海音寺 潮五郎
平将門 中巻
目 次
ひと本桜
朧《おぼろ》月夜の客
逝《ゆ》く春
辺境の掟《おきて》
墾田《はりた》
夜明けの星
川曲《かわわ》の戦
若い妻
一門の統制
矢を折る
衆寡《しゆうか》
菊花のおくり
思わぬ人
春の雲
虹《にじ》立つ野
負けぐせ
紅翠砕《こうすいくだ》く
夫《つま》恋い鳥
雁《かり》渡る
神憑《かんがか》り
火を噴く山
夜襲
芹《せり》田に死す
残雪
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ひと本桜
最初の悲報は、繁《しげる》の首をたずさえてかえって来た郎党によってもたらされた。石田の源氏|館《やかた》は色を失ったが、さらに次々に馳《は》せ帰って来た郎党等によって、扶《たすく》の死が報ぜられ、隆《たかし》の死が報ぜられ、全軍の惨敗《ざんぱい》が報ぜられた。
館中、上を下へかえしてのさわぎとなった。最初こちらから挑《いど》みかけた戦さだから、ある程度の準備はもちろんととのえてはいたが、元来が公家《くげ》上りで、武事には不鍛練な護《まもる》だ、こう徹底的にやられてはどうしてよいかわからない。ただなげき、ただかなしみ、ただ狼狽《ろうばい》し、たださわぐばかりであった。
従って女子供が泣きさわぎ、従って郎党や下人共が途方にくれて、ウロウロするばかりであったことは言うまでもない。
そこに、国香《くにか》が、五十人ばかりの兵をひきいて、やって来た。
小札《こざね》を黄糸でおどした新式の鎧《よろい》を着、鍬形《くわがた》を打った五枚|錣《しころ》の冑を郎党に持たせた国香が、しずしずと馬を門内に乗り入れて来るのを見ると、人々はなんともいえない安心感を覚えて、忽《たちま》ちさわぎはしずまった。
「タカの知れた小童《こわつぱ》の怪我《けが》勝ちだ。さわぐことはない」
いつもの、低いがはっきりした声で、人々に言って、奥へ通って、護にあった。
護は仏間に閉じこもって、ひたすらに仏前に読経《どきよう》していた。わずか半日のうちに、三人が三人とも、子供を死なしてしまった悲しみに打ちひしがれて、何をする気力もないのであった。
入って来た国香を見ると、何か言おうとして言えず、袂《たもと》を顔におしあてて、ひとしきり声をしのんで泣いた。
生れながらの坂東《ばんどう》の武人である国香から見る時、この大事な時に際して、この悲歎《ひたん》ぶりはあまりに女々《めめ》しいと一応思われたが、この年になって一時に男の子全部を失っては無理もないことと思いかえした。
きれぎれな、かすかな声で、護は言う。
「……御助力をいただき、……御領内の民まで……狩りもよおしていただきましたに、……かかることになり……手荒なことをするでなかったと、……ほかに方法もあったろうにと、……これはかえらぬ愚痴であります……」
国香は聞きづらかった。護のこの愚痴に、自分にたいする恨みがあるような気がするのだ。若い者共の計画に、一議におよばずなぜ同意して、助力までしてくれたのだ、同じことなら、諫《いさ》めて他に適当な方法を考えてくれたらよかったに、という恨みが。
国香は、話を打ち切ろうと思った。
「護の殿。ことは急であります。貴殿は、貴家の女子供衆とてまえの家の女子供共とをお連れになって、一応ここをお逃れ下さい。筑波《つくば》の山越しに府中へお出《い》でになるもよし、水守《みもり》の良正《よしまさ》が宅へお出でになるもよし、そこは御|料簡《りようけん》にまかせます。あとはてまえが引受けて、きっと御|怨念《おんねん》のはれるような弔合戦《とむらいがつせん》をいたしましょうから」
言いすてて、仏間を立ち出で、兵を部署した。護の供をして行く者、迎え戦うべき者。
もう夕暮に近かった。日の光が赤くなり風が出ていた。
女子供を連れた護が落ちて行ってすぐ、国香は兵をひきいて、館を出て西に向った。従騎百。途中で迎え撃つためであった。敵は勝に乗じているとはいえ、戦い疲れているはずだ。鋭気にみちた新手《あらて》の兵を以《もつ》て邀撃《ようげき》すれば必ず勝てると、目算したのであった。
国香は、その弟等ほどの武名はなかったが、それでも、若い頃《ころ》には鎮守府将軍として陸奥《むつ》に行っており、中年以後は常陸《ひたち》大掾《だいじよう》として、また土地の豪族として、ずいぶん場数をふんで、相当老巧な武将であるには相違なかった。
用心深く斥候《ものみ》の兵を放って前途をたしかめつつも、急ぎに急いで兵を進めた。養蚕《こかい》川の線で邀撃するつもりであった。川を半ば渡らせておいて矢戦さをいどみかければ、的《まと》を射るよりたやすく小次郎をはじめおも立った者共を射取ることが出来ると思ったのだ。
もみにもんで疾駆をつづけ、一里ほど行ってある部落にかかった時、斥候の兵が馳せかえって来て、敵が養蚕川をこえたと報じた。
国香がおぼえず失望の叫びを上げかけたが、こらえて、自若とした表情を失わなかった。
「よし!」
と、力強くうなずいた。万事見込み通りに行っていると言わんばかりの態度であった。
国香は、とっさに戦術を立てなおして、部落を出た所に布陣するつもりになったが、そこまで行ってみると、地形がおもわしくなかった。
こちらが低くて、向うが高いのだ。さほど急な傾斜ではないが、騎馬戦においては、これが中々重大だ。地勢に乗じて駆け下って来られては、駆け破られることが必定なのだ。
途中に壕《ほり》を掘ったり、逆茂木《さかもぎ》をひいたりして、駆け下って来る勢いを殺《そ》ぐことはもちろん考えた。しかし、もうそのひまがなかった。
有利な場所まで退却すべきか、なお進んで適当な戦場をもとむべきか、迷った。前者の方がよいとは思ったが、この際の退却は士気に関係する恐れがある。
しかたはなかった。進まない気を持ちなおして、
「急げ! 急げ! あの松山まで行って陣をとれば、必ず勝てるぞ!」
と、激励しながら、疾駆をつづけた。
部落から五町ほど前方に、まばらな小松林がある。そこまでたどりついて布陣し、林を楯《たて》に矢戦さを挑みかけ、射白《いしら》ましておいて、騎馬突撃に出ようと計画したのであった。
エイヤ
エイヤ
エイヤ
………
全軍、はげしい矢声をあげ、馬足のかぎりをつくして、疾駆をつづけている時、松林の中から、ワッ! と、鬨《とき》の声が上り、一団の人馬が突出して来た。手ん手に馬上に弓を引きしぼって矢を射送りながら、疾風のように馳せ下って来る。
「しまった」
おぼえず、口走った。
傾斜地の途中で敵の襲撃を受けるという最も不利な態勢で戦うことになったのだ。最初の失敗は、ついに最後までつきまとった。
さすがに、国香は老巧であった。すぐ狼狽から立直り、敵の進撃路とすれちがいの方向、斜め左に向って兵を展開させた。そうすれば、味方も矢を放てなくなるかわりに、敵も矢を放てない。こうして損害を避けながら傾斜地の途中まで駆け上り、敵と対等の立場に立とうとの考えであった。
しかし、豊田勢はその手に乗らなかった。馬首を立てなおすと、こちらの進行の頭をめがけて突進して来ながら、散々に射送ってくる。
こうなると、石田勢はおそろしく不利な態勢になった。第一、応射が出来ない。第二、応射の出来る姿になるには、敵の乱射の前で陣形を転回させねばならない。
見る間に、死傷して落馬するものや傷ついて陣列から奔逸する馬が続出した。おそるべき混乱が来そうであった。
けれども、国香はこらえた。ここで混乱させては、一たまりもなく崩れ去るにちがいないことを、彼はよく知っていた。
「元気を出せ! こらえろ! こらえろ! 敵は戦い疲れているのだ! こちらは新《あら》武者だ! こらえれば勝てるのだぞ! こらえれば勝てるのだぞ!」
と、くりかえし呼ばわりつつ、味方をひきしめ、ついに困難な陣形を転回させた。
はげしい敵味方の矢戦さが、しばしつづけられた。ずっと西に傾いた真赤な夕日の中を、夏の夕方の虫めいて、矢が飛びかった。
「はてな?」
ふと、国香は思案した。
普通なら豊田勢はこのへんで突撃戦に出なければならないのに、いつまでも馬を乗りとどめて、矢戦さに時をうつしているのだ。
(わかった。思った通りだ。やつらは、ほんとに疲れているのだな)
国香は、ここで心理的打撃をあたえることを必要と見て、兵の一人に命じて、呼ばわらせた。
「もの申う! もの申う! しばらく矢どめされい!」
ひびきわたる大音声が、夕日の野をひろがって行くと、ハタと豊田勢は射撃をやめた。
国香は、陣頭に馬を乗り出し、扇をひらいてさしまねいた。
「小次郎はいるか! いるならば陣頭へ出い!」
小次郎は、すでに陣頭にいた。彼は、国香が陣頭に出て来た時から、国香を凝視していた。そして、それが国香であることにはっきりと気づきながらも、なお、そんなはずがあるものか、そんなはずがあるものかと、打消していた。相当以上に源家に好意を持ち、ある程度の味方はしているであろうが、自ら武装して出陣するようなことがあろうはずはない。それはあまりに一族の情誼《じようぎ》を踏みにじったことだ、と堅く信じていたのだ。
しかし、名ざして呼ばれて、カッと激した。その漆黒の馬をおどらせて、さらに五六間進み出た。
「豊田の小次郎を呼ぶは誰だ! 源氏武者には見なれぬ老い武者と思うぞ!」
と、呼ばわった。あらんかぎりの皮肉をこめたのであった。
国香が護に加担して、自領の民共にさしずして源氏方に味方させたばかりでなく、こうして自ら武装して乗り出して来たのは、息子の姻戚《いんせき》にたいする義理のためだけではなかった。数年来の鬱陶《うつとう》しい領地問題を、この機会にすっぱりと根絶やしにし、なおうまく行けば、その領地全部をうばって、一族で配分することが出来るかも知れないと考えたからであった。
それ故《ゆえ》に、小次郎の痛烈な皮肉は、国香の胸にこたえた。けれども、彼は決してそれを見せない。
「小次郎、小次郎、わしだ、わしだ」
と、いとも親しげに呼びかけた。こんな場合、気のきいた応対は小次郎には出来ない。
「わしというのは、誰だ? 名のれ!」
と、真向からまだ打《ぶ》ッつけた。
「わしだ。わしだ。そちの父がためには兄、そちがためには伯父、国香だ。久しぶりで、意外な所で意外な対面をするのう」
冑の眉庇《まびさし》を上げ、国香は満面に笑みを浮かべている。今にも馬を駆けよせて、肩でもたたきそうな親しげな表情であった。
驚いたふりをすることなんぞ、小次郎には出来ない。
「ヤア、伯父上か! 伯父上は坂東平氏の頭領と仰がれるお人ではないか。なにが故に源家の方人《かとうど》して、一門の一人である小次郎に馳せ向われたのです。小次郎にはわけがわかりませんぞ!」
と、荒々しくきめつけた。
国香は扇子を上げ、おさえつけるように動かした。
「待て、待て。そう思ってはならぬ。わしは、源家の方人などはせぬ。わしがこうして立向ったは、そちのためを思ってのことだ。
ほしいままに兵を動かして、合戦闘諍《かつせんとうじよう》におよぶなど、以てのほかのことだぞ。朝廷《おおやけ》の聞こえもいかがだ。一族のめいわくを思わぬか。速やかに弦《ゆんづる》をはずし、刀を引き、まかりかえってつつしみおるがよい」
はじめはおだやかであったが、次第にきびしくなり、最後には命令の調子になった。
小次郎はどなりかえした。
「いやです……」
「いやですとは、なにを言う。一門の頭領たるわしの命令だ。帰れ!」
「かえりません!」
「わしの命にそむくか!」
「そむかざるを得ません。伯父上が源家に方人しておられるのは、明らかなる証拠のあることです。伯父上の御領内の民共は、皆、源家の勢に味方して、拙者に矢を射かけています。伯父上のおさしずがあったからに相違ありません。そこをお退《の》き下さい。お退きでなくば、伯父上とて容赦しませんぞ!」
「それが、わしに向って言うことか!」
「申しますとも!」
小次郎は猛烈に腹を立てた。弓をとりなおし、矢をつがえ、引きしぼろうとした。
とたんに、国香はパッと馬をめぐらし、味方の勢の中に飛びこんだ。
これが合図であった。両軍は同時に鬨の声を上げて、馳突《ちとつ》し合った。
こんどの敵の半数は、戦闘になれた常陸平氏である上に、こちらは戦い疲れてもいる。困難な戦いになった。ともすれば、圧迫されそうになる。
もういけない! と、思うことが幾度もあったが、小次郎は気力をはげまして闘った。
「押せ! 押せ! 押せ! 一歩も退《ひ》くな!」
と、たえずどなり立てながら、馬を乗りまわし、味方が苦戦している場に駆け寄せては、敵を斬《き》っておとした。
髪をさか立て、全身を返り血に染め、雷鳴のような声で絶叫しながら、大業物《おおわざもの》をふりかざして飛んで来る小次郎の姿のすさまじさは、そのままに酣戦《かんせん》中の阿修羅《あしゆら》王、摩利支天であった。
徐々に、形勢は好転して来た。押され勝ちであったこちらが、敵を圧迫しはじめた。
小次郎は今一息だと思った。
「ここだ! 気力を出せ! そうれッ!」
大喝《だいかつ》するや、馬をおどらせて、国香をめがけて突進した。
数騎の郎党を左右と前に立て、駆けるにも退くにも、一糸乱れず行動していた国香は真一文字に突進して来る小次郎の姿を見ると、サッと斜めに避けて、味方の兵共を楯にとった。兵共は闘っていた敵を捨て、小次郎の方に馬を立てなおし、手ん手に打物をふりかざして防戦しようとしたが、小次郎はためらう色を見せなかった。ものも言わず、太刀をふるって一気に駆け破って、国香に迫った。
「見参《けんざん》、伯父上!」
国香の従騎が二騎駆けふさがった。
「推参な!」
刀の光が左右に電光のように閃《ひらめ》くと、二騎ともに斬りおとされていた。
「見参! 伯父上!」
と、また小次郎はどなった。雷霆《らいてい》の落ちかかるような声であった。顔中が口になったような猛烈な顔であった。
老獪《ろうかい》な国香も、はっときもが冷えた。反射的に馬をかえし、一むちあてた。馬はおどって、まっしぐらに駆け出した。
常陸勢の踏んばりはここまでだった。見る見るくずれ立った。一騎、二騎、三騎、馬をかえしはじめたと思う間もなく、堤を決したように潰走《かいそう》の形となった。
豊田方は、人も、馬も疲れを忘れた。猛々《たけだけ》しい喊声《かんせい》を上げながら、追撃にうつった。
日はすでに没していたが、空に夕焼の雲があり、その照りかえしで、世間はまだ朱金《しゆきん》の色に明《あか》りわたっていた。しかし、地上のあらゆるものの陰には、もう夕べの暗《やみ》がこもり、しだいにそれがひろがりつつあった。
豊田勢は、逃げる敵に矢を射かけつつ、どこまでも逐《お》った。狩場で獣を逐うようであった。常陸勢は至るところで、射おとされた。生きのこったごくわずかな者が石田の源家の館《やかた》に逃げこんだが、それもひとりのこらず討ちとられ、館には火がかけられた。
ここまで攻めつける間、豊田勢は国香の姿を見なかった。また、護の姿も見なかった。国香の館に逃げたのかも知れないと、その館に攻めかけた。
国香の館では、留守居の者共がいて、相当勇敢に防戦したが、間もなく戦闘力を失った。
豊田勢は、濠《ほり》をこえ、土居《どい》をよじのぼって攻め入った。
館勢は、もう統一ある戦闘は出来なかった。それぞれの性格と思慮に従って、降伏する者もあれば、抵抗する者もあり、裏山越しに逃亡する者もあって、すぐ戦いはおわった。
ここでも、豊田勢は、国香の姿も護の姿も見ることが出来なかった。
「護をさがし出せ! 伯父御をさがし出せ!」
小次郎は、狂気したように叫びつづけて、郎党等にさがさせたが、ついにさがし出せなかった。
この館にも、火をかけた。すでに源家の館は燃えさかっているのだ。石田の部落の東西の両端にある二つの館は、炎々たる焔《ほのお》とさんらんたる朱金の火の粉を、とっぷり暗くなった夜空に、巨大な刷毛《はけ》ではき上げたように吹き散らしながら、燃えに燃えた。
燃えているのは、ここだけではなかった。大串《おおくし》郷からこちら、豊田勢の過ぎて来た部落という部落は、皆炎上している。あるものはすでにあらかた燃えつくして余燼《よじん》がくすぶっているだけであり、あるものは末勢にかかっており、あるものは峠をこしているが、それでもなお曠野《こうや》の方々にあかあかと光りつつ、春の夜の星かげをかげらせている。
この火の光を見て、豊田領からは引きも切らず兵が駆けつけて来て、夜半には五百をこすほどの勢《せい》となった。
小次郎は、それらの兵を部署して、その夜は石田の郊外に野陣を張ってすごし、夜の明けるのを待って、国香と護をもとめて、八方に兵を出した。兵等は、筑波《つくば》、真壁《まかべ》、新治《にいはり》三郡内に散らばっている両家の領所を隈《くま》なくさがし歩き、両家の民の家という家全部を焼き立てたが、ついに二人を獲《と》ることが出来なかった。
夕方近く、昨夜の捕虜の一人が、あまりの戦禍の惨烈さにおそろしくなったのだろう、護が国香のすすめによって、両家の女子供を連れて、筑波の山越しに府中へ落ちたことを白状した。
府中へ落ちたのであれば、どうしようもない。兵を以て、国府の所在地をさわがしたとあっては、公辺の沙汰《さた》がうるさいのだ。
そいつに国香の行くえをきいてみたが、これは知らないという。昨日兵をひきいて出られたきりになっているという。拷問《ごうもん》までしてみたが、答えはかわらない。
あぐねていると、味方の一隊が国香の死骸《しがい》をたずさえてかえって来た。
石田の里のつい入口の小藪《こやぶ》の蔭《かげ》で見つけたという。鷹《たか》の羽をはいだ矢が背中から左の乳の下までつきとおっていた。逃げる途中にこの矢を負うて、苦痛にたえきれずに藪かげに這《は》いこんだが、そのまま絶命したものと思われた。
国香の顔には、苦しみもだえたようなあとはなかった。また、あのいかにもぬけ目のなさそうな様子もなかった。目はとざされないで、薄く開いて、かすかに光っていたが、それも気味悪いようには見えない。虚脱したような、ホッとしたような、おどろいたような、いかにも人のよげな老人の顔になっていた。
「一門の長老ともある身でおわしながら、飽くなき慾心《よくしん》のとりこになって、本来は庇護《ひご》して下さらねばならぬ年若な甥《おい》であるわれら豊田の者共から所領をかすめとられたばかりか、一門の情誼を忘れて、他家にくみしてわれらを討ち取ろうとまでせられた、その報いでありますぞ」
国香の死骸を熟視しながら、小次郎は心のうちでつぶやいていたが、すぐ郎党等をかえりみて、これを国香の館址《やかたあと》に運ぶようにと命じた。怨《うら》みの晴れた今となっては、一族の義理と礼を以て葬《ほうむ》るべきであると思ったのであった。
小次郎のこの気持がわかって、郎党等は急ごしらえの台をこしらえ、鄭重《ていちよう》な礼をつくして、運びにかかった。
小次郎は、また別の郎党を呼んで、結城《ゆうき》へ行って、僧を呼んで来るよう命じた。
館の焼址は荒涼をきわめていた。夕日のさしているそこには、全焼してすっかり炭になっている建物、半焼の建物、半ば炭になりながら、骸骨のように木組だけがのこっている建物、黒く焼けた柱だけニョキニョキと突っ立っている建物、そんなものがずらりとならんで、素朴《そぼく》ではあるが、豪壮な趣のあったありし日の姿をしのばせるのが、何ともいえず凄惨《せいさん》な感じであった。
建物にむかった樹木のすべてが、半面を焼けただらせて、きたならしい色にかじかんでいるのが、人の火傷《やけど》のあとを見るようにむごたらしかった。
小次郎は、奥殿に面した広庭の端に、ひと本の若い桜が、これだけは何の損害も受けず立っているのを見た。桜にはまだ早い季節だが、この桜は特別早咲きなのであろう、若々しくしなやかな枝に、今をさかりと咲き乱れて、荒涼たる周囲の中に、信ぜられないほど美しかった。小次郎は、郎党等にさしずして、その下に国香の死体を運ばせて安置した。
小次郎は、僧の来るまでの間、そのあたりを歩きまわった。建物の建っていた時と、こう焼けてしまってからとは、まるで様子がちがって、急には見当がつかなかったが、次第にわかって来た。至るところに、思い出がともなっていた。
幼い時、貞盛《さだもり》と遊戯し合った厩《うまや》の前。泊りがけで来た時にいつもあてがわれた部屋のあった場所。伯父の居間の場所。貞盛の曹司《ぞうし》の場所。さては、恋を打ち明けて貞盛に知恵を貸してもらった客殿のあった場所……
それらは、すべて一族の親しさと睦《むつ》み合いの記憶につながるものであった。
不意に、胸がせまって、泣きたいような気がして来た。いずれ、このことは京の貞盛に報ぜられるであろうが、どんな気持で貞盛がそれを受取るであろうかと思うと、きびしい力で胸がしぼり上げられるようであった。
「太郎! おれはついにおぬしにとって、不倶戴天《ふぐたいてん》のかたきになってしまった。おぬしは、おれがにくいであろうな……」
小次郎は、貞盛をにくんではいない。一度ならず二度までも、煮え湯をのまされる思いをしたことはあるが、それでも、貞盛が自分に対して、彼なりの友情を持っていることを知っている。
「ああ!……」
吐息とともに、熱いものが、まぶたをぬらした。
朧《おぼろ》月夜の客
この頃《ころ》、貞盛は貴子《たかこ》の所に行くことが少なくなった。去年坂東から帰京して以来のことだ。別段、国の小督《おごう》に心中立てしているわけではない。これは政略のために迎えた妻と、はっきり割り切っている。
だのに、何となく足が遠のいて来た。倦《あ》きが来たとは思いたくないが、行っても前ほど新鮮な興味がないことは事実だ。
そのうち、今年になって間もなく、新しくまた女が出来た。主人として去年から出入りするようになった小一条院の大臣《おとど》の御殿に仕えている上臈《じようろう》女房と知合いになった。年は少し長《た》けているが、美しくて、才気があって、和歌の道にはとくにすぐれた才能がある。こんな女との恋愛は、男にとっては一種の飾りとなることで、世の耳目の的となり、従って栄達の足しにもなるわけだ。
忽《たちま》ち熱をあげて夢中になる例のくせで、目下のところ通いづめのていであるが、こうなると、貴子の所への足は一層遠くなる。
ところが、愛情の問題に関しての女の変貌《へんぼう》ほど不思議なものはない。この女の出来ない前は、足の遠くなったのを恨むにしても、何かいじらしく、何か美しく、何か愛情と反省をそそる態度を失わなかった貴子が、その恨むこと、その怒ること、昔の高雅さ、やさしさ、しおらしさはどこへ行ったかとあきれるばかりとなった。
こうなると、行ってやりたい、行かねばならないという気は山々だが、益々《ますます》足が向きかねる。
されば、このような次第で、このところ、ほぼ一月、貞盛は貴子に逢《あ》っていない。
が、その夜は、どうしても行かなければならなかった。
昼過ぎ、貴子の邸《やしき》から召使いの小童《こわらわ》が、貴子の消息《しようそこ》を持って来たのである。貞盛の保護を受けるようになってからは、貴子の生活も昔とかわって豊かになっている。住居も修理し、召使いの者もこの小童のほかになお二人もいる。
消息には、こうあった。
(急に財物の必要なことがおこった。金子《きんす》でも、絹でもいいが、金子にして二十両ほどのものを、都合していただけまいか)
用件だけを、ごくかんたんに書いてあるだけであった。
これはどうしても行かねばならないことであった。第一、女にものをねだられたら、必ず応じなければならないというのが、彼の哲学だ。第二、金をくれということだけ書いて、何に使用するかが書いてないのは、よほど重大なことがおこっているにちがいないが、かかる場合、金だけおくってすませられるものではない。自ら出かけて行って相談相手となり、その苦労を除いてやるのが、女を持つ男の心掛というものである。
そこで、夜に入ってしばらくして、貞盛は、その家に向った。
おぼろな月の出ている夜であった。新しくしつらえた築垣《ついじ》をめぐらしたその屋敷に足をふみこむと、沈丁花《じんちようげ》の香がただよって来た。なにかなつかしい思いをさそわれた。
「そうだ、もう一月も御無沙汰しているのだった」
と、今さらのように思った。
貴子の家では、待っていた。訪《おとな》いを入れるまでもなく、入口に近づくと、乳母《うば》が出て来た。
「お久しぶりでございます。よくお出で下さいました」
少し皮肉をまじえた調子であった。
「いやあ、どうも、相当敷居が高いですな」
いつもの調子でカラカラと笑ったが、すぐ声をひそめて、
「姫君のごきげんはいかがです。これですか」
と、両手の指をひたいに立てて見せた。
姫君の幸福ばかりをいつも念じ、そのために貞盛のこの頃の疎遠《そえん》を案じもし、腹を立ててもいた乳母だったが、このおどけた様子に、プッと吹き出してしまった。
「少しは、お気がとがめると見えますね」
と、笑いながら、また皮肉った。
「少しどころか! でも、そのくらいにして下さい。決して忘れているのではないのですから」
「お心に思っていらっしゃるだけではいけません。わたくし共は外にあらわれる形からしか、お心のほどを知ることは出来ないのですから」
いうことは|しんらつ《ヽヽヽヽ》であるが、乳母はますます明るい気持になっていた。貞盛の性格の欠点である軽薄、好色、浮気等について、彼女は十分知っている。そして、そこが不満でもあり、不安でもあったが、それでも、貞盛が好きだった。貞盛の身についている快活さ、明るさ、|くったく《ヽヽヽヽ》のなさが、何ともいえず魅力であったのだ。
「さあさ、早く奥へお出でなさいまし。そんなことを聞いたりなんぞなさるより、一時も早くお顔をお見せになるのが、お心のたけの証拠《あかし》になるのです」
乳母は紙燭《しそく》をわたして、奥へおしやるようにした。案内はしてくれないつもりと見えた。
貞盛はおどけて、溜息《ためいき》をついて見せ、それから衣紋《えもん》をつくろい、わざと軽くせきばらいをしながら奥へ向った。
「エヘン、エヘン、エヘン」
へやの入口で三度ほどせきばらいして、遣戸《やりど》をあけて中に入った。
貴子は、櫛形《くしがた》の低い窓にむかった文机《ふづくえ》に向って経巻《きようかん》をひろげていた。ふりかえらなかった。一筋に経巻に目をそそぎ、低い声で誦《ず》しつづけていた。
わざとそうしていることを、貞盛は知っている。飛び立つ思いで、胸をわくわくさせていることも知っている。
こんな時、うっかりこちらからものを言いかけては、事態を不利にするおそれがある。受けて立った方が、敵の出ようの見当がつくだけでも有利だ。
そこで、何も言わず、ほどよい位置に座をしめた。貴子の横顔の見える位置だ。おちつきはらって見ていた。
貞盛の保護を受けるようになってから、貴子はかなりに肥《ふと》って来た。以前のあの風にもたえないような、もろく、はかなく、しなやかな風情《ふぜい》の美しさはなくなった。しかし、美しくないのではない。その豊富で、濃艶《のうえん》で、充実した感じは、つまり、女性の花の盛りにさしかかっているわけであった。
貞盛はしみじみと見ていて、ああ、美しい、と思った。どうして今までこの変化に気づかなかったろうと思った。これは粗末にしてはならない美しさだとも思った。
艶冶《えんや》で、柔媚《じゆうび》で、豊富な気持の底に、好色的なものがむずがゆく動いている。はるかで、ものうくて、うっとりして、眠いような気持であったが、ふと貴子の誦経《ずきよう》の声にふるえが出て来たのに気づいた。
「オヤ」
と、見ると、表情がすっかり変っていた。とりすましたかたい線がくずれて、泣き出しそうにゆがんでいた。と見る間に、涙が、美しく切れ長なまぶたをあふれて、こぼれおちて来た。繊細な線をもった端正な鼻梁《びりよう》のわきを、あとからあとからとまろびおちて行くのだ。
(こりゃいかん。あらしは相当強そうだぞ)
柔媚な陶酔境は、忽ち消えて、貞盛が気を持ちなおした時、くるりと貴子は向きなおった。
「お出《い》でなさいまし。よく来て下さいましたのね」
涙にぬれた目に、微笑を浮かべていた。
貞盛は、何にも言わないで、ふところから取り出した砂金包みを貴子の前においた。
貴子は、両手でおしいただいたが、そのまま、おしかえした。
「すみません。おねだりなどして。でも、ほんとはこれいりませんの。こんなことでもしなければ、来て下さらないと思ったのです」
しめやかで、あわれ深い調子であった。いじらしかった。
しかし、貞盛は警戒をおこたるわけに行かない。こういう平穏な天気のすぐあとに、ややもすれば疾風豪雨、雷電はためくすさまじい天象のつづくことを、よく知っている。
「てまえはまた、なにがおこったかと、大へん心配して来ました。そういうことなら、安心です。てまえも、いつも気にはなっているのですが、何かと多用で、つい足遠くなって、申訳ありません。
しかし、いくら長くうかがわなくても、姫君にたいする心が変るということは、決してありませんから、それはお疑いなさらないで下さい。
これは御不用でも、せっかく持って来たものですから、お受取り下さって、何にでもお使い下さいますよう」
貞盛を見つめている貴子の目はまじろぎもしなかった。次第に強い光を点じて来るようでもある。
(これはいかん。来るぞ、来るぞ……)
貞盛はおびえたが、貴子は、その視線が急にゆるむと、片手を床についてうなだれた。
「……貧よりつらいものはございません……」
低い低い声は、そう聞こえた。物質的の援助さえしておけば、それでよいと思っているのか、思われてもしかたのない身の上だという意味のうらみごとであることは明らかであった。
貞盛は、ムッとした。何も言ってはいけない。どこまでもやさしくおだやかに接するのが上策でもあれば、男らしくもあることだとの考えはありながら、おさえることが出来なかった。
「それはどういうことですか」
露骨に不快げな色を見せて、貞盛は言った。
「どういうことって、おわかりにならないはずはないではありませんか。あなたのお恵みで、毎日の煙を立てているわたくし共ですから、わがままを申してはならないというだけのことです」
青ざめた顔がふるえ、声もまたふるえていた。はげしい怒りに、貞盛もまた胸がふるえた。
「それは皮肉のつもりで言われるのか」
「ありのままを申しているだけです。どうして皮肉とお解《と》りになりますの」
貞盛の胸に火が燃えた。憎悪《ぞうお》の火であったか、怒りの火であったか、カッとした時には、もう右手がひらめいて、貴子の頬《ほお》に強い音をたてていた。
なぐられた貴子もびっくりしたが、なぐった貞盛は一層おどろいた。茫然《ぼうぜん》として、貴子を見つめていた。
見ている間に、貴子の頬に、手のあとが赤く浮き出して来た。唐渡りの陶物《すえもの》のように白くこまやかな肌《はだ》えに、指のあとまでうつしてくっきりと浮いているそれを見ると、貞盛は強い悔いを感じた。とりみだしたあまりとはいえ、こんなことをしてしまった自分がいやになったが、それでありながら、貴子が憎くてたまらなくなった。ぷいと立って、へやを出て行きかけた。
その背中に、貴子は鋭い声をたたきつけた。
「貴子は、あなたにだまされたのです。あなたの上手な口先にのって、あの人を袖《そで》にした自分の愚かさが、口惜《くや》しいのです」
貞盛は足をとめた。引きかえして来た。
「なんと言われた?」
おそろしい目で貴子をにらんだ、貴子は、ふてぶてしい目で見かえした。
「あなたは貴子の幸せをうばった、と、申したのです」
「小次郎をどうとかしたとは、どういう意味です!」
「小次郎様なら、貴子を裏切るようなことはなさらなかったろうと、申したのです」
貴子の形相《ぎようそう》はすっかりかわっていた。憎悪にみちた目は白く光り、唇《くちびる》はゆがみ、頬はひきつっていた。美しいだけに、身の毛のよだつようなすさまじさであった。
貞盛の胸はまたふるえた。
「そんなことを言って、恥かしいとは思われぬか。あなたの恋は売りものであったのか!」
と、低く言いすてると、また出て行きかけた。
貴子は、その背中にしがみついた。両手で男の肩を抱き、背中に顔をおしあてた。
「待って! 待って! 待って!……」
ふりはなそうとしたが、一層強くしがみつきつつ、前にまわった。
「……待って! 貴子が悪うございました。お願い! 帰らないで下さい。帰らないで!……」
ほろほろと泣きながら言う。涙にぬれた目にも、ふるえゆがんでいる唇にも、必死の哀願の色がある。
貞盛は、あわれになりながらも、言いはなった。
「男として、あんなことを言われては居たくともいられません。男の心を辱《はず》かしめるものです」
なお泣きながら、貴子は必死であった。
「もう申しません。貴子が悪うございました。もう決して申しませんから。ね、ね、ね、お願い」
ついに、貞盛は座にかえった。
貴子の泣きはらした顔や、とりみだした様子には、いつもの高雅さや端正さはない。おびえ切って卑屈な感じすらあった。けれどもそのために、貞盛は相手がいとしくなった。手をのばして掻《か》き抱いてやった。おとなしく、そして、うれしげに、貴子は身をすりよせて来た。その耳に口をつけて、貞盛はささやいた。
「わたしも短気でありました。わびます。どうか姫君も気をつけて、これからは、お互い不快になるようなことは仰《おお》せられないようにして下さい」
貴子はすすり泣きながらも、こくんこくんとうなずいた。いじらしかった。
愛情生活におけるこうした危機は、常に一種の争闘であるが、この争闘において、かくして貞盛は勝ち、貴子は負けた。こうした危機はこれから先も幾度かおこるにちがいないが、最初のこの勝敗は、これからの争闘にも尾を引く。貴子が貞盛を愛するかぎり、貞盛は常に勝ちつづけるであろうし、貴子は常に負けつづけるであろう。
愛慾《あいよく》の豊富な経験を持つ貞盛には、それがよくわかっているだけに、優越者の持つ余裕によって、一層相手がいじらしくなった。
一方、貴子の方は、経験はないことだが、鋭い女性の本能によって、こうした争いはこれからも、しばしばくりかえされるであろうし、その度に自分が折れねばならないであろうことを知った。しかし、彼女の泣いたのは、このためではない。自分のあきらめと屈従に、男が感じてくれて、愛情をよみがえらせてくれた嬉《うれ》しさに泣いたのであった。
二時間ほどの後、もう深夜であった。
「申し上げます。申し上げます」
と、へやの入口に来て呼ぶ乳母の声に、貞盛は目をさました。同時に、貴子も目をさました。貴子は、几帳《きちよう》の裾《すそ》から出て行って、ボソボソと話していたが、すぐかえって来た。
「弟様が、お見えになっている由《よし》であります」
貞盛は、去年こちらにかえって来る時、弟の繁盛《しげもり》を連れて来て、自分と同じように小一条院へ勤仕《ごんし》させているのだ。
「弟が? どうして弟などが来たのでしょう」
といいながら、夜のものをはねて起き上った。
「お国許《くにもと》から、急ぎの報《しら》せがまいったのだそうです」
と、乳母がへやの入口から言った。
「ホウ」
貞盛は、悠々《ゆうゆう》と衣紋をつくろいはじめた。どうせ大した用でもないものを、こんな時刻に、こんな所にまで来て、いつまで田舎気がぬけないのだと、いまいましく思っていた。
「ここへお通ししましょうか。只事《ただごと》でない御様子でいらっしゃるようでございますが」
と、また、乳母が言った。
「そうですな。では、そうしていただきましょうか」
やっと、貞盛は、身支度をおえて、几帳の外へ出て来た。
へやに灯《ひ》を点じ、そのへんを片づけて、几帳のかげに貴子がかくれてすぐ、繁盛が、乳母に連れられて来た。
繁盛は、今年十六になる。瀟洒《しようしや》な風采《ふうさい》の兄には少しも似ていなかった。色黒で、堅太りで、眼《まなこ》鋭く、少年ながらもう坂東の武人らしいいかつさを持っていた。
はじめて見る兄の愛人の家居《いえい》をものめずらしげにキョロキョロと見まわしながら入って来たが、兄が悠然たる姿で坐《すわ》っているのを見ると、立ちながら言った。
「兄者! 大へんな報せが来た!」
あたりをかえりみる余裕を忘れた、ひたむきな調子であった。
「礼儀知らずめ、その作法はなんだ。なぜ坐ってから申さぬ!」
にがにがしげにたしなめると、あわてて坐ったが、腹立たしげにぷんとふくれて、
「作法をかまっておられるか。父上が死なれたのだぞ!」
「なに?」
「しかも、人に殺されてだ!」
貞盛は仰天した。急には口がきけず、弟の顔を見つめているだけであった。
繁盛もすぐには説明しない。むしろ気味よげに、様々に変化する兄の表情を見ていた。
やっと、貞盛は口をひらいた。
「……一体、どうしたのだ、くわしく話せ」
「豊田の小次郎|従兄《あに》が殺したのだ」
「なんだと?」
貞盛はまたおどろいたが、おどろきながらも、横にひっそりと垂れている几帳が、微風に吹かれたように微《かす》かに揺れうごいたのに気づいた。
「どうして、また小次郎が? 小次郎はそんなことをする男ではないはずだ……」
「そんなことをするはずはないといっても、現在したものをどうする。これが国許からの消息だ」
繁盛は、ふところをさぐって、書状を出した。
書状は三通あった。源ノ護《まもる》からのもの。母からのもの、妻の小督からのもの。
貞盛は、一通ずつ、念を入れて読んだ。
事の起りから、源家の怒り、扶《たすく》等の死、国香の死、両家の館《やかた》の焼亡、領地一帯の被害に至るまで、くわしく書いて、一日も早く帰国してほしいと結んであった。
もう疑うべき余地はないのであったが、それでも、信ぜられなかった。夢ではないかと疑った。
「……国から誰が来た?」
「真樹《まき》が来た」
「やつは、その時、父上のお供をしていなかったのか」
「父上の仰せで、母上と嫂《あね》上を守護して、源家のおやじどのと共に府中へ落ちたというのだ」
「とにかく、帰ろう。帰って、真樹と会って、なおくわしい話を聞こう」
貞盛は、几帳の中へ入った。
ほのかなともしびが薄ぼんやりと照っている几帳のうちに、貴子はこおりついたような表情で坐っていた。一旦《いつたん》貞盛を見たが、すぐ目をそらして、前の姿勢にかえった。
くわしい事情がわかろうはずはない。小次郎が貞盛の父を殺したということだけが、貴子の胸に強い衝撃をあたえていた。
当然のこととして、このことの原因に自分のことがからまっているのではないかと考えずにはいられなかった。悔いに似たもの、恐怖に似たものが、胸をさいなんだ。貞盛から目をそむけたのは、共犯者を見るに似た気持だったからだ。おそろしくて、またいやらしかった。
貴子のこの気持が、貞盛にはよくわかった。しかし、貞盛は知っている。領地をめぐる争いも、小督のことをもととし、また上総《かずさ》の従妹をもととしての源家と小次郎との感情のもつれも。多少は貴子のこともあるかも知れないが、それは主たる原因ではないと思っている。そんな女々しい根性は持たないはずの男なんだ、小次郎というやつは。
低いが、強い声で、言った。
「姫、このことには、あなたは少しも関係ありません。これは他のことでおこったのです。あなたがお心を苦しめなさることではありません」
貴子は、チラリと貞盛を見て、すぐ目をそらした。不信の表情であった。
貞盛は、貴子があわれでならなかった。再び説明しようとして、いざり寄って、相手の肩に手をかけた。
電流にふれたように貴子の肩がふるえ、同時にある表情がその顔にあらわれた。強烈な嫌悪《けんお》の表情であった。
呼吸《いき》をのんで、貞盛は貴子を見ていた。貴子の顔にある表情は一向消えない。それどころか、益々《ますます》鮮明になって行く。そして、貞盛の掌《て》の下で、肩のふるえも一層はげしくなって行く。いやでいやでたまらないのを、せい一ぱいの努力でこらえていることが明らかであった。
なぜこうなのだろう、と考えに考えた末、あることに思い至った。
(今、この女の心を占めているのは、小次郎のことだけなのだ。それ故《ゆえ》に、おれがいやでいやでたまらなくなっているのだ)
貞盛は、小次郎がねたましくなった。
(こいつ!)
と、思った。
慾情か、憎悪か、はげしいものが、目もくらむばかりに燃え上った。ねじたおし、ふみにじり、もみくたにしたくなった。相手の肩をおさえたまま、歯を食いしばって、ふるえていた。
が、その時、几帳の外で、繁盛のせきばらいが聞えた。
貞盛は立上った。
「おわかりになりましたな。いらぬことにお心をおなやましにならないように。わたくしはかえります。あとで、必要があれば、くわしくお知らせします」
と言って、几帳をくぐって外へ出た。
繁盛は、木像のようにきちんと坐っていた。兄を見上げた。
「いいのか」
「かえろう」
庭に出ると、おぼろな月光の中を、また沈丁花の匂《にお》いがただよって来た。兄弟は、一言も交わさず、途《みち》をいそいだ。
逝《ゆ》く春
延喜式《えんぎしき》の規定によると、常陸《ひたち》の国府から京都までの路程は、官営の交通機関を極限まで利用し得る官史でも、最小限十五日はかかることになっている。それを、侘田《わびた》ノ真樹《まき》は、十三日で駆け上って来た。乗換えの馬を五頭つれて、乗りかえ乗りかえ、最小限に眠り、最小限に休息して、駆けつけて来たのであった。
それ故に、京へついた時は、疲労しきっていたが、食事をし、入浴をし、薬湯を服して、一眠りすると、もう気力を恢復《かいふく》した。蝦夷人《えぞびと》そっくりのちぢれ髪や、ひげや左右つらなった濃い眉《まゆ》や、おちくぼんだ眼窩《がんか》の奥の鋭い目に、興奮と精気が一種のかがやきとなってあらわれていた。
彼は興奮をおさえた静かな調子で、委細のことをもれなく貞盛《さだもり》に報告して、
「てまえがおつきしておれば、かかることにはならなんだろうと、かえすがえすも残念でございます」
と、結んで、はらはらと涙をこぼした。
貞盛は、一語もさしはさまず、聞きおわった。もう疑いはしなかった。しかし、自分ながら不思議であったのは、父のこの非業《ひごう》の死を悼《いた》み悲しむ情も湧《わ》かなければ、小次郎を憎悪する心も動かないことであった。あるのは、ただ困惑の気持だけであった。
第一には、不倶戴天《ふぐたいてん》のかたきとして、小次郎に対決しなければならないこと。第二には、父の死によって領地の管理者がなくなり、これまでのように京の生活を楽しみながら栄達の途《みち》をたどることが出来なくなったこと。
このような自分を、貞盛は恥じた。おれはなんという身勝手な男だろうと。しかし、どうしようもなかった。
真樹は、くぼんだ眼窩の奥から、異様に光る目で、若い主人を凝視していたが、忽《たちま》ち言った。
「いつ帰っていただけましょうか」
「帰る?」
貞盛は問いかえしてから、ああ、そうそう、やはり帰らねばならないのかと考えた。へたなことを言ってしまった。きっとこいつはおこるぞと思っていると、あんのじょう、真樹の濃い眉がキッとあがった。
「太郎|君《ぎみ》!」
「…………」
「そのお問いかえしは、どう解《と》ったらよいのでありましょうか! それが京方《みやこがた》の作法なのでありましょうか。大殿は人手にかかって非業の御|最期《さいご》をとげられたのでありますぞ。御先祖代々の御丹誠になる御領地は奪われ、領民は殺され、お館も、領民の宅も、焼きはらわれて灰となってしまったのでありますぞ。
しかるを、その御悠長、その御緩怠は、なにごとであります!」
噛《か》みつくような、はげしい調子であった。
側《そば》にひかえていた繁盛は、その一語一語に、強い感動を見せた。あるいは涙を流し、あるいはこぶしをかため、あるいは歯を食いしばっていた。たまり切れなくなったように、膝《ひざ》をのり出した。
「その通りだ! いつ帰るのだ。すぐ帰ろう。そうしてくれ」
兄をにらみつけて、突っかかるようであった。
真樹のいきどおり、繁盛の怒りも、重々もっともだ、と、貞盛は思った。こんな場合に感情が激動しないおれの方がおかしいのだと、反省もした。しかし、とりあえず、一喝《いつかつ》した。
「うろたえるな!」
「うろたえるなといって……」
と、繁盛はいきり立った。
「ええい! うろたえるなといえば!――官位を拝受して朝廷《おおやけ》につかえている者には、踏まねばならぬ規矩《きく》がある。たとえ父が殺されようと、領地が奪われようと、気儘《きまま》な進退は出来ぬのだ! 朝廷のお許しを得ねばならぬのだ! 官人《つかさびと》たるおれの切なさは……」
はげしい調子につられて、思いもかけず、胸がせまり、涙がこぼれ、ことばをとぎらせた。
涙は伝染し易《やす》いものだ。繁盛も、真樹も、あふれる涙をおさえかねた。
しばらくの間、三人はそれぞれの思いを抱いて、むせび泣いていた。
やがて、貞盛は涙をはらって、
「今夜はもうおそい。二人も退《さが》ってやすめ。おれも寝る」
と言って、座を立った。
塗りごめに引きとって、横になったが、長い間、眠りを結びかねた。
どう考えてみても、小次郎が憎くならないで、むしろ、源家の三兄弟がうらめしいのだ。
貞盛は、妻のこの三兄弟をよく知らない。去年の結婚の前後に、二三度会って、世間話程度の話をかわしたことがあるだけであるが、受けた印象は決してよくはなかった。三人が三人とも、家柄《いえがら》自慢が骨髄にからみついて、実力もないくせにいやに構えているのが、小癪《こしやく》にさわった。
(ばかもの共め、あの年の若さで、どういう料簡《りようけん》だろう。構えておれば、おれが恐れ入るとでも思っているのだろうか)
と、考えた記憶がある。
三人が三人とも、枕《まくら》をならべて小次郎に討ち取られたというが、そのはずだ、と、思う。
「強いからなあ、やつは。ふだんはばかみたいに気のきかないノッソリだが、戦さとなると、やつは生れかわったように生き生きとなる。まるで、鬼神《おにがみ》だからなあ」
しんしんと小ゆるぎもせず燃えている燭台《しよくだい》の灯を見つめながら、一種よろこばしいような感じで、貞盛は考えつづけていたが、ふと、父のことを思い出すと、虫歯にさわられたような顔になった。声に出してうめいた。
「なぜ父上は、その弔《とむらい》合戦に乗り出したりなんぞなさったのだ。あの三人なぞ、殺されたって、ちっともかまわんではないか。源家はおれの妻の実家であるというにすぎないが、小次郎は最も近い一族ではないか。世間の人は、決して父上のなさったことをよいとは言うまい」
父ほど思慮深く、父ほど計算高い人が、どうしてこんなことをしたか、不思議でならなかった。
「しかし、こんなことは、つまりかえらぬ愚痴だ。これからをどうすべきか、それを考えなければならない」
工夫はつかなかったが、いつか泥《どろ》のような重苦しい眠りにおちた。彼はその重苦しい眠りの中で、なお重苦しく思案しつづけた。
翌朝、寝不足の重い頭で起き上ったが、どうやら一応の思案はついていた。
とにかくも、小一条院と役所へ届け出て、賜暇《しか》を乞《こ》おう、武勇を以《もつ》てたてまえとする武官として、かかる際勇みを見せねば、世の批判もうるさかろうし、従って、朝廷の覚えにもひびいて来るに相違ないと思った。
思案がきまると、急がなければならなかった。いずれこのことは、常陸や近国の国司等から、それぞれ朝廷に報告されて来るに相違ないが、その到着前に届け出ておいた方が、有利であるからだ。
そこで、起きるとすぐ、机に向って、賜暇の願書をしたため、繁盛を呼んだ。
「ぬしは、おれの役所まで行ってくれんか。これを差出すのだ。くわしい理由は、おれがあとで出頭して申しのべる。色々聞かれるかも知れんが、何も申さんがよいぞ」
「うん」
兄が積極的に動き出すけはいが見えたので、繁盛はほんの少し仏頂面《ぶつちようづら》をゆるめて、支度をととのえて出て行った。
その後、貞盛は、顔を洗い、髪をくしけずり、衣服をあらためて、家を出た。
「いずれへ」
いつにもまして美々しく装束《そうぞ》いているので、供に立った郎党等は念のためにたずねた。
「小一条院へ」
春はもう逝《ゆ》きかけ、晩春初夏の好季節だ。目にふれるあらゆるものに、空にも、土にも、家並にも、樹木にも、道行く人々にも、路面を矢のようにかすめては白い腹をかえして飛びかえって来る燕《つばめ》にすら、いかにも都らしい季節のかがやきがあった。
これらのすべてを捨てて、人も風物も荒々しい蛮気にみちた坂東に帰って行かねばならないのだ、と、思った時、貞盛はなんとも言えず暗い気になった。
「なんという運の悪さだ。なんという運の悪さだ。何もかもうまく行っていたのになあ」
と、心にくりかえした。
すまないとは思いながらも、父が恨めしくさえあった。
小一条院について、おとどに拝謁《はいえつ》を願いたいと家司《けいし》に申し出た。平素からおりにふれての贈りものを怠らない貞盛にたいして、家司は大へん好意を持っている。
「おりよく、おひまのようだ、それにおことのことだ。すぐお会い下さろう。しかし、一応うかがってまいる。待っていなさい」
と、きげんよく言って、奥へ消えたが、すぐかえって来た。
「南庭《なんてい》へまわりなさい。会おうと仰《おお》せがあった」
と、自ら案内に立った。
南庭の階段《きざはし》の下まで行って、さしずを待っていると、忠平《ただひら》は沓《くつ》を鳴らして、階段を下りて来た。
「いい天気だの。よく来た。少しそのへんを歩きながら話そう。供してまいれ」
と、言って、広い南庭を真直《まつす》ぐに南苑《なんえん》の方へ行く。きげんよげだ。忠平にとっても、貞盛は気に入りの家人《けにん》なのだ。
池に架《わた》した橋をわたって、中の島に入ると、忠平は足をとめて、枝ぶり面白く生えている赤松の梢《こずえ》を熱心に見はじめた。そこには赤茶色の棒のような花がのびて、微《かす》かな風のわたるたびに、花粉を散らすのだが、日の光のかげんで金粉の散るように光るのだ。なにか美しく、なにかものうい感じであった。
忠平は、うそぶくような形で、しきりに見つめている。和歌か詩でも案じているような風情《ふぜい》にみえたが、ふと、貞盛をふりかえった。
「目通りを願い出たのは、何の用かの」
顔も、ことばの調子も、おだやかではあったが、不意だったので、胸をつかれるような鋭いものに感ぜられた。
「おそれいります。実は……」
ひざまずいたまま、貞盛は語り出した。工夫して来た段どりの通りに、要領よく|いきさつ《ヽヽヽヽ》を説明し、賜暇を願った理由には、わざとくわしい説明をしなかった。色々とあとしまつもありますからとだけ言った。
事件の意外さに、忠平はひどく驚いたらしい。持ち前の悠暢《ゆうちよう》として迫らない態度は失わなかったが、目の光に尋常でない熱心さが点じていた。
「豊田の小次郎と申せば、去年の春まで当家の家人であった、あの若者だな」
「御意」
「おお、そうそう、そちの従兄弟《いとこ》であったな」
「御意」
しばらく黙っていた。また、松の梢から散りこぼれる花粉を見つめていた。ひとりごとのように言う。
「同族相|食《は》む、むごいことだのう」
声もなく、貞盛は平伏した。
忠平は沓を鳴らしながら、そのあたりをゆるやかに歩きまわる。何か思案しているようであったが、やがて、貞盛の前に立ちどまった。
「ことは地方の豪族の私闘にすぎぬが、それでも、そのため地方の平和は擾乱《じようらん》された故《ゆえ》に、敵味方共に擾乱の罪科があるわけだ。豊田の小次郎はもとよりのこと、源家の三兄弟も、また、そちの父もだ。
殺害されたそちの父を罪ありとするのは、情においては忍びぬが、法理の示すところは、まさにこう断じなければならない。
しかし、すでに死んだものだ。追罰はすまい。それほどの重罪ではないから。また、そちの賜暇も、許すことにしよう。早速に帰国して、あとしまつするがよい」
当時の朝廷には、太政《だいじよう》大臣も関白もない。左大臣である忠平が首班だ。従って、事件に対する考えようも、あつかいようも、普通人とはちがうわけであった。
貞盛は、恐れ入って、ただ平伏していた。
いいすてたまま、忠平は行きかけたが、五六歩で、またかえって来た。
「左馬《さま》ノ允《じよう》」
「はッ」
「そちには老母があったな」
「はッ」
「なげきをかけるでないぞ。色々と思う所もあるであろうが」
いたわるような調子で言って、行ってしまった。
長い間、貞盛は大地に平伏したまま動かなかった。忠平の言いのこしたことばを、くりかえし反芻《はんすう》していた。
忠平は、口惜しかろうが、また、坂東の習いにそむくことになるだろうが、復讐《ふくしゆう》などしてはならないといっているのだ。
老母のなげきを重ねることになるといっているのだ。
(おれの考えは誤ってはいなかった。おとども、弔合戦などしてはならないと仰せられたではないか)
と、思った。
昨夜から、彼は鬱屈《うつくつ》し切っていた。彼は、京における栄達の途を捨てたくなかった。また、小次郎と争いたくなかった。しかし、子の道はこの際官途に恋々たるべきではないと要求し、男の道は小次郎と決戦すべきであると要求してやまないのだ。
けれども、今や、無上の権威者である忠平は、弔合戦などすべきではないと言ったのだ。また、それは不孝の上塗りであるといったのだ。倫理的根拠まであたえられたわけだ。
貞盛の悩みは消えた。鬱し切った胸はひらき、心は軽くなった。彼は晴れ晴れとした思いで、小一条院を辞し、役所に向った。
十日ばかりの後、正式に賜暇をもらって、帰国の準備にかかった。
誰にも言いはしなかったが、彼はこう思い定めていた。
(国に帰ったら、先《ま》ず小次郎と会おう、小次郎の性質はおれはよく知っている。胸をひらいて談合すれば、必ずわかってくれる。
おれは、こう言おう。
「これは一族の不幸であった。今さら言っても詮《せん》ないことだ。しかし、この不幸を最小限に食いとめるのは、一族としての道だ。おぬしはおれにわびろ。おれはそれをゆるしてやる。それで、話のケリをつけようではないか」
この通りに運ぶことは、言うまでもないことだ。
そこで、おれはまたこう言おう。
「おれは坂東には向かない男だ。おれの身を立てるのは、京以外にはない。おぬしは、おれのこちらにおける所領を管理して、その収入を京へおくってくれ。おれはそれを資にして、官海を泳ぐから」
と。
これもまとまるにきまっている。あいつにだって、損にはならないことだからな。
これで四方八方、まるくおさまる……)
こんなつもりだったので、帰国準備といっても、大したことはない。すぐかえって来るつもりだから、郎党等も、半分以上、のこしておくことにしたほどだ。しかし、世間はそうは解《と》らない。
武勇をたてまえとする坂東における随一の豪族平氏の嫡流《ちやくりゆう》である人物が、父親害死の報に接して帰国するのだ。ただごとで済もうとは思わない。暇乞《いとまご》いに行った先の人々も、あいさつに来た人も、ものものしい顔で、言外にそれを匂《にお》わせることをいう。
「いや、ほんのあとしまつのための帰国です」
と、こちらは軽くあしらうのだが、調子が軽ければ軽いほど、底の心の深さを感じとる風だ。
めいわくであった。苦笑せざるを得なかった。
出発の前夜、貞盛は貴子の家に行った。
あの日以来の心の悩みのためであろう、貴子は少しやつれているようであった。しかし、この前のような取乱した様子はなかった。いつもとかわりない、うれしげな態度で迎えた。
「この間は申訳ないことでした。色々といけない所をお目にかけてしまって」
と、笑いながら、わびまで言った。
この上機嫌《じようきげん》が心からのものであるとは、貞盛は思わなかった。小次郎にたいして自分がどう出るかを、案じていないはずはないのだから。
しかし、彼もまた笑いながら、
「そうしてしおらしくしておいでだと、申し分のないお人で、いとしさが一入《ひとしお》なのですが」
と、受けて、出来るだけ気軽につづけた。
「わたしは、明日からちょっと国にかえって来ます。色々とあと始末がありますから」
見る間に、貴子の顔色がかわった。大きな目でこちらを凝視したまま、黙っていた。
貞盛は、なお軽い調子でつづける。
「父の葬送《おくり》もせねばなりませんし、母もいます。領地のこともあります。帰らないわけに行きませんからね。なに、せいぜい二カ月くらいのものです。おさびしいでしょうが、がまんして下さい。郎党共も半分はこちらの邸《やしき》にのこしておきます。御不自由のないようにしておくつもりですが、なお御用がありましたら、その者共に遠慮なく仰せつけ下さい。よく申しつけておきますから」
それでも、貴子は黙って、貞盛を見つめつづけた。ことばの底の意味をそこから読みとろうとするもののように。
貞盛は、小一条院のおとどの言ったことを述べ、自分の決心を語った。
貞盛を見つづけながら、貴子はゆるやかに首を振りはじめた。
「どうしたのです。わからないのですか。信じられないのですか。わたしの言うことが」
「いいえ、わかっています。信じてもいます。しかし、帰らないで下さいまし。お願いですから……」
言ううちに、貴子の目に涙があふれて来た。
このことばと、この涙を、貞盛は、自分との別離を悲しんでのものと解《と》った。
「たった二月ですよ。赤んぼのようなことを仰《お》っしゃってはいけません」
と、笑った。
貴子は、なお首をふりつづけて言った。
「貴子は、あなた様の心は疑いはしません。しかし、お国におかえりになれば、必ずお考え通りではすまなくなります。あなた、きっと小次郎様と戦わなければならなくなります。貴子には、よくわかっています。ですから、お帰りにならないように、お願いですから」
「そんなばかな! あなたまでそんなことを仰っしゃるのですか。世間の人は知らず、あなたは、小次郎が、どんな男か、わたしがどんな人間か、また二人の友情がどんなであるか、よく御存知《ごぞんじ》ではありませんか。我々は、必ず和解します。信じて下さい」
もどかしげに言い張る貞盛のことばを、貴子は手を振ってさえぎった。
「あなたは、今、貴子までそんなことを言うのか、と、仰っしゃいましたね」
「そうです。わたしは心外なのです。我々二人のことを十分知っておられるはずのあなたまでが……」
貞盛はなお言いつのろうとした。貴子は、また手を振った。追いかけるように一筋な表情で言う。
「貴子は、あなたの今のお心を疑ってはいません。信じ切っています。ですから、仰っしゃることはよくわかっています。けれども、世間の取沙汰《とりざた》を考えると、心配しないではおられないのです」
「世間がどう取沙汰しようと、ことを決定するのは、わたしです。わたしの心さえかたければ……」
「貴子の申すことを、おしまいまで聞いて下さいまし。貴子はこう考えるのです。世間の取沙汰とは世間の人の望みだと。世間の人がそうしてほしいと思うことが、取沙汰となってあらわれるのだと。世に生きて、世に栄えようと思うものは、世間のこの望みにさからってはならないのです。さからうことは、世間を敵とすることです。そんな人は、きっと世間からいじめられます。いじめられないまでも、見棄《みす》てられてしまいます。
世間の人は、あなたが弔合戦をおこして、小次郎様をお討ち取りになることを望んでいます。ですから、あなたがそうなさらなかったら、世間はあなたを坂東武者にあるまじき臆病者《おくびようもの》として、ひいてはあなたの御出世の途《みち》はふさがるに違いないのです。
そうなれば、小一条院のおとどのおことばがどうであったこうであったと言ってみたところで、はじまる話ではありません。一々言いひらきなどして歩けるものではないのですから。
また、おとどのお考えがかわるということも考えられます。ああした身分高い人にはよくあることですが、世間一般の心行きがきまってしまうと、前に言ったこととまるで正反対のことを、平気で言ったりなさるものです。そうなったら、あなたのお立ちになる瀬はなくなるではありませんか」
すきとおるばかりに青ざめた顔であった。青く光るかと思われるほどに鋭い目であった。抑揚もなく、とぎれもなく、滾々《こんこん》と流れ出てくることばであった。しかも、その示す意味は深刻鋭敏をきわめている。いつもにないことだ。貞盛は気味が悪くなった。憑《つ》きものがしているのではないかと疑った。
貴子は、なおつづける。
「帰国なさってはならないと申し上げるのは、このためです。帰国さえなさらなければ、このままですんでしまうのです。不幸や、禍いは、もうこれで沢山ではありませんか。帰国なされば、不幸と禍いは、はてしもなくひろがります。
あなたは、人並以上に出世したい方です。どうして、今の御決心を立てつらぬくことがお出来になりましょう。どうぞ、このまま、こちらにお留《とど》まりになって! お願い、お願い、お願い……」
貴子は、貞盛の膝《ひざ》にとりすがって、さめざめと泣き伏した。熱い涙が、袴《はかま》をとおして、膝をぬらす。その泣きくずれている姿を貞盛はじっと見下ろしていたが、心は反対のものに、徐々に揺りうごかされていった。
貞盛は、貴子の言うことに十分の道理を認めた。しかし、これは帰らないでは済ませられることではない。それは、単に問題を回避して、解決を先にのばすことにしかならない。そんな女々《めめ》しいことは、常陸平氏の頭領となった彼としては、ぜったいにしてはならない。困難でも、危険でも、渦中《かちゆう》にふみこんで対決しなければならないのだ。
(利口なようでも、女だなあ。帰らないで済むことと思っているのか)
と、思った。
けれども、この時、彼を動かしたものは、この不満ではなかった。小次郎への絶ち難い愛情が、貴子の心の中にあると認めたからであった。
(この女は、小次郎をまだ慕っている)
と、気づいた時、はげしく胸が波立った。
それが嫉妬《しつと》であるとは、認めたくなかったが、まさしくそれは嫉妬であった。彼はふるえながら、歯を食いしばりながら、自分の膝に泣き伏している貴子を凝視していた。あたり一帯に紅蓮《ぐれん》の炎が燃え立っている気持であった。からだが熱くなり、目の前が真赤になった。
彼は、貴子の肩をわしづかみにし、グイと引きおこした。邪慳《じやけん》なあしらいに貴子はかすかに悲鳴を上げた。涙にぬれた目がおどろいたように見はられて、貞盛を見た。
貞盛は、ものもいわずに、襲いかかった。貴子が憎いのか、いとしいのか、それとも小次郎が憎いのか、わからなかった。ただ陰鬱で、そのくせ強烈な慾情が、はげしく燃え立っていた。
「あれ、まあ!」
おどろきから立直ると、貴子は媚《こ》びた嬌声《きようせい》を上げた。羞恥《しゆうち》に赤らんだ顔は、かがやくような美しさと可憐《かれん》さを見せた。
それが、一層、貞盛の憎悪《ぞうお》をあおった。依然として無言で、キリキリと歯をかみならしながら、貞盛は、ドウと音の立つほど強く相手をおしたおした。
それはもう愛撫《あいぶ》ではなかった。憎悪であり、呵責《かしやく》であり、争闘であった。
(これでも小次郎を愛するか! これでも小次郎がいとしいか……)
貞盛は、たえず歯ぎしりしつづけた。
夢のさめたような気持で、貞盛は貴子の家を出た。ただ、自分があさましかった。ああした時、ああしたことを敢《あえ》てした心理が、まるでわからなかった。
ふとぼんやりと考えた。
「小次郎との談合はうまく行かないかも知れないなあ」
あわてて、打消した。
「そんなことがあるものか。そんなことがあるものか。小次郎とおれとのなかだ。世間は何とでも思うがよい。おれ等は世間の馬鹿《ばか》共の思う通りにはならないぞ!」
翌日、早朝、貞盛は京を出て東に向った。
予定の通り、郎党や下人共の半数は京にとどめた。実を言うと、繁盛ものこってもらいたかったのだが、言い張ってきかないので、
「気儘《きまま》なことはせず、万事、兄者のさしずに従って行動する」
と、誓言を立てさせて、連れて帰ることにした。
辺境の掟《おきて》
奈良朝時代少し前に出来た大宝令《たいほうりよう》には軍団の制度があって、中央はもとより、全国各地にも常備の軍団をおいて、軍事にあたらせる規定になっていたが、この制度は、平安朝初期、桓武《かんむ》天皇の延暦《えんりやく》十一年、この小説の時代から百四十三年前に廃止になった。何十年に一度あるかないかの戦争のために常備軍をおくなど、不経済の至りであるという理由からであった。
しかし、この措置は適当であったとはいえなかった。軍事力は一面警察力でもある。警察力はガタ落ちしてしまった。微力な盗賊の追捕《ついぶ》は検非違使《けびいし》の働きでも出来たが、強力な集団的盗賊に対しては全然無力となったからだ。
当然の成り行きとして、人々は自らの力を以《もつ》て、生命と財産の安全を保たなければならなくなった。地方在住の地主は、その領民を部署して家の子郎党として、武士となり、寺院は僧兵を養い神社は神人《じにん》を養った。皆、自衛のための自然発生的のもので、大体、この小説の時代からはじまった。
従って、「武士」ということばもこの時代では、後世のように、身分や職業を示す公的な呼称ではなく、単に武力を持っている在地地主とその家の子郎党の別名であったにすぎない。
武士の起りは、全国ほとんど同時で、どこが先ということはなかったわけだが、それでも、坂東《ばんどう》はその本場とされた。それは、坂東が辺境地帯であったからだ。
奈良朝の末期において、日本の国境線は一応|奥羽《おうう》地方までのびてはいるが、それでも白河関以北は、実質的には蝦夷人《えぞびと》の天地であった。奥羽が実際に日本の版図になったのは、この小説の時代から二百五十余年の後、源頼朝《みなもとよりとも》が蝦夷人の王であった平泉《ひらいずみ》の藤原氏をほろぼした時からである。
つまり、坂東人は、この蝦夷人と境を接して、常ににらみ合っていたのだ。そこにあるものは、たえざる戦闘状態だ。混血もあり、同化もあったにはちがいないが、摩擦と闘争とが、不断にくりかえされた。
これが坂東人を鍛えた。勇敢になり、強健になり、最も理想的な戦士となり、その地は武士の本場とされることになった。
このような坂東人にとって、「武勇」が第一の徳目とされたことは当然であった。
「一にも、二にも、三にも、男は強くなければならない。強くない男なんぞ、男の出来そこないだ」
と、当時の坂東人は信じて疑わなかったのだ。
こうした気風の坂東において、こんど小次郎の示した武勇に、人気の集まるのは、当然のことであった。
「卑怯《ひきよう》な不意討ちを食《くら》いながら忽《たちま》ち立直って、わずかに百騎の勢《せい》で、敵を散々に撃ち破ったばかりか、主将三人を討ち取った。これは京育ちの弱公達《よわきんだち》だから当然であるとしても、さらに国香の殿まで討ち取っている。驚嘆すべき勇武といわねばならない」
という取沙汰がしきりであった。
しかし、また一方では、
「豊田のはまだ若いのだ。やっと二十三だ。なに、怪我《けが》勝ちにすぎんじゃろう。即断してはならぬ」
と、疑いをはさむ者もあった。
このように相反する両様の批判が行われてはいたが、不思議に、伯父を殺したという点についての、小次郎への非難はなかった。人々はむしろ国香の方を非難した。
「豊田とは最も近い一族ではないか。しかるを、伜《せがれ》の嫁であるという縁にひかれて、源家に方人《かとうど》して、豊田を敵になさるなど、あるべきことではない。非業《ひごう》の最期《さいご》をとげられたのは、自業《じごう》自得と申すべきであろう」
儒教式の観念的な道徳観は、当時の日本にはまだほんの一部の社会、京の公家《くげ》階級にしかなかった。そのほかの社会は、現実の生活の中から自然発生的に生れた生活の知恵が道徳となって、人々を律していた。
曰《いわ》く、男は強くあるべきである。強くなければ、一身を守り、一家|眷属《けんぞく》を安全ならしめることが出来ないから。
曰く、人は信義あるべきである。信義がなければ、危急に際して互いに扶助し合うことが出来ないから。
曰く、領民を愛護し、これをおびやかす者があったら、身を挺《てい》してこれを撃退すべきである。領民は、我の庇護を頼みとしてわが下にあり、そのかわりその身を労して我が領田を耕してくれるものであるから。
曰く、同族は睦《むつ》み合い、危急互いに助け合うべきである。一は衆に敵しがたい。血を同じくする同族が固く団結して他にあたるのは、最も有利な方法であるから。
等、等、等、等。
これらの道徳律の中で、最も厳格であったのは、同族の団結であった。これは単に社会生活の知恵であっただけでなく、歴史的な習慣でもあり、宗教的な信仰でもあったからだ。つまり、この時代には、社会の習慣の中に上古の氏族社会時代の伝統がまだ濃厚にのこっていたのであり、また、信仰的にも、祖神を同じくし血を同じくする者は団結すべきであるとの考えがあったのだ。
この時代、春日《かすが》大明神を祖神とする藤原氏が固い団結を保って、朝廷の権力を独占していたことは誰でも知っていることだが、このような団結は、藤原氏に限ったことではない。すべての氏族がそれぞれに固く団結していたのである。
国香は、一族の頭領でありながら、これを破った。非難されたのは、当然のことであった。
しかし、だからといって、人々が貞盛の弔合戦を期待しなかったわけではない。親を殺され、領地を奪われ、領民を惨害された者が復讐《ふくしゆう》戦をしないでよいという理窟《りくつ》は、武勇を男の第一資格とする彼等の絶対に容認しない所だ。
(これはこれで、必ずしなければならないことだ。でなければ男ではない)
男と男との壮烈な戦いが、必ずはじまるであろうと、全坂東は、大いに期待した。彼等は首を長くして、西の方を見つめつつ、貞盛の帰って来るのを待った。
こうした風評は、もちろん、小次郎の耳にも入った。弟等や郎党共や下人共も聞きこんで来た。異常な興奮は、熱気のように豊田の館《やかた》をつつんだ。新たに得た勝利に意気の昂揚《こうよう》している人々は、やがて来るであろう決戦に、さらに気負い立たずにいられなかった。
ただ一人、当の小次郎だけがそうでなかった。
小次郎は、深い憂愁の中にあった。
第一は、伯父を殺したことだ。興奮のさめた今となってみれば、なんとか方法があったのではないかという気がせずにいない。
第二に、長い年月の間には様々なことがあったとはいえ、最も親愛する肉親であり友垣《ともがき》である貞盛と、不倶戴天《ふぐたいてん》の讐敵として戦わねばならないことだ。
彼は、ほとんど意気|銷沈《しようちん》していた。自分の武勇に対する世間の讃美《さんび》も、少しも彼を慰めなかった。また、決戦の時が迫っていることも、勇気を鼓舞しなかった。
もし良子がいなかったら、彼は自殺したかも知れなかった。あるいは、剃髪《ていはつ》入道して、貞盛の帰国を待って、その為《な》すにまかせたかも知れなかった。
しかし、良子がいた。風のたよりに聞けば、良子の父の病気は、今はもう快癒《かいゆ》したとのことであるが、良子は、発病以来見舞にも帰れないばかりでなく、戦さこの方は継母に気をかねて消息すら送れなくなっている。どんなに気がかりなことであろうと思われるのだが、良子は少しもそんな風を見せない。ひたすらに小次郎につかえ、ひたすらに家風に同化しようとつとめているようだ。小次郎は心を打たれずにいない。
「良子を、これ以上不幸にしてはならない」
と、かたく思い定め、ともすればくずおれそうになる気力をふるいおこして、防戦の用意をととのえた。館の用心を堅固にし、また、人を足柄《あしがら》からこちらの道筋に派して、貞盛の帰国をうかがわせた。
一方農事にいそがしい季節が来ていた。麦は黄熟して鎌《かま》を待つ時になっているし、水田は鋤《す》きかえして植えつけの時に備えなければならないし、苗床もまたこしらえなければならなかった。戦さのことばかりに専念しているわけには行かない。
彼は、自らも武装し、武装した兵に護《まも》られながら、毎日のように領内の耕地を巡視して、農事についてのさしずをして歩いた。
四月半ばのある日であった。
その日も、彼は巡視に出て、日暮方帰途についたが、館から五六町の地点まで来ると、竹藪《たけやぶ》に沿った路傍に、たたずんでいる女があって、小次郎を見ると、つかつかと出て来た。
「殿」
と、呼んだ。
その以前に、小次郎はそれが誰であるか気づいていた。
「おお、そなたか」
小次郎は、狼狽《ろうばい》し、同時に、何ともいえず気の毒な気がした。良子を迎えて以来、彼は一度も桔梗《ききよう》の所へ行っていないのだ。以前通りの仕送りだけはしているが、その時以外は思い出すこともなくなっている。
いささか度を失っている小次郎を仰いで、桔梗はからかうように笑った。
「新しく北のおん方をお迎えになったとて、昔なじみを忘れはてなされてはいけませんね。それは、薄情《うすなさけ》と申すものでございますよ。今日は、これから、わたくしの所へお供します」
と、いうと、馬の口をつかみ、供の兵共に、
「皆様もお出《い》で下さい」
と、言って、さっさと歩き出した。
小次郎は弱った。
「待て、待て、そちも知っているであろうが、おれはこの頃《ごろ》、戒心《かいしん》(用心)すべき身の上にあるし、今日は用事もある。日を改めてきっとまいるゆえ、今日のところはゆるしてくれ」
と、言ったが、桔梗は笑ってはねつけた。
「御用心のためには、郎党衆がおられます。それに、ほんのちょっとでございます。お手間は取らせません。またのことはまたのこととして、お供いたします」
と、言い言い、遮二無二《しやにむに》、馬を導いて行き、郎党等をふりかえって、
「ねえ、皆様、そうでしょう」
と、同意をもとめる。
郎党等は答えなかった。にやにや笑っていた。彼等は、桔梗に同情していた。また、この美しい女に主人が困らされているのが、面白かった。
押問答の間に、桔梗の宅についた。若葉の芳香と、若葉をすかしてさしこむ夕陽《ゆうひ》の美しい色にみたされた防風林の中につづく道を行きながら、桔梗は、呼ばわった。
「お出でですよ。お出でですよ」
豊かな声量をもつその声が、こだまを呼んでひびいて行くと、待ちかまえていたように、家の中から召使い共が四五人走り出して来た、皆、桔梗の遠縁の者で、このへんの百姓の娘等であった。
「殿のお出で! 殿のお出で!……」
娘等は若々しい声を上げて、走りよって来て、桔梗にかわって、小次郎の馬の口をとった。
「やっとお供したのです。油断をすると、お逃げになるかも知れませんよ」
桔梗は笑いながら言って、家の中に駆けこんだ。化粧でも改めて迎えるつもりと見えた。
ここまで来てはしかたはなかった。小次郎も笑いながら馬を下りた。
「ほんのしばらくだぞよ。長くはおられないのだ」
「ええ、ええ、ええ、わかっています」
娘等は、声をそろえて言う。唄《うた》うようであった。
酒肴《しゆこう》の用意がしてあった。小次郎のためにも、郎党等のためにも。
小次郎は奥の座敷で、桔梗と共に酒を酌《く》んだ。化粧をあらため、着物をあらためた桔梗は、大へん美しかった。良子の美しさとはまたちがった美しさであった。あくまでも繊細であくまでも優美な良子の美しさは、父祖代々の貴族の生活によって醸《かも》し出されたものであるが、これは強健で、野蛮で、逞《たく》ましい土の生活から生れ出た美しさだ。
小次郎は、それを十分に感じたが、それでも、心が落ちつかなかった。一夫多妻は、当時としてはあたり前のことであるから、そのための心のとがめではない。しかし、ここに男女の愛情の神秘がある。愛情はそれが強烈であれば、必ず純一の形をとる。独占せずにおられず、独占されずにおられない。これは時代の習慣や制度にかかわりのない自然の感情だ。だから、いつの時代にも、愛情には嫉妬《しつと》がつきものなのだ。
こんな理窟は、もちろん、小次郎にはわからない。しかし、この時、彼をとらえていたのは、まさしくこれであった。
「北のおん方がお定まりになっても、時には来て下さらなければいけません。こんなに長い道切りということがあるものですか。もっとも、北のおん方があんなにおきれいでは、野の桔梗など思い出して下さいと申しましても、無理でございましょうけどねえ」
と、桔梗は笑いながら言う。
小次郎は、返事が出来ない。黙って、酌《つ》がれるままに、盃《さかずき》を上げつづけた。鬱屈《うつくつ》したものが、腹の底にある。酒の味が重かった。
その重い酒が、重い酔いになって、チラチラと意識をかげらして来る頃、入《はい》りの座敷から郎党等のにぎやかなさんざめきが聞こえて来た。ようやく酔いがまわりはじめたのであろう、唄が出たり、囃子《はやし》が出たりして、面白げだ。
小次郎は、いつの間にか暗くなった外を見た。帰らなければならないと思った。しかし、ああして折角面白そうにしているのを見ると、そうも行かないような気がした。
なにかおちつかない気持で、なお盃を上げながら、次から次へと絶えず話しかける桔梗のことばを聞いていたが、ふと、不意に、へやの外にドカドカと多数の足音が迫って来た。
はっとして、片膝《かたひざ》立てると、いきなり、遣戸《やりど》がひきあけられて、荒々しくこみ入って来た者共があった。
先刻の娘等であった。髪をキリリとかかげ、着物の袖《そで》をまくり、裾《すそ》をからげた甲斐《かい》甲斐《がい》しい|いでたち《ヽヽヽヽ》で、手ん手に、スリコギや、扇や、ものさしや杓子《しやくし》等の得物をふりかざしていた。
薄なさけ
薄なさけ
をみな心知らぬ薄なさけ
本木《もとぎ》忘れ
末木《うらぎ》に心うつす薄なさけ
いざ打たん!
いざ懲《こ》らさん!
この薄なさけ男《をのこ》!
声をそろえて唄いながらせまって来る。はなやかな女声の斉唱《せいしよう》だ。足なみをそろえて一斉に迫って来る姿も、舞いの手のような美しさをもっていた。
小次郎はおどろいて、桔梗をふりかえったが、いつの間にか、そこにいなかった。へやの隅《すみ》にひきしりぞいて、面白そうににこにこ笑いながら見ていた。
娘等は、すっかり小次郎をとりまいて、なお笑いながら、唄いながら、ポンポンポンと、きわめて軽く小次郎をなぐりつける。
娘等の表情は明るいし、あまえきっているし、痛くもないし、おこるわけには行かない。苦笑を浮かべながら、なぐられているほかはなかった。
気がついてみると、娘等の入って来た遣戸のところに、郎党等が重なり合って見ている顔があった。
弱った。
「やめい、やめい。もういいでないか。おれが悪かった。これ、やめいと言うに……」
と、気弱く言いながら、なぐられていた。
その時、とつぜん、馬蹄《ばてい》の音が聞こえて来た。門のあたりと思《おぼ》しいあたりであった。数騎のはげしい音であった。
ものものしいその音に、忽ち皆は静かになって、そちらに耳を立てた。郎党等が走って行った。
この際、貞盛の襲撃以外には考えられなかった。小次郎は立上って、狩衣《かりぎぬ》の下の腹巻の帯をひきしめ、太刀を佩《は》き、弓矢を取って、へやを立ち出でた。女共があとへつづこうとした。先刻のあの晴れやかで楽しげな様子はなくなって、おびえ切っていた。
「出てはならん。内へ居るがよい」
と言うと、一かたまりになって室の隅にあつまった。肩をよせ合って、可愛《かわい》い顔に恐怖の色を浮かべているのが、おびやかされた白兎《しろうさぎ》の群のようであった。桔梗だけが従った。
空には月があったが、まだ時刻が早いので、雑木林にかこまれたこの庭には光がとどいてなかった。光は林の梢《こずえ》の若葉をきらめかせ、それにとりまかれている空がぽかりと明るくなっていた。
小次郎は弓杖《ゆんづえ》ついて、簀子《すのこ》に突っ立った。鋭い眼《め》で、暗い庭の一角をうちまもった。それは門の方角ではあるが、家のかげになって門は見えなかった。
やがて、その方角に足音と人声がし、炎の光がボウと暗《やみ》ににじんだ。
小次郎のうしろに片膝ついてひかえていた桔梗は、かすかに身じろぎして、ささやくように低く言った。
「ああ、郎党衆でございます」
火の粉の散りこぼれる松明《たいまつ》をたずさえた郎党等が、建物の角をまわって、足早に近づいて来た。小次郎は、その松明を持ったのが、かねて見張りに出しておいた一人であることを認めた。
郎党等は、小次郎を見ると、一斉にひざまずいた。
「太郎が帰って来たのだな」
見張りに出ていた郎党は、平伏した。
「仰《おお》せの通りでございます。昨日の昼頃、足柄《あしがら》をこえて坂東に足を踏みこまれました」
胸が強くひきしまった。来べきものがついに来た。
「そうか。それで?」
ちゃんと尾《つ》けているかという意味である。
「ぬかりはございません。道筋に配りおかせられた者共が、次々とゆずり渡しにして尾けているのでございます」
「およそどれほどの従者を連れている?」
「報《しら》せに上った侘田《わびた》ノ真樹《まき》もこめて、上下十人でございます。この中には御舎弟の繁盛《しげもり》の殿もおいででございます」
黙って思案していると、郎党はまた言う。
「貞盛の殿のお姿を見かけて、次の者に連絡すると共に、てまえは馳《は》せかえり、日暮前にはお館についたのでございますが、殿のいらせられる先がわかりませんので、こんなにおそくなりました。やがて、次の手の者もかえってまいるでございましょう」
こんな場合こんな所になど来て緩怠《かんたい》しごくではないか、と言わぬばかりの調子であった。一言もなかった。
「大儀であった。すぐ帰る」
チラと見ると、桔梗はしょんぼりとうつ向いていた。いつもの快活さはない。いかにも申訳ながっている様子であった。
館へ帰ってみると、果して第二の見張りが帰って来ていた。
これは足柄の麓《ふもと》から相模《さがみ》の府中(今の神奈川県中郡|大磯《おおいそ》町国府)まで尾行して、貞盛が国府に入るのを見届けて帰って来たという。
「国府で様子をお聞きになるのだろうとにらみました」
と、説明した。
このようにして、見張りの者共は、次々に走りかえって来て、一々、貞盛の動静を報じた。次第に近づいて来るのが、雷雲の迫って来るような無気味な圧迫感であった。館をまもる郎党等の間に、殺気と緊迫感のみちて行くのがはっきりとわかった。
「めったなことをするでないぞ。めったなことをするでないぞ。おれに考えがあるのだから」
と、小次郎は懸命な努力でおさえつけていたが、不安だったのは、その興奮に自分が巻きこまれそうな気のすることであった。
翌日の夕方、貞盛がついに下総《しもうさ》に入ったことが報ぜられた。ここでも府中(千葉県市川市)につくや国府に行って調査を行い、今夜は府中の知合いの豪族の館に泊るらしいという。
府中といえば、ここからわずかに十二三里しかない。館中は色めき立った。小次郎の胸もふるえた。彼は、その心をおさえるために、|あずち《ヽヽヽ》に出て弓を引いた。
赤味をおびた夕陽が、館の西側をとりまく森の木《こ》の間《ま》をすかして無数の赤金《しやつきん》の征矢《そや》となってさしこんでいるあずちだ。その光の矢のあたる所はひどく明るいが、そのほかはもう暮色がこめて、その明暗の交錯が目をまどわせた。弓を引くには適していないのだった。いくども射損じた。小次郎は|むき《ヽヽ》になって引きつづけた。
好きな道であるから、最初の勝手の悪さをおしきると、次第に熱中し、あたりも正しくなった。
微《かす》かに汗ばみ、気持が爽快《そうかい》になり、心のさわぎも落ちついて来た頃であった。背後に人のけはいがしたかと思うと、声がかかった。
「兄者」
次弟の将頼《まさより》の声であった。小次郎は、引きしぼった矢を射放ち、それが爽快な音を立てて的にあたったのを見さだめてから、ふりかえった。
将頼はいかめしく武装していた。そればかりでない。いつの間に来たのか少し離れた雑舎《ぞうしや》のかげに、同じように武装した郎党等がひしめきつつ、こちらの様子をうかがっていた。
小次郎には、この者共がなんのためにこうして押しかけて来たか、聞かなくてもわかっていた。つい先刻まで彼自身の胸中に動いてやまないものと同じであったから。
小次郎は、わざときびしい顔になった。
「ありゃなんだ」
と、郎党の方をあごで示した。それには答えず、将頼はひたむきな表情で言った。
「お願いがある!」
「ありゃなんだと言っている」
声をはげましたが、将頼はひるまない。
「貞盛は、今夜当国の府中に泊る。定めて明朝立って、常陸《ひたち》の府中に向うのであろう。究竟《くつきよう》なおりではないか。途中に待ちかまえて討ち取ろう。繁盛も一緒だという。禍いの根は一挙に抜けるのだ。以後は枕《まくら》高く寝られるのだ」
将頼は滔々《とうとう》と弁じ立てた。精悍《せいかん》な両眼が血走るばかりに殺気立って、あおり上ってくる闘志を制しかねる様子であった。
このことは、小次郎の胸底にも動いていたことであった。強烈な誘惑であったが、彼はそれを悪魔の囁《ささや》きとして、こうして弓をひくことによって、やっとおさえつけたのだ。それだけに将頼のこの提議に不機嫌《ふきげん》になった。きびしい目で将頼をにらんだまま黙っていた。
郎党等がかくれがから出て来て、一様に小次郎の前にひざまずいた。前列にいるのが言う。
「御決断を。殿にはお世話をかけませぬ。われらだけで馳せ向って必ずしとめてごらんに入れます」
一層不機嫌な顔になって、小次郎は一同を見わたしていたが、やっと口をひらいた。
「汝等《わいら》は皆同意なのか」
一斉にこたえた。
「さようでございます。ぜひお許しのほどを」
小次郎は、にがい顔になった。
「汝等、おれに寝鳥《ねとり》をとるようなことをせよというのか。おれはいやだ。おれはゆるさんぞ。
幼い時からのつき合いで、太郎は、おれという人間の心の隅々まで知りぬいている。彼が格別な用心もせずこの国に入り、この国の府中に泊るというのは、おれを信じて安心しきっているのだ。男として、その信頼を裏切ることが出来るか。おれはいやだぞ、おれはゆるさんぞ」
調子はいつか自分自身に言い聞かせているようなしみじみとしたものになった。
不服げではあったが、皆うつむいていたが、将頼がはねかえるように顔を上げた。
「兄者!」
「なんだ!」
にらむようなはげしい目で兄を見つめながら、将頼は言う。
「戦さに情は無用なものだぞ。敵は敵だ。この際、男|立《だ》てなどしていたら、かえって敵に乗ぜられてしまうぞ。太郎は、するどい才覚人だ。討てる時に討っておかんと、とりかえしのつかんことになる。おれはそれを心配するのだ。兄者だって、それは知っているでないか」
一理も二理もあることばだ。子供の時から貞盛のためにはいくど煮湯を呑《の》まされる思いをしたか知れないのだ。間近くは、二度も恋人をとられている。将頼のことばは、ここに触れた。心の奥深くつつんでいる痛傷《いたで》に。
彼は、すさまじい顔になった。しかし、おさえた重い調子で言った。
「太郎が卑怯《ひきよう》なことをするのならするがよい。それは太郎の恥になることで、おれの恥になることではない。戦うならば、おれは正々堂々と戦いたい。おれの心はきまっている。もう何にも言うな」
「だが……」
「もう言うなと言った!」
むち打つように鋭く言った。もうふりむかなかった。あずちの矢をひろいあつめて、母屋《おもや》の方に引上げた。
いつかすっかり暗くなって、水色の空に星影が見えていた。その星を仰ぎながら、小次郎は、府中にいるはずの貞盛のことを思った。依然として、敵愾心《てきがいしん》は湧《わ》かない。深い溜息《ためいき》だけが出た。
墾田《はりた》
翌日の夕方、貞盛は常陸の府中(今の石岡)についた。
指おり数えて、帰りを待っていた老母は、泣いて喜んだ。
妻はいなかった。数日前から実家に帰っているという。
「呼びにやりましょう」
と、母が言ったが、貞盛はとめた。
「そのままにしておいて下さい。いずれ、明日はあちらに行かねばなりません。その時でよろしい」
「でも、遠い所ではなし、同じ所なのに、それでは余りです。わたしがへんに解《と》られます」
と、母はなお言い張ったが、
「まあ、いいでしょう。せめて今夜一夜だけは、家の者だけで話しましょう」
と、貞盛が言うと、重ねては言わなかった。その老母の顔におさえ切れない喜びの色があるのを見て、貞盛は、妻との間がしっくり行っていないのではないかと思った。
貞盛も、母も、もう父のことは話さなかった。京での勤務のことや道中のことばかりを話題にした。繁盛にはそれが不服だったらしい。いきなり、どなりだした。
「愚にもつかん話を、いつまでだらだらとしているのだ。なぜ、父上のことを話さんのだ。われらはなんのために、京三界からこちらに帰って来たのだ!」
言っているうちに一層興奮して涙声になった。
母は真青《まつさお》になり、化石したようにシンとなった。母もまた内心はずっとそのことを考えつづけていたに相違ないのであった。
貞盛は、わざと微笑した。
「約束がちがうぞよ。そんなことを言ったりしたりしない約束で、おれはぬしを連れてかえったはずだったぞ」
繁盛はなお激した。
「おれは勝手なことをしはせん。しかし、これは余りだ。なぜ、父上のことを語るのを避けるのだ!」
「しつこいな。話す必要がないから話さんだけのことだ」
「必要がないとは……」
「黙れ! 子供のぬしごときに、なにがわかる。事の次第は、すべて分明《ぶんみよう》だ。坂東に入ってこちら、なんのためにおれが各国府に行ったと思うのだ。今更ことの次第を聞きたださなければならないことはない。これをどう処置するか、それだけがのこされたことなのだ。おれがそれを考えていないとでも思っているのか」
「どう処置しようというのか」
繁盛は、まだふくれている。
「くどいやつめ。どう処置しようが、一家の頭領たるおれの勝手だ。弟たるぬしは、おれのさしず通りにすればよいのだ。生意気を言うことはゆるさんぞ」
貞盛は、また母の方を向いて、京の話をつづけた。
繁盛はふくれかえったまま、なお坐《すわ》っていたが、とつぜん、ぷいと立上って、へやを出て行ってしまった。
その足音がずっと遠ざかって聞こえなくなると、貞盛は入口まで出て、あたりに人のいないのをたしかめた。かえって来て坐るや、言った。
「お話し申したいことがあります」
母はおびえたような顔になった。
「なんでしょうか」
と、おとらず低い声で言って、息子の顔を見つめていた。小じわがこまかな蜘蛛《くも》の巣のようにたたんでいる、やつれ果てた左の頬《ほお》が、ピクピクとけいれんしている。
「豊田のことですが」
と、貞盛が言い出すと、母のそのけいれんは一層はげしくなった。貞盛はいらいらした。
「御気分が悪いのではありませんか」
「いいえ、どうしてですの。言って下さい。どうせ一度は話し合わなければならないことですから」
母は、頬のふるえを自覚していないらしい。真青になりながらも、笑顔をつくろうと努力していた。
「そうですか。では申します。――わたくしは、小次郎と和談しようと思うのです」
母は呼吸《いき》をとめたようにひっそりとなった。頬のけいれんもピタリとやんでいた。目だけが、鋭くなって、息子の目を見つめていた。そこから言外の意味を知ろうとするかのように。
母のこの表情の中に、貞盛は不服を読みとったと思ったので、気力をはげまして、熱心につづけた。
「父上の御無念は重々にわかりますし、世間がどんなことをわたくしに待ち望んでいるかも知っているつもりでありますが、何といっても、一族同士のことです。弔合戦のなんのと、さらに争いをつみ重ねては、禍いは大きくなるばかりです。
それよりは、忍びがたいところではありますが、恨みを捨てて、昔通りのむつまじい一族となった方がよいと思うのです。この考えはどうでありましょうか」
母は大きな溜息をついた。見る間に、目に涙を浮かべた。きっと、不承知の旨《むね》を言い出すであろうと、貞盛は腹が立って来た。また言おうとして、口を開きかけたが、とたんに母は言う。
「そなたが、その気になってくれたのは、あたしには大へんうれしい。あたしも、この上わざわいを重ねることはないと思うのです。しかし、それでは、皆が承知しますまい。たった今、繁盛どのもああでした。繁盛どのは、わたしにとっては子、そなたにとっては弟、どうやら説きつけることが出来るとしても、郎党衆をどうします。世間をどうします」
意外なこと、母には異議はなかったのだ。
「いや、母上に御不承がないならそれで十分です。わたくしはこの考えをおしとおします」
言いにくそうに、母はまた言う。
「源家の方はどうしやる。あの家では、そなたの帰りを待ちに待ちこがれておわすのですよ。直接あたしには、護《まもる》の殿は何にも仰せられぬが、そなたの嫁御前《よめごぜ》の口裏から察すると、そなたに弔合戦してもらおうと思いこんでおられるらしいのですよ」
母が弔合戦をしたがらないのは、案外、小督《おごう》に対する不快からかも知れないと思った。しかし、どちらであろうと、貞盛にはちっともさしつかえなかった。
「源家は源家、当家は当家です」
きっぱりと言い切ったが、それでも、明日源家へ顔を出さねばならないと思うと、憂鬱であった。
床に入ってから、色々考えた。
先《ま》ず、小次郎に会う手段。
小次郎の性質をよく知っている彼は、最初、このことについては、きわめて手軽に考えていた。手紙でも持って行かせて、時と場所を指定してやれば、必ず来てくれると思っていた。しかし、こちらに帰って来て世間の空気を知り、また豊田|館《やかた》の警戒ぶりを聞くと、そう易々《やすやす》と運ぶことではないと思わざるを得なくなった。
小次郎自身の気持も険悪になっているであろうし、何よりも周囲が警戒して会わさないだろうと、思われる。
「さて、どうすべきか。誰か仲立ちになってくれる者があってくれれば、それが一番よいのだが……」
最初に、上総《かずさ》の叔父を考えてみた。
「いけない。これは争いのもとである良子の父だし、源家の長女の聟《むこ》だ。立場上、承知するはずがない」
次に、水守《みもり》の叔父を考えたが、もちろん、これも駄目《だめ》。
「源家の次女の聟である上に、あの一|剋者《こくもの》だ。腹を立ててどなり出すくらいが関の山だ」
次に、豪族なかまに思いをはせたが、どれもこれも承知しそうにない。坂東武者の面目にかけて、さようないくじない仲介など、真ッ平ごめんこうむる、決闘の立合人にならなってもよろしい、くらいのことを言って、はねつけるにきまっている。
それでも、貞盛は考えつづけた。決して絶望はしない。おれの頭で工夫のつかないことがあるものか、と、考えつづけていると、忽然《こつぜん》として、思い浮かんだ人があった。――菅原景行《すがわらかげゆき》!
「そうだ! あの人に頼もう。あれは元来|公家《くげ》であり、学者だ。他の坂東の住人共とちがって、男の意気地じゃの、武人の恥じゃの、などと阿呆《あほう》なことは言わないにちがいない」
鬱《うつ》し切った胸がとつぜんにひらけて、すがすがしい外気が入って来た気持であった。
「それ見ろ! ちゃんと工夫がついたではないか。頭がいいぞ、すばらしい頭だぞ、この|左馬ノ允《さまじよう》貞盛《さだもり》という男は!」
得意だった。ひとりで、にこりにこりと笑ってしまった。
菅原景行とは、京で顔見知りになっている。小次郎の家で、二三度会っているのだ。景行がこちらに来てからのことも、噂《うわさ》によって、ある程度は知っているのだ。
この思案がつくと、次の思案もついた。
「源家へ行って舅《しゆうと》や妻に会うことは当分避けよう。こちらの話をつけてしまってから会った方がよい」
安らかになった思いをいだいて、ぐっすり眠った。
夜が明けると、貞盛は大急ぎで食事をすまし、外出の支度にかかった。供廻《ともまわ》りは至って手軽にいいつけ、下人を四人召連れただけであったが、行く先を源家だとのみ思いこんでいる人々は、別に異議はさしはさまなかった。
初夏のよく晴れた、さわやかな朝であった。鬱屈の晴れた心には、なにもかも快い。
(これで万事は落着したようなものだ。皆おどろくだろうな。ハハハハ)
馬上に、時々微笑した。成功を信じて疑わなかった。
道が違うので、下人等はいぶかった。貞盛はかまわず馬を進め、ついに府中を離れて、筑波道《つくばみち》の方へ道をとった。
「いずれへお行きになるのでございます」
たまりかねて、下人等がたずねた。
「黙ってついてまいれ――、おれはおれの用事のある所に行くのだ」
きびしくどなりつけた。
府中から紫尾《しお》までは六里ある。筑波山の東北方の裾野《すその》を斜めに切る弓袋《ゆぶくろ》(今の湯袋)越えによって真壁に出、そこから左折して行くのが順路である。
午《ひる》をかなりまわった頃《ころ》、ついた。
菅家《かんけ》の所領は、わずかに紫尾一郷だ。全部で二百町歩ほどしかない。しかも、その大部分は筑波の山地だ。耕地になっているのは、畠地《はたち》三十町歩、田地二十町歩くらいのものだ。
所領がこんなに狭い上に、こちらに根をすえてからいくらもたっていないので、紫尾の部落のはずれに建てられたその館は、きわめて小規模なものであった。
貞盛は、番人もいないらしい門前に馬を乗りとどめ、しげしげと館の外観をながめまわしながら、
「火雷天神の公達《きんだち》も、坂東に来ては、とんと景気が悪いな」
と、つぶやいた。下人共をかえりみて、訪《おとな》いを入れるようにと言った。
頭立った下人が、小走りに門内にかけこんで行ったが、すぐ出て来た。
「当家の殿は、このところ、お不在《るす》であります由《よし》」
このところ、という。相当長期にわたる不在なのだ。思いつめて来た計画だけに、失望は大きかった。
「どこへ行っておいでなのだ? 聞いて来たか」
「うかがってまいりました。豊田|郡《ごおり》の広河《ひろかわ》の江《え》のほとりに、この春以来行っておいでだそうでございます。あのへんの原野《げんや》を、墾田《はりた》なさるためとか」
「そうか……」
沈吟した。豊田郡の広河の江というと、小次郎の館から一里あるやなしだ。追って行って会いたいが、これは冒険だ。気の立っている豊田の郎党や下人共に見つかったら、どんなことになるか知れない。
しかし、事は急を要する。一時も早く計画を軌道にのせないと、どんな障碍《しようがい》が生ずるかわからない。
(世の中のことは、最初の手のびが次々に支障を呼びがちのものだ……)
思案をつづけていたが、ついに思い決した。――行って見よう!
(広河の江は、小次郎の館から一里南方にある。夜に入ってから大まわりして、羽生《はにゆう》のあたりから毛野《けぬ》川をわたって行けば、人目に立たんで行けるだろう。見つかったら、見つかった時のことだ。小次郎のところへ連れて行けと言ってやろう。そうなれば、もう仲立人はいらぬ。お互い同士じかに談合出来る。行くべし! 行くべし!)
下人共には、何も言わず、馬首をかえして、歩き出した。
紫尾から羽生まで八里。真夜中に毛野川をこえて、羽生についた。ここまでは運よく誰にも見つからなかったが、広河の江はここからさらに一里ある。
おりから、遅い月が東の空に上りかけた。そのおぼろな月かげの下を、草|茫々《ぼうぼう》の原野の中につづく細径《ほそみち》を、北へ北へとたどったが、どのへんにたずぬる人の宿所があるか、まるでわからない。せめて墾田の行われている場所でもわかれば、それを頼りにさがすすべもあろうが、それもわかりそうにない。
時々馬上にのび上って、四方を見わたした。所々に森があって、薄い月かげの中に、黒くひっそりとしずまって、さびしい景色だ。
貞盛は、しだいにいらいらして来た。疲れきった下人共が、とぼとぼと、いかにもうんざりしたようについて来るのを見ると、一層|疳《かん》が立って来る。
(人家の灯影《ほかげ》でも見えたら、叩《たた》きおこして、聞いてやろう!)
と、思った。
このへんの百姓共は、十人のうち八九人までは、小次郎の家の下人筋の者に違いないから、そんなことをしては危険千万なのだが、もうどうでもよいと思った。
その時だった。右手小一町向うの森の中に、チラリと灯影が見えた。
貞盛は、草の中を真直《まつす》ぐに馬を進めた。真夏になれば馬腹をこえるほどに伸びしげる草であろうが、今はまだそれほどのことはない。わずかに人の膝《ひざ》をこえるほどだ。
あるかなきかの風のそよぎに林の木の葉がゆれて蔽《おお》いかくすのだろう、見えたりかくれたりする灯影を見つめて、近づいて行くと、林を少し入ったところに、草|葺《ぶ》きの小屋が数棟、一|握《あく》につかみよせたようにかたまっていた。
灯影は、真中ほどにある一きわ大きい小屋からもれて、他の小屋は皆真黒におししずまっていた。
とつぜん、一番近い小屋の中から、けわしい声がどなった。
「誰だ!」
「旅人だ。ちょっと、ものを聞きたい」
貞盛は、出来るだけおだやかな声で答えた。
「この夜更《よふ》け、何をたずねるのだ」
「筑波の紫尾の里の菅原景行|卿《きよう》のおわすところを尋ねているのだ。このへんで、墾田しておわすはずだ」
返事はなく、そのかわり、すべての小屋から人影が出て来て、一かたまりになって凝視して、やがて、一人が言う。
「殿はどなた様でございましょうか」
こちらの身分のおおよその見当がついたらしい言葉づかいであった。
「まろは、常陸の府中から来た。誰か景行卿のおわす所に連れて行ってくれんか。十分に礼をするから」
返事をした男は、つかつかと出て来て、貞盛の前に立って、さらに貞盛を熟視した後、灯影のもれている建物を指さして言う。
「菅原の殿はあれにおいででありますが、そこの殿のお名前は? 常陸の府中からお出《い》でになった方とだけでは、お取次ぎいたしかねますが」
名乗ってもさしつかえない、この連中は景行が紫尾の荘《しよう》から連れて来ている領民共らしいと、見当がついた。
「まろは左馬ノ允平貞盛。この前|身《み》まかった石田の国香が嫡男《ちやくなん》だ」
その男は、おどろいた。その男だけではない。他の者共も、アッと息をのむ動きが暗中に見えた。
「さあ、これでよかろう。とりついでくれ」
「しばらくお待ちを」
男はあわてふためいた様子になって、灯影の家に駆けこんだ。
しばらく間があった。貞盛はおちついた目で、あたりを観察した。よく見れば見るほど、どの家も粗末なものだ。雨露をしのぐだけの掘立小屋にすぎない。景行の小屋だけはいくらかましであるようだが、それでも掘立小屋であるには相違なかった。
(右大臣の御曹司《おんぞうし》でありながら、いく十日もいく月もこんないぶせき賤《しず》の家に起き伏しして、つらいことだろうな)
そぞろに、同情された。
(おれの御先祖達も、こんな工合《ぐあい》にして墾田されたのであろうか)
とも思った。
いずれにしても、こんな苦労は、彼は真ッ平だった。
(おれはどうしても京《みやこ》だ。そのためには、この計画を押し通す必要がある)
と、改めて決意をかたくした。
先刻の男がかえって来た。
「お出で下さいまし。かような場所、ことさら夜陰のことでありますので、何のおもてなしも出来ません、失礼の段は、平におゆるしをとのことでございました」
「いやいや、無礼はこちらの方だ」
馬を下りて、男のあとからついて行った。
すき間だらけの板壁の、何のかざりもない|へや《ヽヽ》に、荒むしろをしいて、景行は坐《すわ》っていた。もう寝ていて急いで服装をととのえたに違いないだろうのに、いつものおちつきはらった端然たる様子であった。
「おお、おお、これはお久しいこと。お帰りになるだろうとは、世間の噂でうけたまわっていたが、こんなところで対面しようとは、思いもかけませなんだ」
京の頃と少しもかわらない、なにごともはじめからあきらめ切っているような、ものしずかな微笑であった。
貞盛は、景行の髪やひげがずいぶん白くなっているのに気づいた。日にやけて、やせているのにも気づいた。
「墾田をしておられる由ですが、御苦労でありますな」
「ハハ、この年になって、あまりに慾《よく》をかわくようで恥かしく存ずるが、子孫のためを思うと、今の身上《しんしよう》ではあまりにはかないので。お笑い下され」
「いや、いや、結構であります。よい所にお気づきで」
と、言っておいて、いきなり用件に入った。
「てまえが、不意に、しかもこの夜更け、失礼な推参をいたしましたのは、ほかでもありません、豊田の小次郎とてまえの家とのあのことについて、お力を貸していただきたいと思ってでございます」
景行は、黙って聞いている。眉《まゆ》一つ動かさない。
貞盛は、平和に解決したいとの自分の考えをくわしく説明した。
景行の表情がやっと動いた。
「わかりました。つまり、まろへの頼みというのは、お二人の仲に立って、談合の機会をこしらえてくれと仰《おお》せられるのですな」
「そうです。そうです」
景行はうなずいた。
「よろしい。よろこんで、骨を折ります。そなた様方は、坂東平氏の御一門です。切っても切れない血縁のきずなによって結ばれている方々です。いつまでも反目|憎悪《ぞうお》をつづけてよいはずのものではありません。お年若でありながらよくぞそこにお気づきであります。感じ入りました」
ものしずかな態度であり、言葉の調子だが、心から喜んでいるのがうかがわれた。小次郎のために、心ひそかに心配していたらしいのであった。
「ありがとうございます。それで、いつ行っていただけましょうか。お心づきのことと思いますが、こういう行き方は、坂東の風習ではありません故《ゆえ》、長引けば、必ず邪魔が入ります」
景行は、しばし打ち案じて、
「明日でもまいりましょうか。ほんの一走りのところですから」
「そうしていただけたら、この上のことはございません」
二人はなお相談し、その結果、会見も出来るだけ明日中にとり行うべく努めようときめた。
その夜、貞盛等はここに泊った。貞盛は景行の小舎《こや》に、下人等は百姓等の小屋に。
翌日、早朝、景行は豊田に向った。貞盛は、それを送り出した後小屋に閉じこもっていたが、しばらくすると、退屈になって、小屋を立ち出でた。
下人共がおどろいてとめたが、笑ってしりぞけた。
「ここまで来てから用心するのは馬鹿《ばか》なことだ。見つかったとてかまうものか。その時はその時のことで、豊田に曳《ひ》かれて行くまでのことよ」
林の中や、緑の原野を、ぶらぶらと歩きまわった。そして、それにも飽きると、墾田の方に行ってみた。
開墾は、広河の江のついわきで行われていた。水辺に面した方に、高さ四尺位の長い石垣《いしがき》を築き、その内側を耕地化している。およそ十町歩の広さであった。
工事は、石垣築きと耕地化と、同時に行われていた。石垣の材料は、耕地化される場所にやたらにある砂利の中からえらび出した赤児の頭ほどの石だ。一つ一つ、丹念に積み上げて行くのだ。心気の疲れる仕事であった。
耕地化の方も劣りなく難儀な仕事だ。かつて水底であったそこは、すごい砂利で、それをふるい分けては土砂だけのこして行くのだ。ふるい分けられた砂利が所々にかためられてあるのが、小山のようにうず高かった。
それでも、えらいもので、もう半分ほどは、どうやら出来上っているようであった。
「エンヤホーラ、ヨーイ。エンヤホーラ、ヨーイ……」
百人ばかりの百姓等は、ものがなしいひびきを持った掛声を上げながら、ゆっくりと、たゆみなく働きつづける。遠くから見る時、そっくり蟻《あり》のようであった。
ずっと側《そば》に行ってみた。百姓らは、軽く目礼しただけで、あとは黙々として働きつづけている。
さわやかな微風がそよそよとわたり、日ざしもまだ強《きつ》いというほどではないのに、百姓等の笠《かさ》の下の日やけした顔は、流れるばかりの汗にぬれ、野良着《のらぎ》はしぼるばかりになっていた。
こんなしんきくさい労働の姿は、貞盛は見るのもきらいだ。早々に引上げたが、あとは退屈のしのぎようがない。小屋の中に横になって、うとうとしながら、
「この際、鷹《たか》は持って来られなかったが、犬なら連れて来られないこともなかったに、気づかないことをした」
などと考えていると、急に外がさわがしくなった。
耳を立てて聞いていると、どうやら、小次郎を連れて来たらしいけはいだ。貞盛はにこりと笑った。相手にしないつもりなら、来るはずはないのだ。
(もう大丈夫だ。うまく行った)
彼は、大きなのびをして起き上り、衣紋《えもん》をつくろって、外へ出た。
景行も、小次郎も、今馬を下りたところらしかった。馬を受取った下人共が、それぞれ林の中に引いて行き、二人は|むかばき《ヽヽヽヽ》のほこりをたたいていた。小次郎の従者は少なかった。わずかに四人、それも郎党ではなく下人だけであった。
見ている間に、作られた微笑は貞盛の顔から消え、目に涙が浮かんだ。口惜《くや》し涙ではない。せい一ぱいのなつかしさの浮かんだ顔であった。つかつかと進み出た。
「小次郎!」
と、声をかけた。
小次郎は、こちらを向いた。その動作もおそろしい素速さであったが、顔つきも緊張しきっていた。寸分も油断していない人の姿であった。
貞盛は、小次郎が心をゆるし切っているのでないことを知った。
小次郎の緊張は瞬間であった。
「おお、太郎!」
といって、大股《おおまた》に歩きよった。右手の鞭《むち》を左に持ちかえて、右手をさし出した。
貞盛も手を出した。ふたりの手はしっかとにぎり合わされたが、ほんの瞬間の後、貞盛は、相手の握力が急に弱くなったのを感じた。
慧敏《けいびん》な貞盛には、これがなぜだかわかる。今小次郎の胸には、国香のことが思い出されているのだ、申訳ないという気持と、こちらがそれを恨んでいないはずはないという気持とがからみ合っているのだ、と判断した。
そしてまた、この心理を器用にほぐしてしまわないと、そこから万事が破れるおそれがある、と思った。
力のゆるんだ相手の手を強く強くつかみ、握りうごかしながら熱情的に叫んだ。
「会いたかったぞ。会いたかったぞ。よく来てくれた。よく来てくれた」
じっと貞盛の目を見つめて、小次郎は言う。
「太郎。おぬしは、おれをうらんでいるであろうな」
沈痛な声であった。
こんな所にこだわっていては、くそまじめな小次郎のことだ、どんなことになるかわからない。
「うらむと? おれが? 何の、何の。――とにかく、中に入ろう。入って語ろう。よく来てくれたな。うれしいぞ、うれしいぞ」
貞盛は、手をつかんだまま、グングン引っぱって行った。
へやに入って、対坐《たいざ》したが、小次郎は依然としてむっつりした顔をしている。口をきかない。貝がふたをしめたように、かたく口をむすんで、沈鬱《ちんうつ》な目を光らしている。
なんとしても、これをほぐさなければならないと、貞盛は色々と心中工夫した。微笑しながら言った。
「おぬしとは、去年の夏会ったのだったな。しかし、ずいぶん久しく、幾年も会わなかったような気がするな」
「…………」
「あの時は、もう一度おぬしに会って、それから京へ帰りたいと思ったのだが、そのひまがなく、心をのこしながら立ったよ」
「…………」
「おお、そうそう、貴子《たかこ》姫がよろしく申すように仰せられた。姫もずっとお変りがない。乳母どのも達者だ。これもくれぐれもよろしくとのことであった」
なんと言っても、小次郎は黙りこくって目を光らせている。おまけにその顔はしだいに暗く、しだいに険悪な色を帯びて来るようだ。貞盛は物狂わしい心理になった。手当りしだいに話題をひろい上げて、表面はいとも愉快げに口にしつづけた。
とつぜん、小次郎は大喝《だいかつ》した。
「やめい!」
貞盛は口をつぐんだ。息を内に引き、茫然《ぼうぜん》として相手を見つめた。
あらしの空のように荒々しい顔になった小次郎の顔に、青白いものがふるえつつ走った。憎悪の火に燃える目で、貞盛をにらんで言う。
「おぬしは、なぜそんなことばかり、つべこべとしゃべっているのだ。なぜ、かんじんのことを言わないのだ。おれはきもが煮える。腹が立つ。おれはおぬしの父を討った。おぬしにとっては、不倶戴天《ふぐたいてん》のかたきだ。おれが憎くないのか。おれを討って、父の鬱憤を晴らそうとは思わないのか。憎いならば、憎いと、なぜ言わないのだ! なぜ、話したくもないことを無理して話しているのだ?」
はげしい声であった。口数の少ないいつもに似ず、次から次へと憑《つ》かれたようにどなりつづける。やけくそなものが、心を荒々しく狂っていた。
「まあ、待て」
やっと立ちなおって、貞盛はことばをはさんだが、小次郎は一はねにはねかえした。
「待たぬ! さあ、おれを憎いと言えい! 父のかたきだと言えい!」
「待て、待て、これは手がつけられない」
貞盛は真青になった。しかし、なお微笑を浮かべていた。救いをもとめるように、景行をふりかえった。
景行は、何にも言わなかった。ただ、そのしずかな顔にものがなしげな色を浮かべて、小次郎を見ていた。あわれむような、悲しむような、あきらめているようなその目と、目が合った時、小次郎の胸の火は水をかけられたようになった。しだいに、目を伏せて行った。
とたんに、貞盛の胸は、なにものかによって、強くしぼり上げられた。大きなかたまりがのどにつき上げて来、目がぬれて来た。いつわりのない涙であったが、同時に、今だ! と思った。
「小次郎!」
と、貞盛は叫んだ。涙声になっていた。
同時に、小次郎も叫んでいた。
「太郎!」
涙が音を立てて、ひざにこぼれた。
「おれが悪かった!」
「おれの方が悪い! 申訳ないことをしてしまった!」
もうことばは出なかった。むかい合ったまま、二人は声をのんで泣き出した。
景行も、袂《たもと》を目におしあてて、あふれる涙をおさえていた。
ここまで来れば、話はとんとん拍子だ。二言三言できまった。お互いがすべてを水に流して昔の間柄《なか》になるのはもちろんのこと、国香が横領した分《ぶん》をのぞく貞盛の家の領地は全部貞盛にかえし、それは小次郎が管理して、その収入は諸かかりをさし引いた上で貞盛の家へ納《い》れるということに。
景行も、喜んでくれた。懇々と二人をさとした。
「めでたいことであります。仲むつまじかった以前を知っているまろにとって、お二人の仲が昔にかえって、この上の喜びはありません。
まろは、御承知の通りの身の上であります。左馬《さま》ノ允《じよう》の殿のお心のうちはよくわかるつもりです。しかし、怨《うら》みはこれを燃やすより、忘れてしまった方が、なんぼうか心が安らぐか知れないのです。立派でもあります。それは聖学の道にも、仏の道にもかなったことです。小次郎の殿はまた、左馬ノ允の殿の芳情を常に心にしめて、左馬ノ允の殿の家の荘《しよう》の支配に心をくだいて上げられるよう」
二人は、心にしみて聞いた。
ほんの少し酒をのんで、二人は辞去し、林の入口で袂を分った。
「また会おう」
「また会おう」
「それまでに、眷属《けんぞく》どもをさとして、不慮のことがないようにしようの」
「承知した」
夕陽《ゆうひ》の野を、次第に遠ざかる相手をふりかえりふりかえり、二人は馬を進めた。共に言いようのないほど心がさわやかで、安らかで、楽しかった。
途中で一夜を泊って、翌日の夕方、貞盛は府中にかえりついた。
繁盛がとんで出て来た。
「兄者! おぬし、どこへ行ったのだ!」
腹立たしげにどなり立てた。涙声であった。行くえ知れずになったというので、心配して百方さがし、あぐね切っていたものと思われた。しかし、こんな調子で出られては、突ッけんどんにならざるを得ない。
「どこに行こうとおれの勝手だ。用事がなくて、どこへ行くものか!」
「どこへ行ったのだ?」
「用事のあるところへだ」
いまいましげに言いすてて、奥へ入った。母の居間にあいさつに行った。
母は行く先の見当がついていたが、それだけにまた一入《ひとしお》心配していたので、無事なかえりを泣かんばかりに喜んで迎えて、
「どうだえ。話がついたかえ」
と、声をひそめた。
貞盛も声をひそめた。
「つきました。筑波の麓《ふもと》の紫尾の里に一昨年《おととし》から下って来ておられる菅家《かんけ》の三郎の殿に仲に立っていただいて、ちゃんと話をつけました」
「それはよかったこと」
母はほっと安堵《あんど》の溜息《ためいき》をもらしたがすぐ、貞盛が出かけた後、源家から使いが来て、貞盛が源家に行っていないことがわかったので大さわぎになったことを話した。
「源家のお使いは度々来なさるのに、一向行く先がわからぬというので、繁盛どのなど、てっきり身の上に異変があったに相違ないと、狂気のようになられましての。わたしは大たい見当がついていましたが、それを言うわけに行かず、苦しいことでした」
「そうですか。多分そんなことだろうと思っていましたが、すみませんでした。それで、源家からは誰が来ました?」
「郎党衆が見えましたが、昨日は小督どのも見えました」
「ほう、それでまた源家へかえったのですか」
「そなたがお帰りになってから帰って来ると申されましての」
母の顔には苦笑がある。
貞盛は、小督と母との折れ合いがよくないのだとの感を益々《ますます》深くした。
「おお、そうそう。今朝方、水守《みもり》の良正《よしまさ》どのが見えました」
「叔父御が?」
「そうです。源家にお泊りだそうです。そなたが帰って来るか、行くえが知れるかしたら、すぐ知らせてくれと申されました」
源家から呼ばれたのだと思った。おそらく、貞盛がかえって来たが、顔も出さないで、行くえ知れずになってしまったと言って呼んだのだろう。
この際、水守の叔父は最も会いたくない人であった。単純で、荒っぽくて、武勇自慢のこの叔父は、どう説明したって、今の自分の心境などわかるはずはなかった。
どうすべきか、思案していると、嘆息しながら母が言った。
「これからが大へんですの」
「弱りました」
またどこかへ避けて会わないことにしようかとも考えたが、これは考えただけであった。会わないわけに行かないことは明瞭《めいりよう》であった。
決心した。
「これから行ってみましょう」
「行きやるかえ」
「しかたはありません」
「くれぐれも気をつけて下されや。あの人は気の荒いお人ですからね」
「大丈夫です。お案じ下さらないように」
母の給仕で、食事をすませて、家を出た。
もう暗くなっていた。よく晴れた、星の美しい宵《よい》だった。月は夜半をすぎなければ出ないはずであった。
松明《たいまつ》を持った下人二人を前に立て、うしろに郎党四人をつれて、馬を進めながら、貞盛はどう話をすすむべきか、心をくだいたが、工夫がつかない。ついに、
「出たとこ勝負で行くよりほかはない」
と、決心した。
両家の間はそうはなれてはいない。七八町しかない。すぐついた。
夜明けの星
護《まもる》は良正と酒をのんでいたが、飲むのは良正だけで、護はほとんど飲まない。ほんの時おり盃《さかずき》を上げて、一しずく舌にのせるだけだ。健康が酒を受けつけないのであった。
一日のうちに男の子全部を死なせた悲しみと怒りと悔恨は彼の気力をうばいつくした。体力はおとろえて日に日に痩《や》せかじかんで行き、涙もろく、愚痴っぽい人柄《ひとがら》になってしまった。
その護を、良正は時々水守から出て来ては、
「返らぬことをそうくよくよとなげいてもなんにもなりはしません。やがて、貞盛も帰って来ます。そしたら、二人ではかりごとを合わせて、きっと小次郎めを討ち取って上げます。それを楽しみに、気力を出していただきたい」
と、元気づけている。
しかし、今夜はこまった。一筋の望みをつないで来たその貞盛は、三日前に帰って来たというのに、当家に顔出しもしないで、どこかへ行って、行くえもわからないのだ。いつものように威勢のよい口上を切るわけに行かない。せいぜい、
「あのかしこい貞盛です。必ずや、深い考えがあってのことです。決して、お心にもとるようなことはしません。まあ、元気を出していただきましょう」
くらいのことしか言えない。
こんな調子だから、護の気が浮き立つはずがない。
「聟《むこ》と申しても、もとをただせば他人。実子であったら、何をおいても飛んで来てくれましょうものを」
と溜息ばかりついている。
良正には、面白くない。自分にたいするあてつけのような気もする。
「まあ、まあ、そう仰《おお》せられるものではない。身共もおん聟の一人ですからな。ハッハハハハハ」
と、持ち前のガラガラ声で哄笑《こうしよう》していたが、だんだん、本気で腹が立って来る。貞盛にたいしてである。
(やつ、ほんとにどんなつもりでいるのだろう。どこをほっつき歩いているのか。どんな大事なことがあろうと、先《ま》ず当家に顔出ししてからでいいでないか。護殿のことはさておくとしても、妻《め》を愛《め》ぐしいとは思わないのだろうか。聞けば、思い合ってめとったのじゃというのに)
わからんことだらけだ。
(今時の若いやつらの心は、とんとわからん!)
憤然として結論した時、貞盛の来たことがとりつがれた。
「や!、来たか!」
良正はさけんで、護を見た。
「それ! 申した通りでありましょう。まいりましたぞ」
晴れ晴れと言った。そして、
「ここへ、ここへ。すぐ案内してまいれ」
と、とりつぎの者に言ったが、すぐ、立上った。
「おれが行く。おれが行ってつれて来る。そちは台盤所《だいばんどころ》へ行って、馳走《ちそう》のしたくをさせい。そうだ。それから、末姫のところへもとりつげい。夫《せ》の君がまいられたと」
気ぜわしくさしずしておいて、せかせかと、立って行った。
車寄せに立っている貞盛を見ると、良正はどなりつけるようにさけんだ。
「やあ! 貞盛! そなたどこへ行っていたのだ!」
荒々しい足音がドタドタと近づいて来たかと思うと、いきなり飛んで来た言葉であったが、覚悟していた貞盛はおどろかなかった。
「おお、叔父上か」
「どこへ行っていたのだ。なんにも言わんで出かけたというではないか」
それにはこたえず、
「上りますぞ」
といって、階段を上りかけた。
「上れ、上れ――、一体、どこへ行っていたのだ」
良正はまだこだわっている。酒のにおいが、プンと来た。
(酔っている。厄介《やつかい》だな)
と思った。顔をそむけて、
「いろいろと用事がありまして、方々へ行っていました」
とだけ言った。暗い廊下を先に立って、奥へ急いだ。ついて来ながら、良正はなお言う。
「そうか。では、敵の様子を探索に行ったのだな。さすがだな。おれも、そんなことだろうと思っていたよ」
返事をしないでいると、なお言う。
「そうだろう。ね、そうだろう。そうにきまっているな」
うるさかった。ふりかえらないでこたえた。
「そうお思いになりますか」
「なに?」
がくぜんとした風で叫んだが、もうその時には、護のいる座敷の前についていた。
貞盛を見るや、護は泣き出しそうな顔になった。
「おお、おお、おお、かえって見えたか。待ちかねましたぞ。待ちかねましたぞ」
と、いう声も涙にぬれていた。
かつては威厳にみちたその長い顔が、枯れしぼみ、やつれ果て、年老い、悲しみに打ちひしがれたようになっているのを見ると、貞盛も胸がせまった。
「この度は、申し上げようもないことで……」
と、言うと、涙がまぶたをあふれて来た。
「そなた様もまた……」
護も袂の端を目にあてた。
激情的な良正はもうたまらない。歯をくいしばり、ウソみたいにぽろぽろとこぼれる涙を、こぶしを上げて、横におさえた。
膳部《ぜんぶ》が来た。
「先ず飲んでもらおう」
良正は、自ら瓶子《へいし》を取り上げてすすめた。
立てつづけに、三献飲ましておいて、良正は容《かたち》をあらため、
「さっそくながら、話にかかる」
と前置きして、述べはじめた。
言うまでもなく、小次郎討伐のことだ。曰《いわ》く、不倶戴天の讐《かたき》、曰く武人の作法、曰く一族の統制を乱るもの、曰く何、曰く何と、こんな場合にありあわせのことばが、悲憤激越の調子で、次から次へと出て来る。
聞いていればいるほど、良正の言葉がはげしければはげしいほど、貞盛の心は白け切ったものとなった。ただ、どう言ったら、納得させられるか、喧嘩《けんか》別れになるよりほかはないだろうか、という思いばかりが重かった。
良正の慷慨《こうがい》演説は、ようやくにして結論に達した。
「かかる次第であるから、今や、われらの為《な》すべきことは、豊田の悪党めを、どうして討つかということにある。わしには、すでに一つの所存があるが、そちはそちでまた所存もあるであろうから、一応、それを聞きたい」
言いおわって、キッと貞盛を見すえた。
貞盛は、瓶子をとって相手の盃に酒をみたしてやって、それから口をひらいた。どうせ口論になるのだとは思ったが、出来るだけおだやかな調子を保とうとつとめた。
「わたくしは、先ずこの争いの根本にさかのぼって考えてみたい。申しにくいことでありますが、非違は明らかにこちらにあった。わびを言いに来いとさそい出しておいて、これを討ち取ろうとしたのですから」
護の長い顔におどろきの色があらわれ、良正の顔に粗暴な色が走ったのを、貞盛は見たが、かまわずつづけようとした。
良正は大喝《だいかつ》した。
「待て! 先刻から、口が酸《す》くなるほどおれは言った。小次郎は、そちがためには、まさしき父の讐だぞ。事の原因において、悪かろうと善《よ》かろうと、それが何の関係がある。討たねばならんのは、坂東の作法だ。京に何年行っていたればとて、国の作法を忘れたのだ。馬鹿も休み休み言え!」
貞盛は、従順な顔で一語もさしはさまず聞いていたが、相手の言葉が一段落つくと、一礼して、しずかな調子で言う。
「いかにも、おっしゃる通りであります。これが赤の他人なら、なんの躊躇《ちゆうちよ》するところがありましょう。直ちに馳《は》せ向って討ち取ります。しかし、これは他人ではありません。切っても切れない一族の者であります。普通の作法で律するわけに行かないと思うのです」
「親の讐を討つのに、普通の作法も特別の作法もあるか! 武士の作法は無二無三のものだ。不倶戴天の讐とは、そのことを言うのだ。京方《みやこがた》の女作法《おんなさほう》など、坂東には通用せんぞ!」
圧制的な叔父の態度は、貞盛の胸にくわっとしたものを呼びおこした。しかし、なおこらえて、うやうやしい一礼をおくった。
「これは一族の不幸でありました。しかも、処置の方法をあやまれば、どこまでひろがるかわからない不幸であります。武士の作法の坂東の作法のということより、そのことの方が、重大であると、わたくしは考えるのです」
むくりと良正は片膝《かたひざ》を立てた。はげしい目でにらんで、どなった。
「それで、どうするというのだ! 討つ気か! 討たん気か!」
貞盛の胸におこったものは、一層激した。彼はやっとの思いで、それをおさえた。
「討つ討たんは、論議をつくして後に決まることでありましょう。今はその論議の時であります」
「なんで今さらその必要がある。誰が考えても、事は分明《ぶんみよう》だ。さあ、討つのか、討たんのか。はっきり言え!」
「…………」
「なぜ、黙っている!」
良正は殺気立っていた。おそろしい顔になっていた。
二人にとっては叔父|甥《おい》であり、護から見れば聟同士の二人のこのはげしい問答を、護は一語も口出しせず、目を光らせて聞いていた。まばらなあごひげをつかんだ手がふるえ、一語|毎《ごと》に青くなったり赤くなったりするのが、刹那《せつな》刹那に浮沈する心理をはっきりと見せていた。
貞盛は、良正がこんなにも激昂《げつこう》した様子を見せるのは、その粗暴で激情的な性質にもよるが、半ばは護の前で忠実な聟ぶりを見せたいための演出でもあると見た。
(女というものは、そんなにも可愛《かわい》いものか)
不思議な気がした。数え切れないほどの恋愛や情事を経験していても、貞盛には経験のない感情であった。彼には、女はどこまでも享楽《きようらく》の道具でしかない。
疑問は疑問として、この場合、良正のこの心理を利用しない手はない。護の方を向いた。
「舅《しゆうと》の殿のお考えはどうなのです。先ずそれをうかがいましょう」
護は狼狽《ろうばい》した。しわの深い、長い顔が、一時に赤くなった。
「まろ? まろの考え? まろは武事にならわぬ無力の老人だ。まろの家も、三人を死なしてからはまろだけがたった一人残る男だ。なにを言うことが出来よう。ひとえに、そなた様方を頼むのみだ。……まろは、口惜しいのだ。胸に瞋恚《しんい》の炎が消えることがなく、目に涙のかわく間がない……」
しどろもどろな調子であった。言いおわって、はらはらと涙をこぼした。
勝ちほこったように、また、良正が口を容《い》れた。
「それ見ろ! 舅の殿は、そちとわしとを頼り切っておられるのだ。あいまいな心事では、どうもならんぞ! さあどうだ! はっきりと言ってもらおう!」
もうしかたはなかった。貞盛は決心した。
「先刻から申しますように、わたくしの考えはまだきまっておりません」
「なに? もう一度言ってみろ!」
すごい目になった。
「おしずかにお聞きとりを願います。威迫なされたとて、威迫によってわたくしは考えを変えはしません。無駄《むだ》であります」
「こいつが……」
「おしずかにと申しています」
貞盛はきびしい顔になった。星のようにかがやく切れ長な目で良正をにらんだ。良正もふるえながら、なおにらんでいた。
貞盛は言いつぐ。
「わたくしは父を殺されています。どうして心が平らかであることが出来ましょう。その悲しみとそのうらみの深さは、とても叔父上にはおわかりになりますまい。しかし、わたくしには、小次郎を討つべきかどうかが、よくわからないのです。むしろ、今の気持を申せば、討ってはならない、それは坂東平氏一門の不幸を更に大きくするだけであると思っているのです」
「このいくじなし!」
良正はおどり上った。けとばされた膳部が、はげしい音を立てて散乱した。
貞盛は、風のように飛びすざり遣戸《やりど》の外へ出た。
「ごめん! ほかに用事があります」
と、そこから言いすてて、奥の小督《おごう》の居間の方に向った。
「待てッ! こら、話がのこっている! なぜ逃げる!……」
口ぎたなくののしり猛《たけ》る良正の呶声《どせい》が、なお追いかけたが、貞盛はかまわず対《たい》の屋《や》の方におれこんだ。
小督の居間は、シンとしずまって、遣戸のすき間から、かすかな灯影《ほかげ》が漏れていた。貞盛は、その前に立って、左の掌を扇子で叩《たた》いて、声をかけた。
遣戸の内では、かすかな衣《きぬ》ずれの音が、灯影とともに近づいて来て、しのびやかな声で呼びかけた。
「左馬《さま》ノ允《じよう》の殿でございますか」
小督の召使う小娘の声であった。
「そうだ」
遣戸があいた。小娘は紙燭《しそく》を片手に立っていた。少ししなづくって言う。
「お通り下さい。お待ちかねでございます」
貞盛は、この小娘を去年から知っている。去年までは土のついた小芋のような田舎田舎した、まるで子供だったが、すっかり成人して、大へんきれいになっている。皮膚の色にも、髪のつやにも、青春のみずみずしさが行きわたっている感じだ。
こんな場合、からかわずにおられる貞盛ではない。
「やあ、汝《われ》か。おそろしく女ぶりを上げたな。別人かと思ったぞ」
「あれまあ、うそばっかり! どうしてわたくしなどがそうでございましょう」
本気でプンとふくれるのが、なかなかの魅力であった。
「ハッハハハハ、誰がうそを言うものか」
笑いながら、奥へ通った。
小督は、几帳《きちよう》の中に坐《すわ》っていた。端然とした坐りかたにも、端正な細面《ほそおもて》の顔にも、きびしくかたいものがただよっていた。
「おかえりなさいまし」
その口上も、切り口上であった。
(ははあ、機嫌《きげん》がわるいな)
と、こちらはすぐ思ったが、そのために気分がどうということはなかった。
「お久しぶりですな、この度は色々なことがあって、御心配でありましたろう。先ずお悔みを申し上げる。次にお礼を申す」
こう言ってしまってから、貞盛は、われながら情のこもらない義務的な調子だと思ったが、言いなおす気にはならない。すまして、微笑づくって、相手を見ていた。
小督は依然として美しかった。高雅さも昔のままだ。とりわけ、そのかしこそうな目や、繊細なノミでほりおこしたような細く真直ぐな鼻筋など、今更ながら驚嘆したいほど美しい。貴子によく似ているが、ひょっとすると貴子より美しいかも知れないとさえ思われた。
美しい女に対しては、自然態度を別にしなければならない。まして、これは自分の妻だ。貞盛の微笑は、愛嬌《あいきよう》あるものとなった。
「そなた大へん美しくなったな。以前も美しくないことはなかったが、わしはもうおどろいている」
小督のかたい表情が、はじめて笑いを見せた。
「殿は、それをあの娘にも仰せられました。小督はこちらで聞いておりました」
十分な皮肉をこめたつもりであったろうが、貞盛は一向に動じない。笑いながら答えた。
「あれはあれ、そなたはそなたさ」
小督はなにも言わないで、貞盛を見つめていた。口惜しげな顔であった。
貞盛はおちつきはらって、もうものを言わずにひかえていたが、ふと、いたずら心が動いて、わざと大きなあくびをしてみせた。
瞬間、小督の顔に青白く走るものがあったが、すぐ微笑にかくれた。
「お疲れのようでございますね」
「ああ、向うで進まない酒を無理に飲まされて、すっかり酔ってしまった」
「お寝《やす》みになります?」
「ああ。よかったら、寝ませてもらいたい。すっかり大儀になった」
小督は手を鳴らして、女共を呼んで、寝支度を命じた。
半年以上ぶりで逢《あ》うこの妻に、貞盛はまるで感激がなかった。興奮のために青ざめふるえて挑《いど》みかかって来る小督を見ると、一種の嫌悪《けんお》感さえあった。小督の美しさは十分に認めながら、どうしようもない気持であった。
(この女は、おれを愛してはいない。その証拠には、おれが帰ったことを知っていながら、実家に居っきりで、おれの家にいようとしない。そのくせ、一緒に寝ると、こんなに露骨に迫って来る。要するに、多淫《たいん》なのだ)
と、思ったり、
(長い空閨《くうけい》を、貞潔にしていたかしら。この女のかつての行状から考えると、怪しいものだぞ。とすれば、誰がその相手なのだろう)
と思ったり、
(おれは母と気が合わないためにこちらにばかり帰っているのだと思っていたが、案外、仇《あだ》し男と忍び合う便宜のためなのかも知れないな。とすれば、その仇し男というのは、当家の郎党の一人かも知れないぞ)
と思ったり、また、
(もし、そんな男が当家にいるのだったら、どんな気持で、今夜の二人のことを考えているだろうか)
と思ったりした。
悪魔的なくらい冷静な目で自分を見ている別な自分があった。
やがて、うちそむいて、貞盛は目をつぶった。すぐ眠りが来た。一ぺん自分のいびきの大きさにおどろいて、ちょっと目をさましたが、そのまま一気に深い眠りに入って行った。
小督は、いつまでも眠れなかった。貞盛にたいして、色々と話したいことや、聞きたいことがあった。しかし、相手はその時間をあたえなかった。お義理のように愛撫《あいぶ》をすますと、忽《たちま》ち寝こんでしまった。この快げな高いびき!
(この人は、三日も前に帰って来たというのに、やっと今日になって顔を出した。一体、あたしを愛《いと》しいと思う心があるのだろうか)
(この人の帰って来るのを、父君はあんなにも待ちこがれておいでであった。しかし、この人には故父君や、あたしの兄弟の讐《かたき》を討つ気があるのだろうか)
いびきを聞き、細めた燈火《とうか》の光を見ながら、あれを思いこれを思いしつづけた。
ついに、どこか遠い所で、一番|鶏《どり》が鳴いた。すると、それに応じて次々に方々で鳴き出した。それを聞いていると、気ぜわしくせき立てるものがあった。小督は半身をおこして、貞盛の顔をのぞきこんだ。
貞盛は熟睡していた。熟睡している人特有の青白さが顔全体に行きわたって、今はもういびきもかかず、呼吸さえかすかであった。起きている時は、快活と慧敏《けいびん》のために誰よりも生き生きとし、誰よりもひきしまっている秀麗な顔も今はゆるみ切って、おそろしく善良そうになっていた。
「……もし」
小督は小声で呼びかけた。
返事はなかった。肩に手をかけてゆすった。貞盛はその手をはずし、大きな呼吸を一つしただけであった。
小督は少し腹が立った。起き上った。のしかかって行って、唇《くちびる》を相手の頬《ほお》にあてて強く吸った。
「……あっ」
貞盛はおどろき、声を立てて目をさました。
「なんだ。そなたか」
「誰だとお思いになりましたの。京の貴子姫とやらのこと?」
「そんなことどころか。わしは夢を見ていた。わしは林の中を歩いていた。石田の館《やかた》の裏山のようでもあり、筑波《つくば》の山のようでもあった。鬱蒼《うつそう》と木々が生いしげって、シンと小暗い道だ。てくてく、てくてく、わしは歩いた。すると、急に風が出て、林の上をわたったが、雨のようにしずくがふりおちて来た。その一粒が頬にあたった。そのつめたいこと! 骨身にしみるようであった。わしは右手を上げて頬を撫《な》でた。ところが、それはナメクジだったのだ。おどろいたのなんのではない。わしはナメクジが大嫌《だいきら》いなのだ。さらにところがだ、目をさましてみるとまたおどろいた。それはそなただった。わしはそなたが大好きだ。安心した次第だ」
貞盛は、カラカラと笑った。
「まあ、ひどい、ナメクジと間違えるなんて」
と小督も笑った。ふわふわととりとめはないが、軽快で、気が利《き》いて、明るい、貞盛のこの性質が、小督は好きだ。しだいに、いい気持になったが、すぐ、いい気持になんぞになっておられる場合ではないと思いかえした。
「殿」
と、まじめな顔になって呼びかけた。
「おお、なんですか」
「こちらを向いて」
「よし来た。こうか」
気が重かったが、気軽な調子で向き直った。その肩に、小督は腕をかけて、じっと見つめて言う。
「殿は、あたしをほんとに愛《いと》しいと思っていらっしゃいますの」
「なぜそんなことを聞くのだ」
「なぜでもいいから、言って」
「そりゃ思う。妻をいとしいと思わない者があろうか」
「ほんと?」
「ほんとだとも」
「それでは、抱いて」
「よし、よし、こうか」
貞盛は、相手の肩の下に腕をさし入れて、抱きよせた。明るく、気軽げに見える動作ではあったが、ほんとは気が重かった。やわらかく生温かい相手の首筋が腕にふれると、嫌悪感が電流のように全身を走りすぎた。この腕をぐっと折りまげて、しめ殺してしまったら、と、思った。
抱かれながら、小督は言った。
「殿は、今あたしをいとしいと言われました。しかし、そんなら、なぜ、お帰りになったらすぐあたしの所へ来て下さらなかったのです。あたしは殿のおっしゃることは、信用出来ません」
男にとって、女の論理的な苦情ほどいとわしいものはない。貞盛は、一層小督がいやになったが、
「信用出来ん男でも、抱いてはもらいたいか。ハハ、ハハ」
と、笑った。軽くはぐらかすつもりであったが、小督はしつこく食いさがって来た。
「ほんとに、どこへ行っておいでだったのです」
「女のところへではないから心配することはない」
「でも、ほんとにどこでしたの」
「さる人のところだ」
と言っておいて、ふと意地悪い心になって、つけ加えた。
「そなたも知っている人のところだ」
「わたしの知っている人?」
「わかるだろう。よく知っている人だから」
小督は、貞盛の胸から顔をはなして、貞盛を見上げた。その顔を見下ろして、貞盛はにやにやと笑った。
はっとしたものが、小督の胸にひらめいた。貞盛は一層にやにやした。
「どうだ。わかっただろう」
「いいえ。わかりません」
小督は目を伏せた。声も低くなった。
「そうかなあ。わかるはずだがなあ。よく知っている人だよ」
小督は貞盛が小次郎のことを言っていることが、はっきり分っていた。意地悪いいじめ方だと思った。腹黒いやり方だとも思った。夫は、自分が夫に何を聞きたがっているか知っていて、それを封ずるためにこんなことを言い出したのだと思った。口惜しかった。覚えず唇を噛《か》んでいた。
むくりと、貞盛は起き上った。そして、妻の顔を見ながら、強い調子で言った。
「世間ではしきりに、わしと小次郎を喧嘩《けんか》させようとしている。しかし、わしはそんなことはしない。小次郎はわしと兄弟同様のものだ。喧嘩じゃの、討ち果すの、かたき討ちのと、そんなことが出来ることか!」
兄弟同様という言い方にも、皮肉な|とげ《ヽヽ》があると思った。
「どれ、帰ろう」
立上って、褥《しとね》の外に出て、着物を着はじめた。引きとめるべきだと思い、引きとめたくてならないくせに、今日の小督にはそれが出来なかった。これから先、どんなことを言い出すか、おそろしかった。
着つけがすむと、未練もなく、貞盛は立上った。
「そなたは、明日からは家にいてくれないといけませんぞ」
出て行きぎわに、こう言った。外はまだ暗かったが、もう夜明けが近かった。人間の目に見えない、暁のけはいを早くも感じている星が、ふるえるように性急にまたたいていた。
長い呼吸《いき》をつき、その星を見ながら考えた。
(これくらいのことでは済まない。これからがなかなかだぞ)
川曲《かわわ》の戦
良正はうるさく貞盛を訪ね、うるさく口説いた。理に訴え、情に訴え、詰責《きつせき》し、嘆願し、あらゆる方法をつくした。
その度に、貞盛はのらりくらりと言いぬけていたが、ついに、本心を吐いた。
「わたしは、小次郎を討たぬことにしました。すでに、彼と話をつけました」
良正が激怒したことは言うまでもない。しかし、彼はもう口説こうとはしなかった。単純すぎる頭の持主である彼にも、ここまでなった以上、貞盛は決して翻意しないことがわかったから。
彼は極度に侮蔑《ぶべつ》的な顔になり、怒りのきわまった静かな声で言った。
「とうとう本音を吐いたな。生煮えなことばかり言うている故《ゆえ》、そんなことではないかと思わぬでもなかったが、叔父|甥《おい》のひいき心で、まさかまさかと打消して来た。しかし、そこまで聞けば、もう十分だ。小次郎はおれが一人で、見事討ち取ってみせる。
その時になって、世間はそちのことを何というであろうかな。必ずや、そちは人まじわりの出来ない身の上となる。おれは、ハッキリと断言しておくぞ。
大地を打つ鎚《つち》は外れることもあろうが、おれの今言ったことには決して外れはないぞ。さらば」
もう八月も半ばであった。
良正は、水守《みもり》にかえると、戦さ支度にかかったが、急ぎはしなかった。収穫《とりいれ》がすまなければ戦さは出来ないのだ。在地地主である当時の武人は、後世の武士のように農事におかまいなしの戦争は、余程のことがないかぎり、しないのであった。
良正にとっては、ぜったいに負けられない戦さだ。兵員の徴募、武器や武具の用意、念に念を入れた。
これらのことは、すべて秘密のうちに進められたが、いつかぼつぼつ世間に漏れた。
何かおこるはずだ。おこらないはずはないと、期待していた世間は、忽ちこの噂《うわさ》にとびついた。
「じゃろう。じゃろう。あのままにすむはずはないのじゃ」
「貞盛の殿はどうなのだ」
「一緒にやりなさるのだろうよ。あの殿は父君を殺されていなさるのだ。うらみは誰よりも深いはずだ」
「それにしては、一向うわさを聞かんなあ」
と、いった工合《ぐあい》だ。
もちろん、豊田にも聞こえた。
「すわこそ」
豊田|館《やかた》は一斉《いつせい》に緊張した。
その頃《ころ》、貞盛からも、このことを小次郎に知らせて、用心するようにと言って来た。
その手紙の中には、またこうもあった。
(おれの本心を言えば、おぬしに味方して、水守と戦いたいのだが、今度の場合、それが出来ない。諒解《りようかい》してもらいたい)
この追って書きを、将頼《まさより》や郎党等は信じなかった。
「これは腹黒い策略かも知れぬ。用心するにこしたことはない」
と、主張した。
「そんなことはない。おれは太郎を信ずる。太郎はおれと約束したのだ。おれは、今の太郎の苦しい立場に同情している。汝《わい》らのそんな考え方は、おれには面白うない」
と、小次郎はしりぞけた。
戦備は、水守に対してだけ進められた。
好晴の天気がつづき、稲は黄熟し、刈りとられ、収納され、広い坂東の平原は、夜毎《よごと》の露にぬれ、月に照らされ、乾いた太陽に照りつけられ、木々は黄ばみ、草は枯れた。兵を行《や》るの好季節だ。
両家は益々《ますます》緊張して、互いにその動静をさぐり合い、忍びの者共がイナゴのように飛びまわった。
十月二十日の深夜であった。豊田方の忍びの者が馳《は》せかえって、水守館の動きが俄《にわ》かに活溌《かつぱつ》となり、宵《よい》の口からしきりに武者共が参集しつつある、思うに今夜中か、明朝あたりから行動を開始するのではなかろうか、と報告した。
「よし、大儀であった」
水守からここまで、三里しかない。今夜中に行動をおこすなら、夜襲をするつもりであろうし、明朝の出発なら野合いの戦いのつもりであろう、と小次郎は判断した。
にわかに館は活溌になった。昼をあざむくばかりにかがり火が焚《た》かれ、兵が集められ、部署され、武器が分配され、炊《た》き出しが行われた。
夜半をすぐる頃、速足自慢の子春丸が馳せ帰って来た。
「御注進、御注進、御注進……」
門を走りこんで来た子春丸は、おのれの快足を楽しむもののように、なお駆足をつづけて広場をクルクルとまわりながら、呼ばわりつづけた。
「こら、いつまで走っとる? 早う殿の所に行って申し上げんか!」
と、叱《しか》りながら、郎党の一人が腕をつかんで、グイグイとしょびいた。
「かまわんとき! こうせな、からだのために悪いんじゃ。素人《しろうと》は、玄人《くろうと》のすることには黙っとるものじゃ!」
ふり切って、なお半廻《はんまわ》りまわってそれから、小次郎の前に走りよって、ひざまずいた。
「出ましたで、出ましたで、とうとう、館を出ましたで。こちらに向って来よります」
大庭の真中に床几《しようぎ》をすえ、いかめしく甲冑《かつちゆう》して、腕を下ろしていた小次郎は、立上り、大音に呼ばわった。
「皆聞け! 今、子春丸の注進によると、敵は夜中に向うを出たという。必定、朝駆けにこの館に取りかけるつもりと見た。館にこもって戦うは、みすみす敵の術中におち入るに似ている。火矢など射かけられては、面倒でもある。打って出て、野合いに戦おう。出陣用意! 貝吹け!」
壮烈な貝の音が、二十日の繊《ほそ》い月がやっと二竿三竿《ふたさおみさお》上っている夜空をどよもしてひびきわたった。
どやどやと集まる兵等の間を、重立った郎党等が走りまわり、いくつかの軍列が出来た時、母屋《おもや》の入口から、良子を先頭に、下婢共が酒と下物《さかな》を運んで来て、軍列の間においた。
澄んだ、よくとおる声で、良子は叫んだ。
「さあ、出陣の酒ですよ。みんな飲んでおくれ。しかし、三杯以上はいけませんよ。かえって来なさったら、いくらでも飲まして上げますからね」
歓呼の声が一斉におこり、兵士等は盃《さかずき》を上げて、一口一口、ゆっくりと味わいながらほした。
良子は、附添っている下婢の手から、盃と下物ののった三方《さんぽう》を受取って、小次郎の前に来て、それをそなえた。
「お上り下さい。勝戦さの前祝いでございます」
と、良子は瓶子《へいし》をとってかまえた。褄《つま》をからげ、袖《そで》をしぼり、白いきれで髪をつつんでいた。凜々《りり》しく、甲斐《かい》甲斐《がい》しく、理想的な坂東武人の妻の姿であった。
「ほう、よく気づいたな。快くいただくぞ」
小次郎は、盃を上げて、酒を受けた。こうして、懸命に家風に同化し、万事に気をくばりつづけている良子の心が、心からうれしかった。この妻を不幸にしてはならない、きっと勝つ! と、決意を新たにした。
信じ合い頼り合う深い愛情のこもる目を見かわして、酒を注ぎ、酒を飲んでいる二人の姿を、少しはなれた木蔭《こかげ》から、子春丸が見ていた。ぽかんと口をあき、ぽかんとした目であった。時々、つぶやいている。
「……仲のええことやて。うれしいことやろなあ。うらやましいわな。……けんど、お二人がこうなったのは、おいらのおかげが大分あんのやで。……あん時、おいらだいぶんはたらいたけにのう。……ちったア、ありがたいと思うてもらいたいわな。……早い話が、今かて、おいらには酒一ぱい飲ましてくれん。……そら、いきませんで。そんなのを、恩知らずちゅうんやで。……仲のよいこと! うらやましいわな。……ても、うまそうに飲んではるわ……」
地虫の鳴声のようなつぶやきは、そう聞かれた。
三十分の後、百五十騎の軍勢は、館の門を出た。その頃から、霧が出はじめて、忽《たちま》ちひろがって、漠々《ばくばく》たる乳白の気体は、空の月を蔽《おお》い、地上のあらゆるものを一色に塗りつぶした。
小次郎は、行軍の速度をおとし、たえず斥候《ものみ》をはなって、前と左右をうかがわせながら行進した。
ほのぼのと夜の明ける頃、養蚕《こかい》川をわたって、しばらく人馬の息をやすめた。
この渡河点で、戦さが行われたわけだが、そこが今日のどこであるかわからない。
「将門記」には、新治|郡《ごおり》川曲《かわわ》村とあるが、今日、その地名は、失われている。幸田露伴博士は、その著の「平将門」で、今の川又村であると言っているが、これは新治郡というのに引かれて、実際の地理を調査した説ではないようだ。川又村は筑波山《つくばさん》の東方三里ばかりの地点にある村だ。筑波の西南方二里にある水守勢と、そこから更に三里西南方にある豊田勢とが、わざわざこんな所に出かけて戦おうとは考えられない。
また、筑波周辺の郷土史家の団体である「つくばね会」の人々は、河曲という字義に着目して、この辺の川筋で大きく曲っている地点をさがして、当時の毛野《けぬ》川が最も大きく迂回《うかい》していたと思われる今の下妻市の旧上妻、真壁郡関城町の旧関本、旧河内のあたりと見ている。しかし、ここは、水守の東北方四里、豊田の北方四里の地点だ。これまた、わざわざこんな所まで出張して戦ったとは思われない。
ぼくは、この戦場は、水守と豊田とをつなぐ直線上かその附近に存在していたと見るのが最も自然であると思う。そこで地図を案じてみると、今の下妻市|豊加美《とよかみ》の柳原から、はるかに南方の牛久沼《うしくぬま》に至るまで、一道の低地がつづいていて、ずっと昔は川筋であったことがわかる。これが、この時代の養蚕川の川筋ではなかろうか。
そこで、この線と、水守と豊田とをつなぐ直線との交叉点《こうさてん》のあたりを見ると、川筋がたしかに大きく曲っている。即《すなわ》ち、今の筑波郡豊里町の旧旭、旧吉沼、旧上郷の会するあたりである。仮に、ここを当時の川曲村と見て、筆を進める。
しばらく人馬の息を休めているうちに、斥候の兵がはせかえって来て、敵が十町ほど向うの松林の中で休息をとっていると報告した。
「よし」
命を下して、それぞれの馬に七寸《みずき》をふくませ、忍びよるようにゆるやかな足どりで前進にかかった。馬もいななかず、人も語らず、物の具のふれ合う音と露じめりした大地をふむ蹄《ひづめ》の音のみが粛々として霧の中につづいた。
松林にかかる四町ほど手前で、行進をとめて隊を両分し、百騎を将頼にさずけてそこにとどめ、自ら五十騎をひきいて、刈田の中を迂回して、松林の横を目ざして進んだ。
松林の中では、こちらがそれほど間近く迫って来つつあるとは露気がつかないらしく、近づくにつれて、馬のいななきや、声高な談笑の声が、高い松の梢《こずえ》だけがボウと浮いている霧の中から聞こえていた。
目ざす林の横手に出た頃、太陽が出た。霧の中に真紅な盆のような太陽だ。同時に、朝風がそよぎ出し、厚ぽッたく濃かった霧は見る間に薄れて、林の木々の姿や、その間に思い思いの姿で休息をとっている水守勢が影絵のように見えた。
「それ、鬨《とき》の声!」
兵士等は小次郎の言葉のおわるを待たなかった。鞍壺《くらつぼ》を叩《たた》いて、一斉にドッと叫んだ。
こだまの返って来るように遠くから、もっとおびただしい声がひびいて来たのは、将頼の勢が鬨を合わせたのであった。
思いもよらず間近に迫り、しかも挟撃《きようげき》の陣を張っている豊田勢を見て、水守勢は仰天した。
「おちつけ、おちつけ! この林の中だ。敵は駆けこんで来られぬのだ。矢を射かけられても、木立にさえぎられて、とどきはせんぞ! おちついて支度せい!」
さすがに、猛勇の名ある常陸《ひたち》六郎良正であった。馬を乗りまわし乗りまわし、兵士共の狼狽《ろうばい》を制止して、忽ちのうちにしずめてしまった。
その間に、小次郎は矢を射かけさせた。矢は薄絹のような霧をかすめ、鋭い音を放ちつつ、薄墨色の樹木の間を飛んで行った。多くは、木々の幹や枝にさえぎられてうまくとどかなかったが、それでも、五六騎は射落された。
「それ射よ! それ射よ! 敵は生簀《いけす》の魚、囲いの獣にひとしいぞ! それ射よ! それ射よ」
小次郎は、なお射かけさせた。騎馬の戦いを得意とする彼等にとっては、障碍物《しようがいぶつ》の多い林中に突入しての戦いはやっては不利だ。網にかかった魚のように、敵の行動が鈍っている間に、射戦によって出来るだけの損害をあたえてその兵力を殺《そ》いでおいて、騎馬戦にうつるのが、この際最も有利な方法であると、思ったのであった。
良正は、歯がみして口惜しがった。
「わッぱめ! 味をやる! 味をやる!」
応射一つしない間に十余騎も殺傷されて、やっと林を突出して来た。おこり立つ火のように激怒して、直ちに突撃にかかろうとしたが、小次郎はすばやく兵をかえし、かえしながら、将頼の隊に向って、
「おうい!」
と、呼ばわった。
馬上にのび上り、小手をかざして、戦いの有様を望見していた将頼は、兄の合図を聞くや、
「そうれ!」
と叫んで馬をおどらせて走り出した。
「ウワーッ!」
と叫喚して、百騎の兵がつづいた。
彼等は、刈田の中を斜めに疾駆して、水守勢の横に出ようとした。
逃げる小次郎勢を真ッ先かけて追いかけていた良正は、このまま進めば、横矢を射かけられると思った。そこで、進路を将頼勢の方に向け、疾駆しながら矢を放った。将頼勢も応射した。
良正が自分を追うのをやめたと見るや、小次郎は馬首をめぐらして、良正勢の横に出ながら、散々に射た。
良正勢の立場はおそろしく困難になった。将頼勢に向えば小次郎勢が横矢を入れ、小次郎勢に向えば将頼勢が横矢を入れ、右に向い左に向う間に、櫛《くし》の歯が欠けるように射落される者があいついだ。混乱し、混乱し、また混乱した。
こんな巧妙な戦術に、良正は出逢《であ》ったことがない。両臂《りようび》をふるうが如《ごと》しとは、このような兵の使い方を言うのであろう。駆けるも退《ひ》くも、ピタリと呼吸が合って、寸分のゆるみがない。ねばりの強い|とりもち《ヽヽヽヽ》に食ッつかれているようないらだたしさであった。
「味をやる! 味をやる! 童《わつぱ》め! 童め!」
良正はたえず歯を噛み鳴らしながら、気力をはげまして戦いつづけた。
「死ねや! 死ねや! 皆死ねや!」
完全にもう狂気していた。
兵士等もまた歯をくいしばって戦っていた。
良正も、兵士等も、今はもう打物とっての接戦以外に局面を打開する方法はないと思って、そうしようとしたが、豊田方は絶対にそうさせなかった。たえず一定の距離をたもって駆け退《ひ》きしつつ矢を射かける。
こうしてみすみす的になって射落されるばかりの立場に、兵士等は、ついにたまらなくなった。どこやらに、ワッ! と、おびえた声がおこると忽ち総くずれになった。
「なぜ逃げる? こら! 逃げてはならん! おのれ! 斬《き》るぞ!」
良正は激怒した。片手に刀をぬきはなち、ふりまわしながらどなった。しかし、兵士等はふりかえりもせず、ただ逃げに逃げた。
ついに、良正は最後の決心をきめた。弓をすて、やなぐいをかなぐりすて、まっしぐらに小次郎勢を目がけて馬を駆けよせ、駆けよせながら叫んだ。
「卑怯《ひきよう》なり、小次郎! 矢戦さばかりで勝負を決しようとは、坂東武士にあるまじき戦いぶりだ。いざ、駆け合わせい! 一騎打ちにて勝負を決めよう」
「心得たり!」
小次郎は片手を上げて、味方に矢どめしておいて、馬を乗り出した。
良正も、小次郎も、共に得物は太刀《たち》であった。霧はもうすっかり晴れて、まぶしいまでに朝日が照りわたり、双方の鎧《よろい》の金物と、ふりかざした太刀をキラキラとかがやかしていた。
雄叫《おたけ》びは双方同時に上り、双方同時に馳突《ちとつ》にかかり、馳せちがいざまに斬りおろした。
組織立った剣法が出来たのは、はるかにはるかに後世のことだ。生れながらの力と、勇気と、経験と、機転によって、攻撃し、防禦《ぼうぎよ》している時代だ。猛烈であり、粗剛であった。二人の太刀は、互いの鎧の袖を切りけずっただけで、そのままに馳せちがった。
馬を乗りかえして、また馳突し、また斬りおろしたが、こんども、どちらも斬りはずした。
こうして四度、馳せちがい馳せちがい攻撃し合ったが、どちらも敵に損害をあたえることが出来なかった。
気短かな良正は、気をいらった。五度目の馳せちがいに、大喝《だいかつ》と共に横に薙《な》いだが、あせったために距離の測定をあやまっていた。鋭い切ッ先は、小次郎の胸の栴檀《せんだん》の板を斬りとばしただけであった。
捨身の攻撃であっただけに、外れたとなると、みじめであった。力あまって刀ははるかに横に流れて、良正の上体は前にのめった。
無念と、絶望の、獣じみた叫びを上げて、立直ろうとした時、小次郎の刀はうなりを生じて振りおろされ、冑《かぶと》の鉢《はち》にあたって、はげしい音を立てた。
良正が目まいを感じたほどのしたたかな打撃ではあったが、何が救いになるかわからない。良正の上体が前にのめりすぎていたために、小次郎の刀は物打《ものう》ちをはるかにこえた鍔元《つばもと》に近い所で斬っていた。鍛えよき冑は鉢金にわずかにきずをつけられただけで、刀は鍔元からポッキと折れて飛び散った。
「しまった」
小次郎は、手もとにのこるつかを投げてすて、揚巻《あげまき》の紐《ひも》をつかんで手どりにしようとしたが、良正は首をふり、身をよじり、馬をあおって飛びのいた。
「来い、童《わつぱ》め!」
とさけんで、刀をふりかざした。
小次郎は素手であったが、少しもためらわなかった。
「いざ組もう!」
大手をひろげて、猛虎《もうこ》のたけるように呼ばわって、馬を駆けよせた。眉《まゆ》をさか立て、まなじりを裂き、おそろしい姿であった。雷の落ちかかるような勢いであった。
我にもあらず、良正の胸はおびえ、その気を知って、馬もおびえた。かなしげにいななくと共に、馬首をめぐらし、狂ったように逃走にかかった。
小次郎は、カッと腹を立てた。
「きたなし! それが常陸六郎と世に知られた者の振舞いか! 返せ! もどせ! いさぎよく勝負決せよ!」
ののしりながら、追っかけると、鳴りをしずめて見物していた豊田勢も、一斉《いつせい》に追撃にかかった。
際限もない恐怖が、良正をとらえた。馬の平首を抱き、馬背に身を伏せ、めったやたらに鞭《むち》をあて、角《かく》を入れて、ただ逃げ、また逃げた。
若い妻
戦いは、豊田方の完全な勝利におわった。水守《みもり》方の戦死者六十余騎、傷者はそれより多かった。
のみならず、古代の名ごりの濃厚にのこっている当時の戦争は、単に武勇の上の勝敗を決するだけではない。負けた者は、領地も奪われ、民も奪われるのだ。しかけた戦争に敗れて、良正《よしまさ》は土地と民の半ば近くも失ったのであった。
良正の武名がおちるとともに、小次郎の武名が高くなったのは当然であった。
この春の勝戦さまでは怪我《けが》勝ちかも知れないと疑っていた人々も、もう信ぜざるを得なかった。
「真実、豊田のは強いのだぞい」
「ほんとぞい。あの若さでのう」
「それにしても、水守のは案外なことであったのう。それほどの年でもないのにのう」
と、いった工合だ。
良正が口惜しがったことは言うまでもない。しかし、もう攻勢には出られない。水守の館《やかた》をかためて、進撃して来るかも知れない豊田勢に備えるのが精一杯であった。
数日たつと、小次郎の様子がわかった。占領した土地と民の始末をし、要所要所に守備の兵をのこして、豊田にかえったという。
際限もなく臆病《おくびよう》になっている良正には、まだ不安だ。そう見せかけて油断させておいて、不意に押寄せて来るかも知れないと思うのだ。彼はなお守備をかため、いくども細作《しのび》をはなって、小次郎の動静をたしかめて、やっと平常にかえった。
良正は、寝てもさめても、この口惜しさを忘れなかった。今や、小次郎を討つことは、人のためではない。自分のためであった。小次郎を討たなければ、泥土《でいど》にまみれた名誉を回復することが出来ず、失地を回復することが出来ないのだ。
しかし、独力ではあたり得ないことが明らかだ。豊田の勢力と水守の勢力とは、土地の広さの点でも、軍勢の数の点でも、また、士気の点でも、今や懸絶《けんぜつ》している。
「上総《かずさ》の兄貴の援助を乞《こ》うよりほかはない」
結論は、しぜんとそこへ行った。
手紙をしたため、心きいた郎党に持たせ、上総につかわした。
十日ほどの後、郎党はかえって来た。良兼《よしかね》自筆の返書をたずさえていた。
(貴翰《きかん》の趣、もっともしごくである。小次郎は、今や一門の叛逆《はんぎやく》者となりおわった。これを膺懲《ようちよう》するのは、一門の長たる自分の任務である。しかし、彼は年少とはいえ、その武勇|侮《あなど》りがたきものがある。十二分の用意をしてかかる必要がある。そちらはそちらで、与力《よりき》の勢《せい》を語らい、武具をととのえて、準備してもらいたい。自分はおりを見て、大兵をひきいて行き向い、合体して、彼に向うであろう)
快報であった。予想をはるかに上まわっていた。敗戦以来はじめて胸のひらく思いであった。病気のことが全然書いてないのも、うれしかった。きっと、すっかりなおってしまったのだろうと思った。
しかし、念のために聞いてみた。
「兄御はお達者なようであったか」
返事は意外であった。
「殿様にはお目にかからなかったのでございます」
「なに? 会わなかった? しかし、これは兄御の筆《て》だぞ」
「てまえのお目にかかったのは、北のおん方でございます。北のおん方だけがお出ましになって、こちらの手紙をお受けになり、万事のことをお聞き取りになり、奥へお入りになりましたが、しばらくの後、またお出ましになって、二三日滞在いたすように仰《おお》せられました。それで、三日ほど滞在させていただきましたところ、三日目に、申しこしの旨《むね》承知したと仰せられて、この御返翰を賜わったのでございます。終始、北のおん方おひとりのおとりもちで、殿にはお目にかかれなかったのでございます」
いぶかしいことであった。良正は、また返翰をひらいて、子細に見なおした。どう見ても、良兼の筆蹟《ひつせき》にちがいなかった。
「兄御は病気がまだ全快していないのではないか。そんなことは聞かなかったか。下人共や郎党共の口からでも」
「聞いてみました。御病気は、もうほとんど御全快だそうでございますが、時々目まいがなさるそうで、その時は用心のため、二三日お寝《やす》みなさいますとか」
「なるほど。ちょうどその寝《やす》んでいた時だったのだな」
「いいえ、そうではございませんそうで」
「そうでない?」
「はあ、てまえもそうと考えまして、そう聞きましたところ、お答えはなく、ただにこにこと笑って、話をまぎらかされましてございます」
「ふうむ」
不安はあった。しかし、悪い方には考えたくなかった。周到に思いをめぐらすことは、必要もゆるさなければ、性質もゆるさなかった。
(なにか、都合があったのじゃろう。何よりも、自筆のこの手紙があるのだ。余計なことを考えまわすことはいらん。大いに信用して、事を運ぶべしだ!)
良正は、兄の返翰の写しをこしらえ、自分の手紙にそえて、一族の人々や、交際のある他氏の人々におくって、与力を頼んでやった。
坂東《ばんどう》平氏の頭領であり、大領主である前《さきの》上総介《かずさのすけ》良兼《よしかね》が自ら乗り出すというのだ。勝利の数は明らかであると思われた。
「芳書《ほうしよ》の趣、即《すなわ》ち領掌《りようしよう》しおわんぬ。事あるの日には、直ちに軍勢をひきいて馳《は》せ参じ、一|臂《ぴ》の力を合わせ申すべし」
と、申しおくる者がつづいた。
良正は大よろこびだ。
「もう大丈夫。雪辱は成ったも同然だ。豊田のわっぱの運命はもうきまった」
良正の意気は、日ましにあがった。
これらのことは、次々に上総に報告されたが、報告を受けとる度に、良兼は憂鬱《ゆううつ》になった。
実を言うと、良兼はこのことに関係したくなかったのだ。最初良正の使者が来た時も、からだの調子がまだ十分でないことを理由にしてことわるつもりであったのだが、妻の詮子《せんこ》が承知しなかった。
詮子は、いつも実家に対してすまないと思っていた。現在の実家の不幸は、もとはといえば詮子が種をまいたようなものだ。彼女があんな計略を立てなければ、あんな悲惨な結末にはならなかったはずである。もちろん、悪《あし》かれと思ってしたことではない。家のためと信じきってしたのだ。が、そんな弁解は、今となっては何の役にも立ちはしない。結果はまさしくああなったのだ。
実家にすまないと思う心は、小次郎に対する益々《ますます》深い憎悪《ぞうお》と怨恨《えんこん》となった。
実家からもまた、扶《たすく》等三人の怨《うら》みを報じてくれるように、しげしげと言って来た。
詮子は、おりにふれて、夫を口説いた。泣いて説き、媚《こ》びて説き、離縁をとって実家に帰るとおどかしもした。
しかし、良兼の返事ははかばかしくなかった。
「わしとて、そなたの父者《ててじや》や、そなたらの無念がわからないではない。しかし、わしの今のこのからだで、どうすることが出来よう。あせらず時機を待っているがよい。きっとこのままではおかぬからな」
というばかりであった。
水守の良正が事をおこすと聞いた時には、詮子はもう狂気のようになって口説き立てた。
「直ちに兵をひきいて行って、水守へ後詰《ごづめ》なさるべきでございます。殿にとっても、お兄上|国香《くにか》の殿のかたきではございませんか。良正の殿だけで豊田を討ち取られたら、殿は世間にお顔向けの出来ぬことになられましょう。坂東平氏の総頭領として、それではなりますまい」
勝気な彼女には、妹聟《いもうとむこ》の力だけで事がとげられることも、がまんならなかったのだ。
しかし、良兼はやはり煮え切らなかった。
「そなたから言われるまでもなくそうしたい心は山々だが、今のわしの健康では、着長《きせなが》(大将の鎧)をつけることも出来ぬ。残念であるが、いたしかたはない」
と言い張って動かなかった。
こんなわけであったので、良正が敗れたと聞いた時、実をいうと詮子はかえって喜んだ。
「きっと夫を口説きおとして、夫の手によって事を遂げさせる」
と、決心を新たにした。
良正から助勢をもとめる使者が来たのは、その頃《ころ》であった。
良兼には、使者がどんな用件を帯びて来たか、すぐ推察がついた。彼は会わなかった。
「用事はわかっているが、今は会っても無駄《むだ》だ。消息は受取って、いずれ後から返事すると申して、かえすがよい」
というのであった。
詮子は懸命の努力で夫を口説き、ともかくも、返事をしたためさせた。
「急にどうこうというのではございますまいから、おからだの工合がどうこうということは、理由になりますまい。せっかく水守もここまで思いこんでいらっしゃるのでございます。一門の頭領として、おこり立っている火に水をかけるようなことをなさってはなりますまい。気力のつくよう、はげみの出るよう、お書きになるべきでございましょう」
と、言って、自ら文言《もんごん》を口授《くじゆ》までしたのであった。
良兼はことごとく不愉快であった。妻の強引な進言も不愉快であった。が、それに押し切られて心にもない返書をしたためてしまった自分の気の弱さは、一層不愉快であった。さらにまた、この返書をしたためた以上、やがてはいやが応でも小次郎討伐に乗り出さなければならなくなるであろうと思うと、たまらなかった。
不機嫌《ふきげん》な毎日がつづいた。彼はほとんどの日、からだの調子が悪いと言って、床についていた。拙劣な策であることは自分でも知っていた。良正の使いが来る前まではこう寝てばかりはいなかったのである。しかし、戦さ支度にかかることを避けるためには、こうするほかはなかった。
詮子は、これが虚病《けびよう》であることを知っている。良兼の心中も見抜いている。あまり性急にせき立てておこらしてしまっては、本も子もなくする。
「いけないこと――あまりお焦《あせ》りになるから、悪くなったのでございますよ。急ぐことはございません。十分な用意が出来てからのことでございます。お気をゆるりともって下さいまし。そうしたらすぐおなおりになります。
皆様、殿おひとりを頼りにしていらっしゃるのでございますが、それだけにかえって気を楽にお持ちになることがかんじんでございます」
と、やさしく言って、まめまめしい看病をつづけた。
また、
「それに、殿に万一のことがございましたら、詮子はどうなるのでございましょう。一度ならず、二度までも、夫に先き立たれるのでございます。もう、実家《さと》は頼りになりません。年老いた父だけしかいないのでございますもの。殿おひとりを天にも地にも頼りにしている詮子でございます。早くお丈夫になって下さいまし、ほんとに、ほんとに……」
と言って、さめざめと泣くこともあった。
目に入れても痛くないほどに可愛《かわい》い若い妻が、こうまでやさしく、こうまで忠実に仕え、こうまで頼り、こうまで悲しんでいるのを見ると、良兼は、涙がこぼれそうになる。
(可愛いや、虚病であるとも知らず)
と、すまなさで一杯になる。
良兼は、死にたいほど苦しくなった。すぐにも床をはらって起きたかった。起きればいやがおうでも戦さ支度にかからなければならない。愛する娘良子の幸福を奪うことになる戦さ支度だ。
といって、このままでおれば、いつまでも詮子を悲しませねばならない。
「ああ、ああ、ああ、ああ……」
病室に誰もいない時を見すましては、良兼は嘆息する。
「このまま死んでしまったら、かえって幸福だ。詮子が頼りない身になるのは気の毒だが、相当な所領を譲ることにしておけば、そう悪い境遇になるわけではないから」
と、真剣に考えることもあった。
年の暮近くになって、とうとう良兼は床ばらいをした。切なさにやりきれなくなったのであった。
「さあ、とうとう狸爺《たぬきじい》さまを穴から燻《いぶ》し出した」
詮子は、心中ほくそ笑んだ。しかし、年内は用心して持ち出さなかった。年がかわっても正月中はさしひかえた。
二月になって間もなく、沼の面にうららかな日がかがやいている日であった。その日、詮子は良兼とともに、沼に臨んだ御殿で、沼の春景色を眺《なが》めていたが、ふと思いついたように、話を切り出した。
「どうやら、おからだの工合も、およろしいようでございますし、あの時からもう三月の上もたっております。そろそろお支度におかかりになったらいかがでございましょうか」
覚悟はしていたことながら、良兼は重いものがドッと胸にかかった気持であった。渋い渋い顔になった。
詮子はそれを見た。その心理もはっきりと見てとった。しかし、愛嬌《あいきよう》のよい明るい顔でつづけた。
「風のたよりに聞きますと、殿がお乗り出しになるということで、一時、水守は大へんな景気で、御同族といわず、他氏といわず、我も我もと与力を申しこんで来なさる方々が引きも切らない有様でありましたが、かんじんのこちらが、殿の御病気のため、用意を進める模様がないので、近頃では二の足ふむ方々もありますとか。
つまり、坂東一円、殿お一人を標的としているわけなのでございますのねえ。連れ添う女の身として、どんなにか、肩身のひろいことか! ほんとに、詮子は果報ものでございます」
十分の媚びをもって詮子は言ったつもりであったが、良兼の苦渋の色は一層深くなった。にがにがしげに言いはなった。
「心得ておる。わしは武人だ。女子供にそんなことを言ってもらいたくない」
詮子はムッとした。しかし、なお美しい微笑にくるんで言った。
「申訳ございません。つい、殿のお名前を案ずるものですから、でも、もう申しません。殿に十分なお考えがあるのですもの」
とつぜん、良兼は、詮子がにくくなった。言うまいと思い、言ってはならないと自制しながらも、言わずにおられなかった。
「そなたは、どうでも、わしに小次郎を討たせたいのだな」
詮子の様子もかわった。微笑は消え、不愉快な鋭い光が目に点じた。
「殿は討ちたくないのでございますか。他家に縁が定まって嫁ぎつつある娘を、途中で奪い去ったのでございますよ。殿の兄上である国香の殿を殺した当人でございますよ。連れ添う妻の弟三人を殺した当人でございますよ」
紅い美しい唇《くちびる》から出ることばは、一句一句、剃刀《かみそり》のように鋭い。
良兼は黙っていた。なまじなことを言い出したことを後悔していた。
けれども、詮子の舌鋒《ぜつぽう》はゆるまない。
「殿は姫が小次郎の妻となって満足していなさるというので、討ちたくなくなられたのです。殿には、わが子にたいする愛情はあっても、妻への愛情はないのです。武士の意気地や誇りもないのです」
ここまで言われれば十分だ。良兼はカッとなった。
「黙んなさい! ことのおこりは、もとはといえば、そなたの賢《さか》しらから出たことだ。
小次郎は、後悔していた。どうすれば、そなたの家にわびが叶《かな》うかと、あんなにへり下って頼んで来た。それをそなたは弟達をおだてて、だまし討ちにしようとしたのだ。そなたがあんなことをせなんだら、そなたの家のあの悲惨な不運はなかったはずだ。種を蒔《ま》いたのは、外ならぬそなたではないか。
余人なら知らず、そのそなたが、かようなことを執拗《しつよう》にすすめるとは何事だ。つつしんで、ひたすらに悔いているべきではないか」
せきを切ったにひとしかった。嗜虐《しぎやく》的なよろこびと興奮とが、良兼を駆り立てていた。畳みかけ畳みかけ、これでもか、これでもかといわぬばかりの言い方であった。
詮子は真青になった。おそろしい顔になった。色の失《う》せた唇を口惜しげにゆがませふるわせていた。どう言おうかと思案しているようであったが、忽《たちま》ちまた弁じ立てる。
「殿は卑怯《ひきよう》でございます。なぜ、罪のないわたしをそんなにお責めになるのです。事は、小次郎殿がわびればすむことであったのでございましょうか。わびたくらいで消える罪ではございますまい。
本来なら、これは、殿が豊田に押し寄せ、罪をおただしにならねばならなかったことです。現に、殿も兵《つわもの》共を召しつどえて、お打ち立ちになるばかりであったのではございませんか。にわかな御病気のため、やむなく御中止になったのではありませんか。
いたしかたなく、好まぬことながら、女の身でありながら、わたくしが謀《はかりごと》を立てたのです。
わたくしが不幸の種を蒔いたなど、あまりな仰せようでございます。今になって、そんなことを仰っしゃるなら、なぜ、あの時、病気などになられたのでございます。卑怯でございます。卑怯でございます。無責任でございます」
「黙んなさい! 黙んなさい! 黙んなさいと申している!……」
言いつめられて、良兼はただこう叫びつづけた。
「いいえ、黙りません。殿は、わたしを愛しておられないのです。良子殿への愛情にまけて、妻への愛情をお忘れになったのです。年の相違も忘れて、一筋に頼り切って嫁いで来た妻でありますのに、一旦《いつたん》手に入れてしまえば、もう愛情をさましてしまう、ああ男心のはかなさ!
詮子はだまされたのです!
卑怯もの! 卑怯もの! 卑怯もの!……」
女のこんな言い方ほど、男を怒らせるものはない。良兼は、何をしでかすか、自分で自分が信じられなかった。無言で立上って、へやを出て行こうとした。
「卑怯者! 逃げるのですか!」
詮子はしがみついて来た。
目をつり上げ、口をゆがめ、青白くふるえているその顔を見た時、良兼はしみじみと情なくなった。こんな女であったのか! と、愛情などかけらほどものこっていないような気がした。懸命に激情をおさえた。わざと低い声で言った。
「はなせ、のけ」
もうがまん出来なかった。
「のけというに!」
大喝《だいかつ》するや、力いっぱい突きとばした。
ドウ! と、音の立つほどはげしく、詮子は床《ゆか》にたおれた。
良兼は、はっとした。怒りは、忽ちにして去った。後悔した。怪我《けが》でもしたのではないかと心配した。見ると、長い黒髪が床一ぱいに乱れひろがり、白くしなやかで長い首が、がくりと伏している。
いとしくて、気の毒でならなくなった良兼は、立去りもやらず、といって、近づきも出来ず、立ちすくんでいた。
そのけはいを知って詮子は、ヒー、と、かなしげな泣声をあげた。白く小さい手を顔にあて、首筋をうねらせ、背を波打たせ、子供のようにうつ伏したまま、よよと泣く。
良兼は、ためらいながらも、そこを立去った。良兼は、自分の心が日にあたった蝋《ろう》のようにやわらかくなり、涙もろくなっているのを感じた。
庭におりて、沼に面した土居《どい》に立った。去年の春たおれた、あの柳の前である。柳は、今年も芽吹いている。苞《つと》を破ってやっとかじかんだ葉をひろげかけている可憐《かれん》な新芽だ。薄緑の玉をつらねたように美しかった。
その柳の新芽を見、春の陽《ひ》のかがよっている沼の面を見ながらも、彼はまるでそれを意識しない。のこして来た若い妻の上のことばかり考えていた。乱れた髪、白い首筋、小さい手、よよと泣く声……
おぼえず、大きな溜息《ためいき》が出た。つぶやいた。
「しかたはない。しかたはない。どの道、小次郎は討ち取られねばならないのだ」
このことについての夫婦の争いは、これが最後であった。論争の上ではいずれとも決着はつかなかったが、実行の上で、良兼は我《が》をおった。小次郎討伐の支度にとりかかった。
領内に散らばっている郎党や、家人《けにん》や、百姓共にふれがまわされ、武器や武具が製造修理され、糧食《りようしよく》が用意され、全坂東の同族に使者がつかわされ、水守の良正と連絡をとりつつ細作《しのび》が放たれた。小次郎の武勇が一度ならず、二度までも立証された以上、軽率な挑戦《ちようせん》は出来ないのである。
こうして戦さ支度が着々とすすめられると、詮子は、柔順で、やさしく、よく気のつく妻になった。
「殿はやはり生れながらの武人でおわします。この頃のお凜々《りり》しいこと! 詮子はもう見とれるばかりでございます」
とか、
「この頃、殿は日にまし若くおなりでございます。お顔色もよくおなりであれば、お立居の軽くおすこやかなことは、若者のようでございます」
とか、
「詮子はほんとにほんとに幸せ者でございます。女と生れて来たことの幸せを、今ほど感じたことはございません」
とか言っては、良兼をほめたたえ、そのもてなしの行きとどくこと、至れりつくせりだ。
良兼は、妻のこの態度が、事情が少しでもかわればまるで逆になるものであることをよく知っていたが、それでもうれしかった。
彼は、再びこのことで妻と諍《いさか》うまいと思った。良子のことは、もちろん、考えられ、考えれば心が暗くなったが、考えないようにつとめた。いつも心の外へ押し出すようにした。
一門の統制
六月になって間もなく、灼《や》けるような炎天つづきのある日であった。水守《みもり》から良正が来た。郎党下人わずかに三人をしたがえた、微行《しのび》姿であった。
何ごとであろうかと思いながらも迎えると、あいさつもそこそこに、すぐ兵を繰り出すはこびにしてもらいたいという。
良兼はおどろいた。太陰暦の六月だから、今日の暦なら大体七月だ。坂東一帯、水田の灌漑《かんがい》や除草で繁忙をきわめている時だ。
「それはなるまい。兵を行《や》るの季節ではない」
と、たしなめたが、良正ははやり切っている。
「兵の要は敵の虚をつくにある。敵方は、今農事にかまけて、油断しきっている。これほどの好機を利用せんという法はない」
と、言い立ててやまない。
詮子もまた、同意していう。
「戦場になるべき土地は敵地でございます。田畑を踏み荒そうと、農事に害があろうと、こちらには何のさしつかえはないわけでございますわねえ」
あの口争い以後、なにごとも詮子の言うことにさからうまいと覚悟をきめている良兼だ。ためらいを振り切った。
「よろしい。では打ち立とう。そなたは、水守にかえって、与力の衆へもこの旨《むね》を達して、身の行くのを待っていてもらいたい」
「かしこまった。では、お待ちしている」
良正は、一泊もせずに帰りかける。良兼は呼びとめた。
「ちょっと待て」
「なんだ」
「与力の衆と一緒に、左馬《さま》ノ允《じよう》を呼んでおいてくれぬか」
「左馬ノ允? 貞盛がことか」
「ああ」
「貞盛などを呼んでどうなさるつもりだ。ありゃ駄目《だめ》だよ。ありゃ箸《はし》にも棒にもかからぬ腰抜けだ。親を殺されていながら、敵《かたき》討つ料簡《りようけん》などさらにない。すでに小次郎と会って和睦《わぼく》したのみか、領地全体の管理までまかせてしまっているのだ」
腹立たしげに、良正はどなり立てた。
良兼は、にこにこ笑いながら言う。
「そのことは、わしも聞いている。しかし、それでも、ぜひ呼んでおいてもらいたい。わしにある考えがある」
「そうか。兄者がそれほど言うなら、呼んでおく。おれは一向に気が進まんのだが」
良正は、かえって行った。
それから、約二十日、六月二十六日、良兼は軍容をととのえて、上総《かずさ》を出発した。上下およそ千余騎。
これは、当時の坂東としては、おどろくべき大軍であった。豪族といっても、ずっとずっと後世、足利時代以後の大名のような大きなものではない。農地の千町歩も持てば大豪族だ。多くは四五十町歩から二三百町歩くらいの地主だ。したがって、彼等同士の戦争は、戦争という名はあっても、二十騎三十騎の、いわば喧嘩《けんか》程度のものだ。二百騎も動員されての戦争なら、大戦争といってよい。
ところが、この時良兼は千余騎をひきいて打ち立ったのだ。全世帯の力を挙げたのであり、必勝を期していたのであった。
良兼のこの大動員は、忽《たちま》ち国府に知れ、取調べのために役人が派遣されて来た。
役人は、国の前《さき》の介《すけ》であり、大豪族である良兼に、一目も二目もおいているのだが、命令されて来たこととて、いたし方はない。ともかくも、こう言った。
「風聞を聞いて、国府では大騒ぎです。一体、どうなされたのでありますか」
良兼は相手をなめきっている。
「ほう、そうかの。どうしてそんな噂《うわさ》が立ったのだろう。なに、大したことではない。ちょいと一族の間に紛擾《もめごと》があるので、仲裁に行くのじゃよ」
と、説明した。ごまかしているつもりはない。まさにそうに違いないとも言えるのだから。
「仲裁にしてはおびただしい兵数であります。おだやかでありません。人数を減らしていただけますまいか」
「まあ、まあ、そう言いなさるな。公儀《おおやけ》への憚《はばか》りはちゃんと存じている。関所関所など、決して犯さぬ。必ず脇道《わきみち》を通って行くからな。まあ見のがしてもらいたい」
相手が相手だ。こう言われては、どうすることも出来ない。
「おだやかに願いますぞ。おだやかに願いますぞ」
と、くりかえし言いおいて、帰って行った。
こうして、千余騎の大軍は、武射郡《むさごおり》の山間の間道から下総国《しもうさのくに》香取郡の神崎《こうざき》(今のカンザキ)に出、そこから船で常陸《ひたち》の信太郡《しのだごおり》江前《えさき》ノ津《つ》(今の江戸崎)にわたり、夜通し行軍をつづけて、夜の白々明けに水守についた。
良正は大喜びだ。足を空《そら》にして出迎えた。
「ああ、ついに来られたな、兄者、ついに来られたな、兄者。――おお、おお、さても見事な武者共! さてもたくましい馬共! 気強やな。かほどの軍勢のあるかぎり、味方の勝利は疑いないぞ! ああ、気強やな!」
暁の大庭《おおにわ》に居ならんだ上総勢を見て、ほんとに涙をこぼした。
とりあえず、軍勢に休息をあたえておいて、良兼は奥殿へ通ったが、その途《みち》すがら良正に聞いた。
「左馬ノ允は来ているかな」
「うむ、来ている。やつを連れて来るのは、一通りのことではなかったぞ。なんのかんのと、口賢《くちさか》しく言いくさって、中々うんと言わん。そこで、一門の第一の長者が会いたいといっているものを、来ぬということがあるものか、与力したくなくば、会った上で断わるがよい、それが一門に連《つらな》るものの礼儀というものだぞ、と、散々に申して、どうやら連れて来は来たものの、おれはやはり、やつを与力させることは、やめるがよいと思う。あの分では、無理に与力させても裏切るかも知れんぞ。それこそ、身中に虫を飼うようなものだと思う」
くどくどと良正の言いたてるのに、良兼は一語もさしはさまなかった。ただ、しとしとと歩いた。
貞盛は、奥の客殿に、ひとりつくねんと端坐《たんざ》して庭を眺《なが》めていた。高い木々のずっと梢《こずえ》の方にだけ朝日があたって、根許《ねもと》のしげみや庭の隅々《すみずみ》にはまだ夜の薄暗ののこっている庭であった。前庭の方から到着の兵等のざわめきが聞こえて来るのが、今の彼には圧迫的に聞こえる。彼は時々肩をそびやかして、その圧迫に対抗した。
「やあ、来ていてくれたの。そなたがわしに逢《あ》いたがらぬと聞いて、実は案じながら来たのだ。しかし、こうして来ていてくれた。珍重《ちんちよう》、珍重」
良兼は、遠くから愛想よく声をかけながら近づいて来て、設けてある席にゆらりと坐《すわ》った。
こういう愛想のよさが最も油断がならない。貞盛はおとらない愛想のよい表情をつくりながらも、心をひきしめ、ことば少なく、そして、礼儀正しくあいさつした。
「おん病《いた》づきのことは聞いておりましたが、御承知の通りの事情での帰国でありますので、寸暇なき有様で、お見舞にも上らず、失礼いたしました」
「いや、いや、病気はごらんの通り、快癒《かいゆ》している。見舞になど来てもらっては、かえってきまりが悪いようなものだ。ハハ、ハハ、ハハ」
いよいよ愛想よく笑いすてて、一別以来のことを何くれとなく話題にしていたが、突然、容《かたち》をあらためた。
「左馬ノ允」
キッとした声であった。そら来た――と、こちらは心を引きしめながらも、かわらない態度でこたえた。
「なんでございます」
「世間の風聞であるから、真偽のほどは知らんが……」
と、良兼の態度が、益々《ますます》おごそかになるのを、貞盛はすばやくさえぎった。
「多分、それは、わたくしが小次郎と和睦したことを言うのでありましょうか。まさしく風聞の通りであります。わたくしは、たしかに小次郎と和睦いたしております」
これだけのことを、貞盛は微笑をふくんで、喜ばしいことでも告げるように語った。
良兼は、にがにがしげな顔になった。
「そなたは、一体、これをよいことと思っているのか。父を殺され、妻の兄弟を殺され、所領を横領され、それで敵《かたき》討つすべも知らず、和睦する? そんな作法を、そなたはどこで習って来たのだ。およそ、武士において尊ぶべきは武名だぞ。武名があればこそ、領民も安んじてその下にいて、その人のために働いてくれる。従って、身上《しんしよう》も保て、従って、先祖の祭りも絶やさんで行けるのだ。そなたのそのやり方のどこに武士の名誉があるのだ。わしは気に入らん、ぜったいに気に入らん――」
ほんとに腹を立てたらしい。身嗜《みだしな》みのよい長い顔が真赤になって、声もどなり立てる荒々しさになっていた。
興奮してはいけないと自制しながらも、知らず知らずに、貞盛も激して来た。
「小次郎はわたくしのいとこであります。親しい族人であります。一門の不幸を、これ以上大きくしてはならないと、わたくしは思ったのです。それがどうしていけないのでしょう。わたくしは、熟慮に熟慮の末に、こうしたのです。お叱《しか》りは心外であります」
「黙れ!」
「黙りません!」
「わしの言うことを聞け。そちの申す通り、小次郎は遠からぬ一族だ。しかし、これは一門の統制を乱す者だ。一門の長者として、わしはこれを伐《う》つ。これを伐たねば一門の統制は立たぬ。
高祖《こうそ》高望王《たかもちおう》の尊霊も御照覧あれ! 小次郎を誅伐《ちゆうばつ》することは、一門の長者として、なさではならんことだ!」
論争はなおつづけられた。
ついに、良兼はこう言った。
「これほど申しても、そのように我意を申し募るなら、わしはそちもまた、一門の統制を乱すものとして、これを討たねばならん。さよう心得るがよい」
「わたくしをお討ちになると仰せられますか」
「そうだ。小次郎と同腹なら、同罪にきまっている。討つになんの不思議があろう」
ここまで決心していようとは意外であった。貞盛は沈思せざるを得なかった。
「わしは、もう言わぬ。まかりかえって、そちの心まかせにするがよい。兵をひきいて、味方にはせ参ずるか、それとも、小次郎の許《もと》に行って、彼と一味して、わしの行き向うのを迎え戦うか、いずれかにするがよかろう」
言いおわると、さっと立って、座敷を出て行った。
これらの問答の間、良正は一語も口を出さず、座敷の隅から目を光らせていたが、つと立上ると、ドウと床板を蹴《け》ってどなった。
「まかりかえれ! うぬがような腰抜け者、見るも目のけがれだッ!」
貞盛は苦笑し、席を立った。車寄せまで出たが、誰一人として見送る者もない。しかたがない。自ら供の者を呼んだ。
「左馬ノ允、まかりかえるぞ!」
急には答えがなかった。そのへんに居ないようであった。三度も四度も、次第に声を高くして呼んで、やっと郎党一人と、下人二人が走って来た。大庭の方から走って来た。上総勢を見物に行っていたらしかった。
「まかりかえる。支度せい」
「ハッ」
と、答えながらも、郎党は急には立たなかった。主人の顔を仰いでいた。もの問いたげに見えた。
何を知ろうとしているか、貞盛にはよくわかる。お味方をなさることにきめられましたか、と、問うているのだ。
貞盛の胸にカッと激し上って来るものがあった。どなりつけた。
「早く支度せい! なにをぐずぐずいたしおる!」
露骨に不機嫌《ふきげん》な様子になって、郎党等は馬をひいて来た。
(こいつらは、おれが小次郎を討とうとしないのが不満なのだ。今叔父等の軍容の盛んなのを見て、その不満が一層|昂《こう》じて来たのだ)
と、貞盛は考えた。
馬鹿者《ばかもの》共が! この馬鹿者共の気に入るように、どうしておれがふるまわなければならないことがあるものか!
彼もまた不機嫌な顔になって、馬に乗った。
大庭にかかると、今日もまた暑くなりそうな朝日が照りかがやいている大庭一ぱいに、武者共のいるのが見えた。
おびただしい数であった。馬は肥え太り、人は骨骼《こつかく》の荒々しくたくましい、いかにも強そうな兵《つわもの》どもであった。良正から幾度も、いかにも自慢げに、これこれの兵が来るのだと聞かされてはいたが、これほどのこととは思っていなかった。おぼえず胸のゆらぐ思いであった。
(小次郎も大へんだぞ)
と、思った。
水守から常陸府中までは筑波《つくば》山塊の山越え道で約六里だ。午後の二時|頃《ごろ》、貞盛は府中にかえりついた。
館《やかた》じゅうが、なんとなくざわめき立っていた。勘の鋭い彼には、これがなぜであるか、すぐ推察がついた。良兼が大軍をひきいて水守の良正の館に到着したことが、早くも聞こえて、皆が興奮しているのに違いなかった。
果して、門を入るとすぐ繁盛《しげもり》と侘田《わびた》ノ真樹《まき》とが飛んで来た。
「お帰り。どうであった? 上総の叔父御、大へんな勢《せい》であるというではないか。二千にあまる軍勢だというでないか」
と、繁盛が問いかけた。頬《ほお》が汗ばみ赤くなり、目が生き生きとかがやいていた。
つづいて真樹が言う。
「御相談はどんな工合《ぐあい》にきまったのでございます。お出かけの間に手配しておきました故《ゆえ》、いつなんどきなりとも、出陣出来ます」
これも勢いこんでいる。
貞盛はいまいましかった。
「誰が出陣すると申した! 出過ぎたことをいたすな!」
どなりつけて、馬を急がせて駒寄《こまよ》せに乗りつけた。二人が顔を見合わせ、うなずきかわしながらついて来たが、ふりかえりもせず、馬を下りて家へ入った。
小督《おごう》が出迎えた。
「おかえりなさりませ」
これも、物問いたげに見えた。
「ああ」
ことば少なくこたえて、母の居間にあいさつに行った。
「おかえりなさい」
母ももの問いたげだ。しかし、母のそれは他の連中とは違う。振切って帰ることが出来ましたか、と聞いているのだ。
貞盛はあたりに人のいないのを見すまして、良兼との問答の次第を、かんたんに物語った。母の顔色はかわった。
「それで、どうおしやるつもりですかえ?」
「初一念をかえる気は、毛頭ありません。上総の叔父御とて、真実わたくしを討つ気があるのではありますまい。味方に引きこみたいためのおどし文句であると思うのです。手をつかねて、まるで無抵抗でいるものに、どうして手出しが出来ましょう」
「そうそう、そうでござるとも」
母は安心の色を浮かべて、うなずいた。
貞盛は、自分のへやに引取った。小督が居て、色々と世話を焼いてくれる。こちらがむっつりしているので、言葉を出しかねているが、問いかけたがっている様子がはっきりとわかる。何を問いたがっているか、それも貞盛にはわかっている。わずらわしくてならなかった。気持が落ちつかなかった。ついに、こう言った。
「しばらく、一人でおいてくれぬか。考えごとをしたいから」
「さようでございますか」
ていねいにおじぎして、しおしおと退《さが》って行った。
貞盛はひとりになったが、依然として心がおちつかないのを感じた。
(なぜだろう?)
彼は考え、また考えた。そして、ついにつきとめた。
良兼の大軍を見たことが、不安の原因であった。あの大軍に寄せられたら、なにか特別のことをしないかぎり、小次郎に勝目はないと思われるのだ。
もし小次郎が敗死するようなことがあっては、自分の立場はなくなるのである。のみならず、良兼がおどし文句を実行にうつして自分を討つことはよもありもすまいが、小次郎に管理を頼んでいる領地は、叔父等にうばわれるに違いない。戦利品として、彼らのものとしてしまうことは明らかだ。
これが貞盛の心を落ちつかせないのであった。なお言えば、意識の底では、この際、叔父等に加担した方が有利なのだと、心が動揺しているのであった。
いまいましかった。
(何というきたないことを考えるおれだ。おれを信頼しきっている小次郎に恥じるがよい)
しかし、それにしても、小次郎が敗《ま》けるのはこまったことであった。
猛然として、考えた。
(小次郎を敗けさせてはならない!)
小次郎に手紙を書いて、叔父等の計画を知らせてやろうと思った。
彼は、硯《すずり》をおろして来て、認《したた》めた。先《ま》ず、叔父等の軍容をのべ、なかなかの大軍であるから、油断なく備えるようにと書いた。そして、しばらく考えて、こう書きそえた。
(上総の叔父は、おれを呼んで与力するように説いた。おれがことわると、おれを小次郎と同腹の一門の叛逆者《はんぎやくしや》と見なして誅伐すると言って威迫した。けれども、おれは説得に応じなかった。ことの起りが起りであるから、おぬしと力を合わせて戦うことが出来ないのが残念だが、おれの心は決してかわらない。その点は信じてくれ。油断をするなよ。健闘をいのる)
この書きそえは、事情の報告のためであったが、ともすれば動揺しそうになる心をつなぎとめるためでもあった。
書きおえて、誰に届けさせようかと考える段になって、ハタと当惑した。
繁盛と真樹の様子から推察される館の人々の空気では、家臣共の誰に命じても、無事に小次郎の手許にとどきそうにない。必ずや、その者は、繁盛と真樹によっておさえられ、根ほり葉ほり問いただされるであろう。そして、二人は自分のところに来て、諫言《かんげん》だてし、兵をくり出して叔父等に与力することをすすめるにきまっている。わずらわしいことだ。
誰にも頼めないとすれば、自分で持って行くよりほかはない。しかし、それとて、公然とは出られない。繁盛等が出さないにきまっている。
「よしよし、夜になってから、忍び出よう。領分内の百姓に銭でもやって頼めば、届けてくれるだろう」
どうやら、工夫はついたが、われながらおかしかった。おれはこの家の主人であり、この家の者共は皆おれに従わなければならないはずであるのに、そのおれが夜陰、盗賊のように人目を盗んで忍び出なければならないとはと思うと、知らず知らずににやにや笑いが出る。
「人間の生涯《しようがい》の中には、色々なことがあるものだなあ」
なんとも、不思議な気持であった。
その時、母が入って来た。
母はうしろをふりかえりふりかえり入って来た。その様子が尋常でなかった。
「どうなさいました」
母は坐ると、ささやくような低い声で言った。
「繁盛どのはじめ皆の者が、叔父御達と一緒になって戦うというて、今にも打ち立たんばかりにしておいでですぞえ」
貞盛はおどろいて立上った。
「そうですか。よくお知らせ下さいました」
言いすてざま、出て行こうとすると、母は机の上の手紙を見つけ、名宛《なあて》に気づくと、
「待ちや。これをここにこのままおいてはいけないことになりましょう」
「あ、そうだ」
貞盛はとり上げた。ふところにしまいかけた。すると、母が言う。
「わたしがあずかりましょうか」
館内におけるただ一人の理解者である母の行きとどいた配慮がうれしかった。わたした。母は、ふところ深くしまいこんだ。
皆の集まっているのは、厩《うまや》の前であるという。行ってみると、広場になっているそこには、繁盛を中心にして侘田ノ真樹以下の郎党等が、直冑《ひたかぶと》で五十騎ばかり、馬を引立てて、今にも打ち立つばかりにしていた。轡《くつわ》には七寸《みずき》を巻き、枚《ばい》を含ませ、人は声をのんで、物の具のふれ合う音すら立てまいと気をくばっていた。まだ明るい日の光の中に、そうした有様はまことに異様な感じであった。
貞盛は、煮えかえるような憤怒を感じながらも、足音をしのばせて、ひっそりと近づいて行き、間近くなったところで立ちどまった。無言のままにらみつけていた。
しばらくは誰も気づく者はなかったが、ふと一人が気づいて、棒立ちになったまま動かなくなり、しだいに他におよんで、みな気づいた。みな立ちすくんでいた。
にらみ合いがつづいた。
「兄者!」
無言のにらみ合いにたえられなくなって、繁盛が叫んだ。
「黙れ!」
貞盛は猛烈な勢いでどなりつけておいて、つづけた。
「この有様は何だ? どこへ何しに行くつもりだ? 誰の許しを得てのことだ?」
繁盛が進み出て来た。
「おれが命じたのだ。兄者が意気地ないゆえ、おれが父上の讐《かたき》を討って、父上の末期《まつご》の御無念をお晴らし申すのだ。父上は、兄者ばかりの父上ではない。おれにとっても父上だ」
全身的な怒りが繁盛をふるえさせていた。しっかと右手につかんだ鞭《むち》の先がブルブルとふるえていた。それは、今にもふりかぶられて、打ちおろして来そうであった。
慧敏《けいびん》な貞盛は、これ以上弟にしゃべらせ、暴力でもふるわせたら、郎党等もまた凶暴になって、自分をたおしてでも出発するに相違ないと見た。
彼は弟を打ちすてて、郎党等の方に向った。
「汝《わい》らの主人は誰だ。この家では、おれ以外に汝らに命令を下すものはおらんはずだ。馬を厩に入れい。鎧《よろい》をぬげい。猶予《ゆうよ》すると捨ておかんぞ」
声ははり上げなかった。ただきびしい調子で言った。
郎党等は、はげしい目で主人をにらんでいた。貞盛もまたにらみかえしていた。しばらく、にらみ合いがつづいたが、間もなく、郎党等の間に動揺がはじまった。一人、二人、三人と、しだいにうつ向いて来る者が出て来たのだ。
すかさず、貞盛はまた言った。
「さあ、馬を厩に入れい、すぐ!」
短く、きびしく、切って放つように鋭い調子であった。一瞬の猶予もゆるすまじき気魄《きはく》であった。
郎党等の顔に、一様に恐怖の色があらわれた。渋面《じゆうめん》づくった、不貞《ふて》くされたようなのろのろした態度ではあったが、一人一人、馬を厩舎《きゆうしや》に入れはじめた。
急に繁盛がたけり立った。
「いかん! いかん! 汝ら、おれとの約束をやぶる気か!」
と、わめきながら、手近の一人におどりかかって、引きとめようとした。
貞盛は大股《おおまた》に近づいて行き、いきなり繁盛の冑を引きむしり、その頬をなぐりつけた。右から、左から、また右から、左から、平手打ちをくらわせた。
繁盛はおどろき、腹を立てた。よろめきながら叫んだ。
「な、な、な、なにをする!」
「誰が当家の家長か、思い知らせてやるのだ! これでわからねば、斬《き》って捨てるのだ!」
繁盛は、なぐられた頬をおさえて、兄をにらんでいたが、見る間に、その目に涙がふっこぼれて来た。こみ上げて来る嗚咽《おえつ》をこらえようとするかのように、二三度肩をあえがせたが、こらえきれなくなったのだろう、急に背を向けて走り去った。
貞盛は、郎党等が全部の馬を厩に入れ、鞍《くら》をおろしたのを見届けて、
「あとは物の具だ。皆脱げ、しかし、そこまでおれが見張っていなければならんことはあるまいな」
と、言って、足をめぐらした。
居間にかえると、母はまだいた。涙ぐんで言う。
「あわれに、あの子は泣いていますぞえ」
貞盛は溜息《ためいき》をついた。
「いたし方がなかったのです。あれの気持はよくわかるのですが」
しばらく沈黙がつづいた。日が落ちて、庭には夕焼の色が茜色《あかねいろ》にみちていたが、室内はもう暗くなりつつあった。二人は、軒先にからんで目まぐるしく旋回している蚊柱を見ていた。
ふと、母がささやく。
「先《さ》っきのお手紙ね。あれはわたしが持って行ってとどけましょうかね」
「しかし、この暑熱に……」
「暑くても、わたしなら、寺詣《てらまい》りとでも、実家《さと》がえりとでも、何とでも言いつくろって出かけられますが、そなたが出るにしても、誰かに言いつけるにしても、面倒でありましょう」
「それはそうです。わたくしも色々考えて、今夜夜なかにでもそっと家を脱《ぬ》け出して、百姓にでも頼んで届けさせるより外はあるまいと思案していたのでした」
「そうでしょう。では、わたしが明日早く出て、届けることにします。その方がよい。その方がよい。そうきめましょう」
息子のために色々手伝ってやれるのが、うれしげであった。
母は翌日の早朝、ちょっと実家へ行って来ると、人々に言って、家を出た。女《め》の童《わらわ》二人と、老僕が一人供に立った。
「今夜は向うに泊りますから、帰りは明日の夕方になります」
と、出がけに言った。
貞盛は、終日在宅した。こんな暑い日にこうして家にいるなど、苦手だが、油断すると何をしでかされるかわからない。
「くだらんことだ」
こんな日に西浦(霞《かすみ》ケ浦《うら》)の岸べあたりを鷹狩《たかがり》すればいい猟が出来るに違いないのだ、と思いながら、終日ぼやぼやと過《すご》した。
夜は、小督に酌《しやく》をさせて、酒をのんだ。こんな片田舎に帰って来て、いつまでも引きとめられて、くだらんことばかりに心をなやまし、退屈な毎日を送らなければならないのは、こいつの実家のためだと思うと、癪《しやく》にさわってならない。だから、その埋め合わせに、からかったり、ふざけたりした。
皮肉で、しんらつで、小意地が悪くて、少々下品でもある|からかい《ヽヽヽヽ》や|いたずら《ヽヽヽヽ》を、小督はごくおとなしく受け流しては、酒をすすめる。
結婚前は、ずいぶんおこりっぽい女であったのが、結婚してからはまるでおとなしくなっている。なぜだか、貞盛は知っている。いつぞやの筑波の山における小次郎との情事が、貞盛に知れてしまったからだ。
このことに、貞盛は嫉妬《しつと》などはしていないつもりだ。しかし、おりにふれて、ちくりちくりと謎をかけて小督をこまらせるのは、いい退屈しのぎになる。
しかし、やがて、それにもあきた。知らないうちに酒も量をすごしていた。
「さあ、寝るぞ、寝るぞ」
と、床に入ったが、忽《たちま》ちぐっすりと夢も見ない熟睡に入った。
どれほどの時間眠っていたか、おそろしくのどがかわいて目をさました。枕許《まくらもと》の水をひきよせてのんだ。なまぬるかったが、渇き切ったのどには甘露のようにうまかった。したたかにのんで、いくらか人心地ついたが、その時、枕をならべて寝ていたはずの小督の姿が見えないのに気づいた。
(はてな?)
と、思った。何となき勘であった。いぶかしいと思った。それとともに、広い館全体が異様にしずかであるように感じた。どうせ真夜中か、夜明けに近い頃に違いないから、静かであるのに不思議はないわけだが、それにしてもなにか異様であった。
起き上った。帳台をすべり出て見ると、外はもう白みかけているらしい。蔀《しとみ》の間から、青白い暁の色が見えている。
貞盛はすばやく帯をしめなおし、狩衣《かりぎぬ》を羽織ると、簀子《すのこ》に出た。
「誰かある? 誰かある?」
と呼ばわった。
返事はなかった。こちらの声だけが、まだもののあやめのわかちがたい薄い暁の光の中に、こだまを呼んでひびくだけであった。
はっとした。はだしのまま、庭に飛びおり、厩にかけつけてみた。厩はからであった。まだ暗いそこの内部には、洞穴《ほらあな》のようなしめっぽい暗さがこめて、ほんの四五頭の馬がモソモソと動いているだけであった。
「しまった!」
貞盛は、狂気したように、館中を駆けまわった。繁盛もいなければ、小督もいなかった。重《おも》立った郎党等もいなかった。のこっているのは、年老いた下人か、女子供ばかりであった。
「いずくへとも仰《おお》せられず、直冑《ひたかぶと》五十騎ばかりで、夜半《よなか》を過ぐる頃にお出かけでありました」
と、老いた下人がおろおろしながら言った。
小督に至っては誰も知らない。実家からついて来ている女の童共と老女と共々消えている。
けれども、どこへ行ったか、明らかであると思われた。繁盛と郎党等は水守へ、小督は実家へ行ったのであろう。おそらく、しめし合わせてのことであろう。
いいざまであった。こちらがいい気になって、からかったりふざけたりしている間に、こんな腹黒いことをたくらまれていたのだ。相手に腹が立つより、自らの不覚が腹立たしかった。
「なんという醜態だ!」
と、いくどもつぶやいた。
どんなことをしても引きもどさなければならないと思った。
鎧をつけ、馬を引出させ、飛びのるや、館《やかた》を飛び出した。
もう夜は明けはなれていた。途々《みちみち》人々に聞いてみると、たしかに、夜なかを少し過ぎた頃、五六十騎の軍勢が東から西へ疾駆して過ぎる音がしたという。
「弟め! 真樹《まき》め!」
貞盛は歯がみして、馬に鞭打った。
水守には朝の十時|頃《ごろ》ついたが、ついて見ると、上総勢も、水守勢も、今朝|払暁《ふつぎよう》に下野国《しもつけのくに》を指して進発したという。
留守居の少し呆《ぼ》けた年老いた郎党が、食後の眠りからおこされたらしいうっそりとした様子で、説明した。
「何でも、一旦《いつたん》、下野の小山《おやま》郷のあたりで御一族や諸家の御加勢衆の来られるのを待ち合わせて一手になられた上で、真直《まつす》ぐに豊田に向って寄せて行かれるおん予定《あらまし》のようにうけたまわっております」
「わたしの家の者共は、いつ頃到着したか」
「当家へは参られなかったようでございます。途中で一つになられる手筈《てはず》になっていたのではございませんか。道筋から申しましても、その方が便利でございますから」
と、ここまで言って、郎党は、はっとした様子になった。貞盛の立場を思い出したらしかった。警戒する目になって、白い長い眉《まゆ》の下からじろじろと貞盛を見ながら言った。
「殿はまたただお一人、どうなされたのでございます。御一家の長として、何にもごぞんじないのでございますか」
皮肉な調子であった。
貞盛は水守を出て、下野への道をたどった。もう馬が疲れていた。きびしい一日の暑熱がはじまる時刻だ。駆けさせるどころか、乗って行くことも避けねばならなかった。
次第に日ざしのきつくなる道を馬の口をとって、全身汗だくになり、てくてくと歩いて行った。いまいましくて、腹立たしかった。絶望的で、ヤケなものが次第に胸を蔽《おお》うて来た。
「なんのために、おれはこんな難儀な思いをしなければならないのだ!」
夕方、伊讃《いさ》郷(今の下館《しもだて》市附近)についた。
上総水守の連合軍は、伊讃の部落の郊外の台地にある松山を本営として、その附近一帯に宿営地をしつらえていた。
薄赤い夕日を斜めに受けたその松山や、それにつづく原野《げんや》には、旗がひるがえり、炊煙が立ちのぼり、子供ッぽいくらい朗らかな声がひびき上っていた。野陣特有の愉快げで、朗らかで、野蛮で、開放感にみちた空気であった。
「やれやれ、やっと追いついた」
貞盛は、一応ほっとはしたが、この中からどうしたら連れ帰ることが出来るだろうと思うと、気が重くなった。
宿営地から五六町こちらに馬をとめて、思案した。
方法は二つしかない。叔父等に会って話をつけて、連れもどすか、叔父等には構わず、直接繁盛等の陣所に乗りこんで引きずりもどして来るかのいずれかしかない。出来れば叔父等に会わないですましたかった。会えば途方もなく面倒になるにきまっている。
とつぜん、道の行く手の藪蔭《やぶかげ》から馬をおどらせて立ちあらわれた武者があって、キッとこちらを見て、大音に呼ばわった。
「やあ、やあ、そこにおわす独り武者は、いずこの誰人《だれびと》におわすか。かく申すは、前《さき》の上総介《かずさのすけ》平ノ良兼《よしかね》の郎党蓮沼ノ五郎であります。主の命によって見張りをうけたまわってひかえている者です。名乗らせたまえ」
同時に、またその藪蔭から四騎走り出て来た。皆、弓に矢をつがえ、すわといえば切って放とうとする油断のない身構えであった。
警戒の厳重なことがわかった。しかし、考えてみると、それはそのはずであった。元来、この地方は貞盛の家の所領地が多いのだが、今ではそれは小次郎の管理にまかせられている。叔父等にとっては敵地にひとしいのだ。宿陣するに厳重な警戒をするのは当然なことであった。
とにかく、名乗った。
「前《さき》の|常 陸 《ひたち》|大 掾 国 香《だいじようくにか》が嫡男《ちやくなん》、左馬《さま》ノ允貞盛《じようさだもり》だ。お味方に馳《は》せ参じている弟繁盛に用あってまかりこした。通してくれ」
兵等は、相談する模様であったが、すぐ相談が一決したと見えて、蓮沼ノ五郎がこちらに向き直って叫んだ。
「ほかならぬ一家の方、御案内いたします。しかし、そなた様には不審のかどもおわすかに承っておりますれば、お弓とおやなぐいとを、一時おあずけ下さいましょうか」
拒むことは出来なかった。
「よし。承知した。あずかれ」
兵等は進んで来て、さし出す弓とやなぐいを受取った。
「馬も下りていただけましょうか」
これも拒めなかった。
「よしよし」
貞盛の馬は、兵の一人が受取って、あとにつづいた。
兵等にともなわれて、松林に入って、しばらく行った。その間に日は没して、あたりは急速に暗くなりつつあった。その蒼黒《あおぐろ》い暮色の中に、松林の方々で焚《た》いているかがり火の赤い色が次第に目立って来る中を、こうして武者等に連れられて行っていると、なんとなく捕虜になったような気がしてくる。苦笑せざるを得なかった。
ひょっこりと、幔幕《まんまく》の張りまわしてある陣所の前に出た。五郎は幕の外にひざまずいて、中へ声をかけた。
「蓮沼ノ五郎でございます」
「入れ」
と、中で言った。五郎は、幕をかかげて入って行った。
貞盛はいぶかしいと思った。どうやらここは繁盛の陣所ではなく、良兼叔父の陣所らしい。とすれば、見事にだまされたのかも知れない。しかし、今更逃げるわけには行かない。弓矢を引渡している以上、迂闊《うかつ》なあがきをしては、ひどく見苦しいことになる。
あきらめはよい方である。
(また爺様《じいさま》達と一論判か、それもよかろう)
蓮沼ノ五郎が出て来た。
「失礼しました。どうぞお入り下さい」
貞盛は皮肉を言った。
「五郎、おれは弟の陣所に案内してくれと頼んだつもりだが、ここは叔父上の御陣所らしいな」
五郎も、その連れも、一様に緊張した。貞盛は微笑して、はぐらかした。
「が、まあついでだ。ここまで来て、叔父上方にあいさつせんというわけにも行くまい。通るぞ」
中に入ると、いきなりだった。
「何しに来た!」
と、良兼の呶声《どせい》が飛んで来た。
貞盛は、おちついた目で見まわした。炎のゆらめくかがり火からやや遠ざかったあたりに良兼はいた。楯《たて》をしきならべた上に、熊《くま》の皮の敷皮をしいて、ゆったりと武者あぐらを組んでいた。鎧も冑もぬいで、鎧直垂《よろいひたたれ》だけの姿であった。
貞盛は一礼して、その前に進んで、良兼に侍している郎党に、
「坐《すわ》る。敷皮を持て」
と言って、持って来られた敷皮の上に坐ったが、坐るや、言った。
「弟共を連れもどしに来ました」
良兼はどなり出しそうな顔をしたが、すぐおさえた。
「返さぬと申したら」
「それはこまります。彼等は、家長であるわたくしに無断でまいっているのです。ぜひお返し願います」
皮肉な笑いをもらして、良兼はゆっくりと言う。
「多分、かえさんことになるだろう。のみならず、そちもかえさず引きとめておくことになろう」
貞盛は、そのゆるやかな調子に強い圧迫を感じた。必死にはねかえした。
「それは圧制です!」
良兼はまだ微笑している。依然としてものしずかに、
「繁盛はそちが圧制であると申している。それで、わしもそちに対して圧制であろうと思う。わしは一門の長者として、そちに父の敵《かたき》を討たせてやらねばならないのだから」
そして、あごをしゃくった。
「見ろ。これでは帰るにかえれまいが」
見まわすと、いつ来たか、貞盛の周囲を究竟《くつきよう》な武者等がとりまいていた。片膝《かたひざ》立て、目を光らせていた。主人の命令と共に飛びかかろうとする猛犬の群のようであった。
貞盛は、くやしげな顔になってにらみまわしていたが、やがて叔父の方を向いた。
「なるほど、これではいたし方ありません。悪あがきはいたしますまい」
彼は微笑していた。その微笑を自分では、無理に沈着に見せるためのものと考えていたが、心の奥深いところでは、重荷をおろしたような安らぎを感じていた。
(ゆるせ、小次郎、こんな次第だ)
と、心につぶやいた。
矢を折る
水守《みもり》の館に上総勢千余騎が到着したことは、やはりその日のうちに豊田にも伝わった。
小次郎は、領内に急ぶれをまわして兵員を集める一方、五十騎の兵を将頼《まさより》に授けて、水守道へ出した。この隊の任務は戦闘ではなく斥候《ものみ》であった。
「必ず養蚕《こかい》川を越えて、ずっとずっと向う、水守の領分まで出よ。八方に斥候を出して見張り、敵の来る道筋がわかったら、すぐおれに知らせると共に、敵に駆引いて出来るだけ敵の進みをおくらせよ。敵は大軍、味方は小勢だ。手詰めの戦い(接戦)をしてはならぬ。矢戦さばかりであしらえ。知らせのあり次第、おれが行くゆえ、それまでは敵にこちらの領分に入らせてはならんぞ。やむなく退《さが》っても、養蚕川までだぞ。よいか」
出発の時、小次郎は噛《か》んでふくめるように、将頼に言い聞かせた。
「承知だ。こちらは精兵《せいびよう》(強弓の手練者《てだれもの》)をそろえている。引受けてあしらって、決して領分内には入れぬ。安心してくれ」
頼もしく答えて、将頼は出発した。
小次郎は、叔父等が季節のかまいもなく挑《いど》みかけて来たことに腹を立てていた。
(叔父らは、戦場になるのはこちらの領分内だから、どう田畠《たはた》を踏み荒そうとかまわんと思っているにちがいない。
よし、よし、先がその気なら、こちらもそのつもりでかかる。必ず水守の領分内で戦って、水守に損をさせてやる)
と、思いを定めていた。
彼はいつでも打ち立てるように物の具して、終日、館にいて、次々に馳せ集まって来る兵等に応対し、部署しつつ、将頼からの知らせを待ったが、その日一日は何の知らせもなかった。
夜に入って、はじめて報告があった。敵は、水守の館に集結したまま動く模様がないという報告。
しかし、いつどんな変化を見せるかも知れない。その夜は緊張のまま、ほんの少時間まどろんだだけで過した。
夜明け方、また報告があった。水守集結の敵勢は行動をはじめたが、その方向はこちらに向ってはいない、北を指して行きつつある。それで、こちらもぬかりなく見張りながら移動しつつある。なおまた報告する云々《うんぬん》。
二三時間の後、また報告があった。貞盛の弟繁盛にひきいられた五十騎ばかりの兵が、多気《たけ》の里で敵に参加したという報告。
「太郎ではないのだな」
「ずいぶん念を入れて見ましたが、太郎の殿はおいででないと見ました」
兄と意見が合わんで、兄に引きわかれて与力したのだ、と思った。
小次郎は、繁盛がまだ幼かった頃しか知らない。
(きかん気の子供ではあったが、それにしても、小勢でも一手の将としてそんなことをするようになったのか)
と、思うと、不思議な気がした。憎いという気はおこらなかった。何かいたいたしかった。
その後も、報告は度々あったが、軍勢はただ北へ北へと進んでいるという。
まるで、敵の意図の判断もつかない。もどかしかった。
日暮少し前、はるかに養蚕川の岸に配置しておいた見張りの兵から使いが来た。
「貞盛の殿の母君が、貞盛の殿のお使いでお見えになって、殿にお目にかかりたいと仰《おお》せられます。とりあえずここにお引きとめしていますが、いかがはからいましょうか」
と、いう。
「おば御が?」
ことの意外に、小次郎はおどろいた。何のための使いであるか、見当のつこうはずはなかった。ことさら伯母が来るのだから、凶《わる》い用件ではないと、一応は考えられたが、反対に、凶い用件だから伯母が使いに立ったのだとも解釈される。
何にしても、迎えの者を出す必要がある。それを選んで、
「気をつけて、鄭重《ていちよう》にしてお連れするのだぞ」
と言いふくめていると、母と良子が出て来た。
「今、あちらで聞いたのですが、石田の太郎殿の母御がおいでになりましたとやら、わたしらが迎えに行きましょうかえ。女は女同士、向うも気がおけないで、よかろうと思うのですがな」
と、母は言った。
良子も口をそえた。
「あちらの伯母様には、お母様もお久しぶりですし、わたくしも久しぶりです。こちらがなつかしく思っているように、伯母様もなつかしがっていらっしゃるだろうと思います」
いい工夫であった。行ってもらうことにした。
二人は、数騎の兵に守られて、騎馬で出て行った。
とっぷり暮れてから、二人は、貞盛の母一行とにぎやかに談笑しながらかえって来た。
小次郎は、館の門の前まで出迎えた。その姿を、伯母はすばやく認めた。
「おお!」
と叫んだ。小次郎のそばに馬をかけよせ、もどかしげにおり立った。
「小次郎殿!」
小次郎の背後に立っている郎党のふりかざす松明《たいまつ》の光の中に、小次郎は自分を凝視している伯母の目を見た。見る間に、その目から涙があふれ出て来るのを見た。
この涙は、なつかしさのためかも知れない、しかし、また、夫を殺されたうらみのためであるかも知れない、と、小次郎は思った。なんにも言えなかった。笞《むち》打たれることを覚悟している者のように、顔を伏せた。
それがわかったのだろうか、伯母は明るい微笑をつくって、
「太郎がよろしゅうと申しましたぞえ。さアさ、早く連れて行って下され。くたびれました。この年で、この暑さでしょう。ほんとにくたびれましたよ。湯でも使わせてもらって、汗を流しましょう。話はそれからのこと、話はそれからのこと」
と、にぎやかな調子で言って、先に立って、門をくぐった。
すると、その以前に馬を下りていた良子が、すばやく走って来て、笑いながら先に立った。
「さあさ、こちらに。お湯はどんどんと沸いております。なにせ、毛野《けぬ》川の水を汲《く》んで沸かすのでございます。どう皆様がお使いになっても、不足なんぞはしません」
しばらくの後、奥の客殿で、小次郎は伯母と対坐《たいざ》していた。
伯母はくわしいことは語らなかった。繁盛の不服なんぞ話したって、小次郎を不快にするだけだと思ったから。ただ、
「わたくしも、久しぶりにそなたの母御や、そなたの嫁御にお会いしたいと思いましての。役目を買って出て来ました」
とだけ言って、たずさえて来た息子の手紙をさし出した。
「それはそれは、お大儀なことでありました」
小次郎は、手紙を受取った。
読むにしたがって、緊張していた小次郎の胸はほぐれた。貞盛の友情とかたい決意とがしみて、胸は熱くなり、涙がこぼれそうにすらなった。しばらくの間なりとも、貞盛を疑ったことを申訳なく思った。
「よくわかりました。お帰りになったら、小次郎が心からお礼を言っていたと、お伝え下さい」
手紙を巻きおさめて、こう言ったが、ことば半ばにほんとに声がふるえ、涙がこぼれて来た。その涙に、伯母も感動を呼びおこされた。涙ぐみながら言った。
「ほんに、ひょんなことでこんな思いもかけないことになって……。わたしは女のことゆえ、口に出しては何にも言うことは出来ませんが、若いそなたや太郎の考えが一番よいと思っています。水守も、上総も、いい年をして、なんということでありましょう。まるで逆ですよ。本来なら、若い者がはやり立つのを、引きとめねばならないのですのにねえ。ああ、ああ、一日も早く昔のあの仲のよい一門にかえりたいものですのう」
そこに、母と良子が来た。
良子は、こんな接待が小次郎には苦手であることを知っている。
「さあさあ、殿はあちらに行って下さいまし。女は女同士の方が気楽です。男の方がおいででは、気づまりでございます」
と、にぎやかに笑いながら言って、小次郎を掃き出すような手ぶりをした。
ありがたかった。
「それでは、伯母上、ごゆるりとおくつろぎ下さい。わたくしはあちらに用もありますから」
と、あいさつして席を立った。
翌朝、まだ日の出ない頃、伯母は豊田を出発した。母と良子とは、養蚕川の岸まで見送るといって、一緒に出かけた。
将頼からの報告が来たのは、それから三十分ほどたってからのことであった。
長途を終夜駆けどおしに駆けて来たらしいその兵は、髪は乱れ、目は血走り、人馬ともにほこりにまみれて、息もたえだえな有様であった。
何か異常な予感が、小次郎の胸に感ぜられた。自らそこに出かけて聞きたかったが、こらえて、床几《しようぎ》によったまま待った。兵は、走り寄って行った武者等に扶《たす》け下ろされ、左右からかかえるようにして連れて来られて、小次郎の前にひざまずいた。呼吸《いき》をはずませながら、
「一、一、一大事でございます!」
と先《ま》ず言った。
兇報《きようほう》であることは、今は明らかだ。将頼の部隊が敵に発見されて戦闘が行われ、将頼が戦死したのではないかと思った。
「落ちつけ!」
小次郎は一喝《いつかつ》した。相手に対するより、自分自身の心に向って叫んだのであった。
「ハッ」
相手は一旦《いつたん》平伏し、それから顔を上げ、姿勢を正して、おししずめた調子で先ず言った。
「貞盛《さだもり》の殿、お裏切りであります」
小次郎には、この簡単なことばの意味が急にはのみこめなかった。黙って、相手のほこりと汗によごれた顔を見ていた。
「貞盛の殿はお裏切りなさったのであります」
と、重ねておいて、つづける。
「昨日の夕方でございました。上総の殿は真壁《まかべ》郡の伊讃《いさ》郷について野陣をお張りになりましたのでございます。そこで、わたくし共は、そこから一里ほど西に寄ったところに陣をとりまして、絶えず見張りの者を出して見張っておりますと、それから間もなく、日が落ちてそろそろ暗くなる頃《ころ》でありました。貞盛の殿が到着されたのであります」
「うむ」
はじめて、小次郎はうなずいて、先をうながした。
「貞盛の殿は、ただ一騎でございました。わたくし共はいぶかしく思いまして、色々と論議いたしました。弟の殿等を連れもどしに参られたのであろうと申す者もあれば、貞盛の殿の御性質から申しても、あのきおい立った大軍の中にそんなことをしに来られるはずがない、必定、心がわりして、味方するために来られたに相違ないと申す者もあります。
ともかくも、よく見張れということになりまして、人数をましてきびしく見張っておりましたが、わかりかねます。
それで、思いきって上総軍の中にまぎれこんでみようということになりまして、三人ばかり忍び入ったのでございます」
小次郎は、しずまりかえった表情になっていた。呼吸をするのも忘れるくらい熱心に聞いていた。聞いているのが苦しかった。時々耳をふさぎたい衝動を感じた。しかし、聞かずにおれなかった。
とつぜん、口をはさんだ。
「それで、どうだったのだ」
声がしわがれていたが、彼はそれを意識しなかった。
「やはり、裏切りでございました。貞盛の殿は、志を変じて、伯父君等と心を一つにして、当家と戦う心となられたのでございます」
貞盛の手紙の文句、伯母のことばの端々が、チラチラと胸にひらめいた。
そんなことがあるものか、もしそうだったら、あの手紙はどうなるのだ、と、必死になって打消す下から、これまでの裏切りの数々が思い出されてくる。
息ぐるしかった。目がまわるような気がした。目をそらして、今日もよく晴れた真青な朝空に一きれ悠々《ゆうゆう》と浮いている白い雲を凝視した。かたく口をむすんで、きびしい表情であった。
その目を、相手にかえした。
「それはたしかなことか? どうしてそれがわかったのだ?」
「上総の兵や水守の兵共の話し合っているのを聞いたのでございます。彼等は、これで左馬《さま》ノ允《じよう》の殿も男に返りなされた、この上は味方の勝利疑いないとて、祝い酒をくんでいたというのでございます。
三郎(将頼)の殿をはじめ我々は、皆、憎ッくい貞盛の殿と、腹を立てたのでございます。ことさら、あんなにも貞盛の殿を御信用になっていらせられる殿のお心をしのびまして、『何たるあさましいお人』と、見下げもし、あきれもしたのでございますが、何よりも、一時も早く殿にお知らせせずば、御油断あってはとりかえしのつかぬことになるとて、てまえが急使をうけたまわって、夜通しに駆けて、こうしてかえってまいったのでございます」
自分の報告が疑われていると思ったのだろう、いきり立った説明ぶりになった。
小次郎は苦しかった。こんな忌々《いまいま》しい報告をもたらしたこの忠実な男が、憎いような気さえした。
「わかった。大儀であった。退って休むがよい」
朋輩《ほうばい》に扶けられて、その郎党は立去って行った。小次郎は床几に腰かけたまま、氷りついたようになっていた。
貞盛の裏切りは、もう明白だ、一点のかくれもない、と、思うのだが、不思議に心が激して来なかった。何か他人のことを聞いているような、虚脱したような、うつろで白々しい心であった。
(なぜ、おれは腹を立てないのだ……)
と、もどかしかった。
そのもどかしさをおさえて、小次郎は自分の心を見つめていた。次第におこり立って来る怒りの炎を、息を凝らして待っている気持であった。
いくばくかの時間が過ぎた。
空虚な胸の底に、微《かす》かな炎が点じた。今にも消えそうな炎だ。小次郎はそれを凝視した。
(そうだ、やつは子供の時からずるい性質だった。おれはいつもやつにしてやられていた……)
子供の頃の遊戯の上で、うまくしてやられたことが次々に思い出された。
微かであった炎は、やや大きくなった。チロチロ、チロチロと、燃えている。
(大きくなってからは、やつのずるさは一層ひどくなった。筑波の祭礼からの帰途に源家の郎党等と争いをおこした時のやつの始末のつけ方! おれ一人が罪をひっかぶって、陸奥《むつ》に逃げねばならなくなったではないか!
それはまだやさしかった。貴子《たかこ》姫の時のたちの悪さはどうであった? やつはおれの目褄《めづま》をぬすんで、姫を手に入れ、おためごかしに、おれを伊予に追おうとしたのだ……)
伊予行きの相談に貞盛をその役所に訪ねた時の貞盛のことばとしぐさが思い出された。小次郎は全身が熱くなるような羞恥《しゆうち》を感じて、からだに痛む所のある人のように、覚えずうめいた。
胸の炎は一時に燃え上り、渦《うず》を巻きながらからだ全体を包んだ。小次郎の顔はかわってきた。眉《まゆ》が逆立ち、目が燃え、剃《そ》りあとの濃い頬《ほお》はピリピリとふるえていた。兇暴で、激烈で、深刻な憤怒の相であった。
「またしても、欺《あざむ》くか、太郎! もうゆるさんぞ!」
ひとりごとする声がはっきりとそう聞こえて、小次郎はすっくと立上った。大股《おおまた》に一歩一歩に力をこめて、そのあたりを歩いた。
少し離れた場所から、郎党等ははらはらしながら眺《なが》めていた。彼等は、最初から貞盛を信用しなかった。貞盛の性質に対する不信もだが、この問題にたいする貞盛のこれまでの態度が、全然彼等の習慣にないからであった。どんな原因からであろうと正《まさ》しく親を殺されているのだ。その親の敵《かたき》を討たないばかりか、これと仲|好《よ》く交際をつづけて行くなど、あってしかるべきことではないのである。何かある、何か容易ならないことをたくらんでいるに相違ない、と、彼等は不安でならなかったのだ。
それゆえに、今その裏切りがはっきりとわかって、
(やれやれ、これで算用が合うて来た。敵味方の色もまぎれることがなくなった)
と、満足であった。しかし、小次郎があまりにも凄《すさ》まじい憤怒の相《すがた》を見せているので、いくらか不安にもなったのであった。
とつぜん、小次郎は、こちらを向いて叫んだ。
「馬引けい!」
一人が、大急ぎで、厩《うまや》の方に走り去ると、他の郎党等は小次郎のそばに走りよって、ひざまずいた。
「おそれながら、いずれへ?」
どんな報告が来るかもわからない今、主将たる小次郎が館《やかた》をあけてはこまるのだ。
小次郎は、きびしい目で見た。短く言った。
「伯母御を追う」
わたくし共がうけたまわりましょう。殿がここにいらせられねば、万一の時こまりますと、郎党等は言おうとしたが、小次郎は、先くぐりして言った。
「汝《わい》らではいかん。おれでなければならんのだ」
二の句のつげないようなきっぱりした調子であった。
しばらくの後、小次郎は、館を乗り出し、青田の中につづく埃《ほこり》ッぽい道を全速力で馬を飛ばしていた。ただ一騎であった。午《ひる》にはまだずっと間のある頃であったが、早くも一日の暑熱がはじまりかけていた。その暑い日ざしも、濛々《もうもう》と立つ砂煙も、彼は意識しなかった。
(養蚕《こかい》までの間に追いつきたい)
と、一筋の思いで疾駆した。
追いついたのは、その養蚕川の堤の上であった。女等が堤の夏草の中に馬を立てて、渡し舟の用意の出来るのを待っている時であった。
ただならない小次郎の形相に、先ず良子と母がおどろいた。良子は、反射的に馬首を向けなおして、小次郎の前に立ちふさがった。何か言おうとした。
「退《の》け!」
おそろしい声で小次郎はどなったが、すぐ気をとりなおして、いくらかやさしい調子になった。
「退くがよい。伯母上に申したいことがあって、追って来た」
良子の目と、小次郎の目とが、合った。良子は、夫の燃えるような目の底に、なんとも言えずさびしげな色のあるのを見た。黙って、手綱をしめて、少し退《さが》った。
小次郎は、伯母の前に馬を進めた。
伯母は馬上にすくんでいた。不安げな目で、凝視していた。
しばらく呼吸をととのえた後、沈痛なくらい静かな声で、小次郎は言った。
「伯母上、あなた方は、なんという情ないお人々だ。小次郎は、あなた方にとって、夫の敵であり、父の敵だ。にくいと思い、討ちたいと思われるのは、当然だ。わしは、それをいかんと申したことは一度もありませんぞ。
しかし、なぜ味方顔して、だまし討ちにしようとなさるのだ。わしには、その卑怯《ひきよう》さ、その腹黒さが腹が立つ」
伯母の顔色が変った。キッとなって、ふるえる声で言った。
「そなたは何を言われるのだ? そなたの言われることは、わたしにはちっともわからぬ。太郎がどうしたと言われるのです」
小次郎はまた激したが、おさえて、せせら笑った。
「もう沢山です。太郎は、昨夜伊讃郷で上総勢に馳《は》せ加わったのです。その以前、次郎(繁盛《しげもり》)も馳せ加わっている。小次郎が知らぬとでも思っておられるのか。彼が心事は、最早《もはや》かくれもない」
「そんなばかな!」
伯母は一時にとり乱した様子になった。それが、小次郎には、一層疑うべきことに思われた。
「もう沢山。言いわけはききません。太郎と小次郎とは、今ははっきりと敵です。太郎が小次郎をたおすか、小次郎が太郎をたおすか、ぎりぎりのところまで戦うよりほかない身となったのです。太郎にそう申していただきましょう」
「間違いです。それは何かの間違いです」
伯母は必死であった。くどくどと説明にかかった。繁盛等の計画を貞盛が怒ってこらしめたこと、太郎がどんなにこの問題を平和におさめようと努力したか、等、等、等。伯母は泣きながら説明した。
小次郎の心ははげしく揺れた。そうであったかも知れないと思った。
母も、良子も、わきから口をそえた。
小次郎は沈思した。やや長い沈思であった。
高い空を白い雲が動き、堤の上を風がわたり、堤防の下では水の音が滔々《とうとう》と鳴った。
小次郎の胸を、貞盛との間の色々な記憶がすぎた。なつかしい記憶も、口惜しかった記憶も……
が、突然、思いが決した。
(今更に、どうなろう! 太郎はすでに伯父等に加担したのだ!)
小次郎は、伯母を見た。かなしげな、しみじみとした目つきであった。上差《うわざ》しの矢をぬいて、ピシリと二つに折って、さし出した。
「この矢を、持ってかえって、太郎の許《もと》にとどけて下さい。そして、小次郎がこう申したと言っていただきたい。この折れた矢がもとにかえらないように、われら二人の間も前にかえることはないであろうと。不倶戴天《ふぐたいてん》の仇《あだ》はどこまでも不倶戴天の仇です。どうすることも出来ない坂東の習わしです」
衆寡《しゆうか》
下野国《しもつけのくに》に向った良兼《よしかね》の軍勢は、小山《おやま》のあたりに滞陣したまま、およそ一月、一向攻め寄せて来る様子がなかった。
将門《まさかど》はたえず斥候《ものみ》をはなってその動静をうかがっていたから、様子は大体わかっていた。二千を越す大軍を擁していながら、なおしきりに諸方に使者をおくって、加勢の軍勢を招いているのであった。
これが、将門にはいぶかしくてならない。衆寡の勢いは懸絶している。こちらは底をはらってかき集めても二百そこそこの兵しかないのに、向うは二千以上という兵数だ。馬匹や武器や武具も比較にならない。こちらは相つぐ両度の戦闘に、傷つき損じてのこり少なくなっているばかりか、そののこっているのだってまだ疲労と衰弱を回復していないが、向うはすべてこれ体力気力|充溢《じゆういつ》の新しい馬だ。武具、武器も同断だ。打ちものは刃こぼれしているし、鎧は縅《おど》しがほつれている。ひた押しに押して押して押しまくってよいのだ。それこそ磐石《ばんじやく》をもって卵を圧するがごとく叩《たた》き破ることが出来るはずだ。
「ははあ、おじ貴ら、二度もつづけておれが勝ってみせたので、すっかりおじけがついているのだな」
と、判断した。
「とすれば、こちらも居すくんでいる手はない。自分で行って様子を見て来たら、何かいい方法が見つかるだろう」
と、考えた。
七月二十六日であった。百余騎の兵をひきいて、下野に向った。しかし、戦うためではなく、斥候のつもりだから、行く先も結城《ゆうき》のあたりまで、場合によってはもう少し進んで国境を少し越えた所あたりまでと予定した。
早朝、まだ日の出ないうちに出発して、毛野川沿いにさかのぼって行く。
承平六年の七月二十六日といえば、太陽暦では八月二十一日だ。日の出とともに急速に暑くなる。いく度も休んで、馬をいたわりながら進んだ。
昼をかなりすぎた頃、結城についた。村人等に様子を聞いてみると、この間うちはちょいちょい斥候の兵が姿を見せていたが、この十日ほどはまるで見かけないという。
敵の滞陣している小山は、ここから一里半しか離れていないのだから、これはいぶかしいことだ。ひょっとすると、迂回《うかい》して豊田を襲う作戦をめぐらしているのではないかと思った。聞いてみた。
「小山にいることはいるのか」
「わきへ移られたとは聞きません」
とにかく、もう少し行ってみようと思って、上山川を渉《わた》って西に向う。
このへんは畠《はたけ》地帯だが、所々に小松林や雑木林が散らばって、兵を伏せるには恰好《かつこう》な地勢だ。用心しながら進んだ。
半里ほどで畠地帯はつきて水田地帯になるが、その境目のあたりに、溝《みぞ》というには大きく、川というには小さい流れがあって、それが下総《しもうさ》と下野の境になっている。それをわたって、なお五六町進んだ時であった。将門の右側で馬を進めていた郎党が、ふいに、
「あッ!」
と小さく叫んで、将門の肱《ひじ》をつかんだ。
郎党は、はるかな前方を指さしていた。皆馬をとめて、その方角を見た。
穂をはらんだ稲田がずっとつづいている中に、このへんを開墾する時ふるいわけた砂利を集めて築いたらしい小高い塚《つか》が二つならんで、小さな雑木|藪《やぶ》になっていたが、その蔭《かげ》から飛び出したものがあった。甲冑《かつちゆう》をつけた騎馬の武者であった。馬の背に身を伏せ、めったやたらに鞭《むち》をくれて逃げて行く。
こちらの兵の中で、素速く矢をつがえて射放った者があったが、矢頃《やごろ》が少し遠すぎて中《あた》らなかった。初秋の昼下りの強い日に照らされて鎧《よろい》の金具が光って甲虫《かぶとむし》のように見える武者はふりかえりもしない。忽《たちま》ち平地を行きつくして、台地が林となって青田の中に斗出《としゆつ》している鼻を曲って見えなくなった。
このまま前進をつづけるのは危険だと、将門は思った。敵の滞陣している小山までもう一里足らずしかない。あの斥候の報告によって、敵は必ず出動して来るに相違なかった。
将門は、命令して退却にかかった。急ぐ必要があった。ぐずぐずしていれば危険なことを、皆よく知っている。急げと命令するまでもなかった。馬足をおしまず駆けた。しかし、水田地帯がつきて畠地帯にかかった時、異様なざわめきが後方から聞こえて来た。
ふりかえって見ると、先刻敵の斥候が姿を消した林の外に数十騎の兵がいるばかりか、なおひきつづき鼻を曲って来つつある。蟻《あり》が穴から這《は》い出して来るようにかぎりもない。
敵はあの林の向うあたりまで来ていたに相違なかった。
将門が馬をとめると、兵士等もまた停止した。皆真青になっている。おびえ切っているのであった。
軍事についての判断と決断には将門はおそろしく早い。
この疲れた馬足では逃げ切れないと思った。こんな状態で逃げることは一層兵士等の勇気を喪失させると思った。要害の地勢に拠《よ》って出来るだけ時をかせいで戦っている間に、急を豊田に告げて後詰《ごづめ》の勢《せい》を呼ぼうと思った。判断が立てば一瞬もためらわない。一番元気のよい馬に乗っている兵を呼んで、命令を授けた。
「かしこまる」
兵は、土煙を上げて畠地《はたち》の斜面を駆け上って、忽ち尾根《おね》の向う側に姿を消した。
将門はのこる兵士等に向きなおって、
「下馬」
と、叫んだ。決意を示す強い調子の声であった。一同は下馬した。将門も下馬して、その前に立った。
「ここで戦う。おれの言う通りにすれば、必ず勝てるが、勝手なことをしては必ず無残な敗死をとげねばならんぞ」
「必ず仰《おお》せの通りします」
声をそろえて、答えた。
将門は畠地の斜面の半ばまで連れて上り、そこにあった雑木林に入った。
この間も、林の鼻を曲って出て来る敵兵はつづく。しかし、前進はしない。出て来た軍勢は次々に稲田をふみあらしながら一カ所に停止している。全部が出おわってから前進して来るつもりと思われた。
やがて森を出つくした敵勢は、勢ぞろいにかかった。大体二千二三百騎と見えた。七八百騎|毎《ごと》に隊をつくって三隊となり、稲田の中につづく道をぞろりぞろりと押して来る。せまい道だ。二騎しか並んで歩けない。駆けたいにも駆けられないのである。
こちらから見ていて、小次郎はあきれていた。拙劣をきわめた陣法だと思った。敵を目前にしたこんな打ちひらいた場を、縦隊でのんべんだらりと行進して来るなど、正気の沙汰《さた》ではない。もし横に伏兵があってにわかに立って攻撃して来たら、一通りや二通りの損害ではすまないのである。
「水守《みもり》の良正《よしまさ》叔父の手並みはこの前|川曲《かわわ》で見てわかっているが、このぶんでは上総《かずさ》の伯父御の手並みも知れたものだな」
何とか斬《き》りぬけて帰ることが出来ようと、大いに気が楽になって、味方の兵共の方に目をうつすと、ほとんど全部が一層青くなって敵に視線を凝らしていたが、ただ一人、少し離れた位置にある椎《しい》の若木に背をもたせている兵だけが、にこりにこりとひとり笑いしているのが見えた。
これは伊和《いわ》ノ員経《かずつね》といって、若い時から故将軍(将門の父鎮守府将軍|良将《よしまさ》)に従って陸奥に行っていて、軍事には練《ね》れた兵《つわもの》で、豊田の郎党の中では長《おさ》立った男だ。
「員経、員経」
と呼ぶと、「は」とこたえて、すぐそばへ来た。冑《かぶと》の吹きかえしの下からのぞいている鬢《びん》に、もう白いものの見える四十年輩。
「汝《われ》、どう思う。おじ御達の軍立《いくさだ》てを?」
員経はにこりと笑った。
「心にくからぬ敵でございますな。案外であります」
「おれもそう思う。ところで、どうだろう。敵にわからんようにここを下りて、敵の右手にまわって、いきなり矢を射かけるという手は?」
「ようございますな。幸い、あの溝川が敵の道筋の右手の、丁度矢頃のところを流れています。溝川伝いに頃合いのところまで下れますから、まことに都合がようございます」
「汝《われ》、やってくれるか」
「やりましょうとも。敵が乱れから立直るまでに、二筋ずつは射かけられます。五十人つれて行けば、少なくとも八十騎はたおせましょう」
「その敵の乱れに乗じて、おれがのこりの五十騎をひきいて、突っこんで行こうよ」
「ようございましょう」
話はきまった。将門は兵を五十人ずつの両隊にわけて、一隊を騎乗させ、自ら先に立って、畠地を大きい稲妻形に馬を走らせながら、溝川のへりまで下った。
乾き切った畠の土は、風のない秋の日の中に、濃い煙のようになって立上って、斜面一帯を蔽《おお》い、さらに青田の上までひろがって来た。
員経は五十人をひきいて、その煙幕のかげを徒歩で溝川に走りつき、あとは溝の中を下流へ下流へと下って行った。
伊和ノ員経にひきいられた別働隊が適当な位置に到達するまで、敵に気づかせないことが必要であった。小次郎は兵士等に命じて、鬨《とき》の声を上げさせた。
エイ、エイ、エイ、
オウ、オウ、オウ、
エイ、エイ、エイ、
オウ、オウ、オウ、
………………………
小次郎の音頭につれて、兵士等は鞍壺《くらつぼ》をたたきつつ絶叫をつづけた。
敵はこれをどう解《と》ったのであろうか、大軍の勢いに気を呑《の》まれないために、景気づけをしているとでも解ったのかも知れない。依然たる調子で、進行をつづける。あなどり切って、にやにや笑いを浮かべているらしいと思われた。
味方に二十倍する大軍の自信にみちたその様子を見ていると、兵士等は鬨の声を上げながらも、胸がゆらぎ、気が萎《な》えるのを覚えた。兵士等だけではない。小次郎さえ、不安に圧倒されそうであった。一応の計略はめぐらし、相当それが巧妙なものであると信じてはいるが、戦術の巧拙を決定するのは結果だけだ。どんなに粗笨《そほん》でも乱暴でも、勝てば類《たぐ》い稀《まれ》な奇手であるし、どんなに巧みげに見える戦術も勝たなければ妙手とは言えない。
呼吸《いき》がつまり、全身の毛がキリキリと立って来る気持であった。
およそ十分間、魂のすり減るような緊張がつづいた時、敵の右方二十間ばかりの稲田の中に、突如として別働隊が半身をあらわし、あらわしたと思うと、鬨の声も上げず、弓をひきしぼって切って放った。矢はほとんど一斉《いつせい》に、穂をはらんだ稲田の上二尺ばかりの高さを、きしるような鋭い音を立てて飛んで行った。
馬上に側面をさらして、密接した縦隊をつくっている敵は、きわめて恰好な標的であった。やにわに四五十騎が、悲鳴を上げながら転落した。目に見えない巨大な箒《ほうき》にはらい落されたようであった。馬を射られて、馬が狂い立ったものもあった。
敵はおどろき狼狽《ろうばい》したが、右側からの攻撃だ。応射するためには馬首をめぐらさなければならない。おろおろしていると、二度目の矢が飛んで来て、また四五十騎たおされた。混乱は一層大きくなった。前に進んでこの危地を脱しようとするもの、馬首をめぐらして応射しようとするもの、ぶつかり合い、おし合い、へし合い、ふためき、さわぎ、人も馬も狂いに狂った。
突撃の機会の熟するのをはかっていた小次郎は、右手を上げてサッと打ちふるや、馬をおどらせて駆け出した。
「それ行け!」
見事な戦略の的中に、兵士等の不安はあとかたもなく消えていた。自信と闘志とがからだ全体、魂全体にはちきれんばかりに充実していた。われ先に飛び出した。口をついて、喊声《かんせい》が上っていた。
道路によっては進まない。稲田の中を横隊となって敵の先頭を包みこむような陣形で進んだ、稲田はもう水がおち、土がかたまって、やわらかい夏草の草原程度になっている。駆けるにちっともさしつかえなかった。夏野の狩に臨んだように、矢頃に近づくや矢を射放ちつつ疾駆し、接近するや、刀をぬきはなった。
乱れ立っているところに、この猛烈な攻撃を受けたのだ。敵の先頭は忽《たちま》ちくずれ立った。後退しようとしたが、せまい路上にぎっしりとならんで来たこととて、それすら自由には出来ない。益々《ますます》狼狽し、周章し、それは続く部隊にも次々に波及して、混乱は目もあてられないものになった。
こうなると、豊田勢の意気は百倍する。小次郎の叫びは、単なる叫喚から意味ある叫びとなった。
「勝ったぞ! 勝ったぞ! 勝ったぞ! それ、勝ったぞ!……」
と、連呼しながら、四尺にも及ぶ剛刀をまわして、斬人《ざんじん》斬馬、あたるを幸い、斬って斬って斬りまくった。この叫びは、忽ち全兵士の口にうつった。
「勝ったぞ! 勝ったぞ! 勝ったぞ! それ、勝ったぞ!」
と、合言葉のように叫びかわしながら攻撃した。
二千を越える勢だ。怯兵《きようへい》ばかりはいない。歯がみをしてくやしがり、混乱から立直ろうとして、稲田の中に飛び出して前線に馳《は》せつけようとする者もあったが、これらは、員経のひきいる別働隊から飛んで来る矢でぴしぴしと射取られては、しぶき立つような音を立てて稲田の中に顛落《てんらく》した。
員経は周到な目を鋭く配って、敵の後陣の強そうな所を見つけると、射撃を集中させては弱めた。
巧妙な戦法であった。こうして員経隊が矢戦さで適当に弱めた所を、小次郎の騎馬隊が白兵で斬り散らして行くのだ。鋭利な錐《きり》がグイグイとものをうがって行くようであった。
敵はそれでもしばらくはこらえていたが、一部が一きわ大きく波立ち動揺したかと思うと、忽ちそれが全軍にうつり、ドッとくずれ立った。
生を愛し、死をにくむのは生物の本性だ。精神の健全な人間なら、いのちのおしくないものはない。戦場に臨む者は、この本性を義理や羞恥《しゆうち》や世間体によっておさえているのだ。それ故《ゆえ》に、勇といい、怯というも、つまりはその抑圧の度合にすぎない。古来、戦さは気のもので、一旦《いつたん》敗れて潰走《かいそう》にかかったら、ふみとどまって反撃に出ることはほぼ絶対に不可能だといわれているのはこのためだ。抑圧がとれて本性が赤裸々に出て来るからである。一二の勇者があっても、大勢はどうすることも出来ない。激流にもまれる木の葉のように、渦巻《うずま》く流れに巻かれて押し流されてしまわざるを得ない。
この時の連合軍がそうであった。足の踏みどもなく、ただ逃げた。豊田軍はこれを急追した。急追し急追して、呼吸もつがせなかった。員経の隊も、徒歩《かち》から騎馬にうつって、追撃にかかった。
連合軍は、小山の陣所にかえってここで備えを立てなおして戦おうとしたが、豊田勢はその余裕をあたえなかった。
「勝ったぞ! 勝ったぞ! 勝ったぞ!……」
と絶叫しながら真ッ先に立って進撃する小次郎にならって、同じように絶叫しながら進みに進んだ。
連合軍は、さらに北をさして走った。
その頃、三郎|将頼《まさより》にひきいられた百余の後詰《ごづめ》の勢が追及して来たので、豊田勢の気力は百倍した。
「追いつめて、一人ものこさず打ちはたせ!」
と互いに叫びかわしながら追撃をつづけた。
連合軍は文字通りの潰走であった。一かたまりになんぞなっておられない。七花八裂、てんでんばらばらになって逃げた。
豊田勢は、余のものには目もくれない。一筋に敵の本隊を目がけて追った。この本隊は、はじめは良兼とその近侍の七八十人ばかりで編成されていたのだが、途中で良正が一緒になったので、およそ百余の人数となっていた。
この兵共のほとんど全部はよりすぐられて、それぞれの主《あるじ》の旗本となった者共だ。武勇の名ある者も少なくなかったが、豊田勢のはげしい追撃に、雷神《はたたがみ》に追われるような恐怖にとらえられて、逆撃に出る気力が出ればこそ、散らないのがやっとのこと、ともすれば足も腰も萎《な》えるような思いで逃走をつづけた。
逃げたも逃げたり、小山から府中まで二里半、一刻《いつとき》の間に逃げて、国府《こくふ》近くのさる館《やかた》に逃げこんだ。同族ではないが、こんどの戦さに加担してくれたこの国の豪族の館であった。すでに日は西に傾き、暮れるに間近い頃であった。
下野国の国府は、少し前の栃木県|下都賀郡《しもつがぐん》国府《こう》村大字|国府《こう》にあり、今はここは栃木市に編入されている。現在の国府部落は水田地帯とやや高地の畠《はたけ》地帯の境目にあるが、この時代の国府は、ずっと北へ畠地帯に入った、現在|惣社《そうじや》といっている部落に近い所にあったようだ。
敗け戦さほど身も心もつかれるものはない。老年ではあり、病み上りではあり、良兼はくたくたになった。ともすればその場に昏倒《こんとう》しそうであった。再び中風の発作がおこりはしないかと、それも不安であった。もう何をする気もしなかった。
(良正め! 詮子《せんこ》め! 良正め! 詮子め!)
と、こういうことを思い立って、気の進まない自分を無理にすすめて、こんなことを企てさせた二人が、ひたすらにうらめしかった。
しかし、取りあえず軍議がひらかれた。
軍議といっても、顔ぶれは、良兼と良正以外には、この館の主しかいない。貞盛兄弟をはじめとして、一族の者共は途中でちりぢりばらばらになってしまっている。
「とにかく、守備をかためよう。相談などそれからのことだ。敵は今にも寄せて来よう」
と、良正が主張すると、館の主は、
「それもそうでござるが、取りまかれてしまっては、他《ほか》との連絡がとれぬ。その以前に心きいた者共を味方の家々に出しましょう。ほかから後詰の来るあてもなく立てこもって戦う法はござらん」
と、主張した。
道理至極な意見であったので、そうすることになったが、適任と思われる者を呼び出して言い渡している間に、早くも豊田勢が寄せて来た。
「や! はや寄せたか!」
良正も館の主も動顛《どうてん》した。わらわらと席を立って敵状を見に走った。良兼一人があとにのこった。
「……よしないことをした。よしないことをした。良正め! 詮子め! ああ、よしないことをした……」
日はもう沈みかけて、夕焼の雲が空に赤い。茫然《ぼうぜん》としてそれを見つめて、痛恨に骨を刺される気持であった。
豊田勢は到着するとすぐ館を包囲した。急追に急追を重ねて来たこととて多少の休息を必要としたので、矢頃を離れて遠巻きにした。しかし、そうしなくても、敵には反撃に出る気力はなかったであろう。
館の南面には、ひろい桑畠がつづいている。この時代の桑の仕立てようは、現今のように短く刈りこむことをせずのびるにまかせたから、幹は太く、枝は繁《しげ》り、たけは一丈余にも及んだ。だから、その畠は、しだいに暮色の濃くなって行くなかに、小さな森ほどに鬱然《うつぜん》たる相《すがた》になっていた。
小次郎は、その畠の前に本陣をすえて、きびしい目で館をにらんでいた。あせりきっていた。すぐにも攻撃にかかれないのがいらだたしくてならない。こうして人馬の呼吸を休めている間に敵もまた戦力を回復するだろうとの心配からではなかった。今や、敵の人数は百そこそこしかないがこちらは二百あるのだから、彼をあせらせているのは、戦いの興奮であった。敵を駆け散らし、蹂躙《じゆうりん》し、斬りなびけて来た余勢が荒々しい興奮となって五体に脈|搏《う》ってしずまらないのであった。
この一面、彼の胸には反省に似たものが徐々に育ちつつあった。それは、良兼と良正とがまさしく血のつながるおじであり、ことさら、良兼は良子の実父であるということであった。彼の胸には痛みに似たものがあった。
(おれは戦いたくなかったのだ。おじらが遮二無二《しやにむに》しかけて来たのだ。戦わざるを得なかったのだ。その結果、おれが勝ったまでのことだ)
と、いくども胸にくりかえしたが、その気持はやまない。
(やむを得ない戦いであることは良子もよくわかっている。しかし、それでも父が戦死したと知れば悲しむにちがいない)
とも思った。
せめぎ合うこの二つの感情の間に、小次郎の心はゆれてやまない。立上って、おちつきなくあたりを歩きまわった。
そこに将頼がゆっくりと馬を歩かせて来た。彼は館のまわりを見てまわって来たのであった。馬を下りて、兄に近づいた。
「兄者《あんじや》」
「うむ」
「敵の様子を見て来たが、敵には戦う気がまるでないようだな。居すくんでいる。無二無三に攻めかけてもいいが、それより火をかけて炎の下から逃げ出して来るのを追うもの射に射とった方が手間がかからん。そうしようではないか」
小次郎は答えないで、数歩歩いた。
「兄者。あれを見てくれ。兵《つわもの》共は気力をとりもどして、ああして戦いたがっているぞ」
将頼は手を上げて指さした。館をとりまいて三三五五散らばっている兵士等の姿が暮色の中に見えた。素引きや素振りをくれているのだろう。弦《ゆんづる》の音がひびき白刃《はくじん》が速い光になってきらめいていた。
小次郎は、まだ黙っていた。
将頼は近づいて来て、兄の顔をすかし見た。
「どうしたのだ。ぐずぐずしていると、逃げ散った敵兵共が集まって寄せて来るかも知れんぞ。そうしたら、せっかくここまで漕《こ》ぎつけたのに、難儀な戦さになるぞ。国府からむずかしいことを言ってくる恐れも十分あるぞ」
やっと、小次郎は口をひらいた。
「おれは、このへんでやめようと思っている」
「やめる?」
将頼の声は叫ぶようであった。更に近づいて兄の顔を見た。憤然として言った。
「なにをばかなことを言うのだ。おじ御等のにくんでいるのは兄者一人ではないのだぞ。やつらは、われら兄弟全部を殺そうとしているのだ。うぬらの悪を通すためにだ。豊田の所領全部を横領するためにだ。駆りもよおされて馳せ参じた一族の者共も皆、いくらかのわけまえにあずかろうとの強慾《ごうよく》からだぞ。兄者もそれを思うてくれねばこまる」
このことばには十分の理があった。小次郎は反駁《はんばく》することが出来なかった。しかし、気持はかえってかたまった。
「汝《われ》がそう言うのは道理だ。しかし、何というても、血のつながるおじ御達だ。とりわけ、上総のおじ御は坂東平氏の頭領《とうりよう》だ」
「おじ御であるならおじ御らしくするがよい。一門の頭領であるなら、頭領らしくするがよい。うぬらがどれだけのことをわれら兄弟にしてくれたか、情《なさけ》らしいことは何一つとしてしてくれぬばかりか、こちらの幼弱につけこんで所領をかすめとるばかりか、年《とし》甲斐《がい》もなく女の縁にひかされて他氏の源《みなもと》ノ護《まもる》などに肩入れして、一度ならず二度ならず、三度まで戦さをしかけて来たでないか」
「…………」
「運よく三度とも勝つことが出来はしたものの、戦さの運ほど気まぐれなものはないぞ。三度続けて勝ったからとて、四度目も勝てるとはかぎらぬぞ。ここまで攻めつけて、息の根をとめぬというばかな戦さの法がどこにあるのだ。ここで手をゆるめるなど、武者たる者のすべきことではない。それは女々しいことだぞ。助けてやったとて、やつらは、決しておのれの非を悔いなどはせん。必ず更に怨《うら》みをとぎすまして、仕返しの戦さを企てるにきまっているぞ」
それでも、小次郎は黙っていた。将頼は調子をかえて出た。
「兄者がそんな気になったのは、おれにもわからんではない。兄者は嫂御前《あねごぜ》のことを考えているのだろう。上総の伯父御は良子のおやじどのだ、殺したら良子がなげくであろうと。夫婦の情としては、さもあろうと、おれは同情する。しかし、くどいようだが、これは兄弟全部の生死にかかわることだ。思い切ってくれ。頼む、頼む、頼む!」
将頼は、兄の鎧《よろい》の袖《そで》をつかんで、泣かんばかりであった。その袖をはらって、小次郎は馬を引きよせて飛びのった。そして、言った。
「攻めにかかる。館の西側の兵は引きはらって、三面から攻め立てよ。火攻めはならぬ」
これでは敵を討ち取るための攻撃ではなく、にがすための攻撃だ。
「兄者!」
カッとして将頼が叫ぶと、小次郎はどなりかえした。
「おれの下知だ! 違背《いはい》はゆるさんぞ!」
小次郎は命令を下しっぱなしにはしなかった。自ら出かけて、館の西側の築垣《ついじ》の外にいる兵を撤退させた後、鬨《とき》の声を上げさせた。
包囲の一面が解かれたことは、すぐ館内にこもる兵共にわかった。しかし、なぜこんなことをするか、理解出来なかった。おどろき、まどい、おそれて、良兼に報告した。
良兼がなんにも言わない前に、良正がしゃしゃり出た。
「これははかりごとだ。兵法に窮寇《きゆうこう》は追わずとある。追いつめられて逃げ場のなくなった兵は手荒く攻め立ててはならん、死にもの狂いにはむかって味方の損害が大きくなるという意味だ。また、囲めば欠くともある。敵をとりかこんだ場合には必ず一面をあけておけ、でなくば敵を窮寇にしてしまう、囲みの一面を欠いておけば、敵は生きようとの慾が出て、決死の勇が撓《たわ》むという意味だ。小次郎め、生意気にも、これを聞きかじっているに相違ない。しかし、小次郎としては、ここまで追いつめた以上、我々を助けようと思っているはずはない。我々が逃れ出る途中に勢を伏せておいて討ち取るつもりに相違ない。ここはどこまでも踏みとどまって戦い、後詰《ごづめ》の勢の来るのを待つべき所だ」
良兼も道理と聞いた。
「よかろう」
と、うなずいて、その旨《むね》を兵士等に伝えさせた。
しかし、敗軍の兵の心理を支配するものは、動物的な恐怖感情だ。この理性的な命令はまるで行われなかった。宵暗《よいやみ》をゆるがして三面におこる鬨の声を聞くと、際限もなく臆病《おくびよう》になった。一人ぬけ、二人ぬけ、数人ぬけ、最後にはなだれを打って、鬨の声の聞こえない方に向った。門をおしひらき、築垣をのりこえて、逃走にかかった。
「こいつら! こいつら! なぜ逃げる! 逃げるやつは斬《き》るぞ!」
良正は死にもの狂いになって引きとめようとし、押しかえそうとし、怒りにまかせてほんとに一人二人斬りすてたが、兵士等は荒れ狂う良正を避けては、速い流れのように逃走をつづけた。知らず知らずに、良正もその流れにまかれて館を出てしまった。
良兼は、庭の真中にすえた床几《しようぎ》に腰をおろしていた。彼は兵士等の数が急速に減って行くのを、よく知っていた。怒号をつづけながら良正が行ってしまったのも知っていた。けれども、そこを動く気はおこらなかった。「おれはここで殺されるだろう」とも考えたが、全然恐怖はなかった。ただ「よしないことをした」という後悔の念ばかりが切なかった。彼は涙を流し、声を立てずに泣いた。
四五人の武者が走って来た。
「殿!」
と、呼びかけた。
重立った郎党共であった。
「一先《ひとま》ず、この場をおひらき下さい。味方の者共われがちに落ちて、今はもう防ぐべき手だてはありません!」
というや、両方から腕を取って立たせた。
ふりほどこうと、身をもがきながら、
「おれは……」
と言いかけた時、また鬨の声が聞こえた。郎党共は、ひっかかえるようにして、走り出した。
小次郎は鋭い目で、敵の逃走を見まもっていた。勝ちほこった郎党等は入れかわり立ちかわり小次郎の前に来て、追い撃ちをかけることを主張したが、
「おれに考えのあることだ。勝手なことをする者は許さんぞ」
と、きびしくおさえてゆるさなかった。
兵士等は、
「殿ほどの戦さ上手にあるまじきことだ。生《なま》殺しの蛇《へび》はきっと禍《わざ》をするというに、重なる勝ちにおごっておられるのにちがいない」
と、互いにささやき合って、くやしがった。
ほどなく、館の内はすっかり空虚になってしまった。
小次郎は、将頼を呼んだ。
将頼はのさのさとやって来た。
「用か」
不平げに面《つら》をふくらかしていた。
小次郎はやさしく言った。
「汝《われ》は御苦労だが、兵共を集めてくれ」
「どうするのだ。帰るのか、皆疲れとるぞ」
生き死にの場をくぐって、幸いに勝つことを得た将士等は、勝利の最も端的な確認を欲する。掠奪《りやくだつ》、暴行、酒宴だ。文明人同士の戦いでも、ある程度のそれはまぬかれない。それは戦いの狂気が生む狂気だ。まして、この時代のことだ。普通のことであった。将頼はそれを言っているのであった。
「わかっている。しかし、ここではいかん。ここは下野《しもつけ》の国府のある場所だ。それは何とか考えることにするから、一応兵共を集めてくれ」
鉦《かね》が鳴らされ、兵が集まって来た。空に星がかがやき出すと、宵よりいくらか暗が薄れて来た。その星明りの中に兵士等はのろのろと集結した。
小次郎は簡単なことばで、兵士等の労をねぎらった後、将頼に、しばらく兵共をどこにも散らさんで引きまとめているようにと命じ、それから、伊和ノ員経《かずつね》ほか三人の郎党を呼び出した。
呼び出された郎党は、皆|長《おさ》立った者共で、年も相当であった。
小次郎は、その者共を引きつれて、国府に向った。
程遠からぬ場所でおこったこのさわぎだ。国府はもちろんよく知っていた。篝火《かがりび》を焚《た》き、武装した兵共を以《もつ》て厳重に府を守衛していた。小次郎等の来たのを見ると、一斉《いつせい》に門前に集まって警戒した。
小次郎は馬を下り、冑《かぶと》をぬいで員経にわたして、門に近づいた。
「これは隣国|下総《しもうさ》豊田の住人、平ノ小次郎将門であります。守《こう》の殿にお目にかかりたく存じます」
「要件の次第は」
「今日不慮のことで心ならずも府下をおさわがせしたおわびを申し上げたく存ずるのです。また事情も申し上げておきたいのです」
うやうやしい小次郎の様子に、相手はいくらか警戒心を解いた。
「何と仰《おお》せられるかわからんが、とりついではみます。しばらく待っていさっしゃい」
とこたえて、門内に消えた。
この時の下野の国守《くにのかみ》は、大中臣《おおなかとみ》ノ全行《たけゆき》という人物であった。彼はこの春新たに国守になって赴任して来た。坂東の住人等の殺伐粗豪な気風については、京でさんざ聞かされて来たのであるが、坂東に来てみると、想像したほどのことはなかった。住人同士の間には、ともすれば、喧嘩《けんか》というには大きすぎ、戦さというには小さすぎる流血の争いがよくあるが、官《おおやけ》にたいしてはまことにうやうやしいのであった。
彼は安心し、自信を回復し、この頃《ごろ》では官の威光を笠《かさ》に着て、ずいぶん勝手なことをしつつある。もっとも、勝手なことといっても、租米《そまい》や調《みつぎ》ものをくすねたり、自分の用事に民を労役させたり、つまり、当時の地方官としてはごく普通な、誰でもやることをやっているにすぎないのだ。
住人、または武士と呼ばれる土地の豪族等とだけは、出来るだけ協調して行くことにしたが、国の守《かみ》の権威は依怙地《いこじ》なくらい立てた。
たとえば、当国の北部にある田原の住人藤原ノ太郎|秀郷《ひでさと》に対して取った態度がそれだ。
藤太秀郷は、七八年前、一族の領地争いに国府の役人が非分のさばきをしたのを怒って、国府に闖入《ちんにゆう》してその役人を撃ち殺したため、叛逆罪《はんぎやくざい》にあてられて、伊豆《いず》に流された。満四年|経《た》って、朝廷に慶事があったので赦免になって田原へかえって来たが、一切国府に顔出しをしない。その国の豪族等が吉凶にはいうまでもなく、折々の機嫌《きげん》伺いにも、国司の許《もと》に顔出しをするのは普通のことになっているのだが、藤太は一切それをしなかった。嘗《かつ》てのことを含んでいるものと想像された。
兇暴《きようぼう》な前歴があるだけに、全行の前任者は、恐れて放置していたが、全行は赴任して来てしばらくすると、使いを立てて先規《せんき》によってあいさつにまかり出《い》ずべしと申し渡した。藤太は、
「こんどの守《こう》の殿はえらいきついお人だな」
と笑って顔出しし、その後はずっとそんな場合には顔出しをつづけているのだ。
こんな全行であったが、今日は心《しん》からこわかった。豪族同士の戦いとはいえ、つい足許で行われたのだ。国の守の本来の任務から言えば、出張って行って制止を加えなければならないのだ。傍観していたことが中央に知れれば手落ちになるのだ。
しかし、とても制止になど行く勇気はなかった。彼は雷霆《らいてい》の過ぎ行くのを待つ気持で、国府の奥まった一室にこもっていたのであった。
それだけに、小次郎が来たと聞いて、当惑もし、狼狽《ろうばい》もし、恐れもした。
会いたくはなかったが、会わないわけに行かないことはわかっていた。
「正庁で会おう。案内《あない》して、待たせておけ」
と、史生《ししよう》(書記)に命じた。守衛の兵士共は直接国守にものを言う資格がない。史生にとりつぎ、それを史生が全行にとりついだのであった。
史生が退《さが》って行った後、全行は侍臣に手伝わして衣冠を正し、酒をとり寄せて飲み、それから、しずしずと正庁へ向って練り出した。
小次郎は国府の正庁に通されて待っていたが、ひどく落ちつかなかった。彼には官庁という所がにが手だ。いかめしい机や、うず高い書類の堆積《たいせき》や陳列を見ると、いかにも自分の存在が不調和な気がして、一種の威圧に似たものを感じないでおられない。満三年に及ぶ京の宮仕えの経験も、この点ではほとんど効果がなかった。
正庁内には明々《あかあか》と燭台《しよくだい》がつらねられ、諸役人共が、それぞれの位置に坐《すわ》っていた。彼等は彼等で、いかめしく武装した小次郎やいかにも強げなその郎党共が恐ろしくてならないのだが、強《し》いて威厳をつくっていた。
共すくみに似た状態がしばらくつづいた。
小次郎が、こんなところへ来たことを、ほとんど後悔したいほどの気持になった時、警蹕《けいひつ》の声を先に立てて、国の守があらわれた。右手に笏《しやく》を、左手を腰に、荘厳《そうごん》な儀式にでも臨む時のような動きで、しずしずと立ちあらわれ、正面のおのれの席に着いた。
全行もまた恐ろしくて、その恐怖はもう絶頂に達していた。しかし、それゆえにあらんかぎりの努力をもって荘重にふるまった。今の場合、この野蛮な武力を制圧するのは、朝廷の権威の象徴である官服と儀礼を以てするより外はないと考えたのであった。
十分に気取った声で、史生に言った。
「まろに謁《えつ》をもとめた豊田の小次郎を、召しつれてまいれ」
史生もまた、長官の気持をのみこんでいる。
「はーッ」
と、荘重に答えて、小次郎の側《そば》に来た。
「守の殿がお召しでござる」
この時、小次郎の心理に大変化がおこった。彼は京都のずっとずっと高位の廷臣等のことを思い出し、その人々よりこの国司の方がはるかにもったいぶっていることを考えたのだ。中央の高官といわず、地方官吏といわず、市《いち》の商人《あきゆうど》よりまだあさましい慾に渇いていることも思い出した。――一口に言って、ばかばかしくなった。
「おお!」
とこたえた声が自分でも意外なくらい強い響きをもっていた。すっくと立上った。
一瞬、広い庁内がふるえ上り、森《しん》とおししずまった。鎧の音をカラリカラリと立てながら、大股《おおまた》に全行の前に進み出た。
全行はさらに青くなり、おびえ、それを必死におさえた。それが小次郎にはよくわかった。彼の胸には、さらに軽蔑《けいべつ》の念が長じて来た。正面に仁王立ちに突ッ立ったまま、強い目で相手を凝視しながら言った。
「お初にお目通りします。手前が豊田の小次郎|将門《まさかど》であります」
全行は何か答えたが、唇《くちびる》の動くのが見えただけで、ことばは聞きとれなかった。
「先ず、お膝許《ひざもと》をおさわがせ申したことをおわびつかまつる。しかし、これは手前共からしたことではないのであります」
小次郎は争いのはじめから説いた。いつもは口下手な彼ではあったが、今日は要領よく、そしてすらすらとしゃべれた。
小次郎の説明に、全行はうなずいた。
小次郎は力を得た。
「つきましては、この次第――前の上総介《かずさのすけ》良兼と常陸六郎良正とが、無道におしかけて合戦をいどみかけたこと、手前がやむなく相手となってこれを払いのけたことを、当国府の日記へ記録しておいていただきたいのですが、お聞きとどけ下さいましょうか」
全行はうなずいて、史生を目でさしまねいた。
はッ、と答えて史生はやって来た。
「豊田の殿の申されること、一々もっともに存ずる。記録しおくように」
「かしこまりました」
史生は、おのれの位置にかえって、墨をすり、筆をとって、簿帳に書きつけて持って来た。
「これでよろしゅうございましょうか」
全行はざっと目を走らせた。
「よろしかろう。一応、豊田の殿に読んでお聞かせするよう」
「……、前《サキ》ノ上総介平良兼、常陸六郎平良正、ソノ他平氏ノ一族、去月以来、衆兵ヲ率ヰテ、当国都賀郡小山ノ郷ニ滞陣ス。下総国豊田郡ニ住スル族人平将門ヲ討タント擬スルナリ。将門勢|寡《スクナ》ク力単ナルニヨリ専ラ防守ヲ図リシニ、カノ前ノ上総介等本日ヲ以テ小山ヲ発シテ豊田ニ向フ。将門ヤムコトヲ得ズ、兵一百ヲヒキヰテ下総ノ国境ニ出デテ之《コレ》ヲ迎ヘ、一戦ニ之ヲ撃摧《ゲキサイ》ス。寡《カ》ヲ以テ衆ニ克《カ》ツ、マコトニ希代ノ高名タリ。カノ介等、走リテ当府下ノ一味ノ者ノ館ニ|※[#「にんべん+福のつくり」]仄《フクソク》(ちぢこまる)ス。将門追ヒテ至ツテ之ヲ周匝《シユウサフ》スト雖《イヘド》モ、親戚《シンセキ》ノ誼《ヨシ》ミヲ重ンジ、一面ヲ解キテ介等ノ遁《ニ》グルニマカス。コト畢《ヲハ》ツテ、将門当府ニ出頭シテ、事由ヲ陳弁シ、礼ヲ効《イタ》シテ去ル。……」
読みおわって、史生は小次郎の顔を見た。全行もまた見た。
「結構であります。お礼申し上げます」
小次郎の様子がやわらいだので、全行もおちつきを回復して、様体ぶった態度をあらためた。
「豊田の殿の武勇のほどは以前からまろは承知している。尊《みこと》が京で盗賊共を退治された頃、まろは京にいましたのでな。その後、今年の春まろが当国に守《かみ》となってまいって以来、度々の合戦《かつせん》に常に勝利を得られたことを聞き、益々《ますます》感嘆していました。しかし、今日のことはまた格別です。今お聞きの通り日記にも記させましたが、懸絶《けんぜつ》の寡勢を以て大敵を破られたばかりか、一族の情誼《じようぎ》を重んじての情ある処置、花も実もあるとは尊のことをこそ申すのであろう。ゆかしく思いますぞ。尊が坂東武人の頭領と仰がれなさるのは、今はもう疑いないことでありますな」
露骨なほめことばであった。この阿諛《あゆ》を品位をおとさないで言うことに苦心している風であった。
小次郎はきまりが悪くなった。
「恐れ入ります。――それでは、これでおいとまさせていただきます。終日の合戦で兵共は疲れていますが、当地にての宿営は官《おおやけ》への恐れがありますから、他へまいって宿営いたします。お含みおき願います」
「お心入れ、殊勝に存ずる」
全行は安心の色を見せた。カタリカタリと沓《くつ》を鳴らして、正庁の入口まで送って出た。
菊花のおくり
坂東《ばんどう》全部が、小次郎の武名をたたえて鳴りどよめいた。一度や二度なら怪我《けが》勝ちということもあるが、三度も、しかも三度とも一にぎりほどの寡兵を以《もつ》て目にあまる大敵を木ッ葉|微塵《みじん》にたたき破ったのだ。もうその実力を疑うものはなかった。
「坂東武人の頭領」
「軍神《ぐんしん》の化身《けしん》」
「往古にも後来にもまたとあるまじき勇士」
というようなほめことばが、至るところで口に上った。
上代、坂東はやまと民族の植民地であった。この地に移り住んだやまと民族と、野蛮にして剽悍勁烈《ひようかんけいれつ》な異民族である蝦夷《えぞ》との間には、不断の交戦状態が長い間つづいた。この訓練だけでも、坂東人は勇武にならざるを得ない上に、長い年月の間に自然と行われた混血によって、坂東人の血には蝦夷人の勇猛な血が流れこんだ。平安朝時代の京都人は、坂東人のことを「東夷《あずまえびす》」と言っているが、それは単なる修辞ではない。血液的にも蝦夷の血が入っていたからそう呼んだのである。
幾世紀の星霜を経て、平安朝初頭には日本人の前進基地は奥羽《おうう》にうつり、さらにその百二三十年後のこの小説の時代には、今の岩手県南部の胆沢《いさわ》に進んでいたが、各時代を通じて、その前進基地に駐屯《ちゆうとん》する兵士は、ほとんど全部が坂東人を以てあてられたので、坂東人の勇武は益々|磨《みが》かれ、ずっと後世南北朝の争乱の頃まで、坂東は日本で最も精強な武人の産地とされ、八州の兵を以て天下の兵に敵し得るとまで言われた。
こんな気風のところだ。武勇こそは、最も坂東人の尊重するものであった。小次郎にたいする称賛の声が八州の曠野《こうや》に沸き立ったのは当然であった。
ほめことばだけではない。近い土地にいる小豪族の中には、小次郎を旗頭《はたがしら》と仰いで服属を申し出て来る者さえあった。
羽生《はにゆう》の御厨《みくりや》の別当|多治《たじ》ノ経明《つねあき》がそうであった。
「みくりや」というのは、神社所属の領地で、別当とはその支配人のことを言う。羽生の御厨は伊勢神宮の領地であった。経明はその居所の近いところから、小次郎の父|良将《よしまさ》の代から親しく出入りはしていたが、小山の大快勝以後は、一層しげしげと出入りして、ほとんど臣下の礼をとるようになった。
文屋《ふんや》ノ好立《よしたつ》もまたそうだ。これは相馬郡の小豪族で、騎射の名手として知られていたが、せっせと出入りして、臣属の姿となった。
うちつづく三度の合戦による損失は、かなりなものであったが、世間のこの評判のよさが、豊田方の気力を引立てた。農事にも、武備の補充にも、人々の働きは精力的であった。仕事は面白いようにはかどった。
戦さ――とりわけ、同族との戦さは小次郎はもういやであったが、ここまで来た以上、おじ等が泣寝入りするとは考えられない。必ずや、復讐《ふくしゆう》戦をくわだてるものと覚悟しなければならない。小次郎自身も、おじ等と戦うことは欲しなかったが、貞盛《さだもり》をゆるすことは出来ない。彼の貞盛に対する憎悪《ぞうお》は日を経るにつれて強まって来て、今では、何から何まで憎くてたまらないのだ。貞盛のことを思い出す毎に、ギリリと奥歯をかみしめずにおられないほどとなっている。
秋晴れの美しい日であった。
その日、小次郎は、遠く離れた早稲田の刈入れに朝から出て行って監督したが、昼頃かえって来て、野良着《のらぎ》のまま飯を食っていると、給仕していた良子がふと言った。
「いいことを聞かせて上げましょうか」
にこにこ笑いながらの言葉だ。小次郎もさそわれて愉快になった。干鮎《ほしあゆ》の煮びたしを箸《はし》にはさんだままこたえた。
「ああ、何だな」
「大へんいいことですの。お祝いしなければいけないことですの」
気をもたせるような態度だ。早く言ってしまうのを惜しんでいるようだ。
良子は、この頃少しふとって来たようだ。どちらかといえばかっきりしまった痩形《やせがた》だったからだにしっとりと肉がついて、皮膚の色にも目の光にもみずみずしいつやが出て来て、おちつきと艶冶《えんや》さとが全身ににじんでいる感じだ。
「えらいもったいぶっているのだな。何だね。いいことなら早く言って喜ばせてもらいたいな」
「だって、少しきまりが悪いのですもの。でも思い切って言います……」
と言って、しばらく口ごもっていたかと思うと、早口に言った。
「……殿のお子達が生れるのです」
言いおわると、真赤になった。白磁のような膚《はだ》の顔から首筋から胸許《むなもと》にかけて、それはすきとおるような美しい色になった。
小次郎は、食べかけていた鮎の煮びたしをぐっと飲みこんだ。のどにからんだので、せきをしながら叫んだ。
「ほんとか!」
喜びが熱い潮のように一時に胸にみなぎった。
「ほんとですとも。もう三月にもなります」
「ほう、ほう、ほう、……そうか、そうか」
目がうるんで来た。しげしげと妻のからだを見まわした。この妻の胎内に自分の子が宿って育ちつつあるという事実が、なんともいえず不思議な気がする。
「いや! そんなに見て!」
良子は左右の袖《そで》をかさねて腹をかくしたが、すぐコロコロと笑い出した。持ち前のやわらかく、明るくはじけ上るような快活な笑いであった。
小次郎も、身をゆすって、からからと笑った。
「でかしたな。やれ、うれしや」
うれしさがこみ上げて来て、もう食事はつづけられなかった。箸を捨てて、指をおった。
「来年の四月には生れるのだな。おれが父となり、そなたが母となるのだな。うれしや。しかし、不思議だな」
良子はまた笑った。
「なにが不思議なものですか。あたり前のことじゃありませんか」
小次郎は、母のところへ行って、この話をした。
「そうですよ。来年の春から夏にかけては児《ちご》が生れますよ」
母は一向おどろかない。あたり前のことのような調子だ。小次郎は不満であった。冷淡なような気がするのだ。
「知っておられたのですか」
「知っていましたよ。あの人が先《ま》ずわたしに話してくれましたのでね。もう十日にもなりますよ。そなたには自分が話すまで黙っていてくれということでした」
にこにこしながら、母は言った。
その時、弟の将平《まさひら》が走って来た。
この小説のはじめに十二の多感な少年として登場して来た四郎将平も、この時はもう十八の俊秀な青年になっていた。
この時代としては、もう一人前の若者だが、一族の誰にも似ない好学の性質は年とともに長じて、京都以来の学問の師|菅原景行《すがわらかげゆき》の許に泊りこみの有様で、学問の修業をつづけている。
景行は、広河《ひろかわ》の江《え》のほとりの開墾をつづけて、今でもそのほとりに領民等と共に泊りこんでいるのであった。
将平は、かなりな道を走って来たらしく、赤くなったきゃしゃな顔に汗を流し、呼吸《いき》をはずませていた。
「兄上! や、母上もお出でか」
という声もいそがしげであった。
「おお、久しぶりに顔を見せたな。どうしたのだ。呼吸などはずませて」
小次郎には、風変りなこの弟が可愛《かわ》ゆくてならない。くるみこむようなやさしい顔になっていた。
「師の君がお出でになります」
「おお、そうか。それではこうしてはおられんな。わしは衣服を改める。母上、良子と相談して、お迎えの支度をして下さい」
と小次郎が言うと、将平は、
「それでは、わたくしは、また師の君をお迎えに行きます」
と言って、燕《つばめ》がえしに走り去った。
小次郎は母屋《おもや》に入って野良着を脱ぎすて、顔やからだを洗って狩衣《かりぎぬ》の着用にかかったが、着おわるかおわらないかに、早くも景行の到着が報ぜられた。
景行は騎馬で、五六人の徒歩の従者をしたがえていた。
小次郎は、車寄せまで出て迎えた。
景行は、持ち前のものしずかな微笑とともに会釈《えしやく》をおくって馬を下りた。すると、供の者の中から一人が進み出て、手にした美しい花束をさし出した。景行は受取って、それから小次郎に近づいて来た。
「いかがです。こちらではめずらしいものでしょう」
笑いながら言って、花束を手渡した。
小次郎は、黄金のように豊かな黄色と、豊麗で純白な花の色と、その高雅な香気とに心をうばわれながら言った。
「おお、これは、たしか――菊と申す花でありましたな」
「そう、菊です。この春、小野道風|卿《きよう》が、人の便りにつけてこの根を送って下さったので、植えこころみたところ、このごろ美しく咲き出しましてな」
菊は大陸から渡来して、まだ百年にはならない。京やその近国にこそ相当に行きわたってはいるが、遠い東路《あずまじ》のはてでは、まるで見ないものである。
「なによりのものをたまわりました。早速、女共に見せてやりましょう」
花束は根元をぬれた布で巻いて、しおれない用心をしてある。小次郎はそれを将平にわたして、母と良子のところへ持って行くように命じた後、景行を客殿に導いた。
妻の妊娠を告げられた直後に、高貴で豊麗な美しさをもった異国の花を贈られたのだ。小次郎は何ともいえず幸福で豊かな気持になった。それは生れる子供の生涯《しようがい》の幸福を約束するもののように思われた。
席が定まると、すぐ言った。
「ようこそお出で下さいました。今日は少しばかり心祝いのことがありますので、別しておんいらせを嬉《うれ》しく存じます」
「ほう。お心祝い? そうですか」
つつましい景行は、その心祝いが何であるか、口に出しては聞かない。相手が進んで言うのを聞く姿勢をとった。
「明年の晩春初夏の頃《ころ》には、てまえは父になります」
「や! それは、それは。おめでたや。およろこびを申しますぞ。まろにも覚えのあることです。さぞな、おうれしくおわそう」
ものしずかな微笑に、深いよろこびの気持を見せた。
小次郎は、会釈して謝意を表したが、ふと自分のことばかりにかまけているのが反省された。
「時に、今日お出で下さったのは、何かとくべつな御用があってのことでしょうか」
景行は、容《かたち》をあらためた。
「今日まいりましたのは、実は貞盛ぬしに頼まれてまいったのです」
さらさらとした、なんでもない調子のことばであったが、小次郎の心はにわかにいら立ち、暗くなった。この人に不機嫌《ふきげん》な顔を見せるべきではないと自制しながらも、どうすることも出来なかった。ものを言えば荒い調子になると思ったので、黙っていた。
「貞盛ぬしは、こう仰《おお》せられる。この前は、まことに小次郎に申訳ないことになってしまったが、あれは自分の本意ではなかった。自分は、弟や郎党共が自分の知らぬ間におじらの勢《せい》に馳《は》せ参じたので、それを引きもどすために行ったのだ。しかし、どうしても弟共が帰ろうといわず、おじらもまた自分を手ごめにもしかねまじき勢いであったので、仮に彼等に一味したのだ。本心は、弟共を口説いて連れ帰ろう、あるいは、うまく行けばおじらに道理を説いて、この争いをやめさせようと心組んでいたのだが、事《こと》齟齬《そご》して、あのようなことになってしまった、まことに残念である。しかし、あの合戦において、自分がひたすらに戦いを避けて逃げたのはこのためである。その気持をよく酌《く》んでもらいたい、と、こう仰せられるのです」
相手のことばの進むにつれて、小次郎の怒りは加速度的につのって来た。いくどかさえぎってどなり出したくなるのを、胸をあえがせておさえた。ついに、カラカラと笑い出した。
「太郎がそんなことを申しましたか。これは大笑いだ。男たる者が合戦にのぞんで、戦いを避けてひたすらに逃げ走ったということを、言訳にするとは! いかに言訳のことばに苦しめばとて、窮するにもほどがありますぞ。さような人間、てまえは軽蔑《けいべつ》こそすれ、信用はしませんぞ」
景行は、おだやかな調子をくずさない。
「仰せ一々ごもっともではありますが、左馬《さま》ノ允《じよう》の殿のお立場にしてみれば、そう一概には律し切れぬところもあるように存ずる。また、まろにしても、せっかく仲に立って一旦《いつたん》はお二人を仲なおりさせ申したのです。未練がのこらずにはいないのです」
小次郎には、妥協する気はさらにおこらなかったが、すげなくも出来ないような気がした。
「それで、太郎はどうしたいと申すのでございます」
「いく重にもわびる故《ゆえ》、ゆるしてほしいと仰せられる」
「ゆるせと!」
カッとして、小次郎は叫んだが、すぐ大きな声で笑い出した。
「ハッハハハハハ、たわけたことを!」
噛《か》んで吐き出すように言った。
「まあ、お待ちなさい。左馬ノ允の殿はこう仰られる。単にわびるというだけでは、承知されぬであろうゆえ、わびのしるしをごらんにいれる。自分が骨折って上総の叔父君とも水守《みもり》の叔父君とも話をつけて、一族の和解の成り立つようにする、と、こう仰せられるのです」
「一族が和解すること、それはうれしいことです。しかし、それを太郎の骨折りでしようとは、てまえは思いません」
言っている間に、小次郎は猛烈に腹が立って来た。ほとんど礼儀を忘れて、つづけた。
「殿は堂上のお育ちでおわしますから、坂東人《ばんどうびと》の心意気がおわかりにならないのも無理はありませんが、今の際、太郎はそんな未練がましいことを手前に申してまいってはならないのであります。一旦、男と男とが肺肝《はいかん》をさして誓い合ったことは、事情がどう変ろうと、立て貫かねばならないのです。それが坂東の男の習いなのです。ましてや、太郎はあの後彼の母を使いにして、おじ等がどう言おうと、一族の者共の向背がどうであろうと、決して違背はしないと言ってよこしているのです。しかるを、その舌の根の乾かない間に、おめおめとおじらの勢に馳せ参じている。何たること!
そればかりでない。一旦敵になったらなったでよろしい。敵勢の一人となってはむかって来たものなら、なぜいのちの限り、力のかぎり戦わないのです。一戦もせず、ひたすらに逃げた心を酌《く》んでくれとは、何たる申しよう! 太郎はてまえを裏切ったばかりでなく、おじらをもまた裏切っているのです。不信義の上に不信義を重ねているのです。男ではないのです。
そのような者の言うことをどうして信ずることが出来ましょう。今のてまえは太郎を見るのもいやになっています。せっかくの思召《おぼしめ》しでありますが、彼と和解の儀は平に御容赦いただきたい」
小次郎はなお言いたかった。過去における彼の裏切りの数々を。今の小次郎にはそれはすべて狡猾《こうかつ》きわまる計算の上になされたものであったとしか思われない。しかし、そこまで言うのははしたなかった。
景行は嘆息した。
「まろも、多分そう仰せられるであろうとは思ったのでありますが、まとまるものならまとめたいと思って来たのです。しかし、ぜひないことです」
月がかわって九月のはじめ、下総《しもうさ》の国府から、召喚状が来た。去る二月、前《さきの》常陸《ひたち》大掾《だいじよう》源ノ護《まもる》、同前大掾平ノ国香《くにか》と闘諍《とうじよう》のことに及んで、国香、護の三子|扶《たすく》・隆《たかし》・繁《しげる》を殺害《さつがい》して坂東を騒擾《そうじよう》させた件について、京から左近衛《さこんえ》の番長正六位上、英保《あぼ》ノ純行《すみゆき》、同|氏立《うじたつ》、宇自加支興《うじかもちおき》の三人が、太政官《だいじようかん》の官符を持してはるばる下向して来たにつき、至急出頭せよというのであった。
豊田では皆不安がった。
「これはうっかり行っては、とんでもないことになるかも知れん。兄者は急病で出頭出来ぬということにして、おれが代理となって行って、様子を見て来よう」
と将頼《まさより》は主張した。郎党等も賛成した。
しかし、小次郎は笑ってしりぞけた。
「なんの心配あるものか。第一には、あの戦さはこちらから仕掛けたものではない。こちらは身にふりかかる火の粉として払いのけたまでのことだ。咎《とが》められる筋合いはいささかもない。話せばわかるはずだ。第二に、京から下って来たという武官共が、よしんば理非を問わずおれを召捕ろうとしても、おれの手並みは、今では全坂東の者が十分に知っている。国府などに手を貸す者がいようはずはない。おれは安心して行ってくる」
翌日、騎馬の郎党五人をしたがえて、国府に向った。主従とも、狩衣の下に腹巻をして万一にそなえた。
下総の国府は、今の千葉県市川市にあった。今でもその名は国府台《こうのだい》の名にのこっている。
国府の前は人出の山になっていた。皆小次郎を見ようとして集まった人々であった。小次郎を見ると波のようにどよめき立ってささやき合い、彼が近づくとシンとしずまり、通りすぎるとまたささやき合った。それらのことばはすべて小次郎の武勇にたいする讃美《さんび》であり驚嘆の声であった。
晴れがましかった。この晴れがましさが、小次郎はいやであった。彼は頬《ほお》が熱くなり、動きがぎごちなくなるのを感じた。それは自分が自分でなくなる気持であった。いまいましかった。不機嫌そうなしわを眉間《みけん》にたたみ、きびしく唇《くちびる》を結んで馬を歩ませた。
国検非違使《くにけびいし》等が国府の門前に待ちかまえていた。一行が到着して馬を下りると、一部の者は馬をあずかり、一部の者は庁舎へ案内する。いつもは官威を笠《かさ》に着て傲慢《ごうまん》な者共なのに、かつて見たことのないほどうやうやしくて丁寧であった。
しばらく待たされた後、正庁に導かれた。
正面の椅子《いす》に国の守《かみ》が坐《すわ》り、その左側に京から下向した官使等が椅子をならべていた。この官使等は三人とも武官だ。体格も逞《たく》ましければ、顔立ちも強そうであった。
国の守の前におかれた椅子に小次郎がかけると、国の守は言った。
「本日は御足労でありました。唯今《ただいま》から官符の旨《むね》をお伝えするが、その間、ことばを改めます。さように御承知おき願います」
と、ていねいな口上であった。これもこれまでにないことだ。小次郎は、今の自分がかつての自分でなくなっていることを、改めて感じた。
「ごていねいなおことばです。つつしんで拝承いたします」
とこたえた。
国の守は、軽く咳《しわぶ》いて声《こわ》づくろいした後、言う。
「当国豊田|郡《ごおり》の住人平将門とはその方か」
「てまえでございます」
「常陸国石田の住人前常陸大掾源護が太政官へ訴えたる趣によれば、その方は、本年二月、右護と私怨《しえん》を以《もつ》て闘諍《とうじよう》合戦のことにおよび、護が三子|扶《たすく》、隆《たかし》、繁《しげる》を殺害したのみならず、同国同所の住人前常陸大掾平国香とも闘諍してこれを殺害し、あまつさえ同人等の所領内の村々に放火し、領民等を殺傷したとのことであるが、右訴えの趣に相違ないか」
なるほど、このためであったかと思った。しばらく思案して、答えた。
「おおよそのところは相違ありません」
「おおよその所と申すのは?」
「私怨を以て闘諍とありますが、私怨を以て闘いを挑《いど》みかけたのは、先方であります。当方はやむなく相手になったにすぎないのであります。ことの次第、お話し申し上げましょうか」
「聞こう、申すがよい」
小次郎は両方が不和になったこと、護の長女で伯父の前|上総介《かずさのすけ》の妻《め》になっている者から、護の許《もと》にわびに行ってくれれば、事は平和におさまることになっているから行けと消息《しようそこ》をよこしたので出かけたこと。その途中護の三子等が兵をひきいて待ち伏せしていて、襲撃して来たこと、皆説明した。
「その前上総介の妻のよこした消息は、保存してあるな」
「ございます」
「大事な証拠品だ。粗略にしてはなるまいぞ」
と、守は小次郎に言い、さらに史生《ししよう》をかえりみた。
「唯今、豊田のが申したこと、記録しておくよう」
守の態度も、京からの三使の様子も、好意にみちて見えた。小次郎は胸ののびる思いであった。
守はまた言う。
「そのことにつき、太政官へ召寄せて糺問《きゆうもん》あらせらるべきにつき、ここにいらせらるるお三方が官符を持してはるばると御下向になった。早速に上洛《じようらく》出頭いたすよう相伝えます」
「それはてまえ一人だけを召寄せられるのではございますまいな」
「申すまでもない。これはお裁きである。片口《かたくち》にてはお決しにならん。源家側よりは源ノ護、国香側よりは郎党|侘田《わびた》ノ真樹《まき》をお召しよせになっている。それは、ここのお三方が、常陸の国府にまいられて、その者共を召寄せて申し渡さるることになっている」
十分な好意のうかがわれる説明であった。小次郎は感謝の意を表して、必ず不日に上洛の途に上るであろうと答えた。
「神妙《しんびよう》であります」
守は、これまでの態度をガラリとくだくと、三使もまた打ちとけた様子になって、証拠となるべき書類や証人となるべき郎党等を必ず帯同して行くべきことを忠告してくれた後、「これは私の問いだが」とことわって、この前の合戦のことを聞いた。小次郎はあらまし物語って、こうつけ加えた。
「以上の次第は下野《しもつけ》の国府の日記に記載していただいておきましたれば、くわしくはお問合せを願います」
四人の官人等は感服した。
「用心まことにねんごろであります。勇にして智《ち》とはみことのような人をこそ申すのであろう」
と、一人が嘆称したほどであった。
国府でのこの上首尾に、豊田の上下は喜んだ。
「勝つことじゃな、世の中は。何でもかんでも勝たねばいかん。一体この事件は、源家がダマシ討ちをかけたからおこったことではあるが、さらにそのもとをただせば、縁のきまっている嫂御前《あねごぜ》を、兄者が横からさらったからじゃ。
それ故に、そこを言い立てれば、こちらを非分とする理窟《りくつ》も成り立つのじゃが、国の守も京の官使等も、こちらに心を寄せてひいきするのは、こちらが勝ったからなのじゃ。その時も勝ち、その後二度も勝ったからなのじゃ。ああ、世の中は勝つことじゃ。なんでもかんでも勝つことじゃ」
と、祝い酒に大酔した将頼は言った。
「馬鹿《ばか》を言うな。源家の腹黒い卑怯《ひきよう》さを、人々がきらっているのだ」
と小次郎はたしなめたが、将頼の言う所を一応も二応も道理と思わないわけには行かなかった。
出発の日は、陰陽師《おんみようじ》に吉日を見てもらって、十月十七日ときまった。
一カ月半も向うのことだが、今も昔も同じで、裁判|沙汰《ざた》は長引くものだ、うまく行っても半年はかかるものと思わなければならない、いそがしいことになった。
滞京中の住いを設営させるために心きいた郎党下人等を先発させねばならない。半年間の主従二十人ほどの生活物資を荷造りして送り出すこともしなければならない。要路への献上品の用意をする必要もあった。こうした工作をしなかったために理がありながら非におちた経験は痛切だ。長い不在中の家政についてもさしずしておかなければならなかった。
目のまわるような多忙な日がつづいたが、やっとそれが片づいて、出発の前々日、小次郎は一族、郎党、知人をつどえて、祖道《そどう》の宴を張った。
羽生《はにゆう》の御厨《みくりや》の別当|多治《たじ》ノ経明《つねあき》、相馬の文屋《ふんや》ノ好立《よしたつ》をはじめとして、近国の豪族等が多数集まってくれて、盛んな宴となった。尊者《そんじや》(主賓)には、菅原景行になってもらった。
「土台先方が卑怯なのでござるよ。はじめのだまし討ちが卑怯であることは言うまでもござらんが、更にこれを朝廷《おおやけ》沙汰にして、朝威を借りて腹いせしようとは、男の風上にもおけぬことでござるて。しかし、朝廷もずいぶん腐ってはいるが、こんどのことは大丈夫だ。われら坂東人《ばんどうびと》がみことに理分ありと見ているだけでなく、国府の官人等も、京からの官使らもそうなのだから、身から出た錆《さび》とはいいながら、前の常陸大掾もあわれなものよ」
と多治ノ経明が言えば、
「ほんによ。しかし、勝つにきまった公事《くじ》とは言いながら、ここの尊《みこと》も京三界までわざわざの出張り、御迷惑なことではありますな」
と、文屋ノ好立も言った。
「まあよいわさ。おれも二年ぶりに京を見るのだ。楽しくないこともないぞ」
と、小次郎は笑った。
「や! ここの殿は、京で女遊びを覚えられて、宮家とやら上達部《かんだちめ》とやらの姫君といいなかになっておられたと、おれはまさしく聞いている」
「それそれ、それで喜んでござるのじゃ」
ドッと人々がはやし立て、笑いが巻き上った時、上座の景行が、扇を上げてさしまねいた。
「当家の殿、ちょっとここへ来て下されよ」
小次郎は人々に会釈《えしやく》して景行の前に行った。
「失礼をいたしました。御用でございましょうか」
「少しお願いしたいことがありましてな。日を改めてまいるつもりでありましたが、何かとおいそがしいところを、お手間を取らせてもいかがと存ずれば、今夜お願いしておく気になりましてな。ほんのしばらく、閑室へ御案内願いたい。すぐすむ話であります」
「さようでございますか。それでは、こちらへお運び願います」
酌《しやく》とりの下人を呼んで、紙燭《しそく》の用意をさせて、わきのへやにつれて行った。
坐《すわ》るとすぐ、景行は語り出した。
「お願いと申すのは、――実は、まろもそこの殿の一方ならぬお世話で、坂東に土着することになりましたが、ついては父|菅公《かんこう》の神霊をこの土地に勧請《かんじよう》して、まろをこめての子孫の孝敬をいたしたいと思うのです。それで、まことに御面倒をおかけして恐れ入るが、京よりおかえりの節、五条の霊社より勧請して来ていただけぬでありましょうか」
かつての日、京に上って間もなくの頃《ころ》、貴子《たかこ》姫の供をして五条の火雷天神《からいてんじん》へ託宣を受けに行った時のことが思い出された。
(あれは、貴子姫が重病からなおられて間もなくの頃であった。そして、その帰り途《みち》に太郎と逢《あ》ったのであった……)
と、思った時、小次郎の胸はわくわくするほどあまいものにしめつけられ、つづいてにがにがしいものにみたされた。
(太郎め!)
ギリッと歯をかみしめた。
「いかがであろうか。お引受け下さろうか」
と、景行は言った。
小次郎は返事を忘れていたことに気づいた。あわてて答えた。
「やすい御用でございます。必ず御分霊を申し受けてまいります。しかし、他氏の者である手前の口上ばかりでは、お社《やしろ》の方で聞いていただけぬかも知れません。殿のお書きものをいただいてまいりましょう」
「まろもそう考えておりました。これは明日使いのものをして届けさせます。早速のお聞きとどけ、祝着《しゆうちやく》に存じます」
景行はていねいに礼を言い、それから、ふところをさぐって一封の書状をとり出して、小次郎の前においた。
「これは、小野道風|卿《きよう》にあてた頼み状であります。出すぎたこととは思いますが、そなたもよくお知りの通り、朝廷のことは、理が理で通らぬことが多い。道風卿は、官位こそひくけれ、あの学芸によって摂関《せつかん》三公方にもごひいきをいただいておられます上に、兄君の好古《よしふる》卿が硬骨で通ったお方です。十分に頼りになると存ずる」
これは何よりのものであった。おしいただいて、小次郎は受けた。
宴は夜更《よふ》けるまでつづけられ、客人達の大方は、しきたりによって、その夜は泊った。
夜なかに近く、小次郎はずいぶん酔って寝について、前後を知らぬ熟睡におちたが、ふと冷え冷えとした冷気を肩先に感じて睡《ねむ》りが浅くなり、薄眼《うすめ》をあくと、自分の顔の直前に自分を見つめている大きな目があった。おどろいて、完全に目をさました。細めたともし灯《び》のおぼろな明りは、それが良子の目であることを知らせた。
良子は枕許《まくらもと》に坐りこんで、夫の顔をのぞきこんでいた。小次郎は、大きくて、切れ長で、まつげの長いその目に涙がたたえられて、今にもこぼれおちそうにゆらめいているのに気づいた。おどろいて、半身をおこした。
「どうした?」
良子は涙を拭《ふ》き、にこりと笑った。落ちついて言った。
「どうもしません」
「どうもしないって、泣いていたじゃないか」
「そりゃそうですよ。長い間お別れするんですもの。しかも、その間にわたしは嬰児《やや》を生むんですもの」
良子は依然として微笑をたたえている。
(そうだ、良子はおれの不在中に子供を生むのだ)
男ののんきさというのか、疎《うと》さというのか、小次郎ははじめて気がついた。あわれさが胸にせまって来た。身をずらし、夜のものをかかげた。
「ここへ来よ。ここへ来よ」
良子は小魚のようなしなやかさで、夫の腕の中に入って来た。繊細でひえびえとしたからだが、酒にほてった身に快かった。いとしさがこみ上げて来て、小次郎は抱きしめた。
「からだに気をつけて、丈夫ないい子を生んでくれよ。男児《おのこ》ならばたくましく勇ましい子を、女児《めのこ》ならば美しくやさしい子を。おれはずっと仏神に祈りつづけている」
夫の厚くはばひろい胸に、やわらかく、小さく、つめたい顔を子供のようにすりよせて、良子は、
「おのこならば豊田の小次郎将門のような子を、めのこならばその妻の良子のような子をね」
と答えて、ハハと笑った。
「そうだ、そうだ」
と、小次郎も笑った。
ふと良子は言った。
「でもね」
しかし、その後は黙っている。
「でもね、どうしたのだ?」
「…………」
顔を見ようとしたが、一層深く顔をすりよせて、見せようとはしない。
不安になった。
「どうしたのだ?」
やはり顔は見せずに言う。
「あたしは聞いていました」
「何を?」
「…………」
「何を聞いていたというのだ?」
「宮家の姫君のことです」
小次郎は自分のからだが一ぺんにかたくなるのを感じた。
「ほらね、やっぱりそうでしょう」
良子の声はふるえた。
誰にたいしても、たとえそれが自分の妻であっても、小次郎は体裁よくつくろってものが言えない。しばらく黙っていた。
「あなたが京でその方と会って楽しい日を送っておられる時、あたしはこちらでさびしい日を送らねばならないのです。はじめてのお産というのに、親兄弟の慰めも祝いも受けられずに」
良子はシクシクと泣き出した。涙が小次郎の胸をぬらした。
これまで、こんなことはついぞなかった良子だ。ひたすらに夫の愛情を信じ、その家族に親しんで、快活|闊達《かつたつ》にふるまっている様子は、自足しきっているように見えていたのだ。しかし、本心ではやはりさびしかったのであろうか。意外でもあれば、あわれでもあった。しかし、こんな場合やさしくなぐさめるすべを小次郎は知らない。
「そなたは、わしが好きで行くと思っているのか。わしはおさばきを受けに朝廷の召しによって行くのだぞ。申立ての立たぬことはないと信じているが、もし立たねばどんな罪科に処せられるかわからないのだぞ。それを思わぬか」
心がいら立ち、荒いことばになった。言ってしまってから、後悔した。こんな態度でこんなに荒く言うつもりはさらになかったのだ。
良子の様子はまたかわった。
「ごめんなさい。あたしあんなことを言うつもりはなかったのです。別れをおしんであまえてみたかったのでした。ほんとにごめんなさいね」
良子は夫の胸から顔をはなした。涙にぬれた赤い目をして、にっこり笑った。こう出られて、小次郎はいじらしくなった。しかし、言うだけのことは言っておかなければならないと思った。
「わしは……」
と、言いかけた。
良子はさえぎった。
「いいえ、もう言わないで、あたし、ようくわかっているのです。ごめんなさいね。上手に言いひらいて、御無事で帰って来て下さいね。ほんとにごめんなさいね。――そんなにこわい顔をしていや!」
小次郎は笑い出してしまった。相手が幼い子供のような気がして来て、可愛《かわい》くてならなくなった。
「ばかだな」
といいながら抱きよせた。
「ええ、ばかです。けど、女ってものは、みんなこうなのですよ」
身をすり寄せて来た。しばらくじっとしていたが、また言う。
「でもねえ、やっぱり気にかかりますよ。あなたはその姫君にお逢いになりますよ。きっと」
妻を強く抱きしめながら、小次郎は重い調子で言った。
「その姫君は、わしを裏切って、太郎のものになった。わしも会いたくないし、先方だってわしに会う面目があろうはずはない。くだらんことは考えないがよい」
「そう!」
良子は、夫の顔を仰いだが、急にまた泣き出した。
「御無事で帰って来て下さいね。ああ、いく月お別れしていなければならないのでしょう」
泣きむせびながら、しがみついて来た。なぜかものうい気持で、小次郎は空《くう》を見つめていた。妻を抱きながら。
暁の水色の光が蔀《しとみ》の間にぼうとにじんで来ていた。
思わぬ人
出発は予定の通り十月十七日、途中三日も天気が悪かったので、京へついたのは十一月十日であった。
先発の郎党が白河《しらかわ》まで出迎えに来ていた。都合よく以前の住いがあいていたのでそれを借りたという。
「おお、そうか。それはよかったな。おれの去ったあと、誰が住んでいたのだな」
「ずっと空いていた由《よし》でございます。そのため少々荒れてはいますが、ほとんどあの頃とかわりはございません」
「少々のことならかまわぬ。誰も住まなかったというのはいいな。長い旅をしてわが家に帰るようなものだな」
「てまえもそのような気がいたしました」
小一時間の後、小次郎は宿におちついた。荒れているということだったのに、郎党の丹念な手入れによって、かつてと少しもかわらない様子になっていた。居間に坐って、昔のままの家居《いえい》や庭のたたずまいを眺《なが》めていると、二年数カ月の歳月の経過が現実《うつつ》にあったこととは思われない。夢か幻かのような気がして来る。あまりにも変らなすぎるのが、なつかしいよりも気味が悪いくらいであった。
もう遅かったから、入浴したり、酒をのんだりしただけで、その夜は寝についたが、夜中にいく度も目をさました。夜寒むが身にしみた。こんなことは、道中にもついぞなかったことであった。
(おれは興奮している。なぜだろう)
と、考えて、その度に寝がえりを打った。
翌日は早朝におきた。予定では先《ま》ず小一条院へごあいさつし、次に太政官《だいじようかん》へ着到をとどけ、なお時間があったら小野道風の家へ行くつもりであった。
もとより、運動としては、これだけでは足りない。どうせこんどのことでは公卿僉議《くぎようせんぎ》が行われるに相違ないから、重立った公家《くげ》には皆それぞれ贈りものをする必要がある。太政官の官人等にも、この問題に関係のある連中にはあいさつしておかなければ安心ならない。
小次郎もかつての純情なだけの世間知らずではなくなっているつもりだ。勝つべき訴訟を負けてはならない。にがかったかつてのこちらでの経験のあたえてくれた知恵を十二分に利用してみようと決心しているのだ。しかし、それは追々のこととして、今日はこれだけにしておこうと思ったわけであった。
こんな気持だから、小一条院への進物はうんとはずんだ。鞍《くら》をおいた逸物《いちもつ》の馬五頭に、八丈絹や布や砂金をつめた革籠《かわご》を二つずつ積んだのをはじめとして、北の方や若君へはもちろん、家司《けいし》等へも、女房衆へも、それぞれに用意した。
これらのおびただしい進物を先にとどけておいて、小次郎は家を出た。
この道もかつて通りなれた道だが、まるでその頃とかわっていないようであった。
やがて、貴子姫《たかこひめ》の邸《やしき》の近くまで来たが、その頃から小次郎の胸は動悸《どうき》がはげしくなり、ついには苦しいほどになり足がもつれて来た。
小一条院では、その日勤務の家司二人が応対した。二人とも、小次郎が京を去った後に家司となった連中で、はじめて会う人々であったが、応対はしごく鄭重《ていちよう》であった。
「おお、お身が将門《まさかど》ぬしか、はじめて御意を得る。この度は公命をかしこんでの早速の参京、神妙に存ずる」
と、一人が言うと、
「御献上の品々は、今御|披露《ひろう》の手続きをとりつつあるが、必ずや、御忠志のねんごろなるあらわれとして、御|機嫌《きげん》のほどさこそと思われます。――また、まろらにも御丁寧なお心入れ、お礼を申しますぞ」
と、一人も言った。
二人とも、小次郎の坂東における働きの次第を知っていて、色々と質問した。問いにまかせて小次郎は答えた。
「なるほど、なるほど、そういう次第であれば、お身に落度ないようだな」
と、一人が言えば、一人はまた、
「遠国のことゆえ、飛説雑説《ひせつざつせつ》がまぎれこんで、かれこれ取りこし苦労をしていなさる向きもあってな。しかし、正邪真偽《せいじやしんぎ》は必ず明らかになる。安心なさってよろしい」
と、言ってくれた。
ここまでは上々の首尾であったが、忠平《ただひら》への謁見《えつけん》は急には行くまいという。
「お身も数年御当家へ恪勤《かくご》していなさったというから、知っておられるじゃろうが、公務が御繁多での。やがて日が定まりましたら、お宿もとまでお知らせします。そのように心得ますよう」
その時までせっせと我々に進物を怠るまいぞとの謎《なぞ》であると、小次郎は解いた。相変らずのいやらしい風習がつづいているのだなとは思ったが、むきになって腹を立てるはりあいもない。餌《えさ》が必要なら餌を使うまでのことと思った。
「なにぶんともによろしくお願いいたします」
と答えて、小一条院を辞去した。
まだ日は高かった。左京の小野道風の家に向った。
道風の邸宅は、以前より一層荒れて見えた。以前訪問したのは、真夏だったが、今は真冬なので、そう見えたのかも知れない。あの頃《ころ》蓬々《ほうほう》と生いしげっていた雑草が、荒れただれた霜どけの庭に霜枯れて立っている中に、破れかたむいた軒とゆがんだ柱をもつ寝殿づくりの家が建っているすがたは、言いようもないほど荒涼とした感じであった。
あの頃いた顔色の悪い小侍がとりつぎに出て来た。こちらを記憶していた。
「やあ、これは――下総《しもうさ》の平ノ小次郎将門の殿でおわしましたな」
となつかしげな顔をした。
小次郎もなつかしかった。
「お久しぶりであります。このほど太政官からお召しを受けまして、つい昨日着京いたしましたので、ごあいさつのためまかり出ました。殿は御在宅でありましょうか」
「在宅であります。さぞ喜んでお会いすることとは存じますが、ちょっと手離せない仕事にかかっております。しばらくお待ちを願うことになりましょう」
と言って、小侍は、奥へ入ったが、すぐ出て来た。
「すぐお会いすると申します。お通り下さい」
小次郎は下人に持たせて来た酒壺《さかつぼ》を渡した。
「これは何よりのものを。さぞ喜ぶことでありましょう」
小侍はにこりと笑って、それをかかえて案内に立った。
道風は、大へん老《ふ》けて見えた。しかし、よく見ると、それは髪やひげが白くなっているからで、血色もよく、肉つきもよく、下腹など目につくほどつき出している。全体として「矍鑠《かくしやく》」といった感じだ。鼻の頭は益々《ますます》赤く、熟れたザクロのようにつぶつぶになって、相変らずの酒客であることを示していた。
頼まれものらしい扁額《へんがく》を書きにかかるところであった。白木の大きな板を前にして、片ひざを立て、硯《すずり》に筆をならしていたが、
「やあやあ、そなたが京上りしてくることは、役所のうわさで聞いていた」
と、きさくに声をかけた。
小次郎はきちんと坐《すわ》って、あいさつにかかったが、道風は小侍のかかえている酒壺に目をつけると、
「よこせ。この坂東人《ばんどうびと》のお持たせだろう」
筆をおいて、ぬっと手をさし出し、受取るや|ふた《ヽヽ》をはねて、口づけにのみはじめた。あお向けになったのど仏が動き、ゴクリゴクリと鳴った。適当にのむと、手のひらで横なぐりに口を拭《ふ》き、にこりと笑った。
「美酒だな。まろは人にものをもらうのは大きらいだが、これだけは別だ。いくらでももらうぞ。酒ヲ愛シテ天ニ愧《ハ》ジズ、聖賢スデニスデニ飲ム、又何ゾ神仙《シンセン》ヲ求メンヤだて。アハハ」
ほろりと目もとに酔いが上っていた。
「ああ、いい気持だ。この気分で、用を片づけてしまう。しばらく待っていてもらいたい」
筆をとり上げ、たっぷりと墨をふくませて、板をにらんでいたが、筆をおとすや、一気に書き上げた。
「火雷天神《からいてんじん》」
小次郎はアッとおどろいて、雲煙の飛動するような蒼古遒勁《そうこしゆうけい》なその筆蹟《ひつせき》を凝視していた。巧拙は、小次郎にはよくわからない。祖道《そどう》の宴の時の菅原景行《すがわらかげゆき》卿の依頼と思い合わせて、めぐり合わせを不思議と思ったのであった。
道風も筆をすて、点検するような目で見つめていたが、満足げに長い息をつくと、また酒壺をとり上げて、ゴクリゴクリとのんだ。
「さあすんだ、しまっておけ」
小侍に言って、小次郎の方を向いた。
「失礼したな。――さて、いく年ぶりかな。ずいぶん暴れているというな」
小次郎は、うやうやしくおじぎをした。
「ごあいさつおくれまして失礼いたしました。お変りもなく、益々御壮強で、およろこび申し上げます。菅原景行卿からもてまえの舎弟からも、くれぐれもよろしく申し上げてほしいとのことでございました。お伝え申し上げます」
景行のことや将平《まさひら》のことが、しばらく話題になった後、道風は話を小次郎自身のことにかえした。
「時にそなたの事件の真相はどうなのだ。一頃はおそろしく評判が悪かったが、この頃ではおそろしくよくなっている。当地のことは、運動の次第で、猫《ねこ》の目玉のように値段がかわるのはめずらしからんことではあるがな」
「てまえはつい昨日当地に到着しましたので、まだ運動というほどのことはしていません。手前共を召喚するために当地から下向されました官使の方々が帰京されてからの報告によって、真相がわかったからではありますまいか」
「そなたが、その官使共に餌を食《くら》わせたわけでもないのだな」
「まるでいたしません」
「ふーん。奇妙なこともあるものだな」
小次郎は、源ノ護《まもる》との争いの次第を物語った。道風は、時々壺の口に食《くら》いついてガブリガブリとのみながら聞いていたが、やがて言った。
「よくわかった。しかし、当今の裁判の決定にはそんなことは全然関係がないぞ」
ザブリと水を打《ぶ》っかけるような調子であった。
「はあ」
小次郎は膝《ひざ》をかためてかしこまった。
「官ハ|※[#「夕/寅」]縁《インエン》ヲ以《モツ》テ成リ、獄ハ贈遣《ゾウケン》ヲ以テ決ス。これが朝廷今日のすがただ。これまでは賄賂《わいろ》せんですんだかも知れんが、これからもそれでよいと安心していたら、とんでもないことになるぞ。そなたがやらんで、向うがやったら、それでクルリと形勢は逆転する。目に見えている」
「心得ております」
「よしよし、心得ているならばよい。この事件、当地の者共いい稼《かせ》ぎ時と、ほくほくものであろうでな。――いやな世の中だのう」
と、ガブリとまたのんだ。
小次郎は、景行の添え状をさし出した。
「これを景行卿からいただいてまいりました。よろしくお願い申します」
道風の酔いはかなりに深くなっている。しきりに目がちらつくらしく、長い間かかって読んだ。
「うむ、うむ。わかった。出来るだけの骨は折ろう」
手紙を巻きおさめて、
「さて、いやな話はこれくらいにして、少し世間話をしよう」
「結構でございます。しかし、坂東に引っこんでしまってからは、すっかり世の中がせまくなりまして、手前の方は、世の中のこと、何にも存じません。お教えを願います」
「うむ。話してやるぞ。が、何を話そうかな。――あ! そうだ。西海の海賊の話をいたそう」
ペロペロと、上唇《うわくちびる》をなめ上げながら、道風は語り出した。
紀淑人《きのよしと》が伊予守《いよのかみ》となって赴任してから、伊予掾《いよのじよう》の藤原純友《ふじわらすみとも》と力を合わせて鎮定につとめたところ、次第に帰服する者が多く、大体において静謐《せいひつ》に帰したので、淑人は帰京した。もともと、淑人は外官《げかん》などになるべき人物でなく、伊予守に任命されたのも海賊|鎮撫《ちんぶ》のための一時のことで、定まった任期がなかったのだ。
ところが淑人が帰京すると間もなく、また海賊共の活動が目立って来たというのだ。
「……こんなわけで、西海の海賊共の跳梁《ちようりよう》にあぐね果てている時、東でそなたのことがおこったので西も東もなんたることぞと、朝廷中|大泡《おおあわ》食ったという次第だ。いやはや、大へんなさわぎでな。天下の大乱目前に迫ったりと、一通りや二通りのさわぎではなかったぞ。社々への奉幣《ほうへい》、寺々の修法|沙汰《ざた》、例によって神主《はふり》共と坊主《ぼうず》共の大もうけよ。ハッハハハハ。しかし、そなたが先刻申した通り、官使共が帰京して、いくらか事情がはっきりなったので、人々も安心のていとなって、今日に至っている」
と、道風は話を結んだ。
間もなく小次郎は辞去した。
公卿や官人《つかさびと》等の家をまわる生活が毎日つづいた。どこの家の応対も至って愛想がよいが、確定的なことは決して言わない。
「直は曲に克《か》ち、正は邪に勝つ。当然のことじゃて」
というようなことを、京風のお上品な調子で言っているにすぎなかった。
十日ほどの後、源ノ護が着京して、同じように猛運動をつづけているということを、郎党が聞きこんで来た。
「小一条院へも参候なされた由であります」
「どんなものをもって行ったか、さぐってほしいな」
「かしこまりました」
郎党はその日のうちにしらべて来た。鞍置馬《くらおきうま》十|頭《とう》に革籠《かわご》二つずつをつけて献上したという。
(やつ、こちらの方をしらべて、二倍にして持って行ったのだな)
と、思った。こうなると、こちらも持って行かないわけに行かない。こちらが持って行けば、向うもまた持って行くであろうし、さらにこちらも持って行かねばならず、際限もない。
(馬鹿なことだ。こうして、地方豪族は、おのれの身を削って貪慾《どんよく》で恥知らずの中央貴族や官人共をふとらせる競争をしているのだ)
とは思っても、当面に勝ちを制するためにはしかたがなかった。
(どこか間違っている)
と、いまいましかった。
国許《くにもと》から持参した財物は日なたの氷のように見る見る減って行ったが、進物競争はなお際限なくつづけられた。ついには財物を持ちに郎党の一人を国へかえさねばならなくなった。
十二月の中頃、いつもの通り小一条院へ顔を出すと、
「明朝|謁《えつ》を賜うにより、その心組みでまいるよう」
と、家司が伝えた。
着京して最初の顔出しをしてから三十三日目であった。
拝謁は寝殿《しんでん》の南庭で行われた。階下に土下座して平伏している小次郎に、忠平は階上に立って声をかけた。
「汝《われ》はまろが家人《けにん》である故《ゆえ》、ひいきには思うているが、ことある時だけ問遣《もんけん》するのでは、軽薄に似て快くないぞ。人は平生《へいぜい》が大事だ。平生の心入れが十分であれば、事がさしおこったとて、あわてることはないのだ」
といい、また、
「そちはいとこの常平太《じようへいた》とも仲違《なかたが》いしているそうなが、一族同士でよくないぞ。平太もまろの家人だ。家人同士が争っては、まろもうれしくない」
といった。
小次郎は何と答えてよいかわからなかった。ただ平伏していた。
それだけで拝謁はおわった。言うだけ言って、忠平が引っこんだのである。
忠平への拝謁によっては、吉凶いずれともわからなかった。安心しきっていては飛んでもないことになると、心をひきしめざるを得なかった。といって、特別な方法はない。無制限な進物競争をつづけるよりほかはない。
「何という世の中であろう!」
不愉快な日ばかりつづいた。
源ノ護の方も、そのようであった。彼は五条あたりの下級廷臣の対《たい》の屋《や》を借りて宿にしているということであったが、そこから毎日のようにものを持たせては、それぞれの向きに伺候しているという。彼もまた国許から持参したものだけでは心細くなって、取り寄せのために郎党を国許にかえしたという。
あまりのばかばかしさに、
「双方の話し合いで折れ合うのは出来ぬことであろうか」
と、まじめに考えることもあった。
しかし、考えただけであった。勝つためには強行するほかはないのだ。それだけに一層いまいましかった。
歳《とし》の暮になって、太政官《だいじようかん》に呼び出された。対決ではなく、こちらだけを呼び出しての尋問であった。小次郎は包みかざりなく、ありのままに答弁した。
「戦さは死生の地であります。我彼を殺さずんば、彼我を殺すのであります。ましてや、彼はてまえを野におびき出して、たばかり討とうとしたのであります。一歩の遅疑は我の死になるのであります。てまえが寡勢《かせい》を持ちながら勝機をつかむや、錐《きり》をもみこむがごとくギリギリと攻めつけて行ったのは、やむを得ぬことであったのです。護の三|子共《しども》を討ち取ったのもそのため、伯父国香を討ち取ったのもそのため。このほかに意はありません。つまりは私闘であります。国憲《こつけん》を紊《みだ》すつもりなどは毛頭ないのであります。およそ一軍の将となって人を討ち取ろうとして出陣しながら、かえって討ち取られたからとて公《おおやけ》に訴え出で、公にすがって相手を罪科におとそうなど、男の作法とは思えませぬ。これこそ国憲をみだりにするものではありますまいか」
戦いの動機の証拠物件として、詮子《せんこ》の消息を提出して、退出した。
その日、太政官から帰って来てしばらくすると、思いもかけない人が訪ねて来た。鹿島《かしま》ノ玄明《はるあき》がきたのだ。
「やあ、久しいな、何年ぶりになるかな」
と口ではいいながらも、玄明は一向めずらしそうな顔はしない。昨日も会い、おとといも会ったような至って平気な面持《おももち》だ。ずいぶん日やけしているのが目立った。昔ながらに精気の横溢《おういつ》した感じだ。
「おぬし、まだ伊予にいるのだろうな」
「ああ、あのままずっと純友卿の郎党となっている」
「卿もおかわりはないか」
「益々お盛んだ。おれはちょっと主用で、つい昨日上って来たのだが、おぬしが来ていると聞いたので、こうして訪ねて来たのだ」
「よく来てくれたな」
歓迎すべき相手ではないが、それでもなつかしかった。
玄明は言う。
「おぬしずいぶん坂東であばれているらしいな。もっぱらの評判だぞ。四国にもひびいているくらいだ」
同じことでも玄明に言われると、なぜか気が鬱《うつ》して来る。
「しかけられた戦さで、やむなく戦った。運よく斬《き》り勝ったにすぎない。あばれていると言ってはもらいたくない。誤解をまねきやすい」
「ハッハハハハ、相変らずのクソまじめだな。おぬしのうわさを聞いて、おれも坂東へかえっておぬしの下についてバリバリやりたくなったほどじゃのに」
「真ッ平だ。おぬしのようなやつは、純友卿のようなお人でなければ、危くて使えぬ」
「その純友卿が、いつもこう言うておられる。やるなあ、あの桓武《かんむ》五世の孫は、もっとやれ、もっとやれ、京の青|公卿《くぎよう》共の胆《きも》ッ玉《たま》をでんぐりかえしてやれ、とな」
「なんだと?」
「アッハハハハ」
玄明は身をそらし、大口あいて哄笑《こうしよう》した。無気味なくらい真赤な口の中であった。
「出たらめばかり言う。純友卿は現伊予掾だぞ。そんなことを仰《おお》せられるはずがない」
「現職の国司には相違ないがな。アハハハハ」
玄明はまた笑った。
気を持たせるような笑いだったが、こちらは相手にならなかった。
「酒でも出せよ。公家や官人共には、底なしの井戸に投げこむように、いくらでも進物しているくせに、久しぶりに逢《あ》う朋友《ほうゆう》にこんな冷淡なあしらいをするなんぞ、いかんぞ」
昨日上って来たというくせに、よく知っている。何か恥がましくて、頬《ほお》のあたりがモヤモヤした。それをかくすために逆襲した。
「ガツガツするな。今持って来る。伊予は酒のないところか」
「アッハハハハ、何でも知っているので、おどろいたろう」
「…………」
「おぬしのことだけではない。源ノ護の方のことも知っている。両方とも馬鹿《ばか》なせり合いをしているものさ。事件が長引けば長引くほど、得になるので、やつらは出来るだけ長引かすことにしているというぞ」
その不安は大いにあるのだ。小次郎はへんじが出来なかった。
「自ら田畠《でんぱた》に出て、汗水たらして働いて、やっともうけ得た財物を、男のくせに紅《べに》白粉《おしろい》つけて、ぞべらぞべらと長衣裳《ながいしよう》を引きずって、一生の大部分を詩歌管絃《しいかかんげん》のもてあそびに送り、たまに朝廷に出れば、政治《まつりごと》という名で儀式と手続きだけのことをして、大へん大事なことをしたようなつもりでいる。なまけ公卿や官人どもに、進んで搾《しぼ》り取られているわけだ。おぬしにしても、護にしても、坂東の豪族中では屈指の豪富じゃから、ちっとやそっとでは響きもあるまいが、いくら豪富でも無限ではない。えらいことになるぞよ。ハッハハハ」
「おぬし、誰にそんなことを聞いたのだ」
「純友卿に聞いたよ」
「えッ!」
「おれが檀那《だんな》は、身は伊予にあっても、その耳目はこちらにある。こちらでおこっていることは、一切合財筒抜けに御承知だて」
酒が出た。
盃《さかずき》をあげながら、玄明は暮色の迫っている庭を眺《なが》めていたが、ひとりごとのように、けれども、ひとりごとにしてははっきりと聞きとれる声でつぶやいた。
「こうして酒をのみながら庭を見ていると、昔とまるでかわらんな。この先の荒れ屋敷にいた姫君のことまで思い出すな。まるで、昔ながらにあそこに邸《やしき》があって、姫君がいるような気がしてくるな」
ジーンと耳が鳴って、一瞬からだがかたくなった。小次郎は聞かなかったような顔をして、酒をのみつづけた。
薄笑いして、玄明は言う。
「随分気になっているようだな」
「なにが?」
「そうしらばくれんでよろしい」
「おぬしおれに何を言いたいのだ?」
「居なおったな。おれは今おぬしが一番知りたいことを知っているのだ」
こいつは貴子姫のことについて、何か知っているのだと思った。
「おれの知りたいことは唯《ただ》一つ、こんどの訴訟《くじ》のことだけだ」
「そりゃそうだろうさ。しかし、おれがこう言い出した以上、そんなことでないくらいのことは、おぬしにはわかっているはずだ。わからんふりをするのはてれているからか、やましいことを考えているからだな」
「持ってまわった言い方をするやつだ。そんなことばかり言っていると、叩《たた》き出すぞ」
「やれ、こわや! しからばもう申すまい。こちらはやみがたい友情によって申しているのだが……」
小次郎は、手をたたいて、下人を呼び、酒を持ってくるように命じた。聞くものかと思っていた。こいつが来ると、いつもろくなことはない。必ず不愉快千万なことを知らなければならないことになるのだと思った。
玄明はけろりとした顔で、肴《さかな》をむさぼり食い、酒をグイグイのんでいたが、品わるく|げっぷ《ヽヽヽ》をし、薄い口ひげをひねり上げながら、改まった様子になった。
「さて、冗談はおいて、おぬしに会ってもらいたい人があるのだがな」
ふと心のこりが感ぜられた。聞きたくないと言いもし、本心もそのつもりであったが、いずれこいつは貴子のことを言い出すに相違ないと期待するものがあったのだ。しかし、すぐ立直った。
「会わせたいというのは誰だ。どうせおぬしのことだ、会って得の行く人でないにきまっているが」
「そう軽蔑《けいべつ》したものでない。――備後《びんご》の住人|三宅《みやけ》ノ清忠《きよただ》という人物を、おぬしは覚えているだろう」
おどろいた。三宅ノ清忠は、前に小次郎が小一条院へ恪勤《かくご》している頃《ころ》の同僚で、最も親しくしていた人物だ。この人のおかげでどんなにあの頃|寂寥《せきりよう》が慰められたかわからない。純友に面識を得たのも、この人の紹介であった。
「清忠ぬしが来ていられるのか」
「来ている。これも訴訟ごとがあってじゃそうな。数カ月前から上って来て、四条高倉の昔の家にいるよ」
「それはぜひ逢いたい。逢わせてほしい」
「それでは、これから行こう。向うでもきつう逢いたがっている。喜ぶじゃろうと思う」
と、腰を浮かしかけた。
微風だが、おそろしくつめたい風が吹いていた。星一つ見えない暗い夜であった。いくらかの酔いもしばらく行くうちにすっかり醒《さ》めてしまった。
間もなく四条高倉のかつての清忠の邸の前まで来たが、玄明は立寄る様子を見せない。ふり向きもせず通りすぎて行く。
「おい、ここだぞ」
と、こちらは立ちどまった。
玄明も足をとめた。
「そうだ。ここだが、夜陰にはこの門からは入らないことになっている。南側の門から入ることになっている。何しろ、この頃のこちらは無暗《むやみ》に物騒なのでな」
言いすてて、スタスタと歩き出す。
そんなこともあろうかと、あとにつづいた。
築垣《ついじ》にそって、ぐるりと東に折れると、右側は清忠の邸、左側は、小さな民家が大小|不揃《ふぞろ》いにならんだ小路《こうじ》になる。どの家も、あかりが消えて真暗《まつくら》であったが、一軒だけ灯影《ほかげ》のもれている家があった。
その家の前に、玄明はつかつかと近づいて行って、ほとほとと戸をたたくや、何やら言いながら中へ入ってしまった。
とめる間もない。あっけに取られて見ていると、玄明と入れちがいに出て来た人影があった。小次郎の前に走りよって、腰を折っておじぎした。
「どうぞ、お入り下さいませ」
小柄《こがら》な影なので、子供かと思っていたら、女であった。その声音《こわね》に小次郎は聞きおぼえのある気がしたが、とっさの場合、考えてみるひまもない。
小次郎は玄明にあざむかれたとは思わなかった。何かの都合で三宅ノ清忠がここにいて呼んでいるのかと思った。
「三宅のぬしがお出でなのだな」
「はいはい。そのぬしの仰せでお迎えに出ました」
女は笑いながら言って、小次郎の手をとった。
小次郎ははっとした。この声が誰に似ているかを、こんどははっきりと思い出した。手を取られて二足三足歩くうちに、暗の底に白く浮き出している女の横顔を凝視した。
おぼえず「アッ」と叫んだ。とられた手をもぎはなした。
「あなたは!」
女はおどろいて、小次郎を凝視した。
「アッ!」
女は棒立ちになり、次の瞬間には、灯影の流れて出ている戸口に向ってかけ出したが、四五歩で立ちどまった。袖《そで》を顔にあてて立ちすくんでいた。
小次郎は大股に近づいて、相手の肩に手をおいた。ピクリとその肩がふるえ、小きざみにふるえつつ、
「はずかしや、はずかしや、はずかしや……」
と、小さくつぶやきつづけた。
小次郎は、動顛《どうてん》し、度を失い、おろおろと言いつづけた。
「……お乳母《うば》、お乳母、どうしたのです。どうしてこんなところに、イヤ、姫君は……」
小次郎の気持は、おちついた。
「とにかく、うちへ入りましょう。こんな所で立話も出来ない」
乳母も気を取りなおしたらしい。先に立ってしおしおと歩き出す。
外から見たと同じように、屋内も普通の民家のたたずまいではあったが、何となく小奇麗であるのが目についた。
案内された奥のへやは、窓は上げ蔀《じとみ》、檜網代《ひあじろ》で腰がこいしたせまい部屋であった。
玄明が坐《すわ》りこんで、早くも盃を上げていた。
「まあ、坐ってくれ」
と、ちゃんと用意してある席に坐らせて、
「とりあえず、一つ」
と、盃にとくとくと酒をついだ。いつもに似ず、まじめくさった顔をしている。
その間に、乳母はひき退った。その足音が聞こえなくなると、にたりと玄明は笑った。
「おどろいたろう」
「一体、おぬしどんなつもりでおれを連れて来たのだ。どうしてあの人を知っているのだ」
小次郎は腹が立って来た。突ッかかるような調子になっていた。
「おこることはないだろう。おぬしが心の底で一番会いたがっている人に会わせるためにつれて来てやったのじゃないか」
おちつきはらっている。にくらしかった。いじめずにおられなくなった。
「三宅のぬしはどこにいるのだ!」
「あの殿は伊予にいるよ。即《すなわ》ちおれが檀那純友卿に扈従《こじゆう》してだ。会わせたいにも会わせられないわな」
益々《ますます》おちついている。
「おぬし、おれをだましたのだな」
「そんなことは、今のおぬしにはどうでもよいことではないか。今のおぬしは、三宅のぬしなんぞに会いたいなどとは、ちっとも思うとりはせん。貴子姫に会いたくてうずうずしているではないか」
一言もなかった。ふるえながら、玄明をにらんでいた。
「おそろしい目でにらんでいるな。ハハ、ハハ、もう少しさっぱりしたらどうだ。おれはおぬしの考えている以上におぬしの味方なんだぞ」
そうかも知れなかった。筑波山《つくばさん》での出会い以来、軽蔑しても、突ッぱなしても、まといついて来る。妙におひゃらかすような所もあるが、同時に好意も持っているようだ。しかし、口惜しかった。屈辱に似た感じであった。
「おれは帰る!」
言わずにおられなかった。立上った。
「こりゃいかん、そう人の親切を無にするものではない。ちょっと待ってくれ。ほんのちょいとだ」
玄明は、小次郎を坐らせておいて、そそくさとへやを出て行った。
小次郎はしばらく待っていた。
(一体どうしたのだろう、どんなことがあったのだろう、なぜこんな家にいるのだろう、なぜ玄明などと知合いになったのだろう……)
乱れきって、一筋にならない心の底に、何ともいえずさびしいものが一筋あった。彼はほとんど泣き出したいような気になった。
その時、足音がへやの外に近づいて来た。彼はふるえ上った。
入って来たのは、乳母であった。
しょんぼりとうつ向いたまますり足で入って来て、小次郎の前に坐った。羞恥《しゆうち》にたえない風情《ふぜい》であった。
小次郎も黙っているので、乳母も黙っている。
やがて、小次郎は口をひらいた。
「てまえは、先月の十日に当地につきました。それで、その翌日、あのお邸まで行ってみたのでありますが……」
乳母は一層うつむいた。
「面目ないことでございます」
やっと聞きとれるくらいの低い声であった。
「どうした事情で、あそこをお引きはらいになったのでしょうか」
乳母は答えない。身をかたくしてうつむいているだけだ。
「てまえが坂東に帰って行きました翌年、太郎が賜暇《しか》でかえってまいりましたが、その時、太郎はてまえに、決して姫君を見捨てるようなことはせぬと誓いました」
ここで、小次郎は貞盛《さだもり》があの時、国の豪族から妻をめとるために帰国したのであること、彼の信頼しがたい人物であることを全部ぶちまけたくなったが、こらえた。彼には坂東|男子《おのこ》の誇りがある。そんなことをしたら、あとできっと死にたいほど自分がいやになるにきまっている。
乳母は依然として返事しない。
「出すぎたこととは思いますが、てまえはその時、どうかそうして上げるようにと頼んだのでありますが、その時、彼はすでに秋風を立てていたのでしょうか」
乳母はかすかに首をふった。
「お聞きでしょうか、今年の春、てまえは、ことの行きがかり上やむなく、太郎が父、てまえがためには伯父である前《さきの》常陸《ひたち》大掾国香《だいじようくにか》と合戦に及び、国香を討ちとってしまいました。そのため、太郎は国にかえって来ました。太郎は戦さを好まぬといい、てまえもまた太郎と戦うことを好みませんため、ふたりは恩讐《おんしゆう》を忘れて会いました。その時も姫君の話が出ました。彼はかわらない情愛を姫君に傾けているようなことを申しましたが、ひょっとすると、それは彼がてまえの前をつくろうために言ったので、事実はその以前から見捨ててしまっていたのではないでしょうか」
乳母は、また首をふった。
「それでは、太郎は帰国に際して、不在中お凌《しの》ぎの出来るような用意《おきて》をしておかなかったのでしょうか」
乳母はまた首をふった。
口数の少ない小次郎としては、こんなに弁じ立てたことは生れて以来なほどだ。だのに、乳母の態度は沈黙に終始している。わずかに首をふって意思表示をするだけだ。次第にじりじりしたものがこみ上げて来た。
「一体どうしたのです? 言っていただきたい!」
おぼえず、叱咤《しつた》するような激しい声になっていた。
乳母はピクリと身をふるわせた。
「わたしが悪いのでございます。わたしが至らなかったのでございます」
というと、袖を顔におしあてて、さめざめと泣き出した。
女の涙に逢うと、小次郎はどうしてよいかわからない。切なくて、あわれで、そのためいらいらして、おこりたくなる。懸命にこらえて凝視していた。
やがて、泣きやんだ。
「なにもかも、わたくしが悪いのでございます」
と、また言って、乳母はつづけた。
「今年の春、貞盛の殿が坂東におかえりになる時、あの殿は、長くてもせいぜい三月だ、夏の終る頃には帰って来ると申されて、わたくし共にも、その間だけの用意をしてお発《た》ちでありました。わたくし共、それを頼りに心細い日を送っておりましたが、その時が過ぎてもお帰りでありません。しかも、なんのお便りとてもないのでございます。
けれども、それでもなお、今日か明日かと待ちわびくらしておりますと、ある日、あの殿がこちらに残しおかれた郎党衆が見えまして、国許《くにもと》において殿と将門の殿との間に合戦がおこり、殿の御利運なかったとの知らせがまいった、主の危難に馳《は》せ参ぜぬは坂東人《ばんどうびと》の恥とする所なれば、われらはこれより帰国いたすと言いすてて、走り去ったのでございます」
小次郎は、一語もはさまず、ただ聞いていた。
「はじめ貞盛の殿が東《あずま》に帰られます時、貞盛の殿は、まろが帰国するのは、弔合戦のためではない、父の死後のことを色々と整理《おきて》せねばならぬからだと仰《おお》せられたのでありましたが、姫君は泣いておとどめなされたのでございます。殿のお心はそうであっても、一旦《いつたん》国許におかえりになれば、一族の方々のお気持、国人《くにびと》等の気持にせまられて、きっと合戦|沙汰《ざた》となるに相違ないと。
あの殿は、それを聞かずにお発ちになったのでございます。されば姫君のお悲しみは一方でありません。『あなや! 申さなかったことかは!』と、たえ入るばかりの強い悲しみに泣き沈まれたのでございます」
「…………」
「そこで、わたくしは大急ぎで郎党衆のあとを追うて、お邸《やしき》にまいりましたが、引きはらいの用意をしてからわたくし共にはまいったと見えまして、もぬけのからの邸となっておりました」
「…………」
「今はもう誰一人として、この京《みやこ》には頼る所もなくなったわたくし共でございます……」
乳母は、ここで絶句した。次を言うのをためらうように見えた。
小次郎は、やはり一言も言わない。おそろしいことを聞く予感があった。聞きたくなかったが、聞かなければならなかった。身動き一つせず、沈鬱《ちんうつ》な視線を空《くう》の一点にしずめていた。
乳母はまた口をひらいた。
「一体、姫君とあの殿とを結びつけたのは、わたくしなのでございます」
早口に、けれどもはっきりしたことばであった。
小次郎ははっとして、乳母を見た。きらめく稲妻のような目の光であった。しかし、すぐ前の姿にかえって、光をしずめた。
「ええ、そうです、わたくしが結びつけたのです」
半ばヤケな口調で、乳母はくりかえして、つづける。
「姫君はこの広い世に頼《よ》るべのないお身の上でございます。わたくしの生涯《しようがい》の念願は、しっかりした男君を見つけて、その方に姫君の御一生を結びつけることにありました。おぼえていらっしゃるでしょうか、あなた様とお知合いになったはじめ、五条の火雷天神に神託を申し受けにまいりましたことを」
小次郎はうなずいた。どうして忘れよう。あの帰りに貞盛と逢《あ》ったことが貞盛に恋を奪われるもととなったのだ。
「それでは、あの時の御託宣も、もちろんおぼえていらっしゃるでしょうね」
小次郎は首を振った。あの時、小次郎は託宣の場にいることはいた。だから霊験《れいげん》|いやちこ《ヽヽヽ》との評判の高い巫女《みこ》の無気味な美しさや、神憑《かんがか》りの物狂わしい様子はまざまざと記憶しているが、かんじんの託宣の内容はまるでわからなかった。古めかしいことばが、歌めいたリズムで長々と口走られたとしかおぼえていない。
乳母は、ホッといきをついた。
「そうでございますか。あの時の託宣は、かいつまんで申せば、姫君の御運命は東《あずま》の男君によってひらける、ゆめ疑うな、というのでございました」
「…………」
「あなた様とお知合いになり、あなた様のおんみつぎで姫君があの重いおんいたつきから快気されたばかりか、日々の煙も不足なく立てられるようになったわたし共としては、この御託宣は信仰せずにはいられないものでありました。御託宣の中の東のおのことはあなた様のことだと思ったのであります」
「…………」
「わたしは、姫君とあなた様とがかたく結ばれなさるようにと願いまして、事毎《ことごと》にそのあしらいをいたしました。すると、姫君もあなた様を慕うようになられ、あなた様もまた姫君を憎からず思召《おぼしめ》すげに見えましたので、わたくしのよろこびはたとえようもありません。これで姫君の御生涯は御安泰と思ったのであります」
小次郎は黙っていたが、その頃のことをはっきりと思い出していた。一々思い当ることであった。
「ところが、間もなく、常平太《じようへいた》の殿がお見えになるようになりました。わたくし共、はじめは、常平太の殿をきさくで面白い、そして才気のあるお方とは思いながらも、信用はいたしませんでした。こうしてあなた様を目の前において申すのはいかがでありますが、常平太の殿は将門の殿のような御誠実さがない、常平太の殿は軽薄な御性質と思っていたのでございます」
「…………」
「今から思えば、この最初の判断こそ正しかったのでありますが、女心のあさましさでございます。あの殿が除目《じもく》の度毎にめざましく昇進なさるのを見、またどうやら姫君を慕っておいでであるようなのを知りますと、わたくしの判断の目は曇って来ました。『常平太の殿も東の男ではないか。託宣の示すところは案外にこの殿かも知れないぞ』と思うようになったのでございます」
乳母はつづける。
「誰が悪いのでもございません。みんなわたしの浅はかさから、姫君の幸運を失ってしまったのでございます。あなた様が、坂東へお帰りになってからしばらくは、常平太の殿も一筋に姫君をいとしく思われ、毎夜のように通ってまいられましたので、姫君にもお幸せな日がつづきましたが、間もなく次第に足遠《あしどお》になられました。公《おおやけ》のことが繁多であるとか、小一条院のお仕事のためとか、一々しかるべき理由がついておりますので、はじめはわたくしも信じていたのでありますが、ある日ふと疑う気になって、さぐってみますと、思った通りでございました。小一条院に仕えている上臈《じようろう》女房に気をうつして、夜毎に通っておられることがわかったのでございます」
「…………」
「男女の間《なか》がこうなった時、左右《そう》なくさわぎ立ててはいけないのでございます。知らぬふりにもてなして、前にもましていじらしい心づくしを見せるのが、男の心をとりかえす一番かしこい方法なのでございます。しかし、愛情と申すものは独りじめにしたい心なのでございますから、こんなことをしてはかえって男の心を反《そ》らすばかりと知っていても、なかなかそうまいらないのでございます。ましてや、お若い姫君でございます。怨《うら》みごとめいたことは、わたくしが申しますから、姫君は何にも仰っしゃってはいけませんと、くれぐれも申したのでございますが、姫君としてはそうもまいりかねたのでありましょう。たまの逢《お》う瀬にも、むつごとよりうらみつらみを申してかき口説かれることが重なり行ったらしゅうございます。まことにぜひもないこと」
「…………」
「こうなりますと、常平太の殿も、何となく、敷居高くなられて、お通いになることが、益々間遠くなり行かれました」
「…………」
「しかし、それでも暮しの代《しろ》だけは御家来衆に仰せて、乏しからぬように届けては下さいました。
けれども、わたくしとしては、何となく不安にならずにはいられません。末長い姫君の御一生を考えますと、愛情の冷たくなった人がいつまで仕送りをつづけてくれるものか、やがては絶えてしまうにちがいないと、考えずにはいられないのでございました」
「…………」
「その頃《ころ》、わたくしの胸にいつも影をさしたのは、あなた様のことでございました。御神託にあった『東男子《あずまおのこ》』とは将門の殿であったのだ、どうしてあんな気迷いをして、せっかくの神のいやちこなる|おさとし《ヽヽヽヽ》を頼むまじき人に思いかえたのであろうと、女心のあさはかさをどんなに口惜しく思ったか知れません」
「…………」
「間もなく常平太の殿の御帰国があり、そのままこちらにお帰りがなく、のみならず、先刻も申しましたように郎党衆も帰国してしまい、わたくし共はその日の煙も立てかねる身となりました。ちょうどその時……」
話はようやくにして、正念場《しようねんば》にさしかかった。小次郎はやはり沈黙しつづけていたが、きびしく耳をすました。
乳母はためらって、絶句した。真青な顔になっていた。
乳母はいく度かためらいつつ、語りつぐ。
「ちょうどその頃のある日、不幸には不幸の重なるものでございます。|かまど《ヽヽヽヽ》の火の不始末から火を出してしまいました。真昼間の火で、またそれほど風のある日でもありませんのに、恐ろしく早い火のまわりで、姫君も、わたくしも、着のみ着のまま、やっとのことで逃れることが出来た始末でございました」
「…………」
「その時から、二人は雨露をしのぐ陰もない身の上になってしまったのでございます」
あわれさに、小次郎の胸はキリキリとしぼり上げられる思いであった。自業《じごう》自得いい気味、などとは思わない。ただいたわしかった。おれが知っていたら、おれが知っていたらと、歯ぎしりしたい思いであった。
「とりあえず、五条の火雷天神へまいりました。祈願をこめてお籠《こも》りしながら、後のことを工夫しようと考えたのでございます。
けれども、こうなってから、何の工夫がつきましょう。この上は身をおとして袖乞《そでご》いの身となるか、主従手に手をとって淵川《ふちかわ》に身を沈めるかしかないと、思いきわめるほかはありませんでした。
お籠り四日におよぶ日、わたくし共のあまりにもあわれで頼りなげな様が目についたのでありましょう。社人の方が、いかなる心願の筋があっての参籠《さんろう》であるかと、おたずね下さいました」
「…………」
「そこで、ありのままの次第を申しますと、当社の御託宣にあやまりのあろうはずはないが、今一度神|下《おろ》しして進ぜようと仰せて、あの巫女の前に連れて行かれました。
ところが、その御託宣は、やはり前と同じ意味合いのものでありました。姫君の御運勢は東国の殿方によってひらける、一時は悲境に沈むとも、東国の男君がまいられて、この悲しい境涯から救い出してくれる、ゆめ疑うなかれ、というのでございました」
「…………」
「疑えといわれましても、どうして疑うことが出来ましょう。わたくし共としては、ただ一つのすがるべきよるべであります。一心にそれを念ずることによって、どうやら、生きる気力をとりかえして、お社を出ましたが、さて、とりあえずのところ、どこへ行くべきか、あてもございません。頼りなく、河原表をさしてとぼとぼとまいっておりますと、うしろの方から小走りに追うて来た者があって、声をかけました。
『そなた様方は、これこれのお邸におられた何々の宮家の姫君とお乳母ではないか』
武者立った面持《おももち》と体格をもった中年の男であります。そして、ことばは坂東声《ばんどうごえ》でありました。
そうだ、と申しますと、世にもうれしげな顔になって、
『さても、たずねあぐねたが、やっとたずねあてました。われらは信濃国《しなののくに》の住人|仁科《にしな》ノ信高《のぶたか》の郎党でござるが、主人の命によって同勢十人、京中にわかれて、この日頃おん行くえをさがしていたのです。御不幸のあったことはよく承知しています。とりあえず、お住いを献上いたします。こう来ていただきたい』
と、申します。
仁科ノ信高などという人は、名前を耳にするのもはじめてのことでありますので、そのことを申しますと、
『くわしくは、お目にかかって主人自ら申すでありましょう。とにかくもお出《い》で下さい。決して悪いようにいたしません』
と、申します。
その夜の露をしのぐ所のあてもないところに、坂東声で言われましたこととて、わたくし、ふらりとなつかしくなりました。これが今の託宣の関東の男君ではないかと思ったのでございます。
ああ、ああ、何というおろかなわたくしでありましたろう。おろかさの底が知れません……
それでは、ともかくも参ってみましょうと、申しますと、相手は世にもうれしげな様子になって、先に立ちました。まことに忠実《まめ》やかな案内ぶりでございました。賀茂川を渡ったのでありますが、わたくし共を一人一人背に負うて渡してくれたのであります。
こうして、連れられて行ったところは、東山の山ふところをかなりに入った所にある家でございました。
その建物を一目見た時、わたくしは、これはあやしい、と思いました。凄《すさ》まじい荒れ方なのであります。もとは公家方《くげがた》の山荘として建てられたものらしいたたずまいでありますが、人が住まなくなってから幾年たったのでありましょう。軒は破れ傾き、柱はゆがみ、蔀《しとみ》や遣戸《やりど》は破れ損じて、庭には八重むぐら生いしげり、落葉がうずたかく散りしいて、足の踏みどもない有様でございます。
(あざむかれた!)
身の毛をよだたせ、総身をすくませて、姫君を見やりますと、姫君も同じお気持でございましょう、色青ざめて、ただすくみにすくんで、わたくしを見つめておられるのでございます。今にもそのままにたおれてしまわれそうなお有様です。わたくし一人を頼りにして、救いをもとめておわす懸命なお顔でありました。
わたくしは、はっとして気を取りなおしました。ここでわたくしが頼りなげな様子をお見せしたら、姫君はそのままお息が絶えると思ったのでございます。
そこでわざとなにげない笑い顔などつくって、その男に申しました。
『そなた道に迷ったのではありませんか。わたし共は、まだ疲れてはいません。こんなむさい家で休息することはありませんから、先へ連れて行っていただきましょう』
その男は、フフと、含み笑いしたかと思うと、これまでの実直《まめ》やかな様子をガラリと消して、おそろしい顔になりました。
『行く先はここよりない。さっさと入ってもらおう』
『なにをいやる?』
と言ったきり、わたしはもう何にも言うことが出来ません。今にもたおれそうになるのを必死にこらえてにらんでいますと、男はいきなり身をおどらせて、姫君に飛びかかりました。
わたくしは仰天して走り寄りましたが、一|蹴《け》りに跳飛ばされてしまいました。はげしい痛みを胸に感じて気絶してしまいました。姫君の魂切《たまぎ》るような悲鳴が一声だけ聞こえたのを記憶していますが、あとはまるで覚えがありません。……再び正気にかえった時……」
乳母は言いよどんだ。
小次郎はおそろしい顔になっていた。聞いているにたえなかった。もう聞かなくても、およそのことは見当がついた。けれども、聞かずにいられなかった。痛む虫歯をゆり動かしてさらに痛くせずにいられない気持に似ていた。小次郎はうながした。
「正気にかえられた時、どうだったのだ。言いなさい。言いなさい。ええい! 言いなさいと言えば!」
「……はい、はい、はい……正気にかえってみますと、日はもう落ちて、とっぷりと暮れていました。わたくしは以前のまま八重むぐらの中にたおれたまま、からだじゅう氷のように冷えきっていました」
「姫君は?」
「お待ち下さいまし。お待ち下さいまし……」
乳母は乱れる胸をおししずめるように呼吸《いき》をのんで、それから言った。
「しばらくの間、わたくしはなんにもわけがわからず、寝たままうっとりとして、空一ぱいにかがやいている星を見ていましたが、そのうち、どこやらにドッと湧《わ》き上る人声に、はっとして身をおこしてあたりを見まわしますと、あの荒れ屋敷に灯影《ほかげ》が見えて、声はそこから聞こえて来るのでした。わたくしは、はじめて事の次第を思い出しました。気をとりなおし、まだのこっている胸の痛みをこらえて、草と落葉の中を這《は》うようにしてそこに行き、蔀のかげからのび上ってのぞいてみますと、荒れはてた座敷に五人の男が車座になって酒をのんでおりました。皆荒れすさんだ顔をした男共です。一目には鬼の群かと思われたほどでございました。わたくしはまた気を失いそうになりましたが、その中の一人が先刻のあの男であることに気づいて、やっと気をとりなおしました……」
「姫君は?」
「お待ち下さいまし。お待ち下さいまし……。わたくしも、姫君のことが心配で、それをさがしたのでございますが、はじめの間はそれがわかりませんでした。しかし、なお見まわしていますと、やがてわかりました……」
「…………」
「そのへやには、隅《すみ》の方に古びた障子《そうじ》(ついたて)が立ててありましたが、そのかげから姫君のおん衣《ぞ》のはしがのぞいていたのであります。さらによく見ますと、そのおん衣の下から姫君のお足の先がちらりと見えているのでございます。そして、それが時々かすかに動いているのでございます」
障子のかげから着物の裾《すそ》がのぞき、その下から足の爪先《つまさき》が見えているとすれば、その人は横になっているはずだ。賊共が姫君ほどの美しい人をそのままにしておいたとは思われない。むざんきわまる情景が想像された。なんとも言いようもないほどいやな推理ではあったが、どうしようもなかった。
小次郎は、おぼえずうめいた。
「わたくしはどうしようかと思案しました。一旦はここを逃れて、使庁《しちよう》(検非違使庁《けびいしちよう》)へ訴え出て、検非違使方をお連れして来ようかと思いましたが、その間に姫君|諸共《もろとも》どこかへ行ってしまうかも知れないと思いますと、それも出来かね、迷っている間に、男共に見つかってしまいました。
『お乳母、業《ごう》深くまだ生きていたのか!』
どッと笑いどよめいて、居すくんでいるわたくしをつかまえて、中に引きずりこんで、
『姫君が御病気じゃによって、介抱しやれ、男の手ではとどかぬわ』
と、申しまして、姫君の方におしやりました」
「それで、姫君はどうしておられた?」
一|縷《る》の望みをつながずにおられなかった。
「何とも申しようのない仕儀でございました。ただ弱りに弱って、お呼吸もたえるばかりの有様になっておられたのでございます」
乳母は、あふれる涙をおさえた。
なにものへとも知れない憤怒に、小次郎の胸は波立ったが、強い意力でおさえた。
「そのあばら家に捕えられたまま五日過ぎました。さながらに鬼の岩屋に捕えられたと同じ苦患《くげん》でございました。わたくしはもうこの年でございますので、酒や肴《さかな》の支度に追い使われるだけでございましたが、姫君のお苦しみ……」
「もういい!」
小次郎はどなった。乳母の口からそこまで語るということがあるものかと、猛烈に腹が立った。そのくせ、いまわしい想像は次から次へ思い浮かぶ。かき消してもかき消しても消えない。
「それで、どうしてこの家に来られたのだ? この家は一体なにをなりわいにしている家です?」
「遊女宿《ゆうじよやど》でございます」
観念しきっている乳母の返事は、至って静かで、あさましいほどはっきりしていた。
小次郎は無言であった。であろうとの予想はついていた。以前三宅ノ清忠の帰国を河陽《かや》まで送った時に一夜を過したあの家と、どことなく似た感じがある。
「五日の後、盗賊共は人買男を連れて来て、姫君とわたくしとを売りわたして、いずれかへ立去ってしまいました。わたくし共はその人買男に連れられて山を下り、当家に売り渡されたのでございます」
「…………」
「誰を恨まんすべはございません。みんなわたくしが悪いのでございます。今日まで、わたくしは火雷天神の御神託を恨んでいましたが、あの御神託には誤りはなかったのでございます。姫君の御運勢を開いて下さる坂東人とは、ほかの坂東人ではない、あなた様のことだったのでございます。その証拠には、あなた様がこうして来て下さったではございませんか。悪かったのは、わたくしでございます。わたくしの賢《さかし》らが、いらぬ苦労を姫君におさせ申したのです。常平太の殿の時もそうです。こんどもそうです。あの盗賊共はあの御神託を漏れ聞いて、それを種にして悪事をたくらんだに違いありません。それにわたくしが引っかかったのです。みんなわたくしの|さかしら《ヽヽヽヽ》でございます」
泣きつ、しゃべりつ、乳母は狂気したようであった。
怒りとも悲しみともわからないものに、小次郎の胸はさいなまれた。非常な努力で、はずみ上って来る動悸《どうき》をおさえ、口をひきむすんでいた。やがて言った。
「それでは、姫君はこの家においでなのですな」
涙をのんで、乳母はうなずいた。
「さようでございます。わたくしはこの年でございますので、下使いの婢女《はしため》として追いつかわれていますが、姫君は……」
「遊女《あそびめ》として、夜毎《よごと》にかわる男の枕《まくら》の塵《ちり》をはらっておいでなのか」
どういう心理からであったろう、小次郎の口から出たのは、最も残酷なことばであった。しまった、言うべきではなかった、と、すぐ後悔したが、しかたはなかった。
乳母はキッとなった。青くなった。しかし、すぐうなだれた。
「そうでございます」
この素直な返事にふれると、小次郎はその場に居たたまらないほど自分がいとわしくなった。けれども、こんな場合、彼にはわびることが出来ない。一層粗野に言ってしまった。
「そんなら、この席にも出てもらえるはずですな」
屈辱感に、乳母がふるえていた。
小次郎は、自分自身に猛烈に腹を立てていた。
(なんという情ない男だ、おれは。こんな時、こんなことを言うなど、それが男のすべきことか!)
と、歯がみをし、唾棄《だき》し、自分自身をなぐりつけ、つかみつぶしてしまいたいほどであった。しかし、こらえた。胸を張り、強く目をみはり、きびしく乳母を凝視していた。
「もちろん、お呼びになれば出ます」
売言葉に買言葉だ。乳母も切り口上になった。
「呼んでもらいましょう。女王《ひめみこ》の遊女ぶりを拝見するとしましょう」
乳母はくわっとしたようであった。半ば以上髪の白くなった顔をふり向け、薄い胸をあえがせたが、すぐおししずめて、ふるえる声で、
「しばらくお待ち下さい」
と言った。
影が消えるようにひっそりと乳母が行ったあと、小次郎はもうたまらなくなった。前にあった酒瓶子《さかへいし》を取って口うつしにのんだ。酒は冷えきっていたが、のどにむせた。かまわず、のどを鳴らしてのんだ。一本で足らず、次の一本も流しこんだ。居ても立ってもおられない羞《はず》かしさであり、自己|嫌悪《けんお》であった。
どたりと横になった。たたみをこぼれて、かたくつめたい板じきに、いやというほど頭を打ちつけたが、そのしびれるような痛みがかえって快かった。
袖で顔を蔽《おお》うた。声を上げて泣きたかったが、泣くわけには行かない。キリキリと歯をきしらせつつ、うめいた。
酒気がほのぼのと湧き上って、目のあたりを温める頃、へやの外に足音が近づいて来た。
小次郎は起き上ろうとしたが、思いかえして、そのままの姿勢をつづけていた。袖で顔を蔽うたままの姿勢を。
眠ったふりをしながら、小次郎の全神経は緊張にふるえていた。
足音はへやの入口でとまり、しずかに遣戸《やりど》があいた。入るのをためらっているのか、様子をうかがっているのか、そのまま足音はとまっている。
ずいぶん長い時間であったようだが、遣戸のしまる音がして、板じきをふむ足音とともに衣《きぬ》ずれの音が微風のようにそよいで近づいて来た。それはたしかに若い女のものであった。
そばに坐《すわ》った。
小次郎はふるえ出した。こらえたが、おさえることが出来ない。気づかれては醜態だと思った。起きようとした時、女のかぼそいすすり泣きの声が聞こえた。
どうしてよいかわからなかった。起きるにも工合《ぐあい》が悪く、そのままにしているのも工合が悪かった。けれども、いつまでもそうしているわけには行かない。起きた。
四五尺の位置に、姫君は坐っていた。うなだれて、袖に顔を蔽うて、声をころしてすすり泣いていた。
着ているものやどことなく身のまわりにただよう感じが以前のそれではなかった。以前のこの人は高雅《こうが》で、清楚《せいそ》で、初々《ういうい》しくて、白い百合《ゆり》の花を見るような感じがあったが、今は強烈なくらい艶麗《えんれい》で、刺戟《しげき》的で、肉感的ですらある。こうして泣きうなだれていてさえ、からだ全体の肉置《ししおき》が厚くなり、首筋のあたりの色の白さも、以前の清い美しさではないことが見てとれる。くりかえし男の腕に抱かれ、男の血を受けることによって次第に出来上って来た、あのなめらかな乳白色のそれであった。
こんな場合の、男の不思議な感覚であった。相手に十分な同情を持ちながらも、小次郎の目はこれだけのことを曇りなく見てとっていた。
ややしばらくして、小次郎は口をひらいた。
「姫君」
答えはなかった。すすり泣きの声が高くなっただけであった。
「話はみんなお乳母に聞きました」
まだ答えない。泣きつづけていた。しかし、こちらの言うことはよくわかっているらしかった。
「てまえには、何と申してよいかわからない。ただお気の毒にたえない。てまえが知っていたら、決してこんなことにはしなかったろうにと、心のこり千万ではありますが、今となってはそれも詮《せん》ないくりごとにすぎません……」
やっと、姫君が何か言い出した。小次郎は口をつぐんで、耳を立てた。
「……はずかしい、はずかしい、はずかしい。お目にかかるのではありませなんだ。お目にかかるのでは……」
つぶやくように低いそのことばはこう聞きとれた。
小次郎は、そっと溜息《ためいき》をついた。
姫君は、袖から顔をはなした。紅《あか》くまぶたがはれていたが、それが何ともいえず、可憐《かれん》な美しさに見えた。
(この可憐な顔で、遊女。夜毎にかわる男。一体、いく人の男を知っているだろう……)
いやだが、ざんこくな想像が湧いてくる。小次郎はまたひそかに溜息をついた。
じっとしているにたえなかった。瓶子をとって酒を盃《さかずき》につごうとしたが、酒が入っていなかった。先刻口づけに飲んでしまったことを思い出した。
貴子《たかこ》はすぐ立って出て行こうとした。
「どこへいらせられる?」
とっさの際、逃げるつもりだと思った。
「御酒《みき》を……」
「御自分でいらせられることはない。人を呼びなさい」
小次郎はハタハタと手を鳴らした。拍手の音は高々とひびいて、深夜であることが感ぜられた。
乳母が来た。その顔には不安げな表情があった。それとなく二人の様子をうかがっている風であった。
「酒を」
と、小次郎は言った。
乳母は瓶子を下げて行ったが、すぐ酒をみたしてかえって来た。貴子に酌《しやく》をさせるためそこにさしおいた。貴子はうなだれたまま動かなかった。乳母は一旦《いつたん》おいた瓶子を取り上げて酌をした。不安の表情はさらに濃くなっていた。二人の間がうまく打ちとけていないと見たようであった。
小次郎は盃をほした。
乳母はまた瓶子をとり上げた。
「姫君に頼みます」
貴子は乳母の手から瓶子を受取って酌をしにかかった。白いきゃしゃな手がふるえて、瓶子は盃のふちにふれて、カチカチと鳴った。
「姫君にまいらせる」
のみほして、盃をさした。すなおに受けた。飲みぶりは馴《な》れていた。おいしげにさえ見えた。昔はこんな風には飲まなかった人だ。小次郎の胸はまた痛んだ。
この献酬《けんしゆう》で、乳母はやっと安心したらしく、御用があったらお呼び下さいと言って、退《さが》って行った。
小次郎はしきりに盃を重ねた。時々貴子にもさした。貴子はためらいなく受けた。次第に酔いが発して来る様子で、上気した色が頬《ほお》のあたりになまめかしく匂《にお》って来る。
小次郎には、そういう貴子が厭《いと》わしかった。それは貴子のけがれた生活を語るものだ。貴子の心とからだにのこる男共の手垢《てあか》をまざまざと見せつけられるにひとしい。けれども、小次郎は盃をさすことをやめなかった。自虐《じぎやく》的な気持であった。
とつぜん、小次郎ははげしい慾情《よくじよう》を感じた。この女は色々な男にけがされて来たのだ、売りものなのだ、おれが触れてなんの悪いことがあろう、と、思った。思い切って残酷にふみにじり、思い切って恥知らずに汚してやらなければ、胸がいえない気がした。
彼はそれをおさえて酒をのみつづけた。やめるためではない。益々《ますます》この慾情をつのらせるためだ。火を吹きおこしている気持であった。
一方、貴子の方は、酔いが深まって来るにつれて、一種の錯覚に似たものに陥《おちい》りつつあった。こうして寡黙《かもく》で重々しい小次郎と、二人きりで対坐《たいざ》していると、昔のあの家で、昔のままの清いからだで、小次郎と対坐しているような気になって来るのであった。
(常平太の殿のことも、盗賊共のことも、それからの様々なことも、みんなほんとにあったことではないのだ。夢か幻だったのだ。この人はわたしを愛し、その愛があまりにも強いゆえに、愛するということも言い得ず、あたしの前でもじもじしている……)
とつぜん、小次郎は盃をおいた。カタリと音の立つほど強いおきようであった。
貴子の夢見心地は破れた。はっとして小次郎を見た時、その大きなからだが目の前一ぱいにひろがり迫り、腕がのびて来た。避けようとしたが、強い長い腕は蛇《へび》のように肩を巻いていた。
「あれ!」
小さく貴子はさけんだ。のがれようとして、相手の胸を両手で突ッ張ったが、男の強靭《きようじん》な力は容赦なくグイグイとしめつけた。湯気のように熱い呼気が荒々しく顔を吹き、しめった熱い唇《くちびる》が首筋に吸いついた。剃《そ》りあとの濃いひげの触感が強い刺戟となって撫《な》でた。それは魂の最も奥深いところ、からだの最も奥深いところにひびいて、ぞっとするほどの快い感覚となった。しかし、それでも、貴子ははげしく身をもがいて抵抗した。
「いや! いや! そんなことをして、いや!」
小次郎は一層強く抱きしめ、強く唇をおしつけた。
「どうしていや? どうしていや? わしにだけどうしていや?……」
腹が立っていた。嫉妬《しつと》であったかも知れない。
「いや! いや! いや! あたしはいやです! あなたにだけはいや! あなたにだけはいや! あなたにだけは……」
貴子は小次郎に引きつけられてはいた。しかし、それ故《ゆえ》にこそ、こんなところで、こんな工合にして、他の男共の場合と同じような形で許したくはなかった。泣き出した。
小次郎にはこのこまかな心理はわからない。おれをこんなにきらっているのかと思った。気弱く放す気になった。が、とたんに、何くそ! と思いかえした。
(ふみにじってやる! 恥かしめてやる!)
ギリギリと歯がみしながら押したおし、のしかかって行った。
「なぜわしにだけ! なぜわしにだけ……」
と、間断なく言いながら。
貴子はもう抵抗しなかった。相手のなすがままに、いや、いや、突如としてわきおこった歓喜に燃えて、ああ! とうめいた。それは勝利の叫びであったかも知れない。とうとうあたしはこの人のものになった、この人はあたしのものになった、という。
小次郎は、まるで喜びを感じなかった。そこにあるものは狂的な征服慾であり、嫉妬であり、怒りだけであった。
こと果てての後の気持は一層やるせなかった。身のおき場もないほどの自己嫌悪が心を噛《か》んでやまない。むっつりとして、つめたくなった酒を手酌で飲みつづけた。
貴子は横坐りに坐ったまま、灯影に顔をそむけて、髪をかきつけ、衣紋《えもん》をつくろっていた。おちつきはらった動作であった。自足に胸がふくらんでいた。身じまいをすますと、ゆっくりとこちらに向いた。
「いけない人」
微笑していた。目許《めもと》にあふれている媚《こ》びが、小次郎をおどろかした。何にも言えず、飲みかけた盃を胸許にささえたまま見返していた。
「なぜ早くこうならなかったのでしょう」
というと、さめざめと貴子は泣き出した。小次郎の胸にも、熱いものがこみ上げて来た。
夜明け少し前に、小次郎はその家を出て帰った。貴子は乳母とともに戸口まで送って出た。
「またいらしていただけるでしょうね」
と、貴子が言った。何かやつれて、心細げな風情《ふぜい》があった。
「ああ」
とだけ、小次郎は言った。
どこへ行ったか、玄明《はるあき》は全然姿を見せなかった。小次郎もまた気にはなったが、とくべつ尋ねなかった。顔を合わせるのが、なにか体裁が悪かった。
帰宅して、一寝入りした。さまざまなことが胸にむらがって、眠りを結びかねた。何かしきりにあせって胸を波立たせるものがあった。それが何であるか、はじめはわからなかったが、やがてわかった。貴子のことであった。
(ああして、あんなところにいれば、売りもの、買いものだ。来る客を拒むことは出来ない。こうしている現在でも、貴子を望む客があれば、その席に出て酒の相手をし、衾《ふすま》をともにしないわけに行かない。貴子がいやだと思っても、主《あるじ》の欲するだけの代《しろ》を支払う客なら、強《し》いられて従わないわけに行かない。それはわかりきったことだ……)
いまいましい情景が想像された。
彼は身ぶるいしておき上った。
夜はもうとっくに明けている。薄曇りして、ひどく寒げな日であった。井戸ばたに行き、盥《たらい》になみなみと水をくんで、顔を洗った。脂《あぶら》がねばって熱している額や、血走った目に、つめたい水が快かった。長い間、額を水につけていた。そうしていながら、どうしたらよいかと、なお考えつづけていた。
(もう決して人に渡さない)
と決心はつけているが、そんならどうすればよいか、工夫が立たないのだ。
あの世界のことはすべて財宝だということは知っているが、その財宝が今の彼にはない。際限もない賄賂《わいろ》競争につかいつくしてしまった。郎党をかえして国許から取り寄せにかかっているが、急の間に合うことではない。どう短く見つもっても、あと二十日くらいはかかるに相違ない。その二十日の間に、何人の男が貴子にたわむれるか。それがたまらない。
国許から財宝のとどくまで貴子をこの家に呼んでおくという方法のあることは、小次郎も知っている。ある期間遊女を自宅や宿元に呼んで相手をさせるのは、普通のことになっている。しかし、これとても、前渡しに代を賜わりたいと言われたら、どうしようもない。
無暗《むやみ》な賄賂競争をして、湯水のように財宝を費《つか》いすてたことが恨めしかった。
「恥知らずの慾ばり共め!」
覚えず、つぶやいた。それは公家《くげ》や官人《つかさびと》等にだけ向けられたものではなかった。遊女宿の主人にも向けられたものであった。
庭掃除をしていた下人が箒《ほうき》片手に走って来て、玄明の来訪を報じた。
「通しておけ」
小次郎はゆっくりと顔を洗い、からだを拭《ふ》き、着がえをし、髪をかきつくろって客殿に向った。こうしておちつきはらった様体をつくらなければ、きまりが悪くてならなかった。
「さて、早々とまいったのは、ほかでもない。女王《ひめみこ》のことだがな」
顔を見るや否《いな》や、玄明は切り出した。こいつのことだ、ずいぶんからかったり、冗談口をたたいたりするに相違ないと覚悟していたのに、おそろしく生真面目《きまじめ》だ。にこりともしない。
しかし、こうなると、小次郎の方では気持のすわりがかえって悪い。
「む」
とだけ言って、目をそらした。
「おぬし、あの人をどうするつもりだ」
「…………」
「あのままにしておくわけには行くまいがや」
「…………」
「おぬしは知るまいが、常平太が郎党の侘田《わびた》ノ真樹《まき》がおぬしと同じ用件で上洛《じようらく》して来て、しきりに女王をさがしているのだぞ」
小次郎はおどろいて、玄明の方を見た。ものは言わなかった。
「言うまでもなく、これは常平太から言いつけられて来たのだ。京へ行ったら、これこれのところにおれが寵愛《ちようあい》の女がいる。思いもかけずこちらの滞在がのびた故、案じていよう、必ず訪ねてこちらの話をするよう、暮しにも差し支えていようから、これもしかるべく扶持《ふち》するようにと、言いつけ、ものなど持たせて上《のぼ》せてやったという次第だ。
そこで、真樹はこちらにつくとすぐ前のあの邸《やしき》に行ったところ、あの通り邸はなくなって、尋ねる人は行くえ知れずになっている。目下しきりに行くえをさがしているという次第だが、間もなくさがし当てるじゃろう。以前名だたる盗賊で、今は放免《ほうめん》(罪人であった者で、罪を放免されて検非違使庁《けびいしちよう》の下役として召使われている者、後世の目明《めあかし》)となっている者に頼んでさがしているから、さがし当てるにはわけないこと」
「それはほんとか」
「なんでウソをいう必要がある」
「どうして、おぬしはそんなことをそんなにくわしく知っているのだ?」
貴子の現在の境遇を知っていたことといい、今の話といい、ただごととは思われなかった。
「それはおぬしにとってはどうでもよいことだろう。今のおぬしにとって大事なことは、女王をあの家から救い出して、誰の手もとどかぬようにすることではないか」
一言もない。炭櫃《すびつ》の火に目をおとして、手をあぶりかえしていた。
玄明の顔をちらりと笑いのかげが掠《かす》めたが、すぐまたきまじめな様子になって、
「どうだ、おれにまかせるか」
「えッ!」
「おれにまかせるなら、女王をあの家から救い出して来てやるというのだ」
「代《しろ》がいるのだろう? 今おれにはそれがないのだ。国許に取りにやっているのだが」
玄明は笑った。
「それを心配していたのか。だったら、心配はいらんぞ。おれは今、相当多額なものを持ち合わせているから、それで払っておく。国許から送って来てから、済《な》してくれればよい」
「それはしかし……」
「なんの、なんの、遠慮はいらん。それでは、そうきめた。待っているがよい。夕方までにはお連れしてくるから」
多くを言わせず、立去った。
急転直下に事が片づくことになって、小次郎はホッとしたが、それにしても玄明のふるまいは不思議であった。玄明がはじめから自分に好意的であることはわかっているが、それにしても、色々なことをあまりにもよく知っている。何か特別な目的があって、特別に骨を折って探索していたとしか思われない。
(やつ、何をたくらんでいるのか)
相当薄気味は悪いが、この際としてはやむを得ない。まさか煮湯《にえゆ》をのませるようなこともすまいと思うことにした。
それにしても、心ときめく思いであった。郎党を呼んで、対《たい》の屋《や》を掃除するように命じて、
「以前おれがこちらに来ていた頃《ころ》、おつき合いを願っていた宮家《みやけ》の姫君が、今日から当家にお出でになることになった」
と、説明した。
この郎党は、その頃供して来ていたから、貴子が小次郎を裏切って貞盛になびいたこと、それが小次郎が京に望みを絶って帰国した動機になったこと、その邸がなくなってその人の行くえがわからなくなっていること、皆よく知っていて、口にこそ出さないが、小次郎の心理についてもあれやこれやと想像したり、豊田に待つ良子のことを考えて、行くえの知れないのはかえってよいことだと考えたりしていたのであった。
それだけに、この申し渡しにはおどろいた。そのおどろきをかくして、
「さようでございますか」
とだけ答えた。
あまりにも感情を示さないしずかなことばであったので、その心理がかえって小次郎にはわかった。彼もまた故里《ふるさと》に待つ妻のこと、わけても祖道の宴の夜の妻との対話を思い出した。心のひるむのを覚えた。しかし、すぐおしきった。
「申しつけたぞ」
「かしこまりました」
郎党は退《さが》って行った。
心のやましさは、終日小次郎を苦しめた。彼はそれを、
(世にためしのないことではない。誰にしても、普通にあることではないか。それに、ほかの人ではない。貴子姫なのだ。こうする以外、どうしようがあろう)
とくりかえして、おさえた。
夕方にはまだ間のある頃、待つ人々はやって来た。どこで借りて来たか、貴子と乳母は車にのり、玄明は袴《はかま》のくくりを高く上げ、太刀を佩《は》き、まめやかな供人姿で従っていた。古びてはいるが、ともかくも女車だ。下級公家か受領《ずりよう》(国守《くにのかみ》)あたりの妻や姫君の物詣《ものもうで》しての帰りくらいには見えた。
先《ま》ず乳母が下り立ち、貴子はそのあとから下りた。乳母は昔の気丈さをとりかえして、物おじしない凜《りん》とした態度であったが、貴子は何かおどおどしていた。中にも、車寄せのまわりに出迎えた郎党や下人共におびえているような様子であった。青ざめて、ふるえていた。しかし、小次郎の姿を見ると、たちまち真紅《まつか》になり、涙ぐんだ。
すがりつくような貴子のその様子が、小次郎の胸を熱くした。いとしさがこみ上げて来た。自分の身を楯《たて》にして、人々の目からかばいながら、対の屋に導いた。
「来ました、あたし」
対の屋に通るとすぐ、貴子は言った。呼吸《いき》をはずませ、目をうるませていた。小次郎ひとりを頼りにして、懸命にたどって来た気持があらわであった。
「よろしい。よろしい。もう大丈夫です。もう決してあなたを離しはしない」
胸に高まって来る感情をおさえたために、小次郎の声はふるえた。
二人をおちつかせた後、客殿に引きかえすと、玄明が待っていた。ひどく神妙な顔であった。
「世話になったな。礼を言うぞ」
この男にこんな調子でものを言うのは、なにか、そぐわない気持だが、いたしかたがなかった。
「いや。礼を言われるほどのことではない。なんでもないことであった。それより、お二方の御様子はどうだ。喜んでおられるだろう」
「うむ、まあ……」
「色々なことがあったらしいが、女がよるべない身で京のような所にいれば、無理のないことだ。あの方はおぬしをいとしいと思うておられ、おぬしもあの方をいとしいと思っているのだ。つまらんことは忘れて、ひたすらにむつみ合うことだな」
いつにない殊勝なことを殊勝な調子で言う。もっとも至極であると思い、そうすべきであると思い、十分感謝もしているのだが、この男に向っては、それが素直に口に出ない。
「鹿島ノ玄明には似ない言い方だな。くすぐったくなるぞ」
とはぐらかすと、玄明は笑い出した。
「まあよいわさ。おぬしだってわかっているのだからな」
「ハッハハハハ、酒を言おうか」
「今日は遠慮しよう。これから行かねばならぬ所がある。では」
と、立ちかける。
「待て待て。そういうことなら、引きとめはせんが、あの宿にどれだけ払ったか、聞かせておいてもらいたい」
「大したことはない。あとでよかろう」
「大したことはなくても、聞いておきたい。返済はもちろんあとにしてもらわねばならんが、気になる」
「きつうかたいことを言うぞ。しかし、くわしくはよく覚えておらん。あとでよく計算して書きつけにして持ってくる」
「おれはきっと払うぞ」
「ああ、ああ、もちろん払ってもらうとも」
玄明を送り出して、対の屋に行ってみると、貴子と乳母は室内を自分等の気に入るように設営し直しつつあった。小褄《こづま》を上げた甲斐《かい》甲斐《がい》しい小袖《こそで》姿になって、調度類の位置をかえたり、掃き清めたりして、キリキリと立働いているのが、水に放たれた魚や、林に放たれた小鳥に見るような楽しさに満ちて見えた。
小次郎を見ると、貴子はすぐ言った。
「いかが、ずいぶんこれで工合よくなったでしょう」
くったくのない、晴れ晴れとした声であった。
急には返事が出来なかった。
(なんという女! しかし、これが女というものかも知れない)
と、思うのであった。
春の雲
かくて年が暮れて新しい年が来たが、正月中小次郎の裁判はなんの音沙汰《おとさた》もなかった。正月はいろいろと朝廷の儀式が多い上に、今年は当今《とうぎん》(朱雀帝《すざくてい》)が十五歳になられて、四日にはお元服の儀式まであったので、手がまわりかねるということであった。
制度的には律令《りつりよう》政治の時代であるが、政治は即《すなわ》ち「まつりごと」で、祭事と儀式を最も重要なこととする古代の遺風のまだ濃厚な時代だ。いたし方のないことだ。小次郎も別段不平ではない。
それに、今では身近に貴子がいる。退屈もなかった。飽くなき情痴に酔って、一月はまたたく間に過ぎた。
この間に、国許から財物がとどいたが、あれ以来、玄明はまるで姿を見せない。
居場所をつい聞かずじまいだったので、返済しようにも方法がない。こんなことには神経質なくらい真面目な小次郎は気になっているが、どうしようもなかった。
二月になって間もなく、検非違使庁に出頭を命ぜられた。当日は、源《みなもと》ノ護《まもる》も、侘田ノ真樹も出頭することになっていると告げられた。
「対決だな」
小次郎は、気負いこんで出頭した。
護も、真樹も来ていた。控え室は同じだ。もちろん、あいさつはしない。一隅《いちぐう》に対坐して親しげに話し合っている二人と反対側の隅《すみ》に座をしめた。
小次郎が入って行くと、二人は談話をやめた。こちらに気を兼ねているらしく、口をつぐんでいた。といって、こちらを見もしない。何か窮屈げな様子であった。
小次郎の胸には、おそろしく戦闘的なものがみなぎっている。大きな目をみひらいて、憚《はばか》らず二人を見た。
驚いたのは、護がおそろしく老衰していることであった。所領の券契《けんけい》の不審をただすためにおじ等と一緒に石田の館《やかた》を訪ねた時以来、小次郎は護と会っていない。それは京から帰った年の夏の末であったから、一昨昨年のことだが、二年半に満たない間に、何という衰えようであろう。あの頃の威厳にみちた堂々たる風貌《ふうぼう》は、どこにもない。長い顔はいたずらに深い皺《しわ》をたたみ、色艶《いろつや》が悪くなり、見事であったあごひげは真白になっているばかりか、すり切れたように短く、そしてまばらになっている。たけもうんとちぢまったように見えた。小さな荘《しよう》の二つか三つ持って、細々と老いを養っている田舎の小豪族の姿であった。
何とも言いようのないほど気の毒になって、目をそらした。こちらに十分の理があると信ずる心にかわりはないが、罪悪感に似たものを感ぜずにいられない。
これに反して、真樹は徐々に気力をとりかえして来たらしい。敵対の関係にはあっても主筋にあたる人という遠慮があるのだろう、こちらを見ることはしないが、腕を組んで天井を凝視していた。角ばった|あご《ヽヽ》、左右|連《つらな》っている濃く太い眉《まゆ》、その高い眉骨《びこつ》の下の深い眼窩《がんか》、そこからドングリ型の鋭い両眼《りようめ》がじっと一点を見つめている姿に、不敵な気魄《きはく》が脈々と感ぜられた。
(こいつめ!)
とは思ったが、頼もしくもあった。
小|一刻《ひととき》も待った頃、使丁が入って来て、開廷を知らせた。
法廷はものものしいものであった。正面に大尉《だいじよう》中原某、少し退って、大志《だいさかん》坂上某、更にさがって府生《ふしよう》等が居ならんで、髪の根のひきしまって来るような森厳《しんげん》さは、さすがは正義の府と思わせるものがあった。
先ず原告の源ノ護、次に佗田ノ真樹、三番目に被告の小次郎が一人一人前に呼び出されて、住所、姓名、身分を問いただされ、更に前の順序で呼び出されて、某年某月某日に某処で戦闘行為をしたかと訊問《じんもん》された。
小次郎は、
「たしかにいたしました。しかし、それは当方より発動したものではありません。その日拙者は……」
と、言いかけると、訊問にあたっていた大志坂上は、手にした笏《しやく》で机を一撃し、
「当方の聞いたことだけ答えればよろしい!」
と、叱咤《しつた》して、訊問をくりかえした。
「某年某月某日、某処において合戦闘諍《かつせんとうじよう》のことに及んだかどうか」
「いたしました」
「たしかにいたしたのだな」
「いたしました」
「席にかえれ」
席にかえった。
すると、正面の大尉、次に大志、次に府生という順序で席を立って、奥の入口から姿を消した。
太い円柱の間からさしこんで来る春の日ざしが斜めな縞目《しまめ》をなし、へやの半分ほどまでさしこんでいる法廷は、原被三人と使丁共だけになった。
やや久しい時間がたった。四半|刻《とき》(三十分)もたったろうか、府生が出て来て、
「本日はこれまで。追って沙汰いたす」
と、言いすてて、かえって行った。
小次郎には、その言葉が、言葉としての意味はわかったが、急には腑《ふ》におちなかった。しかし、護と真樹とが立って出て行きはじめたので、はじめてわかった。
急には立たなかった。官《おおやけ》の悠長《ゆうちよう》さと繁文縟礼《はんぶんじよくれい》とを知らないではなかったが、先ずあきれ、次に苦笑し、最後に腹を立てた。
(この空《から》手続きはどうだ! 人を遠い坂東から呼び出して、三月も滞在させておいて、ようやく、裁判をはじめたと思えば、このわかり切ったことを聞きただしただけとは!)
けれども、どうしようもない。重い腰を上げて立上った。
控え室には、もう護も真樹もいなかった。小次郎は、二人が今日の法官等にまた進物を持って行くに相違ないと想像して、
(おれもそうせねばなるまいな)
と、考えた。これも不快だが、どうしようもない。
気が益々鬱《ますますうつ》して来た。
使庁の門内の供待《ともまち》に待っている郎党等を引きつれて門を出て、二三町も家路をたどった頃、横の小路《こうじ》から走り出して来た者があった。
一目で坂東人とわかる小者風の男だ。ていねいに式体《しきたい》して言った。
「やつがれは、御一族|左馬《さま》ノ大允《だいじよう》の郎党侘田の真樹の下人でございます」
小次郎は無言のまま相手を見つめていた。それにはかまわず、下人はつづける。
「主人真樹、親しくお目にかかって御意を得たいことがあると申しておりますが、お目通りをゆるしていただけましょうか」
それでも黙っていたが、相手はとんじゃくなくつづけた。
「お聞きとどけいただけるのでありましたら、今日お住いに推参いたしたいのでございますが、おさしつかえはないでございましょうか」
なんの用件か、急には見当がつかなかった。しかし、真樹は貞盛《さだもり》の家では武勇随一の郎党だ、会わないというのも、臆《おく》しているに似ている。
「よろしい。会ってつかわそう。おれの宿に来るように言え。どこであるか、知っているな」
「よく存じております。ありがとうございました。さぞかし真樹が喜ぶことでございましょう」
下人はていねいにおじぎして、出て来た小路へ走り去った。
何のために真樹が自分に会いたいというか、まるで見当がつかなかった。貞盛の命を受けて妥協を申しこむつもりかと思ってみた。
「源家の舅《しゆうと》の方はおれが何とかなだめるから、適当に折れ合おうではないか」といって。
すでに国許《くにもと》においても菅原景行《すがわらかげゆき》を頼んで仲直りを申しこんで来たくらいだから、あり得ないこととは言えないが、すでにこうして公《おおやけ》沙汰になって裁判が進行している時だ、間に合う話ではない。
(何を血迷っているのか!)
と、思った。
「それに、おれは貞盛と妥協するなど、真ッ平だ!」
歯がみをせんばかりにいら立って、つぶやいた。
次には、はてしない進物競争をやめたいという相談かも知れないと思った。これもあり得ることであった。こちらが苦しんでいるように向うも苦しんでいるはずだから。
(これなら応じてもよい。正義は事がら自身が決するのだ。進物をしたり、賄賂《わいろ》をおくったりするのは、濁りかえった現在の朝廷に処するやむを得ない方法なのだが、お互いの間に話し合いがついてやめることが出来れば、こんなよいことはない。実際ばかげたことだ。骨身を削って慾《よく》ばり共を肥やしているのだからな)
いくらか、気がなごんで家にかえりついたが、着がえをして対の屋の貴子の居間の入口に立った時、いきなり思い出したことがあった。
貴子をここへ迎える日、玄明が言ったことだ。あの時、玄明は、真樹が貞盛の命を受けて、貴子の行くえをさがしている、今はまだ見当がついていないが、使庁の腕ききの放免に頼んでさがしているから、ほどなくさがし当てるに相違ない、と言った。
(そうか、その用事で来るのにちがいない!)
胸が炎になった気持であった。ほとんど怒っているような形相になって、貴子の居間に入った。
「あら、おかえり遊ばせ」
貴子は乳母を相手に双六《すごろく》を打っていたが、すぐやめて、いそいそと立って来た。乳母は自分が邪魔ものになることを知っている。大急ぎで盤をかたづけ、小次郎に一礼して出て行った。
突ッ立ったまま坐《すわ》ろうとしない小次郎の様子に、貴子は心配げな顔になった。胸許にすり寄って、顔を仰いだ。
「どうなさったのです」
「…………」
「お裁きの工合がうまくまいりませんの」
小次郎は首をふった。相手の顔を凝視しつづけながら言った。
「今日これから、太郎が家の郎党で侘田ノ真樹という者が来ます」
貴子には、それが何を意味するかわからないが、小次郎の様子から見て、何か飛んでもないことを言い出されそうな予感があって、不安げに相手を見ていた。貴子の様子が小次郎をいら立たせる。この懸命な目つきは何のためであろう、何を期待しているのであろうと。
思いきり意地悪い口調に出ないではおられなかった。
「あなたはうれしそうだな」
相手が何を言おうとしているか、おぼろげながら、貴子にも見当がついた。青くなった。
「なにをおっしゃるのです」
きびしく強く言うつもりであったが、つぶやくように弱い調子になってしまった。
胸をにごして湧《わ》きおこる嫉妬《しつと》に、小次郎は目もくらむばかりになった。立っていては暴力が出そうな危険があったので、坐った。
貴子は途方にくれていた。立ちすくんだままだ。それを見上げて小次郎は言った。
「お坐りなさい」
おとなしく坐った。
「しらばくれるのはおよしなさい」
「まあ、何を仰《お》っしゃるのか、まるでわかりません」
小次郎はまたカッとなったが、おさえてせせら笑った。
「わからないなどと。ちゃんとわかっていなさるではありませんか。そんなことを言うのはおよしなさい。こちらはめくらではありませんぞ」
「…………」
「いいですか。その者は、こんどの裁判沙汰のために上って来たのですが、国を出る時、太郎にあなたのことについてこう命ぜられたのです。しかじかのところに、しかじかの姫君がおられる、それはおれとしかじかの関係のある姫君だ、帰国以来、打ちたえて便りもせぬ故《ゆえ》、案じていよう、たずねて行って、おれが変らぬ心でいることを語り……」
「やめて下さい!」
貴子は叫んだ。泣きながら言った。
「なぜそんなことを仰っしゃるのです! なぜそんなことを言って、あたしをいじめなさるのです!」
貴子の身もだえしているのが、小次郎には奇妙な喜びであった。それは、にがくて辛辣《しんらつ》で、陰鬱な喜びであった。こんなことをくどくどと言い立てることは男らしくないことであり、相手の心から愛情を冷まさせるばかりであると考えながらも、喜びを追求せずにはいられなかった。
小次郎の様子は、一層いじ悪くなる。笑顔さえつくって、
「いじめる? どうしていじめたりなどしましょう。あなたは太郎が見捨てたといって恨んでおられた。ところが、太郎は見捨てたりなんぞはしなかったのです。かわらない愛情を持ちつづけていたことが、おわかりでしょう」
「…………」
「さて、どこまで話しましたかな。――そうだ。そこで、真樹はくさぐさの財物をたずさえて上って来て、昔のあの邸《やしき》に行ってみましたが、家居《いえい》はなくなり、あなた方主従は行くえ知れずになっている。きつい苦労でしたろうが、ともかくもさがしあてて、本日これから来るという次第になったのです」
貴子はただ泣きつづけた。
この涙がどんな涙か、うれし涙か、自分のこの真綿で首をしめるような折檻《せつかん》をかなしんでの涙か、わからないのが、小次郎をいら立たせた。
「なぜ泣くのです。泣いている時ではありませんぞ。ようく考えて、太郎をとるか、小次郎をとるか、おきめにならなければならない時だ。太郎はあなたにとって最初の男だ。小次郎は……」
言いかけて、口ごもった。ああ、何番目、いや、いや、何十番目の男であろう?
胸が煮えかえった。
「泣きなさるな!」
ほとんど絶叫した。
坐っているにたえなかった。立上って、ノシノシと、一歩一歩に力をこめて歩きまわった。
貴子はなおしばらく泣いていたが、やがて泣きやんだ。キッと顔をふり向けた。
「貴子にどうせよと仰っしゃるのです」
「それはこちらがきめることではない。姫君が御自分でおきめにならなければならないことです」
貴子の顔が口惜しげにゆがんだ。
「あなたは、貴子がもういやになられたのでしょう」
「なに?」
「貴子に飽きが来られたから、そんなことを仰っしゃるのでしょう」
「そんなことはない」
「いいえ、そうにきまっています。貴子には、今が一番幸せなのです。貴子は、これまで今ほど楽しかったことはありません。あなたほど、貴子がいとしく思った人はないのに、もう飽きが来て、……情なくも、左馬ノ允の殿のところへかえれなどと。……貴子は不幸な生れつき、しょせんは長い幸せにはめぐまれないのです……」
袖《そで》を顔におしあてて、泣き伏した。
「おお、いやなこと! おお、いやなこと!……」
強い嫌悪《けんお》の情がはげしいふるえとなって、背中を走っていた。
「追いかえして下さいまし、追いかえして下さいまし。でなければ、貴子は死んでしまいます!」
小次郎の胸を、うれしさが火の矢のようにつらぬいた。襲いかかって抱きおこした。膝《ひざ》にかかえ上げてのぞきこんだ。
「そうしてよいのか、そうしてよいのか、追いかえしてよいのか」
貴子はしがみついた。男の胸に頬《ほお》をつけて言った。
「そうして、そうして。追いかえして、追いかえして」
小次郎はいとしくてならない。
「そうか、そうか、そうか。そうしましょう、そうしましょう。いつまでも、いつまでも、小次郎の所にいてくれますね」
「いますとも、いますとも。だから、もうあんなことは言わないで……」
「言いません、言いません。小次郎が悪かったのです。もう決して言いません」
あらゆる痴話げんかと同じく、他愛《たわい》なくおさまった。
一風波して後の凪《な》ぎは、なんとも言えず快い。常にもまして相手がいとしくて、幸福な気分になっている時、真樹の来訪が報ぜられた。
貴子はおびえたような顔になった。それが小次郎には一層いとしい。
「よし!」
勢いこんで立上った。
客殿の円座の上に、真樹はひかえていた。ちぢれたひげをかき撫《な》でつつ、不敵な様子であった。小次郎の入って来るのを見ると、円座をすべりおりて平伏した。
「先程は失礼をいたしました。夢にも思い設けざった事によって、あのような所で、あのようにして、殿にお目にかからねばならないこと、まことに心苦しく存じますが、いたし方なきなり行きでございます」
言葉の意味はなげくようであるが、語調は明晰《めいせき》で力強い。負けずに堂々たる態度で、ほどよく答うべきだとは思ったが、心にもないことは小次郎には言えない。ぶっきらぼうに言った。
「用件を聞こう」
「はっ」
真樹は両手をついたまま、少し顔を上げて見上げた。左右生えつらなった藪《やぶ》のように濃い眉の下から、鋭い瞳《ひとみ》が食い入るように見つめて、
「主人左馬ノ允が当地における妻《め》、当お邸にまかりあります由《よし》、聞きおよんでまいりました。お引渡しをたまわりとうございます」
十分な心の用意をしていたつもりであったのに、小次郎はまたしてもくわっとした。しかし、おさえた。
「太郎が妻とは誰のことを言うのだ」
「嵯峨《さが》のみかどのおん孫、透《とおる》王のおん姫君、貴子|女王《ひめみこ》でございます」
「ああ、その女王ならば、当家にお出でだ。しかし、貴子女王は太郎が妻ではないはずだ。おれは昔からお出入りして、よく知っている」
真樹は両手をひざに上げた。真直《まつす》ぐに身をおこして、キッと小次郎を見た。
「おたわむれを仰せられてはこまります」
どなりつけたくなったが、またこらえた。
「何がたわむれなものか。その方は太郎にからかわれて、根無しごとを聞かされて来たらしいな。太郎は今のおれにとっては、最もにくい敵《かたき》だ。敵の妻《め》を引きとって養うほどの仏ごころは、おれにはないぞ」
こんな持ってまわった言い方は、小次郎の柄《がら》ではない。ほんとは、太郎の薄情と身勝手を痛罵《つうば》したいのだが、それを言えば、貴子が太郎にけがされたことを認めることになる。こうなっても、小次郎には貴子を浄《きよ》い身であったと思いたい気持がある。
真樹の目がピカリと光った。しかし、声はおだやかに呼びかけた。
「豊田の殿」
「ああ、なんだな」
「てまえは主人から申しつけられて来ているのであります。てまえとしては、殿のおことばより、主人のことばの方を信用しないわけにまいりません」
「そりゃそうだろうな。そこで、どうするつもりだ」
「女王にお目通りさせていただきとうございます」
「御当人が何と仰せられるか、直々にお聞きしたいというわけだな」
「はい」
「御当人がおれの言った通り仰せられたら、あきらめてひき退《さが》ろうというのか」
「はい」
真樹の様子には満々たる自信がある。それは太郎をこちらより優《まさ》っているとするところから出ている。小次郎は目もくらむほどの怒りを感じた。よし、会わせて鼻をあかしてやる! と、思ったが、すぐ思いかえした。太郎と自分とを比較して考えると、ほとんど自信がなかった。自分が太郎にまさっているのは、武勇と誠実さだけだ。女に最も喜ばれる容貌《ようぼう》の点でも、立居ふるまいでも、話術でも、才気でも、処世の術でも、すべて太郎がまさっている。もし、真樹の口から太郎の変らない心を説かれたら、貴子の心がどうぐらつかないものでもない。さっき、貴子はああは言ったが、それは自分と二人きりであったため、圧倒されたのかも知れない……
小次郎は、せせら笑って見せた。
「せっかくのその方の頼みゆえ、おれはお目通りさせたいとは思うが、姫君がいやじゃと仰《おお》せられるわ。先程その方が来る前、おれは姫君にその方のことをお話しした。常平太の郎党でしかじかと申す者が、間もなくまいりますが、ひょっとすると、常平太がごきげん伺いによこしたのかも知れませんと。すると、姫君はまことに不快げに仰せられた。常平太という人は心術よろしからぬ上に、今はそなたの敵である由、さような者の郎党など見るのもいや、もし、そのようなことで来るのなら、わたくしにことわるまでもありません、追いかえしてたもれ、とな。まことに気の毒だ」
真樹は目を閉じて聞いていたが、その目を見ひらいた。
「そうまで仰せられるのであれば、もはやいたし方はありません。一応引退ります。が、ここにたった一つお願いがあります」
「…………」
「左馬ノ允が姫君へと持たせてよこしたものがございます故、それをおとりつぎいただきたいのであります」
おさえにおさえていたものが一時に爆発した。おそろしい声で、小次郎はどなった。
「無礼者め! 姫君には豊田の小次郎がついている! 他人の扶助などがいろうか! まかりかえれ! ぐずぐずいたしおるにおいては、その分にはおかぬぞ」
立上った。床をふみ鳴らして絶叫した。今にも蹴出《けりだ》しもしかねまじき気勢であった。
真樹は青くなったが、恐れもしなければ、うろたえもしない。
「さようでございますか。それではおいとまいたします」
おちつきはらってこたえ、それから立上った。
このままでは済まない、押しかえして来るに相違ない、ひょっとすると、暴力を以《もつ》て奪い去ろうとするかも知れない、と、小次郎は用心を怠らなかった。
しかし、何事もなかった。
裁判の方もその月の末に一回、三月|中頃《なかごろ》また一回、使庁に呼び出されたが、両回とも格別な進展はなかった。こんな風ではいつまでかかるか見当がつかない。そろそろ農事にいそがしい季節にもなる。あせらざるを得ない。
小野道風の邸に様子を聞きに行ってみた。
「フウン、そうか、大ていまろには推察がついてはいるが、なおよく聞いてみてやる」
と、道風は快く承諾してくれた。
「御推察ではどういうことになりましょうか」
「大したことにはなるまいということよ」
「と申しますと?」
「くわしくは明日の楽しみにせい。明日昼をまわった頃に来てみるがよい。推察話でなく、決定的なことを聞かせてやる」
そこで、その日は帰ったが、翌日、昼近く、下人に手伝わせて塗籠《ぬりごめ》で着がえをしていると、あわただしく郎党が入って来て言う。
「申し上げます。道風|卿《きよう》がいらせられましてございます」
おどろいて迎えに出ると、もう車が南庭にきしりこんで来つつあった。陽春の真昼の日が明るく照りわたっている庭だ。栄養の悪そうな痩《や》せた牛と古びた車があさましいほどみすぼらしく見えた。しかし、乗っている人はひどく陽気であった。車がまだきざはしに寄せられない前から、片手に簾《すだれ》をかかげて、きざはしを下りて来る小次郎に、大きな声で呼びかけた。
「吉報吉報、祝酒の支度せい」
やがて廂《ひさし》の間《ま》におちつくと、道風はくわしく説明した。
「まろは今まで大理《だいり》(検非違使《けびいし》別当《べつとう》)の邸に行っていた。そちのことを聞きにだ。大理としては処断にこまっている様子であった。そちの申し立てには条理があるし、証拠の品々もそろっている。その上、そちの|まいない《ヽヽヽヽ》のききめもある。ずいぶん気張ったらしいな。ハッハハハハ。といって、そちを無罪とすれば、原告を処罰せんわけに行かん。虚構の訴えをして朝廷《おおやけ》に煩労《はんろう》をかけたという理窟《りくつ》になるからな。ところが、この方面からの鼻薬も上下に行きわたっているので、それも出来ん。何とか両方に傷のつかんようにして事をおさめたいが、その理由が立たんので、こまっている模様であった」
「…………」
「そこでな。まろがちょいと知恵を貸して来た」
「…………」
「過ぐる正月五日、主上お元服の儀がおわしましたが、これは公《おおやけ》の大慶事でありますぞ、とな」
「…………」
「それだけ言って、わしはさっさと引上げた。もう大丈夫だ。そちはお咎《とが》めなしとなる。――さあ、酒を出せい。やれ、のどがかわいたわ」
そう聞いても、小次郎にはよくわからない。
「酒は命じてあります。すぐ持参いたしましょうが、主上のお元服がてまえの裁判事にどう関係があるのでございましょうか」
「そちは可愛《かわい》いことを言うの。なるほどそちは坂東の曠野《ひろの》の男だ。京《みやこ》向きではないわ」
道風は呵々《かか》と笑って、
「公の慶事には大赦が行われるのが例だ。この事件をその大赦にあずからせよと、知恵をつけてやったのよ。もっとも慶事はとっくの前にあったのに、判決はまだ下っていないのじゃ故、ちっとばかり無理なんじゃが、なあに、そんなことは何とでも融通はつく、何せ、双方に傷をつけずにおさめたいという意志が朝廷にあるのじゃからな。ハハハハハ」
「なるほど」
と、やっと合点が行った。小次郎の正義心はこんな不条理な便宜主義の解決には不満だ。非は明らかに先方にある。それをはっきりさせてもらいたい。しかし、もう疲れた。不条理でも便宜主義でもよい。そうおさまりをつけてくれるならそれでもよいと思った。
この小次郎の心理がわかったらしい。道風はまじめな顔になった。
「がまんせい、がまんせい」
「いえ、お骨おりの段、何ともお礼の申し上げようがございません」
あわてて、礼を言った。
「ハハ、ハハ、ハハ、酒はどうした。まだか」
日暮近くまで飲んで、したたかに酔って、道風はかえって行った。小次郎は自ら騎馬で供して邸まで送った。
しずかな春の夕暮であった。空には夕日を受けたはだら雲が出ていた。こんなにやわらかで美しい雲は坂東の空には出ない。京特有のものだ。馬の動揺に身をまかせつつその雲を見ているうちに、ふと小次郎は胸苦しいような気持をおぼえた。良子のことを考え、同時に、貴子のことを考えたのだ。
(順調に行けば、良子の出産少し前か、出産がすんだ直後に帰ることになろうが、貴子を連れてかえったのを見て、どんな気がするであろうか。祖道《そどう》の宴の夜、良子はあれほどまで言ったのだ。いい気持であろうはずはない……)
つらいと思った。
(しかし、どうしようがあろう。そうするよりほかはないのだ。今のおれとしては、三人がそれぞれ立って行ける方法をとる以外にはないのだから……)
と、思い直してみたが、それでも胸苦しさはなおらなかった。さらさらと事がさばけず、あらゆることに深く重くなってしまう自分の性質がいまいましかった。
数日|経《た》って、もう三月の末であった。思いもかけない人が訪ねて来た。勘解由《かげゆ》判官《ほうがん》の興世王《おきよおう》が来たのだ。
郎党のとりつぎを聞いて、ほとんど小次郎は茫然《ぼうぜん》とした。
最初に小次郎がこの人に会ったのは、左京の市の倉を襲撃中の盗賊団体を小次郎が退治した翌日、比類なき高名との評判が高かった最中に、この人の方から足を運んで会いに来たのであった。つぎには、その後、公用で乙訓《おとくに》の大原野《おおはらの》まで行っての帰途、襲撃して来た盗賊団の中に、たしかにこの人と思われる声の者がいたのだ。
彼は、今でもよく覚えている。その人の野放図な感じの哄笑《たかわら》いの声を。小柄《こがら》ながら精気にあふれた風貌を。
「やあ、久しいな。何年ぶりになるかな。お壮《さか》んな由をはるかに聞いて祝福していた」
坐《すわ》るとすぐ、興世王は言った。昔とちっとも変っていない。誇張的な口のききざまだ。精気がピチピチと躍動しているような小柄なからだの肩ひじをいからし、太く長い野剣を佩《は》いている。
「殿もお変りもない御様子で、結構でございます」
「ハッハハハハ、何が結構なことがあるものか。変らなすぎて、うんざりしているのだ」
豪快な口の利《き》き方の中に、偽りならぬなげきがにじんでいた。返事が出来なかった。
しかし、相手はさっさと話をつぐ。
「本日まいったのは、二つの用件によってだ。一つは、お祝いを申すためだ。そなたの裁判|沙汰《ざた》だがな、あれについては、わしも陰ながら色々と案じていたのだが、本日役所にてたしかな筋から聞いたところでは、私闘とは言い条、ほしいままに兵を動かして静謐《せいひつ》の世を騒擾《そうじよう》したる段、科《とが》浅からざるものがあるが、折しも主上御元服の御慶事あるによって、罪科を赦免すると、かように決定したというぞ。されば、いずれそのうちには、お申し渡しあるであろうが、一刻も早く知らせて安堵《あんど》させたいと存じ、かくはまいった次第だ」
道風の入れ知恵が功を奏したのだと思った。うれしくないことはなかったが、こちらにだけ罪科ありとする判決は不満であった。この前の道風の話では、双方同罪とした上で赦免するということであったのだ。しかし、わざわざ知らせに来てくれた好意には礼を言わなければならない。
「それはそれは、御芳心のほどありがたく存じます」
と、とりあえず礼を言いはしたが、心中の不満と口先だけで言いつくろうことの出来ない性質とは、それ以上のことを口にすることが出来なかった。
興世王には、それがわかったらしい。笑って説明した。
「肝心なことに説明が足りなかったようだ。朝廷は、そなたにのみ科ありとしたのではない。原告側にも、つまり、双方共に騒擾の罪科ありとしたのだ。その点誤解ないよう」
小次郎はほっとした。
「なるほど、さようでございますか」
と、言ったが、なお笑いながら言った。
「赦免になって、不服を言うべきではありませんが、本来この事件は先方が主動で、てまえは受けて立ったにすぎないのでありますから、てまえとしては、そこのところに|けじめ《ヽヽヽ》をつけてほしかったと存じます」
「ハッハハハハ、そうじゃろう。そうじゃろう。しかし、間然《かんぜん》するところなしという工合《ぐあい》には行かんな。何せ無能者ぞろい、その上腐り切っている朝廷だ。この裁判など、近来めずらしい上出来の部類じゃよ。ま、ぜいたくは言わんことじゃて」
「てまえも、無理な望みであることは、よく存じています」
「無理じゃとも、無理じゃとも。尼|御前《ごぜん》に男道具を出せというようなものじゃよ」
興世王は痛快に笑った。
興世王は笑いをおさめた。
「さて、もう一つの用件じゃが、まろもしみじみ京がいやになってな。坂東の方に地方官となって行きたいと、このところ、よりより運動中だ。どうやらうまく行きそうでよろこんでいるが、いよいよ行くことになったら、色々とそなたの世話になることになるであろうと思う。その時はよろしく頼むぞ」
「それはもう。しかし、確実なことでございますか」
「確実とはいえん。目下のところは、かなりに有望だという位のところにすぎんが、そなたの滞京中に敬意を表しておかんと、間に合わんからな」
と、興世王はまたくったくなげに笑った。
興世王はしきりに坂東のことを質問する。地理、気候、風俗、人々の気風、豪族等のこと、中央派遣の官人《つかさびと》等の評判等々。小次郎はこの人に抱く疑惑を忘れることが出来ない。好もしい人であるとは思わない。従って坂東に来ることをよろこぶ気にはなれない。しかし、仮にも王《おう》と名乗る人であってみれば、素気《すげ》なくは出来ない。一々ていねいにこたえた。
「ふうん。益々《ますます》気に入ったな。まろの気性にまことによく合うところだ。何としても行くことにしなければならんわい」
感にたえた風であった。
少し酒などのんでから、興世王はかえって行った。
とにかくも、間近く判決の言い渡しがあるのは確実になった。小次郎は帰国の支度を進めることにしたが、とすれば、何より暇どるのは菅原景行から頼まれたことだと思われたので、ある日、右近の馬場へ出かけた。
行ってみておどろいた。昔は参詣人《さんけいにん》も多く、境内もまた広くはあったが、社殿はほとんど祠《ほこら》といってよいほどの非常に小さいものであったのに、今見るそれは、反《そ》りを打った屋根は碧瓦《あおがわら》を以て葺《ふ》き、木材はすべて丹漆《にうるし》で塗り、高い床は勾欄《こうらん》をめぐらし、宏大《こうだい》壮麗をきわめている。
これは御神殿だが、その他の建物や玉垣《たまがき》も、まるで面目一新している。どうして移し植えたのか、大きな樹木まで幾百本となく植えこんで、その緑にそれらの建物の色彩が映えて、言いようのないほど豪華で森厳なものをただよわせていた。
ほかならぬ御祭神の御三男からの書面があるのだからと、気楽に考えていた小次郎は、急にこんなことを申しこんでも承知してくれないかも知れないと、不安になった。
(もっと早く来べきであった)
後悔しながら、社殿の前に立ってふり仰ぐと、「火雷天神」と書いた大きな扁額《へんがく》がかかっていた。見覚えがあった。京について最初に小野道風の家に行った時、彼の目の前で道風の揮毫《きごう》したあれであった。
「話がむずかしかったら、道風卿にお願いして話してもらえばよい」
と、安心した。
神前で礼拝した後、社務所に行った。雪白《せつぱく》の水干を着た神職が五六人もいて、群がる参詣人等に応対して、祈祷《きとう》や加持《かじ》の願いを受けつけていた。小次郎はその一人をつかまえて、来意を通じた。
よほど意外であったらしい。相手はびっくりしたような顔で、穴のあくほど小次郎を凝視した後、
「そんなことは、ここではわかり申さん。あれへ行かれて、お話し下さい」
と言って、木立の奥に見える建物を指さした。
その建物は、他の建物とまるでかわっていた。他の建物は全部重厚な華麗さをもった唐風であったが、その建物だけは、屋根は檜皮《ひわだ》、木口は白木、軽快で瀟洒《しようしや》な和風の様式であった。
階段の下に立って案内を乞《こ》うと、茶色の法衣《ほうえ》に金襴《きんらん》の袈裟《けさ》をかけた僧侶《そうりよ》が出て来た。この僧侶に、小次郎は見覚えがあった。貴子の供をしてここに託宣を受けに来た時、応対に出て来たあの僧であった。あの頃は年にも似ずしなびたような顔をしていたが、今は人が違うように立派だ。小肥《こぶと》りにふとった顔はつやつやと血色がよく、男盛りの気力にあふれて見えた。
「いずれより在《わ》せられた」
階段の上に突ッ立って、文字通りに眼下に見下ろして、傲然《ごうぜん》たる問いざまであった。
小次郎は名のって、用件に入ろうとすると、それを待たずに問いかける。
「御用は?」
威圧しようと意図しているもののようであった。昔の素朴《そぼく》で、しかも親切さにあふれていた態度とまるで違う。小次郎はまごついたが、ふと思い出して、うしろにひかえた下人をふりかえった。下人は、二人さしにないにして持って来たつり台の蔽《おお》いをはらって、巻絹や砂金包みをのせた三方《さんぽう》を捧《ささ》げて来た。小次郎は受取って、階段にすえた。
「これは国の土産《どさん》であります。御神前におそなえ下さいますよう」
「これはこれは、やがておそなえいたすでありましょう」
僧侶は階段を下りて来て、それを階段の一番上において、またおりて来た。
「ここは端近《はしぢか》であります。先《ま》ず、お上り下さるよう」
鄭重《ていちよう》になっていた。現金すぎるのが、むしろ滑稽《こつけい》であった。
(人も、神も、京というところは……)
上へ上って、一間に通された。話をし、景行の書簡をさし出した。
「さようでございましたか。それはそれは遠路のところを。御祭神の三郎君が遠く坂東に行っておいでのことは、世のうわさで当社も存じておりました。御父子の情として、さもおわすべきことであります。――しかし、ちょっとお待ち下さいまし」
僧侶は奥へ消えたが、ずいぶんたって出て来た。
「失礼いたしました。唯今《ただいま》、御神意をうかがってまいりましたところ、ほかならぬ親子のこと、分霊のこと、許しつかわすとの御神意でありました。されば、そのように取りはからうことにいたしますが、これは当社として中々の大事、そのおつもりでかかっていただかねばなりません」
話はものものしくなった。
小次郎はうやうやしく答えた。
「それは十分に覚悟しております」
どうせ、うんと財物を寄進せよというのであろうと思った。
しかし、それはちがっていた。
「御分霊の儀式がおわりましたら、直ちに御霊代《みたましろ》をお渡ししますが、お受けになったら一刻の猶予《ゆうよ》なく、御出発にならなければなりません。それから、途中でおとどまりになってもいけないことになっています。即《すなわ》ち、夜に日をついで、途中一足も足をとどめず、進んでいただかねばなりません。もっとも、急ぐことはありません。普通の足どりでよろしいのです。もしこれに懈怠《けたい》があれば、せっかくおうつし申した御神霊は御霊代からぬけ出し給《たも》うて帰って来ておしまいになります」
小次郎はおどろいた。なるほどこれは容易ならんことだ。
「途中、あるいは天候の悪くなることもありましょうし、天候に異変はなくても大河がいくつもあって、船渡りせねばならぬのでありますが、そのような場合にはいかがいたせばよいのでありましょうか」
「そういう場合にも、立ちどまってはなりません。天候|悪《あし》くとも冒《おか》して歩きつづけていただきたい。もっとも、歩行にたえぬほど天候が悪かったら、雨宿なさっている場所で内庭なり室内なりをたえず歩いていていただきたい。ともあれ、一瞬も足をとどめぬことが肝心なのであります。渡し船の場合も同様で、船の用意の出来るまで堤の上なり河原の上なりを歩いていただきます」
小次郎はもう何にも言えない。そぞろに畏敬《いけい》の念に打たれていた。人の心を裏くぐりして考えることをしない彼には、儀式がむずかしければむずかしいほど、神威がいやちこに感ぜられるのであった。
僧侶はさらにつづける。
「坂東到着の上は、直ちにしつらえおかれた神殿に安置し奉《たてまつ》って、祭りを執行《しゆぎよう》すること三日、僧をして法を修し、大般若経《だいはんにやきよう》を誦《じゆ》せしむること三日、これで御神霊はそこにしずまり給うのであります。いかが。お出来になれますかな」
大へん厄介《やつかい》なことではあるが、あとへは引けないことだ。
「必ずそのようにいたすでありましょう」
「珍重《ちんちよう》です。では、いつから御分霊の儀式にかかりましょうか。そちら様にも御都合がおわしましょうから、よくお打ち合わせしてから、かかりたいと存じます」
小次郎はしばらく考えた。今聞いた通りであるとすれば、判決申渡しがあってからでなくてはならない。受けつぎ受けつぎ行ったり、川渡りの場所に船の用意をさせたりするために、前もって道中筋の各所に人数を配置しておく必要もあるが、それにもしかるべき日数を考えなければならない。
「そのことにつきましては、いずれ改めてお打ち合わせにまいりたいと存じます。てまえは裁判事のためにまかり上って来ているのでありますが、いつ目鼻がつくやら、目下のところ目あてがつかないのであります」
僧侶はうなずいて、
「よろしい。ではその裁判が片づきましてから、改めて談合いたしましょう」
と、言ったが、すぐ微笑して、
「みことの裁判のことは、拙僧も世のうわさに聞いていましたわい。絶倫の御武勇、ゆかしく存じていましたが、不思議な御縁でお近づきが出来て、うれしいことであります」
はじめの傲然たる様子と打ってかわった態度であった。どうやら、度忘れしていたのか、勘違いしていたのを思い出した様子であった。
酒肴《しゆこう》など出されて、もてなしにあずかって辞去した。
帰るとすぐ、景行に手紙を書いて、翌日、下人に持たせて急行させた。
月がかわって四月七日、判決の言いわたしがあった。
「ほしいままに兵仗《へいじよう》を動かして世の静謐《せいひつ》を乱したこと、罪科まぬかれぬことであるが、朝廷に叛逆《はんぎやく》したのではなく、畢竟《ひつきよう》は私闘である。罪科軽しというべきである。しかるところ、主上御元服の御慶祝によって、天下に大赦を行わせられ、天下の罪人それぞれに罪一等を減ずることになったから、これを宥免《ゆうめん》する」
というのであった。
源ノ護《まもる》と侘田《わびた》ノ真樹《まき》への申し渡しもほぼ同文であったが、いくらか違った点があった。被告と同罪でありながら、これを知らず顔に訴え出たのは、朝廷をあざむいて、罪を被告にのみ着せんと企てたわけで、よろしからんことであるとの一条が加わっていたのだ。
大体のことは、道風や興世王が前|以《もつ》て知らせてくれた通りであったが、これは予測していないことであった。
「やはり、|けじめ《ヽヽヽ》はつけてくれたのだな」
と、うれしかった。
世間でも、この判決を喜んだ。事件のはじめからのいきさつを伝え聞いていた世間は、全面的に小次郎に同情していたので、
「さてこそ、朝廷にも人はあったわ」
と喝采《かつさい》し、益々小次郎の武名が高くなり、至るところで、
「坂東一の武者」
と、評判された。
それはさておき、いそがしいことになった。引上げの支度もしなければならない。小一条院をはじめとして、それぞれの向きに、お礼や暇乞《いとまご》いにもまわらなければならない。火雷天神|勧請《かんじよう》のこともある。毎日、目のまわるような日がつづいた。
勧請の方は、御霊《みたま》うつしに三日かかるというので、他の一切の用事が片づいた翌日からかかってもらうことにし、同時に郎党二人に下人四人をつけて出発させた。この者共は二組にわかれて、それぞれに七八里おきに街道筋に待機し、本社から御霊代《みたましろ》を受けて出発する一組と共に、交代に受けつぎ受けつぎして行くわけであった。
小次郎自身は、御霊うつしの儀式には列するが、御霊代の奉持には加わらない。これは郎党共にまかせて、貴子を護衛して下ることにした。
御霊うつしの儀式は、五月上旬のある日、火雷天神の神殿で行われた。
焚《た》き上げる香煙と護摩の煙が濛々《もうもう》と渦巻《うずま》いている神殿の中で、夜昼二日、五人の僧が誦経《ずきよう》をつづけた。
三日目には、御霊代となるべき鏡をつけた榊《さかき》を神殿に立て、巫女《みこ》がその前に座をしめた。
多治比《たじひ》ノ文子《あやこ》というこの巫女は、この社で最も高い位置にある。菅公の神霊はこの巫女に神憑《かんがか》りして、ここに斎《いつ》き祀《まつ》られたいと託宣したのである。小次郎も前に貴子の供をして来た時、見たことがある。
文子の前には祝《はふり》がかしこまって祝詞《のりと》を奏上し、しきりに玉串《たまぐし》をふった。それがすむと、帷帳《いちよう》の外で奏楽がおこった。琴、笛、鼓《つづみ》、ひちりき等の諧音《かいおん》は、はじめゆるやかに、次第に急調になり、ついには喧騒《けんそう》をきわめるほどとなったが、喧騒のままいつまでもつづいた。
雪白の浄衣《じようえ》に緋《ひ》の袴《はかま》をはき、金鈴を持った左手を肩のあたりにささえ、右手を鼻先に立てて、瞑目端坐《めいもくたんざ》している文子は、もう四十に近いはずだが、昔とほとんどかわらなかった。高い頬骨《ほおぼね》ととがった細い|あご《ヽヽ》をし、青白い顔色をし、いやらしいくらい唇《くちびる》が紅《あか》い。
こおりついたように同じ姿勢を保って端坐していたが、およそ三四十分もたって、チリリ、チリリと鈴が鳴り出したかと思うと、からだ全体がふるえ出し、次第にはげしくなり、ついに例の狂乱状態になった。
今日は歌は出ないが、狂乱はずっとはげしい。時々|怪鳥《けちよう》のような叫びを上げて、立上ったり、おどり上ったり、ふしまろんだりして、狂いに狂い、その合間には御霊代の鏡にむかって駆けよっては引退《ひきさが》り、走りよってはしりごみする。目に見えない綱が前後からかかって引きよせようとし、引きもどそうとして、争っているようであった。
文子の狂乱がはじまると共に、奏楽は一層急調に、一層やかましくなった。あたり一面の空気は震動し鳴りわたって、耳が聾《ろう》し、気がへんになりそうであった。
こうした間、榊にかけられている鏡はキラリキラリとたえず灯影《ほかげ》を照りかえしていた。それは文子の狂乱による震動のためであったが、この異様な空気の中では、鏡自体が神霊を迎え入れようとしてふるえているようにすら感ぜられた。
文子はなおも狂っていたが、一際《ひときわ》高く、
「ヤオー」
と絶叫すると、一はねはねて御霊代に飛びつき、大きく両腕をひろげて抱きついたが、そのまま、からだを棒のように硬直させてたおれた。手足をふるわせ、苦痛にたえないもののようにうめいたが、やがて手足のふるえがやむと、すさまじいいびきをかく昏睡《こんすい》状態に陥《おちい》った。
からだ全体はうつ伏せになっているが、顔は横向きになっている。よく見ると、白い泡《あわ》のまじったよだれが、紅い口許《くちもと》から床にかけてドロドロに流れていた。
祝《はふり》はすばやく近づいて、文子の胸許から御霊代をとり出し、用意の白絹にくるんで、小次郎に渡した。
虹《にじ》立つ野
四月半ば、小次郎が京でお礼廻《れいまい》りにいそがしい頃《ころ》、豊田の館《やかた》で、良子は男の子を生んだ。美しく、丈夫な子供であった。母子ともに肥立《ひだ》ちがよく、五月はじめにはもう床を離れた。
日にそえて、良子は子供が可愛《かわ》ゆくてならない。こんな立派な子供はこれまで見たことがないと、まじめに思っていた。
誰にも抱かしたくなかった。時々、小次郎の母や弟等が抱かせてくれと頼むと、抱かせてはやったが、すぐ着がえをさせなければならないとか、オムツをかえなければならないとか言っては、取りかえした。
「嫂御前《あねごぜ》を見ていると、おれは子を生んだ犬や猫《ねこ》を見る思いがする。やつら、自分の子に触れるものにはすぐ歯をむいて噛《か》みつくじゃろう。飼われている家の者だけには我慢して触れさせているが、それでもからだ中の毛を立てて、噛みつきたいのをせい一ぱいにこらえている。あれにそっくりじゃものな」
と、無遠慮な将頼《まさより》が笑ったほどであった。
その他のことにも、良子は大へん変った。何よりもおとなびて来た。これまではどことなく子供じみたところが抜けなかったのが、出産を境に、言い知れない落ちつきが全体に出て来た。主婦の座にどっかと腰をすえた感じであった。
五月末、火雷天神の御霊代《みたましろ》をたずさえた郎党共がかえって来た。
菅家《かんけ》では途中まで出迎えて受取り、すぐさま広河《ひろかわ》の江《え》のほとりの新しく拓《ひら》いた農地に建立《こんりゆう》しておいた社殿に安置して祭礼を行《おこな》った。雨ばかりつづく、そして農事にいそがしい時ではあったが、附近の村々から参詣《さんけい》する者が多く、ずいぶん盛んな祭礼となった。
郎党等は、菅家に御霊代を渡すと、そのまま別れて豊田の館にかえって、裁判の結果を報告した。
「やれよかったこと。こちらに理のあることではあるが、あの一本気の性質ゆえ、どうなることかと案じた段ではなかったわの」
と、嬉《うれ》し泣きに泣き出す老母をとりかこんで、一同ドッと歓声を上げた。
この噂《うわさ》は、忽《たちま》ちの間に坂東《ばんどう》一円にひろがった。
「豊田の小次郎こそは、武名を畿内《きだい》に振い、面目を京中に施した。まことに稀代《きだい》のほまれ。それに引きかえ、源《みなもと》ノ護《まもる》と侘田《わびた》ノ真樹《まき》は、大赦によって罪せられこそせざったが、実《まこと》ならぬことを訟《うつた》えて|おおやけ《ヽヽヽヽ》を欺《あざむ》かんとしたというて、えらいお叱《しか》りをこうむったそうな。道理でこそ、やつらとうの昔に帰着しているのに、うんだともつぶれたとも音せず、家に|ひっそく《ヽヽヽヽ》しているわ」
と、どこもかしこも大評判であった。
小次郎の働きによって火雷天神の勧請《かんじよう》が出来たことも評判になった。
「火雷天神というは、菅公の御神霊で、今朝廷で最も恐れかしこんでおられるのじゃそうな。菅公の三郎君でおわす景行卿《かげゆききよう》のお頼みによるとはいい条、小次郎が働きで勧請が出来たのだ。御神霊も御子息の許《もと》に祀《まつ》られ給《たも》うてさぞ御満悦であろう故《ゆえ》、きっと小次郎にも冥助《みようじよ》があって、益々《ますます》武勇の名を馳《は》せるであろうよ」
と、いうのであった。
帰着した翌日、郎党の一人が良子に呼ばれた。居間にいるということであったので、庭の方から行った。
「お呼びでございましょうか」
と、沓脱石《くつぬぎいし》のそばにかしこまると、良子が赤んぼを抱いて奥から出て来た。簀子《すのこ》に坐《すわ》って問いかけた。
「昨日はお帰りになる日を聞きませんでしたが、いつ頃《ごろ》お帰りになりますかえ?」
「さあ、いつ頃になりましょうか。御予定では、てまえ共が出発した翌日に京をお立ちになることになっていました故、定めしその日にお立ちになったことと存じます。しかし、てまえ共は夜に日をついで道を急ぎましたが、殿は普通の旅をおつづけになるでありましょうから、早くて七八日あと、しかし、近頃のこの天気でございますから、よほどに遅れて御帰着になるのでございますまいか」
さりげなく答えはしたものの、貴子《たかこ》のことがあるので、郎党はびくびくものであった。
「そんなら、どうしても月を越しますね」
「遅ければ中頃になりましょう」
良子は膝《ひざ》の赤んぼに目をおとした。あやしながら、つぶやくように言った。
「早くお目にかけたいのにねえ」
赤んぼはもう目が見える。笑うことも出来る。小さい唇《くちびる》の間から赤い歯ぐきがみえ、更にその中から丸めた赤い舌を見せて、ウックーン、ウックーンと、赤んぼ特有の話しかけをはじめた。
「おお、可愛いこと、可愛いこと」
良子は舌を鳴らし、あごを上げさげしてあやしはじめたが、ふとまた郎党に言った。
「お道連れの人はないのですね」
これはほんとに何心ない問いであった。郎党の方を見もしないで言ったのだ。
が、郎党はまごついた。
「は、いえ……」
と、あいまいな返事になった。
良子は郎党を見た。
郎党は一層あわてた。少しふるえて、かしこまっていた。
「お連れがあるのですね」
「はい」
「女の方ですね」
「はい」
良子の語調はいたって平静だが、郎党にはかえってこわい。弱り切っていた。
「貴子と仰《お》っしゃる女王《ひめみこ》ですね」
「はい」
急に赤んぼがむずかり出した。足をふんばり、身をそらして泣き出した。
「おお、よし、よし、おなかがお空《す》きの頃ですね。おお、おお……」
良子は胸許《むなもと》をくつろげて、乳房をふくませた。磨《みが》き上げたようにきめがこまかで、真白で、張り切って、薄青い静脈がほのかにすけて見える乳房であった。赤んぼはむさぼるように飲みはじめた。
良子は乳首をふくんでいる赤んぼのやわらかい口許を見とれるように凝視していたが、心は千々に乱れた。
(とうとう,あの人はその人を連れて来る……)
泣きたいようなものが胸にせまった。ほとんど泣き出すところであった。が、とたんに、まだかしこまっている郎党に気がついた。
「もうよろしい。あちらにお行き。御苦労でありました」
むしろ、明るい声で言った。
良子はこのことを誰にも言わなかった。胸に秘めて、ひとりで悩んだ。けれども、数日の後には、あきらめがついた。
(あの人は浮気な人ではない。そうせずにはおられなかった事情があったにちがいないのだ。あたしは嫡妻《むかいめ》だ。そして、この子がある。宮方の女王ではあっても、あたしがこうしているかぎり、その人は桔梗《ききよう》と同じ身分なのだ。何を心配することがあろう。快く迎えてあげよう)
こうなると、夫がどんな顔で、どう言って自分を説得しようとするかと、楽しみでさえあった。
小次郎がかえって来たのは、六月も中旬に入ってからであった。
意外にも、彼は貴子を連れていなかった。
(おや? どうなさったのだろう)
と、良子は思ったが、黙っていた。何しろ、いそがしい日であった。噂を聞いて、早くも祝いに来る人達があり、夜は夜で内輪だけの祝宴も開かねばならなかった。
帰りついた時から、小次郎は赤んぼを抱いてはなさなかった。男の子であったことが、わけて満足であった。
「これがおれの子か。骨組みも太いわ。顔立ちもよい。立派な武者になろうて」
と、言いつづけた。客に応対する間も、祝宴の席でも、たくましい膝の間に抱いて、ひまさえあれば見とれていた。小次郎が帰って来てからつけようというので赤んぼには名前がついていなかったので、彼はしきりにその名前を考え、客にも色々と相談した。
(まあ、まあ、あんなによろこんで……)
良子は泣きたいほど幸福な気持であったが、それでも貴子のことが気にならないわけにはいかなかった。どこへ置いて来たのだろうと思うのであった。
その夜、小次郎はかなり酔っていたが、寝室に入ると、燈台《とうだい》を引きよせて赤んぼの寝姿に見とれて、なかなか床につこうとしなかった。
良子も一緒に見ていたが、とつぜん、
「殿、こちらに向いて下さい」
と、言った。
小次郎は向き直った。
その顔を真直《まつす》ぐに見て、良子は言った。
「殿は女王《ひめみこ》をどこへ置いていらっしゃるのです」
小次郎はぽかんとしていた。だしぬけなので、急には意識に来なかった。
「水臭いことをなさるのですね。なぜ真直ぐにお連れにならないのです」
小次郎はあわてた。
「申訳ない。やむを得なかったのだ」
良子は微笑した。
「それはよくわかっています。良子は殿がそのまじめな御性質で、いろいろとお苦しみになっただろうと思うと、お立ちの時あんなことを申し上げたのが、後悔されてなりません。殿は浮気心でそんなことのお出来になるお方ではありません。いたし方ないなり行きからそうなったのであることは、よくわかっています……」
出来るだけやさしくやわらかな調子で言っていたのだが、どうしたのだろう、急に胸がせまって泣きたくなった。
泣いてはいけないのだ。こんなはずではなかったと、良子は狼狽《ろうばい》した。ことばをとぎらして、懸命にこらえた。
小次郎は黙っている。たくましい肩をすぼめていた。きまり悪げであった。恐縮しきった様子であった。それを見ると、良子は夫がいとしくてならなくなった。可哀《かわい》そうにこんなにしおれて……
微笑した。
「一体、どこへ置いていらしたのですの?」
「羽生《はにゆう》の別当の家に頼んである」
声は低かった。
「経明《つねあき》の殿にですか」
「そうだ」
これはほとんど声にならない。うなずいたので、それとわかった。子供っぽさが良子には一層ほほえましかった。
「お気の毒に、宮方のお生れで、京から一足も外へお出になったことのないお人を、こんな遠国にお連れして、そんな所におおきになるなど、なんという心ないことをなさるのです。殿おひとりを頼りにして参られたのですよ。誰ひとりとして知る人もない家におかれて、さぞお心細くおわすでありましょうに」
「…………」
「明日にもこちらへお連れして下さい。良子は少しもかまいませんから」
小次郎は顔を上げた。
「いいだろうか」
語調は渋かったが、顔にはうれしげな色があった。良子はまた胸の波立つのを覚えたが、おさえて微笑を保った。
「ようございますとも」
あまりにも明るい調子だったので、不安になったらしい。
「申訳ない」
と、またうなだれた。
それがまた良子には可愛いかった。このたくましい、今や坂東一の武者と言われるこの夫が、汗ばんだ赤い顔をして、乳を吸う夢でも見ているのだろうか、時々チュッチュと舌を鳴らしながらそこに寝ている赤んぼと同様な気がするのであった。
「さあ、寝《やす》みましょう。お疲れだったでしょうね」
「うむ」
ごろりと横になった。
良子も夫に添うて床に入った。夫は強い長い腕で、良子のうなじを抱いてくれた。彼女は一層夫に身をよせ、はばひろくかたい胸に密生した胸毛に頬《ほお》をすりよせた。
夫は抱いたままじっとしていた。長い間であった。良子は期待し、徐々にからだが熱して来たが、そのまま夫は動かなかった。そっと目を上げて夫を見上げた時、はっとした。いびきの声が聞こえたのだ。
小次郎は、微《かす》かに口をあけ、疲れ切ったようないびきをかきながら、グッスリと眠っているのであった。
名状しがたい哀《かな》しみが一気に胸を蔽《おお》うた。
(……ああ、この人は長い旅路を女王と一緒にかえって来たのだ……)
声をしのんで、泣いた。
翌日、小次郎は貴子を迎えに行って連れて来た。
良子は愛想よく迎えた。心からというわけに行かない。何としても心にしこりがあった。しかし、それを意識しないようにつとめた。
小次郎は安心したが、母はひとり気をもんでいた。母は小次郎が貴子を連れてかえって来たことをこまったことと思っていたが、今更となってはどうしようもないとあきらめがつくと、方法を考えずにはおられなかったのだ。
ある日、小次郎に言った。
「そなた、あの方をこのまま家におくつもりかや。それはよくないことですぞ」
小次郎はムッとした。どうせよというのだ。おれが悩まなかったとでも思っているのかと思った。しかし、返事はしなかった。
母はつづける。
「そなたは、年が若いゆえ、女の心というものがおわかりでない。ああして若刀自《わかとじ》がけなげにしておじゃる故、そなたはなんでもないことに思うていやるかも知れぬが、女の心というものはそんなものではありませんぞえ。つらいかなしい思いを懸命にこらえて、何事もなげな様子をしておじゃるのです。それをおわかりにならねばいけませんぞえ」
「では、どうせよと仰っしゃるのです」
「別に家居《いえい》を建てて、そこに置きなさるがよい。二六時中その人を目の前においては、女の心はたまるものではありません。あちらの方《かた》もそうですよ。若刀自はあのようによく出来た人ゆえ、|りんき《ヽヽヽ》がましいことはこの上とも決して見せなさらぬことは請合いですが、あちらの人にしてみれば、何といってもあとから来た身であれば、肩身せまく、いつも針のむしろに坐っているような気がおしであろ。このへんの百姓の娘などならまだよい。もともとそうした身分ゆえ、召使いとして若刀自に仕えて不服もないであろが、宮方の姫君とあっては、そういうわけにはまいりますまいでのう」
そんなものかなあと思った。納得の行くふしもあった。
「仰《おお》せの通りにします」
と答えた。
もともと、京を出る時の計画はそうだったのだ。良子がああ言ったので、館へ連れて来ることになったのだ。
工事が早速はじまった。場所は館から七八町離れて、桔梗の住いと反対の方角にある小高い丘にある雑木林の南面をきりひらいて、牛車で何千ばいも砂利を運んで来て地形《じぎよう》し、四方に土居《どい》をめぐらし、それから建築にかかった。
灼《や》けつくように暑いが、快晴の日がつづいて、工事は面白いほどはかどった。小次郎は終日いても飽くことがないような気がしたが、良子の気持をはばかって、日中一度だけ馬を走らせて行って、ほんの一巡だけした。
八月のはじめになると、建前《たてまえ》がすみ屋根が葺《ふ》かれたが、その頃、こんなうわさが伝わって来た。上総《かずさ》の良兼《よしかね》伯父、水守《みもり》の良正《よしまさ》叔父、貞盛《さだもり》等が、またまた軍勢をもよおして攻めよせて来ようと準備中であるというのだ。
これは大へんな抜かりであった。太政官《だいじようかん》の裁判における勝訴に安心しきって、まるでおじ等の報復にたいする用心を忘れていたが、おじ等としては武人の名誉にかけて、負けっぱなしで泣寝入りにおわるはずはないのであった。
さっそく、忍びの者を水守につかわして様子をさぐらせた。
忍びの者は、翌日の早朝かえって来た。たしかに水守では戦さ支度をいそいでいるという。重ね重ねの負け戦さにさすがの良正も一時は意気|銷沈《しようちん》して水守の館《やかた》に|ひっそく《ヽヽヽヽ》していたが、小次郎が処罰どころか、かえって武名を京中に上げて帰って来たと聞くと、にわかに火のついたようにいきり立って、戦さ支度をはじめたのだという。
「近々には前《さき》の上総介《かずさのすけ》の殿も兵を引具してまいられる由《よし》でございます」
もう建築どころではなかった。工事は一時中止された。小次郎は武器、武具、馬匹、糧食の点検にかかった。武器や武具は去年の勝ち戦さの後すぐに整備しておいたので手落ちはなかったが、馬と糧食が十分でなかった。京都における入費のために、目ぼしい馬やかねて貯《たくわ》えておいた穀類まで、あらかた売りはらってしまっていたのだ。
しかし、それでもしかたがない。領内にふれをまわして、兵を集めにかかったが、その兵がまだ集まって来ない間に、早くも良兼が軍勢五百をひきいて水守に到着したとの情報が入った。
「よし来た」
小次郎は館に居合わせた郎党と附近の百姓を大急ぎでかき集めて合して五十人をひきいて、出陣することにした。
吉例によって、将頼をあとにのこした。
「汝《われ》は出来るだけ急いで兵を集めて、後詰《ごづめ》として来てくれい」
「承知した。しかし、大丈夫かな。五十人では少なすぎはせんじゃろうか」
「おじ御《ご》等の手なみのほどは、ようくわかっているでないか。何ほどのことがあろう。これで沢山」
と、小次郎は笑った。
下々の兵に至るまで、同じ思いであった。最初の源家の三兄弟との合戦といい、川曲《かわわ》の合戦といい、野州境での合戦といい、いつも一にぎりにも足らない勢《せい》をもって幾倍、幾十倍の敵を粉砕しているのだ。
「懲《こ》りんものじゃのう」
「九重《ここのえ》の上まで武名を上げられた殿ということは知ってもいようにのう」
「まあ、よいわさ。サッと一あてして来ようて」
満々たる自信を以《もつ》て、まだ暑い初秋の野の道を水守に向った。
戦さ上手の小次郎は、十分の自信を持ちながらも、敵状の偵察《ていさつ》は怠らない。絶えず、斥候《ものみ》をはなって、様子をさぐりつつ進んだ。
斥候の報告では、敵は上総勢、水守勢、貞盛勢、合して八百、一筋道を真直ぐに進んで来つつあるという。
小次郎は養蚕《こかい》川を渡って五六町行ったところで敵に出合いたいと思った。敵に川を渡らせては領内の育ちざかりの稲田が荒されるからだ。
やがて養蚕の渡しについた。今の結城《ゆうき》郡|千代川《ちよかわ》村|大園木《おおそのき》のあたりだ。豊田の館のあった今の向石下《むこういしげ》から一里少しの地点だ。
このへんでは、養蚕川も馬の足の立つほどの浅瀬になっているかわりに、川はばはうんと広くなって、水のある所だけでも二町ほどにもひろがっていた。
堤に馬を乗り上げると、すずしい風がサッと面《おもて》を吹いた。小次郎は行きとどいたすばやい目で、眼下の葦原《あしわら》、それにつづく砂原、その向うの陽《ひ》にきらめく流れを見、さらに流れの向う、そして対岸にひろがる田野を見わたした。どこにも敵の姿は見えなかった。
(こんな手なみで、またしてもおれに戦いを挑《いど》みかけるのか!)
怒りに似たものさえ感ぜられた。
兵士等に命じて、川を渡る支度のために馬の腹帯《はらおび》をしめなおさせつつ、なお対岸を見ていると、とつぜん、兵士等の間に、
「あっ!」
と魂切《たまぎ》る声がおこり、つづいて、
「お旗が、お旗が……」
と口々に叫んだ。
ふりかえると、おどろいた。つい今しがたまで彼のそばに突き立てられて、風にひるがえっていた旗がなくなって、長い旗竿《はたざお》だけが突ッ立っている。
旗は兵士等の上をこえて堤の下に吹きただよいつつ、そこにあった茨藪《いばらやぶ》の上にふわりとかかった。
旗持役の兵士が馬を飛び下りて拾いに走った。
風に吹かれてひるがえっている間に、自然と結びの紐《ひも》がとけたに相違ないが、本来なら解けるはずはないのである。これは小次郎が自ら結んだのだ。いつもの通りずいぶんしっかりと結んだのだ。何とも言えず、不吉な感がしないわけに行かなかった。
兵士等も同じ思いなのだろう。みんな黙りこんだ。初秋の真昼の明るい堤の上で、五十人の騎馬の武者共が一ことも口をきかず、目ばかり光らせて互いの気持をはかり合っている情景は、言いようもないほど陰鬱《いんうつ》なものであった。
戦いを前にして、これは最もいけないことであった。
小次郎は旗竿をぬきとって、大きな声で笑いながら言った。
「ハッハハハハ、ずいぶん、しっかり結んだつもりであったがな。どれ、早くもって来い。結び直そう」
その笑いと、その声とが、おそろしく空虚にひびくのを、小次郎は感じた。兵士等がかえって異様な感じを受けていることもわかった。
しかし、こうなっては強行するよりほかない。さらに笑い、さらに快活げに叫んだ。
「皆しっかりせい。旗の紐がとけたくらいが何じゃ。はずみに過ぎん。はずみというものは、思いもよらんことをするものじゃ。――ほら、こうして結べば同じだ。さあ、出来た!」
とんと突き立てる旗竿の上で、旗は何ごともなかったように、はたはたとひらめいた。
やっと、兵士等の気分も前にかえったようであった。
河原へ下りて、水際《みぎわ》まで行き、まさに流れに乗り入れようとしている時であった。対岸の堤の上にあらわれた一騎があった。両手を上げてさし招きながら、はげしい声で呼ばわった。
「お急ぎ下さい! お急ぎ下さい!……」
斥候に出していた者であった。
「それ! いそげ!」
ザンブとしぶきを上げて、真ッ先かけて馬をおどらせると、五十騎も躊躇《ちゆうちよ》なくつづいた。
一気におし渡って、堤に駆け上ると、こちらと背後とに半々に目をくばりながらいらだたしげに待っていたその兵は言った。
「間もなく敵が寄せて来ます。お急ぎ下さい」
「そんなに迫っているのか」
「意外に速い進みでございます」
すると、もうその時には、遠くの方から人馬のざわめきが聞こえて来た。真白に灼けた道がうねうねと屈曲しながら、五六町向うに鬱蒼《うつそう》としげっている雑木林の中に消えているが、ざわめきはその林の向うあたりから聞こえて来る。
格はずれの布陣に背水の陣というのがあるが、この場合には不適当だ。寡勢《かせい》にすぎる。せめて三町ここを離れたいと思った。
「つづけ!」
一鞭《ひとむち》あてて走り出した。
間に合った。川と林との半ばほどの地点まで駆けつけた時、敵の先頭が林を出て来た。
敵はこちらの勢《せい》を見ておどろいたらしい。しばらく進行をとめてひしめいていた。
その間に、小次郎は味方を三手にわけた。二十騎ずつを郎党にひきいさせて道の左右半町ほどの青田の中に位置させ、自ら十騎をひきいて路上に位置することにした。
「やがて敵が出て来る。おれは進んでその先陣を引っかきまわす。敵がひしめき立って来たら、汝《わい》等はその中陣を目がけて散々に矢を射かけつつ突き進む勢いを示せ。中陣は必ず動揺する。中陣が動揺すれば、先陣は崩れ立つにきまっている。崩れたそいつらは中陣になだれかかるに相違ないから、おれは更に突撃する。その時、汝等も突撃せい。中陣は必ず崩れ立って後陣になだれかかる。戦さはそれまでだ。敵は全軍くずれ走るにきまっているぞ」
と、くわしく戦さ立てを教えた。
満々たる自信を以てする小次郎の説明に、郎党等は勇気百倍した。
「うけたまわる!」
と、元気一ぱいに答えて、それぞれの兵をひきいて、ザワザワと稲田を鳴らしつつ、道の左右へ去った。
一旦《いつたん》の躊躇が去ると、敵はまた林の中から出て来はじめたが、いつもの陣法とひどくちがっていた。
林を出るとすぐ大きく左右に展開して、主力だけが路上を進んで来るのだ。
下野境《しもつけさかい》でのこの前の失敗をくりかえすまいとしていることは明らかであった。
意外であった。小次郎の心は微《かす》かに動揺した。敵がこう来るのであれば、予定していた戦術ではいけない。こちらが先陣を突いて出たら、敵の両翼が左右から引きつつんで来るに相違なかった。
敵がこんな陣形で来るのなら、最もよいのは養蚕川の線まで退《さが》って、川を前にあて、渡河して来る敵の中から目ぼしい武者を狙《ねら》いおとしに射落すことだ。しかし、それはもう間に合わない。ここでうっかり退ったら、こちらの方が渡河半ばを射取られてしまう。
のこされた手としては、五十騎が一団となって遮二無二《しやにむに》敵に突入して、良兼等三人を討ち取ってしまうことだ。危険の多い手だが、わずかでも勝てる見込みのあるのはこれ以外にはない。
しかしそれとて、呼びかえすひまがあるかどうか疑わしい。
敵はすでに二町ほどに迫っている。有無を言わさず攻撃にかかってくれば、一もみにもみつぶされてしまう。
カッと頭が熱し、目が燃えるように熱くなった。しかし、やはりやろう、と決心した。
声をあげて呼ぶことは禁物だ。敵がこちらの意向を悟ったら、即座に掩撃《えんげき》してくるにちがいない。無言のまま、手を上げてさしまねいた。
通じないらしい。右の隊も、左の隊も、けげんにこちらを見ている。しかたはない。兵士を迎えにやった。
その間に、敵は益々《ますます》近づいて来る。幸いなことに、その進行はひどくのろい。重なる敗戦にこちらを恐ろしがっているのか、ほかに理由があるのかわからないが、この際としてはありがたかった。しかし、それにしても、緩慢ながらたえず距離はちぢまりつつある。
(間に合わんかも知れん!)
自分の目がつり上って来るのがわかった。いのちのすりへって行くような思いで、敵と味方の両隊とを見くらべていた。
旗の紐のとけたことが思い出された。不吉な思いが雲のように胸を蔽《おお》うた。
「ばかな!」
あわててふりはらった。
どうやら、間に合った。味方の両隊はかえって来た。
敵は一町ほどの距離まで迫って、そこで停止していた。
「手がかわった。一気に敵の本隊をつく。馬を走らせ矢を射放ちながら迫って、近づくや斬《き》りこむのだ!」
と、説明した。
その時、敵は不思議なことをはじめた。街道にかまえていた先陣が左右にひらいたかと思うと、一台の牛車がきしり出して来て、陣頭にすえられた。同時に、水守の良正が鹿毛《かげ》の馬をおどらせて出て、大音に呼ばわった。
「一門のはずされ者、小次郎|将門《まさかど》、陣頭に出い!」
小次郎は馬を乗り出した。
「小次郎はここにいる。何の用事だ!」
良正はキッとこちらを見すえ、更に大音声を上げた。
「やあ、やあ、小次郎将門、一門の端につらなりながら、慾《よく》にかわいて、氏の上《かみ》たる前《さきの》常陸《ひたち》大掾《だいじよう》を殺害したばかりか、次の氏の上たる前上総介に反抗し、叔父たるおれにもはむかい、一門の規制を紊《みだ》ること、言語道断なり。大悪重畳、ゆるしがたしと、高祖《こうそ》高望王《たかもちおう》、おんみずから誅伐《ちゆうばつ》に向われたぞ!」
これと同時であった。車のすだれが内側から巻き上げられ、車のわきに一|旒《りゆう》の旗が高々と上った。
「平氏《へいし》太祖《たいそ》高望王《たかもちおう》尊霊位《そんれいい》」
と、その旗には書いてあった。
西にまわった午後三時|頃《ごろ》の日は真直ぐに車の中にさし入って、そこにすえられたものを照らし出していた。それは坂東平氏一門の高祖、小次郎にとっては祖父である高望王の木像であった。衣冠束帯した等身大のこの木像は、常陸府中の貞盛の館《やかた》内の祖廟《そびよう》に安置され、一門の崇敬しておかないものであった。以前小次郎も府中の館に行く毎《ごと》に礼拝したのである。
高望王がまだ元気な頃、京下りの仏師に依頼して彫《きざ》ませたもので、生きうつしであるといわれている。高望王も大へん気に入って、自らの髪と手足の爪《つめ》を切って像の胎中におさめ、「まろが魂魄《こんぱく》はここに留まって、長く子孫を守護するであろう」と言ったと伝えられている。
小次郎の生れた時、高望王はもう亡《な》い人になっていたが、これによってそのおもかげを偲《しの》ぶことが出来たのであった。今、その木像は一町の距離にあって、眉目《びもく》の|ありど《ヽヽヽ》もおぼろだが、小次郎には咫尺《しせき》の間《かん》に見るようにはっきりと、印象づけられている。
猛烈に腹が立った。
(卑怯《ひきよう》な!)と、思った。
自分を一門の放たれ者であるといっているが、その放たれ者にしたそもそもの原因はなんだ。みんなそちらのしむけが悪かったからではないか、一門の遺孤を恤《あわ》れむどころか、幼弱につけこんで所領を横領したばかりか、年《とし》甲斐《がい》もなく若い後妻の愛にひかれて他氏に味方して、同族であるこちらを討ち取ろうと執拗《しつよう》な企てをくりかえしているではないか。
(高望王の尊像もし神霊おわさば、おじ御等をこそ憎み給うべきである!)
けれども、とっさの場合、どうしてよいかわからなかった。
これでは、中央突破の作戦は思いもよらない。尊像を擁している中軍に向って矢を放ち、刀仗《とうじよう》を振うことは出来ない。せいぜい、両翼を攻撃するくらいのことしか出来ないが、それが何の効果のないことは明瞭《めいりよう》だ。
歯を噛《か》みならしながら、満身の怒りと口惜《くや》しさにうなるよりほかはなかった。これを見て、良正はカラカラと笑い出した。
「返答どうだ! 返答どうだ!――見よや! 勇名を畿内《きだい》に振い、面目を京中に施したという豊田の小次郎が言葉ふさがって返答出来ぬぞ。笑えや! 笑えや! 皆笑え!」
八百の勢は鞍壺《くらつぼ》をたたいて、同音にドッと笑い、それと同時に、進撃にかかった。木像をのせた牛車を先頭にきしらせ、ゆったりと進んで来る中軍と共に、両翼の勢と、稲田の中を押して来る。
炭火の上にかけられて、全身をジリジリと焼かれるような思いで、われにもあらず小次郎は馬を退らせようとしたが、ふと、兵士等の様子に気づいた。
兵士等は一人のこらず真青になっていた。手綱をつかんだ両手がきびしい緊張にふるえていた。恐怖しきっていることは明らかであった。このままでは瞬間の後には崩れ立つことが明らかだった。
小次郎の胸に、また旗の紐がとけたことが思い出された。全身が火になった思いであった。
「ムーン?」
うなった。すばやく弓に矢をつがえて、真直ぐに木像に向って引きしぼった。
この思い切ったふるまいに、敵も味方もアッと息をのんだ。敵は進行をとめた。飽くまでも明るい初秋の野に、おそろしいほどの寂寞《せきばく》が落ちて来た。その寂寞は強い圧力となって、ひしひしと小次郎に迫った。
良正がまた叫んだ。
「射るか小次郎、見事、悪逆無道のふるまいをなして、御尊像を射るか!」
「射るとも!」
はねかえすように叫んで矢を切って放とうとしたが、放すことが出来なかった。キリキリと弦《ゆんづる》の食い入っている|※[#「弓+蝶のつくり」]《ゆがけ》の拇指《おやゆび》が金縛りになったように動かないのだ。渾身《こんしん》の気力はのたうちもがき、苦しいうなりとなった。
「エイヤア!」
絶叫し、切ってはなしたが、矢はあらぬ方の空高く飛んで行き、同時にフツリと弦が切れた。
ハッとした時、良正はまた叫んだ。
「今こそ見たか、冥罰《みようばつ》てきめん!」
それについて、敵軍はあらんかぎりの声で喊声《かんせい》を上げた。鞍壺をたたきおどり上って叫ぶその声は、百雷のおちかかるかとすさまじかった。
その鬨《とき》の声に吹き飛ばされたようであった。こらえにこらえていた味方の兵共のどこやらに一声恐怖の声が上ったかと思うと、一人のこらず先を争って馬首をめぐらして潰走《かいそう》にかかった。
「きたなし! 者共!」
狼狽《ろうばい》しながらも、小次郎は引きとめようとしたが、ふりかえる者はなかった。狂ったように鞭をくれ、角《かく》を入れ、せまい道路を押し合い、へし合い、まっしぐらに逃げる。
「おのれら! それで豊田の小次郎が兵《つわもの》か」
手近の一人の揚巻《あげまき》をつかんで引きとめると、青い顔をしてふりかえり、
「ごめん! 冥罰のほどおそろしゅうございます!」
と、泣きながら叫ぶと、ふりもぎって、馬の背に身を伏せて走り去る。
また一人を捕えたが、これも同じだ。
「先には御旗、今はまたお弓の弦……あなおそろし……御先祖の冥罰……」
と、きれぎれに言うと、手向いもしかねまじい勢いでふり切って駆け去る。
これに勢いづいて、敵は喊声を上げて追撃にかかった。そのすさまじいひびきに、こちらの恐怖はさらに募った。無我夢中にただ逃げる。
恐怖はついに小次郎にも伝染した。生れてはじめて経験する恐怖であった。彼は自分が際限もなく臆病《おくびよう》になって行くのを感じた。
彼もまた陣中におこった不祥事と、高望王の尊像とを無関係なものと思えなくなっていた。
(なぜ祖父様はおれにお腹立ちなのだろう。おじ御等にこそお怒りはあるべきではないか)
と、強い憤《いきどお》りはあったが、その憤りの底に、
(今日がおれの最後の日なのではないか)
という絶望感があった。
養蚕川を背にして踏みとどまろうと考えたが、踏みとどまれるものではなかった。制止も威嚇《いかく》もきかばこそ、なだれるように流れに飛びこんで逃げる。勢いづいて加速度的に追撃が急になった敵は、早くも追いせまって、堤の上に小手をそろえて散々に射る。見る見る死傷者が出て、渡り切った時には、無事な者は半数しかなかった。
小次郎はここでまた踏みとどまりたいと思ったが、やはり駄目《だめ》であった。愈々《いよいよ》戦意を失った兵等は、あとも見ずに逃げる。実際、踏みとどまってみたところで、無駄であったに相違ない。敵は堤の上一ぱいに陣形をひろげ、一斉《いつせい》に馬を打ち入れて追撃して来る。二十騎や三十騎の兵で禦《ふせ》ぎのつくものではなかった。
歯ぎしりしながら、やっと敵を引きはなして、館から十町ほどのあたりまで退却して来ると、将頼が四五十騎の兵をひきいて駆けつけたのに出合った。地獄で仏に出合った気持であった。兵士等もやっと色を直した。
「よし、ここで一防ぎする。汝《われ》は大急ぎで帰って、館をかためい」
小次郎は、重傷を負うて戦闘にたえない者をつけて将頼をかえし、新手の兵を加えて六十騎をひきいて待った。
力を角《かく》して負けたのではないことが、胸の煮えかえるほどに無念であった。実力を以《もつ》てするなら絶対に負けるべき相手ではないと思うのだ。
(卑怯千万なおじ御等め! おのれらの非を棚《たな》に上げて、あろうことか、祖父様の霊像をかつぎ出して来て、それを楯《たて》にして戦おうとは! 見ていろ、目にもの見せてくれるぞ)
自信は十分にあった。戦う毎に思う存分に叩《たた》き破り、蹂躙《じゆうりん》し、斬りなびけた記憶は生き生きとした感覚のままで、四肢《しし》の隅々《すみずみ》にのこっている。
(戦さの手はじめに、ちょいと敵を混乱させることが出来ればそれで決するのだ。透かさずおれが斬りこんで行けば、敵は崩れ立つのだ)
小次郎は地形を見定めて、道を少しはずれた林の中に射芸のすぐれた兵十五騎をえらんで埋伏《まいふく》させた。味方と敵勢とが矢合わせにかかってしばらくしたら、敵の中軍目がけて、横矢を射かけよと命じた。
すっかり手配りがすんで、今やおそしと待ったが、どうしたことか、敵は全然姿を見せなかった。
忽《たちま》ち一時間ほど経《た》った。日は益々西に傾いて来た。まだ明るいが、どこかそのへんの木立で、鈴を振るような金属的な声で蜩《ひぐらし》が鳴きはじめた。小次郎はようやく不安になった。
斥候を出して見た。
命ぜられた兵は、馬に鞭打って野のはてに消えたが、三四十分の後、大汗になって帰って来た。
館に帰りつくまでには、どの方角からも敵の寄せて来るけはいはなかった。
「間に合った」
小次郎はほっとして、館内を巡視して、守備の手配りを見て歩いたが、間もなく、兵士等の顔がおそろしく暗いことに気づいた。命令されれば手落ちなく働くが、戦いを直前にした際いつも彼等が見せる凜々《りんりん》たる気魄がまるでないのだ。
敗戦のためであることは明らかであった。わずかに二十数騎が死傷したにすぎない軽微な損害だが、はじめての敗戦、しかも神罰的なものとしか考えられないということが、はてしもない恐怖に引きずってやまないと思われるのであった。
何とかして士気を奮い立たせる方法を講ずる必要があるとあせったが、とっさの場合、いい工夫がつかなかった。
さらに不安なことがあった。日はいつか没したが、敵の寄せて来る模様がまるでないことであった。押し寄せるつもりなら、もうとっくに来なければならないはずなのだ。
(なぜだろう?)
色々なことが考えられた。
いつも生ぬるい根性から、こちらの死物狂いの抵抗を恐れてためらっているのかも知れない。
一戦の勝利を手柄《てがら》として引上げたのかも知れない。
あるいは、別に由々《ゆゆ》しい計略をめぐらしているのかも知れない。
いずれとも決することが出来なかった。
そこで、斥候を出すことにして、命じていると、将頼が飛んで来て、はるかに南方の羽生《はにゆう》のあたりにおびただしい火の手が上っていると知らせて来た。
羽生には伊勢神宮の御厨《みくりや》があるが、その別当多治《べつとうたじ》ノ経明《つねあき》は、小次郎に好意を寄せ、今や家人《けにん》の礼をとって無二の味方となっている。敵がこちらの手足を断つためにここを襲うのは、最もあり得ることであった。
養蚕川を渡って少し来た所で敵は二手にわかれて南北に向ったというから、羽生を襲ったのは南に向った隊にちがいない。とすれば、北に向った隊は栗栖《くるす》の院を襲うに違いない。栗栖の院は小次郎の所領の中でも特別豊かな庄《しよう》で、耕地が広くもあれば、地味もまた膏腴《こうゆ》で、領民も多いのだ。
早くも館中が気づいたと見えて、至る所にさわぎがおこった。急がしく駆けまわる足音がおこり、あわただしく叫ぶ声がおこった。
小次郎は乱れる心をおししずめて、沈着な声で、
「いそぎ|ふれ《ヽヽ》をまわし、騒ぎ立たせるな。おれにはよくわかっていたことだ。見ておれ。次は栗栖の院だ。敵はこちらの手足を断って、しかる後にここへ寄せて来るつもりに違いない。かたがた油断は禁物だ。持場持場をよく守って、おししずまっていよと言え」
と、将頼に言って、床几《しようぎ》を立った。
館の南側の土居にそった、展望のよくきく場所に行ってみた。覚悟したことながら、一目見ると棒立ちになった。
日はとうに没していたが、空にはまだ残照があり、地上にはわずかに暮色がひろがりかけていた。羽生はここから二里少しの地点だが、途中には林や森こそあれ、高い山や丘はない。それらの林や森の向うに、明日の快晴を約束する残照のある夕空を背景にして、おびただしい黒煙が濛々《もうもう》と立ちのぼり、それに炎の色が映えてすさまじい景色であった。
羽生の御厨も豊かで戸数の多い部落だが、これでは一宇のこらず焼きはらわれつつあるに相違なかった。悲惨な情景が想像された。こんな場合には、単に焼きはらわれるだけではない。財物は掠奪《りやくだつ》され、婦女子は暴行され、男等は惨殺《ざんさつ》されたり連れ去られて奴隷《どれい》にされるのが普通なのだ。
「卑怯な奴《やつ》ばらめ! 当の敵たるここへは来ずに、経明を攻めるとは!」
経明は攻め殺されたかも知れないと思った。
間もなく、栗栖の院の方にも煙が上った。栗栖の院は北方一里半ばかりの地点にある。すっかり暗くなった空をこがして、炎々と燃える火は、おそろしく広範囲にわたっていた。ここでも暴虐《ぼうぎやく》のかぎりをつくして、一宇ものこさじと焼き立てているに相違なかった。
こうした敵の暴悪を見て、普通ならば歯ぎしりして敵愾心《てきがいしん》をおこさなければならないはずの兵士等が、まるで意気があがらない。茫然《ぼうぜん》たる驚きの表情と恐怖の色を浮かべて、火の手を凝視しているだけであった。
将頼がやって来た。人気のない所に小次郎を連れて行ってささやいた。
「兄者、どうじゃろう。皆があまり元気がなくなっている。一戦さして勝ってみせんと、どうにもならんぞよ」
その必要は小次郎も認めていたが、決断がつかなかった。
「敵は勝ち戦さに心|驕《おご》っているに相違ないぞ。栗栖になり、羽生になり、夜討ちをかけて見ようでないか」
これもよくわかっている。
(やってみようか)
と、思った。しかし、やはり決心がつかなかった。ひょっとして、こちらをおびき出すために、殊更《ことさら》に焼き立てているのかも知れないと思うのであった。
「兄者自らが臆しているのではないか」
ついに、将頼はかんしゃくをおこした。
「そんなことはない!」
小次郎はムッとして言いはなった。臆しているとは思わなかったが、用心深くなっていることは事実であった。
「今少し味方に勢《せい》があればそれでもよかろうが、この勢ではバクチがすぎる。夜討ちをかけて、万一しくじったら、取りかえしのつかんことになる。あせってはいかん。明日か明後日には、諸方の勢も馳《は》せ集まる。万事はそれからのことだ。今のところは、守りを固くしているべきだ。油断なく守りを固めさせてくれい」
言いすてて、母屋《おもや》に入った。
明るく灯《ひ》をともし連ねたひろい厨《くりや》では、焚《た》き出しがはじまって、ごったがえして婢《おんな》共が立働いていた。男共が意気|銷沈《しようちん》して|しけ《ヽヽ》きっていると反対に、婢共は元気一ぱいであった。にぎやかな笑いや、はしゃぎきった叫びや、陽気な唄声《うたごえ》がたえず湧《わ》きおこりはねかえって、活気があふれていた。
それは指揮者である良子の態度から出て来るものであった。髪を布でつつみ、袖《そで》もたけも短い着物を着て、婢共と同じいでたちをした良子は、婢共の間を歩きまわって、さしずしたり、手をかしてやったりしながら、時々陽気なざれごとを言ったり、高笑いしたり、唄の音頭を取ったりして、婢共を元気づけていた。子供にかまけきって、一切家事をかまわなくなっているいつもの姿とまるでちがう。昔にかえったように溌剌《はつらつ》とした生気にあふれていた。
小次郎を見かけると、飛んで来た。
「いかがでございますの。こちらから逆寄せなさいますか、それとも寄せて来るのをお待ちでございますの」
「こちらからは行かん」
「では敵が寄せて来ますの」
「わからん。だが、たぶん寄せては来るまい。もちろん、油断は禁物だが」
「それでは、合戦は明日でございますか」
「わからん。こちらに勢が集まってからのことだ。――豊太丸《とよたまる》はどこにいる」
子供は豊太丸と名づけられている。豊田の太郎の意味だ。
「おばあ様におあずけしてございます」
良子の態度も声も終始生き生きとして張り切っている。顔など血色がよくなって少女時代さながらになっている。
(不思議な女だ。かわったことがあれば元気がよくなる)
脂燭《しそく》をもらって、おぼろな光で足許《あしもと》を照らして暗い屋内に入って行きながら、小次郎は考える。ほほえましかった。
老母は豊太丸の寝ているわきに坐《すわ》っていた。うちわを片手に、蚊やりの煙をおくったり、風をおくったりしていた。何か物思わしげな暗い表情であった。
小次郎は、鎧《よろい》の音を立てないように注意して、子供の横に坐って、じっと寝姿を凝視した。汗ばんだ赤い頬《ほお》をし、よくふとった小っちゃい手足を投げ出して、ぐっすりと熟睡していた。何とも言えずしみじみとした愛情が胸にたかまって来た。
「ほ、よく寝ている」
つぶやいて、なお見つめていると、老母が低い声で話しかけた。
「あちらは、御|廟所《びようしよ》の御尊像を陣頭にすえて押し出してまいられたそうですの」
小次郎は母の方を見ない。子供に目を向けたままこたえた。
「そうです」
老母はためいきをついた。
「おそろしいことのう。――これから、どうおしやるつもりですかや」
いらだたしいものが胸にこみ上げて来た。そのくせ、貴子に対する慾情《よくじよう》がムラムラとおこって来た。
「わからん。ただ、負けてはならんとだけ思っているだけ」
と、答えて、立上った。
つい今良子のけなげさに感動したばかりか、子供の寝姿に涙ぐむほどの愛情を覚えたくせに、その直後、いやその最中《さなか》に貴子に対してはげしい慾情を感ずる自分が、小次郎は不思議でもあれば、厭《いと》わしくもあった。しかし、どうしようもなかった。抵抗しがたい力がグイグイとつき動かして、対《たい》の屋《や》へ向わせる。
対の屋は暗かった。館《やかた》中の至る所にかがり火が焚かれ、屋内にも各へやにいくつもともし灯がついて、どこもかしこも明り渡っているのに、貴子の住いになっている西の対の屋だけは、かぼそい灯が二つ見えるだけであったが、そのくせしきりに人の動きまわるけはいがしていた。
小次郎は貴子の居間になっているへやの外の簀子《すのこ》にしばらく立っていた後、声をかけた。
「小次郎であります。入ってよろしいか」
急にはへんじがなかった。かすかな、しかしあわただしい足音が隣室に消えて、遣戸《やりど》がしまる音がして、それから足音が近づき、戸が開いた。
貴子であった。灯影《ほかげ》を背にしているので、表情はよくわからなかった。
「思いもかけないことになったので、驚かれたろう」
と言いながらへやに入ると、貴子は胸にすがりついて来た。
「どうなるのでございます。わたくし、おそろしいのでございます。敵が寄せて来るのでございましょう」
おろおろとふるえる声であった。
小次郎は笑って見せた。
「敵は寄せては来ません。お聞きかどうか知らぬが、敵は武人にあるまじき卑怯《ひきよう》な手を使ってほんのわずかの利運を得たにすぎないのです。豊田の小次郎が手なみのほどは、やつばらよく知っています。膝許《ひざもと》まで押し寄せて虎《とら》の|ひげ《ヽヽ》をなぶるようなことをするはずはありません。だからこそ、勝ちに乗ることもせず、弱い犬のように、遠い所で吠《ほ》え立てているのです」
「ほんとに寄せては来ないでしょうか」
小次郎はまた笑った。
「よしや寄せて来ても、一当てに蹴散《けち》らす方寸はこの胸にあります。少しも心配はいらぬこと。わたしは寄せて来てほしいと思っているのです。木ッ葉|微塵《みじん》に剛敵を叩き破り蹴散らす武勇のほどを、まのあたりあなたに見ていただきたいのですがな。ハッハハハハ」
愛する女性の前での男性のこうしたことばは、雌鶏《めんどり》の前で胸を張ってつくる雄鶏《おんどり》の|とき《ヽヽ》と本質においてはかわるものはないが、この際、小次郎はほんとにそう思っていた。十分の自信と、凜然《りんぜん》たる勇気を以て言ったのだ。
「まあ、うれしい!」
貴子は心から安心し、それは自然の媚《こ》びになって一層深く胸にすり寄った。じっとりと見上げて、ささやくような声で言う。
「……抱いて……」
「よし! こうか?」
長いからだをかがめ、長い両腕《もろうで》で軽々と抱き上げ、抱き上げたまま、ノシノシと室内に歩き入った。
鎧の堅さが貴子は痛かった。しかし、痛いとは言わなかった。
「あれ!」
と、微《かす》かに嬌声《きようせい》を上げ、両手を小次郎の首筋にからんだ。
重からず、軽からず、しっとりと腕にかかるやわらかなからだと、首筋にからむしなやかな腕と、頬にふれるなめらかでつめたい髪とが、何とも言えない幸福な感じに小次郎を押しやった。
その上、貴子の胸許から一歩一歩に香《かぐ》わしい匂《にお》いが揺れ上って来て、むせかえるばかりだ。小次郎の全身は火のように熱くなった。
へやの隅に、几帳《きちよう》がある。小次郎は大股《おおまた》にそこへ進んだが、その時、となりのへやとの間に立っている遣戸の向うでコトリと音がした。どうやらそこで立ち聞きしているらしいけはいが感ぜられた。
とたんに、小次郎は思い出した。さっきこの部屋に入る前に、あわただしく隣のへやに消えた足音のあったことを。
「裏切り」というほどのはっきりしたものはなかったが、たしかめずにはおられなかった。貴子を几帳の前において、遣戸に歩み寄るや、引きあけた。
とぼしい燈火《とうか》がおぼろな光をひろげているそのへやの真中に、茫然とした面持で乳母が立ちすくんでいた。
「あなたでしたか」
小次郎は安心した。話には聞いていても身近には経験したことのない合戦がつい一里少しの土地で行われたばかりか、頼り切った小次郎が敗れて、今にも敵が寄せてくるというのだ、不安で立ち聞きせずにはいられなかったのであろうと思った。先刻小次郎の来たのを知って逃げたのも、姫君と共に不安のほどを話し合っていたからであろうと想像された。
「まあ、殿!」
乳母の青白くしわ深い顔に、おずおずとした微笑が上った。
「安心されるがよい。お乳母どのも、わしが姫君に語るのをお聞きであったであろう。豊田の小次郎は決して負けはせぬ。信じて、ついの勝利を待っておられるがよい」
「それはもう。どうして殿の御武勇を疑いましょう」
明るい声で乳母は言ったが、なぜかその態度におちつきがない。小次郎は別段疑いはしなかったが、何気なく見まわした目に、ともし灯の光のよく届かないへやの端に、小さい革籠《かわご》が二つ、布包みが一つあって、そのまわり一帯に衣類がとり散らしてあるのが映った。
冷水をいきなり頭から浴びせられた感じであった。
つかつかと進みよった。たしかにそれは大急ぎで衣類を選びぬいて荷造りしかけて中止したことを物語っていた。
(ああ、この女共は、自分等だけの安全をもとめて、この館を脱出するつもりでいたのだ)
燃えるような目で、小次郎は乳母を見、さらに隣室の貴子を見た。貴子も乳母もうなだれていた。罪ある人の観念しきった姿であった。
小次郎はどなり出したかった。今にもどなり出すところであった。
とつぜん、乳母が立上って来た。
「わたくしが悪いのでございます。わたくしがひとりでしたことでございます。わたくしはこの遠い東路のはてで、姫君が血なまぐさい合戦の中でむごたらしい最期《さいご》をとげられるのがたまらなかったのでございます。姫君には罪はございません。姫君は飽くまでも殿と運命を共にすると仰《おお》せられたのでございます。罪はわたくし一人にございます。わたくしをお責め下さい」
小次郎の前に立って、懸命にまくし立てた。
そうに違いないとは思った。しかし、ここを逃れてどこに行くつもりであったかと思うと、肝が煮えた。貞盛の許《もと》のほかに行く先があろうはずはないのだ。
はっきりとそう言って責めることは、誇りが許さなかった。しかし、何か言わずにはおられない。何と言ってくれようとあせった。
とつぜん、遠いところにあわただしげに呼ぶ声があった。
「殿、殿、殿、いずれにおわす」
呼ばわりながら、次第に庭を近づいて来る。
小次郎は蔀《しとみ》を上げた。
「ここにいる。しばらく待っておれ」
と、外に呼ばわっておいて、また二人に対した。
この時の小次郎の胸には、貴子や乳母をもこめて、京の貴族――額に汗して働くことを知らず、他人の労働の上に安坐《あんざ》して先祖代々生きて来たものに対する不信感が渦《うず》を巻いていた。
この者共には信義もへちまもない。利のある所、夏の虫が灯に引かれて遮二無二《しやにむに》飛んで行かずにおられないように引きつけられる。そこには、恥もなければ、誇りもない。死を恐れることも論外だ。生きるためにはどんな恥さらしなこともする。貴子は物心ついた時は、もう生活の苦しさを知っていたはずだが、それでも京|上臈《じようろう》のこうした生活態度だけは身にしみついているのだ。貴子のこれまでの生涯《しようがい》の波瀾《はらん》の一切はそこから出ている。おれを裏切って太郎になびいたのも。遊女になったのも。今またおれの急を見て太郎のところへ走ろうとするのも。
小次郎は、この胸の中の一切合財を叩きつけてやりたかったが、ただ、
「よい時ばかりの仲ではござるまい。ここを去っていずれへ行かれるつもりであったのだ。頼もしげないお心と思わずにおられませんぞ」
とだけ言って、簀子に出た。
庭に待っていた郎党が小走りに走って来て、ひざまずいた。
「羽生の御厨の別当がいらせられました」
「おお、来たか。どこへ通した?」
「母屋の対面の間で、若刀自《わかとじ》が応対しておられます」
「よし、すぐ行く」
簀子伝いに母屋に行きながら、こうなってもなお貴子に対する執着が益々《ますます》強くなっていることを感じた。いまいましかったが、どうしようもなかった。
この日、多治ノ経明は小次郎からの催促に応じて出陣すべく、手勢の集まるのを待っている所に、思いもよらず敵の大軍が寄せて来たのであった。
とりあえず、集まっていた二十騎の兵をひきいて部落のはずれに出て防戦につとめたが、圧倒的に優勢な敵である上に、勝ちほこっている。一たまりもなく追いまくられた。いのちからがら館に逃げかえった。妻子をつれて脱出するのがやっとのことであった。当座の着がえすらたずさえることが出来なかったのだから、財宝などもちろん持ち出せなかった。
経明の最初の目的は豊田であったが、敵もそれを警戒して途中に手配りがしてあって、真直ぐに来ることが出来なかった。そこで、途《みち》をかえて広河《ひろかわ》の江《え》の方に向い、菅原景行《すがわらかげゆき》に妻子をたくした後、こちらに来たのであった。羽生を出る時には八騎ひきいていた従者が、わずかに二騎に討ちなされていた。
しかも、その二騎も、経明も、無事ではなかった。鎧はボロボロにちぎれ、深傷《ふかで》ではないが、全身に矢傷や刀傷や火傷《やけど》を負うていた。まるで気力を失っていた。
この敗残の武者を、良子はまめまめしく迎えた。
「まあ、まあ、大へんでございました。主人もずっとお案じ申していました」
大急ぎで対面の間に迎え入れて、甲冑《かつちゆう》をぬがせて傷の手当をする一方、酒肴《しゆこう》の用意を命じた。
経明等がやっといくらか気力を回復した時、小次郎が姿をあらわした。
女共に傷の手当をしてもらいながら、見上げる経明の目と、小次郎の目とが、キッと合った。
「や!」
小次郎は短く叫んで、大股に入って来た。
「無念であったろうな」
といいながら、経明の前に座った。
「油断でありました。まさか、やつらが御厨を襲って濫妨《らんぼう》しようとは、思いませなんだ」
経明は微笑しながら言ったが、目には涙が光っていた。
小次郎も胸が熱くなり、涙ぐんだ。
「今日の戦さに、おれがどうして負けたか、そなたはもう聞いたろうな。奴《やつ》らがあれほどまで卑怯であると知らなんだのが、おれの不覚であった。そのために、そなたらをも、この悲運におとしいれてしまった。しかし、見ているがよい。きっとこのしかえしはするぞ。それも、明日だ。豊田の小次郎が一世一代の働きをして、奴らを木ッ葉みじんにしてやる。所領も、財宝も、幾層倍にして取りかえしてやるぞ。それを楽しみにして、元気を出してくれい」
気負って、小次郎は言った。おのれに随従する者共の生命財産を保護し、これを犯す者に対しては徹底的に復讐《ふくしゆう》してやること、これは、豪族といわれるほどの武者のせねばならぬ道であった。
「頼みます。そううかがって、勇気百倍です。拙者も明日は力一ぱいの働きをしてお目にかけます」
と、経明は答えた。
間もなく傷の手当もすんだ。酒も来た。二人は酒をくみながら、明日の戦略を相談し合った。
多治ノ経明の来た頃《ころ》から、領内の郎党や百姓共で馳せ集まる者がつづいて、夜半頃には百人にもおよんだ。手持ちの武器で完全に武装している者もあるが、弓矢だけしか、あるいは打物《うちもの》(刀や鉾《ほこ》)しかたずさえない者もある。不完全な武装の者には、武器庫にそなえつけたものから支給した。
「夜の明ける頃までには二百人は集まろう。前からの分を加えれば二百七八十人はある。立派に恥を雪《すす》げる」
と、小次郎は十分な自信を以て言い放った。
その頃から雨が降り出して、忽《たちま》ち沛然《はいぜん》たる豪雨となった。雷鳴し、電光し、篠《しの》つく雨は天地をくつがえす凄《すさ》まじさであった。そのために、空をこがして燃えつづけていた火は、羽生も、栗栖も、瞬間におさまったが、兵共の着到はほとんどなくなった。
雨はずっと降りつづいて、夜明け前になってやんだが、兵共の着到は少しもふえなかった。わずかに三人ほどが濡《ぬ》れ鼠《ねずみ》になって着到しただけであった。
「どうしたのかな。こんなはずはないに」
と、将頼は不安がった。こんな調子で朝を迎えて敵と決戦しなければならないとすれば、ほとんど勝目はないのである。
小次郎も同じ思いであった。この着到が悪いところを見ると、敵が警戒線を張って邪魔しているか、こちらの景気の悪いのを聞いて出足をひかえているか、どちらかに相違ないと思われた。
こうした際、とるべき途は一つしかない。勝って見せることだ。否《いや》が応《おう》でも。大事をとって居すくんでいては、形勢を観望している者はもちろん、館に集まった者も勇気|沮喪《そそう》して、戦意が低下するばかりだ。
「三郎」
と、将頼に呼びかけた。
「おお」
「百七十はいるな」
「兵か」
「うむ」
「どうするのだ」
「館に七十人のこして、百人だけ連れて、朝駆けしたい」
「朝駆けのう? どちらに行くつもりだ?」
「栗栖はこちらの所領だ。経明の心行かせのために羽生の方にしたい。思うに、羽生にいる敵勢は四百、多くとも五百はこえるまい。しかも、昨日の勝ち戦さと、大雨とで、油断しきっているに相違ない。百人あればやれる」
「そりゃ、やれもしようが……」
将頼は気が進まない風であった。
「勝って見せねば、身動き出来んことになるのだ」
自ら兵を集めて、出動を言いわたした。この出動に、経明は、
「この御芳心を忘れるものなら、拙者は人間ではござらぬ」
と、泣いてよろこんだ。
急がなければならなかった。明けはなれてしまっては衆寡《しゆうか》の勢いがものを言う。百騎の兵は馬の舌根《したね》を結《ゆ》って|いななき《ヽヽヽヽ》をとめ、|みずき《ヽヽヽ》を紙で巻いて|くつわ《ヽヽヽ》の音をしずめ、馬足を速めて羽生に向ったが、十町ほども行くと霧がこめて来た。はじめは薄絹ほどの薄いものであったが、忽ちの間に濃くなって、ついには漠々《ばくばく》と天地をこめ、三四尺も離れるともうものの形も見えないほどとなった。
このあたりには川や湖沼が多い。霧はその川や湖沼から湧《わ》きおこるばかりでなく、半夜の豪雨に濡れひたった至る所の地面や樹木や叢《くさむら》からも立ちのぼって、いやが上にも濃くなる。
小次郎はたえず斥候《ものみ》をはなって行く手をたしかめつつ進んだが、羽生の手前半里ばかりの地点に達すると、特に大《おお》斥候《ものみ》を出すことにした。
「拙者がうけたまわりましょう」
と、経明が買って出た。
「おぬしが行ってくれれば、この上のことはない」
経明は十五人の兵を引きつれて、霧の中に消えた。
小次郎は四方に哨兵《しようへい》を立てた後、馬をいたわらせるために兵士等に下馬を命じた。しかし、くつろぐことは禁じた。馬に引きそって、いつでも騎乗出来る姿勢を保たせた。
兵士等は一人として口をきく者はない。馬だけが時々|鼻嵐《はなあらし》を吹いたり、蹄《ひづめ》をあげて濡れた土を掻《か》いたりした。小次郎も押し黙ったまま、目の前の霧を見ていた。一色《ひといろ》に塗りつぶされているような霧も、子細に見れば、濃淡があり、流れがあった。真綿を引きのばしたような形で、如何《いか》にも軽快に流れて来るかと思うと、渦巻《うずま》いたり、ものにからんだり、ひろがったり、ほぐれたり、絶えず動き、絶えず変化し、人々のからだにふれると、つめたく頬《ほお》をぬらし、甲冑についてしずくとなってしたたった。
かなりな時間が経った。
とつぜん、ごく間近なところで鋭い羽の音がし、鷺《さぎ》の啼《な》く声がした。たった一声であったが、兵等は一斉《いつせい》に身をふるわせた。すると、どこか遠いところで鶏の啼く声がし、つづいてまたちがった方向でそれにこたえるように啼く声があった。
ようやく、小次郎はあせって来た。夜が明けるかも知れないと思った。
すると、ほとんど同時であった。ぬかるみを踏む足音が近づいて来た。小次郎は弓に矢をつがえ、霧の中を見つめて叫んだ。
「御厨《みくりや》のか!」
「そうです」
薄墨色の影が霧の中ににじんで次第に濃くなって、騎馬武者等が近づいて来た。
経明は馬を下りて、小次郎の前に立ったが、意外な報告をした。
「敵は居ません」
「なに? 居ない?」
「雨の来る前に立去った由《よし》であります」
青田の中にかくれていてやっと敵の殺戮《さつりく》をまぬかれた百姓を見つけて聞いて来た、そのためにこんなに遅くなったのだと説明した。
「……そうか」
振り上げた手のやり場のない口惜しさであった。しかし敵ながらあっぱれな用兵ではあった。
とにかく、馬を進めた。羽生につく頃、夜が白み、霧も薄れて来た。
部落も、経明の館《やかた》も、惨憺《さんたん》たる有様であった。家という家は全部焼かれていた。半焼にとどまったものもあったが、豪雨は半ばのこった屋根を地に叩《たた》きつけ、黒い炭になった柱だけがニョキニョキと立っていた。全焼した家よりもっとみじめであった。
やがて太陽が出、霧はなごりなく晴れた。ふと見ると、遠く西の野の空に虹《にじ》がかかっていた。中空にとどくほど大きく美しいその虹と、このみじめな戦火のあととを同時に見て、人々はとうていそれが現実と思えないような気がした。
負けぐせ
栗栖《くるす》の院の方も、敵は夜のうちに引上げていた。
今はもう改めての機会に雪辱するよりほかはなかった。
小次郎は準備にかかった。
将頼《まさより》や、経明《つねあき》や、文屋《ふんや》ノ好立《よしたつ》や、重立った郎党等は、気長にかまえて十分な準備をととのえてからでよいという意見だったが、小次郎は、
「おれはそう思わぬ。この敗戦によって、おれの評判はガタ落ちになったに相違ない。そして、それは日が経てば経つほど世間に広がり、人の心に深くしみこんで行く。ゆっくりなどしていては、向うに味方する者ばかりが多くなり、こちらに与力する者は少なくなるばかりだ。早くなければいかん。早ければ早いほどよい。多少支度|不揃《ふぞろ》いでもだ」
と、主張した。
憑《つ》かれたような熱心さであった。毎日、領内をまわって、兵の徴募をし、近隣の豪族を訪問した。味方をさせるためではなかった。中立を守って敵に加担してくれるなと説くためであった。
おりもおり、仲秋というのに、灼《や》けつくような暑熱の日がつづいたが、一日も休まず、早朝から真暗になるまで働きつづけた。外へ出ている間は休息も全然とらなかった。追われている人のような働きぶりであった。供に立った郎党や下人等が病気となったほどであった。
いつもは下々の気持がよくわかって、人使いの上手な小次郎だが、
「いくじのない奴《やつ》らめ! それで坂東の武者といえるか!」
と、はげしく叱咤《しつた》するだけで、決して働きをゆるめようとはしなかった。
小次郎だって、疲れないわけではなかった。ある日、下野《しもつけ》境の結城《ゆうき》に行く途中であった。真昼時、毛野《けぬ》川沿いの葦原《あしわら》を通った。夏を越して、一面の葦は馬上の人の頭も出ないほどのび、すき間もないほど密生していた。そこに馬を打ち入れた時、小次郎はムッとするほどの|いきれ《ヽヽヽ》(蒸熱)を感じて、全身湯を浴びたように汗になった。|いきれ《ヽヽヽ》は進むにつれてひどくなり、ついには気持が悪くなった。目がくらみ、嘔気《はきけ》がして来た。
この葦原の広さを、小次郎はよく知っているのだが、今日はどこまで行ってもはてしがないような気がして来た。そこで、馬上にのび上って行く手を見た。すると、その時、葦の上をわたって吹いて来た一陣の風があって、正面から顔を吹いた。熱風であり、|いきれ《ヽヽヽ》であり、生臭い風であった。
小次郎は目の前が暗くなった。
(しまった! 落馬する!)
うつ伏せになり、鞍壺《くらつぼ》にしがみついたが、そのまま気が遠くなった。
この日供に立ったのは、郎党一人、下人二人であった。彼等もまたこの葦原の|いきれ《ヽヽヽ》に半ば虚脱して、あえぎあえぎついて来つつあったが、仰天した。
「や! 殿!」
と、叫ぶや、郎党は馬から飛び下りた。下人等は走りよって、鞍壺からずり落ちようとする小次郎をささえた。下人等が小次郎を抱き下ろそうとするので、郎党も手を貸したが、このひどい温気《うんき》の中ではかえって悪いと思った。
「待て、おろし申すな。一時も早くここを出よう」
馬に飛びのってのび上り、前後の距離をはかりくらべた。いくらか前の方が近いように見えた。
「進め! ついて来い!」
自ら先に立って、馬足を速めた。
下人等は馬上にうつ伏せになっている小次郎を左右からささえてあとにつづいた。
葦原をぬけ出すと、磧《かわら》になった。一面の小石原が日に灼けて、そこも暑かったが、葦原の中にくらべれば極楽のようなさわやかさであった。
郎党は下人共をさしずして、小次郎を馬からおろした。腹巻をぬがせ、狩衣の胸をゆるめてやると、大きな呼吸《いき》をして、すぐ気がついた。
「水をくれい」
青ざめたひたいや、毛深い胸をびっしょりとぬらしている汗が真昼の日にきらきらと光って、いかにも苦しげに見えた。水が来ると、のどを鳴らしてうまそうにのんだ。いくらか気力を回復したらしい。
「汗を拭《ふ》いてくれい」
眼《め》をつぶったまま、下人等に汗を拭かせた。
次第に気分がよくなり、顔にも血色がさして来た。
「急に気分が悪くなった。何に朝起きた時から、妙に気力がなかったのだ。何しろ話にならぬ暑さだった。湯室《ゆむろ》の中にいるようであったな」
拭いてもらいながら話していたが、やがて、
「よいしょ!」
とかけ声をかけて起き上った。そして、着物の胸を合わせ、腹巻を着て、馬に近づこうとしたが、二足三足歩くと足許《あしもと》のもつれるのを感じた。膝頭《ひざがしら》がガクついて、妙に足に力がこもらないのだ。
気絶して馬上にある間無理な姿勢でいたためだと思った。力足を踏んで見た。何か不自由な感じではあったが、どうやらなおって、馬に乗った。
ともかく、目的地について、用をおえた。途《みち》をかえて、日没頃帰りついた。気分は別段変らなかったが、迎えた良子はおどろいた顔をして、
「どうなさったのでございます。大へんお顔の様子がふだんと変って見えます」
と、言った。
心配させてもしかたのないことだと思ったから、昼間のことは話さなかった。
「そうかな。気力は何ともないが、働きすぎて少し疲れているのかも知れない」
とだけ言った。
ところが、その夜中、小次郎はおそろしい胸苦しさを覚えて目をさました。ひどい熱が出ていた。焼けるように全身が熱し、悪寒《おかん》がし、頭がわれるように痛んだ。
小次郎は終夜苦しんだ。肉体の苦しみもだが、精神の苦しみはもっとひどかった。
「おりもおり、なんという運の悪さだ。これが長わずらいになるようだと、おれはどうなるのだ……」
高望王の尊像に向って弓をひいたことが思い出される。考えたくはないが、その罰があたったのではないかと思わないわけに行かない。
それが腹が立つ。
「なぜわたくしがおんにくしみを受けねばならないのです。おじ御《ご》達こそ、お怒りに触るべきではありませんか。祖父君は見当ちがいをしておられるのです」
高熱のためにともすれば混濁し、ちぎれちぎれになる意識の底で、執拗《しつよう》に小次郎は抗議しつづけた。
いい工合《ぐあい》に、夜の明ける頃から熱が下り、気持がさわやかになった。しかし、すっかりよいというわけではなかった。朝になってわかったことだが、あらゆる食べ物がにがく、歩けば一足|毎《ごと》に膝頭がガクついた。食べもののにがさはその日一日でなくなったが、足はなおらなかった。
小次郎は誰にもそれを告げなかった。走ることは出来ないが、普通の歩行にはさしつかえはないし、馬上の働きは一層さしつかえないように思われたから。なまじいなことを告げて、人々の勇気を沮喪《そそう》させてはならないと思った。彼は一筋に戦いの準備を強行した。
八月十七日、前の合戦から丁度十日目であった。小次郎は兵五百をひきいて、大方《おおかた》郷|堀越《ほりこし》ノ渡しに出て水守《みもり》へ挑戦《ちようせん》状を送った。
堀越は豊田の館から北方二里の地点、今の下妻市|堀籠《ほりごめ》で旧|下妻《しもづま》の東方にある。
現在では鬼怒《きぬ》(毛野)川と小貝《こかい》(養蚕)川にはさまれたほぼ中間の地点にあるが、この小説の当時は小貝川の位置がずっと西によって、このへんを流れていたのである。
小次郎はすさまじい覚悟をきめていた。
(どんなことがあろうと、こんどは勝つ。勝たねばならない。徹底的に叩き破り、徹底的に劫略《ごうりやく》してみせなければ、おれは武人として再び世に立つことは出来ない)
自信もあった。彼は今までこんなに多数の兵をひきいて戦ったことがなかった。あるいは五十、あるいは百、せいぜい百五十の兵で、幾倍幾十倍の敵を木ッ葉|微塵《みじん》に撃破したのだ。しかるに、今度は五百もある。楯《たて》も、弓矢も、刀も、鉾《ほこ》も、皆十分にある。勝てないはずがどうしてあろうと、信じきっていた。彼が信じ切っていただけではない。兵共も同じ思いであった。
ただ一つの不安は、足の自由のきかないことであった。小次郎はこの頃ではこれをたしかに脚気《かつけ》にちがいないと思っている。しかし、これは考えないことにした。どうせ馬上の戦いだ、なんの不自由があるものかと、心の外に追い出して考えないようにつとめた。
よく晴れた、爽涼《そうりよう》な風のわたる、いかにも秋めいた日であった。養蚕川をわたった広い野に陣をしいて待つ豊田軍は士気|横溢《おういつ》して、楽しげにさえ見えた。
挑戦状を持って行った郎党は、午《ひる》を少しまわった頃帰って来た。
「追っつけ返答の使者をつかわすとのことでございます」
「水守の叔父か上総《かずさ》の伯父かが会ったのか」
「左馬《さま》ノ允《じよう》の殿でございました」
「フン、そうか。御苦労であった。退《さが》って休むがよい」
郎党はおじぎしたが、退って行かない。何かもの言いたげなのをためらっているようであった。
小次郎はうながすように相手を見た。
「左馬ノ允の殿が仰《おお》せられました。小次郎とこんなことになって、まことに心苦しく思っていると」
「フン」
鼻で笑った。馬鹿《ばか》なやつめが、こうなってまでそんなことを言っているなど、男ごころをどこに置き忘れたのだと思った。京の公家《くげ》根性になり切ってしまったのだとも思った。
「それからまたこうも仰せられました。貴子《たかこ》姫のこと、何分にも頼むと、小次郎に申してくれと」
叫び出したいほどの怒りが燃え上った。未練なと思った。無礼なとも思った。たとえ心ではどう思おうと、こうなった以上、それを口にしてはいけないのだと思った。波立つ胸をやっとのことでおさえた。
「太郎というやつの言ったりしたりすることは、おれにはまるでわからん。やつは坂東者ではなくなっているのだ」
とだけ言った。
戦いのはじまるにはまだずいぶん間があると思われたので、全軍に休息を命じたが、敵の来路《らいろ》と思われる道筋には幾段も哨戒《しようかい》線をつくった。卑劣をいとわない敵は、返答の使者もつかわさないで不意打ちに寄せて来るかも知れないと思ったからであった。
未《ひつじ》の下《げ》の刻(午後三時頃)になって、やっと敵の使者が来て、
(先祖の冥罰《みようばつ》も思わず、先度の手なみにも懲《こ》りず、又々戦いを挑《いど》むの条、暗愚はかりがたしと思うが、挑まれた戦いに応ぜざるは武人の習わしでない。承知した。追っつけ出向いて、快く戦いを決するであろう)
との答書を渡して帰って行った。
しかし、そうなってからも、敵は中々来る模様がなかった。半日以上待った兵士等には朝のみずみずしい士気はなくなり、退屈と疲労の色がはっきりと見えて来た。どうすべきかと思案していると将頼がやって来た。小声で言う。
「兄者、どうやら向うの思う壺にはまってしまったのではないかな。ここでこうして敵を迎えるのは不利じゃと思う。逆か寄せにして行こうでないか」
「よかろう」
一議に及ばず賛成して、進撃の陣形をとらせているところに、哨兵が走りかえって来た。敵勢の先鋒《せんぽう》が半里ほど向うに現われたという。
もう逆か寄せして行く余裕はない。迎え撃つ備えを立てた。運ばせて来た楯三百七十枚を立てならべて、全軍がそのかげにひそんで、弱々と矢戦さして敵を手許に引きつけ、十分に引きつけたところで、楯をふみたおして馳突《ちとつ》して出、密集隊形を以《もつ》て一気に敵中に斬《き》って入り、直ちに中軍を突くという策だ。工夫に工夫をこらし、必勝疑いなしと自ら信じているものであった。
一切の準備が出来上って、立てつらねた楯の内側に五百の兵がかがまって間もなく、敵は姿をあらわした。総勢五六百もあろうか。この前の勝利で自信を得たのだろう、堂々と押して来る。前回と同じように、陣頭に「平氏太祖|高望《たかもち》王尊霊位」と大書した旗を押し立て、尊像をのせた車を立てている。
豊田方の兵士等は微《かす》かに動揺したが、この前ほどのことはなかった。驚きも恐れも刺戟《しげき》反応の一種だ。刺戟はくりかえされると鈍麻《どんま》する。
「恐れることはないぞ。御先祖の尊霊は当方にこそ加護を垂れ給《たも》うはずだ。敵は霊《たましい》なき|ぬけがら《ヽヽヽヽ》を押し立てているにすぎんぞ」
と、小次郎もまた励ました。
動揺はすぐ静まった。
敵は矢頃《やごろ》から遠く離れたあたりから大きく展開しながら用心深く徐々に進み、矢頃に入ると矢を放った。矢は鋭い羽音を立てて飛んで来たが、大ていは上を飛びすぎた。狙《ねら》い正しく来たのも楯につきささるだけで、人には全然損害はなかった。微風だが、西の風だ。敵には逆風だ。日はずっと西に傾いている。敵はそれを正面から受けている。射にくげであった。
「しめたぞ! 敵は射にくげに見えるぞ!」
すかさず、小次郎が叫ぶと、左翼隊、右翼隊についていた将頼と経明がすぐくりかえして全軍に伝えた。
「兵数は同じ、しかも、地の利、天の時、我にある! 必勝疑いないぞ!」
小次郎はまた叫んだ。これも二人によって伝呼された。
兵士等の士気は忽《たちま》ち昂《たか》まって来た。弦《ゆんづる》を鳴らしたり、矢をつがえたりして、しきりに応射したがった。
「まだ、まだ」
小次郎はおさえた。出来るだけ引寄せることが必要なのだ。
敵は更に近づき、矢は益々繁《ますますしげ》くなり、絶え間もなく楯に音を立てはじめた。
小次郎は言いふくめておいた通り全軍の三分の一に命じて応射させ、自ら第一矢を放った。矢はあやまたず、さわやかに鎧《よろ》って先頭に馬を立てていた敵の上兵の胸板を射つらぬき、相手は黄熟しかけた稲田に転落した。
「射たりや! 射たり!」
ドッと喊声《かんせい》を上げて、皆射た。
矢数は少なかったが、撓《た》めに撓めていた上に、風を負うて切ってはなつ矢だ。忽ち五六騎が射落され、混乱の色が見えた。しかし、すぐ立直った。ジリ、ジリ、ジリ、ジリとおして来る。腹を立てたのだろう、矢数も前より多くなった。
小次郎はこれまでの射手を退かせて、次の三分の一に代らせた。
新しい射手等がまた五六騎たおした。
敵はこの損害に考えなおしたらしく、進行をとめたと思うと、楯を持ち出して来て、ならべはじめた。こちらの真似《まね》をして、ゆるゆると戦う算段と見えた。
小次郎としては、もう少し敵を引寄せたかった。この距離で突撃しては、かなりな損害を予想しなければならない。しかし、こうなってはやむを得ない。十分な備えを固めさせては、突撃が出来なくなる。
「よし!」
決断して、兵士等に騎乗を命じ、自分も馬を引寄せた時であった。敵の右翼のはるか後方に現われた一団の人馬があった。
およそ五百騎ほど粛々として押して来る。
小次郎は戦術を変更する必要を感じた。突撃をかけて敵陣を引っかきまわしても、この新手《あらて》が突ッかけて来ては、戦い疲れた味方は敗れるに必定だからだ。
将頼と経明を呼んだ。
「様子が変った。おれは中軍をひきいて敵の本隊に突ッこむ。そなたらはここにひかえていて、あの勢が助勢に乗り出して来たら、即座に突出して突きくずせ。あの勢が動かなかったら、そなたらも動くな。おれのことは決して案ずるに及ばん。あの勢が乗り出して来ない以上、おれは必ず敵の本隊を斬りくずすから」
懇《ねんご》ろに言いふくめた。
「かしこまる」
よく諒解《りようかい》して持ち場にかえった。
小次郎はまた敵の方を見た。敵の新手はずっと近づいていたが、ある地点で停止していた。明らかにこちらが突撃し戦い疲れるのを待って乗り出して来るつもりのようであった。
(戦さを知らんな。そのつもりなら姿を見せるということがあるものか)
味方をかえりみた。
さしずの通り、将頼と経明はそれぞれに自らの隊である左翼隊と右翼隊を馬から下ろして楯の内側にひそませつつあり、中軍の兵等は馬を引きよせて、命令一下騎乗せんと身がまえている。強く張った弦のような凜然《りんぜん》たるものがみなぎっていた。
小次郎は微笑した。もう勝ったも同然だと思った。
馬を引きよせ、乗ろうとしたが、その時、新しい敵の陣中からワッと喊声が上った。ハッとしてそちらを見ると、その陣頭に異様なものがあった。
高い竿《さお》に、一幅の画像がかかっていた。はば四尺、長さ八尺ほどの大きな画幅だ。甲冑《かつちゆう》を着て、床几《しようぎ》に腰かけた武将が描いてある。
「またおかしなことを考え出した。そう同じ手がきくか」
苦笑した時、画幅のそばに一|旒《りゆう》の旗が押し立てられた。何か書いてあったが、風があって、たえずひるがえるので読めない。しかし、すぐ兵士等が走りよって、下の両はじを左右からおさえた。
筆太に書かれた文字は、
「|故 《こ》|鎮 守 府 《ちんじゆふ》|将 軍 《しようぐん》|平 良 将 《たいらのよしまさ》|尊 霊 位《そんれいい》」
と、読まれた。
怒りが全身を燃え立たせた。高望王の尊像をかつぎ出すさえあるに、父の画像までかつぎ出すとは何ごとぞと思った。手段をえらばないにもほどがあると思った。悪辣卑怯《あくらつひきよう》、言うべきことばを知らないと思った。
味方の兵士等は、シンとおししずまっていた。画像にむかって一様に目をすましていた。
敵はこちらの驚愕《きようがく》を知って勢いづいた。口々に何やらわめきながら両手をあげておどるようにしてさしまねいた。
小次郎の胸には猛然たる敵愾心《てきがいしん》が湧《わ》いた。
味方をふりかえった。
「乗れい!」
鋭く命令した。
ザワッと兵士等の鞍《くら》が鳴って一斉《いつせい》に馬上の人となった。
小次郎も鐙《あぶみ》に片足をかけて身をおどらせたが、十分に足がかからなかったように感じた。
(足が重い。脚気のせいだ)
気づいたが、その時にはからだはもう持ち上っていた。全身の重みが端にかかって、鐙は踏みかえされようとした。その時|一旦《いつたん》おりてやりなおせばよかったのだが、強行したのがいけなかった。鐙はふみかえされ、小次郎のからだは鞍をこえて向う側にのめった。
(しまった、落馬する)
と、思った時はおそかった。大きなからだは強い力でほうり投げられたように馬腹にそって一回転し、したたかに地べたに叩《たた》きつけられていた。
数人の兵士が馬から飛び下りて駆けつけた。
「殿、殿」
と、口々に叫んだ。
小次郎は兵士等の手を借りないではねおきた。両足がひどく重く、不自由になったように感じたが、それよりも、この落馬がどんなに敵軍を勇気づけ、どんなに味方の士気を沮喪させるかが気になっていた。
果せるかな、敵はこのことを知ったらしく、両隊とも耳を聾《ろう》するばかりの喊声を上げた。喊声だけではない。手を上げ、足をふんで乱舞して、有頂天に歓喜していた。
一方、味方はというと、寸刻前のあの粛然たる中にたたえられていた凜乎《りんこ》たる気魄《きはく》は消えて、声のないざわめきが人々の間にただよっていた。不安にとらえられていることは明らかであった。
将頼と経明が持ち場をはなれて来かかるのが見えた。
「大丈夫だ! |あぶみ《ヽヽヽ》を踏みはずしただけだ! この通りだ!」
小次郎は力足をふんで見せたが、とたんにまたよろめいた。
「あぶのうございます!」
兵士がささえた。
これも敵の目をまぬかれなかった。すかさずワッと叫び、同時に、一斉に騎乗し、つきならべた楯を蹴《け》たおして、突撃にうつった。これまでかくしていたのだろう、全然姿を見せなかった鼓や、鉦《かね》や、角笛や、貝を鳴らし、百雷の落ちかかるかと疑われるばかりの響きとともにだ。
(しまった!)
と思ったが、こうなった以上、こちらからも突出して接戦するより外はない。
「騎乗!」
叫んで、小次郎は馬に飛び乗ったが、これが合図のようなものであった。豊田勢は雪崩《なだれ》のくずれ立つように潰走《かいそう》にかかった。
崩れ立った兵のくせだ。小次郎は声のかぎりに叱咤《しつた》して引きとめようとしたが、引きとめられるものではなかった。
口惜しかったし、腹立たしかったが、何よりも一種の強い驚きがあった。
「一度ならず、二度までも、これは一体何としたことだろう」
算を乱してあらんかぎりの速さで養蚕川をさして遁走《とんそう》して行く味方の兵を、自失したように見ていた。勢いに乗じた敵は一層騒ぎ立て、一層速度を速めて、殺到して来るのだが、小次郎はまるで動く気がしなかった。
敵は忽ち小次郎の所に到着した。先頭に立ったのが、
「見参《げんざん》、なにがし!」
と、名乗りを上げて、駆けぬけざまに手鉾《てぼこ》をふるった。
ヒューとうなって斜めに斬りつけて来る手鉾は、小次郎がわずかにからだをそむけたので、冑《かぶと》の眉庇《まびさし》から腹巻の胸を斜めにかすって流れた。
小次郎は愕然《がくぜん》として、おのれの立場をさとった。馬をおどらせ、同時に刀を抜きはなったが、敵は八方からとりまいて、乗りかけ乗りかけ斬りかかって来る。敵の刀が互いに打《ぶ》つかるほどのはげしさであった。
「推参なり、わっぱ(童)共!」
小次郎は激怒して荒れ狂った。病んでいても、小次郎の勇力はさすがであった。忽ち二騎斬っておとしたが、敵はひるまない。かさにかかって、透間《すきま》もなく攻撃してくる。勝利に気負い立っている攻撃はおそろしく鋭い。小次郎は足に力がこもらないので、馬の進退《かけひき》がいつもの自在を欠く。いく度か斬りはずし、いく度かかわしそこねた。忽ち幾創かのかすり傷を負うた。
(やはり無理だった。やはり無理だった)
絶えずそう思った。
斬り死にの覚悟をきめた。
その時将頼が駆けつけた。
将頼は潰走する味方を引きとめようとして、叱咤し、恥じしめつつも、知らず知らずに二町ほども退いていたが、とりのこされた兄が敵に取り巻かれて死戦しているのに気づいて、唯《ただ》一騎引きかえして来たのであった。彼は落ち散っていた楯を左手にもち、右手に三尺をこえた剛刀をふりまわし、馬をあおって飛んで来た。わざとか、脱げ去ったのか、冑はかぶっていなかった。髪を逆立て、目をいからせ、さながらに阿修羅《あしゆら》の姿であった。
「こいつらア!」
と雷喝《らいかつ》するや、一|薙《な》ぎに二人、二薙ぎに一人、三薙ぎにまた二人を斬って落し、ムラムラパッとひらく敵の間を真一文字に乗りつけた。
「それ! 退《ひ》こう!」
と言うや、兄を先に立てて駆け出した。
敵中を駆けぬけると、敵は矢を射かけはじめた。将頼は楯を兄に背負わし、自らはピッタリと馬の背に這《は》って走ったが、間もなく途中に落ちていた楯を見つけると、馬をとめて拾い、自分も背に負うた。
二人の負うた楯に、鋭い音を立てて、数え切れないほどの矢がつきささった。
兄弟は養蚕川の線まで退いて来たが、そこには味方の兵は一兵ものこっていなかった。堤の上を押し合いへし合い下流に向って逃げて、もう七八町もへだたっていた。川を渡った方が、一番|館《やかた》へ近いのだが、敵の追撃が急だ。河中で暇取っては射取られること必定だ。
兄弟も堤の上を下流に向いかけたが、ものの十間ほども行くと、にわかに小次郎は馬首を川の方に向けた。
「兄者!」
おどろいて、将頼が叫んだが、小次郎はふりかえりもせず、まっしぐらに流れに向って駆けさせつつ叫んだ。
「おれはこちらから行く!」
危険であることは、十分にわかっていた。しかし、一時も早く館へかえって、再起をはかりたかった。館にかえったところで、物の役に立つ兵はほとんどいない。この一戦にすべてを賭《か》け、数をつくして出て来たのだ。しかし、かえりさえすれば、兵の用意が出来そうな気がした。いやいや、あるいは妻子や貴子のことが案ぜられたのかも知れない。
「帰りたい、帰りたい、帰りさえすれば……」
ひっきりなしに心でつぶやきながら、磧《かわら》を駆けぬけ、ザンブと流れに乗り入れた。
将頼が追いついて来た。
「兄者、無茶だぞ!」
と叫んだ。しかし、叫んだだけであった。今となってはどうしようもない。自分も流れに馬を乗り入れた。
敵は堤をこえて追いすがって来た。磧を駆けながら「追う物」を射るようにたえず射そそぎ、汀《みぎわ》につくと、ずらりと馬をならべ、小手をそろえて射そそいだ。
泳いで流れを渡る馬の速力はきわめてのろい。射手等にとっては|あずち《ヽヽヽ》の的のようなものであった。しかし、馬体は全部水中にあるし、騎手のからだは楯に蔽《おお》われている。馬を狙った矢は鏃《やじり》が流れに入ると力を失い、狙いがそれて水面に浮き上って流れ、騎手を狙った矢は楯につきささった。
中流をこえると、流れもゆるやかになり、届く矢数も少なくなり、ついには一筋も飛んで来なくなった。
兄弟はついに流れを渡った。ゆるやかに見えるようでも意外に強い流れにおし流されて、上ったところははるかな下流であった。
日没に近く、館に帰りついた。
兵士等は一人も帰っていなかった。
館にのこる男を数えてみたが、多くは老人や子供で、壮強なものは十人にみたない。とてもこれでは防守も覚つかない。
口惜しかったが、逃げるよりほかはなかった。
大騒ぎがはじまった。先《ま》ず女共を逃がすことが必要であったが、どこへ逃がすべきかがわからず、話がもめているとき、桔梗《ききよう》がやって来た。
頭をつつみ、短いきものを着て、甲斐《かい》甲斐《がい》しい服装をし、同じ服装の百姓娘らを二十人ばかり連れていた。
「お手伝いにまいりました」
と、桔梗は言った。
良子を迎えて以来、小次郎は桔梗の家へ行くことも稀《まれ》になっている。京から帰って来てからは一度も行っていない。おりおりの手当だけを送って、その生活に不自由のないようにしているにすぎない。それだけに、この危急の際こうして来られてみると、申訳なく思わないではいられなかった。
「さあ、何でも仰《お》っしゃって下さい。荒仕事でも何でもしますよ。わたしをはじめみんな、大抵な男には負けないくらい強いのですから」
戦いに敗れて、いつ敵勢が押し寄せて来るかも知れない場合だというのに、彼女はすばらしく陽気であった。小次郎と将頼との相談していることを聞くと、即座に言った。
「それは、芦江津《あしえづ》のわたくしの村に参られるがよいでしょう。あのへんには身をかくすによい場所が沢山あります。わたしがよく知っていますから御案内します」
猶予《ゆうよ》はならなかった。そうすることになった。
老母、良子、豊太丸、貴子主従、小次郎の幼い弟等、それに多数の婢女《はしため》等がつきそって、桔梗につれられて落ちて行った。
そのあとで、小次郎と将頼は、男共をさしずしてとりあえずの生活に必要な道具類や財宝や、食糧類を荷造りし、馬の背にのせて、芦江津に向った。
星の美しい夜であった。月はやがて出るはずだが、東の空はまだ明るんでもいなかった。松明《たいまつ》もつけず、星明りを頼りに黙々と歩いた。
半里ほど行った頃、館の方にあたって狂気じみた鉦鼓《しようこ》のひびきと共に人馬の声がおこった。押しよせて来た敵が鉦と鼓で勇気をはげましつつ館に攻めかけているに違いなかった。館がもぬけの殻《から》になっていようとは思わないであろう。
くやしさがこみ上げて、人々の足は一斉にとまってふりかえった。
小次郎も無念に胸がふるえた。しかし、ふりかえらなかった。
「急げ!」
と、短く叫んだ。
一同はまた道をついだ。益々はげしくなる後方の騒音の中に、こちらの人馬の足音が心細くつづいた。
更に半里ほど行った時、館の方に火がおこった。敵が館に火をかけたことは明らかであった。
一同はまたふりかえった。その方面の空が真赤にそまっていた。
小次郎はこんどもふりかえらない。
「急げ!」
と叱咤して、馬を進めた。
火勢は益々盛んになり、真紅の炎は巨大な筆で刷《は》き上げた形で夜空に吹き上げ、朱金の色の火の粉はさんらんとして星空を彩《いろど》ったが、一切ふりかえらず、一同は急いだ。
芦江津の村につくと、村の入口に桔梗の父と兄弟が待っていた。
「飛んだことになりました。しかし、吉《よ》い時もあり、凶《わる》い時もあるが人間でございますからの。やがてきっとめでたい御運勢になりますて。殿ほどのお方がどうしていつまでもこんなでありましょうぞいの」
と、桔梗の父は慰めた。
「負けぐせがついたのだな。また負けたわな」
と、小次郎は豪快に言い、豪快に笑ってみせた。この際、陰気になることは禁物だ。弁解がましいことは最もいけない。小次郎の神経は見かけに似ず細かに働く。こんな場合の兵共の心理や百姓共の心理はよくわかるのである。
「ハッハハハハ、いかさま、負けぐせでございますわな。次は勝ちぐせでございましょうて。坂東一の武者である殿でございますでな。――さらば、御案内いたしましょう。皆様お待ちかねでありましょうでな」
「頼む」
ここでも、松明はつかわないが、この頃月が出た。
部落《むら》を通らず野道を行って、やがて芦江津についた。上ったばかりの十七夜の月は暗い。広い湖面は梨地《なしじ》の銀板をのべたように鈍く光って、向う岸は模糊《もこ》と霞《かす》んでいた。
「にわかなことで、恰好《かつこう》な場所が思いつきませなんだが、一先《ひとま》ずあれへ御案内いたしました。明日にもなりましたら、改めて工夫を仕《つかまつ》りますでな」
桔梗の父は、下はぼかされて上部だけが一|刷毛《はけ》の墨がにじんだように見える向う岸の森を指さして説明して、岸に立って「おいよ」と呼ばわりつつ、パンパンと手をたたいた。
少し離れた岸べに一面にしげった葦《あし》の間から、次々に舟が漕《こ》ぎ出されて来た。全部で五|艘《そう》数えられた。
「さあ、お乗り下され、下人衆はお荷物を馬からおろして積みこみなされよ。馬は無理ですよって、せがれが宰領して、岸をまわって連れて行きますが、下人衆四五人のこって下され」
要領よく、テキパキとさしずする。
舟が湖心に出た頃、にわかに空に薄雲がかかり、月がみがいた銅盤のような色に変って来た。いぶかる間もなかった。来た方の空が薄赤く染まって来たかと思うと、見る間に色濃くなった。それは炎の色であった。館を焼いた敵は八方に散って、部落部落に火をかけたに相違なかった。
民の家が焼かれ、民の財が奪われ、民の婦女子が辱《はず》かしめられることは、この時代の合戦では普通のことであった。小次郎方のものだって、同じ立場に立てばやるのだ。それが合戦に出る唯一《ゆいいつ》の楽しみだといってよい。しかし、立場がかわると、おのずから気持がちがう。どの舟からも怒りと嘆きの声がおこった。
「ひどいことをしおる。ひどいことをしおる」
「百姓に何の罪がある。なぜ部落を焼くのだ!」
小次郎は一言も口をきかなかった。血のように赤い色に染まった月を見つめながら、両足の膝《ひざ》のあたりをもんでいた。さっきから一層感覚がにぶって来たように思われる足であった。
森は岸べにせまってあった。この森には、小次郎は度々|犬山《いぬやま》(犬をつかってする猟)に来てよく知っている。深い大きな森だ。なるほど、これはいい場所を見つけたものだと思った。
巨《おお》きな樹木の枝が湖面にさしかかってくらい陰《かげ》をつくっている汀に舟が寄ると、いきなり鋭い口笛がひびいた。
合図になっているのであろう、桔梗の父が同じように口笛を吹き鳴らすと、桔梗の声で、
「父《とと》か」
と言った。
「おいの」
桔梗はまた口笛を吹いた。それに応じて少し離れた所に口笛がおこり、さらにその向うにおこり、次々に森の奥に伝達して行った。
浅瀬になっているので、舟は岸まで持って行けなかった。小次郎と将頼は、下人共の背に負われて岸に上った。小次郎は、下人の背からおろされて歩き出そうとしたが、ひどく足の工合《ぐあい》が悪かった。まるで膝から下に力がこもらず、うっかりすると、ころびそうであった。
ころんでは醜態であるばかりでなく、今の際人々を一層不吉な気にする、立ちどまったまま、将頼を呼んだ。
「三郎、肩をかせ」
「どうしたのだ」
「足がきかん」
「えッ! どうした?」
「つめたいところに長く坐《すわ》っていたためであろう、しびれがきれた」
ノソノソと将頼が近づいて来たが、すばやく横合から走り寄って来て、肩をさし出した者があった。
「わたくしの肩に」
桔梗であった。先刻の通りの甲斐甲斐しいいで立ちの上に、小太刀を帯び、|やなぐい《ヽヽヽヽ》を負い、弓をたずさえていた。女ばかりをあずかったので、桔梗の苦心は一通りや二通りのものではなかったらしい。もし小次郎の到着前に敵が押し寄せて来たら、出来るだけの防戦をしたいと思ったらしいのだ。十間おきくらいに立っている娘等も桔梗と同じように武装していた。
「世話をかけるの」
桔梗の肩にすがって、一歩一歩ゆっくりと足を運びながら、小次郎は言った。
「いいえ、わたくしはよろこんでいます。こうしてお側《そば》に近づくことが出来ますので」
低い声であった。しみじみとした調子が濡《ぬ》れているようであった。しかし、暗《やみ》の底からこちらに向けた白い顔は生き生きと目が光り、よくそろって健康そうな歯が白く光り、微笑していた。
小次郎は桔梗のからだがかたく引きしまって、強い弾力のあるのが快かった。この弾力は良子にも貴子にもないものだ。忘れていた感覚が想《おも》い出された。
「すまなんだの」
と、低く言った。
「ええ、ええ、すみませんとも。そんなのを薄情《うすなさけ》というのでございますよ」
笑いながら、桔梗がこたえた。声は低かった。
十七夜の月は、この密林の中には透《とお》らない。しばらく真暗な中を進むと、やがて向うにぼうとおぼろな灯影《ほかげ》が見えて、そこからたえず笑い声やさざめきが聞こえて来た。心細がっているであろうと思ったのに、意外だった。
「若刀自がああして、皆を元気づけていらっしゃるのです」
と、桔梗は説明した。
場所は、森の最も奥まったところであった。木から木へ幕を張りめぐらし、とぼしい灯影が内側から薄赤く幕を照らしていた。
彼等の足音が近づくと、ピタリとさんざめきがやみ、そこから口笛がヒューと吹き鳴らされた。
桔梗は一同の足をとめさせ、
「若刀自でございますよ」
と、小次郎にささやいて、ヒューヒューと二つ口笛を鳴らした。
「殿がいらっしゃったという合図でございます」
と、桔梗はまた言い、小次郎の頬《ほお》に素早く自分の頬をおしつけて離れた。
「おお、殿がおいでです。それ、お迎えを」
という良子の声がおわらないうちに、幕をかかげて、弟等が飛び出して来た。
「早うございました」
「敵は館を焼いたそうですね」
「火は見えなかったけど、沼まで行くと、空が真赤になっているのが見えました」
と、口々に言う。この幼い者等は、変った環境に入ったのをうれしがっているようであった。小次郎は胸が痛くなったが、笑いながら言った。
「館などいくら焼けてもかまわない。日ならず敵を討ち平げて、もっと大きな館をこしらえるからな」
「そうとも、そうとも、あの館はもうずいぶん古くなっていたから、丁度よいところであったよ」
と、将頼も言った。
小次郎が先に、その後から将頼が入った。郎党や下人らは遠慮して入らなかった。
小次郎の足はまだ不たしかであったが、誰も気づかない。先ず母が迎えた。
「お待ちしていましたわの。ようこそ無事に……」
半分いって、涙ぐんだ。
次には良子が、豊太丸《とよたまる》を胸に抱いたまま迎えた。笑いながら、
「若《わか》はずっとよい御機嫌《ごきげん》でございました。タップリお乳をのんで、途中から寝てしまいました。胆《きも》太いお子でございます。あっぱれ、父君に劣らぬ武者となりましょう」
と言って、子供を見せた。
太った赤い顔をして、規則正しい寝息を立てて、グッスリと寝ていた。
「ほんとだの。よく寝ている」
小次郎は定められた席に坐って、子供を抱き取った後、それとなくあたりを見まわした。貴子を見るためであった。
急には目につかなかった。何しろ暗かった。席の中ほどに焚《た》いた小さな松のヒデだけが明りなのだ。そのへんだけがぼうと明るくて、隅々《すみずみ》は小暗いのであった。
しかし、やがて見つけた。最も暗い隅に貴子は乳母とならんで坐っていた。どうやら片手で乳母の手をつかんでいるようであった。二人とも小次郎の方を見ていなかった。うつ向いてコチンとかたまっていた。
明らかに二人は二人だけで堅く結び合って、必死に一座の空気に抵抗しているようであった。二人の周囲には目に見えない障壁があって、そこだけが一入《ひとしお》暗く、一種のつめたく重苦しいものが立てこめているようであった。
小次郎はにがい気になった。
良子は敏感に小次郎の顔色を読んだ。貴子に声をかけた。
「姫君、こちらにお出で下さい」
明るく、くったくのない声であった。
「はい」
と、答えはしたが、急には動かなかった。
小次郎の心は一層にがくなった。
「殿がお顔を見たがっておられます」
また良子は言った。
やっと貴子は来た。乳母もついて来た。しばらくも離れていると心細く感ずるらしかった。
貴子も、乳母も、青ざめて、ひっきりなしにふるえていた。恐ろしくてならない風であった。京育ちの上臈《じようろう》がはじめて来た坂東で戦さに出会い、しかも敗戦したのだから、無理はないと思いながらも、良子や桔梗の様子と思いくらべ、小次郎はいまいましかった。
けれども、やさしく慰めた。
「こんな目にあったのは、小次郎もはじめてです。当人がおどろいているのだから、あなたがお驚きになるのは無理はない。しかし、安心して待っていて下さい。小次郎は必ず勝ちますからね。ごらんなさい。ここにいる者全部、こんなに明るく楽しげでしょう。小次郎の武勇のほどを信じているからです」
良子もことばをそえた。
「ほんとにそうでございますよ。殿はこれまで戦われる毎《ごと》にお勝ちにならなかったことはないのですよ。姫君も殿の御武勇をお信じにならなければいけません」
「はい」
貴子の顔にやっといくらか生色がかえった。
「お乳母さまもそうですよ」
「はい」
白髪頭《しらがあたま》を低くさげた。
その夜はそこに泊ったが、翌日になると、小次郎の足の工合は更に悪くなっていた。
もうかくしておけない。将頼と良子にだけ打ちあけた。二人は仰天せんばかりに驚いた。
そこに、四郎|将平《まさひら》がはせつけた。将平はずっと菅原景行について、広河《ひろかわ》の江《え》の開墾地にいるのであった。
将平は、兄の敗戦を聞き、館の炎上を聞いて、胸を痛めつつ、百方行くえをさがした末、ここに潜伏していることを知って、馳《は》せつけたのであった。彼は途中、敵が小次郎の行くえを厳重に探索していることを聞いた。それで、互いに不幸をなげき、慰め合い、再会のよろこびにひたる間もなく、そのことを言った。
一族の誰にも似ず弓馬の道に離れて、学問にばかり心を寄せている彼は、多感で繊細な感情の持主だ。
「どこか早く安全なところへ逃れて下さい。日頃《ひごろ》は何とも思わないのですが、こんどだけは、弓矢とって戦いに立つことの出来ない自分がうらめしい」
と、涙をこぼした。
そこに、桔梗の父が駆けつけて、敵の探索の手が次第に近づいて来て、やがて芦江津の里にも及びそうであると告げた。
「村の者共は、かねてからお館をありがたく思うて、まめやかな心を持っておりますこと故《ゆえ》、進んで裏切るような者はございますまいが、むごい責折檻《せめせつかん》にあわされましたなら、意地も張りもない農人でございますでね。一刻も早くどこぞへお開きになった方がよかろうと思いますわの」
女等は色を失った。手のつけられないほど泣きさわぐ者さえ出て来た。
将頼は腹を立てた。いきなり刀を引きぬいて、どなりつけた。
「静まれい! 泣いてどうなるものか。今工夫をしてやる。静かにせんものは叩《たた》ッ斬《き》るぞ!」
ほんとに斬りかねまじき形相であった。さわぎはピタリとおさまった。
小次郎は貴子主従が気になった。この二人は片手をにぎり合ったまま片隅に身を寄せ合い、うなだれ、氷りついたようになっていた。生きている気はないのであろうと思われた。人知れず、小次郎は溜息《ためいき》をついた。
女共から少し離れたところで、男だけで相談がはじまった。引移る場所は、三つの条件を満足させねばならない。第一は安全地帯であること。第二は小次郎の静養し得ること。第三は兵を集めるに便利であること。
色々な意見が出たが、ついにこうきまった。
女子供と財宝は舟にのせて広河の江の葦間にかくすこと、小次郎は降間木《ふるまぎ》沼の岸にかくれること、ここだと、治療のために医者を呼ぶにも、募兵にも便利だ。また敵は東北方から攻撃をかける率が多いと見なければならないが、そんな場合広河の江の女連を掩護《えんご》するにも都合のよい位置にある。
これらの湖沼は、ずっと大昔の毛野川の川床のあとで、水路の変遷《へんせん》のために沼となったのであるが、互いに細い水路によって連絡していて、北から芦江津、広河の江、降間木とならんでいた。
急がねばならなかった。早速に十五六艘の舟を集めて、それに分乗して南に向ったが、危《あぶな》い所であった。彼等が出発してすぐ敵の一部隊が芦江津部落に到着して火を放ち、村人を捕えてきびしい尋問にかかった。
小次郎は炎上する炎と煙を見ながら、南へ下った。昨日と同じようによく晴れた、さわやかな秋の日であった。
婦人連のかくれた広河の江は、菅原景行が開墾しつつある原野の西にひろがった沼で、今の水海道市の旧菅原村の西辺地帯から猿島《さしま》郡岩井町の旧飯島村の全域にわたる広大なものであったが、江戸中期に干拓されて水田地帯となり、現在では中心部に多少の湿地帯をのこしているだけとなっている。小次郎は、一先ずここまで婦人連の舟と財物をのせた舟をおくって来て、沼の西の岸べに近い葭葦《よしあし》の中に潜伏させた。
身のたけよりも高い葦が蓬々《ほうほう》と生いしげっている中に迷路のように水路のつづく諸所に、あちらに二艘こちらに三艘とわけて錨《いかり》をおろさせた。様子を知っている者でも、急にはさがし出せそうもない|くっきょう《ヽヽヽヽヽ》な場所であった。婦人連も安心した面持《おももち》であった。
「危急なことがあったら、烽火《のろし》を上げるよう。すぐ駆けつけて来る」
その烽火の用意までしておいて、小次郎は降間木へ引きかえした。
降間木は短い水路で広河の江の北方に接している沼で、豊田の館《やかた》から西南方半里の地点にある大きい沼であったが、これも今日では干拓されて古間木新田と呼ばれて、中央部を南北に貫流する一筋の細い水路だけが、歴史を知る者に当時のことをしのばせているにすぎない。
小次郎は、この沼の西岸の葦べに舟をつないで治療につとめる一方、忍び忍びに将頼や郎党等を派して、残兵の駆り集めや、新しい兵の徴募にかかることにした。
話がきまると、気の早い将頼は、
「よかろう」
と、早くも舟を上って出かけようとした。
「そう急ぐことはない。両三日のうちには敵は引上げるか、いくらか用心がゆるくなろうから、それまで待つがよい。今すぐではあぶない」
と、とめたが、きかない。
そこで、下人をつかわして、様子を見させることにした。
「よく知っている百姓でもいたら、わざわざ自分で歩きまわってしらべることはないから、それを連れて来るがよいぞ」
下人はかしこまって、岸に上って行ったが、小一時間の後、若い百姓男を連れて来た。
家を焼かれて、家族と共にいのちからがら、この沼の西につづく部落の親戚《しんせき》を頼って逃げて来たという百姓は、正直そうな顔をしていた。小次郎を見ると、恐れ入って平伏した。側《そば》へ寄れと言っても、恐縮して寄らない。やっと近づけた。小次郎は布を一|反《たん》あたえて、心をくつろがしてから尋問した。
要領の悪い答えぶりであったが、度々問いかえして得たところを綜合《そうごう》すると、こうであった。
(敵は百人ほどの隊に分れて、終日豊田領の在々村々をまわって、小次郎の行くえを探索すると共に、掠奪《りやくだつ》したり、暴行したり、放火したり、非道の限りをつくしているが、少し前から撤退にかかったのではないかと思われるふしがある。というのは、昼少しすぎる頃までは、乱暴こそ働かないが、この村にも二十人ほどの兵が入って来ていたが、つい先刻、豊田の方角に|のろし《ヽヽヽ》が二筋上るのを見ると、やれ引上げじゃ、引上げじゃ≠ニ口々にわめいて、疾駆し去ったからだ云々《うんぬん》)
「よし行こう。おれは一刻もこうしていることは出来ん」
将頼は言いはなって、小次郎がなんといってもきかなかった。
百姓男の言ったことは本当だったらしい。その夜のうちに、百姓姿に身をやつした三人の郎党がたずねて来た。この者共は、堀越の潰走《かいそう》後他領にのがれていたが、敵が引上げにかかったと聞いて、恐る恐る領境までかえって来たところ、将頼に逢《あ》って、ここに小次郎が居ると聞いて、やってきたのであった。
これを最初に、翌日になると、早朝からボツボツといく組もやって来た。文屋《ふんや》ノ好立《よしたつ》も、多治《たじ》ノ経明《つねあき》も、無事な顔を見せた。
「不覚でありました。申訳のいたしようもございません。言い甲斐《がい》なき奴《やつ》ばらと、さぞかしおさげすみであろうと、恥じています」
と、二人はわびた。
「すんだことだ。もう言うな。それに、悪いのはそなたらだけではなかった。こちらにも手落ちがあったのだ。白状すれば、実はわしは脚気のため、足の自由を欠いていたのだが、言えば皆が気をおとすと思い、また馬上の働きにはさしつかえあるまいと多寡《たか》をくくって、ひたかくしにかくしていたのだ。|てきめん《ヽヽヽヽ》だったな、あろうことか、落馬などという不覚をしてしまったのよ。とにかくも、万死に一生を得ることが出来たのだ。不幸中の幸いとせねばならん。命さえあれば、腕に覚えは十二分にある。やがて病いさえ癒《い》えれば、きっと勝って見せる。おぬしらも、その時はずいぶん働いて、先度の恥をすすいでくれい」
笑いながらも、小次郎は満々たる覇心《はしん》を見せて言った。
二人は感謝した。
「いかなるお叱《しか》りを受けてもいたしかたないところをお咎《とが》めもなく、お情あるおことばをいただき、恐縮であります。次の合戦には、誓って一倍の働きをいたします。しかし、御病気であったのでございますか」
と、二人は大いに合点の行った顔であった。坂東の武者にとって、馬は草履や|わらんじ《ヽヽヽヽ》のごときものだ。五六歳の頃から日夜に乗りならっているのだ。小次郎ほどの武者なら自由自在、自分のからだの一機関ほどになっているはずだ。それが落馬したのだから、父祖の罰と思うよりほかはなかった。けれども、脚気で足の自由がきかなかったとすれば、何の不思議もないことだ。
二人に酒を与えて、
「いつこの病気が癒《なお》るかわからんが、癒りさえすれば必ず仕返しの戦さをする故、おぬし等も三郎と力を合わせて、よりより兵を募っていてくれるよう」
と言ってかえした。
それから二時間ほどもたった頃、めっきり短くなった日が西に傾いて、そろそろ未《ひつじ》の下刻(午後三時)にもなろうという頃であった。苫《とま》の外にいた郎党の一人が、南東の空に立ちのぼる一道の煙を見つけた。
「おや、あれは何だ」
「真直《まつす》ぐに立ちのぼっているぞ」
「若刀自方のお出でになる方角ではないが、烽火《のろし》に似ているな」
「不思議な煙だな」
聞きつけて、小次郎は不自由な足をふみしめて、苫を出た。
煙の距離は一里近くもあろうか、雲一つなく晴れわたった午後の空に、濃い煙が一筋棒を立てたように立ちのぼって、妙にものものしく不吉な感じはたしかに烽火に違いないと思われたが、良子等のいる場所とは方角がちがった。良子等の潜伏している広河の江の西の岸べの葦原は、この位置からは真南にあたるはずだが、この煙はかなり東によっている。
凝視したまま、思案にくれた。
退去したと見せてこちらを油断させ、その烽火を合図に不意に襲撃して来ようとする敵の策略ではないかと思った。
(その手に乗るか!)
一応冷笑してみた。
しかし、落ちつかない。行ってみようかとも思ったが、敗残の身のこの寡勢では、もし敵が大兵をもって待ちかまえているのだったら、飛んで火に入る夏の虫となることは明らかだ。経明と好立を帰したことを後悔した。
間もなく、煙はすっかり消えたが、小次郎の心はまだ落ちつかない。決心して、斥候《ものみ》を送ってみることにして、舟の中を見わたすと、子春丸《こはるまる》が目についた。
「子春丸」
と呼ぶと、
「へい」
と答えて、いざりよって来た。
子春丸はもう二十という年になっているが、その顔を蔽《おお》うていたニキビは一向になおらない。それどころか、一層ふえて、ほとんど壮観といってもよいほどの面《つら》がまえになっている。尋常一様のニキビではない。顔一面に吹き出しているのはもちろんのこと、あごのあたりなど、ニキビの上にニキビが出来、さらにその上に出来ているので、絵にかいた鬼のあごのように鋸形《のこぎりがた》になっている。おまけに、赤紫色のそれを気にして常にいじったり、おしつぶしたりしているので、血がにじんだり、油光りに光ったりして、凄惨《せいさん》といっていいほどの風情《ふぜい》を呈している。
「汝《われ》、ちょっと行って様子を見て来い。汝の足ならめったにつかまえられることもあるまいが、もしつかまったら、菅家《かんけ》の領民で、墾田《はりた》の場に来ているのだと言え、それでも怪しむようであったら、墾田の場所へ連れて行ってくれと言って連れて行ってもらうがよい。菅家の殿がきっと口うらを合わせて言いつくろって下さる」
子春丸はおどろいた顔になって、しきりにあごのニキビをいじりまわしながら言う。
「あの、てまえがまいるのでございますか、あの、斥候《ものみ》に」
「そうだ。汝が行くのだ」
「てまえがひとりでまいるのでございますか」
「ひとりの方がよかろう。連れがあっては、せっかくの汝の速足《はやあし》を十分にきかせられまい」
「それはそうでございますが……ひとりでねえ……」
「おそろしいのか」
「へえ、おそろしゅうございます」
痴呆《ちほう》的な顔で表情がにぶいから、よくはわからないが、たしかにこわがっているらしい。小次郎は舌打ちして、また舟中を見まわしたが、子春丸以上の適任者はないと見た。砂金包みを出して投げあたえた。
「汝の足を頼みにしたいのだ。これをつかわす故、ぜひ参るよう」
飛んで来る砂金包みを、サッと手を出して子春丸は宙に受けとめた。投げあたえられた柿《かき》を受けとめる飼猿《かいざる》のようであった。すばやく重さをはかった。
「へッ! これをてまえに賜わりますので」
「首尾よく見てまいったら、またつかわすぞ」
「参りますとも、参りますとも。これが参らんでおられるものでございますか。かえりましたらまた下さるのでございますね。間違いはございませんね」
現金に様子がかわったのが、滑稽《こつけい》であった。
「ああ、つかわすぞ」
「それでは、皆様、証人に立って下さいまし。てまえが見届けてまいったら、殿は更に砂金包みをてまえに下さるのでございますよ」
と、居合わせる郎党等に保証をもとめた。郎党等は笑い出した。
「あほうめ! どこまで慾《よく》の皮が突ッ張っているのだ。そうまで慾張ってどうするのだ」
「人にはそれぞれ他人の知らない消費口《ものいりぐち》があるものでございます。てまえには言いかわした女がございまして、銭やものを持って行ってやりますと、一入《ひとしお》あしらいがちがいますのでね。いくらでも財《たから》がほしいのでございますよ。へッへへへへ」
小次郎も吹き出した。
「よしよし、決してウソは申さん。その方共、証人に立ってやれ」
郎党等は証人に立つことをちかった。
そこで、子春丸は出かけた。百姓姿に身をやつし、舟を近くの岸につけてやると、葦の間をスタスタと立去った。日の没する頃であった。
真夜中になって月が出た。
小次郎は、苫の片方をあげて寝もやらず月を眺《なが》めて不安な物思いをつづけていたが、その月が二竿《ふたさお》ほども上った頃、遠いところからきしりつつ近づいて来る艪《ろ》の音が聞こえたかと思うと、ヒューヒューと口笛が二つ鳴った。間をおかず、こちらの見張り舟からも口笛がこたえた。
小次郎は半身をおこし、苫の間から首をつき出して、そちらの方を見ていた。繁茂した葦の間にうねりつつつづくせまい水路だ。見通しはまるできかない。垣根《かきね》のように両側にならぶ葦の間に月光のすべりこんでいる水路には、薄い霧がただよって、真珠色にぼかされているばかりであったが、艪の音は次第に近づいて来て、やがて一|隻《せき》の小舟が姿をあらわした。
舟の上には人影が二つ見えた。近づくにつれて、はっきりとなる。中ほどに坐《すわ》っているのは子春丸、艪をおしているのは女等につけておいた下人の一人であった。
その頃には、舟中の者が目をさまして、小舟に視線を集めていた。
小舟が小次郎の舟につけられると、子春丸はピョコンとはねて、飛びうつった。
「殿、行ってまいりました。お約束を!」
手を出した。
「待て! 様子を聞きたい」
「それでも、約束でございます。皆様、お立合いでの約束で……」
手筥《てばこ》からつかみ出して投げあたえると、重さをはかって懐中した後、言った。
「残念でございました。若刀自はじめ、御女性方、皆敵に捕えられてしまっておいででございました」
「なにいッ! 事と場合によるぞ、たわむれもいいかげんにせい」
小次郎は、腹を立てて叱りつけた。ほんととは思われなかった。
「たわむれではございません! ほんとのことでございます」
子春丸は言いかえした。この少し足りない青年は、この椿事《ちんじ》をうれしがっているようにさえ見えた。
(ああ、これはほんとだ)
胸が波立ち、手足の先がつめたくなる気持であった。
斬ってすてたいほどの憎悪《ぞうお》に、小次郎はとらえられた。きびしく子春丸を見すえ、それから、子春丸のうしろにうずくまっている下人を見た。
「子細を語れ」
しわがれた、おどおどした声で、下人は語った。
敵が退散にかかったという情報は、昨日のうちに婦人達のかくれ場所にも入った。見張りのために岸べの方々に立てておいた下人共が聞きこんで来たのだ。夜が明けると、それは一層の確実性をもつ話として伝えられた。
敵は思い思いに東に向いつつあり、とりわけ敵の主力をなす良兼《よしかね》の勢は最も早く退散にかかって、この早暁《そうぎよう》早くも養蚕川を渡って東に去ったという。
こうなると、小次郎の本隊と離れ離れになって、お互い不自由な生活を心細く送ることはないと、婦人達の評議が一決して、舟は一団となって小次郎の許《もと》に志して、かくれがを離れた。
「ちょうど、広河の江の東の岸べに近づいた時でございました。岸の小高い塚《つか》の上に立って、
オーイ、オーイ
と、しきりに呼んでさし招くものがございます。
見ると、てまえ共もよく知っている御領の民でございます。しかし、こちらは用心して舟足をとめて、黙って見ていますと、
『もう大丈夫だア! 敵はみんな養蚕川の向うに行ってしまって、このへんにゃ一人ものこっていないぞーッ』
と、わめき立てるではございませんか。泣きながらわめき立てているのでございます。顔が涙に濡《ぬ》れ光っているのが、斜めな夕陽《ゆうひ》に照らされてはっきりとわかったのでございます。
後から思いますと、これは敵におどかされて無理やりにわめかされているための涙であったのでございますが、その時はうれしさあまっての涙と解《と》ったのが、こちらの運の尽きでありました。
なにせ、女衆ばかりの舟でございます。よろこびなさるやら、泣きなさるやら、どの舟もどの舟も沸き立つさわぎになりました。
『それ寄せて、くわしく話を聞け』
と、おさしずが下りました。
下人共も勇み立ちまして、水馴竿《みなれざお》をそろえて、エイサエイサ、エイサエイサ、と、岸に舟を寄せましたところ、岸べの葦《あし》のしげみから鷹《たか》かイタチのようにおどり出して来た十数人の者がありました。きびしく武装した、おそろしげな兵《つわども》どもでありました。
『わっ!』
と、鬨《とき》の声を上げるや、手ン手に打物《うちもの》をきらめかして、イナゴの飛びつくようにこちらの舟に飛びのってまいりました」
下人の物語はつづく。
「すわや、敵ぞ!
おつきしていた男共は、うろたえつつも防戦につとめましたが、何と申しましても年老いた下人ばらである上に不意を打たれましたこととて、はかばかしい働きの出来ようはずはありません。またたく間にあるいは斬《き》り殺され、あるいは水中に追い落されてしまいました。
わたくしも水中に追い落された一人でございましたが、葦の間に入り、水藻《すいそう》を頭にかついでひそみ、やっといのちが助かったのでございます」
小次郎の胸はあらしの海のように湧《わ》き立ちさわいでいたが、表情は氷ったように動かなかった。低い声できいた。
「それで女共はどうなったのだ」
「てまえは、葦の水藻の間から目だけ出して、のこらず様子を見ておりました。
こちらの下人共が残らずたおされてしまいますと、また鬨の声が聞こえて、およそ三十人ほどの敵勢が騎馬で駆けつけ、舟に乗りうつり、女性方をつかまえはじめました。皆様もはじめは泣きさわいでおられましたが、泣けばとて、さわげばとて、いたしかたのないことでございます。しまいには敵の言うままにおとなしく舟を下り、おとなしく追い立てられて、いずれかへお立去りでございました。大刀自、若刀自、京の姫君をはじめ、皆そうでございました。若君を胸に抱き、弟君達を左右に引きつれて追い立てられて行かれた若刀自の青いお顔が、まだ目の前にちらついて離れません。
ただひとり、桔梗の前は、さわぎがはじまるとすぐ、御自分の舟の|へさき《ヽヽヽ》に用意してあった烽火《のろし》に火をつけなされたばかりか、舟をこぎもどしにかかられましたが、敵が追いすがりますので、自ら手鉾《てぼこ》をとって防戦につとめられました。しかし、これとて実際にははかばかしいことのお出来になるはずはなく、こみかけて来る敵兵共に打物を打ちおとされ、捕われの身となってしまわれました。
敵の者共はこうして女性方を追い立てて行った一方、一手は御財宝を積みこんだ舟から御財宝を運び上げ、乗って来た馬に駄《だ》して持ち去りました。布一反あとへはのこしません。
わたくしは、ずっとそのかくれがにひそんで呼吸《いき》をこらしておりましたが、とっぷり暮れるのを待って、陸《おか》に這《は》い上りました。何をおいても、この変事をお知らせせねばならんと思って、とぼとぼと岸伝いに歩き出してしばらく来たところで、子春丸と逢ったのでございます」
急にはなにも言うことが出来なかった。しばらくして、やっと言った。
「よくわかった。大儀であった。あちらの舟に行って、酒をもらって飲め」
打ちのめされた上に打ちのめされた気持であった。不幸の上の不幸とはこのことであった。仏神の憎しみを受けているにちがいないと思ったが、反省する気はしなかった。いきどおろしく、はげしく抗議したい気持であった。
「おれが何をしたというのだ!」
紅翠砕《こうすいくだ》く
広河の江で小次郎方の女連を襲撃したのは、水守《みもり》の良正《よしまさ》の一部隊であった。彼等は農民共をおびやかして、小次郎と女連とが別々になり、小次郎が降間木《ふるまぎ》沼に、女連が広河の江に潜伏しているらしいと知った。そこで農民の一人を案内者として広河の江に向い、岸べを探索しながらあの地点まで来かかった時、あたかもよし、沖の方から女連の舟が来るのが見えた。
「あの舟共を岸につけさせい。うまく行ったら、褒美《ほうび》をやる。しくじったら、うぬが命はないと思え」
兵どもは案内者に白刃《はくじん》をつきつけて塚の上に追い上げ、舟に呼びかけさせたのであった。
計略は見事に図にあたった。獲《え》た所《ところ》は豊田方の女全部と三千余反の巻絹をはじめとするおびただしい財宝、しかも、味方の損害は皆無にひとしい。二三人がかすり傷程度の傷を負うたにすぎない。
これほどの手がらは、以前の負け戦さの時はもちろん、この前の勝ち戦さにも、こんどの勝ち戦さにも、立てた者はない。
「ごほうびは望み次第にいただけるぞ」
彼等は大いに気をよくして、女連を追い立て追い立てて水守に向った。
女連に対して、彼等は鄭重《ていちよう》であった。今は敵味方となっていても、元来は主筋の人々だ。小次郎の母は、主君たる良正の兄嫁であり、良子は味方の大将軍《たいしようぐん》良兼《よしかね》の姫君だ。しぜんに敬意が湧いて来た。
しかし、桔梗《ききよう》と貴子《たかこ》とに対しては別だ。桔梗は百姓の娘で、小次郎の寵愛《ちようあい》を受けるようになったものであり、貴子は京の宮方の姫君で小次郎が京で馴《な》れ染めて、ついこの夏連れて下って来た女だ。
彼等の興味は二人に集中した。二人を見ると、彼等の心は好色的なものに蔽《おお》われて来る。
「おい、見ろよ。いいからだだなア。シャキシャキした歩きぶりだぞ。ああいうのは食いでがあるんだぞ」
と、桔梗を見ながら一人が言うと、
「気性の強い女だ。おいら、あの女にここをやられたのだ。あんなの、おいらはいやだ。うっかりそばへ寄ってみろ、食いつかれるぞ」
と、一人が答えて、ほうたいの上からにじみ出した血が赤黒くこびりついている腕を示した。
ほんとに、桔梗は荒々しくはりつめた心でいた。こんな境地におちても、いや、こんな境地におちたために、彼女は一層勇気たくましくなっていた。よく発達したおしりをクリンクリンと動かし、軽々と歩いていた。昂然《こうぜん》として上げた顔の口はきびしく閉じ、かがやきの強い目は真直ぐに前方に向けられていた。時々キッと男共に向けられると強い光を放った。捕えられた牝虎《めとら》か牝豹《めひよう》のような艶《えん》な猛々《たけだけ》しさがあった。
男共の興味は、いつか貴子一人に集中する。
恐怖しきっている貴子はうつつ心もない。年老いた乳母の手にすがって夢遊する人のように力なく歩いて行く。きゃしゃな細面《ほそおもて》の顔はすきとおる青白さになり、唇《くちびる》には血色のかげもない。ふるえる長いまつ毛の下の目はどこを見ているのであろうか、見ても見えないのであろう。たえずゆれ動いている。
繊細で、たよりなげで、病む花を見るように病的な美しさは、野蛮で荒々しい男共の胸に嗜虐《しぎやく》的な慾望をムズムズとかき立てた。
「あれだぞ、京から連れて来た宮家の姫君というのは」
「左馬《さま》ノ允《じよう》の殿ともかれこれのことがあったという女じゃろう」
「うむ、うむ、はじめは左馬ノ允の殿のものじゃったのよ。左馬ノ允の殿と豊田の殿とが、張り合われたのじゃが、それ、左馬ノ允の殿は女にかけてはあの|はしッこ《ヽヽヽヽ》さじゃろう、ちょろりと手に入れて、豊田の殿は鼻をあかされたのじゃ。それを左馬ノ允の殿がこちらに帰って来られている間に、訴訟のため上洛《じようらく》した豊田の殿が口説きおとして手に入れ、帰国に際して連れて帰って来たという次第よ」
「恋がからんでいるのじゃな、この戦さには?」
「大からみ、タテヨコ十文字に、恋もからめば、慾もからんでいる。血のつながる一門がこうもはげしく憎み戦うのはそのためじゃて」
「それにしても、風にも得たえぬ風情《ふぜい》というが、ほんとじゃの。透きとおるようでないか」
「ほんによ。あれで普通に抱いて寝て、よう死なぬものじゃのう」
「下賤《げせん》でも高貴でも同じかの」
「いくらか違うじゃろうよ。でなくば、左馬ノ允の殿や豊田の殿がそれほど夢中になるわけがない」
神聖|冒涜《ぼうとく》的なものが一様に兵《つわもの》どもの胸を蔽うていた。ギラギラと目を光らせ、そのくせ薄ら笑いを浮かべて、さぐり合うように互いの目を見ていた。
養蚕《こかい》川を渡った頃《ころ》とっぷり日が暮れた。
男共は、その少し以前から、短いことばを極度に低くおし殺した声でささやきかわしていたが、互いの顔の見えないほどに宵暗《よいやみ》がこめているのが、踏み切る気持にさせたのであろう。
「よかろう!」
と、低く言うと、一人が小走りに女連に追いついて行った。
「もし」
と、呼びかけた。
女連は一斉《いつせい》にふりかえった。警戒的な様子であった。
「皆様ではございません。こちらのお二方でございます」
と、貴子主従を指さして、
「ごらんの通り、日が暮れましたので、少し道を急がなければなりませんが、お二方のお足ではとてもついてお歩きになることはお出来にならぬように見受けられます。馬を参らせますから、お召しになっていただきます。すぐ曳《ひ》いてまいります。他の皆様は、そのままお進み下さいますよう」
手ぶりで歩き出すように言った。
「サア、サア、お急ぎ下さい」
追いついて来た兵共もまた言った。
一同は歩き出した。兵共もそれにつづいた。
貴子主従は何か思い切り悪く、けれども茫然《ぼうぜん》としてその場に立っていた。
かなりな時間待たされた。もう連れの人々の足音も聞こえない。貴子は心細くなった。乳母の顔を見た。乳母も同じ思いであったらしい。二人のそばにノッソリと立っている兵に何か言おうとすると、けはいでそれを知った兵は、
「間もなく馬がまいります。今少しお待ち下さい」
と言って、暗い前方を透かして見て、腹立たしげにつぶやいた。
「何をしているんじゃろう。いつまで待たしくさる気か」
そのことばが終るか終らないに、そちらからドヤドヤと多数の足音がして来た。
「や、来ました。お待ち遠でありました」
来たのは七八人であった。約束とちがって、馬を連れていないのに、二人のそばに立ちどまるや、
「さあ、まいりましょう」
と言った。
貴子は、この者共が先刻良子等を送って行った兵どもであることに気づいた。以前盗賊共に欺《あざむ》かれて東山に連れこまれた時の記憶がよみがえった。恐怖が荒々しく胸を引ッつかんだ。両足が萎《な》えて、くずおれそうであった。
「そなたらは……」
乳母が、貴子をうしろにかばって、ふるえるかん高い声で叫びかけたが、はじめからの兵がふわりと受けた。
「何でございましょうか」
おちつきはらって、しかも、いぶかるような調子であった。乳母の張りつめた心はとまどいした。
「馬はどうしました」
と、おだやかにたずねた。
「少しお歩き下さい。ちょっと都合があって、少し遅れますが、しばらくお出《い》でになる間には、まいることになっていますから」
と、他の一人が乗り出して答えた。
不安は依然として強くのこったが、こう言われては納得するほかはない。兵共に前後をまもられて、とぼとぼと歩き出した。小さい松明《たいまつ》が一つだけ点《つ》けられ、それが足許《あしもと》を照らしてくれた。男の汗の臭気と鎧《よろい》の革の臭《にお》いとがまじって、いがらっぽいほど強烈なものとなって二人をつつんでいた。それが一層かつてのおそろしい記憶を呼びおこした。貴子は強く乳母の手をにぎりしめ、たえずふるえながら歩いた。その乳母もふるえていた。
どこをどう連れて行かれるのか、まるで夢中であった。ふと足許の土の感触がやわらかになり、同時にまわりが一層暗くなったのに気づいた。見まわした。そこは林の中であった。たえず炎がなびいて明暗の定まらない松明の火は無数の大きな樹幹が天《そら》に向って真直ぐにのびているのを照らし出していた。上を見ると、枝や葉が繁《しげ》って、屋根のように蔽うていた。明らかに道からそれていた。
ぞっとして、二人は同時に足をとめた。
「このへんだな」
兵共の中から陽気な声で叫んだものがあった。
「おお、このへんじゃ」
「よかるべし、よかるべし」
と口々に叫んだ。
ふざけているような陽気な調子と、なまぐさいようなみだらな調子と、殺気立つばかりに真剣なものとがあった。
もう間違いはないと思われた。貴子は目の前が暗くなり、足がふるえ、倒れそうになった。
乳母も同じ思いであったが、気力をふりしぼり、居丈《いたけ》だかに叫んだ。
「馬を曳いて来やれ! ここは道ではない。道筋に連れて行きやれ!」
威厳を示したつもりのこの叫びを、兵《つわもの》どもはドッと笑った。おかしくてたまらない風で、一層陽気になった。
「さあさ、はじまり、はじまり、お祭りじゃ!」
と言ったかと思うと、立ちすくんでいる二人のまわりに円陣をつくり、手をつなぎ合って、
「お祭りじゃ! お祭りじゃ! それ、お祭りじゃ!……」
と陽気な叫びを上げながら、グルリグルリとまわりはじめた。
次第に高調して来るその諸声《もろごえ》は森の木々にこだまし、グルリグルリと旋回してやまない兵共の姿は、明滅する赤い松明の光の中で夜行する百鬼のような奇怪な姿に見えた。
貴子も、乳母も、もう完全に思考力を失っていた。恐怖のために身も心もこおりついて、互いに抱き合いながら立ちすくみ、口の中でうわ言のように観音経を誦《じゆ》していた。
或被悪人逐《わくびあくにんちく》 堕落金剛山《だあらくこんごうせん》
念彼観音力《ねんびかんのんりき》 不能損一毛《ふのうそんいちもう》
或値怨賊遶《わくちおんぞくぎよう》 各執刀加害《かくしゆうとうかあがい》
念彼観音力《ねんびかんのんりき》 感即起慈心《かんそくきじしん》
或遭王艱苦《わくそうおうかんく》 臨刑欲寿終《りんぎようよくじゆしゆう》
念彼観音力《ねんびかんのんりき》 刀尋段々壊《とうじんだんだんえ》
…………… ……………
とつぜんだった。旋回してやまなかった兵共の中から、
「それ!」
という声がかかると、松明が宙に投げ上げられた。その松明が樹木の枝にあたり、赤い火花が散って忽《たちま》ち消えて真の暗《やみ》になる前に、兵共は一斉に、ワッ! と、野獣のような叫喚を上げて、八方から二人に襲いかかった。
「アレッ! 何をします!」
乳母は、貴子をかばおうとしたが、男共の鋼鉄のような邪慳《じやけん》な腕は、一むしりに乳母を引きのけ、つきとばした。
貴子は一声悲鳴したが、そのまま気が遠くなった。
暗の中に兵共の荒々しい足音と、鎧の鳴る音と、荒い息とがしばしつづいて、森の奥の方に走り去った。
「クジ引きじゃ! クジ引きじゃ! クジ引きじゃ! 不服を言うまいぞ! 不服を言うまいぞ!」
と、歌のようにくりかえす声が諸声《もろごえ》につづいて、この暴悪|無慙《むざん》な人の群の行く道を語っていた。
広河の江で小次郎の母、妻妾《さいしよう》、子供、弟を捕えたばかりか多量の財宝もまた分捕《ぶんど》ったという報告が水守についたのは、とっぷり暮れて間もない頃であった。
良正はおどり上って喜んだ。
「やれめでたや! 人は望みを捨てまじきものよ。うちつづき二度も戦さに敗れた時は生きているのが厭《いと》わしくなって、腹かっさばいて死のうとまで思ったが、こうして二度も勝ったばかりか、この喜びに逢《あ》い得た。めでたや、めでたや」
と、恐悦して、酒を命じ、しきりに盃《さかずき》を上げている時、貞盛《さだもり》が来た。
貞盛も、この日豊田領を引上げて、この館《やかた》に来て、別殿に泊っていたのである。
「叔父上、今向うで聞いたが、小次郎方の女子供を捕えたというではありませんか」
「ああ、捕えたぞよ。奴《やつ》が母御前も、妻御前も、寵《おも》いものも、子供も、弟も、皆捕えたという。一網に鯉《こい》も、鮒《ふな》も、ウグイも、ハヤも、根こそぎさらりとさらい上げた。大漁じゃて」
うれしい時の酒のまわりは早く、早くも上機嫌《じようきげん》で、虹《にじ》のような気焔《きえん》だ。
貞盛はこの叔父のように単純には喜べない。先《ま》ず、小次郎が気の毒だと思った。次には、いや、この方が先だったかも知れない、その捕えられた女等の中に貴子がいるだろうかと思った。
(いるとすれば……)
ちょいと胸のときめく気持だ。
(おれも悪いことは悪いさ。いくら繁多でも一ぺんも便りもしないなど、決してよくない。しかし、姫も姫だて。辛抱してジッと待っておれば、おれだって忘れたわけではないから何とかなったのだ。現に裁判で真樹《まき》が上洛する時、便りとともに代《しろ》を持たせてやったのだからな。それをバタバタと悪あがきするから、事が面倒になる。真樹の報告によると、あろうことか、遊女になっていたというではないか。遊女などになった女に、おれは未練はない。小次郎のようにおれはしつッこくないからな。しかし、逢ってみるのは悪くない。さて、どんな顔をするかな。どんな気持でいるかな。ちょいと楽しみだて)
しかし、この気持をそのまま良正に言うわけには行かない。これは叔父のような田舎武人にはわからん心理だ。うっかり語ると、誤解されるおそれがある。
そこで、しかつめらしい顔をこしらえて言った。
「とりこにしたはよいですが、どう処置されるつもりです。敵味方になってはいても、一族ですからね。普通のとりこのようには行きませんよ」
「なあに、良子は上総《かずさ》へかえす。上総の兄者ももう一日居れば、たえて久しい父娘《おやこ》の対面が出来たになあ。おしいことをしたよ。小次郎が母や子供や弟等は、ゆっくり処置を考える。寵《おも》いもの共は斬《き》ってしまう。もっとも、郎党共の中でほしいという者があれば、くれてやってもよい」
良正は一向に苦にしない。こう言って、また盃を上げたが、ふと思いついたらしく、
「おお、そうそう、京下りの何とやらという上臈姫《じようろうひめ》は、以前はそちが寵《おも》いものであった由《よし》だな。所望なら、そちにやるぞ。なに、女というものは、洗えば同じだて」
と言って、呵々《かか》と笑った。
叔父の露骨さに、貞盛は閉口した。
「いや、いや、以前かれこれのことのあったのは事実ですが、今さらとなっては何の未練もありません」
と、笑って、あてがわれているへやに引っこんだ。
それから数時間、夜半の子《ね》の刻(十二時)を少しまわった頃であった。横になって、うとうととしていた貞盛は、にわかに館の内がさわがしくなったので目をさました。捕虜になった女連が到着したのだと思った。
むくりと起き上り、鎧下着《よろいしたぎ》の帯を引きしめて、出て行きかけたが、ふと思いついて、水を呼んで、丹念に顔と首筋を洗い、おわると鏡に向って顔を点検した。
実を言うと薄化粧したかったのだが、こちらに帰って以来野外の活動ばかりしているので、日焦《ひや》けがひどい。かつては女に見まほしいばかりに色白でこまやかであった顔の皮膚は浅黒く強健なものになっている。とても白粉《おしろい》が乗りそうになかった。
「いたし方ないな」
はなはだ残念であったが、あきらめて、薄く口紅だけさした。しかし、これで、見ちがえるほど優美な顔になったように思われた。満足した。髪をかき撫《な》で、立烏帽子《たてえぼし》を引き立て、草摺《くさずり》と腹巻だけをつけ、右手に軍扇をとって、鏡にうつる姿を点検した。悪くなかった。雄々しくて、しかも優美に見えるとの自信があった。
へやを出、一歩一歩、少し気取って歩き出した。
(今さらとなって、後悔しても、こちらは受けつけるわけに行かない。小次郎はいつもおれの冷飯を食べつけているが、おれは小次郎の冷飯を食ったことはないからな。習慣に反することだからな。もちろん、大いに慰めてはやる。場合によっては小次郎の許《もと》に送りかえしてやってもよい。古来りっぱな武人はそういう工合に情《なさけ》あったものだ。しかし、いくら頼まれても、|より《ヽヽ》をもどすことは真ッ平だ。そこのけじめはちゃんとつけんといかんて……)
こちらへ来て以来、貴子は荒々しい坂東武人ばかりしか見ていないにちがいないから、雄々しくも優美な自分の姿は驚嘆すべきものに見えるに違いない。
(フン! ざまア見ろ!)
次第に興奮して、やや急ぎ足になった。
女連は、良正の居間の前の庭に集められていた。かがり火が三カ所|焚《た》かれて明《あか》り渡っているその庭に楯《たて》をしきならべて坐《すわ》らされている。
良正はその庭に面した簀子《すのこ》に、熊《くま》の皮の敷皮をしいて、大あぐらでかまえていた。ひっきりなしに盃を上げながら、管を巻く調子で言っていた。
「……フン、御前《ごぜ》達、おそろいで来られたわな。ようこそと申したいが、それはこちらの申すことで、そちらはそうではあるまいな。フン、小次郎などと申す飛び上りものを、子とし夫《つま》としたために、今日このような災難。さてもさてもお気のどくや。フン、しかし、罪は罪じゃでな。相糺《あいただ》さんではおかれんて……」
貞盛は十分と思われる威厳をもって、しずしずとその簀子にあらわれ、女連の方を見た。貴子の姿はなかった。はてなと、念を入れて見た。やはり見えない。
女連の方に一歩進んだ。気をつけて見まわしたが、どう見てもいなかった。
カッとからだ中が熱くなった。危うく声に出して、女連に問いかけるところであった。
けれども、とたんに気を引きしめた。
「何をさがしとるぞ、太郎」
と、良正が問いかけた。
「いえ、手荒なことは、くれぐれもしないでおいていただきたい」
とだけ、言って、足をめぐらした。
酔った声で、良正は呼びかけた。何と言ったか、よくわからなかった。貞盛はかまわず引上げた。へやにかえると、郎党に言いつけて、女連を連れて来た者を呼ばした。
呼ばれた者は、へやの前の庭にやって来た。
「その方共がとりこにした者の中に、小次郎が京から連れて来た姫君があったはずだが、あの中には入っていないようだな。どうしたのだな」
「存じません」
そいつは答えた。にぶい表情であった。
「存ぜんことはなかろう。いたことはいたのだろう」
「へえ」
「どこでいなくなったのだな」
「養蚕川を渡ったところでありましたかしら」
「どうしたのだ? 逃げたのか?」
「へえ、多分……」
「殺したのではあるまいな」
「いいえ、そんなことはありません」
「逃げたのなら、もちろん、追手はかけているだろうな」
「…………」
そいつは答えない。
こんなことには驚くばかりに、貞盛の頭の回転は速い。ほぼ遠くない推察が組み上った。胸に炎が燃え上る気持であった。じっとしておられないあせりがあった。しかし、彼はおだやかに言った。
「よし、よし、退《さが》るがよい」
貞盛は引き出ものをあたえて、そいつをかえした。
十分の後、貞盛は水守の館をあとにし、養蚕川に向って馬を駆っていた。
もうふざけ半分の余裕のある気持ではない。
「間に合ってくれ! 間に合ってくれ!」
ギリギリと歯をかみしめ、たえず胸中につぶやき、馬足のつづくかぎりに疾駆させていた。
水守から養蚕川の渡しまで二里だが、その道がいくら行ってもいくら行ってもはてしなく、百里もあるように思われた。折しも十九日の片割月《かたわれづき》が東の空にのぼったばかりで、おぼろな明りがわずかに道を照らしていた。
貞盛は戦さの経験が少ない。去年父の死によって帰国して以来三度合戦の場にのぞんだのが、その経験のすべてだ。しかし、この三度の経験によって、戦さというものがどんなに人の気を狂わせるものか、よくわかった。
戦さは強烈な悪酒と同じだ。一|度《たび》征矢《そや》がうなり飛び、白刃《はくじん》が火花を散らす場にのぞんで、十死に一生を得たものは人間の正心を失って、酒狂人の心になっている。乃至《ないし》は野獣の心になっている。どんなことをしでかすかわからない。必要もなく人を殺し、必要もなく放火し、必要もなくものを破壊し、必要もなく婦女子を犯すのだ。
こんな兵共が、風にもたえぬげな優婉繊美《ゆうえんせんび》な貴子を最も無防禦《むぼうぎよ》な状態において見た時、どんな気になるか、きわめて容易に想像がつくのである。
最もみだらで、最も惨烈な情景が、はらってもはらっても消えない夢魔のように目の前にちらついてはなれない。
「そんなことをしてみろ! そんなことをしてみろ! 味方とは言わさないぞ! 斬《き》って捨ててやるぞ!」
たえず、口走り、たえずうめき、ムチを宙にまわし、はげしく角《かく》を入れて、駆けつづけた。
ついに養蚕川の渡し場に達した。
薄い月の下に沈々《ちんちん》と更《ふ》けたそこには、人の隻影《せきえい》すらなかった。夜霧に草がぬれ光り、薄い霧の立ちのぼっている広い河面《かわも》からは、むせぶように、泣くように、笑うように、さざめくように、流れる水の音が聞こえて来るだけであった。
「おおい!」
と、叫び、あぶみの上に突ッ立ち上って耳をすました。
何のこたえもなかった。
「姫君ーッ!」
と、また呼ばわった。
やはり答えはない。
「者共ーッ!」
これにも答えるものはない。
堤防の上を、上流に行き、下流に行き、道をかえして、左右の道に入り、呼ばわり呼ばわり、駆けまわった。次第に熱し、次第に狂的になった。さがし出さないではおかぬと思いこんだ。
こうなると、貴子の美点だけが強烈に思い出される。あれほどの女は再び手に入ることはないにちがいないと思うのだ。
「おしいことをした。おしいことをした。どうしておれは貴子にあんなに怠慢であったろう。どんなことをしても、小次郎から取りかえさなければならなかったのだ! 宝を抱いて宝であることを知らなかったおれは、何というおろか者であったろう。こんな目にあうのも、その罰なんだ。――いいや、おれはさがし出してみせる。どんなことをしてもさがし出して見せるぞ!……」
夜のほのぼのと明ける頃、はじめて手がかりをつかんだ。大きな道から右方にわかれる小道を五六間行ったところの路傍のくさむらに紐《ひも》の切れた赤地|錦《にしき》の守袋《まもりぶくろ》が落ちているのを見つけたのであった。
しとどな露が玉となって結んでいる青いくさむらにふわりとかかった守袋は、妖《あや》しいばかりに美しかった。貞盛は馬を飛び下りて、ひろい上げた。じっとりと露にぬれていた。急がしく内容《なかみ》を調べる貞盛の手は指がふるえていた。すばやい思考が走りすぎる。
「これは、普通の女の持つべきものではない。身分高い、それも都会の女性《によしよう》でなければ持ちそうにないものだ。そういう女性が、夜道この道を行ったに違いない。貴子以外にありようはないではないか。紐がこうしてちぎれているのは、暴力をもってむしり取られたのであろうか。やがてさがしに来る人を予期して|しるべ《ヽヽヽ》のために自らちぎって捨てたのであろうか……」
守袋の内容《なかみ》には、加茂、稲荷《いなり》、火雷天神等の京の内外の神々の護符と陀羅尼《だらに》を書いた紙片とが入っていた。
もう疑いはなかった。貞盛は馬に飛びのって、その道をたどった。
やがて道は森に達し、そのわきを迂回《うかい》するようについている。しかし、貞盛は躊躇《ちゆうちよ》なく森に馬を乗り入れた。杉ばかりの森である。目通り一尺五寸から二尺ほどもある幹が円柱のように真直ぐに空にのびていた。
馬から下りて、注意深く地面をしらべると、霧にしめった地面に多数の足あとが見えた。
貞盛の胸はまた波立った。最悪の予想は的中したと見るよりほかはないのだ。
ギリギリと奥歯をかみしめ、馬の口綱をとって、足あとをたどった。
(おのれ! しれものども!)
ひとりのこらず斬って捨ててやると、決意を新たにしたが、そこから十間ほども進み入った時、そこにたおれている乳母を見つけた。
乳母は一きわ大きな杉の根元に、たおれていた。腰をかがめ、右脇《みぎわき》を下にしているその姿は、おそろしく小さく、干した小蝦《こえび》のように枯れてはかなく見えた。枯れているといえば、手足も日にさらされた枯木の枝のようにカサカサとした生白さをしていた。かじかんだように小さい顔もまるで生きている人の顔色ではない。少し口許がゆるんで、血が流れていた。乾いて、口許にこびりついていた。
「お乳母! お乳母! お乳母!」
はげしく呼びながら、貞盛は抱きおこしたが、やせたからだはおそろしくやわらかであった。ぐにゃりとからみつくような感じと、ふと腕にふれた首筋のあたりの異様な冷たさに、覚えず、あっ! と叫んで手を離してしまった。
乳母は首を立てておちたが、それが自然の活法にかなっていたのであろうか、
「ウッ!」
と、かすかにうめくと共に、ふるえるように手足が動き、顔がしかめられた。
貞盛はあわてて抱きおこし、また呼び立てた。
「お乳母! お乳母! お乳母!」
乳母の目があいた。まだ正気が返らぬのであろう。焦点の定まらないうつろな目であった。
「わしだ! 左馬《さま》ノ允《じよう》だ! しっかりなされ!」
乳母の眸子《ひとみ》が定まって、貞盛の顔を凝視したと思うと、
「アッ!」
と、かすかに叫んだ。目を閉じた。見まいとするもののように。
「気がつかれたか! しっかりしなされ!」
ゆりうごかした。
乳母は一層きびしく目をつぶった。ただ、微《かす》かに口を動かして、何やら言った。聞こえなかった。貞盛は耳をよせた。
「……申訳……ありません。林の……奥へ……。無残や……兵どもに……」
きれぎれな言葉が耳に入った。
貞盛は、われを忘れた。乳母をほうり出したまま、馬もおき去りにしたまま、駆け出した。手荒く膝《ひざ》からはらいおとされた乳母は、またしたたかに頭を打ち、気を失った。
身も心も火になったように熱して、貞盛は林の中を駆けまわった。
「姫君! 姫君! どこにおわす! 姫君! 姫君!……」
ひっきりなしに叫びつづけた。
右に行き、左に行き、進み、退き、呼吸《いき》をきらして駆けまわりつつ、せわしなく見まわす目に、樹幹の間に、紅《あか》い帛《きぬ》の色がチラと飛びこんで来た。
そこに貴子はたおれていた。全身、何の蔽《おお》うものもない裸体で。むざんきわまる暴力のあとであった。
きゃしゃな下半身が血によごれ、胸や腹部にかすりきずのあとや、泥《どろ》がこすりつき、樹間を漏れる朝の日があさましいまでにはっきりと照らし出していた。
貞盛はよろめき、目を蔽うた。むしり捨ててある衣服をとって、その上を蔽いかくした。
顔には苦痛の色は見えなかった。依然として美しく、繊細で、たおやかであったが、目じりに一筋ひいた埃《ほこり》の筋が、無限の苦痛と汚辱のために泣いたことを示していた。
貞盛の胸には、はげしい怒りがあった。こんな悪虐《あくぎやく》を敢《あえ》てした兵共に対してはもちろんであったが、このような目にあった貴子にも、保護し得なかった乳母にも腹を立てていた。
貞盛はそっと歩きより、呼び立てた。
「姫君、姫君、姫君」
彼の心理は複雑であった。生きていてほしいと思う一方、生きかえることを恐れてもいた。
返事はなかった。
おずおずと手をのばして、ゆりうごかした。やはりこたえはなかった。鼻に手をあててみた。呼吸はたえていた。胸に耳をあててみた。ゾッとするほどつめたかった。鼓動はなかった。完全に死んでいた。
はじめて涙がこぼれて来た。
乳母のいる場所に走りもどった。乳母はまた昏睡《こんすい》状態におちいっていた。貞盛は馬の手綱をはずし、乳母の首にまきつけ力一ぱいしめつけた。少しもがいただけであった。すぐ死んだ。
刀で穴を掘ってうずめてから、帰途についた。いやな、重苦しい気分であった。時々、自分を納得させるようにつぶやいた。
「これでよいのだ。これでよいのだ」
貴子がもう誰の手にもとどかない所に行ってしまったことが、満足に似たものを感じさせてもいた。
夫《つま》恋い鳥
水守《みもり》にかえりつくとすぐ、貞盛は良正の居間に向った。
良正はいなかった。「北の方のお居間に行っている」と、良正の下婢《かひ》が言った。
「さらば、うかがって来てくれ。至急にお話し申したいことがあります。こちらにお出ましいただけましょうか、それとも、そちらに推参いたしましょうかと」
下婢はかしこまって立去ったが、すぐかえって来た。
「奥へお出でいただきたいとのことでございます」
「それでは、案内《あない》を頼む」
下婢の後から、北の対《たい》の屋《や》に行った。
良正は、若い美しい妻に酌《しやく》をさせ、いい気持そうに酒をのんでいた。祝盃《しゆくはい》も二日にわたり、かなりすさんだ顔になっていたが、それでも上機嫌《じようきげん》はつづいていた。
「やあ! そなたどこへ行っていたのだ? さあ一つ行こう。酒というものは、このような時にこそ飲むものだ。待てば海路の日よりあり、これで一時に三人の子を失われたわれらが舅《しゆうと》の殿の鬱懐《うつかい》も散じたであろうし、われら三人が刀自《とじ》方も、はじめて頼もしい夫《つま》を持った喜びを感じ得たであろうて。――な、おれが北の方、なんと、常陸《ひたち》六郎良正という男は頼もしくござろうがや、ハハ、ハハ、ハハ、ハハ……」
良正は、からかうように妻の頬《ほお》を指先でついた。
「いくらかはね」
貞盛の妻によく似ている良正の妻は甘えるように夫に言って、その目を貞盛に流して微笑した。貞盛だって上機嫌でないはずはないと信じ切っている表情であった。
貞盛は笑う気にならなかった。しかし、美しい女に対しては、無愛想になれない性質だ。微笑をかえし、受けた盃《さかずき》を一気にかたむけて、
「少しお耳に入れたい話があります」
と、切り出した。
酔っている良正は他愛《たわい》がない。いかにも可愛《かわ》ゆくてならぬもののように、妻の背中を撫《な》でながら上《うわ》の空で答える。
「話? 聞こうよ」
「しっかりと聞いていただきましょう。大事な話であります」
と、前おきし、貴子《たかこ》主従のことを話した。
さすがに、良正もおどろいていた。いつか妻を撫でていた手を引っこめ、とろんとした目をみはっていた。
十分な反応があったので、貞盛は勢いこんだ。
「乱暴にもほどがあります。敵味方にわかれて戦っていても、小次郎は近い一族であります。兵共にとっては、主筋にあたる人間です。その寵愛《ちようあい》する女性《によしよう》、しかも、その女性は宮家の姫君ですぞ。それをあらけなく汚《けが》し踏みにじって死に至らせるとは、何ごとでありますか。悪逆もきわまります。至急に犯人共を糺察《きゆうさつ》していただきたいのです」
良正はあきれ、それから狼狽《ろうばい》した。
「殺してしまったのか」
と、言ったきりで、何にも言えない。
貞盛はさらに押した。
「そうです。苛《さいな》んで死に至らしめたのです。くどいようですが、くりかえして申し上げておきます。ほかならない身分の姫君であります。もしこれを寛仮《かんか》しておかれるようだと、朝廷《おおやけ》や国府の思召《おぼしめ》しにも|さしひびき《ヽヽヽヽヽ》がありましょう」
「それはそうだ。さて、さて、こまったことをしでかしてくれたものだわ……」
沈吟した。酔いもさめた面持《おももち》であった。
十分におどかしておいて、貞盛は引上げた。
あとに、良正は腕を組み、首をかしげて思案にくれた。
頭が痛くなった。手酌で酒をついでのんでみたが、先刻までのうまさはもうどこかへ行ってしまっている。いたずらに苦いばかりであった。
妻が薄笑いして自分を見ているのに気づいた。可愛ゆくてならない妻だが、癪《しやく》にさわった。
「なにがおかしい。笑いごとではないぞ!」
と、叱《しか》った。
「だって、おかしゅうございますもの」
と、妻はなお笑う。
益々《ますます》腹が立ったが、きつくは叱れない。
「そなたはわしが心配しているのがおかしいのかや、むごいお人じゃ」
と、愚痴の調子になった。
すると、妻はすらりと身をよせて来た。良正の耳に口をあてて、ぼしゃぼしゃとささやいた。
見る見る、良正の目がまるくなる。
「えッ? 何じゃて? ほんとかや、それは」
「なんでいつわりを申しましょう。この前、父があの訴訟で京へ上りました時、向うで侘田《わびた》ノ真樹《まき》に聞いたと、わたくしに話してくれたのでございます。左馬《さま》ノ允《じよう》の殿もこのことはちゃんと御承知なはずでございます」
「……フーン」
「だから、おかしかったのでございます、わたくし」
「おのれ、太郎め! おれを馬鹿《ばか》にしくさって!」
つぎおきの酒をグイとあおり、待ちかまえて妻のついでくれたのをまた一杯あおりつけておいて、はげしく手をたたいて、召使いを呼んだ。
「左馬ノ允の殿をお呼びしてまいれ」
召使いは出て行った。
「けしからんやつめ! 叔父たるこのおれをだまそうとするのか!」
妻の酌で、引っかけ引っかけ、盃を上げた。大いにどなりつけるために、勇気を鼓舞するためであった。
妻もまたそれに手伝っているのであった。彼女は夫の一族は皆好きでない。夫が名代のかんしゃくを発揮して、したたかに貞盛を叱りつけるところを見たいのであった。
貞盛が来た。その顔を見るや、良正はどなりつけた。
「遊女に身分はないぞ!」
しまった、と、貞盛は思った。
ごまかすより外はない。
「何の話でありましょうか」
「しらばくれるな!」
と、一喝《いつかつ》して、良正はつづけた。
「その女が遊女に身を落していたことを、そちは知らんことはなかろう。たとえもとは宮家の姫君にしても、一旦《いつたん》遊女に身をおとしたからには本来の身分はなくなったのだ。どんな高貴な器《うつわ》でも、一ぺん尿瓶《しびん》に使えば、どう洗いみがいても、再び祭壇や食膳《しよくぜん》に供えることは出来んと同じじゃ」
貞盛はなんにも言えない。唇《くちびる》をかんでいた。
「兵どもが、あの女にかぎってそんなことをしたというのも、思うに、それを知っていたからじゃ。遊女であった女と知っては、好色心《すきごころ》の動くのも、男としては無理からぬことじゃて。兵どもが悪いのではない。遊女であったということが悪いのじゃ。もちろん殺したのはよいとは言えん。しかし、遊女であった者が、十人やそこらの男を相手にしたからとて、呼吸《いき》が絶えるなど、どうかしている。修業が積んでおらんければならんはずじゃ。そう思うのが普通じゃ。兵どももそう思ったんじゃろうて。従って、この点でも、兵どもに罪はないわけじゃ。つまり、悪意のない過失じゃったんじゃよ」
乱暴なことを言い出した。
貞盛は腹が立ちもしたが、あきれもした。
どうしてことが暴《ば》れたか、考えるまでもなくわかった。
良正の若い妻は、美しい横顔を見せて、夫の方を向いていた。その横顔に意地悪い微笑のかげがあるように、感ぜられた。
(魔女め!)
腹の底でつぶやいた。
良正はいくら言っても、腹が癒《い》えないらしい。クドクドと、いつまでも言いつづけた。曰《いわ》く、知らん道理はないのに、大袈裟《おおげさ》なことを言って、おれをおどかした。曰く、いかに、未練があればとて、遊女になった女などのために、血のつづく叔父を心配させるということがあるものか。曰く何、曰く何、曰く何。うるさいかぎりであった。
いつか、貞盛は、どうでもよいような気になっていた。
(そうだ。おれの女ではない。小次郎の女だ。なにを血迷って、おれはこんなに夢中になって腹を立てていたろう……)
そこで、あっさりとわびを言った。
「申訳ありません。未練はないつもりでいたのですが、やはり未練があったのですね。なるほど仰《おお》せの通り、一ぺん尿瓶になった女でありました。ハハ、大笑いですな」
カラカラと笑ってみせた。ほんとに、悪夢のさめたような、サバサバとした気持であった。
豹変《ひようへん》ぶりに、さすがに、良正もその若い妻もおどろいた。黙った。へんな顔になって見ていた。
長居は無用だ。
「他に御用はありませんな。それでは、失礼いたします」
と言って、引上げた。
「ブッ! 何というやつだ」
と、良正が言った時、遣戸《やりど》の外に人のけはいがあって、声がかかった。
「入ってようございますか。わたしでございます」
しわがれたその声がした時、良正は狼狽した。
「ああ、うん、入るがよい」
きょときょとと、いずまいを直した。
その良正の狼狽と反対に、若い妻はツンと取りすました顔になった。鼻の先で笑ったようであった。
入って来たのは、良正の嫡妻《むかいめ》であった。年頃四十四五。若い時は美しかったのかも知れない。大きなよく光る目にそれがうかがわれた。しかし、今では色の黒い、小じわの多い、ギスギスと骨立った老婆《ろうば》にすぎなかった。
嗅《か》ぎまわすような|せんさく《ヽヽヽヽ》的な目で室内の様子を見まわしつつ近づいて来て、良正の前に坐《すわ》った。
「ああ、なんだな? 用かな」
良正はしいて落ちつきを見せて、問いかけた。
「お話があってまいりました」
といいながら、老いたる嫡妻の目は、若い妻に向っている。邪魔ですよ、遠慮してもらいたいね、といいたげな目であったが、若い妻はツンとすまして動く様子はなかった。
良正はこまった。これを看過しては、あとで老妻からかれこれといびり立てられるにちがいないが、といって、しばらく向うへ行っていなさい≠ニ言ったら、これまた若い妻のごきげんを損じよう。そこで、エヘンエヘンとせきをしたが、この空咳《からぜき》の間に、若い妻の怒りを買うより老妻の不平を甘受しようときめた。
「ああ、聞こう。話すがよい」
嫡妻のしなびた顔にサッと血の色が走った。薄い肩があえいだようであった。やがてはじまるであろうヒステリックな狂乱を思って、良正の胸はふるえた。
しかし、おさえたらしい。しわがれた声はいたし方はないが、先《ま》ずおちついた調子で言った。
「わたしは、豊田の老刀自と若刀自に会って来ましたよ」
「会った? どうしてまた会ったりなんぞするのだ?」
と、良正は驚いたが、相手はすまして答える。
「お二人が会いたいと申してよこされましたのでね」
「誰がそんなことを、わしにことわりもなく取りついだのだ。さようなことは、わしにことわって、わしの許しを得てからすべきだ。勝手にそのようなことをしてはこまる」
良正は皮肉を言っているつもりであった。言葉の表《おもて》はとりついだ者に向けながら、意味は老妻にあてつけたつもりだ。
「そんなに|むき《ヽヽ》におなりになることはありますまい。老刀自は嫁|同士《どち》として、昔から姉妹同様に馴《な》れむつんだお人、若刀自は姪《めい》として生れおちた時からいつくしんで、|むつき《ヽヽヽ》の世話までしてあげたお人です。こちらから進んで会いたいくらいです。会ってほしいと言いよこされたら、会わないわけにはまいりません。わたしはイヤでございますよ。人の運が傾いたからとて、急によそよそしくするなどという薄情なことは」
理路整然と、立板に水を流すようだ。
言えば言い分があるが、かえって面倒なことになる。良正はだまっていることにして、かわりにしきりに|ひげ《ヽヽ》をひねり上げた。
老妻はじろりと若妻に尻目《しりめ》を流して、
「お邪魔なようですから、手短かに申します。お二人は貴子とか言われる京下りの上臈《じようろう》姫のことを、大へん気にしておられました。これは昨日|養蚕《こかい》川を渡ったあたりで、こちらの兵共が馬で送ると申して、皆と引きわけたそうですが、未《いま》だに到着なされぬとか。今一つは皆を上総《かずさ》にやってほしいと申しておられます。
しかし、わたしは思いますよ。上総なんぞより、一《いつ》そのこと、豊田にかえしてお上げなさるがよいと。この戦さはもともと当家としてはそう根の深いものではありません。もとはと言えば他人の喧嘩《けんか》を殿が買って出なさったところからはじまっているのですからね。一族に味方せずに、他氏に味方して、事をおこしなされたのですからね。世間では笑っていますよ。わたしもその通りだと思いますよ。
そんな戦さは、女にとろい殿方が勝手になさっていればよいので、女子供まで巻きぞえにすることはありません。
とまれ、豊田は、小次郎殿も良子殿も、殿にとっては甥姪《おいめい》、この上なく近い一族です。今は争っていても、一旦|和睦《わぼく》が出来れば、そこらの女の縁で連《つらな》っている家など足許《あしもと》にもよりつけないほど頼りになる家です。
そうなった時のことを思い、手厚くもてなして、豊田におくりかえしなさるがよいと、わたしは思いますよ。どうか、そうして上げて下さいまし」
言うことに一々ケンがあるが、良正はそれに腹を立てるより、若い妻が腹を立てて、二人の間にいさかいが起りはしないかと、それが気になって、はらはらしていた。
「お話し中に失礼でございますが、ちょっとおうかがいいたしたいことがございます」
あんのじょうであった。若い妻が老妻に言った。声がふるえ、顔が青ざめていた。
(そうれはじまった!)
雷雲《らいうん》の近づくのを待っている気持であった。良正のひげをひねり上げる手は益々、猛烈になる。
老妻は待ちかまえていたように、若い妻の方に向き直った。
「はいうかがいましょう。何をおたずねでございますか」
雷鳴第一声である。光る大きな目が閃電《せんでん》となって、ピタリと相手の額に射つけられる。
「女の縁で連っている家と唯今仰《ただいまお》っしゃったのは、わたくしの家のことでございましょうか」
「そうでないと仰っしゃるつもりですかや」
雷鳴第二声はふわりと軽かったが、含みは強い。
「失礼ながら、あなた様のお実家《さと》はどういうことになりましょう」
「わたしの実家は、自分の喧嘩に嫁ぎ先の家を巻きこんで、同族と仲違《なかたが》いなどさせたことはございませんのでね」
若い妻の美しい唇は、くやしげに引きゆがめられ、わなわなとふるえた。
良正は見ていられなかった。もうひげなんぞひねっておられない。
「これこれ、何をくだらんことを言い合っている。かようなことに、女なぞが口ばしを入れるものではない。つつしむがよかろう」
大いにおちつきを示して、良正は言い出した。しかし、老妻が|こめかみ《ヽヽヽヽ》のあたりをピリピリとふるわせて、何か言い出しかけると、あわててつづけた。
「つまり、その、なんじゃろう、上総にやってほしいと、向うは言うのじゃろう。うん、上総にやることにしようわい。そうすれば、文句はないわけじゃろう。うん、豊田に送りかえすというても、今は小次郎の行くえもわからん。うん、つまり、その、なんじゃな、上総なら、文句はなかろう。うん、その……」
なにを言っているのか、自分でもわからない。しどろもどろであった。
しかし、これで老妻は納得して、引上げて行った。
若い妻は、切れよと唇をかみしめて、眼前の空間に目を凝らしていたが、やがて涙がほろほろと頬を伝いはじめた。
良正はあわてた。しかし、何と言ってよいかわからない。そこで、子供をなだめるように、
「おお、おお、おお……」
と、言いながら、背中を撫でさすった。
「……くやしい!」
若い妻は低く叫んで、さらに涙をこぼした。
良正は胸がせつなくなり、自分も泣きたいような気がして来る。
「おお、おお、おお……」
自慢のひげがだらりと下がったのも気づかず、しきりにいとしい妻の背中を撫でさすりつづけた。
「……いつまで、いつまで、わたくし、こんな境遇をがまんしなければならないのです。殿は老刀自を恐れてばかりおられます。これでも、わたくし、殿の妻なのでしょうか。ああ、もう、死んでしまいたい……」
「おお、おお、おお……」
「殿は、わたくしをいとしいと思って下さるのでしょうか。いつも、こんな時、わたくしの味方をなさったことがありません。ああ、くやしい! おお、おお、おおッて仰っしゃるばかり、何がおお、おお、おおです!」
「おお、おお、おお……」
「イヤ! もう!」
若い妻は、身をふりもぎって立上った。
「待ちなさい、これ」
「イヤ! もう!」
おそろしく侮蔑《ぶべつ》的な目を向けて、行ってしまった。
ひとりになると、良正は渋い顔になって、つめたくなった酒を、手酌《てじやく》でついで、飲んだ。
「あつかいにくいのう、女ちゅうものは。たびたびの戦さも、そなたをいとしいと思えばこそではないか。じゃのに、ああ言われては、立つ瀬がないの。子供と同じじゃて。頑是《がんぜ》がなさすぎるてや。フーン、しかし、そこがまた可愛いところでもあるて」
ひげをひねり上げながら、つぶやきながら、しきりに盃を重ねた。
翌日、捕われ人のほとんど全部が、上総に送られた。
出発に際して、老妻がつきっきりで世話をやいた。
やれ、皆に馬をあてがわねばいけない。やれ、旅籠《はたご》の用意がこれでは粗末すぎる。やれ、途中舟の用意やなにかに色々と世話をせねばならないから、もう二三人下人をつけたい。やれ何、やれ何、と、大事な大事な賓客を旅立たせるような世話のやきようだ。
老妻のそうした世話やきの目的が、実はこちらをいじめるためのものであることは、重々良正は承知している。
(狸婆《たぬきばば》アめ、くだらんことばかり言って、物費《ものい》りでかなわんじゃないか)
と、心中大いに腹は立ったが、貴子のこともある。また、家庭の平和のためにはやむを得ない。
「うんそうじゃ。うんそうじゃ」
と、一々要求を入れるよりほかはなかった。
かくて、良子、小次郎の母、豊太丸、小次郎の弟三人、桔梗《ききよう》、そして十数人の婢女《はしため》という大人数は、美しく装った馬をならべ、豊富な旅籠をたずさえ、遊山旅《ゆさんたび》かめでたい里帰りのような旅支度で、水守を出発し、途中二泊して上総についた。
上総では、水守からの報告と途中からの前触れがあったので、一応の準備をしてはいたが、一行のあまりなる行装《たびよそおい》の花々しさにはおどろかざるを得なかった。
「やれ、これは何としたこと!」
捕虜として送られて来たのか、嫁ぎ先の婦人連を引連れての晴れの里帰りなのか、人々はわからないような心理になった。
忠義《ちゆうぎ》立てに、これを良兼《よしかね》の若い妻|詮子《せんこ》に告げたものがあった。詮子は出てこれを見て一ぺんにきげんを悪くした。
(水守の殿ともあるお人が、何というけじめの立たないことをするのであろう。狂気の沙汰《さた》だ。この一族の人々のすることは、まるでわけがわからない)
プリプリしながら、良兼の居間に向った。
到着の知らせを受けて、良兼は居間で、長いあごをかきなでつつ、深い思案にくれていた。
彼の心理は複雑であった。掠奪《りやくだつ》結婚という身分にあるまじき嫁ぎようをして、一年半ぶりにはじめて父娘《おやこ》の対面をするわけだが、それがまたなんという対面であることか! 戦さに負けて捕われ人となった者として対面するのだ。何という奇妙な運命にただよわされている父娘であろうと、うらめしくなって来る。
(……しかし)
急に胸がドキドキして来た。どんな運命の下の対面であろうと、対面は対面なのだ、久しぶりに顔を見、話をすることが出来るのだと思ったからであった。
良子の長所が、次々に思い出された。利口で、快活で、そのくせ行きとどいた気のくばり……
良兼は殆《ほと》んど涙ぐみまでした。
(敵の妻ということになっているが、好きで嫁いだのではない。奪い去られて無理やり妻にされたのだ。じゃから、つまり、捕虜ではない。奪われていたものを奪いかえしたわけだ。大いにいたわってやらんければならん)
うまい工合《ぐあい》に理窟《りくつ》も考えついて、出かけようとして腰を浮かした時、詮子が入って来た。
詮子の顔を見た時、良兼は深刻むざんな顔をしようとしたが、その顔はただ渋い表情を浮かべたにすぎなかった。
「水守から捕《とら》われ人等が着きました」
さりげない詮子のことばであった。夫がどんな反応を見せるか、さぐりの矢のつもりであった。
「聞いた」
答えは短く、渋い顔つきが心理を蔽《おお》いかくしている。詮子はいらいらする。いやがおうでも渋い顔つきを引っぺがして心理を引きずり出して見ずにはおかない気になった。
「良子姫がいるのでございますよ」
「聞いている」
「どうなさるおつもりでございます」
掠奪された娘が取り返されたのだ、そのつもりで迎えるとは、良兼には言えない。今の今まで筋道立った堂々たる理論だと思われていたものは、詮子の美しくまたきびしい顔を見た時、他愛《たわい》もなく力を失っていた。
「考えている所だ」
「お考えになるまでもございますまい。戦さに負けて捕われ人になった者に対するあしらいは、ちゃんと定まっております」
「それはそうだ。しかし、これは普通の捕われ人を以《もつ》ては律せられない」
「なぜでございます」
良兼はカッとするものを感じた。しかし、おししずめた。
「良子は当家の娘だ。その上、不法に掠奪されて豊田に連れて行かれていたものだ。捕われ人と見なしがたい点もあると思う」
ふるえる声で、弱々しくではあったが、ともかくも言った。
(やっと本音を吐きなさった)
詮子は意地悪いよろこびと怒りを感じた。
「おお、それでは、姫を以前通り当家の姫としてお迎えになろうとおっしゃるのですね」
にこやかに笑いながらやさしい声であった。
良兼は用心深い目で、詮子を見た。いつもいじめぬかれている犬が主人がたまたま見せるやさしい態度に、尾をふって近づいて行くべきか、いつもの詭計《きけい》として離れているべきか、迷っている表情であった。
詮子は益々《ますます》やさしい顔になった。
「ようございましたこと。わたくしもそのつもりでいたのでございますよ」
良兼はホッとした顔になったが、なお用心深く言った。
「そうしてよいであろうか」
詮子は猛烈に腹を立てていたが、けぶりにも出さない。
「よいであろうかとは?」
良兼の本心は、そなたはそれを許してくれるかと、聞きたかったのだが、そうは聞けなかった。
「うむ、なに、世間だ。世間はわしを非難しないであろうか」
詮子は声を出して笑った。いかにも明るく、いかにも面白そうな笑い声であった。良兼は顔色を失った。
「それは、世間ではよく申しますまい。姫はああしたいきさつで豊田の人になったのではございますが、本心はいやではなかったのでございますからね、親の定めた婚家《いえ》のあるのに、よろこんで自分をさらった男の妻《め》となって、親の心などまるで顧みなかったのでございますからね。世間の人は親のように甘い見方はしないだろうと思います」
今は良兼も、詮子の気持を完全に知った。詮子は昔のまま良子に好意を持っていないのだ。
(なぜ女というものは、なぜ女というものは……)
重苦しい思いが胸を蔽うて、耳をふさぎたいような気持であったが、詮子は容赦なくつづける。
「まあ、姫のことは、殿のお心もわたくしの心もきまっているのですから、たとえ世間が何と申そうとかまったことではございませんが、困るのはほかの捕われ人等のあつかいでございますよ。姫だけをよいあつかいにして、ほかの人々に普通のとらわれ人のあつかいをするのもおかしなものでございますからね。といって、みすみすとらわれ人であるほかの人々を賓客《まろうど》あつかいにすることも出来ないことでございます。けじめがつきませんものね。ここのところが、むずかしいところでございます。よくお考え下さいまし。わたくしも色々工夫しているのでございますが、何と申しましても女のこと、工夫がつきませんの」
いびり立てるというのは、こういう場合のことばだ。やさしく美しく天女のような顔と媚《こ》びをふくんだものやわらかなことばづかいとをもって、真綿で首をしめるように、じわりじわりと急所を攻め立てて来る。
良兼は、「黙れ!」と叫び出したいような気持がした。思いきりなぐりつけたかった。そのくせ、この若い妻からどうしても離れられないものを感じていた。――この若く美しく高雅な風姿の女は、おれの妻だ。この女をとりにがしたら、おれは再びもうこんな女を自分のものにすることは出来ないだろう……
声を立てず、うめくような気持でいる時、にわかに庭先に足音が乱れこんで来た。子供等の足音だと思った時、口々に呼び立てる声がした。カン高い、子供達の声であった。
「お父《もう》さま! お父さま!」
薄紅《うすあか》い夕陽《ゆうひ》のさしている、簀子《すのこ》の先の庭に、陽の光を背にして、子供等がずらりとならんで、座敷内をのぞきこんだ。
三人。公雅《きんまさ》、公連《きんつら》、公元《きんもと》。
公雅は十六、公連は十三、公元は十。皆、良兼の子、良子の弟等である。
子供等は、そこに継母《けいぼ》のいるのを見ると、見る間に興奮の色がさめて、もじもじした様子になった。
良兼にはそれがわかった。また、子供等が何のために来たかもわかっていた。胸は更に重くなった。
見る見る、白けたものが座に流れたが、詮子はにこりと笑った。
「おや、まあ、三人ともどうなさったの? 汗だらけですよ。さあ、これでお拭《ふ》きなさい」
と、やさしく言って立上った。そばに行って、懐紙を出して公雅と公連に一枚ずつあたえ、幼い公元の汗は自ら拭いてやった。継母の白くしなやかな手で背を抱かれ、焚《た》きこめた香のかおりの高い紙でひたいや頸筋《くびすじ》を撫《な》でまわされる公元の顔には奇妙な表情が浮かんでいた。とまどいしたような、くすぐったがっているような、いやでいやでならないのを身をふるわせてがまんしているような表情だ。
良兼は、これが自分に見せつけるために詮子が子供等にたいする愛情を誇示しているのか、あるいは追い払うための段取りにしているのかであることを知っている。にがにがしかった。しかし、その気持をあらわに出すわけには行かない。平穏を保つためには、人のよい満足げな微笑を作っていなければならない。その上、あろうことか、
「いいのう、公元、お母《たあ》様にきれいにしていただいて」
と言いまでした。大袈裟《おおげさ》にいえば、熱鉄をのむ思いであった。
鋭敏な詮子には、良兼のこの心理が鏡にかけるよりもはっきりとわかる。
(この爺《じい》様、心にもないことを言ったりしたりしなさるから、腹黒いのとちっともかわりはしない。油断も|すき《ヽヽ》もありはしない)
腹を立て、一層気を引きしめ、それ故《ゆえ》に一層笑顔づくって、
「これできれいになりました。さあ、お父様に何の御用? 仰っしゃいな」
とやさしい声で言って、子供等と良兼を見くらべた。
良兼はさらに満足げな顔をつくらざるを得ない。にこりにこりと、子供にも甘ければ、若い妻にも甘く見える顔でいた。
子供等だけはそうでなかった。一層白けた、一種きまり悪げな様子でぬっと立っていたが、二番目の公連がパッと身をひるがえして逃げにかかると、公元も大急ぎで走り出した。公雅もそうしたかったらしいが、さすがに十六にもなると、そうもしかねるらしく、落着きのない様子で立っていた。
「まあ!」
詮子はかすかに青ざめた。目が光って、逃げる子供等を見送っていた。
赤い夕日の中をほこりを立てて走り去りつつあった子供等は、庭のはずれまで行くと、立ちどまり、くるりと向きなおり、声をそろえて叫んだ。
「兄様申し上げて下さい! 兄様申し上げて下さい!」
公雅は決心したらしい。口をひらいた。
「姉上が帰って見えました。お父様にお会いしたいと申しておられます。それから、わたくし共、豊田の従弟《いとこ》達と遊んでいたわってやりたいと思いますが、かまわないでありましょうか」
ふるえる声ではあったが、きっぱりしていた。強い決心がうかがわれた。
良兼は答えることが出来ない。しわに畳まれた口許《くちもと》をモゴモゴと動かしただけであった。
詮子が口を出した。
「公雅どのはもう十六にもおなりですから、当家と豊田との今の事情はよく御承知のはずですね。世間の義理や武人の作法というものがあって、手軽にお父様が姫とお会いなさることは出来ないのです。お会いなさらないというのではありません。何といっても血のつづいた父娘《おやこ》のことですから、やがてお会いになることはお会いになりますが、世間に笑われないような、また武人の作法にそむかないような方法を工夫しておられるのです。おわかりですか。
それから、あなた方が豊田の従弟方と遊んでいたわってやりたいと仰っしゃる気持は、よくわかります。情あるよいお心と思います。しかし、これとて、今はただ|いとこ《ヽヽヽ》同士《どち》というだけの関係ではなく、敵味方でもあるのですから、手軽には行きません。坂東平氏の頭領で、前《さき》の上総介《かずさのすけ》良兼の子息等はものの|けじめ《ヽヽヽ》もわからないと、世の人の口の端《は》に上るようでは、まことに口惜しいことですからね」
詮子のことばにはいささかの渋滞がない。言っていることもまことに理にかなっている。反駁《はんばく》のしようがない。しかし一番大事な愛情が欠けていた。すべてが会わせたくないという憎悪《ぞうお》感情から出ていた。良兼にはそれがわかる。
(やめてくれ!)
と、叫び出したかった。しかし、それは出来なかった。詮子の愛情を失いたくなかった。そして、子供の前であった。
公雅は青くなり、また赤くなった。
「それでは、遊んでやってはいけないのですか!」
鋭い調子で言った。腹を立てていた。
この反抗に、詮子はムッとしたらしい。きらりと目が光ったが、紅い口許でホホと笑って、
「どうして、わたしがそんなことを申しましょう。わたくしはただお父様のお苦しいお胸のうちを申しただけでございます。許す許さないを仰っしゃるのは、お父様だけがお出来になるのでございますもの」
と、言って、良兼の方を向いた。
「ねえ、いかがでございますか、許して上げなさいますか」
詮子の微笑の陰には白刃のような鋭いものが秘められている。許すといったらあとで大変なことになることを、良兼は知っていた。途方にくれた目を、公雅に向けた。
公雅の顔には、子供らしくない絶望の表情があった。所詮《しよせん》お父様はお母様には頭が上らないのだ、仰っしゃることはもうわかっている、と言いたげな顔であった。それはあきらめの表情であり、かなしみの表情であり、言おうようなき軽蔑《けいべつ》の表情であった。
良兼の胸に燃え上るものがあった。ほとんど夢中に言っていた。
「子供のことだ。かまうまい。遊んでやれ。なぐさめてやれ。――ああ、それから、良子にも言え。すぐ会いに行くと申したと。誰が何といおうと、父娘じゃ、うん、父娘じゃ……」
まぶたが熱くなって、今にも涙がこぼれそうな気持であった。
「お父様、ありがとうございます。それではすぐ来て下さい」
というのもそこそこに、子供特有の現金な喜びを満面に浮かべて、公雅は走り去った。
あとには、良兼と詮子の二人、詮子は切れよと唇《くちびる》を噛《か》みしめ、真青な顔になっている。煮えかえるばかりの怒りをやっとおさえている表情であった。それを見て、良兼の胸はゆらいだ。
(おれは何ということを言ってしまったのだろう)
と、自ら驚いていた。悔いももちろんあった。
詮子が口をひらいた。
「わたくしの申し上げることなど、なに一つとしてお取り上げ下さらないのでございますね」
しずかであるが、ゾッとするような調子をもっていた。
「そんなことはない」
むっつりと、良兼は答えた。ほんとは彼はこう言いたかった。
(そなたも胴慾《どうよく》にすぎるでないか。そなたがこの家の人となって以来、わしは何一つとしてそなたの望みを入れなかったことはないぞ。一切合財そなたの言う通りにして来た。戦いたくもない小次郎と戦ったのも、皆そなたの望みのためであった。ただ今日だけそなたの望みに従わなかっただけだ。これくらいのことはそうやかましく言わんでもよいではないか)
「白々しいことを仰《おお》せられます。現にわたくしがあれほどことを分けて申し上げましたことを、すっかり踏みにじっておしまいになったばかりではございませんか」
「今日だけだ。もともと、大したことではないのだ。そう目くじら立ててやかましく申さんでもよいではないか」
良兼の調子は哀願するに似ていた。
「これが大したことではございませんと? 殿は詮子の申し上げたことをしりぞけて、良子殿の申されること、公雅殿等の申されることをお採り上げになったのです。妻の言うことより、子供の言うことを重しとなさったのであります。その妻と子供とは義理の仲でございます。妻にとって、これが大したことでなくて、何でございましょう!」
一語一語に、辛辣《しんらつ》な論理をふんで、グイ、グイ、グイ、と、おして来る舌は、刃物のように鋭かった。
良兼はたじたじとなったが、こんな場合のこんな論理ほど男にとって腹の立つものはない。
猛然としてどなり立てた。
「黙んなさい!」
「黙りません。黙っているわけには行きません。これはわたくしの立場として申さねばならないことでございます」
興奮はしていたが、詮子の語調は極度におちついている。
良兼は益々激したが、おさえて、
「いいや、黙っていただく。こんなことになぜそうまで持ってまわった考え方をしなければならないのだ。さらに必要のないことだ。とまれ、このことについては、わしはわしのしたいようにする。わしら父子だけのことだ。誰の口出しもゆるしませんぞ」
と、いって、立上った。
豊田の捕虜達には、以前良兼が自分の住いに使っていた沼に臨んだ建物をあてがうことになっていた。
良兼がやや急ぎ足にその建物に近づいた時、そこから子供達のにぎやかなさんざめきが聞こえて来た。それは人の心を明るくする活気と明るさにみちたものであったが、良兼は眉《まゆ》をひそめて足をとめた。考えた。
「わしが自ら足を運ぶのは軽率かも知れんな。どこかほかに待ちかまえていて、呼んで会うのがよくはなかろうか。わしが会いたいのは、良子ひとりなのじゃが、向うへ行けば小次郎の母にも会わんければならんことになるな」
昔のことを言われたりなんぞして、かれこれとなげき悲しまれるのは往生だ。足をめぐらしかけたが、その時、にぎやかに笑いさざめきながら、前面の木立の中を走り出して来た者があった。子供等であった。
「やあ、お父様がお見えになった!」
と、公元が叫んだ。
子供等は、立ちどまった。こちらの子供三人に小次郎の弟等であろう、十歳前後の男の子三人、ずらりとならんでこちらを見ていた。こちらの子供等はにこにこ笑っていたが、向うの三人はおそろしくきまじめな顔で凝視していた。
子供等のこんな顔に会っては、微笑しかけずにはおられない。良兼はにこりと笑った。
それが合図のようであった。公連であった。
「お姉様に申し上げて来よう!」
と叫んで、くるりと背を向けて走り出すと、ほかの五人もまた一斉《いつせい》に向きなおって走り出した。笑いながら、しゃべりながら、うれしくてならない風であった。
もう引きかえすことは出来ない。
(その時はその時のこと、何とかなろう)
覚悟をきめて、歩を進めた。
子供等が姿を消した、沼に向った庭の方からまわって行くと、庭の真中に立って、じっと見ている者があった。
良子であった。子供を抱いていた。子供等の知らせによって、迎えるためにきざはしを降りてそこに下り立ったところであるらしかった。
二人は三間ほどの距離をおいて立ちどまり、しげしげと互いに見合った。
良兼には、良子が家にいた頃《ころ》よりひどく大人び、そして、やつれているように見えた。良子には、父の老いの色が一層深くなったように思われた。
(いく月目だろう)
と、二人とも考えた。そして、同じように計算して、丁度一年半になると知った。
先《ま》ず良兼が微笑した。すると、良子も微笑したが、微笑しながら、ほろほろと涙をこぼした。それを見ると、良兼の胸はなにものか強い力でギュッとしぼり上げられ、のどもとに丸い大きなかたまりがつき上げて来、まぶたが熱くなり、ドッと涙があふれ出て来た。
「良子や!」
「お父様!」
低く呼びかわすと、二人はつかつかと歩きよった。
世間への義理も、武人の意地も、若い後妻への気がねも、もうなかった。良兼はひたすらに心が温かく、ひたすらになごみ、ひたすらに良子がいとしかった。
良子の方もそうだ。ひたすらに父を頼りにし、父を慕っていた幼時の心になっていた。
どちらからも口をきかず、互いに顔を見た。他の一切は二人の意識から去って、相手の顔だけがあった。
建物の内から見ている人々も、その前の簀子先にずらりとならんだ子供等も、呼吸《いき》をひそめて、この父子の再会に心を打たれていた。気の遠くなるように恍惚《こうこつ》とした静寂な時間の流れであった。
ふと、良兼は微笑した。
「帰って来たの、そなた」
良子も微笑した。
「ええ、帰って来ました」
そして、抱いていた豊太丸《とよたまる》をさし出した。
「可愛《かわい》い子でございましょう。豊太丸と名づけました。今年の四月半ば生れましたの」
「聞いていた。あれが京上りして不在《るす》の間であったとの」
良兼はなにかきまりの悪いような気がしていた。少しいかめしい顔になっていた。じっと子供を見ていた。
母の手でさし出されている豊太丸は赤んぼ特有のまたたきしない真黒な目で、はじめて見る祖父を凝視していたが、ふとにこりと笑った。歯のない薄赤いはぐきを見せたかと思うと、こんどはやわらかな唇が尖《とが》って、何か話しかけつつ、両手を前にさし出した。ウックーン、ウックーンと、懸命な話しかけとともに、むっちり太った小さい手が必死に泳ぐ。いたいけな口許をあふれしたたる涎《よだれ》が夕陽に光って、何とも言えず清らかなものに見えた。
良兼の目はまたぬれて、胸が煖《あたた》められた蝋《ろう》のようにやわらかくなった。
「抱いてくれと申していますのよ」
といいながら、良子は近づいて、さし出した。
覚えず両手を出して、良兼は受取った。軽くて、そのくせ手ごたえのあるやわらかな子供のからだは、二の腕にしっとりと快かった。
(こりゃいかん!)
と、とつぜん良兼は思った。こうまでだらしなく打ちとけるつもりではなかった。これではのっぴきならないことになると後悔したが、もうどうすることも出来なかった。
「さあ、こちらへお出で下さい。皆様にお会い下さい」
たくらんでするのか、自然の心行きなのか、良子はあたり前のことのように先に立って、建物の方に歩き出す。しかたがないから、良兼も子供を抱きながら歩を進めた。
行く手の建物の簀子についた階段《きざはし》の左右には子供等がずらりと居ならび、簀子には豊田の女連が迎える姿で坐《すわ》っている。
良兼はおちつきなく目をしばたたきながら、近づいて行った。
何とか言わなければならないが、何というべきか、良兼にはことばがない。
(和御前《わごぜ》達、よう見えたな)
では滑稽《こつけい》だ。
(久しぶりじゃな)
では白々しすぎる。
(達者であったか)
もちろん、いかん。
(思いもかけぬ対面をするな)
まあこれだろうが、それにしてもしっくりとしているとは言えない。聞きようでは横着千万なことばだ。
工夫はつかないが、歩いているのだから、距離は次第にちぢまって、階段に達してしまった。
やれこまった! と、逆上して、カッと頭が熱した時、一時《ひととき》話しかけをやめていた赤んぼが、また、ウックーン、ウックーンと、やり出した。黒い目を機嫌《きげん》よく光らせ、愛らしくとがらせた唇の間から|つば《ヽヽ》を飛ばして、しきりに話しかける。これが助け舟になった。
「おお、おお、よし、よし、愛嬌《あいきよう》のよい乳児《ちご》じゃの。おお、おお、よし、よし。うれしいか、うれしいか……」
と、あやしていると、良子が言った。
「お祖母《ばあ》さまに抱かれたいと言っているのでございます。――どうぞ、お祖母さま、お受取り下さいまし」
小次郎の母が席を立って、階段をおりて来た。おじぎをして、両手をさし出した。良兼の顔を見なかった。赤んぼだけに目を向けて、
「おお、おお、お祖父《じい》様に抱かれてよかったの。ほんによかったの」
と、いいながら抱き取った。
そこで、二人の目が合った。無愛想な顔はしておれない。良兼はにこりと笑った。
「久しゅうござるな。この度は思いもかけぬことで、思いもかけぬ対面をいたす」
何を案じわずらうことがあったのだろう、すらすらと出た。
「まことに思いもかけない対面でございます。睦《むつ》み合うべき一族が、このようなことになりまして、女の身としてはまことに悲しゅうございます。一日も早く昔の一族の間柄《なか》にかえっていただきたいと、これのみを念じております」
涙ぐんではいたが、しっかりしたことばであった。
良兼は嘆息した。
「言われる通りじゃ。わしも一日も早くそうなることを願っています。――ともあれ、こんなところで立話も出来ぬ。上ります。そなたも上って下され」
上へ上って、皆がそれぞれの座につくと、良子は桔梗を紹介して、なお貴子のことを訴えた。
「この方のことについては、水守では一向くわしいことを申してくれません。夫が深く心をかけている方でありますから、返していただきませんと、わたくしが申訳ないことになります。どうか、お父様から、そう仰《お》っしゃって、わたくし共に返していただきたいのでございます」
良兼には、あらましの見当がついた。しかし、はっきりそう言うわけには行かない。
「よし、よし、早速にそう申してやるであろう」
と答えるよりほかはなかった。
大人達の問答がはじまる前に、子供等は走り去った。どこかここから見えないところで、面白い遊びをしているのであろう。愉快げで明るい声がたえず響いてくる。その声を聞きながら、良兼は日が沈んで灯《ひ》のほしくなる頃まで、何くれとなく語りながらそこにいて、やっと、
「皆わが家にいるようにくつろいでいて下され。はばかりなことはなんにもありませんでな」
と、あいさつして辞去した。
(わたしは一体、あの連中をどうするつもりであろう)
母屋《おもや》への道をたどりながら、良兼は自分のしたことに驚いていた。しかし、何とも言えず快かった。詮子の怒りを思うと、その快さも忽《たちま》ち消えて、厚い雲に蔽《おお》われたように胸が暗くなった。
「しかたはないてや、しかたはないてや」
とつぶやいた。豊田の連中を好遇するのもしかたがないという意味か、詮子の意を迎えて何か方法を考えるのもしかたがないという意味か、自分でもよくわからなかった。
居間におちついたが、その夜、詮子は全然姿を見せなかった。
「腹を立てているのであろう。無理はない」
良兼は、わが居間ながら何となく気がねせられて、ひっそりとその夜を過した。
ところが、その翌日も姿を見せなかった。
「まだ腹を立てているのかな。これはこまった。どうすればよいのぞいの」
肩をすくめて、時々つぶやいた。行ってみようか、せめて婢女《はしため》に様子を聞いてみようかと思ったが、思っただけであった。何しろこわかった。
昼頃まで居間にこもっていたが、ふと昨日良子に頼まれたことを思い出した。
「大方のことはわかっとるが、一応水守に言うてだけはやってみんならんな」
文机《ふづくえ》によって、硯《すずり》のふたを開け、墨をすって、紙をのべて書き出して、半分ほど書いた時、にわかに詮子がやって来た。
なぜか、良兼は狼狽《ろうばい》した。書きかけの紙を引裂いて、クシャクシャクシャとまるめてしまった。
詮子の顔色がサッとかわり、目が鋭く光った。
(しまった! かくすことはなかったのだ)
と後悔したが、もう追っつかない。
しかし、詮子はそのことについては何にも言わなかった。ピタリと坐って、
「わたくし、思う所がございますから、今から実家《さと》へまいります」
と、言った。
「えッ? 実家へ?」
良兼は色を失った。
「どうしてまた実家へなんぞ……」
「そのわけはおわかりのはずでございます。それでは、まいります」
つめたくとりすまして言い放って、すっと立上った。
良兼はおろおろとなった。
「待ちなさい。待ちなさい。一体、いや、それはおだやかではありませんぞ……」
と、立上りかけると、
「ごめん下さいまして。皆が待っておりますから」
言いすてて、出て行ってしまった。
良兼はなお呼びつつ追いかけたが、詮子はふりかえらない。急ぎ足にすっすと歩いて行く。
車寄せまで出ると、下人や婢女ども二十人ほどが、馬を引きたて、荷物をひかえて待っていた。甲斐《かい》甲斐《がい》しい旅立ちの支度がすっかりととのっていた。
この者共の手前、もう良兼はなんにも言うことが出来ない。わくわくする胸をおさえて、ぼうぜんとして立っているよりほかはない。
詮子は、女《め》の童《わらわ》のわたす笠《かさ》を受取って、夫の方を向いて、
「それでは、まいります」
と、軽く一礼して、下人共に助けられて、馬上の人となった。
「さあ、おやり、大分おそくなりました」
日脚《ひあし》を見上げて言う詮子のことばとともに、供の者共は、一人一人ひざまずいて良兼に挨拶《あいさつ》して歩き出す。このていねいな式体《しきたい》をする彼等の目には、良兼に対する同情の色があった。それは彼等が主人夫婦のいきさつを知っている証拠であった。けれども、良兼の立場としては、一々うなずきかえさざるを得ない。「御苦労だの。気をつけて行ってくれよ」といいながら。
こうした自分がこの上もなく滑稽なものであり、みじめなものであり、恥かしいものであることを、良兼は十分に知っていたが、どうすることも出来ない。
詮子は、一度もふりかえらず行ってしまった。
良兼は居間の方へ足をめぐらしたが、その道すがら徐々に胸がたぎり立ち、居ても立ってもいられないほどにはずかしくなった。とりわけ、阿呆面《あほうづら》して下人共に声をかけた自分に我慢出来なかった。覚えず、からだのどこかに激しい疼痛《とうつう》でもある人のように、声に出してうめいた。
その日一日、さらにその翌日一日、良兼は居間にこもったままであった。怒りと侮辱感とにのたうちまわりつつある間に、良兼の決心はかたまった。
「わしはあの女を離別しよう。いかになんでも、わしほどの者がこんな侮辱に甘んじていなければならないはずはない。あの女はわしを見くびっているのだ。どんな我《わが》ままを言おうと、決してわしが離別し得ないと、|たか《ヽヽ》をくくっているのだ。男というものが、どんなに強いものであるか、それを見せつける必要がある」
詮子が来て以来、家庭に平和が失われてしまったことも考えられた。子供等がちっともなついていないことも考えられた。小次郎との争いももとはといえば詮子のさし金であることも考えられた。
「わしの一家にとっては、あの女はわざわいの神のようなものでしかない」
と、結論した。
しかし、その翌日になると、
「はやまってはいけない」
と、考えた。自分の余命がいくらもないことを考えた。
「わしはやがて死ぬ。もう三十年とは生きられない。せいぜい二十年、ひょっとすると十五年か十年かも知れない。子供等はまだ先が長いのだ。幸福になる機会も多かろう。わしとしてはわしのこの短い余生を楽しむことを考えなければならない。あれほどの女をここで失っては、もう取りかえしはつかないぞ……」
青春の痴情は燃え立つ火のようにひた向きだが、根は浅い。一気に燃えてすぐ燃えつきてしまう。老年の痴情はたゆたい勝ちだ。右を見、左を見、前を望み、後ろをかえりみて、たえず反省と自責にさいなまれる。しかし、それはものにしみとおって行く水のように根強い。痴情は老いさらばえた生命にしみとおって骨にからみつき、その人はもうどうすることも出来ないのだ。
良兼は二日の間、なやみになやみ、迷いに迷った。彼の心は子供等への愛と詮子への痴情の間に揺れてやまなかった。ある時は子供等への愛が勝つように見え、ある時は詮子への慕情が強くなるようであった。
三日目の朝、起きるや否《いな》や、良兼は郎党を呼んで、旅をするから、下人共に支度をさせるようにと命じた。
郎党はおどろいた。
「いずれへ」
「常陸《ひたち》の府中《ふちゆう》まで行く。場合によっては水守《みもり》まで行く。豊田方のとりこについて、腑《ふ》におちぬことがある。書面では済まぬことゆえ、大儀ながら行かねばならん」
郎党の返事はひまどった。
(こいつ、おれの心を見ぬいている)
と、思った。しかし、そんなことにかまってはいられない。
「申しつけたぞ」
と、押した。
「早速に申しつけます」
郎党は退《さが》って行った。
良兼は別の郎党を呼んで、留守中のことを色々と注意した。
この郎党も、おどろいていた。
「豊田の方々の取りあつかいはいかがいたすのでございましょうか」
そうだ、問題はこれをどうするかが根本だったのだ、と、思い出した。沈吟したが、急によい工夫のつこうはずはなかった。
「今のままでよろしい。なに、すぐ帰る。ほんの五六日のことだ」
「かしこまりました」
郎党は退って行った。
良兼は婢女共に手伝わせて、旅支度をととのえた。それが出来た頃に、下人共の支度も出来た。
良子をはじめ豊田の女等に会って行くべきかどうかに少し迷ったが、すぐ会わないで行くことにした。会えば面倒になるばかりだ。恐らく良子は弟等に聞いて詮子が実家へ帰ってしまったことを知っているにちがいない。だから、自分が旅に出ると聞いたら、すぐ詮子を追って行くと知るにきまっている。恥かしかった。
せめて発《た》ちぎわに公雅に会って、旅に出ることを告げ、あとで良子にも知らせるように言おうかとも思ったが、それもやめた。公雅は露骨に情なさそうな顔をするにちがいなかった。
(しかたはない。しかたはない。わしは余命いくばくもないのだ……)
ゆるしを乞《こ》うように心につぶやいて、馬にまたがり、しきりに馬を急がせた。徒歩でついて来る下人共が呼吸《いき》をはずませ苦しがったが、かまわなかった。追われる人のような気持であった。
父の出て行くのを、公雅は館《やかた》のわきの丘の上から見ていた。弟等や豊田の従弟《いとこ》等を連れて、そこに遊びに来ていたのであった。
彼には父がどこへ、どんな目的で行くか、よくわかっていた。何か情なく、何かいまいましく、何か恥かしいような気がしていた。子供等が気がつかなければよいがと思っていると、公連が見つけてしまった。
「お父《もう》様だ、お父様だ、お父様がどこかへお出でになる」
と、さわぎ出した。
「あ! ほんとだ!」
と、公元が忽ち興奮した。呼びかけようとして、両手を高く上げた。
公雅はその手をつかんだ。
「これ! 大きな声を出すと、叱《しか》られるぞ」
「どうして叱られるのです?」
公元は不服げに言ったが、兄の顔を見ると、すぐ黙った。青ざめて、目に沈鬱《ちんうつ》な光をたたえ、今にも泣き出しそうに口許のゆがんでいる兄の顔は、幼い公元に、
(お父様はお義母《たあ》様のところへ行かれるのだ)
と教えたのだ。
公元は公連の方を見た。これは血のにじむほど強く唇《くちびる》を噛《か》みしめ、頬《ほお》をふくらかしていた。腹を立てている顔であった。
豊田のいとこ等を見た。自分らのこの有様と、次第に遠ざかって行く父の一行とを、いぶかしげに見くらべていた。
とつぜん、公元は泣けそうになった。胸がせまり、呼吸がはずみ、今にも泣声が出ようとしたが、その時、公雅が叫んで、走り出した。
「さあ、みんなあっちへ行って遊ぼう。もう松茸《まつたけ》が出ているかも知れないぞ。さあ行こう! さあ行こう!」
「さあ、行こう、行こう!」
公連が同じように叫んでつづき、いとこらも走り出した。そこで、公元もまた叫びながらつづいた。
公雅は終日面白く子供等を遊ばせたが、日が暮れると、ただ一人、沼に臨んだ建物に行って、しばらく庭からうかがっていた。丁度夕食の時らしく、灯影《ほかげ》のちらちらしているそこでは、にぎやかなざわめきがつづいていた。
空には初秋の星が次第に光をまし、沼の方からは時々水鳥の羽音が聞こえて来た。
公雅は、食事がすみ、母屋から来た婢女等が食器類を運び去るまで待った後、かくれがから出て、簀子《すのこ》に歩み寄った。
「姉上、姉上」
と、しのびやかに呼んだ。
すると、ふと簀子に出て来た人影があって、暗《やみ》をすかし見ながら言った。
「どなた様でございます」
公雅はそれが桔梗《ききよう》と呼ばれている女であるとわかった。彼は桔梗が小次郎の寵《おも》いものであることを知っている。なにかあたたかいような、なつかしいような、恥がましいような気がした。しかし更に進んで言った。
「わたくしです。姉を呼んでくれませんか」
声がふるえた。
「おや、当家の太郎君ではございませんか。お待ち下さい。すぐお呼びして来ます」
桔梗は愛嬌《あいきよう》よく笑いながら言って、内へ消えた。
「や! 太郎殿が来られたと?」
「なぜ上って来なさらないのだ?」
「上ってもらおう、上ってもらおう」
口々にさけびながら、いとこ等が走り出して来て、上れ上れとさわいでいる時、良子が姿をあらわした。
「どうなさったのです。お上りなさいな」
いつになく改まった公雅の様子を、良子はいぶかしがった。
「少しお話し申したいことがあるのです。庭に出て下さいませんか」
にこりともせず言う公雅の様子には思いつめたものがうかがわれた。こちらの運命に関したことだと、すぐ察しがついた。
「あ、そう。出ましょう」
良子は、子供等に内に入っているように言って、履物を突っかけて庭に出た。
公雅は、沼にのぞんだ堤の上に姉を連れて行った。
良子は沼に向って深い呼吸をした。
「ああ、いい気持だこと。わたしは豊田でもよくここに立って、この景色を眺《なが》めたことを思い出しました。夢に見たこともありますよ」
水の匂《にお》いの立ちのぼって来る沼には薄い霧がかかり、遠くには漁火《いさりび》がチラチラとゆれていた。良子はうっとりとそれを眺めていたが、ふとわれにかえって、
「さあ、うかがいましょう。お話ってなんですの。わたし共に関係のあることでしょうね」
「あるかも知れません」
ぶつッとおこっているようなことばであったので、良子はおどろいた。
「え?」
と、暗に視線をこらして、弟の表情を見定めようとした。
「お父様は、今日旅に出られました」
「どこに行かれたのです」
「お義母様のところへ行かれたのです。お義母様は、姉上方が来られた翌日、実家に帰って行かれました。お父様の姉上方に対するあしらいぶりが気に入らないと腹を立てて、いやがらせに帰って行かれたのです。お父様は心配して追って行かれたのです」
公雅のことばには、義母への憎悪《ぞうお》と、父の不甲斐《ふがい》なさに対する怒りとがあらわであった。良子は父の再婚前から抱きつづけて来た不安が的中して、弟達の現在の境遇が幸福でないことを知って、嘆息した。
公雅には、その嘆息は聞こえないようであった。一筋に思いつめた表情でつづける。
「姉上方は、お逃げにならなければいけません。豊田におかえり下さい。公雅がその工夫をします。お父様はお義母様のきげんを取るために、どんな約束をなさるかも知れません。あぶないのです」
豊田に帰りたいのは山々であった。しかし、その豊田は焼かれてしまっている。夫のその後のこともまるでわからない。捕えられたとも、戦死したとも聞かないから、どうやら無事であろうとは思うのだが、病勢はどうなんだろう。ひょっとすると、悪化して頭も上らない容態になっているのかも知れない。
良子は、無言で、弟の顔を見つめた。
公雅はまた言った。
「お父様も、お義母様もいらっしゃらないのは、天の助けです。どうか逃げて帰って下さい。わたしには、お父様が信用出来ないのです」
良子には、そんなにまで父を見下げることは出来ない。若い継母が自分等に好意を持たないことは知っている。その言葉に父がよく動かされることも知っている。しかし、それも事と程度によろう。仮にも長女である自分に危害を加えるような企てに同意するようなことがあろうはずはないと信じている。
(この子はよほどひがんでいる)
と思った。ひがまねばならないようなことが色々あったのであろうと、あわれであった。
「太郎どの、あなたはあまり幸せではないようですね」
と、言った。
公雅はムッとしたようであった。荒々しく言った。
「そんなことはどうでもいいのです。今大事なのは、姉上方の身の上です。どうします。わたくしの言う通りにしますか」
「そりゃ、帰りたいですよ。みんな帰りたがっています。しかし、わたしらを帰したら、太郎どのがこまるでしょう」
公雅はまたいらいらした。
「公雅のことなんぞ、心配なさらなくてもいいのです。公雅はもう十六です。りっぱに言いひらきます」
継母の悪意と、その継母に鼻面《はなづら》を取って引きまわされている父とに、正面切って対決しようと、張り切っているようであった。
「そうですか。だったら、帰りたいですよ。ほんとに帰りたいですよ」
言ってしまうと、良子の胸は燃えるように熱くなった。矢も楯《たて》もたまらない夫恋しさであった。両手を取りしばって、きびしく奥歯をかみしめて、沼の遠くにチラチラとまたたいている漁火を凝視していた。
「そんなら、その運びにします。少しでも早いがいいのです。今夜中にここを脱《ぬ》け出すように手配しますから、そのつもりでいて下さい」
「大丈夫ですの? 手配が出来ますの?」
この幼い弟に出来るかしらと、ほんとに不安であった。
「大丈夫ですとも! 公雅はもうおとなのなかま入りをしてもよい年なのです!」
憤然と言い放って、公雅は急ぎ足にスタスタと母屋《おもや》の方へ立去った。
雁《かり》渡る
三郎|将頼《まさより》、多治《たじ》ノ経明《つねあき》、文屋《ふんや》ノ好立《よしたつ》等の懸命な運動は着々と功を奏して行った。はじめ彼等は敵の目を盗んでごくひそやかに味方を募って歩いていたのだが、数日のうちにはそんな用心は不必要になった。水守《みもり》勢と上総《かずさ》勢のあまりなる暴悪に憤激しきっていた領民等は復讐《ふくしゆう》の念に燃え立っていて、指令にしたがって、忽《たちま》ち各所に砦《とりで》を構築して、養蚕《こかい》川と毛野《けぬ》川にはさまれた地域全体が一大|城砦《じようさい》の姿になってしまったからだ。
「小次郎の殿の御病気がまだなかなかなら、三郎の殿でよろしい。出来るだけ早く思い立って下され。十倍にして仕返ししてやらねば、腹が癒《い》えませんわい」
家を焼かれ、財をうばわれ、肉親を殺され、妻子をけがされた領民等は、口々にかきくどいて、涙を流した。
こんな風だったので、三人は公然と領内を往来して、益々《ますます》戦備をかため、なお多数の従者を引きつれて領外にも踏み出し、附近の豪族を訪問しては、与力《よりき》を説いた。
今はもう小次郎も、不自由な舟の生活をする必要はない。広河の江の西南方三十町ばかりの石井《いわい》に仮の館《やかた》を建てて、引きうつった。
石井は今の猿島《さしま》郡岩井町だ。当時は広河の江から今の菅生《すがお》沼に連絡して利根《とね》川にそそぐ相当大きな水路があり、ある時代にはこれが毛野川の本流であったようである。今の菅生沼は岩井の東南方半里あたりからはじまっているが、この時代には、正東方一帯までのびていたらしいから、つまり、石井は菅生沼の西岸にある村落であったのである。
脚気に最も悪いのは暑熱と湿気だ。爽涼《そうりよう》な秋の到来と共に陸上の生活に返った小次郎の健康は見る見る回復した。
彼もまた復讐の念に燃えていた。回復の兵をおこして、敵を叩《たた》きつけないことには、武勇を本領とする坂東の豪族として、彼は再び立つことが出来ないのだ。このまま泣寝入りするなら、彼は入道して弟等に家督を譲るよりほかはない。しかし、そうしても家の名誉を回復するためには、弟等が立って戦って敵を叩きつける必要があった。それが坂東の武人の習わしであった。所詮《しよせん》、戦いは避けることが出来ないのだ。
戦いの準備は着々とととのって行き、将頼等ははやり立って決戦をうながし、小次郎自身もまた大いに戦いたかったが、心が決しなかった。捕虜になった妻子|眷属《けんぞく》のことが気になったのだ。
捕虜になった眷属等の消息については、一旦《いつたん》水守に連れて行かれ、更に上総に送られたというまではわかったが、それから先のことがまるでわからない。上総は良子の実家だ。まさか殺すようなことはあるまいと思いながらも、戦さをはじめれば、報復的にどんなことをするかわからない。ましてや、こちらを憎悪しきっている若い後妻がついているのだ。
「しばらく待て。うっかりはじめるわけに行かん」
おさえにおさえていると、ある日、子春丸が意外なことを聞きこんできた。
この前夜、子春丸は女の許《もと》に行った。彼の女は石田の荘《しよう》の土民の娘だ。前に館のあった豊田(今の向石下《むこういしげ》)から四里半あったが、その距離を彼は健脚にもの言わせて、夜毎《よごと》に通っていた。しかし、戦さになってからはそれが出来なくなった。石井に仮館が出来てからまた出来なくなった。何せ八里もある。さすがの健脚も片道八里の途《みち》を往復しては、昼の仕事にさしつかえる。
「あいつ、なかなか好きじゃから、こんなに長いこと行ってやらんだら、おとなしくしとるかどうかわからせんぞい。おら気がもめてならんわい」
いつぞや小次郎にもらった砂金包みもある。これをやって喜ぶ顔も見たい。悶々《もんもん》の情を抱いていたところ、昨日の夕方彼の生家のある岡崎に使いにやられた。ここに新しく構築された砦があって、将頼がこれを守っているのであるが、そこにやられたのだ。
「今夜は向うに泊って、明日早朝にかえってくればよろしい」
という小次郎のことばであった。久しぶりに肉親と歓談させたいと小次郎は思ったわけであった。しかし岡崎は今の結城《ゆうき》郡の尾崎だ、石田から五里半しかない。子春丸としては肉親との歓談どころではない。ニキビの一つ一つが血を吹かんばかりに興奮した。
岡崎の砦について将頼に使命を伝えるや、生家には立寄りもせず、飛ぶ速さで石田に向った。
久しぶりの逢《お》う瀬に、情人等は口をきく余裕もない。ひたすらなる情炎の燃え上るにまかせて、真暗な中で、数時間にわたって歓楽をきわめた後、やっと恋の口舌《くぜつ》がはじまる。
「おら、これお前にやろうと思って持って来ただ。ほれ、これだて」
と、砂金包みをわたした。
「何だべし、小《ち》ッこい石ころみてえだで」
砂金包みなど、見たことぐらいはあっても、手にとってみたことはない。ふりうごかして、ザラザラと音を立てて聞く。大したものではないと思っているらしい、やがてびっくりするのだと、子春丸はぞくぞくするほどうれしい。
「灯《ひ》をつけるがよいだ。明るいところで見てくれや。きっとびっくりすべしに。大《て》えした宝だによ」
「そうけえ」
そこで、ヒデが焚《た》かれて、かすかな明りが小屋中を照らし出した。
女は仰天せんばかりにおどろいた。
「ヒャッ! これ何けえ? えらくキンラキンラ光るでねえかえ。結城寺の御本尊様みてえに光るだによ。おらこわいだ」
「こわがることがあるけえ。それコガネちゅうものじゃがな」
「へえ? これがコガネちゅうもんかえ。あのコガネ、シロカネのコガネけえ。これを代《しろ》にすれば布でも絹でもくれるちゅうあのコガネけえ」
「そうよ。何でもくれるだ。おれ、それをお前にやろうと思うて、死ぬ思いで働いたぞい。いのちがけで働いて、ごほうびにもらったのぞい」
子春丸はいい気持であった。働きの次第をうんと尾ひれをつけて語り立てた。
「ヒャッ! うれしい! お前《め》エほんとにおれを思うてくれるだね!」
女は子春丸の首ッ玉にかじりついて、ニキビだらけの顔に顔をこすりつけた。涙を流していた。
「思うとるともさ。思わんでそげいなことが出来るかいな」
子春丸の胸は得意の情にふくらみ、低い鼻がピクピクとうごめいていたが、やがて、ずっと気になりつづけていたことを思い出した。
「おらはこげいにお前を思いつづけて来たのじゃが、お前はどうずらん、おとなしくしとったかえ」
女には、何を男が言っているのか、わかっているが、わざと聞きかえす。
「なんのことずらん」
「つまり、その、おとなしくだて。……おら、ずいぶん来ることが出来んだったもんな。……お前、なかなか好きだでな。そいで、おら……」
「馬鹿《ばか》たれ!」
女は子春丸の頬《ほお》にしたたかな平手打ちをくらわせた。
「痛いがな」
子春丸はほっぺをおさえて、にやにやと笑った。
「何|吐《こ》くかと思えば、吐くにこと欠いて、そげいなことを吐くことがあるべしや。ふんとに、人の気も知らいで」
「それでも、おら心配エで……」
「また吐く! もっとたたいてやらんず! おのれこそ、人にそげいなことを言って、自分で好きほうだいのことをしていたに違いなかるべし。でなくて、こげいに長う来んことはなかるべしに」
女はのしかかって、つづけざまな平手打ちをあたえた。
「痛いがな! 痛いがな! なぐることはなかるべし! もうかんにん、もうかんにん……」
子春丸は悲鳴を上げ、頬をかかえて逃げまどった。しかし、心中大いに満足であった。女のこの怒りは、その潔白と自分を深く愛している証拠だと思うのであった。
やっと、痴話|喧嘩《げんか》がおさまって、積る話が色々と出たが、やがて女が言った。
「豊田の殿が京から連れてござった上臈《じようろう》姫があったの」
「うんうん。何でも宮家の姫君じゃとかで、透きとおるほどにきれいな姫君であったぞい。気の毒に、この前の戦さで捕まりなさって、上総の介《すけ》の殿の許へ送られなさったちゅうことだで」
「ちがうぞな。上総へ送られなさったのは、大刀自《おおとじ》、若刀自、桔梗の前《まえ》等ばかりで、あの上臈姫は兵《つわもの》共のためにむごい目にあわされて死んでしまわしゃったそうだで」
「何じゃと?」
「十人ばかりの荒武者が、養蚕川を渡ったあたりの森の中に引ッかついで行って、入れかわり立ちかわり、さいなみ殺したちゅう話だで」
幽婉《ゆうえん》典雅、この世の人でないほどにあえかにたおやかに見えた貴子《たかこ》が、あらけない武者共に死に至るまでさいなまれる情景は、子春丸には奥歯がキリキリときしり、髪が逆立って来るほど好色的なものに感ぜられた。
「ほんとかいの、ほんとかいの」
と、問いかえす声が不覚にふるえた。
この話を、小次郎は朝の食膳《しよくぜん》にむかっている時聞いた。急ぎ足にやって来た郎党が、唯今雑舎《ただいまぞうしや》の前を通りかかると、子春丸が貴子姫のことについて聞きこんで来たことがあるらしく、途方もないことをしゃべりまくっている。召寄せてお聞きになったらいかがと告げた。
途方もないことというのが、胸をさわがせた。
「どんな話だ」
「てまえの口からは申し上げにくうございます。それに、てまえは小耳にはさんだというだけで、くわしくは存じないのでございます」
益々気がかりなことを言う。
「よし、呼べい。居間の方に連れて来てくれい」
急いで食事をおわって、居間に引上げて待っていると、子春丸が郎党に連れられて来た。|きざはし《ヽヽヽヽ》の前の庭にうずくまった。
「召しつれました」
「うむ。――そなたは退《さが》っておれ、用があれば呼ぶ」
郎党が立去るのを待って、簀子《すのこ》のきざはしの上に出た。
子春丸は落ちつかない様子で尻《しり》をもじもじさせながら、ニキビをつぶしていた。痴鈍な目がじっと主人を仰いでいる。
「子春丸」
「へい」
「汝《われ》は貴子姫のことを聞きこんで来たそうだな」
「へい」
「どんなことを聞いて来た。話してくれ」
出来るだけ平静な調子で言ったのだが、表情はかくしようもなく熱心なものになった。
鈍いくせに、慾《よく》にだけはさとい。子春丸はにやにやと笑った。
「何ぞ賜わるべしや。わしは石田まで行《い》て聞いて来たのでございますでな」
カッとした。しかし、こらえた。
「おお、つかわすぞ」
へやに入って、布を一|反《たん》持って来た。
「それ、これをやる」
と、さし出すと、受取って、しっかと胸にかかえこんで、語り出した。
全身の血が逆流し、胸の中を|ささら《ヽヽヽ》かなんぞでいきなり引っかきまわされるような話であった。
「ほんとか?」
おそろしい声で問いかえした。
「ほんとやか、ウソやか、存じません。てまえは、聞いて来た通りのことを語っているのでございますだ」
けろっとしたその顔には、愚鈍な微笑があった。主人の苦悩を見るのを快がっているようであった。
どなりつけたい気持をやっとおさえた。
「よし。退れ」
立上って、居間に入った。目の前が真暗になり、足許がよろめく思いであった。
小次郎は子春丸の報告を少しも疑わなかった。戦さというものをよく知っている彼には、最もあり得ることがよくわかった。けれども信じたくなかった。
(人間がそんなに運が悪くてよいはずはない。あの人はこれまであのように不幸だったのだ。そんなことがもしあったとしたら、生涯《しようがい》不幸に逢《あ》うためにだけ生れて来たようなものではないか。あの高貴な血統でありながら、あの美しさでありながら、そんなばかなことがあってたまるか! 神があり、仏があるものなら、そんなにむごいことがあろうはずはない!)
と、くりかえし考えた。なにものかに向ってはげしく抗議する気持であった。しかし、どんなに信じたくなくても、どんなに抗議しても、それは動かないものとして、益々心の底に根を張った。
おそろしい苦しみがさいなんだ。
(この東路《あずまじ》のはてにつれて来て、悲惨かぎりない、そんな最期《さいご》を遂げさせたのはおれの責任だ。おれが余計なことをしなかったら、そんなむごい目に逢うことはなかったのだ)
と、思うと、居ても立ってもいられなかった。
一時間ほどの後、小次郎は狩衣《かりぎぬ》の下に腹巻をした半武装の姿で、郎党四騎を従えて、豊田への道をたどっていた。豊田から更に東へ向って、養蚕川をこえ、子春丸の話にあった村まで行くためであった。
それから六七時間の後、日がずっと西に傾いた頃《ころ》、小次郎は石井《いわい》にかえって来た。
貴子を埋葬した場所はきわめて容易に見つけることが出来た。小次郎は自らこれをあばいて、それが貴子であることをたしかめた。
季節が季節だ。死骸《しがい》はもう半ば腐爛《ふらん》して、はげしい腐臭を放っていた。あさましいその姿には、どこにもかつてのあでやかなおもかげをしのばせるような所はなかった。これだけは全然かわらない長い黒髪と着ている着物とだけで、わずかにその人と判断がついた。早々に土をかぶせにかかったが、ふとどうしたはずみであったか、ぐらりと向きがかわって左の首筋がこちらに向いた。ドキッとした。それは生きていた時と同じように磨《みが》き上げた白玉のようななめらかな美しさを持っていた。強い力がいきなり胸をしぼって、ぽろぽろと涙がこぼれて来た。
「このうらみは、必ず報いますぞ、成仏《じようぶつ》して下さい」
おぼえず合掌していた。
何かひどく疲れて、石井の部落に入った時、従騎の一人が馬を駆け寄せて、前方を指さした。
「殿、あれをごらん下さい」
重い心を抱いて、小次郎は目を上げたが、忽ち、アッ、とさけんだ。
真ッ先に手を上げてふりながら走り出して来るのは、三人の弟等であった。そして、そのあとに馬を連ねて女達がつづいていた。母、良子、桔梗、婢女《はしため》等。皆晴れ晴れとした顔をして、微笑をふくんでいた。
咄嗟《とつさ》には本当のことと思われなかった。夢ではないかと疑ったが、子供等は早くも小次郎の馬のまわりに走りついた。
「かえって来ました。かえって来ました」
「病気はもういいのですか」
「上総で公雅《きんまさ》殿が大へん可愛《かわい》がってくれました」
と、口々にさけんだ。
こちらは、急にはことばが出ない。ただ、おお、おお、といいながら、興奮し切って真赤な顔をしている弟等を見たり、次第に近づいて来る女達の方を見たりしていた。
先頭に母、次に良子、次に桔梗という順序で馬を寄せて来て、それぞれに馬を下りた。小次郎も下馬して、近づいて行った。
「良子どのの弟御がお骨折り下さってな、こうして帰って来ることが出来ました」
と、母が言った。涙ぐんでいた。良子も、桔梗もそうであった。小次郎に会って、うれしさと共に今さらのように心細かった時のことを思い出しているのであった。
「案じていました。水守から上総へ送られなさったと聞いて、いくらかは心を安んじていましたが、どうして取りかえそうかと、胸の安まる時はありませんでした」
小次郎も胸がせまって、まぶたが濡《ぬ》れて来た。
母は少し身をひき、目くばせして、良子を招いた。
良子は黙っておじぎをした。泣いていた。
「いろいろと、皆が世話になったな。心から礼を言うぞ」
良子はまたおじぎした。やはり黙って泣いていた。
「わしも今はすっかり丈夫になった。この通りだ。安心してくれ」
と、力足をふんで見せた。
「貴子様のお姿を途中で見失いまして、まことに申訳ございません」
と、良子が言いにくそうに言う。
「あれのことについては、もうわかっている。あとでくわしく話そう」
良子はじっと夫を見たが、
「さようでございますか」
とだけ言った。
次には、桔梗が進み出た。
桔梗は、水守に引かれて行った時のこと、良正の嫡《ちやく》夫人が鄭重《ていちよう》にあつかって上総に送るようにしてくれたこと、上総では良兼も、その子息らも大へん手厚く待遇してくれたことを物語った。
「そうか、そうか、ともあれ、館へかえろう。急ごしらえのことで、何もかも不揃《ふぞろ》いだが、雨露をしのぐ支度だけはしてある」
馬は下人共に曳《ひ》かせて、一同徒歩で館に向った。
とりあえず、その夜、しめやかな祝宴を張って、積る話を色々と聞いた。公雅が近在の百姓等から馬と案内者を借り出して来て、一同をのせ、途中まで送ってくれたというのであった。
「若いだけにけがれのないあの子の心には、同族の間のこの争いが悲しくもあれば、不思議でもあるのでございます。お含みおき下さいまし」
と、良子は結んだ。
深く小次郎はうなずいた。
半弦の月の下をしきりに雁《かり》の渡る夜であった。
神憑《かんがか》り
とりこになっていた小次郎の眷属《けんぞく》等が無事に脱出して帰って来たという噂《うわさ》がひろがると、小次郎方の意気は百倍した。領内の民が自ら進んで馳《は》せ参ずる者が増加したばかりでなく、近傍の豪族等の味方する者も多く、兵をおくったり、糧食をおくったりした。
この情勢に、敵ではおどろいた。良兼《よしかね》も、貞盛《さだもり》も、それぞれ兵をひきいて本拠地から水守に集まった。
良子等が帰って来て八日目、九月十八日のことであった。小次郎は精兵千八百余人を豊田に集結させ、明十九日を以《もつ》て、真壁《まかべ》郡の野において決戦しようとの趣旨の戦書を水守におくった後、石井《いわい》を出て、豊田に向った。
その途中、広河の江の菅原《すがわら》家の開墾地のそばを通過した。小次郎としては、つい近くを通過することだし景行卿《かげゆききよう》に会いたかったのだが、ひょっとしてあとで卿に迷惑が及んではならないと思ったので、わざと立寄らずに通過することにした。しかし、火雷天神にだけはお詣《まい》りすることにした。あれほど、御分霊をもらうことに骨を折りながら、新しく建ったこの社に、多忙にまぎれて、小次郎はまだ一度もお詣《まい》りしていない。非業《ひごう》な最期をとげた貴子の思い出のためにも参詣《さんけい》しておきたいと思った。
さわやかな大気の中にしきりに赤とんぼが飛んでいる日であった。天気つづきの乾いた路面には、馬の一足ごとに軽いほこりが立った。村の人々は、甲冑《かつちゆう》をつけた武者共をひきいて通過する小次郎を、路傍に出て来て見物していたが、武者共が火雷天神の前で馬を下りて参詣するらしいと見て取ると、すぐそこに集まった。
「お詣りなさるのじゃな」
「そらそうだべし。このお社が出来るについては、豊田の殿は一方ならぬお働きがあったのじゃものな」
「また戦さをさっしゃるのじゃというから、勝ちをおいのりになるのだべし」
「こんどはお勝ちになるずらん。二千人ほども勢《せい》が集まっているちゅうからの」
「しかしのう、高い声では言われんが、この前の時は御先祖の冥罰《みようばつ》で負けなされたというぞ。冥罰となると、勢の多少によらんからのう」
「じゃから、こうしてお詣りもなさるのじゃわな」
ひげの白い翁《おきな》。嫗《おうな》。子供を背負った小娘。はなをたらして、はだしで|ぼろ《ヽヽ》をまとった子供等。壮強な男女も少しはいた。口々にひそひそとささやきながら見ていた。
社は小高い台地に建っていた。杉苗や梅の苗がまわりに植えこんではあるが、目に立つほどの樹木はなく、打ちひらいたその台地に、午後の日に照らされて、草ぶきで白木づくりのその社はあさましいほど小さく、そして新しかった。路《みち》のすぐわきに白木の鳥居が立ち、そこから半町ほど参道がつづいていた。参道の両がわの所々に曼珠沙華《まんじゆしやげ》が血がしぶいたように赤く咲いていた。
「この度の戦いに勝つことが出来ましたら、玉垣《たまがき》を寄進いたします」
戦さの勝敗についての不安は、小次郎には全然なかった。必ず勝てると信じきっていた。しかし、こう祈って、鳥居の方に引上げて来た。
参道から道路に出て、郎党の引いて来た馬にまたがろうとした時であった。鳥居のわきから道路までこぼれて集まっていた村人等の間に、ワッという叫びがおこったかと思うと、その人ごみがはじけ飛ぶように散らばった。
人々のひらいたそこには、黄ばんだ髪をおどろにふり乱した老婆《ろうば》が、ばね仕掛の人形のように飛び上り飛び上り、何やらわめき立てていた。
「こら! 婆ア様や、どうしたのぞいの! 石井の殿が見てござるに!」
一旦《いつたん》飛びひらいた人々は小次郎に気をかねて、よってたかって取り鎮《しず》めにかかったが、老婆の力は人間わざではなかった。引きとめようとするかぎりの人の手を一ふりにふり切って、おどり上りとび上り狂いまわってやまない。壮強な男が赤子をふり飛ばすよりまだ易《やさし》かった。はね飛ばされて、ころりころりところがった。
あぐねて、遠巻きに取りまいて、ワイワイさわぎながら、老婆が位置をうつすにしたがって、人々の輪も移動していたが、間もなく人々は老婆のわめきの中にまとまりのある言葉を聞きつけた。
「……おらは火雷天神じゃ、おらは火雷天神じゃ……」
ひきつるように高低の不規則な、かんだかいわめきの中に、このことがはっきりと聞きとれたのだ。
「神様が憑《かか》られたのじゃ、神様が憑られたのじゃ」
ささやきが風のように人々の間にわたると、忽《たちま》ちシンと鎮まりかえった。皆合掌し、ひざまずいた。敬虔《けいけん》な面持《おももち》になっていた。
人々のその様子も、老婆の目にはうつったようには見えなかった。骨立つばかりに痩《や》せた日やけした両手をぼろ着物の袖《そで》から二の腕までまくり上げ、大きく上にさし上げ、鈴でもふるようにふりうごかし、雲を踏むように爪先《つまさき》立った足どりで、飛びはねていた。赤くまぶたのただれた両眼《りようめ》は大きく見ひらかれ、炎のようにかがやいていた。斜めな陽《ひ》が真向から照らしていたが、全然まぶしさを感じないようであった。
「おらは火雷天神じゃ、おらは火雷天神じゃ……」
と、今はこのことばだけを絶叫しながら、なお狂いつづけていたが、ふとその目を、馬のあぶみに片足かけたままあきれた目を向けている小次郎に向けると、大きな声で叱《しか》りつけた。
「そこの者! 頭《ず》が高いぞ、おれかがまって、かしこまるべし!」
小次郎は苦笑したが、ともかくもあぶみから足をはずした。おれかがまりまではしない。けれども、老婆はそれだけで満足したらしい。ふと立ちどまると、夕陽のかがやく空に目を向けて、歌うような声でしゃべりはじめた。
稲穂波《いなほなみ》
波立つ豊田
小次郎の
おかげでおらは
めぐい子の
側《そば》に来ること
出来たでよ
恩に報いて
やるべしよ。
おらが旗立て
戦さに行けや
天がけり、
空がけりして
おらはおどれに
力そえべしに。
きっとよ、きっとよ、
おらが旗立てて行け
…………
真ッ黄色い乱ぐい歯の間から、日に光って狭霧《さぎり》のように飛び散るつばきと共にほとばしり出るかん高いことばはこう聞こえた。
おかしげな坂東ことばで、卑俗きわまる文句ではあるが、老婆の様子は京の火雷天神で二度も見た高名の巫女多治比《みこたじひ》ノ文子《あやこ》の神憑《かんがか》りの様子と寸分|違《たが》うところがなかった。それに、後世のように職業的な巫女にだけ神憑りする時代ではない。職業を問わず、性別を問わず、よく神が憑って託言《たくげん》した時代だ。小次郎はもちろん、郎党等も敬虔な心になって、いつかひざまずいて頭を低くしていた。
老婆はおどりつ、はねつ、わめきつ、小次郎の方に近づいて来た。風の行くにしたがって草が靡《なび》くように、人々は道をひらいて、老婆を通した。
老婆は小次郎の前まで来ると、今までの狂躁《きようそう》をぴたりとやめて立ちどまり、小次郎を凝視してわめいた。
「顔を上げろい! 顔を上げろい! 顔を上げておらをしっかり見つめろい!」
おずおずと顔を上げると、ただれてまつ毛のなくなっている瞼《まぶた》の中の茶色の目が爛《らん》と光って、射こむようにこちらの目を見入った。そらすことも、目を伏せることも出来ない。しっかと捕えてはなさない力があった。汗が浮き、目の前が暗くなり、その暗い中に黄色い目だけがまばたきもせずかがやいて、かん高く狂気じみた声が耳を打った。
おどれのおかげで
愛《め》ぐい子の
側に来ること出来たゆえ
おらはおどれを助くるぞ
天かけり空がけりして
八万四千の眷属どもつれて
おどれが戦さ助くるぞ
おどれはおらが旗立てて
戦さ場に行け
おらが眷属八万四千
弓も矢も刀も利鉾《とぼこ》も
身に立ちはせぬ
枯れた葦野《あしの》に
疾風《とかぜ》が渡る
幹《から》も折れれば
葉も飛び散るど。
弓矢も刀も利鉾も
バンラバラバラ
木ッ葉みじん!
ここまで言うと、足を束《そく》にして独楽《こま》をまわすようにはげしく旋回しつつ、ヤア! ヤア! ヤア! と獣めいた悲鳴を上げ、ドウと地ひびきしてたおれた。鼻孔《はな》からは鼻汁をたらし、口からは泡立《あわだ》つよだれを流し、はげしい呼吸に胸をあえがせていた。
この姿も、京の火雷天神の巫女とまるで同じだ。
勇気と敬虔なものが、からだ中にみちみちて、小次郎は合掌した。ほんとに身に訶和羅《かわら》をまとい、頭槌《かぶつち》の太刀を佩《は》き、丸槻《まるつき》の弓をたずさえた八万四千の神兵が、自分の周囲をうずめとり巻いているような気になって、斜めな薄赤い日の照りわたっている野を見まわした。
事がこうなって来ると、菅原景行を圏外の人として置くことは出来ない。夜に入って豊田についた小次郎は、将頼《まさより》にだけ行く先を告げて、夜半菅原家の開墾地へ引きかえした。
深夜の訪問に、とりつぎに出た菅原家の下人は驚いた。下人等もまた明日にせまった戦いの噂をよく知っているのであった。
「弟に会いたい。とりついでもらいたい」
と、小次郎は言った。
四郎|将平《まさひら》もおどろいて出て来た。
「どうなすったのです」
「急な用事が出来てやって来た。そなたのへやに通してくれ」
「そうですか。それではこちらにお出で下さい」
ここの建物はその後相当に手を入れたり、ひろげたりしたのだが、それにしても墾田《はりた》のための一時的なものだ。簀子《すのこ》や廊《わたどの》は一足|度《たび》に音を立ててきしんだ。
将平の居間は、三間ほどの廊で、灯影《ほかげ》の漏れている別棟につづいている位置にあった。
「あの灯《ひ》のところが、師の君のお居間です」
と、将平は教えた。
「こんな時刻まで起きておいでなのか」
「書見をなさっているのです。毎夜のことです。どんなに墾田のことがお忙がしくても、夜の読書を怠られたことはありません。学問は箕裘《ききゆう》の業(父祖伝来の業)であるから、大儀でも怠るわけにはまいらんと、いつも仰《おお》せられているのです」
と将平は答えた。敬虔な様子であった。
将平もまた読書していたらしく、あかあかと照りわたっている燈火《とうか》の前にすえた机には書巻《しよかん》がひろげてあった。
書物のような小面倒なものを毎日毎日この深夜に至るまで読みふける料簡《りようけん》が、小次郎にはさっぱりわからない。小次郎ならとても一時間もがまん出来るものではない。しんきくさくて、熱い血で頭が一ぱいになってしまう。すすめられるままに円座にすわり、めずらしげに小次郎は見まわしていた。へやの隅《すみ》に書物箱がならんでぎっしりと書物がつまり、机の横にすえられた黒漆の厨子《ずし》に料紙や筆立や硯箱《すずりばこ》がのせてあった。
やがて、小次郎は切り出した。
「さて、話というのは、そなたの口から景行卿に頼んでもらいたいことがあるのだ」
「なんでしょう」
将平の顔には当惑げな表情が出た。彼もまた明日の戦さを知っている。そして、兄等の利運を誰よりも願っているが、この戦さに景行を巻きこむことは、絶対に避けたかった。平和をもとめてこの遠い東国のはてまで来た景行一家を殺伐な坂東人《ばんどうびと》の争乱に巻きこんでは申訳ないという気もあったが、更に強く彼を動かしているのは、彼にとって景行が学問というものの精髄であったからだ。この精髄を血みどろな戦ささわぎに巻きこんでけがしてはならないと、かたく思いつめているのであった。
小次郎は言った。
「そなた、今日、わしが火雷天神にお詣りした時、神が村の女に憑《かか》られて、お告げのあったことを知っているか」
「存じております。大へんな噂になっています。あらたかなお告げであったそうでありますね。火雷天神のお旗を立てて行けとお告げがあったというではありませんか」
「そのお旗のことだ、わしが来たのは。わしはその旗を景行卿にお書き願いたいのだ。ほかならぬ御子息の御|筆蹟《ひつせき》とあっては、神霊《みたま》のお加護も一入《ひとしお》であろうと思うからだ。一つ、そなたからお願い申してくれんか。あたり前ならわしが直々お願い申すべきだが、これが世間に知れると、ひょっとして卿に御迷惑をおかけすることになるかも知れん。この夜更《よふ》けにこうしてしのびで来たのも、そのためだ」
将平は兄が自分と同じ配慮をしていたことを知って、安心もすれば感激もした。
「おやすいことです。早速、お願い申し上げてみます」
将平は廊伝いに、景行の居間へ行ったが、すぐ引きかえして来た。
「快くお引受け下さいました。なお会いたいと仰せられます」
「それは重畳《ちようじよう》。よくお礼を申し上げてくれ。しかし、お会いするのはいかがであろうか。わしの考えでは、やはりお会いせん方がよいと思うのだが」
「さようでございますか。その旨《むね》申し上げてみましょう」
また奥へ消えたが、おりかえしかえって来た。
「ねんごろな心の用いざまであると、感じ入っておられます。山々会いたいことではあるが、それほどまでに心を配ってくれることゆえ、会うことはやめようと仰せられます。それでは、しばらく待っていて下さい。布をお出し下さい」
小次郎の用意して来た布包みを受取って去った。
一人になると、急に庭の虫の声がはげしくなった。虫の声には一定の波があった。次第にしげく高くなって最高潮に達し、次第にまばらにそして低くなることをくりかえしている。一しきり一しきり遠くから驟雨《しゆうう》が襲って来ては遠くへ去って行くに似ていた。耳をすまして聞いていると、胸苦しいほどに胸が切なくなった。貴子のことが思い出されて来たのであった。
二度と再び逢《あ》うことの出来ない人となったということが痛いほど感ぜられ、涙がこぼれて来た。
「このうらみ、きっと晴らしてあげますぞ。わしを信じていて下さい」
とつぶやいた。明日敵を打ち破ったら、敵の捕虜共を厳重に尋問して、犯人共をつきとめ、最も手きびしい処罰をしてくれようと、かたく思い定めているのであった。
小一時間も経《た》って、将平がかえって来た。
「出来ました」
ひろげて見せた。はば三尺、長さ十二尺の白い麻の布には、匂《にお》うがごとき淋漓《りんり》たる墨痕《ぼつこん》で、先《ま》ず「神兵降臨」という句を二字ずつ二行に割って書き、その下に「火雷天神」とあった。高雅ではあるが弱々しげなあの人のどこにひそんでいる力が書かせたものであろう。雄渾遒勁《ゆうこんしゆうけい》をきわめた筆勢であった。
明くれば承平七年九月十九日。
小次郎は千八百の兵をひきい、養蚕《こかい》川をこえて、真壁野《まかべの》に出た。この前の戦場|堀越《ほりこし》をずっと東にこえた、今の協和町もと古里《ふるさと》村のあたりだ。このへんは畠地《はたち》と草地と小松林と雑木林だけの広闊《こうかつ》な土地で、騎馬戦には好個の戦場だ。小次郎がここを戦場として選んだのはこのためであった。敵も味方も騎馬戦を長技とする坂東武者だ。その長技を最も発揮出来るこの土地で力一ぱいの戦いをして雌雄を決したいと思ったのだ。
火雷天神での昨日の出来ごとは、昨夜のうちに全軍の将士に知れわたっていた。
「あらたかなるお告げがあったというでないか」
「おおさ、八万四千の眷属《けんぞく》をひきいて加護すると仰せだされたそうだ」
「身の毛のよだつほどすさまじい憑られようであったとの」
「おお、おお、大地から五六尺も高くおどり上って、口から涎《よだれ》を吐きつつ仰せられたそうだが、その涎の香ばしいこと、十間四方に匂いわたり、その場に居合わすかぎりの者の衣服にしみわたって、幾刻《いくとき》も消散しなかったというぞ」
素朴《そぼく》な彼等は、この霊験のために味方の勝利を信じて疑わない気になったが、さらにいざ出発という時、高々と陣頭に上ったのが、火雷天神の神旗であることを知ると、意気はさらに昂揚《こうよう》した。
このことが敵軍に知れたのであろうか、敵は良兼の名前で返書をおくり、指定の土地に出陣して有無の一戦を決するであろうと言いおくったくせに、中々出て来なかった。
巳《み》の刻(午前十時)頃《ころ》になって斥候《ものみ》の兵が馳《は》せかえって来た。敵は筑波《つくば》の西麓《せいろく》を北進中であるという。
「まだそんなことか!」
「水守の営をくり出したのが、辰《たつ》の刻(八時)前でございましたから」
小次郎は思案した。こんな時刻にこんなことでは、ここへ到着するのは未《ひつじ》の上刻(午後二時)になってしまう。ずいぶんゆっくりしているといわねばならない。
「フーム。やつらはまた待ちくたびれさせてこちらの気勢をたわませるつもりでいるのだな。さらばよし。敵がそんなきたないことをするつもりなら、こちらにも方法がある」
小次郎は、一手の勢を分けて迂回《うかい》して水守に向わせる計を立てた。水守は空虚であるに相違ないから、襲ってこれを占領し、その拠《よ》りどころを失わせようという計略だ。
「よかろう。わしに行かせていただきたい」
復讐《ふくしゆう》の念に燃えている多治《たじ》ノ経明《つねあき》は、眉《まゆ》を昂《あ》げて所望した。
水守はここから南方四里、敵に気づかれないように迂回路をとっても五里しかない。午後の二時か三時頃までには行きつける。
戦略を聞いて兵士等も勇躍した。その兵三百、部署して、今や出発にかかろうとしている時、また斥候の兵が馳せかえって来た。
筑波の麓《ふもと》を過ぎた敵は急に右に折れて、筑波山の北方の山ふところに入って行きつつあるという。判断に迷う報告であった。
小次郎は思案した。
これは豊田勢の士気の旺盛《おうせい》と軍容の大いに揚っていることを聞いて、敵がおじけづいて接戦を避けるためであったのだが、自分に引きくらべて、そうとは思われなかった。何か計略があるに相違ない、と疑った。
「およそどの位の勢だ?」
「二千騎ほどもございましたろうか。一族の方々皆お集まりのようでございます」
「一族の者全部山中へ入って行ったのか」
「村岡の殿だけがお手勢二百騎ほどをひきいて、真壁の村におひかえであるだけで、あとはのこらず山へ入って行かれましてございます」
いくらか敵の意図がわかって来た。村岡の殿というのは良正《よしまさ》のすぐ上の兄である良文《よしふみ》のことだ。良文は、高望《たかもち》王の五男で、武蔵国《むさしのくに》村岡(今の熊谷《くまがや》市の南方半里にある)に居住して、村岡ノ五郎と呼ばれ、勇武の名の高い人物だ。思うに、敵はこの良文を以《もつ》て必死の防戦をさせ、こちらの戦い疲れたところに全兵力を投げかけて、一気におしつぶしてしまう計略にちがいないと思われた。
対策は即座に立った。
こうなると、水守の空巣|狙《ねら》いに兵力を分散させることは出来ない。二百の寡勢《かせい》でも、村岡ノ五郎の手勢とあっては、軽く見ることは出来ない。水守行きはとりやめにして、諸将を集めて、自分の見込みを語り、対策をのべた。
「一気に真向から叩《たた》くのだ。村岡の叔父御ほどの武者が覚悟をきめて陣を布《し》いて待ちかまえているのだ。手強《てごわ》く戦うにちがいないが、こちらは数倍の勢だ、叔父御がいくら猛《たけ》くても、防戦だけが精一ぱいで、とてもわきをふりかえるゆとりのあろうはずはない。そこを潮時を見て、御厨《みくりや》に横合いから突いて行ってもらえば、崩れ立つは必定だ。あとは無二無三、呼吸《いき》をもつがず攻めたてれば、山中にこもる本軍も、何の苦もなくもみつぶせると思うが、いかがであろう」
われながら、小次郎は自分のあたまが鋭く敏《さと》くはたらくように感じていた。弁舌もふだんの重く渋い調子でなく、さえた朗々たるひびきの声が適切な措辞《そじ》となって、流暢《りゆうちよう》に力強く流れ出して来ると感じた。何ものかが自分に乗りうつっている気持であった。それが何であるか、ほかならぬ火雷天神であると、彼は信じて疑わなかった。
「至極の妙計。いざ打ち立ち申そう」
と、諸将は横手を拍《う》って、一議に及ばず賛成した。
寸時の後、経明の手勢を大きく迂回して進むべく北へ向って進発させた後、小次郎にひきいられた主力はたえず斥候をはなって伏勢《ふせぜい》を警戒しながら、真壁へ向った。真壁は東南方にある。一筋の道がほぼ真直《まつす》ぐについていた。
真壁まで約一里半、一時間ほどの後には、真壁の部落の西を流れる桜川を四五町のかなたに望む地点に達した。地勢はここから次第に傾斜して、桜川の河床に達し、そこからまた隆起して真壁の部落となりつつ筑波山塊につづく。
敵は桜川を前にあてた岸べに鶴翼《かくよく》に陣を張り、そこから一町ほど退《さが》ったあたりに横に長く楯《たて》をつきならべていた。
小次郎は全軍に停止を命じておいて、部将等をひきつれて、最もよく敵の陣地の見える高みへ上って馬を立てた。黄金《きん》のモール細工のように美しく黄熟した穂が重々しく垂れている粟畠《あわばたけ》の端に一かかえもあるほど大きな松が一本、空をはらって亭々とそびえている下であった。
一目して、小次郎には、敵の意図がわかった。人々をかえりみた。
「おぬしら、あの陣取りを何と見る?」
「不思議な陣取りでありますな」
人々は凝視しつつ考えていたが、わからない風であった。
「あれは三度がまえの陣法だ。先ずこちらが川を半ば渡ったところを矢で射取るつもりだ。こちらが川を渡るまでに一騎で二騎ないし三騎を射落さば、五百騎は射落せると思っているのだろう。損害《いたみ》をかまわず遮二無二《しやにむに》こちらが押し渡ったら、楯のかげにしりぞいて、また三四百騎射落す算段だ。こうして手痛い打撃をあたえてもみ合っているうちに、あの山の中から敵の本軍が突出《とつしゆつ》して来て、一もみにこちらをもみ散らして、勝ちを得ようと思っているのだ」
敵の心中を掌心《たなそこ》にのせ、白日に照らし出して指示するに似た明晰《めいせき》さであった。小次郎を見る人々の目は感嘆と畏敬《いけい》の色にみたされて来た。
小次郎は微笑して、
「村岡の叔父御もよっぽど工夫したのであろうが、相手がわしでは注文にはまらんて。わしは一兵も損ぜず、この川を渡してみせるぞ」
と言って、兵共の待っているところへかえり、そこで将頼と文屋《ふんや》ノ好立《よしたつ》を間近く呼んで、何ごとかを命令した。
二人はうなずいて、それぞれに部下の兵をひきいて前進にかかった。両隊合して千騎、真直ぐに進んで河原に達し、なお進んだ。
敵は色めき立った。手ン手《で》に弓に矢をつがえた。しかし、矢頃《やごろ》に達しないから放ちはしない。矢をつがえた弓を弓手《ゆんで》にしっかとにぎり、右手《めて》の拇指《おやゆび》で鼻油を拭《ふ》いてはしきりに弦《ゆんづる》にぬりつける。矢頃まで近づいたら引きしぼって切って放つつもりなのである。
この待ちもうけた敵に向って、味方はためらう色なく真ッすぐに水際《みぎわ》まで進んだが、そこで一隊は上流の方へ、一隊は下流の方へ向いはじめた。
敵には意外であったらしい。狼狽《ろうばい》の色を見せたが、それまで兵にまぎれて見えなかった連銭葦毛《れんせんあしげ》の馬にまたがった紺糸《こんいと》おどしの鎧《よろい》に黄金の鍬形《くわがた》を打った冑《かぶと》を着た一人の武者が軍扇をひらいて何ごとか大音に叫ぶと、騒ぎはピタリとおさまって、二手にわかれて、それぞれに上流と下流に向いはじめた。
「ハハ、あれが叔父御だな。聞いたほどにもなく|つたない《ヽヽヽヽ》軍立《いくさだ》てだ。見事|乗《の》りおるわ」
こちらで見ていて、小次郎は笑った。
こちらの両隊は、時々川を渡ろうとする勢いを見せて牽制《けんせい》しながら、上流と下流への進行をつづける。その間が四五町もひらいた頃、やっと敵もこちらの計略がわかったらしいが、矢を射かけるには矢頃が遠いし、川を押し渡って接戦を挑《いど》みかけるには兵数が懸絶しているし、踏みとどまって守備をかためようとすれば、両隊はずんずん進んで全然こちらの攻撃のとどかない地点から押し渡って来るであろうし、途方にくれつつも前進をつづけるよりほかはなかった。
見事な計画の的中に、小次郎の意気は益々《ますます》あがり、火雷天神が霊力をそえているとの信念はさらに強くなり、無敵の感が胸にみなぎった。
「それ!」
突如として、小次郎は絶叫し、抜きはなった刀を高々とふりかざし、馬腹を蹴《け》った。馬はおどろいて前足をあげて、二三度空をかいてもがいたが、その前足をおろすや、疾風のように駆け出した。
台地の奥に敵から身をかくしていた八百の兵は一斉《いつせい》におどり出し、小次郎にならって刀をふりかざし、喊声《かんせい》を上げ、馬をあおって斜面を走り下りた。馬蹄《ばてい》の音、物の具や馬具のふれ合いの音、喊声、相合して山のくずれるようなすさまじさであった。
小次郎を頂点として、クサビ形の隊形となった全騎は、のびた草や日に照らされた砂利に馬腹を摺《す》るばかりに歩度をのばして、一気に河原を横切り、しぶきを立てて流れに飛びこんだ。
敵の両隊はおどろきあわて、ある者はうしろに引きかえそうとし、ある者は前面の石井《いわい》勢にそなえようとし、名状しがたい混乱におちいった。これを見て、すかさず、石井勢は鬨《とき》の声を上げた。
わずかに八百の勢の上げた喊声だが、川一筋の距離だ、おびえた敵の武者共には百雷の一時におちかかる響きよりまだすさまじく聞きなされた。混乱は収拾しがたいものとなった。恐怖にたえられなくなった二三騎が、馬首をめぐらして逃走にかかると、もうふせぎはつかなかった。両隊とも、見る見るくずれ立って、忽《たちま》ち潰走《かいそう》の姿となった。
「それ! 敵はくずれたぞ!」
将頼の勢も、好立の勢も、一斉に馬を流れに乗り入れて、エイエイ声を上げながら渡りにかかった。
主将良文は激怒した。
「主が生涯《しようがい》武勇の名を、おのれら、この期《ご》に及んで落させるのか! 男は名こそおしけれ! 死ねや者共、逃げるな者共!」
と、声をからして絶叫して引きとどめようとあせったが、小次郎の八百騎が早くも川をおし渡って、鬨の声をあげつつ殺到して行くと、もう制止はきかない。
「無念や! 口惜しや!」
と、口走りつつも、兵共とともに逃げた。
「それ見ろ、それ見ろ、一兵も損じはせなんだぞ! それ追え、それ追え!」
小次郎はたえず口走りつつ、真ッ先かけて追い、追いながら弓をひいて、ピシピシと敵を射落した。一矢もあだ矢はない。敵は弦声に応じて馬から転落した。馬足に翼を生じ、矢に生命があって追いすがってあたる気持であった。
間もなく、川を渡りおわった両支隊が加わり、さらに多治ノ経明の隊も馳せついて、圧倒的な優勢となった石井勢は、息をもつがせず追撃した。すり鉢《ばち》に入れたものをすりこ木ですりくだくような烈《はげ》しさであった。敵は真壁の部落に逃げこんで、そこで備えを立直して防戦しようとしたが、石井勢は部落に火を放った。おりから午後となって、季節特有の西北の風がそよぎ出したので、見る見る燃えひろがって、部落は炎と煙に包まれた。
敵は居たたまらず、風下《かざしも》から逃げ出したが、もう集団になってはいられない。追われる狩場の獣のように恐怖に駆られて、七花八裂、ちりぢりになって、筑波山塊の樹林の中に逃げこんだ。
小次郎は部落を迂回して敵の退路に出て、いのちからがらに馬に鞭打《むちう》って山に走る敵を追いつつ矢を射かけていたが、ふと六騎一団となって逃げつつある敵兵を見かけると、矢をはずし、弓を小脇《こわき》にはさみ、馬に両角《もろかく》入れて追いかけた。筑波山塊の裾野《すその》地帯であるこのあたりはやや急な傾斜をなして、段々田や段々畠の間をつらぬく石ころだらけな細い小道だけが通路になって、騎馬には不便であったが、小次郎の騎乗ぶりは大胆巧妙をきわめた。馬をあおって、棚《たな》をつくって重なっている田畠を斜めに馳せ上って行くのだ。敵は気づいて必死に鞭をくれて馬足を速めたが、小次郎の烏黒《からすぐろ》の駿足《しゆんそく》は翼あるものの如《ごと》く、棚|毎《ごと》に漆黒の尾髪《おがみ》を振り乱し吹きなびけては、一はねに楽々と飛び上り、忽ち敵の正面に出た。
敵は抵抗の勢いを見せ、てんでに打物《うちもの》をふりかざして、威嚇《いかく》の叫びを上げた。小次郎は刀をぬきはなち、ふりかざしながら、叱咤した。
「おのれら、おれを誰かと思う! おのれらが敵の大将軍、石井の小次郎|将門《まさかど》と知ってのことか。知ってのことなら、来い! あしらってやろう! さらずば、打物捨て、膝《ひざ》折って降伏せい!」
黄金の鍬形を打った冑、黒革|縅《おどし》の鎧、漆黒の駿馬《しゆんめ》にまたがり、通路をふさいで立ちはだかった小次郎の姿はおそろしく大きく、おそろしくたくましく見えた。まなじりを裂いた両眼は射るように閃々《せんせん》とかがやき、丹朱の唇《くちびる》は雷鳴のような音吐《おんと》を放った。さながらに生身《しようしん》の摩利支天の峻烈《しゆんれつ》な姿であった。今にも頭上から馬をのりかけ、ふりかざした剛刀が冑の鉢金の上から唐竹割りに割りつけそうであった。
六騎の武者共は、おびえ上り、戦意はハッと散った。それぞれの武器を投げすてるや、風に吹き落されるように馬を飛びおりて平伏した。
小次郎は、この者共をつれて、真壁の部落にかえって、敵の本隊の様子を聞いた。大将軍良兼は服織《はとり》におり、他の諸軍はその周囲の山々や部落に位置しているという。
小次郎は進撃の命を下したが、ほとんどの兵がいなかった。復讐《ふくしゆう》の念と勝利に心おごって、附近の民家や山中の避難先に散らばり、掠奪《りやくだつ》や暴行や飲酒に陶酔していたのである。
「この大事な場に、何たることだ!」
小次郎は激怒して、諸将の監督の不行届を怒ったが、一旦《いつたん》散らばった兵は急に呼び集められるものではなかった。手間取っていては、敵に立直る余裕をあたえる。手許《てもと》にのこる五百の兵だけで進撃する決心をして、「火雷天神」の旗を押し立て、螺《かい》を吹き、鼓を鳴らして出発しようとしている時、あわただしく走って来た兵があった。
(真壁の東五六町の部落に、味方の兵三十人ほどが入って行き、酒を食らい酔っている所を、不意に山中から敵が押し寄せた。あわてふためいて馬に乗って防戦しようとしたが、黄熟した稲田に乗りはなされて思うがままに稲穂を貪《むさぼ》り食らった馬はものの役に立たず、うち十頭はあまりに飽食して太鼓のように腹を張り切らせてたおれてしまっていた。
こんな工合《ぐあい》であったため、忽ち敵に駆け散らされて、七人討たれてしまった。敵はすばやくまた山中に逃げこんだ。早く追手をかけて、このかたきを討っていただきたい)
小次郎は嚇怒《かくど》した。
「大馬鹿者《おおばかもの》共めが! わずかの勝利に心|驕《おご》ってその緩怠《かんたい》は何事! 自業《じごう》自得とはうぬらがことだ! さようなことはかまっておられるか!」
と、どなり立て、いよいよ螺を吹かせ、鼓を鳴らさせ、服織の部落に向って進発した。
服織は今の羽鳥である。筑波の裾野地帯をかなりに上って、筑波山とその支峰とによってつくられた山ふところに抱かれた部落だ。直線距離にして真壁の南方十七八町の位置にあるが、途中に山があって、約三十町の道を迂回《うかい》して行かなければならない。小次郎はもみにもんで、忽ち馳《は》せついたが、敵は一兵もいなかった。多数の楯や幔幕《まんまく》等の武具類が取り散らされて、少し前まで敵の主力の居た形跡は十分にあった。
「さればこそ、おれが急いだのだ。風をくらって逃げたのだ! 遠くへ行くひまはないはず。散ってさがせ」
探索の兵共が八方に散った。
小次郎は、報告に応じて即座に出動出来るようにきびしく兵を部署して待った。おくれていた兵共はしだいに追いついて来たが、敵の様子は散り散りになって山中に逃げこんだらしいとわかっただけで、そのほかのことは全然わからなかった。
そのうち、日暮が近くなった。
こうした山ふところの小部落で夜をすごしては危険だ。四方の山々から攻撃され、火でもかけられては助かりようがない。
安全な平野地帯まで撤退することにして、服織の部落に火をかけさせた。敵のよりどころを奪うためであったが、このへん一帯は貞盛《さだもり》と源ノ護《まもる》の所領だ。復讐の念に燃え立っている兵共は服織宿だけでは満足しなかった。そのへん一帯の部落部落に散らばって、一宇ものこさず焼き立てた。
肌寒《はださむ》い夕風のそよぐ晩秋の夕暮に、筑波山麓一帯の在々村々に上った赤い焔《ほのお》は、終夜、野火のように燃えつづけた。
真壁の部落も昼の火によって全焼していたが、小次郎はそこに陣所をかまえた。哨兵《しようへい》を立て、楯をめぐらし、厳重に警戒して二夜をすごし、昼は兵を出して探索したが、敵の様子は杳《よう》としてわからない。
軍議がひらかれた。
部将等は、良正の本拠である水守と貞盛の本拠である石田を襲撃してこれを焼き立てたなら、居たたまらないでかくれがを出て来るに違いないと主張した。
そこで、勢を三手にわけ、将頼に一隊をひきいさせて石田を襲わせ、多治ノ経明に一隊を授けて水守につかわし、小次郎自身はのこる一隊八百をひきいて真壁に留陣した。
しかし、石田も水守も全然空虚であった。家族等もいなければ、守兵もいず、村人等もいなかった。襲撃を予想して、皆安全な土地に退避していたのだ。石井勢は館《やかた》も民家も焼きはらって真壁にかえって来た。悲惨であったのは石田であった。去年の二月最初の合戦で豊田勢に焼きはらわれて一年半、どうにか建てられた館も民家も再び焦土となったのである。
こんなわけで、敵は依然として出て来ない。また軍議がひらかれた。
「一先《ひとま》ず豊田までかえろう。ここにこうして滞陣していては、敵のやつばらはおじけ切った狐《きつね》や狸《たぬき》が穴の奥に居すくんでいるように、山から出て来そうにない。それにいつまでも滞陣をつづけては必ず兵共の気がゆるんで油断を生ずる。そこをつけこまれては、由々《ゆゆ》しい大事になる。ひょっとすると、敵はそこを狙《ねら》っているのかも知れん。かたがた、一応引上げるのが得策である」
と、小次郎は主張した。
布陣して四日目、九月二十二日、厳重な殿軍《でんぐん》をそなえて、豊田まで引上げた。
すると、|あんのじょう《ヽヽヽヽヽヽ》であった。その翌日、早朝、探索のためにのこしておいた兵が走りかえって、筑波山の裏の盆地小幡に敵勢千余騎が集結していると報《しら》せた。
「すわや、狐は穴から出たぞ!」
小次郎は、兵千騎をすぐり、火雷天神の神旗をおし立てて、飛ぶがごとく馳せ向った。途中探索兵が櫛《くし》の歯を引くように馳せつけて、刻々に変ずる敵の動静を報ずる。敵は小幡から進んで、筑波山とその支峰|弓袋《ゆぶくろ》山との谷間に移動しつつあるという。
どんな意図をもっての移動か、こちらに寄せて決戦を挑《いど》みかけるためか、単にこちらの領内を荒すためか、但《ただ》しは与力《よりき》の人数の集まるのを待つためか、いずれともわからないが、こんどこそ逃してなろうかと、益々馬を速めて、正午近く真壁の南方五六町の地点に達した。
斥候を放って、陣取りし、時刻は少し早いが中食をさせつつ待っていると、斥候の兵が走りかえって来た。
たしかに、弓袋の南の谷に敵がいるという。人数のほどはたしかにはわからないが、草木の動き工合や声や響きの工合では、千騎をこえるらしく見えるという。
また戦書を送ることになった。
平将門、前上総介平良兼ニ牒《チヨウ》ス。
古語ニ曰《イハ》ク、昆族《コンゾク》ハナホ一樹ノ枝ノゴトシト。ソノ同根ニ出《イ》デテ相|親比《シンピ》スベキヲ以《モツ》テ云《イ》フナリ。然《シカ》リ而《シカ》ウシテ将門|前《サキノ》常陸《ヒタチ》大掾《ダイジヨウ》源護ト干戈《カンカ》ノコトニ及ビシニ、図ラザリキ前常陸大掾平国香、同族ノ義ヲ忘レ、護ニ与力シ、将門ヲ敵トシテ戦ヒ、ツヒニ屍《カバネ》ヲ戦野ニ暴《サラ》ス。豈《アニ》将門ガ意ニアランヤ。自ラコレヲトルナリ。
而ルニ意《オモ》ハザリキ、叔父良正マタ昆族ノ情ヲ忘レ、兵仗《ヘイジヨウ》ヲ連ネ、将門ヲ誅殺《チユウサツ》セント擬ストハ。将門ハ武人タリ。兵ヲ以テ迫ラレ、拱手《コウシユ》シテ首ヲ授クベケンヤ。スナハチ堅ヲ被《カウム》リ、鋭ヲ持シ、一戦シテコレヲ河曲《カハワ》ニ破ル。
然ルニ再ビ意ハザリキ、卿《ケイ》一族ノ長老ヲ以テミダリニ良正ノ讒《ザン》ヲ信ジ、同族ヲ嘯集《シヨウシユウ》シテ将門ヲ害セントストハ。将門ヤムコトヲ得ズ、コレヲ総野ノ境上ニ撃摧《ゲキサイ》ス。事朝廷ニ聞《ブン》シ、将門召命セラレテ闕下《ケツカ》ニ詣《イタ》リシニ、朝廷明断シテ、将門ノ罪ナキヲ判ジ、国ニ帰ルヲユルサル。而ルニ三タビ意ハザリキ、卿マタ同族ヲヒキヰテ将門ヲ伐《ウ》タントストハ。マコトニ朝威ヲ無ミシ、天ニ背《ソム》キ、理ニ逆フノコトタリ。将門朝威ヲカシコミ、親戚《シンセキ》ノ義ヲ思フガ故《ユヱ》ニ、シキリニ隠忍セシニ、卿ツヒニ大挙シテ将門ガ領ヲ侵シ、居館ヲ焼キ、民屋ヲ焼亡シ、民ヲ虐殺《ギヤクサツ》シ、財物ヲ掠《カス》メ、将門ガ妻孥《サイド》ヲ虜掠シ、中ニツイテ残害セラレシモノアルニ至ル。暴悪|貫盈《カンエイ》スト言フベシ。朝命ハ畏《カシコ》ク、親戚ノ義ハ重ンズベシト雖《イヘド》モ、男子|豈《アニ》暴悪ニ屈スベケンヤ。将門書ヲ裁シテ卿ニオクル。日ヲ期シ野ヲ定メテ相戦ハント言フナリ。而シテ、卿コレヲ諾ス。将門スナハチ兵ヲ勒《ロク》シテ至リシニ、ワヅカニ前軍ノ敗ニ気死シ、魄《ハク》落チ、遁逃奔竄《トントウホンザン》シテ、姿ヲ山険|巌隈《ガンワイ》ニ匿《カク》ス。男子豈然ルベケンヤ。今聞ク、卿弓袋谷ニアリト。将門スナハチ騎兵千ヲヒキヰテ再ビ至ル。卿マサニ前約ヲ履《フ》ミテ出デテ戦フベシ。快ク一合シテ雌雄ヲ決セン。
この戦書は多治ノ経明が書いた。
「文章《もんじよう》はにがてだが」
と経明ははじめ辞退したが、
「それでも、ここにいる者の中では、おぬしが一番の学匠だ。大神宮へ上げ文《ぶみ》する時のコツで書いてくれや」
と、小次郎が言ったので、筆をかみかみ、何枚も書き損じて、やっとまとめ上げた。
「どうやら出来たような」
「読み上げてみてくれい」
経明はスラスラと読んだ。
「しごくの出来ばえだ。文章博士である景行|卿《きよう》じゃとて、これくらいのものかも知れぬ」
「ひやかして下さるな。汗が出る」
と、ほんとに経明は汗をかいていた。
「いや、いや、ひやかしではない。これも必定火雷天神の冥加《みようが》であろう」
小次郎は敬虔《けいけん》な目で、秋の陽《ひ》に照らされて、ひっそりと垂れている神旗をふり仰いだ。
小次郎は、文屋ノ好立を召して、戦書を届けるように命じた。
「あの人々のことだ。承諾はしても、また違約する恐れがある。たしかに約束させて来るよう」
「かしこまりました」
好立は従者三騎を連れ、軍使の旗を立てて出発したが、二時間ばかりの後、帰って来た。
「行ってまいりました。これが返書でございます」
披見《ひけん》すると、この前のことをくだくだと弁解した上、この度こそは出て決戦するであろうと書いてあった。しかし小次郎としては疑わざるを得ない。
「そちの見る所ではどうであった? 必ず出て来るであろうか」
「こんどは間違いありますまい。山を出て陣取りするまで攻撃をかけないでくれと仰《おお》せられたのでありますから。独断ではありますが、もちろんそうするつもりである、両軍布陣して正々堂々と戦おうと、答えてまいりました」
「さらば、間違いはあるまい」
さらに小一時間の後、敵は山から出て来た。ほぼ一千、巣から蟻《あり》が這《は》い出すように出て来て、陣を張った。楯《たて》をつきならべ、厳重な布陣であった。
その布陣がすんだ頃には、日はもうはるかに傾いて、日没までには一刻《ひととき》(二時間)あるやなしであった。
小次郎は一気に勝敗を決しようと、馬を陣頭に乗り出して挑戦《ちようせん》したが、敵は応戦しようとしない。陣中黙りかえって、濠《ほり》を掘りめぐらしたり、逆茂木《さかもぎ》を引いたりして、しきりに防備につとめている。
小次郎は気をいら立てて、良兼を呼び、良正を呼び、貞盛を呼び、良文を呼び、はげしいことばで恥《はじ》しめておびき出そうとしたが、何の応答もない。ついに日は没した。
しかたはない。両軍陣を張って対峙《たいじ》したまま夜を明かした。
翌日は朝からの雨であった。おそろしく気温が下って真冬のように寒くなった暗い中を冷雨は小やみもなく降りつづいた。
その雨にもめげず、小次郎は挑戦をつづけたが、やはり敵は応戦しない。陰鬱《いんうつ》な対陣となって、小次郎はすっかり気をくさらせた。
こうして、冷雨の一日はくれて、また夜となった。
「こりゃいかんぞ、こんなことをしていては、兵共の勇気がたわんでしまうぞ」
と、将頼が言い出した。
「おれもそれを案じている。よしよし、明日は遮二無二《しやにむに》攻めかけて否《いや》が応《おう》でも決戦する。おれが正面切って堂々と戦おうとするのは、やつらに心魂に徹して負けたと覚悟させようと思えばこそのことだが、やつらが今のような有様では、ぜひもない。日の出とともに無二無三に攻めかけて踏みつぶしてくれる」
と、将門は言い放った。真実、心からそう決意した。
ところが、夜が明けてみると、敵は一兵もいなくなっていた。陣所には前のまま、幕を張り、楯を立てならべ、旗を立てつらねてあったが、人馬はかき消したように消えて、焚《た》きすてた篝火《かがりび》が、一日一夜の雨に驚くばかりに秋深くなりまさった日の出前の大気の中に、白い煙と共にはかない炎を上げているばかりであった。
小次郎は、腹が立つより、あきれてしまった。
「何という人々だ」
つぶやいて、にがにがしく笑った。
火を噴く山
意気ごんでふり上げた拳《こぶし》を、振りおろす間際《まぎわ》に敵がいなくなったのだ。後味の悪い戦いであったが、この戦いによって、小次郎の武名はグンと高くなり、良兼《よしかね》等の評判はおそろしく低下した。
「石井《いわい》のがあれほど礼をつくして堂々の決戦をいどみかけたのに、それを承諾しながら逃げるとは、何という作法であろう。およそ武人の作法として、坂東一円は言うまでもなく、古来聞きも及ばぬ所だ。卑怯《ひきよう》未練、言うべきことばを知らぬ」
「前《さきの》上総介《かずさのすけ》ともあろう人がの、常陸六郎ともあろう人がの、村岡ノ五郎と鬼神のように言われている人がの、左馬《さま》ノ允《じよう》ともあろう人がの」
「そうよ。官位の手前にも、日頃《ひごろ》の名にも恥じぬのかの」
「それにひきかえ、石井のぬしの態度は胸のすくような見事さではないか」
「勇あり、礼あり、情あり、男たるものはかくこそあるべけれ。坂東|男子《おのこ》の花じゃよ」
「火雷天神の霊助があったというが、さもあろうはず」
強いことが何より好きな曠野《こうや》の住人等は、皆こう言い合った。
小次郎の得たところは、武名だけではなかった。敵地から分捕って来た米穀と財宝によって、二度の敗戦によってみじめに荒された領民の生活を十分にうるおした上に、石井の宿所を堅固に経営しなおし、なお出陣の際の神前の誓いをふんで、火雷天神に玉垣《たまがき》を寄進することも出来た。
この火雷天神の玉垣寄進と共に、小次郎は、あの時|神憑《かんがか》りした村の老婆《ろうば》を天神専属の巫女《みこ》とすることを景行《かげゆき》に乞《こ》うた。
「よろしかろう。神霊がそこの殿に眷顧《けんこ》を垂れ給《たも》うていることは従来の因縁上当然のことであるが、特にあの老婆に憑って託宣されたのは、深い御神意のあればこそのことと思われます」
と、景行にも異存がなかった。
貧しい農家の後家|婆《ばあ》さんであった老婆は、ここに火雷天神の巫女となり、社のそばに新たに建てられて、おごそかにシメを張りまわされた家に住んで、常時に雪白の浄衣《じようえ》をまとって祭神に奉仕する身になった。
昨日までボロをまとった赤いただれ目の薄ぎたない百姓女がそんな神聖な役目につくなど、現代人の常識からすれば滑稽《こつけい》以外のなにものでもないが、素朴《そぼく》な信仰心をもったこの時代の人にしてみれば、ただれてまつ毛のないその目はかえって信仰を強める働きをなした。狂気や身体的不具が神性と関係あるものと考えられるのは、古代における世界共通の事象である。
こんなことで、九月が過ぎ、十月が過ぎ、十一月になった頃から、不思議な気候となった。承平七年の十一月は、今日の暦では十二月十一日からはじまるのであるが、おそろしく気温が上り、あたたかい日がつづいた。この季節には坂東は連日乾いた西北風が吹きすさんで、それによって草も木も蕭条《しようじよう》と冬がれて来るのだが、この年にはその風がなかった。そよりとも風のない八州の曠野には、毎日毎日汗ばむくらいぽかぽかとあたたかい日が照って、一旦《いつたん》枯れた草の下から青い芽が出、桜の花が狂い咲き、冬ごもりに入っていた蛇《へび》や蛙《かえる》がノロノロと野の道に這い出して来て日なたぼっこする有様であった。
「どうしたことだべし、この陽気は」
「あたたかいのは結構じゃが、何じゃら気味が悪うてならんのう」
と言っていると、一層気味の悪いことがはじまった。日にいく度となく地震《ない》がゆりはじめたのだ。大したことはない。ほんのわずかな間、ユラユラと来ては、すぐやんでしまうのだが、その回数が頻繁《ひんぱん》だ。一時間おきか二時間おきには揺って来る。
火の雨が降るべしよ
天上界に大火事があるべしよ
世ン中がでんぐり返るべしよ
夏が冬になるべしよ
冬が夏になるべしよ
と、火雷天神の老巫女が託宣したという噂《うわさ》が伝わって、人々の心は一層不安になった。
十日あまりも、こんな日がつづいたある日の朝、とつぜん遠雷のようなひびきがしたので、人々はあわてて戸外に飛び出してぐるりと見まわすと、はるかな西の空のはてにつらなる秩父山塊と丹沢山塊の真中あたりの上に濃い雲の塊《かたまり》がむくりと出ているのが目についた。
こんな様子の雲を、人々は見たことがない。それは夕立雲のように濃く厚く、ムクムクした感じであったが、おりからの朝日を受けて名状しがたい異様な色をしていた。金色にかがやいている所があり、朱に燃えている所があり、ドス黒く陰惨な色にしずんでいる所があり、紫色にすみ通っている所があり、この上なく美しくも見られたし、この上なく醜悪にも見られた。しかも見る間に高くひろくなって行く。おそろしく遠く、八州をこえた向うの土地の上空にあるにちがいないのに、見ているうちに大きくなって行くのがわかる所からすると、驚くべき増大の速度であった。
「妙な雲じゃのう。あのへんは富士のお山の見える方角じゃと思うが、ちがうかいな」
と、言い出す者があった。
たしかにそうであった。今年は陽気の狂いでそうならなかったが、例年ならカラリと冴《さ》えた空の方角に、雪をかぶって真白な富士の姿が連日望まれるのだ。
「そうじゃ、そうじゃ、富士のお山じゃぞえ」
「富士のお山に異変があったのじゃ」
八州中の人は、富士のみえる最寄りの場所にそれぞれに集まって、凝視をつづけた。
時のうつるにつれて、雲は益々《ますます》ひろがった。日のかがやいている青い空が、縁《ふち》の部分だけ磨《みが》いた銀のように白くかがやいて、あとは真黒な濃く厚い雲にぐんぐん蔽《おお》われて行き、しかも、その密雲の中には、青白い雷光が同時にいくつも閃々《せんせん》ときらめいている。
人々は言いようもないほど強い恐怖にとらわれたが、どうしようもない。こおりついたように空を見つめて立っていた。
昼頃になると、太陽もまた黒雲にのみこまれてしまって、天地は一時に夕方のように薄暗くなった。
その頃から、チラチラと降り出して来たものがあった。灰であった。
火雷天神の老巫女の託宣が思い出された。
「それ灰が降って来た。こんどは火だべし」
底知れない恐怖にとらえられた人々は、度を失って逃げまどったが、逃げおおせるものではなかった。見る間に黒煙は満天を蔽うて、薄暮さながらとなり、その幽暗の中に霏々《ひひ》として灰は降りしきった。二三間も離れると人の姿も見えないほどの降りようだ。忽《たちま》ち降りつもって、大地といわず、樹木といわず、灰におおわれた。人々は林の中や丘の根方に穴をうがって、ひそんだ。
夜になると一層すさまじい景色となった。富士の上空には強烈な光を放つ真紅の火柱が絶えずほとばしり、厚く濃い密雲のように空を蔽うている煙の至るところに青白い雷光が走り、雷鳴と|えたい《ヽヽヽ》の知れない無気味な音響とが、ひっきりなしに殷々《いんいん》と鳴りとどろいた。
この頃になると、人々もやっとこれが富士山の噴火であることを知った。
「遠い昔からの言い伝えがあるわな。富士のお山は大昔は火を噴いていたそうなが、また噴きはじめたのじゃて。火を噴く山は、世間に類のないことではない。信濃《しなの》の浅間山も、伊豆《いず》の大島の三原山も、火を噴いているわな。おそろしいことではあるが、近くでないかぎり大したことはないとしたものじゃ。もうしばらくの辛抱だぞ。四五日もしたらおさまるべし」
と、年老いた人々は言って、人々の動揺をしずめた。
ほんとにそうであった。三四日の後に富士の上空に不断に見えていた炎の色が間遠《まどお》に、そして薄く見えるようになったかと思うと、空を蔽うていた煙も次第に薄くなり、数日の後にはすっかり晴れた。
その頃、噴火による被害の噂が伝わって来た。被害は駿河《するが》の国が最もひどく、どろどろに熔《と》けて流れ出た岩漿《がんしよう》と軽石によって、富士の裾野《すその》一帯が埋められ、田畠《たはた》や人家の被害かぎりなく、これまでそこについていた官道もつぶれてしまったという。
人々は、おどろき、身の毛をよだたせたが、人のことどころではなかった。地上のあらゆるものが灰に蔽われている。地面には五六寸も降りつもっている。噴火と共に気温も気候も平年にかえって、北西の乾いた風が吹きすさぶようになったが、灰はその風にあおられ、渦を巻いて濛々《もうもう》と舞い立つのだ。目を病んだり、執拗《しつよう》な咳病《がいびよう》になやむ者が多くなった。
それに、この灰が農作物によいとは思われなかった。
「灰を掻《か》いて捨てざなんめえ」
いつもなら|とりいれ《ヽヽヽヽ》をおわって、一年中で一番気楽な季節であるのに、百姓等は毎日|野良《のら》に出て、田畠に積った灰を掻き取っては、沼や川に運んで捨てた。
小次郎もまたそうだ。領内をめぐっては、百姓等を督促して働かせたが、ちょうどその頃、下総《しもうさ》の国府から出頭命令が来た。
「京から命令が来た。伝達するから出頭するよう」
というのである。
何の命令であるかわからないが、ともかくも出かけることにした。
翌日、小次郎は府中に行き、国衙《こくが》に出頭した。国の守《かみ》は昨年三人の官使が下って来た時と同じ人物であった。正庁では迎えずに、国司館《こくしやかん》で引見《いんけん》した。
親しげに久闊《きゆうかつ》を叙した後、言う。
「実は、今日御出頭を願ったのは、朝廷《おおやけ》の命令ではないのです」
意外なことばだ。小次郎はキッとなった。
守は手を上げて制した。
「驚かれるのは無理はないが、まろはそこの|みこと《ヽヽヽ》のおためを思って、こうはかったのです。まあ、聞いていただこう……」
と、語り出したことは、益々意外なことであった。この度、朝廷から、前上総介良兼、前《さきの》常陸《ひたち》大掾《だいじよう》源護、左馬允貞盛、常陸六郎良正、村岡五郎良文等に対して、小次郎を追捕《ついぶ》すべしとの官符を下し、坂東の国司等によろしくこれに協力すべしとの命令が下ったというのだ。
小次郎は、何よりもおどろいた。
「それは一体どうしたわけでありましょう。御承知のように、拙者は昨年冬、召喚の朝命を受けましたので、早速にまかり上ってお裁きを受けましたところ、申立て相立って罪科なしと判ぜられて、この夏帰国いたしたのであります。その後、かれこれのことがありましたが、その間の事情は、世の人の皆よく知っていることであります。何の罪あれば、追捕を受けなければならないのでござろうか!」
「それよ。まろもそれがわかっている故《ゆえ》、こうしてそっと来てもらって、話をするのだ。みことには何の罪もない。悪いのは、前上総介をはじめとするみことの一門の人々だ。みことが京から帰ってまいられて一月も経《た》たぬ時、兵をくり出してみことの領内に侵入し、民を殺し、民家を焼き、財物を掠《かす》められたのでありますからな。みことは身に降りかかる火の粉としてこれを払われたまでのこと。まろにはよくわかっていますて」
好意にみちた守のことばであった。小次郎は感謝の意を表して会釈《えしやく》した。
「ところがじゃな。上総介の殿が巧みに話をつくろって、みことが悪いように朝廷へ訴え出られたらしい。そこで、今申したような官命が下って来たのですて」
小次郎は朝廷のだらしなさを骨身に徹して知っているが、あまりなことであった。この前の裁判にも懲《こ》りず、またしても片訴訟でさばき、追捕の命まで下すとは何事ぞと思った。愛想のつきはてる気持であった。
「ところでだな。官命ではあるが、事情をよく知っているまろには奉じがたい。国解《こくげ》を奉《たてまつ》って、みことのために弁解したいと思う。それで、ことの|いきさつ《ヽヽヽヽ》をくわしくうけたまわりたいと思うのですて」
打ち合わせてあったと見えて、すぐ史生《ししよう》が入って来て筆録するかまえを取った。
小次郎はくわしく申しのべた。
国守の態度は終始好意的であった。小次郎は感謝して辞去し、帰りつくとすぐ、かなりな財物を贈った。小次郎には今でもそんなことは不快であるが、しなければならない世の習わしとなっていることは知っていた。
下総の国の守が同情してくれているからとはいえ、国解を奉って弁解してくれているとはいえ、また坂東の人々が善悪曲直を知っているとはいえ、良兼等が追捕の命を受けていることは間違いのない事実だ。用心を怠るわけには行かない。小次郎は兵の大部分は帰休させたが、選《え》りすぐった百人ほどはいつも館において、不意にそなえた。しかし、なにごともなく、日が過ぎて行ったので、十二月に入ると、その兵共もまた帰休させ、かわりに館に近い村々から毎日十人ずつ交代につめさせることにした。
この少し前から、子春丸は岡崎の砦《とりで》に行って勤務することになった。岡崎は小次郎の領地の北方の前哨《ぜんしよう》基地で、将頼《まさより》が守将となっているほどの要地だ。子春丸はその快足を買われて、石井《いわい》の本営との連絡がかりになったのであった。
この勤務は、大いに子春丸の気に入った。つまり、――毎夜女の許《もと》へ通えるので。
「こらいいわえ。おかげでタンノウ出来るわえ」
子春丸は、夜に入るや、鉄砲玉のように五里半の道を石田の庄《しよう》に突ッ走り、夜明け少し前に走りかえり、ケロリとした顔で砦に勤務していた。
岡崎勤務になってから七八日経ったある夜のことであった。いつものように石田へ走り、目的の村から一里ばかりの距離に近づいた時であった。繊《ほそ》い宵月《よいづき》が西に沈みかけて、薄い光におぼろに白く見える路上を風のように走っていると、いきなり向う脛《ずね》にからんだものがあって、もんどり打ってひっくりかえった。
気が遠くなるほど膝《ひざ》小僧が痛かった。ウーンとうめいて長々とあおむけになり、それからそろそろとおき上った。
「おお痛て、おお痛て、おお痛て……」
とわめき立てながら、膝小僧を撫《な》でると、ピリッ! と飛び上らんばかりに痛い。すりむけて、血がヌルヌルし、肉が指先にふれた。
「あいた、た、た、た……」
一層大げさに叫んで、手拭《てぬぐい》をひきさいてしばろうとしていると、ふとそばに立った人のけはいがあって、グイッと強く肩をおさえられた。
「ヒェッ!」
おどろき、とび上った。
「不埒者《ふらちもの》!」
ガンと耳許で怒鳴られたかと思うと、思いきり頬《ほお》をぶッたたかれた。玄翁《げんのう》か何かで食らわされたかと思うばかりにはげしい打撃であった。
「ヒェッ!」
悲鳴を上げた時には、ねじ伏せられ、踏みつけられ、後ろ手にふんじばられていた。
「なんだべし、なんだべし。おいら何にも悪いことはしねえでがす。ゆるして下さろ。なんでおらを縛られるだか」
何が何だかさっぱりわからない。しかし、とにかくも泣くにかぎると、子春丸は声をかぎりに泣きわめいた。
文字通りに手ばなしでワアワア泣いている子春丸は、いきなりまたぶんなぐられた。火のかたまりをおしつけられたかと思われるばかりのはげしさであった。
「ヒェッ!」
呼吸《いき》を引いて、子春丸は泣きやんだ。
「この馬鹿《ばか》もの! |さかり《ヽヽヽ》のついた泥棒猫《どろぼうねこ》め! 何をギャアギャアわめくのだ」
おそろしい声で相手はどなりつけた。
ニキビだらけの頬をふくらして、相手を観察した。
ひたいに半頭《はつぶり》、身に小具足をまとった、たくましい武者が三人、前と左右に突ッ立っていた。子春丸は重なる勝ち戦さに心|驕《おご》ってうっかりしていたが、ここが貞盛と源ノ護の根拠地であることを改めて思い出した。しまった、しまった、と、恐ろしさに気も遠くなる気持であった。
グイ、と襟《えり》がみをつかまれた。
「立て!」
と引立てられた。
抵抗なんぞ出来るものではない。ヒョロリと立った。
ぐねぐねとつづく野中の道を連れて行かれた。途中で月が沈んで、とっぷりと暗くなっている。人の歩くことの少ない道はでこぼこでおそろしく歩きにくく、いくども子春丸は足をもつらし、つまずいたが、武者は|じゃけん《ヽヽヽヽ》に引きずり、こづき立てながら追い立てて行く。
約三十分、こうして難儀な歩行をつづけさせられた後、山路《やまみち》に入ってしばらく行くと、松林にかこまれた一軒の家があった。普通の民家づくりの家ではあるが、家の前の穀干場《こくほしば》に五六頭の馬が鞍《くら》をおかれたまま、黙々として秣《まぐさ》を食《は》んでいた。
武者等は、その穀干場に入ると、二人が子春丸の縄尻《なわじり》を取ってそこにのこり、一人が屋内に入って行った。
これからどんなことがはじまるか、子春丸はこわくてならない。たえずふるえ、たえずモソモソと身を動かしながら、あたりを見まわしていた。
「じっとしとれ! しずかにしないと、ぶっくらわせるぞ!」
と、一人が叱《しか》りつけた。
とつぜん、子春丸は女のことを思い出した。いつもなら今時分は女に汗を拭《ふ》いてもらったり、夜食の膳《ぜん》を前にしたりしてくつろいでいる頃だと思うと、不運の感が強く胸にせまって、ほろほろと涙がこぼれて来た。
「や! こいつ、泣いとるぞ!」
一人がのぞきこんでさけんだ。そして、もう一人と共にカラカラと笑い出した時、家の前がパッと明るくなった。松明《たいまつ》を持った郎党二人を前に立てて、四人の武者につきそわれて出て来た者があった。赤い松明の光が人々の鎧《よろい》の金具に反射してキラキラときらめいているのが、殺伐な感じであった。
子春丸はまた呼吸を内に引き、泣きやんだ。からだが一時にシーンとつめたくなった。
その人は、下腹巻の上に狩衣《かりぎぬ》を着ていた。痩《や》せて背の高い老人であった。子春丸はその顔に見覚えがない。しかし、すぐ上総の良兼にちがいないと思った。この年頃《としごろ》の敵の大将株の人は源ノ護か良兼以外にはないはず。しかし、護は長いあごひげを生やしていると聞いている。
子春丸はヒョロヒョロと歩き寄って、土下座し、嘆願した。
「おゆるしを、おゆるしを、おゆるしを……」
良兼と思われる老人は、――事実それは良兼であったが、持って来られた床几《しようぎ》に腰を下ろして、子春丸に言った。
「石井の走り奴《やつこ》子春丸というのは、その方だな」
低くおだやかな声であったので、子春丸はホッとした。大したことはないと思った。しかし、せいぜいこわがって見せた方が得策と見て、一層|臆病《おくびよう》げな声を出した。
「へい、へい、へい、その子春丸でございます。お助けを。へい、お助けを。へいお助けを」
良兼は微笑した。
「正直そうな顔をしている」
子春丸は益々元気づいた。油紙に火のついたようにペラペラとしゃべりはじめる。
「そりゃもう、正直な段ではございません。やつがれの正直なことは、豊田|猿島《さしま》両郡で誰一人として知らない者はございませんので、へい。さすがは殿様でございます。ようお見ぬきで、へい。恐れ入りましてございます」
良兼は人の好《よ》さそうな笑い声を上げて、
「その上、そちには千万人にすぐれた技能がある由《よし》。片時の間に十里の道を行きかえりするという脚力」
「へい、へい、へい、やつがれの脚力と来ましては、駿馬《しゆんめ》にまさります。人は疾風《はやて》のようなと申しております。へい」
「そのそちを小次郎はどれほどにあつかっているかな。思うに、馬をくれ、物の具をあてがい、郎党分のあつかいをしているであろうな。しかし、それにしては打見たところ、そちの今の様子は、ただの|やっこ《ヽヽヽ》のようだな」
子春丸はにわかに悄然《しようぜん》となった。ぐたりと首をたれ、張りのない声でつぶやくように言う。
「……ただのやっこでございます。走りつかいのただのやっこで……」
「ああ、おしい! 千里の名馬も伯楽に逢《あ》わねば、駑馬《どば》に伍《ご》して一生を終るというが、それだな。小次郎というやつ、都の風にも吹かれて来たに似ず、一向の田舎者で、吝《しわ》いこと無類じゃからなあ」
浩嘆《こうたん》するような良兼のことばに、子春丸は膝を進めた。その膝の下に小石があって、飛び上るほど痛かった。後ろ手にしばられている子春丸はバランスがとれない。アッと叫んでうつ伏せにたおれ、したたかに顔をすりむいたが、痛さも怪我《けが》もかまっておられない。身もだえしつつ起き上って叫んだ。
「そうでございますとも!」
白く長い眉毛《まゆげ》の下から情深くやさしげな目を向けている良兼の顔をヒタと見つめて、子春丸は呼吸もつかずしゃべりつづける。
「上総の殿はようごぞんじでございます。うちの殿は吝ン坊でございます。やつがれが豊田に奉公にまいりましてから立てた手がらは、一度や二度のことではございません。いつの戦いにも、斥候《ものみ》の役、注進の役をうけたまわり、そのために早い手くばりが出来まして、御利運を得られたのでございます。わけて、この前の前、味方の武運つたなく負け戦さとなりまして、大刀自《おおとじ》、若刀自、若君方をはじめとして、御寵愛《ごちようあい》のおなご衆がとりことなりなされました節、やつがれは身命をかえりみず、稲麻竹葦《とうまちくい》の敵の軍勢にもぐりこんでさぐり知って注進したのは、何をかくし申しましょう、やつがれであったのでございます。
その時はさすがに吝《しわ》い殿も砂金一包みを賜わり――ア、ワ、ワ、ワ、ワ……砂金一包みも賜わるであろうかと思いましたのに、何の御褒美《ごほうび》もなく、ただ口先で御苦労であった≠ニだけのおほめであったのでございます。吝いこと! 話になりませんて。
昔京にお上りになった時も、石田の太郎の殿があの御立身であったのに、うちの殿が数年の勤仕《ごんし》も空《むな》しく、何のありつくところもなく帰国なされましたのは、ひとえにその吝ン坊のいたすところであると、世間では言うておりますがな。懲りんもんでござりますな」
子春丸のこの懸命の冗舌、口をきわめての小次郎への悪口は、ひとえに良兼のきげんを取り結んで、いのちを助かりたいためであった。小次郎は良兼の敵だ、それに対する悪口が良兼の気に入らないはずはないと、かたく信じて疑わないのであった。
良兼は大きくうなずいた。
「その通り、その通り。そちの申す通りじゃ。小次郎はしわい男じゃて。どうして、この一門にあんな男が出来たかのう。わしが小次郎なら、そちのように役に立つ男には、札《さね》よい鎧を着せ、駿馬にまたがらせて、一の郎党に取り立ててやるのじゃがな。ああ、ままならぬこの世じゃて」
口先だけにしても、あまりの調子のよさに、子春丸は毒気をぬかれた。キョトンとした顔になって、良兼を見つめ、さらにその目を左右にうつした。良兼の顔はやさしさにあふれており、郎党等の顔はまじめさにあふれていた。
子春丸はペコンと頭を下げた。
「そいで、やつがれはどうなるのでございましょうか」
「どうしようかと、先刻から思案している」
打ってかわって、良兼の声はつめたくなった。顔もきびしいものになった。
子春丸はまたふるえ出した。おちつきのない目でキョロキョロとあたりを見まわした。
「殺生《せつしよう》でございます。やつがれが何の悪いことをいたしました? やつがれは戦さの場には出ておりません。一人もお味方の方々を殺して居《お》りません。殺すどころか、ひっかき傷ほども負わせ申しておらんのでございます。何の罪も犯しておりません。お咎《とが》めを蒙《こうむ》ることはないのでございます」
ここを先途であった。呼吸も切らずに陳じ上げた。
「だまれ!」
とつぜん、良兼は大喝《だいかつ》した。
「ひぇッ!」
子春丸はすくみ上った。
良兼はおッかぶせるようにつづける。
「罪科なしとは、白々しいことを申す。その方、唯今《ただいま》自らの口から申し立てたではないか。当方の怨敵《おんてき》小次郎の指令を受けて、あるいは斥候の役、あるいは注進の役をつとめて、当方の軍立《いくさだ》ての次第を小次郎に知らせ、当方の不為《ふた》めを働いている。まッた、当方の領内にもぐり入って、当方の秘事をさぐりおるのみか、当方の民のおなごをたぶらかし、夜毎《よごと》に淫楽《いんらく》に耽《ふけ》っている。大胆といおうか、不敵といおうか、人も無げなるふるまい、罪科重畳の曲者《くせもの》とはおのれがことじゃ。磔刑《はたもの》にかけてくれんか、火あぶりにしてくれんか、牛裂きにかけてくれんかと、思案しているのだ。かれこれと舌長《したなが》なる陳弁、見苦しい! 黙りおろう!」
言いすてて、良兼は立上った。
「上総の殿様、上総の殿様……」
涙声を上げて子春丸は呼びとめたが、ふりかえりもしない。さっさと歩き出して、また屋内に消えた。従者等もその後から行ってしまった。松明ものこさない。
満天の星がしきりにまたたきながら寒げな光をこぼしている暗い中にのこったのは、以前の郎党三人だけであった。
子春丸がまたメソメソ泣き出すと、ふと一人が言った。
「おい。汝《われ》助かりたいか」
子春丸は腹を立てた。
「何言うてけつかる。自分のことにして考えてみい。死ぬちゅうことがどんなことか、汝ら考えてみたことないのじゃろ。おまけに、磔刑、火あぶり、牛裂きちゅうんじゃ。……ああ、おら背中がジリジリして来た。股《また》のへんが痛うなって来た。ああ、ああ、ああ! 痛いぞや、熱いぞや」
気も狂うばかりとなった。その頬げたを、その郎党は一撃、したたかにくらわせておいて言った。
「しっかりせい! 泣いたとて、埒《らち》のあくことか。汝が本当に助かりたいなら、おれが知恵貸してやろうというのだ! 心を澄まして、よッくうけたまわれい!」
現金に、子春丸は泣きやんだ。パチリパチリと目をしばたたきつつ、相手を見つめた。
郎党の言ったのはごく簡単なことであった。良兼のために手がらを立てよというのであった。
「てがら? てがらって、どげいな手がらかいの」
「手がらに、どげいなも、こげいなもあるか。上総の殿のおためになることをするのよ。この薄馬鹿め!」
「だからよ。どうすれば上総の殿のおためになるのかよ」
「そこまで聞かんければわからんのか。色々あるわい。戦さでもはじまったらその手配りをお知らせ申すのもその一つ、いつぞやの戦さで豊田のおなご衆が広河の江のどこやらにひそみかくれていなさったな。あのような時、そのかくれ場所をこちらに注進するのもその一つ、また……」
子春丸は叫んだ。
「待ったり! そりゃ裏切りではないかいな」
きっと容《かたち》を正した感じであった。
「おお、裏切りがどうした!」
と、相手の語気は荒々しくなった。
子春丸はこわくなったが、言い張った。声がふるえたのはぜひなかった。
「おいら、裏切りはしたくねえ。おいら男じゃものな。それに、三代前からの豊田の家来じゃものな」
「生意気言うな」
グヮンと頬げたを食らわした。子春丸はひっくりかえった。
「薄馬鹿のくせに、人並な口を叩《たた》きくさる。イヤならよしおれ。ハタモノや、火アブリや、牛裂きが好きなんじゃろう。いい見ものよ。おら共もハタモノは見たことがあるが、火アブリや牛裂きは見たことがない。とっくり見せてもらうべし。火アブリにかけたら、大方|うぬ《ヽヽ》のそのニキビが一粒一粒パチリパチリとはじけて、面白いことになるべしよ」
子春丸は一層こわくなったが、奇妙に|いこじ《ヽヽヽ》なものにとらえられた。つめたい大地に引っくりかえって、うそぶくように言った。
「おらは薄馬鹿ではないのだ。上総の殿も言いなされただ、よい馬、よい物の具くれて一の郎党にしてやりたいほどじゃと。そのおらが何で薄馬鹿であろうぞい」
郎党等は顔を見合わせて、うなずき合ったが、別の一人がしゃがんで、子春丸の顔をのぞきこみながら言った。
「汝の志のほどはよう見えた。いかさま、汝は男じゃ。一の郎党となって、おら共が上に立っても恥かしからぬ男じゃ。しかし、汝に見すべきものがある。それを見てから、なお言うことがあるなら言えや」
と言うや、屋内に走りこんだが、忽《たちま》ちそこから走り出して来た者があった。髪をふり乱した女であった。
マリのように太ったからだにニョッキリついた短い足でおそろしい速さで走り寄って来たかと思うと、ふてくされて、寝ころがったままでいる子春丸に襲いかかった。いきなり両手でなぐりつけた。短い両手はピストンのようであった。パン、パン、パン、パン、と、目にもとまらぬ早さで子春丸の両頬にふりおろしつつ、呼吸を切らして叫んでいた。
「おらがこと思わねえのかよう、おらがこと思わねえのかよう、おらがこと……」
思いもかけなかった人の出現に、子春丸は肝をつぶした。
「汝はまあ!……」
と、叫んだきり、意味あることばは出ない。左右交互に来る急ピッチの平手打ちの下に、涙をこぼしつつ、オウ、オウ、オウ、オウ、と悲鳴を上げていた。ちょうど革袋に入れられた酒が一打ち毎《ごと》にキュッキュッと鳴りながら小さい裂目から一二滴ずつ飛び出すような工合《ぐあい》であった。
郎党等は腹をよじって笑いこけていたが、やがて一人がとめに入った。
「折檻《せつかん》はこのへんでやめて、こんどは口で言うがよかんべし」
「そいでも、お前様方よ、おらがことを毛にも思わないで、男だてなんぞする心根《こころね》が、黙っておられますかいの。おら胸が煮えてたまらねえだよ」
「黙っておらんでもよいわな。口で言うてやれというているのじゃて」
「おうや! 言わいでか」
女は子春丸を抱きおこして坐《すわ》らせた後、滔々《とうとう》と弁じ立てた。
曰《いわ》く、上総の殿は情深い殿じゃ、曰く、その証拠には、おらは絹を一|反《たん》もろうた。曰く、じゃから、早くおっしゃる通りにするがよい、曰く、そしたら主《にし》は第一の郎党衆にしてもらえるでないか、馬を賜わり、物の具を賜わり、土地を賜わって、曰く、そうなったら、おらも晴れて主に添うて一緒に暮せるのだ、曰く、今までのように遠い道を汗水たらして走って来て、一緒に寝たかと思うともう帰って行かなければならないような味気ないことはしないで済むのだ、これまでお互いに|たんのう《ヽヽヽ》したことはないでないか、曰く、主がばかげた男立てなんぞして、上総の殿の申されることに違背すると、主は殺されねばならんし、おらは折角もろうた絹をとり上げられてしまう。曰く、何が合わないといって、こんなに合わん話はないぞな、曰く何、曰く何、曰く何……堤のふちすれすれまで満ち切った水が一時に堤を切った勢いだ。順序も次第もなく、ペラペラ、ペラペラ、ドックドック、ドックドック、前のことばがまだまだ相手の耳に入らないうちに次のことばが飛び出して来るといった工合であった。
抵抗出来るものではない。子春丸は悲鳴半分に叫んだ。
「わかった! わかった! わかった! おら、上総の殿の仰《おお》せられる通りにすべし!」
女はくるりと向きなおり、地べたにきちんと坐って、頭を下げた。
「お聞きの通りでございますだ」
これを待っていたのであろう。呼びに行くまでもなかった。また良兼が松明を持った従者等を従えて出て来た。床几に腰をおろして、言う。
「思案がついたようだな」
「へい」
子春丸は頭を下げた。
良兼は郎党等に命じて、子春丸の縄《なわ》を解かせた。
「おお、痛い。おお、痛い。すっかりしびれてしまいおった」
子春丸は手首や二の腕のあたりをしきりにさすりながら、良兼の顔色をうかがっていた。
良兼の顔にものやわらかでやさしい表情がただよい出ているのを読み取ると、子春丸は一層|大仰《おおぎよう》に痛むところを撫《な》でさすりつつ、思案を凝らした。
社会の最も低い階層に生れ、たえず上級の階層から圧迫されつづけて育った子春丸のような人間には、野性の動物のような本能がある。すきさえあればもぐり入って利益をつかむ本能だ。狐《きつね》は鶏舎の破れを見のがすことがなく、野良猫《のらねこ》は肴屋《さかなや》の油断には必ず乗ずる。見のがさずにおられないのであり、乗ぜざるを得ないのだ。これは生きるための知恵と言ってよい。この本能があるために苦難と窮乏だけの環境の中で彼等は生を保って行けるのだから。
子春丸は一種の低能児だが、それだけにかえってこの本能を純粋に近い形で身につけている。つまり、薄馬鹿のくせに慾《よく》だけは人一倍というやつ。
子春丸にとっては、良兼の顔にあらわれたやさしさは、つけ入るべき|すき《ヽヽ》としか感ぜられない。
「上総の殿様」
と、先《ま》ず言った。
「ああ、なんだな」
「おら、殿様のお味方をいたしますだが、ごほうびの方は間違いございますまいな」
「わしほどの者がどうしていつわりを言おう」
良兼は笑って、郎党の一人をふりかえった。
郎党は屋内に駆けこんで、物を持って来た。良兼は受取って、子春丸にわたした。
荒絹が一匹であった。
子春丸はおしいただいて、しっかとふところに抱いたが、その細い目はなお光って、
「これはこれでありがたくいただきますだが、一の郎党にして下さるちゅうお約束は間違いございますまいな。ここんところをしっかりとかためときませんと、あとで面倒なことになりますと、お互い面白うないことになりますでな」
良兼は苦笑せざるを得ない。どうしてそう疑うのだと言ったが、そんなことでは子春丸は承知しない。ついに良兼は、神々を引合いに出し、郎党等や女を証人にしての重くおごそかな誓いを立てさせられた。
「やっと得心でございます。それでは正念場《しようねんば》にかかることにしましょうかい。さし当ってはどんなことをしたらよいのでござります」
「石井《いわい》の様子を知りたい。聞けば、小次郎は新しく石井に館《やかた》づくりして、厳重に兵備をととのえている由《よし》、くわしく様子を知りたいのだ」
「そんなことでよいのでございますか。おやすいことで」
と、語りはじめたが、筋道立てて話すことになれない彼は、明快に説明することが出来ない。ついに言った。
「誰ぞお人をひとり下さりませ。おら、その人を連れて石井に行きますべ。なあに、おらが村の者じゃというて、おらと一緒に行けば、誰も不審ぶつ気づかいありませんわい。おらがうまいことやりますべ」
とつぜん、赤い光があたりを照らした、子春丸はふるえ上って後ろを見た。富士の上空が赤くかがやいていた。また火を噴いたのであった。子春丸はしばらく凝視した後、良兼の方を向いた。
「おらがうまいことやりますべ、上総の殿様」
夜襲
数日後の早朝、岡崎の子春丸の家へ訪ねて来た男があった。よごれたボロボロの着物を着て百姓ていではあるが、鋭い顔とくっきょうな体格をもった二十二三の男であった。
子春丸は朝飯をおわって、湯をのんでいるところであったが、大急ぎで飲んでしまって、外へ出た。家の横手の防風林のそばまで、男を引っぱって行った。
「おぬしかえ」
「ああ、おらだ」
「話はわかっているじゃろうな」
「わかっとる」
「おぬしどこの者じゃい」
「上総《かずさ》の殿に御奉公しとる」
「名は何ちゅうんじゃい」
「海老丸《えびまる》じゃい」
「海老丸? |やっこ《ヽヽヽ》かね。おらと同じように」
「そうじゃ」
「ウソだべし。郎党衆だべし。やっこの面魂《つらだましい》じゃないがな」
「そんなことはどうでもよかるべし。汝《われ》の知る必要のねえことだ。上総の殿の仰せを受けて来た海老丸とだけ、汝は知ればよかるべし」
子春丸はムッとした。言いかえしたかったが、適当なことばが思い出せなかった。やむを得ない。
「ふうん、そうけえ。そいじゃ聞かねえ。そいじゃ、ここに待っとれや。おら支度して来るで」
子春丸は屋内に入って、はばき、わらんじをつけて出て来た。
二人は、白い息を吐きながら、日の出前の雪のように真白に霜のおいた道を、砦《とりで》の方に向った。
昨日の夕方のこと、子春丸は将頼《まさより》に呼ばれて、
「石井《いわい》から炭をとどけるように申して来た。汝明日運ぶように」
と命ぜられた。
しめた! と思った。夜に入るとすぐ石田に飛んで、このことを連絡した。海老丸と名乗るこの男は、子春丸と共に炭を石井に運んで、そのついでに石井の様子を偵察《ていさつ》する任務を帯びて来たわけであった。
しばらくの後、二人は馬にそれぞれ五俵ずつの炭をつみ、自分等の背中にも背負ばしごによって二俵ずつの炭を積み、砦の門を出たが、ちょうどその時、前方から来かかった騎馬の男があった。岡崎の隣村|結城《ゆうき》の農民であるが、この前の筑波山麓《つくばさんろく》の戦いで功名があったので、将頼によって新しく郎党に取り立てられた男であった。
ついこの間まで同輩同様だったのだが、今では道をひらき、腰をおりかがめて相当な式体《しきたい》しなければならない。いやだった。しかし、やむを得ない。
子春丸は馬の口綱を短く取って路傍に片より、小腰をかがめて、相手の通りすぎるのを待った。海老丸もこれにならった。
相手は真白な霜に蹄《ひづめ》のあとをつけながら、小走りに馬をかけさせて来て、そのまま駆けすぎたが、十間ばかり行ったところで、のりかえして来て、
「やあ、子春丸」
と、声をかけた。
(何じゃい、えらそうに。おらだってやがて上総介《かずさのすけ》の殿の一の郎党じゃぞい)
と思いながらも、子春丸は腰をかがめた。
「へい」
子春丸の前に馬を乗りとどめた郎党は、
「汝《われ》、その炭をどこに運ぶのだ」
と聞いた。
「へい、三郎の殿の仰せで、石井のお館に運ぶのですだ」
「ふん、そうか。御苦労だの」
と言ったが、その目を海老丸につけた。
「汝は見ぬ顔じゃが、何という名じゃ」
海老丸は腰をかがめた。
「海老丸でごぜえますだ」
子春丸が引きとってつづけた。
「おらがいとこ子《ご》でありますだ。ひとりでは運び切れません故《ゆえ》、手伝いを頼みました。お館の殿にお願えして、召使っていただくべしと思うているのですだ」
「気のきいた面《つら》つきをしてるな。からだもよいな。この村の者か」
「へえ、そうですだ」
「おお、行けい。ひまを取らせたな」
郎党は、一鞭《ひとむち》あてて、走り去り、砦の門にかけこんだ。
(何じゃい、威張りくさって、いい衆|面《づら》して、聞かでものことを聞きおるわえ)
左手に馬の口綱をとり、右手に杖《つえ》をつき、背中の重荷に腰をかがめて、ヨッチヨッチと歩きながら、子春丸はつぶやいたが、ふとつめたい汗が両脇《りようわき》をすべり落ちるのを感ずると、急にこわくなった。足がもつれた。立ちどまって、海老丸をふりかえった。
子春丸が立ちどまったので、海老丸も立ちどまった。同じように重い荷に背をかがめているが、杖にすがってこちらを見た顔にはまるで変りがなかった。
「どうかしたかの」
と問いかけた目許《めもと》にからかうような笑いのかげがあった。
「うんにゃ、どうもしねえ」
首を振って、子春丸は歩き出した。ふりかえったりなんぞするんじゃなかったと思っていた。このキモの太いやつが|やっこ《ヽヽヽ》なんぞであるものか、何のなにがしと名の通った郎党衆の一人にちがいないとも思った。
昼少し前、二人は石井につき、運んできた炭を炭小屋に入れ、下人小屋で食事した後、連れ立って館内を歩いた。
「誰じゃい、見ない顔じゃの」
と、会う下人は皆言った。
「おらがいとこ子じゃ。手伝ってもろうて、炭をはこんで来たのじゃい。お館の御威勢のほどを見せて歩いているところじゃわい」
と、子春丸は言った。
「へえ、汝がいとこ子? いい男ぶりじゃないかえ、汝とは大分ちがうのう。ニキビなんぞ一つもないぞえ」
と、下人等は面白そうにからかっただけであった。
こうして、十分に館の内外の要害を見せて、夕方近く二人は帰路についたが、館を出て半里ほど行くと、とっぷり暮れた。
「海老丸や、馬に乗って行こうや。空荷《からに》でひいてかえるのはもったいねえでよ」
と、子春丸が提議した。
「大丈夫かよ」
と海老丸は言った。主人の馬に無断に乗ってはならない習慣になっている。それを言ったのであった。
「日が暮れたのじゃ。人目はない。わかりはせんてや。日が落ちたらきつう寒うなって来た。早う帰りたいがな」
と、子春丸は言った。
日没と共に急に気温が下って、その上風まで出て来て、その風を左前《ひだりまえ》から受けて行く寒さは相当なものであった。
「そいじゃ乗ろうかの」
「乗ろう、乗ろう」
二人は馬上の人となった。子春丸だって坂東の男だ。世間並には乗るが、海老丸の騎乗ぶりのあざやかさは舌を巻くばかりであった。水際《みずぎわ》立った軽快さはいつも馬に乗りなれた人の姿で、馬までシャンとなって、駄馬《だば》とは見えないほどであった。
(何じゃい、こいつ、|やっこ《ヽヽヽ》じゃなんどと言いおって。こりゃてんから郎党衆の乗りぶりじゃないかい)
子春丸はあらためて腹を立てた。
「やいこら、海老丸やい」
「なんじゃい」
「|おどれ《ヽヽヽ》はやっこじゃというたが、ウソじゃろ。やっこは馬にそげいには上手に乗らんもんじゃぞや」
「やっこじゃよ。やっこじゃよ。おれは馬が好きで、ひまさえあれば馬に乗っとるでな。いくらか上手には乗るわい」
「ウソこけやい! 白状しろやい」
「やっこじゃ、やっこじゃ」
子春丸がいきり立てばいきり立つほど、海老丸は白を切る。にくいことに、クックと笑っていた。
東の空には十日ばかりの月が出て、速い雲が冴《さ》えた空を横切って北から南に走っている。二人は肩をすくめ、風を切ってトットと馬を急がせた。
戌《いぬ》の刻(午後八時|頃《ごろ》)近く、岡崎の部落近くについた。海老丸は人目にかかるのをおそれて、馬を下りようと提議したが、横着な子春丸はきかない。
「かまやせんがな。この寒い夜じゃ。村の者は誰も出とりはせんわな」
「いかん。もうここまで来れば、あとは歩いても大したことはなかるべしに」
「それでも、この方が楽じゃ」
「おらは下りたがいいと思うがの」
「汝は下りたければおりいや。おらはおりんぞい」
ぐずぐずと、部落の中ほどまでそのまま行ったが、どうしても不安でならない。万一にも砦の武者共の目にふれることがあっては、それがきっかけで一切がばれないものでもない。海老丸はもう委細かまわず下乗した。
「チェッ! いくじのないわろめ!」
子春丸もブツブツ言いながら下乗した。
その時であった。道に沿うた民家の生垣《いけがき》の角から、不意に馬蹄《ばてい》の音がひびいて出て来たものがあった。一目で、砦につめている武者の一人であることがわかった。
つめたいものを背筋に走らせつつも、あわてて馬の口綱を取って路傍にさけて小腰をかがめる二人に馬を寄せて、
「誰だ」
といいながら、じっと見おろした。
それが今朝方出発の時に出逢《であ》った郎党|結城《ゆうき》ノ武吉《たけよし》であると知った時、二人はまた背筋を走る冷たいものを感じた。ほんの二三瞬のちがいで、騎馬の姿を見られないですんだ運の好《よ》さを喜んだ。
こうなると、子春丸は図々《ずうずう》しい。けろりとした調子でこたえる。
「子春丸でございます。石井のお館へ参っての帰りでございます」
「ほんにそうだな。そちらは……」
と、郎党は海老丸に目を向けた。
「へえ、今朝方のあの海老丸でございます」
「そうそう、汝がいとこ子とかであったな」
「へえ、へえ、いとこ子で」
「御苦労であったな。館の殿にお目にかかったか」
「いいえ、帰りを急ぎますので、お目にかからずじまいでありました。あなた様はこの寒いのに、お見まわりでございますか」
「そうだ。それでは行けい」
結城ノ武吉は、凍《い》てついた路面にコツコツと蹄の音を立てて行きすぎる。
「御苦労さまでございます」
月の光を真上に近い方角から受けている後ろ姿に言葉をかけておいて、シュンと手ばなをかんで、子春丸は馬をひいて歩き出す。
やがて、子春丸が言った。
「びっくりしたぞいな。もうちょっとのことで見つかる所じゃったのう」
海老丸は返事をしなかった。
「ふんとに、おらびっくらしたぞいな」
海老丸は低く叱咤《しつた》した。
「黙れ!」
子春丸はおどろいた。
「何じゃい? 何おこっとるだ」
海老丸は一層声を低めて叱《しか》りつけた。
「バカじゃな、汝。そげいなこと言わいでもわかっとるわい。いつどこで誰が聞いとるかわからんちゅうことを考えんのか」
「フン」
子春丸はふくれっ面になったが、相手の言うことが道理だったので、口をつぐんだ。しかし、胸の中で言っていた。――こいつ、いばっとる。しかし、今に見ろ、おらは一の郎党になるのじゃ。その時こそ威張りかえしてやるぞい。こいつも郎党にはちがいないが、まさか一の郎党ではなかろうでの……
一方、二人とわかれた結城ノ武吉は、いよいよ高く、いよいよ冴えて来る寒月の下を、部落の内外、別して砦のまわりを注意深く巡視した後、今の午後十時頃に砦にかえった。将頼に異状のなかったことを報告して、宿直所《とのいどころ》にかえった。そこには下人共が酒をあたためていてくれた。彼はそれをのんでこごえきったからだをあたためて寝につき、とろとろとまどろんだが、ふと、ものにおどろかされたように目をさました。むくりと起き上って腕を組んだ。
「はてな」
この時、結城ノ武吉が思い出したのは、子春丸とそのいとこ子であるという海老丸と名乗る男のことであった。二人は運よく見つからないですんだと思っているが、武吉は二人の乗馬姿をほんのしばらくではあるが見ていたのである。彼自身も郎党に取り立てられる以前、使いに出されると禁をおかしてよく主人の持馬に乗った。だから、とがめ立てする気はおこらず、見すごしにしたのだが、今にわかに思い出されたのは、海老丸という男の乗馬姿がひどく立派であったことであった。
「ありゃ百姓|風情《ふぜい》の乗りぶりではなかったな」
今朝方、砦の門前で逢った時のことを、念入りに思いかえしてみた。
「からだつきもたくましかったな。顔つきも引きしまって、別して目が鋭かったな」
そんな馬鹿《ばか》なことがあるものか、思いすごしにちがいないと打消しつつも、全身がカッと熱くなって、胸がドキドキして来た。
「何はともあれ、一応お耳に入れておかねばならん」
と、考えた。
将頼は寵愛《ちようあい》の村の娘と共臥《ともぶ》ししていたが、女をさがらせ、|しとね《ヽヽヽ》の上に起き上って、武吉を迎えた。
「まさか、子春丸がな」
「てまえもそうは考えたのでございますが、ほかならぬ場合でございますから、おやすみ中をもはばからず、かく推参いたしました」
「うむ、うむ」
将頼は思案した。
「まさかとは思うが、用心はせねばならん。汝は御苦労だが、誰ぞ下人共を子春丸の家へやって、すぐ連れて来させてくれんか」
「かしこまりました」
すぐ下人がつかわされ、やがて帰って来た。
「子春丸は居りましねえ。帰って来て、夜食をたべるとすぐ、いつもの通りに夜遊びに出かけた由《よし》でございますだ。達者なものでございますだ。昼間石井のお館まで往きかえり九里、おまけに行きは炭二俵も背負って行きましたのに、夜遊びもまた欠かさないというのでございますからね。やつのおやじも、達者なものじゃというてあきれていましただ」
と、下人は笑いながら報告した。
武吉はこれを将頼に言上した。
「何というやつであろう。そうまではげんでもあのニキビだ。驚いたやつだ」
と、将頼も笑った。
「念のため、やつのいとこ子に海老丸というのがいるか、調べに行ってみましょうか。もしやつが不敵なことをしているにしても、家族《うから》までひと巻きになっているとは思われません。調べればすぐわかると思いますが」
「そうだな。しかし、それには及ぶまい。調べるにしても、明日になってからでよい。いくら子春丸でも、よからぬことをしていながら、その夜また夜遊びに行くようなことは、まさかすまいでな」
「さようでございますか」
武吉は引退《ひきさが》って、寝についた。彼もまた将頼の言うことを道理と思った。しかし、夜が明けるとまた不安が頭をもち上げて来た。
朝の食事がおわる頃、子春丸が出勤して来た。
武吉は子春丸を呼び出して、海老丸のことを尋問した。
「汝はあの者が汝がいとこ子で、この村の者じゃというた。おれは村の者共について調べてみたが、汝に海老丸といういとこ子はないと、皆申しているぞ」
と、武吉はカマをかけた。
子春丸は青くなり、ふるえ出したが、意外なことを言い出した。
「おらはこの村の者じゃなどとは申しましねえ」
武吉は腹を立てた。
「言わぬということがあるか。白々しいことを申すな!」
子春丸は首をふりつづけつつ、にぶい調子で言い張る。
「申しましねえ」
「たしかに申した!」
「おらが申したのではございましねえ。そなた様がこの村の者かとお尋ねになりましたによって、おらはただそうでござりますとお答え申しただけのことでござりますだ」
「わからん奴《やつ》だな。答えたと言ったとどうちがうのだ。同じことではないか」
「まるで違いますわい。おらの方から言ったのが言ったで、尋ねられてから言ったのが答えたでございますわい。あれはこの村の者ではございましねえ。しかし、そなた様がこの村の者かとお聞きでありましたによって、へえ、そうでごぜえますと、おらがお答えしましただ。せっかくのお尋ねにそうでねえと申すのはお気の毒でございますよってな。言うと答えるとはこんだけの違《ちげ》えがありますだよ。おわかりでごぜえますだか」
次第におちついて来て、泰然たる態度となっていた。
武吉はこの男に疑惑を持つことが馬鹿馬鹿しくなった。何を言う気もしなくなった。しかし、念のためもう一押しした。
「それでは、あの者はどこの者じゃい」
「石田の者でございますだ」
武吉は仰天した。
「なに! 石田だと?」
「そうですわい」
「汝がいとこ子には違いないじゃろうな」
「ちがいますわい」
「ちがう? それでは何者だ!」
武吉はすごい顔になり、ことばも切迫して来た。けれども、子春丸にはまるで反応がない。にこりにこりと笑って言う。
「いとこ子よりもっと近い仲ですわい。おらがおなごの兄者人でありますよってな。おらが見るところでは、そなた様は海老丸を疑うておいでのようでございますだが、その気づかいはさらにありませんてや。おらがおなごが信用出来るように、あの兄者人も信用出来ますぞや。心配なことはさらにありませんてや。おらがおなごは、そりゃ情が深けえのでございますでな。へへ、へへ、へへ」
ひくい団子鼻をヒョコめかして、得意気であった。
子春丸が世間並な人間であったら、武吉は疑いを捨てもしなかったろうし、腹を立てもしたろうが、かねてから人並でない男と見くびっていたため、この理窟《りくつ》にならない理窟を、こいつこれでちゃんと辻褄《つじつま》が合っているつもりでいるのじゃな、おかしなやつめ、と、受け入れてしまった。
「もうよい、行けい!」
と、どなりつけた。
「へい。そんだら行きますべ。わかりましただね」
「ああ、わかった、わかった」
ペロリと舌を出したいほどの気持で、子春丸はそこを離れた。その頃になって、つめたい汗がびっしょりと背中をぬらしていることに気づいた。
武吉は尋問の次第を将頼に報告し、互いにおかしさに腹をかかえて笑い合って、その日は非番なので帰宅した。しかし、何とやら落着かない気持は胸にのこった。それで、その後もそれとなく子春丸の挙動に目を離さないでいた。けれども、別段にかわった所はないようであった。
(おれが思いすごしであったらしい)
ついに、そう結論した。
数日|経《た》って十二月十四日の夜のことであった。
月はあるはずだが、空一面に雲がかけて、北西の風のすさまじく吹きすさぶ夜であった。風邪気味だった武吉は結城の自宅で、熱い酒をのみ、熱い雑炊を食って、宵《よい》の口から寝についたが、夜半近くになって目をさました。
短時間だがグッスリと熟睡したあとのこととて、すっかり目が冴えて眠りつぐことが出来ない。戸外にすさぶ風の音を聞きながら、真暗な中にマジリマジリとしていると、間もなく、その風の音に乗って異様な物音がひびいて来るのを聞きつけた。
「はてな。人馬のひびきのようだぞ」
と、しばらく耳をそばだてていると、次第にはっきりとなった。
たしかにそれは百騎近い人馬の物音であった。結城寺の方から、豊田領へ真直ぐに通じている道を下って来つつあると聞いた。
武吉はガバとはねおきて、小声に妻を呼びおこした。
「あれを聞け。ひょっとして、敵が夜討ちに行く途中かも知れぬ。見とどけのために行ってみる」
若い妻ではあったが、当時の坂東人にはこんなことは日常茶飯事だ。さわぐ気色もなく、物の具や武器をそろえておいて、外に出た。厩《うまや》の馬を引き出すためであった。
武吉は手早く武装し、外に出ると、妻はもう鞍《くら》をおいた馬を家の入口に引いて来て待っていた。
武吉は、馬に枚《ばい》をふくませていななかないようにし、ミズキを巻いて音が立たないようにした後、
「それでは行く。戸じまりを厳重にしてやすめ。敵は小勢だ。あの物音では百騎あるやなしであろう。大したことにはならぬと思う」
と、言って、ヒラリと馬上の人となった。
空は一面の雲に蔽《おお》われてはいるが、真の暗夜ではない。五六間離れていても人の姿くらいは見えるほどの明るさがあった。武吉は蹄の音を殺すために、畠地《はたち》のやわらかい土をえらんで馬を進め、結城寺道に向った。
結城寺道まで出ると、騎馬隊のひびきは半町ほどの距離にせまっていた。凍《い》てついた路面に蹄《ひづめ》の音を立てて、なみ足で近づいて来る。物の具の触れ合うひびきや馬の鼻風の音がまじっていた。今はもう敵であることは間違いなかった。
武吉は、路《みち》にそって稲堆《いなむら》が三基あるうしろに馬を引きこみ、稲むらと稲むらとの間に入った。敵がこの前を通過する時、十分にくわしく見て、それから岡崎の砦《とりで》に報告するつもりであった。
騎馬隊は、潜伏場所にさしかかるのに一分とはかからなかった。武吉の目からつい二間ほどの所を、先頭の二騎が通過したと思うと、次々にあるいは二騎、あるいは一騎、あるいは三騎と、不規則な列をつくって、通過して行く。暗いから、鎧《よろい》の毛色も、馬の毛色もわからない。ただ一様に黒い姿が、寒げに身をすくめ、斜め後ろからのやや強い風に吹き立てられるようにして行くのであった。
武吉が丹念に指を折って、三十騎をかぞえた時、ふと聞こえて来たことばがあった。
「……鴨《かも》橋を渡りさえしますれば……」
前も聞こえなければ、うしろも聞こえない。これだけが風に吹きちぎれたように飛んで来たのだが、武吉ははっと緊張した。
第一にはこの声に聞きおぼえがあった。それは海老丸といったあの男の声に似ているようであった。
つぎにはことばの意味だ。鴨橋は結城村の南端にある。これを渡って更に南するのなら、岡崎の砦を避けて、一筋に石井《いわい》を目ざしているものと見なければならない。もし、そうだとすれば、もう砦に報告しているひまはない。
一瞬時、武吉は度を失ったが、すぐ考えをきめた。最後の一騎が目の前を過ぎるや、すらりと稲むらをうしろにぬけ、そこにひっそりと立っていた馬に飛び乗ると、道路に出、敵のあとにつづいた。
ポカポカポカと、やや馬足を早めて追いつくと、最後の一騎がふりかえった。
「何をしとったのか」
味方と思っているのであった。
武吉はわざと不明瞭《ふめいりよう》な声で、無意味なことを言った。しかし、相手はそれで得心したらしい。寒げに肩をすくめ、黙りこんだ。
くみし易《やす》しと見た武吉はすっかり胆《きも》をすえた。目立たないように馬足を早めて、少しずつ中ほどにもぐりこんで行った。この夜討ちの大将が誰か、どんな意図をもっての夜討ちか、出来るだけくわしい情報を取ろうと思うのであった。
寒くはあるし、目的が目的であるから、兵士等は至って口数が少ない。ほんの時々、ささやくような低い声で、ごくかんたんなことばをかわすだけであったが、小一時間の後には武吉は知りたいだけのことを全部知ってしまった。
(総勢八十騎、良兼《よしかね》みずから将となっている、子春丸に手引きされた良兼の郎党が石井の館《やかた》の様子をすっかり偵察《ていさつ》して来たのでこの計画となった云々《うんぬん》……)
もう長居は無用だ。武吉は次第に速度をおくらかして隊の最後尾に出て、離脱の機会をうかがった。
鴨橋は、今の結城郡八千代村の釜橋であると思われるが、これを渡ったあたりで、道は雑木林に入って、漆を流したような暗さになった。
武吉はそれに乗じた。次第に乗りさがって、隊の最後尾についていたが、馬を乗りとどめ、横にそれた。蹄の音を消すために、はじめ徐歩し、次第に馬足を速め、ついには馬足をおしまぬ疾駆となった。
鴨橋から石井まで三里、馬もたおれよ、息もたえよと、無二無三、四五十分で駆けつけた。
小次郎は枕《まくら》を蹴《け》って起き上り、報告を聞いた。
「おのれ子春丸め!」
歯がみをしていきどおった。
小次郎は子春丸に対して、軽蔑《けいべつ》はしていても、ある種の愛情をもっている。家に飼っている愚鈍な犬や猫《ねこ》にたいするようなものではあるが、愛情がないわけではない。裏切られたとなると、言いようもない腹立たしさであった。
しかし、この際、それにかかずらってはおられない。当面の寄せ手をどうするかだ。
わずかに十騎で八十騎に当らなければならないのだ。その上、その敵は、ごまかしにしても、何にしても、官命を奉じている。胸を蔽うて先《ま》ずおこったのは不安であった。
が、すぐおさえて、決心をつけた。――どうなろうとままよ、戦うまでのこと!
「わかった。大儀であった。手がらのほどは決して忘れんぞ。退《さが》って休息するよう」
一礼して、武吉が退りかけると、急に小次郎は呼びとめた。
「存ずる子細がある。子春丸のことは、誰にも漏らさんで、汝ひとりの胸におさめておくように」
「かしこまりました」
小次郎は人々を呼びおこし、事の次第を告げた。
忽《たちま》ち館中が狼狽《ろうばい》し、大騒ぎになった。
こうした騒ぎは、臆病《おくびよう》な者を更に臆病にし、勇敢な者すらおじ気づかせ、ついには収拾しがたくなるものである。小次郎はよく知っている。館中の者全部、女子供まで一カ所に集めて、申し渡した。
「敵は当館の案内をすべてさぐり知って寄せて来るのだ。おそらく、出口、入口、間道《ぬけみち》、兵具庫《ひようぐぐら》のあり場所等、皆知っている。逃れようとしても逃れられぬ羽目に味方はおちいっている。戦うだけがわずかにのこる生きる途《みち》だ。今の場合、騒ぎ立てる者は、陣中を乱すの罪にあてて斬《き》って捨てる。さよう心得るよう」
噛《か》んでふくめるようなやさしい調子ではあったが、意味はきびしかった。態度もおごそかであった。さわぎはピタリとおさまった。
良子に、女子供を館内の最も奥まった建物に連れて行くように命じておいて、自ら郎党共を点検した。
十人の郎党等は、もう武装をととのえていた。満足であった。
「皆見事だぞ。しっかり働いてくれい。なに、敵の手なみのほどは、お互いよくわかっている。何程のことがあろう。夜の明けるまで持ちこたえれば、諸方の味方が馳《は》せ集まってくる。わずかに八十騎の敵だ。やつら、かえってつらいことになろうよ」
落ちつきはらって説く小次郎のことばに、郎党等はさらに心が静まったようであった。
小次郎は館中の灯《ひ》を消させ、諸門をきびしく閉ざさせ、下人共に弓矢を持たせて土居《どい》の要所要所にかまえさせて、
「敵が来たら、何の会釈《えしやく》もいらぬ。ただ射て射まくれ」
と言いふくめた。
自分の館だから、どこが一番弱いか、小次郎はよく知っている。大手の門から少し西に行った隅《すみ》やぐらのあたりが、館外の土地が高いばかりか、濠《ほり》が浅い。ここに馬を立ててこぶし下りに火矢《ひや》でも射こまれたら、風向きによっては忽ち館は炎の海につつまれてしまうにちがいなかった。
間者(スパイ)をつかわして十分にこちらを偵察《ていさつ》した以上、敵はここに攻撃を集中して来るにちがいないと、小次郎は見当をつけた。郎党等をひきいて、そこから小半町離れた森かげに埋伏《まいふく》した。
その頃《ころ》から風が吹き落ちて余程しのぎやすくはなったが、寒気はさらに冴《さ》えて来た。空を蔽うていた雲はいよいよ厚く、今にも雪でも降り出すのではないかと疑われるほどであった。
ずいぶん間があった。一同ガクガクふるえて待った。
厚い密雲のために時刻の推移がよくわからないが、東の空がいくらか明るみを帯びたかと思われる頃、遥《はる》かな距離から押しよせて来る人馬の響きが聞こえて来た。
一同は木々の間から目を皿にしてその方角を凝視した。瞬間|毎《ごと》に明るくなりつつも、びっしりと空を閉ざしている密雲のために、地上はなかなか明るくならない。もどかしかった。しかし、やがてその方角に一隊の人馬が立ちあらわれた。
真黒に密集して、飛ぶような速さで大手の門につづく道路を押して来たかと思うと、忽ち濠端《ほりばた》を横に切れて、隅やぐら前に馬足をとめ、一人が進み出て、弓に矢をつがえ、よっ引いて放った。
かぶら矢であった。強いうなりを黎明《れいめい》の空気の中にひろげて濠を飛び渡り、やじりはやぐらの壁にハッシと立つと見えたが、かぶらはくだけて矢柄《やがら》は飛びかえって濠の中に落ちた。とたんにかわり合って、馬を乗り出した一騎が叫んだ。
「これは前《さき》の上総介《かずさのすけ》良兼ぞ! 朝廷《おおやけ》の宣旨をこうぶり、国の乱人小次郎|将門《まさかど》を追討のために立向ったり。速かに館をひらいて降人に出でよ。さらずは、一もみにもみつぶさん」
若々しく強い声であった。もちろん、良兼ではない。壮強な郎党に命じて呼ばわらせているに違いなかった。
その声がおわったかおわらないかに、櫓《やぐら》のあらゆる矢間《やざま》がカラカラと音を立ててあいたかと思うと、ものも言わず矢が射出されて来た。矢間だけではない。土居に植えた樹木のかげからも、射出した。
射術になれない下人共の射る矢だ。あたりはしなかったが、会釈もあいさつもない応酬だ。寄せ手はおどろき仰天した。
「敵にはそなえがあるぞ。油断すな」
と叫びかわすや、ザザザザと馬をすざらした。
こちらで見ていた小次郎は、敵のその動揺を見のがさなかった。弓をとりなおし、矢をつがえ、郎党等にもそうさせておいて、鬨《とき》の声を上げさせた。
思いもかけず横合から喊声《かんせい》を上げられて、上総勢はきも玉をでんぐり返らせた。驚きの声を上げて、一斉《いつせい》にこちらを向いた。
とたんに、小次郎は切って放った。矢は良兼にかわって名乗りを上げたあの武者の内冑《うちかぶと》に、あやまたずハッシとあたった。一の郎党なのであろうか、黄《き》河原毛《かわらげ》の馬にまたがり、朽葉《くちば》色おどしの鎧を着て、一きわすぐれて|いでたち《ヽヽヽヽ》さわやかであったが、十三|束《ぞく》三ツ伏せ、研《と》ぎすました|のみ《ヽヽ》のような大やじりをすげた手練《てだれ》の大矢《おおや》を、三十間の間近い距離から眉間《みけん》に射立てられたこととて、声も得上げず即死して、落馬した。
ほとんど同時に、郎党等も切って放った。この距離では、手練の精兵《せいびよう》等にあだ矢のあろうはずはなかった。あたり所は知らず、やにわに十騎が射落された。
上総勢の混乱は目もあてられないものとなった。密集隊形を解いて散開しようとして、互いにぶつかり合ったり、からみ合ったりして、ふためいた。こちらはそこをまた鏃《やじり》をそろえて射た。弦音《つるおと》に応じて、また七八騎が射落された。
こちらの不意を討って楽な戦いをして楽に勝とうと心組んで来た上総勢だ。敵に備えがあると知って、すでに三分の|ひるみ《ヽヽヽ》を生じていたのだ。こうなっては、闘志のあろうはずはなかった。恐怖し、混乱し、はげしくひしめくばかりであった。
小次郎は馬を引きよせて打ち乗るや、サッと刀を引きぬいた。
「進めや、者共!」
声より行動の方が速かった。烏黒《からすぐろ》の駿馬《しゆんめ》は蛇《へび》のようにしなやかに肢体《したい》をうねらせて、樹間をおどり出た。小次郎は霜気《そうき》をつん裂いてひびきわたる、おのれの背後につづく馬蹄《ばてい》の音と物の具のきしめきを聞きつつ、高々と刀をふりかざし、あらんかぎりの声で喊声を上げつつ突進した。郎党等もそれにならった。
上総勢は一ふせぎもしなかった。二十近くもある味方の死体をおき去りにしたまま逃走にかかったが、きびしい寒夜を一晩中遠路を来た馬は疲れていた。弱い馬に乗った者は忽ち追いつかれて、斬りつけられた。闘志を失って逃走にかかっている者には、平素の半分も力は出ない。ほとんど無抵抗で斬られて、バタバタと馬から落ちた。
良兼のしわ深く長い顔は、生きている人の色をしていなかった。彼は馬がよいおかげで真ッ先に立って逃げていたが、ひっきりなしにうしろをふりかえりながら、めったやたらに鞭《むち》をくれた。
「もういかん、もういかん、もういかん……」
と、霊験あらたかな呪文《じゆもん》か何かであるかのように、たえずつぶやきながら逃げた。わずかに十一騎の小次郎勢の追撃と喊声のすさまじさが、雷神に追われているようなおそろしさであった。若い妻の顔や、幼い子供等の顔や、良子の顔や、ごちゃごちゃに、そして飛ぶように胸のうちをひらめき過ぎた。
芹《せり》田に死す
快勝であった。寄せ手八十騎のうち討ち取られる者四十余騎、のこる三十余騎はいのちからがら逃げかえった。
うわさは風のように坂東一円にひろがった。
「寡《か》を以《もつ》て衆に克《か》つはあの殿には常のことだが、この度はまた不意をねらって寄せた百騎にあまる勢に、居合わす郎党五六人をひきいて打って出《い》で、ただひと駆けに駆け散らし、半数以上を討ち取られたというのだから、鬼神のふるまいとより申しようがない」
「火雷天神の冥助《みようじよ》を蒙《こうむ》っておられるというが、さもあろう。人間わざとは思われんわい」
「その火雷天神の奇瑞《きずい》があったので、敵の襲来を前もって知って、備えを立てられたと聞く」
人間という人間の心中に小説家がいる。特別に意識しないかぎり、人は正確に伝えようとするより、効果的に伝えようとする。一つの話がいく人もの口を経過するうちに似もつかぬものに変形するのは、このためである。善《よ》い噂《うわさ》が益々《ますます》善く、悪い噂が益々悪く、ころがる雪|達磨《だるま》のように誇張され尾ひれがついて行くのもこのためだ。小次郎の武勇は超人的なものとなり、神変不可思議な神佑譚《しんゆうたん》となって、坂東人《ばんどうびと》の間に感嘆と尊敬を呼びおこした。
評判はシーソー遊びに似ている。一方が上れば他方は下らざるを得ない。小次郎の名声が上ると共に、彼の敵の声価は暴落した。
「|騏※[#「馬+隣のつくり」]《きりん》も老いては駑馬《どば》に劣るというが、前の上総介も、村岡ノ五郎も、常陸《ひたち》六郎も、とんと話にならぬわ。大方|もうろく《ヽヽヽヽ》したのであるべしよ。案外なのは左馬《さま》ノ允貞盛《じようさだもり》よ。小次郎と同じ年じゃというのに、はかばかしい武者働きのうわさはまるで聞かんな。京ではトントン拍子の昇進で、一緒に上《のぼ》った小次郎が数年|恪勤《かくご》の甲斐《かい》もなくやっと右兵衛《うひようえ》ノ少志という卑官になり得ただけで帰って来たのに、あれは同じ期間で左馬ノ大允までなったのだ。わしらには逆であるのが本当じゃと思われるがのう。不思議なものじゃて」
「大方、太郎は京向きの男、小次郎は坂東向きの男というのであるべしよ」
「そういえば、太郎はのっぺり面《づら》しとるわ。女はああいう面を好《す》くものじゃ。京は女どころ――男でも女ごころの土地じゃというからのう」
「ハハ、ハハ、ちがいないわ、わしら坂東の男には、太郎がような女面《おんなづら》は面白い色ごとが沢山出来るであろうとうらやましゅうはあっても、頼もしゅうはないが、小次郎の骨太くいかつい面はまことに頼もしく見えるからのう。面つきの好みでも、坂東人と京人《みやこびと》とはこれほどのちがいがあるわ」
「千言万語不要、やつは最初父の敵《かたき》を討つ料簡《りようけん》がさらになかったのじゃからのう」
「思い出した。そうであったわ。叔父等に無理矢理に引きずられて、その気になったのであったのう」
「およそどんな男か、それ一つでわかるでないか」
などと、さんざんである。
こんな風に世間の評判はガタ落ちであったが、良兼等としては泣寝入りしているわけには行かない。武名の失墜は単に名誉上のことばかりではなく、領民の信服を失うことにもなるのだから。しかし、度々の戦闘は、彼等に、自分等の力ばかりでは、小次郎に勝てないことを、否《いや》も応《おう》もなく認めさせている。彼等は小次郎追討の官命を受けていることを楯《たて》にとって、坂東八カ国の国守等に協力をうながした。
「すでに朝廷より符がまいっているはず、知らず顔にしておられるは心得ぬことに存ずる。いそぎ軍勢を催して力を添えられたい」
しかし、どこの国府もはかばかしい返事をしない。国守等はこの官命が無理であることを知っている。
小次郎は受けて立ったのだ。しかけたのは良兼等の方である。しかも、今や、小次郎の声名は隆々と上っているのに、片方の評判はひどく悪い。この際、良兼等に与力することは、豪族等の輿論《よろん》に反することだ。輿論に反しては、馳《は》せ参ずる豪族もないであろう。
中央の廷臣等は朝廷の権威を過信して、朝命とあればどんな命令でも行われるものと思っているが、直接地方人に接している国司等にしてみれば、権威の最も力強い象徴である武力を持たない朝命の頼りなさをよく知っている。豪族等が奉ずるまいと決心したら、どうすることも出来ないのだ。ましてや、理において正しくない朝命と来ては、なおさらのことだ。
何よりも、地方官というものは、豪族共との協調を上手にやらないかぎり、つとまるものではないのである。彼等の希望は、出来るだけの利益を得て無事に任期をおわって京にかえるか、豪族共との因縁を深くして土着してそのなかま入りするか、いずれかなのだ。損な役まわりを演じて元も子もなくするようなことはしたくないのであった。
こんな風だ。良兼一味の者等は、ひたすらに口惜しがっているよりほかはなかった。
「国守どもめ! 小次郎め! 国守どもめ! 小次郎め!……」
その小次郎は、あの日、敵を撃退した後、結城ノ武吉《たけよし》に、
「汝《われ》はすぐ岡崎へかえって、三郎と相談して子春丸を召捕って連れて来るように」
と命じた。
「かしこまりました」
武吉は岡崎へ急行した。
岡崎へついた時までは石井《いわい》のさわぎはまだ伝わっていなかった。武吉はそしらぬ顔で将頼《まさより》に会い、昨夜の次第と、快勝を語った。
「ほう、ほう、危《あぶな》いことであったな。そちの手がらは言うまでもないが、それというのも、火雷天神の冥助があればこそのことだ。ああ、ありがたや」
将頼はおどろき、よろこび、また合掌して神に感謝し、このことを告げるために人々を呼ぼうとした。
「お待ち下さい。もう一つ大事な用件がございます」
と、武吉はとめて、子春丸のことを語った。将頼は仰天した。
「ヤ! それでは、やはりやつは犬になっていたのか」
「そうです。出て来ていましょうか」
「来ている。来ている。つい今し方も、そこの庭を掃いているのを見た」
どうして捕えようと、相談した。何せおそろしく足が早い。けどられて二三町も逃げ出されたら、ぜったい捕えることは出来ないと思わなければならない。いろいろな方法が考えられたが、いずれも不安できめられなかった。
短気な将頼はかんしゃくをおこした。
「ぐずぐずしていてはかえっていかん。なにほどのことがあろう。おれがつかまえる」
と言うと、へやを出た。
あまり勢いがすごいので、武吉もとめることが出来なかった。将頼のあとについて建物の入口まで出たが、万一の用心のため弓矢をたずさえた方がよいと思って、それをとりにかえった。
将頼はかまわず入口を出て、下人小屋の方に向った。
子春丸は二人の下人と共に何やら冗談を言いながら雑舎の前で薪《まき》を割っていた。
ケラケラと間ぬけたニキビ面を見た時、将頼は怒りが心頭より発した。いきなり走り寄って行った。とつぜんだったので、子春丸も、下人共もおどろいて棒立ちになった。しかし、とたんに、子春丸はわがことと知った。おどりかかって来る将頼めがけて、手にした斧《おの》をものも言わず投げつけて、身をひるがえした。
「手向うか!」
ひらりと身をかわして、益々腹を立てて追いすがろうとしたが、もうその時には子春丸は七八間も逃げのびていた。
「追いかけろ! つかまえろ!」
自分の不覚にじだんだふみたいほど腹を立てながら、将頼はどなり立てながら追いかけた。下人等もうろたえながら、わけはわからぬながら、追いかけた。しかし、子春丸の足は翼が生えているかと思われるばかりだ。ニキビだらけの顔は真青になりながらも、飛ぶように逃げて行く。
ちょうどこの時、武吉は建物の入口を出た。庭におこるさわぎを聞いた。はっとして庭に駆け出して見ると、二三十間向うを、門をさして飛んで行く子春丸の姿が見えた。烏帽子《えぼし》が飛んで、赤ちゃけた髪が吹きなびき、交互に出る脚の形が見えないほどの速さだ。
「さればこそとりにがしなされたわ」
武吉は弓に矢をつがえ、子春丸の腰のあたりに狙《ねら》いをつけてはなった。
あせったので、武吉は子春丸の速力の測定をあやまった。矢は子春丸の一尺ほどうしろをかすめて飛びすぎ、はるかな大地に斜めにつきささった。
「しまった!」
武吉は二の矢をつがえたが、もうその時には子春丸は門外に飛び出していた。砦《とりで》中の者がワイワイ言いながら飛び出して来、何かわからず走り出した。
そのワイワイという声をうしろに聞きながら、子春丸は走った。もう一町も引きはなしていた。
こうなると、大丈夫だという自信があるが、なお少しも速さをゆるめず走った。
「おッかねえ、おお、おッかねえ。わかりゃがったんだな。どうしてわかりゃがったんだろ。わかるはずはねえにな。おお、おッかねえ……」
と、つぶやきながら。
ともかくも石田の女の家へ行った。
「はれまあ、聟《むこ》どのでねえか。今日はまたえらい早いことだのう。非番かえ、お使いの途中かえ」
愛嬌《あいきよう》よく、女の父親が迎えた。この家にとって、子春丸は大へんためになる聟だ。親の目にもきりょうがよいとは見えない娘をいとしがってくれること一通りや二通りでない上に、おりにふれてはいろいろなものを持って来てくれる。砂金や絹まで持って来てくれたことがある。この聟殿のおかげで、このところ家は大うるおいだ。疎略《そりやく》には出来ない。
「うう、ちょっと用事があってのう」
といいながら、女をもとめてキョロキョロあたりを見まわしていると、父親はがてんして、
「ありゃ居ねえわな。森へ薪《たきぎ》とりに行っただ。なに、すぐかえるべしによ。ゆっくらしていなさろ」
「ゆっくりしておられねえだ。どこの森かの、おいら行って見べしに」
「そうけえ、ちょっと口で言うてはわからねえ」
父親は、野道まで出て、田圃《たんぼ》の五六町向うの雑木林を指さして、あそこだと教えた。
父親と別れて、刈りわたした田圃の中にぐねぐねと曲ってつづく道を、子春丸は急いだ。
彼はまだ良兼の奇襲が失敗に帰したことを知らない。何かほかのことからばれたものと思っている。従って、今後のことについてもそう案じてはいない。上総に行けば一の郎党に取り立てられるものと思っている。いくらか心配なのは父母や弟妹等のことだが、これはこのことについてはなにも知らないのだから、一応捕えられて調べられはしても、やがてゆるされるであろうと考えて、案じないことにしている。けれども、さっきまでうららかに照っていた日が雲にかくれて、薄ら寒い風がそよぎ出してくると、へんに陰気くさい気になって、いつか肩がすぼまり、うつ向き勝ちになり、足許を見つめて歩いた。
やがて林について中に分け入ったが、急には姿が見つからなかった。どこかで椋鳥《むくどり》のさわいでいる声がするだけで、林の中はシーンと寂《しず》かであった。
「ホーイ」
と、呼んでみた。
すると、ずっと奥の方で、ホーイ、とこたえる声がした。女の声であった。急に元気が出て、その方に急いだ。熊笹《くまざさ》が|はばき《ヽヽヽ》にバサバサとかかり、枯枝が足の下で小さな音を立てて折れた。
女は、鉈《なた》をふるって枯枝を幹から切り取ったり、適当な長さに切ったりして、余念なく働いていた。彼が近づいていっても、ふりかえりもしない。
「おいよ」
呼びかけると、はじめてふりかえった。
「おうら、主《にし》かの」
おどろいた表情であった。目も鼻も口もちんまりと小さく、ふとった両頬《りようほお》の間につつまれたように見える汗ばみ赤らんだ顔に浮かぶ微笑が、子春丸にはなんともいえず可愛《かわ》ゆく美しく見えた。
「どげいにしたのぞいの」
女は鉈をおき、額に垂れている髪をかき上げた。束ねた薪をおろし、ゴシゴシと顔の汗を拭《ふ》きながら、もう一束の薪を指さした。
「まあ坐《すわ》んなさろ。立話も出来んわな」
子春丸は指定された位置にはかけず、女とならんで腰をおろして、
「こまったことが起きただ」
委細のことを物語った。
「ちっともこまりはせんがな。いずれは来ることが少し早く来ただけじゃがな。上総へ行けばいいだけのことじゃがな」
女が自分と同じ考えでいることが、子春丸はうれしかった。
「おらもそう思っているのじゃが」
と言いながら、左の手をまわして女の腰をかかえた。あらい麻の袴《はかま》の下に、やわらかくあたたかい肉体が感ぜられた。子春丸は目の前が赤くうるんで、カッカとからだがほてって来た。
「思っているのじゃがどうじゃというのじゃえ」
女も身をよせて来る。これも一層からだが熱くなったようであった。
「おら、今夜からいる所がないものな」
「今夜からいる所ちゅうて、今までじゃて夜さりはうらが家に来とったでねえか」
「ああ、そうじゃったな。そんだら、昼間いるところじゃ」
「うらが家にいればいいがな」
「おいてくれるだか」
「何いうぞい。夫婦《みようと》じゃねえだか」
「飯も食わしてくれるかの」
「水くさいこと言うぞい、この人は。夫《せ》に飯食わさんでおく妻《め》があろうかい」
このまぬけた問答の間に、いつか二人は頬と頬をぴったりつけて、胸をドキドキさせ、ふいごのように荒々しい呼吸づかいになっていた。
二人はキョロキョロとあたりを見まわし、それから立上って、手を引き合いながら、さらに林の奥深く入って行った。どこやらでムク鳥がさわいでいる。ゲラゲラ、ゲラゲラ。笑うような声で、面白がっているような声で。
三十分ほどの後、二人は行水でもつかったあとのようなさっぱりした顔でかえって来た。薪の束に、こんどはそれぞれちがった位置をしめて、また問答が行われる。
女が言う。
「主、うらが家にいるのはちっともかまわねえだが、なりたけ早く上総に行くがよいぞい。人ちゅうものは長くなると恩を忘れるものだでな」
「そらそうじゃ」
「二三日もいたら行くがよかるべし」
「二三日したらか。行くのはよいが、おらそうしたらわれに会えねえことになるの。おらそれがつらいわな」
「なに言うぞい、男が。うらじゃてそれは同じ思いじゃが、先々のことを思うて辛抱するのぞい。主も辛抱してくれざ」
「そらそうじゃ、先を楽しみに二三日したら行くべしよ」
「前《さき》の上総介《かずさのすけ》の殿の一の郎党じゃ。うらお内方《うちかた》といわれるようになるのじゃな。うれしいぞい」
その日その夜は家族全部の下へもおかない歓待のうちに女の家ですごしたが、その翌日の昼少し前、生木のいぶる炉辺に皆が坐って、なごやかな団欒《だんらん》を楽しんでいる時であった。女の弟が外から帰って来て、昨日の夜明け良兼が石井を襲撃して、むざんに敗《やぶ》れいのちからがら逃れたとのうわさを伝えた。
女は顔色を変えて立上るや、弟の胸ぐらをつかんだ。
「ほんとかよ、それ」
弟は|きも《ヽヽ》をつぶして、おろおろとこたえた。
「ほんとかウソか知らねえ。みんながそう言うているだ。おらみんなの言うていることをそのまま話しているだによ」
「この尿《いばり》たれめ! なんでしっかり聞いて来んのぞい!」
こづきまわし、なぐりつける。
子春丸はとめにはいった。
「これや、これや、そげいに手荒にすることはなかるべし。待てや、待てや、口で言えばわかるべしに」
女は弟をふりとばしておいて、こんどは子春丸に食ってかかった。
「この大糞《おおぐそ》たれめ! うぬがことじゃと知っとるのか! ええい、業《ごう》の沸く!」
生きのいいやつを一発、頬《ほ》ッぺたに食らわしておいて、家を走り出た。
「玉にきず、おらがお内方の手の早さ」
ピリピリとまだいたい頬をなでて、子春丸はにやにやと笑って、家族等を見まわした。家族等の表情はすっかり変ったものになっていた。つい先刻までのあの愛想のよさは消えて、何かよそよそしいものがあった。
なぜ皆がこんなになったか、子春丸にはわからないが、あわてた。
「おら上総の殿の一の郎党になりますだ」
と、言ってみた。人々の表情はかわらない。おやじどのなどは熊のようにひげの中からフーと溜息《ためいき》までついた。
「いい馬をたまわり、田荘《たどころ》をあずけられる身分になりますだ」
と、つづけてみたが、それでも同じだ。
「この木のいぶることわいの!」
と、|かかあ《ヽヽヽ》どのが腹立たしげに言って、一本の薪をじゃけんに灰の中に突ッこんだだけであった。
「固い約束が出来とるのじゃでな。はずれることはありはせんて。おら間違いなく一の郎党になるだ」
せつなくなって、子春丸は涙声になった。
そこへ、女が走りかえって来た。|おんぼろ《ヽヽヽヽ》に髪をふり乱し、目が血走っていた。土間に立ったまま、鋭く言った。
「父《とと》も、母《かか》も、みんなしばらくどこぞへ消えてくれろや!」
外は寒い風が吹きまくっていたが、ためらわず皆立上ってゾロゾロと出て行った。
子春丸はこわくなった。自分も一緒に出て行こうとして立上ると、忽《たちま》ち一喝《いつかつ》を食った。
「これバカたれ! 主《にし》はのこるのじゃわい!」
女と子春丸は炉をへだてて向いあった。
「主や」
「おおよ」
「うわさは本当であったぞな」
「本当でもいいわな。おらにかかわりのあることでねえ」
女はどなりつけた。
「かかわりがねえことがあろうか! 大ありじゃわい!」
「そんでも、おら戦さの勝ち負けまでは受け合うておらん。頼まれただけの仕事は、おらちゃんとしたけじゃ。戦さに負けたのは上総の殿の不覚じゃわい」
「それは|へりくつ《ヽヽヽヽ》じゃわい!」
「|へりくつ《ヽヽヽヽ》かいな。誰に聞かせても通る|りくつ《ヽヽヽ》じゃ。おらは頼まれただけのことはしたのじゃわい」
「わからん|ふと《ヽヽ》じゃな。上総の殿は戦さに勝つために主にあの頼みをなさったのじゃ。その戦さが負けたとあっては、|にし《ヽヽ》の働きも役に立たなんだのぞい。役に立たなんだ働きに、誰が報いるものか! ヘッ、一の郎党、ヘッ、よい馬、ヘッ田荘……あんまり話がうますぎると思うたわい。このヘゲタレ男め!」
女は、自分が先に立って子春丸に裏切りをすすめたことを忘れてしまっていた。敗戦は子春丸のせいであるような気がしていた。見る見る興奮して、じりじりと炉ばたをまわって来た。牝虎が獲物《えもの》を見すえて忍びよって行く姿であった。危険を感じて、子春丸は炉をまわってじりじりと逃げ、逃げながら必死の声をしぼる。
「おらが悪かっただ、おらが悪かっただ。どうすればいいか教えてくんろ。おら汝《われ》が言う通りにすべしによ。言う通りにすべしによ!……」
とたんに牝虎は割れるような声で咆哮《ほうこう》した。
「出てうせろ!」
これはまたあんまりな、薄情にもほどがある、と、さすがに子春丸はムッとした。女は益々《ますます》たけり立った。
「さあ、出てうせろ! 主がここにいては迷惑じゃ! やんがて豊田の殿の兵《つわもの》共が、主をさがしに来べしに、主がいては、うらが家のもんまで殺されるべし。うせんか!」
火のついた薪をむんずとつかんだ。ぐずぐずしていようものなら、それは直ちに炉中から引きずり出され、頭のてっぺんに打ちおろされるに相違なかった。
「出て行く、出て行く。支度をする間待ってくんろ」
悲鳴を上げて、猶予《ゆうよ》を乞《こ》い、支度にかかった。|はばき《ヽヽヽ》をつけ、|わらんじ《ヽヽヽヽ》をはいていると、ぽろぽろと涙がこぼれて来た。女はけわしい顔で、呼吸をスウスウいわせて見ていたが、さすがにあわれになって、クスンと鼻をすすった。
支度がおわって、土間に立って、おずおずと言った。
「おら、ともかくも上総へ行ってみるべし。固い約束じゃったのじゃ。証人には汝をはじめとして、郎党衆もいるのじゃ。また、御身分がらもあることじゃ。ひょっとして、約束通りにして下さるかも知れん。そしたら、汝、また縁をもどしてくれるのう」
涙声であった。
「おおよ、おおよ、そん時ゃ、うら、また|にし《ヽヽ》が妻《め》になってやるべし」
女も涙声であった。
女の見通しは的確であった。夜昼一日のうちに上総の良兼の館《やかた》にたどりついて、名乗って出たが、良兼に会うことも出来なかった。
「殿はお気先《きさき》がすぐれさせられない。おのれごとき者のことを取りつぐことは出来ん」
と、取りつぎの者が言って、会わせようとしないのだ。
そこで、先夜の郎党等の名前を言って、この人々に会いたいと言ったが、これは館にはいず、それぞれの在所にかえっているという。しかたはない。その在所を聞いて見ると、二人はすぐる夜の戦さに討死《うちじに》して、死骸《しがい》もまだかえらないとて、家族は悲嘆にくれており、のこる一人はいのちだけは辛《から》くも助かってかえって来たが、負うた傷が深くて、今日明日をはかられない重態で、家中に憂色がこめていた。
この三人の家はそれぞれにずいぶん離れている。良兼の所領は、ここに百町、あそこに七十町と各所に散らばっているが、わざとごとのように、その最も遠い在所に散在しているのだ。子春丸は健脚を以《もつ》てしても、三カ所まわり歩くのにまる二日かかった。代《しろ》がないから、人家に泊めてもらうことは出来ない。おりからの寒空を田圃《たんぼ》の稲堆《いなむら》に犬のようにもぐりこんで休息をとり、石田を出がけに女がくれた糒《ほしい》をかじって饑《う》えをしのいで駆けまわったのであるが、その糒も二日の後にはつきてしまった。
饑え、つかれ、こごえ、泣きながら、また良兼の館にかえって来て、また嘆願したが、やはり相手にしない。
「海老丸に会わせて下さりませ。海老丸はおらをよう知っとりますで」
と、頼むと、
「海老丸? さような名の者は当|館《やかた》にはおらん」
と、一言のもとにはねつけられた。
「介の殿の仰《おお》せを受けて、おらが手引きで石井《いわい》の模様をさぐりに行った人でございますだ。|やっこ《ヽヽヽ》じゃと自分では言うて見えましただが、やっこではござらねえ。郎党衆にちがいねえと、おらはにらみましただ。その人に会わせて下せえまし」
「当方では石井の模様などさぐりに行ったものはおらん。おのれは野干《やかん》(きつね)にでもたぶらかされたのではないか」
「そんなことはありましねえ。真ッ昼間でござりましただ」
「昼|狐《ぎつね》にたぶらかされるということばのあるのを、おのれは知らんな。おのれのそのような面《つら》を狐は好くのじゃ。たぶらかされたに違いなかるべし」
「ばかこくでねえ。おらは狐になんぞ好かれはしましねえ。海老丸は馬にも達者に乗りましただ。もっとも、それはもう夜に入ってからでござりましたが……」
「やはり、狐だ。狐というものは必ず夜馬に乗るものだ。狐を馬に乗せたようなということばもあるくらいだ。その者はキョトキョトと落ちつかなかったであろう」
「へえ、見つかるといけねえから下りよう下りようと言いましただ」
「それ見ろ、狐にちがいない」
まじめくさった調子で言われて、子春丸はちょっと迷った。ほんとに狐だったかも知れないと疑ったが、すぐ、そんなことはないと思いかえした。
「ちがいますだ! 狐なんぞじゃありましねえ。海老丸はりっぱな人間でござりますだ。さあ、会わして下さろ! おら会わねえうちはここを動きましねえ」
猛然として、叫び出した。
相手はこわい顔になった。
「人なみならぬ者と見て情《なさけ》をもってあしらっておれば、威迫がましいことを申す、不届者《ふとどきもの》! ここをどこと思うているか。坂東平家の頭領|前《さき》の上総介の殿のお館ぞ! それ! 者共出合って、この狼藉者《ろうぜきもの》をこらしめい!」
待機していたのであろう、叫びがおわるかおわらないかに、建物のかげからワラワラと立ちあらわれた七八人の下人共が、一斉《いつせい》におどりかかった。
「無体な!」
達者な時でも、この人数にかかってはかなうものではないのに、弱り切った今だ、抵抗らしい動きも出来なかった。手を取られ、足をとられ、もっこのようにワッショイ、ワッショイと宙にふりうごかされつつ館の外にかかえ出され、濠《ほり》にかけた橋から路上にほうり出されてしまった。
投げ出されたまま小一時間も子春丸は気絶していたが、やがてハックショイとくしゃみをして正気を吹きかえした。
おそろしく寒かった。からだ中冷え切っていた。起き上ることも出来ないくらいであった。しばらくは現在の境遇がわからなかったが、しばらくの後、寒いばかりでなく腹もすいていることに気づくと、一切のことが思い出された。
腹が立つより、かなしかった。寝ころがったまま、子供のようにオウオウと声を上げて泣いた。
空には低い雲が垂れて、身を切るようなつめたい風が吹いていたが、おりからチラチラと白いものが舞いおりて来た。こんなことをしていたら、おらは死ぬかも知れないと思った。こわくなった。
「おらが何をしたというのだ。おらが何をしたというのだ……」
と、一層大きな声で泣きながら、わめきながら、起き上った。
子春丸のせまい経験では、小次郎の領内の記憶が最も愉《たの》しい記憶にみちている。そこではいつも満腹し得るだけの食べものをあてがわれた。こごえぬほどの衣服を恵まれ、雨露をしのぎ得る家をあたえられた。子春丸はこの記憶の引きずるまま、小次郎の領内をめざした。
途中の民家にしのび入って食べものを盗んだり、とりのこされて烏《からす》が半分ほどかじった山柿《やまがき》の実をもいだりして饑《う》えをしのぎながら、さすがの健脚が五日もかかって、やっと養蚕《こかい》川の東岸までたどりついたが、対岸を望むと、今さらのようにおかした罪がおそろしくなった。
「かえれねえだ。おらかえれねえだ」
堤の枯草に腰をおろして、両手で顔を蔽《おお》うて、メソメソと泣いた。
彼は養蚕川をさかのぼって、石田の方に向った。女の肉厚くあたたかい胸がさそった。
明るいうちは危険だと思った。暗くなってから石田に入り、いつもの夜の訪問のように背戸の戸をホトホトと打ちたたいた。
こうすると、待ちかねていたように女が起き上って来て、戸を内からあけ、彼の手をつかんで内に引き入れてくれるのだ。そのあたたかい手を思って、子春丸はぞくりと身をふるわせた。
しかし、何の応《こた》えもなかった。寝静まって真暗な家はシンとしているが、子春丸は不思議とは思わない。随分長い間来なかったもの、今夜の訪れは意外なことにちがいないと思った。
また、ホトホトとたたいた。
「誰だア、この夜更《よふ》けに。打《ぶ》ッくらわせるぞ」
いきなり、荒々しく叫んだ。おやじの胴間声《どうまごえ》であった。この七八日間おびえつづけて来た子春丸は|きも《ヽヽ》がすくみ上ったが、気をとりなおして、またたたいた。
「おらだ! 開けてくだされ」
「おらちゅうは誰だ」
あたりはばからぬ声だ。こちらは、虫の鳴くような声で答えた。
「子春丸だア」
しばらくボソボソとささやき合う声がしたかと思うと、人の足音が近づき、戸があいた。そのけはいと、体臭で、女であることがわかった。子春丸は手をつかんでもらうつもりで片手をさし出したが、女は手を出して来なかった。
「そこの林の中に行っていておくれや。すぐ出ていくよって」
と家の裏手を包む真暗な防風林の方を指さしたかと思うと、こちらがものを言うひまもなく、ピシャリと戸をしめきった。
何かいつもとちがう気がしたが、慣れた女のけはいと体臭と声にふれただけで、苦難に痛めつけられた身は何となく気力づいた。
女はすぐ来た。
「どうじゃったぞい。上総の方は」
忽ち胸がせまって、子春丸はシクシクと泣き出した。
女は半歩ばかり退った。暗《やみ》の底にしげしげと男の泣く姿を見ていたが、ふとため息をついた。
「うらが言った通りであったようじゃな」
子春丸はこくんとうなずいた。泣きながらも、女がそのあたたかい腕と胸で自分を抱きしめてくれることをしきりに待っていたが、女は一向に腕をのばさない。また半歩ばかり退《さが》って、子春丸が去ったあとにおこったことを語った。
子春丸が上総へ去って間もなく、岡崎から追手の武者共が十騎も来て、厳重な探索をした上、村中の者を集めて、見かけ次第に捕えてさし出すか、討ち取って首にしてさし出すか、訴え出るように、必ず相当な重賞をあてがうであろう、もしかくまい立てするようなことがあっては、一家|眷属《けんぞく》みな殺しにすると、申し渡したので、村中ふるえ上った。慾《よく》の深い者共は褒美《ほうび》をやるといわれたのにきおい立って、日のうちに三度も四度もこの家を見まわりに来る云々《うんぬん》……
「それでな、|にし《ヽヽ》や、ここにぐずぐずしていてはあぶないぞや。うら、|にし《ヽヽ》があわれでなんねえが、かよわい女のことで、どうすることも出来んのでのう。うらはかよわい女であることが口惜しくてなんねえに。かよわい女ちゅうものはこげいな時にはまるッと役立たずじゃて」
女はしきりに「かよわい女」をふりまわして、さめざめと泣き出した。
女に泣かれて、子春丸は一層かなしくなったが、同時に女があわれでならなくなった。鼻をすすりながら、相手をなぐさめにかかった。
「泣くでねえ、泣くでねえ。汝《われ》がそげいになげくと、おらはどげいしてよいかわからなくなるぞな。おらがことは心配せえでもよい。おらは男だで。どげいにでもなるずらん。どこかへ行くでの」
「そんなら行くだか。かなしいぞいのう。しかし、行った方がいいだ。|にし《ヽヽ》がためだでのう」
女はにわかに活気づいたようであった。それが子春丸には不服であった。
「行くことは行くが、どこへ行ったらよかるべし……」
うじうじと言った。
「どこへでも行くがいいだ。男だもの、どげいにでもなるずらん」
「そりゃなるずらんが……」
「待ってくんろ。すぐかえって来るで……」
女は屋内に駆けこんだが、すぐかえって来て、何やら男の手ににぎらせた。布の袋に入った糒《ほしい》であった。
「さあ、これもって早く行ってくんろ。こうしている間も、人に見られはせんかと、うら胸がドキドキする。さあ、早く!」
女は腕をまわして子春丸の首を抱き、頬《ほ》ッぺたをくっつけて、
「ああ、これが別れか、かなしや」
と、小さく叫んだかと思うと、サッと飛びはなれ、そのまま屋内に走りこんだ。アッという間もなかった。
子春丸はしばらく暗の中に立っていた。あまりにもあっけない別れであった。女の家には先刻から灯《ひ》がついている。ボソボソと人の話声もする。やがて炉に火も焚《た》かれるかも知れない。あたたかくて、なごやかで、楽しい団欒《だんらん》の姿が思い描かれた。覚えず、二三歩そちらに歩いた。一晩だけ泊めてくれろと頼みたいと思った。
しかし、その時、木立の中のどこやらにガサリと物音がした。微《かす》かなその音が百雷の一時におちかかるひびきのように胸にひびいた。心臓がとまった思いであった。しゃがんで、じッとその方を凝視した。真暗なそこには何にも見えなかったが、見つめていると何物かがモヤモヤムラムラと動いて、今にも自分に飛びかかってくるような気がして来る。
(おらには嘱託《そくたく》(懸賞)がかかっている)
おそろしさに、全身に油汗が流れた。一たん動きをとめた心臓は次第に動きを速め、ついには胸を飛び出さんばかりのはげしさになった。
もうがまん出来なかった。
「ヒャーッ!」
と、声に出して叫んで、走り出した。
こうなると、子春丸の行くところは、岡崎の両親の許《もと》しかない。彼は女にもらった糒をポリポリとかじりながら、岡崎への道をたどった。この道がかつては快楽のために夜毎《よごと》に胸をときめかして往復した道であることを思うと、現在の境遇が一層みじめに感ぜられて、ニキビだらけの頬《ほお》を伝う涙はたえることがなかった。
親の愛情は格別であった。子春丸の両親等は子春丸が逃亡した日捕えられてきびしく取調べられたが、全然関係ないとの申訳が立って、
「本人が立ちまわったら、取りおさえた上、時をうつさず訴え出るように」
と申し渡され、たしかに左様いたしますと誓いを立てて帰宅を許されたのであった。しかし、子春丸がこのあわれな姿になり、身を寄せる所もなく帰って来たのを見ると、誓いの通りにするに忍びなかった。散々愚痴をこぼしながらも、かくまわずにはおられなかった。裏山の崖《がけ》に薪や穀物を貯蔵しておくための横穴がある。そこに入れて、人目をしのんで食べ物を運んだ。
両親等にも、いつまでもこんな風ではおられないことはよくわかっていた。いくらか用心のゆるむのを待って、どこかへ落してやるつもりであった。
この洞穴《ほらあな》の中で、しき藁《わら》にもぐりこんで、食ってはトロトロと眠り食ってはトロトロと眠りした。彼はいくらでも食え、いくら食っても満足することがなかった。また、いくらでも眠れ、いくら寝ても寝足りなかった。忽《たちま》ちのうちに、まるまると太って、豚そっくりになった。
数日|経《た》って、年は暮れ、承平八年になった。
その頃《ころ》から、子春丸はニキビの頭がかゆくてたまらなくなった。彼はしきりに石田の女のことを思った。最初のうちは、行こうとは思わない、ただ恋しいと思っているだけであったが、しだいに行きたいと思うようになった。
(行って行けんことはないわな。おらの足だ。ピューッと行って、ピューッとかえって来ればいいのじゃ。いくらもかかりはせん)
元日の日であった。昼少し過ぎた頃、おふくろが酒を一壺袖《ひとつぼそで》にかくしてもって来てくれた。
「正月じゃでな、一杯のむがいいだ。けんど、酔うて浮かれ出してはいかんぞよ」
といって、一杯|酌《しやく》をし、子春丸の飲むのを涙を浮かべながら眺《なが》めて、かえって行った。
ドロドロしたにごり酒を、子春丸は一口一口丹念に味わいながら飲み、ほろりとなって|わら《ヽヽ》にもぐりこんで寝入った。目をさました時、もう夜になっていた。にごり酒の重い酔いがのこって、むやみやたらとニキビの頭がかゆくなっていた。
「てんとたまらんてや、これ」
彼は顔中を引っかきまわしたが、かけばかくほどかゆくなる。しまいには爪《つめ》を立てて血の出るほどかきむしったが、それでもやまない。
「くそッたれめ! 行ってこますべし。おらが足だ、ピューッと行ってピューッとかえって来ればいいのじゃ。いくらもかかりゃせん!」
どこもかしこも祝い酒に酔いしれているにちがいないとも思った。
心がきまると、待てしばしはない。トコトコと山を下って、石田道を矢のようにスッ飛んだ。
石田の近く、かつての夜良兼の郎党等に待伏せして捕えられたあたりまで行った時、ゆくりなくも子春丸はその時のことを思い起した。
「ふうん、このへんじゃったな。あれがケチのつきはじめじゃった。にくい介《すけ》の殿め、あんなうまいことを言いくさって……、そうじゃった、ここへ縄《なわ》が張ってあったんじゃった、おらはちっとも知らんででんぐりかえったなア……」
ちぎれちぎれに思いつつ走りすぎようとした時であった。足許《あしもと》の路面からその縄がピーンと浮いたように見えた。
「おッ、と、と、と……」
危うく踏みとどまり飛び退って視線をこらした。
この前も縄、こんども縄、そんなことがあろうはずはないと思ったが、どう見てもそれは縄にちがいなかった。
「やっぱり縄だア!」
ゾッとして、あたりを見まわした時、ヒューッと鋭い音が路面をかすめたかと思うと、膝《ひざ》のあたりに何かあたった。それほど強い衝撃とも思われなかったのに、ガクンと膝がおれ、尻餅《しりもち》ついてしまった。悲鳴を上げて膝に手をやると、ちょうど膝頭の下の骨と骨とがつながる所に深く矢がつきささっていた。
「ヒェッ!」
仰天した。引抜こうとしたが、痛いの痛くないの、いやほんとはそう痛くはないのだが、痛そうで手をふれられない。
「あ、いた、た、た、た。あ、いた、た、た、た……」
大げさに悲鳴をあげていると、急にあたりが暗くなった。見ると、側《そば》にニョッキリ立っている人の脚があった。はばき、わらんじ、しっかと支度した脚だ。
「オヤ?」
前を見た。そこにも立っていた。左を見ると、そこにも立っている。そーッと目を上げて行くと、三人の男が笑いをふくんで見下ろしていた。皆岡崎の砦《とりで》詰めの郎党衆で、しかも一人は武吉《たけよし》であった。
「う、ヘッ!」
もういけない! 恐怖と絶望に、ぐったりとなり、首をちぢめてへたばったが、へたばったはずみに、ぶッちぎれたかと思われるほどの痛みが膝頭に走った。
「あいたッ、た、た、た……」
悲鳴を上げ、ワアワアと手ばなしで泣き出した。
「なんだこいつ! 悪党のくせに、これくらいのことで泣くやつがあるか!」
一人が邪慳《じやけん》に矢を引っこぬいた。呼吸がたえるかとばかり痛かった。またワアワア泣いた。
「泣くな!」
横ッ面《つら》をひっぱたいておいて、こちらの着物の袖を引裂いて、ほうたいしてくれた後、縄を出してうしろ手にしばり上げた。
間もなく、一同は路傍の木蔭《こかげ》から馬を引いて来て、それぞれに乗って、岡崎の方へ向う。子春丸は武吉がその馬の前壺にくくりつけた。パッカパッカと、半駆けで駆けさせながら、郎党等は談笑する。
「うまく行ったな」
「行かいでか、こいつがいつまでも辛抱の出来るやつか」
「元旦《がんたん》早々まさかと思っていたが、やはりおぬしの言ったように、元旦ゆえ用心がゆるむと見たのだな」
「その裏をかいたというわけよ。ハハ、ハハ、ハハ」
その夜は岡崎の砦に泊められ、翌日、石井《いわい》に連れて行かれた。
小次郎は自ら取調べにあたったが、罪状は明白である。至って簡単にすんだ。
子春丸は、事のはじめから事露見して後、上総まで行ったこと、女が寄せつけてくれなかったことまで、一切白状して、なおこう言った。
「てまえはその時から、あの子の心がてまえから離れていることがよくわかっていたのでごぜえますだ。けんど、そう思いたくなかったのでごぜえます。てまえはあの子に腹を立てていますだ。こっちの調子のよい時には、砂金じゃ、絹じゃ、布じゃと、色々なことで手前が殿からいただきましたものを、何から何までガツガツとむさぼり取ったくせに、こげいに身の寄せ先もない身の上になりますと、たんだ糒《ほしい》の一袋ぐらいくれて追っぱらうのでごぜえますだ。腹が立って腹が立ってたまらねえのでごぜえますだ。けんど、因果なことに、そんでも恋しゅうて恋しゅうてならんのでごぜえます。そんでゆんべも行こうとしたのでごぜえます。行ったから捕まえられたのでごぜえますだ。ああ、ああ、ああ、手前はあの子が恋しゅうてならねえのでごぜえます。今でも恋しいのでごぜえます」
オロロン、オロロンと泣きむせびながら言う。うしろ手にしばられて拭《ぬぐ》うすべないニキビ面はてらてらと濡《ぬ》れ光って、しぐれの中のヒネカボチャのようであった。並みいる郎党下人等はドッと笑い出し、しばしどよめきがやまなかった。
ひとり小次郎は胸が苦しくなった。つと立上ると、
「一先《ひとま》ず退《さ》げておけい」
と、郎党に言って、居間に引上げた。赤々とおこった火を炭櫃《すびつ》(火鉢《ひばち》)に入れさせ、手をかざして煖《だん》をとりながら思案した。
本来なら、思案の余地のないことだ。多数の上に立つ者にとって、信賞必罰は最も肝要なことだ。これが厳重でないかぎり、ほかにどんな美徳があっても、人を統制することは出来ない。子春丸はこれほどの罪があったのだから、当然|斬《き》って捨つべきだ。これをもしいいかげんな処置をしては、この先裏切りや内通する者がいくらでも出て来るにちがいない。だから、最も厳重な処罰をするつもりで、こうして召捕らせたのだ。けれども、取調べてみて、小次郎は子春丸があわれでならなくなって来た。子春丸のなやんでいる情痴の苦しみを、小次郎自身これまでいく度経験してきたことであろう。小督《おごう》、貴子《たかこ》、良子――。いや、この先とてまたその嵐《あらし》に巻きこまれないものでもない。
「やつは知恵が尋常でないのだ、憎むより、あわれと思うべきではないか……」
と思う下から、
「といって、赦《ゆる》すわけには行かん。赦してはおれの威はなくなる……」
小次郎の胸は終日揺れ動いてやまなかった。
その日が暮れ、その翌日、早朝まだ薄暗い頃であった。にわかに館《やかた》中がさわがしくなって、小次郎は目をさました。寸分の油断のないこの頃である。床を蹴《け》って起き上って着がえをしていると、郎党が庭先に走りこんで来た。
「何がおこったのだ」
鋭く、小次郎は聞いた。
「子春丸が逃げ出しました」
逃げたら逃げたでよいと、ホッとした気持であった。
郎党はくどくどと言訳した。厳重にいましめて薪《たきぎ》小屋に入れ、番の者をつけておいたのだが、つい今し方自分が見まわってみると、もぬけの殻《から》になっていた、小屋の裏側の壁の下が人の這《は》い出られるほど破れていた、そこから逃亡したに違いない云々《うんぬん》。
「御大事な囚人《めしゆうど》を取り逃がしましたのは、申訳のいたしようもない不覚ではございますが、やつは手負いでございます。遠くへ逃げられようはずはございません。早速に追手を出しましたれば、ほどなく捕えてもどると存じます」
余計なことだ、追手共を呼びかえせ、と、言いたかったが、そうは言えない。うなずいただけで、居間に入った。
夜の引き明け前、まだ真暗な頃、子春丸は囚《とら》えられている小屋の壁の下部に小さな破れがあり、しかもその周囲の板がボロボロに朽ちているのを発見した。
現代では誰も信じないが、つい半世紀位前までは多くの人に信ぜられていた話がある。|いもり《ヽヽヽ》の雌雄を節を以《もつ》てへだてた竹筒に入れて密封しておくと、間の節を食いやぶって交尾するという話。この時の子春丸はこの|いもり《ヽヽヽ》であった。膝に手痛い矢傷を負い、後ろ手にしばられた身でありながら、音を立てないようにのたうちまわりつつ、少しずつ歯で食いひろげ、ついにからだの出るほどの広さにして、小屋から脱出したのだ。
一旦、小屋から出れば、館内の案内は知りぬいている。ちんば引き引き、よろめいたり、這いずったりしながら、館をぬけ出した。
彼の動きはおそろしくのろい。いつもの飛ぶような快足にくらべては虫のうごめきと言ってよいほどだが、彼にはそれを口惜しいと思う余裕もない。女のおもかげを眼前一杯に思い描き、それに引きずられて、ノロノロと進むだけだ。きびしい霜の早晨《そうしん》の寒さは針で刺すようであったが、全身に油汗を流し、フイゴのようにあえぎつつ、よろめき進んだ。
藪《やぶ》と沼に続く田圃《たんぼ》にはさまれた小径《こみち》をたどっている時であった。踏み出した足許がぐらりとくずれて、大きく上体が傾いた。片足に力をこめ、身をおこしてバランスを保とうとしたが、傷を負うている足だ、後ろ手に縛られているからだだ、及ばなかった。傾きは一層大きくなり、叩《たた》きつけられたように田圃の中にたおれた。
氷の張っている水田であった。全身が泥《どろ》と水につかった。もがいて起き上ろうとしたが、出来ない。その泥と水が、目、鼻、口、耳、すべて穴となっているところに会釈《えしやく》なく侵入して来た。
およそ三十分、子春丸は女の名を呼んだり、むせたりしながら、掻《か》き上げられた泥の中の鰌《どじよう》そっくりの形と動きをつづけていたが、やがて動かなくなった。
それからまた三十分ほどたって、すっかり明るくなった頃、追手の下人共がこの藪蔭の道を来て、これを発見した。もうすっかりこときれていた。あたり一面、こなごなに砕かれたガラスのように氷の破片が散らばり、芽生えかけた芹《せり》がめちゃめちゃにひしがれていた。
残雪
正月半ば、坂東諸国に太政官《だいじようかん》符が到着した。
「前《さきの》上総介《かずさのすけ》良兼《よしかね》、平|良文《よしふみ》、平|良正《よしまさ》等、国憲を軽んじ、みだりに兵を樹《た》て、所在の国々を騒擾《そうじよう》し、官民を残害するの由《よし》、上聴に達す。急ぎ国々力を戮《あわ》せて、これを追捕《ついぶ》すべし」
という意味のものであった。
数カ月前とまるで反対の官符であるが、去年十一月、下総《しもうさ》の国守が小次郎のために国解《こくげ》を奉《たてまつ》って事の真相を報告してやったために、この官符となったわけであった。
「猫《ねこ》の目玉よりまだひどいわ。昨日追捕使に任ぜられたのが、今日は追捕される側か。明日はまたどう変ろうやら」
国守等はにが笑いを浮かべざるを得なかった。誰もこれを積極的に奉ずる気持にはなれない。
(所詮《しよせん》は豪族同士の喧嘩《けんか》にすぎんのじゃ。いわば、そうたちの悪うない腫物《はれもの》のようなものじゃ。ほっておけばやがておさまる。かれこれいじり立てるとかえって悪化するわ)
と、考えていた。
(どちらに味方しても相手側から憎まれる。知らんふりでいるにかぎるわ)
とも、考えた。
しかし、下総の国守は、これを小次郎に告げた。自分の努力が功を奏したことを小次郎に知ってもらいたかったし、さらに小次郎から謝礼を得られると思ったから。
小次郎も、一種のにがい気持はあったが、それでもうれしかった。ばかげた間違いにしても朝廷《おおやけ》の追捕を受けていることは決して気持のよいものではなかった。
「善悪正邪、おのずから分明《ぶんみよう》となる。ありがたいことだ」
知人郎党等を集めて祝宴を開き、下総の国守には礼物を贈って謝意を表した。
彼はもちろん、朝命をかさに着て良兼等を追討するつもりはない。自分の賊名がのぞかれたことを喜んだだけであった。
しかし、このことが良兼側にあたえた衝撃は大きかった。ずっと負けつづけて来た彼等の意気は沮喪《そそう》しきっていた。わずかに朝命を奉じて追捕使となっているということだけで気力をつないで来たのに、今やかえって追捕される側となったのだ。
「かりにも官符ともあろうものが、こうまで反覆してよいものか。余りぞや、余りぞや」
と、うらみ悲しみ、火の消えたようになった。
上総の良兼は奇襲に失敗して以来、病床に臥《ふ》していたが、ドッと重態になり、源ノ護《まもる》と水守《みもり》の良正はぼけたようになり、良文は今にも追討勢が押しよせて来そうな妄想《もうそう》にとらわれて、村岡に引っこんで自衛に汲々《きゆうきゆう》たる有様となった。
貞盛《さだもり》の悔恨はわけて痛切であった。
「おれは初一念をつらぬくべきであった。なまじいに途中で志をかえたため、こんなばかげた身の上になってしまった」
じだんだふみたいほどであった。
貞盛の毎日の生活も面白くなかった。彼は所領の中心地である石田へ帰るわけに行かない。この前の戦さで小次郎勢に焼きはらわれたあと、ここには館がないのである。再建したいにも、小次郎の勢力範囲になっていて、そうするわけには行かない。府中の館にいるわけだが、戦争続きで出費はかさなる一方なのに、収納は激減して、昔の三が一もない。世間の評判も悪い。最初からの態度があいまいであったこと、戦さにのぞんでほとんどはかばかしい働きがなかったことが、愛憎ともに鮮明に、強く男らしくあることを男の資格第一とする坂東人の気に入らない。
「あれで坂東平氏の嫡家《ちやくか》の嫡男とはのう」
と嘲笑《ちようしよう》し、はかばかしくつき合うものもない始末だ。
とりわけ、鬱陶《うつとう》しいのは妻の小督《おごう》だ。いつもきびしく取りすました顔につめたい軽侮の色を浮かべている。必要以外には口もきかない。貞盛にしてみれば、事のおこりの最も根本的なものは、この女の浮気心であったという腹がある。この女がおれとあんななかになっていながら小次郎に許したことから一波万波を生んで、同族相憎み相戦うこの地獄相|修羅《しゆら》相を現《げん》ずることになったのではないか、という気持がいつも去らない。
快楽的で、くったくのない性情のおもむくままに軽快に、機敏に、渋滞なく世を渡って来た彼には、これははじめての経験であった。
「何とかせんことにはいかん。これではおれの生涯《しようがい》はすっかりだめになってしまうぞ」
彼は思案し、そして、
「坂東というところがいけないのだ」
と考えた。
京で小次郎があれほどの武勇をもち、あれほどの功を立てながら一向に認められなかったのに、自分の方はすらすらと昇進をつづけて行ったことが思い出された。
「それが、こちらにかえると、まるで反対になったのだからな。つまり、おれは坂東向きでないのだ。こんな野蛮なところは、小次郎みたいなやつにちょうどよいというわけだ。魚は水を出てならず、鳥は林を離れてはならんというわけか」
決心は一足飛びであった。
「京へ上ろう!」
坂東なんぞ、もうくそくらえだ。かたき討ちだの、兵《つわもの》の意地だの、武勇だの、武名だの、真ッ平だ。そんなことはそんなことが好きな連中がやればいいのだ。おれはごめんこうむる。小一条院のおとども、同族相争ってはならんと、あれほど仰《おお》せられたのだからな。
「京に行きさえすれば、魚が水を得、小鳥が林にかえったようなものだ」
闊然《かつぜん》として胸のひらける思いであった。
「領地のことは弟にまかせよう。なんなら所領を二分してあいつと半分ずつ取ることにしてもよい。そして、おれの分の管理をあいつにしてもらうのだ。おれは京で入用なだけ送ってもらいさえすればそれでよいのだから。あいつはおれとちがって、ずいぶん坂東向きに出来ているから、うまくやるだろう。よし、そうきめた!」
貞盛は先ず母に相談した。
「おお、おお、よい所に気づきやった。わたしは前からそう思うていたのです。ただ、女の身のさし出口してはならぬと思うたゆえ、だまっていたのです。そうなさるがよい。そなたがこちらに居やるかぎり、はたがそうさせぬでありましょうからね。小次郎殿の方でも、心に鬼を描かずにはいられぬでありましょうからね。今さら申してもかえらないことではありますが、そなたが、はじめからの考えの通りにしていなされば、こんなことにはならなかったのですからねえ」
と、母は一議に及ばず諒解《りようかい》し、口をきわめてすすめた。
貞盛は気をよくし、次に繁盛《しげもり》の諒解をもとめにかかったが、
「おれは京に上ろうと思うている」
と、貞盛が言い出すと、繁盛はキラリと目を光らせ、口ばやに、鋭く問いかえした。
「京へ? 何の用事でじゃ?」
機敏な貞盛は、一筋縄《ひとすじなわ》では行かないと、すぐ見て取った。おちついて答えた。
「朝廷をとりつくろわんことには、どうもならんでないか」
繁盛はくちおしげに短くうなった。ものは言わなかった。
「ついこの前まで、上総の叔父御を筆頭にして、われらは追捕する側であったのに、今は追捕される側になった。申すまでもなく、これは朝廷の首尾がよくないからだ。行ってとりつくろって来ようと思い立ったわけだ」
繁盛は一層大きな声でうなって、腹立たしげに言った。
「朝廷の首尾など、どうでもよいことじゃ。昨日の追捕使、今日は賊。なにがなにやら、朝廷のすることはまるでわからんでないか。坂東では、朝廷の意向など、誰も何とも思っておらんぞ。その証拠には、朝廷の手先である国司共がまるで朝命を奉行《ぶぎよう》せんではないか。やつ等は、われらが追捕使の命を受けていた時も、朝命を伝達しただけで、まるで力をあわせようとしなかったが、今度もまた小次郎に力を合わせてわれらを討とうとはせぬ。つまり、やつ等自らが朝命を蔑如《べつじよ》しているのだ。そんな朝命がどうあろうと、かまったことか」
貞盛は笑った。
「待て、待て、汝《われ》がように言ってしまっては、身も|ふた《ヽヽ》もない。いかにも今度の朝命の変転を見れば頼りないようにも見えるが、これは遠くへだたって事情がよくわからんために、こんなことになったのだ。それに、何といっても、朝廷は天下の人が仰いで中心としている所だ。そう頭ごなしに言ってのけてはならんことだぞ」
繁盛ははげしく首を振った。
「兄者は、京に行って、やれ小一条院のおとど、やれ何院のおとど、やれ何々の大納言《だいなごん》と、方々におつかいものし、おじぎの百万べんもして、また追捕の朝命を受けて来るつもりであろうが、おれはそんなものはいらんと言っているのだ。坂東という所は、力だけがものを言うところだ。勝てばよいのだ。おのれの実力で小次郎をたたきつぶせばよいのだ。京上り、おれは不賛成だぞ」
きっぱりと言い切った。
繁盛の言うところはもっとも千万だ。
(こまったな)
と、貞盛は思ったが、また笑った。
「汝《われ》は京ぐらしをして来たにも似ず、案外わからん男だな。坂東を一歩も出たことのない連中なら無理もないが、年若でも何年か京の水を飲んで来た者がそう一途《いちず》なものの考え方をすることがあるものか、汝の言うことを聞いていると、朝廷なんぞ無用の長物と考えているようだが、そんなものではない。ああして京にしっかりとあり、またその命によって赴任して来た国司等が各国でおそれはばかられているのは、無用の長物でない証拠ではないか。そりゃこんどの朝命だけはおかしい。ふらふらとして一向力がないように見える。しかし、それは使いようが悪いからだ。朝命というものは、使いようでは、ずいぶん力になるものなのだ。今となってはかえらんことだが、最初追捕使の朝命を受けた時、上総の叔父御かおれが京上りして公辺をうまくかためて来べきであったのだ。それをせなんだため、話が逆になったのだ。おそらく、小次郎の方から国司連や公辺に手入れしたのではないかと思う。そんなことには、小次郎はにぶい男だが、京で散々おれに仕込まれ、自分でもまた苦労して来ただけに、そのへんの機転は相当きくようになっているはずだ。だから、おれは行こうというのだ。おれが行けば、万事をまた引っくりかえして来る。そして、朝命を受けたら、必ずこれを有利につかってみせる。国の守《かみ》共に高みの見物ですまさせるようなことはしない。必ず全力をあげて与力せずにおられない手を打ってくる」
はじめは悠々《ゆうゆう》と出たが、しだいに切迫して、ついには熱弁になった。
繁盛はかなりに心を動かされたようであった。しかし、黙っていた。
もう一押しと見て、貞盛はつづけた。
「汝《われ》は、実力で小次郎をたおせというが、たおせる力がこちらにあると思うか。上総の叔父御は重なる敗戦で気力を失ったばかりか、病気になって臥《ふ》せったきり、水守の叔父御はぼけてしまっている。おれが舅《しゆうと》どのはもともと公家《くげ》上りで武勇不鍛練である上に、同じくぼけてしまった。武蔵《むさし》の叔父御はわがことで精一ぱいだ。今や、おれらはほんとに独力で戦わねばならんわけだが、所領も減っておれば、収納もうんと減っている。これでどうして、日の出の勢いである小次郎をたおすことが出来るのだ。所詮、公辺に手入れして朝命を受け、人の褌《ふんどし》で角力《すもう》を取る工夫をするよりほかはないではないか」
「兄者の言うことはもっともだと思う」
やっと、こう繁盛は言ったが、またしぶった。
「しかし、明日まで考えさせてくれ」
相手の思い切りの悪さに、貞盛は面白くなかった。しかし、言った。
「そうか。それでは考えるがよかろう。一日も早く京へ上るがよいと、おれは思うのだが」
「ほかに用はないな」
「ない」
繁盛が行きかけた時、ふと貞盛は思いついた。
「ちと待て」
「なんだ」
繁盛は坐《すわ》りなおした。腹立たしげな顔であった。
貞盛は強《し》いて微笑した。
「汝が承知してくれて、いよいよおれが京上りすることになったら、その前に所領の配分をしておきたいと思うのだ」
繁盛の顔から不快げな色がサッと消えて、うろたえた様子になった。
「な、な、なぜ、そんな必要があるのだ!」
貞盛はその狼狽《ろうばい》の中に、かくしようもなく喜悦の表情があるのを認めた。まだ子供気ののこっている顔をしているくせに、慾《よく》だけはあるのだなと、少しいまいましかったが、少しもそれを見せず、さらにおだやかに笑った。
「必要はずっと前から感じていたのだが、戦さばかりつづいたため、思いながらも延引していたのだ。しかし、京へ上るとなれば、どう少なくとも半年はかかる。いよいよ延びるばかりだ。この際配分しておきたいのだ」
繁盛は答えない。ともすれば出て来ようとするうれしげな色をおさえるのに懸命な風であった。
(この途《みち》から説いて行けばわけはなかったものを、なまじ大手《おおて》攻めして大骨おってしもうたな)
貞盛は心中苦笑しながらも、さらさらと言ってのけた。
「おれは総領ではあるが、おやじどののかたきを討った後はこちらを去って京へ上り、朝廷で途をひらこうと思っている。それ故《ゆえ》、所領もそうたんとはいらぬ。半分わけにしようと思うが、どうであろう」
「結構だ。しかし、家の所領の三が一ほどは今では小次郎に奪われてしまっているぞ。これはどうする」
「それも取りかえした時は半分わけにしよう」
「どうでも小次郎め、討たねばならんな」
「そうだとも。あれに奪われた石田近傍は良田が多いのだ。――京上りするまでには整理して券契《てがた》を渡すことにするからな。さ、もうよい。行ってくれ」
きげんよく、繁盛はかえって行った。
貞盛は大きくのびをし、あくびをして、両腕をさすった。これで京上りは確定したのだ。繁盛は陥落したのだ。炭櫃《すびつ》に手をかざして、京における生活のことをあれこれと想像した。楽しかった。小督やその父の源ノ護に相談することなどは考えもしなかった。
二月に入って数日たって、二三日後には出発しようという日のことであった。数日前から実家にかえっていた小督がかえって来た。上総の長姉と水守の次姉とを同道していた。
(おや、おや、こりゃただごとでないな。おれの京上りのことでだな)
と、すぐ貞盛は推察したが、愛想よく迎えた。
「やあ、これはこれはおそろいで。ようこそおいで下さいましたな」
相当|厄介《やつかい》な場面がひらけるにちがいないと思いながらも、そろって美しいこの三姉妹をならべて見ることは楽しみでないことはなかった。
「お久しゅうございます」
詮子《せんこ》があいさつすると、それについて水守の次姉もおじぎした。小督だけはツンとすましている。おこっている顔だ。
「お久しゅうございます。お二方とも益々《ますます》お美しくなられますな。まばゆいようでありますぞ」
貞盛の調子はふざけてからかうようだが、意識的にやっているわけではない。美しい女を相手にした場合、彼はしぜんにこうなるのだ。
小督にはこれがいまいましくてならない。益々ふきげんな顔になった。鋭敏な貞盛にははっきりとそれがわかる。わかるが、浮いて来る気持はどうしようもない。小督に向って言った。
「刀自《とじ》よ、如菩薩《によぼさつ》方おそろいでの御来臨です。どんな馳走《ちそう》をしておもてなししたらよろしかろうな。厨《くりや》の者共と相談して、せい一ぱいのことをしていただきたいな」
あまりにも自然な調子で言われて、小督は決心がにぶったらしい。気迷いしたような目で姉達を見た。
詮子はかすかにうなずいて、貞盛を見た。
「おかまい下さいませぬよう。今日は用談があってまいったのです」
かたい切り出しであった。やむを得ない。貞盛もつつしんだ様子になった。
「はあ」
「話と申すのは余のことでありません。あなた様は京へお上りになる由《よし》でございますね」
「上らねばならぬと思って、その支度をしています」
「御目的は小次郎殿討伐のためでありましょうね」
「そのほかに何のために上りましょう」
「お誓い下さいますか」
追いつめて来るような鋭い調子だ。ムラムラと湧《わ》き起って来るものが心中にあった。
(一切のわざわいの根源は、この源家の一族にある。とりわけ、詮子のさかしらにある。本来なら責任を感じてつつしみへりくだっていなければならないはずではないか。こんな高飛車な調子で、人の行動を掣肘《せいちゆう》するようなことを言うとは、恥を知らないというべきだ)
しかし、おさえた。そんなことを諍《あらが》ってみたところで、一層ことをごたごたさせるだけだ。この場を一応さらりとおさめさえすればよいのだ。それに美しい女と顔赤らめて口論し合うなど、おれの好みではないて。
「誓いますとも」
と、まじめな顔で言った後、にこりと笑って、
「どうしてそんなこわい顔をなさるのです。こわい顔は男、それも兵《つわもの》の合戦の場においてすればいいので、美しい女性方はいつもにこやかにしていて頂きたいですな。この世が味気なくなりますよ」
風采瀟洒《ふうさいしようしや》たる貞盛が、愛嬌《あいきよう》ある表情で言うのだ。女連もつい微笑してしまった。
「いいえ、再び帰って来て下さるなら、何も申すことはないのです」
と、詮子も愛嬌深く言った。
「大丈夫ですとも。てまえとて生えぬきの坂東おのこです。おのことして為《な》すべきことは心得ています。形勢がまるで反対《うらはら》となった今日では、京上りしてこの形勢を打ちかえして来るよりほかのないことは、あなた方もよくおわかりでありましょう」
無言であったが、女達はうなずいた。小督だけが表情をかえない。仮面《めん》のようにつめたくとりすました顔をしている。貞盛には、小督が少しも自分の言うことを信じていないことがわかっている。
(フン。よく知っているわ。信じようが信ずまいが、それはそなたの勝手よ。何かいったら、おれはそうでないと言いはるまでのことだ。まさか姉ふたりを前において、夫婦の間柄《なからい》が円満に行っていないことをさらけ出すような諍《いさか》いは出来まい。そなたは姉姫等とちがって、好いて好かれた末におれのところへ来たことになっているのだからな。言えるものなら言ってみなさい。ハハ、ハハ、大笑いだて)
と、|たか《ヽヽ》をくくっていたが、ふと一層たちの悪いことを思いついた。にこにこ笑いながら、小督を指さして言った。
「おわかりになりましょうか。これをおいて久しく旅寝することが出来ることかどうか。ふたりは思い合って妹背《いもせ》となったのですからね」
女達はドッと笑った。徐々に道づけられて浮き浮きとなって来た気分が一時に爆発したのであった。
「おやまあ、のめのめと!」
と、詮子が叫ぶと、
「そんなことを聞かせて、ただではすみませんよ」
と、水守の次姉もはしゃいだ。
「もちろん、覚悟の前であります」
きちんとおじぎして、小督の方を見た。
おどろいたことに、その小督が、何かうれしげに、何かほこらしげに、何かてれたように薄紅《うすあか》い顔になっていた。
(ホウ……)
女というものに新しい目が開かれる思いで、貞盛は今は憎悪《ぞうお》以外は感ぜられない妻に対して何ともいえずいじらしいものを感じた。
やさしく言った。
「それ、さっきから申している。用意を頼む」
「はい」
しおらしく答えて、小督は退《さが》って行った。
二人の姉の顔には、羨望《せんぼう》と哀《かな》しみの色があらわれていた。哀しみは年老いた夫に嫁《か》したわが身の境遇にたいするものであり、羨望は若くさわやかな夫に愛せられている妹の境遇にたいするものであった。
(誰にもほんとのことはわからない。これが人間というものであろうか)
貞盛の胸には絶望に似たものが流れた。しかし、一層愛想のよい微笑を浮かべて、義姉等をもてなした。
二月十八日、貞盛は途を東山道にとって出発した。従うもの郎党下人合して百余人。堂々たる行装となった。こんなに多数の者を召連れて行くつもりは貞盛にはなかったのだが、侘田《わびた》ノ真樹《まき》が主張して、この大人数を召連れさせたのであった。
「京でそれぞれの向きに運動なさるにも、これだけの供廻《ともまわ》りがあった方がようございます。思うに京あたりでは、当方の非運がよほど大袈裟《おおげさ》に伝わっているに相違ありません。供廻りも少なくいらせられては見かぎられてしまうおそれがあります。こちらに十分の力があると思われてこそ、人々の思案を変えることも出来ましょう」
真樹の本心が必ずしもここにないことを貞盛は知っている。真樹はある程度こちらの心中を見ぬいている。もしこちらが京に居坐ろうとしたら、しゃにむに坂東に連れもどす決意をしているらしいのだ。
厄介なことになったとは思ったが、あらそわなかった。ここまで漕《こ》ぎつけて来たことをもつれさせては本《もと》も子もなくする、面倒は先のことだ、なんとかなろうと、|たか《ヽヽ》をくくった。
「そうだ、そうだ、そなたの言う通りだ。風聞ほどのことはないな、十分の余力があるわいと、見てもらうことが、この際必要であろうな。さすがは、古兵《ふるつわもの》、よいところに気がついた」
と、ほめまでして、ききいれた。
このことを、小次郎は少しも知らなかった。おじ達全部、貞盛、源ノ護、どこもかしこも虚脱しきっているという情報なのだ。再び一族の者共が戦いを挑《いど》みかけて来ることがあろうとは、思えなかった。
もとよりこちらからしかけようとも思わない。
ただ、貴子《たかこ》の仇だけを報いたかった。彼は下人共や百姓共に命じ厳重に犯人共を探索させていたが、これが中々わからなかった。
二月といえば、今の暦では大体三月、月末から来月のはじめにかけてはそろそろ苗代田の支度もせねばならず、雨の多い季節になるから、領内の河川の堤防を見まわって危険なところは手当もせねばならず、そろそろいそがしくなる頃《ころ》だ。かかり切ってもおられない。
「急ぐことはないが、必ずさがし出すよう。さがし出したら、厚く褒美《ほうび》をとらせるぞ」
と、命令して、一先《ひとま》ず急な探索は打ち切った。
二月二十日の、もう夕方に近かった。将頼《まさより》を相手に終日農事上の打ち合わせをした後、|※[#「土+朶]《あずち》に出て弓を引いていると、下人が小走りに走って来た。
「野州|田原《たわら》の藤原ノ太郎|秀郷《ひでさと》の殿の許《もと》から、郎党衆がお使いにまいられましてございます」
思いもかけないことであった。
「なに? 田原の……?」
「藤太秀郷の殿のお使いでございます。藤太の殿の御書面を持参されているということでございます」
「鄭重《ていちよう》にして客間に通しておけ。今行く」
と、言って、下人を去らせ、弓のしまつをしていると、将頼が来た。
将頼は少しあわてていた。
「田原の藤太の使いが来たというでないか」
問いかけることばも興奮していた。
「そうじゃという」
「何の使いであろうか」
「わからん」
「おれにはわかるような気がする」
「なに?」
将頼はにこりと笑った。
「懇親をもとめて来たのじゃよ。重なる勝ち戦さに、兄者《あにじや》の名誉は今や大したものになった。坂東の住人等は今や兄者を坂東の花と仰いでいる。藤太ほどの男でもゆかしく思うて、懇親を結ぶために使いをよこしたのじゃと思う」
これは小次郎も考えなかったことではない。去年の秋から冬にかけての連戦連勝に、あるいは自ら、あるいは使者をつかわして祝辞をおくる豪族等が少なくないのである。だから、下人のとりつぎのことばを聞いた時も、先ずそのことが胸に閃《ひらめ》いたが、すぐ打消したのだ。懇親をもとめるそうした人々のおとずれはかなり前からとぎれているのだ。それに、少年の頃、貞盛のためにむじつの罪を着て陸奥《むつ》の父の許に逃げて行く途中、下野《しもつけ》の国府の前で藤太と初対面した時の記憶は快いものではなかった。恥がましく、腹立たしく、切なく、思い出す毎《ごと》に胸がくらくなっている。それは自己|嫌悪《けんお》に似たものであり、また一種のおびえに似た気持でもある。
このような小次郎の心理が、将頼にわかろうはずはない。きげんよく、さらに言った。
「兄者、おれが言うまでもなく、過ぐる年赦免あって伊豆《いず》から帰って来て以来、藤太は着々とその力を野州に敷き、今ではあの国の押領使《おうりようし》(警察官の一種。国司が在地の豪族に委嘱したもので、正規の官制にあるものではない)となり、坂東北部の雄として人に重んぜられているのだが、その藤太がこうしてわざわざ使いをよこしたのだ。藤太ほどの男でも、兄者と懇親を結ばずにはおられなくなったのじゃな。おれァうれしいぞ……」
酔っているかと思われるような調子であった。小次郎は一層不快になった。どなりつけた。
「黙れ! 何をくだらんことを|つべこべ《ヽヽヽヽ》と言う!」
将頼はおどろいて口をつぐんだ。あきれたように兄を見ている。かまわず、弓矢をかかえて、さっさと歩き出した。
藤太の郎党は、くっきょうなからだとはしッこそうな顔をした青年であった。出された円座にもすわらず、客殿の片隅《かたすみ》にかしこまっていた。小次郎を見ると、はっと両手をついて平伏した。
「これはこれは、将門《まさかど》の殿でございますか。てまえは下野田原の藤原ノ太郎秀郷の郎党でございます。主人の書面を持参いたしました」
いんぎんをきわめたあいさつであった。
小次郎は、自らの名を言い、円座をしくようにすすめたが、相手は坐《すわ》ろうとしない。
「めっそうもございません。こうして同席させていただいているさえ恐れ多いことでございます。――では、早速に主人の書面を!……」
といいながら、わきにおいた袋から取り出してささげた。
手紙には、一面識もない身でありながら唐突に書面をおくる無礼をわびた後、こうあった。
(数日前から自分は所領の一つである下野佐野の庄《しよう》に来ているが、本日たまたま小鷹狩《こたかがり》に出たところ、一群の旅人が西をさして行くのを見た。一隊百余人、すぐって究竟《くつきよう》な者共である。感嘆してこれを見送っていると、自分の従者の中に、中の数人の顔を見知っている者がいて、
「常陸《ひたち》石田の住人故平|国香《くにか》の郎党等である。思うにこれは国香の子|左馬《さま》ノ允《じよう》貞盛の一行で、山道《せんどう》を経て京都に上ろうとしているのであろう」
と言った。貴下にとって貞盛は深仇《しんきゆう》ある者である。これを放《はな》って京に入らしめるのは、貴下の利ではないと思う。推察するに、貴下は左馬ノ允の上途を御承知ないのではないかと思う。
自分は貴下に対しても、左馬ノ允に対しても、一毫《いちごう》の恩怨《おんえん》なきものであるが、平生ひそかに貴下の高風を欣慕《きんぼ》している。敢《あえ》て郎党をつかわして注進に及ぶ次第である云々《うんぬん》)
日づけを見ると、昨日になっている。小次郎はあわてた。藤太の言う通りだ。とりとめた方針のない朝廷だ。貞盛が京に入って有力筋に運動したら、朝廷の意向はまた反覆するにきまっている。貞盛もまたそこが目あてで行くに相違ない。
現在では、坂東の国司等や豪族等は、朝廷に対しては適当にあしらって本気に奉行《ぶぎよう》しないでいるが、貞盛が行く以上、通り一ぺんの朝命を出させるだけで済ますはずはない。こんな運動は最も得意とする彼だ。必ずや国司等や豪族等の態度のあいまいさを一々言いたて、その結果は峻厳《しゆんげん》な戒告となって発せられるにちがいない。そうなれば、国司等としては、保身上、いやでもこれまでの態度を改めなければならなくなる。
ともあれ、面倒になることは目に見えている。行かせてはならない、と思った。藤太の好意をありがたいと思った。あせり立つ胸をおさえて、相手に言った。
「藤太の殿が御芳情の段、きもに銘じて、ありがたく存ずる。いずれ改めてお礼言上はいたすが、帰られたらば、小次郎がこの気持よろしく御|披露《ひろう》願う。わしはおすすめにまかせて、直ちに追いかけねばならんゆえ、弟の三郎将頼をしておもてなしさせる。ゆるりと滞在あっておかえりありたい」
相手は、恐縮して、すぐ出発したいと辞退した。
「日も追々と夕べになっている。せめて今夜だけでも当家に泊って、明朝お立ち願いたい」
小次郎は、将頼を呼んで、秀郷の手紙を見せ、客の相手をするように命じた。
「や! これは大ごと!」
手紙を一読するや、将頼は忽《たちま》ち興奮し、客の前であることも忘れて叫んだ。
「田原の殿のおかげで、未然に知ることが出来たのだ。さわぐことはない」
たしなめて、客に一礼して席を立った。
貞盛の人数が百余であるという以上、こちらも百騎は必要であると思ったが、館《やかた》に居合わせる勢は十四五騎しかない。大急ぎで使いを飛ばしても、全部集まるのを待っていては夜が明けてしまう。
「支度の出来次第、あとを追いかけて来るように、行く先は山道|筋《すじ》、先ず碓氷《うすい》峠を目ざして来よと伝えよ。合戦をするのじゃ故《ゆえ》、その用意に手落ちがあってならんことは言うまでもないが、別して足強《あしづよ》な馬をえらび、出来るだけ早く追いついて来るを第一の手がらとすると伝えよ」
と、八方に飛び散る下人共に言いおいて出発した。とっぷり暮れて間のない頃であった。
上下十五騎ではあったが、長途を急追《きゆうつい》せねばならないこととて、それぞれに乗りかえの馬をひいた。
おりしも中春だ。なごやかな夜気の中に草木の芽ぐむ頃《ころ》だ。すさまじい馬蹄《ばてい》のひびきにおどろかされて飛び出してくる沿道の人々の前を、武者共は通り魔のように疾駆してすぎた。
碓氷峠の麓《ふもと》についたのは、三日の後の昼頃であった。そのへんの住民共の言うところによると、昨日の昼頃上下百余人の人数が、峠をこえて信州に入ったという。一日|程《てい》の距離まで追いつめたわけだ。
小次郎はほっとして、ここにとどまって追いついて来る人数を待つことにした。今までにしだいに追いついて来て、五十余人の勢にはなっていたが、地理不案内の他国で半数にみたない勢で戦うのは不安であった。
「ここまで追いつめれば、もう大丈夫だ。万一にもとりにがすことはない。今日一日ゆっくりと骨休めせい、やがて皆も追いつくであろう」
と、郎党等に告げて、民家に分宿していると、続々と到着して、翌日の朝までには百余騎の勢となった。
小次郎は昼頃まで休息させ、昼を過ぎる頃、出発した。
つづらおりな山路《やまみち》を上りつくして、夕方近く峠に達した。坂東の平野は陽春であったが、前面に見る山また山の信濃《しなの》の国にはまだ雪があり、そこから吹いて来る風は冬の気をふくんでいるかとつめたく、人々の吐く息が白くこおった。
ここからは、無鉄砲な急追をやめた。たえず斥候《ものみ》の者を出して、警戒しながらゆっくりと進んだ。
四日目、二月二十八日の夕方、斥候が走りかえって来て、ついに敵の姿をとらえたことを報告した。
「この道はやがて千阿《ちくま》川(今の千曲川)に沿うことになりますが、そのあたりの河原で休息をとっていました。物陰伝いにかなりに間近くまで忍び寄ってみましたが、まぎれもなく坂東声でございました」
風《かざ》に乗った狩場の猟犬のようにきおい立っていた。
「あっぱれ手がらだぞ。なお気をつけて見失わぬようにせい」
連絡のためなお三騎の郎党をつけて引きかえさせ、速度をゆるめて、ゆっくりと進んだ。たえず戦術をねりつづけた。
日の暮れるまでに、なおもう一度連絡があった。恐ろしい敵に尾《つ》けられているとは知らず、千阿川に沿った道を進みつつあるという。
貞盛が手並みのほどは、知りぬいている。どう間違っても負けようとは思わない。とりにがしはしないかと、それだけが心配なのであった。
小次郎は郎党に命じて土地の者を連れて来させ、くわしく地理を聞いた上で、こんな策を立てた。
戦場は当国の国分寺附近の千阿川の河原、打ちひらいた広々とした地勢で騎馬戦にはもって来いだという。時刻もちょうどよい。今夜途中で泊るにちがいない敵は、明日正午を少しまわった頃そこにさしかかるであろう。真昼の明るい光の中で戦うことが出来るのだ。獲物《えもの》をばらすことはぜったいにないはずだ。こちらは兵を二隊にわかって、小次郎がその一隊をひきいて、今夜中に間道から先まわりしてそこに出て、埋伏《まいふく》して待ち受けていよう。他の一隊はさとられないようにして追尾《ついび》をつづけ、敵がそこにさしかかった時にわかに攻撃に出よう。敵が頑強《がんきよう》に応戦すれば埋伏勢は立って挟撃《きようげき》に出ようし、狼狽《ろうばい》して逸走に出るならば退路をとりしきって討ち取ろう。万に一つも間違いないと思われた。
この巧妙な戦略を聞かされて、郎党等はきおい立った。
「至極なる戦さ立て、毎度のことながら感じ入りました」
と、一の郎党の文屋《ふんや》ノ好立《よしたつ》が言うあとについて、感嘆の声がやまなかった。
小次郎は、好立を追尾隊の指揮者に任じ、火雷天神の神旗を授けて、これを陣頭におし立ててかかるようにと言った。
「この旗があれば、必定、太郎はおれが居ると思うて、おびえて走るにちがいない。おれは待ち受けていて、照射《ともし》の鹿《しか》のように射取《いと》ってくれよう」
「かしこまりました。まことに照射でございますな」
と、好立は笑った。
照射というのは、この時代の夜間の狩猟法の一つである。山中に柴《しば》を折りかけたかくれ場をつくってひそみ、近くに火串《ほぐし》を立てておくと、火明りに野獣が慕いよって来る。そのおぼろな明りに獲物の鼻面《はなづら》が照らし出されるのを目がけて、引きもうけていた矢を射放ってたおすのである。
打ち合わせがすむと、小次郎は出発した。馬強く、射術の精妙な者をすぐって十人だけ従えた。案内には土地の百姓を雇って立てた。
深い残雪が至る所にある山合と片岨《かたそば》ばかりのつづく細くけわしい道であった。わずかに四里の道ではあったが、まる一晩かかって、夜の引き明け近く、やっと目的地についた。さすがに強健な兵士等も疲労しきっていた。小次郎は兵士等に火を焚《た》いて煖《だん》をとって食事をするように命じておいて、自分は地形の検分にかかった。
河原の広さには申し分がない。どんな奔放な馳突《ちとつ》でも出来る。道もこの少し前まではかなり川を離れているが、ここではずっと接近して河原に入って来ている。敵はいやが応でもここへ来なければならないのだ。ただ、河原の砂利がやや大きいのが馬の蹄を踏みすべらせはしないかと案ぜられた。
「ま、よかろう。そう何から何まで都合のよい場所があろうはずはない」
大体満足して兵士等の居るところへ引きかえした。
「将門記」によると、この時小次郎のえらんだ戦場は、「信濃|小県郡《チイサガタゴホリ》国分寺ノ辺、千阿《チクマ》川ヲ帯ビ」た所というのだから、今の上田市の東方神川のあたりと推定される。一体、各国の国分寺は原則として国府の所在地、またはその近くに建てられたのであるから、この国の国分寺も、本来なら今の松本市、あるいはその近くにありそうなものであるのに、どういうわけか国府を遠く離れたここに建てられたのである。
国府の所在地ではないが、国分寺のある地域だ。人家も多いし、人目もしげい。ひょっとして貞盛に告げ口する者があるかも知れない。土地の豪族や国検非違使《くにけびいし》が聞けば邪魔を入れるかも知れない。夜の明けないうちに河原の端ッこにこんもりとしげっている森に入った。
時刻までにはまだずいぶんある。交代で見張りを立て、それぞれ泥障《あおり》にくるまってゆっくりと寝て疲れを休めることにした。
寒かったが、疲れていたので、一気に深い眠りに入った。
午《ひる》少し前、目をさました。疲労はすっかりとれて、皆さわやかな精気が四肢《しし》のすみずみまで行きわたっているように感じた。食事をすると、さらに気力にみちて来た。
小次郎がさしずするまでもなかった。人々はそれぞれ自分の装いや武器を点検し、乗馬を身近に引き立て、街道の河原に入る地点を凝視しつづけた。命令一下、即座に戦闘に突進して行こうとの緊張しきった姿であった。
が、その敵がなかなか姿を見せない。
半刻《はんとき》。一刻。一刻半……
次第に日が西に傾き、明るかった光線が薄紅色を帯び、地上に曳《ひ》くものの影が長くなって来たが、それでも姿をあらわさない。
小次郎はしだいにいら立って来た。不安にもなって来た。
(道をかえたのであろうか?)
(……いや、そんなはずはない。わきへ反《そ》れる道はないはずだ)
(引きかえしたのではなかろうか?)
(……いや、そんなはずはない。引きかえせば、好立がひきいる勢《せい》と真ッ星《ぼし》にぶつかるはずだ)
(好立が逸《はや》って、あるいは敵に発見されて、途中で合戦をはじめたのではなかろうか?)
最後のこの疑惑には解くべき思案がなかった。
(好立ほどの男だ。たとえそうなってもやみやみと負けはすまいとは思うが、万が一ということもある……)
不安はおさえきれないほど大きくなった。
主将たる小次郎がこうだ。兵士等が沈着でおられようはずはなかった。張りつめた弦《ゆんづる》のような緊張は失われ、互いにものを問いたげな目をかわしている。不安でならない様子であった。ついに日はほどなく没するという所まで傾いて来た。
(引っかえしてみよう! 出遭ったところで戦うまでのこと!)
決心して、乗馬の命令を下そうとした時、ここからは見えないはるかな前方で、ドッと喊声《かんせい》が上った。
待ちに待って、待ちくたびれている兵士等だ。サッと緊張し、それぞれ馬に飛び乗ろうとした。
「待てッ! まだだぞ!」
小次郎は制して、前方を凝視していた。喊声は益々《ますます》盛んになるが、姿は更に見えない。夕方近い薄縹《うすはなだ》色のすんだ空と薄赤い斜めな陽《ひ》ざしの下に、堤防の線や森かげが遠くはるかに見えているだけだ。
この朝、貞盛一行はいつもの通りの時刻に前夜の宿りを出発すべく朝食を摂《と》っている時、貞盛の使っていた箸《はし》がポキッとおれた。貞盛は気にしなかったが、見ていた真樹が、
「はて不吉な!」
と、ひげの濃い顔を青くしてつぶやき、配膳《はいぜん》にあたった下人を呼び出して散々に叱《しか》りつけた。下人も気の荒いやつで、おとなしく叱られていなかった。
「そげいなこと言わしゃっても、殿の箸はきまっているのじゃ。ほかの箸をそなえ申したのじゃったら、おち度であるべいが、きまった箸をいつものようにそなえて、たまたまそれが折れたからちゅうて、なんでおらが落度であろうず。一の郎党ともあろう人が、わからぬことを吐《こ》くだ」
と、言いかえしたから、真樹は真赤になっておこった。
「おのれはあやまちをしでかいたら、おとなしくことわり言うべきじゃに、その不敵な返しごとは何たること。その分には捨ておかん!」
「捨ておかんとは、どうさっしゃるつもりでござるだ。成敗さっしゃるつもりか。おらは殿のやっこではあるだが、和主《わぬし》様のやっこではねえだぞ」
と、下人はまた言いかえした。
真樹は貞盛に対して成敗の許しを乞《こ》い、下人は空うそぶくというさわぎになった。
こんな争いごとは、最も貞盛の好みに合わんことだ。彼は真樹をなだめ、下人を叱りつけ、やっとのことで争いをしずめたが、おかげで出発は大分おくれて昼近くになってしまった。
昼近くになったはかまわないとしても、このさわぎの気分が尾をひいて、一同ずっと浮かない気持でことばも少なく歩きつづけて、間もなく国分寺という所までたどりついた時、とつぜん、背後にすさまじい馬蹄のひびきを聞いた。
おどろいてふりかえってみると、一筋につづく道の後方三四町ほどに、真黒に密集した武者共が疾駆して来る。濛々《もうもう》と立つ土ぼこりに閉ざされて中ほどから末はよく見えないが、先頭に立った者共はきびしく鎧《よろ》っている。
「あなや、何ごとがはじまったのであろう? なにものであろう?」
と、皆おどろいて見ていた。自分等を追う敵であろうとは思いもかけなかった。この土地の者共が戦さをはじめたのだと思っていた。
が、その一団は一町ほどの距離までせまると、密集をといて道の両側の田圃《たんぼ》にひろがったかと思うと、鶴翼《かくよく》の陣形になったのだ。およそ百騎。
おや! と思った時、中陣の一騎が、巻いていた旗をさらさらとおしひらいた。
「火雷天神」
旗の文字はそう読まれた。あっ! と仰天した。
貞盛は、敵味方の数を目算した。ほぼ同数と見た。
(逃げよう!)
と、思った。たとえ味方が三層倍の勢があっても、小次郎を相手には勝目がないことは明らかだ。同数とあっては勝てるはずがないと、計算はすばやかった。
主将がこうだ。兵士等が動揺しないはずはなかった。風に吹かれる樹木のざわめくようにゆらめき立った時、大音声《だいおんじよう》に叫んだ者があった。
「退《ひ》いてはならんぞ! 退けばひとたまりもないぞ! それ、鬨《とき》の声を合わせい! エイ、エイ、エイ、トウ、トウ、トウ!」
佗田の真樹であった。兵士等の退路を取り切って刀を抜きはなち、馬を駆けめぐらせて、必死にどなり立てる。一歩でも退く者があったら、一刀に斬《き》って捨てようと決意した形相《ぎようそう》であった。
さすがに勇武を磨《みが》く坂東武者共であった。動揺はぴたりとおさまり、勁烈《けいれつ》な鬨の声が上った。
エイ、エイ、エイ、
トウ、トウ、トウ、
エイ、エイ、エイ、
トウ、トウ、トウ、
……………
三たびくりかえして上げた。
「散れい! 散って駆け合わせる支度せい!」
真樹の号令によって、兵士等は左右の田圃に散開した。
「さしずなきに動くなよ! そのままにて待てい! 小次郎の殿とて鬼神ではない。おれがさしずに従って戦うなら、必ず勝たして見せるぞ!」
真樹は叫んでおいて、貞盛のそばに馬を駆け寄せた。
「殿は陣列から少し退《さが》っていていただきます。誓って勝ってお目にかけます故、未練なことをなさらぬよう。合戦と申すものは、死んだ気になれば勝ち、助かろうと思えば負けるものであることをよくよく御覚悟あるよう、おわかりでありますか」
「わかる!」
勢いよく言いはしたものの、貞盛は憂鬱《ゆううつ》であった。しかし、悪びれはしなかった。
(ままよ、戦うまでのこと!)
と、決心した。
矢頃《やごろ》に近づいたところで、矢合わせがはじまった。両軍ともに位置を動かず、あらんかぎりの声を上げて敵を威嚇《いかく》しながら、しばし専心に射た。矢は気味悪い音を立てて、ぐっと気温の下った大気の中を飛びかった。敵にも味方にも射落されるものがあった。
日はすでに山の端《は》三四尺のところまで近づいたが、とつぜん、強い光になった。薄雲を出たのであった。強い真赤な光は、追手の顔にまともに射そそいだ。
すかさず、真樹は叫んだ。
「それ! 敵は射にくいのだぞ! 射よ! 射よ! 矢種《やだね》をおしむな!」
たしかに追手は射にくがっている。貞盛は元気づいて、散々に射放った。嵐《あらし》の中の舟のように火雷天神の旗ははげしく動揺しはじめた。これはそのままにその苦戦を示すものであった。
しかし、佗田ノ真樹はこの有利な情勢が長つづきしないことを知っていた。日が沈みきってしまえば、敵はまぶしさから解放されるのだ。何としても日のある間に敵を崩れ立たせなければならないと考えた。
彼はふりかえって西を見た。日はすでに山の端二尺ほどに近づいている。猶予《ゆうよ》は出来なかったが、このまま突撃に出るのは不安であった。装具が不利なのだ。敵はひた冑《かぶと》(甲冑ともつけること)であるが、こちらは烏帽子《えぼし》、狩衣《かりぎぬ》で、下腹巻《したはらまき》しているだけだ。強い打撃をあたえてきっかけをつくる必要があった。
すばやい目で敵の陣列を物色した。火雷天神の旗の下にいる武者が目についた。目立ってさわやかな物の具だ。きびきびと冴《さ》えた射術だ。強い声が兵等を叱咤《しつた》している。
(ござんなれ。小次郎の殿!)
これを射落し、すかさず突撃に出ようと決心した。特に鋭くとぎすました鏃《やじり》をすげ山鳥の羽をはいだ上差《うわざし》の矢をぬきとり、鼻油ひいた弦につがえ、狙《ねら》いすまして射放った。
矢はあたったが、射落すには至らなかった。射向《いむ》けの肩にあたって、弓を取りおとさせたにすぎなかった。
「さしッたり!」
舌打ちしたが、もう待ってはおられない。日はもう山の端すれすれに近づいている。
「小次郎の殿は矢きずを負うて弓が引けぬようになったぞ! 今ぞ機《とき》ぞ! 駆け散らせい!」
と、大音に呼ばわり、弓を小わきに、刀を抜きはなち、高々と振りかざして駆け出した。兵士等もためらわない。のども裂けよと絶叫しつつ突撃にうつった。
普通ならば、ここで敵は動揺し、崩れ立つべきはずであったが、何たる敵であろう、火雷天神の旗の下にあった武者が、肩に立った矢を抜きすてもせず、太刀をぬき、
「それ行けい!」
と、雷鳴のような声で叫んで馬をおどらせると、全騎何のためらいもなく駆け合わせて来たのだ。待ちもうけていたようであった。
真樹の心に惑いの影がさした。
(敵は待ちもうけていた。なにか詭計《きけい》があるのではないか?)
それは一瞬の何十分の一のごくごく短い間のためらいであったが、その時であった。土煙をあげて殺到して来る敵の中から鋭い音を立てて飛んで来た矢が、ハッシと両眼《りようめ》の間に突きささった。
真樹は目がくらんだが、くらみながらも、落馬してはならぬ、大事な時だ、と、馬を乗りとどめ、刀を口にくわえ、鞍《くら》の前輪《まえわ》に両手をかけ、しばしこらえたが、しだいに意識が遠くなり、はじめ刀がおち、ぐらりとからだが揺れ、大きな石が転落するように落馬した。
貞盛は真樹に数馬身おくれて馬を走らせていた。数瞬の後にせまった白兵戦に興奮して、真樹が負傷したことに気がつかなかった。馬をとめたことにだけ気がついた。
「どうした!」
と声をかけつつ脇《わき》を駆けぬける時、ドッと真樹が落馬した。
驚いた時には、もう三四間も飛びすぎている。ちらとふりかえると、真樹はひげ面《づら》を空に向けてたおれ、烏帽子が飛んで乱髪になっている眉間《みけん》に立った矢が、苦しげな呼吸《いき》づかいにはげしく矢羽をふるわせているのが見えた。
貞盛の胸は混乱した。恐怖と絶望とが胸をひっつかんだ。はげしく手綱を引きしめた。疾駆しつづけて来たのだ。急に馬がとまったので、はげしく上体が前へのめって、馬の頭をこえて前へ落馬しようとした。危うくこらえて居直った。わきを駆けぬけて突進して行く味方の武者共の中に、茫然《ぼうぜん》として自失していた。
大へんなことになった、大へんなことになった、この大事な場に何たることであろう……
すぐ気を取りなおした。
「何はともあれ、この際は戦うよりほかはないのだ!」
馬をあおって突進にうつったが、もうその時には味方はくずれ立っていた。指揮者を失った兵等は、闘志を失っていたのだ。惰性で突進をつづけはしたものの、敵と接触し、その手ごわい反撃に逢《あ》うと、忽《たちま》ち気力がひるみ、反射的に馬首をめぐらしたのだ。
貞盛は声をからして引きとめようとつとめたが、退《ひ》き色立った勢《せい》の常だ。ふりむきもせず、ただひたすらに逃げる。激流にもまれてただよう木の葉のように、「返せ、もどせ」と口にはさけびつづけながら、貞盛も馬をかえしていた。
その貞盛勢に、下総《しもうさ》勢はすき間もなく追いすがった。追う者と追われる者とでは、力は懸絶する。追われる者は平生の半分も力が出ない。その上、装備がちがう。下総勢の太刀先に、貞盛勢はばッたばッたと斬りおとされた。河原へ出るまでの間に半数近くがたおされ、二三十騎は横にそれてやみくもに逃げ、強い馬に乗った者三十騎だけが敵を引きはなして真直ぐに逃げる。
林の中にひそんで次第に近づいてくる戦いのひびきを、待伏《まぶし》に伏して猪《いのしし》の逃げて来るのを待つ思いでいる小次郎等の目に、土煙をあげて河原の端に駆け入って来た武者の一団が飛びこんだ。兵士等はざわめいた。みな弓に矢をつがえて引きしぼろうとした。
「まだ、まだ、まだ遠い。もっと近づくまでしずまって待て」
小次郎は制し、なおも凝視していた。
日はすでに落ちている。まだ明るかったが、様々の地物の陰からにじみ出て来る暮色が瞬間|毎《ごと》にひろがりつつあった。
追われる貞盛勢はすばらしい速さで近づいて来、半町ほどおくれて、今はもう文字は見えず白い色だけが暮色の中に旗を吹きなびけて、味方の勢が追ってくる。加減して即《つ》かず離れず追うと見えた。
(この見事な計略を見ろ。思った通りになったではないか!)
自足が小次郎の胸をふくらました。弓をとりなおし、鳴りかぶらのついた雁股《かりまた》の矢をつがえた。
小次郎の様子を見て、兵士等はまた逸《はや》った。
「一ノ矢をおれに射させい。おれが太郎を射落してから、その方共は矢を放つのだぞ」
といいつつ、小次郎は貞盛を見わけようとしてせわしく目をはたらかせた。貞盛勢は見苦しく取り乱していた。烏帽子は飛んで乱髪となり、着物の袖《そで》はちぎれたり、ちぎれかけたりして、服装では身分の高下がわからない。
やっとのこと、見つけた。先頭から三番目のがそれであった。
狙いをつけて、キリキリと引きしぼったが、少し矢頃が遠い。もう少し近づくまでと猶予《ゆうよ》している間に、四番目を駆けていた兵がその右側に出て、楯《たて》の位置になった。
引きかためたまま変化を待っていると、つと馬首が流れの方に向った。渡渉の出来る浅瀬はもっと下流にある。恐怖に血迷っているのか、行く手にうさん臭さを感じたのか、方向変転をしようとするのだ。
もう猶予は出来なかった。方向転換によって半身ほどが見えたのを目がけ、距離と馬の速度とを計算して、切ってはなった。
矢をはなった刹那《せつな》に、貞盛とならんで馬を駆っていた兵士がほんの少し退った。
「しまった!」
小次郎は射はずしたことを知った。
蒼茫《そうぼう》たる暮色のひろがる広い河原に、小次郎のカブラ矢は強いうなりをひろげつつ飛んで行ったが、その兵士のあばらを右うしろから半ばかけて射切り、かぶらはくだけて飛び散り、兵はおしおとされたように転落した。
同時に、兵士等が矢を放った。小次郎の矢に同僚を射落された落武者等が仰天して、算を乱し、馬の速度をあげたので、矢にあたった者は二人しかなかった。
小次郎は、おのれの不覚にじだんだふんでいきどおった。手捕りにしてくれようと思った。弓を投げすてるや、馬に飛びのった。
「つづけ者共!」
林をおどり出した。兵士らも飛び出した。
「小次郎将門ここにあり。どこまできたなく逃げるぞ! 引きかえして勝負せい!」
貞盛はふりかえりもしない。馬の平首に頬《ほお》をつけ、めった打ちに鞭《むち》をくれつつ走り、河原を行きつくして水ぎわに来るや、
「そうれ!」
と、一声、馬をはげまして、飛びこんだ。貞盛の兵等もこれにならった。
はじめは馬足が立ったが、次第に深くなった。名にし負う千阿《ちくま》の急流である上に、雪どけの凍えるようにつめたい水だ。馬は鼻面《はなづら》を上げてかなしげにいなないた。
「気ばってくれよ、気ばってくれよ、それ、それ、それ……」
貞盛は馬をいたわりつつ、次第に押し流されつつ、対岸に向った。
彼は一度もあとをふり向かなかった。小次郎がついうしろにいて、今にも手をのばして襟髪《えりがみ》を引ッつかみそうな気がして、ふりかえれなかった。
その小次郎は水ぎわに馬をとめ、兵士等が矢を射かけようとするのを制した。刻々に暗さのまして行く水面を次第に遠ざかって行く貞盛を黙然として見ていた。あわれみと、軽蔑《けいべつ》感と、嫌悪《けんお》感にみたされながら。
[#地付き](下巻につづく)
本作品中、今日の観点から見ると差別的ととられかねない表現が散見しますが、作品自体のもつ文学性ならびに芸術性、また著者がすでに故人であるという事情に鑑み、原文どおりとしました。(編集部)
この作品は昭和四十二年五月新潮文庫版が刊行された。