海音寺潮五郎
天と地と(三)
目 次
無残《むざん》やな
鉄砲|初見《しよけん》
寝ものがたり
篠《すず》 懸《かけ》
十分なる手ごたえ
演 出
悪いおなご
送り狼《おおかみ》
島の城
正奇虚実《せいききよじつ》
追想曲《ついそうきよく》
「天と地と」年表(三)
無残《むざん》やな
一
その日は宿直《とのい》にあたっていた。
中御殿《なかごてん》にかえった源三郎《げんざぶろう》は、彼ひとりにあてがわれているへやに入って、ふところの文《ふみ》を出してよんだ。
はじめて金谷《かなや》で源三郎《げんざぶろう》を見てからの思慕《しぼ》の情が綿々《めんめん》と書きつらねてある。
「咲きさかる花の下に馬の口を片手に取って立っておわしたお姿を見た時、あまりのお美しさに、妖《あやか》しを見たように、おそろしくさえあった」
と書いてある。
「はなやかな夕陽《ゆうひ》は、花にもお姿にも照りはえていた。花はお姿によって美しさを増し、お姿は花によって風情《ふぜい》がいやまして見え、一幅《いつぷく》の名画を見る心持ちで、酔ったようになった」
とも書いてある。
みずからの容姿《ようし》に十分な自信をもち、自分を見るかぎりの者は男であろうと女であろうと、恋慕心《れんぼしん》をおこさずにはいないはずと信じている源三郎《げんざぶろう》ではあったが、こうした心からの讚美《さんび》のことばにあうと、やはりうれしかった。
そのうえ、その人が新発田《しばた》尾張守《おわりのかみ》の奥方《おくがた》だと瞽女《ごぜ》に聞いた時から、彼の胸にたゆたいはじめた人のおもかげがあった。
あの日はおそろしく人出が多かったので、彼は無数の女に見られ、そののこらずに感嘆《かんたん》された。美しい女もずいぶんあった。しかし、一人をのぞいては心を引きつけられた女はなかった。
そのたったひとりの人は大身《たいしん》の武家の奥方《おくがた》らしかったが、その人を見た時、彼はこれまで経験したことのない胸のときめきをおぼえた。ぬけるような色白で上品な美貌《びぼう》もだが、それよりもいかにもおちついた様子にひきつけられた。たおやかで、あまく、なつかしく、しっとりとしたものがせまって、その胸に抱かれ、そのやさしい手でやわらかに背をたたいてもらいたいような気がしたのだ。
もとより彼はその人がどこのだれであるか知らない。かなりな大身《たいしん》の武家の奥方《おくがた》らしいと見ただけである。知りたかった。供《とも》の者に聞かせようかと、よほど思ったが、彼のような立場にあるものは、それはつつしまなければならないことであった。
それほどの感動も、一夜寝るときれいに消えていた。彼にはこちらから思いをかけるより、人に思いをかけられる方がうれしいのであった。
しかし、瞽女《ごぜ》に、金谷《かなや》の花見で自分を見そめた人といわれ、新発田《しばた》尾張守《おわりのかみ》の奥方《おくがた》といわれた時、忽然《こつぜん》としてその人のおもかげが胸によみがえってきた。
(あの人であってくれればよい。いや、きっとあの人であろう)
と思いつづけた。
だから、文《ふみ》を読んで、その人であると知って、有頂天《うちようてん》になった。
「やはりなあ……」
いくどもくりかえして文《ふみ》を読んだ。何度よみかえしても、あきない。とりわけ自分の美しさにたいする感嘆《かんたん》と讚辞《さんじ》のくだりがうれしい。からだじゅうがあたたかくなり、胸がわくわくしてくる。はじめは読みながらその人のおもかげが胸にゆれていたが、後にはそれは消えて、文《ふみ》の文句《もんく》だけに心がしめられた。それで十分にうれしかった。
しかし、そういつまでも読んでいるわけにはいかない。人に見られては危険だ。彼は晴景《はるかげ》以外の人を愛してはならず、愛されてもならない身の上である。万一のことがあっては奥方《おくがた》にも危険がおよぶということは考えなかった。身勝手《みがつて》というべきかもしれないが、晴景《はるかげ》に疑われてはならないとばかりいつも用心してきた彼には、そこまで気がまわらないのだと見た方が適当であろう。
文《ふみ》を巻きおさめ、手箱に入れたが、それでも不安だ。考えたすえ、他の品物といっしょに包みにして御殿の出入口までもってでて、供《とも》につれてきた若党《わかとう》の一人を呼び、
「これをもってかえって居間《いま》の棚《たな》にのせておくよう。このまま手をつけずにな」
と言いつけて、やっと安心した。
終日《しゆうじつ》、うれしかった。その人のおもかげはときどきしか思い出さなかったが、文《ふみ》の文句《もんく》はたえず思い出し、ひそかに胸のうちでつぶやきつづけた。うきうきと心がはずんでいた。
夜に入って、晴景《はるかげ》は酒を飲みはじめた。いつものことだが、だらだらといつまでもつづいたすえに、
「今夜はそちはおれがそばに寝よ」
と言った。
「はい」
両手をついて、じっと見上げる目もとに、習慣的に媚《こ》びた色を浮かべながらも、なにか源三郎《げんざぶろう》はおどろきに似たものを感じていた。酔いただれてぶよぶよした感じに見える晴景《はるかげ》の顔がひどくいとわしいものに見えた。これははじめてのことであった。
(お時《とき》さま……)
と胸の奥でつぶやいた。文《ふみ》に書かれた新発田《しばた》尾張守《おわりのかみ》の奥方《おくがた》の名であった。
二
源三郎《げんざぶろう》とお時《とき》さまとのひそかな文通がはじまった。文使《ふみづか》いは瞽女《ごぜ》がしてくれた。はじめは義理にせかれていやいや文使《ふみづか》いをつとめていた瞽女《ごぜ》であったが、使いをしてもらうたびに、お時さまも源三郎《げんざぶろう》も、ものをくれることを忘れないし、なれてもきたので、数回の後には使いをすることをよろこぶようになった。
「お返りをあそばしませ。いただいてまいりましたなら、どんなにおよろこびになりますことか。お待ちしています。あそばしませ」
と言っては、盲《めし》いた目を伏《ふ》し目にして、思案深げにしばたたいている。
書かないわけにいかない。せっせと書いた。
奇妙《きみよう》なものだ。人間は悲しみにたえられなくなって泣くのではなく、泣くから悲しみが切《せつ》なくなるのであり、おかしさきわまって笑うのではなく、笑うからはてしもなくおかしくなるのであり、激怒《げきど》によってどなるのではなく、どなりたてるから激怒《げきど》するのだという心理学説があるが、いまの源三郎《げんざぶろう》がそれに似ていた。はじめのうち、その人の恋しさより、美しくやさしくまた切なげな恋のことばを書きつらねたり、自分にたいする切々《せつせつ》たる思慕《しぼ》のことばを読むのがうれしかったのだが、やがて本気に心が燃えあがってきた。
「会いたい、会って語りたい」
と、思うようになった。
お時さまの方は純情一本槍《じゆんじよういつぽんやり》だ。源三郎《げんざぶろう》のようなナルシシズムなどはない。最初から燃えあがっている。いまはもうたかまった思慕《しぼ》は死なんばかりだ。
「お会いしたい。くふうはあるまいか」
と源三郎《げんざぶろう》が書きおくると、一も二もない。
「考えましょう」
と返書する一方、女中らに相談する。
女中らはゆがんだ欲情を忠義の信念に鼓舞《こぶ》されて、ああでもない、こうでもないと心をしぼって、ついに一策《いつさく》をくふうしだした。源三郎《げんざぶろう》を女装《じよそう》させて連れこむという策《さく》だ。あの美貌《びぼう》で女装《じよそう》したら、番の侍《さむらい》らの目をくらますくらいわけもないことと、くふうしだした女中は勢いこんで披露《ひろう》した。
一人のこらず女中らが、丁《ちよう》と手をたたいた。
「いいこと! どんなにかお美しいおなご衆になられることでございましょう」
「そうそう、お箏《こと》のお相手に召されたということにするのでございますね」
「お箏箱《ことばこ》をおもたせにならなければなりませんね」
「どこからまいられたお人ということにしましょう」
「春日山《かすがやま》のご城下に年ごろの姫君《ひめぎみ》のおわすお家がございましょう。そのお名前を拝借すればよいではございませんか」
「おいり用の品々はこちらでととのえましょう。あちら様は女気《おんなけ》のないお屋敷でありますれば、そんなものをととのえなさったりなさっては、あやしむ人もありましょうで」
昂奮《こうふん》はつぎつぎにくふうを生んでいった。そうなった時の源三郎《げんざぶろう》の様子を想像して、女中らの昂奮《こうふん》はとめどがなかった。
女中らは瞽女《ごぜ》を呼んで、このくふうを告げ、しかるべくはからえと言いつけた。
ここまできては、行くところまで行かなければおさまらないことは、瞽女《ごぜ》にもわかっている。あの方のご器量《きりよう》なら、だれが見ても女としか見ないという女中らのことばを信じて、不安をおしきった。
「かしこまりました」
と引きうけた。欲とふたりづれであったことはもちろんだ。
源三郎《げんざぶろう》の上屋敷《かみやしき》に行って、このことを告げた。源三郎《げんざぶろう》を溺愛《できあい》している晴景《はるかげ》は、二の丸内に上屋敷《かみやしき》、城下に下屋敷《しもやしき》と、二つも屋敷をくれているのであった。
「それはよい」
源三郎《げんざぶろう》は一議《いちぎ》におよばず乗り気になった。女装《じよそう》するというのが気に入った。どんなに美しい女になれるか、そこに強烈な興味があった。
「待てよ、待てよ、待てよ……」
何か言いだそうとする瞽女《ごぜ》の口をおさえるようにして、熱心に考え、
「そうだ。着物は縫箔《ぬいはく》の緋綸子《ひりんず》に白を重ねよう。帯はこう……頭巾《ずきん》もいるのう。……それはこうだ。被衣《かつぎ》は……」
と、衣類はいうまでもなく、履物《はきもの》から、持ち物の末にいたるまで、いちいちに好《この》みを出した。美しい顔がいっそう美しくにおいたって、澄《す》んだ目がきらきらと光を帯びていた。
瞽女《ごぜ》はもうあきれているばかりであったが、やがて言った。
「当地はお国もとの京とちがいまして、お好《この》みあそばされたような品々がもとめられますかどうか……」
「ああ、そうか……」
がっかりした。昂奮《こうふん》は一時に去って、もう会ってもせんもないというほどの気になった。
「ともかくも、あちら様にお好《この》みの品々のことを申しまして、できるだけそれに近いようなものをととのえていただいてもってまいりましょう」
「ああ」
気のない返事になった。どんよりと生気《せいき》のない、美しいばかりの顔になっていた。
瞽女《ごぜ》はよく源三郎《げんざぶろう》の好《この》みを聞き、復誦《ふくしよう》までしてかえっていった。
翌日は宿直《とのい》で、その翌朝《よくあさ》かえってくると、瞽女《ごぜ》が来ていて、あの品々を昨日お下屋敷《しもやしき》までおとどけしておいたから、ごらんいただきたいという。
「あらかたお好《この》みに似たお品がそろいました。いい都合《つごう》でございました」
また気力が出てきた。
さっそく、身支度《みじたく》して出かけた。
世の注意を避《さ》けるためにとくにえらんだのであろう、無紋《むもん》の革籠《かわご》に、品々はおさめられていた。なるほど、このまえ好《この》みを出した品々によく似ている。お時さまの持ち物はもちろんのこと、女中らのもの全部からえらびだしたから、こうまでととのったのであろうが、それにしても、苦労はたいへんなものであったろうと思われた。
「これはよい、これはよい。気に入ったぞよ」
昂奮《こうふん》が顔ににおいたち、ふしぎなくらいいきいきとしてきた。こんな時どんなに自分が美しくなるか、それは見る人すべてをうっとりとさせるほどであることを、源三郎《げんざぶろう》はよく知っている。しかし、いま目の前にいる者はそれのわからない盲者だ。
(気の毒な女)
とあわれにもなったが、がっかりもした。
しかし、はずみあがった心はおさえようがない。
「おれは今夜行きたい」
「えッ! 今夜?」
「その都合《つごう》をつけてくれ。たのんだぞ」
着物を取って、腕にかけてみたり、手につかんでみたりしていた。もう瞽女《ごぜ》の方はふりかえりもしなかった。しなしなとやわらかな綸子《りんず》の手ざわりがぞっとするほどこころよかった。
その夜、源三郎《げんざぶろう》は女装《じよそう》して下屋敷《しもやしき》から出て、府内《ふない》の新発田《しばた》家の屋敷に行った。女装《じよそう》の効果は十分に満足であった。紅《べに》白粉《おしろい》はふだんから使いなれているが、それはいつもうすくほんのりと刷《は》くだけであった。こんなに濃《こ》く刷《は》いたことはないのだが、よくのった。われながらおどろくほどに美しい顔になった。縫箔《ぬいはく》の緋綸子《ひりんず》の着物もよく似合った。重ねたまっしろな羽二重《はぶたえ》の下着の襟《えり》が胸もとからのぞいているのが、きめのこまかなまっしろな肌《はだ》とうつりあって、わがからだながらどきりとするほどのものがあった。それは欲情に似ていた。頭は紫のきれでつつんで、結び目は耳の上から左右の肩の上に垂れた。
彼は満足しきって、家を出た。
新発田《しばた》家の番士《ばんし》らもまるであやしまなかった。箏箱《ことばこ》を供《とも》にもたせて、引きそっている瞽女《ごぜ》が番所《ばんしよ》の入口に立って、愛想笑《あいそわら》いしながら、
「奥方《おくがた》様のお箏《こと》のお相手に召されたお人でございます。ご身分は春日山《かすがやま》のご家中水谷《かちゆうみずたに》但馬《たじま》様の姪御《めいご》さまでございます」
と言うのが聞こえたかどうか、全部の番士《ばんし》が入口に出てきて、ひたすらおどろきの表情で、この世の人とも思われないくらい美しい娘が伏《ふ》し目がちに恥《は》じらっているのを見ているばかりであった。
「それではごめんなされまして」
勘《かん》の鋭い瞽女《ごぜ》はおじぎして、先に立って、よちよちと連れこんだ。
三
中国のことばでは男女の交会《こうかい》を「雲雨《うんう》」というが、この際の雲雨《うんう》はずいぶんかわったものがあった。
源三郎《げんざぶろう》は童貞《どうてい》であるが、ふつうの意味のそれではない。晴景《はるかげ》の愛撫《あいぶ》をずっと受けてきている。こうした場合の女としての心理をよく知っているのだ。男のよそおいをしている時には女の立場になり、女のよそおいをしている時には男の立場になるのだ。奇妙《きみよう》な錯覚《さつかく》があった。とまどい、恥《は》じらった。
お時さまはまた年こそ二十八になっているが豪族《ごうぞく》の家に生まれ、豪族《ごうぞく》の家にとついできて、もっとも貞潔《ていけつ》でもっとも波瀾《はらん》のない生活をこれまで送ってきた人だ。家族以外の男にはものを言ったことすらほとんどない。うぶいものであった。これもまたとまどい、恥《は》じらってばかりいた。
女中らにとっては、こうした二人が歯がゆくもあれば、呼吸《いき》がとまるばかりにいとおしくもある。全身うすい汗にじっとりとしながら、双方《そうほう》をはげましたり、けしかけたりして、やっと雲起こり雨|施《し》くこととなった。御殿《ごてん》女中というきわめて特殊な境遇《きようぐう》にいる者でなければできないことだ。
いったんおちてしまうと、二人とも一時に燃えあがった。源三郎《げんざぶろう》ははじめて知った、男として女人を愛撫《あいぶ》することの楽しさに夢中《むちゆう》になったし、お時さまは自分でえらんだ人に愛せられるよろこびをはじめて知ったのだ。しかも、その人はこの世の人とも思われないほどに美しくて、年が十近くも若いのだ。いっさいを忘れておぼれた。
逢《お》う瀬《せ》はひんぱんであった。
こんなことがいつまでも人に知られないでおわるものではない。いつとはなしに世間《せけん》でもうわさになり、新発田《しばた》屋敷の士《さむらい》らにも聞こえてきた。しかし、源三郎《げんざぶろう》は晴景《はるかげ》の無二《むに》の寵童《ちようどう》だ。うかつなことを言いたてては危険はかられないものがある。世間《せけん》のうわさも、新発田家中《しばたかちゆう》のうわさも、ごくひそやかなものであった。
が、これが新発田《しばた》城の尾張守長敦《おわりのかみながあつ》にうすうす聞こえた。長敦《ながあつ》はおどろきもし、疑惑《ぎわく》もしたが、なにものにもまして名を重んじ恥《はじ》をはばかる武門《ぶもん》として、こんなうわさがあるものを片時《かたとき》も放置はできない。一夜考えた後、決断して弟の掃部介治時《かもんのすけはるとき》を呼んで、こう言った。
「しかじかの風説がある。まさかとは思うが、すててはおけぬ。おれがみずから行って処置せんければならんことじゃが、新山《にいやま》勢がうるそうて、いまは城をあけるわけにはいかん。そなたわしがかわりに行って、埒《らち》をあけてきてくれぬか」
掃部介治時《かもんのすけはるとき》は、北越軍記《ほくえつぐんき》に、「剛強《ごうきよう》第一の兵《つわもの》にて、一代の武功《ぶこう》数十度あり」とあるほどの武将だ。兄と四つちがいのちょうど三十になったばかりであった。青ひげ生《お》い、眼鋭《まなこするど》く、くっきょうな大男だ。
「行けというなら行ってもよござるが、おれが判断で、おれが思うようにかたづけるが、それでよござるかや」
「よいとも、まかせる」
「さらば行こうず」
掃部介《かもんのすけ》は府内《ふない》に来て取り調べにかかったが、女中らが口を割るはずはないし、侍《さむらい》らはうわさだけでたしかな証拠《しようこ》をつきとめているのではない。なまじいなことを言っては源三郎《げんざぶろう》が晴景《はるかげ》を動かしてどんなしかえしをするかわからない。またこれは留守居《るすい》の者の責任にもなることだ。めったなことは口外《こうがい》しないにかぎると、
「そんなことはうわさにも聞いたことはございません」の一点ばりだ。
なぜ掃部介《かもんのすけ》が来たか、女中らの口からお時さまには筒《つつ》ぬけだ。すぐ源三郎《げんざぶろう》に連絡をとって、出入りをやめさせたので、こちらからの探索《たんさく》もなんの収穫もない。
ついに掃部介《かもんのすけ》は、
「新発田《しばた》に帰る」
と言って屋敷を出たが、翌日ひそかに引きかえして府内《ふない》近くの農家に宿をもとめ、従者らを百姓《ひやくしよう》や小者《こもの》に変装させて、新発田《しばた》屋敷のまわりにはなって、
「毎日、夜半《よなか》の九ツ(十二時)に、ここに来て、気のついたことはみなしらせい」
と申しつけた。
五日の間なにひとつとしていぶかしいと思われる報告はなかった。さすがの掃部介《かもんのすけ》も、
「あの美しい姉御《あねご》をおいて兄者《あんじや》が長い不在《るす》しているので、ねたみ心から根も葉もないうわさを立てたのであろうか」
と思いはじめたが、六日目になって、同じことを報告するのが二人いた。
「いつもお出入りしている瞽女《ごぜ》めが、今夜は天人のようにお美しい姫君《ひめぎみ》のお供《とも》をして奥へ入りましただ」
というのだ。
胸にひらめくものがあって、掃部介《かもんのすけ》は屋敷へ急行した。
思いもかけず、時ならない時に掃部介《かもんのすけ》が来たので、屋敷の侍《さむらい》らはおどろいていたが、かまわずおしとおって奥殿《おくでん》にむかった。
奥殿《おくでん》では久しぶりに来た源三郎《げんざぶろう》を迎えて、お時さまも、女中らも、そぞろに浮きたって小酒盛りをひらいていると、そこに、案内《あない》もなく掃部介《かもんのすけ》が来た。女中らはうろたえさわぎながらも立ちふさがってとめようとしたが、とめられようものか。
「女郎《めろう》ども! 邪魔《じやま》だ!」
剛力《ごうりき》にまかせてひと薙《な》ぎにはねとばした。
源三郎《げんざぶろう》はうろたえおそれて縁《えん》から庭ににげようとしたが、暴風のようなすさまじさで追いすがった掃部介《かもんのすけ》は、抜く手も見せず、一《ひと》太刀《たち》に首を宙に飛ばし、ふりかえりもせず、お時さまにむかった。
お時さまはにげようとしたが、その時には掃部介《かもんのすけ》の片足はしっかと裲襠《うちかけ》の裾《すそ》をふまえていた。裲襠《うちかけ》はお時さまのきゃしゃな肩をすべってぬげかけながらも、なおその人を引きとめて、のけぞるかたちにしていた。
「ごめん!」
虎《とら》のほえるような声でさけんで、お時さまの背中のただなかを目がけて突いた掃部介《かもんのすけ》の刀の切っ先は、白く胸もとにぬけた。
四
その場にいあわせた者でおどろきおそれないものは一人もなかったが、だれよりもおびえたのは瞽女《ごぜ》であった。お時さまと源三郎《げんざぶろう》の間に立って、文使《ふみづか》いし、密会の手引きをしている。だれが考えてももっともにくまるべき立場にある。瞽女《ごぜ》はそれを知っている。鋭い勘《かん》を働かせ、じりじりとへやのすみにはいさがった。目立たないようにして暴風をやりすごすにこしたことはないと思ったのであったが、掃部介《かもんのすけ》の戦場になれた目はこれを見のがさなかった。
「ど女郎《めろう》!」
とさけぶと、帯をつかんでずるずると引きずりだした。ひーッと呼吸《いき》もたえだえな悲鳴をあげるのを、足をあげてくだけよと腰をふみつけた。
「お助けを、お助けを、お助けを!……」
瞽女《ごぜ》は亀《かめ》の子のように手足をもがいた。
「道ならぬことの手引きしたからには、罪《つみ》のむくいはかねて覚悟のはず、きたないやつめ、一寸刻《いつすんきざ》みにしてもあきたりぬやつじゃが、おれがたずねることに正直に返事すれば、いのちだけは助けてやらぬでもない。いのちおしくば、かくさず言えい。まず、これはたしかに源三郎《げんざぶろう》とやら申す春日山《かすがやま》殿寵愛《ちようあい》の小姓《こしよう》じゃな。まちがいないな」
足に力をこめ、グイグイとにじった。剛力《ごうりき》に踏みつけられているさえあるに、にじられて、瞽女《ごぜ》は呼吸《いき》がたえるかともがきながら答えた。
「は、はい、はい、源《げ》、源《げ》、源三郎《げんざぶろう》様で!……」
掃部介《かもんのすけ》は、金谷《かなや》の見染めから、文《ふみ》のやりとり、その後の逢《お》う瀬《せ》にいたるまで、いちいち聞きとった後、
「いのちだけは助けてやらぬでもないと言うたが、うぬのしたことは、いのちがいくつあっても足りぬことじゃわ。よって覚悟するがよい!」
と、刀をさか手にとりなおし、背中におしあて、まっすぐに突きおろそうとした。
瞽女《ごぜ》はもがいた。
「ご、ご、ごむたいな! や、やくそくが!」
ときれぎれにさけんだ。
激怒《げきど》がこみあげてきた。
「往生《おうじよう》ぎわのきたないやつめ! それほどの罪《つみ》をおかしながら!」
と、どなると、刀はつかわず、エイヤエイヤと三、四度力まかせに背をふむと、骨のおれるぶきみな音が立ち、血へどを吐《は》いて呼吸《いき》がたえた。掃部介《かもんのすけ》はそれをへやのすみに蹴《け》ころがした後、お時さまの首をかきおとし、縁《えん》ばなにおしすえたように落ちていた源三郎《げんざぶろう》の首をひろいあげ、それぞれの着物の袖《そで》をちぎって包んで、ぶらさげた。へやのすみずみに死人のような顔になってすくみあがっている女中らをにらみまわし、
「おのれらも、一人一人首をはねてくれるべきやつばらじゃが、この上の罪《つみ》つくりはしとうない。いのち冥加《みようが》な女郎《めろう》どもめ!」
とつぶやいて、そこを出た。
急行して新発田《しばた》に帰った掃部介《かもんのすけ》は、委細《いさい》のことを兄に報告して、もってきた首を実検《じつけん》にそなえた。
愛しぬいていた妻だ。悲しみと未練《みれん》がなかろうはずはないが、それを口にしてはならないのが武門の面目《めんもく》だ。
「そなたのはからい、のこるところない。大儀《たいぎ》であった。礼を言うぞ」
と、尾張守《おわりのかみ》は弟をねぎらった。
そのあと、尾張守《おわりのかみ》はすぐ春日山《かすがやま》へ急使を出して、こう届け出した。
「かねて質人《しちにん》として府内《ふない》の屋敷へさしだしおいた妻が、このほど急病によって死亡しました。かわるべき質人《しちにん》は不日《ふじつ》に詮議《せんぎ》して送るでありましょう。右お届けします」
尾張守《おわりのかみ》としては、晴景《はるかげ》はもちろんことの真相を知っているであろう、こちらにとっても、春日山《かすがやま》にとっても、恥《はじ》になること、これで意のあるところは十分に知ってくれるであろうと考えたのであった。
しかし、晴景《はるかげ》は万金《ばんきん》にもかえがたいほどに寵愛《ちようあい》している源三郎《げんざぶろう》を殺されて、怒《いか》りと悲しみに狂乱《きようらん》せんばかりでいた。尾張守《おわりのかみ》のこの心づかいがわからない。
(見えすいたことを申しおって!)
と、いっそう憤激《ふんげき》して、使者を召して、
「源三郎《げんざぶろう》はおれが二なく思うているものじゃ。たとえ罪科《つみとが》があろうとて、おれにいったんのことわりもなく、ほしいままに殺すということがあるものか。掃部介《かもんのすけ》が下手人《げしゆにん》であることは、のこりなくわかっているぞ。掃部介《かもんのすけ》を差しだせい。なにごともそれからのことじゃ! まかりかえって、尾張《おわり》にこのことを申せ!」
と、どなりつけて、追いかえした。
使者はかえってこれを報告する。
尾張守《おわりのかみ》も掃部介《かもんのすけ》も、腹を立てながらも、苦笑して、
「あほうな弾正《だんじよう》殿よ、おたがいの恥《はじ》を思うて、よいほどにすまそうとするこちらの心づかいもわからず、どこまでもほじくりたてて恥《はじ》をさらすつもりか。返答すること無用じゃ。そしらぬふりでいようわ。やがて頭が冷えれば思いなおしもされよう」
と相談して、そのままにしておいたが、晴景《はるかげ》の方は冷静になるどころか、ますますいきりたってきた。
源三郎《げんざぶろう》にたいする愛惜《あいせき》は、当座よりも日がたつにつれて深くなる。もうふたたび顔を見ることも、胸にかき抱くこともできないのだと思うと、過ぎた日の数々の思い出がむらがりおこって、のたうちまわって声を上げてわめきだしたいほどの狂乱《きようらん》した気にならずにおられないところに、藤紫《ふじむらさき》の悲嘆《ひたん》が拍車《はくしや》をかけた。
「わたくしは弟をたよりにし、弟はわたくしをたよりにすることができると思ったればこそ、京をはなれてこの草深い遠国《おんごく》に来る気にもなったのでございますものを、その弟が人手《ひとで》にかかってこんな非業《ひごう》な最期《さいご》を遂《と》げるとは、なんということでありましょう。あの子は殿《との》のお情けに満足して、男女の情《じよう》などに心をひかれることはまだなかったのでございます。それは殿《との》がよくごぞんじのこと。必定《ひつじよう》、音曲《おんぎよく》か歌詠《うたよ》みの遊びのためにあの家に行っていたのでございます。それをもののあわれ知らぬ田舎武者《いなかむしや》の心で、あらぬ疑いをかけて、ことの次第をただしもせず、むごい殺しようをして!……生まれが生まれ、育ちが育ちでありますゆえ、風雅《ふうが》の道の才《ざえ》はあっても、年はもゆかねば、腕もかたまっていないものを、赤子《あかご》の手をねじるようにむごたらしゅう殺したのでございます。さぞおそろしかったでございましょう。口惜《くちお》しかったでございましょう。無念《むねん》であったでございましょう。その最期《さいご》のさまが見えるような……」
と、身も世もあらず、涙に身も浮くほどに泣きながらうったえるのだ。
晴景《はるかげ》は惑乱《わくらん》し、激情的になっていく一方であった。
「このかたき、きっと討つぞ。きっとだ、きっとだ、きっとだ。おのれ、源三郎《げんざぶろう》がうらみ、晴らさでおこうか!」
といきりたって、追っかけ追っかけ、新発田《しばた》に使者をさしたて、掃部介《かもんのすけ》の身柄《みがら》をわたすか、首にして差しだすかせよと要求した。
五
新発田《しばた》兄弟は、はじめのうち聞き流しにしていたが、あまりしつこいので、腹が立ってきた。
「うるさいことじゃな。いずれは目がさめるであろうと思うていたが、いつまでたってもあほうなことばかり言うてよこしなさるのう。どうしたらよいかの」
と、尾張守《おわりのかみ》は掃部介《かもんのすけ》に相談した。
「あほうの底の知れぬお人じゃのう。おれは愛想《あいそ》がつきたわ」
「愛想《あいそ》はとうにつきている。どうしたらよいかの」
「しょせん、春日山長尾《かすがやまながお》家は、あのあほうどのではどうにもなりはせん。というて、昭田《しようだ》ごときにつきとうもない。兄者《あんじや》、どう思われるぞ、栃尾《とちお》の喜平二君《きへいじぎみ》を」
「おれもそれを思うていた。それは年若《としわか》ながら、兄のあほうどのとちごうて、なかなかの器《うつわ》のようじゃ。すでに将略《しようりやく》はこのまえの栃尾合戦《とちおがつせん》で十分に見えている。あれについて、あれを春日山《かすがやま》の当主にもりたてていくというくふうはどうじゃろうのう」
「よかろう、よかろう。おれもいまそう言おうと思うていたのよ」
兄弟の意見は一致《いつち》して、なお相談を重ねているところに、また晴景《はるかげ》の使者が来た。
「たびたびのおおせつけにもかかわらず、言いわけがましいことのみ申していること、不届きである。すみやかに申しつけどおりにせい。さらずば、叛逆不臣《はんぎやくふしん》の心あること分明《ぶんみよう》であるゆえ、討っ手をさしむけてふみつぶすぞ」
というはげしい口上《こうじよう》であった。
「ふん」
鼻で笑って、掃部介《かもんのすけ》はちらりと兄の方を見たかと思うと、いきなり手をのばして使者の鼻をつかんだ。
「なにをなさる!」
使者はおどろいてはらいのけようとしたが、掃部介《かもんのすけ》は剛力《ごうりき》にまかせてぎりぎりとねじあげた。
(無礼《ぶれい》!)
と言ったつもりであろうが、はなはだ不明瞭《ふめいりよう》な声になった。使者は腹を立て、立ちあがりざま刀をぬいて斬《き》ろうとしたが、それは十分勘定《かんじよう》に入れている掃部介《かもんのすけ》だ。あいている手で利《き》き腕をつかんで、刀をとりおとさせ、また兄を見た。
「兄者《あんじや》、いいことを思いついたわ。こいつを手切れの書面がわりに使おうではないか」
「どうするのじゃ」
と、尾張守《おわりのかみ》もさわがない。にやにや笑っている。
「くふうがある。まかせるか」
「よかろう」
「よッしゃ。来い」
掃部介《かもんのすけ》は鼻と腕をつかんだまま、ずるずると縁《えん》の方に引きずる。
鼻も腕ももげるかとばかりに痛い。えらばれて使者に立ったほどの男だから相当な人物ではあるのだろうが、反抗のできるものではない。引きずられるままに縁《えん》ばなまで連れていかれる。
掃部介《かもんのすけ》は家来どもを呼んで、数人が走ってきて庭にひざまずくのを待って、まりを蹴《け》ころがすようにその前に蹴《け》おとした。
「そいつ、棒《ぼう》しばりにかけい」
起きあがろうともがく間《ま》もない。四方からおどりかかった家来どもにおさえつけられ、六尺棒《ろくしやくぼう》を背負わされ、棒《ぼう》にそって左右の腕を引きのばされてしばりつけられた。
掃部介《かもんのすけ》はまた命令する。
「炭火をおこしたて、火ばしをまっかになるまで焼けい。十本も焼いたら足ろう」
みずからの思いつきのおもしろさに、ゆかいでならないふうだ。
火桶《ひおけ》がもってこられ、火がおこされた。うちわでばたばたとあおぎたてられた炭火はすぐおこりたち、残暑のまだきびしい真昼の空気をゆらめかして、うす青い陽炎《かげろう》が立ちあがった。火には太く長い火ばしがさしこまれた。
「よく焼けよ。でないと、仕事がやりにくいぞ」
と掃部介《かもんのすけ》はまた言った。
自分がどんな目にあわされようとしているか、使者にはわかったらしい。青くなって絶叫《ぜつきよう》した。
「非道《ひどう》な! 使者になにをしようというのじゃ!」
掃部介《かもんのすけ》はせせらわらった。
「さわぐな。いまさらなにをうろたえるのじゃ。不覚悟《ふかくご》というものじゃぞ。この非道《ひどう》の使者に立ってくる以上、十分に覚悟があってしかるべきはずじゃ。覚悟がなかったなら、いまこの時、身の不祥《ふしよう》とあきらめるがよいぞ」
と言って、家臣《かしん》らにまた命ずる。
「よいほどに火ばしが焼けたら、そいつのひたいに、『あほう』と仮名《かな》で烙《や》きつけい。書面がわりじゃ。春日山《かすがやま》の弾正《だんじよう》殿は色にたわけていなさるあまり、目がかすんでおられるげなで、ずいぶんともにはっきりと書けい」
残酷殺伐《ざんこくさつばつ》な時代の気風《きふう》であるうえに、家臣《かしん》らは主人の不幸に同情し、晴景《はるかげ》の理非《りひ》にくらい命令に腹を立てている。一人としてためらう者も、まゆをひそめる者もいない。容赦《ようしや》なく実行にうつった。
生きた肉の焼ける異臭《いしゆう》にも、一あてごとにもうもうと立つ煙にも、じりじりと立つ異様《いよう》な音にも、使者のもがきやうめきにも、家来らはまゆひとつうごかさない。
「汝《われ》も男でねえだか、見苦しいぞ! うごくなつうに! わめくなつうに! 静かにせんと、頬《ほお》べたにも、首根ッ子にも烙《や》きつけてくれるど」
と、おどしつけながら、あおあおとそりあげた月代《さかやき》と太いまゆの間のひろいひたいに、命ぜられた文字《もじ》を丹念《たんねん》に烙《や》きつけていった。
「これでよござるだか。あんまり蹟《て》をよう書きませんすけなあ」
やがて、仕事をすました侍《さむらい》らは、使者のもとどりをつかんでぐいとあおむかせて、掃部介《かもんのすけ》の方にむけた。すこし恥《は》じらっているふうだ。
まっかに焼けただれ、火ぶくれになったひたいには、はっきりと文字《もじ》がたどれた。掃部介《かもんのすけ》はにこりと笑って、
「よしよし、よい筆じゃ」
と、うなずいたが、すぐ、
「文筥《ふばこ》にも飾《かざ》りをつけよう。耳と鼻を削《そ》げ」
と命じた。
使者は耳と鼻をそがれて血だらけにされたうえで、城外に追いだされた。
六
こうして手切れを春日山《かすがやま》に申し送ったうえで、新発田《しばた》兄弟は相談して、とりあえず、掃部介《かもんのすけ》が兵二百をひきいて、栃尾《とちお》に行き、景虎《かげとら》に会って帰服《きふく》を申しこんだ。
「しかじかの次第で、弾正《だんじよう》殿を見はなして、お旗本《はたもと》に属《ぞく》せんためにまかりでました。兄|尾張守《おわりのかみ》みずから参るべきでござるが、これは新山《にいやま》の金津伊豆《かなづいず》の勢がうるそうござって新発田《しばた》をあけることがかないませぬ。ご諒察《りようさつ》くだされとうござる。われら兄弟のいたしようがお気に召さぬとあれば、拙者《せつしや》が首をはねて、春日山《かすがやま》へお差しだしくだされてもようござる」
と、思いいった口上《こうじよう》であった。
景虎《かげとら》はかねて事《こと》のいきさつを細作《しのび》の者の報告によって知って、姦夫姦婦《かんぷかんぷ》を一刀両断《いつとうりようだん》に斬《き》りすてた処理のつけ方を、全面的によしとしていた。武門の者としては、あれ以外の処理法があろうとは思われないのだ。また、その後尾張守《おわりのかみ》が小面倒《こめんどう》なことには触れず、単に妻がにわかに病死したと届け出たことも、ゆきとどいて、おおいによいと考えていた。それだけに、晴景《はるかげ》が執拗《しつよう》に追究していると聞いて、みずからの恥《はじ》をさらけだすものとしてにがにがしく思っていたのだ。
「災難であったな。しかし、その方ども兄弟のいたしようは、のこるところなくあっぱれだ。おれがその立場にいても、あれよりほかにいたしようがなかったろうよ。よくぞ来た。弾正《だんじよう》殿には、おれからとりなしてやろう」
と言って、受けいれた。
ほうほうのていで春日山《かすがやま》に帰ってきた使者のむざんな姿を見、その報告をきいて、晴景《はるかげ》は目のくらむほど腹を立てた。なによりも、藤紫《ふじむらさき》にたいして面目《めんもく》がないと思った。
「おのれ、新発田《しばた》め! いまはもう歴然《れきぜん》たる叛逆《はんぎやく》じゃ。このままでおこうか。急ぎ兵を召せ!」
と、ふれをまわして豪族《ごうぞく》らに出兵をうながしたが、あまりのばかばかしさに、催促《さいそく》に応ずる者もない。
「どいつも、こいつも、守護代《しゆごだい》たるおれをなんと心得《こころえ》おるのか! その儀ならば、当家の勢だけでよい! 早々《そうそう》に陣触《じんぶ》れせい!」
と、泣かんばかりになって逆上《ぎやくじよう》していると、新発田《しばた》兄弟が景虎《かげとら》に服属し、なかにも掃部介《かもんのすけ》は手勢《てぜい》をひきいて栃尾《とちお》に行き、景虎《かげとら》はこれを受けいれたという報《しら》せがとどいた。
この報《しら》せとほとんど同時に、景虎《かげとら》から書面がとどいた。新発田《しばた》兄弟のことを弁護し、事をめんどうにしたのはみな晴景《はるかげ》にあると論じつけ、いっさいを水に流さるべきが当然の道であるばかりでなく、つまらない意地に拘泥《こうでい》なさっては、人々の心が離反《りはん》するばかりである、との内容のものであった。
晴景《はるかげ》の逆上は頂点に達した。
「喜平二《きへいじ》め! おれが勘当《かんどう》を申しつけ、にくんでいるものを抱きいれるさえあるに、まだくちばしの黄《き》な分際《ぶんざい》で、おれがすることを非難《ひなん》するとはなにごと! やつが根性《こんじよう》のよからぬことは、おやじ殿がけっして心をゆるされなんだことをもっても知れてある。一度や二度の戦《いく》さにいささかの手柄《てがら》立てたとて、この思いあがりようを見よ。この根性《こんじよう》、いまのうちにたたきなおしておかねば、さきざきどんなおそろしいことをくわだてるかわからぬ。いまは昭田《しようだ》も憎《にく》うない。黒田《くろだ》も金津《かなづ》もおそろしゅうない。喜平二《きへいじ》めがにくいぞ!」
とたけりたって、景虎《かげとら》からつかわした文使《ふみつか》いを捕らえ、ひたいに「むほん人」と烙印《らくいん》し、耳と鼻をそぎ、
「急ぎ掃部介《かもんのすけ》の首を打って差しだせ。さらずば兄弟の縁もこれまで。新発田《しばた》が一味《いちみ》の謀叛人《むほんにん》と見なして、討っ手の勢をむけるぞ」
という手紙をもたせて追いかえした。
景虎《かげとら》はこういうことがあろうかと、わざと士分《しぶん》の者はおくらず、小者《こもの》にもたせてやったのだが、晴景《はるかげ》にはその見さかいもなかったのだ。小者《こもの》は泣く泣く栃尾《とちお》にかえってきた。
(これがおれが兄か! 情けないお人じゃ)
景虎《かげとら》は返事もせず、うちすてておいた。
鉄砲|初見《しよけん》
一
新発田《しばた》掃部介《かもんのすけ》のことについて、春日山《かすがやま》との間に不快な感情が流れはじめたころ、宇佐美定行《うさみさだゆき》がひょっこりと栃尾《とちお》に遊びにきた。わずかに数人の供《とも》を連れただけのしのび姿であった。予告もなく来たので、おどろきながらも、景虎《かげとら》はよろこんで迎えた。
「ふしぎなものが手に入りましたので、献上《けんじよう》したいと存じて持参しました」
と定行《さだゆき》は言って、家来どもにになわしてきた箱をとりよせて、取りだしにかかった。
「鉄砲とか申すものだな」
黒い布《ぬの》でていねいに包んだそれを定行《さだゆき》が出したのを見ただけで、景虎《かげとら》はさけんだ。
「ほう? ようあたりました」
いつものようにおちついた様子ではあったが、定行《さだゆき》の顔にはうれしげな微笑があった。
「話には聞いていた。上方《かみがた》から西の国々ではぼつぼつ戦場に使われ、ついこのまえ関東の小田原《おだわら》にも来たということを、おれは聞いていたのだ。使ってみたか。役に立ちそうか」
顔が紅潮《こうちよう》し、目がかがやき、はずみあがる声になっていた。
「まあ、ごらんください。まことに異風体《いふうてい》なものでございます」
定行《さだゆき》はさして急ぐ様子もなく、包んだきれをはぎとり、すっかりはぎおわってから、両手にかかえてわたした。
「まことじゃ。異風体《いふうてい》なものじゃな。ほう、なかなか重いわ」
受けとって、仔細《しさい》に見て、
「ほう。この穴じゃな。おそろしい音と煙とともに丸《たま》が飛びだしていくというのは」
と、筒口《つつぐち》をのぞいたりして言う。
鉄砲が大隅《おおすみ》の種子島《たねがしま》に伝来したのは、この時から四年前の天文《てんぶん》十二年であり、翌年には完全な形で製作できるようになり、その翌年にはもう堺《さかい》に製作法がつたわっている。伝播《でんぱ》のこの早さは、当時の種子島《たねがしま》が大陸方面や南洋方面へむかう倭寇《わこう》や日本の海外貿易船の重要通過地の一つであったからであり、島主の種子島時堯《たねがしまときたか》がまるでこれを秘密にしなかったからだ。伝来当時、時堯《ときたか》はわずかに十六歳である。一|梃《ちよう》金二千両という大金を出して買ったのだが、それは中学生が空気|銃《じゆう》をほしがるに似た心理で、新鋭《しんえい》の兵器にしようとの気持ちはなかったと思われるのだ。
「どうだ、使ってみたか、役に立ちそうか」
と、景虎《かげとら》はまた聞いた。
「使いようでは、ずいぶん役に立ちましょう。しかし、雨の日には役に立たぬのが第一の欠点でございますね。第二にはそう遠くとどきません。せいぜい二十|間《けん》までは正確ですが、それ以上になりますと、ぐんとねらいが落ちます。第三には一度使ってさらに使うのに手間《てま》がとれて、弓のように矢つぎばやというぐあいにまいらないのが欠点でございます。多数そなえおいて、交互《こうご》に使わせることにすれば、その欠点をおぎなうことができるわけでございますが、あんがいに高価でございましてね、一|梃《ちよう》五百両などと法外《ほうがい》なことを申しますので。やっと二|梃《ちよう》だけもとめました。もっとも、二|梃《ちよう》しかもっていなかったのでございますがね」
「その一|梃《ちよう》をくれるというのか。かたじけないぞ」
「おそれいります」
「堺《さかい》のものがもってきたのか」
「あの地の橘屋又三郎《たちばなやまたさぶろう》と申す者の家から出している者が持参いたしました。橘屋《たちばなや》は西国筋《さいごくすじ》では鉄砲又《てつぽうまた》と呼ばれている者でございますとか」
「五百両とはいい値《ね》だな」
「はじめ種子島《たねがしま》の領主《りようしゆ》が南蛮人《なんばんじん》からもとめた時は一|梃《ちよう》二千両であったのじゃから、そう高いことはないと、そいつは申していました」
「高くても威力《いりよく》があればかまうまいが、その点はどうだ」
「ないとは申しません。ずいぶん勢いの強いものでございます。あたれば弓の比《ひ》ではございません。それに音がすさまじゅうございますので、おおいに敵の気力をくじくに役立ちましょう。ともあれ、こころみてみましょう。あずちにお連れねがいましょうか」
「よし。しかし、待て、みなにも見せよう」
景虎《かげとら》は城内にいあわせたおもな家臣《かしん》らを呼んだ。
本庄慶秀《ほんじようよしひで》・金津新兵衛《かなづしんべえ》・鬼小島弥太郎《おにこじまやたろう》・戸倉与八郎《とくらよはちろう》・曾根平兵衛《そねへいべえ》・秋山源蔵《あきやまげんぞう》、みなぞろぞろと集まってきた。新発田《しばた》掃部介《かもんのすけ》はいあわせなかったので、使いをたてて、急ぎ来るように言ってやった。
「だれかが足りぬな。こーつ、おお、松江《まつえ》殿がおらんわ。呼ぼう」
と、金津新兵衛《かなづしんべえ》が言った。
「ええですわい。あれは女ですけ」
と、弥太郎《やたろう》は辞退《じたい》したが、
「うんにゃア、松江殿も呼ばにゃいかんわ。当城|名代《なだい》の女勇士じゃすけ。そげいにおそろしい戦《いく》さ道具なら見ておく必要がある。――それに、お見せしなんだら、あとがうるさいわ。とりわけ、弥太郎《やたろう》、おぬしがこわい目を見るぞ。『わしらはお呼びしようと言うたのじゃが、そなた様の旦那《だんな》殿があれは女じゃすけ、見せるにおよばんと言わしゃったで』とわしらは言いわけして、全部おぬしになすりつけてしもうけにのう」
と、みながからかったので、
「そりゃいかんわい! 呼んでくだされ、呼んでくだされ!」
と、即座《そくざ》に弥太郎《やたろう》は変説《へんせつ》した。
一同、腹をかかえて笑った。
松江は去年の春、男の子を生んだ。両親に似たまるまると太った大柄《おおがら》な丈夫《じようぶ》な子であった。景虎《かげとら》が名づけ親になって弥彦丸《やひこまる》とつけた。いい母親になったわけだが、いぜんとして頑固《がんこ》に田舎女《いなかおんな》ぶりをあらためないのであった。
その松江も来、みなのそろったところで定行《さだゆき》は一人一人に鉄砲を手にとってしらべさせた後、簡単な説明をした。
やがて、一同そろってあずちに出た。
快晴の秋の午後だ。しずかな日が照って、どこやらに百舌《もず》の鋭《するど》い鳴き声がしている。
定行《さだゆき》は、
「弓の的《まと》では、中《あた》りはわかっても、強さがわかりませぬ。こしらえさせてもってまいりました」
と言って家来に言いつけて、厚さ一|寸《すん》、一尺四方ほどの樫《かし》の板に的絵《まとえ》をえがいたのをあずちに立てさせて、しゃく杖《じよう》をつかって鉄砲に装填《そうてん》するところから、火口《ほくち》に火薬をつめ、火縄《ひなわ》をさしはさむまで、ゆっくりと、念入りにやってみせる。
「なるほどの。その火が消えるので、雨の日は使えんというのだな」
と、景虎《かげとら》が言った。
「それもございますが、この火口《ほくち》――ここを火口《ほくち》と申すのでありますが、ここへ撒《ま》いてつめましたこの薬がぬれしめりましても用をなさぬのでございます」
「ああ、そうか」
「しかし、今日のようによく晴れた日には、ずいぶんよく利《き》きます。ま、ごらんください――音がすさまじゅうございますゆえ、そのおつもりで」
定行《さだゆき》は折りしいてかまえ、フッと火縄《ひなわ》を吹くと、ひき金をしめた。
耳をぶったたかれるような轟然《ごうぜん》たる大音響《だいおんきよう》がおこったかと思うと、あずちの的《まと》は二つに割れて飛びちった。
「すごいのう!」
景虎《かげとら》が舌《した》を巻くと、みな一時にわやわやとしゃべりだした。すべておどろきと感嘆《かんたん》の声であった。なかにも、
「やァれ! ぶったまげた! えらい音のものですのう。子供に聞かせたら、おびえて虫をおこしますで」
と言う松江の声がもっとも大きかった。
定行《さだゆき》は鉄砲を景虎《かげとら》にわたした。
「おこころみなされよ」
景虎《かげとら》はいちいち定行《さだゆき》に聞きながら装填《そうてん》し、ねらいのつけようも教えてもらって、新しい的《まと》にむかって発射した。これもみごとに的中《てきちゆう》した。
「ようあたるのう。弓ではこんなふうに、聞いてすぐあたるというぐあいにはいかん。弓にまさる一徳《いつとく》じゃな」
景虎《かげとら》はおおいに気に入ったふうで、もう一回こころみて、家臣《かしん》らに渡して、つぎつぎにこころみさせた。
たいていはあたったがなかにははずれるものもあった。しかし、はずれたといっても、そう遠く反《そ》れない。せいぜい三寸《ずん》のはずれであった。
入れかわり立ちかわり四人が使うと、筒《つつ》が熱くなって、手にもっていることができなくなった。五番目に受けとった鬼小島弥太郎《おにこじまやたろう》は、
「あッ、ち、ち、ち、ち……」
ととびあがって熱がり、とり落とそうとして、やっと木製の台尻《だいじり》を指でつまんでこらえた。
どっとみな笑った。
「つい失念《しつねん》していました。そこにも、鉄砲の欠点があるのです。つづけては、せいぜい六発しか撃《う》てません。いまの季節でそうですから、暑熱《しよねつ》のころはもっとはようございましょう」
と、定行《さだゆき》は景虎《かげとら》に言った。
「そこにも数がいるわけだな」
「御意《ぎよい》」
弥太郎《やたろう》の次は松江だったが、これは手を出さなかった。
「おらこわい。そげいなもの、まっぴらですだ」
と、顔色をかえんばかりにしてしりごみをする。こっけいでもあれば、ふしぎな女らしさがあって、なかなかよかった。
あずちからまえの座敷にかえって、鉄砲のことについて、みないろいろと話しあった。
「いちおうのものではあるが、雨天に使えず、二十|間《けん》しか利《き》かず、装填《そうてん》に手間《てま》どり、高価であるとすれば、さして役には立つまい。せいぜい、あいず用だ」
というのが、人々の結論であったが、景虎《かげとら》と定行《さだゆき》はなんにも言わず、微笑《びしよう》しあっていた。
二
定行《さだゆき》は一晩とまっただけで帰っていった。
景虎《かげとら》は鉄砲が気に入ったらしく、毎日あずちに出てけいこしていた。時には家臣《かしん》らを引っぱりだして練習させた。人々はあまり気の進まないようであったが、景虎《かげとら》が強《し》いるのでしかたなしにやっていた。
そのころのある日の午後、春日山《かすがやま》城で、晴景《はるかげ》が服部玄鬼《はつとりげんき》を呼んだ。
玄鬼《げんき》の家は城下の侍屋敷《さむらいやしき》のはしっこにある。晴景《はるかげ》の使いの来た時、玄鬼《げんき》は奥座敷で、一人の男と、たがいに寝そべって、なにくれとない話をしていた。
玄鬼《げんき》はもう五十に近い。からだはまだすこしもおとろえを見せないが、顔つきはひどく老《ふ》けてきた。あのくちばしの大きい、鴉《からす》のような横顔をした顔に縦横に小じわがたたみ、髪がまっしろになっている。
しかし、相手の男は、大きくはないが、きたえのきいたひきしまったからだと、ひげの濃《こ》い、目つきの鋭《するど》い、くっきょうな面《つら》がまえをしていた。年ごろは三十前後と見えた。
この男は、つい一月ほどまえに旅姿で来て、そのまま滞在《たいざい》しているのであった。どうやら、玄鬼《げんき》と同国の生まれらしい。二人の間に出る会話はさまざまで、地域的にもほとんど全国にわたっているが、もっともひんぱんに出るのは伊賀《いが》のことであった。
「ほい、どうやら、あのけはいでは、お城内の近習衆《きんじゆうしゆう》ですわい。わしゃあちらに行んでいますわ」
玄関に近づいてくる足音とおとないのことばを聞きつけると、男はこう言って、もそりと起きあがり、縁側《えんがわ》づたいにさらに奥まったへやに立ち去った。ふつうの足どりだが、空《くう》をふむようになんの音も立てないのであった。
玄鬼《げんき》は玄関に出た。
見知りごしの晴景《はるかげ》の近習《きんじゆう》の一人が立っていた。
忍者《にんじや》は武家《ぶけ》に奉公《ほうこう》して二本さしていても、武士ではない。身分的にはごく低いものだ。
「へえ、おいでなさりませ」
とうずくまった。
「殿《との》がお召しだ。いそぎまいるよう」
「かしこまりました。すぐにまいるでございます」
「いつものところにまいっているようにとのおことばだ」
「へえ、かしこまりました」
近習《きんじゆう》のかえっていくのを見送ってから、奥へかえり、納戸《なんど》にはいって身支度《みじたく》をして出てきた。その間にまえの男が座敷にかえっていた。にやにや笑いながら言った。
「どんな御用か、あててみましょうかな。必定《ひつじよう》、喜平二《きへいじ》殿とやらいうご舎弟《しやてい》のことですな」
「たぶんの」
と言いながら、玄鬼《げんき》は小さな懐中鏡《かいちゆうかがみ》を出してのぞきこんで、乱れた小びんのあたりを|つげ《ヽヽ》の櫛《くし》でかきなでている。
男はまた言う。
「すてておきなさればええに、あほうが小さなニキビを気にして、せんどいじくりまわして性《しよう》の悪い腫《は》れものにしてしもうに、よう似とるわ。あほうにつける薬はないとはよう言うたものですのう」
玄鬼《げんき》はふりかえりもせず、
「そこまで考えるのは、わしのつとめではない。それではわしは行ってくるでのう。留守《るす》をたのむわ」
と言って出てゆく。
「やれ、やれ」
男はごろりと横になり、ひじをまげて目をつぶったが、すぐしずかになった。眠っているのか、眼《め》をさましているのか、かすかな寝息《ねいき》ひとつ立てず、ひっそりとした姿であった。
まもなく、玄鬼《げんき》の姿は晴景《はるかげ》の指示した、奥庭の四阿《あずまや》の中の腰かけのわきにうずくまっていた。春になれば紅《あか》い花の咲く木瓜《ぼけ》の老木が、つるつるした幹《みき》を蛇《へび》のように曲がりくねらし、すっかり葉をふるいおとし枝をひろげて、四阿《あずまや》のわきにあった。為景《ためかげ》の生きていたころから、彼が密命《みつめい》を受けるのは、いつもここであった。
かなり長い間待たされたが、玄鬼《げんき》は身動きひとつしない。まっしろな髪のてっぺんを見せてうつむき、彫《きざ》みつけたようにうずくまっていた。
やがて、飛び石の上をわたる木履《ぼくり》の音が近づいてくる。先に晴景《はるかげ》が立ち、あとに藤紫《ふじむらさき》が従っていた。ふりむきはしなかったが、足音と着物に焚《た》きこめた香料《こうりよう》によって、玄鬼《げんき》にはあとに従っているのが藤紫《ふじむらさき》であることがわかっていた。
二人は四阿《あずまや》に入ってきた。晴景《はるかげ》はこしかけにすわり、藤紫《ふじむらさき》はそのうしろに立った。
「お召しによりまして……」
ぼそぼそとつぶやくように低く不明瞭《ふめいりよう》な声で、玄鬼《げんき》は言って、両手を地べたについてあたまを下げた。
「そちに、栃尾《とちお》に行ってもらいたい。事情はよく知っているであろうが、けしからぬ童《わつぱ》じゃ。兄を兄とも思わず、一族の長者《ちようじや》を長者《ちようじや》とも思わず、いつも恐ろしいことを考えているやつじゃ。やつをないものにしてきてほしいのじゃ。これが当座の手当て。首尾《しゆび》よくしおおせてくれば、それに数倍する金子《きんす》をくれるぞ」
いっきに言って、砂金《さきん》づつみをバサリと玄鬼《げんき》の前に投げた。酒食《しゆしよく》にただれたじだらくな生活ばかりしている晴景《はるかげ》は、これだけのことを言っただけで、せいせい息をきらしていたが、口にして、怒《いか》りがさらにつきあげてきたのであろう、ふるえる声をあえがせながら、またつづけた。
「新発田《しばた》兄弟もにくい。掃部介《かもんのすけ》だけでもよい。これもついでに殺してまいれ。喜平二《きへいじ》を殺したうえで、掃部介《かもんのすけ》も殺してまいれば、ほうびは望みにまかせるぞ。金銀が所望《しよもう》なら金銀をくれる。知行《ちぎよう》が望みなら知行《ちぎよう》をくれる。かならずしおおせてまいれ……」
まだ言いたかったらしいが、息が切れたらしい。肩をあえがせて、はれぼったいまぶたの間から、玄鬼《げんき》を凝視《ぎようし》している。
玄鬼《げんき》は投げあたえられた砂金《さきん》を重ねた両手にのせたまま、しばらく黙っていた後、もそもそと言った。
「お言いつけのとおりにいたしますのは、てまえのつとめでございますれば、おことわり申すわけではございませんが、てまえも年を老《と》りまして、このごろではからだのおとろえをしみじみと感ずることがございます。それで……」
晴景《はるかげ》はかっとしてさけんだ。
「行けぬというのか!」
「けっして。いまも申しますとおり、おことわり申すつもりはございません。まいることはまいりますが」
玄鬼《げんき》の調子はかわらない。低い声でつぶやくように言って、はじめて目を上げて晴景《はるかげ》をあおいだ。晴景《はるかげ》は不健康でふゆかいな色をしたぶよぶよした顔に、せいいっぱいに目をみひらいている。むくんだようなまぶたがわずかにあいて、針のような目がこちらの目を見いっていた。
「まいることはまいるが、どうだと申すのだ!」
また目を伏《ふ》せて、玄鬼《げんき》は言う。
「手助けがほしいのでございます。さいわい、てまえの同国の者で、飛《と》び加当《かとう》と異名《いみよう》をとったほどの者が、てまえの宅にまいっておりますれば、その者を同道《どうどう》してまいりたいと存じますが、もし首尾《しゆび》よくおおせつけをはたしましたら、この者をお召し抱《かか》えくだされ、てまえにはお暇《ひま》をたまわりたいのでございます。おゆるしたまわりましょうか」
どんな方法をつかおうと、景虎《かげとら》を殺してくれれば、晴景《はるかげ》には異存《いぞん》はない。べつだん玄鬼《げんき》に未練《みれん》なぞない。
「よし。そのとおりにしてつかわす。かならずともにしとめるのだぞ」
「さっそくのお聞きとどけ、ありがとうございます」
と礼を言った時、藤紫《ふじむらさき》が声をかけた。
「源三郎《げんざぶろう》は、そなたもよく知っている者でありました。この国にわたくしら姉弟《きようだい》を連れてきたのは、そなたであります。浅からぬ因縁《いんねん》のあるなかです。無念《むねん》を晴らしてやってくりゃれ。たのみます」
袖《そで》を目にあてて、むせび泣いた。邪悪《じやあく》な心の女ではあっても、この美しさはたぐいがない。その悲嘆《ひたん》の姿は人の心をうつものがあったが、玄鬼《げんき》は目を伏《ふ》せたまま、そちらを見ない。
「てまえも、お気の毒なことと思うているのでございます」
と、いぜんとして低い声で言っただけであった。
それが不安であったのだろう、藤紫《ふじむらさき》は晴景《はるかげ》の耳に口を寄せてなにごとかささやいた。
「うむ、うむ、うむ……」
晴景《はるかげ》はうなずきながら聞きおわると、立ちあがった。
「しばらく待っているよう」
と、玄鬼《げんき》に言って、藤紫《ふじむらさき》を連れて立ち去った。玄鬼《げんき》はうずくまったまま待っていた。日がかげって、風がすこし出て、あたりの樹木を鳴らしはじめた。水べりの気温は急速にさがり、玄鬼《げんき》のくちばしのような鼻の先に鼻水が光り、しだいにそのしずくが大きくなり、やがてぽとりぽとりとしたたりはじめた。しかし、玄鬼《げんき》は鼻ひとつすすらず、まえの姿をつづけていた。
ふたたび晴景《はるかげ》と藤紫《ふじむらさき》が来た時には、もううす暗くなっていた。
「口約束《くちやくそく》だけでそなたも安心ができぬであろうと思いましたので、お書き付けにしていただいてあげました。ちょうだいなさるよう」
藤紫《ふじむらさき》はふところから書き付けを出して、玄鬼《げんき》にわたした。
ひらいて見ると、晴景《はるかげ》の蹟《て》で、
(こと成就《じようじゆ》のうえは、その方の推挙《すいきよ》の者をその方同様に召し抱《かか》える。また、その方には所望《しよもう》にまかせて褒美《ほうび》をあたえる)
としたため、署名《しよめい》と花押《かきはん》があった。
無言《むごん》のままおしいただく玄鬼《げんき》の前に、藤紫《ふじむらさき》はまた一袋の砂金《さきん》を投げた。
「これはその飛びなにやらへの当座のお手当て」
翌日の早朝、玄鬼《げんき》と飛び加当《かとう》と名のる男とは、春日山《かすがやま》城下を出て北にむかった。玄鬼《げんき》は六十六部《ろくじゆうろくぶ》の姿、飛び加当《かとう》は山伏《やまぶし》の姿になっていた。旅なれた足の早さで、ひるごろにはもう米山越《よねやまご》えにさしかかっていた。
三
二人の忍者《にんじや》――玄鬼《げんき》と飛び加当《かとう》とは、その夜の十時ごろには栃尾《とちお》城を眼下《がんか》に見おろす山上についていた。
草山の斜面にとびだしている大きな岩にならんで腰をおろして、二人はしばらく暗《やみ》の底にうずくまっている城を凝視《ぎようし》していた。
「すぐに行かしゃるかね」
と、飛び加当《かとう》が低い声で言う。
「今夜はやめておこう。いちンち歩きつづけて、くたびれたわ」
加当《かとう》は白い歯を見せて、声を立てずにわらった。
「服部玄鬼《はつとりげんき》といわれたほどの男も、年にはかなわんか」
玄鬼《げんき》はおとなしく、これも笑いながら言う。
「じゃろうな。しかし、わしは若い時から、疲れた時にはやらんことにしている。ろくなことはないけにのう」
加当《かとう》は無言《むごん》のまま、いっそう城に視線を凝《こ》らしてから、
「たいしてむずかしい城のようにも見えんが、ま、よかろう。気が進まんものはしかたがない」
と言って、大きくのびをした。
「そうときまれば、ねぐらをさがそう。こんなところでいつまでも見ていてもしかたがない」
二人は草山を上って樹林に入り、尾根《おね》をこえたところにあった大きな岩の陰《かげ》を、その夜のねぐらとした。樹木がひときわ繁茂《はんも》しているうえに岩が屏風《びようぶ》になって風もさえぎれば、人目にもつきにくくなっている。
秋も最中《もなか》を過ぎて、山上の夜風は寒かったが、焚《た》き火などはしない。糒《ほしい》を水にひたしたのと鰹節《かつおぶし》のかけらを、長い時間をかけてもぐりもぐりと噛《か》みくだいて食べ、おわって、横になった。
玄鬼《げんき》は疲れている。林の梢《こずえ》にたえずそうそうとさわいでいる風の音や、散りおちてはかさかさと音を立ててころがる落葉を気にしているうちに、ついうとうとと眠りにおちかかったが、ふとはっとして目をさました。
「なんぞ言うたかや」
と、言った。大きく目はあいていたが、ひじ枕《まくら》で海老《えび》のように身をかがめた姿勢は動かさなかった。
「ああ、言いましたぞい」
と加当《かとう》が答えた。声は足もとの方から聞こえた。
「眠れんのかいな」
「それもござる」
「寝いよ。おれは疲れた」
「ああ」
しずかになったあとを、また風と落葉の音がつづいた。
玄鬼《げんき》は眠りにかえろうとしたが、すっかり目が冴《さ》えていた。いくどか寝返りを打ったが、眠れそうにない。
「加当《かとう》どんや」
と、呼びかけた。
「寝なされや。疲れとるんじゃろう」
からかうように笑いをふくんだ声であった。
「疲れてはいるが、寝られんわい、寝入りばなをおぬしに起こされてしもうたけにのう」
「ハッハハハ」
ひくく笑って、加当《かとう》は起きあがった。玄鬼《げんき》の枕《まくら》もとに来てひざをかかえてすわった。
「起きなされよ。すこし話しましょうぞ」
「ああ……」
玄鬼《げんき》はもそもそと起きた。軽いせきをしている。白い髪が夜目にもよく見える。
「お前様、ずいぶんからだがなまになったようだの」
加当《かとう》の様子はあわれむようであった。
「なまにもなろうで。わしはもうやがて五十じゃぞや」
加当《かとう》は答えず、うそぶくように上を見上げた。ざわざわと鳴ってはしきりに揺《ゆ》れている樹枝《じゆし》が、青黒い夜空にきらめいている星の光を見せたりかくしたりしている。そのままの姿勢で、言う。
「弾正《だんじよう》殿のことでござるがな、あれは見こみがあるのでござるか」
問いの意味は、玄鬼《げんき》にはわかりすぎるほどわかっている。しかし、答えなかった。
加当《かとう》はまた言う。
「わしにはどうにもあの人のすることが腑《ふ》に落ちんのですわい。お前さまがせっかく約束してきてくださったのに、こんなことを言うのはすまんような気もするが、わしには安心して身柄《みがら》をまかせておけん人柄《ひとがら》のように思えてならんのですわい。あの人より、喜平二《きへいじ》殿の方がずっと評判がよいようですのう」
「そなたの言うことを聞いていると、弾正《だんじよう》殿には見切りをつけて、喜平二《きへいじ》殿に乗りかえるがええと言うているようじゃのう」
「ハハ、ハハ」
「やっぱりそうか。しかし、弾正《だんじよう》殿は春日山長尾《かすがやまながお》家のご当主じゃし、長尾《ながお》一族の総領《そうりよう》じゃし、守護代《しゆごだい》として当国《とうごく》の仕置《しお》きを一手にしているお人じゃ。人柄《ひとがら》はどうでも、この身分はたよりになろう。なによりも、弾正《だんじよう》殿とはもう約束ができているのじゃが、喜平二《きへいじ》殿にはわしらは顔も知られておらんでないか。喜平二《きへいじ》殿はわしらのような者は大きらいなようなお人柄《ひとがら》に見える。こちらがその気でも、むこうが話に乗ってくれんではしかたがあるまいぞ。うん、そうじゃろう」
なにか、玄鬼《げんき》の様子には躍起《やつき》なところが見える。加当《かとう》はまた、フフとわらった。
「お前様、藤紫《ふじむらさき》とやらにほれていなさるのではないですかえ。それとも、源三郎《げんざぶろう》とやらに思いをかけていなさったのか」
返事がちょっと手間《てま》どった。暗《やみ》の底にひっそりとうずくまって、白い髪がうつむいているようだ。
「あほうなことを言う。主人の寵《おも》いものに、だれがそんな気をおこすか。しかし、あの二人は、おれが京の堂上家《どうじようけ》から買うてきたのじゃ。ふびんはかかっている」
ぼそぼそと、いっそう低い声になっている。
加当《かとう》はためいきをついた。
「服部玄鬼《はつとりげんき》も年をとられましたなあ」
「だから、これを奉公《ほうこう》じまいにして、あとをおぬしにゆずって、国にかえろうというのじゃ」
「…………」
「もう寝よう。どうやら寝られそうになってきた」
小さなあくびの音がして、ごろりと横になった。
加当《かとう》はなおその枕《まくら》べにいたが、やがてまえの場所に行って横になった。
四
翌日早朝、まだ日も出ないころ、二人は林のどこやらにおびただしく飛んできて、やかましくさわぎたてる椋鳥《むくどり》のさえずりにおこされた。
林の中にはきびしい霜柱《しもばしら》が立ち、林の外は雪のようにまっしろく霜《しも》がおおうていた。
「風はやんだのにきつい寒さじゃと思うていたが、やはりこうじゃ」
加当《かとう》はひげの濃《こ》い顔をごしごしと両手でこすりながら言った。おろし金をこするような音がした。
二人の起きたけはいに、いっせいにとびたつ羽の音がして、椋鳥《むくどり》の声は聞こえなくなった。
「えらい椋鳥《むくどり》じゃのう。椋《むく》の木でもあるのじゃろうな」
と、玄鬼《げんき》は言った。小首《こくび》をかたむけた顔が、寒げに鳥肌《とりはだ》だっている。まっしろな髪の下に鼻の大きい青い顔はいっそうしわが深くなって、いたいたしいほどであった。
「風邪《かぜ》を引きなさったのではありませんかい」
「だいじょうぶじゃろう。やがてぬくまってくる」
前夜のようにして食事をすませた。
やがて日が出て、ぽかぽかとあたたかくなってきた。
二人は林の外へは出ない。林の中の日のあたるところをつぎつぎに移動して、からだをあたためながら、しゃがんでうずくまったり、横になったりして、うとうととまどろんでいたが、ひるごろになると、ふと加当《かとう》が言った。
「このごろわしがくふうしだした術《じゆつ》があるのでござるが、見てもらえませんかな」
玄鬼《げんき》はひざをかかえてこくりこくりと居ねむりしていたが、うす目をあいた。
「ああ、見せてくれや」
とものうげに言ったが、言ったとたんに大きく目をあいて、加当《かとう》を見た。爛《らん》とかがやくするどい目になっていた。
「目くらましの一手でござるが、ぐあいはしごくよいようです」
加当《かとう》は立ちあがり、金剛杖《こんごうづえ》をとりのべて、前方を示した。
「こちらの大きな赤松から、こちらの幹《みき》のちょいとはげたくぬぎまでの間で、おこないます。あの間にわしが姿を見せたら、石ころをつぶてに打って、わしが身にあててくだされ。なんなら小柄《こづか》なり脇差《わきざし》なりを手裏剣《しゆりけん》にお打ちなされてもかまいませぬ」
「自信ありげじゃのう。見せてくれい。おもしろそうじゃ」
玄鬼《げんき》はおおいに興《きよう》をおぼえたらしい。居ずまいをなおした。
「それでは」
加当《かとう》は杖《つえ》をすて、すたすたとむこうへ歩きだし、ひときわ樹木の密生しているところに入って姿を消したが、ややあってぜんぜん反対がわにひょっこりと姿をあらわした。指示した場所にむかって歩いていく。横顔を見せて移動する一歩一歩に、足もとに散りしいた落葉のふまれる音がばさりばさりと立った。
やがて、指示の区域内に入った。かわらない足どりであったが、中ほどまで行くと、立ちどまってこちらをむいた。木《こ》の間《ま》を漏《も》れる日が顔にさし、にこりと笑っている。濃《こ》い短いひげにかこまれた朱《あか》い唇《くちびる》の中から、歯が白く光った。その以前に、玄鬼《げんき》は手ごろな石ころを手もとに引きつけていた。にぎりしめて、無言《むごん》のままさっと打った。
石は樹木の間を糸を引くように飛んでいき、あやまたず加当《かとう》の眉間《みけん》にあたった。ぱっと皮膚がはじけ、血がほとばしったかと思うと、加当《かとう》はあおむけに棒《ぼう》をたおすようにたおれた。
「ハハ、うまいうまい。なかなかのくふうだぞや」
低い声ながら、玄鬼《げんき》はほめた。
すると、高い樹上《じゆじよう》からひらりと舞《ま》いおりてきたものがあった。加当《かとう》であった。にやにや笑いながら、足もとからつまみあげたのは、いつのまにもっていったのか、玄鬼《げんき》の笈摺《おいずり》であった。加当《かとう》はその笈摺《おいずり》を片手にうちふりながらかえってきた。
「うまいものじゃ。わしもつぶてを打ってしまってすぐ気がついたが、それまではとんと見えなんだ。しろうと相手なら、気づかれることではないぞ」
と、玄鬼《げんき》はまたほめた。
五
その夜、もう夜なかに近くなったころ、玄鬼《げんき》は栃尾《とちお》城に忍びこんだ。単身であった。黒とまごうばかりに濃《こ》く染めた茶色の忍《しの》び装束《しようぞく》であった。
「わしもまいろうか」
と、山をおりる時、加当《かとう》が言ったのだが、
「今夜は様子を見てくるだけゆえ、ひとりでええ。いよいよという時、そなたにも行ってもらおう」
と答えたのであった。
難《なん》なく濠《ほり》をおどりこえ、城壁をよじて城内に入った。水にはなたれた魚のように自由自在な身のこなしだ。あるいはすばやく、あるいは緩慢《かんまん》に、暗いところから、暗いところへたどっていくのが、よく知りぬいた場所を行くように、すこしも迷う様子がない。
玄鬼《げんき》はこの城にはじめて来るのであったが、生来《せいらい》と修練《しゆうれん》によって極度に鋭敏《えいびん》になった五感を総動員した、とぎすまされた勘《かん》の働きによって野の獣《けもの》や野の鳥のように、安全な方、景虎《かげとら》のいる方がたどれるのであった。
(ああ、やっと)
ぽかりと広い庭に出た時、思った。庭のむこうに座敷が見えた。広い城内で、ここだけがまだ起きているらしく、明るい灯影《ほかげ》が明《あか》り障子《しようじ》の内がわからさしている。
玄鬼《げんき》はその庭のすみに数本かたまって生《は》えている松の間に入った。ほっといきをつき、片手にざらざらする松の幹《みき》をつかみ、片手にひたいをなでた。極度の緊張《きんちよう》のために汗がにじんでいて、ぬるりと指先がすべった。
玄鬼《げんき》は明《あか》り障子《しようじ》を見つめて心気《しんき》をしずめ、さらに目をとじて勘《かん》をとぎすまして、その座敷をうかがった。
座敷ではたしかに人が起きていた。ときどきさっとひざを立てるような音がするが、さりとて立ちあがるのでもないようだ。しかも、その音がひんぱんなのだ。その音がしゃきりと稜立《かどた》っていながらもしなやかであるところから判断すると、二十《はたち》前の少年であることはまちがいないようだ。体格もごく小柄《こがら》と見てよい。
玄鬼《げんき》はこれまで景虎《かげとら》をしばしば遠くから見て、よく知っている。だから、そこにいるのが景虎《かげとら》であるには相違ないと思ったが、何をしているのか、まるで推察がつかなかった。抜き打ちに人を斬《き》る刀術《とうじゆつ》のけいこでもしているのかと思ってみたが、それならば太刀風《たちかぜ》の音や鞘《さや》におさめる音がするはずであるのに、どう耳を立てても、そんな音は聞こえない。
音やけはいだけで、何をしているのかの推察がつかないようでは、一人前の忍者《にんじや》の資格はない。くやしさに胸がふるえてきた。
(服部玄鬼《はつとりげんき》ほどの人もお年でありますな)
とにやにや笑いながら言う加当《かとう》の顔や声がまざまざと感ぜられた。
玄鬼《げんき》は木立ちをはなれて、そこに近づいていった。石や灌木《かんぼく》などの陰《かげ》を、黒い蝶《ちよう》か蝙蝠《こうもり》のようにひらひら、ひらひらとたどって、たちまち縁《えん》ばなにへばりついて、そこでも心気《しんき》をすました。いっそうはっきりなった音が聞こえる。板の床をさっと足の裏がすり、立てたひざが静止《せいし》するのがまざまざとたどれるのだが、そこから上がどういう姿勢で、何をしているのか、それはいぜんとしてまるでわからない。
このうえはのぞいて見るよりほかはない。
蛇《へび》が草むらから鎌首《かまくび》をもたげるように、じりじりと頭をおこして縁《えん》にはいあがろうとしたが、とたんに、思い出したことがあって、舌打《したう》ちしたい気持ちになった。晴景《はるかげ》からもらった書き付けをふところに入れたまま来ていることに気がついたのだ。
この書き付けは出かける時は加当《かとう》に渡しておかなければ、万一のことがあった時にとんでもないことになると、出かける直前まで考えていたのに、つい失念《しつねん》してしまったのだ。
こんな不注意なことは、これまであったことがない。
(やはり年か……)
自信が日あたりの霜柱《しもばしら》のようにくずれさる気持ちであった。
また縁《えん》の下に身をひっこめた。うずくまりながら、
(今夜はこのままかえるとしよう。こんな時にはろくなことはない)
と思って、そろりと身をひきかけたが、心のこりでならない。あいかわらず間歇的《かんけつてき》に聞こえてくる音は、知りたい心をそそってやまないものがある。
(のぞいて見るだけのことだ。見つかったところでにげのびるになにほどのことがあろう)
獺《かわうそ》かなんぞが淵《ふち》から岸にはいあがるようであった。しなやかなこなしで、音もなく縁《えん》にはいあがり、障子《しようじ》の合わせ目にすりよろうとした時、異様《いよう》な臭気《しゆうき》がただよってきた。ごくかすかなその臭気《しゆうき》はものの焦《こ》げるにおいであるにはちがいないが、これまで出あったことのないものだ。
はっとして、身をひいた時、天地もくずれるかと疑われるばかりのすさまじい大音響《だいおんきよう》がし、同時におそろしい力で胸のまんなかを突きとばされたように感じた。
気がついた時には、縁先《えんさき》の大地にあおむけに転倒していた。
「曲者《くせもの》をしとめたぞ! みな出あえ!」
障子《しようじ》をがらりと引きあけて、座敷の人はさけんだ。
玄鬼《げんき》はそれが景虎《かげとら》であることを見てとりながら、起きようともがいたが、起きあがれなかった。衝撃《しようげき》を感じた胸のへんがおかしいので、手でさぐってみると、着物が大きく破れ、胸にえぐれたように大きな穴があき、ぬるりとした。血であることは、たしかめないでもわかった。
晴景《はるかげ》のくれた書き付けを始末《しまつ》しなければならないと思った。ふところをさぐってふるえる手でつかみだした。やっと身をねじって口にくわえた。二つに食い裂《さ》き、のみこもうとした。
景虎《かげとら》は鉄砲を片手に、縁《えん》ばなにたって見おろしていたが、鉄砲をすててとびおりて、書き付けを取りあげようとした。玄鬼《げんき》はきびしく歯を食いしめてはなそうとしない。小柄《こづか》をはずして歯の間にさしこみ、こじあけて取りあげた。
玄鬼《げんき》にはもうどうする力もない。よわよわしくせきこむ口もとから泡《あわ》になった血を流しながら、しだいに気が遠くなっていったが、ふとつぶやいた。
「……わかったわ、あれが鉄砲というものじゃな」
しかし、このつぶやきは、血の中にまじった泡《あわ》がぷつぷつとはじける音としか、景虎《かげとら》には聞こえなかった。
家来たちがはせ集まってきた。
景虎《かげとら》は書き付けをふところにしまった。
寝ものがたり
一
「や! なにごとでございました!」
と、まず姿を見せたのは、鬼小島弥太郎《おにこじまやたろう》であった。腕まくりしている。粗剛《そごう》な豪傑《ごうけつ》づらに目をつりあげ、吐《は》く息が煙のように白かった。
景虎《かげとら》は、見い、というように、玄鬼《げんき》の死骸《しがい》にあごをしゃくった。
弥太郎《やたろう》は飛びつくようにそれに走り寄った。
つぎつぎに家臣《かしん》らが駆《か》け集まってくる。みな景虎《かげとら》の無事な姿を見てほっとしたおももちで、玄鬼《げんき》の死骸《しがい》に集まる。
人々がとり巻いて見ているなかで、弥太郎《やたろう》は、
「灯《ひ》を貸せい!」
とどなった。一人が景虎《かげとら》の居間《いま》から灯《ひ》をもってきた。
「照らしとってくれい」
と言いながら、弥太郎《やたろう》は玄鬼《げんき》の覆面《ふくめん》をはぎとった。まっしろな髪があらわれたので、人々はおどろいた。弥太郎《やたろう》は、
「こいつ、見たことのある顔だぞ」
とつぶやいて、血でよごれるのもかまわず、死体の上にまたがり、左右の耳をつかんで引きおこし、つくづくと見ていたが、
「わかった! こいつ、信濃守《しなののかみ》様が使うていなされた伊賀者《いがもの》じゃ! そうじゃろう。みなよう見てくれ。えらい髪が白うなって、老《ふ》けてはいるが、ちがいなかろう、あいつに」
両手につかんだ耳を、グイグイと柄《え》のように動かして、顔をあちこちにむけなおして、人々に見せる。
「そうじゃ。まさしく服部玄鬼《はつとりげんき》じゃ」
と、みなうなずいた。
「いつぞや、米山薬師堂《よねやまやくしどう》で見た、あの男か」
と言いながら、景虎《かげとら》も出てきた。
「そうでござる。よう見てくださりませ」
弥太郎《やたろう》はまたグイと玄鬼《げんき》の顔をその方にむけた。
景虎《かげとら》には薬師堂《やくしどう》で見た時の印象ものこっていなかった。黙ってさがった。
弥太郎《やたろう》は耳をつかんでいた手をはなした。玄鬼《げんき》の後頭部《こうとうぶ》はにぶい音を立てて地べたにぶつかり、はずみにグイとあごがあがった。いのちを吹きかえして動いたようで、人々はハッとした。あごはすこしずつさがって、まえの位置にかえった。灯《ほ》あかりを受けてツンととがっている大きな鼻はいぜんとして特徴的であったが、いのちのないもののむなしさをまざまざと見せていた。
「死骸《しがい》をすぐにかたづけよ。みなみな、このことはないしょだぞ。かたく申しつけたぞ」
と、人々に言って、景虎《かげとら》はみずから灯《ひ》をもち、鉄砲をぶらさげて、居間《いま》にはいった。
人々が死骸《しがい》を運びだして庭からいなくなってしばらくたつまで、景虎《かげとら》は鉄砲の掃除《そうじ》をしていた。ぼろぎれを通したしゃく杖《じよう》で丹念《たんねん》に筒《つつ》をぬぐい、油までさして、小床《こどこ》の鉄砲かけにかけた。席にかえって、しばらく庭に耳をすまし、だれもいないことをたしかめてから、ふところをさぐって、断末魔《だんまつま》の玄鬼《げんき》からうばった書き付けを出した。いくきれにも食い裂《さ》かれている。それを床において、つなぎ合わせて、書いてあることを読んだ。
(こと成就《じようじゆ》のうえは、その方の推挙《すいきよ》の者をその方同様に召し抱《かか》える。また、その方には所望《しよもう》にまかせて褒美《ほうび》をあたえる)
と、それは読めた。署名《しよめい》花押《かきはん》はもちろん、本文も、たしかに晴景《はるかげ》の筆蹟《ひつせき》であった。
大体のことは見当がついていたが、それでもいきなりほッぺたをはげしくぶったたかれたような気持ちであった。怒《いか》りが全身をゆすってわきおこった。
「なぜおれをそんなににくまなければならないのだ」
と、ふるえる胸の中でつぶやいた。
「おれは兄と戦わなければならないかもしれない」
とも考えた。
しかし、やがてその昂奮《こうふん》が去ると、幼時には父に愛せられず、成人したいまでは兄には殺そうと思われるほどにくまれている自分であることが、名状《めいじよう》しようもない深いかなしみと寂寥《せきりよう》になって胸をおおった。
泣けそうになってきた。けんめいにそれをこらえた。
どうした心理のはたらきであるのか、御坂峠《みさかとうげ》で見た武田晴信《たけだはるのぶ》の姿がまざまざと思い浮かんだ。初冬のよく晴れた空にそそりたっている雄大《ゆうだい》な富士《ふじ》を背景に、狩《か》り装束《しようぞく》で、こぶしに鷹《たか》をすえて、たくましい黒駒《くろこま》に乗った色白で俊秀《しゆんしゆう》な美青年の、自分を見た時の切れ長なよく光る目まで、ありありと思い出した。
「……あの男は、父を追いだしただけであった。殺しはせなんだ。かしこいからだ……」
こゆるぎも見せずしんしんと立っている灯《ひ》の小さい炎《ほのお》を見つめながら、つぶやいた。
二
景虎《かげとら》が玄鬼《げんき》をしとめた時の銃声を、加当《かとう》は聞いていた。うとうとと眠っている時であったし、場所が城と反対がわの山の斜面の林の中であったので、それはごくかすかな音になってとどいたのだが、それでもはっとして目をさました。まっくらななかに目をあいて、
「鉄砲の音によう似ていたぞ」
と、思った。
彼は鉄砲を知っている。紀州《きしゆう》の根来《ねごろ》に行った時、根来寺《ねごろじ》と呼ばれている大伝法院《だいでんぽういん》の行人衆《ぎようにんしゆう》の間に鉄砲がはやって、しきりにけいこしているのを見たのがはじめであった。せまい谷のむこうの山に的《まと》をおいて、こちらの山から四、五人で撃《う》っていた。
「こんなにはなれるとあたらんのう」
と坊主頭《ぼうずあたま》にむこう鉢巻《はちまき》したその行人《ぎようにん》らが言っていたが、たしかにあたりは悪かった。そこまでとどかない玉もあるようであった。しかし、音のすさまじさにはおどろかされた。せまい谷なので両方からせまっている山に反響《はんきよう》して、おそろしい響《ひび》きになっていた。あたりは悪くても、この音だけでも威力《いりよく》だと思った。
次には山陽道《さんようどう》のある大名の城下で、武士が鉄砲をかついで猟《りよう》に行くのを見たので、ついていくと、城下はずれの沼に五、六羽浮いている鴨《かも》を、十|間《けん》ばかりの距離から撃《う》って一ぺんに二羽たおしたので舌《した》を巻いた。
「えらいものでやすな。二羽も一ぺんに」
こちらはその時、旅《たび》商人《あきんど》に変装していたので、気やすく近づいていって話しかけた。
「こんなことはめずらしゅうない。いつもじゃ」
と、武士は得意《とくい》げであった。
「そんなえらいものができたら、合戦場《かつせんば》では、高名手柄《こうみようてがら》思いのままでやすな。大将分《たいしようぶん》の者やと見たら、ねらいすまして、ドンと一発ですよって」
と言うと、思いのほかに、武士は、
「こがいなもの合戦《かつせん》には役に立ちゃせん。めんどうでかなやせん。鴨《かも》や雉《きじ》はむこうて来やせんが、人間はむこうてくるさかいな。玉のこめかえしとる間に胸板《むないた》突きぬかれてしもうわな。弓の方がええ、なんぼでも矢つぎばやにはなせる。こがいなものおとなのおもちゃじゃ。猟《りよう》ぐらいにしか使えやせん」
と、言ったのである。
こんなわけだから、鉄砲が一部の人におこなわれていることはよく知っているのだが、それは京から西の国の話で、東国《とうごく》方面ではあるという国を聞いたこともない。越後《えちご》なぞにあろうとは思われなかった。
とにかく、林の中をはいだし、尾根《おね》を越えて、城にむいたがわの斜面に出て、城を見おろした。城は二か所にぼうと灯《ほ》あかりを見せているだけで、ほかはまっくらだ。二か所の灯《ほ》あかりも静まりかえって、まるで動揺《どうよう》しないところを見ると、異変があったとは思われない。
しばらく斜面にうずくまったまま見おろしていた後、寝場所にかえって、また横になった。すぐ軽いいびきを立てはじめた。よく眠っているようであったが、眠っていても時間の経過はちゃんとわかっているのだろうか、帰ってきてもよいころをすこし過ぎたころ、むくむくと起きあがった。
「こりゃアしくじらしゃったにちがいない。――とすると、あれはまちがいなく鉄砲の音だったのだ。玄鬼《げんき》様は鉄砲というものを知りなさらなんだのであろう」
身支度《みじたく》して、山をおりて、城の近くに出た。忍《しの》び装束《しようぞく》はしない。もし玄鬼《げんき》が失敗して、捕《と》らえられたり、殺されたり――その方が近いが――したのであれば、そんなあとはかならず用心が厳重になるから、忍《しの》びこむのは危険だ。危険と知りつつ忍《しの》びこむなど、未熟者《みじゆくもの》のすることだと考えているから、今夜は城のまわりを歩いて、外から様子をうかごうだけにしておくつもりであった。
城のまわりを一巡《いちじゆん》して感じたのは、城内がまるで動揺《どうよう》の色を見せていないことであった。たしかに玄鬼《げんき》はしくじったにちがいなく、それも殺されているにちがいなく、すくなくとも深傷《ふかで》を負うているにはちがいないと思うのだが、だったらいくらかはざわつくけはいがあるべきはずなのに、それがぜんぜんないのだ。
「おかしいな」
と、思った。信念がぐらついてきた。
「ひょっとすると、ありゃア鉄砲の音ではなかったのかな……、いやいや、だとすれば、玄鬼《げんき》様は帰ってござらんければならんはずだ。しかし、この静穏《せいおん》さは?……」
心はいろいろに迷った。
山に引きあげたが、翌日の夜から家中《かちゆう》の武士らの家に忍《しの》びこんだ。城中で異変があれば、遊びにきた朋輩《ほうばい》相手か家族相手にその話が出ないはずはないと思ったからであった。
しかし、どこの家でも、それらしい話は出なかった。鉄砲の話は出た。
「ご熱心にはおどろくわ。夜もいじっておいでる。おやすみになる時は枕《まくら》もとじゃ。寝た間もはなさんとはあれじゃの」
「あんなもの合戦場《かつせんば》では役に立ちはせんぞい。お若くて子供気が失《う》せなさらんすけ、おもちゃもろうたようにおうれしいのではないかの」
といった調子だ。
これで鉄砲のあることはわかったし、玄鬼《げんき》がそれでやられたことはもう確実だと思ったが、はっきりしたことをつきとめたかった。しかし、その点はまるでわからない。あぐねた。
三
数日の後、よく晴れた霜《しも》のきびしい朝であった。加当《かとう》が山上から見ていると、盆地の村々から栃尾《とちお》の城下に集まっている細い道を、人々が集まってきつつある。
わずかにのぼりかけた朝日に淡雪《あわゆき》のように霜《しも》のきらめく田圃《たんぼ》や畑や原野の中をうねりながらつづいている細い道を来る人々は、背負いかごを背にしたり、天秤棒《てんぴんぼう》の両端《りようたん》にかごをぶらさげたのをになったりしている。それらのかごには何か荷物がいっぱいだ。男もいれば、女もいる。子供連れもいる。しかも、城下にむかって来る者ばかりで、村へむかって歩いている者はいない。
「はァてな?」
加当《かとう》は思案しながら凝視《ぎようし》していたが、すぐさとった。
「なるほど、今日は市日《いちび》なのじゃな」
こうさとった時、すばらしい名案が思い浮かんだ。
ほくほくしながら、身支度《みじたく》にかかった。林をすこし下って樹木の種類が杉になるところにわいている清水で口をすすぎ、顔を洗い、水鏡《みずかがみ》にうつして櫛《くし》で髪をなでつけた。ほこりをはらった|ときん《ヽヽヽ》を正しくかぶった。着物はいったんぬいだ後、ちょいと|しわ《ヽヽ》をのばしてから着た。どこからどう見ても、修行《しゆぎよう》をつんだ山伏《やまぶし》の重々《おもおも》しい姿だ。その姿で、金剛杖《こんごうづえ》をつきしめて、城と反対側の山の斜面を縦に歩いて樹林に姿を消したが、しばらくの後には、刈谷田《かりやた》川の支流にそった片山道《かたやまみち》を栃尾《とちお》にむかって、そちらに行く中年の百姓《ひやくしよう》と道づれになって歩いていた。
「市日《いちび》らしいの、今日は」
「へえ、市日《いちび》でござるだ」
ぼく訥《とつ》な顔をした中年の百姓《ひやくしよう》だ。ぎしぎしと鳴りながらしなうにない棒《ぼう》の両端のかごには、うしろの方になにか穀物《こくもつ》らしいものを入れた袋がいくつものせてあり、前の方には菜《な》ッ葉《ぱ》と大根をのせて、そばによく肥《ふと》っためんどりを一羽、羽とあしをしばってころがしてある。そのめんどりがときどき菜《な》ッ葉《ぱ》や大根葉をついばんでいるのを、百姓《ひやくしよう》は知らない。加当《かとう》は気がついているが、心にかかることがあって、それどころではない。おちつきはらった調子で話をつづける。
「市日《いちび》はここでは月に何日あるのかの」
「二日ですだ。三日と二十三日の。お城ではもう一日ふやしたらどうじゃと言うていなさりますけんど、戦《いく》さがようありますすけなあ」
「市場《いちば》はどこかの。お城のそばか」
「いんえ、お城のずっとむこうの秋葉《あきば》様のご門前の道すじでござりますだ。おお、そうじゃ、お前《まえ》様、その秋葉様においでるのではないのですかえ」
秋葉三尺坊権現《さんじやくぼうごんげん》がこんなところに勧請《かんじよう》してあるとは思いもかけないことであったが、
「おお、いかにも、その三尺坊権現《さんじやくぼうごんげん》に参拝のためにまかりこすのじゃが、そうか、そのまえに市《いち》がひらけるのか」
と、要領よくごまかして、
「ずいぶん古いお堂じゃとの」
と言うと、
「うんにゃア、お古くはござらねえだ。おとどしお建ちでござるすけ」
ときた。
ほい、これはちがったと思ったが、しかたがない。
「そうか。それはまた新しいの。お古いと聞いて来たのじゃが……」
「お古くはござらぬだ。おとどし、蔵王《ざおう》山の権現《ごんげん》様が焼けましての、その時、春日山《かすがやま》様のご目代《もくだい》でいまもこの城にござる喜平二《きへいじ》様が、三尺坊《さんじやくぼう》様だけ、ここにお移し申し上げられたのでござるだ」
「ハハ、そうか。ようわかった。わしはなにを思いちがいしていたろう」
話題をかえて、しばらく世間話《せけんばなし》をして、お目代《もくだい》のお気に入りのご家来はだれだと聞いた。
「そうですのう、まず本庄《ほんじよう》様、金津新兵衛《かなづしんべえ》様、だれ、だれ、だれ……」
と数人かぞえあげて、
「ずいぶんおいででござりますだが、お気に入りちゅうと、やっぱり鬼小島《おにこじま》様ではありましねえかのう。弥太郎《やたろう》様のお内方《うちかた》がまたお気に入りでござりましてのう。なんでも小さい時のお乳母《めのと》殿じゃとかで。これがまた女ながら、板額《はんがく》様のような強力無双《ごうりきむそう》でござりましてのう、いつの戦《いく》さにも、具足《ぐそく》着て、なぎなたもってついていかしゃりますわい」
いちいちあいづちを打って、うなずきながら聞いて、話を鉄砲のことにもっていった。
「わしは旅して諸国をまわるのが商売のようなものじゃから、いろいろめずらしいものを見るが、紀州《きしゆう》の根来寺《ねごろじ》に行った時見た鉄砲というものにはたまげたな。あんなすごいものは、見たことがないわ」
とこんな調子で言って、急に気がついたように、
「や! これはこれは。鉄砲は当地ではすこしもめずらしいことではないのじゃったな。このごろ、お目代《もくだい》がどこからか手に入れられて、きつい執心《しゆうしん》でおけいこじゃそうなのう。そなたも話には聞いていようがな」
「聞いていますだ。まんだ見たことはねえだが、音は聞きましただ。お城内でやっていなさるのを、お城のそばに行った時、聞きましたすけな。ドカーンと、おらは肝《きも》くり玉がでんぐりがえるようにびっくらしましただ」
「そうか、そうか。なんでもけいこしとくものだのう。その鉄砲で、このまえの晩は、お目代《もくだい》が曲者《くせもの》をしとめなされたというのう」
百姓《ひやくしよう》は急に熱心な顔になって、
「へえ、そげいなことがありましたのか」
と、こちらを見た。
「ほ、聞かんのか。栖吉《すよし》のあたりでは、大評判《だいひようばん》じゃぞ。なんでも一発で肩をぶっくだかれて死んだそうな。お年は若いが、なかなかのお人じゃと、お目代《もくだい》をみなほめている」
「へえ、そうですかい。へえ……」
百姓《ひやくしよう》は感動した顔になっていたが、ふとめんどりがせっせと菜《な》ッ葉《ぱ》をつついているのに気づくと、びっくりしてどなりたてた。
「こら! 横着鳥《おうちやくどり》め! なにしていくさる! 売りものが売りものを食うちゅうことがあるものか! おまけに横に寝くさりながら!」
立ちどまって、かごをおろした。鶏《にわとり》を片手に、野菜をつかんで、うらめしげに見くらべて言っている。
「こんげにしくさって、売りものにはならんぞな……」
「これはわしも気づかぬことであった。いかなんだのう」
と加当《かとう》はなぐさめた。
百姓《ひやくしよう》とは権現《ごんげん》の前で別れて、高い石段を上ってお詣《まい》りをすませて帰ってくると、もう市場じゅうがお目代《もくだい》様が先夜城内に忍《しの》びこんだ曲者《くせもの》を鉄砲で討ち取られたという話でもちきっていた。
(うまくいったわ)
ほくそえんで、加当《かとう》は立ち去った。
その夜、加当《かとう》は弥太郎《やたろう》の家の床下《ゆかした》にもぐりこんで、夜のふけるのを待った。彼のひそんでいる上は、弥太郎《やたろう》夫婦の寝間《ねま》であった。夫婦は初夜をすぐるころ、寝《しん》についた。加当《かとう》は寝室をのぞきはしないが、けはいで夫婦の寝床《ねどこ》が子供の寝床《ねどこ》を中にして敷かれていることを感知している。また、子供が生まれて一年七、八か月になる男の児《こ》であることを知っている。夫婦はなんの寝物語《ねものがたり》もなく、すぐぐっすりと眠りに入った。弥太郎《やたろう》の高いいびきだけが、静かな夜気の中に床《ゆか》をふるわすようなひびきをもってつづいたが、一時間ほどの後、子供が目をさましてむずかりはじめた。
妻女《さいじよ》が床《とこ》から手をのばしてしずかに蒲団《ふとん》をたたいてなだめる様子であったが、子供はますますむずかって、ついには泣きだした。
いびきはこの以前からすこし低くなっていたが、やがてはたとやむと、弥太郎《やたろう》の声で言った。
「腹がへっとるのではないかや。またもさぐってみい。ぬれとりはせんか」
妻女《さいじよ》はまたをさぐっている模様《もよう》であったが、子供はいっそう大きな声で泣く。
「腹がへっとるにきまった。乳《ちち》をのませい」
妻女《さいじよ》は起きあがった。子供を抱きとって、自分の床《とこ》にかえり、すわった模様《もよう》だ。子供は現金に泣きやんだ。ときどきごくっごくっとのどの鳴る音がする。健康なよくふとった子供が大きなまっしろな乳房《ちぶさ》に吸いついてむさぼり飲んでいる情景が想像された。
まもなく、妻女《さいじよ》が言う。
「お城内で、喜平二《きへいじ》様が鉄砲で曲者《くせもの》をしとめなされたそうでござるの」
「なに?」
おどろいた声だ。そら来たと、加当《かとう》が緊張《きんちよう》して耳をとぎすましていると、妻女《さいじよ》の気楽《きらく》な声がつづく。
「こないだの夜、ただの一発でみごとにしとめなされたそうでござるの。鉄砲も役に立つことは立つのですの」
「知らんの」
弥太郎《やたろう》の声はそっけなく、つっぱなすようであった。
四
弥太郎《やたろう》の声がそっけなかっただけに、加当《かとう》はかえってあやしいと思った。妻女《さいじよ》がどう切りかえしていくか期待した。
「知りなさらんことはござるまい。あれほど高いうわさになっているのでござるに」
「高いうわさになっている? そなた、どこでだれに聞いたのじゃ」
弥太郎《やたろう》の声が不安げなひびきを帯びてきたので、加当《かとう》はほくほくした。
「だれにといって、みんなそう言ってますがな。今日は市日《いちび》でござるすけ、ちょいとのぞいて見たのでござるが、市《いち》じゅうどこへ行っても、その話でもちきりでござるだ。わが妻《め》にかくしなさることはござるまい」
「市《いち》でみなが話していたと?」
弥太郎《やたろう》は驚いたような語気《ごき》だ。
「ああ、話していましたで」
弥太郎《やたろう》は黙りこんだ。思案していると思われた。
「曲者《くせもの》じゃということじゃが、どこから来た曲者《くせもの》でござるかや。三条《さんじよう》から来たのでござるかや。まさかただのもの盗《と》りではなからず」
これにつづいて、「どっこいしょ」という妻女《さいじよ》の声がして、子供を寝床《ねどこ》にかえすけはいがして、妻女《さいじよ》はのそのそと弥太郎《やたろう》の寝床《ねどこ》に入りこんだ様子だ。
「さあ、教えなさろ。喜平二《きへいじ》様はそなた様にもご主人じゃが、わしにもご主人じゃ。しかもわしにはお前《まえ》様より深い因縁《いんねん》のあるご主人でござるだ。五つ六つのお年ごろには、わしが手塩《てしお》にかけてお育て申したお人でござるすけな。そのご主人が曲者《くせもの》を退治《たいじ》なされたというのを、在郷《ざいごう》の百姓《ひやくしよう》どもがみな知っているちゅうのに、わしが知らいでいてよいとお思いか。わしはみなにいろいろ聞かれたのに、まるで知らなんだすけ、恥《は》ずかしゅうてかないませなんだわい。言うて聞かしなさろ」
「…………」
「わしにかくすということがあるべしや。これ、言いなさろ! 曲者《くせもの》はどこの筋《すじ》でござる?」
どうやら、胸《むな》ぐらをとってゆすっているらしい。床板《ゆかいた》がみしみしと鳴っている。加当《かとう》は、どんな家から嫁《き》た女であろう、喜平二《きへいじ》殿の乳母《めのと》でもあったというのに、まるッきりの百姓女《ひやくしようおんな》の口のきき方だと驚いて聞いていたのだが、この手荒《てあら》さにはいっそうおどろいた。
「まて、まて。これ、はなせ! そげいに亭主《ていしゆ》の胸をしめつけてはいかん。いま言うて聞かせるすけ」
と、やっとつきはなした模様《もよう》で、
「このことは、けっして口外《こうがい》してはならんと、喜平二《きへいじ》様のきびしいおおせつけであったすけ、わしはそちにも申さんできたのじゃが、百姓《ひやくしよう》どもまで知っているとあっては、いくらわしが黙っていても詮《せん》がない。じつはこうじゃった」
と、弥太郎《やたろう》は先夜の出来ごとをのこらず語った。
「へえー、それでその曲者《くせもの》の筋《すじ》は?」
「おどろくなよ。服部玄鬼《はつとりげんき》よ。春日山《かすがやま》のご先代《せんだい》様が召し使うておられた、伊賀《いが》生まれの忍者《にんじや》があったじゃろう、あれじゃったのよ」
「へえー、あの鴉《からす》のばけもんは、まだ春日山《かすがやま》にご奉公《ほうこう》していたのでござるかや、それともどこぞ他家《たけ》に奉公《ほうこう》がえしていたのでござるか」
「春日山《かすがやま》に奉公《ほうこう》していたのじゃよ」
「ふうん、そうでござるだか。それでなにしようとして、ご城内に忍《しの》びこんだのでござる」
「さあ、それがさっぱりわからん。喜平二《きへいじ》様はなにかおわかりになっていることがあるようにも拝せられるが、それについてはなにもおおせられんので、わからん。わしらにわかっていることは、玄鬼《げんき》があの夜ふけてお城内に忍《しの》びこんで、喜平二《きへいじ》様のお居間《いま》の前の庭で、喜平二《きへいじ》様に鉄砲で胸板《むないた》を撃《う》ちぬかれて殺されたということだけじゃ」
「…………」
「いま言うことのほかはわからんが、この前|新発田《しばた》掃部介《かもんのすけ》殿が弾正《だんじよう》様のご寵愛《ちようあい》の小姓《こしよう》を殺しなさったことな、あれがからんでいるのはたしかじゃろうな。喜平二《きへいじ》様が新発田《しばた》殿兄弟にひいきして、おとりなしなされたのを、弾正《だんじよう》様はきついお腹立ちのようじゃすけな」
寝ものがたりはなおつづいたが、聞きたいことはもう聞いてしまった。加当《かとう》は立ち去るべく、夫婦《ふうふ》の寝いるのをしんぼう強く待った。
五
加当《かとう》は山にかえった。玄鬼《げんき》があわれでならなかった。伊賀《いが》の忍者《にんじや》で終わりを全《まつた》くした者はほとんどない。山が多くて耕地が少なく、そのわずかな耕地も生産の少ないやせ地ばかりの土地がらゆえ、他国へ出て先祖代々もちつたえた技術を売って身を立てることになるが、仕事が仕事だけにほとんど全部が非命《ひめい》の最期《さいご》をとげる。遠い他国で、どこのだれとも知られず野良犬《のらいぬ》のように打ち殺され、無縁仏《むえんぼとけ》としてでも葬《ほうむ》られるのはよい方で、たいていは野山の末にすてられて、野獣《やじゆう》や野鳥の餌食《えじき》となってしまうのだ。
こんなことは、だれも覚悟の前だ。覚悟して国を出ていく。蕎麦《そば》か豆類くらいしかできないようなやせ畑をほじくって生涯《しようがい》腹いっぱい食べることもない貧寒《ひんかん》な生活を送るより、その方がまだましだと思うからである。玄鬼《げんき》も、また加当《かとう》も同じだ。こんな気持ちで国を出たのだ。
こんどの仕事のことについて、どんな約束が玄鬼《げんき》と晴景《はるかげ》の間にできているか、くわしいことは加当《かとう》は知らない。
「やりとげてかえれば、そなたを召し抱《かか》えてもろうことになっている。手伝ってくれい」
とだけしか、玄鬼《げんき》は言わなかったのだ。
けれども、加当《かとう》は推察していた。よほどに多額《たがく》のほうび金の約束ができており、この仕事を最後にあとを加当《かとう》にゆずって国もとにかえるつもりになっているらしいと。
「玄鬼《げんき》様といえば、国もとではいまだに話の種《たね》になっているほどの術者《じゆつしや》じゃったが、年をとられて、いまではもう昔のようではなさそうな。このへんで足を洗って国にかえり、気楽《きらく》な境涯《きようがい》に入ろうという気になりなさったのはかしこいわ。多年心がけておられたらしく、ずいぶん金銀もたくわえておられるようじゃし、こんどのほうび金も相当な約束らしいから、老後は安気《あんき》なものじゃ。ええことだわな」
と、加当《かとう》は、口に出しはしなかったが、考えていた。
それだけに、こんな結果になっては、玄鬼《げんき》が気の毒でならなかった。
「かたきを討ってあげざなるまい」
と思った。
「伊賀《いが》ものがどんなに執念《しゆうねん》深く、どんなにおそろしいものであるか、思い知らせてやらなならん。あとあとのためでもある」
とも思った。
彼はぐっすり寝こんで、日の高く上がるころになって目をさまし、どんな方法でかたきを討つか、くふうをこらしつづけた。いろいろな思案は浮かんだが、なかなかかたまらなかった。
午後になって、山の上に出て、木の間から城を見おろして、なお思案をつづけていると、城から鉄砲の音が聞こえてきた。間をおいて、ドカン、ドカンと聞こえてくる。日の光が澄明《ちようめい》でしんとしずまった盆地の中の空気をゆすって、その音はとどいてくる。けいこしているのであることは明らかであった。
「どこでやっとんのやろ」
加当《かとう》は城内のあちこちに目を走らせていたが、やがて見つけた。
「ああ、あそこか」
二の丸の一部に日のあたっている広い地面の見える場所があって、そこに豆粒《まめつぶ》のような七、八人の人影《ひとかげ》がうごめいていた。広場のはずれの、濠《ほり》に接したところには松が数本、日のあたった赤い幹《みき》をくねらせて立ち、その下があずちになっているらしく、土をむきだしにした堤《つつみ》がややななめに見えてつづいている。豆粒《まめつぶ》のような人の群れの中からパッと白い煙が立ち、あずちに土煙《つちけむり》が立ってしばらくすると、ドカンと音がひびいてくる。加当《かとう》はけいこのつづいている間、それを見ていた。
けいこを見ている間も、その後も、加当《かとう》はずっとかたき討ちのくふうをつづけていたが、その夜、風の音と落葉の音の中に寝ている間に、思案のむきがクルリとかわった。
「わしァ夢中《むちゆう》になって思いつめとったが、かたき討ちなんざ、あほくさいのう。喜平二《きへいじ》どんを討ち取ってみたところで、玄鬼《げんき》様が生きかえらしゃるわけではない。そりゃ、弾正《だんじよう》どんは喜ぶじゃろ。そして、わしを玄鬼《げんき》様のかわりに召し抱《かか》えてくれるじゃろ。そういう約束になっているのじゃというから。しかし、あの殿《との》さんはあんまり末の見こみのある殿《との》さんではない。どうやら、わしのカンではあんまりそう長くたたんうちに没落しそうにも思える。弾正《だんじよう》どんにくらべれば、喜平二《きへいじ》どんの方がずっと末の見こみがあるような。いちばん思案をかえて、喜平二《きへいじ》どんに奉公《ほうこう》することにした方がりこうかもしれんぞ」
こうなると、いろいろ調子がかわってくる。
「忍者《にんじや》が国にかえって安らかに余生《よせい》を送ろうなどという料簡《りようけん》をおこすのが、どだいまちがっている。玄鬼《げんき》様はもうその料簡《りようけん》にならしゃった時に死んでいなさったのじゃ。こんど殺されなさったのではない」
とも考えた。
「いくら金銀を貯《た》めていなさるか、こんどいくらもろう約束になっているか、玄鬼《げんき》様はいっさいわしには言いなさらなんだ。水くさいわの。こんな水くさい人のためにかたき討ちじゃなんどと力《りき》むのはあほくさいことや」
とも考えた。
「玄鬼《げんき》様はこのしごとをしとげれば、わしを春日山《かすがやま》に召し抱《かか》えてもろう約束ができていると言わしゃったが、約束の証拠《しようこ》はなんにもあらへん。わしがしとげて帰っても、弾正《だんじよう》どんがそんな約束はおれはしとらんと言えば、どうにもなることやない。玄鬼《げんき》様が生きていなされば知らず、言いかねないお人のように、弾正《だんじよう》どんは見える。そうなったら、あほらしいやないか」
とも考えた。
「やめたわ! ご本尊《ほんぞん》をかえて、喜平二《きへいじ》どんにご奉公《ほうこう》といこう。悪う思うてくださるなや、玄鬼《げんき》様、南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》、頓証菩提《とんしようぼだい》」
と、合掌《がつしよう》した。
六
夜が明けるのを待ちかねて、加当《かとう》は山を下り、また弥太郎《やたろう》の家に行った。こんどは玄関から堂々と訪問した。
「伊賀《いが》の住人で、加当久作《かとうきゆうさく》と申す者、おねがいのすじあって参上《さんじよう》いたしました」
と、口上《こうじよう》をのべた。
松江《まつえ》が取り次ぎに出た。赤いまるいほッぺたがすこしよごれた丈夫《じようぶ》そうな赤んぼを左の手で引っかかえていた。美しい顔とたおやかなからだつきをしているくせに、むぞうさにかかえこんでいるのがいかにも軽げだ。板額《はんがく》のように剛力《ごうりき》で、戦場にも出て男の勇士らにおとらない働きをする人と聞いたことを思い出し、なるほどと心ひそかに合点《がてん》した。
「しばらくひかえていてくだされや。出仕《しゆつし》前じゃすけ、会うというかどうか、ちょっくら聞いてきますけ」
ことばは一昨夜|床下《ゆかした》で聞いたと同じく粗野《そや》だが、態度はいたってしおらしい。一昨夜のご亭主《ていしゆ》との問答《もんどう》ぶり、その後の夫婦の様子を思い出して加当《かとう》は笑いだしたくなった。こらえて、しかつめらしい容儀《ようぎ》で言った。
「そのご出仕《しゆつし》前にと存じて、ご迷惑《めいわく》とは存じながら、早朝に参上《さんじよう》したのでござれば、まげてお会いくださるよう、おねがい申します」
「はあ、そうでござりますだか」
松江は子供をひざにうつし、グイと胸を引きあけ、まばゆいほど白く大きな乳房《ちぶさ》を出して子供の口にふくませながら、しげしげと加当《かとう》を見て、
「お前さま山伏《やまぶし》どのの姿をしてござるが、山伏《やまぶし》どのではねえのですな。伊賀《いが》の……?」
「伊賀《いが》の住人|加当久作《かとうきゆうさく》であります」
「ああ、そうでござりましたな。忍者《にんじや》どのでござりますだか」
「ま、そのようなものです」
「そうでござるか。それでは、ちょっくらひかえなされや、いま聞いてきますけ」
松江は乳をのませながら、奥へ入っていったが、まもなく出てきた。
「会うと言いますけに、庭からまわってくださろ。わらじをぬいだり、はいたり、そなた様もめんどうであろうし、こっちもめんどうじゃすけ」
玄関わきの木戸《きど》から庭に入った。一昨夜はこの庭から入って、床下《ゆかした》にもぐりこんだのだ。足あとをのこさないように注意して入り、注意して出ていったから、一面に霜柱《しもばしら》の立っている庭には、その痕跡《こんせき》はのこっていなかった。満足であった。
弥太郎《やたろう》は簀子《すのこ》の内がわの座敷に円座《えんざ》をしいて、直垂姿《ひたたれすがた》で、ひざを折って端座《たんざ》していた。血色のよい顔と、そりたてのあおあおとした口もとやあごのあたりとが、においたつように溌剌《はつらつ》とした感じであった。
「お名前はとりつぎの者からうかがった。まずかけられよ」
庭に立って名のろうとすると、弥太郎《やたろう》はこう言って、簀子《すのこ》ぎわにすでに用意してある円座《えんざ》を指さした。大きな鋭い目が射るようであった。
「ちょうだいいたす」
会釈《えしやく》してかけた。
「御用は」
猶予《ゆうよ》もなく問いかける。
「拙者《せつしや》は生国《しようごく》の習いで、忍《しの》びの術をたしなみます。当国《とうごく》に入って、お許《もと》様のご主人であられる喜平二景虎《きへいじかげとら》様のご器量《きりよう》をききましたので、かかるお人こそ多年もとめていた武将でおわすと存じ、ご推挙《すいきよ》によってお召し抱《かか》えねがえたならば、いかばかりうれしかろうと、まかりでた次第であります」
弥太郎《やたろう》は急には答えない。鋭い目をいっそう鋭くして、まじまじと見つめつづけた後、言う。
「つかんことをうかごうが、そなた、服部玄鬼《はつとりげんき》という者を知ってはおらんか。そなたと同じ伊賀《いが》生まれの忍者《にんじや》じゃが」
忍者《にんじや》の武家《ぶけ》における身分は高いものではない。武家奉公《ぶけほうこう》はしていても、武士ではないとも言える。忍者《にんじや》ときいた以上、弥太郎《やたろう》のことばづかいが粗末《そまつ》になったのは当然のことであった。
服部玄鬼《はつとりげんき》の名が出てきたので、来たな、と思いながらも、加当《かとう》はいたって平静《へいせい》に答える。
「名前だけは存じています。伊賀《いが》の忍者《にんじや》なかまでは高名《こうめい》の者でありますが、拙者《せつしや》は年がちがいますし、玄鬼《げんき》殿は久しい以前に国を出てしまわれた由《よし》で、お会いしたことはありません。国では当国《とうごく》の春日山《かすがやま》様にご奉公《ほうこう》申していると申していましたが、なるほど、玄鬼《げんき》殿とご面識《めんしき》がおわすのでございますな。それならば、拙者技倆《せつしやぎりよう》のほどは玄鬼《げんき》殿にお問い合わせくださればよくわかりましょう。いまも申しますとおり、玄鬼《げんき》殿とお会いしたことはありませぬが、拙者《せつしや》がいかほどの者かは、さだめてお知りのことと存じますれば」
弥太郎《やたろう》はなお加当《かとう》を見つめながら、思案するような顔をしている。どんな思案がその胸中に往来しているか、加当《かとう》には見通しだ。――こいつの言うことは本当じゃろうか、本当らしいな、いやそう手がるに信じてはいかん、玄鬼《げんき》とは一つ穴のむじなで、同じ目的をもってきているのかもしれん、いやいや、どうやら本当らしいぞ、心にやましいところのあるものがこんなにおちついた顔をしていられるものではない、というような思案がくりかえされているにちがいないのであった。
松江が茶をもって出てきた。子供を背中にひっせおっていた。むくむくとよく太った子供の足が、帯にしめつけられながら、松江のおしりの下にむきだしでぶらさがっている。寒げであった。
「ありがとうござる」
加当《かとう》はいただいて、湯気《ゆげ》の立ちのぼっている湯呑《ゆのみ》をとりあげ、両手でかかえた。ほかほかとしたあたたかさが、思いもかけなかったほどこころよかった。今日でもう何日、温かいものを手にしなかったろうと思った。冷えた両手をあたためてから、ゆっくりと口にした。熱い茶はなんともいえずうまかった。
弥太郎《やたろう》が口をひらいた。
「そなた、よほどにその道では名の高いものか」
加当《かとう》は微笑《びしよう》した。
「飛び加当《かとう》という異名《いみよう》が拙者《せつしや》にはついています。東国《とうごく》では知る人がないようでござるが、京近くから西国《さいごく》すじにかけては、ずいぶん知られているつもりであります。お疑わしくば、いまの話の服部玄鬼《はつとりげんき》殿にお問い合わせくだされば、すぐわかりましょう」
「飛び加当《かとう》というからには、飛ぶのが得手《えて》か」
「走りかかりなしに横に三|間《げん》半を飛びます。杖《つえ》があれば五|間《けん》はたやすく飛びます。高飛びは一|間《けん》半、三尺の杖《つえ》があれば二|間《けん》の塀《へい》をおどり越えることができます。しかし、この技《わざ》などはとりたてて申したてるほどのものではありません。弓矢も、また近ごろ西国《さいごく》すじできつうはやっています鉄砲も、拙者《せつしや》の術《じゆつ》をもってすれば、けっして身にあたりませぬ。十|間《けん》はなれて的《まと》になって立っても、かならずはずすことができます」
弥太郎《やたろう》はあきれて目をみはったままであった。
篠《すず》 懸《かけ》
一
人と会って口をききあっている時、たいていの人間は本心とかかわりなくあいづちを打ったり、間投詞《かんとうし》を入れたりする。双方《そうほう》ともにあいさつと心得《こころえ》ているのだ。あいさつにちがいない。これがあるために、たがいに気持ちがなごみ、スムーズに会話が運ぶのである。
ところが、鬼小島弥太郎《おにこじまやたろう》にはそれができない。本心からしかものが言えないのである。いまも加当《かとう》の高言《こうげん》を聞いたが、「なるほど」というあいさつのことばが出ない。相手の顔を見つめたきり、黙っている。そして、胸のうちで思案していた。
(やらせてみればすぐわかることを、こげいにまで言うからには、うそではなかるべし。喜平二《きへいじ》様もこないだのようなこともあるのじゃすけ、こげいな者も一人か二人はあってもよかるべし。いちばん申し上げてみようか……)
この沈黙を、加当《かとう》は疑っているのだと思った。
「うろんとおぼしめさるなら、この場でごらんにいれてもようござる」
と言った。
「うんにゃ。見ることはいらん。そなたがうそを言っているとは思わんすけな。よかろう。いちおう推挙《すいきよ》はしてみよう。なんとおおせられるかわからんが」
加当《かとう》の顔にはぱっと喜色《きしよく》がみなぎった。
「さっそくのご承引《しよういん》、かたじけのうございます。もし、ご推挙《すいきよ》によってお召し抱《かか》えいただけますなら、けっしてご奉公《ほうこう》に骨はおしみません」
「それは当然のことじゃ。おれが推挙《すいきよ》した者が骨おしみするような根性《こんじよう》のものであっては、おれの立つ瀬《せ》がないわい。ところで、おれはこれから出仕《しゆつし》するが、すぐにそなたのことを申し上げるつもりじゃ。たぶんおとり上げくださるじゃろうが、そうなればすぐに会いたいとおおせられるのは必定《ひつじよう》じゃと思うが、そなたどうする。おれといっしょにお城に行くか、それとも宿元《やどもと》でなり当家《とうけ》でなり、待っているか。いずれとも、そなたの心まかせじゃが」
「お使いをいただくもお手間《てま》でありますゆえ、お供《とも》してお城に上がらせていただきましょう」
出仕《しゆつし》の支度《したく》はもうできている。すぐ家を出た。
城に上がると、弥太郎《やたろう》は加当《かとう》を侍詰所《さむらいつめしよ》に待たせておいて、景虎《かげとら》の居間《いま》に伺候《しこう》した。
景虎《かげとら》は櫛形《くしがた》の窓にむかってすえた机の上に絵図面様《えずめんよう》のものをひろげ、ほお杖《づえ》をついて凝視《ぎようし》していたが、弥太郎《やたろう》の声を聞くと、「入れ」と言って、図面をたたんでむきなおった。
「今日はおそかったの」
「出がけに人がまいりましたので、ついおそうなりました」
「あたれ。今朝《けさ》はずいぶん霜《しも》がきびしかったな」
と言って、手あぶりをおしだした。
「ありがとうございます」
弥太郎《やたろう》はいざり寄って、太い頑丈《がんじよう》な手を手あぶりにかざして、かさかさとおしもんでから、言う。
「伊賀《いが》の忍者《にんじや》で、加当久作《かとうきゆうさく》と名のるものが、ご奉公申し上げたいゆえ、世話をたのむと申してまいっておりますが」
「それか、今朝《けさ》の来客というのは」
「さようでございます。飛び加当《かとう》と異名《いみよう》をとったほどの術者《じゆつしや》でありますとか」
弥太郎《やたろう》は加当《かとう》の吹聴《ふいちよう》したことをくりかえした。
「つまり、名人じゃとみずから言うているわけじゃな」
「さようで、うろんと思うならば、春日山《かすがやま》に奉公《ほうこう》している服部玄鬼《はつとりげんき》に問い合わせてほしいと申しております」
景虎《かげとら》はかすかに顔色を動かした。
「玄鬼《げんき》と知り合いじゃと言うたか」
「直接の知り合いではない、年が違ううえに、玄鬼《げんき》は久しいまえに国を出て国に帰ったことがないゆえ、会うたことはない。しかし、自分の名前とどれほどの技倆《ぎりよう》があるかは、玄鬼《げんき》は知っているであろうと、申しました」
景虎《かげとら》のまだ子供らしさののこっているふっくらとした顔にはいささか不似合《ふにあ》いなくらいひとみがしずまって、沈思《ちんし》の表情になったが、やがてにこりと笑った。
「おもしろそうなやつだな。会ってみようか」
「技倆《ぎりよう》をごらんになるのでございますな」
「ああ、そういたそう。本人のことばだけを信用するというわけにはいくまい。あずちに連《つ》れて出い。みなにも知らせて、見物に出るように言え」
「かしこまりました」
弥太郎《やたろう》はよろこんでさがっていった。
二
まもなく、景虎《かげとら》はみずから鉄砲をひっさげ、侍臣《じしん》に黒塗《くろぬ》りの強薬箱《ごうやくばこ》をもたせて、あずちに出てきた。
弥太郎《やたろう》は加当《かとう》をつれてきていた。本庄慶秀《ほんじようよしひで》、金津新兵衛《かなづしんべえ》をはじめとして、豪傑連《ごうけつれん》も集まっていた。
景虎《かげとら》はつかつかと加当《かとう》に近づいた。
加当《かとう》がひざまずき、弥太郎《やたろう》が披露《ひろう》のことばをのべようとしたが、景虎《かげとら》は首をふってしりぞけ、いきなり加当《かとう》に言った。
「その方のわざまえを見たい。申し立てのおもむきどおりであれば、召し抱《かか》える。わざまえが気に入れば、千石つかわしてもよいぞ」
いきなり核心《かくしん》に入ってくる直線的な言い方だ。加当《かとう》はいささかどぎもを抜かれたようであったが、両のてのひらをぴったりと大地につかえて、
「ごらんをいただきます」
と言った。短い答えに自信があふれていた。
「まずその方の異名《いみよう》の由来《ゆらい》となっている飛び業《わざ》を見せい」
「かしこまりました」
立ちあがって、あたりを見まわしていたが、あずちの方に歩き、五、六|間《けん》行って立ちどまった。
今日も快晴だ。赤みをおびた土のひろがっている庭に午前十時ごろの日が明るく降りそそぎ、一面の霜柱《しもばしら》はきらめきながらもなかばとけて、水蒸気が立ちのぼっていた。
「まず横飛びを見ていただきます」
と言って、金剛杖《こんごうづえ》をそこにつきさし、身づくろいもせず、かけ声もかけず、さっと身をおどらせた。柿色《かきいろ》のひろい袖《そで》が風をはらんでひろがったのが鳥かなんぞのように見えたと思うと、前方の大地に両足をそろえて立っていた。たしかに金剛杖《こんごうづえ》の立っている地点から三|間《げん》半は飛んでいた。
こちらで見ていた人々はいっせいにどよめいた。
「杖《つえ》をつかえば、五|間《けん》は飛べます」
まるで演出気《えんしゆつぎ》のない淡々《たんたん》とした口調《くちよう》で言って、金剛杖《こんごうづえ》の位置にかえり、杖《つえ》をぬきとって、また飛んだ。これも確実に五|間《けん》以上あった。
「かけ声を出しますと、もう一|間《けん》は飛べますが、拙者《せつしや》どものしごとはそれでは役に立ちませんから」
次は高飛びであったが、これはさらにあざやかなものであった。射場《いば》小屋のわきにある赤松の下に行ってたたずみ、しばらくあおぎ見ていたかと思うと、ひらりと身をおどらせ、下から四|間《けん》はたしかにある枝の上に、足をそろえて立ったのだ。両手でぶらさがってくるりと身をひるがえして立ったにはちがいないと思われたが、だれもその順序がはっきりわかったものはなかった。鳥が地上を飛びたって枝に位置をうつしたとそっくりにしか見えなかった。
人々は感嘆《かんたん》するばかりであった。
加当《かとう》はふわりと軽く飛んでおり、
「これも杖《つえ》をつかえば、この倍近くにはなります」
と言って、金剛杖《こんごうづえ》をひろいあげ、さらにこころみようとした。
景虎《かげとら》は呼びかけた。
「もうそれはよい。みごとだ。あっぱれ異名《いみよう》にそむかぬ。ほめてとらすぞ」
加当《かとう》は両手をついてうずくまり、礼を言った。
「おほめをいただき、ありがとうございます」
「別のわざを見せい。十|間《けん》の間合《まあ》いがあれば、鉄砲の玉をはずすことができるという申したてであったな」
加当《かとう》は無言《むごん》でうなずいてみせ、歩数をはかってあずちにむかって歩き、適当なところまで行くと、金剛杖《こんごうづえ》をつきさした。
「ここまでで、ちょうど十|間《けん》であります。どなたでもよろしい。いま支度《したく》いたしますれば、こころみていただきます」
手早く篠懸《すずかけ》をぬいで杖《つえ》の頭にかけ、さらにいら高《たか》のじゅずをはずしたが、かけようがなかったと見えて、篠懸《すずかけ》を杖《つえ》にしばりつけるようにしてむすんだ。おわって、一|間《けん》ほど横にのいて立った。うららかな日になって、霜《しも》どけの地面の上には、うすい煙のような水蒸気とかげろうが、よじれながら立ちのぼっている。
「さあ」
加当《かとう》は白い歯を見せて笑っている。
「そなた撃《う》て」
景虎《かげとら》はかかえていた鉄砲を弥太郎《やたろう》にわたした。火縄《ひなわ》は、手まわしよく点火してもってきたのであろう、フッと吹いて火をたしかめてから渡した。
「はい」
弥太郎《やたろう》はその火縄《ひなわ》をはさみ、折敷《おりしき》の姿勢をとってかまえ、いったんねらいをつけたが、不安になったのであろう、鉄砲をひざにもどして、加当《かとう》に呼びかけた。
「大事ないか」
「大事ござらぬ。ずいぶんたしかにおねらいくだされよ」
いっこうかわらない表情であった。弥太郎《やたろう》はフッと火縄《ひなわ》を吹き、またかまえた。
人々は息をのみながら、弥太郎《やたろう》の銃口と加当《かとう》との間に視線を往復させた。日はますます高く明るく、シンとした寂寞《せきばく》の中に、高い空のどこかでとんびの鳴く声がひょろひょろと聞こえてきた。
弥太郎《やたろう》は発射した。
人々はハッと呼吸《いき》をのんだ。加当《かとう》はほんのすこし動いたようであったが、みごとにかわしたと見えて、顔色もかえずまえの場所に立っていた。
「どうやらはずしました」
と笑った。
人々は驚きあきれた。弥太郎《やたろう》はもちろんのことだ。
「奇妙《きみよう》じゃわ。はずれる玉ではないと思うたに」
と首をひねった。
「あざやかなものじゃ。感心したぞ。しかし、あまりにふしぎじゃ。もそっとこころみたい。よいか」
と景虎《かげとら》は言った。
「よろしゅうございます。お得心《とくしん》のいくまでおためしください」
自信にみちた微笑《びしよう》を浮かべている。
景虎《かげとら》は曾根平兵衛《そねへいべえ》にかわらせたが、同じであった。
「合点《がてん》がゆかぬわ。こんどは拙者《せつしや》が」
と、豪傑《ごうけつ》らは進んで希望しはじめたが、景虎《かげとら》は、
「そうまでためすことはない。もう一度おれがためして、それでおわりにしよう」
と言って、装填《そうてん》して、折敷《おりし》いた。
「よいか」
「ようござる」
と加当《かとう》が答えたか答えないかに、鉄砲は景虎《かげとら》のほおに上がり、同時に発射された。
思いもかけないことがおこった。狼狽《ろうばい》しきったたまぎる悲鳴とともに加当《かとう》は二|間《けん》ばかりおどりあがり、たたきつけられたようにそこからおちてたおれたのだ。
人々は片ひざついた姿で見ていたが、総立ちになった。
景虎《かげとら》はいたって冷静であった。淡《あわ》い煙を細い糸がよじれるようにふいている筒口《つつぐち》をふっと吹いて、言った。
「行ってみるがよい。胸板《むないた》をうちくだかれているはずだ」
人々はそこに走った。
どろどろに霜《しも》のとけた土の上に、加当《かとう》はあおむけになってたおれていた。岩をぶっかいたようにするどかった顔が、ものにおどろいた人のよさそうな顔になり、もう呼吸《いき》が絶えていた。胸から心臓にかけてぐちゃぐちゃにつぶれ、霜《しも》どけの泥《どろ》に血と肉片《にくへん》とがどろどろと流れでていた。
霜《しも》どけの中をひろいひろい景虎《かげとら》は近づいてきた。
人々は急には口がきけない。
(これはまたどうしたことでございましょう)
と、問いかけるような目で景虎《かげとら》を見た。
景虎《かげとら》は金剛杖《こんごうづえ》の頭に結びつけてあるじゅずを解き、篠懸《すずかけ》をはずし、「見い」というように、弥太郎《やたろう》にさし出した。
弥太郎《やたろう》は受けとってひろげた。人々はその柿色《かきいろ》の篠懸《すずかけ》の背に大きな穴が二つもあいているのを見た。穴のふちが黒く焼けこげているところ、たしかに鉄砲玉のあとに相違なかった。
「これが手品《てじな》の種《たね》じゃ。おどろくことはない」
と景虎《かげとら》は言ったが、人々がなお不審《ふしん》げな顔をしているのを見ると、説明を重ねた。
「目くらましにすぎん。これと自分とを反対に見せかけただけのことだ。おれもはじめはくらまされていたが、どう考えてもそんなはずはありようがないので、この篠懸《すずかけ》があやしいと思うたのだ。それで、気をつけて見ていると、鉄砲を撃《う》ったあと、やつの胸のあたりに、ごくかすかではあるが煙の立ちのぼるのが見えた。本人がみじんも傷つかずにいるのに、煙の立とうはずがない。そこで、おれはやつと見えるはこの篠懸《すずかけ》、篠懸《すずかけ》と見えるはやつ、と、合点《がてん》して、篠懸《すずかけ》をねらってはなしたのだ。これからもあることだ。諸事《しよじ》このように心をくばれば、めったにこんなことにはだまされはせん」
景虎《かげとら》の英俊《えいしゆん》にはすでに十二分に敬服している人々ではあったが、あらためて感心せずにはいられなかった。若い主人をあおぐ彼らの目には包みきれない感動の色があった。
景虎《かげとら》にしても、うれしくないことはない。また言った。
「おれはこいつを玄鬼《げんき》と同じ目的をもつ者と見た。同じ国の者で、同じ道の者で、たがいにそのすぐれた技《わざ》を買いおうていて、しかも敵《かたき》どうしでもないというのに、その国に来ながら訪《たず》ねてゆかぬということがあろうか。一つ穴のむじなゆえ、名は知っているが面識はないと言うたにちがいないのだ。はは、はは」
笑って立ち去った。
景虎《かげとら》のこの推理は半分あたって半分はずれている。はじめは加当《かとう》も玄鬼《げんき》と同じ腹で来たのだが、玄鬼《げんき》の死後それはまるで逆にかわり、心から景虎《かげとら》に奉公《ほうこう》する気になったのだ。けれども、これほどの心がわりは、時間とさらに多くの材料とがあれば知らず、会ってすぐ推察のつくはずがない。人々は景虎《かげとら》の見とおしたとおりであると思い、これまた神智《しんち》として感激した。
三
二度も暗殺者を送られて、景虎《かげとら》の晴景《はるかげ》にたいする感情は険悪《けんあく》にならないわけにはいかなかった。
「一度|宇佐美《うさみ》に会って事情を話して相談する必要がある」
と考えて、出かける支度《したく》をしていると、三条《さんじよう》の領内にはなっている細作《しのびのもの》らが三条《さんじよう》方の動きが尋常でないことを報告してきた。近ごろ、三条|与力《よりき》の豪族《ごうぞく》らが目立ってひんぱんに三条に往来しはじめたというのだ。
わからないことはなかった。三条方ではいつも鵜《う》の目鷹《たか》の目でこちらの様子をさぐっているにちがいないのだ。新発田《しばた》兄弟と晴景《はるかげ》との紛擾《ふんじよう》、それを原因にしてこちらと春日山《かすがやま》との間に不快な空気の流れるようになっていることに気のつかないはずはない。この情勢を利用しようとするのは当然のことだ。
「どう出てくるか」
景虎《かげとら》は思案した。
まず考えられるのは、この形勢ではとうてい栃尾《とちお》は春日山《かすがやま》の助勢《じよせい》を得ることはできないとして、襲撃《しゆうげき》してくることだ。
次には、最悪の場合だが、晴景《はるかげ》と手を組んで襲来《しゆうらい》するかもしれないことだ。ふつうでは考えられないのだが、このごろとりわけ常識はずれなことばかりする兄であってみれば、甘言《かんげん》をもって説《と》かれれば、その気になるおそれは十分にある。用心をおこたってはならなかった。
景虎《かげとら》は城の防備を厳重にすると同時に、琵琶島《びわじま》に使いを出して、
「そなたもすでに気がついているであろうが、三条方の動きが近年とみに活発になっている。わしはしかじかのことがあるので、春日山《かすがやま》の出ようがまことに不安である。三条方だけなら防ぐ手だても容易だが、万が一にも春日山《かすがやま》が甘《あま》いことばにまどわされ、三条方と手はずを合わせて押しよせるようなことがあっては、腹背《ふくはい》に敵を引きうけることになる。その際における春日山《かすがやま》勢のおさえをそなたにたのみたい」
と書きおくった。
使者は翌日の夜はもう帰ってきた。
「お申しこしの条々《じようじよう》、いちいち同感であります。春日山《かすがやま》勢にたいする手当ては、ちかって拙者《せつしや》において引きうけます。一兵も米山《よねやま》を越えさすまじ。心安くおわせよ」
という返書。
四
琵琶島《びわじま》につかわした使者が帰ってきて数日後の早朝、やはりきびしい霜《しも》の朝であった。三条《さんじよう》勢が押しよせてくるという報告が入った。金津伊豆《かなづいず》を主将として、豪族《ごうぞく》数人が従い、総勢では五千余人であるという。
「伊豆《いず》が手並みはまだ知らんが、やつが兄|黒田《くろだ》の手並みはこのまえとっくりと見た。なにほどのやつでもなかった。伊豆《いず》が兄まさりであるとは聞いておらんぞ」
と、景虎《かげとら》は笑った。背後の春日山《かすがやま》方面の不安を封じた以上、正面から来る敵だけなら、彼には恐怖《きようふ》もなければ不安もない。
(痛破《つうは》してくれる!)
と、勇気がりんりんと胸に高鳴るようであった。
さっそくに人々を集めて告げると、みなもまたおおいに気勢があがった。
景虎《かげとら》は人々を部署《ぶしよ》して、それぞれに持ち場をあたえた後、ただひとり鉄砲をたずさえ、霜柱《しもばしら》をふみくだきながら裏山にのぼった。
景虎《かげとら》は山の斜面の、かつて玄鬼《げんき》と加当《かとう》とが城を見おろした草山の斜面に立って、地形を案じ、戦術を練った。それにはまず敵のとるであろう攻撃法を考える必要があったが、どう思いまわしてみても、このまえと同じように大手《おおて》・搦手《からめて》の両方面から来るだろうとしか思えない。
しかし、こんどはそれではこまる。兵数が不足なのだ。このまえは宇佐美《うさみ》勢もいたし、上田《うえだ》勢もいたし、春日山《かすがやま》勢もいて、総勢三千あった。だから敵一万三千にたいして二手にわかれて十分な防戦ができたが、こんどは手勢《てぜい》のほかには新発田《しばた》掃部介《かもんのすけ》の兵二百があるだけだ。総勢わずかに千二百で、五千余の敵を迎えなければならない。比率の点ではこんどの方がいくらか分《ぶ》がわるいくらいにすぎないが、戦闘力というものは比率どおりにはいかない。兵数の少ない軍勢は分ければ比率以上に戦闘力の低下するものなのだ。
「どうにかして、敵を一手にしてかからせたい」
と思うのであった。
栃尾《とちお》盆地は縦長《たてなが》な三角形で、もっとも奥まった頂点の位置に栃尾《とちお》がある。三条《さんじよう》方面からこの盆地に入ってくるには二つの道がある。一つは最初の戦いに敵がとった路《みち》だ。盆地の西を限る山間にたたまれている峡谷《きようこく》地帯をたどっている道を来ることだ。これは峡谷《きようこく》を出たところが栃尾《とちお》の村はずれだ。もう一つは二度目の合戦《かつせん》の時に敵が入ってきた、盆地の底辺近くを流れる刈谷田《かりやた》川の支流にそっている道を入ってくることだ。
これをどちらかの一つにさせることは、それほどむずかしいことではない。百姓《ひやくしよう》どもを駆《か》り集めて、どちらかの道ぞいの山に多数のにせ旗を立てておくのだ。この手で最初の合戦《かつせん》の時に手痛い目にあっているだけに懲《こ》りてその道は来ないであろう。問題は盆地に入ってからあとだ。先度《せんど》のように勢《せい》をわかって裏表から攻《せ》めかかるようなことをさせたくないのである。
「やはり、にせ旗の計よりないな」
盆地の中をうねっている道や、その分岐点《ぶんきてん》や、川すじや、盆地をとりまいている山々をながめわたしながら、つぶやいた。
にせ旗の計をとるとすれば、いま立っている山つづきの東南方のしげみがもっとも適当だ。ここに二、三百人の百姓《ひやくしよう》どもに多数の旗をもたせ、人数の千もこもっているように見せかければ、敵は搦手口《からめてぐち》にかかることを危険とする気をおこすにちがいないと思われた。
思考の方向がきまると、頭は活発に働きはじめる。
「敵の動きに応じて変化するげに見せかける方がいっそうききめがあろうから、百姓《ひやくしよう》どもだけより、心きいた者に二、三十人の兵をさずけてまじえた方がよい。ひょっとしてにせ旗の計とたかをくくってかまわず搦手口《からめてぐち》にまわろうとすることもあろうから、そんな時には一部を林の外にくりだして、いまにも襲《おそ》いかかる気勢を見せるべきであろう」
また、こうも考えた。
「つまりは攻め口を大手口だけにしぼらせるにあるのじゃ。盆地にはどの道をとって入ってこようが、かまわんわけじゃ。その方のにせ旗はやめよう。万一それがにせ旗の計と見やぶられるようなことがあっては、かんじんのこちらまで食いちごうことになる」
思案はきまった。景虎《かげとら》は山をおりることにしたが、その時、下の方から山を上ってくる人のけはいがした。見ると、本庄慶秀《ほんじようよしひで》と金津新兵衛《かなづしんべえ》の二人であった。本庄《ほんじよう》が先に立っている。うしろから射《さ》す午前の日に、二人の小具足《こぐそく》の背がときどき光った。
二人はほとんど口をきかず上ってきて、景虎《かげとら》の前にひざまずいた。
「申し上げたいことがございます」
と、金津《かなづ》が言った。
「そこの岩にかけるがよい。おれもかける」
景虎《かげとら》はむかいあった岩に腰をおろし、二人のかけるのを待って言った。
「聞こう」
「君がこの山へお登りになりましてから、また知らせがございました。その中にちと気になることがございます。早くお耳に達しておきたいと存じまして」
景虎《かげとら》はてっきり春日山《かすがやま》勢が動きだしたのだと思って、胸を引きしめたが、そうではなかった。
「柿崎《かきざき》和泉《いずみ》が敵中《てきちゆう》にいるのでございます」
柿崎《かきざき》が三条《さんじよう》方に味方しているのは、長尾俊景《ながおとしかげ》がまだ生きているころからのことだ。その後、俊景《としかげ》が戦死して昭田《しようだ》常陸《ひたち》が三条方の主将となったが、柿崎《かきざき》は三条方|与力《よりき》をつづけている。単なる味方ではない。昭田《しようだ》の娘聟《むすめむこ》になっている。柿崎《かきざき》の心をつなぐために、昭田《しようだ》は美女を養女《ようじよ》として縁《えん》づけたのだ。女色《じよしよく》は柿崎《かきざき》のアキレス腱《けん》だ。これを餌《えさ》にされては抵抗《ていこう》できない。無二《むに》の味方となっている。しかし、まだ三条方として戦場に出たことはない。柿崎《かきざき》城に蟠踞《ばんきよ》して春日山《かすがやま》へにらみをきかせているだけであった。
(いまはもう春日山《かすがやま》へのおさえはいらんというわけだな)
と、景虎《かげとら》は判断した。柿崎《かきざき》の猛勇《もうゆう》は十分に用心する必要があるとは思ったが、まるで表情を動かさず、
「そうか。おれも音に聞く柿崎《かきざき》の戦《いく》さぶりをはじめて見るわけだな」
とだけ言った。
中国思想史の説くところでは、刑名法家《けいめいほうか》の説も、兵家《へいか》の説も、その源流は老荘虚無《ろうそうきよむ》の説にあるという。両者ともに心理|分析《ぶんせき》を根本とする譎詐《けつさ》の術《じゆつ》であるが、そのためにはこちらの心は人に見すかされず、人の心は明白《めいはく》に見すかす必要があり、それにはまずこちらが虚無《きよむ》らしく見せかけることがもっとも効果的であるからだ。有《あ》るものは見ることができるが、無《な》いものは見ることができないからである。武将の重要なる資格の一つが喜怒哀楽《きどあいらく》を顔に出さないことにあるというのも、このためである。兵の心理の動揺《どうよう》は兵家《へいか》のもっとも忌《い》むところだが、主将が露骨《ろこつ》に感情を顔に出しては、兵の心理は動揺《どうよう》しないわけにいかない。敵の強《きよう》を見ても恐れる色なく、弱《じやく》を見てもあなどる色なく、深沈《しんちん》たるおももちで主将がいてこそ、兵は確然《かくぜん》として不動の心で十分の戦闘力をふるいうる。合戦《かつせん》にあたっては敵をあざむくことはつねに必要であり、場合によっては味方もあざむかねばならないが、これも主将がいつも湛然《たんぜん》たる顔容《がんよう》でいてこそ可能なのである。
景虎《かげとら》が年少の身でありながら、十分にその心がけを体得《たいとく》しているのを見て、二人はうれしく思ったが、なお言った。
「柿崎《かきざき》は絶倫《ぜつりん》の剛《ごう》の者でございます。いちおうのごくふうあるべきであろうと存じてまいりました」
「考えよう」
短く答えて、空をあおいだ。まっさおに晴れた空には十時ごろの朝日がゆきわたり、綿《わた》のように白くうすい雲が悠々《ゆうゆう》とわたっている。ややしばらくそれを見つめた後、
「大儀《たいぎ》であった。下りよう」
と言って、すたすたと下りはじめた。
五
三条《さんじよう》勢のおし寄せてきたのは、翌日のひる過ぎであった。このまえと同じく刈谷田《かりやた》川の支流ぞいの道から盆地に入り、東の山ぞいの道をおして近づいてきた。道は城から十|町《ちよう》ほどのところで、刈谷田《かりやた》川に行きあう。そこで二手にわかれた。一手は川を渡らず堤《つつみ》の上を進みつづけ、一手は川を渡ってすこし進んで停止した。前者は搦手口《からめてぐち》を目ざし、後者《こうしや》は大手口《おおてぐち》を目ざし、前者が適当な地点まで進出するのを待って、手はずを合わせて攻撃にかかるつもりであることは明らかであった。
景虎《かげとら》は計画どおりに城の裏山につづく東南方の山の中腹の樹林に、鬼小島弥太郎夫婦《おにこじまやたろうふうふ》に兵三十人と百姓《ひやくしよう》二百人をさずけてこもらせてはいたが、わざと旗は伏《ふ》せさせておいた。
昨日の快晴にひきかえ、今日は陰気《いんき》な空模様《そらもよう》だ。しみるように寒気がきびしい。空をおおうている厚い雲はやがて雪をちらつかすのではないかと思われるほどであった。その暗い空の下を、刈谷田《かりやた》川の堤防道《ていぼうみち》を来る敵勢はおよそ二千、太鼓《たいこ》と貝の音で気勢をそえながら近づいてくる。
目をはなさず凝視《ぎようし》してころあいをはかっていた景虎《かげとら》は、ひっさげていた鉄砲を空にむけ、火縄《ひなわ》を吹いてひき金を引いた。
轟然《ごうぜん》たるその音があいずであった。林の中に埋伏《まいふく》していた鬼小島夫婦《おにこじまふうふ》は、百姓《ひやくしよう》らにそれぞれ二|旒《りゆう》ずつもたせておいた旗を、あらんかぎりの声でときをつくらせながらおしたてさせ、ゆっくりとふり動かせた。旗には宇佐美《うさみ》家の紋所三《もんどころみ》ツ瓶子《へいし》がうってある。ゆったりと動揺《どうよう》する旗は、それがにせ兵であることをよく知っている城兵らが見ても、すくなくとも千以上の兵がいて、突出しようと身づくろいしているけはいに見えた。
刈谷田《かりやた》川ぞいに来つつあった敵勢の進行ははたととまった。心を動揺《どうよう》させて凝視《ぎようし》している模様《もよう》だ。
景虎《かげとら》はまた鉄砲をはなった。
すると、鬼小島夫婦《おにこじまふうふ》ははげしく旗をふり動かさせ、林の入口にむかって移動にかかった。先頭には本ものの兵がいる。それをひきいて林の外に出、馬を陣頭《じんとう》にならべ、小手《こて》をかざしてきっと敵を見た。
宇佐美《うさみ》の戦《いく》さじょうずを知らない者は越後《えちご》にはいない。こちらが川を渡るのを横から攻撃をかけるつもりと見たらしい。敵の動揺《どうよう》はひどいものになった。使い番らしい騎馬《きば》の武者《むしや》らが、しきりに後陣《こうじん》から先陣《せんじん》に飛び、先陣《せんじん》から後陣《こうじん》に飛びはじめ、まもなくついに搦手《からめて》からの攻撃はあきらめたと見えて、引きとって、大手口の勢に合流した。
(うまくいった)
景虎《かげとら》は満足であったが、微笑《びしよう》も見せず、ゆっくりと大手の門に歩をうつした。人知れない緊張《きんちよう》に、つめたい汗が背ににじんでいた。
大手口の合戦《かつせん》がはじまったのはそれから一時間ほどの後であった。敵は先陣《せんじん》・中陣《ちゆうじん》・後陣《こうじん》の三隊にわかれて、整々《せいせい》と押し近づき、矢ごろに入ると楯《たて》をつきならべ、楯《たて》のかげから矢を射はなちながらすこしずつ押してくる。堅固《けんご》な寄せであった。はじめのうちこちらの矢は楯《たて》に突きささるばかりであったが、しだいに距離が近くなると、よくあたりはじめた。なかにも戸倉与八郎《とくらよはちろう》の射術《しやじゆつ》が精妙《せいみよう》であった。戸倉《とくら》は矢束《やつか》を長く引くために冑《かぶと》をかぶらず、具足《ぐそく》の袖《そで》もぬぎすて、矢間《やざま》の内で引きかためて待っていて、敵の姿がちらりとでも楯《たて》の上やはじにあらわれると、確実に射たおした。たちまち二十人ばかりがたおされたので、敵の陣形はいびつになった。戸倉《とくら》の矢先に近い部分は進みかねてへこみ、両がわが張りだしてきたのだ。
乗ずべきすきであった。
「それッ……」
大喝《だいかつ》して振る景虎《かげとら》の采配《さいはい》とともに、大手の門の内がわに手勢《てぜい》二百人をひきいて待機していた本庄慶秀《ほんじようよしひで》は、門をひらいて打って出、敵の楯《たて》をおしたおしおしたおし、攻めたてた。備えが乱れている三条勢だ。ひとたまりもなく乱れたってさっとひらいたので、勢いこんで中陣《ちゆうじん》に打ってかかった。
中陣《ちゆうじん》は主将である金津《かなづ》伊豆守《いずのかみ》だ。すこしもさわがず、両翼《りようよく》をはりだし、抱きとるように中にとりこめようとする。二千という多勢《たぜい》だ。本庄《ほんじよう》勢はとりこめられまいとしてためらったが、それがいけなかった。たちまち退《ひ》き足がついてくずれたった。
本庄《ほんじよう》勢は門内ににげず、城門の前を西に切れて走った。金津《かなづ》勢は備えを乱して追いかけた。
その以前、景虎《かげとら》は馬廻《うままわ》りの勇士らに三百余人の兵をさし加えて門内に下りてきていたが、まっさきに馬をおどらせ駆けだし、金津《かなづ》勢の側面をついた。わずかに三百余人という寡勢《かぜい》だが、すぐりぬいた剛《ごう》の者である馬廻《うままわ》りの勇士らがいる。たちまち金津《かなづ》勢を潰走《かいそう》させたが、その潰走《かいそう》する金津《かなづ》勢の中に、まえもって景虎《かげとら》に言いふくめられていた勇士三十余人が袖《そで》じるしをかなぐりすててまぎれこんだことを、金津《かなづ》勢はだれ一人として気づかなかった。
三条勢の後陣《こうじん》は柿崎《かきざき》和泉守《いずみのかみ》だ。味方の勢が二軍ともわずかな勢に撃破《げきは》されたことに腹を立てた。
「戦《いく》さのしようを知らぬへろへろ武者《むしや》ばかりじゃわ。まことの戦《いく》さぶり、いちばん見せてくれよう」
と言いざま、馬を引きよせて飛びのり、
「者ども! つづけ!」
と大喝《だいかつ》して、大身《おおみ》の槍《やり》を横たえて馬をおどらせた。いつも着なれた金の鍬形《くわがた》のきらめく黒革縅《くろかわおど》しの鎧冑《よろいかぶと》、燃えたつばかりの緋《ひ》の厚房《あつぶさ》の胸がいしりがいをかけた好《この》みの漆黒《しつこく》の駿馬《しゆんめ》だ。黒雲に乗った雷神《らいじん》のようなすさまじさがあった。
「喜平二《きへいじ》殿はおわさぬか。柿崎《かきざき》和泉守《いずみのかみ》、見参《げんざん》、見参《げんざん》!」
と大音《だいおん》に呼ばわりながら、馬をはせめぐらし、片手にかるがるとふるう槍《やり》の働きが目にもとまらない。行くところ、むかうところ、たたきとばされ、はねとばされ、芋《いも》ざしにさしつらぬかれた。
景虎《かげとら》は柿崎《かきざき》と会わないようにしてしばらく戦いつづけたが、時分《じぶん》をはかった。
「退《ひ》けい、退《ひ》けい、退《ひ》けい!」
と呼ばわりながら、馬をかえしてにげだした。栃尾《とちお》勢はどっとくずれたって、あとにつづいた。
「にがすな! あの紺糸縅《こんいとおど》しが喜平二《きへいじ》殿だぞ! 討ち取れ、討ち取れ!」
とまっさきかけて追いかける柿崎《かきざき》に、その軍勢がつづくと、前軍も中軍も気力を回復して、追撃にかかった。あせって、しどろに備えを乱して追いかけたが、その勢が城門の前を通りすぎた時、門内に待機していた金津新兵衛《かなづしんべえ》と新発田《しばた》掃部介《かもんのすけ》とは、五百人をひきいて突出し、敵のうしろを取り切り、号砲をはなった。
その号砲の音を聞きつけると、いちもくさんににげつつあった景虎《かげとら》勢はぴたりとふみとどまり、
「敵は手だてに落ちたぞ! 戦《いく》さは勝った! それ揉《も》みたてい!」
と叫《さけ》びたてる景虎《かげとら》の声に応じて反撃に転じた。
本庄《ほんじよう》勢も引きかえし、迂回《うかい》して敵の横に出る。
同時に、そのすこしまえに搦手《からめて》の門から城に引きかえしていた弥太郎夫婦《やたろうふうふ》のひきいる百姓《ひやくしよう》らが三《み》ツ瓶子《へいし》の旗を城内におしたてて、喊声《かんせい》を上げた。
三条勢は仰天《ぎようてん》して立ちすくんだ。
金津《かなづ》伊豆守《いずのかみ》はもちろん、柿崎《かきざき》もまた、おどろき、狼狽《ろうばい》し、馬を乗りとどめ、
(はて?)
と疑惑《ぎわく》にとざされた。
金津《かなづ》勢にまぎれこんでいた三十余人の栃尾《とちお》方の勇士らの待っていたのはこの機会であった。いきなり敵方の目ぼしい将校らの乗っている馬の足を薙《な》ぎはらい、斬《き》りはらってまわりはじめた。しかも、口々に、
「すわや、裏切り者がいるぞ! 油断《ゆだん》するな! 討ち取れ!」
などとわめきつづけたのだ。
大混乱がおこった。こらえられるものではない。どっとくずれたち、われがちにと退《ひ》いていく。栃尾《とちお》勢がこれに乗じて三方から猛撃《もうげき》したのでほとんど潰走《かいそう》の姿になった。
柿崎《かきざき》の猛勇《もうゆう》はさすがであった。こうなっても、きたないにげ方はしない。馬廻《うままわ》りの兵三十|騎《き》ほどを堅固《けんご》に引き具して殿《しんがり》し、大身《おおみ》の槍《やり》をこわきにかいこみ、馬をのりまわしのりまわし、執拗《しつよう》に追撃してくる栃尾《とちお》勢を追いかえしつつ退《ひ》いていった。
六
柿崎《かきざき》の殿《しんがり》ぶりのみごとさに、長追いするのを危険と見た景虎《かげとら》が、ほどよく追って勢をまとめて引きかえしたので、三条《さんじよう》勢も踏みとどまることができたが、それでもそれは栃尾《とちお》城から一里半も北の、彼らの入ってきた盆地の入口に近いところであった。
短い日はもう夕方に近かった。それぞれの陣《じん》を張って、夜営《やえい》にかかった。
夕食は諸将《しよしよう》みな金津《かなづ》の陣所《じんしよ》に集まっていっしょにとったが、柿崎《かきざき》はその日の敗戦がしこりとなって胸にある。好きな酒もあまり飲まず、金津《かなづ》や諸将《しよしよう》に皮肉《ひにく》と暴言《ぼうげん》をあびせかけていくらかうっぷんばらしして陣所《じんしよ》にかえった。
「へろへろども、腹も立ておらん」
あらためて酒にしてあおりつけていると、番にあたっている近習《きんじゆう》の者が入ってきて、声をひそめて言う。
「新発田《しばた》掃部介《かもんのすけ》殿がお見えでございますが……」
「なんじゃと?」
ぎょっとした。思わずこちらも低い声になった。
「新発田《しばた》尾張守《おわりのかみ》殿のご舎弟《しやてい》で……」
といっそう声をひくめる。
ようやく酔いが出はじめたところだ。近習《きんじゆう》がいやに声をひそめているのが――いやいや、自分が声をひそめたのが腹が立ってきた。
「なぜそげいな声を出すのじゃ! はっきり言えい! 新発田尾張《しばたおわり》が舎弟《しやてい》掃部介《かもんのすけ》が来たのじゃと? 掃部介《かもんのすけ》は以前はおれがなかのよい友どちじゃったが、いまは敵味方じゃ。なんの用があって来たのじゃ。が、まあよい、昔のよしみじゃ。すげなく追いかえしもできまい。通せ! 鄭重《ていちよう》にするのじゃぞ。武士のたしなみと申すものじゃ」
ことさらに大声でどなりたてた。
掃部介《かもんのすけ》は小具足《こぐそく》姿で、ひっそりと連れてこられた。
「やあ、掃部介《かもんのすけ》殿、ふしぎなところで会うの。ハッハハハハ」
酔った高笑いをまっこうからあびせかけて、柿崎《かきざき》は迎えた。
「いいごきげんだの」
微笑《びしよう》して、掃部介《かもんのすけ》はすわった。
十分なる手ごたえ
一
二、三|献《こん》、酒をすすめた後、柿崎《かきざき》は言う。
「おぬしら、奇妙《きみよう》な戦《いく》さぶりをするのう。今日はみごとにしてやられたが、明日はああはいかんぞ。そのつもりでいるがよい」
口おしさがよみがえって、声がふるえてきた。
「それよ。おぬしがいねば、今日はあれくらいなことではなかった。金津伊豆《かなづいず》を討ち取ってみな殺しにするところであったに、おぬし一人がいたために、追いうちをいいかげんに切りあげねばならなんだ。おしいことをしたわ。なぜおぬしは昭田《しようだ》なぞに与力《よりき》するのじゃ」
と、掃部介《かもんのすけ》は笑った。
巧妙《こうみよう》な媚《こ》びであった。柿崎《かきざき》は呵々《かか》と笑った。きげんがおおいになおったふうであった。
「なぜというて、昭田《しようだ》はおれが舅《しゆうと》どのじゃわ。おれが女房《にようぼう》が昭田《しようだ》から来たことを、おぬし知っているであろうが」
掃部介《かもんのすけ》はおどろいた顔をつくった。
「ほう、おぬしは奥方《おくがた》をもろうたのか。ちっとも知らなんだぞ」
「知らんと?」
「ああ、世間《せけん》でそんなことを言うてはいたが、おれは信じなんだのじゃ」
「信ぜんと? 信ぜんとはどういうわけじゃ?」
柿崎《かきざき》は腹立たしげだ。いまにもどなりだしそうに見えた。掃部介《かもんのすけ》はいっそうおちついた顔で、
「昭田《しようだ》には男の子はあっても、女の子はいないはずじゃ。それで、おぬしが昭田《しようだ》の娘を奥方《おくがた》に迎えたといううわさを聞いた時、おれは、それは奥方《おくがた》を迎えたのではあるまい、側室《そくしつ》を入れたのが、そのようにあやまり伝えられているのじゃろうと思ったのじゃよ」
「側室《そくしつ》とはなんだ! おれほどのさむらいの女房《にようぼう》を! 女房《にようぼう》は昭田《しようだ》の養女《ようじよ》なのじゃぞ!」
とうとうどなりだした。
「まあ、しずかに聞けい。そうけんかごしでは話ができん」
と、掃部介《かもんのすけ》はなだめて、
「その養女《ようじよ》というのが問題じゃ。どだいもともとはだれの娘じゃ。しかるべき家の娘なのか。そうではあるまい。素姓《すじよう》もわからぬ者を、ただつらが渋皮《しぶかわ》むけているというだけで、腰元《こしもと》に召し使うていたのを、おぬしを味方に引きいれるために養女《ようじよ》ということにしてくれたのじゃろうがや。違うかや。奥方《おくがた》ではのうて、妾《しよう》として入れたのじゃろうと、おれが思うたのが無理かな」
柿崎《かきざき》はものを言わない。掃部介《かもんのすけ》をにらんだまま、大きく肩をあえがしている。
掃部介《かもんのすけ》はつづける。
「氏素姓《うじすじよう》も知れぬもの、しかも昭田風情《しようだふぜい》の間に合わせの養女《ようじよ》などをありがたがって奥方《おくがた》にせいでも、柿崎《かきざき》和泉守《いずみのかみ》ともあろう者なら、どんな大名高家《だいみようこうけ》の姫君《ひめぎみ》に思いをかけたとて、かならずよろこんでくれるはずと、おれは思うがのう」
柿崎《かきざき》はなお相手をにらんでいたが、その目には前のような強い光はない。みずからの心の奥底《おくそこ》をかえりみているげな眼《め》つきになっていた。
「昭田《しようだ》常陸《ひたち》とはなにもの? どこの馬の骨とも知れぬ旅烏《たびがらす》にすぎんぞ。むすこ二人を女奉公《おんなぼうこう》させて故《こ》信濃守《しなののかみ》様にとりいったのをはじめとして、小才《こさい》のきくままに春日山長尾《かすがやまながお》家の長老《ちようろう》となりあがった者ではないか。たとえその実の娘であればとて、柿崎《かきざき》家ほどの家柄《いえがら》で、おぬしほどの武士にふさわしいとは、おれには思えんがの」
「…………」
「のみならず、やつは忘恩人《ぼうおんにん》の人非人《にんびにん》じゃ。流浪《るろう》のよるべない身をひろいあげられたさえあるに、その身は守護代《しゆごだい》家の長老《ちようろう》にとりたてられ、二人の子は名家《めいか》の名跡《みようせき》に立てられ、一門|栄華《えいが》に飽《あ》く身となったのに、その大恩《だいおん》ある信濃守《しなののかみ》様がなくなられるや、たちまちにして信濃守《しなののかみ》様の若君《わかぎみ》方に叛逆《はんぎやく》をくわだて、ご二男|景康君《かげやすぎみ》と、ご三男|景房君《かげふさぎみ》とはその毒手《どくしゆ》にお果てなされたではないか。言おうようなき逆臣《ぎやくしん》じゃ。おぬしはかかる者を舅《しゆうと》としていてこころよいか。おれはおぬしほどの武士の舅《しゆうと》と見とうないのじゃ。おぬしを惜《お》しめばこそのことじゃ。親しい友だちにたいする武士の友情と思うてくれい」
ざっかけない調子でありながら、掃部介《かもんのすけ》の弁舌《べんぜつ》は巧妙《こうみよう》をきわめている。誠意にあふれているようにも聞けた。
柿崎《かきざき》は腹を立てたいと思いながらも、それができない。奇妙《きみよう》なおももちになっていた。やっと口をひらいた。
「おぬし、おれになにをすすめようと思うて来たのじゃ」
「いましばらくおれの言うことを黙って聞けい。昭田《しようだ》は重恩《じゆうおん》ある春日山長尾《かすがやまながお》家の逆臣《ぎやくしん》でもあるが、朝敵《ちようてき》でもあるぞ。おとどし、京の禁裡《きんり》から春日山《かすがやま》に国内の逆徒追討《ぎやくとついとう》の綸旨《りんじ》が下賜《かし》されていることは、おぬしもよう知っているであろう。逆徒《ぎやくと》とはだれ? 昭田《しようだ》常陸父子《ひたちおやこ》にほかならぬ。かようなものに味方して、あたらおぬしほどの武士が逆賊《ぎやくぞく》一味の汚名《おめい》を後世《こうせい》に流すのを、おれは残念に思うのじゃ」
「いまの世の綸旨《りんじ》など、はは、はは、はは……」
柿崎《かきざき》は笑った。巨体《きよたい》をゆすりあげゆすりあげ笑った。笑うことのできるすきをはじめて見つけて、気が楽になったふうであった。
掃部介《かもんのすけ》はきびしい表情をくずさない。
「綸旨《りんじ》は綸旨《りんじ》だ。そむく者は朝敵《ちようてき》だぞよ」
短いことばであったが、匕首《あいくち》のような鋭《するど》さがあった。柿崎《かきざき》は笑顔を消して、くらい顔になった。銚子《ちようし》をとって自分の盃《さかずき》に酒をつぎかけたが、その手がふるえているのに気づくと、やめてはげしくおき、両手をひざに四角についた。グッと掃部介《かもんのすけ》をにらんだ。
「おぬし、おれになにをすすめに来たのじゃ。はよう言えい。以前は仲のよかった友だちでも、いまは敵味方じゃぞ。気をつけて口をきけい。ことばの次第によっては、素《そ》ッ首斬《くびき》りとばしてくれるぞ!」
おそろしい顔になっていた。
掃部介《かもんのすけ》はかすかに笑った。
「そうか。それではおれを斬《き》ってくれい。どうやら、おれが言うことはおぬしの気に入らぬげに見える。おれはおぬしに、昭田《しようだ》を去って栃尾《とちお》に味方するようにすすめに来たのじゃから」
柿崎《かきざき》も動かず、掃部介《かもんのすけ》も動かず、二人は相手の目を凝視《ぎようし》しあっていたが、やがてしだいに柿崎《かきざき》の表情はやわらいできた。言った。
「世の口がのう。おれはまえにも上条《じようじよう》から寝返りを打っているでのう」
つぶやくような調子だ。いつにない弱々《よわよわ》しい表情になっている。
「正に帰《き》するのに、なにをはばかることがあるものか。いうまでもないことと思うたゆえ、言わなんだが、三条の亡滅《ぼうめつ》はもう目に見えているぞ。衆寡《しゆうか》の勢が、ああもかけへだたっているうえに、おぬしほどの猛将《もうしよう》が手を貸しているのに、今日のありさまはどうだ。ただごととは思えんぞ。それにひきかえ、景虎君《かげとらぎみ》はなかなかのお人だぞ。まだ十八という若年《じやくねん》で、あの戦《いく》さだてのみごとさ、おぬしとて認めいではおられまい……」
掃部介《かもんのすけ》はなお言いつづけようとしたが、柿崎《かきざき》は手を振った。
「今夜は帰れよ」
掃部介《かもんのすけ》は相手を凝視《ぎようし》したが、すぐ、
「そうか。では、帰る」
そのまま、ゆらりと立った。柿崎《かきざき》は陣所《じんしよ》の外まで送って出た。
暗い山ぞい道を、従騎《じゆうき》数人とこつこつと馬を進めながら、掃部介《かもんのすけ》は、
(十分な手ごたえだ)
と、思っていた。
柿崎《かきざき》に昭田《しようだ》を裏切らせて味方に誘《さそ》いこもうというこの調略《ちようりやく》は、掃部介《かもんのすけ》がみずから思いたって景虎《かげとら》の許しを受けたものであった。自分ら兄弟のことから景虎《かげとら》と晴景《はるかげ》との間が不快になり、それが三条方の攻勢を誘発《ゆうはつ》したにちがいないとの推察は、容易についた。掃部介《かもんのすけ》としては、味方の精《せい》のつくような手柄《てがら》を立てないではおられないのであった。
二
掃部介《かもんのすけ》を送りだしてまえの場所にかえると、柿崎《かきざき》は酒を熱くしてまた飲みはじめた。はじめグイグイと手荒く四、五はい、あとはゆっくりと飲んだ。飲みながら、掃部介《かもんのすけ》の言ったことを反芻《はんすう》する。
忘恩《ぼうおん》の人非人《にんびにん》じゃの、逆賊《ぎやくぞく》じゃの、朝敵《ちようてき》じゃの、などということばは、あの時にはいちおうの力をもって心を刺戟《しげき》したが、こうしてひとりになって熟思《じゆくし》すると、これはいまになってはじまったことではなかった。十分に知りつくしたうえで利害を商量《しようりよう》して、三条方に加担《かたん》したのだ。いくらかでも心をゆるがしたのは、迷いであったと考えてよい。
重要なのは、景虎《かげとら》が稀世《きせい》の将器《しようき》であるらしく思えることだ、これは新しい発見だ。最初|景虎《かげとら》が栃尾《とちお》の古城を修築してこもり、当時三条方の主領であった長尾俊景《ながおとしかげ》の攻撃を痛破《つうは》して走らせたのは、十五歳の晩秋であった。つづいてその冬にはまたまた三条勢の攻撃を撃退したばかりか、俊景《としかげ》を討ち敗るという快勝を得た。両度《りようど》の合戦《かつせん》とも、柿崎《かきざき》は出ていない。うわさを聞いて、
「オヤ」
と思いはしたが、初度はまぐれ勝ち、二度目は宇佐美《うさみ》もいたし、晴景《はるかげ》もいたし、上田《うえだ》からも加勢《かせい》が来ていたと聞いたから、その連中の力、わけても宇佐美《うさみ》の軍配《ぐんばい》の手柄《てがら》であろうと思って納得《なつとく》した。十五やそこらの小《こ》わッぱにどうしてそんなことができるものかと思ったのだ。
しかし、こんどのことは疑いようがない。口おしくても、そのくるくると知恵《ちえ》のまわるあざやかな戦《いく》さだては認めないわけにはいかない。
「十八やそこらで、なんというわッぱであろう。後来《こうらい》どれほどの者になるか」
と舌《した》を巻かずにはおれない。
となると、ここは思案のしどころだ。
「弾正《だんじよう》はくだらん男じゃから、いずれは没落疑いないと思うたすけ、はやばやと三条方になり、俊景《としかげ》が討ち死にしてからも心を動かさず、昭田《しようだ》が聟《むこ》にもなったのじゃが、喜平二《きへいじ》がああでは、秤《はかり》の横棒《よこぼう》はどう動くかわからんことになったわの。弾正《だんじよう》は没落するじゃろうが、喜平二《きへいじ》があとを取るじゃろうでな……」
こうも思案した。
「こうなると、忘恩《ぼうおん》の人非人《にんびにん》、逆賊《ぎやくぞく》、朝敵《ちようてき》、などというわめきたても、空吹く風とあざわろうてばかりもおられんわ。こういうわめきたては、こちらの威勢《いせい》のよい時はたいして力のあるものではないが、むこうの威勢《いせい》がようなると、なかなかききめの出てくるものじゃすけな」
このような思案の去来《きよらい》する胸の底に、いつも昭田《しようだ》からもらった妻女《さいじよ》の白い顔がちらちらと動いている。
美しい女であったから、ずいぶん気にいって愛用しつづけたが、このごろはだいぶ損《そん》じている。ときどき、
「今夜は余《よ》のものをお召しあそばして」
と、回避《かいひ》することがある。すこしやせて、顔にも血の気がなくなって、梨《なし》の花びらのような色になっている。
こういう風情《ふぜい》の女を好《この》む者も世間《せけん》にはよくある。春日山《かすがやま》の弾正《だんじよう》などがそれだ。あれがおぼれきっている藤紫《ふじむらさき》という京下りの上搶蘭[《じようろうにようぼう》を一度かいま見たことがあるが、ああいうやせてすきとおるようなのは、自分の好《この》みには合わない。血色《けつしよく》がよくて、かっちりと歯ごたえのあるように引きしまったのか、うんと量感のある豊麗《ほうれい》なのでないと、たよりなくて不安である。
もうもうずっとまえ、故《こ》信濃守《しなののかみ》殿がくれた京上掾sきようじようろう》は二人とも、この好《この》みにはぴったりであったな。おしいことに、八年ほど前、引きつづいて死なせてしもうた。ずいぶん大事にして使うたので、保《も》ちはなかなかよい方ではあったが、やっと十年じゃった。あの二人だけは、いまでもときおり思い出しておしいと思うわ……。
さて、女房《にようぼう》だ。なんといっても正室《せいしつ》じゃし、つくろえばまだまだ使用にたえんこともないじゃろうし、未練《みれん》がないわけではない。
さて、どうしようぞいの。手切れということになれば、さっそくに送りかえさねばならんじゃろうが……。
「いや、待てよ。昭田《しようだ》が返せというてきても、おれが帰れと言わん以上、女房《にようぼう》は帰ると言わんかもしれん。実の父子《おやこ》ではないのじゃ。情愛のあろうはずはない。義理というても、長い間養われていたのではなく、おれにくれるについて、養女《ようじよ》にしたというにすぎん、いわば名だけのものじゃ、そう深いものはないのじゃ。なによりも、返せと言うてこようが、帰ると言おうが、おれが帰さねばそれまでのことじゃわ。おれはかえさん。けっしてかえさん!……」
とつおいつ、思案しては飲み、飲んでは思案している間に、柿崎《かきざき》の酔いはしだいに深くなり、思考の筋道《すじみち》がもやもやと乱れてきた。
ごろりと横になり、熊《くま》の皮のしき皮を引きよせてかぶったが、それと同時に雷のようないびきをかきはじめた。
三
翌日はいつもの時刻に目をさました。超人的《ちようじんてき》に強壮《きようそう》な体質をもっている柿崎《かきざき》には、深夜までの大酒もなんのさわりもない。すがすがといい気持ちであった。
熊《くま》の皮をはねのけてむくりと起きあがった時、昨夜の思案が念頭《ねんとう》に来た。いつのまにきまったのであろうか、昭田《しようだ》を離反《りはん》して、景虎《かげとら》に帰服《きふく》することに心がきまっていた。
「やはりな」
思いかえしてみることはしない。幕舎《ばくしや》を出た。
昨日に引きかえ、今日は快晴だ。日はまだ出ていないが、東の山なみの上にたなびいている雲の下部が朱金《あかがね》の色にやけて、同じ色の光が放射状に空にさしている。
陣所《じんしよ》の前では、兵士らがいく組にもわかれて炊事《すいじ》をしていた。雑炊《ぞうすい》のようなものを炊《た》きたてている大鍋《おおなべ》の周囲に集まって煖《だん》をとりながらゆかいげに談笑しているのであった。つめたくすがすがしい朝の空気の中に、味噌《みそ》の煮《に》えるかんばしい匂《にお》いがひろがっていた。
柿崎《かきざき》はその間を通りぬけ、霜柱《しもばしら》の立っている原野に出た。思案顔であった。思案は、
「単に『お味方にしてくだされ。これまではもうしわけなきことでありました』と言うて尾を振っていくのでは、柿崎《かきざき》和泉守《いずみのかみ》ともある者があまりにも曲《きよく》がない。売りものには花という。ひと花そえていきたい」
というにあった。
ドスドスと力をこめて霜柱《しもばしら》をふみしだきながら歩いている足をとめて見ると、左手|小一町《こいつちよう》の位置に、林をうしろにして昭田将監《しようだしようげん》の陣所《じんしよ》のあるのが見えた。将監《しようげん》は常陸《ひたち》の弟で、こんどの軍勢のいくさ目付《めつけ》となって来ているのだ。
この陣所《じんしよ》の前でも、兵士らがいく集団にもわかれて炊事《すいじ》している。柿崎《かきざき》はしばらくそこを見ていたが、ふとぶあついひげ面《づら》をニコリとさせると、自分の陣所《じんしよ》に引きかえしてきて、いきなり大音声《だいおんじよう》にさけんだ。
「急ぎ出陣の用意せい! 物《もの》の具《ぐ》つけて、それから飯《めし》を食えい。四半時《しはんとき》(三十分)の後には出陣するぞ! 出陣のまにあわぬ者は斬《き》る!」
こうした場合、斬《き》ると言ったらかならず斬《き》る主人であることを、兵士らはよく知っている。大さわぎがはじまった。柿崎《かきざき》はいやがうえにも兵士らを急がせようとしてであろうか、貝役《かいやく》の者に命じてひっきりなしに貝を吹きたてさせた。さわぎはいっそうひどくなった。
付近一帯に陣所《じんしよ》をかまえていた諸隊もまたおどろき、陣所陣所《じんしよじんしよ》から様子を見に人々を走らせた。問いかける者もあったが、柿崎《かきざき》はふりかえりもしない。
「吹け、吹け、吹け!」
とたえず貝役《かいやく》を叱咤《しつた》しながら、部下の兵士らの支度《したく》のととのうのを、目もはなたず見ていた。
やがて、昭田将監《しようだしようげん》がみずから出てきた。将監《しようげん》は五十五、六のせいの高い、風采《ふうさい》のよい男だ。髪はもう半分以上白くなっていた。色々縅《いろいろおど》しの小具足《こぐそく》に青地錦《あおじにしき》の袖《そで》つきの陣羽織《じんばおり》を着て、すこし顔色をかえて急ぎ足にやってきた。烏帽子《えぼし》もかぶっていなければ、鉢巻《はちまき》もしていない。四、五|間《けん》のところまで近づくと言った。
「柿崎《かきざき》殿、これはいったいどういうことでござる」
きめつけるようなきびしい調子であった。
柿崎《かきざき》はやはりふりかえらない。
「吹け、吹け、吹け!」
と貝役《かいやく》に言いつづけた。
将監《しようげん》は三|間《げん》ばかりに近づいた。
「これ、柿崎《かきざき》殿、この物狂《ものぐる》わしさはなにごとでござる。出陣ということじゃが、どこへ出陣召そうとなさるのか。ご返答召されい!」
「ええい! なにをたるむ。吹けい、吹けい、吹けい!」
柿崎《かきざき》はどなりつづける。
将監《しようげん》のしわの深い顔にさっと血がのぼって、つかつかと歩みよった。
「拙者《せつしや》、いくさ目付《めつけ》として、おたずね申している! 返答召されい!」
「吹け、吹け、吹け!」
将監《しようげん》にも柿崎《かきざき》の様子が尋常でないことがわかったらしい。
「これ! 柿崎《かきざき》殿、ごへん、どうなされたのじゃ」
と言いながら柿崎《かきざき》の顔をのぞきこみ、腕をつかもうとしたが、その手が触れたか触れないかに、おそろしい声で柿崎《かきざき》はさけんだ。
「無礼者《ぶれいもの》!」
あっというまもない。強力にどんと胸をつかれて、将監《しようげん》はあおむけにたおれようとしてよろめいた。
「何をする!」
どなって、起きなおろうとしたとたん、柿崎《かきざき》の腰刀が横にはしり、将監《しようげん》の首は宙に飛んでいた。
四
意外な柿崎《かきざき》の狼藉《ろうぜき》に、三条《さんじよう》方の諸勢《しよぜい》、とりわけ昭田将監《しようだしようげん》の隊は激怒《げきど》して撃《う》ってかかろうとさわぎたったが、柿崎《かきざき》は手早く備えを立てて逆撃《ぎやくげき》の気勢を見せた。漆黒《しつこく》の乗馬にまたがり槍《やり》を横たえて、陣頭《じんとう》をのりまわしながら、大音声《だいおんじよう》に呼ばわる。
「武士の出陣にあたっては、天魔波旬《てんまはじゆん》はもとよりのこと、たとえ仏菩薩《ぶつぼさつ》でも、前に立ちふさがられては、ちっとも容赦《ようしや》せぬものとは知らぬか。存ずる仔細《しさい》あって出陣しようとするおれを、将監《しようげん》はとめだてするばかりか、おれがからだに手を触れたゆえ、斬《き》ってすてて軍神《いくさがみ》の血祭りに捧《ささ》げたまでじゃ。おれを撃《う》ちとめようとするのか。おもしろい。ずいぶん相手になってやろうぞ。が、他国は知らず、この越後《えちご》の国で、柿崎《かきざき》和泉《いずみ》がむこうに立つ者があろうとは思わんぞ!」
ひしめきかえって昂奮《こうふん》している三条《さんじよう》勢の諸隊を屁《へ》とも思っていないふうだ。気をのまれて、諸隊は歯がみしながらも、かかっていく者はなかった。
柿崎《かきざき》は手勢《てぜい》を両隊にわかち、一隊が備えれば一隊がひき、一隊がひけば一隊が備えるという陣法《じんぽう》で、くりびきにひきかかったが、柿崎《かきざき》はいつも陣の最後尾《さいこうび》にいてさしずする。おちつきはらって馬を乗りまわしての指揮ぶりは傍若無人《ぼうじやくぶじん》をきわめている。諸隊いずれも歯ぎしりしてくやしがったが、どうにもかかれない。おめおめとついていくよりほかなかった。
三条勢の諸将らは、とつぜんの柿崎《かきざき》のこの狼藉《ろうぜき》が合点《がてん》がいかない。いやいや、本当はわかっていた。柿崎《かきざき》のかねての人柄《ひとがら》から推《お》して、また心がわりして裏切ったにちがいないと判断していたが、柿崎《かきざき》ほどの猛将《もうしよう》をむざむざと味方の陣営から失うことがおしくてならず、それを認めたくないのであった。攻撃に出なかったのはそれもあった。
およそ半里ほどひいて、道が山にそうてしだいに高みにかかる地点まで行くと、柿崎《かきざき》は槍《やり》を左手にかかえなおし、胸の環《わ》におさめた采配《さいはい》を右手にぬきとり、
「そうれ! 者ども!」
と叫んで、二、三度、さっ、さっ、と振った。
あざやかなものであった。柿崎《かきざき》の両隊は非常な速さで左右に展開して、鶴翼《かくよく》の陣形になった。
馬を乗りすすめて、またさけぶ。
「執念《しゆうね》くも追い慕《した》うものかな。さだめておれを敵と見てのことであろう。その儀ならば、今日《こんにち》ただいまから、おれは三条と縁《えん》切って、春日山《かすがやま》の加担人《かたうど》となってくれるわ。おれを敵と見たいおのれらには、さだめて本望《ほんもう》なことであろうぞ。いざかかり来い! 者ども、ぬかるな!」
また采配《さいはい》をふると、いっせいに貝や金鼓《きんこ》が鳴りひびき、全隊がときの声を上げた。いまにも逆襲してきそうなすさまじさであった。
三条《さんじよう》方は肝《きも》をひやしてたじろいだ。
柿崎《かきざき》はかさにかかって、あくまでも嘲弄的《ちようろうてき》で挑戦的《ちようせんてき》なさけびをくりかえす。攻めかからせたいとつとめているようであった。
これが三条方の諸将の胸に疑惑《ぎわく》を呼んだ。なかにも主将金津伊豆《かなづいず》は、
(柿崎《かきざき》の背反《はいはん》を憎《にく》むべきではあるが、こうまで自信にみちておちつきはらっているのは、ふつうではない。さだめて栃尾《とちお》方と手はずを合わせているのであろう。うかつなことをしては、術中《じゆつちゆう》におちいることになる)
と思案して、諸隊をいましめ、備えをかたくして停止させた。
柿崎《かきざき》にとっては思う壷《つぼ》であった。もっとも信任している郎党《ろうどう》を呼んで、栃尾《とちお》城の新発田《しばた》掃部介《かもんのすけ》のもとに走れと令じた。
「口上《こうじよう》はこうだ。『夜前《やぜん》はわざわざのご入来《じゆらい》、ご懇篤《こんとく》なご教誨《きようかい》にあずかったのに、なんの風情《ふぜい》もなく失礼いたしたが、その後|熟慮《じゆくりよ》するにおよんで、ご教誨《きようかい》の条々《じようじよう》、肺肝《はいかん》に徹《てつ》するをおぼえた。すなわち帰順《きじゆん》の意をかためて、いま貴城《きじよう》にまかりでる途中であるが、三条勢どもがうるさくあとを慕《した》ってまいるにより、これこれの地点で立ちどまり、対陣《たいじん》中でござる。拙者帰順《せつしやきじゆん》の由《よし》を喜平二《きへいじ》様にご披露《ひろう》くだされたうえ、喜平二《きへいじ》様をおすすめして出馬《しゆつば》おさせ申していただきたい。ご奉公《ほうこう》はじめのひとはたらきして、喜平二《きへいじ》様にごらんいただきたく存ずる。ついては、拙者《せつしや》の帰順《きじゆん》疑いなきあかしに、昭田将監《しようだしようげん》が首を献上《けんじよう》申す。とくとご検分《けんぶん》ありたい』と、こうだ。よくおぼえたか」
「おぼえました」
「言うてみよ」
郎党《ろうどう》は復誦《ふくしよう》した。
「よし。行けい!」
従騎《じゆうき》三人を連れて、郎党《ろうどう》は飛ぶはやさで栃尾《とちお》にむかって駆けだした。
五
三十分ばかりの後、景虎《かげとら》は掃部介《かもんのすけ》に事の次第を聞いた。柿崎《かきざき》との交渉《こうしよう》の次第は、昨夜のうちに聞いていたが、すくなくともあと二、三度は掃部介《かもんのすけ》が出むかなければならないであろうと踏んでいた。あんがいな早さにひそかにおどろいた。
昭田将監《しようだしようげん》という人物を景虎《かげとら》は見たことがないが、掃部介《かもんのすけ》をはじめ、呼ばれたおもだった者どもは首を検分《けんぶん》して、
「将監《しようげん》に相違ございません」
と、証言した。
「おれがみずから出る。城の留守居《るすい》は本庄《ほんじよう》と新兵衛《しんべえ》にたのもう。おれの方は兵はたんとはいらぬ。掃部介《かもんのすけ》が隊と馬廻《うままわ》りの者だけでよい」
と、景虎《かげとら》は申し渡した。てきぱきと歯切れのよいさばきであった。三十分の後には、もう城を出ていた。
掃部介《かもんのすけ》の兵は二百人あまりではあるが、騎馬《きば》の者は十人ばかりしかなく、あとは歩武者《かちむしや》だ。景虎《かげとら》は掃部介《かもんのすけ》を呼んで、
「その方はあとから押してまいれ。おれは先に行っている」
と告げた。
掃部介《かもんのすけ》はふと不安になった。昭田将監《しようだしようげん》の首を討ち取って差しだしたほどであるから、まちがいはなかろうとは思うが、常習的な反覆者《はんぷくしや》である柿崎《かきざき》だ。どんなことでまた心がわりするかもしれないと思った。
「おそれながら、さほどお急ぎになることはございますまい。備えを立て、しずしずと押してまいられるが、よろしいかと存じます」
と言った。
景虎《かげとら》は笑った。
「柿崎《かきざき》は無双《むそう》の猛将《もうしよう》ではあるが、兵どもは岸にもあらず、沖《おき》にもあらぬ立場で、心は不安に揺《ゆ》れていよう。一刻も早くはせついて、鎮《しず》めてやらねば、柿崎《かきざき》の身があやうい。柿崎《かきざき》の心はだいじょうぶだ。したがっておれが身もだいじょうぶだ。案ずることはないぞ」
と言いすてて、まっさきに馬をおどらせ、馬廻《うままわ》り三十|騎《き》をひきいて、飛ぶような速さではせむかった。
わずかに一里の道だ。たちまち行きついた。
山の鼻を曲がってそこに出る時、景虎《かげとら》はたずさえてきた旗じるしをおしたてさせた。午前十時ごろのよく晴れた朝日を受けた山をバックに、馳《は》せだしてきた三十|騎《き》は、馬も、具足《ぐそく》も、武器も、旗じるしも、きらきらとかがやいて、まことにさわやかであった。
柿崎《かきざき》勢が勇みたち、三条勢が動揺《どうよう》したのはいうまでもない。ものなれた柿崎《かきざき》はこの気合いを見のがさなかった。使い番の者を呼び、
「汝《われ》はこれから喜平二《きへいじ》様のお迎えに馳《は》せ向《む》かい、『おねがいの旨《むね》を聞きとどけたまい、さっそくにお馳《は》せ向かいたまわり、千万《せんばん》かたじけなく存じます。ご奉公《ほうこう》はじめのしるしまでに、ただいまよりちょっと一合戦《ひとかつせん》つかまつりますれば、ゆるゆるとごらんいただきます』と、かように申し上げい」
と命じて走らせ、いっせいに喊声《かんせい》を上げさせ、いっせいに貝と金鼓《きんこ》を鳴らさせた。三条勢の動揺《どうよう》はさらにつのった。
陣頭《じんとう》に馬をおどらせ、たかだかと槍《やり》をふりかざし、
「それっ!」
とさけぶや、三条勢目がけて突進した。一千の柿崎《かきざき》勢は怒濤《どとう》のおこりたつようにつづいた。
四千という大軍ではあったが、闘志のくじけている三条勢はひとたまりもない。後陣《こうじん》からくずれたって潮《しお》の退《ひ》くようにさがりはじめた。
「敵は退《ひ》き足立ったぞ! それッ、蹴《け》ちらせ!」
柿崎《かきざき》勢は敵に追いつき、突入し、さんざんに駆《か》けちらした。
三条勢は収拾できない混乱におちいった。大将分《たいしようぶん》や将校分《しようこうぶん》の者が必死になって鎮《しず》めようとしたが、柿崎《かきざき》の追撃が急で、まるで効果がない。将校《しようこう》らの駆《か》けまわりやどなりたては、かえって混乱をかきたてるだけであった。さわぎはいっそう大きくなり、にげ足はいっそう速くなり、四分五裂《しぶんごれつ》の姿となり、完全な潰走《かいそう》となった。
景虎《かげとら》は柿崎《かきざき》が陣を張っていた地点に旗を立て、馬を乗りとどめて、この猛烈《もうれつ》な追撃戦を見ていた。馬廻《うままわ》りの勇士らは、うずうずするらしく、戦いたいとねがったが、景虎《かげとら》はゆるさなかった。
「柿崎《かきざき》が奉公《ほうこう》はじめの戦《いく》さじゃ。手出しすること無用《むよう》。存分に働かすのだ」
勇士らはしぶしぶ思いとどまって、見物していた。
柿崎《かきざき》の猛勇《もうゆう》は人間わざとは思えないほどであった。にげ足だった軍勢は考えられないほど力を失っているものではあるが、それにしても柿崎《かきざき》の剛勇《ごうゆう》は驚嘆《きようたん》に値《あたい》した。まっさきに立って敵を追いちらす黒ずくめの姿は、にげまどう羊の群れに空から襲《おそ》いかかって殺戮《さつりく》をほしいままにする巨大な猛鳥《もうちよう》のようであった。目ぼしい縅《おど》し毛の甲冑《かつちゆう》を着た敵にたちまちに追いつくかと見るまもなく、槍《やり》の穂先《ほさき》にかけて文字《もじ》どおりの槍玉《やりだま》に上げてほうりだしていく。それをあとから、小者《こもの》がおどりかかっては首を取っていくのだ。
(あっぱれ、稀代《きたい》の猛将《もうしよう》だ。天は二物《にぶつ》をあたえないというが、おしいこと、心術《しんじゆつ》が正しくないとは)
と思いながらも、景虎《かげとら》はほれぼれと見いった。
追撃戦が三十分ほどつづいたころ、掃部介《かもんのすけ》にひきいられた二百人が到着した。もう十分到着が早ければ、これを投じて突撃させれば、三条勢を全滅《ぜんめつ》させることもできたであろうが、柿崎《かきざき》の追撃が迅速《じんそく》すぎて、戦場ははるかに遠くへだたっていた。景虎《かげとら》はまにあわないと判断した。柿崎《かきざき》勢にも疲れが出るころであった。
引き鉦《がね》を鳴らさせた。
柿崎《かきざき》の引きあげぶりも巧妙《こうみよう》であった。軍勢をかたく引きまとめ、みずから殿《しんがり》して、整々《せいせい》と引きあげてきた。
(みごとなやつ。いつも越後《えちご》一の武者《むしや》と高言《こうげん》しているとは聞いているが、自賛《じさん》ではない)
と、またほれぼれとした。
柿崎《かきざき》は乱髪《らんぱつ》の顔から全身にかけて返り血を浴びたままの姿で、景虎《かげとら》の前に出て、片ひざついてかしこまった。
「柿崎景家《かきざきかげいえ》でございます。前非《ぜんぴ》を悔《く》いてお味方に属したいとのねがいをお聞きいれたまわり、お礼申し上げております」
と、掃部介《かもんのすけ》がとりついだ。
「過ぎたことは問わぬ。おれもうれしいぞ。本日の働き、あっぱれであった。目のさめるような心地《ここち》であったぞ。この上ともに忠勤してくれるよう」
と、景虎《かげとら》が言うと、柿崎《かきざき》はにこりと笑って言う。
「君《きみ》がお年若《としわか》でおわしながら武略《ぶりやく》にたけておじゃるを見て、景家《かげいえ》は久しく心をかたむけていました。お味方をおゆるしたまわり、うれしいことでござる」
態度《たいど》もことばづかいも、恭敬《きようけい》とは言えない。自分ほどの者を味方にして、そちらにとってはずいぶんお得《とく》でござろうと言わんばかりのものがある。景虎《かげとら》の近習《きんじゆう》らはつらにくく思った。景虎《かげとら》もまた不快に似たものを感じた。しかし、柿崎《かきざき》が、
「初《はつ》お目見《めみ》えの礼物《れいもつ》までに献上《けんじよう》いたします」
と言ってふりかえり、家臣《かしん》らにもってきてならべたてさせたものを見ると、その不快もたちまち消散《しようさん》した。かぶと首十二がずらりとならべられたのだ。一人一人の名を披露《ひろう》すると、すべて三条方で名ある武者《むしや》どもの首であった。
「みごとな手みやげだの。うれしく受けるぞ」
と、わずかに微笑《びしよう》して景虎《かげとら》は言ったが、またしても心の底で、
(よいものを味方にした)
と思った。
六
三条《さんじよう》勢が栃尾《とちお》盆地から退去《たいきよ》して三条に引きとったので、景虎《かげとら》は城にかえった。
柿崎《かきざき》が三条方を去って味方となった以上、三条方の戦力はガタ落ちだ。この方面の不安はすこしもない。不安はむしろ春日山《かすがやま》にある。彼は柿崎《かきざき》をその本城にかえして、春日山《かすがやま》からの攻勢を封じたいと考えながらも、まだ言いださないでいると、宇佐美定行《うさみさだゆき》が来た。ほんの五、六人の従騎《じゆうき》を連れたしのび姿であった。
「このたびはまたまた大勝利を得させられ、ご武略《ぶりやく》、ご武運《ぶうん》、めでたくお祝い申し上げます。なお、柿崎《かきざき》和泉《いずみ》がお味方にはせ参じました由《よし》、別して大慶《たいけい》に存じます」
と祝辞《しゆくじ》をのべた。
こんな祝いを言うだけのことで、宇佐美《うさみ》がわざわざ来るはずがない、かならずや大事な相談があってのことであるとは思ったが、それはあとのことにして、とりあえず、目下《もつか》の思案を語った。
「わしは柿崎《かきざき》を居城《きよじよう》にかえそうと思っているのじゃ。春日山《かすがやま》のことが気になるのでな」
すると、宇佐美《うさみ》は膝《ひざ》を進めた。
「拙者《せつしや》がまいったのは、そのことでございます」
と言う。
「いかんか」
打てばひびくように、宇佐美《うさみ》の心が景虎《かげとら》にはわかる。自分が柿崎《かきざき》をそうするであろうと思い、それに異議があって来たに相違ないのであった。
宇佐美《うさみ》は無言《むごん》で大きくうなずいて、声をひそめた。
「つらつら思いますに、弾正《だんじよう》様がご当主であられるかぎり、春日山長尾《かすがやまながお》家のご威勢《いせい》は日を追い月を追うておとろえ、あと二、三年のご命運《めいうん》と断ずるよりほかはございません。また、君と弾正《だんじよう》様とのお仲《なか》らいも、しょせんはやぶれることが目に見えているように存じます。この二つのことは、こと新しく拙者《せつしや》が申し上げるまでもなく、君にもおわかりのことでございますね。柿崎《かきざき》をその居城《きよじよう》にかえそうとおおせられるのも、そのお含みがあってのことでございますからね」
宇佐美《うさみ》はことばを切った。
景虎《かげとら》は黙っている。暗い顔になっていた。宇佐美《うさみ》の言うことはいちいちわかる。肝《きも》にこたえるほどのものがある。
宇佐美《うさみ》はまた言う。
「拙者《せつしや》の所存《しよぞん》を申し上げます。お気先《きさき》にもとるであろうことは覚悟しておりますが、しょせんは避《さ》けられぬものなら君と弾正《だんじよう》様とのご合戦《かつせん》は一日も早い方がお得《とく》であります。お家のご威勢《いせい》がかたむきつくしてからそういうことになりましては、あとあとのことがきつうむずかしいことになります」
「待て。おれに弾正《だんじよう》様にたいして謀反《むほん》せよというのか」
むっとして、景虎《かげとら》は言った。低いがはげしい調子であった。顔が赤くなり、切れの長い大きな目がきらめいていた。
「いや、いや」
宇佐美《うさみ》はしずかに首をふり、さらに声をひくめた。
「さようなつたない策をおすすめいたしませぬ。春日山《かすがやま》から手を出させるのでございます。むこうに手を出させ、こちらは受けて立つという段取りにするのでございます」
景虎《かげとら》には宇佐美《うさみ》の立てている具体策がはっきりとわかった。
「柿崎《かきざき》を居城《きよじよう》にかえしてはならんというのだな」
歯の間から押しだすようにむっつり言った。
「御意《ぎよい》。あの方面をあけておくのでございます。拙者《せつしや》も、米山《よねやま》の守りを引きはらうのでございます。君がまたまた三条方に勝利を得させられたことは、もう弾正《だんじよう》様のお耳に達し、さぞかし|きも《ヽヽ》をいらしておいででございましょう。かならずや、水の低きに流れるように、こちらにむかわせられるに相違ございません。名目《めいもく》はなんとでもつきます。やりたいという意志があり、やる必要があると思うことには、人は名目《めいもく》をさがしだすに苦しむものではございません」
「…………」
「子にして父と戦い、弟にして兄と戦うは、人倫《じんりん》の上から申せば、ほむべきことでないことは申すまでもありません。しかしながら、戦国|乱離《らんり》の世であります。父が父たらず、兄が兄たらずとすれば、人は一代、家は万代の考えをもたぬわけにいかぬのであります。ましてや、戦わざるをえぬことになって受けて立ったということになれば、世の人の思いなしも悪うはありますまい。せつにご決断のほどをおすすめいたします」
父を逐《お》いだした武田晴信《たけだはるのぶ》の俊秀《しゆんしゆう》な顔が、景虎《かげとら》の眼前にちらちらしていた。
演 出
一
宇佐美定行《うさみさだゆき》の推理はみごとに晴景《はるかげ》の心理を見ぬいていた。景虎《かげとら》がまたしても三条《さんじよう》方に勝利を得たばかりか、三条方第一の猛将柿崎景家《もうしようかきざきかげいえ》の心をとらえて、三条方をはなれて味方させたという報告は、晴景《はるかげ》には強い衝撃《しようげき》となった。いやいや、晴景《はるかげ》もだが、さらに強烈《きようれつ》に藤紫《ふじむらさき》を刺激《しげき》した。閨中《けいちゆう》に朱唇《しゆしん》はひるがえって、
「このまえは新発田《しばた》尾張守《おわりのかみ》兄弟、こんどは柿崎《かきざき》和泉守《いずみのかみ》でございます。新発田《しばた》兄弟は殿様のご寵愛《ちようあい》あそばす源三郎《げんざぶろう》をあらぬ疑いをかけてほしいままに殺し、おとがめを受けると、お使者に言おうようもないむごいことをして殿《との》をはずかしめ申した者、柿崎《かきざき》は三条方無二《むに》の味方であった者、ともに殿《との》にとってはお敵《かたき》でございます。その敵を二人ながら味方に抱きこんだ喜平二《きへいじ》様の心底《しんてい》、思えばいぶかしいかぎりでございます」
とも言ったし、
「心術《しんじゆつ》はいかがと思いますが、喜平二《きへいじ》様はお運がよいのでありましょうか、お年若《としわか》ながら天性武略《てんせいぶりやく》の達人《たつじん》であるのでございましょうか。三条方から押しよせた大軍をまたうちやぶり申されましたとか。かさねがさねのことでありますので、喜平二《きへいじ》様の評判は日の出の勢いで、このごろでは喜平二《きへいじ》様に心を寄せる豪族《ごうぞく》方もずいぶんありますとか。なかなかのご威勢《いせい》のようでございますね。国に二君、家に二主という勢いはこのようにしてなりいでるものでございますとか」
とも言ったし、
「いずれは喜平二《きへいじ》様が春日山《かすがやま》のおん主《あるじ》とあおがれるようになるのであろう、春日山長尾《かすがやまながお》家のご運勢《うんせい》は喜平二《きへいじ》様が春日山《かすがやま》の当主となられた時からうんと開けるであろうと、世の人は申していますとか、お耳になされたことはございませんか」
とも言ったのだ。
めんどりのつくる|とき《ヽヽ》に、晴景《はるかげ》の不安と怒《いか》りはつのった。ついに景虎討伐《かげとらとうばつ》を国内にふれだした。
「舎弟喜平二景虎不悌不順《しやていきへいじかげとらふていふじゆん》、内に狼心《ろうしん》をつつみ、しきりに兇険《きようけん》の徒《と》を嘯集《しようしゆう》し、不軌《ふき》をくわだてている。すておけば禍害《かがい》ははかるべからざるにいたること必定《ひつじよう》である。伐《き》って禍《わざわ》いを双葉《ふたば》に芟《か》ることに決意した。ふるってはせ参じて助勢《じよせい》あるよう」
と国内の諸豪《しよごう》に急使を出した。
これが栃尾《とちお》に知れると、景虎《かげとら》もまた豪族《ごうぞく》らに通告した。
「兄|弾正《だんじよう》殿、父|信濃守越中《しなののかみえつちゆう》の賊徒《ぞくと》のために戦死したあとを受けて春日山《かすがやま》の当主となり、各位《かくい》の推挙《すいきよ》によって守護代《しゆごだい》となったのに、柔弱《にゆうじやく》にして亡父《ぼうふ》の讐《あだ》を報《むく》いて幽魂《ゆうこん》を慰《なぐさ》むることも考えず、侫人《ねいじん》を信幸《しんこう》してひたすらに安逸《あんいつ》をむさぼっているために、国内分裂して、戦乱たえまないありさまとなった。しかもなお、弾正《だんじよう》殿は反省の色もなく、婦人小人《ふじんしようじん》の愛におぼれ、忠直《ちゆうちよく》を憎悪残害《ぞうおざんがい》しようとするばかりか、年少の身でありながら賊徒《ぞくと》の討滅《とうめつ》に粉骨《ふんこつ》し、しばしば功《こう》をなした景虎《かげとら》をそねみにくみ、言うをはばかることだが、二度も引きつづき暗殺者をおくった。景虎《かげとら》さいわいにして天運があって、これをまぬかれることができたが、弾正《だんじよう》殿はこんどはまた討伐《とうばつ》の兵をむけようとしている。こうなれば、欲《ほつ》するところではないが、景虎《かげとら》としては防戦せざるをえない。ねがわくは各位《かくい》、景虎《かげとら》の立場をあわれみ、一臂《いつび》の力を貸していただきたい。せめては手をおさめて傍観《ぼうかん》していただきたい」
景虎《かげとら》はこんなことを世間《せけん》に知らせて一家の恥《はじ》をさらしたくなかったが、宇佐美《うさみ》が力をつくして説得《せつとく》した。こちらが対抗の気勢を見せなければ、新発田《しばた》尾張守《おわりのかみ》兄弟を討とうとしてふれまわしたのに応ずる者のなかった先例もある、豪族《ごうぞく》らは晴景《はるかげ》の催促《さいそく》に応じないかもしれない。応ずる者がなければけんかにならないのである。
双方《そうほう》からの使者を受けて、春日山長尾《かすがやまながお》家に与力《よりき》している豪族《ごうぞく》らの間には大混乱がおこった。景虎《かげとら》の言いぶんに理があることはみな知っている。多くはいずれにも味方せず中立をまもることにしたが、従来からの義理のからんでいる者もある。上田《うえだ》の長尾房景《ながおふさかげ》がそうであった。上田|景国《かげくに》がそうであった。刈羽景親《かりはかげちか》がそうであった。泉沢《いずみさわ》河内《かわち》、唐沢《からさわ》左馬助《さまのすけ》、大崎筑前《おおさきちくぜん》、大河《おおかわ》駿河《するが》、松本大隅《まつもとおおすみ》、庄瀬新蔵《しようせしんぞう》などという人々もそうであった。それぞれ春日山《かすがやま》に味方を申しおくった。
一方、景虎《かげとら》に同情し、景虎《かげとら》の器量《きりよう》に心を寄せて、味方を申しおくる者もいた。その中にはのちのちまで景虎麾下《かげとらきか》の勇将として名をのこしている者が少なくない。竹俣《たけまた》三河守《みかわのかみ》、色部《いろべ》修理亮《しゆりのすけ》、杉原憲家《すいばらのりいえ》らがそれである。
二
晴景《はるかげ》が栃尾《とちお》にむかったのは十一月の末、もう淡雪《あわゆき》が二、三度もちらついたころであった。開戦の時機としては好機《こうき》を得ているとはいえなかった。まもなく根雪《ねゆき》が来れば戦《いく》さは中止して、諸家《しよか》の軍勢はそれぞれの領分内に帰らざるをえない。長い冬ごもりの間には懦気《だき》も生じてくることはもっともありがちなことであり、敵方《てきがた》からの工作によって心がわりする者の出てくることも計算に入れておかなければならないのである。
しかし、晴景《はるかげ》には、春になるまで延期しては、自分の立場がいっそう不利になることがわかっていた。人気《にんき》は車井戸《くるまいど》のつるべに似ている。一方が上がれば一方は下がる。景虎《かげとら》がまたまた三条《さんじよう》勢の襲来《しゆうらい》を快勝をもって撃退して、武将としてもっとも望ましい素質《そしつ》のあることをかさねがさね見せたのに、晴景《はるかげ》はこれまで一度も武将たるにふさわしい働きを示したことがない。かくべつなことがなくても、景虎《かげとら》の人気《にんき》が高くなり、晴景《はるかげ》の人気《にんき》がおとろえるのは自然の勢いだ。そのうえ、晴景《はるかげ》の日常の行状《ぎようじよう》は、けっして豪族《ごうぞく》らの心を満足させるものではない。晴景《はるかげ》はよくそれを知っている。根雪《ねゆき》の来るまでの間に、いっきにたたきつぶしてしもうのを得策《とくさく》と考えたのであった。
晴景《はるかげ》勢の先手《さきて》として下越後《しもえちご》にくりこんできたのは、上田景国《うえだかげくに》、泉沢《いずみさわ》河内《かわち》、松本大隅《まつもとおおすみ》、大崎筑前《おおさきちくぜん》らであった。この人々はみな南魚沼《みなみうおぬま》郡内の豪族《ごうぞく》らだ。舟で魚沼《うおぬま》川を下って川口に集結し、さらに信濃《しなの》川をいまの長岡《ながおか》近くの蔵王権現《ざおうごんげん》の近くに上って、晴景《はるかげ》の発向《はつこう》を待っていたが、その晴景《はるかげ》がいよいよ米山峠《よねやまとうげ》をこえたという報告がとどくと、活動をはじめた。
戦場に出ている武士の心理は特別なものがある。欲せずして出てきたのであっても、いつか狩場《かりば》の猟犬のような心理になる。この時の彼らも、よろこんで出てきたわけではない。彼らは晴景《はるかげ》をすこしも尊敬していない。むしろ軽蔑《けいべつ》しきっている。とうてい晴景《はるかげ》では国内の乱れが鎮定《ちんてい》できようとは思っていない。ただ南魚沼《みなみうおぬま》郡一帯の豪族《ごうぞく》の旗頭《はたがしら》である長尾房景《ながおふさかげ》が晴景《はるかげ》の切《せつ》ない請《こ》いに応じて出陣することになったので、出てきたにすぎないのであるが、出てくると功名心《こうみようしん》も出てくる。武士として恥《は》ずかしからぬ働きをしなければならないという名誉心にも駆《か》られる。
「必定《ひつじよう》、敵は後陣《こうじん》のそろうを待って攻めかけるであろうとて心のどかにかまえていよう。その油断《ゆだん》に乗って、われら先手《さきて》だけで乗り取ろうでないか」
と相談をきめて、蔵王《ざおう》を出発、栃尾《とちお》盆地の西をかぎる山脈《やまなみ》を桑探峠《くわさがしとうげ》から越えて入っていった。
この連中が蔵王《ざおう》を出発したとの報告は、その日の正午はるかまえには、栃尾《とちお》についた。
「よし」
景虎《かげとら》は諸将と相談して兵を部署《ぶしよ》して持ち場をかためさせた。宇佐美定行《うさみさだゆき》が城内にいて、いい相談相手になった。定行《さだゆき》は自分が琵琶島《びわじま》にいない方が晴景《はるかげ》を誘《さそ》いだしやすいと思ったので、琵琶島《びわじま》はむすこの民部少輔定勝《みんぶしようゆうさだかつ》に留守《るす》させ、自分は五百人の兵をひきいて栃尾《とちお》に来ていたのであった。
蔵王《ざおう》から栃尾《とちお》まで四里の道のりだ。軍法《ぐんぽう》では軍行《ぐんこう》は一日六里ということになっている。実際にはもっと行けるが、戦う余力《よりよく》をのこして行軍しなければならないから、六里がちょうどいいところなのである。しかしこの行程《こうてい》は途中に山路《やまじ》がある。さしてけわしいとはいえないが、山路《やまじ》は山路《やまじ》だ。景虎《かげとら》は敵軍の到着は未《ひつじ》の下刻《げこく》(午後三時)ごろと踏んだ。定行《さだゆき》も同じ意見であった。
「急ぐことはない。ゆっくりと支度《したく》して待つがよい」
とさしずしたが、ひるをすこしまわったころ、斥候《せつこう》に出しておいた兵がはせかえって、敵勢の先手《さきて》とおぼしい勢三百人ほどが見附道《みつけみち》を進んできつつあると報告した。
どう考えてもそんなはずはなかった。
「先刻の細行《しのび》の者が敵の先手《さきて》が夜明け前に蔵王《ざおう》を出たのを見おとしていたのでありますまいか」
という者があった。
「そういうことも考えられるが……」
景虎《かげとら》は斥候《せつこう》にきいた。
「追分《おいわけ》より先かこちらか」
「先でございます」
「先か……」
見附道《みつけみち》は途中で二つにわかれる。まっすぐに行けば見附《みつけ》をへて三条《さんじよう》に達するのであり、左をとれば桑探峠《くわさがしとうげ》をへて蔵王《ざおう》に達する。蔵王《ざおう》にいる晴景《はるかげ》勢のとるコースは後者《こうしや》にちがいないと見こみをつけていたのに、前者をとってきつつある勢があるとすれば、重大であった。ひょっとして、こちら憎《にく》さのあまりに晴景《はるかげ》が三条方と手をにぎって出動させたのかもしれないと思われるのだ。
まさかと思うが、まさかと思われるようなことをよくする晴景《はるかげ》なのだ。晴景《はるかげ》がその気になれば、昭田《しようだ》常陸《ひたち》とはかつてもっとも信頼しあっていた主従だ。握手《あくしゆ》はあんがい容易にできるはずとも思われる。
「とにかく、用心はおこたってはなるまい」
将士《しようし》らに事情を説明してきびしく防備をかためるように命じておいて、みずから偵察《ていさつ》に出ることにした。
「おんみずからいらせられることはございません。われらをおつかわしください」
と人々はいさめた。
「いや自分で見たい」
馬廻《うままわ》りの者三十|騎《き》をひきいて出た。こうして出ていくのを大物見《おおものみ》という。この時代特有の軍事用語だ。二、三十人から、まれには二、三百人をもって組織されることすらあるので、こう呼ばれている。必要によっては攻撃的交戦もすることができるわけだが、つまり今日の軍事用語でいう将校斥候《しようこうせつこう》だ。
景虎《かげとら》は注意深く周囲に目をくばりながら、曲がりくねりつつゆるやかな勾配《こうばい》をもって上りとなっている山あいの道を、こがけに馬を走らせて進んだ。
山あいの道に入って半里ほど行って、追分《おいわけ》になる。ここからは馬足をゆるめて、いっそうの注意をはらって進んだが、まもなく前方から来る軍勢が目についた。
こちらも立ちどまったが、むこうも停止したかと思うと、さっと備えを立てなおした。数人が陣列を二、三|間駆《げんか》けぬけて、道の左右に散った。おどろいたことに、その数人はみな鉄砲をひっさげていたのだ。銃身《じゆうしん》が、まうえからさす初冬の日の光をきらりきらりとはじきかえした。
(ほう、鉄砲だ。しかも七|梃《ちよう》も)
景虎《かげとら》はおどろいた。この距離では弾丸《たま》のとどかないことがわかっているから、あわてはしなかったが、道の左右は灌木《かんぼく》のしげみになっている。潜行《せんこう》して近づいてきてねらいうちにされるおそれがある。鋭くそれに注意しながら、先方の様子を観察した。
先方でも観察しているようであったが、やがて大将らしい武者《むしや》が馬を乗りだして、サッと采配《さいはい》をふった。するときびしい備えはたちまちゆるみ、鉄砲をたずさえた者どももしげみからはいだして陣列にかえった。大将らしい武者《むしや》は手綱《たづな》をかいくって、とことこと近づいてきた。近づくにつれてわかる。猪首《いくび》に着なした冑《かぶと》の下の顔は、白い鼻を出してにこにこ笑っていた。
「やあ、あれは杉原《すいばら》殿じゃ!」
と、金津新兵衛《かなづしんべえ》が言った。
杉原《すいばら》壱岐守憲家《いきのかみのりいえ》は、北蒲原《きたかんばら》郡水原《すいばら》の領主だ。味方を申しおくってきてはいたが、その地方一帯が三条方の勢力範囲であるから、とうてい実際には来てくれることはできるまいと思っていたのである。
杉原《すいばら》は三十五、六の赤ら顔の、よくふとった気楽《きらく》げな顔をしている。
「はじめてお目どおりいたします。杉原壱岐《すいばらいき》でございます。敵中をまいりますこととて、きつうひまどりました」
と言う。うちとけた態度だ。はじめて景虎《かげとら》に会うのだが、まるでくったくの様子がない。景虎《かげとら》からことばをもらうとお礼を言上《ごんじよう》した後、景虎《かげとら》の従騎《じゆうき》らの方をむいた。金津新兵衛《かなづしんべえ》以下の顔見知りの連中に、やあやあとあいさつして、
「どんなぐあいじゃな。先刻見附《せんこくみつけ》で百姓《ひやくしよう》どもに聞いたが、南魚沼《みなみうおぬま》郡のやつばらが今朝方蔵王堂《けさがたざおうどう》の陣所《じんしよ》をひきはらって、寄せにかかったということじゃな。どうやらまにあうようで、うれしいわ」
と言って、声を立てて笑った。左右からせまっている山にからからとこだまするほどの大きな笑いであった。
「そなた様、鉄砲をずいぶんおもちでござるな」
と新兵衛《しんべえ》がきいた。
「ああ、お目についたか。はじめ堺《さかい》から来るあきんどに一|梃買《ちようこ》うたが、使いようでは存外《ぞんがい》役に立ちそうなので、もちっとほしいと思うていたら、相州小田原《そうしゆうおだわら》で珍重《ちんちよう》して使っていると聞いたので、人を走らせると、おりよく堺《さかい》から三、四十|梃《ちよう》もって売りにきていたとかで、買《こ》うてきた。一|梃《ちよう》五百両という法外《ほうがい》な吹っかけじゃったそうなが、さんざん値切《ねぎ》って六|梃《ちよう》で二千五百両にしてもろうたそうな。つまり一|梃《ちよう》まけてもろうたのじゃな。おかげでえらいことよ。多年のたしなみは底をはろうてしもうた。こんなものがはやるようになると、たまらんのう。武士もこまるが、しぼりたてられる百姓《ひやくしよう》どもはいっそうたまらんわ。わしもたくわえなしではおられんから、ぼつぼつとしぼりはじめたがの、ハッハハハハ」
景虎《かげとら》は杉原《すいばら》と馬をならべて城にかえった。
三
敵が到着したのは、予定の時刻よりすこしおくれていた。兵数およそ五千とふまれた。到着するや、備えを立てて、まっしぐらに押しよせた。猛将房景《もうしようふさかげ》の下について多年訓練されているだけに、勢い猛烈《もうれつ》をきわめているが、城方も手ぐすねひいて待ちかまえていたこととて、手をくだいて防戦した。しかし、敵の勢いはすこしもおとろえない。いくど撃退されてもまた寄せてくる。荒磯《あらいそ》に寄せる怒濤《どとう》のようであったが、それでも、しだいに日がかたむいて暮れ近くなると、攻撃をやめてすこし城を遠のいて夜陣《やじん》のしたくにかかった。
景虎《かげとら》は宇佐美《うさみ》以下のおもだった諸将をひきいて櫓《やぐら》にのぼって、敵陣を観察した。敵は夜陣《やじん》の設営に忙《いそが》しく立ちはたらいていた。あかあかとさしている夕陽《ゆうひ》の中に、幕舎《ばくしや》を張っている兵もあれば、かがり火の支度《したく》をしている者もあり、炊事《すいじ》にかかっている者もあり、手に取るように見えた。しかし、こちらにたいする防備はおこたっていない。奇襲《きしゆう》にそなえて数隊の兵を油断《ゆだん》なく前線にひかえさせている。
「さすがに越前守《えちぜんのかみ》(長尾房景《ながおふさかげ》)殿が手塩《てしお》にかけられた南魚沼衆《みなみうおぬましゆう》ほどありますな。みごとなものでございます」
と、宇佐美《うさみ》は感嘆《かんたん》した。
景虎《かげとら》はうなずきながらなお熟視《じゆくし》していたが、やがて宇佐美《うさみ》に言った。
「この敵は必定《ひつじよう》今夜のうちに引きとるようじゃな。その勢いがある。退《の》き口を討とうではないか」
宇佐美《うさみ》は答えず、あらためて敵を熟視《じゆくし》した。老いたほおにかげのように微笑《びしよう》がのぼりかけたが、ぎゅっとほおをしめてそれを消した。他の将らの方にちらりと目をくれておいて、景虎《かげとら》に言う。
「てまえにはそうは見えませぬ。敵の勢いはなおまことに強うござる。これほどの勢いあるものが、一手柄《ひとてがら》も立てず、今日来て今日ひき退《の》くとは思われませぬ。率爾《そつじ》な夜戦《よいく》さしてはあぶのうござる。夜明けを待って合戦《かつせん》あるべきであると存じます」
景虎《かげとら》は宇佐美《うさみ》が演出をしていることに気づいた。宇佐美《うさみ》ほどの者だ。最初は気がつかなかったとしても、もう気づいているはずだ。それをまるでわからないかのように、こんなことを言うのは、自分にたいする人々の信仰をかきたてようと考えているにちがいなかった。戦《いく》さは気力だ。主将にたいする信頼のない軍勢に気力はない。宇佐美《うさみ》は新付《しんぷ》の諸将に景虎《かげとら》にたいする信頼をもたせようとしているのだと思われた。その愛情がうれしかった。言った。
「敵は小荷駄《こにだ》をもっておらんぞ。長陣《ながじん》しようにもできるまい」
宇佐美《うさみ》は「あッ」とさけんだ。
「いかさま! ご明眼《めいがん》でありますな。なるほど、敵は今夜じゅうに退《ひ》きましょう。夜陣支度《やじんしたく》は擬勢《ぎせい》でございますな」
演出はあたった。以前からの部将らはこの少年武将の明敏《めいびん》に感嘆《かんたん》を新たにし、新付《しんぷ》の諸将はうわさにたがわない卓抜《たくばつ》の軍事眼《ぐんじがん》に畏敬《いけい》と信頼とを感じた。
城内では夜に入ると身支度《みじたく》をととのえて待機したが、夜半《やはん》敵のかがり火がひときわさかんに燃えだしたころ、城門をひらいて突出し、まっしぐらに襲撃《しゆうげき》した。景虎《かげとら》の先見《せんけん》のとおりであった。敵は引きとりにかかっていたこととて、たちまち浮き足だって潰走《かいそう》した。栃尾《とちお》勢はさんざんに追いちらし、どこまでも追及《ついきゆう》した。
晴景《はるかげ》は七千の兵をひきいてこの日|米山峠《よねやまとうげ》をこえて鯖石《さばいし》川のほとり、狭長《きようちよう》な平野地帯まで出て、その夜はそこに宿営《しゆくえい》したが、夜明けすこしまえに、早馬《はやうま》が疾駆《しつく》してきて、先手大敗北《さきてだいはいぼく》の第一報がとどき、以後ひっきりなしに敗戦の詳報《しようほう》がとどいた。
諸将みな色を失った。晴景《はるかげ》はなおさらのことだ。
「そなたの先手《さきて》じゃ。そなたの先手《さきて》じゃ……」
晴景《はるかげ》は昂奮《こうふん》のあまりに蒼白《そうはく》になり、房景《ふさかげ》を指さして、せめたてるように言った。
房景《ふさかげ》はこの時六十七、髪もひげもまっしろになり、かつてのたくましかった相貌《そうぼう》はやせ枯《が》れていたが、すこしもさわぐ色なくうなずいた。
「いかさま、拙者《せつしや》が先手《さきて》でござる。拙者《せつしや》が防ぎ申そう」
と答えて、二千余人の手勢《てぜい》を部署《ぶしよ》して鯖石《さばいし》川の河原から刈田《かりた》にかけて備えを立てた。午前九時ごろであったが、空いちめんに雲がこめて、うす暗く、季節に似合《にあ》わずへんになまあたたかい朝であった。
栃尾《とちお》勢の寄せてきたのはそれから一時間ほどたってからであった。途中で勢をととのえて、整々《せいせい》と押してきた。
房景《ふさかげ》勢は立てならべた楯《たて》のかげからさんざんに矢を射かけておいて、楯《たて》をふみたおし、ドッとおめいて突撃してきた。猛烈《もうれつ》な勢いだ。勝ちほこった栃尾《とちお》勢が色めきたって動揺《どうよう》すると、房景《ふさかげ》は第二陣をはなって横ざまに攻撃させた。たまらず、栃尾《とちお》勢はくずれたった。
「戦《いく》さは勝ったぞ! それ、総がかり!」
房景《ふさかげ》は全軍に一斉《いつせい》攻撃を命じた。大河の決する勢いだ。
「こらえよ、こらえよ!」
景虎《かげとら》をはじめ諸将は馬を乗りめぐらしてけんめいに浮き足をとめようとしたが、ついに潰走《かいそう》はまぬかれぬかに見えた。
このさわぎのなかに、杉原壱岐《すいばらいき》は、鉄砲をもった七人をひきいて味方の勢を横からぬけて、敵の横に忍《しの》びより、目ぼしい敵を、みずから指さして一人一人ねらいうちに射落とさせた。
「ほら、こんどはあれじゃ。色々縅《いろいろおど》しの具足《ぐそく》に銀の半月《はんげつ》の前立《まえだ》ての冑《かぶと》を着たのがいるじゃろう。あれじゃ」
七|梃《ちよう》を三|梃《ちよう》と四|梃《ちよう》にわけてかわるがわるにはなさせたのだ。はずれるものではない。房景《ふさかげ》方の勇士らはばたりばたりと射おとされた。
四
目ぼしい勇士をねらいうちに射とられて、房景《ふさかげ》勢の攻撃力は急速におとろえた。奇怪《きつかい》ふしぎな兵器にたいする恐怖《きようふ》もあった。ためらい、たゆたい、動揺《どうよう》した。
景虎《かげとら》方には戦機を見るにさとい連中がそろっている。それぞれの手勢《てぜい》をはげまして、いっせいに反撃に転じた。
さすがに房景《ふさかげ》は百戦の猛将《もうしよう》であった。ここで一歩を退《ひ》けば総くずれとなることを知っている。縦横に馬を乗りめぐらして士卒《しそつ》をはげまして踏みこたえさせつつ、晴景《はるかげ》の本陣に急使をはせ、一手の勢を横にまわしてうってかかるようにうながしたが、晴景《はるかげ》はその乞《こ》いを聞き流しにした。
心の怯《おく》れた者は、はげしい戦闘のさなかにおいては、味方の不利な点だけに目がくれて、敵も同じように苦しいことがわからない。勝敗のかねあいが七分三分になってやっと対等としか見えず、五分五分では味方不利としか見えない。晴景《はるかげ》にはとうていこの形勢が挽回《ばんかい》できるものとは思えなかった。空の雲がいっそう密に、いっそう低くなって、にわかに日が暮れたようにあたりがとっぷりと暗くなったのが、彼の心をおびえさせた。いまにも房景《ふさかげ》勢が四分五裂《しぶんごれつ》の潰走《かいそう》状態となり、栃尾《とちお》勢が勢いに乗じてここに殺到してくるような気がし、そうした不吉《ふきつ》な幻影《げんえい》がたえず目の前に浮かびあがってくる。とても兵をわける気にはなれない。兵はその時のためにとっておかなければならなかった。
房景《ふさかげ》は待てども待てども兵が来ない。危機は波のよせるようにいくども来た。歯がみしていきどおった。
「弾正《だんじよう》め、おれを見殺しにするのか!」
いまはもう潰走《かいそう》するよりほかはないかに見えたが、とたんにさらに暗くなった空から、あたたかい雨がドッと降ってきた。ぐいッと大きく空をかたむけたかと思われるばかりの豪雨《ごうう》だ。滝《たき》ツ瀬《せ》そのままだ。
どうすることもできない。両軍ものわかれになって、兵をひいた。
季節にはめずらしい豪雨《ごうう》は、降ってはやみ、やんでは降りながら三日つづいた。鯖石《さばいし》川の水面はふくれあがり、洪水《こうずい》のおそれすらあった。敵も味方も陣所《じんしよ》を山寄りの高地にうつして対峙《たいじ》した。
四日目、やっと雨があがったので、また合戦《かつせん》がはじまったが、その直前、晴景《はるかげ》方でもっともたのみとされていた房景《ふさかげ》は、このまえの晴景《はるかげ》の態度に腹を立てている。ことわりの口上《こうじよう》ものべず、兵をひきいて、上田《うえだ》をさして引きあげてしまった。
晴景《はるかげ》方の士気が阻喪《そそう》したことはいうまでもない。先鋒隊《せんぽうたい》のせり合いがはじまったが、心を動揺《どうよう》させ、気のりのしない様子があった。景虎《かげとら》は早くも見てとり、杉原憲家《すいばらのりいえ》に使い番を走らせた。
「敵に合戦《かつせん》をいやがっている模様《もよう》がある。潮時《しおどき》を見て、本陣《ほんじん》に鉄砲を打ちこんでくれるよう」
という口上《こうじよう》。
「かしこまりました。拙者《せつしや》もそう思うていましたわい」
杉原《すいばら》は答え、手勢《てぜい》の兵の旗を伏《ふ》せさせ、ひそかにひきいて右手の山にのぼり、できるだけ敵の本陣《ほんじん》に近い地点に出た。
その間に先手《さきて》のせりあいはたけなわとなった。杉原《すいばら》は、
「今日はよい敵をねらうことはいらん。一発でも多く打ちこむが手柄《てがら》だ。玉を二つずつこめろ」
と、言い聞かせて、玉ごめさせ、
「そら撃《う》て。あの本陣《ほんじん》のまんなかにうちこめ」
七|梃《ちよう》の鉄砲をいっせいにはなさせ、同時にサッと旗を上げ、あらんかぎりの声で鬨《とき》をつくらせた。わずかに三百人の兵であるが、二ツ玉をこめた鉄砲をともなっての、山上からの絶叫《ぜつきよう》だ。もとより戦意を喪失《そうしつ》している晴景《はるかげ》の本隊は一時にさわぎたった。
機をはかっていた景虎《かげとら》は、総がかりの貝を吹きたてさせた。勁烈《けいれつ》な貝の音が、左右の山々にこだまを呼びながら、狭長《きようちよう》な盆地に殷々《いんいん》とひびきわたりはじめると、栃尾《とちお》方の全隊はいっせいに立ちあがり、鬨《とき》の声を上げながら突撃に出た。
このすさまじさに、晴景《はるかげ》の魂は中天《ちゆうてん》にふッ飛んだ。顔は血の色を失った。
「馬引け! 馬を!」
とふるえる声を走らせ、引かれてきた馬に飛びのるや、にげにかかった。馬廻《うままわ》りの者はおどろいて、くつわに飛びついて引きとめた。
「けしからぬあそばしよう。戦《いく》さはこれからと申す時に、なにごとでござる! お気を静めて、ご思案ください。味方は敵に数倍の大軍でありますぞ!」
といさめたが、晴景《はるかげ》にはその余裕《よゆう》はない。
「はなせ! はなせ! 米山峠《よねやまとうげ》の難所《なんしよ》で防ぐのだ! はなせ! ええい、はなせというに!」
あぶみで蹴《け》りつけ、むちをふるってなぐりつけた。蹴《け》りつけられたひたいが破れて血が走った。その男はかッと腹を立てた。
「お情けなきお心! われらもうまっぴらじゃ。勝手にあそばされよ!」
とさけんで、くつわをはなした。
切ってはなたれたようであった。晴景《はるかげ》は疾駆《しつく》し去った。
主将がこうではどうなるものではない。本陣《ほんじん》がくずれて敗走にかかると、たちまちそれは全軍におよび、総敗軍となった。
五
日露《にちろ》戦争に従軍した将校に聞いたことがある。戦《いく》さでもっともうれしいのは、はげしい接戦の後、敵が戦意を喪失《そうしつ》して敗走するのを追撃する時であるという。こういう敵にたいする追撃には、こちらに危険がない。狩猟のようなものだ。相手が鳥獣《ちようじゆう》でなく人間であるだけに、残酷非道《ざんこくひどう》の感がないわけにいかないが、ついいましがたまで自分が殺されるかわからないはげしい戦いをつづけてきた身には、そう反省する余裕《よゆう》はなく、ひたすらにうれしく、ひたすらにゆかいなのであろう。
栃尾《とちお》勢は潰走《かいそう》する敵を追いたて追いたて、二里の道を時の間に米山峠《よねやまとうげ》の麓《ふもと》まで追いつめた。敵はこのふもとで備《そな》えを立てなおして踏みこたえるつもりであったらしいが、猛烈《もうれつ》な急追撃にその余裕はなく、ひたすらににげ登っていく。
景虎《かげとら》は全軍のまっさきに立って疾駆《しつく》してきたが、ふもとについて馬をとめた。にげのぼっていく敵の姿をしばらく見つめていた後、鉦役《かねやく》の者を呼んで、停《とま》り鉦《がね》を鳴らせた。
きおいたっている諸将はこの停止命令が合点《がてん》がいかない。馬を飛ばして集まってきた。口々に、
「なにゆえのとめ鉦《がね》でござる。この図《ず》をはずしてなりましょうか。気をぬかず追いのぼって敵を討ち、ただちに頸城《くびき》郡に打って出、春日山《かすがやま》を乗っとるべきでござる」
と言ったが、景虎《かげとら》は、
「くわしいわけは宇佐美《うさみ》に聞けい。宇佐美《うさみ》ならわかろう。早朝からの働きで、おりゃくたびれた。眠うなった」
と言いすてて、街道《かいどう》ぞいの民家の戸をこじあけて入った。
合戦場《かつせんば》になったので、うす暗いその家にはだれもいない。安全な場所ににげちってしまっている。景虎《かげとら》は台所の水がめから水をくんでうまそうにのんでから、冑《かぶと》をぬぎ、むしろの上にごろりと横になった。当時こうした民家は床はなく、たたいた地面にじかにむしろを敷いただけというのがふつうであった。
諸将は宇佐美《うさみ》をさがしてその隊に行った。宇佐美《うさみ》の隊は一|町《ちよう》ばかり横の村落で休憩《きゆうけい》をとっていた。馬は鞍《くら》をおろし、人は冑《かぶと》をぬぎ、焚《た》き火《び》をし、湯をわかし、しごくのんびりとした情景であった。
宇佐美《うさみ》は焚《た》き火《び》にむかって床几《しようぎ》をすえ、両手をかざして煖《だん》をとっていた。
「なに、敵の気合いをはずしていなさるのでござるよ。敵が坂の中途に待ちかまえて、攻めてのぼっていく味方をかさにかかって挑《いど》みかかってくれば、勢いは逆になって難儀《なんぎ》な戦《いく》さになろうと、その気合いをはずしていなさるのでござるよ。あとしばらく間がござろう。おのおのもくつろいで、気力を養われるがよろしかろう。こんどの追い打ちははげしいことと思われますぞ」
しずかな微笑《びしよう》をふくんで、おちつきはらって説《と》き聞かせた。
諸将は、舌《した》を巻いて感嘆《かんたん》した。
「いつものことながら、お年に似ぬ鋭いご分別《ふんべつ》。いくさだては年にはよらんのう」
とささやきあい、それぞれに散って、部隊を休息させた。
ほぼ一時間たって、景虎《かげとら》はむくりと起きあがり、冑《かぶと》をつけ、忍《しの》びの緒《お》をむすんでその家を出た。眉《ま》びさしを上げて坂を見上げた。海抜三百三十メートル、急峻《きゆうしゆん》な勾配《こうばい》をもった坂道が白く光りながらうねうねとつづき、途中で冬木の林におおわれた山ひだに消えている。敵の影《かげ》はもうどこにも見えない。
この峠《とうげ》は一里半ほど西北方にそびえる九百九十三メートルの米山《よねやま》の尾根《おね》がしだいになだれてきた位置にある。複雑な山形をもった山塊《さんかい》は、三日にわたる豪雨《ごうう》に洗われて、洗いみがかれた清澄《せいちよう》さになり、鋼鉄《こうてつ》のように青黒く冴《さ》えた冬空をきびしい線でかぎっていた。
景虎《かげとら》は貝役《かいやく》の者に貝を吹き鳴らさせた。貝の音はせまった山々に反響《はんきよう》して、おそろしく勁烈《けいれつ》な響《ひび》きとなってひろがった。各隊いずれも休息の耳をおどろかされて立ちあがった。
「早貝《はやがい》!」
どなりすてておいて、景虎《かげとら》は早くも馬を乗りだして坂にかかる。
急調子な早貝《はやがい》がつづいて、諸隊はエイヤエイヤとかけ声を上げながらつづいた。
十分に休息をとって気力を養った後だ。たちまち峠《とうげ》に達した。
景虎《かげとら》の推察したとおりであった。晴景《はるかげ》勢は坂をなかばのぼったあたりで停止して、追いのぼってくるであろう栃尾《とちお》勢を|かさ《ヽヽ》にかかっておしつぶそうと、備えを立てて待ちかまえたが、いくら待っても追ってくる様子がない。斥候《ものみ》の兵を走らせてみると、栃尾《とちお》勢はいずれものんびりと休息しているという。
「ならば待ちうけてもせんない。退《ひ》こう」
と、また退却《たいきやく》にかかり、峠《とうげ》をこえてすでに二分ほどくだりにかかったが、そのころ、追ってくる栃尾《とちお》勢のどよめきが聞こえはじめた。
「しまった!」
狼狽《ろうばい》しながらも、おもだった連中は、引きかえそうと思った。栃尾《とちお》勢より早く峠《とうげ》に引きかえすことができれば有利な戦《いく》さができるのだ。しかし雑兵《ぞうひよう》らはそうは考えない。狼狽《ろうばい》は恐怖《きようふ》になり、一刻も早く駆《か》けくだろうと、足を乱して、加速度的に速くなり、ついには疾走《しつそう》になった。こうなっては、勇士の名ある連中もどうしようもない。波に巻かれて引きさらわれるように足が速くなった。
栃尾《とちお》勢が峠《とうげ》に達した時、晴景《はるかげ》勢は山を六、七分のところまでくだっていた。
「一兵ものがすな! おいうて!」
景虎《かげとら》は火のような下知《げち》をくだして、まっさきに追った。
ドッといっせいに鬨《とき》をあげて、栃尾《とちお》勢は道といわず、小藪《こやぶ》といわず、思い思いの途《みち》をとって追いかけ、適当に足場をしめると、あるものは岩石をまろばしかけ、あるものは弓に矢つがえしてはなちかけた。なかにも杉原憲家《すいばらのりいえ》が鉄砲隊をひきいての働きが目ざましかった。杉原《すいばら》は七人の鉄砲隊をひきいて、敵のまうえに近い高い崖《がけ》の上に出て、縅《おど》し毛あざやかな甲冑《かつちゆう》をまとった武士ばかりをえらんで狙撃《そげき》させた。当時の鉄砲でも、高みからこぶしくだりの射撃では、射程《しやてい》ものびるし、あたりもよい。晴景《はるかげ》勢の恐怖《きようふ》と狼狽《ろうばい》は言語に絶した。ただくずれにくずれて、算《さん》を乱してにげ走るばかりであった。
六
鯖石《さばいし》川原の敗戦、米山峠《よねやまとうげ》の惨敗《ざんぱい》の報が春日山《かすがやま》にとどいたのは、その翌日の夜明け方であった。留守居《るすい》の老臣殿原《ろうしんとのはら》豊後守《ぶんごのかみ》は七十余の老人だ。留守《るす》を大事と心がけて一度も帰宅せず、城内に詰めきりでいた。夜明けの夢を宿直《とのい》の下役人《したやくにん》におこされた。
「しかじかの次第にて、お味方|利運《りうん》なく、殿様はわずかなお供《とも》まわりで、お引きあげの途中とのこと……」
栃尾《とちお》城攻めの失敗と、大雨のためにものわかれになった鯖石《さばいし》川原の合戦《かつせん》との報告書は、数日前に受けとっている。しかし、その報告書にはそれほど悲観的なことは書かれていなかった。
「上田《うえだ》勢の先手《さきて》どもがぬけがけの功をあせったため、味方によわみをつけてしまったが、鯖石《さばいし》川ではずいぶん敵を苦しめた。雨が来なければ必定《ひつじよう》味方の大勝利におわったろうに、まことに残念である。雨のあがりしだい敵をみな殺しにし、栃尾《とちお》を乗りとり、不日《ふじつ》に凱旋《がいせん》するであろう。この旨《むね》、藤紫《ふじむらさき》にも申し聞け、安心させるよう」
とあったのだ。
豊後《ぶんご》はうちしわぶきながら立ちあがり、着がえにかかった。老いた足もとがふるえ、夜明けの空気がいくどもくしゃみをさせた。鼻汁《はな》が垂れる感覚で、鼻先がむずむずする。
(……敗戦と? ああ、敗戦と? よしなきことをあそばされたればこそのことじゃ。こんどのご出陣は、わしははじめから気に食わなんだ。喜平二《きへいじ》様ほどの弟君《おとうとぎみ》をもったことをうれしいとも思わず、憎《にく》みだてなさるということがあるものか。ご兄弟仲ようさえしておいでなら、喜平二《きへいじ》様のお手柄《てがら》はみなご当主たるご自身のお手柄《てがら》になるのではないか。……ああ、ああ、うるさや! 風邪《かぜ》をひいたような……)
クシュンと鼻をすすり、袖《そで》で横なぐりにふいて、着がえをおわった。
「さあ、先に立て。じかに聞く」
手燭《てしよく》をもった下役人《したやくにん》を先に立てて、玄関に出た。
注進《ちゆうしん》の者は玄関の式台《しきだい》にどっかり腰をおろし、まわりを数人の下役人《したやくにん》らがとりまいて、なにやら問いかけていた。下役人《したやくにん》らはずいぶん昂奮《こうふん》しているようであったが、注進《ちゆうしん》の者はボソボソと元気のない応答しかしない。具足《ぐそく》の袖《そで》はちぎれかけ、素足《すあし》に足半《あしなか》をはき、乱髪《らんぱつ》を鉢巻《はちまき》でとめている。へとへとに疲れきった様子だ。豊後《ぶんご》の出てきたのを見ると、大儀《たいぎ》そうに腰を上げ、土間《どま》にうずくまった。
「あらましのことは取り次ぎから聞いたが、くわしく語れ」
「くわしく申せと言われましても、申し上げることはありましねえ。敵が強すぎて、話になりましねえ。そのうえ鉄砲ちゅうものをもっていましてねえ、ドカーン、ドカーンとものすげえ音で撃《う》ちたててきますと、楯《たて》も鎧《よろい》もたまったものでねえす。ねらいおとしに目ぼしい旦那《だんな》方を打ちとるのでござる。そのうえ、上田《うえだ》の越前守《えちぜんのかみ》様が、なんじゃかお腹立ちで、戦《いく》さのはじまるすぐ前、手勢《てぜい》をまとめて上田にかえってしまいなされたのでござる。上田衆がいなさらんでは、勝負になるはずがねえす。鯖石《さばいし》川で負け、米山峠《よねやまとうげ》で負け、こんげなことになったのでござるだ」
ぼそぼそと言うのが、投げやりで、ヤケな調子だ。主将たる晴景《はるかげ》に不満があるのだと思われた。とがめだてしたりしかったりしては、なにを言いだすかわからない。質問をかえた。
「それで、汝《われ》はどこで殿様におわかれしてきたのじゃ」
「松留《まつどめ》でおわかれしましただ。できるだけ急いではせもどって注進《ちゆうしん》せいとおおせつかりましたすけ」
これ以上は聞いたところでなんにもなりはしない。豊後《ぶんご》は役人の一人に、注進《ちゆうしん》の者に食事をあたえて休息させるように命じ、さらに一人に、やはり留守居《るすい》としてのこされた数人の武士の名をあげ、それぞれの屋敷《やしき》に走って、急ぎ登城《とじよう》するよう伝えよと言いつけた。晴景《はるかげ》を迎えの人数をくりださねばなるまいと考えたのであった。こんどの出陣には、晴景《はるかげ》は非常な意気ごみを見せて、
「喜平二《きへいじ》をとりこにするか首にするかしないかぎりは帰らぬ」
と高言《こうげん》し、底をはらうようにして兵を引きつれたので、留守居《るすい》にのこされたのは多くは老齢か、病気か、ものの役に立ちそうなものはいないのだが、供《とも》まわりも少なくにげ帰ってきつつあるとあっては、迎えを出さないわけにはいかない。
「はて、次はなにをせんければならんかいな……」
つめたくかたい板の上にすわって、思案していると、また鼻がむずむずして、大きなくしゃみがつづけさまに出た。
「そうじゃった。お部屋様《へやさま》のお耳にも入れとかんければならんわい……」
豊後《ぶんご》は鼻汁《はな》をぐずめかしながら、やや明るくなった縁側《えんがわ》を奥殿《おくでん》にむかった。庭に霜《しも》が雪のように白かった。
お広敷《ひろしき》で、宿直《とのい》の女中を呼びだして、
「至急に申し上げねばならぬことが出来《しゆつたい》いたしましたれば、時ならぬ時でございますが、お目どおりねがいます」
と、とりつぎをたのんだ。
相当待たされた。その間に夜はますます明け、雀《すずめ》の声が聞こえてきた。
宿直《とのい》の女中と、藤紫《ふじむらさき》の召し使っている小娘《こむすめ》とが出てきた。
「こちらへ」
つれていかれたのは、霜《しも》の庭にむかった書院《しよいん》の間《ま》であった。障子《しようじ》を開けはなったその座敷のまんなかに、大火鉢《おおひばち》に山のように炭火をおこし、片手をかざして藤紫《ふじむらさき》が端座《たんざ》していた。いつも好《この》みのうす化粧《げしよう》だが、花のように美しかった。その美しさに打たれたように、豊後《ぶんご》は、
「うッヘーッ」
と、縁側《えんがわ》に平伏《へいふく》した。また鼻がむずむずしてくしゃみが出そうであった。豊後《ぶんご》はけんめいにこらえた。
悪いおなご
一
殿原豊後《とのはらぶんご》が風邪《かぜ》ひき声で言上《ごんじよう》するのを藤紫《ふじむらさき》は心中仰天《ぎようてん》しながら聞きおわったが、表情はいたって静かであった。
「口おしい知らせを聞くものであります。しかしながら、過ぎ去ったことはなげいてもいたしかたないこと。さっそくにお迎えの人数を出されて、無事《ぶじ》におかえりになるよう、はからいありますように」
と言った。
老人は藤紫《ふじむらさき》に好意《こうい》をもっていない。殿様のお政治《しおき》が乱脈であるのも、世間《せけん》の評判が悪いのも、すべてこの女狐《めぎつね》がついているからだと思っているのだが、それだけにこの気丈《きじよう》さと沈着には目を洗われる思いであった。
(さすがは堂上《どうじよう》のお生まれ、氏素姓《うじすじよう》は争われぬ。大事な場にあたっては、男はずかしいご沈着じゃ)
と、感心した。
「そのつもりで、ただいま手くばりちゅうでございます。おそれながら、ご様子を拝しまして、安心つかまつりました。されば、これにてごめんこうむります」
豊後《ぶんご》は奥殿《おくでん》をさがった。つなぎの渡り廊下で、いくども大きなくしゃみをしながら、よちよちとたよりなげな足もとであった。
「そこをしめてたも。そして、みなの者、しばらく席を避《さ》けてくりゃれ」
侍女《じじよ》らは縁《えん》にむかった障子《しようじ》をしめて、ぞろぞろと別室にさがった。いずれも殿様敗軍のしらせに心をおののかせていた。
一人になると、藤紫《ふじむらさき》の様子はかわった。おちつきのない、おどおどした顔になって、いくどもためいきをついた。
「にげねばならない」
と、思った。
彼女は、自分が多くの人にうらみをもたれていることを知っている。それは城内の者にもあるはずだ。こうなると、その者どもはきっとうらみを晴らそうとするにちがいない。一匹の犬が狂《くる》えば千匹の犬が狂《くる》う道理だ。城中の全部が狂《くる》いだして、自分をめがけて殺到《さつとう》するかもしれない。そうなれば、晴景《はるかげ》がたよりにならないことはいうまでもない。前に立ちふさがって家来どもをしかりつける勇気もなければ、圧服《あつぷく》できる力もない人であることは、彼女にはよくわかっている。自分のからだが暴兵《ぼうへい》どもに八《や》ツ裂《ざ》きにされてふみにじられることを想像して、目の前が暗くなった。からだのふしぶしが痛いようにさえ思った。
「どうして、どこににげよう」
それが問題であった。
うらみを含んでいるのは、城内の者だけではない。むしろ、城外の民の方が深いうらみをもっているはずだ。それだけのことを自分はしてきている。その目にかかったら、とうてい無事《ぶじ》でいられようはずはない。
ひょっとすると、なんといっても兄弟のことだ、城まで攻めつけてきても、和睦《わぼく》ができて、晴景《はるかげ》はふたたび返り咲くことがあるかもしれないが、その時だって自分だけは助からないにきまっている。景虎《かげとら》はもとよりのこと、景虎《かげとら》に味方している豪族《ごうぞく》らは全部自分をにくんでいる。自分を殺すことを条件の一つにして和睦《わぼく》するにちがいないからだ。
しょせん、助かりようのない自分だ。
こんな時のために、かねてから情をかけて、にげゆく先を用意しておくべきであったと後悔《こうかい》したが、それはいまとなってはなんの役にも立たないくりごとだ。
「とにかくも、にげることが先だ。あとはあとのこと。急がなければならない」
決心をつけた。
小女《こおんな》を呼んだ。
小女《こおんな》がおどおどしながら姿を見せた。
「こちらにおじゃ。ずっとそばに寄りゃ」
と呼びよせて、ささやいた。
「そなたの在所《ざいしよ》は、たしか名立《なだち》でありましたの」
「はい。名立《なだち》の奥の赤野俣《あかのまた》という山里でございますだ」
「そこへわたしを連れていっておくれ。まもなくここでは、戦《いく》さがはじまる。こうしていては、わたしもそなたもどうなろうやらわからぬ。城戦《いく》さの時、いつもひどい目にあうのは、女です。きっと鬼のような武者《むしや》どもにむごい目にあわされたうえ、八《や》ツ裂《ざ》きにされてしまうであろう」
小女《こおんな》はふるえあがった。
「殿もご出陣の時、万一のことをお案じなされて万が一にも味方敗軍ということになった節は、ひとまずいずれかへ落ちて、あとのなりゆきを待て、わしはかならず城にかえり、備えをかためて戦い、やがて諸方の味方の助けを得て、利運《りうん》をひらくであろう、と、言いおかれました。いいかえ。ですから、ひとまずそなたの在所《ざいしよ》へ連れていってたもれ。きっと厚う報いますからの。わたしもほうびの金銀なり、着物なりたんととらせますが、殿もご利運《りうん》をひらきたもうた後には、お報いくださろう。そなたの父御《おやご》なり、兄弟なり、士《さむらい》にとりたててくださるよう、わたしが引きうけてとりなしましょう」
藤紫《ふじむらさき》の言うことがわかったかどうか、ふるえつづけながらも、小女《こおんな》は、
「は、はい……」
とうなずいた。
支度《したく》にかかった。落ちるとなれば、できるだけ金目《かねめ》なものをもっていかなければならない。晴景《はるかげ》が敗勢《はいせい》をもりかえして敵を撃退することは考えられないから、京へ帰るよりほかはないが、路費《ろひ》もいるし、京でのこれからの生活を考えても、金銀はぜったいに必要だ。だいいち、長い年月こんな片《かた》田舎《いなか》に、しかも弟まで死なせて、しんぼうしたのだ、できるだけ金銀でももってかえらなければ、引きあったものでない。
これまでもらいためた砂金《さきん》や金銀細工《ざいく》を包みにしはじめたが、美しい衣類を見ると、それもおしくなった。
(この一枚一枚がわたしを京へ連れて帰ってくれるものだ。金銀は京へ帰りついてからのものとして、できるだけたしなんで、この着物を路費《ろひ》にしよう)
と思った。
よりわけにかかったが、どれもこれもおしい。それを思いきって選択《せんたく》して、一枚一枚|小女《こおんな》に投げてやって包ませにかかったが、できあがった包みは大きく重いものになった。
とても、小女《こおんな》にはかつげそうにない。
(やはり男の手を借りなければならない)
と思った。
こんな時に玄鬼《げんき》がいてくれればと思った。女の敏感《びんかん》さで、彼女は玄鬼《げんき》が自分にたいしてふつうでない感情をもっていたことを知っていた。心のおごっていた当時は、いささか腹が立ちもし、いささかおかしくもあったが、こうなればおしいことをしたと思わないわけにいかない。しかし、これももう返らないくりごとだ。
二
(だれにたのもう)
思案した。いろいろな男の顔を思い出した。老人は最初から勘定《かんじよう》にいれない。体力がなければつとまらない役目だ。若い武士らを一人一人思い出してみた。かねて自分を思慕《しぼ》していると思われる者どもだが、いずれも晴景《はるかげ》の供《とも》をして出はらっていた。
しかたがないから、下僕《げぼく》どものことを考えた。あれでなし、これでなし、と吟味《ぎんみ》して、やっと一人思いあたった。
久助《きゆうすけ》というその下僕《げぼく》は元来は直江津在《なおえつざい》の漁夫《ぎよふ》であったが、角力《すもう》が強いというので、晴景《はるかげ》が去年の秋、下僕《げぼく》に召しかかえて、奥殿《おくでん》の庭掃除《にわそうじ》などさせているが、この男の自分を見る目にどうやら思慕《しぼ》の色があるようであることを思い出した。
(あれなら、強そうでもある。京までの供《とも》も十分につとまろう。いままでは思慕《しぼ》していなくても、説きつけてみせる。からだを餌《えさ》にするつもりなら、できないことではない)
と、自信をもって思った。
「そっと呼んできてたもれ」
と、小女《こおんな》を走らせた。
この間に、うわさがすっかり広まったと見えて、城内は表も奥殿《おくでん》もわきたつようなさわぎになった。異様な呶声《どせい》と、とろとろと走りまわる音とが、たえずわきおこっていた。藤紫《ふじむらさき》の居間《いま》にのぞきにくる者もいた。彼女は用意した包みを几帳《きちよう》のかげにかくし、胸をしゃんと張り、火鉢《ひばち》に片手をかざした姿勢で端座《たんざ》していた。そういう者があると、きびしくたしなめた。
「無礼《ぶれい》な! 呼びもせぬに、なぜ来るのです。武家奉公《ぶけぼうこう》している者が、そのうろたえようはなにごとです!」
するどい美しさをもっている彼女は、そうしていると近づきがたい威厳《いげん》があった。人々は打たれたように拝礼して、ものしずかに去った。
庭先に人のけはいが近づいて、小女《こおんな》が小声で、
「ここに待っていてくだされや。いま申し上げるすけな」
と言うのが聞こえた。
藤紫《ふじむらさき》は立ってみずから障子《しようじ》をあけた。
久助《きゆうすけ》は霜《しも》の庭にひざまずいていた。たくましいからだとひげの濃《こ》い荒れた顔相《がんそう》の、二十五、六の男だ。濃《こ》いまゆの下のギョロリとした目で見上げて、すぐ平伏《へいふく》した。それを見た時、藤紫《ふじむらさき》の胸に不安に似たものがかすめた。この男を御《ぎよ》しきれるだろうかという。
しかし、乗りかかった船だ。猶予《ゆうよ》のできない場である。できるだけ威厳《いげん》を保《たも》って言った。
「殿様のかねてのお言いふくめで、しばらく城を落ちます。そなた、供《とも》をしておくりゃれ。そなたはかねてから、このような時に役に立つ者と、身《み》が目をつけていたものです」
「へッ!」
久助《きゆうすけ》の大きなからだははげしくふるえだした。
藤紫《ふじむらさき》はいっそう不安になったが、あとへは引けない。
「では、上がってきて、この包みを背負って、あとについてきておくりゃれ」
久助《きゆうすけ》はわくわくしてきたようだ。荒い顔が夢見るようなうっとりとした表情になり、ふるえながら上がってきて、荷物を背負った。
「おじゃれ」
藤紫《ふじむらさき》は片手に金銀の包みをしっかりともって縁《えん》に出、小女《こおんな》のはいてきた草履《ぞうり》をつっかけて、庭におりた。小女《こおんな》がはだしで従い、そのあとに久助《きゆうすけ》が従った。
どの道をとってにげるか、考えてある。この庭を行きつくしたところにある木立ちの中につづく細道を行くと、山路《やまじ》にかかり、すこしのぼってから谷に下れば、濠《ほり》に架《か》した細橋《ほそばし》がある。それを渡ってすこし行けば道が二つにわかれる。右をとれば里に出、左をとれば山に入る。その山をぬけて海べに出るつもりであった。難所《なんしよ》は細橋《ほそばし》のきわにある番所《ばんしよ》だが、こういう際だから番卒《ばんそつ》どもはいないかもしれない。いても、口先《くちさき》一つでなんとかなろうと、たかをくくっていた。
高く日が上って、霜《しも》がとけかけて、水蒸気がほうほうと立って、ぬかりかけている庭を行きつくして、木立ちにかかった時であった。殿原豊後《とのはらぶんご》は、駆《か》けつけてきた留守居《るすい》の老人らと相談して晴景《はるかげ》を迎えの人数を出してやったので、その報告のために奥殿《おくでん》に来た。閉めきってある障子《しようじ》の外にかしこまり、うやうやしく声をかけようとしたがふと庭の方に人のけはいを感じて、ふりむいて見た。
「あッ!」
と、声を立てて、おどろいた。
(はてな。どうして、藤紫《ふじむらさき》様が?……)
とっさには合点《がてん》がいかなかったが、やがてはっと思いあたった。怒《いか》りが心頭《しんとう》に燃えあがった。
さけんで呼びとめようとしたが、舌《した》の先まで出かかったそれを食いとめた。こういうことが人に知られては、士気《しき》がくずれるのである。
はだしで庭にとびおりて、追いかけた。
追いついて、おしころした低い声でさけんだ。
「これはなんということでござる! お前《まえ》様、どこに行きなさる!」
藤紫《ふじむらさき》はふりかえった。血の気《け》のない、まっしろな顔になっていた。
「殿様のかねてのおおせつけどおりにしているのです。まさかの時にはこうせよと、おおせつかっているのです」
瞬間《しゆんかん》、そうかもしれないと思ったが、紙のような色になってふるえているその唇《くちびる》を見た時、うそだ! と思った。
「とにかくも、ひとまずおかえりください」
と、すり寄って、腕をつかんだ。藤紫《ふじむらさき》はいっそう青くなった。
「身がいつわりを言うとお思いかえ。はなしゃ!」
さけんで、ふりきろうとしたが、老人ながら豊後《ぶんご》もかつては武勇の名のあった者だ。ふりきれなかった。
「とにかくも、ひとまずおかえりを!」
ぐいと豊後《ぶんご》は引いた。
こらえようとしたが、こらえられない。藤紫《ふじむらさき》のからだはよろめき、上体が豊後《ぶんご》の胸に引きつけられた。
「チッ!」
どうして抜いたか、どうして突きさしたか藤紫《ふじむらさき》は意識しなかった。さか手に右に抜きはなった懐剣《かいけん》で、うしろ手に、豊後《ぶんご》の右の脾腹《ひばら》をつきさし、えぐっていた。
「あッ!」
豊後《ぶんご》はさけんだ。苦痛に顔をゆがめ、つかんだ相手の腕を引きよせ、からだを抱きとめようとしたが、手をはなした瞬間《しゆんかん》に、藤紫《ふじむらさき》は身をひるがえしてすりぬけた。
「お前《まえ》様は!」
豊後《ぶんご》は霜《しも》どけの庭にくずれおちようとしてよろめき、ふみとどまった。右手でみるみる血に染んでいく脾腹《ひばら》をおさえ、おそろしい目で藤紫《ふじむらさき》をにらんだ。
小女《こおんな》も、久助《きゆうすけ》も、おびえて立ちすくんでいた。
藤紫《ふじむらさき》も自分のしたことにおどろいていた。右手に懐剣《かいけん》をつかんでいることに気づいて、反射的にすてようとしたが、ふと思いかえして、懐紙《かいし》を出して、血のりをぬぐい、鞘《さや》におさめた。白い細い手がはげしくふるえていた。一ぺんも豊後《ぶんご》の方を見なかった。
「おいで」
と、小女《こおんな》と久助《きゆうすけ》に言って歩きだした。二人はせかせかと歩きだした。
「……待ちなされ……」
豊後《ぶんご》は追おうとしたが、一、二歩で足をもつらかして、どろどろの霜《しも》どけの中にひざをついた。顔をゆがめ、はげしい目で藤紫《ふじむらさき》のうしろ姿をにらんでさけんだ。
「お前《まえ》様は、悪い女《おなご》じゃ!」
聞こえたにはちがいないが、藤紫《ふじむらさき》はふりかえらない。
「おいで」
とうしろにつづく二人に言って、足を早めた。
いきなり深い穴におちこんだように気力がなくなり、周囲が暗くなり、豊後《ぶんご》は横にたおれた。そのたおれているまわりのぬかるみから蒸気がほうほうと立ちのぼり、日はますます高くなっていった。
三
晴景《はるかげ》が帰ってきたのは、その日のひる過ぎであった。従っているのは迎えに行った者も加えて、やっと百|騎《き》くらいしかなかった。彼はまるで気力がなくなっていた。ぶよぶよにふとった顔は不快な土色になり、たえずからだ全体をふるわしていた。大手《おおて》の玄関について馬を下りるのも、ひとりではできなかった。家来どもにかかえおろされた。
「諸門《しよもん》を打って、食いとめよ。一兵《いつぺい》も入れるでないぞ」
と、ふるえ声でさしずしたが、兵らは返事もしなかった。このわずかな勢では防ぎがつかないことは明らかであった。
「やがて諸勢《しよぜい》もかえりくるであろう。これほどの城だ。防ぎのつかぬはずはないぞ!」
じだんだふんで、晴景《はるかげ》はいら立った。
兵らはのろのろと立って、どこへ行くやら、そこを去った。
「あほうどもめ、おのれらが不覚《ふかく》でこのやぶれをとりながら」
つぶやいて、玄関を入った。藤紫《ふじむらさき》の顔を見て、熱い酒を一ぱいのみたいと思って、奥殿《おくでん》の方に行きかけると、留守居《るすい》の老人の一人が前にひざまずいた。
「おりもおり、ご不快なことを申し上げねばなりませぬ。藤紫《ふじむらさき》様は、どこぞへおにげなさりました」
「なにイ?」
「殿原豊後《とのはらぶんご》を殺害して、おにげになったのでございます」
よくわからない。いくども問いかえした。
老人ははじめのうちおどおどしていたが、しだいにおちついてきた。ゆっくりと、念入りに説明した。いじわるいよろこびに似たものを感じているようであった。
晴景《はるかげ》は目の前がまっくらになったが、考えられないほどの速さで、奥殿《おくでん》さして走りだした。戦場でも出したことのないおそろしい勢いであった。鎧《よろい》の札《さね》が、カタカタ、ザワザワと鳴った。
「お藤《ふじ》よ、これ、お藤《ふじ》よ! どこにいる? お藤《ふじ》よ!……」
藤紫《ふじむらさき》の居間《いま》から、他の座敷に呼びたてながら歩きまわったが、いようはずがあろうか!
やがて、藤紫《ふじむらさき》の居間《いま》にかえってくると、どかりとすわって、酒を呼んだ。
大きな盃《さかずき》で酒をあおりながら、しだいに酔いの出てきた目で、ときどきあたりを見まわしたり、聞き耳を立てたりした。どこからか藤紫《ふじむらさき》が出てくるか、声が聞こえるかするにちがいないと思っていた。戦《いく》さのことも、身にせまった危険のことも、もう考えなかった。心にあるのは、藤紫《ふじむらさき》のことだけであった。ときどき、涙がこぼれてきた。
四
潰走《かいそう》する春日山《かすがやま》勢を、景虎《かげとら》勢は急追撃しつづけた。いや、いや、急追撃とはいえないかもしれない。春日山《かすがやま》勢は四分五裂《しぶんごれつ》して、思い思いの方角ににげ走っているのに、景虎《かげとら》勢はひとすじに春日山《かすがやま》を目ざして疾駆《しつく》しつづけるのだ。追撃というより、敵中突破といった方が適当かもしれない。
実際に戦争に出たことのないわれわれ素人《しろうと》の考えでは、こんなことをしたら、敵が四方から押しつつんできて、攻守ところをかえ、ひどい目にあうのではないかと思われるのだが、敵が計略《けいりやく》でにげたのでないかぎり、けっしてそういうことにはならないという。こんな場合には徹底的《てつていてき》に追って追いまくるべきものだという。戦《いく》さと心理との深い関係、戦力は単に物理的な力ではないことなどがわかるのである。
景虎《かげとら》はつねに先頭に近いところにいて馬を走らせつづけたが、春日山《かすがやま》に近づくにつれて、気が重くなりはじめた。
「戦っている相手は兄だ。兄を追いかけているのだ」
という気持ちがくらく重いものになって、胸をおおうてくる。
「兄ではあっても、これはしかけられた戦《いく》さだ。兄はおれに二度も刺客《しかく》をさしむけた。こちらがやらなければ、やられてしもうのだ。食うか食われるかなのだ」
と思ってみても、
「兄は長尾《ながお》家の当主としてふさわしくない人だ。武将として欠点だらけな人だ。士心《ししん》も民心《みんしん》もはなれている。兄が当主であるかぎり、長尾《ながお》家の亡滅《ぼうめつ》は目に見えている。豪族《ごうぞく》らも、兄にかわっておれが立つことを望んでいる」
とはげましてみても、萎《な》えしぼんでいく気力がどうしようもない。
戦《いく》さの時、こんな気持ちになったことははじめてだ。いつの戦《いく》さでも湯玉《ゆだま》となってふきあがってくるように闘志が出てくるのに、気がめいってならないのだ。
あと三里ほどで春日山《かすがやま》という地点まで来ると、どうにもがまんできなくなった。馬を乗りとどめ、停止《ていし》の鉦《かね》を鳴らさせた。
どの隊も、ぴたりと停止して、さわぐ様子はなかった。
景虎《かげとら》は使い番を各隊に出して、夜陣《やじん》の支度《したく》にかかるように命じた。
「今夜はここで泊まることにするが、敵城まぢかのことであるから、かがり火の数と夜まわりの者を多くして、十分に用心するよう」
また文句《もんく》を言ってくるのではないかと思っていたが、だれも来ない。それぞれに適当な場所を占《し》めて、夜陣《やじん》の支度《したく》にかかりつつあるのが見えた。これは部将らが景虎《かげとら》の戦術眼《せんじゆつがん》を信頼しきっているためとより思いようがなかった。彼らは本心を言えば、ここまで敵を追いつめてきながら、日暮れがせまっているというでもないのに、たちまちやめて夜陣支度《やじんしたく》など命ずる景虎《かげとら》の量見《りようけん》がわからないにちがいないのだが、米山峠《よねやまとうげ》で追撃を中止して敵の気合いをはずして大勝利を得たのはつい昨日のことだ、凡慮《ぼんりよ》のおよばない深い心算《しんさん》があることと考えているのであろうと推察された。
その信頼を裏切っているようで、それも心を重くした。
景虎《かげとら》は陣所《じんしよ》の設営ができるまで、馬を駆《か》ってそこをはなれた。
このへんはいまの高田《たかだ》市(現在は上越市の一部)の東方十キロばかりにある五十公野《いきみの》の一角《いつかく》であった。頸城《くびき》平野のほぼ中心で、火熨斗《ひのし》をかけたように坦々《たんたん》たる水田のつづく地帯だ。ところどころの畔道《あぜみち》にタモギがうわっている。梢《こずえ》にだけほんのもうしわけに枝のひらいた、ひょろひょろと幹《みき》の長い木だ。畔道《あぜみち》に行列をつくってならんでいる。巨大《きよだい》で無細工《ぶさいく》な筆をさかさまに立てならべたようだ。これは秋のとりいれ時のためのもので、そのころになると農民らは横にいく段も木をわたして、刈《か》り取った稲をかけて乾燥させる。ずいぶん高いところまでかけるし、いたるところにそれがあるので、秋になると田圃《たんぼ》じゅうやたら高い障壁《しようへき》ができたようで、めずらしい景観になる。かわっているのは、この季節だけではない。春夏には筆の穂《ほ》が緑におおわれる。二か所や三か所ではなく、いたるところに行列をつくってならんでいるので、いやでも旅人の目にはめずらしいものに映る。
しかし、いまは冬だ。タモギの梢《こずえ》は坊主《ぼうず》になっている。とりいれもとうにすんで、やがてはじまる雪の季節を待っている時だ。タモギは冬ざれた景色にいやがうえにも荒涼《こうりよう》たる趣《おもむき》をそえてはいたが、眺望《ちようぼう》をさえぎりはしなかった。広い頸城野《くびきの》ははるかなむこうの山のふもとまで見わたせた。
景虎《かげとら》はずっと西に見える春日山《かすがやま》に目をはなったまま、馬を乗りとどめていた。
今夜一夜はこうしてここで夜陣《やじん》してすごしても、夜が明ければ戦わなければならない。ここまで来た以上、そのまま引きかえすことを、将兵らが承知するはずはないのだ。けれども、彼には戦う気力がない。
(どうしたらよいのか……)
いくども、胸の底でつぶやいた。
景虎《かげとら》の初陣《ういじん》は十四歳であった。昭田《しようだ》常陸《ひたち》が叛逆《はんぎやく》してとつじょ立って春日山《かすがやま》城を襲撃《しゆうげき》した時だ。あの時、景虎《かげとら》は九尺|柄《え》の槍《やり》が重すぎるので二尺切りちぢめて、それをもってもっとも勇敢《ゆうかん》に戦った。次はその翌年、栃尾《とちお》の古城を修復して三条《さんじよう》方と戦った時であった。はじめて全軍の総大将として戦った。十五歳であった。それからこちら、七度戦闘している。大きくわければ三条方と一回、晴景《はるかげ》方と一回だが、三条方が栃尾《とちお》におしよせた時は、はじめて栃尾《とちお》盆地から出る峡道《かいみち》で一度、城下の搦手口《からめてぐち》で黒田《くろだ》和泉《いずみ》の勢を撃破し、大手口《おおてぐち》で長尾俊景《ながおとしかげ》と戦って俊景《としかげ》を討ち取っている。こんどは栃尾《とちお》城下で一度、鯖石《さばいし》川原で二度、米山峠《よねやまとうげ》で一度、都合《つごう》七度戦闘を経験しているわけだ。
そのどの戦闘にも、自信が胸にあふれていた。負けるかもしれないという不安など一度も経験したことがない。いつの戦闘にもこころよい昂奮《こうふん》が酒の酔いのようにからだを熱くしていたのだが、それがここまで来てさらになくなったのだ。
これは彼の良心のうずきであった。後年《こうねん》にいたるまで、彼には神経質なほどの心の潔癖《けつぺき》さがあり、みずからの正当さを信じないかぎりけっして戦わず、戦うにはかならず正しい自分であるとの信念があり、すさまじい闘志をわきたたせて、戦って勝たざるなく、攻められて退《の》けざるなく、それが武将としての彼の特質になっており、当時にも、また後世《こうせい》からも「義将《ぎしよう》」といわれている理由であるが、まだ十九という年の若さでは、自分のその心の底がわからず、かつて経験したことのない闘志の萎縮《いしゆく》に、疑惑《ぎわく》し、狼狽《ろうばい》し、あせっているのであった。
日はますます西にかたむき、かたむくにつれて紅《あか》くなり、ついには深紅《しんく》になり、冬ざれた頸城野《くびきの》はななめな光の中に紅《あか》く燃えた。西の山々はその逆光の中に青黒い陰《かげ》になり、空に限る稜線《りようせん》だけがくっきりと浮いて、山々のひだはかくれた。背後に高い山をもった春日山《かすがやま》はその所在さえわからなくなった。それでも、景虎《かげとら》はそこを見つめたままだ。つめたい風が蕭々《しようしよう》と吹きつけてきて、馬のたてがみを乱し、長い尾を吹きなびかせたが、景虎《かげとら》はその馬上に身動き一つしなかった。
五
宇佐美定行《うさみさだゆき》は、後陣《こうじん》に近い林かげに設営された陣所《じんしよ》で、兵士らに焚《た》き火させて煖《だん》をとっていたが、十分にあたたまると、
「しばらくご本陣《ほんじん》に行ってくるゆえ、留守《るす》をたのむ。あまりみなを遠くへ散らさんようにな」
と、おもだった家臣《かしん》らに言って、馬上で出かけた。
寒さに猫背《ねこぜ》になって身をすくめ、諸陣《しよじん》の間をことことと馬を歩ませて本陣《ほんじん》に近づいていったが、ふと小半町《こはんちよう》前方のタモギの下に馬を立てて全身に夕陽《ゆうひ》をあびている武者《むしや》の姿が目につくと、馬をとめた。
夕日がまともにさして、まぶしい。目を細めて凝視《ぎようし》して、それが景虎《かげとら》であることをたしかめた。ほんのしばらく、目を閉じた。感心せんと言いたげに首を振り、馬を進めにかかったが、二、三|間《げん》でまたとまり、設営ができあがって炊煙《すいえん》を立てはじめている諸隊の陣営をぐるりと見まわし、ゆっくりと馬首をめぐらした。
宇佐美《うさみ》の陣所《じんしよ》では、宇佐美《うさみ》が行ったかと思うと帰ってきたので、おどろいた。
「はやおかえりで?」
「ああ、思案におふけりのご様子で、おいそがしそうであったので、おじゃま申してはならんと思うて、声もおかけせずかえってきた。寒いのう。酒でも飲みたいが、小荷駄《こにだ》はだいぶおくれようの。そのへんで都合《つごう》できんかの」
「かしこまりました」
宇佐美《うさみ》は鎧《よろい》の引きあわせから銀子《ぎんす》をとりだして、
「できるだけたくさん都合《つごう》してきてくれんか。みなにも一杯《ぱい》ずつなりと飲ませたい」
と言って、数人の兵士にすこしずつわけて渡した。
「ありがたいことでございます」
「手荒《てあら》なことをするなよ。まず銀子《ぎんす》を出して、それから話をすれば、あるものなら隠《かく》しはすまい。おどかしがましいことはけっしてしてはならんぞ」
「はい、はい」
兵士らはうれしがって、付近の村々に酒の調達《ちようたつ》に出かけた。
日が落ちて、諸陣《しよじん》で焚《た》くかがり火のあざやかになるころ、酒の調達《ちようたつ》に行った兵士らはかえってきた。大きな酒つぼは二人でさしにないにし、中くらいのは背負いばしごで背負い、小さいのは胸にかかえて、にこにこしながらかえってきた。
「あったか、あったか」
宇佐美《うさみ》はきげんよく言って、兵士らにそれぞれ一|合《ごう》くらいずつ配分し、自分もすこしのんだ。陶然《とうぜん》といい気持ちになり、早くから鎧《よろい》を解いて焚《た》き火のそばに横になって眠ったが、初更《しよこう》(八時)をすこし過ぎたころ、起きて鎧《よろい》をつけ、近習《きんじゆう》の者を呼んだ。
主人が武装しているので、相手はさっと緊張《きんちよう》した。夜|討《よう》ち・抜け駆けは当時の武士にはつねのことである。てっきりそれだと思ったのであった。
「ちょっと府内《ふない》にまいらねばならん用事を思いついた。寒《さ》む夜に大儀《たいぎ》ではあるが、五、六人|供《とも》に立ってくれるよう」
どうやら抜け駆けのためではないようだ。いささか失望したが、かしこまりました、と答えて、同僚《どうりよう》らに告げて支度《したく》にかかる。
まもなく出発した。空は晴れて、とぎみがいたようにつめたい光の星がこぼれるようであったが、暗い下界には北海を渡ってくる季節の風が肌《はだ》を切る寒さで吹きまくっていた。横から来るその風の中を、主人は黙々《もくもく》として馬を急がせた。
宇佐美《うさみ》は景虎《かげとら》の心中のなやみを、鏡にうつすように洞察《どうさつ》した。そして対策をくふうした。
(府内《ふない》のお館《やかた》にお働きねがおう)
と思いついた。
上杉定実《うえすぎさだざね》は越後守護《えちごしゆご》だ。これは名義《めいぎ》だけのものではあるが、守護《しゆご》は守護《しゆご》だ。長尾《ながお》家の主筋《しゆうすじ》だ。しかも、その北《きた》の方《かた》は長尾《ながお》家から来た人だ。晴景《はるかげ》には妹、景虎《かげとら》には姉にあたる。長尾《ながお》家の兄弟仲のもつれにたいしては、たのまれなくても、仲裁《ちゆうさい》の役に立たなければならない立場にある人だ。それが仲裁《ちゆうさい》に立とうとしないのは、この機会に晴景《はるかげ》にとってかわって、景虎《かげとら》が立つことを望んでいるからだと、宇佐美《うさみ》は考えた。定実《さだざね》が晴景《はるかげ》の暴悪《ぼうあく》な政治ぶりや、乱倫《らんりん》な内行《ないこう》や、武将として懦弱《だじやく》にすぎることに不満をもち、景虎《かげとら》の年少に似合わない卓抜《たくばつ》な武略《ぶりやく》に好意をもっていることを、宇佐美《うさみ》はよく知っているのだ。そのとおりだ。めったに仲裁役《ちゆうさいやく》など買ってでられては、いたずらに晴景《はるかげ》政治を延命《えんめい》させるだけの結果にしかならない。
「しかし、ここまで弾正《だんじよう》殿をおしつけることができた以上、お館《やかた》に出てもらってもよいな。お館《やかた》から、弾正《だんじよう》殿に、『家督《かとく》は喜平二《きへいじ》にゆずり、そなたは隠居《いんきよ》しなされ』と説得《せつとく》してもらうのだな。そうすれば、喜平二《きへいじ》様もなやみなさることはなくなる」
と、思案したのであった。
一時間ほどで、府内《ふない》城についた。
府内《ふない》城は城とはいっても、平地に建てられたもので、元来が守護館《しゆごやかた》だ。軍事的にはそう厳重な構えではない。堅固《けんご》さより美しくということに重点がおいてあった。しかし、時代が時代だ、深い濠《ほり》と高い土居《どい》をめぐらし、いちおうの城がまえにはなっていた。
宇佐美《うさみ》はかすかな灯影《ほかげ》が戸のすきまから漏《も》れている門番小屋の窓の下に立ちより、曰窓《いわくまど》の桟《さん》の間からむちの頭をさしいれて、コトコトと戸をたたきながら、小声《こごえ》で案内を乞《こ》うた。
まだ寝てはいなかったのであろう、すぐ応答があった。
「あ、だれじゃな、すぐあけるすけ、せわしのうたたかっしゃるな」
と言って近づいてきて、戸をあけた。
「琵琶島《びわじま》の宇佐美《うさみ》じゃ。夜陰《やいん》に気の毒じゃが、わしがまいったことを申し上げるようにしてくれい」
「ヘッ!」
びっくりしたらしい。あかりをもってきて、頑丈《がんじよう》な横桟《よこさん》の間から宇佐美《うさみ》をのぞいてたしかめた。
「ひゃッ! たしかに! しばらくお待ちくださろ!」
大急ぎで外へ飛びだしていった様子であったが、やがて、門扉《もんぴ》のむこうに数人の足音とともに灯《あか》りが近づいてきて、扉《とびら》があけられた。
「これはこれは、駿河守《するがのかみ》様」
三人の武士であった。腰を折って、ていねいに迎える。
「すでにお聞きであろう、お近くまでまいっていますので、夜中ご無礼《ぶれい》とは存じたが、ごきげんうかがいにまでまいりました」
と、宇佐美《うさみ》は言った。
「ただいまおとりつぎ申しています。こちらへ、こちらへ」
と言いながら、三人は宇佐美主従《うさみしゆじゆう》を先導《せんどう》していく。
二十分ほどの後、宇佐美《うさみ》は定実夫妻《さだざねふさい》と、客殿《きやくでん》で対座《たいざ》していた。
定実《さだざね》は四十七、八、色白な、ふっくらとした、温和《おんわ》そうで品のよい人であった。夫人は四十を二つ三つ越した年輩《ねんぱい》であったが、これまたまだわかわかしい美しさをもっていた。この夫人は為景《ためかげ》の長女で、晴景《はるかげ》には妹、景虎《かげとら》には姉にあたるのであった。
あいさつがすむと、定実《さだざね》の方から問題に触れてきた。
「そなたは弾正《だんじよう》と喜平二《きへいじ》との確執《かくしつ》のことについて来たのであろうな」
「御意《ぎよい》」
宇佐美《うさみ》はひざを進め、自分の思案を述べた。
定実《さだざね》はいくどもうなずきながら聞いた。
「よいくふうじゃ。さっそくにそういたそう。じつは、これまでとて、わしはいつもご前《ぜん》とそう話していたのじゃが、一つには喜平二《きへいじ》の年が若い。喜平二《きへいじ》が抜群の器量人《きりようじん》であるのは、この数年の戦《いく》さぶりでだれ知らぬもののないことじゃが、それでもやっと十九というのでは、戦《いく》さはじょうずでも、政治《しおき》はどうであろうと、不安に思うのが人情じゃ。めったに言いだしては、若い喜平二《きへいじ》を守護代《しゆごだい》に立てて、守護《しゆご》の力を取りもどそうとたくらんでいると、痛くない腹をさぐられるくらいが関《せき》の山だと思うたのだ。二つには、弾正《だんじよう》がきくはずはないと思うた。春日山《かすがやま》の当主としても、また守護代《しゆごだい》としても、弾正《だんじよう》がふさわしくない男であることは、だれの見る目も同じじゃが、それは他人の考えで、当人はそうは思わぬ。おれは春日山《かすがやま》の総領《そうりよう》じゃ、喜平二《きへいじ》はまだくちばしの黄《き》な末子《ぱつし》にすぎぬと思うているに相違ない。なまじいなことを言いだしては憎《にく》まれるだけと思うた。かれこれあいまって、知らぬふりで今日まで来たが、そなたがその気なら、あつかってみよう。こんどのことで、世間《せけん》の喜平二《きへいじ》を見る目はいっそうあらたまったにちがいないし、弾正《だんじよう》も我《が》がおれたであろうからの」
定実《さだざね》は熱心に言ったが、ふと不安な顔になってきいた。
「そなた、喜平二《きへいじ》と相談のうえで来たのであろうな。喜平二《きへいじ》がどう言ったとは言わなんだようであるが」
「じつは喜平二《きへいじ》様にはこの話はしていませぬ。拙者《せつしや》一人の存念《ぞんねん》でまいったのでございます」
二人はおどろいた。夫人にいたっては見ていてはっきりわかるくらい青ざめた。
宇佐美《うさみ》は首をふった。
「いや、そのご心配は毛頭《もうとう》ございません。じつは拙者《せつしや》がまいったのは、喜平二《きへいじ》様のお悩《なや》みなされているご心中がわかったゆえでございます」
と言って、五十公野《いきみの》の冬田の中で見た景虎《かげとら》の様子を語った。
「喜平二《きへいじ》様は、しかけられたけんかゆえ、立ちあがって相手になられたのでありますが、弾正《だんじよう》殿を追いつめていよいよとどめを刺《さ》すというところまでまいられると、ご兄弟の情愛が出て、どうしようぞとなやんでおられるのでございます。でなくて、あれほど戦《いく》さの気合いを見るにさといお人が、いまひといきというところで、どうして手をゆるめましょう。もし、お館《やかた》があつかい役にお立ちたまわるなら、喜平二《きへいじ》様がよろこんでお従いになることは、つゆ疑いないことでございます」
定実《さだざね》は嘆息《たんそく》した。
「そうか、そうか、そうであったか。あれはおさない時から利《き》かぬ気の、あつかいにくい子であったが、そんなしおらしい心をもつようになったのか」
夫人はしきりに袖口《そでぐち》で目をおさえていた。
六
酒をのんではとろとろと眠り、目をさましてはまた飲み、夜なかまで飲みつづけたが、さすがに酔いがつみ重なってきて、大いびきで寝こんだ。前後不覚《ぜんごふかく》の眠りであったが、やがて眠りが浅くなったのであろう、夢を見た。
夢の中で、彼は源三郎《げんざぶろう》に会った。
「そなた、生きていたのか、にくい掃部介《かもんのすけ》にむごたらしゅう殺されたと聞いていたが、あれはうそであったのか」
晴景《はるかげ》は涙を流してよろこんだ。
すると、いつ来たのか、藤紫《ふじむらさき》もいた。
「そなたもいたのか。ああ、うれしや」
二人はいぜんとして美しくたおやかだ。
「うれしや、うれしや。もうけっしてはなさぬぞ。どこへも行くなや」
二人の手を引いて歩きだした。
うららかな春の野だ。明るくあたたかい日の光がさんさんと降りそそぎ、彼らの足もとには緑の野がどこまでもつづいていた。色とりどりな春の花が満天《まんてん》の星のように咲きちりばめられている野だ。
「うれしや、うれしや、死んだというのはうそであったのか、にげたというのもうそであったのか、うれしや……」
とめどもなく涙をこぼしながら、言いつづけていた。
送り狼《おおかみ》
一
「殿《との》ーッ、殿《との》ーッ、殿《との》ーッ……」
はるかにうしろの方で呼ばわる声が聞こえる。ふりかえると、老臣《ろうしん》の殿原豊後《とのはらぶんご》が、白髪《しらが》あたまを振り振り、片手をあげて走ってくるのが見えた。
「すておきなされませ。あれはもう老いぼれて、お役に立ちかねるものになっていますので、さきほどわたしが討ちすててしまいましたのに、なにを血迷《ちまよ》うて生きかえりましたやら」
と、藤紫《ふじむらさき》は言う。
「そうか、そうか。ほんに老いぼれたわの。もう戦《いく》さにも行けぬのじゃでのう。さらば、かもうまい」
晴景《はるかげ》はいっそう強く藤紫《ふじむらさき》と源三郎《げんざぶろう》の手をにぎりしめて二、三歩あるいたが、とたんに愕然《がくぜん》として、
「豊後《ぶんご》を殺したと!」
と、さけんだ時、耳もとで大きな声がした。
「殿《との》! 殿《との》! 殿《との》!……」
目がさめた。寝ている目の前に、侍臣《じしん》が両手をつかえて、しきりに呼びたてていた。
「府内《ふない》のお屋形《やかた》様がいらせられてございます」
と言う。
晴景《はるかげ》にはそのことばがわからなかった。見はてぬ夢を追うて、ぼうぜんとしていた。夢であったことがひたすらにかなしく、口おしかった。
「もし、府内《ふない》のお屋形《やかた》様がいらせられたのでございますが……」
と、侍臣《じしん》がまた言った。
「おお!」
敗戦のこと、追いつめられた自分であること、一時に思い出した。ものうく身をおこした。なんのために来たろうと思ったが、考えるのも大儀《たいぎ》であった。
「お通し申し上げい」
「お通し申し上げました。お客殿《きやくでん》にお待ちでございます」
酔いはあらかたさめて、気が沈みきっている。これでは会えない。また酒をのんだ。つめたい酒だ。のどにつかえてむせかえりそうになったが、しゃにむに流しこんだ。流しこんで胃におちつくと、ほろほろとまぶたのあたりがあたたかくなって、気力に似たものが出てきた。立ちあがって、客殿《きやくでん》に出た。
上杉定実《うえすぎさだざね》は炭櫃《すびつ》に片手をかざし、凝然《ぎようぜん》として待っていた。彼がこの城に来た時、大手《おおて》の門はかたく閉ざされ、いちおう防戦するかたちになってはいるようであったが、
「弾正《だんじよう》に話があってまいった。通すよう」
と、言うと、すぐ入れてくれた。入ってみると、守兵《しゆへい》は五、六十人あるやなしであった。定実《さだざね》がどんな用件で来たか、およその見当がついているようで、兵らの顔にはほっとした色があった。主従の義理と武士の意地で、にげもならず踏みとどまってはいるものの、これではどうにもなるものではなかった。景虎《かげとら》勢が押しよせてきたら、ひとたまりもないに相違なかった。
(昨日まではこんなにまで小勢《こぜい》ではなかったろう。昨夜のうちに逃げおちた者がずいぶんあるのであろう)
と、思った。
しかし、こうなれば話はしやすいわけだ。晴景《はるかげ》がいくら強情《ごうじよう》を張っても、どうにもなるものではないのである。おおいに自信をもった。
手荒くふすまをあけて、晴景《はるかげ》は入ってきた。
「おいでなさりませ」
と立ったまま言って、つかつかと近づき、グヮサッと鎧《よろい》の音をさせてすわった。早朝の寒気《かんき》に鋭くなった鼻先に、酒気《しゆき》がただよってきた。
「負けましたわ、みごと」
と言って、晴景《はるかげ》はからからと笑った。
また酒気《しゆき》が鼻をついてきた。胸の悪くなるような悪臭《あくしゆう》だ。定実《さだざね》はむっとした。仮にも主筋《しゆうすじ》にあたる者に、こんな態度で接することがあってしかるべきではないのだ。しかし、こらえた。おだやかな調子で言う。
「そう聞いたゆえ、まいった」
「はは、はは、拙者《せつしや》に腹でも切らそうと思うてまいられましたか。が、拙者《せつしや》は腹など切りませんぞ。戦いますぞ。勝敗は問うところではござらぬ。武門の意地でござるゆえ、ここは戦わねばならぬのでござる。当城は親父《おやじ》信濃守《しなののかみ》殿が縄張《なわば》りして築いただけあって、北陸|無双《むそう》の名城でござる。喜平二《きへいじ》いかに勝つに乗ればとて、どうしてどうして。数日をもちこたえ申せば、諸方の豪族《ごうぞく》どもが駆けつけてまいるにより、喜平二《きへいじ》を追いしりぞけ、追いかえし、追いつめ、腹を切らさんこと必定《ひつじよう》でござる。やわかこちらが腹切ってなりましょうか」
だんだん勢いがつき、しまいには肩を張って、昂然《こうぜん》たる態度になった。虚勢《きよせい》であることは、定実《さだざね》にはもちろんわかっている。笑止《しようし》であったが、さからっては悪い。
「あっぱれ勇ましい。武将としてはそうなくてはならぬところだ。わしはまた、そなたが気を屈してはいぬかと、案じてきた。それでこそ春日山長尾《かすがやまながお》家の当主だ。あっぱれ感じいった」
とほめそやしておいて、調子をかえた。
「さてこそ話もしよいことになった。どうだろうの、その勇猛心《ゆうもうしん》をもって、乾坤一擲《けんこんいつてき》捨て身の大事をしてもらいたいと思うて、わしは来たのじゃが」
ここでことばを切って、定実《さだざね》はじっと晴景《はるかげ》の顔を見た。晴景《はるかげ》の顔には不安げな色が流れた。なにか言いたげだが、ことばにはならない。口もとが小さくふるえた。
「ほかでもない。ここまで戦い、そのうえそなたの覚悟がそうである以上、そなたの武将としての誇《ほこ》りはすでに十分に立ったのであるゆえ、以後は春日山長尾《かすがやまながお》家のことと、またわしのことを考えてほしいのだ。春日山長尾《かすがやまながお》家にはいまはそなたと喜平二《きへいじ》の二人しか男はのこっていぬ。大事な二人だ。いずれが亡《ほろ》び、いずれがのこっても、家の力は半分になる。のみならず、弟が亡《ほろ》びれば兄は弟を殺した情愛うすい兄と言われようし、兄が亡びれば弟は兄殺しの不義《ふぎ》の弟と言われようし、いずれにしても、あったら名家が人にうしろ指さされてあざけられることになろう。そうなれば、わしはなんと言われよう。いい年をした定実《さだざね》がついていながら、兄弟を殺しあうまでにいたらせた、なんのための守護《しゆご》じゃと言われようことは必定《ひつじよう》だ。かれこれ考えあわせて、わしは一つ方法をもってきた。そなた家督《かとく》を喜平二《きへいじ》に譲《ゆず》り、隠居《いんきよ》してくれまいか。どうだろうの」
「それは片手落《かたてお》ちでござる。お屋形《やかた》は兄に反抗した喜平二《きへいじ》にだけ肩をもちなさる」
と、晴景《はるかげ》は腹立たしげに言った。
「わしはいずれにも肩はもたぬ。いまの際こうするよりほかはない、こうするが一番よいと思うたから申したのだ。隠居《いんきよ》して、余生《よせい》を楽しむのだ。そなたのためにも悪うないと、わしは思うたのだ。こう言いだす以上、わしは喜平二《きへいじ》に談《だん》じて、そなたが余生《よせい》を楽しむに十分なだけの隠居知行《いんきよちぎよう》は出させるつもりでいる。しかし、気に入らずば、しかたはない。わしは引きさがろう。じゃまをしたな」
定実《さだざね》は立ちあがるけはいを見せた。ほんとに立ちさるつもりはない。そのけはいを見せただけであった。晴景《はるかげ》はあわてた。
「お待ちください」
と引きとめた。
定実《さだざね》はひざをすえた。
「なんだな」
「喜平二《きへいじ》が春日山《かすがやま》の当主となり、拙者《せつしや》は隠居《いんきよ》となるのでありますなあ……」
口おしげに、思いきり悪く言う。
「兄が弟に世をゆずる。世にためしのないことではない。そなたは前の当主として、余生《よせい》を気楽に送るわけだ。しかし、気がむかずば、強《し》いはせぬぞ」
「お待ちください。お屋形《やかた》は喜平二《きへいじ》と談合《だんごう》のうえでまいられたのでありましょうか」
「わしはだれとも談合《だんごう》せぬ。わし一人の思いたちでまいった。しかし、そなたの心がきまれば、わしはかならず喜平二《きへいじ》を説得《せつとく》する。自信がある」
「喜平二《きへいじ》は幼時から心ねじけて、すなおでない性質でありました。拙者《せつしや》を生かしておくでございましょうか」
晴景《はるかげ》の顔にはもう虚勢《きよせい》の色はない。不安と恐怖《きようふ》の色だけであった。こうなれば、説得《せつとく》できたと同じだ。定実《さだざね》は腰をすえなおして、なおじゅんじゅんと説いた。
二
万事《ばんじ》はうまくいった。晴景《はるかげ》は隠居《いんきよ》して、春日山《かすがやま》城を出、府内《ふない》城に入った。当分ここに定実《さだざね》と同居し、やがて適当な隠居所《いんきよじよ》のできるのを待って、そこに引きうつるという予定であった。
春日山《かすがやま》城には、景虎《かげとら》が入った。しかし、栃尾《とちお》城は敵の根拠地《こんきよち》である三条《さんじよう》城にたいする重要な基地であるから、ゆるがせにはできない。本庄慶秀《ほんじようよしひで》を城代《じようだい》として、金津新兵衛《かなづしんべえ》をそえて守備させた。
家督相続《かとくそうぞく》にあたって、景虎《かげとら》は兄の隠居料《いんきよりよう》として、頸城《くびき》郡内で五万|貫《がん》の領地を進上《しんじよう》した。いやいやながらの隠居《いんきよ》ではあったが、この思いきった隠居料《いんきよりよう》で晴景《はるかげ》は上きげんになった。当主であれば、こめんどうな政務を見なければならないし、危険な戦《いく》さにも行かなければならないが、隠居《いんきよ》の身では五万|貫《がん》の領内の政務を見るだけが仕事だ。戦争など全部|景虎《かげとら》が引きうけてしてくれる。こちらは遊んでいればよいのだ。酒をのもうと、女をかわいがろうと聞きづらい諌言《かんげん》などするものはない。こんな安気《あんき》なことはなかった。
「こんなことなら、なぜ早く隠居《いんきよ》しなかったろう」
と思った。
それにつけても、藤紫《ふじむらさき》にたいする未練《みれん》はつのる一方であった。
「お藤《ふじ》は京の堂上《どうじよう》の生まれだ。必定《ひつじよう》敵がおしよせてきて合戦《かつせん》になると思うたので、おそろしゅうてたまらずなってにげたのじゃ。あわれに、どんなにおびえたことであろう」
と思い、
「おれが隠居《いんきよ》して、いまの安気《あんき》な身の上になったことを知らぬのであろうか。この国にいるなら、知らぬことはないと思うが、あるいは、こわがって山里に深くこもって世の人に会うこともなくいるために知らぬのかもしれぬ。あるいは、知ってはいても、おれを待たずに落ちた身を恥《は》じて、来とうてたまらぬのを来られないでいるのかもしれぬ。あるいは、京に帰ったのであろうか。あるいは、どこぞ荒けない男にとらえられ、憂《う》い目を見ているのかもしれぬ……」
と、心は千々《ちぢ》に乱れた。
「こんな時、玄鬼《げんき》がいたら、すぐゆくえをさがし、連絡をとり、連れて帰ってきてくれるであろうに」
と、玄鬼《げんき》を死なせてしまったことを後悔《こうかい》した。
侍臣《じしん》や下僕《げぼく》らに探索《たんさく》を命じたが、まるでわからなかった。藤紫《ふじむらさき》が城を落ちる時召し連れたらしいと思われる小女《こおんな》の在所《ざいしよ》である名立《なだち》の奥の赤野俣《あかのまた》にも行ってみたが、立ちまわった形跡はないという。小女《こおんな》の家では、
「それでは、うらが家の娘はお城内にはいねえのでやすか。どこへ行きましただ。ああ、なんとしょう!」
と、母親が泣きだすしまつであったという。久助《きゆうすけ》という下僕《げぼく》の在所《ざいしよ》である直江津在《なおえつざい》の漁村にも行ってみたが、ここもなんの音さたもないという。
「へえ、そげいなことがありましただか。うちでは、お城にいるとばかり思うていましただに。おおかたその上搶蘭[衆《じようろうにようぼうしゆ》のお供《とも》をして京へでも行ったのではねえずらか」
と、家族の者が言ったという。
もちろん、京への道すじへも人を走らせたが、そんな人は見かけた者はないという。
「どいつもこいつも、役に立たぬやつばらばかりじゃ!」
晴景《はるかげ》は腹を立て、またしても玄鬼《げんき》のことを思い出すよりほかなかった。
三
あの日、殿原豊後《とのはらぶんご》を刺《さ》し殺した後、藤紫《ふじむらさき》は予定どおりの道を通って城を脱出した。一番の難所《なんしよ》と見ていた濠端《ほりばた》の番所《ばんしよ》には、予想のとおり番卒《ばんそつ》がいなかった。いちはやくにげちったのかもしれないが、苦情《くじよう》を言うべき筋合《すじあ》いのものではない。
「よい都合《つごう》」
と、通りぬけて、左手に道をとって山に入った。
その山路《やまじ》でのこと、黙々《もくもく》として荷物を背負ってついてきつつあった久助《きゆうすけ》が、
「ちょっくら休ませてもらいますべ、えらい疲れましたすけ」
と言った。
追っ手のかかるのが気になって、
「しんぼうしてたもれ。休むのはもうすこし先に行ってからにして」
と、藤紫《ふじむらさき》は言ったが、
「うんにゃア、どげいにも肩がメリメリいいますけ」
と言って、路傍《みちばた》の石にデンと腰をおろしてしまった。てこでも動きそうにない。
あせりながらも、休むよりほかはなかった。
久助《きゆうすけ》は鼻くそなどほじりながら、悠々《ゆうゆう》とあたりをながめていた。
「もういいであろう。行きましょうぞ」
と、藤紫《ふじむらさき》はうながした。
「行くはええですが、どこへ行きなさるのでござるだ。ご前《ぜん》さまはこれまで民百姓《たみひやくしよう》にむごいことばかりなされていますけに、みながにくんでいますけ、めったなところへは行けませぬで」
うっそりとした調子ながら、久助《きゆうすけ》の言うことはしんらつだ。たのもしいと見たてたたくましいからだつきやあらあらしい顔立ちが、おそろしいものに見えて、不安になった。しかし、それを見せてはかえっていけない。わざと横柄《おうへい》に言った。
「身《み》には身《み》の言いぶんがある。しかし、いまさらそれを言ったとて、せんないこと。身はひとまずこの子の在所《ざいしよ》まで落ちて、殿《との》からのお便りを待つつもりです。さっきも城で申したであろう、そうせよとかねて殿様から申しふくめられているのですから」
「殿様のかねての申しふくめでござるだか……」
ゆっくりと久助《きゆうすけ》はくりかえす。信用していないのがはっきりとわかる態度であった。藤紫《ふじむらさき》はまた胸がつめたくなったが、気強く言った。
「そうです。お申しふくめです」
久助《きゆうすけ》は小女《こおんな》の方をむいた。
「汝《われ》が在所《ざいしよ》はどこじゃ」
これはまた横柄《おうへい》な調子だ。いったい奥殿《おくでん》の掃除《そうじ》その他の雑役《ざつえき》をしている下僕《げぼく》などが、たとえそれが小女《こおんな》であろうと、親しくお部屋《へや》様につかえている者に、こんな調子でものを言うべきではないのだ。小女《こおんな》は腹を立てた。どこどこじゃわい! とあらあらしく答えた。
「ほう。そうかや。しかし、あのへんではいかんぞい。すんぐに見つかってしもうすけな」
と言って、藤紫《ふじむらさき》を見た。
「どうでござりましょう、わしがええところへご案内しますだが、そうなさりませぬか」
藤紫《ふじむらさき》が答えようとする前に、小女《こおんな》が口を出した。
「汝《われ》どこへご案内するつもりかや」
「おれはもともとが漁師《りようし》じゃすけ、舟は得手《えて》じゃ。舟で海に出て、どこぞ島か、他国の港にお連れする。この国においでては、どこも安心ならねえすけ」
これは耳よりな提議《ていぎ》であった。もし海に航《こう》してどこか越中《えつちゆう》の港につくことができれば、京に帰るにも都合《つごう》がよいわけだ。藤紫《ふじむらさき》は気を動かしたが、小女《こおんな》ははげしく言いかえした。
「知らぬ他国なんど、うらはまっぴらじゃ。もしご前《ぜん》様が汝《われ》の言うことを聞いて、他国になんどおいでるのであれば、うらはおひまもろうて、ここから在所《ざいしよ》にかえらず。まんず、うらが在所《ざいしよ》へご前《ぜん》がおいでるちゅうのは、殿様のかねてのお申しふくめじゃすけ、勝手《かつて》に変更《へんがえ》はできねえことす。それをかまわず、そげいなことを言いだすわれの心は暗いで。おおかたよくねえことを考えているずら。この悪党づらめ!」
かんだかい、きんきんした声で、顔をまっかにして言いたてる。
「あほうなことぬかせ。おらはご前《ぜん》さまのおためを思うすけ、言うたのじゃが、うぬがそげいな気をまわしてそげいなことを言うのじゃったら、もう言わんわい」
と、久助《きゆうすけ》は黙りこんだ。
小女《こおんな》は自分の家に帰りたさのあまりに、そのじゃまをする久助《きゆうすけ》に腹を立て、そのためのはげしいことばであることは明らかであったが、それでも、そのことばの中には考えなければならないことがおおいにあると、藤紫《ふじむらさき》は思った。どんな悪心《あくしん》を起こしているかしれないのである。からだ一つですむことなら目をつぶってがまんもしようが、財宝に目がくれているのであれば、とりかえしのつかないことになる。十分に見きわめてから決定してもよいことだと思案した。
「とにかくも行きましょう。こうしていてはあぶない」
しぶしぶと、久助《きゆうすけ》は立ちあがった。ひげづらをふくらして、陰気《いんき》な目をしている。
(とんでもないものを供《とも》にしてしまったのではないか)
と、藤紫《ふじむらさき》は不安になった。
四
「めったに人里に近く出ると、あぶのうがす。日が暮れてから出るようにした方がようがしょう。そでねえと、とんでもねえことになるような気がしますだ。なにせ、ご前《ぜん》さまは民百姓《たみひやくしよう》ににくまれていなさりますけ」
と、久助《きゆうすけ》は言って、グングンと山深い方にむかう。
言われてみると、藤紫《ふじむらさき》もこわい。小女《こおんな》はなおさらのことだ。久助《きゆうすけ》のみちびくままに、山深く山深くへと入っていった。
春日山《かすがやま》の西北方に湯殿《ゆどの》山というのがある。標高二百五十九メートルの山だ。その山の東にはまた岩殿《いわどの》山というのがあって、やや低い。久助《きゆうすけ》は、藤紫《ふじむらさき》らをその鞍部《あんぶ》にさそいこんだ。
「日の暮れるのを待ちやしょうで。明るいうちはどうにもならねえだ」
山はブナだ、クヌギだ、シナだというような木が生《お》いしげって、山のいただきまでつづいているが、冬のことだ、すっかり落葉している。久助《きゆうすけ》はその冬木林《ふゆきばやし》の中に杉がかたまって数本|生《は》えているのを見つけると、
「あそこがいいだ。あそこで休みやしょうで」
と言って、さっさとそこへ行った。しかたがない。二人はあとにつづいた。
久助《きゆうすけ》はかついだ荷物をどっこいしょとおろし、腰刀をぬき、枯《か》れ草を切って重ねしいて、座席をこしらえた。
「ここにすわって待っていてくだせえまし。すんぐに焚《た》き火をしますで」
まひるをすこし過ぎた冬の日のある空に、うす青い煙が立ちのぼって、杉の梢《こずえ》にからんだ。
「しんきくそうはござりましょうが、しんぼうしてくださりませ。それよりほかにしようはねえのじゃすけ」
なにか久助《きゆうすけ》はご満悦《まんえつ》なふうだ。薪《まき》を折りくべたり、両手をかざして火にあたり、熱くなりすぎるとこすりあわせたりする動作に、そんなふうが見える。しだいにからだ全体があたたまってきたらしく、無精《ぶしよう》ひげの濃《こ》い顔が赤くなっていくのが、だんだん酒のまわっていく人の表情に似ている。
つめたくとりすました様子でいながらも、藤紫《ふじむらさき》の心はおびえていた。よりによってとんでもないものを供《とも》に連れてきたと思いつづけていた。ただそれを見せてはかえって事情を悪くすると思うので、平静《へいせい》をよそっているのであった。
藤紫《ふじむらさき》がこうなのだから、小女《こおんな》のおびえようはひととおりやふたとおりではない。まっさおになって立ったりすわったりしておちつかない。ときどき久助《きゆうすけ》に何か言おうとするらしく、口もとをとんがらせるが、言うことができず、はっと大きな息をついてかぼそい肩をおとした。
久助《きゆうすけ》はますますずうずうしくなるようだ。はじめのうちはおちついているだけであり、満悦《まんえつ》げに見えているだけであったのが、ちらりちらりと女たちに目をむけるようになったし、ひげづらには笑いに似たものがただよっているようでもあった。
とつぜん、小女《こおんな》が、
「おらもういやだによう。こげいなさびしいところにいつまでもいるのはよう!……」
とさけびだして、狂《くる》ったように泣きだした。藤紫《ふじむらさき》は腹が立った。
「お黙り!」
と、さけんだ。われながらかんだかい声があたりにひびきわたって、ぞっとした。
小女《こおんな》はしゃっくりを一つして泣きやんだ。
久助《きゆうすけ》はなにも言わない。しばらく二人を見つめた目を焚《た》き火にうつしただけであった。
藤紫《ふじむらさき》はぞっとした。なにか久助《きゆうすけ》の気に入るようなことを言おうかと思ったが、言った方がよいか、言わない方がよいか、迷った。だまっていた。
こうして日の暮れかかるころ、やっと久助《きゆうすけ》は立ちあがった。
「さあ、めえりやしょう。これから行くと、里に出るころあいに暗くなりますけ」
二人はほっとしたが、ふつうの道を行くのではなかった。久助《きゆうすけ》は、冬木林の中の、藪《やぶ》と下草《したくさ》におおわれて兎《うさぎ》の通《かよ》い路《じ》ほどに細い、きえぎえの道を連れていく。
冬の日はたちまちうす暗くなったが、久助《きゆうすけ》はすこしも迷う色はなく、先に立ってすたすたと歩いた。たのもしくもあったが、この男はどうしてこんな路《みち》を知っているのかときみわるくもあった。
「そなた、よくこんな路《みち》を知っていますの」
藤紫《ふじむらさき》は思いきってたずねた。調子に媚《こ》びをつけることを忘れなかった。
「へえ、がきの時分、よう遊びに来ましたすけ。春になると、この山にはわらびが出るのでごぜえますだ」
久助《きゆうすけ》の声は、うきうきと楽しげであった。
とっぷり暮れてしばらくして、とつぜん、目の前に海がひらけた。これまでとくらべてやや明るく見えてきた空の下に、ひろい海があおぐろくひろがって、おぼろな水平線までつづいていた。高い崖《がけ》の上だ。はるかな下は岩だらけの磯《いそ》になっているだろうか、鼕々《とうとう》と波の音が立って、くだける波頭《なみがしら》であろう、ほのかに白い色が消えたり見えたりしていた。崖《がけ》ぶちにそっていくらかひろい岩肌《いわはだ》の路《みち》が左右につづいている。
「やれやれ、やっと出ましたわい。これからはなんぼか楽になりますで。ちょいと休みましょうわい」
久助《きゆうすけ》は荷物をおろして、海にむかって大きく呼吸した。藤紫《ふじむらさき》と小女《こおんな》もそれにならった。足もともさだかでない暗い路《みち》を緊張《きんちよう》しきってきて、二人とも全身にうっすらと汗ばんでいた。
久助《きゆうすけ》はしばらく海にむかったまま大きく呼吸をつづけていたが、ゆっくりと歩をかえしたかと思うと、小女《こおんな》におどりかかった。小女《こおんな》のからだはふっとんだ。崖《がけ》をはなれ、たまぎる悲鳴を長くひいて、白い波頭《はとう》のくだけているはるかな下の磯《いそ》に落ちていった。
藤紫《ふじむらさき》は飛びすざった。懐剣《かいけん》のつかに手をかけてさけんだ。
「何をしやる!」
久助《きゆうすけ》の右手には、脇差《わきざし》の白い光があった。久助《きゆうすけ》はその刀をかまえ、輪をかくようにくるりと切っ先をまわした。
「へへへへ、あのおなごは、おめえ様のおためにならねえおなごす。家に帰りてえとばかり思うているすけ、いったんかえってしもうたが最後、おめえ様を、おめえ様をにくんでいる者に売るにちげえねえす。あんなのがついていちゃ、ためにならねえどころか、あぶねえことになるすけ、ひとおもいに行ってもらいましただ。おわかりでがすかえ」
低い声だが、まるで調子がちごう。おそろしくしぶとい調子になっている。
藤紫《ふじむらさき》は懐剣《かいけん》をつかんだまま、じりじりとさがった。
「おめえ様、そのあぶねえもの、ぬいちゃいきましねえ。さやに入ったまんま、こちらにくだせえまし。そでねえと、おらもついいやなことすることになりますけな」
藤紫《ふじむらさき》のさがるずつつめて、久助《きゆうすけ》は言う。その一語一語に、刀の切っ先を輪にまわす。
「そなたのその刀、しまや!」
あえぎあえぎ、藤紫《ふじむらさき》はさけんだ。
「へッ! こいつァ気のつかねえことでやした。こうでがすかえ」
腰の手ぬぐいをぬきとり、グイと刀をふいて、鼻にもっていった。
「フン、フン、あの子の血の臭《にお》いがしますだ。まだ男を知らねえ娘ッ子じゃと思うていたけんど、いらくなまぐせえ血だ。だれぞと乳くりおうていたかもしんねえわ。フンフン……」
なにかいい匂《にお》いでもかぐようにかいで、手ぬぐいをぽいとすてて、刀をさやにおさめた。
「これでよかるべ。さあ、その鰯《いわし》ッ子わたしなせえ」
と言いながら左手を出した。半身《はんみ》になって、十分に間合《まあ》いをとり、すわといえば、さっと身をかわして攻撃に出られる、用心深い体勢だ。
とつぜん、藤紫《ふじむらさき》の胸に天啓《てんけい》のようにひらめいたものがあった。
(ああ、この男は財宝に目をくれたのではない。財宝に目をくれたのなら、しゃにむにわたしを殺すはずだ。この男はわたしのからだがほしいのだ)
ぐんとおちつきがかえってきた。藤紫《ふじむらさき》は笑ってみせようかと思ったが、すぐ思いかえした、こんな時笑っては、媚《こ》びにならない、おそれ、おののき、できるだけしおらしくかまえるのがよいのだ……。
懐剣《かいけん》をさやながら胸からぬきとった。柄《つか》の方をむけてさしだした。相手は暗いなかに目をこらしてたしかめてから、ゆっくりと手を出して受けとり、からだのどこかへしまいこんだが、たちまち突風の吹きつけるようにそばにすりよった。
あっという間《ま》もない。かたくたくましい腕に首すじをからまれ、片手に腰を抱きかかえられ、おのれのからだが宙に浮いたのを、藤紫《ふじむらさき》は感じた。いく日も入浴しない不潔《ふけつ》な脂汗《あぶらあせ》のにおいとさかんな男の体臭《たいしゆう》とが入りまじった強烈な臭気《しゆうき》が、全身をおしつつんだ。
「あれッ!」
藤紫《ふじむらさき》はさけんで、おしのけようとして、両手《もろて》を相手の胸に突っぱった。ぶあつく、硬《かた》く、強靱《きようじん》で、びくともしない胸板《むないた》だ。
「えへへ、えへへ、えへへ……」
声を出して、久助《きゆうすけ》は笑った。相手のもがきによろこびをくすぐられているようであった。
のしのしと歩きだした。藤紫《ふじむらさき》はなおもがきつづけていたが、ふいにもがきをやめた。ツンとのどにからんで咳《せき》をさそいだしそうな強烈な体臭《たいしゆう》と、堅剛《けんごう》な筋骨は、晴景《はるかげ》にはないものだ。晴景《はるかげ》にはいつもすえたような酒の臭気《しゆうき》とぶよぶよした贅肉《ぜいにく》しかなかった。酔ったような心のくるめきがあり、麻痺《まひ》したような恍惚感《こうこつかん》が全身をひたしてきた。
「どっこいしょ」
久助《きゆうすけ》は小さく美しくきゃしゃな生きものを枯《か》れ草の中にかかえおろし、皮をむくように一枚一枚きものを引きはぎにかかった。
五
それから三日間、久助《きゆうすけ》と藤紫《ふじむらさき》とは、小舟をあやつって越中《えつちゆう》にむかって漕《こ》ぎすすんでいた。庄内《しようない》近くの郷津《ごうづ》の浜で舟をぬすんだのであった。昼の間は人里《ひとざと》のない磯《いそ》の岩陰《いわかげ》に舟を入れてひそみ、とっぷり日が暮れてからだけ漕《こ》ぎすすむのだし、西北風の季節であったしするので、思いのほかに進みがおそく、三日目の夜、やっと富山湾《とやまわん》に入った。
話はあれから後、二人の間にちゃんとついた。富山湾《とやまわん》に注《そそ》ぐ庄《しよう》川の河口放生津《かこうほうじようづ》に上陸し、そこから京へ帰ることになっている。
こう話がきまるまでには、多少のやりとりがあった。
「京へおぬしを連れていったら、おぬしは堂上衆《どうじようしゆ》の姫君《ひめぎみ》じゃ。おらみてえな下郎《げろう》は見むきもしねえだべ。見むきしねえどころか、力ずくで言うことを聞かせたちゅうて、首を斬《き》らせるかもしんねえ。そらおらもええ夢を見せてもろうたのじゃすけ、殺されてもかまわねえようなもんじゃが、もうすこし夢を見させてもらわにゃ合わねえ。放生津《ほうじようづ》の港はええ町じゃ。京の堂上衆《どうじようしゆ》じゃて、気に入って、昔から来て住みつかしゃるほどのところじゃすけ、あこでしばらく逗留《とうりゆう》して、それから行くべ。それからじゃったら殺されても文句《もんく》はねえ。そうしろ、やい」
と、久助《きゆうすけ》は言ったのだ。さっそくことばづかいを呼びすてにあらためている。すでに征服した以上そうあるべきであるとは、彼の信じて疑わない哲学であった。
藤紫《ふじむらさき》はいまいましくてならないが、しおらしく調子を合わせる。
「そんなことがありますか。お前《まえ》様は京の堂上《どうじよう》をどういうものに考えていなさりますの。昔は堂上《どうじよう》もきつい権高《けんだか》なものでありましたそうなが、うちつづく戦《いく》ささわぎで、国々の所領《しよりよう》はみな武家衆《ぶけしゆう》に横領《おうりよう》され、家やしきも焼かれ、しもじもの百姓町人《ひやくしようちようにん》よりもまだあさましい様子になりさがっているのです。早い話が、わたしをごらんなさい。京で不足のない身なら、どうして越後《えちご》のような遠国《おんごく》に来ましょう。京では身が立たぬゆえ、来たのです。そなたのような働きのある強い男に連れそえるなら、どんなに心強いことでしょう。多少のたくわえもあるのですから、京で二人で所帯《しよたい》をもちましょう。嵯峨野《さがの》のあたりに小ぢんまりとした家を買い、田畑もいくらか買うてね。わたしの家は堂上《どうじよう》でありますから、わたしの名義《めいぎ》にしておけば、諸税《しよぜい》のかかりものはいっさいなく、つくり取りです。安気《あんき》なものですぞえ。そのうち、わたしはお前《まえ》様の子供を生みます。春日山《かすがやま》の殿様は精の弱いお人であったゆえ、わたしに子供を生ませることはおできになりませなんだが、お前《まえ》様は若くて強いお人です。すこやかで、かわゆく、いい子が生まれましょう。ああ、わたしはお前《まえ》様の子供が生みたい」
と言って、首に抱きつき、ほおずりをしたのだ。かたいひげのある久助《きゆうすけ》のほおはわさびおろしのようだ。自分のなめらかなほおにそれが触れるのがこころよくないことはなかった。
これで、久助《きゆうすけ》はとろとろと、日なたの飴《あめ》のようになった。
「そうかえ、そうかえ。そんだら、放生津《ほうじようづ》は上るだけで素通《すどお》りにして、まっすぐに京へ行くべ。そうかえ、おらが子をな……」
エッシ、エッシと漕《こ》いだが、前述のとおりの事情で、富山湾《とやまわん》に入ったのは三日目の深夜であった。
そのころから、空模様《そらもよう》があやしくなった。この季節にめずらしく快晴の日ばかりつづいていたのだが、風が強くなり、空がかき曇《くも》り、雪が降りだしたのだ。陸地なら根雪《ねゆき》になる乾ききったさらさらした粉雪《こなゆき》は、強い西北風に吹きまくられて、渦《うず》を巻きながら吹きつけてくる。こごえるばかりだ。
藤紫《ふじむらさき》は久助《きゆうすけ》に荷物を解いて着物を出してくれとたのんだ。こんなところで着ては、潮のしぶきや、潮風や、雪のためにさぞ傷《いた》むであろうとは思ったが、しかたはなかった。小袖《こそで》や裲襠《うちかけ》をいく枚も出してもらって、あたまからかぶってきびしく前を合わせ、目ばかり出して、胴《どう》の間《ま》にうずくまった。
「えれえ天気になりやがったなあ」
ぼやきながらも、久助《きゆうすけ》は自分も女ものの小袖《こそで》で頭から首すじをつつんで、せいいっぱい漕《こ》いだ。
しかし、どんなに漕《こ》いでも舟は進まない。ともするとおしもどされる。
「おいよ」
漕《こ》ぎながら、呼びかけた。大きな声を出したが、風が吹きもぎっていって、聞こえなかったらしい。藤紫《ふじむらさき》はうずくまったままだ。黒い石のようなその姿の上に、雪がおそろしい速さできりきりと渦《うず》を巻きながら流れていた。
「おいよう!」
とまた呼んだ。
かすかに動いて、藤紫《ふじむらさき》の顔がこちらをむいた。黒い影《かげ》の底に白い顔がうすぼんやりと見える。
「放生津《ほうじようづ》には行けそうにねえすけ、このへんにつけることにすべえ。ええじゃろうのう」
せいいっぱいの大きな声で言ったのだが、風がいくども吹きちぎっていって、聞こえたかどうか、われながら心もとない。しかし、通じたのだろうか、藤紫《ふじむらさき》の黒い影《かげ》はうなずいたようであった。
櫓《ろ》をしなわせ、陸地にへさきをむけた。追い風になる。うそのように楽になった。射る速さで、たちまち陸地に近くなった。
富山湾《とやまわん》のうちであることはわかっているが、こまかくはどこであるかわからない。右手に吹雪《ふぶき》のまにまにちらちらと火光の見えるところがある。それを目がけて漕《こ》いだ。舟はいっそう速くなって、すぐ目の前に近づいてきた。
相当大きな港町のようだ。消えたりついたりしながら、灯影《ほかげ》がかなりきらめいている。
「魚津《うおづ》の港かもしんねえ」
と思った。その旨《むね》を藤紫《ふじむらさき》に言ったが、聞こえないのか、前をむいたまま身動き一つしなかった。
越後領《えちごりよう》をはなれてしまえば、それほど用心しなければならないことはない。魚津《うおづ》の港ならおおいにけっこうだ。諸国の商人船《あきんどぶね》も入ってくる港だ。その船人《ふなびと》を泊めるはたご宿もある。久しぶりで屋根の下で、ぬくぬくと火にあたたまり、熱い酒でものんで後、夜のものの中で藤紫《ふじむらさき》と寝ることを思うと、久助《きゆうすけ》は血がさわぎ、酔ったようになった。
「えッし、えッし、えッし、えッし……」
おそろしい元気になって漕《こ》ぎすすんだ。
港についた。
白い雪の荒れ狂《くる》う港の船はみな岸に引きあげて、町はすっかり寝しずまっていた。ところどころ、かすかな灯影《ほかげ》をすきまから漏《も》らしている家があるだけだ。
舟は浪《なみ》にのって、押しあげられるように、岸の砂地にへさきをめりこませた。
久助《きゆうすけ》はすばやく飛びおりた。ひざを越すあたりまである水は伊賀袴《いがばかま》をとおしてしみこんだ。こごえるようにつめたかったが、かまってはおられない。へさきをつかんで、剛力《ごうりき》にまかせて、グイグイと岸にひきつけて固定した。まず荷物をかかえて浜におろし、次に藤紫《ふじむらさき》に手をひろげた。
「着ているものをぬらさないようにしてね」
と言って、すそをたくしあげ、ふわりと久助《きゆうすけ》の腕に抱かれた。
島の城
一
まともに烈風《れつぷう》を受けている波はおそろしくあらい。ぐずぐずしていると、頭からおおいかぶさって、自分のみか、藤紫《ふじむらさき》までずぶぬれにしそうだ。久助《きゆうすけ》は大急ぎで岸に駆《か》けあがった。強い風が背中を押した。
「どっこいしょ」
浜の砂の上に藤紫《ふじむらさき》をおろした。
おそろしい寒さだ。吹きつける吹雪《ふぶき》は、ぬれた伊賀袴《いがばかま》に吸いついて、たちまちがばがばにこおらせ、氷の板のようになったその中で、足は感覚を失ってしびれ、自由に言うことをきかなくなった。
「ひでえもんだ!」
久助《きゆうすけ》は血行《けつこう》をうながすために足をばたばたさせていたが、そんなことより、藤紫《ふじむらさき》には荷物にしぶきのかかるのが心配だ。
「急いでくださいな。さあ、それをかついで」
とうながした。
いまでは久助《きゆうすけ》は藤紫《ふじむらさき》にまいりきっている。
「よしきた」
荷物の前にしゃがんで、背負おうとしたが、こごえている手では、器用に胸先《むなさき》にひもを結びかねた。
「急いで!」
藤紫《ふじむらさき》は足ぶみした。のろいのもだが、寒かった。
ぎしぎしと雪が足もとに鳴った。
「結んでくれよ。手がこごえて……」
「お前《まえ》様らしくもない」
藤紫《ふじむらさき》は舌打《したう》ちして、前にまわって結んでやろうとしたが、久助《きゆうすけ》は舌打《したう》ちに発憤《はつぷん》していた。――そうだ、この女はおらが強さにほれたのじゃ! 猛然《もうぜん》として気力がわきおこった。
「いらねえよ」
とことわって、ひもを結びおえた。
「さあ、行くべ!」
立ちあがったが、その時ひときわはげしい風が吹きつけてきて、眼《め》の前が吹雪《ふぶき》に閉ざされた。久助《きゆうすけ》は藤紫《ふじむらさき》の背中に片手をまわしてたすけながら、渦巻《うずま》く濃《こ》いまっしろな旋風《せんぷう》の中に、呼吸《いき》をつまらせて立ちすくんだ。彼らのうしろで、彼らの乗ってきた小舟が高い波にほうりあげられ、めりめりと音を立てくつがえったが、そちらを見ることもできなかった。もっとも、もう舟に用事はない。どうなろうとかまったことではなかった。
ひとしきりの風が弱まったところで、
「でえじょうぶけえ! さ、つっ走るで! あこの家の陰《かげ》まで行けば、いくらか楽になるすけのう。ほら、行くで! 一、二の、三……」
背中をかかえて、走りだした。勢いよくというわけにはいかない。よたよたと走ったが、十|間《けん》ほどで、また烈風《れつぷう》とともに吹雪《ふぶき》が襲《おそ》ってきた。
立ちすくんだ。
数呼吸して、風が弱まり、雪がうすらいだので、走りだそうとしたが、思いもかけないことがそこにはおこっていた。
具足《ぐそく》に身をかためた者が四人、前に立ちふさがっていたのだ。四人とも槍《やり》をかまえ、白く光る穂先《ほさき》をつきつけていた。
「ひぇッ!」
と、久助《きゆうすけ》は息をうちに引いて、すくんだ。追剥《おいはぎ》か夜盗《やとう》にちがいないと思った。しかし、藤紫《ふじむらさき》にたよりきられている自分であると思いだすと、猛烈《もうれつ》な勇気がわいた。おじけづいてはならなかった。おそろしい声でどなりたてた。
「やい! やい! やい! うぬら、なにしやがんだ! うぬらみてえなもの、こわがるうらと思うか! 屁《へ》とも思わねえで! きりきり、ひらいて通しゃがれ!」
腰の脇差《わきざし》のつかをつかんで、引きぬこうとしたが、とたんに正面の男の姿勢がかわったと思うと、槍《やり》の石突《いしづ》きがかえり、足をはらわれた。したたかな打撃であった。すねがへしおれたかと思われるばかりの痛さが、ツーンと頭のてっぺんまでひびいたが、その時にはもう雪の上にひっくりかえっていた。しかも、背負った荷物の重さにひかれて、あおむけにたおれ、ひっくりかえされた蛙《かえる》のように足を空ざまにもがかせていた。
「うぬらア!」
脇差《わきざし》をぬこうとしたが、こごえた手はしびれきって、つかをつかんでいるかどうかもさだかでない心もとなさだ。
「ばかもの! 当港《とうみなと》の番所《ばんしよ》の者と知らんのか!」
その男らは二人がかりでとっておさえた。うらやましいほどに自由に動く手で、むぞうさに脇差《わきざし》をうばいとり、背中の荷物をむしりのける。
はりきりすぎたためとはいえ、とんでもない思いちがいをしていたことに、久助《きゆうすけ》はうろたえていた。
「うら、知らなんだのでござるだ! うら追剥《おいはぎ》じゃとばかり思うていたのでござるだ! うら、知らなんだのでござるすけ……」
と、必死になって弁解したが、番卒《ばんそつ》らはすこしも容赦《ようしや》しなかった。
「黙《だま》れ、黙れ、曲者《くせもの》のくせになにをぬかす! 言うことがあるなら、あとでせい!」
と言いながら、玉子焼《たまごやき》でもかえすように、やすやすとあおむけからうつぶせにひっくりかえして、縄《なわ》を打った。
藤紫《ふじむらさき》にも、のこりのふたりが立ちむかった。藤紫《ふじむらさき》は反抗が無益《むえき》であることを知っている。この者どもがこの港の警固所《けいごじよ》の番卒《ばんそつ》どもであることも疑わなかった。おとなしく縄《なわ》についた。
二
警固所《けいごじよ》は、久助《きゆうすけ》があの家の陰《かげ》まで行けばだいぶ楽になると、藤紫《ふじむらさき》をはげましながらひとすじに目ざした、その建物であった。皮肉《ひにく》なことであった。
建物の中には、ひろい土間《どま》があり、土間《どま》に大きな木の火鉢《ひばち》をすえて、炭火が山のようにおこしてあった。
番所頭《ばんしよがしら》は三十|年輩《ねんぱい》の太った男である。まるいほっぺたや、眠たげに細められた小さい目や、からだに似合わず小さく短く、そのくせまるまッちい手足が、なんとなく豚を思わせた。二つそろった大きな穴が前をむいている小さい鼻の下にうすいひげをぴんとひねりあげていた。床几《しようぎ》に腰をかけ、火鉢《ひばち》のふちに両足をひろげてまたをあたためていたが、番卒《ばんそつ》らが二人を引きたててくると、
「そこにすえろ」
と、あごをしゃくった。
二人は土間《どま》に引きすえられた。
番所頭《ばんしよがしら》は無精《ぶしよう》ッたらしい姿勢のまま、番卒《ばんそつ》らの報告を聞いた。
「ふん、ふん、ふん」
とうなずいてはいたが、ろくろく二人の方を見もしない。
聞きおわると、尋問にかかった。やはり二人の方には目をくれないで言う。
「汝《わい》ら、どこから来た?」
「越後《えちご》から参りやした。まんだこちらには聞こえていねえかもしれましねえが、守護代《しゆごだい》の長尾弾正《ながおだんじよう》様と弟御《おとうとご》の喜平二景虎《きへいじかげとら》様との間に合戦《かつせん》がはじまりやしてのう、弾正《だんじよう》様が負けなさり、喜平二《きへいじ》様の軍勢が春日山《かすがやま》におしかけてめえりやしたすけ、春日山《かすがやま》近くの村も町も、えれえことになってしもうたのでござります。わしらは府内《ふない》の町に住んでいたものでごぜえますが、軍勢衆の狼藉《ろうぜき》があんまりひでえんで、ご当地ににげてきたのでごぜえます。へえ、ほんとでやす。うそじゃありましねえ」
と、久助《きゆうすけ》は言った。
越後《えちご》春日山長尾《かすがやまながお》家の兄弟の間の合戦《かつせん》のことは、すでによく知っているのか、豚に似た顔にはぜんぜん表情は動かず、細い目は眠たげに火鉢《ひばち》の中を見つめたまま、
「そっちのやつもなんとか言えい」
と言った。
「夫《おつと》がただいま申し上げましたとおりでございますだ」
藤紫《ふじむさらき》はわざと下賤《げせん》なことばで言ったが、声の美しさはかくしようがなかった。
おや? と思ったらしい、細い目が大きくみひらかれ、こちらを見た。おどろいた顔になった。しげしげと凝視《ぎようし》してから、言った。
「汝《わい》らは夫婦《ふうふ》かえ?」
藤紫《ふじむらさき》のこたえる前に、久助《きゆうすけ》がこたえた。
「へえ、夫婦《ふうふ》でござりますだ。府中《ふちゆう》の町の町人でござりますだ。てまえは小《こ》角力《ずもう》など取っていた者でごぜえますが、女房《にようぼう》は琴《こと》やなんぞの遊芸《ゆうげい》が達者《たつしや》なもんですけ、府中《ふちゆう》や春日山《かすがやま》のご家中《かちゆう》の奥に招かれて、奥方《おくがた》や姫君《ひめぎみ》方のお相手をしたり、お酒盛りの興《きよう》をそえたり、そんげなことをしていましただ。へえ、ほんとでやす。うそじゃねえす」
久助《きゆうすけ》は、相手の細い目がしだいに光ってくるのが不安でならない。あとからあとからと、追いかけるようなことばを重ねた。
番所頭《ばんしよがしら》はいちおう納得《なつとく》したようであったが、二人の前にすえられた荷物に目をつけると、番卒《ばんそつ》にそれをもってこさせた。
「あけてみろ」
包みはひらかれた。華麗《かれい》で、見るからに高価そうな衣類や器物が出てきた。番所頭《ばんしよがしら》はうすいひげをひねりながら、番卒《ばんそつ》らがいちいちひろげて見せるそれと、二人の顔とを見くらべて、ときどき「ふうん」とうなった。
「みんな、お出入りのお屋敷方でいただいたものでやす。ずいぶん、ごひいきになっていましたすけ。へえ、ほんとでやす。うそじゃねえす」
と、また不安になって、久助《きゆうすけ》は言った。
最後に、金銀が出てきた。欠《か》け皿《ざら》に魚油を入れ、灯心《とうしん》を二すじつけてともした灯火《とうか》の下に、さんらんとかがやく金銀の小山を見た時、豚殿も番卒《ばんそつ》らも、口もきけなくなった。息をすることも忘れたような顔で凝視《ぎようし》していた。
「長い間にもらいためたのでやす。へえ、長い長い間で。ほんとでやす。うそじゃねえす」
と、久助《きゆうすけ》はまた言った。
番所頭《ばんしよがしら》は急にふきげんな顔になった。
「だまれ! もう口をきくな!」
と大喝《だいかつ》して、番卒《ばんそつ》らをふりかえった。
「こいつら、牢《ろう》にほうりこんでおけ。この荷物もしまえ!」
おそろしく腹が立ってきたふうであった。
この報告が魚津城主鈴木《うおづじようしゆすずき》大和守国重《やまとのかみくにしげ》にもたらされたのは、それからまもなくのことであった。
「ふしぎな男女二人を召し捕《と》った。本人らは長尾弾正《ながおだんじよう》兄弟の戦乱を避《さ》けて、越後《えちご》の府内《ふない》から海路当地にのがれてきた町人|夫婦《ふうふ》であると申し立てているが、容貌風姿《ようぼうふうし》、とうてい夫婦《ふうふ》とは思われない。多額《たがく》の金銀や高価な衣類器具などを多数所持しているのも、いぶかしい」
という報告であった。
「明朝城内に引き立ててまいるよう。仔細《しさい》ありげな者どもと思われるゆえ、今夜は十分にいたわりとらせるように」
と、指令して、その夜は寝た。
夜が明けてしばらくして、大和守《やまとのかみ》に昨夜港の番所《ばんしよ》で捕《と》らえた二人が連れられて、白洲《しらす》に待たせてあると取りついできた。
大和守《やまとのかみ》はこの時三十五、六、武勇すぐれた武将として、越中《えつちゆう》では相当|高名《こうめい》な人物であった。
「よし」
さっそく、白洲《しらす》へ出てみた。
二人の男女は、昨夜ほどのことはないが、粉雪《こなゆき》のしんしんと降りしきる庭上に引きすえられていた。
大和守《やまとのかみ》は縁側《えんがわ》づたいに来て正面に立って、ややしばらく二人を見ていたが、なにも言わず居間《いま》にかえり、侍臣《じしん》に言った。
「女は縄《なわ》を解き、風呂《ふろ》を使わせ、着がえをさせたうえで、奥殿《おくでん》に押しこめておけい。にがさぬようにはせねばならんが、ずいぶんいたわってとらせるよう。男はそのまま牢《ろう》にさげい。これはきびしくするよう。両人のもちものは、ここにもってこい」
「はっ」
侍臣《じしん》はさがったが、まもなく、帰ってきて、
「両人の者どもはおおせのとおりにはからうよういたしました。荷物はここにもってまいりました」
と復命《ふくめい》して、小侍《こざむらい》二人にもたせてきた大きな包みを前にすえた。
「よし、さがれ」
大和守《やまとのかみ》は自分で包みをといて、いちいち点検した。衣類も、器具も、金銀の小山も、みなおどろくに十分なものがあった。
「ふむ、ふむ、ふむ……」
と、一つ一つに首をひねりつづけた。
三
越中《えつちゆう》を襲《おそ》った雪は越後《えちご》もおそった。今年は雪がおそく、例年にない快晴の日がつづいたのだが、こうして雪が来たとなると、おどろくべき多量に、また例年になくいく日もいく日も降りつづいた。野も、山も、たちまち厚い雪におおわれた。
合戦《かつせん》はいっさい停止であった。
まもなく、新しい年が来た。天文《てんぶん》十八年だ。景虎《かげとら》は二十《はたち》になった。
この正月、正式に長尾《ながお》家の当主《とうしゆ》となった儀式を挙《あ》げた。長尾《ながお》家の家臣《かしん》らはいうまでもなく、豪族《ごうぞく》らも彼に味方している者は、ほとんどのこらず春日山《かすがやま》城に集まって、この盛儀《せいぎ》に出席した。
景虎《かげとら》はみずからの儀式がすむと、勲功《くんこう》のあった家臣《かしん》や豪族《ごうぞく》らを、功績《こうせき》に応じて、それぞれ行賞《こうしよう》した。
これまで、彼には所領《しよりよう》がなかったために、武功《ぶこう》のある者にたいしても、口頭や感状で褒美《ほうび》するよりほかはなく、心苦しい気持ちでいたが、これでやっと心の重荷から解きはなたれた。おさえにおさえていたことであったので、おしげもなくズバズバと知行地《ちぎようち》を割《さ》きあたえた。人々のよろこんだことはいうまでもない。
「大気《たいき》な殿じゃ」
と、感嘆《かんたん》し、思慕《しぼ》の情《じよう》を新たにした。
家督相続《かとくそうぞく》の儀式も、行賞《こうしよう》も、景虎《かげとら》には他の目的はなかった。やらなければならないことと思ったからやっただけのことであったが、意外な効果のあったことが、まもなく判明してきた。
二月末になると、そろそろ雪が消え、また合戦《かつせん》がはじまることになったが、服属を申しおくる豪族《ごうぞく》らが多数出てきたのだ。それは春日山《かすがやま》にも属せず、三条《さんじよう》方にもくみしないで、形勢を観望《かんぼう》しつづけていた豪族《ごうぞく》にもあれば、どちらかといえば三条方に好意《こうい》をもっていたと思われる豪族《ごうぞく》にもあった。その人々は、
「お年若《としわか》ながら、喜平二《きへいじ》殿は軍神《いくさがみ》の肺肝中《はいかんちゆう》から生まれられたようなお人じゃ。その喜平二《きへいじ》殿が当主となって立ちなされた以上、なんぼう手柄《てがら》を立てても、耳をふさいできかず、恩賞などさらにあずかることのないようなばかげたことは、もう春日山《かすがやま》には起こらぬであろう。それが証拠《しようこ》には、家督相続《かとくそうぞく》と同時に、まことに気前《きまえ》ようほうびをくれなされたぞ。故《こ》信濃守《しなののかみ》殿じゃとて、あれほどには肝先《きもさき》が切れなさらなんだぞ」
と、語りあった。
人気《にんき》は人気《にんき》を呼び、勢いは勢いを呼ぶ。景虎《かげとら》の動かしうる軍勢は日ごとに増大していった。景虎《かげとら》方の勢いの増進《ぞうしん》は、三条方の勢いのおとろえだ。
三条方の城は雪の消えるのと速さをきそうように、つぎつぎに降伏《こうふく》したり、落城したりした。
四月はじめ、景虎《かげとら》は五千の兵をひきいて、三条へむかった。これまで彼は三条勢と数度の合戦《かつせん》をくりかえし、戦うごとに痛破《つうは》している。しかしながら、これまではこちらからおしよせていったことは一度もない。敵の寄せてくるのを待ってやぶったのだ。守って戦う力はあっても、攻撃に出て戦うには力が不足していたからだ。しかし、こんどはおしよせていくのだ。無量の感慨《かんがい》があった。
今日《こんにち》の三条市は信濃《しなの》川と五十嵐《いがらし》川との合流点に位置し、五十嵐《いがらし》川の両岸に発達しているが、この時代の三条は信濃《しなの》川の川中島《かわなかじま》である大島《おおしま》にあったという。大島は一辺四キロもあるほどな不規則な菱形《ひしがた》をなした大きな島だ。三条城は別名を島の城ともいって、大島の東南隅《とうなんぐう》、信濃《しなの》川に注《そそ》ぐ五十嵐《いがらし》川の水勢《すいせい》をまともに受ける地点にあったという。現在はその城跡は競馬場になっている。
ぼくの行った時、広い競馬場にはしずかな秋の日がさし、馬がたった一頭、調教師にまたがられて、ゆっくりとコースをまわっていた。ぼくは高い観客席に立ってそれをながめて、ここが城跡であることを信じかねるような気がした。四百数十年の昔、悲壮《ひそう》でもあれば惨烈《さんれつ》でもある合戦《かつせん》がここでおこなわれたことを想起《そうき》し、その幻影《げんえい》を結びあげるのに、ずいぶん骨をおらなければならなかった。
川中島《かわなかじま》であるから、この島には高地らしい高地はない。競馬場のななめうしろがほんのすこしばかり隆起《りゆうき》しているが、おそらく城はそのわずかに高いあたりにあり、競馬場のあたりは川であったのではないかと思った。
高地がないから、この城のもっとも有力な防ぎは川であったに相違ない。思うに、当時は信濃《しなの》川の水量は現在よりはるかに多く、川は広くもあれば深くもあり、水勢《すいせい》も強かったろう。城壁はまだ石をそう使わないころであるから、水に接するあたりだけは石をたたんでも、上は土をかきあげた土居《どい》であったろう。芝《しば》を植えてあったろう。土居《どい》の内には樹木を植えてあったろう。越後《えちご》に多い赤松、その松の赤い幹《みき》と緑の葉の間に白堊《はくあ》の壁をもったさまざまな建物が見えていたろう。屋根は草葺《くさぶ》きであったろうか、板葺《いたぶ》きであったろうか。瓦葺《かわらぶ》きの屋根はまだごく少ないころである。
しだいに調子づいてきた空想ははてしがなかった。
四
春日山《かすがやま》を出て二日目のひるごろ、景虎《かげとら》の本隊は米山峠《よねやまとうげ》に達した。景虎《かげとら》は休止を命じ、昼食をさせ、自分も食事にかかったが、彼の食事はいたって速い。たちまちおわって、米山薬師《よねやまやくし》にむかってつづいている尾根《おね》の方へ行きかけた。
家をついでから左右におくことにした近習《きんじゆう》らが、あわてて食事をやめてついてきかけた。口をもぐもぐさせている。
「ついてこんでもよい。ひとりで思案したいことがある」
近習《きんじゆう》らはおそれいって、引きさがった。
山の斜面をすこし下がったあたりから樹林になり、そこからひっきりなしに小鳥の鳴き声が聞こえてくる。景虎《かげとら》はときどき立ちどまってそれに耳をかたむけ、ゆっくりと尾根道《おねみち》をたどった。
彼は杖《つえ》をついていた。五尺もある長い杖《つえ》であった。頭に丁字形《ていじがた》のかざりがつき、そこから四、五|寸《すん》の間はひもを片手巻きにしてすべりどめをし、中に刀を仕込んだものであった。
やがて東北方をむいて立ちどまり、目をはなった。よく晴れた日だが、遠い山々はうす霞《がすみ》がかかって模糊《もこ》としたものになって、眺望《ちようぼう》はきかなかった。それでも、ややしばらく凝視《ぎようし》してから、陣所《じんしよ》にかえったが、帰るとすぐ全軍にふれをまわした。
「思うところがあって、数日ここにとどまる。諸隊そのつもりで、それぞれ現在地で宿陣《しゆくじん》するよう。陣所《じんしよ》の都合上《つごうじよう》多少の移動はかまわないが、近くの隊と連絡を密にして、とっさの機変《きへん》にあわてぬようにせよ」
先鋒部隊《せんぽうぶたい》はすでに坂を下りきって鵜《う》川べりの野田をすこし過ぎたあたりに達しており、後陣《こうじん》は坂にかかる黒岩《くろいわ》村落あたりまでしか来ていなかったが、使い番を走らせて告げた。
これだけのことをしておいて、こんどは本陣《ほんじん》に触れを出した。
「今日より四日間、おれは薬師堂《やくしどう》に参籠《さんろう》し、五日目の朝|帰陣《きじん》する。その間のことは、杉原壱岐《すいばらいき》指揮せよ。参籠《さんろう》の間はなにものも近づくことを許さない」
将士《しようし》一同あっけにとられたが、なかにも鬼小島弥太郎夫婦《おにこじまやたろうふうふ》をはじめとする馬廻《うままわ》りの勇士らのおどろきはひととおりでなかった。そろって、ぞろぞろと景虎《かげとら》の前に出てきた。
「とめだてはゆるさぬ。十分に考えてのうえのことだ」
機先を制して言った。
「いえいえ、おとめだて申すつもりはさらにございません。せめて、てまえどものお供《とも》をゆるしていただきたいのでございます」
「心入れ、殊勝《しゆしよう》だが、それもならぬ。余人《よじん》がいては、気が散る。おれはこんどの戦《いく》さについて、薬師如来《やくしによらい》にうかがいを立てたいことがあるのだ。さがれ、そこにいてくれてはじゃまだ」
きっぱりと言いきられて、勇士らはとほうにくれながらも、すごすごとさがった。
まもなく、景虎《かげとら》は浄衣《じようえ》の入っているらしいやや大きな包みをさげ、仕込み杖《づえ》をついて陣所《じんしよ》を出、先刻の尾根道《おねみち》をたどったが、五、六|町《ちよう》で、道を左に切れて斜面を谷に下りていった。
薬師堂《やくしどう》にお籠《こも》りに行くとは口実にすぎなかった。彼は三条の地勢を見に行くつもりであった。少年時代を栃尾《とちお》で過ごした彼は、二、三度三条へ行ったことがあるが、記憶はいたっておぼろだ。信濃《しなの》川の川中島《かわなかじま》にあり、城は水辺《みずべ》にさしかかって築《きず》かれていたというくらいの記憶《きおく》しかない。四方水でかこまれている城だ。ふつうの攻め方ではいけないことはわかっている。もちろん、密偵《みつてい》をはなって、できるだけの調査はしてあるが、それにしても自分の目で調べてみないことには、いろいろ思い浮かぶ戦術に自信が出なかった。戦術は敵の心理推察のうえに立っての方策であるから、一種のばくちであるが、巧妙《こうみよう》な賭博師《とばくし》が常に大胆不敵《だいたんふてき》な自信家であるように、戦術にもつねに絶対に自信が必要だ。自信のない戦術はドタン場までおしきれないのである。おしきれない戦術が成功したことはかつてないのである。
彼は春日山《かすがやま》を出る時から、途中で軍をとどめて、みずから三条の地勢を踏査《とうさ》に行く決心をつけていた。変装の用具もたずさえてきた。仕込み杖《づえ》もその一つだ。
樹林の中に入ると、変装にかかった。身につけていた陣羽織《じんばおり》や具足《ぐそく》をぬぎ、佩刀《はかせ》とひとまとめにして、大きな岩かげにおしこみ、たずさえてきた包みを解くと、木製の笈《おい》であった。山伏《やまぶし》や六十六部《ろくじゆうろくぶ》などの負っている箱だ。中には六十六部《ろくじゆうろくぶ》の服装が入っていた。うすよごれした白衣《びやくえ》や、笈摺《おいずり》や、頭巾《ずきん》や、きものとともぎれでこしらえた手甲《てつこう》や脚絆《きやはん》。新しいわらじも入れてある。手ばやく着てしまって、大きな数珠《じゆず》を首にかけた。
五
鬼小島弥太郎夫婦《おにこじまやたろうふうふ》をはじめ馬廻《うままわ》りの豪傑連中《ごうけつれんちゆう》は、きびしく景虎《かげとら》に言われて、いったんは引きさがったものの、どうにも心配になってならない。だれが言いだしたともなく、ぞろぞろと集まった。
「ただごとでねえぞな」
「殿様がお年に似合わず神様や仏様がお好きで、ご信心深いのはわかっとるが、合戦《かつせん》を前にひかえての、この信心ざたはふつうではねえな」
「薬師如来《やくしによらい》様が、戦《いく》さのことについてなにかお示顕《さとし》をくださるじゃろうか。あれは医薬のことが受け持ちで、いくさの受け持ちではないじゃろ」
専門がちがうというのだ。
「ただごとでねえな」
と前提《ぜんてい》が結論になった。
「とにかくも、行ってみようでねえか。殿様のお目に触れさえせんければ、おじゃまにはならん。大事な大事なおからだじゃ。ひょっとして三条方で妙《みよう》なやつをよこさんものでもない。万一のことがあっては、とりかえしのつかんことになる。薬師《やくし》様のまわりにひそんでいて、それとなくご守護《しゆご》するぶんには、ちっともさしつかえねえじゃろ」
「そうとも、そうとも、ちっともさしつかえねえ道理じゃ」
相談は一決して、連れだって尾根道《おねみち》に出た。
ひるさがりのうららかな春の日がさんさんと降りそそいでいる尾根道《おねみち》を、すこし汗ばみながらてくてくと歩いていると、ふと一人が言った。
「や! ありゃなんじゃ」
おどろいたような声であったので、みなふりかえった。
「あれよ、それ、あれじゃ」
谷間を指さしていた。
尾根《おね》をすこしくだってうす緑の新芽の芽ぶいている樹林がつづき、谷底に近いあたりから鉾杉《ほこすぎ》の林になるが、谷底に達すると、しばらく杉林がつき、また杉林になってむこうの山にはいあがる。その杉林と杉林の間に、谷川が白く水をくだいて流れているが、それにそった道を、人がひとり下流にむかって歩いている。
「六部《ろくぶ》じゃな」
「妙《みよう》なところを歩いとるのう」
「お薬師《やくし》様からのかえりであろうか」
口々に言いながら、凝視《ぎようし》していたが、まもなく、松江《まつえ》がどなりだした。
「ありゃ喜平二《きへいじ》様でござるで! お前《まえ》様方の目は節穴《ふしあな》か! 余《よ》のものにやつしていなさるのなら知らず、六部姿《ろくぶすがた》の喜平二《きへいじ》様がわからぬということがあろうずことか! うらは飛騨《ひだ》の山奥であの姿でいなさるのにおあいしたきりじゃが、忘れはせんぞい! 男ちゅうものは、なんちゅうあほうばかりそろうているのじゃろう!」
悪態《あくたい》のかぎりをどなりちらして、急な斜面をすべりながら走りだした。
「ほんとじゃ! 殿様じゃ!」
豪傑連中《ごうけつれんちゆう》もつづいた。
新緑の萌《も》えそろった斜面に土煙《つちけむり》を引き、小さな石を蹴《け》ころがしてはせくだる。岩ははじめゆるやかに、しだいに速さをまし、射る速さになる。先に立っている者にあたったらただごとではすまないのだが、そんなことにおかまいのある連中ではない。ただまっしぐらに走りおり、すべりおりた。
杉の密林を走りぬけ、谷川べりに出ると、景虎《かげとら》の姿は山の鼻をまわってもう見えなくなっている。しかし、下流にむかっていたことは尾根道《おねみち》から見て知っている。ひたすらに下流に走った。
三つほど山の鼻をまわって、いくらか谷がひろくなり、両がわに細長い水田などのあるところまで出ると、前方に白い行衣姿《ぎようえすがた》が見えた。
「おうい、おうい、おうい……」
豪傑連《ごうけつれん》は走りながら、それぞれに手を上げて呼ばわった。
景虎《かげとら》はふりかえった。追ってくる者どもの具足《ぐそく》に日があたって、きらりきらりと光る。かたい甲羅《こうら》をかぶっている昆虫《こんちゆう》かなんぞのようであった。それが馬廻《うままわ》りの者どもであることは、まっさきに赤具足《あかぐそく》を着、髪を白いきれでつつんでいる松江《まつえ》が立っているので、すぐわかった。
(気づきおったか)
苦笑して、路傍《みちばた》の大きな岩に腰をおろして、待った。
追いついてきた。
ザワザワと具足《ぐそく》の音を立てながら、足もとをとりまいてひざまずいた。さすがにはげしく呼吸《いき》をはずませて、急にはものを言うことができない。
言わせてはことがめんどうになる。景虎《かげとら》は自分の方から口をひらいた。
「案じて追うてきてくれたのであろう。おれが身を思うてくれればこそのことと、ありがたく思うぞ。このこと、その方どもにはうちあけてからにしようかと、いったんは思うたが、敵をあざむくにはまず味方をあざむけよとは兵法《へいほう》の金言《きんげん》だ。理解してくれるよう。おれは三条の地勢をよく知らぬ。みずから行って、みずから調べてきたいと思うのだが、それには人数多く行ってはかえってあぶない、ひとり行こうと思ったのだ。わかって、帰りくれるよう」
この間に人々の呼吸は平常に復した。それぞれに言ったが、いずれも、おおせられるおもむきはよくわかりますが、単身《たんしん》敵地に入られるというのは危険千万《きけんせんばん》、もってのほかのことである、われら全部とは申しませんが、両三人お供《とも》させていただきたい、というのだ。
見切りの早い景虎《かげとら》には、なんとかかたちをつけなければ、この連中はけっして引きさがらないであろうと、見きわめがついた。
「それほどまで申すのを、無下《むげ》にはしりぞけられぬ。ひとりだけ召し連れよう。そのうえはならぬぞ。不服でも、納得《なつとく》してかえるのだぞ」
と言った。
豪傑連《ごうけつれん》はいずまいを正した。それぞれに肩をはり、ひじを四角にした。ひげづらをそらし、眼《め》をかがやかし、できるだけ強そうな顔をする。われこそお供《とも》にふさわしい大剛《たいごう》であると言いたげだ。
かわいかった。笑いだしたくなるのをこらえて、ぐるりと見まわしてから、さらさらと言った。
「いずれもまさりおとりのない大剛《たいごう》の者ばかりで、だれを召し連れてよいか迷う。しかしながら、こんどのことは、敵とことをおこさず、秘密に行って秘密にかえってくるを最上とする。されば、女がよい。松江《まつえ》に行ってもらおう。弥太郎《やたろう》、借りてまいってよいであろうな」
「は、それはかまいませぬが……」
弥太郎《やたろう》は女房《にようぼう》のことなどより、自分が選《せん》に漏《も》れたのが残念な様子だ。
他の連中はなおさらのことだ。なにか言いだしそうにする。
松江はくるりと男らの方にむきなおった。
「お前《まえ》様方がなんにも言いなさることはねえだ。うらがいたればこそ、殿様がこちらに来なさるのがわかったのじゃ。うらがいなんだら、お前《まえ》様方、いま時分《じぶん》お薬師《やくし》様のまわりで、いもさっしゃらぬ殿様のご守護《しゆご》をしているつもりで、あほうづらしていなさったにちげえねえだ。うらにお供役《ともやく》がまわってきたのは、あたりまえのこんだ。おおかたお薬師《やくし》様のおはからいであるべし。なんにも言わんで、納得《なつとく》してかえりなさろ。かえりなさろ。うらが殿御《とのご》も、さびしゅうござろうが、たんだ四日のことだ、しんぼうしなさろ。百姓《ひやくしよう》おなごなどおさえつけるでねえぞ。殿様のことは、うらがちゃーんと引きうけたで、ちっとも心配なことはねえだ」
滔々《とうとう》たるものだ。豪傑連《ごうけつれん》はシュンとなった。
六
翌日の午後、景虎《かげとら》と松江《まつえ》とは、三条《さんじよう》の東方一里の地点で五十嵐《いがらし》川をこえた。松江は途中で都合《つごう》した百姓女《ひやくしようおんな》の労働着をまとい、よごれたきれで髪をつつみ、素足《すあし》のはだしで、大きな黒い牛を追っていた。六部姿《ろくぶすがた》の景虎《かげとら》とならんで、牛を追いながら、のたりのたりと春の日の下を行く、近在《きんざい》の百姓女《ひやくしようおんな》が、ついこの先で廻国《かいこく》の六部《ろくぶ》どのと道づれになったといった形であった。
その半日、翌日の半日、二人はあるいは城に近づき、あるいは城に遠ざかりながら、ぐるりと三条の周囲をまわり、十分に地勢を見きわめた。
三条方の兵はあまりほうぼうにはいない。形勢が不利になって、そうほうぼうに手配《てくば》りするほど軍勢がいないのであろうと思われた。しかし、大事な地点と思われる場所には、相当な人数がいて、しかもまことに連絡がとりやすくしてあるようであった。
(さすがに昭田《しようだ》だな)
と思った。逆臣《ぎやくしん》ではあっても、昭田《しようだ》の智略《ちりやく》は越後《えちご》で有名なのである。
地勢を見て、攻撃の方法もめどが立った。
「それではかえろうか」
信濃《しなの》川を三条のある川中島《かわなかじま》の上流の浅瀬《あさせ》でわたると、わたったところに村があった。
その村の中ほどまで来た時、前方のどこやらから、酔いだみた声でしきりにさわいでいる声が聞こえてきた。あらあらしい男だ。
目を走らせると、十四、五|間《けん》前方の、ちょいと大きな民家の前の並木《なみき》に馬を二頭つなぎ、軒《のき》に槍《やり》が数条《すうじよう》立てかけてある。草葺《くさぶ》きのその屋根にかげろうが立ち、槍《やり》の穂先《ほさき》が日の光を吸ってしずかに光ってならんでいる。酔いだみた声は、その家から聞こえてくる。三条の城兵か、このあたりのどこかを守備している兵どもが、巡視《じゆんし》の途中酒を強要《きようよう》して酔いしれているに相違なかった。
二人はべつだん緊張《きんちよう》はしない。白く光るよだれを切れない糸すじのように地面に引いてのたりのたりと行く牛のあとから、ひなびた声で語りあいながら歩いていると、その家から出てきた者があった。
察したとおり、具足姿《ぐそくすがた》の兵士であった。うれたようにまっかな顔をして、すこしひょろつく足どりで出てきた。まぶしいのであろう、目をしばたき、こぶしでごしごしとこすった。牛を追って近づいてくる二人には気がつかないらしく、ふりむきもせず、垣根《かきね》にむかって小便をしようとしたが、ふとふりかえった。よほどに酔っているらしい。小便をするつもりであることを忘れたらしく、ひょろひょろしながら近づいてきた。
「よう、おなご。ええからだしとるのう。汝《われ》、ちょいと寄って、酒の酌《しやく》してくれんか。酒は海ほどあるが、酌《しやく》とりのおなごがおらんのじゃ」
と言ったかと思うと、むずと松江の手首をつかんだ。
「かんにんしてつかわせ。うら早《はよ》ううちにかえらにゃならんのじゃすけ。子供が腹すかして待っとるのじゃすけ」
ほほえみながら、松江《まつえ》は言った。
「ええじゃねえけ。ほんのちょっくらじゃ。汝《われ》がもどる時は、その牛の背にのせられるだけ酒をもたしてやるすけ、汝《われ》が亭主《ていしゆ》じゃて喜ぶで。さあ、寄ってけ」
ぐいと引っぱる。
松江はおそろしく腹を立てていたが、引かれてよろめきながらも、やさしく微笑《びしよう》をふくんで言った。
「ほんにかんにんしてくださろ。うらが亭主《ていしゆ》は下戸《げこ》じゃすけ、酒はよろこびませんわな」
松江はわざとほお先やなんぞに土などなすりつけてきたなくよそおっていたが、日ざかりの明るい日の下で熟視《じゆくし》すれば、天性《てんせい》の美貌《びぼう》はおおいがたいものがある。目の色がちがう。肌《はだ》の色がちがう。目鼻立ちがちごう。首すじやきびしく合わせた間からこぼれる胸もとなど、匂《にお》いたつような色めかしい美しさがある。
酔っぱらいはそれに気づいた。
「や! われは美《え》いおなごなんじゃな! もうはなさんぞ!」
と言うや、ぐいと引きずって抱きしめようとした。
小指の先のひとひねりにもあたらぬ雑兵《ぞうひよう》めという腹があるだけに、おさえにおさえていた松江の怒《いか》りは爆発した。
「なにするだよう!」
と、金切《かなき》り声でさけぶと、相手のからだは宙に舞いあがり、土埃《つちぼこり》を上げて、たたきつけられた。腹ばいになっているその背に、松江の足がかかったと思うと、声も出しえず、舌《した》と血を吐《は》き、手足をふるわせて絶息《ぜつそく》した。声もよう出さなかった。こちらで見ていた景虎《かげとら》がしまったというまもない短い間のことであった。
松江の金切《かなき》り声が聞こえたのであろう。屋内から兵士らがはじけだすように飛びだしてきた。
松江は軒《のき》に立てかけてあった槍《やり》をおっとり、景虎《かげとら》は仕込み杖《づえ》をぬいた。
「や! 曲者《くせもの》!」
兵士らは仰天《ぎようてん》し、あわてさわいだ。
「にげろ!」
景虎《かげとら》はさけんで、馬の方に走り寄った。兵士の一人が刀をぬいておどりかかってきた。引きはずして、ひと太刀《たち》にまっこうをわりつけ、馬の手づなを解きにかかり、もう一頭のも解いた。
兵士らは景虎《かげとら》に襲《おそ》いかかろうとしたが、松江が寄せつけない。
「うぬらア!」
とどなると、びゅうと槍《やり》をしなわせて、薙《な》ぎはらった。ひと薙《な》ぎに二人たたきたおされた。
「乗れ!」
景虎《かげとら》は一頭を松江の方におしやっておいて、飛びのった。
「おどれ、どこへ行くだよう!」
にげようとする馬をグイと引きとめ、走らせながら、松江もとびのった。
疾風《しつぷう》さながらであった。馬首《ばしゆ》を抱くように身を伏《ふ》せて、二人は走りだした。
正奇虚実《せいききよじつ》
一
きっちりと四日目、景虎《かげとら》と松江《まつえ》は米山峠《よねやまとうげ》にかえりついた。人々は首を長くして待っていた。
「とっくりと見てきた。計略《けいりやく》は立った。戦《いく》さは勝ったぞ」
景虎《かげとら》は上きげんであった。自信にあふれている。
勇士らもまた自信にあふれた。なぜという理由なぞ聞く必要はない。景虎《かげとら》が勝つと言う以上、勝つにきまっているのだ。景虎《かげとら》を信ずることが厚いのである。
翌日、行軍をおこした。この日、北条《ほうじよう》で宇佐美定行《うさみさだゆき》が琵琶島《びわじま》から来て加わった。
途中|一宿《いつしゆく》して、翌日|与板《よいた》についた。三条《さんじよう》を去る四里、信濃《しなの》川左岸の地である。
その夜、景虎《かげとら》はひそかに宇佐美《うさみ》の陣所《じんしよ》をおとずれた。
「あ、これはこれは。拙者《せつしや》の方からおうかがいしたいと存じていましたに」
定行《さだゆき》は恐縮《きようしゆく》した。
「目立たぬがよい。おれの方から来た方が目立たぬ」
と、景虎《かげとら》はすすめられた敷き皮の上にすわった。
「城攻めのくふうがついたゆえ、聞いてもらおうと思うて来た」
「うけたまわります。拙者《せつしや》もそのことでおうかがいしようと思うていたのであります」
「それは重畳《ちようじよう》、まずおれのくふうから聞いてもらおう。知ってのとおり、三条の城は四面水の中洲《なかす》にあって、なかなかの堅城《けんじよう》じゃが、城はその中洲《なかす》の東南のすみにあって、東も南も深く広い川だ。思うに敵はこちらがわはそれをたのみにして備えをうすくし、北と西に厚くしているであろう。それゆえ、北からか西からか人数をたたきつけて敵の気を引きつけておき、東南から水をわたって乗りいるという手も考えられるが、それはつねの手だ。損害も大きかろうし、昭田《しようだ》ほどの者ゆえ、即応《そくおう》の手をくふうしていよう。わしはその裏をかいて、東南に正兵《せいへい》を動かし、これに敵の主力を引きつけておき、奇兵《きへい》を北西から入れ、いっきに乗りやぶろうと思うのだが、どうであろうか」
宇佐美《うさみ》は、鎧《よろい》の引き合わせから、一葉《いちよう》の図面をとりだして、景虎《かげとら》の前にひろげた。
「おうかがいしようと思うていましたので、用意していたのであります」
「ほう、三条の図面だな」
「ずっと以前作らせておきましたものでございます。その後、合戦《かつせん》ひまなき時になりましたので、城方でいろいろと手を加えましたろうから、相当かわってはおりましょうが、ご参考にはなろうと存じます」
「なによりのものだ」
景虎《かげとら》は仔細《しさい》に点検した。図面はかなりに綿密《めんみつ》なものである。景虎《かげとら》自身が踏査《とうさ》してきたところと照らし合わせて訂正すれば、ほぼ正確な現在のものとなる。
景虎《かげとら》は違うところをいちいち指点《してん》した。
宇佐美《うさみ》は微笑《びしよう》した。
「ほう、近いころにおいでになりましたので」
「ああ、つい両三日前に見てきた」
松江《まつえ》とともに変装して出かけたことを語った。
「ほう、ほう」
宇佐美《うさみ》はまた微笑《びしよう》した。おもしろげであった。
景虎《かげとら》はまた言う。
「あらましのところは、ただいま言うたとおりだがくわしく申せば、まず北か西に兵を動かしてすこし戦って引きしりぞき、こんどは東南がわに出て攻撃にかかる。そうすれば、敵は味方が備えのかたさにあぐねて、備えの手うすな東南がわにむかったと思うことは必定《ひつじよう》であろう。どうだな」
宇佐美《うさみ》はうなずいた。
「おおせのとおりでございます」
「そこで、その東南からの攻撃だ。これはにせ勢《ぜい》ではあるが敵の注意と兵とを引きつけてしまわんければならんのだゆえ、よほどに大じかけにやる必要がある。舟橋《ふなばし》をかけるもよし、長ばしごを用意するもよし、ぬけがけの者が出てもよい。できるだけはでに動かんければならん。しかし、味方の者が、これをにせ勢《ぜい》と知っていては、なんとなく動きがそらぞらしくなって、敵に気《け》どられるかもしれぬ。それで味方にも知らせてはならん。どこまでも本気の攻撃と思いこませておかねばならん」
宇佐美《うさみ》はうれしげにうなずいた。ここまで景虎《かげとら》が成長したことが、言いようのないほどのうれしさであった。
「あとは申さんでもわかっていよう。どうだな、この策《て》は」
「おみごとでございます。拙者《せつしや》の思うところも、その上に出ません。そこで、その搦手《からめて》の攻撃を拙者《せつしや》につかまつれとおおせられるのでありましょうか」
「そうだ。そなたのほかにやれる者があろうとは思われん」
宇佐美《うさみ》は感謝の会釈《えしやく》をして言う。
「つかまつれとおおせられれば、つかまつりますが、どたん場までは殿《との》がいたされた方がようございましょう。おおせのとおり、この策《て》はまず味方をあざむくことが肝心《かんじん》でありますが、それには殿《との》がいらせられる必要があります」
宇佐美《うさみ》はくわしくは言わないが、景虎《かげとら》にはその言おうとするところが十分にわかった。味方をあざむいて十分の力をつくさせることによって、敵もあざむかれて、北・西方面の守兵《しゆへい》をこちらに配置しかえるであろう、その虚《きよ》に乗じていっきに乗り入れというのである。
「よかろう。それでいこう」
話はきまった。景虎《かげとら》は本陣《ほんじん》にかえり、使い番をはせて、諸将を本陣《ほんじん》に集め、明日の戦いについての指令をした。
「そなたらの知るとおりの敵城の地形である。北西のがわからおしいるよりほかはないが、敵の防ぎをわかつため、三隊にわかれ、三か所からおしわたることにする。一隊は左渡《さわたり》(いまの燕《つばめ》市に大字《おおあざ》として残っている)口よりし、一隊は大堰《おおせき》口よりし、一隊は八王子《はちおうじ》よりして、同時におしわたるよう。鉄砲をもってあいずとするゆえ、鉄砲の音の響《ひび》くを聞いたらば、即時《そくじ》におしわたれ。時刻はしらじら明けとするゆえ、夜のうちに、それぞれの場所に到着しているよう。おしわたったらば、本陣《ほんじん》に集まれ。だいたい城の西北方の城下町を本陣《ほんじん》とするつもりでいるが、そこでのろしを焚《た》き上げるゆえ、それを目あてとして集まりくるよう。島は一望《いちぼう》の平地であるうえに、そのあたりは高みになっているゆえ、よくわかるはずである。水田《みずた》ばかりのところゆえ、ぬきさしならぬ深田《ふかだ》におちいらぬよう心をくばり、高みへ高みへと道をとるがよい。図面がここにある。よく見ておくよう」
各隊の部署《ぶしよ》も言いわたした。
人々は図面を熟視《じゆくし》し、それぞれ自分らの隊のむかう地点からの地理を調べて退散した。
二
深夜に行動をおこした春日山《かすがやま》勢は、夜のうちにそれぞれの渡河点《とかてん》について、時の来るのを待った。
景虎《かげとら》は八王子《はちおうじ》口に本隊を集結した。それぞれの渡河点《とかてん》は、数日前の物見《ものみ》で調査してある。みずから渡ったのは左渡《さわたり》口と大堰《おおせき》口だけであるが、八王子《はちおうじ》口もこのあたりの住民によく聞いて、十分に渡れる見通しがついている。
季節が季節で、夜になると気温がさがる。川から立ちのぼる水蒸気は凝結《ぎようけつ》して濃《こ》い霧《きり》となり、河面《かわも》をあふれてそのへん一帯にひろがり、対岸はまるで見えなかった。
景虎《かげとら》は物見《ものみ》の兵を出して、対岸の様子をさぐった。かなりな兵が砦《とりで》をかきあげて待ちかまえているとの報告であった。このまえはなかったものだ。こちらが近づいてくると知って、急造したものに相違なかった。損害はできるだけ少なくしたいが、いまとなっては渡河点《とかてん》をかえるのはかえって危険であった。損害をかえりみずいっきにおし渡るのがもっとも損害を少なくすることだと決心した。
景虎《かげとら》は今日|栃尾《とちお》から兵をひきいきて合流した金津新兵衛《かなづしんべえ》を召して、なにごとかをささやいた後、杉原壱岐《すいばらいき》以下の鉄砲隊をひきいて、舟に乗って川の中ほどに漕《こ》ぎだした。鉄砲がもっとも有利な武器であることを知った景虎《かげとら》は、この冬の間に堺《さかい》に人を派し、三十|梃《ちよう》買ってこさせ、これを杉原壱岐《すいばらいき》にあずけた。これまで杉原《すいばら》のもっていた七|梃《ちよう》、景虎《かげとら》のもっていた一|梃《ちよう》を加えると、全部で三十八|梃《ちよう》の鉄砲を景虎《かげとら》はもっている勘定《かんじよう》であった。
漠々《ばくばく》たる乳白《にゆうはく》の気体の中を、棹《さお》の音をひそめて舟を進めていくと、まもなく岸にかきあげた砦《とりで》内に建てられた櫓《やぐら》の上部が、霧《きり》の中におぼろに見えてきた。
舟をとめておいて、
「あのてっぺんから五、六尺をねらえ」
と命じて、十分にねらいをつけさせておいて、いっせいに発射させた。
三十八|梃《ちよう》の鉄砲はいっせいに火を噴《ふ》き、すさまじい響《ひび》きを炸裂《さくれつ》させた。同時に、岸にかまえていた味方の兵が鬨《とき》の声を上げて川になだれいる響《ひび》きがした。耳をすますと、はるかに左方でも鬨《とき》の声とざわめきがおこっていた。
覚悟はしていたことであろうが、こうもまぢかにせまって、いきなり多数の鉄砲を撃《う》ちかけられようとは思いもかけなかったのであろう、敵は狼狽《ろうばい》し、あわてて矢を射かけたが、景虎《かげとら》はもう十|間《けん》ばかり下流に位置をうつし、そこから、こんどは敵のさわぎを目あてに射撃させた。敵はますます狼狽《ろうばい》したらしく、さわぎはいっそう大きくなった。景虎《かげとら》はこんどは上流に漕《こ》ぎあがらせ、また射撃させた。こうして霧《きり》の中を上下して位置をかえながら数回射撃をくりかえしているうちに、味方の勢はエイエイ声をあげて近づいてきた。敵の狼狽《ろうばい》は言語《げんご》に絶した。景虎《かげとら》は二十|間《けん》も下流に舟を流し、そこからいっきに岸に漕《こ》ぎつけて上陸し、味方の軍勢の攻めのぼるのを待ち、せりあいがはじまるや、走り寄りざま、また敵を横射《おうしや》した。銃火《じゆうか》は文字《もじ》どおりに敵の右の頬《ほお》を吹いた。こらえられるものではなかった。敵は色めき、どっとくずれたった。
走るのを追って、景虎《かげとら》勢は堤防《ていぼう》の上を城下町まで追いすすんだが、町の中ほどに堅固《けんご》な砦《とりで》がきずいてあって、食いとめられた。
景虎《かげとら》はすこし攻めかけてみただけで兵を引きまとめ、楯《たて》をつきならべて矢防《やふせ》ぎしつつ、味方の隊の集まるのを待った。もうそのころは明けはなれ、霧《きり》もうすらいでいた。
他の二か所にのぼった勢も、多少の抵抗《ていこう》はあったが、おしのぼり、途中の敵を撃破し、九時ごろには両隊とも本隊に合した。
景虎《かげとら》は立てている戦術を固守《こしゆ》するつもりはなかった。このままで押せるならそうなってもかまわないと思っていたが、敵の抵抗《ていこう》はずいぶん頑強《がんきよう》であった。島内いたるところ水田で、攻撃路としては、川にそった堤防《ていぼう》の上か、高みになっているこの城下町の地域しかなく、敵がわにとっては、有利な地形であった。
景虎《かげとら》はほどよく戦って、予定のとおり退却にかかり、くり引きにして、八王子《はちおうじ》に引きあげ、その日のうちに城の東南口の対岸にまわった。この位置は、現在の三条市のある場所である。
その日はもう合戦《かつせん》はしない。川の上下に多数の人を走らせて舟を集めさせたり、付近の民家から縄《なわ》を徴発《ちようはつ》させたり、家をこぼって木材を集めさせたりした。これは夜を徹《てつ》しておこなわれ、夜の明けるころからしだいに集まってきた。ひるごろには数百|艘《そう》の舟が水際《みぎわ》につながれ、河原にはいくつも山にきずくほどの木材が集まった。
景虎《かげとら》は舟橋《ふなばし》をつくらせにかかった。舟を横にならべてつなぎ、左右に杭《くい》を打って固定し、その上に材木を置いていくのだ。はしごも作らせにかかった。長い材木をさがしてきて、横木《よこぎ》を打ちつけ、縄《なわ》でぐるぐると巻いて固定する。それらの作業を、わざと城からまる見えの河川でおこなわせた。
このへんは信濃《しなの》川と五十嵐《いがらし》川の沖積作用《ちゆうせきさよう》によってできた土地で、一帯に低湿《ていしつ》だ。景虎《かげとら》は五十嵐《いがらし》川の堤防《ていぼう》の上に本陣《ほんじん》をかまえ、旗と金扇《きんせん》の馬じるしを立てて、できるだけ目立つようにした。毎夜のように、河原に夜空を焦《こ》がすばかりにさかんなかがり火を焚《た》かせた。
この作業がはじめられた当座、敵はたいして心を動かしたようには見えなかった。工事が中流におよべば、奥山の雪どけ水を集めて増加している水流のためにとうていできはしないとたかをくくっているふうであった。景虎《かげとら》は宇佐美《うさみ》に命じて、杭《くい》を深く打ちこんで堅固《けんご》に工事を進めさせた。
「急ぐことはない。丈夫《じようぶ》に造るを専一《せんいつ》とせよ」
宇佐美《うさみ》はみずから舟を乗りだして、指揮した。
速度はにぶったが、すこしずつ確実に舟橋《ふなばし》はのびた。
城内では動揺《どうよう》しはじめた。櫓《やぐら》や城壁の上に出て、こちらを観察する者の姿が日ごとにふえていくので、それがわかった。
城内の動揺《どうよう》の模様《もよう》を見て、夜討《よう》ちや朝駆《あさが》けをこころみる者も出てきた。その者どもは徒歩《かちだち》や舟で城近く忍《しの》びよっては、土居《どい》にとりついてよじのぼって戦った。各隊ばらばらの動きであり、人数も少ないので、うまくいかず、いつも多少の損害をこうむって撃退されたが、それでも味方の戦意はますますたかまった。なによりのことは、敵がこの方面からの攻撃を重要視しはじめたのだ。城壁の上に姿を見せる敵の数はおびただしいものになった。
決行してもよい情勢になったと判断されたが、おりあしく月が満月に近づき、終夜《しゆうや》月のある夜が続いた。これは計算外のことであった。
(はかりすましたつもりでも、どこかに考え落としたことがあるものだな)
と、苦笑した。
このうえは、満月が過ぎて月の出がおそくなるのを待つよりほかなかった。いまの気象学で言うフェーン現象で、この季節には北陸路《ほくりくじ》はいつも雨の日が少なくて、空の曇るのは期待することができないのである。
ところが、七日目、午後から空が曇りはじめて夜に入って雨が降りだした。ごく少量降っただけでやんだが、空はいぜんとして曇りつづけている。
(どうやら、来たような)
景虎《かげとら》は宇佐美《うさみ》を呼んだ。
「あれを今夜やる。あとをたのむ」
「かしこまりました。お心おきなく」
「鉄砲組を引きつれていく。鉄砲の音が聞こえたら、川中に舟を乗りだし、城に火矢《ひや》を射かけてくれい。さきほどすこしばかり降ったが、この季節だ、あれしきのことではなんの足《た》しにもならぬ。燃えついたら、ひとなめだろうぞ。鬨《とき》をあげることは申すまでもない」
「諸事《しよじ》うけたまわりました。火矢《ひや》はよい方法でございます。これは気づきませなんだ。この季節のこと、たしかに効果がございましょう」
またしても景虎《かげとら》の成長のしるしを見て、宇佐美《うさみ》はうれしげであった。
三
二千の兵をひきいてひそかに陣を撤退《てつたい》して五十嵐《いがらし》川を上流からわたり、遠く南を迂回《うかい》した景虎《かげとら》は、八王子《はちおうじ》口からおしわたった。この方面の備えもまるまる撤去《てつきよ》はされていない。多少の兵はのこしてはあったが、油断《ゆだん》しきっていた。ひとふせぎもせず、あわてふためいてにげちった。景虎《かげとら》はわざと城下町を通らず、その南方の堤防《ていぼう》の上を急進して、いきなり大手《おおて》の門前に出て、いっせいに鉄砲を打ちこませた。
敵は城門をひらいて突出してきたが、戦うまもなく搦手《からめて》口にすさまじい喊声《かんせい》があがると、動揺《どうよう》の色を見せた。
「それ! 敵は退《ひ》き色だったぞ! 追いくずせ! つけいれ!」
景虎《かげとら》はみずから陣頭に立ち、馬を駆《か》けめぐらし、刀をふるって数人を斬《き》った。
敵はくずれたって、算《さん》を乱して門内ににげいった。鬼小島弥太郎夫婦《おにこじまやたろうふうふ》をはじめとして、景虎側近《かげとらそつきん》の豪傑連《ごうけつれん》はつけ入ろうとして追いすがったが、およばなかった。城門はぴたりとしめきられた。
「出てこい。出てこい。おらはおなごじゃぞ。おなごに追われてにげこむことがあろうずことか。三条衆《さんじようしゆう》は恥《はじ》知らずか!」
松江《まつえ》は激怒《げきど》して、なぎなたを杖《つえ》づき、城をあおいでどなった。
城内からは返事はなく、ひんぷんと矢を射かけた。松江はなぎなたを水車に舞わして切りとばし切りおとした。みごとな働きに人々は目を澄《す》まして感嘆《かんたん》したが、景虎《かげとら》は呼びもどし、城内の変化を待った。
待つほどもなく、城内にすさまじいさわぎがおこった。ここからはわからないが、射かけた火矢《ひや》が燃えついたにちがいなかった。
景虎《かげとら》は空をあおいで雲行きを見た。わずかに白《しら》みかけてきた空をおおうている雲は、北にむかって動いている。炎《ほのお》は燃えあがって北方になびくに相違なかった。この城門はその方向の左側にあたる。敵がここになだれ出てくることは必定《ひつじよう》であった。炎《ほのお》に追われて死狂《しにぐる》いになっている敵ともみあっては損害が大きい。
景虎《かげとら》は兵をひきまとめて、位置を堤防《ていぼう》の上にうつした。
「いまに城に火の手が上がり、敵が城門をなだれでてくる。弓と鉄砲で撃《う》ちとれい」
と、景虎《かげとら》がいうまもなく、煙と炎《ほのお》がドッと城内にうずまきあがった。
四
城内のさわぎは城門のきわに近づいてきた。物の破壊される音、物《もの》の具《ぐ》の音、人の怒号《どごう》、すべてがいっしょになって、ぶつかりあい、はねかえしあい、渦巻《うずま》きあい、騒然《そうぜん》また轟然《ごうぜん》たるものとなっているなかに、ときおり女、子供の鋭い悲鳴がつらぬきあがった。
「おれが鉄砲《てつぽう》を撃《う》つをあいずにせよ! それまでは撃《う》つな! 矢を射かけるな!」
景虎《かげとら》が絶叫《ぜつきよう》すると同時であった。ぎしぎしと城門の扉《とびら》があきはじめたが、わずかに二、三尺ひらいたと思うとうすい煙がただよい流れ、その下から人が吹ッこぼれるようにはじけだしてきた。みるみる、煙も人も量をました。もくもくとわきだすようであった。堤防《ていぼう》の上に折敷《おりし》いている景虎《かげとら》勢の前をななめに切れて、城下町の方に流れとなって疾走《しつそう》していく。将士《しようし》らは眼《め》の前を逸走《いつそう》する獲物《えもの》にたいする猟犬《りようけん》のようにはやりたった。景虎《かげとら》は、それを、
「まだだぞ、まだだぞ、まだだぞ……」
とたえず制した。こんな立場にある敵勢の先頭を攻撃すれば、敵勢全部が死狂《しにぐる》いになって戦う。したがって味方の犠牲《ぎせい》も大きくなる。要は主将《しゆしよう》を討ち取ればよいのだ、こんな敵はできるだけ逸走《いつそう》させ、本隊を攻撃するにかぎる。本隊に先だっている勢《せい》はめったに取ってかえして戦いはしない。危地を脱してにげ足だっている兵ほど臆病《おくびよう》になっているものはないのである。味方は敵の本隊とそれにつづく勢だけを相手にすればよいのである。
やがて、本隊が出てきた。馬に騎《の》った女、子供を中におしつつんで、三、四百人の軍勢《ぐんぜい》が出てきた。一人一人がきびしく鎧《よろ》い、手に手に楯《たて》をもち、密集していた。すでに城内の火の手はますますさかんになっている。まっくろな煙と赤黒い炎《ほのお》とが噴《ふ》きあげて、しだいに明るくなってくる空を北になびき流れ、城内は炎《ほのお》と煙に閉ざされきっていたが、その密集部隊はせかずさわがず、粛々《しゆくしゆく》とおしだしてくる。堅固《けんご》な城砦《じようさい》がそのままゆるぎでたようであった。昭田《しようだ》はその先頭に馬を打たせていた。たくましい馬に馬鎧《うまよろい》を着せ、熏革縅《くすべがわおど》しの鎧《よろい》に金の半月《はんげつ》の前立物《まえだてもの》した星白《ほしじろ》の冑《かぶと》をかぶり、左手に楯《たて》をもち、右手に大なぎなたをかいこんでいた。
景虎《かげとら》は手にした鉄砲の火縄《ひなわ》を吹き、銃口を上にむけて引き金を引いた。
おさえにおさえられていた景虎《かげとら》勢はいっせいに鉄砲をはなち、矢を射かけ、鬨《とき》の声をあげた。密集しきった隊に打ちこんだのだ。数人がたおれたが、さわぐ色はない。そのままふりむきもせず進む。
「撃《う》て! 撃《う》て! 撃《う》てい!」
景虎《かげとら》はちぎれんばかりに采配《さいはい》を振った。鉄砲がいくどか火を噴《ふ》き、矢が乱射された。おおかたは楯《たて》にさえぎられたが、それでもその間をくぐって射こまれる矢玉《やだま》にたおれる者もあった。しかし、昭田《しようだ》勢の動きはすこしもかわらない。急がず、せかず、進行をつづける。ここでせりあっても無駄《むだ》、この際としては態度をかえずある距離まで退《ひ》くのが最上の手段と判断しているにちがいないが、圧迫的《あつぱくてき》なほど無感動に見えた。気味《きみ》が悪いほどであった。
景虎《かげとら》はこれを乱すことを必要と思った。
「それ!」
とさけんで采配《さいはい》をふりつつかえりみると、旗本《はたもと》の勇士らはおどりたち、どっとばかりに走りだした。大きく迂回《うかい》して敵の進みがしらをおさえようとするのであった。
こう来ることを、敵は予想していたのかもしれない。ぴたりと停止し、楯《たて》をつきすえた。自若《じじやく》としたものだ。動揺《どうよう》の色はさらにない。腰をすえて戦おうとするはげしい決意が見えた。やがてその楯《たて》の陰《かげ》から矢を射だすに相違なかった。あっぱれであった。
景虎《かげとら》は感心したが、いきなり冑《かぶと》の緒《お》をといてぬぎすてるや、馬腹《ばふく》を蹴《け》って疾走《しつそう》にうつっていた。
「つづけ!」
刀をぬきはなち、たかだかとふりかざし、敵の側面をめがけて突進する景虎《かげとら》のうしろから、全軍がすさまじい喊声《かんせい》とともにつづいた。
二すじ、三すじ、矢がうなりとんでくる。景虎《かげとら》は刀を舞わして切っておとしたが、一瞬《いつしゆん》の後には楯《たて》を蹴《け》たおして敵中に突入していた。敵は総立ちになって槍《やり》で突ッかけ、刀で斬《き》りかかってきた。景虎《かげとら》はひるまない。
「下郎《げろう》ども! 推参《すいさん》!」
髪をさかだてて雷喝《らいかつ》しつつ、縦横に馬を乗りめぐらして斬《き》ってまわった。
景虎《かげとら》につづく勢、進路にまわった勢が、どっとおめいて突入してきた。たちまち大混戦になった。
「昭田《しようだ》常陸《ひたち》はどこだ! 出あえ! 喜平二景虎《きへいじかげとら》だ!」
景虎《かげとら》は馬を乗りめぐらしてさけんだ。
その景虎《かげとら》の横から暴風の吹きつけるように、昭田《しようだ》は馬を駆《か》けよせてきた。馬鎧《うまよろい》がザワッと鳴り、馬の前あしが宙に上がったかと思うと、
「昭田《しようだ》常陸《ひたち》でござる! 見参《げんざん》!」
と絶叫《ぜつきよう》し、片手なぐりに大なぎなたをうならせた。
「心得《こころえ》た!」
ふりかえりざまにはねのけ、まっこうから斬《き》りおろしたが、その時二人の馬ははげしくぶつかってまたわかれていた。景虎《かげとら》の刀は流れた。
景虎《かげとら》の馬廻《うままわ》りの勇士らがはせ集まってきた。
「殿《との》! もったいなし!」
とさけびながら、昭田《しようだ》にいどみかかろうとする。
「手出しするな! これは逆臣《ぎやくしん》だ! おれが成敗《せいばい》する!」
叱咤《しつた》してしりぞけた。
双方《そうほう》、馬をはせちがえ、はせちがえ、斬《き》りあった。馬上の片手使いの刀法《とうほう》だ。精緻《せいち》なことはできない。はせちごう瞬間《しゆんかん》に渾身《こんしん》の力をこめてなぐり斬《き》るだけのことだ。
昭田《しようだ》はこの時七十余歳、数合《すうごう》の後、刀法《とうほう》が乱れてきた。半月《はんげつ》の前立物《まえだてもの》を斬《き》りけずられ、肩にうす傷《で》を負うと、敵せずと見たのであろう、そのまま馬足を飛ばして味方の陣中に走りこんだ。
「きたなし、返せ!」
景虎《かげとら》は腹を立て、追いすがろうとしたが、敵勢がその前に立ちふさがり、昭田《しようだ》は早くも中陣《ちゆうじん》に乗りつけた。
そこには昭田《しようだ》の家族らが腹心《ふくしん》の手兵《しゆへい》らにまもられて立ちすくんでいた。妻や嫁《よめ》や孫たちである。昭田《しようだ》は家族らを追いたてるようにして、城門の方に引きかえした。門内には煙と炎《ほのお》が渦巻《うずま》きかえっている。昭田《しようだ》はそこに追いいれようとする。いやであったにちがいない。女、子供らの悲鳴がおこったが、昭田《しようだ》の説得《せつとく》がきいたのか、威迫《いはく》されたのか、ぴたりと悲鳴を絶ち、ひとかたまりになって駆《か》けこんだ。昭田《しようだ》も馬から飛びおりて走りこんだ。門扉《もんぴ》がゆっくりと閉ざされた。炎《ほのお》の中に自殺して最期《さいご》をいさぎよくするためにちがいないと判断された。
こうなっては、昭田《しようだ》勢には戦う気力はない。四分五裂《しぶんごれつ》にくずれたち、景虎《かげとら》勢の圧迫《あつぱく》するままに北方にむかって潰走《かいそう》していった。
兵らは思い思いに追撃していったが、景虎《かげとら》は動かず、門にむかって合掌《がつしよう》していた。火が呼んだのであろう、強い風が出て、炎《ほのお》も煙も北になびいているが、熱気は城門から十|間《けん》余もはなれている景虎《かげとら》までとどき、顔が熱かった。景虎《かげとら》の耳の底には中途で絶えた女、子供らの悲鳴がのこっている。
(昭田《しようだ》が逆心《ぎやくしん》の報いとはいえ、女、子供になんの罪《つみ》があろう。あわれなことをした。南無頓証菩提《なむとんしようぼだい》、南無頓証菩提《なむとんしようぼだい》……)
が、その時、また城門の扉《とびら》が内から動きはじめた。はっとして目をすましていると、わずかに片扉《かたとびら》が尺ばかりあいたすきまから噴《ふ》きだしてくる黒い煙とともに、まろびでるようにして出てきた人影《ひとかげ》があった。
具足《ぐそく》はつけていない。鎧下着《よろいしたぎ》だけだ。まっしろな髪をふりみだしている。腰に刀を帯《お》び、手になぎなたをたずさえている。きょときょととあたりを見まわし、その目が景虎《かげとら》と合うと、立ちすくんだようであった。昭田《しようだ》であった。
怒《いか》りが景虎《かげとら》の全身にみなぎった。
「それで男か!」
怒号《どごう》して、馬を駆《か》けよせた。
昭田《しようだ》は反《そ》れてにげようとしたが、追いすがった。昭田《しようだ》はふりかえりざまなぎなたの柄《え》を引いてなげつけた。刀をあげてからりとはねとばし、追いついて斬《き》りおろした。左の肩から右のあばらにかけて、刀は十二分に割りつけた。
五
こうして三条《さんじよう》はおちた。城は灰燼《かいじん》に帰したが、景虎《かげとら》はすぐに仮り小屋を建てさせ、新付《しんぷ》の豪族山吉豊守《ごうぞくやまよしとよもり》を城代《じようだい》としてさしおき、いちおう栃尾《とちお》に引きあげた。これまで三条城の支配していた地域の民政上《みんせいじよう》の事務があるので、急には春日山《かすがやま》に凱旋《がいせん》するわけにはいかないのであった。
ほぼ一月たって、五月はじめ、春日山《かすがやま》から急使が来た。府内《ふない》の上杉定実《うえすぎさだざね》が急病におかされ、重態《じゆうたい》だというのである。
「つい数日前にお風邪《かぜ》を召され、これは二、三日で軽快されたのでありますが、お床《とこ》ばらいが早すぎたのでありましょう、ぶりかえしたのでございます。こんどはお咳《せき》がひどいだけでなく、お熱が高く、みるみるご衰弱《すいじやく》で、この分ではいつお大事になろうもはかられぬと、お医者殿も申すのでございます」
長尾《ながお》一族にとって、上杉定実《うえすぎさだざね》は主人である。為景《ためかげ》の代から実力のない名義だけの主人というにすぎなくなってはいるが、主人は主人である。そのうえ、景虎《かげとら》には終始|好意《こうい》をもってくれた人である。兄との争いで、景虎《かげとら》が兄殺しにならずにすんだのはすべて定実《さだざね》の尽力《じんりよく》によるといってもよい。姉聟《あねむこ》でもある。
景虎《かげとら》は旗本《はたもと》の豪傑連《ごうけつれん》だけを引きつれて、大急ぎで帰途につき、府内《ふない》まで帰りつくと、春日山《かすがやま》へは入らず、旅装のまま府内館《ふないやかた》を訪れた。
姉が出てきて応対し、病室に案内した。
定実《さだざね》はおそろしく衰弱《すいじやく》し、また老《ふ》けていた。出陣の暇乞《いとまご》いの時にはほんのすこし白いものがまじっているだけであった髪はほとんどまっしろになり、やせおとろえて土気色《つちけいろ》になった皮膚にはしわがいっぱいたたんでいた。まだ五十にはならないはずであるが、七十・八十の老翁《ろうおう》のようになっていた。
「もういかぬわ」
笑いとも見えぬ笑いを浮かべて、言った。はげしくいきがはずみ、たったこれだけのことを言うのに、やせた肩が波打った。
「いやいや、まだお若いのであります。ご気力をふるいおこしてくださいますよう」
「熱がさがらぬので……おお、そうじゃった。会えたうれしさに、かんじんなことを忘れていた。怨敵退治《おんてきたいじ》できて、めでたいの。これで、これで、越後一国平均《えちごいつこくへいきん》じゃのう。ようやった、ようやった……」
「みな、お館《やかた》のおかげであります」
「……なんの、なんの、そなたの武略《ぶりやく》によってじゃ。ようやる。……手をかせ。そなたの手をにぎりたい」
枯《か》れ木のような手であった。景虎《かげとら》は自分の手がわかわかしく力にみちてはりきっているのがもうしわけないような気がした。定実《さだざね》はしばらく景虎《かげとら》の手をつかんでいた。まるで力のこもらないつかみようではあったが、その細い手は焼けつくような熱をもっていた。
しばらく付きそっているうちに、定実《さだざね》はうとうとと眠りに入った。わかわかしい生気《せいき》にあふれた身には、心とは別に、この陰気《いんき》な病室の気分はうっとうしくてならない。看病の侍《さむらい》らに目くばせし、足音をしのばせて病室を出た。
外はさわやかな初夏だ。明るく日が照り、こころよい風が緑の木にそよぎ、空に白い雲が浮いている。景虎《かげとら》は庭下駄《にわげた》をつっかけて庭におりたった。泉石《せんせき》のほとりを歩きながら、新鮮《しんせん》な空気を胸いっぱいに吸いいれ、はきだしていると、姉の侍女《じじよ》が来た。
「北《きた》のおん方《かた》様がお茶をさしあげますゆえ、おいでくださるようにとおおせられます」
「うむ」
女のあとから、庭づたいに行った。
美しい女中だ。やや大柄《おおがら》なからだで、ぬけるように色が白い。先に立って、小走りに飛び石の上を行くうしろ姿の腰のあたりのこんもりとした隆起《りゆうき》が、微妙《びみよう》なゆれを見せている。胸のうずくようなものが感ぜられ、あわてて目をそらすと、根本《ねもと》を結《ゆ》わえて背中に垂らした黒い髪の両わきに首すじが見えた。すこし青みをおびた、しみ一つない白くなめらかな首すじだ。ドキリとしては、はげしく胸がさわいだ。景虎《かげとら》はまた目をそらした。
その時、どんな心の作用であろう。景虎《かげとら》は胸の奥にうすやみの中の大きく白い花のようにゆれている人の姿があるのを感じ、すぐそれは琵琶島《びわじま》城でのさまざまな追憶《ついおく》に入れかわった。
しばらくの後、景虎《かげとら》は姉と対座していた。姉の居間《いま》であろうか、書院づくりの二間《ふたま》つづきのひろい座敷である。明けわたして、明るい外光にみたされ、さわやかな微風《びふう》がかおりわたっている。
「おいそがしいことであったろうに、よう帰ってきてくれましたの。おかげで心細さがすくわれました」
姉はうちとけて、くつろいだ態度であった。姉は発病の時のことや、病勢の変化のことを語って、
「しょせんはもういけますまい。定命《じようみよう》ですの」
と言った。
「そんなことはありますまい。衰弱《すいじやく》はしておられますが、それでどうということは、わたくしには感じられませなんだ」
景虎《かげとら》はうそを言っているつもりはないが、人はおのれにないものを感ずることができない。みずからのうちに善をもたない者は人の善を感ずることができず、偉大さをもたない者は他の偉大さに無感動であり、神をもたない者は神を信ずることはできない。生命力にあふれている景虎《かげとら》には、定実《さだざね》に忍びよりそのまわりをこめている死を感ずることができないのであった。
「そう言うてたもるのは、わたしを慰《なぐさ》めてくれようとでありましょうが、そんなに気をつこうてたもらんでもよい。わたしにはもうわかっています。覚悟もできています。ただ、一人も子供ができなんだのが、かえすがえすも心のこりでありますが、これも運命《さだめ》であればいたしかたないことです」
うすく涙ぐんではいるが、すこしも昂奮《こうふん》の色はない。すずしく心が定《さだ》まっているすがたであった。
景虎《かげとら》は強く心を打たれた。
ふと、衣《きぬ》ずれの音が、うしろの縁側《えんがわ》の方におこった。なにげなくふりむいてみると、若い娘が、茶碗《ちやわん》をささげてくるのであった。
まえの侍女《じじよ》ではない。もう二つ三つ年上だ。二十一、二であろうか。あの侍女《じじよ》も美しかったが、これはまたずばぬけて美しい。小柄《こがら》で、細面《ほそおもて》で、名工《めいこう》が美玉《びぎよく》に彫《ほ》りおこしたように端正《たんせい》で高雅《こうが》な顔と姿をもっている。
しとやかに入ってきて、茶碗《ちやわん》を景虎《かげとら》の前におき、すこしすざって、つくづくと景虎《かげとら》を見ている。遠慮《えんりよ》のない、親しげな目つきだ。
景虎《かげとら》はほおのあたりがすこしばかり熱くなった。どうしてこの娘はこんな目で自分を見るのだろうと、いぶかしく思いながら、
「いただきます」
と言って、茶碗《ちやわん》をとりあげ、作法《さほう》どおりに喫《きつ》した。
「よい服加減《ふくかげん》であります」
と、姉にともなく、娘にともなく言った。
「もっとあげましょうかえ」
「いいえ、もうけっこうです」
姉は微笑《びしよう》して、二人を見くらべていたが、その微笑《びしよう》をひそめて、景虎《かげとら》を見つめて言う。
「喜平二《きへいじ》殿や、そなた、これがだれであるか、ご存じないかえ」
「存じません」
「そなたのよく知っている人ですよ」
「えッ?」
景虎《かげとら》はふりかえって凝視《ぎようし》した。娘は大胆《だいたん》に微笑《びしよう》して、見かえしている。まるでおぼえはなかった。
「存じませんが、だれでありましょうか」
「そうねえ。ご存じないでありましょうね。大名の家というものは、しもじもの家のようでない。家族でありながら、家族としての親しみがないうえに、そなたはおさない時から家をはなれていやったのでのう」
姉はなげくように言って、眼《め》がしらを袖口《そでぐち》でおさえて、それから、
「これはそなたの二つ上の姉、お綾《あや》です」
と言った。
「えっ!」
景虎《かげとら》はふりかえった。凝視《ぎようし》した。
みるみる、娘の美しい目に涙があふれて、白いほおをつたった。
景虎《かげとら》の目にもさしのぼってくる熱いものがあった。
「お綾姉《あやねえ》さまか……」
「会いたかった!」
お綾《あや》は涙をおさえ、きれぎれな声で言う。
「わたしは、いくどかそなたをよそながら見ました。……しかし、そなたは知りますまい。……会いたかったわのう……」
追想曲《ついそうきよく》
一
お綾《あや》の母は為景《ためかげ》の侍女《じじよ》であった。生母《せいぼ》が卑賤《ひせん》であれば、その子は一格《いつかく》下の者としてあつかわれる。それが貴族《きぞく》――公卿《くぎよう》や大名の家の習慣であった。たとえ父が生母《せいぼ》に深い愛情をもっていても、そのために公式の待遇《たいぐう》まであらためることはできない。そんなことをしては、家臣《かしん》らが納得《なつとく》しないのであった。お綾《あや》は為景《ためかげ》の他の子供らと同じようには待遇《たいぐう》されなかった。為景《ためかげ》の死んだ後はいっそうであった。為景《ためかげ》のあとをついで春日山長尾《かすがやまながお》家の当主となった晴景《はるかげ》は、自分の快楽だけをもとめて弟妹らのことはまるで考えなかったのだ。長姉である定実《さだざね》夫人はあわれんで、お綾《あや》を引きとって自分の手もとで育てることにしたのである。
こういう姉のいることは、景虎《かげとら》も知らないではなかったが、これまではほとんど考えたことはなかった。おさなくして父に勘当《かんどう》されて他人の家で育った身は、自分のことだけでせいいっぱいであった。
二人には共通の思い出がぜんぜんない。せいぜい父に関する記憶《きおく》くらいのものであるが、それとて、共通の場においてのものはない。そのうえ、二人とも父をえらい人であったとは思っても、なつかしさはもたない。父に愛せられた思い出は二人にはないのである。
話はすぐに尽《つ》きて、しらじらとしたむなしさが座をしめた。お綾《あや》はあいさつしてさがっていった。
そのあとで、姉は言った。
「あの年までどこへも嫁《とつ》がず娘でいやるのを、そなたいぶかしく思うてであろう。しかし、それはわたしが悪いのではない。弾正《だんじよう》殿のせいです。あの人はお知りのとおりの人柄《ひとがら》ゆえ、わたしが、お綾《あや》も年ごろゆえ、しかるべき縁辺《えんぺん》を見つけてくだされといくども言うたのですが、そのたびに心得《こころえ》ていますと返事しやるだけで、とんと身を入れては心配なさらなんだわの。そなたはこんど家督《かとく》をつがれたうえに、国内も平均《へいきん》に帰したことなれば、ぜひあの人の身のおちつきを考えてください。たのみますぞえ」
「承知しました。かならずともによい人に縁づいてもらいましょう」
と、景虎《かげとら》は答えた。軍事については十分な自信があるが、こんなことはどんなぐあいにして運べばよいものか、まるでわからなかった。しかし、この際としてはこう答えるよりほかはない。大きな家の当主となれば、軍事上や政治上のことのほかに、いろいろなつとめがあるものだと思った。
景虎《かげとら》は府内館《ふないやかた》にとどまって看病《かんびよう》をつづけていたが、どうやら定実《さだざね》の容態《ようだい》がもちなおしたように見えたので春日山《かすがやま》にかえり、国内はもとより近国の諸豪族《しよごうぞく》らに、国内の平均《へいきん》を告げた。この時京の足利《あしかが》将軍にも、関東管領《かんとうかんれい》の上杉憲政《うえすぎのりまさ》にも、家督《かとく》を相続し、逆賊《ぎやくぞく》を討平《とうへい》したことを上申《じようしん》した。景虎《かげとら》の武勇絶倫《ぶゆうぜつりん》はいまはもう疑うべくもない。将軍も、管領《かんれい》も、その相続を承認し、国内の平定を祝ってくれた。近隣の豪族《ごうぞく》も賀使《がし》を送った。国内の豪族《ごうぞく》らはいうまでもない。これはみずから春日山《かすがやま》に出頭して祝辞をのべた。
ただ一人、上田《うえだ》の長尾房景《ながおふさかげ》が調子が違った。祝いは言ってくれたが、自分では来ない。むすこの政景《まさかげ》もよこさない。家来に祝辞と贈《おく》りものをもたせてよこしたのだ。
房景《ふさかげ》は去年の冬|晴景《はるかげ》が栃尾《とちお》城に景虎《かげとら》を攻めた時、晴景《はるかげ》の催促《さいそく》に応じて出陣し、鯖石《さばいし》川の河原で景虎《かげとら》と戦った。この時|晴景《はるかげ》は房景《ふさかげ》の苦戦に陥《おちい》ったのを救わなかったので、房景《ふさかげ》は怒《おこ》って、暇《いとま》も乞《こ》わず上田へ引きあげてしまった。うわさによると、この時の出陣に、房景《ふさかげ》は気が進まなかったのを、晴景《はるかげ》はたびたび懇望《こんもう》の使者をおくって口説《くど》いたので、おして参加したのだというが、とにかくも景虎《かげとら》の敵として立ったのだ。その景虎《かげとら》が春日山《かすがやま》の当主となったとあってはおめおめと顔を出しにくい気持ちはあろうが、晴景《はるかげ》と景虎《かげとら》との妥協《だきよう》が成立して、いちおう円満に家督《かとく》の授受《じゆじゆ》があったのだ。いつまでもこだわっていることはないのである。すでに晴景《はるかげ》に味方していた諸将も、三条《さんじよう》方であった豪族《ごうぞく》らも、ゆきがかりを忘れて帰服している。まして、上田|長尾《ながお》家は春日山長尾《かすがやまながお》家のもっとも近い一族だ。房景《ふさかげ》は為景《ためかげ》の弟なのである。あってしかるべきことではない。
「なにかある」
景虎《かげとら》は気にしないわけにいかなかった。
まもなく、一時もちなおしていた病勢が激変して、定実《さだざね》が死んだ。
葬儀《そうぎ》は盛大におこなわれ、豪族《ごうぞく》らはみなみずから会葬したが、上田からはまた家臣《かしん》を名代《みようだい》としてよこし、父子いずれも来なかった。
「なにかある」
と、また考えた。
いろいろと考えたすえ、達したところはもっとも深刻な疑惑《ぎわく》であった。
「上田は晴景《はるかげ》と密約したことがあるのではないか。晴景《はるかげ》には子供がない。晴景《はるかげ》百年の後には、守護代職《しゆごだいしよく》を政景《まさかげ》にゆずるという密約だ。密約は晴景《はるかげ》が自分を栃尾《とちお》に討伐《とうばつ》しようと計画した時におこなわれたろう。房景《ふさかげ》がたびたびの催促《さいそく》にも渋《しぶ》って応じようとしないので、晴景《はるかげ》はこの好餌《こうじ》をもって説得《せつとく》したのではないか。もっともありそうなことと思える」
と、考えたのだ。
もしそうであったとすれば、景虎《かげとら》の家督《かとく》相続、したがって守護代《しゆごだい》相続、さらにまた三条城攻略によっての国内平定、いずれも房景《ふさかげ》父子の喜びそうもないことだ。かならずや晴景《はるかげ》の違約《いやく》を怒り、景虎《かげとら》の相続に不平を抱き、このうえは力をもって奪取《だつしゆ》するよりほかはないと、覚悟を新たにしているにちがいないのである。
こんなことを、晴景《はるかげ》に聞いてみるわけにもいかなかった。聞いたところで晴景《はるかげ》が本当のことを言うはずはなく、さんざんいやな思いをして聞きだしてみたところで、結果はかえって悪くなるにきまっている。敵であることがはっきりした以上は、他への見せしめ上、断乎《だんこ》たる処置をとらなければならなくなるのだ。この際としては知らんふりで、他の方法で解決をつけたい。兄と争って間《ま》がないのに、また近い同族と争うことはいやであった。世間《せけん》でもよく言わないにきまっていた。人の上に立つものは、とりわけすでに越後《えちご》一国の旗頭《はたがしら》となった身には、世間《せけん》の評判はとくに大切であった。衆望《しゆうぼう》がみずからの力の少なからぬ部分をしめる地位になっていることを、よく知っていた。
こんな際の相談相手としては、宇佐美定行《うさみさだゆき》よりほかにはなかった。数日の思案の後、供廻《ともまわ》りも少なく、琵琶島《びわじま》城へ行った。
二
前ぶれのない訪問であったので、琵琶島《びわじま》城の門番はおどろいてみちびきいれ、奥へ知らせたが、当の定行《さだゆき》はいつもとかわらない物静かな表情で、途中に出迎えた。
「お知らせくだされば、お出迎えいたしましたものを」
と言いながら、少ない従者《じゆうしや》を見まわした。
「急な思い立ちで、そのひまがなかった」
「さようでございますか。ともあれ、うれしいことでございます」
客殿《きやくでん》に通ると、景虎《かげとら》はすぐ言った。
「そちの知恵《ちえ》を借りにきた」
「上田《うえだ》のことでございましょう」
声が低くなった。微笑《びしよう》していた。
打てばひびくような定行《さだゆき》のこたえに、景虎《かげとら》はおどろきもしたが、うれしくもあった。
「そうだ」
「国内|平均《へいきん》の祝儀《しゆうぎ》にもお使者だけ、このたびの府内《ふない》のお屋形《やかた》のご葬儀《そうぎ》にもご名代《みようだい》だけ、手前《てまえ》も案じていまして、じつはご葬儀《そうぎ》にまいった時、申し上げようかと思ったのでございますが、いずれは殿《との》からお話があるであろうと、さしひかえてかえってきたのでございます」
「そうか、そうか」
「それで、このことを弾正《だんじよう》様にお話しになりましたか」
「話さぬ。話してみたところで、せんないことだ」
定行《さだゆき》はほっとした表情になった。
「それはようございました。つきとめて、かえってぬきさしならぬことになるということもございますからね。この際としては、むこうがこちらにたいらかならぬものを抱いているということを知っていれば十分であります。そのたいらかならぬものを解く方法がないわけではございませんから」
いつものことだが、定行《さだゆき》の智略《ちりやく》は早川の水の流れるようにさらさらと解いていく。うれしかった。
「あるというのか、方法が」
と、乗りだした。
「ございますとも」
「戦《いく》さにするというのではなかろうな。同族との戦いは、もういやだぞ」
「もちろんでございます。そのためのくふうでございます」
「教えてくれい。おれはいく日も考えたが、くふうがつかんのだ」
茶がもってこられた。定行《さだゆき》はみずから受けとって景虎《かげとら》にすすめ、自分も喫《きつ》して、家来にかえし、引きとらせてから言う。
「このまえのご葬儀《そうぎ》の際、お屋形《やかた》様の北《きた》の方《かた》に添《そ》うて、美しい姫君《ひめぎみ》のいらせられるのを、はるかにこちらから拝しまして、どなたであろうと、人にたずねましたところ、それは殿《との》のお姉君《あねぎみ》お綾御料人《あやごりようにん》でございました。てまえ、まるで忘れておりましたが、なるほど、故《こ》信濃守《しなののかみ》様にそういう姫君《ひめぎみ》がおられたわと、思い出したのでございます」
悠々《ゆうゆう》とした話しぶりだ。景虎《かげとら》はいらだった。
「おれも、お屋形《やかた》のご急病の由《よし》を聞いて栃尾《とちお》から急ぎ立ちかえった時、はじめて会っておどろいたのだ。そんな姉御《あねご》がいることを知らんではなかったが、思い出すこともなかったのでな。あの姉御《あねご》のことについては、上の姉御《あねご》に言われたこともあって、そなたに相談したいこともあるが、さしあたっては上田のことを聞きたい。方法というのを聞かせてくれい」
定行《さだゆき》は笑った。
「はは、てまえはその話をしているのです」
「え?」
「上田の政景《まさかげ》殿は、先年|奥方《おくがた》をなくされて、その後やもめであります。さいわいお子方もおられませぬ。後添《のちぞ》いではあっても、初婚《しよこん》とかわりはございません。良縁《りようえん》でございます。お綾《あや》様をお縁《えん》づけなさるがようございます」
ここまで言われて、景虎《かげとら》もわかった。うかつなことではあるが、万人にすぐれた知恵才覚《ちえさいかく》があっても、やっと二十《はたち》という若さの人生経験であるうえに、いまだに女を知らない景虎《かげとら》だ。無理もないことであろう。
「ああ、そうか」
と言った。声の調子に失望のひびきに似たものがあった。
「お気に召しませんので……」
景虎《かげとら》は答えなかった。気に入らないというより、気が重かった。結婚を政略のために使うのはよくあることだ。豪族《ごうぞく》といわれるほどの家ではもっともふつうのことと言ってよい。しかし、景虎《かげとら》には男としてそれは好《この》もしくないことのような気がする。さわやかさがない。陰湿《いんしつ》な心、陰険《いんけん》な行動は、もっとも彼の好《この》みに合わないものだが、政略結婚にはそれがある。そのうえ、彼は自分と同じように父にも兄にも愛せられずきた姉に特別な同情がある。もっとも幸福な結婚をさせたいと思っているのだ。
「お気に召さぬようでございますね」
「ほかに方法はないじゃろうか。おれは気が進まぬ」
景虎《かげとら》は重い調子で言った。おさない表情になっていた。
定行《さだゆき》は微笑《びしよう》した。
「そうおおせられるお気持ちはわかるような気がします。殿《との》はこの策《て》が男らしくないのが、まずお気に召さぬのでありましょう。次にはお綾《あや》様にはもっとよいご縁づき先をと思うていらせられるのでありましょう」
鏡にうつすよりもはっきりとこちらの胸中を見ているのにおどろきながらも、景虎《かげとら》はうなずいた。
「そうだ。そのとおりだ」
定行《さだゆき》はまた微笑《びしよう》した。
「殿《との》のそのお心はまことに尊いものではございますが、いささか狭《せま》いご量見《りようけん》のように拝します。お年が若いためでございます。上田は殿《との》のもっとも親しいご一族でございます。これと縁組《えんぐみ》して、いっそうの親しいなかとなるのが、どうして男らしくないことでございましょう。上田を図《はか》る陰謀《いんぼう》がこちらにあるなら、それは男らしからぬことでありますが、よもそうではありますまい。上田になにかの陰謀《いんぼう》がありそうに見えるゆえ、それを封じて一族としての親しみをとりかえし、なお増そうというのでございましょう。もっとも道にかなったことでございます。男らしいとか女々《めめ》しいとかで律《りつ》すべきこと以上のことでございます。そうとはおぼしめされませぬか。第二にお綾御料人《あやごりようにん》はこれによってお幸《しあわ》せにこそなれ、けっして|いけにえ《ヽヽヽヽ》になられるのではございません。殿《との》は上田をはかって滅《ほろ》ぼそうなどと思うていらせられるのではないのでありますから。末《すえ》長くお栄えになることはまちがいのないことでございます。ただ一つの難点《なんてん》はお年がすこしちがいすぎることでございます。お綾《あや》様はやっと二十二というのに、政景《まさかげ》殿は三十七におなりの由《よし》でございます。ひとまわり以上もちがっています。しかしながら、お綾《あや》様は婚期《こんき》を遠くすぎておられます。小身《しようしん》の豪族《ごうぞく》なら、お似合いの年ごろの家にお縁づきあそばすことができるかもしれませんが、お似合いの身上《しんしよう》の家へはむずかしゅうございます。ことさら、先刻も申しましたように、政景《まさかげ》様はまえの奥方《おくがた》との間にお子たちもありません。いまのお綾《あや》様としてはもっともお似合いのお縁組《えんぐみ》ではございますまいか」
微笑《びしよう》は消していた。かわらない平静な表情ではあったが、定行《さだゆき》は熱心に説いた。
景虎《かげとら》はついにその説得《せつとく》に服した。
「よくわかった。おれの心に暗いものがあるためにこだわりが生じたのじゃな。上田に異心《いしん》を抱きさえせねばよいのじゃな」
と、言った。すがすがとした気持ちであった。
「おわかりいただきましたか。これでお家は万代《ばんだい》でございます」
と定行《さだゆき》はよろこんだ。
「ところで、この橋渡《はしわた》しじゃが、だれというよりそなたがしてくれぬか。老体《ろうたい》、大儀《たいぎ》であろうが」
しかし、意外にも定行《さだゆき》は首をふった。
「てまえではいけませぬ。てまえは策謀《さくぼう》の多い人間と世の人に思われています。あらぬとりこし苦労を先方にさせましょう。これは殿《との》おんみずからの思い立ちとして、ご側近《そつきん》の者をおつかわしになるがもっともよろしゅうございます」
「なるほど」
また一つ学んだ気持ちであった。智略縦横《ちりやくじゆうおう》の名をうたわれることは、けっして大をなすゆえんではないという教訓。
その夜は、琵琶島《びわじま》城に泊まった。
軽く定行《さだゆき》と一酌《いつしやく》し、晩餐《ばんさん》をともにした後、景虎《かげとら》は縁側《えんがわ》に出て、微風《びふう》に吹かれていた。もう暑いのである。空には七日ばかりの月があった。その月をあおぎながら、景虎《かげとら》はいつかこの城に泊まった時、乃美《なみ》の吹く笛《ふえ》の音《ね》にさそわれて、その住まいに行ったことを思い出した。栃尾《とちお》で最初に旗あげした年の翌年の秋であったから、十六だったのだ。
(あの時、おれは狛《こま》ノなにがしとかいう旅の楽人《がくじん》から乃美《なみ》がもろうたという笛《ふえ》を見せてもらったな。それからいろいろな話のすえ、乃美《なみ》が戦《いく》さ好きになってはいかんと言うたのに腹を立てて、どなりつけてかえったのであった……)
おさなかった自分がほほえましかった。あのころは行きたいと思えばさらさらと行けたのに、おとなとなったいまは、そう無邪気《むじやき》にはふるまえないと思った。切《せつ》なさに似たものがあった。府内館《ふないやかた》で姉の居間《いま》に案内してくれた女中のなまなましいほどに白い肌《はだ》の首すじと、ゆれうごく腰とが、まざまざと目の前に見える気がした。呼吸《いき》がはずんできた。
「ばかな! おれはなにを考えているのだ!」
自分をしかるように胸のうちでつぶやいて、半分かけた月を見上げた時、笛《ふえ》の音《ね》が聞こえてきた。
軽快で、ひょうげた曲だ。あの夜の曲だ。
(おれに聞かせるためだ!)
一時に全身の血がわきたち、熱くなり、立ちあがりかけたが、けんめいな努力でそれをおさえ、にらむように月を凝視《ぎようし》しつづけた。
三
春日山《かすがやま》にかえった景虎《かげとら》は、長姉《ちようし》とお綾《あや》に話をした。二人とも異存《いぞん》はなかった。そこで、金津新兵衛《かなづしんべえ》を使者にして上田《うえだ》につかわしたが、数日の後帰ってきた新兵衛《しんべえ》の復命《ふくめい》は思わしいものではなかった。
「うけたまわりおきます。いずれのちほどご返事の使いを差したてますれば、いちおうお引きとりいただきたい」
と、言ったというのだ。
そっけないことばだ。ことわるつもりに相違ないと思われた。
ふつうならよろこんで承諾《しようだく》すべきこの申しこみをことわるというのは、よほどの計画を抱いていればこそのことと思ってよい。大急ぎで縁談を成立させる必要があった。そうすることによってしか、計画を解消させる術《すべ》はないのである。
景虎《かげとら》はみずから上田に行くことにした。
側近《そつきん》の豪傑連《ごうけつれん》はみなとめた。彼らもまた房景《ふさかげ》父子の態度に不安をもたずにはいられないのであった。
「だまれ! おれがためには叔父御《おじご》であり、いとこだ。ことさら、武名《ぶめい》の高い人々だ。腹黒いことをしようはずはない。おれは信じて行くぞ」
と言いきった。
おそろしい勢いで言われて、豪傑連《ごうけつれん》もこのうえはとめかねたが、そろって供《とも》をねがいでた。いのちがけの覚悟を見せてのねがいだ。こばみかねた。
「よろしい。連れていく、自儘《じまま》なことはいっさいゆるさんぞ」
と、きびしく申しわたしてゆるした。
春日山《かすがやま》から上田まで二十四里ある。急げば二日で行けるが、三日かけて行った。二日目の泊まりであった十日町《とおかまち》から、鬼小島弥太郎《おにこじまやたろう》を使者に立てて、明日|貴地《きち》に到着すると知らせてやった。
その翌日、まだ朝の間に信濃《しなの》川にそうた中魚沼《なかうおぬま》盆地と魚沼《うおぬま》川にそった南魚沼《みなみうおぬま》盆地をへだてる八箇峠《はつかとうげ》をこえたが、そこに政景《まさかげ》が迎えに出ていた。
四
いたるところに蝉《せみ》の声の満ちている緑の山路《やまじ》を、主従はとことことのぼっていく。人は馬上だし、ときおり谷からすずしい風が吹きあげてくるので、そう暑くはなかったが、馬は全身に汗を流していた。
「もうすぐじゃ。峠《とうげ》についたら休ませてやるでな。飼糧《かいば》もやるぞ」
主従ともにときどき馬上に身をかがめ、馬の平首《ひらくび》をたたいていたわりながらのぼった。馬はびっしょりぬれており、毛の底がうんと熱かった。
やっと峠《とうげ》のまぢかまで来た時、
「おーい」
と上から呼ぶ声が聞こえた。
見上げると、坂の下り口の大きな赤松の陰《かげ》に馬をとめて、しきりに手を振っている者がある。鬼小島弥太郎《おにこじまやたろう》であった。赤黒い顔に、歯だけがまっしろに浮きたって、うれしげに笑っている。こちらも笑って、
「おーい」
と手を振ってこたえた。
弥太郎《やたろう》は手綱《たづな》をかいくって、小駆《こが》けに駆《か》けさせて下りてきて、景虎《かげとら》の前に来ると、ひらりと飛びおりた。景虎《かげとら》をあおいで、
「政景《まさかげ》様がこの峠《とうげ》までお出迎えであります」
と言った。
だいたいそんなことだろうと予想していた。
「そうか」
うなずいて、そのまま馬を進めた。
峠《とうげ》はやや広い平地になっている。ブナだ、クヌギだ、栗《くり》だ、というような闊葉樹《かつようじゆ》がすずしげな木陰《こかげ》をつくっていた。政景《まさかげ》はその青い木陰《こかげ》に馬をつなぎ、床几《しようぎ》に腰をおろしていた。烏帽子《えぼし》に素袍《すおう》の姿だ。従者らは直垂姿《ひたたれすがた》で、左右にすわっていた。
坂をのぼり切ると、景虎《かげとら》の目はしぜんにそこにむいた。政景《まさかげ》だな、と思った。軽く会釈《えしやく》を送って、馬をおりた。
政景《まさかげ》は会釈《えしやく》をかえすと、立ちあがって、つかつかと近づいてきた。
「喜平二《きへいじ》殿ですな」
「越前守《えちぜんのかみ》殿か」
二人はむかいあった。双方《そうほう》とも微笑《びしよう》していた。
二人はいとこどうしではあるが、はじめて会うのであった。この時、政景《まさかげ》は三十七歳、すでに中年である。長身ではあったが、骨骼《こつかく》はたくましい。あさぐろい肌《はだ》の血色《けつしよく》がよく、高くあがった濃《こ》いまゆをもち、切れ長で大きく鋭い目をもっていた。いったいに壮強《そうきよう》で、男性的で、悍馬《かんば》を見るような感じであった。年はお綾《あや》と十五もちごうが、そう不似合いな組み合わせとは思えなかった。なによりも、それが景虎《かげとら》にはうれしかった。
この間《かん》に、政景《まさかげ》の家来らは、対面《たいめん》の場をしつらえた。いままで政景《まさかげ》の待っていたあたりに、むしろをしき、その上にむかいあってしき皮をしき、二人の席のうしろにむしろをしきならべて、双方《そうほう》の従者らの席とした。
「まずこちらへいらせられよ。暑熱《しよねつ》のおりから、お難儀《なんぎ》でござったろう」
と言いながら、政景《まさかげ》はみちびいた。
席が定《さだ》まると、政景《まさかげ》は、
「さて、はじめてお目どおりいたします。ご一族のはしにつらなってはいますものの、かけちがって、これまではおりがありませなんだ」
と言った。うちとけた親しみは見せながらも、本家の当主にたいする礼節は忘れず、鄭重《ていちよう》なことばづかいだ。
「こちらこそ、ご武辺《ぶへん》のうわさはいつも聞いていましたので、お目にかかりたいと思いつづけていました」
と、景虎《かげとら》も親しみを見せてあいさつした。尊敬のできる人柄《ひとがら》でありそうであるので、これもうれしかった。
行厨《べんとう》がもってこられた。ひらくと、さまざまな食品が詰められていた。
「まずひとつ、たてまつりましょう」
政景《まさかげ》は家来のささげるひさごを受けとり、行厨《べんとう》にそえられた朱《あか》い盃《さかずき》についで一ぱいのんだ。タンと舌を鳴らし、笑って、
「ああ、うまい、吟味《ぎんみ》して持参した酒でござる」
と言って、献盃《けんぱい》した。
「これはおぞうさ」
受けると、ひさごをかたむけて、とくとくとそそぐ。
いっきに、しずくものこさずのんだ。気をつけて日陰《ひかげ》において風に吹かせておいたのであろう、歯にしみるほどつめたかった。口にひろがり、のどを通っていくのがさわやかで、うまかった。
「なるほど、これは吟味《ぎんみ》した酒だ」
と言って返盃《へんぱい》した。
政景《まさかげ》は受けて、前におき、席をさがって両手をついた。
「このたびは反逆人《はんぎやくにん》どもご成敗《せいばい》になり、めでたく一国平均《いつこくへいきん》し、およろこび申し上げます。父は老齢であり、拙者《せつしや》は俗用しげく、みずからまいることがかないませず、名代《みようだい》をもっての祝儀言上《しゆうぎごんじよう》、もうしわけありませなんだ。のちほど父からおわびいたすでありましょうが、とりあえず、おわび申し上げておきます」
あらたまってのあいさつであった。
「わびを言うてもろうほどのことではござらんが、会えるとよろこんでいただけに、落胆《らくたん》しました。これはうらみを申しているのではござらぬ」
と、景虎《かげとら》は笑った。
「おそれいります」
「もっとも、それだけにこうして会えたよろこびは格別《かくべつ》です」
「ご同然《どうぜん》であります」
会話は献酬《けんしゆう》の間におこなわれた。よどみなくさらさらと流れるようだ。
酒肴《しゆこう》は景虎《かげとら》の従者らにも用意してあって、政景《まさかげ》の従者らが相手になって接待する。みないいきげんに酔って、うちとけて、にぎやかに談笑している。
景虎《かげとら》は来てよかったと思った。しかし、かんじんの話には警戒して触れなかった。政景《まさかげ》も触れない。こちらからの申し入れにたいしてあんな返事をしたのだから、いちおうのあいさつがあるのがふつうだと思われるのに、まるで触れないのだ。触れてぬきさしならないことになるのを恐れているようであった。なまなかなことではいかんらしいと思った。
心をひきしめながらも、ぐいぐいとのんだ。酒は好きなのだ。いくらのんでも、乱れるほど酔ったことはないのである。
五
まだ日の高いころに上田《うえだ》城についた。用意してあった風呂《ふろ》に入れてもらって汗を流し、さっぱりなって着がえして、あてがわれた書院《しよいん》の間《ま》にくつろいで、隣室にひかえている弥太郎《やたろう》らとなにくれとない話をしていると、政景《まさかげ》がまた酒肴《しゆこう》をもたせてきた。
「まもなく父がまいりますが、ついいましがた足がこむらがえりして、痛みがとれぬとて、家来どもにもませています。まいるに少々|間《ま》がありましょう。その間お相手させていただきます」
と口上《こうじよう》して、またはじまった。
すえられた膳部《ぜんぶ》に、大きな鮎《あゆ》が焼かれてのっていた。こんがりと焼かれてこおったように塩がかたまり吹いているのが、まことにこのもしげであった。
「みごとなものでありますな」
「この下の川、魚野《うおの》川と申しますが、そこで獲《と》れたものであります。当地は山里でありますゆえ、魚といえば海のものは口の曲がるほど塩をしたものしかありませんが、川のものは、鯉《こい》、鮒《ふな》、うなぎ、鮎《あゆ》、すっぽんまで、いろいろあります。別して鮎《あゆ》は土地の者が自慢《じまん》にしています。お口にあえばうれしいことであります」
と、政景《まさかげ》は説明した。
「いただきます。うまそうでござる」
景虎《かげとら》ははしでむしった肉と皿《さら》にそえたタデとを合わせて酢《す》にひたし、口もとにはこぼうとした。すると、隣室からするどい声がかかった。
「しばらく!」
弥太郎《やたろう》であった。
「なんだ」
「しばらく」
しかたがない。魚肉《ぎよにく》を皿《さら》にかえし、はしをおいて見ていた。
「しばらく、しばらく、しばらく……」
と言いながら、弥太郎《やたろう》は敷居《しきい》をこえて進みいり、一|間《けん》ほどのところまで来てひざまずいたかと思うと、サッサッサッと、膝行《しつこう》してきて、
「鬼食《おにぐ》いつかまつる」
と言って、景虎《かげとら》の膳部《ぜんぶ》を自分の前に引きとり、はしをとりあげた。
「無礼《ぶれい》もの! 出すぎたやつめ!」
景虎《かげとら》はしかりつけた。政景《まさかげ》に毒殺などという陰険《いんけん》な気持ちがあろうとは思わないが、毒見《どくみ》をしないですすめたのは手落ちであるにちがいない。しかし、ここはしからなければならないところだ。すこしあらあらしくしかりつけた。
「役目であります」
とだけ弥太郎《やたろう》は答えた。
政景《まさかげ》は腹を立てたようであった。その家臣《かしん》らも色めきたった。それにつれて、こちらの家臣《かしん》らも緊張《きんちよう》の色を見せた。水の満ちてくるように殺気に似たものがみなぎってきた。平気なのは弥太郎《やたろう》だけだ。人々の凝視《ぎようし》のなかにぱくぱくと食べていく。毒見《どくみ》などという役目的な感じはすこしもない。いかにもうまそうに、ときどき舌など鳴らしながら、かたッぱしから食べる。鮎《あゆ》など蓼酢《たです》にしてたっぷりとひたし、頭からカリカリと食べて、ひれもしっぽものこさない。膳《ぜん》の上にはたちまち一物もなくなった。
政景《まさかげ》のけわしい顔はにが笑いになっていたが、ふとその笑いを消すと、景虎《かげとら》におじぎして、
「うっかりしていました。おわび申し上げます」
とわびて、家来どもに、
「これよ。新しい膳部《ぜんぶ》をおもちせい」
と言いつけた。そして、弥太郎《やたろう》に、
「いかがじゃな。そろそろ目まいなどもよおしてこんかな」
と言った。皮肉《ひにく》な調子であった。にがにがしげな笑いがかえっていた。
弥太郎《やたろう》はいっこうにひるまない。
「さような腹黒《はらぐろ》いことをあそばす越前守《えちぜんのかみ》様とははじめから思い申さぬが、お供《とも》するわれらのつとめでありますゆえ、せんわけにまいらんのでござる」
いやな空気が座中に流れていた。この空気はできるだけ早くほぐしてしまわないと、ぬきさしならないものになる危険をはらんでいると思われた。景虎《かげとら》は問題に突入する腹になった。家来どもの方をむいて、
「その方ども、しばらく遠慮《えんりよ》せよ」
と命じた。
「はッ……」
弥太郎《やたろう》らはしばし渋《しぶ》るように見えたが、すぐ立ちあがって、ぞろぞろと立ちさった。
景虎《かげとら》にこう出られた以上、政景《まさかげ》もそれに応じなければならない。
「去れ」
と、家臣《かしん》らに言った。
これも立ちさった。
ひろい二間《ふたま》つづきの書院《しよいん》の間《ま》は、二人だけになった。夕日が庭の樹木にななめにさし、蜩《ひぐらし》の声が流れている。
「越前《えちぜん》殿、わしがなぜこうしてまいったか、ご推察はおつきのことと存ずる」
ひたと相手を見つめて、景虎《かげとら》は言った。
「だいたい」
と、政景《まさかげ》はこたえた。
「さらば話はしようござる。いろいろとご都合《つごう》もおわそうが、まげてご承引《しよういん》ねがいたいのであります。拙者《せつしや》は春日山《かすがやま》の四男であり、またごらんのとおりの青い年でありますので、国内の武士どもの思いつきもいたってうすいのでござる。もっともたのみとするところは同族のみでありますが、こちらはそのもっとも近い一族です。きずなを強くして、いろいろと相談相手になっていただきたいのです。ねがうところは、このほかにはない。ぜひ、ぜひ、ご承引《しよういん》ねがいたい」
しずかな調子ではあるが、錐《きり》をもみこむような気魄《きはく》に満ちていた。
追いつめられた者の苦しげな表情が政景《まさかげ》の精悍《せいかん》な顔にあらわれた。何か言おうとした。しかし、めったなことを言わせては、ぬきさしならないことになる。おッかぶせるように、景虎《かげとら》はことばをついだ。
「もし、ご承引《しよういん》くださらぬにおいては、景虎《かげとら》を長尾《ながお》一族の統領《とうりよう》として守護代《しゆごだい》たるの器量《きりよう》なきものとお考えあるものと判断します。そう判断いたしてよろしゅうござるな。いかが?」
つめよるようであった。
「さあ、それは……」
政景《まさかげ》は笑おうとした。景虎《かげとら》はそのひまをあたえなかった。
「拙者《せつしや》は長尾《ながお》一族の統領《とうりよう》の身分にも、守護代《しゆごだい》の職分《しよくぶん》にも、いささかも執着《しゆうじやく》はござらぬ。越前《えちぜん》殿ご父子が拙者《せつしや》をその器量《きりよう》なきものとお考えあるなら、いつにてもそなた様方にゆずって、身を退《ひ》きます。いま申すことは、かけひきでもなければ、出まかせでもない。本心であります」
血色《けつしよく》のよい景虎《かげとら》の顔は青ざめ、切れ長な大きな目が異常な強さで光って、ひたと相手を見つめていた。政景《まさかげ》も同じだ。青ざめたひたいに小さい玉になった汗がびっしりと浮き、沈鬱《ちんうつ》な目をすえて見かえしていた。
たがいの呼吸《いき》の声が聞こえるほどの静寂《せいじやく》の中に緊迫《きんぱく》がつづいた。金属的なひぐらしの声だけが流れた。
その緊迫《きんぱく》を、庭におこった足音がやぶった。コトリ、コトリと、飛び石の上を下駄《げた》の音が近づいてくる。
二人は緊張《きんちよう》をといて、そちらを見た。
やせて小柄《こがら》な老人が、庭下駄《にわげた》を引きずりながら、長い杖《つえ》をついて、飛び石をわたってきつつあった。右の足を引きずりぎみに、そろりそろりと歩いてくる。長く大きい素袍《すおう》にくるまれて、いっそう小さいからだに見えた。烏帽子《えぼし》の下の小《こ》びんと長いひげとがまっしろであった。能《のう》の翁《おきな》の面《めん》に似ていた。
「父であります」
と言って、政景《まさかげ》は景虎《かげとら》に会釈《えしやく》しておりていき、手をとって介抱《かいほう》しながら連れてくる。老人は無表情な顔をくずさなかったが、全体の様子がすっかりその介抱《かいほう》にまかせきったふうに見えた。
景虎《かげとら》の胸は熱くなった。こんなに父にたよられ、こんなに父に愛情を注いだことは、彼にはないのである。羨望《せんぼう》であったかもしれない。
老人は庭で一度、沓《くつ》脱石《ぬぎ》で一度、しわぶきをして、簀子《すのこ》に上がった。そろそろと座敷に入り、いままで政景《まさかげ》のいた席にすわった。まっすぐに景虎《かげとら》を見た。ひたと見つめる目が、長く白いまゆの下に爛《らん》と光って、にらむようであった。
「喜平二《きへいじ》どのでおりやるか」
と言った。力のこもった、ひびきの強い声だ。
「そうです。叔父上《おじうえ》でありますな」
「房景《ふさかげ》でござる。叔父甥《おじおい》とは言いながら、はじめてお目にかかる」
と、両手をついた。
「まことにそうで」
景虎《かげとら》も手をついて答礼した。
房景《ふさかげ》はつくづくと景虎《かげとら》を見て、ふと涙ぐんで、声をつまらせながら、
「よう成人された。よう成人された。二十《はたち》になられるそうじゃの。数々の武功のうわさは……」
と言いかけたが、たちまちからからと笑いだした。
「いや、うわさではないわ。鯖石《さばいし》川で手を合わせて、さんざんにたたきちらされたのは、つい去年のことでござったのう。ハハ、ハハ、ハハ。あっぱれでありましたぞ」
「おそれいります」
房景《ふさかげ》はなお闊達《かつたつ》に笑っていたが、笑いやめて、
「いまあちらで、きつう話がもつれそうなと聞いたので、まだ痛い足を引きずってきたが、あんのじょうのようでござるな。ハハ、ハハ、こちらにもいろいろ事情はあるが、こうしてわざわざ来てたもったのであれば、そうそう事情事情と言うてもおられぬ。叔父甥《おじおい》の初見参《ういげんざん》じゃ。よい引き出物をせねばならぬ。越前《えちぜん》をおことの姉聟《あねむこ》として進ぜましょう。末《すえ》長く睦《むつ》んでたもるよう、老人こうしておねがい申す」
と、言って、また手をついた。
急転直下《きゆうてんちよつか》のこの解決が、景虎《かげとら》には夢のような気がした。しばらく信じかねた。両手をつき、口をきいたのは、ややあってからだ。
「お聞きとどけたまわりますか。ありがとうござる。お礼申し上げます」
「こちらこそ、お礼を申さねばならぬ。小面倒《こめんどう》な世話を焼かせ申さず、すぐにお受けすればよいものを、そこがその事情と申すものがあってな。ハハ、ハハ。おことを見て、その事情も消えましたわ。ハハ、ハハ、越前《えちぜん》、そなた果報《かほう》ものだぞ。三十七にもなって二十二の若い嫁御《よめご》がもらえるとは。しかも、守護代《しゆごだい》の姉君《あねぎみ》じゃ。礼を申すのだな。ハハ、ハハ」
上きげんであった。
「天と地と」年表(三)
天文十六年(一五四七)
新発田《しばた》の城主新発田尾張守|長敦《ながあつ》の内室、晴景《はるかげ》の女、藤紫《ふじむらさき》の弟源三郎《げんざぶろう》に恋し、逢《お》う瀬《せ》が重なる。長敦、これを知り、弟の掃部介《かもんのすけ》に相談。掃部介、現場で両者を斬る。新発田兄弟、栃尾《とちお》の景虎《かげとら》に帰服を申し出る。春日山《かすがやま》との間に不快な感情流れはじめる。
定行《さだゆき》、微行で栃尾に来る。景虎、定行の持参により、はじめて鉄砲に触れる。
九月、織田信秀、稲葉山城に斎藤道三を攻め、敗れる。
天文十七年(一五四八)
春日山城で晴景が忍びの服部|玄鬼《げんき》に、景虎の暗殺を命ずる。栃尾城内に忍び込んだ玄鬼、景虎の鉄砲で仕留められる。景虎、兄と戦う決意をする。
兄晴景と戦う。
藤紫、晴景の敗戦を知り、老臣殿原|豊後《ぶんご》を刺殺して春日山城を脱出。
越後守護上杉|定実《さだつね》、晴景に隠居をすすめ、晴景、春日山城を出、府内《ふない》城に入る。十二月、景虎、春日山城に入る。
藤紫、下男|久助《きゆうすけ》と小舟で越中に向かい、魚津《うおづ》湾に入り、港の番所のものにとりおさえられる。
報告、魚津城主鈴木|大和守国重《やまとのかみくにしげ》にもたらされ、城内に引き立てられる。国重、藤紫をおもいものにする。
二月、武田晴信、信濃上田原に村上義清を攻めて大敗。
七月、武田晴信、小笠原長時を信濃塩尻峠で破る。
九月、伊達晴宗、家督を継ぐ。
天文十八年(一五四久)
景虎は二十歳。長尾の当主となった儀式をあげる。
景虎、勲功のあった家臣、豪族らに行賞《こうしよう》をする。
二月、織田信長、斎藤道三の女を妻にする。
四月はじめ、景虎、五千の兵を率いて三条へ向かう。
景虎、松江《まつえ》を伴って、三条の地勢を偵察。
北条で琵琶島《びわじま》から来た宇佐美定行《うさみさだゆき》が加わる。
景虎、宇佐美の陣所をおとずれ、三条の図面を示される。
四月、春日山勢、夜のうちに渡河点《とかてん》に着く。
景虎は八王子口に本隊を集結。景虎、杉原|壱岐《いき》以下の鉄砲隊を率いて、川の中に舟を漕ぎ出す。三十八挺の鉄砲一斉に発射。景虎、舟橋をつくらせ、敵城内動揺。
景虎、二千の兵を率い、八王子口からおし渡る。
大手の門前に出、一斉に鉄砲を打ち込む。
城内より敵の本隊が出、景虎、七十余歳の老将|昭田《しようだ》常陸《ひたち》を斬りおろす。
三条陥ち、新府《しんぷ》付の豪族|山吉豊守《やまよしとよもり》を城代としてさしおく。
五月はじめ、春日山からの急便、府内《ふない》の上杉定実が急病におかされ、重態との報。景虎、府内|館《やかた》を訪ねる。
この時、為景《ためかげ》二女である定実夫人の手許で育てられていた二つ上の姉、お綾《あや》に初対面。
定実の容態が持ちなおし、景虎、春日山城に帰るが、病状急変、定実死す。
景虎、その葬儀に加わらなかった上田長尾|房景《ふさかげ》の心中を疑い、宇佐美定行に相談、房景の息|政景《まさかげ》に姉綾を輿《こし》入れさせることをすすめられ、年明けて実現。
七月、ザビエル、鹿児島に上陸、布教をはじめる。
角川文庫『天と地と(三)』昭和61年9月10日初版刊行