TITLE : トロッコ・一塊の土
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目次
トロッコ
報恩記
仙《せん》 人《にん》
庭
一《いつ》夕《せき》話《わ》
六の宮《みや》の姫《ひめ》君《ぎみ》
魚《うお》河岸《がし》
お富《とみ》の貞《てい》操《そう》
おぎん
百《ゆ》 合《り》
三つの宝
雛《ひな》
猿《さる》蟹《かに》合《かつ》戦《せん》
二人小《こ》町《まち》
おしの
保《やす》吉《きち》の手帳から
白
子供の病気
お時《じ》儀《ぎ》
あばばばば
一《いつ》塊《かい》の土《つち》
注 釈
トロッコ《*》
小《お》田《だ》原《わら》熱海《あたみ》間に、軽《けい》便《べん》鉄道《*》敷《ふ》設《せつ》の工事が始まったのは、良《りよう》平《へい》の八つの年だった。良平は毎日村はずれへ、その工事を見物に行った。工事を――といったところが、ただトロッコで土を運《うん》搬《ぱん》する――それがおもしろさに見に行ったのである。
トロッコの上には土《ど》工《こう》が二人、土を積んだ後ろに佇《たたず》んでいる。トロッコは山を下るのだから、人手を借りずに走って来る。煽《あお》るように車《しや》台《だい》が動いたり、土工の袢《はん》纏《てん》の裾《すそ》がひらついたり、細い線路がしなったり――良平はそんなけしきを眺《なが》めながら、土工になりたいと思うことがある。せめては一度でも土工といっしょにトロッコへ乗りたいと思うこともある。トロッコは村はずれの平地へ来ると、自然とそこに止まってしまう。と同時に土工たちは、身《み》軽《がる》にトロッコを飛び降りるが早いか、その線路の終点へ車の土をぶちまける。それから今度はトロッコを押《お》し押し、もと来た山の方へ登り始める。良平はその時乗れないまでも、押すことさえできたらと思うのである。
ある夕方、――それは二月の初《しよ》旬《じゆん》だった。良平は二つ下の弟や、弟と同じ年の隣《となり》の子供と、トロッコの置いてある村はずれへ行った。トロッコは泥《どろ》だらけになったまま、薄《うす》明《あか》るい中に並《なら》んでいる。が、そのほかはどこを見ても、土工たちの姿は見えなかった。三人の子供は恐《おそ》る恐る、いちばん端《はし》にあるトロッコを押《お》した。トロッコは三人の力が揃《そろ》うと、突《とつ》然《ぜん》ごろりと車輪をまわした。良平はこの音にひやりとした。しかし二度目の車輪の音は、もう彼を驚《おどろ》かさなかった。ごろり、ごろり、――トロッコはそういう音とともに、三人の手に押されながら、そろそろ線路を登って行った。
そのうちにかれこれ十間《けん》ほど来ると、線路の勾《こう》配《ばい》が急になり出した。トロッコも三人の力では、いくら押しても動かなくなった。どうかすれば車といっしょに、押し戻《もど》されそうにもなることがある。良平はもういいと思ったから、年下の二人に合《あい》図《ず》をした。
「さあ、乗ろう!」
彼らは一度に手をはなすと、トロッコの上へ飛び乗った。トロッコは最初徐《おもむろ》に、それから見る見る勢いよく、一《ひと》息《いき》に線路を下り出した。そのとたんにつき当たりの風景は、たちまち両側へ分かれるように、ずんずん目の前へ展開して来る。――良平は顔に吹《ふ》きつける日の暮《く》れの風を感じながらほとんど有《う》頂《ちよう》天《てん》になってしまった。
しかしトロッコは二、三分ののち、もうもとの終点に止まっていた。
「さあ、もう一度押すじゃあ」
良平は年下の二人といっしょに、またトロッコを押し上げにかかった。が、まだ車輪も動かないうちに、突然彼らの後ろには、誰《だれ》かの足音が聞こえ出した。のみならずそれは聞こえ出したと思うと、急にこう言う怒《ど》鳴《な》り声に変わった。
「この野《や》郎《ろう》! 誰に断わってトロに触《さわ》った?」
そこには古い印《しるし》袢《ばん》纏《てん》に、季節はずれの麦《むぎ》藁《わら》帽《ぼう》をかぶった、脊《せ》の高い土工が佇《たたず》んでいる。――そういう姿が目にはいった時、良平は年下の二人といっしょに、もう五、六間《けん》逃《に》げ出していた。――それぎり良平は使いの帰りに、人《ひと》気《け》のない工《こう》事《じ》場《ば》のトロッコを見ても、二度と乗ってみようと思ったことはない。ただその時の土工の姿は、今でも良平の頭のどこかに、はっきりした記《き》憶《おく》を残している。薄《うす》明《あか》りの中に仄《ほの》めいた、小さい黄色の麦藁帽、――しかしその記憶さえも、年ごとに色《しき》彩《さい》は薄れるらしい。
そののち十日余りたってから、良平はまたたった一人、午《ひる》過ぎの工事場に佇みながら、トロッコの来るのを眺《なが》めていた。すると土を積んだトロッコのほかに、枕《まくら》木《ぎ》を積んだトロッコが一輛《りよう》、これは本線になるはずの、太い線路を登って来た。このトロッコを押《お》しているのは、二人とも若い男だった。良平は彼らを見た時から、なんだか親しみやすいような気がした。「この人たちならば叱《しか》られない」――彼はそう思いながら、トロッコの側《そば》へ駈《か》けて行った。
「おじさん。押してやろうか?」
その中の一人、――縞《しま》のシャツを着ている男は、俯《うつ》向《む》きにトロッコを押したまま、思った通り快《こころよ》い返事をした。
「おお、押してくよう」
良平は二人の間にはいると、力いっぱい押し始めた。
「われはなかなか力があるな」
他の一人、――耳に巻《まき》煙草《たばこ》を挟《はさ》んだ男も、こう良平を褒《ほ》めてくれた。
そのうちに線路の勾《こう》配《ばい》は、だんだん楽になり始めた。「もう押《お》さなくともいい」――良平は今にも言われるかと内心気がかりでならなかった。が、若い二人の土工は、前よりも腰《こし》を起こしたぎり、黙《もく》々《もく》と車を押し続けていた。良平はとうとうこらえ切れずに、怯《お》ず怯《お》ずこんなことを尋《たず》ねてみた。
「いつまでも押していていい?」
「いいとも」
二人は同時に返事をした。良平は「優《やさ》しい人たちだ」と思った。
五、六町《ちよう》余り押し続けたら、線路はもう一度急勾配になった。そこには両側の蜜《み》柑《かん》畑《ばたけ》に、黄色い実がいくつも日を受けている。
「登り路《みち》のほうがいい、いつまでも押させてくれるから」――良平はそんなことを考えながら、全身でトロッコを押すようにした。
蜜柑畑の間を登りつめると、急に線路は下りになった。縞《しま》のシャツを着ている男は、良平に「やい、乗れ」と言った。良平はすぐに飛び乗った。トロッコは三人が乗り移ると同時に、蜜柑畑の匂《におい》を煽《あお》りながら、ひた辷《すべ》りに線路を走り出した。「押すよりも乗るほうがずっといい」――良平は羽《は》織《おり》に風を孕《はら》ませながら、あたりまえのことを考えた。「行きに押すところが多ければ、帰りにまた乗るところが多い」――そうもまた考えたりした。
竹《たけ》藪《やぶ》のある所へ来ると、トロッコは静かに走るのを止《や》めた。三人はまた前のように、重いトロッコを押《お》し始めた。竹藪はいつか雑《ぞう》木《き》林《ばやし》になった。爪《つま》先《さき》上がりの所々には、赤《あか》錆《さび》の線路も見えないほど、落ち葉のたまっている場所もあった。その路をやっと登り切ったら、今度は高い崖《がけ》の向こうに、広々と薄《うす》ら寒い海が開けた。と同時に良平の頭には、あまり遠く来過ぎたことが、急にはっきりと感じられた。
三人はまたトロッコへ乗った。車は海を右にしながら、雑《ぞう》木《き》の枝の下を走って行った。しかし良平はさっきのように、おもしろい気もちにはなれなかった。「もう帰ってくれればいい」――彼はそうも念じてみた。が、行くところまで行きつかなければ、トロッコも彼らも帰れないことは、もちろん彼にもわかり切っていた。
その次に車の止まったのは、切《き》り崩《くず》した山を背《せ》負《お》っている、藁《わら》屋《や》根《ね》の茶《ちや》店《みせ》の前だった。二人の土工はその店へはいると、乳《ち》呑《のみ》児《ご》をおぶった上《かみ》さんを相手に、悠《ゆう》々《ゆう》と茶などを飲み始めた。良平は独《ひと》りいらいらしながら、トロッコのまわりをまわってみた。トロッコには頑《がん》丈《じよう》な車《しや》台《だい》の板に、跳《は》ねかえった泥《どろ》が乾《かわ》いていた。
しばらくののち茶店を出て来しなに、巻煙草を耳に挟《はさ》んだ男は、(その時はもう挟んでいなかったが)トロッコの側にいる良平に新《しん》聞《ぶん》紙《がみ》に包んだ駄《だ》菓《が》子《し》をくれた。良平は冷《れい》淡《たん》に「ありがとう」と言った。が、すぐに冷淡にしては、相手にすまないと思い直した。彼はその冷淡さを取り繕《つくろ》うように、包み菓子の一つを口へ入れた。菓子には新聞紙にあったらしい、石油の匂《におい》がしみついていた。
三人はトロッコを押しながら緩《ゆる》い傾《けい》斜《しや》を登って行った。良平は車に手をかけていても、心はほかのことを考えていた。
その坂を向こうへ下《お》り切ると、また同じような茶店があった。土《ど》工《こう》たちがその中へはいったあと、良平はトロッコに腰《こし》をかけながら、帰ることばかり気にしていた。茶店の前には花のさいた梅《うめ》に、西日の光が消えかかっている。「もう日が暮《く》れる」――彼はそう考えると、ぼんやり腰かけてもいられなかった。トロッコの車輪を蹴《け》ってみたり、一人では動かないのを承知しながらうんうんそれを押《お》してみたり、――そんなことに気もちを紛《まぎ》らせていた。
ところが土工たちは出て来ると、車の上の枕《まくら》木《ぎ》に手をかけながら、むぞうさに彼にこう言った。
「われはもう帰んな。おれたちは今日《きよう》は向こう泊《ど》まりだから」
「あんまり帰りが遅《おそ》くなるとわれの家《うち》でも心配するずら」
良平は一《いつ》瞬《しゆん》間《かん》あっけにとられた。もうかれこれ暗くなること、去年の暮れ母と岩《いわ》村《むら*》まで来たが、今日の途《みち》はその三、四倍あること、それを今からたった一人、歩いて帰らなければならないこと、――そういうことが一時にわかったのである。良平はほとんど泣きそうになった。が、泣いてもしかたがないと思った。泣いている場合ではないとも思った。彼は若い二人の土工に、取って付けたようなお時《じ》宜《ぎ》をすると、どんどん線路伝いに走り出した。
良平はしばらく無《む》我《が》夢《む》中《ちゆう》に線路の側を走り続けた。そのうちに懐《ふところ》の菓《か》子《し》包《づつ》みが、邪《じや》魔《ま》になることに気がついたから、それを路《みち》側《ばた》へ抛《ほう》り出すついでに、板《いた》草《ぞう》履《り》もそこへ脱《ぬ》ぎ捨ててしまった。すると薄《うす》い足袋《たび》の裏へじかに小石が食いこんだが、足だけは遥《はる》かに軽くなった。彼は左に海を感じながら、急な坂《さか》路《みち》を駈《か》け登った。時々涙《なみだ》がこみ上げて来ると、自然に顔が歪《ゆが》んでくる。――それは無理に我《が》慢《まん》しても、鼻だけは絶えずくうくう鳴った。
竹《たけ》藪《やぶ》の側を駈《か》け抜《ぬ》けると、夕焼けのした日《ひ》金《がね》山《やま*》の空も、もう火《ほ》照《て》りが消えかかっていた。良平はいよいよ気が気でなかった。往《ゆ》きと返《かえ》りと変わるせいか、景《け》色《しき》の違《ちが》うのも不安だった。すると今度は着物までも、汗《あせ》の濡《ぬ》れ通ったのが気になったから、やはり必死に駈け続けたなり、羽《は》織《おり》を路《みち》側《ばた》へ脱《ぬ》いで捨てた。
蜜《み》柑《かん》畑《ばたけ》へ来るころには、あたりは暗くなる一方だった。「命さえ助かれば――」良平はそう思いながら、辷《すべ》ってもつまずいても走って行った。
やっと遠い夕《ゆう》闇《やみ》の中に、村はずれの工《こう》事《じ》場《ば》が見えた時、良平は一思いに泣きたくなった。しかしその時もべそはかいたが、とうとう泣かずに駈け続けた。
彼の村へはいってみると、もう両側の家々には、電《でん》灯《とう》の光がさし合っていた。良平はその電灯の光に頭から汗の湯《ゆ》気《げ》の立つのが、彼自身にもはっきりわかった。井《い》戸《ど》端《ばた》に水を汲《く》んでいる女《おんな》衆《しゆ》や、畑から帰って来る男《おとこ》衆《しゆ》は、良平が喘《あえ》ぎ喘《あえ》ぎ走るのを見ては、「おいどうしたね?」などと声をかけた。が、彼は無言のまま、雑貨屋だの床《とこ》屋《や》だの、明るい家の前を走り過ぎた。
彼の家《うち》の門《かど》口《ぐち》へ駈けこんだ時、良平はとうとう大声に、わっと泣き出さずにはいられなかった。その泣き声は彼の周囲《まわり》へ、一時に父や母を集まらせた。ことに母はなんとか言いながら、良平の体《からだ》を抱《かか》えるようにした。が、良平は手足をもがきながら、啜《すす》り上げ啜り上げ泣き続けた。その声があまり激《はげ》しかったせいか、近所の女衆も三、四人、薄《うす》暗《ぐら》い門口へ集まって来た。父母はもちろんその人たちは、口々に彼の泣く訣《わけ》を尋《たず》ねた。しかし彼はなんと言われても泣きたてるよりほかにしかたがなかった。あの遠い路を駈け通して来た、今までの心細さをふり返ると、いくら大声に泣き続けても、足りない気もちに迫《せま》られながら、……
良平は二十六の年、妻子といっしょに東京へ出て来た。今ではある雑誌社の二階に、校《こう》正《せい》の朱《しゆ》筆《ふで》を握《にぎ》っている。が、彼はどうかすると、全然なんの理由もないのに、その時の彼を思い出すことがある。全然なんの理由もないのに?――塵《じん》労《ろう》に疲《つか》れた彼の前には今でもやはりその時のように、薄《うす》暗《ぐら》い藪《やぶ》や坂のある路《みち》が、細々と一すじ断続している。……
(大正十一年二月)
報恩記
阿《あ》媽《ま》港《かわ*》甚内の話
わたしは甚《じん》内《ない》というものです。苗《みよう》字《じ》は――さあ、世間ではずっと前から、阿《あ》媽《ま》港《かわ》甚《じん》内《ない》と言っているようです。阿媽港甚内、――あなたもこの名は知っていますか? いや、驚《おどろ》くには及《およ》びません。わたしはあなたの知っている通り、評判の高い盗《ぬす》人《びと》です。しかし今夜参ったのは、盗みにはいったのではありません。どうかそれだけは安心してください。
あなたは日《に》本《ほん》にいる伴《ば》天《て》連《れん》の中でも、道徳の高い人だと聞いています。してみれば盗人と名のついたものと、しばらくでもいっしょにいるということは、愉快ではないかも知れません。が、わたしも思いのほか、盗みばかりしてもいないのです。いつぞや聚《じゆ》楽《らく》の御《ご》殿《てん*》へ召《め》された呂《る》宋《そん》助《すけ》左《ざ》衛《え》門《もん*》の手《て》代《だい》の一人も、確か甚内と名のっていました。また利《り》休《きゆう》居《こ》士《じ》の珍《ちん》重《ちよう》していた「赤がしら」と称《とな》える水さしも、それを贈った連《れん》歌《が》師《し》の本《ほん》名《みよう》は、甚内とか言ったと聞いています。そう言えばつい二、三年以前、阿《あ》媽《ま》港《かわ》日《につ》記《き》という本を書いた、大《おお》村《むら》あたりの通《つう》辞《じ》の名前も、甚内と言うのではなかったでしょうか? そのほか三《さん》条《じよう》河原《がわら》の喧《けん》嘩《か》に、甲《カ》比《ピ》丹《タン*》「まるどなど」を救《すく》った虚《こ》無《む》僧《そう》、堺《さかい》の妙《みよう》国《こく》寺《じ》門《もん》前《ぜん》に、南《なん》蛮《ばん》の薬を売っていた商人、……そういうものも名前を明かせば、何がし甚内だったのに違《ちが》いありません。いや、それよりも大事なのは、去年この「さん・ふらんしすこ」の御寺へ、おん母「まりや」の爪《つめ》を収めた、黄金の舎《しや》利《り》塔《とう》を献《けん》じているのも、やはり甚内という信《しん》徒《と》だったはずです。
しかし今度は残念ながら、いちいちそういう行状を話している暇《ひま》はありません。ただどうか阿《あ》媽《ま》港《かわ》甚《じん》内《ない》は、世間一《いつ》般《ぱん》の人間とあまり変わりのないことを信じてください。そうですか? ではできるだけ手短に、わたしの用向きを述《の》べることにしましょう。わたしはある男の魂《たましい》のために、「みさ」のお祈《いの》りを願いに来たのです。いや、わたしの血《けつ》縁《えん》のものではありません。と言ってもまたわたしの刃《は》金《がね》に、血を塗《ぬ》ったものでもないのです。名前ですか? 名前は、――さあ、それは明かしていいかどうか、わたしにも判断はつきません。ある男の魂のために、――あるいは「ぽうろ」という日本人のために、冥《めい》福《ふく》を祈ってやりたいのです。いけませんか?――なるほど阿媽港甚内に、こういうことを頼《たの》まれたのでは、手軽に受け合う気にもなれますまい。ではとにかく一通り、事情だけは話してみることにしましょう。しかしそれには生死を問わず、他《た》言《ごん》しない約束が必要です。あなたはその胸の十字架《くるす》に懸《か》けても、きっと約束を守りますか? いや、――失礼は赦《ゆる》してください。(微《び》笑《しよう》)伴《ば》天《て》連《れん》のあなたを疑うのは、盗《ぬす》人《びと》のわたしには僭《せん》上《じよう》でしょう。しかしこの約束を守らなければ、(突《とつ》然《ぜん》まじめに)「いんへるの《*》」の猛《もう》火《か》に焼かれずとも、現《げん》世《ぜ》に罰《ばつ》が下るはずです。
もう二年あまり以前の話ですが、ちょうどある凩《こがらし》の真夜中です。わたしは雲《うん》水《すい》に姿を変えながら、京の町中をうろついていました。京の町中をうろついたのは、その夜に始まったのではありません。もうかれこれ五日ばかり、いつも初《しよ》更《こう》を過ぎさえすれば、必ず人目に立たないように、そっと家々を窺《うかが》ったのです。もちろんなんのためだったかは、註《ちゆう》を入れるにも及《およ》びますまい。ことにそのころは摩《ま》利《り》伽《か*》へでも、一時渡《わた》っているつもりでしたから、よけいに金《かね》の入用もあったのです。
町はもちろんとうの昔《むかし》に人通りを絶っていましたが、星ばかりきらめいた空中には、小《お》やみもない風の音が、どよめいています。わたしは暗い軒《のき》通《づた》いに、小《お》川《がわ》通《どお》りを下って来ると、ふと辻《つじ》を一つ曲がった所に、大きい角《かど》屋《や》敷《しき》のあるのを見つけました。これは京でも名を知られた、北《ほう》条《じよう》屋《や》弥《や》三《さ》右《う》衛《え》門《もん*》の本宅です。同じ渡《と》海《かい》を渡《と》世《せい》にしていても、北条屋はとうてい角《かど》倉《くら*》などと肩《かた》を並《なら》べることはできますまい。しかしとにかく沙《しや》室《むろ*》や呂《る》宋《そん*》へ、船の一、二艘《そう》も出しているのですから、ひとかどの分《ぶ》限《げん》者《しや》には違《ちが》いありません。わたしは何もこの家《うち》を目当てに、うろついていたのではないのですが、ちょうどそこへ来合わせたのを幸い、一《ひと》稼《かせ》ぎする気を起こしました。その上前にも言った通り、夜は深いし風も出ている、――わたしの商売にとりかかるのには、万事もってこいの寸法です。わたしは路《みち》ばたの天《てん》水《すい》桶《おけ》の後ろに、網《あ》代《じろ》の笠《かさ》や杖《つえ》を隠《かく》した上、たちまち高《たか》塀《べい》を乗り越《こ》えました。
世間の噂《うわさ》を聞いてご覧なさい。阿《あ》媽《ま》港《かわ》甚《じん》内《ない》は、忍《にん》術《じゆつ》を使う、――誰《だれ》でも皆《みな》そう言っています。しかしあなたは俗人のように、そんなことはほんとうと思いますまい。わたしは忍術も使わなければ、悪《あく》魔《ま》も味方にはしていないのです。ただ阿媽港にいた時分、葡萄牙《ポルトガル》の船の医者に、究理の学問《*》を教わりました。それを実地に役だてさえすれば、大きい錠《じよう》前《まえ》を〓《ね》じ切ったり、重い閂《かんぬき》をはずしたりするのは、格別むずかしいことではありません。(微《び》笑《しよう》)今までにない盗《ぬす》みのしかた、――それも日《につ》本《ぽん》という未開の土地は、十字架《くるす》や鉄《てつ》砲《ぽう》の渡《と》来《らい》と同様、やはり西洋に教わったのです。
わたしは一ときとたたないうちに、北条屋の家《うち》の中にはいっていました。が、暗い廊《ろう》下《か》をつき当たると、驚《おどろ》いたことにはこの夜《よ》更《ふ》けにも、まだ火《ほ》影《かげ》のさしているばかりか、話し声のする小《こ》座《ざ》敷《しき》があります。それがあたりの容《よう》子《す》では、どうしても茶《ちや》室《しつ》に違《ちが》いありません。「凩《こがらし》の茶《*》か」――わたしはそう苦笑しながら、そっとそこへ忍《しの》び寄りました。実際その時は人声のするのに、仕事の邪《じや》魔《ま》を思うよりも、数《す》寄《き》を凝《こ》らした囲いの中に、この家《や》の主人や客に来た仲間が、どんな風流を楽しんでいるか?――そんなことに心が惹《ひ》かれたのです。
襖《ふすま》の外に身を寄せるが早いか、わたしの耳には思った通り、釜《かま》のたぎりがはいりました。が、その音がすると同時に、意外にも誰か話をしては、泣いている声が聞こえるのです。誰か、――というよりもそれは二度と聞かずに、女だということさえわかりました。こういう大《たい》家《け》の茶座敷に、真夜中女の泣いているというのは、どうせただごとではありません。わたしは息をひそめたまま、幸い明《あ》いていた襖の隙《すき》から、茶室の中を覗《のぞ》きこみました。
行《あん》灯《どん》の光に照らされた、古《こ》色《しき》紙《し》らしい床《とこ》の懸《か》け物《もの》、懸け花入れの霜《しも》菊《ぎく》の花。――囲いの中にはお約《やく》束《そく》通り、物《もの》寂《さ》びた趣《おもむき》が漂《ただよ》っていました。その床の前――ちょうどわたしの真正面に坐った老人は、主人の弥三右衛門でしょう、何か細かい唐《から》草《くさ》の羽《は》織《おり》に、じっと両腕《うで》を組んだまま、ほとんどよそ眼《め》に見たのでは、釜の煮《に》え音でも聞いているようです。弥三右衛門の下《しも》座《ざ》には、品のいい笄《こうがい》髷《まげ》の老女が一人、これは横顔を見せたまま、時々涙《なみだ》を拭《ぬぐ》っていました。
「いくら不自由がないようでも、やはり苦労だけはあると見える」――わたしはそう思いながら、自然と微《び》笑《しよう》を洩《も》らしたものです。微笑を、――こう言ってもそれは北条屋夫婦に、悪意があったのではありません。わたしのように四十年間、悪《あく》名《みよう》ばかり負《お》っているものには、他人の、――ことに幸福らしい他人の不幸は、自然と微笑を浮《う》かばせるのです。(残《ざん》酷《こく》な表情)その時もわたしは夫婦の歎《なげ》きが、歌《か》舞《ぶ》伎《き》を見るように愉快だったのです。(皮肉な微笑)しかしこれはわたし一人に、限ったことではありますまい。誰にも好まれる草《そう》紙《し》と言えば、悲しい話にきまっているようです。
弥三右衛門はしばらくののち、吐《と》息《いき》をするようにこう言いました。
「もうこの羽《は》目《め》になった上は、泣いても喚《わめ》いても取り返しはつかない。わたしは明日《あす》にも店のものに、暇《ひま》をやることに決心をした」
その時また烈《はげ》しい風が、どっと茶室を揺《ゆ》すぶりました。それに声が紛《まぎ》れたのでしょう。弥三右衛門の内《ない》儀《ぎ》の言葉は、なんと言ったのだかわかりません。が、主人は頷《うなず》きなから、両手を膝《ひざ》の上に組み合わせると、網《あ》代《じろ》の天《てん》井《じよう》へ眼を上げました。太い眉《まゆ》、尖《とが》った頬《ほお》骨《ぼね》、ことに切れの長い目《め》尻《じり》、――これは確かに見れば見るほど、いつか一度は会っている顔です。
「おん主《あるじ》、『えす・きりすと』様。なにとぞ我々夫婦の心に、あなた様のお力をお恵《めぐ》みください。……」
弥三右衛門は眼を閉じたまま、お祈りの言葉を呟《つぶや》き始めました。老女もやはり夫のように天《てん》帝《てい》の加《か》護《ご》を乞《こ》うているようです。わたしはその間瞬《またたき》もせず弥三右衛門の顔を見続けました。するとまた凩《こがらし》の渡《わた》った時、わたしの心に閃《ひらめ》いたのは、二十年以前の記《き》憶《おく》です、わたしはこの記憶の中に、はっきり弥三右衛門の姿を捉《とら》えました。
その二十年以前の記憶というのは、――いや、それは話すには及《およ》びますまい。ただ手短に事実だけ言えば、わたしは阿《あ》媽《ま》港《かわ》に渡っていた時、ある日《に》本《ほん》の船頭に危うい命を助けてもらいました。その時は互《たが》いに名乗りもせず、それなり別れてしまいましたが、今わたしの見た弥三右衛門は、当年の船頭に違《ちが》いないのです。わたしは奇《き》遇《ぐう》に驚《おどろ》きながら、やはりこの老人の顔を見守っていました。そう言えばいかつい肩《かた》のあたりや、指《ゆび》節《ふし》の太い手の恰《かつ》好《こう》には、いまだに珊《さん》瑚《ご》礁《しよう》の潮けむりや、白《びやく》檀《だん》山《やま》の匂《におい》がしみているようです。
弥三右衛門は長いお祈《いの》りを終わると、静かに老女へこう言いました。
「あとはただ何ごとも、天《てん》主《しゆ》の御《ぎよ》意《い》しだいと思うたがよい。――では釜《かま》のたぎっているのを幸い、茶でも一つ立ててもらおうか?」
しかし老女はいまさらのように、こみ上げる涙《なみだ》を堪《こら》えるように、消え入りそうな返事をしました。
「はい。――それでもまだ悔《く》やしいのは、――」
「さあ、それが愚《ぐ》痴《ち》というものじゃ。北《ほう》条《じよう》丸《まる》の沈んだのも、抛《な》げ銀《*》の皆《みな》倒《たお》れたのも、――」
「いえ、そんなことではございません。せめては倅《せがれ》の弥《や》三《さぶ》郎《ろう》でも、いてくれればと思うのでございますが、……」
わたしはこの話を聞いているうちに、もう一度微《び》笑《しよう》が浮《う》かんできました。が、今度は北条屋の不運に、愉快を感じたのではありません。「昔《むかし》の恩を返す時が来た」――そう思うことがうれしかったのです。わたしにも、お尋《たず》ね者《もの》の阿媽港甚内にも、りっぱに恩返しができる愉快さは、――いや、この愉快さを知るものは、わたしのほかにはありますまい。(皮肉に)世間の善《ぜん》人《にん》はかわいそうです。何一つ悪事を働かない代りに、どのくらい善《ぜん》行《こう》を施《ほどこ》した時には、うれしい心もちになるものか、――そんなこともろくには知らないのですから。
「なに、ああいう人でなしは、おらぬだけにまだしもしあわせなくらいじゃ。……」
弥三右衛門は苦《にが》々《にが》しそうに、行《あん》灯《どん》へ眼を外《そ》らせました。
「あいつが使いおった金《かね》でもあれば、今度も急《きゆう》場《ば》だけは凌《しの》げたかも知れぬ。それを思えば勘《かん》当《どう》したのは、……」
弥三右衛門はこう言ったなり、驚《おどろ》いたようにわたしを眺《なが》めました。これは驚いたのも無理はありません。わたしはその時声もかけずに、堺《さかい》の襖《ふすま》を明けたのですから。――しかもわたしの身なりと言えば、雲《うん》水《すい》に姿をやつした上、網《あ》代《じろ》の笠《かさ》を脱《ぬ》いだ代りに、南《なん》蛮《ばん》頭《ず》巾《きん》をかぶっていたのですから。
「誰《だれ》だ、おぬしは?」
弥三右衛門は年はとっていても、とっさに膝《ひざ》を起こしました。
「いや、お驚きになるには及《およ》びません。わたしは阿媽港甚内と言うものです。――まあ、お静かになすってください。阿媽港甚内は盗《ぬす》人《びと》ですが、今夜突然参《さん》上《じよう》したのは、少しほかにも訣《わけ》があるのです。――」
わたしは頭《ず》巾《きん》を脱《ぬ》ぎながら、弥三右衛門の前に坐《すわ》りました。
そののちのことは話さずとも、あなたには推察できるでしょう。わたしは北条屋の危急を救《すく》うために、三日という日限を一日も違《たが》えず、六千貫《がん》の金を調達する、恩返しの約《やく》束《そく》を結んだのです。――おや、誰か戸の外に、足音が聞こえるではありませんか? では今夜はご免《めん》ください。いずれ明日《あす》か明後日《あさつて》の夜、もう一度ここへ忍《しの》んで来ます。あの大《おお》十字架《くるす》の星の光は阿媽港の空には輝いていても、日《につ》本《ぽん》の空には見られません。わたしもちょうどああいうように日本では姿を晦《くら》ませていないと、今夜「みさ」を願いに来た、「ぽうろ」の魂《たましい》のためにもすまないのです。
なに、わたしの逃《に》げ途《みち》ですか? そんなことは心配に及《およ》びません。この高い天《てん》窓《まど》からでも、あの大きい暖《だん》炉《ろ》からでも、自由自在に出て行かれます。ついてはどうかくれぐれも、恩人「ぽうろ」の魂のために、いっさい他《た》言《ごん》は慎《つつし》んでください。
北条屋弥三右衛門の話
伴《ば》天《て》連《れん》様。どうかわたしの懺《ざん》悔《げ》をお聞きください。ご承知でもございましょうが、このごろ世《せ》上《じよう》に噂《うわさ》の高い、阿《あ》媽《ま》港《かわ》甚《じん》内《ない》という盗《ぬす》人《びと》がございます。根《ね》来《ごろ》寺《でら*》の塔《とう》に住んでいたのも、殺《せつ》生《しよう》関《かん》白《ぱく*》の太刀《たち》を盗んだのも、また遠い海の外では、呂《る》宋《そん》の太《たい》守《しゆ*》を襲《おそ》ったのも、皆《みな》あの男だとか聞き及びました。それがとうとう搦《から》めとられた上、今度一《いち》条《じよう》戻《もど》り橋《ばし》のほとりに、曝《さら》し首《くび》になったということも、あるいはお耳にはいっておりましょう。わたしはあの阿媽港甚内にひとかたならぬ大恩を蒙《こうむ》りました。が、また大恩を蒙っただけに、ただいまではなんとも申しようのない、悲しい目にも遇《あ》ったのでございます。どうかその仔《し》細《さい》をお聞きの上、罪びと北《ほう》条《じよう》屋《や》弥《や》三《さ》右《う》衛《え》門《もん》にも、天《てん》帝《てい》のご愛《あい》憐《れん》をお祈《いの》りください。
ちょうど今から二年ばかり以前の、冬のことでございます。ずっとしけばかり続いたために、持ち船の北条丸は沈《しず》みますし、抛《な》げ銀《ぎん》は皆《みな》倒《たお》れますし、――それやこれやの重なったあげく、北条屋一家は分《ぶん》散《さん》のほかに、しかたのない羽《は》目《め》になってしまいました。ご承知の通り町人には取引き先はございましても、友だちと申すものはございません。こうなればもう我々の家業は、うず潮に吸われた大船も同様、まっさかさまに奈《な》落《らく》の底へ、落ちこむばかりなのでございます。するとある夜、――今でもこの夜のことは忘れません。ある凩《こがらし》の烈《はげ》しい夜でございましたが、わたしども夫婦はご存知の囲いに、夜の更《ふ》けるのも知らず話しておりました。そこへ突《とつ》然《ぜん》はいって参ったのは、雲《うん》水《すい》の姿に南《なん》蛮《ばん》頭《ず》巾《きん》をかぶった、あの阿《あ》媽《ま》港《かわ》甚《じん》内《ない》でございます。わたしはもちろん驚《おどろ》きもすれば、また怒《いか》りもいたしました。が、甚内の話を聞いてみますと、あの男はやはり盗《ぬす》みを働きに、わたしの宅へ忍《しの》びこみましたが、茶《ちや》室《しつ》にはいまだに火《ほ》影《かげ》ばかりか、人の話し声が聞こえている、そこで襖《ふすま》越《ご》しに、覗《のぞ》いてみると、この北条屋弥三右衛門は、甚内の命を助けたことのある、二十年以前の恩人だったと、こういう次第ではございませんか?
なるほどそう言われてみれば、かれこれ二十年にもなりましょうか、まだわたしが阿媽港通いの「ふすた」船《*》 の船頭をいたしていたころ、あそこへ船がかりをしているうちに、髭《ひげ》さえろくにない日本人を一人、助けてやったことがございます。なんでもその時の話では、ふとした酒の上の喧《けん》嘩《か》から、唐《とう》人《じん》を一人殺したために、追っ手がかかったとか申しておりました。してみればそれが今《こん》日《にち》では、あの阿媽港甚内という、名《な》代《だい》の盗《ぬす》人《びと》になったのでございましょう。わたしはとにかく甚内の言葉も嘘《うそ》ではないことがわかりましたから、一家のものの寝《ね》ているのを幸い、まずその用向きを尋《たず》ねてみました。
すると甚内の申しますには、あの男の力に及《およ》ぶことなら、二十年以前の恩返しに、北条屋の危急を救《すく》ってやりたい、さしあたり入り用の金《きん》子《す》の高は、どのくらいだと尋ねるのでございます。わたしは思わず苦笑いたしました。盗人に金《かね》を調達してもらう、――それがおかしいばかりではございません。いかに阿媽港甚内でも、そういう金があるくらいならば、何もわざわざわたしの宅へ、盗みにはいるにもあたりますまい。しかしその金《きん》高《だか》を申しますと、甚内は小首を傾《かたむ》けながら、今夜のうちにはむずかしいが、三日も待てば調達しようと、むぞうさに引き受けたのでございます。が、なにしろ入り用なのは、六千貫《がん》という大金でございますから、きっと調達できるかどうか、当てになるものではございません。いや、わたしの量《りよう》見《けん》では、まず賽《さい》の目をたのむよりも、おぼつかないと覚《かく》悟《ご》をきめていました。
甚内はその夜わたしの家《か》内《ない》に、悠《ゆう》々《ゆう》と茶なぞ立てさせた上、凩《こがらし》の中を帰って行きました。が、その翌日になってみても、約《やく》束《そく》の金は届きません。二日めも同様でございました。三日めは、――この日は雪になりましたが、やはり夜に入《はい》ってしまったのちも、何一つ便《たよ》りはありません。わたしは前に甚内の約束は、当てにしておらぬと申し上げました。が、店のものにも暇《ひま》を出さず、成行きに任《まか》せていたところをみると、それでも幾《いく》分《ぶん》か心待ちには、待っていたのでございましょう。また三日めの夜には、囲いの行《あん》灯《どん》に向かっていても、雪折れの音のするたびごとに、聞き耳ばかり立てておりました。
ところが三《さん》更《こう》も過ぎた時分、突然茶室の外の庭に、何か人の組み合うらしい物音が聞こえるではございませんか? わたしの心に閃《ひらめ》いたのは、もちろん甚内の身の上でございます。もしや捕《と》り手《て》でもかかったのではないか?――わたしはとっさにこう思いましたから、庭に向いた障子を明けるが早いか、行灯の火を掲《かか》げて見ました。雪の深い茶室の前には、大《だい》明《みん》竹《ちく》の垂《た》れ伏《ふ》したあたりに、誰か二人掴《つか》み合《あ》っている――と思うとその一人は、飛びかかる相手を突《つ》き放したなり、庭木の陰《かげ》をくぐるように、たちまち塀《へい》の方へ逃《に》げ出しました。雪のはだれる音、塀に攀《よ》じ登《のぼ》る音、――それぎりひっそりしてしまったのは、もうどこか塀の外へ、無事に落ち延《の》びたのでございましょう。が、突き放された相手の一人は、格別跡《あと》を追おうともせず、体《からだ》の雪を払《はら》いながら、静かにわたしの前へ歩み寄りました。
「わたしです。阿《あ》媽《ま》港《かわ》甚《じん》内《ない》ですよ」
わたしはあっけにとられたまま、甚内の姿を見守りました。甚内は今夜も南《なん》蛮《ばん》頭《ず》巾《きん》に、袈《け》裟《さ》法衣《ころも》を着ているのでございます。
「いや、とんだ騒《さわ》ぎをしました。誰もあの組打ちの音に、眼を覚《さま》さねばしあわせですが」
甚内は囲いへはいると同時に、ちらりと苦笑を洩《も》らしました。
「なに、わたしが忍《しの》んで来ると、ちょうど誰かこの床《ゆか》の下へ、這《は》いこもうとするものがあるのです。そこで一つ手《て》捕《ど》りにした上、顔を見てやろうと思ったのですが、とうとう逃げられてしまいました」
わたしはまださっきの通り、捕《と》り手《て》の心配がございましたから、役人ではないかと尋《たず》ねてみました。が、甚内は役人どころか盗《ぬす》人《びと》だと申すのでございます。盗人が盗人を捉《とら》えようとした、――このくらい珍《めずら》しいことはございますまい。今度は甚内よりもわたしの顔に、自然と苦笑が浮《う》かびました。しかしそれはともかくも、調達の成否を聞かないうちは、わたしの心も安まりません。すると甚内は言わない先に、わたしの心を読んだのでございましょう、悠《ゆう》々《ゆう》と胴《どう》巻《ま》きをほどきながら、炉《ろ》の前へ金包みを並《なら》べました。
「ご安心なさい、六千貫《がん》の工《く》面《めん》はつきましたから。――実はもう昨日《きのう》のうちに、たいてい調達したのですが、まだ二百貫ほど不足でしたから、今夜はそれを持って来ました。どうかこの包みを受け取ってください。また昨日《きのう》までに集めた金は、あなたがたご夫婦も知らないうちに、この茶室の床《ゆか》下《した》へ隠しておきました。おおかた今夜の盗人のやつも、その金をかぎつけて来たのでしょう」
わたしは夢《ゆめ》でも見ているように、そういう言葉を聞いていました。盗人に金を施《ほどこ》してもらう、――それはあなたに伺《うかが》わないでも、確かによいことではございますまい。しかし調達ができるかどうか、半《はん》信《しん》半《はん》疑《ぎ》の境にいた時は、善悪も考えずにおりましたし、また今となってみれば、むげに受け取らぬとも申されません。しかもその金を受け取らないとなれば、わたしばかりか一家のものも、路《ろ》頭《とう》に迷うのでございます。どうかこの心もちに、せめてはご憐《れん》憫《びん》をお加えください。わたしはいつか甚内の前に、うやうやしく両手をついたまま、何も申さずに泣いておりました。……
そののちわたしは二年の間、甚内の噂《うわさ》を聞かずにおりました。が、とうとう分《ぶん》散《さん》もせずに恙《つつが》ないその日を送られるのは、皆《みな》甚内のお蔭《かげ》でございますから、いつでもあの男のしあわせのために、人知れずおん母「まりや」様へも、祈《き》願《がん》をこめていたのでございます。ところがどうでございましょう、このごろ往来の話を聞けば、阿媽港甚内はお召《め》し捕《と》りの上、戻《もど》り橋《ばし》に首を曝《さら》していると、こう申すではございませんか? わたくしは驚《おどろ》きもいたしました。人知れず涙《なみだ》も落としました。しかし積《せき》悪《あく》の報《むく》いと思えば、これもいたしかたはございますまい。いや、むしろこの永《なが》年《ねん》、天《てん》罰《ばつ》も受けずにおりましたのは、不思議だったくらいでございます。が、せめてもの恩返しに、陰《かげ》ながら回《え》向《こう》をしてやりたい。――こう思ったものでございますから、わたしは今日《きよう》伴《とも》もつれずに、さっそく一条戻り橋へ、その曝し首を見に参りました。
戻り橋のほとりへ参りますと、もうその首を曝した前には、大ぜい人がたかっております。罪状を記《しる》した白《しら》木《き》の札《ふだ》、首の番をする下《した》役《やく》人《にん》――それはいつもと変わりません。が、三本組み合わせた、青竹の上に載せてある首は、――ああ、そのむごたらしい血まみれの首は、どうしたというのでございましょう? わたしは騒《そう》々《ぞう》しい人だかりの中に、蒼《あお》ざめた首を見るが早いか、思わず立ちすくんでしまいました。この首はあの男ではございません。阿媽港甚内の首ではございません。この太い眉《まゆ》、この突き出た頬《ほお》、この眉《み》間《けん》の刀《かたな》創《きず》、――何一つ甚内には似ておりません。しかし、――わたしは突《とつ》然《ぜん》日の光も、わたしのまわりの人だかりも、竹の上に載せた曝《さら》し首も、皆どこか遠い世界へ、流れてしまったかと思うくらい、烈《はげ》しい驚きに襲《おそ》われました。この首は甚内ではございません。わたしの首でございます。二十年以前のわたし、――ちょうど甚内の命を助けた、そのころのわたしでございます。「弥《や》三《さぶ》郎《ろう》!」――わたしは舌さえ動かせたなら、こう叫《さけ》んでいたかも知れません。が、声を揚《あ》げるどころかわたしの体は瘧《おこり*》 を病んだように、震《ふる》えているばかりでございました。
弥三郎! わたしはただ幻《まぼろし》のように、倅《せがれ》の曝し首を眺《なが》めました。首はやや仰《あお》向《む》いたまま半ば開いた〓《まぶた》の下から、じっとわたしを見守っております。これはどうした訣《わけ》でございましょう? 倅は何かの間《ま》違《ちが》いから、甚内と思われたのでございましょうか? しかしご吟《ぎん》味《み》も受けたとすれば、そういう間違いは起こりますまい。それとも阿媽港甚内というのは、倅だったのでございましょうか? わたしの宅へ来た贋《にせ》雲《うん》水《すい》は、誰か甚内の名前を仮りた、別人だったのでございましょうか? いや、そんなはずはございません。三日という日限を一日も違《たが》えず、六千貫《がん》の金を工《く》面《めん》するものは、この広い日本の国にも、甚内のほかに誰がおりましょう? してみると、――その時わたしの心の中には、二年以前雪の降った夜、甚内と庭で争っていた、誰とも知らぬ男の姿が、急にはっきり浮《う》かんで参りました。あの男は誰だったのでございましょう? もしや倅ではございますまいか? そういえばあの男の姿かたちは、ちらりと一目見ただけでも、どうやら倅の弥三郎に、似ていたようでもございます。しかしこれはわたし一人の、心の迷いでございましょうか? もし倅だったとすれば、――わたしは夢《ゆめ》の覚《さ》めたように、しげしげ首を眺めました。するとその紫《むらさき》ばんだ、妙《みよう》に緊《しま》りのない脣《くちびる》には、何か微笑《ほほえみ》に近いものが、ほんのり残っているのでございます。
曝し首に微笑《ほほえみ》が残っている、――あなたはそんなことをお聞きになると、お哂《わら》いになるかも知れません。わたしさえそれに気のついた時には、眼のせいかとも思いました。が、何度見直しても、その干《ひ》からびた脣《くちびる》には、確かに微笑らしい明るみが、漂《ただよ》っているのでございます。わたしはこの不思議な微笑に、永い間見入っておりました。と、いつかわたしの顔にも、やはり微笑が浮《う》かんで参りました。しかし微笑が浮かぶと同時に、眼には自然と熱い涙も、にじみ出してきたのでございます。
「お父《とう》さん、堪《かん》忍《にん》してください。――」
その微笑は無言のうちに、こう申していたのでございます。
「お父さん。不孝の罪は堪忍してください。わたしは二年以前の雪の夜、勘《かん》当《どう》のお詫《わ》びがしたいばかりに、そっと家《うち》へ忍《しの》んで行きました。昼間は店のものに見られるのさえ、恥《は》ずかしいなりをしていましたから、わざわざ夜の更《ふ》けるのを待った上、お父さんの寝《ね》間《ま》の戸を叩《たた》いても、お眼にかかるつもりでいたのです。ところがふと囲いの障子に、火《ほ》影《かげ》のさしているのを幸い、そこへ怯《お》ず怯《お》ず行きかけると、いきなり誰か後ろから、言葉もかけずに組みつきました。
「お父さん。それから先はどうなったか、あなたの知っている通りです。わたしはあまり不意だったため、お父さんの姿を見るが早いか、相手の曲《くせ》者《もの》を突き放したなり、高《たか》塀《べい》の外へ逃げてしまいました。が、雪明りに見た相手の姿は、不思議にも雲《うん》水《すい》のようでしたから、誰も追う者のないのを確かめたのち、もう一度あの茶室の外へ、大《だい》胆《たん》にも忍んで行ったのです。わたしは囲いの障子越《ご》しに、いっさいの話を立ち聞きました。
「お父さん。北条屋を救った甚内は、わたしたち一家の恩人です。わたしは甚内の身に危急があれば、たとえ命は抛《なげう》っても、恩に報《むく》いたいと決心しました。またこの恩を返すことは、勘《かん》当《どう》を受けた浮《ふ》浪《ろう》人《にん》のわたしでなければできますまい。わたしはこの二年間、そういう機会を待っていました。そうして、――その機会が来たのです。どうか不孝の罪は堪《かん》忍《にん》してください。わたしは極《ごく》道《どう》に生まれましたが、一家の大恩だけは返しました。それがせめてもの心やりです。……」
わたしは宅へ帰る途《と》中《ちゆう》も、同時に泣いたり笑ったりしながら、倅《せがれ》のけなげさを褒《ほ》めてやりました。あなたはご存知になりますまいが、倅の弥三郎もわたしと同様、ご宗《しゆう》門《もん》に帰《き》依《え》しておりましたから、もとは「ぽうろ」と言う名前さえも、頂いておったものでございます。しかし、――しかし倅も不運なやつでございました。いや、倅ばかりではございません。わたしもあの阿媽港甚内に一家の没《ぼつ》落《らく》さえ救われなければ、こんな嘆《なげ》きはいたしますまいに。いくら未練だと思いましても、こればかりはせつのうございます。分《ぶん》散《さん》せずにいたほうがよいか、枠を殺さずにおいたほうがよいか、――(突《とつ》然《ぜん》苦しそうに)どうかわたしをお救いください。わたしはこのまま生きていれば、大恩人の甚内を憎《にく》むようになるかも知れません。……(永い間の歔欷《すすりなき》)
「ぽうろ」弥三郎の話
ああ、おん母「まりや」様! わたしは夜が明けしだい、首を打たれることになっています。わたしの首は地に落ちても、わたしの魂《たましい》は小鳥のように、あなたのお側《そば》へ飛んで行くでしょう。いや、悪事ばかり働いたわたしは、「はらいそ《*》 」(天国)の荘《しよう》厳《ごん》を拝する代りに、恐《おそ》ろしい「いんへるの」(地《じ》獄《ごく》)の猛《もう》火《か》の底へ、逆《さか》落《お》としになるかも知れません。しかしわたしは満足です。わたしの心には二十年来、このくらいうれしい心もちは、宿ったことがないのです。
わたしは北《ほう》条《じよう》屋《や》弥《や》三《さぶ》郎《ろう》です。が、わたしの曝《さら》し首は、阿《あ》媽《ま》港《かわ》甚《じん》内《ない》と呼ばれるでしょう。わたしがあの阿媽港甚内、――これほど愉快なことがあるでしょうか? 阿媽港甚内、――どうです? いい名前ではありませんか? わたしはその名前を口にするだけでも、この暗い牢《ろう》の中さえ、天上の薔《ば》薇《ら》や百合《ゆり》の花に、満ち渡《わた》るような心もちがします。
忘れもしない二年前《ぜん》の冬、ちょうどある大雪の夜です。わたしは博《ばく》奕《ち》の元《もと》手《で》が欲しさに、父の本宅へ忍《しの》びこみました。ところがまた囲いの障子に、火《ほ》影《かげ》がさしていましたから、そっとそこを窺《うかが》おうとすると、いきなり誰《だれ》か言葉もかけず、わたしの襟《えり》上《がみ》を捉《とら》えたものがあります。振《ふ》り払《はら》う、また掴みかかる、――相手は誰だか知らないのですが、その力の逞《たくま》しいことは、とうてい唯《ただ》ものとは思われません。のみならず二、三度揉《も》み合《あ》ううちに、茶室の障子が明《あ》いたと思うと、庭へ行《あん》灯《どん》をさし出したのは、紛《まぎ》れもない父の弥《や》三《さ》右《う》衛《え》門《もん》です。わたしはいっしょうけんめいに、掴まれた胸《むな》倉《ぐら》を振り切りながら、高《たか》塀《べい》の外へ逃《に》げ出しました。
しかし半町ほど逃げ延《の》びると、わたしはある軒《のき》下《した》に隠れながら、往来の前後を見《み》廻《まわ》しました。往来には夜《よ》目《め》にも白々と、時々雪《ゆき》煙《けむり》が揚《あ》がるほかには、どこにも動いているものは見えません。相手は諦《あきら》めてしまったのか、もう追いかけても来ないようです。が、あの男は何ものでしょう? とっさの間に見たところでは、確かに僧《そう》形《ぎよう》をしていました。が、さっきの腕《うで》の強さを見れば、――ことに兵法にも精《くわ》しいのを見れば、世の常の坊《ぼう》主《ず》ではありますまい。第一こういう大雪の夜に、庭先へ誰か坊主が来ている、――それが不思議ではありませんか? わたしはしばらく思案したのち、たとい危《あぶな》い芸当にしても、とにかくもう一度茶室の外へ忍《しの》び寄ることに決心しました。
それから一《いつ》時《とき》ばかりたったころです。あの怪《あや》しい行《あん》脚《ぎや》の坊主は、ちょうど雪の止《や》んだのを幸い、小川通りを下って行きました。これが阿媽港甚内なのです。侍《さむらい》、連《れん》歌《が》師《し》、町人、虚《こ》無《む》僧《そう》、――何にでも姿を変えるという、洛《らく》中《ちゆう》に名高い盗《ぬす》人《びと》なのです。わたしはあとから見え隠《がく》れに甚内の跡《あと》をつけて行きました。その時ほど妙《みよう》にうれしかったことは、一度もなかったのに違《ちが》いありません。阿媽港甚内! 阿媽港甚内! わたしはどのくらい夢のうちにも、あの男の姿を慕《した》っていたでしょう。殺《せつ》生《しよう》関《かん》白《ぱく》の太刀《たち》を盗んだのも甚内です。沙《しや》室《むろ》屋《や*》 の珊《さん》瑚《ご》樹《じゆ》を詐《かた》ったのも甚内です。備《び》前《ぜん》宰《さい》相《しよう*》 の伽《きや》羅《ら》を切ったのも、甲《カ》比《ピ》丹《タン》「ぺれいら」の時《と》計《けい》を奪《うば》ったのも、一《いち》夜《や》に五つの土蔵を破ったのも、八人の参《み》河《かわ》侍《ざむらい*》 を斬《 き》り倒《たお》したのも、――そのほか末《まつ》代《だい》にも伝わるような、稀《け》有《う》の悪事を働いたのは、いつでも阿媽港甚内です。その甚内は今わたしの前に、網《あ》代《じろ》の笠《かさ》を傾《かたむ》けながら、薄《うす》明《あか》るい雪《ゆき》路《みち》を歩いている。――こういう姿を眺《なが》められるのは、それだけでもしあわせではありませんか? が、わたしはこの上にも、もっとしあわせになりたかったのです。
わたしは浄《じよう》厳《ごん》寺《じ》の裏へ来ると、いっさんに甚内へ追いつきました。ここはずっと町家のない土《ど》塀《べい》続きになっていますから、たとい昼でも人目を避《さ》けるには、いちばんお誂《あつら》えの場所なのですが、甚内はわたしを見ても、格別驚《おどろ》いた気《け》色《しき》は見せず、静かにそこへ足を止めました。しかも杖《つえ》をついたなり、わたしの言葉を待つように、一《ひと》言《こと》も口を利《き》かないのです。わたしは実際恐《おそ》る恐る、甚内の前に手をつきました。しかしその落ち着いた顔を見ると、思うように声さえ出て来ません。
「どうか失礼はご免《めん》ください。わたしは北条屋弥三右衛門の倅《せがれ》弥三郎と申すものです。――」
わたしは顔を火《ほ》照《て》らせながら、やっとこう口を切りました。
「実は少しお願いがあって、あなたの跡《あと》を慕《した》って来たのですが、……」
甚内はただ頷《うなず》きました。それだけでも気の小さいわたしには、どのくらいありがたい気がしたでしょう。わたしは勇気も出て来ましたから、やはり雪の中に手をついたなり、父の勘《かん》当《どう》を受けていること、今はあぶれものの仲《なか》間《ま》にはいっていること、今夜父の家《うち》へ盗《ぬす》みにはいったところが、はからず甚内にめぐり合ったこと、なおまた父と甚内との密談も一つ残らず聞いたこと、――そんなことを手短に話しました。が、甚内は相変わらず、黙《もく》然《ねん》と口を噤《つぐ》んだまま、ひややかにわたしを見ているのです。わたしはその話をしてしまうと、いっそう膝《ひざ》を進ませながら、甚内の顔を覗《のぞ》きこみました。
「北条一家の蒙《こうむ》った恩は、わたしにもまたかかっています。わたしはその恩を忘れないしるしに、あなたの手《て》下《した》になる決心をしました。どうかわたしを使ってください。わたしは盗みも知っています。火をつける術《すべ》も知っています。そのほか一通りの悪事だけは、人に劣《おと》らず知っています。――」
しかし甚内は黙《だま》っています。わたしは胸を躍《おど》らせながら、いよいよ熱心に説き立てました。
「どうかわたしを使ってください。わたしは必ず働きます。京、伏《ふし》見《み》、堺《さかい》、大阪、――わたしの知らない土地はありません。わたしは一日に十五里《り》歩きます。力も四《し》斗《と》俵《びよう》は片手に挙《あ》がります。人も二、三人は殺してみました。どうかわたしを使ってください。わたしはあなたのためならば、どんな仕事でもしてみせます。伏見の城の白《しろ》孔《く》雀《じやく》も、盗めと言えば、盗んで来ます。『さん・ふらんしすこ』の寺の鐘《しゆ》楼《ろう》も、焼けと言えば焼いて来ます。右《う》大《だい》臣《じん》家《け》の姫《ひめ》君《ぎみ》も、拐《かどわか》せと言えば拐かして来ます。奉《ぶ》行《ぎよう》の首も取れと言えば、――」
わたしはこう言いかけた時、いきなり雪の中へ蹴《け》倒《たお》されました。
「ばかめ!」
甚内は一声叱《しか》ったまま、元の通り歩いて行きそうにします。わたしはほとんど気違いのように法衣《ころも》の裾《すそ》へ縋《すが》りつきました。
「どうかわたしを使ってください。わたしはどんな場合にも、きっとあなたを離《はな》れません。あなたのためには水《すい》火《か》にも入《はい》ります。あの『えそぽ《*》 』の話の獅《し》子《し》王《おう》さえ、鼠《ねずみ》に救《すく》われるではありませんか? わたしはその鼠になります。わたしは、――」
「黙れ。甚内は貴《き》様《さま》なぞの恩は受けぬ」
甚内はわたしを振《ふ》り放すと、もう一度そこへ蹴倒しました。
「白《びやく》癩《らい》めが! 親孝行でもしろ!」
わたしは二度めに蹴倒された時、急に口《く》惜《や》しさがこみ上げて来ました。
「よし! きっと恩になるな!」
しかし甚内は見返りもせず、さっさと雪《ゆき》路《みち》を急いで行きます。いつかさし始めた月の光に網《あ》代《じろ》の笠《かさ》を仄《ほの》めかせながら、……それぎりわたしは二年の間、ずっと甚内を見ずにいるのです。(突《とつ》然《ぜん》笑う)「甚内は貴様なぞの恩は受けぬ」……あの男はこう言いました。しかしわたしは夜の明けしだい、甚内の代りに殺されるのです。
ああ、おん母「まりや様!」わたしはこの二年間、甚内の恩を返したさに、どのくらい苦しんだか知れません。恩を返したさに?――いや、恩と言うよりも、むしろ恨《うら》みを返したさにです。しかし甚内はどこにいるか? 甚内は何をしているか?――誰にそれがわかりましょう? 第一甚内はどんな男か?――それさえ知っているものはありません。わたしが遇《あ》った贋《にせ》雲《うん》水《すい》は四十前後の小男です。が、柳《やなぎ》町《まち》の廓《くるわ》にいたのは、まだ三十を越《こ》えていない、赧《あか》ら顔《がお》に鬚《ひげ》の生《は》えた、浪《ろう》人《にん》だというではありませんか? 歌《か》舞《ぶ》伎《き》の小屋を擾《さわ》がしたという、腰《こし》の曲がった紅《こう》毛《もう》人《じん》、妙《みよう》国《こく》寺《じ》の財宝を掠《かす》めたという、前《まえ》髪《がみ》の垂《た》れた若《わか》侍《ざむらい》、――そういうのを皆《みな》甚内とすれば、あの男の正体を見分けることさえ、とうてい人力には及《およ》ばないはずです。そこへわたしは去年の末から、吐《と》血《けつ》の病に罹《かか》ってしまいました。
どうか恨みを返してやりたい、――わたしは日ごとに痩《や》せ細りながら、そのことばかりを考えていました。するとある夜わたしの心に、突《とつ》然《ぜん》閃《ひらめ》いた一策があります。「まりや」様! 「まりや」様! この一策をお教えくだすったのは、あなたのお恵《めぐ》みに違《ちが》いありません。ただわたしの体《からだ》を捨てる、吐血の病に衰《おとろ》え果てた、骨と皮ばかりの体を捨てる、――それだけの覚《かく》悟《ご》をしさえすれば、わたしの本望は遂《と》げられるのです。わたしはその夜うれしさのあまり、いつまでも独《ひと》り笑いながら、同じ言葉を繰り返していました。――
「甚内の身代りに首を打たれる。甚内の身代りに首を打たれる。……」
甚内の身代りに首を打たれる――なんとすばらしいことではありませんか? そうすればもちろんわたしといっしょに、甚内の罪も亡《ほろ》んでしまう。――甚内は広い日本国じゅう、どこでも大《おお》威《い》張《ば》りに歩けるのです。その代り(再び笑う)――その代りわたしは一夜のうちに、稀《き》代《だい》の大《たい》賊《ぞく》になれるのです。呂《る》宋《そん》助《すけ》左《ざ》衛《え》門《もん》の手《て》代《だい》だったのも、備《び》前《ぜん》宰《さい》相《しよう》の伽《きや》羅《ら》を切ったのも、利《り》休《きゆう》居《こ》士《じ》の友だちになったのも、沙《しや》室《むろ》屋《や》の珊《さん》瑚《ご》樹《じゆ》を詐《かた》ったのも、伏《ふし》見《み》の城の金《かね》蔵《ぐら》を破ったのも、八人の参《み》河《かわ》侍《ざむらい》を斬《き》り倒《たお》したのも、――ありとあらゆる甚内の名《めい》誉《よ》は、ことごとくわたしに奪《うば》われるのです。(三度笑う)いわば甚内を助けると同時に、甚内の名前を殺してしまう、一家の恩を返すと同時に、わたしの恨《うら》みも返してしまう、――このくらい愉快な返報はありません。わたしがその夜うれしさのあまり、笑い続けたのも当然です。今でも、――この牢《ろう》の中でも、これが笑わずにいられるでしょうか?
わたしはこの策を思いついたのち、内《だい》裏《り》へ盗《ぬす》みにはいりました。宵《よい》闇《やみ》の夜《よ》の浅いうちですから、御《み》簾《す》越《ご》しに火《ほ》影《かげ》がちらついたり、松の中に花だけ仄《ほの》めいたり、――そんなことも見たように覚えています。が、長い廻《かい》廊《ろう》の屋根から、人《ひと》気《け》のない庭へ飛《と》び下《お》りると、たちまち四、五人の警護の侍に、望みの通り搦《から》められました。その時です。わたしを組み伏《ふ》せた鬚《ひげ》侍《ざむらい》は、いっしょうけんめいに縄《なわ》をかけながら、「今度こそは甚内を手《て》捕《ど》りにしたぞ」と呟《つぶや》いていたではありませんか? そうです。阿媽港甚内のほかに、誰が内裏なぞへ忍びこみましょう? わたしはこの言葉を聞くと、必死にもがいている間でも、思わず微《び》笑《しよう》を洩《も》らしたものです。
「甚内は貴《き》様《さま》なぞの恩にはならぬ」――あの男はこう言いました。しかしわたしは夜の明けしだい、甚内の代りに殺されるのです。なんという気味のよい面《つら》当《あ》てでしょう。わたしは首を曝《さら》されたまま、あの男の来るのを待ってやります。甚内はきっとわたしの首に、声のない哄《こう》笑《しよう》を感ずるでしょう。『どうだ、弥三郎の恩返しは?』――その哄笑はこう言うのです。「お前はもう甚内ではない。阿媽港甚内はこの首なのだ、あの天下に噂《うわさ》の高い、日本第一の大《おお》盗《ぬす》人《びと》は!」(笑う)ああ、わたしは愉快です。このくらい愉快に思ったことは、一生にただ一度です。が、もし父の弥三右衛門に、わたしの曝し首を見られた時には、――(苦しそうに)堪《かん》忍《にん》してください。お父さん! 吐《と》血《けつ》の病に罹《かか》ったわたしは、たとい首を打たれずとも、三年とは命は続かないのです。どうか不孝は堪忍してください。わたしは極《ごく》道《どう》に生まれましたが、とにかく一家の恩だけは返すことができたのですから、……
(大正十一年三月)
仙《せん》人《にん》
皆《みな》さん。
私《わたし》は今大阪にいます、ですから大阪の話をしましょう。
昔、大阪の町へ奉《ほう》公《こう》に来た男がありました。名はなんと言ったかわかりません。ただ飯《めし》炊《た》き奉公に来た男ですから、権《ごん》助《すけ》とだけ伝わっています。
権助は口入れ屋の暖簾《のれん》をくぐると、煙管《きせる》を啣《くわ》えていた番頭に、こう口の世話を頼《たの》みました。
「番頭さん。私は仙《せん》人《にん》になりたいのだから、そういう所へ住みこませてください」
番頭はあっけにとられたように、しばらくは口も利《き》かずにいました。
「番頭さん。聞こえませんか? 私は仙人になりたいのだから、そういう所へ住みこませてください」
「まことにおきのどく様ですが、――」
番頭はやっといつもの通り、煙草《たばこ》をすぱすぱ吸い始めました。
「手《て》前《まえ》の店ではまだ一度も、仙人なぞの口入れは引き受けたことはありませんから、どうかほかへお出《い》でなすってください」
すると権助は不服そうに、千《ち》草《くさ》の股《もも》引《ひき》の膝《ひざ》をすすめながら、こんな理《り》窟《くつ》を言い出しました。
「それはちと話が違《ちが》うでしょう。お前さんの店の暖簾《のれん》には、なんと書いてあるとお思いなさる? 万《よろず》口《くち》入《い》れ所《どころ》と書いてあるじゃありませんか? 万《よろず》というからは何事でも、口入れをするのがほんとうです。それともお前さんの店では暖簾の上に、嘘《うそ》を書いておいたつもりなのですか?」
なるほどこう言われてみると、権助が怒《おこ》るのももっともです。
「いえ、暖簾に嘘がある次第ではありません。なんでも仙《せん》人《にん》になれるような奉《ほう》公《こう》口《ぐち》を探《さが》せと仰有《おつしや》るのなら、明日《あした》またお出でください。今日《きよう》じゅうに心当たりを尋《たず》ねておいてみますから」
番頭はとにかく一《いち》時《じ》逃《のが》れに、権助の頼《たの》みを引き受けてやりました。が、どこへ奉公させたら、仙人になる修《しゆ》業《ぎよう》ができるか、もとよりそんなことなぞはわかるはずがありません。ですからひとまず権助を返すと、さっそく番頭は近所にある医者の所へ出かけて行きました。そうして権助のことを話してから、
「いかがでしょう?先生。仙人になる修業をするには、どこへ奉公するのが近《ちか》路《みち》でしょう?」と、心配そうに尋ねました。
これには医者も困ったのでしょう。しばらくぼんやり腕《うで》組《ぐ》みをしながら、庭の松ばかり眺《なが》めていました。が番頭の話を聞くと、すぐに横から口を出したのは、古《ふる》狐《ぎつね》という渾《あだ》名《な》のある、狡《こう》猾《かつ》な医者の女《によう》房《ぼう》です。
「それはうちへおよこしよ。うちにいれば二、三年うちには、きっと仙人にしてみせるから」
「さようですか? それはよいことを伺《うかが》いました。ではなにぶん願います。どうも仙人とお医者様とは、どこか縁《えん》が近いような心もちがいたしておりましたよ」
何も知らない番頭は、しきりにお時《じ》宜《ぎ》を重ねながら、大喜びで帰りました。
医者は苦い顔をしたまま、そのあとを見送っていましたが、やがて女房に向かいながら、
「お前はなんというばかなことを言うのだ? もしその田舎《いなか》者《もの》が何年いても、いっこう仙《せん》術《じゆつ》を教えてくれぬなぞと、不平でも言い出したら、どうする気だ?」といまいましそうに小《こ》言《ごと》を言いました。
しかし女房はあやまるどころか、鼻の先でふふんと笑いながら、
「まあ、あなたは黙《だま》っていらっしゃい。あなたのようにばか正直では、このせち辛《がら》い世の中に、ご飯を食べることもできはしません」と、あべこべに医者をやりこめるのです。
さて明くる日になると約《やく》束《そく》通り、田舎者の権助は番頭といっしょにやって来ました。
今日はさすがに権助も、初のお目《め》見《み》えだと思ったせいか、紋《もん》付《つ》きの羽《は》織《おり》を着ていますが、見たところはただの百《ひやく》姓《しよう》と少しも違《ちが》った容《よう》子《す》はありません。それがかえって案外だったのでしょう。医者はまるで天《てん》竺《じゆく》から来た麝《じや》香《こう》獣《じゆう*》 でも見る時のように、じろじろその顔を眺《なが》めながら、
「お前は仙《せん》人《にん》になりたいのだそうだが、いったいどういうところから、そんな望みを起こしたのだ?」と、不《ふ》審《しん》そうに尋ねました。すると権助が答えるには、
「別にこれという訣《わけ》もございませんが、ただあの大阪のお城を見たら、太《たい》閤《こう》様《さま》のように偉《えら》い人でも、いつか一度は死んでしまう。してみれば人間というものは、いくら栄《え》耀《よう》栄《えい》華《が》をしても、はかないものだと思ったのです」
「では仙《せん》人《にん》になれさえすれば、どんな仕事でもするだろうね?」
狡《こう》猾《かつ》な医者の女《によう》房《ぼう》は、すかさず口を入れました。
「はい。仙人になれさえすれば、どんな仕事でもいたします」
「それでは今日から私《わたし》のところに、二十年の間奉《ほう》公《こう》おし。そうすればきっと二十年めに、仙人になる術を教えてやるから」
「さようでございますか? それは何よりありがとうございます」
「その代り向こう二十年の間は、一《いち》文《もん》もお給金はやらないからね」
「はい。はい。承知いたしました」
それから権助は二十年間、その医者の家に使われていました。水を汲《く》む。薪《まき》を割る。飯を炊《た》く。拭《ふ》き掃《そう》除《じ》をする。おまけに医者が外へ出る時は、薬箱を背負って伴《とも》をする。――その上給金は一文でも、くれと言ったことがないのですから、このくらい重《ちよう》宝《ほう》な奉公人は、日本じゅう探してもありますまい。
が、とうとう二十年たつと、権助はまた来た時のように、紋《もん》付《つ》きの羽《は》織《おり》をひっかけながら、主人夫婦の前へ出ました。そうして慇《いん》懃《ぎん》に二十年間、世話になった礼を述《の》べました。
「ついてはかねがねお約《やく》束《そく》の通り、今日は一つ私にも、不《ふ》老《ろう》不《ふ》死《し》になる仙人の術を教えてもらいたいと思いますが」
権助にこう言われると、閉《へい》口《こう》したのは主人の医者です。なにしろ一文も給金をやらずに、二十年間も使ったあとですから、いまさら仙《せん》術《じゆつ》は知らぬぞとは、言えた義理ではありません。医者はそこでしかたなしに、
「仙《せん》人《にん》になる術を知っているのは、おれの女《によう》房《ぼう》のほうだから、女房に教えてもらうがいい」
と、そっけなく横を向いてしまいました。
しかし女房は平気なものです。
「では仙術を教えてやるから、その代りどんなむずかしいことでも、私の言う通りにするのだよ。さもないと仙人になれないばかりか、また向こう二十年の間、お給金なしに奉《ほう》公《こう》しないと、すぐに罰《ばち》が当たって死んでしまうからね」
「はい。どんなむずかしいことでも、きっと仕《し》遂《と》げてご覧に入れます」
権助はほくほく喜びながら、女房の言いつけを待っていました。
「それではあの庭の松にお登り」
女房はこう言いつけました。もとより仙人になる術なぞは、知っているはずがありませんから、なんでも権助にできそうもない、むずかしいことを言いつけて、もしそれができない時には、また向こう二十年の間、ただで使おうと思ったのでしょう。しかし権助はその言葉を聞くとすぐに庭の松へ登りました。
「もっと高く。もっとずっと高くお登り」
女房は縁《えん》先《さき》に佇《たたず》みながら、松の上の権助を見上げました。権助の着た紋《もん》付《つ》きの羽《は》織《おり》は、もうその大きな庭の松でも、いちばん高い梢《こずえ》にひらめいています。
「今度は右の手をお放し」
権助は左手にしっかりと、松の太枝をおさえながら、そろそろ右の手を放しました。
「それから左の手も放しておしまい」
「おい。おい。左の手を放そうものなら、あの田舎《いなか》者《もの》は落ちてしまうぜ。落ちれば下には石があるし、とても命はありゃしない」
医者もとうとう縁《えん》先《さき》へ、心配そうな顔を出しました。
「あなたの出る幕ではありませんよ。まあ、私に任《まか》せておおきなさい。――さあ、左の手を放すのだよ」
権助はその言葉が終わらないうちに、思い切って左手も放しました。なにしろ木の上に登ったまま、両手とも放してしまったのですから、落ちずにいる訣《わけ》はありません。あっという間に権助の体は、権助の着ていた紋《もん》付《つ》きの羽《は》織《おり》は、松の梢《こずえ》から離《はな》れました。が、離れたと思うと落ちもせずに、不思議にも昼間の中《なか》空《ぞら》へ、まるで操《あやつ》り人《にん》形《ぎよう》のように、ちゃんと立ち止まったではありませんか?
「どうもありがとうございます。おかげ様で私も一人前の仙《せん》人《にん》になれました」
権助はていねいにお時《じ》宜《ぎ》をすると、静かに青空を踏《ふ》みながら、だんだん高い雲の中へ昇《のぼ》って行ってしまいました。
医者夫婦はどうしたか、それは誰《だれ》も知っていません。ただその医者の庭の松は、ずっとあとまでも残っていました。なんでも淀《よど》屋《や》辰《たつ》五《ご》郎《ろう*》 は、この松の雪《ゆき》景《げ》色《しき》を眺《なが》めるために、四《よ》抱《かか》えにも余る大木をわざわざ庭へ引かせたそうです。
(大正十一年三月)
庭
上
それはこの宿《しゆく》の本《ほん》陣《じん*》 に当たる、中村という旧《きゆう》家《か》の庭だった。
庭はご維《い》新《しん》後十年ばかりの間は、どうにか旧態を保《たも》っていた。瓢《ひよう》箪《たん》なりの池も澄《す》んでいれば、築《つき》山《やま》の松の枝もしだれていた。栖《せい》鶴《かく》軒《けん》、洗《せん》心《しん》亭《てい》、――そういう四阿《あずまや》も残っていた。池の窮《きわ》まる裏山の崖《がけ》には、白々と滝《たき》も落ち続けていた。和《かず》の宮《みや》様《さま》ご下《げ》向《こう*》 の時、名を賜《たま》わったという石《いし》灯《どう》籠《ろう》も、やはり年々に拡《ひろ》がりがちな山《やま》吹《ぶ》きの中に立っていた。しかしそのどこかにある荒《こう》廃《はい》の感じは隠《かく》せなかった。ことに春先、――庭の内《うち》外《そと》の大木の梢《こずえ》に、一度に若《わか》芽《め》の萌《も》え立つころには、この明《めい》媚《び》な人工の景《け》色《しき》の背後に、何か人間を不安にする、野《や》蛮《ばん》な力の迫《せま》って来たことが、いっそう露《ろ》骨《こつ》に感ぜられるのだった。
中村家の隠《いん》居《きよ》、――伝《でん》法《ぼう》肌《はだ》の老人は、その庭に面した母《おも》屋《や》の炬《こ》燵《たつ》に、頭《ず》瘡《そう》を病んだ老妻と、碁《ご》を打ったり花合わせをしたり、屈《くつ》託《たく》のない日を暮《く》らしていた。それでも時々は立て続けに、五、六番老妻に勝ち越されると、むきになって怒《おこ》り出すこともあった。家《か》督《とく》を継《つ》いだ長男は、従兄妹《いとこ》同志の新《にい》妻《づま》と、廊《ろう》下《か》続きになっている、手《て》狭《ぜま》い離《はな》れに住んでいた。長男は表《ひよう》徳《とく*》 を文室という、癇《かん》癖《ぺき》の強い男だった。病身な妻や弟たちはもちろん、隠《いん》居《きよ》さえ彼には憚《はば》かっていた。ただそのころこの宿にいた、乞《こ》食《じき》宗《そう》匠《しよう》の井《せい》月《げつ*》 ばかりは、たびたび彼のところへ遊びに来た。長男も不思議に井月にだけは、酒を飲ませたり字を書かせたり、機《き》嫌《げん》のいい顔を見せていた。「山はまだ花の香《か》もあり時鳥《ほととぎす》、井月。ところどころに滝のほのめく、文室」――そんな付《つけ》合《あい*》 も残っている。そのほかにまだ弟が二人、――次男は縁《えん》家《か》の穀《こく》屋《や》へ養《よう》子《し》に行き、三男は五、六里《り》離《はな》れた町の、大きい造り酒屋に勤めていた。彼らは二人とも言い合わせたように、めったに本《ほん》家《け》には近づかなかった。三男は居どころが遠い上に、もともと当主とは気が合わなかったから。次男は放《ほう》蕩《とう》に身を持《も》ち崩《くず》した結果、養《よう》家《か》にもほとんど帰らなかったから。
庭は二年三年と、だんだん荒《こう》廃《はい》を加えていった。池には南《なん》京《きん》藻《も》が浮《う》かび始め、植え込みには枯《か》れ木が交《ま》じるようになった。そのうちに隠居の老人は、ある旱《ひで》りの烈《はげ》しい夏、脳《のう》溢《いつ》血《けつ》のために頓《とん》死《し》した。頓死する四、五日前、彼が焼《しよう》酎《ちゆう》を飲んでいると、池の向こうにある洗心亭へ、白い装《しよう》束《ぞく》をした公卿《くげ》が一人、何度も出たりはいったりしていた。少なくとも彼には昼日なか、そんな幻《まぼろし》が見えたのだった。翌年は次男が春の末に、養家の金をさらったなり、酎《しやく》婦《ふ》といっしょに駈《かけ》落《お》ちをした。そのまた秋には長男の妻が、月足らずの男の子を産み落とした。
長男は父の死んだのち、母と母《おも》屋《や》に住まっていた。その跡《あと》の離《はな》れを借りたのは、土地の小学校の校長だった。校長は福《ふく》沢《ざわ》諭《ゆ》吉《きち》翁《おう》の実利の説を奉《ほう》じていたから、庭にも果樹を植えるように、いつか長男を説き伏せていた。爾《じ》来《らい》庭は春になると、見慣れた松や柳《やなぎ》の間に、桃《もも》だの杏《あんず》だの李《すもも》だの、雑色の花を盛るようになった。校長は時々長男と、新しい果樹園を歩きながら、「この通りりっぱに花見もできる。一《いつ》挙《きよ》両《りよう》得《とく》ですね」と批評したりした。しかし築《つき》山《やま》や池や四阿《あずまや》は、それだけにまた以前よりは、いっそう影《かげ》が薄《うす》れ出した。いわば自然の荒《こう》廃《はい》のほかに、人工の荒廃も加わったのだった。
その秋はまた裏の山に、近年にない山火事があった。それ以来池に落ちていた滝《たき》は、ぱったり水が絶えてしまった。と思うと雪の降るころから、今度は当主が煩《わずら》い出した。医者の見立てでは昔の癆《ろう》症《しよう》、今の肺病とかいうことだった。彼は寝たり起きたりしながら、だんだん癇《かん》ばかり昂《たかぶ》らせていった。現に翌《よく》年《とし》の正月には、年始に来た三男と激《げき》論《ろん》の末、手《て》炙《あぶ》りを投げつけたことさえあった。三男はその時帰ったぎり、兄の死に目にも会わずにしまった。当主はそれから一年余りのち、夜《と》伽《とぎ》の妻に守られながら、蚊帳《かや》の中に息をひきとった。
「蛙《かえる》が啼《な》いているな。井月はどうしつら?」――これが最《さい》期《ご》の言葉だった。が、もう井月はとうの昔、この辺の風景にも飽《あ》きたのか、さっぱり乞《こ》食《じき》にも来なくなっていた。
三男は当主の一周忌《き》をすますと、主人の末《すえ》娘《むすめ》と結《けつ》婚《こん》した。そうして離《はな》れを借りていた小学校長の転任を幸い、新妻とそこへ移って来た。離れには黒《くろ》塗《ぬ》りの箪《たん》笥《す》が来たり、紅白の綿《わた》が飾《かざ》られたりした。しかし母《おも》屋《や》ではその間に、当主の妻が煩い出した、病名は夫と同じだった。父に別れた一《ひと》粒《つぶ》種《だね》の子供、――廉《れん》一《いち》も母が血を吐《は》いてからは、毎晩祖母と寝《ね》かせられた。祖母は床《とこ》へはいる前に、必ず頭に手《て》拭《ぬぐい》をかぶった。それでも頭《ず》瘡《そう》の臭《しゆう》気《き》をたよりに、夜ふけには鼠《ねずみ》が近寄って来た。もちろん手拭を忘れでもすれば、鼠に頭を噛《か》まれることもあった。同じ年の暮《く》れに当主の妻は、油《あぶら》火《び》の消えるように死んでいった。そのまた野《の》辺《べ》送《おく》りの翌日には、築山の陰《かげ》の栖《せい》鶴《かく》軒《けん》が大雪のためにつぶされてしまった。
もう一度春がめぐって来た時、庭はただ濁《にご》った池のほとりに、洗《せん》心《しん》亭《てい》の茅《かや》屋《や》根《ね》を残した、雑《ぞう》木《き》原《ばら》の木の芽《め》に変わったのである。
中
ある雪《ゆき》曇《ぐも》りの日の暮れ方、駈《かけ》落《お》ちをしてから十年目に、次男は父の家へ帰って来た。父の家――と言ってもそれは事実上、三男の家と同様だった。三男は格別嫌《いや》な顔もせず、しかしまた格別喜びもせず、いわば何事もなかったように、道《どう》楽《らく》者《もの》の兄を迎え入れた。
爾《じ》来《らい》次男は母《おも》屋《や》の仏《ぶつ》間《ま》に、悪《あく》疾《しつ》のある体《からだ》を横たえたなり、じっと炬《こ》燵《たつ》を守っていた。仏間には大きい仏《ぶつ》壇《だん》に、父や兄の位《い》牌《はい》が並《なら》んでいた。彼はその位牌の見えないように、仏壇の障子をしめ切っておいた。まして母や弟夫婦とは、三度の食事をともにするほかは、ほとんど顔も合わせなかった。ただみなし児《ご》の廉一だけは、時々彼の居間へ遊びに行った。彼は廉一の紙《かみ》石《せき》板《ばん*》 へ、山や船を描《か》いてやった。「向《むこう》島《じま》花ざかり、お茶屋の姐《ねえ》さんちょいとお出《い》で」――どうかするとそんな昔《むかし》の唄《うた》が、おぼつかない筆《ひつ》蹟《せき》を見せることもあった。
そのうちにまた春になった。庭には生《お》い伸《の》びた草木の中に、乏《とぼ》しい桃《もも》や杏《あんず》が花咲《さ》き、どんより水光をさせた池にも、洗《せん》心《しん》亭《てい》の影《かげ》が映り出した。しかし次男は相変わらず、たった一人仏間に閉じこもったぎり、昼でもたいていはうとうとしていた。するとある日彼の耳には、かすかな三《しや》味《み》線《せん》の音《ね》が伝わって来た。と同時に唄の声も、とぎれとぎれに聞こえ始めた。「このたび諏《す》訪《わ》の戦い《*》 に、松《まつ》本《もと》身《み》内《うち》の吉《よし》江《え》様、大《おお》砲《づつ》固《かた》めにおわします。……」次男は横になったまま、心もち首を擡《もた》げてみた。と、唄も三味線も、茶の間《ま》にいる母に違《ちが》いなかった。「その日の出《い》で立ち花やかに、勇み進みし働きは、あっぱれ勇士と見えにける。……」母は孫にでも聞かせているのか、大《おお》津《つ》絵《え*》 の替《か》え唄《うた》を唄い続けた。しかしそれは伝《でん》法《ぼう》肌《はだ》の隠《いん》居《きよ》が、どこかの花魁《おいらん》に習ったという、二、三十年以前の流行《はやり》唄《うた》だった。「敵の大《おお》玉《だま》身に受けて、是非もなや、惜しき命を豊《とよ》橋《はし》に、草葉の露《つゆ》と消えぬとも、末世末代名は残る。……」次男は無《ぶ》精《しよう》髭《ひげ》の伸《の》びた顔に、いつか妙《みよう》な眼《め》を輝《かがや》かせていた。
それから二、三日たったのち、三男は蕗《ふき》の多い築《つき》山《やま》の陰《かげ》に、土を掘《ほ》っている兄を発見した。次男は息を切らせながら、不自由そうに鍬《くわ》を揮《ふる》っていた。その姿はどこかこっけいなうちに、真《しん》剣《けん》な意気組みもあるものだった。「あに様、何をしているだ?」三男は巻《まき》煙草《たばこ》を啣《くわ》えたなり、後ろから兄へ声をかけた。「おれか?」――次男は眩《まぶ》しそうに弟を見上げた。「こけへ今せんげ《*》 (小流れ)を造ろうと思う」「せんげを造って何しるだ?」「庭をもとのようにしっと思うだ」――三男はにやにや笑ったぎり、なんともその先は尋《たず》ねなかった。
次男は毎日鍬を持っては、熱心にせんげを造り続けた。が、病に弱った彼には、それだけでも容易な仕事ではなかった。彼は第一に疲《つか》れやすかった。その上慣れない仕事だけに、豆を拵《こしら》えたり、生《なま》爪《づめ》を剥《は》いだり、何かと不自由も起こりがちだった。彼は時々鍬を捨てると、死んだようにそこへ横になった。彼のまわりにはいつになっても、庭をこめた陽炎《かげろう》の中に、花や若葉が煙《けむ》っていた。しかし静かな何分かののち、彼はまた蹌踉《よろよろ》と立ち上がると、執《しつ》拗《よう》に鍬を使い出すのだった。
しかし庭は幾《いく》日《にち》たっても、はかばかしい変化を示さなかった。他には相変わらず草が茂《しげ》り、植《うえ》込《こ》みにも雑《ぞう》木《き》が枝を張っていた。ことに果樹の花の散ったあとは、前よりも荒れたかと思うくらいだった。のみならず一家の老《ろう》若《にやく》も、次男の仕事には同情がなかった。山《やま》気《ぎ》に富んだ三男は、米《こめ》相《そう》場《ば》や蚕《かいこ》に没《ぼつ》頭《とう》した。三男の妻は次男の病に、女らしい嫌《けん》悪《お》を感じていた。母も、――母は彼の体のために、土いじりの過ぎるのを惧《おそ》れていた。次男はそれでも剛《ごう》情《じよう》に、人間と自然とへ背を向けながら、少しずつ庭を造り変えていった。
そのうちにある雨上がりの朝、彼は庭へ出かけてみると、蕗《ふき》の垂《た》れかかったせんげの縁に、石を並《なら》べている廉一を見つけた。「叔父《おじ》さん」――廉一はうれしそうに彼を見上げた。「おれにも今日《きよう》から手伝わせておくりゃ」「うん、手伝ってくりゃ」次男もこの時は久しぶりに、晴れ晴れした微《び》笑《しよう》を浮《う》かべていた。それ以来廉一は、外へも出ずにせっせと叔父の手伝いをし出した。――次男はまた甥《おい》を慰《なぐさ》めるために、木かげに息を入れる時には、海とか東京とか鉄道とか、廉一の知らない話をして聞かせた。廉一は青《あお》梅《うめ》を噛《か》じりながら、まるで催《さい》眠《みん》術《じゆつ》にでもかかったように、じっとその話に聞き入っていた。
その年の梅雨《つゆ》は空《から》梅雨《つゆ》だった。彼ら、――年とった廃《はい》人《じん》と童子とは、烈《はげ》しい日光や草いきれにもめげず、池を掘《ほ》ったり木を伐《き》ったり、だんだん仕事を拡《ひろ》げていった。が、外界の障害にはどうにかこうにか打《う》ち克《か》っていっても、内面の障害だけはしかたがなかった。次男はほとんど幻《まぼろし》のように昔《むかし》の庭を見ることができた。しかし庭木の配りとか、あるいは径《みち》のつけ方とか、細かい部分の記《き》憶《おく》になると、はっきりしたことはわからなかった。彼は時々仕事の最中、突《とつ》然《ぜん》鍬《くわ》を杖《つえ》にしたまま、ぼんやりあたりを見《み》廻《まわ》すことがあった。「何しただい?」――廉一は必ず叔父《おじ》の顔へ、不安らしい目付きを挙《あ》げるのだった。「ここはもとどうなっていつらなあ?」――汗《あせ》になった叔父はうろうろしながら、いつもまた独《ひとり》語《ごと》しか言わなかった。「この楓《かえで》はここになかつらと思うがなあ」廉一はただ泥《どろ》まみれの手に、蟻《あり》でも殺すよりほかはなかった。
内面の障害はそればかりではなかった。しだいに夏も深まってくると、次男は絶え間ない過労のためか頭もいつか混乱してきた。一度掘った池を埋《う》めたり、松を抜《ぬ》いた跡《あと》へ松を植えたり、――そういうこともたびたびあった。ことに廉一を怒《おこ》らせたのは、池の杭《くい》を造るために、水ぎわの柳《やなぎ》を伐《き》ったことだった。「この柳はこの間植えたばっかだに」――廉一は叔父を睨《にら》みつけた。「そうだったかなあ。おれにはなんだかわからなくなってしまった」――叔父は憂《ゆう》鬱《うつ》な目をしながら、日《ひ》盛《ざか》りの池を見つめていた。
それでも秋が来た時には、草や木の簇《むら》がった中から、朧《おぼろ》げに庭も浮《う》き上がってきた。もちろん昔《むかし》に比べれば、栖《せい》鶴《かく》軒《けん》も見えなかったし、滝《たき》の水も落ちてはいなかった。いや、名高い庭《にわ》師《し》の造った、優美な昔の趣《おもむき》は、ほとんどどこにも見えなかった。しかし「庭」はそこにあった。池はもう一度澄《す》んだ水に、円《まる》い築《つき》山《やま》を映していた。松ももう一度洗心亭の前に、悠《ゆう》々《ゆう》と枝をさしのべていた。が、庭ができると同時に、次男は床《とこ》につき切りになった。熱も毎日下がらなければ、体の節《ふし》々《ぶし》も痛むのだった。「あんまり無理ばっかしるせいじゃ」――枕《まくら》もとに坐《すわ》った母は、何度も同じ愚《ぐ》痴《ち》を繰《く》り返した。しかし次男は幸福だった。庭にはもちろん何《なん》箇《か》所《しよ》でも、直したいところが残っていた。が、それはしかたがなかった。とにかく骨を折った甲《か》斐《い》だけはある。――そこに彼は満足していた。十年の苦労は詮《あきら》めを教え、詮めは彼を救《すく》ったのだった。
その秋の末、次男は誰《だれ》も気づかないうちに、いつか息を引きとっていた。それを見つけたのは廉一だった。彼は大声を挙《あ》げながら、縁《えん》続《つづ》きの離れへ走って行った。一家はすぐに死人のまわりへ、驚《おどろ》いた顔を集めていた。「見ましよ。兄様は笑っているようだに」――三男は母をふり返った。「おや、今日《きよう》は仏《ほとけ》様《さま》の障子が明いている」――三男の妻は死人を見ずに、大きい仏《ぶつ》壇《だん》を気にしていた。
次男の野《の》辺《べ》送《おく》りをすませたのち、廉一はひとり洗心亭に、坐《すわ》っていることが多くなった。いつも途《と》方《ほう》に暮《く》れたように、晩秋の水や木を見ながら、……
下
それはこの宿《しゆく》の本《ほん》陣《じん》に当たる、中村という旧《きゆう》家《か》の庭だった。それが旧に復したのち、まだ十年とたたないうちに、今度は家ぐるみ破《は》壊《かい》された。破壊された跡《あと》には停《てい》車《しや》場《ば》が建ち、停車場の前には小料理屋ができた。
中村の本《ほん》家《け》はもうそのころ、誰《だれ》も残っていなかった。母はもちろんとうの昔《むかし》、亡《な》い人の数にはいっていた。三男は事業に失敗したあげく、大阪へ行ったとかいうことだった。
汽車は毎日停車場へ来ては、また停車場を去って行った。停車場には若い駅長が一人、大きい机に向かっていた。彼は閑散な事務の合い間に、青い山々を眺《なが》めやったり、土地ものの駅員と話したりした。しかしその話の中にも、中村家の噂《うわさ》は上らなかった。いわんや彼らのいるところに、築《つき》山《やま》の四阿《あずまや》のあったことは、誰一人考えもしないのだった。
が、その間に廉《れん》一《いち》は、東京赤《あか》坂《さか》のある洋画研究所に、油《あぶら》画《え》の画《が》架《か》に向かっていた。天《てん》窓《まど》の光、油絵の具の匂《におい》、桃《もも》割《わ》れに結ったモデルの娘《むすめ》、――研究所の空気は故郷の家庭と、なんの連《れん》絡《らく》もないものだった。しかしブラッシュを動かしていると、時々彼の心に浮《う》かぶ、寂《さび》しい老人の顔があった。その顔はまた微《び》笑《しよう》しながら、不《ふ》断《だん》の制作に疲《つか》れた彼へ、きっとこう声をかけるのだった。「お前はまだ子供の時に、おれの仕事を手伝ってくれた。今度はおれに手伝わせてくれ」……
廉一は今でも貧しい中に、毎日油画を描《か》き続けている。三男の噂《うわさ》は誰も聞かない。
(大正十一年六月)
一《いつ》夕《せき》話《わ》
「なにしろこのごろは油断がならない。和《わ》田《だ》さえ芸者を知っているんだから」
藤《ふじ》井《い》という弁護士は、老《ラオ》酒《チユ》の盃《さかずき》を干してから、大《おお》仰《ぎよう》に一同の顔を見まわした。円卓《テエブル》のまわりを囲んでいるのは同じ学校の寄宿舎にいた、我々六人の中年者である。場所は日《ひ》比《び》谷《や》の陶《とう》々《とう》亭《てい*》 の二階、時は六月のある雨の夜、――もちろん藤井のこういったのは、もうそろそろ我々の顔にも、酔《すい》色《しよく》の見え出した時分である。
「僕《ぼく》はそいつを見せつけられた時には、実際今《こん》昔《じやく》の感に堪《た》えなかったね。――」
藤井はおもしろそうに弁じ続けた。
「医科の和田といった日には、柔《じゆう》道《どう》の選手で、賄《まかない》征《せい》伐《ばつ*》 の大将で、リヴィングストンの崇《すう》拝《はい》家で、寒《かん》中《ちゆう》一《ひと》重《え》物《もの》で通した男で、――一《いち》言《ごん》にいえば豪《ごう》傑《けつ》だったじゃないか? それが君、芸者を知っているんだ。しかも柳《やなぎ》橋《ばし》の小えんという、――」
「君はこのごろ河岸《かし》を変えたのかい?」
突《とつ》然《ぜん》横《よこ》槍《やり》を入れたのは、飯《いい》沼《ぬま》という銀行の支店長だった。
「河岸を変えた? なぜ?」
「君がつれて行った時なんだろう、和田がその芸者に遇《あ》ったというのは?」
「早まっちゃいけない。誰《だれ》が和田なんぞをつれて行くもんか。――」
藤井は昂《こう》然《ぜん》と眉《まゆ》を挙《あ》げた。
「あれは先月の幾《いく》日《にち》だったかな? なんでも月曜か火曜だったがね。久しぶりに和田と顔を合わせると、浅《あさ》草《くさ》へ行こうというじゃないか? 浅草はあんまりぞっとしないが、親愛なる旧友のいうことだから、僕もすなおに賛成してさ。真っ昼間六区へ出かけたんだ。――」
「すると活動写真の中にでもい合わせたのか?」
今度はわたしが先くぐりをした。
「活動写真ならばまたいいが、メリイ・ゴオ・ラウンドときているんだ。おまけに二人とも木馬の上へ、ちゃんと跨《またが》っていたんだからな。今考えてもばかばかしいしだいさ。しかしそれも僕の発《ほつ》議《ぎ》じゃない。あんまり和田が乗りたがるから、おつき合いにちょいと乗ってみたんだ。――だがあいつは楽じゃないぜ。野《の》口《ぐち》のような胃《い》弱《じやく》は乗らないがいい」
「子供じゃあるまいし、木馬になんぞ乗るやつがあるもんか?」
野口という大学教授は、青黒い松花《スンホア*》 を頬《ほお》張《ば》ったなり、蔑《さげす》むような笑い方をした。が、藤井はむとんじゃくに、時々和田へ目をやっては、得《とく》々《とく》と話を続けていった。
「和田の乗ったのは白い木馬、僕の乗ったのは赤い木馬なんだが、楽隊といっしょにまわり出された時には、どうなることかと思ったね。尻《しり》は躍《おど》るし、目はまわるし、振《ふ》り落とされないだけが見っけものなんだ。が、その中でも目についたのは、欄《らん》干《かん》の外の見物の間に、芸者らしい女が交《ま》じっている。色の蒼《あお》白《じろ》い、目の沾《うる》んだ、どこか妙《みよう》な憂《ゆう》鬱《うつ》な、――」
「それだけわかっていればだいじょうぶだ。目がまわったも怪《あや》しいもんだぜ」
飯沼はもう一度口を挟《はさ》んだ。
「だからその中でもといっているじゃないか? 髪《かみ》はもちろん銀杏《いちよう》返《がえ》し、なりは薄《うす》青《あお》い縞《しま》のセルに、何か更《さら》紗《さ》の帯だったかと思う。とにかく花《か》柳《りゆう》小説の挿《さし》絵《え》のような楚《そ》々《そ》たる女が立っているんだ。するとその女が、――どうしたと思う? 僕の顔をちらりと見るなり、正《まさ》に嫣《えん》然《ぜん》と一《いつ》笑《しよう》したんだ。おやと思ったがまにあわない。こっちは木馬に乗っているんだから、たちまち女の前は通りすぎてしまう。誰《だれ》だったかなと思う時には、もうわが赤い木馬の前へ、楽隊の連中が現われている。――」
我々は皆《みな》笑い出した。
「二度めもやはり同じことさ。また女がにっこりする。と思うと見えなくなる。あとはただ前後左右に、木馬が跳《は》ねたり、馬車が躍《おど》ったり、然《しか》らずんば喇《らつ》叭《ぱ》がぶかぶかいったり、太《たい》鼓《こ》がどんどん鳴っているだけなんだ。――僕はつらつらそう思ったね。これは人生の象《しよう》徴《ちよう》だ。我々は皆同じように実生活の木馬に乗せられているから、時たま『幸福』にめぐり遇《あ》っても、掴《つか》まえないうちにすれ違《ちが》ってしまう。もし『幸福』を掴まえる気ならば、一思いに木馬を飛《と》び下《お》りるがよい。――」
「まさかほんとうに飛び下りはしまいな?」
からかうようにこういったのは、木《き》村《むら》という電気会社の技師長だった。
「冗《じよう》談《だん》いっちゃいけない。哲《てつ》学《がく》は哲学、人生は人生さ。――ところがそんなことを考えているうちに、三度めになったと思い給《たま》え。その時ふと気がついてみると、――これには僕《ぼく》も驚《おどろ》いたね。あの女が笑《え》顔《がお》を見せていたのは、残念ながら僕にじゃない。賄《まかない》征《せい》伐《ばつ》の大将、リヴィングストンの崇《すう》拝《はい》家、ETC.ETC.……ドクタア和田良平にだったんだ」
「しかしまあ哲《てつ》学《がく》通りに、飛び下りなかっただけしあわせだったよ」
無口な野口も冗《じよう》談《だん》をいった。しかし藤井は相変わらず話を続けるのに熱中していた。
「和田のやつも女の前へ来ると、きっとうれしそうにお時《じ》宜《ぎ》をしている。それがまたこう及《およ》び腰《ごし》に、白い木馬に跨《またが》ったまま、ネクタイだけ前へぶらさげてね。――」
「嘘《うそ》をつけ」
和田もとうとう沈《ちん》黙《もく》を破った。彼はさっきから苦笑をしては、老《ラオ》酒《チユ》ばかりひっかけていたのである。
「なに、嘘なんぞつくもんか。――が、その時はまだいいんだ。いよいよメリイ・ゴオ・ラウンドを出たとなると、和田は僕も忘れたように、女とばかりしゃべっているじゃないか? 女も先生先生といっている。埋《う》まらない役まわりは僕一人さ。――」
「なるほど、これは珍《ちん》談《だん》だな。――おい、君、こうなればもう今夜の会費は、そっくり君に持ってもらうぜ」
飯沼は大きい魚翅《イウツウ*》 の鉢《はち》へ、銀の匙《さじ》を突《つ》きこみながら、隣にいる和田をふり返った。
「ばかな。あの女は友だちの囲《かこ》いものなんだ」
和田は両《りよう》肘《ひじ》をついたまま、ぶっきらぼうにいい放った。彼の顔は見《み》渡《わた》したところ、一座の誰よりも日に焼けている。目鼻だちもはなはだ都会じみていない。その上五《ご》分《ぶ》刈《が》りに刈りこんだ頭は、ほとんど岩石のようにじょうぶそうである。彼は昔ある対校試合に、左の臂《ひじ》を挫《くじ》きながら、五人までも敵を投げたことがあった。――そういう往年の豪《ごう》傑《けつ》ぶりは、黒い背広に縞《しま》のズボンという、当世流行のなりはしていても、どこかにありありと残っている。
「飯沼! 君の囲い者じゃないか?」
藤井は額《ひたい》越《ご》しに相手を見ると、にやりと酔《よ》った人の微《び》笑《しよう》を洩《も》らした。
「そうかも知れない」
飯沼は冷然と受け流してから、もう一度和田をふり返った。
「誰だい、その友だちというのは?」
「若《わか》槻《つき》という実業家だが、――この中でも誰か知っていはしないか? 慶《けい》応《おう》か何か卒業してから、今じゃ自分の銀行へ出ている、年配も我々と同じくらいの男だ。色の白い、優《やさ》しい目をした短い髭《ひげ》を生《は》やしている、――そうさな、まあ一《いち》言《ごん》にいえば、風流愛すべき好男子だろう」
「若槻峯《みね》太《た》郎《ろう》、俳《はい》号《ごう》は青《せい》蓋《がい》じゃないか?」
わたしは横合いから口を挟《はさ》んだ。その若槻という実業家とは、わたしもつい四、五日前、いっしょに芝《しば》居《い》を見ていたからである。
「そうだ。青蓋句集というのを出している、――あの男が小えんの檀《だん》那《な》なんだ。いや、二月ほど前までは檀那だったんだ。今じゃ全然手を切っているが、――」
「へええ、じゃあの若槻という人は、――」
「僕の中学時代の同窓なんだ」
「これはいよいよ穏《おだ》やかじゃない」
藤井はまた陽気な声を出した。
「君は我々が知らない間に、その中学時代の同窓なるものと、花を折り柳《やなぎ》に攀《よ》じ《*》 、――」
「ばかをいえ。僕があの女に会ったのは、大学病院へやって来た時に、若槻にもちょいと頼《たの》まれていたから、便《べん》宜《ぎ》を図ってやっただけなんだ。蓄《ちく》膿《のう》症《しよう》か何かの手術だったが、――」
和田は老《ラオ》酒《チユ》をぐいとやってから、妙《みよう》に考え深い目つきになった。
「しかしあの女はおもしろいやつだ」
「惚《ほ》れたかね?」
木村は静かにひやかした。
「それはあるいは惚れたかも知れない。あるいはまたちっとも惚れなかったかも知れない。が、そんなことよりも話したいのは、あの女と若槻との関係なんだ。――」
和田はこう前置きをしてから、いつにない雄《ゆう》弁《べん》を振《ふる》い出した。
「僕は藤井の話した通り、この間偶《ぐう》然《ぜん》小えんに遇《あ》った。ところが遇って話してみると、小えんはもう二月ほど前に、若槻と別れたというじゃないか? なぜ別れたと訊《き》いてみても、返事らしい返事は何もしない。ただ寂《さび》しそうに笑いながら、もともとわたしはあの人のように、風《ふう》流《りゆう》人《じん》じゃないんですというんだ。
「僕《ぼく》もその時は立ち入っても訊《き》かず、それなり別れてしまったんだが、つい昨日《きのう》、――昨日は午《ひる》過《す》ぎは雨が降っていたろう。あの雨の最中に若槻から、飯を食いに来ないかという手紙なんだ。ちょうど僕も暇《ひま》だったし、早めに若槻の家へ行ってみると、先生は気の利《き》いた六畳の書《しよ》斎《さい》に、相変わらず悠《ゆう》々《ゆう》と読書をしている。僕はこの通り野《や》蛮《ばん》人《じん》だから、風流の何たるかは全然知らない。しかし若槻の書斎へはいると、芸術的とかなんとかいうのは、こういう暮《く》らしだろうという気がするんだ。まず床《とこ》の間《ま》にはいつ行っても、古い懸《かけ》物《もの》が懸《かか》っている。花もしじゅう絶やしたことはない。書物も和書の本箱のほかに、洋書の書《しよ》棚《だな》も並べてある。おまけにきゃしゃな机の側《そば》には、三《しや》味《み》線《せん》も時々は出してあるんだ。その上そこにいる若槻自身も、どこか当世の浮《うき》世《よ》絵《え》じみた、通《つう》人《じん》らしいなりをしている。昨日も妙《みよう》な着物を着ているから、それはなんだねと訊《き》いてみると、占城《チヤンパ*》 という物だと答えるじゃないか? 僕の友だち多しといえども、占城なぞという着物を着ているものは、若槻を除いては一人もあるまい。――まずあの男の暮らしぶりといえば、万《ばん》事《じ》こういった調子なんだ。
「僕はその日膳《ぜん》を前に、若槻と献《けん》酬《しゆう》を重ねながら、小えんとのいきさつを聞かされたんだ。小えんにはほかに男がある。それはまあ格別驚《おどろ》かずともよい。が、その相手は何かと思えば、浪花《なにわ》節《ぶし》語《かた》りの下っぱなんだそうだ。君たちもこんな話を聞いたら、小えんの愚《ぐ》を哂《わら》わずにはいられないだろう。僕も実際その時には、苦笑さえできないくらいだった。
「君たちはもちろん知らないが、小えんは若槻に三年このかた、ずいぶん尽《つ》くしてもらっている。若槻は小えんの母親ばかりか、妹の面倒《めんどう》も見てやっていた。そのまた小えん自身にも、読み書きといわず芸《げい》事《ごと》といわず、なんでも好きなことを仕《し》込《こ》ませていた。小えんは踊《おど》りも名を取っている。長《なが》唄《うた》も柳《やなぎ》橋《ばし》では指折りだそうた。そのほか発《ほつ》句《く》もできるというし、千《ち》蔭《かげ》流《りゆう*》 とかの仮《か》名《な》も上手《じようず》だという。それも皆若槻のおかげなんだ。そういう消息を知っている僕は、君たちさえ笑《しよう》止《し》に思う以上、呆《あき》れ返らざるを得ないじゃないか?
「若槻は僕にこういうんだ。なに、あの女と別れるくらいは、別になんとも思ってはいません。が、わたしはできる限り、あの女の教育に尽《つ》くしてきました。どうか何事にも理解の届いた、趣《しゆ》味《み》の広い女に仕立ててやりたい、――そういう希望を持っていたのです。それだけに今度はがっかりしました。何も男を拵《こしら》えるのなら、浪花《なにわ》節《ぶし》語《かた》りには限らないものを。あんなに芸《げい》事《ごと》には身を入れていても、根《こん》性《じよう》の卑《いや》しさは直らないかと思うと、実際苦《にが》々《にが》しい気がするのです。……
「若槻はまたこうもいうんだ。あの女はこの半年ばかり、多少ヒステリックにもなっていたのでしょう。一時はほとんど毎日のように、今日《きよう》限り三《しや》味《み》線《せん》を持たないとかいっては、子供のように泣いていました。それがまたなぜだと訊《たず》ねてみると、わたしはあの女を好いていない、遊芸を習わせるのもそのためだなぞと、妙《みよう》な理《り》窟《くつ》をいい出すのです。そんな時はわたしがなんといっても、耳にかける気《け》色《しき》さえありません。ただもうわたしは薄《はく》情《じよう》だと、そればかり口《く》惜《や》しそうに繰《く》り返すのです。もっとも発《ほつ》作《さ》さえすんでしまえば、いつも笑い話になるのですが、……
「若槻はまたこうもいうんだ。なんでも相手の浪花節語りは、始末におえない乱暴者だそうです。前に馴《な》染《じみ》だった鳥《とり》屋《や》の女中に、男か何かできた時には、その女中と立《た》ち廻《まわ》りの喧《けん》嘩《か》をした上、大《おお》怪《け》我《が》をさせたというじゃありませんか? このほかにもまだあの男には、無《む》理《り》心《しん》中《じゆう》をしかけたことだの、師《し》匠《しよう》の娘《むすめ》と駈《かけ》落《お》ちをしたことだの、いろいろ悪い噂《うわさ》も聞いています。そんな男に引《ひ》っ懸《かか》るというのはいったいどういう量《りよう》見《けん》なのでしょう。……
「僕は小えんのふしだらには、呆《あき》れ返らざるを得ないと言った。しかし若槻の話を聞いているうちに、だんだん僕を動かしてきたのは、小えんに対する同情なんだ。なるほど若槻は檀《だん》那《な》としては、当世まれに見る通《つう》人《じん》かも知れない。が、あの女と別れるくらいは、なんでもありませんといっているじゃないか? たといそれは辞《じ》令《れい》にしても、猛《もう》烈《れつ》な執《しゆう》着《ちやく》はないに違《ちが》いない。猛烈な、――たとえばその浪花《なにわ》節《ぶし》語《かた》りは、女の薄《はく》情《じよう》を憎《にく》むあまり、大《おお》怪《け》我《が》をさせたということだろう。僕は小えんの身になってみれば、上品でも冷《れい》淡《たん》な若槻よりも、下品でも猛烈な浪花節語りに、打ち込むのが自然だと考えるんだ。小えんは諸芸を仕込ませるのも、若槻に愛のない証《しよう》拠《こ》だといった。僕はこの言葉の中にも、ヒステリイばかりを見ようとはしない。小えんはやはり若槻との間に、ギャップのあることを知っていたんだ。
「しかし僕も小えんのために、浪花節語りとできたことを祝福しようとは思っていない。幸福になるか不幸になるか、それはどちらともいわれないだろう。――が、もし不幸になるとすれば、呪《のろ》わるべきものは男じゃない。小えんをそこに至らしめた、通人若槻青《せい》蓋《がい》だと思う。若槻は――いや、当世の通人はいずれも個人として考えれば、愛すべき人間に相《そう》違《い》あるまい。彼らは芭《ば》蕉《しよう》を理解している。レオ・トルストイを理解している。池《いけの》大《たい》雅《が》を理解している。武《む》者《しやの》小《こう》路《じ》実《さね》篤《あつ》を理解している。カアル・マルクスを理解している。しかしそれが何になるんだ? 彼らは猛《もう》烈《れつ》な恋《れん》愛《あい》を知らない。猛烈な創造の歓《かん》喜《き》を知らない。猛烈な道徳的情熱を知らない。猛烈な、――およそこの地球を荘《そう》厳《ごん》にすべき、猛烈な何物も知らずにいるんだ。そこに彼らの致《ち》命《めい》傷《しよう》もあれば、彼らの害毒も潜《ひそ》んでいると思う。害毒の一つは能動的に、他人をも通《つう》人《じん》に変わらせてしまう。害毒の二つは反動的に、いっそう他人を俗にすることだ。小えんのごときはその例じゃないか? 昔から喉《のど》の渇《かわ》いているものは、泥《どろ》水《みず》でも飲むときまっている。小えんも若槻に囲《かこ》われていなければ、浪花《なにわ》節《ぶし》語《かた》りとはできなかったかもしれない。
「もしまた幸福になるとすれば、――いや、あるいは若槻の代りに、浪花節語りを得たことだけでも、幸福は確かに幸福だろう。さっき藤井がいったじゃないか? 我々は皆《みな》同じように、実生活の木馬に乗せられているから、時たま『幸福』にめぐり遇《あ》っても、掴《つか》まえないうちにすれ違《ちが》ってしまう。もし『幸福』を掴まえる気ならば、一思いに木馬を飛び下りるがよい。――いわば小えんも一思いに、実生活の木馬を飛び下りたんだ。この猛烈な歓喜や苦痛は、若槻ごとき通人の知るところじゃない。僕は人生の価値を思うと、百の若槻には唾《つば》を吐《は》いても、一つの小えんを尊びたいんだ。
「君たちはそう思わないか?」
和田は酔《すい》眼《がん》を輝《かがや》かせながら、声のない一座を見まわした。が、藤井はいつの間にか、円卓《テエブル》に首を垂《た》らしたなり、気楽そうにぐっすり眼《ね》こんでいた。
(大正十一年六月)
六の宮《みや》の姫《ひめ》君《ぎみ*》
一
六の宮《みや》の姫《ひめ》君《ぎみ》の父は、古い宮《みや》腹《ばら》の生まれだった。が、時勢にも遅《おく》れがちな、昔《むかし》気質《かたぎ》の人だったから、官も兵《ひよう》部《ぶの》大輔《たゆう*》 より昇《のぼ》らなかった。姫君はそういう父《ちち》母《はは》といっしょに、六の宮のほとりにある、木《こ》高《だか》い屋《や》形《かた》に住まっていた。六の宮の姫君というのは、その土地の名前に拠《よ》ったのだった。
父《ちち》母《はは》は姫君を寵《ちよう》愛《あい》した。しかしやはり昔《むかし》ふうに、進んでは誰《だれ》にもめあわせなかった。誰か言い寄る人があればと、心待ちに待つばかりだった。姫君も父母の教え通り、つつましい朝夕を送っていた。それは悲しみも知らないと同時に、喜びも知らない生《しよう》涯《がい》だった。が、世間見ずの姫君は、格別不満も感じなかった。「父母さえ達者でいてくれればいい」――姫君はそう思っていた。
古い池に枝垂《しだ》れた桜《さくら》は、年ごとに乏《とぼ》しい花を開いた。そのうちに姫君もいつの間にか、大人《おとな》寂《さ》びた美しさを具《そな》え出《だ》した。が、頼《たの》みに思った父は、年ごろ酒を過ごしたために、突《とつ》然《ぜん》故人になってしまった。のみならず母も半年ほどのうちに、返らない歎《なげ》きを重ねたあげく、とうとう父の跡《あと》を追って行った。姫君は悲しいというよりも、途《と》方《ほう》に暮《く》れずにはいられなかった。実際ふところ子の姫君にはたった一人の乳母《うば》のほかに、たよるものは何もないのだった。
乳母はけなげにも姫《ひめ》君《ぎみ》のために、骨《ほね》身《み》を惜《お》しまず働き続けた。が、家に持ち伝えた螺《ら》鈿《でん》の手《て》筥《ばこ》や白がねの香《こう》炉《ろ》は、いつか一つずつ失われていった。と同時に召《めし》使《つかい》の男女も、誰からか暇《ひま》をとり始めた。姫君にも暮らしの辛《つら》いことは、だんだんはっきりわかるようになった。しかしそれをどうすることも、姫君の力には及《およ》ばなかった。姫君は寂《さび》しい屋《や》形《かた》の対《たい》に、やはり昔《むかし》と少しも変わらず、琴《こと》を引いたり歌を詠《よ》んだり、単調な遊びを繰《く》り返していた。
するとある秋の夕ぐれ、乳母は姫君の前へ出ると、考え考えこんなこと言った。
「甥《おい》の法《ほう》師《し》の頼《たの》みますには、丹《たん》波《ば》の前《ぜん》司《じ*》 なにがしの殿《との》が、あなた様に会わせていただきたいとか申しているそうでございます。前司はかたちも美しい上、心ばえもよいそうでございますし、前司の父も受《ず》領《りよう*》 とは申せ、近い上達部《かんだちめ*》 の子でもございますから、お会いになってはいかがでございましょう? かように心細い暮らしをなさいますよりも、少しはましかと存じますが。……」
姫君は忍《しの》び音《ね》に泣き初めた。その男に肌《はだ》身《み》を任《まか》せるのは、不《ふ》如《によ》意《い》な暮らしを扶《たす》けるために、体《からだ》を売るのも同様だった。もちろんそれも世の中には多いということは承知していた。が、現在そうなってみると、悲しさはまた格別だった。姫君は乳母と向き合ったまま、葛《くず》の葉を吹《ふ》き返す風の中に、いつまでも袖《そで》を顔にしていた。……
二
しかし姫《ひめ》君《ぎみ》はいつの間にか、夜ごとに男と会うようになった。男は乳母《うば》の言葉通りやさしい心の持ち主だった。顔かたちもさすがにみやびていた。その上姫君の美しさに、何もかも忘れていることは、ほとんど誰《だれ》の目にも明らかだった。姫君ももちろんこの男に、悪い心は持たなかった。時には頼《たの》もしいと思うこともあった。が、蝶《ちよう》鳥《とり》の几《き》帳《ちよう》を立てた陰《かげ》に、灯《とう》台《だい》の光を眩《まぶ》しがりながら、男と二人むつびあう時にも、うれしいとは一《ひと》夜《よ》も思わなかった。
そのうちに屋《や》形《かた》は少しずつ、はなやかな空気を加え初《はじ》めた。黒《くろ》棚《だな》や簾《すだれ》も新たになり、召《めし》使《つかい》の数も殖《ふ》えたのだった。乳母《うば》はもちろん以前よりも、活《い》き活《い》きと暮らしを取り賄《まかな》った。しかし姫君はそういう変化も、寂《さび》しそうに見ているばかりだった。
ある時雨《しぐれ》の渡《わた》った夜、男は姫君と酒を酌《く》みながら、丹《たん》波《ば》の国にあったという、気味の悪い話《*》 をした。出雲《いずも》路《じ》へ下る旅人が大《おお》江《え》山《やま》の麓《ふもと》に宿を借りた。宿の妻はちょうどその夜、無事に女の子を産み落とした。すると旅人は生《うぶ》家《や》の中から、なんとも知れぬ大男が、急ぎ足に外へ出て来るのを見た。大男はただ「年は八歳、命《めい》は自《じ》害《がい》」と言い捨てたなり、たちまちどこかへ消えてしまった。旅人はそれから九年めに、今度は京へ上る途《と》中《ちゆう》、同じ家に宿ってみた。ところが実際女の子は、八つの年に変死していた。しかも木から落ちた拍《ひよう》子《し》に、鎌《かま》を喉《のど》へ突《つ》き立てていた。――話はだいたいこういうのだった。姫君はそれを聞いた時に、宿命のせんなさに脅《おびや》かされた。その女の子に比べれば、この男を頼みに暮《く》らしているのは、まだしもしあわせに違《ちが》いなかった。
「なりゆきに任《まか》せるほかはない」――姫《ひめ》君《ぎみ》はそう思いながら、顔だけはあでやかにほほ笑《え》んでいた。
屋形の軒《のき》に当たった松《まつ》は、何度も雪に枝を折られた。姫君は昼は昔《むかし》のように、琴《こと》を引いたり双六《すごろく》を打ったりした。夜は男と一つ褥《しとね》に、水鳥の池に下《お》りる音を聞いた。それは悲しみも少ないと同時に、喜びも少ない朝夕だった。が、姫君は相変わらず、この懶《ものう》い安らかさの中に、はかない満足を見《み》出《いだ》していた。
しかしその安らかさも、思いのほか急に尽《つ》きる時が来た。やっと春の返ったある夜、男は姫君と二人になると、「そなたに会うのも今《こ》宵《よい》ぎりじゃ」と、言いにくそうに口を切った。男の父は今度の除《じ》目《もく*》 に、陸奥《むつ》の守《かみ》に任ぜられた。男はそのために雪の深い奥《おく》へ、いっしょに下らねばならなかった。もちろん姫君と別れるのは、何よりも男には悲しかった。が、姫君を妻にしたのは、父にも隠《かく》していたのだから、いまさら打ち明けることはできにくかった。男はため息をつきながら、長々とそういう事情を話した。
「しかし五年たてば任《にん》終《はて》じゃ。その時を楽しみに待ってたもれ」
姫君はもう泣き伏《ふ》していた。たとい恋しいとは思わぬまでも、頼《たの》みにした男と別れるのは、言葉には尽《つ》くせない悲しさだった。男は姫君の背を撫《な》でては、いろいろ慰《なぐさ》めたり励《はげ》ましたりした。が、これも二《ふた》言《こと》めには、涙《なみだ》に声を曇《くも》らせるのだった。
そこへ何も知らない乳母《うば》は、年の若い女《によう》房《ぼう》たちと、銚《ちよう》子《し》や高《たか》坏《つき》を運んで来た。古い池に枝垂《しだ》れた桜も、蕾《つぼみ》を持ったことを話しながら。……
三
六年めの春は返って来た。が、奥《おく》へ下った男は、ついに都へは帰らなかった。その間に召《めし》使《つかい》は一人も残らず、ちりぢりにどこかへ立《た》ち退《の》いてしまうし、姫《ひめ》君《ぎみ》の住んでいた東の対《たい》もある年の大風に倒《たお》れてしまった。姫君はそれ以来乳母《うば》といっしょに侍《さむらい》の廊《ほそどの》を住居《すまい》にしていた。そこは住居とはいうものの、手《て》狭《ぜま》でもあれば住み荒《あ》らしてもあり、わずかに雨《あめ》露《つゆ》の凌《しの》げるだけだった。乳母はこの廊《ほそどの》へ移った当座、いたわしい姫君の姿を見ると、涙《なみだ》を落とさずにはいられなかった。が、ある時は理由《わけ》もないのに、腹ばかりたてていることがあった。
暮《く》らしのつらいのはもちろんだった。棚《たな》の厨《ず》子《し》はとうの昔《むかし》、米や青菜に変わっていた。今では姫君の袿《うちぎ》や袴《はかま》も身についているほかは残らなかった。乳母は焚《た》き物《もの》にことを欠けば、立ち腐《ぐさ》れになった寝《しん》殿《でん》へ、板を剥《は》ぎに出かけるくらいだった。しかし姫君は昔《むかし》の通り、琴《こと》や歌に気を晴らしながら、じっと男を待ち続けていた。
するとその年の秋の月夜、乳母は姫君の前へ出ると、考え考えこんなことを言った。
「殿《との》はもうお帰りにはなりますまい。あなた様も殿のことは、お忘れになってはいかがでございましょう。ついてはこのごろある典《てん》薬《やく》之《の》助《すけ*》 が、あなた様にお会わせ申せと、責《せ》めたてているのでございますが、……」
姫君はその話を聞きながら、六年以前《まえ》のことを思い出した。六年以前には、いくら泣いても、泣き足りないほど悲しかった。が、今は体《からだ》も心もあまりにそれには疲《つか》れていた。「ただ静かに老《お》い朽《く》ちたい」 ……そのほかは何も考えなかった。姫君は話を聞き終わると、白い月を眺《なが》めたなり、懶《ものう》げにやつれた顔を振《ふ》った。
「わたしはもう何もいらぬ。生きようとも死のうとも一つことじゃ。……」
× × ×
ちょうどこれと同じ時刻、男は遠い常陸《ひたち》の国の屋《や》形《かた》に、新しい妻と酒を斟《く》んでいた。妻は父の目がねにかなった、この国の守《かみ》の娘《むすめ》だった。
「あの音はなんじゃ?」
男はふと驚いたように、静かな月明りの軒《のき》を見上げた。その時なぜか男の胸には、はっきり姫君の姿が浮《う》かんでいた。
「栗《くり》の実が落ちたのでございましょう」
常陸《ひたち》の妻はそう答えながら、ふつつかに銚《ちよう》子《し》の酒をさした。
四
男が京へ帰ったのは、ちょうど九年めの晩秋だった。男と常陸の妻の族《うから》と、――彼らは京へはいる途《と》中《ちゆう》、日がらの悪いのを避《さ》けるために、三、四日粟《あわ》津《づ》に滞《たい》在《ざい》した。それから京へはいる時も、昼の人目に立たないように、わざと日の暮《く》れを選ぶことにした。男は鄙《ひな》にいる間も、二、三度京の妻のもとへ、懇《ねんご》ろな消息をことづけてやった。が、使《つかい》が帰らなかったり、幸い帰って来たと思えば、姫君の屋《や》形《かた》がわからなかったり、一度も返事は手に入《はい》らなかった。それだけに京へはいったとなると、恋《こい》しさもまたひとしおだった。男は妻の父の屋《や》形《かた》へ無事に妻を送りこむが早いか、旅《たび》仕《じ》度《たく》も解《と》かずに六の宮《みや》へ行った。
六の宮へ行ってみると、昔《むかし》あった四つ足の門《*》 も、檜皮《ひわだ》葺《ぶ》きの寝《しん》殿《でん》や対《たい》も、ことごとく今はなくなっていた。その中にただ残っているのは、崩《くず》れ残りの築《つい》土《じ》だけだった。男は草の中に佇《たたず》んだまま、茫《ぼう》然《ぜん》と庭の跡《あと》を眺《なが》めまわした。そこには半ば埋《うず》もれた池に、水葱《なぎ》が少し作ってあった。水葱はかすかな新月の光に、ひっそりと葉を簇《むらが》らせていた。
男は政所《まんどころ》と覚《おぼ》しいあたりに、傾《かたむ》いた板《いた》屋《や》のあるのを見つけた。板屋の中には近寄って見ると、誰か人《ひと》影《かげ》もあるらしかった。男は闇《やみ》を透《す》かしながら、そっとその人影に声をかけた。すると月明りによろぼい出たのは、どこか見覚えのある老《ろう》尼《に》だった。
尼《あま》は男に名のられると、何も言わずに泣き続けた。そののちやっと途《と》切《ぎ》れ途切れに、姫《ひめ》君《ぎみ》の身の上を話し出した。
「お見忘れでもございましょうが、手前は御《み》内《うち》に仕えておった、はした女《め》の母でございます。殿《との》がお下りになってからも、娘はまだ五年ばかり、ご奉《ほう》公《こう》いたしておりました。が、そのうちに夫とともども、但馬《たじま》へ下ることになりましたから、手前もその節《せつ》娘といっしょに、お暇《いとま》を頂いたのでございます。ところがこのごろ姫君のことが、何かと心にかかりますので、手前一人京へ上ってみますと、ご覧の通りお屋形も何もなくなっているのでございませんか? 姫君もどこへいらっしゃったことやら、――実は手前もさきごろから、途《と》方《ほう》に暮《く》れているのでございます。殿はご存知もございますまいが、娘がご奉公申しておった間も、姫君のお暮らしのおいたわしさは、申しようもないくらいでございました。……」
男は一部始終を聞いたのち、この腰《こし》の曲がった尼に、下の衣を一枚脱《ぬ》いで渡《わた》した。それから頭《かしら》を垂《た》れたまま、黙《もく》然《ねん》と草の中を歩み去った。
五
男は翌日から姫《ひめ》君《ぎみ》を探《さが》しに、洛《らく》中《ちゆう》を方々歩きまわった。が、どこへどうしたのか、容易に行き方《がた》はわからなかった。
すると何日かのちの夕ぐれ、男はむら雨《さめ》を避《さ》けるために、朱雀《すざく》門《もん》の前にある、西の曲《まがり》殿《どの》の軒《のき》下《した》に立った。そこにはまだ男のほかにも、物《もの》乞《ご》いらしい法師が一人、やはり雨《あま》止《や》みを待ちわびていた。雨は丹《に》塗《ぬ》りの門の空に、寂《さび》しい音を立て続けた。男は法師を尻《しり》目《め》にしながら、苛《いら》立《だ》たしい思いを紛《まぎ》らせたさに、あちこち石《いし》畳《だたみ》を歩いていた。そのうちにふと男の耳は、薄《うす》暗《ぐら》い窓の櫺《れん》子《じ》の中に、人のいるらしいけはいを捉《とら》えた。男ほほとんど何の気なしに、ちらりと窓を覗《のぞ》いてみた。
窓の中には尼《あま》が一人、破れた筵《むしろ》をまといながら、病人らしい女を介《かい》抱《ほう》していた。女は夕ぐれの薄《うす》明《あか》りにも、無《ぶ》気《き》味《み》なほど痩《や》せ枯《か》れているらしかった。しかしその姫君に違《ちが》いないことは、一目見ただけでも十分だった。男は声をかけようとした。が、あさましい姫君の姿を見ると、なぜかその声が出せなかった。姫君は男のいるのも知らず、破れ筵の上に寝《ね》反《がえ》りを打つと、苦しそうにこんな歌を詠《よ》んだ。
「たまくらのすきまの風もさむかりき、身はならはしのものにざりける《*》 」
男はこの声を聞いた時、思わず姫《ひめ》君《ぎみ》の名前を呼んだ。姫君はさすがに枕《まくら》を起こした。が、男を見るが早いか、何かかすかに叫《さけ》んだきり、また筵の上に俯《うつ》伏《ぶ》してしまった。尼は、――あの忠実な乳母《うば》は、そこへ飛びこんだ男といっしょに、慌《あわ》てて姫君を抱き起こした。しかし抱き起こした顔を見ると、乳母はもちろん男さえも、いっそう慌《あわ》てずにはいられなかった。
乳母は《*》 まるで気の狂《くる》ったように、乞《こ》食《じき》法師のもとへ走り寄った。そうして、臨《りん》終《じゆう》の姫君のために、なんなりとも経を読んでくれと言った。法師は乳母の望み通り、姫君の枕もとへ座を占《し》めた。が、経文を読《どく》誦《じゆ》する代りに、姫君へこう言葉をかけた。
「往《おう》生《じよう》は人手にできるものではござらぬ。ただご自身怠《おこた》らずに、阿《あ》弥《み》陀《だ》仏《ぶつ》の御《み》名《な》をお唱えなされ」
姫君は男に抱かれたまま、細ぼそと仏《ぶつ》名《みよう》を唱え出した。と思うと恐《おそろ》しそうに、じっと門の天《てん》井《じよう》を見つめた。
「あれ、あそこに火の燃える車が。……」
「そのような物にお恐れなさるな。御《み》仏《ほとけ》さえ念ずればよろしゅうござる」
法師はやや声を励《はげ》ました。すると姫君はしばらくののち、また夢《ゆめ》うつつのように呟《つぶや》き出した。
「金《こん》色《じき》の蓮《れん》華《げ》が見えまする。天《てん》蓋《がい》のように大きい蓮華が。……」
法師は何か言おうとした。が、今度はそれよりもさきに、姫君が切れ切れに口を開いた。
「蓮華はもう見えませぬ。跡《あと》にはただ暗い中に、風ばかり吹《ふ》いておりまする」
「一心に仏名をお唱えなされ。なぜ一心にお唱えなさらぬ?」
法師はほとんど叱《しか》るように言った。が、姫《ひめ》君《ぎみ》は絶え入りそうに、同じことを繰《く》りかえすばかりだった。
「何も、――何も見えませぬ。暗い中に風ばかり、――冷たい風ばかり吹いて参りまする」
男や乳母《うば》は涙《なみだ》を呑《の》みながら、口の内に弥《み》陀《だ》を念じ続けた。法師ももちろん合《がつ》掌《しよう》したまま、姫君の念仏を扶《たす》けていた。そういう声の雨に交《ま》じる中に、破れ筵《むしろ》を敷《し》いた姫君は、だんだん死に顔に変わっていった。……
六
それから《*》 何日かのちの月夜、姫君に念仏を勧《すす》めた法師は、やはり朱雀《すざく》門《もん》の前の曲《まがり》殿《どの》に、破《や》れ衣《ごろも》の膝《ひざ》を抱《かか》えていた。するとそこへ侍《さむらい》が一人、悠《ゆう》々《ゆう》と何か歌いながら、月明りの大《おお》路《じ》を歩いて来た。侍は法師の姿を見ると、草《ぞう》履《り》の足を止めたなり、さりげないように声をかけた。
「このごろこの朱雀門のほとりに、女の泣き声がするそうではないか?」
法師は石《いし》畳《だたみ》に蹲《うずく》まったまま、たった一《ひと》言《こと》返事をした。
「お聞きなされ」
侍はちょっと耳を澄《す》ませた。が、かすかな虫の音《ね》のほかは、同一つ聞こえるものもなかった。あたりにはただ松《まつ》の匂《におい》が、夜《や》気《き》に漂《ただよ》っているだけだった。侍は口を動かそうとした。しかしまだ何も言わないうちに、突然どこからか女の声が、細ぼそと歎《なげ》きを送って来た。
侍《さむらい》は太刀《たち》に手をかけた。が、声は曲殿の空に、ひとしきり長い尾《お》を引いたのち、だんだんまたどこかへ消えて行った。
「御《み》仏《ほとけ》を念じておやりなされ。――」
法師は月光に顔を擡《もた》げた。
「あれは極《ごく》楽《らく》も地《じ》獄《ごく》も知らぬ、腑《ふ》甲《が》斐《い》ない女の魂《たましい》でござる。御仏を念じておやりなされ」
しかし侍は返事もせずに、法師の顔を覗《のぞ》きこんだ。と思うと驚いたように、その前へいきなり両手をついた。
「内《ない》記《き》の上《しよう》人《にん*》 ではございませんか? どうしてまたこのような所に――」
在俗の名は慶《よし》滋《しげ》の保《やす》胤《たね*》 、世に内記の上人というのは、空《くう》也《や》上《しよう》人《にん*》 の弟子の中にも、やんごとない高徳の沙《しや》門《もん》だった。
(大正十一年七月)
魚《うお》河岸《がし》
去年の春の夜、――といってもまだ風の寒い、月の冴《さ》えた夜の九時ごろ、保《やす》吉《きち*》 は三人の友だちと、魚《うお》河岸《がし*》 の往来を歩いていた。三人の友だちとは、俳人の露《ろ》柴《さい*》 、洋画家の風《ふう》中《ちゆう*》 、蒔《まき》画《え》師《し》の如《じよ》丹《たん*》 、――三人とも本名は明かさないが、その道では知られた腕《うで》っ扱《こ》きである。ことに露柴は年かさでもあり、新《しん》傾《けい》向《こう》の俳人としては、つとに名を馳《は》せた男だった。
我々は皆《みな》酔《よ》っていた。もっとも風中と保吉とは下《げ》戸《こ》、如丹は名《な》代《だい》の酒《しゆ》蒙《ごう》だったから、三人はふだんと変わらなかった。ただ露柴はどうかすると、足もとも少々あぶなかった。我々は露柴を中にしながら、腥《なまぐさ》い月明りの吹《ふ》かれる通りを、日《に》本《ほん》橋《ばし》の方へ歩いて行った。
露柴は生《き》っ粋《すい》の江《え》戸《ど》っ児《こ》だった。曾《そう》祖《そ》父《ふ》は蜀《しよく》山《さん*》 や文《ぶん》晁《ちよう*》 と交遊の厚かった人である。家も河岸《かし》の丸《まる》清《せい》といえば、あの界《かい》隈《わい》では知らぬものはない。それを露柴はずっと前から、家業はほとんど人《ひと》任《まか》せにしたなり、自分は山《さん》谷《や》の露《ろ》路《じ》の奥《おく》に、句と書と篆《てん》刻《こく》とを楽しんでいた。だから露柴には我々にない、どこかいなせな風格があった。下《した》町《まち》気質《かたぎ》よりは伝《でん》法《ぽう》な、山の手にはもちろん縁《えん》の遠い、――いわば河岸の鮪《まぐろ》の鮨《すし》と、一《ひと》味《あじ》相通ずる何物かがあった。……
露柴はさも邪《じや》魔《ま》そうに、時々外《がい》套《とう》の袖《そで》をはねながら、快活に我々と話し続けた。如丹は静かに笑い笑い、話の相《あい》槌《づち》を打っていた。そのうちに我々はいつの間にか、河岸のとっつきへ来てしまった。このまま河岸《かし》を抜《ぬ》け出るのはみんな妙《みよう》に物足りなかった。するとそこに洋食屋が一軒《けん》、片側を照らした月明りに白い暖簾《のれん》を垂《た》らしていた。この店の噂《うわさ》は保吉さえも何度か聞かされたことがあった。「はいろうか?」「はいってもいいな」――そんなことを言い合ううちに、我々はもう風中を先に、狭《せま》い店のなかへなだれこんでいた。
店の中には客が二人、細長い卓《たく》に向かっていた。客の一人は河岸《かし》の若い衆《しゆ》、もう一人はどこかの職工らしかった。我々は二人ずつ向かい合いに、同じ卓に割りこませてもらった。それから平《たいら》貝《がい》のフライを肴《さかな》に、ちびちび正《まさ》宗《むね》を嘗《な》め始めた。もちろん下《げ》戸《こ》の風中や保吉は二つと猪《ちよ》口《く》は重ねなかった。その代り料理を平らげさすと、二人ともなかなか健《けん》啖《たん》だった。
この店は卓も腰掛けも、ニスを塗らない白木だった。おまけに店を囲う物は、江戸伝来の葭簀《よしず》だった。だから洋食は食っていても、ほとんど洋食屋とは思われなかった。風中は誂《あつら》えたビフテキが来ると、これは切り味じゃないかと言ったりした。如丹はナイフの切れるのに、大いに敬意を表していた。保吉はまた電《でん》灯《とう》の明るいのがこういう場所だけにありがたかった。露柴も、――露柴は土地っ子だから、何も珍《めずら》しくはないらしかった。が、鳥《とり》打《うち》帽《ぼう》を阿《あ》弥《み》陀《だ》にしたまま、如丹と献《けん》酬《しゆう》を重ねては、相変わらず快活にしゃべっていた。
するとその最中に、中《なか》折《おれ》帽《ぼう》をかぶった客が一人、ぬっと暖簾をくぐって来た。客は外《がい》套《とう》の毛皮の襟《えり》に肥《ふと》った頬《ほお》を埋《うず》めながら、見るというよりは、睨《にら》むように、狭い店の中へ眼《め》をやった。それから一《いち》言《ごん》の挨《あい》拶《さつ》もせず、如丹と若い衆との間の席へ、大きい体《からだ》を割りこませた。保吉はライスカレエを掬《すく》いながら、嫌《いや》な奴《やつ》だなと思っていた。これが泉《いずみ》鏡《きよう》花《か》の小説だと、任《にん》侠《きよう》欣《よろこ》ぶべき芸者か何かに、退治られる奴《やつ》だがと思っていた。しかしまた現代の日本橋《*》 は、とうてい鏡花の小説のように、動きっこはないとも思っていた。
客は註《ちゆう》文《もん》を通したのち、横《おう》柄《へい》に煙草《たばこ》をふかし始めた。その姿は見れば見るほど、敵《かたき》役《やく》の寸法に嵌《はま》っていた。脂《あぶら》ぎった赭《あか》ら顔《がお》はもちろん、大《おお》島《しま》の羽《は》織《おり》、認《みと》めになる指《ゆび》環《わ》、――ことごとく型を出《い》でなかった。保《やす》吉《きち》はいよいよ中《あ》てられたから、この客の存在を忘れたさに、隣《となり》にいる露《ろ》柴《さい》へ話しかけた。が、露柴はうんとか、ええとか、いいかげんな返事しかしてくれなかった。のみならず彼も中《あ》てられたのか、電灯の光に背《そむ》きながら、わざと鳥《とり》打《うち》帽《ぼう》を目《ま》深《ぶか》にしていた。
保吉はやむを得ず風《ふう》中《ちゆう》や如《じよ》丹《たん》と、食《くい》物《もの》のことなどを話し合った。しかし話ははずまなかった。この肥《ふと》った客の出現以来、我々三人の心もちに、妙《みよう》な狂《くる》いのできたことは、どうにもしかたのない事実だった。
客は註文のフライが来ると、正《まさ》宗《むね》の罎《びん》を取り上げた。そうして猪《ちよ》口《く》へつごうとした。その時誰《だれ》か横合いから、「幸《こう》さん」とはっきり呼んだものがあった。客は明らかにびっくりした。しかもその驚《おどろ》いた顔は、声の主を見たと思うと、たちまち当《とう》惑《わく》の色に変わり出した。「やあ、こりゃ檀《だん》那《な》でしたか」――客は中《なか》折《おれ》帽《ぼう》を脱《ぬ》ぎながら、何度も声の主にお時《じ》儀《ぎ》をした。声の主は俳人の露柴、河岸の丸清の檀那だった。
「しばらくだね」――露柴は涼《すず》しい顔をしながら、猪口を口へ持って行った。その猪口が空《から》になると、客はすかさず露柴の猪口へ客自身の罎《びん》の酒をついだ。それから側《はた》目《め》にはおかしいほど、露柴の機《き》嫌《げん》を窺《うかが》い出した。……
鏡《きよう》花《か》の小説は死んではいない。少なくとも東京の魚《うお》河岸《がし》には、いまだにあの通りの事件も起こるのである。
しかし洋食屋の外へ出た時、保吉の心は沈《しず》んでいた。保吉はもちろん「幸さん」には、なんの同情も持たなかった。その上露柴の話によると、客は人格も悪いらしかった。が、それにも関《かかわ》らず妙《みよう》に陽気にはなれなかった。保吉の書《しよ》斎《さい》の机の上には、読みかけたロシュフウコオの語録がある。――保吉は月明りを履《ふ》みながら、いつかそんなことを考えていた。
(大正十一年七月)
お富《とみ》の貞操《ていそう》
一
明治元年五月十四日の午《ひる》過《す》ぎだった。「官《かん》軍《ぐん》は明日《あす》夜の明けしだい、東《とう》叡《えい》山《ざん》彰《しよう》義《ぎ》隊《たい》を攻《こう》撃《げき》する。上《うえ》野《の》界《かい》隈《わい》の町家のものは匆《そう》々《そう》どこへでも立《た》ち退《の》いてしまえ」――そういう達しのあった午過ぎだった。下《した》谷《や》町《まち》二丁目の小《こ》間《ま》物《もの》店《みせ》、古《こ》河《が》屋《や》政《せい》兵《べ》衛《え》の立ち退いた跡《あと》には、台所の隅の蚫《あわび》貝《がい》の前に大きい牡《おす》の三《み》毛《け》猫《ねこ》が一匹静かに香《こう》箱《ばこ》をつくっていた。
戸をしめ切った家の中はもちろん午過ぎでもまっ暗だった。人音も全然聞こえなかった。ただ耳にはいるものは連日の雨の音ばかりだった。雨は見えない屋根の上へ時々急に降り注《そそ》いでは、いつかまた中《なか》空《ぞら》へ遠のいていった。猫はその音の高まるたびに、琥《こ》珀《はく》色《いろ》の眼《め》をまん円《まる》にした。竃《かまど》さえわからない台所にも、この時だけは無《ぶ》気《き》味《み》な燐《りん》光《こう》が見えた。が、ざあっという雨音以外に何も変化のないことを知ると、猫はやはり身動きもせずもう一度眼を糸のようにした。
そんなことが何度か繰《く》り返されるうちに、猫はとうとう眠《ねむ》ったのか、眼を明けることもしなくなった。しかし雨は相変わらず急になったり静まったりした。八《や》つ、八《や》つ半《はん》、――時はこの雨音の中にだんだん日の暮《く》れへ移っていった。
すると七つに迫《せま》った時、猫《ねこ》は何かに驚《おどろ》いたように突《とつ》然《ぜん》眼を大きくした。同時に耳も立てたらしかった。が、雨は今までよりも遥《はる》かに小降りになっていた。往来を馳《は》せ過ぎる駕《か》籠《ご》兒《か》きの声、――そのほかには何も聞こえなかった。しかし数秒の沈《ちん》黙《もく》ののち、まっ暗だった台所はいつの間にかぼんやり明るみ始めた。狭《せま》い板の間《ま》を塞《ふさ》いだ竃《かまど》、蓋《ふた》のない水《みず》瓶《がめ》の水光、荒《こう》神《じん》の松《まつ》、引き窓の綱《つな》、――そんな物も順々に見えるようになった。猫はいよいよ不安そうに、戸の明いた水《みず》口《くち》を睨《にら》みながら、のそりと大きい体を起こした。
この時この水口の戸を開いたのは、――いや戸を開いたばかりではない、腰《こし》障《しよう》子《じ》もしまいに明けたのは、濡《ぬ》れ鼠《ねずみ》になった乞《こ》食《じき》だった。彼は古い手《て》拭《ぬぐい》をかぶった首だけ前へ伸《の》ばしたなり、しばらくは静かな家のけはいにじっと耳を澄《す》ませていた。が、人音のないのを見定めると、これだけは真新しい酒《さか》筵《むしろ*》 に鮮《あざや》かな濡《ぬ》れ色を見せたまま、そっと台所へ上がって来た。猫は耳を平《ひら》めながら、二足三足跡《あと》ずさりをした。しかし乞食は驚きもせず後ろ手に障子をしめてから、徐《おもむ》ろに顔の手拭をとった。顔は髭《ひげ》に埋《うず》まった上、膏《こう》薬《やく》も二、三か所貼《は》ってあった。しかし垢《あか》にはまみれていても、眼《め》鼻《はな》だちはむしろ尋《じん》常《じよう》だった。
「三《み》毛《け》。三毛」
乞食は髪《かみ》の水を切ったり、顔の滴《しずく》を拭《ぬぐ》ったりしながら、小声に猫の名前を呼んだ。猫はその声に聞き覚えがあるのか、平めていた耳をもとに戻した。が、またそこに佇《たたず》んだなり、時々はじろじろ彼の顔へ疑い深い眼を注《そそ》いでいた。その間に酒筵を脱《ぬ》いだ乞食は脛《すね》の色も見えない泥《どろ》足《あし》のまま、猫の前へどっかりあぐらをかいた。
「三《み》毛《け》公《こう》。どうした?――誰《だれ》もいないところを見ると、貴《き》様《さま》だけ置き去りを食わされたな」
乞《こ》食《じき》は独《ひと》り笑いながら、大きい手に猫の頭を撫《な》でた。猫はちょいと逃《に》げ腰《ごし》になった。が、それぎり飛び退《の》きもせず、かえってそこへ坐《すわ》ったなり、だんだん眼さえ細め出した。乞食は猫を撫でやめると、今度は古《ふる》湯帷子《ゆかた》の懐《ふところ》から、油《あぶら》光《びかり》のする短銃を出した。そうしておぼつかない薄《うす》明《あか》りの中に、引き金の具《ぐ》合《あい》を検《しら》べ出した。「いくさ」の空気の漂《ただよ》った、人《ひと》気《け》のない家の台所に短銃をいじっている一人の乞食――それは確かに小説じみた、物《もの》珍《めずら》しい光景に違《ちが》いなかった。しかし薄《うす》眼《め》になった猫はやはり背中を円《まる》くしたまま、いっさいの秘密を知っているように、冷然と坐っているばかりだった。
「明日になるとな、三毛公、この界《かい》隈《わい》へも雨のように鉄《てつ》砲《ぽう》の玉が降って来るぞ。そいつに中《あた》ると死んじまうから、明日はどんな騒《さわ》ぎがあっても、一日縁《えん》の下に隠れていろよ。……」
乞食は短銃を検べながら、時々猫に話しかけた。
「お前とも永《なが》いお馴《な》染《じみ》だな。が、今日《きよう》がお別れだぞ。明日はお前にも大《だい》厄《やく》日《び》だ。おれも明日は死ぬかも知れない。よしまた死なずにすんだところが、この先二度とお前といっしょに掃《は》き溜《だ》めあさりはしないつもりだ。そうすればお前は大喜びだろう」
そのうちに雨はまたひとしきり、騒がしい音を立て始めた。雲も棟《むね》瓦《がわら》を煙《けむ》らせるほど、近《ちか》々《ぢか》に屋根に押《お》し迫《せま》ったのであろう。台所に漂った薄明りは、前よりもいっそうかすかになった。が、乞食は顔も挙《あ》げず、やっと検べ終わった短銃へ、丹《たん》念《ねん》に弾《だん》薬《やく》を装《そう》填《てん》していた。
「それとも名《な》残《ご》りだけは惜《お》しんでくれるか? いや、猫というやつは三年の恩も忘れるというから、お前も当てにはならなそうだな。――が、まあ、そんなことはどうでもいいや。ただおれもいないとすると、――」
乞《こ》食《じき》は急に口を噤《つぐ》んだ。とたんに誰か水《みず》口《くち》の外へ歩み寄ったらしいけはいがした。短銃をしまうのと振《ふ》り返るのと、乞食にはそれが同時だった。いや、そのほかに水口の障子ががらりと明けられたのも同時だった。乞食はとっさに身構えながら、まともに闖《ちん》入《にゆう》者《しや》と眼を合わせた。
すると障子を明けた誰かは乞食の姿を見るが早いか、かえって不意を打たれたように、「あっ」とかすかな叫《さけ》び声を洩《も》らした。それは素《す》裸足《はだし》に大《だい》黒《こく》傘《がさ》を下げた、まだ年の若い女だった。彼女はほとんど衝《しよう》動《どう》的に、もと来た雨の中へ飛び出そうとした。が、最初の驚《おどろ》きから、やっと勇気を恢《かい》復《ふく》すると、台所の薄《うす》明《あか》りに透《す》かしながら、じっと乞食の顔を覗《のぞ》きこんだ。
乞食はあっけにとられたのか、古《ふる》湯帷子《ゆかた》の片《かた》膝《ひざ》を立てたまま、まじまじ相手を見守っていた。もうその眼にもさっきのように、油断のない気《け》色《しき》は見えなかった。二人は黙《もく》然《ねん》としばらくの間、互《たが》いに眼と眼を見合わせていた。
「なんだい、お前は新《しん》公《こう*》 じゃないか?」
彼女は少し落ち着いたように、こう乞食へ声をかけた。乞食はにやにや笑いながら、二、三度彼女へ頭を下げた。
「どうも相すみません。あんまり降りが強いもんだから、ついお留守へはいりこみましたがね――なに、格別明《あ》き巣《す》狙《ねら》いに宗《しゆう》旨《し》を変えた訣《わけ》でもないんです」
「驚かせるよ、ほんとうに――いくら明き巣狙いじゃないと言ったって、ずうずうしいにもほどがあるじゃないか?」
彼女は傘《かさ》の滴《しずく》を切り切り、腹だたしそうにつけ加えた。
「さあ、こっちへ出ておくれよ。わたしは家《うち》へはいるんだから」
「へえ、出ます。出ろと仰有《おつしや》らないでも出ますがね。姐《ねえ》さんはまだ立ち退《の》かなかったんですかい?」
「立ち退いたのさ。立ち退いたんだけれども、――そんなことはどうでもいいじゃないか?」
「すると何か忘れ物でもしたんですね。――まあ、こっちへおはいんなさい。そこでは雨がかかりますぜ」
彼女はまだ業《ごう》腹《はら》そうに、乞《こ》食《じき》の言葉には返事もせず、水《みず》口《くち》の板の間《ま》へ腰《こし》を下《おろ》した。それから流しへ泥《どろ》足《あし》を伸《の》ばすと、ざあざあ水をかけ始めた。平然とあぐらをかいた乞食は髭《ひげ》だらけの顋《あご》をさすりながら、じろじろその姿を眺《なが》めていた。彼女は色の浅黒い、鼻のあたりに雀斑《そばかす》のある、田舎《いなか》者《もの》らしい小《こ》女《おんな》だった。なりも召《めし》使《つかい》に相応な手《て》織《おり》木綿《もめん》の一《ひと》重《え》物《もの》に、小《こ》倉《くら》の帯しかしていなかった。が、活《い》き活《い》きした眼鼻《めはな》だちや、堅《かた》肥《ぶと》りの体《からだ》つきには、どこか新しい桃《もも》や梨《なし》を聯《れん》想《そう》させる美しさがあった。
「この騒《さわ》ぎの中を取りに返るのじゃ、何か大事の物を忘れたんですね。なんです、その忘れ物は? え、姐さん。――お富《とみ》さん」
新公はまた尋《たず》ね続けた。
「なんだっていいじゃないか? それよりさっさと出て行っておくれよ」
お富の返事はつっけんどんだった。が、ふと何か思いついたように、新公の顔を見上げると、まじめにこんなことを尋《たず》ね出した。
「新公、お前、家《うち》の三《み》毛《け》を知らないかい?」
「三毛? 三毛は今ここに、――おや、どこへ行きやがったろう?」
乞《こ》食《じき》はあたりを見《み》廻《まわ》した。すると猫《ねこ》はいつの間にか、棚《たな》の擂《すり》鉢《ばち》や鉄《てつ》鍋《なべ》の間に、ちゃんと香《こう》箱《ばこ》をつくっていた。その姿は新公と同時に、たちまちお富にも見つかったのであろう。彼女は柄《ひ》杓《しやく》を捨てるが早いか、乞食の存在も忘れたように、板の間の上に立ち上がった。そうして晴れ晴れと微《び》笑《しよう》しながら、棚の上の猫を呼ぶようにした。
新公は薄《うす》暗《ぐら》い棚の上の猫から、不思議そうにお富へ眼を移した。
「猫ですかい、姐《ねえ》さん、忘れ物というのは?」
「猫じゃ悪いのかい?――三毛、三毛、さあ、下《お》りてお出《い》で」
新公は突《とつ》然《ぜん》笑い出した。その声は雨音の鳴り渡《わた》る中にほとんど気味の悪い反《はん》響《きよう》を起こした。と、お富はもう一度、腹だたしさに頬《ほお》を火《ほ》照《て》らせながら、いきなり新公に怒《ど》鳴《な》りつけた。
「何がおかしんだい? 家《うち》のお上《かみ》さんは三毛を忘れて来たって、気違いのようになっているんじゃないか? 三毛が殺されたらどうしようって、泣き通しに泣いているんじゃないか? わたしもそれがかわいそうだから、雨の中をわざわざ帰って来たんじゃないか?――」
「ようござんすよ。もう笑いはしませんよ」
新公はそれでも笑い笑い、お富の言葉を遮《さえぎ》った。
「もう笑いはしませんがね。まあ、考えてご覧なさい。明日にも『いくさ』が始まろうというのに、高が猫《ねこ》の一匹や二匹――これはどう考えたって、おかしいのに違《ちが》いありませんや。お前さんの前だけれども、いったいここのお上《かみ》さんぐらい、わからずやのしみったれはありませんぜ。第一あの三《み》毛《け》公《こう》を探《さが》しに、……」
「お黙りよ! お上さんの讒《ざん》訴《そ》なぞは聞きたくないよ!」
お富はほとんどじだんだを踏《ふ》んだ。が、乞《こ》食《じき》は思いのほか彼女の権《けん》幕《まく》には驚《おどろ》かなかった。のみならずしげしげ彼女の姿に無《ぶ》遠《えん》慮《りよ》な視線を注《そそ》いでいた。実際その時の彼女の姿は野《や》蛮《ばん》な美しさそのものだった。雨に濡《ぬ》れた着物や湯《ゆ》巻《ま》き、――それらはどこを眺《なが》めても、ぴったり肌《はだ》についているだけ、露《あら》わに肉体を語っていた。しかも一目に処女を感ずる、若々しい肉体を語っていた。新公は彼女に目を据《す》えたなり、やはり笑い声に話し続けた。
「第一あの三毛公を探しに、お前さんをよこすのでもわかっていまさあ。ねえ、そうじゃありませんか? 今じゃもう上《うえ》野《の》界《かい》隈《わい》、立ち退《の》かない家《うち》はありませんや。してみれば町家は並《なら》んでいても、人のいない町《まち》原《はら》と同じことだ。まさか狼《おおかみ》も出まいけれども、どんな危《あぶな》い目に遇《あ》うかも知れない。――と、まずいったものじゃありませんか?」
「そんなよけいな心配をするより、さっさと猫をとっておくれよ。――これが『いくさ』でも始まりゃしまいし、何が危いことがあるものかね」
「冗《じよう》談《だん》言っちゃいけません。若い女の一人歩きが、こういう時に危くなけりゃ、危いということはありませんや。早い話がここにいるのは、お前さんとわたしと二人っきりだ。万一わたしが妙《みよう》な気でも出したら、姐《ねえ》さん、お前さんはどうしなさるね?」
新《しん》公《こう》はだんだん冗談だか、まじめだか、わからない口《く》調《ちよう》になった。しかし澄《す》んだお富《とみ》の目には恐《きよう》怖《ふ》らしい影《かげ》さえ見えなかった。
ただその頬《ほお》には、さっきよりも、いっそう血の色がさしたらしかった。
「なんだい、新公、――お前はわたしを嚇《おど》かそうっていうのかい?」
お富は彼女自身嚇かすように、一足新公の側《そば》へ寄った。
「嚇かすえ? 嚇かすだけならばいいじゃありませんか? 肩《かた》に金《きん》切《ぎ》れ《*》 なんぞくつけていたって、風《ふう》の悪いやつらも多い世の中だ。ましてわたしは乞《こ》食《じき》ですぜ。嚇かすばかりとは限りませんや。もしほんとうに妙な気を出したら、……」
新公は残らず言わないうちに、したたか頭を打ちのめされた。お富はいつか彼の前に、大《だい》黒《こく》傘《がさ》をふり上げていたのだった。
「生意気なことをお言いでない」
お富はまた新公の頭へ、力いっぱい傘を打《う》ち下《おろ》した。新公はとっさに身を躱《かわ》そうとした。が、傘はそのとたんに、古《ふる》湯帷子《ゆかた》の肩《かた》を打ち据《す》えていた。この騒《さわ》ぎに驚《おどろ》いた猫《ねこ》は、鉄《てつ》鍋《なべ》を一つ蹴《け》落《お》としながら、荒《こう》神《じん》の棚《たな》へ飛び移った。と同時に荒神の松《まつ》や油《あぶら》光《びかり》のする灯《とう》明《みよう》皿《ざら》も、新公の上へ転《ころ》げ落《お》ちた。新公はやっと飛び起きる前に、また何度もお富の傘に、打ちのめされずにはすまなかった。
「こん畜《ちく》生《しよう》! こん畜生!」
お富は傘を揮《ふる》い続けた。が、新公は打たれながらも、とうとう傘を引ったくった。のみならず傘を投げ出すが早いか猛《もう》然《ぜん》とお富に飛びかかった。二人は狭《せま》い板の間《ま》の上に、しばらくの間掴《つか》み合った。この立《た》ち廻《まわ》りの最中に、雨はまた台所の屋根へ、凄《すさ》まじい音を湊《あつ》め出した。光も雨音の高まるのといっしょに、見る見る薄《うす》暗《ぐら》さを加えていった。新公は打たれても、引っ掻《か》かれても、遮《しや》二《に》無《む》二《に》お富を〓《ね》じ伏《ふ》せようとした。しかし何度か仕損じたのち、やっと彼女に組み付いたと思うと、突《とつ》然《ぜん》また弾《はじ》かれたように、水《みず》口《くち》の方へ飛びすさった。
「この阿《あ》魔《ま》あ!……」
新公は障子を後ろにしたなり、じっとお富を睨《にら》みつけた。いつか髪《かみ》も壊《こわ》れたお富は、べったり板の間に坐《すわ》りながら、帯の間に挟《はさ》んで来たらしい剃刀《かみそり》を逆《さか》手《て》に握《にぎ》っていた。それは殺気を帯びてもいれば、同時にまた妙《みよう》に艶《なま》めかしい、いわば荒《こう》神《じん》の棚《たな》の上に、背を高めた猫《ねこ》と似たものだった。二人はちょいと無言のまま、相手の目の中を窺《うかが》い合った。が、新公は一《いつ》瞬《しゆん》ののち、わざとらしい冷笑を見せると、懐《ふところ》からさっきの短銃を出した。
「さあ、いくらでもじたばたしてみろ」
短銃の先は徐《おもむ》ろに、お富の胸のあたりへ向かった。それでも彼女は口《く》惜《や》しそうに、新公の顔を見つめたきり、なんとも口を開かなかった。新公は彼女が騒《さわ》がないのを見ると、今度は何か思いついたように、短銃の先を上に向けた。その先には薄暗い中に、琥《こ》珀《はく》色《いろ》の猫の目が仄《ほの》めいていた。
「いいかい? お富さん。――」
新公は相手をじらすように、笑いを含《ふく》んだ声を出した。
「この短銃がどんというと、あの猫がさかさまに転げ落ちるんだ。お前さんにしても同じことだぜ。そらいいかい?」
引き金はすんでに落ちようとした。
「新公!」
突《とつ》然《ぜん》お富は声を立てた。
「いけないよ。打っちゃいけない」
新公はお富へ目を移した。しかしまた短銃の先は、三《み》毛《け》猫《ねこ》に狙《ねら》いを定めていた。
「いけないのは知れたことだ」
「打っちゃかわいそうだよ。三毛だけは助けておくれ」
お富は今までとは打って変わった、心配そうな目つきをしながら、心もち震《ふる》える脣《くちびる》の間に、細かい歯《は》並《な》みを覗《のぞ》かせていた。新公は半ば嘲《あざけ》るように、また半ば訝《いぶか》るように、彼女の顔を眺《なが》めるなり、やっと短銃の先を下げた。と同時にお富の顔には、ほっとした色が浮《う》かんできた。
「じゃ猫は助けてやろう。その代り。――」
新公は横《おう》柄《へい》に言い放った。
「その代りお前さんの体を借りるぜ」
お富はちょいと目を外《そ》らせた。一《いつ》瞬《しゆん》間《かん》彼女の心のうちには、憎《にく》しみ、怒《いか》り、嫌《けん》悪《お》、悲《ひ》哀《あい》、そのほかいろいろの感情がごったに燃え立ってきたらしかった。新公はそういう彼女の変化に注意深い目を配りながら、横歩きに彼女の後ろへ廻《まわ》ると茶の間《ま》の障子を明け放った。茶の間は台所に比べれば、もちろんいっそう薄《うす》暗《ぐら》かった。が、立ち退《の》いた跡《あと》と言う条、取り残した茶《ちや》箪《だん》笥《す》や長《なが》火《ひ》鉢《ばち》は、その中にもはっきり見ることができた。新公はそこに佇《たたず》んだまま、かすかに汗《あせ》ばんでいるらしい、お富の襟《えり》もとへ目を落とした。するとそれを感じたのか、お富は体を捻《ねじ》るように、後ろにいる新公の顔を見上げた。彼女の顔にはもういつの間にか、さっきと少しも変わらない、活《い》き活《い》きした色が返っていた。しかし新公は狼《ろう》狽《ばい》したように、妙《みよう》な瞬《またた》きを一つしながら、いきなりまた猫へ短銃を向けた。
「いけないよ。いけないってば。――」
お富は彼を止めると同時に、手の中の剃刀《かみそり》を板の間《ま》へ落とした。
「いけなけりゃあすこへお行きなさいな」
新公は薄《うす》笑《わら》いを浮かべていた。
「いけすかない!」
お富はいまいましそうに呟《つぶや》いた。が、突《とつ》然《ぜん》立ち上がると、ふて腐《くさ》れた女のするように、さっさと茶の間《ま》へはいって行った。新公は彼女の諦《あきら》めのいいのに、多少驚《おどろ》いた容《よう》子《す》だった。雨はもうその時には、ずっと音をかすめていた。おまけに雲の間には、夕日の光でもさし出したのか、薄《うす》暗《ぐら》かった台所も、だんだん明るさを加えていった。新公はその中に佇《たたず》みながら、茶の間のけはいに聞き入っていた。小《こ》倉《くら》の帯の解かれる音、畳《たたみ》の上へ寝《ね》たらしい音。――それぎり茶の間はしんとしてしまった。
新公はちょいとためらったのち、薄明るい茶の間《ま》へ足を入れた。茶の間のまん中にはお富が一人、袖《そで》に顔を蔽《おお》ったまま、じっと仰《あお》向《む》けに横たわっていた。新公はその姿を見るが早いか、逃《に》げるように台所へ引き返した。彼の顔には形容のできない、妙《みよう》な表情が漲《みなぎ》っていた。それは嫌《けん》悪《お》のようにも見えれば、恥《は》じたようにも見える色だった。彼は板の間《ま》へ出たと思うと、また茶の間へ背を向けたなり、突《とつ》然《ぜん》苦しそうに笑い出した。
「冗《じよう》談《だん》だ。お富さん。冗談だよ。もうこっちへ出て来ておくんなさい。……」
――何分かののち、懐《ふところ》に猫《ねこ》を入れたお富は、もう傘《かさ》を片手にしながら、破《やぶ》れ筵《むしろ》を敷《し》いた新公と、気軽に何か話していた。
「姐《ねえ》さん。わたしは少しお前さんに、訊《き》きたいことがあるんですがね。――」
新公はまだ間《ま》が悪そうに、お富の顔を見ないようにしていた。
「何をさ!」
「何をってこともないんですがね。――まあ肌《はだ》身《み》を任《まか》せるといえば、女の一生じゃ大変なことだ。それをお富さん、お前さんは、その猫の命と懸《か》け替《が》えに、――こいつはどうもお前さんにしちゃ、乱暴すぎるじゃありませんか」
新公はちょいと口を噤《つぐ》んだ。がお富は頬笑《ほほえ》んだぎり、懐の猫を劬《いたわ》っていた。
「そんなに猫がかわいいんですかい?」
「そりゃ三《み》毛《け》もかわいいしね。――」
お富は煮《に》えきらない返事をした。
「それともまたお前さんは、近所でも評判の主人思いだ。三《み》毛《け》が殺されたとなった日にゃ、この家《うち》の上《かみ》さんに申《もう》し訳《わけ》がない。――という心配でもあったんですかい?」
「ああ、三毛もかわいいしね。お上さんも大事にゃ違《ちが》いないんだよ。けれどもただわたしはね。――」
お富は小《こ》首《くび》を傾《かたむ》けながら、遠い所でも見るような目をした。
「なんと言えばいいんだろう? ただあの時はああしないと、なんだかすまない気がしたのさ」
――さらにまた何分かののち、一人になった新公は、古《ふる》湯帷子《ゆかた》の膝《ひざ》を抱いたまま、ぼんやり台所に坐《すわ》っていた。暮《ぼ》色《しよく》は疎《まば》らな雨の音の中に、だんだんここへも迫《せま》って来た。引き窓の綱《つな》、流し元の水《みず》瓶《がめ》、――そんな物も一つずつ見えなくなった。と思うと上《うえ》野《の》の鐘《かね》が、一《いつ》杵《しよ》ずつ雨雲にこもりながら、重苦しい音を拡《ひろ》げ始《はじ》めた。新公はその音に驚《おどろ》いたように、ひっそりしたあたりを見《み》廻《まわ》した。それから手さぐりに流し元へ下りると、柄《ひ》杓《しやく》になみなみと水を酌《く》んだ。
「村 上 新 三 郎《むらかみしんざぶろう》 源《みなもと》 の 繁 《しげ》 光《みつ》、今日だけは一本やられたな」
彼はそう呟《つぶや》きざま、うまそうに黄昏《たそがれ》の水を飲んだ。……
× × ×
明治二十三年三月二十六日、お富は夫や三人の子供と、上野の広《ひろ》小《こう》路《じ》を歩いていた。
その日はちょうど竹の台《*》 に、第三回内国博覧会《*》 の開会式が催《もよお》される当日だった。おまけに桜《さくら》も黒《くろ》門《もん*》 のあたりは、もうたいてい開いていた。だから広小路の人通りは、ほとんど押《お》し返さないばかりだった。そこへ上野の方からは、開会式の帰りらしい馬車や人《じん》力《りき》車《しや》の行列が、しっきりなしに流れて来た。前《まえ》田《だ》正《まさ》名《な*》 、田《た》口《ぐち》卯《う》吉《きち*》 、渋《しぶ》沢《さわ》栄《えい》一《いち》、辻《つじ》新《しん》次《じ*》 、岡《おか》倉《くら》覚《かく》三《ぞう*》 、下《しも》条《じよう》正《まさ》雄《お*》 ――その馬車や人力車の客には、そういう人々も交《ま》じっていた。
五つになる次男を抱《だ》いた夫は、袂《たもと》に長男を縋《すが》らせたまま、めまぐるしい往来の人通りをよけよけ、時々ちょいと心配そうに、後ろのお富を振《ふ》り返った。お富は長女の手をひきながら、そのたびに晴れやかな微笑《ほほえみ》を見せた。もちろん二十年の歳《さい》月《げつ》は、彼女にも老いをもたらしていた。しかし目のうちに冴《さ》えた光は昔《むかし》とあまり変わらなかった。彼女は明治四、五年ごろに、古《こ》河《が》屋《や》政《せい》兵《べ》衛《え》の甥《おい》に当たる、今の夫と結《けつ》婚《こん》した。夫はそのころは横浜に、今は銀《ぎん》座《ざ》の何丁目かに、小さい時《と》計《けい》屋《や》の店を出していた。……
お富はふと目を挙《あ》げた。その時ちょうどさしかかった、二頭立ちの馬車の中には、新公が悠《ゆう》悠《ゆう》と坐《すわ》っていた。新公が、――もっとも今の新公の体は、駝《だ》鳥《ちよう》の羽根の前《まえ》立《だ》てだの、厳《いか》めしい金モオルの飾《かざ》り緒《お》だの、大小幾《いく》つかの勲《くん》章《しよう》だの、いろいろの名誉の標章に埋《うず》まっているようなものだった。しかし半白の髯《ひげ》の間に、こちらを見ている赭《あか》ら顔《がお》は、往年の乞《こ》食《じき》に違《ちが》いなかった。お富は思わず足を緩《ゆる》めた。が、不思議にも驚《おどろ》かなかった。新公はただの乞食ではない。――そんなことはなぜかわかっていた。顔のせいか、言葉のせいか、それとも持っていた短銃のせいか、とにかくわかってはいたのだった。お富は眉《まゆ》も動かさずに、じっと新公の顔を眺《なが》めた。新公も故《こ》意《い》か偶《ぐう》然《ぜん》か、彼女の顔を見守っていた。二十年以前の雨の日の記《き》憶《おく》は、この瞬《しゆん》間《かん》お富の心に、せつないほどはっきり浮《う》かんできた。彼女はあの日無《む》分《ふん》別《べつ》にも、一匹《ぴき》の猫《ねこ》を救《すく》うために、新公に体を任《まか》そうとした。その動機はなんだったか、――彼女はそれを知らなかった。新公はまたそういう羽《は》目《め》にも、彼女が投げ出した体には、指さえ触《ふ》れることを肯《がえん》じなかった。その動機はなんだったか、――それも彼女は知らなかった。が、知らないのにも関《かかわ》らず、それらは皆《みな》お富には、当然すぎるほど当然だった。彼女は馬車とすれ違《ちが》いながら、何か心の伸《の》びるような気がした。
新公の馬車の通り過ぎた時、夫は人ごみの間から、またお富を振《ふ》り返った。彼女はやはりその顔を見ると、何事もないように微笑《ほほえ》んで見せた。活《い》き活《い》きと、うれしそうに。……
(大正十一年八月)
おぎん
元《げん》和《な》か、寛《かん》永《えい》か、とにかく遠い昔《むかし》である。
天主のおん教えを奉《ほう》ずるものは、そのころでももう見つかりしだい、火《ひ》炙《あぶ》りや磔《はりつけ》に遇《あ》わされていた。しかし迫《はく》害《がい》が烈《はげ》しいだけに、「万事にかない給《たも》うおん主《あるじ》」も、そのころはいっそうこの国の宗《しゆう》徒《と》に、あらたかな御加護を加えられたらしい。長崎あたりの村々には、時々日の暮《く》れの光といっしょに、天使や聖徒の見《み》舞《ま》うことがあった。現にあのさん・じょあん・ばちすた さ《* 》え、一度などは浦《うら》上《かみ》の宗徒みげる 弥《*や》兵《へ》衛《え》の水車小屋に、姿を現わしたと伝えられている。と同時に悪《あく》魔《ま》もまた宗徒の精《しよう》進《じん》を妨《さまた》げるため、あるいは見慣れぬ黒人となり、あるいは舶《はく》来《らい》の草花となり、あるいは網《あ》代《じろ》の乗り物《*》 となり、しばしば同じ村々に出《しゆつ》没《ぼつ》した。夜昼さえ分かたぬ土の牢《ろう》に、みげる弥兵衛を苦しめた鼠《ねずみ》も、実は悪魔の変《へん》化《げ》だったそうである。弥兵衛は元和八年の秋、十一人の宗徒と火炙りになった。――その元和か、寛永か、とにかく遠い昔である。
やはり浦上の山里村に、おぎんという童女が住んでいた。おぎんの父《ちち》母《はは》は大阪から、はるばる長崎へ流《る》浪《ろう》して来た。が、何もし出さないうちに、おぎん一人を残したまま、二人とも故《こ》人《じん》になってしまった。もちろん彼ら他国ものは、天主のおん教えを知るはずはない。彼らの信じたのは仏《ぶつ》教《きよう》である。禅《ぜん》か、法《ほつ》華《け》か、それともまた浄《じよう》土《ど》か、何にもせよ釈《しや》迦《か》の教えである。あるフランスのジェスウィット《*》 によれば、天《てん》性《せい》奸《かん》智《ち》に富んだ釈《しや》迦《か》は、支《し》那《な》各地を遊歴しながら、阿《あ》弥《み》陀《だ》と称する仏《ほとけ》の道を説いた。その後また日本の国へも、やはり同じ道を教えに来た。釈迦の説いた教えによれば、我々人間の霊魂《アニマ》は、その罪の軽《けい》重《ちよう》深浅に従い、あるいは小鳥となり、あるいは牛となり、あるいはまた樹木となるそうである。のみならず釈迦は生まれる時、彼の母を殺したという。釈迦の教えの荒《こう》誕《たん》なのはもちろん、釈迦の大悪もまた明白である(ジァン・クラッセ《*》 )。しかしおぎんの母親は、前にもちょいと書いた通り、そういう真実を知るはずはない。彼らは息を引きとったのちも、釈迦の教えを信じている。寂《さび》しい墓原の松《まつ》のかげに、末は「いんへるの」に堕《お》ちるのも知らず、はかない極《ごく》楽《らく》を夢《ゆめ》見《み》ている。
しかしおぎんは幸いにも、両親の無知に染まっていない。これは山里村居つきの農夫、憐《あわれ》みの深いじょあん孫《まご》七《しち》は、とうにこの童女の額《ひたい》へ、ばぷちずもの《* 》 おん水を注《そそ》いだ上、まりやという名を与《あた》えていた。おぎんは釈迦が生まれた時、天と地とを指《さ》しながら、「天《てん》上《じよう》天《てん》下《げ》唯《ゆい》我《が》独《どく》尊《そん》」と獅《し》子《し》吼《く*》 したことなどは信じていない。その代りに、「深く御《ご》柔《にゆう》軟《なん》、深く御《ご》哀《あい》燐《れん》、勝《すぐ》れて甘《うまし》くまします童女さんた・まりあ様《*》 」が、自然と身ごもったことを信じている。「十字架《くるす》に懸《かか》り死し給《たま》い《*》、石の御《おん》棺《ひつぎ》に納められ給い、大地の底に」埋《う》められたぜすすが《* 》 、三日ののちよみ返ったことを信じている。御《ご》糺《きゆう》明《めい》の喇《らつ》叭《ぱ*》 さえ響き渡《わた》れば、「おん主《あるじ》、大いなる御《ご》威《い》光《こう*》 、大いなる御《ご》威《い》勢《せい》を以《もつ》て天《あま》下《くだ》り給い、土《つち》埃《ほこり》になりたる人々の色《しき》身《しん》を、もとの霊魂《アニマ》に併《あわ》せてよみ返し給い、善人は天上の快《け》楽《らく》を受け、また悪人は天《てん》狗《ぐ》とともに、地《じ》獄《ごく》に堕ち」ることを信じている。ことに「御《み》言《こと》葉《ば》の御《ご》聖《しよう》徳《とく》により《*》 、ぽんと酒の色形は変わらずといえども、その正体はおん主の御血肉となり変わる」尊いさがらめんとを《* 》 信じている。おぎんの心は両親のように、熱風に吹《ふ》かれた沙《さ》漠《ばく》ではない。素《そ》朴《ぼく》な野《の》薔《ば》薇《ら》の花を交《まじ》えた、実りの豊かな麦《むぎ》畠《ばたけ》である。おぎんは両親を失ったのち、じょあん孫七の養女になった。孫七の妻、じょあんなおすみも、やはり心の優《やさ》しい人である。おぎんはこの夫婦といっしょに、牛を追ったり麦を刈《か》ったり、幸福にその日を送っていた。もちろんそういう暮らしの中にも、村人の目に立たない限りは、断《だん》食《じき》や祈《き》祷《とう》も怠《おこた》ったことはない。おぎんは井《い》戸《ど》端《ばた》の無花果《いちじく》のかげに、大きい三日月を仰《あお》ぎながら、しばしば熱心に祈祷を凝《こ》らした。この垂《た》れ髪《がみ》の童女の祈祷は、こういう簡単なものなのである。
「憐《あわれ》みのおん母《*》 、おん身におん礼をなし奉《たてまつ》る。流《る》人《にん》となれるえわの《* 》 子供、おん身に叫《さけ》びをなし奉る。あわれこの涙《なみだ》の谷に、柔《にゆう》軟《なん》のおん眼《め》をめぐらさせ給え。あんめい」《* 》
するとある年のなたら 《* 》 (降誕祭《クリスマス》)の夜、悪《あく》魔《ま》は何人かの役人といっしょに、突然《とつぜん》孫七の家へはいって来た。孫七の家には大きな囲《い》炉《ろ》裡《り》に「お伽《とぎ》の焚《た》き物《もの》」の火が燃えさかっている。それから煤《すす》びた壁《かべ》の上にも、今夜だけは十字架《くるす》が祭ってある。最後に後ろの牛小屋へ行けば、ぜすす様の産《うぶ》湯《ゆ》のために、飼《か》い桶《おけ》に水が湛《たた》えられている。役人は互《たが》いに頷《うなず》き合いながら、孫七夫婦に縄《なわ》をかけた。おぎんも同時に括《くく》り上げられた。しかし彼らは三人とも、全然悪びれる気《け》色《しき》はなかった。霊魂《アニマ》の助かりのためならば、いかなる責《せ》め苦も覚《かく》悟《ご》である。おん主は必ず我らのために、御加護を賜《たま》わるのに違《ちが》いない。第一なたらの夜に捕《とら》われたというのは、天《てん》寵《ちよう》の厚い証《しよう》拠《こ》ではないか? 彼らは皆《みな》言い合わせたように、こう確信していたのである。役人は彼らを縛《いまし》めたのち、代《だい》官《かん》の屋《や》敷《しき》へ引き立てて行った。が、彼らはその途《と》中《ちゆう》も、暗《やみ》夜《よ》の風に吹かれながら、ご降《こう》誕《たん》の祈祷を誦《じゆ》しつづけた。
「べれんの《* 》 国にお生まれなされたおん若君様、今はいずこにましますか? おん讚《ほ》め尊《あが》め給《たま》え」
悪《あく》魔《ま》は彼らの捕《とら》われたのを見ると、手を拍《う》って喜び笑った。しかし彼らのけなげなさまには、少なからず腹をたてたらしい。悪魔は一人になったのち、いまいましそうに唾《つば》をするが早いか、たちまち大きい石《いし》臼《うす》になった。そうしてごろごろ転《ころ》がりながら闇《やみ》の中に消《き》え失《う》せてしまった。
じょあん孫七、じょあんなおすみ、まりやおぎんの三人は、土の牢《ろう》に投げこまれた上、天主のおん教えを捨てるように、いろいろの責《せ》め苦に遇《あ》わされた。しかし水責めや火責めに遇っても、彼らの決心は動かなかった。たとい皮肉は爛《ただ》れるにしても、はらいそ(天国)の門へはいるのは、もう一《ひと》息《いき》の辛《しん》抱《ぼう》である。いや、天主の大恩を思えば、この暗い土の牢さえ、そのまま「はらいそ」の荘《そう》厳《ごん》と変わりはない。のみならず尊い天使や聖徒は、夢《ゆめ》ともうつつともつかないなかに、しばしば彼らを慰《なぐさ》めに来た。ことにそういう幸福は、いちばんおぎんに恵《めぐ》まれたらしい。おぎんはさん・じょあん・ばちすたが、大きい両手のひらに、蝗《いなご》をたくさそうん掬《すく》い上げながら、食えというところを見たことがある。また大天使がぶりえるが《* 》 、白い翼《つばさ》を畳《たた》んだまま、美しい金《こん》色《じき》の杯《さかずき》に、水をくれるところを見たこともある。
代《だい》官《かん》は天主のおん教えはもちろん、釈《しや》迦《か》の教えも知らなかったから、なぜ彼らが剛《ごう》情《じよう》を張るのかさっぱり理解ができなかった。時には三人が三人とも、気違いではないかと思うこともあった。しかし気違いでもないことがわかると、今度は大《だい》蛇《じや》とか一《いつ》角《かく》獣《じゆう》とか、とにかく人《じん》倫《りん》には縁《えん》のない動物のような気がし出した。そういう動物を生かしておいては、今日の法律に違《たが》うばかりか、一国の安危にも関《かかわ》る訣《わけ》である。そこで代官は一月ばかり、土の牢《ろう》に彼らを入れておいたのち、とうとう三人とも焼き殺すことにした。(実を言えばこの代官も、世間一《いつ》般《ぱん》の人々のように、一国の安危に関るかどうか、そんなことはほとんど考えなかった。これは第一に法律があり、第二に人民の道徳があり、わざわざ考えてみないでも、格別不自由はしなかったからである)
じょあん孫七をはじめ三人の宗《しゆう》徒《と》は、村はずれの刑《けい》場《じよう》へ引かれる途《と》中《ちゆう》も、恐《おそ》れる気《け》色《しき》は見えなかった。刑場はちょうど墓原に隣《とな》った、石ころの多い空《あ》き地である。彼らはそこへ到《とう》着《ちやく》すると、いちいち罪状を読み聞かされたのち、太い角柱に括《くく》りつけられた。それから右にじょあんなおすみ、中央にじょあん孫七、左にまりやおぎんという順に、刑場のまん中へ押《お》し立てられた。おすみは連日の責《せ》め苦のため、急に年をとったように見える。孫七も髭《ひげ》の伸びた頬《ほお》には、ほとんど血の気《け》が通《かよ》っていない。おぎんも――おぎんは二人に比べると、まだしもふだんと変わらなかった。が、彼らは三人とも、堆《うずたか》い薪《たきぎ》を踏《ふ》まえたまま、同じように静かな顔をしている。
刑場のまわりにはずっと前から、大ぜいの見物が取り巻いている。そのまた見物の向こうの空には、墓原の松が五、六本、天《てん》蓋《がい》のように枝を張っている。
いっさいの準備の終わった時、役人の一人はものものしげに、三人の前へ進みよると、天主のおん教えを捨てるか捨てぬか、しばらく猶《ゆう》予《よ》を与《あた》えるから、もう一度よく考えてみろ、もしおん教えを捨てると言えば、すぐにも縄《なわ》目《め》は赦《ゆる》してやると言った。しかし彼らは答えない。皆《みな》遠い空を見守ったまま、口もとには微《び》笑《しよう》さえ湛《たた》えている。
役人はもちろん見物すら、この数分の間くらいひっそりとなったためしはない。無数の眼《め》はじっと瞬《またた》きもせず、三人の顔に注《そそ》がれている。が、これは傷《いた》ましさのあまり、誰《だれ》も息を呑《の》んだのではない。見物はたいてい火のかかるのを、今か今かと待っていたのである。役人はまた処《しよ》刑《けい》の手間どるのに、すっかり退《たい》屈《くつ》し切っていたから、話をする勇気も出なかったのである。
すると突《とつ》然《ぜん》一同の耳は、はっきりと意外な言葉を捉《とら》えた。
「わたしはおん教えを捨てることにいたしました」
声の主はおぎんである。見物は一度に騒《さわ》ぎたった。が、一度どよめいたのち、たちまちまた静かになってしまった。それは孫七が悲しそうに、おぎんの方を振《ふ》り向きながら、力のない声を出したからである。
「おぎん! お前は悪《あく》魔《ま》にたぶらかされたのか? もう一《ひと》辛《しん》抱《ぼう》しさえすれば、おん主《あるじ》のお顔も拝めるのだぞ」
その言葉が終わらないうちに、おすみも遥《はるか》におぎんの方へ、いっしょうけんめいな声をかけた。
「おぎん! おぎん! お前には悪魔がついたのだよ。祈《いの》っておくれ。祈っておくれ」
しかしおぎんは返事をしない。ただ眼は大ぜいの見物の向こうの、天《てん》蓋《がい》のように枝を張った、墓原の松《まつ》を眺《なが》めている。そのうちにもう役人の一人は、おぎんの縄《なわ》目《め》を赦《ゆる》すように命じた。
じょあん孫七はそれを見るなり、あきらめたように眼をつぶった。
「万事にかない給うおん主、おん計らいに任《まか》せ奉《たてまつ》る」
やっと縄を離れたおぎんは、茫《ぼう》然《ぜん》としばらく佇《たたず》んでいた。が、孫七やおすみを見ると、急にその前へ跪《ひざまず》きながら、何も言わずに涙《なみだ》を流した。孫七はやはり眼を閉じている。おすみも顔をそむけたまま、おぎんの方は見ようともしない。
「お父《とう》様《さま》、お母《かあ》様《さま》、どうか堪《かん》忍《にん》してくださいまし」
おぎんはやっと口を開いた。
「わたしはおん教えを捨てました。その訣《わけ》はふと向こうに見える、天《てん》蓋《がい》のような松《まつ》の梢《こずえ》に、気のついたせいでございます。あの墓原の松のかげに、眠《ねむ》っていらっしゃるご両親は、天主のおん教えもご存知なし、きっと今ごろはいんへるのに、お堕《お》ちになっていらっしゃいましょう。それを今わたし一人、はらいその門にはいったのでは、どうしても申し訣《わけ》がありません。わたしはやはり地《じ》獄《ごく》の底へ、ご両親の跡《あと》を追って参りましょう。どうかお父様やお母様は、ぜすす様やまりや様のお側《そば》へお出《い》でなすってくださいまし。その代りおん教えを捨てた上は、わたしも生きてはおられません。……」
おぎんは切れ切れにそう言ってから、あとは啜《すす》り泣《な》きに沈《しず》んでしまった。すると今度はじょあんなおすみも、足に踏んだ薪《たきぎ》の上へ、ほろほろ涙《なみだ》を落とし出した。これからはらいそへはいろうとするのに、用もない歎《なげ》きに耽《ふけ》っているのは、もちろん宗《しゆう》徒《と》のすべきことではない。じょあん孫七は、苦《にが》々《にが》しそうに隣《となり》の妻を振《ふ》り返りながら、癇《かん》高《だか》い声に叱りつけた。
「お前も悪《あく》魔《ま》に見入られたのか? 天主のおん教えを捨てたければ、かってにお前だけ捨てるがいい。おれは一人でも焼け死んで見せるぞ」
「いえ、わたしもお供をいたします。けれどもそれは――それは」
おすみは涙《なみだ》を呑《の》みこんでから、半ば叫《さけ》ぶように言葉を投げた。
「けれどもそれははらいそへ参りたいからではございません。ただあなたの――、あなたのお供をいたすのでございます」
孫七は長い間黙《だま》っていた。しかしその顔は蒼《あお》ざめたり、また血の色を漲《みなぎ》らせたりした。と同時に汗《あせ》の玉も、つぶつぶ顔にたまり出した。孫七は今心の眼に、彼の霊魂《アニマ》を見ているのである。彼の霊魂《アニマ》を奪《うば》い合う天使と悪《あく》魔《ま》とを見ているのである。もしその時足もとのおぎんが泣き伏《ふ》した顔を挙《あ》げずにいたら、――いや、もうおぎんは顔を挙げた。しかも涙に溢《あふ》れた眼には、不思議な光を宿しながら、じっと彼を見守っている。この眼の奥《おく》に閃《ひらめ》いているのは、無《む》邪《じや》気《き》な童女の心ばかりではない。「流《る》人《にん》となれるえわの子供」、あらゆる人間の心である。
「お父様! いんへるのへ参りましょう。お母様も、わたしも、あちらのお父様やお母様も、――みんな悪魔にさらわれましょう」
孫七はとうとう堕《だ》落《らく》した。
この話はわが国に多かった奉《ほう》教《きよう》人《にん》の受難のうちでも、最も恥《は》ずべき躓《つまず》きとして、後代に伝えられた物語である。なんでも彼らが三人ながら、おん教えを捨てるとなった時には、天主のなんたるかをわきまえない見物の老《ろう》若《にやく》男《なん》女《によ》さえも、ことごとく彼らを憎《にく》んだという。これはせっかくの火《ひ》炙《あぶ》りも何も、見そこなった遺《い》恨《こん》だったかも知れない。さらにまた伝うるところによれば、悪魔はその時大歓喜のあまり、大きい書物に化けながら、夜じゅう刑《けい》場《じよう》に飛んでいたという。これもそう無《む》性《しよう》に喜ぶほど、悪魔の成功だったかどうか、作者ははなはだ懐《かい》疑《ぎ》的である。
(大正十一年八月)
百合《ゆり》
良《りよう》平《へい*》 はある雑誌社に校《こう》正《せい》の朱《しゆ》筆《ふで》を握《にぎ》っている。しかしそれは本意ではない。彼は少しの暇《ひま》さえあれば、翻《ほん》訳《やく》のマルクスを耽《たん》読《どく》している。あるいは太い指の先に一本のバットを楽しみながら、薄《うす》暗《ぐら》いロシアを夢みている《*》 。百合《ゆり》の話もそういう時にふと彼の心を掠《かす》めた、切れ切れな思い出の一片に過ぎない。
今年七歳の良平は生まれた家の台所に早い午《ひる》飯《めし》を掻《か》きこんでいた。すると隣《となり》の金《きん》三《ぞう》が汗《あせ》ばんだ顔を光らせながら、何か大事件でも起こったようにいきなり流し元へ飛びこんで来た。
「今ね、良ちゃん。今ね、二《に》本《ほん》芽《め》の百合を見つけて来たぜ」
金三は二本芽を表わすために、上を向いた鼻の先へ両手の人さし指を揃《そろ》えてみせた。
「二本芽のね?」
良平は思わず目を見張った。一つの根から芽の二本出た、その二本芽の百合というやつは容易に見つからない物だったのである。
「ああ、うんと太い二本芽のね、ちんぼ芽のね、赤芽のね、……」
金三は解けかかった帯の端《はし》に顔の汗を拭《ふ》きながら、ほとんど夢《む》中《ちゆう》にしゃべり続けた。それに釣《つ》りこまれた良平もいつか膳《ぜん》を置きざりにしたまま、流し元の框《かまち》にしゃがんでいた。
「ご飯を食べてしまえよ。二本芽《め》でも赤芽でもいいじゃないか」
母はだだ広《びろ》い次の間に蚕《かいこ》の桑《くわ》を刻み刻み、二、三度良平へ声をかけた。しかし彼はそんなことも全然耳へはいらないように、芽はどのくらい太いかとか、二本とも同じ長さかとか、やつぎばやに問いを発していた。金三はもちろん雄《ゆう》弁《べん》だった。芽は二本とも親指より太い。丈《たけ》も同じように揃《そろ》っている。ああいう百合《ゆり》は世界じゅうにもあるまい。……
「ね、おい、良ちゃん。今すぐ見にあゆびょう」《* 》
金三は狡《ずる》そうに母の方を見てから、そっと良平の裾《すそ》を引いた。二本芽の赤芽のちんぼ芽の百合を見る、――このくらい大きい誘《ゆう》惑《わく》はなかった。良平は返事もしないうちに、母の藁《わら》草《ぞう》履《り》へ足をかけた。藁草履はじっとり湿《しめ》った上、鼻《はな》緒《お》もいいかげん緩《ゆる》んでいた。
「良平! これ! ご飯を食べかけて、――」
母は驚《おどろ》いた声を出した。が、もう良平はその時には、先に立って裏庭を駈《か》け抜《ぬ》けていた。裏庭の外には小《こう》路《じ》の向こうに、木の芽《め》の煙《けぶ》った雑《ぞう》木《き》林《ばやし》があった。良平はそちらへ駈けて行こうとした。すると金三は「こっちだよう」といっしょうけんめいに喚《わめ》きながら、畑のある右手へ走って行った。良平は一足踏《ふ》み出したなり、大《おお》仰《ぎよう》にぐるりと頭を廻《まわ》すと、前こごみにばたばた駈け戻《もど》って来た。なぜか彼にはそうしないと、勇ましい気もちがしないのだった。
「なあんだね、畑の土《ど》手《て》にあるのかね?」
「ううん、畑の中にあるんだよ。この向こうの麦畑の……」
金三はこう言いかけたなり、桑《くわ》畑《ばたけ》の畔《くろ》へもぐりこんだ。桑畑の中《なか》生《て》十文字《*》 はもう縦横に伸《の》ばした枝に、二銭《せん》銅《どう》貨《か》ほどの葉をつけていた。良平もその枝をくぐりくぐり、金三の跡《あと》を追って行った。彼のすぐ鼻の先には継《つ》ぎの当たった金三の尻《しり》に、ほどけかかった帯が飛び廻《まわ》っていた。
桑畑を向こうに抜《ぬ》けた所はやっと節《ふし》だった麦畑だった。金三は先に立ったまま、麦と桑とに挟《はさ》まれた畔をもう一度右へ曲がりかけた。素早い良平はそのとたんに金三の脇《わき》を走り抜けた。が、三間《げん》と走らないうちに、腹をたてたらしい金三の声は、たちまち彼を立ち止まらせてしまった。
「なんだい、どこにあるか知ってもしないくせに!」
悄《しよ》気《げ》返った良平はしぶしぶまた金三を先に立てた。二人はもう駈《か》けなかった。互《たが》いにむっつり黙ったまま、麦とすれすれに歩いていった。しかしその麦畑の隅《すみ》の、土《ど》手《て》の築いてある側《そば》へ来ると、金三は急に良平の方へ笑い顔を振《ふ》り向けながら、足もとの畦《うね》を指《さ》して見せた。
「こう、ここだよ」
良平もそう言われた時にはすっかり不《ふ》機《き》嫌《げん》を忘れていた。
「どうね? どうね?」
彼はその畦を覗《のぞ》きこんだ。そこには金三の言った通り、赤い葉を巻いた百合の芽《め》が二本、光沢《つや》のいい頭を尖《とが》らせていた。彼は話には聞いていても、現在このりっぱさを見ると、声も出ないほどびっくりしてしまった。
「ね、太かろう」
金三はさも得意そうに良平の顔へ目をやった。が、良平は頷《うなず》いたぎり、百合《ゆり》の芽《め》ばかり見守っていた。
金三はもう一度繰《く》り返してから、右の方の芽にさわろうとした。すると良平は目のさめたように、慌《あわ》ててその手を払《はら》いのけた。
「あっ、さわんなさんなよう、折れるから」
「いいじゃあ、さわったって。お前さんの百合じゃないに!」
金三はまた怒《おこ》りだした。良平も今度は引きこまなかった。
「お前さんのでもないじゃあ」
「わしのでないって、さわってもいいじゃあ」
「よしなさいってば。折れちまうよう」
「折れるもんじゃよう。わしはさっきさんざさわったよう」
「さっきさんざさわった」となれば、良平も黙《だま》るよりほかはなかった。金三はそこへしゃがんだまま、前よりも手《て》荒《あら》に百合の芽をいじった。しかし三寸に足りない芽は動きそうな気《け》色《しき》も見せなかった。
「じゃわしもさわろうか?」
やっと安心した良平は金三の顔色を窺《うかが》いながら、そっと左の芽にさわってみた。赤い芽は良平の指さきに、妙《みよう》にしっかりした触《しよつ》覚《かく》を与《あた》えた。彼はその触覚の中になんとも言われないうれしさを感じた。
「おおなあ!」
良平は独《ひと》り微《び》笑《しよう》していた。すると金三はしばらくののち、突《とつ》然《ぜん》またこんなことを言い始めた。
「こんなにいいちんぼ芽《め》じゃ球根《たま》はうんと大きかろうねえ。――え、良ちゃん掘《ほ》ってみようか?」
彼はもうそう言った時には、畦《うね》の土に指を突っこんでいた。良平のびっくりしたことはさっきより烈《はげ》しいくらいだった。彼は百合《ゆり》の芽も忘れたように、いきなりその手を抑《おさ》えつけた。
「よしなさいよう。よしなさいってば。――」
それから良平は小声になった。
「見つかると、お前さん、叱《しか》られるよ」
畑の中に生《は》えている百合は野原や山にあるやつと違《ちが》う。この畑の持ち主以外に誰《だれ》も取ることは許されていない。――それは金三にもわかっていた。彼はちょいと未練そうに、まわりの土へ輪を描《か》いたのち、すなおに良平の言うことを聞いた。
晴れた空のどこかには雲雀《ひばり》の声が続いていた。二人の子供はその声の下に二本芽の百合を愛しながら、大まじめにこういう約《やく》束《そく》を結んだ。――第一、この百合のことはどんな友だちにも話さないこと。第二、毎朝学校へ出る前、二人いっしょに見に来ること。……
翌朝二人は約束通り、いっしょに百合のある麦畑へ来た。百合は赤い芽の先に露《つゆ》の玉を保《も》っていた。金三は右のちんぼ芽《め》を、良平は左のちんぼ芽を、それぞれ爪《つめ》で弾《はじ》きながら、露の玉を落としてやった。
「太いねえ!――」
良平はその朝もいまさらのように、百合《ゆり》の芽のりっぱさに見《み》惚《と》れていた。
「これじゃ五年経《た》っただね」
「五年ねえ?――」
金三はちょいと良平の顔へ、蔑《さげ》すみに満ちた目を送った。
「五年ねえ? 十年くらいずらじゃ」
「十年! 十年ってわしより年上かね?」
「そうさ。お前さんより年上ずらじゃ」
「じゃ花が十《とお》咲《さ》くかね?」
五年の百合には五つ花ができ、十年の百合には十《とお》花ができる、――彼らはいつか年上のものにそういうことを教えられていた。
「咲くさあ、十ぐらい!」
金三は厳《おごそ》かに言い切った。良平は内心たじろぎながら、言い訣《わけ》のように独《ひとり》言《ごと》を言った。
「早く咲くといいな」
「咲くもんじゃあ。夏でなけりゃ」
金三はまた嘲笑《あざわら》った。
「夏ねえ? 夏なもんか。雨の降る時分だよう」
「雨の降る時分は夏だよう」
「夏は白い着物を着る時だよう。――」
良平も容易に負けなかった。
「雨の降る時分は夏なもんか」
「ばか! 白い着物を着るのは土《ど》用《よう》だい」
「嘘《うそ》だい。うちのお母《かあ》さんに訊《き》いてみろ。白い着物を着るのは夏だい!」
良平はそう言うか言わないうちに、ぴしゃり左の横《よこ》鬢《びん》を打たれた。が、打たれたと思った時にはもうまた相手を打ち返していた。
「生《なま》意《い》気《き》!」
顔色を変えた金三は力いっぱい彼を突《つ》き飛ばした。良平は仰《あお》向《む》けに麦の畦《うね》へ倒《たお》れた。畦には露《つゆ》が下《お》りていたから、顔や着物はその拍《ひよう》子《し》にすっかり泥《どろ》になってしまった。それでも彼は飛び起きるが早いか、いきなり金三へむしゃぶりついた。金三も不意を食ったせいか、いつもはめったに負けたことのないのが、この時はべたりと尻《しり》餅《もち》をついた。しかもその尻餅の跡《あと》は百合《ゆり》の芽《め》のすぐに近所だった。
「喧《けん》嘩《か》ならこっちへ来い。百合の芽を傷《いた》めるからこっちへ来い」
金三は顎《あご》をしゃくいながら、桑《くわ》畑《ばたけ》の畔《くろ》へ飛び出した。良平もべそをかいたなり、やむを得ずそこへ出て行った。二人はたちまち取っ組み合いを始めた。顔を真《まつ》赤《か》にした金三は良平の胸ぐらを掴《つか》まえたまま、むちゃくちゃに前後へこづき廻《まわ》した。良平はふだんこうやられると、たいてい泣き出してしまうのだった。しかしその朝は泣き出さなかった。のみならず頭がふらついてきても、剛《ごう》情《じよう》に相手へしがみついていた。
すると桑《くわ》の間から、突《とつ》然《ぜん》誰かが顔を出した。
「はえ、まあ、お前さんたちは喧《けん》嘩《か》かよう」
二人はやっと掴み合いをやめた。彼らの前には薄《うす》痘痕《いも》のある百《ひやく》姓《しよう》の女《によう》房《ぼう》が立っていた。それはやはり惣《そう》吉《きち》という学校友だちの母親だった。彼女は桑を摘《つ》みに来たのか、寝《ね》間《ま》着《き》に手《て》拭《ぬぐい》をかぶったなり、大きい笊《ざる》を抱《かか》えていた。そうして何か迂《う》散《さん》そうに、じろじろ二人を見比べていた。
「相撲《すもう》だよう。叔母《おば》さん」
金三はわざと元気そうに言った。が、良平は震《ふる》えながら、相手の言葉を打ち切るように言った。
「嘘《うそ》つき! 喧嘩だくせに!」
「手前こそ嘘つきじゃあ」
金三は良平の、耳《みみ》朶《たぶ》を掴んだ。が、まだしあわせと引っ張らないうちに、怖《こわ》い顔をした惣吉の母は楽々とその手を〓《も》ぎ離《はな》した。
「お前さんはいつも乱暴だよう。この間うちの惣吉の額《ひたい》に疵《きず》をつけたのもお前さんずら」
良平は金三の叱《しか》られるのを見ると、「ざまを見ろ」と言いたかった。しかしそう言ってやるより前に、なぜか涙《なみだ》がこみ上げてきた。そのとたんにまた金三は惣吉の母の手を振《ふ》り離しながら、片足ずつ躍《おど》るように桑《くわ》の中を向こうへ逃《に》げて行った。
「日《ひ》金《がね》山《やま》が曇《くも》った! 良平の目から雨が降る!」
―――――――――――
その翌日は夜明け前から、春には珍《めずら》しい大雨だった。良平の家《うち》では蚕《かいこ》に食わせる桑の貯《たくわ》えが足りなかったから、父や母は午《ひる》ごろになると、蓑《みの》の埃《ほこり》を払《はら》ったり、古い麦《むぎ》藁《わら》帽《ぼう》を探《さが》し出したり、畑へ出る仕《し》度《たく》を急ぎ始めた。が、良平はそういう中にも肉《につ》桂《けい》の皮を噛《か》みながら、百合《ゆり》のことばかり考えていた。この降りではことによると、百合の芽《め》も折られてしまったかも知れない。それとも畑の土といっしょに、球根《たま》ごとそっくり流されはしないか?……
「金三のやつも心配ずら」
良平はまたそうも思った。するとおかしい気がした。金三の家は隣《となり》だから、軒《のき》伝《づた》いに行きさえすれば、傘《かさ》をさす必要もないのだった。しかし昨日《きのう》の喧《けん》嘩《か》の手前、こちらからは遊びに行きたくなかった。たとい向こうから遊びに来ても、始めは口一つ利《き》かずにいてやる。そうすればあいつも悄《しよ》気《げ》るのに違《ちが》いない。……(未完)
(大正十一年九月)
三つの宝
一
森の中。三人の盗《ぬす》人《びと》が宝を争っている。宝とは一飛びに千里《り》飛ぶ長《なが》靴《ぐつ》、着れば姿の隠《かく》れるマントル、鉄でもまっ二つに切れる剣《けん》――ただしいずれも見たところは、古道具らしい物ばかりである。
第一の盗人 そのマントルをこっちへよこせ。
第二の盗人 よけいなことを言うな。その剣こそこっちへよこせ。――おや、おれの長靴を盗んだな。
第三の盗人 この長靴はおれの物じゃないか? 貴《き》様《さま》こそおれの物を盗んだのだ。
第一の盗人 よしよし、ではこのマントルはおれが貰《もら》っておこう。
第二の盗人 こん畜《ちく》生《しよう》! 貴様なぞに渡《わた》してたまるものか。
第一の盗人 よくもおれを撲《なぐ》ったな。――おや、またおれの剣も盗んだな?
第三の盗人 なんだ、このマントル泥《どろ》坊《ぼう》め!
三人の者が大《おお》喧《げん》嘩《か》になる。そこへ馬に跨《またが》った王子が一人、森の中の路《みち》を通りかかる。
王子 おいおい、お前たちは何をしているのだ?
(馬からおりる)
第一の盗人 なに、こいつが悪いのです。わしの剣《けん》を盗《ぬす》んだ上、マントルさえよこせと言うものですから、――
第三の盗人 いえ、そいつが悪いのです。マントルはわたしのを盗んだのです。
第二の盗人 いえ、こいつらは二人とも大《おお》泥《どろ》坊《ぼう》です。これは皆わたしのものなのですから、――
第一の盗人 嘘《うそ》をつけ!
第二の盗人 この大《おお》法《ぼ》螺《ら》吹《ふ》きめ!
三人また喧《けん》嘩《か》をしようとする。
王子 待て待て。たかが古いマントルや、穴のあいた長《なが》靴《ぐつ》ぐらい、誰《だれ》がとってもいいじゃないか?
第二の盗人 いえ、そうはいきません。このマントルは着たと思うと、姿の隠《かく》れるマントルなのです。
第一の盗人 どんなまた鉄の兜《かぶと》でも、この剣で切れば切れるのです。
第三の盗人 この長靴もはきさえすれば、一飛びに千里《り》飛べるのです。
王子 なるほど、そういう宝なら、喧嘩をするのももっともな話だ。が、それならば慾《よく》張《ば》らずに、一つずつ分ければいいじゃないか?
第二の盗人 そんなことをしてごらんなさい。わたしの首はいつなんどき、あの剣《けん》に切られるかわかりはしません。
第一の盗人 いえ、それよりも困るのは、あのマントルを着られれば、何を盗《ぬす》まれるか知れますまい。
第二の盗人 いえ、何を盗んだところが、あの長《なが》靴《ぐつ》をはかなければ、思うようには逃《に》げられない訣《わけ》です。
王子 それもなるほど一《ひと》理《り》窟《くつ》だな。では物は相談だが、わたしにみんな売ってくれないか? そうすれば心配もいらないはずだから。
第一の盗人 どうだい、この殿《との》様《さま》に売ってしまうのは?
第三の盗人 なるほど、それもいいかも知れない。
第二の盗人 ただ値段しだいだな。
王子 値段は――そうだ。そのマントルの代りには、この赤いマントルをやろう、これは刺繍《ぬいとり》の縁《ふち》もついている。それからその長靴の代りには、この宝石のはいった靴をやろう。この黄金《きん》細《ざい》工《く》の剣をやれば、その剣をくれても損はあるまい。どうだ、この値段では?
第二の盗人 わたしはこのマントルの代りに、そのマントルを頂きましょう。
第一の盗人と第三の盗人 わたしたちも申し分はありません。
王子 そうか。では取り換《か》えてもらおう。
王子はマントル、剣、長靴などを取り換えたのち、また馬の上に跨《またが》りながら、森の中の路《みち》を行きかける。
王子 この先に宿屋はないか?
第一の盗人 森の外へ出さえすれば「黄金《きん》の角《つの》笛《ぶえ》」という宿屋があります。では大事にいらっしゃい。
王子 そうか。ではさようなら。(去る)
第三の盗人 うまい商売をしたな。おれはあの長《なが》靴《ぐつ》が、こんな靴になろうとは思わなかった。見ろ。止め金《がね》には金剛石《ダイヤモンド》がついている。
第二の盗人 おれのマントルもりっぱな物じゃないか? これをこう着たところは、殿《との》様《さま》のように見えるだろう。
第一の盗人 この剣《けん》もたいした物だぜ。なにしろ柄《つか》も鞘《さや》も黄金《きん》だからな。――しかしああやすやす欺《だま》されるとは、あの王子も大ばかじゃないか?
第二の盗人 しっ!壁《かべ》に耳あり、徳《とく》利《り》にも口だ。
まあ、どこかへ行って一《いつ》杯《ぱい》やろう。
三人の盗人は嘲笑《あざわら》いながら、王子とは反対の路《みち》へ行ってしまう。
二
「黄金《きん》の角《つの》笛《ぶえ》」という宿屋の酒《さか》場《ば》。酒場の隅《すみ》には王子がパンを噛《か》じっている。王子のほかにも客が七、八人、――これは皆村の農夫らしい。
宿屋の主人 いよいよ王女のご婚《こん》礼《れい》があるそうだね。
第一の農夫 そういう話だ。なんでもお婿《むこ》になる人は、黒ん坊《ぼう》の王様だというじゃないか?
第二の農夫 しかし王女はあの王様が大《だい》嫌《きら》いだという噂《うわさ》だぜ。
第一の農夫 嫌いなればお止《よ》しなさればいいのに。
主人 ところがその黒ん坊の王様は、三つの宝ものを持っている。第一が千里《り》飛べる長《なが》靴《ぐつ》、第二が鉄さえ切れる剣《けん》、第三が姿の隠《かく》れるマントル、――それを皆《みな》献《けん》上《じよう》するというものだから、慾《よく》の深いこの国の王様は、王女をやると仰有《おつしや》ったのだそうだ。
第二の農夫 おかわいそうなのは王女お一人だな。
第一の農夫 誰か王女をお助け申すものはないだろうか?
主人 いや、いろいろの国の王子の中には、そういう人もあるそうだが、なにぶんあの黒ん坊の王様にはかなわないから、みんな指を啣《くわ》えているのだとさ。
第二の農夫 おまけに慾の深い王様は、王女を人に盗《ぬす》まれないように、竜《りゆう》の番人を置いてあるそうだ。
主人 なに、竜じゃない、兵隊だそうだ。
第一の農夫 わたしが魔《ま》法《ほう》でも知っていれば、まっ先にお助け申すのだが、――
主人 あたりまえさ、わたしも魔法を知っていれば、お前さんなどに任《まか》せておきはしない。
(一同笑い出す)
王子(突《とつ》然《ぜん》一同の中へ飛び出しながら)よし心配するな! きっとわたしが助けてみせる。
一同 (驚《おどろ》いたように)あなたが?!
王子 そうだ、黒ん坊《ぼう》の王などは何人でも来い。(腕《うで》組《ぐ》みしたまま、一同を見まわす)わたしは片《かた》っ端《ぱし》から退治してみせる。
主人 ですがあの王様には、三つの宝があるそうです。第一には千里《り》飛ぶ長《なが》靴《ぐつ》、第二には、――
王子 鉄でも切れる剣《けん》か? そんな物はわたしも持っている。この長靴を見ろ。この剣を見ろ。この古いマントルを見ろ、黒ん坊の王が持っているのと、寸《すん》分《ぶん》も違《たが》わない宝ばかりだ。
一同 (再び驚いたように)その靴が?! その剣が?! そのマントルが?!
主人 (疑わしそうに)しかしその長靴には、穴があいているじゃありませんか?
王子 それは穴があいている。が、穴はあいていても、一飛びに千里飛ばれるのだ。
主人 ほんとうですか?
王子 (憐《あわれ》むように)お前には嘘《うそ》だと思われるかも知れない。よし、それならば飛んで見せる。入り口の戸をあけておいてくれ。いいか。飛び上がったと思うと見えなくなるぞ。
主人 その前にお勘《かん》定《じよう》を頂きましょうか?
王子 なに、すぐに帰って来る。土産《みやげ》には何を持って来てやろう。イタリアの柘榴《ざくろ》か、イスパニアの真《ま》桑《くわ》瓜《うり》か、それともずっと遠いアラビアの無花果《いちじく》か?
主人 お土産《みやげ》ならばなんでもけっこうです。まあ飛んで見せてください。
王子 では飛ぶぞ。一、二、三!
王子は勢いよく飛び上がる。が、戸口へも届かないうちに、どたりと尻《しり》餅《もち》をついてしまう。
一同どっと笑いたてる。
主人 こんなことだろうと思ったよ。
第一の農夫 千里《り》どころか、二、三間《げん》も飛ばなかったぜ。
第二の農夫 なに、千里飛んだのさ。一度千里飛んでおいて、また千里飛び返ったから、もとの所へ来てしまったのだろう。
第一の農夫 冗《じよう》談《だん》じゃない。そんなばかなことがあるものか。
一同大笑いになる。王子はすごすご起き上がりながら、酒場の外へ行こうとする。
主人 もしもしお勘《かん》定《じよう》を置いて行ってください。
王子無言のまま、金《かね》を投げる。
第二の農夫 お土産《みやげ》は?
王子 (剣の柄《つか》へ手をかける)なんだと?
第二の農夫 (尻《しり》ごみしながら)いえ、なんとも言いはしません。(独語《ひとりごと》のように)剣だけは首くらい斬《き》れるかも知れない。
主人 (なだめるように)まあ、あなたなどはお年《とし》若《わか》なのですから、ひとまずお父《とう》様《さま》のお国へお帰りなさい。いくらあなたが騒《さわ》いでみたところが、とても黒ん坊《ぼう》の王様にはかないはしません。とかく人間という者は、なんでも身のほどを忘れないように慎《つつし》み深くするのが上《じよう》分《ふん》別《べつ》です。
一同 そうなさい。そうなさい。悪いことは言いはしません。
王子 わたしはなんでも、――なんでもできると思ったのに、(突《とつ》然《ぜん》涙《なみだ》を落とす)お前たちにも恥《は》ずかしい(顔を隠《かく》しながら)ああ、このまま消えてしまいたいようだ。
第一の農夫 そのマントルを着てご覧なさい。そうすれば消えるかも知れません。
王子 畜《ちく》生《しよう》!(じだんだを踏《ふ》む)よし、いくらでもばかにしろ。わたしはきっと黒ん坊《ぼう》の王からかわいそうな王女を助けてみせる。長《なが》靴《ぐつ》は千里飛ばれなかったが、まだ剣《けん》もある。マントルも、――(いっしょうけんめいに)いや、空《から》手《て》でも助けてみせる。その時に後《こう》悔《かい》しないようにしろ。(気違いのように酒場を飛び出してしまう)
主人 困ったものだ、黒ん坊の王様に殺されなければいいが、――
三
王城の庭。薔《ば》薇《ら》の花の中に噴《ふん》水《すい》が上がっている。始めは誰《だれ》もいない。しばらくののち、マントルを着た王子が出て来る。
王子 やはりこのマントルは着たと思うと、たちまち姿が隠《かく》れるとみえる。わたしは城の門をはいってから、兵卒にも遇《あ》えば腰《こし》元《もと》にも遇った。が、誰も咎《とが》めたものはない。このマントルさえ着ていれば、この薔薇を吹いている風のように、王女の部《へ》屋《や》へもはいれるだろう。――
おや、あそこへ歩いて来たのは、噂《うわさ》に聞いた王女じゃないか? どこかへ一時身を隠してから、――なに、そんな必要はない、わたしはここに立っていても、王女の眼《め》には見えないはずだ。
王女は噴《ふん》水《すい》の縁《ふち》へ来ると、悲しそうにため息をする。
王女 わたしはなんというふしあわせなのだろう。もう一週間もたたないうちに、あの憎《にく》らしい黒ん坊《ぼう》の王は、わたしをアフリカへつれて行ってしまう。獅《し》子《し》や鰐《わに》のいるアフリカへ、(そこの芝《しば》の上に坐《すわ》りながら)わたしはいつまでもこの城にいたい。この薔《ば》薇《ら》の花の中に、噴《ふん》水《すい》の音を聞いていたい。……
王子 なんという美しい王女だろう。わたしはたとい命を捨てても、この王女を助けてみせる。
王女 (驚《おどろ》いたように王子を見ながら)誰です、あなたは?
王子 (独語《ひとりごと》のように)しまった! 声を出したのは悪かったのだ!
王女 声を出したのが悪い? 気違いかしら? あんなかわいい顔をしているけれども、――
王子 顔? あなたにはわたしの顔が見えるのですか?
王女 見えますわ。まあ、何を不思議そうに考えていらっしゃるの?
王子 このマントルも見えますか?
王女 ええ、ずいぶん古いマントルじゃありませんか?
王子 (落胆《らくたん》したように)わたしの姿は見えないはずなのですがね。
王女 (驚いたように)どうして?
王子 これは一度着さえすれば、姿が隠《かく》れるマントルなのです。
王女 それはあの男ん坊の王のマントルでしょう。
王子 いえ、これもそうなのです。
王女 だって姿が隠れないじゃありませんか?
王子 兵卒や腰《こし》元《もと》に遇《あ》った時は、確かに姿が隠れたのですがね。その証《しよう》拠《こ》には誰に遇っても、咎《とが》められたことがなかったのですから。
王女 (笑い出す)それはそのはずですわ。そんな古いマントルを着ていらっしゃれば下《げ》男《なん》か何かと思われますもの。
王子 下男!(落《らく》胆《たん》したように坐《すわ》ってしまう)やはりこの長《なが》靴《ぐつ》と同じことだ。
王女 その長靴もどうかしましたの?
王子 これも千里《り》飛ぶ長靴なのです。
王女 黒ん坊の王の長靴のように?
王子 ええ、――ところがこの間飛んでみたら、たった二、三間《げん》も飛べないのです。ご覧なさい。まだ剣《けん》もあります。これは鉄でも切れるはずなのですが、――
王女 何か切ってご覧になって?
王子 いえ、黒ん坊の王の首を斬《き》るまでは、何も斬らないつもりなのです。
王女 あら、あなたは黒ん坊の王と、腕《うで》競《くら》べをなさりにいらしったの?
王子 いえ、腕競べなどに来たのじゃありません。あなたを助けに来たのです。
王女 ほんとうに?
王子 ほんとうにです。
王女 まあ、うれしい!
突《とつ》然《ぜん》黒ん坊の王が現われる。王子と王女とはびっくりする。
黒ん坊の王 今《こん》日《にち》は。わたしは今アフリカから、一飛びに飛んで来たのです。どうです、わたしの長《なが》靴《ぐつ》の力は?
王女 (冷《れい》淡《たん》に)ではもう一度アフリカへ行ってらっしゃい。
王 いや、今日《きよう》はあなたといっしょに、ゆっくりお話がしたいのです。(王子を見る)誰ですか、その下《げ》男《なん》は?
王子 下男?(腹だたしそうに立ち上がる)わたしは王子です。王女を助けに来た王子です。わたしがここにいる限りは、指一本も王女にはささせません。
王 (わざとていねいに)わたしは三つの宝を持っています。あなたはそれを知っていますか?
王子 剣《けん》と長靴とマントルですか? なるほどわたしの長靴は一町《ちよう》も飛ぶことはできません。しかし王女といっしょならば、この長靴をはいていても、千里《り》や二千里は驚《おどろ》きません。またこのマントルをご覧なさい。わたしが下男と思われたため、王女の前へも来られたのは、やはりマントルのおかげです。これでも王子の姿だけは、隠《かく》すことができたじゃありませんか?
王 (嘲笑《あざわら》う)生《なま》意《い》気《き》な! わたしのマントルの力を見るが好《よ》い。(マントルを着る。同時に消《き》え失《う》せる)
王女 (手を打ちながら)ああ、もう消えてしまいました。わたしはあの人が消えてしまうと、ほんとうにうれしくてたまりませんわ。
王子 ああいうマントルも便利ですね。ちょうどわたしたちのためにできているようです。
王 (突《とつ》然《ぜん》また現われる。いまいましそうに)そうです。あなたがたのためにできているようなものです。わたしには役にもなんにもたたない。(マントルを投げ捨てる)しかしわたしは剣《けん》を持っている。(急に王子を睨《にら》みながら)あなたはわたしの幸福を奪《うば》うものだ。さあ尋《じん》常《じよう》に勝負しよう。わたしの剣は鉄でも切れる。あなたの首ぐらいはなんでもない。(剣を抜く)
王女 (立ち上がるが早いか、王子をかばう)鉄でも切れる剣ならば、わたしの胸も突《つ》けるでしょう。さあ、一突きに突いてご覧なさい。
王 (尻《しり》ごみをしながら)いや、あなたは斬《き》れません。
王女 (嘲《あざけ》るように)まあ、この胸も突けないのですか? 鉄でも斬れるとおっしゃったくせに!
王子 お待ちなさい。(王女を押《お》し止《とど》めながら)王の言うことはもっともです。王の敵はわたしですから、尋《じん》常《じよう》に勝負をしなければなりません。(王に)さあ、すぐに勝負をしよう。(剣を抜く)
王 年の若いのに感心な男だ。いいか? わたしの剣にさわれば命はないぞ。
王と王子と剣を打ち合わせる。するとたちまち王の剣は、杖《つえ》か何か切るように、王子の剣を切ってしまう。
王 どうだ?
王子 剣《けん》は切られたのに違《ちが》いない。が、わたしはこの通り、あなたの前でも笑っている。
王 ではまだ勝負を続ける気か?
王子 あたりまえだ。さあ、来い。
王 もう勝負などはしないでもいい。(急に剣を投げ捨てる)勝ったのはあなただ。わたしの剣などはなんにもならない。
王子 (不思議そうに王を見る)なぜ?
王 なぜ! わたしはあなたを殺したところが、王女にはいよいよ憎《にく》まれるだけだ。あなたにはそれがわからないのか?
王子 いや、わたしにはわかっている。ただあなたにはそんなことも、わかっていなそうな気がしたから。
王 (考えに沈《しず》みながら)わたしには三つの宝があれば、王女も貰《もら》えると思っていた。が、それは間違いだったらしい。
王子 (王の肩《かた》に手をかけながら)わたしも三つの宝があれば、王女を助けられると思っていた。が、それも間《ま》違《ちが》いだったらしい。
王 そうだ。我々は二人とも間違っていたのだ。(王子の手を取る)きあ、綺《き》麗《れい》に仲直りをしましょう。わたしの失礼は赦《ゆる》してください。
王子 わたしの失礼も赦してください。今になってみればわたしが勝ったか、あなたが勝ったかわからないようです。
王 いや、あなたはわたしに勝った。わたしはわたし自身に勝ったのです。(王女に)わたしはアフリカへ帰ります。どうかご安心なすってください。王子の剣《けん》は鉄を切る代りに、鉄よりももっと堅《かた》い、わたしの心を刺《さ》したのです。わたしはあなたがたのご婚《こん》礼《れい》のために、この剣と長靴と、それからあのマントルと、三つの宝をさし上げましょう。もうこの三つの宝があれば、あなたがた二人を苦しめる敵は、世界にないと思いますが、もしまた何か悪いやつがあったら、わたしの国へ知らせてください。わたしはいつでもアフリカから、百万の黒ん坊《ぼう》の騎《き》兵《へい》といっしょに、あなたがたの敵を征《せい》伐《ばつ》に行きます。(悲しそうに)わたしはあなたを迎《むか》えるために、アフリカの都のまん中に、大理石の御《ご》殿《てん》を建てておきました。その御殿のまわりは、一面の蓮《はす》の花が咲いているのです。(王子に)どうかあなたはこの長靴をはいたら、時々遊びに来てください。
王子 きっとご馳《ち》走《そう》になりに行きます。
王女 (黒ん坊の王の胸に、薔《ば》薇《ら》の花をさしてやりながら)わたしはあなたにすまないことをしました。あなたがこんな優《やさ》しいかただとは、夢《ゆめ》にも知らずにいたのです。どうかかんにんしてください。ほんとうにわたしはすまないことをしました。(王の胸にすがりながら、子供のように泣き始める)
王 (王女の髪《かみ》を撫《な》でながら)ありがとう。よくそう言ってくれました。わたしも悪《あく》魔《ま》ではありません。悪魔も同様な黒ん坊の王はお伽《とぎ》噺《ばなし》にあるだけです。(王子に)そうじゃありませんか?
王子 そうです。(見物に向かいながら)皆《みな》さん! 我々三人は目がさめました。悪魔のような黒ん坊の王や、三つの宝を持っている王子は、お伽噺にあるだけなのです。我々はもう目がさめた以上、お伽噺の中の国には、住んでいる訣《わけ》にはいきません。我々の前には霧《きり》の奥《おく》から、もっと広い世界が浮《う》かんで来ます。我々はこの薔薇と噴《ふん》水《すい》との世界から、いっしょにその世界へ出て行きましょう。もっと広い世界! もっと醜《みにく》い、もっと美しい、――もっと大きいお伽噺の世界! その世界に我々を待っているものは、苦しみかまたは楽しみか、我々は何も知りません。ただ我々はその世界へ、勇ましい一隊の兵《へい》卒《そつ》のように、進んで行くことを知っているだけです。
(大正十一年十二月)
雛《ひな》
箱《はこ》を出る顔忘れめや雛《ひな》二《に》対《つゐ》 蕪《ぶ》村《そん》
これはある老女の話である。
……横浜のあるアメリカ人へ雛《ひな》を売る約束のできたのは十一月ごろのことでございます。紀《き》の国《くに》屋《や》と申したわたしの家《うち》は親《おや》代《だい》々《だい》諸《しよ》大《だい》名《みよう》のお金《かね》御《ご》用《よう》を勤めておりましたし、ことに紫《し》竹《ちく》とか申した祖父は大《だい》通《つう》の一人にもなっておりましたから、雛もわたしのではございますが、なかなかみごとにできておりました。まあ、申さば、内《だい》裏《り》雛《びな》は女《め》雛《びな》の冠《かんむり》の瓔《よう》珞《らく》にも珊《さん》瑚《ご》がはいっておりますとか、男《お》雛《びな》の塩《しお》瀬《ぜ*》 の石《せき》帯《たい*》 にも定《じよう》紋《もん》と替《か》え紋《もん》とが互《たが》い違《ちが》いに繍《ぬ》いになっておりますとか、――そういう雛だったのでございます。
それさえ売ろうと申すのでございますから、わたしの父、――十二代目の紀の国屋伊《い》兵《へ》衛《え》はどのくらい手もとが苦しかったか、たいていご推《すい》量《りよう》にもなれるでございましょう。なにしろ徳《とく》川《せん》家《け》のご瓦《が》解《かい》以来、御《ご》用《よう》金《きん》を下げてくだすったのは加《か》州《しゆう》様《さま*》 ばかりでございます。それも三千両《りよう》の御用金のうち、百両しか下げてはくださいません。因《いん》州《しゆう》様《さま*》 などになりますと、四《し》百《ひやく》両《りよう》ばかりの御用金のかたに赤《あか》間《ま》が石《せき》の硯《すずり》を一つくだすっただけでございました。その上火事には二、三度も遇《あ》いますし、蝙蝠《こうもり》傘《がさ》屋《や》などをやりましたのも皆手《て》違《ちが》いになりますし、当時はもうめぼしい道具もあらかた一家の口すごしに売り払《はら》っていたのでございます。
そこへ雛《ひな》でも売ったらと父へ勧《すす》めてくれましたのは丸《まる》佐《さ》という骨《こつ》董《とう》屋《や》の、……もう故《こ》人《じん》になりましたが、禿《は》げ頭《あたま》の主人でございます。この丸佐の禿げ頭くらい、おかしかったものはございません。と申すのは頭のまん中にちょうど按《あん》摩《ま》膏《こう》を貼《は》ったくらい、入《い》れ墨《ずみ》がしてあるのでございます。これはなんでも若い時分、ちょいと禿げを隠《かく》すために彫《ほ》らせたのだそうでございますが、あいにくその後頭のほうは遠《えん》慮《りよ》なしに禿げてしまいましたから、この脳《のう》天《てん》の入れ墨だけ取り残されることになったのだとか、当《とう》人《にん》自身申しておりました。……そういうことはともかくも、父はまだ十五のわたしをかわいそうに思ったのでございましょう、たびたび丸佐に勧められても、雛を手放すことだけはためらっていたようでございます。
それをとうとう売らせたのは英《えい》吉《きち》と申すわたしの兄、……やはり故人になりましたが、そのころまだ十八だった、癇《かん》の強い兄でございます。兄は開《かい》化《か》人《じん》とでも申しましょうか、英語の読《とく》本《ほん》を離《はな》したことのない政治好きの青年でございました。これが雛の話になると、雛祭りなどは旧《きゆう》弊《へい》だとか、あんな実用にならない物は取っておいてもしかたがないとか、いろいろけなすのでございます。そのために兄は昔《むかし》ふうの母とも何度口論をしたかわかりません。しかし雛を手放しさえすれば、この大《おお》歳《とし》の凌《しの》ぎだけはつけられるのに違《ちが》いございませんから、母も苦しい父の手前、そうは強いことばかりも申されなかったのでございましょう。雛は前にも申しました通り、十一月の中《ちゆう》旬《じゆん》にはとうとう横浜のアメリカ人へ売り渡《わた》すことになってしまいました。なに、わたしでございますか? それは駄《だ》々《だ》もこねましたか、お転《てん》婆《ば》だったせいでございましょう。その割にはあまり悲しいとも思わなかったものでございます。父は雛《ひな》を売りさえすれば、紫《むらさき》繻《じゆ》子《す》の帯を一本買ってやると申しておりましたから。……
その約《やく》束《そく》のできた翌晩、丸佐は横浜へ行った帰りに、わたしの家《うち》へ参りました。
わたしの家《うち》と申しましても、三度めの火事に遇《あ》ったのちは普《ふ》請《しん》もほんとうには参りません。焼け残った土《ど》蔵《ぞう》を一家の住居《すまい》に、それへさしかけて仮《かり》普《ぶ》請《しん》を見《み》世《せ》にしていたのでございます。もっとも当時は俄《にわか》仕《じ》込《こ》みの薬屋をやっておりましたから、正《しよう》徳《とく》丸《がん》とか安《あん》経《けい》湯《とう》とかあるいはまた胎《たい》毒《どく》散《さん》とか、――そういう薬の金《きん》看《かん》板《ばん》だけは薬《くすり》箪《だん》笥《す》の上に並《なら》んでおりました。そこにまた無《む》尽《じん》灯《とう》がともっている、……と申したばかりでは多分おわかりになりますまい。無尽灯と申しますのは石油の代りに種《たね》油《あぶら》を使う旧式のランプでございます。おかしい話でございますが、わたしはいまだに薬種《やくしゆ》の匂《におい》、――陳《ちん》皮《ぴ*》 や大《だい》黄《おう*》 の匂がすると、必ずこの無尽灯を思い出さずにはいられません。現にその晩も無尽灯は薬種の匂の漂《ただよ》った中に、薄《うす》暗《ぐら》い光を放っておりました。
頭の禿《は》げた丸佐の主人はやっと散《ざん》切《ぎ》りになった《*》 父と、無尽灯を中に坐《すわ》りました。
「では確かに半金だけ、……どうかちょいとお検《あらた》めください」
時《じ》候《こう》の挨《あい》拶《さつ》をすませてのち、丸佐の主人がとり出したのは紙包みのお金でございます。その日に手つけを貰《もら》うことも約束だったのでございましょう。父は火《ひ》鉢《ばち》へ手をやったなり、何も言わずに時《じ》儀《ぎ》をしました。ちょうどこの時でございます。わたしは母の言いつけ通り、お茶のお給《きゆう》仕《じ》に参りました。ところがお茶を出そうとすると、丸佐の主人は大声で、「そりゃあいけません。それだけはいけません」と、突《とつ》然《ぜん》こう申すではございませんか? わたしはお茶がいけないのかと、ちょいとあっけにもとられましたが、丸佐の主人の前を見ると、もう一つ紙に包んだお金がちゃんと出ているのでございます。
「こりゃあほんの軽《けい》少《しよう》だが、志《こころざし》はまあ志だから、……」
「いえ、もうお志は確かに頂きました。が、こりゃあどうかお手もとへ、……」
「まあさ、……そんなにまた恥《はじ》をかかせるもんじゃあない」
「冗《じよう》談《だん》仰有《おつしや》っちゃあいけません。檀《だん》那《な》こそ恥をおかかせなさる。何も赤の他人じゃあなし、大《おお》檀《だん》那《な》以来お世話になった丸佐のしたことじゃあごわせんか? まあ、そんな水っ臭《くさ》いことを仰有らずに、これだけはそちらへおしまいなすってください。……おや、お嬢《じよう》さん。今晩は、おうおう、今日は蝶《ちよう》々《ちよう》髷《まげ》がたいへん綺《き》麗《れい》におできなすった!」
わたしは別《べつ》段《だん》何の気なしに、こういう押《お》し問答を聞きながら、土《ど》蔵《ぞう》の中へ帰って来ました。
土蔵は十二畳《じよう》も敷《し》かりましょうか? かなり広うございましたが、箪《たん》笥《す》もあれば長《なが》火《ひ》鉢《ばち》もある、長《なが》持《もち》もあれば置《お》き戸《と》棚《だな》もある、――という体《てい》裁《さい》でございましたから、ずっと手《て》狭《ぜま》な気がしました。そういう家《か》財《ざい》道《どう》具《ぐ》の中にも、いちばん人目につきやすいのは都《つ》合《ごう》三十幾《いく》つかの総《そう》桐《ぎり》の箱《はこ》でございます。もとより雛《ひな》の箱と申すことは申し上げるまでもございますまい。これがいつでも引き渡《わた》せるように、窓したの壁《かべ》に積んでございました。こういう土蔵のまん中に、無《む》尽《じん》灯《とう》は見《み》世《せ》へとられましたから、ぼんやり行《あん》灯《どん》がともっている、――その昔《むかし》じみた行灯の光に、母は振《ふ》り出しの袋《ふくろ*》 を縫《ぬ》い、兄は小さい古《ふる》机《づくえ》に例の英語の読本か何か調べているのでございます。それには変わったこともございません。が、ふと母の顔を見ると、母は針を動かしながら、伏《ふ》し眼《め》になった睫《まつ》毛《げ》の裏に涙《なみだ》をいっぱいためております。
お茶のお給仕をすませたわたしは母に褒《ほ》めてもらうことを楽しみに……と言うのはおおげさにしろ、待ち設《もう》ける気もちはございました。そこへこの涙でございましょう? わたしは悲しいと思うよりも、取りつき端《は》に困ってしまいましたから、できるだけ母を見ないように、兄のいる側《そば》へ坐《すわ》りました。すると急に眼を挙《あ》げたのは兄の英吉でございます。兄はちょいとけげんそうに母とわたしとを見比べましたが、たちまち妙《みよう》な笑い方をすると、また横文字を読み始めました。わたしはまだこの時くらい、開化を鼻にかける兄を憎《にく》んだことはございません。お母さんをばかにしている、――いちずにそう思ったのでございます。わたしはいきなり力いっぱい、兄の背中をぶってやりました。
「何をする?」
兄はわたしを睨《にら》みつけました。
「ぶってやる! ぶってやる!」
わたしは泣き声を出しながら、もう一度兄をぶとうとしました。その時はもういつの間にか、兄の癇《かん》癖《ぺき》の強いことも忘れてしまったのでございます。が、まだ挙《あ》げた手を下さないうちに、兄はわたしの横《よこ》鬢《びん》へぴしゃりと平《ひら》手《て》を飛ばせました。
「わからずや!」
わたしはもちろん泣き出しました。と同時に兄の上にも物差しが降ったのでございましょう。兄はすぐと威《い》丈《たけ》高《だか》に母へ食ってかかりました。母もこうなれば承知しません。低い声を震《ふる》わせながら、さんざん兄と言い合いました。
そういう口論の間じゅう、わたしはただ悔《くや》し泣きに泣き続けていたのでございます。丸《まる》佐《さ》の主人を送り出した父が無《む》尽《じん》灯《とう》を持ったまま、見《み》世《せ》からこちらへはいって来るまでは。……いえ、わたしばかりではございません。兄も父の顔を見ると、急に黙《だま》ってしまいました。口数を利《き》かない父くらい、わたしはもとより当時の兄にも、恐《おそろ》しかったものはございませんから。……
その晩雛《ひな》は今月の末、残りの半《はん》金《きん》を受け取ると同時に、あの横浜のアメリカ人へ渡《わた》してしまうことにきまりました。なに、売り価《ね》でございますか? 今になって考えますと、ばかばかしいようでございますが、確か三十円とか申しておりました。それでも当時の諸《しよ》式《しき》にすると、ずいぶん高価には違《ちが》いございません。
そのうちに雛を手放す日はだんだん近づいて参りました。わたしは前にも申しました通り、格別それを悲しいとは思わなかったものでございます。ところが一日一日と約《やく》束《そく》の日が迫《せま》ってくると、いつか雛と別れるのはつらいように思い出しました。しかしいかに子供とは申せ、いったん手放すときまった雛を手放さずにすもうとは思いません。ただ人手に渡す前に、もう一度よく見ておきたい。内《だい》裏《り》雛《びな》、五人囃《ばや》し、左《さ》近《こん》の桜《さくら》、右《う》近《こん》の橘《たちばな》、雪洞《ぼんぼり》、屏《びよう》風《ぶ》、蒔《まき》絵《え》の道具、――もう一度この土《ど》蔵《ぞう》の中にそういう物を飾《かざ》ってみたい、――と申すのが心《しん》願《がん》でございました。が、性《せい》来《らい》一《いつ》徹《てつ》な父は何度わたしにせがまれても、これだけのことを許しません。「一度手《て》付《つ》けをとったとなりゃあ、どこにあろうが人《ひと》様《さま》のものだ。人様のものはいじるもんじゃあない」――こう申すのでございます。
するともう月末に近い、大《おお》風《かぜ》の吹《ふ》いた日でございます。母は風《ふう》邪《じや》に罹《かか》ったせいか、それともまた下脣《したくちびる》にできた粟《あわ》粒《つぶ》ほどの腫《はれ》物《もの》のせいか、気持ちが悪いと申したぎり、朝の御飯も頂《いただ》きません。わたしと台所をかたづけたのちは片手に額《ひたい》を抑《おさ》えながら、ただじっと長《なが》火《ひ》鉢《ばち》の前に俯《うつ》向《む》いているのでございます。ところがかれこれお午《ひる》時分、ふと顔を擡《もた》げたのを見ると、腫物のあった下脣だけ、ちょうど赤いお薩のように脹《は》れ上《あ》がっているではございませんか? しかも熱の高いことは妙《みよう》に輝《かがや》いた眼の色だけでも、すぐとわかるのでございます。これを見たわたしの驚《おどろ》きは申すまでもございません。わたしはほとんど無《む》我《が》夢《む》中《ちゆう》に、父のいる見《み》世《せ》へ飛んで行きました。
「お父《とう》さん! お父さん! お母《かあ》さんが大変ですよ」
父は、……それからそこにいた兄も父といっしょに奥《おく》へ来ました。が、恐《おそろ》しい母の顔にはあっけにとられたのでございましょう。ふだんは物に騒《さわ》がぬ父さえ、この時だけは茫《ぼう》然《ぜん》としたなり、口もしばらくは利《き》かずにおりました。しかし母はそういううちにも、いっしょうけんめいに微《び》笑《しよう》しながら、こんなことを申すのでございます。
「なに、たいしたことはありますまい。ただちょいとこのおできに爪《つめ》をかけただけなのですから、……今御飯の支《し》度《たく》をします」
「無理をしちゃあいけない。御飯の支度なんぞはお鶴《つる》にもできる」
父は半ば叱《しか》るように、母の言葉を遮《さえぎ》りました。
「英吉! 本間さんを呼んで来い!」
兄はもうそう言われた時には、いっさんに大風の見《み》世《せ》の外へ飛び出しておったのでございます。
本間さんと申す漢《かん》法《ぽう》医《い》、――兄はしじゅう藪《やぶ》医《い》者《しや》などとばかにした人でございますが、その医者も母を見た時には、当《とう》惑《わく》そうに、腕《うで》組《ぐ》みをしました。聞けば母の腫《はれ》物《もの》は面《めん》疔《ちよう》だと申すのでございますから。……もとより面疔も手術さえできれば、恐《おそろ》しい病気ではございますまい。が、当時の悲しさには手術どころの騒《さわ》ぎではございません。ただ煎《せん》薬《やく》を飲ませたり、蛭《ひる》に血を吸わせたり、――そんなことをするだけでございます。父は毎日枕《まくら》もとに、本間さんの薬を煎《せん》じました。兄も毎日十五銭ずつ、蛭を買いに出かけました。わたしも、……わたしは兄に知れないように、つい近所のお稲荷《いなり》様《さま》へお百《ひやく》度《ど》を踏《ふ》みに通いました。――そういう始末でございますから、雛《ひな》のことも申してはおられません。いえ、一時わたしをはじめ、誰《だれ》もあの壁《かべ》側《ぎわ》に積んだ三十ばかりの総《そう》桐《ぎり》の箱《はこ》には眼もやらなかったのでございます。
ところが十一月の二十九日、――いよいよ雛と別れると申す一日前のことでございます。わたしは雛といっしょにいるのも、今日《きよう》が最後だと考えると、ほとんど矢も楯《たて》もたまらないくらい、もう一度箱が明けたくなりました。が、どんなにせがんだにしろ、父は不《ふ》承《しよう》知《ち》に違《ちが》いありません。すると母に話してもらう、――わたしはすぐにそう思いましたが、なにしろその後母の病気は前よりもいっそう重っております。食べ物もおも湯《ゆ》を啜《すす》るほかはいっさい喉《のど》を通りません。ことにこのごろは口中へも、絶えず血の色を交《まじ》えた膿《うみ》がたまるようになったのでございます。こういう母の姿を見ると、いかに十五の小《こ》娘《むすめ》にもせよ、わざわざ雛《ひな》を飾《かざ》りたいなぞとは口へ出す勇気も起こりません。わたしは朝から枕《まくら》もとに、母の機《き》嫌《げん》を伺《うかが》い伺い、とうとうお八《や》つになるころまでは何も言い出さずにしまいました。
しかしわたしの眼の前には金《かな》網《あみ》を張った窓の下に、例の総《そう》桐《ぎり》の雛の箱《はこ》が積み上げてあるのでございます。そうしてその雛の箱は今夜一晩過ごしたが最後、遠い横浜の異《い》人《じん》屋《や》敷《しき》へ、……ことによればアメリカへも行ってしまうのでございます。そんなことを考えると、いよいよ我《が》慢《まん》はできますまい。わたしは母の眠《ねむ》ったのを幸い、そっと見《み》世《せ》へ出かけました。見世は日当りこそ悪いものの、土《ど》蔵《ぞう》の中に比べれば、往来の人通りが見えるだけでも、まだしも陽気でございます。そこに父は帳《ちよう》合《あ》いを検《しら》べ、兄はせっせと片《かた》隅《すみ》の薬《や》研《げん*》 に甘《かん》草《ぞう》か何かを下《おろ》しておりました。
「ねえ、お父さん。後《ご》生《しよう》一生のお願いだから、……」
わたしは父の顔を覗《のぞ》きこみながら、いつもの頼みを持ちかけました。が、父は承知するどころか、相手になる気《け》色《しき》もございません。
「そんなことはこの間も言ったじゃあないか?……おい、英吉! お前は今日は明るいうちに、ちょいと丸佐へ行って来てくれ」
「丸佐へ?……来てくれと言うんですか?」
「なに、ランプを一つ持って来てもらうんだが、……お前、帰りにもらって来てもいい」
「だって丸佐にランプはないでしょう?」
父はわたしをそっちのけに、珍《めずら》しい笑い顔を見せました。
「燭《しよく》台《だい》か何かじゃああるまいし、……ランプは買ってくれって頼《たの》んであるんだ。わたしが買うよりゃあ確かだから」
「じゃあもう無《む》尽《じん》灯《とう》はお廃止ですか?」
「あれももうお暇《ひま》の出し時だろう」
「古いものはどしどし止《や》めることです。第一お母さんもランプになりゃあ、ちっとは気も晴れるでしょうから」
父はそれぎり元のように、また算盤《そろばん》を弾《はじ》き出しました。が、わたしの念願は相手にされなければされないだけ、強くなるばかりでございます。わたしはもう一度後ろから父の肩《かた》を揺《ゆ》すぶりました。
「よう。お父さんってば。よう」
「うるさい!」
父は後ろを振《ふ》り向きもせずに、いきなりわたしを叱《しか》りつけました。のみならず兄もいじわるそうに、わたしの顔を睨《にら》めております。わたしはすっかり悄《しよ》気《げ》返《かえ》ったまま、そっとまた奥《おく》へ帰って来ました。すると母はいつの間にか、熱のある眼を挙《あ》げながら、顔の上にかざした手の平《ひら》を眺《なが》めているのでございます。それがわたしの姿を見ると、思いのほかはっきりこう申しました。
「お前、何をお父さんに叱られたのだえ?」
わたしは返事に困りましたから、枕《まくら》もとの羽《は》根《ね》楊《よう》枝《じ》をいじっておりました。
「また何か無理を言ったのだろう?……」
母はじっとわたしを見たなり、今度は苦しそうに言葉を継《つ》ぎました。
「わたしはこの通りの体《からだ》だしね、何もかもお父さんがなさるのだから、おとなしくしなけりゃあいけませんよ。そりゃあお隣《となり》の娘《むすめ》さんは芝《しば》居《い》へもしじゅうお出《い》でなさるさ。……」
「芝居なんぞ見たくはないんだけれど……」
「いえ、芝居に限らずさ。簪《かんざし》だとか半《はん》襟《えり》だとか、お前にゃあ欲しいものだらけでもね、……」
わたしはそれを聞いているうちに、悔《くや》しいのだか悲しいのだか、とうとう涙《なみだ》をこぼしてしまいました。
「あのねえ、お母さん。……わたしはねえ、……何も欲しいものはないんだけどねえ、ただあのお雛《ひな》様《さま》を売る前にねえ、……」
「お雛様かえ? お雛様を売る前に?」
母はいっそう大きい眼にわたしの顔を見つめました。
「お雛様を売る前にねえ、……」
わたしはちょいと言い渋《しぶ》りました。そのとたんにふと気がついて見ると、いつの間にか後ろに立っているのは兄の英吉でございます。兄はわたしを見《み》下《おろ》しながら、相変わらず慳《けん》貪《どん》にこう申しました。
「わからずや! またお雛様のことだろう? お父さんに叱《しか》られたのを忘れたのか?」
「まあ、いいじゃあないか? そんなにがみがみ言わないでも」
母はうるさそうに眼を閉じました。が、兄はそれも聞こえぬように叱《しか》り続けるのでございます。
「十五にもなっているくせに、ちっとは理《り》窟《くつ》もわかりそうなもんだ? 高があんなお雛《ひな》様《さま》くらい! 惜《お》しがりなんぞするやつがあるもんか?」
「お世話焼きじゃ! 兄《にい》さんのお雛様じゃあないじゃあないか?」
わたしも負けずに言い返しました。その先はいつも同じでございます。二《ふた》言《こと》三《み》言《こと》言い合ううちに、兄はわたしの襟《えり》上《がみ》を掴《つか》むと、いきなりそこへ引き倒《たお》しました。
「お転《てん》姿《ば》!」
兄は母さえ止めなければ、この時もきっと二つ三つは折《せつ》檻《かん》しておったでございましょう。が、母は枕の上に半ば頭を擡《もた》げながら、喘《あえ》ぎ喘《あえ》ぎ兄を叱りました。
「お鶴《つる》が何をしやあしまいし、そんな目に遇《あ》わせるにゃあ当たらないじゃあないか」
「だってこいつはいくら言っても、あんまり聞き分けがないんですもの」
「いいえ、お鶴ばかり憎《にく》いのじゃあないだろう? お前は……お前は……」
母は涙《なみだ》をためたまま、悔《くや》しそうに何度も口ごもりました。
「お前はわたしが憎いのだろう? さもなけりゃあわたしが病気だというのに、お雛様を……お雛様を売りたがったり、罪もないお鶴をいじめたり、……そんなことをするはずはないじゃあないか? そうだろう? それならなぜ憎いのだか、……」
「お母さん!」
兄は突《とつ》然《ぜん》こう叫《さけ》ぶと、母の枕《まくら》もとに突《つ》っ立ったなり、肘《ひじ》に顔を隠《かく》しました。その後父《ちち》母《はは》の死んだ時にも、涙《なみだ》一つ落とさなかった兄、――永《なが》年《ねん》政治に奔《ほん》走《そう》してから、癲狂院《てんきよういん》へ送られるまで、一度も弱みを見せなかった兄、――そういう兄がこの時だけは啜《すす》り泣《な》きを始めたのでございます。これは興奮し切った母にも、意外だったのでございましょう。母は長い溜《ため》息《いき》をしたぎり、申しかけた言葉も申さずに、もう一度枕をしてしまいました。……
こういう騒《さわ》ぎがあってから、一時間ほどのちでございましょう。久しぶりに見《み》世《せ》へ顔を出したのは肴《さかな》屋《や》の徳《とく》蔵《ぞう》でございます。いえ、肴屋ではございません。以前は肴屋でございましたが、今は人《じん》力《りき》車《しや》の車《しや》夫《ふ》になった、出入りの若いものでございます。この徳蔵にはおかしい話が幾《いく》つあったかわかりません。その中でもいまだに思い出すのは苗《みよう》字《じ》の話でございます。徳蔵もやはり御《ご》一《いつ》新《しん》以後、苗字をつけることになりましたが、どうせつけるくらいならばと大《おお》束《たば》をきめたのでございましょう、徳《とく》川《がわ》と申すのをつけることにしました。ところがお役所へ届けに出ると、叱《しか》られたの叱られないのではございません。なんでも徳蔵の申しますには、今にも斬《ざん》罪《ざい》にされかねない権《けん》幕《まく》だったそうでございます。……その徳蔵が気楽そうに、牡丹《ぼたん》に唐《から》獅《じ》子《し》の画《え》を描《か》いた当時の人力車を引っ張りながら、ぶらりと見《み》世《せ》先《さき》へやって来ました。それがまた何しに来たのかと思うと、今日は客のないのを幸い、お嬢さんを人力車にお乗せ申して、会《あい》津《づ》っ原《ぱら*》 から煉《れん》瓦《が》通《どお》り《*》 へでもお伴《とも》をさせていただきたい、――こう申すのでございます。
「どうする? お鶴」
父はわざとまじめそうに、人力車を見に見世へ出ていたわたしの顔を眺《なが》めました。今《こん》日《にち》では人力車に乗ることなどはさほど子供も喜びますまい。しかし当時のわたしたちにはちょうど自動車に乗せてもらうくらい、うれしいことだったのでございます。が、母の病気と申し、ことにああいう大騒ぎのあったすぐあとのことでございますから、一《いち》概《がい》に行きたいとも申されません。わたしはまだ悄《しよ》気《げ》切ったなり、「行きたい」と小声に答えました。
「じゃあお母さんに聞いて来い。せっかく徳蔵もそう言うものだし」
母はわたしの考え通り、眼も明かずにほほ笑《え》みながら、「上等だね」と申しました。いじの悪い兄はいいあんばいに、丸佐へ出かけた留《る》守《す》でございます。わたしは泣いたのも忘れたように、さっそく人力車に飛び乗りました。赤《あか》毛布《ゲツト》を膝《ひざ》掛《か》けにした、輪のがらがらと鳴る人力車に。
その時見て歩いた景《け》色《しき》などは申し上げる必要もございますまい。ただ今でも話に出るのは徳蔵の不平でございます。徳蔵はわたしを乗せたまま、煉《れん》瓦《が》の大通りにさしかかるが早いか、西洋の婦人を乗せた馬車とまともに衝《しよう》突《とつ》しかかりました。それはやっと助かりましたが、いまいましそうに舌打ちをすると、こんなことを申すのでございます。
「どうもいけねえ。お嬢《じよう》さんはあんまり軽過ぎるから、肝《かん》腎《じん》の足が踏《ふ》ん止まらねえ。……お嬢さん。乗せる車《くるま》屋《や》がかわいそうだから、二十《はたち》前《まえ》にゃあ車へお乗んなさんなよ」
人力車は煉瓦の大通りから、家の方へ横町を曲がりました。するとたちまち出《で》遇《あ》ったのは兄の英吉でございます。兄は煤《すす》竹《だけ》の柄《え》のついた置きランプを一台さげたまま、急ぎ足にそこを歩いておりました。それがわたしの姿を見ると、「待て」と申す相《あい》図《ず》でございましょう、ランプをさし挙げるのでございます。が、もうその前に徳蔵はぐるりと梶《かじ》棒《ぼう》をまわしながら、兄の方へ車を寄せておりました。
「ご苦労だね。徳さん。どこへ行ったんだい?」
「へえ、なに、今日はお嬢さんの江《え》戸《ど》見《けん》物《ぶつ》です」
兄は苦笑を洩《も》らしながら、人力車の側《そば》へ歩み寄りました。
「お鶴《つる》。お前、先へこのランプを持って行ってくれ。わたしは油《あぶら》屋《や》へ寄って行くから」
わたしはさっきの喧嘩の手前、わざとなんとも返事をせずに、ただランプだけ受け取りました。兄はそれなり歩きかけましたが、急にまたこちらへ向き変えると、人《じん》力《りき》車《しや》の泥《どろ》除《よ》けに手をかけながら、「お鶴」と申すのでございます。
「お鶴、お前、またお父さんにお雛《ひな》様《さま》のことなんぞ言うんじゃあないぞ」
わたしはそれでも黙《だま》っておりました。あんなにわたしをいじめたくせに、またかと思ったのでございます。しかし兄はとんじゃくせずに、小声の言葉を続けました。
「お父さんが見ちゃあいけないと言うのは手《て》付《つ》けをとったからばかりじゃあないぞ。見りゃあみんなに未《み》練《れん》が出る、――そこも考えているんだぞ。いいか? わかったか? わかったら、もうさっきのように見たいのなんのと言うんじゃあないぞ」
わたしは兄の声の中にいつにない情《じよう》あいを感じました。が、兄の英吉くらい、妙《みよう》な人間はございません。優《やさ》しい声を出したかと思うと、今度はまたふだんの通り、突《とつ》然《ぜん》わたしを嚇《おどか》すようにこう申すのでございます。
「そりゃあ言いたけりゃ言ってもいい。その代り痛い目に遇《あ》わされると思え」
兄は憎《にく》体《てい》に言い放ったなり、徳蔵にも挨《あい》拶《さつ》も何もせずに、さっさとどこかへ行ってしまいました。
その晩のことでございます。わたしたち四人は土蔵の中に、夕飯の膳《ぜん》を囲みました。もっとも母は枕の上に顔を挙《あ》げただけでございますから、囲んだものの数にははいりません。しかしその晩の夕飯はいつもよりはなやかな気がしました。それは申すまでもございません。あの薄《うす》暗《ぐら》い無《む》尽《じん》灯《とう》の代りに、今夜は新しいランプの光が輝《かがや》いているからでございます。兄やわたしは食事のあい間も、時々ランプを眺《なが》めました。石油を透《す》かした硝子《ガラス》の壺《つぼ》、動かない焔《ほのお》を守った火《ほ》屋《や》、――そういうものの美しさに満ちた珍《めずら》しいランプを眺めました。
「明るいな。昼のようだな」
父も母をかえり見ながら、満足そうに申しました。
「眩《まぶ》し過ぎるくらいですね」
こう申した母の顔には、ほとんど不安に近い色が浮《う》かんでいたものでございます。
「そりゃあ無尽灯に慣れていたから……だが一度ランプをつけちゃあ、もう無尽灯はつけられない」
「なんでも始めは眩し過ぎるんですよ。ランプでも、西洋の学問でも、……」
兄は誰よりもはしゃいでおりました。
「それでも慣れりゃあ同じことですよ。今にきっとこのランプも暗いという時が来るんです」
「大きにそんなものかも知れない。……お鶴。お前、お母さんのおも湯《ゆ》はどうしたんだ?」
「お母さんは今夜はたくさんなんですって」
わたしは母の言った通り、何の気もなしに返事をしました。
「困ったな。ちっとも食《しよく》気《け》がないのかい?」
母は父に尋《たず》ねられると、しかたがなさそうに溜《ため》息《いき》をしました。
「ええ、なんだかこの石油の匂《におい》が、……旧《きゆう》弊《へい》人《じん》の証拠ですね」
それぎりわたしたちは言葉少なに、箸《はし》ばかり動かし続けました。しかし母は思い出したように、時々ランプの明るいことを褒《ほ》めていたようでございます。あの腫《は》れ上《あ》がった脣《くちびる》の上にも微《び》笑《しよう》らしいものさえ浮かべながら。
その晩も皆《みな》休んだのは十一時過ぎでございます。しかしわたしは眼をつぶっても、容易に寐《ね》つくことができません。兄はわたしに雛《ひな》のことは二度と言うなと申しました。わたしも雛を出して見るのはできない相談とあきらめております。が、出して見たいことはさっきと少しも変わりません。雛は明日《あした》になったが最後、遠いところへ行ってしまう、――そう思えばつぶった眼の中にも、自然と涙《なみだ》がたまってきます。いっそみんなの寐ているうちに、そっと一人出してみようか?――そうもわたしは考えてみました。それともあの中の一つだけ、どこかほかへ隠《かく》しておこうか?――そうもまたわたしは考えてみました。しかしどちらも見つかったら、――と思うとさすがにひるんでしまいます。わたしは正直にその晩くらい、いろいろ恐《おそろ》しいことばかり考えた覚えはございません。今夜もう一度火事があればいい。そうすれば人手に渡《わた》らぬ前に、すっかり雛《ひな》も焼けてしまう。さもなければアメリカ人も頭の禿《は》げた丸佐の主人もコレラになってしまえばいい。そうすれば雛はどこへもやらずに、このまま大事にすることができる。――そんな空想も浮《う》かんで参ります。が、まだなんと申しても、そこは子供でございますから、一時間たつかたたないうちに、いつかうとうと眠《ねむ》ってしまいました。
それからどのくらいたちましたか、ふと眠りがさめて見ますと、薄《うす》暗《ぐら》い行《あん》灯《どん》をともした土《ど》蔵《ぞう》に誰か人の起きているらしい物音が聞こえるのでございます。鼠《ねずみ》かしら、泥《どろ》坊《ぼう》かしら、またはもう夜明けになったのかしら?――わたしはどちらかと迷いながら、怯《お》ず怯《お》ず細眼を明いて見ました。するとわたしの枕もとには、寝《ね》間《ま》着《き》のままの父が一人、こちらへ横顔を向けながら、坐《すわ》っているのでございます。父が!……しかしわたしを驚《おどろ》かせたのは父ばかりではございません。父の前にはわたしの雛が、――お節《せつ》句《く》以来見なかった雛が並べ立ててあるのでございます。
夢《ゆめ》かと思うと申すのはああいう時でございましょう。わたしはほとんど息もつかずに、この不思議を見守りました。おぼつかない行《あん》灯《どん》の光の中に、象《ぞう》牙《げ》の笏《しやく》をかまえた男《お》雛《びな》を、冠《かんむり》の瓔《よう》珞《らく》を垂《た》れた女《め》雛《びな》を、右《う》近《こん》の橘《たちばな》を、左《さ》近《こん》の桜《さくら》を、柄《え》の長い日《ひ》傘《がさ》を担《かつ》いだ仕《じ》丁《ちよう》を、眼《め》八《はち》分《ぶん》に高《たか》坏《つき》を捧《ささ》げた官《かん》女《じよ》を、小さい蒔《まき》絵《え》の鏡台や箪《たん》笥《す》を、貝《かい》殻《がら》尽《づ》くしの雛《ひな》屏《びよう》風《ぶ》を、膳《ぜん》椀《わん》を、画《え》雪洞《ぼんぼり》を、色糸の手《て》鞠《まり》を、そうしてまた父の横顔を、……
夢かと思うと申すのは、……ああ、それはもう前に申し上げました。が、ほんとうにあの晩の雛は夢だったのでございましょうか? いちずに雛を見たがったあまり、知らず識《し》らず造り出した幻《まぼろし》ではなかったのでございましょうか? わたしはいまだにどうかすると、わたし自身にもほんとうかどうか、返答に困るのでございます。
しかしわたしはあの夜《よ》更《ふ》けに、独《ひと》り雛《ひな》を眺《なが》めている、年とった父を見かけました。これだけは確かでございます。そうすればたとい夢にしても、別段悔《くや》しいとは思いません。とにかくわたしは眼《ま》のあたりに、わたしと少しも変わらない父を見たのでございますから、女《め》々《め》しい、……そのくせおごそかな父を見たのでございますから。
「雛」の話を書きかけたのは何年か前のことである。それを今書き上げたのは滝《たき》田《た》氏《*》 の勧めによるのみではない。同時にまた四、五日前、横浜のあるイギリス人の客間に、古《ふる》雛《びな》の首を玩具《おもちや》にしている紅《こう》毛《もう》の童女に遇《あ》ったからである。今はこの話に出て来る雛も、鉛《なまり》の兵隊やゴムの人形と一つ玩具《おもちや》箱《ばこ》に投げこまれながら、同じ憂《う》きめを見ているのかも知れない。
(大正十二年二月)
猿《さる》蟹《かに》合《かつ》戦《せん》
蟹《かに》の握《にぎ》り飯を奪《うば》った猿《さる》はとうとう蟹に仇《かたき》を取られた。蟹は臼《うす》、蜂《はち》、卵とともに、怨《おん》敵《てき》の猿を殺したのである。――その話はいまさらしないでもよい。ただ猿を仕《し》止《と》めたのち、蟹をはじめ同志のものはどういう運命に逢《ほう》着《ちやく》したか、それを話すことは必要である。なぜと言えばお伽《とぎ》噺《ばなし》は全然このことは話していない。
いや、話していないどころか、あたかも蟹は穴の中に、臼は台所の土《ど》間《ま》の隅《すみ》に、蜂は軒《のき》先《さき》の蜂の巣《す》に、卵は籾《もみ》殻《がら》の箱《はこ》の中に、太《たい》平《へい》無《ぶ》事《じ》な生《しよう》涯《がい》でも送ったかのように装《よそお》っている。
しかしそれは偽《いつわ》りである。彼らは仇を取ったのち、警官の捕《ほ》縛《ばく》するところとなり、ことごとく監《かん》獄《ごく》に投ぜられた。しかも裁判を重ねた結果、主《しゆ》犯《はん》蟹は死刑になり、臼、蜂、卵らの共《きよう》犯《はん》は無《む》期《き》徒《と》刑《けい》の宣告を受けたのである。お伽噺のみしか知らない読者はこういう彼らの運命に、怪《かい》訝《が》の念を持つかも知れない。が、これは事実である。寸《すん》毫《ごう》も疑いのない事実である。
蟹は蟹自身の言によれば、握り飯と柿《かき》と交《こう》換《かん》した。が、猿は熟《じゆく》柿《し》を与《あた》えず、青《あお》柿《がき》ばかり与えたのみか、蟹に傷害を加えるように、さんざんその柿を投げつけたと言う。しかし蟹は猿との間に、一通の証書も取り換《か》わしていない。よしまたそれは不《ふ》問《もん》に付しても、握り飯と柿と交換したと言い、熟柿とは特に断わっていない。最後に青柿を投げつけられたと言うのも、猿に悪意があったかどうか、その辺の証《しよう》拠《こ》は不十分である。だから蟹《かに》の弁護に立った、雄《ゆう》弁《べん》の名の高い某《ぼう》弁護士も、裁判官の同情を乞《こ》うよりほかに、策の出《い》ずるところを知らなかったらしい。その弁護士はきのどくそうに、蟹の泡《あわ》を拭《ぬぐ》ってやりながら、「あきらめ給え」と言ったそうである。もっともこの「あきらめ給《たま》え」は、死《し》刑《けい》の宣告を下されたことをあきらめ給えと言ったのだか、弁護士に大《たい》金《きん》をとられたことをあきらめ給えと言ったのだか、それは誰《だれ》にも決定できない。
その上新聞雑誌の輿《よ》論《ろん》も、蟹に同情を寄せたものはほとんど一つもなかったようである。蟹の猿を殺したのは私《し》憤《ふん》の結果にほかならない。しかもその私憤たるや、己《おのれ》の無知と軽《けい》卒《そつ》とから猿に利益を占《し》められたのをいまいましがっただけではないか? 優勝劣《れつ》敗《ぱい》の世の中にこういう私憤を洩《も》らすとすれば、愚《ぐ》者《しや》にあらずんば狂《きよう》者《しや》である。――という非難が多かったらしい。現に商業会議所会《かい》頭《とう》某《ぼう》男《だん》爵《しやく》のごときはだいたい上《かみ》のような意見とともに、蟹の猿を殺したのも多少は流行の危険思想《*》 にかぶれたのであろうと論断した。そのせいか蟹の仇《かたき》打《う》ち以来、某男爵は壮《そう》士《し》のほかにも、ブルドッグを十頭飼《か》ったそうである。
かつまた蟹の仇打ちはいわゆる識《しき》者《しや》の間にも、いっこう好評を博さなかった。大学教授某博士《はかせ》は倫《りん》理《り》学上の見地から、蟹の猿を殺したのは復《ふく》讐《しゆう》の意志に出たものである、復讐は善と称し難いと言った。それから社会主義の某首領は蟹は柿とか握《にぎ》り飯とかいう私有財産をありがたがっていたから、臼《うす》や蜂《はち》や卵なども反動的思想を持っていたのであろう、ことによると尻《しり》押《お》しをしたのは国《こく》粋《すい》会《かい*》 かも知れないと言った。それから某《ぼう》宗《しゆう》の管《かん》長《ちよう》某師は蟹は仏《ぶつ》慈《じ》悲《ひ》を知らなかったらしい、たとい青柿を投げつけられたとしても、仏《ぶつ》慈《じ》悲《ひ》を知っていさえすれば、猿《さる》の所《しよ》業《ぎよう》を憎《にく》む代りに、かえってそれを憐《あわれ》んだであろう。ああ、思えば一度でもいいから、わたしの説教を聴《き》かせたかったと言った。それから――また各方面にいろいろ批評する名士はあったが、いずれも蟹《かに》の仇《かたき》打《う》ちには不賛成の声ばかりだった。そういう中にたった一人、蟹のために気を吐《は》いたのは酒《しゆ》豪《ごう》兼詩人の某代議士である。代議士は蟹の仇打ちは武《ぶ》士《し》道《どう》の精神と一《いつ》致《ち》すると言った。しかしこんな時代遅《おく》れの議論は誰の耳にも止まるはずはない。のみならず新聞のゴシップによると、その代議士は数年以前、動物園を見物中、猿に尿《いばり》をかけられたことを遺《い》恨《こん》に思っていたそうである。
お伽《とぎ》噺《ばなし》しか知らない読者は、悲しい蟹の運命に同情の涙《なみだ》を落とすかも知れない。しかし蟹の死は当然である。それをきのどくに思いなどするのは、婦女童幼のセンティメンタリズムに過ぎない。天下は蟹の死を是《ぜ》なりとした。現に死《し》刑《けい》の行なわれた夜《よ》、判事、検事、弁護士、看《かん》守《しゆ》、死刑執《しつ》行《こう》人《にん》、教《きよう》誨《かい》師《し》らは四十八時間熟《じゆく》睡《すい》したそうである。その上皆《みな》夢《ゆめ》の中に、天国の門を見たそうである。天国は彼らの話によると、封《ほう》建《けん》時代の城に似たデパアトメント・ストアらしい。
ついでに蟹の死んだのち、蟹の家庭はどうしたか、それも少し書いておきたい。蟹の妻は売《ばい》笑《しよう》婦《ふ》になった。なった動機は貧困のためか、彼女自身の性情のためか、どちらかいまだに判然しない。蟹の長男は父の没《ぼつ》後《ご》、新聞雑誌の用語を使うと、「翻《ほん》然《ぜん》と心を改めた」今はなんでもある株《かぶ》屋《や》の番頭か何かしているという。この蟹はある時自分の穴へ、同類の肉を食うために、怪《け》我《が》をした仲《なか》間《ま》を引きずりこんだ。クロポトキンが相《そう》互《ご》扶《ふ》助《じよ》論《ろん*》 の中に、蟹も同類を劬《いたわ》るという実例を引いたのはこの蟹《かに》である。次男の蟹は小説家になった。もちろん小説家のことだから、女に惚《ほ》れるほかは何もしない。ただ父蟹の一生を例に、善は悪の異《い》名《みよう》であるなどと、いいかげんな皮肉を並《なら》べている。三男の蟹は愚《ぐ》物《ぶつ》だったから、蟹よりほかのものになれなかった。それが横《よこ》這《ば》いに歩いていると、握《にぎ》り飯が一つ落ちていた。握り飯は彼の好物だった。彼は大きい鋏《はさみ》の先にこの獲《え》物《もの》を拾い上げた。すると高い柿の木の梢《こずえ》に虱《しらみ》を取っていた猿が一匹《ぴき》、――その先は話す必要はあるまい。
とにかく猿と戦ったが最後、蟹は必ず天下のために殺されることだけは事実である。語を天下の読者に寄す。君たちもたいてい蟹なんですよ。
(大正十二年二月)
二人小《こ》町《まち》
一
小《お》野《の》の小《こ》町《まち*》 、几《き》帳《ちよう》の陰《かげ》に草《そう》紙《し》を読んでいる。そこへ突《とつ》然《ぜん》黄泉《よみ》の使《つかい》が現われる。黄泉の使は色の黒い若者。しかも耳は兎《うさぎ》の耳である。
小町 (驚《おどろ》きながら)誰《だれ》です、あなたは?
使 黄泉の使です。
小町 黄泉の使! ではもうわたしは死ぬのですか? もうこの世にはいられないのですか? まあ、少し待ってください。わたしはまだ二十一です。まだ美しい盛《さか》りなのです。どうか命は助けてください。
使 いけません。わたしは一天《いつてん》万乗《ばんじよう》の君でも容《よう》赦《しや》しない使なのです。
小町 あなたは情けを知らないのですか? わたしが今死んでごらんなさい。深《ふか》草《くさ》の少《しよう》将《しよう*》 はどうするでしょう? わたしは少将と約《やく》束《そく》しました。天に在《あ》っては比《ひ》翼《よく》の鳥、地に在っては連《れん》理《り》の枝、――ああ、あの約束を思うだけでも、わたしの胸は張り裂《さ》けるようです。少将はわたしの死んだことを聞けば、きっと歎《なげ》き死《じ》にに死んでしまうでしょう。
使 (つまらなそうに)歎き死にができればしあわせです。とにかく一度は恋《こい》されたのですから、……しかしそんなことはどうでもよろしい。さあ地《じ》獄《ごく》へお伴《とも》しましょう。
小町 いけません。いけません。あなたはまだ知らないのですか? わたしはただの体《からだ》ではありません。もう少将の胤《たね》を宿しているのです。わたしが今死ぬとすれば、子供も、――かわいいわたしの子供もいっしょに死ななければなりません。(泣きながら)あなたはそれでもよいと言うのですか? 闇《やみ》から闇へ子供をやっても、かまわないと言うのですか?
使 (ひるみながら)それはお子さんにはおきのどくです。しかし閻《えん》魔《ま》王《おう》の命令ですから、どうかいっしょに来てください。なに、地獄も考えるほど、悪いところではありません。昔《むかし》から名高い美人や才《さい》子《し》はたいてい地獄へ行っています。
小町 あなたは鬼《おに》です。羅《ら》刹《せつ》です。わたしが死ねば少将も死にます。少将の胤の子供も死にます。三人ともみんな死んでしまいます。いえ、そればかりではありません。年とったわたしの父や母もきっといっしょに死んでしまいます。(いっそう泣き声を立てながら)わたしは黄泉《よみ》の使《つかい》でも、もう少し優《やさ》しいと思っていました。
使 (迷《めい》惑《わく》そうに)わたしはお助け申したいのですが、……
小町 (生き返ったように顔を上げながら)ではどうか助けてください。五年でも十年でもかまいません。どうかわたしの寿《じゆ》命《みよう》を延《の》ばしてください。たった五年、たった十年、――子供さえ成人すればよいのです。それでもいけないと言うのですか?
使 さあ、年限はかまわないのですが、――しかしあなたをつれて行かなければ代りが一人いるのです。あなたと同じ年ごろの、……
小町 (興奮しながら)では誰でもつれて行ってください。わたしの召《めし》使《つかい》の女の中にも、同じ年の女は二、三人います。阿《あ》漕《こぎ》でも小《こ》松《まつ》でもかまいません。あなたの気に入ったのをつれて行ってください。
使 いや、名前もあなたのように小《こ》町《まち》と言わなければいけないのです。
小町 小町! 誰か小町という人はいなかったかしら。ああ、います。います。(発作的に笑い出しながら)玉《たま》造《つくり》の小《こ》町《まち*》 という人がいます。あの人を代りにつれて行ってください。
使 年もあなたと同じくらいですか?
小町 ええ、ちょうど同じくらいです。ただ綺《き》麗《れい》ではありませんが、――器《き》量《りよう》などはどうでもかまわないのでしょう?
使 (愛《あい》想《そう》よく)悪いほうがよいのです。同情しずにすみますから。
小町 (生き生きと)ではあの人に行ってもらってください。あの人はこの世にいるよりも、地《じ》獄《ごく》に住みたいと言っています。誰も逢《あ》う人がいないものですから。
使 よろしい。その人をつれて行きましょう。ではお子さんを大事にしてください。(得《とく》々《とく》と)黄泉《よみ》の使《つかい》も情けだけは心得ているつもりなのです。
使、突《とつ》然《ぜん》また消《き》え失《う》せる。
小町 ああ、やっと助かった! これも日ごろ信心する神や仏《ほとけ》のお計らいであろう。(手を合わせる)八《や》百《お》万《よろず》の神々、十《じつ》方《ぽう》の諸《しよ》菩《ぼ》薩《さつ》、どうかこの嘘《うそ》の剥《は》げませぬように。
二
黄泉《よみ》の使《つかい》、玉《たま》造《つくり》の小《こ》町《まち》を背負いながら、闇《あん》穴《けつ》道《どう》を歩いて来る。
小町 (金切り声を出しながら)どこへ行くのです? どこへ行くのです?
使 地《じ》獄《ごく》へ行くのです。
小町 地獄へ! そんなはずはありません。現に昨日《きのう》安《あ》倍《べ》の晴《せい》明《めい*》 も寿《じゆ》命《みよう》は八十六と言っていました。
使 それは陰《おん》陽《みよう》師《じ》の嘘《うそ》でしょう。
小町 いいえ、嘘ではありません。安倍の晴明の言うことはなんでもちゃんと当たるのです。あなたこそ嘘をついているのでしょう。そら、返事に困っているではありませんか?
使 (独白)どうもおれは正直すぎるようだ。
小町 まだ強《ごう》情《じよう》を張るつもりなのですか? さあ、正直に白状しておしまいなさい。
使 実はあなたにはおきのどくですが、……
小町 そんなことだろうと思っていました。「おきのどくですが、」どうしたのです?
使 あなたは小《お》野《の》の小《こ》町《まち》の代りに地獄へ堕《お》ちることになったのです。
小町 小野の小町の代りに! それはまたいったいどうしたんです?
使 あの人は今身持ちだそうです。深《ふか》草《くさ》の少《しよう》将《しよう》の胤《たね》とかを、……
小町 (憤《ふん》然《ぜん》と)それをほんとうだと思ったのですか? 嘘ですよ。あなた! 少将は今でもあの人のところへ百《もも》夜《よ》通《がよ》いをしているくらいですもの。少将の胤《たね》を宿すのはおろか、逢《あ》ったことさえ一度もありはしません。嘘《うそ》も、嘘も、真《まつ》赤《か》な嘘ですよ!
使 真赤な嘘? そんなことはまさかないでしょう。
小町 では誰にでも聞いてごらんなさい。深草の少将の百夜通いと言えば、下《げ》司《す》の子供でも知っているはずです。それをあなたは嘘とも思わずに、……あの人の代りにわたしの命を、……ひどい。ひどい。ひどい。(泣き始める)
使 泣いてはいけません。泣くことは何もないのですよ。(背中から玉《たま》造《つくり》の小町を下《おろ》す)あなたはしじゅうこの世よりも、地《じ》獄《ごく》に住みたがっていたでしょう。してみればわたしの欺《だま》されたのは、かえってしあわせではありませんか?
小町 (噛《か》みつきそうに)誰がそんなことを言ったのです?
使 (怯《お》ず怯《お》ず)やっぱりさっき小野の小町が、……
小町 まあ、なんというずうずうしい人だ! 嘘つき! 九《きゆう》尾《び》の狐《きつね》! 男たらし! 騙《かた》り! 尼《あま》天《てん》狗《ぐ》! おひきずり! もうもうもう、今度顔を合わせたが最後、きっと喉《のど》笛《ぶえ》に噛みついてやるから。口惜《くや》しい。口惜しい。口惜しい。(黄泉《よみ》の使《つかい》をこづきまわす)
使 まあ、待ってください。わたしは何も知らなかったのですから、――まあ、この手をゆるめてください。
小町 いったいあなたがばかではありませんか? そんな嘘を真《ま》に受けるとは、……
使 しかし誰でも真に受けますよ。……あなたは何か小野の小町に恨《うら》まれることでもあるのですか?
小町 (妙《みよう》に微《び》笑《しよう》する)あるような、ないような、……まあ、あるのかも知れません。
使 するとその恨《うら》まれることと言うのは?
小町 (軽《けい》蔑《べつ》するように)お互《たが》いに女ではありませんか?
使 なるほど、美しい同士でしたっけ。
小町 あら、お世《せ》辞《じ》などはおよしなさい。
使 お世辞ではありませんよ。ほんとうに美しいと思っているのです。いや、口には言われないくらい美しいと思っているのです。
小町 まあ、あんなうれしがらせぱっかり! あなたこそ黄泉《よみ》には似合わない、美しいかたではありませんか?
使 こんな色の黒い男がですか?
小町 黒いほうがりっぱですよ。男らしい気がしますもの。
使 しかしこの耳は気味が悪いでしょう。
小町 あら、かわいいではありませんか? ちょいとわたしに触《さわ》らしてください。わたしは兎《うさぎ》が大好きなのですから。(使の兎の耳を玩弄《おもちや》にする)もっとこっちへいらっしゃい。なんだかわたしはあなたのためなら、死んでもいいような気がしますよ。
使 (小町を抱《だ》きながら)ほんとうですか?
小町 (半ば眼《め》を閉じたまま)ほんとうならば?
使 こうするのです。(接《せつ》吻《ぷん》しようとする)
小町 (突《つ》きのける)いけません。
使 では、……では嘘《うそ》なのですか?
小町 いいえ、嘘ではありません。ただあなたが本気かどうか、それさえわかればよいのです。
使 ではなんでも言いつけてください。あなたの欲《ほ》しいものはなんですか? 火鼠《ひねずみ》の裘《かわごろも*》 ですか、蓬《ほう》莱《らい》の玉の枝《*》 ですか、それとも燕《つばめ》の子《こ》安《やす》貝《がい*》 ですか?
小町 まあ、お待ちなさい。わたしのお願いはこれだけです。――どうかわたしを生かしてください。その代りに小野の小町を、――あの憎《にく》らしい小野の小町を、わたしの代りにつれて行ってください。
使 そんなことだけでよいのですか? よろしい。あなたの言う通りにします。
小町 きっとですね? まあ、うれしい。きっとならば、……(使を引き寄せる)
使 ああ、わたしこそ死んでしまいそうです。
三
大勢の神《しん》将《しよう》、あるいは戟《ほこ》を執《と》り、あるいは剣《けん》を提《ひつさ》げ、小《お》野《の》の小《こ》町《まち》の屋根を護《まも》っている。そこへ黄泉《よみ》の使《つかい》、蹌《そう》踉《ろう》と空へ現われる。
神将 誰《だれ》だ、貴《き》様《さま》は?
使 わたしは黄泉の使です。どうかそこを通してください。
神将 通すことはならぬ。
使 わたしは小町をつれに来たのです。
神将 小町を渡《わた》すことはなおさらならぬ。
使 なおさらならぬ? あなたがたはいったい何ものです?
神将 我々は天《あめ》が下《した》の陰《おん》陽《みよう》師《じ》、安《あ》倍《べ》の晴《せい》明《めい》の加《か》持《じ》により、小町を守《しゆ》護《ご》する三《さん》十《じゆう》番《ばん》神《じん*》 じゃ。
使 三十番神! あなたがたはあの嘘《うそ》つきを、――あの男たらしを守護するのですか?
神将 黙《だま》れ! か弱い女をいじめるばかりか、悪《あく》名《みよう》を着せるとは怪《け》しからぬやつじゃ。
使 何が悪名です? 小町はほんとうに、嘘つきの男たらしではありませんか?
神将 まだ言うな。よしよし、言うならば言ってみろ。その耳を二つとも削《そ》いでしまうぞ。
使 しかし小町は現にわたしを……
神将 (憤《ふん》然《ぜん》と)この戟《ほこ》を食らって往《おう》生《じよう》しろ!(使に飛びかかる)
使 助けてくれえ!(消《き》え失《う》せる)
四
数十年後、老いたる女乞《こ》食《じき》二人、枯《かれ》芒《すすき》の原に話している。一人は小《お》野《の》の小《こ》町《まち》、他の一人は玉《たま》造《つくり》の小《こ》町《まち》。
小野の小町 苦しい日ばかり続きますね。
玉造の小町 こんな苦しい思いをするより、死んだほうがましかも知れません。
小野の小町 (独語《ひとりごと》のように)あの時に死ねばよかったのです。黄泉《よみ》の使《つかい》に会った時に、…
玉造の小町 おや、あなたもお会いになったのですか?
小野の小町 (疑い深そうに)あなたもと仰有《おつしや》るのは? あなたこそお会いになったのですか?
玉造の小町 (冷ややかに)いいえ、わたしは会いません。
小野の小町 わたしの会ったのも唐《から》の使《つかい》です。
しばらくの間沈黙。黄泉の使、忙《いそが》しそうに通りかかる。
小野の小町
黄泉の使 誰です、わたしを呼びとめたのは?
玉造の小町 (小野の小町に)あなたは黄泉の使をご存知ではありませんか?
小野の小町 (玉造の小町に)あなたも知らないとは仰有《おつしや》れますまい。(黄泉の使に)このかたは玉造の小町です。あなたはとうにご存知でしょう。
玉造の小町 このかたは小野の小町です。やっぱりあなたのお馴《な》染《じみ》でしょう。
使 なに、玉造の小町に小野の小町! あなたがたが、――骨と皮ばかりの女乞《こ》食《じき》が!
小野の小町 どうせ骨と皮ばかりの女乞食ですよ。
玉造の小町 わたしに抱《だ》きついたのを忘れたのですか?
使 まあ、そう腹をたてずにください。あんまり変わっていたものですから、つい口を辷《すべ》らせたのです。……時にわたしを呼びとめたのは、何か用でもあるのですか?
小野の小町 ありますとも。ありますとも。どうか黄泉《よみ》へつれて行ってください。
玉造の小町 わたしもいっしょにつれて行ってください。
使 黄泉へつれて行け? 冗《じよう》談《だん》を言ってはいけません。またわたしを欺《だま》すのでしょう。
玉造の小町 あら、欺しなどするものですか!
小野の小町 ほんとうにどうかつれて行ってください。
使 あなたがたを!(首を振《ふ》りながら)どうもわたしには受け合われません。またひどい目に会うのは嫌《いや》ですから、誰《だれ》かほかのものにお頼《たの》みなさい。
小野の小町 どうかわたしを憐《あわれ》んでください。あなたも情けは知っているはずです。
玉造の小町 そんなことを言わずに、つれて行ってください。きっとあなたの妻になりますから。
使 駄目《だめ》です。駄目です。あなたがたにかかり合うと――いや、あなたがたばかりではない、女というやつにかかり合うと、どんな目に会うかわかりません。あなたがたは虎《とら》よりも強い。内《ない》心《しん》如《によ》夜《や》叉《しや》の譬《たとえ》通りです。第一あなたがたの涙《なみだ》の前には、誰でも意《い》気《く》地《じ》がなくなってしまう。(小野の小町に)あなたの涙などは凄《すご》いものですよ。
小野の小町 嘘《うそ》です。嘘です。あなたはわたしの涙などに動かされたことはありません。
使 (耳にもかけずに)第二にあなたがたは肌《はだ》身《み》さえ任《まか》せば、どんなことでもできないことはない。(玉造の小町に)あなたはその手を使ったのです。
玉造の小町 卑《いや》しいことを言うのはおよしなさい。あなたこそ恋《こい》を知らないのです。
使 (やはりむとんじゃくに)第三に、――これがいちばん恐《おそろ》ろしいのですが、第三に世の中は神《かみ》代《よ》以来、すっかり女に欺《だま》されている。女といえばか弱いもの、優《やさ》しいものと思いこんでいる。ひどい目に会《あ》わすのはいつも男、会わされるのはいつも女、――そうよりほかに考えない。そのくせほんとうは女のために、しじゅう男が悩《なや》まされている。(小野の小町に)三《さん》十《じゆう》番《ばん》神《じん》をご覧なさい。わたしばかり悪ものにしていたでしょう。
小野の小町 神《かみ》仏《ほとけ》の悪口はおよしなさい。
使 いや、わたしには神仏よりも、もっとあなたがたが恐ろしいのです。あなたがたは男の心も体《からだ》も、自由自在に弄《もてあそ》ぶことができる。その上万《まん》一《いち》手に余れば、世の中の加勢も借りることができる。このくらい強いものはありますまい。またほんとうにあなたがたは日本国じゅう至るところに、あなたがたの餌《え》食《じき》になった男の屍《し》骸《がい》をまき散らしています。わたしはまず何よりも先へ、あなたがたの爪《つめ》にかからないように、用心しなければなりません。
小野の小町 (玉造の小町に)まあ、なんという人聞きの悪い、手前がってな理窟《りくつ》でしょう。
玉造の小町 (小野の小町に)ほんとうに男のわがままには呆《あき》れ返《かえ》ってしまいます。(黄泉《よみ》の使《つかい》に)女こそ男の餌食です。いいえ、あなたがなんと言っても、男の餌食に違《ちが》いありません。昔《むかし》も男の餌食でした。今も男の餌食です。将来も男の、……
使 (急に晴れ晴れと)将来は男に有望です。女の太《だ》政《じよう》大《だい》臣《じん》、女の検《け》非《び》違《い》使《し》、女の閻《えん》魔《ま》王《おう》、女の三《さん》十《じゆう》番《ばん》神《じん》、――そういうものができるとすれば、男は少し助かるでしよう。第一に女は男狩《が》りのほかにも、仕《し》栄《ば》えのある仕事ができますから。第二に女の世の中は今の男の世の中ほど、女に甘《あま》いはずはありませんから。
小野の小町 あなたはそんなにわたしたちを憎《にく》いと思っているのですか?
玉造の小町 お憎みなさい。お憎みなさい。思い切ってお憎みなさい。
使 (憂《ゆう》鬱《うつ》に)ところが憎み切れないのです。もし憎み切れるとすれば、もっとしあわせになっているでしょう。(突《とつ》然《ぜん》また凱《がい》歌《か》を挙《あ》げるように)しかし今はだいじょうぶです。あなたがたは昔《むかし》のあなたがたではない。骨と皮ばかりの女乞《こ》食《じき》です。あなたがたの爪《つめ》にはかかりません。
玉造の小町 ええ、もうどこへでも行ってしまえ!
小野の小町 まあ、そんなことを言わずに、……これ、この通り拝みますから。
使 いけません。ではさようなら。(枯《かれ》芒《すすき》の中に消える)
小野の小町 どうしましょう?
玉造の小町 どうしましょう?
二人ともそこへ泣き伏《ふ》してしまう。
(大正十二年二月)
おしの
ここは南《なん》蛮《ばん》寺《じ*》 の堂内である。ふだんならばまだ硝子《ガラス》画《え*》 の窓に日の光の当たっている時分であろう。が、今日《きよう》は梅雨《つゆ》曇《ぐも》りだけに、日の暮《く》れの暗さと変わりはない。その中はただゴティック風の柱がぼんやり木の肌《はだ》を光らせながら、高だかとレクトリウム《*》 を守っている。それからずっと堂の奥《おく》に常《じよう》灯《とう》明《みよう》の油火が一つ、龕《がん》の中に佇《たたず》んだ聖者の像を照らしている。参《さん》詣《けい》人《にん》はもう一人もいない。
そういう薄《うす》暗《ぐら》い堂内に紅《こう》毛《もう》人《じん》の神父が一人、祈《き》祷《とう》の頭を垂《た》れている。年は四十五、六であろう。額《ひたい》の狭《せま》い、顴《かん》骨《こつ》の突《つ》き出た、頬《ほお》鬚《ひげ》の深い男である。床《ゆか》の上に引きずった着物は「あびと《*》 」と称《とな》える僧《そう》衣《い》らしい。そういえば「こんたつ《*》 」と称える念《ねん》珠《じゆ》も手《て》頸《くび》を一巻き巻いたのち、かすかに青《あお》珠《たま》を垂《た》らしている。
堂内はもちろんひっそりしている。神父はいつまでも身動きをしない。
そこへ日本人の女が一人、静かに堂内へはいって来た。紋《もん》を染めた古《ふる》帷子《かたびら》に何か黒い帯をしめた、武家の女《によう》房《ぼう》らしい女である。これはまだ三十代であろう。が、ちょいと見たところは年よりはずっとふけて見える。第一妙《みよう》に顔色が悪い。目のまわりも黒い暈《かさ》をとっている。しかしだいたいの目鼻だちは美しいと言っても差《さし》支《つか》えない。いや、端《たん》正《せい》に過ぎる結果、むしろ険のあるくらいである。
女はさも珍《めずら》しそうに聖《せい》水《すい》盤《ばん》や祈《き》祷《とう》机《づくえ》を見ながら、怯《お》ず怯《お》ず堂の奥へ歩み寄った。すると薄《うす》暗《ぐら》い聖《せい》壇《だん》の前に神父が一人跪《ひざまず》いている。女はやや驚《おどろ》いたように、ぴたりとそこへ足を止めた。が、相手の祈祷していることは直ちにそれと察せられたらしい。女は神父を眺《なが》めたまま、黙《もく》然《ねん》とそこに佇《たたず》んでいる。
掌内は相変わらずひっそりしている。神父も身動きをしなければ、女も眉《まゆ》一つ動かさない。それがかなり長い間であった。
そのうちに神父は祈祷をやめると、やっと床《ゆか》から身を起こした。見れば前には女が一人、何か言いたげに佇《たたず》んでいる。南《なん》蛮《ばん》寺《じ》の堂内へはただ見慣れぬ磔《はりき》仏《ぼとけ》を見物に来るものもまれではない。しかしこの女のここへ来たのは物好きだけではなさそうである。神父はわざと微《び》笑《しよう》しながら、片《かた》言《こと》に近い日本語を使った。
「何かご用ですか?」
「はい、少々お願いの筋がございまして」
女は慇《いん》懃《ぎん》に会《え》釈《しやく》をした。貧しい身なりにも関《かかわ》らず、これだけはちゃんと結い上げた笄《こうがい》髷《まげ》の頭を下げたのである。神父は微笑《ほほえ》んだ眼《め》に目《もく》礼《れい》した。手は青《あお》珠《たま》の「こんたつ」に指をからめたり離《はな》したりしている。
「わたくしは一《いち》番《ばん》ケ《が》瀬《せ》半《はん》兵《べ》衛《え》の後《ご》家《け》、しのと申すものでございます。実はわたくしの倅《せがれ》、新《しん》之《の》丞《じよう》と申すものが大病なのでございますが……」
女はちょいと言い澱《よど》んだのち、今度は朗読でもするようにすらすら用向きを話し出した。新之丞は今年十五歳になる。それが今年の春ごろから、何ともつかずに煩《わずら》い出した。咳《せき》が出る、食《しよく》慾《よく》が進まない、熱が高まるという始末である。しのは力の及《およ》ぶ限り、医者にも見せたり、買い薬もしたり、いろいろ養《よう》生《じよう》に手を尽《つ》くした。しかし少しも効験は見えない。のみならずしだいに衰《すい》弱《じやく》する。その上このごろは不《ふ》如《によ》意《い》のため、思うように療《りよう》治《じ》をさせることもできない。聞けば南蛮寺の神父の医《い》方《ほう》は白《びやく》癩《らい》さえ直すということである。どうか新之丞の命も助けていただきたい。……
「お見《み》舞《ま》いくださいますか? いかがでございましょう?」
女はこう言う言葉の間も、じっと神父を見守っている。その眼には憐《あわれ》みを乞《こ》う色もなければ、気づかわしきに堪《た》えぬけはいもない。ただほとんど頑《かたく》なに近い静かさを示しているばかりである。
「よろしい。見て上げましょう」
神父は顋《あご》鬚《ひげ》を引っ張りながら、考え深そうに頷《うなず》いてみせた。女は霊《れい》魂《こん》の助かりを求めに来たのではない。肉体の助かりを求めに来たのである。しかしそれは咎《とが》めずともよい。肉体は霊魂の家である。家の修《しゆう》覆《ふく》さえ全《まつた》ければ、主人の病もまた退《しりぞ》きやすい。現にカテキスタのファビアン《*》 などはそのために十字架《くるす》を拝するようになった。この女をここへ遣《つか》わされたのもあるいはそういう神意かも知れない。
「お子さんはここへ来られますか」
「それはちと無理かと存じますが……」
「ではそこへ案内してください」
女の眼に一《いつ》瞬《しゆん》間《かん》の喜びの輝《かがや》いたのはこの時である。
「さようでございますか? そうしていただければ何よりのしあわせでございます」
神父は優《やさ》しい感動を感じた。やはりその一瞬間、能《のう》面《めん》に近い女の顔に争われぬ母を見たからである。もう前に立っているのは物《もの》堅《がた》い武家の女《によう》房《ぼう》ではない。いや日本人の女でもない。むかし飼《かい》槽《おけ》の中の基督《キリスト》に美しい乳《ち》房《ぶさ》を含ませた「すぐれて御《ご》愛《あい》憐《れん》、すぐれて御《ご》柔《にゆう》〓《なん》、すぐれて甘《うまし》くまします天上の妃《きさき*》」 と同じ母になったのである。神父は胸を反《そ》らせながら、快活に女へ話しかけた。
「ご安心なさい。病もたいていわかっています。お子さんの命は預りました。とにかくできるだけのことはしてみましょう。もしまた人力に及《およ》ばなければ、……」
女は穏《おだ》やかに言葉を挟《はさ》んだ。
「いえ、あなた様さえ一度お見《み》舞《ま》いくだされば、あとはもうどうなりましても、さらさら心残りはございません。その上はただ清《きよ》水《みず》寺《でら》の観《かん》世《ぜ》音《おん》菩《ぼ》薩《さつ》のご冥《みよう》護《ご》にお縋《すが》り申すばかりでございます」
観世音菩薩! この言葉はたちまち神父の顔に腹だたしい色を漲《みなぎ》らせた。神父は何も知らぬ女の顔へ鋭《するど》い眼を見《み》据《す》えると、首を振り振りたしなめだした。
「お気をつけなさい。観《かん》音《のん》、釈《しや》迦《か》、八《はち》幡《まん》、天《てん》神《じん》、――あなたがたの崇《あが》めるのは皆《みな》木や石の偶《ぐう》像《ぞう》です。まことの神、まことの天主はただ一人しかおられません。お子さんを殺すのも助けるのもデウスの御《おん》思《おぼし》召《め》し一つです。偶像の知ることではありません。もしお子さんが大事ならば、偶像に祈《いの》るのはおやめなさい」
しかし女は古《ふる》帷子《かたびら》の襟《えり》を心もち顋《あご》に抑《おさ》えたなり、驚《おどろ》いたように神父を見ている。神聖な怒《いか》りに満ちた言葉もわかったのかどうかはっきりしない。神父はほとんどのしかかるように鬚《ひげ》だらけの顔を突《つ》き出しながら、いっしょうけんめいにこう戒《いまし》め続けた。
「まことの神をお信じなさい。まことの神はジュデア《*》 の国、ベレンの里にお生まれになったジェズス・キリストばかりです。そのほかに神はありません。あると思うのは悪《あく》魔《ま》です。堕《だ》落《らく》した天使の変《へん》化《げ》です。ジェズスは我々を救うために、磔《はり》木《き》にさえおん身をおかけになりました。ご覧なさい。あのおん姿を?」
神父は厳《おごそ》かに手を伸《の》べると、後ろにある窓の硝子《ガラス》画《え》を指した。ちょうど薄《うす》日《び》に照らされた窓は堂内を罩《こ》めた仄《ほの》暗《くら》がりの中に、受難の基督《キリスト》を浮《う》き上がらせている。十《じゆう》字《じ》架《か》の下《もと》に泣き惑《まど》ったマリヤや弟《で》子《し》たちも浮き上がらせている。女は日本風に合《がつ》掌《しよう》しながら、静かにこの窓をふり仰《あお》いだ。
「あれが噂《うわさ》に承った南蛮の如《によ》来《らい》でございますか? 倅《せがれ》の命さえ助かりますれば、わたくしはあの磔《はりき》仏《ぼとけ》に一生仕えるのもかまいません。どうか冥《みよう》護《ご》を賜《たまわ》るようにご祈《き》祷《とう》をお捧《ささ》げくださいまし」
女の声は落ち着いた中に、深い感動を蔵している。神父はいよいよ勝ち誇《ほこ》ったようにうなじを少し反《そ》らせたまま、前よりも雄《ゆう》弁《べん》に話し出した。
「ジェズスは我々の罪を浄《きよ》め、我々の魂《たましい》を救《すく》うために地上へご降《こう》誕《たん》なすったのです。お聞きなさい、御一生のご艱《かん》難《なん》辛《しん》苦《く》を!」
神聖な感動に充《み》ち満ちた神父はそちらこちらを歩きながら、口早に基督《キリスト》の生《しよう》涯《がい》を話した。衆《しゆう》徳《とく》、備わり給《たま》う処女《おとめ》マリヤにご受《じゆ》胎《たい》を告げに来た天使のことを、厩《うまや》の中のご降誕のことを、ご降誕を告げる星を便《たよ》りに乳《にゆう》香《こう》や没《もつ》薬《やく》を捧《ささ》げに来た、賢《かしこ》い東方の博士《はかせ》たちのことを、メシアの出現を惧《おそ》れるために、ヘロデ王の殺した童《どう》子《じ》たちのことを、ヨハネの洗《せん》礼《れい》を受けられたことを、山《さん》上《じよう》の教えを説かれたことを、水を葡《ぶ》萄《どう》酒《しゆ》に化せられたことを、盲《もう》人《じん》の眼《め》を開かれたことを、マグダラのマリヤに憑《つ》きまとった七つの悪《あつ》鬼《き》を逐《お》われたことを、死んだラザルを活《い》かされたことを、水の上を歩かれたことを、驢《ろ》馬《ば》の背にジェルサレムへ入《はい》られたことを、悲しい最後の夕《ゆう》餉《げ》のことを、橄《かん》欖《らん》の園のおん祈りのことを、……
神父の声は神の言葉のように、薄《うす》暗《ぐら》い堂内に響《ひび》き渡《わた》った。女は眼を輝《かがや》かせたまま、黙《もく》然《ねん》とその声に聞き入っている。
「考えてもご覧なさい。ジェズスは二人の盗《ぬす》人《びと》といっしょに、磔《はり》木《き》におかかりなすったのです。その時のおん悲しみ、その時のおん苦しみ、――我々は今想《おも》いやるさえ、肉が震《ふる》えずにはいられません。ことにもったいない気のするのは磔木の上からお叫《さけ》びになったジェズスの最後のおん言葉です。エリ、エリ、ラマサバクタニ、――これを解けばわが神、わが神、なんぞ我を捨て給《たも》うや?……」
神父は思わず口をとざした。見ればまっ蒼《さお》になった女は下脣《したくちびる》を噛《か》んだなり、神父の顔を見つめている。しかもその眼に閃《ひらめ》いているのは神聖な感動でもなんでもない。ただ冷ややかな軽《けい》蔑《べつ》と骨にも徹《とお》りそうな憎《ぞう》悪《お》とである。神父はあっけにとられたなり、しばらくはただ唖《おし》のように瞬《またた》きをするばかりだった。
「まことの天主、南《なん》蛮《ばん》の如《によ》来《らい》とはそういうものでございますか?」
女は今までのつつましさにも似ず、止《とど》めを刺《さ》すように言い放った。
「わたくしの夫、一番ケ瀬半兵衛は佐《さ》佐《さ》木《き》家《け》の浪《ろう》人《にん*》 でございます。しかしまだ一度も敵の前に後ろを見せたことはございません。去《い》んぬる長光寺の城《しろ》攻《ぜ》め《*》 のおりも、夫は博《ばく》奕《ち》に負けましたために、馬はもとより鎧《よろい》兜《かぶと》さえ奪《うば》われておったそうでございます。それでも合《かつ》戦《せん》という日には、南《な》無《む》阿《あ》弥《み》陀《だ》仏《ぶつ》と大《だい》文《もん》字《じ》に書いた紙の羽《は》織《おり》を素《す》肌《はだ》に纏《まと》い、枝つきの竹を差し物に代え、右手《めて》に三尺五寸の太刀《たち》を抜き、左手《ゆんで》に赤紙の扇《おうぎ》を開き、『人の若《わか》衆《しゆ*》 を盗むよりしては首を取らりょと覚《かく》悟《ご》した』と、大声に歌をうたいながら、織《お》田《だ》殿《どの》の身内に鬼と聞こえた柴《しば》田《た》の軍勢を斬《き》り靡《なび》けました。それをなんぞや天主ともあろうに、たとい磔《はり》木《き》にかけられたにせよ、かごとがましい声を出すとは見下げ果てたやつでございます。そういう臆《おく》病《びよう》ものを崇《あが》める宗《しゆう》旨《し》になんの取《とり》柄《え》がございましょう? またそういう臆病ものの流れを汲《く》んだあなたとなれば、世にない夫の位《い》牌《はい》の手前も倅《せがれ》の病は見せられません。新之丞も首取りの半兵衛と言われた夫の倅でございます。臆病ものの薬を飲まされるよりは腹を切ると言うでございましょう。このようなことを知っていれば、わざわざここまでは来《こ》まいものを、――それだけは口《くち》惜《お》しゅうございます」
女は涙《なみだ》を呑《の》みながら、くるりと神父に背を向けたと思うと、毒《どく》風《ふう》を避ける人のようにさっさと堂外へ去ってしまった。瞠《どう》目《もく》した神父を残したまま。……
(大正十二年三月)
保《やす》吉《きち》の手帳から
わん
ある冬の日の暮《く》れ、保《やす》吉《きち》は薄《うす》汚《ぎたな》いレストランの二階に脂《あぶら》臭《くさ》い焼パンを齧《かじ》っていた。彼のテエブルの前にあるのは亀裂《ひび》の入った白《しら》壁《かべ》だった。そこにはまた斜《はす》かいに、「ホット(あたたかい)サンドウィッチもあります」と書いた、細長い紙が貼《は》りつけてあった。(これを彼の同《どう》僚《りよう》の一人は「ほっと暖《あたた》かいサンドウィッチ」と読み、まじめに不思議がったものである)それから左は下へ降りる階段、右はすぐに硝子《ガラス》窓《まど》だった。彼は焼パンを齧りながら、時々ぼんやり窓の外を眺《なが》めた。窓の外には往来の向こうに亜鉛《トタン》屋《や》根《ね》の古着屋が一軒《けん》、職工用の青服だのカアキ色のマントだのをぶら下げていた。
その夜学校《*》 には六時半から、英語会が開かれるはずになっていた。それへ出席する義務のあった彼はこの町に住んでいない関係上、厭《いや》でも放課後六時半まではこんなところにいるよりしかたはなかった。確か土《と》岐《き》哀《あい》果《か*》 氏の歌に、――間《ま》違《ちが》ったならば御《ご》免《めん》なさい。――「遠く来てこの糞《くそ》のよなビフテキをかじらねばならず妻よ妻よ恋《こひ》し」というのがある。彼はここへ来るたびに、必ずこの歌を思い出した。もっとも恋《こい》しがるはずの妻はまだ貰《もら》ってはいなかった。しかし古着屋の店を眺《なが》め、脂《あぶら》臭《くさ》い焼パンをかじり、「ホット(あたたかい)サンドウィッチ」を見ると、「妻よ妻よ恋し」という言葉はおのずから脣《くちびる》に上って来るのだった。
保吉はこの間も彼の後ろに、若い海軍の武《ぶ》官《かん》が二人、麦酒《ビイル》を飲んでいるのに気がついていた。その中の一人は見覚えのある同じ学校の主《しゆ》計《けい》官《かん》だった。武官に馴《な》染《じ》みの薄《うす》い彼はこの人の名前を知らなかった。いや、名前ばかりではない。少《しよう》尉《い》級か中《ちゆう》尉《い》級かも知らなかった。ただ彼の知っているのは月々の給金を貰《もら》う時に、この人の手を経るということだけだった。もう一人は全然知らなかった。二人は麦酒の代りをするたびに、「こら」とか「おい」という言葉を使った。女中はそれでも厭《いや》な顔をせずに、両手にコップを持ちながら、まめに階段を上《のぼ》り下《お》りした。そのくせ保吉のテエブルへは紅茶を一杯《ぱい》頼《たの》んでも容易に持って来てはくれなかった。これはここに限ったことではない。この町のカフエやレストランはどこへ行っても同じことだった。
二人は麦酒を飲みながら、何か大声に話していた。保吉はもちろんその話に耳を貸していた訳《わけ》ではなかった。が、ふと彼を驚《おどろ》かしたのは「わんと言え」という言葉だった。彼は犬を好まなかった。犬を好まない文学者にゲエテとストリントベルグ《*》 とを数えることを愉快に思っている一人だった。だからこの言葉を耳にした時、彼はこんなところに飼《か》っていがちな、大きい西洋犬を想像した。同時にそれが彼の後ろにうろついていそうな無《ぶ》気《き》味《み》さを感じた。
彼はそっと後ろを見た。が、そこにはしあわせと犬らしいものは見えなかった。ただあの主計官が窓の外を見ながら、にやにや笑っているばかりだった。保吉は多分犬のいるのは窓の下だろうと推察した。しかしなんだか変な気がした。すると主計官はもう一度、「わんと言え。おい、わんと言え」と言った。保吉は少し体《からだ》を〓《ね》じ曲《ま》げ、向こうの窓の下を覗《のぞ》いて見た。まず彼の目にはいったのは何とか正《まさ》宗《むね》の広告を兼ねた、まだ火のともらない軒《けん》灯《とう》だった。それから巻いてある日《ひ》除《よ》けだった。それから麦酒《ビイル》樽《だる》の天《てん》水《すい》桶《おけ》の上に乾《ほ》し忘れたままの爪《つま》革《かわ》だった。それから、往来の水たまりだった。それから、――あとは何だったにせよ、どこにも犬の影《かげ》は見なかった。その代りに十二、三の乞《こ》食《じき》が一人、二階の窓を見上げながら、寒そうに立っている姿が見えた。
「わんと言え。わんと言わんか!」
主計官はまたこう呼びかけた。その言葉には何か乞食の心を支配する力があるらしかった。乞食はほとんど夢《む》遊《ゆう》病《びよう》者《しや》のように、目はやはり上を見たまま、一、二歩窓の下へ歩み寄った。保吉はやっと人の悪い主計官の悪戯《いたずら》を発見した。悪戯?――あるいは悪戯ではなかったかも知れない。なかったとすれば実験である。人間はどこまで口《こう》腹《ふく》のために、自己の尊厳を犠牲にするか?――ということに関する実験である。保吉自身の考えによると、これは何もいまさらのように実験などすべき問題ではない。エサウ《*》 は焼き肉のために長《ちよう》子《し》権《けん》を抛《なげう》ち、保吉はパンのために教師になった。こういう事実を見れば足りることである。が、あの実験心理学者はなかなかこんなことぐらいでは研究心の満足を感ぜぬのであろう。それならば今日《きよう》生徒に教えた、De gustibus non est Disputandum《*》 である。蓼《たで》食《く》う虫も好き好きである。実験したければしてみるがいい。――保吉はそう思いながら、窓の下の乞食を眺《なが》めていた。
主計官はしばらく黙っていた。すると乞食は落ち着かなそうに、往来の前後を見まわし始めた。犬の真《ま》似《ね》をすることには格別異存はないにしても、さすがにあたりの人目だけは憚《はばか》っているのに違《ちが》いなかった。が、その目の定まらないうちに、主計官は窓の外へ赤い顔を出しながら、今度は何か振《ふ》って見せた。
「わんと言え。わんと言えばこれをやるぞ」
乞《こ》食《じき》の顔は一《いつ》瞬《しゆん》間《かん》、物《もの》欲《ほ》しさに燃え立つようだった。保吉は時々乞食というものにロマンティックな興味を感じていた。が、憐《れん》憫《びん》とか同情とかは一度も感じたことはなかった。もし感じたというものがあれば、ばかか〓《うそ》つきだとも信じていた。しかし今その子供の乞食が頸《くび》を少し反《そ》らせたまま、目を輝《かがや》かせているのを見ると、ちょいといじらしい心もちがした。ただしこの「ちょいと」というのは懸《か》け値《ね》のないちょいとである。保吉はいじらしいと思うよりも、むしろそういう乞食の姿にレンブラント風の効果を愛していた。
「言わんか? おい、わんと言うんだ」
乞食は顔をしかめるようにした。
「わん」
声はいかにもかすかだった。
「もっと大きく」
「わん。わん」
乞食はとうとう二声鳴いた。と思うと窓の外へネエベル・オレンジが一つ落ちた。――その先はもう書かずともいい。乞食はもちろんオレンジに飛びつき、主計官はもちろん笑ったのである。
それから一週間ばかりたったのち、保吉はまた月給日に主計部へ月給を貰《もら》いに行った。あの主計官は忙《いそが》しそうにあちらの帳《ちよう》簿《ぼ》を開いたり、こちらの書類を拡《ひろ》げたりしていた。それが彼の顔を見ると「俸《ほう》給《きゆう》ですね」一《ひと》言《こと》言った。彼も「そうです」と一言答えた。が、主計官は用が多いのか、容易に月給を渡《わた》さなかった。のみならずしまいには彼の前へ軍服の尻《しり》を向けたまま、いつまでも算盤《そろばん》を弾《はじ》いていた。
「主計官」
保吉はしばらく待たされたのち、懇《こん》願《がん》するようにこう言った。主計官は肩《かた》越《ご》しにこちらを向いた。その脣《くちびる》には明らかに「すぐです」という言葉が出かかっていた。しかし彼はそれよりも先に、ちゃんと仕上げをした言葉を継《つ》いだ。
「主計官。わんと言いましょうか? え、主計官」
保吉の信ずるところによれば、そう言った時の彼の声は天使よりも優《やさ》しいくらいだった。
西洋人
この学校へは西洋人が二人、会話や英作文を教えに来ていた。一人はタウンゼンドというイギリス人、もう一人はスタアレットというアメリカ人だった。
タウンゼンド氏は頭の禿《は》げた、日本語の旨《うま》い好《こう》々《こう》爺《や》だった。由《ゆ》来《らい》西洋人の教師というものはいかなる俗物にも関《かかわ》らずシェクスピイアとかゲエテとかを喋《ちよう》々《ちよう》してやまないものである。しかし幸いにタウンゼンド氏は文芸の文の字もわかったとは言わない。いつかウヮアズワアスの話が出たら、「詩というものは全然わからぬ。ウヮアズワアスなどもどこがよいのだろう」と言った。
保《やす》吉《きち》はこのタウンゼンド氏と同じ避《ひ》暑《しよ》地《ち》に住んでいたから、学校の往復にも同じ汽車に乗った。汽車はかれこれ三十分ばかりかかる。二人はその汽車の中にグラスゴオのパイプを啣《くわ》えながら、煙草《たばこ》の話だの学校の話だの幽《ゆう》霊《れい》の話だのを交《こう》換《かん》した。セオソフィスト《*》 たるタウンゼンド氏はハムレットに興味を持たないにしても、ハムレットの親父《おやじ》の幽霊には興味を持っていたからである。しかし魔術とか錬《れん》金《きん》術とか、occult sciences《*》 の話になると、氏は必ずもの悲しそうに頭とパイプとをいっしょに振《ふ》りながら、「神秘の扉は俗人の思うほど、開き難いものではない、むしろその恐しい所以《ゆえん》は容易に閉じ難いところにある。ああいうものには手を触《ふ》れぬがよい」と言った。
もう一人のスタアレット氏はずっと若い洒《しや》落《れ》者《もの》だった。冬は暗緑色のオオヴァ・コオトに赤い襟《えり》巻《まき》などを巻きつけて来た。この人はタウンゼンド氏に比べると、時々は新刊書も覗《のぞ》いて見るらしい。現に学校の英語会に「最近のアメリカの小説家」という大講演をやったこともある。もっともその講演によれば、最近のアメリカの大小説家はロバアト・ルイズ・スティヴンソン《*》 かオオ・ヘンリイだということだった!
スタアレット氏も同じ避暑地ではないが、やはり沿線のある町にいたから、汽車をともにすることはたびたびあった。保吉は氏とどんな話をしたか、ほとんど記《き》憶《おく》に残っていない。ただ一つ覚えているのは、待合室の煖《だん》炉《ろ》の前に汽車を待っていた時のことである。保吉はその時欠伸《あくび》まじりに、教師という職業の退《たい》屈《くつ》さを話した。すると縁《ふち》なしの眼鏡《めがね》をかけた、男ぶりのよいスタアレット氏はちょいと妙《みよう》な顔をしながら、「教師になるのは職業ではない。むしろ天職と呼ぶべきだと思う、You know, Socrates and Plato are two great teachers……etc.」と言った。
ロバアト・ルイズ・スティヴンソンはヤンキイでもなんでも差《さし》支《つか》えない。が、ソクラテスとプレトオをも教師だったなどと言うのは、――保吉は爾《じ》来《らい》スタアレット氏に慇《いん》懃《ぎん》なる友情を尽《つ》くすことにした。
午《ひる》休《やす》み ――或《ある》空想――
保《やす》吉《きち》は二階の食堂を出た。文《ぶん》官《かん》教官は午《ひる》飯《めし》ののちはたいてい隣《となり》の喫《きつ》煙《えん》室《しつ》へはいる。彼は今日《きよう》はそこへ行かずに、庭へ出る階段を降《くだ》ることにした。すると下から下《か》士《し》が一人、一飛びに階段を三段ずつ蝗《いなご》のように登って来た。それが彼の顔を見ると、突《とつ》然《ぜん》厳格に挙《きよ》手《しゆ》の礼をした。するが早いか一《ひと》躍《おど》りに保吉の頭を躍《おど》り越《こ》えた。彼は誰《だれ》もいない空間へちょいと会《え》釈《しやく》を返しながら、悠《ゆう》々《ゆう》と階段を降り続けた。
庭には槙《まき》や榧《かや》の間に、木《もく》蘭《れん》が花を開いている。木蘭はなぜか日の当たる南へせっかくの花を向けないらしい。が、辛夷《こぶし》は似ているくせに、きっと南へ花を向けている。保吉は巻《まき》煙草《たばこ》に火をつけながら、木《もく》蘭《れん》の個性を祝福した。そこへ石を落としたように、鶺《せき》鴒《れい》が一羽舞《ま》い下がって来た。鶺鴒も彼には疎《そ》遠《えん》ではない。あの小さい尻尾《しつぽ》を振《ふ》るのは彼を案内する信号である。
「こっち! こっち! そっちじゃありませんよ。こっち! こっち!」
彼は鶺鴒の言うなりしだいに、砂《じや》利《り》を敷いた小《こ》径《みち》を歩いて行った。が、鶺鴒はどう思ったか、突然また空へ躍り上がった。その代り脊《せ》の高い機関兵が一人、小径をこちらへ歩いて来た。保吉はこの機関兵の顔にどこか見覚えのある心もちがした。機関兵はやはり敬礼したのち、さっさと彼の側《そば》を通り抜《ぬ》けた。彼は煙草の煙《けむり》を吹《ふ》きながら、誰だったかしらと考え続けた。二歩、三歩、五歩、――十歩めに保吉は発見した。あれはポオル・ゴオギャンである。あるいはゴオギャンの転《てん》生《しよう》である。今にきっとシャヴルの代りに画《え》筆《ふで》を握《にぎ》るのに相《そう》違《い》ない。そのまたあげくに気違いの友だちに後ろからピストルを射かけられるのである。かわいそうだが、どうもしかたがない。
保吉はとうとう小径伝いに玄《げん》関《かん》の前の広場へ出た。そこには戦利品の大《たい》砲《ほう》が二門、松《まつ》や笹《ささ》の中に並《なら》んでいる。ちょいと砲《ほう》身《しん》に耳を当ててみたら、なんだか息の通る音がした。大砲も欠伸《あくび》をするかも知れない。彼は大砲の下に腰《こし》を下《おろ》した。それから二本めの巻煙草へ火をつけた。もう車《くるま》廻《まわ》しの砂《じや》利《り》の上には蜥蜴《とかげ》が一匹《ぴき》光っている。人間は足を切られたが最後、ふたたび足は製造できない。しかし蜥蜴は尻尾《しつぽ》を切られると、すぐにまた尻尾を製造する。保吉は煙草を啣《くわ》えたまま、蜥蜴はきっとラマルク《*》 よりもラマルキァン《*》 に違いないと思った。しばらく眺《なが》めていると、蜥蜴はいつか砂利に垂《た》れた一すじの重油に変わってしまった。
保吉はやっと立ち上がった。ペンキ塗《ぬ》りの校舎に沿いながら、もう一度庭を向こうへ抜けると、海に面する運動場へ出た。土の赤いテニス・コオトには武《ぶ》官《かん》教官が何人か、熱心に勝負を争っている。コオトの上の空間は絶えず何かを破《は》裂《れつ》させる。同時にネットの右や左へ薄《うす》白《じろ》い直線を迸《ほとばし》らせる。あれは球《たま》の飛ぶのではない。目に見えぬ三鞭酒《シヤンパン》を抜いているのである。そのまた三鞭酒《シヤンパン》をワイシャツの神々が旨《うま》そうに飲んでいるのである。保吉は神々を讃《さん》美《び》しながら、今度は校舎の裏庭へまわった。
裏庭には薔《ば》薇《ら》がたくさんある。もっとも花はまだ一輪もない。彼はそこを歩きながら、径《みち》へさし出た薔薇の枝に毛虫を一匹《ぴき》発見した。と思うとまた一匹、隣《となり》の葉の上にも這《は》っているのがあった。毛虫は互《たが》いに頷《うなず》き頷き、彼のことか何か話しているらしい。保吉はそっと立ち聞きすることにした。
第一の毛虫《*》 この教官はいつ蝶《ちよう》になるのだろう? 我々の曾《そ》曾《そ》曾《そ》祖《そ》父《ふ》の代から、地面の上ばかり這いまわっている。
第二の毛虫 人間は蝶にならないのかも知れない。
第一の毛虫 いや、なることはなるらしい。あすこにも現在飛んでいるから。
第二の毛虫 なるほど、飛んでいるのがある。しかしなんという醜《みにく》さだろう! 美意識さえ人間にはないとみえる。
保吉は額《ひたい》に手をかざしながら、頭の上へ来た飛行機を仰《あお》いだ。
そこに同《どう》僚《りよう》に化けた悪《あく》魔《ま》が一人、何か愉快そうに歩いて来た。昔は錬《れん》金《きん》術を教えた悪魔も今は生徒に応用化学を教えている。それがにやにや笑いながら、こう保吉に話しかけた。
「おい、今夜つき合わんか?」
保吉は悪魔の微《び》笑《しよう》の中にありありとファウスト《*》 の二行を感じた。――「いっさいの理論は灰色だが、緑なのは黄金《こがね》なす生活の樹《き》だ!」
彼は悪魔に別れたのち、校舎の中へ靴《くつ》を移した。教室は皆《みな》がらんとしている。通りすがりに覗《のぞ》いてみたら、ただある教室の黒板の上に幾《き》何《か》の図が一つ描《か》き忘れてあった。幾何の図は彼が覗いたのを知ると、消されると思ったのに違《ちが》いない。たちまち伸《の》びたり縮んだりしながら、「次の時間に入り用なのです」と言った。
保吉はもと降りた階段を登り、語学と数学との教官室へはいった。教官室には頭の禿《は》げたタウンゼンド氏のほかに誰もいない。しかもこの老教師は退《たい》屈《くつ》まぎれに口笛を吹《ふ》き吹き、一人ダンスを試みている。保吉はちょいと苦笑したまま、洗面台の前へ手を洗いに行った。その時ふと鏡を見ると、驚《おどろ》いたことにタウンゼンド氏はいつの間にか美少年に変わり、保吉自身は腰《こし》の曲がった白《はく》頭《とう》の老人に変わっていた。
恥《はじ》
保《やす》吉《きち》は教室へ出る前に、必ず教科書の下調べをした。それは月給を貰《もら》っているから、でたらめなことはできないという義務心によったばかりではない。教科書には学校の性質上海上用語がたくさん出て来る。それをちゃんと検《しら》べておかないと、とんでもない誤訳をやりかねない。たとえばCat's paw《*》 というから、猫の足かと思っていれば、そよ風だったりするたぐいである。
ある時彼は二年級の生徒に、やはり航海のことを書いた、なんとかいう小品を教えていた。それは恐《おそ》るべき悪文だった。マストに風が唸《うな》ったり、ハッチ《*》 へ波が打ちこんだりしても、その浪《なみ》なり風なりは少しも文字の上へ浮《う》かばなかった。彼は生徒に訳読をさせながら、彼自身先に退《たい》屈《くつ》し出した。こういう時ほど生徒を相手に、思想問題とか時事問題とかを弁じたい興味に駆《か》られることはない。元来教師というものは学科以外の何ものかを教えたがるものである。道徳、趣《しゆ》味《み》、人生観、――なんと名づけても差《さし》支《つか》えない。とにかく教科書や黒板よりも教師自身の心臓に近い何ものかを教えたがるものである。しかしあいにく生徒というものは学科以外の何ものをも教わりたがらないものである。いや、教わりたがらないのではない。絶対に教わることを嫌《けん》悪《お》するものである。保吉はそう信じていたから、この場合も退屈し切ったまま、訳読を進めるよりしかたなかった。
しかし生徒の訳読に一応耳を傾《かたむ》けた上、綿密に誤りを直したりするのは退屈しない時でさえ、かなり保吉には面《めん》倒《どう》だった。彼は一時間の授業時間を三十分ばかり過ごしたのち、とうとう訳読を中止させた。その代りに今度は彼自身一節ずつ読んでは訳し出した。教科書の中の航海は相変わらず退屈を極《きわ》めていた。同時にまた彼の教えぶりも負けずに退屈を極めていた。彼は無風帯を横ぎる帆《はん》船《せん》のように、動詞のテンス《*》 を見落としたり関係代名詞を間《ま》違《ちが》えたり、行き悩《なや》み行き悩み進んで行った。
そのうちにふと気がついて見ると、彼の下《した》検《しら》べをして来たところはもうたった四、五行しかなかった。そこを一つ通り越《こ》せば、海上用語の暗《あん》礁《しよう》に満ちた、油断のならない荒海だった。彼は横目で時《と》計《けい》を見た。時間は休みの喇《らつ》叭《ぱ》までにたっぷり二十分は残っていた。彼はできるだけていねいに、下検べのできている四、五行を訳した。が、訳してしまってみると、時計の針はその間にまだ三分しか動いていなかった。
保吉は絶体絶命になった。この場合唯《ゆい》一《いつ》の血路になるものは生徒の質問に応ずることだった。それでもまだ時間が余れば、早じまいを宣《せん》してしまうことだった。彼は教科書を置きながら、「質問は――」と口を切ろうとした。と、突《とつ》然《ぜん》まっ赤《か》になった。なぜそんなにまっ赤になったか?――それは彼自身にも説明できない。とにかく生徒を護《ご》摩《ま》かすくらいはなんとも思わぬはずの彼がその時だけはまっ赤になったのである。生徒はもちろん何も知らずにまじまじ彼の顔を眺《なが》めていた。彼はもう一度時計を見た。それから、――教科書を取り上げるが早いか、無《む》茶《ちや》苦《く》茶《ちや》に先を読み始めた。
教科書の中の航海はその後も退《たい》屈《くつ》なものだったかも知れない。しかし彼の教えぶりは、――保吉はいまだに確信している。タイフウン《*》 と闘《たたか》う帆《はん》船《せん》よりも、もっと壮《そう》烈《れつ》を極めたものだった。
勇ましい守《しゆ》衛《えい》
秋の末か冬の初めか、その辺の記《き》憶《おく》ははっきりしない。とにかく学校へ通うのにオオヴァ・コオトをひっかける時分だった。午《ひる》飯《めし》のテエブルについた時、ある若い武《ぶ》官《かん》教官が隣《となり》に坐《すわ》っている保《やす》吉《きち》にこういう最近の椿《ちん》事《じ》を話した。――つい二、三日前の深《しん》更《こう》、鉄《てつ》盗《ぬす》人《びと》が二、三人学校の裏手へ舟を着けた。それを発見した夜警中の守《しゆ》衛《えい》は単身彼らを逮《たい》捕《ほ》しようとした。ところが烈《はげ》しい格《かく》闘《とう》の末、あべこべに海へ抛《ほう》りこまれた。守衛は濡《ぬ》れ鼠《ねずみ》になりながら、やっと岸へ這《は》い上がった。が、もちろん盗人の舟はその間にもう沖《おき》の闇《やみ》へ姿を隠《かく》していたのである。
「大《おお》浦《うら》という守衛ですがね。ばかばかしい目に遇《あ》ったですよ」
武官はパンを頬《ほお》張《ば》ったなり、苦しそうに笑っていた。
大浦は保吉も知っていた。守衛は何人か交《こう》替《たい》に門側の詰《つ》め所《しよ》に控《ひか》えている。そうして武官と文官とを問わず、教官の出入《でい》りを見るたびに、挙《きよ》手《しゆ》の礼をすることになっている。保吉は敬礼されるのも敬礼に答えるのも好まなかったから、敬礼する暇《いとま》を与《あた》えぬように、詰め所の前を通る時は特に足を早めることにした。が、この大浦という守衛だけは容易に目つぶしを食わされない。第一詰め所に坐《すわ》ったまま、門の内《うち》外《そと》五、六間《けん》の距《きよ》離《り》へ絶えず目を注《そそ》いでいる。だから保吉の影《かげ》が見えると、またその前へ来ないうちに、ちゃんともう敬礼の姿勢をしている。こうなれば宿命と思うほかはない。保吉はとうとう観念した。いや、観念したばかりではない。このごろは大浦を見つけるが早いか、響尾《がらがら》蛇《へび》に狙《ねら》われた兎《うさぎ》のように、こちらから帽《ぼう》さえとっていたのである。
それが今聞けば盗《ぬす》人《びと》のために、海へ投げこまれたというのである。保吉はちょいと同情しながら、やはり笑わずにはいられなかった。
すると五、六日たってから、保吉は停《てい》車《しや》場《ば》の待合室に偶《ぐう》然《ぜん》大浦を発見した。大浦は彼の顔を見ると、そういう場所にも関《かかわ》らず、ぴたりと姿勢を正した上、相変わらず厳格に挙手の礼をした。保吉ははっきり彼の後ろに詰《つ》め所《しよ》の入り口が見えるような気がした。
「君はこの間――」
しばらく沈《ちん》黙《もく》が続いたのち、保吉はこう話しかけた。
「ええ、泥《どろ》坊《ぼう》を掴《つか》まえ損じまして、――」
「ひどい目に遇《あ》ったですね」
「幸い怪《け》我《が》はせずにすみましたが、――」
大浦は苦笑を浮《う》かべたまま、自ら嘲《あざけ》るように話し続けた。
「なに、無理にも掴まえようと思えば、一人ぐらいは掴まえられたのです。しかし掴まえてみたところが、それっきりの話ですし、――」
「それっきりというのは?」
「賞《しよう》与《よ》も何も貰《もら》えないのです。そういう場合、どうなるという明《めい》文《ぶん》は守衛規則にありませんから、――」
「職に殉《じゆん》じても?」
「職に殉じてでもです」
保吉はちょいと大浦を見た。大浦自身の言葉によれば、彼は必ずしも勇士のように、一死を賭《と》してかかったのではない。賞与を打算に加えた上、捉《とら》うべき盗人を逸《いつ》したのである。しかし――保吉は巻《まき》煙草《たばこ》をとり出しながら、できるだけ快活に頷《うなず》いて見せた。
「なるほどそれじゃばかばかしい。危険を冒《おか》すだけ損の訣《わけ》ですね」
大浦は「はあ」とかなんとか言った。そのくせ変に浮《う》かなそうだった。
「だが賞与さえ出るとなれば、――」
保吉はやや憂《ゆう》鬱《うつ》に言った。
「だが、賞与さえ出るとなれば、誰《だれ》でも危険を冒すかどうか?――そいつもまた少し疑問ですね」
大浦は今度は黙《だま》っていた。が、保吉が煙草を啣《くわ》えると、急に彼自身のマッチを擦《す》り、その火を保吉の前へ出した。保吉は赤あかと靡《なび》いた焔《ほのお》を煙草の先に移しながら、思わず口もとに動いた微《び》笑《しよう》を悟《さと》られないように噛《か》み殺した。
「ありがとう」
「いや、どうしまして」
大浦はさりげない言葉とともに、マッチの箱《はこ》をポケットへ返した。しかし保吉は今《こん》日《にち》もなおこの勇ましい守衛の秘密を看破《かんぱ》したことと信じている。あの一点のマッチの火は保吉のためにばかり擦られたのではない。実に大浦の武《ぶ》士《し》道《どう》を冥《めい》々《めい》の裡《うち》に照《しよう》覧《らん》し給《たも》う神々のために擦られたのである。
(大正十二年四月)
白
一
ある春の午《ひる》過《す》ぎです。白という犬は土を嗅《か》ぎ嗅ぎ、静かな往来を歩いていました。狭《せま》い往来の両側にはずっと芽《め》をふいた生《いけ》垣《がき》が続き、そのまた生垣の間にはちらほら桜《さくら》なども咲《さ》いています。白は生垣に沿いながら、ふとある横町へ曲《ま》がりました。が、そちらへ曲がったと思うと、さもびっくりしたように、突《とつ》然《ぜん》立ち止まってしまいました。
それも無理はありません。その横町の七、八間《けん》先には印《しるし》半《ばん》纏《てん》を着た犬殺しが一人、罠《わな》を後ろに隠《かく》したまま、一匹《ぴき》の黒犬を狙《ねら》っているのです。しかも黒犬は何も知らずに、犬殺しの投げてくれたパンか何かを食べているのです。けれども白が驚《おどろ》いたのはそのせいばかりではありません。見知らぬ犬ならばともかくも、今犬殺しに狙われているのはお隣《となり》の飼《か》い犬の黒なのです。毎朝顔を合わせるたびにお互《たが》いの鼻の匂《におい》を嗅ぎ合う、大の仲よしの黒なのです。
白は思わず大声に「黒君! あぶない!」と叫《さけ》ぼうとしました。が、その拍《ひよう》子《し》に犬殺しはじろりと白へ目をやりました。「教えてみろ! 貴《き》様《さま》から先へ罠にかけるぞ」――犬殺しの目にはありありとそういう嚇《おどか》しが浮《う》かんでいます。白はあまりの恐ろしさに、思わず吠《ほ》えるのを忘れました。いや、忘れたばかりではありません。一刻もじっとしてはいられぬほど、臆病風《おくびようかぜ》が立ち出したのです。白は犬殺しに目を配りながら、じりじりあとすざりを始めました。そうしてまた生《いけ》垣《がき》の蔭《かげ》に犬殺しの姿が隠《かく》れるが早いか、かわいそうな黒を残したまま、いちもくさんに逃《に》げ出しました。
そのとたんに罠《わな》が飛んだのでしょう。続けさまにけたたましい黒の鳴き声が聞こえました。しかし白は引き返すどころか、足を止めるけしきもありません。ぬかるみを飛び越《こ》え、石ころを蹴《け》散《ち》らし、往来どめの縄《なわ》を擦《す》り抜《ぬ》け、五《ご》味《み》ための箱《はこ》を引っくり返し、振《ふ》り向きもせずに逃げ続けました。ご覧なさい。坂を駈《か》けおりるのを! そら、自動車に轢《ひ》かれそうになりました! 白はもう命の助かりたさに夢《む》中《ちゆう》になっているのかも知れません。いや、白の耳の底にはいまだに黒の鳴き声が虻《あぶ》のように唸《うな》っているのです。
「きゃあん。きゃあん。助けてくれえ! きゃあん。きゃあん。助けてくれえ!」
二
白はやっと喘《あえ》ぎ喘ぎ、主人の家へ帰ってきました。黒《くろ》塀《べい》の下の犬くぐりを抜《ぬ》け、物置小屋を廻《まわ》りさえすれば、犬小屋のある裏庭です。白はほとんど風のように、裏庭の芝《しば》生《ふ》へ駈けこみました。もうここまで逃げて来れば、罠《わな》にかかる心配はありません。おまけに青あおした芝生には、幸いお嬢《じよう》さんや坊《ぼつ》ちゃんもボール投げをして遊んでいます。それを見た白のうれしさはなんと言えばいいのでしょう! 白は尻尾《しつぽ》を振りながら、一足飛びにそこへ飛んで行きました。
「お嬢《じよう》さん! 坊《ぼつ》ちゃん! 今日《きよう》は犬殺しに遇《あ》いましたよ」
白は二人を見上げると、息をつかずにこう言いました。(もっともお嬢さんや坊ちゃんには犬の言葉はわかりませんから、わんわんと聞こえるだけなのです)しかし今日はどうしたのか、お嬢さんも坊ちゃんもただあっけにとられたように、頭さえ撫《な》でてはくれません。白は不思議に思いながら、もう一度二人に話しかけました。
「お嬢さん! あなたは犬殺しをご存じですか? それは恐《おそ》ろしいやつですよ。坊ちゃん! わたしは助かりましたが、お隣《となり》の黒君は掴《つか》まりましたぜ」
それでもお嬢さんや坊ちゃんは顔を見合わせているばかりです。おまけに二人はしばらくすると、こんな妙《みよう》なことさえ言い出すのです。
「どこの犬でしょう? 春《はる》夫《お》さん」
「どこの犬だろう? 姉《ねえ》さん」
どこの犬? 今度は白のほうがあっけにとられました。(白にはお嬢さんや坊ちゃんの言葉もちゃんと聞きわけることができるのです。我々は犬の言葉がわからないものですから、犬もやはり我々の言葉はわからないように考えていますが、実際はそうではありません。犬が芸を覚えるのは我々の言葉がわかるからです。しかし我々は犬の言葉を聞きわけることができませんから、闇《やみ》の中を見通すことだの、かすかな匂《におい》を嗅《か》ぎ当てることだの、犬の教えてくれる芸は一つも覚えることができません)
「どこの犬とはどうしたのです? わたしですよ! 白ですよ!」
けれどもお嬢《じよう》さんは相変わらず気味悪そうに白を眺《なが》めています。
「お隣《となり》の黒の兄《きよう》弟《だい》かしら」
「黒の兄弟かも知れないね」坊ちゃんもバットをおもちゃにしながら、考え深そうに答えました。
「こいつも体《からだ》じゅうまっ黒だから」
白は急に背中の毛が逆《さか》立《だ》つように感じました。まっ黒! そんなはずはありません。白はまた子犬の時から、牛乳のように白かったのですから。しかし今前足を見ると、いや、――前足ばかりではありません。胸も、腹も、後《あと》足《あし》も、すらりと上品に延《の》びた尻尾《しつぽ》も、みんな鍋《なべ》底《そこ》のようにまっ黒なのです。まっ黒! まっ黒! 白は気でも違《ちが》ったように、飛び上がったり、跳《は》ね廻《まわ》ったりしながら、いっしょうけんめいに吠《ほ》えたてました。
「あら、どうしましょう? 春夫さん。この犬はきっと狂《きよう》犬《けん》だわよ」
お嬢さんはそこに立ちすくんだなり、今にも泣きそうな声を出しました。しかし坊ちゃんは勇《ゆう》敢《かん》です。白はたちまち左の肩《かた》をぽかりとバットに打たれました。と思うと二度めのバットも頭の上へ飛んで来ます。白はその下をくぐるが早いか、元来た方へ逃《に》げ出しました。けれども今度はさっきのように、一町《ちよう》も二町も逃げ出しはしません。芝《しば》生《ふ》のはずれには棕《しゆ》櫚《ろ》の木のかげに、クリイム色に塗《ぬ》った犬小屋があります。白は犬小屋の前へ来ると、小さい主人たちを振り返りました。
「お嬢さん! 坊ちゃん! わたしはあの白なのですよ。いくらまっ黒になっていても、やっぱりあの白なのですよ」
白の声はなんとも言われぬ悲しさと怒《いか》りとに震《ふる》えていました。けれどもお嬢《じよう》さんや坊《ぼつ》ちゃんにはそういう白の心もちも呑《の》みこめるはずはありません。現にお嬢さんは憎《にく》らしそうに、「まだあすこに吠《ほ》えているわ。ほんとうにずうずうしい野《の》良《ら》犬《いぬ》ね」などと、地《じ》だんだを踏《ふ》んでいるのです。坊ちゃんも、――坊ちゃんは小《こ》径《みち》の砂《じや》利《り》を拾うと、力いっぱい白へ投げつけました。
「畜《ちく》生《しよう》! まだぐずぐずしているな。これでもか? これでもか?」砂利は続けさまに飛んで来ました。中には白の耳のつけ根へ、血の滲《にじ》むくらい当たったのもあります。白はとうとう尻尾《しつぽ》を巻き、黒《くろ》塀《べい》の外へぬけ出しました。黒塀の外には春の日の光に銀の粉を浴びた紋《もん》白《しろ》蝶《ちよう》が一羽、気楽そうにひらひら飛んでいます。
「ああ、きょうから宿《やど》なし犬になるのか?」
白はため息を洩《も》らしたまま、しばらくはただ電柱の下にぼんやり空を眺《なが》めていました。
三
お嬢さんや坊ちゃんに逐《お》い出された白は東京じゅうをうろうろ歩きました。しかしどこへどうしても、忘れることのできないのはまっ黒になった姿のことです。白は客の顔を映している理《り》髪《はつ》店《てん》の鏡を恐《おそ》れました。雨上がりの空を映している往来の水たまりを恐れました。往来の若葉を映している飾《かざ》り窓の硝子《ガラス》を恐れました。いや、カフエのテエブルに黒ビイルを湛《たた》えているコップさえ、――けれどもそれが何になりましょう? あの自動車をご覧なさい。ええ、あの公園の外にとまった、大きい黒《くろ》塗《ぬ》りの自動車です。漆《うるし》を光らせた自動車の車体は今こちらへ歩いて来る白の姿を映しました。――はっきりと、鏡のように。白の姿を映すものはあの客待ちの自動車のように、到《いた》るところにある訣《わけ》なのです。もしあれを見たとすれば、どんなに白は恐《おそ》れるでしょう。それ、白の顔をご覧なさい。白は苦しそうに唸《うな》ったと思うと、たちまち公園の中へ駈《か》けこみました。
公園の中には鈴《すず》懸《かけ》の若葉にかすかな風が渡《わた》っています。白は頭を垂《た》れたなり、木々の間を歩いて行きました。ここには幸い池のほかには、姿を映すものも見当たりません。物音はただ白《しろ》薔《ば》薇《ら》に群がる蜂《はち》の声が聞こえるばかりです。白は平和な公園の空気に、しばらくは醜《みにく》い黒犬になった日ごろの悲しさも忘れていました。
しかしそういう幸福さえ五分と続いたかどうかわかりません。白はただ夢《ゆめ》のように、ベンチの並《なら》んでいる路《みち》ばたへ出ました。するとその路の曲がり角の向こうにけたたましい犬の声が起こったのです。
「きゃん。きゃん。助けてくれえ! きゃあん。きゃあん。助けてくれえ!」
白は思わず身《み》震《ぶる》いをしました。この声は白の心の中へ、あの恐ろしい黒の最後をもう一度はっきり浮《う》かばせたのです。白は目をつぶったまま、元来た方へ逃《に》げ出そうとしました。けれどもそれは言葉通り、ほんの一《いつ》瞬《しゆん》の間のことです。白は凄《すさま》じい唸《うな》り声を洩《も》らすと、きりりとまた振《ふ》り返りました。
「きゃあん。きゃあん。助けてくれえ! きゃあん。きゃあん。助けてくれえ!」
この声はまた白の耳にはこういう言葉にも聞こえるのです。
「きゃあん。きゃあん。臆《おく》病《びよう》ものになるな! きゃあん。臆病ものになるな!」
白は頭を低めるが早いか、声のする方へ駈《か》け出しました。
けれどもそこへ来てみると、白の目の前へ現われたのは犬殺しなどではありません。ただ学校の帰りらしい、洋服を着た子供が二、三人、頸《くび》のまわりへ縄《なわ》をつけた茶色の子犬を引きずりながら、何かわいわい騒《さわ》いでいるのです。子犬はいっしょうけんめいに引きずられまいともがきもがき、「助けてくれえ」と繰《く》り返していました。しかし子供たちはそんな声に耳を借《か》すけしきもありません。ただ笑ったり、怒《ど》鳴《な》ったり、あるいはまた子犬の腹を靴《くつ》で蹴《け》ったりするばかりです。
白は少しもためらわずに、子供たちを目がけて吠《ほ》えかかりました。不意を打たれた子供たちは驚《おどろ》いたの驚かないのではありません。また実際白の容《よう》子《す》は火のように燃えた眼の色といい、刃《は》物《もの》のようにむき出した牙《きば》の列といい、今にも噛《か》みつくかと思うくらい、恐《おそ》ろしいけんまくを見せているのです。子供たちは四方へ逃《に》げ散りました。中にはあまり狼《ろう》狽《ばい》したはずみに、路《みち》ばたの花《か》壇《だん》へ飛びこんだのもあります。白は二、三間《げん》追いかけたのち、くるりと子犬を振《ふ》り返ると、叱《しか》るようにこう声をかけました。
「さあ、おれといっしょに来い。お前の家《うち》まで送ってやるから」
白は元来た木々の間へ、まっしぐらにまた駈《か》けこみました。茶色の小犬もうれしそうに、ベンチをくぐり、薔《ば》薇《ら》を蹴《け》散《ち》らし、白に負けまいと走って来ます。まだ頸にぶら下がった、長い縄をひきずりながら。
× × ×
二、三時間たったのち、白は貧しいカフエの前に茶色の子犬と佇《たたず》んでいました。昼も薄《うす》暗《ぐら》いカフエの中にはもう赤あかと電《でん》灯《とう》がともり、音のかすれた蓄《ちく》音《おん》機《き》は浪花《なにわ》節《ぶし》か何かやっているようです。子犬は得意そうに尾《お》を振《ふ》りながら、こう白へ話しかけました。
「僕《ぼく》はここに住んでいるのです。この大《たい》正《しよう》軒《けん》というカフエの中に。――おじさんはどこに住んでいるのです?」
「おじさんかい?――おじさんはずっと遠い町にいる」
白は寂《さび》しそうにため息をしました。
「じゃもうおじさんは家《うち》へ帰ろう」
「まあお待ちなさい。おじさんのご主人はやかましいのですか?」
「ご主人? なぜまたそんなことを尋《たず》ねるのだい?」
「もしご主人がやかましくなければ、今夜はここに泊《と》まって行ってください。それから僕のお母《かあ》さんにも命拾いのお礼を言わせてください。僕の家《うち》には牛乳だの、カレー・ライスだの、ビフテキだの、いろいろなご馳《ち》走《そう》があるのです」
「ありがとう。ありがとう。だがおじさんは用があるから、ご馳走になるのはこの次にしよう。――じゃお前のお母さんによろしく」
白はちょいと空を見てから、静かに敷《しき》石《いし》の上を歩き出しました。空にはカフエの屋根のはずれに、三《み》日《か》月《づき》もそろそろ光り出しています。
「おじさん。おじさん。おじさんと言えば!」
子犬は悲しそうに鼻を鳴らしました。
「じゃ名前だけ聞かしてください。僕の名前はナポレオンと言うのです。ナポちゃんだのナポ公だのとも言われますけれども。――おじさんの名前はなんと言うのです?」
「おじさんの名前は白と言うのだよ」
「白――ですか? 白というのは不思議ですね。おじさんはどこも黒いじゃありませんか?」
白は胸がいっぱいになりました。
「それでも白と言うのだよ」
「じゃ白のおじさんと言いましょう。白のおじさん。ぜひまた近いうちに一度来てください」
「じゃナポ公、さよなら!」
「ご機《き》嫌《げん》よう、白のおじさん! さようなら、さようなら!」
四
そののちの白はどうなったか?――それはいちいち話さずとも、いろいろの新聞に伝えられています。おおかたどなたもご存じでしょう。たびたび危うい人命を救った、勇ましい一匹の黒犬のあるのを。また一時「義《ぎ》犬《けん》」という活動写真の流行したことを。あの黒犬こそ白だったのです。しかしまだ不幸にもご存じのないかたがあれば、どうか下《しも》に引用した新聞の記事を読んでください。
東京日日新聞。昨十八日(五月)午前八時四十分、奥《おう》羽《う》線《せん》上り急行列車が田《た》端《ばた》駅《えき》付近の踏《ふみ》切《きり》を通過する際、踏切番人の過失により、田端一二三会社員柴《しば》山《やま》鉄太郎の長男実《さね》彦《ひこ》(四歳)が列車の通る線路内に立ち入り、危うく轢《れき》死《し》を遂《と》げようとした。その時逞《たくま》しい黒犬が一匹《ぴき》、稲《いな》妻《ずま》のように踏切へ飛びこみ、目前に迫った列車の車輪から、みごとに実彦を救《すく》い出した。この勇《ゆう》敢《かん》なる黒犬は人々の立ち騒《さわ》いでいる間にどこかへ姿を隠《かく》したため、表《ひよう》彰《しよう》したいにもすることができず、当局は大いに困っている。
東京朝日新聞。軽《かる》井《い》沢《ざわ》に避《ひ》暑《しよ》中のアメリカ富《ふ》豪《ごう》エドワアド・バアクレエ氏の夫人はペルシア産の猫《ねこ》を寵《ちよう》愛《あい》している。すると最近同氏の別《べつ》荘《そう》へ七尺《しやく》余りの大《だい》蛇《じや》が現われ、ヴェランダにいる猫を呑《の》もうとした。そこへ見慣れぬ黒犬が一匹、突《とつ》然《ぜん》猫を救いに駈《か》けつけ、二十分に亘《わた》る奮《ふん》闘《とう》ののち、とうとうその大蛇を噛《か》み殺《ころ》した。しかしこのけなげな犬はどこかへ姿を隠したため、夫人は五千弗《ドル》の賞金を懸《か》け、犬の行方《ゆくえ》を求めている。
国民新聞。日本アルプス横断中、一時行方不明になった第一高等学校の生徒三名は七日《なのか》(八月)上《かみ》高《こう》地《ち》の温泉へ着した。一行は穂《ほ》高《たか》山《やま》と槍《やり》が岳《たけ》との間に途《みち》を失い、かつ過日の暴風雨に天幕《テント》糧《りよう》食《しよく》等を奪《うば》われたため、ほとんど死を覚《かく》悟《ご》していた。しかるにどこからか黒犬が一匹、一行のさまよっていた渓《けい》谷《こく》に現われ、あたかも案内をするように、先へ立って歩き出した。一行はこの犬のあとに従い、一日余り歩いたのち、やっと上高地へ着することができた。しかし犬は目の下に温泉宿の屋根が見えると、一声うれしそうに吠えたきり、もう一度もと来た熊《くま》笹《ざさ》の中へ姿を隠してしまったと言う。一行は皆《みな》この犬が来たのは神《しん》明《めい》の加《か》護《ご》だと信じている。
時事新報。十三日(九月)名古屋市の大火は焼死者十余名に及《およ》んだが、横《よこ》関《ぜき》名古屋市長なども愛児を失おうとした一人である。 令《れい》息《そく》武《たけ》矩《のり》(三歳)はいかなる家族の手落ちからか、猛《もう》火《か》の中の二階に残され、すでに灰《かい》燼《じん》となろうとしたところを、一匹《ぴき》の黒犬のために啣《くわ》え出《だ》された。市長は今後名古屋市に限り、野《や》犬《けん》撲《ぼく》殺《さつ》を禁ずると言っている。
読売新聞。小《お》田《だ》原《わら》町《まち》城内公園に連日の人気を集めていた宮《みや》城《ぎ》巡回動物園のシベリヤ産大《おお》狼《おおかみ》は二十五日(十月)午後二時ごろ、突《とつ》然《ぜん》巖《がん》乗《じよう》な檻《おり》を破り、木《き》戸《ど》番《ばん》二名を負傷させたのち、箱《はこ》根《ね》方面へ逸《いつ》走《そう》した。小田原署はそのために非常動員を行ない、全町に亘《わた》る警《けい》戒《かい》線を布《し》いた。すると午後四時半ごろ右の狼は十《じゆう》字《じ》町《まち》に現われ、一匹の黒犬と噛《か》み合いを初《はじ》めた。黒犬は悪戦すこぶる努《つと》め、ついに敵を噛み伏《ふ》せるに至った。そこへ警戒中の巡査も駈《か》けつけ、直ちに狼を銃《じゆう》殺《さつ》した。この狼はルプス・ジガンティクスと称し、最も兇《きよう》猛《もう》な種族であるという。なお宮城動物園主は狼の銃殺を不当とし、小田原署長を相手どった告《こく》訴《そ》を起こすといきまいている。等、等、等。
五
ある秋の真夜中です。体《からだ》も心も疲《つか》れ切った白は主人の家へ帰って来ました。もちろんお嬢《じよう》さんや坊《ぼつ》ちゃんはとうに床《とこ》へはいっています。いや、今は誰《だれ》一人《ひとり》起きているものもありますまい。ひっそりした裏庭の芝《しば》生《ふ》の上にも、ただ高い棕《しゆ》櫚《ろ》の木の梢《こずえ》に白い月が一輪浮《う》かんでいるだけです。白は昔《むかし》の犬小屋の前に、露《つゆ》に濡《ぬ》れた体を休めました。それから寂《さび》しい月を相手に、こういう独語《ひとりごと》を始めました。
「お月様! お月様! わたしは黒君を見殺しにしました。わたしの体のまっ黒になったのも、おおかたそのせいかと思っています。しかしわたしはお嬢《じよう》さんや坊ちゃんにお別れ申してから、あらゆる危険と戦って来ました。それは一つには何かの拍《ひよう》子《し》に煤《すす》よりも黒い体を見ると、臆《おく》病《びよう》を恥《は》じる気が起こったからです。けれどもしまいには黒いのがいやさに、――この黒いわたしを殺したさに、あるいは火の中へ飛びこんだり、あるいはまた狼《おおかみ》と戦ったりしました。が、不思議にもわたしの命はどんな強敵にも奪《うば》われません。死もわたしの顔を見ると、どこかへ逃《に》げ去ってしまうのです。わたしはとうとう苦しさのあまり、自殺しようと決心しました。ただ自殺をするにつけても、ただ一目会いたいのはかわいがってくだすったご主人です。もちろんお嬢さんや坊ちゃんはあしたにもわたしの姿を見ると、きっとまた野《の》良《ら》犬《いぬ》と思うでしょう。ことによれば坊ちゃんのバットに打ち殺されてしまうかも知れません。しかしそれでも本《ほん》望《もう》です。お月様! お月様! わたしはご主人の顔を見るほかに、何も願うことはありません。そのため今夜ははるばるともう一度ここへ帰って来ました。どうか夜の明けしだい、お嬢さんや坊ちゃんに会わしてください」
白は独語を言い終わると、芝生に〓《あご》をさしのべたなり、いつかぐっすり寝《ね》入《い》ってしまいました。
× × ×
「驚《おどろ》いたわねえ、春《はる》夫《お》さん」
「どうしたんだろう? 姉《ねえ》さん」
白は小さい主人の声に、はっきりと目を開きました。見ればお嬢《じよう》さんや坊《ぼつ》ちゃんは犬小屋の前に佇《たたず》んだまま、不思議そうに顔を見合わせています。白は一度挙《あ》げた目をまた芝生の上へ伏《ふ》せてしまいました。お嬢さんや坊ちゃんは白がまっ黒に変わった時に、やはり今のように驚いたものです。あの時の悲しさを考えると、――白は今では帰って来たことを後《こう》悔《かい》する気さえ起こりました。するとそのとたんです。坊ちゃんは突《とつ》然《ぜん》飛び上がると、大声にこう叫《さけ》びました。
「お父《とう》さん! お母《かあ》さん! 白がまた帰って来ましたよ!」
白が! 白は思わず飛び起きました。すると逃《に》げるとでも思ったのでしょう。お嬢さんは両手を延《の》ばしながら、しっかり白の頸《くび》を押《おさ》えました。同時に白はお嬢さんの目へ、じっと彼の目を移しました。お嬢さんの目には黒い瞳《ひとみ》にありありと犬小屋が映っています。高い棕《しゆ》櫚《ろ》の木のかげになったクリイム色の犬小屋が、――そんなことは当然に違《ちが》いありません。しかしその犬小屋の前には米《こめ》粒《つぶ》ほどの小ささに、白い犬が一匹《ぴき》坐《すわ》っているのです。清らかに、ほっそりと。――白はただ恍惚《こうこつ》とこの犬の姿に見入りました。
「あら、白は泣いているわよ」
お嬢さんは白を抱《だ》きしめたまま、坊ちゃんの顔を見上げました。坊ちゃんは――ご覧なさい、坊ちゃんの威《い》張《ば》っているのを!
「へっ、姉《ねえ》さんだって泣いているくせに!」
(大正十二年七月)
子供の病気
――一《いち》游《ゆ》亭《てい*》 に――
夏《なつ》目《め》先生は書の幅《ふく》を見ると、独語《ひとりごと》のように「旭《きよく》窓《そう》だね」と言った。落《らつ》款《かん》はなるほど旭《きよく》窓《そう》外《がい》史《し*》 だった。自分は先生にこう言った。「旭窓は淡《たん》窓《そう*》 の孫でしょう。淡窓の子はなんと言いましたかしら?」先生は即座に「夢《む》窓《そう》だろう」と答えた。
――すると急に目がさめた。蚊帳《かや》の中には次の間《ま》にともした電灯の光がさしこんでいた。妻は二つになる男の子《*》 のおむつを取り換《か》えているらしかった。子供はもちろん泣きつづけていた。自分はそちらに背を向けながら、もう一度眠《ねむ》りにはいろうとした。すると妻がこう言った。
「いやよ。多《た》加《か》ちゃん。また病気になっちゃあ」自分は妻に声をかけた。「どうかしたのか?」「ええ、お腹《なか》が少し悪いようなんです」この子供は長男に比べると、何かに病気をしがちだった。それだけに不安も感じれば、反対にまた馴《な》れっこのように等閑《なおざり》にする気味もないではなかった。「あした、Sさんに見ていただけよ」「ええ、今夜見ていただこうと思ったんですけれども」自分は子供の泣きやんだのち、もとのようにぐっすり寝《ね》入《い》ってしまった。
翌朝目をさました時にも夢《ゆめ》のことははっきり覚えていた。淡窓は広《ひろ》瀬《せ》淡窓の気だった。しかし旭窓だの夢窓だのというのは全然架《か》空《くう》の人物らしかった。そういえば確か講《こう》釈《しやく》師《し》に南《なん》窓《そう》というのがあったなどと思った。しかし子供の病気のことはあまり心にもかからなかった。それが多少気になり出したのはSさんから帰って来た妻の言葉を聞いた時だった。「やっぱり消化不良ですって。先生ものちほどいらっしゃいますって」妻は子供を横《よこ》抱《だ》きにしたまま、怒《おこ》ったようにものを言った。「熱は?」「七度六分ばかり、――ゆうべはちっともなかったんですけれども」自分は二階の書《しよ》斎《さい》へこもり、毎日の仕事にとりかかった。仕事は相変わらず捗《はか》どらなかった。が、それは必ずしも子供の病気のせいばかりではなかった。そのうちに、庭木を鳴らしながら、蒸《むし》暑《あつ》い雨が降り出した。自分は書きかけの小説を前に、何本も敷《しき》島《しま》へ火を移した。
Sさんは午前に一度、日の暮れに一度診《しん》察《さつ》に見えた。日の暮れには多《た》加《か》志《し》の洗《せん》腸《ちよう》をした。多加志は洗腸されなから、まじまじ電灯の火を眺《なが》めていた。洗腸の液はしばらくすると、淡《うす》黒《ぐろ》い粘《ねん》液《えき》をさらい出した。自分は病を見たように感じた。「どうでしょう? 先生」「なに、たいしたことはありません。ただ氷を絶やさずに十分頭を冷やしてください。――ああ、それからあまりおあやしにならんように」先生はそう言って帰って行った。
自分は夜も仕事をつづけ、一時ごろやっと床《とこ》へはいった。その前に後《こう》架《か》から出て来ると、誰《だれ》かまっ暗な台所に、こつこつ音をさせているものがあった。「誰?」「わたしだよ」返事をしたのは母の声だった。「何をしているんです?」「氷を壊《こわ》しているんだよ」自分は迂《う》闊《かつ》を恥《は》じながら、「電灯をつければいいのに」と言った。「だいじょうぶだよ。手《て》探《さぐ》りでも」自分はかまわずに電灯をつけた。細帯一つになった母は無《ぶ》器《き》用《よう》に金《かな》槌《づち》を使っていた。その姿はなんだか家庭に見るには、あまりにみすぼらしい気のするものだった。氷も水に洗われた角《かど》には、きらりと電灯の光を反射していた。
けれども翌朝の多加志の熱は九度よりも少し高いくらいだった。Sさんはまた午前中に見え、ゆうべの洗《せん》腸《ちよう》を繰《く》り返した。自分はその手伝いをしながら、きょうは粘《ねん》液《えき》の少ないようにと思った。しかし便器をぬいてみると、粘液はゆうべよりもずっと多かった。それを見た妻は誰にともなしに、「あんなにあります」と声を挙《あ》げた。その声は年の七つも若い女学生になったかと思うくらい、はしたない調子を帯びたものだった。自分は思わずSさんの顔を見た。「疫《えき》痢《り》ではないでしょうか?」「いや、疫痢じゃありません。疫痢は乳《ち》離《ばな》れをしないうちには、――」Sさんは案外落ち着いていた。
自分はSさんの帰ったのち、毎日の仕事にとりかかった。それは「サンデー毎日」の特別号に載《の》せる小説だった。しかも原《げん》稿《こう》の締《しめ》切《き》りはあしたの朝に迫《せま》っていた。自分は気乗りのしないのを、無理にペンだけ動かしつづけた。けれども多加志の泣き声はとかく神経にさわりがちだった。のみならず多加志が泣きやんだと思うと、今度は二つ年上の比《ひ》呂《ろ》志《し》も思い切り、大声に泣き出したりした。
神経にさわることはそればかりではなかった。午後には見知らない青年が一人、金の工《く》面《めん》を頼《たの》みに来た。「僕《ぼく》は筋肉労働者ですが、C先生から先生に紹介状を貰《もら》いましたから」青年は無《ぶ》骨《こつ》そうにこう言った。自分は現在蟇《がま》口《ぐち》に二、三円しかなかったから、不用の書物を二冊渡《わた》し、これを金に換《か》え給《たま》えと言った。青年は書物を受け取ると、丹《たん》念《ねん》に奥《おく》付《づけ》を検《しら》べ出した。「この本は非《ひ》売《ばい》品《ひん》と書いてありますね。非売品でも金になりますか?」自分は情けない心もちになった。が、とにかく売れるはずだと答えた。「そうですか? じゃ失敬します」青年はただ疑わしそうに、ありがとうともなんとも言わずに帰って行った。
Sさんは日の暮《く》れにも洗《せん》腸《ちよう》をした。今度は粘液もずっと減っていた。「ああ、今晩は少のうございますね」手洗いの湯をすすめに来た母はほとんど手《て》柄《がら》顔《がお》にこう言った。自分も安心をしなかったにしろ、安心に近い寛《くつろ》ぎを感じた。それには粘液の多少のほかにも、多加志の顔色や挙動などのふだんに変わらないせいもあったのだった。「あしたは多分熱が下がるでしょう。幸い吐《は》き気《け》も来ないようですから」Sさんは母に答えながら、満足そうに手を洗っていた。
翌朝自分の眼《め》をさました時、伯母《おば》はもう次の間に自分の蚊帳《かや》を畳《たた》んでいた。それが蚊帳の環《かん》を鳴らしながら、「多加ちゃんが」なんとか言ったらしかった。まだ頭のぼんやりしていた自分は「多加志が?」といいかげんに問い返した。「多加ちゃんが悪いんだよ。入院させなければならないんだとさ」自分は床《とこ》の上に起き直った。きのうのきょうだけに意外な気がした。
「Sさんは?」「先生ももう来ていらっしゃるんだよ、さあさあ、早くお起きなさい」伯母は感情を隠《かく》すように、妙《みよう》にかたくなな顔をしていた。自分はすぐに顔を洗いに行った。相変わらず雲のかぶさった、気《き》色《しよく》の悪い天気だった。風《ふ》呂《ろ》場《ば》の手《て》桶《おけ》には山《やま》百合《ゆり》が二本、むぞうさにただ抛《ほう》りこんであった。なんだかその匂《におい》や褐《かつ》色《しよく》の花粉がべたべた皮《ひ》膚《ふ》にくっつきそうな気がした。
多加志はたった一晩のうちに、すっかり眼が窪《くぼ》んでいた。今朝《けさ》妻が抱《だ》き起こそうとすると、頭を仰《あお》向《む》けに垂《た》らしたまま、白い物を吐いたとかいうことだった。欠伸《あくび》ばかりしているのもいけないらしかった。自分は急にいじらしい気がした。同時にまた無《ぶ》気《き》味《み》な心もちもした。Sさんは子供の枕《まくら》もとに黙《もく》然《ねん》と敷《しき》島《しま》を啣《くわ》えていた。それが自分の顔を見ると、「ちとお話したいことがありますから」と言った。自分はSさんを二階に招《しよう》じ、火のない火《ひ》鉢《ばち》をさし挟《はさ》んで坐《すわ》った。「生命に危険はないと思いますが」Sさんはそう口を切った。多加志はSさんの言葉によれば、すっかり腸《ちよう》胃《い》を壊《こわ》していた。この上はただ二、三日の間、断《だん》食《じき》をさせるほかにしかたはなかった。「それには入院おさせになったほうが便利ではないかと思うんです」自分は多加志の容体《ようだい》はSさんの言っているよりも、ずっと危ういのではないかと思った。あるいはもう入院させても、手《て》遅《おく》れなのではないかとも思った。しかしもとよりそんなことにこだわっているべき場合ではなかった。自分はさっそくSさんに入院の運びを願うことにした。「じゃU病院にしましょう。近いだけでも便利ですから」Sさんはすすめられた茶も飲まずに、U病院へ電話をかけに行った。自分はその間に妻を呼び、伯母《おば》にも病院へ行ってもらうことにした。
その日は客に会う日だった。客は朝から四人ばかりあった。自分は客と話しながら、入院の支《し》度《たく》を急いでいる妻や伯母を意識していた。すると何か舌の先に、砂《すな》粒《つぶ》に似たものを感じ出した。自分はこのごろ齲《むし》歯《ば》につめたセメントがとれたのではないかと思った。けれども指先に出して見ると、ほんとうの歯の欠けたのだった。自分は少し迷信的になった。しかし客とは煙草《たばこ》をのみのみ、売り物に出たとか噂《うわさ》のある抱《ほう》一《いつ*》 の三《しや》味《み》線《せん》の話などをしていた。
そこへまた筋肉労働者と称する昨日《きのう》の青年も面会に来た。青年は玄《げん》関《かん》に立ったまま、昨日貰《もら》った二冊の本は一円二十銭にしかならなかったから、もう四、五円くれないかという掛《か》け合いをはじめた。のみならずいかに断わっても、容易に帰るけしきを見せなかった。自分はとうとう落ち着きを失い、「そんなことを聞いている時間はない。帰ってもらおう」と怒《ど》鳴《な》りつけた。青年はまだ不服そうに、「じゃ電車賃だけください。五十銭貰《もら》えばいいんです」などと、さもしいことを並《なら》べていた。が、その手も利《き》かないのを見ると、手《て》荒《あら》に玄関の格《こう》子《し》戸《ど》をしめ、やっと門外に退散した。自分はこの時こういう寄付には今後断然応ずまいと思った。
四人の客は五人になった。五人めの客は年の若いフランス文学の研究者だった。自分はこの客と入れ違《ちが》いに、茶の間の容《ひよう》子《す》を窺《うかが》いに行った。するともう支《し》度《たく》のできた伯母《おば》は着《き》肥《ぶと》った子供を抱《だ》きながら、縁《えん》側《がわ》をあちこち歩いていた。自分は色の悪い多加志の額《ひたい》へ、そっと脣《くちびる》を押《お》しつけてみた。額はかなり火《ほ》照《て》っていた。しおむきもぴくぴく動いていた。「車は?」自分は小声にほかのことを言った。「車? 車はもう来ています」伯母はなぜか他人のように、ていねいな言葉を使っていた。そこへ着物を更《あらた》めた妻も羽《は》根《ね》布《ぶ》団《とん》やバスケットを運んで来た。「では行って参ります」妻は自分の前へ両手をつき、妙《みよう》にまじめな声を出した。自分はただ多加志の帽《ぼう》子《し》を新しいやつに換《か》えてやれと言った。それはつい四、五日前、自分の買って来た夏帽子だった。「もう新しいのに換えておきました」妻はそう答えたのち、箪《たん》笥《す》の上の鏡を覗《のぞ》き、ちょいと襟《えり》もとを掻《か》き合わせた。自分は彼らを見送らずに、もう一度二階へ引き返した。
自分は新たに来た客とジョルジュ・サンドの話などをしていた。その時庭木の若葉の間に二つの車の幌《ほろ》が見えた。幌は垣《かき》の上にゆらめきながら、たちまち目の前を通り過ぎた。「いったい十九世紀の前半の作家はバルザックにしろサンドにしろ、後半の作家《*》 よりは偉《えら》いですね」客は――自分ははっきり覚えている。客は熱心にこう言っていた。
午後にも客は絶えなかった。自分はやっと日の暮《く》れに病院へ出かける時間を得た。曇《どん》天《てん》はいつか雨になっていた。自分は着物を着《き》換《が》えながら、女中に足《あし》駄《だ》を出すようにと言った。そこへ大阪のN君が原《げん》稿《こう》を貰《もら》いに顔を出した。N君は泥《どろ》まみれの長《なが》靴《ぐつ》をはき、外《がい》套《とう》に雨の痕《あと》を光らせていた。自分は玄《げん》関《かん》に出《で》迎《むか》えたまま、これこれの事情のあったために、何も書けなかったという断わりを述べた。N君は自分に同情した。「じゃ今度はあきらめます」とも言った。自分はなんだかN君の同情を強《し》いたような心もちがした。同時に体《てい》のいい口実に瀕《ひん》死《し》の子供を使ったような気がした。
N君の帰ったか帰らないのに、伯母《おば》も病院から帰って来た。多加志は伯母の話によれば、その後も二度ばかり乳《ちち》を吐《は》いた。しかし幸い脳にだけは異状も来ずにいるらしかった。伯母はまたこのほかに看護婦は気立てのよさそうなこと、今夜は病院へ妻の母が泊《と》まりに来てくれることなどを話した。「多加ちゃんがあすこへはいるとすぐに、日曜学校の生徒からだって、花を一束《たば》貰ったでしょう。さあ、お花だけにいやな気がしてね」そんなことも話していた。自分はけさ話をしているうちに、歯の欠けたことを思い出した。が、なんとも言わなかった。
家を出た時はまっ暗だった。その中に細かい雨が降っていた。自分は門を出ると同時に、日和《ひより》下《げ》駄《た》をはいているのに心づいた。しかもその日和下駄は左の前鼻《はな》緒《お》がゆるんでいた。自分はなんだかこの鼻緒が切れると、子供の命も終わりそうな気がした。しかしはき換《か》えに帰るのはとうてい苛《いら》立《だ》たしさに堪《た》えなかった。自分は足駄を出さなかった女中の愚《ぐ》を怒《おこ》りながら、うっかり下駄を踏《ふ》み返さないように、気をつけ気をつけ歩いて行った。
病院へ着いたのは九時過ぎだった。なるほど多加志の病室の外には姫《ひめ》百合《ゆり》や撫子《なでしこ》が五、六本、洗面器の水に浸《ひた》されていた。病室の中の電灯の玉に風《ふ》呂《ろ》敷《しき》か何か懸《かか》っていたから、顔も見えないほど薄《うす》暗《くら》かった。そこに妻や妻の母は多加志を中に挟《はさ》んだまま、帯を解かずに横になっていた。多加志は妻の母の腕《うで》を枕《まくら》に、すやすや寝《ね》入《い》っているらしかった。妻は自分の来たのを知ると一人だけ布団の上に坐《すわ》り、小声に「どうもご苦労さま」と言った。妻の母もやはり同じことを言った。それは予期していたよりも、気軽い調子を帯びたものだった。自分は幾《いく》分《ぶん》かほっとした気になり、彼らの枕もとに腰《こし》を下《おろ》した。妻は乳《ちち》を飲ませられぬために、多加志は泣くし、乳は張るし、二重に苦しい思いをすると言った。「とてもゴムの乳っ首ぐらいじゃ駄《だ》目《め》なんですもの。しまいには舌を吸わせましたわ」「今はわたしの乳を飲んでいるんですよ」妻の母は笑いながら、萎《しな》びた乳首を出して見せた。「いっしょうけんめいに吸うんでね、こんなにまっ赤になってしまった」自分もいつか笑っていた。「しかし存外よさそうですね。僕《ぼく》はもう今ごろは絶望かと思った」「多加ちゃん? 多加ちゃんはもうだいじょうぶですとも。なあに、ただのお腹《なか》下《くだ》しなんですよ。あしたはきっと熱が下がりますよ」「御《お》祖《そ》師《し》様《さま》のご利《り》益《やく》ででしょう?」妻は母をひやかした。しかし法《ほ》華《け》経《きよう》信者の母は妻の言葉も聞こえないように、悪い熱をさますつもりか、いっしょうけんめいに口を尖《とが》らせ、ふうふう多加志の頭を吹《ふ》いた。――
× × ×
多加志はやっと死なずにすんだ。自分は彼の小《しよう》康《こう》を得た時、入院前後の消息を小品にしたいと思ったことがある。けれどもうっかりそういうものを作ると、また病気がぶり返しそうな、迷信じみた心もちがした。そのためにとうとう書かずにしまった。今は多加志も庭木に吊《つ》ったハンモックの中に眠《ねむ》っている。自分は原《げん》稿《こう》を頼《たの》まれたのを機会に、とりあえずこの話を書いてみることにした。読者にはむしろ迷《めい》惑《わく》かも知れない。
(大正十二年七月)
お時《じ》儀《ぎ》
保《やす》吉《きち》は三十になったばかりである。その上あらゆる売《ばい》文《ぶん》業者のように、めまぐるしい生活を営んでいる。だから「明《みよう》日《にち》」は考えても「昨《さく》日《じつ》」はめったに考えない。しかし往来を歩いていたり、原《げん》稿《こう》用紙に向かっていたり、電車に乗っていたりする間にふと過《か》去《こ》の一情景を鮮《あざ》やかに思い浮《う》かべることがある。それは従来の経験によると、たいてい嗅《きゆう》覚《かく》の刺《し》戟《げき》から聯《れん》想《そう》を生ずる結果らしい。そのまた嗅覚の刺戟なるものも都会に住んでいる悲しさには悪《あく》臭《しゆう》と呼ばれる匂《におい》ばかりである。たとえば汽車の煤《ばい》煙《えん》の匂は何《なん》人《びと》も嗅《か》ぎたいと思うはずがない。けれどもあるお嬢さんの記憶、……五、六年前に顔を合わせたあるお嬢《じよう》さんの記《き》憶《おく》などはあの匂を嗅ぎさえすれば、煙《えん》突《とつ》から迸《ほとばし》る火花のようにたちまちよみがえって来るのである。
このお嬢さんに遇《あ》ったのはある避《ひ》暑《しよ》地《ち》の停《てい》車《しや》場《ば》である。あるいはもっと厳密に言えば、あの停車場のプラットフォオムである。当時その避暑地に住んでいた彼は、雨が降っても、風が吹《ふ》いても、午前は八時発の下り列車に乗り、午後は四時二十分着の上り列車を降りるのを常としていた。なぜまた毎日汽車に乗ったかと言えば、――そんなことはなんでも差《さし》支《つか》えない。しかし毎日汽車になど乗れば、一ダズンぐらいの顔《かお》馴《な》染《じ》みはたちまちのうちにできてしまう。お嬢さんもそのうちの一人である。けれども午後には七《なな》草《くさ》から三月の二十同日かまで、一度も遇《あ》ったという記憶はない。午前もお嬢《じよう》さんの乗る汽車は保吉には縁《えん》のない上り列車である。
お嬢さんは十六か十七であろう。いつも銀《ぎん》鼠《ねずみ》の洋服に銀鼠の帽《ぼう》子《し》をかぶっている。脊《せ》はむしろ低いほうかも知れない。けれども見たところはすらりとしている。ことに脚《あし》は、――やはり銀鼠の靴《くつ》下《した》に踵《かかと》の高い靴をはいた脚は鹿《しか》の脚のようにすらりとしている。顔は美人というほどではない。しかし、――保吉はまだ東西を論ぜず、近代の小説の女《じよ》主《しゆ》人《じん》公《こう》に無条件の美人を見たことはない。作者は女性の描《びよう》写《しや》になると、たいてい「彼女は美人ではない。しかし……」とかなんとか断わっている。按《あん》ずるに無条件の美人を認めるのは近代人の面目に関《かかわ》るらしい。だから保吉もこのお嬢さんに「しかし」という条件を加えるのである。――念のためにもう一度繰《く》り返すと、顔は美人というほどではない。しかしちょいと鼻の先の上がった、愛《あい》敬《きよう》の多い円《まる》顔《がお》である。
お嬢さんは騒《さわ》がしい人ごみの中にぼんやり立っていることがある。人ごみを離《はな》れたベンチの上に雑誌などを読んでいることがある。あるいはまた長いプラットフォオムの縁《へり》をぶらぶら歩いていることもある。
保吉はお嬢さんの姿を見ても、恋《れん》愛《あい》小説に書いてあるような動《どう》悸《き》などの高ぶった覚えはない。ただやはり顔《かお》馴《な》染《じ》みの鎮《ちん》守《じゆ》府《ふ*》 司《し》令《れい》長《ちよう》官《かん》や売店の猫《ねこ》を見た時の通り、「いるな」と考えるばかりである。しかしとにかく顔馴染みに対する親しみだけは抱《いだ》いていた。だから時たまプラットフォオムにお嬢さんの姿を見ないことがあると、何か失望に似たものを感じた。何か失望に似たものを、――それさえ痛切には感じた訣《わけ》ではない。保吉は現に売店の猫《ねこ》が二、三日行くえを晦《くら》ました時にも、全然変わりのない寂《さび》しさを感じた。もし鎮守府司令長官も頓《とん》死《し》か何か遂《と》げたとすれば、――この場合はいささか疑問かも知れない。が、まず猫ほどではないにしろ、勝《かつ》手《て》の違《ちが》う気だけは起こったはずである。
ところが三月の二十同日か、生《なま》暖《あたた》かい曇《どん》天《てん》の午後のことである。保吉はその日も勤め先から四時二十分着の上り列車に乗った。なんでもかすかな記《き》憶《おく》によれば、調べ仕事に疲《つか》れていたせいか、汽車の中でもふだんのように本を読みなどはしなかったらしい。ただ窓べりによりかかりながら、春めいた山だの畠《はたけ》だのを眺《なが》めていたように覚えている。いつか読んだ横文字の小説《*》 に平地を走る汽車の音を「Tratata tratata tratata」と写し、鉄橋を渡《わた》る汽車の音を「Trararach trararach thatata」と写したのがある。なるほどぼんやり耳を貸していると、ああいうふうにも聞こえないことはない。――そんなことを考えたのも覚えている。
保吉は物《もの》憂《う》い三十分ののち、やっとあの避《ひ》暑《しよ》地《ち》の停《てい》車《しや》場《ば》へ降りた。プラットフォオムには少し前に着いた下り列車も止まっている。彼は人ごみに交《ま》じりながら、ふとその汽車を降りる人を眺めた。すると――意外にもお嬢《じよう》さんだった。保吉は前にも書いたように、午後にはまだこのお嬢さんと一度も顔を合わせたことはない。それが今不意に目の前へ、日の光を透《す》かした雲のような、あるいは猫《ねこ》柳《やなぎ》の花のような銀《ぎん》鼠《ねずみ》の姿を現わしたのである。彼はもちろん「おや」と思った。お嬢さんも確かにその瞬《しゆん》間《かん》、保吉の顔を見たらしかった。と同時に保吉は思わずお嬢さんへお時《じ》儀《ぎ》をしてしまった。
お時儀をされたお嬢さんはびっくりしたのに相《そう》違《い》あるまい。が、どういう顔をしたか、あいにくもう今では忘れている、いや、当時もそんなことは見定める余《よ》裕《ゆう》を持たなかったのであろう。彼は「しまった」と思うが早いか、たちまち耳の火《ほ》照《て》り出すのを感じた。けれどもこれだけは覚えている。――お嬢《じよう》さんも彼に会《え》釈《しやく》をした!
やっと停車場の外へ出た彼は彼自身の愚《ぐ》に憤《いきどお》りを感じた。なぜまたお時《じ》儀《ぎ》などをしてしまったのであろう? あのお時儀は全然反射的である。ぴかりと稲《いな》妻《ずま》の光るとたんに瞬《またた》きをするのも同じことである。すると意志の自由にはならない。意思の自由にならない行《こう》為《い》は責任を負わずともよいはずである。けれどもお嬢さんはなんと思ったであろう? なるほどお嬢さんも会釈をした。しかしあれは驚《おどろ》いた拍《ひよう》子《し》にやはり反射的にしたのかも知れない。今ごろはずいぶん保吉を不良少年と思っていそうである。いっそ「しまった」と思った時に無《ぶ》躾《しつけ》を詫《わ》びてしまえばよかった。そういうことにも気づかなかったというのは……
保吉は下宿へ帰らずに、人《ひと》影《かげ》の見えない砂《すな》浜《はま》へ行った。これは珍《めずら》しいことではない。彼は一月五円の貸間と一食五十銭の弁当とにしみじみ世の中が厭《いや》になると、必ずこの砂の上へグラスゴオのパイプをふかしに来る。この日も曇《どん》天《てん》の海を見ながら、まずパイプヘマッチの火を移した。今日《きよう》のことはもうしかたがない。けれどもまた明日《あす》になれば、必ずお嬢さんと顔を合わせる。お嬢さんはその時どうするであろう? 彼を不良少年と思っていれば、一《いち》瞥《べつ》を与《あた》えないのは当然である。しかし不良少年と思っていなければ、明日もまた今日のように彼のお時儀に答えるかも知れない。彼のお時儀に? 彼は――堀《ほり》川《かわ》保吉はもう一度あのお嬢さんに恬《てん》然《ぜん》とお時儀をする気であろうか? いや、お時儀をする気はない。けれども一度お時儀をした以上、何かの機会にお嬢《じよう》さんも彼も会釈をし合うことはありそうである。もし会釈をし合うとすれば、……保吉はふとお嬢さんの眉《まゆ》の美しかったことを思い出した。
爾《じ》来《らい》七、八年を経過した今日、その時の海の静かさだけは妙《みよう》に鮮《あざ》やかに覚えている。保吉はこういう海を前に、いつまでもただ茫《ぼう》然《ぜん》と火の消えたパイプを啣《くわ》えていた。もっとも彼の考えはお嬢さんの上にばかりあった訣《わけ》ではない。たとえば近々とりかかるはずの小説のことも思い浮《う》かべた。その小説の主人公は革命的精神に燃え立った、あるイギリス語の教師である。〓《こう》骨《こつ》の名の高い彼の頸《くび》はいかなる権《けん》威《い》にも屈《くつ》することを知らない。ただし前後にたった一度、ある顔《かお》馴《な》染《じ》みのお嬢さんへうっかりお時《じ》儀《ぎ》をしてしまったことがある。お嬢さんは脊《せ》は低いほうかも知れない。けれども見たところはすらりとしている。ことに銀《ぎん》鼠《ねずみ》の靴《くつ》下《した》の踵《かかと》の高い靴《くつ》をはいた脚《あし》は――とにかく自然とお嬢さんのことを考えがちだったのは事実かも知れない。……
翌朝の八時五分前である。保吉は人のこみ合ったプラットフォオムを歩いていた。彼の心はお嬢さんと出会った時の期待に張りつめている。出会わずにすましたい気もしないではない。が、出会わずにすませるのは不本意のことも確かである。いわば彼の心もちは強敵との試合を目前に控《ひか》えた拳《けん》闘《とう》家《か》の気組みと変わりはない。しかしそれよりも忘れられないのはお嬢さんと顔を合わせたとたんに、何か常識を超《ちよう》越《えつ》した、ばかばかしいことをしはしないかという、妙《みよう》に病的な不安である。昔《むかし》、ジァン・リシュパン《*》 は通りがかりのサラア・ベルナアル《*》 へ傍《ぼう》若《じやく》無《ぶ》人《じん》の接《せつ》吻《ぷん》をした。日本人に生まれた保吉はまさか接吻はしないかも知れないけれどもいきなり舌を出すとか、あかんべいをするとかはしそうである。彼は内心ひやひやしながら、捜《さが》すように捜さないようにあたりの人々を見まわしていた。
するとたちまち彼の目は、悠《ゆう》々《ゆう》とこちらへ歩いて来るお嬢《じよう》さんの姿を発見した。彼は宿命を迎《むか》えるように、まっすぐに歩みをつづけて行った。二人は見る見る接近した。十歩、五歩、三歩、――お嬢さんは今目の前に立った。保吉は頭を擡《もた》げたまま、まともにお嬢さんの顔を眺《なが》めた。お嬢さんもじっと彼の顔へ落ち着いた目を注《そそ》いでいる。二人は顔を見合わせたなり、何ごともなしに行き違《ちが》おうとした。
ちょうどその刹《せつ》那《な》だった。彼は突《とつ》然《ぜん》お嬢さんの目に何か動《どう》揺《よう》に似たものを感じた。同時にまたほとんど体《からだ》じゅうにお時《じ》儀《ぎ》をしたい衝《しよう》動《どう》を感じた。けれどもそれは懸《か》け値なしに、一《いつ》瞬《しゆん》の間の出来事だった。お嬢さんははっとした彼を後ろにしずしずともう通り過ぎた。日の光を透《す》かした雲のように、あるいは花をつけた猫《ねこ》柳《やなぎ》のように。……
二十分ばかりたったのち、保吉は汽車に揺《ゆ》られながら、グラスゴオのパイプをいつ啣《くわ》えていた。お嬢さんは何も眉《まゆ》毛《げ》ばかり美しかった訣《わけ》ではない。目もまた涼《すず》しい黒《くろ》瞳《め》がちだった。心もち上を向いた鼻も、……しかしこんなことを考えるのはやはり恋《れん》愛《あい》というのであろうか?――彼はその問いにどう答えたか、これもまた記憶には残っていない。ただ保吉の覚えているのは、いつか彼を襲《おそ》い出した、薄《うす》明《あか》るい憂《ゆう》鬱《うつ》ばかりである。彼はパイプから立《た》ち昇《のぼ》る一すじの煙《けむり》を見守ったまま、しばらくはこの憂《ゆう》鬱《うつ》の中にお嬢さんのことばかり考えつづけた。汽車はもちろんそういう間も半面に朝日の光を浴びた山々の峡《かい》を走っている。
「Tratata tratata tratata trararach」
(大正十二年九月)
あばばばば
保《やす》吉《きち》はずっと以前からこの店の主人を見知っている。
ずっと以前から、――あるいはあの海軍の学校へ赴《ふ》《にん》した当日だったかも知れない。彼はふとこの店へマッチを一つ買いにはいった。店には小さい飾《かざ》り窓があり、窓の中には大将旗を掲《かか》げた軍《ぐん》艦《かん》三《み》笠《かさ*》 の模型のまわりにキュラソオの壜《びん》だのココアの罐《かん》だの干《ほ》し葡《ぶ》萄《どう》の箱《はこ》だのが並《なら》べてある。が、軒《のき》先《さき》に「たばこ」と抜《ぬ》いた赤塗《ぬ》りの看《かん》板《ばん》が出ているから、もちろんマッチも売らないはずはない。彼は店を覗《のぞ》きながら、「マッチを一つくれ給《たま》え」と言った。店先には高い勘《かん》定《じよう》台《だい》の後ろに若い眇《すがめ》の男が一人、つまらなそうに佇《たたず》んでいる。それが彼の顔を見ると、算盤《そろばん》を竪《たて》に構えたまま、にこりともせずに返事をした。
「これをお持ちなさい。あいにくマッチを切らしましたから」
お持ちなさいというのは煙草《たばこ》に添《そ》えるいちばん小型のマッチである。
「貰《もら》うのはきのどくだ。じゃ朝《あさ》日《ひ》を一つくれ給え」
「なに、かまいません。お持ちなさい」
「いや、まあ朝日をくれ給え」
「お持ちなさい。これでよろしけりゃ、――いらぬ物をお買いになるには及《およ》ばないです」
眇《すがめ》の男の言うことは親切ずくなのには違《ちが》いない。が、その声や顔色はいかにも無《ぶ》愛《あい》想《そう》を極《きわ》めている。すなおに貰《もら》うのはいまいましい。といって店を飛び出すのは多少相手にきのどくである。保吉はやむを得ず勘《かん》定《じよう》台《だい》の上へ一銭《せん》の銅《どう》貨《か》を一枚出した。
「じゃそのマッチを二つくれ給《たま》え」
「二つでも三つでもお持ちなさい。ですが代《だい》はいりません」
そこへ幸い戸口に下げた金線サイダアのポスタアの蔭《かげ》から、小《こ》僧《ぞう》が一人首を出した。これは表情の朦《もう》朧《ろう》とした、面皰《にきび》だらけの小僧である。
「檀《だん》那《な》、マッチはここにありますぜ」
保吉は内心凱《がい》歌《か》を挙《あ》げながら、大型のマッチを一箱《はこ》買った。代はもちろん一銭である。しかし彼はこの時ほど、マッチの美しさを感じたことはない。ことに三角の波の上に帆《ほ》前《まえ》船《せん》を浮かべた商標は額《がく》縁《ぶち》へ入れてもいいくらいである。彼はズボンのポケットの底へちゃんとそのマッチを落としたのち、得《とく》々《とく》とこの店を後ろにした。
保吉は爾《じ》来《らい》半年ばかり、学校へ通う往復にたびたびこの店へ買い物に寄った。もう今では目をつぶっても、はっきりこの店を思い出すことができる。天《てん》井《じよう》の梁《はり》からぶら下がったのは鎌《かま》倉《くら》のハムに違いない。欄《らん》間《ま》の色《いろ》硝子《ガラス》は漆《しつ》喰《くい》塗《ぬ》りの壁へ緑色の日の光を映している。板張りの床《ゆか》に散らかったのはコンデンスド・ミルクの広告であろう。正面の柱には時《と》計《けい》の下に大きい日《ひ》暦《ごよみ》がかかっている。そのほか飾《かざ》り窓の中の軍《ぐん》艦《かん》三《み》笠《かさ》も、金線サイダアのポスタアも、椅《い》子《す》も、電話も、自転車も、スコットランドのウイスキイも、アメリカの乾《ほ》し葡《ぶ》萄《どう》も、マニラの葉巻も、エジプトの紙《かみ》巻《まき》も、燻《くん》製《せい》の鰊《にしん》も、牛肉の大和《やまと》煮《に》も、ほとんど見覚えのないものはない。ことに高い勘《かん》定《じよう》台《だい》の後ろに仏《ぶつ》頂《ちよう》面《づら》を曝《さら》した主人は飽《あ》き飽きするほど見慣れている。いや、見慣れているばかりではない。彼はいかに咳《せき》をするか、いかに小《こ》僧《ぞう》に命令をするか、ココアを一罐《かん》買うにしても、「Fry《*》 よりはこちらになさい。これはオランダのDroste《*》 です」などと、いかに客を悩《なや》ませるか、――主人の一挙一動さえことごとくとうに心得ている。心得ているのは悪いことではない。しかし退《たい》屈《くつ》なことは事実である。保吉は時々この店へ来ると、妙《みよう》に教師をしているのも久しいものだなと考えたりした。(そのくせ前にも言った通り、彼の教師の生活はまだ一年にもならなかったのである!)
けれども万《ばん》法《ぽう》を支配する変化はやはりこの店にも起こらずにはすまない。保吉はある初夏の朝、この店へ煙草を買いにはいった。店の中はふだんの通りである。水を撒《う》った床《ゆか》の上にコンデンスド・ミルクの広告の散らかっていることも変わりはない。が、あの眇《すがめ》の主人の代りに勘定台の後ろに坐《すわ》っているのは西《せい》洋《よう》髪《がみ》に結った女である。年はやっと十九ぐらいであろう。En face《*》 に見た顔は猫《ねこ》に似ている。日の光にずっと目を細めた、一筋もまじり毛のない白猫に似ている。保吉はおやと思いながら、勘定台の前へ歩み寄った。
「朝日を二つくれ給《たま》え」
「はい」
女の返事は羞《はず》かしそうである。のみならず出したのも朝日ではない。二つとも箱の裏側に旭《きよく》日《じつ》旗《き》を描《か》いた三《み》笠《かさ*》 である。保吉は思わず煙草から女の顔へ目を移した。同時にまた女の鼻の下に長い猫《ねこ》の髭《ひげ》を想像した。
「朝日を、――こりゃ朝日じゃない」
「あら、ほんとうに、――どうもすみません」
猫――いや、女は赤い顔をした。この瞬《しゆん》間《かん》の感情の変化は正真正銘《しようしんしようめい》に娘《むすめ》じみている。それも当《とう》世《せい》のお嬢《じよう》さんではない。五、六年来迹《あと》を絶った硯《けん》友《ゆう》社《しや》趣《しゆ》味《み》の娘《*》 である。保吉はばら銭《せん》を探《さぐ》りながら、「たけくらべ」、乙烏《つばくろ》口《ぐち》の風《ふ》呂《ろ》敷《しき》包み《*》 、燕子花《かきつばた》、両《りよう》国《ごく》、鏑《かぶら》木《き》清《きよ》方《かた*》 、――そのほかいろいろのものを思い出した。女はもちろんこの間も勘《かん》定《じよう》台《だい》の下を覗《のぞ》きこんだなり、いっしょうけんめいに朝日を捜《さが》している。
すると奥《おく》から出て来たのは例の眇《すがめ》の主人である。主人は三《み》笠《かさ》を一目見ると、たいてい容《よう》子《す》を察したらしい。きょうも相変わらず苦り切ったまま、勘定台の下へ手を入れるが早いか、朝日を二つ保吉へ渡《わた》した。しかしその目にはかすかにもしろ、頬《ほほ》笑《え》みらしいものが動いている。
「マッチは?」
女の目もまた猫とすれば、喉《のど》を鳴らしそうに媚《こび》を帯びている。主人は返事をする代りにちょいとただ点《てん》頭《とう》した。女はとっさに(!)勘定台の上へ小型のマッチを一つ出した。それから――もう一度羞《はずか》しそうに笑った。
「どうもすみません」
すまないのは何も朝日を出さずに三笠を出したばかりではない。保吉は二人を見比べながら、彼自身もいつか微《び》笑《しよう》したのを感じた。
女はその後いつ来てみても、勘《かん》定《じよう》台《だい》の後ろに坐《すわ》っている。もっとも今では最初のように西《せい》洋《よう》髪《がみ》などには結っていない。ちゃんと赤い手《て》絡《がら》をかけた、大きい円《まる》髷《まげ》に変わっている。しかし客に対する態度は相変わらず妙《みよう》にういういしい。応対はつかえる。品物は間《ま》違《ちが》える。おまけに時時は赤い顔をする。――全然お上《かみ》さんらしい面《おも》影《かげ》は見えない。保吉はだんだんこの女にある好意を感じ出した。と言っても恋《れん》愛《あい》に落ちた訣《わけ》ではない。ただいかにも人慣れないところに気軽い懐《なつか》しみを感じ出したのである。
ある残暑の厳《きび》しい午後、保吉は学校の帰りがけにこの店へココアを買いにはいった。女はきょうも勘定台の後ろに講《こう》談《だん》倶《く》楽《ら》部《ぶ*》 か何かを読んでいる。保吉は面皰《にきび》の多い小僧にVan Houten《*》 はないかと尋《たず》ねた。
「ただいまあるのはこればかりですが」
小僧の渡《わた》したのはFryである。保吉は店を見渡した。すると果《くだ》物《もの》の罐《かん》詰《づ》めの間に西洋の尼《あま》さんの商標をつけたDrosteも一罐《かん》まじっている。
「あすこにDrosteもあるじゃないか?」
小僧はちょいとそちらを見たきり、やはり漠《ばく》然《ぜん》とした顔をしている。
「ええ、あれもココアです」
「じゃこればかりじゃないじゃないか?」
「ええ、でもまあこれだけなんです。――お上《かみ》さん、ココアはこれだけですね?」
保吉は女をふり返った。心もち目を細めた女は美しい緑色の顔をしている。もっともこれは不思議ではない。全然欄《らん》間《ま》の色《いろ》硝子《ガラス》を透《す》かした午後の日の光の作用である。女は雑誌を肘《ひじ》の下にしたまま、例の通りためらいがちな返事をした。
「はあ、それだけだったと思うけれども」
「実は、このFryのココアの中には時々虫が湧《わ》いているんだが、――」
保吉はまじめに話しかけた。しかし実際虫の湧いたココアに出合った覚えのある訣《わけ》ではない。ただなんでもこう言いさえすれば、Van Houtenの有無を確かめさせる上に効能のあることを信じたからである。
「それもずいぶん大きいやつがあるもんだからね。ちょうどこの小指ぐらいある、……」
女はいささか驚《おどろ》いたように勘《かん》定《じよう》台《だい》の上へ半身をのばした。
「そっちにもまだありゃしないかい? ああ、その後ろの戸《と》棚《だな》の中にも」
「赤いのばかりです。ここにあるのも」
「じゃこっちには?」
女は吾《あ》妻《ずま》下《げ》駄《た》を突っかけると、心配そうに店へ捜《さが》しに来た。ぼんやりとした小《こ》僧《ぞう》もやむを得ず罐《かん》詰《づ》めの間などを覗《のぞ》いて見ている。保吉は煙草へ火をつけたのち、彼らへ拍《はく》車《しや》を加えるように考え考えしゃべりつづけた。
「虫の湧いたやつを飲ませると、子供などは腹を痛めるしね。(彼はある避《ひ》暑《しよ》地《ち》の貸し間にたった一人《ひとり》暮らしている)。いや、子供ばかりじゃない。家内も一度ひどい目に遇《あ》ったことがある。(もちろん妻などを持ったことはない)なにしろ用心に越《こ》したことはないんだから。……」
保吉はふと口をとざした。女は前《まえ》掛《か》けに手を拭《ふ》きながら、当《とう》惑《わく》そうに彼を眺《なが》めている。
「どうも見えないようでございますが」
女の目はおどおどしている。口もとも無理に微《び》笑《しよう》している。ことに滑《こつ》稽《けい》に見えたのは鼻もまたつぶつぶ汗《あせ》をかいている。保吉は女と目を合わせた刹《せつ》那《な》に突《とつ》然《ぜん》悪《あく》魔《ま》の乗り移るのを感じた。この女はいわば含羞《おじぎ》草《そう》である。一定の刺《し》戟《げき》を与えさえすれば、必ず彼の思う通りの反応を呈するのに違《ちが》いない。しかし刺戟は簡単である。じっと顔を見つめてもいい。あるいはまた指先にさわってもいい。女はきっとその刺戟に保吉の暗示を受けとるであろう。受けとった暗示をどうするかはもちろん未知の問題である。しかし幸いに反《はん》撥《ぱつ》しなければ、――いや、猫《ねこ》は飼《か》ってもいい。が、猫に似た女のために魂《たましい》を悪魔に売り渡《わた》すのはどうも少し考えものである。保吉は吸いかけた煙草といっしょに、乗り移った悪魔を抛《ほう》り出した。不意を食《くら》った悪魔はとんぼ返る拍《ひよう》子《し》に小《こ》僧《ぞう》の鼻の穴へ飛びこんだのであろう。小僧は首を縮めるが早いか、つづけさまに大きい嚏《くさめ》をした。
「じゃしかたがない。Drosteを一つくれ給《たま》え」
保吉は苦笑を浮《う》かべたまま、ポケットのばら銭《せん》を探《さぐ》り出した。
その後も彼はこの女とたびたび同じような交《こう》渉《しよう》を重ねた。が、悪魔に乗り移られた記《き》憶《おく》はしあわせとほかには持っていない。いや、一度などはふとしたはずみに天使の来たのを感じたことさえある。
ある秋も深まった午後、保吉は煙草を買ったついでにこの店の電話を借用した。主人は日の当たった店の前に空気ポンプを動かしながら、自転車の修《しゆう》繕《ぜん》に取りかかっている。小僧もきょうは使いに出たらしい。女は相変わらず勘《かん》定《じよう》台《だい》の前に受け取りか何か整理している。こういう店の光景はいつ見ても悪いものではない。どこか阿《オ》蘭《ラン》陀《ダ》の風俗画じみた、もの静かな幸福に溢《あふ》れている。保吉は女のすぐ後ろに受話器を耳へ当てたまま、彼の愛蔵する写真版のDe Hooghe《*》 の一枚を思い出した。
しかし電話はいつになっても、容易に先方へ通じないらしい。のみならず交《こう》換《かん》手《しゆ》もどうしたのか、一、二度「何番へ?」を繰《く》り返したのちは全然沈《ちん》黙《もく》を守っている。保吉は何度もベルを鳴らした。が、受話器は彼の耳へぶつぶつ言う音を伝えるだけである。こうなればもうDe Hoogheなどを思い出している場合ではない。保吉はまずポケットからSpargo《*》 の「社会主義早わかり」を出した。幸い電話には見《けん》台《だい》のように蓋《ふた》のなぞえになった箱《はこ》もついている。彼はその箱に本を載《の》せると、目は活字を拾いながら、手はできるだけゆっくり強《ごう》情《じよう》にベルを鳴らし出した。これは横《おう》着《ちやく》な交換手に対する彼の戦法の一つである。いつか銀《ぎん》座《ざ》尾《お》張《わり》町《ちよう》の自動電話へはいった時にはやはりベルを鳴らし鳴らし、とうとう「佐《さ》橋《はし》甚《じん》五《ご》郎《ろう*》 」を完全に一《いつ》篇《ぺん》読んでしまった。きょうも交換手の出ないうちは断じてベルの手をやめないつもりである。
さんざん交換手と喧《けん》嘩《か》したあげく、やっと電話をかけ終わったのは二十分ばかりののちである。保吉は礼を言うために後ろの勘《かん》定《じよう》台《だい》をふり返った。するとそこには誰《だれ》もいない。女はいつか店の戸口に何か主人と話している。主人はまだ秋の日向《ひなた》に自転車の修繕をつづけていろらしい。保吉はそちらへ歩き出そうとした。が、思わず足を止めた。女は彼に背を向けたまま、こんなことを主人に尋《たず》ねている。
「さっきね、あなた、ゼンマイ珈《コオ》琲《ヒイ》とかってお客があったんですがね、ゼンマイ珈琲ってあるんですか?」
「ゼンマイ珈《コオ》琲《ヒイ》?」
主人の声は細君にも客に対するような無《ぶ》愛《あい》想《そう》である。
「玄《げん》米《まい》珈琲の聞き違えだろう」
「ゲンマイ珈琲? ああ、玄米から拵《こしら》えた珈琲。――なんだかおかしいと思っていた。ゼンマイって八《や》百《お》屋《や》にあるものでしょう?」
保吉は二人の後ろ姿を眺《なが》めた。同時にまた天使の来ているのを感じた。天使はハムのぶら下がった天《てん》井《じよう》のあたりを飛《ひ》揚《よう》したまま、なんにも知らぬ二人の上へ祝福を授けているのに違いない。もっとも燻《くん》製《せい》の鯡《にしん》の匂《におい》に顔だけはちょいとしかめている。――保吉は突然燻製の鯡を買い忘れたことを思い出した。鯡は彼の鼻の先にあさましい形《けい》骸《がい》を重ねている。
「おい、君、この鯡をくれ給《たま》え」
女はたちまち振《ふ》り返った。振り返ったのはちょうどゼンマイの八百屋にあることを察した時である。女はもちろんその話を聞かれたと思ったのに違いない。猫《ねこ》に似た顔は目を挙《あ》げたかと思うと見る見る羞《はず》かしそうに染まり出した。保吉は前にも言う通り、女が顔を赤めるのには今までにもたびたび出合っている。けれどもまだこの時ほど、まっ赤になったのは見たことはない。
「は、鯡《にしん》を?」
女は小声に問い返した。
「ええ、鯡を」
保吉も前後にこの時だけははなはだ殊《しゆ》勝《しよう》に返事をした。
こういう出来事のあったのち、二月ばかりたったころであろう、確か翌年の正月のことである。女はどこへどうしたのか、ばったり姿を隠《かく》してしまった。それも三日や五日ではない。いつ買い物にはいってみても、古いストオヴを据《す》えた店には例の眇《すがめ》の主人が一人、退《たい》屈《くつ》そうに坐《すわ》っているばかりである。保吉はちょいともの足らなさを感じた。また女の見えない理由にいろいろ想像を加えなどもした。が、わざわざ無《ぶ》愛《あい》想《そう》な主人に「お上《かみ》さんは?」と尋《たず》ねる心もちにもならない。また実際主人はもちろんあのはにかみ屋の女にも、「何々をくれ給《たま》え」と言うほかには挨《あい》拶《さつ》さえ交したことはなかったのである。
そのうちに冬ざれた路《みち》の上にも、たまに一日か二日《ふつか》ずつ暖《あたたか》い日かげがさすようになった。けれども女は顔を見せない。店はやはり主人のまわりに荒《こう》涼《りよう》とした空気を漂《ただよ》わせている。保吉はいつか少しずつ女のいないことを忘れ出した。……
すると二月の末のある夜、学校のイギリス語講演会をやっと切り上げた保吉は生《なま》暖《あたたか》い南風に吹《ふ》かれながら、格別買い物をする気もなしにふとこの店の前を通りかかった。店には電《でん》灯《とう》のともった中に西洋酒の壜《びん》や罐《かん》詰《づ》めなどがきらびやかに並《なら》んでいる。これはもちろん不思議ではない。しかしふと気がついて見ると、店の前には女が一人、両手に赤《あか》子《ご》を抱《かか》えたまま、多《た》愛《わい》もないことをしゃべっている。保吉は店から往来へさした、幅《はば》の広い電灯の光にたちまちその若い母の誰であるかを発見した。
「あばばばばばば、ばあ!」
女は店の前を歩き歩き、おもしろそうに赤子をあやしている。それが赤子を揺《ゆす》り上げる拍《ひよう》子《し》に偶《ぐう》然《ぜん》保吉と目を合わした。保吉はとっさに女の目の逡《しゆん》巡《じゆん》する容《よう》子《す》を想像した。それから夜《よ》目《め》にも女の顔の赤くなる容《よう》子《す》を想像した。しかし女は澄《す》ましている。目も静かに頬《ほほ》笑《え》んでいれば、顔も嬌羞《きようしゆう》などは浮《う》かべていない。のみならず意外な一《いつ》瞬《しゆん》間《かん》ののち、揺り上げた赤子へ目を落とすと、人前も羞《は》じずに繰《く》り返した。
「あばばばばばば、ばあ!」
保吉は女を後ろにしながら、我知らずにやにや笑い出した。女はもう「あの女」ではない。度胸のいい母の一人である。一たび子のためになったが最後、古来いかなる悪事をも犯《おか》した、恐ろしい「母」の一人である。この変化はもちろん女のためにはあらゆる祝福を与《あた》えてもいい。しかし娘《むすめ》じみた細君の代りにずうずうしい母を見《み》出《いだ》したのは、……保吉は歩みつづけたまま、茫《ぼう》然《ぜん》と家々の空を見上げた。空には南風の渡《わた》る中に円《まる》い春の月が一つ、白じろとかすかにかかっている。……
(大正十二年十一月)
一《いつ》塊《かい》の土《つち》
お住《すみ》の倅《せがれ》に死に別れたのは茶《ちや》摘《つ》みのはじまる時候だった。倅の仁《に》太《た》郎《ろう》は足かけ八年、腰《こし》ぬけ同様に床《とこ》に就《つ》いていた。こういう倅の死んだことは「後《ご》生《しよう》よし《*》 」といわれるお住にも、悲しいとばかりは限らなかった。お住は仁太郎の棺《かん》の前へ一本線香を手《た》向《む》けた時には、とにかく朝《あさ》比《ひ》奈《な》の切《きり》通《どお》し《*》 か何かをやっと通り抜けたような気がしていた。
仁太郎の葬《そう》式《しき》をすましたのち、まず問題になったものは嫁《よめ》のお民《たみ》の身の上だった。お民には男の子が一人あった。その上寝《ね》ている仁太郎の代りに野《の》良《ら》仕事もたいていは引き受けていた。それを今出すとすれば、子供の世話に困るのはもちろん、暮《く》らしさえとうてい立ちそうにはなかった。かたがたお住は四十九日でもすんだら、お民に婿《むこ》を当てがった上、倅のいた時と同じように働いてもらおうと思っていた。婿には仁太郎の従弟《いとこ》に当たる与《よ》吉《きち》を貰《もら》えばとも思っていた。
それだけにちょうど初《しよ》七日《なのか》の翌朝、お民の片づけものをし出した時には、お住の驚《おどろ》いたのも格別だった。お住はその時孫の広《ひろ》次《じ》を奥《おく》部《べ》屋《や》の縁《えん》側《がわ》に遊ばせていた。遊ばせる玩具《おもちや》は学校のを盗《ぬす》んだ花《はな》盛《ざか》りの桜《さくら》の一枝だった。
「のう、お民、おらあきょうまで黙《だま》っていたのは悪いけんど、お前はよう、この子とおらとを置いたまんま、はえ、出て行ってしまうのかよう?」
お住は詰《なじ》るというよりは訴《うつた》えるように声をかけた。が、お民は見向きもせずに、「何を言うじゃあ、おばあさん」と笑い声を出したばかりだった。それでもお住はどのくらいほっとしたことだか知れなかった。
「そうずらのう。まさかそんなことをしやあしめえのう。……」
お住はなおくどくどと愚《ぐ》痴《ち》まじりの歎《たん》願《がん》を繰《く》り返した。同時にまた彼女自身の言葉にだんだん感傷を催《もよお》し出した。しまいには涙《なみだ》も幾《いく》すじか皺《しわ》だらけの頬《ほお》を伝わりはじめた。
「はいさね。わしもお前さんさえよけりゃ、いつまでもこの家《うち》にいる気だわね。――こういう子供もあるだものう、すき好んでほかへ行くもんじゃよう」
お民もいつか涙ぐみながら、広次を膝《ひざ》の上へ抱《だ》き上げたりした。広次は妙《みよう》に羞《はずか》しそうに、奥《おく》部《べ》屋《や》の古《ふる》畳《だたみ》へ投げ出された桜《さくら》の枝ばかり気にしていた。……
――――――――――――
お民《たみ》は仁《に》太《た》郎《ろう》の在世中と少しも変わらずに働きつづけた。しかし婿《むこ》をとる話は思ったよりも容易に片づかなかった。お民は全然この話に何の興味もないらしかった。お住《すみ》はもちろん機会さえあれば、そっとお民の気を引いてみたり、あらわに相談を持ちかけたりした。けれどもお民はそのたびごとに、「はいさね、いずれ来年にでもなったら」といいかげんな返事をするばかりだった。これはお住には心配でもあれば、うれしくもあるのに違《ちが》いなかった。お住は世間に気を兼ねながら、とにかく嫁《よめ》の言うなりしだいに年の変わるのでも待つことにした。
けれどもお民は翌年になっても、やはり野《の》良《ら》へ出かけるほかにはなんの考えもないらしかった。お住はもう一度去年よりはいっそう願《がん》をかけたように婿《むこ》をとる話を勧《すす》め出した。それは一つには親《しん》戚《せき》には叱《しか》られ、世間にはかげ口をきかれるのを苦《く》に病《や》んでいたせいもあるのだった。
「だがのう、お民、お前今の若さでさ、男なしにやいられるもんじゃなえよ」
「いられなえたって、しかたがなえじゃ。この中へ他人でも入れてみなせえ。広《ひろ》もかわいそうだし、お前さんも気兼ねだし、第一わしの気《き》骨《ぼね》の折れることせったら、ちっとやそっとじゃなかろうわね」
「だからよ、与《よ》吉《きち》を貰《もら》うことにしなよ。あいつもお前このごろじゃ、ぱったり博《ばく》奕《ち》を打たなえというじゃあ」
「そりゃおばあさんには身内でもよ、わしにはやっぱし他人だわね。なに、わしさえ我《が》慢《まん》すりゃ……」
「でもよ、その我慢がさあ、一年や二年じゃなえからよう」
「いいわね。広のためだものう。わしが今苦しんどきゃ、ここの家《うち》の田《でん》地《ち》は二つにならずに、そっくり広の手へ渡るだものう」
「だがのう、お民、(お住はいつもここへ来ると、まじめに声を低めるのだった)なにしろはたの口がうるせえからのう。お前今おらの前で言ったことはそっくり他人にも聞かせてくんなよ。……」
こういう問答は二人の間に何度出たことだかわからなかった。しかしお民の決心はそのために強まることはあっても、弱まることはないらしかった。実際またお民は男手も借りずに、芋《いも》を植えたり麦を刈《か》ったり、以前よりも仕事に精を出していた。のみならず夏には牝《め》牛《うし》を飼い、雨の日でも草刈りに出かけたりした。この烈《はげ》しい働きぶりはいまさら他人を入れることに対する、それ自身強い抗《こう》弁《べん》だった。お住もとうとうしまいには婿《むこ》を取る話を断念した。もっとも断念することだけは必ずしも彼女には不愉快ではなかった。
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お民《たみ》は女の手一つに一家の暮《く》らしを支えつづけた。それにはもちろん「広《ひろ》のため」という一念もあるのに違《ちが》いなかった。しかしまた一つには彼女の心に深い根ざしを下《お》ろしていた遺伝の力もあるらしかった。お民は不《ふ》毛《もう》の山国からこの界《かい》隈《わい》へ移住して来たいわゆる「渡《わた》りもの」の娘《むすめ》だった。「お前さんとこのお民さんは顔に似合わなえ力があるねえ。この間も陸《おか》稲《ぼ》の大束《たば》を四《し》把《わ》ずつも背負《しよ》って通ったじゃなえかね」――お住《すみ》は隣《となり》の婆《ばあ》さんなどからそんなことを聞かされるのもたびたびだった。
お住はまたお民に対する感謝を彼女の仕事に表わそうとした。孫を遊ばせたり、牛の世話をしたり、飯を炊《た》いたり、洗《せん》濯《たく》をしたり、隣へ水を汲《く》みに行ったり、――家の中の仕事も少なくはなかった。しかしお住は腰《こし》を曲げたまま、何かと楽しそうに働いていた。
ある秋も暮れかかった夜、お民は松《まつ》葉《ば》束《たば》を抱《かか》えながら、やっと家へ帰って来た。お住は広《ひろ》次《じ》をおぶったなり、ちょうど狭《せま》苦《くる》しい土《ど》間《ま》の隅《すみ》に据《すえ》風《ぶ》呂《ろ》の下を焚《た》きつけていた。
「寒かっつらのう。晩《おそ》かったじゃ?」
「きょうはちっといつもよりゃ、余計な仕事をしていたじゃあ」
お民は松葉束を流しもとへ投げ出し、それから泥《どろ》だらけの草鞋《わらじ》も脱《ぬ》がずに、大きい炉《ろ》側《ばた》へ上がりこんだ。炉の中には櫟《くぬぎ》の根っこが一つ、赤あかと炎《ほのお》を動かしていた。お住はすぐに立ち上がろうとした。が、広次をおぶった腰《こし》は風《ふ》呂《ろ》桶《おけ》の縁《ふち》につかまらない限り、容易に上げることもできないのだった。
「すぐと風呂へはえんなよ」
「風呂よりもわしは腹が減ってるよ。どら、さきに藷《いも》でも食うべえ。――煮てあるらあねえ? おばあさん」
お住はよちよち流し元へ行き、惣《そう》菜《ざい》に煮《に》た薩《さつ》摩《ま》藷《いも》を鍋《なべ》ごと炉《ろ》側《ばた》へぶら下げて来た。
「とうに煮て待ってたせえにの、はえ、冷たくなってるよう」
二人は藷を竹《たけ》串《ぐし》へ突《つ》き刺《さ》し、いっしょに炉の火へかざし出した。
「広はよく眠《ねむ》ってるじゃ。床《とこ》の中へ転《ころ》がしておきゃいいに」
「なあん、きょうはばか寒いから、下じゃとても寝《ね》つかなえよう」
お民はこう言う間にも煙《けむり》の出る藷を頬《ほお》張《ば》りはじめた。それは一日の労働に疲《つか》れた農夫だけの知っている食いかただった。藷は竹串を抜《ぬ》かれる側《そば》から、一口にお民に頬張られていった。お住は小さい鼾《いびき》を立てる広次の重みを感じながら、せっせと藷を炙《あぶ》りつづけた。
「なにしろお前のように働くんじゃ、人一倍腹も減るらなあ」
お住は時々嫁の顔へ感《かん》歎《たん》に満ちた眼を注《そそ》いだ。しかしお民は無言のまま、煤《すす》けた榾《ほた》火《び》の光の中にがつがつ薩摩藷を頬張っていた。
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お民《たみ》はいよいよ骨《ほね》身《み》を惜《お》しまず、男の仕事を奪《うば》いつづけた。時には夜もカンテラの光に菜などをうろ抜《ぬ》いて廻《まわ》ることもあった。お住《すみ》はこういう男まさりの嫁《よめ》にいつも敬意を感じていた。いや、敬意というよりもむしろ畏《い》怖《ふ》を感じていた。お民は野や山の仕事のほかはなんでもお住に押《お》しつけ切りだった。このごろではもう彼女自身の腰《こし》巻《ま》きさえめったに洗ったことはなかった。お住はそれでも苦情を言わずに、曲がった腰を伸《の》ばし伸《の》ばし、いっしょうけんめいに働いていた。のみならず隣《となり》の婆《ばあ》さんにでも遇《あ》えば、「なにしろお民がああいうふうだからね、はえ、わたしはいつ死んでも、家《うち》に苦労はいらなえよう」と、真《ま》顔《がお》に嫁のことを褒《ほ》めちぎっていた。
しかしお民の「稼《かせ》ぎ病」は容易に満足しないらしかった。お民はまた一つ年を越《こ》すと、今度は川向こうの桑《くわ》畑へも手を拡《ひろ》げると言いはじめた。なんでもお民の言葉によれば、あの五段《たん》歩《ぶ》に近い畑を十円ばかりの小《こ》作《さく》に出しているのはどう考えてもばかばかしい。それよりもあすこに桑を作り、養《よう》蚕《さん》を片《かた》手《て》間《ま》にやるとすれば、繭《まゆ》相《そう》場《ば》に変動の起こらない限り、きっと年に百五十円は手取りにできるとかいうことだった。けれども金《かね》は欲しいにもしろ、この上忙《いそが》しい思いをすることはとうていお住には堪《た》えられなかった。ことに手間のかかる養蚕などはできない相談も度を越《こ》していた。お住はとうとう愚《ぐ》痴《ち》まじりにこうお民に反《はん》抗《こう》した。
「いいかの、お民。おらだって逃《に》げる訣《わけ》じゃねえ。逃げる訣じゃなえけどもの、男手はなえし、泣きっ児《こ》はあるし、今のまんまでせえ荷が過ぎてらあの。それをお前とんでもなえ、なんで養蚕ができるもんじゃ? ちっとはお前おらのことも考えてみてくんなよう」
お民も姑《しゆうとめ》に泣かれてみると、それでもとは言われた義理ではなかった。しかし養蚕は断念したものの、桑《くわ》畑を作ることだけは強《ごう》情《じよう》に我意を張り通した。「いいわね。どうせ畑へはわし一人出りゃすむんだから」――お民は不服そうにお住を見ながら、こんな当てっこすりも呟《つぶや》いたりした。
お住はまたこの時以来、婿《むこ》を取る話を考え出した。以前にも暮《く》らしを心配したり、世間をかねたりしたために、婿をと思ったことはたびたびあった。しかし今度は片時でも留《る》守《す》居《い》役《やく》の苦しみを逃《のが》れたさに、婿をと思いはじめたのだった。それだけに以前に比べれば、今度の婿を取りたさはどのくらい痛切だか知れなかった。
ちょうど裏の蜜《み》柑《かん》畠《ばたけ》のいっぱいに花をつけるころ、ランプの前に陣《じん》取《ど》ったお住は大きい夜なべの眼鏡《めがね》越《ご》しに、そろそろこの話を持ち出してみた。しかし炉《ろ》側《ばた》に胡坐《あぐら》をかいたお民は塩《しお》豌《えん》豆《どう》を噛《か》みながら、「また婿話かね、わしは知らなえよう」と相手になる気《け》色《しき》も見せなかった。以前のお住ならば、これだけでもたいていあきらめてしまうところだった。が、今度は今度だけに、お住もねちねち口《く》説《ど》き出した。
「でもの、そうばかり言っちゃいられなえじゃ。あしたの宮下の葬《そう》式《しき》にゃの、ちょうど今度はおららの家《うち》もお墓の穴《あな》掘《ほ》り役に当たってるがの。こういう時に男《おとこ》手《で》のなえのは、……」
「いいわね。掘り役にはわしが出るわね」
「まさか、お前、女のくせに、――」
お住はわざと笑おうとした。が、お民の顔を見ると、うっかり笑うのも考えものだった。
「おばあさん、お前さん隠《いん》居《きよ》でもしたくなったんじゃあるまえね?」
お民は胡坐《あぐら》の膝《ひざ》を抱《だ》いたなり、冷ややかにこう釘《くぎ》を刺《さ》した。突《とつ》然《ぜん》急所を衝《つ》かれたお住は思わず大きい眼鏡を外《はず》した。しかしなんのために外したかは彼女自身にもわからなかった。
「なあん、お前、そんなことを!」
「お前さん広《ひろ》のお父《とつ》さんの死んだ時に、自分でも言ったことを忘れやしまえね? ここの家《うち》の田《でん》地《ち》を二つにしちゃ、ご先祖様にもすまなえって、……」
「ああさ。そりゃそう言ったじゃ。でもの、まあ考えてみば。時《とき》世《よ》時《じ》節《せつ》ということもあるら。こりゃどうにもしかたのなえこんだの。……」
お住はいっしょうけんめいに男《おとこ》手《で》のいることを弁じつづけた。が、とにかくお住の意見は彼女自身の耳にさえもっともらしい響《ひび》きを伝えなかった。それは第一に彼女の本《ほん》音《ね》、――つまり彼女の楽になりたさを持ち出すことのできないためだった。お民はまたそこを見つけどころに、相変わらず塩からい豌《えん》豆《どう》を噛《か》み噛み、ぴしぴし姑《しゆうとめ》をきめつけにかかった。のみならずこれにはお住の知らない天《てん》性《せい》の口《くち》達《たつ》者《しや》も手伝っていた。
「お前さんはそれでもよかろうさ。先に死んでってしまうだから。――だがね、おばあさん、わしの身になりゃ、そう言ってふて腐《くさ》っちゃいられなえじゃあ。わしだって何も晴れや自《じ》慢《まん》で後《ご》家《け》を通してる訣《わけ》じゃなえよ。骨《ほね》節《ぶし》の痛んで寝《ね》られなえ晩なんか、ばか意地を張ったってしかたがなえと、しみじみ思うこともなえじゃなえ。そりゃなえじゃなえけんどね。これもみんな家《うち》のためだ、広のためだと考え直して、やっぱし泣き泣きやってるだあよ。……」
お住はただ茫《ぼう》然《ぜん》と嫁《よめ》の顔ばかり眺《なが》めていた。そのうちにいつか彼女の心ははっきりとある事実を捉《とら》え出した。それはいかにあがいてみても、とうてい眼《め》をつぶるまでは楽はできないという事実だった。お住は嫁のしゃべりやんだのち、もう一度大きい眼鏡をかけた。それから半ば独語《ひとりごと》のようにこう話の結末をつけた。
「だがの、お民、なかなかお前世の中のことは理《り》窟《くつ》ばっかしじゃいかなえせえに、とっくりお前も考えてみてくんなよ。おらはもうなんとも言わなえからの」
二十分ののち、誰《だれ》か村の若《わか》衆《しゆ》が一人、中《ちゆう》音《おん》に唄《うた》をうたいながら、静かにこの家の前を通りすぎた。「若い叔母《おば》さんきょうは草《くさ》刈《か》りか。草よ靡《なび》けよ。鎌《かま》切れろ」――唄の声の遠のいた時お住はもう一度眼鏡越しに、ちらりとお民の顔を眺《なが》めた。が、お民はランプの向こうに長ながと足を伸《の》ばしたまま、生《なま》欠伸《あくび》をしているばかりだった。
「どら、寝べえ。朝が早えに」
お民はやっとこう言ったと思うと、塩《しお》豌《えん》豆《どう》を一《ひと》掴《つか》みさらったのち、大《たい》儀《ぎ》そうに炉《ろ》側《ばた》を立ち上がった。……
――――――――――――
お住はその後三、四年の間、黙《もく》々《もく》と苦しみに堪《た》えつづけた。それはいわばはやり切った馬と同じ軛《くびき》を背負《しよ》わされた老馬の経験する苦しみだった。お民は相変わらず家《うち》を外にせっせと野《の》良《ら》仕事にかかっていた。お住ははた目には相変わらず小まめに留《る》守《す》居《い》役《やく》を勤めていた。しかし見えない鞭《むち》の影《かげ》は絶えず彼女を脅《おびや》かしていた。ある時は風《ふ》呂《ろ》を焚《た》かなかったために、ある時は籾《もみ》を干し忘れたために、ある時は牛の放れたために、お住はいつも気の強いお民に当てこすりや小《こ》言《ごと》を言われがちだった。が、彼女は言葉も返さず、じっと苦しみに堪《た》えつづけた。それは一つには忍《にん》従《じゆう》に慣れた精神を持っていたからだった。また二つには孫の広《ひろ》次《じ》が母よりもむしろ祖母の彼女に余計なついていたからだった。
お住は実際はた目にはほとんど以前に変わらなかった。もし少しでも変わったとすれば、それはただ以前のように嫁《よめ》のことを褒《ほ》めないばかりだった。けれどもこういう些《さ》細《さい》の変化は格別人目を引かなかった。少なくとも隣《となり》のばあさんなどにはいつも「後《ご》生《しよう》よし」のお住だった。
ある夏の日の照りつけた真昼、お住は納《な》屋《や》の前を覆《おお》った葡《ぶ》萄《どう》棚《だな》の葉の陰《かげ》に隣のばあさんと話していた。あたりは牛《うし》部《べ》屋《や》の蝿《はえ》の声のほかになんの物音も聞こえなかった。隣のばあさんは話をしながら、短い巻《まき》煙草《たばこ》を吸ったりした。それは倅《せがれ》の吸い殻《がら》を丹《たん》念《ねん》に集めて来たものだった。
「お民さんはえ? ふうん、干し草《ぐさ》刈《か》りにの? 若えのにまあ、なんでもするのう」
「なあん、女にゃ外へ出るよか、うちの仕事がいちばんいいだよう」
「いいえ、畠《はたけ》仕事の好きなのは何よりだよう。わしの嫁なんか祝《しゆう》言《げん》から、はえ、これもう七年が間、畠へはおろか草むしりせえ、ただの一日も出たことはなえわね。子供の物の洗濯《せんたく》だあの、自分の物の仕直しだあのって、毎日永《なが》の日を暮《く》らしてらあね」
「そりゃそのほうがいいだよう。子供のなりも見よくしたり、自分も小《こ》綺《き》麗《れい》になったりするはやっぱし浮《うき》世《よ》の飾《かざ》りだよう」
「でもさあ、今の若え者はいったいに野《の》良《ら》仕事が嫌《きら》いだよう。――おや、なんずら、今の音は?」
「今の音はえ? ありゃお前さん、牛の屁《へ》だわね」
「牛の屁かえ? ふんとうにまあ。――もっとも炎《えん》天《てん》に甲《こう》羅《ら》を干し干し、粟《あわ》の草取りをするのなんか、若え時にゃ辛《つら》いからね」
二人の老《ろう》婆《ば》はこういうふうにたいてい平和に話し合うのだった。
――――――――――――
仁《に》太《た》郎《ろう》の死後八年余り、お民《たみ》は女の手一つに一家の暮《く》らしを支《ささ》えつづけた。同時にまたいつかお民の名は一《いつ》村《そん》の外へも弘《ひろ》がり出した。お民はもう「稼《かせ》ぎ病」に夜も日も明《あ》けない若《わか》後《ご》家《け》ではなかった。いわんや村の若《わか》衆《しゆ》などの「若い小母《おば》さん」ではなおさらなかった。その代りに嫁の手本だった。今の世の貞《てい》女《じよ》の鑑《かがみ》だった。「沢向こうのお民さんを見ろ」――そういう言葉は小《こ》言《ごと》といっしょに誰《だれ》の口からも出るくらいだった。お住《すみ》は彼女の苦しみを隣《となり》の婆《ばあ》さんにさえ訴《うつた》えなかった。訴えたいともまた思わなかった。しかし彼女の心の底に、はっきり意識しなかったにしろ、どこか天《てん》道《とう》を当てにしていた。その頼《たの》みもとうとう水の泡《あわ》になった。今はもう孫の広《ひろ》次《じ》よりほかに頼みにするものは一つもなかった。お住は十二、三になった孫へ必死の愛を傾《かたむ》けかけた。けれどもこの最後の頼みも途《と》絶《だ》えそうになることはたびたびだった。
ある秋晴れのつづいた午後、本包みを抱《かか》えた孫の広次は、あたふた学校から帰って来た。お住はちょうど納《な》屋《や》の前に器用に庖《ほう》丁《ちよう》を動かしながら、蜂《はち》屋《や》柿《がき*》 を吊《つる》し柿に拵《こしら》えていた。広次は粟《あわ》の籾《もみ》を干した筵《むしろ》を身軽に一枚飛び越《こ》えたと思うと、ちゃんと両足を揃《そろ》えたまま、ちょっと祖母に挙《きよ》手《しゆ》の礼をした。それからなんの次《つぎ》穂《ほ》もなしに、こうまじめに尋《たず》ねかけた。
「ねえ、おばあさん。おらのお母《かあ》さんはうんと偉《えら》い人かい?」
「なぜや?」
お住は庖《ほう》丁《ちよう》の手を休めるなり、孫の顔を見つめずにはいられなかった。
「だって先生がの、修《しゆう》身《しん》の時間にそう言ったぜ。広次のお母さんはこの近在に二人とない偉い人だって」
「先生がの?」
「うん、先生が。嘘《うそ》だのう?」
お住はまず狼《ろう》狽《ばい》した。孫さえ学校の先生などにそんな大嘘を教えられている、――実際お住にはこのくらい意外な出来事はないのだった。が、一《いつ》瞬《しゆん》の狼狽ののち、発作的に怒《いか》りに襲《おそ》われたお住は別人のようにお民を罵《ののし》り出した。
「おお、嘘だとも、嘘の皮だわ。お前のお母さんという人はな、外でばっか働くせえに、人前は偉くいいけんどな、心はうんと悪な人だわ。おばあさんばっか追い廻《まわ》してな、気ばっかむやみと強くってな、……」
広次はただ驚《おどろ》いたように、色を変えた祖母を眺《なが》めていた。そのうちにお住は反動の来たのか、たちまちまた涙《なみだ》をこぼしはじめた。
「だからな、このおばあさんはな、われ一人を頼《たの》みに生きているだぞ。わりゃそれを忘れるじゃなえぞ。われもやがて十七になったら、すぐに嫁《よめ》を貰《もら》ってな、おばあさんに息をさせるようにするんだぞ。お母さんは徴《ちよう》兵《へい》がすむ《*》 まじゃあなんか、気の長えことを言ってるがな、どうしてどうして待てるもんか! いいか? わりゃおばあさんにお父《とう》さんと二人分孝行するだぞ。そうすりゃおばあさんも悪いようにゃしなえ。なんでもわれにくれてやるからな。……」
「この柿も熟《う》んだら、おらにくれる?」
広次はもうもの欲《ほ》しそうに籠《かご》の中の柿をいじっていた。
「おおさえ。くれなえで。わりゃ年はいかなえでも、なんでもよくわかってる。いつまでもその気をなくすじゃなえぞ」
お住は涙《なみだ》を流し流し、吃逆《しやくり》をするように笑い出した。……
こういう小事件のあった翌晩、お住はとうとうちょっとしたことから、お民とも烈《はげ》しいいさかいをした。ちょっとしたこととはお民の食う藷《いも》をお住の食ったとかいうことだけだった。しかしだんだん言い募《つの》るうちに、お民は冷笑を浮《う》かべながら、「お前さん働くのが厭《いや》になったら、死ぬよりほかはなえよ」と言った。するとお住は日ごろに似合わず、気違いのように吼《たけ》り出した。ちょうどこの時孫の広次は祖母の膝《ひざ》を枕《まくら》にしたまま、とうにすやすや寝《ね》入《い》っていた。が、お住はその孫さえ、「広《ひろ》、こう、起きろ」と揺《ゆ》すり起こした上、いつまでもこう罵《ののし》りつづけた。
「広、こう、起きろ。広、こう、起きて、お母さんの言い草を聞いてくよう。お母さんはおらに死ねって言っているぞ。な、よく聞け。そりゃお母さんの代になって、銭《ぜに》は少しは殖《ふ》えつらけんど、一町三段の畠《はたけ》はな、ありゃみんなおじいさんとおばあさんとの開《かい》墾《こん》したもんだぞ。そりょうどうだ? お母さんは楽がしたけりゃ死ねって言ってるぞ。――お民、おらは死ぬべえよう。なんの死ぬことが怖《こわ》いもんじゃ。いいや、手前の指図《さしず》なんか受けなえ。おらは死ぬだ。どうあっても死ぬだ。死んで手前にとっ着いてやるだ。……」
お住は大声に罵《ののし》り罵り、泣き出した孫と抱《だ》き合っていた。が、お民は相変わらずごろりと炉《ろ》側《ばた》へ寝《ね》ころんだなり、そら耳を走らせているばかりだった。
――――――――――――
けれどもお住《すみ》は死ななかった。その代りに翌年の土用明け前、じょうぶ自《じ》慢《まん》のお民《たみ》は腸チブスに罹《かか》り、発病後八日目に死んでしまった。もっとも当時腸チブス患《かん》者《じや》はこの小さい一《いつ》村《そん》の中にも何人出たかわからなかった。しかもお民は発病する前に、やはりチブスのために倒れた鍛《か》冶《じ》屋《や》の葬《そう》式《しき》の穴《あな》掘《ほ》り役に行った。鍛冶屋にはまだ葬式の日にやっと避《ひ》病《びよう》院《いん》へ送られる弟《で》子《し》の小《こ》僧《ぞう》も残っていた。「あの時にきっと移ったずら」――お住は医者の帰ったのち、顔をまっ赤にした患者のお民にこう非難を仄《ほのめ》かせたりした。
お民の葬式の日は雨降りだった。しかし村のものは村長をはじめ、一人も残らず会《かい》葬《そう》した。会葬したものはまた一人も残らず若死にしたお民を惜《お》しんだり、大事の稼《かせ》ぎ人を失った広《ひろ》次《じ》やお住を憐《あわれ》んだりした。ことに村の総代役は郡でも近々にお民の勤労を表《ひよう》彰《しよう》するはずだったということを話した。お住はただそういう言葉に頭を下げるよりほかはなかった。「まあ運だとあきらめるだよ。わしらもお民さんの表彰についちゃ、去年から郡役所へ願い状を出すしさ、村長さんやわしは汽車賃を使って五度も郡長さんに会いに行くしさ、やさしい骨を折ったことじゃなえ。だがの、わしらもあきらめるだから、お前さんも一つあきらめるだ」――人のいい禿《は》げ頭の総代役はこう常《じよう》談《だん》などもつけ加えた。それをまた若い小学教員は不快そうにじろじろ眺《なが》めたりした。
お民の葬《そう》式《しき》をすました夜、お住は仏《ぶつ》壇《だん》のある奥《おく》部《べ》屋《や》の隅《すみ》に広《ひろ》次《じ》と一つ蚊《か》帳《や》へはいっていた。ふだんはもちろん二人ともまっ暗にした中に眠《ねむ》るのだった。が、今夜は仏壇にはまだ灯《とう》明《みよう》もともっていた。その上妙《みよう》な消毒薬の匂《におい》も古《ふる》畳《だたみ》にしみこんでいるらしかった。お住はそんなこんなのせいか、いつまでも容易に寝《ね》つかれなかった。お民の死は確かに彼女の上へ大きい幸福をもたらしていた。彼女はもう働かずともよかった。小《こ》言《ごと》を言われる心配もなかった。そこへ貯金は三千円もあり、畠《はたけ》は一町三段ばかりあった。これからは毎日孫といっしょに米の飯を食うのもかってだった。日ごろ好物の塩《しお》鱒《ます》を俵で取る《*》のもまたかってだった。お住はまた一生のうちにこのくらいほっとした覚えはなかった。このくらいほっとした?――しかし記《き》憶《おく》ははっきりと九年前のある夜を呼び起こした。あの夜も一《ひと》息《いき》ついたことをいえば、ほとんど今夜に変わらなかった。あれは現在血をわけた倅《せがれ》の葬式のすんだ夜だった。今夜は?――今夜も一人の孫を産《う》んだ嫁《よめ》の葬式のすんだばかりだった。
お住は思わず目を開いた。孫は彼女のすぐ隣に他愛《たわい》のない寝《ね》顔《がお》を仰《あお》向《む》けていた。お住はその寝顔を見ているうちにだんだんこういう彼女自身を情けない人間に感じ出した。同時にまた彼女と悪《あく》縁《えん》を結んだ倅の仁太郎や嫁のお民も情けない人間に感じ出した。その変化は見る見る九年間の憎《にく》しみや怒《いか》りを押し流した。いや、彼女を慰《なぐさ》めていた将来の幸福さえ押し流した。彼ら親子は三人ともことごとく情けない人間だった。が、そのうちにたった一人生き恥《はじ》を曝《さら》した彼女自身は最も情けない人間だった。「お民、お前なぜ死んでしまっただ?」――お住は我知らず口のうちにこう新《しん》仏《ぼとけ》へ話しかけた。すると急にとめどもなしにぽたぽた涙《なみだ》がこぼれはじめた。……
お住は四時を聞いたのち、やっと疲《ひ》労《ろう》した眠《ねむ》りにはいった。しかしもうその時にはこの一家の茅《かや》屋《や》根《ね》の空も冷ややかに暁《あかつき》を 迎《むか》え出していた。……
(大正十二年十二月)
注 釈
*トロッコ 湯《ゆ》河《が》原《わら》出身で当時金星堂の校《こう》正《せい》係りをしていた力《りき》石《いし》という人の少年期の体験に取材した作品。
*軽《けい》便《べん》鉄道 小型の汽車を使用する鉄道。小《お》田《だ》原《わら》―熱《あた》海《み》間には最初人《じん》車《しや》鉄道が開通していたが、明治四十一年(一九〇八)八月、大日本軌《き》道《どう》会社が軽便鉄道の敷《ふ》設《せつ》工事を開始した。
*岩《いわ》村《むら》 神奈川県足《あし》柄《がら》下《しも》郡にある地名。小田原と熱海の中間で真《まな》鶴《づる》より少し東。
*日《ひ》金《がね》山《やま》 熱海市の西北にある高さ七七四メートルの山。
*阿《あ》媽《ま》港《かわ》 中国広《カン》東《トン》省澳門《マカオ》。十六、七世紀ごろ西洋商人の居留地であった。
*聚《じゆ》楽《らく》の御《ご》殿《てん》 豊《とよ》臣《とみ》秀《ひで》吉《よし》が一五八七年(天《てん》正《しよう》十五年)京都に建築した聚《じゆ》楽《らく》第《だい》をさす。
*呂《る》宋《そん》助《すけ》左《ざ》衛《え》門《もん》 泉《せん》州《しゆう》堺《さかい》の人。当時の大貿易商。本姓は納《な》屋《や》氏。南方諸国との交易により巨《きよ》富《ふ》を得、豪《ごう》奢《しや》をきわめた。
*甲《カ》比《ピ》丹《タン》 capit(ポルトガル語)。南《なん》蛮《ばん》船《せん》の船長。また江戸時代、平《ひら》戸《と》および長《なが》崎《さき》のオランダ東インド会社の日本支店の商館長の日本における呼称。
*いんへるの inferno(ポルトガル語)。地《じ》獄《ごく》。
*摩《ま》利《り》伽《か》 マラッカ。マラヤの南西部にある港。
*北《ほう》条《じよう》屋《や》弥《や》三《さ》右《う》衛《え》門《もん》 作者の虚《きよ》構《こう》した人物。
*角《かど》倉《くら》 角倉氏。京都嵯《さ》峨《が》の人。当時の大貿易商の一人。
*沙《しや》室《むろ》 いまのタイ国。
*呂《る》宋《そん》 ルソン島。いまのフィリピン国の一部。
*究理の学問 物理学のこと。
*凩《こがらし》の茶 凩の吹《ふ》く夜しみじみと茶を堪《たん》能《のう》する風流事。
*抛《な》げ銀《ぎん》 船やその積荷を担《たん》保《ぽ》として金を貸すこと。海難の場合借り手は返済の義務を負わないから貸し主のまる損となる。
*根《ね》来《ごろ》寺《でら》 和歌山県那《な》賀《か》郡にある新《しん》義《ぎ》真《しん》言《ごん》宗《しゆう》の大本山。
*殺《せつ》生《しよう》関《かん》白《ぱく》 豊《とよ》臣《とみ》秀《ひで》次《つぐ》のこと。残《ざん》酷《こく》な行動が多かったので当時こうあだ名された。
*呂《る》宋《そん》の太《たい》守《しゆ》 フィリピンのマニラの日本人町に置かれた領《りよう》事《じ》のような役人をさすか。
*「ふすた」船 fusta(ポルトガル語)。朱《しゆ》印《いん》船《せん》の免《めん》状《じよう》を得て南洋諸国と交易した小型の帆《はん》船《せん》。また小型の南《なん》蛮《ばん》船《せん》。
*瘧《おこり》 マラリヤの古名。
*はらいそ paraiso(ポルトガル語)。天国。
*沙《しや》室《むろ》屋《や》 岡《おか》地《じ》勘《かん》兵《べ》衛《え》。近《おう》江《み》の人。当時の大貿易商の一人。サラサ染めを日本で創始。
*備《び》前《ぜん》宰《さい》相《しよう》 池《いけ》田《だ》輝《てる》政《まさ》のこと。
*参《み》河《かわ》侍《ざむらい》 三《み》河《かわの》国《くに》(愛知県)の侍。
*「えそぽ」 イソップ物語のこと。キリシタン版。"Esopo no Fabulas"は、一五九三年(文《ぶん》禄《ろく》二年)天《あま》草《くさ》の学《がく》林《りん》(コレジョ)で出版された。
*麝《じや》香《こう》獣《じゆう》 芳《ほう》香《こう》を出す獣《けもの》の総称。ジャコウジカ、ジャコウネコなど。
*淀《よど》屋《や》辰《たつ》五《ご》郎《ろう》 江《え》戸《ど》時代元《げん》禄《ろく》期の大坂の豪《ごう》商《しよう》。生活は豪《ごう》奢《しや》をきわめ、専《せん》横《おう》な行《こう》為《い》が多く、遊《ゆう》女《じよ》のために家《か》産《さん》を傾《かたむ》け、謀《ぼう》書《しよ》などの罪により三《さん》都《と》を追放された。芝《しば》居《い》などに脚《きやく》色《しよく》され有名。
*本《ほん》陣《じん》 江戸時代、宿《しゆく》駅《えき》に設《もう》けられ、参《さん》勤《きん》交《こう》替《たい》の大《だい》名《みよう》や貴《き》人《じん》が宿《しゆく》泊《はく》した。
*和《かず》の宮《みや》 様《さま》ご下《げ》向《こう》 徳《とく》川《がわ》十四代将軍家《いえ》茂《もち》の妻。孝《こう》明《めい》天皇の妹。宮《みや》号《ごう》は和《かずの》宮《みや》。一八六二年(文《ぶん》久《きゆう》二年)家茂に降《こう》嫁《か》し、一八六六年(慶《けい》応《おう》二年)家茂没《ぼつ》後《ご》落《らく》髪《はつ》し静《せい》寛《かん》院《いんの》宮《みや》と称した。
*表《ひよう》徳《とく》 雅《が》号《ごう》。
*井《せい》月《げつ》 天《てん》保《ぽう》ごろの俳《はい》人《じん》。長野県伊《い》那《な》地方の人。信《しん》州《しゆう》各地を放《ほう》浪《ろう》した。
*付《つけ》合《あい》 連《れん》歌《が》・俳《はい》諧《かい》で句を付けること。井月の前《まえ》句《く》に文室が付けたのである。
*紙《かみ》石《せき》板《ばん》 ボール紙に軽《かる》石《いし》の粉などを塗《と》装《そう》して作った石《せき》盤《ばん》の代用品。
*このたび諏《す》訪《わ》の戦いに…… 元《げん》治《じ》元年(一八六四)十一月二十日、信州和《わ》田《だ》峠《とうげ》で、上《じよう》洛《らく》せんとする水《み》戸《と》浪《ろう》士《し》武《たけ》田《だ》耕《こう》雲《うん》斎《さい》の一党を和田・松《まつ》本《もと》両《りよう》藩《はん》が迎《むか》え撃《う》った戦い。松本藩の死者中に吉《よし》江《え》衛《え》門《もん》太《た》郎《ろう》などの名があり、その墓は和田峠近くの慈《じ》雲《うん》寺《じ》にある。
*大《おお》津《つ》絵《え》 大《おお》津《つ》絵《え》節《ぶし》の略。一種の俗《ぞく》謡《よう》。大津絵の戯《ぎ》画《が》の画題をよみ並《なら》べて節《ふし》付《づ》けしたものに始まり、江戸末期から明《めい》治《じ》初年にかけて替《か》え唄《うた》が流行した。
*せんげ 堰《せき》。小流。信州の方言。
*陶《とう》々《とう》亭《てい》 千代田区有《ゆう》楽《らく》町《ちよう》一丁目に現在もある中《ちゆう》華《か》料理店。大正八年(一九一九)創業。
*賄《まかない》征《せい》伐《ばつ》 旧制高校の寮《りよう》生《せい》が食器を故《こ》意《い》に破《は》壊《かい》するなどして炊《すい》事《じ》係りをこらしめたり、待《たい》遇《ぐう》改善をせまったりしたこと。
*松《スン》花《ホア》 (中国語)。松《スア》花《ホア》蛋《ダン》。家鴨《あひる》の卵を泥《どろ》・灰・塩の混合物で密《みつ》封《ぷう》凝《ぎよう》固《こ》した料理。
*魚《イウ》翅《ツウ》 (中国語)。フカ・サメなどのヒレ。
*花を折り…… 芸者と遊ぶことをいう。
*占《チヤ》城《ンパ》 「チャンパ縞」の略。紬《つむぎ》風の太糸で、さまざまな色をまじえた絹《きぬ》織《おり》物《もの》。紙入れや茶入れの袋などに多く用いられた。
*千《ち》蔭《かげ》流《りゆう》 加《か》藤《とう》千《ち》蔭《かげ》を始祖とする和様書道の流派。
*六の宮《みや》の姫《ひめ》君《ぎみ》 「今《こん》昔《じやく》物語」巻十九第五「六 宮 姫 君 夫《ろくのみやのひめぎみのおつと》出 家 語《しゆつけせること》」に取材した作品。
*兵《ひよう》部《ぶの》大《た》輔《ゆう》 諸国の兵馬など軍事を職《しよく》掌《しよう》する役所の次《す》官《け》(輔《すけ》)。輔には大小がある。
*前《ぜん》司《じ》 前の国《こく》司《し》。丹《たん》波《ばの》国《くに》は京都府北西部の辺。
*受《ず》領《りよう》 各地方に赴《ふ》任《にん》して政務を執《と》る国司。国司の別名。
*上《かん》達《だち》部《め》 三位《さんみ》以上の殿《てん》上《じよう》人《びと》。公《く》卿《げ》の称。
*気味の悪い話 「今昔物語」巻二十六第十九「東《あづま》に下る者、人の家に宿りて産に値《あ》ふものがたり」による。
*除《じ》目《もく》 県《あが》召《ためし》の除目。一月十一日より三日間宮中で行なわれ国司を新しく任ずる年中行事。
*典《てん》薬《やく》之《の》助《すけ》 宮中の医科・薬園・茶園・乳牛などをつかさどる典薬寮《りよう》の次官。
*四つ足の門 円形の大柱の前後に方形の四本の袖《そで》柱《ばしら》を立てた門。総門。
*たまくらの…… 「今昔物語」「拾《しゆう》遺《い》和歌集」(恋《こい》)にある歌。以前はすきま風も寒かったが、今はこのようにしていても平気だ、もう習慣としてならされてしまったからの意。
*乳母は…… 以下は「今昔物語」巻十五第四十七「造 悪 業 人 最 後 唱 念 仏 往 生 語《あくごうをつくりしひとさいごにねんぶつをとなえておうじようせること》」などによったか。病人の目に「火の車」「金《こん》色《じき》したる大きなる蓮《れん》華《げ》」などが見えることが記されている。
*それから…… 以下は「今昔物語」にない。
*内《ない》記《き》の上《しよう》人《にん》 「宇《う》治《じ》拾《しゆう》遺《い》物語」巻十二の四などにその名が見える。内記は、宮中のことを記録した職《しよく》掌《しよう》。大・中・小に分かれる。上《しよう》人《にん》は高《こう》僧《そう》の称。
*慶《よし》滋《しげ》の保《やす》胤《たね》 承《じよう》平《へい》四年?―長《ちよう》平《へい》四年(九三四?―一〇〇二)。菅《すが》原《わらの》文《ふみ》時《とき》に師事した平安中期の文人。大《だい》内《ない》記《き》になりのち出《しゆ》家《つけ》した。「池《ち》亭《てい》記《き》」「日《に》本《ほん》往《おう》生《じよう》極《ごく》楽《らく》記《き》」などを著わした。
*空《くう》也《や》上《しよう》人《にん》 延《えん》喜《ぎ》三年―天《てん》禄《ろく》三年(九〇三―九七二)。平《へい》安《あん》中期の高《こう》僧《そう》。踊《おどり》念《ねん》仏《ぶつ》の祖。諸国を遍《へん》歴《れき》し、道路、橋などを修復、阿《あ》弥《み》陀《だ》仏《ぶつ》を誦《しよう》名《みよう》し、市《いち》聖《ひじり》・阿《あ》弥《み》陀《だ》聖《ひじり》と呼ばれた。
*保《やす》吉《きち》 芥《あくた》川《がわ》の身《しん》辺《ぺん》小説の主人公に共通して用いられている名。
*魚《うお》河《が》岸《し》 日《に》本《ほん》橋《ばし》川に臨《のぞ》んで中央区本《ほん》船《ふね》町《ちよう》にあった魚河岸。築《つき》地《じ》に移ったのは大正十二年(一九二三)。
*露《ろ》柴《さい》 小《お》沢《ざわ》碧《へき》童《どう》氏(大正十一年八月三十一日付吉《よし》田《だ》東《とう》周《しゆう》宛《あて》書《しよ》簡《かん》による)。
*風《ふう》中《ちゆう》 小《お》穴《あな》隆《りゆう》一《いち》氏をさす(同)。
*如《じよ》丹《たん》 遠《えん》藤《どう》古《こ》原《げん》草《そう》氏をさす(同)。
*蜀《しよく》山《さん》 大《おお》田《た》南《なん》畝《ぽ》。寛《かん》延《えん》二年―文《ぶん》政《せい》六年(一七四九―一八二三)。江戸時代の代表的な狂《きよう》歌《か》師《し》。
*文《ぶん》晁《ちよう》 谷《たに》文《ぶん》晁《ちよう》。宝《ほう》暦《れき》十三年―天《てん》保《ぽう》十一年(一七六三―一八四〇)。江戸末期の画家。
*日《に》本《ほん》橋《ばし》 お孝・清《きよ》葉《は》という二人の芸者の達《たて》引《ひき》を中心とした脂《し》粉《ふん》の香《か》の強い長編小説。大正三年(一九一四)作。
*酒《さか》筵《むしろ》 酒《さか》樽《だる》を包《ほう》装《そう》してあるこも。乞《こ》食《じき》などがこれを雨具や夜具のかわりに着る。
*新《しん》公《こう》 「小説の中に村上新三郎という乞食が出てくる。幕末に村上新五郎という奇《き》傑《けつ》がいたが同一人かと尋《たず》ねられた人もある。しかしあの小説は架《か》空《くう》の談だから、いうところのモデルを用いたのではない」(続野人生計事十一暗合)
*金《きん》切《ぎ》れ 官《かん》軍《ぐん》の印《しるし》としてつけた錦《にしき》のつづれの切れ。
*竹の台 現在の上《うえ》野《の》国立博物館前の広場。
*第三回内国博覧会 明治二十三年(一八九〇)三月二十六日から上野竹の台で開催された、第三回内国勧業博覧会。
*黒《くろ》門《もん》 もと上《うえ》野《の》東《とう》叡《えい》山《ざん》寛《かん》永《えい》寺《じ》の総門だった黒《くろ》塗《ぬ》りの門。上野公園入口左の歩道にその跡《あと》がある。
*前《まえ》田《だ》正《まさ》名《な》 嘉《か》永《えい》三年―大正十年(一八五〇―一九二一)。鹿《か》児《ご》島《しま》藩《はん》士《し》。フランス留学後山梨県知事。当時農商務次官。のち元《げん》老《ろう》院《いん》議員。
*田《た》口《ぐち》卯《う》吉《きち》 嘉永四年―明治三十四年(一八五一―一九〇一)。幕《ばく》臣《しん》。維《い》新《しん》後大蔵省に出《しゆつ》仕《し》。『東京経済雑誌』を主《しゆ》宰《さい》。当時区会議員。経済学・国史の権《けん》威《い》者《しや》。著に「日本開化小史」「史《し》那《な》開化小史」がある。
*辻《つじ》新《しん》次《じ》 天《てん》保《ぽう》三年―大正四年(一八三二―一九一五)。信《しん》州《しゆう》松《まつ》本《もと》藩士。江戸で洋《よう》学《がく》を修め、文部行政に尽《じん》力《りよく》。当時文部次官、のち帝国教育会会長。
*岡《おか》倉《くら》覚《かく》三《ぞう》 文《ぶん》久《きゆう》二年―大正二年(一八六二―一九一三)美術批評家。号は天《てん》心《しん》。当時東京美術学校校長。
*下《しも》条《じよう》正《まさ》雄《お》 万《まん》延《えん》元年―大正九年(一八六〇―一九二〇)。米《よね》沢《ざわ》藩士。この時海軍士官、のち海軍主《しゆ》計《けい》大《たい》監《かん》・帝《てい》室《しつ》博物館評議員。
*さん・じょあん・ばちすた San Joan Bautista 洗《せん》礼《れい》者《しや》聖《せい》ヨハネのこと。神の国の近きことを予言し、ヨルダン川でキリストはじめ多くの人に洗礼を施《ほどこ》した。
*みげる Miguel クリスチャン・ネーム。
*網《あ》代《じろ》の乗り物 網代(竹・葦《あし》・檜《ひのき》などをうすく削《けず》り、斜《なな》めに編んだもの)製の籠《かご》。罪人の護送に用いられた。
*ジェスウィット Jesuit ジェスウィット会(一五四〇年、新教の勢力に対抗してローマ旧教の発展をはかるためにロヨラらの創始した教団。イエズス会。ヤソ会)に属する宣教師。
*ジァン・クラッセ Jean Crasset 一六一八年―一六九二年。フランスのカトリック神学者、史家。イエズス会士。日本では、日本キリシタン史家として知られ、「日本教会史」が明治時代に翻《ほん》訳《やく》された。
*ばぷちずも baptismo(ポルトガル語)。洗礼。
*獅《し》子《し》吼《く》 仏《ぶつ》教《きよう》において仏が説法によって悪《あく》魔《ま》・外《げ》道《どう》を排《はい》撃《げき》し正道を宣《せん》揚《よう》することを、獅《し》子《し》が吼《ほ》えて百《ひやく》獣《じゆう》を恐《おそ》れさせる威《い》力《りよく》にたとえたもの。
*「深く御《ご》柔《にゆう》軟《なん》、……」 聖《せい》母《ぼ》マリアを称《しよう》讃《さん》する語。十六世紀の日本のキリシタンが用いたカトリックの祈《き》祷《とう》の訳文体。「さるべれじな」という聖母マリアヘの祈祷の一節(「どちりな・きりしたん」第五)。
*「十《く》字《る》架《す》に懸《かか》り死し給《たま》い、……」 やはり当時のキリシタンが用いたことば。「どちりな・きりしたん」第六「けれど」にあるものとほぼ同じ。
*ぜすす Jesus(ラテン語)。イエス。
*御《ご》糺《きゆう》明《めい》の喇《らつ》叭《ぱ》 キリスト教における「最後の審《しん》判《ぱん》」の到《とう》来《らい》をいう。
*「おん主《あるじ》、大いなる御《ご》威《い》光《こう》、……」 最後の審判のありさま。
*「御《み》言《こと》葉《ば》の御《ご》聖《しよう》徳《とく》により、……」 「どちりな・きりしたん」第十「サンタエケレジヤの七つのサカラメントの事」の第三のサカラメントに当たる。コムニアンまたはエウカリスチャ(聖《せい》体《たい》拝《はい》領《りよう》)といわれるもの。
*さがらめんと sacramento(ポルトガル語)。聖典。秘《ひ》蹟《せき》。サカラメント。
*「憐《あわれ》みのおん母、……」 「さるべれじな」(「どちりな・きりしたん」第五)の祈《き》祷《とう》を簡略化したもの。「さるべれじな」はこのことばをもって始まる、聖母マリアにデウスヘの仲《ちゆう》介《かい》をたのむ祈祷。
*えわ Eua(ギリシャ語)。エバ。イブのこと。
*あんめい amen(ヘブライ語で「確かに」の意で、後に「かくあれ」の意)。アーメン。
*なたら natal(ポルトガル語)。誕《たん》生《じよう》の意。キリシタンでは、クリスマスの意に用いる。
*べれん Belem(ポルトガル語)。ユダヤの国ベツレヘム。キリストの降《こう》誕《たん》地《ち》。
*大天使がぶりえる San Gabriel 大天使(天使の首長、七人いるという)の名。聖書においてマリアにキリストの受《じゆ》胎《たい》を告げに来る天使(ルカ伝第一章)。
*良《りよう》平《へい》 「トロッコ」の主人公と同じ。滝《たき》井《い》孝《こう》作《さく》によれば、モデルは神奈川県湯《ゆ》河《が》原《わら》出身の力石という人。
*薄《うす》暗《ぐら》いロシアを夢《ゆめ》みている 一九一七年(大正六年)の革命前後、しばらく国内情勢の不安定であったソビエト連《れん》邦《ぽう》をさしている(在来の境地に安住し得なくなった作者自身の姿勢が感じとられる)。
*あゆびょう 未《み》詳《しよう》。あゆびはあゆぶ(歩く)の転か。
*中《なか》生《て》十文字 桑《くわ》の品種。葉の出かたによって十文字の名がある。
*塩《しお》瀬《ぜ》 羽《は》二《ぶた》重《え》に似た厚地の絹織物。
*石《せき》帯《たい》 束《そく》帯《たい》の時、袍《ほう》(上《うえの》衣《きぬ》)の腰《こし》にまとう帯。
*加《か》州《しゆう》様《さま》 加《か》賀《が》藩《はん》(石川県)。藩《はん》主《しゆ》は前田家。百万石といわれ江戸時代には全国最高の大藩だった。
*因《いん》州《しゆう》様《さま》 因幡《いなば》藩(鳥取県)。藩主は池田家。三十二万石。
*陳《ちん》皮《ぴ》 蜜《み》柑《かん》の皮をかわかして薬用に供するもの。鎮《ちん》咳《がい》・発《はつ》汗《かん》などに効能がある。
*大《だい》黄《おう》 タデ科の多年生草本で、黄色い根茎の外皮をとり去り乾《かん》燥《そう》させたもの。チベットおよび中国西北部産。健胃剤《ざい》・瀉《しや》下《か》剤として効能がある。
*やっと散《ざん》切《ぎ》りになった 散切りは髪《かみ》を切り乱したまま結ばないこと。従来の男子の結《けつ》髪《ぱつ》の風習を廃《はい》させるため、明治四年(一八七一)五月斬《ざん》髪《ぱつ》廃《はい》刀《とう》令《れい》が公布されたが、散切り頭にはなかなか改まらなかった。
*振《ふ》り出しの袋《ふくろ》 薬を布の袋に入れて湯に浸《ひた》し、振り動かして薬気を出すもの。薬屋で売った。
*薬《や》研《げん》 漢《かん》方《ぽう》の薬種を細かい粉にする金属製の器具。薬おろしのこと。
*会《あい》津《づ》っ原《ぱら》 千代田区大《おお》手《て》町《まち》あたり。もと会《あい》津《づ》藩《はん》の屋《や》敷《しき》があり、それが明治五年(一八七二)の大火で焼原となっていた。
*煉《れん》瓦《が》通《どお》り 明治五年(一八七二)の大火後、新《しん》橋《ばし》―銀《ぎん》座《ざ》間に西洋風市街が建築され煉《れん》瓦《が》街《がい》ができた。
*滝《たき》田《た》氏 滝田哲《てつ》太《た》郎《ろう》 明治十五年―大正十四年(一八八二―一九二五)。号は樗《ちよ》陰《いん》。東大を中退。『中央公論』の記者・主《しゆ》幹《かん》として活《かつ》躍《やく》。名編集者と謳《うた》われた。
*流行の危険思想 大正から昭和にかけて盛《さか》んになった社会主義および共産主義思想をさす。
*国《こく》粋《すい》会《かい》 皇室中心主義、国《こく》粋《すい》主義を奉《ほう》ずる思想団体。大正八年(一九一九)西《にし》村《むら》伊《い》三《さぶ》郎《ろう》などの首唱で成立した大日本国粋会あたりをさす。
*相《そう》互《ご》扶《ふ》助《じよ》論《ろん》 社会を進化発達せしめる最大要因が相《そう》互《ご》扶《ふ》助《じよ》にあると主張し、ダーウィン主義の進化論思想が搾《さく》取《しゆ》を正当化しているとして攻《こう》撃《げき》を加えたクロポトキンの著者。正しい署名は「相互扶助諭即《すなわ》ち進化の一要因」(Mutual Aid,a Factor of Evoluition)(一九〇二)。
*小《お》野《の》の小《こ》町《まち》 平《へい》安《あん》前期の女流歌人。六《ろつ》歌《か》仙《せん》および三十六歌仙の一人。出《で》羽《わ》の郡《ぐん》司《じ》小《お》野《のの》良《よし》実《ざね》(篁《たかむら》の子)の娘《むすめ》という。絶《ぜつ》世《せい》の美女として名高く、その生《しよう》涯《がい》は種々伝説化されて、謡《よう》曲《きよく》その他後《こう》世《せい》の文芸に多くの題材を与《あた》えた。仁《にん》明《みよう》・文《もん》徳《とく》両朝の後《こう》宮《きゆう》に仕え、八七六年ごろ致《ち》仕《し》したとも伝えるが、生《せい》没《ぼつ》その他未《み》詳《しよう》。
*深《ふか》草《くさ》の少《しよう》将《しよう》 小野の小町のもとに百《もも》夜《よ》通《かよ》ったと伝えられる人。僧《そう》正《じよう》遍《へん》昭《じよう》の在俗の時のことともいうが不《ふ》詳《しよう》。謡曲「通《かよい》小《こ》町《まち》」の主人公。
*玉《たま》造《つくり》の小《こ》町《まち》 「玉《たま》造《つくり》小《こ》町《まち》子《し》壮《そう》衰《すい》書《しよ》」の主人公。美人であったが、晩年容色が衰《おとろ》えておちぶれ乞《こ》食《じき》をして歩いていたという。小野小町のことともいう。謡曲「卒《そ》都《と》婆《ば》小《こ》町《まち》」などは、この話から取材されている。
*安《あ》倍《べ》の晴《せい》明《めい》 平安中期の人。天文博士・陰《おん》陽《みよう》師《じ》として名高く種々の伝説がある。
*火《ひ》鼠《ねずみ》の裘《かわごろも》 「竹《たけ》取《とり》物語」のかぐや姫が求《きゆう》婚《こん》者《しや》の一人に探《さが》すように命じた、この世にありえない宝物の一つ。絶対火に焼けないという。
*蓬《ほう》莱《らい》の玉の枝 同右。蓬莱(南方の海中にあるという仙《せん》境《きよう》)にある美しい玉の枝。
*燕《つばめ》の子《こ》安《やす》貝《がい》 同右。燕がお産をする時生むという。
*三《さん》十《じゆう》番《ばん》神《じん》 月の三十日を一日ずつ分担して法《ほ》華《け》経《きよう》を護り給う三十体の神々。
*南《なん》蛮《ばん》寺《じ》 永《えい》禄《ろく》十一年(一五六八)織《お》田《だ》信《のぶ》長《なが》が、京都と安《あ》土《づち》に建設を許したキリスト教会堂。
*硝子《ガラス》画《え》 ステンド・グラス。
*レクトリウム 不《ふ》詳《しよう》。あるいは中世の教会用語か。おそらく読書室の意味であろうか。
*あびと habito(ポルトガルト語)。僧《そう》侶《りよ》などの着用する長くゆるやかな衣服。
*こんたつ contas(ポルトガル語)。じゅず。
*カテキスタのファビアン カテキスタ catechist (ポルトガル語・ラテン語)は、カテキシモ(キリシタンの教義)を教える人。すなわち伝《でん》道《どう》士《し》の意。伝道士ファビアン(Fabian)。ここは日本人であろう。
*「すぐれて御《ご》愛《あい》憐《れん》、……天《てん》上《じよう》の妃《きさき》」 聖母マリアのこと。このことばは、十六世紀の日本のキリシタンによって用いられた、カトリック祈《き》祷《とう》の、当時の訳文体である。
*ジュデア Judea ユダヤ。
*佐《さ》佐《さ》木《き》家《け》 佐佐木義《よし》賢《かた》。六《ろつ》角《かく》と称す。近《おう》江《み》源《げん》氏《じ》。代々近江国蒲《が》生《もう》郡に居住す。しばしば信長と争ったが元《げん》亀《き》元年(一五七〇)降《こう》伏《ふく》する。
*長光寺の城《しろ》攻《ぜ》め 近江国蒲生郡にあった。柴《しば》田《た》勝《かつ》家《いえ》が守っていたのを、元亀元年佐佐木義賢が攻《せ》め、柴田は城中の最後の飲料水のかめをうちわって討《う》って出、佐佐木を討ち破った。
*若《わか》衆《しゆ》 ここでは、男《だん》色《しよく》関係の相手の少年の意。
*学校 芥《あくた》川《がわ》は大正五年(一九一六)十二月から同八年三月まで横《よこ》須《す》賀《か》の海軍機関学校の英語教官をした。この間、六年の冬に横須賀に下宿した以外は鎌《かま》倉《くら》に住んでいた。
*土《と》岐《き》哀《あい》果《か》 明治十八年―昭和五十五年(一八八五―一九八〇)歌人。本名は善《ぜん》麿《まろ》。早大英文科卒。三行書きの短歌を作り「生活と芸術」を主《しゆ》宰《さい》、生活派運動の中心をなした。この歌は歌集『佇《たたず》みて』(大正二年十月東雲堂刊)にある。ただし第四句は「かじらんとする」。
*ストリントベルグ strindberg 一八四九年―一九一二年。スウェーデンの小説家、劇作家。芥川に最も影《えい》響《きよう》のあった一人。
*エサウ Easu 旧約聖書創世記に出てくるイサクの子。ヤコブと双《そう》生《せい》児《じ》。家《か》督《とく》権《けん》も嫡《ちやく》子《し》としての父よりの祝福もその弟に奪《うば》われた。
*De gustibus…… ラテン語。「たべる趣《しゆ》味《み》(味わうこと)は議論してもはじまらない」の意。
*セオソフィスト theosophist(英語)。神《しん》智《ち》学者。
*occult sciences オカルト・サイエンス(英語)。神秘学。
*ロバアト・ルイズ・スティヴンソン Robert Louis Stevenson 一八五〇年―一八九四年。イギリスの小説家。「宝島」など。
*ラマルク Lamarck 一七四四年―一八二九年。フランスの動物学者。生物はおのずから発達する本性をもつと主張し進化論を唱えた。
*ラマルキァン Lamarckian(英語)。ラマルク学派。進化論を受けついだ人。
*第一の毛虫 この数行はルナール「博物誌」の模《も》倣《ほう》。
*ファウスト 書《しよ》斎《さい》で悪《あく》魔《ま》メフィストフェレスがファウストの身がわりの姿になり学生にいう教訓。第一部第二〇三八・二〇三九行。
*cat's paw (英語)。普《ふ》通《つう》の意味は「猫《ねこ》の足」。海上用語としての意は「微《び》風《ふう》」。
*ハッチ hatch(英語)。船の甲《かん》板《ぱん》の昇《しよう》降《こう》口《くち》。
*テンス tense(英語)。文法上の時制。
*タイフウン typhoon(英語)。台風。
*一《いち》游《ゆう》亭《てい》 小穴隆一。画家。芥川の親友。
*旭《きよく》窓《そう》外《がい》史《し》 淡《たん》窓《そう》の孫にこういう名の人はいない。弟に旭《きよく》荘《そう》というのがいる。
*淡《たん》窓《そう》 広《ひろ》瀬《せ》淡窓。天《てん》明《めい》二年―安《あん》政《せい》三年(一七八二―一八五六)。江戸末期の漢《かん》詩《し》人《じん》。
*二つになる男の子 芥川の次男多《た》加《か》志《し》。大正十一年十一月生まれ。のち戦死した。
*抱《ほう》一《いつ》 江戸末期の画家酒《さか》井《い》抱一。宝《ほう》暦《れき》十一年―文《ぶん》政《せい》十一年(一七六一―一八二八)。光《こう》琳《りん》の画風に私《し》淑《しゆく》した。華《か》麗《れい》なうちに俳《はい》味《み》をおびる。
*後半の作家 いわゆる世紀末の頽《たい》廃《はい》的作風の作家。ボードレールなど。
*鎮《ちん》守《じゆ》府《ふ》 各海軍区の軍政上の機関。ここは横《よこ》須《す》賀《か》のそれ。
*横文字の小説 未《み》詳《しよう》。大正二年八月十二日付書簡に「このころよみし小説(アルチバアセフー〔注〕ロシアの小説家―か何かなりしと思い候)の中に」と書いて、これと同じことをひいている。
*ジァン・リシュパン Jean Richepin 一八四九年―一九二六年。フランスの詩人。社会の伝統や習慣に反《はん》抗《こう》し奇《き》矯《きよう》異常を好んだ。
*サラア・ベルナアル Sarah Bernahardt 一八四五年―一九二三年。フランスの女優。悲劇を得意とした。
*軍《ぐん》艦《かん》三《み》笠《かさ》 日《にち》露《ろ》戦争の日本海海戦における連合艦《かん》隊《たい》の旗《き》艦《かん》の名。大正十二年艦《かん》籍《せき》から除かれ、同十五年、記念艦として横須賀白浜海岸に固定保存された。
*Fly フライ。未《み》詳《しよう》。アメリカのココアか。
*Droste ドロステ。有名なオランダのココアの一。
*En face アンファース(仏語)。正面から真向に。
*三《み》笠《かさ》 煙草の名。
*硯《けん》友《ゆう》社《しや》趣《しゆ》 味《み》の娘《むすめ*》 硯友社は尾《お》崎《ざき》紅《こう》葉《よう》を中心とした明治中期の文学結《けつ》社《しや》。江戸文学とくに元《げん》禄《ろく》調の趣《しゆ》味《み》、情《じよう》緒《ちよ》が強く、遊《ゆう》里《り》の女を書いたものが少なくない。大正初めに至るまで広く大衆ことに女性に読まれた。
*乙《つば》鳥《くろ》口《ぐち》の風《ふ》呂《ろ》敷《しき》包み 口を開くと燕《つばめ》の尾《お》のような形になる手さげの布《ぬの》袋《ぶくろ》。
*鏑《かぶら》木《ぎ》清《きよ》方《かた》 明治十一年―昭和四十七年(一八七八―一九七二)東京生まれ。日本画家。情緒的な風俗画・美人画をかいた。「元禄女」「隅《すみ》田《だ》川《がわ》舟《ふな》遊《あそび》」「築《つき》地《じ》明《あか》石《し》町《ちよう》」などが有名。
*講《こう》談《だん》倶《く》楽《ら》部《ぶ》 明治四十四年(一九一一)十一月創刊の大衆娯《ご》楽《らく》雑誌。
*Van Houten バン・ホーテン。オランダ産のココア最上品。一八二八年バン・ホーテンによって発明され特許を得た。
*De Hooghe デ・ホーホ 一六二九年―一六七七年? オランダの画家。レンブラントの影《えい》響《きよう》を受け、主として市民の日常生活の情景や肖像画を描《えが》いた。もの静かな情緒に満たされている。
*Spargo ジョン・スパルゴー 一八七六年―一九六六年。アメリカ(イギリス生まれ)の社会民主主義者。
*佐《さ》橋《ばし》甚《じん》五《ご》郎《ろう》 森《もり》鴎《おう》外《がい》の短編歴史小説。大正二年四月『中央公諭』に発表。
*後《ご》生《しよう》よし この世でよく働き苦労したり、またよく働く跡《あと》継《つ》ぎがあるのであの世でしあわせにあう者。
*朝《あさ》比《ひ》奈《な》の切《きり》通《どお》し 鎌《かま》倉《くら》市内にある切通し。切通しは丘などを切り開いた通路。
*蜂《はち》屋《や》柿《がき》 渋《しぶ》柿《がき》の一種。干柿として優良。岐阜県の蜂《はち》屋《や》村の原産。
*徴《ちよう》兵《へい》がすむ 戦前は兵役法により男子は満二十歳になると強制的に徴《ちよう》兵《へい》検査を受け一定期間(普《ふ》通《つう》一年間)軍事訓練に服さねばならなかった。
*俵で取る 切り身とか一匹《ぴき》で買うのでなく俵につめたものを大量に買うこと。
トロッコ・一《いつ》塊《かい》の土《つち》
芥《あくた》川《がわ》 龍《りゆう》之《の》介《すけ》
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平成12年10月13日 発行
発行者 角川歴彦
発行所 株式会社 角川書店
〒102-8177 東京都千代田区富士見2-13-3
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本電子書籍は下記にもとづいて制作しました
角川文庫『トロッコ・一塊の土』昭和44年7月30日初版刊行