スターライト☆だんでぃ
火浦 功
¥PARTT ボギー&ジギー
^ 1 日本一の固ゆで男
「おれのことなら、ボギーって呼んでくれ」
と、その男は言った。
型通りに、折れ曲がった煙草を、
型通りに、口の端っこにくわえて、
型通りに、少し顔をしかめながら、
型通りに、気取りまくった声で。
女は、ポカンと口を開けて、男の横顔を見つめた。
まじまじと。
――本気かしら?
男は、本気だった。
これ以上はないというくらい、本気だった。
不幸にも。
この角度から見ると、ハンフリー・ボガードに似ていると、本人は信じ込んでいたが、実のところ、ボガードの物真似をしているジェリー・ルイスほども、似ていなかった。
残念ながら。
「ボギー……?」
と、女は言った。
吹き出す寸前みたいな声で。
「ボギー、ですって?」
「そうさ」
男は、うなずいた。
女は、吹き出した。
それは、大声で。
ゲラゲラと。
リゾート地のシングルス・バーで、ふと目が合った、行きずりの男と女が、一夜をともにする。
大人の世界なら、よくある話だ。
ベッドに入り、いざって時に、女は、ふと思いついたように、こう言う。(女ってのは、実際、こういう時、ふと思いついたように言うものなのだ)
「ところで、まだ、あなたの名前を訊いてなかったわね」
かくして、楽しかるべき旅の思い出が、こっぱみじんに打ちくだかれる。
無惨にも。
ベッドの中で、面と向かって吹き出された男の気持ちは、ベッドの中で面と向かって吹き出されたことのある男にしか、わからない。
しかし、あえて言うなら。
首にロープを巻き付けて、両端を自分の手で力一杯ひっぱりたくなるような。
まあ、だいたい、そんな気分だ。
どこかにロープはないか?
男が、辺りを見回している隙に、女はするりとベッドを抜け出した。
くすくす笑いながら、身支度を始める。
「どこへ行くんだ?」
「おもしろい冗談だったわ」
女は、ハンドバッグを手に、ドアの前で男をふり返る。
しまのパンツ一枚で、間の抜けた顔をして、ベッドに座っている男を。
そして、言う。
「バイバイ」
まさに、その瞬間――。
ぼん!
ドアの電子ロックが、青白いスパークを発して、吹き飛んだ。
「きゃっ」
女が、思わず悲鳴をあげて、尻もちをつく。
ポリ・スチール製のドアが押し開けられ、数名の男たちが、どやどやと入ってきた。
全員、甲冑のような装甲服を着こんでおり、手には、大口径のレーザー・マグナムを構えている。
連邦のAP(アームド・ポリス=武装警官)だ。
「な、なによっ」
尻もちをついたままで、女が叫んだ。
「いきなり、ひとの部屋に入ってきて。あんたたち、いったい、どういうつもりなのっっ!」
APたちは、だれひとり、それに応えようともせず、まっすぐベッドに向かった。
まるで無表情に。
「警察を呼ぶわよっ!」
女が、ヒステリックにわめいた。
まだ、事の次第が、よくのみこめていないらしい。
しかし、それを言うなら、男のほうも御同様だ。
男は、しばらくの間、押し入ってきたAPたちを、ただぼんやりと眺めていた。
パンツ一丁で。
時計の秒針が、きっかり一回りした。
男は、不意に、ベッドの上で、ぴょんと飛びあがった。
「な、なん……」
大あわてで、枕を引きよせ、体の前で抱きしめる。男がやっても、あまりサマになる格好ではない。
それはともかく。
「なんだ、なんだ、お前たち。断りもなくひとの部屋に入ってきやがって!」
男は怒鳴った。
パンツ一丁で。
「ちったあ、場所柄てえものを、わきまえろ!」
APたちは、無言でベッドのまわりを、取り囲んだ。
ずらりと並んだ銃口を目の前にして、男は大急ぎで考えた。
こういう場面にふさわしい、なにか気のきいたセリフはないもんか。それも、思いきりハードボイルドなやつだ。
「三つ数える間に出ていけ」
男は、タフぶった声で言った。
「ひとつ。ふたつ。みっつ」
APたちは、誰ひとり、動こうとしない。
枕をかかえたパンツ一丁の男にとって、ハードボイルドは、いささか荷が重すぎたようだ。
「わかったよ」
男は、ため息をついた。
「なんの用かしらんが、そいつをすまして、さっさと出てってくれないか。あんたらのせいで、せっかくの雰囲気が、ぶちこわしだ。人の恋路の邪魔をするやつは、河馬に蹴られて死んじまえって、古い中国の格言があるのを知らないのか?」
「おたくの恋路は、終わったみたいだぜ?」
先頭のAPが、からかうような口調で言った。ドアの方に、顎をしゃくってみせる。
女は、いつのまにか、消えていた。
逃げたらしい。
――なんてこった。
男は、かすかに首を振った。
恨みがましい目つきで、APたちを見あげ、
「お前らのせいだ」
と、責任転嫁する。
APが、冷静に指摘した。
「そいつは、責任転嫁ってもんだ」
図星である。
真実である。
従って、男は腹を立てた。
「るせーるせー! そんな皮肉を言うために、わざわざドアをぶち破ったのか」
「ふん」
APは、鼻の先で笑った。
そして、言った。
「鳴海甲介ってのは、あんたか?」
「だったら、なんだってんだ」
「聞かれたことに答えろ」
「ああ、そうだよ!」
「ふーん」
APは、甲介の姿を、上から下まで、じろじろと眺めまわした。さも意味ありげに。
「なんだよ」
「おたくの噂は聞いてるよ」
と、APは言った。
ニヤニヤ笑いながら。
「つまり、あんたが、あのボギーなんだな?」
「笑いたきゃ、死ぬまで笑ってろ」
甲介は、ふてくされた顔で、横を向いた。
「よし。わかった」
隊長格のそのAPは、指を一本立てて、他の隊員に合図をした。
「我々と、一緒に来てもらおう」
「なんだって?」
APがふたり、きょろきょろしている甲介の両腕をつかんで、無理矢理ベッドから連れ出した。
そのまま出口に向かって歩き始める。
体格の良いAP隊員に両脇をはさまれて、甲介の足は床にとどいていない。
「ちょ、ちょっと待て」
その足を、ばたばたさせながら、甲介は叫んだ。
「ちょと待てって言ってんだ。聞こえないのか、おい」
先頭を歩くAPが、ふり返った。
甲介は、後生大事に枕をかかえたままだ。
「なんだ?」
と、AP。
「なんだじゃねえ! 着替えぐらいさせんか、この野郎」
「残念だったな」
APは、そっけなく答えた。
「見つけしだい、ただちに連行しろと命令されている」
「おい!」
甲介は、どんどん運ばれていきながら、大声でわめいた。
「ひと言くらい説明したっていいだろう。いったいどういうことなんだ!」
廊下の先にもAP隊員がひとり、エレベーターの扉を開けて待っていた。
「なんだってんだ。くそ、その手をはなせ! この馬鹿力! はなせ! おろせ!」
エレベーターは、屋上へ向かった。
甲介は、わめき続けた。
「人権蹂躙だぞ! 訴えてやる! おれは、税金だって、ちゃんと払ってんだ。こんな扱いを受けるいわれはないんだ。おい、聞いてんのか」
APたちは、全員、耳がないような顔をしている。
ホテルの屋上には、迷彩色のイオン・ジェット・ヘリが、アイドル状態のままで、停まっていた。
「おれを、どこへ連れていく気だ。おい。お前たち本当に警官なのか? おれなんか誘拐したって、身代金は出ねえぞ。車のローンだって、まだ半年分残ってるんだ。わかってるのか。おい。ちょっと話を聞けったら……!」
バム!
ヘリの扉が、勢いよく閉じられた。
航行灯を点滅させながら、ヘリは熱海の夜空に舞いあがった。
パンツ一丁の男と、ホテル・ニューATAMIの枕一個を載せて。
^ 2 地球連邦宇宙開発公団開拓者援護局
「遅かったな」
メルボルンにある開拓者援護局本部――通称『センター』の局長ブライアンが、十トンはありそうな巨大なマホガニー製のデスクの向こうから、事務的な口調でいった。
熱海から、東京までヘリで三十分。東京からメルボルンまでシャトル便で一時間。――熱海での大騒ぎから、わずか一時間半後のことである。
「休暇は楽しめたかね?」
枕をかかえて、パンツ一丁で立っている甲介を、うすい色のサングラスごしにチラリと見て、ひと言。
「どうやら、楽しめたらしいな」
「冗談じゃない!」
甲介は、口から唾を飛ばして、言った。
「おとついですよ、ぼくが二週間の休暇願を出したのは!」
「君の休暇願は、たった今、取り消された」
「そんな無茶な」
「私は、この十年間、一度も休暇なぞとったことがないぞ」
「なるほどね」
甲介は、うなずいた。
「どうやった、そんな風に四六時中、インケンな顔をしていられるのか、不思議に思ってたんですが、――コツはそれですか?」
ブライアンは、表情ひとつ変えずに言った。
「仕事だ」
「そうでしょうとも」
「ブライトサイドを知ってるか?」
「楽天的な、って意味の……?」
「いや。植民星の名前だ。ペテルギウスのもう少し先にある」
ペテルギウスまでは、地球から約五百光年。さらにその先ということは、連邦の中でも最辺地――つまり、ものすごいド田舎の星ってわけだ。
甲介はズバリと言った。
「ものすごいド田舎の星ですな」
「ごく最近、植民されたばかりだからな。主な産業は農業だ」
「それで?」
「それで、とは?」
「つまりですね、そのなんとかって星と……」
「ブライトサイド」
「そう。そのブライトサイドって星と、まだ十日以上残っていたぼくの有給休暇が取り消された事と、いったいどういう関係があるのかってことですよ」
「ブライトサイドの入植者のひとりから、苦情が回ってきた」
「苦情? どんな?」
「畑のジャガイモが、全部枯れたそうだ」
「…………」
甲介は、ブライアンの顔を、無言で見つめた。
ブライアンも、甲介の顔を見つめ返した。
世界の終わりみたいな静寂が、局長室を、ずっしりと覆っていた。犬の遠吠えでも聞こえてきたら、さぞかしお似合いだろうっていう雰囲気だ。
甲介が、口を開いた。
「局長……?」
「なんだね?」
「いつから冗談を言うようになったんです?」
「私は冗談なぞ言わん」
甲介は、なんとなく天井を見あげた。
ひとつ、ため息をつく。
「じゃあ、なんですか。五百光年も離れたところにある、なんとかってド田舎の星で」
「ブライトサイド」
「そう。わかってますよ。そのブライトサイドでジャガイモが枯れたからっていうだけで、ぼくを呼び戻したんですか?」
「そうだ」
「AP隊まで使って?」
「そうだ」
「休暇中だったのに?」
「そうだ」
「たったそれだけの理由で、わざわざ?」
「そうだ」
「こんなことは言いたくないんですがね、局長。――やっぱり、休暇をとられた方が、いいんじゃないですか?」
うすいサングラスの下で、ブライアンの目が、わずかに細まったように見えた。――あるいは、甲介の目の錯覚だったのかもしれないが。
「センターから送りこんだ調査員が、もうすでに三人、行方不明になっている」
ブライアンは、鋼鉄みたいな声で言った。
「これでも、たったそれだけの理由だと思うかね?」
「三人……」
甲介は、片方の眉をつりあげて見せた。
「器用なもんだな」
と、ブライアンが言った。
「なにがです?」
「君の、その眉毛だよ。どうやったら、そんなことができるんだ?」
「練習したんですよ」
甲介は、もう一度、眉をつりあげながら、答えた。
「そうか。練習したのか」
「練習したんです」
「世の中には、そんなことを練習するやつもいるんだな」
ブライアンが、しみじみと言った。
「休暇中の部下を、ホテルのベッドから呼び戻す上司だっていますからね」
声に皮肉をたっぷりまぶして、甲介は言い返した。
「ところで、ひとつ訊いてもいいですか?」
「なんだ」
「どうして、ぼくなんです? センターってのは、そんなに人手不足なんですか?」
「君より優秀なエージェントは、いくらでもいる」
ブライアンは、言った。
きっぱりと言いきった。
――ガラガラ蛇だって、これよりは可愛いだろう。
甲介は、ブライアンの顔を眺めながら、ぼんやりと考えた。
「しかし、彼らは皆それぞれ、重要な任務を帯びて、銀河の各地へ散らばっている。残念ながら、一番手近にいて、この件に回せそうなエージェントは、君ひとりだったのだ」
「残念ながら、ね」
「まあ。君でも、まるっきりの新前よりは、少しはましだろうからな」
「ありがたいですな」
と、甲介。
「こんなに上司の信頼が厚くっちゃ、部下としても、仕事にはげむしかないってわけだ」
「これで事情は、わかったと思うが?」
「だいたいのところは」
「じゃあ、そんなところで、いつまでもぼんやりつっ立ってないで、さっさと宇宙港へ行ったらどうかな?」
ブライアンは、うす気味の悪い、妙に優しげな声で言った。
つまり、尻を蹴とばされる前に、とっとと出て行けって意味だ。
甲介は、軽く肩をすくめた。
局長室を出ていきかけ、ドアの前で立ち停まった。
引き返してくる。
「なんだね」
もう次の仕事にかかっていたブライアンが、書類から目をあげて、尋ねた。露骨に、なにをグズグズしてやがるこのトンチキ、というような目つきだ。
「出発する前に、ちょっと熱海に寄ってもいいですか?」
甲介は、しゃあしゃあとした顔で、言った。
「ホテルに、歯ブラシを忘れてきちゃったんです」
ブライアンは、まったく表情を変えなかった。
しかし、よく見ると、書類を持つ指先が、こまかく震えていた。
次になにが来るかは、わかっている。
甲介は、回れ右すると、大急ぎで局長室を飛び出した。
次の瞬間。
人工衛星でも落っことせそうな、ブライアンの大声が、センタービル全体に轟きわたった。
「出てけ〜〜っっっ!」
^ *
「いいかげんに、ブライアン局長をからかうの、やめたらどうだい?」
ハミル爺さんは、ぶつくさ言いながら、カウンターの上に、98年式のコルト・エクスプローダーを、ごとりと置いた。
その横に、予備のエネルギー・カートリッジを並べる。
ハミル爺さんは、センターの武器庫の管理人を三十年やっている、いわば、センターの主みたいな老人だ。出張にでる調査員は必ず、この引き渡しカウンターで、銃を受けとっていくきまりになっていた。――辺境の星では何が起こるかわからないからだ。あいにく、ブライトサイドで行方不明になった三人には、その何かが起こっちまったってわけだが。
「甲介さんよ。あんた、局長になんか恨みでもあるのかい?」
「いいや」
受け取りの伝票にサインしながら、甲介は首をふった。
「じゃあ、なんで……?」
「きまってるだろ」
甲介は、にやりと笑って言った。
「おもしろいからさ」
「やれやれ」
「爺さんも元気でな。おれが帰ってくるまで生きてろよ」
「そっちこそ、無事に帰ってきてもらいたいもんだね。すーぐ銃をなくしちまうんだからな。もう何枚、始末書を書いたことか……」
甲介は、軽く笑って、カウンターを離れた。
その背中に、ハミル爺さんの声が飛んだ。
「甲介さんよ」
「ああ?」
「訊いてもいいか?」
「なんだい」
「気を悪くしねえか?」
「だから、なんだよ」
「まあ、わしはひとの趣味には、口を出さん主義なんだがな」
と、爺さんはもったいをつけた。
「爺さん、耄碌したんじゃねーか? 最近、話がくどくなってきたぜ」
甲介は、笑った。
「要するに、なんなんだ?」
「ようするに」
と、爺さんは言った。
「どうして、枕なんか持ってるんだ?」
「枕……?」
言われて、はじめて気がついたみたいに、甲介は、自分のかかえている枕を見おろした。
ホテル・ニューATAMIの枕だ。
白くて、大きい、ふかふかの、枕。
その枕を見つめているうちに、甲介の体の中に、何か得体の知れない怒りが、むらむらと湧きあがってきた。
――何もかも、この枕が、イケナイノダ。
と、甲介は理不尽に考えた。
休暇がキャンセルされたのも、ペテルギウスくんだりまで出向かなきゃならんのも、あの女に逃げられたのも。
「爺さん!」
甲介は、ハミル爺さんをふり返ると、大声で叫んだ。憤然として、枕を床にたたきつけながら、
「おれは、枕を持って歩くのが、大好きなんだっっっ!」
センターの長い廊下を、肩をいからせて、大股で歩み去っていく甲介の後ろ姿を、ハミル爺さんは、無言で見送った。
「ふえっくしょんっっ!」
甲介が、遠くでくしゃみをした。
――やっぱり、訊いておくべきだったかな。
と、その時、爺さんは、ふと思った。
――なんで、パンツ一丁のままで、うろうろしてるのかも。
甲介の姿が、廊下の向こうに消えるのと、ほとんど同時に、センターの警備員が二、三人、あわただしく通りかかった。
「ハミル爺さん!」
「なんだね?」
「この辺で、あやしいやつを見かけなかったか?」
「あやしいやつ……?」
爺さんは、思わず甲介の立ち去った方向を、ふり返った。
まあ、無理もないが。
「心当たりあるのか?」
警備員が、意気ごんで尋ねる。
「確かに、あやしい格好はしていたけどな……」
「どっちへ行った?」
「だけど、あんたらの探してる相手じゃないと思うよ」
爺さんは、ニヤッと笑った。思い出し笑いだ。
「なにかあったのかね?」
「侵入者だ」
「侵入者? そりゃあまた……」
「とにかく、見かけない顔がいたら、すぐに警備本部の方へ……」
「ああ。必ず知らせるよ」
と、爺さんは、うけあった。
「格納庫の方へ回ってみるか」
立ち去りかけた警備員のひとりが、何を思ったか、突然引き返してきた。
ピカピカの廊下にころがっている、白い大きな枕を、しみじみと見て、
「爺さん……」
「なんだね?」
「どうして、こんなところに、枕がおっこちてるんだ?」
「さあてね」
爺さんは、表情たっぷりに肩をすくめて、言った。
「そいつは、永遠の謎なのさ」
^ 3 星をこえて
「なにをぐずぐずしてたんですかっ!」
センター宇宙港の地上オフィサーが、甲介の顔を見るなり、怒鳴り始めた。
「もう、とっくに発射準備は終わってるんですよ! いつまで滑走路をふさいでるつもりなんです。後がつかえてんですからねっ!」
甲介は、つばを飛ばしてわめき散らしているオフィサーの顔を、無言で見つめた。
デューク東郷ばりの無表情だ。
おもむろに、上着のふところに右手をつっこむ。
オフィサーの顔色が、さあっと青ざめた。
「あ、いや、その……」
甲介は、ゆっくりと右手を抜き出した。
その指先には……?
きちんと折りたたまれた、白いハンカチが一枚。
顔にかかったオフィサーのつばを、ハンカチで丁寧にぬぐって、甲介は言った。
低音で。
たった、ひと言。
「着替えてたんだ」
「あ、ああ。そ、そうだったんですか」
ひょっとしたら、撃ち殺されるんじゃないかと、内心ビクビクしていた地上オフィサーは、あからさまにほっとした表情で言った。
その様子を見て、
――こいつ、新前だな。
と、甲介は思った。
半年もセンターに勤めていれば、いやでも甲介の噂は、耳に入ってくるはずだ。
「待たせて悪かったな」
甲介は、ポケットから十Crコインを取り出すと、地上オフィサーの手に握らせて、言った。
「こいつはチップだ。遠慮しないで、とっときな」
「はあ……」
茫然と、掌の中のコインを見つめているオフィサーを後に残して、甲介は、さっさと歩きだした。
夜の宇宙港。
ナトリウム灯が、待機中の宇宙船を幻想的に浮かびあがらせ、滑走路のマーカー・ライトが、はるか彼方まで、まっすぐに光の軌跡をひいて伸びている。
美しい。
甲介は、ズボンのポケットに両手をつっこんで歩きながら、低く口笛を吹いた。
曲はもちろん、アズ・タイム・ゴーズ・バイだ。
気分はすっかりカサブランカ。
――コートがないのが惜しいぐらいだ。
甲介はちょっぴり残念に思った。
こういう緊急発進にそなえて、甲介はいつでも、センター・ビルの自分のロッカーに、予備のスーツを用意してあるのだ。
もちろん擁護局の制服というものも、ないわけではないが、甲介は一度も袖を通したことはない。
いついかなる場合でも、カッコよくなくては気がすまない性分なのである。
やっかいなことに。
――次のボーナスで、予備のコートを買おう。今度は、アクアスキュータムがいいなー。
固く決心して、甲介は宇宙船のタラップを昇った。
『チャンドラー・U世号』
甲介が勝手にそう呼んでいるその宇宙船は、地上からの発進が可能な、有翼型である。着陸は、滑走だけでも行える。原子力時代初期のスペース・シャトルと同じ理屈だ。
強力なイオン・エンジンを二基そなえ、ハイパー・ドライブ(超光速駆動)システムも完備している。
全長は二十メートルあまり。
全体の八十パーセントが、駆動系で占められている、スピード最優先の小型宇宙船だ。
従って、乗り心地は、きわめて悪い。
居住スペースも、最小限におさえられ、超大型の恒星間豪華客船などと比べたら、月とスッポンである。
「オール・システム・グリーン」
離陸前の最終チェックを終え、甲介はGシートに体を固定した。
インカムで、管制塔に離陸許可を要請する。
すぐに、OKのサインが返ってくる。
甲介は、スラスト・レバーにかけた左手を、ゆっくりと前に押し出した。
背後で、ヒューズ社製の二基のイオン・エンジンが、その咆哮を高める。
「エンジン出力上昇」
スラスト・レバーをMAX(最大値)へ。
ぐうんと、Gシートに体が沈みこむ。
すさまじい加速Gだ。
前方モニターの中で、宇宙港の景色が、ふっ飛ぶように後ろに流れていく。
離陸!
『チャンドラー・U世号』は、夜目にも鮮やかなイオン・ジェットの青白い航跡をひいて、メルボルンの夜空にかけあがった。
数分で、地球の引力圏を離脱。
『シートベルト着用』のサインが、消えた。
甲介は、Gシートに体を縛りつけている、六点式のハーネスをはずして、大きくのびをした。 ハイパー・ドライブが可能な速度に達するまで、まだしばらくは時間がある。
後部モニターには、地球が青く大きなカーブを描いて、輝いていた。
アメリカ大陸の形が、くっきりと見える。
――ロスは、今日もよく晴れているらしい。
真綿をちぎったような雲の上に、ポツンと黒いシルエットが浮かんでいるのは、軌道上に駐船している、巨大な恒星間宇宙船だ。
あの大きさからすると、おそらくは百万トンクラスの船だろう。
『第二の大航海時代』
歴史学者は、今のこの時代を、そう名付けている。かつて、ちっぽけな帆船で、人々が新大陸を求めて荒海を渡ったように、今、巨大な宇宙船が、大勢の移民を乗せて、星空をこえているというわけだ。
宇宙は、人間が生きていくには、きびしい場所だ。
特に、辺境の星では、未知の自然に加えて、地球を食いつめたろくでなしどもが、うようよしている。宇宙海賊なんて連中もいる。
そういった、もろもろの脅威から、入植者たちを守るのが開拓者擁護局のつとめなのである。 とは言っても。
実際は、宇宙開発公団の苦情処理係という意味合いが強い。
ここにひとりの男がいるとしよう。
ごく平凡なサラリーマン。
家に帰れば、妻とふたりの子供。
収入もまずまず。
そろそろ、下腹の脂肪が気になる年頃だ。
こいつが、なにをトチ狂ったか、ある日突然、脱サラを決意する。
そして、一家をあげて、どこぞの星へ移り住み、『大草原の小さな家』ならぬ『大宇宙の小さな家』ってやつを、おっぱじめる。
もちろん、入植先の星は、連邦の惑星探査局が前もって、人間の生存に適してるかどうかを、入念にチェックしている。
チェックしているはずなのだが……。
なにしろ、宇宙ってのは、やたらとだだっ広い。それなのに、調査すべき星は、文字通り星の数ほどある。
必然的に、見落としとゆーものが出てくる。そうすると、入植者も黙ってはいない。
苦情が、連邦の方へ寄せられる。
例えば――。
裏庭で、いきなり火山が噴火を始めただの。
入植して三日目に、恒星がノヴァ化して爆発しただの。
スイ星が落っこちて海が干上がっただの。
それから……。
畑のジャガイモが枯れただの。
そうすると、開拓者擁護局の方へ、そのオハチが回ってきて、あわれなエージェントは、ホテルのベッドから引きずりおろされ、名前も聞いたことのないような星へ、飛ばされるハメになるとゆー、まことに心あたたまるシステムなのである。
なんのことはない、惑星探査局の尻ぬぐいをして回ってるみたいなもんだ。
「しかし、いくら何でもジャガイモってのは、あんまりだぜー」
甲介は、ぶつくさとつぶやいた。
襟元に指をつっこんで、ぐいとネクタイをゆるめる。
煙草に火をつけて、今回の仕事のデータをコンピューター・ディスプレイに呼び出してみた。
苦情をよこしたのは、ブライトサイドのライラックビルとゆーちっぽけな村に住んでいる、ダーク・蔓巻という男だ。ニ世らしい。
「三流のプロレスラーみたいな名前だな……」
甲介は、ひとり言をいった。
ふと、なにかを思いついたような表情になる。
「ひょっとしたら……?」
甲介は、ダッシュボードを開けて、その中に入っている、赤い表紙のノートを取りだした。擁護局のエージェントが使う、暗号表だ。
ジャガイモが枯れたって程度で、あの局長が顔色を変えるはずがない。ましてや、三人ものエージェントが行方不明になる事件に発展するなんてことは、なおさら考えられない。
たかがジャガイモだ。
しかし、もしも、これが何かの、暗号だとしたら?
「ジャガイモ、ジャガイモ……」
甲介は、コード・ブックをめくった。
「あった!」
信じられないことに、しっかりジャガイモの項は存在していた。
甲介は、勢いこんで、そのページを読み上げた。
コードNo.86
『ジャガイモが枯れた』
<意味>
「ジャガイモが枯れた」
甲介は、コード・ブックを床にたたきつけた。
「このやろ! このやろ!」
思いっきり踏みつける。
「うーったく! 援護局の連中は、なにを考えてんだ。こんなくだらねー暗号表作りやがって」
と、
P!
信号とともに、ディスプレイの表示が切り替わった。
ハイパー・ドライブエリアに達したらしい。
「くそー。ダーク・蔓巻だかツルッ禿だか知らねーが、ジャガイモなんぞでぐだぐだ言いやがって。ブライトサイドに着いたら、はりたおしてやる!」
見当ちがいの怒りを胸に、甲介は、宇宙船のシステムを、ハイパー・ドライブ・モードにスイッチした。
航法コンピューターに、目的地と、コースをインプットする。
ぴ、ぽ、ぱ。
設定完了。
甲介は、コンソール右手にある、ハイパー・ドライブ用のレバーを、ぐいと引いた。
モニターに映る全天の星々が、いっせいに動いた。
虹色に輝く光の輪、スターゲ−トを形造る。
『チャンドラーU世号』は、その中心めがけて真一文字に飛びこんで、姿を消した。
「これでよし、と」
あとは、寝てても、船がブライトサイドまで運んでくれる。
とゆーわけで。
「さーて。寝るかな」
甲介は、寝ることにした。
コクピットの後方に、ごく小さなキャビンがある。
甲介は、大あくびをしながら、キャビンに通じるドアを開けた。
上着を脱ぎ、ベッドの毛布をはぐ。
そこに先客がいた。
^ 4 中年VS小娘
かくん。
甲介の下顎が、音をたてて落っこちた。
密航者だ。
密航者が、ベッドの中にいたのだ。
密航者は、寝ていた。
そして……。
密航者は、女の子だった。
「なんてこった」
甲介は、茫然とつぶやいた。
せいぜいがとこ、高校へあがったかどうかという年頃だろう。
体を丸め、気持ちよさそうな寝息をたてている。
密航者+女の子=最悪のパターン
甲介の頭の中にある、トラブル計算機が、チーンと鳴った。
「どーすりゃいいんだろう?」
甲介は、そこにつっ立ったまま、うすらぼんやりと、娘の寝顔を見おろした。
可愛らしい寝顔だった。
髪はライト・ブラウン。
ちょっと生意気そうな唇。
まつ毛が長い。
あと、二、三年もしたら、どえらい美人になりそうな顔立ちだ。もっとも、今は、うぶ毛が目立つ、単なるガキにすぎないが……。どっちにしたって、甲介には、まるで見覚えのない顔だ。
甲介は、ボリボリと頭をかいた。
どうやったのか知らないが、女の子は、キャスターつきの、どでかいスーツケースまで持ちこんでいた。
そう言えば、ロッカールームで着替えをしていた時、センターの警備員が廊下を走りまわっていた。侵入者がどーこーとかわめきながら。
「やれやれ。まいったな」
まさか、外へほっぽり出すわけにはいかんし、と言って、ハイパー・ドライブに入っている以上、今さら引き返すこともできない。
本来なら、お尻の二、三発もひっぱたいて、地球へ送り返してしまうところだが……。
甲介の生まれるはるか以前には、密航者は理由の如何に問わず、船外に遺棄していた時代もあったそうだ。
今じゃ、宇宙船の性能も飛躍的に進歩して、この『チャンドラー・U世号』程度の小型艇でも、三百パーセント以上の安全係数をとって設計されている。密航者のひとりやふたり、どーってことはない。
どーってことはないが……。
密航が、今でも違法であることに、変わりはないのだ。
いや。
それより、もっとやっかいなのは、擁護局のエージェントが三人も行方不明になっている星に、これからおもむかなければならない、ということだ。
どんな危険が待ち受けているかもしれない場所に、ティーンエイジャーの女の子を連れて乗り込むなんて、はっきり言ってクレイジーだ。
――センターの警備員は、いったい何をやってやがんだ!
甲介は、両方のこぶしを握りしめて、ぐぐっと盛りあがった。
「あのスカタンどもがァ!」
と。
それまで、よく眠っていた娘が、唐突にバカッと目を開けた。
「え?」
「え?」
その瞬間。甲介と娘の視線が、上と下で、バッチリあってしまったのである。
ふたりは、まるで凝固したみたいに、身動きひとつせずに、お互いを見つめあった。
(くーはくの三十秒)
「きゃ〜〜〜〜っっ!」
娘は、突然、悲鳴をあげた。
ベッドの近くにあるものを、手あたりしだいに、甲介に投げつけた。
目覚まし時計。
灰皿。
読みかけのペイパーバック。
ナイトキャップ用のスコッチ。
「チカン、チカン、チカン!」
娘は叫んだ。
「出てってよ、ばか!」
甲介は、あわててキャビンを飛び出した。
仕切のドアを背中で閉める。
何かが、ドアにあたってこわれる音がした。
「ふう……」
甲介は、思わずため息をついた。
「あー、びっくりした」
額の汗をぬぐって、ハタと気がついた。
「まてよ」
甲介は、どこか天井の一角を見あげて、つぶやいた。
「どうして、おれが、キャビンから追ん出されなきゃいけないんだ?」
何か、釈然としないものがある。
確かに、ある。
甲介は、きっぱりと言った。
「たしかに、ある!」
自分自身で、ひとつうなずく。――おれは、まちがっていない!
「く〜〜そ〜〜」
赤い布きれを見せられた闘牛のように、甲介は固い決意を胸に、キャビンに向き直った。
ばん!
ドアを力いっぱい開く。
とたんに、ぼふ!
枕が飛んできて、甲介の顔面を直撃した。
「なによ!」
ベッドの上に半身を起こした娘が、ぶっ殺しそうな目つきで、にらみつけている。
「どーゆーつもりなの! レディの寝室にノックもなしに!」
「どーやーつもり?」
甲介は、口の端っこをひくひくさせながら、導火線がぷすぷすと燃えているような低い声で言った。
「知りたいのは、こっちの方だっっ!」
と、爆発する。
「君こそ、いったいどういうつもりなんだっっ! 君は、自分が何をしてるのか、ここがどこなのか、わかってるのか!?」
「大きな声出さないでっ!」
娘は、甲介に負けない大声で叫んだ。
「それに、あたしは君じゃあないわ。ちゃんとジギーって名前があるんですからねっっ!」
ふたりは、それぞれ肩で息をしながら、しばらくの間、にらみ合った。
こういうにらみ合いでは、勝負はやる前からわかっている。
すなわち。
「よし、わかった」
大きく息を吐き出しながら、甲介が言った。
(ほらね?)
「ジギー?」
「なによ」
「君は、わかってるのかな? これが開拓者擁護局の調査船だってことが。――ついでに言わしてもらえば、格納庫に停まっているわけじゃなくて、今現在、ハイパー・ドライブで宇宙空間を、スッ飛んでる真っ最中の船なんだよ。かくれんぼをするつもりで、しのびこんだんじゃなきゃ、君は密航者ってことになるわけで……」
娘――ジギーは、のほほーんとした顔で言った。
「あたし、まだ、あなたの名前きいてないわよ?」
「〜〜〜〜」
甲介は、片手で、額のあたりをおさえた。
ゆっくりと首を振りながら、
「頼むから、話をそらさないでくれないか?」
「あら。だってねえ、普通は男性の方から自己紹介するもんよ。擁護局の人って、みんな礼儀知らずなのかしら。そういえば、さっきはノックもしないで入ってくるし。だいたい、最近の男って……」
「悪かった。おれが悪かった」
甲介は、泣かんばかりの声で言った。ほっといたら、いつまででもしゃべってるにちがいない。そして、話は百万光年の彼方までそれてしまうだろう。甲介は、一気にまくしたてた。
「おれは、ナルミ。鳴海甲介。通称ボギー二十九歳。独身。射手座のB型。職業は開拓者擁護局の調査員。収入は、局の会計課で聞いてくれ。これでも、一応は公務員だから、一目瞭然だ。源泉もしっかり引かれてる。――お望みなら、社会保障番号も言おうか?」
「ねえ。この船、どこへ行くの?」
ずる。
甲介は、思わず果てそうになった。
――おれの話を、ひと言も聞いてなかったな〜〜。
脳の毛細血管が、一本残らずブッち切れそうな思いにかられながら、甲介は言った。
「ブライトサイドだ。知らずに乗ったのか?」
「あら、紳士はそんな風に、根掘り葉掘り詮索するもんじゃないわよ」
ジギーは、すまして答えた。
「それより、あなたは、なにしに行くわけ?」
甲介も、すまして答えた。
「淑女は、そんな風に根掘り葉掘り詮索するもんじゃないよ」
「言うわねー。オジンのくせに」
「こら。誰がオジンだ、誰が」
「あなた、二十九歳でしょ?」
「そうだが……?」
「あたし、十六よ」
「だから?」
「立派なおジンじゃない。ひと回りも年ちがうもン」
ジギーは、しれっとした顔で、言った。
「やーい、オジン」
「るせー、小娘(ガキ)」
「子供(ガキ)じゃないや。十六よ。大人だわ。結婚だってできるんですからねーだ」
と、舌をだす。
その瞬間、密航者は見つけ次第ほうり出すってのは、ひょっとしたら、いい方法だったのかもしれないな、と甲介は真剣に考えた。
「ね。ボギーって、ひょっとして、ボガード?」
「文句あるか?」
すっかり開き直る甲介。
「ボギーねえ」
ジギーは、おもしろそうな顔で、甲介をじろじろと眺めた。
なんとなく居心地が悪く、甲介はもぞもぞと身動きした。
ジギーは、くすっと笑って、叫んだ。
「かーわいい♀」
甲介は、ショックを受けた。
ガーン! てなもんだ。
オジンと呼ばれりゃ腹が立つ。
かと言って、カワイイなんて呼ばれたんじゃ、立つ瀬がない。
男二十九歳ってのは、微妙な年頃なのである。
「え、えーい、うるさい、うるさいっ!」
内心の動揺をゴマかすために、甲介は大声を出した。
「大人に向かって、かわいいとは何事だっ。だいたい、君は、自分の立場がわかってるのか。密航者のくせに……」
「あら。照れなくてもいーじゃない」
あっさりと、ジギー。
――いかん。完全に見すかされてる!
甲介は、あせった。
――なんとか、この口の達者な小娘を黙らせないと、二度と立ち直れなくなるぞ。
「あなたがボギーで、あたしがジギー。ボギー&ジギーでちょうどいいコンビだと思わない?」
「あーのーなー」
甲介は、絶望の淵につき落とされたみたいな声で言った、
「何を脳天気なこと言ってるんだよ! ブライトサイドじゃ、もう三人もエージェントが行方不明になってるんだぞ。どんな危険が待ち受けているかもわからないってのに」
ジギーは、お気楽な調子で、言った。
「なんとなく、胸がわくわくするじゃない? いやー、あたしって、運がいい娘だわ。この船にしてよかった。スリルねー、サスペンスよー」
ジギーは、ひとりで盛りあがっている。
甲介は頭をかかえた。
「ジギー」
「なにー、ボギー?」
「う……」
一瞬、息がつまった。
考えてみれば、実際にボギーなんて呼ばれたことは、一度もないのだ。甲介は、気弱な声で言った。
「コースケでいいよ」
「あら。やーね。また照れてる。かーわいんだ」
ジギーは、きゃらきゃらと笑った。
「頼むから、話をそらさないでくれないか?」
「あー。話をそらした」
「ジギー!」
甲介は、思わず大声を出した。
「まじめに答えてくれ。――なんで密航なんかしたんだ?」
ジギーは、知らん顔をしている。
「学校の成績が悪かったんで、家へ帰りたくなかったのかな?」
「あら。馬鹿にしないでよ。あたしのは、もっと高尚なんだから」
「やっぱり、家出か」
甲介は、ため息まじりに言った。
「家の人が、なんて思ってるか、考えたことあるか?」
「かわいい子には旅をさせろってねー」
「ジギー」
「ボギー。あたし疲れてんの」
そっけない口調で、ジギーは甲介の言葉をさえぎった。
「悪いけど、出てって下さらない?」
「ちょっと待て」
甲介は、ふと気づいて言った。
「この船のキャプテンは、おれだぞ」
「知ってるわよ」
「つまり、この部屋は、おれの部屋で、そのベッドはおれのベッドなんだ」
「そうね」
「どうして、おれが出てかなきゃならないのか、正当な理由ってのが、ひとつでもあるんなら、聞かせてもらいたいもんだね」
「あたしは女の子だわ」
ジギーは、きっぱりと言った。
王手!
という感じだった。
「女の子を床で寝かせたいの?」
文明は進んだが、この手の言葉に、反芻できる理論は、まだ発明されていない。おそらく地上に男と女が存在する限り、永遠に発明されることもないだろう。
甲介は、ひと言も言い返せずに、すごすごと、コクピットに引き上げた。
窮屈なG・シートの上で、なんども寝返りをうちながら、甲介は固く心に誓った。
――ブライトサイドに着いたら、真っ先に地球行きの便を見つけて送り返してやる!
¥PARTU 厄災の星
^ 1 ミサイルはお好き
「わあ、きれい♀」
ジギーが、歓声をあげた。
ハイパー・ドライブを出て、船の外には、元通りの星空が戻ってくる。
モニターの下半分を占め、エメラルドグリーンの大きなカーブを描いている星。
「あれが、ブライトサイドね?」
ジギーは、コントロール・パネルの上に体を乗り出すようにして、モニターをのぞきこんだ。
「そこどけ」
ぶすけた声で、甲介が言った。
「前が見えん」
地球から、ブライトサイドまでは、足の速い『チャンドラー・U世号』でも、百六十時間はかかる。
約一週間。
これが、どーゆーことかとゆーと。
つまり……。
「なんだか、元気がないわね?」
「あー?」
ヘビナワしょってるみたいな表情で、甲介はジギーをふり返った。
「なんだか疲れてるみたい」
「寝不足なんだ」
「まあ。昨夜(ゆうべ)よく眠れなかったの?」
「昨日だけじゃない」
甲介は言った。
「おとといも。さきおとといも。そのまた前の日も……。とにかく、この一週間ってもの、まともに寝てない」
「まあ!」
「おまけに、昨夜は、首のすじを寝ちがえるし」
「どうしたのかしら?」
「たぶん、不自然な格好で寝てるからだろうな」
甲介は、思いきり陰々滅々とした声で、言った。
「Gシートってのは、もともとベッドには向いてないんだ」
「たいへんねー、擁護局のエージェントも」
ジギーは、真剣な目つきで、うなずいた。
だれのせいで、たいへんなことになってしまったのか、なんてことには、まるで頓着していないらしい。
甲介は、ため息をついた。
この狭い調査船の中で、ジギーと一週間すごすより、檻の中でライオンと暮らす方が、よっぽどましだ。
少なくとも、ライオンは、宇宙食がまずいだの、コーヒーが泥水だの、洗面所が狭いだの、あれこれうるさく文句を言ったりしない。
しかし、まあ、それも今日で終わりだ。
そう思うと、少しは心も晴れた。
モニターの中で、ブライトサイドの姿が、徐々に大きくなってくる。
――仕事先に着くのが、これほどうれしいと思ったことはなかったぜ。
甲介は、うきうきと大気圏再突入のための準備を始めた。
P!
……P!
……P!
コクピットに、規則的な発信音が響く。
ブライトサイドの、誘導ビーコンの音だ。
航法関係のディスプレイに、CG(コンピューター・グラフィックス)が、侵入コースを表示する。
「オン・コース。軌道に乗った」
甲介は、ジギーをふり返って、言った。
「うろうろしないで、早くシートに着いて! ベルトを締めて! すぐに大気圏に突入するぞ」
ジギーは、素直に言いつけに従った。
補助席にちょこんと座って、神妙な顔つきで、モニターを見つめる。
――普段も、これだけ聞きわけがよけりゃいいんだけどねー。
甲介は、くすっと笑った。
今や、ブライトサイドは、モニター一面の大きさになっていた。
雲の下で、大陸の形なども、明瞭に判別できる高度だ。
「エンジン・リバース!」
「再突入、ゴー!」
甲介は、操縦桿を握りしめた。
システムが、手動に変わる。
『チャンドラー・U世号』は、ブライトサイドの大気圏に突入した。
コントロール・パネルの上で、赤いランプが点滅した。
「ねっ、あれなに?」
ジギーが目ざとく見つけて、指をさす。
「機体の温度が上昇してるんだよ」
前を向いたままで、甲介が答える。
「大気との摩擦熱だ。心配ない」
『チャンドラー・U世号』は、機体底面や翼端を赤く輝かせ、衝撃波の尾を長く引きながら、地表めがけてぐんぐん降りていった。
摩擦熱によるブラック・アウトの状態を抜けると、眼下に広大なジャガイモ畑が見えてくる。
「フラップ・ダウン。三十パーセント」
「エア・ブレーキ、開」
船は、急激に速度を殺しつつあった。
機体温度は、もう正常に戻っている。
と。
Beep!
コクピットに警告音が鳴り響いた。
「ねっ。なんなの、あれ」
ジギーが、不安げな声を出す。
「心配ない。こう見えても、腕は確かなんだ、か、ら……」
レーダー・スクリーンをチラリとのぞく。
「え?」
とたんに、甲介は顔色を変えた。
「な、なんだァ――っ?」
素っ頓狂な声を張りあげる。
「やーん。どーしたのよー」
「なんてこった……」
甲介は、幽霊みたいな顔をふり向かせて、とても信じられんという口調でこう言った。
「ミサイルだ」
*
ちゅどーん!
^ *
「ねえ、ボギー?」
「なんだい」
「言わせてもらっていい?」
「お好きなよーに」
「あなた、あんまり運転は上手じゃないみたいね?」
「操縦。――運転じゃなくて、操縦」
「操縦は上手じゃないみたいね」
「悪うござんしたね」
「死ぬかと思ったわ。あんなへたくそな着陸って、はじめてよ」
しばらく沈黙が続いた。
「ねえ、ボギー」
「なんだい」
「どうして、あたしたち、さかさまに座ってなきゃいけないの?」
「船が逆さにひっくり返ってるから」
また、しばらく沈黙。
「ねえ、ボギー?」
「…………」
「あたし、なんだか頭に血がのぼってきたわ」
「…………」
「顔がフーセンみたいに、ふくらんでる感じよ」
「…………」
「ちょっと見てくれない? 本当にふくらんでたら、みっともないでしょ?」
「大丈夫。そんな気がするだけだよ。――おれもさっきから、ずっとそんな気がしてるんだ」
「ほんと?」
「ああ。ほんとだとも」
またまた、沈黙。
「ねえ、ボギー」
「今度はなに」
「あたしたち、いつまでこうしてなきゃいけないの?」
「それはね……」
甲介は、ゆっくりと息を吸い込んだ。
そして、わめいた。
「この、くそったれなシートベルトが、はずれるまでだっっ!」
よーするに。
墜落のショックで、ベルトの自動ロックが、故障してしまったらしいのだ。
引っぱっても、わめいても、泣いて頼んでも、頑としてはずれようとしない。
おまけに、逆さまになっているせいで、作業も思うように進まない。
結局。
たこみたいに手足にからみつき、ふたりの体をシートに縛りつけていた、六点式ハーネスの罠から解放されたのは、それから三十分以上も後のことだった。
ふたりとも、すっかり頭に血がのぼって、へろへろだったことは言うまでもない。
外板の裂け目から、はうようにして、機外に出る。
あわれ『チャンドラー・U世号』は、ジャガイモ畑の真ん中で、亀の子みたいにひっくり返って、おなくなりになっていた。
翼はへし折れ、あちこち穴があき、くすぶっている。
完全におしゃかだ。
「こりゃー、もうダメだな……」
地べたに座りこんだままで、甲介が言った。
その隣で、これまた肩で息をしているジギーが、顔をあげて尋ねた。
「これから、どうするの?」
「さーてねー」
甲介は、なんとなく、空を見あげた。
空は、なんかの皮肉みたいに、よく晴れている。
畑をわたってくる風が、ジャガイモの葉をゆらし、どこかで羽虫の飛ぶ音がする。まことにのどかーな田園風景って感じだ。
目の前に、ぶっこわれた宇宙船の残骸さえなければ、十分にピクニック気分を楽しめたことだろう。
甲介は、服についたほこりを払って、立ちあがった。
「どこ行くの?」
「じっとしてても、らちがあきそうにないからね」
甲介は、機体の裂け目に頭をつっこんで、ごそごそやり始めた。
その背中に、ジギーは話しかけた。
「あたし、考えたんだけど」
「なにを?」
「ここで待ってたら、誰かが助けに来てくれるんじゃないかしら?」
「そいつは、どうかな……」
甲介は、コクピットから、医療品だの非常食だのがつまったエマージェンシー・バックを、ひっぱり出しながら言った。
「どうかなって、どういうこと?」
「ここは、地球じゃないんだぜ、ジギー。救援は期待しない方がいい。それに……」
甲介は、ジギーのスーツケースに手を焼きながら言った。
なかなか出てこないのだ。
「それに、なんなの?」
「ミサイルだ」
やっと出てきた。
「この星のどこかには、おれたちを、あまり歓迎してないやつがいるってことを、絶対に忘れちゃいけない」
「また、襲ってくるかもしれないって言うわけ?」
「そいつは、わからんがね」
甲介は、肩をすくめた。
たばこに火をつけながら、
「それより、こいつの中身はなんなんだ?」
と、スーツケースを顎で示す。
「一トンはありそうだぜ」
「着替えとか、お化粧の道具とか……、まあ、そんなようなもんよ」
「それを聞いて安心したよ。――おれはまた、鞄の中でアフリカ象でも飼ってるのかと、心配してたんだ」
「ふん」
ジギーは横を向いた。
甲介は苦笑いして、言った。
「とにかく、出発しよう」
「どこへ?」
「ライラックビルって村だ。そこのダーク・蔓巻って男を見つけだす」
「三流のプロレスラーみたいな名ね」
と、ジギーは言った。
「なんなのその人」
「おれの休暇を、台なしにしやがった大馬鹿野郎さ」
ジギーは、わけのわからんという顔をして、甲介を見つめた。
甲介は、片手にエマージエンシー・バックをぶら下げ、もう片方の手でスーツケースをゴロゴロ引っぱりながら、歩き始めた。
「行こう」
「その前に」
ジギーは、意味ありげに、ぐるりとあたりを見回した。
「そのライラックビルって、いったいどっちにあるの?」
そう言われて、甲介は、はたと立ち止まった。
あらためて、見回すまでもない。
四方は、見渡すかぎりのジャガイモ畑。
甲介は、とほーにくれたような顔で、絶句した。
ジギーは、甲介のその表情を見て、ため息をついた。
ふたりの足元を、風が吹き抜けていった。
^ 2 ジャガイモ畑でつかまえて
「撃墜を確認しました」
いずことも知れぬ、ここは地下の秘密基地。
ヘッドセットをかぶった通信士が、背後の人物をふり返って、言った。
「いかがいたしましょう、総帥」
「連邦のエージェントが乗っていたはずだ。偵察部隊に伝えろ。見つけ出して連れて来いとな。聞きたいことがある。――ただし」
総帥と呼ばれたその男は、うすく笑った。
額にかかるブロンドの前髪を、すっとかきあげて、
「生きていればの話だがな」
ほとんど透明に近いブルーの瞳が、冷たい光を放った。
彼の名は、ウスター・ビランデル。
驚くほどの美青年である。
美形である。
腰のあたりにまで達するブロンドの巻毛。
女と見まがうほどの白い肌に、端整な顔立ち。
まるで、神話の世界からぬけ出てきたような、超ド級の二枚目だ。
「あとはまかせたぞ。報告を怠るな」
ビランデルは、肩でとめた長いマントを、ふわりとひるがえして、大股に作戦司令室を出ていった。
「ジーク・ビランデル!」
壁際に並んでいた、コンバット・スーツ姿の男たちが、いっせいに踵を鳴らして敬礼した。右のこぶしを、左胸にあてる形式の敬礼だ。
宇宙船の内部を思わせるような、メタリックな通路をぬける。
ビランデルの背中で、重合金製の重い自動扉が閉まる。
と、そこは、今までとは、雰囲気がガラリと変わって、中世ヨーロッパの教会のような部屋の造りだ。
やたらと高い天井。
ステンドグラス。
床に調度らしいものは何もなく、一段高くなったところに、巨大な玉座がでんと置いてあるだけだ。
ビランデルは、その後ろの壁に麗々しく飾られている、大きな旗を見あげた。
金のふちどりがほどこされた、赤地の旗で、その中央には、親指と人差し指で輪を作った手の形が、黒く刺繍されていた。
赤地に黒くOKサイン。
これこそが、彼の組織『ブラック・ハンド』のシンボル・マークなのだ。
ビランデルは、しばしの間、その旗をじっと見つめた。
――今に、この旗が、銀河のすべての星の上に、ひるがえる時が来るのだ。
不適な笑みが、口元に浮かぶ。
――連邦がエージェントを送りこんで来るのは、これで四度目。どこでかぎつけたのかは知らんが、誰であろうと、私の野望を邪魔するやつは、許さないのだ。ふっふっふ……。
「ふっふっふ……」
ビランデルは、声に出して笑い始めた。
「わっはっは……」
次第に、それが、偏執狂めいたものに変わっていく。
「うわーっはっはっはっはっはっはっはっは……!」
ずべっ。
ビランデルは、体をそらせすぎて、後ろにひっくり返った。
はっと、我に返る。
あわてて立ちあがって、神経質そうに服のほこりを払う。
――『ブラック・ハンド』総帥ともあろうものが、なんという失態!
ビランデルは、こぶしをぐっと握りしめた。
それから、不意に元の表情に戻ると、誰も見ていなかったろうな、という風に、あたりをきょろきょろと見回した。
内懐から、小さな手鏡を、そうっと取り出す。金と銀の螺鈿細工に、宝石をいっぱい散りばめたやつだ。
ビランデルは、鏡に映る自分の顔を、しみじみと見つめた。
ひとつ、ため息をつく。
そして、うっとりとつぶやいた。
「美しい」
^ *
「なんてくだらない星なの!」
甲介の後ろを、てくてく歩きながら、ジギーがひとりでいきまいている。
出発して、すでに小一時間あまり。
ずっと、この調子だ。
「ジャガイモ、ジャガイモ、ジャガイモ!」
ジギーは、両手をぶんぶんふり回しながら、叫んだ。
「どこまで行っても、見えるものってば、ジャガイモばっかり! あたし、ジャガイモなんて嫌いよッ! もう、うんざり! だいたい、なんだって、こうジャガイモにこだわるの? トマトとかレタスとか、もっと他に色々あるでしょ? それに、これだけ歩いてて、人ン家が一件も見えないってのは、どういうわけ? なんで、こう馬鹿馬鹿しく広い畑を作っちゃうの? このへんの人たちって、どういう神経してるの? 節度ってもんを知らないの? 信じらんないわよ。ねえ、ちょっと、ボギー、あなた、聞いてんの?」
――だれかが、昔、うまいことを言ってたよ。
甲介は、殉教者みたいな顔つきで、黙々と歩きながら、考えた。
――人間の耳に、自分の意志で開けたり閉じたりできるフタを作らなかったのは、神様の最大の手落ちだって。
「くだらないわ!」
ジギーは、はじめから甲介の返事など、期待していなかったらしい。どんどんひとりでしゃべり続けている。
「この星もくだらないし、ジャガイモもくだらないわっ! いいかげん、地球でのくだらない日常にうんざりして、密航までしたってのに、どお? あたしの得たものときたら、このくだらないジャガイモ畑だけ! そりゃあ、あたしだって、宇宙には血わき肉おどる冒険活劇の世界が毎日のように展開されてるなんて、そんな甘いこと考えてなかったわ。もう、子供じゃないんですからね。だけど、これはあんまりよ。ねえ、ジャガイモがなんだか知ってる? ――これこそ、根の生えた日常ってやつよ! 日常そのものよ!」
よせばいいのに、その時、甲介が口をすべらした。
「あんまり、ジャガイモの悪口は言わない方がいい」
「なんでよ」
ジギーは、ぷっと頬をふくらませた。
甲介は、軽く肩をすくめて、言った。
「ジャガイモだって、気を悪くする」
「ボギィィィ?」
いかにも、何か含むところのありそうな声が返ってきた。
――しまった。
甲介は、すぐに後悔した。
が。
「だいたいねー、あなたがいけないのよっ!」
おそれていたことが、たちまち始まった。
「よりによって、畑のまん中に不時着することはないじゃない。それもジャガイモ畑! あたしがジャガイモ嫌いなのしってて、わざとやったんでしょう。なんて人なの? こんなか弱い女の子を、いつまで歩かせたら気がすむの? このくだらないジャガイモ畑は、いつまで続くの? それともあたしたち、このまま永遠にジャガイモ畑の中を、さまよい歩かなくちゃいけないの? なんて世の中なの? 方角はまちがっていないんでしょうね? ほんとに、こっちに町があるの? あたし野宿なんていやよ。そう言えば、小学生のころ、サマーキャンプにいって、ひどい目にあったことがあるわ。首筋に毛虫が落ちてきたのォ! あたし虫きらい! ねえ、ジャガイモ畑にも毛虫いるかしら? あたし、一匹でも見かけたら、ありったけの大声で悲鳴あげてやるからねっっ!」
甲介は、くるりとふり返った。
ジギーの肩のあたりを、指さして、ひとこと言った。
「虫だ」
ジギーは、ありったけの大声で悲鳴をあげた。
「とって、とって、早くとって!」
なんてことのないカナブンブン(みたいな虫)だったが、甲介は、ひょいっとつまんで畑の中へ戻してやった。
ジギーは、九死に一生を得た時のような、大きなため息をついた。
甲介は言った。
「さっきの答えだけどね、ジギー?」
「さっきのって?」
「君が、さんざん羅列した『?マーク』の答えさ。――君は、宇宙船が海のまん中に落ちたかもしれないという可能性を無視してる。それから、この星はもともと、極端に人口密度が低いんだ。ちゃんとした都市なんて数えるほどしかない。それから……」
「あら。そんなこと、いわれなくたって、ちゃんとわかってたわよ」
すました顔で、ジギーが言った。
「あたしは、単に、わめきたい気分だったから、わめいてみただけ。――女ってねー、十六すぎたら、わめきたい時にわめいていい権利が生まれるのよ」
「十五歳と十一ヵ月の娘は?」
「それはダメ。まだ子供だから」
ジギーは、晴ればれとした笑顔で、言った。
――女って謎だ。
甲介は、つくづくと、そう思った。
「ねえ」
ジギーが、袖を引っぱった。
「あれ、なにかしら?」
「あれ?」
「ほら、聞こえない?」
甲介は、なんとなく、きょろきょろと、あたりを見回した。
「ん?」
地平線の彼方で、何かがキラッと光ったように思えた。
甲介は、額に手をかざして、その方向を凝視した。
ジギーも、スーツケースの上に登って、同じポーズをとる。
小さな光る点は、みるみるうちに大きくなった。
甲高い金属音が、はっきりと聞こえてくる。
「飛行機だわ!」
「VTOL(垂直離着陸機)だ!」
「これで歩かなくてすむわ!」
ジギーは、スーツケースの上で、体をいっぱいにのばして、手をふりまわした。
VTOLは、まっすぐこちらにむかって来ているようだ。
甲介は、いやな予感がした。
「あぶないっっ!」
ジギーを地面に引き倒して覆いかぶさるのと、VTOLが、ふたりの真上をかすめ飛んで行くのが、ほぼ同時だった。
ゴッ!
すさまじい轟音と風圧が襲いかかってきた。一瞬、砂煙で、なにも見えなくなる。
対置効果で吹きあげられた小石が、バラバラと甲介の背中に落ちてきた。
甲介は、首だけを持ちあげて、VTOLの行方を追った。
「また来るぞ」
VTOLは、きれいなターンを見せて、再び上空に戻ってきた。
通りすぎる瞬間、キャノピーごしに、パイロットの表情すらはっきりわかるほどの、超低空飛行だ。
「ばかやろ〜〜っ!」
甲介は、右手をふりあげて、怒鳴った。
「おれたちを殺す気か〜〜っっ!」
VTOLは、二回目のターンに入るところだった。
――ひょっとしたら、こいつは、本当に殺す気なのかもしれないぞ。
甲介は、本気(マジ)にそう思った。
ジギーの体が、甲介の腕の中で、小刻みに震えていた。
甲介は、VTOLからは死角になる体の陰で、コルト・エクスプローダーを引っこぬいた。
完全武装のVTOL相手に、ハンドガン一丁では、とても勝ち目なんかあるもんじゃない。 しかし、ただ殺されるのを待つつもりなど、毛頭なかった。
ゆっくりと旋回しているVTOLを、甲介は、瞬きひとつせずに、にらみつけた。
^ *
『どう思う?』
VTOLのパイロットがインカムを通して、後席のナビゲーターに問いかけた。
『あいつだと思うか?』
『宇宙船の残骸からは、死体は発見されてないんだろ?』
『ああ』
『可能性はあるな』
『しかし……』
パイロットは、ジャガイモ畑の中に伏せているふたりの姿をチラリと見て言った。
『連邦のエージェントが、なんで女を連れてるんだ? しかも、あんな小娘を』
『まあ。そうだ、な……』
『普通、エージェントってもんは、あんなでっかいスーツケースを持ち歩くと思うか?』
『まあ。そうだ、な……』
『エージェントが、敵のVTOLに手をふるか?』
『おれが、まちがってた』
ナビゲーターは、きっぱりと言った。
『他をあたろう』
『了解。まだ探してないグリッドを指示してくれ』
『受け持ち区域は、もう全部、回ったぜ』
『じゃあ、もう一度探すんだ。やつは、必ずどこか、この近くにいる! 必ずだ』
『おれも、そんな気はするんだが……』
『行くぞ!』
パイロットが、操縦桿をぐいと倒した。
VTOLは、ひらりと姿勢を変えて、加速した。
『だけどなー……』
ナビゲーターは、急速に小さくなりつつある甲介たちの姿を、チラリとふり返って、ひとり言の用につぶやいた。
『あのふたり、なんだって、あんなところを歩いてたんだろ?』
^ *
「行っちゃった」
なさけない声で、ジギーがつぶやいた。
「なんだってんだ、ありゃ」
甲介は、体を起こして、コルト・エクスプローダーを、元のホルスターに差しこんだ。
「おれたちを、からかいやがったのかな?」
「道ぐらい教えてってくれれば、いいのに」
ジギーは、地べたにぺたんと座ったまま、VTOLの飛び去った空を、うらめしげに眺めている。
甲介は、ジギーの肘を支えて、立ちあがらせてやった。
「また、歩かなきゃいけないのォ?」
「歩いてりゃ、いずれ、そのうち道につきあたる。道をたどれば町もあるし、車だって通りかかるかもしれない。町に着けば、ホテルでひと風呂あびて、ワインで晩飯も食える」
甲介は、ジギーの肩に両手をかけ、その顔をのぞきこんで言った。
「ワインで晩飯食うのと、ここで非常食かじるのと、どっちがいい?」
「あたし、非常食でいいよォ」
甲介は、思わず天をあおいで嘆息した。
――神よ、我に艱難辛苦を与えたまえ、ただし、十六歳の女の子だけは、ごめんです。
気をとりなおして、甲介は言った。
「さっきのVTOLの気が変わらないうちに、ここを離れた方がいい。なんとなく、いやな予感がするんだ」
「じゃあ、あのミサイルの……?」
「はっきりとは言えんがね。――ただ、少なくとも、あのVTOLは、連邦軍のものでもプライトサイド当局のもんでもない。それは確かだ。機体ナンバーもマークも、なんにもなし。おまけに完全武装している。――なにか、共通点があるとは思わないか?」
甲介の真剣な表情に、ジギーは思わず、ごくりと唾を飲みこんだ。
話の内容もさることながら、甲介の真剣な顔など、めったに拝めるものではないからだ。
ほとんど奇跡に近い。
それだけに、迫力もあった。
甲介は、スーツケースのストラップに手をかけて、言った。
「そうだ。今までは、ジャガイモの畝にそって、まっすぐ来ただろ? 今度は畝に直角に歩いてみよう。多少、歩きにくいけど、ひょっとしたら、新しい展望が開けるかもしれない」
「新しい展望なんか、犬にでも食われちまえばいーんだわ」
不平たらたら、文句ブチブチで、ジギーも甲介のあとに従った。
一分と歩かないうちに、道路に出た。(おおわらいっ)
甲介も。
ジギーも。
しばらくは、声が出なかった。
陽光をあびて、白々と横たわるアスファルトの道路を前に、ふたりは、ただ茫然として立ちつくしていた。
道は、左右どちらへも、はるか遠近法の彼方までひたすら一直線に伸びていた。
ふたりは、ぼんやりと、お互いの顔を見つめた。
「こんなこと、考えたくないけど……」
体のどこからか、空気のもれてるような声で、ジギーが言った。
「ひょっとして、あたしたち、ずう〜〜〜〜っと、道路と平行に、ジャガイモ畑の中を歩いてたんじゃないかしら?」
甲介は、上着のポケットからたばこをとり出し、ジッポを鳴らして火をつけた。
右手を腰にあて、どこか遠くを見つめる目になって、煙を吹き出す。
その横顔を、上目づかいに見つめながら、ジギーが低い声で言った。
「ごまかそうったって、そうはいかないわよ?」
「いや、だから、つまり、ぼくだって、まさか、こんな……」
「この落とし前は、どうつけてくれるの?」
「う……」
^ *
「さあ。元気に、いってみよ〜〜っ!」
スーツケースの上に腰掛けたジギーが、明るく宣言した。
「後学のために聞いときたいんだがね」
スーツケースをゴロゴロと引っぱりながら、甲介が、暗く尋ねた。
「どうして、こっちに町があると思うんだ?」
ジギーは、にっこり笑って答えた。
「カンよ」
^ 3 世界征服の夢
――私は、ジャガイモが好きだっ!
両手のこぶしを、しっかりと握りしめて、ビランデルは、ぐも〜〜っと盛りあがった。
テーブルの上には、ふかしたイモが、山のように積まれ、ほかほかと湯気をたてている。
――揚げたジャガイモも好きだが、ふかしたジャガイモは、もっと好きだっ! ポテトチップスだって、好きなのだもの!
ビランデルは、ナプキンを襟元にさしこみ、ナイフとフォークを手に、身構えた。
ふかしたてのジャガイモに、たっぷりバターをぬりつけ、口に運ぶ。
「うまい!」
ビランデルは、大声で叫んだ。
「誰がなんと言おうと、新ジャガは、これが一番うまいのだ!」
ビランデルは、食うことに集中した。
信じられないようなスピードで、大皿に盛られたジャガイモがビランデルの口の中に消えていく。
まるで、映画のコマ落としを見ているようなものだ。
日頃の、端正なイメージはどこにもない。
あの細い体の、いったいどこに、これだけの量のジャガイモが入っていくのだろう。
あっというまに大皿がカラになった。
ビランデルの動きが、ぴたっと停まる。
食欲の化け物みたいだった顔に、元の端正な表情が戻ってくる。まるで、何かの憑きものが落ちたみたいだ。
ビランデルは、気取った手つきでナプキンを使った。
口の端についた、食いかすを丁寧にぬぐい去り、ワイングラスに手を伸ばす。
ひと口ふくんで、
「88年物のシャトー・マルゴーか……」
ビランデルは、軽く首をかしげた。
「ふかしたジャガイモには、やっぱり、ムートン・ロスチャイルドあたりの方が、よく合ってるような気がするな」
と。
コンコン。
扉にノック。
「入れ!」
黒のお仕着せ姿の、頭のハゲた執事が入ってきた。
うやうやしくささげ持った大皿の上には、山盛りのジャガイモだ。
「おかわりをお持ちしました」
「うん。そうか♀」
ビランデルは、笑みくずれそうになる表情を、必死で引きしめながら、言った。
執事が皿をとりかえる。
ビランデルは、待ちきれない様子で、皿の上にかがみこんだ。
執事は、一礼して出ていこうとした。
ビランデルは、イモを突き刺したフォークで執事を呼び止めた。
「ジェイムス」
「なんでございましょう」
「まだ、下からの連絡はないか?」
「まだのようでございます」
「ふーむ」
ビランデルは、フォーク片手に考えた。
「さすがに四人目ともなると、連邦も優秀なエージェントを派遣してくるとみえる。やつらも必死だな」
「まことに左様かと」
「身を隠すのが得意なやつだ。陸上部隊も動員して、捜索範囲も広げるように言え。しらみつぶしにやるんだ。どんなところも見逃すな」
「かしこまりました」
執事は、頭を下げた。
ビランデルは、ふと何かを思いついたような表情になる。
「ジェイムス!」
「はい?」
執事は、ドアのノブに手をかけたまま、ふり返った。
ビランデルは、手にしたフォークを、うれしそうに振ってみせながら、言った。
「おまえ、このジャガイモ、ひと口で食えるか?」
「私は猫舌でございますので」
と、執事。
「よし、じゃあ、私がやってみせてやろう」
ビランデルは、握りこぶしほどもあるジャガイモを、ひと口に呑みこんだ。
「ぐっ……!」
のどにつめて、目を白黒させる。
執事は、深々と頭を下げた。
^ *
「あたし、おなかすいたわ」
スーツケースの上に、後ろ向きに腰かけているジギーが、おなかのすいた声で言った。
前をいく甲介は、なにも聞こえませんって顔で、スーツケースを引っぱっている。
ジギーは、上体をひねって、甲介の背中をにらみつけた。
やや声を高めて、くり返す。
「あたし、おなかがすいたわって言ったのよ」
「カンパンでも食うかい?」
前を向いたままで、甲介が言った。
「カンパンなんか食べたくないわっ」
ジギーは、ぷいっとそっぽを向いた。
「だけど、おなかはすいたのっ」
「なるほど」
ジギーは、両ひざを立てて、その上に顎をのっけた。
ふたりが歩いてきた道が、はるか彼方まで一直線に伸びている。気の遠くなりそうな光景だ。
「ねえ」
ジギーは、そのままの格好で、背後の甲介に声をかけた。
「まだ、なんにも見えないのー?」
「ジャガイモ畑は見える」
「ジャガイモ畑のことなんか忘れて!」
ジギーは、腹立たしげに叫んだ。
「それ以外に、なにが見えるかって聞いてるのよ」
「空が見える。道が見える。それから、遠くに山が見える」
「家は?」
「見えない」
「あーあ」
ジギーは、ため息をついた。
もう三時間近くも歩いてるというのに、人家はもちろん、車一台通りかからない。ドライブインもガソリンスタンドも、ファミリーレストランのチェーン店すらもないのだ。あるのは、ひたすら続くジャガイモ畑だけ。
「どうして、こんなに家がないのかしら? 畑の手入れなんか、どうやってるの?」
「手入れなんかしないんだ」
と、甲介。
「ジャガイモってのは、もともと荒れ地の植物だからね。ほうっておけば、勝手に育つんだ。まあ、たまにへりで農薬くらいまくだろうけどね」
「くわしいのね?」
「まあね」
「じゃあ、なんだって、地図の一枚も持ってこなかったの?」
「地図なんかないんだ」
甲介は肩をすくめて、言った。
「ここをどこだと思ってるんだ? 地球から五百光年も離れてるんだぜ? 行政の手が届くか届かないか、ぎりぎりのところだ。情報なんか、ほとんど入ってこない。まあ、宇宙港の周辺部なら話は別だが、あとは白紙みたいなもんさ。そんな地図があったって、何の役にも立たない。友達の家を探すのに、地球儀を持って歩くみたいなもんだからね」
「あたし、なんだか、またわめきたくなってきたわ」
ジギーが、きっぱりと言った。
と。
不意に、スーツケースが止まった。
「どーしたの?」
ジギーは、甲介をふり返った。
甲介は、道のはるか先をじっと見つめている。
「なに?」
スーツケースからおりて、ジギーも、その横に並ぶ。
かすかな土煙のようなものが見えた。
「ひょっとして、車じゃない?」
ジギーが、うれしそうに言った。
「そうらしい」
何か考え事をしているみたいな声で、甲介がうなずく。
「助かったァ♀」
ジギーは、バンザイをした。
「ランドクルーザーみたいだな。浮揚式の」
甲介は、小さくつぶやいた。
無蓋のランドクルーザーは、地上すれすれのところを滑空しながら、近づいてくる。
荷台の上に、戦闘服姿の男がひとり、立ちあがっていた。ロールバーに手をかけ、何かを探しているかのように、四方に目を配っている。
「ヘーイ!」
ジギーが、右手の親指をつき出して、叫んだ。ヒッチハイクのサインだ。
荷台の男が、運転手に何か怒鳴った。
ランドクルーザーは、減速して、甲介たちの前を行きすぎたところで、停まった。
荷台から、男がとびおりた。
ゆっくりと近づいてくる。
電子式のゴーグルをつけているので、表情はよくわからない。
ヘビーデューティーなごついブーツ。腰のベルトには、大口径の軍用銃が光っている。
戦闘服の肩の部分に、見たこともないような記章がついていた。赤地に黒のOKサインだ。
男は、甲介とジギーの前で、立ち止まった。
雲をつくような大男である。
ゴーグルを、額におしあげると、こめかみから顎にまで達する、すさまじい傷が走っているのが見えた。暗い路地裏なんかでは、絶対に顔をあわせたくない顔つきだ。
男は、甲介とジギーを、交互に見比べた。
それから、ジギーに向き直ると、白い歯をみせて、言った。
「どうしたね、お嬢ちゃん?」
^ *
「やつは、まだ見つからんのか!」
ビランデルが、わめいた。
再び、ここは、地下の作戦司令室である。
大小さまざまのマルチ・スクリーンが、壁いっぱいを占めている。
コンソールに並んだ数人のオペレーターたちが、喉をからして、各部隊に指令を飛ばしている。
「アルファ小隊。ネガティブです!」
「ブラボー小隊。同じくネガティブ!」
「VTOL偵察部隊。給油のために帰還します」
「チャーリー小隊より入電。猫の仔一匹いないそうでーす」
「ええい、どいつもこいつも、役立たずの能なしぞろいが!」
ビランデルは、地だんだをふんだ。
「総帥!」
オペレーターのひとりが、ビランデルをふり返って言った。
「お屋敷の方で、ジェイムス様が、お呼びになっておりますが」
「ジェイムスが?」
ビランデルは、首をかしげた。
「なんの用だろう。よし、すぐ行くと伝えろ。それから、各部隊に命令しておけ。私が戻ってくるまでに、やつを発見してなかったら、全員、減俸処分だ! わかったな!?」
「はっ。そのように伝えます」
ビランデルは、マントをひらひらさせ、足音高く出ていった。
地下基地から、地上の広壮な屋敷へ通じるターボ・シャフト。
その手前で、ビランデルは、ふと立ち止まった。
通路を、右へ折れて、基地の奥へと足を運ぶ。
銀行の大金庫のような、ぶ厚い扉が、油圧で音もなく開いた。
巨大なエネルギーの存在を感じさせる雷鳴のような低周波音が、その部屋を満たしていた。
「あっ、これは、総帥!」
白衣を着た老人が、あわてて駆け寄ってきた。
「どうだ、アビーマン博士。作業の進行状況は」
トカゲのようにやせた、白髪の老博士は、手にしたディスプレイ・ボードに目を落として、言った。
「えー、ほぼ完成ということですかな。あと、動力システムのチェックが、20パーセントほど遅れておりますが、それも、二、三日中には、すべて完了するでしょう」
「そうか、そうか」
ビランデルは、満足そうに、うなずいた。
部屋のつきあたりが、全面ガラス張りになっている。近寄ると、その向こうに、フットボール場が三つは作れそうな、広大な半球状の空洞がひらけている。ビランデルたちのいる部屋は、そのドームの中腹あたりに、つき出すような形で作られている。
ビランデルは、手すりに片手をかけて、下をのぞきこんだ。
まばゆいカクテル・ライトの下、高い足場が組まれ、その間を、大勢の技術者たちがアリのように動き回っている。
いったい、そこで何が作られているのか。
その位置から見てさえ、全体像をつかみきれないほどの大きさだ。
足場からのぞくメタルの輝き。
「ふっふっふ……」
ビランデルは、含み笑いをもらした。
「この究極兵器が完成した時、地球連邦は、いや、全銀河は、私の足元にひれ伏すのだ!
――わあっはっはっはっは」
「総帥……」
「はっはっはっはっは」
「総帥!」
「ん? なんだ」
「なにやら、外が騒がしかったようですが?」
「連邦の犬がまた一匹、侵入した」
「ほう。しょうこりもなく……」
博士は、ニヤリと笑った。
「しかし、連邦側も、いよいよかぎつけてきましたかな?」
「ふっ」
ビランデルの十八番、必殺の『ふっ』が出た。なんの必然性もなく、背景はバラの花だ。
「今さら何をしようと、もはや手遅れだ。究極兵器が動き出したら、誰にも止めることはできん。これで、わがビランデル家代々の念願である『世界征服』に、一歩踏み出せるというわけだ」
ビランデルは、遠い目になって、言った。
「私の父も、祖父も、そのまたずーっと前の先祖の時代より、わがビランデル家は、悪の秘密結社の総元締めとして、何度も地球を征服しようと試み、そのつど、ヒーローだとか、正義の味方だとか、なんとか仮面だとか、なんとか戦隊だとかいう、安っぽい連中に、ことごとく邪魔されてきた。思えば、わがビランデル家の歴史は、血と涙と苦難にいろどられた歴史であった。――しかし!」
ビランデルは、こぶしを握りしめて、叫んだ。
「その苦労が、今、やっと報いられる時がやって来たのだ!」
「総帥! いや、若……!」
「アビーマン博士。礼を言うぞ」
「そのような……」
博士は、思わず涙ぐんだ。
「お父上の代から、当家におつかえ申しあげておるこのアビーマン。今日ほど、うれしく思ったことはございません。お父上が、地球制服の指揮をとっておられる時、まだおしめをつけておいでだった若は、私のひざの上でよく粗相をなさいましたなア。それが、今や、このように立派な総帥におなりになって、私は……」
博士は声をつまらせた。
「あ、いや、博士」
ビランデルは大いにうろたえた。
「まあ、昔のことは、こっちおいといてー。とにかく、完成まであとひと息なんだから、まあ、その……、がんばるよーに」
「は、はい」
アビーマン博士は、白衣のポケットからハンカチを取り出して、びーっと鼻をかんで、言った。
「かしこまりました、総帥」
「う、うん」
ビランデルはあたふたと姿を消した。
^ *
――どーも、あのじーさんだけは苦手だ。
ターボ・シャフトの中で、ビランデルは額の汗を、そっとぬぐった。
ケージの扉が、左右に開く。
執事のジェイムスが、頭を下げて待ち受けていた。
「何事だ、ジェイムス」
「は。わざわざ、お呼びたていたしまして、申し訳ございません」
と、また頭を下げる。
その姿を、じっと見ていたビランデルが、
「ジェイムス」
「は」
「おまえ、また頭がうすくなったな」
「は。おそれいります」
「いちいち、おそれいらんでいい。用件は何だ。私は忙しいのだ。たかだか、連邦のエージェント一匹に、ぐずぐず手間ばかり取りおって。部下がスカタンばかりだから、総帥の私が苦労するのだ」
「は。ごもっともで」
「やたら、頭をさげてれば、いいってもんじゃないぞ、ジェイムス。まぶしくてかなわん。おまえは、私を雪目にするつもりか」
「けっして、そのような」
「ああ。いいから、早く用件を言え。私は、すぐにコマンド・ルームに戻らなくてはならんのだ」
「それが……」
執事は、言いにくそうに口ごもった。
「お客様でございまして」
「客? こんな所へか?」
「なんでも、旅の途中で道に迷われて、難儀をしておられるとかで……」
「なんだとォ?」
ビランデルの語尾がはねあがる。
「おまえは、道に迷ってる人間を、誰でも屋敷へ泊めてやるのか!」
「いえ、そうではありませんが、ご存知のように、このあたりには町もございませんし、もう日も暮れてまいりましたことですし……」
「どけ。私が追い出してくれる」
ビランデルは、相手をつきとばしかねない勢いで、執事の横を通りすぎた。
「なんだと思っとるんだ! 今が、一番大切な時だというのに。 ――その客とやらは、どこだ?」
「応接間の方へ」
ビランデルのあとを、小走りに追いかけながら、執事が答える。
ばん!
観音開きの扉を、叩きつけるように開ける。
ソファに腰かけていた客が、立ちあがった。
客はふたりいた。
とぼけた顔をした男が、近寄ってきて、言った。
「どうも。勝手におじゃましまして……」
「申し訳ありませんが」
ビランデルは、相手の言葉を、慇懃に、しかし、断固としてさえ切った。
「ただ今、当家はとりこんでおりまして……」
その時、男の後ろから、ひとりの娘が進み出てきた。
娘は、にっこりと笑った。
すごく可愛い、にっこりだった。
そして、言った。
「初めまして、ミスター。ご迷惑をおかけして、申し訳ありません。道を尋ねるだけのつもりでしたのに……なんとお礼を言ったらよいのか」
ビランデルは、ポカンと口を開けて、娘の言うことを聞いていた。
いや。
聞いていなかった。
「ミスター?」
「あ! いや、これは失礼しました。道に迷われた? それはそれは、お困りでしょう、あー……」
「ジギー」
「ミス・ジギー。迷惑などとは、とんでもないこと。困っている旅人を助けるのは、土地の人間の義務ですからね。はっはっは」
ビランデルは、ジギーの肩を抱かんばかりにして、言った。
ジギーも、お愛想笑いをふりまく。
「ジェイムス! お客様を、すぐにお部屋にご案内せんか! それから、食事の用意だ!」
「はっ。かしこまりました」
一礼して、執事が下がる。
ジギーと、甲介は、こっそりと目を見交わして、肩をすくめ合った。
^ 4 酒上の敵
「こちらでございます」
案内された客間は、おそろしく豪勢なものだった。
バス・トイレ、次の間つき。
部屋の調度も、こった造りのものばかりだ
天井には、一トンもありそうなシャンデリアがぶらさがっていた。
甲介は、エマジェンシー・バックを床にほうり出し、ベットに寝っころがった。
煙草に火をつける。
顔に似合わぬ世話好きの大男のことを思い出していた。
「どうしたね、お嬢ちゃん?」
「道に迷ったみたいなの」
「ライラックビルって村なんだけど、知らないか?」
甲介が、横から口をそえる。
「ライラックビル?」
大男は、額にしわをよせて考えこんだ。
甲介は、人間がこれほど真剣に、何かを考えてる姿を見たことがなかった。
長い間考えて、大男は言った。
「いや。知らねーな。このあたりかい?」
「宇宙港の近くだと聞いた」
「そいつは無理だ」
大男は、笑って言った。
「まるで逆方向だよ」
「やれやれ」
甲介は、首をふった。今まで歩いてきた、あの距離を引き返すのかと思うと、さすがに気力がなえた。
「ここから一番近い町は、どこかしら?」
ジギーが、いくぶん責任を感じてる口調で言った。こっちへ行こうって言ったのは、彼女なのだ。
「そうさなァ」
大男は、顎をなでた。
「オタールが一番近いかな。西へ三百キロほど行ったところだが」
「三百キロ?」
甲介が、素頓狂な声を出す。
「西って、どっち?」
と、ジギー。
「あっちだ」
大男は、甲介たちが歩いてきた方向を、指さした。
甲介は、アスファルトの上に、へたへたと座りこんだ。
その横に、ジギーも座りこむ。
「あんたたち、車はどうした?」
「事故でね……」
甲介は、肩をすくめた。
「ふーむ」
大男は、腕組みをして、考えこんだ。
「こうしたらいい。この道を、さらにまっすぐ行くと、左へ曲がる細い道がある。注意してみなきゃわかんないよ。そいつを、ほんの二、三キロ歩くと、でっかいお屋敷が見えてくる。ビランデル様のお屋敷だ。ご親切な方だから、きっと、めんどうをみて下さるよ」
「それより、あんたのその車で、町まで送ってくれた方が、ありがたいんだがな」
「そうしてやりてェのは、やまやまだが、あいにくと、仕事が残っててね。人探しさ。あんたら、このへんで妖しいやつらを見なかったかい?」
甲介とジギーは、顔を見合わせた。
「いや」
そろって、首をふる。
「まあ、いい」
大男は、ランドクルーザーに乗りこみながら、言った。
「気をつけていきなよ」
「ありがとう。あんたも、探してるやつが、早く見つかるように」
「サンキュー」
大男は荷台の上で、手をふった。
タービンの唸りが高まり、ランドクルーザーは、ふわりと浮きあがって、走り去った。
「ボギー?」
ジギーの声が、聞こえた。
「ちょっと、起きなさいよ!」
「あ?」
いつのまにか、寝入ってしまってたらしい。
「なんだい?」
「夕食だって。ほら、だらしないわね。うたたねなんて。オジンの証拠だわ」
「悪かったなァ」
甲介は、ぶつくさ言いながら起きあがった。
ネクタイを締め直しながら、ベッドをおりる。
ジギーは、ニコニコしていた。
「どうしたんだ? やけにうれしそうじゃないか?」
「見てわからない?」
ジギーは、両手を広げて、その場でくるりと一回転してみせた。
服装が替わっていた。
白いフォーマル・ドレスだ。肩のあたりに羽根飾りがついている。
「そんなものまで、持ってきてたのか?」
「見ちがえたでしょ?」
「あきれたね」
甲介は、言った。
「普通、家出するのに、ドレスまで持ってくか?」
「あたりまえじゃない」
いかにも当然という口調で、ジギーはうなずいた。その瞳の中には、これっぽちも疑問の影はなかった。
「そういうもんかね」
「そういうもんよ」
と、ジギー。
「それにさ」
ジギーは、ちょっと頬を赤くして、言った。
「この家の主人て、すっごいハンサムじゃない?」
すっごい、というところに、やけに力を入れる。
甲介は、あまりおもしろくなかった。そっけなく答える。
「そうかね」
「そおよお。あれだけの美形、地球の芸能界にも、ちょっといないわよォ。こんな田舎の星の、そのまたド田舎で、何をやってるのかしら?」
「興味ないね」
甲介は、煙草をやけにふかしながら、言った。
「さあ、行こう。おれは、腹ぺこなんだ」
さっさと先に立って歩き出した甲介の背中に、ジギーが『いー』をした。
^ *
「なるほど」
ワイングラスを片手に、ビランデルがうなずいた。
「ライラックビルへ、おいでになるところでしたか」
「ええ。何でも、ジャガイモが枯れたとかなんとか……」
「なに! ジャガイモが枯れた?」
「そう。まったく、しょーもない……」
「それは、大問題ですな」
ビランデルは、真顔で言った。
甲介は、あいまいな笑みを浮かべて、相づちを打った。
「ええ、まあ、なんていうか……」
「大問題です!」
ビランデルは、きっぱりと言った。
「それは、一刻も早く行くべきです。わかりました。ジャガイモが枯れたと聞いては、ほうっておくわけには、いきません。私もひと肌ぬぎましょう。うちの車を使いなさい。一番速い車を貸してあげましょう」
「え。いや、オタールまで、送っていただけるだけで、十分ですから」
「御遠慮にはおよびません。車は、ライラックビルに乗り捨てていただいて結構です。ジェイムスに言って、明日の朝一番で用意させます。食料も」
ビランデルは、ひとりで盛りあがっていた。
甲介は、そっとため息をついた。
ジギーは、黙りこくっている。
「どうしました。ミス・ジギー」
それに気づいて、ビランデルが言った。
「ほとんど、手をつけてないじゃありませんか。どうぞ、たくさん召しあがって下さい」
「あ、いただいてますわ、ミスター・ビランデル」
ジギーは、ひきつったような愛想笑いを浮かべ、申し訳程度に、皿の上の料理に口をつける。
「うまいでしょう、このジャガイモは!」
いきごんで、ビランデルが尋ねる。
「え、ええ。とっても」
顔は笑ってるが、目は、ぶっ殺しそうな光を放っていた。
巨大なテーブルの上には、ありとあらゆる料理が並べられていた。――ジャガイモの。
ジギーは、吐き気をこらえて、ワイングラスに手を伸ばした。
くいっ。
ひと口で飲み干す。
壁際に並んでいる給仕が、素早く寄ってきて、おかわりを注いだ。
ジギーは、それもひと口で飲み干した。頬が、カーッと熱くなってくる。
未成年。
すきっ腹。
「おい。大丈夫か?」
甲介が、声をかけた。
ジギーは、どこか焦点の定まらない目つきで、甲介を見つめ、にっと笑った。
そのまま、ずるずると椅子から、すべり落ちる。
「ジギー!」
*
上を下への、おおさわぎっ。
^ *
「お嬢さんは、おやすみになられましたか?」
約一時間後。
疲れきった顔で戻ってきた甲介に、ビランデルが声をかけた。
「さっきまで、客間の方から、なにやら歌声が聞こえてましたが」
「お騒がせして、すいません」
「いえいえ。――このような田舎に引きこもっておりますと、お客様を招待するような機会は、めったにありませんからね。今夜は、こちらの方も、楽のしまさせていただきまして、感謝しているくらいです」
「そういって、いただけると」
甲介は、ビランデルの正面の椅子に腰をかけた。
ビランデルは、ブランデーグラスを押しやって、言った。
「どうです。極上のコニャックですが」
「いいですねー」
ビランデルも、自分のグラスに金色の液体を注いだ。
「ジャガイモに」
と、グラスをあげる。
「ジャガイモに」
甲介も、それに合わせた。
「ひとつ、伺ってもいいですか?」
「なんなりと」
「どうして、あなたのような人が、こんな辺境の星に? まだ、お若いのに」
「理由がありまして」
「ほう?」
「もう一杯どうです?」
「いただきましょう」
「ジャガイモに」
「ジャガイモに」
ふたりは、仲良くグラスをあげた。
しばらくして、甲介がまた言った。
「どんな理由です?」
「え?」
「こんな所に住んでる理由ですよ」
「ああ。――もう一杯どうです?」
「いただきましょう」
「ジャガイモに」
「ジャガイモに」
ふたりは、さらに杯を重ねた。
「そろそろ、教えてくれたって(ヒック!)いいでしょう」
「なにが、そろそろ」
「なんでー、こんな所にー、住ん(ヒック!)でんのかー、ってことですよー」
「はっはっは」
ビランデルは、高笑いした。
ふたりとも、すっかり出来あがっていた。
「実はですねー」
ビランデルは、上体をふらつかせながら、甲介の方に身をのり出した。くすくす笑いながら、
「世界征服をねー、企んでいるんですよ」
「せかい(ヒック)せいふくぅ〜〜?」
「そう! わがビランデル家の念願でしてね〜〜っ、これがっ! わかりますかあ〜〜っ」
「わかるっ。わかりますよーっ」
「そう。で、まあ、こーゆー、連邦の目の届かないところに、秘密基地を作ってですね〜〜っ、究極兵器を(ヒック)、開発しておるとゆーわけなんですゥ」
「なるほどっ!」
「世界征服ね!」
「世界征服です!」
「世界征服に、乾杯!」
「わははははは」
ふたりは肩を組んで、大声で歌をうたい始めた。
^ *
一方そのころ――。
「ん?」
ジギーが、唐突に目を覚ました。
ベッドの上に、上体を起こして、あたりを見回す。
――ここどこかしら?
ワインのせいで、頭が半分ほにゃららになっていた。
ジギーは、ベッドから降りた。
スリッパをはく(こういうものまで、彼女は持ってきていたのだ)。
ふらふらと客間を出ていく。
――ふにゃー。
夢遊病者のような足どりで、ジギーは長い廊下を進んでいった。
――ボギーは、どこかしら?
ジギーは、何かに足をとられて、よろめいた。
壁に手をつく。
その壁が、いきなり左右に開いた。
ジギーは、ターボ・シャフトの中へ、ころげこんだ。
「いたあい」
間のびした声で、悲鳴をあげる。
――なんで、こんなとこに、エレベーターが?
ジギーは、ふらふら立ちあがって、昇降ボタンを押した。
自分が何をやっているのかは、わかっていない。
再び、ゲージの扉が開く。
ジギーは、悪の秘密結社『ブラック・ハンド』の地下基地へと、漂い出た。
作戦司令室を、寝ぼけ眼でのぞいてみる。
オペレーターたちが、喧嘩腰になって、わめきちらしていた。
マルチ・スクリーンには、さまざまな情報が、刻々と映し出されている。
――ふにゃー。
ジギーは、ふらふらと、あっちこっちをのぞき回った。
見覚えのあるVTOLが、数十機も並ぶ格納庫があった。
兵器庫があった。
戦闘員たちの居住区は、閑散としていた。ほとんど、捜索に出払っているのだ。
最後に、ジギーは、究極兵器開発現場にやってきた。
壁のスイッチを押すと、扉は簡単に開いた。
中ではアビーマン博士をはじめとする、数名の科学者たちが指令所から現場へ指示を伝えている。
ガラス窓の向こうには、建造中の究極兵器が、巨大な姿を横たえている。
「ふーん」
ジギーは、ぼんやり眺めた。
しばらく、そこにつっ立っていたが、誰ひとり振り返ろうともしない。
ジギーは、急に興味を失った顔になって、言った。
「ねよ」
ふらふらと引き返していく。
ターボ・シャフトから出てきたジギーの姿を、たまたま、氷と水のおかわりを運んできた執事が、目撃した。
「お客様……」
ジギーは、すぐ目の前にいる執事に気づきもせず、ふら〜〜っと自分の部屋に姿を消した。「お客様……?」
執事は、開きっぱなしのターボ・シャフトと、客間を交互に見比べ、首をひねった。
^ *
あけて翌朝――。
「どうも、昨夜は失礼しました」
「いや、こちらこそ」
甲介とビランデルは、お互い、少々気まずい想いを胸に、別れの握手を交わした。
屋敷の前の車まわしに、GEV仕様の白いサンダーバードが停まっていた。
「どうも、お世話になりました」
「仕事が終わったら、またお寄り下さい」
「ええ」
「ミス・ジギー。あなたも」
「必ず」
「約束ですよ」
ビランデルは、やけに熱心にジギーの手を握りしめた。
甲介が、言った。
「あなたも、地球においでになるようなことがあったら、前もって連絡して下さい。ぜひ、お礼がしたい」
「地球……? 地球にお住まいなんですか?」
「あれ。昨日、言いませんでしたっけ?」
甲介は、言った。
「私、センターに勤めてるんですよ」
「センター……。ということは、連邦の……?」
「そう」
甲介は、あっさりとうなずいた。
「エージェントです」
ビランデルの顔から、音をたてて血の気がひいた。
あまりのことに、頭の中がパニックになって、言葉も出てこない。
「いやー。あなたのような人に会えて、ほんとうによかった」
甲介は、でく人形みたいにつっ立っているビランデルの右手をとって、もう一度、握手した。
「じゃ、車は遠慮なく借りていきます」
甲介とジギーは、サンダーバードに乗りこんだ。
「それじゃ」
と、窓から手を握る。
「また、お会いしましょう」
「さよなら、ビランデルさん。ご親切は忘れないわ」
甲介は、アクセルを踏みこんだ。
甲高いタービンノイズを残して、サンダーバードは、ビランデル家を後にした。ジャガイモ畑の向こうに、小さくなっていく白いボディを、ビランデルは、ただ茫然と見送った。
「旦那様……」
ジェイムスが、そばに寄ってきて、声をかけた。
「実は、昨夜のことですが……」
ビランデルの耳に、ジェイムスの声は届いてなかった。
サンダーバードが見えなくなった。
ビランデルは、平板な声で、ひと言つぶやいた。
「ガチョーン」
¥PARTV ブラック・ハンド
^ 1 追撃・ビランデル!
「いやー。よい人であった」
うんうん。
ひとりでうなずきながら、甲介はサンダーバードのステアリングを、あやつっている。
「ほーんと、ハンサムだったわね!」
助手席のジギーが、ほうっとため息を吐き出した。
甲介は、ちらりとジギーを見た。
さりげない声で、
「君は、さっきから、それしか言わんな」
「だあって」
と、ジギーは、甲介に向き直った。
「ほんとにハンサムだったわよ。すごくハンサムだったわ。ハンサムだとは思わない?」
たたみかけるように言う。
ジギーの勢いに押されて、甲介は、あいまいにうなずいた。
「まあ、そりゃあ……」
軽く肩をすくめる。
「しかし、あの服装のセンスは、どうにかならんもんかね。マントなんか、ひらひらさせちゃって。まるで、タカラズカだ。――見てるこっちが、恥ずかしくなってくる」
「いーじゃない。似あってんだから」
ジギーは、ぷいっと横を向いた。
サイド・ウィンドウの外を流れていく、ジャガイモ畑を見つめる。
ふと思いついたような表情になって、
「だけど……」
「あー?」
「あれだけは、よくないはね」
「あれって?」
「ジャガイモ!」
甲介は、ゲラゲラ笑いだした。
ジギーは、真剣な顔で、言った。
「笑いごとじゃないわ。なんだって、ああジャガイモにこだわるのかしら? あのジャガイモ料理のせいよ、あたしが悪酔いしたの」
「なかなか豪快な酔いっぷりだったからね」
楽しそうに、甲介が言った。
ジギーは、じろりと甲介を見た。
「あなた、笑ってるんでしょ。ボギー」
「笑ってなんかいないさ」
もちろん、甲介は笑っていた。
「ふーんだ」
しばらく、沈黙が続いた。
甲介は黙って、車を走らせ、ジギーは黙って、窓の外を眺めた。
唐突に、ジギーが口を開く。
「いいかげんに、笑うのやめたらどう?」
「え?」
「また、笑ってたでしょ。思い出し笑いなんかして。やな人ね」
「いや。君のことじゃないよ」
「嘘」
「ほんと」
「じゃあ、何を笑ってたのよ」
「昨夜の冗談さ。なんで、こんな辺鄙な土地に住んでるのかって訊いたんだ」
「ビランデルさんに?」
「そ」
「なんだって?」
「世界征服のための秘密基地を作ってんだと」
甲介は、ゲラゲラ笑った。
「いやー。おもしろい冗談だ」
ふと見ると、
となりの席で、ジギーが何事か考えこんでいた。
「どうしたんだ?」
ジギーは、ひとり言のように、小さくつぶやいた。
「夢じゃなかったのかしら?」
「なにが?」
「え? うーん、それがねー……」
^ *
『目標視認!』
マルチ・スクリーンの中に、疾走する白いサンダーバードが映し出された。
VTOLが送ってくる、上空からの映像だ。
『目標は、ルート145を西へ向かって移動中。いかが処理いたしますか。指示を願います』
無線オペレーターは、無言でビランデルをふり返った。
ビランデルは、腕を組んで、じいっとスクリーンを見つめている。
「総帥……」
ビランデルは、ゆっくりと腕組みをほどいて、言った。
「攻撃しろ」
『了解』
とたんに、スクリーンの中の地平線が、ぐうんと傾いた。
VTOLが機体をバンクさせ、急降下に移ったのだ。
スクリーン中央に、ぴたりとサンダーバードが捕捉される。
『射撃管制コンピューター・ON』
『対地攻撃モード』
作戦司令室に、パイロットの事務的な声が、淡々と響く。
『目標にロック・オン』
『オート・シュート!』
VTOLの翼の下につるされた、ふたつのミサイル・ポッドから、十数発の小型ミサイルが、いっせいに発射された。
^ *
「そんなに笑うことないでしょうが!」
ジギーが、ぶんむくれた声を出した。
「だってさ、今どき地下の秘密基地なんて、そんな流行(はや)んねえもん。――どうしたって、笑っちゃうよ」
「なによー。ほんとに見たんだからねー」
「ははは。おおかた、寝ぼけてて……」
「うるさいわねっっ!」
ジギーは、思いっきり甲介をつきとばした。
「わっ。よせっ」
甲介が、ハンドルを切りそこねた。
^ *
――命中!
誰もがそう考えた瞬間。
サンダーバードは、突然、道をはずれて、ジャガイモ畑につっこんだ。
「うぬ! かわしおったかっ」
ビランデルは、こぶしをふるわせて、叫んだ。
「さすが、連邦のエージェント。女ずれで旅行者をよそおい、まんまと、わが秘密基地に潜入した鮮やかな手並みといい……。あやつ、ただものではない!」
勘違いも、ここまで来ると立派だった。
^ *
「見ろ。君が、つきとばしたりするから、こんなことに……」
甲介の言葉が、次の瞬間、すさまじい爆発音で、かき消された。
叩きつけるような爆風が、車体を揺るがした。
甲介とジギーは、同時に後ろをふり返った。
道がなくなっていた。
かつて、道だったあたりには、十数個の大穴があいて、うす煙を立ちのぼらせていた。
ふたりは、思わずお互いの顔を見合わせた。
ジギーは、言った。
「あれ、なーに?」
甲介は、首をひねった。
「さあ」
^ *
ミサイル発射後、いったん上空に舞いあがったVTOLが、空中で鋭く身をひねって、再び攻撃態勢に入った。
「こンのやろ〜〜っっ!」
すっかり頭に血がのぼったパイロットは、歯をむき出し、すごい形相で、過激な超低空飛行を試みた。
ジャガイモ畑の中の、少し小高い場所に停まっているサンダーバードに、真正面から向かっていく。
HDU(ヘッドアップ・ディスプレイ)に、サンダーバードの運転席が大映しになる。
中のふたりは、そろって、後ろを向いている。
「今度こそ、ふっとばしてやる!」
ガンサイト中央の十字線を、ドライバーの後頭部に、ぴたりと合わせた。
VTOLは、対地効果で、ジャガイモの葉っぱを巻きあげながら、突進した。
^ *
「あれ?」
「どうしたの」
「エンジンが、かからないんだ。おっかしいな!」
甲介は、インパネの下をのぞきこんだ。
奥の方に、ボンネットのオープナーがあった。
「よいしょ」
甲介は、オープナーを引っぱった。
^ *
「くたばれ!」
パイロットは、トリガーにかけた指先に、力をこめた。
その瞬間――。
サンダーバードのボンネットが、油圧でボンと開いた。
HUDいっぱいに、まるで進路に立ちふさがる白い壁のように、ボンネットの映像が広がった。
「うあ!」
パイロットは、一瞬パニックを起こした。
操縦桿を、いっぱいに引く。
がしっ!
機体の下につき出している二枚の安定板が、ボンネット上部と接触。
異音を発して、吹き飛んだ。
ボンネットも、根本からちぎれて、消失する。
いったん上昇しかけたVTOLは、突然、きりもみ状態におちいり。
失速して。
撃墜した。
どん!
^ *
「うおんおっれえええ〜〜」
ビランデルが、ぎりぎりと歯がみをした。
「地上部隊はどうした! まだ、追いつかんのかっ」
「高機動戦車部隊が、もうすぐ包囲を完了します」
別のオペレーターが答えた。
「急がせろっ」
「は」
「ふっふっふ、ナルミ・コースケ」
ビランデルは、ふくみ笑いをもらして、言った。
「わが『ブラック・ハンド』の力を甘く見るなよ。おまえは、この星から生きて出ることはできん。ジャガイモ畑の中で、くたばるのだ! わあっはっはっはっは……」
^ *
「うるさい星ねっ!」
ジギーが、ヒステリックにわめいた。
「なんなのよ、さっきからっ!」
甲介は、爆発炎上しているVTOLを、ぼんやりと見つめた。
首を回して、ちぎれたボンネットに、視線を移す。
再び首を回して、道路の穴ぼこを見つめる。
「……?」
甲介は、眉を寄せた。
「ねえ」
ジギーが、甲介の肩をつっついて、言った。
「あの飛行機のパイロット、大丈夫かしら? どこかに連絡した方が、いいんじゃない? ――警察とか、消防署とか、病院とか……」
「そうだな。警察あたりに連絡した方がいいかもしれん」
甲介は、あいまいな表情で、うなずいた。
「どうやら、誰かが、おれたちを殺そうとしてるらしいからな」
きょとん。
ジギーは、目をパチパチさせた。
すごく静かな声で、訊き返す。
「なんですって?」
「誰かが、おれたちを殺そうとしている」
「なんのために?」
「そいつがわかりゃあね」
「甲介は、肩をすくめてみせた。
「ひょっとしたら、ぼくの靴下の柄が気にくわないと思ってるやつが、この星のどこかに、いるのかもしれないな」
「冗談言ってる場合じゃないでしょっ!」
ジギーが、悲鳴に近い声で叫んだ。
「そうなんだ」
と、大まじめに甲介。
「冗談言ってる場合じゃないんだ」
「ボギー?」
甲介は、答えなかった。
窓の外。ジャガイモ畑の彼方を見つめている。
「どうしたの?」
「どうやら、新手らしい」
ジャガイモ畑の向こうに、おびただしい量の土煙が、わきあがっていた。
どんどん近づいてくる。
甲介は、サンダーバードのイグニッションをひねった。
キュルキュルというような、たよりない音がするだけで、エンジンはかからない。
「あれ、なに?」
ジギーが、窓の外を指さした。
土煙の中に、迷彩色の車両が見えかくれしている。それも、一台や二台ではない。
甲介は、ひと目見て、顔色を変えた。
「高機動戦車だ!」
低く構えた装甲の上に、粒子ビーム砲を二門そなえた旋回砲塔がつく、この浮揚式戦車は、地上すれすれに浮きあがって、猛スピードで走り回り、あたり一面に破壊と殺戮をまき散らす。
甲介は、体をそらして、ダッシュボードを力いっぱい蹴とばした。
エンジンが、せきこんだ。
エグゾースト・パイプ(排気管)から、大量の白煙を吹き出して、サンダーバードは息をふき返した。
戦車が、撃ち始めた。
すぐ近くで、すさまじい土煙があがる。
地面が、波のように揺れている。
弾着の衝撃波が、サンダーバードに次々と襲いかかってくる!
「しっかり、つかまってろ!」
甲介は、ひと声叫んで、フューエル・ペダルを床まで踏みこんだ。
ステアリングを、水車のようにぶん回す。
右に、左に。サンダーバードは、砲撃のまっただ中を、走りまわった。
空中高くはねあげられたジャガイモが、屋根の上に落ちてきて、ぼこぼこと、間のぬけた音をたてる。
ぐわっ!
サンダーバードのすぐ前で、地面が小山のように盛りあがった。
フロントガラスが、こなみじんに吹っ飛んだ。
「きゃあっ!」
ジギーが、悲鳴をあげた。
「どーすんのよ〜〜っっ」
「囲まれてるんだ」
歯をくいしばって、ステアリングをあやつりながら、甲介が叫び返した。
「あの間を、強行突破するぞっ!」
土煙のカーテンから、ぬっと姿を現した、二台の高機動戦車。
甲介は、その隙間めがけて、サンダーバードを加速させた。
「きゃあ、やめてやめてっ」
ジギーが、両手で顔を覆った。
「無茶よ〜〜っっ!」
「まかせとけって。これでも運転技術には、自信があるんだ!」
戦車の砲塔が、ゆっくりと、こちらを向いた。
ピカッ! 方向が、目もくらむような閃光を発した。
「伏せろっ」
甲介は、右手でジギーの頭を、押さえつけた。
頭上に、一瞬の熱気を感じた。
上を見ると、車体の天井部分が、すっかり消し飛んでいた。
「どえ〜〜っ。オープンカーになっちまった」
「きゃあ、前っ、前!」
甲介の意図を察した二台の高機動戦車は、サンダーバードの進路をふさぐように、その間隔をつめた。
甲介は、叫んだ。
「させるか〜〜っ!」
ギアを、高揚力レンジにぶちこむ。エンジン・ブースター・ON!
サンダーバードは、戦車の間を、車体を斜めにして、飛びこえた。
「やったぜ!」
後ろをふり返って、甲介が指を鳴らした。
「ばかっ!」
ジギーが、甲介をはりとばした。
「え!」
前に向き直った甲介の目に、横一列にずらり並んだ、数十台の戦車の壁が、とびこんできた。
「おわ〜〜〜〜っっっ!」
^ 2 囚れのエージェント
「どーゆーつもりなんだっ!」
甲介が、唾を飛ばして、わめいた。
地下の秘密基地、例の『旗の間』である。
赤地に黒のOKサインの旗を背に、ビランデルは、玉座にどかっと座っている。
その前に、甲介とジギー。
ふたりの後ろには、油断なく銃を構えた保安要員たちが、ぴたりとよりそっている。
甲介は、言葉を続けた。
「説明してもらいたいもんだな、え? ビランデル。こいつは、いったいどういうことだ? もうちょっとで死ぬところだったんだぞ!」
「当然だ」
ビランデルが、あっさりとうなずいた。
「殺すつもりだったのだからな」
「なんだとォ」
いきりたつ甲介。
大声で怒鳴る。
「なぜだっ!」
「ふん」
ビランデルは、鼻の先で笑った。
「ここまできて、まだしらを切るつもりか?」
「なんのことだ?」
甲介は、本当に不思議そうな顔で、言った(まあ、無理もないが)。
「まさか、あんたの大事なジャガイモを、踏みつぶしたからって言うんじゃないだろうな?」
「とぼけるなっ」
ビランデルは、鋭く言った。
「とぼけてなんかないわっ」
ジギーが、やり返した。
「昨日は、あんなに親切だったのに、どういうつもりよっ」
「昨日……?」
ビランデルは、自嘲気味の笑いを浮かべて、言った。
「ふはは、昨日は、たしかに、うまくだまされた。しかし、今日は、そうはいかんぞ」
「なんのことよ?」
「お前たちが、連邦のエージェントだということは、わかってるんだ」
「今朝、そう言ったじゃないか」
甲介は、あきれたような口ぶりで、言った。
「今さら、そんなことで、何を……」
「えーい、うるさいっ、うるさいっ、うるさいっ!」
ビランデルは、額に青すじをたてて怒鳴った。
玉座から降りて、ふたりの前に立つ。
「いちいち、ひとのあげ足ばかりとりやがって。だから、連邦のエージェントは嫌いなんだ!」
甲介とジギーは、思わず顔を見合わせた。
甲介が、片方の眉をつりあげる。
「ほら!」
ビランデルが、突然、甲介に指をつきつけた。
「ほら、その人を小馬鹿にした態度! ――おりゃー、連邦なんか、でーっきれーだ!」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
甲介は、相手をなだめるような手つきで、言った。
「おれの眉毛が気にさわったんなら、あやまるよ。だから……」
「黙れ黙れ黙れっ!」
ビランデルは、顔をまっ赤にして怒鳴った。
「ねえ、ミスター・ビランデル?」
ジギーが、横から口を出した。
自分のこめかみのあたりを、指さしながら、
「そんなに怒鳴ってると、ここら変の血管が切れちゃうわよ? プチン、プチンってね」
「おまえだ」
ビランデルは、顔をくっつけんばかりにして、ジギーに迫った。
「おまえのせいで、私は日頃の冷静な判断力を失ってしまった。さもなければ、連邦のエージェントなどに、遅れをとる私ではないのだ。秘密基地も作った。究極兵器も完成目前だ。私が全宇宙を制覇する日は近いのだ!」
ビランデルは、空中の一点を見つめ、両手を握りしめて、喉チンコも折れよとばかりに絶叫した。
「私は、ウスター・ビランデルだっ! ビランデル家十七代目当主にして、『ブラック・ハンド』の総帥だっっ!」
(どど〜〜ん!)
ひとりで、盛りあがりまくっているビランデル。
甲介とジギーは、完全に『点目』である。
甲介が言った。
「なるほど、よくわかりました」
陽気にうなずきながら、ビランデルの手をとって、上下に振る。
「あなたが、ビランデル総帥だとは、つゆとも知らず、いやーおみそれいたしました」
「え? いや。うん、わかってもらえれば、私もね……」
つりこまれたみたいに、ビランデルもうなずいた。
甲介は、さらにニコニコしながら、言った。
「まあ、これで、お互いの誤解もとけたことですし、ライラックビルで仕事も待っておりますんで、私は、このへんで……」
目線でジギーをうながして、甲介は、部屋の出口に歩き出した。
ビランデルは、ぼお〜〜っとして、ふたりの後ろ姿を見送った。
はっと我に返る。
あわてて、後を追う。
「待て待て待て待て待て」
ビランデルは、大手を広げて、ふたりの前に立ちふさがった。
――くそー。気がつきやがった。
甲介は、内心舌打ちした。
しかし、そんな気配は、おくびにも出さず、平静な顔で、言った。
「まだ、なにか?」
「なにかじゃなーいっ」
大量の唾が飛んできた。
ビランデルの両手は、わなわなとふるえている。
「よ、よくも、私をおちょくってくれたな。もう許さんぞー、連邦の犬め。秘密基地をさぐりに来ただけならまだしも、この私をおちょくるとは……」
「許さないのは、こっちよっ!」
とうとう、ジギーが、ヒステリーを爆発させた。
「総帥だか雑炊だか知らないけどね。いいかげんにしないと、あたし、本気で起こるわよ!」
たじっ。
思わず、ビランデルが一歩後ずさった。
ジギーは、一歩前に出る。
「なんだっていうのっ! あたしたちは、ただ、ライラックビルに行きたいだけなのよっっ! ――秘密基地がなによっ。究極兵器がなにさっ。世界征服がどーしたっていうのっっ! そんこと、知ったこっちゃないわっ。――そんなに秘密基地が大事なら、金庫にでもしまって、首からぶら下げとけばいいでしょっっっ!」
ジギーは、言葉尻を相手に叩きつけた。
今にも、ビランデルの喉笛に噛みつきかねない形相だ。
「あーあ。本気で怒らせちまいやがんの」
はなはだ無責任な口調で、甲介が言った。煙草に火をつけて。
「おりゃ、知らねーぞ」
ビランデルは、追いつめられた小動物みたいに、あたりをきょろきょろ見回した。
銃を手に、ぼんやりと佇んでいる保安要員たちに、目をとめる。
ビランデルは、総帥としての威厳を見せて(あまり成功しているとは言いがたかったが)、言った。
「牢にぶちこんでおけっ! 処分は後で考える」
^ *
「あー、びっくりした」
牢の扉が閉まったとたんに、甲介が、素頓狂な声をはりあげた。
「本気だよ、本気、おどろいたね、どーも」
「あったまきちゃうわ!」
ジギーは、ぶりぶりしている。
「最初のミサイルってのも、あいつの仕業だったのね! なんて男なのかしら」
「これでわかったよ」
甲介は、部屋の奥においてある、パイプベッドの上にどっかりと座りこんで、言った。煙草を吸いはじめる。
「たかが、どっかの村でジャガイモが枯れたって程度の事件で、なんで三人も擁護局のエージェントが行方不明になったのか。――みんな、あの勘違いの権化みたいな男のせいなんだ」
「もう生きちゃあいないだろうな」
甲介は、軽く言った。
ジギーが、黙りこむ。
「どうした? 顔色が悪いぜ?」
「ねえ……」
ジギーは、ぽつりと言った。
「あたしたち、どうなるの」
「さあねね」
がっかりするほど、あっさりと、甲介は答えた。
「ほんとに、殺されちゃうのかしら?」
と、ジギー。
やけに不安げな声だ。
甲介は、チラリとジギーを一瞥した。
ジギーは、うつむいて床を見つめている。
さっき、ビランデルを怒鳴りつけた剣幕からすると、えらい変わりようだ。
甲介は、理解した。
ジギーは、こわかったのだ。
どうしようもなく、こわかったのだ。
だから、あんな風に、めちゃめちゃにわめき散らすしかなかったのだ。
そうでもしなければ、彼女の心は、恐怖におしつぶされて、ぺちゃんこになっていただろう。
たしかに気は強いし、口も達者だが、まだ十六歳の、ちっちゃな女の子にすぎないのだ。
甲介は、立ちあがって、ジギーの肩にそっと手をおいた。
ジギーの肩は、細かく震えていた。
「ジギー……?」
とたんに、ジギーは、甲介の胸にとびこんできた。
「心配することはない」
甲介は、自分でもびっくりするくらい、優しい気分になって言った。
声を殺して泣きじゃくっている、ジギーの体を、ただじっと支えてやりながら、
「誰にも君を殺させはしない。大丈夫。やつらの狙いは、このおれだ。君に手出しはしないさ」
「そんなのいやよっ」
ジギーは、叫んだ。
「あたしだけ助かったって、そんなの……、だめよっ。絶対だめよ」
「ジギー?」
甲介は、最高の笑顔を作って見せた。
「おれが、そんなに頼りなく見えるかい? これでも七年間、エージェントをやってるんだ。これよりやばいことは、いくらでもあった。――だけど、いいかい? こういうピンチをうまく切り抜けられるエージェントだけが、老齢年金にありつけるんだ」
ジギーは、くすっと笑った。
「OK。それでいい」
甲介も、笑ってうなずいた。
ジギーは、ちょっと頬を赤くして、小声で言った。
「ごめんなさい」
甲介は、軽く肩をすくめて、これに応えた。
ふたりは、なんとなく、肩を並べてベッドの上に座った。
壁に背中をもたせかける。
なんにもない部屋だった。
もともと、牢獄として作ったものではなく、倉庫か何かを代用しているのだろう。
天井に作りつけのE・Lが、白々しいくらい明るい光を、投げかけている。
「あーあ」
ジギーが、ため息をついた。
「とんでもない旅行になっちゃったな!」
「密航した船が、よくなかった」
「よかったのかもしれないわ」
「まあ、君の求めてた、日常からの飛躍だっけ? そのテーマには、ぴったり合ってただろうけどね。しかし、こいつは、極端すぎるよ。飛躍も程度問題だ」
ジギーは、くすくす笑った。
「ねえ」
「なんだい」
「あたしが、なんで家出したのか、本当の理由って聞きたい?」
甲介は、黙ってジギーの顔を見つめた。
ジギーは、いたずらっ子みたいな表情を浮かべている。
「ちょっと耳かして」
甲介は、体を傾けた。
「あのね。実はね……」
ジギーは、甲介の耳に、そっと打ち明けた。
「学校の成績が悪かったの」
^ *
――くそー。あのふたり。どうしてくれようか。
ビランデルは、妙にむしゃくしゃした気分だった。
山盛りのフライド・ポテトを前にしても、心は安まらなかった。
――八つ裂きにしてやる。バラバラにしてやる。ぎったんぎったんにしてやる。
ビランデルは、がばっとワインをあおった。
「総帥……」
ひかえめな声がした。
扉のところに、白衣の老人が立っている。
「おお、アビーマン博士」
ビランデルは、ふらふらと立ちあがった。
「どうした。究極兵器は完成したか」
「いえ、それはまだ……」
アビーマン博士は、ビランデルに近づいてきて、言った。
「それより、連邦のスパイが、捕まったようですが」
「ああ。とっ捕まえた」
「何か吐きましたか?」
「いいや」
ビランデルは、新しいグラスにワインを注ぎながら、首をふった。
「今、処刑方法を考えていたところだ。――どうだ、一杯」
「いただきましょう」
アビーマン博士は、うやうやしくグラスを受け取った。
一口飲んで、
「しかし、連邦側が、どの程度、こちらの情報をつかんでいるか、やつを訊問してみる価値はありそうですな」
^ 3 脱 出
「どう?」
扉の前にしゃがみこんでいる甲介の手元を、後ろからのぞきこみながら、ジギーが心配そうな声で言った。
「なんとか、開けられそう?」
「簡単だね」
扉のロック・システムを調べていた甲介が、立ちあがって言った。
「レーザー・ガンか、一握りのプラスチック爆弾があれば……」
ジギーは、ため息をついた。
「あなた、エージェントでしょ? 靴のかかとかどこかに、何か隠してたりはしないわけ?」
「スパイ小説の読みすぎだよ」
甲介が、笑って言った。
「じゃあ、どうするの?」
「そうだな……」
甲介は、牢の中を、ぐるりと見回した。
がらんとした空き部屋だ。
壁際に、安っぽいパイプ・ベッドがひとつ、置いてある。
天井近くに、換気ダクトが口を開けている。
甲介は、唐突に言った。
「10Cr.コイン、持ってる?」
「なんですって?」
と、ジギー。
きつねにつままれたような表情だ。
「コインだよ」
「え、ええ。持ってると思うけど……」
「貸してくれ」
「電話でもかけようってわけ?」
ポケットを、ごそごそやりながら、ジギーが言った。
「あたし、スーパーマンの電話番号なんて知らないわよ?」
甲介は、黙って片手をつき出している。
ジギーは、軽く肩をすくめて、コインを甲介に手渡した。
甲介は、ベッドのパイプ・フレームの上に立ちあがって、言った。
「支えててくれ」
「いいけどォ」
不平たらたらって顔で、ジギーが言われたとおりにする。
甲介は、換気ダクトの表面を覆っている、金属メッシュ・カバーの取りつけねじを、コインのヘリを使って、外し始めた。
「まさか、そこから逃げるって言うんじゃないでしょうね?」
あきれたような口調で、ジギーが言った。
「狭すぎて、入れっこないわよ」
「わかってる」
甲介は、せっせとねじを回しながら、答えた。
五分ほどで、カバーが外れた。
ダクトの大きさは、縦三十センチ、横四十センチほどだ。
甲介は、首をつっこんでみた。
肩が入らない。
「ほら」
ジギーが、得意げに、言った。
「狭すぎるって言ったじゃない。仮に、なんとか入れても、身動きとれないわよ」
「ジギー?」
甲介は、ダクトをのぞきこみながら、言った。
「君、ウエストは、何センチ?」
「失礼ねー」
ジギーは、ぷっと頬をふくらませた。
「レディに、そんなことを聞くもんじゃないわよ」
「ふーん」
甲介は、上から、ジギーの体つきをじろじろ見回した。
「なによー」
ジギーが、むくれた声を出した。
「まさか、あたしに、そんなとこへもぐりこめって言うんじゃないでしょうね? だいたい、換気口から脱出するなんて、それこそスパイ小説の読みすぎよ。全然リアリティってもんが、ないじゃない」
「リアリティ……」
甲介は、ダクトを見つめて、何事か考えこんでいる。
その口元に、不意に笑みが浮かんだ。
ジギーを、ふり返って、甲介は、言った。
「いいことを思いついた」
^ *
「ふあ〜〜っ」
扉の外で、張り番をしているふたりの衛兵。その片一方が、大あくびをした。
牢の中は、静かなものだ。
「退屈だな、サム」
「退屈だ」
ふたりは、うなずき合った。
サムと呼ばれた男が、胸のポケットから、煙草を取り出して、相手に差し出した。
「どうだ、一服」
「サンクス」
一本とって、口にくわえる。
カチッ。
ライターの火に顔を近づける。
その時。
ビーッ。
廊下の壁に取りつけられた、インターフォンの呼び出しブザーが鳴った。
衛兵たちは顔を見合わせた。
サムが、肩をゆすって、インターフォンの応答スイッチを押した。
「なんだ?」
小型のプラズマ・ディスプレイに、ビランデルの顔が大写しになる。
「あっ。こ、これは総帥!」
サムは、あわてて煙草を投げ捨て、直立不動になった。
『異常はないか?』
「はっ。おとなしくしているようであります!」
カチンコチンになって、サムが答える。
『うん。そうか』
ビランデルは、満足そうにうなずいた。
『訊問したいことがある。ふたりを連行しろ』
「はっ。かしこまりました」
『以上だ』
プツンと通信が切れる。
「ジーク・ビランデル!」
サムは、インターフォンに敬礼した。
「ふー」
ため息を吐き出して、もうひとりをふり返る。
「ふたりを連行する。扉を開けろ、ラルフ」
「OK」
ラルフは、銃を構えなおして、電子ロックのタッチ・キーに指をのばした。
五桁の数字の組み合わせが、ロックの解除コードになっている。
ぴ、ぽ、ぺ……。
ラルフが、途中までインプットした時――。
ぼん!
部屋の中で、異常な音がした。
「な、なんだ?」
ラルフは顔色を変えた。
残りの数字を、大急ぎでインプット。
ぷ、ぽ。
シュッ!
圧搾空気の音と共に、牢の扉が開いた。
部屋の中は、真っ暗だ。
「ライトだ! サム!」
ラルフが叫んだ。
サムが、腰のハンド・ライトを外して、部屋の中を照らした。
天井のE・Lが、ぶっこわされていた。
青白いスパークを飛ばしている。
床には、E・Lの破片と、男物の靴が片っ方ころがっている。
「やつらは、どこだ!?」
「まて。うかつに入るな。罠かもしれん」
衛兵たちは、出入り口につっ立ったまま、油断なく部屋の中をうかがった。
丸い光の円の中に、換気ダクトが、照らし出される。
カバーが外されて、ネジひとつでぶら下がっている。
カバーは、たった今、誰かが通ったみたいに、ゆらゆらゆれていた。
「ここにいろ!」
サムは、ライトを片手に、部屋の中にとびこんで、ベッドの上にかけあがった。
ダクトの奥を照らしてみる。
奥の方に、白っぽいものが見えた。
ハンカチか何かのようだ。
サムは、首だけふり向かせて、叫んだ。
「すぐに総帥に連絡しろ! やつらが逃げた!」
ラルフは、あわててうなずいて、姿を消した。
サムは、換気ダクトの中を、さらに調べ始める。
「くそー。排気口とは、また、古くさい手を使いやがって……」
「古くさくて、悪かったな」
「え?」
ふり返ろうとしたサムの後頭部に、何か固いものが、激しく打ちおろされた。
サムは、それっきり、意識を失った。
^ *
くずれ落ちる衛兵の体を、甲介は両腕で支えた。
音をたてないように、床に横たえる。
甲介は、右手の靴をそばに置いて、衛兵の銃を奪った。
靴下のままで、そおっと扉に近寄る。
甲介は、片目だけをのぞかせて、廊下の様子をうかがった。
「はいっ。はいっ。いえ、それが、換気口を使ったらしくて、はいっ」
もうひとりの衛兵が、インターフォンの前で、大汗をかいている。
甲介は、ニヤリと笑った。
^ *
「馬鹿者っ!」
ビランデルは、インターフォンの中の衛兵を、思いきり怒鳴りつけた。
「おまえたち、いったい何をしとったんだ! この、まぬけっっ!」
「妙ですな」
アビーマン博士が、首をかしげた。
それを聞きつけて、ビランデルが言った。
「なにが、妙なんだ?」
「この私ですぞ」
「ああ。その通りだ」
「しかし、換気ダクトを、人が通れるほどの大きさに、設計した覚えは……」
「なんだと。本当か、アビーマン博士!」
「まちがいありませんよ」
ビランデルは、はっと気がついて、インターフォンに向き直った。
「衛兵!」
『はっ』
「気をつけろ! やつらは、まだ牢の中にいるんだ!」
『ええっ』
ディスプレイの中に、ポカンとした衛兵の顔が映っている。
その背後に、何者かの影が、すっと現れた。
「あ!」
ビランデルが叫んだ。
『えっ』
衛兵がふり返った。
次の瞬間。
インターフォンの映像が、唐突に切れた。
「くそーっ。ナルミ・コースケめがっ!」
ビランデルが、わめいた。
「保安部隊に連絡しろ! 連邦のスパイが、基地の中に潜入した! どんなことをしても見つけるんだ。殺しもかまわん!」
^ *
「悪く思わないでくれよ」
廊下にのびている衛兵に、甲介は話しかけた。
銃の台尻で、ぶん殴ったのだ。当分、目はさまさないだろう。
甲介は、牢に引き返して、言った。
「ジギー。もう大丈夫だ。出ておいで」
ベッドの下から、ジギーがごそごそとはい出してきた。
「うまくいったね?」
きゃは♀
ジギーは、ぺろっと舌を出した。
「いいか。よく聞いてくれ」
甲介は、扉の外に気を配りながら、早口で言った。
「すぐに新手が、かけつけてくるだろう。君は、もう少し、ここに隠れてるんだ。おれが連中を引きつけておく。その間に、そっと抜け出して、なんとかセンターに連絡してくれ。やつらは、おれが来るのを前もって知っていた。どこかに、ハイパー・ウエイブ通信装置があるはずだ」
「そんなの、いやよ」
ジギーは、必死の表情で言った。
「一緒に行くわ。別れるのは、いやっ」
「頼むから、聞きわけてくれ」
甲介は、ジギーの肩に両手を置いて、言った。
「これ以外に方法はないんだ。おれは、騒ぎを大きくする。君は、連絡をとる。チーム・プレーでいくしか、助かる道はない」
「チーム?」
「そうだ」
「あたしも、チームの一員なの?」
「そうだ。当然だろ?」
「わかったわ」
ジギーは、こくりとうなずいた。急にはりきり始める。
「まかせてちょうだい。任務は必ず成功させてみせるわ」
「OK」
甲介は、にこりと笑った。
「じゃあ、おれは行く。うまくいったら、あの、旗のある部屋、あそこでおち会おう」
「いいわ」
甲介は、牢を出ていった。
とつぜん、引き返してくる。
「ひとつだけ言っとくけど、くれぐれも過激なまねはしないでくれよ。やつらに見つかっても、撃ち合いなんか、おっ始めるんじゃないぞ。おとなしく捕まればいい。下手に抵抗して殺されるよりは、ましだ」
「ええ。わかってるわ」
ジギーは、うなずいた。
不敵な微笑みを浮かべながら。
――どーも、不安だな。
甲介は、チラリと考えた。
表の方が騒がしくなった。
「よし。行くぞ」
「ボギー?」
「なんだい?」
「がんばってね」
甲介は、片目をつむって、親指をあげてみせた。
ジギーも、同じ合図を返した。
甲介は、牢を飛び出していった。
^ 4 反撃のベルが鳴る
「いたぞ!」
「あっちだ!」
「逃がすな!」
甲介は、声のする方向めがけて、でたらめにレーザー・ライフルをぶっぱなした。
衛兵たちが、あわてて物陰に、ひっこむ。
甲介は、迷路のような地下基地の廊下を、奥へ奥へと走り出した。
廊下が、しんと静まり返る。
開きっぱなしの扉から、ジギーが、ひょいっと首をのぞかせた。レーザー・ライフルを両手で重そうにかかえている。
右を見る。
左を見る。
「だれもいないわね?」
甲介が逃げたのと、反対の方向へと歩き出そうとして、とつぜん、
「きゃっ」
悲鳴をあげた。
誰かが、ジギーの足首をつかんだのだ。
牢の中で、のびていた衛兵だった。
倒れたまま、右腕だけ伸ばして、ジギーの足首をつかまえている。
「うう……、に、逃がさんぞ……」
地獄の底から聞こえてくるみたいな声で、衛兵はうめいた。
必死で、体を起こそうとする。
一瞬、おびえた表情で、体を固くしていたジギーだったが、すぐに開き直ったらしい。
あたりを、きょろきょろと見回した。
それから、ライフルを逆さに持って、野球のバットみたいにふりあげた。
「ごめんね」
ひと言ことわって、ぶん殴る。
ばこっ。
衛兵は、カエルみたいに、平べったくなった。
ぬき足、さし足。
ジギーは、牢を出ていった。
^ *
甲介は、走った。
時々、後ろをふり返って、ライフルをぶっぱなす。
通路の途中についているドアが、いきなり開いた。
どうやら、ここらへんは、兵士たちの居住区か何からしい。
下着姿で、歯ブラシをくわえた男が、いったい何の騒ぎだ? というような顔で、甲介を見た。
「おはよう」
甲介は、にっこり笑って言った。
「あ、ああ。おはよう。」
男は、ぼんやりと、うなずいた。
甲介は、男の顔のどまん中を、ぶん殴った。
ぶったおれた男に、甲介は、言った。
「おやすみ」
それから、また走りはじめる。
通路がふたつに分かれていた。
甲介は、ちょっと考えた。
逃げ回っているだけじゃ、いずれ追いつめられる。なんとか敵を混乱させなくてはいけない。
甲介は、左の通路に入った。
とたんに、数人の衛兵たちと、でっくわした。
「いたぞ!」
甲介は、逆に衛兵たちの間にとびこんだ。
こんな至近距離では、銃を使ってるヒマはない。
ライフルを棍棒の要領でふり回す。
たちまち、三人が床にころがった。
「動くな!」
残りのひとりが、銃をかまえて叫んだ。
甲介は、警告など無視して、とびかかった。
一瞬でも、ためらっていたら、やられていただろう。
床をすべるようにして、相手の足元にタックルをくらわせる。
衛兵は、倒れながらも、ライフルを発射した。
わき腹のあたりに、灼熱感を覚えた。
甲介は、かまわず、相手をぶん殴った。
肩で息をしながら立ちあがる。
スーツのわきが、焦げていた。かすめただけらしい。
甲介は、衛兵たちの体をまたいで、奥へ進んだ。
非常階段をかけあがる。
大きな鉄の扉があった。
甲介は電子ロックを、ライフルでぶち抜いた。
青白いスパークが飛び散る。
扉を押し開ける。
地下格納庫だ。
煌々とライトがつき、翼を折りたたんだVTOLが、整然と並んでいた。
甲介の、口元に、凶悪な微笑が浮かんだ。
^ *
「なんだ、今の音は!」
ビランデルが、顔色を変えて叫んだ。
基地全体を揺れ動かすような、すさまじい振動だった。
「格納庫がやられました」
オペレーターの顔色も変わっていた。
「VTOLが、次々に爆発しています!」
「なんということだ!」
ビランデルは、歯がみをした。
「心配はいりません、総帥。すぐに自動消火装置が作動します」
アビーマン博士が、冷静に言った。
「ええい。保安部は、何をやっている!」
ビランデルは、オペレータの首をしめあげた。
「動けるものは、すべて動員しろ! なんとしても、やつを見つけるんだ!」
「そ! 総帥。はっ、放して下さい……。くっ、苦しい……」
オペレーターが、もがく。
「若っ!」
アビーマン博士が、凛とした声で言った。
「落ち着きなされい。お父上は、どんな苦境にあっても、常に冷静でございましたぞ!」
「う……」
「相手は、たかが連邦の犬一匹。しょせんは、蟷螂の斧。どんなにあがいても、小火のひとつかふたつを起こして回るのが、せいいっぱいでしょう」
「そうだな」
ビランデルは、大きく息を吐き出して、言った。
「その通りだ、アビーマン博士。あんな男ひとりに、わが『ブラック・ハンド』を、どうこうできるはずもない」
「左様でございますとも。若は総帥らしく、どーんと構えておれば、よいのでございます。いざとなれば、やつのひそんでいる区画をすべて封鎖して、ガスを使うという手もありますからな。ふぉっほっほっ」
アビーマン博士の高笑いが、作戦司令室に響きわたる。
どうやら、甲介の真の敵は、この白髪のやせこけた老人の方らしかった。
^ *
「困ったわ」
ジギーは、困っていた。
なんの表示もない通路のまん中で、立ちすくんで、きょろきょろしている。
道に迷ってしまったのだ。
ジギーは、力いっぱい方向音痴なのであった。
酔っぱらって、夢うつつの時は、あれほど正確に、基地の中を歩き回れたのに、いざというこの時になると、てんで方向がわからなくなってしまったのだ。
「どうしたもんかしら?」
ハイパー・ウエイブ通信機があるとしたら、あの作戦司令室しかない。
それは、ジギーにも見当がついた。
そして、コマンド・ルームが、だいたいどのあたりにあるのかもわかっていた。
ただ、そこへたどりつくまでの道すじが、まるでわからないのであった。
「誰かに道を聞くわけにもいかないし……」
さっきから、爆発音が遠く聞こえてくる。
甲介は、がんばっているらしい。
「あたしも、しっかりしなきゃ」
ジギーは、ひとつうなずいて、歩き始めた。
^ *
甲介は、次第に追いつめられていた。
たったひとりで逃げ回る疲れもあった。
なんといっても、多勢に無勢だ。
甲介は、とにかく、上の階を目ざした。
地上にあがれば、また活路もあるだろうと、考えたからだ。
階段があれば、必ず、それをかけあがった。
甲介を追う衛兵たちは、着実に、その数を増やし、距離をつめていた。
突然、甲介の足元で、コンクリートがはじけた。
通路の中央で、甲介は、はさみ打ちになったのだ。
甲介は、とっさに、手近のドアに飛びついた。
幸い鍵はかかってなかった。
追いつめられている甲介には、それが罠じゃないのかと、疑ってみる余裕はなかった。
「よう」
と、その男は、言った。
「また会ったな?」
片頬に走る、すさまじい傷をゆがめて、笑う。
道を教えてくれた、あの時の大男だった。
ひとりきりだ。
「そこをどけ」
甲介は、ライフルを相手の胸板に、ぴたりと向けて、言った。
「あんたを殺したくない」
「撃ってみなよ」
大男は、あっさりと言った。
「おまえのライフルに、もうエネルギーが残っていないのは、わかってるんだ」
事実だった。
甲介は、ライフルを投げつけた。
大男は、首をふって、それをかわした。
その瞬間をねらって、甲介は、相手の懐にとびこんだ。
みぞおちに、渾身の力をこめたストレートを見舞う。
石像を殴ってるようなものだった。
「いいパンチだ」
大男は、ニヤリと笑った。
「相手が、おれでなきゃ、倒されていただろう」
大男が、丸太のような腕をふるった。
甲介は、ジャンプして、それをかわした。
そろえた右手の指先を、狙いすまして、大男の耳の下、神経が集まっているツボに、突き入れる。
大男が、一瞬ぐらついた。
表情が、変化する。
「やるのう。若いの」
体の大きさに似合わぬ素早さで、大男が襲いかかってきた。
甲介は、とっさに身構えた。
一撃で、壁までふっとばされた。
頭の芯が、じーんとしびれた。
鼻の奥で、きな臭い匂いがした。
「どうした。もう終わりか?」
大男は、白い歯をむき出して笑った。
「馬鹿力野郎……」
甲介は、口の中の血を、ぺっと吐き出した。
大男は、両腕を広げて、甲介に迫ってきた。
甲介は、タイミングを見計った。
ワン。ツウ……。
大男の足の間を、すりぬけて、床にころがっていたライフルを、拾いあげる。
ふり返ろうとする大男の顔を、横なぐりにする。
ライフルの銃身が、折れ曲がった。
さすがの大男も、動きが一瞬止まった。
甲介は、大男の後頭部――髪の生えぎわ、ぞくにぼんのくぼと呼ばれている部分に、右の靴先を、鋭く蹴りこんだ。
大男は、三十年がかりで、倒れた。
甲介も、床に座りこんでしまった。
すっかり息があがっていた。
よろよろと立ちあがって、また歩きはじめる。
つきあたりに、鉄製のはしごがあった。
天井に、ハッチがついていた。
甲介は、一段一段を、かたつむりがはうように登った。
ボルトを動かして、重いハッチを持ちあげる。
外気の匂いがした。
外に出たのだ。
甲介は、体を持ちあげて、ハッチからころがり出た。
ジャガイモ畑のまん中だった。
甲介は、大の字に寝ころがって、空を見あげた。
ぬけるような青さだ。
風が心地よかった。
と。
不意に、甲介の顔の上に影が落ちた。
甲介は、どこかゆがんだ笑顔で、それを見あげた。
レーザー・ライフルの銃口だ。
数十人の衛兵たちに、甲介は、すっかり取り囲まれていた。
ここへ出てくることは、わかっていたのだ。
衛兵たちの後ろには、十数台の高機動戦車が、静かに控えていた。
甲介は、アリのはいでる隙もない包囲陣を、ゆっくりと見回して、にやりと笑った。
そして、気を失った。
^ *
「なにかしら、これ」
ジギーは、やたらだだっ広い、屋内野球場か何かみたいな場所にいた。
物陰にかくれて、その中央に横たわっているものを見つめる。
高い足場の上では、技術者たちが、外の騒ぎなどまるで無関心に、作業を続けていた。
――ひょっとして、これが究極兵器?
ジギーは、あたりを見回した。
なにが入ってるのか、いくつものコンテナが積みあげられている。
その奥に、小さな給湯所があった。
白衣を着た技術者がひとり、そこへ入っていった。
ジギーは、その後ろについて、給湯所に入った。
ばこっ!
給湯所から、妙な音が聞こえた。
一分後。
ジギーが、ひょいっと顔を出した。
――誰も見てなかったわね?
確認して、給湯所を出る。
出てきたジギーは、白衣を着ていた。
コーヒーカップをいくつかのっけたお盆を、手にしている。ジギーは、内心、どきどきしながら、歩き始めた。
自分でも、神経がぴりぴりしているのが、よくわかった。
顔は、まっすぐ前に向けていたが、目は、きょろきょろと落ち着かない。
ジギーは思った。
――今、ひと言でも声をかけられたら、あたし、きっと悲鳴をあげちゃうわ。
その時、誰かが後ろから声をかけた。
「おい!」
ジギーは、悲鳴をあげた。
「きゃーああっっっ!」
¥PARTV 究極兵器
^ 1 カウント・ナイン
バケツ一杯の水。
甲介は、ぶるっと首をふった。
「おめざめかね」
ビランデルの、皮肉な声が、聞こえた。
甲介は、声の方向を見あげた。
うす笑いを浮かべているビランデル。
そのとなりに、白髪のやせこけた老人が佇んでいる。
例の『旗の間』だった。気絶している間に運ばれたらしい。甲介は、むくりと上体を起こした。床の上に、あぐらをかく。
「もう朝か?」
甲介は、にやりと笑った。
「おい、そこのじいさん。新聞とコーヒーを持ってこい。チップをやるぞ」
「あきれたやつだな」
老人が、目を丸くして言った。
「この期におよんで、まだ、そんなへらず口が叩けるとは」
「ふん」
ビランデルが、鼻を鳴らした。
「しかし、そのへらず口も、これで最後だ。お前は死ぬんだからな」
「ほお?」
甲介は、眉をつりあげて、言った。
「三度目の正直ってわけかい? また空手形にならないように、気をつけることだな」
「心配にはおよばん」
ビランデルは、余裕たっぷりに笑ってみせた。
「これだけの騒ぎを起こしてくれたんだ。お前には、特別の殺し方を考えてやろう。リクエストがあったら、言ってみろ。聞いてやるぞ。どんな風に殺されたい? ――釜ゆでか? それとも、電子レンジで内側から蒸し焼きにしてやろうか?」
「もちろん、老衰さ」
甲介は、しゃあしゃあと言った。
「おれは、かみさんと九十九人の孫に囲まれて、ベッドで死ぬことに決めてるんだ」
「こいつ!」
ビランデルの頬に、カッと血がのぼった。
「まあ、まあ、若」
老人が、横からなだめに入った。
甲介に向き直って、
「いい度胸だ、若いの。たったひとりで、ここまでやるとはな。――敵ながら見あげたものだ。ほめてやろう」
「ありがたいこった」
甲介は、そっぽを向いて言った。
「ふふ……。まったく、興味深い人物だな、君という男は」
老人は、喉の奥で笑った。
指先につまんだ、甲介のIDカードをひらひらさせながら、
「ナルミ・コースケ。連邦に開拓者擁護局のエージェント。しかし、『ブラック・ハンド』を相手にするには、少々、役不足だったようだな?」
「あんた、だれだ」
「私は、ドクター・アビーマン。この秘密基地も私の設計だ。君は、私の掌の上で暴れてたようなもんだったのだよ」
「気違い科学者ってわけか」
甲介は、嘲笑った。
「まったく、いいコンビだな。ビランデル」
「その口を、ひきさいてやろうか」
ビランデルが、言った。
「あまり調子に乗らない方がいいぞ、ナルミ」
と、アビーマンも、うなずいた。
「君を殺すことなど、いつでもできたのだからな」
「そうかい」
「そうとも」
「じゃあ、なんで殺さなかった」
アビーマンは、表情に凄みを増して、言った。
「答えてもらおう。連邦は、どこまで知ってるんだ?」
「知ってる? 何を?」
「とぼける気か?」
「とぼけてなんかいない。いったい、なんの話だ?」
「お前の体に、直接聞くという手もあるんだぞ?」
「おどかさないでくれよ」
甲介は、片手をふって言った。
「おしっこをもらしちゃいそうだ」
「ナルミ」
アビーマンは、瞳を底光りさせて言った。
「ちょっと天井を見てみろ」
「豪勢なシャンデリアだな」
「ただのシャンデリアじゃない。私が、指先をちょいと動かすだけで、マイクロ・レーザーのシャワーが、君の上にふりそそぐ」
「ちょうど、シャワーをあびたいと思ってたところさ。おれはスタイリストなんだ。こんな泥だらけの服は、がまんできない」
甲介の、軽口にも、一切とりあわず、アビーマンは言葉を続けた。
「君の体は、顕微鏡レベルの無数の焼け穴で、ズタズタになる。しかし」
アビーマンは、指をぴんと立てた。
「それで死ぬわけじゃない。――君は長いこと苦しむぞ。しかも、そうなったら、現代医学の力をもってしても、治すことは不可能だ」
「けっこうな話だ」
「話す気になったかね?」
「いいだろう。本当のところを話してやろう。――どうせ、信じちゃもらえないだろうがな」
「言ってみろ」
「おれの任務は、ライラックビルって村で、ジャガイモが枯れた原因を調査することだ。『ブラック・ハンド』なんて、聞いたこともないね」
「信じられんな」
「そう言うと思ってたよ」
甲介は、ため息をついた。
「さあ」
ビランデルが、ここぞとばかりに、大見得を切った。
「本当のところを白状しろ。連邦は何を企んでいる」
^ *
一方、そのころ――。
「なんて声出すんだよ」
技術者のひとりが、あきれたような顔をして、言った。
「ぼくは、ただ、コーヒーをくれないかって言おうとしただけなのに」
ジギーは、思わず膝の力が抜けそうになった。
「大丈夫か、君。顔色が悪いぞ」
まだ若いその技術者は、ジギーの顔を、心配そうにのぞきこんだ。
「あ。いいえ。なんでもないんです。ちょっとびっくりしただけ」
ジギーは、無理矢理、ほほえみを浮かべて言った。
「びっくりしたのは、こっちの方さ。まるで、夜道で変質者に襲われたみたいな悲鳴だったからね」
技術者は、のんきそうに笑った。
「えーと、あの……」
ジギーは、あたりを見回した。こちらに注目している人間は、ひとりもいない。ジギーは少し安心して言った。
「コーヒー、よかったら、どうぞ」
「ありがとう」
技術者は、カップをひとつ取りあげて、言った。
「ところで、君。あまり見かけない顔だな? 新入りかい?」
「え? ええ。まあ……」
ジギーは、口ごもった。
「ふーん」
技術者は、ジギーを上から下まで、ジロジロと見回した。
「ずいぶん若いが、専門はなに?」
「えっ? えーと……」
ジギーは、思わず口走った。
「ジャ、ジャガイモですっ!」
「ジャガイモ……? ああ、植物学か」
技術者は、ふと首をひねった。
ひとり言のようにつぶやく。
「しかし、植物学が、究極兵器と、どんな関係があるんだろう?」
――やっぱり、これが噂の究極兵器!
ジギーの瞳が、キラリと光った。
内心の思いをかくして、ジギーはとぼけた。
「さあ。あたしは、ただ命令されて、ここにいるだけですから」
「ああ。まあ、そういうもんさ」
技術者は、あっさりと納得した。
ジギーは、横目で究極兵器とやらを観察した。
――だけど、これ、いったいなんなのかしら? 大きすぎて、見当もつかないわ。武装宇宙船のようにも見えるけど……?
許可なく宇宙船を武装することは、重大な法律違反であり、それだけで無条件に海賊行為と見なされ、逮捕される。しかし、ここで建造されている、この巨大な物体は……?
「ねえ、君」
「え? あ、はい」
ジギーは、びくっとしてふり返った。
技術者は、言った。
「コーヒーさめるよ。それ、どこかへ持ってくんだろ?」
「え、ええ。そう。そうだわ。やだ、あたしったら、すっかり忘れてた」
「どこへ持ってくの」
「あ、あの……」
ジギーは、てきとーな方向を指して、言った。
「あっち」
「あっち?」
「そう、あっち」
ジギーは、確固たる信念をもって、うなずいた。――なんか文句あんの? というような、高飛車な態度である。
「な、る、ほ、ど」
技術者は、なんとなく圧倒されて、うなずいた。
「じゃあ、あたし、急いでますから」
ジギーは、そそくさと、その場を離れた。
若い技術者は、コーヒーカップを手に、ぼんやりとジギーの後ろ姿を見送った。
――しかし、あんな娘、いったけ。
ジギーは、足早に究極兵器に近づいた。
作業用エレベーターに乗りこむ。
忙しそうに行き来する技術者たちは、誰ひとり、ジギーをふり返ろうとさえしない。
ジギーは、コーヒーカップをのせたお盆を片手に、あちこちのぞいて回った。
――宇宙船だったら、どこかにコクピットがあるはずだわ……。
歩いていくうちに、ジギーは、ほとんど無警戒の建設現場で、唯一、衛兵のたっている出入り口を見つけた。
ジギーは、いったん、その前を通りすぎた。
横目で、チラリと盗み見る。
ぶ厚い装甲板の内部は、わけのわからないメカニズムが、ぎっしりつめこまれているようだった。
衛兵が、無表情にジギーを見送った。
ジギーは、少し先まで歩いて、立ち止まった。
――くれぐれも過激な行動は慎むように。
甲介の言葉が、思い出された。
「だけど、連邦軍に連絡するんでも、情報はくわしい方が、いいはずよね?」
ジギーは、自分自身に言いきかせた。
「よし」
と、うなずいて、引き返し始める。
「ご苦労さまあ♀」
ジギーは、衛兵の横を、何気ない素振りで通り抜けようとした。
「待て。どこへいく」
衛兵が、ライフルでジギーの行く手を、さえぎった。
「あ、あの。コーヒーをとどけに……」
「コーヒー?」
衛兵が、目を細めて、言った。
「おかしいな。そんな話は聞いていないが……」
ジギーの顔を、じろじろと見つめる。
あ。
衛兵の顔に、突然、理解の色が広がった。
「おっ、おまえは……!」
――あちゃ〜〜。
ジギーは、手にしていたお盆を、衛兵の顔に投げつけた。
「わっ」
コーヒーが目にはいる。衛兵は思わず両手で顔を覆った。
ライフルが床に落ちる。
ジギーが、素早く拾いあげた。
「こっ、この小娘がっ……!」
つかみかかってくる衛兵。
ジギーは、目をつむって、ライフルのトリガーをガク引きした。
どひゅどひゅどひゅどひゅ!
衛兵の足元で、スパークがはじける。
「うわわっ」
衛兵が床に伏せた。
ジギーは、ライフルを手に、究極兵器内部にかけこんだ。
――始まっちゃったものは、しかたないわよね。
ジギーは、内心で、甲介への言い訳をつぶやいた。
メカニズムの胎内を、どんどん奥へと走る。
狭い道路が、いきなりひらけた。
「な、なんだ、君はっ!」
中にいた数人の技術者たちが、あわてて振り返った。
「ここが、操縦席ねっ!」
ジギーは、ライフルを構えながら、叫んだ。
「みんな、出て行って!」
「ちょ、ちょと待ちたまえ、君は、一体……」
「ぐずぐず言わないでっ!」
ジギーは銃口をふり向けた。
「早く出るのよっ! 撃つわよっ! 本気よっ!」
「ど、どういうつもりだっ!」
「どういうつもり?」
ジギーは、鼻の先で笑った。
「きまってるじゃない。この究極兵器だか何だかを、あたしが乗っ取るのよ。そういうことよ。わかった? わかったら、さっさと出て行って!」
ジギーは、ライフルをぶっぱなした。
コクピットのあちこちで、火花がはじけ飛ぶ。
「よせっ。こんなところで、銃を撃つんじゃないっ」
「るっさいわねー」
ジギーが、目を光らせて言った。
「頭をふっとばされたいの? 早く出るのよっ」
ジギーは、再びライフルを発射する構えをした。
「うわ〜〜っ」
技術者たちは、いっせに逃げ出した。
ジギーは、通路のほうに向けて、更に二、三発、ライフルをぶっぱなした。
それから、コクピットの出入り口を封鎖する。ぶ厚いシャッターが、重々しい響きをたてて、閉まった。
ジギーは、あらためて、コクピットの中を見回した。
壁をうめつくした、大小のマルチ・スクリーン(そのうちいくつかは、さっきの射撃でこわれていた)
何に使うのか見当もつかない、コントロール類。その中央に、Gシートが一基だけ据えつけてあった。
「ひとり乗りなんだわ、これ」
ジギーは、あきれたような口ぶりで、つぶやいた。
「見かけだおしもいいとこね。あんなに大きな図体してるくせに」
ジギーは、ライフルをほうり出して、Gシートに腰かけた。
レバーやら、スイッチやらが、ごちゃごちゃごちゃごちゃと、くっついている。
「どうやったら動くのかしら?」
ジギーは、小首をかしげた。
しばらく考える。
「まあ、いいわ」
ジギーは、あっかるい口調で、世にもぶっそうなことを、のたまわった。
「全部のスイッチを入れてみれば、わかることよ」
^ *
「外からは開けられないのかっ!」
究極兵器の入り口のところで、衛兵や技術者たちが大勢集まって、騒いでいる。
「中でロックしてる以上、不可能です」
「じゃあ、焼き切るんだ」
「一時間以上かかるぞ」
「その間に、コクピットをめちゃめちゃにされたら、今までの苦労が水の泡だ」
「アビーマン博士は、どこだ!」
「あの人なら、なんとかする方法を知ってるはずだ」
「誰か呼んでこい」
「もう行っています」
「くそー、あの子娘め!」
と。
ごろん!
究極兵器の内部から、不気味な音が聞こえてきた。
群集が、水を打ったように静かになった。
それぞれ、不安そうに、お互い同士の顔を見つめあう。
ゴゴゴゴゴゴゴ……!
地の底から響いてくるような低周波音が、徐々にその大きさを増していく。
「なんてこった……」
誰かが、呆然とした声で言った。
「あの娘、スイッチを入れやがった」
ガクン!
人々の立っていた足場が、大きく動揺した。
「うわ〜〜っ!」
「足場が崩れるぞ!」
「究極兵器が……っ」
「うっ、動き出したあ〜〜〜〜っっっ!」
^ 2 大 破 局
つきあげるような衝撃がきた。
まるで、足の下で火山が噴火したような、すさまじい震動だ。
壁にひびが入り、天井が割れた。
細かいほこりが、大量に降ってくる。
「な、なんだ、この衝撃は……!」
ビランデルが、パニックを起こして叫んだ。
「なにが起こったんだっ!」
「総帥っ。アビーマン博士っ!」
「なんだっ。究極兵器がどうしたっ!」
「あの、捕虜の子娘に……」
衛兵は、大声で叫んだ。
「乗っとられましたあ〜〜っっ!」
「な、な、なんだとおお〜〜っ?」
ビランデルは、衛兵の襟首をつかんで、しめあげた。
がくがくと前後に揺さぶりながら、
「どういうことだっ。説明しろ、この野郎!」
――やれやれ。
甲介は、ゆっくりと首をふった。
――あれほど言っておいたのに。
「やってくれたな。ナルミ・コースケ」
アビーマン博士が、幽霊のような表情で、甲介をふり返った。
「おまえに気をとられて、もうひとりのことを、すっかり忘れていたよ。――これが、おまえの作戦だったんだな」
「過激なことはしないようにって、よく言いきかせといたんだけどね」
甲介は、肩をすくめた。
「見事だ。実に見事な連係プレーだ」
「いや。単なるぐーぜんですよ」
甲介は、謙遜して言った。
「わが『ブラック・ハンド』を、ここまで見事に、たばかろうとは……!」
「だから、ぐーぜんだって言ってるでしょ?」
アビーマン博士は、甲介の言うことなど、ひと言も聞いていなかった。
「だが、精緻に計算されつくした君の作戦にも、ひとつだけ欠点がある」
「計算で、こんな馬鹿なことやるやつは、いませんって」
「それは、この作戦では、君自信の生命は救うことができないということだ!」
アビーマン博士は、くわっと両目を見開いて、言った。
「すなわち。君は、今、ここで死ぬのだからな!」
アビーマン博士の掌の中で、何かがカチッと小さな音をたてた。
マイクロ・レーザー・シャワーのスイッチだった。
「わははは」
アビーマン博士は、大口を開いて笑った。
「苦しみぬいて死ぬがいい!」
甲介は、目をパチパチさせた。
上を見る。
自分の体を見おろす。
甲介は、ゆっくりと立ちあがって、出口に向けて歩きはじめた。
「な、なぜだっ」
アビーマン博士は、うめくように言った。
発狂しそうな目つきだ。
「まっ、まさか、お前、スーパーマンの親戚じゃあ……」
甲介は、ドアの前で立ち止まって、アビーマン博士をふり返った。
天井のシャンデリアをさして、ひと言。
「故障してるみたいですよ」
「な、なんだと……?」
「さっきのショックで、ヒューズでも飛んだんじゃないですか? 早く直した方がいい」
甲介は、いったん出て行きかけたが、ひょいっと首だけのぞかせて、言った。
「よけいなことかもしれませんがね。ここはもう長くない。――どっか安全なところへ避難した方がいいですよ。それも、できるだけ早く」
姿を消す。
「おっ、おっ、おのれえ〜〜っっ!」
震動は確かに、刻々と激しさを増していた。
シャンデリアが、天井からぬけ落ち、すさまじく派手な音をたてて、ぶっこわれた。
ステンド・ガラスも、割れ落ち始める。
「若っ、若っ」
われに返ったアビーマン博士が、ビランデルの姿を求めて、あたりを見回した。
「説明しろ! 説明しろ!」
ビランデルは、とっくに気を失っている衛兵の体を、まだ揺さぶり続けていた。
「若っ。ここは危険です!」
アビーマンは、ビランデルの片腕をとって、無理矢理立たせた。
「早く、こちらえっ」
次の瞬間――、ふたつめの大きな衝撃が襲ってきた。
天井が、一気に崩れ落ち、ふたりの姿をおおいかくした。
^ *
「なんだか、今日は、馬鹿にお屋敷の方が、騒がしいな」
ジャガイモ畑のどまん中。
クワをふるって、ジャガイモを掘っていた男が、かたわらの相棒に声をかけた。
「そう言えば、さっきも高機動戦車が、やけにあわただしく、出入りしていたな」
もうひとりの方が、腰を伸ばしながら言った。
ふたりとも『ブラック・ハンド』の戦闘員だった。
彼ら下っぱは、非番の時は、こうしてジャガイモの世話をしているのである。
「なにか、あったのかな?」
ふたりは、そろって、屋敷のほうを見つめた。
えんえんと続くジャガイモ畑。
その中にポツンと、ビランデル家が、小さく見えていた。
「なんだ、ありゃあ?」
クワを持ってるほうが、素頓狂な声をはりあげた。
屋敷から、大勢の人々が、どっと駆け出してきたのだ。
まるで、蟻の大群みたいだった。
人々は、必死で屋敷から遠ざかろうとしているようだった。
その時。
屋敷の建っている土地が、広範囲にわたって、小山のように盛りあがった。
地割れが、屋敷を中心に、放射状に広がっていく。
何十人もの人間が、その底に呑みこまれる。
ふたりは、驚きのあまり声もなく、ただ茫然と、その異様な光景を見つめた。
ふたりの立っているあたりにも、振動が伝わってくる。
地面が、ひときわ高く盛りあがった。
山津波のような土砂の奔流。
その底から、巨大な何かが姿を現し始めた。
「あっ」
ふたりは、同時に叫んだ。
「ありゃあ、うちの究極兵器じゃねえか!」
究極兵器は、ものすごい量の土砂をおしのけて、ゆっくりと、だが、着実に、その正体を白日のもとにさらしていった。
そして。
ついに、究極兵器は、立ちあがった。
地下の秘密基地から。
建造現場のドーム天井をつき破って。
「おりゃー、はじめて知ったよ」
クワを持ってる方が、茫然とつぶやいた。
「究極兵器ってのは、あんな形をしていたのか?」
^ *
同じ光景を、甲介も、見ていた。
ただし、こっちは、もっと近い距離から見上げる形だったが。
「なんてこった」
甲介は、首が折れそうなほど、上空を見あげて、言った。
「これが、やつらの究極兵器だったのか?」
^ *
全高、三七〇メートル。
乾燥重量、一〇、五二〇トン。
定員、一名。
ひゃくまんばりき。
それは、化け物みたいな、超巨大変身合体ロボットだった!
(どど〜〜ん!)
^ *
「頭が痛くなってきた」
甲介は、額の当たりを片手でおさえて、つぶやいた。
屋敷の外に逃れ出た『ブラック・ハンド』の戦闘員立ちも、甲介のそばに茫然とつっ立って、その巨大ロボットを見上げている。
誰も、自分たちが何を作っていたのか、知らなかったのだ。
ロボット胸部には、例のOKサインがでかでかと描かれ、陽光を受けてキラキラ輝いている。
全員、ひと言も口をきかなかった。
と。
立ちあがったきり、じっと静止していた巨大ロボットが、突然、動き出した。
ごわーンっ。
片足を持ちあげる。
「うわ〜〜っ」
人々は、クモの子をちらすように、再び逃げ出した。
^ *
「わあ。ひとがあんなに小さく見える」
地上モニターの映像を見ながら、ジギーがはしゃいでいる。
「知らなかったわー、ロボットになってたのねー、ふーん。えらいもんだ」
左右のひじかけについている、操作レバーを握りしめて、ジギーは叫んだ。
「ジギー、いきまあーす! ――なんちゃって」
ぺろっと舌を出す。
巨大ロボットは、重力の方向に対して、自動的に姿勢制御を行うように、作られていた。あとは、二本の操作レバーで、手足を動かすだけでいい。
「あら?」
ジギーは、ふと小首をかしげた。
「このスイッチ、なにかしら?」
そう言った時には、すでにスイッチを押している。実にこわい性格といえよう。
^ *
巨大ロボットの胸といわず手といわず足といわず、ありとあらゆる場所の装甲板が、ぱかぱかと開いた。
「わーっ、馬鹿! ジギー、やめろ〜〜っっ!」
甲介は、大声で叫んだ。
時すでに遅し。
ボディ各所に内蔵されていた、無慮数百発のミサイルが、一斉に発射された。(しゅばしゅばしゅばばばばっっっ!)
これといった目標を定められていないミサイルは、それぞれ勝手な方向へ飛び出していき、それぞれ適当なところに落っこちて……、爆発した。
半径三十キロ以内のジャガイモが、ひとつ残らず焼きイモになった。
とっさに地面に伏せた甲介が、すすだらけの顔をあげて、叫んだ。
「ばかもの〜〜っ」
^ *
「あら。へんねえ」
ジギーは、きょとんとして、まわりの惨状を眺めている。
「じゃ、こっちのスイッチは?」
「これは?」
「あれは?」
「それは?」
ジギーは、でたらめにスイッチを押し、レバーを動かした。
^ *
巨大ロボットは、その場で、奇妙なステップを踏みはじめた。
踊っているようにも見える。
踊りながら、体のあちこちから、ミサイルだの、レーザー光線だの、なんだのかんだのを、四方八方にまき散らした。
甲介のそばにも、ミサイルがどんどん落っこちてくる。
「いーかげんにしろ〜〜っっ!」
甲介は、両手で頭をかかえて、怒鳴った。
ところが、ジギーは『いいかげん』という言葉が大嫌いな性質なのである。なにごとも、徹底的にやってしまうのである。
ロボットは、ますます調子づいた。
^ *
上下左右に揺れるコクピットの中で、ジギーが、青い顔をして、言った。
「うー。気持ちわるー」
ジギーは、乗り物酔いに弱いほうなのである。
*
突然、ロボットの動きが、おかしくなった。
ロボットは、よろよろと後ずさりした。
そのはずみで、ロボットの足の下の地面が、大きく陥没した。
地下の秘密基地を、踏み抜いてしまったのだ。
ロボットの片足は、ひざのあたりまで、地面にめりこんだ。
地下から、真っ赤な炎が、ふきあげてくる。
巨大ロボットは、バランスを崩して、両手をふり回した。
そして。
三七〇メートルが、ゆっくりと、ゆっくりと倒れた。
瞬間。
地面が大きく波を打った。ものすごい衝撃である。
甲介は、十メートルも空中にはねあげられた。
巨大ロボットの真下にあった、『ブラック・ハンド』の秘密基地は、見事にぶっつぶれた。
ロボットそのものも、手足の間接部分が自重で破壊され、黒煙をふき出して燃え始める。
「ジギーッ!」
甲介は、はね起きて、ロボットにかけ寄った。
あたり一面、煙がたちこめていた。
「ジギーッ!」
甲介は、大声で叫んだ。
煙の向こうから、ひと影がよろよろと近づいてきた。
「ボギー……」
「大丈夫か、ジギーッ!」
甲介の腕の中に倒れこんだジギーは、片手で口をおさえて、言った。
「吐きそう」
ジャガイモ畑のあちこちから、炎が吹き出し始めている。
地下の秘密基地が、燃えているのだ。
甲介は、ジギーを抱えて、全速力でロボットから遠ざかった。
背後で、何かがピカッと光った。
甲介は、ジギーをかばうように、地面に伏せた。
体が浮きあがるような、すさまじい爆風が襲ってきた。
基地は、巨大ロボットもろとも大爆発を起こし、あとかたもなくふっ飛んだ。
^ *
世界征服をたくらむ、悪の一大組織『ブラック・ハンド』の秘密基地は、その究極兵器と共に、紅蓮の炎の中に姿を消した。
かくして、悪はついえ去り、銀河の平和は、今日も守られたのである!
(じゃじゃ〜〜ん)
^ 3 真夜中の訪問者
基地は、三日三晩燃え続けた。
さすがに、いくら辺境の星とはいえ、これだけの騒ぎともなると、連邦軍が動き出す。
『ブラック・ハンド』の下部構成員たちは、そのほとんどが、連邦の司法当局によって、逮捕された。
立場上、現場検証に立ちあっていた甲介が、仕事から開放されたのは、事件から一週間もたった後のことだった。
甲介とジギーは、軍のVTOLで、宇宙港の所在地であるブライトサイドの星系首府、オーバホルト市に運んでもらった。
人口五万ほどの小さな都市だ。
背の高い建物は、ふたつしかない。ひとつは市庁であり、もうひとつが、ヒルトン・ホテル。こう言えば、どの程度の都市かは、だいたい想像がつくだろう。
甲介たちが、ホテルに着いたのは、もう真夜中近かった。
ふかふかのベッドに、歓声をあげてダイビングしたジギーが、甲介をふり返って言った。
「やっと、終わったわねえ」
「やっと終わった」
甲介も、しみじみとうなずいた。
ネクタイをゆるめて、ソファに腰をおろす。
ベッドに腹ばいになったジギーは、目だけ動かして、甲介を見つめた。そして、言った。
「ありがとう」
甲介は、妙な顔をした。
「例を言うのは、こっちのほうさ。君のおかげで助かった。『ブラック・ハンド』も壊滅できた」
「それでも、なんとなく、あなたにお礼が言いたい気分なの」
「へえ」
「お願いだから、そんなに意外そうな顔しないでくれる?」
「あんまり素直すぎて気味が悪い」
「悪かったわねー」
ジギーは、唇をとがらせた。
「だけど、ほんとよ。あなたの船に密航してよかったわ」
「あんな目にあったのに?」
「すーごく楽しかったわ?」
「ジギー」
甲介は、まじめな声で言った。
「今回は、確かにツイていた。だから、楽しかったなんて言えるんだ。だけど、いつもこんな風にうまくいくとは限らない。ひとつまちがえれば、死んでたかもしれないんだぞ。だから……」
「わかってるわよ、それくらい!」
ジギーは、体を起こして、叫ぶような声でいった。
「鈍い人ね。あたしは、そんなこと言ってるんじゃないわ」
「え?」
ジギーは、きょとんとしている甲介を、じっと見つめた。
甲介は、さしせまった危険というものを、ひしひしと感じた。
あわて始める。
「きょろきょろしないで!」
ジギーが、ぴしゃりと言った。
ベッドから降りて、近づいてくる。
甲介は、壁際に追いつめられた。
「わからない?」
甲介を見あげながら、ジギーは、言った。
「あたし、キスしてって言ってるのよ」
甲介は、うろたえた。
「だ、だけど、君はまだ十六だろ?」
「関係ないでしょ?」
と、ジギー。
「そんなこと言ってるから、オジンなんて馬鹿にされるのよ」
「馬鹿にしたのは君だぞ」
「話をそらさないで」
ジギーは、一歩前へ出た。顔をあおむかせ、目を閉じた。
甲介は、なんとなく天井を見あげた。それから、ジギーの肩に手をかけ、顔を近づけた。
ふたりの唇が、まさに触れようとした時。
コンコン。
ドアにノックの音がした。
ジギーが目を開けた。
ふたりは、至近距離で、しばらく見つめ合った。
甲介が、パッと離れた。
「だれだ、こんな時間に……」
まるで照れかくしのように、ぶつぶつ言いながら、ドアに歩み寄る。
「はい? どなた?」
甲介は、ドアを開けた。
銃を手にしたビランデルが、ニヤリと笑って、言った。
「やあ」
^ *
アビーマン博士も一緒だった。
ビランデルは、甲介たちをソファに座らせ、銃をつきつけた。
「生きていたのか?」
甲介が、言った。
「ご期待にそえなくて、残念だったな」
ビランデルが、勝ち誇った声で言った。
「あれくらいのことで、死ぬような私ではない。ビランデル家の家訓にある。――逃げ道は常に用意しておけ」
「ご立派だよ」
甲介は、両手を広げて言った。
ビランデルは、ニヤニヤと笑った。
「この星を離れる前に、どうしても、君にお礼が言いたくてね」
「そいつは、どうも」
「君を甘くみた私が馬鹿だった」
「たしかに、馬鹿よね!」
ジギーが、横から辛辣な口調で言った。
「うるさいっ」
ビランデルは、怒鳴った。
「おまえたちのせいで、わが『ブラック・ハンド』二十年来の野望は、もろくも崩れ去った」
「本当に、もろかったものな!」
甲介が、つくづくと言った。
「えーい。黙れっ」
ビランデルは、きっとなって叫んだ。
「このような馬鹿げた敗北は、ビランデル家始まって以来、はじめてのことだ。おまえたちは、ビランデル家の歴史に泥をぬったのだ。この責任は、どうでもとってもらうぞ。――おまえたちの命でな」
「若……」
アビーマン博士が、後ろからささやいた。
落ち着かなげに、あたりをきょろきょろ見回しながら。
「さっさと片づけてしまいましょう。いつまでもこの星にぐずぐずしていると、危険です」
「わかっておる」
ビランデルは、うなずいた。
右手をまっすぐに伸ばして、甲介の胸に狙いをつける。
ビランデルは、気取った口調で、言った。
「さらばだ。ナルミ・コースケ」
^ *
銃声
*
――やられた?
甲介は、自分の体を見おろした。
どこにも、穴はあいていない。
「くっ……」
ビランデルが、うめいた。
その指から、銃がすべり落ちた。
右手が血だらけだ。
「若っ……!」
アビーマン博士が、あわててビランデルにかけ寄った。
「大丈夫ですかっ。若っ!」
ビランデルは、左手で右手首を、しっかりとつかんで、うずくまっている。
甲介は、床の銃を拾いあげ、あたりを見回した。
ドアが細めに開いており、そこから銃口がのぞいていた。
「誰だか知らないけど、ありがとう」
甲介は、ドアに歩み寄りながら言った。
「おかげで助かったよ」
ドアが開いた。
甲介の足が、ぴたっと止まった。
表情が凍りつく。とてもじゃないが、自分の目が信じられなかった。
「どうした?」
銃を手にした、その人物は、まるで無表情に甲介を見て、言った。
「上司の顔を忘れたのか?」
「ブ、ブライアン局長」
甲介は、茫然とつぶやいた。
「どうして、ここへ?」
ブライアンは、答えなかった。
甲介は肩をすくめて、言った。
「まあ、なんにしても、助かりましたよ、グッド・タイミングでしたね」
部屋の中を、ぐるりと見回していたブライアンが、ポツリと言った。
「もう少し、遅れて来ればよかった」
「あっ、あの、局長……」
甲介は、あわてて言った。
ビランデルとアビーマンを指さして、
「あのふたりが、今度の事件の首謀者です。『ブラック・ハンド』の総帥ウスター・ビランデルと、その片腕ともいえるアビーマン博士」
「ほーお」
ブライアンは、うなずいた。
鋭い目つきで、甲介を見つめながら。
「大活躍だったそうだな? ナルミ」
「え? いやー、そんな」
甲介は、頭をかいてみせた。
「僕ひとりの力じゃありませんよ。一緒にいた女の子が……。あっ、そうだ、紹介しましょう」
甲介は、あたりをきょろきょろと見回した。
ジギーの姿は、どこにも見えなかった。
あれ? という表情になる。
「女の子?」
ブライアンは、コールタールみたいな、どろりとした声で言った。
「君は、いつも任務に女の子を同行しとるのかね?」
「まさか。密航者ですよ。――あれ? おかしいな。紹介しよう思ったのに、どこへ行ったんだろう?」
「そいつは奇遇だな」
と、ブライアンは、言った。
「実は、私も、君に紹介したい人物を連れてきておるんだよ」
「え?」
ブライアンは、甲介を見つめたまま、部屋の外に声をかけた。
「こちらへ、どうぞ」
甲介は、ドアを注目した。
ひょろりと背の高い、どこか茫洋とした男が入ってきた。
見知らぬ顔だった。
「どうだね?」
ブライアンが、尋ねた。
「この人に見覚えはないか?」
「いいえ」
甲介は、とんでもないというように、首をふった。
「初めて見る顔です」
「そうか。――見当もつかないかね?」
「見当もつきません」
「そうか、そうか」
ブライアンは、うす気味の悪い声で、うなずいた。
いやな予感がした。
「まさか、局長……」
ブライアンは、長身のその男に向かって、言った。
「紹介します。うちのエージェントの鳴海甲介です」
「よろしく」
と、その男は、甲介に右手を差し出して、言った。
「ダーク・蔓巻です」
「あっ……!」
甲介は、思わず絶句した。
「君は、さっき、なんで私がここにいるのかって聞いてたな? 教えてやろう」
ブライアンは、嫌味たっぷりの声で、説明した。
「君が、任務をすっかり忘れて、あのひょうきんな連中と追いかけっこをやっとる間にだな、蔓巻さんから何度も問い合わせがあった。他の局員は、みんな出払っとる。しようがないから、こうやって、私が――局長のこの私がだ――直々に出向いて来たというわけだ」
ブライアンは、そこで、いったん言葉を切った。
すうっと息を吸いこんだ。
ホテル中の宿泊客を、ひとり残らず叩き起こすような大声で、ブライアンがわめいた。
「わかったか、このド阿呆!」
^ 4 エピローグ
事件は、すべて解決した。
ビランデルとアビーマンは逮捕され、連邦刑務所に送られた。
ダーク・蔓巻のジャガイモ畑は、元に戻った。なんのことはない、単なる肥料のやりすぎだったのだ。十万倍にうすめなくてはいけない液体肥料を、一万倍で使っていたのである。連邦に賠償責任はない。
甲介は地球に戻った。
そして、また、あちこちの星系をかけ回る、忙しい日々が始まった。
ただ、その中で、ひとつだけ気にかかっていることがあった。
ジギーだ。
あの晩以来、ジギーはぷっつりと消息を断った。
甲介は、時間の許すかぎり、ブライトサイドを捜し回ったが、結局、無駄だった。
どこへ行ったのか。
どうして突然、姿を消したのか。
甲介には、さっぱりわからなかった。
そんな、ある日。
甲介は、局長室に呼ばれた。
「遅かったな」
例によって、ブライアンが、愛想のない声で言った。
「なにを、ぐずぐずしてたんだ?」
「始末書を書いてたんですよ」
甲介は、肩をすくめた。
「どうも、ワープロってのは苦手でしてね」
ブライアンが、ギロリと目を光らせた。
「今度は何をやらかした」
「なに、たいしたことじゃありません」
甲介は、とぼけた。
ブライアンは、押し殺した声で、くり返した。
「何をやらかした」
「宇宙船をね」
「どうした」
「ちょっと、ぶつけちゃいまして」
「…………」
「いや、局長、ご心配なく。たいしたことはありませんから。ドッキングをやりそこなって、相手の横っ腹へつっこんだだけです。まあ、乗客の何人かが、びっくりして腰をぬかした程度の事故ですし……」
「もういい! 何も言うな!」
ブライアンが、怒鳴った。
「君の話を聞いてると、こっちまで気が変になりそうだ」
「そいつは、どうも」
甲介は、へらへらと笑った。
――なんで、この男を、私はさっさと射殺してしまわんのだろう?
ブライアンは、甲介の顔をじっと見つめながら、考えた。
「ところで、今日は何の用ですか」
甲介が、言った。
ブライアンは、重苦しいため息を吐き出した。
手元の書類に、視線を落としながら、
「経理から回ってきた、この書類だがな」
「ああ。必要経費の明細でしょ。それが何か?」
「他の項目は、わかる。食費、予備の熱源の代金、レンタカーの代金。だけど、最後のこれは何だ? 牛六頭ってのは?」
「ちょっとした撃ち合いがありましてね」
と、甲介は肩をすくめた。
「たまたま、それが牧場のそばだったってわけで」
「君の給料から引いておくからな」
「ちょ、ちょっと待って下さいよ、局長。あれは不可効力だって……」
甲介は、ふと言葉を跡切らせた。
ブライアンの机の横に、うすいピンクのカーディガンが置いてある。あきらかに女物だ。
「局長」
「なんだ」
「そういう趣味があったんですか?」
甲介の指した物を見て、ブライアンは言った。
「馬鹿者。これは娘のだ」
「娘? 局長に?」
「なにを意外そうな顔をしとるのかね、君は」
「局長、結婚してらしたんですか?」
「あたりまえだ」
甲介は、しげしげとブライアンを見つめて、言った。
「奥さん、人間ですか?」
「なにが言いたいのかね、君は」
「いや。あんまり意外すぎる組み合わせだったもんで」
「ふん」
ブライアンは、鼻を鳴らした。
「まったく困ったもんだよ。学校を出たら、すぐに擁護局のエージェントになりたいなんて、言い出しおってな」
「元気のいい奥さんですな」
「馬鹿者、娘がだ」
「冗談ですよ」
ブライアンは、ため息をついた。
その時、甲介の背後で、局長室のドアが開く音がした。
ブライアンが、そっちを見て、言った。
「あんまり、うろうろするんじゃないと言っといたろう」
「ごめんなさい、パパ。就職案内のパンフをもらいに行ってたの」
聞き覚えのある声が答えた。
甲介は、タバスコを飲みこんだみたいな顔になった。
――まさか。
「私は、あくまで反対だからな。ジギー」
ブライアンが、言った。
甲介は、ゼンマイ仕掛けの人形みたいに、ぎこちなく首を回した。
そこに、ジギーがいた。
ジギーは、人差し指を唇の前に立てて、いたずらっぽく、片目をつむってみせた。
後ろから、ブライアンが声をかけてよこした。
「ナルミ。君は初めてだったな。それが、娘のジギー・ブライアンだ」
ジギーは、可愛らしく微笑んだ。
そして、よそいきの声で、言った。
「はじめまして。――ボギー」
^ *
なんとも言えぬ、甲介の表情。
そのアップ。
テーマ音楽が、フェード・インしてくる。
そして、
エンドタイトル。
Fin