》脇《わき》に抱いたまま、とある沙《すな》山《やま》陰《かげ》のあばら屋の棟へ、ひらひらと空から舞《ま》い下った。
こなたはそのあばら家に行ないすまいておった隠《いん》者《じや》の翁《おきな》じゃ。おりから夜ふけたのも知らず、油火のかすかな光のもとで、御《おん》経《きよう》を読《どく》誦《じゆ》し奉《たてまつ》っておったが、たちまちえならぬ香《こう》風《ふう》が吹《ふ》き渡《わた》って、雪にも紛《まが》おうず桜《さくら》の花が紛々と翻《ひるがえ》り出《いだ》いたと思えば、いずくよりともなく一人の傾《けい》城《せい》が、鼈《べつ》甲《こう》の櫛《くし》笄《こうがい》を円光のごとくさしないて、地《じ》獄《ごく》絵《え》を繍《ぬ》うた襠《うちかけ》の裳《もすそ》を長々とひきはえながら、天《てん》女《によ》のような媚《こび》を凝《こ》らして、夢《ゆめ》かとばかり眼の前へ現われた。翁はさながら「えじっと」の沙《さ》漠《ばく》が、片《かた》時《とき》のうちに室《むろ》神《かん》崎《ざき*》の廓《くるわ》に変わったとも思いつろう。あまりの不思議さに我を忘れて、しばしがほどはほれぼれと傾城の姿を見守っておったに、相手はやがて花《はな》吹雪《ふぶき》を身に浴びながら、にっこと微《ほほ》笑《え》んで申したは、
「これは『あんちおきや』の都に隠《かく》れもない遊びでおじゃる。近ごろ御《ご》僧《そう》のつれづれを慰《なぐさ》めまいらしようと存じたれば、はるばるこれまでまかり下った」とあった。その声《こわ》ざまの美しさは、極楽に棲《す》むとやら承った伽《か》陵《りよう》頻《びん》伽《が*》にも劣《おと》るまじい。さればさすがに有《う》験《げん》の隠者もうかとその手に乗ろうとしたが、思えばこの真夜中に幾《いく》百《ひやく》里《り》とも知らぬ「あんちおきや」の都から、傾《けい》城《せい》などの来ようはずもおじゃらぬ。さてはまたしても悪魔《じやぼ》めの悪《わる》巧《だく》みであろうずと心づいたによって、ひたと御《おん》経《きよう》に眼をさらしながら、専念に陀《だ》羅《ら》尼《に》を誦《ず》し奉《たてまつ》っておったに、傾城はかまえてこの隠《いん》者《じや》の翁《おきな》を落とそうと心にきわめつろう。蘭《らん》麝《じや》の薫《かおり》を漂わせた綺《き》羅《ら》の袂《たもと》をもてあそびながら、嫋《たよ》々《たよ》としたさまで、さも恨《うら》めしげに歎《なげ》いたは、
「いかに遊びの身とは申せ、千里の山《さん》河《か》もいとわいで、この沙漠までまかり下ったを、さりとは曲もない御《おん》方《かた》かな」と申した。その姿の妙《たえ》にも美しいことは、散りし桜《さくら》の花の色さえ消えようずると思われたが、隠者の翁は遍《へん》身《しん》に汗《あせ》を流いて、隆《ごう》魔《ま》の呪《じゆ》文《もん》を読みかけ読みかけ、かつふつその悪魔《じやぼ》の申す事に耳を借そうず気《け》色《しき》すらおりない。されば傾《けい》城《せい》もかくてはなるまじいと気を苛《いら》ったか、つと地《じ》獄《ごく》絵《え》の裳《もすそ》を翻《ひるがえ》して、斜《ななめ》めに隠者の膝《ひざ》へすがったと思えば、
「なんとしてさほどつれないぞ」と、よよとばかりに泣い口《く》説《ど》いた。と見るや否や隠者の翁は、蝎《さそり》に刺《さ》されたように躍《おど》り上がったが、早くも肌《はだ》身《み》につけた十《く》字《る》架《す》をかざいて霹《はた》靂《たがみ》のごとくののしったは、「業《ごう》畜《ちく》、御《おん》主《あるじ》『えす・きりしと』の下《しも》部《べ》に向かって無《む》礼《らい》あるまじいぞ」と申しも果てず、ちょうと傾城の面《おもて》を打った。打たれた傾城は落花の中に、なよなよと伏《ふ》しまろんだが、たちまちその姿は見えずなって、ただ一むらの黒《くろ》雲《くも》が湧《わ》き起こったと思うほどに、怪《あや》しげな火花の雨が礫《つぶて》のごとく乱れ飛んで、
「あら、痛や。またしても十《く》字《る》架《す》に打たれたわ」と唸《うめ》く声が、しだいに家の棟《むね》にのぼって消えた。もとより隠《いん》者《じや》はこうあろうと心に期《ご》しておったによって、この間も秘密の真《しん》言《ごん》を絶えず声《こわ》高《だか》に誦《ず》し奉《たてまつ》ったに、見る見る黒雲も薄《うす》れれば、桜の花も降らずなって、あばら家の中にはまたもとのごとく、油火ばかりが残ったと申す。
なれど隠者は悪魔《じやぼ》の障《しよう》碍《げ》がなおもあるべいと思うたれば、夜もすがら御《おん》経《きよう》の力にすがり奉って、目《ま》蓋《ぶた》も合わさいで明かいたに、やがてしらしら明けと覚しいころ、誰やら柴《しば》の扉《とぼそ》をおとずれるものがあったによって、十《く》字《る》架《す》を片手に立ち出でて見たれば、これはまたなんぞや、藁《わら》家《や》の前にうずくまって、恭《うやうや》しげに時《じ》儀《ぎ》を致《いた》いておったは、天から降ったか、地《じ》から湧《わ》いたか、小山のような大男じゃ。それが早くも朱《あけ》を流いた空を黒々と肩《かた》にかぎって、隠者の前に頭《かしら》を下げると、恐《おそ》る恐る申したは、
「それがしは『れぷろぼす』と申す『しりや』の国の山男でおじゃる。ちかごろふっと悪魔《じやぼ》の下《しも》部《べ》と相成って、はるばるこの『えじっと』の沙《さ》漠《ばく》まで参ったれど、悪魔《じやぼ》も御《おん》主《あるじ》『えす・きりしと』とやらんのご威《い》光《こう》には叶《かな》いがたく、それがし一人を残しおいて、いずくともなく逐《ちく》天《てん》致いた。自体それがしは今天《あめ》が下に並《なら》びない大《だい》剛《ごう》の者を尋《たず》ね出《いだ》いて、その身内に仕えようずる志がおじゃるによって、なにとぞこれより後はふつつかながら、御《おん》主《あるじ》『えす・きりしと』の下部の数へ御《おん》加えくだされい」と言うた。隠者の翁《おき》はこれを聞くと、あばら家の門にたたずみながら、にわかに眉《まゆ》をひそめて答えたは、
「はてさて、せんない仕《し》宜《ぎ》になられたものかな。総じて悪魔《じやぼ》の下部となったものは、枯《か》れ木に薔《ば》薇《ら》の花が咲こうずるまで、御《おん》主《あるじ》『えす・きりしと』に知《ち》遇《ぐう》し奉《たてまつ》る時はござない」とあったに、「れぷろぼす」はまたねんごろに頭《かしら》を下げて、
「たとえ幾《いく》千《せん》歳《ざい》を経ようするとも、それがしは初一念を貫《つらぬ》こうずと決《けつ》定《じよう》致いた。さればまず御《おん》主《あるじ》『えす・きりしと』の御《み》意《こころ》に叶うべい仕《し》業《わざ》の段々を教えられい」と申した。ところで隠《いん》者《じや》の翁《おきな》と山男との問には、かような問答がしかつめらしゅうとりかわされたと申すことでおじゃる。
「ごへんは御《おん》経《きよう》の文句を心得られたか」
「あいにく一字半句の心得もござない」
「ならは断《だん》食《じき》はでき申そうず」
「いかなこと、それがしは聞こえた大《おお》飯《めし》食《くら》いでおじゃる。なかなか断食などはなるまじい」
「難《なん》儀《ぎ》かな。夜もすがら眠らいでおることはいかがであろう」
「いかなこと、それがしは聞こえた大《おお》寝《ね》坊《ぼう》でおじゃる。なかなか眠らいではおられまじい」
それにはさすがの隠者の翁も、ほとほとことばのつぎ穂《ほ》さえおじゃらなんだが、やがて掌《たなごころ》をはたと打って、したり顔に申したは、
「ここを南に去ること一里がほどに、流《りゆう》沙《さ》河《が*》と申す大河がおじゃる。この河《かわ》は水《み》嵩《かさ》も多く、流れも矢を射るごとくじゃによって、日ごろから人馬の渡《わた》りに難儀致すとか承った。なれどごへんほどの大男には、たやすく徒《かち》渉《わた》りさえなろうずる。さればごへんはこれよりこの河の渡《わた》し守《もり》となって、往来の諸人を渡させられい。おのれ人に篤《あつ》ければ、天主もまたおのれに篤かろう道理《ことわり》じゃ」とあったに、大男は大いに勇み立って、
「いかにも、その流沙河とやらの渡し守になり申そうずる」と言うた。じゃによって隠《いん》者《じや》の翁も、「れぷろぼす」が殊《しゆ》勝《しよう》な志をことのほか悦《よろこ》んで、
「しからばただいま、御《おん》水《みず》を授け申そうずる」とあって、おのれは水《みず》瓶《がめ》をかい抱《いだ》きながら、もそもそと藁《わら》家《や》の棟《むね》へ這《は》い上がって、ようやく山男の頭《かしら》の上へその水瓶の水を注ぎ下いた。ここに不思議がおじゃったと申すは、得度の御儀式が終わりも果てず、おりからさし上った日輪の爛《らん》々《らん》と輝《かがや》いたまっただなかから、何やら雲気がたなびいたかと思えば、たちまちそれが数限りもない四《し》十《じゆう》雀《から》の群れとなって、空にそびえた「れぷろぼす」が叢《くさむら》ほどな頭《かしら》の上へ、ばらばらと舞《ま》い下ったことじゃ。この不思議を見た隠者の翁は、思わず御水を授けようず方角さえも忘れはてて、うっとりと朝日を仰《あお》いでおったが、やがて恭《うやうや》しく天上を伏《ふ》し拝むと、家の棟《むね》から「れぷろぼす」をさし招いて、
「もったいなくも御《おん》水《みず》をいただかれた上からは、向《こう》後《ご》『れぷろぼす』を改めて『きりしとほろ』と名のらせられい。思うに天主もごへんの信心を深う嘉《よみ》させ給うと見えたれば、万一勤《ごん》行《ぎよう》に懈《けた》怠《い》あるまじいにおいては、必《ひつ》定《じよう》遠からず御《おん》主《あるじ》『えす・きりしと』のご尊体をも拝み奉《たてまつ》ろうずる」と言うた。さて「きりしとほろ」と名を改めた「れぷろぼす」が、その後いかなる仕合わせにめぐり合うたか、右の一条を知ろうず方々はまず次のくだりを読ませられい。
四 往生のこと
さるほどに「きりしとほろ」は隠《いん》者《じや》の翁《おきな》に別れを告げて、流《りゆう》沙《さ》河《が》のほとりに参ったれば、まことに濁《だく》流《りゆう》滾《こん》々《こん》として、岸べの青《あお》蘆《あし》を戦《そよ》がせながら、百里の波を翻《ひるがえ》すありさまは、容易《たやす》く舟さえ通うまじい。なれど山男は身の丈《たけ》およそ三丈《じよう》あまりもおじゃるほどに、河の真っただ中を越《こ》す時さえ、水はわずかに臍《ほぞ》のあたりを渦《うず》巻《ま》きながら流れるばかりじゃ。されば「きりしとほろ」はこの河べに、ささやかながら庵《いおり》を結んで、時おり渡《わた》りに難《なや》むと見えた旅人の影《かげ》が眼に触《ふ》れれば、すぐさまそのほとりへ歩み寄って、「これはこの流沙河の渡《わた》し守《もり》でおじゃる」と申し入れた。もとより並《な》み並みの旅人は、山男の恐《おそ》ろしげな姿を見ると、いかなる天《てん》魔《ま》波《は》旬《じゆん》かと始めは胆《きも》を消《け》いて逃《に》げのいたが、やがてその心《こころ》根《ね》のやさしさもとくと合《が》点《てん》行って、「しからばお世話に相成ろうず」と、おずおず「きりしとほろ」の背にのぼるが常じゃ。ところで「きりしとほろ」は旅人を肩《かた》へゆり上げると、いつも汀《みぎわ》の柳《やなぎ》を根こぎにしたしたたかな杖《つえ》をつき立てながら、逆巻く流れをことともせず、ざんざざんざと水を分けて、難なく向こうの岸へ渡いた。しかもあの四《し》十《じゆう》雀《から》は、その間さえ何羽となく、さながら楊《よう》花《か》の飛びちるように、絶えず「きりしとほろ」の頭《かしら》をめぐって、うれしげに囀《さえず》り交《か》わいたと申す。まことや「きりしとほろ」が信心のかたじけなさには、無心の小鳥も随《ずい》喜《き》の思いにえ堪《た》えなんだのでおじゃろうず。
かよう致《いた》いて「きりしとほろ」は、雨風も厭《いと》わず三年が間、渡し守の役目を勤めておったが、渡りを尋《たず》ぬる旅人の数は多うても、御《おん》主《あるじ》「えす・きりしと」らしい御《おん》姿《すがた》には、絶えて一度も知《ち》遇《ぐう》せなんだ。が、その三年目のある夜のこと、おりから凄《すさま》じい嵐《あらし》があって、神鳴りさえおどろと鳴り渡ったに、山男は四十雀と庵《いおり》を守って、すぎこし方のことどもを夢のように思いめぐらいておったれば、たちまち車《しや》軸《じく》を流す雨を圧して、いたいけな声が響《ひび》いたは、
「いかに渡《わた》し守《もり》はおりゃるまいか。その河一つ渡して給われい」と、聞こえ渡った。されば「きりしとほろ」は身を起こいて、外の闇《やみ》夜《よ》へ揺らぎ出《いだ》いたに、いかなこと、河のほとりには、年のころもまだ十には足るまじい、みめ清らかな白《びやく》衣《え》のわらんべが、空をつんざいて飛ぶ稲《いな》妻《つま》の中に、頭《かしら》をたれてただひとり、たたずんでおったではおじゃるまいか。山男は稀《け》有《う》の思いをないて、千《ち》引《びき》の巌《いわお》にも劣《おと》るまじい大の体をかがめながら、慰《なぐさ》めるように問い尋《たず》ねたは、
「おぬしはなんとしてかような夜《よ》更《ふ》けにひとり歩くぞ」と申したに、わらんべは悲しげな瞳《ひとみ》をあげて、
「われらが父のもとへ帰ろうとて」と、もの思わしげな声で返答した。もとより「きりしとほろ」はこの答えを聞いても、いっこう不《ふ》審《しん》は晴れなんだが、なにやらその渡《わた》りを急ぐ容《よう》子《す》があわれにやさしく覚えたによって、
「しからば念《ねん》無《の》う渡そうずる」と、双《もろ》手《て》にわらんべをかい抱《いだ》いて、日ごろのごとく肩《かた》へのせると、例の太《ふと》杖《づえ》をちょうとついて、岸べの青《おあ》蘆《あし》を押し分けながら、嵐《あらし》に狂《くる》う夜《よ》河《かわ》の中へ、胆《きも》太くもざんぶと身を浸《ひた》いた。が、風は黒雲を巻き落といて、息もつかすまじいと吹《ふ》きどよもす。雨も川《かわ》面《も》を射《い》白《しら》まいて、底にも徹《とお》ろうずばかり降り注いだ。時おり闇《やみ》をかい破る稲妻の光に見てあれば、彼は一面に湧《わ》き立ち返って、宙に舞《ま》い上がる水《みず》煙《けむり》も、さながら無数の天使《あんじよ*》たちが雪の翼《つばさ》をはためかいて、飛びしきるかとも思うばかりじゃ。さればさすがの「きりしとほろ」も、今《こ》宵《よい》はほとほと渡りなやんで、太杖にしかとすがりながら、礎《いしずえ》の朽《く》ちた塔《とう》のように、いくたびもゆらゆらと立ちすくんだが、雨風よりもさらに難《なん》儀《ぎ》だったは、怪《け》しからず肩のわらんべがしだいに重うなったことでおじゃる。始めはそれもさばかりに、え堪《た》えまじいとは覚えなんだが、やがて河の真っただ中へさしかかったと思うほどに、白《びやく》衣《え》のわらんべが重みはいよいよ増いて、今はあたかも大《だい》磐《ばん》石《じやく》を負いないているかと疑われた。ところでついには「きりしとほろ」も、あまりの重さに圧《お》し伏《ふ》されて、所《しよ》詮《せん》はこの流《りゆう》沙《さ》河《が》に命をおとすべいと覚《かく》悟《ご》したが、ふと耳にはいってきたは、例の聞き慣れた四《し》十《じゆう》雀《から》の声じゃ。はてこの闇夜になんとして、小鳥が飛ぼうぞと訝《いぶか》りながら、頭《かしら》をもたげて空を見たれば、不思議やわらんべの面《おもて》をめぐって、三日月ほどな金光が燦《さん》爛《らん》と円《まる》く輝《かがや》いたに、四十雀はみな嵐をものともせず、その金光のほとりに近く、紛々と躍《おど》り狂うておった。これを見た山男は、小鳥さえかくは雄《お》々《お》しいに、おのれは人間と生まれながら、なじかは三《み》年《とせ》の勤《ごん》行《ぎよう》を一《いち》夜《や》に捨つべいと思いつろう。あの葡《え》萄《び》蔓《かずら》にも紛《まが》おうず髪《かみ》をさつさつと空に吹《ふ》き乱いて、寄せては返す荒《あら》波《なみ》に乳のあたりまで洗わせながら、太《ふと》杖《づえ》も折れよとつき固めて、必死に目ざす岸へと急いだ。
それがおよそ一《ひと》時《とき》あまり、四苦八苦のうちに続いたでおじゃろう。「きりしとほろ」はようやく向こうの岸へ、戦い疲《つか》れた獅《し》子《し》王《おう》のけしきで、喘《あえ》ぎ喘ぎよろめき上がると、柳《やなぎ》の太杖を砂にさいて、肩《かた》のわらんべを抱《いだ》き下ろしながら、吐《と》息《いき》をついて申したは、
「はてさて、おぬしというわらんべの重さは、海《うみ》山《やま》量《はか》り知れまじいぞ」とあったに、わらんべはにっこと微《ほほ》笑《え》んで、頭上の金光を嵐《あらし》の中にきわ燦《さん》然《ぜん》ときらめかいながら、山男の顔を仰《あお》ぎ見て、さも懐かしげに答えたは、
「さもあろうず。おぬしは今《こ》宵《よい》という今宵こそ、世界の苦しみを身に荷《にの》うた『えす・きりしと』を負いないたのじゃ」と、鈴《すず》を振《ふ》るような声で申した。……
その夜この方流《りゆう》砂《さ》河《が》のほとりには、あの渡《わた》し守《もり》の山男がむくつけい姿を見せずなった。ただ後に残ったは、向こうの岸の砂にさいた、したたかな柳の太杖で、これには枯《か》れ枯《が》れな幹のまわりに、不思議や麗《うるわ》しい紅《くれない》の薔《ば》薇《ら》の花が、薫《かぐわ》しく咲《さ》き誇《ほこ》っておったと申す。されば馬《ま》太《たい》の御《おん》経《きよう》にも記《しる》いたごとく「心の貧しいものは仕合わせじゃ。一《いち》定《じよう》天国はその人のものとなろうずる」
(大正八年四月十五日)
蜜《み》 柑《かん》
ある曇《くも》った冬の日《ひ》暮《ぐ》れである。私は横《よこ》須《す》賀《か*》発上り二等客車の隅《すみ》に腰《こし》を下ろして、ぼんやり発車の笛《ふえ》を待っていた。とうに電灯のついた客車の中には、珍《めずら》しく私のほかに一人も乗客はいなかった。外を覗《のぞ》くと、うす暗いプラットフォオムにも、今日は珍しく見送りの人《ひと》影《かげ》さえ跡《あと》を絶って、ただ、檻《おり》に入れられた小犬が一匹《ぴき》、時々悲しそうに、吠《ほ》え立てていた。これらはその時の私の心もちと、不思議なくらい似つかわしい景《け》色《しき》だった。私の頭の中には言いようのない疲《ひ》労《ろう》と倦《けん》怠《たい》とが、まるで雪曇りの空のようなどんよりした影を落としていた。私は外《がい》套《とう》のポッケットへじっと両手をつっこんだまま、そこにはいっている夕刊を出して見ようという元気さえ起こらなかった。が、やがて発車の笛が鳴った。私はかすかな心の寛《くつろ》ぎを感じながら、後ろの窓《まど》枠《わく》へ頭をもたせて、眼の前の停車場がずるずると後ずさりを始めるのを待つともなく待ちかまえていた。ところがそれより先にけたたましい日和《ひより》下《げ》駄《た》の音が、改札口の方から聞こえ出したと思うと、間もなく車掌の何か言いののしる声とともに、私の乗っている二等室の戸ががらりと開いて、十三、四の小《こ》娘《むすめ》が一人、あわただしく中へはいってきた、と同時に一つずっしりと揺《ゆ》れて、おもむろに汽車は動き出した。一本ずつ眼をくぎって行くプラットフォオムの柱、置き忘れたような運水車、それから車内の誰《たれ》かに祝《しゆう》儀《ぎ》の礼を言っている赤《あか》帽《ぼう》――そういうすべては、窓へ吹《ふ》きつける煤《ばい》煙《えん》の中に、未練がましく後ろヘ倒《たお》れて行った。私はようやくほっとした心もちになって、巻《まき》煙草《たばこ》に火をつけながら、始めて懶《ものう》い睚《まぶた》をあげて、前の席に腰《こし》を下ろしていた小《こ》娘《むすめ》の顔を一《いち》瞥《べつ》した。
それは油気のない髪《かみ》をひっつめの銀杏《いちよう》返《がえ》しに結って、横なでの痕《あと》のある皸《ひび》だらけの両《りよう》頬《ほお》を気持の悪いほど赤くほてらせた、いかにも田舎《いなか》者《もの》らしい娘だった。しかも垢《あか》じみた萌《もえ》黄《ぎ》色《いろ》の毛糸の襟《えり》巻《まき》がだらりと垂《た》れ下がった膝《ひざ》の上には、大きな風《ふ》呂《ろ》敷《しき》包みがあった。そのまた包みを抱いた霜《しも》焼《や》けの手の中には、三等の赤《あか》切《きつ》符《ぷ》が大事そうにしっかり握《ぎ》られていた。私はこの小娘の下品な顔だちを好まなかった。それから彼女の服《ふく》装《そう》が不潔なのもやはり不快だった。最後にその二等と三等との区別さえもわきまえない愚《ぐ》鈍《どん》な心が腹立たしかった。だから巻煙草に火をつけた私は、一つにはこの小娘の存在を忘れたいという心もちもあって、今度はポッケットの夕刊を漫《まん》然《ぜん》と膝《ひざ》の上にひろげて見た。するとその時夕刊の紙面に落ちていた外光が、突《とつ》然《ぜん》電灯の光に変わって、刷りの悪い何《なん》欄《らん》かの活字が意外なくらい鮮《あざ》やかに私の眼の前へ浮かんできた。言うまでもなく汽車は今、横《よこ》須《す》賀《か》線に多いトンネルの最初のそれへはいったのである。
しかしその電灯の光に照らされた夕刊の紙面を見《み》渡《わた》しても、やはり私の憂《ゆう》欝《うつ》を慰《なぐさ》むべく、世間はあまりに平《へい》凡《ばん》な出来事ばかりで持ち切っていた。講和問題、新婦新《しん》郎《ろう》、涜《とく》職《しよく》事件、死亡広告――私はトンネルへはいった一《いつ》瞬《しゆん》間《かん》、汽車の走っている方向が逆になったような錯《さつ》覚《かく》を感じながら、それらの索《さく》漠《ばく》とした記事から記事へほとんど機械的に眼を通した。が、その間《あいだ》ももちろんあの小《こ》娘《むすめ》が、あたかも卑《ひ》俗《ぞく》な現実を人間にしたような面《おも》持《も》ちで、私の前に坐《すわ》っていることを絶えず意識せずにはいられなかった。このトンネルの中の汽車と、この田舎者の小娘と、そうしてまたこの平《へい》凡《ぼん》な記事に埋《う》まっている夕刊と、――これが象《しよう》徴《ちよう》でなくてなんであろう。不可解な、下等な、退《たい》屈《くつ》な人生の象徴でなくてなんであろう。私は一《いつ》切《さい》がくだらなくなって、読みかけた夕刊をほうり出すと、また窓《まど》枠《わく》に頭をもたせながら、死んだように眼をつぶって、うつらうつらし始めた。
それから幾《いく》分《ふん》か過ぎた後であった。ふと何かに脅《おど》かされたような心もちがして、思わずあたりを見まわすと、いつの間にか例の小娘が、向こう側から席を私の隣《となり》へ移して、しきりに窓を開けようとしている。が、重いガラス戸はなかなか思うようにあがらないらしい。あの皸《ひび》だらけの頬はいよいよ赤くなって、時々鼻《は》洟《な》をすすりこむ音が、小さな息の切れる声といっしょに、せわしなく耳へはいってくる。これはもちろん私にも、いくぶんながら同情をひくに足るものには相《そう》違《い》なかった。しかし汽車が今まさにトンネルの口へさしかかろうとしていることは、暮《ぼ》色《しよく》の中に枯れ草ばかり明るい両側の山腹が、間近く窓側に迫《せま》ってきたのでも、すぐに合《が》点《てん》の行くことであった。にもかかわらずこの小娘は、わざわざしめてある窓の戸を下ろそうとする、――その理由が私にはのみこめなかった。いや、それが私には、単にこの小娘の気まぐれだとしか考えられなかった。だから私は腹の底に依《い》然《ぜん》として険しい感情を蓄《たくわ》えながら、あの霜焼けの手がガラス戸をもたげようとして悪《あく》戦《せん》苦《く》闘《とう》する容《よう》子《す》を、まるでそれが永久的に成功しないことでも祈るような冷《れい》酷《こく》な眼で眺《なが》めていた。すると間もなく凄《すさま》じい音をはためかせて、汽車がトンネルへなだれこむと同時に、小《こ》娘《むすめ》の開けようとしたガラス戸は、とうとうばたりと下へ落ちた。そうしてその四角な穴《あな》の中から、煤《すす》を溶かしたようなどす黒い空気が、にわかに息苦しい煙《けむり》になって、濛《もう》々《もう》と車内へみなぎり出した。元来咽《の》喉《ど》を害していた私は、ハンケチを顔に当てる暇《ひま》さえなく、この煙を満面に浴びせられたおかげで、ほとんど息もつけないほど咳《せ》きこまなければならなかった。が、小娘は私に頓《とん》着《じやく》する気《けし》色《き》も見えず、窓から外へ首をのばして、闇《やみ》を吹《ふく》く風に銀杏《いちよう》返《がえ》しの鬢《びん》の毛を戦《そよ》がせながら、じっと汽車の進む方向を見やっている。その姿を煤《ばい》煙《えん》と電灯の光との中に眺《なが》めた時、もう窓の外が見る見る明るくなって、そこから土の匂《におい》いや枯《か》れ草の匂いや水の匂いが冷やかに流れこんでこなかったなら、ようやく咳きやんだ私は、この見知らない小娘を頭ごなしに叱《しか》りつけてでも、また元のとおり窓の戸をしめさせたのに相《そう》違《い》なかったのである。
しかし汽車はその時分には、もうやすやすとトンネルをすべりぬけて、枯れ草の山と山との間にはさまれた、ある貧しい町はずれの踏《ふみ》切《きり》に通りかかっていた。踏切の近くには、いずれも見すぼらしい藁《わら》屋《や》根《ね》や瓦《かわら》屋《や》根《ね》がごみごみと狭《せま》苦《くる》しく建てこんで、踏切番が振《ふ》るのであろう、ただ一《いち》旒《りゆう》のうす白い旗が懶《ものう》げに暮《ぼ》色《しよく》を揺《ゆ》すっていた。やっとトンネルを出たと思う――その時その蕭《しよう》索《さく》とした踏切の柵《さく》の向こうに、私は頬《ほお》の赤い三人の男の子が、目《め》白《じろ》押《お》しに並《なら》んで立っているのを見た。彼らは皆《みな》、この曇《どん》天《てん》に押《お》しすくめられたかと思うほど、そろって背が低かった。そうしてこの町はずれの陰《いん》惨《さん》たる風物と同じような色の着物を着ていた。それが汽車の通るのを仰《あお》ぎ見ながら、いっせいに手を挙げるが早いか、いたいけな喉《のど》を高く反《そ》らせて、なんとも意味のわからない喊《かん》声《せい》を一生懸命にほとばしらせた。するとその瞬《しゆん》間《かん》である。窓から半身を乗り出していた例の娘が、あの霜《しも》焼《や》けの手をつとのばして、勢いよく左右に振ったと思うと、たちまち心を躍《おど》らすばかり暖かな日の色に染まっている蜜《み》柑《かん》がおよそ五つ六つ、汽車を見送った子供たちの上へばらばらと空から降ってきた。私は思わず息をのんた。そうして刹《せつ》那《な》に一《いつ》切《さい》を了《りよう》解《かい》した。小《こ》娘《むすめ》は、おそらくはこれから奉《ほう》公《こう》先《さき》へ赴《おもむ》こうとしている小娘は、その懐《ふところ》に蔵していた幾《いく》顆《か》の蜜柑を窓から投げて、わざわざ踏《ふみ》切《きり》まで見送りにきた弟たちの労に報いたのである。
暮《ぼ》色《しよく》を帯びた町はずれの踏切と、小鳥のように声を挙げた三人の子供たちと、そうしてその上に乱落する鮮《あざ》やかな蜜柑の色と――すべては汽車の窓の外に、瞬《またた》く暇《ひま》もなく通り過ぎた。が、私の心の上には、切ないほどはっきりと、この光景が焼きつけられた。そうしてそこから、ある得体の知れない朗らかな心もちが湧《わ》き上がってくるのを意識した。私は昂《こう》然《ぜん》と頭を挙《あ》げて、まるで別人を見るようにあの小娘を注視した。小娘はいつかもう私の前の席に返って、相変わらず皸《ひび》だらけの頬《ほお》を萌《もえ》黄《ぎ》色《いろ》の毛糸の襟《えり》巻《まき》に埋《うず》めながら、大きな風《ふ》呂《ろ》敷《しき》包みをかかえた手に、しっかりと三等切《きつ》符《ぷ》を握っている。………………………
私はこの時始めて、言いようのない疲《ひ》労《ろう》と倦《けん》怠《たい》とを、そうしてまた不可解な、下等な、退《たい》屈《くつ》な人生をわずかに忘れることができたのである。
(大正八年四月)
沼《ぬま》 地《ち》
ある雨の降る日の午後であった。私はある絵画展覧会場の一室で、小さな油絵を一枚発見した。発見――と言うと大《おお》袈《げ》裟《さ》だが、実際そう言ってもさしつかえないほど、この画《え》だけは思い切って彩光の悪い片《かた》隅《すみ》に、それも恐《おそ》ろしく貧弱な縁《ふち》へはいって、忘れられたように懸《か》かっていたのである。画は確か、「沼地」とか言うので、画家は知名の人でもなんでもなかった。また画そのものも、ただ濁《にご》った水と、湿《しめ》った土と、そうしてその土に繁《はん》茂《も》する草《そう》木《もく》とを描《か》いただけだから、おそらく尋《じん》常《じよう》の見物からは、文字どおり一《いつ》顧《こ》さえも受けなかったことであろう。
そのうえ不思議なことにこの画家は、蓊《おう》鬱《うつ》たる草木を描きながら、一《ひと》刷《は》毛《け》も緑の色を使っていない。蘆《あし》や白楊《ポプラア》や無花果《いちじゆく》を彩《いろど》るものは、どこを見ても濁った黄《き》色《いろ》である。まるで濡《ぬ》れた壁《かべ》土《つち》のような、重苦しい黄色である。この画家には草木の色が実際そう見えたのであろうか。それとも別に好むところがあって、ことさらこんな誇《こ》張《ちよう》を加えたのであろうか。――私はこの画の前に立って、それから受ける感じを味わうとともに、こういう疑問もまた挟《さしはさ》まずにはいられなかったのである。
しかしその画の中に恐ろしい力が潜《ひそ》んでいることは、見ているに従ってわかってきた。ことに前景の土のごときは、そこを踏《ふ》む時の足の心もちまでもまざまざと感じさせるほど、それほど的確に描《か》いてあった。踏《ふ》むとぶすりと音をさせて踝《くるぶし》が隠《かく》れるような、滑《なめ》らかな淤《お》泥《でい》の心もちである。私はこの小さな油画の中に、鋭《するど》く自然をつかもうとしている、いたましい芸術家の姿を見出した。そうしてあらゆるすぐれた芸術品から受けるように、この黄いろい沼《ぬま》地《ち》の草木からも恍惚たる悲壮の感《かん》激《げき》を受けた。実際同じ会場に懸《か》かっている大小さまざまな画の中で、この一枚に桔《きつ》抗《こう》し得るほどの力強い画は、どこにも見出すことができなかったのである。
「たいへんに感心していますね」
こう言うことばとともに肩《かた》をたたかれた私は、あたかも何かが心から振《ふる》い落とされたような気もちがして、卒然と後ろをふりかえった。
「どうです、これは」
相手は無《む》頓《とん》着《じやく》にこう言いながら、剃《かみ》刀《そり》を当てたばかりの顋《あご》で、沼地の画をさし示した。流行の茶の背広を着た、恰《かつ》幅《ぷく》のいい、消息通をもってみずから任じている、――新聞の美術記者である。私はこの記者から前にも二、三度不快な印象を受けた覚えがあるので、不《ふ》承《しよう》不《ぶ》承《しよう》に返事をした。
「傑《けつ》作《さく》です」
「傑作――ですか。これはおもしろい」
記者は腹を揺《ゆ》すって笑った。その声に驚《おどろ》かされたのであろう。近くで画を見ていた二、三人の見物が皆《みな》言い合わせたようにこちらを見た。私はいよいよ不快になった。
「これはおもしろい。元来この画はね、会員の画じゃないのです。が、なにしろ当人が口《くち》癖《ぐせ》のようにここヘ出す出すと言っていたものですから、遺《い》族《ぞく》が審《しん》査《さ》員《いん》へ頼《たの》んで、やっとこの隅《すみ》へ懸けることになったのです」
「遺族? じゃこの画を描《か》いた人は死んでいるのですか」
「死んでいるのです。もっとも生きているうちから、死んだようなものでしたが」
私の好奇心はいつか私の不快な感情より強くなっていた。
「どうして?」
「この画《え》描《か》きはよほど前から気が違《ちが》っていたのです」
「この画を描いた時もですか」
「もちろんです。気違いででもなければ、誰《だれ》がこんな色の画を描くものですか。それをあなたは傑《けつ》作《さく》だと言って感心しておいでなさる。そこが大いにおもしろいですね」
記者はまた得意そうに、声をあげて笑った。彼は私が私の不明を恥《は》じるだろうと予測していたのであろう。あるいは一歩進めて、鑑賞上における彼自身の優越を私に印象させようと思っていたのかもしれない。しかし彼の期待は二つとも無《む》駄《だ》になった。彼の話を聞くとともに、ほとんど厳《げん》粛《しゆく》にも近い感情が私の全精神に言いようのない波動を与えたからである。私は悚《しよう》然《ぜん》として再びこの沼地の画を凝《ぎよう》視《し》した。そうして再びこの小さなカンヴァスの中に、恐《おそ》ろしい焦《しよう》燥《そう》と不安とに虐《さいな》まれているいたましい芸術家の姿を見出した。
「もっとも画が思うように描けないというので、気が違ったらしいですがね。その点だけはまあ買えば買ってやれるのです」
記者は晴れ晴れした顔をして、ほとんどうれしそうに微《び》笑《しよう》した。これが無名の芸術家が――われわれの一人が、その生命を犠《ぎ》牲《せい》にしてわずかに世間から購《あがな》い得た唯《ゆい》一《いつ》の報《ほう》酬《しゆう》だったのである。私は全身に異様な戦《せん》慄《りつ》を感じて、三たびこの憂欝な油画を覗《のぞ》いて見た。そこにはうす暗い空と水との間に、濡《ぬ》れた黄《おう》土《ど》の色をした蘆《あし》が、白楊《ポプラア》が、無果花《いちじゆく》が、自然それ自身を見るような凄《すさま》じい勢いで生きている。……
「傑《けつ》作《さく》です」
私は記者の顔をまともに見つめながら、昂《こう》然《ぜん》としてこう繰り返した。
(大正八年四月)
竜《りゆう》
宇《う》治《じ》の大《だい》納《な》言《ごん》隆《たか》国《くに*》「やれ、やれ、昼《ひる》寝《ね》の夢《ゆめ》が覚《さ》めてみれば、今日はまた一段と暑いようじゃ。あの松《まつ》が枝《え》の藤《ふじ》の花さえ、ゆさりとさせるほどの風も吹《ふ》かぬ。いつもは涼《すず》しゅう聞こえる泉の音も、どうやら油《あぶら》蝉《ぜみ》が声にまぎれて、かえって暑苦しゅうなってしもうた。どれ、また童《わらん》部《べ》たちにあおいででももらおうか。
「なに、往来のものどもが集まった? ではそちらに参るといたそう。童部たちもその大《おお》団扇《うちわ》を忘れずに後からかついで参れ。
「やあ、皆《みな》のもの、予が隆国じゃ。大《おお》肌《はだ》ぬぎの無礼は赦《ゆる》してくれい。
「さて今日はその方どもにちと頼《たの》みたい事があって、わざと、この宇治の亭《てい》へ足を止めてもろうたのじゃ。と申すはこのごろふとここへ参って、予も人《ひと》並《なみ》みに双《そう》紙《し》を一つ綴《つづ》ろうと思い立ったが、つらつら独《ひと》り考えてみれば、あいにく予はこれと言うて、筆にするほどの話も知らぬ。さりながらあだめんどうな趣《しゆ》向《こう》などを凝《こ》らすのも、予のような怠《なま》けものには、なにより億《おつ》劫《くう》千《せん》万《ばん》じゃ。ついては今日から往来のその方どもに、今は昔《むかし》の物語を一つずつ聞かせてもろうて、それを双紙に編みなそうと思う。さすれば内《だい》裡《り》の内《うち》外《そと》ばかりうろついておる予などには、思いもよらぬ逸《いつ》事《じ》奇《き》聞《ぶん》が、舟にも載《の》せ車にも積むほど、四方から集まって参るに相《そう》違《い》あるまい。なんと、皆《みな》のもの、迷《めい》惑《わく》ながらこの所《しよ》望《もう》をかなえてくれるわけには行くまいか。
「なに、かなえてくれる? それは重《ちよう》畳《じよう》、ではさっそく一同の話を順々にこれで聞くといたそう。
「こりゃ童《わらん》部《べ》たち、一座ヘ風が通うように、その大《おお》団扇《うちわ》であおいでくれい。それで少しは涼《すず》しくもなろうと申すものじゃ。鋳《い》物《も》師《じ》も陶《すえ》器《もの》造《つくり》も遠《えん》慮《りよ》は入らぬ。二人ともずっとこの机のほとりへ参れ。鮓《すし》売《うり》の女も日が近くば、桶《おけ》はその縁《えん》の隅《すみ》へ置いたがよいぞ。わが法《ほう》師《し》も金《ごん》鼓《く》をはずしたらどうじゃ。そこな侍《さむらい》も山《やま》伏《ぶし》も簟《たかむしろ》を敷《し》いたろうな。
「よいか、したくが整うたら、まず第一に年かさな陶《すえ》器《もの》造《つくり》の翁《おきな》から、なんなりとも話してくれい」
翁《おきな》「これは、これは、ごていねいなご挨《あい》拶《さつ》で、下《げ》賤《せん》な私どもの申し上げます話を、いちいち双《そう》紙《し》へ書いてやろうとおっしゃいます――そればかりでも、私の身にとりまして、どのくらい恐《おそ》れ多いかわかりません。が、ご辞退申しましてはかえって御《ぎよ》意《い》に逆らう道理でございますから、ご免《めん》をこうむって、一通りたわいもない昔《むかし》話《ばなし》を申し上げるといたしましょう。どうかご退《たい》屈《くつ》でもしばらくの間、お耳をお借しくださいまし。
「私どものまだ年若な時分、奈《な》良《ら》に蔵人《くろうど》得《とく》業《ごう》恵《え》印《いん*》と申しまして、途《と》方《ほう》もなく鼻の大きい法師が一人おりました。しかもその鼻の先が、まるで蜂《はち》にでも刺《さ》されたかと思うくらい、年が年じゅう恐《おそ》ろしくまっ赤なのでございます。そこで奈良の町のものが、これに諢《あだ》名《な》をつけまして、鼻《はな》蔵《ぐら》――と申しますのは、元来大鼻の蔵人《くろうど》得《とく》業《ごう》と呼ばれたのでございますが、それではちと長すぎると申しますので、やがて誰《たれ》言うとなく鼻《はな》蔵人《くろうど》と申し囃《はや》しました。が、しばらくいたしますと、それでもまだ長いと申しますので、さてこそ鼻蔵鼻蔵と、謡《うた》われるようになったのでございます。現に私も一両度、そのころ奈良の興《こう》福《ふく》寺《じ》の寺内で見かけたことがございますが、いかさま鼻蔵とでも譏《そし》られそうな、世にもみごとな赤鼻の天《てん》狗《ぐ》鼻《ばな》でございました。その鼻蔵の、鼻蔵人の、大鼻の蔵人得業の恵《え》印《いん》法《ほう》師《し》が、ある夜のこと、弟《で》子《し》もつれずにただ一人そっと猿《さる》沢《さわ》の池のほとりへ参りまして、あの采《うね》女《め》柳《やなぎ*》の前の堤《つつみ》へ、『三月三日この池より竜《りゆう》昇《のぼ》らんずるなり』と筆太に書いた建《たて》札《ふだ》を、高々と一本打ちました。けれども恵印は実のところ、猿《さる》沢《さわ》の池に竜などがほんとうに住んでいたかどうか、心得ていたわけではございません。ましてその竜が三月三日に天《てん》上《じよう》すると申すことは、全く口から出まかせの法《ほ》螺《ら》なのでございます。いや、どちらかと申しましたら、天上しないと申すほうがまた確かだったのでございましょう。ではどうしてそんな入らざる真《ま》似《ね》をいたしたかと申しますと、恵印は日ごろから奈良の僧俗が何かにつけて自分の鼻を笑いものにするのが不平なので、今度こそこの鼻蔵人がうまく一番かついだあげく、さんざん笑い返してやろうと、こういう魂《こん》胆《たん》で悪戯《いたずら》にとりかかったのでございます。御《ご》前《ぜん》などがお聞きになりましたら、さぞ笑止なことと思《おぼ》し召《め》しましょうが、なにぶん今は昔のお話で、そのころはかような悪戯をいたしますものが、とにかくどこにもありがちでございました。
「さてあくる日、第一にこの建《たて》札《ふだ》を見つけましたのは、毎朝興福寺の如《によ》来《らい》様《さま》を拝みに参ります婆《ばあ》さんで、これが数《じゆ》珠《ず》をかけた手に竹《たけ》杖《づえ》をせっせとつき立てながら、まだ靄《もや》のかかっている池のほとりへ来かかりますと、昨日までなかった建札が、采《うね》女《め》柳《やなぎ》の下に立っております。はて法《ほう》会《え》の建札にしては妙《みよう》な所に立っているなと不《ふ》審《しん》には思ったのでございますが、なにぶん文字が読めませんので、そのまま通りすぎようといたしました時、おりよく向こうから偏《へん》袗《さん》を着た法師が一人、通りかかったものでございますから、頼《たの》んで読んでもらいますと、なにしろ『三月三日この池より竜《りゆう》昇《のぼ》らんずるなり』で、――誰でもこれには驚《おどろ》いたでございましょう。その婆さんも呆《あつ》気《け》にとられて、曲った腰《のば》をのしながら、『この池に竜などがおりましょうかいな』と、とぼんと法師の顔を見上げますと、法師はかえって落ち着きはらって、『昔《むかし》、唐《から》のある学者が眉《まゆ》の上に瘤《こぶ》ができて、痒《かゆ》うてたまらなんだことがあるが、ある日一天にわかにかき曇《くも》って、雷《らい》雨《う》車《しや》軸《じく》を流すがごとく降り注いだと見てあれば、たちまちその瘤がふっつと裂《さ》けて、中から一匹《ぴき》の黒《こく》竜《りゆう》が雲を捲《ま》いて一文字に昇天したという話もござる。瘤の中にさえ竜がいたなら、ましてこれほどの池の底には、何十匹となく蛟《こう》竜《りゆう》毒《どく》蛇《じや》がわだかまっていようも知れぬ道理《ことわり》じゃ』と、説法したそうでございます。なにしろ出家に妄《もう》語《ご》はないと日ごろから思いこんだ婆さんのことでございますから、これを聞いて胆《きも》を消しますまいことか、『なるほどそう承りますれば、どうやらあの辺の水の色が怪《あや》しいように見えますわいな』で、まだ三月三日にもなりませんのに、法師を独《ひと》り後に残して、喘《あえ》ぎ喘ぎ念仏を申しながら、竹杖をつく間《ま》もまだるこしそうに急いで逃《に》げてしまいました。後で人目がございませんでしたら、腹をかかえたかったのはこの法師で――これはそうでございましょう。実はあの発《ほつ》頭《とう》人《にん》の得《とく》業《ごう》恵《え》印《いん》、諢《あだ》名《な》は鼻蔵が、もう昨夜《ゆうべ》建てた高《こう》札《さつ》にひっかかった鳥がありそうだくらいな、はなはだ怪《け》しからん量見で、容《よう》子《す》を見ながら、池のほとりを、歩いておったのでございますから。が、婆《ばあ》さんの行った後には、もう早立ちの旅人と見えて、伴《とも》の下《げ》人《にん》に荷を負わせた虫の垂《たれ》衣《ぎぬ》の女が一人、市《いち》女《め》笠《がさ》の下から建《たて》札《ふだ》を読んでいるのでございます。そこで恵印は大事をとって、一《いつ》生《しよう》懸《けん》命《めい》笑いを噛《かみ》み殺しながら、自分も建札の前に立って一応読むようなふりをすると、あの大鼻の赤鼻をさも不思議そうに鳴らしてみせて、それからのそのそ興福寺の方へ引き返して参りました。
「すると興福寺の南《なん》大《だい》門《もん》の前で、思いがけなく顔を合わせましたのは、同じ坊《ぼう》に住んでおった恵《え》門《もん》と申す法師でございます。それが恵印に出合いますと、ふだんから片意地なげじげじ眉《まゆ》をちょいとひそめて、『御《ご》坊《ぼう》には珍《めずら》しい早起きでござるな。これは天気が変わるかもしれませぬぞ』と申しますから、こちらは得たり賢《かしこ》しと鼻をいっぱいににやつきながら、『いかにも天気くらいは変わるかもしれませぬて。聞けばあの猿《さる》沢《さわ》の池から三月三日には、竜《りゆう》が天上するとか申すではござらぬか』と、したり顔に答えました。これを聞いた恵門は疑わしそうに、じろりと恵印の顔を睨《ね》めましたが、すぐに喉《のど》を鳴らしながらせせら笑って、『御坊はよい夢《ゆめ》を見られたな。いやさ、竜の天上するなどと申す夢は吉《きち》兆《ちよう》じゃと聞いたことがござる』と、鉢《はち》の開いた頭をそびやかせたまま、行きすぎようといたしましたが、恵印はまるで独《ひと》り言のように、『はてさて、縁《えん》なき衆《しゆ》生《じよう》は度《ど》し離《がた》しじゃ』と、つぶやいた声でも聞こえたのでございましょう。麻《あさ》緒《お》の足《あし》駄《だ》の歯をよじって、憎《にく》々《にく》しげにふり返りますと、まるで法論でもしかけそうな勢いで、『それとも竜《りゆう》が天上すると申す、しかとした証《しよう》拠《こ》がござるかな』と問いつめるのでございます。そこで恵印はわざと悠《ゆう》々《ゆう》と、もう朝日の光がさし始めた池の方を指さしまして、『愚《ぐ》僧《そう》の申す事が疑わしければ、あの采《うね》女《め》柳《やなぎ》の前にある高《こう》札《さつ》を読まれたがよろしゅうござろう』と、見下すように答えました。これにはさすがに片意地な恵門も少し鋒《ほこさき》をくじかれたのか、まぶしそうな瞬《またた》きを一つすると、『ははあ、そのような高札が建ちましたか』と気のない声で言い捨てながら、またてくてくと歩き出しましたが、今度は鉢《はち》の開いた頭を傾《かたむ》けて、なにやら考えて行くらしいのでございます。その後ろ姿を見送った鼻《はな》蔵人《くろうど》のおかしさは、たいてい推察がまいりましょう。恵印はどうやら赤鼻の奥がむず痒《がゆ》いような心もちがして、しかつめらしく大門の石段を上って行くうちにも、思わず吹《ふ》き出さずにはおられませんでした。
「その朝でさえ『三月三日この池より竜昇《のぼ》らんずるなり』の建《たて》札《ふだ》は、これほどの利《き》き目がございましたから、まして一日二日とたってみますと、奈良の町じゅうどこへ行っても、この猿《さる》沢《さわ》の池の竜の噂が出ない所はございません。もとより中には『あの建札も誰かの悪戯《いたずら》であろう』と申すものもございましたが、おりから京では神《しん》泉《せん》苑《えん*》の竜が天上いたしたなどと申す評判もございましたので、そういうものさえ内心では半信半疑と申しましょうか、事によるとそんな大変があるかもしれないくらいな気にはなっておったのでございます。するとここにまた思いもよらない不思議が起こったと申しますのは、春日《かすが》のお社《やしろ》に仕えておりますある禰《ね》宜《ぎ》の一人《ひとり》娘《むすめ》で、とって九つになりますのが、その後《のと》十日とたたないうちに、ある夜母の膝《ひざ》を枕《まくら》にしてうとうといたしておりますと、天から一匹《ぴき》の黒《こく》竜《りゆう》が雲のように降ってきて、『わしはいよいよ三月三日に天上する事になったが、決してお前たち町のものに迷《めい》惑《わく》はかけないつもりだから、どうか安心していてくれい』と人語を放って申しました。そこで娘は目がさめるとすぐにこれこれこうこうと母親に話しましたので、さては猿沢の池の竜が夢《ゆめ》枕《まくら》に立ったのだと、たちまちまたそれが町じゅうの大評判になったではございませんか。こうなると話にも尾《お》鰭《ひれ》がついて、やれあすこの稚《ち》児《ご》にも竜が憑《つ》いて歌を詠《よ》んだの、やれここの巫女《かんなぎ》にも竜が現われて託《たく》宣《せん》したのと、まるでその猿沢の池の竜が今にもあの水の上へ、首でも出しそうな騒《さわ》ぎでございます。いや、首までは出しもいたしますまいが、そのうちに竜の正体を、まのあたりにしかと見とどけたと申す男さえ出てまいりました。これは毎朝川魚を市《いち》へ売りに出ます老爺《おやじ》で、その日もまだうす暗いのに猿沢の池へかかりますと采《うね》女《め》柳《やなぎ》の枝《し》垂《だ》れたあたり、建札のある堤《つつみ》の下に漫《まん》漫《まん》とたたえた夜明け前の水が、そこだけほんのりとうす明るく見えたそうでございます。なにぶんにも竜の噂がやかましい時分でございますから、『さては竜《りゆう》神《じん》のお出ましか』と、うれしいともつかず、恐《おそ》ろしいともつかず、ただぶるぶる胴《どう》震《ぶる》いをしながら、川魚の荷をそこへ置くなり、ぬき足にそっと忍《しの》び寄ると、采女柳につかまって、透《す》かすように、池を窺《うかが》いました。するとそのほの明るい水の底に、黒《くろ》金《がね》の鎖《くさり》を巻いたようななんとも知れない怪《あや》しい物が、じっとわだかまっておりましたが、たちまち人《ひと》音《おと》に驚いたのか、ずるりとそのとぐろをほどきますと、見る見る池の面《おもて》に水《み》脈《お》が立って、怪しい物の姿はどことも知れず消え失《う》せてしまったそうでございます。が、これを見ました老爺は、やがて総《そう》身《しん》に汗をかいて、荷を下ろした所へ来て見ますと、いつの間にか鯉《こい》鮒《ふな》合わせて二十尾もいた商売《あきない》物《もの》がなくなっていたそうでございますから、『おおかた劫《こう》を経《へ》た獺《かわおそ》にでもだまされたのであろう』などと哂《わら》うものもございました。けれども中には『竜《りゆう》王《おう》が鎮《ちん》護《ご》遊ばすあの池に獺の棲《す》もうはずもないから、それはきっと竜王が魚《うろ》鱗《くず》の命をお憫《あわ》れみになって、ご自分のいらっしゃる池の中へお召《め》し寄せなすったのに相《そう》違《い》ない』と申すものも、思いのほか多かったようでございます。
「こちらは鼻蔵の恵印法師で、『三月三日この池より竜昇《のぼ》らんずるなり』の建《たて》札《ふだ》が大評判になるにつけ、内《ない》々《ない》あの大鼻をうごめかしては、にやにや笑っておりましたが、やがてその三月三日も四、五日のうちに迫《せま》ってまいりますと、驚いたことには摂《せつ》津《つ》の国桜井にいる叔《お》母《ば》の尼《あま》が、ぜひその竜の昇《しよう》天《てん》を見物したいと申すので、遠い路をはるばると上ってまいったではございませんか。これには恵印も当《とう》惑《わく》して、嚇《おど》すやら、賺《すか》すやら、いろいろ手を尽くして桜井へ帰ってもらおうといたしましたが、叔母は、『わしもこの年じゃで、竜王のお姿をたった一目拝みさえすれば、もう往生しても本《ほん》望《もう》じゃ』と、剛《ごう》情《じよう》にも腰をすえて、甥《おい》の申すことなどには耳を借そうともいたしません。と申してあの建札は自分が悪戯《いたずら》に建てたのだとも、いまさら白状するわけにはまいりませんから、恵印もとうとう我《が》を折って、三月三日まではその叔母の世話を引き受けたばかりでなく、当日はいっしょに竜神の天上するところを見に行くという約《やく》束《そく》までもさせられました。さてこうなって考えますと、叔母の尼さえ竜の事を聞き伝えたのでございますから、大和《やまと》の国内は申すまでもなく、摂《せつ》津《つ》の国、和泉《いずみ》の国、河内《かわち》の国を始めとして、ことによると播《はり》磨《ま》の国、山《やま》城《しろ》の国、近江《おうみ》の国、丹《たん》波《ば》の国のあたりまでも、もうこの噂が一円にひろまっているのでございましょう。つまり奈良の老《ろう》若《にやく》をかつごうと思ってした悪戯が、思いもよらず四《よ》方《も》の国々で何万人とも知れない人間をだますことになってしまったのでございます。恵印はそう思いますと、おかしいよりはなんとなく空《そら》恐《おそ》ろしい気が先に立って、朝夕叔《お》母《ば》の尼《あま》の案内がてら、つれ立って奈良の寺々を見物して歩いております間も、とんと検《け》非《び》違《い》使《し》の眼を偸《ぬす》んで、身を隠《かく》している罪人のような後ろめたい思いがしておりました。が、時々往来のものの話などで、あの建札へこのごろは香《こう》花《げ》が手《た》向《む》けてあるという噂を聞くことでもございますと、やはり気味の悪い一方では、ひとかど大《おお》手《て》柄《がら》でもたてたようなうれしい気がいたすのでございます。
「そのうちにおいおい日《ひ》数《かず》がたって、とうとう竜《りゆう》の天上する三月三日になってしまいました。そこで恵印は約《やく》束《そく》の手前、いまさらほかにいたし方もございませんから、渋《しぶ》々《しぶ》叔母の尼の伴《とも》をして、猿沢の池が一目に見えるあの興福寺の南大門の石段の上へ参りました。ちょうどその日は空もほがらかに晴れ渡《わた》って、門の風《ふう》鐸《たく》を鳴らすほどの風さえ吹《ふ》く気《け》色《しき》はございませんでしたが、それでも今日という今日を待ち兼ねていた見物は、奈良の町は申すに及《およ》ばず、河内《かわち》、和泉《いずみ》、摂《せつ》津《つ》、播《はり》磨《ま》、山《やま》城《しろ》、近江《おうみ》、丹《たん》波《ば》の国々からも押《お》し寄せて参ったのでございましょう。石段の上に立って眺《なが》めますと、見渡すかぎり西も東も一面の人の海で、それがまた末はほのぼのと霞《かすみ》をかけた二条の大《おお》路《じ》のはてのはてまで、ありとあらゆる烏《え》帽《ぼ》子《し》の波をざわめかせておるのでございます。と思うとそのところどころには、青《おあ》糸《いと》毛《げ》だの、赤《あか》糸《いと》毛《げ》だの、あるいはまた栴《せん》檀《だん》庇《びさし》だのの数《す》寄《き》を凝《こ》らした牛《きつ》車《しや》が、のっしりとあたりの人波をおさえて、屋形に打った金銀の金具をおりからうららかな春の日さしに、まばゆくきらめかせておりました。そのほか、日《ひ》傘《がさ》をかざすもの、平《ひら》張《ばり》を空に張り渡すもの、あるいはまた仰《ぎよう》々《ぎよう》しく桟《さ》敷《じき》を路に連ねるもの――まるで目の下の池のまわりは時ならない加《か》茂《も》の祭《*》でも渡《わた》りそうな景《け》色《しき》でございます。これを見た恵《え》印《いん》法《ほう》師《し》はまさかあの建《たて》札《ふだ》を立てたばかりで、これほどの大《おお》騒《さわ》ぎが始まろうとは夢《ゆめ》にも思わずにおりましたから、さもあきれ返ったように叔《お》母《ば》の尼《あま》の方をふり向きますと、『いやはや、飛んでもない人出でござるな』と情けない声で申したきり、さすがに今日は大鼻を鳴らすだけの元気も出ないと見えて、そのまま南大門の柱の根がたへ意《い》気《く》地《じ》なくうずくまってしまいました。
「けれどももとより叔母の尼には、恵印のそんな腹の底がのみこめるわけもございませんから、こちらは頭《ず》巾《きん》もずり落ちるほど一《いつ》生《しよう》懸《けん》命《めい》首を延ばして、あちらこちらを見《み》渡《わた》しながら、なるほど竜《りゆう》神《じん》がお棲《す》まいになる池の景色は格別だの、これほどの人出がした上からは、きっと竜神もお姿をお現わしなさるだろうのと、なにかと恵印をつかまえては話しかけるのでございます。そこでこちらも柱の根がたに坐《すわ》ってばかりはおられませんので、いやいや腰《こし》をもたげて見ますと、ここにも揉《もみ》烏《え》帽《ぼ》子《し》や侍《さむらい》烏《え》帽《ぼ》子《し》が人山を築いておりましたが、その中に交じってあの恵《え》門《もん》法《ほう》師《し》も、相変わらず鉢《はち》の開いた頭を一きわ高くそびやかせながら、鵜《う》の目もふらず池の方を眺《なが》めているではございませんか。恵印は急に今までの情けない気もちも忘れてしまって、ただこの男さえかついでやったというおかしさに独《ひと》りくすぐられながら、『御《ご》坊《ぼう》』と一つ声をかけて、それから『御坊も竜の天上をご覧かな』とからかうように申しましたが、恵門は横《おう》柄《へい》にふりかえると、思いのほか真《ま》面《じ》目《め》な顔で、『さようでござる。ご同様だいぶ待ち遠い思いをしますな』と、例のげじげじ眉《まゆ》を動かさずに答えるのでございます。これはちと薬が利《き》きすぎた――と思うと、浮《う》いた声も自然に出なくなってしまいましたから、恵印はまた元のとおり世にも心細そうな顔をして、ぼんやり人の海の向こうにある猿沢の池を見下ろしました。が、他はもう温《ぬる》んだらしい底光りのする水の面《おもて》に、堤《つつみ》をめぐった桜《さくら》や柳《やなぎ》を鮮《あざ》やかにじっと映したまま、いつになっても竜などを天上させる気《け》色《しき》もございません。ことにそのまわりの何里四方が、隙《す》き間もなく見物の人数で埋《うず》まってでもいるせいか、今日は池の広さが日ごろよりいっそう狭《せま》く見えるようで、第一ここに竜がおるというそれがそもそも途《と》方《ほう》もない嘘のような気がいたすのでございます。
「が、一《いつ》時《とき》一《いつ》時《とき》と時の移って行くのも知らないように、見物は皆《みな》片《かた》唾《ず》を飲んで、気長に竜の天上を待ちかまえているのでございましょう。門の下の人の海はますます広がって行くばかりで、しばらくするうちには牛《ぎつ》車《しや》の数も、所によっては車の軸《じく》が互《たが》いに押し合いへし合うほど、多くなってまいりました。それを見た恵印の情けなさは、たいがい前からの行きがかりでも、ご推察がまいるでございましょう。が、ここに妙《みよう》な事が起こったと申しますのは、どういうものか、恵印の心にもほんとうに竜が昇りそうな――それも始めはどちらかと申すと、昇らないこともなさそうな気がし出したことでございます。恵印はもとよりあの高《こう》札《さつ》を打った当人でございますから、そんな莫《ば》迦《か》げた気のすることはありそうもないものでございますが、目の下で寄せつ返しつしている烏《え》帽《ぼ》子《し》の波を見ておりますと、どうもそんな大変が起こりそうな気がいたしてなりません。これは見物の人《にん》数《ず》の心もちがいつとなく鼻《はな》蔵《ぐら》にも乗り移ったのでございましょうか。それともあの建《たて》札《ふだ》を建てたばかりに、こんな騒《さわ》ぎが始まったと思うと、なんとなく気がとがめるので、知らず知らずほんとうに竜《りゆう》が昇《のぼ》ってくれればいいと念じ出したのでございましょうか。その辺の事情はともかくも、あの高札の文句を書いたものは自分だと重々承知しながら、それでも恵印はしだいしだいに情けない気もちが薄くなって、自分も叔《お》母《ば》の尼《あま》と同じように飽《あ》かず池の面《おもて》を眺《なが》め始めました。またなるほどそういう気が起こりでもいたしませんでしたら、昇る気づかいのない竜を待って、いかに不《ふう》承《しよう》不《ぶ》承《しよう》とは申すものの、南大門の下に小一日も立っておるわけにはまいりますまい。
「けれども猿沢の池は前のとおり、漣《さざなみ》も立てずに春の日ざしを照り返しているばかりでございます。空もやはりほがらかに晴れ渡《わた》って、拳《こぶし》ほどの雲の影《かげ》さえ漂《ただよ》っている容《よう》子《す》はございません。が、見物は相変わらず、日《ひ》傘《がさ》の陰にも、平《ひら》張《ばり》の下にも、あるいはまた桟《さ》敷《じき》の欄《らん》干《かん》の後ろにも、蔟《ぞく》々《ぞく》と重なり重なって、朝から午《ひる》へ、午から夕《ゆうべ》へ日影が移るのも忘れたように、竜王が姿を現わすのを今か今かと待っておりました。
「すると恵印がそこへ来てから、やがて半日もすぎた時分、まるで線《せん》香《こう》の《けむり》煙のような一すじの雲が中《なか》空《ぞら》にたなびいたと思いますと、見る間にそれが大きくなって、今までのどかに晴れていた空が、にわかにうす暗く変わりました。そのとたんに一《いち》陣《じん》の風がさっと、猿沢の池に落ちて、鏡のように見えた水の面《おもて》に無数の波を描きましたが、さすがに覚《かく》悟《ご》はしていながらあわてまどった見物が、あれよあれよと申す間もなく、天を傾《かたむ》けてまっ白にどっと雨が降り出したではございませんか。のみならず神鳴りも急に凄《すさま》じく鳴りはためいて、絶えず稲《いな》妻《ずま》が梭《おさ》のように飛びちがうのでございます。それが一度鍵《かぎ》の手に群がる雲を引っ裂《さ》いて、余る勢いに池の水を柱のごとく捲《ま》き起こしたようでございましたが、恵印の眼にはその刹《せつ》那《な》、その水煙と雲との間に、金《こん》色《じき》の爪をひらめかせて一文字に空へ昇《のぼ》って行く十丈《じよう》あまりの黒《こく》竜《りゆう》が、朦《もう》朧《ろう》として映りました。が、それは瞬《またた》く暇《ひま》で、後はただ風雨の中に、池をめぐった桜《さくら》の花がまっ暗な空へ飛ぶのばかり見えたと申す事でございます――度を失った見物が右往左往に逃《に》げ惑《まど》って、他にも劣《おと》らない人波を稲《いな》妻《ずま》の下で打たせた事は、いまさら別にくだくだしく申し上げるまでもございますまい。
「さてそのうちに豪《ごう》雨《う》もやんで、青空が雲間に見え出しますと、恵印は鼻の大きいのも忘れたような顔色で、きょろきょろあたりを見《み》廻《まわ》しました。いったい今見た竜の姿は眼のせいではなかったろうか――そう思うと、自分が高《こう》札《さつ》を打った当人だけに、どうも竜の天上するなどと申す事は、なさそうな気もいたしてまいります。と申して、見た事は確かに見たのでございますから、考えれば考えるほどますます不《ふ》審《しん》でたまりません。そこでかたわらの柱の下に死んだようになって坐《すわ》っていた叔《お》母《ば》の尼《あま》を抱き起こしますと、妙《みよう》にてれた容《よう》子《す》も隠しきれないで、『竜をご覧《ろう》じられたかな』と臆《おく》病《びよう》らしく尋ねました。すると叔母は大息をついて、しばらくは口もきけないのか、ただ何度となく恐《おそ》ろしそうにうなずくばかりでございましたが、やがてまた震《ふる》え声で、『見たともの、見たともの、金《こん》色《じき》の爪《つめ》ばかりひらめかいた、一面にまっ黒な竜神じゃろが』と答えるのでございます。してみますと竜を見たのは、なにも鼻《はな》蔵人《くろうど》の得《とく》業《ごう》恵《え》印《いん》の眼のせいばかりではなかったのでございましょう。いや、後で世間の評判を聞きますと、その日そこに居合わせた老《ろう》若《にやく》男《なん》女《によ》はたいてい皆雲の中に黒竜の天へ昇《のぼ》る姿を見たと申す事でございました。
「その後恵印はなにかの拍《ひよう》子《し》に、実はあの建札は自分の悪戯《いたずら》だったと申す事を白状してしまいましたが、恵《え》門《もん》を始め仲間の法師は一人もその白状をほんとうとは思わなかったそうでございます。これでいったいあの建札の悪戯は図星にあたったのでございましょうか。それとも的をはずれたのでございましょうか。鼻《はな》蔵《ぐら》の、鼻《はな》蔵人《くろうど》の、大鼻の蔵人得業の恵印法師に尋《たず》ねましても、おそらくこの返答ばかりはいたし兼ねるのに相違ございますまい…………」
宇《う》治《じ》大《だい》納《な》言《ごん》隆《たか》国《くに》「なるほどこれは面《めん》妖《よう》な話じゃ。昔《むかし》はあの猿《さる》沢《さわの》池《いけ》にも、竜が棲《す》んでおったとみえるな。なに、昔もいたかどうかわからぬ。いや、昔は棲んでおったに相《そう》違《い》あるまい。昔は天《あめ》が下の人間も皆《みな》心《しん》から水《みな》底《そこ》には竜が住むと思うておった。さすれば竜もおのずから天《あめ》地《つち》の間に飛《ひ》行《ぎよう》して、神のごとくおりおりは不思議な姿を現わしたはずじゃ。が、予に談議をいたさせるよりは、その方どもの話を聞かせてくれい。次は行《さん》脚《ぎや》の法師の番じゃな。
「なに、その方の物語は、池《いけ》の尾《お》の禅《ぜん》智《ち》内《ない》供《ぐ》とか申す鼻の長い法師の事《*》じゃ? これは鼻蔵の後だけに、一段とおもしろかろう。ではさっそく話してくれい。――」
(大正八年四月)
疑《ぎ》 惑《わく》
今ではもう十年あまり以前になるが、ある年の春私は実《じつ》践《せん》倫《りん》理《り》学《がく》の講《こう》演《えん》を依《い》頼《らい》されて、その間かれこれ一週間ばかり、岐阜県下の大《おお》垣《がき》町《まち》へ滞《たい》在《ざい》することになった。元来地方有志なるもののありがた迷惑な厚《こう》遇《ぐう》に辟《へき》易《えき》していた私は、私を請《せい》待《たい》してくれたある教育家の団体へあらかじめ断わりの手紙を出して、送《そう》迎《げい》とか宴《えん》会《かい》とかあるいはまた名所の案内とか、そのほかいろいろ講演に附《ふ》随《ずい》する一《いつ》切《さい》の無用な暇《ひま》つぶしを拒《きよ》絶《ぜつ》したい旨《むね》希望しておいた。すると幸い私の変人だという風評は夙《つと》にこの地方にも伝えられていたものとみえて、やがて私が向こうへ行くと、その団体の会長たる大垣町長の斡《あつ》旋《せん》によって、万事がこのわがままな希望どおり取り計らわれたばかりでなく、宿も特に普通の旅館を避《さ》けて、町内の素《そ》封《ほう》家《か》N氏の別荘とかになっている閑《かん》静《せい》な住居《すまい》を周《しゆう》旋《せん》された。私がこれから話そうと思うのは、その滞在ちゅうその別荘で偶《ぐう》然《ぜん》私が耳にしたある悲《ひ》惨《さん》な出来事の顛《てん》末《まつ》である。
その住居のある所は、巨《こ》鹿《ろく》城《じよう*》に近い廓《くるわ》町《まち》の最も俗《ぞく》塵《じん》に遠い一区《く》劃《かく》だった。ことに私の起《き》臥《が》していた書院造りの八畳《じよう》は、日当たりこそ悪い憾《うら》みはあったが、障《しよう》子《じ》襖《ふすま》ほどよく寂《さ》びのついた、いかにも落ち着きのある座《ざ》敷《しき》だった。私の世話を焼いてくれる別荘番の夫婦者は、格別用のないかぎり、いつも勝手に下がっていたから、このうす暗い八畳の間《ま》はたいてい森閑として人《ひと》気《け》がなかった。それは御《み》影《かげ》の手《ちよ》水《ず》鉢《ばち》の上に枝《えだ》を延している木《もく》蓮《れん》が、時々白い花を落とすのでさえ、明らかに聞き取れるような静かさだった。毎日午前だけ講演に行った私は、午後と夜とをこの座《ざ》敷《しき》で、はなはだ泰《たい》平《へい》に暮らす事ができた。が、同時にまた、参考書と着換えとを入れた鞄《かばん》のほかに何一つない私自身を、春《はる》寒《さむ》く思う事もたびたびあった。
もっとも午後は時おり来る訪問客に気が紛《まぎ》れて、さほど寂《さび》しいとは思わなかった。が、やがて竹の筒《つつ》を台にした古風なランプに火がともると、人間らしい気息《いぶき》の通う世界は、たちまちそのかすかな光に照らされる私の周囲だけに縮まってしまった。しかも私にはその周囲さえ、決して頼《たの》もしい気は起こさせなかった。私の後ろにある床《とこ》の間には、花も活《い》けてない青銅の瓶《かめ》が一つ、威《い》かつくどっしりとすえてあった。そうしてその上には怪《あや》しげな楊《よう》柳《りゆう》観《かん》音《のん》の軸《じく》が、煤《すす》けた錦《きん》欄《らん》の表《ひよう》装《そう》の中に朦《もう》朧《ろう》と墨《ぼく》色《しよう》を弁じていた。私はおりおり書見の眼をあげて、この古ぼけた仏画をふり返ると、必ず〓《た》きもしない線《せん》香《こう》がどこかで匂《にお》っているような心もちがした。それほど座敷の中には寺らしい閑《かん》寂《じやく》の気がこもっていた。だから私はよく早《はや》寝《ね》をした。が、床にはいっても容易に眠くはならなかった。雨戸の外では夜《よ》鳥《どり》の声が、遠近を定めず私を驚《おどろ》かした。その声はこの住居《すまい》の上にある天《てん》主《しゆ》閣《かく》を心に描かせた。昼見るといつも天主閣は、蓊《おう》鬱《うつ》とした松の間に三《さん》層《ぞう》の白壁をたたみながら、その反《そ》り返った家根の空へ無数の鴉《からす》をばらまいている。――私はいつかうとうとと浅い眠りに沈《しず》みながら、それでもまだ腹の底には水のような春《はる》寒《さむ》が漂《ただよ》っているのを意識した。
するとある夜の事――それは予定の講演日数が将《まさ》に終わろうとしているころであった。私はいつものとおりランプの前にあぐらをかいて、漫《まん》然《ぜん》と書見にふけっていると、突然次の間との境の襖《ふすま》が無気味なほど静かに明いた。その明いたのに気がついた時、無意識にあの別荘番を予期していた私は、おりよく先刻書いておいた端《は》書《がき》の投《とう》函《かん》を頼《たの》もうと思って、何気なくその方を一《いち》瞥《べつ》した。するとその襖《ふすま》側《ぎわ》のうす暗がりには、私の全く見知らない四十恰《がつ》好《こう》の男が一人、端《たん》然《ぜん》として坐《すわ》っていた。実を言えばその瞬《しゆん》間《かん》、私は驚《きよう》愕《がく》――と言うよりもむしろ迷信的な恐《きよう》怖《ふ》に近い一種の感情に脅《おびや》かされた。また実際その男は、それだけのショックに価すべく、ぼんやりしたランプの光を浴びて、妙《みよう》に幽《ゆう》霊《れい》じみた姿をそなえていた。が、彼は私と顔を合わすと、昔《むかし》風《ふう》に両《りよう》肱《ひじ》を高く張ってうやうやしく頭《かしら》を下げながら、思ったよりも若い声で、ほとんど機械的にこんな挨《あい》拶《さつ》のことばを述べた。
「夜《や》中《ちゆう》、ことにお忙《いそが》しいところをお邪《じや》魔《ま》に上がりまして、なんとも申し訳のいたしようはございませんが、ちと折り入って先生にお願い申したい儀《ぎ》がございまして、失礼をも顧《かえり》みず、参上いたしたようなしだいでございます」
ようやく最初のショックから恢《かい》復《ふく》した私は、その男がこう弁じ立てている間に、始めて落ち着いて相手を観察した。彼は額《ひたい》の広い、頬《ほお》のこけた、年にも似合わず眼に働きのある、品のいい半《はん》白《ぱく》の人物だった。それが紋《もん》附《つき》でこそなかったが、見苦しからぬ羽《は》織《おり》袴《はかま》で、しかも膝《ひざ》のあたりにはちゃんと扇《せん》面《めん》を控《ひか》えていた。ただ、とっさの際にも私の神経を刺《し》戟《げき》したのは、彼の左の手の指が一本欠けている事だった。私はふとそれに気がつくと、我知らず眼をその手からそらさないではいられなかった。
「なにかご用ですか」
私は読みかけた書物を閉じながら、無愛想にこう問いかけた。言うまでもなく私には、彼の唐《とう》突《とつ》な訪問が意外であるとともに腹立たしかった。と同時にまた別荘番が一《いち》言《ごん》もこの客《きやく》来《らい》を取り次がないのも不《ふ》審《しん》だった。しかしその男は私の冷《れい》淡《たん》な言葉にもめげないで、もう一度額を畳《たたみ》につけると、相変わらず朗読でもしそうな調子で、
「申し遅《おく》れましたが、私は中《なか》村《むら》玄《げん》道《どう》と申しますもので、やはり毎日先生のご講演を伺《うかが》いに出ておりますが、もちろん多数の中でございますから、お見覚えもございますまい。どうかこれをご縁《えん》にして、今後はまたなにぶんともよろしくご指導のほどをお願いいたします」
私はここに至って、ようやくこの男の来意がのみこめたような心もちがした。が、夜《や》中《ちゆう》書見の清《せい》興《きよう》を破られたことは、依然として不快に違いなかった。
「すると――なにか私の講演に質疑でもあるとおっしゃるのですか」
こう尋《たず》ねた私は内心ひそかに、「質疑なら明《みよう》日《にち》講演場で伺いましょう」と言う体《てい》のいい撃退の文句を用意していた。しかし相手はやはり顔の筋肉一つ動かさないで、じっと袴《はかま》の膝《ひざ》の上に視線を落としながら、
「いえ、質疑ではございません。ございませんが、実は私一身のふり方につきまして、善悪とも先生のご意見を承りたいのでございます。と申しますのは、ただ今からざっと二十年ばかり以前、私はある思いもよらない出来事に出合いまして、その結果とんと私にも私自身がわからなくなってしまいました。つきましては、先生のような倫理学界の大家のお説を伺いましたら、自然分別もつこうと存じまして、今晩はわざわざ推参いたしたのでございます。いかかでございましょう。ご退《たい》屈《くつ》でも私の身の上話を一通りお聴《き》き取り下さるわけにはまいりますまいか」
私は答えに躊《ちゆう》躇《ちよ》した。なるほど専門の上から言えば倫理学者には相《そう》違《い》ないが、そうかと言ってまた私は、その専門の知識を運転させてすぐに当面の実際問題への霊《れい》活《かつ》な解決を与え得るほど、融通のきく頭脳の持ち主だとは遺《い》憾《かん》ながらうぬぼれることができなかった。すると彼は私の逡《しゆん》巡《じゆん》に早くも気がついたとみえて、今まで袴《はかま》の膝《ひざ》の上に伏《ふ》せていた視線をあげると、半ば歎《たん》願《がん》するように、怯《お》ず怯《お》ず私の顔色を窺《うかが》いながら、前よりやや自然な声で、慇《いん》懃《ぎん》にこう言葉を継いだ。
「いえ、それももちろん強《し》いて先生から、是非のご判断を伺《うかが》わなくてはならないと申すわけではございません。ただ、私がこの年になりますまで、始終頭を悩まさずにはいられなかった問題でございますから、せめてその間の苦しみだけでも先生のような方のお耳に入れて、多少にもせよ私自身の心やりにいたしたいと思うのでございます」
こう言われてみると私は、義理にもこの見知らない男の話を聞かないというわけには行かなかった。が、同時にまた不吉な予感と茫《ぼう》漠《ばく》とした一種の責任感とが、重苦しく私の心の上にのしかかってくるような心もちもした。私はそれらの不安な感じを払《はら》いのけたい一心から、わざと気軽らしい態度を装《よそお》って、うすぼんやりしたランプの向こうに近々と相手を招じながら、
「ではとにかくお話だけ伺いましょう。もっともそれを伺ったからといって、格別ご参考になるような意見などは申し上げられるかどうかわかりませんが」
「いえ、ただ、お聞きになってさえくだされば、それでもう私には本《ほん》望《もう》すぎるくらいでございます」
中《なか》村《むら》玄《げん》道《どう》と名のった人物は、指の一本足りない手に畳《たたみ》の上の扇《せん》子《す》をとり上げると、時々そっと眼をあげて私よりもむしろ床《とこ》の間の楊《よう》柳《りゆう》観《かん》音《のん》を偸《ぬす》み見ながら、やはり抑《よく》揚《よう》に乏《とぼ》しい陰《いん》気《き》な調子で、とぎれがちにこう話し始めた。
――――――――――
ちょうど明治二十四年の事でございます。ご承知のとおり二十四年と申しますと、あの濃《のう》尾《び》の大《おお》地《じ》震《しん*》がございました年で、あれ以来この大《おお》垣《がき》もがらりと容《よう》子《す》が違《ちが》ってしまいましたが、そのころ町には小学校がちょうど二つございまして、一つは藩《はん》侯《こう》のお建てになったもの、一つは町《まち》方《かた》の建てたものと、こう分かれておったものでございます。私はその藩侯のお建てになったK小学校へ奉《ほう》職《しよく》しておりましたが、二、三年前に県の師《し》範《はん》学校を首席で卒業いたしましたのと、その後《のち》また引き続いて校長などの信用も相当にございましたのとで、年《ねん》輩《ぱい》にしては高級な十五円という月《げつ》俸《ぽう》を頂《ちよう》戴《だい》いたしておりました。ただいまでこそ十五円の月給取は露《ろ》命《めい》もつなげないくらいでございましょうが、なにぶん二十年も以前のことで、十分とはまいりませんでも、暮《く》らしに不自由はございませんでしたから、同《どう》僚《りよう》の中でも私などは、どちらかと申すと羨《せん》望《ぼう》の的になったほどでございました。
家族は天にも地にも妻一人で、それもまだ結婚してから、ようやく二年ばかりしかたたないころでございました。妻は校長の遠《とお》縁《えん》のもので、幼い時に両親に別れてから私の所へ片づくまで、ずっと校長夫婦が娘《むすめ》のようにめんどうをみてくれた女でございます。名は小《さ》夜《よ》と申しまして、私の口から申し上げますのも、異なものでございますが、至ってすなおな、はにかみやすい――その代わりまた無口過ぎて、どこか影《かげ》の薄《うす》いような、寂《さび》しい生まれつきでございました。が、私には似たもの夫婦で、たといこれと申すほどの花々しい楽しさはございませんでも、まず安らかなその日その日を、送ることができたのでございます。
するとあの大《おお》地《じ》震《しん》で、――忘れもいたしません十月の二十八日、かれこれ午前七時ごろでございましょうか。私が井《い》戸《ど》端《ばた》で楊《よう》枝《じ》を使っていると、妻は台所で釜《かま》の飯を移している。――その上へ家がつぶれました。それがほんの一、二分の間のことで、まるで大風のような凄《すさま》じい地鳴りが襲《おそ》いかかったと思いますと、たちまちめきめきと家が傾《かし》いで、後はただ瓦《かわら》の飛ぶのが見えたばかりでございます。私はあっという暇《ひま》もなく、やにわに落ちて来た庇《ひさし》に敷《し》かれて、しばらくは無《む》我《が》夢《む》中《ちゆう》のまま、どこからともなく寄せてくる大震動の波に揺《ゆ》られておりましたが、やっとその庇の下から土《つち》煙《けむり》の中へ這《は》い出して見ますと、目の前にあるのは私の家の屋根で、しかも瓦の間に草の生《は》えたのが、そっくり地の上へひしゃげておりました。
その時の私の心もちは、驚《おどろ》いたと申しましょうか。あわてたと申しましょうか。まるで放心したのも同前でべったりそこへ腰《こし》を抜《ぬ》いたなり、ちょうど嵐《あらし》の海のように右にも左にも屋根を落とした家々の上へ眼をやって、地鳴りの音、梁《はり》の落ちる音、樹《じゆ》木《もく》の折れる音、壁《かべ》の崩《くず》れ音、それから幾《いく》千《せん》人《にん》もの人々が逃《に》げ惑《まど》うのでございましょう、声とも音ともつかない響きが騒《そう》然《ぜん》と煮《に》えくり返るのをぼんやり聞いておりました。が、それはほんの刹《せつ》那《な》の間で、やがて向こうの庇《ひさし》の下に動いているものを見つけますと、私は急に飛び上がって、凶《わる》い夢からでも覚《さ》めたように意味のない大声をあげながら、いきなりそこへ駈《か》けつけました。庇の下には妻の小《さ》夜《よ》が、下《か》半《はん》身《しん》を梁《はり》に圧《お》されながら、悶《もだ》え苦しんでおったのでございます。
私は妻の手を執《と》って引っ張りました。妻の肩《かた》を押《お》して起こそうとしました。が、圧《お》しにかかった梁は、虫の這《は》い出すほども動きません。私はうろたえながら、庇の板を一枚むしり取りました。取りながら、何度も妻に向かって「しっかりしろ」と喚《わめ》きました。妻を? いやあるいは私自身を励《はげ》ましていたのかも存じません。小夜は「苦しい」と申しました。「どうかしてくださいまし」とも申しました。が、私に励まされるまでもなく、別人のように血相を変えて、必死に梁をもたげようといたしておりましたから、私はその時妻の両手が、爪《つめ》も見えないほど血にまみれて、震《ふる》えながら梁をさぐっておったのが、今でもまざまざと苦しい記《き》憶《おく》に残っているのでございます。
それが長い長い間のことでございました。――そのうちにふと気がつきますと、どこからか濛《もう》々《もう》とした黒《くろ》い煙《けむり》が一なだれに屋根を渡《わた》って、むっと私の顔へ吹《ふ》きつけました。と思うと、その煙の向こうにけたたましく何か爆《は》ぜる音がして、金《きん》粉《ぷん》のような火粉《ひのこ》がばらばらと疎《まば》らに空へ舞《ま》い上がりました。私は気の違《ちが》ったように妻へしがみつきました。そうしてもう一度無《む》二《に》無《む》三《さん》に、妻の体を梁の下から引きずり出そうといたしました。が、やはり妻の下半身は一《いつ》寸《すん》も動かすことはできません。私はまた吹きつけて来る煙を浴びて、庇に片《かた》膝《ひざ》つきながら、噛みつくように妻へ申しました。なにを? とお尋《たず》ねになるかも存じません。いや、必ずお尋ねになりましょう。しかし私も何を申したか、とんと覚えていないのでございます。ただ私はその時妻が、血にまみれた手で私の腕《うで》をつかみながら、「あなた」と一《ひと》言《こと》申したのを覚えております。私は妻の顔を見つめました。あらゆる表情を失った、眼ばかりいたずらに大きく見開いている、気味の悪い顔でございます。すると今度は煙《けむり》ばかりか、火の粉をあおった一《いち》陣《じん》の火気が、眼もくらむほど私を襲《おそ》ってきました。私はもう駄《だ》目《め》だと思いました。妻は生きながら火に焼かれて、死ぬのだと思いました。生きながら? 私は血だらけな妻の手を握《にぎ》ったまま、また何か喚《わめ》きました。と、妻もまた繰《く》り返して、「あなた」と一《ひと》言《こと》申しました。私はその時その「あなた」と言う言葉の中に、無数の意味、無数の感情を感じたのでございます。生きながら? 生きながら? 私は三度何か叫《さけ》びました。それは「死ぬ」と言ったようにも覚えております。「己《おれ》も死ぬ」と言ったようにも覚えております。が、なんと言ったかわからないうちに、私は手当りしだい、落ちている瓦《かわら》を取り上げて、続けさまに妻の頭へ打ち下ろしました。
それから後《のち》のことは、先生のお察しにまかせるほかはございません。私は独《ひと》り生き残りました。ほとんど町じゅうを焼きつくした火と煙とに追われながら、小山のように路をふさいだ家々の屋根の間をくぐって、ようやく危い一命を拾ったのでございます。幸か、それともまた不幸か、私にはなんにもわかりませんでした。ただその夜、まだ燃えている火事の光を暗い空に望みながら、同《どう》僚《りよう》の一人二人といっしょに、やはり一ひしぎにつぶされた学校の外の仮小屋で、炊《た》き出しの握り飯を手にとった時とめどなく涙《なみだ》が流れたことは、いまだにどうしても忘れられません。
――――――――――
中《なか》村《むら》玄《げん》道《どう》はしばらく言葉を切って、臆《おく》病《びよう》らしい眼を畳《たたみ》へ落とした。突《とつ》然《ぜん》こんな話を聞かされた私も、いよいよ広い座《ざ》敷《しき》の春《はる》寒《さむ》が襟《えり》元《もと》まで押《お》し寄せたような心もちがして、「なるほど」と言う元気さえ起こらなかった。
部《へ》屋《や》の中には、ただ、ランプの油を吸い上げる音がした。それから机の上に載《の》せた私の懐《かい》中《ちゆう》時計が、細かく時を刻む音がした。と思うとまたその中で、床《とこ》の間の楊《よう》柳《りゆう》観《かん》音《のん》が身動きをしたかと思うほど、かすかな吐《と》息《いき》をつく音がした。
私は悸《おび》えた眼をあげて、悄《しよう》然《ぜん》と坐《すわ》っている相手の姿を見守った。吐息をしたのは彼だろうか。それとも私自身だろうか。――が、その疑問が解けないうちに、中村玄道はやはり低い声で、おもむろに話を続け出した。
――――――――――
申すまでもなく私は、妻の最《さい》期《ご》を悲しみました。そればかりか、時としては、校長始め同《どう》僚《りよう》から、親切な同情の言葉を受けて、人前も恥《は》じず涙《なみだ》さえ流したことがございました。が、私があの地《じ》震《しん》で、妻を殺したということだけは、妙《みよう》に口へ出して言うことができなかったのでございます。
「生きながら火に焼かれるよりはと思って、私が手にかけて殺してきました」――これだけのことを口外したからといって、なにも私が監《かん》獄《ごく》へ送られるしだいでもございますまい。いや、むしろそのために世間はいっそう私に同情してくれたのに相《そう》違《い》ございません。それがどういうものか、言おうとするとたちまち喉《のど》元《もと》にこびりついて、一《ひと》言《こと》も舌が動かなくなってしまうのでございます。
当時の私はその原因が、全く私の臆《おく》病《びよう》に根ざしているのだと思いました。が、実は単に臆病というよりも、もっと深い所に潜《ひそ》んでいる原因があったのでございます。しかしその原因は、私に再婚の話が起こって、いよいよもう一度新《しん》生《しよう》涯《がい》へはいろうという間ぎわまでは、私自身にもわかりませんでした。そうしてそれがわかった時、私はもう二度と人《ひと》並《な》みの生活を送る資格のない、憐《あわ》れむべき精神上の敗残者になるよりほかはなかったのでございます。
再婚の話を私に持ち出したのは、小《さ》夜《よ》の親《おや》許《もと》になっていた校長で、これが純《じゆん》粋《すい》に私のためを計った結果だと申すことは私にもよくのみ込めました。また実際そのころはもうあの大地震があってから、かれこれ一年あまりたった時分で、校長がこの間題を切り出した以前にも、内々同じような相談を持ちかけて私の口《くち》裏《うら》を引いてみるものが一度ならずあったのでございます。ところが校長の話を聞いてみますと、意外なことにはその縁《えん》談《だん》の相手というのが、ただいま先生のいらっしゃる、このN家の二番娘《むすめ》で、当時私が学校以外にも、時々出《で》稽《げい》古《こ》のめんどうをみてやった尋《じん》常《じよう》四年生の長男の姉だったろうではございませんか。もちろん私は一応辞退しました。第一教員の私と資産家のN家とでは格段に身分も違《ちが》いますし、家庭教師という関係上、結婚までには何かいわくがあったろうなどと、痛くない腹を探られるのもおもしろくないと思ったからでございます。同時にまた私の進まなかった理由の後ろには、去る者は日に疎《うと》しで、以前ほど悲しい記《き》憶《おく》はなかったまでも、私自身打ち殺した小《さ》夜《よ》の面《おも》影《かげ》が、箒《ほうき》星《ぼし》の尾のようにぼんやりまつわっていたのに相《そう》違《い》ございません。
が、校長は十分私の心もちを汲《く》んでくれたうえで、私くらいの年《ねん》輩《ぱい》の者が今後独身生活を続けるのは困難だという事、しかも今度の縁談は先方からたっての所《しよ》望《もう》だという事、校長自身が進んで媒《ばい》酌《しやく》の労を執《と》る以上、悪評などが立ついわれのないという事、そのほか日ごろ私の希望している東京遊学のごときも、結婚した暁《あかつき》には大いに便《べん》宜《ぎ》があるだろうという事――そう事をいろいろ並《なら》べ立てて、根気よく私を説きました。こう言われてみますと、私も無《む》下《げ》には断わってしまうわけにはまいりません。そこへ相手の娘《むすめ》と申しますのは、評判の美人でございましたし、そのうえお恥《は》ずかしいしだいではございますが、N家の資産にも目がくれましたので、校長に勧められるのもたび重なってまいりますと、いつか「熟考してみましょう」が「いずれ年でも変わりましたら」などと、だんだん軟《なん》化《か》いたし始めました。そうしてその年の変わった明治二十六年の初夏には、いよいよ秋になったら式を挙げるという運びさえついてしまったのでございます。
するとその話がきまったころから、妙《みよう》に私は気が鬱《うつ》して、自分ながら不思議に思うほど、何をするにも昔《むかし》のような元気がなくなってしまいました。たとえば学校へまいりましても、教員室の机によりかかりながら、ぼんやり何かに思いふけって、授業の開始を知らせる板《ばん》木《ぎ》の音さえ、聞き落としてしまうようなことがたびたびあるのでございます。その癖《くせ》何が気になるのかと申しますと、それは私にもはっきりとは見《み》極《きわ》めをつけることができません。ただ、頭の中の歯車がどこかしっくり合わないような――しかもそのしっくり合わない向こうには、私の自覚を超《ちよう》越《えつ》した秘密がわだかまっているような、気味の悪い心もちがするのでございます。
それがざっと二《ふた》月《つき》ばかり続いてからのことでございましたろう。ちょうど暑中休《きゆう》暇《か》になった当座で、ある夕方私が散歩かたがた、本願寺別院の裏手にある本屋の店先を覗《のぞ》いてみますと、そのころ評判の高かった風俗画報《*》と申す雑誌が五、六冊、夜《や》窓《そう》鬼《き》談《だん*》や月《げつ》耕《こう》漫《まん》画《が*》などといっしょに、石版刷りの表紙を並べておりました。そこで店先にたたずみながら、何気なくその風俗画報を一冊手にとって見ますと、表紙に家が倒れたり火事が始まったりしている画《え》があって、そこへ二行に「明治廿四年十一月三十日発行、十月廿八日震《しん》災《さい》記聞」と大きく刷ってあるのでございます。それを見た時、私は急に胸がはずみ出しました。私の耳もとでは誰かがうれしそうに嘲《あざ》笑《わら》いながら、「それだ。それだ」とささやくような心もちさえいたします。私はまだ火をともさない店先の薄《うす》明《あ》かりで、あわただしく表紙をはぐって見ました。するとまっ先に一家の老《ろう》若《にやく》が、落ちてきた梁《はり》に打ちひしがれて惨《ざん》死《し》を遂《と》げる画が出ております。それから土地が二つに裂けて足を過《あやま》った女子供をのんでいる画が出ております。それから――いちいち数え立てるまでもございませんが、その時その風俗画報は、二年以前の大地震の光景をふたたび私の眼の前へ展開してくれたのでございます。長《なが》良《ら》川《がわ》鉄橋陥《かん》落《らく》の図、尾《お》張《わり》紡績会社破《は》壊《かい》の図、第三師団兵士屍《し》体《たい》発《はつ》掘《くつ》の図、愛知病院負傷者救護の図――そういう凄《せい》惨《さい》な画は次から次と、あの呪《のろ》わしい当時の記《き》憶《おく》の中へ私を引きこんでまいりました。私は眼がうるみました。体も震《ふる》え始めました。苦痛とも歓喜ともつかない感情は、用捨なく私の精神を蕩《とう》漾《よう》させてしまいます。そうして最後の一枚の画が私の眼の前に開かれた時――私は今でもその時の驚《きよう》愕《がく》がありあり心に残っております。それは落ちてきた梁に腰《こし》を打たれて、一人の女が無《む》惨《ざん》にも悶《もだ》え苦しんでいる画でございました。その梁の横たわった向こうには、黒《くろ》煙《けむり》が濛《もう》々《もう》と巻き上がって、朱を撥《はじ》いた火の粉さえ乱れ飛んでいるではございませんか。これが私の妻でなくて誰でしょう。妻の最《さい》期《ご》でなくてなんでしょう。私は危うく風俗画報を手から落とそうといたしました。危うく声をあげて叫ぼうといたしました。しかもそのとたんにいっそう私を悸《おび》えさせたのは、突然あたりが赤々と明るくなって、火事を想《おも》わせるような煙の匂《にお》いがぷんと鼻を打ったことでございます。私はしいて心を押《お》し鎮《しず》めながら、風俗画報を下へ置いて、きょろきょろ店先を見《み》廻《まわ》しました。店先ではちょうど小《こ》僧《ぞう》が吊《つり》ランプへ火をとぼして、夕暗の流れている往来へ、また煙《けむり》の立つマッチ殻《がら》を捨てているところだったのでございます。
それ以来、私は、前よりもさらに幽《ゆう》鬱《うつ》な人間になってしまいました。今まで私を脅《おびや》かしたのはただなんとも知れない不安な心もちでございましたが、その後はある疑《ぎ》惑《わく》が私の頭の中にわだかまって、日夜を問わず私を責めさいなむのでございます。と申しますのは、あの大《おお》地《じ》震《しん》の時私が妻を殺したのは、果たしてやむを得なかったのだろうか。――もういっそう露《ろ》骨《こつ》に申しますと、私は妻を殺したのは、始めから殺したい心があって殺したのではなかったろうか。大地震はただ私のために機会を与えたのではなかったろうか、――こういう疑惑でございました。私はもちろんこの疑惑の前に、何度思い切って「否《いな》、否」と答えたことだかわかりませんが、本屋の店先で私の耳に「それだ。それだ」とささやいた何物かは、そのたびにまた嘲《あざ》笑《わら》って、「ではなぜお前は妻を殺した事を口外することができなかったのだ」と、問いつめるのでございます。私はその事実に思い当たると、必ずぎくりといたしました。ああ、なぜ私は妻を殺したなら殺したと言い放てなかったのでございましょう。なぜ今日までひた隠《かく》しに、それほどの恐《おそ》ろしい経験を隠しておったのでございましょう。
しかもその際私の記《き》憶《おく》へ鮮《あざ》やかに生き返ってきたものは、当時の私が妻の小《さ》夜《よ》を内心憎《にく》んでいたという、忌《いま》まわしい事実でございます。これは恥《はじ》をお話ししなければ、ちとご会《え》得《とく》がまいらないかも存じませんが、妻は不幸にも肉体的に欠《けつ》陥《かん》のある女でございました。(以下八十二行省略)…………そこで私はその時までは、おぼつかないながら私の道徳感情がともかくも勝利を博したものと信じておったのでございます。が、あの大地震のような凶変が起こって、一《いつ》切《さい》の社会的束《そく》縛《ばく》が地上から姿を隠《かく》した時、どうしてそれとともに私の道徳感情も亀《き》裂《れつ》を生じなかったと申せましょう。どうして私の利己心も火の手を揚《あ》げなかったと申せましょう。私はここに立ち至ってやはり妻を殺したのは、殺すために殺したのではなかったろうかという、疑《ぎ》惑《わく》を認めずにはおられませんでした。私がいよいよ幽鬱になったのは、むしろ自然の数《すう》とでも申すべきものだったのでございます。
しかしまだ私には、「あの場合妻を殺さなかったにしても、妻は必ず火事のために焼け死んだのに相《そう》違《い》ない。そうすればなにも妻を殺したのが、特に自分の罪悪だと言われないはずだ」という一条の血路がございました。ところがある日、もう季節が真夏から残暑へ振《ふ》り変わって、学校が始まっていたころでございますが、私ども教員が一同教員室のテエブルを囲んで、番茶を飲みながら、たわいもない雑談をかわしておりますと、どういう時の拍《ひよう》子《し》だったか、話題がまたあの二年以前の大地震に落ちた事がございます。私はその時も独《ひと》り口をつぐんだぎりで、同《どう》僚《りよう》の話を聞くともなく聞き流しておりましたが、本願寺の別院の屋根が落ちた話、船《ふな》町《まち》の堤《てい》防《ぼう》が崩《くず》れた話、俵《たわら》町《まち》の往来の土が裂けた話――とそれからそれへ話がはずみましたが、やがて一人の教員が申しますには、中《なか》町《まち》とかの備《びん》後《ご》屋《や》という酒屋の女《によう》房《ぼう》は、いったん梁《はり》の下敷きになって、身動きもろくにできなかったのが、そのうちに火事が始まって、梁も幸い焼け折れたものだから、やっと命だけは拾ったと、こういうのでございます。私はそれを聞いた時に、にわかに目の前が暗くなって、そのまましばらくは呼吸さえも止まるような心《ここ》地《ち》がいたしました。また実際その間は、失心したも同様な姿だったのでございましょう。ようやく我に返ってみますと、同僚は急に私の顔色が変わって、椅《い》子《す》ごと倒《たお》れそうになったのに驚《おどろ》きながら、皆《みな》私のまわりへ集まって、水を飲ませるやら薬をくれるやら、大《おお》騒《さわ》ぎをいたしておりました。が、私はその同僚に礼を言う余《よ》裕《ゆう》もないほど、頭の中はあの恐《おそ》ろしい疑惑の塊《かたまり》でいっぱいになっていたのでございます。私はやはり妻を殺すために殺したのではなかったろうか。たとい梁に圧《お》されていても、万一命が助かるのを恐れて、打ち殺したのではなかったろうか。もしあのまま殺さないでおいたなら今の備後屋の女房の話のように、私の妻もどんな機会で九死に一生を得たかもしれない。それを私は情けなく、瓦《かわら》の一撃で殺してしまった――そう思った時の私の苦しさは、ひとえに先生のご推察を仰《あお》ぐほかはございません。私はその苦しみの中で、せめてはN家との縁《えん》談《だん》を断わってでも、いくぶん一身を潔《きよ》くしようと決心したのでございます。
ところがいよいよその運びをつけるという段になりますと、せっかくの私の決心は未練にもまた鈍《にぶ》り出しました。なにしろ近々結婚式を挙げようという間ぎわになって、突《とつ》然《ぜん》破談にしたいと申すのでございますから、あの大《おお》地《じ》震《しん》の時に私が妻を殺《せつ》害《がい》した顛《てん》末《まつ》はもとより、これまでの私の苦しい心中も一《いつ》切《さい》打ち明けなければなりますまい。それが小心な私には、いざという場合に立ち至ると、いかにみずから鞭《べん》撻《たつ》しても、断行する勇気が出なかったのでございます。私は何度となく腑《ふ》甲《が》斐《い》ない私自身を責めました。が、いたずらに責めるばかりで、なに一つ然るべき処置も取らないうちに、残暑はまた朝《あさ》寒《さむ》に移り変わって、とうとういわゆる華《か》燭《しよく》の典を挙げる日も、目前に迫《せま》ったではございませんか。
私はもうそのころには、だれともめったに口をきかないほど、沈《しず》み切った人間になっておりました。結婚を延期したらと注意した同《どう》僚《りよう》も、一人や二人ではございません。医者に見てもらったらという忠告も、三度まで校長から受けました。が、当時の私にはそういう親切な言葉の手前、外見だけでも健康を顧《こ》慮《りよ》しようという気力さえすでになかったのでございます。と同時にまたその連中の心配を利用して、病気を口実に結婚を延期するのも、今となっては意《い》気《く》地《じ》のない姑《こ》息《そく》手段としか思われませんでした。しかも一方ではN家の主人などが、私の気《き》鬱《うつ》の原因を独身生活の影《えい》響《きよう》だとでも感《かん》違《ちが》いをしたのございましょう。一日も早く結婚しろとしきりに主張しますので、日こそ違いますが二年前《ぜん》にあの大地震のあった十月、いよいよ私はN家の本《ほん》邸《てい》で結婚式を挙げることになりました。連日の心労に憔《しよう》悴《すい》し切った私が、花《はな》婿《むこ》らしい紋《もん》服《ぷく》を着用して、いかめしく金《きん》屏《びよう》風《ぶ》を立てめぐらした広間へ案内された時、どれほど私は今《こん》日《にち》の私を恥《は》ずかしく思ったでございましょう。私はまるで人目を偸《ぬす》んで、大罪悪を働こうとしている悪漢のような気がいたしました。いや、ような気ではございません。実際私は殺人の罪悪をぬり隠《かく》して、N家の娘と資産とを一時盗もうと企てている人《にん》非《ぴ》人《にん》なのでございます。私は顔が熱くなってまいりました。胸が苦しくなってまいりました。できるならこの場で、私が妻を殺した一条を逐《ちく》一《いち》白状してしまいたい。――そんな気がまるで嵐《あらし》のように、烈《はげ》しく私の頭の中を駈《か》けめぐり始めました。するとその時、私の着座している前の畳《たたみ》へ、夢のように白《しろ》羽《は》二《ぶた》重《え》の足《た》袋《び》が現われました。続いてほのかな波の空に松と鶴とが霞《かす》んでいる裾《すそ》模《も》様《よう》が見えました。それから錦《きん》欄《らん》の帯、はこせこ《*》の銀《ぎん》鎖《ぐさり》、白《しろ》襟《えり》と順を追って、鼈《べつ》甲《こう》の櫛《くし》笄《こうがい》が重そうに光っている高島田が眼にはいった時、私はほとんど息がつまるほど、絶体絶命な恐《きよう》怖《ふ》に圧《あつ》倒《とう》されて、思わず両手を畳《たたみ》へつくと、『私は人殺しです。極《ごく》重《じゆう》悪《あく》の罪人です』と、必死な声をあげてしまいました。………
――――――――――
中《なか》村《むら》玄《げん》道《どう》はこう語り終わると、しばらくじっと私の顔を見つめていたが、やがて口もとに無理な微《び》笑《しよう》を浮かべながら、
「その以後の事は申し上げるまでもございますまい。が、ただ一つお耳に入れておきたいのは、当日限り私は狂《きよう》人《じん》という名前を負わされて、憐《あわ》れむべき余生を送らなければならなくなったことでございます。果たして私が狂人かどうか、そのようなことは一《いつ》切《さい》先生のご判断にお任せいたしましょう。しかしたとえ狂人でございましても、私を狂人にいたしたものは、やはりわれわれ人間の心の底に潜《ひそ》んでいる怪《かい》物《ぶつ》のせいではございますまいか。その怪物がおりますかぎり、今日私を狂人と嘲《あざ》笑《わら》っている連中でさえ、明日はまた私と同様な狂人にならないものでもございません。――とまあ私は考えておるのでございますが、いかがなものでございましょう」
ランプは相変わらず私とこの無気味な客との間に、春寒い焔《ほのお》を動かしていた。私は楊柳観音を後ろにしたまま、相手の指の一本ないのさえ問い質《ただ》してみる気力もなく、黙《もく》然《ねん》と坐《すわ》っているよりほかはなかった。
(大正八年六月)
路 上
午《ど》砲《ん*》を打つと同時に、ほとんど人《ひと》影《かげ》の見えなくなった大学の図書館は、三十分たつかたたないうちに、もうどこの机を見ても、あらかたは閲《えつ》覧《らん》人《にん》で埋《う》まってしまった。
机に向かっているのはたいてい大学生で、中には年《ねん》輩《ぱい》の袴《はかま》羽《は》織《おり》や背広も、二、三人は交じっていたらしい。それが広い空間を規則正しくふさいだ向こうには、壁《かべ》にはめこんだ時計の下に、うす暗い書庫の入口が見えた。そうしてその入口の両側には、見上げるような大《おお》書《しよ》棚《だな》が、何段となく古ぼけた背皮を並《なら》べて、まるで学問の守備でもしている砦《とりで》のような感を与えていた。
が、それだけの人間が控《ひか》えているのにもかかわらず、図書館の中はひっそりしていた。と言うよりもむしろそれだけの人間がいて、始めて感じられるような一種の沈《ちん》黙《もく》が支配していた。書物のペエジを翻《ひるがえ》す音、ペンを紙に走らせる音、それから稀《まれ》に咳《せき》をする音――それらの音さえこの沈黙に圧《あつ》迫《ぱく》されて、空気の波動がまだ天井まで伝わらないうちに、そのまま途《と》中《ちゆう》で消えてしまうような心もちがした。
俊《しゆん》助《すけ》はこういう図書館の窓ぎわの席に腰《こし》を下ろして、さっきから細かい活字の上に丹《たん》念《ねん》な眼をさらしていた。彼は色の浅黒い、体格のがっしりした青年だった。が、彼が文科の学生だということは、制服の襟《えり》にあるLの字で、問うまでもなく明らかだった。
彼の頭の上には高い窓があって、その窓の外には茂《しげ》った椎《しい》の葉が、わずかに空の色を透《す》かせた。空は絶えず雲の翳《かげ》にさえぎられて、春先の麗《うら》らかな日の光も、めったにさしてはこなかった。さしてもまたたいていは、風に戦《そよ》いでいる椎の葉が、朦《もう》朧《ろう》たる影を書物の上へ落とすか落とさないうちに消えてしまった。その書物の上には、色《いろ》鉛《えん》筆《ぴつ》の赤い線が、何本も行《ぎよう》の下に引いてあった。そうしてそれが時の移るとともに、しだいにペエジからペエジへ移って行った。……
十二時半、一時、一時二十分――書庫の上の時計の針は、休みなく確かに動いて行った。するとかれこれ二時かとも思う時分、図書館の扉《と》口《ぐち》に近い、目録《カタログ》の函《はこ》の並んでいる所へ、小《こ》倉《くら》の袴《はかま》に黒《くろ》木《も》綿《めん》の紋《もん》附《つき》をひっかけた、背の低い角《かく》帽《ぼう》が一人、無《ぶ》精《しよう》らしく懐《ふところ》手《で》をしながら、ふらりと外からはいって来た。これはその懐からだらしなくはみ出したノオト・ブックの署《しよ》名《めい》によると、やはり文科の学生で、大《おお》井《い》篤《あつ》夫《お》という男らしかった。
彼はそこにたたずんだまま、しばらくはただあたりの机を睨《ね》めつけたように物色していたが、やがて向こうの窓を洩《も》れる大幅な薄《うす》日《び》の光の中に、余念なく書物をはぐっている俊助の姿が目にはいると、さっそくその椅《い》子《す》の後ろへ歩み寄って、「おい」と小さな声をかけた。俊助は驚《おどろ》いたように顔をあげて、相手の方を振《ふ》り返ったが、たちまち浅黒い頬《ほお》に微《び》笑《しよう》を浮《う》かべて「やあ」と簡単な挨《あい》拶《さつ》をした。と、大井も角帽をかぶったなり、ちょいと顋《あご》でこの挨拶に答えながら、妙《みよう》に脂《やに》下がった、傲《ごう》岸《がん》な調子で、
「けさ郁《いく》文《ぶん》堂《どう*》で野村さんに会ったら、君にことづてを頼まれた。別にさしつかえがなかったら、三時までに『鉢《はち》の木』の二階へ来てくれと言うんだが」
「そうか。そりゃありがとう」
俊助はこう言いながら、小さな金時計を出して見た。すると大井は内《うち》懐《ぶところ》から手を出して剃《そり》痕《あと》の青い顋《あご》をなで廻《まわ》しながら、じろりとその時計を見て、
「すばらしい物を持っているな。おまけに女持ちらしいじゃないか」
「これか。こりゃ母の形見だ」
俊助はちょいと顔をしかめながら、無《む》造《ぞう》作《さ》に時計をポッケットへ返すと、おもむろにたくましい体を起こして、机の上にちらかっていた色《いろ》鉛《えん》筆《ぴつ》やナイフを片づけ出した。その間に大井は俊助の読みかけた書物を取り上げて、いい加減にところどころ開けて見ながら、
「ふん Marius the Epicurean《*》 か」と、冷笑するような声を出したが、やがて生《なま》欠伸《あくび》を一つ噛み殺すと、
「俊助ズィ・エピキュリアン《*》の近《きん》況《きよう》はどうだい」
「いや、いっこう振《ふる》わなくって困っている」
「そう謙《けん》遜《そん》するなよ。女持ちの金時計をぶら下げているだけでも、僕《ぼく》よりはるかに振《ふる》っているからな」
大井は書物をほうり出して、また両手を懐《ふところ》へ突《つ》っこみながら、貧《びん》乏《ぼう》揺《ゆ》すりをし始めたが、そのうちに俊助が外《がい》套《とう》へ手を通し出すと、急に思い出したような調子で、
「おい、君は『城』同《どう》人《じん》の音楽会の切《きつ》符《ぷ》を売りつけられたか」と真《ま》顔《がお》になって問いかけた。
『城』というのは、四、五人の文科の学生が「芸術のための芸術」《*》を標《ひよう》榜《ぼう》して、このごろ発行し始めた同人雑誌の名前である。その連《れん》中《じゆう》の主《しゆ》催《さい》する音楽会が近々築《つき》地《じ》の精《せい》養《よう》軒《けん》で開かれるということは、法文科の掲《けい》示《じ》場《ば》に貼《は》ってある広告で、俊助もかねがね承知していた。
「いや、仕合わせとまだ売りつけられない」
俊助は正直にこう答えながら、書物を外套の腋《わき》の下へはさむと、時代のついた角《かく》帽《ぼう》をかぶって、大井といっしょに席を離《はな》れた。と、大井も歩きながら、狡《こう》猾《かつ》そうに眼を働かせて、
「そうか、僕はもう君なんぞはとうに売りつけられたと思っていた。じゃこの際ぜひ一枚買ってやってくれ。僕はもちろん『城』同人じゃないんだが、あすこの藤《ふじ》沢《さわ》に売りつけ方を委託されて、実は大いに困《こん》却《きやく》しているんた」
不意打ちを食った俊助は、買うとか買わないとか答える前に、苦笑しずにはいられなかった。が、大井は黒《くろ》木《も》綿《めん》の紋《もん》附《つき》の袂《たもと》から、『城』同人の印《マアク》のある、しゃれた切符を二枚出すと、それをまるで花《はな》札《ふだ》のように持って見せて、
「一等が三円で、二等が二円だ。おい、どっちにする? 一等か。二等か」
「どっちもまっぴらだ」
「いかん。いかん。金時計の手前に対しても、一枚だけは買う義務がある」
二人はこんな押《お》し問答を繰《く》り返しながら、閲《えつ》覧《らん》人《にん》で埋《う》まっている机の間を通りぬけて、とうとう吹《ふ》きさらしの玄《げん》関《かん》へ出た。するとちょうどそこへ、真赤なトルコ帽《ぼう》をかぶった、痩《や》せぎすな大学生が一人、金ボタンの制服に短い外《がい》套《とう》を引っかけて、勢いよく外からはいってきた。それが出《で》合《あい》頭《がしら》に大井と顔を合わせると、女のような優しい声で、しかもまた不自然なくらい慇《いん》懃《ぎん》に、
「今日は。大井さん」と、声をかけた。
「やあ、失敬」
大井は下《げ》駄《た》箱《ばこ》の前に立ち止まると、相変わらず図太い声を出した。が、その間も俊《しゆん》助《すけ》に逃《に》げられまいと思ったのか、剃《そり》痕《あと》の青い顋《あご》で横柄にトルコ帽をしゃくって見せて、
「君はまだこの先生を知らなかったかな。仏文の藤《ふじ》沢《さわ》慧《さとし》君。『城』同人の大将株で、この間ボオドレエル詩《し》抄《しよう》という翻訳を出した人だ。――こっちは英文の安田俊助君」と、手もなく二人を紹《しよう》介《かい》してしまった。
そこで俊助もやむを得ず、曖《あい》昧《まい》な微《び》笑《しよう》を浮《う》かべながら、角帽を脱《ぬ》いで黙《もく》礼《れい》した。が、藤沢は、俊助の世慣れない態度とは打って変わった、いかにも如《じよ》才《さい》ない調子で、
「お噂《うわさ》はかねがね大井さんから、なにかと承っておりました。やはりご創作をなさいますそうで。そのうちにおもしろい物ができましたら、『城』のほうへ頂きますから、どうかいつでもご遠《えん》慮《りよ》なく」
俊助はまた微《び》笑《しよう》したまま、「いや」とか「いいえ」とかいい加減な返事をするよりほかはなかった。すると今まで皮肉な眼で二人を見比べていた大井が、例の切《きつ》符《ぷ》をトルコ帽《ぼう》に見せると、
「今、大いに『城』同人へご忠勤をぬきんでているところなんだ」と、自《じ》慢《まん》がましい吹《ふい》聴《ちよう》をした。
「ああ、そう」
藤沢は気味の悪いほど愛《あい》嬌《きよう》のある眼で、ちょいと俊助と切符とを見比べたが、すぐその眼を大井へ返して、
「じゃ一等の切符を一枚差し上げてくれ給え。――失礼ですけれども、切符のご心配はいりませんから、聴《き》きにいらしてくださいませんか」
俊助は当《とう》惑《わく》そうな顔をして、何度も平《ひら》に辞退しようとした。が、藤沢はやはり愛想よく笑いながら、「ご迷惑でもどうか」を繰《く》り返して、容易に出した切符を引っ込めなかった。のみならず、その笑の後ろからは万一断わられた場合には感じそうな不快さえ露《ろ》骨《こつ》に透《す》かせて見せた。
「じゃ頂戴しておきます」
俊助はとうとう我《が》を折って、渋《しぶ》々《しぶ》その切符を受け取りながら、素《そ》っ気《け》ない声で礼を言った。
「どうぞ。当夜は清《し》水《みず》昌《しよう》一《いち》さんの独《ソ》唱《ロ》もあるはずになっていますから、ぜひ大井さんとでもいらしってください。――君は清水さんを知っていたかしら」
藤沢はそれでも満足そうに華《きや》奢《しや》な両手を揉《も》み合わせて優しくこう大井へ問いかけると、なぜかさっきから妙《みよう》な顔をして、二人の問答を聞いていた大井は、さも冗《じよう》談《だん》じゃないというように、鼻から大きく息を抜《ぬ》いて、また元の懐《ふところ》手《で》に返りながら、
「もちろん知らん。音楽家と犬とは昔《むかし》から僕にゃ禁物だ」
「そう、そう、君は犬が大《だい》嫌《きらい》いだったっけ。ゲエテも犬が嫌いだったというから、天才は皆《みな》そうなのかもしれない」
トルコ帽は俊助の賛成を求めるつもりか、わざとらしく声《こわ》高《だか》に笑ってみせた。が、俊助は下を向いたまま、まるでその癇《かん》高《だか》い笑い声が聞こえないような風をしていたが、やがてあの時代のついた角帽の庇《ひさし》へ手をかけると、二人の顔を等分に眺《なが》めながら、
「じゃ僕は失敬しよう。いずれまた」と、取ってつけたような挨《あい》拶《さつ》をして、匆《そう》々《そう》石段を下りて行った。
二人と別れた俊《しゆん》助《すけ》はふと、現在の下宿へ引き移ったことがまだ大学の事務所まで届けてなかったのを思い出した。そこでまたさっきの金時計を出して見ると、約《やく》束《そく》の三時までにはかれこれ三十分足らずも時間があった。彼はちょいと事務所へ寄ることにして、両手を外《がい》套《とう》の隠《かく》しへ突《つ》っこみながら、法文科大学《*》の古い赤《あか》煉瓦《レンガ》の建物の方へ、ゆっくりした歩調で歩き出した。
と、突《とつ》然《ぜん》頭の上で、ごろごろと春の雷《らい》が鳴った。仰《あお》向いて見ると、空はいつの間にか灰《あ》汁《く》桶《おけ》をかきまぜたような色になって、そこから湿《しめ》っぽい南《みなみ》風《かぜ》が、幅の広い砂《じや》利《り》道《みち》へ生暖かく吹《ふ》き下ろしてきた。俊助は「雨かな」とつぶやきながら、それでもいっこう急ぐ気《け》色《しき》はなく、書物を腋《わき》の下にはさんだまま、悠《ゆう》長《ちよう》な歩みを続けて行った。
が、そうつぶやくかつぶやかないうちに、もう一度かすかに雷《らい》が鳴って、ぽつりと冷たい滴《しずく》が頬《ほお》に触《ふ》れた。続いてまた一つ、今度は触《さわ》るまでもなく、際《きわ》どく角《かく》帽《ぼう》の庇《ひさし》をかすめて、糸よりも細い光を落とした。と思うとおいおい赤《あか》煉瓦《レンガ》の色が寒くなって、正門の前から続いている銀杏《いちよう》の並《なみ》木《き》の下まで来ると、もう高い並木の梢《こずえ》が一面に煙《けむ》って見えるほど、しとしとと雨が降り出した。
その雨の中を歩いて行く俊助の心は沈《しず》んでいた。彼は藤沢の声を思い出した。大井の顔も思い出した。それからまた彼らが代表する世間なるものも思い出した。彼の眼に映じた一般世間は、実行に終始するのが特色だった。あるいは実行するのに先立って、信じてかかるのが特色だった。が、彼は持って生まれた性格と今《こん》日《にち》まで受けた教育とに煩《わずら》わされて、とうの昔《むかし》に大切な、信ずるという機能を失っていた。まして実行する勇気は、容易に湧《わ》いてはこなかった。したがって世間に伍《ご》して、目まぐるしい生活の渦《うず》の中へ、思い切って飛びこむことができなかった。袖《しゆう》手《しゆ》をして傍《ぼう》観《かん》す――それ以上に出ることはできなかった。だから彼はその限りで、広い世間から切り離《はな》された孤《こ》独《どく》を味わうべく余《よ》儀《ぎ》なくされた。彼が大井と交際していながら、しかもなお俊助ズィ・エピキュリァンなどとののしられるのはこのためだった。ましてトルコ帽の藤沢などは……
彼の考えがここまで漂《ひよう》流《りゆう》してきた時、俊助は何気なく頭をもたげた。もたげると彼の眼の前には、第八番教室の古色蒼《そう》然《ぜん》たる玄《げん》関《かん》が、霧《きり》のごとく降る雨の中に、漆《しつ》喰《くい》の剥《は》げた壁《かべ》を濡《ぬ》らしていた。そうしてその玄関の石段の上には、思いもよらない若い女がたった一人たたずんでいた。
雨《あま》脚《あし》の強弱はともかくも、女は雨《あま》やみを待つもののごとく、静かに薄暗い空を仰《あお》いでいた。額《ひたい》にほつれかかった髪《かみ》の下には、潤《うるお》いのある大きな黒《くろ》瞳《め》が、じっと遠いところを眺めているようにみえた。それは白い――と言うよりもむしろ蒼《あお》白《じろ》い顔の色に、ふさわしい二重瞼《まぶた》だった。
着物は――黒い絹の地へ水《すい》仙《せん》めいた花を疎《まば》らに繍《ぬ》い取った肩《かた》懸《か》けが、なだらかな肩《かた》から胸へかけて無《む》造《ぞう》作《さ》にたれているよりほかに、何も俊助の眼には映らなかった。
女は俊助が首をもたげたのと前後して、遠い空から彼の上へうっとりとその黒《くろ》瞳《め》がちな目を移した。それが彼の眼と出合った時、女の視線はしばらくの間、止まるとも動くともつかず漂《ただよ》っていた。彼はその刹《せつ》那《な》、女の長い睫《まつ》毛《げ》の後ろに、彼の経験を超《ちよう》越《えつ》した、得体の知れない一種の感情が揺《よう》曳《えい》しているような心もちがした。が、そう思う暇《ひま》もなく、女はまた眼をあげて、向こうの講堂の屋根に降る雨の脚《あし》を眺め出した。俊助は外《がい》套《とう》の肩をそびやかせて、まるで女の存在を眼中に置かない人のように、冷然とその前を通り過ぎた。三度頭の上の雲を震《ふる》わせた初《はつ》雷《らい》の響きを耳にしながら。
雨に濡れた俊《しゆん》助《すけ》が『鉢《はち》の木』の二階へ来てみると、野村はもう珈《コオ》琲《ヒイ》茶《ぢや》碗《わん》を前に置いて、窓の外の往来へ退《たい》屈《くつ》そうな視線を落としていた。俊助は外《がい》套《とう》と角《かく》帽《ぼう》とを給仕の手に渡《わた》すが早いか、勢いよく野村のテエブルの前へ行って、「待たせたか」と言いながら、どっかり曲《まげ》木《き》の椅《い》子《す》へ腰を下ろした。
「うん、待たないこともない」
ほとんど鈍《どん》重《じゆう》な感じを起こさせるほど、丸々と肥満した野村は、その太い指の先でちょいと大島の襟《えり》を直しながら、細い鉄《てつ》縁《ぶち》の眼鏡越《ご》しにのんびりと俊助の顔を見た。
「何にする? 珈《コオ》琲《ヒイ》か。紅茶か」
「なんでもいい。――今、雷《かみなり》が鳴ったろう」
「うん、鳴ったような気もしないことはない」
「相変わらず君はのんきだな。また認識の根《こん》拠《きよ》はいずくにあるかとかなんとかいう問題を、ご苦労様にも考えていたんだろう」
俊助は金口の煙草《たばこ》に火をつけると、気軽そうにこう言って、テエブルの上に置いてある黄《き》水《ずい》仙《せん》の鉢へ眼をやった。するとその拍《ひよう》子《し》に、さっき大学の中で見かけた女の眼が、なぜか一《いち》瞬《しゆん》間《かん》生き生きと彼の記《き》憶《おく》に浮かんできた。
「まさか――僕は犬と遊んでいたんだ」
野村は子供のように微《び》笑《しよう》しながら、心もち椅《い》子《す》をずらせて、足もとに寝《ね》ころんでいた黒犬を、テエブルクロオスの陰《かげ》からひっぱり出した。犬は毛の長い耳を振《ふ》って、大きな欠伸《あくび》を一つすると、そのまままたごろりと横になって、仔《し》細《さい》らしく俊助の靴の匂《にお》いを嗅《か》ぎ出した。俊助は金口の煙《けむり》を鼻へ抜《ぬ》きながら、気がなさそうに犬の頭をなでてやった。
「この間、栗《くり》原《はら》の家にいたやつをもらってきたんだ」
野村は給仕の持って来た珈《コオ》琲《ヒイ》を俊助の方へ押《お》しやりながら、また肥《ふと》った指の先を着物の襟へちょいとやって、
「あすこじゃこのごろ、家《うち》じゅうがトルストイにかぶれているもんだから、こいつにもごたいそうなピエルと言う名前がついている。僕はこいつより、アンドレエと言う犬の方がほしかったんだが、僕自身ピエルだから、なんでもピエルの方をつれて行けと言うんで、とうとうこいつを拝領させられてしまったんた」
と、俊助は珈《コオ》琲《ヒイ》茶《ぢや》碗《わん》を脣《くちびる》へ当てながら、人の悪い微《び》笑《しよう》を浮かべて、からかうように野村を一《いち》瞥《べつ》した。
「まあピエルで満足しとくさ。その代わりピエルなら、追ってはめでたくナタシア《*》とも結婚できようというもんだ」
野村もこれには狼《ろう》狽《ばい》したものとみえて、しばらくは顔を所《ところ》斑《まだら》に赤くしたが、それでも声だけはゆっくりした調子で、
「僕はピエルじゃない。と言ってもちろんアンドレエでもないが――」
「ないが、とにかく初子女史のナタシアたることは認めるだろう」
「そうさな、まあお転《てん》婆《ば》な点だけはいくぶん認めないこともないが――」
「ついでに全部認めちまうさ。――そう言えばこのごろ初子女史は、『戦争と平和』に匹《ひつ》敵《てき》するような長篇小説を書いているそうじゃないか。どうだ、もう追っつけ完成しそうかね」
俊助はようやく鋒《ほう》芒《ぼう》をおさめながら、短くなった金口を灰《はい》皿《ざら》の中へほうりこんで、やや皮肉にこう尋《たず》ねた。
「実はその長篇小説のことで、今日は君に来てもらったんだが」
野村は鉄《てつ》縁《ぶち》の眼鏡をはずすと、刻《こく》銘《めい》にハンケチで玉の曇りを拭《ぬぐ》いながら、
「初子さんはなんでも、新しい『女の一生』《*》を書くつもりなんだそうだ。まあと Une Vie a la Tolstoi《*》 というところなんだろう。そこでその女《おんな》主《しゆ》人《じん》公《こう》というのが、いろいろ数《さつ》奇《き》な運命にもてあそばれた結果だね。――」
「それから?」
俊助は鼻を黄《き》水《ずい》仙《せん》の鉢《はち》へ持って行きながら、格別気乗りもしていなさそう声でこう言った。が、野村は細い眼鏡の蔓《つる》を耳の後ろへからみつけると、相変わらず落ち着き払《はら》った調子で、
「最後にどこかの癲《てん》狂《きよう》院《いん》で、絶命する事になるんだそうだ。ついてはその癲狂院の生活を描《びよう》写《しや》したいんだが、あいにく初子さんはまだそういう所へ行ってみたことがない。だからこの際誰かの紹《しよう》介《かい》をもらって、どこでもいいから癲狂院を見物したいと言っているんだ。――」
俊助はまた金口に火を付けながら、半ば皮肉な表情を浮《う》かべた眼で、もう一度「それから?」という相図をした。
「そこで君から一つ、新《につ》田《た》さんへ紹介してやってもらいたいんだが――新田さんと言うんだろう。あの物質主義者《マテリアリスト》の医学士は?」
「そうだ、――じゃともかくも手紙をやって、向こうの都合を問い合わせてみよう。多分さしつかえはなかろうと思うんだが」
「そうか。そうしてもらえれば、僕のほうは非常にありがたいんだ。初子さんももちろん大喜びだろう」
野村は満足そうに眼を細くして、続けさまに二、三度大島の襟《えり》を直しながら、
「このごろはまるでその『女の一生』で夢《む》中《ちゆう》になっているんだから。いっしょにいる親類の娘《むすめ》なんぞをつかまえても、始終その話ばかりしているらしい」
俊助は黙《だま》って、埃《エジ》及《プト》の煙《けむり》を吐《は》き出しながら、窓の外の往来へ眼を落とした。まだ霧《きり》雨《さめ》の降っている往来には、細い銀杏《いちよう》の並《なみ》木《き》がわずかに芽を伸《の》ばして、亀《かめ》の甲《こう》羅《ら》に似た蝙《こう》蝠《もり》傘《がさ》が幾《いく》つもその下を動いて行く。それがなぜか彼の記《き》憶《おく》に、刹《せつ》那《な》の間さっき遇《あ》った女の眼を思い出させた。……
「君は『城』同人の音楽会へは行かないのか」
しばらく沈《ちん》黙《もく》が続いた後で、野村はふと思い出したようにこう尋《たず》ねた。と同時に俊助は、彼の心が何分かの間、ほとんど白紙のごとく空《むな》しかったのに気がついた。彼はちょいと顔をしかめて、冷たくなった珈《コオ》琲《ヒイ》を飲み干すと、すぐに以前のような元気を恢《かい》復《ふく》して、
「僕は行こうと思っている。君は?」
「僕はけさ郁《いく》文《ぶん》堂《どう》で大井君にことづてを頼《たの》んだらなんでも買ってくれと言うので、とうとう一等の切符を四枚押《お》しつけられてしまった」
「四枚とはまたひどく奮《ふん》発《ぱつ》したものじゃないか」
「なに、どうせ三枚は栗原で買ってもらうんだから。――こら、ピエル」
今まで俊助の足もとに寝《ね》ころんでいた黒犬は、この時急に身を起こすと、階段の上がり口をにらみながら、凄《すさま》じい声でうなり出した。犬の気《け》色《しき》に驚《おどろ》いた野村と俊助とは、黄《き》水《ずい》仙《せん》の鉢《はち》を隔《へだ》てて向かい合いながら一度にその方へ振《ふ》り返った。するとちょうどそこにはあのトルコ帽《ぼう》の藤沢が、黒いソフトをかぶった大学生と一緒に、雨に濡《ぬ》れた外《がい》套《とう》を給仕の手に渡《わた》しているところだった。
一週間の後、俊《しゆん》助《すけ》は築《つき》地《じ》の精《せい》養《よう》軒《けん》で催《もよお》される『城』同人の音楽会へ行った。音楽会は準備が整わないとかいうことで、やがて定刻の午後六時が迫《せま》ってきても、容易に開かれる気《け》色《しき》はなかった。会場の次の間にはもう聴《ちよう》衆《しゆう》がおおぜいつめかけて、電灯の光も曇《くも》るほど盛《さか》んに煙草の煙を立ち昇《のぼ》らせていた。中には大学の西洋人の教師も、一人二人は来ているらしかった。俊助は、大きな護《ご》謨《む》の樹《き》の鉢《はち》植《う》がすえてある部屋の隅《すみ》にたたずみながら、別に開会を待ちかねるでもなく、ぼんやり周囲の話し声に屈《くつ》托《たく》のない耳を傾《かたむ》けていた。
するとどこからか大《おお》井《い》篤《あつ》夫《お》が、今日は珍《めずら》しく制服を着て、相変わらず傲《ごう》然《ぜん》と彼の側へ歩いてきた。二人はちょいと点頭を交《こう》換《かん》した。
「野村はまだ来ていないか」
俊助がこう尋《たず》ねると、大井は胸の上に両手を組んで、反《そり》身《み》にあたりを身《み》廻《まわ》しながら、
「まだ来ないようだ。――来なくって仕合わせさ。僕は藤《ふじ》沢《さわ》にひっばられて来たもんだから、もうかれこれ一時間ばかり待たされている」
俊助はあざけるように微笑した。
「君がたまに制服なんぞ着て来りゃ、どうせろくなことはありゃしない」
「これか。これは藤沢の制服なんだ。彼曰《いわ》く、ぜひ僕の制服を借りてくれ給え、そうすると僕はそれを口実に、親《おや》爺《じ》のタキシイドを借りるから。――そこでやむを得ず、僕がこれを着て、聴《き》きたくもない音楽会なんぞへ出たんだ」
大井はあたり構わずこんなことをしゃべりながら、もう一度ぐるり部《へ》屋《や》の中を見《み》渡《わた》して、それから、あすこにいるのは誰《たれ》、ここにいるのは誰と、世間に名の知られた作家や画家をいちいち俊助に教えてくれた。のみならずついでをもって、そういう名士たちの醜聞《スカンダアル》をおもしろそうに話してくれた。
「あの紋《もん》服《ぷく》と来た日にゃ、ある弁護士の細君をひっかけて、そのいきさつを書いた小説をご亭主の弁護士に献《けん》じるほど、すばらしい度胸のある人間なんだ。その隣《となり》のボヘミアン・ネクタイも、これまた詩よりも女中に手をつけるのが、本職でね」
俊助はこんな醜《みにく》い内幕に興味を持つべく、あまりにいわゆるニル・アドミラリ《*》な人間だった。ましてその時はそれらの芸術家の外聞も顧《こ》慮《りよ》してやりたい気もちがあった。そこで彼は大井が一息ついたのを機《し》会《お》にして切符と引き換《か》えに受け取ったプログラムを拡《ひろ》げながら、話題を今夜演奏される音楽の方面へ持って行った。が、大井はこの方面には全然無感覚にできあがっているとみえて、鉢《はち》植《う》えの護《ご》謨《む》の葉を遠慮なく爪《つめ》でむしりながら、
「とにかくその清《し》水《みず》昌《しよう》一《いち》とか言う男は、藤沢なんぞの話によると、独唱家《ソロイスト》と言うよりゃむしろりっばな色《しき》魔《ま》だね」と、また話を社会生活の暗黒面へ戻《もど》してしまった。
が、幸い、その時開会を知らせるベルが鳴って、会場との境の扉《と》がようやく両方へ開かれた。そうして待ちくたびれた聴《ちよう》衆《しゆう》が、まるで潮《うしお》の引くように、ぞろぞろその扉《と》口《ぐち》へ流れ始めた。俊助も大井といっしょにこの流れに誘《さそ》われて、しだいに会場の方へ押《お》されて行ったが、何気なく途《とちゆう》中で後ろを振《ふ》り返ると、思わず知らず心の中で「あっ」という驚《おどろ》きの声を洩《も》らした。
俊《しゆん》助《すけ》は会場の椅《い》子《す》に着いた後でさえ、まだ全くさっきの驚きから恢《かい》復《ふく》していないことを意識した。彼の心はいつになく、不思議な動《どう》揺《よう》を感じていた。それは歓喜とも苦痛とも弁別し難い性質のものだった。彼はこの心の動揺に身を任せたいという欲望もあった。で同時にまたそうしてはならないという気も働いていた。そこで彼は少なくとも現在以上の動揺を心にもたらさない方便として、なるべく眼を演《えん》壇《だん》から離《はな》さないようなくふうをした。
金《きん》屏《びよう》風《ぶ》を立て廻《まわ》した演壇へは、まずフロックを着た中年の紳《しん》士《し》が現われて、額《ひたい》にたれかかる髪《かみ》をかき上げながら、なでるように柔《やさ》しくシュウマンを唱《うた》った。それは Ich Kann's nicht fassen,nicht glauben《*》 で始まるシャミッソオ《*》の歌《リイド》だった。俊助はその舌たるい唄《うた》いぶりの中から、何か恐《おそ》るべく不健全な香《こう》気《き》が、発散してくるのを感ぜずにはいられなかった。そうしてこの香気が彼の騒《さわ》ぐ心をいっそういらだてて行くような気がしてならなかった。だからようやく、独《ソ》唱《ロ》が終わってけたたましい拍手の音が起こった時、彼はわずかにほっとした眼をあげて、まるで救いを求めるように隣《りん》席《せき》の大井を振り返った。すると大井はプログラムを丸く巻いて、それを望遠鏡のように眼へ当てながら、演壇の上に頭を下げているシュウマンの独唱家《ソロイスト》を覗《のぞ》いていたが、
「なるほど、清水と言う男は、りっぱに色《しき》魔《ま》たるべき人相をそなえているな」と、つぶやくような声で言った。
俊助は初めてその中年の紳士が潜水昌一と言う男だったのに気がついた。そこでまた演壇の方へ眼を返すと、今度はそこへ裾《すろ》模《も》様《よう》の令《れい》嬢《じよう》が、盛《さか》んな喝《かつ》采《さい》に迎《むか》えられながら、ヴァイオリンを抱《いだ》いてしずしずと登ってくるところだった。令《れい》嬢《じよう》令嬢はほとんど人形のようにかわいかったが、遺《い》憾《かん》ながらヴァイオリンはただ間《ま》違《ちが》わずに一通り弾《ひ》いて行くというだけのものだった。けれども俊助は幸いと清水昌一のシュウマンほど悪甘い刺《し》戟《げき》に脅《おびや》かされないで、ともかくも快くチャイコウスキイの神秘な世界に安住できるのを喜んだ。が、大井はやはり退《たい》屈《くつ》らしく、後頭部を椅《い》子《す》の背にもたせて、時々無《ぶ》遠《えん》慮《りよ》に鼻を鳴らしていたが、やがて急に思いついたという調子で、
「おい、野村君が来ているのを知っているか」
「知っている」
俊助は小声でこう答えながら、それでもなお眼は金《きん》屏《びよう》風《ぶ》の前の令嬢からほかヘ動かさなかった。と、大井は相手の答えが物足らなかったものとみえて、妙《みよう》に悪意のある微《び》笑《しよう》を漂《ただよ》わせながら、
「おまけにすばらしい美人を二人連れて来ている」
と、念を《お》押すようにつけ加えた。
が、俊助はなんとも答えなかった。そうして今までよりはいっそう熱心に演壇の上から流れてくるヴァイオリンの静かな音《ね》色《いろ》に耳を傾《かたむ》けているらしかった。……
それからピアノの独奏と四部合唱とが終わって、三十分の休《きゆう》憩《けい》時間になった時、俊助は大井に頓《とん》着《じやく》なく、たくましい体を椅子から起こして、あの護《ご》謨《む》の樹《き》の鉢《はち》植《う》えのある会場の次の間へ、野村の連中を探《さが》しに行った。しかし後に残った大井のほうは、まだ傲然と腕組みをしたまま、ただぐったりと頭を前へ落として、演奏がやんだのも知らないのか、いかにも快さそうに、かすかな寝《ね》息《いき》を洩《も》らしていた。
次の間へ来てみると、果たして野村が栗《くり》原《はら》の娘《むすめ》と並《ならん》んで、大きな暖《だん》炉《ろ》の前へたたずんでいた。血色の鮮《あざ》やかな、眼にも眉《まゆ》にも活《い》き活《い》きした力の溢《あふ》れている、年よりは小《こ》柄《がら》な初子は、俊《しゆん》助《すけ》の姿を見るが早いか、遠くから靨《えくぼ》を寄せて、気軽くちょいと腰《こし》をかがめた。と、野村も広い金ボタンの胸を俊助の方へ向けながら、度の強い近眼鏡の後ろに例のごとく人のよさそうな微笑をみなぎらせて、鷹《おう》揚《よう》に「やあ」とうなずいて見せた。俊助は暖炉の上の鏡を背負って、印度《インド》更《さら》紗《さ》の帯をしめた初子と大きな体を制服に包んだ野村とが、向かい合って立っているのを眺《なが》めた時、刹《せつ》那《な》の間彼らの幸福がねたましいような心もちさえした。
「今夜はすっかり遅《おそ》くなってしまった。なにしろ僕らのほうはお化《け》粧《しよう》に手間が取れるものだから」
俊助と二《ふた》言《こと》三《み》言《こと》雑談を交《こう》換《かん》した後で、野村は大理石のマントル・ピイスへ手をかけながら、冗談のような調子でこう言った。
「あら、いつ私たちがお手間を取らせて? 野村さんこそお出でになるのが遅かったじゃないの?」
初子はわざと濃《こ》い眉《まゆ》をひそめて、媚《こ》びるように野村の顔を見上げたが、すぐにまたその視線を俊助の方へ投げ返すと、
「先日は私妙《みよう》なことをお願いして――ご迷《めい》惑《わく》じゃございませんでしたの?」
「いや、どうしまして」
俊助はちょいと初子に会《え》釈《しやく》しながら、後はやはり野村だけへ話しかけるような態度で、
「昨日新田から返事が来たが、月水金のうちでさえあれば、いつでも喜んでご案内すると言うんだ。だからそのうちで都合のいい日に参観して来給え」
「そうか。そりゃありがとう。――で、初子さんはいつ行ってみます?」
「いつでも。どうせ私用のない体なんですもの。野村さんのご都合できめていただけばいいわ」
「僕がきめるって――じゃ僕も随《ずい》行《こう》を仰《おお》せつかるんですか。そいつは少し――」
野村は五《ご》分《ぶ》刈《が》りの頭へ大きな手をやって、辟《へき》易《えき》したらしい気色をみせた。と、初子は眼で笑いながら、声だけ拗《す》ねた調子で、
「だって私その新田さんって方にも、お目にかかったことがないんでしょう。ですもの、私たちだけじゃ行かれはしないわ」
「なに、安田の名《めい》刺《し》をもらって行けば、向こうでちゃんと案内してくれますよ」
二人がこんな押《お》し問答を交換していると、突《とつ》然《ぜん》、そこへ、暁《ぎよう》星《せい》学校の制服を着た十《とお》ばかりの少年が、人ごみの中をくぐり抜《ぬ》けるようにして、勢いよく姿を現わした。そうしてそれが俊助の顔を見ると、いきなり直立不動の姿勢をとって、愛《あい》嬌《きよう》のある挙手の礼をして見せた。こちらの三人は思わず笑い出した。中でもいちばん大きな声を出して笑ったのは、野村だった。
「やあ、今夜は民雄さんも来ていたのか」
俊助は両手で少年の肩を抑《おさ》えながら、からかうようにその顔を覗《のぞ》きこんだ。
「ああ、皆《みな》で自動車へ乗ってきたの。安田さんは?」
「僕は電車で来た」
「けちだなあ、電車だなんて。帰りに自動車へ乗せて上げようか」
「ああ、乗せてくれ給え」
この間も俊助は少年の顔を眺《なが》めながら、しかも誰かか民雄の後を追って、彼らの近くへ歩み寄ったのを感ぜずにはいられなかった。
一〇
俊《しゆん》助《すけ》は眼をあげた。と、果たして初子の隣《となり》に同《どう》年《ねん》輩《はい》の若い女が、紺《こん》地《じ》に藍《あい》の竪《たて》縞《じま》の着物の胸を蘆《あし》手《で》模《も》様《よう》の帯に抑《おさ》えて、品よくすらりとたたずんでいた。彼女は初子より大《おお》柄《がら》だった。と同時に眼鼻立ちは、愛くるしかるべき二《ふた》重《え》瞼《まぶた》までが、はるかに初子より寂《さび》しかった。しかもその二重瞼の下にある眼は、ほとんど憂《ゆう》鬱《うつ》とも形容したい、潤《うる》んだ光さえたたえていた。さっき会場へはいろうとする間ぎわに、偶《ぐう》然《ぜん》後ろへ振《ふ》り返った、俊助の心を躍《おど》らせたものは、実にこのもの思わしげな、水々しい瞳《ひとみ》の光だった。彼はその瞳の持ち主と咫《し》尺《せき》の間に向かい合った今、再び最前の心の動《どう》揺《よう》を感じないわけには行かなかった。
「辰《たつ》子《こ》さん、あなたまだ安田さんをご存知なかったわね。――辰子さんと申しますの。京都の女学校を卒業なすった方。このごろやっと東《とう》京《きよう》詞《ことば》が話せるようになりました」
初子は物慣れた口ぶりで、彼女を俊助に紹《しよう》介《かい》した。辰子は蒼《あお》白《じろ》い頬《ほお》の底にかすかな血の色を動かして、しとやかに束《そく》髪《はつ》の頭を下げた。俊助も民雄の肩から手を離《はな》して、ていねいに初対面の会《え》釈《しやく》をした。幸い、彼の浅黒い頬《ほお》がいつになくほてっているのには、誰も気づかずにいたらしかった。すると野村も横合いから、今夜は特に愉《ゆ》快《かい》そうな口を出して、
「辰子さんは初子さんの従《いと》妹《こ》でね、今度絵の学校へはいるものだから、それでこっちへ出てくることになったんだ。ところが毎日初子さんが例の小説の話ばかり聞かせるので、よほど体にこたえるのだろう。どうもこのごろはちと健康が思わしくない」
「まあ、ひどい」
初子と辰子とは同時にこう言った。が、辰子の声は、初子のそれに気《け》押《お》されて、ほとんど聞こえないほど低い声だった。けれども俊助は、この始めて聞いた辰子の声の中に、優しい心を裏切るものが潜《ひそ》んでいるような心もちがした。それが彼には心強い気を起こさせた。
「画《え》というと――やはり洋画をおやりになるのですか」
相手の声に勇気を得た俊助は、また初子と野村とが笑い合っているうちに、こう辰子へ問いかけた。辰子はちょいと眼を帯止めの翡《ひ》翠《すい》へ落として、
「は」と、思ったよりもはっきりした返事をした。
「画はなかなかうまい。優に初子さんの小説と対《たい》峙《じ》するに足るくらいだ。――だから、辰子さん。僕がいいことを教えて上げましょう。これから初子さんが小説の話をしたら、あなたも盛《さか》んに画の話をするんです。そうでもしなくっちゃ、体がたまりません」
俊助はただ微《び》笑《しよう》で野村に答えながら、もう一度辰子に声をかけてみた。
「お体は実際お悪いんですか」
「ええ、心臓が少し――大したことはございませんけれど」
するとさっきから退《たい》屈《くつ》そうな顔をして、一同の顔を眺《なが》めていた民雄が、下からぐいぐい俊助の手をひっばって、
「辰子さんはね、あすこの梯《はし》子《ご》段《だん》を上がっても、息が切れるんだとさ。僕は二段ずつ一《いつ》遍《ぺん》にとび上がることができるんだぜ」
俊助は辰子と顔を見合わせて、ようやく心置きのない微笑を交《こう》換《かん》した。
一一
辰《たつ》子《こ》は蒼《あお》白《じろ》い頬《ほお》に片《かた》靨《えくぼ》を寄せたまま、静かに民雄から初子へ眼を移して、
「民雄さんはそりゃお強いの。さっきもあの梯子段の手すりへまたがって、すべり下りようとなさるんでしょう。私びっくりして、おちて死んだらどうなさるのって言ったら――ねえ、民雄さん。あなたあの時、僕はまた死んだことがないから、どうするかわからないっておっしゃったわね。私おかしくって――」
「なるほどね、こりゃなかなか哲《てつ》学《がく》的だ」
野村はまた誰よりも大きな声で笑い出した。
「まあ、生意気ったらないのね。――だから姉さんがいつでも言うんだわ、民雄さんは莫《ば》迦《か》だって」
部屋の中の火気に蒸されて、いっそう血色の鮮《あざ》やかになった初子が、ちよっと睨《ね》める真似をしながら、こう弟をたしなめると、民雄はまだ俊助の手をつかまえたまま、
「ううん。僕は莫迦じゃないよ」
「じゃ利巧か?」
今度は俊助まで口を出した。
「ううん、利巧でもない」
「じゃなんだい」
民雄はこう言った野村の顔を見上げながら、ほとんど滑《こつ》稽《けい》に近い真《ま》面《じ》目《め》さを眉《び》目《もく》の間にひらめかせて、
「中ぐらい」と道《どう》破《は》した。
四人は声を合わせて失笑した。
「中ぐらいはよかった。大《おと》人《な》もそう思ってさえいれば、一生幸福に暮《く》らせるのに相《そう》違《い》ない。こりゃ初子さんなんぞはことに拳《けん》々《けん》服《ふく》膺《よう*》すべきことかもしれませんぜ。辰子さんのほうは大《だい》丈《じよう》夫《ぶ》だが――」
その笑い声が静まった時、野村は広い胸の上に腕《うで》を組んで、二人の若い女を見比べた。
「なんとでもおっしゃい。今夜は野村さん私ばかりいじめるわね」
「じゃ僕はどうだ」
俊助は冗《じよう》談《だん》のように野村の矢《や》面《おもて》に立った。
「君もいかん。君は中ぐらいをもって自任できない男だ。――いや、君ばかりじゃない。近代の人間というやつは、皆《みな》中《ちゆう》ぐらいで満足できない連中だ。そこで勢い、主我的《イゴイステイツク》になる。主我的《イゴイステイツク》になるということは、他人ばかり不幸にするということじゃない。自分までも不幸にするということだ。だから用心しなくっちゃいけない」
「じゃ君は中《ちゆう》位《ぐらい》派《は》か」
「もちろんさ。さもなけりゃ、とてもこんな泰《たい》然《ぜん》としちゃいられはしない」
俊助は憫《あわ》れむような眼つきをして、ちらりと野村の顔を見た。
「だがね。主我的《イゴイステイツク》になるということは、自分ばかり不幸にすることじゃない。他人までも不幸にすることだ。だろう。そうするといくら中位派でも、世の中の人間が主我的《イゴイステイツク》だったら、やっぱり不安だろうじゃないか。だから君のように泰然としていられるためには、中位派たる以上に、主我的《イゴイステイツク》でない世の中を――でなくとも、まず主我的《イゴイステイツク》でない君の周囲を信用しなけりゃならないということになる」
「そりゃまあ信用しているさ。が、君は信用した上でも――待った。いったい君は全然人間を当てにしていないのか」
俊助はやはり薄《うす》笑《わら》いをしたまま、しているとも、していないとも答えなかった。初子と辰子との眼がもの珍《めずら》しそうに、彼の上へ注がれているのを意識しながら。
一二
音楽会が終わった後で、俊《しゆん》助《すけ》はとうとう大井と藤沢とに引きとめられて、『城』同《どう》人《じん》の茶《さ》話《わ》会《かい》に出席しなければならなくなった。彼はもちろん進まなかった。が、藤沢以外の同人には、多少の好《こう》奇《き》心《しん》もないことはなかった。しかも切《きつ》符《ぷ》をもらっている義理合い上、無《む》下《げ》に断わってしまうのも気の毒だという遠《えん》慮《りよ》があった。そこで彼はやむを得ず、大井と藤沢との後について、さっきの次の間《ま》の隣《となり》にある、小さな部屋へ通ったのだった。
通ってみると部屋の中には、もう四、五人の大学生が、フロックの清《し》水《みず》昌《しよう》一《いち》といっしょに、小さなテエブルを囲んでいた。藤沢はその連中をいちいち俊助に紹《しよう》介《かい》した。その中では近藤というドイツ文科の学生と、花《はな》房《ぶさ》というフランス文科の学生とが、特に俊助の注意をひいた人物だった。近藤は大井よりもさらに背の低い、大きな鼻眼鏡をかけた青年で、『城』同人の中では第一の絵画通という評判をになっていた。これはいつか『帝国文学』へ、堂々たる文展《*》の批評を書いたので、自然名前だけは俊助の記《き》憶《おく》にも残っているのだった。もう一人の花房は、一週間以前『鉢《はち》の木』へ藤沢といっしょに来た黒のソフトで、英仏独伊の四箇国語のほかにも、ギリシャ語やラテン語の心得があるという、非《ひ》凡《ぼん》な語学通で通っていた。そうしてこれまた Hanabusa と署名のある英仏独伊希臘《ギリシヤ》羅甸《ラテン》の書物が、時々本《ほん》郷《ごう》通りの古本屋に並《なら》んでいるので、とうから名前だけは俊助も承知している青年だった。この二人に比べると、ほかの『城』同人は存外特色に乏《とぼ》しかった。が、身《み》綺《ぎ》麗《れい》な服《ふく》装《そう》の胸へ小さな赤《あか》薔《ば》薇《ら》の造花をつけていることは、いずれも軌《き》を一にしているらしかった。俊助は近藤の隣《となり》へ腰《こし》を下ろしながら、こういうハイカラな連中に交じっている大井篤《あつ》夫《お》の野蛮な姿を、滑《こつ》稽《けい》に感ぜずにはいられなかった。
「おかげさまで、今夜は盛《せい》会《かい》でした」
タキシイドを着た藤沢は、女のような柔《やさ》しい声で、まず独唱家《ソロイスト》の清水に挨《あい》拶《さつ》した。
「いや、どうもこのごろは咽《の》喉《ど》を痛めているもんですから――それより『城』の売れ行きはどうです?、もう収支償《つぐな》うくらいには行くでしょう」
「いえ、そこまで行ってくれれば本《ほん》望《もう》なんですが――どうせわれわれの書く物なんぞが、売れるはずはありゃしません。なにしろ人道主義と自然主義と以外に、芸術はないように思っている世間なんですから」
「そうですかね。だがいつまでも、それじゃすまないでしょう。そのうちに君の『ボオドレエル詩《し》抄《しよう》』が、羽根の生えたように売れる時が来るかもしれない」
清水は見え透《す》いたお世辞を言いながら、給仕の廻《まわ》して来た紅茶を受けとると、隣に坐《すわ》っていた花房の方を向いて、
「この間の君の小説は、たいへんおもしろく拝見しましたよ。あれは何から材料を取ったんですか」
「あれですか。あれはゲスタ・ロマノルム《*》です」
「はあ、ゲスタ・ロマノルムですか」
清水はけげんな顔をしながら、こういい加減な返事をすると、さっきから鉈《なた》豆《まめ》の煙管《きせる》できな臭《くさ》い刻みを吹《ふか》かせていた大井が、テエブルの上へ頬《ほお》杖《づえ》をついて、
「なんだい、そのゲスタ・ロマノルムってやつは?」
と、無《ぶ》遠《えん》慮《りよ》な問いをほうりつけた。
一三
「中世の伝説を集めた本でしてね。十四、五世紀の間にできたものなんですが、なにぶん原文がひどいラテンなんで――」
「君にも読めないかい」
「まあ、どうにかですね。参考にする翻《ほん》訳《やく》もいろいろありますから。――なんでもチョオサアやシェクスピイアも、あれから材料を採ったんだそうです。ですからゲスタ・ロマノルムたって、なかなか莫迦にはできませんよ」
「じゃ君は少なくとも材料だけは、チョオサアやシェクスピイアと肩《かた》を並べているというしだいだね」
俊助はこういう問答を聞きながら、妙《みよう》な事を一つ発見した。それは花房の声や態度が、不思議なくらい藤沢に酷《こく》似《じ》しているということだった。もし離《り》魂《こん》病《びよう》というものがあるとしたならば、花房は正に藤沢の離魂体《ドツペルゲンゲル》ともみるべき人間だった。が、どちらが正体でどちらが影《かげ》法《ぼう》師《し》だか、その辺の際《きわ》どい消息になると、まだ俊助にははっきりと見定めをつけることがむずかしかった。だから彼は花房のしゃべっている間も、時々胸の赤《あか》薔《ば》薇《ら》を気にしている藤沢を偸《ぬす》み見ずにはいられなかった。
すると今度はその藤沢が、縁《ふち》に繍《ぬい》のあるハンケチで紅茶を飲んだ口もとを拭《ぬぐ》いながら、また隣《となり》の独唱家《ソロイスト》の方を向いて、
「この四月には『城』も特別号を出しますから、その前後には近藤さんを一つ煩《わずら》わせて、展覧会を開こうと思っています」
「それも妙《みよう》案《あん》ですな。が、展覧会というと、なんですか、やはり諸君の作品だけを――」
「ええ、近藤さんの木版画と、花房さんや私の油絵と――それから西洋の画《え》の写真版とを陳《ちん》列《れつ》しようかと思っているんです。ただ、そうなると、警視庁がまた裸《ら》体《たい》画《が》は撤《てつ》回《かい》しろなぞとやかましいことをいいそうでしてね」
「僕の木版画は大《だい》丈《じよう》夫《ぶ》だが、君や花房君の油絵は危険だぜ。ことに君の『Utamaroの黄《たそ》昏《がれ》』に至っちゃ――あなたはあれをご覧になったことがありますか」
こう言って、鼻眼鏡の近藤はマドロス・パイプの煙《けむり》を吐《は》きながら、流し眼にじろりと俊助の方を見た。と、俊助がまだ答えないうちに、テエブルの向こうから藤沢が口をはさんで、
「そりゃ君、まだご覧にならないのですよ。いずれそのうちに、お眼にかけようとは思っているんですが――安田さんは絵《え》本《ほん》歌《うた》枕《まくら》というものをご覧になったことがありますか。ありませんか?、私の『Utamaroの黄《たそ》昏《がれ》』は、あの中の一枚を装《そう》飾《しよく》的に描いたものなんです。行き方は――と、近藤さん、あれはなんと言ったらいいんでしょう。モオリス・ドニ《*》でもなし、そうかと言って――」
近藤は鼻眼鏡の後ろの眼を閉じてしばらく考えにふけっていたが、やがて重々しい口を開こうとすると、また大井が横合いから鉈《なた》豆《まめ》の煙管《きせる》をくわえたままで、
「つまり君、春画みたいなものなんだろう」と、乱暴な註《ちゆう》釈《しやく》を施《ほどこ》してしまった。
ところが藤沢は存外不快にも思わなかったとみえて、例のごとく無気味なほど柔《やさ》しい微《び》笑《しよう》を漂《ただよ》わせながら、
「ええ、そう言えばいちばん早いかもしれませんね」と、恬《てん》然《ぜん》として大井に賛成した。
一四
「なるほど、そりゃおもしろそうだ。――ところでどうでしょう、春画などという物は、やっぱり西洋の方が発達しているんですか」
清水がこう尋《たず》ねたのを潮《しお》に、近藤は悠《ゆう》然《ぜん》とマドロス・パイプの灰をはたきながら、大学の素読でもしそうな声で、おもむろに西洋のこうした画の講釈をし始めた。
「一《いち》概《がい》に春画と言いますが、まあざっと三種類に区別するのが至当なので、第一は××××を描いたもの、第二はその前後だけを描いたもの、第三は単に××××を描いたもの――」
俊助はもちろんこういう話題に、一種の義《ぎ》憤《ふん》を発するほど、道徳家でないには相《そう》違《い》なかった。けれども彼には近藤の美的偽《ぎ》善《ぜん》とも称すべきものが−−自家の卑《ひ》隈《わい》な興味の上へ芸術的という金《きん》箔《ぱく》を塗《ぬ》りつけるのが、不愉快だったのもまた事実だった。だから近藤が得意になって、さも芸術の極致がこうした画にあるような、いかがわしい口《こう》吻《ふん》を弄《ろう》し出すと、俊助は義理にも、金口の煙に隠《かく》れて、顔をしかめないわけには行かなかった。が、近藤はそんなことにはさらに気がつかなかったものとみえて、上《かみ》は古代ギリシャの陶《とう》画《が》から下《しも》は近代フランスの石版画まで、ありとあらゆるこうした画の形式をいちいち詳《くわ》しく説明してから、
「そこでおもしろいことにはですね、あの真《ま》面《じ》目《め》そうなレムブラントやデュラア《*》までが、こういう画を描いているんです。しかもレムブラントのやつなんぞは、やっぱり例のレムブラント光線が、ぱっと一箇所に落ちているんだから、振《ふる》っているじゃありませんか。つまりああいう天才でも、やっぱりこの方面へ手を出すくらいな俗気は十分あったんで――まあ、その点はわれわれと似たり寄ったりだったんでしょう」
俊助はいよいよ聞き苦しくなった。すると今までテエブルの上へ頬《ほお》杖《つえ》をついて、半ば眼をつぶっていた大井が、にやりと莫迦にしたような微《び》笑《しよう》を洩《も》らすと、欠伸《あくび》を噛み殺したような声を出して、
「おい、君、ついでにレムブラントもデュラアも、われわれ同様屁《へ》をたれたという考証を発表してみちゃどうだ」
近藤は大きな鼻眼鏡の後ろから、険しい視線を大井へ飛ばせたが、大井はいっこう平気な顔で、鉈《なた》豆《まめ》の煙管《きせる》をすぱすぱやりながら、
「あるいは百《ひやく》尺《しやく》竿《かん》頭《とう》一歩を進めて、同じく屁をたれるから、君も彼らと甲乙のない天才だと号するのもしゃれているぜ」
「大井君、よし給えよ」
「大井さん。もういいじゃありませんか」
見かねたという容《よう》子《す》で、花房と藤沢とが、同時に柔しい声を出した。と、大井は狡《ず》猾《る》そうな眼で、まっ青になった近藤の顔をじろじろ覗《のぞ》きこみながら、
「こりゃ失敬したね。僕は何も君を怒《おこ》らすつもりで言ったんじゃないんたが――いや、ないどころか、君の知識の該《がい》博《はく》なのには、夙《つと》に敬服に堪《た》えないくらいなんだ。だからまあ、怒らないでくれ給え」
近藤は執《しゆう》念《ねん》深く口をつぐんで、テエブルの紅茶茶《ぢや》碗《わん》へじっと眼をすえていたが、大井がこう言うと同時に、突《とつ》然《ぜん》椅《い》子《す》から立ち上がって、呆《あつ》気《け》に取られている連中を後に、さっさと部屋を出て行ってしまった。一座は互《たが》いに顔を見合わせたまま、しばらくの間は気まずい沈《ちん》黙《もく》を守っていなければならなかった。が、やがて俊助は空《そら》嘯《うそぶ》いている大井の方へ、ちょいと顎《あご》で相図をすると、微笑を含んだ静かな声で、
「僕はお先へご免《めん》をこうむるから。――」
これが当夜、彼の口を洩《も》れた、最初のそうしてまた最後の言葉だったのである。
一五
するとその後また一週間とたたないうちに、俊助は上《うえ》野《の》行きの電車の中で、偶然辰《たつ》子《こ》と顔を合わせた。
それは春先の東京に珍《めず》しくない、埃《ほこり》風《かぜ》が吹く午後だった。俊助は大学から銀《ぎん》座《ざ》の八《ぬ》咫《た》屋《や》へ額縁の注《ちゆう》文《もん》に廻《まわ》った帰りで、尾《お》張《はり》町《ちよう》の角から電車へ乗ると、ぎっしり両側の席を埋《う》めた乗客の中に、辰子の寂《さび》しい顔が見えた。彼が電車の入口に立った時、彼女はやはり黒い絹《きぬ》の肩懸《シヨオル》をかけて、膝《ひざ》の上にひろげた婦人雑誌へ、つつましい眼を落としているらしかった。が、そのうちにふと眼をあげて、近くの吊《つり》皮《かわ》にぶら下がっている彼の姿を眺《なが》めると、たちまち片靨《えくぼ》を頬《ほお》に浮《う》かべて、坐《すわ》ったまま、ていねいに黙《もく》礼《れい》の頭を下げた。俊助は会《え》釈《しやく》を返すより先に、こみ合った乗客を押《お》し分けて、辰子の前の吊皮へ手をかげながら、
「先夜は――」と、平《へい》凡《ぼん》に挨《あい》拶《さつ》した。
「私こそ――」
それぎり二人は口をつぐんだ。電車の窓から外を見ると、時々風がなぐれるたびに、往来が一面に灰色になる。と思うとまた、銀座通りの町並《なみ》みが、その灰色の中から浮き上がって、崩《くず》れるように後ろへ流れて行く。俊助はそういう背景の前に、端《たん》然《ぜん》と坐っている辰子の姿を、しばらくの間見下ろしていたが、やがてその沈《ちん》黙《もく》がそろそろ苦痛になり出したので、今度はなるべく気軽な調子で、
「今日は?――お帰りですか」と、出直してみた。
「ちょいと兄の所まで――国《くに》許《もと》の兄が出てまいりましたから」
「学校は? お休みですか」
「まだ始まりませんの。来月の五日からですって」
俊助はしだいに二人の間の他《た》人《にん》行《ぎよう》儀《ぎ》が、氷のように溶けてくるのを感じた。と、広告屋の真紅の旗が、喇叭《らつぱ》や太《たい》鼓《こ》の音を風に飛ばせながら、瞬《またた》く間電車の窓をふさいだ。辰子はわずかに肩《かた》を落として、そっと窓の外をふり返った。その時彼女の小さな耳《みみ》朶《たぶ》が、斜《なな》めにさしてくる日の光を受けて、ほのかに赤く透《す》いて見えた。俊助はそれを美しいと思った。
「せんだっては、あれからすぐにお帰りになって」
辰子は俊助の顔へ瞳《ひとみ》を返すと、人《ひと》懐《なつ》かしい声でこう言った。
「ええ、一時間ばかりいて帰りました」
「お宅はやはり本《ほん》郷《ごう》?」
「そうです。森《もり》川《かわ》町《ちよう》」
俊助は制服の隠《かく》しをさぐって、名《めい》刺《し》を辰子の手へ渡《わた》した。渡す時向こうの手を見ると、青玉《サフアイア》を入れた金の指《ゆび》環《わ》が、細っそりとその小指をめぐっていた。俊助はそれもまた美しいと思った。「大学の正門前の横町です。そのうちに遊びにいらっしゃい」
「ありがとう。いずれ初子さんとでも」
辰子は名刺を帯の間へはさんで、ほとんど聞こえないような返事をした。
二人はまた口をつぐんで、電車の音とも風の音ともつかない町の音に耳を傾《かたむ》けた。が、俊助はこの二度目の沈黙を、前のように息苦しくは感じなかった。むしろ彼はその沈《ちん》黙《もく》の中に、ある安らかな幸福の存在さえも明らかに意識していたのだった。
一六
俊《しゆん》助《すけ》の下宿は本郷森川町でも、比較的閑《かん》静《せい》な一区《く》劃《かく》にあった。それも京《きよう》橋《ばし》辺の酒屋の隠《いん》居《きよ》所《じよ》を、ある伝《つ》手《て》から二階だけ貸してもらったので、畳《たたみ》建《たて》具《ぐ》も世間並《な》みの下宿に比べると、はるかに小《こ》綺《ぎ》麗《れい》にできあがっていた。彼はその部《や》屋《や》へ大きなデスクや安楽椅《い》子《す》の類を持ちこんで、見た眼には多少狭《せま》苦《くる》しいが、とにかく居《い》心《ごころ》は悪くない程度の西洋風な書《しよ》斎《さい》をこしらえ上げた。が、書斎を飾《かざ》るべき色彩といっては、ただ書《しよ》棚《だな》を埋《うず》めている洋書の行列があるばかりで、壁《かべ》にかかっている額の中にも、たいていはありふれた西洋名画の写真版がはいっているのにすぎなかった。これに常々不服だった彼は、その代わりによく草花の鉢《はち》を買ってきては、部屋の中央にすえてある寄せ木のテエブルの上へ置いた。現に今日も、このテエブルの上には、籘《とう》の籠《かご》へ入れた桜草の鉢《はち》が、何本も細い茎を抽《ぬ》いた先へ、簇《ぞく》々《ぞく》とうす赤い花を攅《あつ》めている。……
須《す》田《だ》町《ちよう》の乗り換えで辰子と分かれた俊助は、一時間の後この下宿の二階で、窓ぎわのデスクの前へすえた輪転椅子に腰《こし》を下ろしながら、漫《まん》然《ぜん》と金口の煙《た》草《ばこ》をくわえていた。彼の前には読みかけた書物が、象牙の紙切小刀《ペエパアナイフ》をはさんだまま、さっきからちゃんと開いてあった。が、今の彼には、そのペエジに詰まっている思想を咀《そ》嚼《しやく》するだけの根気がなかった。彼の頭の中には辰子の姿が、煙草の煙のもつれるように、いつまでも美しく這《は》いまつわっていた。彼にはその頭の中の幻《まぼろし》が、最前電車の中で味わった幸福の名残りのごとく見えた。と同時にまた来たるべき、さらに大きな幸福の前《まえ》触《ぶ》れのごとくも見えるのだった。
すると机の上の灰《はい》皿《ざら》に、二、三本吸いさしの金口がたまった時、まず大《たい》儀《ぎ》そうに梯《はし》子《ご》段《だん》を登る音がして、それから誰か唐《から》紙《かみ》に向こうへ立ち止まったけはいがすると、
「おい、いるか」と、聞き慣れた太い声がした。
「はいり給え」
俊助がこう答える間《ま》も待たないで、からりとそこの唐紙が開くと、桜草の鉢《はち》を置いた寄せ木のテエブルの向こうには、もう肥《ふと》った野村の姿が、肩《かた》を揺《ゆ》すってのそのそはいってきた。
「静かだな。玄《げん》関《かん》で何度ご免《めん》と言っても、女中一人出てこない。仕方がないからとうとう、黙《だま》って上がってきてしまった」
始めてこの下宿へ来た野村は、万《まん》遍《べん》なく部屋の中を見《み》廻《まわ》してから、俊助の指さす安楽椅《い》子《す》へ、どっかり大きな尻《しり》をすえた。
「おおかた女中がまた使いにでも行っていたんだろう。主人の隠《いん》居《きよ》は聾《つんぼ》だから、なかなかご免くらいじゃ通じやしない。――君は学校の帰りか」
俊助はテエブルの上へ西洋の茶道具を持ち出しながら、ちょいと野村の制服姿へ眼をやった。
「いや、今日はこれから国へ帰ってこようと思って――明後日《あさつて》がちょうど親父の三回忌《き》に当たるものだから」
「そりゃたいへんだな。君の国じゃ帰るだけでも一仕事だ」
「なに、そのほうは慣れているから平気だが、とかく田舎《いなか》の年忌とかなんとか言うやつは――」
野村は前もって辟《けき》易《えき》を披《ひ》露《ろう》するごとく、近眼鏡の後ろの眉《まゆ》をひそめて見せたが、すぐにまた気を変えて、
「ところで僕は君に一つ、頼《たの》みたいことがあって寄ったのだが――」
一七
「なんだい、改まって」
俊《しゆん》助《すけ》は紅茶茶《ぢや》碗《わん》を野村の前へ置くと、自分もテエブルの前の椅《い》子《す》へ座を占《し》めて、不思議そうに相手の顔へ眼を注いだ。
「改まりなんぞしやしないさ」
野村はかえって恐縮らしく、五《ご》分《ぶ》刈《が》りの頭をなで廻《まわ》したが、
「実は例の癲《てん》狂《きよう》院《いん》行きの一件なんだが――どうだろう。君が僕の代わりに初子さんを連れて行って、見せてやってくれないか。僕は今日行くと、なんだかんだで一週間ばかりは、とても帰られそうもないんだから」
「そりゃ困るよ。一週間くらいかかったって、帰ってから、君が連れて行きゃいいじゃないか」
「ところが初子さんは、一日も早く見たいと言っているんだ」
野村は実際困ったような顔をして、しばらくは壁《かべ》にかかっている写真版へ、順々に眼をくばっていたが、やがてその眼がレオナルドのレダ《*》まで行くと、
「おや、あれは君、辰《たつ》子《こ》さんに似ているじゃないか」
と、意外な方面へ談《だん》柄《ぺい》を落とした。
「そうかね。僕はそうとも思わないが」
俊助はこう答えながら、明らかに嘘《うそ》をついているという自覚があった。それはもちろん彼にとって、おもしろくない自覚には相《そう》違《い》なかった。が、同時にまた、小さな冒険をしているような愉快が潜《ひそ》んでいたのも事実だった。
「似ている。似ている。もう少し辰子さんが肥っていりゃ、あれにそっくりだ」
野村は近眼鏡の下からしばらくレダを仰《あお》いでいた後で、今度はその眼を桜草の鉢《はち》へやると、腹の底から大きな息をついて、
「どうだ。年来の好《こう》誼《ぎ》に免じて、一つ案内役を引き受けてくれないか。僕はもう君が行ってくれるものと思って、その旨《むね》を初子さんまで手紙で通知してしまったんだが」
俊助の舌の先には、「そりゃ君の勝手じゃないか」という言葉があった。が、その言葉がまだ口の外へ出ないうちに、彼の頭の中へは刹那の間、伏《ふし》目《め》になった辰子の姿が鮮《あざ》やかに浮《う》かび上がってきた。と、ほとんどそれが相手に通じたかのごとく、野村は安楽椅《い》子《す》の肘《ひじ》をたたきながら、
「初子さん一人なら、そりゃ君の辟《へき》易《えき》するのも無理はないが、辰子さんも多分――いや、きっといっしょに行くって言っていたから、その辺の心配はいらないんだがね」
俊助は紅茶茶碗を掌《てのひら》に載《のせ》せたまま、しばらくの間考えた。行く行かないの問題を考えるのか、一度断わった依《い》頼《らい》をまた引き受けるために、然《しか》るべき口実を考えるのか――それも彼には判然しないような心もちがした。
「そりゃ行ってもいいが」
彼は現金すぎる彼自身を恥《は》じながら、こう言った後で、追いかけるように言葉を添《そ》えずにはいられなかった。
「そうすりゃ、久しぶりで新《につ》田《た》にも会えるから」
「やれ、やれ、これでやっと安心した」
野村はさもほっとしたらしく、胸のボタンを二つ三つはずすと、始めて紅茶茶碗を口へつけた。
一八
「日はァ」
俊助の眼はまだ野村よりも、掌の紅茶茶碗へ止まりやすかった。
「来週の水曜日――午後からということになっているんだが、君の都合が悪けりゃ、月曜か金曜に繰《く》り変えてもいい」
「なに、水曜なら、ちょうど僕のほうも講義のない日だ。それで――と栗《くり》原《はら》さんへは僕のほうから出かけて行くのか」
野村は相手の眉《まゆ》の間にある、思い切りの悪い表情を見落とさなかった。
「いや、向こうからここへ来てもらおう。第一そのほうが道順だから」
俊助は黙《だま》ってうなずいたまま、しばらく閑《かん》却《きやく》されていた埃及《エジプト》煙草へ火をつけた。それから始めてのびのびと椅《い》子《す》の背に頭をもたせながら、
「君はもう卒業論文へとりかかったのか」と、全く別な方面へ話題を開《かん》拓《たく》した。
「本だけはぼつぼつ読んでいるが――いつになったら考えがまとまるか、自分でもちょいと見当がつかない。ことにこのごろのように俗《ぞく》用《よう》多《た》端《たん》じゃ――」
こう言いかけた野村の眼には、また冷評《ひやか》されはしないかという懸《け》念《ねん》があった。が、俊助は案外真《ま》面《じ》目《め》な様子で、
「多端――と言うと?」と問い返した。
「君にはまだ話さなかったかな。僕の母が今は国にいるが、僕でも大学を卒業したら、こちらへ出てきて、いっしょになろうと言うんでね。それにゃ国の田《でん》地《じ》や何かも整理しなけりゃならないから、今度はまあ親《おや》父《じ》の年《ねん》忌《き》を兼《か》ねて、そのめんどうもみに行くつもりなんだ。どうもこういう問題になると、なかなか哲《てつ》学《がく》史《し》の一冊も読むような、簡単な訳にゃいかないんだから困る」
「そりゃそうだろう。ことに君のような性格の人間にゃ――」
俊助は同じ東京の高等学校で机を並《なら》べていた関係から、何かにつけて野村一家の立ち入った家庭の事情などを、聞かせられる機会が多かった。野村家と言えば四国の南部では、有名な旧家の一つだということ、彼の父が政党に関係して以来、多少は家産が傾《かた》いたが、それでもなお近郷では屈《くつ》指《し》の分《ぶ》限《げん》者《じや》に相《そう》違《い》ないということ、初子の父の栗原は彼の母の異《はら》腹《ちがい》の弟で、政治家として今日の位置に漕《こ》ぎつけるまでには、ひとかたならず野村の父の世話になっているということ、その父の歿《ぼつ》後《ご》どこかから妾《しよう》腹《ふく》の子と名乗る女が出てきて、一時はめんどうな訴《そ》訟《しよう》沙《ざ》汰《た》にさえなったことがあるという――そういういろいろな消息に通じている俊助は、今また野村の帰郷を必要としている背後にも、どれほど複雑な問題がわだかまっているか、ほぼ想像できるような心もちがした。
「まず当分はシュライエルマッヘル《*》どころの騒《さわ》ぎじゃなさそうだ」
「シュライエルマッへル?」
「僕の卒業論文さ」
野村は気のなさそうな声を出すと、ぐったり五《ご》分《ぶ》刈《が》りの頭を下げて、自分の手足を眺《なが》めていたが、やがて元気を恢復したらしく、胸の金ボタンをかけ直して、
「もうそろそろ出かけなくっちゃ。――じゃ癲《てん》狂《きよう》院《いん》行きの一件は、なにぶんよろしく取り計らってくれ給え」
一九
野村が止めるのも聞かず、俊《しゆん》助《すけ》は鳥《とり》打《うち》帽《ぼう》にインバネスをひっかけて、彼といっしょに森川町の下宿を出た。
幸いとうに風が落ちて、往来には春寒い日の暮《く》れが、うす明るくアスファルトの上を流れていた。
二人は電車で中央停車場《*》へ行った。野村の下げていた鞄《かばん》を赤帽渡《わた》して、もう電灯のともっている二等待合室へ行って見ると、壁《かべ》の上の時計の針が、まだ発車の時刻にはだいぶ遠いところを指《さ》していた。俊助は立ったまま、ちょいと顎《あご》をその針の方へしゃくってみせた。
「どうだ、晩飯を食って行っては」
「そうさな。それも悪くはない」
野村は制服の隠《かく》しから時計を出して、壁の上のと見比べていたが、
「じゃ君は向こうで待っていてくれ給え。僕は先へ切《きつ》符《ぷ》を買ってくるから」
俊助は独りで待合室の側《そば》の食堂へ行った。食堂はほとんど満員だった。それでも彼が入口に立って、逡《しゆん》巡《じゆん》の視線を漂《ただよ》わせていると、気のきいた給仕が一人、すぐに手近のテエブルに空席があるのを教えてくれた。が、そのテエブルには、すでに実業家らしい夫婦づれが、向かい合ってフォクを動かしていた。彼は西洋風に遠《えん》慮《りよ》したいと思ったが、ほかに腰《こし》を下ろす所がないので、やむを得ずそこへ連ならせてもらうことにした。もっとも相手の夫婦づれは、格別迷《めい》惑《わく》らしい容《よう》子《す》もなく、一輪挿《ざ》しの桜を隔《へだ》てながら、大阪弁でしきりにしゃべっていた。
給仕が註《ちゆう》文《もん》を聞いて行くと、間もなく野村が夕刊を二、三枚つかんで、忙《いそが》しそうにはいってきた。彼は俊助に声をかけられて、やっと相手の居場所に気がつくと、これは隣《りん》席《せき》の夫婦づれにも頓《とん》着《じやく》なく、無《む》造《ぞう》作《さ》に椅《い》子《す》をひき寄せて、
「今、切符を買っていたら、大井君によく似た人を見かけたが、まさか先生じゃあるまいな」
「大井だって、停車場へ来ないとは限らないさ」
「いや、なんでも女づれらしかったから」
そこへスウプが来た。二人はそれぎり大井を閑《かん》却《きやく》して、嵐《あらし》山《やま》の桜はまだ早かろうの、瀬《せ》戸《と》内《うち》の汽船はおもしろかろうのと、春めいた旅の話へ乗り換《か》えてしまった。するとそのうちに、野村が皿《さら》の変わるのを待ちながら、急に思い出したという調子で、
「今初子さんの所へ例の件を電話でそう言っておいた」
「じゃ今日は誰も送りに来ないか」
「来るものか。なぜ?」
なぜと尋《き》かれると、俊助も返事に窮《きゆう》するよりほかはなかった。
「栗原へは今朝手紙を出すまで、国へ帰るともなんとも言っちゃなかったんだから――その手紙も電話で聞くと、もう少しさっき届いたばかりだそうだ」
野村はまるで送りに来ない初子のために、弁解の労を執《と》るような口調だった。
「そうか。道理で辰《たつ》子《こ》さんに遇《あ》ったがなんともそういう話は聞かなかった」
「辰子さんに遇った? いつ?」
「午《ひる》すぎに電車の中で」
俊助はこう答えながら、さっき下宿で辰子の話が出たにもかかわらず、なぜ今までこんなことを黙《だま》っていたのだろうと考えた。が、それは彼自身にも偶《ぐう》然《ぜん》か故意か、判断がつけられなかった。
二〇
プラットフォオムの上には例のごとく、見送りの人《ひと》影《かげ》が群がっていた。そうしてそれが絶えずうごめいている上に、電灯のともった列車の窓が、一つずつ明るく切り抜《ぬ》かれていた。野村もその窓から首を出して、外に立っている俊助と、二《ふた》言《こと》三《み》言《こと》落ち着かない言葉を交《こう》換《かん》した。彼らは二人とも、周囲の群衆の気もちに影《えい》響《きよう》されて、発車が待ち遠いような、待ち遠くないような、一種のあわただしさを感じずにはいられなかった。ことに俊助は話が途《と》切《ぎ》れると、ほとんど敵意があるような眼で、左右の人影を眺《なが》めながら、もどかしそうに下《げ》駄《た》の底を鳴らしていた。
そのうちにやっと発車の電鈴《ベル》が響いた。
「じゃ行って来給え」
俊助は鳥《とり》打《うち》帽《ぼう》の庇《ひさし》へ手をかけた。
「失敬、例の一件はなにぶんよろしく願います」と、野村はいつになく、改まった口調で挨《あい》拶《さつ》した。
汽車はすぐに動き出した。俊助はいつまでもプラットフォオムに立って、しだいに遠ざかって行く野村を見送るほど、感《かん》傷《しよう》癖《へき》にとらわれてはいなかった。だから彼はもう一度鳥打帽の庇へ手をかけると、未練なくあたりの人影に交じって、入口の階段の方へ歩き出した。
が、その時、ふと彼の前を通りすぎる汽車の窓が眼にはいると、思いがけずそこには大井篤《あつ》夫《お》がマントの肘《ひじ》を窓《まど》枠《わく》にもたせながら、ハンケチを振《ふ》っているのが見えた。俊助は思わず足を止めた。と同時にさっき大井を見かけたと言う野村の言葉を思い出した。けれども大井は俊助の姿に気がつかなかったものとみえて、見る見る汽車の窓とともに遠くなりながらも、しきりにハンケチを振り続けていた。俊助は狐《きつね》につままれたような気がして、茫《ぼう》然《ぜん》とその後を見送るよりほかはなかった。
が、この衝動《シヨツク》から恢復した時、俊助の心は何よりも、そのハンケチの閃《ひらめ》きに応ずべき相手を物色するのに忙《いしが》しかった。彼はインバネスの肩《かた》をそびやかせて、前後左右に雪崩《なだ》れ出した見送りの人の中へ視線を飛ばした。もちろん彼の頭の中には、女づれのようだったと言う野村の言葉が残っていた。しかしそれらしい女の姿が、いくら探《さが》しても見当たらなかった。と言うよりもそれらしい女が、いつも人《ひと》影《かげ》の間にうろうろしていた。そうしてその代わりどれがほんとうの相手だか、さらに判別がつかなかった。彼はとうとう物色を断念しなければならなかった。
中央停車場の外へ出て、丸の内の大きな星月夜を仰《あお》いだ時も、俊助はまたさっきの不思議な心もちから、全く自由にはなっていなかった。彼には大井がその汽車へ乗り合わせていたということより、汽車の窓でハンケチを振っていたということが、滑《こつ》稽《けい》なくらい矛《む》盾《じゆん》な感を与えるものだった。あの悪《あく》辣《らつ》な人間をもって自他ともに許している大井篤夫が、どうしてあんな芝居じみた真《ま》似《ね》をしていたのたろう。あるいは人が悪いのは附《つけ》焼《やき》刃《ば》で、実は存外正直な感傷主義者《センテイメンタリスト》が正体かもしれない。――俊助はいろいろな臆測の間に迷いながら、新開地のように広い道路を、濠《ほり》側《ばた》まで行って電車に乗った。
ところが翌日大学へ行くと、彼は純文科に共通な哲《てつ》学《がく》概《がい》論《ろん》の教室で、昨夜七時の急行へ乗ったはずの大井と、また思いがけなく顔を合わせた。
二一
その日俊助は、いつもよりやや出席が遅《おく》れたので、講《こう》壇《だん》をめぐった聴《ちよう》講《こう》席《せき》の中でも、いちばん後ろの机に坐《すわ》らなければならなかった。ところがそこへ坐ってみると、なぞえに向こうへ低くなった二、三列前の机に、見慣れた黒《くろ》木《も》綿《めん》の紋《もん》附《つき》が、澄まして頬《ほお》杖《づえ》をついていた。俊助はおやと思った。それから、昨夜中央停車場で見かけたのは、大井篤夫じゃなかったのかしらと思った。が、すぐにまた、いや、やはり大井に違《ちが》いなかったと思い返した。そうしたら、彼がハンケチを振《ふ》っているのを見た時よりも、いっそう狐《きつね》につままれたような心もちになった。
そのうちに大井は何かの拍《ひよう》子に、ぐるりとこちらへ振り返った。顔を見ると、例のごとく傲《ごう》岸《がん》不《ふ》遜《そん》な表情があった。俊助は当然なるべきこの表情を妙《みよう》にもの珍《めずら》しく感じながら、「やあ」と言う挨《あい》拶《さつ》を眼で送った。と、大井も黒木綿の紋附の肩《かた》越《ご》しに、顎《あご》でちょいと会釈をしたが、それなりまた向こうを向いて、隣《となり》にいた制服の学生と、何か話をし始めたらしかった。俊助は急に昨夜の一件を確かめたい気が強くなってきた。が、そのためにわざわざ席を離《はな》れるのは、めんどうでもあるし、莫《ば》迦《か》莫《ば》迦《か》しくもあった。そこで万年筆へインクを吸わせながら、いささか腰《こし》をもたげ兼ねていると、哲学概論を担当している、有名なL教授が、黒い鞄《かばん》を小《こ》脇《わき》にかかえて、のそのそ外からはいってきてしまった。
L教授は哲学者と言うよりも、むしろ実業家らしい風《ふう》采《さい》を備えていた。それがその日のように、流行の茶の背広を一着して、金の指《ゆび》環《わ》をはめた手を動かしながら、鞄の中の草《そう》稿《こう》を取り出したりなどしていると、ことに講壇よりは事務机の後ろに立たせてみたいような心もちがした。が、講義は教授の風《ふう》采《さい》とは没《ぼつ》交《こう》渉《しよう》に、そのめんどうなカント哲学の範疇《カテゴリイ》の議論から始められた。俊助は専門の英文学の講義よりも、かえって哲学や美学の講義に忠実な学生だったから、ざっと二時間ばかりの間、熱心に万年筆を動かして、手ぎわよくノォトを取って行った。それでも合い間ごとに顔をあげて、これは頬《ほお》杖《づえ》をついたまま、めったにペンを使わないらしい大井の後ろ姿を眺《なが》めると、時々昨夜以来の不思議な気分が、カントと彼との間へ靄《もや》のように流れこんでくるのを感ぜずにはいられなかった。
だからやがて講義がすんで、机を埋《うず》めていた学生たちがぞろぞろ講堂の外へ流れ出すと、彼は入ロの石段の上に足を止めて、後から来る大井といっしょになった。大井は相変わらずノオト・ブックのはみ出した懐《ふところ》へ、無《ぶ》精《しよう》らしく両手を突《つ》っ込んでいたが、俊助の顔を見るなりにやにや笑い出して、
「どうした。この間の晩の美人たちは健在か」と、逆に冷評を浴びせかけた。
二人のまわりにはおおぜいの学生たちが、狭《せま》い入口から両側の石段へ、しっきりなく溢《あふ》れ出していた。俊助は苦笑を漏《も》らしたまま、大井の言葉には答えないで、ずんずんその石段の一つを下りて行った。そうしてそこに芽を吹《ふ》いている欅《けやき》の並木の下へ出ると、始めて大井の方を振《ふ》り返って、「君は気がつかなかったか、昨夜《ゆんべ》東京駅で遇《あ》ったのを」と、探りの一句を投げこんでみた。
二二
「へええ、東京駅で?」
大井は狼《ろう》狽《ばい》したと言うよりも、むしろ決断に迷ったような眼つきをして狡猾《ずる》そうにちらりと俊助の顔を窺《うかが》った。が、その眼が俊助の冷やかな視線にはねかえされると、彼は急に悪びれない態度で、
「そうか。僕はちっとも気がつかなかった」と白状した。
「しかも美人が見送りに来ていたじゃないか」
勢いに乗った俊助は、もう一度際《きわ》どい鎌《かま》をかけた。けれども大井は存外平然と、薄笑いを唇に浮かべながら、
「美人か――ありゃ僕の――まあいいや」と、思わせぶりな返事に韜《とう》晦《かい》してしまった。
「いったいどこへ行ったんた?」
「ありゃ僕の――」に辟《へき》易《えき》した俊助は、今度は全く技《ぎ》巧《こう》を捨てて、正面から大井を追《つい》窮《きゆう》した。
「国府津《こうづ》まで」
「それから?」
「それからすぐに引き返した」
「どうして?」
「どうしてったって、――いずれ然《しかる》るべき事情があってさ」
この時丁子《ちようじ》の花の匂いが、甘たるく二人の鼻を打った。二人ともほとんど同時に顔をあげて見ると、いつかもうディッキンソンの銅像の前にさしかかるところだった。丁子は銅像をめぐった芝《しば》生《ふ》の上に、麗《うら》らかな日の光を浴びて、蔟《ぞく》々《ぞく》とうす紫の花を綴《つづ》っていた。
「だからさ、その然るべき事情とはそもそもなんだと尋《き》いているんだ」
と、大井は愉《ゆ》快《かい》そうに、大きな声で笑い出した。
「つまらんことを心配する男だな。然るべき事情といったら、要するに然るべき事情じゃないか」
が、俊助も二度目には、容易に目つぶしを食わされなかった。
「いくら然《しか》るべき事情があったって、ちょいと国府津まで行くだけなら、なにもハンケチまで振《ふ》らなくったってよさそうなもんじゃないか」
するとさすがに大井の顔にも、瞬《またた》く間周章したらしい気《け》色《しき》がみなぎった。けれども口調だけは相変わらず傲《ごう》然《ぜん》と、
「これまた別に然るべき事情があって振ったのさ」
俊助は相手のたじろいだ虚《きよ》につけ入って、さらにからかうような悪《わる》問《ど》いの歩を進めようとした。が、大井は早くも形勢の非になったのを覚《さと》ったとみえて、正門の前から続いている銀杏《いちよう》の並《なみ》木《き》の下へ出ると、
「君はどこへ行く? 帰るか。じゃ失敬。僕は図書館へ寄って行くから」と、巧《たく》みに俊助をほうり出して、さっさと向こうへ行ってしまった。
俊助はその後を見送りながら、思わず苦笑を洩《も》らしたが、この上追っかけて行ってまでも、泥《どろ》を吐《は》かせようという興味もないので、正門を出るとまっすぐに電車通りを隔《へだ》てている郁《いく》文《ぶん》堂《どう》の店へ行った。ところがそこへ足を入れると、うす暗い店の奥《おく》に立って、古本を探していた男が一人、静かに彼の方へ向き直って、
「安田さん。しばらく」と、優しい声をかけた。
二三
ほとんど常に夕《ゆう》暮《ぐ》れのような店の奥《おく》の乏《とぼ》しい光も、まっ赤なトルコ帽《ぼう》をいただいた藤《ふじ》沢《さわ》を見分けるには十分だった。俊《しゆん》助《すけ》は答礼の帽を脱《ぬぎ》ぎながら、埃《ほこり》臭《くさ》い周囲の古本と相手のけばけばしい服《ふく》装《そう》との間に、不思議な対照を感ぜずにはいられなかった。
藤沢は大英百科全書の棚《たな》に華《きや》奢《しや》な片手をかけながら、艶《なまめ》かしいとも形容すべき微《び》笑《しよう》を顔じゅうに漂《ただよ》わせて、
「大井さんには毎日お会いですか」
「ええ、今もいっしょに講義を聴《き》いてきたところです」
「僕はあの晩以来、一度もお目にかからないんですが――」
俊助は近藤と大井との確《かく》執《しつ》が、同じく『城』同人という関係上、藤沢もその渦《か》中《ちゆう》へ捲きこんだのだろうと想像した。が、藤沢はそう思われることを避《さ》けたいのか、いよいよ優しい声を出して、
「僕のほうからは二、三度下宿へ行ったんですけれど、――あいにくいつも留守ばかりで――なにしろ大井さんはあのとおり、評判のドン・ジュアンですから、そのほうで暇《ひま》がないのかもしれませんがね」
大学へはいって以来、初めて大井を知った俊助は、今日《きよう》まであの黒《くろ》木《も》綿《めん》の紋《もん》附《つき》にそんな脂《し》粉《ふん》の気が纏《てん》綿《めん》していようとは、夢《ゆめ》にも思いがけなかった。そこで思わず驚《おどろ》いた声を出しながら、
「へええ、あれで道楽者ですか」
「さあ、道楽者かどうですか――とにかく女はよく征《せい》服《ふく》する人ですよ。そういう点にかけちゃ高等学校時代から、ずっとわれわれの先《せん》輩《ぱい》でした」
その瞬《しゆん》間《かん》俊助の頭の中には、昨夜汽車の窓でハンケチを振《ふ》っていた大井の姿が、ありありと浮《う》かび上がってきた。と同時にやはり藤沢が、何か大井に含《ふく》むところがあって、いい加減に中傷の毒舌を弄《ろう》しているのではないかとも思った。が、次の瞬間に藤沢はちょいと首を曲げて、媚びるような微笑を送りながら、
「なんでも最近はどこかのレストランの給仕とたいへん仲がよくなっているそうです。ご同羨《せん》望《ぼう》に堪《た》えないしだいですがね」
俊助は藤沢がこういう話を、むしろ大井の名誉のために弁じているのだということに気がついた。それとともに、頭の中の大井の姿は、いよいよその振っているハンケチから、濃厚に若い女性の匂《にお》いを放散せずにはすまさなかった。
「そりゃ盛《さか》んですね」
「盛んですとも。ですから僕になんぞ会っている暇《ひま》がないのも、重々無理はないんです。おまけに僕の行く用向きというのが、あの精《せい》養《よう》軒《けん》の音楽会の切《きつ》符《ぷ》のお金をもらいに行くんですからね」
藤沢はこう言いながら、手近の帳場机にある紙表紙の古本をとり上げたが、ところどころいい加減にぺェジを繰《く》ると、すぐに俊助の方へ表紙を見せて、
「これも花《はな》房《ぶさ》さんが売ったんですね」
俊助は自然微笑が脣《くちびる》に上ってくるのを意識した。
「梵字《サンスクリツト》の本ですね」
「ええ、マハアバラタ《*》か何からしいですよ」
二四
「安田さん、お客様でございますよ」
こう言う女中の声が聞こえた時、もう制服に着《き》換《か》えていた俊助は、よしとかなんとか曖《あい》昧《まい》な返事をしておいて、それからわざと元気よく、梯《はし》子《ご》段《だん》を踏《ふ》み鳴らしながら、階下《した》へ行った。行ってみると、玄関の格《こう》子《し》の中には、まん中から髪《かみ》を割って、柄《え》の長い紫《むらさき》のパラソルを持った初子が、いつもよりはいっそう溌《はつ》刺《らつ》と外光に背《そむ》いてたたずんでいた。俊助は閾《しきい》の上に立ったまま、まぶしいような感じに脅《おびや》かされて、
「あなたお一人?」と尋《たず》ねてみた。
「いいえ、辰《たつ》子《こ》さんも」
初子は身を斜《なな》めにして、透《す》かすように格子の外を見た。格子の外には、一間に足らない御《み》影《かげ》の敷《しき》石《いし》があって、そのまた敷石のすぐ外には、いい加減古びたくぐり門があった。初子の視線を追った俊助は、そのくぐり門の戸を開け放した向こうに、見覚えのある紺《こん》と藍《あい》との竪《たて》縞《じま》の着物が、日の光を袂《たもと》に揺《ゆ》すりながら、立っているのを発見した。
「ちょいと上がって、お茶でも飲んで行きませんか」
「ありがとうございますけれど――」
初子は嫣《えん》然《ぜん》と笑いながら、もう一度眼を格《こう》子《し》の外へやった。
「そうですか。じゃすぐにお伴《とも》しましょう」
「始終ご迷《めい》惑《わく》ばかりかけますのね」
「なに、どうせ今日は遊んでいる体なんです」
俊助は手ばしこく編み上げの紐《ひも》をからげると外《がい》套《とう》を腕《うで》にかけたまま、無《む》造《ぞう》作《さ》に角《かく》帽《ぼう》を片手につかんで、初子の後からくぐり門の戸をくぐった。
初子のと同じ紫《むらさき》のパラソルを持って、外に待っていた辰子は、俊助の姿を見ると、しなやかな手を膝《ひざ》にそろえて、ていねいに黙《もく》礼《れい》の頭《かしら》を下げた。俊助はほとんど冷《れい》淡《たん》に会《え》釈《しやく》を返した。返しながら、その冷淡なのがあるいは辰子に不快な印象を与えはしないだろうかと気づかった。と同時にまた辰子の眼には、それでもまた彼の心中を裏切るべき優しさがありはしまいかとも思った。が、初子は二人の応対には頓《とん》着《じやく》なく、斜《なな》めに紫のパラソルを開きながら、
「電車は? 正門前からお乗りになって?」
「ええ、あちらの方が近いでしょう」
三人は狭《せま》い往来を歩き出した。
「辰子さんはね、どうしても今日はいらっしゃらないっておっしゃったのよ」
俊助は「そうですか?」という眼をして、隣《となり》に歩いている辰子を見た。辰子の顔には、薄《うす》く白粉《おしろい》を刷《は》いた上に、紫のパラソルの反映がほんのりと影《かげ》を落としていた。
「だって、私、気の違《ちが》っている人なんぞの所へ行くのは、気味が悪いんですもの」
「私は平気」
初子はくるりとパラソルを廻《まわ》しながら、
「時々気違いになってみたいと思うこともあるわ」
「まあ、いやな方ね。どうして?」
「そうしたら、こうやって生きているより、もっといろいろ変わったことがありそうな気がするの。あなたそう思わなくって?」
「私?私は変わったことなんぞなくったっていいわ。もうこれでたくさん」
二五
新《につ》田《た》はまず三人の客を病院の応接室へ案内した。そこはこの種の建物には珍《めずら》しく、窓《まど》掛《かけ》、絨《じゆう》毯《たん》、ピアノ、油絵などで、はなはだしい不調和もなく装《そう》飾《しよく》されていた。しかもそのピアノの上には、季節にはまだ早すぎる薔《ば》薇《ら》の花が、無《む》造《ぞう》作《さ》に手ごろな青銅の壷《つぼ》へ挿《さ》してあった。新田は三人に椅《い》子《す》を薦《すす》めると、俊助の問いに応じて、これは病院の温室で咲《さ》かせた薔薇だと返答した。
それから新田は、初子と辰子との方へ向いて、あらかじめ俊助が依《い》頼《らい》しておいたとおり、精神病学に関する一般的智識とでも言うべきものを、歯切れのいい口調で説明した。彼は俊助の先《せん》輩《ぱい》として、同じ高等学校にいた時分から、畠《はたけ》違《ちが》いの文学に興味を持っている男だった。だからその説明の中にも、種々の精神病者の実例として、ニイチェ、モオパッサン、ボオドレエルなどという名前が、一再ならず引き出されてきた。
初子は熱心にその説明を聞いていた。辰子も――これは始終伏《ふし》眼《め》がちだったが、やはり相当な興味だけは感じているらしく思われた。俊助は心の底のほうで、二人の注意をひきつけている説明者の新田がうらやましかったが、二人に対する新田の態度はほとんど事務的とも形容すべき、はなはだ冷静なものだった。同時にまた縞《しま》の背広に地味なネクタイをした彼の服《ふく》装《そう》も、世紀末の芸術家の名前を列挙するのが、不思議なほど、素《そ》朴《ぼく》にできあがっていた。
「なんだか私、お話を伺《うかが》っているうちに、自分も気が違《ちが》っているような気がしてまいりました」
説明が一段落ついたところで、初子はことさら真《ま》面《じ》目《め》な顔をしながら、ため息をつくようにこう言った。
「いや、実際厳《げん》密《みつ》な意味では、普通正《しよう》気《き》で通っている人間と精神病患《かん》者《じや》との境界線が、存外はっきりしていないのです。いわんやかの天才と称する連《れん》中《じゆう》になると、まず精神病者との間に、全然差別がないといってもさしつかえありません。その差別のない点を指《して》摘《き》したのが、ご承知のとおりロムプロゾオ《*》の功績です」
「僕は差別のある点も指摘してもらいたかった」
こう俊助が横合いから、冗《じよう》談《だん》のように異議を申し立てると、新田は冷やかな眼をこちらへ向けて、
「あればもちろん指摘したろう。が、なかったのだから、やむを得ない」
「しかし天才は天才だが、気違いはやはり気違いだろう」
「そういう差別なら、誇《こ》大《だい》妄《もう》想《そう》狂《きよう》と被《ひ》害《がい》妄想狂との間にもある」
「それとこれといっしょにするのは乱暴だよ」
「いや、いっしょにすべきものだ。なるほど天才は有偽《エフイシエント》だろう。狂人は有偽《エフイシエント》じゃないに違《ちが》いない。が、その差別は人間が彼らの所《しよ》行《ぎよう》に与えた価値の差別だ。自然に存している差別じゃない」
新田の持論を知っている俊助は、二人の女と微笑を交《こう》換《かん》して、それきり口をつぐんでしまった。と、新田もさすがに本気すぎた彼自身をあざけるごとく、薄《うす》笑《わら》いの脣《くちびる》をゆがめてみせたが、すぐに真《ま》面《じ》目《め》な表情に返ると、三人の顔を見《み》渡《わた》して、
「じゃ一通り、ご案内しましょう」と、気軽く椅《い》子《す》から立ち上がった。
二六
三人が初めて案内された病室には、束《そく》髪《はつ》に結った令《れい》嬢《じよう》が、熱心にオルガンを弾いていた。オルガンの前には鉄《てつ》格《ごう》子《し》の窓があって、その窓から洩《も》れてくる光が、冷やかに令嬢の細《ほそ》面《おもて》を照らしていた。俊助はこの病室の戸口に立って、窓の外をふさいでいる白《しろ》椿《つばき》の花を眺《なが》めた時、なんとなく西洋の尼《あま》寺《でら》へでも行ったような心もちがした。
「これは長野のある資産家のお嬢さんですが、なんでも縁《えん》談《だん》が調《ととの》わなかったので、発狂したのだとか言うことです」
「おかわいそうね」
辰子は細い声で、ささやくようにこう言った。が、初子は同情と言うよりも、むしろ好奇心に満ちた眼を輝《かがや》かせて、じっと令嬢の横顔を見つめていた。
「オルガンだけは忘れないとみえるね」
「オルガンばかりじゃない。この患《かん》者《じや》は画《え》も描《か》く。裁《さい》縫《ほう》もする。字なんぞはことに巧《たく》みだ」
新田は俊助にこう言ってから、三人を戸口に残しておいて、静かにオルガンの側へ歩み寄った。が、令嬢はまるでそれに気がつかないかのごとく、依《い》然《ぜん》とし鍵《けん》盤《ばん》に指を走らせ続けていた。
「今日は。ご気分はいかがです?」
新田は二、三度繰《く》り返して問いかけたが、令嬢はやはり窓の外の白《しろ》椿《つばき》と向かい合ったまま、振《ふ》り返る気《け》色《しき》さえ見せなかった。のみならず、新田が軽く肩《かた》へ手をかけると、恐《おそ》ろしい勢いでふり払《はら》いながら、それでも指だけは間《ま》違《ちが》いなく、この病室の空気にふさわしい、陰《いん》欝《うつ》な曲を弾きやめなかった。
三人は一種の無気味さを感じて無言のまま、部屋を外へ退いた。
「今日はご機《き》嫌《げん》が悪いようです。あれでも気が向くと、思いのほか愛《あい》嬌《きよう》のある女なんですが」
新田は令嬢の病室の戸をしめると、多少失望したらしい声を出したが、今度はそのすぐ前の部屋の戸を開けて、
「ご覧なさい」と、三人の客をさしまねいた。
はいって見ると、そこは湯《ゆ》殿《どの》のように床《ゆか》をたたきにした部屋だった。その部屋のまん中には、壷を埋《い》けたような穴が三つあって、そのまた穴の上には、水《すい》道《そう》栓《せん》が蛇《じや》口《ぐち》を三つそろえていた。しかもその穴の一つには、坊《ぼう》主《ず》頭《あたま》の若い男が、カアキイ色の袋《ふくろ》から首だけ出して、棒を立てたように入れてあった。
「これは患者の頭を冷やす所ですがね、ただじゃあばれる惧《おそ》れがあるので、ああいうふうに袋へ入れておくんです」
なるほどその男のはいっている穴では蛇口の水が細い滝になって、絶えず坊主頭の上へ流れ落ちていた。が、その男の青ざめた顔には、ただ空間を見つめている、どんよりした眼があるだけで、なんの表情も浮《う》かんではいなかった。俊助は無気味を通り越《こ》して、不快な心もちに脅《おびや》かされ出した。
「これは残《ざん》酷《こく》だ。監《かん》獄《ごく》の役人と癲《てん》狂《きよう》院《いん》の医者とにゃ、なるもんじゃない」
「君のような理想家が、昔《むかし》は人体解《かい》剖《ぼう》を人道に悖《もと》ると言って攻《こう》撃《げき》したんだ」
「あれで苦しくはないんでしょうか」
「むろん、苦しいも苦しくないもないんです」
初子は眉《まゆ》一つ動かさずに、冷然と穴の中の男を見下ろしていた。辰子は――ふと気がついた俊助が初子から眼を転じた時、もうその部屋の中にはいつの間にか、辰子の姿が見えなくなっていた。
二七
俊《しゆん》助《すけ》は不快になっていた矢先だから、初子と新田とを後に残して、うす暗い廊下へ退却した。と、そこには辰子が、途《と》方《ほう》に暮《く》れたように、白い壁《かべ》を背負ってたたずんでいた。
「どうしたのです。気味が悪いんですか」
辰子は水々しい眼をあげて、訴《うつた》えるように俊助の顔を見た。
「いいえ、かわいそうなの」
俊助は思わず微《び》笑《しよう》した。
「僕は不《ふ》愉《ゆ》快《かい》です」
「かわいそうだとはお思いにならなくって?」
「かわいそうかどうかわからないが――とにかくああいう人間が、ああしているのを見たくないんです」
「あの人のことはお考えにならないの」
「それよりも先に、自分のことを考えるんです」
辰子の青白い頬《ほお》には、あるかない微笑の影《かげ》がさした。
「薄《はく》情《じよう》な方ね」
「薄情かもしれません。その代わりに自分に関係していることなら――」
「ご親切?」
そこへ新田と初子とが出てきた。
「今度は――と、あちらの病室へ行ってみますか」
新田は辰子や俊助の存在を全く忘れてしまったように、さっさと二人の前を通り越《こ》して、遠い廊下のつき当たりにある戸口の方へ歩き出した。が、初子は辰子の顔を見ると、心もち濃《こ》い眉《まゆ》をひそめて、
「どうしたの。顔の色がよくなくってよ」
「そう。少し頭痛がするの」
辰子は低い声でこう答えながら、ちょいと掌《てのひら》を額《ひたい》に当てたが、すぐにいつものはっきりした声で、
「行きましょう。なんでもないわ」
三人は皆《みな》別々のことを考えながら、前後してうす暗い廊下を歩き出した。
やがて廊下のつき当たりまで来ると、新田はその部屋の戸を開けて、後ろの三人を振《ふ》り返りながら、「ご覧なさい」という手《て》真《ま》似《ね》をした。ここは柔道の道場を思わせる、広い畳《たたみ》敷《じき》の病室だった。そうしてその畳の上には、ざっと二十人近い女の患《かん》者《じや》が、一様に鼠《ねずみ》の棒《ぼう》縞《じま》の着物を着て雑然と群羊のごとく動いていた。俊助は高い天窓の光のもとに、これらの狂《きよう》人《じん》の一団を見《み》渡《わた》した時、またさっきの不快な感じが、力強くよみがえってくるのを意識した。
「皆仲よくしているわね」
初子は家《か》畜《ちく》を見るような眼つきをしながら隣《となり》に立っている辰子にささやいた。が、辰子は静かにうなずいただけで、口へ出しては、なんとも答えなかった。
「どうです。中へはいってみますか」
新田はあざけるような微《び》笑《しよう》を浮《う》かべて、三人の顔を見《み》廻《まわ》した。
「僕はまっぴらだ」
「私も、もうたくさん」
辰子はこう言って、今さらのようにかすかな吐《と》息《いき》を洩《も》らした。
「あなたは?」
初子は生き生きした血の気を頬《ほお》にみなぎらせて、媚《こ》びるようにじっと新田の顔を見た。
「私は見せていただきますわ」
二八
俊助と辰子とは、さっきの応接室へ引き返した。引き返してみると、以前はささなかった日の光が、斜《なな》めに窓ガラスを射《い》透《とお》して、ピアノの脚《あし》に落ちていた。それからその日の光に蒸されたせいか、壷にさした薔《ば》薇《ら》の花も、前よりはいっそう重苦しく、甘い匂《にお》いを放っていた。最後にあの令嬢の弾くオルガンが、まるでこの癲《てん》狂《きよう》院《いん》の建物のつく吐息のように、時々廊下の向こうから聞こえてきた。
「あのお嬢さんは、まだ弾いていらっしゃるのね」
辰子はピアノの前に立ったまま、うっとりと眼を遠いところへ漂《ただよ》わせた。俊助は煙草へ火をつけながらピアノと向かい合った長《なが》椅《い》子《す》へ、ぐったりと疲《つか》れた腰《こし》を下ろして、
「失恋したくらいで、気が違《ちが》うものかな」と、独《ひと》り語《ごと》のようにつぶやいた。と、辰子は静かに眼を俊助の顔へ移して、
「違わないとお思いになって?」
「さあ――僕は違いそうもありませんね。それよりあなたはどうです」
「私? 私はどうするでしょう」
辰子は誰に尋《たず》ねるともなくこう言ったが、急に青白い頬《ほお》に血の色がさすと、眼を白《しろ》足《た》袋《び》の上に落として、
「わからないわ」と小さな声を出した。
俊助は金口をくわえたまま、しばらくはただ黙《もく》然《ねん》と辰子の姿を眺《なが》めていたが、やがてわざと軽い調子で、
「ご安心なさい。あんたなんぞ失恋するようなことはないから。その代わり――」
辰子はまた静かに眼を挙げて俊助の眉《まゆ》の間を見た。
「その代わり?」
「失恋させるかもしれません」
俊助は冗《じよう》談《だん》のように言った言葉が、案外真《ま》面《じ》目《め》な調子を帯びていたのに気がついた。と同時に真面目なだけ、それだけ厭《いや》味《み》なのを恥《は》ずかしく思った。
「そんなことを」
辰子はすぐに眼を伏《ふ》せたが、やがて俊助の方へ後ろを向けると、そっとピアノの蓋《ふた》を開けて、まるで二人をとりまいた、薔《ば》薇《ら》の匂《にお》いのする沈《ちん》黙《もく》を追い払おうとするように、二つ三つ鍵《けん》盤《ばん》を打った。それは打つ指に力がないのか、いずれも音とは思われないほど、かすかな音を響かせたのにすぎなかった。が、俊助はその音を聞くとともに、日ごろ彼の軽《けい》蔑《べつ》する感傷主義《センテイメンタリズム》が、彼自身をもすんでのことに捕《とら》えようとしていたのを意識した。この意識はもちろん彼にとって、危険の意識には相《そう》違《い》なかった。けれども彼の心には、その危険を免《まぬか》れたという、満足らしいものはさらになかった。
しばらくして初子が新田といっしょに、応接室へ姿を現わした時、俊助はいつもより快活に、
「どうでした。初子さん。モデルになるような患《かん》者《じや》が見つかりましたか」と声をかけた。
「ええ、おかげさまで」
初子は新田と俊助とに、等分の愛《あい》嬌《きよう》をふりまきながら、
「ほんとうに私ためになりましたわ。辰子さんもいらっしゃればいいのに。そりゃかわいそうな人がいてよ。いつでも、お腹《なか》に子供がいると思っているんですって。たった一人、隅《すみ》の方へ坐《すわ》って、子《こ》守《もり》唄《うた》ばかり歌っているの」
二九
初子が辰子と話している間に、新田はちょいと俊助の肩《かた》をたたくと、
「おい、君に一つ見せてやる物がある」と言って、それから女たちの方へ向きながら、
「あなたがたはここで、しばらくお休みになってください。今、お茶でも差し上げますから」
俊助は新田の言うとおり、おとなしくその後について、明るい応接室からうす暗い廊下へ出ると、今度はさっきと反対の方向にある、広い畳《たたみ》敷《じき》の病室へつれて行かれた。するとここにも向こうと同じように、鼠《ねずみ》の棒《ぼう》縞《しま》を着た男の患者が、二十人近くもごろごろしていた。しかもそのまん中には、髪《かみ》をまん中から分けた若い男が口を開《あ》いて、涎《よだれ》をたらして、両手を翼《つばさ》のように動かしながら、怪《あや》しげな踊《おど》りを踊っていた。新田は俊助をひっぱって、遠《えん》慮《りよ》なくその連中の間へはいって行ったが、やがて膝《ひざ》を抱《だい》いて坐《すわ》っていた、一人の老人をつかまえると、
「どうだね。何か変わったことはないかい」と、もっともらしく問いかけた。
「ございますよ。なんでも今月の末までには、また磐《ばん》梯《だい》山《さん》が破裂するそうで――昨晩もそのご相談に、神々が上野へお集まりになったようでございました」
老人は目《め》脂《やに》だらけの眼を見張って、ささやくようにこう言った。が、新田はその答えには頓《とん》着《じやく》する気《け》色《しき》もなく、俊助の方を振《ふ》り返って、
「どうだ」と、あざけるような声を出した。
俊助は微《び》笑《しよう》を洩《も》らしたばかりで、なんともその「どうだ」には答えなかった。と、新田はまた一人、これはニッケルの眼鏡をかけた、癇《かん》の強そうな男の前へ行って、
「いよいよ講和条約の調印もすんだようだね。君もこれからは暇《ひま》になるだろう」
が、その男は陰《いん》鬱《うつ》な眼をあげて、じろりと新田の顔を見ながら、
「とても暇にはなりませんよ。クレマンソオはどうしても、僕の辞職を聴《ちよう》許《きよ》してくれませんからね」
新田は俊助と顔を見合わせたが、そこに漂《ただよ》っている微笑を認めると、また黙《もく》然《ねん》と病室の隅《すみ》へ歩を移して、さっきからじっと二人を見つめていた、品のいい半白の男に声をかけた。
「どうした。まだ細君は帰ってこないかね」
「それがですよ。妻《さい》のほうじゃ帰りたがっているんですが、――」
その患者はこう言いかけて、急に疑わしそうな眼を俊助へ向けると、気味の悪いほど真剣な調子になって、
「先生、あなたはたいへんな人を伴《つ》れてお出でなすった。こりゃあの評判の女たらしですぜ。私の妻《さい》をひっかけた――」
「そうか。じゃさっそく僕から、警察へ引き渡《わた》してやろう」
新田は無《む》造《ぞう》作《さ》に調子を合わすと、三たび俊助の方へ振《ふ》り返って、
「君、この連中が死んだ後で、脳《のう》髄《ずい》を出して見るとね、うす赤い皺《しわ》の重なり合った上に、まるで卵の白味のような物が、ほんの指先ほど、かかっているんたよ」
「そうかね」
俊助は依《い》然《ぜん》として微笑をやめなかった。
「つまり磐《ばん》梯《だい》山《さん》も、クレマンソオへ出した辞職届も、女たらしの大学生も、皆《みな》その白味のような物から出てくるんだ、われわれの思想や感情だって――まあ、他は推して知るべしだね」
新田は前後左右にうごめいている鼠《ねずみ》の棒《ぼう》縞《じま》を見《み》廻《まわし》しながら、誰にということもなく、喧《けん》嘩《か》を吹《ふ》きかけるような手《て》真《ま》似《ね》をした。
三〇
初子と辰子とを載《の》せた上野行きの電車は、半面に春の夕日を帯びて、静かに停《てい》留《りゆう》場《ば》から動き出した。俊《しゆん》助《すけ》はちょいと角《かく》帽《ぼう》をとって、窓の内の吊《つり》皮《かわ》にすがっている二人の女に会《え》釈《しやく》をした。女は二人とも微《び》笑《しよう》していた。が、ことに辰子の眼は、微笑のうちにも憂《ゆう》鬱《うつ》な光をたたえて、じっと彼の顔に注がれているような心もちがした。彼の心には刹《せつ》那《な》の間、あの古ぼけた教室の玄《げん》関《かん》に、雨やみを待っていた彼女の姿が、稲《いな》妻《ずま》のようにひらめいた。と思うと、電車はもう速力を早めて、窓の内の二人の姿も、見る見る彼の眼界を離《はな》れてしまった。
その後を見送った俊助は、まだ一種の興奮が心に燃えているのを意識していた。彼はこのまま、本郷行きの電車へ乗って、索《さく》漠《ばく》たる下宿の二階へ帰って行くのに忍《しの》びなかった。そこで彼は夕日の中を、本郷とは全く反対な方向へ、いい加減にぶらぶら歩き出した。にぎやかな往来は日《ひ》暮《ぐ》れが近づくのに従って、いっそう人通りが多かった。のみならず、飾窓《シヨウウインドウ》の中にも、アスファルトの上にも、あるいはまた並《なみ》木《き》の梢《こずえ》にも、至る所に春めいた空気が動いていた。それは現在の彼の気もちを直《じき》下《げ》に放出したような外界だった。だから町を歩いて行く彼の心には、夕日の光を受けながら、しかも夕日の色に染まっていない、頭の上の空のような、微《び》妙《みよう》な喜びが流れていた。……
その空が全く暗くなったころ、彼はその通りのある珈琲店《カツフエ》で、食後の林《りん》檎《ご》をむいていた。彼の前にはガラスの一輪挿《ざ》しに、百《ゆ》合《り》の造花が挿してあった。彼の後ろでは自働ピアノが、しっきりなくカルメンを鳴らしていた。彼の左右には幾《いく》組《くみ》もの客が、白い大理石のテエブルを囲みながら、綺《き》麗《れい》に化《け》粧《しよう》した給仕女と盛《さか》んにしゃべったり笑ったりしていた。彼はこういう周囲に身を置きながら、癲《てん》狂《きよう》院《いん》の応接室を領していた、懶《ものう》い午後の沈《ちん》黙《もく》を思った。室《むろ》咲《ざ》きの薔《ば》薇《ら》、窓からさす日の光、かすかなピアノの響き、伏《ふし》目《め》になった辰子の姿――ポオト・ワインに暖められた心には、そういう快いところが、代わる代わる浮《う》かんだり消えたりした。が、やがて給仕女が一人、紅茶を持ってきたのに気がついて、何気なく眼を林《りん》檎《ご》から離《はな》すと、ちょうど入口のガラス戸が開いたところで、しかもその入口には、黒いマントを着た大井篤夫が、灯《ともし》火《び》の多い外の夜から、のっそりはいってくるところだった。
「おい」
俊助は思わず声をかけた。と、大井は驚《おどろ》いた視線をあげて、煙草の煙の立ちこめている珈琲店《カツフエ》の中を見《み》廻《まわ》したが、すぐに俊助の顔を見つけると、
「やあ、妙《みよう》な所へ来ているな」と言いながら、彼のテエブルの向こうへ歩み寄って、マントも脱《ぬ》がずに腰《こし》を下ろした。
「君こそ妙な所がおなじみじゃないか」
俊助はこう冷評《ひやか》しながら、大井に愛《あい》想《そ》を売っている給仕女を一《いち》瞥《べつ》した。
「僕はボヘミヤンだ。君のようなエピキュリアンじゃない。至《いた》る処《ところ》の珈琲店《カツフエ》、酒場《バア》、ないしは下《くだ》っての縄《なわ》暖《の》簾《れん》の類《たぐい》まで、ことごとく僕のおなじみなんだ」
大井はもうどこかで一杯やってきたと見えて、まっ赤に顔をほてらせながら、こんな下らない気《き》焔《えん》をあげた。
三一
「ただしおなじみだって、借りのある所にゃ近づかないがね」
大井は急に調子を下げて、嘲《あざ》笑《わら》うような表情をしたが、やがて帳場机の方へ半身をねじ向けると、
「おい、ウイスキイを一杯」と、横《おう》柄《へい》な声で命令した。
「じゃ、至る所近づけなかないか」
「莫《ば》迦《か》にするな。こう見えたって――少なくとも、この家《うち》へは来ているじゃないか」
この時給仕女の中でも、いちばん低い、いちばん子供らしいのがウイスキイのコップを西洋盆《サルヴア》へ載せて、大事そうに二人のところへ持ってきた。それは括《くく》り頤《あご》の、眼の大きい、白粉《おしろい》の下に琥《こ》珀《はく》色《いろ》の皮膚が透《す》いて見える、健康そうな娘《むすめ》だった。俊助はその給仕女がそっと大井の顔へ親しみのある眼《ま》なざしを送りながら、盛《も》りこぼれそうなウイスキイのコップをテエブルの上へ移した時、二、三日前に郁《いく》文《ぶん》堂《どう》であのトルコ帽《ぼう》の藤沢が話して聞かせた、最近の大井の情事なるものを思い出さずにはいられなかった。と、果たして大井も臆《おく》面《めん》なく、その給仕女の方へまっ赤になった顔を向けると、
「そんなにすますなよ。僕が来てうれしかったら、遠《えん》慮《りよ》なくうれしそうな顔をするがいいぜ。こりゃ僕の親友でね、安田と言う貴族なんだ。もっとも貴族と言ったって、爵《しやく》位《い》なんぞがあるわけじゃない。ただ僕よりゃ少し金があるだけの違《ちが》いなんだ。――僕の未来の細君、お藤《ふじ》さん。ここの家じゃ、まず第一の美人だね。もし今度また君が来たら、この人にゃ特別にたくさんティップを置いて行ってくれ」
俊助は煙草に火をつけながら、微笑するよりほかはなかった。が、娘はこの種類の女に珍《めずら》しい、純《じゆん》粋《すい》な羞《しゆう》恥《ち》の血を頬《ほお》に上らせながら、まるで弟にでも対するように、ちょいと大井を睨《ね》めると、そのまま派手な銘《めい》仙《せん》の袂《たもと》を翻《ひるがえ》して、匆《そう》々《そう》帳場机の方へ逃《に》げて行ってしまった。大井はその後ろ姿を目送しながら、わざとらしく大きな声で笑い出したが、すぐにテエブルの上のウイスキイをぐいとやって、
「どうだ。美人だろう」と、冗談のように俊助の賛同を求めた。
「うん、すなおそうないい女だ」
「いかん、いかん。僕の言っているのは、お藤の――お藤さんの肉体的の美しさのことだ。すなおそうななんぞという、精神的の美しさじゃない。そんな物は大井篤夫にとって、あってもなくっても同じことだ」
俊助は相手にならないで、埃及《エジプト》の煙ばかり鼻から出していた。すると大井はテエブル越《ご》しに手をのばして、俊助の鼈《べつ》甲《こう》の巻煙草入れから金口を一本抜《ぬ》きとりながら、
「君のような都会人は、ああいう種類の美に盲目だからいかん」と、妙《みよう》なところへ攻《こう》撃《げき》の火の手を上げ始めた。
「そりゃ君ほど烱《けい》眼《がん》じゃないが」
「冗談じゃないぜ。君ほど烱《けい》眼《がん》じゃないなんぞとは、僕のほうで言いたいくらいだ。藤沢のやつは、僕のことを、なんぞと言うとドン・ジュアン呼ばわりをするが、近来は君のほうへすっかりお株を取られた形があらあね。どうした。いつかの両美人は?」
俊助は何を措《お》いても、この場合この話題が避《さ》けたかった。そこで彼は大井の言葉がまるで耳へはいらないように、また談《だん》柄《ぺい》をお藤さんなる給仕女のほうへ持って行った。
三二
「いくつだ、あのお藤さんと言うのは?」
「行《ぎよう》年《ねん》十八、寅《とら》の八《はつ》白《ぱく》だ」
大井はまた新たに註文したウイスキイをひっかげながら、高々と椅《い》子《す》の上へあぐらをかいて、
「年まわりから言や、あんまりすなおでもなさそうだが、――まあ、そんなことはどうでもいい、すなおだろうが、すなおでなかろうが、どうせ女のことだから、退《たい》屈《くつ》な人間にゃ相《そう》違《い》なかろう」
「ひどく女を軽《けい》蔑《べつ》するな」
「じゃ君は尊敬しているか」
俊助は今度も微《び》笑《しよう》のうちに、韜《とう》晦《かい》するよりほかはなかった。と、大井は三杯目のウイスキイを前に置いて、金口の煙《けむり》を相手へ吹《ふ》きかけながら、
「女なんてものは退屈だぜ。上《かみ》は自動車へ乗っているのから下《しも》は十二階下《*》に巣《す》を食っているのまで、突《つ》っくるめてみたところが、まあせいぜい十種類ぐらいしかないんだからな。嘘《うそ》だと思ったら二年でも三年でも、めちゃめちゃに道楽をしてみるがいい。すぐに女の種類が尽きて、おもしろくもなんともなくなっちまうから」
「じゃ君もおもしろくないほうか」
「おもしろくないほうか? 冗《じよう》談《だん》だろう。――いや、皮肉なら皮肉でもいい。おもしろくないと言っている僕が、やっぱりこうやって女ばかり追っかけている。それが君にゃ莫《ば》迦《か》げて見えるんだろう。だがね、おもしろくないと言うのもほんとうなんだ。同時にまたおもしろいと言うのもほんとうなんだ」
大井は四杯目のウイスキイを命じたころから、しだいに平常の傲《ごう》岸《がん》な態度がなくなって、酔《え》いを帯びた眼の中にも、涙《なみだ》ぐんでいるような光が加わってきた。もちろん俊助はこういう相手の変化を、好奇心に富んだ眼で眺《なが》めていた。が、大井は俊助の思わくなぞにはさらに頓《とん》着《じやく》しない容《よう》子《す》で、五杯六杯と続けさまにウイスキイをあおりながら、ますます熱心な調子になって、
「おもしろいと言うのはね、女でも追っかけていなけりゃ、それこそつまらなくってたまらないからなんだ。が、追っかけてみたところで、これまたおもしろくもなんともありゃしない。じゃどうすればいいんだと君は言うだろう。じゃどうすればいいんだと――それがわかっているくらいなら、僕もこんなに寂《さび》しい思いなんぞしなくってもすむ。僕は始終僕自身にそう言っているんだ。じゃどうすればいいんだと」
俊助は少し持て余しながら、冗《じよう》談《だん》のように相手を和らげにかかった。
「惚《ほ》れられるさ。そうすりゃ、少しはおもしろいだろう」
が、大井はかえって真《ま》面《じ》目《め》な表情を眼にも眉《まゆ》にも動かしながら、大理石のテエブルを拳《げん》骨《こつ》で一つどんとたたくと、
「ところがだ。惚れられるまでは、まだ退《たい》屈《くつ》でも我慢がなるが、惚れられたとなったら、もう万事休すだ。征《せい》服《ふく》の興味はなくなってしまう。好奇心もそれ以上は働きようがない。後に残るのはただ、恐《おそ》るべき退屈中の退屈だけだ。しかも女というやつは、ある程度まで関係が進歩すると、必ず男に惚れてしまうんだから始末が悪い」
俊助は思わず大井の熱心さに釣《つ》りこまれた。
「じゃどうすればいいんだ?」
「だからさ。だからどうすればいいんだと僕も言っていたんだ」
大井はこう言いながら、殺気立った眉をひそめて、七、八杯目のウイスキイをまずそうにぐいと飲み干した。
三三
俊助はしばらく口をつぐんで、大井の指にある金口がぶるぶる震《ふる》えるのを眺《なが》めていた。と、大井はその金口を灰皿の中へほうりこんで、いきなりテエブル越《ご》しに俊助の手をつかまえると、
「おい」と、切《せつ》迫《ぱく》した声を出した。
俊助は返事をする代わりに、驚《おどろ》いた眼をあげて、ちょいと大井の顔を見た。
「おい、君はまだ覚えているだろう、僕があの七時の急行の窓で、女の見送り人にハンケチを振《ふ》っていたことがあるのを」
「もちろん覚えている」
「じゃ聞いてくれ。僕はあの女とこの間まで同《どう》棲《せい》していたんだ」
俊助は好奇心が動くとともに、もういい加減にアルコオル性の感傷主義《センテイメンタリズム》はご免《めん》をこうむりたいという気にもなった。のみならず、周囲のテエブルを囲んでいる連中が、さっきからこちらへ迂《う》散《さん》らしい視線を送っているのも不快だった。そこで彼は大井の言葉には曖《あい》昧《まい》な返事を与えながら、帳場の側に立っているお藤に、「来い」という相図をして見せた。が、お藤がそこを離《はな》れないうちに、最初彼の食事の給仕をした女が、急いでテエブルの前へやってきた。
「勘《かん》定《じよう》をしてくれ。この方《かた》の分もいっしょだ」
すると大井は俊助の手を離して、やはり眼に涙《なみだ》をたたえたまま、しげしげと彼の顔を眺《なが》めたが、
「おい、おい、勘定を払《はら》ってくれなんていつ言った?、僕はただ、聞いてくれと言ったんだぜ。聞いてくれりゃよし、聞いてくれなけりゃ――そうだ。聞いてくれなけりゃ、さっさと帰ったらいいじゃないか」
俊助は勘定をすませると、新たに火をつけた煙草をくわえながら、いたわるような微笑を大井に見せて、
「聞くよ。聞くが、ね、われわれのように長く坐《すわ》りこんじゃ、ここの家《うち》も迷惑だろう。だからひとまず外へ出た上で、聞くことにしようじゃないか」
大井はやっと納《なつ》得《とく》した。が、テエブルを離《はな》れるとなると、彼は口が達者なのとは反対に、すこぶる足元が蹣《まん》跚《さん》としていた。
「いいか。おい、危いぜ」
「冗《じよう》談《だん》言っちゃいけない。高がウイスキイの十杯や十五杯――」
俊助は大井の手をとらないばかりにして、入口のガラス戸の方へ歩きだした。と、そこにはもうお藤が、大きくガラス戸を開けながら、心配そうな眼を見張って、二人の出てくるのを待ち受けていた。彼女はそこの天井から下がっている支那《シナ》灯《どう》籠《ろう》の光を浴びて、最前よりはさらに子供らしく、それだけ俊助にはさらに美しく見えた。が、大井はまるでお藤の存在には気がつかなかったものと見えて、たくましい俊助の手に背中をかかえられながら、口一つきかずにその前を通りすぎた。
「ありがとうございます」
大井の後から外へ出た俊助には、こう言うお藤の言葉の中に、彼の大井に対する厚情を感謝しているような響きが感じられた。彼はお藤の方を振《ふ》り返って、その感謝に答うべき微笑を送ることをおしまなかった。お藤は彼らが往来へ出てしまってからも、しばらくは明るいガラス戸の前にたたずみながら、白いエプロンの胸へ両手を合わせて、しだいに遠くなって行く二人の後ろ姿を、懐《なつ》かしそうにじっと見守っていた。
三四
大井は角《かく》帽《ぼう》の庇《ひさし》の下に、鈴《すす》懸《かけ》の並《なみ》木《き》を照らしている街灯の光を受けるが早いか、俊助の腕《うで》へすがるようにして、
「じゃ聞いてくれ。迷《めい》惑《わく》だろうが、聞いてくれ」と、執《しゆう》念《ね》くさっきの話を続け出した。
俊助も今度は約《やく》束《そく》した手前、一時を糊《こ》塗《と》するわけにも行かなかった。
「あの女は看護婦でね。僕が去年の春扁《へん》桃《とう》腺《せん》をわずらった時に――まあ、そんなことはどうでもいい、とにかく僕とあの女とは、去年の春以来の関係なんだ。それが君、どうして別れるようになったと思う? 単にあの女が僕に惚《ほ》れたからなんだ。と言うよりゃ偶《ぐう》然《ぜん》の機会で、惚れているということを僕に見せてしまったからなんだ」
俊助は絶えず大井の足元を顧《こ》慮《りよ》しながら、街灯の下を通りすぎるたびに、長くなったり短くなったりする彼らの影《かげ》を、アスファルトの上に踏《ふ》んで行った。そうしてややもすると散《さん》漫《まん》になりがちな注意を、相手の話へ集中させるのに忙《いそが》しかった。
「と言ったって、なにも大したいきさつがあったわけでもなんでもない。ただ、あいつが僕のところへ来た手紙の事で、嫉《やき》妬《もち》を焼いただけの事なんだ。が、その時僕はあの女の腹の底まで見えたような気がして、一度に嫌《いや》気《き》がさしてしまったじゃないか。するとあいつは嫉妬を焼いたという、その事だけが悪いんだと思ったもんだから、――いや、これも余談だった。僕が君に話したいのは、その僕のところへ来た手紙というやつなんだがね」
大井はこう言って、酒臭《くさ》い息を吐《は》きながら、俊助の顔を覗《のぞ》くようにした。
「その手紙の差出人は、女名前じゃあったけれど、実は僕自身なんだ。驚《おどろ》くだろう。僕だって、自分で驚いているんだから、君が驚くのは、ちっとも不思議はない。じゃなぜ僕はそんな手紙を書いたんだ? あの女が嫉妬を焼くかどうか、それが知りたかったからさ」
さすがにこの時は俊助も、何か得《え》体《たい》の知れない物にぶつかったような心もちがした。
「妙《みよう》な男だな」
「妙だろう。あいつが僕に惚《ほ》れていることがわかりゃ、あいつが嫌《いや》になるということは、僕は百も承知しているんだ。そうしてあいつが嫌になった暁《あかつき》にゃ、よけい世の中が退《たい》屈《くつ》になるということも知っているんだ。しかも僕は、その時に、九分九厘まではあの女が嫉妬を焼くことを知っていたんだぜ。それでいて、手紙を書いたんだ。書かなけりゃいられなかったんだ」
「妙な男だな」
俊助は目まぐるしい人通りの中に、足元の怪《あや》しい大井をかばいながら、もう一度こう繰《く》り返した。
「だから僕の場合はこうなんだ。――女が嫌になりたいために女に惚《ほ》れる。より退屈になりたいために退屈なことをする。そのくせ僕は心の底で、ちっとも女が嫌になりたくはないんだ。ちっとも退屈でいたくはないんだ。だから君、悲《ひ》惨《さん》じゃないか。悲惨だろう。この上しかたのないことはないだろう」
大井はいよいよ酔いが発したと見えて、声さえ感動に堪《た》えないごとく涙《なみだ》ぐむようになってきた。
三五
そのうちに二人は、本郷行きの電車に乗るべき、あるにぎやかな四つ辻《つじ》へ来た。そこには無数の灯《ともし》火《び》が暗い空を灸《あぶ》った下に、電車、自動車、人力車の流れが、絶えず四方から押《お》し寄せていた。俊助は生《なま》酔《え》いの大井を連れてこの四つ辻を向こうへ突《つ》っ切るには、そういう周囲の雑《ざつ》沓《とう》と、険《けん》呑《のん》な相手の足元とへ、同時に気を配らなければならなかった。
ところがやっと向こうへたどりつくと、大井は俊助の心配には頓《とん》着《じやく》なく、すぐにその通りにあるビヤホオルの看板を見つけて、
「おい、君、もう一杯ここでやって行こう」と、海老《えび》茶《ちや》色をした入口の垂れ幕を、無《む》造《ぞう》作《さ》に開いてはいろうとした。
「よせよ、そのくらいご機《き》嫌《げん》なら、もうたいていたくさんじゃないか」
「まあ、そんなことを言わずにつき合ってくれ。今度は僕がおごるから」
俊助はこの上大井の酒の相手になって、彼の特色ある恋愛談を傾《けい》聴《ちよう》するには、あまりにポオト・ワインの酔《え》いが醒《さ》めすぎていた。そこで今まで抑えていたマントの背中を離《はな》しながら、
「じゃ、君一人で飲んで行くさ。僕はいくらおごられてもまっぴらだ」
「そうか。じゃしかたがない。僕はまだ君に聞いてもらいたいことが残っているんだが――」
大井は海老茶色の幕へ手をかけたまま、ふらつく足を踏《ふ》みしめて、しばらく沈《ちん》吟《ぎん》していたが、やがて俊助の鼻の先へ酒臭《くさ》い顔を持ってくると、
「君は僕がどうしてあの晩、国府津《こうづ》なんぞへ行ったんだか知らないだろう。ありゃね、嫌《いや》になった女に別れるための方便なんだ」
俊助は外《がい》套《とう》の隠《かく》しへ両手を入れて、あきれた顔をしながら、大井と眼を見合わせた。
「へええ、どうして?」
「どうしてったって、――まず僕がぜひとも国へ帰らなければならないような理由を書き下ろしてさ。それから女と泣き別れの愁《しゆう》歎《たん》場《ば》がよろしくあって、とどあの晩汽車の窓でハンケチを振《ふ》るというのが大詰めだったんだ。なにしろ役者が役者だから、あいつは今でも僕が国へ帰っていると思っているんだろう。時々国の僕へ宛《あ》てたあいつの手紙が、こっちの下宿へ転送されてくるからね」
大井はこう言って、みずからあざけるように微《び》笑《しよう》しながら、大きな掌《てのひら》を俊助の肩《かた》へかけて、
「僕だってそんな化《ば》けの皮が、永久に剥《は》げないとは思っていない。が、剥げるまでは、その化けの皮を大事にかぶっていたいんだ。この心もちは君に通じないだろうな。通じなけりゃ――まあ、それまでだが、つまり僕は嫌になった女に別れるんでも、できるだけ向こうを苦しめたくないんだ。できるだけ――いくら嘘《うそ》をついてもだね。と言って、なにもその場合までいい子になりたいと言うんじゃない。向こうのために、女のために、そうしてやるべき一種の義務が存在するような気がするんだ。君は矛《む》盾《じゆん》だと思うだろう。矛盾もまたはなはだしいと思うだろう。だろうが、僕はそういう人間なんだ。それだけはどうかのみ込んでおいてくれ。――じゃ失敬しよう。わが親愛なる安田俊助」
大井は妙《みよう》な手つきをして、俊助の肩をたたいたと思うと、その手に海老茶色の垂れ幕をあげて、よろよろビヤホオルの中へはいってしまった。
「妙《みよう》な男だな」
俊助は軽《けい》蔑《べつ》とも同情とも判然しない一種の感情に動かされながら三たびこうつぶやいて、クラブ洗《あらい》粉《こ》の広告電灯が目まぐるしく明《めい》滅《めつ》する下を、静かに赤い停《てい》留《りゆう》場《ば》の柱の方へ歩き出した。
三六
下宿へ帰ってきた俊助は、制服を和服に着《き》換《が》えると、まず青い蓋《かさ》をかけた卓上電灯の光の下で、留《る》守《す》ちゅうに届いていた郵便へ眼を通した。その一つは野村の手紙で、もう一つは帯封に乞《こう》高《こう》評《ひよう》の判がある『城』の今月号だった。
俊助は野村の手紙をひらいた時、その半切れを埋《うず》めているものは、多分父親の三回忌《き》に関係した、家事上の紛《ふん》紜《うん》か何かだろうという、おぼろげな予期を持っていた。ところがいくら読んで行っても、そういう実際方面の消息はほとんど一句も見当たらなかった。その代わり郷土の自然だの生活だのの叙《じよ》述《じゆつ》が、到《いた》るところに美しい詠《えい》歎《たん》的な文字を並《なら》べていた。磯《いそ》山《やま》の若葉の上には、もう夏らしい海《かい》雲《うん》が簇《ぞく》々《ぞく》と空に去来しているという事、その雲の下に干してある珊《さん》瑚《ご》採取の絹糸の網が、まばゆく日に光っているという事、自分もいつか叔《お》父《じ》の持ち船にでも乗せてもらって、深海の底から珊瑚の枝をひきあげたいと思っているという事――すべてが哲《てつ》学《がく》者というよりは、むしろ詩人にふさわしい熱情の表現とも言わるべき性質のものだった。
俊助にはこの絢《けい》爛《らん》たる文句の中に、現在の野村の心もちが髣《ほう》髴《ふつ》できるように感ぜられた。それは初子に対する純《じゆん》粋《すい》な愛が遍《へん》照《じよう》している心もちだった。そこには優しい喜びがあった。あるいはかすかな吐《と》息《いき》があった。あるいはまたややもすれば流れようとする涙《なみだ》があった。だからその心もちを通過するかぎり、野村の眼に映じた自然や生活は、いずれも彼自身の愛の円光に、虹《にじ》のごとき光彩を与えられていた。若葉も、海も、珊《さん》瑚《ご》採取も、ことごとくの意味においては、地上の実在超《ちよう》越《えつ》した一種の天《てん》啓《けい》にほかならなかった。したがって彼の長い手紙も、その素《そ》朴《ぼく》な愛の幸福に同情できるもののみが、始めて意味を解すべき黙示録《アポカリプス》のようなものだった。
俊助は微笑とともに、野村の手紙を巻きおさめて、今度は『城』の封《ふう》を切った。表紙にはビアズリイ《*》のタンホイゼルの画《え》が刷ってあって、その上に l'art pour l'art《*》 と、細い朱文字で入れた銘があった。目次を見ると、藤沢の「鳶《とび》色《いろ》の薔《ば》薇《ら》」という抒情詩的の戯曲を筆頭に、近藤のロップス《*》論とか、花《はな》房《ぶさ》のアナクレオン《*》の翻《ほん》訳《やく》とか、いろいろな表題が行列していた。俊助は、はなはだ同情のない眼で、しばらくそれらの表題を見《み》廻《まわ》していたが、やがて「倦《けん》怠《たい》」――大井篤夫という一行の文字にぶつかると、急にさっきの大井の姿が鮮《あざ》やかに記憶に浮《う》かんできたので、さっそくその小説が載《の》っている巻末のペエジをはぐってみた。と、それは三人称でこそ書いてはあるが、実は今夜聞いた大井の告白を、そのまま活字にしたような小説だった。
俊助はわずか十分ばかりの間に、造《ぞう》作《さ》なく「倦怠」を読み終わるとまた野村の手紙をひろげてみて、その達筆な行《ぎよう》の上へいまさらのように怪《かい》訝《が》の眼を落とした。この手紙の中に磅《ほう》磚《はく》している野村の愛と、あの小説の中にぶちまけてある大井の愛と――一人の初子に天国を見ている野村と、多くの女に地《じごく》獄を見ている大井と――それらの間にある大きな懸《けん》隔《かく》は、いったいどこから生じたのだろう。いや、それよりも二人の愛は、どちらがほんとうの愛なのだろう。野村の愛が幻《まぼろし》か。大井の愛が利己心か。それとも両方がそれぞれの意味で、やはり偽《いつわ》りのない愛だろうか。そうして彼自身の辰《たつこ》子に対する愛は?
俊助は青い蓋《かさ》をかけた卓上電灯の光の下に、野村の手紙と大井の小説とを並《なら》べたまま、しばらくは両《りよう》腕《うで》を胸に組んで、じっとデスクの前へ坐《すわ》っていた。
(以上をもって「路上」の前篇を終わるものとす。後篇は他日を期することとすべし)
(大正八年七月)
じゅりあの・吉助
じゅりあの・吉《きち》助《すけ》は、肥前国《ひぜんのくに》 彼杵郡《そのきごおり》 浦上村《うらかみむら*》の産であった。早く父母に別れたので、幼少の時から、土地の乙名《おとな*》三郎治《さぶろうじ》と言うものの下男になった。が、性来愚《ぐ》鈍《どん》な彼は、始終朋《ほう》輩《ばい》の弄《なぶ》り物にされて、牛馬同様な賤《せん》役《えき》にさなければならなかった。
その吉助が十八、九の時、三郎治の一人《ひとり》娘《むすね》の兼《かね》という女に懸《け》想《そう》をした。兼はもちろんこの下男の恋《れん》慕《ぼ》の心などは顧《かえり》みなかった。のみならず人の悪い朋輩は、早くもそれに気がつくと、いよいよ彼を嘲《ちゆう》弄《ろう》した。吉助は愚物ながら、悶《もん》々《もん》の情に堪《た》えなかったものとみえて、ある夜ひそかに住み慣れた三郎治の家を出《しゆつ》奔《ぽん》した。
それから三年の間、吉助の消息は杳《よう》として誰《たれ》も知るものがなかった。
が、その後彼は乞食《こじき》のような姿になって、ふたたび浦上村へ帰ってきた。そうして元のとおり三郎治に召《め》し使われることになった。爾《じ》来《らい》彼は朋輩の軽《けい》蔑《べつ》も意としないで、ただまめまめしく仕えていた。ことに娘の兼に対しては、飼《か》い犬よりもさらに忠実だった。娘はこの時すでに婿《むこ》を迎《むか》えて、誰もうらやむような夫婦仲であった。
こうして一、二年の歳月は、何事もなく過ぎて行った。が、その間に朋《ほう》輩《ばい》は吉助の挙動になんとなく不《ふ》審《しん》なところのあるのを嗅《か》ぎつけた。そこで彼らは好奇心に駆《か》られて、注意深く彼を監《かん》視《し》し始めた。すると果たして吉助は、朝夕一度ずつ、額《ひたい》に十字を劃《かく》して、祈《き》祷《とう》を捧《ささ》げる事を発見した。彼らはすぐにその旨《むね》を三郎治に訴《うつた》えた。三郎治も後難を恐《おそ》れたとみえて、即《そく》座《ざ》に彼を浦上村の代官所へ引き渡《わた》した。
彼は捕《とり》手《て》の役人に囲まれて、長崎の牢《ろう》屋《や》へ送られた時も、さらに悪びれる気《けし》色《き》を示さなかった。いや、伝説によれば愚物の吉助の顔が、その時はまるで天上の光に遍《へん》照《じよう》されたかと思うほど、不思議な威《い》厳《げん》に満ちていたということであった。
奉《ぶ》行《ぎよう》の前に引き出された吉助は、すなおに切支丹《きりしたん》宗《しゆう》門《もん》を奉《ほう》ずるものだと白状した。それから彼と奉行との間には、こういう問答が交《こう》換《かん》された。
奉行「その方どもの宗《しゆう》門《もん》神《しん》はなんと申すぞ」
吉助「べれん 《*》の国の御《おん》若《わか》君《ぎみ》、えす・きりすと様、ならびに隣《りん》国《こく》の御息女、さんた・まりや様でござる」
奉行「そのものどもはいかなる姿をいたしておるぞ」
吉肋「われら夢《ゆめ》に見《み》奉《たてまつ》るえす・きりすと様は、紫《むらさき》の大《おお》振《ふり》袖《そで》を召《め》させ給うた、美しい若《わか》衆《しゆ》の御《おん》姿《すがた》でござる。まったさんた・まりや姫《ひめ》は、金糸銀糸の繍《ぬい》をされた、襠《かいどり》の御姿と拝み申す」
奉行「そのものどもが宗《しゆう》門《もん》神《しん》となったは、いかなるいわれがあるぞ」
吉助「えす・きりすと様、さんた・まりや姫《ひめ》に恋をなされ、焦《こ》がれ死にに果てさせ給うたによって、われと同じ苦しみに悩むものを、救うてとらしょうと思《おぼ》し召《め》し、宗門神となられたげでござる」
奉行「その方はいずこの何ものより、さような教えを伝授されたぞ」
吉助「われら三年の間、諸《しよ》処《しよ》を経めぐった事がござる。そのおりさる海《うみ》辺《べ》にて、見知らぬ紅毛人より伝授を受け申した」
奉行「伝授するには、いかなる儀《ぎ》式《しき》を行のうたぞ」
吉助「御《おん》水《みず》を頂《ちよう》戴《だい》致いてから、じゅりあのと申す名を賜《たま》わってござる」
奉行「してその紅毛人は、その後いずこへ赴《おもむ》いたぞ」
吉助「されば稀《け》有《う》な事でござる。おりから荒《あ》れ狂《くる》うた浪《なみ》を踏《ふ》んで、いず方へか姿を隠《かく》し申した」
奉行「この期《ご》に及んで、空《そら》事《ごと》を申したら、その分にはさしおくまいぞ」
吉助「なんで偽《いつわ》りなどを申し上ぎょうず。皆《みな》紛《まぎ》れない真実でござる」
奉行は吉助の申し条を不思議に思った。それは今まで調べられた、どの切支丹門徒の申し条とも、全く変わったものであった。が、奉行が何度吟《ぎん》味《み》を重ねても、頑《がん》として吉助は、彼の述べたところを翻《ひるがえ》さなかった。
じゅりあの・吉助はついに天下の大法どおり、磔《たつ》刑《けい》に処《しよ》せられる事になった。
その日彼は町じゅうを引き廻《まわ》された上、さんと・もんたに 《*》の下の刑《けい》場《じよう》で、無残にも磔《はりつけ》に懸《か》けられた。
磔《はりつけ》柱《ばしら》は周囲の竹矢来の上に、ひときわ高く十字を描いていた。彼は天を仰《あお》ぎながら、何度も高々と祈《き》祷《とう》を唱えて、恐《おそ》れげもなく非人の槍《やり》を受けた。その祈祷の声とともに、彼の頭上の天には、一団の油雲が湧《わ》き出でて、ほどなく凄《すさま》じい大《だい》雷《らい》雨《う》が、沛《はい》然《ぜん》として刑場へ降り注いだ。再び天が晴れた時、磔柱の上のじゅりあの・吉肋は、すでに息が絶えていた。が、竹矢来の外にいた人々は、今でも彼の祈祷の声が、空中に漂《ただよ》っているような心もちがした。
それは「べれんの国の若君様、今はいずこにましますか、御《おん》褒《ほ》め讃《たた》え給え」と言う、簡古素《そ》朴《ぼく》な祈祷だった。
彼の死《し》骸《がい》を磔柱から下ろした時、非人は皆《みな》それが美《び》妙《みよう》な香《かお》りを放っているのに驚《おどろ》いた。見ると、吉助の口の中からは、一本の白い百《ゆ》合《り》の花が、不思議にも水々しく咲《さ》き出ていた。
これが長《なが》 崎《さき》 著《ちよ》 聞《もん》 集《しゆう*》、公《こう》教《きよう》遺《い》事《じ》、瓊《けい》浦《ほ》把《は》燭《しよく》談《だん》等に散見する、じゅりあの・吉助の一生である。そうしてまた日本の殉《じゆん》 教《きよう》 者《しや》 中《ちゆう》 、最も私の愛している、神聖な愚《ぐ》人《じん》の一生である。
(大正八年八月)
魔《ま》 術《じゆつ》
ある時雨《しぐれ》の降る晩のことです。私を乗せた人力車は、何度も大森界《かい》隈《わい》の険しい坂を上がったり下りたりして、やっと竹《たけ》藪《やぶ》に囲まれた、小さな西洋館の前に梶《かじ》棒《ぼう》を下ろしました。もう鼠《ねずみ》色《いろ》のペンキの剥《は》げかかった、狭《せま》苦《くる》しい玄《げん》関《かん》には、車夫の出した提《ちよう》灯《ちん》の明かりで見ると、インド人マテイラム・ミスラ《*》と日本字で書いた、これだけは新しい、瀬戸物の標札がかかっています。
マテイラム・ミスラ君と言えば、もう皆《みな》さんの中にも、ご存じの方が少なくないかもしれません。ミスラ君は永年インドの独立を計っているカルカッタ生まれの愛国者で、同時にまたハッサン・カン《*》という名高い婆《ば》羅《ら》門《もん》の秘法を学んだ、年の若い魔術の大家なのです。私はちょうど一月ばかり以前から、ある友人の紹《しよう》介《かい》でミスラ君と交際していましたが、政治経済の問題などはいろいろ議論したことがあっても、肝《かん》腎《じん》の魔術を使う時には、まだ一度も居合わせたことがありません。そこで今夜は前もって、魔術を使ってみせてくれるように、手紙で頼《たの》んでおいてから、当時ミスラ君の住んでいた、寂《さび》しい大森の町はずれまで、人力車を急がせてきたのです。
私は雨に濡《ぬ》れながら、おぼつかない車夫の提灯の明かりを便りにその標札の下にある呼《よび》鈴《りん》のボタンを押《お》しました。すると間もなく戸が開いて、玄関へ顔を出したのは、ミスラ君の世話をしている、背の低い日本人のお婆《ばあ》さんです。
「ミスラ君はお出でですか」
「いらっしゃいます。さきほどからあなた様をお待ち兼ねでございました」
お婆さんは愛《あいそ》想よくこう言いながら、すぐその玄《げん》関《かん》のつきあたりにある、ミスラ君の部《へ》屋《や》へ私を案内しました。
「今晩は、雨の降るのによくお出ででした」
色のまっ黒な、眼の大きい、柔らかな口《くち》髭《ひげ》のあるミスラ君は、テエブルの上にある石油ランプの心《しん》をねじりながら、元気よく私に挨拶しました。
「いや、あなたの魔《ま》術《じゆつ》さえ拝見できれば、雨ぐらいはなんともありません」
私は椅《い》子《す》に腰《こし》かけてから、うす暗い石油ランプの光に照らされた、陰《いん》気《き》な部屋の中を見《み》廻《まわ》しました。
ミスラ君の部屋は質素な西洋間で、まん中にテエブルが一つ、壁《かべ》ぎわに手ごろな書《しよ》棚《だな》が一つ、それから窓の前に机が一つ――ほかにはただわれわれの腰をかける、椅子が並《なら》んでいるだけです。しかもその椅子や机が、みんな古ぼけた物ばかりで、縁《ふち》へ赤く花模様を織り出した、派手なテエブル掛《かけ》でさえ、今にもずたずたに裂《さ》けるかと思うほど、糸目が露《あらわ》になっていました。
私たちは挨拶をすませてから、しばらくは外の竹《たけ》藪《やぶ》に降る雨の音を聞くともなく聞いていましたが、やがてまたあの召《めし》使《つか》のお婆さんが、紅茶の道具を持ってはいってくると、ミスラ君は葉巻の箱の蓋《ふた》を開けて、
「どうです。一本」と勧めてくれました。
「ありがとう」
私は遠《えん》慮《りよ》なく葉巻を一本取って、マッチの火をうつしながら、
「確かあなたのお使いになる精《せい》霊《れい》は、ジン《*》とかいう名前でしたね。するとこれから私が拝見する魔《ま》術《じゆつ》というのも、そのジンの力を借りてなさるのですか」
ミスラ君は自分も葉巻へ火をつけると、にやにや笑いながら、匂《にお》いのいい煙《けむり》を吐《は》いて、
「ジンなどという精霊があると思ったのは、もう何百年も昔のことです。アラビヤ夜話の時代のこととでも言いましょうか。私がハッサン・カンから学んだ魔術は、あなたでも使おうと思えば使えますよ。高が進歩した催《さい》眠《みん》術《じゆつ》にすぎないのですから。――ご覧なさい。この手をただ、こうしさえすればいいのです」
ミスラ君は手をあげて、二、三度私の眼の前へ三角形のようなものを描きましたが、やがてその手をテエブルの上へやると、縁《ふち》へ赤く織り出した模様の花をつまみ上げました。私はびっくりして、思わず椅《い》子《す》をずりよせながら、よくよくその花を眺《なが》めましたが、確かにそれは今の今まで、テエブル掛の中にあった花模様の一つに違《ちが》いありません。が、ミスラ君がその花を私の鼻の先へ持ってくると、ちょうど麝《じや》香《こう》か何かのように重苦しい匂《にお》いさえするのです。私はあまりの不思議さに、何度も感《かん》嘆《たん》の声を洩《も》らしますと、ミスラ君はやはり微《び》笑《しよう》したまま、無《む》造《ぞう》作《さ》にその花をテエブル掛の上へ落としました。もちろん落とすともとのとおり花は織り出した模様になって、つまみ上げることどころか、花びら一つ自由には動かせなくなってしまうのです。「どうです。訳はないでしょう。今度は、このランプをご覧なさい」
ミスラ君はこう言いながら、ちょいとテエブルの上のランプを置き直しましたが、その拍《ひよう》子《し》にどういうわけか、ランプはまるで独《こ》楽《ま》のように、ぐるぐる廻《まわ》り始めました。それもちゃんとひとところに止まったまま、ホヤを心棒のようにして、勢いよく廻り始めたのです。初めのうちは私も胆《きも》をつぶして、万一火事にでもなってはたいへんだと、何度もひやひやしましたが、ミスラ君は静かに紅茶を飲みながら、いっこう騒《さわ》ぐ容《よう》子《す》もありません。そこで私もしまいには、すっかり度胸がすわってしまって、だんだん早くなるランプの運動を、眼も離《はな》さず眺《な》めていました。
また実際ランプの蓋《かさ》が風を起こして廻る中に、黄いろい焔《ほのお》がたった一つ、瞬《またた》きもせずにともっているのは、なんとも言えず美しい、不思議な見《み》物《もの》だったのです。が、そのうちにランプの廻るのが、いよいよ速やかになって行って、とうとう廻っているとは見えないほど、澄《す》み渡《わた》ったと思いますと、いつのまにか、前のようにホヤ一つゆがんだ気《け》色《しき》もなく、テエブルの上にすわっていました。
「驚《おどろ》きましたか。こんなことはほんの子供だましですよ。それともあなたがお望みなら、もう一つ何かご覧に入れましょう」
ミスラ君は後ろを振《ふ》り返って、壁《かべ》ぎわの書《しよ》棚《だな》を眺めましたが、やがてその方へ手をさし伸《の》ばして、招くように指を動かすと、今度は書棚に並んでいた書物が一冊ずつ動き出して、自然にテエブルの上まで飛んできました。そのまた飛び方が両方へ表紙を開いて、夏の夕方に飛び交《か》う蝙《こう》蝠《もり》のようにひらひらと宙へ舞《ま》い上がるのです。私は葉巻を口へくわえたまま、呆《あつ》気《け》にとられて見ていましたが、書物はうす暗いランプの光の中に何冊も自由に飛び廻って、いちいち行《ぎよう》儀《ぎ》よくテエブルの上ヘピラミッド形に積み上がりました。しかも残らずこちらへ移ってしまったと思うと、すぐに最初来たのから動き出して、もとの書《しよ》棚《だな》へ順々に飛び還《かえ》って行くじゃありませんか。
が、中でもいちばんおもしろかったのは、うすい仮《かり》綴《と》じの書物が一冊、やはり翼《つばさ》のように表紙を開いて、ふわりと空へ上がりましたが、しばらくテエブルの上で輪を描いてから、急にペエジをざわつかせると、逆落としに私の膝《ひざ》へさっと下りてきたことです。どうしたのかと思って手にとって見ると、これは私が一週間ばかり前にミスラ君へ貸した覚えがある、フランスの新しい小説でした。
「永《なが》々《なが》ご本をありがとう」
ミスラ君はまだ微笑を含《ふく》んだ声で、こう私に礼を言いました。もちろんその時はもう多くの書物が、みんなテエブルの上から書棚の中へ舞《ま》いもどってしまっていたのです。私は夢《ゆめ》からさめたような心もちで、暫《ざん》時《じ》は挨《あい》拶《さつ》さえできませんでしたが、そのうちにさっきミスラ君の言った、「私の魔術などというものは、あなたでも使おうと思えば使えるのです」という言葉を思い出しましたから、
「いや、かねがね評判はうかがっていましたが、あなたのお使いなさる魔術が、これほど不思議なものだろうとは、実際、思いもよりませんでした。ところで私のような人間にも、使って使えないことのないというのは、ご冗《じよう》談《だん》ではないのですか」
「使えますとも。誰《だれ》にでも造《ぞう》作《さ》なく使えます。ただ――」と言いかけてミスラ君はじっと私の顔を眺《なが》めながら、いつになく真《ま》面《じ》目《め》な口調になって、
「ただ、慾《よく》のある人間には使えません。ハッサン・カンの魔術を習おうと思ったら、まず慾を捨てることです。あなたにはそれができますか」
「できるつもりです」
私はこう答えましたが、なんとなく不安な気もしたので、すぐにまた後から言葉を添《そ》えました。
「魔術さえ教えていただければ」
それでもミスラ君は疑わしそうな眼つきを見せましたが、さすがにこの上念を押《お》すのは無《ぶ》躾《しつけ》だとでも思ったのでしょう。やがて大《おお》様《よう》にうなずきながら、
「では教えて上げましょう。が、いくら造《ぞう》作《さ》なく使えると言っても、習うのには暇《ひま》もかかりますから、今夜は私のところへお泊《と》まりなさい」
「どうもいろいろ恐《おそ》れ入ります」
私は魔術を教えてもらううれしさに、何度もミスラ君へお礼を言いました。が、ミスラ君はそんなことに頓《とん》着《じやく》する気《け》色《しき》もなく、静かに椅《い》子《す》から立ち上がると、
「オ婆《ばあ》サン。オ婆サン。今夜ハオ客様ガオ泊マリニナルカラ、寝《ね》床《どこ》ノシタクヲシテオイテオクレ」
私は胸を躍《おど》らしながら、葉巻の灰をはたくのも忘れて、まともに石油ランプの光を浴びた、親切そうなミスラ君の顔を思わずじっと見上げました。
×        ×       ×
私がミスラ君に魔術を教わってから、一月ばかりたった後のことです。これもやはりざあざあ雨の降る晩でしたが、私は銀座のある倶《く》楽《ら》部《ぶ》の一室で、五、六人の友人と、暖《だん》炉《ろ》の前へ陣《じん》取りながら、気軽な雑談にふけっていました。
なにしろここは東京の中心ですから、窓の外に降る雨《あま》脚《あし》も、しっきりなく往来する自動車や馬車の屋根を濡《ぬ》らすせいか、あの、大森の竹《たけ》藪《やぶ》にしぶくような、ものさびしい音は聞こえません。
もちろん窓の内の陽気なことも、明るい電灯の光と言い、大きなモロッコ皮の椅《い》子《す》と言い、あるいはまた滑《なめ》らかに光っている寄せ木細工の床《ゆか》と言い、見るから精《せい》霊《れい》でも出てきそうな、ミスラ君の部屋などとは、まるで比べものにはならないのです。
私たちは葉巻の煙《けむり》の中に、しばらくは猟《りよう》の話だの競馬の話だのをしていましたが、そのうちに一人の友人が、吸いさしの葉巻を暖炉の中にほうりこんで、私の方へ振《ふ》り向きながら、
「君は近ごろ魔術を使うという評判だが、どうだい。今夜は一つ僕たちの前で使ってみせてくれないか」
「いいとも」
私は椅子の背に頭をもたせたまま、さも魔術の名人らしく、横《おう》柄《へい》にこう答えました。
「じゃ、なんでも君に一任するから、世間の手品師などにはできそうもない、不思議な術を使ってみせてくれ給え」
友人たちは皆《みな》賛成だと見えて、てんでに椅《い》子《す》をすり寄せながら、促《うなが》すように私の方を眺《なが》めました。そこで私はおもむろに立ち上がって、
「よく見ていてくれ給えよ。僕の使う魔術には、種も仕《し》掛《か》けもないのだから」
私はこう言いながら、両手のカフスをまくり上げて、暖《だん》炉《ろ》の中に燃え盛《さか》っている石炭を、無《む》造《ぞう》作《さ》に掌《てのひら》の上へすくい上げました。私を囲んでいた友人たちは、これだけでも、もう荒《あら》胆《ぎも》を挫《ひし》がれたのでしょう。皆顔を見合わせながらうっかり側《そば》へ寄って火《やけど》傷でもしてはたいへんだと、気味悪そうにしりごみさえし始めるのです。
そこで私のほうはいよいよ落ち着き払《はら》って、その掌の上の石炭の火を、しばらく一同の眼の前へつきつけてから、今度はそれを勢いよく寄せ木細工の床へまき散らしました。そのとたんです、窓の外に降る雨の音を圧して、もう一つ変わった雨の音がにわかに床の上から起こったのは。と言うのはまっ赤な石炭の火が、私の掌を離《はな》れると同時に、無数の美しい金貨になって、雨のように床の上へこぼれ飛んだからなのです。
友人たちは皆夢《ゆめ》でも見ているように、茫《ぼう》然《ぜん》と喝《かつ》采《さい》するのさえも忘れていました。
「まずちょいとこんなものさ」
私は得意の微《び》笑《しよう》を浮《う》かべながら、静かにまた元の椅子に腰《こし》を下ろしました。
「こりゃ皆ほんとうの金貨かい」
呆《あつ》気《け》にとられていた友人の一人が、ようやくこう私に尋《たず》ねたのは、それから五分ばかりたった後のことです。
「ほんとうの金貨さ。嘘《うそ》だと思ったら、手にとって見給え」
「まさか火《や》傷《けど》をするようなことはあるまいね」
友人の一人は恐《おそ》る恐る、床の上の金貨を手にとって見ましたが、
「なるほどこりゃほんとうの金貨だ。おい、給仕、箒《ほうき》と塵《ちり》取《と》りとを持ってきて、これを皆掃《は》き集めてくれ」
給仕はすぐに言いつけられたとおり、床の上の金貨を掃き集めて、堆《うずたか》く側のテエブルへ盛《も》り上げました。友人たちは皆そのテエブルのまわりを囲みながら、
「ざっと二十万円くらいはありそうだね」
「いや、もっとありそうだ。華《きや》奢《しや》なテエブルだった日には、つぶれてしまうくらいあるじゃないか」
「なにしろ大した魔《ま》術《じゆつ》を習ったものだ。石炭の火がすぐに金貨になるのだから」
「これじゃ一週間とたたないうちに、岩崎や三井にも負けないような金満家になってしまうだろう」などと、口々に私の魔術を褒《ほ》めそやしました。が、私はやはり椅子によりかかったまま、悠《ゆう》然《ぜん》と葉巻の煙を吐《は》いて、
「いや、僕の魔術というやつは、いったん慾《よく》心《しん》を起こしたら、二度と使うことができないのだ。だからこの金貨にしても、君たちが見てしまった上は、すぐにまた元の暖炉の中へほうりこんでしまおうと思っている」
友人たちは私の言葉を聞くと、言い合わせたように、反対し始めました。これだけの大金を元の石炭にしてしまうのは、もったいない話だと言うのです。が、私はミスラ君に約《やく》束《そく》した手前もありますから、どうしても暖炉にほうりこむと、剛《ごう》情《じよう》に友人たちと争いました。すると、その友人たちの中でも、いちばん狡《こう》猾《かつ》だという評判のあるのが、鼻の先で、せせら笑いながら、
「君はこの金貨を元の石炭にしようと言う。僕たちはまたしたくないと言う。それじゃいつまでたったところで、議論が干《ひ》ないのは当たり前だろう。そこで僕が思うには、この金貨を元手にして、君が僕たちと骨牌《かるた》をするのだ。そうしてもし君が勝ったなら、石炭にするとも何にするとも自由に君が始末するがいい。が、もし僕たちが勝ったなら、金貨のまま僕たちへ渡《わた》し給え。そうすればお互《たが》いの申し分も立って、しごく満足だろうじゃないか」
それでも私はまだ首を振《ふ》って、容易にその申し出しに賛成しようとはしませんでした。ところがその友人は、いよいよあざけるような笑みを浮《う》かべながら、私とテエブルの上の金貨とを狡《ず》そうにじろじろ見比べて、
「君が僕たちと骨牌《かるた》をしないのは、つまりその金貨を僕たちに取られたくないと思うからだろう。それなら魔術を使うために、慾《よく》心《しん》を捨てたとかなんとかいう、せっかくの君の決心も怪《あや》しくなってくるわけじゃないか」
「いや、なにも僕は、この金貨が惜《お》しいから石炭にするのじゃない」
「それなら骨牌《かるた》をやり給えな」
何度もこういう押《お》し問答を繰《く》り返した後で、とうとう私はその友人の言葉どおり、テエブルの上の金貨を元手に、どうしても骨牌《かるた》を闘《たたか》わせなければならない羽目に立ち至りました。もちろん友人たちは皆《みな》大喜びで、すぐトランプを一組取り寄せると、部屋の片《かた》隅《すみ》にある骨牌机を囲みながら、まだためらいがちな私を早く早くと急《せ》き立てるのです。
ですから私もしかたがなく、しばらくの間は友人たちを相手に、嫌《いや》々《いや》骨牌をしていました。が、どういうものか、その夜に限って、ふだんは格別骨牌《かるた》上《じよう》手《ず》でもない私が、嘘のようにどんどん勝つのです。するとまた妙《みよう》なもので、始めは気のりもしなかったのが、だんだんおもしろくなり始めて、ものの十分とたたないうちに、いつか私は一《いつ》切《さい》を忘れて、熱心に骨牌《かるた》を引き始めました。
友人たちは、もとより私から、あの金貨を残らず捲《ま》き上げるつもりで、わざわざ骨牌を始めたのですから、こうなると皆《みな》あせりにあせって、ほとんど血相さえ変わるかと思うほど、夢《む》中《ちゆう》になって勝負を争い出しました。が、いくら友人たちが躍《やつ》起《き》となっても、私は一度も負けないばかりか、とうとうしまいには、あの金貨とほほ同じほどの金《きん》高《だか》だけ、私のほうが勝ってしまったじゃありませんか。するとさっきの人の悪い友人が、まるで気《き》違《ちが》いのような勢いで、私の前に、札《ふだ》をつきつけながら、
「さあ、引き給え。僕は僕の財産をすっかり賭《か》ける。地面も、家作も、馬も、自動車も、一つ残らず賭けてしまう。その代わり君はあの金貨のほかに、今まで君が勝った金をことごとく賭けるのだ。さあ、引き給え」
私はこの刹《せつ》那《な》に慾《よく》が出ました。テエブルの上に積んである、山のような金貨ばかりか、せっかく私が勝った金さえ、今度運悪く負けたが最後、皆相手の友人に取られてしまわなければなりません。のみならずこの勝負に勝ちさえすれば、私は向こうの全財産を一度に手へ入れることができるのです。こんな時に使わなければどこに魔術などを教わった、苦心の甲《か》斐《い》があるのでしょう。そう思うと私は矢《や》も楯《たて》もたまらなくなって、そっと魔術を使いながら、決《けつ》闘《とう》でもするような勢いで、
「よろしい。まず君から引き給え」
「九《く》」
「王様《キング》」
私は勝ち誇《ほこ》った声をあげながら、まっ蒼《さお》になった相手の眼の前へ、引き当てた札《ふだ》を出して見せました。すると不思議にもその骨牌《かるた》の王様《キング》が、まるで魂がはいったように、冠《かんむり》をかぶった頭をもたげて、ひょいと札の外へ体を出すと、行《ぎよう》儀《ぎ》よく剣を持ったまま、にやりと気味の悪い微《び》笑《しよう》を浮《う》かべて、
「オ姿《ばあ》サン。オ婆サン。オ客様ハオ帰リニナルソウダカラ、寝《ね》床《どこ》ノシタクハシナクテモイイヨ」
と、聞き覚えのある声で言うのです。と思うと、どういう訳か、窓の外に降る雨《あま》脚《あし》までが、急にまたあの大森の竹《たけ》藪《やぶ》にしぶくような、寂《さび》しいざんざ降りの音を立て始めました。
ふと気がついてあたりを見《み》廻《まわ》すと、私はまだうす暗い石油ランプの光を浴びながら、まるであの骨牌《かるた》の王様《キング》のような微笑を浮かべているミスラ君と、向かい合って坐《すわ》っていたのです。
私が指の間にはさんだ葉巻の灰さえ、やはり落ちずにたまっているところを見ても、私が一月ばかりたったと思ったのは、ほんの二、三分の間に見た、夢《ゆめ》だったのに違《ちが》いありません。けれどもその二、三分の短い間に、私がハッサン・カンの魔術の秘法を習う資格のない人間だということは、私自身にもミスラ君にも、明らかになってしまったのです。私は恥《は》ずかしそうに頭を下げたまま、しばらくは口もきけませんでした。
「私の魔術を使おうと思ったら、まず慾《よく》を捨てなければなりません。あなたはそれだけの修業ができていないのです」
ミスラ君は気の毒そうな眼つきをしながら、縁《ふち》へ赤く花模様を織り出したテエブル掛《かけ》の上に肘《ひじ》をついて、静かにこう私をたしなめました。
(大正八年十一月十日)
葱《ねぎ》
おれは締《しめ》切《きり》日《び》を明《みよう》日《にち》に控《ひか》えた今夜、一気呵《か》成《せい》にこの小説を書こうと思う。いや、書こうと思うのではない。書かなければならなくなってしまったのである。では何を書くかというと、――それは次の本《ほん》文《もん》を読んでいただくよりほかにしかたはない。
――――――――――
神《かん》田《だ》神《じん》保《ぼ》町《ちよう》辺《へん》のあるカッフェに、お君さんという女給仕がいる。年は十五とか十六とかいうが、見たところはもっと大人《おとな》らしい。なにしろ色が白くって、眼が涼《すず》しいから、鼻の先が少し上を向いていても、とにかく一通りの美人である。それが髪《かみ》をまん中から割って、忘れな草の簪《かんざし》をさして、白いエプロンをかけて、自働ピアノの前に立っているところは、とんと竹《たけ》久《ひさ》夢《ゆめ》二《じ》君の画中の人物が抜《ぬ》け出したようだ。――とかなんとかいう理由から、このカッフェの定連の間には、夙《つと》に通俗小説という渾《あだ》名《な》ができているらしい。もっとも渾名にはまだいろいろある。簪の花が花だから、わすれな草。活動写真に出るアメリカの女優に似ているから、ミス・メリイ・ピックフォオド《*》。このカッフェに欠くべからざるものだから、角砂糖。ETC.ETC.
この店にはお君さんのほかにも、もう一人年上の女給仕がある。これはお松さんと言って、器量はとうていお君さんの敵ではない。まず白パンと黒パンほどの相《そう》違《い》がある。だから一つカッフェに勤めていても、お君さんとお松さんとでは、祝《しゆう》儀《ぎ》の収入が非常に違う。お松さんはもちろん、この収入の差に平らかなるを得ない。その不平が高じたところから、邪《じや》推《すい》もこのごろ廻《まわ》すようになっている。
ある夏の午後、お松さんの持ち場のテエブルにいた外国語学校の生徒らしいのが、巻《まき》煙草《たばこ》を一本くわえながら、マッチの火をその先へ移そうとした。ところがあいにくその隣《となり》のテエブルでは、煽《せん》風《ぷう》機《き》が勢いよく廻っているものだから、マッチの火はそこまで届かないうちに、いつも風に消されてしまう。そこでそのテエブルの側を通りかかったお君さんは、しばらくの間風をふせぐために、客と煽風機との間へ足を止めた。その暇《ひま》に巻煙草へ火を移した学生が、日に焼けた頬《ほお》へ微《び》笑《しよう》を浮《う》かべながら、「ありがとう」と言ったところを見ると、お君さんのこの親切が先方にも通じたのはもちろんである。すると帳場の前へ立っていたお松さんが、ちょうどそこへ持って行くはずの、アイスクリームの皿《さら》を取り上げると、お君さんの顔をじろりと見て、「あなた持っていらっしゃいよ」と、嬌《きよう》嗔《しん》を発したらしい声を出した。――
こんな葛《かつ》藤《とう》が週間に何度もある。したがってお君さんは、めったにお松さんとは口をきかない。いつも自働ピアノの前に立っては、場所がらだけに多い学生の客に、無言の愛《あい》嬌《きよう》を売っている。あるいは業《ごう》腹《ばら》らしいお松さんに無言ののろけを買わせている。
が、お君さんとお松さんとの仲が悪いのは、なにもお松さん嫉《しつ》妬《と》をするせいばかりではない。お君さんも内心、お松さんの趣《しゆ》味《み》の低いのを軽《けい》蔑《べつ》している。あれは全く尋《じん》常《じよう》小学を出てから、浪花《なにわ》節《ぶし》を聴《き》いたり、蜜《みつ》豆《まめ》を食べたり、男を追っかけたりばかりしていた、そのせいに違《ちが》いない。こうお君さんは確信している。ではそのお君さんの趣《しゆ》味《み》というのが、どんな種類のものかと思ったら、しばらくこのにぎやかなカッフェを去って近所の露《ろ》路《じ》の奥《おく》にある、ある女《おんあ》髪《かみ》結《ゆい》の二階を覗《のぞ》いて見るがいい。なぜと言えばお君さんは、その女髪結の二階に間借りをして、カッフェへ勤めている間のほかは、始終そこに起き臥《ふ》ししているからである。
二階は天井の低い六畳《じよう》で、西日のさす窓から外を見ても、瓦《かわら》屋《や》根《ね》のほかは何も見えない。その窓ぎわの壁《かべ》へよせて、更紗《さらさ》の布をかけた机がある。もっともこれは便《べん》宜《ぎ》上《じよう》、仮に机と呼んでおくが、実は古色を帯びた茶ぶ台にすぎない。その茶ぶ――机の上には、これもあまり新しくない西《せい》洋《よう》綴《とじ》の書物が並《なら》んでいる。「不如帰《ほととぎす》」「藤村詩集」「松井須《す》磨《ま》子《こ》の一生」「新朝顔日記」「カルメン」「高い山から谷底見れば」――あとは婦人雑誌が七、八冊あるばかりで、残念ながらおれの小説集などは、ただの一冊も見当たらない。それからその机の側にある、とうにニスの剥《は》げた茶《ちや》箪《だん》笥《す》の上には、頸《くび》の細いガラスの花立てがあって、花びらの一つとれた造花の百《ゆ》合《り》が、手ぎわよくその中にさしてある。察するところこの百合は、花びらさえまだ無事でいたら、今でもあのカッフェのテエブルに飾《かざ》られていたのに相《そう》違《い》あるまい。最後にその茶箪笥の上の壁には、いずれも雑誌の口絵らしいのが、ピンで三、四枚とめてある。いちばんまん中なのは、鏑《かぶら》木《ぎ》清《きよ》方《たか*》君の元《げん》禄《ろく》女《おんな》で、その下に小さくなっているのは、ラファエルのマドンナか何からしい。と思うとその元禄女の上には、北村四海《*》君の彫刻の女がお隣《とな》りに控えたベエトオフェンへ滴《したた》るごとき秋《しゆう》彼《は》を送っている。ただしこのべエトオフェンは、ただお君さんがべエトオフェンだと思っているだけで、実はアメリカの大統領ウッドロオ・ウイルソン《*》なのだから、北村四海君に対しても、なんともお気の毒の至りに堪《た》えない。――
こう言えばお君さんの趣《しゆ》味《み》生活が、いかに芸術的色彩に富んでいるか、問わずしてすでに明らかであろうと思う。また実際お君さんは、毎晩遅《おそ》くカッフェから帰ってくると、必ずこのべエトオフェン alias《*》 ウイルソンの肖像の下に、「不如帰《ほととぎす》」を読んだり、造花の百合を眺《なが》めたりしながら、新派悲劇の活動写真の月夜の場面よりもサンティマンタアルな、芸術的感激にふけるのである。
桜《さくら》ごろのある夜、お君さんはひとり机に向かって、ほとんど一《いち》番《ばん》鶏《どり》が啼《な》くころまで、桃《もも》色《いろ》をしたレタア・ペエパアにせっせとペンを走らせ続けた。が、その書き上げた手紙の一枚が、机の下に落ちていたことは、朝になってカッフェへ出て行った後も、ついにお君さんには気がつかなかったらしい。すると窓から流れこんだ春風が、その一枚のレタア・ペエパアを翻《ひるがえ》して、鬱《う》金《こん》木《も》綿《めん》の蔽《おお》いをかけた鏡が二つ並《なら》んでいる梯《はし》子《ご》段《だん》の下まで吹《ふ》き落としてしまった。下にいる女髪結は、頻《ひん》々《ぴん》としてお君さんの手に落ちる艶《えん》書《しよ》のあることを心得ている。だからこの桃色をした紙も、おそらくはその一枚だろうと思って、好奇心からわざわざ眼を通して見た。すると意外にもこれは、お君さんの手《ぢゆ》蹟《せき》らしい。ではお君さんが誰《たれ》かの艶書に返事を認《したた》めたのかと思うと、「武男さんにお別れなすった時のことを考えると、私は涙《なみだ》で胸が張り裂《さ》けるようでございます」と書いてある。果然お君さんはほとんど徹《てつ》夜《や》をして、浪《なみ》子《こ》夫人に与うべき慰《い》問《もん》の手紙を作ったのであった。――
おれはこの挿《そう》話《わ》を書きながら、お君さんのサンティマンタリスムに微《び》笑《しよう》を禁じ得ないのは事実である。が、おれの微笑の中には、寸《すん》毫《ごう》も悪意は含《ふく》まれていない。お君さんのいる二階には、造花の百《ゆ》合《り》や、「藤村詩集」や、ラファエルのマドンナの写真のほかにも、自《じ》炊《すい》生活に必要な、台所道具が並《なら》んでいる。その台所道具の象徴する、世《せ》智《ち》辛《がら》い東京の実生活は、何度今日までにお君さんへ迫《はく》害《がい》を加えたかしれなかった。が、落《らく》莫《ばく》たる人生も、涙《なみだ》の靄《もや》を透《とお》して見る時は、美しい世界を展開する。お君さんはその実生活の迫害をのがれるために、この芸術的感激の涙の中へ身を隠《かく》した。そこには一月六円の間代もなければ、一升七十銭の米代もない。カルメンは電灯代の心配もなく、気楽にカスタネットを鳴らしている。浪子夫人も苦労はするが、薬代の工《く》面《めん》ができない次第ではない。一言にして言えばこの涙は、人間苦の黄昏《たそがれ》のおぼろめく中に、人間愛の灯火をつつましやかにともしてくれる。ああ、東京の町の音も全くどこかへ消えてしまう真夜中、涙に濡《ぬ》れた眼をあげながら、うす暗い十《じつ》燭《しよく》の電灯の下に、たった一人逗《ず》子《し》の海風とコルドヴァの杏《きよう》竹《ちく》桃《とう*》とを夢《ゆめ》みている、お君さんの姿を想像――畜《ちく》生《しよう》、悪意がないどころか、うっかりしているとおれまでも、サンティマンタアルになり兼ねないぞ。元来世間の批評家には情味がないと言われている、すこぶる理智的なおれなのだが。
そのお君さんがある冬の夜、遅《おそ》くなってカッフェから帰ってくると、始めは例のごとく机に向かって、「松井須磨子の一生」か何か読んでいたが、まだ一ペエジと行かないうちに、どういうわけかその書物にたちまち愛想をつかしたごとく、邪《じや》慳《けん》に畳《たたみ》の上へほうり出してしまった。と思うと今度は横《よこ》坐《ずわ》りに坐ったまま、机の上に頬《ほお》杖《づえ》をついて壁《かべ》の上のウイル――べエトオフェンの肖像を冷《れい》淡《たん》にぼんやり眺《なが》め出した。これはもちろん唯《ただ》事《ごと》ではない。お君さんはあのカッフェを解《かい》傭《よう》されることになったのであろうか。さもなければお松さんのいじめ方がいっそう悪《あく》辣《らつ》になったのであろうか。あるいはまたさもなければ齲《むし》歯《ば》でも痛み出してきたのであろうか。いや、お君さんの心を支配しているのは、そういう俗《ぞく》臭《しゆう》を帯びた事件ではない。お君さんは浪子夫人のごとく、あるいはまた松井須磨子のごとく、恋愛に苦しんでいるのである。ではお君さんは誰に心を寄せているかというと――幸いお君さんは壁《かべ》の上のべエトオフェンを眺《なが》めたまま、しばらくは身動きもしそうはないから、その間におれは大急ぎで、ちょいとこの光栄ある恋愛の相手を紹《しよう》介《かい》しよう。
お君さんの相手は田中君といって、無名の――まあ芸術家である。なぜかというと田中君は、詩も作る、ヴァイオリンも弾《ひ》く、油絵の具も使う、役者も勤める、歌《うた》骨牌《がるた》も巧《うま》い、薩《さつ》摩《ま》琵《び》琶《わ》もできるという才人だから、どれが本職でどれが道楽だか、鑑《かん》定《てい》のできるものは一人もいない。したがってまた人物も、顔は役者のごとくのっぺりしていて、髪《かみ》は油絵の具のごとくてらてらしていて、声はヴァイオリンのごとく優しくって、言葉は詩のごとく気がきいていて、女を口説くことは歌骨牌をとるごとく敏《びん》捷《しよう》で、金を借り倒《たお》すことは薩摩琵琶をうたうごとく勇壮活《かつ》溌《ぱつ》をきわめている。それが黒い鍔《つば》広《ひろ》の帽《ぼう》子《し》をかぶって、安物らしい猟《りよう》服《ふく》を着用して、葡《ぶ》萄《どう》色《いろ》のボヘミアン・ネクタイを結んで――と言えばたいていわかりそうなものだ。思うにこの田中君のごときはすでに一種のタイプなのだから、神田本郷辺のバアやカッフェ、青年会館や音楽学校の音楽会(ただし一番の安い切《きつ》符《ぷ》の席に限るが)兜《かぶと》屋《や*》や三会堂《*》の展覧会などへ行くと、必ず二、三人はこの連中が、傲《ごう》然《ぜん》と俗衆を睥《へい》睨《げい》している。だからこの上明《めい》瞭《りよう》な田中君の肖《しよう》像《ぞう》がほしければ、そういう場所へ行って見るがいい。おれが書くのはもうまっぴらご免《めん》だ。第一おれが田中君の紹介の労を執《と》っている間に、お君さんはいつか立ち上がって、障子を開けた窓の外の寒い月夜を眺《なが》めているのだから。
瓦《かわら》屋《や》根《ね》の上の月の光は、頸《くび》の細いガラスの花立てにさした造花の百《ゆ》合《リ》を照らしている。壁《かべ》に貼ったラファエルの小さなマドンナを照らしている。そうしてまたお君さんの上を向いた鼻を照らしている。が、お君さんの涼《すず》しい眼には、月の光も映っていない。霜《しも》の下りたらしい瓦《かわら》屋《や》根《ね》も、存在しないのと同じことである。田中君は今夜カッフェから、お君さんをここまで送ってきた。そうして明日の晩は二人で、楽しく暮《く》らそうという約《やく》束《そく》までした。明日はちょうど一月に一度あるお君さんの休み日だから、午後六時に小《お》川《がわ》町《まち》の電車停留場で落ち合って、それから芝《しば》浦《うら》にかかっているイタリイ人のサアカスを見に行こうというのである。お君さんは今日までに、いまだかつて男と二人で遊びに出かけた覚えなどはない。だから明日の晩田中君と、世間の恋人同士のように、つれ立って夜の曲馬を見に行くことを考えると、今さらのように心臓の鼓《こ》動《どう》が高くなってくる。お君さんにとって田中君は、宝《ほう》窟《くつ》の扉《とびら》を開くべき秘密の呪《じゆ》文《もん》を心得ているアリ・ババとさらに違《ちが》いはない。その呪文が唱えられた時、いかなる未知の歓楽境がお君さんの前に出現するか。――さっきから月を眺《なが》めて月を眺めないお君さんが、風にあおられた海のごとく、あるいは将《まさ》に走らんとする乗合自動車のモオタアのごとく、とどろく胸の中に描いているのは、実にこの来たるべき不可思議の世界の幻《まぼろし》であった。そこには薔《ば》薇《ら》の花の咲《さ》き乱れた路《みち》に、養《よう》殖《しよく》真《しん》珠《じゆ》の指《ゆび》環《わ》だの翡《ひ》翠《すい》まがいの帯止めだのが、数限りもなく散乱している。夜鶯《ナイチンゲエル》の優しい声も、すでに三《みつ》越《こし》の旗の上から、蜜《みつ》をしたたらすように聞こえ始めた。橄《かん》欖《らん》の花の匂《にお》いの中に大理石をたたんだ宮《きゆう》殿《でん》では、今やミスタア・ダグラス・フェアバンクス《*》と森律子《*》嬢との舞《ぶ》踏《とう》が、いよいよ佳《か》境《きよう》に入ろうとしているらしい。……
が、おれはお君さんの名《めい》誉《よ》のためにつけ加える。その時お君さんの描いた幻の中には、時々暗い雲の影《かげ》が、一《いつ》切《さい》の幸福を脅《おびや》かすように、底気味悪く去来していた。なるほどお君さんは田中君を恋しているのに違《ちが》いない。しかしその田中君は、実はお君さんの芸術的感激が円光をいただかせた田中君である。詩も作る、ヴァイオリンも弾く、油絵の貝も使う、役者も勤める、歌《うた》骨牌《がるた》も巧《うま》い、薩《さつ》摩《ま》琵《び》琶《わ》もできるサア・ランスロット《*》である、だからお君さんの中にある処女の新《しん》鮮《せん》な直観性は、どうかするとこのランスロットのすこぶる怪《あや》しげな正体を感ずることがないでもない。暗い雲の不安の影は、こういう時にお君さんの幻の中を通りすぎる。が、遺《い》憾《かん》ながらその雲の影は、現われるが早いか消えてしまう。お君さんはいくら大人《おとな》じみていても、十六とか十七とかいう少女である。しかも芸術的感激に充《み》ち満ちている少女である。着物を雨で濡《ぬ》らす心配があるか、ライン河の入日の画《え》端《は》書《がき》に感嘆の声を洩《も》らす時のほかは、めったに雲の影などへ心を止めないのも不思議ではない。いわんや今は薔《ば》薇《ら》の花の咲き乱れている路に、養《よう》殖《しよく》真《しん》珠《じゆ》の指《ゆび》環《わ》だの翡《ひ》翠《すい》まがいの帯止めだのが――以下は前に書いたとおりだから、そこを読み返していただぎたい。
お君さんは長い間、シャヴァンヌ《*》の聖《サン》・ジュヌヴィエヴ《*》のごとく、月の光に照らされた瓦《かわら》屋《や》根《ね》を眺《なが》めて立っていたが、やがて嚔《くさめ》を一つすると、窓の障子をばたりとしめて、また元の机のきわへ横《よこ》坐《ずわ》りに坐ってしまった。それから翌日の午後六時までお君さんが何をしていたか、その間の詳《くわ》しい消息は、残念ながらおれも知っていない。なぜ作者たるおれが知っていないのかというと――正直に言ってしまえ。おれは今夜じゅうにこの小説を書き上げなければならないからである。
翌日の午後六時、お君さんは怪しげな紫《し》紺《こん》の御《お》召《めし》のコオトの上にクリイム色の肩《かた》掛《かけ》をして、いつもよりはそわそわと、もう暗に包まれた小川町の電車停留場へ行った。行くとすでに田中君は、例のごとく鍔《つば》広《ひろ》の黒い帽《ぼう》子《し》を目《ま》深《ぶか》くかぶって、洋銀の握《にぎ》りのついた細い杖《つえ》をかいこみながら、縞《しま》の荒《あら》い半オオヴァの襟《えり》を立てて、赤い電灯のともった下に、ちゃんとたたずんで待っている。色の白い顔がいつもよりいっそうまた磨《みが》きがかかって、かすかに香《こう》水《すい》の匂《にお》いまでさせている容《よう》子《す》では、今夜は格別身じまいに注意を払《はら》っているらしい。
「お待たせして?」
お君さんは田中君の顔を見上げると、息のはずんでいるような声を出した。
「なあに」
田中君は大《おお》様《よう》な返事をしながら、なんとも判然しない微《び》笑《しよう》を含んだ眼で、じっとお君さんの顔を眺《なが》めた。それから急に身ぶるいを一つして、
「歩こう、少し」
とつけ加えた。いや、つけ加えたばかりではない。田中君はもうその時には、アアク灯に照らされた人通りの多い往来を、須《す》田《だ》町《ちよう》の方へ向かって歩き出した。サアカスがあるのは芝浦である。歩くにしてもここからは、神田橋の方へ向かって行かなければならない。お君さんはまだ立ち止まったまま埃《ほこり》風《かぜ》に翻《ひるがえ》るクリイム色の肩《かた》掛《たかけ》へ手をやって、
「そっち?」
と不思議そうに声をかけた。が、田中君は肩越しに、
「ああ」
と軽く答えたぎり、依《い》然《ぜん》として須田町の方へ歩いて行く。そこでお君さんもほかにしかたがないから、すぐに田中君へ追いつくと、葉を振《ふる》った柳《やなぎ》の並《なみ》樹《き》の下をいっしょにいそいそと歩き出した。するとまた田中君は、あのなんとも判然しない微笑を眼の中に漂《ただよ》わせて、お君さんの横顔を窺《うかが》いながら、
「お君さんにはお気の毒だけれどもね、芝浦のサアカスは、もう昨夜《ゆうべ》でおしまいなんだそうだ。だから今夜は僕の知っている家《うち》へ行って、いっしょにご飯でも食べようじゃないか」
「そう、私どっちでもいいわ」
お君さんは田中君の手が、そっと自分の手を捕《とら》えたのを感じながら、希望と恐《きよう》怖《ふ》とにふるえている、かすかな声でこう言った。と同時にまたお君さんの眼にはまるで「不如帰《ほととぎす》」を読んだ時のような、感動の涙《なみだ》が浮《う》かんできた。この感動の涙を透《とお》して見た、小川町、淡《あわ》路《じ》町《ちよう》、須田町の往来が、いかに美しかったかは問うを待たない。歳《せい》暮《ぼ》大売り出しの楽隊の音、目まぐるしい仁《じん》丹《たん》の広告電灯、クリスマスを祝う杉《すぎ》の葉の飾り、蜘《く》蛛《も》手《で》に張った万国国旗、飾《かざ》り窓の中のサンタ・クロス、露店に並《なら》んだ絵《え》端《は》書《がき》や日《ひ》暦《ごよみ》――すべてのものがお君さんの眼には、壮大な恋愛の歓喜をうたいながら、世界のはてまでも燦《きら》びやかに続いているかと思われる。今夜に限って天上の星の光も冷たくない。時々吹《ふ》きつける埃《ほこり》風《かぜ》も、コォトの裾《すそ》を巻くかと思うと、たちまち春が返ったような暖かい空気に変わってしまう。幸福、幸福、幸福……
そのうちにふとお君さんが気がつくと、二人はいつか横町を曲がったとみえて、路幅の狭《せま》い町を歩いている。そうしてその町の右側に、一軒の小さな八百屋《やおや》があって、明るく瓦斯《ガス》の燃えた下に、大根、人《にん》参《じん》、漬《つ》け菜《な》、葱《ねぎ》、小《こ》蕪《かぶ》、慈姑《くわい》、牛蒡《ごぼう》、八《や》つ頭《がしら》、小《こ》松《まつ》菜《な》、独活《うど》、蓮《れん》根《こん》、里《さと》芋《いも》、林《りん》檎《ご》、蜜《み》柑《かん》の類が堆《うずたか》く店に積み上げてある。その八百屋の前を通った時、お君さんの視線は何かの拍《ひよう》子《し》に、葱の山の中に立っている、竹に燭奴《つけぎ》をはさんだ札《ふだ》の上へ落ちた。札には墨黒々と下《へ》手《た》な字で、「一束四銭」と書いてある。あらゆる物価が暴《ぼう》騰《とう》した今日、一束四銭という葱はめったにない。この至《し》廉《れん》な札《ふだ》を眺《なが》めるとともに、今まで恋愛と芸術とに酔っていた、お君さんの幸福な心の中には、そこに潜《ひそ》んでいた実生活が、突《とつ》如《じよ》としてその惰《だ》眠《みん》から覚《さ》めた。間《かん》髪《ぱつ》を入れずとはまさにこの謂《いい》である。薔《ば》薇《ら》と指《ゆび》環《わ》と夜鶯《ナイチンゲエル》と三越の旗とは、刹《せつ》那《な》に眼底を払《はら》って消えてしまった。その代わり間代、米代、電灯代、肴《さかな》代《だい》、醤《しよう》油《ゆ》代《だい》、新聞代、化《け》粧《しよう》代、電車賃――そのほかありとあらゆる生活費が、過去の苦しい経験といっしょに、あたかも火取り虫の火に集まるごとく、お君さんの小さな胸の中に、四万八方から群がってくる。お君さんは思わずその八百屋の前へ足を止めた。それから呆《あつ》気《け》にとられている田中君を一人後に残して、鮮《あざ》やかな瓦斯《ガス》の光を浴びた青物の中へ足を入れた。しかもついにはその華《きや》奢《しや》な指を伸《の》べて、一束四銭の札が立っている葱の山を指さすと、「さすらい」の歌でもうたうような声で、
「あれを二束下さいな」
と言った。
埃《ほこり》風《かぜ》が吹く往来には、黒い鍔《つば》広《ひろ》の帽《ぼう》子《し》をかぶって、縞《しま》の荒《あら》い半オオヴァの襟《えり》を立てた田中君が、洋銀の握《にぎ》りのある細い杖《つえ》をかいこみながら、孤《こ》影《えん》悄《しよう》然《ぜん》として立っている。田中君の想像には、さっきからこの町のはずれにある、格《こう》子《し》戸造りの家が浮《う》かんでいた。軒《のき》に松《まつ》の家《や》という電灯の出た、沓《くつ》脱《ぬ》ぎの石が濡《ぬ》れている、安《やす》普《ぶ》請《しん》らしい二階家である、が、こうした往来に立っていると、その小ぢんまりした二階家の影《かげ》が、妙《みよう》にだんだん薄《うす》くなってしまう。そうしてその後にはおもむろに一束四銭の札を打った葱《ねぎ》の山が浮《う》かんで来る。と思うとたちまち想像が破れて、一《いち》陣《じん》の埃《ほこり》風《かぜ》が過ぎるとともに、実生活のごとく辛《しん》辣《らつ》な、眼に滲《し》むごとき葱の匂《にお》いが実際田中君の鼻を打った。
「お待ち遠さま」
憐《あわ》れむべき田中君は、世にも情けない眼つきをして、まるで別人でも見るように、じろじろお君さんの顔を眺《なが》めた。髪《かみ》を綺《き》麗《れい》にまん中から割って、忘れな草の簪《かんざし》をさした、鼻の少し上を向いているお君さんは、クリイム色の肩《かた》掛《かけ》をちょいと顋《あご》でおさえたまま、片手に二束八銭の葱を下げて立っている。あの涼《すず》しい眼の中にうれしそうな微《び》笑《しよう》を躍《おど》らせながら。
――――――――――
とうとうどうにか書き上げたぞ。もう夜が明けるのも間はあるまい。外では寒そうな鶏の声がしているが、せっかくこれを書き上げても、いやに気のふさぐのはどうしたものだ。お君さんはその晩何事もなく、またあの女《おんな》髪《かみ》結《ゆい》の二階へ帰ってきたが、カッフェの女給仕をやめないかぎり、その後も田中君と二人で遊びに出ることがないとは言えまい。その時のことを考えると、――いや、その時はまたその時のことだ。おれが今いくら心配したところで、どうにもなる訳のものではない。まあこのままでペンを擱《お》こう。さようなら。お君さん。では今夜もあの晩のように、ここからいそいそ出て行って、――勇ましく批評家に退治されて来給え。
(大正八年十二月十一日)
鼠《ねずみ》小《こ》僧《ぞう》次《じ》郎《ろ》吉《きち》
ある初《しよ》秋《しゆう》の日暮《ひぐ》れであった。
汐《しお》留《どめ*》の船宿、伊《い》豆《づ》屋《や》の表二階には、遊び人らしい二人の男が、さっきから差し向かいで、しきりに献《けん》酬《しゆう》を重ねていた。
一人は色の浅黒い、小《こ》肥《ぶと》りに肥った男で、形《かた》のごとく結《ゆう》城《き》の単衣《ひとえ》物《もの》に、八《はつ》反《たん》の平《ひら》ぐけを締《し》めたのが、上に羽《は》織《お》った古《こ》渡《わた》り唐《とう》桟《ざん》の半《はん》天《てん》といっしょに、その苦《にが》みばしった男ぶりを、いっそういなせに見せている趣《おもむき》があった。もう一人は色の白い、どちらかといえば小《こ》柄《がら》な男だが、手首まで彫ってある剳青《ほりもの》が目立つせいか、糊《のり》の落ちた小《こ》弁《べん》慶《けい》の単衣物に算盤《そろばん》珠《だま》の三《さん》尺《じやく》をぐるぐる巻きつけたのも、意気というよりはむしろ凄《すご》味《み》のある、自《じ》堕《だ》落《らく》な心もちしか起こさせなかった。のみならずこの男は、役者が二、三枚落ちるとみえて、相手の男を呼びかける時にも、始終親分という名を用いていた。が、年《ねん》輩《ぱい》はかれこれ同じくらいらしく、それたけまた世間の親分子分よりも、打ちとけた交情が通《かよ》っていることは、互《たが》いに差しつ抑《おさ》えつする盃《さかずき》の間にも明らかだった。
初秋の日暮れとは言いながら、向こうに見える唐《から》津《つ》様《さま》の海鼠《なまこ》壁《かべ》には、まだ赤々と入日がさして、その日を浴びた一株の柳が、こんもりと葉かげを蒸しているのも、去って間がない残暑の思い出を新しくするのに十分だった。だからこの船宿の表二階にも、葭《よし》戸《ど》こそもう唐《から》紙《かみ》に変わっていたが、江戸に未練の残っている夏は、手すりに下がっている伊《い》予《よ》簾《すだれ》や、いつからか床《とこ》に掛《か》け残された墨《すみ》絵《え》の滝の掛物や、あるいはまた二人の間に並《なら》べてある膳《ぜん》の水貝や洗いなどに、まざまざと尽きない名残りを示していた。実際往来を一つ隔《へだ》てている堀《ほり》割《わり》の明るい水の上から、時たまここに流れてくるそよ風も、微《び》醺《くん》を帯びた二人の男には、刷《は》毛《け》先《さき》を少し左へ曲げた水《みず》髪《がみ》の鬢《びん》を吹《ふ》かれるたびに、涼《すず》しいとは感じられるにしたところが、毛《もう》頭《とう》秋らしいうそ寒さを覚えさせるようなことはないのである。ことに色の白い男の方になると、こればかりは冷たそうな掛《かけ》守《まも》りの銀《ぎん》鎖《ぐさり》もちらつくほど、思《おもい》入《い》れ小《こ》弁《べん》慶《けい》の胸をひろげていた。
二人は女中まで遠ざけて、しばらくはなにやら密談にふけっていたが、やがてそれも一段落ついたとみえて、色の浅黒い、小肥りに肥った男は、無《む》造《ぞう》作《ざ》に猪《ちよ》口《く》を相手に返すと、膝《ひざ》の下の煙草《たばこ》入《いれ》をとり上げながら、
「という訳での、おれもやっと三年ぶりに、また江戸へ帰ってきたのよ」
「道理でちっとお帰りが、遅《おそ》すぎると思っていやしたよ。だがまあ、こうして帰ってきておくんなさりゃ、子《こ》分《ぶん》子《こ》方《かた》のものばかりじゃねえ、江戸っ子一統が喜びやすぜ」
「そう言ってくれるのは、手《て》前《めえ》だけだよ」
「へへ、おっしゃったものだぜ」
色の白い小《こ》柄《がら》な男は、わざと相手をにらめると、人が悪そうににやりと笑って、
「小《こ》花《はな》姐《ねえ》さんにも聞いてご覧なせえまし」
「そりゃねえ」
親分と呼ばれた男は、如《じよ》心《しん》形《がた*》の煙管《きせる》をくわえたまま、わずかに苦笑の色を漂《ただよ》わせたが、すぐにまた真面目な調子になって、
「だがの、おれが三年見ねえ間に、江戸もめっきり変わったようだ」
「いや、変わったの、変わらねえの。岡《おか》場《ば》所《しよ*》なんぞの寂《さび》れ方ときちゃ、まるで嘘《うそ》のようでごぜえますぜ」
「こうなると、年よりの言いぐさじゃねえが、やっぱり昔《むかし》が恋しいの」
「変わらねえのは私《わつち》ばかりさ。へへ、いつになってもひってんだ」
小弁慶の浴衣《ゆかた》を着た男は、受けた盃《さかずき》をぐいとやると、その手ですぐに口の端《はた》の滴《しずく》を払《はら》って、みずからあざけるように眉《まゆ》を動かしたが、
「今から見りゃ、三年前《めえ》は、まるでこの世の極楽さね。ねえ、親分、お前《めえ》さんが江戸をお売ん《*》なすった時分にゃ、盗《ぬす》っ人《と》にせえあの鼠《ねずみ》小《こ》僧《ぞう》のような、石川五右衛門とは行かねえまでも、ちっとは睨《にら》みのきいた野《や》郎《ろう》があったものじゃごぜえませんか」
「飛んだことを言うぜ。どこの国におれと盗《ぬす》っ人《と》とを一つ扱《あつか》いにする奴《やつ》があるものだ」
唐《とつ》桟《ざん》の半《はん》天《てん》をひっかけた男は、煙草の煙にむせながら、思わずまた苦笑を洩《も》らしたが、鉄火な相手はそんなことに頓《とん》着《じやく》する気《け》色《しき》もなく、手《て》酌《じやく》でもう一杯ひっかけると、
「そいつがこのごろはご覧なせえ。けちな稼《かせ》ぎをする奴《やつ》は、箒《ほうき》で掃《は》くほどいやすけれど、あのくれえな大《おお》泥《どろ》坊《ぼう》は、ついぞ聞かねえじゃごぜえませんか」
「聞かねえだって、いいじゃねえか。国に盗賊、家に鼠《ねずみ》だ。大泥坊なんぞはいねえほうがいい」
「そりゃいねえほうがいい。いねえほうがいいにゃ違《ちげ》えごぜえませんがね」
色の白い、小《こ》柄《がら》な男は、剳青《ほりもの》のある臂《ひじ》を延べて、親分へ猪《ちよ》口《く》を差しながら、
「あの時分のことを考えると、へへ、妙《みよう》なもので盗《ぬす》っ人《と》せえ、懐《なつ》かしくなってきやすのさ。先刻ご承知にゃ違《ちげ》えねえが、あの鼠小僧という野郎は、心意気が第一うれしいや。ねえ、親分」
うそ嘘はねえ。盗っ人の尻《しり》押《お》しにゃ、こりゃ博《ばく》奕《ち》打《うち》が持ってこいだ」
「へへ、こいつは一番おそれべか」
と言って、ちょいと小弁慶の肩《かた》を落としたが、こちらはたちまちまた元気な声になって、
「私《わつち》だってなにも盗っ人の肩を持つにゃ当たらねえけれど、あいつ懐《ふところ》の暖《あつた》けえ大《だい》名《みよう》屋《や》敷《しき》へ忍びこんじゃ、お手《て》許《もと》金《きん》というやつをかっさらって、その日に追われる貧《びん》乏《ぼう》人《にん》へ恵んでやるのだと言いやすぜ。なるほど善悪にゃ二つはねえが、どうせ盗みをするからにゃ、悪党冥《みよう》利《り》にこのくれえな陰《いん》徳《とく》は積んでおきてえとね、まあ、私《わつち》なんぞは思っていやすのさ」
「そうか。そう聞きゃ無理はねえの。いや、鼠小僧という野郎も、改《かい》代《たい》町《まち》の裸《はだか》松《まつ》が贔屓《ひいき》になってくれようとは、夢《ゆめ》にも思っちゃいねえだろう。思えば冥《みよう》加《が》な盗っ人だ」
色の浅黒い、小肥りに肥った男は、相手に猪口を返しながら、思いのほかしんみりとこう言ったが、やがてなにか思いついたらしく、大《おお》様《よう》に膝《ひざ》を進めると、急に晴れ晴れした微《び》笑《しよう》を浮かべて、
「じゃ聞きねえ。おれもその鼠小僧じゃ、とんだお茶番を見たことがあっての、今でも思い出すたんびに、腹の皮がよれてならねえのよ」
親分と呼ばれた男は、こういう前置きを聞かせてから、また悠《ゆう》々《ゆう》と煙管《きせる》をくわえて、夕日の中に消えて行く煙草の煙の輪といっしょに、次のような話をし始めた。
ちょうど今から三年前、おれが盆《ぼん》茣《ご》蓙《ざ》の上の達《た》て引《ひ》きから、江戸を売った時のことだ。
東海道にゃちっと差しがあって、路は悪いが甲《こう》州《しゆう》街道を身《み》延《のぶ》まで出にゃならねえから、忘れもしねえ、極《ごく》月《げつ》の十一日、四《よつ》谷《や》の荒《あら》木《き》町《ちよう》を振《ふ》り出しに、とうとう旅《たび》鴉《がらす》に身をやつしたが、なりは手《て》前《めえ》も知ってたとおり、結《ゆう》城《き》紬《つむぎ》の二枚重ねに一《いつ》本《ぽん》独《どつ》鈷《こ》の博《はか》多《た》の帯、道《どう》中《ちゆう》差《ざし》をぶっこんでの、革《かわ》色《いろ》の半《はん》合《がつ》羽《ぱ》に菅《すげ》笠《がさ》をかぶっていたと思いねえ。もとより振《ふり》分《わ》けの行《こう》李《り》のほかにゃ、道づれもねえ独《ひと》り旅だ。脚《きや》絆《はん》草鞋《わらじ》の足ごしらえは、見てくればかり軽そうだが、当分はお膝《ひざ》許《もと》の日の目せえ、拝まれねえことを考えりゃ、実は気もめいっての、古風じゃあるが一足ごとに、後ろ髪《がみ》を引かれるような心もちよ。
その日がまた意地悪く、底冷えのする雪《ゆき》曇《ぐも》りでの、まして甲州街道は、どこの山だか知らねえが、一面の雲のかかったやつが、枯《か》れ葉一つがさつかねえ桑《くわ》畑《ばたけ》の上に屏風《びようぶ》を立ててよ、その桑の枝をつかんだ鶸《ひわ》も、寒さに咽《の》喉《ど》を痛めたのか、声も立てねえような凍《い》て方だ。おまけに時々身を切るような、小《こ》仏《ぼとけ》颪《おろし》のからっ風がやけにざっと吹《ふ》きまくって、横なぐれに合《かつ》羽《ぱ》をあおりやがる。こうなっちゃいくら威《い》張《ば》っても、旅慣れねえ江戸っ子は形《かた》なしよ。おれは菅《すげ》笠《がさ》の縁《ふち》に手をかけちゃ、今朝四谷から新宿と踏《ふ》み出してきた江戸の方を、何度振《ふ》り返って見たか知れやしねえ。
するとおれの旅慣れねえのが、通りがかりの人目にも、気の毒たらしかったのに違《ちげ》えねえ。府《ふ》中《ちゆう》の宿をはずれると、堅《かた》気《ぎ》らしい若《わけ》え男が、後からおれに追いついて、口まめに話しかけやがる。見りゃ紺《こん》の合羽に菅笠は、こりゃお定《さだ》まりの旅じたくだが、色の褪《さ》めた唐《とう》桟《ざん》の風《ふ》呂《ろ》敷《しき》包みを頸《くび》へかけの、洗いざらした木《も》綿《めん》縞《じま》に剥《は》げっちょろけの小《こ》倉《くら》の帯、右の小《こ》鬢《びん》に禿《はげ》があって、顋《あご》の悪くしゃくれたのせえ、よしんば風に吹《ふ》かれねえでも、懐《ふところ》の寒そうな人《にん》体《てえ》だ。だがの、見かけよりゃ人はいいと見えて、親切そうに道中の名《めい》所《しよ》古《こ》蹟《せき》なんぞを教えてくれる。こっちはもとより相手ほしやだ。
「お前《めえ》さんはどこまで行きなさる」
「私《わつし》は甲《こう》府《ふ》まで参りやす。旦那《だんな》はまたどちらへ」
「私《わたし》はなに、身《み》延《のぶ》詣《まい》りさ」
「時に旦那は江戸でござりやしょう。江戸はどの辺へお住まいなせえます」
「茅《かや》場《ば》町《ちよう》の植《うえ》木《き》店《だな》さ。お前さんも江戸かい」
「へえ、私《わつし》は深《ふか》川《がわ》の六《ろく》間《けん》掘《ぼり》で、これでも越《えち》後《ご》屋《や》重《じゆう》吉《きち》という小間物渡《と》世《せい》でござりやす」
とまあ、言った調子での。同じ江戸懐《なつ》かしい話をしながら、互《たが》いにいい道づれを見つけた気でよ、いっしょに路を急いで行くと、追っつけ日《ひ》野《の》宿《じゆく*》へかかろうという時分に、ちらちら白い物が降り出しやがった。独り旅であってみねえ。時刻もかれこれ七つ下がり《*》じゃあるし、この雪空を見上げちゃ、川千鳥の声も身にしみるようで、今夜はどうでも日野泊《ど》まりと、出かけなけりゃならねえところだが、いくら懐《ふところ》は寒そうでも、そこは越後屋重吉という道づれのあるおかげさまだ。
「旦《だん》那《な》え、この雪じゃ明日の路は、とても捗《はか》が参りやせんから、今日のうち八《はち》王《おう》子《じ》までのしておこうじゃござりやせんか」
と言われて見りゃ、その気になっての、雪の中を八王子まで、たどりついたと思いねえ。もう空はまっ暗で、とうに白くなった両側の屋根が、夜目にも跡の見える街道へ、押《お》っかぶさるよう重なり合った、――その下にところどころ、掛《かけ》行《あん》灯《どう》が赤く火を入れて、帰り遅《おく》れた馬の鈴《すず》が、だんだん近くなってくるなんぞは、手もなく浮世画の雪《ゆき》景《げ》色《しき》よ。するとその越後屋重吉という野《や》郎《ろう》が、先に立って雪を踏《ふ》みながら、
「旦那え、今夜はどうかごいっしょに願いとうござりやす」
と何度もうるさく頼《たの》みやがるから、おれも異存があるわけじゃなし、
「そりゃそう願えれば、私《わたし》も寂《さび》しくなくっていい。だが私はあいにくと、始めて来た八王子だ。どこも旅籠《はたご》を知らねえが」
「なあに、あすこの山《やま》甚《じん》というのが、私《わつし》の定《じよう》宿《やど》でござりやす」
と言っておれをつれこんだのは、やっぱり掛《かけ》行《あん》灯《どう》のともっている、新《しん》見《み》世《せ》だとかいう旅籠屋だがの、入口の土間を広くとって、その奥《おく》はすぐに台所へ続くような構えだったらしい。おれたち二人が中へはいると、帳場の前の獅《し》噛《がみ》火《ひ》鉢《ばち》へかじりついていた番頭が、まだ「お濯《すす》ぎを」とも言わねえうちに、意地のきたねえようだけれど、飯の匂《にお》いと汁《しる》の匂いとが、湯気や火《か》っ気《き》と一つになって、むんと鼻へ来やがった。それからさっそく草鞋《わらじ》を脱ぎの、行灯を下げた婢《おんな》といっしょに、二階座《ざ》敷《しき》へせり上がったが、まず一《ひとつ》風《ぷ》呂《ろ》暖《あつた》まって、なにはともあれ寒さしのぎと、熱《つ》燗《かん》で二、三杯きめだすと、その越後屋重吉という野郎が、始末におえねえ機《き》嫌《げん》上戸《じようご》での、ただでせえ口のまめなやつが、おおかたしゃべることじゃねえ。
「旦《だん》那《ね》え、この酒ならお口に合いやしょう。これから甲《こう》州《しゆう》路《じ》へかかってごらんなさいやし。とてもこういう酒は飲めませんや。へへ、古い洒落《しやれ》だが与右衛門の女《によう》房《ぼう》で、私《わつし》ばかりかさねがさね――」
などと言っているうちは、またよかったが、銚《ちよう》子《し》が二、三本も並《なら》ぶようになると、目《め》尻《じり》を下げて、鼻の脂《あぶら》を光らせて、しゃくんだ顋《あご》を乙《おつ》に振《ふ》って、
「酒に恨《うら》みが《*》数々ごさるってね、私《わつし》なんぞも旦那の前《めえ》だが、茶屋酒のちいっとまわり過ぎたのが、飛んだ身の仇《あだ》になりやした。あ、あだな潮来《いたこ》で迷わせるっ」
とふるえ声で唄《うた》い始めやがる。おれは実に持て余しての、なんでもこいつは寝《ね》かすよりほかにしかたがねえと思ったから、潮《しお》さきを見て飯にすると、
「さあ。明日が早えから、寝なせえ。寝なせえ」
とせき立てての、まだ徳利《とつくり》に未練のあるやつを、やっと横にならせたが、ご方便なものじゃねえか、あれほどはしゃいでいた野郎が、枕《まくら》へ頭をつけたとなると、酒《さけ》臭《くせ》え欠伸《あくび》を一つして、
「あああっ、あだな潮来で迷わせるっ」
ともう一度、気味の悪い声を出しやがったが、それきり後は鼾《いびき》になって、いくら鼠《ねずみ》が騒ごうが、寝返り一つ打ちやがらねえ。
が、こっちゃ災難だ。なにを言うにも江戸を立って、今夜が始めての泊《と》まりじゃあるし、その鼾が耳へついて、あたりが静かになりゃなるほど、かえって妙《みよう》に寝《ね》つかれねえ。外はまだ雪がやまねえとみえて、時々雨戸へさらさらと吹《ふ》っかける音もするようだ。隣《となり》に寝ている極《ごく》道《どう》人《にん》は、夢《ゆめ》の中でも鼻《はな》唄《うた》を唄っているかも知らねえが、江戸にゃおれがいねえばかりに、一人や二人は夜の目も寝ねえで、案じていてくれるものがあるだろうと、――これさ、のろけじゃねえということに、――つまらねえことを考えると、なおのことおれは眼が冴《さ》えての、早く夜明けになりゃいいと、そればっかり思っていた。
そんなこんなで九つ《*》も聞きの、八つを打ったのも知っていたが、そのうち眠《ねむ》気《け》がさしたとみえて、いつかうとうとしたようだった。が、やがてふと眼がさめると、鼠《ねずみ》が灯心でも引きやがったか、枕《まくら》もとの行《あん》灯《どう》が消えている。その上隣に寝ている野郎が、さっきまでは鼾をかいていたくせに、今はまるで死んだように寝息一つさせやがらねえ。はてな、なんだかおかしな容《よう》子《す》だぞと、こう思うか思わねえうちに、今度はおれの夜具の中へ、人間の手がはいってきやがった。それもがたがたふるえながら、胴《どう》巻《まき》の結び目を探《さが》しやがるのよ。なるほど。人は見かけによらねえものだ。あのでれ助が胡《ご》麻《ま》の蠅《はえ》とは、こいつはちいっとできすぎたわい。――と思ったら、すんでのことに、おれは吹《ふ》き出すところだったが、その胡麻の蠅と今が今まで、いっしょに酒を飲んでいたと思や、いまいましくもなって来ての、あの野郎の手が胴巻の結び目をほどきにかかりやがると、いきなり逆にひっつかめえて、ねじり上げたと思いねえ。胡麻の蠅の奴《やつ》め、驚《おどろ》きやがるめえことか、あわてて振《ふ》り放そうとするところを、夜具を頭から押《お》っかぶせての、まんまとおれがその上へ馬乗りになってしまったのよ。するとあの意《い》気《く》地《じ》なしめ、無理無体に夜具の下から、面《つら》だけ下へ出したと思うと、「ひ、ひ、人殺し」と、烏《お》骨《こつ》鶏《けい》が時でもつくりゃしめえし、奇《き》体《てえ》な声を立てやがった。手《て》前《めえ》が盗みをしておきながら、手前で人を呼びゃ世話はねえ、唐《とう》変《へん》木《ぼく》とは始めから知っちゃいるが、さりとは男らしくもねえ野郎だと、おれは急に腹が立ったから、そこにあった枕《まくら》をひっつかんで、ぽかぽかその面《つら》をぶちのめしたじゃねえか。
さあ、その騒《さわ》ぎが聞こえての、隣《となり》近《きん》所《じよ》の客も眼をさましゃ、宿の亭《てい》主《しゆ》や奉《ほう》公《こう》人《にん》も、何事が起こったという顔色で、手《て》燭《しよく》の火を先立ちに、どかどか二階へ上がってきやがった。来てみりゃおれの股《また》ぐらから、あの野郎がもう片《かた》息《いき》になって、面《めん》妖《よう》な面《つら》を出していやがる始末よ。こりゃ誰が見ても大笑いだ。
「おい、ご亭主、飛んだ蚤《のみ》にたかられての、人騒がせをしてすまなかった。ほかの客人にゃお前から、よく詫《わ》びを言っておくんなせえ」
それっきりよ。もう後は訳を話すも話さねえもねえ。奉公人がすぐにあの野郎を、ぐるぐる巻にふん縛《じば》って、まるで生《いけ》捕《ど》りました河《かつ》童《ぱ》のように、寄ってたかって二階から、引きずり下ろしてしまやがった。
さてその後で山《やま》甚《じん》の亭主が、おれの前へ手をついての、
「いや、どうももってのほかのご災難で、さぞまあ、お驚《おどろ》きでございましたろう。が、ご路用そのほか別にご紛《ふん》失《しつ》物《もの》もなかったのは、せめてものお仕合わせでございます。追ってはあの野郎も夜の明けしだい、さっそく役所へ引き渡《わた》すことにいたしますから、どうか手《て》前《まえ》どもの届きませんところは、幾《いく》重《え》にもご勘《かん》弁《べん》くださいますように」
と何度も頭を下げるから、
「なあに、胡《ご》麻《ま》の蠅《はえ》とも知らねえで、道づれになったのが私の落度だ。それをなにもお前《めえ》さんが、あやまんなさることはねえのさ。こりゃほんのわずかばかりだが、世話になった若《わけ》え衆《しゆ》たちに、暖《あつたけ》え蕎麦《そば》の一杯も振《ふ》る舞《ま》ってやっておくんなせえ」
と祝《しゆう》儀《ぎ》をやって返したが、つくづく一人になって考えりゃ、宿《しゆく》場《ば》女《じよ》郎《ろう》にでも振られやしめえし、いつまでも、床《とこ》によっかかって、腕《うで》組《ぐ》みをしているのも智《ち》慧《え》がねえ。といってこれから寝られやせず、なにかといううちにゃ六つだろうから、こりゃいっそ今のうちに、ちっとは路が暗くっても、早立ちをするのが上分別だと、こう思案がきまったから、さっそく身じたくにとりかかりの、勘《かん》定《じよう》は帳場で払《はら》って行こうと、ほかの客の邪《じや》魔《ま》にならねえように、そっと梯《はし》子《ご》口《ぐち》まで来てみると、下じゃまだ奉《ほう》公《こう》人《にん》たちが、皆《みな》起きているとみえて、なにやら話し声も聞こえている。するとそのうちにどういう訳か、たびたびさっき手《て》前《めえ》の話した、鼠《ねずみ》小《こ》僧《ぞう》という名が出るじゃねえか。おれは妙《みよう》だと思っての、両《りよう》掛《がけ》の行《こう》李《り》を下げたまま、梯《はし》子《ご》口《ぐち》から下を覗《のぞ》いてみると、広い土間のまん中にゃ、あの越後屋重吉という木《ぼく》念《ねん》人《じん》が、縄《なわ》尻《じり》は柱にくくられながら、大あぐらをかいていやがる。そのまわりにゃまた若《わけ》え者が、番頭もいっしょに三人ばかり、八《はち》間《けん*》の明かりに照らされながら、腕まくりをしているじゃねえか。中でもその番頭が、片手に算盤《そろばん》をひっつかみの、薬《や》罐《かん》頭《あたま》から湯気を立てて、いまいましそうに何か言うのを聞きゃ、
「ほんによ、こんな胡《ご》麻《ま》の蠅《はえ》も、今に劫《こう》羅《ら》を経て見さっし、鼠小僧なんぞはそこのけの大《おお》泥《どろ》坊《ぼう》になるかもしれねえ。ほんによ、そうなった日にゃこいつのおかげで、街道筋の旅籠《はたご》屋《や》が、みんな暖簾《のれん》に瑕《きず》がつくわな。そのことを思や今のうちに、ぶっ殺したほうが人助けよ」
と言う側《そば》から、じじむさく髭《ひげ》の伸びた馬《ま》子《ご》半《ばん》天《てん》がじろじろ胡麻の蠅の面を覗きこんで、
「番頭どんともあろうものが、いやはやまた当て事もねえことを言ったものだ。なんでこんな間《ま》抜《ぬ》け野《や》郎《ろう》に、鼠小僧の役が勤まるべい。おおかた胡麻の蠅も気が強《つえ》えと言ったら、面《つら》を見たばかりで知れべいわさ」
「違えねえ。たかだか鼬《いたち》小《こ》僧《ぞう》ぐれえなところだろう」
こりゃ火《ひ》吹《ふき》竹《だけ》を得《え》物《もの》にした、宿の若え者が言ったことだ。
「ほんによ。そう言やこの野《や》猿《えん》坊《ぼう》は、人の胴《どう》巻《まき》もまだ盗まねえうちに、うぬが褌《ふんどし》を先へ盗まれそうな面《つら》だ」
「下《へ》手《た》な道中稼《かせ》ぎなんぞするよりゃ、捧っ切れの先へ黏《とりもち》をつけの、子供といっしょに賽《さい》銭《せん》箱《ばこ》のびた銭でもくすねていりゃいい」
「なに、それよりゃ案山子《かかし》代わりに、おらが後ろの粟《あわ》畑《ばたけ》へ立っているがよかんべい」
こう皆がなぶり物にすると、あの越後屋重吉め、ちっとの間は口惜《くや》しそうに眼ばかりぱちつかせていやがったが、やがて宿の若え者が、火吹竹を顋《あご》の下へやって、ぐいと面《つら》をもたげさせると、急に巻き舌になりゃがって、
「やい、やい、やい、こいつらは飛んだ奴《やつ》じゃねえかえ。誰だと思って囈《たわ》言《ごと》をつきやがる。こう見えてもこのお兄《あにい》さんはな、日本じゅうを股《また》にかけた、ちっとは面《つら》の売れている胡《ご》麻《ま》の蠅《はえ》だ。不《ふ》面《めん》目《ぼく》にもほどがあらあ。うぬが土百姓の分在で、きいたふうなご託《たく》を並べやがる」
これにゃ皆《みな》驚《おどろ》いたのに違《ちげ》えねえ。実は梯《はし》子《ご》を下りかけたおれも、あんまりあの野《や》郎《ろう》の権幕がご大《たい》そうなものだから、また中段に足を止めて、もう少し下の成り行きを眺《なが》めている気になったのよ。まして人のよさそうな番頭なんぞは、算盤《そろばん》まで持ち出したのも忘れたように、あきれてあの野郎を見つめやがった。が、気が強《つえ》えのは馬《ま》子《ご》半《ばん》天《てん》での、こいつだけはまだ髭《ひげ》をなでながら、どこを風が吹《ふ》くという面《つら》で、
「なにが胡麻の蠅がえらかんべい。三年前《めえ》の大夕立に雷《らい》獣《じゆう》様《さま》を手《て》補《ど》りにした、横山宿《*》の勘太とはおらがことだ。おらが身もんでえを一つすりゃ、うぬがような胡麻の蠅は、踏《ふ》み殺されるということを知んねえか」
と嵩《かさ》にかかって嚇《おど》したが、胡麻の蠅の奴《やつ》はせせら笑って、
「へん、こけが六十六部に立《たて》山《やま》の話でも聞き《*》やしめえし、頭からおどかしを食ってたまるものかえ。これやい、眠気ざましにゃもったいねえが、おれの素《す》性《じよう》を洗ってやるから、耳の穴をかっぽじって聞きやがれ」
と声《こわ》色《いろ》にしちゃ語《ご》呂《ろ》の悪い、啖《たん》呵《か》を切り出したところは豪《ごう》勢《せい》だがの、面《つら》を見りゃ寒いと見えて、水っ洟《ぱな》が鼻の下に光っている。おまけにおれのなぐったところが、小《こ》鬢《びん》の禿《はげ》から顋《あご》へかけて、まるで面がゆがんだように、脹《は》れ上がっていようというものだ。が、それでも田舎《いなか》者《もの》にゃ、あの野郎のぽんぽん言うことが、ちっとは効《き》き目《め》があったのだろう。あいつが乙《おつ》に反《そ》り身になって、餓《が》鬼《き》の時から悪事を覚えた行き立てをしゃべっているうちにゃ、雷獣を手捕りにしたとかいう、髭《ひげ》のじじむせえ馬子半天も、おいおい胡《ご》麻《ま》の蠅《はえ》を胴《ど》突《つ》かなくなってきたじゃねえか。それを見るとあの野郎め、いよいよしゃくんだ顋《あご》を振《ふ》りの、三人の奴《やつ》らをねめまわして、
「へん、このごっぽう人めら、手《て》前《めえ》たちを怖《こわ》がるような、よいよいだとでも思やがったか。いんにゃさ。ただの胡麻の蠅だと思うと、相手が違《ちが》うぞ。手前たちも覚えているだろうが、去年の秋の嵐《あらし》の晩に、この宿《しゆく》の庄《しよう》屋《や》へ忍《しの》びこみの、有り金を残らずかっさらったのは、誰でもねえこのおれだ」
「うぬが、あの庄屋様へ、――」
こう言ったのは、番頭ばかりじゃねえ。火《ひ》吹《ふき》竹《だけ》を持った若え者も、さすがに肝《きも》をつぶしたとみえて、思わず大きな声を出しながら、二足三足後へ下がりやがった。
「そうよ。そんな仕事に驚《おどろ》くようじゃ、手前たちはまだ甘えものだ。こう、よく聞けよ。ついこの中《じゆう》も小《こ》仏《ぼとけ》峠《とうげ》で、金《かね》飛《び》脚《きやく》が二人殺されたのは、誰の仕《し》業《わざ》だと思やがる」
あの野郎は水っ洟《ぱな》をすすりこんじゃ、やれ府《ふ》中《ちゆう》で土蔵を破ったの、やれ日《ひ》野《の》宿《じゆく》でつけ火をしたの、やれ厚《あつ》木《ぎ》街道の山の中で巡《じゆん》礼《れい》の女をなぐさんだの、だんだん途《と》方《ほう》もねえ悪事をしゃべり立てたが、妙《みよう》なことにゃそれにつれて、番頭始め二人の野郎が、いつの間にかあの木《ぼく》念《ねん》人《じん》へ慇《いん》懃《ぎん》になってきやがった。中でも図《ずう》体《たい》の大きな馬子半天が、莫《ば》迦《か》力《ぢから》のありそうな腕《うで》を組んで、まじまじあの野郎の面を眺《ながめ》めながら、
「お前《めえ》さんという人は、なんたるまた悪党だんべい」
とうなるような声を出した時にゃ、おれはおかしさがこみ上げての、あぶなく吹《ふ》き出すところだった。ましてあの胡《ご》麻《ま》の蠅《はえ》が、もう酔《え》いもさめたのだろう、いかにも寒そうな顔色で、歯の根も合わねえほどふるえながら、口先ばかりゃ勢いよく、
「なんと、ちっとは性根がついたか。だがおれの官《かん》禄《ろく》は、まだまだそんなことじゃねえ。今度江戸をずらかったのは、臍《へそ》繰《くり》金《がね》がほしいばかりに二人とねえお袋《ふくろ》を、おれの手にかけて絞《し》め殺した、その化けの皮が剥《は》げたからよ」
と大きな見《み》得《え》を切った時にゃ、三人ともあっと息を引いての、千両役者でも出てきはしめえし、小《こ》鬢《びん》から脹《は》れ上がったあいつの面を、ありがたそうに見つめやがった。おれはあんまり莫《ば》迦《か》らしいから、もう見ているがものはねえと思って、二、三段梯《はし》子《ご》を下りかけたが、そのとたんに番頭の薬《や》罐《かん》頭《あたま》め、なんと思やがったか横手を打って、
「や、読めたぞ。読めたぞ。あの鼠《ねずみ》小《こ》僧《ぞう》というのは、さてはおぬしの渾《あだ》名《な》だな」
と頓《とん》狂《きよう》な声を出しやがったから、おれはふとまた気が変わって、あいつがなんとぬかしやがるか、それが聞きたさにもう一度、うすっ暗《くれ》え梯子の中段へ足を止めたと思いねえ。するとあの胡《ご》麻《ま》の蠅《はえ》め、じろりと番頭をにらみながら、
「図星を指《さ》されちゃしかたがねえ。いかにも江戸で噂の高《たけ》え、鼠小僧とはおれのことだ」
と横《おう》柄《へい》にせせら笑やがった。が、そう言うか言わねえうちに、胴《どう》震《ぶる》いを一つしたと思うと、二つ三つ続けさまに色気のねえ嚔《くしやみ》をしやがったから、せっかくの睨《にら》みも台なしよ。それでも三人の野郎たちは、勝《かち》角力《ずもう》の名乗りでも聞きやしめえし、あの重吉の間抜け野郎をあおぎ立てねえばかりにして、
「おらもそうだろうと思っていた。三年前《めえ》の大夕立に雷《らい》獣《じゆう》様《さま》を手捕りにした、横《よこ》山《やま》宿《じゆく》の勘太と言っちゃ、泣く児《こ》も黙《だま》るおらだんべい。それをおらの前《めえ》へ出て、びくともする容《よう》子《す》が見えねえだ」
「違《ちげ》えねえ。そう言やどこか眼の中に、すすどいところがあるようだ」
「ほんによ、だからおれは始めから、なんでもこの人は一《い》っぱしの大《おお》泥《どろ》坊《ぼう》になると言っていたわな。ほんによ。今夜は弘《こう》法《ぼう》にも筆の誤り、上《じよう》手《ず》の手からも水が漏《も》るす。漏ったが、これが漏らねえでみねえ。二階じゅうの客は裸にされるぜ」
と縄《なわ》こそ解こうとはしねえけれど、口々にちやほやしやがるのよ。するとまたあの胡麻の蠅め、おおかた威《い》張《ば》ることじゃねえ。
「こう、番頭さん、鼠小僧のお宿をしたのは、お前の家《うち》の旦《だん》那《な》が運がいいのだ。そういうおれの口を干しちゃ、旅籠屋《はたごや》冥利《みようり》が尽きるだろうぜ。桝《ます》でいいから五合ばかり、酒をつけてくんねえな」
こう言う野郎もずうずうしいが、それをまた正直に聞いてやる番頭も間《ま》抜《ぬ》けじゃねえか。おれは八《はち》間《けん》の明かりの下で、薬《や》罐《かん》頭《あたま》の番頭が、あの飲んだくれの胡《ご》麻《ま》の蠅《はえ》に、桝の酒を飲ませているのを見たら、なにもこの山《やま》甚《じん》の奉《ほう》公《こう》人《にん》ばかりとは限らねえ、世間の奴《やつ》らの莫《ば》迦《か》莫《ば》迦《か》しさが、おかしくって、おかしくって、こてえられなかった。なぜと言いねえ。同じ悪党とは言いながら、押《お》し込みよりゃ掻《か》っぱらい、火つけよりゃ巾《きん》着《ちやく》切《きり》が、まだしも罪は軽いじゃねえか。それなら世間もそのように、大《おお》盗《ぬす》っ人《と》よりゃ、小盗っ人に憐《あわ》れみをかけてくれそうなものだ。ところが人はそうじゃねえ。三《さん》下《した》野《や》郎《ろう》にゃむごくっても、金《きん》箔《ぱく》つきの悪党にゃ向こうから頭を下げやがる。鼠小僧と言や酒も飲ますが、ただの胡麻の蠅と言や張り倒《たお》すのだ。思やおれも盗っ人だったら、小盗っ人にゃなりたくねえ。――とまあ、おれは考えたが、さていつまでも便々と、こんな茶番も見ちゃいられねえから、わざと音をさせて梯《はし》子《ご》を下りの、上がり口へ荷物をほうり出して、
「おい、番頭さん、私は早立ちと出かけるから、ちょいと勘《かん》定《じよう》をしておくんなせえ」
と声をかけると、いや、番頭の薬罐頭め、てれまいことか、あわてて桝を馬《ま》子《ご》半《ばん》天《てん》に渡《わた》しながら、何度も小《こ》鬢《びん》へ手をやって、
「これはまたお早いお立ちで――ええ、なにとぞお腹立ちになりやせんように――また先ほどは、ええ、お手《て》前《まえ》どもにわざわざお心づけをいただきまして――もっともいい塩《あん》梅《ばい》に雪も晴れたようでげすが――」
などと訳のわからねえことを並《なら》べやがるから、おれはおかしさもおかしくなって、
「今下りしなに小耳にはさんだが、この胡《ご》麻《ま》の蠅《はえ》は、評判の鼠小僧とかいう野郎だそうだの」
「へい、さようだそうで、――おい、早くお草鞋《わらじ》を持ってきさっし。お笠《かさ》にお合羽《かつぱ》はここにありと――どうも大した盗っ人だそうでげすな。――へい、ただいまお勘定をいたしやす」
番頭のやつはてれ隠《かく》しに、若《わけ》え者を叱《しか》りながら、そこそこ帳場の格《こう》子《し》の中へはいると、仔《し》細《さい》らしくくわえ筆で算盤《そろばん》をぱちぱちやり出しやがった。おれはその間に草鞋をはいて、さて一服吸いつけたが、見りゃあの胡麻の蠅は、もうお神酒《みき》がまわったと見えて、小《こ》鬢《びん》の禿《はげ》まで赤くしながら、さすがにちっとは恥《は》ずかしいのか、なるべくおれの方を見ねえように、側《わき》眼《め》ばかり使っていやがる。その見すぼらしい容《よう》子《す》を見ると、おれは今さらのようにあの野郎がかわいそうにもなってきたから、
「おい、越《えち》後《ご》屋《や》さん。いやさ、重吉さん。つまらねえ冗談は言わねえものだ。お前《めえ》が鼠小僧だなどと言うと、人のいい田舎《いなか》者《もの》はほんとうにするぜ。それじゃ割りが悪かろうが」
と親切ずくに言ってやりゃ、あの阿《あ》呆《ほう》の合《ごう》天《てん》井《じよう》め、まだ芝居が足りねえのか、
「なんだと。おれが鼠小僧じゃねえ?、飛んだお前は物知りだの。こう。旦《だん》那《な》旦《だん》那《な》と立てていりゃ――」
「これさ。そんな啖《たん》呵《か》が切りたけりゃ、ここにいる馬《ま》子《ご》や若《わけ》え衆《しゆ》が、ちょうどお前にゃいい相手だ。だがそれもさっきからじゃ、もうたいてい切り飽《あ》きたろう。第一お前が紛《まぎ》れもねえ日本一の大《おお》泥《どろ》坊《ぼう》なら、なにもすき好んでべらべらと、為《ため》にもならねえ旧悪並《なら》べ立てるはずがねえわな。これさ、まあ黙《だま》って聞きねえと言うことに。そりゃお前がなんでもかんでも、鼠小僧だと剛《ごう》情《じよう》を張りゃ、役人始め真実お前が鼠小僧だと思うかもしれねえ。が、その時にゃ軽くて獄《ごく》門《もん》、重くて磔《はりつけ》はのがれねえぜ。それでもお前は鼠小僧か、――と言われたら、どうする気だ」
とこう一本突《つ》っこむと、あの意《い》気《く》地《じ》なしめ、見る見るうちに唇《くちびる》の色まで変えやがって、
「へい、なんとも申し訳ござりやせん。実は鼠小僧でもなんでもねえ、ただの胡《ご》麻《ま》の蠅《はえ》でござりやす」
「そうだろう。そうなくっちゃ、ならねえはずだ。だが火つけや押《お》し込みまでさんざんしたと言うからにゃ、お前もいい悪党だ。どうせ笠《かさ》の台は飛ぶだろうぜ」
と框《かまち》で煙管《きせる》をはたきながら、大《おお》真《ま》面《じ》目《め》におれがひやかすと、あいつは酔《え》いもさめたとみえて、また水っ洟《ぱな》をすすりこみの、泣かねえばかりの声を出して、
「なに、あれもみんな嘘《うそ》でござりやす。私《わつし》は旦《だん》那《な》に申し上げたとおり、越後屋重吉という小間物渡《と》世《せい》で、年にきっと一、二度はこの街道を上り下りしやすから、善《よ》かれ悪《あ》しかれいろいろな噂《うわさ》を知っておりやすので、つい口から出まかせに、なんでもかんでもぽんぽんと――」
「おい、おい、お前は今胡麻の蠅だと言ったじゃねえか。胡麻の蠅が小間物を売るとは、ご入国以来《*》聞かねえことだの」
「いえ、人様の物に手をかけたのは、今夜がまだ始めてでござりやす。この秋女《によう》房《ぼう》に逃《に》げられやして、それから引き続き不手まわりなことばかり多うござりやしたから、貧すりゃ鈍《どん》すると申すとおり、ふとした一時の出来心から、飛んだ失礼なまねをいたしやした」
おれはいくらとんちきでも、とにかく胡《ご》麻《ま》の蠅《はえ》だとは思っていたから、こういう話を聞かされた時にゃ、煙管《きせる》へ煙草をつめかけたまま、あきれて物も言えなかった。が、おれは呆《あき》れただけだったが、馬子半天と若《わけ》え者とは、腹を立てたの立てねえのじゃねえ。おれが止めようと思ううちに、いきなりあの野郎を引きずり倒《たお》しの、
「うぬ、よくも人を莫迦にしやがったの」
「その頬《ほお》桁《げた》を張りのめしてくれべい」
と喚《わめ》き立てる声の下から、火《ひ》吹《ふき》竹《たけ》が飛ぶ、桝が降るよ。かわいそうに越後屋重吉は、あんなに横っ面を脹《は》らした上へ、頭まで瘤《こぶ》だらけになりゃがった。………
「話というのはこれっきりよ」
色の浅黒い、小《こ》肥《ぶと》りに肥った男は、こう一部始終を語り終わると、今まで閑《かん》却《きやく》されていた、膳《ぜん》の上の猪《ちよ》口《く》を取り上げた。
向こうに見える唐《から》津《つ》様《さま》の海鼠《なまこ》壁《かべ》には、いつか入日の光がささなくなって、掘《ほり》割《わり》に臨んだ一株の葉《は》柳《やなぎ》にも、そろそろ暮《ぼ》色《しよく》が濃くなってきた。と思うと三《さん》縁《えん》山《ざん》増《ぞう》上《じよう》寺《じ》の鐘《かね》の音《ね》が、静かに潮《しお》の匂《にお》いのする欄《らん》外《がい》の空気を揺《ゆす》りながら、今さらのように暦《こよみ》の秋を二人の客の胸にしみ渡《わた》らせた。風に動いている伊《い》予《よ》簾《すだれ》、御《お》浜《はま》御《ご》殿《てん》の森の鴉《からす》の声、それから二人の間にある盃《はい》洗《せん》の水の冷たい光――女中の運ぶ燭《しよく》台《だい》の火が、赤く火《ほ》先《さき》をなびかせながら、梯《はし》子《ご》段《だん》の下から現われるのも、もう程がないのに相《そう》違《い》あるまい。
小《こ》弁《べん》慶《けい》の単衣《ひとえ》を着た男は、相手が猪《ちよ》口《く》をとり上げたのを見ると、さっそく徳利《とつくり》の尻をおさえながら、
「いや、はや、飛んでもねえたわけがあるものだ。日本の盗人《ぬすつと》の守り本尊、私《わつち》の贔屓《ひいき》の鼠小僧をなんだと思っていやがる。親分なら知らねえこと、私だったらその野郎をきっと張り倒していやしたぜ」
「なにもそれほどに業《ごう》を煮《に》やすことはねえ。あんな間抜けな野郎でも、鼠小僧と名乗ったばかりに、大きな面《つら》ができたことを思や、鼠小僧もさぞ本《ほん》望《もう》だろう」
「だっとってお前《めえ》さん、そんな駈《か》け出《だ》しの胡《ご》麻《ま》の蠅《はえ》に鼠小僧の名をかたられちゃ――」
剳青《ほりもの》のある、小《こ》柄《がら》な男は、また言い争いたい気《け》色《しき》を見せたが、色の浅黒い、唐《とう》桟《ざん》の半《はん》天《てん》を羽《は》織《お》った男は、悠《ゆう》々《ゆう》と微笑を含《ふく》みながら、
「はて、このおれが言うのだから、本《ほん》望《もう》に違《ちげ》えねえじゃねえか。手《て》前《めえ》にゃまだ明かさなかったが、三年前に鼠小僧と江戸で噂が高かったのは――」
と言うと、猪口を控《ひか》えたまま、鋭《するど》くあたりへ眼をくばって、
「この和泉《いずみ》屋《や》の次郎吉のことだ」
(大正八年十二月)
舞《ふ》踏《とう》会《かい》
明治十九年十一月三日《*》の夜であった。当時十七歳だった――家《け》の令嬢明《あき》子《こ》は、頭の禿《は》げた父親といっしょに、今夜の舞踏会が催《もよお》さるべき鹿《ろく》鳴《めい》館《かん*》の階段を上って行った。明るい瓦斯《ガス》の光に照らされた、幅の広い階段の両側には、ほとんど人工に近い大輪の菊の花が、三重の籬《まがき》を造っていた。菊はいちばん奥《おく》のがうす紅《べに》、中ほどのが濃《こ》い黄色、いちばん前のがまっ白な花びらを流《ふ》蘇《さ》のごとく乱しているのであった。そうしてその菊の籬の尽きるあたり、階段の上の舞踏室からは、もう陽気な管《かん》弦《げん》楽《がく》の音《ね》が、抑《おさ》え難い幸福の吐《と》息《いき》のように、休みなく溢《あふ》れてくるのであった。
明子は夙《つと》にフランス語と舞踏との教育を受けていた。が、正式の舞踏会に臨むのは、今夜がまだ生まれて始めてであった。だから彼女は馬車の中でも、おりおり話しかける父親に、上《うわ》の空の返事ばかり与えていた。それほど彼女の胸の中には、愉《ゆ》快《かい》なる不安とでも形容すべき、一種の落ち着かない心もちが根を張っていたのであった。彼女は馬車が鹿鳴館の前に止まるまで、何度いら立たしい眼をあげて、窓の外に流れて行く東京の町の乏《とぼ》しい灯《とも》火《しび》を、見つめたことだかしれなかった。
が、鹿鳴館の中へはいると、間もなく彼女はその不安を忘れるような事件に遭《そう》遇《ぐう》した。というは階段のちょうど中ほどまで来かかった時、二人は一足先に上って行く支《シ》那《ナ》の大官に追いついた。すると大官は肥満した体を開いて、二人を先へ通らせながら、あきれたような視線を明子へ投げた。ういういしい薔《ば》薇《ら》色《いろ》の舞踏服、品《ひん》よく頸《くび》へかけた水色のリボン、それから濃《こ》い髪《かみ》に匂《にお》っているたった一輪の薔薇の花――実際その夜の明子の姿は、この長い辮《べん》髪《ぱつ》をたれた支那の大官の眼を驚《おどろ》かすべく、開化の日本の少女の美を遺《い》憾《かん》なくそなえていたのであった。と思うとまた階段を急ぎ足に下りてきた、若い燕《えん》尾《び》服《ふく》の日本人も、途《と》中《ちゆう》で二人にすれ違《ちが》いながら、反射的にちょいと振《ふ》り返って、やはりあきれたような一《いち》瞥《べつ》を明子の後ろ姿に浴びせかけた。それからなぜか思いついたように、白いネクタイへ手をやってみて、また菊の中を忙《せ》わしく玄《げん》関《かん》の方へ下りて行った。
二人が階段を上り切ると、二階の舞踏室の入口には、半白の頬《ほお》鬚《ひげ》を蓄《たくわ》えた主人役の伯《はく》爵《しやく》が、胸間に幾《いく》つかの勲《くん》章《しよう》を帯びて、ルイ十五世式の装《よそお》いを凝《こ》らした年上の伯爵夫人といっしょに、大《おお》様《よう》に客を迎《むか》えていた。明子はこの伯爵でさえ、彼女の姿を見た時には、その老《ろう》獪《かい》らしい顔のどこかに、一《いつ》瞬《しゆん》無《む》邪《じや》気《き》な驚《きよう》嘆《たん》の色が去来したのを見のがさなかった。人のいい明子の父親は、うれしそうな微《び》笑《しよう》を浮《う》かべながら、伯爵とその夫人とへ手短かに娘《むすめ》を紹《しよう》介《かい》した。彼女は羞《しゆう》恥《ち》と得意とをかわるがわる味わった。が、その暇《ひま》にも権《けん》高《だか》な伯爵夫人の顔だちに、一点下品な気があるのを感づくだけの余《よ》裕《ゆう》があった。
舞踏室の中にも至る所に、菊の花が美しく咲《さ》き乱れていた。そうしてまた至る所に、相手を待っている婦人たちのレエスや花や象《ぞう》牙《げ》の扇《おうぎ》が、さわやかな香《こう》水《すい》の匂《にお》いの中に、音のない波のごとく動いていた。明子はすぐに父親と分かれて、その綺《き》羅《ら》びやかな婦人たちのある一団といっしょになった。それは皆《みな》同じような水色や薔《ば》薇《ら》色《いろ》の舞《ぶ》踏《とう》服《ふく》を着た、同《どう》年《ねん》輩《ぱい》らしい少女であった。彼らは彼女を迎《むか》えると、小鳥のようにさざめき立って、口々に今夜の彼女の姿が美しいことを褒《ほ》め立てたりした。
が、彼女がその仲間へはいるやいなや、見知らないフランスの海軍将校が、どこからか静かに歩み寄った。そうして両《りよう》腕《うで》をたれたまま、ていねいに日本風の会《え》釈《しやく》をした。明子はかすかながら血の色が、頬《ほお》に上って来るのを意識した。しかしその会釈が何を意味するかは、問うまでもなく明らかだった。だから彼女は手にしていた扇を預かってもらうべく、隣《となり》に立っている水色の舞踏服の令《れい》嬢《じよう》をふり返った。と同時に意外にも、そのフランスの海軍将校は、ちらりと頬に微《び》笑《しよう》の影《かげ》を浮《う》かべながら、異様なアクサンを帯びた日本語で、はっきりと彼女にこう言った。
「いっしょに踊《おど》ってはくださいませんか」
間もなく明子は、そのフランスの海軍将校と、「美しく青きダニウブ」のヴァルスを踊っていた。相手の将校は、頬の日に焼けた、眼鼻立ちの鮮《あざ》やかな、濃い口《くち》髭《ひげ》のある男であった。彼女はその相手の軍服の左の肩《かた》に、長い手《て》袋《ぶつくろ》を嵌《は》めた手を預くべく、あまりに背《せい》が低かった。が、場馴《なれ》れている海軍将校は、巧《たく》みに彼女をあしらって、軽々と群集の中を舞《ま》い歩いた。そうして時々彼女の耳に、愛想のいいフランス語のお世辞さえもささやいた。
彼女はその優しい言葉に、恥《は》ずかしそうな微笑を酬《むく》いながら、時々彼らが踊っている舞踏室の周囲へ眼を投げた。皇室のご紋《もん》章《しよう》を染め抜《ぬ》いた紫《むらさき》 縮 緬《ちりめん》の幔《まん》幕《まく》や、爪《つめ》を張った蒼《そう》竜《りゆう》が身をうねらせている支《シ》那《ナ》の国旗の下には、花《か》瓶《びん》花瓶の菊の花が、あるいは軽快な銀色を、あるいは陰欝な金色を、人波の間にちらつかせていた。しかもその人彼は、三鞭酒《シヤンパアニユ》のように湧き立ってくる、花々しいドイツ管《かん》絃《げん》楽《がく》の旋《せん》律《りつ》の風にあおられて、しばらくも目まぐるしい動《どう》揺《よう》をやめなかった。明子はやはり踊《おど》っている友達の一人と眼を合わすと、互《たが》いに愉《ゆ》快《かい》そうなうなずきを忙《せわ》しい中に送り合った。が、その瞬《しゆん》間《かん》には、もう違った踊り手が、まるで大きな蛾《が》が狂《くる》うように、どこからかそこへ現われていた。
しかし明子はその間にも、相手のフランスの海軍将校の眼が、彼女の一挙一動に注意しているのを知っていた。それは全くこの日本に慣れない外国人が、いかに彼女の快活な舞《ぶ》踏《とう》ぶりに、興味があったかを語るものであった。こんな美しい令《れい》嬢《じよう》も、やはり紙と竹との家の中に、人形のごとく住んでいるのであろうか。そうして細い金属の箸《はし》で、青い花の描《か》いてある手のひらほどの茶《ちや》碗《わん》から、米粒をはさんで食べているのであろうか。――彼の眼の中にはこういう疑問が、何度も人《ひと》懐《なつ》かしい微笑とともに往来するようであった。明子にはそれがおかしくもあれば、同時にまた誇《ほこ》らしくもあった。だから彼女の華《きや》箸《しや》な薔《ば》薇《ら》色《いろ》の踊り靴《ぐつ》は、物《もの》珍《めずら》しそうな相手の視線がおりおり足もとへ落ちるたびに、いっそう身軽く滑《なめ》らかな床《ゆか》の上をすべって行くのであった。
が、やがて相手の将校は、この児《こ》猫《ねこ》のような令嬢の疲《つか》れたらしいのに気がついたとみえて、いたわるように顔を覗《のぞ》きこみながら、
「もっと続けて踊りましょうか」
「ノン・メルシイ」
明子は息をはずませながら、今度ははっきりとこう答えた。
するとそのフランスの海軍将校は、まだヴァルスの歩みを続けながら、前後左右に動いているレエスや花の波を縫《ぬ》って、壁《かべ》ぎわの花《か》瓶《びん》の菊の方へ、悠《ゆう》々《ゆう》と彼女をつれて行った。そうして最後の一《いち》廻《かい》転《てん》の後、そこにあった椅《い》子《す》の上へ、鮮《あざ》やかに彼女を掛《か》けさせると、自分はいったん軍服の胸を張って、それからまた前のようにうやうやしく日本風の会《え》釈《しやく》をした。
その後またポルカやマズュルカを踊《おど》ってから、明子はこのフランスの海軍将校と腕《うで》を組んで、白と黄とうす紅《べに》と三重の菊の籬《まがき》の間を、階下の広い部屋へ下りて行った。
ここには燕《えん》尾《び》服《ふく》や白い肩《かた》がしっきりなく去来する中に、銀やガラスの食器類に蔽《おお》われた幾《いく》つかの食卓が、あるいは肉と松《しよう》露《ろ》との山を盛《も》り上げたり、あるいはサンドウィッチとアイスクリイムとの塔《とう》をそばだてたり、あるいはまた柘榴《ざくろ》と無花果《いちじゆく》との三角塔を築いたりしていた。ことに菊の花が埋《うず》め残した、部屋の一方の壁《へき》上《じよう》には巧《たく》みな人工の葡萄《ぶどう》蔓《づる》が青々とからみついている、美しい金色の格《こう》子《し》があった。そうしてその葡萄の葉の間には、蜂《はち》の巣《す》のような葡萄の房《ふさ》が、累《るい》々《るい》と紫《むらさき》に下がっていた。明子はその金色の格子の前に、頭の禿《は》げた彼女の父親が、同《どう》年《ねん》輩《ぱい》の紳《しん》士《し》と並《なら》んで、葉巻をくわえているのに遇《あ》った。父親は明子の姿を見ると、満足そうにちょいとうなずいたが、それぎり連れの方を向いて、また葉巻をくゆらせ始めた。
フランスの海軍将校は、明子と食卓の一つへ行って、いっしょにアイスクリイムの匙《さじ》を取った。彼女はその間も相手の眼が、おりおり彼女の手や髪や水色のリボンを掛けた頸《くび》へ注がれているのに気がついた。それはもちろん彼女にとって、不快なことでもなんでもなかった。が、ある刹《せつ》那《な》には女らしい疑いもひらめかずにはいられなかった。そこで黒い天鵞絨《びろうど》の胸に赤い椿《つばき》の花をつけた、ドイツ人らしい若い女が二人の傍《そば》を通った時、彼女はこの疑いをほのめかせるために、こういう感《かん》歎《たん》の言葉を発明した。
「西洋の女の方《かた》はほんとうにお美しゅうございますこと」
海軍将校はこの言葉を聞くと、思いのほか真《ま》面《じ》目《め》に首を振《ふ》った。
「日本の女の方も美しいです。ことにあなたなぞは――」
「そんなことはございませんわ」
「いえ、お世辞ではありません。そのまますぐにパリの舞《ぶ》踏《とう》会《かい》へも出られます。そうしたらみんなが驚《おどろ》くでしょう。ワットオの画《え》の中のお姫《ひめ》様《さま》のようですから」
明子はワットオを知らなかった。だから海軍将校の言葉が呼び起こした、美しい過去の幻《まぼろし》も、――仄《ほの》暗《ぐら》い森の噴《ふん》水《すい》と凋《すが》れて行く薔《ば》薇《ら》との幻も、一《いつ》瞬《しゆん》の後には名残りなく消え失《う》せてしまわなければならなかった。が、人一倍感じの鋭《するど》い彼女は、アイスクリイムの匙を動かしながら、わずかにもう一つ残っている話題にすがることを忘れなかった。
「私も、パリの舞踏会へ参ってみとうございますわ」
「いえ、パリの舞踏会も全くこれと同じことです」
海軍将校はこう言いながら、二人の食卓を繞《めぐ》っている人波と菊の花とを見《み》廻《まわ》したが、たちまち皮肉な微《び》笑《しよう》の波が瞳《ひとみ》の底に動いたと思うと、アイスクリイムの匙《さじ》をやめて、
「パリばかりではありません。舞踏会はどこでも同じことです」と半ば独《ひと》り語《ごと》のようにつけ加えた。
一時間の後、明子とフランスの海軍将校とは、やはり腕《うで》を組んだまま、おおぜいの日本人や外国人といっしょに、舞踏室の外にある星月夜の露《ろ》台《だい》にたたずんでいた。
欄《らん》干《かん》一つ隔《へだ》てた露台の向こうには、広い庭園を埋《うず》めた針葉樹が、ひっそりと枝《えだ》をかわし合って、その梢《こずえ》に点々と鬼灯《ほおずき》提灯《ぢようちん》の火を透《す》かしていた。しかも冷やかな空気の底には、下の庭園から上ってくる苔《こけ》の匂《にお》いや落ち葉の匂いが、かすかに寂《さび》しい秋の呼吸を漂《ただよ》わせているようであった。が、すぐ後ろの舞踏室では、やはりレエスや花の波が、十六菊を染め抜《ぬ》いた紫《むらさき》縮緬《ちりめん》の幕の下に、休みない動《どう》揺《よう》を続けていた。そうしてまた調子の高い管《かん》絃《げん》楽《がく》のつむじ風が、相変わらずその人間の海の上へ、用捨もなく鞭《むち》を加えていた。
もちろんこの露台の上からも、絶えずにぎやかな話し声や笑い声が夜気を揺《ゆ》すっていた。まして暗い針葉樹の空に美しい花火が揚がる時には、ほとんど人どよめきにも近い音が、一同の口から洩《も》れたこともあった。その中に交じって立っていた明子も、そこにいた懇《こん》意《い》の令《れい》嬢《じよう》たちとは、さっきから気軽な雑談を交《こう》換《かん》していた。が、やがて気がついてみると、あのフランスの海軍将校は、明子に腕を借したまま、庭園の上の星月夜へ黙《もく》然《ねん》と眼を注いでいた。彼女にはそれがなんとなく、郷《きよう》愁《しゆう》でも感じているように見えた。そこで明子は彼の顔をそっと下から覗《のぞ》きこんで、
「お国のことを思っていらっしゃるのでしょう」と半ば甘えるように尋《たず》ねてみた。
すると海軍将校は相変わらず微《び》笑《しよう》を含《ふく》んだ眼で、静かに明子の方へ振《ふ》り返った。そうして「ノン」と答える代わりに、子供のように首を振《ふ》ってみせた。
「でも何か考えていらっしゃるようでございますわ」
「なんだか当ててご覧なさい」
その時露《ろ》台《だい》に集まっていた人々の間には、また一しきり風のようなざわめく音が起こり出した。明子と海軍将校とは言い合わせたように話をやめて、庭園の針葉樹を圧している夜空の方へ眼をやった。そこにはちょうど赤と青との花火が、蜘《く》蛛《も》手《で》に闇《やみ》をはじきながら、将《まさ》に消えようとするところであった。明子にはなぜかその花火が、ほとんど悲しい気を起こさせるほどそれほど美しく思われた。
「私は花火のことを考えていたのです。われわれの生《ヴイ》のような花火のことを」
しばらくしてフランスの海軍将校は、優しく明子の顔を見下ろしながら、教えるような調子でこう言った。
大正七年の秋であった。当年の明子は鎌《かま》倉《くら》の別荘へおもむく途《と》中《ちゆう》、一面識のある青年の小説家と、偶《ぐう》然《ぜん》汽車の中でいっしょになった。青年はその時編《あみ》棚《だな》の上に、鎌倉の知人へ贈《おく》るべき菊の花《はな》束《たば》を載《の》せておいた。すると当年の明子――今のH老夫人は、菊の花を見るたびに思い出す話があると言って、詳《くわ》しく彼に鹿《ろく》鳴《めい》館《かん》の舞踏会の思い出を話して聞かせた。青年はこの人自身の口からこういう思い出を聞くことに、多大の興味を感ぜずにはいられなかった。
その話が終わった時、青年はH夫人に何気なくこういう質問をした。
「奥様はそのフランスの海軍将校の名をご存知ではございませんか」
するとH老夫人は思いがけない返事をした。
「存じておりますとも。Julien Viaud とおっしゃる方でございました」
「では Loti《*》 だったのでございますね。あの『お菊夫人』を書いたピエル・ロティだったのでございますね」
青年は愉《ゆ》快《かい》な興奮を感じた。が、H老夫人は不思議そうに青年の顔を見ながら何度もこうつぶやくばかりであった。
「いえ、ロティとおっしゃる方ではございませんよ。ジュリアン・ヴィオとおっしゃる方でございますよ」
(大正八年十二月)
尾《び》生《せい》の信《*》
尾《び》生《せい*》は橋の下にたたずんで、さっきから女の来るのを待っている。
見上げると、高い石の橋《きよう》欄《らん》には、蔦《つた》蘿《かずら》が半ば這《は》いかかって、時々その間を通りすぎる往来の人の白衣の裾《すそ》が、鮮《あざ》やかな入日に照らされながら、悠《ゆう》々《ゆう》と風に吹《ふ》かれて行く。が、女はいまだに来ない。
尾生はそっと口《くち》笛《ぶえ》を鳴らしながら、気軽く橋の下の洲《す》を見渡した。
橋の下の黄《こう》泥《でい》の洲は、二坪《つぼ》ばかりの広さを剰《あま》して、すぐに水と続いている。水ぎわの蘆《あし》の間には、おおかた蟹《かに》の棲《すみ》家《か》であろう、いくつも円い穴があって、そこへ波が当たるたびに、たぶりというかすかな音が聞こえた。が、女はいまだに来ない。
尾生はやや待ち遠しそうに水ぎわまで歩を移して、舟《ふな》一《いつ》艘《そう》通らない静かな川筋を眺めまわした。
川筋には青い蘆が、隙《すき》間《ま》もなくひしひしと生えている。のみならずその蘆の間には、所々に川《かわ》楊《やなぎ》が、こんもりと円く茂っている。だからその間を縫《ぬ》う水の面《おもて》も、川幅の割りには広く見えない。ただ、帯ほどの澄んだ水が、雲母《きらら》のような雲の影《かげ》をたった一つ鍍金《めつき》しながら、ひっそりと蘆の中にうねっている。が、女はいまだに来ない。
尾生は水ぎわから歩をめぐらせて、今度は広くもない洲の上を、あちらこちらと歩きながら、おもむろに暮《ぼ》色《しよく》を加えて行く、あたりの静かさに耳を傾《かたむ》けた。
橋の上にはしばらくの間、行《こう》人《じん》の跡を絶ったのであろう。沓《くつ》の音も、蹄《ひづめ》の音も、あるいはまた車の音も、そこからはもう聞こえてこない。風の音、蘆《あし》の音、水の音、――それからどこかでけたたましく、蒼《あお》鷺《さぎ》の啼《な》く声がした。と思って立ち止まると、いつか潮《しお》がさし出したとみえて、黄《こう》泥《でい》を洗う水の色が、さっきよりは間近に光っている。が、女はいまだに来ない。
尾生は険しく眉《まゆ》をひそめながら、橋の下のうす暗い洲を、いよいよ足早に歩き始めた。そのうちに川の水は、一寸ずつ、一尺ずつ、しだいに洲の上へ上がってくる。同時にまた川から立ちのぼる藻《も》の匂《にお》いや水の匂いも、冷たく肌《はだ》にまつわり出した。見上げると、もう橋の上には鮮やかな入日の光が消えて、ただ、石の橋《きよう》欄《らん》ばかりが、ほのかに青んだ暮《く》れ方の空を、黒々と正しく切り抜《ぬ》いている。が、女はいまだに来ない。
尾生はとうとう立ちすくんだ。
川の水はもう沓《くつ》を濡《ぬ》らしながら、鋼鉄よりも冷やかな光をたたえて、漫《まん》々《まん》と橋の下に広がっている。すると、膝も、腹も、胸も、おそらくは頃《けい》刻《こく》を出ないうちに、この酷薄な満《まん》潮《ちよう》の水に隠《かく》されてしまうのに相《そう》違《い》あるまい。いや、そう言ううちにも水《にず》嵩《かさ》はますます高くなって、今ではとうとう両《りよう》脛《はぎ》さえも、川波の下に没してしまった。が、女はいまだに来ない。
尾生は水の中に立ったまま、まだ一《いち》縷《る》の望みをたよりに、何度も橋の空へ眼をやった。
腹を浸した水の上には、とうに蒼《そう》茫《ぼう》たる暮色が立ちこめて、遠《おち》近《こち》に茂《しげ》った蘆や柳《やなぎ》も、寂《さび》しい葉ずれの音ばかりを、ぼんやり靄《もや》の中から送ってくる。と、尾生の鼻をかすめて、鱸《すずき》らしい魚が一匹、ひらりと白い腹を翻《ひるがえ》した。その魚の躍《おど》った空にも、まばらながらもう星の光が見えて、蔦《つた》蘿《かずら》のからんだ橋《きよう》欄《らん》の形さえ、いち早い宵《よい》暗《やみ》の中に紛《まぎ》れている。が、女はいまだに来ない。……
――――――――――
夜半、月の光が一《いつ》川《せん》の蘆《あし》と柳とにあふれた時、川の水と微《び》風《ふう》とは静かにささやきかわしながら、橋の下の尾《び》生《せい》の死《し》骸《がい》を、やさしく海の方へ運んで行った。が、尾生の魂《たましい》は、寂《さび》しい天心の月の光に、思いあこがれたせいかもしれない。ひそかに死骸を抜《ぬ》け出すと、ほのかに明るんだ空の向こうへ、まるで水の匂《にお》いや藻《も》の匂いが音もなく川から立ちのぼるように、うらうらと高くのぼってしまった。……
それから幾《いく》千《せん》年《ねん》かを隔《へだ》てた後、この魂は無数の流《る》転《てん》を閲《けみ》して、また生を人《じん》間《かん》に託さなければならなくなった。それがこういう私に宿っている魂なのである。だから私は現代に生まれはしたが、なに一つ意味のある仕事ができない。昼も夜も漫《まん》然《ぜん》と夢みがちな生活を送りながら、ただ、何か来たるべき不可思議なものばかりを待っている。ちょうどあの尾生が薄《はく》暮《ぼ》の橋の下で、永久に来ない恋人をいつまでも待ち暮《く》らしたように。
(大正八年十二月)
入社《*》の辞
予《よ》は過去二年間、海軍機関学校で英語を教えた。この二年間は、予にとって、決して不快な二年間ではない。なぜと言えば予は従来、公務の余《よ》暇《か》をもって創作に従事し得る――あるいは創作の余暇をもって公務に従事し得る恩典に浴していたからである。
予の寡《か》聞《ぶん》をもってしても、甲教師は超《ちよう》 人《じん》 哲《てつ》 学《がく》の紹《しよう》介《かい》を試みたがために、文部当局の忌《き》諱《い》に触《ふ》れたとか聞いた。乙教師は恋愛問題の創作にふけったがために、陸軍当局の譴《けん》責《せき》をこうむったそうである。それらの諸先生に比べれば、従来予が官立学校教師として小説家を兼業することができたのは、確かに比類稀《まれ》なる御《お》上《かみ》のご待遇として、ありがたく感《かん》銘《めい》すべきものであろう。もっともこれは甲先生や乙先生が堂々たる本官教授だったのに反して、予は一《いつ》介《かい》の嘱《しよく》託《たく》教授にすぎなかったから、予の呼吸し得た自由の空気のごときも、実は海軍当局が予に厚かった結果というよりも、あるいは単に予の存在があれどもなきがごとくだったためかもしれない。が、そう解釈することは独《ひと》り礼を昨日の上官に失するばかりでなく、予に教師の口を世話してくれた諸先生に対してもはなはだお気の毒の至りだと思う。だから予はほかにさしつかえのないかぎり、まさに海軍当局の海のごとき大度量に感泣して、あの横《よこ》須《す》賀《か》工《こう》廠《しよう*》の恐るべき煤《ばい》煙《えん》を肺の底まで吸いこみながら、永久に「それは犬である《*》」の講釈を繰《く》り返して行ってもよかったのである。
が、不幸にして二年間の経験によれば、予は教育家として、ことに未来の海軍将校を陶《とう》鋳《ちゆう》すべき教育家として、いくらうぬぼれてみたところが、とうてい然《しか》るべき人物ではない。少なくとも現代日本の官許教育方針を丸薬のごとく服《ふく》膺《よう》できない点だけでも、明らかに即刻放《ほう》逐《ちく》されるべき不良教師である。もちろんこれだけの自覚があったにしても、一家眷《けん》属《ぞく》の口が乾《ひ》上《あ》がる惧《おそ》れがある以上、予は怪《あや》しげな語学の資本を運転させて、どこまでも教育家らしい店構えを張り続《つづ》ける覚悟でいた。いや、たとえ米《べい》塩《えん》の資に窮《きゆう》さないにしても、下手《へた》は下手なりに創作で押《お》して行こうという気が出なかったなら、予はいつまでも名《めい》誉《よ》ある海軍教授の看板を謹《つつし》んでぶらさげていたかもしれない。しかし現在の予は、すでに過去の予と違《ちが》って、全精力を創作に費やさないかぎり人生に対してもまた予自身に対しても、すまないような気がしているのである。それには単に時間の上から言っても、一週五日間、午前八時から午後三時まで機械のごとく学校に出頭しているわけに行くものではない。そこで予は遺《い》憾《かん》ながら、当局ならびに同《どう》僚《りよう》たる文武教官各位の愛《あい》顧《こ》にそむいて、とうとう大阪毎日新聞へ入社することになった。
新聞は予に人《ひと》並《な》みの給料をくれる。のみならず毎日出社すべき義務さえもしいようとはしない。これは官等の高下をも明らかにしない予にとって、白《はく》頭《とう》とともに勅《ちよく》任《にん》官《かん》を賜《たま》わるよりははるかに居心のいい位置である。この意味において、予は予自身のために心から予の入社を祝したいと思う。と同時にまたわが帝国海軍のためにも、予のごとき不良教師が部内に跡を絶ったことを同じく心から祝したいと思う。
昔の支《シ》那《ナ》人《じん》は「帰らなんいざ、田園将《まさ》に蕪《ぶ》せんとす」《*》とか謡《うた》った。予はまだそれほど道情を得た人間だとは思わない。が、昨の非を悔《く》い今の是《ぜ》を悟《さと》っている上から言えば、予もまた同じ帰《き》去《きよ》来《らい》の人である。春風はすでに予が草堂の簷《のき》を吹《ふ》いた。これから予も軽《けい》燕《えん》とともに、そろそろ征《せい》途《と》へのぼろうと思っている。
(大正八年三月)
東京小品
自分はむやみに書物ばかり積んである書《しよ》斎《さい》の中にうずくまって、寂《さび》しい春の松の内をはなはだだらしなく消光していた。本をひろげてみたり、いい加減な文章を書いてみたり、それにも飽《あ》きると出たらめな俳句を作ってみたり――要するにまあ太平の逸《いつ》民《みん》らしく、のんべんだらりと日を暮《く》らしていたのである。するとある日久しぶりに、よその奥《おく》さんが子供をつれて、年始かたがた遊びに来た。この奥さんは昔《むかし》から若くっていたいということを、口《くち》癖《ぐせ》のようにしている人だった。だからつれている女の子がもう五つになるというにもかかわらず、まだ娘《むすめ》の時分の美しさを昨日《きのう》のように保存していた。
その日自分の書斎には、梅《うめ》の花が活《い》けてあった。そこでわれわれは梅の話をした。が、千《ち》枝《え》ちゃんというその女の子は、この間じゅう書斎の額《がく》や掛《かけ》物《もの》を上《うわ》眼《め》でじろじろ眺《なが》めながら、退《たい》屈《くつ》そうに側《そば》に坐《すわ》っていた。
しばらくして自分は千枝ちゃんがかわいそうになったから、奥さんに「もうあっちへ行って、母《*》とでも話してお出でなさい」と言った。母なら奥さんと話しながら、しかも子供を退屈させないだけの手《しゆ》腕《わん》があると思ったからである。すると奥《おく》さんは懐《ふところ》から鏡を出して、それを千枝ちゃんに渡《わた》しながら「この子はこうやっておきさえすれば、決して退《たい》屈《くつ》しないんです」と言った。
なぜだろうと思って聞いてみると、この奥さんの良人《おつと》が逗《ず》子《し》の別荘に病を養っていた時分、奥さんは千枝ちゃんをつれて、一週間に二、三度ずつ東京逗子間を往復したが、千枝ちゃんは汽車の中でそのたびに退屈し切ってしまう。のみならず、その退屈を紛《まぎ》らしたい一心で、勝手な悪戯《いたずら》をしてしかたがない。現にある時はよそのご隠《いん》居《きよ》様《さま》をつかまえて「あなた、フランス語を知っていらっしゃる」などととんでもないことを尋《たず》ねたりした。そこで奥さんも絵本を渡したり、ハモニカをあてがったり、いろいろ退屈させない心配をしたが、とうとうしまいに懐《ふところ》 鏡《かがみ》を持たせておくと、意外にも道中おとなしく坐《すわ》っている事実を発見した。千枝ちゃんはその鏡を覗《のぞ》きこんで、白粉《おしろい》を直したり、髪を掻《か》いたり、あるいはまたわざと顔をしかめてみたり、鏡の中の自分を相手にして、いつまでも遊んでいるからである。
奥さんはこう鏡を渡した因《いん》縁《ねん》を説明して、「やっぱり子供ですわね。鏡さえ見ていれば、それでもう何も忘れていられるんですから」とつけ加えた。
自分は刹《せつ》那《な》の間、この奥さんに軽い悪意を働かせた。そうして思わず笑いながら、こんなことを言ってひやかした。
「あなただって鏡さえ見ていれば、それでもう何も忘れていられるんじゃありませんか。千枝ちゃんと違《ちが》うのは、退屈なのが汽車の中と世の中だけの差別ですよ」
下《げ》足《そく》札《ふだ》
これもある松の内のことである。Hという若いアメリカ人が自分の家へ遊びに来て、いきなりポケットから下足札を一枚出すと、「なんだかわかるか」と自分に問いかけた。下足札はまだ木の匂《にお》いがするほど新しい板の面《おもて》に、俗《ぞく》悪《あく》な太い字で「雪の十七番」と書いてある。自分はその書体を見ると、なぜか両《りよう》国《ごく》の橋の袂《たもと》へ店を出している甘酒屋の赤い荷を思い出した。が、もとより「雪の十七番」の因《いん》縁《ねん》なぞは心得ているはずがなかった。だからこの蒟《こん》蒻《にやく》問《もん》答《どう》の雲《うん》水《すい》めいた相手の顔を眺めながら、「わからないよ」と簡単な返事をした。するとHは鼻《はな》眼鏡《めがね》の後ろから妙《みよう》な瞬《またた》きを一つ送りながら、急ににやにや笑い出して、
「これはね。ある芸者の記念品《スヴニイル》なんだ」
「へへえ、記念品にしちゃまた、妙なものをもらったもんだな」
自分たちの間には、正月の膳《ぜん》が並《なら》んでいた。Hはちょいと顔をしかめながら、屠《と》蘇《そ》の盃《さかずき》に口をあてて、それから吸物の椀《わん》を持ったまま、〓《び》々《び》としてその下足札の因《いん》縁《ねん》を弁じ出した。――
なんでもそれによると、Hの教師をしている学校が昨日赤《あか》坂《さか》のあるお茶屋で新年会を催《もよお》したのだそうである。日本に来て間もないHは、まだ芸者に愛《あい》嬌《きよう》を売るだけの修業も積んでいなかったから、ただ出てくる料理を片っぱしから平らげて、差される猪《ちゆ》口《く》を片っばしから飲み干していた。するとそこにいた十人ばかりの芸者の中に、始終彼の方へ秋《しゆう》波《は》を送る女が一人あった。日本の女は踝《くるぶし》から下を除いてことごとく美しいというHのことだから、もちろんこの芸者も彼の眼には美人として映じたのに相《そう》違《い》ない。そこで彼も牛飲馬食するかたわらには時々そっとその女の方を眺《なが》めていた。
しかし日本語の通じないHにも、日本酒は遠《えん》慮《りよ》なく作用する。彼は一時間ばかりたつうちに、文字どおり泥《でい》酔《すい》した。その結果、ほとんど座に堪《た》えられなくなったから、ふらふらする足を踏《ふ》みしめてそっと障子の外へ出た。外には閑《かん》静《せい》な中庭が石《いし》灯《どう》籠《ろう》に火を入れて、ひっそりと竹の暗をつくっている。Hは朦《もう》朧《ろう》たる酔眼にこの景《け》色《しき》を眺めると、いかにも日本らしいいい心もちに浸ることができた。が、この日本情調が彼のエキゾティシズムを満足させたのは、ほん一《いち》瞬《しゆん》間《かん》のことだったらしい。なぜと言うと彼が廊下へ出るか出ないのに、後を追ってするすると裾《すそ》を引いて来た芸者の一人が突《とつ》然《ぜん》彼の頸《くび》へ抱《だ》きついたからである。そうして彼の酒《さけ》臭《くさ》い脣《くちびる》へ潔《いさぎよ》い接《せつ》吻《ぷん》をした。もちろんそれはさっきから、彼に秋《しゆう》波《は》を送っている芸者だった。彼は大いにうれしかったから、両手でしっかりその芸者を抱《だ》いた。
ここまでは万事がすこぶる理想的に発展したが、遺《い》憾《かん》ながら抱くと同時に、急に胸がむかついてきて、Hはそのままその廊下へはなはだ尾《び》籠《ろう》ながら嘔《へ》吐《ど》を吐《は》いてしまった。しかしその瞬間に彼の鼓《こ》膜《まく》は「私はX子というのよ。今度お独《ひと》りでいらしった時、呼んでちょうだい」と言う宛《えん》転《てん》たる嬌声を捕《と》えることができた。そうしてそれを耳にするとともに、彼はあたかも天使の楽《がく》声《せい》を聞いた聖徒《セエント》のように昏《こん》々《こん》として意識を失ってしまったのである。
Hは翌日の午前十時ごろになって、やっと正《しよう》気《き》に返ることができた。彼はそのお茶屋の一室で厚い絹布の夜具に包まれて、横になっている彼自身を見出した時、すべてがあたかも一世紀以前の出来事のごとく感ぜられた。が、その中でも自分に接《せつ》吻《ぷん》した芸者の姿ばかりは歴々として眼底に浮《う》かんできた。今夜にもここへ来て、あの芸者に口をかけたら、きっと何を措《お》いても飛んでくるのに違《ちが》いない。彼はそう思って、勢いよく床の中から躍《おど》り出た。が、酒に洗われた彼の頭脳には、どうしてもその芸者の名が浮かんでこない。名前もわからない芸者に口がかけられないのは、まだ日本の土を踏《ふ》んで間もない彼といえども明白である。彼は床《ゆか》の上に坐《すわ》ったまま、着《き》換《が》えをする元気も失って、悵《ちよう》然《ぜん》といたずらに長い手足を見《み》廻《まわ》した。――
「だから、その晩の下足札を一枚もらってきたんだ。これだってあの芸者の記念品《スヴニイル》にゃ違いない」
Hはこう言って、吸《すい》物《もの》椀《わん》を下に置くと、松の内にも似合わしくない、寂《さび》しそうな顔をしながら、仔《し》細《さい》らしく鼻眼鏡をかけ直した。
漱《そう》石《せき》山《さん》房《ぼう*》の秋
夜《よ》寒《さむ》の細い往来を爪《つま》先《さき》上がりに上がって行くと、古ぼけた板屋根の門の前へ出る。門には電灯がともっているが、柱に掲《かか》げた標札のごときは、ほとんど有《う》無《む》さえも判然しない。門をくぐると砂《じや》利《り》が敷《し》いてあって、そのまた砂利の上には庭樹の落ち葉が紛《ふん》々《ぷん》として乱れている。
砂利と落ち葉とを踏《ふ》んで玄《げん》関《かん》へ来ると、これもまた古ぼけた格《こう》子《し》戸《ど》のほかは、壁《かべ》と言わず壁板《したみ》と言わず、ことごとく蔦《つた》に蔽《おお》われている。だから案内を請《こ》おうと思ったら、まずその蔦の枯《か》れ葉をがさつかせて、呼鈴《ベル》のボタンを探《さが》さねばならぬ。それでもやっと呼鈴を押《お》すと、明かりのさしている障子が開いて、束《そく》髪《はつ》に結った女中が一人、すぐに格《こう》子《し》戸《ど》の掛《か》け金をはずしてくれる。玄関の東側には廊下があり、その廊下の欄《らん》干《かん》の外には、冬を知らない木賊《とくさ》の色が一面に庭を埋《うず》めているが、客間のガラス戸を洩《も》れる電灯の光も、今はそこまでは照らしていない。いや、その光がさしているだけに、向こうの軒《のき》先《さき》につるした風《ふう》鐸《たく》の影《かげ》も、かえって濃《こ》くなった宵《よい》闇《いやみ》の中に隠《かく》されているくらいである。
ガラス戸から客間を覗《のぞ》いてみると、雨《あま》漏《も》りの痕《あと》と鼠《ねずみ》の食った穴とが、白い紙張りの天井に斑《はん》々《ぱん》とまだ残っている。が、十畳《じよう》の座《ざ》敷《しき》には、赤い五《ご》羽《わ》鶴《づる》の毯《たん》が敷いてあるから、畳《たたみ》の古びだけは分《ぶん》明《みよう》でない。この客間の西側(玄関寄り)には、更《さら》紗《さ》の唐《から》紙《かみ》が二枚あって、その一枚の上に古色を帯びた壁《かべ》懸《か》けが一つ下がっている。麻《あさ》の地に黄色に百《ゆ》合《り》のような花をぬいとったのは、津《つ》田《だ》青《せい》楓《ふう*》氏か何かの図案らしい。この唐紙の左右の壁《かべ》ぎわには、あまり上等でないガラス戸の本箱があって、その何段かの棚《たな》の上にはぎっしり洋書が詰まっている。それから廊下に接した南側には、殺風景な鉄格子の西洋窓の前に大きな紫《し》檀《たん》の机をすえて、その上に硯《すずり》や筆立てが、紙《し》絹《けん》の類や法《ほう》帖《じよう》といっしょに、存外行《ぎよう》儀《ぎ》よく並《なら》べてある。その窓を剰《あま》した南側の壁と向こうの北側の壁とには、ほとんど軸《じく》のかかっていなかったことがない。蔵《ぞう》沢《たく*》の墨《ぼく》竹《ちく》が黄《こう》興《こう*》の「文《ぶん》 章《しよう》 千《せん》 古《この》 事《こと》」と挨《あい》拶《さつ》をしていることもある。木《もく》庵《あん*》の「花《はな》 開《ひらく》 万《ばん》 国《こくの》 春《はる》」が呉《ご》昌《しよう》蹟《せき*》の木《もく》蓮《れん》と鉢《はち》合《あ》わせをしていることもある。が、客間を飾《かざ》っている書画は独りこれらの軸ばかりではない。西側の壁には安《やす》井《い》曾《そう》太《た》郎《ろう》氏の油絵の風景画が、東側の壁には斎《さい》藤《とう》与《よ》里《り》氏の油絵の艸《くさ》花《ばな》が、そうしてまた北側の壁には明《めい》月《げつ》禅《ぜん》師《じ》の無《む》絃《げん》琴《きん》という艸《そう》書《しよ》の横物が、いずれも額になってかかっている。その額の下や軸の前に、あるいは銅《どう》瓶《へい》に梅もどきが、あるいは青《せい》磁《じ》に菊の花がその時々で投げこんであるのは、むろん奥《おく》さんの風流に相《そう》違《い》あるまい。
もし先客がなかったなら、この客間を覗《のぞ》いた眼をさらに次の間へ転じなければならぬ。次のと言っても客間の東側には、唐《から》紙《かみ》もなにもないのだから、実は一つ座《ざ》敷《しき》も同じことである。ただここは板敷で、中央に拡《ひろ》げた方《ほう》一《いつ》間《けん》あまりの古《ふる》絨《じゆう》毯《たん》のほかには、一枚の畳《たたみ》も敷いてはない。そうして東と北と二方の壁《かべ》には、新古和漢洋の書物を詰めた、むやみに大きな書《しよ》棚《だな》が並《なら》んでいる。書物はそれでも詰まり切らないのか、じかに下の床《ゆか》の上へ積んである数も少なくない。その上やはり南側の窓ぎわに置いた机の上にも、軸《じく》だの法《ほう》帖《じよう》だの画集だのが雑然と堆《うずたか》く盛《も》り上がっている。だから中央に敷いた古絨毯も、四方に並べてある書物のおかげで、派手なるべき赤い色がわずかばかりしか見えていない。しかもそのまん中には小さな紫《し》檀《たん》の机があって、そのまた机の向こうには座《ざ》蒲《ぶ》団《とん》が二枚重ねてある。銅印が一つ、石印が二つ三つ、ペン皿《ざら》に代えた竹の茶《ちや》箕《き》、その中の万年筆、それから玉《ぎよく》の文《ぶん》鎮《ちん》を置いた一《ひと》綴《つづ》りの原稿用紙――机の上にはこのほかに老眼鏡が載《の》せてあることも珍《めずら》しくない。その真上には電灯が煌《こう》々《こう》と光を放っている。かたわらには瀬《せ》戸《と》火《ひ》鉢《ばち》の鉄《てつ》瓶《びん》が虫の啼《な》くように沸《たぎ》っている。もし夜《よ》寒《さむ》がはなはだしければ、少し離《はな》れた瓦斯《ガス》暖《だん》炉《ろ》にも赤々と火が動いている。そうしてその机の後ろ、二枚重ねた座《ざ》蒲《ぶと》団《ん》の上には、どこか獅《し》子《し》を想《おも》わせる、背の低い半白の老人が、あるいは手紙の筆を走らせたり、あるいは唐本の詩集を翻《ひるがえ》したりしながら、端《たん》然《ぜん》と独《ひと》り坐っている。……
漱《そう》石《せき》山《さん》房《ぼう》の秋の夜は、こういう蕭《しゆう》条《じよう》たるものであった。
芸術その他
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芸術家はなによりも作品の完成を期せねばならぬ。さもなければ、芸術に奉《ほう》仕《し》することが無意味になってしまうだろう。たとい人道的感《かん》激《げき》にしても、それだけを求めるなら、単に説教を聞くことからも得られるはずだ。芸術に奉仕する以上、僕らの作品の与えるものは、なによりもまず芸術的感激でなければならぬ。それにはただ僕らが作品の完成を期するよりほかに途《みち》はないのだ。
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芸術のための芸術は、一歩を転ずれば芸術遊《ゆう》戯《ぎ》説に堕《お》ちる。
人生のための芸術は、一歩を転ずれば芸術功利説に堕《お》ちる。
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完成とは読んでそつのない作品をこしらえることではない。分化発達した芸術上の理想のそれぞれを完全に実現させることだ。それがいつもできなければ、その芸術家は恥《は》じなければならぬ。したがってまた偉大なる芸術家とは、この完成の領域が最も大規模な芸術家なのだ。一例を挙げればゲエテのごとき。
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もちろん人間は自然の与えた能力上の制限を越《こ》えることはできぬ。そうかと言って怠《なま》けていれば、その制限の所在さえ知らずにしまう。だから皆《みな》ゲエテになる気で、精《しよう》進《じん》することが必要なのだ。そんなことをきまり悪がっていては、何年たってもゲエテの家の馭《ぎよ》者《しや》にだってなれはせぬ。もっともこれからゲエテになりますと吹《ふい》聴《ちよう》して歩く必要はないが。
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僕らが芸術的完成の途《みち》へ向かおうとする時、なにか僕らの精《しよう》進《じん》を妨げるものがある。偸《とう》安《あん》の念か。いや、そんなものではない。それはもっと不思議な性質のものだ。ちょうど山へ登る人が高く登るのに従って、妙《みよう》に雲の下にある麓《ふもと》が懐《なつ》かしくなるようなものだ。こう言って通じなければ――その人はついに僕にとって、縁《えん》なき衆《しゆ》生《じよう》だというほかはない。
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樹《き》の枝《えだ》にいる一匹の毛虫は、気温、天候、鳥類等の敵のために、絶えず生命の危険に迫《せま》られている。芸術家もその生命を保って行くために、この毛虫のとおりの危険をしのがなければならぬ。なかんずく恐《おそ》るべきものは停《てい》滞《たい》だ。いや、芸術の境《きよう》に停滞ということはない。進歩しなければ必ず退歩するのだ。芸術家が退歩する時、常に一種の自動作用が始まる。という意味は、同じような作品ばかり書くことだ。自動作用が始まったら、それは芸術家としての死に瀕《ひん》したものと思わなければならぬ。僕自身「竜《りゆう》」《*》を書いた時は、明らかにこの種の死に瀕していた。
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より正しい芸術観を持っているものが、必ずしもよりよい作品を書くとは限っていない。そう考える時、寂《さび》しい気がするものは、独《ひと》り僕だけだろうか。僕だけでないことを祈る。
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内容が本《もと》で形式は末《すえ》だ。――そういう説が流行している。が、それはほんとうらしい嘘だ。作品の内容とは、必然に形式と一つになった内容だ。まず内容があって、形式は後からこしらえるものだと思うものがあったら、それは創作の真《しん》諦《てい》に盲目なものの言なのだ。簡単な例をとってみてもわかる。「幽霊」《*》の中のオスワルドが「太陽がほしい」ということは、誰《だれ》でもたいてい知っているに違《ちが》いない。あの「太陽がほしい」という言葉の内容はなんだ。かって坪《つぼ》内《うち》博《はか》士《せ》が「幽霊」の解説の中に、あれを「暗い」と訳したことがある。もちろん「太陽がほしい」と「暗い」とは、理《り》窟《くつ》の上では同じかもしれぬ。が、その言葉の内容の上では、真に相隔つこと白雲万里だ。あの「太陽がほしい」という荘厳な言葉の内容は、ただ「太陽がほしい」という形式よりほかに現わせないのだ。その内容と形式との一つになった全体を的確にとらえ得たところが、イブセンの偉いところなのだ。エチェガレイ《*》が「ドン・ホアンの子」《*》の序文で、激《げき》賞《しよう》しているのも不思議ではない。あの言葉の内容とあの言葉の中にある抽《ちよう》象《しよう》的《てき》な意味とを混同すると、そこから誤った内容偏重論が出てくるのだ。内容を手ぎわよくこしらえ上げたものが形式ではない。形式は内容の中にあるのだ。あるいはそのヴァイス・ヴァサ《*》だ。この微《び》妙《みよう》な関係をのみこまない人には、永久に芸術は閉ざされた本にすぎないだろう。
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芸術は表現に始まって表現に終わる。画《え》を描《か》かない画家、詩を作らない詩人、などという言葉は、比《ひ》喩《ゆ》として以外にはなんらの意味もない言葉だ。それは白くない白《はく》墨《ぼく》というよりも、もっと愚《ぐ》な言葉と思わなければならぬ。
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しかし誤った形式偏重論を奉《ほう》ずるものも災いだ。おそらくは誤った内容偏重論を奉ずるものより、実際的にはさらに災いに違《ちが》いあるまい。後者は少なくも星の代わりに隕《いん》石《せき》を与える。前者は蛍《ほたる》を見ても星だと思うだろう。素質、教育、その他の点から、僕が常に戒《かい》心《しん》するのは、この誤った形式偏重論者の喝《かつ》采《さい》などに浮かされないことだ。
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偉大なる芸術家の作品を心読できた時、僕らはしばしばその偉大な力に圧《あつ》倒《とう》されて、爾《じ》余《よ》の作家はことごとくあれどもなきがごとく見えてしまう。ちょうど太陽を見ていたものが、眼をほかへ転ずると、周囲がうす暗く見えるようなものだ。僕は始めて「戦争と平和」を読んだ時、どんなにほかのロシアの作家を軽《けい》蔑《べつ》したかわからない。がこれは正しくないことだ。僕らは太陽のほかに、月も星もあることを知らなければならぬ。ゲエテはミケル・アンジェロの「最後の審《しん》判《ぱん》」に嘆《たん》服《ぷく》した時も、ヴァティカンのラファエルを軽蔑するのに躊《ちゆう》躇《ちよ》するだけの余《よ》裕《ゆう》があった。
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芸術家は非《ひ》凡《ぼん》な作品を作るために、魂《たましい》を悪《あく》魔《ま》へ売り渡《わた》すことも、時と場合ではやり兼ねない。これはもちろん僕もやり兼ねないという意味だ。僕より造《ぞう》作《さ》なくやりそうな人もいるが。
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日本へ来たメフィストフェレスが言う。「どんな作品でも、悪《わる》口《くち》を言って言えないという作品はない。賢《けん》明《めい》な批評家のなすべきことは、ただその悪口が一般に承認されそうな機会をとらえることだ。そうしてその機会を利用して、その作家の前《ぜん》途《と》まで巧《たく》みに呪《のろ》ってしまうことだ。こういう呪いは二重に利《き》き目がある。世間に対しても。その作家自身に対しても」
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芸術がわかるわからないは、言《げん》詮《せん》を絶したところにあるのだ。水の冷暖は飲んで自知するほかはないと言う。芸術がわかるのもこれと違いはない。美学の本さえ読めば批評家になれると思うのは、旅行案内さえ読めば日本じゅうどこへ行っても迷わないと思うようなものだ。それでも世間は瞞《まん》着《ちやく》されるかもしれぬ。が、芸術家は――いやおそらくは世間もサンタヤアナ《*》だけでは――。
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僕は芸術上のあらゆる反抗の精神に同情する。たといそれが時として、僕自身に対するものであっても。
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芸術活動はどんな天才でも、意識的なものなのだ。という意味は、倪《げい》雲《うん》林《りん*》が石《せき》上《じよう》の松を描く時に、その松の枝《えだ》をことごとく途《と》方《ほう》もなく一方へ伸ばしたとする。その時その松の枝を伸ばしたことが、どうしてある効果を画面に与えるか、それは雲林も知っていたかどうかわからない。が、伸ばしたためにある効果が生ずることは、百も承知していたのだ。もし承知していなかったとしたら、雲林は天才でもなんでもない。ただ、一種の自働偶《ぐう》人《じん》なのだ。
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無意識的芸術活動とは、燕《つばめ》の子安貝《*》の異《い》名《みよう》にすぎぬ。だからこそロダンはアンスピラシオン《*》を軽《けい》蔑《べつ》したのだ。
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昔《むかし》セザンヌは、ドラクロアがいい加減な所に花を描いたという批評を聞いて、むきになって反対したことがある。セザンヌはただ、ドラクロアを語るつもりだったかもしれぬ。が、その反対の中にはセザンヌ自身の面《めん》目《もく》が、明々白地にあらわれている。芸術的感《かん》激《げき》をもたらすべきある必然の方則をとらえるためなら、白《はく》汗《かん》百回するのも辞せなかった、あの恐《おそ》るべきセザンヌの面目が。
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この必然の方則を活用することが、すなわち謂《い》うところの技《ぎ》巧《こう》なのだ。だから技巧を軽蔑するものは、始めから芸術がわからないか、さもなければ技巧という言葉を悪い意味に使っているか、この二者のほかに出でぬと思う。悪い意味に使っておいて、いかんいかんと威《い》張《ば》っているのは、菜食を吝《りん》嗇《しよく》の別名だと思って、天下の菜食論者をことごとくしみったれ呼ばわりするのと同じことだ。そんな軽蔑が何になる。すべて芸術家はいやが上にも技巧をみがくべきものだ。前の倪《げい》雲《うん》林《りん》の例で言えは、ある効果を生ずるために松の枝を一方に伸《の》ばすというこつをいやが上にものみこむべきものだ。霊《れい》魂《こん》で書く。生命で書く。――そういう金《こん》箔《ぱく》ばかりけばけばしい言葉は、中学生にのみ向かって説教するがいい。
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単純さは尊い。が、芸術における単純さというものは、複雑さの極《きわ》まった単純さなのだ。〆《しめ》木《ぎ》をかけた上にも〆木をかけて、絞《しぼ》りぬいた上の単純さなのだ。その単純さを得るまでには、どのくらい創作的苦労を積まなければならないか、この局所に気のつかないものは、六十劫《ごう》の流《る》転《てん》を閲《けみ》しても、まだ子供のように喃《なん》々《なん》としゃべりながら、デモステネス《*》以上の雄弁だとうぬぼれるだろう。そんな手軽な単純さよりも、むしろ複雑なもののほうが、どのくらいほんとうの単純さに近いかしれないのだ。
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危険なのは技巧ではない。技巧を駆《く》使《し》する小《こ》器《ぎ》用《よう》さなのだ。小器用さは真《ま》面《じ》目《め》さの足りないところをごまかしやすい。お恥《は》ずかしいが僕の悪作の中にはそういう器用さだけの作品も交じっている。これはおそらくいかなる僕の敵といえども、喜んで認める真理だろう。だが――
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僕の安住したがる性質は、上品に納まり返っているとそのまま僕を風流の魔《ま》子《し》に堕《だ》落《らく》させる惧《おそ》れがある。この性質が吹《ふ》き切らないかぎり、僕は人にも僕自身にも僕の信ずるところをはっきりさせて、自他に対する意地ずくからも、殻《から》のできることをふせがねばならぬ。僕がこんな饒《じよう》舌《ぜつ》を弄《ろう》する気になったのもそのためだ。おいおい僕も一《いつ》生《しよう》懸《けん》命《めい》にならないと、浮《う》かばれない時が近づくらしい。
(大正八年十月八日)
我《が》鬼《き》窟《くつ*》日録
五月二十五日 晴
今《いま》村《むら》隆《たかし*》氏菊池の本《*》の装《そう》幀《てい》の見本を持ってくる。出来思わしからず。装幀なぞ引き受けなければよかったと思う。午後塚《つか》本《もと》八洲《やしま*》来たる。一高の入学試験を受ける由。
五月二十六日 陰《くもり》晴《はれ》定まらず
手水《ちようず》鉢《ばち》の上の椎《しい》の樹《き》、今年はむやみに花をつける。今朝手を洗いながら、その匂《にお》いの濃《こ》いのに驚《おどろ》かされた。小説《*》いっこうはかどらず。新聞で菊池の「雑感三則」《*》を読む。同感なり。午後谷崎潤一郎来たる。赤いタイをしていた。夕方いっしょに菊池を訪う。留《る》守《す》なり。ミカドにて夕飯、それから神田の古本屋を門《かど》並《な》みひやかす。神《じん》保《ぼう》町《ちよう》のカフエへはいったら、給仕女が谷崎のタイを褒《ほ》めた。白《はく》山《さん》まで歩いて分かれる。帰ったら十二時半。
五月二十八日 晴
午後南部修太郎来たる。T子《*》の写真を貸してやる。夕万いっしょに鉢《はち》の木で飯を食う。それから菊池のところへ行く。後から小島政二郎来たる。菊池剃刀《かみそり》負けがして繃《ほう》帯《たい》を頭から顋《あご》へ巻いている事、クリスマス・キャロルへ出る幽《ゆう》霊《れい》のごとし。帰りに牡《ぼ》丹《たん》を買う。
五月二十九日 晴
今日よりトオデ《*》のミケルアンジェロを読み出す。午後社《*》に行き、松内《*》氏と文《ぶん》芸《げい》欄《らん》の打ち合わせをなす。ついでにロイテルへ行きジョオンズ《*》を尋《たず》ねたが留守なり。受付の男東洋軒にいられるかもしれませんと言う。新橋駅の東洋軒へ行く。二階の窓から見ると、駅前の甘《あま》栗《ぐり》屋《や》が目の下に見えて、赤い提《ちよう》灯《ちん》と栗をかきまぜる男とがはなはだ風流だった。食後白山の窪《くぼ》川《かわ*》へ行き、俳書五、六冊購《あがな》う。夜《よ》月評を書き出す。
五月三十日 晴
午後畑耕一、菊池寛来たる。夕方谷崎潤一郎来たる。皆《みな》の帰ったのは九時なり。今日猫をもらう。
五月三十一日
客を謝して小説を書く。第一回から改めて出直す。午《ひる》すぎはトオデ。夕方ミカドのホイットマン百年祭に行く。始めて有《あり》島《しま》武《たけ》郎《お》氏、与《よ》謝《さ》野《の》鉄《てつ》幹《かん》氏夫妻に会う。斎《さい》藤《とう》勇《たけし》氏と有島氏とホイットマンの詩を朗読す。列席の諸君子わかったような顔をして聞いていれど、大半はわからないのに相《そう》違《い》なし。もちろんボクにもわからず。食卓演説《テエブルスピイチ》をなす。生まれて二度目なり。帰《き》途《と》室《むろ》生《う》犀《さい》星《せい》、多田不二《*》の両氏といっしょに帰る。雷《らい》雨《う》大いに催《もよお》す。
六月一日 晴
朝室生犀星来たる。「愛の詩集」第二をもらう。長崎で買ったオランダの茶《ちや》碗《わん》を見せると本物だろうと言う。午後野口功造《*》、来たる。柳《やなぎ》橋《ばし》でご馳《ち》走《そう》になる。お嬢《じよう》様《さま》のような芸者を見て、はなはだ敬意を生じた。昔《むかし》の芸者の質素なりし話、やきもちの話、松《まつ》の鮨《すし》の話。
六月二日 晴
西村熊雄《*》氏より来《らい》翰《かん》、「猿《さる》」《*》を英訳して発表したいがよいかと言ってくる。いいと答える。前に「貉《むじな》」《*》の英訳あり。今また「猿」の英訳成る。ボクの小説の英訳せられるためには、獣《けもの》の名を題とせざるべからざるに似たり。午ごろ中根《*》氏来たる。「羅《ら》生《しよう》門《もん》」の表紙、扉《とびら》等を見せる。里見〓《とん》の土蔵の話。○○大将《*》全国を騎《き》馬《ば》旅行し、大いに青年の志気を鼓《こ》舞《ぶ》するかたわら、女中に子を産ませる由、敬服しごく。午後弟《*》と浅草へ活動写真を見に行く。見ながら活動写真論を考える。写真――現実――仮感――芸術。
六月五日 雨後晴
午後菊池来たる。いっしょに中戸川《*》のところへ行く。夕飯後小柳へ伯《はく》山《ざん》を聞きに行く。伯山の芸なるもの、派手すぎて蒼《そう》頸《けい》の趣なし。菊池大いに伯山を弁護す。
六月六日 晴
月評今日でおしまい。夕方久《く》米《め》のところへ行く。湯《ゆ》河《が》原《わら》より帰り立てなり。山本有三と落ち合う。久しぶりなり。今日華氏八十四度、庭の土にある日《につ》色《しよく》、すでに盛夏のごとし。
六月七日 陰《くもり》
朝滝《たき》田《た》樗《ちよ》陰《いん*》君大きな書画帳を二冊かつぎこみ、句と歌とを書かせる。字も句も歌もものにならず。午後木《き》村《むら》幹《かん*》来たる。いっしょに平《ひら》塚《つか》雷《らい》鳥《ちよう》さんを訪い、ついでに「叔《お》父《じ》ワニヤ」の稽《けい》古《こ》を見る。画室の中にはおおぜいの男女。戸口の外には新緑の庭。隅《すみ》の椅《い》子《す》に腰《こし》を掛けて見ていると、いい加減の芝居よりおもしろい。「大観」大《おお》隈《くま》侯の名で茶《さ》話《わ》会《かい》に招《しよう》待《だい》する。断わる。
六月八日 陰《くもり》
午後高等工業学校の中《まか》原《はら》虎《とら》男《お》氏来たる。俳談を少々やる。しまいに例の講演を頼《たの》まれ、トウトウ承《しよう》諾《だく》す。午後赤《あか》木《ぎ》桁《こう》平《へい》、小島政二郎、富《とみ》田《た》砕《さい》花《か*》、室《むろ》賀《が》文《ふみ》武《たけ*》の諸氏来たる。桁平先生例のごとく気《き》焔《えん》万《ばん》丈《じよう》なり。先生常にその卓《たく》励《れい》風《ふう》発《はつ》をもって僕と相当たると做《な》す。あにあえて当たらんや。富田氏に「草の葉」の翻《ほん》訳《やく》をもらう。皆十時ごろ帰る。今夜牡《ぼ》丹《たん》ことごとく散ってしまう。下女散った花《はな》片《びら》を掃《は》こうとする。そのままにしておけと言う。
六月九日 陰《くもり》後《のち》雨《あめ》
大阪より原稿催《さい》促《そく》の電報来たる。モウ送ッタと返電する。午後木村幹来たる。いっしょに谷崎の家へ行く。久米、中戸川、今東光の三人が来ていた。夕方雨の中を谷崎、久米、木村と四人づれで烏《からす》森《もり》の古《こ》今《こん》亭《てい》へ飯を食いに行く。谷崎例のごとくよく食う。久米食前に飲む薬を忘れ、手をつかねてわれわれの食うのを見ている。夜タキシで谷崎のところまで行き、それからまた俥《くるま》で帰る。谷崎の説によれば、香《こう》水《すい》をたくさん集めて、匂《にお》いを嗅《か》ぎ分けようとしたら、判然しないばかりか頭痛がしてきた由。日本や支《シ》那《ナ》の香の事も調べてみたらおもしろかろう。
六月十日 雨
頭の調子非常によし。イバネス《*》の長篇卒業。夕方八《はつ》田《た》先生《*》を訪う。留《る》守《す》なり。十《とお》日《か》会《かい》行く。始めてなり。岩《いわ》野《の》泡《ほう》鳴《めい*》氏と一元描写論をやる。それから室生犀星の「愛の詩集」の会へ顔を出す。もう会が散じたところで、北原白秋氏らと平民食堂百《ひやく》万《まん》石《ごく》へ行く。白秋酔って小笠原島の歌をうたう。帰りに夏帽子を買った。このごろ夜往来を歩くと、若葉の匂《にお》い、花の匂い、苔《こけ》の匂い、樹の肌《はだ》の匂いなとが盛んにする。その中で銭湯の匂いなどがすると、急に人間臭い気がして不愉快になる。
六月十四日 雨
午後成瀬来たる。いっしょに晩飯を食う。口オランいわく、芸術の窮《きわ》まる所無限の静なり。
プウサンを見よ。ミシェルアンジュのごときは未だしと。またいわく年長じていよいよゲエテの大を知ると。いずれもしごくごもっともなり。九時ごろ成瀬帰る。
六月十五日 陰《くもり》
午前お客四人。夜滝《たき》井《い》折《せつ》柴《さい》が来てまた俳論を闘《たたか》わせる。海紅句集を一冊くれる。細君の歯痛いまだ癒《い》えず。大いに歯医者を軽《けい》蔑《べつ》していた。細君のこの態度ははなはだ月評家の態度に似ている。
六月十六日 陰《くもり》後《のち》雨《あめ》
夜成瀬と有楽座へ「叔父ワニヤ」を見に行く。玄関で岩《いわ》淵《ぶち》の奥さんに遇《あ》った。ワニヤは戯曲国小説郡の産物なり。二幕目四幕目ことに感服した。ただし見物の諸先生存外冷静なり。僕と感服を同じくしたのは、ただ久保田万太郎氏のみ。幕合いに廊下を歩いていると、妙に戯曲が書いてみたくなる。はねてから成瀬、岡《*》その他の諸氏と牛肉を食う。
六月十七日 陰《くもり》
今日トオデ一冊だけ卒業。夕方久米の風見舞に行く。関《せき》根《ね》正《しよう》二《じ*》氏葬式に出かけた由にて、留守なり。しばらくの後黒《くろ》絽《ろ》の紋付で、大いに男ぶりをあげながら帰ってくる。関根は死ぬまで画《え》を書く真《ま》似《ね》をしていたという。今宗教画のような物が大半できているという。病気は風《か》邪《ぜ》だったという。二十一くらいで死んだのじゃ、死に切れない。関根に君の体は強そうだなと言った事を思い出す。あの時はたしか、一週間くらいは徹《てつ》夜《や》しても平気だという答えがあった。関根が死んでボクが生きているのは偶《ぐう》然《ぜん》もはなはだしい気がする。夜うちへ帰ったら、留守に土《つち》田《だ》善《ぜん》章《しよう》君がピアストロの音楽会の切《きつ》符《ぷ》を届けてくれた。
六月十八日 雨
姉、弟、細君、「ワニヤ」見物。紫陽花《あじさい》をたくさん剪《き》って瓶《びん》にさす。橋場のどこかの別荘に紫陽花がたくさん咲《さ》いていたのを思い出す。丸善より本来たる。コンラッド二、ジョイス二。
六月二十日 陰《くもり》
朝香《か》取《とり》先生《*》のところへ行く。雲《うん》坪《ぺい》の話、奈良の大仏の話、左《さ》千《ち》夫《お》の話。帰ると今《いま》村《むら》隆《たかし》氏が来て「バルタザアル」を新小説にくれと言う。しかたなく承知する。また大阪から電報で原稿の催促あり。
六月二十一日 晴
夜折《せつ》柴《さい》来たる。忙しいから玄関で帰ってもらう。折柴「我等の句境」をくれる。いろいろもらってばかりいて恐縮なり。
六月二十二日 雨
午《ひる》から「赤い鳥」《*》の音楽会へ行く。沢《さわ》木《ぎ》梢《こずえ*》、井《い》汲《くみ》清《きよ》治《はる*》諸氏に会う。オオケストラの連中練習足らず。はなはだ危うげなり。三《み》重《え》吉《きち》氏「赤い鳥」の羽根を胸にさして得意になっている。もっとも紅茶と菓子とをわれわれにご馳《ち》走《そう》してくれたから、あのくらい得意になってもさしつかえない。風《ふう》月《げつ》で夕飯、慶応へ行き、ピアストロ、ミロウィッチ両氏の演奏を聞く。休憩時間南部《*》と外へ出て煙草《たばこ》をのむ。安《あ》倍《べ》能《よし》成《しげ》氏に遇《あ》う。能成氏ミロウィッチの公衆を眼中におかないところが偉いと言って褒《ほ》める。
六月二十三日 晴《はれ》後《のち》陰《くもり》
先考百か日なり、ただし寺へは行かず。芝の家《*》にて夕飯。帰りに竜《りゆう》泉《せん》堂《どう》で詩《し》箋《せん》を買う。
六月二十四日 晴
午後菊池を誘って、久米のところへ行く。久米の前の下宿の婆《ばあ》さんら、一人は発狂してすでに帰国し、もう一人はその世話をするためこれから帰国すると言う。ただし東京を去るのがいやだと言って泣く由。気の毒千万なり。いっしょに鉢《はち》の木へ行く。浅倉屋《*》で方《ほう》秋《しゆう》崖《がい*》詩《し》鈔《しよう》を買う。留守に中《なか》原《はら》虎《とら》男《お》君来たり、桜ん坊を一箱くれる。
(大正八年)
注 釈
*きりしとほろ きりしとほろ Christophoros(キリストを背《せ》負《お》う者の意)は伝説によれば三世紀ごろのシリアの人。救《きゆう》難《なん》の聖人。
*切《きり》支《し》丹《たん》版《ばん》 室町末期、来日したヤソ会士の舶《はく》載《さい》した西洋式印刷機により印刷刊行された活字本。天《あま》草《くさ》本《ぼん》伊《い》曾《そ》保《ほ》物《もの》語《がたり》の類。
*あんちおきや Antiochia シリア王国の首都、いまはトルコ共和国ハテー州の州都アンタキア。ローマ時代、パレスチナ以外で最初のキリスト教団が組織された町。
*ぺりして Philistines 古代クレタ島から地中海東岸にかけて住んでいた一種族。
*ごりあて Goliath ダビデに殺されたペリシテの巨人(旧約聖書による)。
*珍《ちん》陀《だ》の酒 赤ぶどう酒。珍陀(tinto)はポルトガル語で「赤」の意。
*悪魔《じやぼ》 diabo(ポルトガル語)。
*室《むろ》神《かん》崎《ざき》 いずれも兵庫県瀬戸内海の港。古く遊女町として有名。
*伽《か》陵《りよう》頻《びん》伽《が》 極楽にいる、美女のような顔をして妙《みよう》音《おん》を発する鳥。
*流《りゆう》沙《さ》河《が》 「流沙」とは砂《さ》漠《ばく》。砂漠を流れる河というほどの意。芥川の虚《きよ》構《こう》の河名。
*天使《あんじよ》 Anji(ポルトガル語)。
*横《よこ》須《す》賀《か》 芥川は大正五年十二月から八年三月まで横須賀海軍機関学校の教師であった。「上り」は横須賀線東京行である。
*宇《う》治《じ》の大《だい》納《な》言《ごん》隆《たか》国《くに》 源《みなもと》隆国。寛《かん》弘《こう》元年―承《じよう》暦《りやく》元年(一〇〇四―一〇七七)。平成中期の文学青。権《ごん》大《だい》納《な》言《ごん》。のち出家した。「今《こん》昔《じやく》物語」の編集者とされていた。「一」は「宇《う》治《じ》拾《しゆう》遺《い》物語」序によっている。
*蔵人《くろうど》得《とく》業《ごう》恵《え》印《いん》 不明。蔵人は出家前の官位で天皇の起居に供《く》奉《ぶ》し、宮中の大小の雑《ぞう》事《じ》を掌《つかさど》った役。
*采《うね》女《め》柳《やなぎ》 天《てん》平《ぴよう》の昔、諸《しよ》国《こく》より献《けん》上《じよう》された下級女官(采女)の一人が、寵《ちよう》愛《あい》の衰《おとろ》えを悲しみ、この柳の所から池に身を投げたという。
*神《しん》泉《せん》苑《えん》 今の二《に》条《じよう》城《じよう》の南にあった御《ぎよ》苑《えん》。「三《さん》代《だい》実《じつ》録《ろく》」には古老の言として竜が昇天した事が記されている。
*加《か》茂《も》の祭 四月第二の申《さる》の日、京都の賀茂神社で行なわれた国祭。近《この》衛《え》の中・少将が使として葵《あおい》をさして渡る。この見物は雑《ざつ》踏《とう》をきわめた。葵祭ともいう。
*池《いけ》の尾《お》……法師の事 芥川はこの話を用いて大正五年二月発表の「鼻」を創作している。
*巨《こ》鹿《ろく》城《じよう》 市内にあった大《おお》垣《がき》城《じよう》の別称。天文四年築城。寛永十二年改築。第二次世界大戦で焼失。
*濃《のう》尾《び》の大《おお》地《じ》震《しん》 明治二十四年十月二十八日午前六時半ごろ美《み》濃《の》・尾《お》張《わり》の両国を襲《おそ》った大地震は死者約七千人、全《ぜん》壊《かい》家屋約八万戸を出し、大《おお》垣《がき》の町は九割破壊し七割焼失した。
*風《ふう》俗《ぞく》画《が》報《ほう》 明治二十二年創刊。春陽堂発行の大衆雑誌。
*夜《や》窓《そう》鬼《き》談《だん》 石川鴻斎著。怪《かい》談《だん》鬼《き》話《わ》を収録。明治二十四年東陽堂発行。
*月《げつ》耕《こう》漫《まん》画《が》 月耕は、尾形月耕。安政六年―大正九年(一八五九―一九二〇)。明治中期、「絵入朝野新聞」その他の新聞の挿《さし》絵《え》や文芸雑誌の口絵・錦《にしき》絵《え》などに当世風《ふう》俗《ぞく》を描きまた漫《まん》画《が》もかいた。
*はこせこ 婦人が懐《ふところ》にはさむ装《そう》飾《しよく》用《よう》の小箱。
*午《ど》砲《ん》 正午の号《ごう》砲《ほう》。明治四年九月九日以後宮城内旧本丸から空砲を発射して正午の時刻を知らせた。
*郁《いく》文《ぶん》堂《どう》 東大正門前の通りにある本屋。和洋書・古書を扱《あつか》っていた。
*Marius the Epicurean マリウス・ズィ・エピキュリアン。イギリスの作家ウォルター・ペーター(一八三九―一八九四)の小説「快楽主義者マリウス」。二世紀ごろのローマにおける異教とキリスト教との葛《かつ》藤《とう》を背景とし、主人公マリウスが、キレネ学派の異教主義やストア哲《てつ》学《がく》に影《えい》響《きよう》され、さらに初期キリスト教に接し、ついに一人の友のために自己犠《ぎ》牲《せい》の死をとげるまでの精神的発展を書いたもの。
*俊助ズィ・エピキュリアン ペーターの小説名をもじって快楽主義者俊助といったもの。大学時代の学友恒《つね》藤《とう》恭《きよう》あて大正六年八月二十九日付書《しよ》簡《かん》に「僕は元来東洋的エピキュリアンだからな」と書いている。
*「芸術のための芸術」 人生のための芸術ではなく、美を唯《ゆい》一《いつ》の目的として芸術それ自身のために芸術は存在すべきであるとする芸術至上主義。芥川もこの傾向を持つ。
*法文科大学 法科大学と文科大学。現在の東京大学法学部および文学部。現在と同じ文《ぶん》京《きよう》区本《ほん》郷《ごう》にあった。
*ピエル アンドレエ ナタシア いずれもロシアの大作家レオ・トルストイの「戦争と平和」(一八六四―一八六九)の中の王要人物。
*『女の一生』 “Uneb Vie ”(一八八三)。フランスの自然主義作家モーパッサンの名作。夢《ゆめ》にみちた娘《むすめ》が結婚、夫・息《むす》子《こ》などにより現実のさまざまな幻《げん》滅《めつ》を知るという筋《すじ》。
*Une Vie a la Tolstoi ユヌ・ヴィ・ア・ラ・トルストイ(仏)。トルストイ風の「女の一生」。
*ニル・アドミラリ nil admirari(ラテン語)。何事にも感動したい冷《れい》淡《たん》な心境をいう。
*Ich Kann's…… イヒ・カンス・ニヒト・ファッセン・ニヒト・グラウベン(独)。私は捉《とら》えることも信じることもできない。シューマンの拝《じよ》情《じよう》的歌曲「女と愛と生《しよう》涯《がい》」の中の第三歌。邦《ほう》題《だい》は「われは知らず」。興奮を秘めた女の恋心を甘く情熱的に吐《と》露《ろ》したもの。詩はシャミッソオの作。
*シャミッソオ Adabert Von Chamisso 一七八一年―一八三八年。フランスのロマン主義作家。ドイツに亡命しドイツ語で創作。写実的て明るい抒《じよ》情《じよう》詩人。
*拳《けん》々《けん》服《ふく》膺《よう》 胸中に銘記し常に念頭からはなさないこと。
*文展 文部省美術展覧会。日展の旧称。芥川はよく観覧に行った。
*ゲスタ・ロマノルム Gesta Romanorum(ラテン語)。「ローマ人行状記」。騎《き》士《し》道《どう》物語や聖徒伝説を集録した、ラテン語て書かれた物語集。十四世紀ごろ成立し、一四七二年刊行。著者はイギリス人とも推定されるが不明。芥川はボーン文庫本を持っていた。
*モオリス・ドニ Maurice Denis 一八七〇年―一九四三年。フランスの画家。キリスト教美術の革新を図り、教会の装《そう》飾《しよく》画《が》なども描いた。
*デュラア A.Durer 一四七一年―一五二八年。ドイツの画家。北欧的な美の伝統を確立。
*レダ Leda ギリシア神話に出てくるアイトリア王デステオスの娘《むすめ》。スパルタ王テンダレウスの妻。よく整ったやや冷たい表情の横顔をしている。彼女を抱《いだく》く白鳥はゼウスの化《け》身《しん》。
*シュライエルマッヘル F.E.D.Schleiermacher 一七六八年―一八三四年。ドイツの神学者、哲《てつ》学《がく》者《しや》。主知的合理主義から神学を解放し、宗教の本質は絶対的永遠的な神との一体感、ひたむきな帰《き》依《え》の感情にあると主張。近代プロテスタント神学の祖となった。
*中央停車場 東海道線東京駅。
*マハアバラタ Mahabharata(摩訶婆羅多)。古代インドの口《こう》誦《しよう》文学である大《だい》叙《じよ》事《じ》詩《し》。暦前十世紀ごろにあった婆羅多族の大戦物語。
*ロムブロゾオ Cesare Lombroso 一八三六年―一九〇九年。イタリアの精神病学者。天才と精神病者との類似に論及した「天才論」(一八六四)の著作がある。
*十二階下 浅草公園にあった十二階建の凌《りよう》雲《うん》閣《かく》の下には下等な私《し》娼《しよう》がいた。
*ビアズリイ A.V.Beardsley 一八七二年―一八九八年。イギリスの画家。幻《げん》想《そう》的な黒白画の新形式を創始し鬼《き》気《き》迫《せま》る作品を描いた。
*l'art pour l'art ラアル・プウル・ラアル(仏)。芸術のための芸術。
*ロップス F.Rops 一八三三年―一八九八年。ベルギーの画家。銅版・石版画で知られる。初め社会的な漫《まん》画《が》を描き、のちにエロチシズムの傾向へ走り頽《たい》廃《はい》的《てき》な愛情を好んで描いた。
*アナクレオン Anacreon 前五六三年―前四七八年。ギリシアの抒《じよ》情《じよう》詩人。諸国を遍歴し酒・恋・歌などの快楽のみを好んでうたった。優《ゆう》婉《わん》華《か》麗《れい》な中に軽《けい》妙《みよう》な楓《ふう》刺《し》もみられる。
*肥《ひ》前《ぜん》国《のくに》彼《その》杵《き》郡《ごおり》浦《うら》上《かみ》村《むら》 現在長崎市の一部。キリシタン由来の地。
*乙《おと》名《な》 一族の長。特に長崎、琉《りゆう》球《きゆう》地《ち》方《ほう》で名《な》主《ぬし》の役を勤める者を言ったともいう。
*べれん Belem(ポルトガル語)。ユダアの国ベドレヘム、すなわちキリストの降《こう》誕《たん》地《ち》。
*さんと・もんたに Saint Montagne もんたには山。教会のある丘をいうか。
*長《なが》崎《さき》著《ちよ》聞《もん》集《しゆう》 あとの二書と共に芥川の偽作書名。
*マテイラム・ミスラ Matiram Misra 谷崎潤一郎の短篇、「ハッサン・カンの妖《よう》術《じゆつ》」(大正六・十一・中央公論)の作中人物で、東京府下荏《え》原《がら》郡《ぐん》大《おお》森《もり》山《さん》王《のう》に住《す》むインドの革命青年。パラモン教徒の子てハッサン・カンの信者。
*ハッサン・カン Hassan Khan 十九世紀末のインドの哲学者・魔法使い・聖僧。
*ジン djinn 須《しゆ》弥《み》山《せん》(仏教で、世界の中心にそびえるとされる山)の中腹の夜《や》叉《しや》の世界に住む魔《ま》神《じん》。ハッサン・カンの信者だけにその声が聞えるという。
*ミス・メリイ・ピックフォオド Miss Mary Pickford 一八九四年―一九七九年。初期アメリカ映画史上における最高の人気女優。初々しいおさけ髪《がみ》の純情な少女を演じ「アメリカの恋人」といわれた。最大の人気男優ダグラス・フェアバンクスと結婚。昭和四年十二月夫妻て来日、大歓迎を受けた。
*鏑《かぶら》木《ぎ》清《きよ》方《かた》 明治十一年―昭和四十七年(一八七八―一九七二)。日本画家。本名健一。東京神《かん》田《だ》の人。鏡《きよう》花《か》の小説に浮《うき》世《よ》絵《え》風《ふう》の挿《さし》画《え》などを書き、のち、文展時代に入り、「墨《すみ》田《だ》川《がわ》舟遊」「晴れゆく村雨」など傑作を出品。大正・昭和における代表的美人画家。「元《げん》禄《ろく》女《おんな》」は江戸時代元禄期の美女を描いた傑作。
*北村四海 明治四年―昭和二年(一八七一―一九二七)。明治・大正・昭和の大理石彫刻家。大正十三年帝展審査員となる。
*ウッドロオ・ウイルソン Woodrow Wilson 一八五六年―一九二四年。米国二十八代目の大統領。第一次世界大戦に当たって、戦時外交に善処し、ヴェルサイユ平和会議をおこし、国際連盟を設立した。
*alias (ラテン語)。一名。又の名。
*コルドヴァの杏《きよう》竹《ちく》桃《とう》 コルトヴァ(Cordova)は、スぺイン南部の都市で、かつてのカリフ朝の所在地。杏竹桃が多い。小説「カルメン」の背景。
*兜《かぶと》屋《や》 銀座八丁目表通りに今もある画廊。
*三会堂 赤坂にあった画廊。
*ミスタア・ダグラス・フェアバンクス Mr.Douglas Farebanks アメリカ映画初期の最高の人気男優。「三《さん》銃《じゆう》士《し》」「ロビン・フッド」「バグダッドの盗《とう》賊《ぞく》」などのロマンチックな剣劇映画に出演、明るく楽天的な快男児を痛快に演じた。ここはもちろんお君の空相。
*森律子 当時の帝劇の女優。
*サア・ランスロット Sir Lanslott イギリスの作家スモレット(一七二一―一七七一)の小説「サア・ランスロット・グリイヴズの冒険」の正人公。十八世紀のドン・キホーテといわれる。ダクラス・フェアバンクスの扮《ふん》していた役。
*シャヴァンヌ P.P.Chavannes 一八ニ四年―一八九八年。フランスの装《そう》飾《しよく》画《が》家《か》。再度イタリアに遊び、ルネッサンスの美術、とくにジョットオからの大きな影《えい》響《きよう》を受けた。多数の壁《へき》画《が》を描いたが聖ジュヌヴィエヴ伝がもっとも有名。
*聖《サン》・ジュヌヴィエヴ Genevieve 四二二年―五二一年。羊《ひつじ》飼《かい》の娘《むすめ》であったが、フン族襲《しゆう》来《らい》の時パリ市民を救い、パリの守護聖者として尊敬された。パリのパンテオン堂内にある、ジュヌヴィエヴの壁画は、月夜の瓦《かわら》屋《や》根《ね》を見渡している画て、寒そうな色調で描かれている。
*汐《しお》留《どめ》 港区にあった貨物専用駅汐留の地。
*如《じよ》心《しん》形《がた》 茶道の表《おもて》千《せん》家《け》如心斎(宝永三年―宝暦元年 一七〇六―一七五一)の好みのキセルの形。上下の金物が短く渦《うず》巻《まき》型《がた》。
*岡《おか》場《ば》所《しよ》 江戸時代の公許以外の遊里。深《ふか》川《がわ》・新《しん》宿《じゆく》・品《しな》川《がわ》など。
*江戸をお売ん…… 江戸を去ること。
*日《ひ》野《の》宿《じゆく》 東京都日野市。宿駅たった。
*七つ下がり 午後四時すき。
*酒に恨《うら》みが…… 長《なが》唄《うた》所《しよ》作《さ》事《ごと》「京《きよう》 鹿《がの》 子《こ》 娘《むすめ》 道《どう》 成《じよう》 寺《じ》」(宝暦三年)などの道成寺物の中にある「鐘《かね》に恨みが数々ござる」という文句をもじったしゃれ。
*九つ 午後十二時。次の八つは午前二時。
*八《はち》間《けん》 台所などの梁《はり》にかけて吊《つる》した大きな平たい行《あん》灯《ぎよう》。
*横山宿 八《はち》王《おう》子《じ》の近辺。江戸時代は甲《こう》州《しゆう》街道の助《すけ》郷《ごう》であった。
*こけが六十六部に立《たて》山《やま》の話でも聞き 「こけ」はおろか者。馬鹿が、六十六部(六十六部の法《ほ》華《け》経《きよう》を日本六十六国の霊《れい》地《ち》に納める目的て諸国の社寺を遍歴して歩く巡礼)から、立山禅《ぜん》定《じよう》(富山県の立山に籠《こも》る修行)の話を聞かされて、びっくりすること。
*ご入国以来 徳川家康は天正十八年、関《かん》八《はつ》州《しゆう》に封ぜられて江戸城に入り徳川幕府の礎を築いた。
*明治十九年十一月三日 天《てん》長《ちよう》節《せつ》すなわち明治天皇誕生日。外務大臣井上伯《はく》爵《しやく》夫妻の主催で、皇族・大臣・各国公使など約千七百人を招待し盛大な夜会が鹿《ろく》鳴《めい》館《かん》て行なわれた。
*鹿《ろく》鳴《めい》館《かん》 不平等条約改正のための施策として欧風文化鼓《こ》吹《すい》のために、明治十六年、内外人交歓の社交クラブとして東京日《ひ》比《び》谷《や》に設けられた洋風建物。華族および外国使臣に限って入館を許し、夜会・舞《ぶ》踏《とう》・バーなどを催し、はなやかな鹿唱館時代を現出した。
*Loti Pierre Loti 一八五〇―一九二三年。フランスの小説家。海軍将校。全世界を遍歴、特に近東のあらゆる国を訪れ、その宮廷に立ち入り貴《き》顕《けん》と交わり、エキゾチシズムに溢《あふ》れる創作を書いた。明治十九年日本を訪問、長崎・京都・東京・日光などを見物。同十一月三日の夜会にも招待された出席した。この国の見聞に基づいて小説「お菊さん」や印象記「秋の日本」を書いた。一五年後の明治三十三年再び訪日し、「お菊さん」の後日物語を発表。
*尾《び》生《せい》の信 この作品の典《てん》拠《きよ》の故事に由来する故事成語で、固く約束を守ること。反面小さい信、愚直なことの意味にも用いられる。
*尾《び》生《せい》 中国古代の人。信ある人とされ、「史記」のほか「荘子」「戦国策」にも見える。
*入社 大正八年、芥川は大阪毎日新聞社社員となった。この「入社の辞」は漱石が明治四十年東京朝日新聞社に入社した時の「入社の辞」の文体をまねて書いている。
*横《よこ》須《す》賀《か》工《こう》廠《しよう》 当時軍港だった横須賀にあった海軍の兵器・弾《だん》薬《やく》を製造する工場。
*それは犬である “It is a dog”(英)。ナショナル・リーダーの巻頭文章。
*「帰らなんいざ……」 陶《とう》淵《えん》明《めい》の「帰去来辞」の冒頭の句。正しくは「帰りなん……」。この時の芥川の句に「帰らなんいざ草の庵《いおり》は春の風」。
*母 芥川の義母芥川トモ。
*漱《そう》石《せき》山《さん》房《ぼう》 夏目漱石の家。新宿区早《わ》稲《せ》田《だ》南《みなみ》町《ちよう》七番地。漱石は明治四十年九月二十九日ここへ移転した。明治三十九年十月から、面会日を毎週木曜日午後三時以後と定め、その会合を木曜会と呼んだ。
*津《つ》田《だ》青《せい》楓《ふう》 明治十三年―昭和五十三年(一八八〇―一九七八)。本名亀《かめ》次《じ》郎《ろう》。日本画家。漱石の親友。
*蔵《ぞう》沢《たく》 伊《い》予《よ》松山藩の風《かぜ》早《はや》・野《の》間《ま》二郡の代官。名は良香、通称久太夫。墨《すみ》絵《え》に堪《たん》能《のう》で、竹を描くのに長じた。享《きよう》和《わ》二年没、八十一歳。
*黄《こう》興《こう》 一八七三年―一九一六年。中国の政治家。第二革命に失敗し日本に亡命。この人か。
*木《もく》庵《あん》 那波木庵。慶長十九年―天和三年(一六一四―一六八三)。江戸初期の儒者。名は守之。木庵はその号。
*呉《ご》昌《しよう》蹟《せき》 呉昌《しよう》硯《せき》。一八四四年―一九二七年。中国近代の文人。書画に長じた。
*「竜《りゆう》」 大正八年に発表。
*「幽《ゆう》霊《れい》」 一八八一年発表。イプセンの戯曲。春秋座で大正十一年初演。
*エチェガレイ Jose Echegaray 一八三三年―一九一六年。スペインの劇作家。
*「ドン・ホアンの子」 “El Hijo de Don Juan”一八九二年。イプセンの作。
*ヴァイス・ヴァサ Vice Versa(ラテン語)。逆に。逆もまた同様。
*サンタヤアナ George Santayana 一八六三年―十九五二年。アメリカの哲学者。へ―ゲル的観念論の系《けい》譜《ふ》に立つ。
*倪《げい》雲《うん》林《りん》 一三〇一年―一三七四年年。元末四大画家の一人。気《き》韻《いん》の高い画風を持つ。
*燕《つばめ》の子安貝 「竹取物語」において、赫映《かぐや》姫が求婚者の一人である石《いその》上《うえ》麻《ま》呂《ろ》に探すことを命ずる架空の品。
*アンスピラシオン inspiration(仏)。霊感。イソスピレーシーョン。
*デモステネス Demosthenes 前三八三年―前三二二年。古代ギリシアの雄弁家。
*我《が》鬼《き》 芥川の俳号。大正六年十二月十一日付書簡に初出。これは大正八年の日記。
*今《いま》村《むら》隆《たかし》 春陽堂社員。
*菊池の本 菊池寛の小説集「我《が》鬼《き》」(大正八年七月春陽堂刊)。芥川が装《そう》幀《てい》。
*塚《つか》本《もと》八洲《やしま》 芥川の義弟。妻の弟。
*小説 「路上」。六月より八月にかけて大阪毎日新聞に連載。
*「雑感三則」 東京日日新聞五月二十六日所載「時感三則」。
*T子 辰《たつ》子《こ》。
*トオデ Henry Thode 一八五七年―一九二〇年。ドイツの美術史家。ルネッサンス美術を研究。その「ミケランジェロとルネッサンスの終末」は一九〇二―二年刊。
*社 東京日日新聞社。
*松内 松内則信。東京日日新聞社員。のちの毎日新聞重役。
*ジョオンズ ロイター通信東京支局特派員。
*窪《くぼ》川《かわ》 有名な古書店。
*多田不二 明治二十六年―昭和四十三年(一八九三―一九六八)。東大哲学科卒。時事新報記者。大正六年十一月結成された「詩話会」のメンパーの一人。
*野口功造 友人野口真造の兄。呉《ご》服《ふく》屋《や》大彦の若王人。
*西《にし》村《むら》熊《くま》雄《お》 熊本の第五高等学校教授。
*「猿《さる》」 芥川の小説。大正五年九月号「新思潮」に発表。この時英訳されたか未《み》詳《しよう》。
*「貉《むじな》」 芥川の小説。大正六年四月、読売新聞に発表。ここでいっている英訳未詳。
*中根 中根駒十郎。新潮社編集者、のち支配人。
*○○大将 福島安正(一八五二―一九一九)。大正三年、陸軍大将。男《だん》爵《しやく》、十か国語以上に通じ、軍部第一の地理学者、語学者。明治二十六年シベリア単独横断の壮挙をなしとげ、その後もたびたび全世界にわたり旅行した。大正八年二月十九日没。
*弟 芥川の実父新原敏三の異腹の子新原得二。
*中戸川 中戸川吉二。明治二十九年―昭和十七年(一八九六―一九四二)。小説家。大正七年第五次「新思潮」の同人。的確な心理描写と情緒の豊かさをもつ作風。
*滝《たき》田《た》樗《ちよ》陰《いん》 滝田哲大郎。明治十五年―大正十四年(一八八二―一九二五)。「中央公論」編集主任。
*木《き》村《むら》幹《かん》 明治二十二年生まれ。翻訳家・新聞記者。東大政治科・仏文科卒。
*富《とみ》田《た》砕《さい》花《か》 富田戒冶郎。明治二十三年―昭和五十九年(一八九〇―一九八四)。民衆詩派の詩人。理論家。
*室《むろ》賀《が》文《ふみ》武《たけ》 俳人。春城と号す。
*イバネス Blasco Ibanes 一八六七年―一九二八年。スぺインの作家。「長篇」は小説「血と砂」であろう。
*八《はつ》田《た》先生 八田三喜。当時芥川の母校第三中学枝の校長。
*岩《いわ》野《の》泡《ほう》鳴《めい》 岩野美衛。明治六年―大正九年(一八七三―一九二〇)。作家・評論家。その一元描写論は「僕の描写論」(「新潮」大正七年九月号)、「一元描写の実際的証明」(「新潮」大正八年二月号)などにおいて作品中の出来事はすべて必ず主人公の目を通して描かれるべきであると説いたもの。
*岡 岡栄一郎。小説家。
*関《せき》根《ね》正《しよう》二《じ》 明治三十一年―大正八年(一八九八―一九一九)。洋画家。二科会所属。代表作「信仰の悲しみ」(大正七年作)。
*香《か》取《とり》先生 香取秀真。明治七年―昭和二十九年(一八七四―一九五四)。本名秀冶郎。歌人・鋳《ちゆう》金《きん》家《か》。田《た》端《ばた》に住んでいた。
*「赤い鳥」 鈴《すず》木《き》三《み》重《え》吉《きち》主《しゆ》宰《さい》の児童雑誌。大正七年七月創刊。児童文学運動実《じつ》践《せん》の機関誌で芥川も協力した。新作童謡は山《やま》田《だ》耕《こう》作《さく》らによって作曲され各地で発表された。
*沢《さわ》木《ぎ》梢《こずえ》 明治十九年―昭和五年(一八八六―一九三〇)。本名四万吉。美術評論家。慶大文学部卒。慶大文学部教授。西洋美術史、美学を担当。
*井《い》汲《くみ》清《きよ》治《はる》 明治二十五年(一八九二)生まれ。仏文学者。慶大卒、慶大文学部教授。
*南部 南《なん》部《ぶ》修《しゆう》太《た》郎《ろう》。
*芝《しば》の家 新原家。芝区(いまは港区)にあった。
*浅倉屋 台《たい》東《とう》区浅《あさ》草《くさ》広《ひろ》小《こう》路《じ》にあった古書店。店主は吉田久兵衛。東京でもっとも古く、蔵書数が最も多かった。おもに歴史考証学関係の和書を扱った。
*方《ほう》秋《しゆう》崖《がい》 方岳。宋《そう》の人。字は巨山。号は秋崖。
舞《ぶ》踏《とう》会《かい》・蜜《み》柑《かん》
芥《あくた》川《がわ》龍《りゆう》之《の》介《すけ》
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平成12年9月1日 発行
発行者  角川歴彦
発行所  株式会社 角川書店
〒102-8177 東京都千代田区富士見2-13-3
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本電子書籍は下記にもとづいて制作しました
角川文庫『舞踏会・蜜柑』刊行