海音寺 潮五郎
平将門 下巻
目 次
風来人
穴狐
かたわ虫
朝暾
臆病風
青春
相剋
不動倉
辻占
男子第一義
寒雷
忠言
神託
赤と黒
亢竜、悔あり
山城の京
雪の来る山々
風見車
香と落花
帰休
密雲
春雪
黒い牝鶏
勝風負風
落人
祟
[#改ページ]
風来人
田原《たわら》の藤太|秀郷《ひでさと》は、今年三十四になる。九年前、国府に闖入《ちんにゆう》して争論のあげく国府の官人《つかさびと》を撃殺《げきさつ》した罪を以《もつ》て伊豆に流されて三年間配所にあった。流人《るにん》といっても、国からの仕送りが十分にあったので、苦しいことなんぞなかった。狩猟をしたり、土地の女と恋愛したり、結構楽しい三年間であった。けれども、一定の区域以外には出ることを許されないのだ。帰国などもちろん出来ない。檻《おり》の中の自由であるにすぎなかった。なみはずれて逞《たく》ましい心を持っている彼にとって、苦痛でないはずはなかった。
三年間のこの心の苦痛が、藤太の性質をかえた。以前の彼は強壮な体力と、抜群の武勇と、燃える熱情とにまかせて、傲岸《ごうがん》で、強引で、向うみずで、奔放な生き方をしていたが、まるでかわった人になって帰って来た。平生の挙措は沈着|寡黙《かもく》、人に対しては礼儀正しく、事にあたっては冷静に打算する人になっていた。
「藤太の殿は立派な人がらになってかえってござった。あれこそ大将軍の人柄《ひとがら》というものよ」
と、皆ほめたが、まれには、
「おりゃ気味《きび》が悪い。何を考えていなさるかわからないようなところがあるものな。昔の方がおら好きだ。あの頃《ころ》の殿は乱暴ではあったが、胸のすくようなさわやかなところがあったものな」
という者もあった。
藤太はもう誰とも争わなかった。国府の官人共とも豪族のなかまとも親しく交際した。しかし、決して親しくなりすぎるようなことはなかった。
領民を愛しはしなかったが、賞罰は厳格にした。善行ある者や、勤勉な者や、収穫を多くあげたりした者は、必ずこれを賞したし、悪を犯した者や、怠惰なものは必ずこれを罰した。収穫が平年に達しなかった者はその理由を調べ、怠惰や不注意によることがわかると処罰し、不可抗力による場合は納米を減じたり免じたりしてやった。場合によっては粮米《ろうまい》を支給してもやった。領民等は藤太を愛しはしなかったが、尊敬し、おそれた。
「悪い心をおこさず、怠け心をおこさんでせっせと働きさえすれば、ここではりっぱな暮しが立つだ」
と領民等は言い合った。
うわさは他領にも伝わって、藤太の領内の民になりたがる者が多かった。藤太は領主等と争いになることを用心して、近国の民は決して許さず、遠国の者だけを許したが、それはずいぶん多数に上った。彼は国府に乞《こ》うて空閑地を払い下げて開墾させ、所領をふやして行った。
一方、領民等に武技を奨励した。特別に教えることはしない。農閑期に領内の各地で領民を集めて狩猟や騎射会を催して、成績のよい者を厚く賞するだけであった。しかし、これで十分であった。壮強な者は農事のひまには練磨《れんま》につとめるようになった。
はなやかなところのまるでない、おそろしくじみな藤太の生活態度を、豪族等ははじめ問題にしなかった。
「田原の藤太? ああ、堅い男じゃて。友に持てば頼りにはなる男のようじゃな」
「そうかの、おれは窮屈すぎるような気がする。あれと話していると、何やら目に見えない垣根《かきね》が間に結うてあるようで、もどかしくなってくるがの」
「そういえば、そんなところもある。しかし、悪い男ではないぞ」
「うむ、悪いことはない」
と、この程度にしか買われていなかった。
しかし、数年たってみると、その勢力は隠然たるものとなっていた。財富み、兵強く、坂東北部の雄として、誰しも認めないわけには行かなくなっていた。国府はついに彼に押領使《おうりようし》を委嘱した。
押領使の任務を藤太は忠実につとめたが、それによって利益をつかむことも忘れなかった。国府との縁故を利用して益々《ますます》空閑地を払い下げて開墾につとめた。労働力には陸奥《むつ》から蝦夷人《えぞびと》を奴隷《どれい》として買い入れて来た。これは禁ぜられていることであったが、国府に頼んで黙認してもらった。
藤太が佐野に来たのも、この開墾のためであった。佐野の北方地帯二三里は、秋山川の氾濫《はんらん》がひんぱんで、これまで手をつけた者が幾人もあったのだが、皆失敗して打ちすてられていた。藤太は見る所があって、四年前から手をつけた。まだ進行中だが、大体うまく行きそうで、すでに十町歩近くも水田が出来た。去年はじめて植えつけてみると、収穫は上々であった。上流の山岳地帯から洪水《こうずい》の度毎《たびごと》におし流して来る腐植土を蓄積するばかりで、かつて耕地となったことのない土地だ。実りすぎた稲は穂の重さにたえず倒れ伏す有様であった。
「これはおれの家の田荘《たどころ》の中で最も大事なものになるかも知れん」
と、思うようになった。
だから、こんど来たのも、雨の多い季節が近づいて来たので、その手当をするためであった。
彼は小次郎に手紙を持って行かせた後、なお佐野の粗末な荘家《しようか》(田荘内の事務をつかさどる所)に滞在をつづけた。彼は小次郎やその郎党等が急ぎに急いで信州路に向う姿を自分の目で見た。石井《いわい》から碓氷《うすい》峠に向うには佐野は順路だ。また石井につかわした郎党が帰って来ての報告も聞いた。
「どんな人じゃな」
「きつう、殿のお心入れをありがたがっておられました」
「どんな人かと聞いている」
「私ごときに対してさえ礼儀正しいおあしらいでありましたが、さすがに御威光のあること、目をあげてまともに見ることが出来ぬほどでありました」
「なるほどな」
以後は、このことについては、もう何にも言わない。工事場を見まわったり、鷹狩《たかがり》したりして日を過している。
月がかわって数日後、信州での戦いの噂《うわさ》が伝わって来た。――戦いの次第。勝敗。貞盛《さだもり》の遁走《とんそう》。
藤太は聞いて来た郎党からこれを聞いた。
「なるほど」
とだけ言って、問い返しもしなかったが、夜に入って急にふれを出して、翌日早朝に立って田原に向った。
藤太が佐野を引きはらった翌々日、小次郎は佐野の荘家を訪問した。信濃《しなの》からの帰途であった。感謝の意を表わすためであった。
「一昨日まで御滞在であったにお会い出来ないとは返す返すも残念である。当方の不覚にてとりにがしましたが、御芳情のほどは厚く感謝していると、ついでのおりにおん申し願いたい」
と、小次郎は言った。
「かしこまりました。必ずさよう申すでございましょう」
と、荘司をつとめている藤太の郎党は答えた。
石井にかえると、貞盛をとり逃がしたことを聞いた将頼《まさより》は地団駄《じだんだ》ふんでくやしがった。
「兄者は皆を制して矢どめをしたというでないか。何を血迷ったのだ!」
と、食ってかかった。
こちらは一言もなかった。あの時から彼は後悔しているのだ。きっと鬱陶《うつとう》しいことがおこるに相違ないという気持は日を追うて強くなって来つつある。
(そんなことははじめからわかっていたことではないか。だからこそ信濃三界まで追うて行ったのだ。あそこまで追いつめて見のがすくらいなら、あわてふためいて追うて行く必要はなかったのだ)
(おれは気の弱い男なのだ。人をにくみ切ることが出来ない。暗い冷たい千阿《ちくま》の急流をいのちからがら逃げわたって行く太郎を見た時、おれは何ともいえないあわれさを感じた。軽蔑《けいべつ》だったかも知れない。この惰弱者を見のがしてやったとて、なにほどのことが出来ようという気がしたのだ。いやいや、そんなとりとめた考えはなかった。思わず知らず『矢を放つな』とさけんだのであった……)
(おれのこの女々《めめ》しい気弱さが、わざわいをつくるのだ。太郎は京でやるだけのことはやるに違いないのだ。おれはついそれを忘れていた。おれは気が弱いばかりでなく、おろかでもあるのだ)
とつおいつ、心にくりかえして、自分を責めた。
礼儀はつくさなければならない。小次郎は郎党に手紙と礼物をもたせて田原につかわした。
数日の後、郎党はかえって来た。
「御|鄭重《ていちよう》のこと、われらがなにほどのことをいたしましたろう。あいみたがいのこと」
というていねいなあいさつであったが、藤太自身は微恙《びよう》であるとて会わなかったという。
(せっかく教えてやったのを取りにがした不覚を軽蔑しているのではないか)
と、にがい気がするのであった。
けれども、済んでしまったことは、あきらめるよりほかはない。農繁期は眼前にせまっている。なやみを胸の底におしこんで、小次郎は農事に精出した。
五月半ば、植付けにいそがしいさなかのある日であった。終日騎馬で方々の植付けを見て歩いて、夕近く、帰って来ると、門内の駒《こま》つなぎに馬を三頭つないで、見知らない郎党風の男が二人、一人は主人の太刀をかつぎ、一人は鞭《むち》をかつぎ、ならんで腰をおろしていた。人相のよくない男共だ。
誰であろうと、見ながら馬を下りると、二人はひざまずいておじぎをした。
下人が駆け出して来て、手綱を取りながら言う。
「お来客でござりますだ。鹿島《かしま》ノ玄明《はるあき》と申されますだ」
「鹿島ノ玄明?」
思いもかけないことであった。声高に問いかえした。
すると、郎党風の者共が小走りに近づいて来て、ひざまずいた。
「はじめてお目通りいたします。やつがれ共、鹿島ノ玄明に随従の者共でございます」
坂東《ばんどう》声であった。
「その方共、坂東の者共だな」
「常陸《ひたち》行方《なめかた》の者共でございます」
「以前から玄明に随従していたのか」
「いいえ、このほどからでございます」
「玄明はいつ坂東へ帰ってまいったのだ」
と、問いかけていると、とつぜん、子供のいたいけな声が聞こえて来た。
「おととさま、おととさま、おととさま……」
豊太丸であった。夕陽《ゆうひ》のさしこんでいる車寄せの|かまち《ヽヽヽ》に立って、両手をつき出しながら、まわらない口で懸命に呼びかけている。
「おお、おお、あぶないぞ、今行く」
にこりと笑って、小次郎はそちらに歩き出した。すると、その豊太丸のうしろに立ちあらわれたものがあった。満面に笑いをみなぎらして、小手招きしている。玄明であった。京風のあざやかな色に染めた生絹《すずし》の水干袴《すいかんばかま》をまとった洒落《しやれ》た姿だ。
おやおやと思った。なつかしくないことはなかった。
「やあ、どうしたのだ。いつこちらにかえって来たのだ」
といいながら、豊太丸を抱き取ろうとすると、玄明はひょいと自ら抱き上げて、
「つもる話はゆっくりしようよ。すすぎをして上って来い」
と言いすてて、スタスタと客殿へかえって行く。主客|顛倒《てんとう》のおちつきはらった態度だ。
(なんというやつだ。それにしても、豊太丸がよくなついたものだな)
苦笑したり、感心したりしながらすすぎをし、からだを洗った。着がえをして客殿に出ると、玄明はひざに豊太丸を抱き、簀子《すのこ》近い柱に背をもたせて、行儀悪くすわっていた。
「やれ、やれ、待ち遠しいことであった。もっとも、この若主《わかあるじ》がしきりともてなしてくれたがの。見ろ、これは皆、|まろうど《ヽヽヽヽ》をもてなすために、若主がお持ちになって下さったものだ」
玄明の前には、おもちゃの弓矢、小さな木太刀、犬張子、太鼓など、豊太丸のすべてのおもちゃがとり散らされていた。
こんな時のあらゆる父親のように、小次郎は人のよい笑いを上げた。豊太丸がかわゆくてならなかった。
「来い、来い。そなた、まろうどをおもてなししていたのか。そうか、そうか」
と、抱きとって、やわらかな髪をなでてやって、
「よくおぬしのような人相の悪い者になついたな。もっともこの子は人見知りはせん子じゃが」
「会うとすぐ顔の棚《たな》おろしか。しかし、おれはこれで奇妙に子供には好かれる。本来の根性がよいせいだな」
ぬけぬけとした言いぶりに小次郎が吹き出すと、玄明も大きな声で笑った。
小次郎は何か愉快であった。こんな明るい気持はこの頃たえてなかったと思った。
あまり大きな声で小次郎が笑うので、豊太丸はびっくりして、父親の顔をしげしげと見た。
「おぬし、いつ帰って来たのだ」
「帰って五日目だ」
「ほう。それでもう随兵まで出来たのか、あの者共は常陸の者であるといったぞ」
すばやさにおどろいた。
「うむ。しかし、あれは雇って連れて来たのだ。布を一反ずつくれる故《ゆえ》に四日供に立ていと言って雇ったのだ。供もない貧しげな姿では、おぬしがこまるじゃろうと思ったのだ」
玄明らしい言い草だ。小次郎はまた笑った。
「ハハ、ハハ、雇うなら、もっと人柄なのはいなかったのか。無類の人相の悪さだぞ」
「人相の悪いも道理よ。盗賊共じゃからな」
これは驚いた。
「盗賊?」
「ああ、盗賊よ。善良な百姓がこのいそがしい季節に四日も五日も供してほっつき歩きはせん。また、普通の百姓では、まさかの時頼りにならん。人相の悪いくらいのことはしかたがないて」
「それにしても、盗賊を供にして連れ歩くとは……」
「心配するな、おれの供をしている間は盗賊はせん。その約束だ。もし約束を破ったら、斬《き》って捨てると申し渡してある」
玄明の住んでいる世界は、小次郎の住んでいる世界とまるで違う。話も何から何まで奇抜であった。小次郎にとっては驚異であった。面白かった。益々愉快になった。
「純友卿《すみともきよう》はお変りないか」
玄明はフフと笑った。
「坂東は片田舎だな」
「今さらのように何を言う」
ハハと笑って、玄明は、
「若主や、|まろうど《ヽヽヽヽ》のひざにござれ。抱いて進ぜよう」
と豊太丸を抱きとって言った。
「灯《ともし》がほしいな。酒もほしいぞ」
「すぐ持って来る」
小次郎は手をたたいて下人を呼び、灯と酒を命じた。
「かしこまりました」
「豊太丸を連れて退《さが》れ」
「はッ」
下人は豊太丸を抱いて去った。灯が来、つづいて酒が来た。
「おぬし、一時の用でかえって来たのか。それともずっとこちらに落ちつくつもりでかえって来たのか」
「なりゆき次第と思っている」
「用事があって帰って来たのか」
「うむ、まあ、そうだな」
何か事情があると思われるが、深入りしては聞きたくなかった。
「純友卿はお変りはないか」
「ハッハハハハ、坂東は片田舎だな」
とまた言って、肩をゆすって高笑いして、
「ま、一つ行こう」
と、盃《さかずき》をさした。
小次郎は玄明の盃を受けたが、飲みほして返盃《へんぱい》するや、容《かたち》を正した。
「おぬし、おれが純友卿のことを聞いたら、二度も坂東は片田舎じゃといって、妙な笑いをしたな。わけがあろう。聞きたい」
玄明は笑った。
「気にさわったらしいな。だったら、ゆるしてくれ。とりとめて、何の考えもなかった。京では大抵の人の知っている純友卿のことが、まるでわかっていないから申したまでのことだ。あの殿は、任はてられた後、伊予に住みつかれた。お家も、おからだも、まことにめでたくいらせられる。わしがこの度かえるについて、おぬしによろしく申してくれとのおことづけであった」
「しんじつ、それだけのことか」
「ああ、それだけのことだ」
ほんととは思われなかった。何か裏があると思った。小次郎は思案していた。
その小次郎の思案顔が、玄明は気になったらしい。話題を転ずる。
「貴子《たかこ》姫のことを聞いたぞ」
「聞いたか」
小次郎の様子は苦しげになった。見る見るひたいに汗がにじんで来る。
「おりゃおどろいてしまった」
「…………」
「ひどいことをするやつらもあるな。下手人はわからんのか」
小次郎はひたいににじむ汗を手のひらで拭《ふ》いて、
「その話はやめよう」
といったが、ふと思い出して、
「あの節、おぬしにはきつう世話になった。おぬしの住所を聞いておかなんだのが不覚であった。おぬしの来るのを待っていたが、ついに姿を見せぬので、あの時の代《しろ》もそのままになっている。どれほどかかったのだ」
「そう恩に着てもらうほどのものではない。気にせんでくれ」
「そうはいかぬ。おれはずっと気になっているのだ。ぜひこの機会に返済して、さっぱりとしたい」
「かたい男だな。しかし、実を言うと、あの時の代はおれのものではない。ある人のものを流用したのだ。おれに返してもらっても、始末にこまる」
「ある人とは誰だ」
「純友卿だ」
驚きはしなかった。そうではないかとの予想はついていた。
「あの方はあの頃《ころ》京に来ておいでだったのか」
「そうではない。おれはあの時、純友卿の仰《おお》せを受けて、京にある用事で来ていた。それは多分の費用を要することであったので、ずいぶん沢山財宝をたずさえていたから、ちょいとばかり融通したにすぎない。もっとも、帰国の後、その旨《むね》をお話し申したら、よくぞそうしたと、おほめにあずかったよ。かような次第故、返すと言われても、おれはこまるのだ」
「おれもこまるな」
「まあよい、それより、大事な話がある」
「大事なこと? おれがことか」
「もちろん」
「太郎がことか」
「やはり、気にはしているのだな」
「…………」
「おりゃ奴《やつ》と美濃路《みのじ》であったぞ」
「…………」
「あの洒落《しやれ》者が尾羽うちからしたみじめな姿で旅していたので、おりゃおどろいた」
「そうか。逢《あ》ったか」
やっと言った。溜息《ためいき》が出て来た。
「主従十五騎、旅籠《はたご》もとぼしい風で、すごすごと京へ向っていた。おりゃやつは虫が好かんので、一言も口をきかず、にらみつけながら行きすぎた。おぬしとの合戦の次第は信濃路に入って、土地の噂《うわさ》で聞いた。どうしてまた取り逃がすようなことをしたのだ」
腹をたてているような玄明の語気であった。思案に思案を重ねていることだ。十分に悔いていることだ。他人にふれられたくなかった。
「合戦のならい、謀《はか》りに謀ってもはずれることのあるのはいたし方ない」
と、不興気な顔になった。
「うるさいことになるぞ」
「覚悟している」
「覚悟しているというて、足許《あしもと》に穴の掘られるのを手をつかねて見ていることはあるまい」
「どうせよというのだ」
「こちらからも手を打つのだ。たとえば自ら京に行くか、人をつかわすかして、要路に運動すべきだ」
「去年十一月当国の国司からそのことについて朝廷《おおやけ》に解《げ》を奉《たてまつ》ってくれたので、罪のあるのはおれではなく、向うであることが明らかになって、上総《かずさ》のおじごをはじめ貞盛《さだもり》まで追討せられる身となっているのだ。善悪はすでに顕然のはずだ」
「ハハ、ハハ、じゃから、それ以上の運動はいらんと安心しているわけか」
小次郎は黙っていた。決して安心はしていない。ぐらりぐらりとたえず判断が動揺して、まるで正反対の命令を出して、少しも反省の色のない朝廷であることを、よく知っている。
「あてにならん朝廷であることは、おぬしもよく知っているではないか。打つべき手は打つべきだぞ。どうだ、おれにまかせんか。まかせれば、行って手を打ってやるぞ」
「いや」
きっぱりと、首を振って、
「おぬしの芳情は感謝する。しかし、おりゃ朝廷にかれこれと運動するのは、もういやだ。朝廷は正義の府ではない。ここでは賄賂《わいろ》と情実と弁口《べんこう》によって、善が悪となり、悪が善となる。相手になってはおれん。太郎の京上りによって、いずれは面倒なことになるのは目に見えているが、その時はその時のことだ。おれは朝廷の力で正義を立てようとは、もう思っておらん。自らの力で立てる。おれはかたく決意している」
ほんとのことを言うと、小次郎はこれまではそう考えているわけではなかった。しかし、今こそはっきりとそう思ったのだ。
玄明は小次郎を凝視していたが、盃を口に運んで一口のんで、言った。
「そうか。赤児《あかご》も三年たつと三つになるというが、おぬしも大分利口になったな」
「ばかにするな!」
「ハッハハハハ、ほんとだぞ」
つづけて、何か言いたげに見えたが、思いかえしたらしい。
「いや、ほんとだて」
とくりかえして、のこる酒をのみほした。
あとは何くれとない雑談になって、かなり更《ふ》けるまで酒がつづいた。
一夜泊って、玄明は帰って行った。
「また来る。当分こちらにいることになるだろう。居場所が定《き》まったら知らせる。当分は不定だ」
というのが、辞去の際のことばであった。
その月が過ぎ、六月になって間もなく、上総の良兼《よしかね》が死んだという噂が伝わって来た。
去年冬の奇襲が失敗して以来急に健康がおとろえて臥床《がしよう》勝ちであることは聞いていたが、これは意外であった。小次郎は、良子に対して、言いようのないほどのすまなさを感じた。好んで争って来たのではない。行きがかり上やむなく争って来たのだ。いずれは昔にかえって仲むつまじくなりたいと考えつづけていたのだ。
「そなたの切ない心はよくわかる。どうするか。帰ってみたいなら、帰ってもよいぞ」
と小次郎は言ったが、良子は首を振った。
「帰りたいのは山々ですが、帰れば無事にこちらに帰って来られるかどうかもわかりませんし、また、源家の方で気をまわしはしないかとも案ぜられますのでねえ」
遺領の相続のことを言うのであった。
また、こうも言った。
「昨年の秋、ああしたことからではありましたが、ともかくも帰って、父にも弟等にも会っています。あれをなごりと思えば、心のこりなこともございません」
小次郎は良子を連れて、結城《ゆうき》寺に行って、僧に頼んで、故人のために経を誦《よ》んでもらった。
中旬になると、先月の二十二日に年号が改まって天慶《てんぎよう》となったと伝わって来たが、これと同時に常陸介《ひたちのすけ》が更迭《こうてつ》して、京から藤原|惟幾《これちか》が赴任して来るという噂が伝わって来た。
晴れた日に曠野《こうや》を行く途中、はるかに遠く雷のひびきを聞くに似た気持が、小次郎にはあった。
惟幾は貞盛の義叔父だ。貞盛の母の妹を妻にしている。以前惟幾が坂東の国司として来ていた頃めとったのである。
大宝の令《りよう》の定めでは、日本六十六カ国の等級を分って、大国・上国・中国・下国とするが、その大国の中に親王の任国となっている国が三つある。常陸・上野《こうずけ》・上総《かずさ》がそれだ。この三国は親王が守《かみ》だが、親王は京にとどまって現地に行かれないから、その実務は次官たる介《すけ》がとり、従って実権も介にあり、本人も、また世間でも、「かみ」と称する習慣になっている。
惟幾は、この「常陸のかみ」となって赴任して来るわけであった。
「いぶかしいぞ」
おりがおりだ。惟幾の常陸介任命が、自分と貞盛の争いに関係があるのではないかと、疑惑せずにいられなかった。
一体、外官《げかん》(地方官)の更迭は、最も多いのが正月、のびても三月までというのが普通だ。他の季節にもないことはないが、きわめて稀《まれ》だ。これも疑惑を強めた。
七月になって間もなく、常陸の新国司が赴任して来て、事務の引継ぎも無事にすんで、前の介は帰京の途についたと伝わって来たが、その頃のある夜。
もう深夜に近い頃であった。寝ついて間もなく、小次郎は何ものとも知れないものに呼びさまされた。
「……起きてくれ。おい。小次郎。起きてくれ……」
蔀《しとみ》の外の庭から呼んでいるのであった。しのびやかな声であった。小次郎は起き上り、枕許《まくらもと》の太刀をとり上げて、問いかえした。
「誰だ?」
「おれだよ。大きな声を立てるな」
玄明の声であった。
「玄明か」
と、声をひそめた。
「そうだ」
細めてあった燈台《とうだい》の灯《ひ》を掻《か》き立てておいて、遣戸《やりど》を開けた。
半弦の月のさしている簀子《すのこ》に、玄明は大あぐらで坐《すわ》っていた。気楽な様子であった。
「どうしたのだ、こんな時刻に? どこから入って来たのだ?」
鋭い調子になった。無断でこの奥深い所まで入って来た玄明にも、それに気づかなかった家来共にも、腹を立てていた。
玄明はにやりと笑った。
「まあ、そうおこるな。おぬしがためにも、おれがためにも、ごく内密に事を運ぶ必要があるのだ。入らせてもらうぞ」
といって、室内に入った。
「大分骨を折らされた。この館《やかた》はなかなか用心が厳しいな。日頃の訓練が思われる。おりゃ感心したよ」
玄明はしゃあしゃあと言う。
「心ないお世辞を言うな。きれいにもぐりこんだくせに」
「アッハ、ハ、ハ、ハ。心ないお世辞であるものか。実際感心したのだ。しかし、どんなに厳重にかためても、おれを防ぎとめることは出来ん。おれの忍びの術にかけての練磨《れんま》は、一通りや二通りのものではないからな。何せ、京でも、南海道でも、鳴らしたものだからな。したがって、おれに忍びこまれたとて、恥ではない。りっぱなものだよ」
これは明らかにこちらの黒星だ。何と威張られても、返すことばはない。しかし、それにしても、よく忍びこんだものだ。薄気味が悪かった。薄ひげの生えているその顔を凝視していると、ふと容《かたち》をあらためた。
「さて、用談にかかろう。おぬしにとって、緊急しごくな用事があって、おれは来たのだ。――おい、貞盛が帰って来たぞ」
とぎすました白刃を、いきなり胸許につきつけられた気持であった。
「なに?」
と、おぼえずかん走った調子になった。
わざとゆっくりと、玄明は言った。
「かえって来たのだ。左馬《さま》ノ允《じよう》貞盛が」
小次郎は心をおちつけ、気息をととのえた。
「いつだ?」
「常陸の大介《おおすけ》を伴ってかえって来た。やつは、おぬしに対する追討使という役目を帯びているという。また、やつは、これに力をあわせよとの、坂東の諸国司等にあてた朝命をも持参しているという」
かねての疑惑はあさましいまでに見事に的中したのだ。貞盛の巧みな運動によって、朝廷の意向はまた変ったのだ。しかも、こんどは従来のように命令の出しっぱなしでない。飽くまでも実行さすべく配慮してある。貞盛を追討使に任命すると同時に、その深い縁者である藤原惟幾を常陸介に任命し、相伴って東下させている。
玄明はなお説明する。
「手筈《てはず》がととのうまで、おぬしに知られてはまずいというので、やつは姿をやつして惟幾の従者に打ちまじって来たばかりか、こちらに来てからも人目に触れないようにしているという」
「……そうか……」
急には思案がまとまらなかった。ただ、無暗《むやみ》に腹が立った。貞盛に対してではない。朝廷に対してだ。
(はじめは向うが正しくおれが悪く、次にはおれが正しく向うが悪く、こんどはまた向うが正しくおれが悪いという。なにをよりどころにすればこうも違うのか。でたらめもきわまるでないか。風に吹かれる柳の枝よりまだあさましい。これが、天下の中心たる朝廷のすることか!)
が、すぐ思いかえした。
(そんなことは今はじめてわかったことではないじゃないか。ずっとずっと以前から腹を立てていたことではないか。現にこの前玄明が来た時も、玄明に高言したはずだ。おれは朝廷の力で正義を立てようとはもう思っておらん、自らの力で立てる、おれはかたく決心している、と。その時が来たまでのことだ。今さらに何を怒り、何をまどい、何をうろたえることがあろう!)
きびしい力が唇《くちびる》にこもり、鋭い光が目に点じて来るのを、そしらぬふりで玄明は見ていたが、やがて言う。
「事情は以上の通りだが、どうするつもりだな」
「朝廷のこの判断が正しくないものであることは、坂東の者は一人のこらずわかるはずだ。この朝命が行われるものなら行ってみるがよい。おれは坂東の住人等の正義心を信ずる」
「なるほど、正義心か? しかし世に従わぬを狂人というとの本文《ほんもん》があるとか。世間の動くのは正義によるのでなく、力によるのだ。朝廷は権威を持っているが、権威は力だぞ」
キラリと小次郎の目が光った。強く言い切った。
「力ならおれも持っている!」
終夜、小次郎は工夫を凝らして、ある結論に達した。
先《ま》ず、いつ敵の攻撃があっても即座に応ぜられる準備をととのえた。よりすぐった兵五十人を昼夜館に詰めさせ、一方領内にふれをまわして、館に烽火《のろし》の上るのを見たら直ちに武装して馳《は》せ集まるように厳命した。
同時に、心きいた者を数人ずつの組にして放《はな》って、貞盛を捕えることを命じた。
「捕えて連れて来るのを第一の功とし、殺して首を持参するのを第二の功とし、所在をさぐり知って告げるを第三の功とする」
命を受けた者共は、常陸からその周辺にかけて、イナゴかバッタの群のように飛びまわり、猟犬の群のようにかぎまわった。
数日たつと、国府から使者が来た。小次郎は自ら会った。使者は館の内外の物々しい警戒や半武装した郎党等の様子に驚きおびえている様子で、
「申し達すべきことがござるとの守《こう》の殿の仰《おお》せであります。国衙《こくが》まで御出頭ありたい」
という口上もふるえていた。
来た! と思った。貞盛が京から持参した追討の命が下総《しもうさ》の国司へ伝達されたのだと判断した。国府へ呼び出して捕えるつもりかも知れないと疑った。
鄭重《ていちよう》に、しかし、きっぱりと答えた。
「仰せかしこんでお受けいたすべきではありますが、唯今《ただいま》ごらんになってお気づきでもありましょうが、われら今いささか戒心のことがあって、出頭いたしかねます。恐れ多い申し条でありますが、居ながらにて申し達していただきとうござる」
おそろしかったのだろう、使者は争わなかった。
「さようか、守の殿がいかなることを伝達されるのであるか、てまえは存知いたさぬ。されば、まかりかえって、仰せの旨《むね》、申し上げるでありましょう」
と、答えてかえって行った。
二三日たって、その官人《つかさびと》がまた使者として来た。
「朝命を伝達いたします」
という口上だ。
小次郎は服装をあらためてかしこまった。
使者は、書付を読み上げた。
「下総国の住人|平将門《たいらのまさかど》、しきりに兵を動かして傍近を狼藉騒擾《ろうぜきそうじよう》する由《よし》、訴うる者あって上聴に達す。右将門は同様の所行を以《もつ》て去々年召致して之《これ》を糺《ただ》すの処《ところ》、慶祝の事あるによって去年大赦して放ち還《かえ》らしめた者である。訴うる所もし実であるなら、改悛《かいしゆん》の情がないと言わなければならない。朝廷に於《おい》て糺問《きゆうもん》するから、直ちに上京せしむるよう、国司これを達せよ」
という意味のものであった。
両手をついたまま、小次郎は思案した。
玄明の話ではすでに追討令が出ているというが、これではこれから裁判して黒白をさばくというのだ。話は大分ちがう。
(あるいは、玄明は単に噂《うわさ》を聞き掠《かす》めて速断したのかもしれない)
と思った。しかし、また、
(待てよ。ひょっとすると、おびき出して引ッ捕える策かも知れないぞ)
と思った。
思案はほんのひとときであった。
(昨日の是を今日の非とし、今日の非を明日はまた是とするような浮動定まりない朝廷の命令なぞを、まじめに奉ずる必要はないと、おれはもう夙《とう》に決心していたではないか!)
が、この際、喧嘩腰《けんかごし》になる必要はない。おだやかにこたえた。
「仰せの旨、たしかにうけたまわりました。しかしながら、京上りするとなれば、色々と都合もあり、支度もありまして、即答はいたしかねます。いずれ改めて、御返答を申し上げます故《ゆえ》、今日のところは、たしかにうけたまわったとだけお聞きとどけ下さいますよう」
官人は争わなかった。これ以上の返事の聞かれないことは、最初から覚悟して来ている。彼自身も朝廷の意向がふらふらであることは認めているのだ。
「さよう聞きとどけました。御返答の趣《おもむき》、守の殿に申すでありましょう」
と答え、饗応《きようおう》になったり、引出《ひきで》ものをもらったりして帰って行った。
その後、国府から時々確答をうながして来たが、小次郎はいつもきまって、
「まだ都合がつきませんが、必ずまかり上るでありましょう」
と答えてすませた。
一方、館の守備、領内の警備、貞盛の探索には全力を傾けた。館は、新たに濠《ほり》を深くし、土居《どい》を高くし、周囲二三里の間に星をつらねたように砦《とりで》をきずいた。砦はまた領内の切所切所《せつしよせつしよ》にも築かれた。小次郎を旗頭《はたがしら》と仰ぐ小豪族や郎党等が守将となって、附近の農民を部署してこれを守った。彼等はまたそれぞれに地域を割り当てられてこれを巡邏《じゆんら》する役目も帯びていた。水も漏らさないこの周到な警備には、いやしくも異心を抱く者は、一人として潜入することは出来まいと思われた。
貞盛の探索もまたその通りであった。領民だけでなく、他領の民まで多額な嘱託《そくたく》(懸賞)に心を動かして探索に奔走する者が出た。
すべてこんなことは、朝廷の意向にたいする無言の抗議であったわけだが、国府では何の意志表示もしなかった。時々、いつ京上りするかと聞きに来て、きまった返事を聞いて帰るだけであった。
八月半ばのある日、水守道《みもりみち》にある領分境の砦から注進があった。
(唯今《ただいま》、当地を通過して御領内に入ろうとする者があるが、その容体甚《ようだいはなは》だ不審である。従者両名を従えて、かなりな身分に見えるが、百姓|体《てい》の者六人に縄《なわ》をかけて曳《ひ》いている。そこで、呼びとめて尋問したところ、
「鹿島《かしま》ノ玄明《はるあき》」
と名のった。鹿島ノ玄明と言えば、近年こそ名を聞かないが、数年前までは乱人《らんじん》として誰知らぬ者のないほどの者である。本人は、殿に用事があってまかり通ると言っているが、ともかくも言いこしらえて引きとどめてある。いかがはからうべきであろうか)
と、いうのであった。
「通すがよい。別段に案ずることはない者だ」
と、答えてかえした。
玄明の現われるのは、必ず新しい情報を持っている時だ。
(こんどはどんな情報を持って来たのか、百姓体の者六人に縄をかけて曳いているというが……)
昼を少しまわった頃、玄明が到着したと、とりついで来た。
「通しておけい」
といって、塗籠《ぬりごめ》に入って、下人等に手伝わせて着がえをしていると、急に居間の庭先に多数の足音がし、玄明の遠慮|会釈《えしやく》のない野太い声がひびいた。
「……このへん、このへん。このへんにかがまりおれい。泣いたところで追ッつくことか! 悪党なら悪党らしくせい! 打《ぶ》ッくらわすぞ!」
どうやら、縛って引連れていたという百姓共を連れて来たらしいのだが、何をはじめるつもりか、わからない。急いで着換えをすまして居間にかえってみた。
庭先に六人、横にずらりとならんで土下座していた。皆ぼろきれのような着物をまとった百姓共だ。ひとりのこらずうしろ手にしばられて、烏帽子《えぼし》もなくもとどりの切れたオンボロ髪をうつ向けていた。まだきびしい残暑が照りつけている下に、しおれかえった根無草《ねなしぐさ》のようにみじめな姿であった。そのうしろに、いつぞや見た、本職は盗賊だという玄明の郎党二人が、片膝《かたひざ》つき、肩肱《かたひじ》はったいともしかつめらしい姿で看視している。追い立てるために使ったのだろう、右手に太い鞭《むち》をたずさえている。
玄明はと見ると、居間に上りこんで、薄いヒゲをひねり上げつつ、百姓共を見下ろしている。何やら検非違使《けびいし》庁の判官殿が罪人を糾問《きゆうもん》しているような風景であった。
おかしくもあったが、何よりもにがにがしかった。
「何の真似《まね》をしているのだ」
と、なじるような鋭い調子になった。
玄明はふりかえった。
「やあ、館の殿か」
わざとであろう、いつにないていねいなことばで答えて、庭上を指さした。
「おみやげを持参しましたわ。殿がもっともほしがっておいでのもののはず」
「みやげ? みやげとは何だ?」
「殿のおん憎しみ重畳《ちようじよう》の者、即《すなわ》ち去《い》んぬる年の八月、殿が掌中の珠《たま》ともいつくしみ給《たも》う方に言おうようなき悪虐《あくぎやく》むざんを加え奉《たてまつ》った鬼畜ども、それがこの者共であります」
明言を避けるためか、荘重な雰囲気《ふんいき》をつくるためか、へんに気取ったことばづかいだ。回りくどくて、いらだたしかった。しかし、意味ははっきりとわかった。全身が火となる気持であった。叫びがのどにつき上げて来た。つかつかと簀子《すのこ》先に出た。しばらくにらみすえて、気をしずめた。
玄明がうしろから説明する。
「総勢十人でありましたが、その後の合戦で戦死した者が二人、手を負うたのがもとでやがて死んだのが二人、それで六人だけのこっておりましたので、のこらず引っとらえてまいったのであります」
玄明の説明は、当時の地獄相をまざまざと想像させる。また胸が波立って来た。
「顔を上げい!」
と、言った声ははげしい叫びになった。
百姓等は一斉《いつせい》に肩をふるわせたが、顔はそのままであった。
「顔を上げい!」
再び、小次郎はさけんだ。ドウと簀子を蹴《け》った。
「それ! 顔を上げいと仰せあるぞ!」
百姓等のうしろにひかえていた玄明の郎党が叫んで、右手の鞭《むち》をヒューと振った。
百姓等は、またピクッと肩をふるわせ、おずおずと顔を上げた。
「ずっと上げておれい! 伏せてはならんぞ!」
ともすれば伏せようとするのを、小次郎は叱咤《しつた》した。燃える目で、一人一人しっかりと見て行った。恐怖に青ざめ、おどおどとおちつかない目をしたその顔は、どれもこれも善良で小心そうな農民の顔であった。
胸をつかれたような感じを受けた。
(この者共が……?)
疑わしいような気がして、玄明をふりかえった。
「殿御自身、その者共に御尋問なさるがようござる」
嘯《うそぶ》くような態度であった。気の弱さを嘲《あざけ》っているようでもあった。
小次郎は気を取りなおした。彼は知っている。戦さというものがどんなに人間の心を狂わせるかを。平生善良で小心な人間も、戦場では全く別の人になる。この百姓共が篤実《とくじつ》でしおらしげな顔をしているからとて、あてにはならないのである。
簀子を下りて、近づいて行った。
近づくと、異様な臭気がプンと鼻をついた。汗の臭《にお》いと垢《あか》の臭いと、貧困と不潔な生活からしみこんだ臭いとの混合したこの臭気は農民には普通なものだが、今この者共の放つ臭気は、つき刺すような鋭さをもっていた。えずき上げてくるような不快感があった。残暑の季節にいく日も自由をうばわれているからであると思われた。
さらにその顔。垢と目やにと|ひげ《ヽヽ》に埋もれたその顔には、最も動物的な卑屈な表情があった。
(こんな者共が、貴子をけがしたのか!)
目のくらむような怒りがつき上げて来た。
一応問いたださなければならないと思いながらも、口をひらけばあられもないことを言いそうで、急には口がきけなかった。心の静まるのを待って、言った。
「身におぼえがあるのだな」
と、一番目のにきいた。
返事はしなかった。無言でうつ向いた。
「そちもそうだな」
と次にきいた。これもうつ向いた。
六人ともに聞いた。皆うつ向いた。
座敷にかえって来た。複雑なものに胸はみたされていた。怒りはもとより消えていないが、一種名状しがたい感情が胸を重くしていた。それは哀《かな》しみに似ていたが、単なる哀しみではなかった。もっと深くもっと根本的なものであった。
小次郎の胸をみたしているのは、人間というものに対する諦観《ていかん》であった。小心で、善良で、篤実でさえある百姓等が、一度武装して戦さに出ると、まるで変貌《へんぼう》して悪鬼羅刹《あつきらせつ》そのままの所行をほしいままにする、戦さがさせることにちがいないが、本来その性質が人間にあればこそのことだ。もともとないものなら、どんな時にだって出て来るはずはないと、思うのであった。
(人間というものは、何というあわれな、いやな、情ないものであろう。悪鬼や畜生とちがいはしないのだ……)
何もかもいとわしく、何もかもものうい気持であった。席にかえって、沈思していた。
「小次郎の殿、なにを思案していらせられます」
と、玄明が言った。
小次郎ははっとした。
「どうしようかと考えているところだ」
「それならばよろしゅうござる」
玄明の目には皮肉な光がある。何を気弱く迷っているのだ、おぬしのその気の弱さが、いつもことを不徹底にするのだ、後の禍《わざわい》のもとになるのはそれだぞ、と言いたげだ。
(そうだ、悪を憎みきれないようでは、悪と戦うことは出来ない。悪に押し切られてしまう。おれはこの者共を憎まなければならない)
小次郎は気を取りなおした。犯罪者共を凝視した。
(この者共は貴子をけがし、貴子を惨殺《ざんさつ》した者共だ。あのみにくい顔で、あの野卑な姿で。手をおさえ、足をおさえして、一人一人がかわるがわる挑《いど》みかかって行ったのだ……)
暗い夜の林の中にうごめき犇《ひし》めいてむらがっている餓狼《がろう》のような群が影絵のように思い浮かんで来た。その影絵の中心には、貴子がいた。半死になっている貴子が。食いしばられた口もとから血がしたたり、とじた目のまなじりから涙がしたたり……
貴子の死骸《しがい》をさがしあてた時のことが、はっきりと思い出された。すべて腐爛《ふらん》している中に、ただ一カ所、首筋の片側だけが生きている時そのままに白く美しかったこと!
火を吹きおこすように懸命になってかきたてていた怒りが、一時に赤黒い炎を上げて燃え上った。
簀子|際《ぎわ》に立ち出《い》で、ヒタとにらんで、荒々しく叫んだ。
「うぬら、一人一人、はたもの(磔刑《たつけい》)にかけてくれる! にっくい者共め!」
百姓等は身動き一つしなかった。うつ向いたままであった。石がならんでいるようであった。その無感動な様子が、一層怒りを駆り立てた。再びさけんだ。
「うぬらが村でかけてくれる!」
その小次郎のうしろで、玄明が薄くにやッと笑ったが、もとより、小次郎は気がつかなかった。
小次郎は将頼《まさより》を呼んで、ことの次第を語り、明日から処刑にかかる手配をするように命じた。
将頼は返事をしなかった。当惑している顔であった。
「しかと申しつけたぞ」
「先《ま》ず先ず……」
将頼は、郎党を呼んで、罪人共を連れ去らした後、小次郎に言った。
「兄者、今の話だがな。|はたもの《ヽヽヽヽ》はよいとしても、あの者共の村里まで踏み出してやるというのはどうであろう。あとでこまることになりはせんじゃろうか」
これは道理であった。この時代の領主は単なる地主だ。正式には領民に対してさえ刑罰の権はない。ただ長い間の習慣上、私刑が看過されているにすぎない。しかし、その黙認は自領の民に対するものだけだ。他領の民に対して行えば、やかましい問題になることはまぬかれない。領主同士の争いになり、合戦になり、裁判|沙汰《ざた》になりした例は無数だ。ましてや他領に押し出して行うなど、好んで禍を招く所行といってよい。
しかし、小次郎は言った。
「おれはそうしたい。言った通りに計らってくれ」
「あの者共が水守領の者共であるためか」
小次郎はうなずいて、
「そうだ。水守のおじ御の領民であるためだ」
と、一旦《いつたん》は言ったが、言いかえした。
「いや、そうではない。……そうではないが、やはりそうしたい」
何とも言いようのないほど頑固《がんこ》な様子に見えた。小次郎には、出来るだけ酷烈な刑罰に処することによって、貴子の霊が慰められるような気がするのだ。いや、いや、それもあったが、それだけではなかった。彼は自分の弱い心と戦っているのであった。
将頼は感心せんと言いたげに首を振って、玄明の方を見た。助言をもとめるためであった。玄明は途方にくれたような顔をつくって、
「小次郎」
と、呼びかけた。
「なんだ」
「弟御の仰《おお》せられる通りだ。場合が場合だ、それはよくないと思うがの……」
小次郎はキッとなった。
「ならば、なぜ捕えて来た!」
「じゃからこまるのだ。おれはそんなつもりではなかった。禍がおこったら、おれがすまんことになる」
「黙れ! おれはやるのだ!」
そして、将頼をふりかえった。
「言いつけた通りに支度を申しつけるよう」
翌日から、それは行われた。小次郎自身兵をひきいて、一人一人の百姓共の村里に乗りこんで行き、村の辻《つじ》にハリツケ柱を立て、そこで最も残酷な殺しようをしたばかりか、
「七日の間は取りかたづけてはならん。その間は手を触れてもならん。違反する者は同じ仕置にする。七日たったら一族の者が引きとって葬《ほうむ》ってもよい」
と、きびしく村人等に申しわたした。
穴狐《あなぎつね》
手も足も出ないというのが、貞盛《さだもり》の今の状態であった。
彼が京都に上ったのは、京都の官界に復帰するためであった。再び坂東へは帰らないつもりであった。しかし、千阿《ちくま》川のほとりで小次郎に追撃されてむざん至極の敗戦を喫すると、この計画を追うわけに行かなくなった。官界といっても、貞盛の官途は武官以外にはない。父を殺されたばかりか、度々の復讐《ふくしゆう》戦にも敗れ、今また追撃を食って惨敗《ざんぱい》を喫したような者を、いくら柔弱な公家《くげ》達だって、武官として高く買うはずはなかった。
「坂東平氏の嫡流《ちやくりゆう》に似ず、左馬《さま》ノ允《じよう》も案外な男よ」
と、皆|唇《くちびる》を返すのだ。
再び官途に立って好きな京で暮すためには、いやが応でも小次郎を葬らねばならないことになった。今さらのように、最初京を去る時貴子の言ったことが思い出されて、悔恨骨を刺すものがあったが、もう返らないことであった。
猛運動をはじめた。敗残のそぼろな姿であり、贈遺のものも乏しいのだ。運動は困難をきわめた。恥辱を受けることも多かった。
しかし、とにかくも巧みに立ちまわった。追討使に任ぜられたばかりか、叔母聟《おばむこ》の藤原|惟幾《これちか》を常陸介《ひたちのすけ》に任命してもらうことまで出来た。
犠牲はずいぶん大きかった。坂東を出発する時、かねての約束にしたがって所領を弟と切半したが、その所得分の半分近くを小一条院のおとど忠平《ただひら》に献上したのだ。忠平は一昨年から太政大臣《だいじようだいじん》になっていた。
このようにして、貞盛は坂東にかえったが、坂東の形勢はまた一通りや二通りの困難ではなかった。
一番頼りになるべき良兼《よしかね》はつい少し前に死んで、小次郎の威勢は朝日ののぼる勢いだ。惟幾から諸国府に太政官の命令を伝達してもらって、小次郎追討の協力を要請したが、さらにききめがない。
「つつしんで命を奉じます。早速に管内の豪族共に通達して協力させるでありましょう」
と、返答し、通達だけはするらしいが、要するに通り一ぺんにすぎない。積極的に駆り催すことはしない。積極的に働いても効果のない状態でもあった。豪族等は度重なる小次郎の武勇にひたすらに驚嘆し、尊敬している。
「坂東武人の花、われらの代表者」
といった気持でいる。重税をはたり、賄賂《わいろ》をむさぼり、職権を乱用し、威張りかえっているばかりで、一般庶民のためや、地方豪族のためには害にこそなれ何の役にも立たない朝廷や国司側に立って小次郎の敵にまわる者があろうはずがなかった。
といって、独力であたることはぜったい不可能であった。千阿川の合戦で、目ぼしい郎党はほとんど全部戦死してしまった。
貞盛の身辺さえ危険であった。小次郎の命を受けた者共や嘱託《そくたく》(懸賞)に目のくらんだ者共が、彼を捕えようとして至る所に目を光らせ、手ぐすね引いている。自ら出かけ豪族等を説得することも出来ない。府中の自らの館《やかた》にいてさえ、完全に安全とはいえなかった。いつ小次郎が攻めよせて来るかわからなかった。まさか府中をさわがすことはあるまいとは思うものの、怒りにまかせればどうなるかわかったものではなかった。
わずかに安全なのは、惟幾の館だけであった。国衙《こくが》のうちにあるこの館を犯すことは、歴然たる叛逆《はんぎやく》だ。
「小次郎のやつ、案外の小心者だから、それだけはせん」
臆病《おくびよう》な牝狐《めぎつね》が穴にこもっているように、惟幾の館に居すくんでいるよりほかはなかった。
恥も外聞もない貞盛のこの態度に、人々は笑った。
「左馬ノ允が男の魂をとり落していることは前からわかっていたが、こうまでとは思わざったぞ」
「長い京住いで女根性に下ったのかの」
「長いというても、五年か六年のものじゃ。つまりは、坂東|男《お》の子としては生れ損《ぞこな》いよ」
「ケッ、胸クソの悪い男じゃて!」
と、さんざんであった。
こうして三月たった。明るいこと、にぎやかなこと、楽しいことの人一倍好きな貞盛にとって、こんな生活は地獄の生活にひとしかった。
「やりきれない」
と思いはじめた。そこにもって来て、妻の小督《おごう》の彼にたいする態度が次第に辛辣《しんらつ》になって来た。
小督は彼と同居していない。
「自分の家があるのに、人の家なぞいやです」
といって、自分の館にいたり、実家にかえったりしているが、時々ふらりと来ては、皮肉のありったけを言う。ある時など、
「どうなさるつもりですの。こうして居すくんでいらっしゃる間には、小次郎殿が疫病《やくびよう》になって死ぬだろうとでも思っていらっしゃるのではありませんか。疫病神に助けをいのっていらっしゃるというわけね。おりっぱなこと!」
と、いったことがある。
言ったこともだが、その時の小督の顔にあらわれた軽蔑《けいべつ》の表情は名状しようもないものであった。
こんど帰って来てから、小督は決して貞盛と寝ない。
「そんなことにだけ男として振舞おうとなさるのですね」
と、つめたくふり切ってしまう。
かつての小督の行状を知っている貞盛には、特別な意味が考えられてならない。
(この女はきっと密夫《みそかお》をこしらえている)
どす黒い嫉妬《しつと》が胸をのたうちまわった。しかし、口にすれば一層辛辣にやりかえされるばかりだ。なやみは内攻するよりほかはなかった。
さらにいやであったのは、
(おれがこの女に嫉妬している)
と考えることであった。思いをかけさえすればどんな女でもなびかなかったことのなかった、はなやかな情事にみちた昔を思うと、落魄《らくはく》と不幸の思いにやりきれなかった。
小督の姉共もいやだった。一人は後家になり、一人は夫を耄碌《もうろく》させているこの女共は、相変らずかがやくように美しかった。時々|実家《さと》がえりしたついでにやって来た。彼女等は貞盛をけなすだけでなく、平氏の一門全部をこきおろした。
「何という一門でございましょう。みなしご育ちの若者ただ一人をおさえかねて、一人のこらず尾をたれて居すくんでおいでなのですからね。わたくし共、その家にとついだ者として、世に顔をさらして歩くことが出来ません」
と言った調子だ。
(こんな生活は真ッ平だ! なんとかしたい!)
しみじみと思う日が多くなった。
貞盛は、小次郎の追討などもうどうでもよいような気になっていた。
「もともと、おれは小次郎をうらんではいなかった。おれは仲良くするつもりで、小次郎と会ってすっかり仲直りしたのだ。それをおじ御等や世間がさわぎ立てて、こんな羽目に引きずりこんでしまったのだ。正直なところ、おれは小次郎より、おじ御や世間がうらめしい。――あ、あ、昔はよかったなあ!……」
かつての小次郎との友情、愉悦にみちた毎日の生活が、切なく思い出された。小次郎にわびて仲直りしたかった。小次郎が諒解《りようかい》してくれさえすればすむのだと思った。
「しかし、それはぜったいに出来ないことだ。いくらお人よしの小次郎でも、もうゆるしてはくれない。ずい分おれはひどいことをしたからなあ」
はてしなく輪をめぐるように、同じことをひっくりかえし、まっくりかえし、いつも考えつづけていた。
こんな生活の中で、わずかに退屈しのぎになるのは、惟幾の子の為憲《ためのり》に弓馬を教えることであった。十七歳のこの若いいとこは細ッこいへなへなの体格のくせに、坂東に来るや、忽《たちま》ち坂東の風習にかぶれた。好んで坂東風の粗豪な服装をし、坂東声を真似《まね》し、立居ふるまいなどもわざと荒々しくし、熱心に弓馬の術を練磨《れんま》しはじめた。
こんな風だったから、本心では貞盛を軽蔑していたが、さしあたっては適当な師として、貞盛に頼んで弓馬の術を手ほどきしてもらっているのであった。日に一二度は|※[#「土+朶]《あずち》に貞盛を呼び出して弓の練習をし、馬場に出て馬の練習をする例になっていた。
「みこと、それほど弓も馬も達者じゃのに、なぜに合戦につたないのじゃろうな。武略がつたないのか、勇気にとぼしいのか、どちらかであるべいの」
と、無遠慮な調子で、ほめるのだか罵倒《ばとう》するのだかわからないようなことを言うこともあった。
九月末のある日であった。いつもの通り※[#「土+朶]に出て弓をひいている時、ふと為憲が言った。
「おぬしの一族で惟扶《これすけ》という人がいるべし」
惟扶は坂東平氏ではない。高望《たかもち》王がまだ京にいる頃《ころ》にある殿上人《てんじようびと》の家に奉公している女房に生ませた子がある。その子は父と共に坂東に下らず、京で官途について、民部|大丞《だいじよう》までなったが、惟扶はその子であった。貞盛が京にいる頃、惟扶は東宮ノ大進《だいしん》であった。遠くても一族だし、官人《つかさびと》として相当な地位をしめているから交際して損にはならないと思ったので、おりおり贈りものをしたり、訪問したりした。
「いるが、どうしたのか」
「こんど陸奥守《むつのかみ》になって下《くだ》ってくるそうな」
「ほう、陸奥守にね。いつだろう」
「近いうちじゃ。来月中には下って来なさるという」
と、言って、為憲は弓を引きしぼって、パッとはなった。矢は明るい午後の日の中を光りながら飛んで、的にあたった。
はじめ、惟扶のことを聞いても、貞盛はべつだんに考える所はなかった。
(あの人もうまいことをしたな。陸奥は富国だ。黄金、駿馬《しゆんめ》、矢羽《やばね》、檀紙《だんし》などさまざまの物産のある国だ。無事につとめ上げて帰京される時は、ずいぶんな福人になられるだろう)
と思い、あまり豊かとはいえない惟扶の京での生活ぶりを思い出しただけのことであったが、的にあたった為憲の冴《さ》えた矢音を聞いた時、忽然《こつぜん》として湧《わ》きおこった思案があった。
その思案を追いつづけたため、弓はまるであたらなくなった。
ついに、為憲は、
「どうした? おぬしの今日の射芸はまるでいかんぞ。弟子のまろでさえ三つに二つはあたるでないか」
と、ののしった。
思案していることの重大さにくらべれば、稽古《けいこ》弓の中不中などどうでもよいことだ。貞盛はハハと笑った。
「みことが上達されたのだ。弓というものはバクチと同じで、二人ならんで引いていて、片方があたりはじめると、片方はあたらなくなるもの。気負けするのだな」
フーンと為憲はうなったが、目を光らせて、
「そうだろうか」
と言った。
機嫌《きげん》をとりはじめた以上、徹底的にとるべきである、半途でやめるのはまるでとらないより結果が悪くなるものだというのは、貞盛の処世哲学だ。
「そうだとも、すべて弓にしても、馬にしても、芸というものはゆるい坂をのぼるように、昨日より今日、今日より明日というように、少しずつ上達するものではない。幾日も幾日も、時によると数カ月から数年もとどこおって、どうあせっても上達の見えない時があるかと思うと、一日にして別人のように上達することもあるものだ。それじゃと思うな」
「さようか、さようか。さようなものか。まろも今日は手のうちがことのほか軽く、切ればなれが快《よ》いように感じていた。ああ、うれしや。これもおぬしのおかげだ」
だらしないくらいうれしげな顔になって、急にお世辞など言いはじめた。そのおめでたさは可愛《かわ》ゆくなるほどであった。
「そのような時には、人のおらぬ所でひとりで十分に引いて、とっくりとコツを身につけるがよいとしてあるぞ」
みごとに引っかかった。
「ホ、さようか。それならば、おぬしは引きとってもらおう。まろはコツを身につけることにする」
と追い立てんばかりだ。
「これで引きとるのは所在ないがな」
ほくそ笑みをかくし、十分に気をもたせて、貞盛は去った。
為憲は熱心につづけた。いつも青白いやせた顔がかすかに紅潮し、目が異様に光り、憑《つ》きものでもしているようであった。不思議なことに、ほんとに弓はあたりはじめたのだ。為憲は一矢ごとにかん高い叫びまで上げて、いつまでもつづけた。
|※[#「土+朶]《あずち》を引き上げた貞盛は、一旦《いつたん》西の対《たい》の居間に入って思案にふけっていたが、やがて南庭《なんてい》に向った蔀《しとみ》を上げて寝殿の方を見た。
廂《ひさし》の間《ま》に坐《すわ》っている惟幾が見えた。
貞盛は居間を立ち出て、廊下伝いに寝殿に向った。
惟幾は四十五になる。せいは低く、やや太り肉《じし》で、血色がよく、ほんの少し白いものの入った短いアゴひげと口ひげを生やしている。一体に人の好《よ》さそうな顔だが、高く大きな鷲鼻《わしばな》が、本来はかなりに打算的で刻薄なところのある性質ではないかと思わせた。
少し色のあせた、しかしこのへんではまだ十分に美服と見られる狩衣《かりぎぬ》姿で、文机《ふづくえ》に向って何やら書巻をひもといていたが、ふと聞こえて来た足音に顔を上げると、簀子《すのこ》伝いに貞盛の来るのが見えた。
何か重いものが胸をおさえつけるのを感じた。惟幾が除目《じもく》の季節でもないのに、常陸介に任命されたのは、貞盛の使命達成に助力することが一つの目的になっている。しかし、それがうまく行かない。行きそうなけはいさえ見えない。行きづまりどころか、貞盛の安全さえ保《ほ》しがたい状態だ。すまないとは思うが、この頃では放棄の姿になっている。放棄せざるを得ないのだ。けれども、それだけに済まないという気はいつもある。だからであった。
しかし、惟幾はすぐその気持をおしやった。
「や、どうしたな。この二三日会わなんだな」
と、愛想よく笑いながら言った。
「まことに」
貞盛も人をそらさないことでは名人だ。明るく笑い、気軽にへやの隅《すみ》から円座をもって来て、適当な位置に坐った。
「退屈じゃろうな。まろも、怠りなく促し立てはしているのだが、どうにもどの国もどの国も悠長《ゆうちよう》でな。といって、まろが自ら行ってがなり立てるわけにも行かずな。しかし、いつまでもそうはさせておかん。目下工夫中じゃが、どうやらいい工夫が湧きそうじゃから……」
何か言わずにおられなくなって言い出したのだが、こういう場合のあらゆる誠意のない言いわけと同じように、クダクダしいだけであった。それが自分でも気がさして、フッと言いやんだ。太ったみじかい足のひざをモゾモゾと動かした。
「実はそのことで参りました」
と、貞盛は切り出したが、惟幾の目に不安げな色が点じたのを見ると、愛嬌《あいきよう》のよい笑いを浮かべてつづけた。
「まろの一族の前《さき》の東宮ノ大進が、この度陸奥守となって、近々に下って来るそうですな」
「ああ、下って見える。来月中には下って見える由《よし》じゃ」
「あの人には、まろは以前京にいる頃ずいぶん親しく願っていました。つい先刻、為憲の殿にその話を聞いて、思いついたことですが、まろは、惟扶|朝臣《あそん》に頼んで陸奥に連れて行ってもらおうかと思うのです。この情勢では、まろが当地にいても、どうにもなりません。むしろ、しばらく当地から去った方が情勢が変り易《やす》いのではないかと思うのです。いかがでしょうか、まろのこの考えは」
貞盛は終始微笑を絶たなかった。声もことばもさわやかであった。
惟幾は驚いた。
「それはまた思い切ったことを」
と言ったが、そのことばの下から、胸のしこりがとけて行くのを感じた。そうだ、そうなればおれは気が楽になると思った。
鋭敏な貞盛には、惟幾の心理が鏡にかけたように明らかだ。しかし、この際は飽くまでもこちらが積極的で、向うは説きつけられた形に持って行くことが肝要だ。へたに先くぐりしてはへんに意地を張らせることになる。
「叔父上のお気持はよくわかっています。感謝もしています。しかし、何事にも駆引ということが大事です。この際は退いて変化を待つべきときと思うのです。押しつづけに押しては、敵は益々《ますます》堅固に鎧《よろ》うばかりであります。しばらくこちらが退いて知らず顔にしていれば、最初のほどこそあれ、きっと気をゆるめましょうし、世間の人気にも変りが出るに相違ないと思うのです」
「ふむ、ふむ、ふむ」
と惟幾は時々うなずきながら聞いていた。胸は益々軽くなる。しかし、むずかしげな顔はくずさない。あごひげの先をチリチリと指先でもみながら口をひらいた。
「そなたの申すことは一理はある。小次郎の勢いは唯今《ただいま》絶頂にある。聞くところによれば、その館《やかた》は申すまでもなく、あるいは所領内一円に砦《とりで》をとり立て、あるいは境目に関を立て、甲冑《かつちゆう》した武者共を以《もつ》てこれを守らせ、厳重に自衛しているという。また、水守《みもり》領の百姓共をほしいままに逮捕したのみか、これをわざわざその百姓共の地において|はたもの《ヽヽヽヽ》にかけている。朝廷《おおやけ》の追討を受けている身として、これらのことは不謹慎のはなはだしきものじゃ。いや、いや、不謹慎どころか、反抗の意を表明しているものといってよい。然《しか》るにじゃな、この不臣の所行にたいして、八州の住人共が一人として悪く言うものがない。かえって、あっぱれ見事、男のしわざ、と、喝采《かつさい》している。然らば国々の司《つかさ》等はどうかと言えば、これまた目をみはり声をひそめて、舌をふるわせている有様だ。朝威の衰え、まことに畏《おそ》れ多いことであるが、いわゆる悪盛んなる時は天に勝つなるものであろう。しかしながら、いつまでも東の風ばかりは吹かぬ。天道は駸々乎《しんしんこ》として片時も運行をやめない。時定まれば必ず天が勝つのだ。されば、この際、身をひいて変化を待つのも、悪いことではないな」
惟幾の言うことは貞盛の言ったことを敷衍《ふえん》しているにすぎない。そのくせ、説得の調子になっている。おかしかったが、貞盛はそんなけぶりはまるで見せない。
「おおせ一々道理であります。御訓戒肝に銘じて遺忘いたしません。お聞き入れいただきましてありがとうございました」
と、大まじめな表情でおじぎした。
「いや、いや、万事まろがこちらにいて見張って、時節が到来したと見きわめたら、すぐ知らせることにいたすからな」
厄介《やつかい》ばらいの出来ることになって、惟幾は上機嫌であった。
十月上旬のある日、貞盛は惟幾の添え状をもって、下野《しもつけ》の国守|大中臣全行《おおなかとみたけゆき》を訪問した。任に赴くために間近くこの地を通過するであろう惟扶を待ち受けるためであった。
今や小次郎の勢力は総野《そうや》の境上に近い結城《ゆうき》まで広がっているが、その結城はここから五里とはへだたっていない。用心を怠ってはならなかった。
彼は用心に用心してここに来た。常陸の府中から真直《まつす》ぐに北に向って笠間《かさま》に行き、笠間から山路に入って当国|益子《ましこ》に出、西南に下ってここについたのだ。大へんなまわり道だ。真直ぐに来れば十四五里しかないのに、二十五里も歩かなければならなかった。その上夜だけ歩いた。昼は危険なのだ。郎党の中に地理に通じた者がいたのでよかったが、でなかったら道に迷ったにちがいない。ずいぶんわかりにくい道であった。
こんな際、たとえ数日にしても貞盛を国守館に泊めることは、大中臣全行にとっては迷惑だったに違いない。しかし、隣国の国のかみの頼みである以上、現職の左馬《さま》ノ大允《だいじよう》である者を泊めないとは言えなかった。
「ああ、さようか。陸奥を志していなさる? それはそれは。――まろも惟扶《これすけ》朝臣が新しく陸奥守に任命されなさったことは知っております。よろしい。引受けました。御滞在なすって下さい。しかし、くれぐれも気をつけていただきますぞ。万一にも石井《いわい》方の目にふれられたら、まろの力ではどうすることも出来ませんでな。おことには嘱託《そくたく》(懸賞)がかかっているとかで、向うの郎党下人や百姓共ばかりでなく、慾《よく》につられてこのへんの者共まで色めいていると聞いていますでな。惟扶朝臣が当地にさしかかられるのも長いことではない。もう追っつけまいられるでありましょうから、どこにも御他出ならん方がよろしいな。御家来衆も同断」
と、くれぐれも注意して、引き受けた。
こうして、ここでも、貞盛は穴ごもりの牝狐《めぎつね》の生活であった。
自分も臆病《おくびよう》なくせに、こんな貞盛の様子を見ると、大中臣全行は軽蔑《けいべつ》の情が出ないわけに行かない。
「フン、同じ坂東武者といっても、色々じゃて」
すでに一昨年のことになるが、この附近で小次郎将門が一族の連合軍二千数百をわずかに百余騎を以て粉砕したことを思い出さざるを得ない。あの時、小次郎は国府に来て、合戦の原因からいきさつを全行に述べて、国府の日記に筆録してもらった上で引上げたのであった。
「あっぱれな武者ぶりであった。まろはこわくてふるえたっけ。懸命にこらえて、やっと、容儀を保っていることが出来たな。ハハ、ハハ、ハハ。その小次郎にくらべると、同じ坂東武者でも、そしていとこじゃというのになあ……。やたら|みめかたち《ヽヽヽヽヽ》はよいが、みめかたちなどいくらよくても、坂東ではいかん。坂東では男ぶりでなくば。左馬ノ允という男、しょせんは京向きじゃな。坂東向きではないて」
月の半ば過ぎる頃まで惟扶は来なかった。全行は次第に不安になった。
順路だからここを通過することは間違いないが、こう遅くなっては、貞盛のことを小次郎方に嗅《か》ぎつけられる恐れがある。といって追い出すわけには行かない。考えた末、
「談合して力を借りたいことがある。ちょっと来ていただきたい。なるべくなら兵をつれて来てもらいたい」
と、田原の藤太に使いを立てた。
翌々日の午頃《ひるごろ》、藤太はやって来た。くっきょうな武者五十騎を引きつれていた。ひた冑《かぶと》ではなかった。下腹巻だけしていた。しかし、これも家来共だけで、藤太自身は太刀を佩《は》き、弓矢こそたずさえていたが、のどかな狩衣姿であった。
要するにふだん田荘《たどころ》まわりする時の行装より、ほんの少し人数が多いだけであった。全行は不服であった。
「早速に来ていただいて、重畳だが、まろは兵共を連れて来てもらいたいと申したはず。見れば、五十騎召連れてはおられるが、皆下腹巻しているだけ、みことに至ってはそれさえつけておられぬ。まろのことばをどうお解《と》りになったのか。ただしは使いの者がくわしく申さなんだのであろうか」
と、早速に苦情を言った。
藤太はしずかに微笑した。
「郎党共の鞍《くら》の後ろをごらんになりましたか。それぞれに布包みをくくりつけていますはず。腹巻以外の物の具はすべてあの中に入っています。てまえの物の具はやはり同じように包みにして乗りかえの馬に駄《だ》してあります。田原の藤太がひたかぶと五十騎にて馳《は》せ参じたということになれば、世間にどんな噂《うわさ》が立ちましょうか。お使いの方はそれとは仰《おお》せられませなんだが、何やら内密な御相談のように思われましたので、わざとこのようにして参ったのであります」
なるほどと思った。いたずらに世間の注意を引き、ひいては貞盛のいることを世に知らせるようなものであった。藤太の心の用いざまの周到なのに感心した。
「いや、悪かった。みことの申される通りだ」
全行はすなおにわびた。貞盛のことを打ちあけた。
まるでかわらない表情で、藤太は聞きおえた。しばらく考えた後、言う。
「御心配の段、理《ことわり》であります。そういうことであれば、今日召連れたほどの兵はかえって悪うございます。十五騎だけとどめて、あとはかえしましょう」
「十五騎だけ?」
「多数とどめておきますと、かえって小次郎をさそい出すことになります。十五騎がよろしい。それだけを以て、盗賊探索という名目で、府中のまわりの村々をめぐり歩いていましょう。目に立つこともなく、また、万一ことが起った場合には、すぐ駆けつけることも出来ます」
「十五騎でいいかの。石井の小次郎だぞ」
藤太はほほえんだ。
「てまえは田原の藤太であります」
おだやかな調子であったが、それ故《ゆえ》にかえって自信に満ちて聞こえた。
全行は、藤太が小次郎より強かろうとは思わなかったが、この上のことは言えないような気がした。しかし、押してまた言った。
「大丈夫だな」
藤太はもう答えなかった。目を細めて、こちらの顔を見返しただけであった。
全行はうろたえた。そのうろたえが言わせた。
「どうだな、左馬ノ允に会うてみなさるか」
「会いますまい」
言下に、ニベもなく言って、語をついだ。
「てまえは左馬ノ允という人物に好意を持っていません。むしろ、石井の冠者を好もしいと思っているのです。ほかならぬ守《こう》の殿の仰せゆえ、お引受けするのであります。お含みおき下さいますよう」
全行は陀羅尼助《だらにすけ》でもなめたような顔になった。この男はこのあと何を自分に要求するであろうかと思った。働いてやったら、必ず代償は取る男なのである。
「信濃《しなの》の国から盗賊群が入りこんで、このあたりに潜伏しているとの情報が入った」
と言いふらして、藤太は日毎《ひごと》に郎党共をひきいて、国府のまわりの村を巡行しはじめた。遠くへは行かない、せいぜい二里半位の範囲をまわる。押領使《おうりようし》としての任務だ。不審に思う者はなかった。
数日の後、もう下旬に入って二三日たっていた。新陸奥守惟扶は、山道《せんどう》を経て、下野へ入り、全行を訪れた。
年輩四十二三、痩《や》せた長身な男である。小ビンやヒゲに白いものがまじっているが、利益の多い国守になっての赴任の途とて、生気にあふれて見えた。
「さてさて、意外におそい御下向でありましたな。今日か明日かと、ずいぶん待ちましたぞ」
顔を合わせるや、全行は言った。
面識はあるが、親しいというほどの交りではない。惟扶はいささか皮肉な気になった。
「出立|間際《まぎわ》に小一条院のおとどが瘧病《わらわやみ》(マラリヤ)になられましてな。それでおそくなってしまいました。しかし、どうしてそんなにまろをお待ち下さったのです」
「それはあとで申しますが、小一条院のおとどの瘧病は、もうおよろしいのでございますか。ちっとも存じませんでしたが」
全行はいつわりならず心配げな顔になっていた。明日にも見舞の使いを出発させなければならないと思うのだ。小一条院のおとど忠平は朝廷第一の権力者であり、全行の親分でもあった。
「もうおよろしいのです。でなくて、どうしてまろが出立して来ましょう」
惟扶も、忠誠をほこる調子であった。
「ごもっとも、ごもっとも。しかし、よかったですなあ、早くおなおりで」
「まこと。まろは御病中ずっと小一条院へつめきりました」
「うらやましや。遠地のこととは言え、露知りませなんだ。申訳なく思っております」
その人がそこにいるわけでもないのに、忠誠心をひけらかし合っているわけだが、一見|滑稽《こつけい》に思われるこのことは、決して無用ではない。冷淡な様子を見せたことが相手によって密告されたら、必ずその報いが来るのであった。
貞盛が入って来た。
「はるばるの御下向、御無事でおめでとうございます」
と、にこやかにあいさつした。
惟扶はおどろいた。
「や! 左馬ノ允ではないか。これはめずらしや。――しかし、おどろくにはあたらぬことだな。みことが追討使としてこちらに下られたことは、まろも聞いていたのであったわ」
全行が口を出した。
「お待ち受けしたのは、この左馬ノ允のゆえであります」
と惟扶に言って、貞盛をふりかえって、
「それでは、ゆるりとお話しなされよ。今宵《こよい》は当館にお泊りを願わねばならぬのですから、まろは退《さが》っておもてなしのさしずをいたします」
全行が退って行ったあと、貞盛は願いの旨《むね》を述べた。
惟扶は渋い顔になった。
「みことは、自ら願って追討使に任じてもらわれたのじゃろう」
「そうです」
「とすれば、その料簡《りようけん》はよくないな。小一条院のおとどの思召《おぼしめ》されんこともはばかられる。みこと、何と言って申訳なさるつもりだ」
「まろは、使命を捨てるのでありません。こうすることがかえって時機の到来を速めることと信じているのです。戦略と信じているのです」
貞盛は、坂東の形勢、とりわけ小次郎の勢いのすさまじさを説明し、この策を取るよりほかはないと述べた。
ついに惟扶は説きつけられた。
「言われることを聞けば、もっともにも思われる。以前まろが京でやつやつしく暮している頃、みことが何くれと芳情を寄せられたことも忘れがたい。お連れいたそう」
二日泊って、惟扶は出発した。貞盛は、召連れていた郎党のうち、身のまわりを世話する者を四人だけのこし、あとは全部|国許《くにもと》にかえしたばかりか、自分も郎党姿に身をやつして、行列の中にまじった。
惟扶の出発する時、田原の藤太は府中の町はずれの、奥州《おうしゆう》街道の入口から小一町はなれた森の中から見ていたが、行列が葉のおちつくした桑畑の中につづく街道をはるかに遠く去ると、郎党をかえりみて、
「硯《すずり》」
と、呼んだ。
郎党は、大急ぎで荷物をといて硯をすすめた。
さらさらと、ほんの五六行、懐紙に走らせ、厳重に封をして、以前小次郎の許に使いさせた郎党を呼んで、小声に言った。
「これを石井《いわい》に持って行け。あまり急ぐことはない。明日の夕方頃先方の手にわたるのが一番都合がよい。宿舎にかえって平服にかえて行け」
「かしこまりました」
すぐ馬に乗って去った。
藤太は、のこりの郎党共を引きつれて、国守館へ向った。
「どうやら事なくおわりました」
全行は礼を言い、酒を出してもてなした。二三献のあと、藤太は、
「佐野の田荘《たどころ》に用事がたまっております故、これで失礼いたします」
と言って、辞去した。
かたわ虫
泊りを重ねて四日目の夕近く、平惟扶《たいらのこれすけ》の一行は、那須野《なすの》ケ原《はら》の東北隅|育王野《いおうの》(今、伊王野という)についた。奥州と内地の境である白河の関から三里の地点。
新国守を迎えるために、陸奥《むつ》の国府の官人《つかさびと》が小高い丘の南面に幕舎を張って宿営しつつ待ち受けていた。
連日、朝はきびしい霜がつづき、昼は凩《こがらし》の吹きすさぶ荒涼たる高原を旅して来たこととて、あたたかく、かつ清潔にしつらえられた幕舎を見た時、人々は生きかえったようになった。
しかし、惟扶は喜んだ様子を見せなかった。
(恩威ならび行うと言いますが、いついかなる場合にも、威をおとしてはなりませんぞ。出来るだけきびしい顔をして、きびしい言葉づかいをなさるがよい。時々|かんしゃく《ヽヽヽヽヽ》をおこして、机をたたいたり、地団駄《じだんだ》をふんだりして、どなりつけるなど、最もよろしい。もっとも、しょっちゅうはいけない。月に一度でも多すぎる。二月に一度が最も適当ですな。民というものは、いや、民にかぎりません、国衙《こくが》の小吏も同じですが、狎《な》れさせるのが一番いけない。くみし易《やす》しと見ると、どこまでもつけ上って来ますからな。一旦《いつたん》つけ上らせたら、任期中うまく行かんものと思ってよろしい。何より、はじめが大事ですよ。自分の前に出たら、民でも小役人でもふるえて口がきけないというくらいにならなければいけない。さすれば、命令はすらすらと行われます。思うことならざるなし、治績だって大いに上りますよ。上げようと思うならばね)
と、いくども国司かせぎをしたことのある知人が教えてくれたのである。
惟扶はにが虫をかみつぶしたような渋面をつくって、迎えの者共に言った。
「迎えに出たものはその方共だけか」
「白河の関にはまだ多数まいっております。豪族共もまいっております」
これから四年間自分等の上にある無上の権力者が不機嫌《ふきげん》そうなので、官人共はふるえていた。
惟扶は満足であった。第一着はうまく行ったと思った。しかし、顔のヒモはゆるめない。
「そういうことならよろしい」
と言ったが、ふと貞盛《さだもり》のことを思い出した。その日、途中貞盛は急に腹痛をおこして、彼の郎党等と共に落伍《らくご》したのだ。惟扶は渋い表情を保ちつづけて言った。
「まろが遠い一族で、左馬《さま》ノ大允《だいじよう》である者が、まろの供をしてまいったが、今日途中で微恙《びよう》をおこして、到着がおくれている。間もなく追いついて来るであろうが、承知していてくれるよう」
中央で左馬ノ大允をつとめているほどの者を供に召しつれていることを承知させておくのも、新国守の力のほどを示すためには相当効果のあることと計算しているのであった。
あんのじょう、官人等の顔には尊敬の色があらわれた。
「かしこまりました。左馬ノ大允平貞盛と仰せられるのでございますな」
惟扶は益々《ますます》満足だが、依然として不機嫌そうな顔で幕舎に入り、準備された饗応《きようおう》の席についた。
貞盛は三里ほど惟扶におくれていた。
昨夜の泊りを朝出立する時から気分がすぐれなかった。なんとなくからだがけだるく、そのくせからだ中が冷えているような気がしていた。風邪をひいたのかも知れないと思っていたが、腹だったのだ。出立して三時間ほどすると、下腹のあたりが錐《きり》をさすようにはげしく痛んで来た。とても騎馬していることが出来ない。
「御中食《ごちゆうじき》までには追いつきます。かまわず先へ行っていただきます」
と、惟扶にことわって、郎党四人と共に休息をとることにした。
荒野の只中《ただなか》だ。見わたすかぎり、霜枯れた薄《すすき》、笹《ささ》、葉のおちつくした矮小《わいしよう》な雑木ばかり、わずかに色どりとなっているのは点在している小松の青さだけ。荒涼をきわめた風物であった。もとより人家はない。いくらか薄の密生している所を見つけて、身を横たえたが、広い野をわたって来る風がすがれた草に音を立てて、わびしさはかぎりがなかった。
郎党等が枯木を集めて来て火を焚《た》いて、湯をわかしてくれた。その火にあたり、熱い湯をのんだりしたが、なかなかよくならない。絶え間なく痛むことはなくなったが、時々キリキリとさしこんで来る。
そうこうしているうちに、日が暮れかけて来たが、とても動けそうにない。野営することにして、郎党を惟扶の所へつかわして、
「追々よくなりつつはありますが、はかばかしくありません。今夜はこちらで静養して、明朝御出発までには必ず追いつきます。御|諒解《りようかい》を願います」
と、言わせた。
その郎党は初更すぐる頃《ころ》、惟扶の下人三人と共にかえって来て、
「大事に遊ばすようにとのおことばでありました」
と、惟扶の返事を伝えた。
三人の下人共は、酒や食べものを持って来たのであった。陸奥の官人等が新国守一行のために育王野に用意していたものの一部分であった。
露営は当時の旅には普通のことだ。人家に泊るのがむしろ特別であった。皆なれている。必要な道具類も旅籠《はたご》の中に用意している。郎党が育王野からかえって来た時には、ちゃんと幕舎をしつらえて、その中に貞盛は横になっていた。
「お心づかいのほど、礼を申していたと申し上げてくれい」
惟扶の下人共を幕舎の内に呼び入れてそういってかえした後、郎党等にその饋物《おくりもの》を下げわたした。
「これを食べて、十分に温まってからやすむよう」
郎党等は外の焚火《たきび》のまわりで、いつまでもいいきげんで飲んだり食ったりしていた。
幕舎にうつる焚火の赤い影を見、次第に酔い痴《し》れて来る濁声《だみごえ》とわびしい風の音を聞きながら、貞盛の胸は暗かった。
(明日白河の関をこゆれば、もう陸奥のわけだが、人間の運命ほどわからないものはない。おれの元来の志は京にあったのに、その正反対の陸奥に向って、こんな所に野宿しているのだからなあ。これから先だって、どうなることか……)
痛みは大分薄らいで来ていたが、寝つけなかった。
払暁《ふつぎよう》、みずみずと美しい暁《あけ》の明星が東の空にかがやいている頃、貞盛の一行は起きた。
霜のきびしさに皆おどろいた。
那須野ケ原は海近い平野地帯のように平坦《へいたん》な地形ではない。傾斜のゆるやかな低い丘陵が波のようにうねりつらなっているのだが、明るくなるにつれて、見わたすかぎり霜に閉ざされているのがわかった。雪におおわれたように真白だ。昨日の朝も霜のきびしさにおどろいたが、今朝のこれにはくらべものにならない。
「ひどいのう」
「あと一日|程《てい》で陸奥じゃものな」
口々に言いながら、食事をおわり、出発の準備にかかった。
貞盛はもう痛みはすっかりとれていた。ただからだがだるかった。食慾《しよくよく》もなかった。焚火にあたりながら、郎党共が幕舎をたたんだり、寝道具や炊事道具のしまつをしているのを見ていたが、ふとその目を南の方に向けると、異様なものが目についた。
それは、波のうねるように次第に高まって空をかぎる丘陵の上にポツンとあらわれたのだ。草も木も短くまばらで、霜で真白な丘の上に、黒いシミをおとしたように見えた。
甲冑《かつちゆう》をつけた騎馬武者であった。
(はてな?)
眉《まゆ》をひそめて凝視していると、武者は片手を上げて大きく振った。忽《たちま》ち、同じような武者がムラムラと立ちあらわれた。四五十騎もあろうか。馬首をならべて、キッとこちらを見ている。
(しまった!)
小次郎が追って来たにちがいないと思った。骨の髄までつめたくなった。距離を目測した。十町とは離れていないと思われた。とても逃げおおせることは出来ないと思ったが、すぐまた惟扶に追いつきさえすれば助かる可能性があると思いかえした。小次郎の律儀《りちぎ》な性質では赴任の途にある国守の行列を襲撃するような乱暴を敢《あえ》てすることはないと見てよいのだ。
(よし! やってみろ!)
と、決心した。
郎党等の注意を丘の上に向けさせた。
「や! あれは何じゃ!」
「ひた冑《かぶと》でいるぞ!」
と、皆さわぎ出した。
その間に、太刀を佩《は》き、弓と|胡※[#「竹/禄」]《やなぐい》をかきよせ、馬を引立てた。
「小次郎が追って来たのだ。逃げるぞ。汝《わい》らもつづけ。武器だけ携えて、余のものは捨ておけ。守の殿の一行に追いつきさえすればよいのだ。たった三里だ! 心を猛《たけ》くもって駆けるのだぞ」
さとすや、馬に飛び乗り、走り出した。
郎党等も、あわてふためきながらつづいた。
丘の上にあらわれたのは、まさしく貞盛を追って来た小次郎であった。
小次郎は、そこに宿営している旅人が貞盛とその従者等であろうとは思っていなかった。無関係なほかの旅人とばかり思っていた。田原の藤太の知らせでは、陸奥の新国守の一行にその郎党にばけて随従しているとあったのだ。惟扶の一行に追いついて、引渡しを要求するつもりでいたのだ。旅人等が逃走にかかったので、はじめて気がついた。
「それ、追え!」
五十余騎、一斉《いつせい》に急追にかかった。
逃げる貞盛等の馬蹄《ばてい》の下にも、追う小次郎等の馬蹄の下にも、蹴散《けち》らされた霜柱がガラスの破片のように散った。
およそ半時ほど必死に駆けた。両者の距離はほとんどちぢまらない。どうやら追いつかれないで行けそうだと、貞盛は安心したが、なお緊張をゆるめず、馬をはげまし、郎党等をはげまして、疾駆をつづけた。
道は原野地帯を行きつくして、山の麓《ふもと》に沿うていた。岩石が多くて、ほんの所々に樹林があるが、発育も悪ければ数も少なく、磊塊《らいかい》たる岩山の山容であった。山の麓を川が洗っていた。岩石だらけの川床に滝と早瀬が奔雷のひびきを立てている急流だ。道はその山と川との間を、ある時は岸の岩石の上を、ある時は流れに入ってつづく。
しぶきに濡《ぬ》れた両岸の樹木や枯れ薄は、すきとおる氷の中に閉ざされて、奇怪な美しさをもった姿にかわっていた。しかし、この美しいものは危険千万であった。氷った上にしずくが飛んでは氷りつくのをくりかえして、一筋の薄の葉でも両掌《りようて》でつかみ切れないほどの太さとなっている。うっかり馬の足でもあてたら脛《すね》が折れるであろうし、馬上の人のからだがあたったら馬上からはらい落されるにちがいない。
それより危険なのは、道の至るところに飛び出している岩石だ。磨《みが》き上げたようにツルツルに氷って、ともすれば馬蹄がすべった。とても疾駆などは出来ない。人の歩行よりいくらか速い程度にしか進めない。
全身に汗が流れ、|ふいご《ヽヽヽ》を押すように呼吸《いき》がはずみ、吐く息は真白な湯気となった。
(ここは馬を下りた方がよいかも知れない)
と思ったが、追手のことを考えると思い切れなかった。そのまま乗り進んだ。
どうやら、最もむずかしい所を乗り切ったと思われた。貞盛はホッと呼吸をついたが、その時であった。
彼のすぐうしろから来つつあった郎党が、魂切《たまぎ》る悲鳴と共にザンブと瀬に転落し、はね上ったつめたいしぶきが雨のように降りかかった。
「不覚な!」
貞盛ははげしく叱咤《しつた》してふりかえった。
泡立《あわだ》ち激する流れの中に下半身をひたしてたおれている郎党ののどもとに、山鳥の羽をはいだ矢がのぶかく突きささって、苦しげなもがきにつれてふるえていた。
「ヤ!」
同時に、ドッと鬨《とき》の声がおこって、川の向う岸から、ひんぷんと矢が乱れ飛んで来た。
十間ほども幅のある川の向う岸の樹氷の中に、二十騎ばかりの武者が馬を立てて、そこから射送っているのであった。しかも、うしろの方からは、依然として追尾して来る勢《せい》がある。一手をわけて横にまわしたに相違なかった。
完全な死地に陥《おちい》ったことを貞盛は知った。
前進せんか、注意に注意を重ねてさえ進みなやむ難所を横合から攻撃を受けながらしなければならない。ふみとどまって戦わんか、やがて背後の敵が追いつくにちがいなかった。
全身の血が頭に上って、目、鼻、口から、凄《すさ》まじい勢いで噴き出すかと感ぜられた。しかし、ためらいは一瞬であった。
(馬が蹄《ひづめ》をふみすべらして足をおろうと、落馬して胸の骨をくだこうとままよ。逃げるだけは逃げてみよう!)
思い切り馬をおどらせた。飛んで来る矢にはかまわなかった。
怜悧《れいり》な駿馬《しゆんめ》は主人の心をのみこんだ。さしも危険な道を翼あるもののように十間ほど走って、大きな巌石《がんせき》のかげに入った。
郎党等もならったが、一騎は射落され、二騎だけが走りこんで来た。射落された者の傷は急所がそれていた。よろめきながら身をおこしてこちらに這《は》いよって来るのを、敵は散々に射る。矢のあたる度に郎党はよろめき、うなり、次第に弱って行く。わずか二三間しかない所でのことだが、それをどうすることも出来ない。全身に針ねずみのように矢を射立てられて動かなくなった。
敵は、巌石のかげにすくんでいる三人をどうにかして射とろうとして、川の向うで馬を駆けめぐらして矢を射こむべき位置をさがしにかかったが、うまい位置が見つからないらしくあせっている。しかし、こちらもいつまでもこうしているわけには行かない。間もなく追尾勢が来るのだ。思案の末、山の方へ逃げるよりほかはないと思った。
けわしい岩石だ。馬の蹄も立たないかも知れない。しかし、ここにすくんでいるよりは、万に一つの助かる可能性があるだけでもよい。
郎党等も賛成した。
そこで、馬の口綱を取って、岩かげから岩かげをたどって山を上りはじめた。これを見て、敵は鬨の声を上げて矢を射送りはじめた。気味悪い音を立てる矢はからだのごく近い所をかすめたり、石にあたってはじけかえったりした。
ある高さまで達すると、一人の郎党が、
「あまりに逃げてばかりいるのも、男として不甲斐《ふがい》のうござる。このへんで一矢《いつし》応対したらようござるべい」
とすすめた。
貞盛は反対した。敵は後ろからも迫って来るのだ、追いつかれたら取りかえしのつかないことになる、少しでも遠くへ逃げた方がいいと言ったが、郎党はきかない。
「まあ、やって見さっしゃりませ。ちょいと一塩つけられますべい。長くかかることではねえ」
というや、他の一人をうながし、よっぴいて、眼下の川向うに馬を立てている敵をめがけて放った。
あやまたずあたって、やにわに二騎射落された。敵は動揺して、はげしく応射したが、高みにあるこちらをあお向いて射ることとて、矢はほとんど届かなかった。
「そうら、見さっしゃれ!」
郎党等は散々に射て、また三騎たおした。敵の狼狽《ろうばい》は言語に絶した。適当な射角の位置をもとめてサッと退く。
貞盛は郎党が戦機をよく心得ていることに感心したが、こんなことをしては一層小次郎に腹を立てさせるだろうと、それが心配であった。
「このへんでよかろう。所詮《しよせん》、この無勢ではどうにもならんのだから」
と言うと、郎党等もうなずいた。
「そりゃそうでござる。われらもついの勝ちが得られようとは思いませぬわい。一塩だけつけようと思うただけでござる」
また登りにかかった。
その頃、麓に追尾勢が到着したらしく、どよめきがおこった。しかし、ここまで登ると、山の傾斜はかえってゆるやかになった。岩石にも氷が覆《おお》うていない。騎乗して駆けることが出来る。貞盛の胸はやっと少しひらいた。進路を北東に取って馬を走らせた。迂回《うかい》して育王野に達するつもりであった。
日は夙《とう》に出て、山の上には明るい陽光が照りわたっていた。かなり走ったが、敵は追って来なかった。
これはよい方に考えればあきらめて立去ったのであり、悪く考えれば先にまわって待ち伏せするのかも知れない。
いずれとも決定出来ず、心を苦しめたが、やがて考えた。
(待ち伏せする計画でもかまわん。つまりは、敵がここに到着する以前に駆けぬけて惟扶朝臣《これすけあそん》の行列に走りこめばよいのだ!)
いよいよ馬をはやめた。しかし、こうなると、そう大きく迂回するわけには行かない。進路を正北方にかえて、五六町行くと、切り立てたような断崖《だんがい》となり、はるかな下に、先の川の上流であろう、藍《あい》を溶いたような碧潭《へきたん》がたたえていた。
そこで下りることのできる場所をもとめながら崖《がけ》にそって馬を走らせていると、とつぜん、崖の下に人馬の声がおこった。姿は見えないが、小次郎勢であるに相違なかった。
貞盛は色を失って、引きかえし、また進路を北東に向けなおした。
話は育王野の惟扶にうつる。
惟扶はいつもの時刻に出立すべく用意をととのえて、貞盛の到着を待ったが、一向に姿を見せない。
彼は、日のまだ十分あるうちに白河の関に達して、国府の下僚共や豪族共の催してくれる境迎《さかむかえ》の儀式を受けたいと心組んでいるのだが、こんな風ではそう出来ないかも知れない。
「まろがこの予定《あらまし》を、常平太《じようへいた》は知っているはずだに、どうしたのか」
と、きげんを悪くしたが、また病気が悪くなったのかも知れないと、下人共を見につかわすことにした。
「てまえもまいりましょう」
忠義だてに、国府から来ている官人《つかさびと》が買って出た。
惟扶の下人、国府の役人、その下人、総勢五人、騎馬で出発したが、一時間ほどの後には、あわてふためき、顔面|蒼白《そうはく》となってかえって来た。
「一大事でございます。左馬《さま》ノ允《じよう》の殿は下総《しもうさ》石井《いわい》の住人平ノ小次郎|将門《まさかど》の軍勢に攻め立てられて、山深く逃げこまれた由《よし》でございます」
と、国府の役人は言った。
彼等はこれを旅の僧の口から聞いたので、一応報告のために馳《は》せ帰ったのだという。
その旅僧を同伴していた。陸奥から京へ修行に行っていたという若い僧であった。これも真青な顔になっていた。
「荒々しい武者共が行く手にひしめいていますので、てっきりこれは山賊共であろうと、逃げにかかりましたところ、逃げるにはおよばぬとおしとどめて、こう申されました。
われらは下総国の住人平ノ小次郎将門であるが、一門の太郎貞盛とかねて深い怨恨《えんこん》があって争戦をつづけていた所、この度、貞盛が一門の惟扶朝臣が新たに陸奥の国の守《かみ》となって赴任するに随従して陸奥へ走ると漏れ聞いて、ここまで追って来たのである。今早暁、貞盛を発見して攻め立てた所、貞盛は主従三騎に討ちなされて、この山に逃げこんだ。今はもう袋の中の鼠《ねずみ》である。やがて討ち取ることは間違いない。貴僧はこの道を行かれたら、必定惟扶朝臣が貞盛を待ち合わせておられる所に行きあたるであろうが、惟扶朝臣に、小次郎将門がこう言ったと伝えてもらいたい。
『貞盛に対する信義を重んじてこれを助けようとなさるならば、御遠慮には及ばぬ。兵をくり出していただきたい。将門つつしんで坂東鍛えの鏃《やじり》を進上するであろう』
と、まあこう申されましてな。
これに対して、拙僧が何と言うことが出来ましょう。
『たしかに、さように申し伝えるでございましょう』
と、ふるえふるえ申して、しッぽに火のついた|ねこま《ヽヽヽ》(猫)のように馬を急がせて、こちらにまいりますと、この方々とお目にかかったのでございます」
聞いているうちに、惟扶も青くなった。ふるえが出て来た。落ちつきを見せようとして、白いもののまじった薄い口ひげをひねり上げようとすると、手がふるえてかえって醜態をさらけ出しそうだったのでやめた。口をきこうと思うのだが、何か言ったら声がふるえそうで、黙っているよりほかはない。ウロウロと一座を見わたしていると、郎党の一人が膝《ひざ》を乗り出した。
「小次郎将門とやら申す田舎者の申し条こそ奇怪至極。京、坂東と分れてはいても、同じくこれ平家一門の長老であり、且《か》つは陸奥守《むつのかみ》でおわすわが君に、威迫がましき申し条、不届千万と存じます。てまえまかり向って、わびごと言わせてまいりましょう。今日御任国へお入りであるというのに、このままでは恐るるに似て、御威光にかかわると存ずる」
平生、武者立ったことの好きな男だ。肩ひじ張り、目をみはって言った。
惟扶はあわて、一層こわくなった。
「黙れ!」
と、一喝《いつかつ》した。女のようにカン走った声になっていた。たたみかけた。
「血気の勇にはやって何を申す! 相手は坂東の荒夷《あらえびす》だ。朝廷《おおやけ》の仰《おお》せごとすら奉ぜぬほど威にほこっている者だ。そちのかけ合いぐらいで、どうしてわび言など言うものか。必定腹を立てて弓矢《きゆうし》のことに及ぶに相違ない。国司が任国におもむく途中弓矢のことに及んで、人の国を騒擾《そうじよう》させたら、どんなことになると思うか。朝廷を畏《おそ》れる心がない故《ゆえ》、そのような愚かなことを申すのだ。つつしみおれ」
息をもつがず、惟扶はどなり立てた。郎党は恐れ入ってちぢみ上っていた。
惟扶は貞盛にも腹を立てていた。いやいや、貞盛の事情を十二分に知っていながら任国へ伴うことを承知した自分自身に腹を立てていた。工夫はもちろんもうついていた。いい厄介《やつかい》ばらいだ、このまま陸奥に入ってしまおうと思っていた。
「左馬ノ允を同道することは別段に朝命というのではない。まろが個人としての好意からこれを許したのであるが、こう事がわずらわしくなっては、まろが職分にもさしひびきが生じてくる。捨ておいて行くよりほかはない」
と、一同に宣言して、出立した。もう午《ひる》に近かった。
こんなこととは、貞盛は知らない。どうにかして山を出て追いつこうとあせったが、小次郎勢の手くばりは周到で巧妙で、次第に追いせまって来る。山奥へ山奥へと逃げるほかはなかった。
日の暮れる頃《ころ》には、ずい分深い山奥に来ていた。郎党二人は朝食を摂《と》ったきり、貞盛に至っては昨日の昼から一食もしていない。馬だけが比較的に元気であった。熊笹《くまざさ》のしげっている場所に行きあたると、十分に食わせたから。
疲労と饑《う》えと寒気のために、郎党等はおそろしく不機嫌《ふきげん》になっていた。
「こんなことをつづけていれば、所詮《しよせん》は餓《かつ》え死《じに》するか、こごえ死するかにきまっています。思い切って打って出ようではござらぬか。ひょっとして斬《き》りぬけることが出来るかも知れぬし、どう間違っても男らしく討死《うちじに》することだけは出来ます。われらは男の名がおしゅうござる」
と主張した。きたなくいのちをおしがって、際限もなく臆病《おくびよう》になっている主人に腹を立てているのであった。
「やけなことを申すな。こんな時にはいのちを惜しむのがかえって男らしいことだと知らぬか。おれは逃げて逃げおおせてみせるぞ」
と、貞盛はたしなめた。負けおしみだけではなかった。強靭《きようじん》なものがほんとに腹の底に根を張りつつあった。
その夜は、朽木の洞穴《ほらあな》を見つけて、その中で過した。敵の目を引くことを恐れて火を焚《た》かなかったので、寒気は言語に絶したが、どうやらこごえ死もせず夜が明けた。
一夜のその宿を出る時、ふと片隅《かたすみ》に動くものがあった。見ると、ぼろぼろにはがれた朽木の堆積《たいせき》している中にこおろぎが一匹いた。左のあと脚がもげていたが、全身黒光りに光って、いかにも強健そうであった。長いヒゲをくるくると動かしていたかと思うと、ぱッとはね飛んだ。どこへ行ったかわからなかった。
いい占象《うらかた》であった。
(おれはきっと助かる!)
と、思った。
朝暾《ちようとん》
小次郎はあくまでも貞盛《さだもり》を捕えようとして努力したが、貞盛の潜匿《せんとく》は巧みであった。杳《よう》として踪迹《そうせき》がわからない。多数の兵をひきいて長期にわたって他国に滞在しているのははばかられた。ついに数日の後、帰国の途についた。
「またしても藤太が心入れを無にしてしまった」
と思うと、小次郎は恥かしさにたえなかった。
藤太の家に行き、親しく礼を申しのぶべきであるとは思ったが、顔を合わせる気にならなかった。
田原の近くを通る時、郎党をあいさつに行かせた。郎党は田原への道へ曲ったが、数時間の後には追いついた。
「藤太の殿は佐野の田荘《たどころ》に参っておられます由で、お目にかかれません。留守居の郎党衆に会って、おことばを申しのべて来ました」
「いつまで佐野にいるか、聞かなんだか」
「聞きましたが、わからぬとの返事でございました。いつも佐野へ参ると長い滞在になるが、この度は国衙《こくが》へ所用があって出かけたのをそのまま佐野へまいったのである故、もう長い不在になっている、案外今日明日にも帰宅いたすかも知れぬ、しかし、ハキとはわからぬ、とかように申しました」
会うのを避けているのではないかという気が、こんどもする。何か腹立たしかった。会うのは面目ないと思う一方、自分を軽蔑《けいべつ》しているかどうか確めたくなった。彼はこの気持と戦った。
(軽蔑しているなどと思うのは、おれのひがみだ。藤太はおれの立場に同情して親切をつくしてくれているだけのことだ。ケチなことを考えてはならぬ)
と、おさえたが、そう思う下から、少年の日に見た藤太の傲然《ごうぜん》たる態度の底にたたえていた軽蔑の色がまざまざと思い出されて来る。
苦しくて、切なかった。
この苦しさからのがれるためであった。小次郎は佐野へ向った。兵共の大部分は真直《まつす》ぐに石井《いわい》にかえし、十騎だけを従えた。
小次郎の訪問を受けた時、藤太は荘家《しようけ》にいなかった。墾田《はりた》の様子を見かたがた、鷹狩《たかがり》に出かけていた。しかし、留守居の郎党等は大さわぎして小次郎を迎えて、
「おりあしく小鷹狩にまいっておりますが、近所でございますから、迎えにまいります。お上りになってお待ち下さいますよう」
と、ていねいに言った。心から小次郎を尊敬し、歓迎する風であった。
小次郎は安心もすれば喜びもした。
(やはりおれのひがみだったのだ。家来というものはよろず主人にならうものだ。藤太がおれに好意を持っておればこそ、この郎党等もこんなにしておれを迎えてくれる)
「さらば待たせてもらおうか」
「どうぞどうぞ」
招《しよう》ぜられるままに座敷に通った。
藤太の郎党等は、一人が藤太を迎えに走り、他は炭櫃《すびつ》(火鉢《ひばち》)をすすめたり、濁酒をすすめたりしてもてなしに心をくだいた。
墾田の場所は荘家から小一里の地点にあたり、そこから更に十町ほど秋山川をさかのぼった川べりの芦原《あしわら》のあたりで、藤太は鷹を放っていた。獲物《えもの》はあまりなかった。朝からかかって鶉《うずら》を三つ、鴫《しぎ》を一つ獲《と》っただけであった。しかし、ここでの彼の鷹狩は獲物には主目的がない。これからの墾田のために地勢や地質を調べるのが本当の目的だ。飽きずに同じ地域を歩きまわっていた。
郎党が呼びに来た時、藤太は馬と従者等をずっとこちらにおいて、ただひとり胸のあたりまで枯れた葦《あし》ののびている中に立っていた。川の上下を見ながら、増水時における水位と水流の工合とを考えていた。どこか近くに獲物がひそんでいるのだろう、カザに乗った犬が葦の根元をきおい立って走りまわっていたが、藤太はまるで気づかない。こぶしにすえた鷹の|へお《ヽヽ》もとかず、専心に思念を追っていた。
郎党は、こちらに一かたまりになって焚火《たきび》をしている朋輩《ほうばい》等のところで馬を下りて、一言二言ものを言った後、藤太のところへ走って来た。
枯れた葦のガサガサと鳴る音に、藤太は我にかえってふりかえった。
「殿、御来客でございます」
と、郎党は呼びかけた。何か勇み立って、うれしげに聞こえる声であった。
「来客? 誰だ」
郎党はピシピシと葦を踏み折りながら近づいて、四五尺はなれて片膝ついた。
「下総の石井の小次郎将門の殿がお出《い》ででございます」
藤太は急にはものを言わなかった。拳《こぶし》の鷹に目をおとし、いとしげにその背を撫《な》でつつ思案しているようであったが、やがて、
「小次郎は左馬ノ允を捕えることが出来たのかな。あぐねているとのうわさであったが」
「お捕えになれなかったようでございます。恥を知らぬ者には弓矢の道もほどこしようがないと、御家来衆が申しておられましたから」
皮肉な微笑が藤太の口許《くちもと》に上った。
「堅陣を破り、剛敵をたおすだけが軍《いく》さの道でない。きびしい網目を手際《てぎわ》よくくぐりぬけて後来を期するのも軍さの道だ。漢の高祖は戦う度に楚《そ》の覇王《はおう》項羽に破られたが、最後の一戦に打ち勝って項羽をほろぼし、漢の天下四百年の基を開いたというからの」
藤太の言うことは、郎党にはよくわからなかった。ただ、必ずしも全面的に小次郎に好意を持っているのでないことだけがわかった。不平であった。今や坂東一の勇者であり、勢力者である小次郎将門ほどの人物をこんな目で見る法はないと思った。
「それで、おれがここに来ていることを申したのだな」
「申しました。遠い所に行っているのではございません、迎えにまいりますから、お待ちになっていただきたいと申して、上っていただいております」
郎党の語気には抗議するようなものがあった。
藤太はまた答えない。鷹に目をおとして、その背を撫でていた。
郎党はじりじりして来た。
「いかがいたされますか」
「そうよな」
にこりと藤太は笑って、
「どうやら会わぬ方がよいような気がする。おれがためにも、客人のためにも」
郎党は驚いた。何か言いたげな顔になる。
藤太はおさえてつづける。
「理由《わけ》はない。ただそんな気がするだけだ。それで、汝《われ》は帰って、ほどよく言いこしらえて帰ってもらうがよい。おるべき場所にいなかった、ずっと川をさかのぼって唐沢《からさわ》山の方へ行った、二三日かえらんかも知れんと言いおいた由、とでも言うがよい。あちらの方にもこのほど田荘をとり立てている故、大方あちらの荘家に泊るつもりでありましょうと、そこは汝が機転にまかせよう」
「あれほどのお人でありますのに、これで二度たずねてまいられたのでございますが……」
と郎党は未練げであった。しかし、藤太はかまわない。
「しかと申しつけたぞ」
と、ややきびしく言って、葦間を出て、こちらに待っている郎党等をさしまねいた。
ひかれて来た馬に乗ると、そのまま従者等をつれて上流の方に向う。
感心せん、まるで腑《ふ》におちんと言いたげな顔で頭をふって、郎党は馬に近づき、のろのろと騎乗して、引ッかえして行った。
風のわたる度に、サワサワと乾いた音を立てる葦と薄《すすき》のまじる野を行く藤太は、獲物の臭《にお》いをかぎつけては脇《わき》へそれたがる犬を呼んだり、拳の鷹を愛撫《あいぶ》したりして余念なげに見えたが、絶えず小次郎と貞盛のことを考えていた。
(小次郎という男、いかさま強くはあるが、運がよいとは言えぬようだな。二度もおれが手引いてやって、普通ならばどう間違っても討ちもらしそうもないものを討ちもらした。また、聞けば、以前京へ官位もらいに行っていた時も、大手柄《おおてがら》立てながら恩賞にも除目《じもく》にも漏れたという。生れつき運の悪い人間というものがいるものだが、やつはそれかも知れん。これに反して貞盛というやつ、一向男らしいところのない懦弱《だじやく》者だが、不思議に運はよいようだな。――ともあれ、軽率に動くのは禁物だ。おれはやつらに何の義理もない。おれはおれの得になるように動けばよいのだからな……」
こうしておよそ一里ばかり行くと、馬を下り、狩をはじめた。こんどは、小次郎等のことも、墾田のことも、全然考えない。ひたすらに犬の動きを見ては、間合をはずさず鷹を放ち、おそろしく熱心であった。
灯《ひ》の恋しくなる頃、藤太は荘家にかえって来た。
彼は、獲《と》って来た鳥を料理させ、酒を酌《く》んだ。小次郎のことはひとことも言わなかった。
たまりかねて、彼を迎えに来た郎党が言った。
「お客人は、おかえりになりました。きつい御落胆で気の毒でなりませんでした」
「そうか」
「どうして殿はお会いにならなかったのでございますか」
「汝《わい》らには用のないことだ」
胸に盃《さかずき》を保ちながらの至って平静な調子であったが、二度と聞きかえすことをゆるさない空気があった。
石井へかえった小次郎の心は重かった。
藤太の家来共の尊敬や、歓迎がいつわりのものであったとは思われない。心から主人に会わせたがったものと見ている。それ故に、藤太に会うことが出来なかったのは、しんじつ藤太が予定を変更して遠い田荘に行ったからだと考えるのが一番すなおな考え方である。小次郎もそう考えたいし、考えようとつとめたが、
(またしてもかわされた)
という思いをどうすることも出来ない。
しかし、いつまでもそんな屈託にとらわれていることは出来なくなった。貞盛の追跡戦は明らかな失敗であったにかかわらず、人々は貞盛の臆病と見苦しい逃走ぶりを笑うと共に、小次郎の武勇を更にもてはやしたのだ。
「せっかく追討使をうけたまわって来ながら、手も足も出ず居すくんでいたばかりか、することにこと欠いて追討の役目もほうり出して陸奥《むつ》三界に逃げようというのじゃからのう」
「しかも、その追討の的《まと》は父の敵《かたき》と来ている」
「不孝とも、柔弱《にゆうじやく》とも、臆病とも、いうべいことばがないのう。はてが知れんてや」
「それに反して、小次郎の殿の威勢のおびただしさ。国司共の間だけで秘密の上にも秘密にしてはかりにはかった陸奥行きをすばやくさぐり知ることが出来なさったのだ。どうでも見る目|嗅《か》ぐ鼻が諸国の国衙の官人《つかさびと》共の中におらねば出来ることではないぞよ」
「大方、官人共の中に手飼いになっている者がいるのじゃろうて」
「あの殿が、度々の勝ち戦さに所領はひろくなり、民は多くなり、坂東一の武者であることは、誰でも認める所じゃが、諸国衙の官人共までその諜者《しのび》をつとめるようでは、武者以上、国の守《かみ》以上といわねばならんのう」
坂東の豪族等は前にもましてしげしげと出入りしはじめた。遠く武蔵《むさし》北部や相模《さがみ》のあたりからまで、自ら来たり、使いをおくったりしてよしみを通ずる者が多かった。ほとんど連日、これらの応接に費された。屈託はいつとはなく忘れられた。
田原の藤太は、小次郎が来て数日の後、佐野から田原へかえった。
途中、国府へ寄って、大中臣全行《おおなかとみたけゆき》に会った。全行は、早速、小次郎の追跡戦の話を持ち出した。
「どこからどう漏れたのであろうな。まろは驚いたよ。世間では国衙の中に小次郎に内通している者がいると申している由《よし》だが……」
藤太の表情はまるで変らない。
「まさかとは思いますが、何とも申せませんな。恐らく、守のお館《やかた》にいる頃から、石井では知っていたのではありますまいか。仮にてまえが小次郎の立場にいるとしても、当府で攻めかかるようなことはいたしません。必ずや那須野ケ原あたりに入ってから攻めかかります。それ以南では|おおやけ《ヽヽヽヽ》への恐れという点もありますが、所在に武者立った住人共が多くて邪魔をされる恐れがございますから、なにはともあれ、お館滞在中に事がなくて結構でありました」
サラサラとしたこのことばの中に、藤太は自らの功績を申告しているのであった。全行はそれを感じた。
しかし、藤太はそれ以上のことは言わず辞去した。
藤太の本郷田原は、現在も田原といっている。栃木県川内郡田原、今の宇都宮市の北方二里半の地点、西に樹木の鬱蒼《うつそう》と繁《しげ》った山がつらなり、その山裾《やますそ》を洗う田川と、一里ほど東方を流れる毛野《けぬ》川とがひらく南北に長い平野が東にひろがっている地勢だ。藤太の館はこの平野の西の一隅《いちぐう》に、田川を前にあて、山岳地帯をうしろにして、構築されていた。田川の流れが自然の濠《ほり》となり、山が自然の防壁となっている中に、土居《どい》をきずき上げ、茅葺《かやぶ》きの建物を十数棟ならべていた。
こうした館は当時の坂東の豪族としては普通のことであったが、ひどく風変りな所があった。おそろしく土居が高く、田川の川原に立って対岸の館の方を見上げても、一面に芝を植えた土居が横にひろがっているだけで、建物の屋根が見えないのだ。建物全体がすっぽりと土居のかげにかくれていた。建物の姿を見ようとすれば、川原から二町ほども後退しなければならなかった。またこの土居は外側は直角に近い角度をもっていたが、内側はゆるやかな駆け上りになっていた。すべて戦さの時のことを考えて設計されているのであった。この館に寄せる敵は攻撃の法がつかないに相違ない。建物の見える地点から射る矢は届かず、矢頃《やごろ》に近づいて射る矢は土居につきささるだけだ。ウロウロしているうちには、土居の上に駆け上り駆け上りして射る矢に射落されるに相違なかった。
こんな構築の館であったから、その見かけは豪壮雄偉などという形容からは遠かった。やや南にふった東に向った土地なのだから、本来なら非常に陽気で非常にはでであるべきはずなのを、陰気なくらい地味に見えた。
「家居《いえい》というものは、住む人の性質がよく出るものだが、藤太が館ほど藤太が性質をよくあらわしているものはないのう。あんまりそっくりでおかしくなるわ」
と、豪族等は言っていた。ただ、朝日が三|棹《さお》ばかり上った頃にはその土居が美しかった。三丈ほどの高さの土居が真直ぐに一町ばかり横に引いているのが、春と夏にはもえ立つような緑の色に、秋と冬には暖かそうな狐《きつね》色を呈して、単調ながら豪壮で豊かな美観を呈するのであった。
この館を貞盛が訪問しようと思い立ったのは、小次郎が立去って那須《なす》の山奥から出て間もなくのことであった。九死一生の危険を脱して那須の山奥を出た時、貞盛も郎党等も衰弱しきっていた。彼等は餓《う》えと寒気のために半分死んだようになって、人里のある場所までたどりつき、民家に保護をもとめた。
普通の民には旅人を泊めて世話する経済的余裕もなければ、郷保《ごうほ》の制度によって素姓のわからない旅人を泊めてならないことになっている。ことわられたが、
「絹十反の謝礼をしよう。当分からだがもとにかえるまで世話してくれい」
と、法外な謝礼を約束して、やっと承知させた。
田原へ行こうと思いついたのは、二三日たっていくらか体力が回復してからであった。宿の主人の口から、藤太の堅実な性格、堅実な勢力を聞いたのである。すべての坂東の豪族が小次郎とよしみを通じているのに、唯《ただ》一人交際していないことも聞いた。
「よし、この男の所へ行ってみよう」
と、決心した。藤太を味方に引き入れ得る自信はもとよりなかったが、陸奥に行けなくなった以上、いやが応でも小次郎に対抗する工夫をしなければならないのだ。
しかし、このみすぼらしい姿では行けない。相当な容儀をととのえて行かなければ、まとまる話もまとまらない。そこで、当家に謝礼としてやる絹をとりに郎党をかえす時、衣服、武器、武具、藤太の家へ持参すべき礼物等の品々も持ち、従者も五六人連れて来るように命じた。
「言うまでもないことだが、石井《いわい》の者共に気取られぬよう、十分に気をつけるのだぞ」
「かしこまりました」
貞盛はもう一人の郎党と引きつづき厄介《やつかい》になっていた。
那須の高原地帯は、片田舎である坂東の中でも片田舎である上に、寒気がきびしい。部落の家々は平野地帯では見られない様式のものであった。土を厚く盛り上げて囲いをつくり、その上に柱を立て、茅で厚く屋根や壁を葺いてある。これは竪穴《たてあな》住居から地表住居に移る途中のもので、平野地帯では百年も昔にほろんでしまった様式のものであった。床は張らない。堅くたたいた粘土の上にコモをしいてあるだけだ。窓がないから昼間でも薄暗かった。床の中ほどに床を掘りくぼめて炉がある。人々はその炉をとりまいて、煖《だん》をとりつつ談笑したり、寝たりするのであった。
貞盛の世話になっている家は部落の中では大きい方であったが、それでも十坪に満たない。家族等と雑居しているのは色々と気づまりであった。貴族的な生活、都会的な享楽《きようらく》の好きな貞盛は、こんな環境、こんな生活は気に入らない。今はもうすっかり体力も回復している。いやでならなかった。郎党のかえって来るのを待ちに待った。
十七八日もかかって、郎党はかえって来た。石井方の目を盗まなければならなかったからであると、弁解した。申しつけたものはすべて持参していた。郎党下人合わせて五人同伴していたし、貞盛の乗りかえ用として馬も別に一頭ひいていた。
「さらば打立とう」
約束の絹十反を宿主にあたえると、早速に出発して、田原へ向った。十一月ももう下旬になっていた。
途中二日かかって、夕方田原から二里半ほどはなれた新田《にいた》(今の熟田)についた。ここはにぎやかな宿駅で、泊るべき駅舎もあるが、万一を警戒して野外に幕舎を張ってその夜をすごし、翌日まだ暗いうちに、霜をふんで田原へ向った。
藤太の館が五六町のかなたに見える頃、朝日が出たが、その直後、なんとも言えずひびきのゆたかな鳥の鳴声が聞こえ、同時に大きな羽ばたきの音がおこった。ふりかえると、霜のきらめく田圃《たんぼ》から、おそろしく大きな鳥が二羽、翼をならべて空に舞い立っていた。長いクチバシと頸《くび》を真直《まつす》ぐに前にのばし、長い足をうしろにのばし、雪のように真白で大きい翼をゆったりと動かしていた。鶴《つる》であった。
出たばかりの真紅の日のある、浅葱《あさぎ》の色に冴《さ》えた空を、雌雄そろって悠々《ゆうゆう》と飛翔《ひしよう》して行く鶴の姿は、言いようのないほど豊かで、高雅な情景であった。
おぼえず、馬をのりとどめて見ていると、鶴はずっと向うの田圃におり、そのへんを歩きまわっていた。
(鶴は瑞鳥《ずいちよう》だ)
と思った。
おりがおりだ。胸にあふれて来る幸福感があった。
(藤太への相談はきっとうまく行くぞ)
と思った。
従者等も同じ思いなのであろう、一人のこらず、貞盛の方を見て、にこりと笑った。
館の門に近づくと、門櫓《もんやぐら》から見ていたのであろう、郎党風の若者が走り出して来て、立ちふさがるように前に立って、キッと貞盛を見上げて、
「いずれから?」
と問いかけた。
こちらの郎党が馬を下りて進み出た。
「これは左馬《さま》ノ大允《だいじよう》貞盛でござる。おとりつぎ願いとうござる」
先方は、はっとつつしんだ顔になり、片ひざをついて貞盛に式体《しきたい》して、
「しばらくおひかえ下さいますよう」
と言って、門内に駆けこんだ。
藤太は館内の馬場に出て、朝の日課で馬を責めていたが、馬を乗りとどめ、馬上ながらとりつぎのことばを聞いた。
急にはものを言わない。半眼《はんがん》に目をとじて考えこんでいたが、やがて、
「よかろう、客殿に案内しておけ」
と言ったが、家来がかしこまって行きかかると、呼びとめた。
「主人も従者もずいぶん鄭重《ていちよう》にあつかうのだぞ」
「はッ」
家来は小走りに去った。
藤太は責馬《せめうま》をつづけた。館内の馬場だからせまい。十間四方くらいしかない。その馬場をクルリクルリと幾十百度となく馬を駆けさせながら、藤太は思案するのだ。
「さても妙な男がたずねて来たな。おどろいたな。しかし、なんのために来たのか、それはおれにはわかっている。おれに与力をもとめて来たにきまっている。厄介だな。しかし会わんわけには行かん。常平太《じようへいた》などという男はつまらんやつにはちがいないが、門前ばらいなど食わせて、うらみを買うのも馬鹿《ばか》げているからな……」
小一時間もつづけて、人も馬も汗が出て来る頃までいて、それから客殿に出た。
「おお、おお、貴殿が左馬ノ允貞盛の殿でござるか。手前が藤太|秀郷《ひでさと》でござる。これまではかけちがってお会い出来ませなんだ。ようこそ、ようこそ。ようこそお出《い》で下されました」
にこにこ笑って、こぼれるような愛嬌《あいきよう》であった。
貞盛は礼儀正しく、しかし、ものなれた態度で、初対面のあいさつをして、
「実は、本日参りましたのは、折り入ってお願い申したいことがあるのであります。それは、今や日本国中にかくれもないことでありますから、すでにみこともよく御承知のことと存じますが……」
と、前おきして、自分の家と小次郎とのいきさつ、目下の自分の境遇をくわしく語った。
藤太は、「ふむ、なるほど」「いかさま」「ほほう」「それはそれは」などという合槌《あいづち》を適当に打って、熱心に傾聴していた。深い同情を寄せるように見えたので、貞盛は元気づいた。もちまえの雄弁に拍車がかかった。説き伏せ得る自信が出て来た。こんどは藤太の力の賞讃《しようさん》にかかる。
「まろは久しい前からそこのみことのことを聞いて、ゆかしく存じていたのでありますが、この度みことの所領内に入って、親しく見ますと、田野はひらけ、民は多く、しかも豊かで強健そうであります。これらはたえて他所《よそ》では見ない所であります。さらに、当御館にまいってみますと、武備まことに厳重。国富み兵足るとは、みことのことであります。坂東の武人多しといえども、小次郎が正面に立ち得るは、みこと以外にはないと断ぜざるを得ません。どうか、まろにお力を貸していただきたい。小次郎をたおすことは、一つには、朝命を奉行《ぶぎよう》して人臣の道にかなうことであり、二つには、みことが坂東一の武人となって勇名を天下に馳《は》せられることであり、三つには、みことの所領が広まることであります。小次郎|亡《ほろ》ぶれば、その所領は同族たるまろの所有に帰するのでありますが、まろは所領に望みはありませんから、ほとんど全部をあげてみことに奉《たてまつ》ります……」
ここまで貞盛が言った時、藤太は大きく手をふった。
「お待ちなさい。そこまで仰《おお》せられるものではありません。それでは、たとえてまえがお力添えしたいと思っても、出来んことになる」
愛想のよかった顔がおそろしく渋いものになっていた。
貞盛は調子に乗りすぎたことをさとった。なぜ相手がきげんを悪くしたかわかっていたが、困惑した顔をこしらえて問いかえした。
「なにがお気にさわりましたろうか」
「味方すれば、小次郎が所領をのこらずくれようと仰せあるのが不快であります。ふつつかな者ながら、藤太は男であります。義のため、名のためというなら、考えてもみますが、あからさまに利を以《もつ》てさそわれては、考えてみる気にはなれないのであります」
貞盛は恐縮した顔になり、両手をついた。
「ああ、これは不覚なことを申しました。みことの御心事の高潔さを疑い申したわけではありません。お力添えを願うあまりに、心に秘めておくべきことを、つい口にしてしまったのであります。いくえにもおゆるし下さいますよう」
藤太はいくらか顔をやわらげたが、まだもとへはかえらない。
「利によって結ぶものは利によって離れる。当然のことです。てまえの許《もと》へは、小次郎殿からも和親の申しこみが来ています。小次郎殿自身、二度も訪ねて見えたのです。しかし、てまえは会わずに帰ってもらっています。お頼みのこと、しばらく考えさせてもらいましょう」
人の気を見るにさとい貞盛は、藤太がこう言い出した以上、何と口説いても急にはどうもならないことがわかった。
(所詮《しよせん》だめか……)
胸が暗くなった。
しかし、現在の八方|塞《ふさ》がりの立場を考えると、あきらめるわけには行かない。ここがだめになったら、行く先もないのだ。
どうしてまた切り出そうと思案していると、藤太の郎党等が饗応《きようおう》の支度を持ちこんで来た。
「はじめてのおんいらせに、格別なものもなく、ほんのありあわせで恐れ入りますが、お取り下さい」
と、藤太は自ら瓶子《へいし》をとって酒をすすめた。
「早朝からうかがいましたのに、御造作をかけます」
貞盛が受けた時、庭の方に鳥の大きな声がおこった。鶴の鳴声であった。見ると、先刻のあの鶴であろう。二羽つれ立って、日のあたっている広い庭を、あの特色的な歩きぶりでこちらに歩いて来る。翼の下端の真黒な羽と全身のかがやく白さとが、鮮明な対照をなして、言いようもないほど高雅な姿であった。頭のいただきの丹《あか》さもこの近い距離から見ると、染めたようにあざやかであった。時々長い首と口ばしを真直ぐ空に向けて鳴く。朗然としてあたりを圧してひびいた。
貞盛はきいた。
「あれは御飼養のものでありますか」
「飼っているものではありません。この数年、毎年冬になるとまいって、このあたりに春までいます。可愛《かわ》ゆくおぼえて、人々に追い立てたり捕獲したりすることを禁じましたところ、近頃ではよく人になれて、こうして庭にまでまいって遊ぶようになったのであります」
藤太は、卓上の干鮎《ほしあゆ》の煮びたしを箸《はし》で二つはさんで、簀子《すのこ》に出て行き、鶏を呼ぶように呼んで、ポイと投げあたえた。鶴は長い脚で悠々《ゆうゆう》と歩きよって、一尾ずつくわえ上げ、空を仰いでのみこみ、また朗然たる声を上げた。
藤太のかえって来るのを待って、貞盛は笑いながら言った。
「今朝方、貴宅へまいる途中、まろはあの鶴を見ました。とつぜんの鳴声におどろいてふりかえってみますと、一面の霜にとざされて銀のようにかがやいている田面《たづら》から、あの二羽が飛び立ったのであります。おりから東の空には日がさし出《い》で、何ともいえず見事な景色でありました。おりもおり、得がたき瑞兆《ずいちよう》、必定お願いのこと聞き入れたまわるに相違ないと、まろは日頃の鬱屈《うつくつ》がにわかにはれて、勇み立ってうかがったのでありましたが……ハハ、ハハ、瑞兆ではなかったのでしょうかな」
藤太は貞盛と声を合わせて笑っただけで、べつだんの返事はしなかった。貞盛は三日この館《やかた》に滞在した。三日目に、藤太は言った。
「せっかくのことながら、御所望には応じかねます。石井の小次郎ほどの武者を相手に戦うほどの力は、てまえにはござらぬ。他へ御相談あるよう」
つめたいことばであった。何と頼んでもきかない。貞盛は辞去せざるを得なかった。行くべき先もないのに。
臆病風《おくびようかぜ》
その年が暮れて、新しい年となって天慶《てんぎよう》二年正月、武蔵《むさし》の国司が更迭《こうてつ》して、権《ごん》ノ守《かみ》に興世《おきよ》王、介《すけ》に源|経基《つねもと》が任命されたと伝わって来た。六孫王源経基は、最初京に行っている頃《ころ》、同僚であった三宅《みやけ》ノ清忠の帰国を送って河陽《かや》の駅まで行った時、面白くない初対面をしたきりにすぎないが、興世王の方は、二度も宿所に訪ねて来たばかりか、不思議な因縁がからんで忘れがたい印象の人となっている。
「あのお人は、大へん坂東に来たがっておられたが、とうとう来なさることになったか」
と、思った。
二人ともに皇族であることにも感慨があった。
「摂関家を外戚《がいせき》にもっていても、親王までだな。その子、その孫となっては、所詮京ではどうにもならぬ。おれの家や常陸《ひたち》源氏の家のように、田舎に根をおろすよりほかはないのだ。おれがおじい様あたりがはじめたのだが、よほどに目が見えていたのだな。しかし、それというのも、よほどに京でつらい目に逢《あ》われたのであろうな……」
かつての京住いの間のことが思い出されて、今さらのように思うのであった。
つらい切ないことの後、せっかく地方に根づいたものが、その孫の代には早くも仇敵《きゆうてき》の間になって憎み合い、奪い合い、殺し合いしていることが、申訳ないような気がした。しかし貞盛と和解しようとは思わなかった。和解してはならないと思うのであった。
(太郎! おぬしが悪いのだぞ。おぬしはいくどおれを裏切った? 大事なことのある毎《ごと》におれはおぬしに裏切られた。おれはおぬしをもうぜったいに信用することが出来ぬ。蝮《まむし》と知ってはふところに入れることが出来ないと同断だ。おぬしとおれとの間は、殺すか殺されるか、それしかない)
と、心をはげました。
貞盛の探索につとめた。しかし、どうしても捕えることが出来なかった。常陸国内にいるとはわかっていたが、転々としてたえず居所をかえているらしかった。
正月下旬のある日、興世王が訪ねて来た。大急ぎで迎えに出ると、車寄せのところに、ほんの五六人の供を連れただけで、鹿《しか》の皮の|むかばき《ヽヽヽヽ》、太く長い野剣、弓矢という姿で、れいの短躯《たんく》の胸をそらして、傲然《ごうぜん》としてあたりを睥睨《へいげい》していた。とても京下りの王族や官人《つかさびと》とは見えない。板についた坂東武人の姿であった。小次郎を見ると、持ち前の豪傑笑いを浴びせかけた。
「やあ小次郎。とうとう来たぞよ。久恋《きゆうれん》の坂東に。ハッハハハハハ……」
「これはこれは。いずれ御着任なされましたら、ごあいさつにまかり出ようと存じていましたが、一向に御着任のことを存じませぬため、失礼いたしました。いつ御着任なされたのでございます。前もってお知らせ下されば、途中までお迎えにまかり出ましたものを。しかし、ようこそお出で下さいました」
「着任は三日前だ。誰よりもおぬしに会いとうてな。何もかもうちすてて、こうしてやって来た。ハッハハハハハ」
あまり興世王が高笑いするので、小次郎の郎党等はびっくりしていた。
ともかくも、招じ上げて、もてなした。
盃《さかずき》を上げながら、興世王はくりかえし言った。
「気に入ったよ、坂東は。まろが心に描いている通りのところであった。まことに男の土地だ。たしかにそなたのような男の生い育つ土地だ。まろの|きっぷ《ヽヽヽ》にもまたよく合う。まろはもう京へ帰ろうとは思わぬ。任が果てたら、そなたが御先祖にならって、こちらに松杉を植えようと思う」
小次郎と貞盛との事についても、こう言った。
「常平太が追討使をうけたまわったからというて、何のかまうことがあるものか。京ではそなたの人気の方が、やつよりずっとよいのだ。ああ意気地がなくては、いくら京のやつらだとて、気に入らぬわさ。
京ではやつのことを弱允《よろすけ》どのと言っている者もあるほどだ。その弱允どのに追討使の命が下ったのは、れいの賄賂《わいろ》政策だ。何でもやつは当地方の荘《しよう》をずいぶんたんと小一条院へ献上したという噂《うわさ》であった。
じゃから、世間ではよく言っておらぬ。喧嘩《けんか》相手に追討使を任命することがあるものか、しかも、あの弱允どのでは、相手に追討されるくらいが関の山だ、法理にそむいている上に、朝威をおとすこと必定だ、というのが、朝廷のいつわらざる輿論《よろん》だ。かまうことはない、徹底的にやっつけてやるがよいのだ。まろもおりにふれてはそなたのことをよい工合に報告しておくからな」
酔いがまわってくると、
「朝廷の政治はもう焼き直しも仕立て直しもきかぬようになっている」
と、論断した。
「こんどこちらに来てみて、はじめてわかったことだが、人間も、けものや草木と同じく、長く大地から離れていてはいかんのだよ。大地は生命《いのち》の根元なのだ。大地に根をおろして、大地と共に働いて、ものを捕えたり、こしらえ出したりして衣食する。これが生きものの本当の生き方なのだ。
ところが京の廷臣等はこの生命の根元とはなれて、人の働きによって出来たものを使うばかりの生き方をしている。籠《かご》の中の鳥や、獣や、瓶《かめ》にさされた草木と同じ生き方をしているのだ。いかんにきまっている。久しからずして生きる力を失うのだ。しかも、長い間に増大しからまった因縁や行きがかりは、たとえそれが悪いとわかっていても、今ではもう手をつけられなくなっている。焼き直しも仕立て直しもきかないとまろが言うのは、この意味だ。
朝廷は亡《ほろ》びざるを得ないのだ。今やまっしぐらに、その亡滅の途《みち》をたどっている。あわれなものよ」
こうも言った。
「いつの時代でも、疲れやぶれ、堕落した者にとってかわって、次の時代の主人になるのは、大地に根をおろして、大地と共に働いてものを創《つく》り出している者だよ。大地は生命の根元だからだ。その生命の根元を直接受けているからだ。
次の時代の主人公はそなたらだと、まろは信じている。まろはもう決して京へはかえらない。そなたらのなかまに入れてもらって、次の時代の主人公の一人になるのだ。
フン、京の朝廷なぞ、亡者《もうじや》共の集まりにすぎんて! フン!」
京都朝廷のやり方にたいしては数々な不平をもっている小次郎であったが、興世王のいうことはよくわからなかった。よほど面白くないことがこの人にはあったのだろうと考えただけであった。
興世王は彼と共に介《すけ》として赴任して来た源経基にも、あまりいい感じを持っていないようであった。
「そなたやまろのように五代もの遠い皇孫ではなく、清和の孫であるというのが御自慢での。なに御自慢なだけさ。まさしくみかどの孫である身が、大国とはいい条、武蔵の次官くらいに、しかも散々大臣共を拝み奉って任命されたのをありがたがっていなさるお人柄《ひとがら》だ。大体の値打が知れよう。なアに、小童《こわつぱ》さ」
と、しんらつな批評であった。
興世王は三日滞在した。鷹狩《たかがり》したり、犬山《いぬやま》(犬をつかってする狩)したり、酒をのんだり、十分な歓をつくして、武蔵へかえって行った。
この時から二十日ほど後、二月の中旬にかかって間もなくのことであった。武蔵の国に大騒ぎがおこった。
新国司と郡司の間に争いがおこったのである。この国の足立郡《あだちごおり》の郡司に武蔵ノ武芝《たけしば》という者がいる。上古に於《おい》ては武蔵の国王的身分であった武蔵の国造《くにのみやつこ》の家柄であり、政治の手腕もすぐれているので、民にも信望があり、国司等の信用も厚い人物であったが、興世王と経基とが、この男と争いをおこしたのだ。
新任の国司二人は、一応国府におちつくと、近日にその方の郡に入部《にゆうぶ》するにつき、その旨《むね》心得べしと通達した。
国司の入部というのは、部内の実況視察のための巡回だ。まじめに民政を考える国司なら当然やらねばならないことであったが、二人の目的は単にそれだけではなかった。慣例では、こうした場合には郡司や人民によって、盛んな饗応《きようおう》が行われるばかりか、莫大《ばくだい》な献上物があることになっている。京で窮乏していた二人としては、饗応はどうでもよいが、この際少しうるおわなければやり切れなかった。
入部の目的がこうであるから、最も有能な郡司である武芝の手腕によって国中で最も富んでいれば整備もしている足立郡に、先《ま》ず白羽の矢を立てたのは、きわめて自然ななりゆきであった。
二人のその本心は、民と共に常に国司等の搾取《さくしゆ》対象になっている武芝には見通しだ。
「当国においては、正任の守《こう》の殿の着任以前に、権ノ守や介や掾《じよう》などの方々が入部を行われた先例はございません。正任の守の殿が御着任遊ばされてからにしていただきとうございます」
と、拒んだ。
二人は猛烈に腹を立てた。いつも朝廷を罵倒《ばとう》して、官僚の腐敗を憤《いきどお》っているはずの興世王が腹を立てたのだから、国司に任命されたことをよい儲《もう》けしごとにありついたとしか考えていない経基においてはなおさらのことだった。
「無礼千万なる言い条。国司の本務は先例に先行すると知らぬか!」
と叱咤《しつた》して、国府附属の兵と郎党等を厳重に武装させて従え、おして入部した。
武芝は闘諍沙汰《とうじようざた》になるのを恐れて、家族と郎党全部を引きつれて、山に逃げた。
武芝が一族郎党をひきいて山に逃げこもったと聞いて、興世王と経基は一層腹を立てた。
「まさしき権ノ守と、介とが入部するのだ。不服はあっても、これを迎えて案内に立つは郡司たるものの職分である。山に逃げこもるとは不埒《ふらち》千万。よしよし、そのつもりならば、当方にも考えがある。国司の入部に立合わなんだ結果がどんなことになるか、思い知らせてくれる」
武芝が私曲を営んで公納すべき公租を隠匿《いんとく》していると言い立て、官兵と郎党等にさしずして、武芝の邸宅や郡内の諸所にあるその荘家《しようけ》や倉庫を襲撃させ、没収できるかぎりの財物を没収し、持ち運びの出来なかったものは国司の名を以《もつ》て検封し、ほしいままに封を破る者は厳科に処すと、建札を立てさせた。
主人の命でしたことがこうだ。不検束な心理になった郎党や官兵等は郡内に馳《は》せ散って民家を襲い、掠奪《りやくだつ》暴行のかぎりをつくした。
武芝に言い分のあることはもちろんだが、手落ちもある。言い分の聞かれなかったのに腹を立てて国司の入部に立合わないのは、職務放棄の科《とが》をまぬかれない。
しかし、興世王等の行為が言語道断であることは言うまでもない。国司の職権によって入部したのはよいとしても、個人の財物を掠奪検封したばかりか、随従の者共の暴悪を制止し得なかったのは、大罪過といわざるを得ない。
「主ハ則《スナハ》チ仲和(人名・中国古代の暴悪|貪慾《どんよく》な地方官)ノ行ヲ挟《サシハサ》ミ、従ハ則チ草窃《サウセツ》(こそどろ)ノ心ヲ懐《イダ》ク。箸《ハシ》ノ如《ゴト》キノ主、眼《メ》ヲ合セテ骨ヲ破リ膏《カウ》ヲ出スノ計ヲ為《ナ》シ、蟻《アリ》ノ如キノ従、手ヲ分チテ財ヲ盗ミ隠運スルノ思ヒヲ励マス」
と、「将門記」に記述されているから、主従共にずいぶんひどいことをしたのであろう。
ごうごうたる非難の声がおこった。
上司のしたことであるが、国《くに》書生(国衙《こくが》の書記)の中に、憤激して、新国司等を非難した文章を草して国衙の正庁の前におとしておいた者があった。論旨痛烈、措辞激切、名文であったので、口から口に誦《しよう》し伝えられて、忽《たちま》ち国内にひろがり、新国司等にたいする非難は一層高まった。
武芝は国司等が府中に引上げて後、山を出て帰宅し、狼藉《ろうぜき》のあとを見て腹を立てた。
「わしは郡司に任ぜられてからもう四十年近くになるが、一年として公《おおやけ》に納入すべきものを滞らせたことはない。四十年の間には、不作の年もあり、凶作の年もあって、管内の民共の納入が不足したこともあったが、そんな時にも国府と話をつけただけのものは、わしが持ち出して補って完納して来た。いつの国司方にもおほめこそあずかっているが、お咎《とが》めなど受けたことは一度もない。それを、こんどの権ノ守殿と介殿は、わしが申立てを踏みにじって押して入部するばかりか、あろうことか、私曲を営んで公租を滞納していると言い立てて、財物を持ち去ったり検封するとはなにごと……人を辱《はず》かしめるにもほどがある!」
使者を立てて、封印を解き、また、持ち去った財物を返還してもらいたいと申しこんだ。
この抗議を、興世王等は強硬に突っぱねた。
「武芝が長年の間私曲を営んでいたことは、まろらには明瞭《めいりよう》にわかっている。これまでの国司等がそれを摘発出来なかったのは、武芝にだまされていたのだ。その非道にして貪《むさぼ》り取った額がどれだけに上るか、目下鋭意調査算用中である。調査の結果がわかるまで没収のものは返すわけに行かん。封印も解くわけに行かん」
実を言うと、二人は自分等のしたことにたいする反響が意外に大きいのにおどろきおびえていた。武蔵国内全部が敵になったような強迫観念におちいっていた。しかし、それだけに弱気を見せてはかえっていけないと思って虚勢を張っているのであった。
武芝は世間なれており、老年といってよい年でもあったが、生粋《きつすい》の坂東人《ばんどうびと》だけに本性は剛強で、男の誇りを人生において最も重大なものとしている。こんな理不尽な言いがかりには屈しはしない。
「もう一ぺん行け!」
と、おりかえし使者を出す。
往返数度におよぶ間に、売言葉に買言葉、口上はしだいに荒々しくなった。
新国司等は益々《ますます》おびえ、益々不安になり、戦さ支度をはじめた。こちらから押し寄せる勇気はない。押し寄せられた時の防戦のためであった。
そうなると、武芝の方でも不用意ではおられない。一族郎党|朋友《ほうゆう》を集めて、戦さ支度にかかる。
噂はパッと四方に伝わって、武蔵全国、今にも合戦がはじまるかと、人々はさわぎ出した。
これらの風聞を、小次郎も聞いた。
「これらは明らかに興世王等が悪い。あれほどわけ知りのくせに、またどうしてこんなばかなことをはじめたものか。こうさわぎが大きくなっては、やがて朝廷に聞こえて、あのお人もろくなことはないな」
とは思ったが、さてどうしようという知恵もない。傍観のつもりでいると、鹿島《かしま》ノ玄明《はるあき》がやって来た。
「武蔵のさわぎを聞いたろう」
「聞いた」
「うっそりした男だな。聞いたらなぜ出かけんのだ」
「どこへ?」
「武蔵によ」
「なんのために」
「じれったいな! 仲裁にだ!」
「仲裁?」
「そうよ! 男を上げるに、こんなよい機会はないぞ。豪族等は国司同士の争いである故《ゆえ》に遠慮している。国司等はおびえてか、面倒を恐れてか、誰も乗り出そうとしない。これを乗り出してうまく仲裁をつければ、おぬしの男は一時に上る。受合いだ」
「おれは他国に踏み出してまで、官人《つかさびと》同士の争いの仲裁の出来るほどの男ではない」
「なにを言う! 自分を知らぬにもほどがあるぞ! おぬしに出来んで誰に出来るのだ。おぬしはもう昔の小冠者ではないぞ。坂東一の武者になっているのだぞ。すぐに行って仲裁せい。万事の段取りは、引受けておれがつけるから」
玄明は興奮しきって、血走らんばかりの目になっていた。
坂東一の武者などといわれると、小次郎は心がひるんでくる。興奮した気分の時には、自分でもそう思わないこともないが、いつもは自分がそう言われていることが不思議なような気がしてならない。数度の戦さに好運にも打ち勝つことが出来ただけのこと、自分の本質は昔と何の変るところはないのにと思うのだ。こんなに無暗《むやみ》にえらいものとされるのは、どこか間違っていると思うのだ。今にみじめなことになりそうな恐怖さえある。
重い調子で言った。
「おれは気が進まん」
玄明は舌打ちした。
「チェッ! あれだ! おぬしは男の中の男だが、時々へんに不精になっていかん。不精というより気が弱いのかも知れんな。……いや、そんなことはこの際どうでもよい。とにかく、おぬしは行かんければならん。こんなよい機会をにがすということはない」
「…………」
「行かんければならん義理も、おぬしにはあるはずだ。武芝とは特に懇意にしてはいないようだが、それでも当家に二度ほどあいさつに来た由《よし》を、おれは今郎党衆に聞いて来た。興世王とも懇意ではなかろうが、京以来の知った仲で、ついこのほど着任のあいさつに見えて、三日も泊って行かれたというではないか。この仲裁は、おぬしとしてはなさではならんことだ」
「…………」
「不精をきめこんでいる時ではないぞ。ぐずぐずしていると、人に功をさらわれるぞ。たとえば野州《やしゆう》の田原の藤太だ。この頃《ごろ》きつう男を上げつつあるが、やつが乗り出して来るかも知れん。そうなったら、つい近くにいながら乗り出さなんだおぬしの男は下るぞ。世間は藤太をおぬしの上におくぞ。難儀な戦さをいく度もして、やっとこれまでに築き上げた身として、そんな愚《ぐ》な話があるか」
藤太の名が出た時、小次郎は強い衝撃を胸に感じた。ムラムラとふるい立って来るものがあった。それが腹が立った。猛烈な勢いでどなり立てた。
「うるさい! 人は人、おれはおれだ!」
突然な機嫌《きげん》の変りように、玄明はおどろいた。しばらく小次郎を見ていたが、黙って退《さが》って行った。
小次郎は、田原の藤太のことを考えればいつも精神が平衡《へいこう》を失って来るのがいまいましかった。はずかしくもあった。きっと玄明が変に思ったに違いないと後悔した。鋭い玄明のことだ、いつかこの心の秘密を見抜くにちがいないと思った。
翌々日、早朝、まだ薄暗い時刻であった。玄明が来たといって起された。
「なんだ、こんな時刻に?」
渋々起き上ると玄明は|むかばき《ヽヽヽヽ》をつけた旅姿で、庭先に来ていた。少しやつれて、頬《ほお》のあたりが尖《とが》って見えた。
「おれは行って来たよ」
と言った。
「どこへ?」
「武蔵にだ。そして、武芝にも、国司等にも会って来た。おぬしが仲裁に乗り出して来るのなら、聞かぬわけに行くまいと、双方共に言っていた」
こちらはあきれて、口がきけなかった。
「双方共に和解したがっている。合戦になるのをきらっている。行ってやれよ」
と、玄明はまた言った。
「余計なことをする!」
と、小次郎は叱《しか》りつけはしたが、行く気になっていた。
「ともかくも、くわしい話を聞こう」
「行ってくれるか。やれありがたや。おれはまた、下話はつけて来たわ、おぬしは行くことを承知せんでは、どんなことになるかと、大心配したぞよ。ああ、よかった!」
玄明は喜んだ。胸を撫《な》でおろす所作などした。ごきげん取りのつもりであろう。
「大袈裟《おおげさ》なやつだ」
きげんよく笑った。
玄明は簀子《すのこ》に腰をおろして、武蔵の様子を物語った。武芝は足立の郡家《ぐうけ》郷に近い別邸にいて兵を集めているが、興世王と経基とは兵をひきい、妻子を連れて、府中の北方三里の地点にある狭服山《さふくやま》にこもっているという。
「骨のおれた段ではなかったぞ。武芝の意向をたたくと、おりゃすぐ狭服山に行ったのだ。当地から足立の郡家近くの武芝の別荘まで八里、そこから狭服山まで七里、往復三十里をおりゃ二日でやってのけたのだ。馬に乗りづめよ。さすがのおれも尻《しり》が痛いやら、くたびれたやらよ」
「おぬしが好きでやったことだ。おれは気の毒とは思わん」
と、小次郎が笑うと、
「罰あたりな恩知らずめ! おれには何の得の行くことではない。おぬしの男が上るだけのことだぞ」
と、玄明も笑った。
早速に出かけることになって、館《やかた》につめている兵の中から十五騎をすぐって、武装を命じた。
「出発まで寝かしてくれ。ちょっと寝んと、どうにもならん」
簀子に大の字になるや、忽ちすさまじいいびきをかいて寝入った。明るく朝日が顔にさしているが、まるで感じないらしかった。よほどに疲れていると思われた。
(不思議なやつだ。何一つとして報いてやったことがないばかりか、冷淡にあしらったり、軽蔑《けいべつ》的に取りあつかったりしているのに、いつも変らない好意を寄せてくる)
はじめて、心から済まないような気になって、自分の夜のものを持ってきて、かけてやった。
出発になると、わずか一時間ほど眠っただけなのに、玄明はすっかり元気を回復していた。
「なあに、大丈夫。伊予にいた頃は三日や四日眠らんのはいつものことであった。馴《な》れとるわい」
声だけはしわがれていたが、顔色も動作も生き生きとして、小次郎にならんで先頭に馬を駆った。
季節は二月下旬になって間もなくの頃、今の三月下旬から四月はじめだ。陽《ひ》はうららかに照り、山野には緑の色が芽ぐみ、花も咲いている。広漠《こうばく》たる坂東平野が最も美しい季節。
快い旅をつづけて、夕方近く、目あての武芝の別荘のあるという村近くまで行くと、村の入口の小川にかかった橋の袂《たもと》の柳の下に、武装した兵が五六人いたが、こちらの姿を見るや、一人が馬に打ちのって、
「とまれ! とまれ!」
と叫びながら、飛んで来る。
「武芝が郎党共だよ」
「なかなか厳重だな」
馬をとめて待っていると、兵は七八間離れたところで馬をとめて、きびしい目で見て言った。
「いずれ様でございましょうか。お名のり下さい。これは当郡の大領《たいりよう》武蔵《むさし》ノ武芝が郎党共でありますが、主人武芝戒心のことあるによって、こうして当所をかためております」
玄明が名のった。
「これは下総《しもうさ》石井《いわい》の平ノ小次郎|将門《まさかど》の殿である。そなたが主人武芝の殿の許《もと》へ御来訪のことは、すでに拙者から話がついている。かく申すは常陸《ひたち》の国の住人藤原ノ玄明であるぞ」
兵は馬から飛んでおりて、片膝《かたひざ》ついた。
「役目によっておたずね申したのでございます。おゆるし下さい。石井の殿のお出《い》でのことは、主人より申し含められております」
行きとどいた|しつけ《ヽヽヽ》を思わせるハキハキした態度であった。
一人が案内に立ってくれた。
林をぬけ、小川をわたり、田圃《たんぼ》の中の一筋道をしばらく行くと、新芽と花とにかざられた雑木林に蔽《おお》われた小高い丘の斜面を切り拓《ひら》き、土居をめぐらして数棟の草|葺《ぶ》きの屋根の建物がかたまっていた。それが武芝の別荘であった。兵共は道筋の要所要所に五六人ずつかたまって屯《たむ》ろしているが、土居の中にもなお相当いる。全部で三百人くらいはいるようであった。
東南にむかって打ちひらいた客殿からの眺《なが》めは、単調ではあるが、雄大であった。森や村落や小川を散らばした緑の広い田野の向うに、大きくひろがっている沼が光り、その沼の周辺は淡い緑でかざられていた。それは沢辺の柳であったり、葦《あし》の新芽であったりするのであろう。それらのすべての上に、ものうい春の夕日がうるんだような赤味をおびた光を投げかけ、なんともいえず豊かで平和な気分にみちていた。
「知っているか。あれは小埼《おざき》沼というのだ。埼玉《さきたま》の小埼《をさき》の沼に、鴨《かも》ぞ羽きる、おのが尾に、降りおける霜を、払ふとならし≠ニいう古い旋頭歌《せどうか》があるが、その小埼の沼があれだ」
と、玄明が教えた。
がらにないことを知っているので、おどろいてその顔を見ると、玄明は、
「おれは出が鹿島《かしま》の神人《じにん》だ」
と、威張った。
武芝が出て来た。もう六十に近い老人だ。烏帽子《えぼし》からこぼれている両鬢《りようびん》は真白であったが、眉《まゆ》だけはまだ黒々としていた。篤実《とくじつ》そうな顔の色艶《いろつや》もよかった。小柄《こがら》なひきしまったからだで、身のこなしは軽やかであった。うやうやしく小次郎におじぎをして言った。
「この度はやみがたいこととは言いながら、世のさわぎとなるべきことを引きおこし、恥かしゅうござる。本日はまた遠路を来ていただき、お骨折り下さいます段、厚くお礼申し上げます」
小次郎が答礼して答えようとすると、玄明が横から引きとって言う。
「お扱いのことをそこが快く聴いてくれたので、石井の殿はことごとく御満足だ。しかし、一応、事の次第をお話し申し上げていただきたい」
玄明の態度と言葉つきはおそろしく尊大だ。小次郎はあわてた。生えぬきの地方豪族とは言え、武芝の家は名家だ。五世の王孫である小次郎には及ばずとも、こうまで尊大なあしらいをするのは失当だ。小次郎は玄明をにらんで、
「ことばをつつしめ! 何たるものの言いざまだ! おれは武芝の殿ほどのお人に、そんな調子で口のきける身分ではないぞ」
と、叱《しか》りつけた。
玄明はあいまいな微笑を浮かべたが、応《こた》えたとは見えなかった。
「飛び上り者が!」
小次郎はもう一度叱りつけておいて、武芝の方を向いた。
「弱年者のそれがしに扱いをまかせていただき、身にあまることです」
この謙虚な態度は、武芝をよろこばした。
「ごていねいなおことば、恐れ入ります。しかし、せっかくのおたずねでありますから、念のためことの次第を申し上げましょう」
武芝は語ったが、格別新しいことはなかった。全部が噂《うわさ》で承知していることであった。
「よくわかりました。それで、どうおさめれば、みことは我慢なさるのです」
武芝は考え考え、しかし、はっきりと言う。
「先方ではてまえが公租を横領していると言い立てています故、それを取消してことわりを申してもらいたいこと、先方が掠奪《りやくだつ》し去ったてまえと当郡の民共の財物を返還してもらいたいこと、以上二つを履行してもらえば結構であります」
「一々ごもっともな御要求です。しかし、多少の歩み寄りはいただけるでしょうな」
武芝は顔をひきしめた。
「歩み寄りと申しますと?」
たとえば、掠奪し去ったみことや民の財物でありますが、これらのうち権《ごん》ノ守《かみ》や介《すけ》におさえられているものはまだそのままでありましょうから、早速に返還出来るでありましょうが、下々の者によって持ち去られたものは多くはすでに散っていて、早速には返還出来ないのではないかと思われます。といって、他のもので償うにしても、御承知の通り着任したての国司は貧しいものでありますから、にわかにはそれも出来ぬかと存じます。されば、任期中に償えばよいことにしていただきたい。まだもう一つござるが、先《ま》ずこの点についての思召《おぼしめ》しをうかがいましょう」
武芝はほほえんだ。
「行きとどいたおことばであります。てまえは無理は申しません」
「お聞きとどけいただき、珍重です。もう一つは、国司方にお会いになったら、先ずみことの方からわびていただけましょうか」
武芝の顔色が少しかわった。
「てまえがわびるのでありますか。てまえに何の非があると思《おぼ》されるのでありましょうか」
小次郎はきっとなって、少し声をはげました。
「みことは、先例を楯《たて》にとって、あの人々の入部をお拒みなされた。これはよろしい。正当な理由があります。しかし、あの人々が職権を以《もつ》て入部するとすれば、郡司としては、これを迎えて立合わるべきが職分であります。しかるに、そうなさらなんだ。そこに手落ちがあります。それをわびていただきたいのであります」
武芝は急には答えず沈思していたが、やがて大きくうなずいた。
「仰《おお》せられる通りであります。てまえからわびを申しましょう」
「かたじけのうござる。それでは、引受けました。お顔のつぶれるようなことは、決していたしません」
「万事よろしく」
武芝は、小次郎の終始|鄭重《ていちよう》な態度に満足して、すっかりまかせた顔であった。
饗応《きようおう》にあずかって、その夜はそこに泊り、翌日まだ暗い頃に、小次郎は出発した。玄明はあとにとどまった。半日おくれて武芝と同道して追いかけ、小次郎が話をまとめた頃に向うに到着する相談になっていた。
興世《おきよ》王と源|経基《つねもと》とが一族郎党をひきいてこもった狭服山《さふくやま》が、現在のどこにあるかについては、古来諸説紛々として一定しない。将門記に「比企《ひき》郡狭服山」とある所から、埼玉県比企郡松山のあたりであると主張する人があり、比企郡は誤写で、大里《おおさと》郡|三《み》ケ尻《じり》村|少間山《さやま》(今|熊谷《くまがや》市内)であるという人があり、北足立郡|馬室《まむろ》村内(今|鴻巣《こうのす》市内)の通称サブ山なる松林であるとの説があり、現在の村山貯水池附近の、東京都北多摩郡と埼玉県|入間《いるま》郡の境上にある狭山《さやま》であると説く人がある。
最後の説は、大森金五郎氏の説であるが、作者はこれに賛成したい。前後の関係上狭服山は武蔵の国府の所在地に近くなければならないが、ここは府中からわずか三里、事件の進行に最も自然な位置にあるからである。
他の諸説の生じた理由は、経基の館の遺蹟《いせき》が北足立郡田間宮村(今鴻巣市内)に現存しているので、その附近の似よりの地名の土地をさがしてこれを比定したのであるが、この館はこの当時の彼の館ではないと作者は思う。尊卑分脈によれば、彼は後年諸国の国司を歴任した後|武蔵守《むさしのかみ》に任命せられているから、その頃営んだものと見ている。
現存する館|趾《し》は一町四方、周囲に濠《ほり》のあとがあり、土居《どい》のあとがあり、要害堅固であり宏壮《こうそう》であったことがうかがわれるが、この小説の頃の経基は着任早々で、こんな館を営む暇もなければ資力もなかったはずである。
さて、北多摩郡の狭山は武蔵野の干田地帯に隆起している東西三里南北一里数町、雑木と松に蔽われた小高い丘陵地帯だ。昼頃ついた小次郎は、麓《ふもと》の村里でやとった農夫を案内者にして、ひくい山にはさまれた谷間の道を進んだが、どこにも見張りの兵を見なかった。嫩芽《わかめ》が霞《かすみ》をかけたように木々の梢《こずえ》に青みわたっている中に、所々パッと春の花の彩《いろど》っている山には、あくまでも明るい日が照り、美しい声で鳥がさえずり、しずかでのどかな春昼《しゆんちゆう》の山路であった。昨日の武芝の居所の厳重な固めと思い合わせて、
(都育ちの公達《きんだち》だな。とんとのんきなことだ)
と、苦笑せずにはいられなかった。
山の頂《いただき》に近い南向きの林の中にいくつもの幕舎があって、そのへん一帯に色美しい衣《きぬ》を着た女や子供等が散らばり、女等は摘草をし、子供等ははしゃいだ声を上げて走りまわっていた。春の山遊びといったのどかな情景であった。
しかし、さすがにその近くに甲冑《かつちゆう》をつけた兵がいて、小次郎の姿を見ると、走って来た。
走りよって来た兵共は、皆この前興世王の供をして石井《いわい》に来た者共であった。
お出《い》でなさりませ。守《こう》の殿が、朝からお待ちかねでございます」
と、愛想よく迎えた。一人が小次郎の馬の口を取って下馬させると、一人は先に立って案内する。小次郎の郎党と親しげにあいさつをかわしている者共もあった。親しい一族の人々を迎えるようななつかしげな態度であった。兵共だけではない。そのへんにいた女や子供等も遊びをやめてこちらを見ていたが、ものめずらしげでこそあれ、いかめしい物の具姿におびえたような風はなかった。
興世王の幕舎は、中央にあった。兵に導かれて近づくと、入口に興世王が姿をあらわした。狩衣《かりぎぬ》の上に腹巻しているが、刀は佩《お》びていない。
「やあ、来たな。まろはそなたに合わせる顔がないわ。ハッハハハハ」
と、短躯《たんく》をゆすり上げて笑った。
のっけからあけすけにあやまられて、小次郎は急には応答が出来なかった。
「……先ず、入らせていただきましょう」
「さあ、さあ」
迎える支度がしてあった。向い合って楯《たて》を二枚ずつしきならべ、上に熊《くま》の毛皮をしいてある。
それぞれの席をしめると、興世王は両手をついた。
「ようこそあつかいに乗り出してくれた。白状すると、こまっていたのだ。礼を言う」
こうまで素直であろうとは予想しなかった。公家《くげ》ばなれした性質とは知っているが、ある程度は面倒なことを言うにちがいないと思っていた。拍子抜けした気持であったが、やはりうれしかった。
「おまかせ下さるのでございますな」
興世王はまたカラカラと笑う。
「まかせる段か。救いの神と感謝している。重々こちらが悪いのだ。悪いこととははじめから知っていた。しかし、やらんわけには行かなんだ。まことに懐《ふとこ》ろ工合が悪くてな。それで、つい、まろらだけではない、世間並なことをやるだけのことだと、正心のささやきをおさえてやってのけた。つまり貧のなせるわざだ。平生正義派ぶった大口たたいていただけに汗顔の至りだ。ハッハハハハ、坂東人《ばんどうびと》というやつ、強いのう。ピンとはねかえして、一戦|敢《あえ》て辞せぬと来た。あっぱれなものだ。まろは益々《ますます》坂東人というやつが頼もしくなったよ。ハッハハハハ」
小次郎は、武芝の所できめて来た和解の条件を述べて、それでよかろうかとたずねた。
「結構すぎる位だ。そうしてもらえれば、まろの面目も立つし、助かりもする」
「ありがとうございます。しかし介《すけ》の殿はいかがでございましょうか」
興世王はちょっと思案した。
「……そうだな。六孫王は小面倒なことを申すかも知れん。なにせ、お若い上に、朝廷の威光と血統の高貴さとだけで身心共にしゃちこばらしているお人だ。しかし、本心はまろよりこわがっておられるのだ。それ故《ゆえ》にこそ和解の相談にも応ずる気になられたのだからな。何とかなろう。まろも共々口説くことにしようよ」
昼食の饗応にあずかりながら少し酒など飲んだ後、連れ立って経基の陣所に向った。
経基の陣所は十五六町離れた北向きの谷間にあった。日のささないそこは木々の梢もまだ芽吹かず、七つ八つしつらえられている幕舎も陰気でウソ寒げであった。それをはるかな下に見る山の尾根に馬を立てて、興世王が言う。
「用心深いお人でな。日あたりよく暖かい所に陣取られるがよかろう、春とはいえ、こちら側は寒いですぞと、まろが申したのだが、ここがこの山中で一番要害がよいと申されて、この寒いところにきめなすったのだ。おかげで、御家族衆も郎党共もふるえているという次第だ」
にやにや笑いながら、皮肉な調子であった。急には馬を進めようとしない。谷間の方々を注意深く見まわしている。
「どうなされたのです。早くまいりましょう」
と小次郎がうながすと、
「待て待て。めったに進めんのだ」
と、なお見まわしていたが、とつぜん大きな声で、オーイ、オーイ、と呼ばわった。すると、どこやらに鋭い呼子の音がおこったと思うと、次々に吹きつづけられ、方々の熊笹《くまざさ》の繁《しげ》みからムクムクと人が立上り、同時に幕舎の中からも吹っこぼれるように兵士等が出て来た。皆弓矢を手にして、こちらを凝視している。
興世王は手を上げてさしまねきながら呼ばわった。
「まろじゃ、まろじゃ。下総の平ノ将門殿をお連れして来た。用の趣《おもむき》は介の殿にはよく御承知のはずだ。案内頼むーッ!」
最も近いところにいた兵士が熊笹の斜面をガサガサと近づいて来る。
意外なことばかりに小次郎があきれていると、興世王は説明する。
「不用意に進むとあぶないのじゃよ。つい昨日のこと、まろの郎党がまろの使いに来て、いきなり矢を射かけられ、すんでのことに落命するところであったのだよ。どうやらある距離以上ことばなく近づくと容赦なく射殺せと命ぜられているらしいのだ」
その説明がおわる頃《ころ》、兵士が来た。五六間のところで式体《しきたい》して、興世王を見、その目をうつして小次郎を凝視して、それから言った。
「御案内いたします」
「えらいものものしいな」
と、興世王がからかった。にこりともせず、兵士はこたえた。
「主人の申しつけのままにいたしているのであります」
幕舎につくと、そこにひかえていた兵士等は左右に列をつくってひざまずいて迎えた。そのまま内へ迎え入れるのだろうと思っていると、一ノ郎党だろうか、一番えらそうな顔をしたのが進み出て、
「しばらくおひかえ下さい」
と、おしとどめておいて、幕舎に入って行き、やや経《た》って出て来た。
「お通り下さいまし」
大へんな厳重さだ。興世王の陣所の無造作さとまるでちがう。あきれていると、興世王はにやにや笑いながらささやいた。
「孫王じゃからな。大君の遠《とお》の朝廷《みかど》の官人《つかさびと》じゃからな」
経基は小次郎と同じ年頃であった。幕舎の奥の正面に楯をしき、熊の皮をしき、威儀を正してひかえていた。直衣《のうし》、立烏帽子《たてえぼし》、その上|笏《しやく》までたずさえている。京都朝廷の権威と文化を一身に体して坂東の荒夷《あらえびす》を圧倒してやろうとの気構えのようであった。悲壮であり、また滑稽《こつけい》であった。
経基の前には、同じように楯と熊の皮で席がしつらえてあり、その横に少し退《さが》ってまた一席しつらえてあった。しかし、これは熊の皮のかわりに円座がおいてある。前者は興世王用、後者は小次郎用と見えた。行きとどいた差別待遇であった。腹が立つより笑いたくなった。
「これへ」
経基は笏を以て前の席を示して興世王に言い、つぎに小次郎用を示した。小次郎には口をきかない。ただ示しただけである。彼は小次郎を記憶していないようであった。
興世王はすぐ小次郎を紹介した。経基のもったいぶりに反撥《はんぱつ》を感じている彼は、いつにもまさるザックバランな調子で言う。
「これは下総石井の住人、平ノ小次郎将門。目下のまろらに取っては、救いの神でおわす。おかげで今日の窮地から脱《ぬ》け出せるのですからな。ハハ、ハハ、ハハ」
経基はにがい顔をし、依然として威儀をくずさず、きびしい目を小次郎に向けた。
「そちの使いと称する者が一昨日まいって、ぜひにと申す故、一応まかせはしたが、当方の威が立たんようなあつかいではこまる。これはきびしく申しておく」
礼を言うどころではない。恩を垂れているような言い方だ。
こちらはムッとした。しかし、おさえて、
「もとより、お顔の立つようにはいたすつもりであります。しかし、先方の顔も立てていただきます。仲裁は双方によいようにするのであります故、双方にゆずり合っていただかねばなりません」
坂東の荒夷と軽蔑《けいべつ》しきっていたのに、鋭い論理で切りかえして来たのが、経基には意外でもあれば不愉快でもあった。しかし、当然の道理だから反駁《はんばく》は出来ない。不機嫌《ふきげん》そうに頬《ほお》をふくらかしていた。
興世王が笑いながら口を出した。
「肩ひじ張った言い方は互いにやめにつかまつろうよ。経基の殿は清和のお孫、石井のは桓武《かんむ》五世の孫、まろもまた然《しか》り、つまりは王《おう》氏|同士《どち》、打ちとけて語らおうではありませんか。いかがです、経基の殿」
「賛成です」
と答えはしたが、経基の顔は依然としてにがい。
興世王は一向かまわない。
「それ、介の殿もああ仰せられる。心おきなく申すがよいぞ」
と、小次郎に言っておいて、先刻小次郎が提示した条件を説明した。
見る見る、経基の様子がかわった。
「それで、王《みこ》は御満足でおわすのか。いやさ、それでまろらの威が立つと思召《おぼしめ》されるのか。押収《おうしゆう》の財物はすべて返還する。謝罪はする。それではまろらのしたことはみな悪いことになってしまう。国司たるの威がどこに立つと思《おぼ》されるのか」
はげしい調子であった。興世王に食ってかからんばかりであった。
興世王は、まあまあとなだめて、
「先ず武芝の方からまろらに謝罪するのであることをお忘れないように。――まあまあ、一応、まろに最後まで言わせていただきたい。――武芝がわびる。それに対して当方も、いや、こちらも行きすぎたよ。水に流してくれるよう。押収のものはすべて返還するからな≠ニわびるわけです。先ず武芝がわびることによって当方の顔が立つ、次に当方がわびることによって先方の顔が立つ。財物はもともと彼のもの故、これを返還するのは当然のことで……」
経基ははげしく首をふった。
「一体、|わび《ヽヽ》とはいかなる場合にすることです。自らの非を認めた場合にすることではありませんか。先方が先ずわびるなら、それは先方が非を認めたればこそのことです。すでに自らの非を認めている者にたいして、こちらからわびるなど、さような筋道の通らぬことがどこにあります。かれ非ならばわれ是《ぜ》、われ是ならばかれ非、まろははっきりとしたいのです」
小次郎は経基のもののわからなさにあきれた。まるで話にならないと思った。
「恐れながら」
と、口を出した。
「待て、待て」
と、興世王はおさえて、
「みことのように申されては、仲裁など無用のことです。のこる所は弓矢《きゆうし》だけです。しかし、弓矢となれば、京育ちのまろはとうてい坂東の武者共には勝ちみがない。ごめんこうむりたい。みことは大いに戦備をおさめて、勇ましく一戦して、坂東武者共に一泡《ひとあわ》吹かせておやりになるがよろしかろう。まろは和解させてもらいます」
おどかしたのであり、からかったのだ。経基は怒りと恐怖に青くなった。
「王《みこ》はまろを威迫されるのか」
と気色《けしき》ばんだ。
興世王は滅相《めつそう》もないといった顔で、
「どうしてさようなことがありましょう。時を同じくして遥々《はるばる》と京から東路《あずまじ》の果てにまいった我々です。なつかしみ親しみ思う情《こころ》は一方ならぬものがあります。しかし、さような危《あぶな》いことにまで同調することはごめんこうむりたいのです」
経基はもう何にも言わない。膝《ひざ》におし立てた笏をにぎりしめ、敷皮の右の前足の爪《つめ》のあたりを凝視していた。色のあせた唇《くちびる》から、ウム、ウム、ウム、と、数声のうめきがもれた。
それを皮肉な目で見ていた興世王は、くるりと小次郎の方を向いた。
「介の殿の御意志は聞く通りだ。所詮《しよせん》、お聞き入れはあるまい。残念であるが、いたし方はない。しかし、まろは違う。万事そなたに頼む。よろしくはからってもらいたい。――では、長居は御迷惑であろう故、このへんでお暇《いとま》しようかの」
立上ろうとした時、経基はこちらを向いた。
「しばらく」
「御用か」
興世王は立ちかけた膝をすえなおしたが、腰は半ば浮かしていた。
「いたし方はありません。まろもその条件で和解いたしましょう」
口惜《くや》しげに、ふるえている声であった。
「それはよい御思案、さすがは六孫王です。国の乱れ、民のわずらいとなっては、朝廷《おおやけ》にたいして申訳ないことですからな。珍重であります」
興世王は手のひらを返すようにお愛想を言う。子供あつかいしているのがはっきりと見えすいて、小次郎ははらはらさせられた。しかし、当の経基は案外勘がにぶいようであった。他のことに気がまわらないほど口惜しがっていたのかも知れない。
とにかくも、これで話はきまった。小次郎は礼を言った。
「さて、やがて武芝がまいりましょうから、まろが陣所へまいりましょうや。うちそろって国府へかえり、そこで和睦《わぼく》の式に及ぼうではありませんか」
と、興世王は経基をさそった。
「同道してまいるのでしょうか」
「さよう」
経基はさらに暗い表情になった。無理往生に和睦を承知させられたのが胸につかえて、なぜとはなしに素直になれないものがある。しばらくして言った。
「少々手間が取れます。先にいらしていただきます。やがて御陣所に伺いましょう」
経基の心理は、興世王には見通しだ。
(こんな場合には妙にねじくれないで、さらさらと運ぶほど見よいものだが、子供気の失《う》せぬ者はよくこんな風にくだらなくこだわるものだ。――よいわ、さらば心にまかせよう)
そこで、
「そうですか。それではそうしていただきましょう」
と言って、小次郎と共に辞去した。
興世王の陣所にかえってほどなく、武芝と玄明が到着した。五十人ほどの勢《せい》を引きつれて、相当厳重に武装している。
(少し厳重すぎる)
と、小次郎は思った。いくらか不愉快でもあった。小次郎を信ずるならこんなに厳重に自衛する必要はないはずである。玄明を呼んだ。
「おぬしがついていながら、どうしたことだ」
玄明はうなずいた。
「おれもそう思ったのだ。しかし、武芝の立場は無理がないと思った。かれこれ言ってはかえって不安がられ、事の破れるおそれもあった。まことにいたしかたがなかった」
言われてみると、それもそうだ。
四人打ちそろって、へだてなく歓談していたが、なかなか経基が来ない。そこで迎えを出した。
「やがて参りますが、先に行っていただきたい」
そうすることになった時、小次郎は提議した。
「兵をひきいて府に入るのは、この際としては不穏のように存じます。双方とも、兵はここに置いて行って下さるまいか。途中の警護は、てまえの兵共でうけたまわります」
もっともな提議であった。興世王も、武芝も承諾した。
間もなく、興世王、武芝、小次郎の三人は府中に向って出発した。玄明だけあとにのこった。
「双方の兵共に酒でものませて、仲直りさせてくれい。主人等だけが仲よくなっても、家来がにらみ合っていてはよくないからな」
と、興世王は玄明に言った。
そこで、三人が行ってしまうとすぐ、酒がはじまった。
幕舎を少し離れた丘の斜面にカマドを築いて鍋《なべ》をしかけ、あり合わせの食料をたたきこんで煮立てたものを肴《さかな》にし、あるかぎりの酒壺《さかつぼ》を出して、荒っぽい酒宴であった。
忽《たちま》ちみな仲良くなった。
油のような夕陽《ゆうひ》がテラテラとさしているそのスロープにはたえず談笑が湧《わ》き上り、唄《うた》が出、立って舞う者まで出て来た。いつの時代、どこの兵隊でもこんな場合は同じだ。なんの気取りもなく、楽しむのだ。
あまりにも楽しげなその様子に、幕舎の方から子供らが出て来て、少し離れた所から見物していた。
玄明は人々の中央に座をしめて、八方からさされる盃《さかずき》を受けてグイグイのんだ。身にしみ、心にしみてうまかった。楽しかったからである。
(見ろ、とうとうまとめ上げてしまったではないか。これで石井の小次郎は名実共に坂東武者の頭領《とうりよう》となった。その膳立《ぜんだ》てをしたのは、誰あろう、鹿島《かしま》ノ玄明《はるあき》という男だ。はて、聞いたような名だぞ。誰であったか知ら、ワッハッハッハハハ、おれだったよ、鹿島ノ玄明というのは。かく申すおれだったよ……)
どうにも愉快でならない、酒がうまい。
(実にうまく行ったな。知恵者だて、鹿島ノ玄明は。智謀《ちぼう》湧くがごときものがあるて。これからもまた色々と膳立てせねばならん。おれが伊予から帰って来たのは、そのためなのだからな。万事着々と進行中じゃ……)
無暗《むやみ》に愉快だ。酒がうまい。グイグイといくらでものむ。
ついに、手拍子を打って、酔いだみ声で唄いだし、非常な元気を見せた。しかし、鉄石の身ではない。数日間の寝食を忘れての働きに疲れ切っていることとて、一時にグンと酔いが深くなった。さされた盃を胸に支えたまま崩れるように横になったかと思うと、忽ち深い昏睡《こんすい》におちた。
雷車《らいしや》の転ずるようなすさまじいいびきをかいて玄明が睡《ねむ》っている時、兵士等の間に経基の話が出た。
「介《すけ》はあとから行くという話じゃったが、行ったかの」
「行ったじゃろうよ。この時刻じゃ」
「そんだら、あの衆もなかまに入れてやらんでは悪いのう」
「そりゃそうじゃ。呼んで来べえか」
「呼んで来べえ、呼んで来べえ」
したたかに酔いがまわっている。決議は早い。我も我もと呼びに出かける。
日はすでに丹沢山塊のかなたに沈もうとしている頃であった。
一同が経基の陣所の見える尾根に達した頃《ころ》、日はもう沈んでいた。明日の好晴を約束する茜《あかね》色の夕映えが空にはあったが、北向きの谷間にはもう蒼黒《あおぐろ》い夕靄《ゆうもや》がこめて、幕舎に点《つ》けた灯影《ほかげ》が夜光を発する水中の烏賊《いか》かクラゲのようにボウと幕舎を浮き立たせていた。
「ホーイ」
と、一人が呼んだ。
答えはなくて、こだまだけがかえって来た。
ホーイ、ホーイ、ホーイ、と、皆呼び立てた。
「返事がねえぞ。行って見べえ、行って見べえ」
と言い出して、ゾロゾロと斜面を下りはじめた。
「危ねえぞ。無暗に行くと矢を射かけるちゅうぞ」
と、注意する者があったが、皆酔っている。耳に入らない。たまたま耳に入れたものも、
「それは昨日までのことだべし。今日からは違うだ」
と、言いすてた。
ホーイ、ホーイ、ホーイ、と、呼び立てながら下りつづけていると、にわかに一人が悲鳴をあげてよろめいた。
「何だア、酔いくらいおって、しっかりしろい!」
そばの一人がささえてやりながら見ると、その兵は箆《の》深く肩につきささった矢を引きぬこうとしてもがいていた。
大さわぎになった。一同はあわてふためいて尾根に逃げ上り、怒りわめいた。
経基はまだ陣所にいた。
ああは答えたものの、また事情まことにやむを得ないとは承知しているものの、何としても気が進まない。行かなければならないと思いながらもぐずぐずと時をうつした。しかし、ついに意を決して、出かける支度をしている時、尾根の上にさわぎがおこった。
経基はおどろきおびえた。
「誰かある、誰かある」
と、呼び立てたが、誰も来る者がない。やむなく幕舎の外に走り出して、さわぎの聞こえて来る尾根の方を仰いだ。
残照の空をバックにして尾根の稜線《りようせん》はくっきりと見えているが、人の影は見えない。尾根から少し下った、蒼黒い夕暗の色に塗りつぶされているあたりに、わめき立てる荒々しい声がしている。
はっきりと姿のつかまれないもどかしさと不安とが、経基の胸をゆさぶった。
「誰かある! 誰かある!」
経基は呼ばわりつづけたが、そのへんには郎党等はいなかった。皆声のする方に行っているらしい。経基は自分の声がしだいにかん走り、しだいにふるえて来るのを感じて、呼ぶのをやめた。ただ、さわぎのするあたりを見つめていた。
そのさわぎがとつぜん高くなり、一きわ荒々しく乱れたかと思うと、尾根の稜線上に多数の人影があらわれた。影絵のようなその者共はおどり狂い、わめき立てた。皆、弓矢をたずさえ、刀を佩《は》いている。
更に強い恐怖が胸をひっつかんで、こおりついたように凝視していると、郎党の一人が走って来て、ひざまずいた。
「申し上げます!」
「あれは何だ?」
「権《ごん》ノ守《かみ》の殿の兵共と武蔵ノ武芝の兵共でございます」
「なに!」
「かねて仰《おお》せつけおかれました場所をこえて、理不尽に踏みこんでまいりますによって、一矢食らわせましたところ、引き退《の》いたのでございます。しかし、やがて再び押し寄せてまいることは必定であります。いかがいたすべきか、お指図を願います」
経基は仰天した。乱暴な手でいきなり頭の中を引っかきまわされた気持であった。まとまりのある思案はもちろん出来ない。きれぎれな思いが、風に吹かれて飛んで行く木の葉のようにひらめき過ぎる。
(これは石井《いわい》の小次郎のさしがねだ……)
(興世王と武芝とが合体して、自分を討とうとしている……)
(小次郎の仲裁に、まろは色よく返事をしなかった。渋々と承知した……)
(興世王も、小次郎も、不快げな顔をしていた……)
(興世王はまろをおどろかしまでした)
こうしてはおられないと思った。
逃げねばならないと思った。ものも言わず、幕舎に走りこもうとした。
「殿、殿、殿……」
呼ばわりながら、郎党が追いかけて来て、むずと袖《そで》をとらえた。
「はなせ! まろを何とするのだ!」
経基は女のようにカン走った声で叫んだ。
「おさしずを願います。戦うのでありますか」
はっと気がついた。
「おお、戦うのだ! 防ぎ矢射よ! 一兵も近づけるな!」
と、叫んで、幕舎に飛びこんだが、すぐ、
(ああ、そうであった! 家族共だ!)
と気づいて飛び出し、家族等のいる幕舎に走った。
家族等はその幕舎のまわりにかたまって、もう暗くなって星のかがやいている空をバックにして、ただ、真黒な色をしてのしかかるように近く見える尾根を見つめていた。そこから鬨《とき》の声めいたわめきが聞こえ、谷にこだまするのにおびえきっていた。一つにかたまってふるえているその様子は、さながらに狼《おおかみ》の群の遠吠《とおぼ》えにおびえかたまっている小羊の群であった。
「支度せい、支度せい、一刻も猶予《ゆうよ》は出来ぬ。逃げる支度せい!」
人々の中に走りこむや、経基はわめき立てた。
家族等は一層おびえた。子供等は泣き出し、女等は金切声をあげて走りさわいだ。
その混乱ははねかえって、こんどは経基をおびやかした。居ても立ってもおられない。
「さわぐな! さわぐな! おちついて支度せい! ええい! さわぐなというに!」
ひっきりなしに聞こえて来る尾根のわめきが、経基をせき立て、おびえさせてやまない。やたらむしょうにわめき立て、叱《しか》りつけ、走りまわった。
こんなさわぎが起ったことは、玄明は露知らない。疲労と深い酔いのために前後を知らず眠りこんでいたが、あわただしい声に夢を破られた。何か知らないが、おそろしくやかましい。
「やれやれ、さわぐことじゃ。寝られはせんじゃないか」
遠のく眠りにしがみつく思いで、かたく目をつぶって、寝がえりを打った時、何かはげしく呼び立てながら揺りおこすものがあった。
「もう少し寝せてくれ。酒はもう沢山だ」
と言った時、相手の声が耳に入った。
「大へんです、大へんです、起きて下さい!」
「なに? なにが起ったというのだ!」
はっきりと目をさまして、ムクムクと起き上った。
「介《すけ》の殿が逃げなさったのです」
「逃げなさった? 介の殿が? ――どこへ?」
腑《ふ》におちなかった。
武芝の郎党はいそがしく委細を語った。経基の兵共が遮二無二《しやにむに》射かけて来るので、こちらもつい癇癪《かんしやく》をおこし、はげしい矢戦さになった。やがて経基方が逃げ散ったので、陣所に行ってみると、何もかも取り散らしたまま、経基をはじめ皆いなくなっていた。矢傷を負うて逃げおくれた者が二三人いたので、取りおさえて聞いてみると、矢戦さのはじまる頃には経基はもういなかったという。家族を引きまとめ、あわてふためいて逃げ出したという。
「しまった!」
玄明は、あきれ、また、うろたえた。どうしてよいか、とっさには思案がつかない。ものも言わず、馬に飛びのって、経基の陣所へ向った。真暗な山路だが、盲《めくら》滅法に馬を飛ばした。
「なんということをしてくれたのだ。なんということをしてくれたのだ……」
と、たえずつぶやいていた。
聞いた通りであった。倒れたり、倒れかかったりしている幕舎や、投げ出された楯《たて》や、様々の器具の散乱しているそこには、興世王と武芝の兵士等が焚火《たきび》をかこんで坐《すわ》っていた。今は酔いもさめ果てて、ぼうぜんとした顔をしていた。
玄明の来たのに気づくと、焚火を離れて四五人寄って来た。
玄明はもう取りあえずの対策を考えついていた。馬上から言った。
「矢傷を負うたという向うの兵共はどこにいるのだ」
「あそこです」
焚火の近くの幕舎を指さした。
馬を下りて行ってみた。
焚火の火明《ほあか》りを受けて、幕舎の中は相当明るかった。三人の手負《ておい》等は縛られたまま横になっていた。
玄明は一人に聞いた。
「介の殿は逃げなさった由《よし》だが、どこに行かれたのだ」
「知らん」
負傷者はものうさそうにこたえた。
「そんならどこだと思うかの」
「多分京じゃろう」
「なに、京?」
負傷者は、とつぜん、熱心になった。
「どこだか、おれは知らん。しかし、多分京じゃと思う」
言いおわって、そっぽを向いて、口をつぐんだ。
青春
急報に接して興世《おきよ》王も武芝も小次郎も国府から駆けつけた。ことの意外に三人ともぼうぜんたるばかりであった。
「取りしまりの役を引受けていながらこんな失態をしでかしたこと、まことに申訳がない」
と、玄明《はるあき》はくりかえしわびを言った。
どうわびられたとて、取りかえしのつくことではなかった。
「済んだことだ、もう言うな」
と、小次郎がどなりつけると、玄明は気の毒なくらいしょげた。
「そなたの失態とばかりは言えぬ。六孫王が人なみな胆玉《きもたま》を持っていなされば、なにごともなく済んだのだ。あのお人が小雀《こすずめ》くらいの胆玉しかお持ちでないが故《ゆえ》に、可惜《あたら》、こちらの兵共の懇親をもとめる呼び声を大敵襲来の鬨の声と聞きなし、臆病風《おくびようかぜ》に吹き飛ばされなさったのだ。そうおれが悪かった、おれが悪かったと言うのは、聞き苦しい。もうやめるがよい」
と、興世王は笑った。
四人はそのまま狭服山《さふくやま》にとどまって、八方に兵共を派して経基の行くえをさがしたところ、翌々日の昼頃《ひるごろ》になって、経基が足柄《あしがら》をこえて西に奔《はし》ったことがわかった。
「やれやれ、やはり京か。風声|鶴唳《かくれい》ということもあればあるものだな」
興世王はれいによって笑い飛ばしたが、武芝は目をしばたたきながら考え深そうに言った。
「介の殿が京で何と申し上げなさるやら。そうした申し上げがまたよく利《き》くところでありますでな、朝廷《おおやけ》と申すところは。厄介《やつかい》なことにならねばようございますがな」
武芝の憂《うれ》えは小次郎の憂えでもあった。しかし、今の小次郎としては、屈辱感による悩みの方が強かった。
(来るのではなかった。いい気になってのぼせた罰だと世間では言っているであろう)
と思わざるを得ないのだ。なかにも、田原の藤太がどう思うであろうかと思うと、身の置場がないほどやるせなかった。傲岸《ごうがん》でつめたい藤太の目つきを思い出すと、所かまわずうめき出しそうであった。
「おれの口から言ってはごまかしめいて心苦しいが、興世王と武芝の間を和解させただけでも、来た甲斐《かい》はあったと思うべきでないかな。まあ、そう思ってくれ」
と、玄明は慰めたが、心は楽しまなかった。
三日目に、帰途についた。この数日の間に春は驚くばかり急調に進んでいた。あらゆる植物は緑の色にかわり、春咲く花はすべてひらいていた。その日は天気もよかった。寒からぬほどにそよ風があり、うららかな日が照り、あらゆるものが快い陶酔のうちにあるようであった。
利根《とね》川のへりで舟をやとって、ここから石井《いわい》の西半里ばかりのあたりまで漫々とたたえている長洲《ながす》の大沼(今の鵠戸《くぐいど》沼)を渡ったが、その頃になると、小次郎の胸の鬱屈《うつくつ》もいくらかひらいた。至る所にある浅瀬から緑の針を立てならべたようにツンツンとのびている葦《あし》の若芽や、時々はねる大きな魚や、ぼかしたように淡い緑の色を遠い岸に棚引《たなび》かせている柳や、枯れたままのこっている葦のしげみの中で際限もないおしゃべりをつづけている葭雀《よしきり》や、いろいろなものが心を慰めた。
「あそこへ立って手を振っているのは、四郎の殿ではないか」
と、玄明が次第に近づいて来る岸を指さして言った。
舟のつくべき岸に一かかえもあるような欅《けやき》の老樹が三本かたまって、扇形にひらいた梢《こずえ》が空をはらっているが、そこに立ってしきりに手を振っている者がある。旅姿だ。三四人の従者と乗馬をわきにおいている。
たしかに将平《まさひら》にちがいなかった。
「おおい」
手を上げてこたえながら考えた。
(どこへ行くつもりだろう。急な用事でもあって自分に知らせるために旅立ちしたのだろうか。しかし、それにしては様子が明るい。不吉な用ではないらしい)
やがて船は岸についた。
「お迎いに上ろうとして出て来たのですが、工合《ぐあい》よくお逢《あ》い出来ました。思いがけない人が来たのです」
将平は、ひどく浮き浮きしている。あまり将平がうれしそうにしているので、小次郎もにこにこしてしまった。
「思いがけない人? 誰だな?」
「ほんとに思いがけない人です。陸奥《むつ》から来たのです」
「ほう?」
考えてみたが、わかるはずはなかった。
「誰だな」
「蝦夷人《えぞびと》イカサインのむすめサムロの妹タミヤという美しいメノコが来たのです」
「なんだと?」
小次郎はおどろいた。
この近年たえて思い出すことのなかった少年の日のことが、古い記憶の底からありありとよみがえって来た。たしかにサムロにはタミヤという妹があった。鎮守府に勤務していた信夫《しのぶ》の若者につれられて霧の深い北上川を渡ってはじめてサムロに会いに行った時、父のイカサインに言いつけられて、タミヤはサムロを呼びに家を飛び出して行った。やがては美しいメノコに成長するであろうとは思われたが、いたいたしいくらいに繊細な顔とからだつきの少女であった。わけて長い首が美しかった。
小次郎は、心中に指をおった。
(あの頃《ころ》いくつだったろう。七つか八つではなかったろうか。とすれば、――もう十八か九になっているはず)
「記憶があるでしょう、兄上」
からかうような微笑をふくんで、将平は言う。
「よく憶《おぼ》えている。しかし、どうして来たのだろう」
将平は説明しかけたが、小次郎の馬が舟から上げられて曳《ひ》いて来られると、
「馬に召して下さい。歩きながら申し上げましょう」
と言って、自分も馬にまたがった。
兄弟、馬をならべて進む。水入らずの話らしいので、玄明も、郎党等も兄弟のそばに寄らず、十間ほどもおくれて打たせる。
小次郎も気がつかず、サムロも気がつかなかったが、小次郎が陸奥を立去る時、サムロは妊娠していて、翌年の春出産した。男の子であった。ヤマト人式に胆沢丸《いさわまる》と名づけられ、元気に育って行ったが、サムロの方は肥立ちが悪く、二カ月も床についたきり、ついに死んでしまった。
イカサイン夫婦は、娘の死をかなしみつつも、胆沢丸をいつくしみ育てた。
胆沢丸はからだもすこやかで大きく、知恵づきも早かった。五つ六つになると部落の子供の大将になり、九つになると一人前に猟が出来た。射術が巧みで、狩場における駆引のうまいことは、大人を驚かすほどであった。
「そのはずよ。平人《ただうど》の胤《たね》ではない。将軍の殿の太郎君の公達《きんだち》じゃものな」
と、いつもイカサインは言った。
胆沢丸が十四五になったら坂東の父の許《もと》へ送ろうとイカサインは考えていたが、去年の秋、山に狩に行って獲物《えもの》を追いかけて疾駆しているうちに、足を踏みすべらせて谷におち、大怪我《おおけが》をし、それがもとで、一月ほどの後あえなくなってしまった。
イカサインのかなしみは言うまでもない。
「小次郎の殿にも、サムロにも、申訳ないことをしてしまった」
と、なげきくらして、毎日酒びたりになっていたが、年が明けると間もなくポックリと死んでしまった。すると、十日も経《た》たないうちに、妻も死んでしまった。
タミヤは、父母の生きている間から、姉や胆沢丸のことを知らせるために坂東へ行きたいと思っていたが、父母が死んで頼りない身になると決心をつけ、胆沢を出発したのであった。
小次郎は一言も口をはさまず、将平の言うことを聞いた。色々なことが雲のように胸に湧《わ》いて、ほとんどそれに圧倒される思いであった。陸奥のはてに自分の子が生れていたということ、その子がつい昨年の冬まですこやかに育っていたということ、サムロが死んだということ、すべてがまるで知らなかったことだ。
「そうだったのか」
やっとそう言った。
いたしかたのないこととは思いながらも、すまなかったと思わずにはおられなかった。
ふと、将平が言った。
「あれで蝦夷《えぞ》なのでしょうか。あんなに美しい娘は日本人にもめずらしいくらいですよ。おどろきました」
生き生きとした目がかがやき、頬《ほお》が赤らんでいた。
「どんな|きもの《ヽヽヽ》を着て来た? 蝦夷人のきものではないのか」
「こちらの着物を着ていますよ」
「そうか」
一時も早く会って、くわしい話を聞きたかった。それを察知したように、将平は言った。
「急ぎましょう。心細がっているに相違ありませんから」
タミヤは昨日の夕方石井の館《やかた》に到着した。鎮守府将軍というえらい殿様のお館であるから、ずいぶん立派なものであろうと想像して来たのであろうが、その厳重さははるかに想像をこえていた。どうしてよいかわからず、茫然《ぼうぜん》として大手の門前にたたずんでいると、門をまもっている兵が出て来て、何者であるかととがめた。
「陸奥でなくなられた鎮守府将軍の殿の太郎君を尋ねて来ましただ」
と、タミヤは答えた。
妙な言い方に、兵はおどろいた。よくわからなかった。何べんも聞きなおした。タミヤが美しい娘だったので、門にいるかぎりの兵共が出て来た。タミヤは誰にきかれても、また何べん聞かれても、同じことばで答えた。
「陸奥でなくなられた鎮守府将軍というと、先殿《せんとの》のことであろうず」
「そうだべし。先殿は正《まさ》しく鎮守府将軍でおわした。正しく正しく陸奥でおなくなりになったでの」
「とすれば、その太郎君ちゅうと、今の殿のことではねえだか」
「そういう勘定になるのう」
「つまり、この娘は殿をたずねて来たのじゃに」
やっと結論に達して、第二の尋問にかかる。
「で、汝《われ》はどこから来たのじゃな」
「陸奥から来ましただ」
「ひゃあ! 陸奥から! 汝ひとりで?」
「陸奥の胆沢《いさわ》から来ましただ。ひとりで」
「ひゃあ! 胆沢ちゅうと、鎮守府のある所だで」
「そうですだ。鎮守府のある所ですだ」
兵士等はどぎもをぬかれて、しばしタミヤを凝視していた。人々のその無言の凝視にとりまかれていると、タミヤは胸がせまり、泣けそうになって来た。けれども、泣いてはいけないと思って、必死にこらえて言った。
「遠いところから来たのですだ。とりついで下さいな。太郎君に」
微笑しながらもふるえる声で言う姿が、兵士等にはいじらしく感ぜられた。
「殿は|おるす《ヽヽヽ》じゃが、刀自《とじ》に申し上げてみる。しばらく待っとれや」
と、言って、一人が門内にかけこんだ。
こうして、ともかくも館内に通された。
老刀自と若刀自とが会って、委細のことを聞いた。二人にははじめて聞くことではあったが、疑いはしなかった。それでも、一応老刀自はきいた。
「何か証拠になる品物がありますか」
「あります。これです」
タミヤは包みを解いて、ひとふりの短刀を取り出して渡した。
螺鈿《らでん》ザヤのその短刀は、小次郎の元服(ういこうぶり)の時、良将《よしまさ》があたえたものであった。
疑う余地はなかった。
「このほかにも、色々いただいたものがあったのですが、みんな父《とと》が酒にかえてしまいました」
と、タミヤは言った。
四郎将平の来たのは、その翌日であった。彼はタミヤを見、母と嫂《あによめ》からことの子細を聞くと、
「一時も早く兄上に知らせなければなりません。わたくしが参りましょう」
と言って出発にかかった。いつものおっとりとした性質に似ない性急さであった。
老刀自も、若刀自も、小次郎の弟等も、タミヤをよくいたわった。
「遠いところをよくねえ。さぞ心細かったことでしょうねえ」
刀自等は感嘆し、いとしがって、何くれとなく世話をやいた。
中にも、豊太丸は、この年頃の子供によくある新奇好みもあるのであろうが、この若く美しい娘が大へん気に入ったらしく、そばにつきっきりで片時も離れない。タミヤに密着して坐《すわ》り、背中をもたせかけているのであった。
この温かい待遇に、タミヤは心細さが消えた。来てよかったと思った。しかし、かんじんの小次郎にまだ会わないので、何となく落ちつかなかった。
彼女はその心を深くつつんで、あてがわれたへやの簀子《すのこ》に出て、暖かい日を浴びながら、肌身《はだみ》はなさずふところにたずさえたマキリ(小刀)を出して、豊太丸のために|おもちゃ《ヽヽヽヽ》をつくってやった。
よく切れるマキリの動きに、快い音がサクリサクリと立ち、木屑《きくず》が散らばるにつれて、そのへんからひろって来た木ぎれは人形のかたちになって行く。
「うまいのう、汝は。ほんとにうまいのう。やあ、耳が出来た。やあ、こんどは鼻じゃ!……」
豊太丸はタミヤの手許をのぞきこみながら、たえず感嘆した。
こうして出来上った人形は、未開人の手すさびらしい野性的な力と美しさにみちてはいるものの、稚拙なものであった。しかし、豊太丸にはおそろしく精巧なものに見えたらしい。タミヤから渡されると、
「やあ、これ、おれにくれるのか!」
と、目をかがやかせ、しみじみと眺《なが》めていたが、
「ああ、ほんとの人そっくりじゃ! お母《たあ》様に見せて来《こ》う!」
と、叫んで、バタバタと駆け去った。
タミヤはマキリの刃をていねいに袖《そで》で拭《ふ》いて|さや《ヽヽ》におさめ、庭先に目を向けた。長い息をついた。豊太丸のいる間消えたことのなかった微笑はその顔から去っていた。
彼女は非常に美しかったが、それは日本人の美しさではなかった。先《ま》ず髪が漆黒であるが、波打っていた。顔は細面《ほそおもて》で彫りが深かった。真直《まつす》ぐな鼻梁《びりよう》は細くて高く、秀《ひい》でた眉《まゆ》と目の間が短く、大きな二重まぶたの目は深い眼窩《がんか》の底に強いかがやきをもって黒々とすんでいた。一体に調子の強い顔であった。横顔など猛禽《もうきん》的な高貴な猛々《たけだけ》しさがあった。しかし、正面から見ると何とも言えず可憐《かれん》であった。それはその端正な鼻梁のつけ根にほんのりとすけて見える静脈のせいであったかも知れない。ほのかに薄青いそれは痛々しいくらい繊細で、見る人の心を切なくするものがあった。
日はもう未《ひつじ》の刻をとうに過ぎている。日の光には赤みがまじり、庭には風が立っていた。
(殿はいつ帰ってみえるのだろうか)
と、また溜息《ためいき》をついた時、豊太丸が走りもどって来た。右の胸にさっきの人形を抱きしめている。ハアハア息をはずませながら叫んだ。
「お父《もう》さまがかえって見えた! お父さまがかえってみえた!」
馬を下りる前に、早くも小次郎はタミヤを見つけていた。車寄せの前に老母、良子、婢女《はしため》等がごたごたとかたまって迎えに出ている中に、豊太丸に袖をつかまえられながら、かがやく目で彼を見つめているおとめの顔には一目でそれとわかる特色的なものがあった。
(ほう、この娘《こ》か)
と、凝視したが、十一年昔に、しかも幼な顔をほんの数回見たきりにすぎない。面《おも》がわりしてもいるのだろう。まるで記憶はなかった。しかし、疑いはしなかった。日本の女の服装はしていても、蝦夷女の容貌《ようぼう》であることに間違いなかった。
馬を下りて、母や妻の迎えのことばにうなずいた後、いつもの通り豊太丸にことばをかけた。
「豊太丸や、かえって来たぞ。さあ来ぬか」
豊太丸はタミヤの袖をつかんだまま進み出ようとした。タミヤがはなそうとしたが、豊太丸ははなそうとしない。タミヤは引きずられる形でついて出た。
小次郎の目とタミヤの目が合った。
タミヤはおじぎした。微笑していた。
「話は将平から聞いた。遠路を大へんであったな」
タミヤは微笑のまま首を振っただけで、ものは言わなかった。
小次郎は豊太丸を抱き上げたが、抱き上げられながらも豊太丸は依然としてタミヤの袖をはなさない。タミヤの袖はまくれ、白い腕がひじまであらわになった。
タミヤは顔を赤らめ、あわててひじをかくした。
「はなして下さいな。和子《わこ》」
といったが、豊太丸は首を振った。
「いや!」
と、強く言って、胸に抱いた人形を父に示した。
「この人がつくってくれました。うまいでしょう」
「うん、うん、うまいな。そりゃよかった」
やっとタミヤの袖をはなさせて、屋内に入った。
玄明《はるあき》がいるので、その夜はタミヤと語る機会はなかった。ゆっくりタミヤに会うことが出来たのは、翌日玄明が常陸《ひたち》にかえって行ってからであった。
小次郎は客殿に家族等を集めて、改めて委細のことを聞いた。話の要領は将平に聞いたこと以上に出なかったが、附随するこまやかな話は終日聞いてもまだ尽きなかった。
小次郎は家族と共にタミヤを結城《ゆうき》寺に連れて行き、僧に頼んでサムロと胆沢丸の冥福《めいふく》のために経を誦《よ》んでもらった。
こうして、タミヤは石井にとどまることになったが、明るい性質だったので、すぐ一家の中にとけこんで、一族の末の家の娘で養女になっている者くらいの格で、豊太丸の遊び相手をつとめたり、婢女等の中に入って働いたりするようになった。
要するに、一切が前にかえって、平和な坂東の豪族の家の生活がはじまったわけであるが、ただひとり、将平の様子だけが以前とかわって来た。
学問に凝りかたまっている将平は、内弟子となってずっと菅原《すがわら》家に行っていて、ほんの時たまにしか石井に帰って来ない。たまたま帰って来てもせいぜい一泊するくらいで、大抵はその日のうちにまた師の許《もと》にかえって行っていたのだ。ところが、タミヤが来てからはせっせと帰って来る。そして、帰って来れば必ず泊った。それも一夜でなく、二泊も三泊もした。
将平のこの変り方には、気づかない者がなかった。老刀自や良子はもちろん、小次郎も気がついていた。郎党や下人や婢女等もまた気づいていた。
下人等はにやにやと笑いながら言った。
「春になれば草木が芽ぐみ、花の蕾《つぼみ》がふくらむ。あたり前のことぞいの。四郎君も|はたち《ヽヽヽ》、おそすぎた春じゃてや」
彼等にとっては、将平は一風も二風も変った人間であった。家柄《いえがら》もよければ財力も十分にある家に眉目《みめ》形もよく生れつきながら、あたら若い日を、何が面白いのか、四角な文字ばかりならんでいる書巻を読むことだけに熱中しているのだ。見当も何もつきはしない。
「もったいないのう。世の楽しみはよりどり見どりの御身分にいなさるのじゃに。変ったお人じゃて」
とあきれかえっていたのだ。
それが、とつぜんにこんなことになったのだ。大いに興味をそそられて、観察しているわけであった。もとより、羨望《せんぼう》や、嫉妬《しつと》や、悪意はない。
ところが、将平の方は、何が何やら自分の心理状態がわからないでいた。引きつけてやまないものが自宅にあって、師の家に落ちついていることが出来ない。ふらふらと帰宅して来るのだが、家にも落ちつけない。しばらくすると、学問のことが気になって、師の家に向わずにおられない。石井と広河の江のほとりの間を、しず心なく往復しているだけのこの頃《ごろ》であった。つまり、
「これが恋というものだ」
と、気がつかないのであった。だから、心が落ちつきを失ってそわつき、学問にたいして懈怠《けたい》の心が生じているようなのがかなしくて、せっかく家へ帰っても、机にかじりついたまま書物ばかり読む。そうせずにおられないのだ。タミヤに会ってものを言ったりなどは決してしない。恐怖に似た気持がある。
このような将平の態度は、これまた下人共には不可解なものであった。
「やれ、はがゆいことの。娘《あま》ッ子よりまだうぶいわの。真直ぐに顔見ることもようせんでおられるわの」
と、じれったがる者があるかと思うと、
「ありゃ恋ではないぞえ。恋ちゅうものはあんなもんではねえ。夏の夜の灯《ひ》とり虫みてえなものよ。恋しい人にまっしぐらに進んで行かずにおられねえもんじゃて。あんなもんじゃねえ。ありゃ何かちがうもんに取り憑《つ》かれていなさるのじゃで、きっと」
と、いうものもあった。
良子は将平の初心きわまる恋を見ておられなくなった。滑稽《こつけい》にも思ったが、何よりもいじらしかった。そこで、ある夜、将平が来ている夜のことであった。寝ものがたりに夫に言った。
「四郎殿のこと、あのままにしておいていいでしょうか」
「何のことだ?」
話がとつぜんだったので、急にはわからない。一体に、こんな話には勘のにぶい方でもあるのだ。
(兄弟って、争われないものだこと!)
良子は笑いたくなったが、こらえて言った。
「あの人、恋をしていますよ」
小次郎はふき出した。
「うん、うん」
「そのくせ、まるで相手に近づこうともしません。恥かしがっているのですよ」
小次郎はカラカラと笑った。仰臥《ぎようが》している大きなからだが震動を伝えて、床がふるえるほどに大きな笑いであった。
笑いやんで言った。
「そのようだな」
「わたくし、いじらしくってね。何とかして上げましょうよ」
「何とかするって、どうするのだ?」
「方法は色々あります。どうにも見ていられません」
小次郎はまた笑った。学問だけはやたら出来るくせに、実人生のことは何一つとしてひとり前に処理することの出来ない弟が、滑稽でもあればいじらしくもあった。
「ばかなやつだ。二十にもなって、ひとりでは恋も出来ないとはあきれたやつだ。いい工夫があるなら、何とかしてやってくれ。おれの見る所では、あの娘《こ》も四郎をきらっているようには見えないからな」
「よくおわかりですこと! もっとも、蝦夷のメノコについては、殿は御案内者ですものね」
「何を言う!」
「ホッホホホホ」
その翌日の午《ひる》少し前であった。良子は将平の居間を訪れた。
いつもの通り、将平は机に向って書物に対していた。
「ちょっとお話があって来ました」
「そうですか、何でしょう」
将平は書物をおいて、向きなおった。
「あなたはおいくつでしたかね」
「この正月ではたちになったのですが、どうしたのです」
「何でもありません」
と言って、良子はニコニコして言った。
「あなたは、タミヤさんが好きなのでしょう。恋しているのでしょう」
その時の将平の表情こそ見ものであった。深い淵《ふち》の底に冬眠しているところを一気に釣《つ》り上げられた鮒《ふな》の顔、月に浮かれてひょこりひょこりと草原を歩いているうちにストンとおとし穴におちた兎《うさぎ》の顔、といったら、ほぼ近かろうか。キョトンとして嫂《あによめ》の顔を見ていたが、忽《たちま》ちうろたえ切った顔になった。燃えるような赤い色になった。
将平はさけんだ。
「わたくしがあの人を?」
「そうです。あなたがあの人を恋しているのです」
良子は落ちついている。
将平の顔から血の色が退《ひ》いて、うつ向いた。とどめをさされた狩場の獣のようにひっそりとなった。
「ねえ、そうでしょう」
将平は顔を上げたが、すぐまたうつ向いた。つぶやくように低い声で、
「わたくしにはよくわからないのです。一体、これが恋というものなのでしょうか」
良子はホホと笑った。
「あなたは、心の中にあこがれてやまないものがあって、何をしても、どこにいても、心がそわそわして、落ちついていられないでしょう」
将平は顔を上げた。
「そうです。そうです。嫂上《あねうえ》はよくごぞんじです。見通しだ」
はずんだ声であった。無邪気に感心した顔だ。
良子はまた笑った。
「たしかに恋です。あなたはただ一つ、タミヤさんの側《そば》にいる時だけ、気持が落ちついているでしょう」
将平はまた赤い顔になった。
「はい、しかし、それもほんのしばらくのことです。すぐまたそわそわと落ちつかなくなります」
「学問のことが気にかかるのでしょう」
「そうです、そうです。何でも嫂さんはわかっているのですね」
「つまり、学問と恋の間に、あなたは揺れているのですよ」
「…………」
「恋の方を早くかたづけてしまわなければ、あなたは学問が出来なくなりますよ」
「…………」
「わたしにはわかっています。あの人もあなたを好いていますよ。なぜ、さっさと進まないのです。男女の間《なか》というものは、男の方から手をさし出すものですよ。どんなに好きでも、女はつつましく待っていなければならないことになっているのですからね」
将平の目はよろこびに燃えた。
「ほんとでしょうか。あの人はわたくしを好いてくれているのでしょうか。ほんとにそう思いますか」
「好いていますとも! ですから、あなたは早くあの人にそう言わなければなりません」
「しかし、それはおそろしい。わたくしには、あの人が好いていてくれているとは思われない。あの人はきっと手ひどくことわるでしょう。わたくしをいやな人間と思うようになるでしょう。今のままなら、特別に好いてはくれなくても、きらってはいないようですが」
「ホッホホホホ、ばかねえ。男がそんな弱いことでどうします。思い切って進むんですよ」
「とても出来ない。とても、わたくしには出来ない」
「こまった人。そんなら、わたくしがあの人に言って上げましょうよ。今夜、あの人に言いましょうよ」
将平はふるえ上った。
「いけません! いけません! それはやめて下さい!……しかし、いや、やはり……いや、わたくしは広河の江にかえります。わたくしはおそろしい。とてもいられない。かえります」
そわそわと、机の上のものを片づけはじめた。
しばらくの後、将平は館《やかた》を出て、広河の江の方に向いつつあった。
春はもう老いて、若葉の季節に近い。せかせかと歩いていると、背中に汗が流れて来た。
「とんでもないことだ。そんなことを言うなど。おれは、今のままで十分なのだ。ほんとにとんでもない。嫂さんはいい人だが、時々突拍子もないことを言うからいけない……」
たえずこんなことをつぶやいていた。
館を出て一里ほど行くと、林がある。それを抜ければ広河の江、そこの岸で船をやとって渡った。対岸に菅家《かんけ》の新しい田荘《たどころ》があるのだ。
雑木の多い林の中の空気は清冷でさわやかな若葉の香りにみたされていた。将平はしばらく立ちどまって、いくども深呼吸した。からだ全体が洗いすすがれるような気持とともに、混乱し熱していた心がしずまって来た。
良子との応答を思い出してみた。狼狽《ろうばい》しきってヘマなことを言ったことが恥かしかった。自分がいとわしくさえなって来た。
(堂々たる男子の所業ではない。まるで子供だ。いや田舎娘そのままだ。なんといういくじのない男だろう、おれは!)
鋭く心が痛んだ。からだのどこかが痛む人のように声に出してうめき、ついに、
「ばか者!」
と、大きな声で叫んだ。
その時、どこかでガサッとしげみが鳴った。
将平はおどろいて、音のした方をふりかえった。人の姿が見えた、道から四五間入ったところに。腰から下が笹《ささ》のしげみに蔽《おお》われて、びっくりしたように突っ立っているその人の顔を見た時、将平は息を内に引いた。タミヤだったのだ。
タミヤはにっこり笑った。
「びっくりしました、あたし」
「タミヤさんか」
ほほえみかえそうとしたが、胸がさわぎ立って来て、それが出来なかった。
「あたしは花を摘みに来ました。ほら、こんなに摘みましたよ」
きびきびと素速い動作で、足許から竹籠《たけかご》をつかみ上げて見せた。籠の中には季節の花がそれぞれの色彩をもって、ぎっしりとつまっていた。
「ほう、きれいだな。何にするんだ。そんなに摘んで」
「夜、ムシロの上に撒《ま》いて寝ます。いい匂《にお》いがして、花の中につつまれたような気持ですよ」
様々な種類の花に埋まって安らかに眠っているタミヤの様子が、ありありと思い描かれた。優婉《ゆうえん》で、典雅で、人を恍惚《こうこつ》とならせるような情景であるに違いなかった。
「きれいだろうな。その様子を見たいな」
将平は言ったが、そのことばの持つ意味に気づくと、忽ち狼狽におそわれた。真赤になり、全身に汗を流した。
タミヤには、なぜ将平の様子がかわったか、わからない。澄んだ目にいぶかしげな色を浮かべて見つめていた。
タミヤの凝視の前に、将平は一層狼狽したが、それが絶頂に達すると腹が立って来た。
(またおれは子供じみた羞恥《しゆうち》にとらえられている!)
タミヤを目がけて一直線に進んだ。いばらも、根笹もかまわない。雪辱戦の意気込みであった。おびえて目を見はっているタミヤの前に立った。
「わしは今までどんな女人に対してもそなたに対して抱いているような気持になったことがない。そなたが慕わしくてならない。そなたのことばかり考えている。わしはこれを何と呼ぶべきかを知らなかった。おちついて学問出来ないのでこまっていた。ところが、ある人がそれは恋だと教えてくれた。わしははじめて合点したのだ。ああ、これが恋かと。わしはそなたが好きなのだ。わしはそなたに頼みたい。そなたもわしを好いてくれるようにと」
奔流のような言い方であった。あとからあとから出て来ることばに追いかけられているように、言葉を切っては先が言えなくなるのを恐れているように、息もつかず将平はしゃべった。
タミヤにはわけがわからない。将平が気が狂ったのではないかと、おそれとおどろきとでぼうぜんと立ちすくんでいた。
将平はまた恥かしくなった。逃げ出したくなった。しかし、乗りこえて、更に熱狂的になった。
「なぜ答えないのだ! そなたはわしを好いているのか? きらっているのか?」
これはわかった。タミヤはにこりと笑った。
「それは好きです。小次郎の殿の弟御である方を、どうしてきらうことがありましょう」
「そなたは、兄者が好きなのか!」
嫉妬《しつと》に、将平は目のくらむような気持になった。
「好きですよ。好きであってはいけませんの」
「いけないのだ!」
「あら、どうしてですの」
「おれは兄者よりおれの方を好いてほしいのだ!」
今はタミヤにも相手の心がはっきりとわかった。やや長目の美しい首をかしげて、考え深い顔になった。自らの心の底を検討しているような深い目つきであった。
沈黙が流れた。高い梢《こずえ》の間にすけて見える青い空に白い雲が行き、どこかで美しい声で小鳥が啼《な》いていた。
将平は、この沈黙にたえられなかった。
(おれは何という恥かしいことを言ってしまったのだろう。もう取りかえしはつかない。この人はおれが大きらいになったに相違ない!)
あとも見ずに逃げ出したかった。逃げようとして、足をめぐらしかけた。その時、タミヤの口が動いた。
「好きです! 誰よりも好きです!」
言ってしまうと、タミヤは真赤になり、籠の花を将平の頭から浴びせかけて、逃げ出した。
烏帽子《えぼし》や両肩に花をのっけながら、将平は追いかけようとした。しかし、すぐ立ちどまった。子鹿《こじか》のような身軽さで林の奥へ逃げて行くタミヤを見送っていた。よろこびにふるえる胸を抱いて。
相剋《そうこく》
疑心暗鬼による臆病風《おくびようかぜ》に吹かれて坂東を逃げ出した六孫王|経基《つねもと》は京につくや、朝廷に訴え出た。
「下総国《しもうさのくに》の住人平|将門《まさかど》、武蔵《むさしの》権守興世《ごんのかみおきよ》王と、武蔵国|足立郡《あだちごおり》の大領武蔵武芝を語らって、自分を襲撃した。右将門が武威にまかせて坂東諸国を騒擾《そうじよう》していることはすでに永年に及ぶ。将門は富強坂東に冠たる大豪族。今や国守と郡司とを爪牙《そうが》として事をおこした。その志すところ推して知るべし。今にして処置せずんば禍害測るべからざるものがあろう」
という意味の奏文だ。
経基の言う通り、坂東の騒がしさは累年《るいねん》のものである。しかも、その騒ぎの中心には必ず将門の名がある。この上奏文は取り上げられて、朝廷の詮議《せんぎ》にかけられることになった。
天下は静平とはいえない。盗賊が至る所に横行しているばかりか、乱民が党をなして国衙《こくが》を襲撃したり、官物をかすめたりすることも少なくない。しかし、それらはすべて一時のことにすぎない。叛逆《はんぎやく》というほどの政治的意図をもったものはない。廷臣一同、春の夜の甘い睡《ねむ》りを荒々しい手でゆりさまされたような気がした。
色々な意見が出たが、その中にこんな主張があった。
「右将門は太政《だいじよう》大臣殿下の家人《けにん》であったことのあるもの。東国の武人は兇悍《きようかん》とはいいながら、君臣の道には特別に誠実であることは、諸|卿《きよう》も御承知でありましょう。将門もまた昔日《せきじつ》の恩情を遺忘してはいないと存ずる。されば、太政大臣殿下より御教書《みきようしよ》を下され御督責あるがよかろうと思います。朝廷自ら乗り出すのは、朝威をおとすのきらいがあります」
この主張は大多数の同意を以《もつ》て可決された。第一には彼等は朝廷の権威が十分の力あることを信じていた。少なくとも信じていたかったのだ。朝廷の権威は彼等の支配力の根元であり、彼等の栄えと平和を保証するものであるからだ。第二に小事件としてかたづけたかった。大事件であっては彼等の平安が破れる。骨の折れる実務に忙殺されなければならない。
忠平《ただひら》はこの決議を聞いた。彼はこの時六十。久しぶりで、強いばかりで、鈍重で口下手な東国の若者を思い出した。
(よう事をおこす男だな。気はまるで利《き》かなんだが、誠実な点はあるようであったな。この前裁判|沙汰《ざた》で上って来た時も、それは失っておらんようであった。まあ、何とかなろう)
と、思ったので、
「よろしい。なんとなるか知らんが、教書を下してみよう」
と、引受けた。
御教書が書かれ、中宮《ちゆうぐう》ノ少進多治《しようしんたじ》ノ真人助実《まひとすけざね》がこれをたずさえて、はるばると坂東に下ることになった。
多治ノ助実は、四月二十五日、坂東に到着した。梅雨に入る少し前、広い坂東平野が農事に忙殺されている頃《ころ》であった。
多治ノ助実は一応下総の国府に落ちついた後、国守の手から石井《いわい》へ通告を出させた。
「しかじかのことによって、小一条院のおとどの御教書を奉じて、中宮ノ少進多治ノ助実殿が下向された故《ゆえ》、直ちに出頭あって受くべきのこと」
という文言であった。
石井の館は、植付け直前の、猫《ねこ》の手も借りたい忙がしさだ。この数年来、小次郎の所領はおそろしくふえている。貞盛《さだもり》の所領の半分、水守《みもり》領の三分の二ほど、皆彼の所領になっている。大方は領民に貸しつけて耕作させているが、なお少なからぬ部分を自作している。これらは、奴隷《どれい》や領民を出役させて耕作しなければならないのだ。また、雨期を前にして治水の手あてをしておく必要もある。いたんでいる堤防は修理し、浅くなったりふさがったりしている溝《みぞ》や小川はさらっておかねばならない。郎党等も、下人等も、男も、女も、小次郎も、弟等も、早朝から家を出、夜に入ってへとへとに疲れてかえって来る日の連続だ。誰も彼も日やけして黒くなり、はげしい労働にやせ細っていた。
国府からの通告が来たのは、こんな時であった。
「やれやれ、武芝が案じていたが、その通りになったな」
厄介《やつかい》千万とは思った。片訴訟をすぐ信じて大さわぎする朝廷のいつものやりかたに腹も立った。しかし、ほっておくわけには行かない。
「民にとって、今がどんな季節か、少しは考えてもよかろうに、むしり取ることには御熱心だが、作るのがどんなに苦労なものかはお考えになったこともない」
ぶつぶつ言いながらも、国府に出頭した。
多治ノ助実は、国の守《かみ》と同席の上、一旦《いつたん》読んで聞かせてから、御教書を手交した。
小次郎が常に騒擾の中心にいることをとがめ、昨年はまた召喚の命を下したにもかかわらず未《いま》だに奉じないことを責め、経基が訴えを述べ、言いひらくべきことがあるなら、子細に言上せよという意味のものであった。
出入りの文章《もんじよう》博士にでも命じて草させたのであろう、この時代特有の文飾沢山の文章ではあるが、厳格な中に惻々《そくそく》たる情愛もあって、中々の名文であった。人の恩情には素直に感動する性質だ。小次郎は涙ぐむばかりに感動した。
「お心をなやまし奉《たてまつ》って、申訳ないことに存じます。しかしながら、これは武蔵介《むさしのすけ》の殿の思《おぼ》し違いであります」
と、事の次第をくわしく申しのべた後、
「それはこの坂東においてはかくれないことでありますから、守《こう》の殿にもよくごぞんじのはずであります」
と、結んで、国の守に目を向けた。
国の守はうなずいて、
「こちらが申される通りであります。たしかにあれは武蔵介の思し違いであります。当地においては臆病じゃとて、もの笑いの種になっているほどであります」
といってくれた。
多治ノ助実は微笑して、
「まろも足柄《あしがら》をこえて以来、人々の話を聞いているが、たしかに皆そう申しているようですな」
と、国の守に言い、更に小次郎に言った。
「まろが心づきを申す。傍近の国々の府に頼んで解文《げぶみ》を書いてもらって、まろまで差し出されるがよい。まろが京へ届けて進ぜる」
解文は単に解《げ》ともいい、下級の役所から上級の役所へ奉る文書をいう。好意ある助実の勧めであった。小次郎は感謝して、必ずそうすると答えて、辞去した。
多治ノ助実は当時の官人《つかさびと》としては清潔な人がらではあったが、賄賂《わいろ》や進物を全然受けないほどではなかった。中央の官人が地方へ出張する場合、地方の豪族や国司等から少なからぬ賄賂や進物を受けて「徳づいて」帰京するのは、当時としては普通のことで、下級の官人等はそれを目あてに出張を希望するほどであった。小次郎は多種多量の土産を助実におくる一方、上総《かずさ》、下野《しもつけ》、武蔵、上野《こうずけ》、常陸《ひたち》、五カ国の国府に頼んで、「経基の訴えは事実無根で、すべては経基の疑心暗鬼が描き出した幻影にすぎない。小次郎は経基等が郡司と反目して今にも争戦に及ぼうとしているのを和解させようとしたのだ。功こそあれ、謀叛《むほん》などあとかたもないことである」との意味の解文を作ってもらって、助実に提出した。
これらの解文のうち、常陸の国のは貰《もら》うのに困難が予想された。小次郎を敵としている貞盛の叔母|聟《むこ》であり、貞盛と共に小次郎を憎んでいる藤原|惟幾《これちか》が長官《かみ》なのだ。素直に書こうとは思われなかった。小次郎は下総の国府から移《い》(対等の役所間の文書)を出してもらい、それを添えて願い出た。惟幾としては欲せざる所ではあったが、事実は分明《ぶんみよう》である上に、隣国の府からの移があってみれば、拒むことは出来なかった。
多治ノ助実は五月八日に帰京の途についたが、それからしばらく、六月半ばのある日、ふらりと玄明《はるあき》がやって来た。顔が合うや、いきなり言った。
「うまいことになったぞ、おぬし」
「藪《やぶ》から棒に何だ」
「ハッハハハハ、酒を出せよ。祝盃《しゆくはい》だ」
「酒はもちろん出す。出さなかったことが一ぺんでもあるか。それより、何がうまいことなのだ。それを言え」
「京にいるおれの知人から知らせて来たのだが、おぬしに対する朝廷の嫌疑《けんぎ》はすべて晴れた。よほどにあの中宮《ちゆうぐう》ノ少進《しようしん》に食らわしたらしいな。しかし、それは当然のことだから、別段なことはない。めでたいのは、その先のことだ。朝廷ではおぬしを下総守か鎮守府将軍に任命しようとの話が出ているというぞ。うまいことになったでないか。おれも、せっかくおぬしのために計画したのに、あんな結果になって、実をいうと面目なくて、今日まで来るのを遠慮していたのだが、これでやっと面晴《おもばれ》だ。
おれがああいう計画を立てたから、あのさわぎとなり、それが機縁になって、坂東におけるおぬしの威勢のほどが朝廷に明らかになり、この議が出て来たのだからな。もとはといえばおれだ。まぐれあたりといえばまぐれあたりには違いないが、大あたりというものはすべてまぐれあたりなものだからな。おれは威張るよ。威張って酒を所望する。さあ出せ」
小次郎は一言もさしはさまず、玄明の言うことを聞いていた。奇妙に色々な情報に通じている玄明であることは知っていたが、この話は信じなかった。そんなことがあるものかと思った。そのくせ、胸がおどった。それがいまいましかった。京都朝廷がどんな所か、その政治がどんなものであるか、十分に承知しているつもりだ。そこから授ける官位などくだらないものの至りと考えているはずであった。だのにこんな気持になるとは! 憂鬱《ゆううつ》な顔になった。
玄明はからかった。
「おい、何とか言えよ。笑えよ。無理をするとからだに悪いぞ」
「おれは石井の小次郎将門で沢山だ。おれは朝廷という所を知っている。官位などほしいとは思わない」
玄明の目が微《かす》かに光って、ほんのしばらく小次郎を凝視したが、すぐ笑いながら言った。
「ほしくはなくても、くれると言ったらうれしくないことはなかろう」
傷口に触れられた気持であった。カッとしてどなった。
「黙れ! 汝《われ》が言うことはうわさ話にすぎんではないか。おれに何のかかわりがある」
しかし、このことばが、内心の秘密をさらけ出していることに気づいて、狼狽《ろうばい》した。
「不快だ! この上言うと、おれは汝を叩《たた》き出すぞ!」
と、さらにどなったが、それはさらにいけなかった。
我にも人にも腹が立ち、ふるえながらにらみつけていた。
酒が来た。
やっと気を取りなおした。
「のめ! くだらんことはもう言わんことだ」
と、提子《ひさげ》を取ってすすめた。
数日の後、興世王から手紙が来た。これも京都の噂《うわさ》を伝えて来た。興世王の親しくしている廷臣から知らせて来たということであった。
(相当に有力な話ではあるのだな)
と、思わないわけには行かなかった。
更に、数日の後、六月末のことであった。多治ノ助実から、太政大臣殿下の命によって認《したた》めるとの前書きで、事件の結果を通知して来た。
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太政大臣殿下は、委細を諒解《りようかい》遊ばされ、足下に乱逆の行為のなかったことに御満足の意を示された。朝廷の空気は好転した。御安心あるよう。
[#ここで字下げ終わり]
とのべ、さらに別紙にこうあった。
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これはごく内密の話であるが、この度の事件によって、朝廷では貴殿の坂東における勢威のほどを十分に御承知になって、
これを草莱《そうらい》の間に埋めておくのはまことにおしい。野に遺賢あるは聖代の瑕瑾《かきん》。すべからく挙用すべきである
との内議あるやに仄聞《そくぶん》している。まことに雨降って地固まるのたとえの通りである。めでたきかぎりに存ずる。
[#ここで字下げ終わり]
多治ノ助実までこう言って来るのだ。さすがに動揺した。もちろん、はじめ玄明が言って来たように一足とびに下総守や鎮守府将軍に任ぜられることはあるまい。下総の掾《じよう》か、せいぜいのところ介あたりであろう。しかし、これはやがて下総守なり、鎮守府将軍なりへの階梯《かいてい》だ。鎮守府将軍なら父|良将《よしまさ》の官を襲うことになるのだ。恥じながらも、心が浮き立って来るのをとどめることが出来なかった。
間もなく、伊勢神宮から相馬における御厨《みくりや》の別当に任命して来た。御厨は神宮の領地、別当は支配人だ。つまり神宮から神領の管理を委任されている名誉職で、官人ではない。もとより位階はともなわない。今では彼に家人《けにん》の礼を取っている羽生《はにゆう》の御厨ノ別当|多治《たじ》ノ経明《つねあき》と同格だ。
「これが挙用というものであろうか。それとも、これは神官だけのことで、朝廷からは別に任命があるのであろうか」
落ちつかない気持の日がつづいた。こんなことに心をわずらわすことはないと思っても、やはり気になる。自分の心が自分のものでなく、朝廷の見えない手につかまれて翻弄《ほんろう》されているようであるのが不愉快であった。
八月に入って間もなく、武蔵の正国守が百済《くだら》ノ貞連《さだつら》に決定して、不日に赴任するという噂が伝わって来た。百済氏は、この時から二百七八十年前天智天皇の時代、唐と新羅《しらぎ》との連合軍のために国がほろんだ時、日本に亡命して来た百済の王族の子孫だ。その時からずっと日本の貴族として、廷臣となり、百済王と名のることを許されている家である。権ノ守興世王とは一二代前|姻戚《いんせき》の関係があるという噂も伝わって来た。
「あの人も不平の多いお人だが、そういうことなら気持よく勤務がお出来になるであろう」
と、小次郎は興世王のためによろこんだ。
その興世王が、九月はじめのある日、ひょっこりやって来た。この前と同じようにほんの四五人従者をつれただけの軽装であった。
「大丈夫の胸中には磊塊《らいかい》というて、ゴロタ石のようなものが積み重なっている。面白うないことが続くと、そのゴロタ石の群はコチーンとこりかたまってどうにもこうにもならんことになる。そんな時は、思い切り乱暴するか、気の合う友と会って談論しながら熱い酒をそそぎこむと、コチーンがとけるとしたものだ。その磊塊のこりかたまりを解きほぐしに来たわけだ」
出迎えた小次郎に、興世王は笑いながら説明した。
早速に酒になった。大杯であおりつけながら、興世王はとつぜん言った。
「まろは、韓人《からびと》と気が合わんのだよ」
「韓人と申しますと?」
とっさには、わからなかった。
「このほど赴任して来た百済ノ貞連がことよ」
「しかし、王《みこ》とは御姻戚の仲にあたるというではありませんか」
「姻戚でも気が合わん。やつはまろを警戒して、全然国務にあずからせない。朝廷で言いふくめられて来たらしいのだ。経基|朝臣《あそん》の讒奏《ざんそう》のききめはまだまだ消えてはおらんぞ」
肩をそびやかして、いまいましげに言い放った。
興世王の言いぐさは飛躍的にすぎる。百済ノ貞連が興世王に国務をあずからせないからとて、それが朝廷の内命によるとばかりは言えない。人に物事をまかせられない貞連の性質かも知れないのだ。
小次郎は黙っていた。興世王はいらだった。
「そなたはまろがひがみを申していると思っているらしいな。しかし、ひがみではないぞ。朝廷はそなたに対してもまた警戒しているぞ。なぜかと言ってみよ」
「…………」
「近年、そなたの動きにつれて、しきりに坂東がさわがしい。朝廷ではこれを気にしている……」
ムッとして、小次郎はさえぎった。
「てまえは、好んで動いたのではありません!」
「もちろん、そうだ。そなたのこれまでの動きは、すべて攻撃しかけられての自衛のためだ。まろもよく知っている。まろだけでなく、坂東の人々の皆知るところだ。しかし、朝廷は半信半疑だぞ。その証拠には、そなたの弁解を聞けばそうかと思い、そなたの敵の訴えを聞けばまたそうかと思い、揺れてやまないではないか」
十分なる説得力を持つことばであった。小次郎は口をつぐんで、耳を傾けた。興世王はつづける。
「そこへ持って来て、この度の武蔵のさわぎだ。最初のさわぎにはそなたは関係していない。まろと経基と武芝の三人の間におこったことが原因になって、国中のさわぎとなったのだ。そなたはさわぎが大きくなったため、仲裁して取鎮《とりしず》めようとして乗り出して来たのだ。しかし、そなたのその好意はあの結果となってしまい、経基はこれを讒奏した。朝廷の連中は、必ずやそなたが最初から武蔵のさわぎに関係していると思うに違いないのだ」
切所切所をついて、えぐるように鋭い。小次郎は息苦しくなった。
「しかし、小一条院のおとどのお使いをこうむって来られた多治ノ助実殿がよこされた消息には、てまえにたいする朝廷の嫌疑はすべて晴れたとありました。王《みこ》も京の御|朋友《ほうゆう》からそう申して来たと仰《おお》せ越されたではありませんか」
任用の風評のあったことも言いたかったが、未練がましく聞こえそうであったので、それは言わなかった。
興世王はうなずいた。
「いかにもその通りだ。まろはいつわりを申したのではない。告げ知らせて来たままを申し送ったのだ。中宮ノ少進の消息の趣《おもむき》も、いつわりであろうとは思われない。しかし、朝廷の意向がいつもグラリグラリと動揺することは、そなたも十分に知っていよう。朝廷の意向はまた変ったのだ。その証拠の一つは、そなたを挙用せんとの噂がいつか立消えになったことだ。もう一つの証拠は、百済ノ貞連を武蔵守に任じたことだ」
「…………」
「そなたは武蔵という国がどんな国か、知っているはずだ。武蔵の国は韓人のひらいた国だ。国民《くにたみ》の大部分は韓人の子孫だ。その彼等がいまだに王と仰いで敬愛している家の一つである百済氏の貞連を国の守に任じて送りつけて来た朝廷の真意はどこにあると思うか。国中が動揺しかけていると見た故《ゆえ》つかわしたとは思わぬか。そなたと、まろと、武芝とが民を煽動《せんどう》していると見て、民の心をわれわれから引きはなすためにつかわしたとは思わぬか」
小次郎はだまっていたが、興世王の説くところは、一々納得出来た。きびしく胸がひきしまった。ずっと以前、京にいる頃《ころ》遊学のため弟の将平《まさひら》が上京して来た時のことを思い出していた。あの時、将平は武蔵の入間郡《いるまごおり》の高麗人《こまびと》等と道連れになって来たが、その高麗人等はたしか百済ノ貞連の許《もと》へごきげん伺いに行くといったという……
「まろの申したことは、すべてこれ推論だ。しかし、この推論によって達した所に立って観察すれば、一切は昭々|乎《こ》として明らかだ。百済ノ貞連がまろと姻戚のよしみあるにかかわらず、まろに心をへだてて、政務にあずからせないのも、そのはずである。
やがてそれは武芝にも及んで、必定彼は郡司を免ぜられるであろう。のみならず、悪くすれば追捕《ついぶ》せられるかも知れない。追捕の理由はどうにでも立つ。権力者にとっては理由なぞどうでもよいのだ。そうしたいと思えば必ず理由はつくのだから。
更にやがてそなたにも及ぶであろう。さて、どんなことになるかの。おそらくは、貞盛や常陸の大介《おおすけ》惟幾と合同して、すでに古証文となったそなたの追捕令を復活することになろうか。そうなれば、他の国々の守《かみ》等も合流するに違いない。官人《つかさびと》というやつは、大勢に対してはおそろしく弱いものだからな。そなたは、全坂東を敵とすることになるわけだ」
興世王のことばは滔々《とうとう》としてとどまる所を知らない。これでもか、これでもかと、えぐるように論じて行く。嗜虐《しぎやく》的ですらあった。そこまでは、小次郎はついて行けない。笑い出した。
興世王は目を光らせた。
「ほう。そなたは笑っているな」
「おゆるし下さい。王の申される所には一応の道理はもとよりあります。しかし、てまえにはことさら悪く悪くとお考えになっている点もあるかに思われます」
「まろがひがんでいると言うのか」
「いくらかそのようなところもあるかに存じます」
興世王はふるえる手に盃《さかずき》をひろい上げ口許にはこびかけたが、ほろりととりおとした。
「アア、大雅|興《オコ》ラズ、大声|俚耳《リジ》ニ入ラズ」
と言った。つぶっている瞼《まぶた》に涙が浮いていた。
二三日泊って、興世王はかえって行ったが、数日の後には家族連れでやって来た。
「どうにもがまん出来ん。当分そなたの所においてくれ、やがて身のおちつきを考えるから」
現在の権《ごん》ノ守《かみ》が任地をすててほしいままに他国に移ることはあるまじきことであるが、そうせずにおられない興世王の心事を思うと、無下《むげ》にはあしらいかねた。
「お引受け申します。いつまでなりとも御滞在下さい」
館《やかた》の一部をあけて、そこを住いとしてあてがった。
不動倉
京から帰って来てしばらく、玄明《はるあき》は居所不定であった。昔の暴れなかまや輩下共を頼っては、転々として居所をかえていたが、かえって来た年の秋のかかり、常陸《ひたち》行方郡《なめかたごおり》の板来《いたく》郷(今の潮来《いたこ》)の近在に定まった居所を持った。
元来玄明の家は鹿島《かしま》神宮の神人《じにん》として、常陸の名族で、彼の兄の玄茂《はるしげ》は鹿島郡の北部に広大な所領をもち、常陸ノ掾に任ぜられているほどである。そんな家に生れながら、玄明は持って生れた粗暴奔放な性格にまかせて早くから家を飛び出して乱暴|狼藉《ろうぜき》ばかりして歩くので、実家には義絶され、無籍者同様になっていたのであった。
玄明は乱暴者であったが、下々の者の評判は悪くなかった。彼は人を殺傷したり、盗賊行為だってやらないではなかったが、その喧嘩《けんか》相手の大部分は権勢ある階級であり、かすめる財物もまた権勢家のものであったり、官物であったりした。各国の国府から京へ輸送される貨物を途中に擁して略取するのは彼の最も得意とするところであった。下々の民百姓に対しては、むしろ保護的であった。貧困や官吏にいじめられている者等には物をめぐんだり、力になったりしてやった。ただ国府や彼の敵に語らわれて彼の不利益をはかる者に対しては容赦しなかった。本人を殺すだけでなく、一族全部を根だやしにしたこともよくあった。民は彼をおそれ、尊敬し、愛してもいた。彼が官憲の追捕を受けながらも、決して捕えられず、無事に京へ逃げ上ることの出来たのはそのためであった。民は彼をかくまいはしても、決して官憲に密告することはなかったのだ。
こんなわけだから、彼が幾年ぶりに京から帰って来ても、彼に吹く古里の風は冷たくなかった。どこへ行っても泊めてくれる家があったし、昔の輩下共は続々として集まって来た。
彼は集まって来た輩下共に、
「いつまでも宿借りではおられんな。館をかまえておちつこうわい」
といって、板来郷から十四五町北にはなれた水辺の地を見立てて、ここに館づくりした。館とは名ばかりの至って粗末なものではあったが、何にもない所に土居をきずいたり、濠《ほり》をめぐらしたりしてこしらえ立てたのだから、かなり費用がかかった。その費用を彼はすぱりすぱりと支払った。
「おれは南海道で交易を営んで大もうけして来た。金、銀、銭、いくらでもあるぞ」
と、輩下の者共に高言した。これが去年の初秋のこと。
館が出来上ってしばらくすると、彼は彼らしい活動をはじめた。
最初は、納税拒否運動だ。
「束把《そくは》(稲束・この頃《ころ》の田租は脱穀せず稲束で納めた)を公納するに及ばぬ。公《おおやけ》の定める三が一をおれに納めればよろしい。官使の督責はおれが引きうけて追いしりぞけてやる」
と、おりから収穫期にある附近の農民に布告して、そうさせた。
国司はもちろん黙ってはいない。櫛《くし》の歯を引くがごとく、督責の官人等が村々に出張って来る。玄明は行き向って、弁口達者に言いまくった後、兵力を示し、おびやかして追いかえした。
つぎに、その翌年、即《すなわ》ち今年だ。植付け時の直前、浪逆《なさか》浦をこえて上総の国におしわたり、そのへん一帯を占領し、すっかりすきかえして植付けをするばかりになっていた田四五十町歩に植付けた。
ここは去年死んだ上総介《かずさのすけ》良兼《よしかね》の所領であったので、その遺族等はもちろん抗議したが、玄明は、
「あの土地は香取神宮の神領であったものが、いつの世からか所属がまぎれたのでござる。香取神宮より返還をもとめられるなら知らず、貴家などよりさようなことを申さるべきではござるまい」
と、まるで相手にしない。
官府に訴え出たが、官人など屁《へ》とも思っていない玄明だ。
「みことらの知る所でない。余計なことに頭を突ッこみなさるものではない」
とうそぶいている。しかもその応対の間に武装した兵《つわもの》共がたえず出入りして、何やら玄明に報告したり、さしずを受けたりしつつ、ジロジロと官人を見る。鷹《たか》が小鳩《こばと》を見るような猛々《たけだけ》しい目つきだ。官人共はふるえ上って退散せざるを得ない。
といって、武力にうったえようにも、良兼が死んだ後の上総平氏は、度々の敗戦に士気が沮喪《そそう》している上に、長男の公雅《きんまさ》がやっと十八になったばかり、次の公連《きんつら》は十五、末の公元《きんもと》はわずかに十二という幼さだ。とても出来ることではない。
こんな風に、傍若無人のかぎりをつくして、忽《たちま》ち一個の豪族となり上り、南常陸の一隅《いちぐう》に傲然《ごうぜん》として盤踞《ばんきよ》することになった。あまりなことに常陸の国府でしばしば官使を立てて出頭をうながしたが、もちろん、玄明は応じない。そこで、武力懲罰となったが、うまく行かなかった。
水路の多い地勢を利用した玄明の巧妙な用兵によって、追討勢はいつも散々に打ち破られて退却した。
秋になって間もなく、彼は国内に放っている諜者《しのび》から意外の報告を受けとった。玄明の追捕に手を焼いている国府では、玄明の兄常陸ノ掾《じよう》玄茂を追捕使に任じようとの意見が力を得つつあるという報告。
「いくじなしの官人ばらめ! 肉親を相戦わせるということがあるものか!」
腹を立てたものの、弱った。わがまま一ぱいに世をわたって、親兄弟にかけた迷惑や難儀は数かぎりない玄明ではあったが、そのためにかえって肉親にたいする愛情と思慕はあついのである。
「何とかして兄貴を来させん工夫をせんといかん。兄貴に来られてはこまる」
色々と頭をなやました。
ちょうどその頃のある日、もうとりいれのはじまっている頃であった、浪逆浦をわたって対岸の方から来た舟からおり立った旅人があった。|はたご《ヽヽヽ》をつけた馬を一頭|曳《ひ》いているだけで、従者もなく至って粗末な旅装ではあったが、鋭い目とひきしまった顔を持っていた。三十四五の年輩。
旅人は岸に沿って一町ほど南方にある玄明の館を指さして、なにごとかをしきりに船頭に聞いた後、舟を下りた。馬の口綱をとったまま、おりからの夕陽《ゆうひ》に照りはえておそろしく立派に見える館と、今わたって来た浪逆浦とを見くらべていた。何か心にうなずく所ありげな様子に見えた。
浪逆浦の名は現在は外浪逆浦にのこっている。現在の外浪逆浦は北浦と利根《とね》本流との間にある方三十町ほどの湖水にすぎないが、この時代の浪逆浦はずいぶん広大なものであった。現在の霞《かすみ》ケ浦《うら》と北浦の南端から利根川の線一帯にかけてすべてそれであったことは、今昔《こんじやく》物語の源|頼信《よりのぶ》と平|忠常《ただつね》の説話で推察される。
現在の潮来附近の延方《のぶかた》、新島、長島等の島々は後世長い年代の間に土砂が堆積《たいせき》して出来たり、大きくなったりしたものである。
旅人が馬にまたがって、十間ほども歩き出した頃、武装した兵が四人飛び出して来た。二人はそのへんにもやっていた苫船《とまぶね》から、二人は民家から出て来た。旅人をとりまいた。
「汝は見なれねえ面《つら》じゃが、どこから来てどこへ行くだ」
と、一人が問いかけた。
旅人は馬上から答える。
「おれは遠い所から来た」
「遠い所ちゅうと、どこだア? 武蔵《むさし》かのし」
「もっと遠い」
「東か西か」
「西だ」
「ふんなら相模《さがみ》か?」
「もっと遠い」
「まんだ遠い? ふんなら足柄《あしがら》の向うか」
「そうだ。足柄をこえて、もっともっと向うだ」
旅人は笑っている。兵共は気色《けしき》ばんだ。
「ふんなら、どこだ? キリキリぬかせい! おら共を誰だと思ってけつかるのじゃ。おら共は今この土地で飛ぶ鳥もおとす御威勢の藤原ノ玄明の殿の下人共だぞやい」
旅人はまた笑った。
「そりゃいい都合じゃ。案内してくれい。おれは汝《わい》らが主《しゆう》のその玄明の殿のごくこんいな朋友《ほうゆう》だ」
「このやっこめ! いいかげんなことを吐《こ》きやがって、かんべんせんぞ! 引きずりおろして、口引裂いてやるべし!」
からかわれていると思って、兵等はほんきに腹を立てた。飛びかかる身がまえになった。
旅人は少しまじめになった。
「これこれ、はやまるな。うそではないぞ。おれは伊予から来たのじゃ」
「へッ? 伊予?」
玄明が伊予でどんなことをしていたか、彼等は知らない。しかし、伊予にある期間滞在して、そこからおびただしい財宝をもってかえって来たことは知っている。兵等は電気に打たれたように、ピクリとふるえた。おずおずと、馬上の旅人を見上げていた。打ってかわってうやうやしげな顔になった。
「お、お、お名前は?」
「名はいるまい、伊予からとだけ取りつげば、玄明の殿はおわかりのはずだ」
「へッ」
四人はヒソヒソとささやき合った。二人が館に向って走り出し、二人が馬の左右につきそった。
「御案内いたしますだ」
郎党共の報告を聞くと、玄明は車寄せに走り出した。
待つ間もなく、前栽《せんざい》をまわった旅人が姿をあらわした。ものめずらしげにあたりに目を放ちつつ来る馬上のその姿を見て、玄明はにこりと笑った。オーイと呼ばわった。
「めずらしや、おことが見えたのか」
「やあ」
旅人も破顔して、手をふりながら近づいて来て、馬を下りた。
「遠い、遠い。坂東というところ、こんなに遠いとは思わなんだぞ。えらい田舎じゃて。京人《みやこびと》が夷《えびす》の国というているのも道理じゃ。ことばも半分はわからぬ。難儀したぞな」
「来る早々坂東の悪口でござるか。てまえにとってはかけがえのない生れ故郷です。気をつけて口をきいて下され」
玄明は相手が洗足《すすぎ》する間も何くれとなく親しげに語りながらついていて、客殿に導いた。
席が定まると、玄明は郎党等を遠ざけて、容《かたち》を正した。
「思いもかけませなんだ。三宅《みやけ》のぬしがまいられようとは」
三宅ノ清忠はハハと笑った。
「そちでなくば埒《らち》があくまいと、仰《おお》せられるので、大儀ながらやって来た」
「伊予からまいられたのですか」
「京からだ。この春以来、京はわしが受持っているのだ」
「そんなら小次郎がことを知らせなさったのは、そこのぬしか」
「そう、わしがさしずして知らせてやった」
「それで、伊予の殿はお変りありませんか」
「お変りないどころではない。益々《ますます》お盛んだ。まず、これを読んでもらおう」
清忠は帯を解き、下着の襟《えり》を裂いて、一封の書状を取り出した。
「伊予の殿のお手でありますな」
玄明は裏書を見、一礼して後、封じ目をはがした。
さらさらと目を走らせ、またいただいて巻きおさめ、大事げにふところにしまった。
「どうだな」
「わたしも丁度考えていることがあります。あとでゆるりと申し上げます」
「それは殿の御意に反することではあるまいな」
「決して。大いに御意にかなうことと自信しています」
「それならばよい」
酒を呼んで、飲みはじめた。
玄明は女共を呼ぼうといったが、清忠は手をふった。
「いらぬいらぬ」
「そう言ったものではありません。ずいぶんよいのを取りそろえていますぞ」
「いやだいやだ、おれはおぬしと違う。一月や二月女にはなれていても、ちっとも渇きはせぬ。まして、坂東女など。それより、小次郎がことでも聞こうよ」
両人の会話に出て来る「伊予の殿」とは、藤原|純友《すみとも》のことである。
純友が志願までして伊予ノ掾《じよう》となったのは、普通の地方官志望の人々のように役得による財宝|稼《かせ》ぎが目的ではなかった。彼の志は功業にあった。しかし、京都朝廷のためにつくそうという気はさらになかった。権力の中心である北家《ほつけ》藤原氏の嫡流《ちやくりゆう》に近い家に生れた彼は、朝廷の内幕を全部知っている。
「内部がぼろぼろに腐朽しきっている大木と同じだ。枝葉生いしげって鬱然《うつぜん》たる樹相を呈してはいるが、見かけだけのことだ。やや強いあらしが吹いて来たら、たえるものか。轟然《ごうぜん》たる響きと共にたおれることは目に見えている」
というのが彼の強い信念であった。
「取って以《もつ》てかわるべし」
と考えていたのだ。
それ故《ゆえ》に、瀬戸内海の海賊に興味をもってこれを研究し、伊予ノ掾たることを志願して伊予に行ったのも、海賊退治のためではなかった。研究によって瀬戸内海海賊の強さを知った彼は、これを糾合して一団とすれば、内海を以て一王国とすることが出来、さらにまたこの海上王国の力を以てすれば京都朝廷の土台を揺りうごかすことが容易であると計算を立てたのであった。
こんな考えでいる彼だ。伊予に行っても海賊の取締りなどはしない。かえって庇護《ひご》する態度を取った。三宅ノ清忠や、玄明等の腹心の輩下を手先に使って、国府内で計画する追討の方策を全部海賊共に漏らした。もちろん、自分の名は固く伏せた。彼が伊予に赴任してから海賊共の勢いがかえって猖獗《しようけつ》となったのはそのためだ。
赴任の翌年、海賊のあまりなる跳梁《ちようりよう》にたまり切れなくなった朝廷は紀淑人《きのよしと》を伊予守《いよのかみ》に任じて追捕《ついぶ》にあたらせた。淑人は力をもって圧服する方法を取らなかった。前非を悔いて降伏して来る者は罪をゆるして問わないだけでなく、それぞれの力に応じて官職を授け、抗して降《くだ》らない者だけに武力を用い、それは徹底的であった。
恩威ならび行われるこの方法はおそろしく効果があった。帰服するものがつづいた。
機を見るに敏《さと》い純友は、なまじいな反抗をすることの愚を知っている。淑人に乞《こ》うて賊共の説得役を引受けて、人の危《あやぶ》む賊共の巣窟《そうくつ》に行って帰服せしめたことが幾度となくあった。賊共の間に顔を売っておくためであった。
「帰服といっても一時のことよ。今のような政治の行われている時、瀬戸|内《うち》という場所に海賊が生ずるのは、むし暑い夏になまぐさものの捨場に蒼蠅《あおばえ》が湧《わ》くと同じことよ。原因がのぞかれないかぎり、何度でも湧くわさ」
と、|たか《ヽヽ》をくくっていたのであった。
純友の見通しは的中した。淑人が伊予を去ってしばらくすると、海賊はまた活動をはじめた。
(それ見ろ!)
純友はほくそ笑んで、ひそかに海賊共をあおり立て、任期が来ても京にかえらず、かねての目的である海賊団の糾合にかかった。
北家藤原氏昭宣公|基経《もとつね》の甥子《おいこ》という血統の高貴さと、前伊予ノ掾という閲歴と、平常から売りこんでいる顔とによって、糾合はきわめて容易に行われた。忽ち瀬戸内のすべての海賊団の総首領となり、日振島《ひぶりじま》を根拠地にして威をふるうことになった。日振島は伊予の国北宇和郡三浦半島の西方三里の海中にあって、豊後《ぶんご》水道の咽喉《のど》を扼《やく》している島である。
純友は最後の段取りにかかることにしたが、ちょうどその頃《ころ》、坂東における小次郎の噂《うわさ》を聞いた。同族の長者等と戦ってしきりに勝ち、武名大いに上り、朝廷では不安がっているというのだ。
小次郎とは知らないなかではない。まだ京にいた頃、ある夜三宅ノ清忠が連れて来て以来しげしげと遊びに来た。鈍重で憂鬱な感じではあったが、いささかも軽薄なところのない誠実な人がらには好感が持てた。弓馬の道には抜群の伎倆《ぎりよう》があることもその頃玄明から聞いた。だから、小次郎が紀淑人について海賊退治のために伊予に下って来ると聞くと、玄明を京につかわして、思いとどまらせるようにつとめた。小次郎の武勇によって自らの|からくり《ヽヽヽヽ》が破れることをおそれたのだ。
その小次郎が坂東にかえって威をふるっているという。
「時運際会だ。東西呼応の形が自然に出来た。天下のこと成るべし」
と、思いつつ、坂東の形勢の発展を待っていると、小次郎の裁判がはじまり、小次郎が上京して来たという。
「やれやれ、途方もない律儀者《りちぎもの》だぞ。ばかな裁きを受けに、のこのこ出て来るということがあるものか。しかし、出て来た以上はしかたがない。無事に坂東にかえれるようにしてやる必要がある」
玄明を京におくって、色々と陰で運動した。そのためばかりではなかったが、とにかくも無事に小次郎は坂東にかえった。
それ以後の純友の工作は二つにわかれる。一つは小次郎をして坂東であばれまわらせることだ。玄明を坂東にかえしたのはそのためであった。一つは、京に諜報《ちようほう》所をもうけて、朝廷内の情報をさぐること。この諜報所には選《え》りすぐった輩下を派遣して事にあたらせていたが、この春からは三宅ノ清忠がうけたまわった。
こうして、純友は眈々《たんたん》として機会の熟するのを待っていたが、中々その機会が熟さない。坂東の形勢が思うように進まないからであった。おりにふれては玄明を激励してやるのだが、どうも停頓《ていとん》勝ちだ。これが進まない以上、京の形勢が発展しないのも当然のことだ。あせっていると、経基の讒奏《ざんそう》事件がおこった。
「しめた!」
と思ったが、これも小次郎が五カ国の解文《げぶみ》を送って申しひらきしたので、そのままにおさまりそうだ。業《ごう》を煮やして、督促のために清忠を坂東に下したという次第であった。
こんな目的を抱いて来た三宅ノ清忠だ。玄明の語る小次郎の現状を聞いて満足であろうはずはなかった。不機嫌《ふきげん》な顔で言った。
「フーン。とすれば、急には行かんの」
玄明は笑った。
「いや、それが行くのですよ。実は清忠ぬしのお出《い》でを待つまでもなく、てまえも急がねばならんと思って、色々工夫していたのですが、このほどまことによい工夫が浮かんだのです」
玄明はうれしげだ。すらすらと打ち明けるのをおしむような表情があった。清忠にはそれがいまいましい。わざと冷淡な調子で言う。
「聞こうでないか。そのまことによい工夫というやつを」
玄明は自分が国府の追捕《ついぶ》を受けるようになったこと、その追捕勢の度々の失敗にあぐねた国府が自分の兄|玄茂《はるしげ》をして追捕させようとしていることを語った。
「フーン。ひどいことをするな。しかし、官人というやつはすぐそんな手を使いたがるものだ。おのれの功績のためには大倫をみだることなんざ一向平気なのだ。それで、どうなのだ」
依然として冷淡にしか見えない清忠の様子に、玄明は熱して来た。小次郎に対すると緩急自在である玄明だが、清忠にはまるで反対だ。役者のちがいがさせるのだ。
「兄ですよ。来るのは」
「それは今聞いた。わしはそのことがどう小次郎をあおり立てることに結びつくのか、それを知りたいのだ。おぬしら兄弟のことなんぞ、おれには用事ないぞ」
玄明は一ぺんに沸騰点《ふつとうてん》に達した。強い舌打ちをして、一気に問題の中心に突入した。
「わたしはここを逃げねばならんのですよ。兄と戦うのはいやですからね。しかし、ただは逃げません。この郡とほかに一二郡の不動倉におさめてある穀物をひきさらって逃げるのです。どこへ逃げると思われます? 小次郎のところへ逃げこむのですよ」
キラリと清忠の目が光ったが、すぐ冷静な表情にかくした。
「なるほど、それで、小次郎がおぬしを抱いてくれるかな。おぬしの話を聞くと、昔通りの律儀一ぺんの男のようだが」
「それは引受けます。そんな目にわたしがなったら、引受けねばならない義理がやつにはあるのです。その義理をつくるために、わたしはずっと骨折って来たのです。今こそ、その骨折が実を結ぶ時です」
「なるほどな。小次郎は律儀すぎて融通のきかないこと無類の男ではあったが、それだけに義理がたいところは大いにあったな」
「そうですとも! 小次郎は義理がたい男です!」
勝ちほこるような玄明の語気であった。清忠ははじめてにこりと笑った。
三四日泊って、清忠は玄明の館《やかた》を出た。
「小次郎にお会いにはならぬのですか」
と、玄明が言うと、
「会いたいのは山々だが、会えばいくらにぶい小次郎でも、何かさとるに違いないからな。用心などされてはせっかくのおぬしの好《よ》い策が行われまい。ともかくも、やってみてくれ。わしは坂東のどこかに居て、うまく行くかどうかを見きわめてから立つことにするからな」
と答えて、来た時と同じように舟で対岸に去った。
玄明は大急ぎで収穫をおわり、これと財宝と馬とを舟にのせて、水路を利用して小次郎の領内に運ばせておいて、のこる郎党下人等に命じて五六十|艘《そう》の舟を集めさせた。
「二三日|漕手《こぎて》ごみに借りたい、借り賃はうんとはずんで出すと言えい。四の五のほざいて貸さなんだら強奪して来てもよいぞ」
舟はたちまち集まった。館の裏手の舟つき場に沓《くつ》をならべたようにつながれた。おだやかに話がついたと見えて、どの舟にも一人ずつ漕手が乗っていた。皆半農半漁のこのへんの民だ。
「よしよし、思いのほかに早かった」
玄明は満足げに郎党等をねぎらった後、また言った。
「おもしろいところへ連れて行く。急ぎ物の具して集まれい」
玄明がこういう以上、それがうそでないことを経験上皆知っている。郎党等は浮かれ立って走り散ったが、三十分の後にはそれぞれ武装してかえって来た。これを見て、漕手等の中にはおびえる者があったが、逃げでもしたらあとの祟《たた》りがどんなにおそろしいものか、皆知っている。青くなってふるえながらも逃げる者はなかった。兵士等と同じように浮き浮きしている者ももちろんあった。盗心はこの頃《ころ》の下層民には普通のことであった。
玄明も甲冑《かつちゆう》姿になっていた。命令を下した。
「舟にのれい! 一舟に一人か二人ずつ乗れい!」
一同ワイワイ言いながら乗りこんだ。
玄明は一番あとから乗りこんだ。が、乗る前に大きな声で叫んだ。
「漕手ども! よくうけたまわれい! おれの乗った舟のあとからついて来るのだ。舟をならべることはいらぬ。ただおくれぬようについて来い」
玄明の乗った舟を先頭にして不規則な楔子《くさび》がたの集団をつくった舟は香澄が浦(霞ケ浦)を岸伝いに西北方に向ったが、三里半ほど行った頃、玄明の乗った舟は|へさき《ヽヽヽ》を岸に向けた。人々はそれが郡家《ぐうけ》の所在地であることに気づいた。郡中で最も人家の多いにぎやかな所だが、当時のことだ、二三百の戸数が岸をあまりはなれないあたりにまばらに散らばっているにすぎなかった。
「それ漕げ! それ漕げ! 精一ぱい漕げ!」
これまで悠長《ゆうちよう》にかまえて何のさしずもしなかった玄明はにわかに漕手を叱咤《しつた》しはじめた。ぐずついていたら斬《き》って捨てもしかねまじき勢いだ。漕手は力一ぱい漕いだ。次第に速度が上り、ついには射る速さとなった。他の舟もこれにならった。
この異様な船団に気づいて岸に集まった五六人の人があった。不思議そうに凝視していたが、舟が次第に近づき、乗っている者共がいかめしく武装していることに気づくと、仰天し、足のかぎりに逃げ出した。目にとまらないほど速い足の動きや、そのくせ今にもへたばりそうにへなへなした腰つきが、野良犬《のらいぬ》におびやかされて逃げ散る|ひよこ《ヽヽヽ》の群のようであった。
郡家の所在地だけに、ここの岸は葦《あし》などきれいに取り去って、舟つきに便利な砂地になっている。その砂地を舟底にきしらせて舟がとまると、玄明は一間ばかりの距離を軽々と飛んで岸に立ち、
「急げ! 急げ!」
と、どなり立てた。
次ぎ次ぎに岸につく舟から兵士等はおりて、しぶきを立てて岸に走り上る。
その時、どこか間近で法螺貝《ほらがい》の音が響きはじめた。郡家の正門近くに上げられた櫓《やぐら》の上から響いてくるのであった。
現在の行方《なめかた》は霞ケ浦の岸を半里ほども離れた山の手にあるが、この時代の郡家は台地の麓《ふもと》の水辺近くにあったこと、常陸《ひたち》風土記《ふどき》によって明らかである。その郡家から数人の武者が走り出して来た。手鉾《てぼこ》や抜きはなった刀が夕陽《ゆうひ》にきらめいている。
玄明はそれをふりかえりもしない。手早く兵を三手にわけて命令を下す。
「目あては不動倉。郡家の向って右側に二棟立っているあれだ。あそこの穀物をうばって舟に運び入れる。こちらの一手がそれにあたる。こちらの一手は邪魔する奴《やつ》ばらを防ぐ。こちらの一手はここにいて舟の番をする。逃げる者は、容赦はいらぬ。射殺してしまえ。ぬかるな、者共! それ!」
鬨《とき》の声を上げて兵士等は突進した。郡家の門前にさわいでいた武者共はおそれて、門内に走りこみ、門扉《もんぴ》を打ったが、すぐ左右の築垣《ついじ》の上に半身をあらわした。それぞれ弓を引きしぼっていた。
玄明はそれにはかまわない。矢頃《やごろ》をはずれた所を斜めに兵を走らせて、不動倉に達した。二三人が芝の枯れた高い土居をおどりこえて中に入り、内側から門をひらくと、皆吸いこまれるように入った。防ぎ手の一団だけが外にいて、油断なく目をくばった。玄明自らその指揮を取る。
穀物が運び出されはじめた。勢いよく非常な速さで運んでいるのだが、玄明にしてみればまどろっこくてならない。そこで漕手共も駆り立てて手伝わせることにする。そうなると、これを見張る兵もいらない。運び手は何層倍となって、グングンはかどった。
郡家の武者共は、衆寡《しゆうか》の勢いにおそれて出て戦おうとはしない。時々築垣の上から矢を放ったが、その矢は届かなかった。螺《かい》の音だけが依然として禍々《まがまが》しく響きつづけた。この不敵な賊徒の襲来を四方に告げて救援の者を呼集するためであった。
玄明は腹を立てた。
「耳ざわりな螺じゃ、吹きやめさせてくれべい」
と、つぶやくや、弓に矢をつがえ、郡家の築垣に沿って忍び寄って行き、矢頃に達したと見るや、飛びはなれ、同時に切ってはなった。強弓に射放たれたとがり矢はあやまたず櫓の上の男にあたった。研《と》ぎすました鏃《やじり》に左から右に首筋を射ぬかれた男は、螺を口にあてたまま、足を空に上げて櫓の上にたおれた。
築垣の上に半身をあらわしていた武者共が、驚きながら玄明に矢を放とうとしたが、玄明は二の矢にすばやく一人を射落しておいて、矢頃の外に退避した。
「射たり、射たり、射たり!」
玄明の兵士が鬨の声を合わせると、郡家の武者共はおびえて、のこらず築垣の上から姿を消した。
日没の頃、二つの不動倉はからになった。玄明は倉に火をかけ、附近の民家にまで火をかけておいて、引上げにかかった。
その頃、やっと人々が駆けつけて来て、水辺まで追って来た。玄明は兵共に命じて鬨の声を上げさせ、引っかえす勢いを示した。人々はおびえて引退《ひきさが》った
「さあ、漕げ、ゆっくり漕げ。敵には追って来る勇気はないぞ」
少し行って、ふりかえると、蒼茫《そうぼう》たる暮色の中に炎々と火が燃え、それを消すに懸命な人々の姿が見えた。
「いい眺《なが》め、酒がないのが残念じゃて」
まばらな口ひげをひねって、玄明はにやにやと笑った。
玄明はもう館にはかえらない。香澄が浦を横切って対岸の河内|郡《ごおり》にわたり、ここの不動倉も襲った。ここも抵抗らしい抵抗に会わず根こそぎ掠奪《りやくだつ》した。河内郡の地名は今は失われているが、現在の茨城県稲敷郡の東南部半分ほどが昔の河内郡である。
「上々吉じゃ。日頃の鬱懐《うつかい》が晴れたわ」
上機嫌で、夜をこめて浪逆《なさか》浦に出、この湖沼に無数に散在している島の葦間に舟を入れた。その頃夜が白んだが、そのまま潜伏して数時間の休息を取った後、毛野《けぬ》川と養蚕《こかい》川とが合流してつくっている水路をさかのぼり、小次郎の所領に向った。この水路は現在の利根川下流の川筋にあたるが、利根川がこの川筋を取るようになったのは江戸初期に人力を以《もつ》て開鑿《かいさく》して以後のことで、それ以前は東京湾に打ち出していたのである。
その日、その夜、ずっと溯航《そこう》をつづけて、翌日の午頃《ひるごろ》、羽生《はにゆう》についた。一昨日先発させた部隊にここで待っているように命じておいたのだ。
先発隊は到着していたが、貨物の荷上げもしていない。
「どうしたのだ?」
と叱《しか》ると、所の領主|御厨《みくりや》の別当|多治《たじ》ノ経明《つねあき》が許さないという。
「ああして、経明の殿の郎党衆が出張って、見張りをしているのです」
指さす方を見ると、堤防の上に馬をのりすてた五六人の武者が焚火《たきび》をしながらこちらを見ている。
「おれの名を申したのか」
「申しましたが、まるで耳に入れません」
「そうか」
しばらく考えていたが、舟を岸につけさせて、ただ一人上陸してとことこと堤を上って行った。
焚火をとりまいていた兵士等は玄明の近づくのを見ると、それぞれの武器を取り上げて立上り、油断のない顔になった。
玄明は気楽な顔で呼びかける。
「その方共、御厨の別当が郎党共か」
「そうです」
「おれは石井《いわい》の小次郎将門の殿の親しい友垣《ともがき》、藤原ノ玄明だ。別当に会いたい。その方共、別当にそう申してここまで出張ってもらってくれんか」
玄明は焚火に近づき、両手をかざしてあたりはじめた。おちつきはらったその様子に、兵士等は途方にくれた顔を見合わせていたが、ついに一人が一礼して馬に騎《の》って走り去った。
多治ノ経明はこれまで玄明に会ったことがない。もちろん、名前は知っている。どんな人間であるかも聞いている。「好もしからぬ人物」と思っていた。主と頼む小次郎の許《もと》へよく出入りしていると聞いて、迷惑になるようなことをしでかさねばよいがと心配しているほどであった。ところが、その玄明の郎党共がおびただしい家財や穀物をもって大挙して、自分の所領内に来たと聞いておどろいた。どんな目的をもって来たのかわからないから不安でならない。
「ともあれ、寄せつけぬに越したことはない」
と思って、そのさしずをしたのであったが、立去ろうとしないばかりか、こんどは玄明自ら前にいく層倍する舟をひきいて乗りこんで来て会いたいと言っているという。
経明はほとんど恐怖した。会って結果がよかろうとは思われなかった。
「会えば面倒だ。つい先ほどから石井に行って不在じゃと言えい。上げてはならんぞ」
と、郎党に言った。
「押して上りにかかったら何としましょう。われわれだけではかのうまじと思いますれば、人数を賜わりたいと存じます」
それもそうだとは思ったが、人数をふやしてはかえって敵意を挑発《ちようはつ》するかも知れないと思いかえした。
「口先でやわやわとあしらって上げぬようにするのだ。押して上って来たら、争うな。逃げてかえって来てよいぞ。玄明は聞こえた乱人《らんじん》だ。相手になって争闘して得の行くことは一つもない」
と教えてかえした。
おちつかない気持でいると、また駆けこんで来た郎党があった。
こちらはてっきり玄明が乱暴をはじめたことと肝をひやしたが、そうではなかった。
「申し上げます。今毛野川べりに来ている鹿島ノ玄明のことで聞きこんで来たことがあります」
「…………」
「彼は由々《ゆゆ》しい悪業をはたらいて、常陸の国から逃げて来たのだとのことであります」
郎党は、玄明が行方《なめかた》、河内両郡の不動倉を襲撃して、格納してあった穀物全部を掠奪して来たことを語った。
「ほんとかそれは。誰に聞いたのだ」
「百姓共皆そう申しております。玄明が召連れています下人共の口から聞いたというのであります」
経明はしばらく口がきけなかった。
不動倉の穀物は、軍事や凶作の時のためのもので、平時にはぜったいに手をつけてはならないことになっている。それを奪うとは、単なる盗賊行為ではない。叛逆《はんぎやく》だ。とても、自分の手だけではおえないと思った。
「石井にまかせる」
ほんとに石井に向って馬を走らせる。
辻占《つじうら》
石井の館は穀物の納入に来た領民等でごったがえしていた。この季節ではどこの豪族の館でもこうだ。
領民等は上納すべき穀物の俵や麻袋を牛車や馬の背や自分の背にのせて、それぞれの家から領主の館に集まって来る。すると、門内の広場――戦さの時には勢ぞろいの場になり、平時には脱穀場や穀ほし場になる広場に、お館の郎党や下人共が待ちかまえていて受取り、中身を|むしろ《ヽヽヽ》の上にぶちまけて分量をはかる。足りておればそのまま及第だが、大抵はいくらか不足している。郎党等はおそろしく口ぎたなく叱りつける。多くの場合その叱咤は口ぎたないと同時に諧謔《かいぎやく》的でもあるので、農民等はそうこわがらない。にやにや薄笑いしながら、別に持って来た予備の俵や袋から不足分をおぎなう。
収納がすむと双方ともけろりとしたものだ。
「さあ、あっちへ行って酒をいただけやい。いくら飲んでもいいが、ヘドなど吐くなよ」
と下人等が言うと、農民等は厨《くりや》の方に行く。そこの庭には大きな酒甕《さかがめ》がいくつも並んで、瓢《ひさご》を二つに割った|ひしゃく《ヽヽヽヽ》がいくつも浮かべてある。領民等は好きなだけ飲んで、足をひょろめかしながら、てのひらで口を拭《ぬぐ》いながら、陽気なやつは唄《うた》など口ずさみながら帰って行くのだ。
羽生から石井まで二里半、経明がついた時には短い秋の日はもう日没に近くなっていたが、広場のさわぎはまだなかなかさかんであった。なんとなく心がせかれて人々の動きがあわただしくなっているので、一層活気づいてさえいた。人々のざわざわとした動きの中から、
「篝火《かがりび》がいるぞーい! 用意しろい!」
「この狐《きつね》め! 五升も足りねえぞ!」
「汝《われ》がお借りしている田は上田《じようでん》じゃぞい、こげいな米作って来るちゅうがあるか! なまけ者めが!」
というようなことばがたえずはじけ上っていた。
しかし、従者四人を引連れた経明が門を入って来たのを見ると、一時に皆しずまった。
持ち場を捨てた郎党が二人走って来た。一人が経明の馬の口綱をとり、一人がていねいに式体《しきたい》した。
「おこしなさりませ」
「殿は御在宅か」
「おられますでござります。こうお出《い》でなさりませ。混雑しております」
広場をずっとまわって、別な方から奥庭の方に連れて行った。
小次郎は簀子《すのこ》に赤い夕陽のさしている居間で、興世《おきよ》王と対談していた。庭先に迫る足音になにげなく顔を上げたが、すぐ経明を認めた。
「やあ、御厨の」
と、わらいかけた。
「どこぞのかえりか」
と、興世王も言った。時刻が時刻だからそう思うのも無理はないのだ。
「まあ上れ。どこへ行ったのだな」
と、小次郎もたずねる。
経明はあいまいに答えながら上った。
「時分もちょうどよい。酒にしよう」
と、小次郎は言って、経明を案内して来た郎党に厨に行ってそう言うように命じた。郎党は承知して行きかけた。
経明はあわてた。
「待て、待て」
と、とめておいて、小次郎に、
「少し話があってまいったのだが……」
と言った。
「ホウ、そうか。しかし、飲みながらでも話せんことではあるまい」
「それはそうだが……」
「それではやはり飲むことにしよう」
と、小次郎は笑って、郎党に行くように手真似《てまね》した。
(こまった)
と、経明は思った。酒になっては二人だけになる機会はなかなか得られない。彼はこの話を興世王に聞かせたくなかった。興世王が今の朝廷の政治に不平を抱いていることは彼もよく知っている。ほしいままに任地を去って家族まで連れてこの館に身を寄せているのも、もとはといえば朝廷のやり方に不満だからだ。しかし、何と言っても現在の官人《つかさびと》だ。その人の前で不動倉の穀物を略取して来たという玄明《はるあき》のことなど語るのはためらわれた。そんな人間が頼って来たとあっては、小次郎の立場や自分の立場がどう疑われないものでもないと思うのであった。
経明はもじもじしていたが、ついに意を決した。
「その話は、少し他聞をはばかることだがな……」
興世王はにこりと笑った。
「まろがいては工合《ぐあい》が悪いらしいな。話のすむまで遠慮しよう」
「そうしていただきましょうか」
と、小次郎が言った。
「うん、うん、収納の模様の見物にでも行っていよう。話がすんで酒になったら呼んでもらおう」
小さなからだのくせに、ノッシノッシといった感じの歩きぶりで、簀子をふみ鳴らして立去った。その姿が見えなくなるのを待って、経明は事の次第を語った。
小次郎はおどろいた。急にはものも言えず、目をみはっているばかりであった。ややあって、やっと言った。
「……無茶なことをしおる……」
「無茶とも、乱暴とも、狂気の沙汰《さた》だ」
と、経明も言う。
「色々と噂《うわさ》を聞いていたが、これはまた論外だ」
「そうとも、しかしどうしたらよかろうか、本人はおぬしを頼って来ているのだが」
「…………」
とっさに思案がつかず、小次郎が沈吟をつづけている時、庭の方から興世王が急ぎ足に姿をあらわした。
上って来て、坐《すわ》るや、興世王は言った。
「御厨の、そなた鹿島《かしま》ノ玄明がことについて来たのじゃろう」
経明は答えない。小次郎がかわって答える。
「仰《おお》せの通りです。しかし、どうしてわかりました?」
「あちらで、御厨の従者共に聞いた。穴ぐり立てる心からではなかった。側《そば》を通ると、気になることを話しているのが耳に入ったので、くわしく問いただしたのだ」
「そうでしたか」
とだけ小次郎は言った。
「容易ならんことだぞ、これは」
と、また興世王は言った。
小次郎も答えず、経明も黙っていた。
興世王だけがしゃべる。
「玄明はまろも知らないなかではない。まろと武芝との争いの調停に先《ま》ず手をつけてくれたのは玄明だ。あれが奔走してくれなんだら、小次郎は乗り出してくれなかったろう。まろは深い恩義を感じている。その彼が今や窮鳥となって飛びこんで来たのだ。まろとしては、助けてやってもらいたいのだが、事はあまりにも重大だ。不動倉の穀物を略取して来るなど、いたずらも度はずれだ。あきらかなる叛逆行為であると言ってよい。気の毒でもあるし、切なくもあるが、領内に入らしめてはならんと思う」
日が暮れて、室内は急速に暗くなりつつある。今はもう人の顔は見えない。黒い影だけがおぼろにわかるだけだ。その暗い中に、興世王のことばだけがつづいた。しかし、それもきれた。広庭の方から聞こえて来るざわめきが急にはっきりとなって、一座の静寂をつないだ。
小次郎ははげしく手をたたいて灯《ともし》を呼んだ。
灯が来、つづいて酒が来た。
酒をのみながら、興世王はまた言う。
「わかったろうな。入れてはならんぞ。入れては|わざわい《ヽヽヽヽ》ははかられぬものになる。従来の行きがかりもある。おぬしまで叛逆人とされてしまうぞ」
小次郎は心の波立つのを覚えた。
「その話、もう黙っていて下され!」
と、言いはなった。
腹立たしげな強い調子であったので、座がしらけた。
沈黙勝ちの酒席になった。皆妙にすさんだ心で、手荒くグイグイと飲んでいると、また来た者があった。三郎|将頼《まさより》であった。三郎は今でも結城郡《ゆうきごおり》の岡崎の砦《とりで》を守っている。坐るや、言う。
「やあ、皆様おそろいだ。鹿島ノ玄明のことについて御相談なさっているのだと思いますが、わしがまいったのもそのためです。うわさを聞いたので、取るものも取りあえず駆けつけて来たのです」
「ほう、もう岡崎のあたりにも聞こえているのか」
と経明が言った。
「聞こえているとも。高い噂になっている。ところで、相談はどうまとまったのです」
小次郎はまた心のいら立つのを感じた。はげしくどなった。
「黙れ! その話はせんのだ!」
その夜の小次郎はしたたかに酔って寝につき、一気に深い熟睡に入ったが、深夜に目をさました。すぐ考えられたのは、玄明のことであった。
人々に言われるまでもなく、玄明を庇護《ひご》するのが不利益であることはわかっている。慎重な上にも慎重にふるまわなければならない。今、小次郎にとって最も有力な敵である藤原|惟幾《これちか》の管下を荒して来た玄明を庇護するなど、かけらほどでも理性のある者ならしないことだ。しかし、これまで玄明のしてくれた色々なことを考えると、そう簡単には割り切れない。
相知って以来、玄明は常に自分に好意を持ちつづけている。時には余計なことをすると思わないではないこともあったが、その好意は疑うわけには行かない。とりわけ貴子《たかこ》のことについての働きは、その償いをしていないだけ、心の重荷になっている。義を重しとするなら、玄明を見殺しにしてはならない所である。
利に徹することも出来ず、さりとて義に徹することも出来ない自分がいまいましく、苦しく、切なく、そのために不機嫌《ふきげん》になった。しかし、今はただ一人である。まわりに誰もいない。いやが応でも問題に直面しなければならない。
肩にしみる夜更《よふ》けの冷気にしきりに寝返りを打ちながら思案を重ねていたが、ふと、これが田原の藤太ならどうするだろうと思った。いきなり全身が熱くなった。
「そうだ! 藤太ならこんなことにこんなになやみはしない。必ずや利を捨てて義を取る。男ならばそうすべきであることを忘れる男でないからだ」
恥かしさに全身に汗が浮く気持であった。
「すんでのことに藤太に笑われることをしてしもう所であった。いやいや、藤太だけではない、全坂東の武者等の物笑いになることをしでかすところであった。経明といい、興世王といい、将頼といい、おれの身うち同然の者共だ。思案が利が先に立ち義が後になるわけだ。あぶないことであった」
ほっと吐息をついた。すぐ迎えに行こうと思った。起き上った。
その時、寝所の外の簀子から声がかかった。
「小次郎! 起きているらしいな」
こちらは答えず、枕刀《まくらがたな》をつかんだ。外ではまた言う。
「おれだよ。玄明だよ」
小次郎は遣戸《やりど》をあけた。
簀子に上りこんであぐらをかいていた。二十四五日の月が狩衣《かりぎぬ》の肩を寒げにぬらしていた。
「人さわがせなやつだ」
とは言ったものの、内心はそう思っていなかった。この伝《でん》の訪問を受けたことは一再ではない。
月光がうしろの方からさしているのでよくわからないが、玄明は笑ったらしい。歯が白くこぼれた。
「どうじゃな、抱いてくれるか。おれはもう弱り切っているのだ」
「向う見ずないたずらばかりするからだ。自業《じごう》自得というものよ」
「説教はあとで存分に聞く。抱いてくれるか、先ずそれを言ってくれ」
そして、事の次第を語って、
「兄を追討にさし向けるというのだ。どうにもならんじゃないか」
「不動倉をなぜ襲ったのだ。あんなことをしては助けるにも助けられんじゃないか」
「おぬしへの手土産にと思ったのだ。そう言うなよ」
けろりとした調子だ。小次郎は笑い出してしまった。
「あきれたやつだ。不動倉だぞ」
「いいじゃないか、不動倉でも。酒あり樽《たる》に満つ、飲まざるべけんやだ」
と、また笑ったらしく、歯が光る。
「悪酔いの苦しみは飲んだ者の責任だ。どうして人に苦しみを分けるのだ」
「理窟《りくつ》を言うなよ」
「不動倉のことがあるので、おれのところでも皆がむずかしいことを言うのだ。少しは懲《こ》りるがよい」
さすがに玄明も不安になったらしい。
「おい、ほんとに助けてはくれんのか」
といったことばは切迫した語気になっていた。
「助けてはやる」
「助けてくれる! ありがたや! 南無《なむ》小次郎仏」
玄明は合掌して拝む真似をした。
「ふざけるな! おれのまわりにいる者は、誰もこのことに関係してはならんと言っている。おれも一から十まで同感だ。今のおれは最も慎重に身を処さねばならん立場にある。しかし、おぬしにはずいぶん世話になっている。男として、見殺しには出来ん。それで、これから迎えに行こうと思っていたところであった」
玄明はまた合掌し、神妙な様子で言った。
「なんにも言わん。この通りだ。いくらでも説教してくれ。つつしんで聴聞《ちようもん》する」
小次郎は笑った。
「阿呆《あほう》め! おぬしに説教したらきりがあるか」
と言って、立上った。
「しばらく待っておれ。出かける支度をするから」
三十分ほどの後、小次郎は身支度し、郎党四騎をしたがえて館《やかた》を出た。玄明は徒歩で門を出たが、そのつい近くの物かげから馬を引き出して来た。大した物かげでもないので、魔術でつくり出したように見えた。
「ほう、こんな所にかくせるのか」
と、驚くと、
「うむ。おれの忍びの術も馬に乗ってはやれんのでな。不自由するが、しかたがない」
シャアシャアとしたへんじであった。
館を出る頃《ころ》はまだ深い夜であったが、一里ほども行くと至る所に鶏鳴が聞こえ、東が白んで来た。霜のきびしい朝であった。一足|毎《ごと》に馬蹄《ばてい》の下に霜柱が鳴った。
一同は黙々として乗り進んだが、ある部落を通る時、とつぜん右手の人家でけたたましく鶏のさわぐ声がしたかと思うと、行く手五間ほどの路面をかすめすぎた獣があった。
毛色も形もよくわからない。現われるや閃《ひらめ》く速さで路《みち》をよこ切って、雪のように霜に蔽《おお》われた生垣《いけがき》の根元に消えたのだ。
小次郎は並んで馬を打たせている玄明をふりかえった。
「イタチだろう」
と、玄明は言った。
そうだったと思った。鶏のさわぎようといい、あの素速さといい、イタチに違いなかった。
皆また黙々と馬を進めた。それッきりで小次郎はそのことを忘れていたが、五六町行った頃、ひょっこり思い出した。
(不吉な)
と、思った。
うらないの一つに辻占《つじうら》というのがある。辻に立って通りすがりの人の語り行くことばによって、ことの吉凶を判断する法で、この頃の人はこれを信仰していた。それとこれとは違うが、時もあろうに今、イタチのような悪獣に道を横切られることが幸先《さいさき》よかろうとは思われなかった。
(おれは途方もない災厄《さいやく》に向って足をふみ入れつつあるのではなかろうか)
と、気が暗くなった。
しかし、すぐ恥じた。
(不吉ははじめからわかっている。おれは利害を離れて男の道を取ったのだ。今さらに何を迷うことがあろう!)
夜はすっかり明けて、行く手の東の空には日の出前の明るい光がみなぎって来た。
「少し駆けさせようか。寒くてならん」
快活に言って、手綱をとり直した。
「よかろう」
と、玄明が答えた。
馬はダクにうつり、やがて疾駆にかわった。
こうして玄明を迎え入れた小次郎は、これまで将頼のいた岡崎の砦に玄明をおき、将頼は相馬《そうま》におくことにした。小次郎が相馬郡内にある伊勢神宮の御厨《みくりや》(領地)の別当に任命されたのはこの秋のはじめであった。彼は当座の処置として一ノ郎党|伊和《いわ》ノ員経《かずつね》をつかわして事務をとらせていたのだが、この機会に将頼にかえたのだ。
将頼は相馬に移ることに異議はなかったが、兄が自分の諫言《かんげん》を無視して玄明を迎え入れたことに大いに不平であった。しかし、
「汝《わい》らの知らぬことだが、おれには玄明を助けてやらなければならない義理がある」
と、小次郎に言われると、その上のことは言えなかった。
「いやなことになることは覚悟しておられような」
「もとよりだ」
言葉なくため息をついて、将頼は相馬に去った。
玄明も、郎党共をひきいて岡崎に向った。
「せっかく持って来たのだ、受けてくれ」
と不動倉から奪って来た米をおいて行こうとしたが、小次郎はきびしくことわった。
「阿呆め! おれが汝《われ》を助けたのは男の道のためだ。そんなものをどうして受取れるものか! 一俵のこらず持って行け! 一粒でもおいて行ったら承知せんぞ。捨てるなり毛野川にたたきこんで魚の餌《えば》にするなり、好きにせい」
玄明は首をすくめながらも、にやにやと笑った。
「へへ、ヘヘ、奪い取ったにせよ、たばかり取ったにせよ、米は米じゃ。捨てたり魚の餌にしたりしてなろうか。いらんなら持って行くよ」
覚悟はしていたが、思ったより早かった。玄明をかくまって一週間目には、下総《しもうさ》の国府から、
(しかじかの由《よし》、常陸《ひたち》の国府より移牒《いちよう》して来たにより、玄明なるものを差出すように)
という文書が国府からとどいた。
「どれどれ、見せろ」
と、興世王は受取って一読したが、フンと笑った。
「どうする」
「男の意地|故《ゆえ》、差出すわけにはまいらんと返書を認《したた》めるつもりでいます」
「それはまずい。いずれはそこまで行かねばなるまいが、はじめから喧嘩《けんか》を売ることはない。まろが書いてやろう」
と、紙筆をもとめて、さらさらと筆を走らせて、
「先ずこんなところだな」
見ると、
(右玄明なる者が領内にまぎれこんだとのうわさは聞いているが、いずれにいるか当方にはわからない。もし発見し得たら、何分の報告を奉《たてまつ》るであろう)
という意味のことが達筆に書いてある。さすがに現任の権《ごん》ノ守《かみ》だけに書式は格法にかなっているが、書かれている内容はずいぶん人を食ったものだ。小次郎があきれて、
「これでよろしいでしょうか。あまりにも見えすいていることですが」
というと、興世王は身をそらせて、けたたましい笑い声を上げた。
「男の意気地故引渡しかねると書くのと、どちらが国府をみくびっていることになるかや。こう書くのが礼儀じゃよ。世の礼儀というものは大方はいつわることと知るがよい」
そこで、その返書を持たせて、府中につかわした。
その後、国府からは何の沙汰《さた》もなかった。明らかに虚偽の言いぬけとわかっていることを追求しないのは、形式的な手続きだけですませて、深入りしないつもりと見えた。
しかし、一週間ばかりの後には、常陸の国府から、大介《おおすけ》たる藤原|惟幾《これちか》から移牒があった。
(このほど其方《そのほう》の住国たる下総の国府を通じて藤原玄明のことについて申し入れたが、本人の所在不明の由、その方は申し立てた由、右玄明がその方の所領である岡崎なる地に潜伏していることは、当方の調査によって明らかなことである。しかるを虚偽の申し立てをして官命を拒むとは官《おおやけ》を侮辱しているものである。速かに召捕って差出さぬにおいては、容赦しないであろう)
と、いともきびしい文面であった。
「どれ」
と、興世王はまた返牒を書いてくれた。
この前と文句は違うが、意味は全然同じだ。
「かまうことはない。これでよい。官の威をかしこんで礼をもってしたためたものだ」
と、笑って、さらに言った。
「まろはそなたが玄明を庇護するのに反対であったが、こうなってはそなたに男の意地をおし通させたい。それに、玄明にはおれも恩義があるからな」
数日の後、常陸国府からまた通牒が来た。前のとほとんど同文だ。
「ハハ、感心に腹を立てんな。よほどに用心しているらしいわ」
興世王は上機嫌で、また返簡を書いた。前と同文だ。一字もかえない。
このようにして往返数回にわたった。国府からの通牒の文句も、返書の文句と同じように判でおしたようであったが、それの来る時間がしだいに早くなって来た。業《ごう》を煮やしているのが目に見えるようであった。
「ハハ、おこったおこった」
魚信《あたり》を得た釣人《つりびと》のように、興世王は悦に入った。
「このへんで趣向をかえようよ」
と、小次郎に言って、一文を草して、
「どうだな、こんなことでは」
と、見せた。
(お尋ねの藤原玄明のことについて、当方では鋭意探索をつづけていたところ、このほど彼の方から名乗って出て来た。彼は現在では前非を悔い、寛典に処せられるよう取りなしてくれと自分に頼んでいる。彼が貴国でしたことはたしかに悪い。貴官が追捕《ついぶ》せんとしておられるのは、まことにもっともなことである。しかしながら、窮鳥|懐《ふとこ》ろに入れば猟人もこれを殺さないという。また、罪をにくんで人をにくまずとも言う。このようにして哀願されれば、武人たる自分は拒むわけには行かない。なにとぞ、自分に免じて、寛大なる御処置をもって彼が罪科をゆるしていただきたい。将来のことは自分が引受けて、再び法を犯すようなことはさせないから)
知らぬ存ぜぬでこれまで通して来ながら、これはまた人を食ったことであった。
「これでいいでしょうか」
と、小次郎があきれながら言うと、
「そなたは坂東一の武者だ。それが頼むのだ。これでいいはず」
と、興世王はきっぱりと言い切った。
「藤原ノ惟幾がてまえに好《よ》い心を持っていないことを御承知でしょうか。彼は貞盛《さだもり》の叔母|聟《むこ》であります」
「承知とも、だからこうして様子を見ているのだ。まろの見る所では惟幾は貞盛を荷厄介にしている。去年貞盛は陸奥守《むつのかみ》惟扶《これすけ》に頼んでその任国へ連れて行ってもらおうとした由だが、それを惟幾が許したのがその証拠であると思っている。その後、六孫王の讒奏《ざんそう》さわぎでそなたが五カ国の解文《げぶみ》を取って奉った時、惟幾はそなたのために解文を書いた。かれこれ思い合わせると、惟幾はそなたと和睦《わぼく》したがっているのではないかと推理せざるを得ない。目の見える国司なら、そなたほどの者と反目をつづけることがいかに損であるかわかるはずだ。つまり、これはそのさぐり矢のつもりなのだ」
「…………」
「ともあれ、やってみようよ。うまく行かなんだところでもともとだ。目と鼻の間にいて、いつまでも知らぬ存ぜぬでは通せはせんのだ。このへんで何もかも打ちあけて出た方が男らしくもあり、世間の同情を買う道でもある」
「いいでしょう」
返簡は浄書されて、使者に渡された。
男子第一義
小次郎の最後の返書はおそろしく惟幾をおこらせた。これまでの度々の返簡によって十分におこらされていたのが、これで一ぺんに沸騰点《ふつとうてん》に達した気持であった。
(おのれ官《おおやけ》を何と思っているのだ!)
と、歯がみした。しかし、すぐ、
(待て、待て)
と、おさえた。
地方官としての多年の経験は、こんな時激情にまかせることの不利をよく知っている。中央からの命令によるのでない以上、どんな理由があろうと地方の豪族相手に戦ささわぎをおこすことは禁物だ。ほとんどの場合、それは国司の履歴の傷になる。汚職や、官物盗用や、権力|濫用《らんよう》等の罪より深い傷になるのだ。
人を遠ざけて国府の一室に閉じこもって、
(何かうまい方法があるはずだ)
と、思案した。
この惟幾以上に腹を立てているのが子の為憲《ためのり》であった。坂東に来て以来|無暗《むやみ》に武張ったことが好きになったこの十八の青年は、練磨《れんま》の甲斐《かい》あって今では弓馬や刀杖《とうじよう》の技術も相当達者になっているので、意見が常に武断的だ。
「玄明《はるあき》が将門の領内の岡崎の庄《しよう》にいることはかくれもないことでありますのに、この白々しい返書はあまりにも当方を愚にしています。構うことはありません。玄明の兄|玄茂《はるしげ》を取りおさえにつかわしましょう。まろも介添えとして参ります」
と、主張していたのだ。
最後の返書が来た日、為憲は狩猟に出かけ、夕方近く帰って来て、下役人共に石井《いわい》からの返書があったことを聞いた。
「やはり、知らぬ存ぜぬか」
「いいえ、それがこんどは違いますそうで」
「違う? お父《もう》様はどこにおられる?」
為憲は狩《かり》装束《ぎぬ》のまま、父のこもる室に向った。
為憲の姿を見ると、惟幾は机の上の返簡をかくしたい衝動におそわれた。すぐ気づいてその気持をおさえたが、手はわれ知らずその上にのばされてしまった。
「石井から返書があった由でありますな」
と言いながら、鹿《しか》の皮の|むかばき《ヽヽヽヽ》をさばいて、机の向う側に坐《すわ》った。鋭い目はもう机上の返簡をとらえていた。
「これだ」
惟幾はそれをおしやった。惟幾には息子がそれを読んでどんなことを言うか、もうわかっていた。溜息《ためいき》がのどまで出て来たが、おさえた。
為憲は日やけして血色はよいが、どこか神経質そうな痩《や》せてひげの少ない顔に白く光る目を返簡に注いだ。見る見る目に鋭い光が加わり、顔に血が上り、のどの一部分がピリピリとふるえはじめた。
(ああ、やはり……)
惟幾は相手に聞こえないようにひそかに溜息をもらした。
為憲は顔を上げた。
「お父様、これは重大な侮辱です。今はもう一刻も猶予《ゆうよ》すべきではありません。即刻兵を募って追捕に行き向うべきであります。一体、石井の小次郎は朝廷の嫌疑《けんぎ》重畳して追捕の命さえ下っている者であります。世上かれこれの風説があって、小次郎にかかっている朝廷の嫌疑は晴れたという者もありますが、お父様と左馬《さま》ノ允《じよう》とがお受けになった追捕使の役はまだ取消しになっていないのでありますから、これらの風説はいつわりと断じてよいのであります。されば、小次郎としては謹慎に謹慎を重ねていてこそ然《しか》るべきでありますのに、玄明ごとき札つきの乱人と懇親するさえあるに、これが追捕を受けているのを知りながら庇護《ひご》し、更にあろうことか、この大罪人を顔に免じて赦《ゆる》してくれとは何たる言い分、何たる不謹慎、所詮《しよせん》は当方をあなどっているのです。朝廷《おおやけ》をあなどっているのです」
憤激がことばを駆り立て、ことばが憤激を駆り立てた。為憲の顔は真青になり、目が異様な光をはなって燃えていた。
惟幾はおろおろしてしまった。
「待て、待て。そなたの言うことは一々もっともだ。まろだとて、そう考えないではない。しかし、玄明のうしろには石井の小次郎がいる」
為憲はいら立って、いくども父のことばをさえぎろうとした。それをおさえおさえ、惟幾は言いついだ。
「待て、待て。玄明に追捕勢を向ければ、必ず小次郎が出て来る。小次郎と戦う覚悟がない以上、滅多に玄明に手出しは出来んのだ。まろが心をなやましているのはそのことだ」
「小次郎いかに暴悪でも、叛逆《はんぎやく》の罪人を追捕する国司の軍勢に挑《いど》みかかるような無謀はいたしますまい。しかも、その追討使には玄明の兄をあてるのですから」
「さあ、そこのところの見きわめが、まろにはつかないのだ。国司の軍勢だからとて容赦する小次郎であろうか」
「叛逆人になる覚悟はありますまい」
「それだ。叛逆人になる覚悟はないにしても、およそ坂東武者の習い、男を立てるを第一義とする。かねて懇情ある玄明に頼まれ、これを引受けた以上、むざむざと追捕させては男が立たぬとするに相違ないと、まろは思う。とすれば、叛逆人|云々《うんぬん》のことは問題の外だ。小次郎の武力だけが問題だ。小次郎に勝つことが出来るかどうかだ。勝ち得るものならば、まろはとうの昔に左馬ノ允に助力して、小次郎を追捕していたのだ。その自信がないため、碌々《ろくろく》として今日に至っているのではないか」
惟幾の言うことには整然たる論理がある。しかし、それ故に為憲は腹を立てた。懦弱《だじやく》者ほど口がしこい言訳をするのだと思うのだ。
「小次郎いかに武勇あっても、国司の追討勢に向っては心にひるみが出るはずであります。戦いは士気であります。心にひるみがあっては士気は上りません。小次郎ほどの者でも、高祖|高望《たかもち》王の木像を陣頭に押し出された時は敗れたというではありませんか。必ず勝てるはずであります。御決断下さい」
いつか日は暮れて、室内は真暗になっていた。その暗い中に、為憲のことばはつづいた。惟幾はしばらく沈黙していた。考えこんでいるようであったが、やがて言う。
「掾《じよう》(玄茂)を呼んで聞いてみる必要があるな」
惟幾がこういう以上、その心はかなりに動いたものと見るべきだ。
「もちろんです。早速に呼びましょう。彼は唯今《ただいま》こちらの館《やかた》に参っているはずです」
為憲は、自ら立って廊《わたどの》に出て手をたたいた。とっぷり暮れてしまったあたりにこだまを呼んで拍手の音がひびくと、使丁が庭先にあらわれた。
「まいりました。御用は」
と、手すりの下にうずくまった。
「守《こう》の殿のお召しである。玄茂の殿の館にまいり、急ぎ参られるよう伝えよ。また守の殿のおへやに灯《ともし》を持ってまいれ」
いつもかん高い声の為憲であるが、心の昂揚《こうよう》のために今日はさらにかん高い。彼はそれが凜々《りんりん》と張った響きを持っているようでうれしかった。自らの声に聞きほれるように、ひびきわたって消えて行くまでの短い間耳をすました。
しかし、使丁はいとも無造作にこたえた。
「かしこまりました」
使丁が去ってしばらくすると、その使丁が廊《わたどの》伝いに燈台《とうだい》をもって来た。為憲は自らそれを受取って適当な位置にすえてから、使丁に、
「掾の殿の館に使いは出したろうな」
「出しました」
「よし、よし。掾の殿がお出《い》でになったら、すぐここに御案内するのだぞ」
「かしこまりました」
使丁は去った。
為憲は炭櫃《すびつ》(火鉢《ひばち》)に炭をつぎ足して、父にならんで坐った。いろいろと今日の為憲は小まめだ。中央にいては下級貴族だが、国司として地方に出ているかぎりは神様ほどに尊敬される父の子として、すべての地方人にかしずかれて生れ落ちた時から今日まで来た彼は、自ら雑用をしたことがない。万事を人の奉仕に待つ習慣になっている。が、今日は何かせずにおられない。はずみ上る心が行動を欲するのであった。
三四十分の後、玄茂の館に行った使丁がかえって来た。為憲は廊に出た。使丁は廊の手すりの下にひざまずいていた。
「返答は? すぐまいると申されたか?」
「掾の殿は、今日|昼頃《ひるごろ》御領所におかえりになった由《よし》でございます」
思いもかけないことであった。
「なにいッ! 領所へかえった?」
と、為憲の声はつッ走った。
すぐ室内にかえった。惟幾ももう聞いていて、顔色をかえていた。
玄茂がどんな気持で領内にかえったか、それが問題であった。父子《おやこ》は夜の更《ふ》けるまで思慮をしぼったが、満足の行く解答は得られなかった。
「追っかけて掾に召喚をかけてみるよりほかはないのう」
と、惟幾が言った。
夜明けを待って、鹿島の玄茂の館に召喚の急使を出した。その使いは翌日の夕方かえって来た。
「掾の殿は御病気でございました。元来当地をお引上げになったのが、そのためであったのが、途中で更に悪くなられ、帰りつかれるともう頭も上らぬ御重態となられました由で、残念ながら出頭いたしかねるとの口上でございます」
「その方、掾の殿と会ったか」
と、為憲は鋭く問いかけた。
「お会いは出来ませなんだ」
「虚病《けびよう》だ! ばかものめ! 大切な主命を受けて行きながら、当人に会いもせんで、家来共に言いくるめられて帰って来るということがあるものか。子供の使いよりまだ浅ましいぞ」
と、為憲は猛《たけ》り立った。
口ぎたない罵《ののし》りに、使いに立った郎党は顔色をかえた。恐ろしい顔になって、為憲をにらんだ。
「おのれ! 主を何という目で見るのだ!」
と、為憲はさらにいきり立った。
惟幾は息子のはげしい性質が嫌《きら》いではない。このはげしさは処世上ある場合には非常に必要であることを知っている。しかし、今の場合は適当とは思われなかった。第一こんな争いがおこるのを眼前に見るのがいやであった。長い地方官生活の間に、狡猾《こうかつ》で打算的なものを身につけているが、本来は気の弱い性質である。
渋い顔で聞いていたが、口を出した。
「病名は何だな」
ふわりとしたおだやかな調子であった。わざとそんな調子を取ったのであった。
郎党はけわしい表情を消した。
「瘧病《わらわやみ》(おこり・マラリヤ)と申すことでございます」
「ほう、そうか。この国は湖沼が多く陰湿の地が多いので、あの病が多い。あれはたえがたいものだ。気の毒だの」
依然としてのどかな調子で言って、郎党に退《さが》るように言った。
為憲はプリプリしている。郎党が退って行くと、父の方に膝《ひざ》をねじ向けた。
「虚病ですぞ!」
「そう言ったものではない。ほんとのことかも知れぬ」
「ほんとの病なら、当地を立去るに際して届け出でをするはずです。彼はほしいままに立去っているではありませんか」
「それはそうだが、たとえば虚病であっても、立場のつらさのためのやむない虚病であったと見ることも出来る」
「チェッ! どこまで人好くお考えになるのです。彼も一つ穴のムジナですぞ。先《ま》ず彼を伐《う》ちましょう」
惟幾は吹き出した。
「これはこれは。まるで狂犬《やまいぬ》だぞよ、それでは。つつしみなさい。四方八方敵にして、どうして国司づとめがなるものか」
為憲も言いすぎたと思ったらしい。口をつぐんだが、すぐまた、
「玄明追捕の勢《せい》は出さなければなりません。まろがうけたまわります。早速に兵を集めましょう。左馬ノ允も来てもらいましょう」
惟幾はおどろいた。
「左馬ノ允? そなた左馬ノ允の居場所を知っているのか?」
奥州《おうしゆう》行きの失敗以来、貞盛は一所不住だ。小次郎方から放たれた諜者《しのび》の探索のきびしさもだが、嘱託《そくたく》金に目がくれた百姓共にも油断がならなかった。彼は旧領内のかつての恩義を忘れていない人々の家から家へ、二夜三夜ずつ泊り歩いていて、最も有力な味方である惟幾にすらその踪跡《そうせき》はわからないのであった。
為憲は得意気に微笑した。
「現在の居場所はわかりませんが、筋道は知っています。三日もあればさがし当てて連れて来ます」
惟幾はもう何にも言わない。ため息だけついた。彼には貞盛のことなどどうでもよい。小次郎と戦わねばならない羽目になりそうなだけが心配でならないのだ。
為憲は父が決心をつけないのがもどかしくてならない。しかし、無理押しはかえって逆効果であると思った。おししずめた調子で呼びかけた。
「お父《もう》様」
「なんだな」
「玄明のことはこれ以上捨ておくことの出来ないことは御承知でしょうな。あのような大逆を犯したものを、しかもその居る場所がはっきりとわかっているものを、寛仮《かんか》しておいては、国司の威権、朝廷の威光は泥土《でいど》にまみれてしまいます。したがって、お父様の官界における前途はふさがってしまいます。ここはどうしても何とかせねばならない所です。それをよくよくお考え下さい」
その通りであった。言われるまでもなくそれは明らかなことであるが、言われてみると一層痛切だ。惟幾は切なくなった。苦悩にみちたどんよりした目を息子に上げた。
為憲は重々しく言った。
「まろは実際には合戦に至らずして事を成すことが出来ると思います。兵を備えて行き向うのですが、先方の領内へはほんの少数の者を捕吏として乗りこませ、兵は不虞《ふぐ》のためにのみ境上においておくのです。官兵と戦って叛逆者となることは小次郎も好まないに相違ありません。こちらから手出しをしないかぎりはしかけてくることはありますまい。いかがです」
「それならば兵を備えることはあるまい」
「いやいや、兵はやはり必要です。お父様の決意と官《おおやけ》の威を示さなければならないからです。大軍を以《もつ》てする以外には現在のところそれは出来ません。お父様の決意を示すことによってお父様の前途がひらけるのです。官の威を示すことによって小次郎に和順の心をおこさせることが出来るのです。兵はどうしても必要です」
「ほんとに合戦にはならんだろうか」
「ならないと、まろは信じます」
「合戦にならないのなら、兵を集めてもよいが……」
「まあ、まろにまかせて下さい。誓ってへたはしませんから」
熱い血が顔に上るのを感じながら、為憲は言った。合戦になってもかまわないと彼は思っている。小次郎ほどの者を一戦に叩《たた》き破ることが出来たら、武名は全坂東を圧するようになるに相違ないのだ。それを思うと、全身の血が湧《わ》き立って来るのだ。
父との相談がまとまると、為憲は国府の役人共に命じて公領内の壮丁等に徴集令を出させ、同時に常陸《ひたち》国内の豪族等に兵をひきいて参集してくれるよう父の名で依頼状を出させた。豪族の中には委任されて押領使《おうりようし》となっている者がある。その者共は職責上ことわることが出来ないらしく、不日に参るであろうという返事をくれたが、他の多くは色々な支障を言い立て、承諾して来た者はいくらもなかった。石井の小次郎と常陸国府との間にもめごとが起っていることは、すでに世の高いうわさになっているのであった。
「だからよ。こうまでのさばらせるということがあるものか!」
為憲は口惜《くや》しがった。
それでも、壮丁の徴集をきびしくしたので、どうやら相当数の兵は得られそうであった。
壮丁等は日毎《ひごと》に下役人や郎党等に連れられて、それぞれの村から集まって来る。貧窮と過労につかれよごれたみすぼらしい者ばかりだ。やせおとろえ、ボロをまとい、むき出しの手足にはヒビやアカギレを切らしている。目のただれた者が恐ろしく多い。ちょいとしたチンバもいる。さすがだと思われるのは、その見すぼらしい連中の少なからぬ数が武器をたずさえていることだ。もっとも、刀だけだったり、鉾《ほこ》だけだったり、弓矢だけだったりだ。藤蔓《ふじづる》巻きの小刀《さすが》を一本腰に帯びてそっくりかえっている者もいた。全部をそろって持っている者はほんの数人であった。一種の百鬼夜行的な情景だ。
為憲には、とうてい兵事にたえる者共とは思われなかった。
「なんだ、これは? もう少し丈夫そうなのはいないのか!」
きげんを悪くして役人共を叱《しか》りつけた。役人共はこれで若く血気な者の全部をそろえて来たのだと答えた。気を取りなおすよりほかはなかった。
(なあに、軍《いくさ》は主将だ。主将がすぐれてさえいれば、どんな兵でも強兵になるのだ。古《いにしえ》の孫武《そんぶ》は宮女の群を化して忽《たちま》ち精兵としたと、史記の列伝にある!)
すると、為憲の眼前には、彼の訓練によって見ちがえるように精強になった壮丁共の姿や、破竹の勢いで敵を撃破して行く有様が、はっきりと浮かび出して来る。もとが弱兵であればあるほど、そうなった時の彼の名誉は大きいはずだ。また、血が熱くなった。
「主将次第だ! 訓練次第だ!」
そこで装備にかかる。国府の兵庫《ひようご》にはそんなにたくさんの貯蔵がない。比較的体格のよい、強そうなのだけに鎧《よろい》や武器を支給することにする。
為憲は兵士等を部署して、自分と郎党共で訓練にかかったが、どうもうまく行かない。彼は孫武が呉王の前で宮女を訓練した故事にならって、命令に従わない兵を斬《き》り、それは四人にも及んだが、兵士等は恐れおびえ、固くなり、かえって機転がきかなくなった。
それに、壮丁は毎日のように連れられて来る。とても、一人ではやり切れなくなった。
「貞盛をつれて来よう。懦弱な男ではあるが、何といっても坂東第一の名家に生れた武人だ。手伝いくらいにはなるだろう。まろは主将だから、自ら手を下してこんなことまでやることはない。これは貞盛にやらせて、まろは大綱《たいこう》を取っておればよいのだ」
と、思いついた。
思いつくと、すぐに行動にうつさずにはおられない。誰にも告げず馬に騎《の》って国府を出たが、小一時間の後、府中の西方一里ほどの竜神山の麓《ふもと》の村にあらわれた。貞盛の家の所領の一つであるこの村は戸数二十戸ほどの小さいものだが、南を受けた日あたりのよい位置に、山にかかって後ろ上りに構成されていた。のびやかで豊かな感じであった。こんなのびやかさや豊かさは私領の村にはよくあるが、公領には絶対にない。取り立てと公《おおやけ》のための労役がきびしいからである。
しかし、そんなことは、為憲には比較や反省のよすがにはならない。馬蹄《ばてい》の音をひびかせながら、少し上り気味の道を部落の方に近づいて行くと、その音におどろいて、路《みち》より高くなっている畠《はたけ》で蕎麦《そば》を刈り入れていた農夫がひょいとこちらを見たが、忽ちそこにひれ伏した。
為憲は馬を乗りとどめた。
「ちょっと聞くが、この村が|なにがし《ヽヽヽヽ》だな」
「へい」
「村に|なにがし《ヽヽヽヽ》という家があるな」
「へい」
「どれだ」
農夫は泥《どろ》のついた手で、村の方を指さして、
「中ほどから少し上に、一番大きい家があるでございましょう。あれでございますだ」
為憲は馬を進めた。部落に入ってその家の前庭に馬を乗り入れた。
広いそこには、むしろが一ぱいひろげられて、籾《もみ》がほしてあった。砂のようにひろげられた淡い黄褐色《おうかつしよく》の穀物の上に初冬の真昼の日がおだやかに照り、かげろうが立ちのぼっていた。人影は見えない。どこやらで鶏が羽ばたきしながら鳴いている。この籾を荒さないために小舎《こや》にしめこまれているのだろうと思われた。
籾のない所をえらんで庭の半ばまで馬を進めた時、屋内から出て来た者があった。若い娘であった。白い腕をあらわにした両手で長い髪をたくし上げながら日なたに出て来たが、為憲の姿を見ると、はっとしたように立ちどまった。一瞬凝視していたが、すぐ屋内に逃げこもうとした。
「待て!」
為憲は叱咤《しつた》するように叫んだ。
娘は立ちすくんだ形になった。その前に為憲は馬を進めた。娘は顔一ぱいに恐怖の色を浮かべて為憲を見つめている。丸顔のかわいい娘であった。洗いみがいたようにすんだ目が美しかった。粗末な仕事着につつまれたからだは肉《しし》おきよくのびのびとして、いかにも健康な感じであった。
為憲は「ははん」と心にうなずくところがあった。
「そちはこの家のものか」
「そうでございます」
「左馬《さま》ノ允《じよう》の殿はこの頃来ぬか」
娘の顔に、かすかに動揺の色があらわれたが、すぐおしかくした。黙っていた。
「まろは当国のかみの嫡子《ちやくし》、為憲だ。左馬ノ允とはいとこ同士《どち》で、味方だ。かくすことはない。そちと左馬ノ允とのなかも聞いている。かくすことはない。来ぬか」
娘は赤い顔になった。首を振ってこたえた。
「まいられません」
娘の赤くなった顔をジロジロ見ながら為憲はまたきく。
「もうずいぶん来ぬのか」
娘はうつ向いて、消え入るように言う。
「はい」
「幾日くらいになる? この前来た時から」
残酷な興味であった。娘は一層うつ向いた。
「もう一月にもなります」
声がかすれていた。
「ふうん」
為憲は首をふった。彼は貞盛の女が幾人かいることを知っている。正確な数はわからないが、二人や三人でないことを知っている。しかし、いくらたくさんあっても、一月も経《た》っているなら、そろそろ番がまわって来る頃《ころ》だと思った。
「来たらな、大事な用件があって、国府から為憲が来た、急いで国府に顔を出してくれと言ってくれんか」
「はい」
「必ずだぞ。忘れてはならんぞ」
「はい。でも、おいでになるでしょうか」
娘は顔を上げた。黒くみずみずしい目に熱心な光が燃えていた。
嫉《ねた》ましさが腹立たしさにかわった。どなりつけた。
「来たらと言っているのだ! 来るか来んか、まろが知るか!」
とつぜんに変った為憲の様子に、娘はおびえた。
「申しつけたぞ! 忘れるな!」
厳格な調子で言うと、馬首をめぐらし、最初から半駆けで、籾を蹴散《けち》らしながら立去った。
日の暮れる頃まで、為憲は貞盛の領地なお二カ庄に行った。どの家にも年頃の娘がいる。いずれも可憐《かれん》で美しく、貞盛と特別な関係のあることは一目でわかった。達者なものだ、と、思った。羨望《せんぼう》もあったが、それよりも腹が立った。こんな風だから不倶戴天《ふぐたいてん》の讐《かたき》をいつまでものさばらしておくのだ! 二所とも、来たら必ず国府に顔を出すように言ってくれと伝言した。国府にかえりついたのは、もう二更に近い頃であった。
ちょうどその頃、貞盛は最初に為憲が行った竜神山の麓の村に姿をあらわした。
日が落ちると急に気温が下って、夜になると益々《ますます》寒くなった。風はないが、頬《ほ》ッぺのあたりがバリバリかたくなるように冷たかった。かじかんで感覚のなくなった手に手綱《たづな》をとって、貞盛はごくゆるやかに馬を進めた。太刀を帯び、弓矢をたずさえてはいるが、従者はなかった。いつも逃げかくれてばかりいる生活をいやがって、立去ってしまったのだ。
彼はそれにちっとも腹を立てていない。苦にもしていない。血気盛んな坂東育ちの若武者がこんな卑屈な日常に厭気《いやけ》がさすのはあたり前のことだと思うのだ。また今の境遇では邪魔でもあった。ひとりの方が危険に際して逃げるにも便利であった。何よりも、郎党等がいては女遊びに工合が悪かった。「こんな時に何事です」といいたげな顔をされては、いくら彼が享楽《きようらく》派でも気づまりだ。
部落に入ると、犬が吠《ほ》えはじめた。最初は一匹だったが、忽ち至る所に声がおこった。部落中の犬全部が狂気したかと思われるさわぎであった。貞盛はかまわず馬を進めた。すると、夜目にもたくましい犬が吠え猛《たけ》りながら横合からおどり出して来た。
「これ、これ、おれだよ。何を猛るのだ」
貞盛は小声でたしなめた。犬は忽ちおとなしくなった。尾をふって愛嬌《あいきよう》をふりまきながら顔を空に向けて、これまでとちがった声で鳴いた。すると、あんなにまでさわがしかった犬共の声はぴたりとおさまって、静かな暗《やみ》としんしんと刺すような寒気とが身を取りまいて来た。
ゆるやかな勾配《こうばい》を持った石ころだらけの道にコツリコツリと馬蹄を鳴らしながら、貞盛は道を上り、目あての家の前に出て、広庭に乗り入れた。真暗で、シンと静まっている母屋《おもや》の前に乗りつけて馬を下りた。立ちよって、ほとほとと戸をたたいた。
「おれだよ、開けてくれい」
と、娘の名を呼んだ。
「誰?」
待ちかまえていたように、若い娘の声が、戸のつい向う側でおこった。
「おれだ。貞盛だ」
そのことばがおわるかおわらないかに、戸は内から引きあけられた。
「まあ、殿」
健康で、若々しくて、かぐわしい体臭がパッと鼻をうって、娘は出て来た。ゾッとするような有頂天な気持がからだ中を走って、貞盛は娘のあたたかいからだを抱きすくめようとしたが、娘はすらりとその手をくぐって、馬のそばに駆けよった。
「お馬をしまつしませんと」
あまえるような鼻声であった。
「そなた、おれより馬の方がいとしいか」
貞盛は含み笑いしながら言った。
「だって、この寒夜《さむよ》にかわいそうですもの」
娘はさらにあまえた声で言って、馬の口を取って、厩《うまや》の方に行く。厩は広庭の横にある。しずまりかえって暗いそこから、時々、この家の馬が羽目《はめ》を蹴る音や寝藁《ねわら》のきしむ音が聞こえていた。
「オーラ、オーラ、オーラ……」
と、低い声で馬をあやしながら、娘はしばらくそこで動いていた。馬を引きこみ、秣《まぐさ》をあてがい、鞍《くら》をはずしているのであろう。
貞盛は両手をこすり合わせながら、その方を見つめながら待った。
間もなく、娘はかえって来た。
「すみました」
「鞍はよくしまつしたろうな」
こんな農家の厩に青貝ずりの見事な鞍などあるのを小次郎方の諜者《しのび》にでも見られたら、一ぺんに露見してしまう。
「大丈夫です。わらの中にかくしておきましたから」
「よしよし」
家の中は更に暗かった。鼻をつままれてもわからないほどだ。しかし、娘は貞盛の手を取って、すらすらと自分の寝床につれて行った。
貞盛はいきなり抱きすくめた。
「あれ!」
媚《こ》びた低い声で叫んで、女は身もだえした。女のからだには馬の臭《にお》いがしみていた。それを感じながら、貞盛はじりじりと力をこめておしたおして行った。
「いや、いや、いや」
おしたおされたとたん、娘は猛烈に抵抗した。
おしころした低い声だ。
「これ、どうしたのだ。これ、何をそうあばれるのだ」
貞盛は笑いを含んだ声で言いながら、なお力をゆるめない。必要な手順を着々と進めて行く。
「いや、いや、いや、殿はきらいです!」
娘は呼吸をきらしている。からだをかたくしめている。
貞盛は、娘が何をおこっているか、よく知っている。急には行かんと思った。やがては欲するままになると自信しているから、おこりもしなければ、失望もしない。これも一興、|なます《ヽヽヽ》にそえる一抹《いちまつ》の芥子《からし》と、抱きしめている力を解いた。
娘はせいせい息を切らしている。貞盛は、急に力を解かれて失望に似た気持で娘がいることを知っている。こんな時は触れない方がよいことも知っている。娘から身をはなして、問いかける。
「そなた、なぜ今日はおれをきらうのだ。おれは都でわけ知りの人に聞いたことがある。女が古い男をきらうようになるのは、大ていは新しい男が出来た時だと。しばらく来ないうちに男が出来たのかな」
娘はクルリと向き直った。
「誰がそんなことを言うのです。誰があたしに男が出来たと言うのです?」
食ってかかる調子であった。貞盛の胸をつかんでゆすぶった。
貞盛は心の中でにやにやとわらった。
「人はほんとうのことを言われるとおこるものだそうな」
「くやしい!」
娘は涙声で言って、つかみかかって来た。その手をおさえて、
「それ、おこった」
「くやしい! 御自分こそ、どこで何をしておいでなのです。一月の上も人をほうり出しておいて。人が知らないと思って! ちゃんと知っています」
泣きじゃくりながら、どこの庄《しよう》のなにがし、どこの庄の誰と、七人も八人も女の名前を上げた。一々覚えのあることであった。この村から出たこともないのによくもこんなにさぐり知ったものと、愛情のことについての女の感覚の鋭さに感心せざるを得なかった。
「そなたはおれが好きでうろつきまわっていると思っているのか。一所に長くとどまっていると危《あぶな》いからこそ次ぎ次ぎに居所をかえるのだ。その場所に若い女がいないとは言わない。だからといって、その女がおれと何の関係があろう。おれは男だから、久しく独り寝は出来ない。しかし、それは一時の慰みにすぎない。おれが心からいとしく思っているのはそなただけだ。そなたにはそれがわかっているはずだとおれは思っていたのだがな。おれはそなたを買いかぶっていたのだろうか」
なげくような調子で結んだ。彼は知っている、女の嫉妬《しつと》は自らの誇りを傷つけられたと思う所におこる、その誇りを立ててやれば解消するものであることを。
効果はてきめんだった。腕をさしのべてかき抱くと、娘は何の抵抗もなく胸に抱かれて来た。
「わかったか」
「ええ」
肩をすくめ、ひくくこたえた。
娘が、為憲《ためのり》のことづてを伝えたのは、それからのことであった。
「フウーン」
貞盛は、国府が兵を徴集していることを知っている。その目的も知っている。慧敏《けいびん》な彼には勝敗の数はきわめて容易に予見出来る。小次郎は坂東一の武者、その兵は坂東一の精鋭だ。為憲ごときが、無理徴集の上|俄《にわ》か訓練した土民兵をどれほど多数ひきいていようと、どうなるものではない。利鎌《とがま》の前に並び立つ葦原《あしわら》のように薙《な》ぎたおされるにきまっている。こんどのようなことで小次郎をたおすことが出来るなら、とうの昔にやっている、こんな苦労をするものか、と、思った。
(やれやれ、世間知らずの公達《きんだち》にもこまったものだ。人がよいほどに言っていれば本気にして一人前の武者気取りになって、人もあろうに小次郎と張り合おうとはめくら蛇《へび》におじずとはこのこと)
寝がえりを打って、暗い天井を見ながら、行くものか、と、思った。
娘が耳に口をよせて言う。
「お出《い》でにならなければならないのでしょう」
「行ってほしいか。一月ぶりに来たおれだというのに、おれがいては邪魔になるか」
「あれ! またあんなことを言って!」
しがみついて来た。
「寒い! モソモソ動くと肩につめたい風が入る」
「すみません」
娘は貞盛のわきによりそった。出来るだけ動かないようにして、呼吸さえこらしていたが、またおずおずと言う。
「こわい公達でございました。わたくし、叱《しか》られてしまいました……」
ねむかった。
「もうものを言うな」
半ばうつつで、そう言うとすやすやとおだやかな寝息を立てはじめた。
娘は長い間眠れないでいた。貞盛に対する愛情が切ないほど胸にたかまっていた。だから、肩や腰のあたりが少し痛かったが、がまんして身動きしないでいた。
貞盛は二日二夜その家にとどまっていた。この部落は彼の所領の村々の中でも特別忠誠心の強い部類に入る村であったが、それでも彼は用心して、昼間は外へ出なかった。
三日目の夜、そこを立ち出た。国府に行く気はなかった。他の村に行くつもりであったが、その途中、急に気が変った。
(為憲は別として、叔父御は今のところおれの無二の味方だ。この無謀な企ては失敗するにきまっているのだ。木ッ葉|微塵《みじん》に叩《たた》きつけられては、おれは元も子もなくなる。何としても引きとめる必要がある)
と考えたのであった。
初更をすぎた頃、国府についた。国府の周囲には一面に幕舎やむしろ囲いの小屋があって冴《さ》えかかる星空の下に大小様々の角度をもって並び、その中から物の具のふれ合う音や、口ぎたない怒声や、酔いだみた声や、あくびや、ボソボソ話し合っている声が漏れていた。徴集された土民兵共であることは明らかであった。貞盛の時ならぬ馬蹄の音におどろいて出て来る者があったが、とがめる者はなかった。あきれたように見迎え、見送るばかりであった。
惟幾《これちか》はもう寝ていたが、貞盛の来たことを聞くと、すぐ起きて来た。
「おお、おお、よく来てくれたな。そなたの居所はとんとまろにはわからなんだが、為憲が知っていてのう、来てもらうことにしたのだが、よう来てくれたのう」
寝起きのこととて、顔色は悪かったが、至って愛想よく迎えた。
「為憲殿がどうなさったのでしょうか」
貞盛はわざと腑《ふ》におちない顔をした。この際自発的に来たことにしておく方が有利だと計算を立てたのであった。
「おや、そなた為憲からの知らせで来たのではないのか」
「いいえ、わたくしは那珂《なか》郡の方に行っていたのですが、容易ならぬ企てがあると聞きましたので、大急ぎでまいったのです」
「ホウ、そうであったか。まろはまた為憲が知らせたので来てくれたのだと思っていた。しかし、それならば、なおさらありがたい。一層礼を言うぞ」
「恐れ入ります」
「なにせ、大へんなことになってのう。那珂あたりにはどんな風に伝わっているか知らんが」
「それでございますよ。一体、どうしてそんな無謀なことを思《おぼ》し立たれたのでございます。小次郎は坂東一の武者、鬼神の武勇がございます。唯今《ただいま》参ります時、国衙《こくが》の門前でお駆り集めなされた軍兵《ぐんびよう》共を見てまいりましたが、あのような何の訓練もないいわば烏合《うごう》の衆を以《もつ》て、事が成るとお考えなのでありましょうか。およそ考えられるかぎりの最も無謀なことでありますぞ。速やかに御中止になるべきであります。わたくしの参ったのは、このためでございます」
貞盛は一気に説いて結論に達した。彼は惟幾の顔にあらわれた動揺の色を見のがさなかった。こうした説き方が最も効果的であると見たのだ。擂鉢《すりばち》で胡麻《ごま》をおろすように、息つく間をあたえず説けば、きわめて容易に説き伏せ得ると計算したのであった。
見る見る惟幾は顔色を失った。
「まろらは合戦まで持って行くつもりはないのだ」
くどくどと計画を述べた。
「いや、わかりました。なるほどそうでしたか。それならば話はわかります。しかし、そうこちらの注文通りにまいるものでしょうか。腰に刀を佩《は》いたことのある者なら、誰でも覚えのあることですが、刀を佩いていれば自然抜きたくなり、抜けば斬らぬつもりがつい斬ってしまいます。兵はその刀なのです。合戦までは持って行かぬつもりが、事のはずみではどうなるかわかったものではありませんぞ」
惟幾は一層青ざめた。
「為憲はそうは申さぬ。こちらの要求を入れさせるため、兵力は示すだけにとどめると申しているのだ。まろはその条件|故《ゆえ》、兵の徴集をゆるしたのだ」
(やっぱり為憲だ。阿呆《あほう》な小わっぱめ! 生兵法《なまびようほう》に鼻ッ柱ばかり強くなりおって!)
とは思ったが、為憲の機嫌《きげん》を損《そこな》うことは避けたかった。何と言おうと工夫しているとき、急がしげな足音が近づいて来たと思うと、ことばもかけず遣戸《やりど》をあけた。鎧《よろい》を着、紙燭《しそく》を片手にした為憲であった。
「やあ、左馬ノ允」
と呼びかけるや、フッと紙燭を吹き消して進み入って来た。
「これは為憲殿」
微笑して迎える貞盛の側《そば》に、為憲はむずと坐《すわ》った。
「よく来てくれたな。どこで聞いて来た? まろは三カ所まいったぞ。どこと、どこと、どこと。大体この三カ所に通じておけば、両三日のうちには必ず通ずると見当をつけたのだが、狂いはなかったな。ハッハハハハ」
ごきげんであった。
貞盛はなんとも言えずいやな気になったが、愛想よく笑って、
「それは御造作をかけたな。今も叔父君にうかがって恐縮しているところであった。せっかくそのお伝言《ことづて》がとどかなんだのだよ。わしは、那珂郡の方に行っていたのでね。まことに残念であった」
為憲のやせた顔は見る見る不快げな色に蔽《おお》われた。
「みこと、まろの伝言を聞いて来たのではないのか」
溜飲《りゆういん》の下る気持というのは、こんなのを言うのだろう。なんとも言えず痛快な気持であったが、貞盛は申訳なくてならないという顔をつくった。
「まことに残念、わしは那珂郡で風説を聞いて、大急ぎで馳《は》せ参ったのだ」
「…………」
為憲はブスッとした顔をして返事をしなかったが、どうにか気を取りなおしたらしい。
「ともあれ、いい所に来てくれた。みことも来る道すがら見たであろう。あの人数だ。まろ一人では手がまわりかねる。手伝ってもらいたい」
「それだ。今も叔父君に申し上げていたのだが、わしは兵を集めて小次郎に交渉するのは賛成出来ない。合戦となる恐れ十分だ。他に方法を工夫することをすすめたい。わしはそのために来たのだ」
貞盛は出来るだけ愛想よく言った。言うことが気に入らないにきまっているから、態度で補おうと考えたのであった。
為憲の顔色はまたかわった。
「さては、みことは、まろに与力するつもりで来たのではないのか!」
と、言った。荒々しい怒りの声であった。
「かかる無謀な企ては諫止《かんし》するのが、第一の与力とわしは思っているのだ」
貞盛は態度をくずさない。依然として微笑をふくんでいた。
「左馬ノ允、みことそれで人の子か。小次郎はみことのためには生み父《おや》の仇《あだ》ではないか。あらゆる機会をにがさず討つことこそ子たる者の道ではないか。左馬ノ允、みことはそれで男か。当家と小次郎との間にはもともとは何の恩怨《おんえん》もない。それを小次郎が事毎《ことごと》に当家に悪意を抱くようになったのは、お父《もう》様がみことと共に朝廷《おおやけ》から小次郎の追討使を蒙《こうむ》られたからだ。小次郎が鹿島《かしま》ノ玄明《はるあき》などという乱人を庇護《ひご》して、当方からの引渡しの要求に応じないのは、そのためなのだ。もとはといえば、みことのためだぞ。しかるをかかる期《ご》におよんで口がしこく言いのがれして与力しようとせぬ。男の所為と言えようか……」
「待て待て、そう荒々しく言うものでない」
と、惟幾が割って入って、何やらくどくどと言い出した。何を言っているのかさっぱりわからない。貞盛は面倒くさくなった。どうでもよいような気になって来た。
ずるずるのうちに、貞盛は為憲に同調することになった。毎日徴集兵を訓練しはじめた。
(これがおれの欠点だ。誰よりもよく落ちつく先が見えるくせに、最もかんじんな所で腰がくだけてしまう。前にもそうだった。小次郎とあれほど固く約束しておきながら、おじ御《ご》らに口説かれると、ついずるずると加担して、小次郎との間にうずめようのない溝《みぞ》をこしらえてしまった。こんな兵共をどう訓練しようと、小次郎に敵し得るものか。事を困難にするのは、すべておれのこの因果な性質のためだ。おれに初一念を守ってくじけない心の強さ、あるいは誠実さがあったら、今頃はどんなによかったろう。おれは領地の管理を引受けてくれた小次郎から豊かな仕送りを受けつつ、京で官途を栄進しつつあったに違いない。そしたら、女共もあんなに馬の臭いがしたり、籾《もみ》の臭いがしたりするような百姓娘共では、もちろんない。抱けば淡雪のように消えるかと思われるほどあえかにたおやかな上臈《じようろう》女達であるはずだ。ああ、ああ、ああ、ああ……)
常に胸裡《きようり》に往来するのは、こんなことであった。
けれども、彼は去ろうとはしなかった。
(まだ取りかえしはつくのだ。ここにこうしていては、とんでもないことに巻きこまれてしまう。為憲などという阿呆の道連れになって不幸に転落するなど、愚の骨頂だぞ)
と思いながらも、軽蔑《けいべつ》しきっている兵共に射術を教えたり、集団して突撃する法を教えたりして日を送っていた。
こうした日常の中で最もいやであったのは、為憲の将軍ぶりであった。すっかり大将軍気取りになった為憲は、今では鎧《よろい》を脱いだことがない。
萌黄縅《もえぎおどし》の着長《きせなが》は、貧弱な為憲の体格には重げで、尻鞘《しりざや》をかけた太刀を佩《は》いている姿は、川を泳ぎわたった痩狐《やせぎつね》が濡《ぬ》れた尻《し》ッぽを引きずっている風情《ふぜい》があった。おそろしくきびしい顔をしていた。かたく唇《くちびる》をひきしめ、白自の多い目を光らせ、いつも腹を立てているように見えた。口をひらけばカン高い声で、自らのことばに追いかけられるように引っきりなくしゃべった。
そのおしゃべりは、叱責《しつせき》であるか、兵法の講義であるかであった。兵法の講義は、誰彼のおかまいがなかった。貞盛にはもちろんのこと、郎党等にも、兵士等にも黄色い声で滔々《とうとう》と論じた。
「孫子|曰《いわ》く、シカジカ……」
「六韜《りくとう》に曰く、コレコレ……」
「三略の何の巻に云々《うんぬん》……」
彼に言わせると、坂東武者の合戦など、格も法もないこと、無頼漢のなぐり合いにしかすぎないのであった。
「ばかなやつめが! 合戦を泥人形の群を並べてするようなものに思っている!」
貞盛はいまいましがらずにはおられなかった。しかし、妙なものであった。兵共に訓練の結果が少しずつあらわれて来ると、彼もまた次第に熱心になった。
「何せ、この大軍だ。ひょっとすると、うまく行くかも知れんぞ」
兵は次第に増加して、すでに六千に達していた。
寒雷
常陸《ひたち》の国府で兵を集めていることは、筒抜けに小次郎の耳に入っている。
「ばかなことをする。やつら風情の手並みでおれをどう出来ると思っているのか」
にがにがしかった。決意は玄明を庇護するにきめた時に出来ている。迷いはなかった。来たらたたき破ってやるばかりときめている。
「小次郎、もう一度書き送ってみようや」
と、興世《おきよ》王が言い出した。
「無駄《むだ》でしょう」
「無駄なものか。大いに必要なことだ」
「…………?」
「|きっかけ《ヽヽヽヽ》がつくのだ」
「…………?」
「必定、向うは返事をくれないであろうから、あの返答をうかがいにまいったという名目で、兵をひきいて押し出して行くという寸法だ」
「くれたら?」
「くれても同じだ。疑いなくそれは拒絶の文面に相違ないから、膝《ひざ》をつき合わして親しく談合したいという名目で押しかけて行く」
「拒絶でなく、承諾の文面であったら」
興世王は腹をかかえて笑った。
「そなたは実直者故、時々阿呆のようなことを言うからこまる。承諾する意志のある者が、兵など集めるものか。仮に百歩をゆずって承諾したとするなら、大いに結構ではないか。御恩情まことにありがとうござる。謹んで拝謝いたす、と礼を言うて、鞍置馬二頭に八丈絹十四もそえて贈ればそれですみではないか」
小次郎はしばらく考えて言った。
「王《みこ》の計はどうでもこうでも合戦に持って行きたいのですな」
「先んずれば敵を制し、おくるれば敵に制せらるだ。こちらから行かねば向うが来るのだ。押しかけて来られては、領内の損害ははかり知れんぞ、向うは六千という勢を集めているのだ。それが荒しまわってみよ。勝っても領内はめちゃめちゃだぞ」
「それはそうです」
そこで、再び牒書《ちようしよ》をおくることになった。
また、興世王がしたためた。
(先般、書礼を呈して、藤原玄明のことについてお願い申し上げたが、御答礼に接しない故、重ねて呈札する。ひとえに御憐察《ごれんさつ》を垂れ、先願を容《い》れたまわんことを)
という意味であった。
牒書を出すと共に、興世王は小次郎にすすめて出動の準備にかからせた。
「出来るだけ多い方がよいな。駆り集めの烏合《うごう》の衆とはいえ、敵は六千あるのじゃ。四千はほしい」
と、興世王は言ったが、小次郎は笑った。
「千もあれば沢山です。書面のかけ引きは王の得手《えて》でありますが、戦さはこちらにおまかせ願います」
その千人ほどが領内の各所から集まって来た頃《ころ》、玄明も手勢二百をひきいてやって来た。
牒書がおくられてから十日たったが、返事はない。
「潮はかないぬ、いざ船出じゃ! さあ、出発!」
と、興世王は上機嫌に叫んだ。
快晴ではあったが、やや強い西北風があって、寒い日であった。
千二百の兵をひきいて石井《いわい》を出た小次郎は養蚕《こかい》川を渡ったところで、かねての計画に従って郎党を呼んで命じた。
「その方、これから常陸の国府にまいり、かねてお願い申し上げたことについてずいぶん時がたちましたが、未《いま》だに御返答を賜わらぬによって、主人|将門《まさかど》親しくお目通りして嘆願いたすため、参上の途にあります、多少の兵を引連れていますが、これは近頃戒心(用心)のことあるによって身を衛《まも》るためで、他意はないのであります、お含みおき願います、右お届けのためまかり出《い》でました、とかよう申すよう」
「申しすてでよいのでございましょうか。返答を得てまいるのでございましょうか」
「ハハ、ハハ、返答もなにも、すでにこうして行きつつある途中ではないか。申しすてでよいぞ。しかし、なるべくは上の者だけでなく、兵共にも知れ渡るように申して来るがよいな」
国司の権勢を以ておどして駆り集めた兵だ、戦いが目前に迫ると聞いては臆病風《おくびようかぜ》に吹かれて逃げ散る者が多いにちがいないと目算したのであった。
「かしこまりました」
馬を引きよせ、馬足を速めて行く郎党のあとを追うようにして、全軍進んだ。
常陸国府(石岡)に、小次郎の使者がついたのは、この翌日の早朝であった。使者は命ぜられた通り、国府の正庁の入口で出て来た下僚に大音声《だいおんじよう》で口上をのべ、帰りがけに、また、兵共の宿舎の所々で馬をとどめ、間もなく石井の小次郎が軍勢をひきいて来ると、くりかえし呼ばわって立去った。
ききめはてきめんであった。誰も押しかけて行くつもりにはなっていたが、押しかけて来られようとはまるで思っていない。惟幾も、為憲も、国府の下僚等も、郎党等も、からだのどこかに灼熱《しやくねつ》した焼金《やけがね》でもあてられたようにうろたえさわいだ。中にも為憲の興奮は一通りでない。
「不埒《ふらち》千万なる小次郎め! 押しかけて来るということがあるものか。話が逆だぞ。田舎者め! 戦さの格、戦さの法、戦さの作法を知らないにもほどがあるぞ。今や小次郎めはまごう方なき謀叛人《むほんにん》じゃ!」
とののしり狂っていたが、兵共の間に動揺がおこり、逃亡者が相ついでいると聞くと、半狂乱の姿になった。
「卑怯《ひきよう》千万な奴《やつ》ばら! 逃げるということがあるものか! 容赦はいらぬ。見当り次第、射殺してしまえ! 斬《き》ってしまえ!」
と、猛《たけ》り立ち、門側の望楼《やぐら》に駆け上り、自ら弓を取って、逃げ走る数人を射殺した。郎党等もまたこれにならった。
こんなことで、どうやら、兵共の動揺はおさまったが、それは表面だけのことで、闘志のある者は一人としてありそうになかった。
(敵の姿を見もしないのに、こんな有様だ。目の前に敵勢があらわれたらどんなことになるか)
貞盛《さだもり》はただにがにがしかった。彼もまた出来るものなら、この場を逃れたかったが、そんなわけには行かない。為憲の所に行った。
「少し話がある」
「何の話だ。合戦のことについてなら聞くが、それ以外のことは聞かんぞ」
為憲はまだ興奮している、居丈高《いたけだか》であった。どうもいかん。一々しゃくにさわる。貞盛は言う気がなくなったが、こらえた。
「もちろん、戦さのことだ」
「そんなら聞こう」
貞盛が話し出そうとすると、
「待て」
ととめて、兵に命じて床几《しようぎ》を持って来させて腰かけた。肱《ひじ》を張り、威儀を正した。副将軍の意見を聴取する大将軍の形を取ったつもりらしかった。貞盛はまたしても虫唾《むしず》の走る思いに駆られたが、ともかくも口をひらいた。
「元来、こんどのことは当方から押しかけて行く計画であったため、当国府には防守の用意がまるでない。待ち受けていて戦うことは不利であると思う。途中まで出て、敵の不意に出て戦うがよいと思う。いかがであろうか」
為憲は首を振った。
「いやいや、それはせんさくが足らぬ。軍行くこと六里と、兵法にある。石井より当地まで十二里、即《すなわ》ち二日の行程だ。必定敵は今夕当地に到着するであろう。重き甲冑《かつちゆう》を着して二日を以て十二里の道を行く、その労《つか》れているであろうことは言うまでもない。反対に味方は労せずして待っているのだ。孫子軍争篇に曰く、逸を以て労を待つと。このことを申すのだ。古人我を欺《あざむ》かず。動かずここに待つこそ策を得たものだ」
為憲のことばには、この頃|無暗《むやみ》に唐土の兵書の文句が入る。聞いているこちらは歯の浮く気持だが、本人は大得意だ。こちらが妙な顔をすると、やりこめた気になるのだ。
いつもはいいかげんに聞いているのだが、今日は猛烈に腹が立った。おぼえず荒々しく言った。
「兵書にどうあるか、わしは知らん。小次郎も兵書などは知るまい。従って、兵書はずれに来ると思ってよろしい。戦さは象棋《しようぎ》や双六《すごろく》のように定まった約束の下に技を闘わす遊技ではないからだ」
為憲も腹を立てたらしいが、大将軍たるの貫禄《かんろく》を思ったのであろう。
「法によらぬものは必ず敗れる。兵法の鉄則だ。法にはずれて敵が来るこそ、味方にとってはこの上なき大幸、味方の勝利は今はもう確実だ」
微笑と共に悠然《ゆうぜん》と言い放った。
度し難いと思った。勝手にしろと引退《ひきさが》りたかった。しかし、時が時だ。貞盛はまた言った。
「わしは兵法は知らんが、一日の行程六里というのは、よほどに急ぐ時に違いない。今の小次郎には急がねばならない理由はない。兵を疲れさせないように、ゆっくりと来るに相違ない。されば、そなたは今夕当地に到着すると申したが、わしは早くて明日、あるいは明後日になると思う。逸を以て労を待つというわけには行かんと思う」
貞盛の言うことには十分の可能性があった。さすがに為憲も思い直す気になったらしいが、坦懐《たんかい》にはふるまえない。
「そなたがさほどいうなら、兵を千あずけよう。みことのやりたいようにやってみるがよい」
と、切り出した。
小次郎ほどの者に、千人ぐらいの勢でどうして当れよう。一あてに蹴散《けち》らされることは目に見えている。返事をしないでいると、為憲はまた言った。
「みことの言うように敵がゆるゆると来るものなら、途中一夜|乃至《ないし》二夜野営するはずだ。そこを襲うなら千もあれば十分でないか」
千も千による。不鍛練至極の寄せ集め勢だ。沈着と機敏を最も必要とする夜討ちには最も不適当と言わねばならない。なお黙っていると、為憲は、
「夜討ちが出来ずばやめることだ」
と言って、そっぽを向いた。貞盛のことばによって、彼は十分な不安を感じているのだが、無条件には従いたくないのであった。しかし、自分ではそう意識していない。口惜《くや》しがらせることによって勇気をふるい起させる方法を取っていると思っていた。
貞盛はそのまま引退ろうと思ったが、やはり不安だった。ついに言った。
「夜討ちが出来るか出来んかは、その場の模様できまることで、必ずするとは受合えんが、一応行ってみる」
「よろしい」
貞盛は千人の兵をひきいて出かけた。府中を離れること四里、小田郷まで行った。ここは筑波《つくば》山塊が西南に尽きる所にある大邑《だいゆう》だ。石井から府中に来るとすれば、この道を取るか、ここから北方一里の多気《たけ》から筑波山の南の峡道《はざまみち》を取るかするのが順路だ。貞盛は山中に兵をかくし、斥候《ものみ》を放って敵がいずれに向うかをさぐらせた。出て行って一時間たつやたたずに、斥候は走りかえって来た。敵の斥候と逢《あ》ったので、道をかえたが、その方面にも斥候がいる、更に道をかえたが、そこでもまた敵の斥候に逢った、思うにすき間もなく斥候を放って、用心堅固に来つつあるらしいという報告だ。
物の具を脱ぎすてて農民姿になれば更に進んでさぐることが出来るものを、気のきかない斥候だとは思ったが、そこまで望むのは土民兵には無理だ。
もっとも、大体のことは推察がついた。それほど厳重に斥候を放って来るとすれば、その進路は小田道にちがいない。かなり間近に迫っていることも推察がついた。
貞盛は展望のききそうな木をえらんで、自らよじのぼった。
打ちひらいた冬枯の平野は所々に川や沼や林を散らばして、目路《めじ》のかぎりひろがって、それらしいものは全然見えなかったが、すぐ、あッ、と息をのんだ。思いもかけぬ間近に、それが見えたのだ。小田の西郊半里ほどの所に白く光ってうねっている桜川の西の河原にいるのがたしかにそれだ。宿営の用意でもしているのであろうか、多数の人がうごめき、所々に薄紫の煙が立ちのぼっている。
日ざしを見ると、未《ひつじ》の刻(午後二時)を少しまわったくらいだ。
「さすがだな、おそろしい用心深さだ」
貞盛は感嘆した。
夜陣の場所は東に川をひかえ、周囲は目をさえぎるものがない。その上、その陣所を取りまいて、点々として見張りの兵を立てている。まことに用心深く、まことに堅固だ。
「夜討ちなど以てのほかのことだ」
と思いながら、木を下りた。
しかし、なお念のためと思って夜に入るのを待ち、夜半過ぐる頃まで念入りに偵察《ていさつ》し、最後には自分で偵察に行ってみた。非常をいましめる兵が巡回して寄りつきようもない。
「小次郎のやつ、いつどこで修業してこんな戦さ上手になったのだ。少年の頃|陸奥《むつ》に行っていた間の修業であろうか」
舌を巻いて引きかえした。
こうなれば、あきらめるより、ほかはない。夜明けを待たず引上げにかかり、朝の八時頃府中にかえりついた。
貞盛の報告を聞いて、為憲はきいた。
「敵の勢はどれくらいだ」
「千二三百もあろうか」
「味方は千だな」
「…………」
「ほぼ匹敵するな」
「…………」
「匹敵するの勢を以てすれば、野合いの戦さしてもいい戦さが出来るはずだ。まして夜営を襲って不意を撃つなら、勝てること必定と、まろは思う。それを為《な》すこともなく引上げて来るとはまろにはわからない料簡《りようけん》だな」
いつものカン高い調子でなく、おししずめた声であった。トロ火でじわりじわりといり立てるような趣があった。
貞盛は軽蔑《けいべつ》はしたが、おこりはしなかった。
「叱責《しつせき》は戦さがすんでからゆるりと受けよう。それより、ほどなく小次郎はおし寄せて来る。その用意をしてもらいたい」
と言って引上げた。
為憲は府中を西南に出、恋瀬《こいせ》川を渡って少し行った所で、兵を三段に備え、貞盛には昨日の兵一千をあたえて遊軍として、はるかに右手の林の中に備えさせ、各隊の長となった者を集めて、戦術を発表した。
「一隊|先《ま》ず進んで戦い、ほどよく戦った後左にひらいて三陣のうしろにきて休息をとる。すかさず二陣進んで戦い、またしばらくして左にひらいて同様となる。三陣また然《しか》り。次にはその後にひかえた一陣が進んで戦う。めぐってやまざること|おだまき《ヽヽヽヽ》の転ずるが如《ごと》し、これを連環陣という。たえず新手《あらて》を以て敵にあたるのが、この陣形の利とする所である。左馬《さま》ノ允《じよう》は戦いの潮合を見、味方危うき時、あるいは敵に色めく様子の見えた時、横から突撃してこれを乱す」
貞盛はこの戦術に同意出来なかった。つまりは絵にかいた餅《もち》にすぎないと思った。十分な訓練を経た精兵を以てするならば最もすぐれた陣法と言えよう。しかし、この訓練不足な土民兵では注文通りにはぜったいに行《おこな》えないと断言してよい。こんな兵は分けてはならないのだ。一団にして数の力を利用するのが一番よい。こう分けては各個撃破されるにきまっている。敵の思う壺《つぼ》にはまるようなものだ。
しかし、何にも言わなかった。為憲が聞き入れないことは明瞭《めいりよう》であったから。命ぜられた通りに千人をひきいて、林中に埋伏《まいふく》した。
朝の霜はきびしかったが、快晴で風のない日で、午《ひる》近くになると春のようにあたたかい日になった。
このへんは、背後に恋瀬川と香澄《かすみ》が浦の湾入とがつくる湿地帯があり、香澄が浦の湾入があり、西に筑波山塊の末があり、その山地が次第になだれて畠作《はたさく》地帯となり、更になだれて水田地帯となっている。広袤《こうぼう》約半里、畔道《あぜみち》があり、稲堆《いなむら》があり、畠地の所々には葉をふるいおとした桑畑があり、雑木林が点在していたが、それらの上に陽炎《かげろう》がゆらめき立っていた。
あまりにものどかな景色に、兵士等は目前に迫った戦闘への緊張もゆるんで、生あくびをかみころしていたが、本陣では刻々にはせ帰って来る斥候の報告に、急速度に緊張していた。
正午を少しまわった頃、命令が下った。
「敵近づく。用意!」
位置は離れないが、腰を下ろして足を投げ出したり、寝そべったりして世間話をしていた兵士等はのろのろと立上って部署についたが、その敵が中々現われない。
凡《およ》そ二時間近くも待って、人々が緊張に疲れて来た頃、ずっと向うの林のかげから騎馬の兵が二騎あらわれた。斥候であるらしかったが、おちつきはらった並足で四方に目をくばりながら来る。こちらに大軍がひかえているのが目につかないはずはないのに、更に恐れる色もない。次第に近づき、三四町の位置まで来てはじめて馬をとめた。こちらを鞭《むち》で指さしたり、左右をかえりみたりして、何か話し合っている。人もなげな態度に、第一陣についていた為憲の郎党は腹を立てた。いきなり馬を飛ばして駆けよって行った。
はるかに後ろの本陣で、為憲はこれを見て腹を立てた。
「あれとめよ! 令なきにほしいままなことをするということがあるものか! 赦《ゆる》さぬぞ! 赦さぬぞ!」
と、足ずりして叫んだが、聞こえるはずはない。勇ましいふるまいとこそ思え、とめなければならないとは思わないから、叫び伝える者もない。
郎党は疾駆して、二町ほどの距離まで達すると、弓に矢をつがえた。何やら呼ばわったようであったが、二人はふりかえりもしない。まるで無視している。郎党は更に近づいて、弓を引きしぼった。とたんに、二騎が、矢頃《やごろ》に近づくを待っていたのであろう、サッと弓を上げ矢をつがえるや、切ってはなった。矢はほとんど同時に放たれたが、相手は身をそらして避けた。しかし、こちらの郎党は胸板深く射ぬかれて、ドウと刈田の中に転落した。
両騎は、空を仰いで笑った。はるかなこちらまで声がとどいたほどの高笑いであった。
「言わぬことか! 言わぬことか!」
と、為憲が口惜しがり、兵士等がシュンとなったのをあとにして、両騎は馬をめぐらし、非常な速さで駆け去った。
出て来た林のかげにその姿がかくれて間もなく、おびただしい土煙がそこに立ちのぼったかと思うと、敵勢があらわれた。濃い土煙に蔽《おお》われてよく見えないが、その速さから全隊騎馬であることがわかった。見る見る近づいて来て、先刻斥候の兵が馬を立てたあたりで停止した。
味方としては最も頼もしい為憲の郎党を一矢に射落されて意気ひるんでいた兵士共は、いかにも隼敏《しゆんびん》に、いかにも強げに、いかにも自信ありげに近づいて来て、馬首を立てならべた小次郎勢を見て気をうばわれた。心の動揺は目に見える波になって、三段にかまえた陣をゆるがした。
この動揺を、小次郎は見のがさなかった。
(さても、これがおれと戦おうという軍勢か)
と、苦笑した。皆に下馬を命じ、それからかたわらをかえりみると、玄明《はるあき》が進み出て来た。
「用か?」
小次郎また苦笑した。
「おぬしではいかぬ。おぬしはこのさわぎの張本人じゃ。おぬしをやるわけには行かぬ」
「軍使か」
「いずれ軍使の役になるであろうが、一応軍使ではない。一昨日使者を以て申し上げたように、鹿島《かしま》ノ玄明の罪をおゆるしいただくことの嘆願に参上いたしました、お会いいただきたいとかけ合いに行く役じゃ。おぬしではいかぬわ」
「ハハ、そりゃおれではいかんなあ。もっとも、どうせ決裂になるのじゃゆえ、行けというなら行ってもよいぞ」
まわりの者は皆笑い出した。よりすぐった勢だけあって、敵を前にしても余裕があった。
「阿呆《あほう》なことを言え。折目は正しくするものだ」
小次郎も笑いながら、さらに皆を見まわしていると、文屋《ふんや》ノ好立《よしたつ》が進み出て来た。
「てまえをおつかわし下さい」
「よかろう。行け」
「かしこまりました。ところで、話が決裂になるのはわかっていることでございますが、それでも、合図をきめておきましょう。決裂になりましたら、右手を上げて打ちふります。見受けますところ、敵勢には早くも恐れの色があらわれていますことゆえ、ひょっとすると話に応ずることになるかも知れません。しかし、その節は合図なしにかえってまいります。お含みおき下さい」
行きとどいた心づかいであった。
小次郎はうなずいた。
「出来るだけ戦さになるように頼む」
と、玄明が言った。
「阿呆め! 向うが言うのも無理はないわ。まことおぬしは乱人じゃな」
と、小次郎は笑ってたしなめた。
文屋ノ好立は軍使としてのしるしの白いきれをふりながら馬を乗り出して行った。悠々《ゆうゆう》と迫らぬ馬の打たせようであった。敵の陣頭に達すると、馬を下りた。すると、敵からもしかるべき身分の者であろう、近づいて来たが、すぐ三四人集まって来、中の一人が馬に飛び乗って後陣の方に飛んだ。
「ありゃ本陣の大将に相談に行ったのだべしよ。こりゃ、ひょっとすると、戦さにならんで済むかも知れんな」
と、こちらで小次郎方の兵士等は語り合っていた。
後陣でもあわてた風で右往左往していたが、やがて先刻の兵士が先陣に走りかえって来た。そして、好立に何やら言った。好立は馬に乗って引きかえしはじめたが、四五間で右手を上げて、大きく振った。
決裂だ! 一同はサッと緊張し、騎馬しようとしたが、小次郎はおさえて、
「馬の口をしっかとおさえて、そのままでいよ」
と、命じた。
好立が半ばまで来た時、敵の一人が陣頭に進んで弓を引きしぼって矢をはなった。矢は好立の頭上二尺ほどのところを飛んではるかにこちらの畔《あぜ》に突きささった。これはこうした場合のしきたりで、従ってわざと狙《ねら》いをはずしたのだ。この場合軍使たる者はふりかえりもせず、急ぎもせず、ゆったりとかえって来るのをよしとするのである。好立は見事にふるまってかえって来た。そして、
「論判はものわかれでございます。幸いなこと、弓矢《きゆうし》を以てことを決着せんと、先方より申しましてございます」
と、小次郎に報告した。その時、敵が鬨《とき》をあげた。五千の兵が楯《たて》をたたき鞍壺《くらつぼ》をたたいて、一斉《いつせい》に上げたのだ。こちらの馬共はおどろきおびえたが、口をおさえられているのでさわぎ立ちはしなかった。
小次郎はなおしばらく敵陣を見ていた。兵数六千と聞いているのだが、ここにいるのはどう勘定しても五千くらいのものだ。あとの千はどこにいるのか、予備隊として国府にのこっているのならよいが、この近くに伏勢となっているのであれば、そのふせぎをつけておかねばならない。
彼は戦場を見まわし、兵を伏せるなら左手の林以外にはないと見た。玄明を呼んで、その林を示した。
「どうやらあれに伏勢がいるらしい」
「そう言えば気に食わぬところにある林だな。狩り出そうか」
玄明は今にも飛び出して行きそうな顔をする。
「それには及ばぬ。ただおさえていてくれればよい。おそらく千くらいの勢であろうが、おぬしの手勢があの横手にかまえてにらんでおればよう出て来んと思うのだ」
「おれには戦さはさせんのか」
と玄明は面をふくらかした。
「伏勢が出て来たら思う存分にやるがよい。しかし、相なるべくは、あの林に釘《くぎ》づけにして、合戦には及ばんでほしい。事の原因であるおぬしが戦ってはおかしかろう。なるべく戦わんでほしいのだ」
「そんならなぜつれて来たのだ」
「押出して来た名義は嘆願だ。当人を連れて来るのが本当だろう」
「馬鹿《ばか》固いにもほどがあるぞ。こうなってから名義もへちまもあるか!」
「命令だ! おれの言う通りにせい」
「命令とあればいたし方はない。そうする」
玄明が退《さが》って行くや、小次郎は叫んだ。
「騎《の》れい」
ザワッと物の具が鳴って、一斉に騎乗した。
「旗!」
巻きおさめていた旗がサラサラと垂れる。火雷天神の旗。
同時に、小次郎は馬腹を蹴った。烏黒《からすぐろ》の駿馬《しゆんめ》はたてがみを乱し、尾をなびかせて宙におどり、全員がこれにつづいた。玄明の隊もまたつづく。それは途中で方向を転じて林に向うことになっている。
喊声《かんせい》、鎧《よろい》のふれ合う音、馬蹄《ばてい》のひびき、合して、雪崩《なだれ》の落ちかかるようなすさまじい響きとなってつづくのを背後に聞きながら、小次郎はまっしぐらに疾駆した。まだ矢頃に達しないうちに、敵は矢を放ちはじめた。
敵の勢は騎馬の者は至って少ない。将校級の者だけが馬をわきに立てているだけで、大方は徒武者《かちむしや》だ。垣根《かきね》のように前につきならべた楯のかげから盛んに矢を射送るが、大方ははるかな前方の地面にプスリプスリとつきささり、やっととどくものは人をたおす力はなくなっていた。しかし、これは敵の弓勢《ゆんぜい》が弱いからで、精《すぐ》りぬいたこちらの兵なら、力ある矢を立派にとどかせ得るはずである。兵士等は駆けながら弓を取りなおして放とうとした。
わき目もふらず疾駆しながら、小次郎は手に取るように兵士等の心の動きを知っていた。
「返し矢射るな! 射向けの袖《そで》をかざし、冑《かぶと》をかたむけて矢防ぎして駆けよ!」
と、叫んだ。訓練のない烏合《うごう》の衆だ、一気に第一陣を蹴散らして、第二陣になだれかからせれば、あとは戦わずして退《ひ》き色になる、攻撃が激烈であればあるほど敵の恐怖心は大きくなるはずと、目算したのであった。
忽《たちま》ちの間に矢頃に達した。敵の矢はうなりを生じて飛んで来る。大抵はあたらないが、中には射向けの袖につきささったり、鋭い音を立てて冑の鉢金《はちがね》にあたってはねかえるのもある。もう喊声は出ない。全軍鞍壺に身を伏せ、キリキリと歯をかみ鳴らし、ただ駆けた。真冬の乾燥しきった季節である。馬蹄にかき立てられた砂塵《さじん》は濃い煙のように中陣からあとを包み、なお空高く上った。
距離が二十間ほどに迫った時、
「それッ!」
小次郎は大喝《だいかつ》し、抜刀した。一同もまたこれにならった。もう顔を伏せている者はない。あらんかぎりの絶叫と共に、きらめく刀を高々とふりかざしていた。
小次郎の目算は見事に的中した。阿修羅《あしゆら》の群そのままのこのすさまじい集団の勢いに、敵は胸をゆるがせ、身の毛をよだたせ、恐怖し、狼狽《ろうばい》した。弓を取る手が萎《な》え、矢をつがえる手がふるえた。それはまだ勇気のある方であった。弓を取りおとし、矢をなげすて、打物《うちもの》をつかむことも忘れて、数歩をたじろぎ退ったのが大部分であった。
しかし、それもほんの一二瞬間であった。阿修羅の群はつい鼻先に殺到し、馬身が見上げるばかりに高々と上ったかと見えるや、立てならべた楯をおどりこえて突入して来た。兵士等は悲鳴を上げ、あるいは悲鳴も上げ得ず逃げまどったが、もうその時には馬蹄にふみにじられ、うなりを生じてふりおろされる太刀に斬《き》り裂かれていた。悲鳴が上り、血がしぶき、腕が飛び、首が飛んだ。
指揮者として配属されていた為憲《ためのり》の郎党等は、為憲に言いふくめられた戦術を忘れていたわけではなかったが、こう短兵急に攻めつけられ、こう混乱しては、計画どおりに行くものではなかった。馬に乗って自ら戦うだけがやっとのことであった。しかも、その大方は馬に乗ろうとする所を斬り伏せられてしまった。
崩れ立った第一陣は左にひらくどころか、四分五裂となって第二陣になだれかかって行く。それに密着し、追い立てるようにして小次郎勢は第二陣にせまった。二陣は防ぎ矢を射ようとしたが、味方が楯になって射ることが出来ない。声をからして、
「寄れい! 寄れい!」
と叫んだが、聞こえればこそ、血眼《ちまなこ》になって、ころがるようにして逃げて来る。
この違算に、戦わずして色めき立った。どこやらに恐怖の叫びが上ったかと思うと、風の伝わるよりまだ早かった。うねる波のように陣列が動揺したかと思うと、数珠《じゆず》の緒が切れたようであった。兵等はワッと叫んで、列を離れた。先を争い、おし合い、つき飛ばし合い、広い野のかぎり、てんでんばら、足の向く方に逃げ散る。
広野に馬を並べて獲物《えもの》を逐《お》う狩よりもまだ容易であった。小次郎勢は第三陣を目がけてまっしぐらに馬を飛ばす。敵を多くたおすのが目的ではない、引っかきまわし、分散させて、惟幾《これちか》と為憲をとりこにし、こちらの要求を容《い》れさせさえすればよいのだ。しかし、馬の進む道にいる敵に容赦はしなかった。斬るつもりはなくても、敵と見るやふりかざした太刀が自然にふりおろされた。飛ぶ速さの馬上の太刀さばきだ。一太刀しか斬れないが、すぐりにすぐって来た武者共だ。めったに斬りはずしはしなかった。
三陣は為憲の本営だ。満々たる自信を以《もつ》て構成したおのれの戦略のむざんきわまる齟齬《そご》に、狼狽する余裕すらない。その危険が迫りつつあるという自覚もない。腰を床几《しようぎ》から浮かし、軍扇を手ににぎりしめ、口を半分あけ、味方の陣形に動揺の起る度に、混乱する度に、散乱する度に、敵が見事に味方の兵を斬り伏せる度に、
「ア、ア、ア、アーッ、ア、ア、アーッ……」
と、阿呆が曲芸を見ている時のようなまぬけた声を放っていた。
しかし、さすがに本陣は本陣であった。動揺の色は見せながらも、兵士等は陣列を守っていた。とつぜん、為憲は思い出した。
「あッ! 左馬《さま》ノ允《じよう》だ! 左馬ノ允が勢はどうした! 左馬ノ允が勢は……」
かかる時こそ横合から敵に攻撃を加うべき任務を持つ左馬ノ允ではないか! なにをぐずぐずしているのか!
左馬ノ允の潜伏している林の方を見やった。うろたえ切った彼の目には、その林の斜め前にひかえている一隊の人馬は目につかなかった。あくまでも明るい空の下にうららかな日に照らされてひそまりかえっている林しか見えない。
(やつ、逃げたのではないか!)
恐怖が胸をひっつかんだ。手足の末までつめたくなった。逃げなければならないと思って立上ったが、膝《ひざ》がガクガクして歩くことが出来ない。悲鳴が口をついて上った。
名状出来ない異様な悲鳴であった。一軍のこらずそれを聞いた。兵士等をささえていた最後のものが、これでフッ飛んだ。主将におとらない異様な叫びを上げて潰走《かいそう》にうつった。
第三陣が潰走にかかった時、小次郎勢は突入して来た。一足に三間四間と飛んで来る阿修羅の群のふり下ろす太刀の下に、逃げまどう兵士等は死骸《しがい》となってごろごろと横たわった。
為憲はやっとのこと、乗馬にたどりついて乗ろうとした。たえず無意識につぶやいた。
「……左馬ノ允め! 何をしている! かかる時のためのうぬが勢ではないか!……」
手がふるえ、足がふるえ、うまく乗れない。あせっていたが、あせりながらも、まだつぶやきつづけた。
真ッ先に立って馬を飛ばして来る小次郎の鷹《たか》のように鋭い目が、それを見つけた。彼は為憲を見たことがない。しかし、一きわ目立って花やかな着長《きせなが》と、かがやく馬具をつけた駿馬とが、惟幾か為憲のいずれかに相違ないとわからせた。
馬首を向けなおすと、馬をあおって近づくや、
「きたなし! 逃げるか!」
と、大喝した。たてがみを乱し長い尾をひるがえす黒龍《こくりゆう》のような駻馬《かんば》の上に、高々と長剣をふりかざして殺到して来る小次郎を見た時、為憲は、
「ヒーッ!」
と、悲鳴を上げて馬の腹の下にもぐりこんだ。同時に、長剣はうなりを生じてふりおろされた。剣の切ッ先は、馬の肩を斬った。馬は悲鳴を上げてはね上り、狂ったように逸走し去った。為憲は自分が斬られたようにまたけたたましい悲鳴を上げた。居坐《いすわ》ったまま、顔を伏せ、両手で目を蔽《おお》うていた。すくみ上っていた。動けなかった。小次郎の姿を見まいとしていた。
斬り下ろすと同時に五間も駆けぬけていた小次郎は急角度に馬を乗りかえした。斬り損じて、腹を立てていた。再び刀をかざして追って、また斬り下ろそうとしたが、とたんに、斬ってはならないのだと気がついた。刀を左の手に持ちかえて飛び下りた。為憲はまだ前のままの姿勢でいる。近づいて、その冑の眉庇《まびざし》に右手をかけ、グイとあおむかせた。どなった。
「手をはなして、目をひらかれい!」
為憲は一層きつく両手を目にあてている。かたく目をつぶっているらしい。ふるえている。顔ばかりでなく、両手の指の先まで血の気がなくなっている。
「言う通りなさらんと斬りますぞ」
為憲は肩をふるわせた。そして、おずおずと手をはなし目をひらいた。白目の多い目をもった痩《や》せた青い顔には、媚《こ》び笑いに似たものが弱々しく浮かんでいたが、小次郎の左手に光っている刀を見ると、
「ヒーッ!」
と、悲鳴して、また目をつぶってしまった。ふるえる口許《くちもと》からかすかなつぶやきが漏れた。
「左馬ノ允め! なにをしている! かかる時のためのうぬが勢《せい》ではないか!」
為憲のつぶやきに、小次郎はハッとした。いきなり、肩に手をかけてゆすぶった。為憲はまた悲鳴を上げた。かまわず、またゆすぶった。
「為憲殿! みこと、今何といわれた? 左馬ノ允|貞盛《さだもり》がどうだといわれるのだ? いや、そんなことはどうでもよい。貞盛もこの場に来ているのか? どこにいるのだ?」
怒りの火が胸に燃え上って、知らず知らずに出る強い力で容赦なくゆすぶりつづけた。その度に鎧をザクッザクッと鳴らしてゆすぶられながら、為憲は動顛《どうてん》しきっている。矢つぎ早にたたみかけて来る質問にどう答えてよいかわからない。
小次郎はかんしゃくをおこしてどなりつけた。
「答えなさらんと斬るぞ!」
刀を振りおろして見せた。空気を斬る鋭い音が立つと、為憲はまたふるえ上って、おどおどと小次郎を見上げた。主人の命令を待っている従順な飼犬のような目の色であった。
「さあ、申されい! 貞盛もこの場に来ているのか!」
ことばは出ない。ただうなずいて見せた。
「どこにいるのです? この勢にいたのでござるか?」
首をふった。
「では、どこにいるのです」
為憲は言おうとしたが、言えないで、あの林に目を向けた。
「あの林の中でござるか」
うなずく。
「伏勢となっていたのでござるな」
うなずいた。
小次郎はあたりを見まわした。味方の兵がいたら、直ちに林の中の敵を追い出して殲滅《せんめつ》せよと、玄明に連絡させようと思ったのであった。しかし、そのへんには兵士等はいなかった。逃げ散る敵兵を八方に追いかけて殺傷することに夢中になっていた。
にえくりかえるような胸を抱きながら、小次郎は林の方をにらんでいた。依然として明るくあたたかな日ざしの中に、林はシンとして立っている。冬枯の梢《こずえ》をところどころに見せながらも、新芽が芽ぶきつつあるのではないかと思われるほどうららかな景色であった。そのわきに、玄明の隊はつくりつけたように動かない姿でひかえている。忠実に命令を守らなければならないと思っているのであろう。いつにない馬鹿《ばか》正直さが腹が立ってならなかった。
ところが、その時、貞盛はもうそこにはいなかったのだ。彼は自分の隊を掣肘《せいちゆう》するために玄明の一隊が林の近くに来た時早くも、駄目《だめ》だと思った。だから、第一陣が駆け散らされたと見ると、退却にかかった。第二陣も、第三陣も風の前の軽塵《けいじん》にすぎないことは明瞭《めいりよう》だと思ったのだ。
「こんなばかげたことのおつき合いが出来るか」
林を裏の方にぬけると、全速力で筑波山塊の方に逃げ出し、一里ほど行った所で解散を命じた。
「武器も鎧も打捨てて、それぞれの家へ帰れ。武器や鎧さえなければ、十中七八までは大丈夫だが、そんなものに未練を出すと、見つかったら必ず殺されるぞ!」
敗戦の報が惟幾の許《もと》にとどいたのは、間もなくのことであった。呼吸《いき》せき切って国府の正庁に駆けこんで来た郎党の一人にこのことを聞くと、アッ、とさけんで立上った。聞き耳を立てていた庁内の官人《つかさびと》等も同じように驚きの声を放って総立ちになった。惟幾は、
「ああ」
と嘆息して、また椅子《いす》にくずれ坐ろうとしたが、立上る時椅子の脚が後ろにいざっていたからたまらなかった。ドウとはげしい音の立つほど床に尻餅《しりもち》をついてしまった。
これに吹き飛ばされたようであった。官人等はワッと叫んで、庁の入口に殺到し、おし合いへし合い、先を争って逃げ去り、ひろい正庁内は忽《たちま》ち人影がなくなった。
郎党も逃げ出したくなったが、そうもいかない。
「これはこれは」
といいながら、主人を扶《たす》けおこした。惟幾は侮辱を感じた。テレかくしもあった。
「これはこれはということがあるか!」
と、どなった。
「ハッ」
郎党は手を離した。
「なぜはなす。起さんか」
「ハッ」
起してもらって、気をつけて椅子にかけた。
「それで、敵はどうしたのじゃ」
「敵は勢いに乗っております。ほどなくこれへ寄せてまいりましょう」
惟幾はまた仰天した。
「これへ寄せて来る? なぜ早くそれを言わんのだ!」
おろおろと立上った。カタカタと沓《くつ》の音を立てて歩きまわりながら、
「そ、そ、それで、為憲はどうした?」
「わかりません。敵の勢い荒波の寄せるようで、三段にかまえました味方五千人、木ッ葉|微塵《みじん》と蹴散《けち》らされまして、とまり所《ど》もなく逃げ散りましたれば、若君はいかがなられましたか……」
「知らぬというのか!」
「は、はい」
「主《しゆう》がどうなったかも知らんで、おめおめとただひとり生きのびて! そなた、それでも郎党といえるか。ああ……」
ほろほろと涙を流した。
「てまえは片時も早くこのことを御注進申さではと思って走りもどって来たのでございます。御注進申さんでもよかったのでございましょうか」
面《つら》をふくらかして、食ってかかるような調子だ。
それはもう惟幾の耳には入らない。
「言わぬことか。合戦などはじめおって、三軍覆没し、おのれは生死不明……ああ、飛んでもなきこととなった。ああ……何としょうぞいの……」
ほろりほろりと涙をこぼし、カタリカタリと沓を鳴らしつつ歩きまわっていたが、忽ち、アッとさけんだ。
「そうだ! 敵が寄せて来るのであった!」
逃げねばならなかった。正庁の入口に向って駆け出した。しかし、そこに達した時、府の正門あたりで、すさまじい鬨《とき》の声がおこった。
のぞくと、いつの間にそうなったか、先刻のあのうららかな空が一面に曇って寒げになっている広庭の向うの門のあたりの築垣《ついじ》の向うに「火雷天神」の旗がひるがえり、弓弭《ゆはず》と、きらめく鉾《ほこ》の穂が林のように立ち、馬のいななきと物の具のふれ合う音とが聞こえ、兵がつめかけている様子だ。ただ門内には一騎も乗りこんで来ていない。
惟幾は一先《ひとま》ず住いに逃げるつもりで石段を下りて駆け出したが、五六歩も駆けると、再びおこった鬨の声に立ちすくんだ。同時に、敵は門内に駆けこんで来た。築垣を乗りこえておどりこんで来る者も見えた。
また庁内に逃げこもうとしたが、郎党に引きとめられた。
「離せ! 何をする!」
つかまれた狩衣《かりぎぬ》の袖をふり切ろうとしたが、きびしくつかんだ郎党の手は離れない。売られるのだと思った。カッと逆上した。
「うぬは主を……」
と、恐ろしい目で睨《にら》みつけた。
郎党も逆上しているから、惟幾の言うことはわからない。
「ここは、逃げかくれなされてはかえって危のうございます。おとなしく降人《こうじん》になられたがようございます。かみの殿と知ったらば、手荒なことはいたさぬでありましょう」
と、熱心に言った。惟幾についている以上自分のいのちも安全であるからであった。しかし、道理はまさにそうであった。惟幾はもがくのをやめた。
威厳を保たねばならないと思った。石段の上にかえり、庁の扉《とびら》を背に、胸を張り、取りまく形に馬首をならべて迫って来る武者共を見まわしていた。ともすれば姿勢がくずれそうになるのを必死にこらえていた。
郎党がおどり出して、手を振って叫んだ。
「かみの殿であるぞ! 下馬せい! 下馬せい!」
武者共は諸声《もろごえ》にドッと笑った。一斉《いつせい》に馬をあおり立てて前脚を宙におよがせた。おどかしであった。
惟幾はまたこわくなり、庁内に逃げこみたくなった。その時、武者共の背後に鋭い声がおこった。
「無礼千万なる者共、かみの殿の前に、馬上のまま近づくということがあるか! 下馬せい」
武者共はふりむいて一目見たが、忽ち掃き落されたように飛び下り、馬の口を取って道をひらいた。
小次郎であった。石段の下まで来て、馬を下りた。駆け寄る郎党に弓と手綱をわたしておいて惟幾に式体《しきたい》した。
「石井の小次郎|将門《まさかど》でござる。思いの外なることになり、申訳なく存じます」
礼儀正しくて、恭敬であった。
惟幾はうなずいた。返事をしたかったが、声が出そうになかった。
「失礼ではござるが、上げていただきとうござる。おゆるし下さいましょうか」
またうなずいた。
小次郎は石段を上って来た。これも礼儀正しくつつましやかだ。惟幾《これちか》はふと考えた。
(戦さに勝ったとはいい条、この男がこうまで礼儀正しく恭敬であるのは、まろが身分をおそれはばかっているために違いない。そのはず、こいつは一介の土豪にすぎぬが、まろは官を申そうなら常陸《ひたち》ノ大介《おおすけ》、位を申そうなら正六位|下《げ》じゃ。こりゃ威張るが得じゃぞ)
惟幾は居ずまいを正した。胸を張り、首筋をそらし、傲然《ごうぜん》たる姿になって、小次郎とむかい合った。
しばらく双方無言であった。
惟幾の予期に反して、小次郎は礼儀正しくはあるが、恐れはばかる様子はない。またこわくなったが、こらえて、言った。
「ほしいままに兵をおこして他国に乱入し、国府の軍を討ち、国府に闖入《ちんにゆう》し、国司をおびやかす。歴然たる叛逆《はんぎやく》であるぞ。知っていやろうな」
小次郎はにこりと笑った。
「てまえはいくどとなく平和の対面をお願い申しましたが、貴方《きほう》がお許しでなかったのでござる。今日とて、干戈《かんか》のことにおよぶつもりは毛頭ござらなんだ。大軍をもって途《みち》にさえぎり、遮二無二《しやにむに》、合戦をいどみかけたのは貴方でありますぞ。今日の騒擾《そうじよう》の責めはすべて貴方にあるのです」
惟幾はなお虚勢を張った。
「まろは国司として当然の処置を取ったまでだ。善悪の裁きは朝廷《おおやけ》においてなさることである。ここで論じてもせんないことだ。ただ、そなたが前非を悔いて|ことわり《ヽヽヽヽ》を申して、このままに引取るなら、まろは京へ奉《たてまつ》る解文《げぶみ》にそのことを書きそえよう。朝廷の議も、必ずやお怒りを宥《なだ》め給うであろう」
この期《ご》になってもまだ虎《とら》の威を仮《か》ることばに、小次郎は腹が立った。
「拙者には悔いるべき非はありません。貴方こそ負うべき責めがあるのを認めようとなさらぬ。かかる者に対しては、為《な》すべき道は一つしかない」
ここで、小次郎はことばを切って、相手を見つめた。
惟幾は息をのみ、真青になった。足がふるえ、それは次第にひろがり、ついにはからだ全体をふるわせた。
小次郎は、鋭い目であまさず見て取った。相手の臆病《おくびよう》さにむしろおどろいた。朝廷の威を離れては蛆虫《うじむし》にひとしいやつらだと思った。ゆっくりと言った。
「降伏していただきましょう」
惟幾は、見る見る生きかえったような顔になった。今にも手を合わせて拝みそうに見えた。
この論判の間に、空をこめていた雲は一層厚くなり、雨がしとしとと降り出して来たが、とつぜん、つい真上の空で引裂くようにはげしい雷鳴がし、空のはてまで殷々《いんいん》と鳴りひびいて行った。
季節にはめずらしい雷であった。惟幾も、つきそっている郎党も、瞬間恐怖を忘れ、あきれた顔で空を仰いでいた。
小次郎は、雨に濡《ぬ》れて立っている兵士等をかえりみた。
「かみの殿のお供して、お住いに行けい。北の方、為憲《ためのり》殿、ご一緒に一室におわしていただくのだ。手荒にするでないぞ。ずいぶんいたわってさし上げるよう」
兵士等が数人階段を上って来て、惟幾の前にひざまずいた。
「いざ、お供」
惟幾が行ってしまったあと、小次郎はなおそこに立っていた。
どしゃ降りになった雨の音をつらぬいて、女の悲鳴や、器物の裂けこわれる音が、たえず聞こえていた。戦さにはつきものの狼藉《ろうぜき》がはじまっているのであった。
時に天慶《てんぎよう》二年十一月二十一日、今日の暦では一月八日であった。
その夜、小次郎は国府の正庁を宿舎として夜を明かした。
翌日の朝、興世《おきよ》王がやって来た。紫裾濃《むらさきすそご》の着長《きせなが》を着し、大太刀を帯び、塗籠籐《ぬりごめどう》の弓をたずさえ、逞《たく》ましい馬にまたがり、あっぱれな大将ぶりであったが、馬から下りたところを見ると、象棋《しようぎ》の駒《こま》に鎧《よろい》を着せたようで、いささか滑稽《こつけい》感があった。
階段に出て迎える小次郎に、
「やあ、めでたいな。まろが行くまでのことはないと思ったが、じっとしておられんでやって来たぞ」
と、大音に呼びかけて、呵々《かか》と笑った。
「ようこそ、いつ石井《いわい》をお立ちでありました」
「昨日の朝だ。昨夜深更合戦の次第を聞くと、うれしくて、矢も楯《たて》もたまらず急ぎに急いでやって来た。よかったな」
「ハハ、たかの知れた土民兵相手の合戦、勝たんではかえって不思議であります」
「それはそうだが、味方はわずかに千、敵は六千にあまる大軍だ。そなたの武勇を信じていても、やはり案ぜられた。しかるに、見事に打ち勝った。しかも、ただの勝ちではない。敵を撃殺《げきさつ》すること三千余というではないか。異朝は知らず、本朝においては前代|未聞《みもん》のことだ。さすがは坂東一の大将軍石井の小次郎だ。あっぱれであったな。見たかったぞ」
と持ち前の豪快な調子の口をきき、またカラカラと笑う。豪快で明るくはあるが、大袈裟《おおげさ》なほめぶりだ。小次郎は鼻白まざるを得ない。無言で、ただ笑っていた。
興世王は階段を上って来て、むかい合って立った。
「聞けば、昨日はこの季節じゃのに、雷電があったそうでないか」
「ありました。逃ぐる敵勢を追い散らしてここに寄せて、介と論判している時、雨が降り出し、同時に雷電がはためきました」
「それよ」
「…………?」
興世王はにわかに敬虔《けいけん》な様子になり、目を空に向けて合掌した。
「火雷天神降臨ましまして、そなたに力をそえ給《たも》うたに相違なしと、まろは思う。そなたの勇武絶倫は言うまでもないことではあるが、この未曾有《みぞう》の大勝利は神助によるとしか思われない。火雷天神は藤氏|壟断《ろうだん》の今の朝廷の政治をいきどおっておられるのだ。さもなくて、この窮陰《きゆういん》、陽気すべて凝閉するの季節、陽気そのものである雷電がはためくなどの奇瑞《きずい》があるはずはないぞ。火雷天神はそなたのこんどのことを嘉《よみ》し給うているのだ」
興世王の語調は打ってかわって恭敬であった。
小次郎はその調子に打たれた。そうかも知れないと思った。目を広庭の方に向けると、興世王の供をして来た者共や案内してきた兵士等が同じように敬虔な顔になって、合掌して空に目を向けていた。覚えず小次郎もそれにならった。
小次郎勢はなお数日府中にとどまったが、その間に掠奪《りやくだつ》暴行のかぎりをつくした。「将門記」はこう伝えている。
「綾羅《リヨウラ》ハ雲ノ如《ゴト》ク下シ施《シ》キ、微妙《イミジ》キ珍財ハ算(算木《サンギ》)ノ如ク分散シ、万千ノ絹布ハ五主ノ客ニ奪ハレ、三百余ノ宅ハ烟滅《インメツ》シテ一旦《イツタン》ノ煙トナリ、屏風《ビヤウブ》ノ(内の)西施《セイシ》(古代|支那《しな》の美女の名、ここでは単に美女の意)ハ急《ニハ》カニ裸形ノ|※[#「女+鬼」]《ハヂ》ヲトリ、府中ノ道俗|酷《ムゴ》ク害セラルルノ危ニ当ル。金銀ノ彫鞍《テウアン》、瑠璃《ルリ》ノ鏤匣《ルカフ》、幾千幾万、若干ノ家貯《カチヨ》、誰カ採《ト》リ、誰カ領セシ。定額ノ僧尼《ソウニ》、頓命《トンメイ》ヲ夫兵ニ請《コ》ヒ、僅《ワヅ》カニ遺《ノコ》リシ士女ハ酷《ムゴ》キ|※[#「女+鬼」]《ハヂ》ヲ生前ニ見ル。憐《アハ》レムベシ、別駕《ベツガ》ノ紅涙ヲ緋襟《ヒキン》ニヌグヒ、悲シムベシ、国吏二|膝《シツ》ヲ泥土《デイド》ニ跪《ヒザマヅ》カス」
やたらに美辞麗句を使った和臭ふんぷんたる平安朝式のこの漢文は、意味は茫乎《ぼうこ》としてとらえがたいが、小次郎勢がずいぶん酷烈に荒しまわったことだけはわかる。財宝を掠奪し、民家を焼くこと三百余、婦女は凌辱《りようじよく》され、深窓の貴女もまぬかれず、国分寺国分尼寺にあって国家の特別の保護下にあった僧尼も勝ち誇った暴兵等の威迫に兢々《きようきよう》としていたのである。
もちろん、これは小次郎勢にかぎったことではない。今日でも戦闘に打ち勝ってある土地を占領した軍隊がどんなものであるかは、我々の記憶に新たなところである。ましてこの時代のこと、誰にひきいられた軍勢でも戦闘直後は狼藉をきわめた。それが兵士等にとっては合戦における唯一《ゆいいつ》の楽しみであったことは、すでにいつぞや述べた。たまたまこの時は占領された土地が当時としては大都会であった府中であったので、その惨害が大きかったにすぎない。
惟幾、為憲、惟幾夫人の三人は、国府に接続して建てられている国司|館《やかた》の一室に厳重な監視の下におしこめられていたが、ある日、興世王は小次郎に言った。
「さて、そろそろ後図《こうと》を策する必要があるが、そなたどうするつもりだ」
「玄明《はるあき》の赦免状を書いてもらったら、引上げようと思っています」
興世王はびっくりした顔になり、つづいて空を仰いでカラカラと笑い出した。
「やれ、やれ、底ぬけだわ。そなたがお人好しであるとは十分に知っているつもりであったが、それほどとは思わなかったぞ。やれ、やれ、骨が折れるぞ、このおん大将をもり立てて行くのは」
笑われて、小次郎はムッとして、にらむような目で見ていた。
「小次郎」
「なんです」
「そなたは国司と合戦して、国府を乗り取ったのだ。朝廷の目から見れば歴然たる叛逆だ。朝廷という所は、やたらに人を叛逆人あつかいにしておどかし立てるのがくせだが、そなたがこんどしたことは、本ものの叛逆だ。誅殺《ちゆうさつ》に値《あた》る大罪だ。とうてい、これはのがれることは出来ぬ罪だ。これまでのように賄賂《わいろ》や請託《せいたく》で片づくことではないぞ。それを先ずとっくりと覚悟してもらいたい」
小次郎は顔から血の引くのを感じた。ものは言わなかった。ただ、興世王の口許《くちもと》を見つめた。
「一国を取るも誅せられ、数国を取るも誅せらるだ」
うそぶくように、興世王は言いはなった。小次郎は髪がさか立ち、目が光り、|わな《ヽヽ》にかかった野獣のような表情になった。
「それでは、どうするがよいと仰《おお》せられるのです」
「毒を食らわば皿までという諺《ことわざ》がある」
「…………」
「まろがそなたの立場にあるならば、これを手はじめとして、坂東の国々、少なくとも足柄《あしがら》峠以東の八カ国を斬《き》り従え、これに割拠して形勢を観望し、天下変あらば西して京に向い、変なくば足柄と碓氷《うすい》の両峠を切りふさいで八カ国をかため、永遠の計をなす」
おそろしいことばだ。小次郎はまた口がきけなくなった。
興世王は笑った。
「そなたは今や立ちどまることも出来なければ、引きかえすことも出来ないのだ。まっしぐらに突進するより外はないのだ。そのことを忘れてはならん」
その通りであることは、今は痛いほど小次郎も知っている。しかし、それは最も恐ろしいことであった。
「そなたは藤氏専制の今日の朝廷がどんなものであるか、よく知っているはずだ。枢要《すうよう》の官職は一切その氏人《うじびと》によって占められ、他氏の者は忠実な犬として藤氏に仕えることによって、わずかに落ちこぼれの卑官にありつくにすぎぬ。皇族までそうだ。藤氏の女の所生《しよせい》でない皇族がどんなものであるか、そなたは知りすぎるほど知っているはずだ。早い話がそなただ。桓武《かんむ》五世の皇胤《こういん》でありながら、在京五年の恪勤《かくご》にもかかわらず、切望していた検非違使《けびいし》ノ尉《じよう》になれなかった。これは決して高官ではない。卑官といってよいほどのものだ。まろはまた桓武五世の孫、しかも王を名乗っているのに、恥多い|へつらい《ヽヽヽヽ》と腹立たしい運動を散々して、やっとなれたのが武蔵《むさし》の権守《ごんのかみ》だ。しからば帝《みかど》はどうかと言えば、立てるも廃するも藤氏の者共の心のまま、従って飾雛《かざりびな》にすぎんのだ。虚器ヲ擁《ヨウ》ス≠ニいう言葉が唐土の書に見えるが、つまりそれだ。それ故《ゆえ》に、藤氏以外の氏の者にして藤氏を憎まない者は今や一人もないと言っても過言でない。そうは思わんか」
小次郎は黙っていたが、全然同感であった。貴子《たかこ》のことを思い出していた。藤氏の専横による皇族の窮迫の最も端的で最も悲惨な実例であると思い、胸が波立って来た。
「更に、地方の政治はどうだ。これは事新しく説明するまでもない。そなたは生れ落ちた時から常に眼前に見ている。正規の租庸調《そようちよう》でも随分な重さであるのに、国司等は私利|私慾《しよく》のためにそれに輪をかけている。もはや民の怒りは爆発寸前だ。いや、すでに爆発しつつある。天下の各地に頻発《ひんぱつ》している暴動、随所に勢いをほしいままにしている群盗は、その明らかなる証左ではないか」
「…………」
「ところで、そなたは桓武五世という高貴な血統の生れだ。坂東一の武者だ。すでに常陸国司の軍勢を破り、国府を占拠した。一たび立って呼号するなら、天下が響応すること必定だ。立つがよい。まろは甘んじて犬馬の労を取るぞ」
小次郎は高い所に登って下を見た時のようなくるめきを覚えた。
常陸府中にとどまること八日、十一月二十九日、小次郎勢は守備の兵をのこして、一先《ひとま》ず領内の鎌輪《かまわ》の宿《しゆく》にかえった。
鎌輪は今の茨城県|結城《ゆうき》郡千代川村鎌庭。前に小次郎の館のあった豊田(今の向石下)の北方一里、毛野川にのぞんだ位置である。
小次郎は惟幾等をここまで連れて来た。厳重な監視はしていたが、取りあつかいは出来るだけ鄭重《ていちよう》にした。まだ興世王の意見を受入れる気にならなかったのである。
しかし、ついに最後の決心をしなければならない立場にせまられた。事があってからすでに十日にもなっているのに、豪族等も、国司等も、ひたすらに沈黙を守っている。これほどの大事件だ。豪族等は別として、国司等は金切声を上げて叛逆呼ばわりをし、討伐の兵を募らなければならないところなのだ。
(この沈黙は何を意味するのか)
彼は考えざるを得ない。そして、これからのおれの出方を見ているのだ、と結論した。
弱みを見せてはいけないのである。豪族等は地方政治の暴悪と出たらめを憎み憤《いきどお》っているが、自ら立ってこれを正すまでの決心はついていない。そんな人物が自分らのなかまから出ることを予期していなかった。それ故に、こんどのことについても恐らくは快哉《かいさい》よりも恐れととまどいを感じており、国司等は豪族等の意向がわからないので躊躇《ちゆうちよ》しているに相違ないのだ。それ故に、もし小次郎がここで後退して弱気を示せば、豪族等の心は動揺するであろうし、そこにつけこんで国司等は豪族等の力を糾合して討伐軍を組織するに違いないのだ。
決心はかたまった。小次郎は、興世王を呼んで、このことを告げた。興世王は手を打って喜んだ。
「よし! 天下のことなるべし! 万事まろにまかせい。一世一代の智謀《ちぼう》をしぼるぞ!」
と言って、檄文《げきぶん》を草した。
平将門、八州ノ豪傑ニ檄ス。
藤氏|権柄《ケンペイ》ヲ執《ト》ツテ、同族相結ンデ朝政ヲ壟断《ロウダン》シ、賢良ヲ非斥シ忠直ヲ残害スルコト、ココニ一百五十余歳。桓武ノ朝|早良《サハラ》親王ハ皇太子ノ尊ニ居テ、淡路ニ謫《タク》セラレ、途《ミチ》ニ餓死シ了《ヲハ》ル。ソノ藤氏ノ為《タメ》ニナラザルヲ以《モツ》テナリ。仁明《ニンミヤウ》ノ朝、橘《タチバナ》ノ逸勢《ハヤナリ》、伴《トモ》ノ健峯《コハミネ》等、叛逆《ハンギヤク》ヲ辞トシテ遠地ニ流謫《ルタク》セラル。ソノ親近スル皇太子|恒貞《ツネサダ》親王ガ藤氏ノ所生ニアラザルヲ以テナリ。ソノ股肱《ココウ》ヲ断ツテ太子ヲ廃セシナリ。宇多ノ朝、橘|広相《ヒロミ》、官ヲ褫《ウバ》ハレ、廷ヲ逐《オ》ハル。ソノ身才識アリ、ソノ女|寵遇《チヨウグウ》アリテ、帝ノ親信スルトコロナルヲ以テナリ。醍醐《ダイゴ》ノ朝、菅原道真、右大臣ノ高官ヲ以テ西陲《セイスヰ》ニ謫セラレテ、窮死シ了ル。怨恨《ヱンコン》散ゼズ天ニ上リテ火雷天神トナリ、シキリニ災ヲ下ス。カクノ如キモノ比々|鱗々《リンリン》数フルニタフベカラズ。暴悪天地ニ貫盈《クワンエイ》ストイフベシ。而シテソノ政ハスベテ虚飾虚礼、遊宴|佚事《イツジ》ニシテ、財ヲ糜《ビ》スルコト日ニ幾千幾万。財ハコレ民人ノ膏血《カウケツ》。民ノ肉ヲ食《ハ》ミ、民ノ骨ヲ薪トストイフベシ。諸国ノ国司コレガ爪牙《サウガ》トナリ、民ヲ虐シ、民ノ財ヲ聚《アツ》メ、マタ従ツテ自《オノ》ガ利ヲ営ム。天下誰カコレヲ怒ラザラン。
将門ノコレヲ憤ルヤ久シ。乃《スナハ》チ堅ヲ被《カウム》リ鋭ヲ執《ト》リ、常陸ノ国ニ発向ス。天神、霊ヲ顕《アラ》ハシ、一戦シテ府兵ヲ撃摧《ゲキサイ》シ、大介《オホスケ》父子ヲ擒《トリコ》ニス。
箭《ヤ》弦上ニアリ、発セズンバスナハチヤム。スデニ発ス、豈徒爾《アニトジ》ニシテヤマンヤ。天ノ命ズル所ヲ奉ジ、民ノ翼《ネガ》フ所ニ由《ヨ》リ、マサニ八州ノ国司ヲ伐《ウ》タントス。
諸君子ハコレ憤リヲ同ジクスルノ士、望ムラクハ来ツテ将門ニ力ヲ協《アハ》セラレンコトヲ。
軍ノ発スル、日アラザラントス。速カニ来《キタ》ルモノハ同功、遅疑シテ後《オク》レ至ルモノハ報アラントス。
檄文は数十通に謄写《とうしや》せられて、使者を以て八州の豪族等にとどけられた。
興世王は、小次郎に言った。
「さあ、踏み出したぞ。先《ま》ず惟幾から印鎰《いんやく》を取り上げよう」
印は常陸国と守の印、鎰は国府附属の諸倉庫や書類箱の鍵《かぎ》。国守の権力はこの二つによって行われるのだ。
「ようござろう」
惟幾は呼び出された。鄭重にあつかわれてはいても、いつどんな目にあわされるかわからない囚《とら》われの生活に、心の安まる間はないのであろう、やつれ切っていた。おまけにふだんのお洒落《しやれ》に似ず身だしなみもろくにしないと見えて、櫛《くし》を入れない髪がそそけ立ち、ひげが乱れ、垢《あか》じみしおたれたきものをまとっているので、一層みすぼらしく見えた。
虚勢などはもうどこにもなかった。おどおどした目は、媚《こ》びをたたえて小次郎の目色をうかがい、興世王に走り、かと思うとあたりを見まわし、しばらくも静止していなかった。
「おかけなさい」
小次郎は腰かけをあたえておいて、
「そなた様御所持の印鎰をおわたし願いたい」
と、言った。
「印鎰?」
惟幾は目をしばたたいた。渋い顔になった。
(印鎰を身につけているかぎり、まろは国司だ。これを離せば平人とかわらぬ。国司であればこそ、多少の遠慮もあるが、平人となってしまえば、この暴徒共はまろを殺してしまうかも知れない。めったに離してはならぬぞ)
骨髄からの官人《つかさびと》である惟幾は、こうなっても官人の威を信じているのであった。
興世王は、この心理を見ぬいた。ドウとはげしく足を床に鳴らした。惟幾は刺されたように肩をふるわせ、その方を見た。
持ち前の歯切れのよい調子で、興世王はまくし立てた。
「貴公が渡さぬと仰せられるなら、何の手間暇がいろう。貴公を殺して取るまでだ。こうしておだやかに話をしているのは、それでは貴公が迷惑であろうと思えばこそのことだ。どちらを取られるか、貴公としては考えるまでもないことのはず」
惟幾はふるえ上った。
「ここにあります。ここにあります」
と言いながら、せわしくふところをさぐり、ふるえる両手で印鎰を小次郎にささげた。
小次郎が印鎰を受取ると、惟幾はせかせかと言った。
「まろらがいのちは助けていただけるのでしょうな。この上、まろなどのいのちを召されたところで、何の役にも立ちはしませんわい。かえって罪をお造りになるだけでありますからな。釈迦牟尼《しやかむに》仏も、五悪の中最も重きは人を殺すの罪と仰せられております……」
ドウ! と、また興世王は床をふみ鳴らした。惟幾のことばが切れた。紙のように白くなった唇《くちびる》がパクパクと動いていた。
興世王は居丈高に言った。
「いらぬ説教はやめなさい。われらはわれらの為《な》すべきことはよく知っている。貴公を殺すことが必要なら、貴公が何と言われようと殺すのだ。貴公は若年のみぎりから諸国に国司づとめして今日に至っているが、その間に何十の人を死に至らしめられた? 今朝廷では重罪の者も死罪にはせぬことになっている故、貴公も死刑を宣せられたことはあるまいが、実は罪なき者を囚禁している間に、拷問《ごうもん》や病気によって死に至らしめたことが、とうてい十人や二十人ではあるまい。訴うるに所なく、無辜《むこ》にして刑死した者共のことを、とくと考えられるがよい。貴公には決して罪なしとしない」
はげしいふるえが惟幾を揺りうごかしていた。椅子《いす》に腰かけているにたえないほどだ。血の気のないよごれた頬《ほお》を涙が伝って、半白のあごひげの先からしたたっていた。小次郎は気の毒になった。
「みことには、この上は一切危害を加えません。一両日のうちには、御家族共々京へかえってもらいます。御安心なさるがようござる」
惟幾は合掌して「ありがたや、ありがたや」と、言いつづけていた。
翌々日、約束通り、惟幾等を旅立たした。途《みち》は東山道を取り、郎党数騎に護衛させて、碓氷峠まで送らせた。
その翌日、常陸掾《ひたちのじよう》藤原|玄茂《はるしげ》が、弟の玄明にたよって、馳《は》せ参じた。兵五百をひきいていた。
「殿の雷名ははるかなる以前から聞いて、慕わしく存じていました。ことさら、愚弟玄明が一方ならぬ御|眷顧《けんこ》を蒙《こうむ》っていますこととて、早くお礼にまかり出《い》ずべきを、官人の端に列《つら》なる身の心にまかせませず、今日に至ってしまいました。この度はまた愚弟のことより起って、義のための御奮発、謝するにことばがございません。数ならねども郎党下人五百人をひきいてまいりました。御軍勢の端に加えられ、追い使い給《たも》うならば、この上の喜びはございません」
放埒《ほうらつ》な弟とまるでちがって、いかにも謹直げな人物であった。
鹿島郡《かしまごおり》北部の豪族である上に、現職の常陸掾である人物が、こんなに辞を卑《ひく》くして随従を乞《こ》うたのだ。小次郎も興世王も喜んだ。兵士等の士気もパッと上った。
これを最初として、三十騎四十騎と兵をひきいて馳せ参ずる者がつづいて、士気は益々《ますます》上った。
その頃《ころ》の一日、小次郎の本陣から小半里離れた村にいる玄明の陣所に、百姓姿の若者が武蔵府中の近所で、旅人に頼まれたと言って、一封の手紙を持って来た。三宅ノ清忠の手紙であった。
(おれは今まで武蔵府中に逗《とど》まっていた。うまく行ったな。あっぱれであった。伊予でもお喜びになるであろう。やがてそれは西海の風雲となって現われる。刮目《かつもく》して見ているがよい。めでたき限りだ。おれはこれから西帰する。そなたがこの書を受取る頃は、すでに足柄をこえているであろう云々《うんぬん》……)
忠言
恋を得て後の四郎|将平《まさひら》には酔ったような日がつづいている。あの時からすでに数カ月たっているが、まだそれはさめない。やはり菅家《かんけ》に行っているが、ひっきりなしに石井《いわい》にかえって来た。学問は今のところ放棄の姿になっているが、彼自身は放棄したとは思っていない。これは一時のことで、やがて気持が落ちついたら、学問にも前のように精が出るようになると思っている。だから、菅家にとどまっているのであった。
この恋人等はずいぶん方図がなかった。将平の方もだが、タミヤの方が一層だ。彼女は将平が五日も石井に来ないと、自らてくてく歩いて迎えに来た。女は男の訪れをおとなしく待っているもので、男を誘いに来たりするのは嗜《たしな》みのないことだという日本的作法は、タミヤにはなんの力もない。
「だって、胸に火が燃えているようで、苦しくてたまらないのです。四郎の殿にお逢《あ》いすれば、それが鎮《しず》まるのですもの」
母|刀自《とじ》や良子が忠告すると、切なげにこう言うのであった。
こんな風であったので、二人ともこんどの合戦のことをほとんど気にとめなかった。ある程度知ってはいたが、いつもの合戦としか思っていなかった。その重大さを知ったのは、戦勝の報告が石井にとどいてからであった。将平はその前日から石井に来て、タミヤと共に飽きぬ睦言《むつごと》をかわしていたのだが、とつぜんに巻きおこった館《やかた》中の歓《よろこ》びの嵐《あらし》におどろいて、人々のところへ顔を出した。
十二里の道を一気に走破して来た郎党は、埃《ほこり》と汗にまみれた姿のまま、人々に取りかこまれて、合戦の経過を報告していた。
大勝利、しかも味方にはほとんど損害がないという。
人々の喜びは一方でなく、祝宴の支度がなされた。
その祝宴に将平も列した。兄の将頼《まさより》が相馬《そうま》の御厨《みくりや》に行っているので、豊太丸の次席には将平が坐《すわ》って、宴をとり行ったのであるが、将平は人々のように単純に喜べないものを感じていた。
(これはこれまでのように同族や豪族相手の合戦と違う。朝廷を代表して来ている国司との戦いだ。しかも、隣国にふみ出して戦ったのだ。歴然たる叛逆《はんぎやく》行為だ。一旦《いつたん》の勝利を得たとて、無邪気に喜んでいられることではない)
と、思い、
(それははじめからわかっていることであった。なぜおれはそれを考えなかったろう。考えたなら、きっと兄上を諫《いさ》めて思いとどまってもらったろうに……)
と、恋に酔いしれていたことを後悔した。
宴席でくりかえし飽きずに合戦のことが語られた。三段がまえの敵陣を転瞬の間に蹴散《けち》らした突撃戦の壮快さを聞くと、参加出来なかった郎党等は残念がり羨《うらや》ましがった。惟幾《これちか》父子《おやこ》、わけても為憲《ためのり》の臆病《おくびよう》未練なふるまいには、皆腹をかかえて笑った。
とりわけ、人々を感動させたのは、国府を占領した時、突如としてとどろきわたった雷電のことである。
「御信仰深き火雷天神の明らかなる佑助《ゆうじよ》があったのでございます。かしこいことでございました」
と語られると、人々は一様に敬虔《けいけん》なものに胸をみたされたのであった。
菅原|景行《かげゆき》から将平に使いの来たのは、祝宴の翌朝であった。
「急ぎの用がある、急ぎ帰って来てもらいたい」
使いに立った景行の郎党はこう伝えた。なぜか、将平はいたずらをしている所を大人に見つかった子供のような気がした。大急ぎで帰り支度にかかった。
「こんどはいつお出でになりますの」
いつものように、タミヤは切なげな顔で言った。
「すぐ来る。師の君の御用がすんだらすぐ」
気休めではなかった。ほんとにそのつもりであった。
「ほんとに早く来てね。四郎君がおいででないと、あたしは死にそうになるのです。なにをしても張合いがないのです」
と涙をこぼした。この頃タミヤはおどろくほど女らしくなった。陸奥《むつ》から来た頃は美しく繊細ではあったが、この年頃の、端正な顔立ちとからだつきを持つ少女によくある美少年じみた感じがある上に、種族の蛮気を帯びた血のためだろう、動作が生き生きしすぎて、女らしいうるおいに欠けていたが、この頃では皮膚の色にも、顔やからだの線にもしっとりとした味わいが添い、身のこなしにも優婉《ゆうえん》な情感があった。ものに感動しやすくなって、よく泣いた。
泣かれると、将平も胸がせまって来る。
「ほんとだよ。ほんとにすぐかえって来る。一日か二日だ」
「ほんとよ。ほんとよ。ほんとに早くかえって来て下さいね」
しかし、これは二人きりの時だけであった。将平が支度をして皆に見送られて出かける時には、快活げに笑いながら手をふった。
広河の江のほとりの菅家に、昼を少しまわった頃ついた。早速、景行の居間に伺候した。一目見た時、将平は景行の様子がいつもと違うように感じた。しかし、
「おお、かえって来たか。呼び立ててすまなんだの。さあ、こちらへ入りなさい」
と、言った時には、もういつもの感情の平衡のとれたものやわらかな様子になっていた。
「寒かったろう。こんな日、馬上ではたまるまい。あたるがよい」
景行は手をあぶっていた炭櫃《すびつ》(火鉢《ひばち》)をおし出した。将平は礼を言って、こごえた両手をかざして煖《だん》を取った後、言った。
「御用のおもむきは……」
景行は無言でうなずき、半分以上白いもののまじったまばらで長いあごひげを、老人らしく骨立ちしわばんでいるが、なおきゃしゃな手の指でほぐすように撫《な》でていた。言うべきことを胸の中で整理しているようであった。低いおちついた声で語り出した。
「そなたの兄者の小次郎の殿のことだが、定めしそなたも聞いてはいやろうが、こんどのことを、そなたどう思《おも》やる?」
なんとなく予測はついていたが、やはりこのことだったのかと思った。
「実は、わたくし、昨日兄の許《もと》からつかわした郎党にそのことを聞きまして、これは容易ならぬことになった、なぜ前以て兄を諫めなかったろうと、後悔しているのでございます」
将平は、自分の気持を語った。
「それだ」
と、景行は言った。
「まろも、昨日の夕方下人共が噂話《うわさばなし》を聞いて来て教えてくれたので、心痛のあまり昨夜は終夜眠りが結べなかった。常陸の国司が色々と催していることは風説で知っていたが、まさか小次郎の殿の方から寄せて行き、国境をこえて合戦なさろうとは思いよらなんだ。まことに不覚であった。
返らぬくりごとだが、今にして思うと、この頃小次郎の殿のまわりにはよからぬ人々がいた。藤原玄明とやらいう人、武蔵《むさし》の権《ごん》ノ守興世《かみおきよ》王。一人は八州に誰知らぬ者なき乱人、一人は御身分がらにも似ぬ暴々《あらあら》しい所業のあることで京でもかれこれの噂たえなかったお人だ。由々《ゆゆ》しいことが起らぬはずはないと思わねばならなかったのに、そこに気がまわらなかったのは、まろはまことに申訳なく思う。こんなことでしか、数々の恩義に報ずるすべのない身でありながらのう」
景行の調子は、いつものものしずかさより、一層しみじみとして、泣いているかと思われるほどであった。景行はひたすらに自分自身をとがめているのだが、将平は自分を責められているように切なかった。
「申訳ございません。いつも石井にかえっておりながら、気づきませんで」
「いやいや、そなたはまだ年若だ。気づかぬは当然だ。不覚はまろだ。この年になりながら、しかも、経史の学をおさめること数十年に及ぶ身が、とんと油断していたのだ。冷汗|背《そびら》をうるおす恥かしさだ」
「…………」
「そこでだな、第一|手《しゆ》はおくれたが、何とかして禍《わざわい》を最小に食いとめたいのだ。そなたにかえってもらったのもこのためだ。
――およそ人の世において最も強いのは勢いだ。勢いの激する時は、低きにつくが性《さが》である水すらも数丈の高さに迸《ほとばし》り上る。善事をなすに当っても、勢いはもちろん大事だ。勢いをつくれば、不可能と思われるほどの善事も出来るし、成功も出来る。これを作るのはもとより人であるが、一度《ひとたび》勢いとなれば、これを引きもどそうとしても、もう人の力では及ばぬ。勢いの衰えるのを待つよりほかない。まことにおそろしいものだ。
このようにおそろしいものだけに、一度これが悪事、凶事に働いて勢いをなすと、これまた言いようのないほどにおそろしいものになって、底止するところを知らぬ。どこまで突走って行くかわからぬ。まろは、この度のことがその勢いとなることを恐れるのだ。
一国の国司の軍を撃ち破り、その国府を乗り取ったのだ。普通でも勢いとならざるを得ないことであるのに、先刻申した二人がついているのだ。滔天《とうてん》の勢いとなるおそれ十分だ。
まろは、何としてでも、これを防ぎたいと思う。それには小次郎の殿が大介《おおすけ》に崇敬をいたして和議を結んで帰って来ること以外にはない。朝廷《おおやけ》の咎《とが》めはもちろんまぬかれることは出来ぬであろうが、ひたすらに慎みを示されたら、さしたことなくすむではないかと思う。もし必要なら、まろが老骨をひっさげて上京して運動もしよう」
景行のことばはつづく。
「そこでだな。今まろが申したことを小次郎の殿に申して、禍を最小に切りとめるのは、そなたの外にはない。そなた、これから常陸の府中に行って、小次郎の殿に申してくれぬか。まろが自ら行こうと思いもしたが、ここはまろがまいるより、肉親であるそなたの口からの方がよいと思うのだ」
「まいりましょうとも! お心入れのほど、お礼の申し上げようもございません」
将平は胸がせまり、涙をこぼして言った。
一刻も早い方がよいと思われたので、短い冬の日はもう夕方近くになっていたが、すぐ出発した。
菅家の郎党を二人従者に借りて、夜どおし馬を進めて、夜明け方に府中に入ると、進むにつれて戦禍のあとがひらけて来た。黎明《れいめい》の微茫《びぼう》の中にそれはおそろしい風景であった。真黒な灰燼《かいじん》と瓦石《がせき》の堆積《たいせき》になった家居のあとは霜をかぶって一層悲惨な姿となり、言いようのないほど荒涼たる感じで連《つらな》っていた。
これらの家々はほとんど全部が国衙《こくが》の官人《つかさびと》の邸《やしき》や、この国に土着した前官人の邸や、国衙に用事があって出て来た時の宿舎にあてるための豪族等の別邸で、多くは宏壮《こうそう》雄偉な建物であったのだ。幼い頃からいくどか来て、将平はそれを知っている。感じ易《やす》い彼の胸ははげしく痛んだ。名状しがたい悲しみと憤《いきどお》りとが湧《わ》きおこった。誰に向けられた憤りであったか、彼にもわからない。人間の争闘性、あるいは支配|慾《よく》に対するものであったかも知れない。
「今カノ天下ノ人牧、未《イマ》ダ人ヲ殺スヲ嗜《タシナ》マザル者アラザルナリ。モシ人ヲ殺スヲ嗜マザルモノアラバ、天下ノ民皆|領《エリ》ヲ引キテコレヲ望マン。マコトニカクノ如《ゴト》クナラバ、民ノ之《コレ》ニ帰スルコト、ナホ水ノヒクキニツキテ沛然《ハイゼン》タルガゴトケン。誰カヨク之ヲトドメン」
という孟子《もうし》の文句をいつかつぶやいていた。やがて国府についたが、そこにはもう小次郎はいなかった。鎌輪《かまわ》の宿《しゆく》に引上げなされた、と、番の者が教えてくれた。
鎌輪は広河の江から二里の北方だ。それを知らぬとはいいながら夜通し十里来て、また十里あとがえらなければならない。やれ、やれ、と、思った。
熱い雑炊を食べさせてもらって、ひえきったからだがやっと人心地がついた。あまり強健でない体質の将平はぐっすりと寝たかったが、急がなければならない。少し休憩して出発した。
夕方、鎌輪についた。
「どうしたのだ。気分が悪いのではないか。真青だぞ」
まるで血の気のない弟の顔を見て、小次郎はおどろいて迎えた。多数ある弟等の中で、小次郎はこの弟が一番|可愛《かわい》い。やさしくて、弱々しくて、感じやすい心のこの弟は、小次郎の父性愛に最も訴えるのかも知れない。
「わたくしは、常陸の府中まで行ったのです。ここにお引上げと知りませんでしたので」
兄の顔を見て、将平はいくらか元気が出た。自然とあまえるような幼いことばつきになっていた。
「おお、おお、それは大へんであったな」
小次郎は兵士等に言いつけて、湯浴《ゆあ》みのしたくをさせた。
食事を共にしたが、それがすむと、つい二三ばいのんだ酒がまわって、とろけるような疲労感に襲われた。慾も得もなく、寝てしまいたかった。しかし、そういうわけには行かない。食器が撤去されるのを待ち、気を取りなおした。
「わたくしは、大事なことを申し上げるために来ました」
と、先《ま》ず言った。
小次郎は、にわかに緊張の色を見せた弟を微笑を含んで見ていた。夜に日をついで来たと聞いた時から、余程の用事があるらしいとの予想はついていたが、小次郎の目から見ると、まだ子供としか思えない将平だ、本人は大《おお》真面目《まじめ》でもほんとはそれほどのことではなかろう、大方、タミヤと共に別居したいくらいのことであろうと思った。
「言ってみるがよい。大ていなことなら聞いてやるぞ」
と、からかうような笑顔で答えた。
将平は益々緊張の様子を見せた。
「重大な話です」
と、前置きして、景行の言葉を伝えた。
小次郎はきびしい顔になった。とりわけ、興世王と玄明のことを言われた時は、はげしく胸を衝《つ》かれた感じがあった。自覚のないことではなかったのだ。だが、今となってはもうどうにもならないことであった。腹が立って来た。しかし、こらえた。
怒りをおさえている小次郎の沈鬱《ちんうつ》な目のかがやきは、将平をおそれさせた。胸がふるえ、声がふるえ、中断しそうになったが、気力をふるいおこして、言いついだ。
「わたくしも全然同じ意見です。師の君のおすすめがなくても、そう申し上げたいと思っていたのです」
小次郎は気持をしずめ、それから言った。
「おれは一旦の怒りのためにこんどのことを企てたのではない。この幾年、朝廷の出たらめな政治のため、おれがどんなに迷惑をつづけて来たか、そちも知っているはずだ。ひよわいものならとうの昔に叩《たた》きつぶされている。おれに富があり、力があったために、ともかくもこうして生きのびて来られたのだ。惟幾はその朝廷の最も悪辣《あくらつ》な手先であるばかりか、おれの仇敵《あだがたき》共と腹を合わせて、おれを叩きつぶすために六千という大軍を集めていたのだ。叩きつぶされるのをおめおめと待っているのは坂東武者の作法ではない。そちは幼い時から武者立ったことがきらいで、学問ばかりしているが、坂東の生れである以上、それのわからぬことはあるまい」
「それはわかっています。師の君の仰《おお》せられるのは、これから先のことであります」
「よく聞け。おれは惟幾だけに腹を立てているのではない、朝廷に腹を立てているといっているのだ。一旦の怒りのために企てたのではないといったのは、そのためだ。今さら引きさがろうとは、露思わんぞ」
「…………」
「仮に、おれが引退《ひきさが》ろうとしても、今はどうにも出来ぬところに行っている」
小次郎はすでに惟幾から印鎰《いんやく》をおさめ、八州の豪族等に通牒《つうちよう》を発したことを告げた。
将平は動顛《どうてん》した。あえぎつつ言った。
「わたくしは、府中を見て来ました。戦さのおそろしさをしみじみと感じました。そのおそろしい戦さを、兄上はこれからもつづけて行かれるのですか! 戦さとはいく千人の人が殺されることです。そのいく千人の人には妻子があり、父母があり、兄弟があるのです。幾万人の人のなげきになることです。人間の幾百年のいとなみが灰燼となることです。そのおそろしい所業を、なおつづけて行くおつもりですか。わたくしは兄上が人なみすぐれてやさしい心の方であることを知っています。そんなおそろしいことを思い立つ方ではありません。どうぞ、御自分の心で考えて下さい!」
涙をふりこぼしながら、叫ぶような声になっていた。
どこまでも玄明と興世王にあやまられているとしている言い草は、また小次郎を怒らせた。兵士等に聞かれても見苦しいと思った。
「待て待て。そなたは先刻から妙なことを言う。おれが誰かにおだてられていると申しているようだが、おれは誰のさしずも受けておらぬ。おれはおれ一人の判断で乗り出したのだ。およそ八州の地におれにさしずし得る誰がいると思うのだ。陣中に来てそんなことを申してもらっては、兵士等の心をまどわすことになる。つつしんでほしい。もう決して申してはならん。また、そなたは戦さはおそろしいことだといったが、朝廷の政治はおそろしいとは思わないのか。これは天下を大鍋《おおなべ》に入れて烈火でいり上げているのだ。これにくらべれば戦さのおそろしさなど軽いものだと、おれは思っている。ましてや、こんどのことは朝廷の力を坂東から叩き出すための戦さだ。難病治療のための灸《きゆう》をしていると考えてほしいぞ。景行|卿《きよう》もそなたもいつも書物ばかり読んでいるのじゃが、こんなことくらい昔の書物にもありそうなものだと思うがの」
唐土の史書にはいくらもあることだ。将平は鼻白んだが、なお言った。
「しかしこれは歴然たる叛逆であります」
「京の公家《くげ》共から見ればな。これまでおれは間違っていた。だから、そのことばを恐れては見苦しくふためいた。しかし、今ではおれは、おれもふくめた地方武人と民の立場から見ることにしている。天命を奉じ、民の冀《ねが》う所に由《よ》って無道を伐《う》つと信じている。おそれる所は毛筋ほどもない」
将平はついに黙った。
小次郎は微笑して更に言った。
「四郎、おれは不思議にたえんのだがな」
「…………」
「ほかでもない。景行卿のお気持だ。景行卿にしてみれば朝廷は怨敵《おんてき》であるはずだ。父君の菅公の御|怨恨《えんこん》が天地の間にとどまって雷神となり、朝廷に対して様々の災異を下されていることは、かくれのないことだ。だからこそ、この度のことにもその神霊は神異を下しておれに力を添え給《たも》うた。景行卿としては格別力は添えられずとも、一言のお礼くらいはあるべきだと思うのに、水をさすようなことを仰せられる。おれにはわからんお気持だ。父君のこと、またそのために生じた多年の御窮迫をくちおしいとは思われぬのであろうか」
将平はしばらく沈思して、それから言った。
「ごもっともなお疑いです。そのことについては、わたくしはまだ師の君から何にもうかがっておりませんが、わたくしの考えることを申し上げます。思うに、師の君におかせられても、菅公のおんことについては深いおうらみがあることと存じます。相手が朝廷でなかったら、必ず復讐《ふくしゆう》のことに心を砕かれたに相違ないと思います。しかし、朝廷なのであります。怨恨など抱いてはならないと心を制していらせられるに違いありません。学問というものはそうしたことを教えるものなのであります。師の君は当代指折りの学匠であられます。必ずや古聖賢の示しおかれた教によって、大道を踏みはずすまいとしておられるのであると、推量申し上げています」
将平の顔にはかつて小次郎の見たことのない厳しいものがあらわれていた。小次郎は今更のようにこの弟の成長を感じたが、なお笑いながら言った。
「菅公は日本一の学匠であった。そなたの師の君よりすぐれた。そうだろう」
「はい」
「ところが、その菅公は朝廷をきつううらんでおられる。災異しきりに降《くだ》って、そのお怒りを宥《なだ》めるために、朝廷があらんかぎりの手をつくしていることは、そなたも聞いていよう。これはどうなのだ」
将平はことばにつまった。
小次郎は呵々《かか》と笑った。
「どうやら、学問でなく、根性の強弱によるらしいと思うが、どうだ」
「菅公の霊は、すでに満足して成仏《じようぶつ》遊ばされたと、師の君はお考えになっているのではないでしょうか」
苦しげに将平が言うと、小次郎はまた笑った。
「馬鹿《ばか》を言うな、魂魄《こんぱく》いまだ中有《ちゆうう》を迷っていなさるが故《ゆえ》に、おれが軍勢に佑助《ゆうじよ》を垂れ給うているのではないか」
その時、室外に人のけはいがした。
「小次郎、まろじゃが、入ってよいか」
といって、入って来た。興世王であった。
「やあ、やあ、これは兄弟水入らずのところを邪魔してすまぬの。――いつ見えた? 兄者の武功を聞いて、詩にでも作るつもりで見えたのかな。出来たら、まろにも見せてもらいたい」
と言って、取ってつけたようにカラカラと笑う。
将平は不快であったが、つい愛想笑いが出て来たので、一層不快になった。
「そなた、つかれているようだ。あちらへ行って寝《やす》め」
小次郎は郎党を呼んで、寝所に案内するように命じた。おぼろな紙燭《しそく》の明りに導かれながら、かたくつめたい床をふんで寝所に行きつつ、将平はひそかに溜息《ためいき》をついた。泣けて来そうな気持であった。
神託
鎌輪《かまわ》にとどまること十一日、十二月十一日、小次郎軍は鎌輪を出て一路|下野《しもつけ》の国府を目ざした。この年の十二月十一日は今の暦では一月二十七日だ。寒いさなかであったが、火雷天神の旗を陣頭にひるがえして、毛野《けぬ》川沿いの道を北へ向う軍勢の意気はすでに八州を呑《の》む概《おもむき》があった。「将門記」は、これを、「各々龍《おのおのりゆう》の如き馬に騎し、皆雲の如き従《じゆう》をひきゐ、鞭《むち》を揚げ蹄《ひづめ》を催《はや》うして、万里の山を越えんとし、各々心勇み神《しん》おごり、十万の軍に勝たんと欲す」と記している。
鎌輪から下野国府までは九里。途中|結城《ゆうき》に泊った。鎌輪を出る前に降伏を勧める書をおくっておいたのだが、念のためまた使者をおくって、明日貴府に到着するであろうと告げてやった。
その深更、国司からの使者が来た。小次郎の面識のある前国守|大中臣全行《おおなかとみたけゆき》と新国守藤原|公雅《きんまさ》との書簡をたずさえていた。新国守の書は、
「謹ンデ命ヲ奉ゼン。道ヲ清メテ待チ、印鎰ヲ献ゼン。公雅、当国ノ司《ツカサ》トナリテヨリ日浅シ。治蹟《チセキ》ナシトイヘドモ、政ヲアヤマルノ遑《イトマ》モナシ。将軍ノ明智、モトヨリ知ル所ナリ。伏シテ願ハクハ玉石ヲミダラザレ」
とあり、全行のは、
「シバラク参商《シンシヤウ》(共に星の名。同時に空に現われることがないので、朋友《ほうゆう》の互いにかけはなれて会わぬことにたとえる)ヲツヅク。マコトニ恨《ウラ》ミトナス。道聴、将軍ノ武威コレ揚ルヲ雷ノゴトク伝フ。マコトニ駭心瞠目《ガイシンドウモク》ノコトタリ。今重ネテ恩使ヲ恵マル。イカンゾ敢《アヘ》テ命ニ抗センヤ。新司ト共ニ道ヲ掃《ハラ》ツテ将軍ノ来臨ヲ待タン。伏シテ願ハクハ、頼《サイハ》ヒニ故人恋々ノ意ヲモツテ士卒ヲイマシメテ濫罰《ランバツ》セシムルナカレ」
とあった。共に責任感も節操もない。へつらいを献じて一身の安全を求むるに汲々《きゆうきゆう》としている。
興世王は一読して、カラカラと笑った。
「みごとなものだな、当今の国司諸君は。とりわけ、当方に媚《こ》びを献じながら、その媚びが朝廷で物議をかもさないように加減したところなど、感にたえる巧みさだ。あっぱれなものだ。もっとも、これでなくては変転きわまりない朝廷の方針と呼吸を合わせて栄達は出来んがの」
翌日早朝、結城を立って下野の国に入った。結城までは小次郎の領地だ。道筋の民は皆道に出て歓《よろこ》び迎えたが、一歩下野に入るともう他領だ。人々は遠くの山林の間にかくれ、呼吸《いき》を殺していた。
午《ひる》少し前、府中の郊外に達した。興世王は兵を停止させて威容を整えさせた。風はつめたかったが、よく晴れた日であった。薄藍《うすあい》色の澄み切った冬空の下に、府中の町は明るくシンとしずまっていた。馬上にそれを望みながら、小次郎の胸には、この地の豪族の館《やかた》に良兼《よしかね》と良正《よしまさ》を追いつめたことが思い出されて、感慨があふれた。
(良兼伯父はすでに亡《な》く、良正叔父はすでに再び戦う気力を失って水守《みもり》の館で耄碌《もうろく》している。あの時、自分は国司の怒りを恐れて、国府に行って礼をいたしたばかりか、軍勢を結城まで退去させた。戦い疲れた兵士等はずいぶん不平を言ったのだが、その自分が、今その国司の降をいれて大軍をひきいて来ている。あれから今まで何年たったろう? そうだ、三年しかたっていない……)
先陣から連絡の兵が馬を飛ばして来て、ヒラリと下りるや小次郎の前に駆けよった。
「お迎えに出ている国府の官人等がお目通りを願っております。いかがはからいましょうか」
小次郎の答える前に、興世《おきよ》王が馬を寄せて来た。
「直接に申し上げてはならん。すべて申し上ぐべきことは、まろ、あるいはお側《そば》近くに侍《はべ》る者を通じて申し上げるよう。殿は今や石井《いわい》の小次郎ではおわさぬ。八州の主《あるじ》でおわすのだ。心得るよう」
と、いかめしく言っておいて、
「何を申し上げたのだ?」
とたずねた。
兵は、棒をのんだようにしゃちこばっていた。飛び出しそうに見はった目玉をぐるりと動かして、小次郎と興世王を見くらべた後、打ってかわって、ごつごつしたことばで、前のことばをくりかえした。
「ああ、そうか。しばらく待て。御意をうかがってみる」
興世王は、馬首を小次郎に向け、片あぶみはずして式体《しきたい》した後、うやうやしく言った。
「しかじかの由《よし》、前軍から報告してまいりました。まろの存念では、御引見しかるべしと存じますが、さようはからいましてよろしゅうございましょうか」
小次郎はあきれていた。まるで予想していないことであった。滑稽《こつけい》にも感じた。きまりが悪くもあった。急にはへんじが出来なかった。ふと気がつくと、兵等が小次郎を見ている。小次郎がどんな態度に出るか、興味を持っているようだ。熱い血が頭に上るのを感じた。
当惑している小次郎を凝視している興世王の目は、押し切れ、押し切れ、いずれはこうなるにきまったことではないか≠ニ言っていた。そうだ、おそかれ早かれこうならずにいないのだ、と、思った。
ついに言った。
「よろしくはからうよう」
のどにからむものがあって、自分の声ではないようであった。
興世王はまた式体して、馬首を兵の方に向けた。
「御引見になる。連れてまいるよう」
「はッ」
兵士は、バネじかけの人形のように飛び上り、馬に飛び乗って駆け去った。
「殿はしばらくこの場を避けていただきます。謁見《えつけん》の場を用意させますから」
と、興世王は言って、さらに兵士等の方を向いて、
「それ! お供せい」
とさけんだ。
声に応じて、十騎ばかりが馬に飛びのって来て、小次郎を取りかこんで、小一町はなれた森を目がけて行く。
わずかに青い麦畑の中につづく道を行きながら、小次郎は自分が自分でないような頼りなさを感じていた。のどに何かからんでせきばらいしたかったが、それさえ憚《はばか》らねばならないような気がするのであった。
間もなく本陣から伝令が来た。この伝令も直接には小次郎にものを言わない。従騎に向って、
「お側の方にまで申し上げます。御引見のお支度がととのいました。おかえり下さるよう申し上げていただきます」
といって、かえって行った。
従騎は小次郎に取りついだ。
それを待つまでもなく、伝令の言ったことは、小次郎の耳にも聞こえている。ばかばかしかった。誰かが笑っているような気もした。しかし、どう見まわしても従騎等の表情にはそれらしい影は見えない。当然のことをしている人を見ている平静さと恭敬の色があった。
「それではかえろう」
馬をめぐらした。馬蹄《ばてい》の音が粛々とつづく。その馬蹄の音を聞きながら、小次郎はこんなことがいつかあったような気がした。
(いつだったろう?)
熱心に記憶をくって、昔京で恪勤《かくご》した小一条院のおとどがこうであったことを思い出した。
(最初におとどにお目見えした時、おれは直答して、家司《けいし》にきついこと叱《しか》られたなあ……)
これは不愉快な記憶であった。貴人というものは何という小面倒なことをするものかと、不思議でもあれば、おかしくもあり、軽蔑《けいべつ》もしたのであった。
(しかし、こうあるのが当然なのだろうな。坂東生えぬきのこの郎党共が至って素直にこうやっている。いぶかしがる風もなければ、おかしがっている色もない)
これでいいのだろうと思った。
引見の場は幕を張り、床几《しようぎ》をすえ、きらめく鉾《ほこ》を垣《かき》のように左右に立てならべ、その内側と背後には、さわやかに鎧《よろ》った兵等を立たせ、身の毛もよだつばかりの森厳な|しつらえ《ヽヽヽヽ》になっていた。威風と圧力を示そうとして、興世王が苦心したものに相違なかった。
「こちらへ」
興世王は、正面の床几に小次郎を招じ、自らはその斜めに位置をしめ、さらに従軍の豪族等をそれぞれの床几にかけさせた。
一同の席がさだまると、興世王は、片手を上げてふった。これが合図であった。向うの幕舎の帷《とばり》がかかげられると、案内の兵士に導かれて、国府の官人等が五人、笏《しやく》をかまえてしずしずと出て来て、半ばまで近づいた時、一人の兵士が叫んだ。
「下野の掾《じよう》なにがし、同じくなにがし、判官代《ほうがんだい》なにがし、史生《ししよう》なにがし、同じくなにがし、お出迎えのためにまかり出ました」
とつぜんであったので、官人等はおどろいて足をとめた。真昼を少しすぎた明るい日が、官人等の顔を照らしたが、皆おびえて紙のように青ざめていた。右手でわきにささえている笏がふるえているのがはっきりと見えた。
「ゆるす。入れ!」
と興世王が答えた。
五人はぞろぞろと入って来て、一人一人小次郎に拝礼して官名と姓名を名のって、床几にかけたが、とたんに興世王が言った。
「新司藤原公雅、前司大中臣全行はなぜまいらぬ」
野太く鋭い声だ。五人はふるえ上った。一斉《いつせい》に笏をあげて拝礼した。
「両司共に、印鎰《いんやく》を奉じて国衙《こくが》にて命を待っております。怠慢いたしているわけではございません。小官等をして………」
声をふるわせ、おどおどと一人が言いかけたが、興世王は大喝《だいかつ》した。
「黙れ!」
官人等は床几の上に腰を折って、ひれ伏す形となった。興世王は雷霆《らいてい》の鳴りはためくように浴びせかけた。
「およそ降伏には古来定まった礼がある。この度のことは城を以《もつ》て降るに準ずべきである。その城の主たる者は頸《くび》にかくる組《そ》(ひも)を以てし、印鎰をささげて道のかたわらに伏して迎うるを礼とする。印鎰をささぐるは権柄《けんぺい》を奉《たてまつ》るの意、組を頸にかくるは罪《つみ》自殺にあたるの意じゃ。しかるに、区々の下僚ばらをつかわすのみで、おのれは衙内に安坐《あんざ》しているとは横着千万というべきである。敗者にして勝者をあなどるは、罪|誅殺《ちゆうさつ》に当《とう》するは古今の法である。目通りゆるさぬ! まかりかえって、両司にこの旨《むね》告げい!」
官人等の恐怖は見るもむざんであった。うつ向いたまま立上ろうとするのだが、腰が立たないでもがいていた。
小次郎は興世王と呼吸を合わせることが出来ない。一戦にも及ばず降伏するものをこうまでおどかしつけることはないと思った。座にいたたまらない思いであった。
「待て」
と、おぼえず呼びとめた。
すると、すばやく興世王が立上って、小次郎のわきにすり寄った。小次郎の顔を人々からかくすように顔を寄せ、はげしく目くばせて、二三度うなずいておいて、官人等の方に向き直った。
「殿が仰《おお》せられる。ゆるしがたき怠慢ではあるが、悪意なきものと見て、この度はゆるしおく、まかりかえって、このことを両司に告げよ、やがて府に至るであろう、とのことである。御仁恵である。ありがたく心得るよう」
官人等は生きかえったような顔になって拝謝した。
興世王はなお言う。
「これは心得のため、まろから申しておく。お迎えに疎略《そりやく》があってはならぬぞ」
「かしこまりました」
一人がいうと、一斉に拝礼した。
官使等がかえって行って、しばらくして、軍は行進をおこした。威儀をととのえた警衛の中に馬を進めながら、小次郎は胸にうそ寒い風が吹いている感じがあった。それは不満に似ており、寂寥《せきりよう》に似ており、失望に似ており、飢餓感に似ていた。
国府の門を二町ほどはなれた路傍に、新国司藤原公雅と前国司大中臣全行とが迎えに出ていた。衣冠束帯の第一礼装で、埃《ほこり》の立つ路面にじかに坐《すわ》り、額が地につくばかり身をかがめていた。新国司の前に三方《さんぽう》があり、白い練絹をしいて、印と鎰《かぎ》の束とがのせてあった。
それを見た時から、小次郎は胸苦しくなった。目に見えない縄《なわ》でがんじがらめに縛り上げられているようなもだえを感じた。しばらくは我慢したが、いきなり馬を飛び下りて、近づいて行った。
「そうまでなさることはない。立って下さい。立って下さい」
と、言っていた。
国司等は、一層おびえた様子になった。小次郎の意をはかりかねていた。
「お立ちなさい。お立ちなさい。そうまでしていただくのは、こちらの本意ではござらぬ」
と、小次郎はまた言った。自分の気持がすらすらと通らないのでいら立っていた。
興世王は小次郎の弱気をこまったことだと思った。しかし、こうなった以上、適当におさまりをつけなければならない。笑いながら馬を下りて近づいた。
「お立ちになるがよい。卿《きよう》らの誠意はよくわかった。こうまで殿が仰せられるのを従われんでは、かえって礼を失うことになろう」
おだやかな調子の中にこもる威迫におびやかされて、二人は立上った。新国司公雅は印鎰《いんやく》をのせた三方を取り上げていたが、小次郎と、興世王のいずれに捧《ささ》ぐべきかに迷っているようであった。
「まろがお取りつぎする。渡しなさい」
興世王は受取って、小次郎にささげた。
「印鎰共に、国司等より献呈いたしました」
小次郎は印鎰と興世王の顔を見くらべていたが、黙ってそこを離れて馬にまたがった。またしても、こんなつもりではなかったと、不満と寂寥があった。
(威にまかせて人をおどかしつけるのは、おれの最もきらいなことだ。しかし、興世王ほどの人がどこまでもそうしようとしている所を見ると、今の場合、いたしかたのないことなのであろうか)
いく度か溜息《ためいき》をついた。
こうして下野国府にとどまること三日であったが、その間に勝ちほこった兵士等によって国府附近の民家がしたたかに荒されたことは言うまでもない。両国守とその家族等は、常陸《ひたち》国司の例にならって、碓氷《うすい》峠まで送られ、そこから京へ追い放たれた。
十二月十五日、小次郎軍は上野《こうずけ》国府に向った。上野の国府は今の群馬郡|元総社《もとそうじや》にあった。前橋市の西方三十町の地点にある。下野の国府から二十里の距離だ。四日かかって十八日についた。ここも前以ての通牒《つうちよう》によって、介《すけ》藤原尚範は道を清め、下僚をひきいて郊に迎えて印鎰を献じた。小次郎はこれを受けて、国府に入った。国司等の処分は前と同じく、碓氷峠におくった。
この頃《ころ》になると、豪族等の馳《は》せ参ずる者は益々《ますます》多く、総勢は一万五千をこえた。皆国府附近の民家に分宿したが、とうてい入り切れるものではない。郊外に幕舎をつらねたので、時ならぬ大都会が現出したおもむきがあった。
「どうだ小次郎、さかんなるかなだろう。これは皆そなたの力ではあるが、天運がそなたにほほえんでいるからでもある。そうは思わんか」
と、興世王は言った。二人だけの時には、二人のことばづかいは昔の通りになるのであった。
まことにそうであると、首肯せざるを得なかった。
「こうまで国司共にヒッ腰がないのに、よく今まで朝廷がつづいて来たと、驚いているのです」
「それ見ろ、京都の朝廷はまっしぐらに亡滅の途を辿《たど》っている、亡者の集まりにすぎんと、以前まろが言ったのがあやまちでないことがわかったろう」
興世王はカラカラと笑った。
ここではほとんど兵等が狼藉《ろうぜき》しなかった。常陸国府と下野国府で十二分に暴れて、暴れくたびれていたのかも知れない。兵士等はむしろ土地の人々に好意を見せたがっているようであった。しこたま鞍《くら》のしりにつけて来たこれまでの掠奪品《りやくだつひん》の幾分を酒にかえては土地の者共と素朴《そぼく》な酒宴をもよおしたり、子供等を|つて《ヽヽ》にしてはその両親と親しみを結んだりした。若い娘のいる家はとくに兵士等の出入りが多く、おしげもない兵等の贈りものによって思わぬ大もうけをした。
こんな風であったので、土民等の評判は悪くなかった。
「豊田の小次郎と申しておられた頃から由々《ゆゆ》しい武者でおわすとうけたまわっていただが、このほどのことは人間わざとは思われぬだ。見ろよ、どこもかしこも、あげいにまで威張りくさっていた守《かみ》や介《すけ》どもが、虎《とら》ににらまれた狐《きつね》のように、ちぢみ上り、一ふせぎもせいで降人《こうじん》に出るでねえだか」
「そのはずだべし。ただのお人とはちがうだ。桓武《かんむ》のみかど五世のお孫だによ。血がちがうだ、血が。それもただのみかどではねえ。桓武のみかどちゅうと今の京《みやこ》を造りなさったちゅうみかどだによ」
「おまけにこの殿には火雷天神のあらたかなお助けがあるだ」
「火雷天神ちゅうと、天に上って雷神になって本院のおとど(藤原時平、菅公の政敵)を蹴殺《けころ》しなされたちゅうおとどじゃったのう」
「そうよ、そうよ。その三郎君が、今|下総《しもうさ》の広河の江のほとりに来ていなさる菅原景行《すがわらかげゆき》の殿じゃ。同じ村にお社があるだ。京の右近《うこん》の馬場というところが本の社で、朝廷をはじめ世の信仰一方でなく、大へんなはやり神でおわすそうな。先年、将門《まさかど》の殿が朝廷のお召しで京上りされた時、御分霊を受けて来なさったのじゃという。そのいんねんで、将門の殿の御信仰も厚いが、天神の方でも将門の殿には特別な御加護があるのじゃとよ」
「解《げ》せたわ。道理で御陣頭に火雷天神の神旗を立てていなさるのじゃな」
こんな工合に、人々は讃嘆《さんたん》と驚異と崇敬を以て小次郎とその軍に対していた。
ここについた翌々日、興世王は小次郎に八州の国司の除目《じもく》を行おうと提議した。
「どうやらこの分では一戦をまじえず八州は手に入りそうだな。向う所|風靡《ふうび》す≠ニいうことを物の本では読んでいるが、文章の上ばかりでなく実際にもあることと、はじめて知ったわ。ハハ、ハハ。そこでだな。ここまで来れば、一々そなたが出向くことはない。八州の国司の除目を行って、新たに任命した国司共に多少の兵を授けてそれぞれ任国に行かせれば一ぺんに埒《らち》があく。また、こうして官職にありつけば味方の者共もはげみがついて、一層そなたに忠誠心を持つようになる。一挙にして両得、長久の策だと思うが、どうであろう」
「いいでしょう」
「早速に聴き入れてくれて重畳。大体案を立てて来た。見てもらいたい。そなたの意見を聞いて直したい」
と、職名と人名を書き出したものを見せた。
興世王のさし出した紙には、
下野守《しもつけのかみ》 平 将頼《まさより》
上野介《こうずけのすけ》 多治|経明《つねあき》
常陸介 藤原|玄茂《はるしげ》
上総《かずさ》介 興世王
安房《あわ》守 文屋|好立《よしたつ》
相模《さがみ》守 何某
下総守 何某
武蔵《むさし》守 何某
とあり、また下僚の名前も出ていた。
手腕や性行を考勘してきめたものではない。従来の身分と功績だけできめたのだ。しかし、当時としてはこれが最も普通な人選法であった。不世出といってもよいほどに革新的でもあれば見識もすぐれた人間でないかぎり、このほかの方法を考えつくはずはないのである。習慣を超脱するには天才の翼を必要とする。軍事的には天才的な所もあり、誠実な人がらによって人気もある小次郎であったが、政治的には木強《ぼつきよう》な田舎武人にすぎないのだ。
「いいでしょう」
と、言ったのはいたし方ないことであった。
この除目表には、驚くべき錯誤がある。上野と上総と常陸の長官に守をおかず介をおいていることだ。この三国は親王の任国で、実際に任地におもむいて国務をとるのは介というのが京都朝廷の規定だが、すでに京都から離反して坂東独立国の建設に踏み出している以上、これは無意味であるばかりでなく滑稽でさえある踏襲なのだ。小次郎の幕下には、後の源頼朝における大江広元や三善康信《みよしやすのぶ》のような組織的才腕のある人物を欠いていたのである。
その夜、決定にしたがって除目が行われた。国府の四門の陣には冴《さ》えかえる星空を焼くばかりに篝火《かがりび》を焚《た》き立て、いかめしく甲冑《かつちゆう》した兵がかため、正庁内にはともし火を立てつらねて、小次郎以下の諸将が掠奪ものの衣冠姿で列次を正していながれた。ともかくも、坂東においてはじめて行われる京都朝廷風の大きな儀式だ。府下内外の民等はめずらしがって、府の外垣の周囲に集まって、時々聞こえて来る朗々たる呼び立ての声や、鋭い撃柝《げきたく》の音に髪の逆立って来るような森厳な感を味わっていた。
この時代の国府は、どこでもそれに隣接して惣社《そうじや》というのがあって、その国内の神々を一カ所に集めて祀《まつ》ってあった。一体、国府は京の太政官《だいじようかん》を小型にした形になっているので、京都朝廷が太政官にならんで神祇官《じんぎかん》をおいているのと同じく、国府にならんで惣社をおいてあるわけであった。当時の政治は「まつりごと」で、中央も地方もやたらに神々への祈願、報告、報賽《ほうさい》をやらねばならなかった。しかし、一々その社に行っていては国司は面倒でならんので、大抵の場合は居ながらにしてすませるしかけになっていたのだ。
上野の惣社は国府の東に隣って、築垣《ついじ》にかこまれ、樹木に蔽《おお》われて建っていた。国府で除目が荘厳《そうごん》に行われている時、この惣社の一室で、五六人の巫女《みこ》等が長炭櫃《ながすびつ》をとりかこんで煖《だん》をとりながら、甘酒を飲んでいた。鼠《ねずみ》色になった白衣《びやくえ》に色あせた緋《ひ》の袴《はかま》をはいているから巫女に見えるが、日やけしたまるいほッぺたに生き生きとかがやく目をした田舎娘ばかりであった。
十三四から十五六までの娘等だ。おどろくべきにぎやかさであり、おどろくべき健啖《けんたん》さだ。ひっきりなしにしゃべったり、笑ったり、ふざけ合ったりしながら、炭櫃にかかった大鍋《おおなべ》にグツグツと泡立《あわだ》っている濃厚な液体を杓子《しやくし》ですくっては、黒い御器《ごき》についでいくらでも飲んでいた。
彼女等の話題は色々だった。家族のこと、男のこと、ここにいないなかまのかげ口、こんどのさわぎ等、様々であったが、やがてそれは今国府の正庁で行われつつある除目のことに統一されて来た。
「うら、ちょこっとでええから見てえだによ。あげいに立派なことが目と鼻のところであるつうに、こげいな所で甘酒なんど食らっていたいことないだによ。ふんとに、めずらしくねえ面《つら》ばかり見てよ」
と、一人が言うと、飯に群《たか》った蠅《はえ》のように、一時に皆ワーッと湧《わ》き立った。
「めずらしくもねえ面だと。うぬばかりがちがうようにさ」
「鼻ぺちゃの頬《ほお》べたこけの、でけえのはおでこばかりのくせにさ」
「そげいなこと言うものでねえ。自分だて麦だんごつくねたみてえでねえか」
「どうせうらは麦だんごのつくねよ」
「ふんでも、うらだて見てえだによ。京《みやこ》ぶりなんじゃとよ。うら京ぶりちゅうものを見てえよ」
「そだ、そだ。みやこぶりちゅうのは、男でもおしろいつけて紅さすちゅうでねえか」
「威勢のものじゃな、石井の小次郎ちゅうお人は」
「そらそのはずよ。みかどの五代目のお孫じゃちゅうもの、王《みこ》というてもいいお人《ふと》じゃ。ここらの並の殿様とは天地のちがいぞや」
「火雷天神様がえらいお肩入れじゃちゅうぞ。合戦のたんびにお下りになって、ありありとお姿が拝めるちゅうぞ」
「火雷天神ちゅうと、菅原|道真《みちざね》公のことだべし」
「おおら、正二位右大臣であられたわな」
「そげいなこと物知り顔に言わんかて、誰でも知っとらい、筑紫《つくし》で雷神様になって天に昇らしゃったのじゃ。高い山の上から、スルスルスルと昇って行かしゃったのじゃ」
「そんなこんなで、この殿はなみのお人ではねえだ。うら思うだが、大方、この殿はやんがてみかどにならしゃるべしによ」
「みかどは京にいなさるでねえか」
「そんだら太政大臣様じゃろ。みかどの次には太政大臣様がえらいのじゃというから」
「うんにゃ、うらはたしかな人から聞いたことがあるだ。ふんとに威勢のござるのは太政大臣様で、みかどは御殿の奥で上臈《じようろう》女房衆と寝てばかりござるのじゃとよ」
「上臈女房衆と寝てなにしなさるのじゃ」
皆「あらおかしや」と笑いこけた。
「あほうじゃなこの子は、何するかわかっとるじゃねえか。やや子をこしらえなさるにきまっとらい。王をビリビリ、ビリビリといくらでもこしらえなさるのよ」
「王といえば、小次郎の殿の一の郎党になっていなさる、興世王ちゅうのは王じゃそうじゃねえか」
「えらい御威勢じゃの。王を一の郎党にしなされてよ。これはどうでもみかどか太政大臣様じゃて」
甘酒をしゃくってはしゃべり、一口のんでは笑い、水べりにこぼれ散っている粟粒《あわつぶ》にむらがっている雀《すずめ》の群そっくりのさわぎがつづいている中に、隅《すみ》ッこでただひとり、あまりおしゃべりをしない巫女がいた。
薄い髪をして、青白いやせた顔をして、何となく影の薄い感じの、にぶい顔の少女であった。うつむき勝ちな姿勢で、なめるようにして甘酒をのんでいた。赤毛のやせた小猫《こねこ》のような感じがあった。時々顔を上げては、人々を見まわして、人の言うことに耳を傾けていた。
そのうち、少女は立上って、へやの隅に行き、袴《はかま》をぬぎ、帯を解いた。着物を着なおしているらしく、襟《えり》を合わせなおしていたが、気に入らないらしく、いつまでも同じことをくりかえしていたが、とつぜんその着物をかなぐりすてた。次に下着を脱ぎすてた。更に肌着《はだぎ》をすてた。腰にまいたものまでとり去って、すっ裸《ぱだか》になった。一枚ずつ脱ぎすすむ間に、その動作は次第に荒々しくなり、けいれんするように、痩《や》せて骨立った肩のあたりを、ピクンピクンとふるわせていた。
はじめの間、他の少女等は、話に夢中になって気がつかなかった。もっとも、気づいたにしても、気にとめるはずはなかったろう。なかまの前ならこうしてはばからず着くずれをなおすのはあたり前のことであったから。しかし、ふと一人が見ると、すっ裸になっているのでおどろいた。
「ハアレ、まあ、なにしてるだか。はだかになんどなって」
と、呼びかけた。
他の少女等もそちらを見て、笑いくずれた。
「ふんとに、なにしてるだ、この寒さに」
「シラミがせせくるのかや」
「早う着いや。風邪引くべし」
笑いこけながら、口々に呼ばわったが、ふりむきもしない。壁の方を向いて、ピクンピクンと肩や背中をひきつらせながら、何やらブツブツとつぶやいていたが、いきなり山犬の吠《ほ》えるような異様な叫びを上げておどり上った。四尺ばかりの高さにはね上ったのだ。けもののようにしなやかで軽い跳躍であった。
この現象が何を意味するか、少女等はよく知っている。呼吸《いき》をのんで凝視していた。
巫女はなお二度ほど跳躍した後、くるりとこちらに向きなおった。乱れた髪が|ひたい《ヽヽヽ》にも肩にも背にもかかっていた。|ひたい《ヽヽヽ》にかぶさった髪の下に、青白い炎のように二つの目が光って、はげしいけいれんがひっきりなしにからだ中を走り、爪先《つまさき》立っている手足の先、頭のてっぺん、耳の端に至るまでふるえていた。身を蔽うものは何一つとしてなく、薄い陰毛まであらわなのだが、一人として笑うものはなかった。
巫女は頬をひきつらせ、口の端から|よだれ《ヽヽヽ》をたらたらと垂らしながら、狂的な目を少女等の上におちつきなく走らせていたが、すぐ、帛《きぬ》を裂くような鋭い声で叫び出した。
「うらは八幡大菩薩《はちまんだいぼさつ》じゃ。うらは八幡大菩薩じゃ。おのれら、頭《ず》が高い! かしこまりおろう!」
少女は一人一人の名を呼んで叱《しか》りつけた。叱られた少女等はふるえ上り、頭を下げてかしこまった。
少女は唾《つば》を霧のように飛ばしながらつづける。
「うらは八幡大菩薩の使わしめじゃ! みんなよう聞け! 耳をかっぽじいてよう聞けや!」
このへんから、歌うような調子になった。
うらが位をうらが蔭《かげ》の子
平ノ小次郎将門に
授けてやるぞ、疑うな。
早くみかどになるがよい。
これを承わって伝えるは
右大臣は正二位の
菅原の朝臣《あそん》道真の
亡霊なるぞ。
かねて小次郎にひいきするで、
汝《われ》に伝えを頼むのじゃ。
うらは八幡大菩薩、
名にちなんだ八万の
武者《むさ》をひきいて小次郎に
力をつけてやるべしに
早くみかどになるがよい。
じゃまするやつが出るならば、
一万、二万、三万、四万、
五万、六万、七万、八万の
うらが眷属《けんぞく》武者衆が、
朝《あした》の風に朝霧が、
夕べの風に夕霧が、
秋の疾風《はやて》に銀杏《いちよう》葉が、
吹き散るように吹きはらい、
吹き飛ばしてやるべしに、
苦労なことはなからんず。
早くみかどになるがよい。
三十二相の音楽を
早や早や奏《かな》でて
お迎えせい!
お迎えせい!
お迎えせい!
最後の三句は、切り裂くように鋭くて、一句|毎《ごと》に巫女等を指さして叫んだので、指さされた者は刃物で胸をつきさされたような気がした。
少女は巫女等の前に大あぐらで坐《すわ》った。両ひじを張って、にらみまわしていた。傲然《ごうぜん》たる姿であるが、よだれは白い泡《あわ》となって口許《くちもと》にたまり、わずかに乳房のふくらんだ痩《や》せた胸にしたたってヌラヌラと光っていた。明らかなる神憑《かんがか》りだ。
敬虔《けいけん》なものに打たれて、巫女等は平伏した。こんな場合にはどうすべきか、皆知っている。中の二人がひれ伏したままへやの入口まで引退《ひきさが》り、室外にすべり出し、走り出した。
宿直《とのい》の祝《はふり》二人は、除目見物に行って、丁度帰って来たところであった。知らせを聞いて仰天した。萎《な》え傾いた烏帽子《えぼし》をもみ立て、幣《ぬさ》をおっとり、沓《くつ》をさかさまに駆け出した。裸の巫女は祝等を見るや、
「おそいぞ! おそいぞ! 三十二相の音楽はまだか!」
と、どなって、坐ったまま三尺ほどもおどり上り、足をそろえてすっくと立った。祝等の手から幣をうばい取り、左右の手にとってさらりさらりと振りながら舞いはじめた。ひっきりなしに叫んだ。
「うらは八幡大菩薩じゃ! 小次郎将門を呼べい! 告げ聞かせることがある! うらは八幡大菩薩じゃ!」
こんどは八幡大菩薩自身になっている。しかし、誰もそれを不審には思わない。神憑りの時、憑り給《たも》う神が次々にかわり給うことはよくあることなのだ。
除目《じもく》はおわって饗宴《きようえん》がひらかれていた。さなきだに荒々しい気質の坂東武者が、除目にあって一層興奮している。高調子な会話と高笑いとが至る所にまきおこって、正庁内は喧騒《けんそう》をきわめていた。
興世《おきよ》王は小次郎に隣った位置に坐って、いつもの豪放な笑いを上げながら盃《さかずき》を上げていたが、実際には飲んだふりをして、大方はすてていた。喧嘩沙汰《けんかざた》などおこさしてはならぬ、手際《てぎわ》よく切り上げさせることが肝心と、こまかに気をくばっているのであった。
すると、とつぜん、庁の入口のあたりにさわぎがおこった。言い争う声と、荒い足音が乱れた。
(そらはじまった!)
さりげなく席を立って行ってみた。赤々と篝火《かがりび》を焚き上げている正庁の入口の石のきざはしで、御幣《ごへい》をもった男がのぼせ切った調子で何かわめき立てては階段を走り上ろうとするのを、護衛の兵士等が押しかえしていた。
なかま喧嘩ではない。興世王は安心して、見ていた。
「申し上げねばならぬことがおこったのですだ。ぜひにお通し下されい。まことにめでたく、まことにいやちこなるお告げでございますだ。ふんとにお通し下されい。申し上げねばなりませんだ」
御幣の男は狂気したようだ。幣をふり立て、こう言っては走り上って来る。兵士等は鎧《よろい》の胸をならべて鉄壁のように立ちふさがって、おしかえす。
「黙れ、黙れ、黙れ! 人を入れてはならんことになっているわい。めでたいおりじゃと思うてやさしゅうしておれば、汝《われ》もしぶとすぎるぞい。キリキリ立去れや。なんじゃい、御幣なんどふりまわしくさって!」
「八幡大菩薩のありがたいお告げですじゃ。ぜッぴに将門の殿に申し上げねば、わしゃ神罰がおそろしいだ。ふんとに通してくらッせい……」
興世王はずいと出た。
「どうしたのじゃ」
と、兵士等にたずねた。
兵士等は驚いてひざまずいた。
「これは惣社の祝の由《よし》でございますが、今神のあらたかなお告げがあった故《ゆえ》、将門の殿に申し上げたいと申すのでございます」
興世王はもうわかっていたが、この際一応のもったいをつけることが必要と思って、尋ねたのだ。
「ふむ」
と、うなずいて、祝に目を向けた。祝は走りより、階段に片ひざつき、サラサラと御幣をふって、
「将門の殿でおわしますだか」
「まろは上総介《かずさのすけ》興世王だ。八幡大菩薩のお告げが下ったというが、どんなお告げだ」
「ありがたく、かしこく、いやちこなるお告げでござりますだ!」
一部始終をこまごまと語った。
興世王は、この話を疑いはしなかった。それどころか、非常に喜んだ。しかし、これを自分が取りつぐより、祝に言わせた方がよいと思った。判断は即座であった。
道をひらいた。
「通れ。その方自ら言上せい。真正面の席におわすのが将門の殿だ」
ものも言わず、祝は階段をはね上り、庁内に走り入った。
「八幡大菩薩のお告げが下りました! ありがたく、畏《かしこ》く、いやちこなるお告げでございます!」
祝は幣を振りつつ、かん高い声でさけびながら走りこんで、庁内の者があっけにとられている間に小次郎の前に達して、ひざまずいた。呼吸をきりつつ、神託の下った次第を申しのべた。
小次郎はどうしてよいかわからない。ぼうぜんとして祝を見つめていた。座につらなっている者共もさわぎをやめて、見ていた。寂寞《せきばく》がひろい庁内をしめた。
このしずけさにおびえて、祝は言った。
「お疑いになってはなりません。それはおそれ多いことでございます。まさしく八幡大菩薩がお降《くだ》りになったのでございます……」
いつか興世王は席にかえっていたが、つと立上った。持ち前の歯切れのよい調子で論じ立てた。
「自らの目で見ぬこと故、そのままに信ずることは出来ぬが、この神託は信ずべき理由は大いにある。当今天下万悪の根元は、藤原氏が天下の権、天下の富を独占して、上は皇族より中は諸氏、下は万民に至るまで、あるにあられぬ境涯《きようがい》におしおとしていることである。これは天下の人の憤《いきどお》りを共にしている所であり、われらのこの度のこともこれを正すためにおこしたのだ。
今、下《くだ》ったという神託を検するに、あらわれ給うた神は八幡大菩薩であるという。八幡大菩薩はいかなる神であるか。世これを源氏の氏神という。源氏はいかなる氏であるか。嵯峨《さが》のみかど以後の皇族にして姓を賜わって臣列となった人々の氏である。しかしながら、これを氏神と仰ぐのは、嵯峨以後の諸源《しよげん》ばかりではない。それ以前の賜姓《しせい》の皇族もまた仰いで以《もつ》て氏神としている。されば八幡大菩薩を源氏の氏神と世に申しているのは、正しい言い方ではない。正しくは賜姓皇族全部の氏神と申すべきだ。さらに言えば、まろの如《ごと》く未《いま》だ姓を賜わらざるも、臣列にあるにひとしき待遇しか受けておらぬ諸王のともがらも加えた皇族の氏神と仰ぐべき神であろう。
八幡大菩薩はかくのごとき神におわす。藤原氏の専横をいきどおり給うこと深からぬはずはないのである。今、将門の殿は憤りを発して、この大事に乗り出された。八幡大菩薩これをよみし給うて、かかる神託を下されることは、最もあるべきことと思われる。
さらにまた、この神託のとりつぎ役として、菅原道真公の霊魂があらわれているが、道真公が聖賢の資あり、聖賢の学才ありながら、藤原氏の姦悪《かんあく》にして慙《はじ》なき讒言《ざんげん》によって筑紫に窮死せられ、その怨恨《えんこん》が天に上って様々なわざわいを朝廷に下していることは、天下の人のよく知る所である。
かれこれ考え合わせてみるに、かかる神託の下ることは最もあるべきことと論断せざるを得ない。
しかしながら、これはいわばまろが臆断《おくだん》である。神託真に下ったものならば、われらの知らぬ所でだけ下り給うべきはずはない。必ずや、われらの前でも下り給うはずである。三十二相の音楽とはいかなる音楽か知らんが、出来得るかぎりのいみじき音楽を奏でて、お迎え申してみようではないか。将門の殿、いかが、諸君いかが」
整然たる論理をもった興世王の議論は人々を感心させた。同意の声が方々におこった。
興世王は、小次郎の前にひざまずいた。
「いかがでありましょうか。皆同意しています」
小次郎もまた同意した。
降神の場は、惣社《そうじや》の祭場に設けられた。鏡と木綿《ゆう》四手《しで》をつけた榊《さかき》を神位として正面に斎《いわ》い、十余の几案《きあん》に山海のみてぐらを盛り上げた。巫女《みこ》等は荒薦《あらごも》をしいて坐らせた。先刻|神憑《かんがか》りした巫女だけは特別な席があたえられた。もう裸ではない。またあの薄鼠《うすねずみ》色によごれた着物ではない。いずれも雪のように純白な浄衣《じようえ》にもえ立つばかりに深紅《しんく》の袴《はかま》をはき、髪をくしけずって背に垂れ、顔に薄化粧していた。見ちがえるほど美しく見えた。鈴と四手をつけた玉串《たまぐし》をしっかと左右の手につかんでいた。
祝共が幣を振ったり、|のりと《ヽヽヽ》を奏上したりしている間、たえず音楽が奏せられた。伶人《れいじん》等の席は巫女と祝の横にあった。笛、太鼓、銅鑼《どら》、鉦《かね》等の様々の楽器を、あるいは急に、あるいは緩《ゆるやか》に、奏していた。
小次郎らは祭場の左右に円座《えんざ》をならべて居流れていたが、場内にともしつらねた燈明《とうみよう》と、場内にみちている人いきれと、音響とのために、胸苦しいような圧迫感を覚えつつあった。
先刻あんなにたやすく神憑りした巫女であるのに、こんどはなかなか憑らないばかりか、背後にならんでいる巫女共が威儀を正しくひかえているのに、へんにキョトキョトとあたりを見まわして、まるでおちつきがなかった。あまりにも大がかりで荘厳《そうごん》をきわめているのにおびえているようでもあった。
祝等はあせっていた。くりかえしのりとを奏上し、くりかえし大幣《おおぬさ》をふった。顔にしたたっている汗が灯影《ほかげ》に光って見えた。しかし、それでも巫女の様子はかわらない。
祝の一人が席をはずし、怜人等に何かささやき、ともし連ねた燈明を一つおきに消した。場内は次第に薄暗くなり、それとともに奏楽が急調になり、最後にはすべての楽器があらんかぎりの高音を上げ、耳も聾《ろう》するばかりとなった。もう音楽とは言えなかった。単なる騒音であった。人の心を引っかきまわし、人の心をせき立ててやまない騒音の連続であった。
やがて、巫女はしゃっきりと首を立て、ゆるやかに左右にふりはじめた。次第に急調になり、ついにおどり上った。口をついて、かん高い声がほとばしった。ピタリと奏楽がやんで、シーンと耳鳴りがするばかりに静かになった中に、巫女の声はツン裂くようにひびきわたった。
「うらは八幡大菩薩じゃ!」
すると、他の巫女の列中からはね出して来たものがあった。
「うれしいぞえ。三十二相の音楽で迎えてくれて!」
聞き分けることの出来ないほど似た声であった。
二人の巫女は、玉串をふりかざし、シャンシャンシャンと鈴を鳴らして舞いながら、互いに入れちがい入れかわりつつ、かわるがわるに叫びかわした。それは、先刻の神託と全然同じであった。一言一句判でおしたようであった。
神憑りや口寄せの現象は、現在ではもう何の神秘も不思議もない。医学と心理学で完全に説明がついている。一時的に精神錯乱におちいった人間が無意識のうちに口走る譫言《うわごと》、それが神託であり、死霊生霊《しりよういきりよう》のことばだ。だから、その口走られることに、かねての見聞や、意識の底で知らず知らずに考えていたことが多く加わるのはきわめて当然である。巫女は小次郎が高貴の血統の生れであることを知っている。連戦連勝の武威を眼前に見ている。京都朝廷の代表者として威張りかえっていた国司等が平身低頭して迎え、何の造作もなく碓氷《うすい》峠の向うに追い出されたのを見ている。火雷天神の小次郎に対する力添えも聞いている。蒙昧無智《もうまいむち》な田舎娘が異常心理に陥《おちい》っての譫言が、これらの見聞を土台にして構成されたことに不思議はないのである。
しかしながら、昔の人にこんな合理的な考え方が出来ようはずはない。神が人に乗りうつって人の口をかりて神の意志を告げているのであると、かたく信じて疑わなかった。神託に対する信仰は、日本の古代史の随所にあって、歴史を動かす大きな要素の一つになっているが、特にこの時代はこの信仰が盛んで、関白|兼家《かねいえ》は「うち伏しの巫《みこ》」という巫女を信仰したと伝えられる。この巫女には賀茂《かも》の若宮の神が憑《つ》いているとのことで、いつもうつ伏してその神託を伝えたので、こんな名前がついたのであるが、兼家はこれを信仰して、いつも自らの膝《ひざ》に枕《まくら》させてものをたずねたという。
当時の人としては学問もあり、従って理性的でもあったはずの公家《くげ》等ですら、こうだったのだ。坂東の片田舎の武人等が、この神託を信じたことは言うまでもない。祭場にいるかぎりの者共が皆よろこび、ひれ伏した。
小次郎ももちろん信じた。しかし、あまりにも意外なことだ。茫然《ぼうぜん》としてあたりを見廻《みまわ》していた。
すると、小次郎のわきにいた興世王が鼠の走るように膝行《しつこう》して進み出《い》で、祝《はふり》のうしろに円座をしき、小次郎のそばにかえって来た。
「あの席にお直りになって、礼拝をなさるよう」
袖《そで》をひいて連れて行って坐らせ、平伏させ、自らはそのうしろにしきものもなく平伏した。
ずっとはげしい舞いをつづけていた二人の巫女等は、キッと小次郎を見ると、平伏している祝等の上をおどりこえて走って来た。白い狐《きつね》かなんどのように身軽ですばやかった。小次郎の前に立つと、一人が、
「うらが蔭の子、小次郎将門!」
と、言うと、一人が、
「汝《われ》にみかどの位をさずけるぞ!」
と、言い、声をそろえて、
「しかと受けい! しかと受けい!」
と、呼ばわった。
興世王が袖をひいてささやく。
「お受けの旨《むね》申されますよう」
「ありがたくお受け……」
小次郎は低く言って平伏した。
「あらうれしや! あらうれしや! さらばうらはかえるぞやッ!」
巫女は絶叫するように叫び、足を束《そく》にして独楽《こま》をまわすようにキリキリと旋回しはじめたが、すぐ棒をたおすようにたおれた。口に真白な泡《あわ》を吹き、はげしい呼吸に胸をあえがせながらも、昏睡《こんすい》していた。
赤と黒
小次郎が常陸《ひたち》国司と戦って国府を乗り取った知らせは、あの当時田原の藤太の許《もと》へもとどいた。
「ほう、思い切ったことをやったな」
と、さすがにおどろいた。一方、予期していたことがついにはじまったという気持もあった。
朝廷の政治の出たらめであること、その朝廷を組織している京都貴族の地方豪族に対する圧迫、両者の利害がまるで反していること等には、彼もまた早くから憤り、事が起らなければならないはずと思っていたのであった。
(このままではおさまらんぞ。相当大きなことになるな。小次郎の胸にくすぶっていたものは、地方の住人皆の胸にくすぶっていることだからな)
坂東一円、更に東山道、ひいては日本全国、響きのものに応ずるように兵乱のおこる有様が想像された。
「ふむ。おもしろいな」
とつぶやいた。
しかし、用心深く何にも言わず、見たところ、その生活には何の変化もなかった。冷静で、沈着で、判でおしたように規則正しい生活態度であった。
つづいて、小次郎の檄文《げきぶん》がとどいた。
「……軍ノ発スル、日アラザラントス。速カニ来ルモノハ同功、遅疑シテ後レ至ルモノハ報アラントス――か。なかなかの鼻息だな」
にやにやと笑いながら読みおわり、ていねいに手筥《てばこ》におさめ、おも立った郎党を呼んで、旅立ちの支度を命じた。
「鷹《たか》使いかたがた湯治に行ってくる」
「いずれへまいられますか」
「那須《なす》」
「那須でございますか?」
郎党はあきれた。那須は寒いところだ。真冬のこの季節に行くべきところではない。しかし、藤太は、
「早くいたすよう。すぐ発《た》ちたい」
と言った。おだやかな調子ではあったが、再び問いかえすことを許さない語気があった。
わずかに郎党二騎、下人四人を召連れ、拳《こぶし》に愛鷹《あいよう》をすえて出発した。
その翌日、下野《しもつけ》の国府から急使が来た。新司藤原|公雅《きんまさ》と前司|大中臣全行《おおなかとみたけゆき》との連署の書状をたずさえていた。留守居の郎党は、不在の旨を答えた。
「つい昨日、急に思い立ちまして、那須へ湯治に出かけました。まことにおりが悪《あし》く、お気の毒でございます」
使者は落胆しながらも、
「ともかくも、この書状をお出先にとどけていただきたい。お力をお借りせねばならぬ大事が出来《しゆつたい》したのでござる」
と、言い、小次郎が叛逆《はんぎやく》し、今やその凶焔《きようえん》は下野国府に及ぶこと必然と思われる故、藤太の殿に国府を守衛してもらいたいのだと説明して、かえって行った。
郎党等は、心きいた下人に国司等の書状を持たせて、那須に急行させた。
藤太は那須にたどりついてはいなかった。田原を出て二三里北方の毛野《けぬ》川上流の草原地帯まで行くと、馬上にのび上って、茫々《ぼうぼう》たる草と砂礫《されき》の草原を見わたし、
「このあたりは鳥が濃いようだ。見すぐしにして行くのも冥利《みようり》につきる。少し狩ってから行こう」
と、郎党等に言った。
もう夕暮に近かったので、その夜は土地の村長《むらおさ》の家に泊めてもらった。このあたりは藤太の所領内だ。農民等は皆藤太の下人だ。領主の泊ってくれたことを光栄として、部落中が大さわぎして様々なものを持ちよってもてなした。
翌日は、早朝から狩した。鶉《うずら》だ、鷭《ばん》だ、鴫《しぎ》だというような湿地を好む鳥が相当|獲《と》れたが、そういい成績とはいえなかった。しかし、藤太は、ひどく気に入ったらしく、終日熱心に狩りくらした。
国司等の書状をたずさえた下人が来たのは、夕方に近く、興《きよう》がつきず日脚《ひあし》を気にしながら鷹を放ちつづけている時であった。
「那須までまいらねばならぬことと思いこんでいたのでございますが、早くおとどけすることが出来て、いい都合でございました」
と言いながら、下人は書状を郎党にわたした。
藤太は急には書状を受取らず、なお一狩りしてから、気の進まない渋い顔で受取って披見《ひけん》したが、忽《たちま》ちアッと声を上げた。
「これはぬかったことをした。常陸のさわぎを聞いていたのだから、こうなると考えがつかねばならんところであったに!」
と、はっきりと人にもわかるひとりごとをして、郎党等に書面の内容を語って聞かせておいて、郎党の一人に命じた。
「難儀なことだが、押領使《おうりようし》の職分上、いたし方ない。行かずばなるまい。その方急ぎまかりかえって、留守居の者共とはからって、兵を催《もよお》すよう。石井《いわい》の勢《せい》は中々の大軍であると聞く。出来るだけ多く集めるよう。集まった頃《ころ》を見はからって、わしはかえって行く」
「かしこまりました」
その郎党は、使いの下人と共に馬に飛びのり、田原へ疾走し去った。
しかし、藤太はなかなか腰を上げなかった。さしずを出したことなど忘れたように、毎日狩に熱中していた。
四日目には、田原から迎えの使いが来たが、集まった兵数を聞くと、
「もう少し集めい。せめて六千はほしい」
と言ってかえし、なおとどまって狩をつづけた。三日たって、また迎えが来た。六千集めたという。
「よし。ではかえろう」
その日も狩をしていたが、躊躇《ちゆうちよ》なくやめて帰途についた。
集められた兵は、館《やかた》の内外に幕舎を張って犇《ひし》めいていた。すべて領内の農民兵だが、多年丹誠して鍛え上げただけあって、見るからに精悍《せいかん》な兵共であった。満足げにそれを点検し、おも立った郎党等に、
「不日に国府に向う。そのつもりでいるよう」
と、申し渡した。
その夜であった。小次郎勢が下野国府に到着し、新司前司共に降伏して、国府をあけわたしたといううわさが伝わって来た。
「しまった! 間に合わなんだか!」
藤太は郎党等の前もはばからず驚きの叫びを上げ、
「そんなに切迫しているなら、なぜそう知らせてくれなかったのだ。せっかくこうして兵まで集めたものを、守《こう》の殿らも悠長《ゆうちよう》にすぎたぞ」
とくりごとを言ってやまない。喜怒を色にあらわさない平生に似ない取り乱しように、郎党等をおどろかした。
終夜、なにごとかを案じている風であったが、夜が明けると、郎党等を集めた。
「こうなった上は、国府はもうしかたはないが、手の及ぶかぎりのことはしたい。ついては、必定坂東一円合戦の巷《ちまた》となるであろうと思われる故、せめてこの下野の北部だけなりとも、おれの手でしずめて、民の安堵《あんど》をはかりたいと思う」
と申し渡して、軍勢の部署にかかった。
六千の兵を、一隊は二千、四隊は千ずつ、都合五隊にわかち、千ずつの四隊は四人の上兵(郎党|頭《がしら》)に授けて、それぞれの向うべき先を指示した。それは皆北下野における公領であった。
「汝《わい》らのしごとは、村々の百姓共を庇護《ひご》し、安堵《あんど》させ、生業に安んじさせることだ。それ故に、百姓等にたいして、かりそめにも乱暴横奪のことがあってはならん。万事に気をくばっていつくしみの心を以て接するようしなければならん。しかしながら、この乱れだ、あるいは侵奪せんとの心を抱いて他から押寄せて来るものがあるかも知れず、また村々の者にして兇悪《きようあく》を働くものがあるかも知れんが、そんなものにたいしては一切容赦はいらん。きっともの言わせてやってよろしい。つまり恩と威とを並び行って、しっかとかためるよう」
と、将たる者共に申し渡した。
藤太自身は、二千の一隊をひきいて南下し、田原を去ること二里のあたりに陣営を張った。今の宇都宮のあたりで、当国の一ノ宮|二荒《ふたら》神社のあるところから、当時は単に宮と呼ばれていた。
藤太には藤太の野心があった。それは小次郎が事をおこしたとの報告に接した時から、もやもやと芽生え、小次郎の檄文を見た時にはっきりした形を結んだ。北下野の土地を自己の勢力の下にかためて、変化を待とうとの野心。
(小次郎のしごとは案外うまく行くかも知れん。誰も同じ憤《いきどお》りを抱いているのだから。やつのしごとがうまく行くなら、おれもやつの門に馬をつながねばなるまいが、そうするにしても、今のところは出来るだけ広く土地を切取っておくことがかんじんだ。切取った土地はおれの身代だ。小次郎もそれは認めないではおられまいでな。男の地位は身代できまる。いくら従順でも忠誠心があっても、身代の小さいものはよい待遇を受けて高い地位にはつけん。多少不忠誠でも不従順でも、こちらに大きな財力とすぐれた武力があれば、いやでも手厚く遇して高い地位をあたえずにはおられない。これが世の中というものだ)
また、こうも思った。
(世の中のことは理窟《りくつ》通りには行かんものだ。小次郎のしごとは先《ま》ずうまく行くとは思うが、ひょっとしてうまく行かんかも知れん。その時のことも考えておく必要がある。いずれにしても、あせることはない。ゆるゆると変化を待って、この際はかせぐことがかんじん)
心をきめて以後の藤太の行動は、すべてこの線に沿ってきめられた。湯治に行くといって館を不在にしたのもそれ、国守等の依頼を承諾しながらぐずぐずと出発をのばしていたのもそれ、兵を集めたのもそれ、兵を諸方の公領に分遣したのもそれ、自ら兵をひきいて宮の線をかためたのもそれ。
万事うまく行った。数日の後には北部下野の公領全部は藤太のものとなった。宮の線もまた異常がない。しかし、このままで済もうとは思われない。やがて、公領を横奪したことについて、小次郎から厳重なかけあいが来るにちがいないのだ。
「今のところは、各国府の征伐に追われて手がまわりかねようが、それがすんだらきっと言って来るに相違ない」
と、思った。
そこで、先手を打って、こちらから使者をおくることにした。弁才ある郎党を選び、
「この度大義を思い立たれたこと、まことに恐悦に存ずる。直ちに応分の兵をひきいて馳《は》せ参ずべきであるが、御承知の通り、拙者の所領は陸奥《むつ》に境を接しているため、この騒ぎとなってはまことに心許《こころもと》ない。目下全力をつくして北下野をかためている。不日にかためおわって、おん麾下《はたもと》に参向したいと心組んでいる。先ずは遅参のおんわびまで」
という意味の口上を授け、手厚い礼物を持たせて出発させた。
こうしておけば、小次郎からのかけあいもよほどやわらかになるはず、従って論判も有利に運ぶはずと、計算を立てたのであった。
その郎党が小次郎がいるはずの上野《こうずけ》国府をさして出発した翌日、下野の府中に出しておいた細作《しのび》が、驚くべきうわさを聞きこんで来た。上野の惣社《そうじや》で、小次郎に帝位につけとの八幡大菩薩《はちまんだいぼさつ》のおごそかな神託が下ったので、三軍歓喜拝礼して、小次郎をおして帝位に上らせ、「新皇」ととなえることにしたといううわさだ。
ものに動じない藤太もこれにはおどろいた。彼もまた当時の人だ。神託なるものに十分な信仰を持ってはいるが、ことはあまりにも重大だ。
「みかどの位に? そして、新皇と?」
と、口走るように言った。
神託を信じきっている細作には、藤太が信じていないように見えて心外であった。力をこめて、熱心に神託の下った時の様子を説明した。
藤太は一言の問いかえしもせず、耳を傾けていた。表情はしずかであったが、敬虔《けいけん》なものが胸にひろがって来つつあった。
(小次郎は桓武《かんむ》五世の皇胤《こういん》だ。祖父の代までは王を称していたのだ。帝位をついでよい血すじではあるな。京のみかどが今のざまでは、天照大神《あまてらすおおみかみ》も八幡大神も当然御不満でおわすはずではある……。あの高貴な血と、あの力を以《もつ》てすれば、十分に出来ることだ。時の勢いもよい。腐りきった朝政、腐り切った国々の政治、大|鉄鎚《てつつい》を以て朽木《くちき》をくだくようなもの)
と思った。
藤太の胸には、小次郎がひとり坂東八カ国の帝王たるばかりでなく、日本全土の帝王となる有様が思いえがかれた。しかし、急いで小次郎の許へ参向しようとは思わなかった。
(ここまで強く大きくなったおれだ。小次郎としては敵にまわすより、味方に引入れた方が得なのだ。それのわからぬ小次郎なら、とても大事は為《な》し得ない。大事を為しとげ得る器量ある小次郎なら、おれの足許がかたまればかたまるほど、おれを大事にするはずだ。急ぐことはさらにない。まず当分はこのまま……)
益々《ますます》宮の線の防備を強化すると共に、新旧の所領をかためた。彼の旧《ふる》い領分は宮以南にもある。たとえば佐野がそれだ。彼はそこにも兵をおくって守備した。
小次郎の許に祝賀の使いをおくることは忘れなかった。
「神霊おごそかに降り給《たも》うて、神意顕然たるものあり、九五の尊に上り、新皇と称し給うの由《よし》、微臣|秀郷欣舞《ひでさときんぶ》の情にたえません。使者をもって慶祝の微衷を表し奉《たてまつ》る次第であります」
という口上と共に、巻絹や砂金を持たせてつかわした。
最初の使者、この使者、引きつづいて上々の首尾でかえって来た。新皇は二人に逢《あ》ってくれて、きげんうるわしく口上を聞き、みずから答辞をのべたという。
「……藤太の殿にはかねてゆかしく思うているお人であるのに、かけちがって会うことが出来ず、以前から残念に思っている。しかしながら、かかるねんごろなお使いを賜わり、幕下に属せんと言うてよこされた。この度の思い立ちはなかなかの大仕事で、前途無数の難があることと思われるのだが、まことに百万の味方を得た思いがする≠ニ、かように仰《おお》せられたのでございます。坂東一円の名だたる武者方が左右にひッしと居流れ給うなかでのおことばでございましたので、晴れがましく、うれしいことでございました」
と、使者等はうれしげであった。
「フウン、藤太の殿と申されたか」
「はい、お呼びすてではございません。てまえどもいかばかり肩身の広うございましたことか」
「わしが公領の支配権をおさめていることにたいしては、なんにも仰せられなかったか」
「新皇は仰せられません。ただ、興世《おきよ》王と仰せられる方、万事をとりしきってとり行っておられる方でございますが、お暇《いとま》申してかえります時、公領と私領はきびしく差別しておくよう、とかように仰せられましてございます」
「よしよし」
一筋縄《ひとすじなわ》では行かんことがわかったが、藤太の腹は動かない。一旦呑《いつたんの》みこんだものを吐き出してたまるかと思うのだ。なあに、こちらが強くなりさえすれば、言い分を通すくらいわけはないと、|たか《ヽヽ》をくくった。
よほどに厚遇されたにちがいない。使者等は、小次郎の威勢のすさまじさ、豪族等の心服している様を口をきわめていつまでも説く。少しうるさくなった。
「わかった。退《さが》ってやすめ」
といって、立上った。
藤太はどこまでも周到だ。二重にも三重にも手を打つ。次の変化にそなえて、よりすぐった細作《しのび》を坂東一円の要所から、遠くは信濃《しなの》や、伊豆《いず》へも放った。坂東八州の動静を知ることも大事だが、京都朝廷の出ようを知ることもおとりなく大事と思ったのだ。
おしつまった年の暮のある日、上野府中に出しておいた細作が馳せかえって来た。
「新皇にひきいられて上野にいる諸軍が、新たに国司に任ぜられた方々にひきいられて、それぞれにその任国へ向うことになりました。新皇も一先ず石井《いわい》へお引上げになる由でございます」
「還幸というのだ。お出ましは|みゆき《ヽヽヽ》、おかえりになるのは還幸、みかどにはそう申し上げるのだ」
まじめな顔で、藤太はたしなめたが、にやにやと笑いたいようなものが腹の底にあった。
このような変化に対してどうすべきか、藤太はかねてから工夫を練っている。小次郎が上野を引上げて石井に帰るとすれば、礼儀上途中に迎えて拝謁《はいえつ》すべきだが、それはしたくない。どうなるかわからない小次郎に早まって会って、|のっぴき《ヽヽヽヽ》ならない関係におちいることは避けたいのだ。
郎党を呼んだ。
「新皇が石井へ還幸になる由。汝《われ》はおれの名代として佐野のあたりでお迎えして、ごきげんを伺うよう。こう申し上げるのだ、このほど陸奥境の形勢がおだやかでない旨《むね》の注進がありましたので、主人秀郷はとるものも取りあえず行き向っております。てまえの一存を以て、陛下にたいし奉っての主人の平生の恭敬の心を表し奉ります。主人がおりましたなら、いたしようもあるでございましょうが、不行届の段重々おわび申し上げます=Bどうだ。いえるか」
「申せます」
「言ってみろ」
郎党は目をぱちつかせながら、復誦《ふくしよう》した。
「よしよし。よく言えた。しかし、そんなに目をぱちつかせるのはやめたがよいな」
「恐れ入ります」
といいながら、一層目をぱちつかせる。おかしくなって、藤太は笑った。郎党の様子がかわった。
「殿」
と呼びかけた。思いつめた表情であった。
「なんだ」
「てまえにさような役目を仰せつけられて、殿はいずれにいらせられるおつもりでございます」
「おれは陸奥境に行く。汝に授けた口上はいつわりではないぞ」
「どうして陸奥境にいらせられるのでございます。いや、なぜ殿は新皇の許へいらせられるのをそんなにお避けになるのでございます。世の噂《うわさ》によりますと、新皇の威勢は草木も靡《なび》くばかりで、坂東の名ある武者方は、皆そのお膝元《ひざもと》に集まって、忠志を捧《ささ》げておいでであると申しますのに、このほどからの殿のなされようは、すべて腑《ふ》におちぬことばかり。てまえ共一同不審千万に存じています」
「てまえ共と申したな」
「はい」
「汝ばかりでないのだな」
「御家来皆でございます。皆で」
ギラギラと目を光らせて、ヒタと主人を見つめている。反抗的ですらあった。
小次郎の人気がすさまじいことは十分に想像していることであったが、自分の郎党共までこう思っていようとは意外であった。足許に火がついた気持というのが一番近かった。これはまた郎党共が自分より小次郎を高く買っていることを不言不語のうちに示しているわけであった。少しいまいましかった。苦笑した。
「汝《わい》らが主《あるじ》はおれだ。新皇ではない。忘れてはならん」
いつもと変らないおだやかな調子ではあったが、意味のきびしさに、郎党は我にかえった。恐れた顔になって平伏した。
藤太はすぐ支度して、北へ向った。発《た》ちぎわに郎党共に、
「ここの守りをおかして入って来る者は、誰であろうと容赦はいらぬ。必ず撃ちはらえ。誰であろうともだ」
と、きびしい調子で言った。
「かしこまりました」
郎党等はいんぎんに答えた。
わずかに十騎従えて北に向いながら、藤太の胸は複雑なものにみたされていた。それは発ちぎわに郎党共に言ったことばの反省からはじまった。この命令を出したことを彼は後悔した、「誰であろうと」ということばの中には、「新皇であっても」という意《こころ》を含めたのであったが、新皇であったら郎党等は闘う気にならないに相違なかった。神の命を受けて帝位についた新皇だ。郎党等にとっては神を敵として戦う気がするに相違ないのだ。反抗するはずはなかった。弦《ゆんづる》をはずし、鉾《ほこ》を伏せて迎えるにきまっている。つまり、行われる見込みのない命令を出したわけになる。
藤太は常に考えている。
(命令というものは、出した以上、必ず実行されなければならない。それ故《ゆえ》に、実行不可能な命令は決して出してはならない。そんな命令を度々出すと、家来共の間に命令全体に対する軽視の気風が生じて来る)
これまで、彼は厳格にこの考えを実行して来た。十分に考慮して、必ず実行され得るものとの見込みをつけてから命令し、出すやきびしく実行させ、寸分も仮借《かしやく》しなかった。だのに、こんどは実行されないにきまっている命令を出してしまった。なお悪いことに、郎党等はこれを実行しないばかりでなく、藤太が新皇に劣ることをはっきりと認めるにちがいなかった。
(なんという無思慮だ。おれともあろうものが! どうかしていたにちがいない)
急に手綱をしぼって、馬をとめた。
「おい」
と、郎党の一人をかえりみた。
「言い忘れた。汝《わい》はこれから引きかえして、もし新皇がこちらに馬を向け給うのであれば、あらがい申してはならん、おとなしくおさしずに従い奉れ≠ニかように申してくるよう」
「かしこまりました」
馬首をかえして駆け去るのをふりかえりもせず、藤太はまた道をつぐ。新皇にたいする対抗意識が胸の底にひそんでいることを、はっきりと自覚していた。新皇の血統の高貴さ、神託、そのしごとの意義は十分に信じていたが、それでもなおある対抗意識であった。
亢竜《こうりゆう》、悔あり
藤太が宮を立去って二日の後、小次郎勢は行動をおこした。新国司等にひきいられた諸軍は、上野《こうずけ》を出発して下野《しもつけ》の佐野まで来て、それからそれぞれの目的に向った。大軍だ。新|上野介《こうずけのすけ》多治ノ経明《つねあき》にひきいられて上野国府にのこった兵と碓氷《うすい》峠を固めるために分遣された兵をさし引いても、なお一万にあまる。部隊|毎《ごと》にかたまってあとからあとからとつづいて、一日かかってもまだ尽きない。
豪族等の合戦|沙汰《ざた》は坂東ではめずらしくないが、大ていは三十騎、四十騎、せいぜい二三百騎、うんと多くても千騎におよぶことはごく稀《まれ》なのだ。これほどの大軍は誰も生れてから見たことがない。沿道の民等は例によって恐怖して遠く退避していたが、あまりのおびただしさに恐怖を忘れた。いつもなら軍勢がすっかり通過してしまうまで、地鼠《じねずみ》のように隠れがにひそんで呼吸《いき》をころしているのに、街道の見える地点まで近づき、堤のかげ、林のしげみ、小溝《こみぞ》の中から首をつき出して見物し、空《から》ッ風の吹きすさぶ乾燥しきった街道に煙のように砂塵《さじん》を上げて通過するこの大軍に、驚き、あきれ、感嘆した。
小次郎はすべての軍勢を送り出した翌日、上野を立った。興世王、玄明《はるあき》、将頼《まさより》等の勢をまじえた千五百騎を従えていた。佐野には三日目の午頃《ひるごろ》ついた。先発の勢は佐野につくや、それぞれの行く先に向ったので、わずか二千ばかりの兵がのこっているだけであった。
設営部隊のしつらえておいた幕舎に入って、興世王等と談話していると、とりつぎの兵が入って来た。
「おそばの方々にまで申し上げます。当国田原の住人、藤原ノ太郎秀郷の郎党二人が、藤太の名代として昨日よりまかり出て、御到着をお待ち申しております」
この頃では大分なれて、礼儀も板についていた。
とりつぎは、さらにうしろを向いて合図した。すると、幕舎の前の広い空地に、向うの幕舎のかげから美々しい鞍《くら》をおいた見事な馬二頭が曳《ひ》き出されて来、つづいて巻絹や砂金包みを山のように積み上げ、翠《みどり》の小松を立てて飾りにした大きな釣台をかつぎ出して来た。それがほどよい位置にすえられるのを待って、兵は説明した。
「これはその献上品でございます」
小次郎に先立って、興世王が「おい」と呼んだ。
「は」
「田原の藤太が自らまいったのではないのだな」
「はい、名代でございます」
「聞くところによれば、藤太は当国の一ノ宮明神の近くまで来ている由である。そこはこの佐野を去ることわずかに十里と聞く。馬上の達者なら一日の行程でしかない。なぜ自ら参上して天機をうかがわぬのであろう。先般の御即位にたいする慶祝にも名代、この度も名代。藤太が存念のほど不審千万である。そのことについては、何と申しているか」
兵の答える前に、将頼が口を出した。
「興世王の御不審、もっとも千万であります。きっと糺《ただ》さるべきことと存ずる」
興世王と将頼の不審とするところは、小次郎も同感であった。藤太の最初の使者を上野国府で引見した時から、小次郎にはこの感があった。ただ、それとともに恐れに似たものがあって、問題にするのを避けてかえってきげんよくねぎらった。そのことは、今では思い出すたびに不快だ。
(すでに帝位についた以上、帝王たるの威を保つべきである。藤太には以前世話になっている故、それは報いなければならないが、この怠慢と不審は厳にたださなければ、帝王の権威は立たない。だのに、おれはとがめるどころか、媚《こ》びるようなことを言ってしまった。おれはどうしてこんなに藤太を恐れるのであろう)
自分の不甲斐《ふがい》なさが腹が立ってならないのだ。
今もまた胸にこみ上げて来る不快感があった。
(またしても、藤太め!)
と、思った。しかし、これは藤太に対する憤《いきどお》りより、自分自身にたいする叱咤《しつた》であった。
けれども、それでも口には出せなかった。取りかえしのつかないことを言ってしまいそうな恐れが口をつぐませていた。
とりつぎの兵が恐る恐る言った。
「使者の者共は申します。藤太は、数日前、陸奥《むつ》境の形勢おだやかならずとの注進がありまして、取るものも取りあえず行き向って不在でございますので、藤太のかねての恭敬の心を表するため、家来共のみの存念で、こうして上りました。不行届の段は重々おわびいたします、藤太がおりましたら、いたしようもあったでございましょうが、右の次第なれば、何分にもおゆるしいただきたい≠ニ、まことにねんごろな口上でございます」
張りつめていた胸のゆるむのを、小次郎は感じた。またごまかされるのだぞと一方では思いながらも、筋道の立った口上である以上、受入れるよりほかはないと思うのだ。人々を見まわしながら、
「藤太の殿ほどの武者の家来共のねんごろなあいさつを受けぬというわけには行くまい」
と言った。
興世王は「はっ」と低頭して、
「何ごとも大御心《おおみこころ》のままでございます。臣等は決して違背はいたしません。しかしながら、ただ一つ申し上げたいことがございます。みかどは藤太のことを、いつも『藤太の殿』と敬称をつけて仰《おお》せられます。上野の国府にて彼の使者におことばを賜わった際にもそうでございました。唯今《ただいま》もまたそう仰せられました。これはお改めになっていただきたく存じます。すでに帝位に即《つ》き給《たま》い、彼また臣服を申しおくりました以上、『藤太』とお呼びすて遊ばすべきであります。言語は礼のはじめでございます。これが正されませんと、上下の次第が乱れて来ます。つまり、王者の権威が立たぬのでございます」
小次郎はうなずいたが、頬《ほお》が熱くなった。胸底の最も深いところを見ぬかれたのではないかと疑った。さぐるような目で興世王を見た。興世王は、
「出すぎたことを申しましたのに、早速にお聞き届けたまわり、ありがたきしあわせに存じます」
と、深く頭を下げた。浅黒い顔には恭敬そのもののような色しか見えない。もどかしかった。この顔の下で何を考えているのか!
とりつぎの兵に導かれて、秀郷の郎党等が入って来た。恐懼《きようく》しきったおどおどした態度であった。はるかに遠くからひざまずき、膝行《しつこう》して近づいて来たが、その進みは次第にのろくなる。威に打たれて力が抜けたものらしかった。定めの位置までたどりつけずに平伏した。とりつぎの兵がもっと進むように言ったが、重々しい呼吸に肩をあえがしつつ、首をふった。どもりながら、蚊の鳴くように低い声で言った。
「み、み、みぶん、いや、いやしき、ものでございます。こ、こ、ここでおゆるし……」
それでも、兵は進ませようとした。
「おゆるしを、おゆるしを……」
平伏したまま、言う。
小次郎はあわれになって、そのままにしておくように合図した。
兵は、二人の名前を披露《ひろう》した。きびしく張った若々しい声がひびいて、あとはシンとしずまった。二人は一層深く、大地に|ひたい《ヽヽヽ》をうずめるように平伏した。
「顔を上げさせるよう」
と、小次郎は言った。兵はそれをとりついだ。二人はほんの少しひたいを上げ、上目づかいに視線を向けてよこしたが、忽《たちま》ちまた平伏した。
小次郎が声をかけようとしたとたん、
「陛下」
と、将頼がわきから呼びかけた。
将頼はうやうやしく言う。
「ただひとこと、この者共に問いただしたいことがございます。おゆるし下さいましょうか」
何か小意地の悪いことを聞きただすのではないかと思われたが、この際いけないと言えなかった。うなずいた。
「ありがたきしあわせ」
将頼はおじぎして、持ち前のひげの濃い、目の鋭い顔を藤太の郎党等に向けた。
「その方ども」
と、先《ま》ず言った。
答えた声はほとんど聞きとれなかったが、一層ひくく平伏したのが応《こた》えになった。
将頼はつづけた。
「その方共の主人藤太は、一ノ宮に軍勢を集め、きびしく関を立て、人を入れぬと聞いている。かしこくもこの度神命によって、新皇立ちたもうて、坂東八カ国の地はことごとくそのしろしめす所となったことは、よく心得ているはずであるに、使者のみおくって、一度も自ら伺候せぬばかりか、ほしいままに公領を切りとり、関を立てて防ぐ気色のあること、心術のほどまことにいぶかしく思う。このことについて、藤太は何と申しているか、その方共は藤太が上兵共であると聞けば、知らぬことはあるまい。つつまず申しのべい」
強いきびしい調子であった。郎党等の肩が目に見えてふるえ、ふるえる声で言った。低い低い声である上に、ふるえてどもっているので、聞きにくかったが、ようやくわかった。――関を立てていることは事実であるが、新皇がお馬を向け給うた節には、おさしずに従いまつれとの藤太の申しおきである云々《うんぬん》……
藤太の郎党等の申しひらきを聞いて、小次郎は全身の緊張のとけるのを覚えた。彼は藤太のあいまいな態度を気にはしていたが、事を荒立てることは避けたかったのだ。こちらの威さえ立てば知らぬふりで通したかったのだ。藤太の郎党等の申しひらきは、その注文にぴったりとあてはまったものであったが、さらにうれしかったのは、藤太がこんなにまで自分を尊敬しているという事実であった。胸が熱くなり、感激的なことばが舌の先まで出かかったが、その時、興世王が口を出した。
「藤太が申し条はまことに神妙ではありますが、公私の別はきびしくいたさねば、政道は立ちません。藤太すでにかく申します以上、速かにお馬を進められて、彼がかためています地域の由緒《ゆいしよ》を正し、公領に属するものはすべてこれを収め給うことしかるべしと存じます。但《ただ》しは、当下野国の守は将頼の殿でありますれば、将頼の殿をしてこれを行わせられてもよろしゅうございましょう」
将頼はうなずいた。
「興世王の仰《おお》せ、もっともしごくと存じます。しかしながら、これしきのことにおんみずからお馬を向けさせ給うには及びますまい。興世王も仰せられたように、てまえの管国のことであります、てまえまかり向って処置をいたしたく存じます」
勝手なことを言うと、小次郎ははらはらしていた。腹が立った。しかし、心の弱みを見せるようなことは出来ない。どう言おうと思案する目に、藤太の郎党等の姿がうつった。
郎党等の様子にはまかせ切った素直さがあった。こちらでかわされている論議はそのままに耳に入っているはずだが、少しも不安げなところが見えない。先刻の申しひらきが策略的なものでなく、心からの藤太のことばを伝えた証拠と思われた。
小次郎は口をひらいた。
「興世王の申すところも、将頼が申すところも、一々道理と思う。しかしながら、唯今はことをはじめてまだ間がなく、せねばならんことが山とある時だ。これほどまでに藤太が忠誠を見せているのに、それほどにすることがあろうとは思えんぞ。あらましのことが片づいてから、ゆるゆると処置してよいことだ。藤太の忠誠が疑いなき上は、面倒のおこる気づかいはさらにあるまい。公《おおやけ》に属すべきものは子細なく返上するであろう。性急なことをしては穴ぐり立てるに似て、藤太の思わくもはずかしく思う。わしはむしろ、この際は藤太にまかせておく方が利便であるとさえ思っている」
不同意の色がはっきりと二人の顔にあらわれていたが、かまわず、藤太の郎党等に声をかけた。
「その方共の主人の忠誠、またその主人の心を推してのその方共の心入れのほど、満足に思う。主人まかりかえったら、この旨《むね》伝えるよう」
更に、とりつぎの兵に言った。
「あちらで酒をふるまってやるがよい」
兵に連れられて郎党等が退《さが》って行くと、小次郎はにわかに疲れを覚えた。重荷をおろした時のくつろぎのともなう疲労感であった。
「しばらくひとりでいたい。あちらへ行っていてもらいたい」
人々は立上って、出て行きはじめたが、興世王と将頼だけは目くばせし合って動こうとしなかった。
今のことについて諫言《かんげん》をするつもりか、他のことで秘密の相談があるか、いずれかに相違ないとは思ったが、今は何をおいてもひとりになりたかった。無言の強い目を向けた。きびしい、叱咤《しつた》するような目であった。二人はしぶしぶ立上って出て行った。
ひとりになったが、くつろぎは得られなかった。幕舎の外の広場には午後の日がさしている。薄曇りして、寒い風の吹いている日なので、日ざしは弱々しくゆれているようであった。しばらくその日ざしを見ているうちに、藤太の郎党共との応対のことが思い出されたのだ。
(またおれは逃げてしまった)
と、思った。もっともらしい理窟《りくつ》をのべはしたものの、つまりは藤太と対決したくない所から出た口上にすぎないと思った。何とも言えず、いやな気もちであった。
(なぜ、おれはこうまで藤太をおそれるのだろう)
と、こんな時のいつもの疑問が出て来た。
この疑問にたいして、はじめ彼は少年の日に藤太に無視されたことに解釈をもとめて、一応の納得をしたのだが、この頃ではそれだけではないような気がしている。藤太が相当以上の人物であることは明らかだが、今の自分にくらべては、実力から言っても、閲歴から言っても、名声から言っても、比較にならない。うぬぼれではない。世間もそう認めている。藤太の郎党共すらそう思っているようだ。だのに、おそれだけは一向かわらない。藤太のこととさえ言えば、すべて寛仮して、正面からの対決を避けようとの気ばかりが出て来る。
(こんなあいまいな態度がいつまでもつづけられないことは明らかだが、おれは一体どうするつもりだろう……)
これもまたいつもの不安だ。胸苦しさに、静坐《せいざ》して沈思しておられなかった。立上って、そのへんを歩きまわった。一歩一歩に力をこめて、不安をふみつぶそうとしているようであった。
興世王と将頼が入って来た。
「いささか申し上げたいことがあってまいりました。御静安を乱し申して恐縮でございます」
と、興世王は言う。
小次郎は更に重い心になったが、しかたはないと観念した。座にかえった。
「何を申したい。聞こう」
両手をひざにつッぱって言った。
興世王は居ずまいを正《ただ》して、先ず言った。
「先刻、陛下は、創業間もなく事繁多である故、北下野のことは藤太にまかせて、あらましのことが片づいてから、北下野は処置しようと仰せられました。御記憶でございましょうな」
何を言うつもりか、おそらくは藤太の処置が寛にすぎると諫言しようとしているのだろうとは思ったが、この問いは否定しようもない。うなずいた。
「陛下の仰せられたことの趣旨についても、まろには異議がございます。藤太のしていることはすべて瞞着《まんちやく》、空崇《からあが》めしてきげんを取りつくろい、おのれの身代を太らせることのみに専心しています。殊勝なことを郎党共に言いおいたと申しましても、必定、こう申し上げればお馬を向けさせ給うことはあるまいと、|たか《ヽヽ》をくくったからに相違ありません。されば、そう申したをよきついでとして、お手入れあってしかるべしと、まろは思うのであります」
興世王は、一気にここまで述べた。今の今まで後悔していたことだが、かえって小次郎は、ムラムラとして来た。つつかれた貝が堅く|ふた《ヽヽ》をして殻《から》の中に引っこむように、頑固《がんこ》な心理になった。
興世王は小次郎の不機嫌《ふきげん》に気づきはしたが、横着ものだし、ここで話の方向を変えようと思っているから、知らんふりでつづける。
「しかし、唯今はそのことについて申し上げるのではありません。綸言《りんげん》汗のごとしという唐土のことばがあります。帝王の口から出たことばは、汗が再び体内にかえらぬように、取消しは出来ぬものという意味。それ故に、あのおことばをお取消し遊ばされるようにとは、まろは申しません。まろは将来のことについて、いささか御注意をうながし奉《たてまつ》りたいのです。陛下は藤太が郎党共の前で、これほど忠誠を捧《ささ》げている藤太に性急な処置をするのは、穴《あな》ぐり立てるに似て、藤太が思わくのほども恥かしい、この際は藤太にまかせておく方が利便であると、こうまろらに仰せられました」
「…………」
小次郎には、興世王が何を言おうとしているか、見当がつかなくなった。歯切れよいことばをよどみなく吐き出す相手の口許《くちもと》を見つめたまま、黙っていた。
「恐れながら、これは御軽率にすぎたと思うのであります。敵であるか、味方であるか、心の色のはっきりとせぬ藤太の郎党等――百歩をゆずりまして、味方であるにしても、藤太は外臣にすぎません。その郎党共の前で御心中の秘奥《ひおう》を示すようなことを仰せられてはならぬことと存じます。王者は外に向っては命令だけすればよろしいので、心中の経緯《ゆくたて》を申す必要はさらにないのであります。王者の民を治むる策謀の存する所でありますから、胸裡《きようり》深く秘して、決して余人をして窺《うかが》い知らせてはならぬものであると存じます」
そなたらが先ず言い出したからこそ、おれは言ったのだ、言って悪いことなら、なぜ言い出した? と、切りかえしたかった。しかし、もう面倒だった。
「先刻も申し上げました通り、綸言はとり消すことが出来ないのであります。練りに練った上で仰せ出されることはもとより肝心でございますが、唯今申し上げたことは更に肝要でございます。よくよく御理解あって、以後は決してかかることのないようにしていただきたいのでございます」
言いおわって、興世王は頭を下げたが、上目づかいにこちらをうかがっている目には、獲物《えもの》を狙《ねら》う猛獣のたけだけしさがあった。
「わかった」
と、小次郎はうなずいたが、それには非常な努力がいった。
その夜、石井《いわい》入りについての会議が行われた。
小次郎は、わずかに十一里の道だから、早朝に出発すれば夕方には石井に帰着出来る、最初に常陸《ひたち》国府に向った兵は家を出てすでに一月以上にもなる、一刻も早く帰宅したいであろうと主張したが、興世王等は同意しなかった。
「三カ国をこともなく平げての凱旋《がいせん》であるのみならず、坂東皇帝たる新皇となり給うての最初の還御であります。白昼堂々と還御なさるべきであります。八カ国の人心へのひびきのほどもお考えいただきとうございます」
というのがその意見であった。
坂東の人心への影響を思えと言われると、自説を強く主張することは出来なかった。
「あまり大袈裟《おおげさ》なことをしないように」
とだけ言って、まかせることにした。
世間には自らの境遇と身分の変化にきわめて軽快に順応出来る人がある。昨日まで平社員であっても、今日課長になれば昨日までの同僚にたいして課長らしい態度をとり、尊大な口をきき、なんの渋滞もない。豊臣秀吉などこの種類の人であったようだ。この反対に変化に順応しにくい人もある。にわかに態度や口のきき方をかえることが軽薄なように考えられるのだ。西郷南洲などはこの種類の人であったようだ。よく言えば重厚、悪く言えば鈍重な性格。
小次郎がそれであった。激変した身分と境遇に即応することが出来ず、事毎《ことごと》に心が強い抵抗を感ぜざるを得ない。「あまり大袈裟なことをしないように」という注意もそこから出たのであった。
しかし、この注意は決して聞き入れられないにちがいないと、あきらめていた。やるだけのことはやらずにおかない興世王であることを、小次郎はよく知っている。
翌日佐野を出発して、途中で一泊し、翌日早朝に出発した。正午前に石井に到着するためであった。
考えた通りであった。一歩領内に入ると、領民等が道の両側に坐《すわ》って迎えた。壮強な男子の多くは兵にとられているので、多くは老幼と女であったが、皆晴着を着て、いかにもうれしげであった。兵士等もまた、興世王のさしずによって鎧《よろい》の塵《ちり》をはらい、金具をみがき立て、乗馬の毛をすいて、今日を晴れと装っているので、文字通りにかがやく武者振りになっている。しかも、迎える人々の父であり、妻であり、せがれ共だ。歓呼の声が至る所に、たえずおこった。
小次郎は、行列の中ほどに烏黒《からすぐろ》の愛馬にまたがり、幕僚等をしたがえて打たせたが、その通過につれて、人々は一きわ高く歓呼し、両手を合わせて伏しおがんだ。
「みかど様じゃ。八幡大菩薩《はちまんだいぼさつ》の仰せを受けてみかど様にならしゃったのじゃ」
老人等は子供等にこう言って教えていた。
昨日まで空は晴れていても風が強かったのに、今日はその風もやんでいる。一足飛びに春が来たかと思われるばかりにのどかでうららかな日だ。
このうららかな日に、領民等のこの歓迎を見て、小次郎の胸はおのずからひらいた。
(おれは神意を受けて帝位についたのだ)
徐々に自信が湧《わ》いて来た。
石井に近づくにつれて、出迎えの人数は多くなり、熱狂は高まって来る。館《やかた》のある部落に入ると、道の両側には身動きも出来ないほどぎっしりとならび、歓呼の声は耳も聾《ろう》するばかりだ。
小次郎の自信は益々《ますます》たかまった。
(民もまたこのようによろこんでいる。おれが帝位についたことは、神意により、民の意志《こころ》に従っているのだ)
世間の多くの人は論理があって結論があると信じているが、多くの場合、論理は自らを納得させ、他を説得するためのものにすぎない。先ず結論があってしかる後に論理が発見される。この場合でもそうであった。時々片手をあげて歓呼にこたえつつ悠々《ゆうゆう》と馬を打たせて行く小次郎の胸に、しぜんに論理が組み上って行った。
(民は皆京都朝廷と国司との重圧としぼり上げに息もつけないほど苦しんでいたが、これをどうしたらのがれることが出来るか知らなかった。歯を食いしばって死ぬまでこらえるほかはないとだけ考えていた。彼等だけではない。おれ自身がそうだった。賄賂《わいろ》や請託《せいたく》によって圧制をゆるめてもらってやっとしのぎをつけていたのだ。それを偶然のことから、立上って打ちたおした。この偶然のことというのが重大だ。あとであのおごそかな神託が下ったところから考えると、常陸介《ひたちのすけ》と合戦した時すでに神意によっておれは動いていたのだ……)
わずかに一千の寡兵《かへい》を以《もつ》て六千という大軍を、烈風が枯葉林を吹きまくるように木ッ葉|微塵《みじん》に撃破し得た奇蹟《きせき》的な快勝、季節にはきわめてめずらしい雷鳴、その後の下野・上野の国司等の全然抵抗なき降伏、一々その証拠としか考えられなかった。
これを迎える館は、至って質素であった。清掃し、水を打って塵をしずめ、兵士等のために酒肴《しゆこう》を用意しただけであった。いつもの凱旋を迎える時と全然かわらなかった。良子のさしずであった。
昨日の朝、良子は興世王からさしず書を受けとった。未曾有《みぞう》の戦果を上げての凱旋であるだけでなく、新皇となっての最初の帰宅であるから、それにふさわしい迎え方をしてもらいたいと前置きして、飾りつけから酒肴の末に至るまで細々《こまごま》としたさしずをしてあったが、良子はそれにかまわず、いつもの通りの用意しかしなかった。
彼女もまた当時の坂東人《ばんどうびと》だ。神託を疑いはしない。愛《いと》しい夫が神託により諸人に推されて帝位についたことを感謝し、よろこんでいる。しかし、そのためにことさらに威を張るようなことはしたくなかった。彼女もまた境遇の変化に即応することに軽薄さを感ぜずにおられない人がらであった。
(神意によるみかどである以上、そんなことをせずとも、おのずから威は立つはず)
と、思ったのであった。
いやいや、そんなことより、彼女は、小次郎が前とちがった人がらになっているのではないかと、それが不安であった。良子は夫の鈍重なくらいきまじめで重厚な性質を知っている。しかし、これはあまりにも大きな境遇の変化だ。その人がらが変ったのではないかと、心配せずにおられないのだ。
いつもの凱旋と少しもかわらないこの用意に、兵士等は少し意外であったが、そうときまればこの方が気易《きやす》い。儀式ばったことには皆得意でない。いつものしきたり通りに門前で馬を下り、口綱をとって、ゾロゾロと門を入って、大庭に不規則に並んで、後陣を待った。戦時には勢揃《せいぞろ》えの場になり、平時には穀ほし場になり、秋には貢米《こうまい》の受取場になる広庭だ。
やがて、小次郎のいる中軍が到着した。小次郎は興世王等が特別なさしずを申し送っていることを知らないから、この飾りけない用意を見ても別段なことはなかった。大袈裟に飾り立てた歓迎ばかりされて来た身には、
(ああ、とうとうかえって来た)
と、快いくつろぎがあった。
しかし、興世王はそうでなかった。さしずを無視されたことに心が平らかでなかった。彼は小次郎につづいて、将頼と馬をならべていたが、将頼にささやいた。
「若刀自《わかとじ》は、言うてやった通りにしておらんぞ」
将頼はにやりと笑った。
「そういう人です、あの人は。きまりが悪いのです。しかし、御亭主が帝《みかど》になった以上、若刀自は后《きさい》の宮となる道理だが、儀式をきまり悪がる后の宮というのはきいたことがありませんな。女御《にようご》とか后妃とかいう方々は、儀式などのおりは、ずいぶん高慢な顔をしているものでしょうな」
自分の言っていることがらのおかしさに、将頼の顔は今にも吹き出しそうであったが、興世王はおそろしくきまじめに答える。
「それは高慢というものではない。容儀を正すというものだ。それが出来んではこまる」
将頼には興世王のその様子がまたおかしかった。豪放で闊達《かつたつ》で、よく笑い、よく壮語したこの人が、このごろではコチコチになって、ややもすれば京都式の礼式のお談義をきかせる。時々やりきれないと思い、時々|滑稽《こつけい》になるのだ。
「若刀自が后の宮なら、桔梗《ききよう》は何でしょう。更衣《こうい》くらいのところですかな」
と、かまわず、冗談を言って、カラカラと笑った。彼もまた平生とかわらない館の姿を見て、自分をとりかえしたような気になっているのであった。
小次郎がふりかえった。将頼は笑いながら言った。
「兄者がみかどである以上、若刀自は后の宮、桔梗は更衣、豊太丸は皇子、わしら兄弟は皆親王というわけだと言っているところですよ。将頼親王か。ハッハハハハハ、ずいぶん乱暴な親王だな」
小次郎も笑い出した。
「ハッハハハハ、そう言えばそういう勘定になるな」
兄弟は声をそろえて、また笑った。ひどく愉快であった。がんじがらめに心身を縛っていたものがとけてしまった気持であった。兵士等も屈託のない気もちになったらしい。皆うれしげに微笑していた。ただ興世王だけが、むっつりとにがい顔をしていた。
こちらの駒寄《こまよ》せのところに、良子は老刀自と共に女共をつれて立っていたが、兄弟の笑い声はそこまでとどいた。良子の胸は明るくなった。
(以前のままのあの人だ! ちっともかわっていない)
彼女は豊太丸の手を引いて近づいて行ったが、途中で抱き上げて急いだ。
近づく妻と子の姿を馬上から見て、小次郎はにこりとした。あたたかい潮が胸にさして来た気持であった。
「やあ、かえったぞ」
と、呼びかけた。
良子は側《そば》まで来て、うれしげに笑いながらあいさつした。
「おかえりなさいまし。おめでとうございます」
「ありがとう」
豊太丸は顔を真赤にほてらせて、母の腕の中から父の方に両手をのばして、「お父《もう》様、お父様」と叫んでいた。
「よしよし、今抱いてやるぞ」
小次郎は冑《かぶと》の紐《ひも》を解いて、冑をはねて、両手を出して馬上に抱き上げた。
「どうだ、おとなしくしていたかな。無理を言ってお母《たあ》さまをこまらせはしなかったかな」
と言いながら頬《ほお》ずりしていたが、つい今し方までの将頼との問答を思い出した。
「そなたは皇子だそうな。ほかに皇子はいないから、つまり、東宮だな。ハッハハハハ」
その明るい態度とことばに、良子の心はさらにおちついた。
(ちっとも変っていなさらない。これでいいの、これでいいの……)
と、胸にくりかえしながら、子供を愛撫《あいぶ》しつづけている夫を仰いでいた。
父子《おやこ》夫婦のこの交歓のすがたは、大庭にいる人々全部に快い感動を呼んだ。うっとりと見とれていた。皆それぞれの家庭を思い出していた。
ただひとり、興世王だけは、一層にがい顔で、あらぬ方に目をそらしていたが、荒々しく小次郎の前に馬を乗り進めた。
「時うつりました。皆が待っております。凱旋の式をとり行っていただきとうございます」
にがい気持のあらわに出ている切り口上であった。
それがわかった。小次郎の表情は仮面《めん》のように固いものになった。腹立たしげな目で興世王を見、更にその目を兵士等の方に向けたが、すぐばかばかしく大きな声で笑った。
「よし! 坂東のみかどは京のみかどとはちがう。女子供やへろへろ公家《くげ》共ばかりを相手に無益な儀式の相談ごとばかりしているわけに行かん。みずから甲冑《かつちゆう》をつけ、打物を取って堅陣を破り、剛敵と闘わねばならん。東宮も見習っておくべきだ」
と言って、豊太丸を鞍《くら》の前壺《まえつぼ》にまたがらせて、定めの位置に馬を進めた。
将校株の郎党等が馬を乗りまわして、隊形をととのえた。
「勝鬨《かちどき》」
小次郎はいつものしきたりに従って自ら呼ばわり、
「エイ!」
と叫んだ。
雷鳴のような兵士等の声が「エイ!」とこたえた。
「エイ! エイ! エイ! オウ!………」
また万雷の声が、こだまを呼んでくりかえした。
数日たった。
この間に、各地に派遣した新国司軍から報告が来つづけた。すべて無事にそれぞれの国府をおさえ、印鎰《いんやく》を収めたというのだ。今や、坂東八カ国は豪族等の私領を除いては、全部新皇の所有地になったわけだ。
新年早々のことだ。一入《ひとしお》めでたく感ぜられて、石井の館はどよめき湧いた。
「めでたいことです。拝賀の儀を行う必要がありますな」
と、興世王は言った。
「あまり大袈裟なことはしたくないな」
「別段大袈裟なことをいたすつもりはありませんが、必要な儀式は行いませんと、一切の礼の乱れになります。恩と威は王者たるべき所以《ゆえん》でありますが、これは草木にたとえれば果実であります。花がなければなりません。儀式や礼は花であります。果実は人を喜ばせはしますが、喜ばせるには長い暇がかかります。しかし、花の美しさに人の引かれるのには何の手間も暇もかかりません。今日は創業の時であります。果実によって根強く人心を引きつけることはもちろん怠ってはなりませんが、華麗|荘厳《そうごん》なる儀式によって急速に人心を吸いよせることもおとりなく肝心であります。同じくこれ丈六の仏でも、破《や》れ寺に埃《ほこり》にまみれ蜘蛛《くも》の巣にからめられてあるのと、壮麗な大殿堂に安置してあるのとでは、人の信心はちがうのであります。まあ、おまかせいただきましょう」
こんな工合に弁じ立てられると、小次郎には言いかえせない。
「よいように」
と、言わざるを得ないのだ。
興世王は日を定めて、新国司等と坂東の諸豪族に召集書をおくり、儀式の次第を定めたり、式場の設備を考案したりしていたが、数日後には毎日郎党数騎を従えて、どこやらに出かけはじめた。
(あいつまた、何をたくらんでいるのか)
小次郎は少しうんざりしていたが、間もなく、石井の西北方に小高い台地が二三里の広さでひろがって、林になったり畠地《はたち》になったりしているが、そのへんを歩きまわっては、帳面をひろげて何か書きつけているということがわかった。
二日後、興世王は小次郎の前に出た。
「そなた何をしているのだ、毎日いそがしげに出歩いている由《よし》だが」
と、からかった。帰宅してから、小次郎は興世王がコチコチにかたまって来たのが滑稽でならないのだ。しかし、興世王はおそろしくまじめな顔で、
「まろは遊楽のために出歩いているのではございません。陛下のため万世の基をひらこうと精を励ましているのでございます」
と言った。
「ほう? 万世の基? 大きいな」
と、益々からかいたくなったが、興世王は儼然《げんぜん》たる態度を持した。
「まじめにお聞きとりを願います。帝王は一|顰《びん》一笑も軽々しくしてはならないものでございますとやら」
「ふん」
「まろは、王城建設のために、土地を見立てにまいったのであります」
「王城?」
と、問いかえして、小次郎は口をつぐんだ。
興世王は、王城の必要な理由を説明しはじめた。
曰《いわ》く、王城は王者の権威の象徴である。曰く、王城は王者の以《もつ》て万民に示す礼文である。曰く、史に徴するに、古来創業の英主にして王城を営まなかった者はない。秦《しん》の始皇帝は咸陽《かんよう》に阿房《あぼう》宮を営み、漢の高祖は長安に長楽宮を営み、唐の太宗は洛陽《らくよう》の未央《びおう》宮を修めた。曰く、天下の民は王城の壮麗を仰いで、これが民たることを喜び、天下の諸侯は王城の儼然を望んで帰服せんことを思うのだ、等々々。
滔々《とうとう》として論じ立てて、一転した。
「そこで、どこが適当であるかと色々考え、色々踏査しました結果、この石井郷の西北方の台地こそしかるべしと考えました。王城の地は古来四神相応の地がよろしいということになっております。四神とは、東方|青竜《せいりゆう》、西方|白虎《びやつこ》、南方|朱雀《すざく》、北方玄武であります。これを地形に象《かたど》りますと、青竜は大河、白虎は大道、朱雀は平原、玄武は山谷《さんこく》であります。平安京が京となった時も、これを以て地を相して選んだのであります。即《すなわ》ち東方に賀茂川あり、西方に丹波路あり、南方に鳥羽野あり、北方に比叡鞍馬《ひえいくらま》の山谷があります。唯今《ただいま》申しました地も、東に芦江津《あしえず》、広河《ひろかわ》の江、降間木《ふるまぎ》の湖沼を連ねる流れがあり、西に野州路があり、南方に平原あり、北に島広《しまびろ》山があります。乃《すなわ》ち島広山の南方に内裏《だいり》を営み、王宮、八省、百官をおき、その南方に条坊を画して市井《しせい》を営み給《たま》い、八州の綏撫《すいぶ》にあたらせ給うなら、長久万世の帝業の基が立つのであります」
ここで、興世王は口をつぐんだ。小次郎の心中におこるであろうものを待ち、更に効果ある弁論を加えようと考えた。
小次郎の眼前には壮麗をきわめた京の大内裏《だいだいり》の姿が思い浮かび、島広山南方の雑木林と畠《はたけ》と原野の連《つらな》る荒涼たる風景が思い浮かんだ。二つはもやもやと重なり合ったり離れたりした。興奮がかすかなふるえとなって胸を走った。
時はよしと、興世王は見た。
「御決断はいかがでございましょうか」
小次郎は我にかえった。
「わしの決断より、費用だ。労力だ。いずれはそれもよかろうが、今のところはその力があるまいと思う」
「一息にいたすわけではありません。今日より取りかかって、数年がかりのつもりで、民の力をはかりつつ進めて行けば、そう重荷になるわけではありますまい」
「そんならよいが」
「それでは、まろが考えました地割図をごらんいただきます。おさしずをうけたまわり、訂正すべきは訂正し、附加すべきは附加して、早速に縄張《なわばり》にかかりたいと存じます」
興世王はたずさえて来た包みを解いて、数枚の紙をつなぎ合わせた広い図面をひろげた。
紙には現在の地形を墨で描いて、その上にじかに朱で設計図を描きこんであった。設計図といってもしごく簡単なものだ。位置と広さを示しただけの地割図にすぎない。
林、原野、畠、小径《こみち》等のさまざまな地物や地勢の上に、容赦なくひいた朱線を指さしながら、興世王は、ここが何、ここが何と、説明した。井々《せいせい》として碁盤の目のように区画されたそれは、平安京のそれを小型にしただけで、そっくりであった。たてよこの通りの名前もまた同じであった。
「山城の京と同じにするのだな」
「そうでございます。山城の京に似た所はこの他にもあります。山城の京は東方|逢坂《おうさか》の関の外に大津がありまして、琵琶湖《びわこ》を運送路とする出羽、北陸・山陰方面からの貨物が荷上げされて京に運ばれる大事な土地となっていますが、当地にも相馬郡に大井津がありまして、毛野《けぬ》川に臨んでおります。名も大津に似ていますが、東常陸、東|上総《かずさ》方面よりの貢租《こうそ》や物産は毛野川を舟でさかのぼって大井津に達し、更に水路を以て菅生《すごう》沼をさかのぼるもよし、広河の江の水路を取ってさかのぼるもよいでありましょう。京にはまた河陽《かや》の関があって、山陽・南海・鎮西方面よりの物資が難波《なにわ》の津より淀《よど》川をさかのぼって河陽に集まって京に入りますが、当地には|※[#「木+義」]橋《ふなばし》があって、利根《とね》の河口に臨んでいます。即ち西上総、安房《あわ》、武蔵《むさし》、相模《さがみ》等の貢租や物産は海路ここに集まり、利根川をさかのぼれば、鵠戸《くぐいど》沼からここに達することが出来ます」
大井津は今の北相馬郡守谷町内のもと大井沢《おおいさわ》村であり、※[#「木+義」]橋は今の船橋市一帯の古庄名だ。当時の利根川は今の船橋から今の隅田《すみだ》川までの間に打ち出し、洪水《こうずい》のたびにその河口をかえていたのである。
貢租の運搬路の要津《ようしん》としての、大井津や※[#「木+義」]橋は別として、一切を山城の京にならおうとしているらしい興世王の考えは、小次郎には少しいぶかしく思われた。
「よくわかったが、何もかも山城の京の真似《まね》をするのはいかがなものかな。坂東には坂東の行き方があろうと、わしは思うのだが」
「ごもっともな仰《おお》せであります。しかしながら、山城の京は大唐の長安京の規模にならったのであります。大唐の大学者達が多数集まって、広く古今の典籍をさぐり、精を励まし思いを凝らして、計画を立てたもので、この上なき規模と言うべきであります。みだりに私意を以て異を樹《た》ててはかえって不祥であると考えるのでございます」
熱情をこめて、興世王は言った。ほんとにそう思っていた。彼は平安京以上の都邑《とゆう》の姿を想像することが出来なかった。この美しい都を坂東の曠野《こうや》に再現することにかつて覚えない熱情を感じていた。心の奥深いところに強い望郷の念がなかったとはいえない。しかし、それは彼の意識しないことであった。あるいはまた栄達を切望しながらも遂げ得られなかった前半生の饑餓《きが》感を、平安京そっくりの帝京において満たそうとしたのかも知れない。しかし、それもまた彼の意識しないところであった。
小次郎は面倒くさくなった。ま、よかろう、わしの知らないことだ、おことの思う通りにするがよかろう、と言おうとしたが、その時、菅原景行《すがわらかげゆき》のことを思い出した。
小次郎は言った。
「どうであろう、菅原景行|卿《きよう》にも聞いてみようでないか。あれほどの学匠だ。よい意見があるかも知れぬ」
興世王は不機嫌《ふきげん》な顔になった。
「よろしゅうございましょう。しかし、王城建設のことには、御異議はないのでございましょうな」
小次郎は、そのことについても景行卿の意見を聞いてみたい、と言いたかったのだが、なぜか心がひるんだ。
「ああ、それには異議はない」
「それではなお、まろも工夫をつづけましょう故《ゆえ》、陛下におかせられても早速に景行卿をお召しになって、意見を徴《め》し給うよう願います」
「うむ、うむ」
「それではまろはこれにて退《さが》りますが、今一言心づきを申させていただきます。陛下は以前から景行卿を殊《こと》の外御信仰遊ばしていますが、すでに八州の帝王とならせ給う上は、景行卿といえども臣下の一人であります。必ずともに帝王たるの威厳をおん持《じ》し遊ばされてお会い下さるようお願い申し上げておきます」
「うむ、うむ」
興世王が退って行った後、小次郎は心が鬱《うつ》して来てならなかった。近頃《ちかごろ》彼をしばしば襲う憂鬱であった。
(帝位についてから、おれはまるで窮屈になった。欲するがままにふるまったことはない。一言一句、一挙一動、|わく《ヽヽ》にはめられている。早い話が、おれは景行卿に対して昔のままの尊敬心を抱いている故、ことばづかいを改めようとは思っていないのだが、興世王はそうしてはならんと言う。また、戦ささわぎも一段落したし、鷹狩《たかがり》にでも行って楽しみたいと思うが、行くなら前もって話してほしい、にわかに思い立って出て行くなどのことは帝王たるものはしてならないと、興世王は言う。窮屈千万だ。おれの考えがそのまま通ったことなど一度もない。すべて人がきめた通りにしか動けない。王者というものがこんなものであるなら、かざり雛《びな》であり、人身御供《ひとみごくう》であることは、京のみかどと何のかわる所はないではないか。八幡大菩薩《はちまんだいぼさつ》はおれのことをおれが蔭《かげ》の子≠ニ仰せられたのだが、大菩薩にそれほど愛せられて帝位を授けられたおれであるなら、こんな帝王であってはならないと思われるのだが……)
いく度も溜息《ためいき》をついて思いふけった後、侍臣を呼ぼうとした時、侍臣が簀子《すのこ》にあらわれた。
「申し上げます。将平君《まさひらぎみ》がお見えでございます」
「よし、連れて来い。ここで会おう」
景行の命を受けて鎌輪《かまわ》の宿に諫言《かんげん》に来た時別れたきり、小次郎はこの弟に会っていない。以前にはタミヤに逢《あ》うためにあんなにしげしげと帰っていたのに、凱旋《がいせん》以来一度も帰って来ない。正月にも帰って来なかった。そのためにタミヤはひどくきげんを悪くしているほどだ。
将平がどんなことを考えているか、大てい見当はついているつもりだが、案じていたのであった。
将平は一人ではなかった。伊和《いわ》ノ員経《かずつね》と同道していた。将平はすぐ室内に入ったが、員経は入るのをためらっていた。
「やあ、汝《われ》も一緒か。入れ入れ」
「では、恐れながら」
小腰をかがめて入って来て、将平から少し退って、つめたい床にじかに坐《すわ》った。まだそれほどの年ではないのに、この二三年の間に、員経は髪もひげも真白になっていた。
「久しぶりだな。いつ来たのだ」
と、小次郎は将平にたずねた。
「唯今まいりました。ついたばかりです」
「汝は……」
と、員経にきくと、
「てまえも唯今」
と、答える。
員経は石井から三里ほど東の村の住人だ。
なんとなく、二人は連れ立って来たのではないかという気がした。
「連れ立って来たのか」
と、将平に問うと、
「そうです」
と、答えた。なにか気負っている様子があった。
小次郎には、なんのために二人が来たか、見当がつく気がした。彼もまた緊張した。表情がきびしくなるのが感ぜられた。それを努力してゆるめながら言った。
「話があって来たらしいな。申すがよい。聞こう」
二人は躊躇《ちゆうちよ》しているようであったが、忽《たちま》ち思い切ったように将平が顔を上げた。
「実は、わたくし共、お怒りを覚悟でまいりました」
と切り出し、一気に核心に突入する。
「と申すのは、ほかのことではございません。この度帝位に上り給うたことについてであります。わたくし、そのうわさを最初聞きました時、うわさにあり勝ちな誤伝であるとしか思われなかったのであります。しかし、あまりうわさが高いので、ここへまいって義姉《あね》上にお聞きしてみましたところ、意外にもほんとのことでありました。
わたくしは、驚き、あきれ、かなしみ、まどいました。それで、兄上がこちらにおかえりのことは聞いていましたが、とても尋常な心でお目にかかれる自信がありませんでしたので、今日まで師の君のところにいました。師の君の御意見もうかがい、自らも思いにくれ、色々と思慮をめぐらしていたのであります。
ところが、昨日のこと、員経がわたくしを訪ねてまいりました。員経もまたわたくしと同じことを考え、兄上のお身を思って、同じ思いに暮れていたのであります。それで、両人相談の上、こうしてそろってまいったのでございます」
思った通り、諫言だ。しかも、どうやら帝位についたことすらいけないと言うつもりらしい。
(おれは神のお告げを受けて帝位についたのだ。おれがなりたくてなったのではない)
と、小次郎は思った。しかし、不思議に、それを言う気にならなかった。ただ目つきで先を言えとうながした。
「兄上は武勇すぐれた方であります。武勇の者雲のごとく多いこの坂東でさえ、兄上の向うに立つ者はいません。わずかの兵を以て目にあまる大軍と戦って、胸のすくような見事な勝利を得られたことは数え切れないほどであります。坂東の人々が、兄上のことを坂東一の武者≠ニたたえ呼んでいるのはまことに道理であります。また兄上の旗本には智略《ちりやく》すぐれた人もあります。興世《おきよ》王という人などは天下の政《まつりごと》をまかせても立派に出来る人だと世間では申しています。また、兄上は大へん評判のよい方であります。その無双の武勇と、その侠気《きようき》と、その誠実なお人柄《ひとがら》によって、兄上ほど人にうやまい慕われている方はありません」
将平は一息にここまで言った。言うべきことを十分に吟味し、それを諳誦《あんしよう》して来た風であった。
小次郎は、このほめことばは必ず転じて逆なことが言われるにちがいないと推察していたが、黙って聞いていた。すると、果して、
「しかしながら」
と、語調がかわった。
「帝王の業というものは、ひとえに天命によるものであります。いかに武勇にすぐれていても、智慮にたけていても、人望があっても、天命なくしては遂げられるものではないのであります。とりわけ、わが日の本は、天照大神《あまてらすおおみかみ》の神勅によって天つ日嗣《ひつぎ》のうけつがれる道は定まっています。一時の勢いによって、自ら天位につくなど、道にかなわぬことであります。一時の栄えはあっても、必ずや末を遂げることが出来ないばかりか、後の世の人はなんと言うでありましょう。ようく、お考え下さい。これはわたくしだけの考えではありません。ここにいる員経もその意見であります。また、師の君景行卿もその御意見であります。当家に対して、また兄上に対して、いつもねんごろな心を持っておられる師の君があれ以来一度も当家に足踏みされず、この新年にさえお出《い》でにならなかったのは、このためであります。師の君は兄上も御知りの通りの温厚な方であります。訪問をしないことを以て、お心一ぱいの忠言をなさっているのであります。このように、真に兄上のためを思っている心ある者は、皆心配しているのです。心をむなしくして、深くご思慮をめぐらして下さい」
ことば半ばに、将平は涙をこぼし、それを拭《ふ》きながら語りおえた。
員経が、おそるおそる口をひらいた。
「てまえはただ、空恐ろしいのでございます。唯今なさっていることは、天道にそむき、日本の民の道にそむいたおそろしいことであるとしか思われません。天の道にそむき、民の道にそむいて、よいことになろうとは思われません。きっと恐ろしい報い、恐ろしい罰が下ります。てまえはそれを心配しているのでございます。てまえごときが出すぎたこととお考えでございましょうが、お身の上を案じ申せばこそのことでございます。故将軍の殿の霊もさぞかし御心配になっているに相違ございません」
これも涙をこぼしていた。
小次郎にとって意外であったのは、この二人のことばが神託の事実にまるで触れていないことであった。知らないからに相違ないと思った。知っているなら、あれほどあらたかなことに触れないはずはない、それどころか、今のようなことを言い出しはしないはずと考えた。
小次郎は余裕のある微笑を見せて口をひらいた。
「その方等は、おれが勝手に帝位に即《つ》いたように思っているな」
二人は答えない。ただ、凝視していた。
「おれは帝位に即きたくて即いたのではない。八幡大菩薩のおごそかな神託が下ったればこそ、帝《みかど》になったのだ。このことをそなたは知っているのか。知らんからこそ、今のようなことを申すのだろう。神託の下った次第は、当時軍に従った者共がかくれなく知っている。その者共からくわしく聞くがよい。聞いてなお、唯今のようなことが言えるかどうか……」
小次郎はなお言い進めようとしたが、将平はさえぎった。
「わたくしはそのことを聞きました。しかし、信じないのです。信ずることが出来ないのです。その巫女《みこ》が狂気して妄言《もうげん》したか、誰かに言いふくめられて言ったか、いずれかに相違ないと思うのです。これほどの一大事を伝えようとなさる八幡大菩薩が上野《こうずけ》の惣社《そうじや》あたりの軽い巫女に憑《かか》りなされようとは思われないのです」
将平のこのことばは、思いもかけない小次郎の虚をついたものであった。信じて疑わない所ではあったが、急所であった。もしここが崩れれば、全部が崩れ去るのだ。怒りが胸を暗くした。おそろしい顔になった。
「信じないと?」
と、叫んだ。
「信じません!」
胸を張って、昂然《こうぜん》として、叫びかえすように将平は答えた。
「員経! その方もか?」
「てまえも信じられません」
おだやかな調子ではあったが、それだけに強さがあった。
小次郎は二人に神託の下った時の有様をくわしく語りはじめたが、途中でやめた。ことばというものの無力さが痛感された。信じようという気のないものには、千言万語を以てしても、それどころか、その場に居合わさせたところで、信じさせることが出来ないのだと考えた。
二人が憎くなった。ふるえながらにらみつけていた。
将平がまた言う。
「兄上は今や昇りつくした竜のような地位におられます。周易《しゆうえき》には、亢竜《こうりゆう》、悔あり≠ニ申しております。何ごともあまりに極点まで行くと、必ず運命が傾いて来る、天道は満つるを忌《い》むと申す意味でありますとか。わたくしは兄上の運命を案ぜずにおられないのです。この際、退《たい》一歩の工夫をなさることが、最も肝心であると、考えないでおられないのです」
「黙れ!」
猛然として、小次郎は叫んだ。
「言うに事を欠いて、汝《わい》らは途方もないことを言う! およそ坂東にいるかぎりの者が皆信じて疑いを入れぬことを、汝らだけが信ぜんのだ。汝らが誤まっていることは明らかではないか。それを思ってみぬのか! 不信、傲慢《ごうまん》、無礼とは思わぬか! 神罰をおそれぬか!」
と、雷鳴のはためくように叫んだ。二人は平伏したまま動かない。それを見ると、小次郎はあまりの興奮が反省された。おちついた調子になった。
「恐れ多い申し条だが、百歩ゆずって、八幡大菩薩の御神託が何かの間違いであったとして考えてみてもよい。将平は、帝王の業は力量にも、智謀にも、人望にもよらぬ、ひとえに天命にあるといった。しかしながら、そんなら、将平はその天命なるものはどうして人々にわかると思っているのかな。
おれは京である人に聞いた。またこちらで興世王にもきいている。唐土では天は語らず宣《の》べない、天の心は民の心となり、民の声となってあらわれるものであると申しているそうな。民の欲することが天の欲することであり、民の声が天の声で、つまり天命とは人望に外ならぬということになっているそうな。おれはこれを唐土だけのことと思わない。日本も、天竺《てんじく》も、韓《から》も同じだと思う。
山城の京《みやこ》の朝廷の政が道を失い、六十余州が塗炭の苦しみにあることは、すでに久しいものだ。これを怨《うら》み憤《いきどお》らない者が一人でもあったら見せてもらいたい。即《すなわ》ち、天命は山城のみかどを去っているのだ。ただ天下の者が勇気を欠き、古い習わしにとらわれているため、今日までつづいているのだ。おれに言わせれば、心にうらみいきどおりながら、なおおとなしく山城の朝廷に従っているのは、悪を助けてこれを増長させている悪い所業なのだ。
民はまだよい。力足らず、勇足らぬ故、いたし方なく従っているのだ。あわれとこそ思え、責めてはなるまい。しかしながら、今の汝《わい》らは違うぞ。おれがこうして立つのだ。汝らは力はなくとも、勇はなくとも、おれに従い、おれを助け、応分の力をいたしてこそあるべきことだ。それを、くだらぬさかしらを言い立てて、山城のみかどの肩を持っておれを難ずる。何たることだ。何とか言う唐土の悪王があったな。何とか言ったぞ……。おお、そうだ。桀《けつ》だ。桀を助くるは桀の徒《ともがら》≠ニいうことばが、唐土にはあると聞いたが、汝らのしていることはそれに外ならないぞ。
八州の民は、おれがこの度立って帝位についたことを、誰一人不思議に思わぬ。豪族共は争って服属を申しおくり、民は皆おれが民となることを喜んでいる。天命は民の心、民の望み、民の声にあらわれるものなら、その天命はおれに下っていることは明らかではないか。汝らも、神託のことは信ぜずとも、これは信じないわけには行くまい。どうだ」
口べたな小次郎にしてはめずらしい雄弁であった。信念と熱情が彼を燃やし立てていた。そこにはいつもの憂鬱も不足も反省に似たものもなかった。
将平も、員経も、一語の言いかえしが出来なかった。
二人は平伏したきりでいたが、やがて、将平が、
「わたくし共、存念のほどはのこらず申しました。ごきげんにもとりましたのはいたし方ないこと。お暇《いとま》いたします」
と言って立上ると、員経もおじぎをして立上った。
小次郎はカッとして、どなりつけた。
「汝らがその考えをかえぬかぎり、一切目通りかなわんぞ!」
二人は無言で頭を下げて、出て行った。
簀子を遠ざかって行く足音を聞きながら、小次郎は言いようもないほどのさびしさを感じた。彼はこの二人が誰にもまして自分を愛し、自分を思っていることをよく知っている。他の弟や郎党等だって、皆それぞれに忠誠心のないことはないが、彼が全坂東の覇者《はしや》となり、帝位についてからはその忠誠心にある種の曇りが出ている。忠誠を抽《ぬき》んでることによって得分《とくぶん》の多い地位か国司になりたいと望んでいる。無理はないと思い、出来るだけそうしてやりたいと思ってもいるが、これはやはりさびしいことであった。しかし、この二人だけは違う。昔ながらの純粋な愛情を自分に抱いているのだ。
(その二人と、こうして袂《たもと》を分ってしまった! もう心からおれのことを思ってくれる者はなくなったのだ……)
うそ寒い風が胸の底を吹きぬけるようなさびしさであった。
「どうしようがあるか。二人は神託を信じなかったのだ。天命がおれにあることを信じようとしないのだ。おれをただの叛逆《はんぎやく》人としか認めようとしないのだ」
肩をそびやかして、腹立たしげにつぶやいてみたが、胸の底の寂寥《せきりよう》はどうしようもなかった。
数日の後、坂東全部の統一が成ったことと、小次郎が帝位についたことを祝しての拝賀の儀式が行われた。新国司等はもちろん一人のこらず集まった。豪族等もほとんど全部集まった。ごく少数の者だけが、あるいは病気、あるいはやむを得ない支障のためと言って、手厚い献上品を持たせて代理の者をつかわした。田原の藤太もその一人であった。
「陸奥《むつ》境に出張中引きこんだ風邪が意外に性《しよう》が悪く、見苦しい風態になっています。晴れのおん儀に参列するのはかえって礼を失することになろうと、心ならずも名代の者を参上させます。しかしながら、全快次第、必ず参上いたすでありましょう」
という鄭重《ていちよう》な口上で、他に幾層倍する献上品を携えさせていた。
儀式は、盛大にまた厳粛に行われた。
興世王と藤原|玄茂《はるしげ》とがこの儀式を主宰したが、儀式のあとで、興世王は近く太政《だいじよう》大臣以下の百官の除目《じもく》を行う予定であることと、王城の建設にとりかかることを発表した。将平の諫言《かんげん》によって菅原景行の気持が明らかになったので、新王城のことについては専《もつぱ》ら興世王の工夫にまかせることになったのであった。
「この坂東が畿内《きだい》になり、この石井《いわい》が京になるのである。まことに前代未聞の大業と申すべきである。大いに期待してもらいたい」
と興世王は話を結んだ。
人々は驚きもしたが、歓《よろこ》びもした。彼等の胸にもまた壮大な夢が組み上ったのである。
山城の京
京都は大さわぎであった。
最初の報告は十二月二日にあった。常陸《ひたち》国府の史生《ししよう》があのさわぎと共に身を脱して駆け上って、将門の叛逆によって国府が占領されたことを奏上したのである。
朝廷は驚きはしたものの、乱民のために国府が占領されたり、官府の穀倉が襲撃されたりしたことは、これがはじめではない。ちょいちょいあることで、いつも間もなくおさまっている。その類だと思って、さして気にはとめなかった。
ところが、それから間もなく、毎夜京の町々にひんぴんとして火事がおこるようになった。放火であった。しかも、その火事さわぎには必ず盗賊が横行した。検非違使《けびいし》庁や衛府《えふ》の兵士等が厳重に巡邏《じゆんら》して警戒につとめたが、さらに効果はなかった。市民等は毎夜|手桶《ておけ》に水を汲《く》んで屋根に上って警戒した。おりしも極寒の季節だ。つらいことであった。
十七日になると、伊予の国府から、日振島《ひぶりじま》に拠《よ》っている海賊の活動がにわかに活溌《かつぱつ》となったことを報告して来た。
日振島の海賊はこの九月|頃《ごろ》から目立って活動をはじめ、内海往来の船を襲撃するかと思うと、海岸地帯を荒しているので、朝廷ではその首領藤原|純友《すみとも》を都に召喚しようとの相談の議があって、大体そう決定していたのであった。
一体この年は日本全国がさわがしくて、夏のはじめには出羽に俘囚《ふしゆう》の乱があって、そうひどくはならないが、いまだにくすぶりつづけているのだ。俘囚というのは、蝦夷人《えぞびと》にして日本に帰属したもの、つまり熟蕃《じゆくばん》だ。
怠慢で無気力な人間は問題に直面したがらない。自らの心をあざむいて強《し》いて軽微なこととして放置するのが常だ。当時の朝廷がそうであった。俘囚の乱も、将門《まさかど》の叛乱も、伊予海賊の活溌化も、個々では廷臣等の心を動かすに足りなかったが、重畳《ちようじよう》して来たので、ようやく心をひきしめた。公卿僉議《くぎようせんぎ》(公卿全体の会議)が行われた。
彼等にとっては、事件の本質より事件のおこった土地が京から近いか遠いかが重大だ。坂東より伊予が近いので、そちらの方を重大とした。先《ま》ず伊予に対する方策が決定された。
純友を召喚する官符を下し、密告推問使を派遣するという決議。密告推問使の派遣はよいとしても、一片の官符くらいで純友を召喚することが出来ると思ったのだ。度しがたい自信自尊であった。
次に坂東に対する対策が決せられたが、これは専ら仏力によることになった。即ち諸寺に命じて仁王経《にんのうきよう》を転読《てんどく》させ、その功力《くりき》によって鎮定しようという方法。
これが決定したのは押しつまった二十五日であったが、その翌日には一層意外なことが報告された。備前介《びぜんのすけ》藤原|子高《さねたか》が純友の叛乱の状況を朝廷に報告するため京をさして上りつつあったのを知った純友は、郎党等に追跡させ、摂津国|須岐《すき》駅で追いついて、抵抗した子高の子を殺し、子高を捕えたことが、須岐駅から報告されて来たのである。
まだある。この時一緒にいた播磨介《はりまのすけ》島田惟幹もまた捕えられたという報告も、この日とどいた。
摂津の須岐駅は今の西の宮と芦屋《あしや》の中間あたりにあったのだから、京からわずかに十四五里、播磨の国府は今の姫路の南郊|国衙《こくが》町だ。京から三十一二里しかない。遠いはるかな国のことと思っていた廷臣等にとって、足許《あしもと》に火がついた気持であった。
すると、追っかけるようにして、翌二十七日は信濃《しなの》国府からの飛使が京に駆け上って来て、坂東の形勢を報じた。曰《いわ》く、
「常陸国府を占領して印鎰《いんやく》をうばい国司を逐《お》った平将門は、下野《しもつけ》上野《こうずけ》の両国府を占領し、ここでも印鎰をうばい国司を逐うた。国司等は信濃国に逃げて来ている。将門の叛逆は今は歴然である」
満廷、愕然《がくぜん》とした。
「西も東もなんたることであろう」
今さらのように情勢の重大さにあきれとまどった。
二十九日に太政大臣|忠平《ただひら》以下の諸公卿は殿上に集まって、信濃の使者の奏上の趣を吟味して対策を講じたが、二日の間に、公卿達の気持はいくらか落ちつきを回復し、それとともにまた持ち前の怠け心が出て来た。彼等はことさらに情勢を小さく視《み》た。
「東夷《あずまえびす》です。腹が立てば向う見ずなこともいたすでありましょう。いつもより少し大きいというにすぎぬと、まろは存ずる。やがておさまりましょう。あまりさわぎ立てては、朝威にもかかわりましょう」
と一人が言い出すと、皆同意した。小事件と見たいのは、誰しも同じであったのだ。彼等は現実と希望を混同していた。小事件であってほしいと希望していたから、小事件であろうと考えたのだ。惰弱な怠けものにはめずらしからぬことである。
その結果、
(勅符を信濃国に下し、兵を徴発して国境の防備を厳重にさせ、なお東山道、東海道の国々の要害、とりわけ逢坂ノ関、鈴鹿《すずか》ノ関、不破ノ関を厳重に警固させる)
と決定された。
ところが、その夜、とっぷり暮れてから、忠平は武蔵守《むさしのかみ》百済《くだら》ノ貞連《さだつら》が入京したという報告を受取った。
忠平は重立った公卿等に急使を走らせて殿上に集め、貞連を召して坂東の情勢を訊《き》いた。
この時の貞連の報告によって、将門が帝位につき新皇と称していることが、はじめて公卿等にわかった。
一同は色を失い、気絶せんばかりにおどろいた。しばらくはものを言うものはなかったが、忽《たちま》ち蜂《はち》の巣をつついたようなさわぎとなった。
「坂東の兵《つわもの》共はそろって騎馬の達人共なれば、京へ攻め上って来るに手間暇はかかりませんぞ!」
と、誰かが言うと、もうそこにとどろとどろしい馬蹄《ばてい》のひびきと物の具のふれ合う音の迫って来るのを聞くように覚えて、肝を冷やした。
「当平安城は兵事にはまことに不備であります。いそぎ内裏の諸門に矢倉を築く必要がありましょう。このままでは、素肌《すはだ》で白刃《はくじん》の前に立つようなもの」
「さようさよう。至急にさよういたそう。手のびしていては一大事であります」
「兵はいかほどおりましょう。諸衛府の兵全部で?」
朝議は収拾しがたい混乱におちた。その時、一人が叫んだ。
「諸公卿方は、最も肝心なことを忘れておわす。これは東西通謀しているのですぞ! 坂東と伊予との間には密接なしめし合わせがあるのですぞ!」
沸騰《ふつとう》しきっている釜中《ふちゆう》に三斗の冷水をそそぎこんだほどのききめがあった。人々は一時に沈黙におちた。皆手足がつめたくなり、肌えが粟立《あわだ》った。
もうどんなに過小視しようと思っても出来ることではない。こうなると、必要以上にあわてふためき恐れるのがこの手合《てあい》のくせだ。連日朝議が行われたが、とりとめた決議は何にも出来ない。人々の口から出るのはひたすらな恐怖のことばだけだ。混乱をきわめた。神社や寺院に対して祈願と調伏《ちようぶく》を依頼することだけがやっと決定された。
依頼を受けた社寺は修法《ずほう》名誉の阿闍梨《あじやり》や禰宜《ねぎ》をえらんで、壇をきずき、仏神の像をかけて荘厳《しようごん》し、護摩《ごま》を焚《た》き上げ、仏神の使者である鬼神の名号《みようごう》を焼き、調伏すべき賊の人形《ひとがた》をかけ、経を誦《ず》し、呪《じゆ》を唱えて、丹誠をぬきんでた。七日間に七石余の芥子《けし》を焼いたと歴史は伝える。いかにすさまじかったかがわかるのである。
このさわぎのうちに年は明けて天慶《てんぎよう》三年となったが、元日の節会《せちえ》にも七日の白馬《あおうま》の節会にも、天皇は南殿に出御なく、音楽も停止《ちようじ》された。つまり、節会が行われなかったのだ。このようなゆゆしい叛乱がおこるのは、天子が君徳において欠ける所があるためである。天子たる者は重く謹慎すべきであるというのが、支那《しな》伝来の当時の考え方であった。
元日に、朝議は、東海、東山、山陽三道の追捕使《ついぶし》を任命した。東海道に藤原|忠舒《ただのぶ》、東山道に小野|惟幹《これもと》、山陽道に小野|好古《よしふる》。
十一日には官符を東海・東山の二道の諸国に下して、功名ある者には即時に等《とう》をこえて位階を授ける故《ゆえ》、心を励まして賊徒の征伐につとめよとふれさせた。
十九日には、参議藤原|忠文《ただぶみ》を武官たる左衛門督《さえもんのかみ》に任じ、征東大将軍に選任した。
また前《さきの》武蔵介《むさしのすけ》源|経基《つねもと》を賞して従五位下に叙した。経基は去年の春武蔵の狭服《さふく》山で臆病風《おくびようかぜ》に吹かれて京に馳《は》せ上り、将門と興世王と武蔵|武芝《たけしば》とが叛逆したと訴え出たのが、坂東諸国からの報告によって誣告《ぶこく》であることがわかり、左衛門府に禁錮《きんこ》されていたのであるが、こんど将門の叛逆が事実となったので、「危機を未萌《みほう》に察した先見は感ずるにあまりあり」とされて、位を進められたのである。
このような朝廷の狼狽《ろうばい》やさわぎが下々にわからないはずはない。京の町々の不安とさわぎは形容も出来ないほどとなった。くわしい事情がわからないから一層だ。今にも東西から賊人共が攻め上って来るかとおびえて、家財家具をとりまとめて避難する者があり、この混乱を早くも知った田舎からは食物その他の物資を持って来ることをやめたために物価は底なしに騰貴《とうき》し、市民の困窮は目もあてられないものとなった。
京の町々に夜な夜な放火して市中をさわがせていたのは、純友のつかわした輩下兵であったが、このさわぎにつけこんだ。一層|跳梁《ちようりよう》につとめて、放火、強奪、暴行のかぎりをつくした。京の秩序は完全に乱れた。
今はもう無警察状態であった。
征東大将軍に任ぜられた藤原忠文は、惰弱で生《なま》ぬるいのが普通であった当時の廷臣の中ではまじめな勤勉家として出色の人であった。近衛《このえ》の少将であった頃、宿直《とのい》の夜には馬寮《めりよう》から馬を曳《ひ》かせて来て詰所のわきにおき、秣《まぐさ》をあてがい、その食《は》む音を聞いて眠気《ねむけ》をはらって終夜寝なかったので、その精励に人々は感嘆したという人である。
彼は一月十九日に征東大将軍に任命され、二月八日に南殿において天皇から節刀《せつとう》を受けたが、自宅に帰らず、そのまま出発した。これもまた、当時の公卿にはめずらしいことであった。しかも、彼はその時六十八という老齢であった。人々は凜乎《りんこ》たるその心意気に打たれて、
「さすがに忠文|卿《きよう》である」
と、襟《えり》を正して見送った。
この小説の各所で述べたように、王朝時代を通じて日本には正規軍はなかった。京に左右近衛府、左右衛門府、左右|兵衛府《ひようえふ》があって、軍事を担当することになっていたが、その兵数は全部あわせても二千人、これに将校級の者の私兵を加えても二千五百人くらいしかない。京の治安のために、これは最小限度の兵だ。連れて行くわけには行かない。従って、征東大将軍に任命されて戦地に行くにも、数人の下役人といくらかの家臣を連れて行くだけだ。主力をなす兵は途中で徴発した百姓兵と、募りに応じてくるいわば義勇兵である豪族等とを以《もつ》てあてるわけであった。
このようなことが可能であったのは、民の間に朝廷の権威が認められていたからなのだ。当時の朝廷の怠慢や失態や民政に対する愛情の欠如をよく知っている後世の我々から見ると信ぜられない気がするが、京都朝廷の権威が民から信頼を失いつくすにはなお二世紀半の時間を必要としたのだ。権威に対する信仰はなかなかくずれないものだ。
忠文の出発は、全京都の人々に見送られた。廷臣等は内裏《だいり》の外に居ならんで見送り、市民等はそこから三条大通りの左右をうずめ、賀茂川をこして粟田口《あわだぐち》から蹴上《けあげ》のあたりまで堵列《とれつ》して見送った。
走り使いの下人まで入れても四十人に達しないこの一隊に、人々のすべての希望がかけられているのだ。市民等は路面に土下座し、声もなく合掌して、甲冑《かつちゆう》に身をかためて粛々と馬を進める一行を見送った。
粟田口の、街道に沿ったみすぼらしい民家の垣根《かきね》に、花のひらきかけた緋桃《ひもも》の木があった。その木蔭《こかげ》にむしろをしき、人相に似げなく小ざっぱりした服装をした五六人の男共が二人の若い女をまじえて坐《すわ》って、忠文等を見送っていたが、忠文等が通りすぎてすぐであった。まだ市民等は散らず、坂東や伊予の兇賊《きようぞく》のことや、征討の前途に対する憂《うれ》えや、毎夜の恐怖や、物価の暴騰のことなど、何くれとなく話し合っている時、どこからともなく出て来た一人の男が緋桃の下の一団の横に立って声をかけた。
「行こうじゃないか」
高級公卿の家の侍頭《さむらいがしら》風のその男は、三宅《みやけ》ノ清忠であった。なにがおかしいのか、うれしいことがあるのか、にこにこ笑っていた。
暫《しばら》くの後、三宅ノ清忠等は五条堀川の辻《つじ》を西に歩いていたが、やがて北側のとある邸《やしき》に入った。
この邸は以前諸国の介《すけ》や守《かみ》などをつとめた人の建てたものであったが、その人が任地先で死ぬと、その人の娘の所有となった。
娘は以前からさる高級公卿の家に女房づとめしていたので、その邸に住むこともなく、手入れもなく荒れるにまかせて打ち捨てた。それを去年の春清忠が京都方面のことを担当することになって上洛《じようらく》して来た時、買い入れて修理を加えて住処《すみか》とした。この頃毎夜のように京の町中をさわがせている暴徒の根拠地はここなのであった。
寝殿の廂《ひさし》の間に通ると、清忠は一同に言った。
「さて、大将軍は出発したが、どうだろう、あのまま坂東にやったものだろうかのう。これだけの勇士がそろっていて、ただ見送りしただけでは働きのなさすぎることだと思うがのう」
「どうしようと言われるのです?」
と、一人がたずねた。
清忠は微笑して答えた。
「昔、近江《おうみ》の琵琶湖に竜《りゆう》がいたそうな。あの広く深い湖に住む魚属の大王であった。何百年、何千年の劫《こう》を経て、神変自在、嘯《うそぶ》けば、その気息は雲となって雨ふり、吟ずればその気息は風となり、叫べば声は雷鳴となり、目をかがやかせば電光となるといった工合で、魚属だけでなくあの国に住む人間共まで神としておそれかしこんだ。ところが、ある春の日、今日みたいなうららかな日であったそうな。竜王はふとそぞろ心にさそわれて、身を小さい魚にかえて、湖の岸べのあたりをさまよい泳いでいた。さざら波の立つ砂浜、針のような若芽の立っている葦原《あしわら》、岸の松が影をおとしている水の隈《くま》、いい気持で泳ぎまわっていると、岸べの漁村に住む貧しい漁夫の子供がこれを見つけて、手にした手網でヒョイとすくい上げてしまった。竜王はおどろきさわいだが、小魚になって水をはなれていては、さしもの神通力もふるえぬ。網の中にピチリピチリとはねては口をパクパク、小さな鱗屑《うろくず》をはね散らかすばかり。そのままグラグラと煮え立つ鍋《なべ》の中に入れられて、晩の食べものになったというのだ。どうだ、面白かろう」
のんびりとした調子で語って、清忠は人々の顔を見まわした。
輩下の者共にはわけがわからない。何の用があって子供だましのようなことを言い出したのかと、強そうで兇暴そうではあるが、鈍い目でいぶかしげに清忠を見つめていた。
清忠はハハと笑った。
「竜王とは忠文卿のことよ。征東大将軍に任命されたとはいうものの、あの手薄な人数で行くのだ。小魚にばけて浅瀬にバサっていると同じではないか」
アッとおどろきつつ、一同は合点《がてん》が行った。
「やるのですか!」
と、一人がさけんだ。
清忠はうなずいた。
「もしうまくやれれば、朝廷のおそれとふためきはこれまでに倍するぞ。すくみ上って、手も足も出ないようになるに相違ない。やることにしようではないか」
依然として微笑をふくんでのことばであったが、一同は興奮しきって、口々に同意の叫びを上げた。
一時間ほどの後、清忠にひきいられた五人は、狩衣《かりぎぬ》の下に腹巻だけした服装で、弓矢と太刀だけをたずさえ、目立たないように一騎ずつ邸を出、京の東北郊田中で一団となり、そこから飛ぶような速さで如意《によい》ケ岳《だけ》道を進んだ。清忠は忠文の今夜の泊りを大津と踏んだ。京の出発が遅かったし、大任を帯びての下向ゆえ早く泊りにつくはずと思ったのである。
京から大津へは三条から蹴上《けあげ》にかかり、山科野《やましなの》の北端をすぎて近江路に入るのが順路で、道もよいのだが、大津の手前に逢坂《おうさか》ノ関がある。天下三関の一つであり、最も京に近いだけにふだんでも出入りを厳重にしているが、この頃一層それが厳格になっているので、それを避けるためにこの道をえらんだのであった。この道は嶮《けわ》しいが、それだけに人に逢《あ》うことも稀《まれ》だ。道のりもさほどにない。順路を行くと同じく二里半で大津の浜に出られる。
日はもう未《ひつじ》の下刻《げこく》(午後三時)にかかっていたが、練達した彼等の騎乗を以《もつ》てすれば二更(十時)前に達することが出来よう。
一方、忠文の方は日暮はるか前に逢坂ノ関をこえて大津についた。清忠の推察した通り、ここに泊る予定になっていた。大津にはこの国の国府の役人が出張って、土地の豪族の家を宿舎として用意していた。
前に小次郎の王城づくりのところでちょっと触れたが、大津は京へ運びこむ物資の集積地として西の河陽《かや》(山崎)とならんで、当時大へん栄えたところである。琵琶湖があるためであった。馬の背か、牛車か、人の肩や背によるしか陸上の輸送の方法がなかったのであるから、琵琶湖を利用する舟運は最も便利なものであった。出羽から北陸地方、山陰地方の物資は日本海を舟によって敦賀《つるが》湾に入り、あの狭い地峡をこえて琵琶湖の北岸に運ばれ、湖水を縦断して大津に達したのだ。今日でも大津の町にはその名ごりがある。今日大津には一町全部|昆布《こんぶ》問屋という町がある。これは上に述べたことの名ごりなのである。
このような土地であるから、土地は殷賑《いんしん》をきわめ、住民の生活も豊かで、名ある遊女なども多い。忠文の宿元をつとめた豪族は、忠文ほどの上臈公卿《じようろうくぎよう》が自分の館《やかた》に泊ってくれたことを光栄として、歓待に心をくだいた。湖水で獲《と》れた鮮鱗《せんりん》を精選して肴《さかな》とし、目のこまやかな帛《きぬ》でいく度もこした酒を供し、芸能にすぐれた美しい遊女を招いて興をそえた。
忠文はこれを快く受けたが、微《かす》かに酔いの上る程度で盃《さかずき》を伏せ、遊女等をしりぞけ、随従の者共を呼んだ。
「明朝の出立は正|卯《う》(六時)の刻。したがって、皆|寅《とら》の刻(四時)にはおきて、出立までに一切の支度をととのえておいてもらいたい。大任をおびての旅であれば、油断は一切禁物である。寝につくにも、一同が一時に寝ては不意のことがあった際不覚を取ろう。組を分けて交代に眠り、一組は必ず起きていることにしたい」
と申しわたして、四組に分け、起き番の順序を指示した。
随従の者共には忠文ほどの責任感はない。旅人らしい放埒《ほうらつ》で享楽《きようらく》的な気持にもなっている。面白くなく思ったが、かしこまりました、とこたえて退《さが》った。
忠文が従者等にさしずしている頃《ころ》、清忠等は大津についた。湖水に沿った北の町外れである。半輪の月は中天を少しこえたあたりにあったが、浮雲が多く、時々それをかくしていた。
清忠は湖水の波打ちぎわの老松のかげに皆を集めて休息を取らせる一方、二人をえらんで斥候《ものみ》に出した。
「どこに泊っているか、用心の工合《ぐあい》はどうか、町の様子はどうか、それを見てくるのだ」
えらばれた二人は、徒歩で町の方へ消えた。
清忠を加えて四人は、膝《ひざ》をかかえたり、足を投げ出したり、寝そべったり、思い思いの姿で待っていた。ほとんど口をきかない。岸にたわむれる波の音、松の梢《こずえ》を吹く風の音、時々水中に魚のはねる音だけのつづく静寂な時間の流れであった。
生温かい春の夜であったが、こう長く水べりにいると、さすがに肌寒《はださむ》くなった。しかし、瀬戸|内《うち》の海上で鍛えた上に、夜盗働きをつづけている者共だ。クシャミ一つせず、初めからの位置に彫りつけたような姿でいた。
小一時間も経《た》った頃、斥候の者共はかえって来た。
「見て来ましたわな。これこれの館が宿所になっていますじゃ。館のかまえは大したことはありませんじゃ。土居《どい》も低いし、濠《ほり》も深いようには見えませんじゃ。そうじゃけれ、乗り入るのは造作ねえと思いますけんど、用心はきついですぞ。館の郎党下人共ばかりでのうて、将軍の従者共まで一緒になって、ひっきりものう廻《まわ》り歩いていますじゃ。何ぞとくべつな工夫せな、普通ではいけんですわな」
と一人が報告した。
困難が予想されたが、清忠はそれをけぶりにも見せない。
「そうか。やはり噂《うわさ》通りの人物ではあるのだな」
と、至って冷静な様子で言って、もう一人に、
「それで、町の様子はどうだ」
「これは何にもねえようですわな。どこもかしこもよう寝静まっているようですわな。倉だらけの町ですじゃ。よっぽど有徳人《うとくじん》の多い町のようですわ」
美酒を前にした酒飲みが舌なめずりしているに似た調子であった。
清忠は計画を変更する必要を感じた。思案していたが、やがて言った。
「よし、こうしよう。わいらは皆ばらばらに分れて町に入り、方々で火をかけい。必定町ではさわぎ立てるに相違ないが、出来るだけそのさわぎが大きくなるように働けい。小半刻《こはんとき》も働いたら、引上げてここに集まっておれの来るのを待て。更に半刻待ってもおれが来なんだら、かまわんから京へ帰れ。おれはおくれても必ず京へ帰って来るから心配はいらん。おれのことを心配してぐずぐずしていると、危《あぶな》いことになるぞ。それから、特に言っておくが、今夜は人は殺してもよいが、財宝に目をくれてはならん。今夜はそんなものに目をくれていると、いのちが危いぞ。わかったか」
「そなた様はどうなさるのです?」
と、一人がきいた。
「おれのことはかまうな。おれはおれでしごとがある。――さア、行けい!」
五人はパッと立上って馬にまたがり、ゆるやかに歩ませて町の方に向った。
清忠はしばらくあとにのこっていたが、これもまた町に向った。
二十分ほどの後、清忠は目ざす館に達して、濠について館の周囲を一巡した。報告の通り浅間《あさま》なかまえであった。彼は濠の最もわたり易《やす》い場所を見定めると、馬を濠から少しはなれた藪《やぶ》かげに引きこんでつないだ。素ッ裸になり、刀を背に斜めに背負った。濠に入り、造作なく泳ぎわたった。
土居に這《は》い上り、刀を胸に抱いて、斜めなその側面に仰臥《ぎようが》した。土居にはまだ若草は萌《も》えず、去年の草が密生したまま枯れている。ほかほかとあたたかく、いい気持であった。彼は益々《ますます》傾いて行く月を見たり、ちぎれ雲の間にかがやいている星を見たり、時々町の方を見たりしていた。
やがて、町の方に待っていた変化がおこった。淡い月光の下に眠っていた町の一部分に赤い光が茫《ぼう》とにじんだかと思うと、忽《たちま》ちそこにざわめきがおこった。
(はじまったな)
清忠はにこりと笑って、刀の柄《つか》に手をかけた。しかし、まだ前の姿勢のままであった。
また別な方面に赤い色がにじみ、同じようなざわめきがおこった。もうその時にははじめの赤い色は濃さと大きさを益《ま》し、歴然たる焔《ほのお》の色となり、さわぎは一層ひどくなっていた。
こうして、次々に火がおこり、大津の町中は沸き立つ鼎《かなえ》のようなさわぎとなった。
清忠は身をおこし、土居を這い上り、姫墻《ひめがき》の際《きわ》まで行ってうずくまったが、それを越えようとはしなかった。こうして町にさわぎがおこれば、館内でもきっとさわぎ立ち、番の者共の注意は必定外に向うにちがいないと目算したのであるが、そのさわぎがおこらないのだ。
「チェッ!」
ついにしびれを切らした。ぐずぐずしていては火が静まってしまう!
決心した時、やっと館内がものさわがしくなった。
(しめた!)
のび上って、墻の上に手をかけようとすると、不意に人の足音がせまった。清忠は刀をぬきはなってうずくまった。同時につい頭の上に声が聞こえた。
「やあ、燃える燃える」
「こりゃひどい。いく所もだぞ。こりゃ放火《つけび》だな」
二人であった。上目に見上げると、二人とも姫墻に身をのり出し、手をさしのばしている。焔の反射が顔を赤く染めていた。
とつぜん、二人は眼下にいるはだかの男に気づいた。
「あッ!」
と、同時に叫んだ。
清忠はおどり上り、大きく刀をまわした。
月光をはじいてキラリと光った刀の光に驚いた二人は、身を引いて防禦《ぼうぎよ》の姿勢を取ろうとしたが、おそかった。さしのばしていた右の腕を、一人は肱《ひじ》から、一人は手首から斬《き》りおとされた。
「く、曲《くせ》……」
と、同音に狼狽《ろうばい》と恐怖の叫びを上げたが、ことばをおわることは出来なかった。腕を払うと同時に清忠ははねおき、姫墻をおどりこえざまに薙《な》ぎはらった切ッ先に、一人の首を宙に飛ばし、返す刀に飛びすざって横に逃げようとする一人の腰車を斬りはなした。ほんの二三瞬の間のことであった。
清忠は二人の死骸《しがい》を姫墻の陰《かげ》に蹴《け》こんでおいて、木立にかけこみ、鋭い目であたりを見まわした。館中のいたる所に町の火事におどろいているざわめきがつづいているが、ここでおこった事件には気づいた者はないようだ。
「先《ま》ずよし!」
清忠はなおあたりを見まわした。忠文の泊っている場所と厩《うまや》をさがしたのであった。厩の馬を追い放ってさわがせ、それに乗じて忠文を刺そうと考えているのであった。
間もなく、厩はわかった。大手口に近く、数株の老松が月の空に笠形《かさがた》に枝をひろげている下に、別の建物に半分かくされて建っている草|葺《ぶ》きの低い屋根の建物がそれに違いなかった。
しかし、忠文の泊っている場所はまるで見当がつかなかった。
「さらばよし! 先ず馬を追い放とう。さわぎとみれば、きっと忠文が出て来るに相違ない」
清忠は物陰から物陰をたどって、厩と見た建物に向った。陰から陰へ飛びうつる時、裸身に月光をはねかえすすばやい姿は、何か獣めいた感じがあった。その姿がその建物に入ると、忽ちそこからさわぎがおこった。口綱を切られ、尻《しり》を傷つけられた馬は、次々に外に飛び出して来た。皆狂気したように、やみくもな速さで、鼻面《はなづら》の向いた方に、蹄《ひづめ》の音を乱して走り出した。にぎりしめた散弾を力一ぱい石畳《いしだたみ》にたたきつけたようであった。
館内は忽ちさわぎ立った。すべての建物の内部に足音が乱れ、人声が沸き立ち、遣戸《やりど》や蔀《しとみ》が引き明けられ、人々が走り出して来た。
「放れ駒《ごま》ぞ!」
「曲者ぞ!」
「出合え、出合え」
口々に叫んでいたが、やがて、
「馬は捨ておけ! 皆将軍の殿の御寝所を固めい!」
という叫びが上ると、人々は奥の方に走り出した。
さわぎが起ると共に、清忠は母屋《おもや》の床下にもぐりこんでいたが、すぐ飛び出して人々にまじって走り出した。不敵な計算であった。はだかでいるのが、この際は寝床から飛びおきて来たと見られるに相違ないと思ったのであった。
しかし、ものの五間と走ることは出来なかった。
「無礼者!」
という叫びと共に、したたかに突き飛ばされた。
「何者なれば、尾籠《びろう》きわまる姿で、御前に出ようとはする!」
と、その男はののしったが、忽ちまた叫んだ。
「や! おのれ見なれぬ奴《やつ》! 曲者! 曲者! 曲者ぞ! 出合え!」
と、絶叫して、刀を引きぬき、狂気のようにおどりかかって来た。
しまった、と思ったが、もうどうしようもない。
舌打ちして、かわしざまに、抜打ちに両腕《もろうで》かけて斬りおとした。刀は斬りはなされた両手につかまれたままおち、人は悲鳴を上げて飛びすざった。
「出合え! 出合え! 曲者ぞ!」
奥に向って走っていた侍共がドッと引きかえして来た。手ン手に打物《うちもの》をふりかざしたり、引きそばめたりしている。
ここまで事を運んで、最後のどたん場になってこんなことになったのが、清忠は無念しごくであった。しかし、もういかん、忠文の肝を冷やさせ気を奪ったというだけで満足すべきであると、見切りをつけた。
「うぬらア!」
精一ぱいの獰猛《どうもう》な声を上げ、刀を振って威嚇《いかく》し、たじろぐすきに姫墻に走り寄り、ひらりとおどりこえた。
敵は殺到して来た。手鉾《てぼこ》で突いてかかった者があって、穂先が左の肩先をかすった。かまってはおられない。斜面の枯草の上をあお向けになってすべりおりた。
敵はいなごの群のように姫墻をおどりこえたが、清忠は早くも濠に飛びこんだ。月ははるかに西に傾いて、山の端《は》近くをうずめているむら雲にかくされている。薄暗い中に水の音がすさまじく立ったが、はね上ったしぶきは薄ぼんやりとした白さに見えただけであった。
「弓だ!」
「誰か弓矢を持たぬか!」
「弓の者、射よ!」
と、人々はさわいだ。
弓を持った数人が、弦《ゆんづる》に鼻油ひいて矢をつがえ、眼《め》を皿にしてほの暗い水面をにらんで立ったが、清忠には抜目がなかった。本職がら、水練はしごくの達者だ。飛びこむや、一度も水面に姿を目せず、向う岸に達し、藪蔭《やぶかげ》と木蔭を選んで姿をかくし、微《かす》かな音一つ立てず這い上って、かくしておいた馬の側《そば》に達した。
左の肩先がヒリヒリと痛んだ。さぐると、柘榴《ざくろ》のようにはじけている傷口から血がぬるぬると流れていたが、深傷《ふかで》ではない。清忠はその血を顔やからだ中にべたべたと塗りつけた。火事でさわいでいる町を通りぬける時、人々を恐れさせて道をひらかせるためであった。
馬にまたがった後、館にむかって大音声《だいおんじよう》に呼ばわった。
「やあ、やあ、われを誰とか思う? 伊吹の山にこもる盗賊大将軍鬼神丸とはわがことぞ。坂東の新皇と伊予の海賊衆とに心を通わし、忠文卿をおびやかしにまいったのだ。坂東までの道筋、東海道にも東山道にも、われらと同腹の者共が山々谷々駅々をうずめて、手ぐすね引いてお待ちしている。せっかく気をつけてまいられよ。事なく坂東までまいりつかれることが出来られたら、希代《きだい》の幸運であろうぞ!」
そして、怪鳥《けちよう》の啼《な》くような笑い声を上げて立去った。
館の姫墻と土居に居並んでいる侍共は、このことばも、この笑いも、疾駆し去る馬蹄《ばてい》の音も、皆はっきりと聞いた。髪が逆立ち、悪寒《おかん》が走り、全身が鳥肌《とりはだ》立って来るのを感じた。
雪の来る山々
話は前にかえる。
常陸《ひたち》国府と小次郎との間に争いが起った時、藤原|為憲《ためのり》は源ノ護《まもる》に参加をもとめた。老齢と重なる不幸に打ちのめされている護には小次郎に対する怨恨《えんこん》はもうなかった。彼は老衰を理由にことわったが、詮子《せんこ》と小督《おごう》がきかなかった。婚家に愛想をつかして帰って来たきりでいる二人は、
「こんなよい機会をよそに見るということはありません。お父《もう》さま自らお出ましはなさらずとも、郎党共のうち心|利《き》いた者に兵を授けて参加させることになさるがようございます」
と言い張った。詮子は、また、
「お父様がそうして下されば、わたくし上総《かずさ》にかえって、公雅《きんまさ》殿に話して上総からも兵を出させるようにします。亡《な》き介《すけ》の殿は病死なされたのでありますが、その御病気は石井《いわい》とのいきさつからおこったのです。つまりは石井に殺されなさったも同然です。公雅殿にとっては父《おや》のかたきです。兵を出さぬとは言わせません。しかし、当家が先ず御出兵あった方が説きやすうございます」
と、言った。
こういわれても護は気が進まなかったが、しかたはなかった。一ノ郎党に二百ばかりの兵を授けて、為憲の許《もと》におくった。詮子はよろこんで上総に向った。
しかし、戦争は転瞬の間におわり、国府軍は大惨敗《だいざんぱい》だ。
「それ見ろ! いわぬことか!」
石井勢が国府を目がけて殺到して来るとの報《しら》せを受取ると、護は自分の妾《しよう》と小督と亡き長子|扶《たすく》の妾の三人と、十五六人の下人共を引きつれ、東へ逃げ、山前《やまさき》川(今の園部川)の河口から舟に乗って香澄が浦に浮かんだ。詮子を頼って上総に行くつもりであったが、翌朝|神前《こうざき》(今の神崎)につくと、護はおどおどと言い出した。
「上総も、介の殿が亡くなられた今では、義理の人々ばかり。これだけの人数がおしかけて行っては、詮子も切なかろう。どうじゃろう。二手にわかれて、一手は水守《みもり》に行っては」
二手にわかれるといえば、護が上総へ行き、小督が水守へ行くということだ。護の気が弱くなり、卑屈になっていることが、小督にははっきりとわかった。情ないと思ったが、顔を赤らめて言い争ってみてもしかたのないことだ。
「それもそうです。それではそうしましょう」
一行は二手になった。一手は護とその妾、一手は小督と扶の妾。下人等も二手にわかれて袂《たもと》をわかった。護の一行は舟を捨てて武射《むさ》郡に向い、小督の一行は今の利根《とね》川の水路、当時は毛野《けぬ》川の下流をさかのぼり、途中で養蚕《こかい》川に入って、水守に向った。
護の一行は、翌日の夕方目的地についたが、つくやすぐ、護はよくぞ大勢で押しかけて来なかったと思った。彼等を迎える館《やかた》の空気はひどく冷やかなものであったのだ。
「ようこそおいで下さいました。いずれ世もしずかになりましょうから、それまでは心おきなく御滞在下さい」
公雅は父が死んでからひどくおとなびても来たし、明くればもう十九になるはずだ。その迎えぶりは礼儀正しかったが、同情的なところやなつかしがっているようなところはさらになかった。
詮子も浮いた存在になっていた。
「殿が亡くなられると、子供の心も家来共の心もこんなにちがうものでしょうか。わたしの申すことなど、誰ひとりとして耳を傾けようとしません」
勝気な詮子は涙をこぼして父に訴えた。護も居づらいことであったが、ここを去っては身を寄せる所はない。がまんするよりほかはなかった。
水守に行った小督と扶の妾にも同じ運命が待っていた。
ここでは良正《よしまさ》が耄碌《もうろく》しているので、とんと頼りにならない。良正は依然として若い妻を愛しているが、重なる敗戦と若い妻の実家の不運から、以前に輪をかけて老妻に気をかねるようになっている。
「|こけ《ヽヽ》なこと言わっしゃりませ。常陸六郎といわれて坂東八カ国に鳴りひびいたほどの武者《むさ》が、羽ぬけ鶏《どり》みたいになり、昔の三が一にも足りぬ身上《しんしよう》にならしゃったのも、もとはといえば年《とし》甲斐《がい》もない好色《すき》心をおこして、若い女に鼻毛を読まれ、あろうことか同族と合戦|沙汰《ざた》などにおよびなされたからではござらぬか。あかの他人に与《くみ》して、同族と合戦するなど、坂東でははやらぬ沙汰じゃ。おかッしゃりませ! この上そげいなことを言わっしゃるようなら、女狐《めぎつぬ》共々たたき出しますぞ!」
と老妻にはためき出されると、
「おお、おお、おお、なんというあらけないことを……当家のあるじはおれじゃに……、おお、おお、おお、たたき出すとよ。おお、おお、おお……」
とつぶやいて|ひっそく《ヽヽヽヽ》してしまうのであった。
以上は小督らが来る前の水守館の情況であったが、来るや否《いな》や、小督らはこれを満喫させられた。良正と、姉とに迎えられて、涙とともに委細《いさい》のことを訴えている時、不意に老妻が入って来た。小督はわけをのべて、あいさつした。
「はあ、さようですか。はあ、それはそれは、お気の毒なこと……」
老妻ははじめは殊勝に聞いていたが、やがて様子をあらためて、
「人は相身《あいみ》たがいの者、ましてや、縁つづきの御身様方です。ずいぶんお世話もいたしましょうが、うちの殿を焚《た》きつけるようなことはしていただきますまいぞ。うちの殿は若い美しい姫|御前《ごぜ》衆から口説かれますと、あとさき見ずおとこ気を出して合戦をはじめては打ち負けなさるのがくせでありますでな。それさえしなさらんなら、いつまででもいて下され。わかりましたかや」
と言って、さっさと引上げた。
辛辣《しんらつ》きわまるこのことばを、小督の姉は身をふるわせ涙ぐんで聞いていたが、良正は気弱くにやつきながら、ひげばかりひねっていた。
(長くおれる所ではない)
と小督は思わないわけに行かなかった。
数日の後、小督と扶の妾とは水守を出て、笠間《かさま》を志した。笠間は源家の所領で、扶の妾の実家のある所である。
「あそこは不便な山ふところでありますから、敵の目もとどきますまい。またお家の御領分です。きっと心をつくしてかくまってくれます」
という扶の妾のことばにしたがったのであった。
笠間は少し前までは西茨城郡、今は笠間市になっているが、この当時は新治郡《にいはりごおり》の所管であった。蒜間《ひるま》川(今の涸沼《ひぬま》川)の上流のひらく二つの盆地が瓢形《ひさごがた》につらなって、四方を山岳でかこまれた所にこっぽりとはめられたようになった所である。
人目を忍ぶ旅だ。うねうねと曲りながら筑波《つくば》山塊を縦につらぬく山路をわけて、十里足らずの道を三日もかかってたどりついたが、七人の下人等の半分以上が途中で逃亡して、わずか三人だけがのこった。心細かったが、今さら引きかえしのつくことではない。とぼとぼと旅をつづけた。笠間についてみると、合戦のことは早くもこの山間に伝わっていた。
「何ともはや申し上ぐべえようもねえ仕儀になりましただ。つい昨日《きんの》のこと、この荘《しよう》はこれから公領になった故《ゆえ》、さよう心得ろちゅうて、国府からおふれがまいりましただが、これまでの御領主様の姫《ひい》様じゃ、不人情なことも出来ましねえ。何とかお世話しますべい。石井方に知れたら事でござりますだが、そん時はそん時の工夫にしますべい。目立たねえように忍んでいて下さりませ」
妾の生家の者は別として、村の人々は当惑げであった。しかし、ともかく引受けてくれた。
妾の生家は普通の農民ではない。娘のゆかりで長《おさ》百姓となって村のたばねをしている。家居もかなりな広さがある。普通の百姓の家は三尺ほど土をほりくぼめた周囲に二尺ほどの高さに土をもり立て、その上に四五尺の柱を立てて屋根をふいて、半ば穴居時代の名ごりをのこした一室きりで、床もなく、叩《たた》いた地べたにじかに菅莚《すがむしろ》をしいて住んでいるのだが、村長の家となると、径一寸ほどの竹をならべて縄《なわ》で編んだ床を張り、へやの数も三つ四つはある。その一室が小督の居間にあてがわれ、妾は家族等と同居することになった。
ここに来て二三日目、一夜ひどい寒さになったが、夜が明けてみると、見えるかぎりの山々の頂は雪で真白になっていた。
「山の中でござりますで、寒さが厳しゅうござりますだ。やんがてこのへんも雪に埋められますだ。しかし、そうなると、かえって安気ですわい。わきから人の入って来ることもありましねえでのう」
と、妾の母親が言った。
小督の毎日は憂鬱《ゆううつ》であったが、妾は愉快げであった。彼女は十一二の時源家に女《め》の童《わらわ》として奉公に上り、二三年後に扶の手がついて妾になったのだから、生家をはなれてから十年以上も経《た》っている。
農家の生活などまるで忘れていたはずだが、よく家族共の中に融《と》けこんでしまった。太い薪《まき》をおしげもなくどんどんと焚《た》いている炉べりに父母、兄弟、兄嫁、それから小督のつれて来た三人の下人共と一緒になって、朝から晩まで他愛《たわい》ない話をして笑い興じている。
小督はうらやましいと思って、自分もそこに出て行くのだが、彼女が一人まじると、人々は火の消えたようになる。急に口少なくなり、そわつき、何かと用事を言いだしては一人立ち二人立ちして、炉べりにのこるのは妾と二人きりになってしまうのだ。
(のけものにする)
小督は心がいら立ち、皆がにくくなる。
年の暮近くなると大雪が来て、二尺近くも積った。どこもかしこも真白だ。
「さあ、来ましたぞい。この雪は来年の、早くて正月の末でなければとけましねえ。それまでは安気なことですわい。だアれもよそから来ましねえでな」
と、妾の母は言った。
ここへ来てから、小督は朝がおそくなった。目は早くさめるのだが、母屋《おもや》の人が起き出してコトコト朝の支度をしているのを聞きながらいつまでも寝ているくせになった。人なみに起きたところで所在ない毎日なので、こんなじだらくなくせがついたのだが、離れがたい床の中でぐずぐずしながら、あれこれと物思いにふけるのだ。その物思いは多くは昔の楽しかった思い出であった。まだ娘であった頃《ころ》の貞盛《さだもり》との恋のいきさつは最もしげしげと思い出した。筑波の|※[#「女+櫂のつくり」]歌《かがい》の夜の小次郎とのこともこめて他の数人の男のことも。これらの思い出にはすべて性愛のことがからまっている。きびしい寒気を衾《ふすま》にさえぎった生温かさの中に、しなやかな手足をちぢこめて、半睡|半醒《はんせい》の心で考えることは、我にかえるとびっくりするほど放恣《ほうし》なことであった。
「いやだこと! つまらないことを考えて!」
ひとりで顔を赤くした。
ある夜見た夢などはひどかった。彼女はにぎやかな通りを歩いていた。どこであったかわからない。府中の市《いち》の日であったかも知れない。それともどこか神社のお祭りの日であったかも知れない。たくさんの人がぞろぞろと歩いていた。その中を、彼女は血眼《ちまなこ》になって人をさがして歩いていた。
「こんなにたくさんの男の人がいながら、あたしをもとめる人はひとりもいないのか!」
たえずそう考えながら、半分泣きながら、人をかきわけて歩いている夢であった。
また、こんな夢を見たこともある。これもにぎやかな通りの四ツ辻《つじ》である。そこで彼女は一人の男に犯されていた。人々はそのわきを通りすぎたが、誰も気づかない。ただぞろぞろとわきを流れて行った。
「ばかな夢だこと!」
じっとりと汗ばんだ胸を抱きしめながら、小督は自嘲《じちよう》したが、こんな風では気が狂い出すのではないかとおそろしかった。
夫の貞盛と小次郎の間が、今のようなけわしい仲になったことも、ただごととは思われなかった。自分が二人の反目の原因になっているに違いないと思うのだ。結婚前の自分と夫とのことを小次郎が知っているかどうかはっきりしないが、夫がたしかに知っているところを見ると、小次郎も知っているのかも知れない。※[#「女+櫂のつくり」]歌の夜のことは、今では夢のようにおぼろな記憶になっている。思い出そうとしてみても、月の光と風の音と林の中の至るところにこもっていたさざめきなどばかりが強く出て来て、かんじんの小次郎のことははっきり思い出せない。
「だのに、こんなことになろうとは!」
ちょっとした行為の結果が途方もなく大きなことに発展して行くことをおそろしいと思ったが、得意に似たものがあった。
「小次郎の殿は今もあたしを好いていなさるのだろうか」
新しい年になってから五六日目の早朝であった。その朝も小督は床の中でぐずぐずしていると、母屋の人々のけはいが急にかわった。ひっそりとしずまりかえって、しばらくして改まった調子で妾がボソボソと言う声が聞こえて来た。小次郎の追ッ手でも来たのではないかと思われた。
とてももうのがれることは出来ないと、絶望が胸をくらくした。
(この上は、出来るだけ美しい姿で小次郎の殿の前に出たい)
と、思った。
起き上った。化粧《けわい》しているひまはない。手早く髪をかきつけ、顔に浮いた脂《あぶら》を紙で拭《ふ》き取り、口紅をさすだけにしたが、それだけで、鏡にうつった顔は見ちがえるほど美しく、また凜《りん》とした風情《ふぜい》になった。
小督は満足して着がえにかかった。
そこに、妾が飛んで来た。
「左馬《さま》ノ允《じよう》の殿がお見えになりました!」
と、叫んだ。生き生きした声であった。
小督はおどろいた。
「なんですと?」
「左馬ノ允の殿でございます。小姫《こひめ》様をたずねて見えたのでございます。ずいぶん方々おさがしになったのだそうでございます」
妾の声にははずみかえる活気がある。声だけでない、顔にもこの日頃たえて見せたことのない生き生きした血が上り、目がかがやいている。目を見はらせるほど美しくなっていた。
小督はほんのしばらく思案した。あたたかいものが胸にたかまって来たが、おさえて思った。――何の用でたずねて来たのであろう。世をせばめ、尾羽うちからして、領民等の家を宿なし犬のように寄食して歩いているというのだが……
「とにかく、会いましょう」
といって、家の方に出て行った。
蓑《みの》を着、藁帽子《わらぼうし》をかぶり、藁ぐつをはき、全身に泡立《あわだ》つ汗をかいて湯気を立てている馬の手綱を取って、軒近い雪の中に、貞盛は立っていた。
「やあ」
明るい顔で、明るい声であった。深い雪の中を馬にも騎《の》れずずっと曳《ひ》いて来たのであろうが、匂《にお》うように血色がよく、形のよい目にはみずみずしいかがやきがあった。
この人は昔ながらに美男だと思った。
「おいでなさいまし」
「難儀なことよ。山路にかかってから三里ばかりというもの、ずっと歩きづめであった。雪の中というもの、中々歩きにくいものだなあ。馬も難渋したぞ。やっとたどりついた」
紅《あか》い形のよい唇《くち》もとから、ものを言うたびに白い湯気が立上った。
口綱を妾の弟にわたし、馬の手入れを命じた後、蓑をぬぎ、帽子をぬぎ、雪をはらって妾の兄にわたしておいて、ずいと土間に入って来た。さらに卑屈なところはない。自分の家にかえって来た主人の態度であった。
「わしはそなたがここにいることを、多気《たけ》の里で聞いて来た。あそこで、水守の郎党に会ったら教えてくれたのだ」
へやに通ると、貞盛はこう言った。
「そうでございますか」
とだけ、小督はこたえた。
小督の心理は複雑であった。彼女は貞盛の臆病《おくびよう》と無気力に対する怒りを捨ててはいない。結婚以来深刻になった不和の感情もまだのこっている。そのくせ、この突然の来訪に胸がときめいている。わくわくする気持といった方が適当かも知れない。むずがゆさに似たものがいく度となくからだの奥深いところから湧《わ》きうごいて四肢《しし》の末まで走った。自分の美しさが貞盛を引きつけることが出来るかどうかが、しきりに気になった。
扶の妾が酒と食事の用意をして持ちこんで来た。妾は白いものを顔にはき、唇《くちびる》に紅をさし、着物までかえていた。
小督は腹が立った。
(何という女だろう。あたしの夫ではないか。この人がこんなにめかし立てることはないのだ)
と、思った。
「こちらにもらいましょう」
早く追いしりぞけるために、手を出して膳部《ぜんぶ》を受取ろうとすると、妾は渡そうとしない。
「まあ、まあ、姫君は殿にならんでお坐《すわ》りになっていて下さいまし。こんなことはわたくし共|婢女《はしため》の役目でございますから」
と、愛嬌《あいきよう》よく笑って、貞盛の前にすえた。
「ほんとに粗酒でございます。麹《こうじ》がよくなかったとかで、出来がよろしくないのでございますが、寒さしのぎとお疲れ休めになると存じましたので。お一つお取り下さいまし。精々熱くしてまいりました」
と言って、瓶子《へいし》を取り上げてすすめる。みずみずしくうるおった目にこぼれるような媚《こ》びがあり、ちょいと顔をかしげたところ、まことに艶冶《えんや》な風情がある。
「何よりのものだ。いただく」
貞盛はにこにこ笑いながら盃《さかずき》を取った。妾は膝《ひざ》をのり出して、とくとくと注ぐ。濁酒だが濾《こ》してある。貞盛は一口のむと、
「ああ、うまい! そなたのように美しい人に酌《しやく》してもらうとひとしおの味だ。五臓六|腑《ぷ》にしみわたるとはこのことだな」
と、言った。
「まあ、殿のお口!」
妾の顔はだらしないくらいうれしげになったが、それがまた何とも言えず美しい。
小督は怒りに胸がふるえた。貞盛の手から盃を奪って、酒を捨て、妾の手から瓶子をもぎとって、酌をしなおしてやりたいと思った。しかし、そんなはしたないことは出来ない。胸のうちで妾を罵《ののし》り、貞盛をののしるだけでこらえていた。
(この女もこの女、この人もこの人。こんなにおめかしをし、こんなに媚び、こんなにうれしげに笑うことはない)
小督はそれが嫉妬《しつと》であるとは意識しない。ただ腹を立て、青くなっていた。
酒がすみ、食事をおわると、貞盛は、
「しばらく寝《やす》みたい。眠くなった」
と、言った。とろりとした目が細くなり、酒気に薄赤くなった頬《ほお》のあたりに疲労の色が濃く出ていた。一時に疲れが出て来た様子だ。
「まあ、まあ、さようでございますか。すぐお寝間をこしらえます」
妾は弟に命じて藁|蒲団《ぶとん》など運ばせて来て敷いてやる。まめまめしい働きぶりだ。
それも小督の気に入らない。
(何という出すぎた女だろう。自分の男ででもあるように!)
小督としては、婢女と同様な兄の妾と競うことは出来ない。あまりにもはしたないことだ。しかし、このままでは胸が安らかでない。
(どうしてくれよう?)
と、思案した後、やっと一工夫つけた。
「あたしの衾《ふすま》をさし上げるように」
と、妾の弟に命じた。そのことばがつい切り口上になったので、小督はわれながらおどろいた。
「へい」
弟はすなおに答えて、指さされた衾を持って来て、蒲団の上においた。別段に気をまわした様子はなかった。しかし、妾にはわかったらしい。白けた顔になった。浮かれ切ってはしゃいでいる子供がこわい大人にうしろから肩をたたかれたような表情であった。溜飲《りゆういん》の下る気持であった。
貞盛の方を見ると、貞盛は前の場所に横になって、もう軽い寝息を立てていた。
「オヤ、マア。よほどに疲れていらっしゃるのですねえ」
と、小督は笑った。仲のよい夫婦で、夫を愛し切っている妻であることを誇示してみせた。夫にすりより、肩に手をかけてのぞきこんだ。
「もし、お支度が出来ました。直っておやすみ下さい。もし、お風邪を召しますよ」
きゃしゃなようでも、鍛えの積んだ貞盛のからだはかたくしまっている。骨太で弾力のあるその手ごたえに、小督の手はしびれたようになり、胸がわなわなとふるえた。胸のあたりからにおい立って来る体臭が熱いものを胸にそそぎこんだ。離しともない思いであった。
「……や! うむ、そうか」
貞盛は半身をおこし、薄目をあいて床を見たが、すぐごそごそと這《は》いこんだ。
小督は風が入らないように、衾のわきやすそをおさえてやった。
こんどは妾が嫉妬する立場になった。青い顔になり、目をきらめかして見ていた。
(見せつけていなさるのだ。いつまでもなんということであろう!)
ほんとに小督は見せつけているのであった。いつまでもぐずぐずと衾をおさえ、いとしげに夫の寝顔を眺《なが》め、時々妾の方を見た。ねえ、あたし達は夫婦なのですよ。この人はあたしの夫なのですよ、おわかり≠ニ言うように微笑して。
日の暮れる頃、貞盛は目をさました。
「あアあ、よく寝たなあ。こんなによく寝たことはこの頃とんとないことだぞ」
と、言いながら快げにあくびをしていると、もう妾が入って来た。
「お目ざめでございますね。やがてもう灯《ひ》ともし頃でございますよ。よくお目がとろけませんでしたこと」
などと、なれなれしい口をききながら、弟に|たらい《ヽヽヽ》や手桶《ておけ》を運びこませて、洗面をすすめる。貞盛が洗面にかかると、うしろにまわって袖《そで》を持ったりしてかしずくのだ。それをまた貞盛は持ち前の調子のよさで、軽口を言ったり、ポンと肩をたたいたりしてうれしがらせるのだ。
小督はいまいましくてならない。彼女は貞盛の寝ている間、来《こ》し方行く末のことを色々と考えて、貞盛が起きたら色々と相談しようし、そのためにはこれまでの自分の態度をわびてもよいと心組んでいたのだ。小督は、
(さかりのついた牝犬《めすいぬ》みたいな人!)
と、心の中で妾をののしり、
(この人は昔とちっともかわらない軽薄才子だ、女とさえ見れば目じりを下げて。今はどんな時だと思っているのだろう)
と、貞盛にも腹を立てた。
何かみだらで騒々しい二人の様子を白い目で見ていたが、ついにたまり切れなくなった。
貞盛が顔を洗いおわるのを待って、妾に言った。
「殿に相談しなければならないことがあります。しばらくあちらに行ってたもらぬか」
少しふるえる声がきびしい感じになった。妾も、貞盛も、水をかけられたようにしずまった。
「それでは退《さが》らせていただきますが、お食事はいかがいたしましょうか」
と、妾はつつしんだ様子になった。
「あとにしてもらいましょう」
「さようでございますか」
妾は弟を呼んで、洗面の道具を運びさらせてから、自らも退去した。
やっと二人きりになれた。小督はうれしかったが、強い疲労感があって、急に口をきく気がしなかった。
急速に暗くなりつつある中に、しばらく無言のまま対坐《たいざ》していた。
「灯を点《つ》けましょう」
小督は燈台《とうだい》を持ち出して、手あぶりの火から点けた。
明るくなった中に、貞盛は片腕を組み、右手の人さし指と拇指《おやゆび》とであごをつまむようにして撫《な》でていた。そのくったくげな顔に、小督はひやりとしたものを感じた。
(ああ、この人はあたしを愛していない)
とっさにそう感じた。強いあせりが動いた。彼女はせい一ぱいの媚びを見せて、微笑しながら言った。
「殿がお寝みになっている間に、わたしは色々と考えました。そして、御相談申したいと思ったのでございます」
「わしも考えて来た。しかし、その話はあとのことにしようではないか」
貞盛のことばがさらにつめたいものに感ぜられた。
とつぜん、小督は胸がせまった。
「これまでの至らなかったことは、おゆるし下さいまし!」
と、いいざま、貞盛の膝にすがった。小督は心から後悔し、すまなかったと思った。いく年ぶりに夫のからだに密着して全身の血が燃え立った。ふるえながら、さめざめと泣いた。その熱い涙が、袴《はかま》をとおして貞盛の膝にしみた。
小督の胸に燃えている情感は貞盛には燃えつかなかった。かえって、言いあらわしようのない嫌悪《けんお》感が背筋を走った。おしのけて、膝をはらって立上りたい気持であった。彼はその心を知られることをおそれた。
「そなたに何の悪いことがあろう」
と、先《ま》ず言った。非常な努力で言い出したのだが、あとはすらすらと出た。
「みんなわしがよくなかったのだ。わびなければならないのはわしの方だ」
ついでに、ちょっと抱いてやろうかとも考えたが、それはあとのことにした。一度ですむところを二度もやる手はない。
小督は一層強くしがみついた。
どうにもやり切れない。彼は一層やさしい調子を出した。
「機嫌《きげん》がなおったかや。なおったらシャンとしやれ。まだ日が暮れて間がない。ひょっとして、人が来ぬものでもない。色々な話も、もう少しおちついてからにしようでないか」
「…………」
「わかったかえ」
コクンとうなずいて、やっと離れてくれた。涙を拭いた目にしおらしい色が浮かんでいた。こちらに愛情があれば胸が切なくなるほどいじらしく見えるのであろうが、貞盛には鬱陶《うつとう》しいだけであった。彼は妻と和解しようと思って来たのであるが、それは妻に対する愛情がよみがえったからではなかった。小次郎の勢力が全坂東に行きわたった今では、忠実であった領民等もかくまうことを渋り出した。
「何ともハア義理の悪いことでがすが、おふれがきびしゅうございましてな。村の者誰アれも信用出来ねえようになりましただ。言いにくいことでございますだが、わきへ行って下さりますようお願えしますだ」
最も忠実で、そこの娘と契《ちぎ》りを結んでいる家ですら、こう言ってことわりはじめた。
身の寄せ場のないこの境遇が、妻との和解を思いつかせたに過ぎない。すべて当面の必要から割り出されたことで、愛情らしいものはかけらほどもないのであった。
話は深夜|共寝《ともね》してから行われた。
「ねえ……」
小督の声はあまえていた。愉悦のなごりを未《いま》だ引いている声であった。
貞盛は眠くなっていた。この上小面倒な話などごめんこうむりたかったが、つッけんどんにならないように注意してこたえた。
「なんだ?」
小督は身をすりよせて来た。
「抱いて」
しかたなく、貞盛は抱いた。その胸に頬をつけて、小督は言う。
「これから、あなたはどうなさるおつもり?」
大事なところだ。貞盛は胸をひきしめた。ねむけは飛んだ。
貞盛の緊張を小督は感知した。貞盛の胸のうちからふりあおいだ。陶酔は冷めて、彼女にもまた緊張が来た。
貞盛は失敗をさとった。強く抱きしめるべきであったと思った。そうしようとも思ったが、何とも言えない嫌悪感が走って、それが出来なかった。小督は夫の腕を脱して身を退け、真正面から貞盛を見つめた。
「このままではすまないことはおわかりですね」
「もちろんだ。しかし、そなたはどうすればいいとお思いだ」
と、貞盛は問いかえした。こんな風に言うつもりはなかったのだ。これでは自信のなさを示すようなものだと思った。おれはまごついていると、心中にが笑いした。
「そんなことは言うまでもないことではございませんか。今にわかにはじまったことではございません。ずっと前からきまっていたことです。ただそれがさしせまって来たというだけのことです」
貞盛はここに来た意図が完全に失敗したことをさとった。失敗とわかったことにいつまでもへばりついてはいられない性質だ。なり行きにまかせるほかはないと思った。ざっくばらんな調子で言った。
「わたしは今八方|塞《ふさ》がりの身の上だ。京で身を立てるにしても、こちらで身を立てるにしても、小次郎をたおさなければならないのだが、その目処《めど》がさらに立たない。今や小次郎は日の出の勢いだ。坂東一帯威風になびき伏して、その旗の下に立つことを望んでいる者ばかりだ。わしに力を貸して彼の向うに立とうとする者は一人もいない。それどころか、わしの身さえ危いのだ。わしにかけられた嘱託《そくたく》に目をくらまして、民百姓は皆わしのかたきになっている。どうすることが出来よう。あせって動くのは悪あがきでしかない。息をひそめてかくれているよりほかはないのだ。そうは思わないか」
貞盛はことばを切って、反応を見た。小督は一層身をひいた。その顔には失望の色がはっきりとあらわれていた。
(ああ、この女は前と少しもかわっていない)
と貞盛は思った。
小督の方も同じであった。
(ああ、この人は昔ながらの臆病者なのだ!)
貞盛はあとをつづける気持がなくなったが、一応のしめくくりはつけておかなければならない。
「そなた不服らしいな。しかし、この隠忍はここしばらくのことだと、わしは見ている。風は同じ向きにばかりは吹きはしない。やがて逆な方からも吹くのだ。小次郎の勢いは今が絶頂だ。彼はこの国の民として絶対してならないことをしてしまった。必ずや今頃は朝廷では彼を追討すべき将軍の任命があったに相違ない。坂東一円に追討の命も下ったに相違ない。そうなれば、風は逆に吹くのだ。これまで彼の味方していた坂東の豪族等は矛《ほこ》をさかさまにして追討将軍につくにきまっている。その時こそ、わしの立つべき時だ……」
ふと、貞盛は小督のからだがふるえ出すのを感じた。見ると、小督は笑っていた。おかしくてたまらないもののように、おさえようとする笑い声がクク、クク、クク、とのどにくぐもって鳴り、竹の床が音を立ててしなっている。
貞盛のことばがとぎれると、小督はこらえきれなくなったらしい。遠慮|会釈《えしやく》もなく笑い出した。
「ホッホ、ホ、ホ、ホ、ホ……」
涙までこぼして笑うかん高いその声は深夜の寂寞《せきばく》の中に狂的なくらい高々とひびいた。その笑いには鋭い侮辱があった。
(あいかわらずだ、あいかわらずだ……)
と思いながら、貞盛は小督の顔を見つめていた。腹は立たない。あきらめに似た気持と軽蔑《けいべつ》に似た気持とがあった。
小督は急に笑いやんだ。
「ごめん遊ばして」
とわびて、
「ああ、苦しかった。ああ切なかった」
といいながら涙を拭《ふ》いた。
「さあ、つづけてお話し下さい」
「もう話すことはない」
おこってはいないつもりだが、声がふるえた。それがいまいましかった。
「あら! おおこりになりましたの? いや! おこっては!」
しがみついて来た。
はらいのけたかったが、思いかえして、しがみつくにまかせた。
貞盛の首筋に両腕をからんだまま小督は言う。
「殿にもう仰《お》っしゃることがなければ、わたくしが申します。殿は坂東の豪族方が平生朝廷にたいしてどう考えていらっしゃるか、御承知でしょうか。豪族方は朝廷をちっともありがたいものと思っていらっしゃらないのでございますよ。頼りにもならないくせに威張りかえって、無理なことばかり言って来ると、みんな腹を立てていらっしゃるのでございますよ。小次郎殿のこんどのことも、平生のこのうっぷん晴らしをしてくれたとよろこんでいらっしゃると思ってよいと、わたしは思います。誰一人小次郎殿に楯《たて》つこうとせず、よろこんで旗風にしたがっていらっしゃるのは、そのためだと思います。追討の将軍が下って来られたとて、従って立つ方があろうとは、わたくしには考えられません。ですから、殿はそんな時を待っていらしてはいけないのです。ほかに途《みち》を工夫なさらなければならないのです。御一族の方々を駆りもよおすか、あるいは小次郎殿の油断を見すまして遠矢にかけるとか、刺し殺すとか、女のわたくしでさえこれくらいな工夫がつくのです。男である殿につかないはずはありますまい」
貞盛は考えていた。
(小督の言うことは筋道が立っている。しかし、根柢において重大な見落しがある。朝廷の権威を軽く見すぎていることだ。小督の言う通り、坂東の豪族等は、朝廷に不満を持っている。しかし、数百年の間に彼等の血肉にしみこんでいる朝廷に対する崇敬の念は、まだまだ根強いものだ。それを勘定に入れない理窟《りくつ》など、どんなに筋道が立っていようと間違っている)
しかし、答えなかった。答える気がしなかった。ものうい気持で女を抱いたままいた。ここへ来たことをまた後悔していた。
小督はことばをついだ。
「またでございます。仮に殿の仰っしゃるように、将軍の殿がまいられて豪族方が立上られるにしても、その方々と同じような働きをなさるくらいでは、殿のお立場は立たないのでございますよ。殿はいつも京で身を立てようと考えていらっしゃいますが、人なみなことをなさっただけでは、それも叶《かな》うことではございますまい。小次郎殿は殿にとっては重畳のかたき、普通のことでは、世の人も、朝廷も御満足ではないにきまっていますから。お忘れなさらないように」
一々道理しごくなことばだ。いつも考えていることだ。しかし、小督の口から言われると素直にうなずく気になれなかった。
(もう二度とこの女のところへは来ない。明日は早朝にここを去ろう)
と、思った。
「勇気でございますよ。かんじんなのは」
追討ちをかけるように、またとどめを刺すように、小督は言って、反応を見るようにじっとしていたが、しばらくすると、また愛撫《あいぶ》をもとめて来た。
貞盛は猛烈に腹が立って来た。こんな会話の後、こんな要求をすることがあるものかと思った。口に出して言わないかぎりこちらの心理のわからない妻の鈍感さがいまいましかった。何もかも洗いざらいぶちまけてやろうかと思った。しかし、とたんに気がかわった。憎悪と軽蔑と陵辱《りようじよく》の情を以《もつ》て、要求に応じた。
夜が明けると、すぐ、貞盛は出発の支度にかかった。
「あら、どこへお行きになりますの」
さすがに、小督はおどろいた。
「小次郎を討ちに行くよ」
と、貞盛は笑いながら答えた。
もっとしんらつなことを言いたかった。こんな調子でしか言えないのが腹立たしかった。
「ほんとにどこへいらっしゃいますの」
「今言った通りだ」
強い調子になったが、これはかえって不満であった。この場合には前の調子をくずしてならないのだと思った。
その家の人々もおどろいた。
「雪の融《と》けるまでは、ここは安気でございますのに」
と、わけて妾はなごりおしそうであった。
「そうしてはおられぬのだ。ほんの一晩泊りのつもりで来たのだ。そなたのように美しい女人と別れて行くのはうしろ髪引かれる思いだがな。ハッハハハハ」
笑って、立ち出た。
貞盛の行ったあと、小督は物思いにふけっていた。貞盛のことを思っていたのではない。ここが危険だと思ったのだ。
(あの人にさがし出されるようでは、小次郎殿の方でさがし出すのも容易だと思わなければならない)
今にも、雪の山々をこえて、石井《いわい》方の兵共がやって来そうな恐怖を感じ、手足がつめたくなった。
風見車
雪の中を一筋の流れがうねりながらつづいている。蒜間《ひるま》川(今の涸沼《ひぬま》川)である。貞盛《さだもり》はそれに沿った道を進んだ。雪は降りしきって視界をとざし、脛《すね》を没する雪におおわれた道はおそろしく歩きにくい。馬にはもちろん乗れない。馬はよろめき、ふるえ、ひるんで、ともすれば立ちどまり、後しざりする。それをはげましながら進んだ。あまりの難儀さに、いくどか引きかえそうと思った。しかし、そうした弱い気が浮かぶたびに、はげしく首を振って、声に出して言った。
「二度と決して!」
妻と共に明かした昨夜のことは、単に悔恨ということばでは言いつくせないほど深刻なものがあった。愛情どころか、憎悪《ぞうお》しきっている女と明かした一夜であった。女にはまるで検束のない彼ではあるが、こんな経験はこれまであったことがない。どんな女にたいしても、たとえその場かぎりのものでも愛情に似たものはあった。
罪を犯したような悔恨と、腐泥《ふでい》中にのたうちまわった後のような不潔感がある。いつもいいかげんで妥協してしまう自分が鼻持ちならないいやなものに思えてならない。最もやりきれないのは、二人が正式の夫婦であることであった。
「いまいましい皮肉だ!」
にがにがしく、いく度もつぶやき、つぶやくたびに唾《つば》を吐き、雪をつかんでほおばっては、口をすすいだ。
やがて、道は分岐点に達した。川に沿って左すれば筑波《つくば》山塊を南北につらぬく山路に入って、昨日来る時たどった道となるのであり、右すれば山々の谷間をぬって、以前|館《やかた》のあった石田の北方四里のあたりに出、末は下野《しもつけ》に連絡する。
彼はしばらく立ちどまって思案した後、右の道を取った。思案したとはいいながら、大した思案があったわけではない。昨日経験した山路の難渋さを思って、身を寄すべき先のないのは、どちらに行っても同じである以上、楽な道を行った方がよいと思ったにすぎなかった。
しかし、小一時間も難儀な歩行をつづけているうちに、もう一度藤太のところへ行ってみたらどうだろうと思った。この前行った時はあんな工合《ぐあい》にけんもほろろなあいさつであったが、その後足かけ三年、満一年の間に、小次郎の威勢があんなに盛んになり、坂東の諸豪族が争って臣属を誓ってその門に馬をつないでいるのに、藤太だけはそうしたという噂《うわさ》がない。何か深く考えているところがあるに相違ない、と、思った。
「よし! どうなるかわからんが、行ってみよう。いけなかったところで元々だ。もし兵をおこすことを承知しないなら、追討の大将軍が到着するまでかくまってくれることを頼もう。それくらいなことなら聞いてくれないとは言うまい。それももし聞いてくれないなら、藤太の領内のどこへか潜むことにしよう。坂東八カ国のうち、まだ小次郎の兵の入らんのはあの領内だけだ。よし! きめた!」
不幸と失望に慣れた心は、二段にも三段にも備えを立てた。
おりから、雪も小やみになった。
「うまいぞ、幸先《さいさき》がよいぞ」
元気づいて、馬をはげまして進んだ。
貞盛が田原についたのは、四日目の夕方であった。
「…………」
とりつぎの郎党のことばを聞いて、藤太は口はきかず、ただうなずいた。
「従者《ずさ》もなく、まことにそぼろなお姿でございます」
と郎党は補足した。
「そうか。ともかく客殿に通すよう」
と、藤太は言ったが、相手が退《さが》りかけると、呼びとめて注意した。
「鄭重《ていちよう》にするのだぞ。外貌《がいぼう》によってあしらいをかえるような軽薄なことをしてはならんぞ」
「かしこまりました」
郎党は退って行った。
ひとりになると、藤太は腕を組んで思案した。
(こまった)
最初の気持はこれであった。彼は近々に石井に行く心組みにしているのである。
これまで藤太が小次郎に服属を申し送りながらも、顔を合わせることを極力避けたのは、一つにはこの好機に出来るだけ多く領地を切取りこれをかためておきたかったからであり、一つには小次郎の運命に何となく危惧《きぐ》を感じていたからである。
彼は小次郎の人物と力量は、十分に買った。たしかに坂東一の武者たるの実があると思っている。しかし、その運命に信頼がおけなかった。彼は、人間には特別運よいものと運が悪いものとがあり、運の好い人間は最も大事な時に十二分にその力量を揮《ふる》うことが出来、運の悪い人間は人にすぐれた力量がありながら最も大事な時に支障が生じて効果を上げることが出来ないと思っている。この見地からすると、小次郎は運のよい人間とは言えない。京においてそうであった。あれほど功を立てながら、最もばかげた支障によってその功は認められなかった。貞盛とのことがまたそうだ。どう考えても取りにがしそうもない所まで追いつめながら、一度ならず二度まで取りにがしている。こんな運の悪い人間とのっぴきならない関係をもって結びつくことは得策でないと考えたのであった。
しかし、今や藤太は切取るべきものは皆切取ったし、堅固にかためてしまった。第一の理由はなくなったのだ。また、第二の理由にしても、その後の小次郎の様子を見ると、必ずしも不運が身についてまわっている人間とは言えないようだ。新皇となって、坂東の諸豪は皆その旗本となってしまった。
(運命の起伏の大きい人間が最後にたどりつく好運の波は最も壮大だと言うことが出来る。連戦連敗していた漢の高祖は最後の戦いで項羽《こうう》に勝って漢の天下をひらいたのだ。小次郎という男はそれかも知れんぞ)
と、思わざるを得ない。
(とすれば、これまでのようなあいまいな態度をやめねばならん。小次郎が不運どころか、おれが飛んでもない不運をつかむことになる)
こうして、石井に伺候する気になったところに、貞盛が飛びこんで来たのであった。
思案をめぐらしている間に、藤太の胸にふとひらめいたことがあった。忽《たちま》ち目が光って一点にとどまり、おそろしい顔になったが、やがて口許《くちもと》に微笑が浮かんで来た。
冷酷むざんな思案であった。ことばあまく貞盛をたらしてこれを捕え、小次郎の所へ伺候する時の献上品にしようと思ったのだ。
(なによりのものだ。最も小次郎を喜ばせるものだ)
小次郎のところに行くについて、彼は献上物として様々なものを用意している。駿馬《しゆんめ》、巻絹、砂金、等々々々、質も精選し、数量もずいぶんはずんだ。しかし、それを百倍しても、この品物に及ばないことは明らかだ。
藤太の胸は浮き立ったが、
(しかし)
と、おししずめた。人の信頼を裏切って寝鳥を捕《と》るようなことをしては、当面の利益にはなっても、やがて損になるのではないかと思ったのだ。坂東の住人等は以後自分を男でないとして、決して自分を信頼しないにちがいないと思った。しかし、これほどのよい品物をむざむざと打ち捨てる気にはなれない。
(何とかうまい方法を考える必要がある)
色々考えたが、よい工夫が浮かばない。
いつまでも、待たせておくわけには行かない。
(とにかく会ってみよう。そのうち何か考えもつこう)
決心をつけて、居間を出た。
貞盛は客殿に待っていた。鄭重にあつかうようにと、特に注意された郎党等は、長い毛の密生した冬毛《ふゆげ》の熊《くま》の皮のしきものを二枚もかさねて坐《すわ》らせ、長炭櫃《ながすびつ》に山のように炭火をおこしてへやをあたため、甘酒をあたためてすすめた。
「いただく。何よりのものだ」
わるびれず、貞盛はその甘酒をすすったが、そぼろな姿に似ず、坐っている姿にも、椀《わん》をかかえてすすっている様子にも、少しもいやしげなところが見えなかった。従容《しようよう》たる|たたずまい《ヽヽヽヽヽ》は高雅ですらあった。藤太の姿を見ると、椀をおき、微笑をふくんで、おちつきはらって言う。
「ごらんの通り馳走《ちそう》にあずかっています。いただきおえて、改めてあいさついたします」
「どうぞどうぞ、御承知の通りの片田舎であります。お口に合うかどうか存ぜんが、いくらかは寒気しのぎになりましょうとて、さし上げさせました」
「何よりのもの。まことによいかげんであります」
貞盛はまた椀をとり上げて、悠々《ゆうゆう》と喫しおわって、口を拭《ふ》き、衣紋《えもん》を正し、それから正式のあいさつにかかった。
(みごとだ)
あいさつをかえしながら、藤太は感心せざるを得なかった。しかし、最初からの思案を捨てようとは思わなかった。感傷は感傷、打算は打算、きっちりと割切っているのである。
やがて貞盛は用談に入った。小次郎が大逆無道の罪を犯していることを指摘し、小次郎に百の善行があっても、この罪一つによって現在においては誅殺《ちゆうさつ》をまぬかれず、未来においては永劫《えいごう》に悪名を脱することなき者と堕落しおわったと論じた。
「彼は桓武《かんむ》五世の皇胤《こういん》です。しかしながら臣籍に下ってすでに三代を経ています。すでに臣籍に下った者が帝位をふんだためしは日本にはないのです。先々代の亭子《ていし》のみかど(宇多)はお若い頃《ころ》臣籍に下って源侍従|定省《さだみ》と称しておられましたが、父君時康親王が帝位につかれたについて、定省も皇族に復籍しておられたから帝位につくことがお出来になったのです。例となすわけには行きません。つまり、小次郎には帝位をふむべき資格がないのです。彼の武勇材幹は天下の人のひとしく認める所ですが、外国《とつくに》は知らず、この国においてはそれだけでは帝王となるわけには行かないのです。しかるに坂東は片田舎とはいいながら、人々にそのわきまえがなく、眼前のことに目をくらまし、争って彼が門に馬をつなぎ、暴悪を助くるの所業をしながら、その過《あや》まっていることは知りません。ただ、そこのみことだけがそうでない。珍重至極であります。ひそかに感佩《かんぱい》している次第であります」
藤太は一言も口をはさまない。要所要所でいかにも感にたえたといわんばかりの面持《おももち》で深くうなずくだけだ。貞盛は勢いづいて、朝廷において必ずや大規模な追討計画がめぐらされ、近々に実行の運びになり、今日の小次郎の栄えは露の乾《ひ》ぬまの槿花《あさがお》にすぎないことになるに相違ないと説き進んだ。
熱心な表情で聞いてはいたが、藤太は退屈しきっていた。朝廷をまるで信用していない藤太には、貞盛が雄弁であればあるほど、熱弁であればあるほど、滑稽《こつけい》しごくなものにしか考られない。いいかげんに打ち切ろうと考えた。大きくうなずいた。
「仰《おお》せられる所、一々同感です。拝察いたしますに、みことがこうしてまいられたのは、その追討の大将軍が下向され時機が熟するまでの庇護《ひご》をお頼みになるためでありましょうか。よろしい。引受けました。この前のようにわれわれだけの手で討とうということであれば、てまえの力では不足でありますから、お引受けは出来ませんが、唯今《ただいま》申し上げたようなことであれば、よろこんでお引受けいたしましょう」
はっきりと、強い調子だ。
先度とちがって今日ははじめから調子がよかったが、これは望外なことであった。いきなり胸が熱くなり、目につき上げて来るものがあった。貞盛はしばらくこらえた後、しずかに言った。
「仰せられる通りであります。早速にお聞き入れたまわり、かたじけなく存じます。それでは、よろしくお願いいたします」
藤太は微笑した。
「それでは話はきまりました。時来るまで、御自分のお館同様、くつろいでおいで下さるよう」
藤太は郎党を呼んで、貞盛の居るべき部屋をしつらえるように命じたばかりか、身のまわりの世話をするための婢女《はしため》まであてがった。十五六、みなりこそ鄙《ひな》びているが、清純で、愛らしく、美しい少女であった。
藤太の待遇は至れり尽せりだ。貞盛としては幾年ぶりの満ち足りた生活だ。
(田舎の豪族にしては出来すぎた人物だな。事成った暁には大いに朝廷にとりなしてやろうて)
などと貞盛は思った。
とりわけ気に入ったのは、あてがわれた婢女だ。これほど可愛《かわ》ゆく、しおらしく、美しい娘が、今まで男を知らなかったとは、土地がらも身分がらからも、奇蹟《きせき》といってよい。はにかみつつも気に入られようとして一心になっているこの娘に様々なことを仕込む愉《たの》しさといったらない。
(思いもかけない拾いものだな。だからこの道はやめられんて。この子をこのまま捨てるのはおしい。やがてはおれがもらって行くことにしよう)
などと考えるのであった。
ところが、三日目の夜のことだ。その日は明日藤太が佐野の田荘《たどころ》に行くというので、その準備のために昼頃から館の中がざわめいていて、婢女もその頃から姿を見せなかった。夜に入って寝につく頃にやっと来て、添寝をしたが、何となくいつもと様子が変っているように感じた。
「どうかしたのではないか」
ついに聞いた。
婢女はびっくりしたように目をみはり、首をふった。
「なにか心配なことでもあるのではないか。あるならいうがよい。わしが殿に申してよくはからってもらってやるぞ」
とさらに言ったが、婢女は、
「なんにも心配なことなどありましねえ」
と、きっぱりと言った。
「そうか。それならよい。しかし、何か思案にあぐねたことがあるなら、何でもわしに言うがよい。必ずわしがよくしてもらってやるからな」
貞盛は親切に言った。
娘は心を打たれたようではあったが、うなずきはしなかった。貞盛の顔を見つめ、それから目をそらした。奴隷《どれい》階級のものはめったに上の階級の人の言葉を信じない。多くの場合はそれが気まぐれから出たものであり、都合が悪ければごく無造作に破られることをよく承知している。
「わしはいいかげんなことを言っているのではないぞ」
また貞盛は言った。いつもにないことだ。ムキになっていた。
娘はうつ向いて、「はい」と低くこたえた。
一応それで満足して、貞盛は睡《ねむ》りについたが、ふと妙なけはいを感じて目をさました。見ると、娘が泣いているのであった。
貞盛は一旦《いつたん》あいた目を閉じ、薄くあけた瞼《まぶた》の間から、黙って観察していた。
娘は口に着物の袖《そで》をかみしめ、声を出さないようにして泣いている。まるくすべっこい頬《ほお》が涙にぬれ、おさえきれないふるえがこちらの身に伝わってくる。時々涙にぬれた目をあげて、貞盛の顔を見ては、一層悲しくなるらしく、嗚咽《おえつ》が肩をふるわせる。
どう考えてもおかしい。貞盛はぽかりと目をあいた。
娘ははっとした。泣いていることをかくそうとした。貞盛は腕をのばして抱きよせた。耳に口を寄せて、やさしくささやいた。
「さあ、言うがよい。なぜそなたは泣かねばならないのだ。なにがそなたをそんなに苦しめているのだ。言うがよい。そなたにはわしがついていることを忘れるな」
娘は貞盛の胸にしがみつき、さめざめと泣いた。ふるえているのが、胸のせつなくなるほどいじらしかった。子供を愛撫《あいぶ》するようにその背を撫《な》でながら、貞盛は一層やさしくささやいた。
「かくすことはない。言うがよい。わしはこんなにそなたをいとしく思っているのだ」
娘は声を上げて泣いたが、忽ち一層はげしくしがみついて、叫ぶように言った。
「わたくしのことではねえだ! 殿のことでございますだ!」
よくわからない。
「そなたのことではない? わしのことだとは……?」
「すんぐに逃げて下せえまし! おそろしいことになりましただ!」
あえぎあえぎ、娘はささやいた。娘のいう所はしどろもどろで、すぐには要領がわからなかったが、やがてわかった。
明日藤太が佐野の田荘に行くというのはいつわりで、実は石井《いわい》の新皇の御殿に顔出しするのである。ついては、新皇への手みやげとして、貞盛をとらえてつれて行こうということになっている、自分は貞盛の太刀その他の武器を取りかくすように命ぜられている、というのだ。
(そうか……)
貞盛は胸のうちで言った。一々がてんの行く気がした。あれほど冷淡であった藤太が手のひらをかえすように態度をかえ、この手厚い待遇をするようになったのは、このつもりだったのだと思った。
娘を抱いたまま動かなかった。驚きより失望が先に立ったし、失望よりもあきらめが先に立っていた。
「そうか……」
と、また言った。
所詮《しよせん》は運命がきわまったのだと思った。ここまで来て悪あがきしてどうなろうと思った。きれいに死ぬだけのことだと思った。
娘は貞盛の抱擁からぬけ出し、肩をつかんではげしくゆすった。
「どうなさったのでございますだ。さあ! 早く逃げてくださろ! うらは気が気でなりましねえだ! うらが案内しますだ! さあ、早くしてくださろ!」
褥《しとね》をはぎ、腕をつかんで引きおこした。もう泣いてはいない。真青になった顔に目がきらきらと光り、必死の形相だ。
「おれはそなたと別れたくない。このままでいたい。捕えられるなら捕えられてもよい」
娘はまた泣きそうになったが、
「なにを言いなさりますだ! さあ、早く召してくださろ!」
と、叱《しか》るように言って、衣桁《いこう》にかかった貞盛のきものを投げかけた。それを一つ一つ受取ってつけた。ものうい気持であった。
恐怖と、怒りとが、しだいに湧《わ》いて来た。いつかきびきびした動きになった。太刀をはき、弓矢を取った。
娘は燈火《とうか》を吹き消した。油の匂《にお》いがほのかにただよっている暗《やみ》の中で、貞盛のそばにすりよって、声をひそめた。
「しばらく待っていて下さろ」
耳をすまして、周囲の様子をうかがっている様子であった。
館《やかた》中しんとしずまっていた。
娘は貞盛の手を取って、窓際《まどぎわ》に連れて行った。蔀《しとみ》を上げて見まわした。
「よございますだか。殿はここを出て、右の方に真直《まつす》ぐに行って下さろ。途中に色々な建物がございますだが、一番目のに人がいるだけで、あとはみな蔵で、人はいましねえ。一番目の建物のわきを通らっしゃる時だけ、ようく気をつけて下さろ。真直ぐに行きつくしますと、土居《どい》につき当りますだ。その土居について右に行きますと、山の根につき当りますだ。そこのところに、馬のこえられるほどの道がついていますだ。そこを出たところで待っていて下さろ。うら馬をひいて行って上げますだ。よござりますだか」
「よし! 頼むぞ!」
恐れと怒りとは、引きしまった外の寒気にふれて、凜《りん》とした勇気にかわっていた。音もなくひらりと窓を飛んで庭に出た。
空は晴れている。月があるはずだが、西にせまっている山かげにかくれて、この館は暗い。空のみがぼうと明るかった。
数分の後、貞盛は娘の言った場所に来ていた。
彼は北斗を見て時刻をはかった。夜半《よなか》にはまだ小半刻《こはんとき》あった。
しばらく待たされた。
(感づかれたのではないか)
と不安になった。しかし、間もなく来た。馬をひいている。蹄《ひづめ》に鞋《くつ》をはかし、舌の根を結わえ、くつわの|みずき《ヽヽヽ》を巻いていると見えて、まるで音を立てない。影のように土居をこえて、側《そば》に立った。
貞盛が乗って来た馬ではなかった。藤太の乗用であろうか、たくましい栗毛《くりげ》の駿足《しゆんそく》で、おかれた鞍《くら》も立派なものであるらしかった。
手綱をわたす時、娘は言った。
「うらを忘れないで下さりませや」
涙ぐんだ声であった。ふるえていた。
「忘れぬぞ! 生涯《しようがい》忘れぬぞ!」
貞盛は女を抱きしめた。涙にぬれたつめたい頬が感ぜられた。情事の数々をしつくして来た貞盛が、この時ほど女をいとしいと思ったことはなかったかも知れない。しかし、猶予《ゆうよ》は出来ない。ひらりと飛びのって、手綱をくった。
少し行って、ふりかえってみた。
女はもういなかった。土居が黒々と横につづいているだけであった。
(あわれな子!……)
娘のしたことは明らかな裏切りだ。人間でありながら人間の権利をまるで認められていない奴隷が、こんなことをした以上、その運命がどうなるか考えるまでもないことだ。
自らもこれからの行くえのわからない身でありながら、まるでそれを考えなかった。ひたすらに娘のことを考えて、いくども溜息《ためいき》をついた。涙をこぼしていた。
貞盛が逃げ去って二時間ほどの後、藤太の郎党等は貞盛の居間をとりまいて、婢女の合図を待ったが、いつまで待っても合図がない。藤太に報告して指揮を仰いだ。
藤太は仰臥《ぎようが》して天井を見つめたままでいた。
藤太には、事の次第がほぼはっきりと推察がついた。女をつけたのは不覚であったと、苦笑した。女の情のもろさ、とりわけ、はじめての男にたいする女の特別な感傷を十分に知っていながら、まるで考慮に入れなかったのは、おれにもあるまじきことであったと思った。
仰臥したまま言った。
「逃げたのじゃよ。あのへやにはもう誰もいるまい。女は……、そうだな、これはもう死んでいようよ。首でもくくっているであろうか」
「ヘッ! 逃げたのでございますか? そして、ありゃ首をくくっているのでございますか?」
郎党はおどろきの声をつッ走らせた。
「行って女をさがすがよい。男の方は捨ておけ。もう間に合わぬ」
功罪共に必ずはっきりと賞罰することを人を治める要諦《ようてい》としている主人のやり方を十分知っている以上、婢女が生きているはずはないのだ。
「へッ!」
郎党は急いで去った。
ひとりになると、藤太は肩を褥でつつんで目をつぶった。やれ、やれ≠ニ思う。婢女のことを考えた。あわれなことをしたと思った。しかし、それはほんのしばらくで、貞盛のことに移った。おしいことをしたと思う。
(どんなにおれにたいする覚えがよくなるか知れなかったのになあ。勲功第一ということになったのになあ……)
が、返らぬことをいつまでもくよくよと追ってはいない。
(あまりことがうますぎたわ。世の中のこと、そううまくは行かんて。つまりはもともとになっただけのことだ)
間もなく、また郎党が来た。婢女が厩《うまや》の梁《はり》に縄《なわ》をかけて縊死《いし》していたと報告する。
「馬もいなくなっているであろう」
「はッ! 今日殿の召さるべい栗毛が盗まれております」
居ながらに一々星をさしてあやまらない主人の明察に、郎党は胆《きも》をつぶしていた。
「よしよし、死ねば罪は消えた。十分いたわって、葬《ほうむ》ってやるよう申しつけい」
といったが、相手が退《さが》ろうとすると、「ちょっと待て」と呼びとめた。
「厩番の者に、笞《むち》を五十あてるよう」
「ハッ!……石井へはやはりいらせられるのでございますか」
「行く。これは別なことだ」
目をつぶり、すぐグッスリと寝入った。
夜が明けると、予定の時刻、辰《たつ》(朝八時)の刻に田原を出発した。騎馬の郎党五人、乗りかえの馬をひかせたり、献上物をかつがせたりする下人二十人。
途中で一人の郎党を先行させ、伺候のことを通じた。
三日目の昼過ぎ、石井についた。
藤太が来るという前ぶれのあった時から、小次郎はおちつきがなくなった。待ちに待った藤太の来附《らいふ》であるが、喜びよりも、不安が強く感ぜられた。一人では工夫がつきかねるような気がする。
「興世《おきよ》王を呼べい」
と、命じてから、急に思いついて、言いそえた。
「使者はずいぶん鄭重《ていちよう》にもてなすよう」
この頃、興世王は帝都づくりに打ちこんでいる。霜柱をふみくだき、砂を巻き上げる空ッ風に吹かれながら、早暁《そうぎよう》から日の暮れるまで、下人共を連れて野に出て縄張りをしている。この原野に壮麗な内裏をきずき、繁華な都会を造り上げる壮大な夢が、労苦も寒さも忘れさせていた。
興世王の働いている場所までは相当距離がある。小次郎はいらいらしながら待った。
「まだか」
と、いく度もきいた。
一|刻《とき》ほどもたって、やっと帰って来た。
「すぐ参るように、そのままの姿でかまわぬ」
と、伝えさせた。
土にまみれた狩装束のまま、興世王は来た。着ているものに土がこびりつき、顔にも砂ほこりがあった。精力的な感じであった。
「おゆるしでありますので、無礼な姿でまいりました」
と言って、|むかばき《ヽヽヽヽ》をさばいて、あたえられた円座にすわった。
あれほど待ちこがれていたのに、興世王の顔を見ると、小次郎は相談するのがためらわれた。心の底を見すかされそうではずかしかった。考えてみると、藤太が来るからとて、そう大さわぎすることはないのだ。
「田原の藤太がとうとう伺候いたします由《よし》で」
と、興世王の方から言った。
「それでそこに来てもらった」
興世王は小次郎の顔を見つめた。澄んで怜悧《れいり》そうな目だ。いぶかしがっているようにも、何をそうあわてているのですと言っているようにも見えた。小次郎は大急ぎで言った。
「藤太にはずいぶん世話になっている。貞盛のことについて二度も教えてもらっている。これまで通りの迎え方でよいかどうか、相談したいと思って来てもらった」
狼狽《ろうばい》がしぜんに早口になっていた。いまいましくて、おわりの方はおこっているように荒々しい調子になった。
興世王はおちついている。
「よく御下問をいただきました。それではまろが存じよりを申し上げます。お義理があるにしても、すでに臣属を申しおくっています以上、藤太は陛下の臣でございます。他の豪族共をお迎えになったと同じでよいと存じます。昔日《せきじつ》の義理に対しては、正式の儀式がすんだあと、宴席を設けさせられ、その席でやさしくおことばを賜わった上、かずけものなど御|下賜《かし》になるべきであると存じます。礼と申すものは|けじめ《ヽヽヽ》を立てるというに尽きます」
筋道の立った意見であったが、小次郎の気持にはしっくりしなかった。京都朝廷流の考え方だ。しかし、興世王ではこれ以外の考え方の出来るはずはなかった。それは承知しきっていたはずだ。
「そうか」
不満をかくして、うなずいた。
藤太は到着してすぐには拝謁《はいえつ》出来なかった。衣冠した役人が迎えて、一つの建物に案内して、ここでしばらく待つように、と言った。おそろしく権高《けんだか》でもったいぶった態度だ。すぐ会えることと思っていた藤太はほろにがい笑いをさそわれざるを得なかった。京都風の優雅な衣冠が骨太で無骨《ぶこつ》なからだにまるで似合わないのにも、皮肉な興味をそそられた。
(沐猴《もつこう》にして冠すというが、それだな。きっとこの衣冠は追っぱらったどこぞの国司連から掠奪《りやくだつ》したものに相違ない)
と、思った。
「さようでございますか。それでいつお目通りが叶《かな》うのでございましょうか」
わざと聞いてみた。
「それはわからん。雲の上のことはわれら如《ごと》きの推量の及ぶところではない」
役人は一層もったいぶった調子で答えた。
「申訳ございません。聞くまじきことをお聞きしました」
しおらしく、藤太はわびたが、胸の中ではまた皮肉につぶやいていた。
(なるほどな。雲の上のことか。新皇じゃて、みかどじゃて。雲の上には相違ないの)
藤太は建物に落ちついて旅装を改めた。
ずいぶん待たせられた。
様々な物思いがしきりに胸中を去来した。
(……すでに王者になった以上、王者たるの権威を立てるのはもちろん必要であろう。しかし、まだ、いささか早くはないかな。坂東八カ国だけは一手におさめたとはいいながら、山一重の外はすべて敵地だ。もう少し勢いが充実するまではへり下って礼をひくくし、ことばをひくくして、豪族共をなずけるべきだな。おれならそうするがな。おしいこと、よい謀臣がおらんな。場合によっては、おれがその謀臣になってやってもよいが、まあ会ってみてからのことだ)
およそ二時間近くたって、先刻の役人がやって来た。
「みかどが拝謁をおゆるしになります」
と、伝えて、あとについて来るように言った。
宮殿といっても、石井の小次郎であった頃の館のままだ。藤太の田原の館とおッつかッつだ。役人はそのことについてしきりに弁解した。
「ここより北西の方角にあたって、内裏をお営みになるために、目下お縄張中でござる。左大臣の興世王が万事を主宰しておられます。やがて京の内裏におとらぬ立派な宮居《みやい》が出来るであろうと一同待っているのでござる」
「さようでござるか」
とのみ、藤太はこたえたが、考えていた。
(益々《ますます》いけないぞ。宮殿なぞ今のところはいらぬ。当分は戦さばかりせねばならぬはずだ。宮殿など造営する費用があったら、武器武具につぎこむべきだ。その興世王が事を誤まらせるのだ。京の朝廷育ちなだけに、この大事業を小型な京都朝廷にしてしまおうとしている。可惜《あつたら》こと! 益々謀臣の必要があるな)
正面には簾《みす》がかかっていた。その奥に人がいるのかいないのか、薄暗の明りの中ではわからなかった。簾前の左右に衣冠した数人が胸を張り笏《しやく》をかまえて居流れていた。これはよくわかる。いずれも儼然《げんぜん》として威儀を正しているつもりであろうが、へんにしゃちこばって見えるだけで、気の毒なくらい無骨であった。
(よせばよいのに)
と、また思った。ぼんのくぼあたりがムズムズして来る気持であった。分析すると、それは気の毒の感であり、滑稽《こつけい》の感であり、いやらしい感であり、また軽蔑《けいべつ》感でもあった。
藤太を案内して来た役人が入口に立って、
「下野《しもつけ》の国田原の住人藤原ノ秀郷《ひでさと》まかり出《い》でました」
というと、ついそばに席をかまえていた男が、途方もない大音声《だいおんじよう》で同じことをくりかえした。威圧しようとしているらしいと思われたが、藤太には一向こたえない。
(ほう、やりおるわ)
と思った。
しかし、出来るだけ恐懼《きようく》したような姿をつくって、案内の役人にたずねた。
「進んでよろしいのでありましょうか」
役人はうなずいた。
藤太は身をかがめ、一歩一歩さぐるような足どりで進んで、簾の前二間ばかりのところへ坐った。
簾前に居流れている中の一人が、もう少し進むようにとさしずした。藤太は聞こえぬふりで平伏していた。
「もそっと前へ」
と、また注意された。
三尺ばかり、うつ向いたまま膝行《しつこう》した。
「藤原ノ秀郷でございます」
と、一人が披露《ひろう》した。
一同が平伏している間にキリキリと微《かす》かな音がして、簾が巻き上げられた。
藤太は少し顔を上げて、簾の奥を見た。前より一層暗くなっているので、そこには微かに人影が坐《すわ》っているのが見えるだけでよくわからなかった。その人影が何か言ったが、それもよく聞こえなかった。ただ、「……神妙に思うぞ」という末尾のことばだけがわかった。
藤太はハッと平伏して言った。
「御近侍の方々にまで申し上げます。様々な支障のため参内《さんだい》がこのようにおくれましたこと、重々おわび申し上げます。今日|鳳闕《ほうけつ》にいたり、竜顔《りゆうがん》を拝し奉《たてまつ》り、鬱懐《うつかい》とみに散じ、恐悦この上もございません。聖運の益々隆泰にして、聖寿の万歳でおわさんことを祈願いたします」
「満足に思う」
と簾の奥の人物は言った。これははっきりと聞きとれた。
同時に、簾が徐々に下りはじめた。
おそろしくもったいぶっていたくせに、謁見はごく短時間ですんだ。
「やれやれ」
前の建物にかえって、白く灰をかぶった炭櫃《すびつ》の火をかきおこしながら、藤太はつぶやいた。室内はすっかり暗くなって、炭櫃の火ばかりが赤い。失望に似た思い、後悔に似た思いが、しきりに胸中に去来する。
(これだけのことのために、おれはわざわざ来たのか……)
すぐにも帰って行きたかったが、この時刻になってはそれは礼でない。どうせ今夜はここに宿泊しなければならんが、それが実に大儀に思われた。
(しかたがないわ。しかし、それにしても、ここの連中は、御本尊の新皇も、他の連中も、ひとりとしてこんどのことの意味をわきまえておらぬ。京都朝廷の真似《まね》をすることばかりに大骨折っているが、そんなくらいなら、新しい王朝はいらぬことだ。京都朝廷で間に合っている。おしいこと、ここまで漕《こ》ぎつけながら……)
灯《ひ》が持って来られた。
藤太は立って着換えにかかった。すると役人が言う。
「ここはただのひかえ所であります。あまりに粗相であります。あちらにお移りいただくことになっています」
ことばづかいも、物腰も先刻とかわって鄭重になっているように思われた。いぶかしくもあったし、多少の気味悪さもあったが、すぐ覚悟をきめた。
「それでは、そちらにお連れ願いましょうか」
「かしこまりました」
廊下伝いに、ずっと奥の方へ連れて行かれた。木立があり、その間に遣水《やりみず》の音がせせらいでいる庭を前にした一室に入った。
前から用意してあったのだろう、そのへやには灯がつけてあり、よくおこった炭火をいけた炭櫃をおいて、温めてあった。
「おくつろぎ下さい。今すぐお食事をさし上げます」
と、敷物をすすめた。毛の深い熊《くま》の毛皮であった。
役人が退って行ったあと、藤太は首をひねった。
(おかしな風向きになったな。こんどはまたえらい鄭重なことだぞ)
何をたくらんでいるのか、と思う。策謀的な人間だけに、藤太は人の行為の表面だけを見てはおられない。一応必ずそのかくれた意図を考えずにはおられない。
(はじめ厳格に、後に鄭重にあつかって、思いつかせる算段だな)
と思った。
(思いつくか思いつかんかはこちらの判断だ。そちらはそちらで色々とやって見なさるがよかろう)
もう考えない。余念もなく火箸《ひばし》で火をいじっていると、遠い所から物音がおこって、次第に近づいて来た。耳をすますと、警蹕《けいひつ》の声のようであった。
「はてな……?」
次第に近づいて来る。明らかにそれは警蹕の声であった。
先刻の役人が敷皮を捧《ささ》げて小走りに入って来た。口早に言った。
「みかどがお出でになるのでございます」
「みかどがここに?」
驚いて問いかえしたが、役人は、
「シッ! おしずかに」
と、叱咤《しつた》するように言って、持って来た敷皮を大急ぎで正座に敷いて席をつくった後、遣戸《やりど》のかたわらにひざまずきぬかずいた。
(なるほど、そうか、おんみずからお見舞というわけか)
合点が行って、藤太も役人にならんで平伏した。
小次郎は侍臣四人を従えて入って来て、敷皮の上に坐ると、手真似で侍臣等を外へ出して、藤太の方を見て声をかけた。
「田原の」
藤太は前のまま入口に近い所に、ただ向きだけかえただけで平伏をつづけていたが、そのまま答えた。
「はッ」
「それでは、話が出来ぬ。ここへ来て、くつろいで坐ってもらいたい」
打ちとけた声であった。
藤太はわずかに顔を上げた。
「かしこき御諚《ごじよう》でございます。それでは、かえって身のおきどころがございません。このままでおゆるしいただきとうございます」
「いやいや、ぜひここへ来てもらいたい。先刻は儀礼であった故《ゆえ》、ああせぬわけに行かなかったが、こんどは儀礼をすて、昔のままの石井の小次郎、田原の藤太として心おきなく物語りしたい。そう思ったので、こうして来たのだ」
(そういうことなら、馬鹿《ばか》遠慮すべきではない。よしよし、思うさまに談じて心の底を見てやろう)
と、とっさに決心した。
「しからば、おことばに甘えさせていただきます」
藤太は小次郎の前に席をうつした。恭敬さは失わないが、ゆったりとおちつきはらっていた。小次郎の話しかけるのを待って、口をつぐんでいる。
小次郎は十一年ぶりに藤太に会うわけであった。昔のおもかげはもちろんのこっていたが、あの頃《ころ》の精悍《せいかん》で強烈で傲然《ごうぜん》たる感じはどこにもない。中年の男らしく感情の平衡のとれた沈着で悠揚《ゆうよう》たる風格になっている。しかし、その堂々とした厚みと|はば《ヽヽ》とは一種の圧迫を感じさせずにはいなかった。少年の頃にこの男に受けた侮蔑がまたしても思い出された。自分を記憶しているのではないかと、おそれに似たものが感ぜられた。
しかし、藤太にはまるでその記憶はない。初めて会う人として、小次郎を観察していた。
(あっぱれな骨柄《こつがら》だな。勇士の相貌《そうぼう》だ。人間も誠実そうだ。しかし、一本気にすぎて機略にはとぼしいようだな。謀臣が必要だて……)
やっと、小次郎が口をひらいた。
「田原のぬしには、これまできついお世話になっている。それで、ぜひ会ってしみじみと礼を申したいと思っていたが、おりが悪く、いつも会えなんだ。残念に思っていた。こうして会うことが出来て、まことにうれしい。あの節のこと、くれぐれも礼を言う」
小次郎のことばはすらすらとよどみがなかったが、態度は妙にそわついていた。おどおどしているようですらあった。
恭敬の態度の下にかくして研《と》ぎすましている藤太の注意力はそれを見のがさなかった。
(妙だな、なぜだろう)
と、考えながらも、そしらぬふりで答えた。
「恐れ多いおことばでございます。両度とももう少し早く御注進が出来ましたなら、お役に立ったであろうにと、申訳なく思っているのでございます」
謙虚げなことばは、藤太のさぐりの矢であった。藤太は小次郎のおどつきを、二度つづいた失敗を恥じてのことではないかと思ったのだ。
「いやいや、そうでない。知らせは十分に間に合った。すべてはわしの不覚だ。人は左馬《さま》ノ允《じよう》の運命がまだつきなかったのだと慰めてくれるが、わしの不覚にまぎれはない。わしは恥じている」
ほんとに、小次郎は恥かしげに、赤くなりまでした。
解釈が的中したと見て、藤太は満足であった。この年で子供のように赤くなり得る小次郎に好意を感じた。けれども、同時にまた考えていた。
(この子供じみたうぶい心は普通の人間には大いに結構だ。美徳に類するかも知れん。しかし、創業の王者としてはどうかな。王者たるものは深沈として深く蔵して、喜怒、哀楽、志向、すべて他から見すかされぬようにあるべきじゃと、わしは思う。どうでも、謀臣が必要じゃて)
おちつきはらって、微笑して、藤太は言った。
「お恥じになることはないと存じます。人の運の尽きない間は、神仏とてもどうすることも出来ぬものとうけたまわっております。いたし方なきことでございます。決して陛下の御不覚でございません」
酒食がはこばれて来た。
話が理に詰《つ》んで、圧迫的な空気になっていたのが、これで変った。
「さあ、大いに飲んでくれ。わしも羽目をはずして飲む。そこが来ると聞いた時から、わしはこれを楽しみにしていたのだ」
小次郎はがらりと快活になって、盃《さかずき》を上げ、二三杯のむと、藤太にさした。
「さあ」
「ありがとうございます」
「一々礼を言うのはやめにしようではないか。そこも窮屈だろうが、わしも窮屈だ」
「ハハ、さようでございますか」
酒が進んでいる間に、藤太は貞盛のことを考えた。こんどの貞盛のことは小次郎には言わないつもりで来た。自慢になることではないから。しかし、ふと、言ってもよいなと思った。一応言った結果を考えてみた。別段損な結果にはなりそうになかった。むしろ、自分の忠誠心を証明することになるだろうと思った。
「実は、てまえにも恥かしい失敗があるのでございます」
と、前おきして、語り出した。
藤太の話を聞いている間、小次郎は一言も問いかえさなかった。合槌《あいづち》も打たなかった。手酌《てじやく》でグイグイと酒をのみつづけていた。味も感じないのだろうか、水を飲むように流しこんでいた。こおりついたような表情であった。
「……まことに申訳ないことでございます。うまくまいったら、この上もないみやげとなり、お喜びいただけたであろうと、残念至極でございます」
藤太は話を結んで、それとなく相手を観察する。
ややあって、小次郎は溜息《ためいき》と共に、
「……そうか……」
といって、盃をさした。
「まあ、ひとつ行こう」
「ありがとうございます」
「それで、どこへ行ったかわかってはおらぬな」
「わかりません。しかし、てまえのところへ来る前は、常陸《ひたち》国内の旧領分内を転々としてわたり歩いていたと申すのでありますから、思うに、またそうするつもりではありますまいか」
「…………」
「身から出た錆《さび》とはいいながら、坂東平氏の嫡流《ちやくりゆう》に生れ、左馬ノ允ともなった身が、見苦しいことでございますな」
「…………」
小次郎は返事しない。胸にある思いを一筋に追っている面持《おももち》であった。
間もなく酒がやんで飯になった。
小次郎の胸は複雑なものに満たされていた。貞盛をあわれと思う気持があり、一族の恥さらしとして憤《いきどお》るものがあり、生殺しの蛇《へび》を見ているに似た気味悪さがあり、二回にわたる失敗を恥じる気持があり、暖簾《のれん》に腕押ししているもどかしさがあった。一|箸《はし》一箸、飯を口に運びながらも、心はまるで食事になかった。
(太郎よ、おぬしなぜ出て来ていさぎよく戦わないのだ。なぜ逃げかくればかりしているのだ。男はそうであってはならぬものではないか。おれはおぬしの父者《ててじや》を殺したのだ。おぬしにとっては不倶戴天《ふぐたいてん》の讐《あだ》だぞ……)
ポロポロと飯が膝《ひざ》にこぼれた。小次郎は無意識にそれをひろっては口にはこんだが、ふと気がつくと、藤太がじっと見ている。沈着で澄んだその目は、こちらの目と合うと、さりげなく伏せられたが、先刻からずっと見つめていたらしかった。
なぜか、小次郎は恥かしくなり、狼狽《ろうばい》した。カラリと箸をおいた。自らのしたあとを塗りかくすに似た衝動であった。
「田原の。飯はまだ早いわ。もっと飲もう!」
と、勢いよく言ったが、言ってしまってから、余計なことであった、傷口をかきむしって更に大きくするようなものだと思って、更に狼狽した。
「結構でございますな。夜は長うございます」
箸をおいて、微笑して、物静かに藤太はこたえながら、心の底で考えていた。――正直すぎる。正直すぎる。正直すぎる。図太さがないわ……
香と落花
小次郎が自ら兵をひきいて貞盛《さだもり》探索のために常陸に乗り出したのは、藤太が立去った翌日であった。石井《いわい》を出る時の勢《せい》はわずかに五百であったが、至急に支度して追いつくようにと|ふれ《ヽヽ》を出したので、三四日の後には三千という大軍になっていた。
(今度こそ草の根を分けても!)
自ら心に誓っていた。
先《ま》ず常陸国府に腰をすえて軍勢の着到を待ちつつ、常陸介《ひたちのすけ》の藤原|玄茂《はるしげ》の意見を聞くと、玄茂は言った。
「当国府の近ぺんの村々や筑波《つくば》以西の村々は、御領となったり、御領に近い所でありますから、御威光が行きわたっております。御敵《おんてき》をかくまうほどの不敵な民がいようとは思われません。思うに、その疑いある土地は那珂郡《なかごおり》久慈《くじ》郡あたりの管内でございましょうか。この両郡は御承知の通り古くより藤氏の一門が蔓延《まんえん》しているのでございますが、間々彼の家の所領があります。亡父|国香《くにか》が常陸|大掾《だいじよう》に在職中に取り立てたものでございます。先ずそれらを目あてにして探索遊ばしてはいかがでございましょうか」
同席していた玄明《はるあき》が口を出した。
「兄者の意見ははなはだよろしゅうござる。この両郡には手前の手飼いの者共も多少ござる。いずれも心|利《き》いた者共でござれば、このようなことには至って便利でござる」
そう決定して、軍勢は北に向った。
歴史家の研究によると、坂東八カ国の中で最も早くひらけたのは常陸の国であるという。大和朝廷の勢力は坂東では先ず常陸に入り、ここを基地にして周辺にひろがって行ったと説く。その際先ずここに入った氏族は藤原氏(中臣《なかとみ》)であった。鹿島《かしま》・香取の両神宮はこの藤原氏を祖神として祀《まつ》ったのであるという。藤原氏を中央の大豪族たらしめ、後世京都朝廷の政権を独占する基をきずいた藤原|鎌足《かまたり》は「大鏡」の伝えるところでは東国の人となっている。ともあれ、常陸と藤原氏との関係は相当深いものがあると思われる。つまり、古代において常陸は大和豪族中の藤原氏(中臣)が特に多数入って来たのであろう。この小説の時代となっては、藤原氏だけでなく、他氏の豪族もいたのであるが、それでもなお那珂・久慈両郡の豪族のほとんど全部は藤原氏であった。
この豪族等は、すでに石井に自ら出頭して帰服していたのであるが、新皇自ら兵をひきいて来向ったと聞いて、おそれおびえ、互いに申し合わせて郡境まで出迎え、盛んな境迎え(さかむかえ・さかむけのこと)の宴を張って、全軍を饗応《きようおう》した。
小次郎は、玄明をして、豪族等に来意を述べさせ、貞盛の所在をたずねさせた。
「知っているなら言ってくれ。かくし立てなんぞしては、決してためにならんぞ。おれがどんな人間かおぬしらはよう知っているはずだ。おれの見る目|嗅《か》ぐ鼻が、おぬしらの領分内、おぬしらのまわりにウジャウジャいると思うがよい。かくしたりなんぞしては、筒抜けにわかるんだからな。気をつけるがよいぞ」
玄明は大得意だ。少し巻舌でおどかした。
ついしばらく前までは四方八方、鼻つまみで、同族の誰にも相手にされなかった玄明が、今では大した勢いだ。両郡の藤原氏等は同族のよしみにすがろうとして、親しげな愛嬌《あいきよう》笑いを浮かべながら、口々に言った。
「わかっとるてや。何のかくし立てなんぞするものか。わしらの心行きの見せ場所じゃ。知っているなら、御注進どころか、早速に捕えるなり、首にするなりして差出すわな。ほんとに知らんのじゃ。疑ってくれるなや」
「ほんとじゃぞい。そりゃ左馬ノ允がどこぞにいるらしいという噂《うわさ》は時々聞かんではない。しかし、姿を見た者はないのじゃ。空にただよっている浮雲のように、あるかと思えば消え、消えたかと思うとあらわれ、ふわふわと飛んで歩いているらしいのじゃ。つまり居所が定まらんのじゃでのう」
「しかも、その噂もこの頃《ごろ》ではとんと聞かんのじゃぞい」
「言うまでもないこと、わしらも大いに心掛けてさがすことにする故《ゆえ》、新皇様にしかるべく取りなし頼むわな」
賄賂《わいろ》進物多種大量に、玄明に贈られたことは言うまでもない。玄明は大威張りでこれを受取った。藤氏の豪族等が知らないというのも嘘《うそ》ではないらしかったので、その通りに小次郎に報告した。
「しからば」
三千の軍勢は両郡内に八方に散って探索をはじめた。貞盛の旧領内からかかったことはもちろんである。
小次郎勢の来る数日前、小督《おごう》と扶《たすく》の妾《しよう》は笠間《かさま》を出て、蒜間《ひるま》川に沿って下り、蒜間の江にのぞんだ村に来た。小督の発議であった。
「左馬ノ允の殿がああして尋ねあてて来なさるほどであれば、敵にもさがし出されると思わなければなりません。他へ移りましょうよ」
と小督は主張した。
妾は反対した。
「左馬ノ允の殿は水守《みもり》の郎党衆に聞いて参られたのでございます。あの殿であったればこそ、水守の郎党衆もお教え申したので、他人に、ましてや敵方の者に、どうして教えることがございましょう。ここにいれば、雪のとけるまででも安気でございます」
筋道の立った異議であった。小督もそう思わざるを得なかった。しかし、言い詰められたのが口惜《くや》しかった。ここに厄介《やつかい》になっているかぎり、妾に頭の上らない気持であるのも厭《いや》であった。
「わたしはそうは思わない。四方山に取りかこまれて箱の底のようなここは、万一にも敵に踏みこんで来られては逃げようがない。そなたが気が進まないなら、わたしひとりで行く」
と言い張った。
妾としては、小督をひとりやるわけに行かない。笠間を出ることに同意した。
蒜間の江は今の東茨城郡と鹿島郡の境上に位置する涸沼《ひぬま》のことだ。小督等のかくれたのは、北岸の茨城郡側の農漁村、妾の家の知合いの農家であった。
新しいこのかくれがを、やはり妾の家の世話で得たことを、小督はいとわしく思ったが、場合が場合で、いたしかたはなかった。
その家の人々は親切でないことはなかった。小督と妾のためにそれまで自分等の住んでいた家二軒をあけわたして、自分等は馬小屋と物置に引移った。
「むさいところでごぜえます上に、夜のものもごぜえましねえが、こんな暮しでごぜえます。こらえて下さりませや」
と、言うのであった。
小督と妾はそれぞれの家にわかれて入った。
従者三人は、家族共にまじって馬小屋に寝ることになったが、その従者の一人がここへついた翌夜逃亡してしまった。
小督は腹を立てて不忠を罵《ののし》ったが、心細さは言いようもなかった。
「それごらん遊ばせ。笠間に居ればこんなことはなかったのでございますよ」
と、妾は言った。
そうに違いないとは思ったが、一層腹が立った。
「下人共が逃げずとも、危いところに居るわけにはまいりません」
と、言いかえした。
けんまくのきびしさに、妾は黙って、すごすごと自分の住いに引取った。一応胸のつかえが下りる思いではあったが、胸の底では新しい心配をしていた。のこった二人も、いつ逃げ出すかもわからないという……
(そうさせない工夫をしなければ)
と、思った。
「どうしたものかねえ……」
口に出してつぶやいた時、思いもかけないことが胸に浮かんだ。
「何というばかな!」
かすかに紅《あか》くなって、あわてて心の外に追い出そうとした。その思案が形をなして眼《め》の前に立迷っているかのように、右手を上げて煙をはらうようにかきはらった。
けれども、その煙のように消えなかった。執拗《しつよう》にいつまでも立ちはだかっており、強い根が胸中に張って来る。
「あさましい!」
小督は泣き出したいような気になったが、その下からすぐ、
「二人に二人、ちょうどいいじゃないの」
と、考えているのであった。
小督は、自分と妾のからだを餌《えさ》にして下人共の心を引きつけることを考えたのだ。こんなことを考えたのは、彼女が生来|淫蕩《いんとう》な女であったからかも知れないが、こんな境遇におかれた女としてはきわめて自然な心理であると言えよう。実行にうつすかうつさないかは、その女の個性と場合によってきまるのだが、大部分の女性は一応は必ず考えるはずだ。「雌」の本性が考えさせるのだ。雌の最強の武器は性慾《せいよく》であり、雄の最大弱点は性慾だ。最強を以《もつ》て最弱を撃つ知恵を、雌は本能として持っている。
|とりもち《ヽヽヽヽ》にとらえられた蠅《はえ》のように、小督はこの考えから脱することが出来なかった。終日考え、夜に入ってもなお考えつづけた。夜のものとしては、ここでは藁《わら》しかない。その藁の中にすっぽりと身を沈め、身を動かせばカサカサと鳴る音を聞きながら、のたうちまわる思いで、終夜小督は考えつづけた。
真暗な中だ。藁はほかほかと温《ぬく》い。はじめの道義的な思慮や|ためらい《ヽヽヽヽ》はもうなくなっている。それは性慾的な妄念《もうねん》といってよかった。熱い血がこめかみにズキンズキンと打っていた。
くたくたに疲れて、夜明けに近い頃にやっと眠りについた。
目をさましたのは、日が三竿《みさお》ほどにも上った頃であった。まぶたのあたりに血が鬱《うつ》して、頭が重くて、芯《しん》が痛んだ。
先ず考えたのは、昨夜の決心であったが、朝の明るい光の中で考えると、言いようもないほど不潔でみじめなものに思われた。先ず妾に説明して同意させなければならないが、それは出来そうもないことであった。おどろきあきれさげすみ、嫌悪《けんお》されるに相違なかった。次には下人共の姿形があまりにも醜くげで卑《いや》しげであった。身ぶるいの出てくるのをおさえかねた。
(何ということをあたしは考えたのだろう)
小督は自分に腹を立てたが、やがてその腹立ちは妾や下人等に向けられた。きびしく顔をひきしめ、鋭い調子でものを言った。古び傾き煤《すす》ぼけた周囲の中に王女のような尊大さでいる小督には、異様な美しさがあった。妾も下人共もおじ恐れて、はれものにさわるような態度でかしずいた。
下人等が逃げ去りはしないかという不安は、小督の胸から去らない。夜になると、一層だ。ちょっとした物音にも、逃げ去る足音ではないかと、よく胸をどきつかせた。真暗な中に頭をもたげて、耳をすました。その度にいつも同じ思案が頭を上げて執拗に胸にくりかえされる。とうていそれは実現することのない思案だと考えながらも、くりかえさずにはおられなかった。そのため、昼間は一層尊大になり、厳格になり、冷酷ですらあった。人々のチリチリしているのを見るのが不安でありながら、不思議な快さであった。痛む虫歯をゆりうごかす快さに似ていた。
小半町向うに沼を見る|からたち《ヽヽヽヽ》の生垣《いけがき》にかこまれたこの家に、この奇妙な明けくれがはじまって数日たった。季節はもう春に入っているが、湖畔の村には春はおそい。寒い日がつづいた。
その頃《ころ》、新皇の軍勢が貞盛を探索するためにこの国に入って来たといううわさが伝わって来た。しかし、それは遠く北部の久慈郡と那珂郡だという。
「まあ、よかったこと」
安心しながらも、呼吸をひそめるようにしていた。
それからまた二三日、その日は朝からどんよりと曇って、寒気がしみるようであったが、午《ひる》を過ぎる頃から雨まで降り出して更に寒いわびしい日になった。
小督は風邪気味であった。小屋の真中に掘った囲炉裡《いろり》にいくら火を焚《た》いても煖《あたた》かくならない。肩から背中が濡《ぬ》れてでもいるようにゾクゾクと寒い。寝たいと思ったが、下人を呼んで寝藁を隅《すみ》から出すように命ずるのがものうくて、なおぼんやりと炉べりに坐《すわ》っていると、ふと何とも言えずさわやかな芳香を感じた。
ごく微《かす》かな香気だ。おや、と、聞きすまそうとすると、もう感ぜられない。
炉にさしくべている薪がたまさかそんな香《にお》いを出したのだろうかと思った。しかしまた同じ香気が感ぜられた。こんどはやや強い。明らかに伽羅《きやら》(奇南木)の香いだ。
小督は驚いて、入口に出てみた。
香気はうんと強くなった。しとしとと降る寒雨の中を、地表を這《は》うようにしてただよって来るのが、あとからあとからときれ目がない。
「無用心な!」
腹を立てて雨の中を妾の小屋に急いだ。
近づくにつれ、香気は益々《ますます》強い。目あての小屋の入口では、渦《うず》を巻いて、奔出しているようですらあった。
妾は藁にくるまって寝ていた。枕許《まくらもと》に伏籠《ふせご》を置き、長い黒髪をその上にひろげていた。香煙が伏籠の網目や黒髪の間からゆるやかに立ちのぼっていた。
「どうしたのです!」
小督は鋭く叫んだ。
「え?」
相手は快い眠りにあったらしい。薄目をあいてこちらを見た。
「ごめん遊ばして。ちょうど髪にお香を焚きしめていますので。昨日《きのう》、髪を洗ったのでございます」
半ば夢のうちにある人のような、たるい口のききようであった。
「お香など、どうして焚くのです、こんな時!」
小督の腹を立てているのがわかったらしい。妾は引きしまった顔になったが、依然として寝たまま言う。
「女のたしなみでございます。それに、こんな所でこんなくらしをしていると、一層たしなみよくさわやかにしていたいではございませんか」
少しむっとしたように、唇をとがらかした。その唇には紅がさしてあった。深い竪皺《たてじわ》のある少し分厚な、盛りをほんの少し過ぎた花のような唇だ。ぬれぬれとして、いかにも好色的な感じだ。
小督はそれにも気を悪くしたが、相手のカンのにぶさにたまらなくなった。近づくや、伏籠をはねのけた。欠けた土器《かわらけ》に灰を盛り、オキ火をうずめた上に、削った伽羅がうず高くのせてある。
妾ははねおきた。
「何をなさるのです!」
声がカン走った。肉づきのよいなめらかな頬《ほお》が青ざめて、唇がふるえていた。
小督は答えず、炉べりの土瓶《どびん》を取って水を土器にそそぎかけた。
「あまりでございます。なぜそんなことをなさるのでございます。わたしは賤《いや》しい生れの者ではございますが、扶《たすく》君の御生前、一通りならぬ御|寵愛《ちようあい》を受けた者でございます。髪にお香を焚きしめるのが僣上《せんじよう》でございましょうか。扶君が生きておいでの頃はもとより、その後も、それしきのことは許していただいていました……」
小督はゆっくりとふりかえって、相手を見すえた。
「わたしはあなたを僣上だの贅沢《ぜいたく》だのと言っているのではありません。わたくし共は府中の館《やかた》にいるのではありませんよ。敵のきびしい探索の目からかくれひそんでいるのですよ。しかも、その敵はこの国に何千という勢《せい》で入りこんで来ているのですよ。こんな片田舎でお香など焚いたら、敵に居場所を教えるようなものではありませんか」
妾も合点が行ったらしく、ハッとした顔になったが、なお言った。
「でも、敵はずっと北の方にいるというではございませんか」
「同じ国の内です。いつこちらに来ないともかぎりません」
妾は不服げであったが、口をつぐんだ。
「気をつけて下さい。このことだけではありませんよ」
とどめを刺すように小督が言った時、足音がして、下人共が二人そろって小屋の入口から顔をのぞかせた。濡れた地べたにしゃがんで、二人は言う。
「御用心なさりまして、今《いんま》、ここの家のおやじがかえって来ての話に、石井《いわい》の兵《つわもの》共が二三十人、今し方村に入って来たと言いますで」
早口のそのことばを聞いて、妾は唇の色までなくして、小督を仰いだ。小督はふりかえらず、入口に出た。むさくるしいひげに埋められてやつれの目立つ下人共の顔には、おびえ切った色があった。それを見ると、それまではおちついていた小督もこわくなった。
「ここを知って来たのかえ」
声がふるえていた。足もふるえて来た。しっかりしなければと、たえず自分に言い聞かせていた。
「おやじは、そうではねえようじゃと申していますだ。この村は休息だけでわきに行くつもりのようじゃと申していますだ」
ほっとした。
(それごらん、聞きましたかえ)
という意味をこめて、妾をふりかえった。
妾は、小屋一ぱいみなぎっている香煙を追い出そうとして、両袖《りようそで》であおぎ立てていた。舞っているように見えた。今となっては、そんなことをしては、かえって外の香気を強くして敵を引きよせるようなものだと、その無智《むち》が腹立たしかった。
「戸をしめて、出来るだけにおいが外に出ないようにしているのです。それではかえって悪いですよ」
「おゆるし下さいまし!」
妾は泣き出した。
「今更わびられたって、どうにもなりません。運にまかせるより外はありません。今も申した通り、戸をしめて、ひそまりかえっているのですよ」
おびえてしおれかえっている妾をきめつけるのが、奇妙なよろこびであった。
小督は自分の小屋にかえった。
下人共がついて来た。彼等も恐ろしくてならない風だ。恐怖にとらわれている犬が飼主の側《そば》にまつわりつかずにおられないと同じ心理になっているのであった。小督は腹が立った。
「ついて来てどうするのです。そなたらは家の人々と一緒になって、ここの家族のような風をしているのです」
と、叱《しか》りつけて追いやった。
小屋の戸をしめ切ると、窓のない屋内は真暗になった。小督は炉にむかって坐り、薪をつぎそえようとしたが、胸のわななきが手の先までふるえさせて、萎《な》えたようになっていた。
音を立てて、はげしい雨が降って来た。
(よかったこと、この雨が香のにおいを消してくれる)
心が静まり、手足の自由がかえって、薪をつごうとしたが、異様な物音が雨の中を迫って来るのを聞きつけて、またすくみ上った。
薪をつかんだ手を宙にとどめたまま、小督は耳をすましていた。血が耳に鳴り、雨の音がすさまじくて聞きとりにくかったが、たしかに数騎の人馬の近づいて来る響きが雨の中にあった。
ここを目がけて来るのか、他へ行くために通るのか。
(行きすぎるのであってくれますように!)
仏神の名号《みようごう》を唱えて、祈っていた。
魂のすりへるような気持のうちに、響きは次第に近づいて来て、ついに|からたち《ヽヽヽヽ》の生垣《いけがき》の外に達した。
どうやら、行きすぎるらしい。
(よかった!)
八方から全身をつつんでいた圧迫がとれ、動くのをやめたようにひっそりとしていた血がまためぐり出す気持であった。
が、安心するには早かった。
「待った!」
と、一人が胴間《どうま》声で叫んだかと思うと、足掻《あが》きを乱して、馬のとまる音が聞こえた。
「何だ、何だ、どうした!」
と、口々にさけぶ。
「不思議な香《かお》りがするぞい。みんな鼻をぴこつかせて、嗅《かぞ》うで見れや。何と、いい香りがするべし」
ザンザと降る雨の中に、しばらく声がたえた。空気の中にそこはかとなくただよっている獲物《えもの》のにおいを嗅《か》ぎ知ろうとする猟犬のように、鼻を空に向けている有様が想像された。
「うん、こりゃいいかおりじゃ」
「何ともいえんかおりじゃ」
「極楽のようなかおりじゃ。何であろうぞい」
と、口々にわめく。
最初の声がこたえる。
「こりゃ香ちゅうものじゃ。京の上臈《じようろう》衆が、男女を問わず、衣《きぬ》に焚きしめたり、髪に焚きしめたりして、めかし立てなさるものじゃ。おらは、昔、前《さき》の前《さき》の下野守《しもつけのかみ》の殿の姫君が寺詣《てらもう》でさっしゃるのに途《みち》で逢《お》うたことがあるが、お車の中からこの香りが流れただようて来るので、心が空《そら》になって、知らず知らずに小半道もあとをついて行ったことがあるで、よう知っているてや」
小督は生きている気はしない。凍えたように身をかたくして、耳をすましていた。
おりから、雨は小ぶりになって、外のことばはあさましいほどはっきりと聞こえる。
「ところで、おぬしらどう思うぞい。こげいな貧乏村に、こげいに香のにおいなんどがしているのは、尋常のことではないぞや。上臈衆がかくれひそんでいるかも知れんとは思わんかや」
そうじゃ、そうじゃ、さすがおぬしは知恵者じゃ、その通りじゃ、それ、散ってさがせい! と、口々に叫び立てると、馬蹄《ばてい》の音がパッと散った。
小督は目の前が真暗になった。心があえぎあせるだけで、しびれたようにからだが動かなかった。
それからどれほどの時間がたったろうか。小督は耳にふたをして炉べりにうつ伏せていたが、とつぜん、帛《きぬ》を裂くような女の悲鳴が聞こえた。妾の小屋のようであった。耳にあてていた手をのけた。女の悲鳴はもう聞こえず、荒々しく濁《だ》みた男の声だけが聞こえた。
「やあ! こりゃあでやかじゃわい!」
小督はまた耳をふさぎ、目をつぶって、うつ伏せになった。どうすべきか、まるで頭が働かない。
やがて、ぬかった大地を走って来る足音が近づいて来て、はげしく入口の戸をたたきはじめた。
「やい! あけろや! あけろや! ここに人がいるのはわかっているだによ! 屋根から煙が立昇っているでねえか。だまそうとしても、その手は食わねえぞい! あけろや! あけろや! あけんとたたき破って入るぞい!」
いくらかたく耳をふさいでいても、容赦なく聞こえて来る。小督はそのままの姿で、小屋の隅にじりじりと退《さが》りはじめた。恐ろしい敵の恐ろしい声から少しでも遠ざかろうとする本能がさせるのであった。
入口の戸はたたかれてはげしく鳴ったり、おされてきしんだりしていたが、ついにはずれた。よろけこんで来た者は「ヒャッ!」と、悲鳴に似た声を上げて、また飛び出し、入口からのぞきこんでどなり立てた。
「やい! 出て来う。出てこう」
中から飛びかかって来るかも知れない危険にそなえて、いつでも身を引けるように片足だけふみ出した中腰でのぞきこんでいた。ぼろの着物にちぐはぐな鎧《よろい》をつけ、顔から耳のわきにかけて赤錆《あかさび》の浮いた半頭《はつぶり》をかけた雑兵《ぞうひよう》であった。半面をうずめた赤ちゃけた短いヒゲが醜悪な顔を一層醜悪にしていた。
「やい、やい、出て来ねえか! 出て来ねえと、火をかけて焼いてしまうぞい! それでもええか!」
と、威嚇《いかく》しつづけたが、やがて屋内の暗《やみ》に目がなれて来たらしい。小屋の隅に虫のうごめくように後退をつづけている小督の姿をとらえて、視線を凝らした。
にたりと笑った。
「ひゃあ! ここも女子《おなご》ぞや!」
つぶやくと、大股《おおまた》に踏みこんで来た。
「おうら、上臈方ぞいの」
つッ伏したまま動きをとめて死んだようにしている小督の側に立って、雑兵は言ったが、忽《たちま》ち小督の背に黒い流れのようにかかっている髪をグイとつかんだ。手につかみあまる髪の量とつめたさに、雑兵は頭のてっぺんから足の爪先《つまさき》まで電流にふれたような感じを味わった。胸に火がつき、頭に血が上った。残忍で酷烈な欲情が全身にみなぎった。髪をこぶしにからめ、力まかせに引きおこして、顔をのぞきこんだ。
小督のきゃしゃな顔はふるえていた。きびしく目をつぶっていた。真青になっていた。美しかったので、雑兵はゾクゾクするほどうれしかった。またわらった。
「目エ、あきなさろ! 開けねえと、ぶッくらわすぞい!」
小督は目をあけた。醜悪で兇暴《きようぼう》な男の顔がつい近くにあった。小督は威厳を保たなければならないと思ったが、おそろしくてたまらなくなった。媚《こ》びるように弱々しく微笑してしまった。
「ヒェッ! 笑うてくれなさるのか!」
という男の叫びを聞いたのが先であったか、胸のむかつくほど強烈な体臭のからだがおおいかぶさって来たのが先であったか、馬鹿《ばか》馬鹿しく強い力におしたおされていた。
小督等の潜伏している村に来たのは、下野南部の豪族で去年の冬から小次郎に臣従して、一方の将をうけたまわっている坂上《さかのうえ》ノ遂高《かつたか》の兵共であった。彼等は湖畔の村々を探索した上で、この村から二里ほど東方の村で遂高の本隊と合すべき任務を帯びていたのである。坂上ノ遂高は那珂《なか》川と蒜間《ひるま》の江にはさまれた茨城|郡《ごおり》の東部地帯を探索しながら、その村に来る手筈《てはず》になっていた。
遂高はおりからの雨の中を強行して予定の日時に到着したが、支隊はまだついていなかった。雨のためにおくれたらしいと思って、一夜待った。雨はその夜中にあがったが、まだ到着しない。
「おくれるなら、おくれると、届けをせぬということがあるものか」
遂高は腹を立てて、様子を見て来るように数人の兵をつかわした。
すると、間もなく、多治ノ経明《つねあき》の隊が到着した。これは常陸の海岸地帯を探索しながら南下して来たのであった。
「どうだな」
「まるで気《け》もないわ」
「おれが方もよ。戦さには|つたない《ヽヽヽヽ》男じゃが、逃げかくれは巧みなものよ。藤氏の者共が浮雲のように、飛び去り飛び来《きた》って、どこにいるやらさだかでないと申したが、真実その通りよのう」
「その通り。あぐねたわ」
数日ぶりの対面だ。二人が酒を命じて飲んでいると、遂高が様子を見に出した兵共が支隊の兵二人を帯同してかえって来た。
「遅れるなら遅れると、なぜ知らせぬ? おれは昨日の夕方から待っているのじゃぞ!」
遂高はいきなりどなりつけた。
「申訳ござりません」
と、一応わびごとを言いはしたが、支隊の兵共の様子には恐れ入った様子はない。微笑とともに、誇らしげに言った。
「遅れても手がらがあればよござるべし。てまえ共は、左馬《さま》ノ允《じよう》が北の方と、源ノ扶《たすく》の妾《しよう》をつかまえたのでござります」
「やあ! それはほんとか?」
と、経明がさけんだ。
「ほんとでござりますとも! 追っつけ皆が連れて来るはずでござります」
経明は遂高に言った。
「うらやましや。これほどの手がらを立てた者は、この度はまだないぞ。さぞや、新皇様のお覚えがめでたいことであろうよ」
嘆息するようなことばであった。ほんとに心から羨《うらや》ましがっているようであった。
遂高は平静な態度を保ってはいたが、それは経明の手前露骨に感情を出すのをたしなんだからで、本心では大よろこびであった。経明の羨望《せんぼう》のことばがさらにそれをあおった。
「運じゃよ。運がよかったというに過ぎぬて」
と、言ったが、ふと不安になって、兵に言った。
「汝《わい》ら、狼藉《ろうぜき》をはたらいたのではあるまいな」
「へえ……その! いえ……」
兵士等は物につきあたったようなギクッとした表情になった。
遂高はそれを見のがさなかった。
「さては、乱暴したな」
兵士等はにやにやと笑って、互いに顔を見合わせた。一人が観念したように、
「はじめはどなたじゃかわかりましねえので。それにあんまり美しゅうござりましたので……つい、その……」
と答えはじめたが、ふと同僚をふりかえると、猛烈な勢いでどなり立てた。
「おらにばかり言わせねえで、汝《われ》も申し上げろやい! いい目をしたのは、おらばかりじゃねえぞ! 手の者はのこらずでねえかよう」
「そんでも、殿は汝に聞いていなさるのじゃ。それに、おらには何も申し上げることはねえだ。汝の申し上げる通りじゃものな」
「申しあげることがねえことがあろうか。はじめどうして誰が見当をつけ、誰が見つけ出し、誰が一番にお情にあずかり、二番手に誰が――と、いくらでもあるでねえか」
「おおや、そんだことでいいなら、申し上げるべい」
兵はこちらを向いて、言上の姿勢を取った。
遂高は手を上げておさえた。
「もうよい、よくわかった」
合戦にはつきもののことであったが、これはまたひどすぎることであった。一は坂東平氏の嫡流《ちやくりゆう》で、左馬ノ允の官にある者の嫡妻《むかいめ》、一は常陸源氏の嫡流たる人の愛妾が、三十人もの雑兵共のために入れかわり立ちかわり恥を見せられたのだ。といって、叱《しか》るわけには行かない。兵共は合戦の習わしに従って勝者の権利を行使したに過ぎないのだ。
ただ心配なのは新皇の心だ。気の毒な境遇にある者にたいすると、不思議なくらい気弱くなる性質だ。こんなことをしたと聞いては、きっと覚えはめでたくなくなるに違いないと思われた。こまったことをしてくれたと、覚えず溜息《ためいき》が出た。
「もうよい。あちらに行け」
兵士等を退らせて、盃《さかずき》をとり上げたが、すっかり酒がまずくなった。
多治ノ経明が笑いながら言った。
「御心配のようだが、それには及ぶまいよ。新皇様にしても、いつぞやの合戦では、京下りの御|寵愛《ちようあい》の姫宮が雑兵共のために言語道断な辱《はず》かしめを受けて殺されているのだ。案外これでしかえしが出来たと、お喜びになるに違いないと、わしは思っているぞ」
「なるほど、わしが随身する前のことであった故《ゆえ》、とんと忘れていたわ。そういうこともあったな。こりゃいいことを聞かせてもらった」
遂高の胸はやっといくらかひらいた。
三十分ほどの後、小督等は到着した。春とはいえまだ寒い湖畔の風の中を、両女ともかねての衣《きぬ》ははぎとられて、ぼろぎれのような土民のしごと着を肌《はだ》もあらわに着せられ、うしろ手に縛られ、馬にのせられていた。護送の兵士等は思わぬ手がらに心おごっている。べろんべろんに酔い痴《し》れて、|おみこし《ヽヽヽヽ》でもかついでいるようにさわぎ立てて来る。
兵士等は、先頭に両女の下人等の生首を矛《ほこ》につらぬいたのを左右に立て、両女を乗せた馬を中心に不規則な列をつくって、うたいはやしながら練ってくる。
生けどりじゃア、
御法楽じゃア、
夜をこめてじゃア、
蓮華《れんげ》が咲いたア、
露もしとどに濡《ぬ》れ咲いたア、
夕立だア、
夜立だア、
朝立だア、
…………
唄《うた》はこう聞こえた。もっと淫猥《いんわい》なことばもあった。単調で、みだらで、狂躁《きようそう》的な調子だ。
坂上ノ遂高の兵も、多治ノ経明の兵も、総出で見物した。馬上の両女はもう現《うつつ》ごころを失っているのかも知れない。乱れた髪が顔の周囲に垂れ、きゃしゃな首筋は折れそうに深く垂れ、|ぼろ《ヽヽ》につつまれたからだは馬の歩みにつれて力なく揺れた。
遂高は大急ぎで両女を受取って陣所に入れ、兵士等をねぎらって退《さが》らせて、経明に相談した。
「さて、これからどうしたものであろうな」
「されば、これまでのところはいたしかたはないが、すでにおぬしが受取った以上は、狼藉なことがあってはなるまい。鄭重《ていちよう》にもてなしおいて、御本営に申し上げておさしずを仰ぐべきだと思う」
「そうであろうな」
遂高は、両女に衣服と食事をあたえ、村の老婆《ろうば》をその世話役に頼んでおいて、郎党に注進状を持たせて、小次郎の本営に急行させた。
この時、小次郎の本営は那珂郡にあった。遂高の急使は朝方到着した。鹿島《かしま》ノ玄明《はるあき》が出て注進状を受取った。
玄明は注進状を読むと、
「ならびなき手柄《てがら》だ。必定みかどは御満悦であろうぞ。しばらく待っているよう」
と大げさにほめておいて、小次郎のところに向った。
小次郎の性質を知りぬいている彼には、小次郎がどんな反応を見せるか、大いに興味があった。
小次郎の本来の性質からすれば、たとえ怨敵《おんてき》の片われにせよ、女人《によにん》、しかもよるべない者をむざんにさいなんだとあっては、腹を立てるに相違ないところだが、こんどは貴子《たかこ》のことがからんでいる。貴子の死に対してあんなに憤激していたのだ、案外大いに快心するかも知れないと思う。しかし、更に考えると、小督は小次郎の初恋の女だ。小督を手に入れる資格を得るために、京三界まで行って苦労したのだ。しかも、その恋は遂げられず、左馬ノ允にさらわれてしまったのだ。
条件は複雑をきわめている。玄明としては面白くてならないところであった。
(誰かと賭《か》けたいところだな。しかし、どっちに賭けよう? おれにもわからんて。ハッハハハハ、大笑いだ……)
小次郎の宿舎は土地の豪族の館《やかた》であった。ここへは三日前に来たが、ひっきりなしに附近の豪族共がごきげん伺いに来て、毎日朝から夜までくつろげる時がない。わずかに食事のあとしばらくだけが、彼の時間であった。ちょうどその朝の食事をすませたところであった。彼は放心したような目で、庭を見ていた。朝|毎《ごと》の霜はまだきびしいが、さすがに季節は争われない。庭は霜どけでグチャグチャにぬかっていたが、その土の色にも、そこに水蒸気を立たせて射《さ》している日ざしにも、そこはかとなく春のけはいが見えていた。
彼は何となき疲れを感じていた。それは伺候する豪族共との応対や日夜の歓迎攻めのためでもあったが、最も大きな原因はこの大がかりな探索がまるで効果のないことであった。
(こうまで力をつくしても手がかりすら得られないとすれば、案外太郎はもう坂東にいないのかも知れんな。いないとすれば、この上探索をつづけるのもばかげている)
良子や豊太丸を恋しくもあった。
「もう二日もしたら、またのことにして、引上げるか」
大軍をひきいて、この大がかりな探索陣を張って、獲《う》ることもなくすごすごと引上げるのは、王者の権威にもかかわることだが、いたし方はない。
(魚のいない淵《ふち》に糸を垂れていたんでは、どんな釣《つり》の上手でも釣れるはずはないのだからな)
こんなことを考えている時、玄明は入って来た。
(うっとうしげな顔をしているな)
と思いながら、玄明はひざまずいた。このうっとうしげな顔がどうかわるか、益々《ますます》興味がある。せきばらいして、言った。
「吉報を申し上げます」
「見つかったのか?」
「左馬ノ允ではございません。左馬ノ允が嫡妻《むかいめ》と、故源ノ扶《たすく》の妾とを捕えましてございます。捕えましたのは坂上ノ遂高の手の者、場所は蒜間《ひるま》の江のほとりの村。唯今《ただいま》到着いたしました注進でございます」
小次郎の胸はにわかにさわぎ立った。
「なに? 左馬ノ允が嫡妻? 太郎が嫡妻と申せば、源ノ護《まもる》の……」
と、いいかけて、小次郎はふと、玄明が小督《おごう》と自分との関係をよく知っていることを思い出した。ことばはとぎれた。
(それ見ろ! さあ、これからどんな験《しるし》が見えるか?)
玄明はゾクゾクするほどうれしい。
「源ノ護が三女、たしか小督と申す名前でございます」
と、はっきりと言った。この際小次郎と小督との昔の関係を自分が忘れていないことをそれとなく示すべきか、全然知らないふりでいるべきか、玄明はちょっと迷った。しかし、のっぴきならない場におしこめられることを用心して、後者を取ることにした。ぺらぺらとつづける。
「坂上ノ遂高、大手柄でございます。左馬ノ允の消息がまるで知れませんので、これでは御面目にもかかわると、案じておりましたが、これでその点は助かりました。坂上も御奉公はじめのこと、面《おもて》|おこし《ヽヽヽ》なことでございます」
喋々《ちようちよう》たる玄明の弁口に、小次郎は一言も口をいれないで聞いていたが、ぽつりと聞いた。
「その女どもはどこにいる?」
「遂高が陣所に、いたわっておいてある由《よし》でございます」
小次郎はホッといきをついた。
「それはよかった。戦さの習い、兵《つわもの》共が狼藉したのではないかと案じていた」
(そら、正念場だ!)
と玄明は思った。小次郎が昔ながらに小督に対して尋常でない心を持っていることがわかったと思った。どうしよう! 本当のことを言うべきか、しかし、三十人もの雑兵共に泥田《どろた》のように踏みあらされたと聞いたら、どんなに腹を立てるであろう、と、しばらく迷った。
「この上ともに、いたわって、疎略《そりやく》のないように、と申しつかわせい」
重ねて、小次郎は言った。
玄明は小次郎の根性の甘さが腹に立って来た。こんな際兵士共がまるで無防備な状態にある艶麗《えんれい》な美女を見て、何事もなく済んだと考える根性の甘さは、一人前の男として何か大事なものが欠けていると思った。そんな甘ちょろい心で、どうして海山千年の豪族共を馭《ぎよ》して行けるものかと思った。鍛えなおしてやる必要があると思った。肝ッ玉をでんぐりかえらせるならでんぐりかえらせい、おこるならおこれ、何もかもぶちまけてやるぞ!
玄明は居ずまいをただして、ヒタと小次郎を見て、ズバリと言った。
「女共は両人共、兵士等のために散々にはずかしめられたのでございます」
「なにッ?」
小次郎は叫んだ。顔が真青になった。どもりながら言った。
「その方は、たった今、たった今、いたわっておいてある、遂高が陣所にいたわっておいてあると、申したではないか」
「それは遂高が知ってからのことでございます。遂高の前に連れてまいられる前に、三十人ほどの兵が終夜入れかわり立ちかわりふみにじったのでございます」
玄明は残酷な心に駆られている。わざとむごいことばを選んだ。
小次郎は青くなった。ものは言わない。肩で呼吸をしている。
「合戦のならいであります。兵士等を責めることは出来ません。もとより遂高には罪ありとは申せません」
「……むごいことを……」
やっと、つぶやくように言った。
「貴子姫がどんな目にあわれたか、思い出していただきましょう。貴子姫はそのために落命されたのであります。この度の女共はいのちに別条がなかっただけ、まだ軽いと申せましょう。てまえはあの時の仕返しであると思っております」
「……しかし?……」
小次郎の声はほとんどつぶやきだ。
玄明は一層しんらつに出る必要を感じた。にやにやと笑いながら言った。
「左馬ノ允が嫡妻《むかいめ》は、みかどがお若い時、筑波《つくば》の|※[#「女+櫂のつくり」]歌《かがい》でしかじかのことのあった女であります。御未練があるのではございませんかな」
小次郎は狼狽《ろうばい》した。
「ば、ば、ばかな! 何を言う!」
と叫んだ。赤くなっていた。
玄明は一層からかい面《づら》だ。
「そういきり立ち給《たも》うことはありません。御未練がおわさないならもちろんのこと。たとえ御未練がおわすにしても、たかが女一人のことにそうお気を立てさせられることはありません。御未練がおわすなら、お呼びになって、お枕《まくら》の塵《ちり》を払わせられるだけのこと。なあに、女などと申すものは、陶物《すえもの》と同じで、湯に入れてゆすぎ磨《みが》けばもとと少しもかわりなくなるものです。かれこれと奇麗ごのみするのは男の迷妄《めいもう》であります。その証拠には遊女の場合は、ゆうべ誰と寝たかも知れぬものを、うれしがって抱いて寝るではございませんか。引きよせて結べば草の庵《いおり》なり、解くればもとの野原なりけり、と申す歌があります。ハッハハハハ」
何につけてもこんな考え方しかしない玄明だ、今にはじまったことではないと思いながらも、小次郎は聞いているにたえなかった。
「わかった。退《さが》れ。先刻申したようにこの上とも鄭重にあつかって疎略はならぬと申しつかわすよう」
玄明はなお言いたいことがあったが、こうきっぱりと言いわたされてはしかたがない。
「かしこまりました」
と答えて退出した。
遂高《かつたか》の郎党等の所に来た。
「申し上げてまいった。功名のほど感ずるに余りがあると、大へんな御|褒辞《ほうじ》であるぞ。いずれ恩賞の御|沙汰《さた》があろうと、さよう遂高に申し伝えい」
そして、ふと思いついて、つけ加えた。
「それから、女共のことだが、これは早速に当方に送りこますよう。諸事鄭重にはからい、疎略なくいたすのだぞ。申すまでもないことだが、もう乱暴はならぬぞ。よいか」
郎党等は満足してかえって行った。
詰所にかえって、玄明はひとりにやりと笑った。小督等をここへ呼びよせて、小次郎と面《つら》つき合わせてやろうと思うのだ。小督がどんな顔をするか、小次郎がどんな顔をするか、どんな心理になるか、どんなことになるか、楽しみであった。
(おれなら大いにうれしいがな。昔ほれて遂げられなかった女だ。その上、これを犯すことは貴子のかたき討ちにもなる。大いにうれしい。雀躍《じやくやく》して立向うところだが、みかどと来ては生れついての朴念仁《ぼくねんじん》で、無心に喜ぶべき時にも、一筋に楽しむべき時にも、心の片端にやましさやなやみをひきずっていなさるのだ。損な御性分だて。しかし、それだけに見ものではあるな。ハハ、ハハ、ハハ……)
手ぐすね引いて待つ気持であった。
一方、小次郎は玄明の考えた以上に心をなやましていた。その日一日思いふけり、その夜も目ざめ勝ちに思いふけっていた。とうの昔小督に対する恋情はなくなったと思いこんでいたが、今になって見ると、決してそうでないことがわかった。心の底の最も奥深い所に、灰をかぶった熾火《おきび》のようにのこっているものがあるのに気がついた。
小次郎は狼藉《ろうぜき》をはたらいたという兵士等にはげしい怒りを感じていた。八ツ裂きにしてもあき足りないと思った。怒ってはならないだけに、憎悪《ぞうお》は一層であった。公的な憤《いきどお》りでなく、嫉妬《しつと》であることはよくわかっていた。自分がみじめでならなかった。
(貴子といい、小督といい、おれの恋する女は、どうしてこんなにみじめな目に逢《あ》わなければならないのであろう)
と思ったが、すぐ結論をつけた。
(どうしてと、思案してみるまでもない。二人の厄難《やくなん》は合戦によっておこったのだ。そして、その合戦はおれと太郎との争いからおこっているのだ。おれと太郎に責任があるのだ)
胸苦しくなった。
(世間のほとんど全部の人は、恋する女をこんなみじめな災難におとしはしない。せいぜい心がわりしてなげきに沈ませるくらいのものだ。だのに、おれは愛し切っていながらいつもこんな不幸におとしてしまう。恋する女を不幸にするものがおれにはあるのかも知れない)
陰気な思案がはてしもなくつづいた。
夜が明けると、小次郎は玄明を呼んだ。
「捕われの女共に、衣《きぬ》を一|襲《かさね》ずつとどけるよう」
と、命じた。なげきを慰めるためであると説明するつもりであったが、玄明の顔を見ると、いろいろと腹をさぐられそうで、つい簡単になった。
「ありがたき御仁心でございます。敵の片われであろうとも、すでにとらわれの無力の身となった以上、これをあわれみ恵むは王者たる者のあらましき徳でございます。さぞかし、肝に銘じて感涙にむせぶことでございましょう」
玄明は大げさにほめたたえた。いつもに似ず笑いのかげさえ見せない大《おお》真面目《まじめ》な顔だ。からかわれているよりも気恥かしかった。
「申しつけたぞ」
と、さえぎるように言った。
「かしこまりました。早速に取りはからうでございましょう」
小次郎の前から退出しつつ、玄明はにやにや微笑していた。心中につぶやいていた。
(忘れられんらしいな。長|時雨《しぐれ》の赤土道《あかつちみち》みたいにグチャグチャと雑兵《ぞうひよう》共に踏み荒された女を。性質だなあ。およそ坂東八カ国に住むかぎりの女なら、どんな大家の姫君でも自由自在になる身分にありながらなあ。ひもじい時は別だが、おれはいやだな)
詰所へかえると、自分の郎党を呼んで、ひそひそとなにごとかをささやいた。郎党はうなずきうなずき聞いた後、一礼して本陣を去って陣所にかえったが、すぐ馬を引出して打ち乗り、どこかへ去った。
郎党の去った後、玄明はしばらく思案していたが、
「そうだ、歌を一首作っておこうかな」
とつぶやいて、硯《すずり》を出し、紙をひろげた。薄い口ひげをひねりながら、しきりに苦吟のていであったが、ほどなく、すらすらと筆を走らせる。読みかえして、二三字改めて、また読みかえす。
「やれ、出来たわ。これでよし、名吟だ」
よそにても風の便りに我ぞ問ふ
枝離れたる花の宿りを
紙にはこう書いてあった。
玄明は新しい紙に入念に清書し、書きおわると、満足げに微笑した。
「御製|宸筆《しんぴつ》じゃ。骨のおれるのはいたし方ないてや」
書きくずしはチンと鼻汁《はな》をかんで屑箱《くずばこ》に捨てた。清書した方は折りたたんで封をしてふところへ入れた。それから庭に出て、一隅《いちぐう》にある倉の一つに入った。
そこにはこんどの親征中に集まった豪族等の献上品や貞盛の領分内からの徴発物が収蔵してあるのであった。陣所が移動するにつれて持ち運びが面倒だから、たまるにしたがって石井に運ばせていたのだが、あとからあとからと集まるので、すぐ一ぱいになるのであった。
玄明は番に立っている兵に命じて三四|合《ごう》の革籠《かわご》をひらかせ、二かさねの衣を選び出した。詰所に持ってかえって、二つの台に品《しな》よくのせ、一つの衣のたたみ目に先っきの封書をはさんだ。
「さて、これでよし」
あとは悠々《ゆうゆう》として、御|機嫌《きげん》伺いに来る豪族等と応対して拝謁《はいえつ》の段取りをつけたり、献上物を受理したり、賄賂《わいろ》をせしめたり、時々|恫喝《どうかつ》をこころみたりしていた。
昼をかなりまわった頃《ころ》、詰所の入口に、朝方の郎党が顔を見せた。玄明は軽くうなずいて席を立ち、物陰につれて行った。
「途中で会いました。いたわりながらずいぶんゆるやかにまいりつつありますから、到着は暮れ方になるのではないかと存じます」
と、郎党は言った。
「暮れ方とは願ってもない好都合だな。皆が見ものにしてさわいではこまるからな。それで、どんな着物を着ていた? 見苦しからぬ様子であったか」
「ことさら美しい衣は召しておられませなんだが、見苦しいというほどのことはございません」
「容顔はどうだ。やつれて悪くなってはいないか」
「両人とも被衣《かつぎ》を深々と召しておられますので、しかとはわかりませんが、ちらりと見たところでは、なかなかあでやかなようでございました。もっとも、すきとおるばかりに青い顔色になっておられました」
「わかった、わかった。大儀であった。退《さが》って酒でも飲んで休息せい」
玄明は、今朝方この郎党を坂上ノ遂高の陣所につかわしたのだ。小督等の送致をせかすために。ところが、小督等はすでに向うを出発して当地に来つつあるというのだ。満足であった。しごとをつづけながら、上機嫌で考えていた。
(すきとおるばかりに青い顔をしているといっていたな。美しいなら、その方がよいて。あれほどの目にあいながら、匂《にお》い立つばかりにはなやかな顔色していてはあさましいからな。梨花《りか》一枝、春、雨を帯ぶ。かえって風情《ふぜい》であろうて)
待ち受けた一行は、日暮れ方に到着した。玄明は門前に出て迎えた。幸いなこと、兵士等は気づいていない。
(うまい、うまい)
大急ぎで門内に迎え入れ、奥の一室に導いた。
玄明はその館《やかた》の主人に談じこんで婢女《はしため》四人をかしてもらって、小督等の側《そば》につけ、色々な世話をさせるようにした。
「新皇様の仰《おお》せだ。ねんごろにお世話申すのだぞ。決して疎略があってはならんぞ」
と、申し渡した。
これだけの手配りをしておいて、詰所にかえったが、小一時間もたつと、婢女を呼んで、用意の衣を持ち出して、
「これは新皇様より、あの方々に賜わるものだ。汝《わい》ら持って行ってお届け申せ。こちらが左馬ノ允が北の方、またこちらが今一方だ。間違えてはならんぞ」
と言って、渡した。
婢女等はうやうやしく捧《ささ》げ持って、奥へ消えたあと、玄明は鎧《よろい》を狩衣《かりぎぬ》にかえた。時刻を見はからって小督等の許《もと》に顔を出し、反応を観察する心組みであった。
(恩賜《おんし》ということは、二人の立場上、大した感動はあるまいが、衣はせいぜい美麗で上質なものをえらんだのだ、いかに悲嘆と絶望の底にあろうとも、女として嬉《うれ》しくないはずはない。衣類に対する女の執心《しゆうしん》は男の想像のおよばんものがあるからな。――ハッとうれしくなって、覚えずおしいただき子細に点検するであろう。すると、思いもかけず、優にやさしき歌が入っている。もとの鹿島の神人《じにん》藤原玄明が鼻の頭に脂《あぶら》を浮かすほど苦心して作った名吟だ。帝王の徳とあるかなきかにほのかな恋情をないまぜたものだ。何ぞ感応なからんやだ。しかし、先《ま》ず半刻《はんとき》は時間を見ておかねばならんな)
薄ひげをひねってにたにたとひとり笑いしながら、時刻の来るのを待っていると、三十分|経《た》つか経たぬに、さっきの婢女共がやって来た。
「あの、これをおとどけ申せとのことでございます」
と、一人が言って、二つに折った紙ぎれを渡すと、他の一人も、
「わたくしの方も、おとどけ申せと」
と、同じような紙ぎれをさし出した。
「これは、これは、えらい早いききめじゃな。八塩《やしお》折りの強酒《つよざけ》よりまだききめが早いわ」
さすがに、玄明もおどろいて、にが笑いしつつひろげてみると、一つには、
よそにても花の匂ひの散りくれば
わが身わびしと思ほえぬかな
とある。たとえ敵側の人からであろうと、このお情をいただいては、わびしい気持はなくなりましたという意味。
(なるほどな。和歌《うた》というものは融通自在なものじゃて。お情をいただくならば、わびしさもなくなりましょう、つまり御|寵愛《ちようあい》をいただきたいと解せられんこともないて。いやはや……)
さらにもう一つをひらくと、
花散りしわが身もならず吹く風は
心も淡きものにざりける
とある。落花狼藉の目にあって、実《み》にもならずさんざんになったわたくしに吹く風は、薄情なものでありますという意味。ざりける≠ヘぞありける≠ニ同じ。
(なるほど、これは扶《たすく》の妾《しよう》の分じゃて。小督にだけ歌をおくったので、|ごりんき《ヽヽヽヽ》のていだわ)
玄明は女等の返歌をもって、小次郎の前に出た。
「仰せによって、女共に衣類をつかわしましたところ、歌をおくってよこしました。御|叡覧《えいらん》を願います」
小次郎は受取って、見て、
「歌は、わしにはまるでわからん。どんな意味だ」
玄明は宙《そら》で読み上げて、解釈して聞かせた。表ての意味はこう、裏はこうと。
「つまり、これは恋歌でございます。両女ともにみかどをお慕い申しているのであります」
「ばかなことを申すな。表ての意味の、裏の意味のと、穴ぐり立ててはならん。衣類をいただいてありがたいというだけのことだ」
胸が波立ち、頬《ほお》のあたりにほのめく血の温《ぬく》まりがあったが、おちついた調子で言うことが出来た。しかし玄明は小次郎が冷静であり得るはずはないと思っている。
「恐れながら、みかどは歌の道にはお暗いのであります。てまえの目に狂いはありません。女人に思いをかけられて、知らぬふりにもてなしているのは、情知らぬことでございますぞ」
「冗談はよせ」
「冗談ではありません。真面目な話であります」
ほんとに、にこりともしない。
「人の女《め》だ。おれはいやだ」
「これはしたり、もとは人の女でも、今はとらわれ人、つまり分捕品《ぶんどりひん》であります。本人共がいやと言おうと、意のままにしてよいはずのものであります。ましてや、本人共はお情を受けたいと望んでいるのであります」
「おれにはそんなつもりはさらにない。戦さは男同士のこと、女子供は知らぬことだ。おれは府中のあの者共の館《やかた》に送りかえしてやるつもりでいるのだ」
「府中の館は人々ことごとく離散して荒れすさんでいます。送りかえされたところで、女二人ではどうすることも出来ますまい。餓《かつ》え死にするだけのこと」
「そんなら水守《みもり》か上総《かずさ》へ送りつけよう。敵勢はむごい目にあわせて貴子を殺したが、おれはそれと逆なことをしたい。遂高《かつたか》の手の者共が二人を恥かしめたことは返す返すも残念であるが、今となってはいたし方がない。おれは男の戦さぶりを敵の奴《やつ》ばらに見せてやりたいのだ」
昂然《こうぜん》として、小次郎は言い放った。この気持に嘘《うそ》はなかった。胸のうちにもやついていたのだ。それが口にされて、はっきりした形になったのであった。
しかし、玄明は、
(無理をしている)
と思った。軽くせきばらいして言った。
「一体、みかどは女というものをどんなものと考えていらせられるのでございましょうか。みかどは猟がお好きでございますから、よく御承知のことと存じますが、鹿《しか》や羚羊《かもしか》は一群の中で最も強い雄が全部の雌共の夫となるのでございます。雄共が一つに集まって互いに闘っているのを、雌共はわきで見ていて、勝ちぬいて最後にのこったものの女となって、ぞろぞろとついて行きますな。人間の女も同じでございますよ。強いもの、すぐれたものにひきつけられ、その意のままになりたい性質があるのでございます。あの女共は御|愛撫《あいぶ》を待ち望んでいるのでございます」
あまり玄明が熱心なので、小次郎は疑念をもった。
「そなた、どうしてそんなにおれをそそのかすようなことを言うのだ。おかしいではないか」
玄明はハハと笑って、ペコリとおじぎをした。
「てまえ、実はいささか詐略《さりやく》を用いました。衣類をつかわす時に、歌を一首そえたのでございます。よそにても風の便りに我ぞ問ふ枝離れたる花の宿りを≠ニいう歌。もちろん、恋の意味などはさらにございません。敵対の関係にある自分ではあるが、そなたらがよるべなき身となっていると聞いて、そぞろあわれとなって、かく見舞うのである、と、大体かような意味でございます。また、もちろん、みかどのお名前などしたためはしません。もっとも、先方は御製と思ったのでございましょうな。返歌どもにはいずれも花散る≠ニいうことばがございますから。しかし、これは先方が勝手にそう考えたので」
おこるにおこれない。苦笑した。
「なぜそんなことをするのだ」
「一つには自らの歌才のほどを試してみたかったのでございます。もう何年となく詠《よ》みませんので、伎倆《ぎりよう》が落ちていはせんかと不安でありましたのでね。しかし、女共の心を動かし得たところを見ますと、まだまだそう捨てたものではありませんな。このところ、てまえちょいと得意なのでございます。今一つは、王者たるものが、人、それも不幸に沈んでいる女人に物を賜うに、物ばかりというはあまりにも|むくつけき《ヽヽヽヽヽ》ことでございます。ここはどうしても歌の一首もそえらるべきところと考えたのでございます。悪意あっていたしたのではございません。もしお心にもとりましたなら、幾重にもおわびつかまつります」
人を食った話だが、あまり食いすぎているから、またしても苦笑いするよりほかはない。
「すでに二つの目的を達した以上、なおおれをそそのかすことはないではないか」
と皮肉を言うと、玄明は手を振った。
「ところが、人の世のことは、そうキッパリとはまいらんのでございます。そのような返歌がまいりました以上、一応のおさまりが必要なのでございます。でなければ、先方をなぶりものにしたことになってしまうのでございます。それでは仏を造って魂を入れぬようなもので」
「先方をなぶりものにせぬために、おれがなぶりものになるというわけか」
「滅相《めつそう》もございません。そんな大それたことを、誠忠無比の玄明がどうして考えましょう。てまえは、ただ御陣中のお慰みにもなろうかと考えて申し上げているのでございます。てまえにも覚えのあることでございます。遂げられなかった初恋と申すものは、終生忘れ難いものでございますからな」
「余計なことだ。もう聞きたくない。退《さが》れ」
「もう一言申させていただきます。女共はすでに当家にまいっているのでございます」
「なにッ?」
愕然《がくぜん》として、小次郎は叫んだ。
玄明は落ちついている。
「お静かに。遂高の許におくことは、餓《う》えた野良犬《のらいぬ》の中に小兎《こうさぎ》をおくようなもの。乱暴はならぬときびしく制禁するのはまことに殺生《せつしよう》なことでございます。ましてや、ひょっとして禁を犯す者が出ましては、御威光にもかかわることでございます。それで、当家へ送りこすように命じておきましたところ、この日暮れ方無事に到着したのでございます。先刻からの話はともあれ、一度御引見遊ばすなり、かの女共が居室へおいであるなりして、おことばを賜わるこそ、あるべきことと存じます」
小次郎は度を失って口がきけなかった。玄明ももう何にも言わない。圧迫的な静寂が流れた。小次郎はホッと溜息《ためいき》をついた。それを待っていたように、玄明は口をひらいた。
「ともあれ、御引見ではものものしくなります。お運びになって、一言おことばをたまわるがよろしかろうと存じます」
「……いたし方はないのう。そうするか……」
実に言いにくかった。しかし、言ってしまうと、胸が軽くなった。こだわることはさらにないではないかと思った。何でもないことだ。ものを言ってくるだけのことだとも思った。
機を逸せず、玄明は言った。
「御案内いたします」
小次郎は無言で立上った。すると、急に胸がさわぎ出した。この胸さわぎは心の底に公明でないものがある証拠のような気がして、行くのがいやになった。しかし、もうやめるわけには行かない。
小督等にあてがわれたへやは東の対《たい》の屋《や》であった。暴兵共の手から遂高に引渡されると、急にとりあつかいがよくなって、不安な中にもいくらか心が落ちついて来たのだが、更に本陣に移されることになって、また不安になった。
「またどんな目にあわされるのであろう」
と、来る途々《みちみち》のまる一日、生きた空はなかった。
しかし、ついてみると、下へも置かないもてなしだ。幾月ぶりに、慣れた贅沢《ぜいたく》で清潔な環境に入れた上に、情ある歌とともに美しい衣類まで贈られたのだ。
安心とともに度胸も出て来た。
「あんなにまでひどい目にあったのだ。今さらなにがあったとて、驚くことはない」
と、思った。
すすめられるままに風呂《ふろ》にも入り、化粧もし、小次郎から贈られた衣類に着がえもした。
すると、何ともいえず快い気持になった。蒜間《ひるま》の江のほとりの村であったことは、遠い昔の、それどころか、夢ではなかったかという気にさえなって来た。
小次郎のくれた歌は、とりわけいい気持にさせてくれた。
小督は筑波の|※[#「女+櫂のつくり」]歌《かがい》の夜のことや、小次郎が自分に求婚したことを思い出して、浮き浮きした心になって返歌を案じたし、妾は妾で、自分だって歌ぐらい作れるところを見せて、自分を無視してはいけないことを悟らせなければならないと、大いに張り切った。
二人とも、今夜中に小次郎が来るに相違ないと思ったので、夜が更《ふ》けても寝につこうとしなかった。来たらどんなことになるか、そこまでは考えない。わけもなく胸をおどらせているだけであった。
こんな風だったから、廊《わたどの》をわたって来る足音が近づくのを聞いた時、二人は胸がわくわくした。大急ぎで鏡をのぞいて化粧の工合を点検し、髪を撫《な》でつけ、几帳《きちよう》の内に入った。いそがしく袖《そで》の折目を正し、裾《すそ》を形よくおき直し、襟《えり》をかきつくろいするような風情があった。
二人の几帳は別々になっている。小督のが上手《かみて》にあり、妾のが下手《しもて》にある。二人はそれぞれの几帳の内に、巣にこもる雌の小鳥のようにおさまった。
やがて、足音はへやの入口にとまる。軽いしわぶきの音がし、扇子かなんぞで手のひらをたたく音がほとほととして、声がつづいた。
「女人方、まだお寝《やす》みになっているのではありますまいな。みかどがお見舞のために、おんみずからまいられます。お出迎えあるよう」
言いすてて、立去った。
小督は几帳を出ようとして立ちかけたが、下手で妾が几帳を出たけはいを感ずると、気がかわった。
(男ごころを引きつけるためには、ものほしげなところを見せるのは禁物だ。といって、あまりかたくなそうでもいけない。落ちそうで落ちず、気強そうでかたくなでなく、いつもほどよい距離をつくっていることがかんじんだ。これが一番男の心をつのらせる方法だ。一番高く自分を売りつける方法だ)
小督は腰をすえなおした。
「お迎えになりませんの」
妾が声をかけたが、小督は返事をしない。瞑目《めいもく》して、かたく口を結んでいた。
「もし、どうなさいましたの」
また妾が言った時、足音が遣戸《やりど》のきわにせまった。
サラリと遣戸があくと、たけの高い、たくましい男が入って来た。小次郎であった。妾はこれまで小次郎を見たことがないのだが、キリッと濃い眉《まゆ》の下に、沈鬱《ちんうつ》げな目が鷹《たか》のように光っているのをすばらしいと思った。威厳にみちていると思った。こんな立派な殿方はこれまで見たことがないとさえ思った。
小次郎は室内を見まわし、妾を見て言った。
「そなたは故源ノ扶《たすく》の殿の御寵愛であったお人だな」
「は、はい」
ふるえながら、妾は答えた。
「いろいろと御難儀をおかけした由《よし》、合戦のならいとは言いながら、まことにお気の毒に存ずる。おわび申す。やがてつぐないをさせていただきますぞ」
妾は感激して涙をこぼした。ものは言えず、ひれ伏した。
几帳の内で、小督は気が気でない。ひどく長い時間のような気がする。
(あんな身分ちがいの女などにあんなに丁寧にことばなどかけることはないのに、あの女《ひと》が美しいものだからああなのだ。ずいぶん甘いお人だこと)
と、小次郎に腹を立てたい気にさえなっていた。
自分のことを忘れているのかも知れないと、不安にもなった。そこで、注意を呼ぶために、軽くせきばらいをした。はしたないと思う余裕はなかった。
小次郎はそのせきばらいを聞いた。微《かす》かな戦慄《せんりつ》が背筋を走るのを感じた。わざと大股《おおまた》に几帳に近づいた。
「もの申す」
と、声をかけた。
返事はない。身じろぎするらしい微かな音だけが聞こえた。羞恥《しゆうち》に頬が熱くなった。無礼とがめする気はおこらなかったが、このきまり悪さからのがれたくて声を高めた。
「将門《まさかど》お見舞に上った」
また衣《きぬ》ずれの音だけが聞こえた。
逆上に似た気持であった。
「御免!」
というと、几帳の|たれぎぬ《ヽヽヽヽ》をつかんで、グイとかかげた。狛犬《こまいぬ》の形をした青銅の裾《すそ》おさえがころがった。板敷の床にカラカラと鳴るけたたましい音に小次郎はおどろいた。ひどく乱暴なことをしたようで、心がすくんだ。
小次郎以上に、女達はおびえた。妾は腰を浮かし、小督はふるえ上った。几帳の中の模様美しい縁《へり》を取った厚畳の上に恐怖しきった目をこちらに向けて青ざめている小督の顔を見た時、小次郎はいいようもないほど申訳なく思ったが、かえって粗暴に出た。厚畳にねじ上って、むずと坐《すわ》った。
「将門は坂東の荒夷《あらえびす》です。儀礼にならいません。礼を失するところは御容赦にあずかります」
わざと荒い口のききかたをして、ひたと小督を見た。
「おことには、昔お近づきを願っている。筑波山で」
おびえていた小督の顔にパッとかがやきがあらわれた。
「おぼえていていただけましたのね」
低く言うと、恥かしさにたえないもののように顔を伏せ、上目づかいに見上げた。濃厚な媚《こ》びをふくんで、じっとりとした視線であった。小次郎は胸がドキドキして来た。
小次郎は小督が貴子に似ていることを、改めて感じた。額と目許《めもと》と鼻筋とが特に似ていた。しみじみと見ているうちに、その鼻のつけねに薄い静脈のすけていることに気づいた。これは貴子の特徴になっていて、彼女の容貌《ようぼう》をいやが上にも繊細で脆《もろ》い感じにしていたものであった。胸が一時に乱れた。心は遠く目の前のことを離れて、その頃のことに馳《は》せた。
小督が何やら言ったようであったが、聞こえなかった。はっとして耳を傾けた。
「……父もこの頃になって後悔しています。ほんとでございますよ」
なんのことか、わからなかった。
「あの人は男ではないのでございます。男なら誰だってあるはずの、怒りも、口惜しさも感じたことがないのでございます。そればかりではございません。あの人は京での自分の立身しか考えていないのでございます」
そうか、太郎のことを言っていたのか、と知った。
「……あの人の父がなくなるまで、あの人が京から帰って来なかったのはそのためでございます。あの人はそれでもよろしいでしょうが、わたくしは妻という名目があるばかりに、こちらにしばりつけられていたのでございます。名ばかりの妹背《いもせ》……」
小次郎は、貞盛がこの女と結婚するために帰って来た時の会話を思い出した。
小督のことばはなおつづく。
「もし父があなた様の申し出を素直に聞き入れていましたら、今日の源家の悲運はなかったはずでございます。あなた様のお栄えにつれて、源家も栄えていたはずでございます。父はいつも自らの不明を悔むとともに、国香《くにか》の殿の弁口をうらんでいるのでございます。ほんとうでございますよ。国香の殿はあなた様のおことばを父に伝えるにそう熱心ではなく、わしはわが家の太郎が妻《め》にいただきたいと前から思いつづけているのですが、甥《おい》に頼まれてみると、一応お伝えせんわけに行きませんでな。しかし、小次郎につかわすのにお気がすすまないなら、ぜひ太郎にたまわりたい≠ニ、かように申されたと、父は申しております。これが話をまとめる心のある人の言うことでございましょうか。はじめから横どりする気でいたことは明らかではございませんか」
小督はなおくどくどとつづけた。すべて国香にたいするうらみであり、貞盛にたいする不満であり、小次郎にたいする未練であった。そして、それらの合間には媚びた目を投げかける。とろとろとした油のように濃厚な媚びだ。黄金蜘蛛《こがねぐも》がねばねばした糸を獲物《えもの》に投げかけるようだ。これでもか、これでもかと、投げかけて来る。
この糸に巻かれ、しめつけられて行くように、小次郎は感じた。次第に身の自由を失い、相手の引くままに少しずつ引きずり寄せられて行く気持であった。しかし、それがある程度まで達すると、しだいに心が白けて来た。
(仮にも舅《しゆうと》であった人、夫である人を、こうまで言うことはない。人の妻であるものがこんな目で他人を見ることはない……)
それに、向うの几帳の際《きわ》に坐っている扶の妾の様子が尋常でない。妾はこちらを見ない。あらぬ方に目を向けて端坐《たんざ》しているが、顔が真青になっている。かすかに肩をふるわせ、きびしく唇を結んでいる。それが嫉妬《しつと》のためであるとは、小次郎にはわからない。主家の姫君のあられもない惑乱をにがにがしく思っているのだと考えた。
小次郎はいたたまらなくなった。長居は無用と思った。立去るべき時と思った。
小督は敏感にその気はいをさとった。腹立たしげな目を妾の方に向けた。小次郎がはっと息をのんだほど憎悪《ぞうお》にあふれた猛々《たけだけ》しい目つきであったが、すぐその目は一層の媚びをたたえて小次郎に向けられた。
「垂れをおろして下さいましな」
と言った。妾の存在を無視しきったはっきりした声であった。かまうことはございません、あの人など身分ちがいなのですから、と、目つきが言っていた。
「ほんのお見舞までまいったのです。そうはしておられません。お暇《いとま》いたしたい。御不自由なものがあったら、かかりのものに仰《おお》せつけられたい。出来るだけ御意に添うようにいたします」
といって、小次郎が立上ろうとすると、すらりと小督は身を寄せて来た。
「へやを別にしていただきとうございます。お願い」
生温かい息が耳を打った。目が光り口許にいたずらっぽい笑みがあった。小次郎はふるえた。
帰休
翌日、石井《いわい》から急使が来て、良子の消息《しようそこ》をとどけた。封を切ると、良子の消息と、将平《まさひら》から小次郎にあてた手紙とが出て来た。
先《ま》ず良子の消息を読む。
(数日前から将平とタミヤがいなくなった。その前日将平は久しぶりに菅家《かんけ》から石井にかえって来たのであるが、翌日タミヤと共に出て行ったきりになっている。はじめは心配しなかった。二人連れで菅家に行っては二三日帰らないことは、これまでもよくあったことだから。こんどもそんなことであろうと思っていた。ところが、なかなかタミヤが帰って来ないので、ついでを利用して問い合わせてみたところ、菅家では、石井に行っているのではないかと、かえって驚いた。数日前石井にかえったきりになっているというのだ。そこで不安になって、方々に問い合わせてみると、家を出たと思われる日、二人が旅姿で結城《ゆうき》道を北へ行くのを見たという者が出て来た。念のため将平の居間をさがしてみると、小次郎あての同封の手紙と、菅家の景行卿《かげゆききよう》にあてた手紙が出て来た。小次郎にあてた手紙によって、二人が陸奥《むつ》に向ったことがわかった。取りあえず追っ手を出したが、日数経ていることとて、とうてい及びそうにない。留守をあずかっていながらこんなことになって、まことに申訳なく思う。何分のおさしずを願う)
以上の意味がこまごまとしたためてあった。
将平の手紙にはこうある。
(養育丹誠の大恩を忘れて勝手なことをして、まことに申訳なく思うが、自分は兄上の今のなさり方がどうしても納得しかねる。孝悌《こうてい》の道から言えば、あくまでも諫言《かんげん》を奉《たてまつ》り、死してやむべきであるが、かなしいことに自分にはその勇気がない。といって、兄上の側《そば》にいて黙視していることも出来ない。卑怯《ひきよう》千万であることは十分に知って恥じているが、タミヤと共に陸奥にのがれる。ゆるしていただきたい)
「そうか、そうだったのか」
小次郎はつぶやいた。早晩こんなことがおこりそうな予感はあったのだ。しかたはないと思った。
今さら間に合うことではないと思ったが、とにかくも急いで帰ろうと思った。
玄明《はるあき》を呼んで、陣ばらいのことを命じた。
「何かことがおこったのでございますか」
「うむ」
二人の手紙を見せた。
「ほう、これは……」
とおどろく玄明を、小次郎はおさえた。
「そのことは大したことはない。おれは数日前から石井に帰るつもりでいたのだ。明日早朝に陣ばらいするよう」
「かしこまりました。しかし……」
玄明は何か言いたげにする。小次郎はおっかぶせるように言った。
「女共は水守《みもり》のおじ御の許へ送ってとらせい。言うまでもないことだが、十分に鄭重《ていちよう》にあつかって、ものなど多く持たせてやるよう」
にやにやと玄明は笑った。
「は……、しかし、残念でございますな。せっかく……」
「なにが残念だ。なにがせっかくだ」
きめつけるような不機嫌《ふきげん》な調子で小次郎は言った。
翌日、払暁《ふつぎよう》から、石井勢は引上げにかかった。
小次郎は日の出る頃《ころ》出発した。出発間ぎわに、彼は小督《おごう》等のへやに行ってあいさつした。
「急に石井にかえることになりました。あなた方は水守に行っていただきます。十分な警護をおつけすることにしておきました故《ゆえ》、途中のことは少しも御心配はないはずであります。水守にまいられたら、叔父御に申していただきたい。くだらぬ者のおだてに乗ってくだらぬことをなさりさえせねば、小次郎の方からは決して手出しはいたさぬ、同族のよしみは小次郎は決して忘れてはいぬと。それでは、ごきげんよくお出《い》でなされよ」
立ったまま一息に言って、返事を待たずに引上げた。両女とも、とっさには|あっけ《ヽヽヽ》にとられていた。はっきりと意味がわかったのは、小次郎が行ってしまってからである。
(助かった。自由になった。安全になった)
といううれしさはもちろんあったが、同時にのこりおしさに似た気持があった。
こののこりおしさには、競争者にたいする憎悪がともなっていた。小督は、
(もう少しだったのだ。たしかにあの人はわたしに引きつけられていた。この人がいたばかりに生煮えでおわってしまった)
と、妾《しよう》をにくみ、妾は、
(この人の色好みははてが知れない。昔から色々なことがあった人だけど、それにしてもあんまりではありませんか。左馬《さま》ノ允《じよう》の殿という|れっき《ヽヽヽ》とした夫《つま》がおいでになるのに、新皇様にあんないやらしいそぶりでしなだれかかりなさるとは。あたしとは立場が違います。あたしは扶《たすく》の殿の御|寵愛《ちようあい》を受けたことがあるとはいうものの、妻ではないのですからね。その上、扶の殿はもうなくなられて何年もたっているのですからね。好きにしてよいのですからね)
と、思っていた。
この両女も、間もなく出発した。ひた冑《かぶと》の武者共十数人に護衛されて。出発少し前に、武者共の長《おさ》は、十個ばかりの革籠《かわご》を二人のへやの簀子《すのこ》にならべて、一つ一つひらいてみせた。衣類や巻絹や布《ぬの》がぎっしりとつまっていた。
「これは、みかどからお二人へのかずけものでございます」
ふたりは小次郎の気前のよさと心づかいのやさしさを感ずるにつけても、残りおしさが切になり、一層相手をにくんだ。
石井にかえりついた小次郎は、くわしく将平のことを聞いたが、要点は手紙に書いてあったこと以上に出なかった。
あんなに学問好きな将平が、その道の師友のいないことの明らかな陸奥へ逃げて行ったと思うと、言いようのない寂寥《せきりよう》があった。
(おれのしていることが気に入らないからとて、あれは学問さえ捨てる気になったのだ)
兵士等はそれぞれ帰休させることにした。昨年の十一月以来兵士等のほとんど全部が家に帰っていない。したがって、田畑も刈り取っただけで脱穀していないのが多い。帰休させる必要があった。兵士等は酒をふるまわれ、みやげものをもらい、酒気と喜びにはしゃぎ切って各自の家へ向った。
小次郎が貞盛《さだもり》の探索を打ち切って常陸《ひたち》から石井にかえって来た頃のある日の夕方、田原の藤太の館《やかた》を二人の旅人がおとずれた。
二人は騎馬であったが、従者六人は徒歩《かち》で、全体として何となく落魄《らくはく》した感じが、その一行にはあった。一行は南の、宮《みや》(今の宇都宮)の方から姿をあらわし、一筋にここを目ざして来たらしかった。門前小半町のあたりまで来ると、急に歩みをとめて、ひそひそと相談しはじめた。ためらっているような風が見えた。
門を守っている藤太の郎党共は、ずっと前からこの一行に気づいて、心待ちしていたので、じれったがった。
「どこのどなたじゃろうな、あれは。来るなら来るようにさっさと来ればいいに。気がもめるのう」
「ほんによ。誰じゃろうな。あまり羽ぶりのよい方とも見えぬが、お互いのような身分ではなさそうじゃで」
「そうよな。しかし、あの騎乗ぶりは坂東風ではないな」
「そう言えばそうじゃ」
そのうち、旅人の方では相談がまとまったと見えて、一人が従者等をふりかえって何やら言うと、従者の一人が走りぬけて来た。
門番等は走り出た。
「いずれから?」
従者はていねいに式体して、
「これは信濃《しなの》の国からまいった者でありますが、御当家は田原の藤太|秀郷《ひでさと》の殿のお館でありましょうな」
と聞いた。ここまで来てこんな念の入った質問をした者にはこれまで逢《あ》ったことがない。門番共はあきれながら答えた。
「いかにも、田原の藤太が宅でござる」
「たしかでござるな」
馬鹿《ばか》念に、益々《ますます》あきれて、
「たしかでござる」
と答えると、従者はうしろを向いて手を振った。
すると、この問答の間ずっと動かなかった旅人等は足を速めて近づいて来て、門前で馬を下りた。
一人は肥ってせいの低い男であった。年輩はよくわからない。烏帽子《えぼし》の下からはみ出している両鬢《りようびん》が真白であるところからすると、七十に手がとどいているかと思われたが、顔は肉づきも血色もよく、しわも少なかった。もう一人はずっと若い。二十《はたち》にはまだ一二年|間《ま》があろう。やせて小柄《こがら》で、顔色が悪く、神経質な感じで、あまり気持のよい人柄ではない。
年長の方が門番に近づいて来た。人の上に立ちなれた人の高慢げな顔つきをしていたが、ある距離まで近づくと、忽《たちま》ちその顔に媚《こ》びるような愛嬌《あいきよう》笑いが浮かんだ。軽く会釈《えしやく》して言う。
「まろらは信濃の国からまいった。藤太の殿に御意を得たい。取りついでくりゃれ」
「信濃の国しかじかのことは、従者《ずさ》衆からも聞きました。御姓名をうけたまわりとうござる」
「さあ、そこだ。ここではそれを名乗りかねる。信濃の国から来たというだけで、取りついでくれまいか」
一層にこやかに、今にもすりよってポンと肩をたたかんばかりの愛嬌を見せた。しかし、門番はニベもない。
「不審の者を堰《せ》くための門の固めでござる。おぼろげなことでは御意にそいかねます」
「さあ、そこのところをなんとか……まろらは決してあやしい者ではないのじゃから」
老人がおろおろと言いかけた時、若い方がつかつかと進み出た。
「敵《かたき》多き身である故《ゆえ》、かように打ちひらいた所では名乗るまじく思うたが、いたし方はない」
と、ものものしく言っておいて、用心深くあたりを見まわした後、声を低めてボシャボシャと言った。
「こちらは常陸の大介《おおすけ》藤原|惟幾《これちか》、まろはその子|為憲《ためのり》である。さあ、これでよかろう。とりついでくれい」
門番等は小腰をかがめた。敬意をはらったのではない。急速に暗くなりつつあるので、すかし見たのであった。新皇|叛逆《はんぎやく》の動機となり、その新皇に印鎰《いんやく》を奪われて追い払われた国司第一号をよく見ておきたかったのである。
草むらを吹く風にも木蔭《こかげ》に鳴く鳥の声にも心をおどろかす境遇にある二人は、門番共のこうした動作も恐ろしくてならない。
「さあ、とりついでくれい」
と同音に言った声がふるえた。
門番等は顔を見合わせた。彼等は藤太が新皇に名簿《みようぶ》をさし出して臣下となっていることを知っている。彼自らも新皇が好きである。この二人がどんな心を抱いてここへ来たか、大体想像がつく気がするのだ。
かなり間があって、一人がこたえた。
「かしこまりました。主人何と申しますか、とりつぎます。しばらくおひかえ下さい」
気の進まない心理を露骨に見せたことばであった。
惟幾|父子《おやこ》はこれにも心細くなったが、間もなくとりつぎの男は新しい男と共に出て来た。門番共よりずっと上位の郎党であることが一目でわかる風格があった。小腰をかがめてうやうやしく進み出て来た。
「さわがしい世でございますので、ばか用心いたしまして、お待たせいたしました。お通り下さいますよう」
と言って、門番等をふりかえって、
「汝《わい》らは、お馬の始末をし、従者衆を御案内せい」
と命じた。
門番等はばらばらと走りよって、二人の馬の口輪をとり、他の者共は従者等のになった荷物を受取った。
手のひらを返すように変ったこの愛想のよさも、父子には腹黒い計略がめぐらされているのではないかと、心がすくんだが、今はもうしかたはない。腹をすえて、郎党のあとに従った。
客殿に案内すると、郎党は言った。
「主人早速にお目通りいたしますが、幸い今日は風呂《ふろ》を立てております。お疲れ休めになります。お入り下さいますよう。風呂からお上りになったところで、食事をさし上げます。主人お目通りしてお相伴《しようばん》いたします」
至れりつくせりの待遇であった。風呂に入ると、美しい婢女《はしため》がいて垢《あか》をかいてくれ、上ると仕立おろしの衣《きぬ》がそろえてあり、客殿にかえると、炭櫃《すびつ》に山のように火を入れて部屋をあたためていた。
鄭重《ていちよう》をきわめた待遇に、父子はほっと安心した。どうやらうまく行きそうだ。少なくとも裏切られることはなさそうだ。
(やれやれ)
という思いをこめて、顔を見合わせた。
小次郎に坂東を追われた後、二人は信濃の国府に身をよせた。同じような運命におちいった他の国司等はそれぞれ京に逃げかえったのだが、二人はそうするわけに行かなかった。小次郎叛逆の直接の動機をつくった責任がある。うかうか帰京しては厳しい処罰をまぬかれない。父子は相談して、
(これほどの大変事だ。必ずや朝廷では追討の大将軍を任命し、大軍勢を催されるに相違ない。その時までこちらにいて、一手柄《ひとてがら》立てる機会をつかもう)
と、一決した。実際、相当な功を立てない以上、惟幾の官途はふさがってしまったのだ。
とりあえず、信濃国守の手を通じて報告書だけ京におくって、そのまま信濃にとどまっていると、藤原|忠文《ただぶみ》が征東将軍に任命され、すでに京を出発したという知らせがとどいた。東海・東山の豪族等が忠文の募りに応じて馳《は》せ参じ、追討軍は雪|達磨《だるま》の転がるように日に日に増大しつつあるとの噂《うわさ》もとどいた。
父子はまた相談する。
「征東将軍が到着されてからその軍に馳せ参じては、尻馬《しりうま》に乗るに似て、働きが高う買われぬ。何とか工夫はあるまいか」
「当国で軍勢を狩り催し、追討軍の到着少し前に坂東に攻め入ることにしますか。時機を選ぶことが肝心です。早過ぎては敵の餌食《えじき》になってしまいます。将門という男は大逆第一の無道人ながら、用兵には神通を得ているかと思われるほどの男です。もしこちらで負けでもしたら、かえって敵に勢いをつけさせることになります。といって、遅くては仰《おお》せの如《ごと》く大将軍の尻馬に乗るに似て、いわゆる碌々《ろくろく》、人によって事をなす≠烽フです。追討軍の到着前二日、一番よいところは一日前です。そうすれば、味方の兵共は心丈夫となって勇気百倍するでありましょうし、敵の方は勇気がたわむでありましょうし……」
為憲得意の場だ。講義口調で兵法を説く。本当のところ、彼はこわいのであった。こわいからこんな戦術を立てるのであった。
こわいのは惟幾も同じだが、実際に小次郎と戦った経験がないだけに、為憲ほどこわさが深刻でない。
「その意見もっともだが、それではあまりにあざとい。忠文|卿《きよう》の御到着を前にしてそんなことをしたら、卿はお気を悪くされるかも知れん。征東将軍のごきげんにもとっては、功を立てても、朝廷の覚えがよかろうとは思われない。まろは思い切ったことを考えている。坂東に潜入して、しかるべき豪族共を説いて、義軍をおこしたいと思っているのだ」
為憲は色を失った。
「無謀な」
「虎穴《こけつ》に入らずば虎児を獲《え》ずという本文《ほんもん》がある。よほどの大功を立てねば、まろが将来はない。そなたの将来もない。思い切るよりほかはない」
惟幾は懸命に説得につとめ、ついに為憲も同意し、二人は坂東に入って来たのであった。
藤太が出て来た。初対面のあいさつをした。謙虚で鄭重をきわめた態度であり、ことば使いであった。長い国司づとめの間に惟幾は多数の地方豪族に逢っているが、その誰よりも礼儀正しく、ことばづかいも坂東離れし、挙措《きよそ》もまた垢ぬけしている。惟幾の信奉している朝廷流の人物鑑定法によると、こんな人物は必ず数年京で宮仕えの生活をしたものでなければならない。早速それを話題にした。
「おこと、どなたの御|家人《けにん》になっておられる?」
藤太には相手の心理がよくわかる。どぎもをぬいてやろうと思った。一層うやうやしい態度でこたえた。
「久しくひとり立ちでいましたが、このほど新皇に名簿《みようぶ》を奉《たてまつ》りまして、その家人となりました」
惟幾も、為憲も色を失った。どもりどもり、惟幾が言った。
「いや、いや、まろの申すのは、その以前のことだ。おことの様子を見ていると、久しく京住いしたことのあるお人としか見えぬ。京のしかるべきおとど方の家人となって、数年の恪勤《かくご》をつづけられたに相違ないと見るのだが、それをおうかがいしているのです」
藤太は恐縮の様子を見せた。
「ああ、それは途方もない思い違いをいたしました。おわびいたします。せっかくのおたずねではありますが、てまえは京の公卿《くぎよう》方には曾《かつ》てお近づきがないのでございます。御承知でございましょうか、若い時血気のあやまちをしでかしまして、数年|伊豆《いず》に流謫《るたく》されていましたので、その機会がなかったのでございます。それ故に、もっぱら田舎者のままに生い育ちまして、この年になるまで主と仰ぐ人もなく、心細いひとり立ちをつづけて来ましたところ、このほど御承知のごとき新皇の威勢でございましょう。人並にその家人となったのでございます」
惟幾も為憲も二の句がつげない。青白くふるえながら目をみはっている。藤太はそしらぬふりで、つづける。
「生れてはじめての主人持ちとなったのでございますが、ひとり立ちの頃《ころ》にくらべますと、心丈夫でもございますが、気苦労もありましてな。主人の仰せつけがあれば、どんなことにもそむくわけに行かないのでありますから。ハハ、世の中のこと、何事にも一長一短でございますな」
二人はここへ来たことを後悔し、恐怖した。相手のことばの中にゆゆしい威迫があると思った。
酒肴《しゆこう》が運びこまれて来た。
「お出でになることが前からわかっていましたら、いくらか風情《ふぜい》のそえようもあったでございましょうが、急なこととて、お恥かしゅうございます」
愛想のよいすすめぶりに、二人は盃《さかずき》を上げたが、苦しい思いが胸につかえて、酒がのどを下らない。
藤太だけがうまそうに飲み、ほろりと酔いがまぶたにあらわれた顔になって、また口をひらいた。
「時に、あなた様方、こうしてお出《い》で下されたは、何か御用の趣があってのことでございましょうな。このさわがしい時節、まさか、お遊びにいらせられたのではございますまいな。いや、それもまた結構でございますが」
言いあぐねていたことを相手方から水を向けられたわけであったが、急にはそれに乗れない。父子はここに来るまでに、相当深く藤太のことを調べたつもりだ。藤太が石井に出頭したことも知っている。しかし、その出頭が諸豪族中最もおそかったことから、心からの服属ではなく、勢いにおされてのしかたなしの服属に違いないと判断し、それ故《ゆえ》にこそここに白羽の矢を立てたのであった。ところが、今の藤太の言いぐさによると、すっかり小次郎に心服しているとしか思われない。
父子とも、顔を見合わせて、もじもじしていた。
藤太は愉快げに笑って、給仕のために侍坐《じざ》している家来共を遠ざけ、それから言った。
「それでは、てまえの方から申してみましょうか。大体のことは目あてがついているつもりでございます」
惟幾は狼狽《ろうばい》した。名状しがたい恐怖に胸がふるえた。
「ま、お一つまいろう。話はゆるゆるとつかまつろう」
ふるえる手で、にがい酒をあおり、その杯を藤太にさした。
藤太は礼を言い、またうやうやしい態度にかえって杯を受け、返杯し、
「若君からもいただきとうございますな」
と為憲に言った。
「これは失礼」
あわてて杯をさした。為憲も父におとりなくこわくなっている。くるりくるりと変化する藤太の様子がつかみ所のない本心をあらわしているようで、おそろしくてならない。
田舎豪族に似げなく洗練された人柄だと思っていたが、これはまた途方もなく心のたくらみの深い人物であるようだ。
為憲に返杯し、手酌《てじやく》でゆっくりと二三杯のんで、藤太は容《かたち》をあらためた。
「さて、前の話のつづきでございますが」
と、言った。
もうしかたがない。どんな恐ろしいものが飛び出して来るか、蛇《へび》かなんぞの入った箱のひらかれるのを見ている気持で、父子は身をかたくして、藤太の口許《くちもと》を見つめていた。
「お二方は、新皇追討の相談のためにいらせられたのでございますな」
そうにはちがいないが、あまりにもズバリとした言い方に、二人は返事が出来ない。
藤太はまた微笑した。
てまえが新皇に名簿《みようぶ》をさし出してその家人《けにん》となっていることは、先刻申し上げました。もっとも、これはてまえが申し上げるまでもなく、お二方は御承知の上でいらせられたと、てまえは見ていますが、いかがでございます」
これも的中だ。二人はまた返事が出来ない。藤太の自在な弁口にのせられて、魂がキリキリ舞いさせられている気持であった。
「ハハ、御返事のないところを見ますと、これもあたりましたようで」
藤太はきげんよくまた笑った。今日の藤太はどうかしている。平生の寡黙《かもく》で深沈とした所がまるでない。よく笑い、よく弁ずる。
彼は二人をからかっているのであった。だからといって計算を忘れてはいない。彼一流の計算はちゃんと胸中に立っていた。石井に行って、彼の気持はかなりに動揺した。彼は小次郎の人物にも、その事業にも、不安を感じてかえって来た。これまで通りの不即不離の態度が一番得策だと思った。その上、この数日の間に、彼の得た情報は、征東将軍の任命、その発途、東海・東山両道の豪族等の動き、すべて小次郎にとって不利なことばかりだ。
(面白いことになったな。しかし、あわてることはない。要はどたん場になってぬきさしならぬことにならんようにすることだ。つまり、益々《ますます》不即不離がよいというわけ)
こんな心でいるのだ。二人にたいして正面切って拒絶しようとは思わない。十分に希望を持たせ、出来るなら、そのどたん場までこの館《やかた》にとめておきたいと思っている。官軍に馳《は》せ参ずる場合は二人をかくまっていたことが、もちろん征東将軍の心証をよくするにちがいないし、新皇方に馳せ参ずるにしても、二人はよいみやげになる。かっこうな血祭のいけにえになるであろう。
しかし、傲慢《ごうまん》なくせに臆病《おくびよう》で、無力なくせに気位が高く、京都をこの世の極楽のようにひけらかし、朝廷を鼻先にぶら下げている、つまり骨髄からの官人気質であるこの二人にたいしていると、ついその弱点をつつきまわし、いたぶってやりたくなったのだ。計算高い彼の中にも先祖代々京都朝廷に痛めつけられ圧迫されつづけて来た地方民の血が鬱《うつ》している。
が、このへんがもう限度だ。これ以上からかっていては、元《もと》が切れる。藤太は笑いをおさめ、まじめな顔になった。
「お二人でありますから申すのでありますが、実はてまえは好んで石井の家人となったのではございません。石井の威勢の盛んなことは、ことあたらしくてまえが申し上げるまでもなく、十分に御承知のことと存じますが、当時坂東においては石井に所属せんでは、家が立ち行かないのでございます。やむなくいたしたことでございます。心からのことではないのでございます」
声をひくめてささやくような調子で言ったのだ。しかもその内容は二人の見込みと一致している。効果は十分であった。見る見る二人の顔には生色が潮《さ》した。
為憲がしゃしゃり出た。
「そうであろうとも、そうであろうとも、おことが何かとことばを設けては小次郎の許へ出頭するのを避けられたことは、まろらはよく存じている。それ故にこそ、こうして危険を冒してまいったのだ」
形勢よしと見て、為憲の様子はもう高慢になっている。にがにがしかったが、藤太はただうやうやしくうなずいた。
「ありがたいことでございます」
惟幾と為憲は勢いこんで説き立てた。曰《いわ》く征東将軍の任命、曰くその将軍藤原忠文の人物、曰く東国諸豪族の動き、等々々。
これらはすべて、藤太の知っていること以上には出なかった。しかし、藤太はほどよく合槌《あいづち》を打ち、熱心に傾聴している様子を見せた。
「……形勢はすでにこうなっている。これを知らないのは坂東八カ国の住人共だけだ。碓氷《うすい》を越えた向うでは、小次郎の運命はすでに峠がみえた、朝日の出るまでの露の命だと、すべての人が言っているほどだ。さすがにおことは賢者だ、利害の弁別が明らかだ」
と惟幾は長い話を結んだ。
「おほめにあずかって恐縮でございます。しかしながら、てまえは利害の算当《さんとう》によってこの心をきめたのではございません。日本の国がらをかしこみ、朝廷にたいする忠節の至情によって、無道人にくみしてはならんと考えたのでございます。議者《ぎしや》ばった言い方に似て、お聞き苦しゅうございましょうが、大事なことでございますから、特に申しておきます」
やわらかな中にもキッとしたところを見せて、藤太は言った。
「ああ、これは失礼を申した。益々見上げた御心底だ。その御心底であればこそ、神明の冥助《みようじよ》あって、この危い瀬戸際《せとぎわ》に、おことは栄えの道を選ぶことが出来られるのだ」
と、惟幾は感嘆した。これに輪をかけたのは為憲の感激ぶりであった。
「あっぱれだ、あっぱれだ。坂東の武人の中に、おことのように義理分明な者がいようとは、まろは思わなんだ」
と言うや、身をのり出し、藤太の手をつかんで、
「ああ、相知ることの何ぞおそかりし! おこと、京暮ししたことがないとはいつわりであろう。朝夕に比叡《ひえ》の山を仰ぎ、王城を拝し、賀茂川の水を酌《く》んだ者でないかぎり、そのような義理高明な人物になれるはずがない」
と、黄色い声をはり上げた。
手もなく引っかかって薬籠《やくろう》中のものとなってくれたのはありがたいが、どうにも気障《きざ》でやり切れない。局面を転換しようと、また居ずまいを正した。
「これで大体の意見は合致したわけでございますが、当面のところはどういたしたものでございましょうか」
為憲が何か言いそうであったが、言わせてはまずい。こちらの意見に巻きこむ必要がある。先に言わせて意見が違っていたら、こと面倒だ。間をおかずつづけた。
「てまえの所存では、今すぐ兵を挙げるのは時機|尚早《しようそう》と思います。大将軍にひきいられた官軍の旗が碓氷峠の上にちらつきはじめた頃《ころ》が、最もよい時機と存ずるのでございます。なぜなら……」
「説明はいらぬ」
と、為憲が恐ろしい勢いで膝《ひざ》を乗り出した。賀茂の競《くら》べ馬で出発線にためにためておかれた馬が合図によって飛び出すような勢いであった。
憑《つ》かれたもののように、為憲は弁じ立てる。
「おことの意見は最もよろしい。まろらもそのつもりでまいったのだ。兵機の上から見て、それよりほかに方法はないからだ。そもそも兵の要は我が強を以《もつ》て敵の弱を撃ち、我が実を以て敵の虚をつくにつきる。しかしながら、強弱虚実は刻々に変化してやまない。これを兵の機という。現在は小次郎方は強にして実の最たるものだ。単に形勢の優劣のみを見て、我に利ありとして、これを撃つは愚者のしわざである。兵の機を知らざることこれより甚《はなはだ》しきはない。おことの申す通り、雲霞《うんか》のごとき官軍が碓氷峠の上に姿をあらわした時こそ、最も恰当《こうとう》である。即《すなわ》ち小次郎勢は気死し魄《はく》落つること必定である。これ即ち実変じて虚となり、強変じて弱となるのだ。これに反して味方は気立ち魄奮う。即ち虚変じて実となり、弱変じて強となる。強を以て弱を撃ち、実を以て虚をつく、まことにまことに時だ」
痩《や》せ狐《ぎつね》のように青白い顔を紅潮させ、黄色い声をきしらせて兵法の講義だ。
藤太はこれが為憲の得意であることは知らない。ただにがにがしくてならなかった。しかし、句切り句切りには感にたえない面持《おももち》でうなずいて見せ、終ると、
「唯今《ただいま》若君はてまえを早く知らなかったのが残念であると申されましたが、恐れながらてまえの方からもそう申し上げとうございます。京育ちの公達《きんだち》にかくも深遠な兵法のおたしなみがあろうとは、思いもかけないことでございました。早くお近づきを願っていたら、いかばかり得るところがあったろうと、おしいのでございます」
と、大いに太鼓をたたいた。
為憲は得意だ。なお弁じ立てそうな様子を見せたが、そうは奉仕しきれない。藤太は惟幾の方を向いた。
お人のよいこと、親馬鹿とはよく言ったものだ。惟幾もほくほくと喜んだ顔でいた。
藤太はかまわず話を進める。
「このこともまた、お互いの意見が合致いたしました。まことにめでたいことに存じます。それで、その時機の来るまで、お二方はいかが遊ばしますか。てまえの料簡《りようけん》では、再び信州におかえりになるのも、かれこれ面倒でもあり、危険もございます。このまま当家におとどまり願った方がよろしいかと存じます。当家におとどまり遊ばすかぎり、お身柄《みがら》の安泰は誓って請合います。しかし、強《た》ってとは申しません。いろいろと御都合もおわすことでございましょうから」
ことば半ばから、惟幾の顔にも、為憲の顔にも、安心の色が露骨に出て来た。
「身柄の安全を引受けてたもるなら、当家にとどめていただこう。言わるる通り、あちこちとするのも面倒だ」
と惟幾が言うと、為憲は補足した。
「その上、兵機は転瞬にして変化する。当家にとどまっていた方が、その瞬息の機を逸せず乗ずることが出来るわけだ」
これで完全にとりこにしてしまったのだ。藤太は心中にほくそ笑《え》みつつも、うやうやしく言った。
「早速にお聞き入れたまわり、お礼申し上げます」
密雲
一両日の後、かねて藤太の放っている細作《しのび》の者がかえって来て、色々な報告をもたらしたが、その中に小次郎に関することが多くあった。左馬《さま》ノ允《じよう》の探索が失敗に帰して石井《いわい》にかえって来たこと、左馬ノ允の妻と源ノ扶《たすく》の妾《しよう》とをとりこにしたこと、水守《みもり》へ送りかえしたこと、小次郎の弟の将平《まさひら》が蝦夷《えぞ》娘とどこかへ行ってしまったこと、内裏《だいり》経営の縄張《なわばり》がおわって、ぼつぼつ地形《じぎよう》にかかっていること、兵士等に帰休を命じたこと、等々々。
藤太はいつもの通り黙々と聞いていたが、最後の兵士等の帰休のくだりに至って、ふと顔色を動かした。
「少しずつ交代で帰しているのかな」
「いいえ、全部お帰しになって、石井にはたんだの三四百人しかいましねえだ」
「ふむ。なるほどな。考えてみると、去年の十一月からこちらじゃな。収穫半ばで駆り出された上に、途中に正月がはさまっている。皆々帰りたいことであったろう。どうでもこれは帰さねばならないところだな」
「へえ、皆よろこんで帰って行きましただ。それぞれ分捕《ぶんどり》品を山と背負うてですだ」
細作は滑稽《こつけい》なくらいうらやましげな顔になっていた。
居間にかえってひとりになってはじめて、藤太の顔には興奮の色があらわれた。その興奮を、
(はやまってはいけない。小次郎ほどの武者だ。急な場合には即座に四千や五千の兵は集められる手配をしているかも知れない。でなくても、寡《か》を以て衆に勝つは小次郎の得手《えて》とするところだ。念には念を入れんと、多年の苦心経営は一瞬にしてケシ飛ぶぞ)
とおさえつけて、思念を凝らした。
しかし、やがて一つの結論に達した。心がきまれば、さらに迷いのない藤太だ。冷静に、沈着に、実行にうつして行く。細作共には石井の様子をくわしくさぐるように命じ、ある者共には貞盛《さだもり》の行くえを探索するように命じた。
惟幾《これちか》父子《おやこ》にはなんにも知らせなかった。ことが決定的になってから知らせれば十分、その以前に知らせては興奮と恐怖に駆られて事を破るおそれがあると判断したのであった。
三日の後、石井に向った細作等は馳《は》せ帰って来た。石井にのこされている兵は皆石井近郷の者共ばかりで、それも交代で詰めることになっているので、一時には百人ぐらいしか詰めていないという。
(こりゃ本ものだわ)
藤太の胸ははげしく波立った。
即座に召集し得る自分の兵がいくらあるか考えてみた。三千人はあると思われた。
(四百と三千か。小次郎いかに戦さ上手でも、これくらい差があればまあいけよう。しかし、四百と踏んでいても、実際となれば千は集めるかも知れん。とすれば、千と三千。安心は出来んぞ。もう千ほどほしいな。すれば千と四千となる。先《ま》ず大丈夫だろう)
しきりに計算している所に、貞盛の行くえの探索を担当している細作の一人がかえって来て、ついにつきとめ得たと報告した。
小次郎がいくらさがしても貞盛を見つけることが出来なかったはずだ。まるで見当ちがいをさがしていたのだ。貞盛は藤太の領内にひそんでいたのだ。しかも、田原から一里半ほどしか離れていない村の農家に。さすがの藤太もこれには驚いた。
(なるほどな。考えてみると、全坂東で石井の探索のとどかぬところは、おれの領内だけだ。一番安全にはちがいないな。しかし、左馬ノ允はおれとの間にはこの前のことがあるのだ。しかもなおおれが領内から離れず潜んでいたとは、あっぱれな度胸だな。武人としては勇気に欠けたところがあるようだと踏んでいたが、こりゃ案外であった。ずいぶんたくましい性根を持っているぞ)
藤太が貞盛をさがさせたのは、反小次郎軍の一翼を受持たせるためであった。貞盛の人がらは藤太も頼もしいと思わないし、世間でも頼もしがられていないが、何といっても坂東の大豪族の当主だ。田原の藤太が味方しているとなれば、家来筋の者や領民共の中から少なくとも五百人の兵は集めることが出来るであろう。それをあてにしたのであった。ワナにかけて小次郎への手みやげにしようとしたのはついこの前のことだが、事情がこうなればそんなことにはこだわっておられない。こんな際五百人もの勢《せい》を集め得る者を利用しない手はないと考えたわけだ。しかし、その貞盛がこんな逞《たく》ましい根性を持っているなら、一層味方にほしいところだ。
藤太は惟幾父子のへやを訪れて、はじめて石井の形勢を打ち明けた。
二人はたちまち興奮した。
「や! それではすぐはじめるおつもりか」
と、先ず惟幾が言う。
「たしかなことだろうな。見損うということもあるからな」
と、為憲《ためのり》がつづけた。
二人とも真青になっている。いざとなって急に不安になったらしいのだ。
藤太としては予想しないことではなかったものの、やれやれと思った。苦笑が出そうであったが、おしかくして、きまじめな顔で言った。
「そこにぬかりはございません。てまえも大いに案じましたので、さらに念を入れてさぐらせました。たしかに石井は手薄となっております」
「それでは、追討軍が碓氷峠の上に見えるまで待っているわけではないのだな」
と、為憲がまた言った。
「兵機は変化流動してやまぬものと仰《おお》せられたおことばはここのことでございましょう。思いもかけず機は早く来たとてまえは見ている次第でございます」
いんぎんな調子が、一層皮肉を辛辣にした。
さすがに為憲も顔を赤らめた。
藤太は貞盛のことを持ち出した。
「それはよい。それはよい。早速に迎えにまいろう。味方は一人でも多い方がよい」
と、為憲はさけんだ。
一時間の後、三人は従騎十四五人を引きつれて館《やかた》を出た。遠い高い山々の、いただきにはまだ雪がのこっているが、平地には春のけはいが行きわたりつつある。花はまだだが、午後三時頃の薄ら日のさしている野には麦が青くのび、空にはたえずひばりの声が聞こえていた。
わずかに一里半の距離だ。すぐその村についた。
藤太は村の入口で馬をとめて、惟幾父子に、
「今の左馬ノ允は風の音にも心している身であります。不意にこれだけの人数が押しかけて行っては、おびえましょう。先ず郎党共をつかわして来意を通じて安心させてから参ることにいたしましょう」
と言って、郎党二人を呼んで旨《むね》をふくめた。
二人はかしこまって、群を離れて先行した。
貞盛の泊っている家は部落の中ほどにあった。ここに落ちつくまでに、彼はかなり方々を歩きまわった。藤太の所領外にも踏み出した。しかし、おそろしく危険であった。藤太の所領以上に安全なところはなく、しかも田原に近いほど安全であることに気づいた。そこで、この村を選定し、身分を打ち明け、過分な謝礼を約束して厄介《やつかい》になることにしたのであった。
村に落ちつくと、貞盛は人目に立たないように農民の服装にあらためた。村の人々は彼の素姓を知っているが、気さくな性質の彼は誰とでも親しく語ることが出来る。村人等は気のおけない旅人として、彼が遊びに行くと、炉辺に迎えて、めずらしい他国の話を聞くのをよろこんだ。
その日も近所の農家に遊びに行っていると、彼の宿元の主人がやって来た。その様子が尋常でなかった。色青ざめ、何かひどくおびえている。ハッとして、どうした! と、問うと、
「すぐに帰って下さりませ。田原の殿様から郎党衆がお使いに見えましただ」
と、ふるえる声で言った。
しまった、と思った。
「そうか。すぐかえる」
答えて腰を上げた。戸口に達するまでの間に、逃げようと思案をきめたが、その戸口を出ると、もうそこに藤太の郎党二人が立っていた。
声をのんで立ちすくむ前に、郎党等は進み出てひざまずいた。
「これは左馬ノ允の殿。主人藤太|秀郷《ひでさと》、唯今お迎えのため、自らまいります。前《さき》ノ常陸介《ひたちのすけ》惟幾の殿御父子もまた同道遊ばされます」
貞盛にはそのことばがよく聞きとれなかった。もういかんと思った。この際、土民の服装のまま引立てられて行くのは恥だと思った。
「とにかくも、帰って衣服を改めたい。そのひまはくれるであろうな」
「もとよりのことでございます」
宿元の方へ歩き出したが、半ばまで行くと、前方から騎馬の一団の来るのが見えた。
先頭に立っている藤太が馬上に手を上げて振った。つづいてそれに少しおくれて馬を打たせて来る二人が手を振った。その二人が惟幾と為憲であることに、貞盛は気づいて、先っきの郎党のことばを思い出した。――ああ、そうであった、前の常陸介父子がどうとやらこうとやら言っていたな。とっさの間に、貞盛の思案は縦横にはたらいた。
(風向きがかわったのかな、それとも、大介父子とも藤太のワナにかかったのであろうか。いずれにしても、この場は逃げられない。逃げねばならんにしても、あとで機会を見つけるよりほかはない)
愛想のよい笑顔になって、手を振りながら近づいて行った。
藤太も、惟幾も、為憲も、馬を下りて迎えた。
「これは思いもかけぬところでお会いしますな」
貞盛は多少の皮肉をこめて言った。しかし、藤太はすまして答える。
「まことに」
「どうしてここがわかりました」
藤太はにこにこ笑いながら答える。
「領分内でありますでな。ずっと以前からわかっていました。機会到来までその方がお勝手がよかろうと思いましてな」
手のひらの上で遊ばせていたと言いたげな口吻《こうふん》だが、うそとは思われなかった。つめたいものが背筋を走るのを覚えた。惟幾の方に向った。
惟幾は感動していた。ぶよぶよに肥《ふと》った頬《ほお》をコンニャクのようにぶるぶるとふるわせ、涙ぐんで、何か言おうとしたが、為憲が割って入って来た。
「左馬ノ允、時運際会だぞ。すでに朝廷においては参議藤原|忠文卿《ただぶみきよう》を以《もつ》て征東将軍に任じ給《たま》い、忠文卿はすでに京を御発途になり、途々御教書《みちみちみぎようしよ》を発して義軍を募らせられたところ、東海東山の諸豪の馳せ参ずる者ひきも切らず、雲霞《うんか》の大軍勢となり、坂東に押し寄せて来ること、日を数えて待つばかりの形勢となっている。されば、まろら父子は信濃《しなの》路から当地に潜入し、田原のぬしと談合……」
興奮しきって、文字通りに口角|泡《あわ》を飛ばして、喋々《ちようちよう》と弁じ立てる。打ちひらいた路上であることを忘れている。蟻《あり》が穴を這《は》い出すようにそれぞれの家から出て来た村民等が遠巻きにとりまいて見物していることにも気がつかない模様だ。
藤太は咳《せき》ばらいして進み出た。
「かような所ではくわしい話も出来かねます。ともあれ、形勢大いに変化しました。落ちついて相談いたしたい。田原へお出でいただきたいと存じて、こうしてお迎えにまいったのです」
「そうだ、そうだ、時が来たのだ。やっと時が……」
ほろほろと涙をこぼして、惟幾が言った。
貞盛はまたたきもせず、藤太の顔を見つめていた。藤太は薄く笑って、見えるか見えないかに微《かす》かにうなずいた。うそはないと見た。貞盛は顔をやわらげ、愛想よく言った。
「これはこれはようこそ。まいりましょうとも」
その夜、田原の館で、四人は額をあつめて相談した。藤太は胸中の計画を打ちあけて、貞盛に言った。
「てまえの手勢で三千はあるが、左馬ノ允の殿の手でいくら集められましょうか。せめて千人集めていただけば心丈夫なのですが」
貞盛は急には答えず、胸中で計算した。こうなれば弟の繁盛《しげもり》も勇んで馳せ参ずるであろうし、旧領の民も募りに応ずる者が多いであろうし、水守の叔父だってためらうまいし、かなりな人数を集めることが出来るだろうと思った。しかし、つつましく内輪《うちわ》に言った。
「御承知の通り、てまえは評判がおそろしく悪いので、どれほど集めることが出来るか、まるで見当がつきませんが、出来るだけ努力してみましょう」
そのことばがおわるかおわらないかに、為憲が痩《や》せたひじを張って膝《ひざ》を乗り出した。
「まろも集める。去年手塩にかけた者共がまだ少なからずあるはずだ。去年は武運つたなく小次郎に名を成さしめたが、まろを慕っている者共が多数あると自信している。千や二千集めることは造作もないことだ」
貞盛はあきれていた。去年為憲は常陸の公領から六千の兵を徴集して、小次郎のひきいるわずかに千二百の兵に木ッ葉|微塵《みじん》にたたき破られ、死者三千に及ぶほどの惨敗《ざんぱい》を喫している。手並のほどは全坂東の人の十分に知っている所だ。再びこの生兵法《なまびようほう》の小冠者大将の募りに応ずる者があろうとは思われないのだ。度《ど》しがたきばか自信だと思った。しかし、藤太は大まじめな顔でうなずいた。
「それは好都合であります。ぜひお骨折り願います。若君が唐土伝来の兵法に精通していらせられることは、当時随従申した兵共の皆十分に承知しているところであります。人々喜びふるって馳せ参ずるであろうこと、必定でございます。――それでは、てまえの勢《せい》が三千、左馬ノ允の殿が千、若君が二千、合して六千となりますな。これで敵の一千を討つわけで……」
と、言いかけると、為憲はあわてて口を出した。
「二千は無理かも知れん。たしかなところ、千五百であろうな」
藤太はおかしくてならない。彼の見るところでは五百もむずかしかろうと思うのだが、当人は二千は無理だが、千五百なら大丈夫と思っているのだ。しかし、道理を説いたところで、かえって意地になるだけのこと。じゃまにならないかぎり、好きにさせておくが一番。――これでも、征東将軍や京都朝廷へこちらの高名|手柄《てがら》を申告《しんこく》する際には大いに役に立つ人々だ。機嫌《きげん》よく遊ばしておこうよ……
れいの重厚な愛想のよさで言った。
「さようでございますか。それでは五百引いて、味方五千五百という勘定になります。どうにか行きましょう。――早速にかかっていただきましょうか」
相談一決して、その夜は前祝いの酒宴をひらいた。翌日は早朝、貞盛も、為憲も、それぞれの向きに出発した。惟幾はあとにのこった。
三日の後、貞盛から報告があった。
「大体八百ばかり集め得た。まだ水守の叔父に会っていないから、これに会えばなお数百を集め得ると思うが、あまり暇どっては敵に知られるおそれがあるから、とりあえず集まっただけをひきいてまいるであろう」
予定の千には達しないが、先ず成功というべきだ。藤太もまた小次郎にこの企図の漏れることを案じている。
「武略なしとは言えんな、左馬ノ允という人物」
満足であった。
翌日、為憲からも報《しら》せが来る。
「万事好調で、五百人募り得た。数日のうちには千に達するであろう。期待していてもらいたい」
五百も集め得たというのは意外であった。とてもそうは行くまいと思っていたのだが。時運がめぐって来たしるしだと思った。しかし、為憲の悠長《ゆうちよう》さにはあきれた。
「千五百集めると高言したことにこだわって、最も大事なことを忘れているらしい」
と判断した。そこで、為憲の使者に郎党を同道させて急行させた。
「五百人で結構です。敵にけどられては由々《ゆゆ》しいことになります。集まっただけを連れて至急に参られるよう」
藤太もまたおのれの兵を田原に集めた。三千。数日の後、貞盛も、為憲も、それぞれの兵をひきいて会した。合して四千三百。
この四千三百を部署して、藤太は猛訓練にかかった。なにをするにも、藤太は万全の準備をととのえる。かねてから小次郎の戦法を研究していたのだが、いよいよ取りかかることに決定してからは一層熱心に研究した。その結果、小次郎の戦術は一見千変万化の観があり、事実刻々に変化する情勢に応じて自由自在に兵をひきまわす巧みさがあるには相違ないが、子細に検討してみると、それは戦さのはじめだけで、敵が乱れたと見ると、小次郎自身が真ッ先に立って突撃して行ってとどめを刺すに尽きることに気づいた。その突撃は、強剛で、猛烈で、無敵の強さを持っているが、それもつまりは小次郎の個人的武勇がもとで、小次郎の武勇にはげまされて兵共も勇猛になるのだと気づいた。
したがって、緒戦において、こちらが陣形をかき乱されないように接戦をさけて矢戦さだけであしらい、つづいての戦闘では小次郎の個人的武勇を封殺する手を打てば、容易に破ることが出来るはずと工夫した。
訓練はこの工夫にしたがって行われた。金鼓《きんこ》の合図につれて、一糸乱れず陣形を保ちながら、退《ひ》いたり、進んだり、ひらいたり、つぼんだりすることだけを、熱心に練習させた。
これを実行するにあたって、藤太はすべて独断で決定し、貞盛にも為憲にも容赦なく命令し、違背することを許さなかった。これまでのおだやかさをまるで捨て去っていた。為憲は不満で、時々その不満を貞盛に漏らしたが、面と向っては藤太になんにも言えなかった。勁烈《けいれつ》で断乎《だんこ》とした風貌《ふうぼう》に一変している藤太であった。
こうして、北下野の一角に雷気《らいき》をはらむ暗雲が刻々に立てこめて行きつつあったが、石井では気づく模様はなかった。
春雪
一月下旬のある日、京の三宅《みやけ》ノ清忠からの密書が玄明《はるあき》にとどいた。坂東のさわぎにたいする京都朝廷の動きを報じたものであった。
つづいて、相模《さがみ》の国府から東海東山の諸豪族の動きを報告して来た。
覚悟はしていたことであったが、小次郎は緊張せざるを得なかった。しかし、玄明は|たか《ヽヽ》をくくっていた。
「大したことにはなりますまい。瀬戸|内《うち》において純友卿《すみともきよう》が事をおこして、勢威大いに張っておられるとの確かな報せがまいっております。東西におこったこのさわぎのために、京の朝廷は度を失っているはずであります。征東将軍が発途しようと、東国の諸豪族共の動きがどうであろうと、案ずるにはおよばぬことであります。中心たる京の周章|狼狽《ろうばい》は必ず地方に及んで、忽《たちま》ち敵の足並が乱れてくることは必定であります」
というのであった。
ともかくも、足柄《あしがら》と碓氷《うすい》の守備を厳重にするよう手配したが、それとほとんど同時に、下野《しもつけ》の国府から注進があって、田原の藤太等の動きが不穏であることを報せて来た。
小次郎の受けた衝撃は一通りではなかった。
「それはたしかなことか。間違いないか」
と問いかえした。自分の顔から血の色がひいて行くのがわかった。
「きびしく関を結《ゆ》って領分内に入れませんので、くわしいことがわかりませんが、間違いないと、守《こう》の殿は仰《おお》せられます」
と、急使は言う。下野守《しもつけのかみ》は三郎|将頼《まさより》だ。それがそう言う以上、確実なことと考えるよりほかはなかった。
とりあえず、玄明を呼んだ。多治ノ経明《つねあき》、坂上《さかのうえ》ノ遂高《かつたか》にも使いを走らせた。この二人は石井《いわい》から最も近い地点に住んでいる。
先《ま》ず玄明が来た。委細を聞いて、玄明はおそろしく憤慨した。
「田原の藤太ほどの武者にあるまじききたなきことをいたします。藤太が参候して忠勤を誓ったのは、ついこのほどのことではございませんか。不信不義、男のふるまいではござらぬ。見よ、見よ、なにほどのことがありましょう、やがてたたきつぶしてくれましょうぞ」
と、ののしった。
不思議に、小次郎には怒りはなかった。正面切って対決すべき時がついに来たという思いだけが、秋の深夜の燈火《とうか》のようにシンと胸の底に燃え澄んでいた。
その夕方、坂上ノ遂高と多治ノ経明が汗馬に鞭《むち》をあげて駆けつけて来た。翌日の昼頃《ひるごろ》には、玄明の知らせによって玄明の兄の玄茂《はるしげ》も、常陸から駆けつけて来た。
軍議をひらいたが、その座にまた下野国府から注進があった。
「藤太が勢《せい》三千、|左馬ノ允《さまじよう》貞盛《さだもり》が勢八百、前《さきの》常陸介《ひたちのすけ》惟幾《これちか》の息男|為憲《ためのり》が勢五百、合して四千三百が田原軍の総数である。藤太はこれを部署して田原において日夜に訓練中である」
という注進。
「味方は、即座にはいかほど集めることが出来るか」
と、小次郎は玄明にたずねた。
「日数をかければ、八千は集まります」
「即座にだ」
「即座にでございますか。――先ず千でございましょうな」
と言って、玄明は、誰の手が何百、誰の手が何百と、一々数えはじめた。
小次郎はさえぎった。
「その勘定はいらぬ。総数だけでよい。千か。千あれば十分。おれは直ちに下野に向いたい」
小次郎の眼《め》の前には、冷静で、沈着で、見るからに感情の平衡のとれた藤太が山のように不動な風貌で腰をすえている。それが小次郎をせき立てあせり立たせてやまない。ギリギリと歯がみしていどみかかって行かずにおれない気持であった。
(負けるものか! 負けるものか!)
と、心の片隅《かたすみ》でつぶやきつづけていた。
小次郎の興奮に、玄茂はおどろいた顔になったが、おだやかな調子で言う。
「みかどの御勇武のほどは、てまえ共いつも仰ぎ奉《たてまつ》って感嘆しているのでございますが、この度のことはあまりにも兵数が違いすぎます。その上、田原の藤太は一方ならぬ武者でございます。そう急ぎ給《たも》うこともございますまい。数日の余裕があれば三千は確実に集まるのでございますから、それからのことにいたされてはいかがでございましょうか」
この玄茂のことばを理性的には道理と聞きながらも、小次郎はかえって逆上した。
「おれはいつも小勢を以《もつ》て大軍に打ち勝っている。藤太にだけはそうは行くまいというのか!」
玄茂はあわてた。
「決して! どうしてさような恐れ多いことを申し上げましょう。てまえはただ万全のてだてを申し上げただけのことでございます」
「おれはおれで、一刻も早くたたきつぶしてしまうのが万全の策と思うているのだ。これは坂東においておれに企てられた最初の叛逆《はんぎやく》だ。大事を取って手のびしていては、次々に逆徒の出るおそれがある。田原の藤太がなにほどの武者であるかは知らんが、合戦の場数はおれが十が一もないはず。何の恐れるところがあろう。また、征東将軍にひきいられる大軍が押し寄せて来るまでの間に、坂東全部を打って一丸としておくことも必要なことと思うのだ。かたがた、藤太を討つことは急がねばならぬのだ」
坂上ノ遂高が口を出した。
「仰せられる趣、一々道理と存じます。何ほどのことがございましょう。速やかに御出陣こそしかるべく存じます。てまえに先鋒《せんぽう》を仰せつけ下さい」
多治ノ経明もまた言う。
「てまえも先鋒を望みたく」
玄茂もまた言う。
「そうと御決定遊ばす上は、てまえも陣後にかがまっていたくございません。先鋒を仰せつけられたく」
こうして軍議は一決し、至急にかき集めた兵千人をひきいて、小次郎は下野に向った。二月一日であった。
小次郎は興世《おきよ》王と玄明を石井に留守させ、自ら千騎をひきいて下野国に向った。下野の国府近くまで行くと、国守将頼の郎党が迎えに出ていた。
「守の殿がお出迎えに上るべきでありますが、田原の御敵《おんてき》共が田原から動いている様子が見えますので、非常に備えて領分境へまいっておられますため、てまえ目代《もくだい》としてまかり出ました」
「動くとはこちらに向ってか」
「よくわかりませんが、多分そうであろうとて、行き向われたのでございます」
その夜は下野国府で泊って、翌日軍を部署する。経明と遂高を相備《あいそな》えとして各々《おのおの》二百五十騎をひきいて先鋒とし、玄茂副将軍となって二百五十騎をひきいて中軍となり、小次郎自身は本軍二百五十騎をひきいて後陣となり、部署がすむと直ちに出発した。
馬をすぐって来た兵だ。国府から宮まで五里しかない上に、坦々《たんたん》たる平地の中につづく道だ。時の間に乗り切って、先鋒隊は早くも正午頃には宮についた。
宮を過ぎた村はずれに、将頼が三百騎をひきいて陣を張り、しきりに斥候《ものみ》をはなって敵状をさぐっていた。寡勢《かせい》を以て四千数百騎と聞く敵勢に備えていたこととて、ほっとしたらしい様子で迎えた。
「あとはいつ到着するのじゃ」
「追っつけ、中軍が到着します。新皇はそのあとで後軍をひきいて参られます」
と、経明が答える。
「それで、総数ではどれほどになる!」
「てまえらがそれぞれ二百五十騎、中軍が二百五十騎、後軍もまた二百五十騎、しめて千騎であります」
将頼は驚いてさけんだ。
「千騎? 敵は四千数百あるのだぞ」
先鋒二将はかわるがわるに軍議の次第を物語って、
「てまえ共も、新皇の御意見をもっともと同意したのでございます。大事を取るのあまり、時機を失して、他に異心をいだくような者が出るようではゆゆしいことでございますからな」
と、結んだ。
「それはそうだが、四千数百騎というは大軍だぞ。おれは不安な気がする。せめて三千集めることは出来なんだのかのう」
経明と遂高には、将頼の思い切りの悪さが面白くなかった。
「新皇のお手並は十分に御承知のことではございませんか。その新皇が千騎で十分であると仰せられる以上、間違いは決してないことと、てまえ共はかたく信じています」
遂高は言ったが、心中の不快はしぜんことばにあらわれて、ややはげしい調子になった。
将頼にはそれが聞こえなかったらしい。自らの心中の考えを追っている人の様子で、ひとりごとのように言った。
「田原の藤太はなかなかの武者だ。下野国内の豪族共で、彼を恐れぬ者は一人もないほどだ。それが四千数百の兵をひきいているのだ……」
経明と遂高は顔を見合わせた。小次郎の武運と武略を信じ、自らの武勇に十分な自信を持っている二人には、将頼の愚痴っぽさはやり切れないものに感ぜられた。軽蔑《けいべつ》的な薄ら笑いがどちらからともなく頬《ほお》に上ったが、その時、将頼が顔を上げた。二人は笑いをかくそうとしたが、間に合わなかった。将頼は侮辱を感じた。毛深い顔に血の色がカッと上り、おそろしい声でどなりつけた。
「おぬしら、笑っているな! この大事なことを論議している時、笑うということがあるものか! 但《ただ》しはおれが臆病風《おくびようかぜ》に吹かれているとでも思っているのか!」
二人も腹を立てた。
「軍議はすでに石井ですんでおります。新皇の御裁量によってきまったものである以上、われらはためらいなく従い奉るだけのことであります。この場になってかれこれと申されるのは、てまえ共には未練としか考えられません」
遂高もまた激昂《げつこう》して、はげしい語気になっていた。
「おれを未練というのか!」
将頼は一層大きな声でどなったが、すぐ調子をおとした。
「おぬしらは軍議軍議というが、最もよいはかりごとをきわめてこその軍議ではないか。合戦はまだはじまったわけではない。改めるに何のはばかる所がある。戦さは調子のものだ。ここで負けてみろ、とりかえしのつかないことになるぞ。藤太はなかなかの武者……」
また愚痴っぽい調子が出た。経明はいら立った。
「軍議についての御不満があるなら、新皇に奏上していただきましょう。てまえ共に仰せられても埒《らち》のあくことではござらぬ。また、藤太はなかなかの武者じゃ、なかなかの武者じゃと、そうしげしげ仰せられるのは、てまえ共には聞き苦しゅうござる。お味方には藤太に匹敵する武者はないと仰せられるように聞こえます。合戦を前にして、敵を上げ味方をおとしめるようなおことばは、御身分がらつつしんでいただきとうござる」
将頼は怒りきわまって真青になった。
「ハハ、おぬしの言いぐさを聞くと、藤太にまさると自任しているようだな」
怒りをおさえ、皮肉な調子を保とうとする努力のために、将頼の声はふるえた。
売りことばに買いことばであった。経明は、ハハ、とおとらず皮肉な笑い方をして言う。
「三郎の殿は藤太に所詮《しよせん》かなわぬとおじけていなさるかは存ぜぬが、てまえは藤太ごとき、ものの数とも思うておりませんぞ」
「言うたな!」
「申しましたとも!」
「みごと藤太を討つことが出来ると思っているのか!」
「てまえを恥しめなさるおつもりか!」
腰刀《こしがたな》に手をかけんばかりのおそろしい形相で二人がにらみ合っている時、玄茂にひきいられた中軍が到着した。
経明と遂高は将頼を玄茂にまかせておいて、兵士等に中食を命じ、終るとさっさと前進にかかった。
「どうかしてござるぞ、三郎|君《ぎみ》は。三千ほしかったに、と、言うてござるが、千しか集まらんから千で出て来たのじゃないか」
「まことよ。大方こちらに三千集まるまで、藤太が気|良《よ》うして待っていてくれると思うてござるじゃろうよ。大笑いじゃよ」
「所詮は臆病風よ。あんなお人ではなかったが、今の身分にならしゃったので、昔の勇気が無《の》うなったにちがいないて。人間、富と身分が出来ると臆病になるものじゃげな」
「お互い、そうはなりたくないものじゃな、どんな身分になろうとよ」
「そうとも、生涯《しようがい》、最も坂東のおのこらしくありたいのう」
経明と遂高は馬をならべて、将頼の悪口を言いながら進んでいたが、間もなく、どちらからともなく馬をとめた。
経明が言う。
「あまり腹が立ったので、かんじんの敵の様子を聞くことを忘れて来てしまったわ」
「ほんによ。こうお先|真暗《まつくら》に進んでいて、いきなり敵に襲いかかられでもしたら、一たまりもないな」
「それ見たことかと、三郎君に笑われる所じゃな」
二人は腹をかかえて笑った。
相談して、たえず斥候を放って、前後左右を警戒しながらゆっくりと進むことにする。
小半里進んだ頃、中軍が追いついた。
「ひどいのう、おぬしら。三郎君をわし一人におしつけて逃げるとは。わしは弱ったぞ」
と、玄茂は笑いながら言った。
「わしらは十分におつとめしたのでござるぞ」
「そうとも、かわり手が見えたから、お譲りしてまいったのでござるぞ」
かわるがわる言って、二人はドッと笑い出した。
「いや、閉口した」
玄茂は溜息《ためいき》をついて見せた。
二人はまたカラカラと笑った。
「新皇はお見えになりましたか」
と、経明がきく。
「お見えになったればこそ、わしはおぬしらを追うて来られたのだ」
「それでは、新皇にお譲りなされたのですな」
と、遂高がにやにやする。
玄茂も微笑した。
「まあそうだな。大分もめているようであった」
その頃から、空に密雲がひろがりはじめて、忽《たちま》ちのうちにたそがれ時のように暗くなった。気温が急激に下って、しみるように寒くなって来た。
「妙な天気じゃな、気ちがい陽気じゃぞ、降られたら難儀じゃな」
と、皆言って、空を仰ぎながら馬を進めていると、チラチラと白いものが降って来た。
「ほう、雪とはまた変ったものが降って来たな。しかし、雨よりはしまつがよい」
話しながら、なお半里ばかり進んだ。雪はしだいに繁《しげ》くなったが、まだひどいというほどのことはない。
「かえってよいじゃろう。これで斥候《ものみ》のものは敵を見つけやすくなろう」
と言っている所に、雪をついて斥候が駆けもどって来た。
斥候は雪を巻いてまっしぐらに陣頭に馳《は》せつくと、馬を飛びおり、手綱を鞍《くら》にかけて、三人のところに走りよって来た。
「敵のありかがわかりましただ!」
と、叫んだ。
「わかったか!」
「どこだ!」
「遠いか、近いか!」
三人は同時に問いかけた。
斥候は片膝《かたひざ》ついて、てきぱきと報告した。
「近うございますだ。この道を半里ほど参りますと、川の流れのひらく野で、右手の山が切れますだ。その野に敵は屯《たむ》ろしていますだ。山の切れる所まで半里、そこから四半里、しめて一里にははるかに足りましねえ」
緊張に、三人は胸がわくわくして来た。
「こちらの近づく様子に気づいている模様か」
と、経明が問いかけた。
「その様子はございましねえ。宿営の支度をしていると見ましただ。炊《かし》ぎの煙が立ちのぼっていますだ」
三人は相談し、玄茂の隊は新皇に連絡して待ち合わせてから進み、遂高と経明とは敵に気づかれないように行進をつづけ、適当な場所に伏兵となって埋伏することにきめた。
二人は兵を引きまとめ、なお斥候を放ちながら進んだ。二人はもう馬をならべていない。それぞれに自らの隊の中心になっていた。
雪は降りつづけているが、水気の多いぼたぼたした春の雪だ。地表におちると同時にとけて、積るようなことはなかったが、樹木や草の上に降ったのは少しずつ積って行くようであった。
間もなく、経明は一策を思いついて、自分の隊をはなれて遂高の隊に馬を駆け寄せ、遂高を小手招きして、陣列の外に呼び出した。
「どうじゃろう。このまま平地を行くより、敵の居場所はわかっているのじゃ、山に入って、敵の上に出たら。そして、山上に埋伏するのだ。新皇がお見えになったら、敵の正面から戦いを挑《いど》みかけていただき、機を見てわしらが山の上から駆け下って敵の本陣に斬《き》りこむわけだ。勝利うたがいないぞ」
「よかろう」
遂高はすぐ賛成した。連絡兵を玄茂のところにおくっておいて、馬首を山の方に向けた。
低いゆるやかなうねりのつづいている山だ。葉のおちつくしたくぬぎや楢《なら》や欅《けやき》の中に、松や樫《かし》の青い色の散らばっている林に蔽《おお》われていた。林の下草には根笹《ねざさ》や枯れた歯朶《しだ》類が水気の多い淡雪をはだらにのせていた。
山をのぼり切ったところで、二人は兵士等に命じて、馬に枚《ばい》をふくませ、くつわのミズキを巻かせた。
あとは尾根伝いに進む。その頃《ころ》から空が明るくなって雪がやんだ。さらに進むうちに雲が切れて、薄ら日さえさして来た。まだ時刻は早い。未《ひつじ》の下刻(三時)頃にしかならないと思われた。
尾根を行きつくすと、眼下に野が見えた。一筋の川が白く光ってうねりながら流れ、その河原に軍勢がいた。
無造作に投げ出された象棋《しようぎ》の駒《こま》のように乱雑で、なんの統制もないような、てんでんばらばらな陣形であった。所々に煙が立っていた。煙の色でわかる。あるものは焚火《たきび》であり、あるものは炊煙であった。
二人は馬上しばらく凝視していた。どうみても安心しきって、すきだらけな滞陣ぶりにしか見えない。
「御厨《みくりや》の」
と、遂高は経明を呼んだ。
「ああ」
「どう見るぞ」
「ぶざまな陣配りのようじゃの」
「田原の藤太も案外な男のようじゃな。見ると聞くとでは、大へんな違いではないか。三郎君はあんなにおそれておられたが、これで聞きおじであることははっきりしたな。まるで陣法を心得ておらんぞ」
「まンず待て。なにかワナがあるのかも知れん。しばらく様子を見ていよう」
兵士等を後に退《さ》げて、馬を下りて休憩させた。二人はあとにのこった。かち立ちになって、馬は兵士等と共に退げた。
しめった枯草の上にならんで腰をすえて、なお見ていたが、別段にかわった所は見えない。ワナはないと結論してよいようであった。
「御厨の」
と、また遂高が言う。
「ああ」
「これはほんものの油断じゃぞ」
「そのようじゃな」
「どうじゃろう。このだらしない敵の陣配りを見ながら、後軍を待って合戦にかかるというのも、戦さの潮時を知らなすぎることのようだな。ここから逆落《さかおと》しにあの本陣目がけて突っこんで行けば、勝利は疑いないぞ」
という遂高のことばは熱っぽかった。
「おれもそれを思っていたところであった。戦さの潮時もだが、藤太が名におじけているようで、それが気色が悪い」
「この陣の取りざまを三郎君に見せたいな。何というか」
「まことよ。人のうわさほどあてにならぬものはないという、よい証拠だな」
やればやれるという気持が、二人をおちつかなくさせた。敵陣が乱れ立って混乱し逃げまどう有様、それをすさまじい喊声《かんせい》と共に馬蹄《ばてい》にふみにじって行く痛快感が、まざまざと感ぜられた。
とつぜん、遂高が言った。
「やるか!」
こだまがえしに、経明はこたえた。
「やろう!」
見合わす二人の目に炎のような光がきらめいていた。昂揚《こうよう》した意気が胸にみち、四肢《しし》の末までふるわせていた。功名心がこれを鼓舞した。やりさえすれば成功するにきまっていることだ。しかも、それによって得る名誉は、たとえようもなく大きい。田原の藤太が四千三百の大軍をわずか五百の寡兵をもって木ッ葉|微塵《みじん》にたたき破った二人、と、全坂東の人が言いはやすに相違ないのである。
兵士等のところへかえった。
兵士等を集めて、経明が戦法について訓示した。
「今日の戦さはいつもと違って、矢戦さはせぬ。最初から突撃に出る。まっしぐらに本陣を突く。それ故《ゆえ》、余の隊には目をくれるな。横に逃げ走る者も追うな。前に立ちふさがるものだけ、容赦なく斬れ。矢を射かけられても、返し矢を射てはならん。つまり、おれと坂上《さかのうえ》のが先登に立って進む故、そのあとを一筋に慕い、二人がするようにすればよいのだ。鬨《とき》の声は出来るだけ大きく上げる。よいか。それでは、それぞれ馬をあらためい」
敵の不用意でだらけ切っている布陣は、兵士等も見ている。敵の不意に出て突撃を敢行すれば必ず快勝出来ると、一人のこらず考えていた。兵士等にとって、経明の訓示はまさにわが意を得たものであった。よろこびと闘志とが声のないどよめきとなって、稲田を吹く風のように兵士等の上をわたった。彼等はてきぱきと馬蹄を検査し、鞍《くら》をおきなおし、あぶみ、くつわ、手綱の工合をしらべた。経明も、遂高も、人手を借りずに自ら検査した。
数分の後、彼等は行動をおこした。山の勾配《こうばい》は急というほどのことはないが、疾駆して下るには少し不便だ。しかし、彼等の騎乗力を以《もつ》てすればさして難儀なことではない。はじめゆるやかに、徐々に速さをまして、駆け下った。雪は日のあたるところではもう融《と》けていたが、この斜面は日陰になっている。相当にまだのこっていた。蹄《ひづめ》に蹴散《けち》らされ、細かく砕けて霧となって彼等をつつみ、大きな塊はつぶてとなって顔を打った。痛烈で荒々しい刺戟《しげき》だ。意気は益々《ますます》昂揚した。
平地に達したところで、経明と遂高は刀を抜き放ち、高々と打ちふりながら吼《ほ》えるように叫んだ。兵士等はならった。喊声は山にこだまして、幾層倍のひびきとなって野にひろがった。
敵の陣営を見ると、面白いほど乱れている。度を失って右往左往するだけで、まるで防戦の意志を失っているようだ。意気はもう頂点に達した。
のども裂けよと絶叫し、疾駆しながら、経明も遂高も、胸のうちでくりかえしていた。
「それ見ろ、それ見ろ、それ見ろ……」
周章|狼狽《ろうばい》してまるで統制を失っているように見えはしたが、実際は藤太の軍勢は藤太の指揮によって動いていたのだ。
藤太が無計画にここに滞陣していたのではない。敵をおびきよせるために、特にここを選んで陣を布《し》いたのだ。
最初、藤太がここに陣を布くことにした時、為憲は反対した。
「ここは兵法にいわゆる死地だ。もし敵があの山上から逆落しに攻撃をかけて来たら、防ぐべき手はないぞ。せめて対岸にうつって川を前にして布陣すべきだ」
と主張した。藤太は笑いながらも、
「敵を釣《つ》るのでござる。間に川がはさまっていては、用心せよと教えるようなもの。先《ま》ずおまかせ願いましょう。不安と思召《おぼしめ》さば、若君はどこぞここから見えぬところへお立|退《の》き願いましょう」
と手強《てづよ》くはねつけた。
こんな計画だ。布陣がだらしなく無統制に見えるのも、釣針にかけた好餌《こうじ》にほかならないのだ。
藤太は敵軍のことを掌心《たなそこ》に指すように知っていた。小次郎がわずかに千騎の勢で石井を出たことも、その部隊の編成も、部将等の名も、先鋒《せんぽう》隊が本隊からひどくかけはなれていることも、道を転じて山に入ったことも、この平地に臨む山の突端に達したことも、皆知っていた。細作《しのび》共が駆けもどって来て報告してくれた。山の突端に達したのは自らの目で見た。
「うまいぞ、うまいぞ、敵は好餌をついに見つけたのだ。この上は食いついて来るか、どうかだ」
横目でジロジロと見ていた。
ついに、敵は突撃にかかった。
「それ来た!」
藤太はおどり上った。この上は十分に食いつかせることだ。中途で気がかわって踏みとどまらせるようなことをさせてはならない。
馬に飛びのった。兵士等の間を縦横に乗りまわし、出来るだけ狼狽し混乱しているらしく見えるように兵士等を駆けまわらせた。部隊の駆引ばかりを練って来た兵共だ、藤太のさしずにつれて、両手の指をふるうように自在に動いた。
しかし、何としても一つの指揮の下に動いているのだ。少し注意して眺《なが》めれば、混乱しきっているように見える動きの中に何となき統整と一貫した流れのあることがわかったはずだが、自信と勝利の予感に逆上して目のくらんでいる石井《いわい》方にはそれが見えない。飛ぶ速さで距離をちぢめてくる。
(魚信《あたり》十分! 完全に食いついた!)
と見て取った藤太は、鞍壺《くらつぼ》に立上って大音声《だいおんじよう》に叫んだ。
「開け!」
声と共に、ひっかきまわされた泥水《どろみず》のように見えていた四千三百の兵は、非常な速さで散りはじめ、散るにしたがっていくつかの隊になり、ある広さにひらいた時には十数隊になっていた。濁りかえった泥水がそれぞれの流れを得て流れ散るにしたがって澄んだ幾筋かの流れになるに似ていた。魔法のようであった。
このあざやかな陣形の展開を見た時、たてがみを並べてトップを切っていた二人は、はっとして心がすくんだ。
「御厨《みくりや》の!」
「坂上の!」
「敵には計略があるぞ!」
「おお、計略がある!」
「どうする?」
「どうする?」
つぶてを投げ合うようなこの問答の間に、二人の顔は真青になった。
経明が叫んだ。
「おし切ろう! 今となってはおそい!」
「そうだ! 押し切る外はない!」
さすがに、両人とも小次郎|麾下《きか》の猛将であった。決断は速かった。彼等は敵のこの円陣の最も奥まったところにいる隊を藤太の本陣と見てとって、そこに馬首を向けた。一層猛烈な喊声を上げ、一旦《いつたん》ゆるんだ速度を上げて、突進をつづけたが、もうその時には、彼等の背後は敵の隊に取り切られていた。
円陣の至るところから矢が飛んで来はじめた。巻狩で適当な場所に追いこめた野獣を、射手共が小手をそろえて八方から射て取るに似ていた。馬を傷つけられたり、からだのどこかに矢を射立てられたりして、落馬したり、死傷したりする者がつづいた。
歯のかけるようにぽろぽろとこぼれ落ちて、見る間に味方の兵がまばらになったので、二人は激怒した。
「しゃらくさい!」
益々勇気をはげまして突進した。兵士等の気力もまたいささかもたわまない。かっと見ひらいた目にそれぞれの指揮官を一筋に見つめて、馬腹も破れよと角《かく》を入れ、のども裂けよと絶叫しながらつづいた。
「接戦になりさえすれば!」
と、一人一人が思っていた。接戦になって白兵相交りさえすれば、駆けたおし、踏みにじり、斬りたおし、忽《たちま》ち形勢を逆転させられると、一人のこらずが考えていた。
ところが、その距離がなかなかちぢまらない。彼等が進むにつれて、敵の包囲陣はのびたりちぢんだりしながら移動して行き、いつも彼等を円の中心部位において矢を注ぎかけるのだ。鉦《かね》と太鼓がその合図になっている。鉦が急調に鳴れば包囲がひらき、太鼓がゆるやかにひびけば包囲がちぢまる。巧妙で、残酷で、つらにくい戦法であった。
「卑怯《ひきよう》な! 尋常に戦えい!」
石井方は気も狂わんばかりになった。怒りは今は火を噴かんばかりだが、どうしようもない。効果のない疾走をつづけ、その過ぎたあとの河原の砂利の上に味方の死傷者を点々と撒《ま》き捨てながら、両隊とも急速に痩《や》せて行った。
戦法をかえるよりほかなかった。これでは接戦に入る前に一人のこらず征矢《そや》の餌食《えじき》になることは明らかだった。
「かたまって、弓で戦おう!」
と、経明が発議した。
「おれもそれを考えていた!」
遂高は答えた。
忽ち、一同は進行をゆるめ、円陣をつくり、車輪のように回転しながら、周囲の敵陣に矢を射送りはじめた。はじめ五百騎あった兵は、もう三百五十とはいなかったが、さすがにすぐりぬいた精兵共だ。田原方はたちまち二三十騎射落された。と思うと、呼吸もつがせず二の矢が来て、また二三十騎射落した。
「見事だな。さすがは石井の小次郎が先鋒勢だ」
藤太は舌を巻きながら、右手を上げて二三度宙に打ちふった。
冴《さ》えた陣鉦の音が、二度急に、二度ゆるやかに鳴りひびくと、川に向った側の包囲線がプツリと切れて、急速にそれがひろがって行った。ここから逃げよといわないばかりに。
主将二人は敵のワナを感じた。川が存外に深いか、半ばまで渡して追撃を加えるつもりか、どちらかにちがいないと思った。
「逃げるな! 計略だぞ!」
と、同音に叫んだが、もうその時にはドッと乱れ立っていた。
「計略だぞ! 川は深いぞ! 追いうちをかけられるぞ!」
声をからしての叫びも、もう兵士等には聞こえない。馬の背に身を伏せ、たてがみにしがみつくような姿勢となり、先を争い、なだれを打って、一瞬の間に川原を横切り、しぶきを上げて川に飛びこんだ。
幸い水は深くなかったが、馬は水垢《みずあか》のぬめる水底に蹄を踏みすべらして渉《わた》りなやんだ。兵士等はよろめく馬の背にしがみついていた。臆病《おくびよう》をきわめた見苦しい姿であった。寸刻前まで最も勇敢であったものが最も臆病になる瞬間が、戦さにはある。この時がまさにそれであった。
経明も遂高もしかたはないと思った。二人は顔を見合わせて、うなずき合った。この上は出来るだけ損害少なく川を渡してやるよりほかはないと思った。水際《みずぎわ》に馬を立て、弓をかまえた。
藤太は太鼓を打たせ、諸隊を呼び集めて追撃にかからせようとしたが、二人の死を決した意気込みのすさまじさに、兵士等は射程内に近づかない。鬨の声を上げて威嚇《いかく》するだけであった。
「あっぱれな勇気。武者たるものの鑑《かがみ》とするに足る」
藤太は感激して称讃《しようさん》をおしまなかった。しかし、そのために攻撃をゆるめるようなことはしない。また太鼓を打たせた。すると、数隊の兵七八百騎が群をはなれて、エイヤ、エイヤと勇ましい掛声を上げながら、下流をおし渡りにかかった。貞盛にひきいられた隊であった。
周到をきわめた藤太の軍配の辛辣《しんらつ》さに、経明《つねあき》も遂高《かつたか》も狼狽した。もう防ぎ矢など射ておられない。退路を絶たれては、指揮者のない兵共は殲滅《せんめつ》されるに相違なかった。二人は互いに叫びかわしながら馬首をかえして、味方のあとを追いはじめた。
田原勢は得たりと水際に寄せて、散々に射立てた。しぶきをあげて水中に転落する者が相ついだ。経明と遂高の背にもいく本も矢が立ったが、鎧《よろい》がよくて裏かくまでには至らない。見事な騎乗ぶりで渡って行く。
藤太はまた太鼓を鳴らさせる。全軍ドッとおめいて、追撃にかかった。石井勢の狼狽は言語に絶した。混乱し、混乱し、おびえにおびえて、ただ逃げる。それを追いすがって、田原勢は追物射《おうものい》に射た。石井勢は死傷する者が相つぎ、ただ南へ南へと遁走《とんそう》しつづけた。
いのちからがら、五百の兵がわずか二百にうちなされた敗兵等は、やっとのことで中軍に逃げこんだ。
ことの意外に、玄茂《はるしげ》はおどろいた。新皇の先鋒将軍として向う所敵する者のなかった二人の隊がこうももろく負けようとは! 二人のことを聞くと、一番あとから来つつあったが、いつの間にか見えなくなったという。
「討死《うちじに》か……」
あんぜんたるものがあった。
どうしようと思った。味方は手持の兵に敗卒を加えてやっと四百五十しかない。勝ちほこった四千以上の勢に敵しないことは明らかだ。しかし、このまま退却しては、敵は一おしに宮の新皇を攻めつけるであろう。
「よしよし、所詮《しよせん》ささえおおせるものではないが、一刻《ひととき》(二時間)や一刻半は食いとめられよう。その間には、新皇の武略と威勢だ、何とか方法を講ぜられるであろう。おれは討死だ」
覚悟をきめ、急を報ずる使いを小次郎のところにおくっておいて、敗卒をくり入れて備えを立てていると、経明と遂高が来た。
二人は全身にはり鼠《ねずみ》のように矢を射立てられ、血だらけになっていた。部下の敗走をかばって、返し合わせ返し合わせ戦いつづけて来たことを語っていた。
二人は涙をこぼしながら、かわるがわることの次第を報告した。つぐないようもない失敗だ。いくら責めても責め足りるものではないが、今さらとなってはどうしようもない。玄茂はここで支えようとの計画を告げた。
「おさしずによって戦い、討死させていただきとうござる。われらはもう新皇様のお目通りに出ることのかなわぬ者となり下りました」
と経明が言うと、遂高も言った。
「敵をささえて男らしく戦い、男らしく死にとうござる」
「これが征東大将軍の忠文|卿《きよう》が相手なら死んでも不足はないが、田原の藤太ごときと戦って討死とは、まことに残念だ。しかし、こうなってはぜいたくを言うわけに行かん。見事に戦って死んでくれい。わしも討死を覚悟している」
と、玄茂は言った。
田原勢の来たのは、それから半時間ほどの後であった。日はもう暮れかけていた。勝ちほこって怒濤《どとう》の激する勢いで揉《も》み立てて来るであろうとばかり思っていたのに、五六町の距離まで迫ると、隊伍《たいご》をととのえ、とうとうと鳴りひびく太鼓の音と共に、整々と押して来るのだ。
蒼茫《そうぼう》たる暮色の中にどろろんどろろんとひびくにぶい太鼓の音を聞き、せかず急がず馬を進めて来る敵軍を見ていると、石井勢はなんとも言えず無気味なものを感じた。こんな戦さぶりにはこれまで逢《あ》ったことがない。しばらく矢戦さがあって次第に近づくや、ドッと馬をおどらせて馳突《ちとつ》して来るのが坂東の戦さぶりなのだ。
驚き、あきれ、とまどっていたが、やがて気を取りなおした。矢頃《やごろ》に入ったら射放とうと、それぞれに矢をつがえた。けれども、中々その矢頃に入って来ない。気が変になるくらいゆっくりとした動きをつづけている。
やがて太鼓の音が鉦の音にかわると、進行の方向がかわった。右へ右へと迂回《うかい》しはじめたのだ。
右にまわられては、馬上の弓は引きにくくなる。石井勢は敵の進行する方向へ馬首をめぐらさざるを得ない。しかも、まだ矢頃には遠い。じりじりと気がいら立って来た。何か変であった。
「いぶかしいぞ。何をたくらんでいるのか?……」
玄茂等は気を引きしめたが、もうおそかった。突如として背後に喊声《かんせい》が上り、雨のように矢が射そそがれて来た。いつの間にまわったか、敵の一部隊が忍びよっていたのであった。
同時に、前面の敵も馬首を向けなおして、突撃にかかった。矢を射放ちつつ、波濤《はとう》の寄せるように突進してくる。それと共に、背後の敵もまた突撃にかかった。
石井勢は目に見えない巨大な手で引っかきまわされるように乱れ立って、潰走《かいそう》にかかった。玄茂等が声をからして引きとめようとしたが、きくものでなかった。すっかり暗くなった野を、やみくもに蜘蛛《くも》の子を散らすように逃げて行く。その一人一人に五人も六人も追っ手がついて、狩場の獣を射るように射たおした。
黒い牝鶏《めんどり》
最初の報告がとどいた時、小次郎はまだ将頼《まさより》の執拗《しつよう》な議論になやまされていた。
「今はもう議論している時ではない。先鋒《せんぽう》隊と中軍とはすでに敵地に入っている。早く行かねば、万一のとき間に合わぬ」
といくら小次郎がしりぞけても、将頼は、
「何と仰《おお》せられても、これほど危《あぶな》い場に行かせ申すことは出来ません。みかどが軍をお進めにならない以上、先鋒共が勝手に戦さをはじめるはずはありません。彼等には急ぎお使いをつかわされて、早々に召しかえされるがよろしゅうござる」
と、言い張ってやまない。
あぐねはてている所に、敗報が来たのだ。
小次郎も将頼も色を失った。
「藤太ほどの武者に、経明や遂高ずれの分際で、左右《そう》なくかかって、どうして勝つことが出来よう。ああ、とりかえしのつかぬことをしてくれた……」
と、将頼はなげいた。小次郎は、何にも言わなかった。二人の過失よりも、二人を十分にいましめておかなかった自らの手落ちをなげいていた。
(勇余りあって智略《ちりやく》に乏しい性質であることは、十分にわかっていたことではなかったか。だのに、おれは特別な言葉をそえることをしなかった。おれの心中に、藤太にたいする恐れがあり、その恐れを彼等に知られたくなかったからだ。おれのくだらん見栄《みえ》のためだ。おれが悪いのだ。おれの過失なのだ……)
この陰気な反省はたまらなかった。いきなり、叫ぶように言った。
「さあ、打ち立とう! やがて敵は玄茂《はるしげ》が軍におし寄せる。玄茂に力をそえてやらねばならぬ」
行っても勝てる自信はなかった。しかし、こうなった以上、勝敗は問題でない。玄茂を見殺しにしては男が立たないのである。
将頼はきびしくはねつけた。
「もってのほかのおことばです。勝ちほこった大軍に一にぎりにも足りぬ兵を以《もつ》て駆け向おうなど、狂気の沙汰《さた》です。玄茂が小勢を以てささえ戦うと言いつかわしたのは、みかどに馳《は》せつけていただくためではありません。ささえ戦っている間に、後のはかりごとを立てていただくためであります。馳せつけたりなどなさっては、玄茂の志は無になります。玄茂の死は犬死になってしまいます。急ぎ陣ばらいして下総《しもうさ》にかえり、兵を募って備えをかためらるべきであります」
「おれは名がおしい。頼み切った郎党三人を死なして、おめおめと逃げたとあっては、人は皆笑おう。おれは世に顔向けの出来ぬことになる」
「勝敗は武門の常であります。次の合戦に勝てばよいのです。一時の退陣にこだわることはありません」
言いすてて、将頼は席を立ち、重立った郎党共を集めて、退陣をふれ出した。
夜半を過ぐる頃までに、結城《ゆうき》郡の岡崎(今の尾崎)まで退却した。ついこの前まで将頼があずかり、つづいて玄明《はるあき》があずかっていた砦《とりで》のある村だ。一先《ひとま》ずその砦に入って、今後の方針を相談した。
将頼はここから南一里数町の川口村に移ることをすすめた。
「味方の兵が多数集まるまで、戦いを避けねばなりません。それには川口が最も適当です。要害の地でありますから、敵は容易に踏みこんでは来られないはずです」
そうすることになって、すぐ出発した。下野《しもつけ》国府から宮まで五里、宮からここまで十二里、しめて十七里の道を早朝から騎乗して、一睡もしていないのだ。小次郎も兵等も疲れきっていたが、今の場合|猶予《ゆうよ》は出来なかった。
川口村は今の結城郡八千代村|水口《みのくち》である。石井《いわい》の北方四里、前に館《やかた》のあった豊田(今の向石下《むこういしげ》)の西北方三里の地点にある。今日では地勢がかわっているが、当時は西方半里のところにはずっと太古に毛野《けぬ》川の河床であったあとが、芦江津《あしえづ》、降間木《ふるまき》、広河《ひろかわ》の江などの湖沼となって、数珠《じゆず》をつらねたようにつづき、東方一里半には毛野川があり、その間の至るところに小さい沼やいく筋もの川があって、要害いたって堅固なところであった。
夜の白々と明ける頃につき、土地を見定めて陣を張った。兵数を点検すると、小次郎の兵二百五十騎、将頼の兵三百騎、合して五百五十騎しかない。
(心細い寡勢《かせい》ではあるが、武運がめでたければ勝てぬとはかぎらぬ)
寡兵をもって幾倍の敵を破り得た時のことを色々と思い出してみるのであった。
将頼は兄と相談して、兵員の徴募に行くことになり、自分の兵全部を小次郎に渡して石井に向った。
小次郎は厳重に哨兵《しようへい》を立てた上で兵士等に食事をとらせ、すむと眠るように命じた。
名ある郎党等も、名もない雑兵《ぞうひよう》等も、薄霜のおいた枯草の上に横になり、忽《たちま》ち大いびきで深い睡《ねむ》りに入った。間もなく日が出、上るにつれてうららかな日ざしとなって、兵士等の寝顔を照りつけたが、兵士等は目をさます様子はなかった。
その頃から敗兵等がぼつぼつと逃げかえって来はじめて、午《ひる》近くまでつづいたが、全部で五十騎とはなかった。
小次郎は最初の二三人に一通り合戦の様子を聞いた。
「異様な合戦ぶりでございます。あんな奇妙な合戦ぶりにはどうしてよいか、てまえ共にはまるで法がつきません」
どの兵士も口をそろえて言う。よほどにおどろいている様子であった。
(あの三人では、不覚を取ったはずだな)
と、思った。
その三人も、午を少しまわった頃にかえって来た。
不運な三人の敗将等は全身に負傷して、憔悴《しようすい》しきっていた。
「こうしてお目通りする面目はないのでございますが、武運つたなく死ぬことも出来ず、生き恥をさらしてこうして帰ってまいりました」
と、玄茂が代表して口をきいた。その玄茂も、二人も、泣いて平伏した。
「さっきから、段々兵士共の話を聞いた。その方共の手におえる相手ではなかったのだ。その方共だけの罪ではない。手をはなして先行させたのはおれのあやまちでもあった」
と、小次郎が言うと、三人はさらに涙にむせんだ。
気分をかえるために、小次郎はわざと快活に言った。
「つまりはおれの不運ということになるが、これから先を見ているがよい。おれは必ず勝ってみせるぞ。藤太は不思議な戦さぶりをするそうな。相手にとって不足はない。かれに神変を得た陣法があるなら、おれには万人にすぐれた勇力がある。必ず木ッ葉みじんにたたきやぶって、藤太をとりこにしてみせる。見ているがよいぞ」
からからと笑ってみせた。
三人もようやく明るい顔になった。
「てまえ共、こんどこそ御馬前に討死つかまつります」
小次郎はさらに明るく笑った。
「いやいや、死んでもらってはならぬ。いつまでも生きていて、おれと共に栄えてくれい」
三人を石井にかえすことにした。
「見る通りの地勢だ。藤太も急には乗りこめまい。合戦は数日先のことになる。石井にかえって傷養生かたがた、将頼や玄明に手伝って、兵を集めてくれるよう」
三人が出発して二時間ほどの後、未《ひつじ》の下《げ》刻(午後三時)頃であった。岡崎の村人が駆けつけて、下野の兵共が村に入って来たと告げた。
「大方三四千もござるべえか。結城道の方から、蟻《あり》の行列のようにウジャウジャと来ますだ」
小次郎は藤太の行動の神速さにおどろいた。相手をあまく見ていたことを後悔した。しかし、闘志はかえって燃え上った。
「将頼もおらず、玄茂等もおらず、おれが一人で当らねばならぬというは、藤太とギリギリの対決をさせようとの天の配慮に相違ない。力のかぎり戦うだけのこと!」
螺《かい》を吹き鳴らして兵共を集め、隊伍を整えた。
小次郎は沼や川の最も多いところを見定めて、そこに布陣した。
「藤太が戦法は多い兵力を利用しての集団戦法だ。足場のよい広闊《こうかつ》な場所なればこそ出来るが、ここへ引きずりこまれたら、そうは行くまい。四千の兵があっても、てんでんばらばらに分れるよりほかはない。おれはそれを一つずつ破って行こう」
と、工夫したからであった。
火雷天神の神旗をおしひらいて、陣所の中央におし立てた。午後になってそよぎ出したやや肌寒《はださむ》い北西の風にはためきひるがえる神旗を仰いで、兵士等は合掌した。敬虔《けいけん》なものと共に、かつての勝利の記憶がまざまざとよみがえって、一時に気力がみなぎって来た。
田原の藤太の兵が岡崎村へ攻めこんだ時、岡崎村は空虚になっていた。人がいないだけでなく、犬や鶏共までいなくなっていた。明るい日の照りわたっている春の午後だけに、まことに無気味な感じであった。
小次郎の行くえを知ろうにも、たずねる人がいない。
「石井にかえったのかも知れん」
と思いつつも、斥候《ものみ》を諸方にはなって探索していると、兵士等が一人の老婆《ろうば》を連れて来た。
色の黒い、かじかんだような顔をした小柄《こがら》な老婆であった。ものに驚いたようにまるい目と、少しまがって尖《とが》った鼻と、長い首をしていた。なんとなく牝鶏《めんどり》に似ていた。歩きぶりもそっくりであった。短い足を敏捷《びんしよう》に動かして歩くところ、卵をよく生む、たけのひくい黒い牝鶏が、庭にまかれた粟粒《あわつぶ》に走り寄って行く時のおもむきがあった。
「申し上げたいことがあるのだそうでございます」
と、連れて来た兵士等は言った。
藤太が目を向けると、老婆は暗誦《あんしよう》して来たことでもよみ上げるようにしゃべりはじめた。
「うらは子春丸の母でごぜえますだ。子春丸は新皇様のお館に奉公していましただが、新皇様のお怒りにふれて殺されましただ。手足を縛られ、水のたまった芹田《せりだ》に投げこまれ、去年の正月、溺《おぼ》れ死にさせられましただ。それで、うらには、新皇様は子のかたきですだ。うらは新皇様がうらめしいだ。いつかはかたきを討ってくれべしと、ずっとずっと思いつづけていましただ。それで、こうして来ましただ。どうぞや、下野《しもつけ》の殿様、新皇様を討ち取ってくんなさろ。うらが新皇様のいなさるところを教えて上げるべしでな」
一息にここまで言って、大きな息をつき、あふれる涙を拭《ふ》き、少しあおむいてつづけた。鶏が水をのむ時のような風情《ふぜい》があった。
「うらは新皇様が今おいでなさる所を、ようく知っとりますでな。新皇様は川口村にお出《い》でですぞな。ここから一里とほんの少ししかありましねえだ。うらが案内しますだ」
策謀の多い藤太は急には信じない。危険な場所にさそいこむ小次郎側の策略ではないかと疑った。
「川口村というのは、どちらの方角だ」
「川口村は、でござりますな……」
老婆は言いかけて、中止し、にやにやと愛想笑いをして、
「へえ、うらが案内しますだが、何ぞ賜わるべしや。せっかく教えて上ぐるのだで、ただちゅうことはなかるべしに。なあ、下野の殿様」
あっぱれ、子春丸の母だけのことはあった。
その時、貞盛《さだもり》が来た。何者です、と、藤太にきいた。
「小次郎が館に奉公していた子を小次郎に殺された怨《うら》みがある故《ゆえ》、小次郎が行くえを教えようと申しています」
老婆はおどろかされた鶏のようにけたたましく叫んだ。
「ウソではござりましねえだで。ほんとのことでござりますだで。なんぞ賜われば、うらが御案内しますだ」
貞盛は鎧《よろい》の引合わせから砂金包みをつかみ出して、老婆になげあたえておいて、藤太に言った。
「使い走りのやっこで、何丸とか申す者が、上総《かずさ》の叔父にすかされて内通したのが暴露して、小次郎に殺されたといううわさは、前から聞いております。いつわりはありますまい」
「ああ、こなたの殿様はようごぞんじでありますだ。何丸ではござりましねえ。子春丸ちゅいいますだ。むざんやな、新皇様に殺されてしまいましただ。よう出来た子でござりましたにのう……」
老婆は砂金包みをひしと抱きしめ、頬《ほお》ずりしながら、よよと泣いた。ちょうどそれが可愛《かわい》い子春丸であるかのように。
藤太は一の郎党を召して、老婆を案内者にして川口村の地理を見てくるように命じた。
「かしこまりました」
郎党は四五騎の兵をつれ、老婆を馬にのせて出かけたが、一時間くらいの後、帰って来た。感心しないといいたげな顔をしていた。
「まことに足場が悪うござりますだ。入って行くべえ口は二つござりますだが、いずれも大軍を一時に通すべえ口ではござりましねえ。もっとも、敵は至って小勢でござります。せいぜい六百とふみましただ」
「小次郎がいることは確かだな」
「へえ。火雷天神の旗が立っておりましたで、新皇様にちげえねえと思いますだ」
「新皇などと申すのではない。小次郎といえ」
「へえ」
目をぱちつかせている。腑《ふ》におちない風だが、説明するのもめんどうだ。
藤太は根ほり葉ほり地勢を聞きただした後、黙って考えこんだ。
そういう地勢のところであれば、各個撃破される恐れがある。小次郎としてはそこを狙《ねら》って選定したに相違ない。うかうか踏みこんでは、進んで術中におちいるようなものである。しかし、今討たなかったなら、日を追うて敵の人数はかさんで来ることは明らかだ。小次郎の勇武と用兵の精妙さで、二千の兵をつかましたら、とうていこちらの勝利はおぼつかない。
(今日だ! なんとしても今日中に討たなければならない!)
彼はなお工夫して、ついに一策を案じ出した。
(万全の策ではないが、この際としてはしかたがない。手をつかねて勢《せい》がかさむのを待つよりはよい)
貞盛と為憲《ためのり》を呼びにやった。
二人が来ると、事情を説明して、戦術を披露《ひろう》した。
「二つの入口のうち、西方のはせまく、東方のは広い由《よし》であります。お二人はその東方の口からお入り下さるよう。てまえは西方から入ります。到着に遅速があってはなりませんから、互いに螺《かい》を吹いて合図し合いながら入りたいと存ずる。合戦はてまえの手からはじめますが、ほどほどにあしらったら鉦《かね》を鳴らします。それを合図に左馬《さま》ノ允《じよう》の殿の手がお進み下さい。これもほどほどにして、鉦を合図に為憲|君《ぎみ》お進み下さい。次にはてまえの手をくり出します。こうしてかわるがわるに戦って、十分に敵が疲れた頃《ころ》に、てまえの陣中で太鼓を鳴らしますから、総がかりにかかって、とどめを刺しましょう。おわかりですな。それでは御出発下さい」
藤太の態度もことばも全然命令的だ。これは挙兵以来ずっとこうなので、為憲などは大いに不平で、聞き入れられもしないのにいつも不服をのべたてている。しかし、今日はちがう。昨日の胸のすくような快勝がある。何にも言えない。しぶい顔をしながら立上った。
しばらくの後、全軍行動をおこした。
岡崎の村を出はずれて、十二三町行ったところで、藤太の隊は右折し、貞盛等の隊はなおその道を進んだ。さらに五六町行って右折することになっている。
分岐点のあたりから沼がはじまって、ずっと南にのびている。ある時代には河床であったにちがいない狭長なこの沼は、報告によると、川口村に至って屈曲して東北方に向い、釣針《つりばり》の形になっているという。小次郎勢はその屈曲の内側に布陣しているというから、空いているのは北方だけだ。この方面からしか攻撃は出来ない。寡《か》を以て衆を引受けて戦うには最もよい地勢だ。
藤太の隊のたどっている道は、まばらな小松林に蔽《おお》われた台地の中に、沼の右岸をうねうねと曲りながらつづく。藤太はたえず斥候を放って周囲を確かめつつ、時々螺を吹き鳴らさせながら進んだ。この螺に応《こた》えるように、沼の対岸からも螺の音がおこった。大体遅速なく進んでいるようであった。
一時間ばかりの後、藤太の隊は沼の曲り目を迂回《うかい》して、釣針の尖端《せんたん》にあたる地点に達した。ほとんど同時に、貞盛と為憲の隊も到着した。いずれも布陣にかかる。
敵味方各陣の配置は、小次郎方は三方を沼にかこまれた袋の底に北面して位置し、袋の入口の東端に藤太の隊がひかえ、西端に為憲の隊、その中間に貞盛の隊が位置した。
勁烈《けいれつ》な螺のひびきで連絡をとりながら出現し、布陣しつつある北軍を見ながら、小次郎方はしずまり返っていた。突きならべた楯《たて》の内側に、かたわらに馬を立て、片手に弓をとり、片手に矢をにぎり、片膝《かたひざ》を立て、おちつきはらって敵陣を見ているのであった。彼等の陣形は自然の背水の陣になっている。一歩も退《ひ》けない。突進するよりほかはない。この立場と、小次郎にたいする信頼と、常勝の戦歴とが、この勇気を生んだのであった。
北軍の布陣はかなりひまどった。ほんの一にぎりにも足りない寡勢ながら自信にみちた敵勢の粛然たる姿を見、はためく火雷天神の旗を見た時、すさまじい殺気がかげろうのように立ちのぼっているかと感ぜられ、胸がゆらぎ、手足がふるえ、馬を下りたり、楯をつきならべたりするのがすらすらと行かないのであった。
この動揺を見て、小次郎は、
「今突撃に出れば、必ず破り得る」
と、感じた。
命令を下そうとして、側《そば》にいる郎党をふりかえった。同じことを郎党も感じていたらしい。サッと緊張した色を見せた。しかし、とたんに小次郎は首を振って、目をそらした。
(藤太よ。おれは陣のととのわないのを討ったと言われたくない。正面切って対決するぞ)
と、胸の底で呼びかけていた。
北軍の布陣がおわったのは、もう申《さる》ノ刻(午後四時)に近かった。両陣の間をへだてている戦野は約四町、多少の起伏はあるが、ほぼ平坦《へいたん》、末枯《すが》れた薄《すすき》がまばらに蔽い、ところどころに灌木《かんぼく》のしげみと背の低いやせた小松が散らばっている。斜めな夕陽《ゆうひ》が薄赤く染めていた。
北西の微風があったのが、その頃から落ちて、一望の戦野はシンと静まって、耳鳴りするほどの緊迫感がこめていた。
小次郎は陣頭に馬を乗り出した。いつもの烏黒《からすぐろ》の駿足《しゆんそく》に、黒革|縅《おどし》の鎧《よろい》を着、冑《かぶと》はわざとかぶらず、十三|束《ぞく》三ツ伏せの大矢を二十四本さした|えびら《ヽヽヽ》を林のように負うていた。郎党三騎が従った。一人は小次郎の弓を持ち、一人は小次郎の大身《おおみ》の手鉾《てぼこ》を持ち、一人は黄金《きん》の鍬《くわ》がたを打った冑をささげていた。
「田原の藤太、太郎貞盛、藤原ノ為憲、陣頭にまかり出よ」
と、小次郎は呼ばわった。さして力をこめての声ではなかったが、楽々ととどいた。
三人はそれぞれに陣頭に馬を乗り出した。
「藤太にはあとで言う。先《ま》ず太郎と為憲に言う。その方共の手並はすでにためし済みだ。一ひねりにもあたらぬ奴《やつ》ばらだが、今日はしっかりと働いて、いつものきたない逃げかくれをするでないぞ」
軽蔑《けいべつ》しきった言い方であった。
為憲は腹を立てて、何か言おうとして手を上げたが、小次郎はかまわず藤太に呼びかけた。
「田原の藤太、その方が名簿《みようぶ》をさし出して、おれが家人《けにん》となり、石井の館《やかた》に伺候してから、まだ一月とはたっておらぬに、あざといことをはじめたな。しかし、それは問うまい。おれとその方とははじめて戦さするわけだが、その方の武名は聞くこと久しい。常平太や為憲がようなことはあるまい。今日の戦さを楽しみにしているぞ。そのつもりで、力かぎり来い、おれも力かぎり戦う」
誠実で素朴《そぼく》なこの口上に、藤太は好意を持った。彼は大義名分の上から小次郎を大逆無道と責め立て、自分が小次郎の家人になったのは、この逆賊をたおすべき隙《すき》をうかがうための一時の権謀であったと弁明する心組みであったのだが、そんなことを言う気がしなくなった。
「拙者も楽しみにしている……」
と、答えかけた。しかし、ここまで言って、また考えなおした。
(ここで大義名分を論じ、小次郎に臣従したことの弁明をしておかないと、後の朝廷における論功行賞の際不利だ)
にわかに態度をかえ、声も荒らかに国ぶりを論じ、小次郎の大逆を責め、
「この無道人に、田原の藤太ともある者が、何で心から従おう。時節の到来を待って、おのれをたおすために隙をうかがっていたのだ。それが見抜けなんだは、おのれの知恵の浅さ、天運の尽きる所と知れい。今こそ時節到来した。天定まって悪|亡《ほろ》ぶの時だ。いざ来い!」
と、口ぎたなくののしった。
小次郎はカッと激した。
「おのれは礼に報ゆる礼も知らぬ、ひたすらなるやっこ武者よな。やがて目にもの見せてくれる!」
冑を受取ってかぶり、弓を受取ってつがえた。雁股《かりまた》の鏃《やじり》を打った上差しのかぶら矢。
十分に引きしぼって切って放ったかぶら矢は、三つの目穴に風をはらんで、強く重々しい響きをひろげて広い野をわたり、三段にかまえた藤太の陣の陣頭におし立てた旗の蝉皮《せみかわ》をふッつと射切った。長い白い旗はひらめきながら風に流れて、陣前に落ちた。
四町もの距離を射通すさえ稀代《きたい》の弓勢《ゆんぜい》であるのに、あやまたず的《まと》をつらぬいたのだ。藤太の兵ばかりでなく、貞盛の勢も為憲の勢も、「あッ」と声を上げ、肝をひやした。恐怖はひしめきとなって、各隊を動揺させた。
小次郎はこれを見のがさなかった。さしつめ、引きつめ射て、藤太の供に立っている兵四人をたおした。わざと藤太は狙《ねら》わなかった。これは接戦になってから打物《うちもの》で勝負を決しようと心組んでいた。
兵士等は益々《ますます》おびえて、立てならべた楯の中に居すくんだ。兵士等だけでなく、藤太もまた舌を巻いていた。もし小次郎がこの特別な地勢の場所に布陣しているのでなかったら、彼は接戦を避けて矢戦さだけであしらう戦法を取ったに相違ないのだが、これほどの弓勢を持っているのであれば、矢戦さで損害を受けるのはこちらの方だけであったはずだ。
「よくこそ戦法をかえた」
運の好さを感じるにつけても、そびらの濡《ぬ》れて来るような恐怖があった。
小次郎の方は、普通ならなお矢戦さをつづけて、敵の損害を大きくしてから突撃に出るべきであるが、日の暮れるまでにもう二時間とはない。急がなければならなかった。弓を小脇《こわき》にかいこみ、片手をあげてふった。突撃の合図であった。兵士等はちゅうちょなく立って、立てならべた楯をたおし、馬にまたがった。
「それッ!」
叫んで、小次郎が馬をおどらせると、喊声《かんせい》を上げてつづいた。
矢を射放ちつつ飛ぶ速さで殺到して来る小次郎勢に、藤太の陣は一層色めいた。
藤太は太鼓を鳴らさせた。
ドーン、ドーン、ドーン、
と、大きく三段に切って、ゆっくりと鳴らさせた。
言いふくめられていた合図だ。この合図の下に戦って快勝した昨日の記憶はまだあざやかだ。兵士等の動揺はぴたりとしずまった。
ドロロン、ドロロン、ドロロン、ドロロン……
太鼓の響きはかわって、急調子にきざむ。
兵士等は馬に打ちのった。
「それッ」
藤太は刀を抜き放ち、先頭を切って飛び出した。一陣にかまえていた千人が、ドッとわめいてつづいた。
両軍は野の中ほどで激突し、激突するや入り乱れ、しばらくの間は引っかきまわされる水のようにはげしく旋回した。彼等の踏んでいる大地は、幾万年の間くりかえされてやまない氾濫《はんらん》と洪水《こうずい》によって厚く堆積《たいせき》した砂礫《されき》によって出来ている。忽《たちま》ち濃い煙のような砂塵《さじん》が舞い立ち、その砂塵の厚い幕の中で、両軍は死力をつくして斬《き》り結んだ。
小次郎は弓を従者《ずさ》にわたし、かわりに受取った大身の手鉾を軽々と打ちふって、前にふさがる者を突きおとし、はらい落しつつ、藤太をもとめて駆けまわっていた。
「出合え、藤太! 石井《いわい》の小次郎が勝つか、田原の藤太が勝つか、快く戦おうぞ! 出合え、藤太!……」
あらんかぎりの声をふりしぼって、くりかえし叫びつつ、小次郎は馬を乗りまわしたが、藤太はいつもその声から遠いところにいるようにつとめた。彼の左右にはすぐって究竟《くつきよう》な兵十騎がいて、駆けるも退《ひ》くも主人と気を合わせて、目ぼしい敵と見ると、総がかりで討ち取った。
雑兵《ぞうひよう》ならば知らぬこと、郎党以上の者の戦いには一騎打ちが作法となっている時代だ。十騎に取りこめられて討たれる相手は、
「卑怯《ひきよう》! 恥を知れ! 戦さの作法を知らぬか!」
と、怒り猛《たけ》ってののしったが、藤太はまるでひるまない。
「逆賊を打つに、人なみな作法がいるものか!」
と罵倒《ばとう》しながら、切ッ先をそろえて、容赦なく討ち取った。
注意深い藤太にしては不覚なことであった。ふと気がつくと、いつか藤太等は小次郎のつい五六間横手に出ていた。
藤太は驚きながらも、さりげなく馬首をめぐらしてわきへ反《そ》れようとしたが、早くも小次郎は見つけた。馬をおどらせて一とびに近づいて来る。
「藤太め! ここにいたか!」
白泡食《しらあわは》んだ漆黒《しつこく》の駻馬《かんば》の尾髪《おがみ》が宙に乱れ、高く上った前脚がサッと下りたと思うと、小次郎は目の前に迫った。たずねる敵にめぐり合って、小次郎の顔は喜悦と殺気にもえている。
「勝負!」
叫ぶや、右手にふりかざしたはばひろく長い身《み》の手鉾が、目にもとまらぬ速さで突き出された。藤太は馬をおどらせて避けつつ、片手なぐりに斬りかえした。小次郎の鉾ははずされ、藤太の刀の切ッ先はとどかなかった。
藤太は小次郎との一騎打ちを好まない。はずして逃げようと思った。そろそろ交代の時でもあると思った。しかし、小次郎の攻撃が急で、そのすきがない。馬を馳《は》せちがえ馳せちがえつつ攻撃し合った。互いにおとらぬ手練と勇力だ。勝負は決しがたく見えた。
藤太の左右に引きそっていた兵士等も、主人に力を合わせるすきがない。火の出るようなこの攻防のまわりを、馬を乗りまわし乗りまわしているだけであった。
いくどめかの馳せちがいに、藤太はわずかなすきを得て、逃げにかかった。
「きたなし! 返せ!」
雷喝《らいかつ》して、小次郎は追うた。
その藤太と小次郎の間に、十騎が馬を乗り入れた。
「推参なり、下郎共! 邪魔ひろぐな!」
小次郎の手鉾は電光のように動いて、相手方の武器をはらい飛ばし、忽ち四騎の胸板をつらぬいて、まっさかさまに落馬させた。
しかし、この間に、藤太は十間ほども逃げのびていた。
「無念!」
小次郎は手鉾を引きそばめてなげ打った。
手鉾は流星のように飛んで藤太にせまったが、とたんに藤太が馬をおどらせたので、その右腰部をかすめて、大地に突きささった。
太鼓の音が鳴りひびき、貞盛の隊が進み出て来た。
貞盛の手並のほどは知りぬいている。ひとり前の面《つら》していどみかかって来るのを見て、小次郎は腹を立てた。
「小癪《こしやく》な!」
馬首を向けなおし、まっしぐらに斬って入った。雷電のはためく勢いであった。貞盛勢は忽ち四分五裂となる。
「出合え、太郎! 男は名こそおしけれ! 今日こそ男らしく戦えい!」
小次郎は絶叫しながら、貞盛をもとめて馳せまわった。
しかし、貞盛もまた藤太と同じく、左右に心きいた郎党共を立て、それに掩護《えんご》されながら駆け退《ひ》きして、決して小次郎に近づかない。
「卑怯な! 坂東武者の面よごしめ!」
小次郎は歯ぎしりして、あくまでも追いもとめたが、やがてまた太鼓の音が鳴りひびくと、貞盛勢は退いて、為憲勢が出て来た。
こうして、小次郎勢はたえず敵の新手《あらて》と戦わなければならなかったが、個々の戦闘には決して敗れなかった。十分に敵を圧迫していた。しかし、衆寡の勢いはどうすることも出来ない。戦闘をくりかえしている間に、しだいに兵数が減って、三百騎に足りなくなった。兵士等の疲労もまたかさなる。絶望の色が濃く蔽うた。
けれども、こうなっても、兵士等の勇気は少しもたゆむ様子はない。小次郎の命令のままに戦って、一歩も退かない。
(あっぱれ、おれが手塩にかけた者共だ!)
涙のこぼれるほど、小次郎はうれしく思ったが、この調子で戦闘をつづければ、全滅は明らかであった。
(今日こそおれの運命のきわまる所かも知れない)
不吉な思いが、ともすれば胸に暗い陰をおとすが、その度に小次郎は猛然としてはねかえした。
(何を! もう千騎あれば、立派に勝てるのだ。ここを斬りぬけることが出来さえすればよいのだ。おれが勝つにきまっているのだ!)
おりしも、日が没した。
小次郎の決心は急についた。暗くなるのを待って、一方を斬り破って落ちよう!
馬を乗りめぐらして兵を引きまとめ、じりじりと陣地につぼまった。
この意図を知って、藤太は総攻撃の合図の太鼓を打ち鳴らしたが、兵士等は死物狂いの反撃をおそれて、言うことを聞かなかった。矢頃《やごろ》を離れたところで立ちどまって、鬨《とき》の声を上げているだけであった。
「かまうな! いくらでもおらばせておけい。楯を立てめぐらして、ただかがまりおれい!」
小次郎は鬨も合わさせず、楯の内側にこもらせて、兵士等をねぎらった。
「わずかに六百の兵で、あのおびただしい敵に駆け合わせて、いささかも負け色を見せずに戦ったとは、前代|未聞《みもん》のはたらきであった。あっぱれであったぞ。さすがはおれが手飼いの者共だ。ほめてつかわすぞ」
胸壁のように立てめぐらした楯の内側にこもったままひっそりとしずまっている小次郎勢の意図が、藤太にはよくわかる。日がくれてはここまで追いこんだ獲物《えもの》をとりにがすおそれ十分だ。遮二無二《しやにむに》攻めつけるよりほかはないと思って、しきりに太鼓を打ち鳴らして総攻撃に出るようにさしずしたが、兵士等が動かない。小次郎の弓勢の凄《すさ》まじさとその兵士等の手並を、今の今まで満喫させられた兵士等は、射程内に踏みこもうとしないのだ。足ぶみしながら、ワアワアと喊声《かんせい》を上げているだけであった。
藤太は次善の策を取らざるを得ない。自ら馬を乗りめぐらして、貞盛の陣と自分の陣との間を大きくあけさせた。こうすれば敵はここを突破口として突進して来るに相違ないから、突進して来たらおしつつんで殲滅《せんめつ》しようと考えたのであった。
けれども、小次郎勢は動く様子がない。ずらりと楯《たて》がならんでいるだけで、その内側は無人かと思われるほどしずまりかえっている。
空一面を焼いていた夕映えの色は次第に消えて、今は澄み切った水色となり、地上のさまざまなものの陰から暮色がひろがりはじめている。それでも、楯の内側はひしとおししずまっている。藤太はあせり、また疑惑した。
(ひょっとすると、敵には援軍が来る手はずになっているのではなかろうか。だからこそ、こんなに落ちつきはらっているのではなかろうか)
であるとすれば、ゆゆしいことであった。この狭く険悪な地勢の土地で、前後に敵を引受けることになる。
疑い出せば、きりはない。てっきりそうにちがいないと思った。
大急ぎで陣形をかえにかかった。彼自身の隊から二隊をわかって、はるかに後退させて、沼の針先のあたりに、背後からの攻撃にそなえさせた。
これらの間に、あたりは急速に暗くなった。空の水色は暗青色とかわり、まばらに星がきらめき、地上には蒼茫《そうぼう》たる暮色がこめて来た。
ずっと目をはなさず敵陣をうかがっていた小次郎は、機会到来と見て、全員に支度を命じて、
「ここを斬りぬけねばならん。おれが真ッ先に立つ故《ゆえ》、万事おれにならえ。そうすれば、必ず斬りぬけることが出来る。勝手なことをする者は助からんぞ。よいか」
と言い、火雷天神の旗をおろして、腰に巻きおさめた。
数分の後、小次郎は騎乗し、喊声と共に斬って出た。小次郎を楔子《くさび》の尖端《せんたん》として、無二無三に為憲の陣に斬って入った。ここが一番弱いと見て取ったのであった。
面《おもて》を向くべきようもない凄烈《せいれつ》果敢な斬りこみに、為憲勢は一ささえもせず、パッと散った。
逃げる者は逐《お》わない。前へ前へと、暮色の中を疾駆する。
予期はしていたことながら、藤太の隊も貞盛の隊も狼狽《ろうばい》した。それでも、さえぎりとめようとしたが、ただ一あてだ。非常な速さで走っている鉄車に触れるようであった。接触したかと思うと、水の散るように蹴散《けち》らされた。
勝風負風
どうやら囲みを突破し得た小次郎勢は、その夜のうちに石井に帰りついたが、兵数は更に減じてもう百五十とはのこっていなかった。
石井には玄明《はるあき》がいるだけで、他の幹部級の者はいなかった。兵員の徴募のためにそれぞれ出かけているのであった。
下野《しもつけ》での先鋒《せんぽう》隊の敗戦はすでに石井には聞こえていたが、肝心の小次郎まで敗れて帰って来たので、人々は色を失った。
その混乱を取りしずめる一方、善後策を講ずる。
ともかくも、大急ぎで兵をかき集める必要があったが、その間に敵の襲撃して来る危険がある。取りあえず、女子供を避難させなければならない。
「勝敗は武門の常だ。一時の敗は案ずることはない。百戦百敗しても最後に勝ちさえすればよいのだ。なあに、しばらくのことだ。心配せんでくれるよう」
と、小次郎は良子に言った。
「心配など、少しもしていません。御武勇と御武運のほどをかたく信じ上げています」
心すずしく良子は答えた。本心であった。これまでだって、こんなことはあった。豊田の館《やかた》を落ちたばかりでなく敵にとりこにまでなったことがあるのだが、ほどなく運命が好転して、前に数倍する栄えとなったのだ。だから、少しも心配はしなかった。彼女は命令を下して、手際《てぎわ》よく立ちのきの準備を進めた。
しかし、何といっても火急のことだ。数多い婢女《はしため》等の中には泣きわめいたり、興奮してさわぎ立てたりするものがあり、混乱は一通りでなかった。
避難の場所は、舟によって鵠戸《くぐいど》沼から毛野《けぬ》川の本流に浮かび、岸べの葦原《あしわら》の中ときまった。どうやら皆出発した。夜のほのぼのと明ける頃であった。
小次郎はなお石井の館にとどまって、兵の集まるのを待ったが、おそろしく集まりが悪い。三日たっても、百五十くらいしか集まらない。川口村の重囲を突破して帰って来たものを合して、やっと三百だ。
「こうまで人の心は軽薄なものでございましょうか。重なるお味方の御悲運に、頼み切った者共まで何かと逃げ口上ばかり申して、お召しに応じようとしないのでございます」
募兵のために駆けまわっている郎党等はもとよりのこと、世の中も人間も舐《な》めきっている玄明まで、悲憤の涙をこぼして報告する。
これはこれまでの敗戦にはなかったことだ。これまでは一旦《いつたん》の敗戦はあっても、領民等は奮って戦わんことを希望して、徴兵すればいくらでも馳《は》せ参じて来たのだ。
(どうしたわけか)
胸の寒くなるような気持があった。
けれども、こうなると、小次郎の闘志はかえって奮い立った。
「大丈夫、大丈夫。やがて集まって来る。気を落すな」
と、郎党等をなぐさめはげました。
わずかに心を明るくするのは、敵方でも募兵にこまっているということだ。細作《しのび》共の持って来た報告によれば、敵は数度の合戦に勝利を得はしたものの、受けた損害もまた少なくなく、四千数百の兵が三千に減じているので、ひたすらに兵員の補充につとめているが、小次郎の武勇を恐れて思うように兵が集まらないという。
どちらが早く兵を集め得るかできまる勝敗といってよかった。
「天運がまだおれにある証拠だぞ。気を屈せずつとめい。二千人とは言わぬ。千人あればおれは必ず勝ってみせる。ここで勝ちさえすれば、あとはいくらでも集まるのだ」
と、小次郎は人々を督励したが、集まりは依然としてはかばかしくない。
石井にとどまっていることは危険だと思われたので、三百の兵をひきいて石井を去り、広河の江の岸の葦間《あしま》に潜伏することにした。以前に敗戦した時女子供を潜伏させた場所だ。あの時はせっかく周到な用意の下に潜伏させたにかかわらず、敵に誘《おび》き出されて捕虜になって、不吉な先例になっているが、この沼べの葦原の広大さと、その中に網の目のように縦横に通じている水路のために、これ以上の究竟《くつきよう》なかくれ場所はないと思われたのであった。
ここにこもること七八日、募兵の成績は依然としてよくない。五人、十人、十五人、と送っては来るが、それもきわめてまれだ。
焦慮し、懊悩《おうのう》した。
(せめて千騎。千騎ほしい。千騎あれば必ず勝って見せられるに!)
口に出して言えば、愚痴になって、兵士等の士気を殺《そ》ぐ。ひとり胸のうちにくりかえしていた。
二月十三日、敵が行動をおこして境《さかい》に進入して来たとの報がとどいた。兵数およそ四千に達しているという。
境は今の猿島《さしま》郡境町だ。利根《とね》川をへだてて関宿《せきやど》にむかい合った地点。石井の北方三里。
「そうか。ついに来たか。なあに、四千あろうと、五千あろうと、やつらが手並はおれには十分にわかっている。手詰めの戦いにたえるやつらではない。見ているがよい。木ッ葉|微塵《みじん》にたたき破って見せるぞ」
小次郎は壮語してみせたが、心中の不安はどうしようもない。何よりも同じ日数の間に味方がわずか二百五十集め得たにすぎないのに、敵が千人も集め得たという事実が胸につかえる。
(つい一月前まで、それは反対だったのだ。おれが一|呼《こ》すれば八千の兵が先を争って集まって来た。藤太とて、名簿《みようぶ》をさし出して、家人にしてくれと膝《ひざ》をおって来たのだ。いつどこでこんなに食いちがったろう?……)
春とは言え、まだ葦は去年のままの枯葦だ。風が吹けばうら枯れた音を蕭々《しようしよう》と立てる。たえられないほどのわびしさであった。
昼頃になると、西の空にすさまじい煙のあがるのが見えた。真黒なおどろおどろしい煙だ。敵が猿島郡内に侵入して来て、部落部落の民家を焼き立てているのだと思われた。
放火は合戦にはつきもののことだが、皆悲憤の思いにくれて、春の午後のうららかな空を濁して渦巻《うずま》き上る煙を見つめていた。
ほどなく報告がとどいた。
(敵は石井を目ざして進み、途次の民家はいうまでもなく、経営半ばの皇居にも火をかけた、やがて石井に入れば、館をも焼き立てるであろう)
という。
「お互いさまのことだ。この次にはこちらが田原に攻めつけて焼き立てるだけのことだ」
小次郎はわざとこともなげに言った。
やがて日が暮れた。
その頃、石井の方角に火の手があがった。これまでにない大きな火の手であった。館に火をつけたに相違なかった。
十三夜の月の明るい夜であった。渦巻く黒煙はその明るい夜空に、もくりもくりと無気味な姿をのび上らせ、方々から舌のようにとがった赤い焔《ほのお》をちらつかせていたが、一きわ大きく揺れたかと思うと、空一ぱいに火花を散らした。巨大な刷毛《はけ》に朱金の絵の具をたっぷりとつけて、力一ぱいに刷き立てたようであった。
火花のきらめきがおさまると、煙は消えて、巨大な焔だけが焔々《えんえん》と燃えつづけた。その焔の光と月の光とで、あたりは真昼のように明るくなった。この焔をめがけて、広野の方々に散らばっている沼の岸べの葦の間から、森の蔭《かげ》から、草原の藪《やぶ》かげから、さまざまな種類の鳥共が飛び立って行った。
朱金の色に灼《や》けた夜空をバックにして乱れ飛ぶ鳥共は、風にあおり上げられた黒い紙ぎれの群のように見えた。歓喜の声であろうか、狂気の叫びであろうか、しきりに啼《な》き立てる。まがまがしい声であった。興奮のあまり、まっさかさまに焔の中に飛びこんで行くものもあった。
苫《とま》を上げさせた胴の間に腰をすえて、小次郎は凝視していた。
「おろかな鳥共め!」
腹立たしげにつぶやいたが、本当はそれは自分自身にむかって言ったのであった。
焔に向って飛びこんで行く鳥と同じ心が彼のうちにあった。ともすれば利害の計算を忘れて攻めかかって行きたい気持が、胸の底にのたうっている。
火は夜なかまで燃えつづけておさまった。
濁った空が次第に澄んで来て、月の光が冴《さ》えて来る頃まで、小次郎は坐《すわ》りつづけ、やがて寝についた。
長い間眠れなかった。
今さらのように、自分が最も危険な場に立っていることが感ぜられた。こうして兵の集まって来るのを待っているが、敵があのように郡内をあらしまわっているとすれば、このかくれがもすぐ発見されるにちがいない。坂東帝王とまでなった小次郎|将門《まさかど》が葦の間にいすくんでいるところを捕えられたとあっては、末代までの名のけがれだと思うのであった。
(今はもう大事を取っている時ではない。出て花々しく戦う以外には途《みち》はない)
と、決心した。
決心がつくと、気持はからりと明るくなった。
(とんとん拍子の利運つづきで、みかどになったりなどしたので、いつの間にかおれは魂が惰弱になり、真実の強さを失ったらしいぞ。おれの手許《てもと》には、四百騎の兵がいるではないか。おれが良兼《よしかね》伯父の夜討ちを撃退した時には、わずかに手許に十騎しかいなかった。また、良兼伯父、良正《よしまさ》叔父、貞盛《さだもり》等の二千数百騎を結城《ゆうき》近くでたたき破って下野の府中まで攻めつけて行った時は、わずかに二百騎の兵しかいなかった。今敵の数は四千騎だという。味方四百なら、その割合はその時と同じではないか。だのに、何となく心にひるみを覚えるのは、とんとん拍子の運の好《よ》さになれて、おれの根性が惰弱になっているためだ。以前の小次郎将門にかえりさえすれば、なんの恐れるところがあろう!)
また、こうも考えた。
(おれは田原の藤太にたいして、何とない恐れを抱いているが、この前の合戦でみれば、さしたる武者でないではないか。太郎や為憲《ためのり》にくらべてはずいぶん歯ごたえがあるが、それでもおれの予想よりははるかに弱かった。やつの陣法もほぼわかった。やつの得意とする集団戦法を用うるひまのないように、たとえば錐《きり》をもみ立てるようにはげしく攻め立てて行けば、きわめてたやすくたたき破ることが出来るはずだ)
凜々《りんりん》とした勇気が手足の末までみなぎって来た。
はね起きて、苫《とま》をはらって立上った。
はるかに西に傾いた月が、風の死んだ葦原を照らしていた。
そこの葦間、かしこの葦間に、兵共をのせた舟がつながれている。皆よく寝入って、ひっそりと寝しずまっていた。月の傾き工合を見ると、夜明けにはまだ一|刻《とき》(二時間)くらいはあるようだ。
(もう少し寝せておこう)
小次郎は、月の光に濡《ぬ》れて坐ったまま時の経《た》つのを待ったが、彼の内部に刻々に昂揚《こうよう》して来るものがあった。
火勢が増大して来るように精神が燃え立ち、潮がさして来るように気力が身うちにみなぎって来るのだ。かつてのはなばなしい勝利の記憶がまざまざと胸によみがえって来る。
(これは勝利の予感だ。こんな気持のする時、おれはいつも勝った。そうだ、いつも勝った!)
歓喜に似たものが胸を波立たせた。
彼は自らが無限に偉大なものとなって行くように感じた。無限の力が自分のうちにあり、藤太が卑小あわれむべきもののように感ぜられて来た。
雲を抽《ぬ》く高みにあって、はるかな下界に虫けらのように蠢《うご》めいているものに呼びかける気持で、声に出して言った。
「藤太よ! しっかり来い!」
ざわざわと葦原が鳴って、つめたい風が顔を吹いた。月を仰ぐと、さらに西に傾いている。ふりかえって東の空を見た。まだ暗い。しかし、夜明けには間がないと思われた。
小次郎は郎党を呼びおこした。
「誰かある、誰かある」
同じ舟に寝ていた郎党が起き上った。
「は、唯今《ただいま》」
と言って、口をすすぐために舟べりから手をさしのべて水をすくいにかかった。
「急ぐ。そのままでよい」
「は」
小次郎の前に来てひざまずいた。
「今日は敵と合戦する。皆をおこして、この旨《むね》を伝えて、陸《おか》に上げい」
ねむげに見えていた郎党の顔が一時に引きしまった。
「大方、合戦は午後のことになろうが、さしせまってでは色々と手落ちもあろう。今から支度にかかって、早目に戦場となるべき場所に行きたい」
「かしこまりました」
郎党は同じ舟にいる朋輩《ほうばい》等をおこして耳打ちした。皆、緊張して起き上った。
数分の後、葦間の水路の各所にもやっていた舟共は一斉《いつせい》に目をさまして、それぞれの水路をたどって陸に近づいた。この頃《ころ》から、東の空が白んで来た。
総勢陸に上って、葦原にかくしておいた馬を引出す頃には益々《ますます》明るくなった。食事をおわり、二食分の糧食をたずさえさせ、馬にも十分に飼糧《かいば》をあたえさせた後、小次郎は兵士等を一カ所に集めて、訓示した。
「重なる敗戦のためであろう。汝《わい》らも見る通り、兵の集まりがまことに悪い。このままここに居すくんでいては、やがては敵にさがし出され、狩り立てられよう。それではこれまでの武名のけがれとなり、末代まで臆病《おくびよう》未練の汚名をまぬかれぬこと必定だ。おれは思い切って出て、有無《うむ》の一戦を遂げようと思う。細作《しのび》共の報《しら》せでは、敵は四千あるという。味方は四百しかない。十が一の寡勢《かせい》だ。難儀な戦さとなるであろう。じゃによって、もし汝らのうち、今日の戦さに気が進まぬ者があるなら、|しんしゃく《ヽヽヽヽヽ》はいらぬ。立去ってくれてよい。おれと共に死ぬ覚悟の者だけとどまってくれ」
小次郎は口べただ。要点だけをきわめて素朴《そぼく》に言った。しかし、今の場合、それがかえって効果的であった。思いこんだ小次郎の心は、人々の胸にしみとおった。
一人として心を動揺させる者はないようであった。きびしい目をみはって、小次郎を見つめている。
小次郎はことばを重ねた。
「汝《わい》らには妻《め》もあれば子もある者が多い。ちっとも遠慮はいらぬ。おれは少しもうらみとは思わんぞ」
しかし、動く者はなかった。
兵士等を見まわしているうちに、小次郎の胸はふと揺れた。熱いものがのどにこみ上げて来た。彼はそれをのみこみながら胸をしずめて、にこりと笑った。
「皆おれと死んでくれるのだな。礼を言うぞ」
と、頭を下げた。
小次郎はさらにつづけた。
「おれは今、今日の戦いは難儀な戦いになるであろうと言ったが、それは負けるという意味ではない。寡勢を以《もつ》て大敵を打ち破ったことは、これまでいくどもあるおれらだ。結城の近くで戦った時は、わずかに二百の勢を以て二千数百の敵を破っている。館にありあうわずかに十騎を以て敵の夜討ちを撃退したこともある。常陸《ひたち》で戦った時には味方は千しかなかったのに、敵の六千という大軍を木ッ葉微塵にたたき破った。汝らの大方はこれらの合戦に出ている。おれが言うまでもなく、よう知っていることじゃ。これらの時のつもりで戦えば必ず勝てると、おれは信じて疑わんのだ。気張ってくれい」
これもまた素朴な言いぶりであったが、たしかにその通りであったことを皆知っている。悲壮ではあるが陰鬱《いんうつ》なものに蔽《おお》われていた人々の心に明るさがさして来、勇気が湧《わ》いて来た。
一人がさけんだ。
「わしらは坂東の武者でござるだ。合戦の場にのぞんでは、一足も退《ひ》きましねえど!」
忽《たちま》ち方々で和した。
「そうじゃて! 坂東の武者じゃて。敵が多いとて、ひるむようなきたない心はありましねえ!」
「敵が強ければ強いほど、勇気も増しますだ!」
「気張り甲斐《がい》がありますわい!」
また叫ぶ者がある。
「わしらは新皇様の兵ですだ! 敵は謀叛人《むほんにん》でありますだ!」
和する声がつづく。
「そうじゃ、そうじゃ! 敵の大将軍の田原の藤太は新皇様の御家人になっていたのじゃ!」
「謀叛人が主《しゆう》に勝つことはねえだよ。道にはずれたことをして、なにいいことがあらんず」
「わしらは新皇様のために、よろこんで死にますだ!」
夜はもう完全に明けはなれていたが、日はまだ射《さ》さない。もう出ているはずだが、東の空に雲がこめてそれにかくされていた。その雲が真赤な色に染められている。無気味なその朝焼は今日の天気が途中でかわるであろうことを示していたが、誰もそれを考える余裕はなかった。おりから、雲が破れて、真赤な朝日がさし、見えるかぎりのものを血のような色に染めた。葦原も赤ければ、人も赤く、馬も赤く、大地も赤い。毒々しいほどの色は禍々《まがまが》しくさえあったが、人々の意気はかえって昂揚《こうよう》した。
「吉兆じゃ、吉兆じゃ」
という叫びがどことなく湧きおこって、全軍にひろがった。
小次郎は立ちながら戦書をしたためて、一の郎党を呼んで、これを敵に持って行け、敵は石井《いわい》近くにいるであろう、といって渡してから、また兵士等に言った。
「戦場は北山。しっかりと働いてくれい。いざ、打ち立とう」
火雷天神の旗を陣頭におし立て、螺《かい》を吹き鳴らしながら出発した。
北山は当時|島広山《しまびろやま》とも言ったが、現在では共に地名が失われている。今の岩井町の東南方半里の出島のへんであろうという説があり、岩井町の東方半里ばかりのへんであろうという説があり、確説がない。作者は、北山とは「石井の北方にある山」の意に解すべきが自然であると思うから、今の岩井町の北方二十町ばかりにある駒跿《こまはね》のあたりと考えたい。
猿島《さしま》郡一帯は地勢|平坦《へいたん》で、山と名づけているものがいくつかあるが、その最も高いものでも八十尺をこえるものはない。小高い台地ならすべて山と呼んでいるのであるが、駒跿のつい南方は高度六十尺ばかりの台地になっている。おそらくは違うまいと思う。ともあれ、仮にここを当時の北山と見て、筆を進めたい。
広河の江の西岸からここまでほぼ一里、今の時刻で午前八時頃に、小次郎勢は到着した。
小次郎はこの台地を北に負うて陣を張った。楯《たて》を立てならべ、厳重に哨兵《しようへい》を立てておいて、兵士等に休憩を命じた。
「戦さのはじまるのは、午《ひる》を過ぎた頃になろう。それまでは休んで気力を養うよう。しかし、不意の間に合わんようではならんから、そのままの位置で、鎧《よろい》も脱がずに休むよう。鞍《くら》もおろさぬよう」
といって、兵士等を寝させ、自らも横になった。
天慶《てんぎよう》三年の二月十四日は太陽暦では三月三十日だ。背後の台地の雑木林の中からかなしいほど美しい小鳥のさえずりがたえず流れて来る。日が登るにつれて、日ざしがあたたかになる。小鳥の声を聞き、このうららかな日ざしに照らされていると、数時間の後にははげしい戦闘をしなければならない身であることが信ぜられないような気さえする。
(いつかおれはこれと同じような場に逢《あ》ったことがあるな。いつ、どこであったろう……)
ふと、小次郎は考えて、記憶の中をかきさがした。
思い出した。筑波《つくば》山塊の南道で、源ノ扶《たすく》に縁づく途中の良子を掠奪《りやくだつ》した時であった。
(あれがすべてのおこりであったな)
苦笑したが、これで安心して、眠りに入った。
正午を少し過ぎた頃、目をさました。十分な休養を取って、心気がさわやかになっている。からだ中に気力がみちている気持であった。兵士等にも目をさましている者が少なくない。互いに四方山《よもやま》話をしている声を聞いても、様子を見ても、いかにも気楽そうで、また気力にみちている。
(みんな、あっぱれな大剛《だいごう》共だ。自らの力と勝利を信じ切っている。勝たぬことがあるものか!)
と、うれしかった。
螺《かい》を吹かせて、皆をおこし、食事を命じた。
(一食分だけ食えい。一食分はのこしておけ)
兵糧《ひようろう》包みをといて、皆食べはじめた。
その頃から空に雲が出て、風がそよぎ出した。北の風だ。次第に吹きつのって来る。林の木々をさわがせ、野の草を吹きなびかせ、ずいぶん強い。
兵士等はむすびをほおばりながら空を仰いで、うれしげに言った。
「順風《おいかぜ》じゃで」
「おおよ。味方には順風、敵には逆風《むかいかぜ》じゃわ」
「運がよいわい。勝風じゃわな」
「おおよ、おおよ、味方がこう陣取ったからには、敵はいやでも北にむかってかまえんわけに行かんでのう。ハハ、ハハ、ハハ」
小次郎も同じ思いであった。ほとんど水平になびいている火雷天神の旗を敬虔《けいけん》な目で仰いだ。
食事がおわってしばらくすると、石井の方角に螺の音がおこった。かなり強い逆風が吹いているので、螺の音も弱々しく、またきれぎれにしか聞こえない。
敵勢だ!
小次郎のさしずを待つまでもなかった。兵士等は一斉に緊張した。部署につき、冑《かぶと》の眉《ま》びさしを上げて、キッとそちらを見た。
やがて、地平のはての林のかげから軍勢がくり出して来た。蟻《あり》が穴から這《は》い出して来るように、あとからあとからと出て来るが、林を少しはなれた位置まで来ると、そこで停止してかたまった。
その群をはなれて、ただ一騎、馬を飛ばして近づいて来る者があった。最初は普通の武者と少しもかわらない様子であったが、矢頃に近くなると速力をゆるめ、軍使のしるしである小旗を片手にかざし、くるくるとふりまわしながら近づいて来る。
全軍の視線のあつまる中を陣頭まで来ると、馬を下りた。
小次郎の側《そば》にひかえていた郎党は、キッと主人をふりかえった。行って応対しましょうかという意味であった。小次郎は首を振った。
「おれが自ら会おう」
大股《おおまた》に出て行った。
軍使は三十年輩の究竟《くつきよう》な体格と面《つら》だましいの男であった。小次郎が自ら出て来たのが意外であったらしい。驚いた顔になり、ひざまずいた。
「誰の郎党で、名は何という?」
と、小次郎はたずねた。
「田原の藤太が郎党なにがしでございます」
恭敬さは失わないが、はっきりと答えて、
「恐れながら、軍使でございますれば、立たせていただきます」
と言って立上った。きびきびと折目が立って、悪びれない態度がさわやかであった。
「軍使のおもむきは?」
「主人申しますに、ごらんの如《ごと》く戦場に到着はいたしましたが、勝つも負けるもまぎれない戦いをいたしたくござれば、手前方が布陣をおわりますまで、戦いの開始をお待ち下さるようお願いしてまいれとのことでございます」
「よいとも、当方もそのつもりでいた。必ずそれまでは手出しすまい。されば、そちら方が布陣がおわったら、合図してもらいたい。かぶら矢を射放ってくれればよろしい」
「早速にお聞き入れ下さいまして、かたじけのうございます。必ずともに仰《おお》せの通りするでございましょう」
軍使が帰りつくと、敵は布陣にかかった。諸隊つぎつぎに進み出て陣を取る。右翼に貞盛の隊、左翼に為憲の隊、中央が藤太の隊だ。この前は藤太の隊は三段がまえであったが、今日は横に長く一重の布陣だ。全体の形から見ると弧状をなした鶴翼《かくよく》の陣だ。しかも、こちらとの距離がずいぶんひらいている。弓勢《ゆんぜい》卓抜な小次郎側が風上に位置しているので、それを警戒したのであることは言うまでもない。
遠望していて、小次郎は、
「こんなに離れていて、どうして戦さが出来るものか!」
と、じりじりして来た。
そればかりか、布陣は終ったはずと思われるのに、一向に合図がない。
約束だから、こちらからしかけるわけに行かない。しばらくしんぼうしていたが、いつまで経《た》っても合図しない。しびれを切らして、鬨《とき》の声を上げさせてみたが、それでも合図をしようともしない。鬨を合わせようともしない。
「どいつも、こいつも、薄ぎたない根性の奴《やつ》ばらめ! 人が義を重んじてやれば、いいことにして腹黒い|さりゃく《ヽヽヽヽ》をたくらみおる。もう、ゆるさぬぞ!」
小次郎は腹を立てて、開戦の覚悟をきめた。兵士等に、のこっている兵糧を出して、半分自ら食い、半分は馬に飼《か》えと命じた。それはこれからはじまる戦いに対する小次郎の覚悟の悲壮さを示すものであった。兵士等は黙々としてさしず通りにしたが、この食事で気力は更に出た。馬も元気づいた。
小次郎は、楯を前に進めさせた。
立てならべた楯が前進し、それについて兵士等が前進した。
忽ち敵の陣地に動揺がおこり、こちらが進むほどずつ後退する。はてしがない。
小次郎は停止を命じた。
両軍はまたにらみ合いとなった。
ついに未《ひつじ》の下刻(三時)になった。
この頃から、風は一層のはげしさを加え、刻々につのり、烈風となった。広い戦野に散らばっている灌木《かんぼく》や草むらをはげしくもみ立て、砂礫《されき》を吹き上げ、濛々《もうもう》と視界を閉ざしたが、轟《ごう》と音がして一きわはげしい突風が来たかと思うと、小次郎の楯は前へたおれ、敵勢の楯はうしろへたおれた。
願ってもない戦機だ! 火雷天神の神助だと思った。
「騎《の》れい!」
小次郎は叫んだ。
ザワッ! と音して、四百騎は騎乗した。兵士等も小次郎と同じ思いだ。疑いなき神助であると信じた。
「それッ!」
真ッ先かけて小次郎は駆け出し、駆けながら弓に矢をつがえ、矢頃に近づくや馬をとどめ、馬上から射放った。兵士等もこれにならった。
風を負うた勁弓長箭《けいきゆうちようせん》だ。四百筋の矢は楽々と敵にとどいて忽ち数十人を射落した。
藤太勢の陣の狼狽《ろうばい》は言語に絶した。烈風に巻き上げられて来る砂礫がまともに顔にあたって、目をあけられないところに、風を負うた矢を射そそがれるのだ。度を失ってうろたえさわいだ。
「楯を立てい! 楯を立てい!」
藤太等の命令を伝えて、部将等は必死にさけんだ。兵士等は吹きたおされて散乱している楯を争って立てようとしたが、強い風だ、立たばこそ。周章しきっていると、二の矢、三の矢、ひんぷんとして飛んで来る。たおれる者が相つぐ。陣列は乱れるばかりだ。返し矢を射ようにも、距離は遠いし、風は逆なり、とどかないことは明らかだ。
(この風、運が悪いわ)
沈着な藤太も心を動揺させた。
陣列は、今や切れようとする洪水《こうずい》時の堤防に似ていた。最も重大な時であった。どこかで誰か一人恐怖の叫びを上げて逃げにかかったら、堤防全体が濁流に巻きこまれて流失するように、一たまりもなく全軍が崩れ立つにちがいなかった。
こんな場合には、積極的に出るより外はない。
一瞬も猶予《ゆうよ》出来ない。
藤太は太鼓を打ち鳴らさせ、螺を吹かせた。乗馬の合図であった。藤太の隊も、両翼の隊も、即座に騎乗した。
藤太はまた太鼓を鳴らさせた。馳突《ちとつ》の合図であったが、全軍が馬を乗り出す前に、藤太自ら喊声《かんせい》を上げ、馬をおどらせて飛び出した。
長い弧線をなした四千の兵は、ワアーッ、ワアーッと、ひっきりなしに喊声を上げながら、吹きつのる風にさからいながら、小次郎勢をおしつつむ形で進んだ。
藤太は最初にトップを切っただけで、あとは陣列のうしろにつき、陣列全体に目をくばって、遅れすぎる隊や出すぎる隊のないように、たえず太鼓と陣鉦《じんがね》で規正しながら進んだ。
いそがず、せかず、一歩一歩と迫って行く。大濤《おおなみ》の寄せて行くような威力にみちた堂々たる接近ぶりであった。
しかし、小次郎は少しも心をさわがせなかった。彼には藤太がこの行進法を取った心理がよくわかるのだ。威風堂々と見えるこの軍勢は、本当は弱兵なのだ。隊伍《たいご》を乱したら、一たまりもないのだ。それを知っているから、藤太はこうしているのだ。人の長所には素直に感心する小次郎は、にこりと笑った。
「味をやるな。おれをのぞいたら、当時坂東でこれほどの武者はないな」
と、思った。
彼は即座に対策を講じた。隊を両隊にわかって、おも立った郎党共に耳うちした。しかし、停止した場所からは動かなかった。また左右をかえりみなかった。藤太のいる中軍に矢を集中させた。
藤太の陣は忽ち射白《いしら》まされた。射落されるもの、馬が射られて逸する者、相ついだ。しかし、しぶとく乱れないで近づいて来る。
敵は次第に近づいて来て、矢頃《やごろ》に達しかけたが、その寸前、小次郎は、
「それっ!」
と叫んで手を上げ、貞盛の陣を指さした。その指先から発射されたようであった。小次郎の右隊《うたい》はワッと喊声を上げるや、弓を投げうち、貞盛の陣を目がけて突撃にうつり、駆けながら刀を抜きはなって振りかざした。
総勢二百騎、鉾矢形《ほこやがた》の密集部隊をつくって、鉄車の転ずるが如《ごと》き堅剛さだ。おそろしい速さだ。一馬足に五間十間、真一文字に飛んで行く。
貞盛隊は心の虚をつかれたのであった。敵は藤太の中陣を目ざしているとばかり思って、心をゆるめていたのだ。狼狽し、動揺し、早くも退《ひ》き足になりつつも、弓を取りなおして矢を射送りはじめたが、突撃隊の戦法は巧妙をきわめていた。風上の方から貞盛隊の右翼を目ざしているので、隊の中ほどから左翼の兵は弓が引きにくいし、どうやら射放っても矢は風に流れてあたらない。益々《ますます》狼狽するばかりであった。
その間に突撃隊は早くも眼前に迫り、迫るや、ドッとたたきつけて来た。激烈をきわめた攻撃力であり、強猛をきわめた戦闘力であった。貞盛勢は巨大な巌石《がんせき》か鉄の塊《かたまり》をたたきつけられた気持を感じたが、そうでなくとも浮き足立っているのだ、一たまりもない。忽ちくずれ立ち、四分五裂となり、少数の者は野のはてに馬足のかぎり逃げ去ったが、大部分は藤太の陣になだれかかった。
藤太の隊は、逆風の中をようやく矢頃に近づいて、小次郎の隊に向って矢を射送っていたのだが、風にさからってのことだ。あたる矢は少なく、敵の矢に死傷する者ばかりが多かった。苦戦であったが、藤太は、
「敵は小勢だ。最後の勝ちは味方にあるぞ、ひるむな!」
と、必死に励ましつつ戦っていた。そこに、貞盛勢が潰走《かいそう》し、なだれかかって来たのだ。右翼は忽ち混乱におちいった。
「不覚千万なる常平太《じようへいた》め! なだれかかるということがあるものか」
歯がみをしつつ、太鼓を鳴らして陣形を引きしめようとしたが、突撃隊がこの混乱を見のがすはずはなかった。
「勝ったぞ、勝ったぞ、それ、勝ったぞ!……」
「蹴散《けち》らせ、蹴散らせ、それ蹴散らせ!……」
勇み立って、合詞《あいことば》のように絶叫しながら、無二無三に斬《き》りこんで来た。破竹の勢いとはこれだ。忽《たちま》ち右翼は崩れかけた。しかも、正面の小次郎隊はたえず正確な矢を射送って来る。
「こらえろ、こらえろ、ここが山だぞ!」
藤太は動揺する味方を狂気のようになって励ましながら、自らバチを取って太鼓を打ち鳴らした。左翼隊の為憲に、小次郎隊に突撃に出よと合図したのであったが、その為憲はあまりにもはげしい戦いにおじけづき、居すくんでいた。太鼓のひびきが耳に入らないのであった。
潮時《しおどき》をはかっていた小次郎は、この時と見た。弓をなげうつや、刀を抜きはなった。
「それ! 駆け破れい!」
と、さけんで、藤太の本陣を目がけてまっしぐらに駆け出した。
これも鉾矢形《ほこやがた》の密集隊だ。小次郎を尖端《せんたん》にして、烈風を負うて、射る速さであった。二三瞬の後には、もう目ざす敵陣に突入していた。
凄烈《せいれつ》をきわめた攻撃に、藤太の軍勢は早くも浮き足立った。藤太が得意の戦術によるならば、こんな時には金鼓の合図によって陣形をひらいて、接戦を避け、中に取りこめて射すくめるべきであるが、今この際陣形をひらいたら、兵士等はこれ幸いと潰走するに相違なかった。
「退くな、退くな! 腰をためて、こらえい! 敵は小勢ぞ! 引ッつつんで総がかりで討ち取れい」
と、声をからして、必死に浮き足をとめた。
さすがに、藤太の軍配であった。一応浮き足はとまった。しかし、小次郎勢の強さは論外であった。さながらに鉄人の群だ。向うところ、触れるところ、抵抗も揉《も》みあいもまるで出来ない。一当てされると、淡雪のように蹴散らされてしまう。しばらくはこらえたが、七花八裂、ちりぢりになって逃げ散った。
小次郎は今日の合戦に一切の運命を賭《か》けている。はじめから藤太を目ざした。
「藤太はどこにいる! 藤太はどこにいる! 来い、藤太!……」
と、呼ばわり呼ばわり駆けめぐった。すさまじい形相になっていた。冑《かぶと》は脱げ、烏帽子《えぼし》は飛んで、乱髪となり、血走った両眼《りようめ》は炎の光を照りかえす鏡のようにきらめいていた。漆黒の駻馬《かんば》をおどらせて、四尺にあまる剛刀を軽々と振って狂いまわる姿は、さながらに疾風《はやて》にのり雷雲に駕《が》し、あらしの乱雲の中に閃電《せんでん》をなげうつ雷神であり、酣戦《かんせん》の中に荒れ狂う摩利支天であった。前にあたる者は気死して抵抗を忘れて斬られ、ふみつぶされ、はね飛ばされ、近くにある者は戦わずして走った。
こんな敵と、藤太は一騎うちの勝負などはしない。大将軍の旗をかくし、袖《そで》じるしを切りすて、やっと散らさずすませた手許《てもと》の兵二百騎だけをひきいて、命からがら逃げた。
あたりに敵はいなくなったし、藤太の所在もわからない。小次郎は味方の兵を集結させた。四百の兵が三百に減じていた。しかし、そのへんにごろごろと横たわっている敵の死骸《しがい》を見ると、少なくとも七八百はある。敵の大将等は討ちもらしたが、それでも快勝というべきであった。
「どうだ、おれが言うた通りであろう。大勝利だぞ」
というと、兵士等も声をそろえて答えた。
「その通りです。十倍の敵と戦って、みごとに勝ちを得ました」
主従共に昂然《こうぜん》として眉《まゆ》を上げて見はるかす野のはての各所に濃い褐色《かつしよく》の砂煙が立っている。ちりぢりばらばらになって逃げた敵兵共が立てているのであった。益々吹きつのって来た烈風は、その砂塵《さじん》を低く地平におし伏せていた。
次の戦闘にそなえるために、小次郎は突撃にかかる際に打ち捨てさせた弓をひろわせて陣地に引きとった。
本当をいえば、この機を逸せず猛追撃にかかるのが一番よいのだが、それが出来ないのであった。勝ち戦さであるから士気はきわめて旺盛《おうせい》だが、十倍以上の敵と戦ったこととて、皆それぞれに疲労している。負傷している者も少なくない。しばらく休息する必要があった。幸いなことに、矢種はまだたくさんあった。
「戦さはまだおわったわけではない。今日こそ、是が非でも敵のとどめをささねばならんのじゃから。しばらく息を休めるよう。やがてかかるぞ」
といいわたして、兵士等を休息させておいて、これからの戦術を案じた。
藤太の所在がわかれば問題はない。押しかけて行けばよい。しかし、こんな風にちりぢりばらばらに逃げ走られたのでは、どこを目ざしようもない、せめて手許に気鋭な新手《あらて》が二百あれば片ッ端からたたき破って行くことによって、藤太の本隊に行きあたることが出来るのだがと、無念であった。
(おびき寄せるよりほかはないな)
と、結論した。
いつの間にか、風はやんで、ひどくむし暑く、あたりが薄暗くなっていた。薄暮さながらの暗さだ。まだそんな時刻ではないはずと、空を仰ぐと、どんよりした雲が一面にこめて、一雨来そうな空模様となり、太陽の所在もはっきりしない。
暮れても厄介《やつかい》、雨になっても厄介、両方ならさらに厄介だ。急がねばならなかった。
兵士等を集めて、無傷の者と比較的傷の浅い者だけを選び出した。九十数騎あった。
この九十数騎だけを手許にとどめて、他は戦野のはてをうろうろしている敵に向うように命じた。こうして本陣を手薄にしてみせることによって、藤太をおびき寄せるつもりであった。
一方、藤太の方は、一旦《いつたん》の危急を脱して野のはてまで逃げて来ると、踏みとどまった。彼もまた、是が非でも今日小次郎を討ち取らなければ、困難ははかりがたいものになると考えていた。
宮(宇都宮)の北方での戦いにも勝ち、川口村の合戦にも打ち勝ったにかかわらず、あんなに寡兵に手こずったのは、多年の間に培《つちか》われた小次郎の潜勢力のためだ。今日ここでこんなに負けたまま引上げては、味方はもう一兵も集めることは出来ないであろう。反対に、小次郎の方は評判をもりかえして、いくらでも兵を集めることが出来るにちがいないのだ。
彼は二百騎を以《もつ》てかたく陣をかまえ、敗兵の収拾にかかった。大将の旗を立て、鉦《かね》や太鼓をうち鳴らせば収拾しやすいことはわかっていたが、十分に備えの立たないうちに敵に知られる危険は避けなければならない。もどかしくとも、整々と陣列をかまえることだけで、本陣の健在であることを知らせるよりほかはなかった。
藤太の陣にはぼつぼつと兵が集まって来た。
やがて、貞盛も来、つづいて為憲も来た。二人ともに三十騎ばかり引きつれていた。ぼろぼろにちぎれた鎧を着、頭の先から手足の先まで砂塵にまみれた二人は、打ちのめされたように気力のない顔をしていた。この上戦う力はなさそうであった。
しかし、藤太は人数が三百騎ほどになると、旗をおし立て、鉦と太鼓を打ち鳴らさせた。
「合戦をつづけなさるおつもりか」
と、為憲がきいた。おびえたような顔になっていた。
「もちろん! 今日討たねば、永久に討つべき時は来ませんぞ」
為憲はなにか言いかけたが、言わずに口をつぐんだ。狐《きつね》に似たやせた顔がふるえて、とがったあごの先が|けいれん《ヽヽヽヽ》していた。
兵の集まりは依然としてボツボツだ。大将軍の所在がはっきりとなったのに、別段よくなったとは思われない。
おりからさしもにはげしかった風がバッタリとおちた。藤太の胸はおどった。
(やるなら今だ。いずれこの風はまた吹き出すであろうが、それまでにやらねば、また先刻のくりかえしだ)
けれども、決断がつかなかった。十倍の兵力を以てしても、あのみじめな目にあったので、匹敵する兵数では粉砕されることは明らかだと思うのだ。
小次郎の陣を遠望して、しきりに思案していると、兵が二手にわかれて、一手は陣を離れて他に向い、一手は本陣にのこるのが見えた。
(ははあ、一手はこちらの敗兵をしらみ潰《つぶ》しに潰そうというのだな。本陣にのこった手は百騎はなさそうだな。こちらは三百。百と三百か。――しかし、行けそうにないな。もう少し集まるまで待つか……)
しねくねと思案をつづけていると、また敵に変化があらわれた。本陣に残留していた百騎が、粛々とこちらに馬を進めて来はじめたのだ。ここに本隊があることを知って、決戦をいどみかけて来るつもりと推察された。
忽ち、こちらの兵士等は動揺の色を見せはじめた。顔色を失い、ざわざわとざわめくのが、恐怖しきっていることを示していた。
もう猶予《ゆうよ》は出来ない。このままでは、兵士等の恐怖は益々たかまり、敵の馳突《ちとつ》にあえば一たまりもなく潰走することは明らかであった。
藤太は自ら太鼓のバチを取って、力一ぱいに打ち鳴らした。とうとうたるその音は、一打ちごとに、強く、勇ましく、壮大な響きをもって、兵士等の胸から恐怖心をたたき出し、かわりに凜然《りんぜん》たるものを注ぎこんでは、遠い野のはてに消えて行った。
しばらくたたきつづけた後、バチを捨ててさけんだ。
「騎《の》れい!」
兵士等は一斉《いつせい》に騎馬した。
声をはげまして、藤太は言った。
「者共、よく見よ。敵は百騎にみたぬ小勢であることがわかるであろう。その上、心は猛《たけ》くとも、戦いつかれてものの役に立つべくもない者共だ。これに引きかえ、味方は三百騎の上からあるぞ。敵の一騎に三騎がかりであたれば、たおすは造作もないこと。必ず勝てるぞ! 疑うな! それッ、つづけ!」
馬をおどらせ駆け出した。全騎がつづいた。先刻はほどよい所で後陣にまわったが、こんどはそうしない。始終先頭を切って駆けつづけた。
これを見て、小次郎勢も疾駆にうつった。漆黒の駿馬《しゆんめ》を飛ばし、真ッ先かけているのが小次郎であった。冑も烏帽子もなく、鉢巻《はちまき》でおさえた乱髪がうしろになびいていた。
満天の雲が低く垂れ蔽《おお》うて、薄暮さながらに薄暗い野に、砂塵をうしろにひいて両個の彗星《すいせい》のような両軍は、急速に距離をちぢめたが、矢頃に達すると馬足をゆるめ、矢を射かわしつつ、さらに接近をつづける。
兵数が三が一にも及ばないが、小次郎方は精兵《せいびよう》ぞろいだ、矢つぎが早く、射る矢にはずれが少ない。徐々に藤太方を圧して行くようであった。
「あと一息だ! それ射よ! 勝ったぞ、勝ったぞ!」
いつもの諸声《もろごえ》を上げて、小次郎方はさしつめ引きつめ、散々に射る。勝利の予感に昂揚《こうよう》しきっていた。今はもう藤太方はくずれ立つ寸前であった。
その時であった。また風が出て来た。しかし、春先にはよくあることだが、先刻とまるで反対の、南風であった。しかも、おそろしく烈《はげ》しく、吹き立てられる砂塵が、まともに小次郎方に吹きつける。この突然の風の変化は「将門記」に明記されていることだが、作者はこの小説を発表する産経新聞社から気象庁に問い合わせてもらったところ、春先にはよくあることだという返答であった。
形勢はガラリとかわった。小次郎方は目があいておられない。射る矢も風に流れ勝ちだ。反対に藤太方の矢は風を負うておそろしい強さと正確さをもって飛ぶ。
(こうなると、危険をおかして接戦するのは愚だ。この風を利用して矢戦さをつづけるのが最も得だて)
藤太は戦法を変え、敵が進むほどずつ味方を後退させながら射戦をつづけることにして、
「この不思議を見よ! これが神明の助けでなくてなんだ! がんばれ! 今一息だぞ!」
と、兵士等をはげましながら戦いつづけた。
勝つに決まっていたのが、にわかに変転のすがたを見せたので、小次郎は激怒した。
「駆けるぞ!」
と、絶叫し、弓を投げすて、刀を抜きはなち、同時に疾駆にうつった。兵士等も激しきっている。ドッとおめいて、馳突にうつった。山の崩れるようなと言おうか、怒濤《どとう》の激するようなとたとえようか、面《おもて》を向くべきようもない凄烈《せいれつ》さであった。
藤太勢は胸をふるわせて動揺しながらも、なお小手をそろえて射つづけた。風を負うた矢はあなどりがたい力を持っている。数騎が射落され、数騎が馬をたおされて歩立《かちだ》ちとなった。小次郎は益々激した。
「なまいきな!」
叫んで、一きわ大きく角《かく》を入れて馬足を速めると、兵等もこれにならった。
驟雨《しゆうう》の殺到するように斬《き》りこんで来る小次郎勢に、藤太勢の最後の踏ン張りは切れた。ものがはじけ飛ぶようにパッと散乱し、そのまま足のとめどもなく、馬首の向いた方に遁走《とんそう》する。それを追って、小次郎方の兵等も、ややもすれば散ろうとする。
「散るな! 散ってはならん! かたまりを解くな!」
小次郎は引きしめ引きしめ、自ら先頭に立ち、敵のかたまりの大きいところ大きいところをと追い、追いついては、蹴散らし、駆けくずし、斬り散らしたが、その間にもたえず眼を走らせて、藤太等三人をもとめた。
その藤太等三人は、主従わずかに十五六騎になって、小次郎の目を避けて鼠《ねずみ》のように逃げまわりながら、弓に矢をつがえ、小次郎を射取るすきをうかがっていたが、益々《ますます》雲が厚く低くなった空の下は暗く、風に吹き立てられる砂塵が立ち、小次郎の動きは風のように速く、ともすれば姿さえ見失いそうだ。
小次郎の方が、この群を見つけた。
「うぬ! そんなところにいたか!」
おどり上り、獲物《えもの》を見つけた虎《とら》の叫びを上げ、馬首を向けなおし、乱髪をなびかせ、逆風の中を飛んで来た。
(一太刀だ! ヘソの下まで斬り下げてくれる!)
勝利の自信が喜びとなって胸をみたし、手足の先までみち、目もくらむばかりであった。
(今度こそ! 今度こそ! たしかに!……)
馬腹も破れよと角を入れつつ迫り、あと十間とはない距離まで近づいた時であった。とどろしく空をどよもして、強い突風がドッと襲って来た。とたんに、吹きつけて来た砂塵が目に入ったのであろうか、小次郎の馬はにわかにおどろいて前足を上げておよがせ、漆黒の尾髪《おがみ》を乱し、棹立《さおだ》ちになった。
藤太はこの機会をにがさなかった。引きかためていた鏑矢《かぶらや》を射放った。藤太ほどの者がこの近い距離から烈風に乗って射た矢だ。冑をかぶっていてもつらぬいたに相違ない。強いうなりを放って飛んだかと思うと、右のこめかみ近い額にハッシとあたり、四寸ばかりも射こんだ。
「ムッ!」
小次郎は左手に矢をつかみ、引きぬこうとしたが、急激に意識が昏《くら》くなり、グラリとゆれると、まっさかさまに、岩石をおとすように転落した。
「やった、やった、やった、やったア!」
藤太の郎党等はかくれ場からおどり上り、猟犬の群のように走り寄って行った。
風がやみ、あたりが真暗になり、袋が破れたように、沛然《はいぜん》たる豪雨がドッとたたきつけて来た。
落人
鵠戸《くぐいど》沼は一名を長洲《ながす》沼といった。中に長洲と呼ばれる大きな洲《す》があったからである。良子にひきいられた女や子供等は、数隻《すうせき》の舟に分乗して、この洲を蔽うて繁《しげ》っている葦《あし》の中に潜伏していた。冬をこして枯れた葉だが、広い範囲にわたって密生しているので、すっぽりと中に入ればわきからは見えなかった。
ここへ来て以来、かれらと小次郎との連絡はきれていた。敵に探知されることを用心して、どちらからも使いを出さなかったからである。
小次郎の武勇と武運を信じている良子も、日夜に枯葦の中にひそんでいなければならないわびしさには、心が動揺せずにはいなかった。
(こんなことはこんどがはじめてではない。前にもあったことだ。しかし、殿はりっぱに立直られたばかりか、ついには坂東全部を一手ににぎる御威勢にまでなられたのだ。こんなこと、なんでもありはしない。やがて一層の御威勢となられて、今のことを笑い話にする時が来るにきまっている)
と思う下から、
(……でも、こんどもそう行くだろうか。殿は|みかど《ヽヽヽ》にまでなられた。運の坂を上りつめられたのだ。運というものは、上りつめたら下《くだ》るよりほかはないものという……)
というような陰鬱《いんうつ》な考えが動いてくる。
ぞっと総毛《そうけ》立って来るほどおそろしい気持であった。あわてて、打消さずにはおられない。
(そんなことはない。貞盛《さだもり》の殿にしても、為憲《ためのり》の殿とやらにしても、田原の藤太の殿にしても、うちの殿の前に出ては、武勇も、力量も、武略も、人望も、月の前の星だ。どうしてうちの殿が負けなさることがあろう。勝ちなさるにきまっている)
このように、揺れてやまないでいたが、ある日のこと、はるかに北方にすさまじい煙が立上ったかと思うと、次々に石井《いわい》の方角に向って移って行くのが見えた。ついに敵勢が猿島《さしま》郡に侵入して来て、石井に向う途《みち》すがら、片っぱしから民家を焼き立てているのだと推察された。
人々は皆それを凝視していた。誰ひとりとして口をきくものはなかった。胸をさわがせながら、あんぜんたる思いにくれていた。
夜に入ると、石井の方角に火が上って、月の夜空をこがして、長い間燃えつづけた。
「館《やかた》ですの」
と、老母がふるえる声で言った。やせた頬《ほお》に涙が伝っていた。小次郎の身を案じていることは明らかであった。
老母だけではなかった。皆同じ思いであった。かれらが小次郎と別れた時、小次郎はまだ石井にとどまっていたのだ。
(ああして、館が焼き立てられているのは、とりかえしのつかないことがおこっているからではあるまいか)
と、思った。
良子は胸もつぶれる思いであった。悪い方に考えてもしかたのないこと、同じことなら明るく楽観的に考えるべきだ、自分が暗い様子を見せたら、あとの者は法がつかなくなると、いくら気を引立てようとしても、暗い方にばかり考えられてならない。
不安な一夜を明かして朝となった。
良子は様子を見に誰かやりたいと思ったが、以前それで大へんなことになったと思うと、決心がつかなかった。
昼頃《ひるごろ》、桔梗《ききよう》が舟をよせて来た。自ら棹《さお》をとり、巧みに舟をあやつって、葦の間を来た。舟をならべ、舟べりをくっつけると、
「ぼんやりしていないで、舟をおさえるの。そちらの舟にうつりたいのですよ。なんのために来たと思うの」
と、こちらの舟の婢女《はしため》等をきめつけた。いつもの桔梗の調子だ。あらっぽく、ぽんぽんぽんと、はじけるような口のきき方をする。しかし、表情が明るくて愛嬌《あいきよう》があるから、誰もいやな顔はしない。誰も彼も、憂鬱げで元気のない顔をしている所に、生気のあふれた溌剌《はつらつ》とした様子で来たので、皆気持が明るくなったようであった。良子もさわやかな風が一吹き胸を吹きとおったに似た感じを覚えた。
「ヨイショ!」
かけ声をかけてこちらの舟に乗りうつると、良子のそばに寝ている豊太丸をのぞいて、
「赤いほっぺた! よう寝ておいでじゃ。感心にむずかりもなさらぬ。大事な時であることを知っておいでなのでしょうね」
と、ひとりごとのように言って、それから老母と良子の方を向いておじぎした。
「御相談に上りました」
「あたしもそなたに相談したいと思っていました」
「それはよい都合でございました。――どうしたらよいとお考えでしょうか」
「その考えがつかないのでこまっているのです。誰か様子を見にやりたいのですが、この前のようなことになってもと思いましてねえ」
「それもそうですが、やはり見に行かねばなりますまい。なに、昼間はあぶのうございますが、夜なら大てい大丈夫でございます。わたくしがまいりましょう」
「そなたが? それは……」
男まさりな桔梗であることは知っているが、さすがにおどろいた。
桔梗は明るく笑った。
「なあに、大丈夫でございますよ。ここにお連れになっている下人衆は、みかどが戦さにお連れにならなかったような人々です。わたくしの方がいくら強いか知れません。それに、こんなことは強さより機転でございますからね」
「それはそうですが」
「夜に入ったら、ちょいとわたくしが行って見てまいります。様子がわからなければ、考えの立てようもございませんからね」
「それでは、そうしてくれますか」
「はい。では、話はきまりました。しかとした様子もわからないのに、くよくよお考えになるのは、とりこし苦労と申すものでございます。無駄《むだ》なことでございます。こんな時は楽しいことばかりを考えて、気持を明るく持つようになさるのでございます」
「わかっているのですが」
と、良子が苦笑すると、
「無理にでもそうするのですよ。――ねえ、阿母《おふくろ》様」
と、桔梗は老母に笑いかけた。
老母は青い顔をしたまま何にも言わないでいたが、はじめて口をひらいた。
「そうですとも」
しわがれた声であった。
午後になって強い風が出、暮れる頃からはげしい驟雨《しゆうう》が襲って来た。人間のかなしさ、この烈風の中で小次郎が血みどろな戦いをし、この驟雨の中で小次郎が戦死したことを、良子等は知らないのであった。
おどろおどろしい響きを立てて、あるかぎりの雨を降りつくすかと思われるばかりに降りしきる滝ツ瀬の雨を苫《とま》でふせぎながら、皆舟底にちぢこまっていた。
その雨の中に、桔梗は苫をはねのけて立上った。黒いきれで髪を包み、同じく黒い筒袖《つつそで》の着物を着、括《くく》り袴《ばかま》を男のようにはいて、脛巾《はばき》をつけ、小太刀をおびた甲斐《かい》甲斐《がい》しい姿であった。
篠《しの》つく雨は、八方から桔梗にそそぎかけられて、忽《たちま》ち全身ずぶ濡《ぬ》れになったが、桔梗は少しもひるまなかった。キビキビした声で、同じ舟の女共に、
「さあ、そなた等、わたくしが行って帰ってくるまで、刀自《とじ》方のお舟に乗りうつっていておくれ」
と言って、ふなばたを接して並んでいる良子の舟に呼びかけた。
「若刀自様、では行ってまいりますから、かえってまいりますまで、こちらの婢《おんな》共をそちらのお舟にのせて下さいましな」
ザザッ、ザザッと、荒い呼吸をするように叩《たた》きつけて来る雨の響きに声がうばわれて、よく聞こえないのではないかと思われたが、良子はよく聞き取った。これも苫を片よせて、雨の中に半身をあらわした。
「お濡れになります。中に入っていて下さいましな」
良子はそれを聞かなかったもののように、
「行くのですか。もう少し小ぶりになってからにしては」
「いいえ、このお天気ですから、一層都合がよいのでございます」
とこたえておいて、婢《おんな》等を叱《しか》りつけた。
「さあ、早くおうつり。紙でこしらえた雛《ひいな》ではないのですから、濡れたってこわれるようなことはないでしょう。濡れるくらいが何です!」
婢等は一人一人、良子の舟にのりうつった。
ただひとり舟にのこると、桔梗は、
「では、行ってまいります。早ければ夜半《よなか》までに、おそくても夜明け前にはかえってまいります」
といって、棹を取り、雨にさわいでいる葦の間をわけて、舟を進めた。
雨は少しもおとろえず、降りつづけていたが、舟が広い沼を横切って石井の近くに漕《こ》ぎよせる頃になると、いくらか勢いがおとろえて来たようで、次第に小降りとなり、やがてやんだ。同時に、あたりにも明るさがさして来た。雲の上に十四日の月があるせいであった。
桔梗はたくみに方角を転じて、岸の葦原の間に舟を入れて纜《もや》っておいて、岸に上った。
雨がやむとともに急激に気温がさがり、濡れ切ったからだがひどく寒かった。桔梗は括り袴のすそをちょいとしぼっただけで、スタスタと歩き出した。
三時間ほどの後、桔梗はかえって来た。
雨はすっかりやんで、洗いみがかれたような空に十四日の月が照りかがやいている下を、ザワザワと露をゆりこぼす葦の間を漕ぎもどって来た桔梗は、舟をよせると、言った。
「さあ、こっちの人々は舟におかえり」
いつものキビキビした声だ。人々は聞いていて、小次郎は安泰なのだと思った。安堵《あんど》のざわめきがおこった。
苫をはぐって、良子は顔を出した。
「ごくろうでした。わかりましたか」
「わかりました。今そちらへ行って申し上げます」
桔梗は答えたが、良子の方を見ない。急に声が沈んで聞こえた。
良子は胸がさわぎはじめた。どうしておいででした?≠ニ聞きたかったが、聞くのがおそろしかった。黒ずくめの服装の中に、月光に照らされて、桔梗の顔が青白く浮き出しているのが、無気味な感じであった。
「さあ、早くおうつり。ぐずぐずしてはいられないのだよ」
桔梗は荒々しく言った。
婢等が一人一人|這《は》い出して舟をうつると、桔梗は入れかわって良子の舟に乗って来た。
「どんなことをお聞きになっても、しっかりしていて下さいますよう」
先《ま》ず、こう言った。
良子の胸はとどろしくさわぎはじめた。いけなかったのですか≠ニ言おうとしたが、言えない。胸をあえがせて、ふるえながら、桔梗を凝視していた。
老母が起きて坐《すわ》った。
桔梗はことばをつごうとしたが、つづけられないらしく、口をつぐんで、しんとしずまっていたが、とつぜん、
「エエイ! うるさい!」
といらだたしげにさけんで、髪をつつんだきれをむしり取った。真黒な髪が、重々しく垂れて、額から肩にかけて蔽《おお》うた。桔梗はその髪をたくし上げていたが、不意にシクシクと泣き出した。
「どうしたのです。何があったのです」
良子はさけんだ。絶望が胸をつかんでいた。鉄のようにかたく、つめたい手で。
桔梗は答えない。なお肩をふるわせて、低く泣きつづけた。良子も泣けそうになって来た。
「言って下さい。どんなことがおこったのです。何がおこったのです。何がおころうと……」
ことばはつづかず、いきをひそめて、相手を見た。
桔梗は泣きやんだ。キッと良子を見て、口をひらいた。低い低い声で言った。
「お覚悟なすって下さいまし。殿様は、殿様は、殿様は……」
言えずに、身もだえしている時、木像のようにひっそりとおしだまっていた老母が、ボッソリとつぶやいた。
「死にましたかえ」
その声が百雷の響きのように聞きなされて、良子も、そして、桔梗さえ、息をのんだ。
気をとりなおして、桔梗は報告した。
舟を上った桔梗は、先ず石井に行ってみたという。
焼きはらわれて焦土に化してしまっている館のわきに、敵勢は幕舎を張って宿営していた。盛んな酒宴がはじまっていた。すべての幕舎に酔いだみた声が湧《わ》き立って浮かれ切っていた。
それを聞いただけで、桔梗は胸つぶるる思いであった。勝ち戦さの祝宴とより考えようはないのである。しかも、こんなにまで気をゆるして野放図な祝宴を張っている以上、徹底的な勝利を得て、殿を討ち取り申したのではないかと考えられるのである。
敵はまるで用心を忘れていた。見張りの兵一人立てず、浮かれ切ってさわいでいる。これもまた、用心する必要のないほどに勝ち得たのかと、胸はさわぐ一方であった。
ともかくも、やすやすと、本営間近に忍びよった。
ここでも酒宴がはじまり、さわぎ立てていたが、さわぎの合間にそこにいる人々が声高にしゃべっていることばで、委細のことがわかった。
殿はついに戦死遊ばしたのである。同時に、のこり少なくなっていた味方は折からの豪雨をついて逃げ散ったのである。殿の|みしるし《ヽヽヽヽ》は美酒をみたした桶《おけ》に入れて、幕舎の中においてある模様であった。
一時、桔梗はこれを盗み出してかえろうかと思ったが、すきがない。時刻は追々に移る。
(今、何よりも大事なのは、刀自方や若君を安全なところに落しまいらせることだ)
と気がついて、かえって来たというのであった。
いく度か涙にことばをとぎらせて、桔梗は語った。
良子ははじめ少し泣いただけであった。シンとおししずまって聞きおえた。しばらく黙っていた後、言った。
「ごくろうでありました。退《さが》ってやすんで下さい」
おちつきはらったしずかな調子であったが、桔梗はぎょっとして顔を上げた。
「これからどうなさるおつもりでございます」
「…………」
「ここにこうしていらっしゃっては、あぶのうございます。お逃げにならなければ。夜が明けたら、敵はきっとどこもかしこもしらみつぶしにさがしにくるに相違ありません」
「そうでしょうね。しかし、逃げたとて……」
冷淡なような調子が、おそろしく絶望的に聞こえた。桔梗はゾッとした。はげしく言い立てた。
「いけません! お逃げにならなければなりません。わたくし共は女でありますから、たとえどんなことがありましても、いのちを取られるようなことはありますまいが、若君はそうではありません。きっと……」
若君といわれて、良子は「あっ」とさけんだ。はげしく身もだえした。
ものうそうな声で老母が言った。
「どこぞへ逃げねばいけませんの。男は幼くてもそのままにおくまいでの」
「といって、どこへ逃げましょう」
と、良子が言うと、即座に桔梗は答えた。
「上総《かずさ》の御実家がよろしい。わたくし、帰って来る途々《みちみち》ずっと考えて、上総においでになるのが一番よいと考えました。上総の弟君方は、刀自にも、若君にも、一方ならぬ親しみを持っておいででございます。上総にお出《い》でなさいまし」
言われて、良子もこの前の時の公雅《きんまさ》の幼いながらに懸命の努力を思い出した。暗《やみ》の夜道に灯影《ほかげ》を見た念《おも》いであった。
急がねばならなかった。夜の明けるまでに、出来るだけ遠くこのあたりを離れる必要があった。
鵠戸《くぐいど》沼は、細い水路で毛野《けぬ》川に連絡している。その細い水路を、二|隻《せき》の船はぐねぐねとたどって、東の空が白みかける頃に毛野川に出、あとは流れにまかせて下った。
終日下りつづけて、夜に入ってもなお下り、深夜に神前《こうざき》(今の神崎)近くについた。ここから陸路を取るのが順路だが、ここではまだ不安であった。さらに下って、その日の暮れ方、船木郷の岸べについた。もう河口から二里とはないところであった。
人家に遠い岸べを選んで、密生した葦《あし》の間に舟を入れた。ここまでの間の相談で、先ず下人をつかわしてみることになっている。良子は昼の間に書いておいた手紙を渡して、こう言った。
「そんなことはないと思いますが、ひょっとして、来てくれてはこまるというかも知れない。しかし、それでも、そなたはそのことを知らせにかえって来て下さいね。かえって来てくれれば、あとはそなたがどこへ行くも勝手にして上げますからね。当座にこまらないだけのものも上げますからね」
かなしいことだが、今の境遇となっては、最も信ぜられないのは人の心と思わなければならなかった。信じすぎては、裏切られた時のかなしさの救われようがない。
「どうしてそげいなことを仰《おお》せられるのでござりまするだ。なんでてまえが帰ってまいらねえことがあるべしや。情ねえ疑いをかけられますだ」
年老いた下人は、涙をこぼして口惜《くや》しがった。
船木から館《やかた》のある蓮沼《はすぬま》までは七里。下人が向うにつくのは早くて夜明け、それからすぐ騎馬で迎えに来てくれても、午《ひる》近くなると思わなければならない。
ここは石井から三十里もはなれているが、噂《うわさ》の伝わるのは風よりも速いものだ。ひょっとしてこのあたりの土民などが知って、慾《よく》にからんで襲撃をくわだてないともかぎらない。炊事の煙さえ立てないで、葦の間に潜伏をつづけた。夜風が終夜|肌《はだ》にしみた。
夜が明けると、幸い天気がつづいて、うららかな日ざしの日であったが、水辺の風は冷え切った身にはぞくぞくするように寒かった。岸に真近く竹藪《たけやぶ》があり、そこにうぐいすが鳴いていた。まだ十分に整わないふつつかな鳴声であった。葦の間に葭雀《よしきり》も鳴いた。がらの悪いおしゃべりの小娘のようにひっきりなしに。
豊太丸ははしゃいで、それらの鳥の真似《まね》をした。以前なら可愛《かわ》ゆくてならないことであるのに、きびしくたしなめなければならないのだ。これも言いようもないかなしさであった。
昼を少しまわった頃、公雅自ら騎馬の兵三十人ばかりをひきいて迎えに来た。
「よくわたくしを頼って下さいました。こうしてお迎えに上った以上、これからのことは決して御心配にはおよびません」
公雅も今は十九になっている。当時としてはもう立派な若者だ。きゃしゃで弱々しげであったところはもうどこにも見えない。たけ高く、肩はばひろく、たくましい青年に成長し、口もとには薄く小ひげまで生えている。頼もしかったが、それにつけても先立つのは涙であった。
「こんなことになろうとは……」
といったきり、良子は泣きむせんだ。
公雅のところには、まだ石井の戦いの結果は聞こえていなかったという。
「旗色が悪いとの噂は聞いていましたが、ほかならぬ小次郎殿のこと、やがて盛りかえして、利運を得られるに相違ないとばかり考えていました。こんなことになろうとは、露思わぬことでありました。わたくしは、やがてあの人と和解して、一門の栄えを昔にかえそうと思っていましたのに、心残りのことです」
と、涙をこぼした。
公雅は、落人《おちゆうど》等に供するために食事の用意をして来ていた。
「急なことでありましたので、ろくなものはありませんが、召上っていただきましょう」
といって、馬に駄《だ》して来たそれをおろしてすすめた。
空腹ではあったが、そんなことをしている間に追っ手が迫りはしないかと不安であった。一刻も早く蓮沼の館に入らないと安心が出来ないと思った。
「御心配には及ばないことです。公雅がこうしているかぎり、たとえ誰にもせよ、手出しさせることではありません」
それで、皆やっとおちついて食事した。
その食事の間に、公雅は豊太丸と仲好くなった。
「そなた、おれを覚えていまいな。まだこんなに小さかったから。泣いてばかりいたので、おれはこの子はきっと男の子ではなくて、女の子にちがいないと思っていたが、男の子じゃったのだな。すっかり見そこのうていたぞ」
などとからかっていた。
良子は詮子《せんこ》と源ノ護《まもる》のことを聞いた。
「お義母《かあ》さまはどうしておられます? お義母さまの父君も来ておいでだと聞いていますが」
「近頃《ちかごろ》は父娘《おやこ》ともに仏いじりですよ。あの人々も我《が》がおれたようですよ。もっとも、行く先がないのですから、そうならんわけに行かないでしょうがな」
と、公雅は笑った。皮肉げな笑いでもあったが、心配することはないという意味の笑いのようでもあった。
食事がすんで、少し休んでから、出発した。人々の騎《の》るべき馬もひいて来ている。下人や婢女《はしため》等だけが徒歩で行くのである。豊太丸は公雅が自分の鞍《くら》の前壺《まえつぼ》にのせた。
日が暮れてから、月の光を踏んで、館についた。
蓮沼の館での公雅の世話は至れりつくせりであった。一同の住いとしては沼の上のあの建物をあてがったが、なおこう言いそえた。
「これは取りあえずのお住いです。いずれ新しく建てましょう。姉君のものであるべき荘《しよう》をずっとおあずかりして、年々の収納がずいぶんたまっている勘定になっています。お住いくらいわけなく建ちます」
思いがけないことに、良子はおどろきもし、うれしくもあったが、これは受けられないと思った。
「うれしいことを言っておくれだねえ。しかし、新しい住いも、荘もいりません。ここにこうして置いていただければ、それで十分に満足です」
といってことわったが、公雅はなお言った。
「わたくしは父君のおなくなりになる頃の御心事をよく知っています。父君は小次郎殿と仲たがいになったことを、大へん後悔なされて、姉君にも所領を配分して上げようという心になっておられました。公雅は父君のその心を継がなければなりません。辞退なさらないで下さい。豊太丸の将来のためにも荘はいりましょう。辞退なさらないで下さい。そして、礼をおっしゃるなら、父君の|みたま《ヽヽヽ》におっしゃっていただきましょう」
ありがたい志であった。
この館には、義母の詮子も、その父の護も厄介《やつかい》になっているが、この人達も今はもう以前のうらみは捨てているように見える。彼等の住いには故|良兼《よしかね》が最後に建てた建物があたえられている。良子等の住いのつい真近でよく顔が合うのだが、少なくとも表面は、おだやかでこだわりのない態度だ。
こんな工合で、なにごともなくしばらく過ぎたが、一月ほど経《た》った頃から、かなしい報《しら》せばかり次々に入って来はじめた。
その第一報は、藤原|玄茂《はるしげ》が相模国《さがみのくに》で殺されたというのだ。玄茂は再挙をはかって小次郎の家人《けにん》となっていた同国の住人等の間を説きまわっていたが、藤太の知る所となり、潜伏先に討っ手を向けられ、はげしい抵抗の後、殺されたという。
次は将頼《まさより》、これは武蔵《むさし》北西部の山間部に弟等とこもって再挙をはかっているところを、討っ手が行きむかって攻め殺したという。
三番目は興世《おきよ》王だ。これは安房《あわ》にのがれて潜伏していたが、嘱託《そくたく》に目のくれた土民共の手にかかって殺されたという。
四番目は坂上《さかのうえ》ノ遂高《かつたか》と玄明《はるあき》だ。この二人は海路四国にのがれようとして、常陸《ひたち》の海べで舟の用意にかかっているところを、貞盛《さだもり》の軍勢が襲撃して討ち取ったという。
次々に伝わってくるこれらの情報に、良子等はまた不安になった。
つづいて、またこんな情報もとどいた。
「征東大将軍の藤原|忠文《ただぶみ》は駿河《するが》の国まで来た時、小次郎敗死の報がとどいたので、そのまま都へ引きかえしたが、忠文の弟|忠舒《ただのぶ》は兄の命を受けて、官軍をひきいてすでに坂東に入って来た。婦女子をのぞく外小次郎一族は一人のこらず根だやしにすると声明しているという」
やっと得た平和は木ッ葉|微塵《みじん》となった。新しい住いの建築も、所領の分配も、将来の企図も、すべて空に帰してしまった。
一同は集まって相談した。
良子は、豊太丸を出家させる案を出した。
「朝廷がそんなにお憎しみであるのは、あの人の叛逆《はんぎやく》の罪にたいする憎しみだけでなく、生かしておいてはその者が怨恨《えんこん》をふくんでまた禍《わざわい》をおこしはしないかと恐れていらっしゃるためであろうと思われます。ですから、その御心配の根を絶ってごらんに入れれば、ゆるして下さるのではないでしょうか。それには、豊太丸を出家させて、世の外の人にするよりほかはないと思うのです」
道理至極な意見と、皆思ったが、しばらくは口を出す者がなかった。
すると、母のそばで公雅の次の次の弟の公元《きんもと》の造ってくれた独楽《こま》をひねりながら余念もなく遊んでいた豊太丸が、不意に言った。
「お母《たあ》さま、出家というのは、お坊さまのことでしょう」
「そうです。そなたお坊さまになりますね」
豊太丸はふさふさとそろったかぶろの髪をはげしくふった。
「和子《わこ》はお坊さまにはならぬ。和子はお坊さまはきらいじゃ。和子は武者になる。お父《もう》さまのように坂東一の武者になる。そして、やがて新皇になる」
黒く澄んだ両眼《りようめ》が光って、断乎《だんこ》たる調子で言い放った。
こんな時でなかったら、どんなにか頼もしいものに思われたかも知れないこのことば、この態度が、言いようもないおそろしさを人々の胸にさそった。
良子は真青になった。
「和子《わこ》や、そんなことを言うてはなりません。そなたは出家せねばなりません。出家すると言いなさい」
おぼえず、きびしく強い調子になった。
しかし、豊太丸は再び首をふった。
「いやじゃ! 和子は坂東一の武者になる」
こうした頑固《がんこ》さは、どうかしたはずみに小次郎の見せたものだ。
「そなたはまあ、そなたはまあ……」
良子は膝《ひざ》に抱き上げ、強く抱きしめて涙にむせんだ。母の腕の中で、豊太丸はまた言った。
「和子は新皇になる!」
老母も、桔梗も泣き出した。
公雅も指で目頭をおさえていたが、やがて口をひらいた。
「あっぱれ、小次郎殿の一粒種です。かほど見事な魂の子を出家させるというのは、あまりにもむごい。もう一工夫してみようではありませんか。事は急を要するとはいえ、今日あすにせまったことではありません。せめて今夜一晩、公雅に工夫させてみて下さい。何かいい知恵が出そうな気がします」
翌日、公雅は良子等の住いに来た。
良子にしても、老母にしても、桔梗にしても、豊太丸を僧にしたくないことは言うまでもない。公雅の昨日のことばにすべての望みをかけていた。公雅の姿を見ると、呼ぶまでもなくすぐ集まった。豊太丸だけがいない。自分のこれからの運命よりも、今朝方下人がこしらえてくれたおもちゃの弓矢のことに興味があって、それを引いて矢を飛ばすことに夢中で、庭から動かなかった。
一同の座が定まるのを待って、公雅は口をひらいた。
「一つだけ工夫が浮かびました」
その顔に明るい微笑があるので、一同の胸もまた明るくなった。しかし、誰も口をきかない。すがりつくような目で見ているだけであった。
「四郎|将平《まさひら》殿が陸奥《むつ》に行っておいででしょう。そこへ落してやってはいかがでしょう。それよりほかはないと思うのです。こちらに置いては、とてもこの厳重な探索の目はくぐれますまい。陸奥ならば、国は広い。北の半分はまだ蝦夷《えぞ》の国です。京の朝廷の威力のおよばない土地です。とりわけ、将平殿の刀自《とじ》は蝦夷人の酋長《しゆうちよう》の娘と聞いています。たとえ陸奥の国司が京都の意を迎えて探索に骨をおっても、必ずかくまい通すことが出来ると信じています」
思いもかけないことであった。公雅の言う通り、陸奥におとせば安全かも知れない。しかし、やっと四つになったばかりのいたいけなものを、地の果てであるというところにやる決心は急にはつかなかった。僧になっても坂東にいさえすれば、おりおりは会いにも行ける。陸奥では一旦《いつたん》送り出してしまえば、再び逢《あ》うことは出来ない。
人々が気がすすまないのを見て、公雅はまた言った。
「人間の憎しみも恐れも、そう長くつづくものではありません。三年たち、四年たち、五年たつ間には、必ず薄れて行くものです。十年もたてば、朝廷の公卿《くぎよう》達の顔ぶれもかわります。そうなれば、今日の憎しみや恐れを持ちつづけようとしても持ちつづけることの出来るものではありません。今日のような探索はなくなるにきまっています。そうなったら、大手を振って帰って来ることが出来るのです。十四の若武者となって帰って来るのです。その時のために、姉上が配分の荘をかたく守っていなされば、あの子はそのまま坂東の豪族の一人として立って行けるのです」
少しずつ、良子の心は動いて来る。
「しかし、四郎殿は陸奥のどこにおられましょう。行ってしまわれたきり、何の便りもないのですよ」
「行くということになれば、そんなことはすぐわかります。あの刀自は胆沢《いさわ》近くの蝦夷部落の出身だというのですから、胆沢に行ってさがせば、きっとわかりましょう」
「しかし、誰が連れて行くのです。遠い道を」
「公雅がまいります」
「そなたが?」
「はい」
良子はハラハラと涙をこぼし、合掌して公雅を伏しおがんだ。
「ありがたいこと、ありがたいこと……」
話はきまった。豊太丸を呼んで陸奥行きのことを言い聞かすことになったが、豊太丸は来ようとしない。
「今面白くてならないところじゃ。話なんど、後だ後だ」
と、不服げに言っては、沼にのぞんだ青芝の土居《どい》においた的をめがけて矢を放ち、矢がつきると、走って行って矢をひろって来てはまた放つことをくりかえしている。
桔梗が行ってだめ、老母が行ってだめ、とうとう公雅が行って連れて来た。
豊太丸は不服そうに頬《ほお》をふくらかしていた。
「早く言って。面白いんだから」
坐《すわ》ろうともしない。立ったまま言った。頬《ほ》っぺたが汗ばんで赤くなり、目が生き生きとかがやいている。
「お坐り。あなたにとって、大へん大事なことをお話ししなければならないのです。坐っておちついて聞くのです」
少しきびしく、良子は言った。
しぶしぶ坐った。
「はい。それでは坐りました」
「そなたは、陸奥に行かなければならん。わしと一緒に」
と、公雅が言った。
「うん」
うなずいた。しかし、心は話の上にないようだ。すきがあったら庭に駆け出して行こうと心組んでいる気持がうかがわれる。頼りなくてならない。良子がわきから口を出した。
「陸奥ですよ。あなたは陸奥を知っていますの」
ムッとしたように、大きな声でこたえた。
「陸奥ぐらい知っています。四郎おじ様が行っておいでのところですよ。タミヤと一緒に。そうだ! お父さまも昔行っておいでだった。蝦夷のいるところです。陸奥ぐらい知っていますよ」
「そうです。よく知っておいでです。そこへ行くのですよ。行きますね」
「行きますよ。豊太丸は四郎おじ様が好きです。タミヤも好きです。あの人達、夫婦《めおと》になったのですってね。みんながそう言っていますよ」
そして、公雅を見上げて、
「これでもういいでしょう。御用はすんだのでしょう」
「うむ、まあ、しかし……」
とたんに、豊太丸ははじけるように飛び上り、走り去った。
「あんな幼いものをねえ」
弱々しく微笑して、良子が言った時、老母も、桔梗も、こらえ切れず、むせび泣いた。公雅さえ目をしばたたいていた。良子もまた泣いた。
思い思いにすすり泣いているこの席に、豊太丸の明るくかん高い声が聞こえて来る。
「ほら、またあたった。ほら、またあたった。やあ、こんどは外《はず》れた……」
出来るだけ早く旅立つ必要があったが、何しろ、陸奥までだ。準備に二日かかって、いよいよ明日出発という日、ひょっこりとたずねて来た者があった。伊和《いわ》ノ員経《かずつね》であった。
将平と共に小次郎を諫《いさ》めてその怒りに触れて以後、員経は在所にこもったまま、どの戦いにも出なかったばかりでなく、石井《いわい》の館《やかた》へ伺候することもなかったのであるが、老母も、良子も、員経がどんな人物であるかはよく知っている。一番信頼している郎党であった。
「石井の小次郎の殿のおふくろ様と若|刀自《とじ》様方が当館に身を寄せていらせられると、風のたよりに聞いてまいりました。あの家|累代《るいだい》の郎党でございます。老刀自と若刀自にお目見えしたいと思ってまいりました。御都合をうかがっていただきたい」
と母屋《おもや》に来て言っていると取りつがれて、二人ともすぐ会う気になった。
小次郎を諫めて退居した頃、すでに髪もひげも真白になっていた員経であったが、いく月ぶりに見ると、一層やせ、相貌《そうぼう》は一層おだやかに澄んでいた。高徳の僧や絵に見る神仙《しんせん》のような趣さえあった。
員経は二人の前に出ると、床に平伏して肩をふるわせているばかりであったが、ややしばらくしてわずかに額を上げ、涙にくぐもる声で言った。
「何とも申し上げようのないことになりました。どうしておわすかと心にかかり、自らもさがし、下人共にもさがさせておりましたところ、このほど、こちらに落ちさせられて、当家にお身を寄せておわす由《よし》を、ほのかにうけたまわりましたので、取るものもとりあえず、ごきげんうかがいのため、こうしてまいりました」
「よう来てくれました。言えば愚痴になる故《ゆえ》、言いたくはないが、こんなことになってしまいました」
涙をおさえて言う老母のことばについて、良子も言った。
「頼りない今の身の上だけに、こうして見舞に来てくれたそなたの心を、別してうれしく思いますぞ」
「もったいないおことばでございます」
員経はまた涙をおさえ、肩をふるわせていたが、すぐ居ずまいを正した。
「実は、今一つ大事な御相談があってまいったのです。お聞き及びでもございましょうが、この度のことについての朝廷の意向はまことにきびしく、御一族の御男子の方々は一人ものこさず刈りつくそうとて、草の根を分けてのせんさくがはじまっています様子。つきましては、若君のお身の上が心許《こころもと》なく……。どう遊ばすおつもりでございましょうか」
「そのことです。わたくし共も胸を痛めて、夜の目も結びかねる思いでいるのですが……」
くわしく話してよいかどうか、ためらわれて、良子はことばをにごした。信頼してよい相手とは思うものの、この身になっては用心するにこしたことはなかった。
員経はうなずいた。
「御心痛のことでございます。まだおきめになっていないなら、早くおきめにならなければなりません。公雅の殿は何とおっしゃっています! 御相談なさいましたか。いや、こちらから御相談なされずとも、あちらの方からお話がなければならないことです」
員経の語気には憤懣《ふんまん》の調子がある。こんな大事なことをまだきめずに、なにをぐずぐずしているのか、緩怠《かんたい》にもほどがある、といいたげな。
この憤懣は、彼が誠実に心配している証拠だ。良子は万事を打ち明けようと決心して、老母の方を見た。
員経はまた口をひらいた。
「さし出たことのようで恐れ入りますが、てまえは一応の工夫をしてまいりました。それを申し上げてみたいと存じます」
その時、公雅が入って来て、座に加わった。
初対面だが、公雅は員経が将平と共に小次郎に諫言《かんげん》したいきさつを聞き知って、好意をもっている。今日の突然の訪問にも疑いを抱かず対面を許したのも、そのためであった。
初対面のあいさつをした後、員経は、
「若君のことについて、心づきを申し上げているところでございます。これから申し上げるのでございますから、殿もお聞きとりいただきとうございます」
と言って、良子と老母の方を向いた。
「てまえ、色々と思いをめぐらしましたが、陸奥にお供申して、将平の殿にお頼みいたすのが、この際としては最もよい、いや、それよりほかに策はないと存ずるのでございます。いかがでございましょうか。陸奥へは、お許したまわるなら、てまえがお供いたします。急がなければなりませんから、いつなん時でも、出立の出来るよう、支度万端ととのえてまいっております」
良子も、老母も、公雅も、おぼえず顔を見合わせた。声を立てんばかりに感動していた。
もうためらうべきではなかった。公雅が膝《ひざ》をすすめた。
「員経、その方が今申したこととそっくり同じことを、こちらでも考えていた。おれが連れて行くことになっている。明朝出立することになっている」
感動に声がふるえていた。
「ああ……」
嘆声を上げて、員経は涙をこぼした。
「さようでございましたか。さようでございましたか。別々に考えたことが、こう一致するというのは、亡《な》き殿の尊霊のおさとしに相違ございません。ああ、ありがたいこと!」
合掌し瞑目《めいもく》した。
改めての相談が行われて、豊太丸を連れて行く任務は、員経にきまった。秘密の上にも秘密に運ばなければならないことだ。上総《かずさ》平氏の頭領として世の耳目の集まっている公雅より、員経の方がずっと適任であるからであった。
「子持ちの|うかれびと《ヽヽヽヽヽ》にやつしてまいりましょう」
と、員経は提議した。
うかれびとというのは、故郷を離れて流浪《るろう》する無籍者を言うこの時代のことばであった。当時は、過重な賦税《ふぜい》と課役のためにこういう連中が実に多かった。この中で怠惰放逸になれて勤労の意慾を失ったものは盗賊と化したり、京に流入して乞食《こじき》や遊民となったが、なお勤労の意慾をのこしている者は坂東や、陸奥や、出羽に入って行くのが多かった。未墾の原野の多いこれらの地方で新しい運命をひらこうとしてであった。
「それはいい工夫だ。なるほど、うかれびとなら目立たぬ」
と、公雅はひざをたたいて賛成した。
明日は陸奥へ行くのだと言い渡されると、豊太丸は大喜びであった。
「陸奥は駿馬《しゆんめ》の出るところじゃ。よい鷹《たか》のいるところじゃ。お父《もう》様の烏黒《からすぐろ》は陸奥の牧から出たのであった。お父様が一番かわいがっておられた鷹は苅田《かりた》であったが、あれも陸奥から出たのであった。おれは陸奥に行ったら、あんな馬をさがしてのり、あんな鷹をさがして拳《こぶし》にすえ、狩に行くのじゃ」
などとはしゃいで、なかなか寝ようとしなかった。無理に寝かしつけると、それが不平で、母や祖母にあたりちらしていたが、それもほんのしばらくで、いつかおだやかな寝息を立てていた。
その枕許《まくらもと》に、良子と、老母と、桔梗は、長い間坐っていた。誰一人としてものを言わず、豊太丸の寝顔を見ているだけであった。時々せつなくなって、溜息《ためいき》をつきたくなることがあったが、我慢していた。誰かがそんなことをしたら、三人ともに泣き出すにきまっていたから。泣き出したら、とめどもなく乱れて行くにきまっていたから。
夜更《よふ》けになって、老母がはじめて口をひらいた。
「いつまでこうしていても、切《せつ》なくなるばかりです。さあ、みんなあちらに行きましょう」
灯《ともし》を細め、若い二人をうながして自ら先に立ってへやを出た。
良子は動かなかった。桔梗に、
「あなたは行って下さい。あたしはもう少しここにいさせて下さい」
といった。
一人になると、灯をかき立て、子供の横に身を横たえた。またたきもせずその寝顔を見、横に投げ出されている太った小っちゃい手を見ていた。
(明日別れれば、あと十年は見ることが出来ないのだ。しかも、その時にはもうこの幼い顔、このむっちりとした手ではないのだ)
と思うと、いくら見ても飽きなかった。
どこかで一番|鶏《どり》が鳴いたが、同じ姿勢で見つづけていた。やがて二番鶏が鳴いたが、まだ見ていた。ついに三番鶏が鳴いた。
(もう起さなければならない。出立は早いのだ)
と思った時、とつぜん、良子はゾッとした。
(ひょっとすると、生涯《しようがい》会えないことになるかも知れないのだ!)
全身の血が逆流する思いであった。叫び出したかった。しかし、叫ばなかった。声をころしてむせび泣いた。
へやの外に足音が近づいて、しのびやかな声がかかった。
「刀自《とじ》様、お時刻でございます」
桔梗の声であった。
良子は涙を拭《ふ》いて答えた。
「は、はい、今すぐに」
豊太丸をおこしにかかった。
「和子《わこ》や、和子や……」
呼んだが、目をさまさない。
「和子や、もう起きないと……」
と、ゆすぶると、目をつぶったまま寝返りを打ち、良子のふところに顔をつっこんで来た。むっちりした手がそのへんをかきさがしていたが、乳房をつかまえると、安心したように、またすやすやと寝息を立てる。
胸がせまって、良子はまた泣き出した。
足音をしのばせて、桔梗が入って来て、この有様を見て立ちすくんだ。桔梗もまた胸をつまらせ、坐りこむと、はげしく泣き出した。
「……和子や」
気をとりなおして、良子は豊太丸を抱き上げてゆすぶった。
豊太丸は目をさました。そして、母の乳房をつかんでいることに気づくと、はじかれたように飛びはなれた。
「和子は寝ていたのじゃ。知らなんだのじゃ!」
と、懸命な声でさけんだ。
「そうですとも、そうですとも、和子は寝ておいででありました。わたしが抱いて、和子の手をもってお乳にさわらせたのです」
良子は笑いながら言ったが、笑いながらも、涙があふれて来た。
「そら見い! 和子の方からそうするわけがないと思っていた」
豊太丸は、桔梗を見て言った。
桔梗はうなずいた。
「そうですとも、そうですとも、和子は強いお子ですもの。自分でお母《たあ》様にあまえなさるはずはありません。しかし、和子が陸奥に行かれねばなりませんので、お母様は和子を可愛《かわい》がりたくて、そうなさったのです。桔梗はよく見ていました」
これも笑っていたが、目に一ぱい涙をたたえていた。
豊太丸は忘れていたことを思い出した顔になった。
「そうじゃ。和子は今日|員経爺《かずつねじい》と陸奥に旅立つのであった。顔を洗おう。きものを着かえよう」
といって、へやを立ち出《い》でた。
そのへやの外の簀子《すのこ》に、員経が平伏していた。うかれびとらしく、そぼろな服装をして、烏帽子《えぼし》もかぶらず、真白な髪をわらしべで結んで。
意外であったらしい。豊太丸はしげしげと見て、それから言った。
「うかれびとじゃな、爺はまるで」
答えはなく、員経は平伏して、すすり泣いた。
日の出る少し前、二人は出発した。豊太丸はうかれびとの子らしい姿になって、員経に背負われていた。
祟《たたり》
あぶないところであった。二人が出発した翌々日、田原の藤太、貞盛《さだもり》、藤原|為憲《ためのり》の三人が兵五千をひきいて、蓮沼《はすぬま》の館《やかた》から一里ほどの地点まで来て、使者を立て、公雅《きんまさ》を召喚した。
「我々は征東大将軍参議藤原|忠文卿《ただぶみきよう》の目代《もくだい》藤原|忠舒《ただのぶ》卿の仰《おお》せを受けて立向ったものであるが、貴所に訊問《じんもん》したいことがある。至急御出頭ありたい」
という口上。
五千という大軍である。わずかに一里の距離にせまっているのだ。館の郎党等は色を失った。良子や老母や桔梗《ききよう》に至ってはなおさらのことだ。
ただひとり、公雅はさわがなかった。
「覚悟していたことだ。よもこのままで済もうとは誰も考えていなかったはずだ。来るべきものがついに来たというにすぎぬ。さわぐことはない。つまりは豊太丸がことよ。危いところを間に合ったを幸いと喜ぶがよいのだ。どこをさがしたところで、当人がいないものを、寄せ手もどうしようがあろう。心安らかにおれは行ってくるぞ」
笑って、郎党数騎を連れ、狩衣《かりぎぬ》姿で出かけた。
三人の陣営はものものしかった。返答の次第によっては、即時に蓮沼の館に押し出して、一もみにつぶそうとの気組みをそのままに布陣しているのであった。
公雅は恐れる色なく、おし通って、藤太が本陣の前で下馬した。
三人は打ちそろって待っていた。正面に藤太、左に貞盛、右に為憲。
公雅は貞盛とはいとこ同士《どち》にあたり、面識もあるが、他の二人には初対面だ。貞盛にだけ目礼して、定められた席についた。沈着な動作であった。
「われらが公雅であります。征東大将軍の御目代の御命令ということでありますので、とるものも取りあえず出頭いたしました。御訊問のことがおわす由、なにをお尋ねになりたいのでござろうか」
何を訊問するつもりか、もちろんわかっているが、順序だからこう言った。
しらを切っているとしか思えないこのことばに、為憲は腹立たしげな顔になった。グイと膝を乗り出した。何か言おうとした。が、とたんに藤太が口をひらいた。
「われらは野州田原の住人藤原|秀郷《ひでさと》であります。役目がらやむなくお呼び立て申しました。早速の御参向、珍重であります」
至って鄭重《ていちよう》に言って、本題に入った。言うまでもなく、豊太丸のことであった。
「そこのみことの亡き御尊父は石井《いわい》の小次郎とは重畳の怨恨《えんこん》あって怨《うら》みをふくんで地下に入りなされたのであります。されば、みことにとっては、あの一族は不倶戴天《ふぐたいてん》の仇《かたき》であります。しかるに、おかくまいなされている由《よし》、世上誰知らぬものもありません。これを私にしては不孝第一、これを公《おおやけ》にしては不忠第一のことと存ずる。速やかにお差出しありたいと存じて、こうしてまいった次第であります」
相手が高飛車に出て来ればかえって処置しやすいが、こうおだやかに出られては、まことにやりにくい。公雅は思案にくれた。
やがて、鄭重に一礼して答えた。
「仰せの通り、石井の小次郎は朝廷《おおやけ》にとっては叛逆《はんぎやく》の大罪ある者であり、われらにとっては父の讐《かたき》でもあります。しかしながら、もとをただせば、最も近い一族であります。
また、その妻はわれらが実の姉であります。すでに小次郎が誅《ちゆう》に伏した以上、いつまでもこれを憎み苦しめることは、武人の本意でないと存じますし、亡父もまたその末期《まつご》においては、最もねんごろになるべき小次郎と矛盾のなかとなったことを悔いてもいましたので、姉をはじめその遺族共を引取って、これに哀憐《あいりん》を加えている次第であります。この心意気は、京育ちの官人《つかさびと》方にはおわかりにならぬかも知れませんが、生えぬきの坂東の住人ならば必ず御|諒察《りようさつ》たまわるべきものと存じます」
自分に悪意を抱き、ともすれば底意地悪いさし出口をしそうに見える為憲にたいする手痛いあてつけもあったが、それよりも藤太と貞盛の心の底に沈んでいる坂東人《ばんどうびと》気質《かたぎ》に呼びかけようとの気持から言ったのであった。
「いや、女共にたいしては、われらもとがめ立てはいたさん。ずいぶんいたわってやりなさるがよろしい。われらが申しているのは、小次郎が嫡子《ちやくし》豊太丸なるもののことです。これだけはお差出し願いたい。男子は一人ものこさぬというのが、朝廷の御方針である由、目代がきびしく申されるのであります。ふびんとは存ずるが、いたし方がござらぬ」
藤太の態度は依然として冷静だが、言うことは情理ともにそなわっている。公雅は感動したが、ほんとうのことを言うわけにはいかない。
「御|教諭《きようゆ》の段はよくわかりましたが、その豊太丸はもはやわれらが館にはいないのであります。すでに四日以前になりますが、小次郎の手飼の郎党共が数人して、誰知らぬ間に、いず方へか連れて立ちのいてしまったのであります」
「うそだ!」
為憲が絶叫した。
公雅はその方をふりむきもしない。
「うそではござらん」
とだけ、しずかに答えた。
「うそだ! うそだ! うそだ! まろらは確かな情報をつかんでいるぞ!」
為憲はじだんだふまんばかりに熱して叫んだ。
公雅はそちらを見て言った。
「われらをおどそうとなさるのでござろうか。上総《かずさ》平氏の頭領たるわれらを」
おだやかな調子ではあったが、ことばの意味は威迫をふくんでいる。為憲はおびえたような顔になった。しかし、すぐ勢いをもりかえした。
「叛逆人をかくもうものは叛逆人であるぞ!」
「豊太丸はわずかに四歳の稚児《ちご》であります。叛逆人などであろう道理はござらん。それに、われらはかくもうておらぬと申しています。小次郎が郎党共が連れ去ったと、たった今申しましたはず」
「黙れ! 黙れ! しらじらしくも、ようこそ……」
為憲は猛《たけ》り立ったが、藤太はこれを制して、公雅に言った。
「今、みことは小次郎が郎党共が連れていずくへか立去ったと申されましたが、みことはそれをそのままにすておいて、格別おさがしにはならなかったようでありますな」
藤太のしずかな目が公雅の眸子《ひとみ》をのぞきこむように深く凝視していた。こちらのことを相当くわしく調べ上げていることは明らかであった。しかし、公雅はたじろがず、相手の目を見返して、微笑さえ見せて答えた。
「郎党共の心は明らかであります。朝廷の御意向のほどを知って、豊太丸を安全にかくまおうというのであります。どうしてこれを探索して、危い場所に呼びかえすことが出来ましょう。われらにとってはもっけの幸いであったのです。もし、郎党共の方でそうしてくれなんだら、われら自らそうしようと思っていたのですから」
「不敵なことを! 朝廷にまるでかしこまりを存じおらぬ! まろらを愚にしている……」
と、為憲がまたいきり立ったが、藤太はまたおさえた。
「ごもっともな仰せだ。一族の情誼《じようぎ》としてはさもあるべきこと。しかしながら、われらとしては見すぐしにするわけにはまいらぬ。どこへ連れて行ったと思われるか、それをうかがいたい」
「まるで存じませぬ。推察することもわれらはわざと避けてきました。推察して心当りがあれば、こうしてお尋ねにあずかった場合、申し上げぬわけにはまいらぬ。所詮《しよせん》は推察もせぬがよしと、思案したゆえであります」
藤太は口をつぐんだ。思案している模様であった。
すると、為憲が叫び出した。
「緩怠しごく! このような手ぬるい訊問があるものか! 目代の君、ひいては朝廷の御|機嫌《きげん》のほども恐れあり! まろが訊問する! 藤太、そこのけ!」
立上って、藤太につめよって来た。
藤太はじろりとその顔を見た。
「坂東の者の作法は坂東の者が知る。そこ様などのお知りになるところではない」
低い声であったが、底に野太い響きがあった。為憲は恐怖して床几《しようぎ》にかえった。
藤太はなお考える表情をつづけた後、公雅に言った。
「みことの申されたことは、われら坂東の住人には一々理解の行くことです。しかし、これは目代の君のお裁きにまかせねばならぬことです。そのお裁きがどうなるか、われらにはわからぬ。みことはみことの仰せられたこと全部に責任をお持ちにならねばなりませんぞ。よろしいか」
「覚悟しております」
ことばすずしく公雅は答えた。藤太の好意は十分に感じていた。
藤太はうなずいた。
「よろしい。さらば、お引取り下さい」
公雅は一礼して立上ったが、立去りしなに貞盛に言った。
「左馬《さま》ノ允《じよう》の殿、血で血を洗う争いは、このへんでやめにして、昔のむつまじい仲にかえりたいものでありますな」
無言であったが、貞盛もうなずいた。
公雅が去って後、陣所は相当もめた。やれあんな不徹底な訊問をして、目代の君に申訳があるか、やれ朝廷の御機嫌のほど心許《こころもと》ない、やれ公雅の異心歴然である、やれこれを看過しては朝威なきにひとしいなどと、為憲がじぶくったのだ。
しかし、藤太も貞盛も一向相手にならなかった。
「そなた様、お気に召さずばお気のすむようになさるがよろしい。われらは出来るだけのことはいたしたと信じていますから、このまま引上げます。兵共も帰休を欲しています」
と、突っぱねた。
貞盛がこの上同族との戦いを欲しないのは言うまでもない。豊太丸のことにこだわることは公雅と戦うことになるのだが、同族との戦いはもう沢山であった。感情的にもいやであったが、利害の点から言っても、坂東における平氏の勢力を弱めることにしかならないのだ。小次郎をたおし得たことによって、彼の面目はすでに十分に立ったのだ、京に上って中央の官界にかえるのに何のさしつかえもない、この上戦ささわぎは無駄《むだ》なことだ、万一戦死でもしたら取りかえしはつかないではないか、と思うのであった。
藤太もまた同じだ。彼は中央の官界などには何の野心もないが、これほどまでの功業を立てた以上、今や小次郎にかわって坂東一の武者になったわけだ。この上は最も大事なのは坂東の住人等の人気《にんき》だ。彼等の心意気や習慣にそむくようなことをしてはいけないのである。ましてや、この際公雅を討って勝ったところで、せいぜい、朝廷からおほめのことばをいただくくらいのことだ。得る所は失う所にはるかに及ばない。しかも、野合いの合戦ならばたやすく勝てもしようが、公雅があの要害堅固な館にこもって迎え戦う策に出たら、困難な戦いになることは目に見えている。そんな損なことは真ッ平である。
二人は為憲にかまわず、退陣のしたくにかかった。
こうなると、為憲もしかたがない。とても独力で公雅と戦う自信はない。
「あとでお咎《とが》めをこうむっても、まろは知らぬぞ。このことはしかと申しおくぞ」
と言って、同じく退陣の用意にかかった。
第一陣藤太の勢《せい》、二陣貞盛の勢、三陣為憲の勢の順序で陣払いして出発したが、その頃《ころ》から空模様がおかしくなった。生温かい東南風が強く吹き立てて、見る間に空に雲がひろがりはじめ、一雨来ずにはやまない気象となった。
「厄介《やつかい》なことだな、こりゃ」
兵士等は空を仰いで呟《つぶや》きながら足を速めた。
一里ほども行った頃であった。為憲隊の殿《しんが》りの兵が、ふと風に吹きちぎれるように聞こえて来る声を聞きつけた。
「……おおい! ……おおい! ……おおい! ……」
ふりかえってみると、一町ほど後ろから、四五騎の者が馬を走らせて追って来つつあった。手を上げて打ちふりながら、しきりに呼んでいる。
武装はしていない。平服だ。しかも、中の一人は女であるようだ。
それは源ノ護《まもる》と詮子《せんこ》とその郎党等であった。
豊太丸を逮捕するために、藤太等が軍勢をひきいてやって来たと聞いた時、詮子の胸の底に灰をかぶってしずんでいた復讐《ふくしゆう》の火が風を得たようにチロチロと燃え上り、忽《たちま》ち胸一ぱいにひろがった。
彼女のこの頃の気持は陰惨をきわめていた。それは良兼《よしかね》が死んだ時にはじまった。それまでは老耄《ろうもう》した意気地ない夫とばかり軽蔑《けいべつ》していたものが、いざ死なれてみると、自分を最も力強く支えていてくれたものであることがわかった。良兼が居なくなると、婚家での彼女の位置はきわめてあいまい不確実なものとなった。それどころか、邪魔物になった感じですらあった。実家がしゃんとしている間はまだよかった。まさかの時には帰って行けばよいと、持ち前の勝気で傲然《ごうぜん》とふるまっていることが出来た。
しかし、その実家も、所領は小次郎にうばわれ、府中の館は兵火にかかり、護は落魄《らくはく》の身をこの蓮沼の館によせ、公雅の情にすがってやっと露命をつなぐことになってしまった。
勝気な詮子としては忍びないことであったが、ここを離れて行く所がない。がまんするよりほかはなかった。
彼女のような性格の人間には、こうしたがまんは怨恨となって心の底に積みかさなる。
「今に見ているがよい」
何かある度に、心の底にきざみつけて、やがて十倍のうらみとして返還する時のよろこびを思うことだけを心のささえとした。
やがて、その情勢ががらりとかわった。蛇《へび》が麦畑から鎌首《かまくび》をもたげるように、彼女はのび上り、あたりをうかがった。耳をとぎすまして世の情勢の変化をうかがい、小鼻をふるわせて館内の動静をかぎはじめた。こうして、彼女はあてがわれた住いから一歩も出ないくせに、小次郎の残党の伏誅《ふくちゆう》も、征東大将軍目代の命令も、豊太丸がどこへ誰に連れられて落ちたかも、一切よく知っていた。
だから、藤太等が兵をひきいて公雅を召喚したと知った時、しめた! と思った。
この召喚が豊太丸の行くえの探索のためであることはきわめて容易に推察がついた。また、公雅が決して本当のことを白状しないことも明らかであった。
蛇が|とぐろ《ヽヽヽ》をほどくように、彼女は立上って、護の前に出た。
「お父《もう》さま、田原の藤太殿等が五千という軍勢を連れてまいられたそうでございますよ」
「田原の藤太? うん、あれは下野《しもつけ》の住人じゃ。若い時、叛逆の罪をおかして伊豆に流罪《るざい》になった。途方もない乱暴者じゃと、もっぱらなとり沙汰《ざた》であったわな」
護はもうろくしている。藤太の働きによって、うらみ重なる小次郎がたおされたということも、つい最近聞いて大喜びであったくせに、きれいに忘れてしまっている。
詮子はまた説明してやらなければならない。
「おお、おお、そうであった。ああ、ありがたいこと! 扶《たすく》も、隆《たかし》も、繁《しげる》も、それから国香《くにか》の殿も、当家の良兼の殿も、これで浮かばれるわ。まろが所領もやがてかえろう。ああ、ありがたいこと! ……」
と、ぽろぽろと涙をこぼす。
詮子は藤太等の来た理由、豊太丸のことを説明して、藤太の陣に密告すべきであると説いた。
「朝廷では小次郎の子孫が一人でも残っているかぎりは安心出来ないと思っていられるのです。だから、根だやしにしようとなさるのです。朝廷だけではありません。わたし共だってそうです。幼な児《ご》でも十年たてば若者になります。必ずわたくし共の禍《わざわい》のたねとなりましょう。助けておいてはならぬのです。また、こんどの小次郎殿|誅伐《ちゆうばつ》に、わたくし共は何の働きもしませんでした。朝廷のお覚えがめでたかろうはずはありません。ここで一手柄《ひとてがら》立てておかないと、所領をとりかえすにも工合が悪かろうと思います」
「うん、そりゃそうじゃ。にくい小次郎め! 思い知らせてくれる!」
もうろく老人にはよくあることだ。にわかに火のついたように護は猛り立った。
二人は郎党を連れ、公雅と入れちがいに館《やかた》を出て来たのであった。
為憲は郎党等の報告を受けると、すぐ隊に停止を命じ、その郎党を、追って来る二人のところへつかわした。
その頃から雨が降り出した。隊の方々から不平の声がおこったが、為憲はかまわず、馬のたてがみを立てなおして、後方をにらんでいた。
郎党がかえって来た。
「あれは前《さき》の常陸《ひたち》大掾《だいじよう》源ノ護の殿と、その大姫で故|上総介《かずさのすけ》良兼の殿の刀自《とじ》でございます。おり入って、藤太の殿に申し上げたいことがあって、ここまで追うて来たと仰《おお》せられます」
為憲の青白い顔にサッと血が上った。
「おり入ってと申したか!」
「はい」
「よし!」
いきなり、馬に鞭打《むちう》って駆け出したが、十間ほど行くと、手綱をしぼって、ふりかえり、わめくように、
「汝《われ》は兵士等をひきいて、前軍のあとを追えい。まろはすぐ追いつく」
と、叫んでおいて、また疾駆にうつった。
護等の前まで来ると、息づきせわしく叫んだ。
「前《さき》の常陸大掾の殿か!」
「そうでござる」
護の烏帽子《えぼし》の両びんの白い毛からようやく本降りになった雨のしずくが垂れ、白いもののまじった長い眉毛《まゆげ》の下の目がしばたたいていた。
「まろは前《さき》の常陸介《ひたちのすけ》藤原|惟幾《これちか》の嫡子為憲であります」
「おお!」
「おり入っての話とはどんなことでありましょう」
護は言おうとしたが、その時、ピカリと電光が閃《ひらめ》き、つづいていんいんたる雷鳴が轟《とどろ》いた。護は雨にぬれた唇《くちびる》をわななかせながら、空を見上げていた。老耄《ろうもう》の彼の精神は酔っぱらいや幼児のようであった。当面のことから意識がすっと遠のいていた。
被衣《かつぎ》の陰から、父の様子をもどかしげに見ていた詮子は、つと馬を乗り進めて、被衣をはねのけた。
「わたくしから申しましょう」
年こそ中年の半ばを過ぎているが、おそろしく美しい女であったので、為憲は息をのんだ。
「どうぞ。故良兼|朝臣《あそん》の北の方でおわしますな。まろは……」
ていねいに式体し、のどにかすれる声で、長々と名のろうとすると、詮子はさえぎった。
「お名前はよく存じ上げています。わたくし共の申し上げたいことは、朝敵平ノ小次郎|将門《まさかど》の遺子、豊太丸のことでございます。わたくし共は、豊太丸がいずれへ行ったか、よく存じているのでございます……」
「や! 下りてうかがおう! 下りてうかがおう!」
為憲は馬を飛び下りた。
「さあ、下りてくだされ。下りてゆっくりとうかがいましょう」
二人とも馬を下りた。
ざんざと降る雨の中に立って、詮子はくわしく語りはじめた。雨の音がその声をうばった。
「え? なに? なんでありますと?」
為憲は詮子の方に身を乗り出した。その耳許に口をつけるようにして、詮子は語った。生温かい呼気《こき》が為憲の耳をくすぐる。なまめかしく色めいたものが、為憲の胸をわくつかせ、同時に話の内容が彼を興奮させた。
彼は有頂天になった。わくわくしながら絶叫した。
「そうでありましたか! いや、そんなことであろうと思っていました! おのれ、公雅! よくもまろらをたばかりおったな! さあ、お出《い》で下さい。このままでは捨ておけぬ。さっそくに、藤太にも、左馬ノ允にも申して! あほうどもめ! 言わぬことか。見事に公雅にのせられていたではないか! ……さあ、おいで下さい。あとの二人にも申していただきます。いや、よくぞお告げ下さった。お礼を申しますぞ! ……」
あれこれと、ひっきりなしにことばを飛びうつらせながら、詮子を扶《たす》けて馬にのせ、自らも馬に飛びのった。
その時、また電光が閃いて、先刻よりずっと近く、ずっと大きい雷鳴がとどろいた。
護は馬に乗ろうとしない。茫然《ぼうぜん》として空を見上げている。わななく唇がかすかな声をもらしていた。側《そば》に人がいたら、こう聞きとったろう。
「……菅家《かんけ》は死後雷となって禍をしたというが……」
詮子がさけんだ。
「お父様! お乗り下さい」
為憲もまたさけんだ。
「早く! 何をしていなさる!」
護はゆっくりと二人を見た。自分の今の立場がやっと合点《がてん》の行った顔であった。のろのろと馬を引きよせて、郎党共に扶けられて馬上の人となった。
「駆けますぞ! おつづき下さい!」
詮子にさけんでおいて、為憲はピシリと馬に鞭をあてた。篠《しの》つく豪雨の中を、馬はおどって疾駆にうつる。
詮子も、護も、そして郎党も、おくれじとつづいた。
為憲は、藤太等の鼻をあかすことのできる証人が出て来たことがうれしくてならないのであった。
「見ろ! 田舎者共め! まろに口もきかせんで勝手なことをしおったが、まろの申した通りではないか! 雀《すずめ》の頭ほども知恵のないやつらめ! 阿呆《あほう》めら! どめくらめ! ざまはないぞ! ……」
仮にも常陸介の息男である自分をちっとも尊敬してくれない、それどころか、この頃では軽蔑すらしているような藤太と貞盛をさんざんに詰責《きつせき》し、みごとに屈服させることが出来るのだと思うと、全身が熱くなり、胸がわくわくする。知らず知らずに馬の歩度を上げ、矢の速さになる。滝ツ瀬の豪雨も、電光も、感じない。藤太と貞盛とに追いつくことだけに懸命だ。あとに従う詮子が荒々しいことになれない深窓の婦人であることすら忘れていた。
やがて自分の隊に追いついたが、全然馬足をかげんしない。
「のけ、のけ、のけ、のけ! ……」
と絶叫し、|むち《ヽヽ》をまわして兵士等を叩《たた》き散らしながら駆けつづける。
兵士等はあわてふためいて飛びのき、道の左右の水田にこぼれおちて、怒りながら、あきれながら、見送った。その前を、詮子も、護も、郎党等も、魔の飛ぶようにかすめ過ぎた。
これらのさわぎの間にも、電光と雷鳴はつづいた。おそろしくはげしく、おそろしく性急で、閃きは目の前が紫色になって瞼《まぶた》が熱くなるかと感ぜられ、はためきは耳も聾《ろう》するかと疑われるほどであったが、為憲はさらにおどろかない。かえって有頂天な歓喜を鼓舞されて、時々狂気じみた喊声《かんせい》を上げながら駆けつづけるのであった。
詮子もまたおそれない。彼女もまた待ちに待った時節、――弟等のうらみと実家をつぶされてよるべない身にされた恨みを報い、公雅を苦しめることの出来る時節の到来した喜びのために、電光も、雷鳴も、ほとんど感じない。馬のたてがみにしがみついて、おくれじとたえず角《かく》を入れつづけた。被衣につつまれた顔は真青になっていた。ひしと目をつぶり、キリキリと奥歯をきしらせたが、色あせて肌《はだ》の色と同じになっている唇の片端には魔女めいた微笑があった。
ただ一人、護は恐怖していた。烏帽子はいつか飛んでいた。薄い白髪はもとどりがきれ、濡《ぬ》れしょびれて、馬の動揺につれて顔のまわりにおどったりへばりついたりしていた。顔は恐怖にゆがみ、わななく口からたえずつぶやきがもれていた。
「小次郎が来る。小次郎が来る。小次郎が来る……」
ついに、刀を抜きはなち、雷のはためく毎《ごと》に、空をすばやく切りながら言った。
「来るならば来い! 南無《なむ》観世音|菩薩《ぼさつ》、護《まも》らせたまえ! ……」
雨の簾《すだれ》のかなたに、おぼろおぼろに貞盛勢の後陣が見えるあたりまで行った時であった。天地のつん裂けるような大音響とともに、一道の巨大な火の柱が立って、人々の目を灼《や》いた。
全騎の馬が立ちすくんだかと思うと、次の瞬間には一斉《いつせい》に棹立《さおだ》ちになって狂い出し、人々はおそろしい力で、あるいは左右の水田に、あるいはぬかった路面に、したたかに叩きつけられた。
落雷であったと気づいたのは、ややしばらくたってからであった。おそるおそる顔を上げ、徐々に立上った。
「近かったのう」
郎党等は、自分等のおびえようがきまり悪くもあればおかしくもあって、にやにやと笑いながら、それぞれの場所から泥亀《どろがめ》のような姿で這《は》い出して来たが、すぐ、あッ! とおどろいた。為憲、詮子、護の三人が路上のぬかるみの中に倒れているのだ。すさまじい雨が、動かない三人の上に滝をおとしかけるように降りそそいでいた。護に至っては馬までたおれている。他の馬共は、貞盛の勢目がけて狂気のように奔《はし》り去りつつあった。
急に雨が小降りになった。
郎党等はおそるおそる三人に近づいて点検したが、また声を立てておどろいた。為憲と詮子とは無傷のままたおれているが、護は全身黒|焦《こ》げになって焼け死んでいる。半ば焼けこげた髪が真黒な顔にへばりつき、両眼《りようめ》を白くむき出している形相に、恐怖しきった表情がかたまっていた。右手につかんだ刀はへなへなにねじれ曲り、馬は尾髪から全身の毛に至るまでまだらに焼けちぢれ、足を棒のように真直《まつす》ぐに硬直させて死んでいる。すべてが目もあてられない無残な情景であった。
太刀を抜いて持っていたために感電して死んだのだが、当時のこと、郎党等はそう思わない。なまじ抵抗などしたため、雷神に蹴殺《けころ》されたのだと思った。身の毛をよだたせて立ちすくみ、おそろしげに凝視しているだけであった。
間もなく、為憲がムズムズとうごきはじめた。郎党等は我にかえって扶けおこしたが、為憲は立つことが出来ない。口もきけない。|こんにゃく《ヽヽヽヽヽ》なんぞのように腰をふらつかせ、唖《おし》のように不明瞭《ふめいりよう》で苦しげな声をしぼり出しながら、両手をおよがせているのであった。
(この殿も雷神に腰骨を踏みおられなされた)
と、郎党等はおじおそれ、口をきく者もなかった。
詮子もまた死んではいなかったが、腰が立たない。口はどうやら利《き》けたが、幼な児のようにたどたどしいことばしか出ない。父のむざんな姿を見て、気を失った。
恐怖と狼狽《ろうばい》に混乱している郎党等は、どうしてよいかわからず、ただおろおろとさわぐだけであった。
藤太と貞盛が引きかえして来て、この有様を見、郎党等の報告を聞いた。二人は顔を見合わせ、真青になり、合掌して、目を空に向けた。
「われらは朝廷のおさしずによって、おことを討ったのでござる。私の心からいたしたのではござらぬ……」
祈るようにつぶやいていた。恐怖が冷気になって、そくそくと肩のあたりにしみていた。
うわさは風のように四方にひろがった。
八州の野はこのうわさで持ちきりであった。
「新皇様の御怨霊《ごおんりよう》が雷《かみ》とならしゃって、前《さき》の常陸《ひたち》大掾《だいじよう》を蹴殺し、その大姫で故上総介の殿の|うわなり《ヽヽヽヽ》(後妻)と、常陸介の息男の腰骨をふみおり、生れもつかぬ|いざり《ヽヽヽ》になされたとよ」
「それは、大掾|父娘《おやこ》が、どこぞへ逃げなされた新皇様の和子の行くえを密告《つげぐち》するために出かけ、常陸介の息男に告げなされてすぐであったとよ」
「おお、おお、それで新皇様がお怒りになったのじゃな。あら、おそろしや!」
濠《ほり》と土居《どい》をめぐらした豪族等の館で、藪《やぶ》につつまれた農民等の小屋で、田の畔《くろ》で、月に一度ひらかれる市の人だかりで、こんな会話がくりかえされ、人々は身の毛をよだたせたが、すべてのうわさと同じように、日数を経《へ》、人々の口をくぐる間に、ころがる雪|達磨《だるま》のように様々な話をつけ加えて、途方もない神異談となった。
曰《いわ》く、
「新皇の御首《みしるし》が京へ送られなさる途中、足柄《あしがら》峠にさしかかりなさると、いきなり櫃《ひつ》を破って中天高く舞い上りなされ、東をさして飛びかえり、武蔵《むさし》の国まで来て、そこで落ちなされたげな」
曰く、
「新皇様のみしるしは雷神となって、おん敵となった人々をのこらずつかみ殺そうとて、今も大空を駆けめぐってござるのじゃとよ」
等、々、々、々……
やがて、京都から新任の国司等が乗りこんで来て、昔ながらの国司政治がはじまると、人々の言うことは、こう変って来た。
「新皇様は島広山《しまびろやま》(北山)で死なしゃったのではない。新皇様には七人の陰《かげ》武者がつき申していて、あの合戦の時、藤太の殿は見分けがつかず困らしゃったという。じゃから、あの時討たれなさったのはその陰武者の一人で、御本人の新皇様はあの場をのがれて、どこぞにかくれておられるのじゃ。やがてそのうち出て来て、おん敵共や京下りの国司共をのこらず討ち平げ、また八州を一手にお治めになるわな。こんどこそ見ているがよい、国司共め! この前はいのちだけは助けて追いはなちなされたが、こんどは、必定、一人ものこさず首をはねなさるから」
苛酷《かこく》な民政と、あくなき搾取《さくしゆ》に苦しんでいる庶民をこめての住人らのはかない願望であり、慰めであった。彼等は今さらのように小次郎が全坂東人を代表して京都朝廷と対決して、自分等坂東人の利益を守り得るたった一人の英雄であったことに気づき、哀惜し、痛恨し、そのあまりには、その生存を信じないではいられなかったのだ。
八州の住人らのこのいじらしい願望がみたされるには、この後二百五十年待たねばならなかった。即《すなわ》ち、源頼朝を擁しての幕府創立まで。
その頼朝は、小次郎を朝廷に讒奏《ざんそう》した六孫王|経基《つねもと》八世の子孫である。
まこと、歴史は最も壮大なるドラマである。
本作品中、今日の観点からみると差別的ととられかねない表現が散見しますが、作品自体のもつ文学性ならびに芸術性、また著者がすでに故人であるという事情に鑑み、原文どおりとしました。(編集部)
この作品は昭和四十二年五月新潮文庫版が刊行された。