ドラゴンキラーあります
海原育人
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目次
プロローグ
一章
二章
三章
四章
五章
六章
七章
八章
エピローグ
あとがき
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プロローグ
ここしばらくなりをひそめていたため、ようやく自分を上手に騙《だま》すことが出来たかな、と期待していたのだが、その期待をあっさり裏切って病気が再発した。
唐突に来た。昔と変わらぬ色合いで、昔と同じ情景が瞼《まぶた》の裏に鮮烈に浮かんだ。俺は立っていられなくなり、壁に体ごと預け、そのままずるずると床に崩れた。汗が滲《にじ》み、動悸《どうき》は激しくなる一方だった。
戦場の記憶だ。
それまで俺は軍人で、その日も歩兵部隊の一員として銃身を切り詰めた小銃をばかすか撃っていた。ボルトアクション式のライフル銃で、先端には使われたことのない折りたたみ式の銃剣が申し訳なさそうにたたずんでいた。
酷《ひど》い戦場だった。音が無かったのだ。
文字通り、何をしようとも音が耳まで届かなかった。仲間の声も、本来銃が上げるべき轟音《ごうおん》も、砲の立てる炸裂音《さくれつおん》も、指揮するための鳴り物も。
原因は明白。竜である。戦場となっていた平野一帯の音を、ことごとく竜に食われたのだ。竜とはそうした生き物で、大抵のものは連中の胃袋に収まる。一種につき一種類のものしか口にしないことが確認されていて、餌とするものの名をとってその竜の名前とされていた。だから今回の場合は、音竜と呼ぶべきだろう。音を食うから音竜、これが火を食えば火竜というわけだ。そして、竜によって何かを食われることを、竜害と呼んでいた。
その竜害のおかげで映画じみた光景が目の前に広がることになった。映画と違っていたのは、色がついていた点だけである。
音が聞こえないだけで現実感が乏しかった。そのくせ鼻に届く戦場の匂いだけはいつもと変わらない。血と汗、草木と土、火薬と硝煙、そういったものがない交《ま》ぜになった、嗅ぎ慣れた匂いだった。
戦況はこちらに優位に動いた。元々の戦力差が大きかったのだ。相手も負けを承知で出てきているようなところがあった。降伏勧告にも従わず、無駄死にをするために出てきた相手である。連中の士気は低く、一切の音が聞こえないという特異な状況だったが、それでも数で押せていた。
何度目かの銃撃戦の後。
戦場の上空を竜が舞った。ここいら一帯の音を食った主だと、そう直感した。灰色の皮膚に、濃い青の縞模様。竜好きの軍曹から嫌と言うほど教え込まれた、竜どもの特徴。俺の頭に叩き込まれたそれらの情報が一瞬で引きずり出され、そして形を結んだ。
音竜だ。間違いない。
陣営の区別無く、竜に対して銃弾を浴びせた馬鹿が幾らかいたが、そんなものは無駄であると大半のものが理解していた。竜の皮膚は硬く、そして弾力性に富むため、銃弾だろうが砲弾だろうが通りはしないのだ。
高い位置を飛んでいることが分かっても、それでも巨大だった。四つ足のくせに背中には巨大すぎる翼があり、それを羽ばたかせて飛んでいる。学者の見解によれば、巨躯に比していかにも薄弱な翼である、ということになるのだが、事実飛んでいるのだから考えるだけ無駄である。頭の先から尻尾の先までざっと三十メートルほどになるはずだ。両翼を広げれば同じくらいの大きさになるだろう。
が、異変はこれだけに留まらなかった。竜は体のあちこちから血を流していたのである。雨粒のように、竜の血がぱらぱらと降り注いでいた。銃弾が通ったわけでは決してない。近くに別の竜がいる可能性は否定できないが、理由は他にあるに決まっていた。
即《すなわ》ち。ドラゴンキラー。
竜を殺し得る超人をそう呼ぶ。銃弾の通らない竜の体を、素手で傷つけることが出来る化け物だ。
俺は近くにいた同僚たちの肩を叩き、視線を交わした。連中も同じことを考えていたのか、と俺はほっとしたのだが、そうではなかった。彼らはそそくさと背負っていた背嚢《はいのう》から雨よけのコートを取り出して羽織り始めたのである。
「そうだった」
と俺は思わず呟いていたが、その声はもちろん俺の耳にすら届かない。
竜の血肉は人にとっては猛毒なのだ。体内に入ってしまえばまず助からない。彼らは俺の合図をレインコートを羽織ったほうが良いという合図として捉《とら》えたのである。俺も慌ててコートを羽織り、そして上空で血を流しながらも未だに飛行を続けている竜をちらちらと気にしつつ、本来の仕事の続きを行わねばならなかった。
血の雨が降り注ぐ戦場。幾度目かの弾薬装填を行っていると、同僚が肩を叩いた。顔を向けると、顎で空を示した。変化があったのかと目をやると、血を流しつつも悠然と空を飛んでいた竜が身悶《みもだ》えていた。
体を激しく動かし、何かを振り落とそうとしていた。が、そのうちに諦めたのか、今度は体を捻《ひね》り、そして次の瞬間には落下を始めた。丁度、俺たちが敵軍と撃ち合っている中間地点に落ちた。
落下の瞬間、土煙がもうもうと立ち上った。音が食われていなければ、耳が痛くなるほどの轟音が響いたはずだ。が、今はびりびりと空気を震わせるだけ。音は無くなってもそういうものは残っているらしかった。
一旦お互いの陣地からの射撃が無くなった。皆が状況の推移を見守っていた。俺もその一人だったのだが、肝心の竜は相当の深手を負ったのか、こちらに背を向けた格好で横たわり、時折ぴくぴくと体を震わせるだけで動こうともしない。
俺は知らず知らず、弾薬の装填を行っていた。嫌というほど訓練を重ね、すっかり身についている動作だ。目を瞑《つぶ》っていてもてもやれるだろう。五発の弾を詰め込み、ボルトをロックして準備を終えた。なぜそんなことをしたのかといえば、単純に何かしていないと不安だったからである。特別に勇敢な人間ではない自覚があったし、目の前の状況は普通ではなかった。
音が聞こえないだけ不安は増す。静かな夜でも虫の声、獣の声くらいはするというのに、今はまったくの静寂。完全な静けさは神経にこたえる。俺は脚の親指と人差し指を靴の中でしきりに擦《こす》り合わせることでその不安を解消しようとしていた。
そうこうするうち、竜のほうに変化があった。徐々に活動が弱まり、そのまま死ぬらしいと思えた竜の脇腹が突如盛り上がったかと思えば、そこから手が生えた。追って腕、上体、そして足。血が盛大に噴き出し、その血の噴水の中から姿を現したのは、口を歪《ゆが》め、快楽に酔っているような表情をした、一人の男だった。
俺は左腰のポーチから望遠鏡を取り出し、男をじっと観察した。
ひどく若い。そして俺の国に属しているドラゴンキラーであることを示す軍服を着ていた。
恐らくは俺と同じくらいの年齢だ。十七か十八程度。細い体は、女のものだと言われても納得出来るほどに痩《や》せているが、顔立ちは男のものである。美醜でいえば美形の部類に入るはずだ。
癖の無いブロンド。細い顎、アーモンド形の目、形の良い唇。造形までもが女のものに近く、だからこそ違和感がある。女に抱きしめられただけで折れてしまうだろうと思えるほどに華奢《きゃしゃ》な男が、あの竜を殺しているのだ。屈強な男の姿をしてくれていれば、ほんの少しとはいえ、まだ納得できたはずである。気味の悪さが背中をひたひたとよじのぼってくる。流れ出た汗が冷たい。グロテスクな映像が、無理矢理視界を占める。
音があれば、あの噴き出す血にも幾らかの現実感があっただろうが、相変わらず夢の中にいるような錯覚を覚える。俺は首を一つ振り、着ていたシャツの襟元を無理矢理に引っ張り上げ、それで口元を覆った。血煙は勢いを弱めつつあったものの、それでもあれが猛毒であることに変わりは無いのだ。
竜の腹を突き破って出てきた男は、しばらく血を楽しむかのようにその場でくるくると回ったり、自分の顔を血で洗ったりしていた。そうこうするうち、男の髪の色が変わり始めた。血で汚れているわけではない。まばゆいほどのブロンドであったはずの男の髪が、付け根から薄い緑色に変わっていく。
意味が分からなかった。俺は思わず喉を鳴らしていた。口の中に唾《つば》が溜たまる速度がいつもよりずっと早い。しかも心無しか、なんとなく酸《す》いものも混じっている。
目の前の男の所作は、すでに正気の沙汰ではなかった。戦場暮らしはそこそこの長さで、幸せな脳味噌の持ち主は何人となく見てきたが、そういう、あっち側に行ってしまった連中と同じだけの狂気を孕《はら》んでいるように見えた。
引き金にかけた指に、力が入りそうだった。同じ軍服を着ているとはいえ、俺の体は必死で警報を鳴らしていたし、それは俺の同僚たちも同じ思いのようだった。壊れてしまった男は命を預けられる対象にはならない。
だが、相手がドラゴンキラーだという事実はどこまでも大きかった。
竜と同じく、ドラゴンキラーには銃も砲も通じない。それを分かっていてなお、一時《いっとき》でも時間を共有したくないという強い恐怖が、俺の指に力を入れた。必死に堪《た》えたのは、こちらが敵意を見せれば、まず助からないという確信があったからだった。
竜よりもドラゴンキラーのほうが強い。そして俺たちは竜にも敵《かな》わない。子供でも分かる強弱の図式だ。
が、大きすぎる恐怖は恐慌状態を呼んだ。
敵方の一人が、竜の死体の上で踊っている男を目掛けて銃弾を発射したのである。男の頭が微かに振れたことでそれが分かったし、頭にへばりつき、すっかり潰れてしまった弾丸を無造作につまんだことで確信に変わった。男は指先で弾丸だったものをつまみ、そしてそれをひらひらと振って、笑って見せた。
「馬鹿が」
口の中で小さく呟いたが、声が聞こえないせいで独白にもならなかった。
そこからは戦闘と呼べるものだったかどうか。一発の銃弾がきっかけとなり、敵はドラゴンキラーに敵対した。何発もの流れ弾がこちらにも飛んできた。俺たちは後退しつつもその様子を確認することに余念が無かった。
ドラゴンキラーはその身に大量の弾丸を食らいながらも、それら全てを無視し、相変わらず竜の死体の上でくるくると回ったり、時には踊ったりしていたが、やがて銃撃が小休止したことに気付くと、途端にその表情を歪《ゆが》めた。
何が気に入らなかったのか、男の顔には失望と怒りの色が濃かった。
俺の内臓は激しくうねって吐き気を呼び、体中の汗腺から汗が雫《しずく》となって落ちた。体の全てが危険だと喚《わめ》いていた。
そして。
そこから先に起こったことは、ただただひたすらに一方的な虐殺だった。ドラゴンキラーの不興を買った敵部隊はほぼ壊滅し、俺たちも、戦闘続行が不可能なほどの損害をこうむった。そのドラゴンキラーにとっては、付近一帯にいた自分以外の全てが敵だったのだ。
地獄だった。しかも食わずともよい巻添えを食った格好なのだからやりきれない。
人間の体に簡単に穴が開いていく。首を引きちぎられる。石を投げつけられれば、砲弾以上の貫通力を生んだ。俺が知っているのはそこまでだ。
運良く。
実に運良く頭に衝撃を受けて気絶したからだ。
銃弾だったのか、砲弾によって爆《は》ぜた石の欠片《かけら》だったのかまでは分からない。が、そのお陰で生き延びた。そして目が醒《さ》めてみれば、両部隊の大半が死体になった不愉快極まりない光景だけが残っていた。
遠くの方で、戦闘の勝利を示す国旗がそこらじゅうで上がっていたが、俺には戻るべき原隊などもなく、無性にやりきれなくなって、そのまま戦場を後にした。理由は、自分の声が聞きたかったからである。竜も、竜害も、ドラゴンキラーも、俺にとっては非日常の象徴で、それらから逃れたかったのだ。
俺には俺の日常がある。一刻も早くそれを取り戻したかった。
俺は走り続けた。街を抜け、森に入り、そして行き着いた果ては。
俺のアパートだった。
床の上で目を覚ますと、どうやら気絶するような格好で眠ってしまっていたらしく、頬にすっかり跡が残っていた。戦後ほどなく、時折こうやって昔の光景が襲ってきては平静を失うようになった。ここ最近はようやく落ち着きを取り戻せていたのだが、なかなか抜けきらない。
安ワインを水のように飲み、そして煙草を吸った。
今は便利屋をやっているが、今日明日は使い物にならないと勝手に決めつけ、俺はそこからさらに酒を入れた。
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一章
目を覚ますと二日酔いだった。
緊張性の頭痛とは種類の違った、頭の奥を延々と優しく、容赦なく叩き続けられている鈍い痛みだ。起きた途端に不愉快になるが、仕方がないと割り切って、俺はキッチンのタンクから水を飲んだ。
南の大国では上水道の配備が進みつつあるというが、この土地にそんな上等なものが来るのはいったいいつになるのか、想像もつかない。
太陽の光でも浴びれば少しはしゃっきりするかと思い、カーテンを開けると、昼前のようだった。天気は良好、雲が少ない。
ここは北方の辺境。名前をバスラントと言う。世界でも有数の紛争地域だ。といっても年がら年中戦争に明け暮れているかといえばそんなことはもちろんなく、ここ最近に限っていえば、国境付近での小競り合いが関の山の紛争が続いている地域だ。
街ひとつしか持たない程度の地域が国を名乗り、幾つも林立しているのが現状。ここいらの国家群はバスラント統一を目指して争いを続けているわけである。が、どこもかしこも小国揃いと来ているから、外からの力が加わらない限りは恐らくは統一などされることはないだろう、というのが大方の見方だった。
理由はある。僻地《へきち》だからだ。
大陸の北西、海に面したこの土地は、高い山々に囲まれるように存在している。一方は海、一方は山で、しかもその山々が普通の人間では越えられないほどに険しい。もしどこかの国がこの土地を支配しようと思っても、侵入は海路に限られるわけだ。
空を飛べる乗り物でもあれば話は別だろうが、一部の好事家《こうずか》が私財を投げ打って研究に明け暮れている程度で、実用化の目処《めど》は立っていない。空には竜がいて、だからとてつもなく危険な場所だ、という認識が誰の頭の中にも当たり前にある。お陰で研究は進まないわ、金払いの良いスポンサーもつかないわで、好事家たちは相当に苦労しているらしい。聞いた話だから、どこまでが真実かは不明だが、空を飛べると言われても少しも羨《うらや》ましくないことだけは確かだ。
くわえて、土地自体に魅力が無い。とにかく狭いうえに、格別豊かな土地でもない。農産物も鉱物資源も、並にしか取れない。また、紛争が原因であるだろうが、他所《よそ》の先進国に比べて時代が一つ遅れている。鉄道なんて便利なものが通ることもなく、上水道も無い。電話も無いし、内燃機関を採用したガソリン自動車なんて影も無い。
さらに言うと、治安が悪い。すこぶる悪い。無法地帯と呼んでよいほどに悪い。
お陰で行き場の無い連中やら小悪党やらが集まってきて、吹き溜まりと化していた。無法者たちが集まれば幾らも組織は出来るわけで、バスラントでは国家とは無縁のところで、統一のための闘争が日常的に行われてもいた。
かく言う俺はどこの組織にも属さず、それら組織の幾つかから仕事を貰ってはこなす日々だ。誰かに自分のことを説明するときには、便利屋、の一言で済む。軍を抜けて三年になるが、正確に言えば、公式に死亡が確認されてから三年、である。どうせろくな調べ方をしていないのがその点でも分かる。
口を拭《ぬぐ》ってから外に出る準備を始めた。日用品と酒のストックを買う必要があった。準備といっても、煙草と財布、銃を身につけるだけだからたいして時間はかからない。
銃はスウィングアウト式の回転弾倉で、装弾数は六発。ダブルアクション式のリボルバー。引き金が重いことが欠点だが、最近はすっかり手に馴染《なじ》んでいる。
服装は黒のレザーパンツにブーツ、そしてホルスター。左脇には拳銃。反対側にはクイックローダーが二つ。ベルトから伸びた鎖の先には懐中時計がぶら下がっていて、尻のポケットに突っ込まれている。上は白のボタンシャツ。皮膚が金属に弱いため、装飾品の類はあまり身につけることは無い。
出掛けに一応鏡を覗いた。
見る度に思うが、もう少し柔らかい顔に生まれついていたかったと実感する。少しばかり人相が悪いらしい。目つきが悪い、顔つきが攻撃的、笑うと悪巧《わるだく》みをしているようにしか見えない等々、他の人間に言わせるとそういうことになる。俺だって望んでこういう顔をしているわけではないのだ。種をくれた男と、卵を出した女の半分ずつを継いだらこうなっただけである。両親のことは今ではたまに思い出す程度だが、それでも母譲りの青い目は気に入っていた。
父譲りの明るいブラウンの髪は、髪自体に大した思い入れが無いためありがたいと思ったことはなく、いつも短く刈り込まれている。髪が長いと、どうも神経質な俺は髪で遊ぶようなところがあり、一時期物凄い量の抜け毛が出たためだった。さすがに三十代半ばくらいまでは髪を保持していたいと思う。
外に出てからさび付いた階段を下りる。俺の部屋は五階建てアパートの三階にあって、一階はカフェになっていた。
通りを歩いているとそこかしこから銃声が聞こえてきた。今ではすっかり日常の一部で、驚く必要すらない。いつものことだと歩を進めていると、声が聞こえてきた。
「はっ! あたしから荷物|掠《かす》めようなんざいい度胸だ。体中の穴からラム飲ませて下っ腹を撃ち抜かれたいってんだな? そうだな? そうなんだろう? そうだって言ってみろこの豚」
楽しそうな声は知った顔のもので、どれ、と銃声のした方に近づくと、アパートの一階にあるラダーマン・カフェ、そこのウェイトレスだった。
若い男のこめかみに銃を突きつけ、口を歪《ゆが》めて笑っている。一方の若い男は知らない顔で、口の端に泡を作って怯《おび》えた顔をしていた。太ももには銃創《じゅうそう》が出来ており、血がとめどなく溢《あふ》れ出していた。
ウェイトレスは歪《いびつ》な笑い方のままで、男の股間を膝でけりあげた。うあ、と短く漏らして、男は口の端の泡をさらに大きくした。見ているだけで痛い。俺は苦笑しながら彼女に声をかけた。
「よぉスプリング、へまでもやったか」
「あ、ココ。久しぶりぃ」
まるで別人かと思えるほどに声に色気と艶《つや》が混じった。お客さん用の声だ。彼女とは三年ほどの付き合いになるし、彼女が勤めるカフェは近場であることも手伝って常連である。
「二、三日顔を見せなかっただけだろ」
「死んだかもって噂してたところよ。街を離れるような仕事してても、一言挨拶してくれてたじゃない?」
「何、ちょいと頭の調子が悪くってね。酒を入れて黙らせてたんだ」
「そういうの、ココらしくっていいんじゃない」
「それより、また制服新しくなったんだな。このまま行くとスカートなくなっちまうぞ」
「あ、良いでしょ。胸もおっきく見えるんだよ」
思わず苦笑がこぼれる。
「ラダーマンは相変わらずか。で、こいつは?」
「そうなのよ。店長から買い物してこいって言われてる途中でね。おいたしたからそのお仕置き」
「おいた、ねえ」
「そう。おいた。もう最悪なのよ。荷物が汚れちゃった」
スプリングはそう言ってにっこりと笑った。笑顔の似合う良い女だ。金に近いブラウンの髪と明るい茶色の瞳。が、最初に目が行くのはそばかすである。顔全体の造形はやや丸みを帯びているが、体のほうに目をやると納得が行く。強烈に肉感があるのだ。豊満、と言ってもいいかもしれない。
新しくなった制服は、ちょっと足を動かしただけで下着が露出しそうな、まさに変態御用達で、さらにはスプリングの言葉にもあったとおり、以前の物に比べて胸が強調されている。へその辺りに不釣合いな大きさのホルスターがくっついていた。
地面には紙袋が落ちていて、中に入っていた日用雑貨が散らばっている。
「知らん顔だ。兄さん、この街に来たのは最近かい?」
男はがくがくと首を前後に振った。細い体と、柔らかくウェーブする髪をたくわえた、いかにも優男《やさおとこ》。だがその表情は、今は恐怖に凍り付いている。
「まあ、ここは場末のカフェのウェイトレスまでがかっちり武装してる街だ。荷物掠めるにしても、よっく頭を使ってやらんと足を撃たれるような間抜けな目にあう。スプリングの腕が悪くて助かったな」
「あ、ひどぉい」
「本当のことだろ? ま、お陰であんたは助かった。そこまでは分かったな?」
頷《うなず》いたのを確認して先を続けた。
「でだ。俺は優しいから命を助けてやろう。その代わり、今度から飯と酒はラダーマンのカフェで食え。出来ないってんなら、とっとと荷物まとめてこの街から出て行きな。スプリングも、それでいいだろ?」
「来なかったら探し出して殺すからな。守れよ」
男を無理に頷かせ、俺は再び歩き出した。
「いまからどこ行くの?」
「買出しだよ。帰りには顔を出す」
「絶対よ?」
「ああ、もちろん」
俺はそう言って彼女に背を向けて歩き出したが、背後からは、
「じゃあ迷惑料払いな。弾撃たせてただでどっか行こうって調子の良いこと抜かすつもりはないよなぁ?」
と、どすのきいた声が響いてきていた。頭の中に三人四人と飼っているのが人間の常だが、対する人間によってこうも声と態度を使い分けられる彼女が少し羨《うらや》ましかった。
日用品と弾薬の買出しを済ませての帰り道、荷物を抱えてラダーマンのカフェに寄った。店に入るなり、昼間から酒を飲んでいる連中が目に入る。カウンターに陣取ると、さっそくラダーマンが笑顔を見せた。どうひいき目に見ても悪人顔の厳《いか》つい容貌で、口も悪いのだが、笑うとなかなかに愛嬌があるのは不思議だ。
額から頭の天辺《てっぺん》まですっかり禿はげ上がり、側頭部に僅かに残った髪を長く伸ばして後ろで束ねている。白と黒の混じった髪の色からも、俺の倍くらいは生きていると思うが、正確な年齢は知らない。名前も本名かどうかは不明だ。俺よりも一回り大きな体の持ち主だが、女を抱くときにはその巨体を小さく丸めて甘えるらしい。
俺がこの街に来て最初に知り合った男である。以来付き合いは三年になろうとしているが、お互いのことをたいして知っているわけでもなかった。つかず離れず、といった間柄だが、もしかしたら爪の先ほどの仲間意識もあるかもしれない。
「よおココ。久しぶりじゃねえか。くたばったかと思ってたんだけどよ」
「スプリングから聞いてないか?」
「頭の調子が悪かったって? 水臭いじゃねえのココ。いい薬山ほどあるんだぜ」
ラダーマンは、主に麻薬の卸《おろし》売りを生業《なりわい》にしている。街の主だった組織が取り決めた協定があって、ラダーマン以外にその仕事は許されていない。ラダーマンを通していない薬は、出所ともども潰されるのがいつものことだった。
「薬はいいよ。それより二日酔いでな。野菜しぼってくれよ。塩を一つまみ振ってな」
「相変わらずかよ。まあいい。それよりな、良いだろ?」
「何が」
「新しい制服だよ。良いだろ? 良いよな? 最っ高だろ」
「さあね」
「んだよのり悪ぃな。前のよっかずっと良い。昼真っから股座《またぐら》に血が行くってもんだ」
「胸が強調されただけじゃねえか」
「だけってな、お前いい加減にしとかねえと叩き出すぞ。胸の良さの分からん変態め。インポなんじゃねえのか? それともそこいらの豚とファックしてたほうがましって口か? ああ?」
「そこまで言うかよ、ラダーマン」
「言うさ。胸の良さの分からんやつは屑《くず》だ。人生の九割九分損してる大馬鹿だな。生きてる価値がねえクソだ」
「じゃあクソでいいよ」
「馬っ鹿、いいかココ。胸ってのは、ありゃ何だ?」
「脂肪の塊だ」
「違うっ! 違うんだよココ。あれには夢と希望が詰まってんだ。いやいや真理って言ったっていい。人類の至宝っつって古くさい遺跡を後生大事にあり難がってる阿呆《あほう》は、とんだ了見違いってことさ。世界の真理はあそこにある」
「そりゃあんたの趣味だ」
「なんて馬鹿だ。俺ぁお前のことはもうちょっと見所のある奴だと思ってたんだがな。もういい、豚のサオでもしゃぶってろ、このクソったれめ」
「しゃぶったことはないが、食ったことなら何べんもあるぞ。俺の田舎じゃ、残す部分は無かったからな。不味《まず》くはないぜ。牛も山羊も豚も、全部似たようなもんだ。あとはそうだな、蜂の幼虫やら蛇やらだ。大抵|美味《うま》い。あんたも一度食ってみりゃいいさ。それより、とっとと野菜ジュース出せよ」
ちっ、と舌打ちをしてラダーマンは調理に取り掛かった。
胸のどこが良いというのか。
口に出したとおり、あんなものは脂肪の塊だ。胸のでかい奴は肩が凝こるとも言うし、動くときにぶるぶると揺れていかにも邪魔くさい。銃の取り回しにだって不安が出そうだし、接近戦ともなれば、重い上に邪魔なことこの上ない。
男に比べて体力の劣る女が、なおそれだけの重りをぶら下げているのだ。邪魔以外の何物でもないし、胸のでかい女を見る度に、男に生まれて良かったと心底思う。
やはり、女は尻だ。尻に限る。
胸と同じく脂肪の塊ではあるものの、断然色気が違う。狭いようでその実、雄大な広がりを見せる沃野《よくや》とさえ言えるし、柔らかでいて張りのある肉は、手におさめればまさに至高。胸などよりよほど揉み甲斐がある。
胸は駄目だ。馬に乗って全力で駆けて、空中に手を差し出した程度の弾力だ。あんなものを幾ら揉んだところで少しも嬉しくない。が、尻は違う。あれこそ真理。あれこそ世界の全てだ。ラダーマンの言うところの胸の良さなど、ばっちり薬のきまってしまったジャンキーの妄言と同じ程度に価値が無い。
胸などまっ平らでいい、尻さえ丸ければ俺はそれで満足だ。
ただ悲しいかな。尻より胸を揉まれた女のほうが、色気のある声を出す。
ややあって、ラダーマンがぼやきながら巨大なジョッキを乱暴に置いた。深緑色の液体が並々と注がれ、今にも溢れかえりそうな様子である。
「俺ぁあと何回お前に胸の良さを教えて聞かせりゃいいんだ? そこいらの野良犬でも餌をくれてやりゃ言うこと聞くってのによ」
「いい加減しつこいぞ。それより、何か金になる話ないかって、あんた」
俺は煙草を取り出しながら喋っていたのだが、その途中でカウンターの右端に座っている男に気が付いた。先ほどスプリングに太ももを撃たれた挙句脅されていた男である。
「あ、先ほどはどうも」
男は俺に気がついていたらしく、即座に頭を下げた。撃たれていた脚にはすでに治療がほどこしてあるらしく、パンツに開いた大きな穴からは、血に染まった包帯が見えていた。
「真面目だなぁあんた。俺の言った与太話真に受けたのか? そんなんじゃ長生きできないぜ?」
「いや、あの」
「あ、ココ」
背後からスプリングの声が飛んでくる。俺と男の間の椅子にどさりと腰を下ろすなり、カウンターに肘をついた。
「もう聞いてよ。最悪なのよ」
「この兄さんがか?」
「そうなのよ。文無しなのよこいつ。もう最悪。三発も撃ったのに一銭も返ってこないってどういうこと? 撃ち損? ねえ撃ち損?」
「で、何か使い道が無いもんかって連れてきたのか?」
「そうなのよ。どうしよう」
「どうしようったって、殺して捨ててくりゃあよかっただろう。もしくは諦めるかだ」
「だってぇ」
「そこでだよ、ココ」
ラダーマンが話に割って入った。野菜ジュースに口につけながらラダーマンを見返すと、
「この兄ちゃんに仕事探してやってくれ。間抜けでも出来るぬるい仕事ならなお良い」
「は? なんで俺が」
「半年くらい前の人探しの時にスプリングとポニーを貸したよな? あんときの貸しがまだ生きてるだろう」
「ここで使ってやれば?」
「人は足りてるんだ。それにうちはウェイトレスしか使わねえ。むさ苦しい男に酒運ばせてみろ。客足が遠のくに決まってんだ」
「お陰でスプリングとポニーは尻を揉まれっぱなしだ」
「客が揉んでんのは胸だよボケ。ま、それも仕事のうちだ。つーわけだからよ、よろしく頼むぜ」
俺はため息をついた後、ジョッキの中身を一気に飲み干して口を拭い、太ももに包帯を巻いている男を見た。
「貸しは作れ、借りは作るな、責任は押し付けろ、手柄は分捕《ぶんど》れ、だな兄さん。あんたも、俺とラダーマンに借り一つだ。何かあったときは返せよ」
「お世話になります。はい」
「で、名前は?」
「ロディといいます」
「俺はココ。便利屋だ。脚は大丈夫か?」
「あ、はい。痛みますけど、歩けます」
「じゃあ行くか。ラダーマン、荷物預かっといてくれ」
俺は結局指に挟んだままだった煙草にそこでようやく火をつけ、一口吸って咥《くわ》え煙草のまま外に出た。
バスラント西方、バロール帝国首都、バロール。それがこの街の名前だ。帝国を名乗ってはいるものの、街二つと、後は農地しかない小規模な地区である。バスラント中どこも似たようなもので、王国、共和国、公国、などよりどりみどりだが、とにかく全部小さい。共和国と称していても実態は独裁制であったりと、つまりは独裁国家が掃いて捨てるほど林立している。まあ国の名前も由来も、全部心底どうでもいい話である。
西端に位置している幾つかの国、いや街の一つであり、一応は外との玄関口で、交易が盛んな街でもある。外との繋がりがあるという一点で、バスラントの幾つかの組織が本拠を置き、俺はそこから仕事を貰って飯の種にしている。連中がやっていることは大抵は非合法で、使い捨てに出来るような下っ端は幾らいても困らないと踏んでいた。ロディを連れて行こうとしているのはそういう場所である。
道々、退屈しのぎに他愛ない世間話を振った。
「あんたも大変だな。スプリングに絡からんだ挙句にこの様だ。相当絞られるぞ」
「やっぱり、かなりのお金を払うことになるんでしょうか」
「馬鹿でかい借りを作ったことになってるからなあ、一応。未遂に終わったとはいえ、スプリングの荷物を盗ろうとしたんだ。ラダーマンに喧嘩売ったのと同じだよ。殺されたくなきゃ言うこと聞かないとな。自殺願望があるんなら言うこたねえけど」
「そうですか。それで、私はこれからどこに連れて行かれるのでしょうか?」
「組織。まずは商会からだな。商会ってのはここいらを仕切ってる組織の一つで、要するにマフィアだ。表向きは武器商。裏向きはマフィア。正式名称はオーランド商会。けどここいらじゃ商会で通ってる。紛争の長期化を望んで延々と武器をねじ込んでる連中だ。この街で最大の組織だな」
「そこで、何を?」
「さあね。雇ってみないかと話をしてみるだけだ。下っ端の下っ端くらいなら雇ってくれるかもだし、そっから先は俺の管轄外。自分でなんとかしなよ」
「そんな無責任な」
「責任なら果たしてるさ。俺がラダーマンから頼まれたのはあんたに仕事を見つけろってことで、あんたを一人前のろくでなしに仕込むことじゃない。それ以上のことをしてほしけりゃ、金かそれに見合うだけのものを出すのが筋だよ」
俺の言葉にロディは返事をせず、しばらく歩いたところで別の話題を持ち出した。
「あの、私が何で盗みをしたとか、そういうことは訊かないんですか?」
「興味ないな。話したけりゃ聞くけど」
「じゃあ、話します」
「話すのか。まあいいや、続けてくれ」
思わず苦笑した。
「実は、私には主人がいるんです。共々この土地に落ち延びて来ました。食料を買出しに出たところで、いきなり襲われて、金を。それでも食料は持ち帰らねばならないと、仕方なく盗もうと思い立って」
「短い上につまんねえ話だな」
「そうですか。そうですね」
「武器も持たずにこの街をうろつくのが拙《まず》いんだ。話し振りからすると、外からやって来たんだろ? バスラントが酷《ひど》いことになってんのはよく聞こえた話だろうに」
「それにしたってここまで酷いなんて想像もしてませんでした」
「この街に限って言えば、これでも一時に比べりゃ落ち着いたほうだよ。俺が来た頃はもっと血腥《ちなまぐさ》かった。今よりも大きな組織が二つ多くてな。抗争してたんだ。昼夜構わず銃撃戦で、そこら中に死体がぽろぽろ転がってた」
「酷い話です」
「そうか? だからまあ、誰が死のうがどこでどんな不幸な目にあおうが、自分と関わりの無いところの話なら、そいつは問題が無いって話だ」
「ココさんのように考えないと、この土地では生きていけないんでしょうか」
「おいおい、その脳味噌は馬鹿みたいに訊き返すことしかしてくれねえのかよ。ちったあ自分で考えろ」
「あ、はい。そうですね。そうします」
ロディはどうにも臆病な男で、そんな男がどうして盗みなどしたのかと疑問に思うほどだったが、見方を変えればそれほどに主人とやらが大事だということでもある。
それを使って一儲けできないか、と思っていた所だった。
「こ、コココココ」
とロディがいきなり喚わめき出し、少し先を歩いていた俺はゆっくりと振り返った。
ロディが喉元に腕を回され、そしてこめかみに銃を突きつけられていた。銃を握っているのは初めて見る顔の男。そうこうするうちに別の男が脇道から現れ、俺に銃口を向けた。
またもや知らない顔だ。銃を向けている男の背後で、ロディはずるずると引きずられていく。足をもがいて必死に抵抗している様子ではあるが、どうにも体格が違いすぎていた。ロディを捕らえている男の腕は丸太のように太い。
「なんだ、お前ら。そいつが欲しいのか?」
「抵抗すれば発砲する。両手を挙げて後ろを向け」
「別に連れてってもいいけど、金寄越せよ。ただで連れてこうってのは舐なめた話だぜ」
「銃弾をくれてやってもいいんだぞ」
「参ったな。ラダーマンにしかられちまう。けど、まあいいや。連れてけよ。どうせ面倒だったんだ」
手前の男は、ロディを引きずっていた男にハンドサインで合図をした。
「軍人か?」
「余計なことは言うな。お前、自分の立場分かっているのか?」
「弾無駄にしたきゃ撃てよ。どうせ死に損ないだ。俺一人くたばったところで何も変わんねえ。むしろどっかの誰かが得をするかもだ。万々歳の世界平和だ」
俺が欠伸《あくび》をすると、男は不愉快そうに眉間に皺を寄せた。
瞬間。
俺は銃を抜いていた。弾が発射されるまでコンマ五秒もかからない。ガンマンを気取ったことは無いが、クイックドローにだけは自信があった。撃ったもの勝ち、という信条のたまもので、延々と練習を繰り返した成果である。
男は額に穴を開けてそのまま崩れた。足に力を込めて地面を蹴《け》る。ポケットからコンパクトサイズの手鏡を取り出し、路地の入り口の壁にへばりついて鏡で中の様子を確認しようとすると、同時に銃弾が飛んできて鏡が割れた。
「あーあ、勿体ねえ」
ぼそりと呟いて、今死んだばかりの男の死体に目をつけた。弾除けくらいにはなるか、と考え、男の死体を盾《たて》にして、脇道に突撃した。死体の脇の下から銃口を覗かせていたが、自分の足で歩いてくれない人間は、とにかく重たい。左腕一本で支えるにはかなりの無理が必要だった。
「ドレイク! 畜生!」
もう一人がそう叫び、銃を乱射した。脇道といっても狭い。跳弾が怖いが、壁のほうが脆《もろ》かった。
発砲と共に、次々と壁に穴が開いていく。もちろん、数発は死体に命中している。その度に腹の底に恐怖が生まれた。もう少しの辛抱、そう言い聞かせて堪える。
がちり。
撃鉄が何も撃たなかった音を確認した瞬間、俺は飛び出していた。男はロディを突き放して応戦のために構えを取ろうとしたが、俺のほうが早かった。眼前に銃を突きつけると、両手を挙げて何度か頷いた。
「無事か?」
男から視線と銃を外さずにロディに声をかけると、か細く震えた声が返ってきた。
「ぶ、ぶぶ、ぶぶぶ無事です。助かりました」
「貸し二つだな」
「はい」
「で、お前が狙われる理由は?」
「あ、その。主人のことと、思われます」
「厄日だなぁ全く。今日一日で二度も銃を向けられてよ」
「全く、肝が冷えます」
「こいつは? 知り合いか?」
「いえ。ですが、軍関係者だと」
「んなこた分かってんだよ。どこの?」
「マルクトです。第七マルクト帝国の」
大層な名前のマルクト。世界最大の版図《はんと》を誇る国家だ。金と人と物の溢れる豊かな国であり、バスラントのはるか南方に位置する。第七、とついているのは、現皇帝がはるか昔に出た六人の賢帝にあやかってのことで、自身を七番目の偉大な皇帝、と喧伝《けんでん》してのことだった。要するに単なるはったりである。
そして、俺の生まれた国でもある。
同郷人か、と一瞬だけ思った。思ってしまったせいでまた嫌なものを思い出してしまいそうで、俺は不愉快になった。劇的に訪れる不愉快さは、薬をやるより苛烈な速度で気分を高揚させていく。
「そっか」
と呟いたときには引き金を引いていた。炸裂音がして、男は膝を折り、そして左に倒れた。ひぃ、とロディの悲鳴が響いた。狭い場所であることと、声が細く甲高いため、反響して耳に痛い。
「なんだ、死体を見るのは初めてか?」
銃を仕舞いつつロディを見ると、腰を抜かしてしまったようで、顎を震わせながら、それでも上半身をなるべく遠くに持っていこうとのけぞっていた。
「し、しし、死んでる。何も殺さなくったったった」
ロディはパニックを起こしているらしく、言葉が上手く出てこないようだった。声にも顔にも怯えの色が濃い。俺は特に慰めてやろうとか、優しい声をかけてやろうだとかは少しも思わず、いつもの調子で言葉を口にした。
「ああ、なんとなくむかついたからな」
「そんな理由で? そんな理由であなたは人を殺すんですか」
「うん」
「間違ってますよ。いや、それはこの土地全部に言えるんだ。人の命が軽すぎて、私は、私は」
「私は?」
「もう耐えられない」
「耐えようが耐え切れまいが、知ったこっちゃねえよ。あんたがやるべきはラダーマンと俺に借りを返すことだけだ。それさえきっちりやってくれりゃ、誰も何も文句は言わねえ」
「この世の中って、もっと慈悲で溢れているものだと思っていました」
「そいつは不自由なく育った人間が見る錯覚だよ、ロディ」
「あなたは、あなたは私を救ってくれた。二度もだ。正直に言います。私はこの酷い土地で、あなただけは違うんじゃないかってそう思ってました。主人のことを話したのだって、そういう思いがあったからなんだ。もしかしたらこの人は、私たちを救ってくれるかもしれないって期待したんですよ。けど、それも思い込みだったんですね。あなたも、簡単に人を殺す側の人間だ」
「まあどうでもいいよ。それより、あんたの事情を聞かせてくれるか? 主人ってのは誰で、あんたは何者なのかってことも」
ロディは俺を見上げると口をすぼめ、への字に曲げ、その後でゆっくりと首を振った。
「言えません」
俺は頭をぽりぽりと掻いた。
俺が助けなかったらきっとこいつは俺のことを酷く恨んだのだろうな、とぼんやり考えた。それは確信に近かった。金持ちと権力者階級にこの手の人間が多い、というのが俺の人間観だ。つまりはロディにその種の人間の匂いを感じたわけで、たとえ今は文無しだろうと、上手くすれば金になるかもしれないと踏みつつあった。
「ロディ、手を焼かせないでくれ。面倒は嫌だぜ?」
ロディの表情には明らかに強い決意と俺に対する哀れみが満ちていた。どうやらすっかり信用を失くしてしまったらしい。
「もうこれ以上撃たれたくないだろう?」
ゆっくりと銃を取り出しながら宣言したが、ロディは口をすぼめて荒く呼吸を繰り返すばかりで、何も言おうとしなかった。少し苛立った。引き金に指をかけ、ロディに向ける。腕なり足なりに穴を開けてやるしかないか、と狙いどころを探していたときだった。
黒い影が俺とロディの間に降って来た。
次の瞬間にはそれが人であることに気がついたが、そいつは目で追うのが精一杯なほどの速度で動き、俺が引き金を引く前に、俺の手にあった銃を握りつぶし、そしてさらに念の入ったことに、俺の手を叩いてすでに鉄くずと化していた銃を落とした。
痺《しび》れるような痛み。
が、痛みを自覚した瞬間にはそいつは回し蹴りの動きに入っていた。見えているだけだ。ろくに腕で防ぐこともできない。かろうじて体が衝撃を逃す方向に跳んでくれていた。
俺は頭を蹴られ、そのまま地面を、それこそ飛ぶように転がった。きっちり三回転して止まったが、脇道から大通りまで出てしまっている。立ち上がろうにも頭が揺れてどうにもならなかったが、なんとか首だけを動かして、俺をのした奴とロディの様子を確認しようとした。
「おお、リリィ殿」
そいつはそう呼ばれていた。視界がいまいち定まらないが、どうやら細身の女のようである。
「ロディ殿、ご無事ですか。遅れて申し訳ありません」
「何を謝られることがありますか。お陰で命を拾いました」
「ロディ殿、お怪我を。それにこの死体は」
「ああ、これは」
「奴がやりましたか」
「いえ、違うのです。いや、この二人を殺したのは彼ですが、この怪我は彼の手によるものではありません」
「そうですか。ひとまずはここを離れましょう。失礼」
女はそう言ってロディの腰に手を回すと、跳んだ。
高かった。脇道の両側にある建物は二つとも五階建てだ。それを軽々と超えていた。
未だに揺れ続けている脳味噌の中で、一つの答えが導き出される。
ドラゴンキラー。竜殺しの超人だ。そしてその名前が頭に浮かんだとき、俺の頭には強烈な痛みが走り、思い出したくもない大量の情報が駆けずり回った挙句、最終的には気を失った。
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二章
目を覚ますと、酷い頭痛だった。
オレンジ色の光が目を突き刺し、それで目を覚ました。日の沈み具合から察するに、三時間ほど気絶していたことになる。
通りのど真ん中、先ほど女ドラゴンキラーにやられたままの場所である。体を起こすのが億劫《おっくう》だったが、場所が場所だ。なんとか体を座らせると、気を失っている間に盗られたものは無いかを確認した。
すぐ、脇が寂しいことに気がついた。ホルスターが抜かれている。腰にあった懐中時計も、鎖も消えていた。銃が差してあればそれごと盗られていただろうが、生憎先ほどの接触ですでに鉄くずだ。
命があるだけ良しとするべきだろう。他に無くなっていたのは財布と煙草とライターである。あとは嫌がらせか、ベルトと左右のブーツの靴紐がすっかり抜き取られていた。靴ごと持って行かれなかったのが不思議だが、これはこれで歩きづらい。
立ち上がってみるとパンツが下にずれた。体の調子を確認すると、蹴られた右の側頭部が痛む。この程度で済んだ、ということはあのリリィと呼ばれたドラゴンキラーは、相当に加減して蹴った、ということである。ドラゴンキラーが力を込めれば、人間の頭など簡単に砕け散る。
命を拾えたことをほっとする一方で、ロディが手を離れたことが面倒を予感させる。いや、それよりも、この街にドラゴンキラーが入っているということが大問題だった。
バスラントで統一のための紛争が延々と続いている理由の一つに、どの国にもドラゴンキラーが居なかった、ということが挙げられる。
ドラゴンキラーを戦力として勘定するときは、一個師団、国によってその数に違いはあるものの、およそ一万から二万人分の戦力として数えるのが通例だ。あの化け物は個人で最小の戦略単位に数えられる。小国揃いのバスラントにそんなものが入れば、瞬く間にパワーバランスが崩れるに違いなかった。
それは俺たちの生活基盤そのものを崩すことと同義だ。強力な統一政権など、誰も望んでいない。
これまでバスラントにドラゴンキラーが居なかった理由は、その成り立ちにあった。
竜の血肉、その猛毒を体内に入れて、なおかつ生き残れたものだけが竜殺しの化け物になれるらしい。竜の血肉を摂取して生き残れるのは一万人に一人とも言うから、普通はまず死ぬ。確実に死ぬといっても間違いではないはずだ。
だから普通の人間は食わない。普通でない人間が食うのだ。
国家に命を捧げても惜しくないと正気で信じている国粋主義者とか、絶対の暴力を追求する変態とか、あるいは体を差し出す以外に生きる道の無い極貧層だ。ドラゴンキラーの大半はこの極貧層から出ているらしい。
万に一つの賭けに生き残ることが出来れば、そこからの生活は保障される。強大な戦力を欲する国家か、ドラゴンキラーを飼っていることをステータスとしたい金持ちか。能力に見合うだけの大金を得るわけだ。
バスラントの国家群にドラゴンキラーが居ないのは、揃って小国だからだ。ドラゴンキラーを一人作ろうとすれば、一万からの犠牲が必要で、そんなことをすればあっさり国が傾く。実際、ドラゴンキラーを生み出そうとして領民の大半を死に追いやった領主の逸話はどこにでも転がっている。
が、それはあくまでも国家の話。
裏側に目をやれば、このバロール内にもドラゴンキラーが一人居る。俺がロディを連れて行こうとした商会に所属していた。死の商人である商会が、国家間のいざこざに首を突っ込む道理は無く、彼の任務は主にバスラントに棲すむ竜の駆逐だった。
ともあれ、これからどうしようか、と俺はため息をついた。盗られた財布の分くらいは金が欲しいが、差し当たっての仕事も無い。ラダーマンにロディのことの報告もしなければならないが、どうにも俺の手落ちで落ち着きそうな気配もある。そのロディとドラゴンキラーのこともどうしたものか。
一度に色々考えすぎて頭が痛くなった。
とりあえずは銃、そして金だ。
ロディとリリィが他の誰かに目撃される前に、この情報を金に換えようと決めた。
パン屋兼情報屋、パーマーベイカリー。
店主パーマーはいつもキッチンでパンを捏《こ》ねていて、店にいるのは一切の表情をどこかに取り落としてきたのかと錯覚するほど、年中無表情な売り子である。どこの店にも言えることだが、店主の趣味でセックスアピールの激しい制服を着ている。ただ、売り子の彼女は表情が無いのと、体型が細すぎることが原因であまりアピールにはなっていないようだった。加えてどうでもいい話だが、この店員アズリルに対してスマイルを要求した猛者《もさ》がいたらしいが、表情は変わらなかったと聞いている。彼女が笑顔を見せるのは雇い主のパーマーだけだ、というのが通説である。
俺は店の前までブーツを引きずりながらなんとか移動してきていた。
防弾ガラス張りの外観で、店内の様子がうかがえる上、焼きたてのパンの匂いが立ち込めている。ガラスにへばりつくようにして、物欲しそうに店内をうかがっている少女がいたが、その脇をすり抜けて店に入った。
「パーマーはいるかい?」
俺がレジカウンターに肘を置きつつ言うと、彼女は聞き取りにくい小さな声で返事をした。
「少々お待ちください」
そう残して店の奥に消える。腕を振ることもなく、膝さえも動いているように見えない不思議な動き方で、この世の生き物ではない、と言われても信じてしまいそうだった。レジの内側に目をやると、本来バゲットなんかを入れておく篭に、銃身を切り詰めた騎兵銃が何本も入っていた。武装しているのはどこの店も一緒だ。
ややあって、パーマーが現れた。こちらも力の要るパン屋とはとても思えない。どちらかといえば芸術家めいた容姿で、細く繊細だった。丸眼鏡がやたらと似合っている。売り子と並ぶと、芸術家とその弟子、という風体でもあった。およそ血なまぐささの感じられない二人だ。
「景気はどうだい?」
「特別に悪くはないよ。で、買って欲しい情報があるって?」
「ああ。ドラゴンキラーについて、なんだがね。俺が一番か?」
「初耳だ。それが与太話じゃないって証拠は?」
「もちろん」
俺はそう答え、ドラゴンキラーに握りつぶされた銃を見せた。よくよく観察してみると、指の形がしっかりと残っている。猿の握力でもこうはならない。
「なるほど。よく生き残れたね。で、そのお陰で酷い格好をしているのかな?」
「加減されたらしい。盗られたのはその後だ。盗ったやつのことは知らねえよ」
俺はその返事をきっかけに、今日ロディと会ってからのことを細かく話した。パーマーは話の途中に相槌《あいづち》を打つこともせず、アズリルと並んで表情にこちらを眺めているだけだ。話し甲斐の無い奴だ、と思う。
全て聞き終えると、ふぅん、と漏らした。
「マルクトの軍人ね。そのロディという男もそうなのかな。あるいは今現在マルクトが敵対している幾つかの国家の要人か」
「世間知らずの役人って感じの人間じゃあったがね。その主人ってのが気にかかる話だな。軍人どもの狙いはそっちだろう?」
「だろうね。さて何者が入り込んだか、だ。まあいい、これぐらいでどうかな?」
パーマーはそう言ってカウンター下の金庫を開け、金貨を一枚取り出した。
このご時世に古臭い話だが、バスラントでは未だに硬貨が通貨として流通している。現在の状勢がそうさせていて、つまりは国家の発行した紙幣に信頼が置けない、という意味である。これまで金という意味を持たされていた紙幣が、明日にはただの紙切れになる可能性があるわけで、当然といえば当然の話だった。ちなみに単位を羅列すると、下から銅貨、小銀貨、銀貨、大銀貨、金貨という風に続く。十倍すれば単位が一つ繰り上がる。身近な所に例を求めれば、役人の給料が月に金貨二枚、というところだ。
「ま、妥当なとこだな。ああ、パン一つくらい色つけてもらっていいか?」
「好きなのをもって行くといい」
俺は金貨をパンツのポケットに突っ込み、店のカウンターから干した果物を練りこんだパンを手に取った。店を出ようとしたところで、背後からパーマーの声がする。
「物好きなことだね」
一瞬、何を言っているのか分からなかったが、次の瞬間には心無しか頬が熱くなっていた。見透《みす》かされた、と感じるとどうにも弱い。
「野良犬に餌をやるのと同じだよ」
強がって言ってみたが、パーマーは微笑していた。俺は手に持っていたパンを振りつつ、店を出た。
出るなり、先ほどからガラスに張り付いている少女を見た。相変わらず、店内を眺めているが、視線の先にあるのはパンだけだ。
「嬢ちゃん」
と声をかけると、彼女は俺の方に向き直った。
将来は美人になる、と思える顔立ちの子供だった。服装は青を基調としたツーピースで、上着は肩の盛り上がったいわゆるマトン・スリーブ。いたるところにさりげなくレースの装飾が施ほどこされていて、なかなか上等な服である。下はブラウスで、赤いネクタイを締めている。
大きな大きな青い目と小さな鼻。上品な金色の髪は肩にかからない程度で、側頭部から細く編みこまれたものがそれぞれ三束。それを後ろで束ねている。顔立ちは全体的に丸いが、それは幼さが原因だろう。もう五年もすればすっきりとするはずだ。
改めて見てみると、どこの貴族だと思える身形《みなり》だった。年齢は七歳から八歳程度に見える。
ろくでなしの吹き溜まりみたいなこの街との釣り合いが取れていない格好である。
「やるよ」
そう言って俺はパンを差し出した。彼女は怪訝《けげん》な表情をしたし、明らかに警戒している様子だったのだが、俺は苦笑して彼女にそれを押し付けた。
「じゃあな」
脇を抜けて歩き出したが、五歩と歩かないうちに袖を引かれた。振り返ると、彼女がパンを差し出している。
「要らない。ものをただで貰っちゃ駄目だって言われてるから」
そう言って首を振った。俺はこめかみを掻いた。
「困ったな、別に金取ろうなんて思ってないぜ。物欲しそうに中を見てたから、それで一つ良いことでもしようかって思っただけなんだが」
「要らない」
困ってしまった。
俺にしてみれば善意の施しである。この街で善意なんて持ち合わせている連中のほうが少ないが、俺にはそれをするだけの理由があった。
ちょっとした験担《げんかつ》ぎである。
仕事でケチのついた日には大抵そうする。散財とまではいかないが、誰かに酒を奢《おご》ることが多い。そうやって良いことをして、厄を落とす、という風に考えるのだ。
運なんてものをどれほどの人間が信じているかは知らない。が、俺は誰かを測る上での確固たる指標の一つとして確実に意識していた。腕が良くても運が無くて死んでいった奴を山ほど見てきたのだ。
それは俺にしたって言えることだったから、良い運を呼び込んでやろうと、ちょっとだけ良いことをするわけである。錯覚だ気のせいだと自分でもなんとなく理解しているものの、すでに俺の骨身にまで染みた考え方である。ぎりぎりの状況になったとき、あの時の悪い運が今、自分の首を絞めている、とそのように考えたくないからだ。
死ぬ理由を運が悪いせいにしたくない、ということである。どうせ死ぬなら、力が及ばずに死んだと思いたい。
「参ったな、どうしても貰ってくれないってのか?」
「うん」
俺はため息をつき、その場に座り込み、ベーカリーの防弾ガラスに背を預けた。彼女もその隣に中腰になる。煙草を取り出そうとしたのだが、先ほど盗られていたことを思い出した。置き場所の定まらなかった手をそのまま膝にのせ、小さく苦笑してから話を始める。
「まあ今日はちょっと嫌なことがあってな、そういうケチのついた日には何をやっても上手く行く気がしないもんだ。悪い日だな。そういう日にはどうしたらいい?」
「分かんない」
「まあ、俺にも分かんねえんだけどな。なんとなく、良いことをすりゃあいいんじゃないかって気になる。よく言うだろう? 悪いことをしたらいつかは自分に返ってくるって。良いことをするときにも同じ理屈が使われる。嬢ちゃんにパンを貰って欲しいのは、まあそういう話だよ。ちょっとだけ良いことをして、今日を物凄く悪い日から、ちょっとだけ悪い日にしたいんだ。だからそいつはただじゃねえ。俺の悪い運をしこたま吸った特別のパンだ」
「そうなの? じゃあ余計に要らない」
あまりの素直さに俺は苦笑していた。
「だからさ、それを仕事と考えるんだ。嬢ちゃんは我慢して、俺の悪い運の詰まったパンを貰う。嫌な話だ。だが仕事ってのはそういうもんだ。動かしたくない体や、考えたがって無い頭を無理に働かせて、それを金と交換する。嬢ちゃんの場合は、貰いたくもないパンを貰うんだ。そいつは何と交換だ?」
「貰いたくないって気持ち?」
「そう。我慢することが仕事だ。割の良い取引だと思うけどな」
彼女は未だに自分の手にあるパンを睨《にら》んでいた。その後、一旦視線を動かしてベーカリー内部のパンを眺めた。どうせならあちらが欲しい、と思っているのだろう。
「あっちが良いか?」
俺が問うと、彼女は首を振って否定した。
「そうじゃないの。これだけじゃ全然足りなくって。食べるの、私だけじゃないから」
「そいつは大変だな」
うん、と沈んだ声の返事だった。彼女は再び視線を手中のパンに戻すと、俯《うつむ》いてしまった。が、視線を動かして、俺のブーツに靴紐が無いことに気付いたらしく、
「あ、靴」
と短く言った。
「そうなんだ。色々盗られちまってな。財布と煙草とライター、あとはホルスターか。やられたよ」
「歩きにくくないの?」
「そりゃあ歩きにくいさ」
彼女はしばらく靴紐の抜かれたブーツを見ていたが、やがて思い立ったように自分の髪を解いた。ぱっと散らばったが、編みこまれた部分はさすがに解けない。それに手櫛《てぐし》を入れつつ、彼女は解いたばかりの紐を差し出した。
「これ、買ってくれない? 歩きやすくなるよ」
「そりゃそうだが、いいのか?」
「うん。どうしてこんな簡単なことに気がつかなかったんだろう。着てるものとか、売ればいいんだ」
「最後には素っ裸だ」
言いつつ彼女の手から紐を受け取った。たいして長くもない紐で、靴紐とするにはいかにも不足しているが、応急の処置は出来そうだった。俺は歯を使って紐を半分に切ると、ブーツの一番上の穴に通して結んだ。
「じゃあ、パン屋に入るか」
彼女を連れ立ってパン屋に入った。金を渡すことが出来なかったのは持ち合わせに金貨一枚しか無かったからである。小銭が全く無い。
「好きなのを選ぶといい」
俺の言葉に彼女は眉を寄せた。見た所、大振りのパンが三種類あって、そのうちのどれにしようかと悩んでいる様子である。パンなど幾ら買ったところで大した額でもないから、俺はつい気が大きくなって、
「悩むなよ。三つとも買えばいい」
と言ってしまった。彼女はぱっと明るい表情を見せて、
「ありがとう。リリィは沢山食べるから、幾らあっても困らないの」
俺の頭を蹴り飛ばした奴と同じ名前が彼女の口から紡がれ、そして俺は頭にちりちりとした痛みが走ったことを自覚した。
お礼の笑顔を見せる彼女を横目に、俺は大声を出していた。
「パーマー!」
彼女の体がびくりと震える。俺は厨房へと続くドアを睨むように見ながらパーマーの名を呼び続けたが、そのうちに視界の端でアズリルが言葉を投げてきた。
「店内では大声を出されませんようお願いします」
「騒がれたくねえってんなら、とっととご主人様を呼んで来いよ番犬。まさか奴の尻の穴を舐めるだけが取り得ってわけでもねえんだろ? ああ間違えた。手前《てめえ》の尻の穴を舐めさせてんだったか?」
口の端を歪《ゆが》めて言ってやると、普段は全く表情を動かさないアズリルの瞳に、静かな殺意が宿ったことに気がついた。俺は自分の口の端がますます持ち上がっていくのを止められなかった。
構うものか。俺だって頭が痛くてたまらない。
そう。理由なく誰かを殺せる程度には。
俺とアズリルが銃を抜いて対峙《たいじ》したのと、パーマーが奥から現れたのは同時だった。瞬時にパーマーを見たが、視線を交わらせているうちに、俺は自分が銃を抜いていたことが妙に恥ずかしくなって、ゆっくりと銃を仕舞った。
「取次ぎくらい頼めばいいだろうに。何を苛立っているんだ、君は」
頬が熱い、気がする。俺はパーマーから視線を外しつつ言った。
「気にするな。頭が痛いだけだ。それより、あの嬢ちゃんから面白い話が聞けそうだぞ」
「何?」
「俺がさっき売った情報の、もっと詳しいやつをさ」
「関係者?」
「多分な」
パーマーは片手を挙げてアズリルの制止を行いつつ、小さくため息をついた。隣ではアズリルが銃を仕舞っている。
「わざわざそんなことを言うために君は大声を出したのか? 呆れたな。店を荒らしたり、行儀のなってない客は撃っていいって含めてあるのに。君だってそれは知ってるはずだろう?」
「いいんだよ。それより、嬢ちゃん。リリィってのは大食いか?」
「うん。沢山食べるけど」
「ドラゴンキラーだろう」
「え? リリィを知ってるの?」
「勘だよ。これでも嬢ちゃんよっか長く生きてんだ。年食ってる分だけ、勘も働くってもんだ」
彼女は感心したらしく、すごい、としきりに漏らした。頃合を見計らって言葉を続ける。
「もう一個当てようか。嬢ちゃんは余所者《よそもの》だな。この土地に来たのは最近だ」
「なんで分かるの?」
「この街のことを知らないからさ」
言いつつパーマーと視線を交わした。俺たちは頷き、そしてそれだけで意思の疎通は十分だった。
「お嬢さん。僕は情報屋をやっているパーマーだ。彼女はアズリル」
「アルマです。よろしく、パーマーさん」
そこで初めて彼女の名前を知った。自己紹介くらいしておけばよかったか、と今更ながら思うが、ここで口を挟むのはよろしく無いだろう。
「パーマーでいいよ。よろしく、アルマ。それでね、この街の人間は皆臆病者が揃っているんだ。君はいまいち実感が湧いてないかもしれないが、この辺りは治安が悪くてね。例えば、誰がどれだけ強いのかってことを知らないよりは、知っているほうが安全だ、そうだろう?」
アルマは頷いた。
「つまり、そういう情報ってものには価値があるんだね。そして、僕は君の知り会いであるドラゴンキラー、リリィさんだったかな、その人のことを知りたいんだ。この店のパンを全部提供しよう。それで取引しないか?」
「全部? 本当?」
「ああ本当だ。もちろん一人じゃ運べないだろうから、うちのアズリルを使うといい。彼女はこう見えてなかなか強いんだよ」
「恐縮です」
「さて、後は君次第。情報ってのは腐りやすいものだからね、パンと引き換えに出来るのは今だけだ。次来たって、同じだけのことはしてやれない」
パーマーは笑顔と柔らかい口調を崩そうともしなかった。
アルマはしばらく悩んでいたが、周囲のパンに目がくらんだらしく、最終的にはパーマーの取引に乗った。
少し、後悔した。
苛立ちに任せてパーマーを呼びつけた結果がこれだ。世間話のついでにアルマから身の上話を聞き、それを改めてパーマーに流せば、金貨をもう一枚くらいもぎ取れたはずである。いや、彼女がこれから話す内容のほうがずっと価値があるはずだから、金貨一枚どころの話ではない。
帰るか、と思い立った。これ以上ここにいても得は無い。いやむしろ、聞きたくもないドラゴンキラーのことを聞かねばならないというのは、苦痛ですらある。が、一方でほんの僅かな興味もまた湧いている。
俺にとってドラゴンキラーは憎悪の、嫌悪の、そして恐怖の対象であり、だからこそ知っておきたいという欲求が発生するのだ。心底嫌っているものだから、そいつが今どこにいて何をしていて、何を思っているのか、それを知っているといないとでは、対応にかなりの差が出る。
俺が密かな決意を固めている一方で、パーマーは話を進めていた。
「結構。取引成立だね。立ち話もなんだ。アズリル」
「はい」
「お茶と椅子の用意を」
「承りました」
店の奥へと消えていくアズリルの背中に、
「俺の分も頼むよ」
と声をかけたが、果たして持って来てくれるかどうか怪しい。
三分ほど待つと、案の定、アズリルは一人分の椅子とお茶を運んできた。
「俺のは無いのか?」
「あなたを客だと認める必要がありません」
「ああそうかい」
アルマは椅子に座り、上等なカップに注がれたお茶を一口飲んだ。
「美味しい」
「さて、話を聞こうか。君はどこから来て、この街に何をしに来たんだい?」
「逃げてきたの。マルクトから」
「誰から?」
「政治家さんたち。ロディは、皇子《おうじ》派の連中って言ってた。あ、皇子っていうのはお父さんの息子で、私のお兄さんなんだって。お母さんは違うんだけど」
思いもよらない話だった。少しばかり大きすぎる話でもある。ちらり、とパーマーを見ると、若干緊張しているのか、作り笑顔が崩れかけていた。興奮しているのだ。目が大きく開き、口元には作ったものではない本物の笑顔が浮かんでいる。
この男の本性だ。この街の住人に相応しい、善意の一片すら発見できない、どこまでも歪んだ笑顔。
パーマーは自覚していたらしく、下がってもいない眼鏡を調整しつつ、言葉を継いだ。
「アルマのお母さんはどんな人?」
「昔はお城でメイドをやってたんだって。でも、私が産まれてからは街に住んでたの。お母さんはね、私たちが不自由なく暮らせるのは、お父さんのお陰なのよっていつも言ってた。でも、私が小さいときに死んじゃった」
「そうか。リリィさんは?」
「リリィはね、お母さんが死んじゃった後、私のお世話をするんだってやってきたの。強いのよ。リリィはドラゴンキラーなんだから。だから沢山沢山食べるの。大人の男の人の何倍も食べるのよ。知ってた?」
「ああ、ドラゴンキラーは大食漢だって有名だものね」
事実である。連中はどういう胃袋の作りをしているのか、常人の十倍からの食事を取る。最低で十人前。上を見れば底なしに食うとも聞く。もっと言えば、それだけの量を取らなければ翌日には痩せてしまうらしい。かなり切実な問題である。
食わねば細る。細れば弱る。弱ればすぐに動けなくなる。常人ならば食わずとも水だけで一月は持つらしいが、ドラゴンキラーの場合は二、三日とも聞く。
パーマーがパン全部という取引を持ちかけ、アルマがそれに乗ったのも、ドラゴンキラーのこの体質によるものだった。
「いつもは私とリリィの二人だけなんだけど、たまにロディが遊びに来てくれてたの。でも、この前の夜にね、怖い人が来るから逃げるって言って、それでお家を出て、船に乗ったり、馬車に乗ったりしてこの街に来たの。ここなら安全だってロディは言ってた」
馬鹿な話である。バスラントのどこが安全だというのか。が、人間が善意で出来上がっているというロディの幸せな考え方を追いかければ、そういう結論になるのかもしれない。馬鹿らしくて笑おうとしている口を、俺は思わず押さえた。
「皇子派の話をもっと聞きたいな」
アルマは難しそうな顔をして、しばらく考え込んでいたのだが、結局は首を横に振った。
「分かんない。ごめんね。もっとちゃんと聞いとけばよかったんだけど。皇女《おうじょ》派? 皇子派? あとなんだったっけ。そう、民主派って言ってた。でも名前くらいしか分かんないの」
「謝ることなんてないよ。君はマルクトの皇女様なんだから。貴顕《きけん》ってものは僕ら下々とは違った生き物だからね」
パーマーの言葉にアルマはくすくすと笑った。
「ロディみたい。ロディもね、同じこと言うのよ。下々の人間と軽々しく口をきいてはなりません、って。でもいいの。継承権? っていうのが無いんだって聞いてるから、本当は皇女様なんかじゃないって、私知ってるもの」
「でも追われているんだろう?」
「そうなの。その辺は分からないんだけど」
「つまり君たちは、マルクトから逃げてこの街に来た、そういう話でいいんだね? 行く当てはあるのかな?」
「無いの。しばらくはこの辺りにお部屋でも借りようってロディが言ってたんだけど」
そのロディは襲われて金を盗られた挙句に、自分も引ったくりの真似事をして大怪我。
「でね、帰りが遅いからってリリィが探しに行ったんだけど、私は待つのが嫌だったから、外に出てきたの」
「それでここの外にへばりついてたのか」
「パンの耳くらいなら貰えないかなって」
「ああ、済まない。パンの耳は他に回すことになってるんだ。君に渡すことは出来ないよ」
「そうなんだ」
話を聞きつつ、ようやく彼女らの行動を頭の中で繋げることが出来た。
三人はこのバロールの街に逃げ込んだ。今のところどこをねぐらにしているのかは分からないが、まともな部屋ではないらしい。そして、買出しと部屋探しに出たロディ。それを探しに行ったリリィ。一人残されたアルマは、退屈だったのか、自分も何かの役に立ちたかったのかまでは分からないが、食料を探しに街へ出た。それで今に至っている。
三人ともと接触した今日の俺は、果たして幸運なのか不運なのか。
「よく分かったよ。ありがとうアルマ。この情報は貴重だ。この店のパンくらいの価値は十分にある」
「本当? 良かった。話してみてやっぱり駄目って言われたらどうしようって思ってたの」
「心配性だね。けど大丈夫。アズリル」
「はい」
「パンの袋詰めを。それと荷馬車を用意してくれ。あとはやることは分かっているね?」
「はい」
「よろしい。準備にかかって」
それからしばらく、俺は黙って作業の様子を眺めていた。アズリルはてきぱきと仕事をこなし、アルマはパンを右から左へと運ぶ。パーマーは作業の様子を眺めているようで、実際は何も見ていなかった。色々と考えるところがあるのだろう。
作業が終了するまでおよそ十五分。それらを荷車に載せるのにさらに五分。
「では、行って参ります」
「気をつけて。強盗等の襲撃があった場合は実力をもって殱滅《せんめつ》するように」
「承《うけたま》わりました。装備は万全です」
アズリルはそう言って微笑した。そりゃ殱滅も可能だろうと思える武装で、荷車の三分の一ほどを機関銃が占拠していた。三脚付きの機関銃で、持ち運びに不便なのが最大の欠点だが、火力は相当なものだ。弾をそれこそ霰《あられ》のようにばら撒く。殱滅という言葉があながち嘘でもないことを教えてくれる素敵な武器だ。
アズリルは手綱《たづな》を取って歩き出した。アルマもそれに続くかと思っていたのだが、俺の前までてくてくと歩いてきて、にっこりと笑った。
「お名前、まだ聞いてなかったでしょう?」
「ああ、そうだったか。俺の名はココだ」
「ココ? 女の子みたいな名前だね」
「そうかい? 良い名前だろ。気に入ってるんだがね」
「可愛い」
「ありがとよ。気をつけてな」
「うん。ありがとうココ。沢山お世話になっちゃって」
走ってアズリルに追いついていくアルマに、片手を挙げて返事をした。パーマーが横に並んでいたから、その挙げた手をそのまま差し出す。
「何?」
「面白い話聞けたろ。情報料。くれよ」
「冗談だろう? パンで払ったじゃないか」
「ああ、やっぱそうなるよなあ」
「おや、てっきり彼女に施したいがために、そうしたのかと思ったよ。普通なら、彼女から聞きだせるだけ聞き出した後で僕のところに持ってくるはずだ」
「本当に頭痛かったんだよ。苛つくんだ。竜とか、ドラゴンキラーとかさ。ふざけた生き物だ、くそったれ」
「昔何があった?」
「知らんね。聞きたけりゃ金寄こせ」
「そこまでして聞きたいとも思わないよ。今はこの手元の情報を売りさばくのが先決だ。明日はパン屋のほうは休業だね。仕込みをする暇が取れそうもない」
俺はため息をついていた。なんだか盛りだくさんだった割に、儲けの少ない一日だった。何よりドラゴンキラーに出くわしたのが最悪だ。
「帰るわ」
「またどうぞ」
俺はとぼとぼと歩き、そういえばラダーマンに荷物を預けたままだと思い出して、帰り際にカフェに寄った。
「あ、ココ。お帰りぃ。随分遅かったね、ってどうしたの?」
間延びしたスプリングの声が懐かしい。彼女は俺のちょっとばかりぼろぼろになった風体を見て、何事かと思ったようだった。
「色々あったんだよ、色々」
カウンター席に腰を下ろすと、足腰に随分疲れが溜まっていたらしく、痺れるような心地よさがあった。
「で、野郎はどこに預けた?」
ラダーマンが早速言う。逃げられたことを告げると、途端に不愉快そうな顔をした。
「手前はガキの使いも出来ねえってのか? ああ?」
俺は今まで何があったのかを詳しく話した。パーマーに話した後だからか、幾分整然としていた。
「つーわけだ。不可抗力だよ、どうにもならん」
「知るかよ、竜が出ようが竜害に遭おうがドラゴンキラーに殺されかけようが、そんなこたぁどうだっていいんだ。大事なのは、手前が俺の依頼したガキの使いみてぇなぬるい仕事をこなせなかったってことだけだよ」
「同情ぐらいしろよ。大変だったんだぜ」
「知るかよ。けどまあ、これで貸しは貸しのまんまだな」
俺は小さく舌打ちした。どうも良くない。元はといえば、以前の借りをそのまま今日まで引っ張ったから、あまり面白くもない経験をしたのだ。ここは一つ、清算したほうがすっきりするだろうと思えた。
俺は懐から現在の手持ちである金貨を取り出し、ラダーマンに向けて弾いた。
「ビール。釣りは全部やるよ。それでちゃらにしてくれ」
「気張るじゃねえの。化け物に蹴られて脳味噌がちったぁましになったか?」
「なんか面白くない一日だった。今日はもう寝る」
俺はそう言って立ち上がった。スプリングが、俺の預けていた荷物を持って来てくれる。それを受け取りつつ、店を出ようとした。
「おい、ビールは?」
「明日飲むよ。取っといてくれ」
「んなこと出来るかよボケナス」
俺は店を出て、裏手の階段を上った。
部屋に戻ると、荷物をそのまま床に投げ出し、靴を脱ぎ、勢いのままにベッドに転がる。
本日の儲け、無し。損害、銃とホルスター、懐中時計に財布に煙草にライターに、ブーツの靴紐。
散々だ。全く。
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三章
目を覚ますと、やっぱり頭痛だった。
夢を見た記憶は無いが、悪夢を見たというイメージだけはあって、それが息苦しさの理由のようでもあった。背中に、嫌な汗をかいている。
体を拭き、予備の銃やら時計やらを身に付け、ようやく昨日と同じ格好をし終えて、俺は久方ぶりとなる煙草を口につけた。久しぶりすぎて、少しくらくらする。一服し終えてから初めて時間を確認したが、早い時間に寝入ったためか、まだ深夜二時だ。
もう一服つけようか、と煙草を取り出すと、腹が鳴った。昨日の食事を思い返すと、野菜ジュースしか口にしていないし、そもそも昼に起きて夕方には眠っているのだ。色々あった割りに、活動時間はえらく短い。
なんだか、物凄く駄目な気がする。
とりあえず気を取り直して飯だ、と思い立った。酒を入れず、食い物を入れてやれば少しはしゃっきりするだろう。
ラダーマンのカフェは昼から翌日の朝方まで開いている。今ならば、酒やら薬やらですっかり出来上がった連中が騒いでいる頃だ。俺は部屋を出た足で、カフェに向かった。階段を下りるだけで飯と酒を出す店があるというのはありがたい話だ。面倒が無い。
木製の分厚い扉を開けると、俺の予想とは少し違った光景が広がっていた。
客の数が明らかに少なかった。普段なら喧騒《けんそう》に支配されている店内は、今日はがらんとして、流行《はや》っていない店のようである。確かに味は美味いとは言いがたいが、それでも妙な居心地の良さと、美人のウェイトレスのお陰で客の入りは悪くない。
何かあったのだ。店に通う無法者たちがいなくなる出来事が。
昨日の今日で直感してしまう自分が嫌だった。まず間違いなくドラゴンキラー絡みの話に決まっている。人が居ない理由は、それが儲け話だからだ。つまり、誰かが懸賞金をかけたとか、そんなところだろう。
ため息をつきつつ、カウンターに近づき、
「よぉラダーマン。不景気な店だな、おい」
「なんだ、お前も興味ない口か? 俺が若い頃はもうちょっとがつがつしてたもんだ。生き急いだほうがよかねぇか? 便利屋なんざ体の動くうちしかできねえんだぜ」
「まだ二十歳過ぎたばっかだよ。余計なお世話だおっさん。それよりなんだ、自由参加のパーティーでもあったかい? あ、野菜ジュースと飯な」
ラダーマンは注文の品の用意を始めた。作業中は時折俺に背を向けたが、声を張って喋った。
「ガキをエスコートして来いってよ。生かして連れてくりゃ、金貨三百枚ってなもんだ」
「ガキ?」
「お前が夕方に話してたろ。なんとか言う名前の、マルクトのメスガキだ」
「アルマだ」
「そうそう。そんな名前だったか」
「懸賞金かけてんのは?」
「商会」
「豪勢な話だ。ま、それくらいの価値はあるのかもな。けど、ドラゴンキラーの護衛がくっ付いてんだぜ、よく参加者が集まったな」
「おいおい、寝ぼけてんのかココ。懸賞金かけてんのは確かに商会だが、その商会が動いちゃなんねえって決まりはねえだろ。早速切り札を切ったんだよ。商会のドラゴンキラー、パルパだ。そいつを護衛のドラゴンキラーにぶつけようって腹さ」
「へえ。派手なことになったもんだ」
「全くだ。お祭り騒ぎって奴だよ。心配の種の女ドラゴンキラーはパルパが押さえるんだ。途中参加でも、チャンスが無いわけじゃない。ついでに言っとくが、スプリングとポニーも参加者だ。俺が行けって言ったんだがな」
野菜ジュースを作り終えたラダーマンは、振り返りつつ、にやにやと笑った。
「あの二人ねえ。威嚇射撃のつもりで撃ってんのに、ぶち当てちまうようなとこあるからなあ、危なっかしいもんだが」
「大丈夫さ。二人ともうちから薬を買ったこたあねえし、お頭《つむ》もしゃっきりしてる。銃の腕は確かにいただけねえが、何より良い女だ。俺に取っちゃそれだけで十分さ」
「それより、何か仕事はねえか?」
「おいおい、今この街でそんなふざけた物言いが通るって真剣に思ってるのか? いっぺん頭の病院にかかれ。頭良くしてください、もしくはもっと馬鹿にしてくださいってな。そうすりゃ医者は、ラダーマンに薬を処方してもらえって返事をくれるだろうよ」
ラダーマンは自分のこめかみをつつきながら、野菜ジュースを出してくれた。一日の最初に口にする飲み物だ。相変わらず不味いが、野菜は体に良いとかいう話をどこかで耳にして以来、二日酔いだろうが頭痛だろうが腹痛だろうが、薬代わりに飲むことが多い。
「ドラゴンキラーってのが苦手なんだよ。だからそうがみがみ言うなって。普通の人間同士の荒事だったら幾らでも参加してやるよ」
やれやれ、とラダーマンの表情が言っていた。俺は煙草を吸いながら野菜ジュースを飲み、仕事を探して歩こうかと考えていた。ラダーマンは馬鹿な意見だと言うかもしれないが、フリーランスの便利屋がこぞって狩りに参加している今、手が欲しい連中も少なからずいるはずだ。これを機会にどこかの組織とつながりを持っておくのも悪くない。
ジョッキの中身が半分ほど減った頃、ラダーマンがサンドイッチを出した。出しつつ自分は細い葉巻を取り出し、マッチを擦った。多少の気を使っているのか、煙を天井に向けて吐く。
「で、真面目な話、どっか人の手が要りそうなとこねえかな」
「さあなあ。ま、心底情報が欲しいんだったら情報屋使うのが一番だ。仕事の口くらい斡旋《あっせん》してくれるだろう」
あまり美味くもないサンドイッチをかじりつつ、俺も思案顔を作った。候補は幾つかあったが、やはり飛び込み営業をかけるしかなさそうである。まあ、それも悪くないだろう。ドラゴンキラーだ何だと騒ぎたてるより、余程身に合っている。
「しっかし、ここで何年も店開けてるってのに、このクソ不味いサンドイッチはどうにかなんねえのか? つーかよ、サンドイッチが何で不味いんだ? 材料挟むだけじゃねえか。ああ分かった、指先から変な汁出してんだな。そいつがパンに染みちまってんだ」
「馬鹿言え。媚薬《びやく》の効果があるんじゃねえかってもっぱらの噂だ。俺の右手には神様が宿ってんのさ」
そんな下らない軽口の応酬をやっていた。
食い終わったら出ようと思っていた。
のだが。
トラブルは向こうから突っ込んできた。
けたたましい音を立ててドアが開き、俺は反射的に振り返っていた。意識するまでもなく、手は銃のグリップにかかっている。店内にいた数名の客も同じくそうだった。
そうだったのだが、飛び込んできたのが少女であることを確認すると、方々から彼女を茶化す言葉を飛ばした。茶化す気になれなかったのは恐らくは俺だけだ。
「おいおい嬢ちゃん、ここは子供が来るとこじゃあないぜ。俺のをくわえに来たってんなら大歓迎だがよ」
「てめえのがこんなガキの口に入るかよ。歯を折っちまうのが落ちだ。でか過ぎて女に嫌がられてるって噂だぜ」
「そうそう、ガキが相手をするんだぜ。上も下も、適正のサイズってのがあるもんだ。てなわけで嬢ちゃん、俺と遊ぼうぜ。俺のはきっとぴったり合うからよ」
方々から声をかけられ笑われ、彼女は怯えた。が、やがて俺の姿を確認したらしく、思い切って走り寄って来た。少しだけ首を動かしてラダーマンの様子を確認すると、俺の出方をうかがっている様子。
ため息しか出ない。
「ココ!」
「よう」
名前を続けようとしたのだが、不思議と続かなかった。なんとなく、黙っていた。その理由を見つけようとする前に彼女が口を開いたため、そちらに注意を向けねばならなかった。
「あの、大変なの。ロディが、ロディが」
「ロディがどうした」
俺の問いかけに彼女は口をつぐみ、やがて意を決したらしく、一息に言った。
「ロディが死んじゃった」
「そいつは、大変だな」
驚きはしない。自分の利害に関わりの無い人間が幾ら死のうとも、心の底からどうでもいい話だ。それに、知った顔が死ぬところを今まで何度も見てきた。軍人時代の同僚も、この街に来てからの顔見知りも。何人も死んだ。今更ロディが死んだと聞かされても、特に心を動かされるような話ではなかった。
いつかは俺も死ぬだろう。裏切られるか騙されるか。どうせその程度の死に方だ。年を食って病を患って死ぬなんてことにはまずならない。そして、俺が死んでも誰も悲しまないはずだ。誰かの死を悲しむ前に、自分の利益を考えるほうがよっぽど得だと、皆当然のように知っている。
「それでね、私たちこの街で知ってる人なんていないから、ココに助けてもらおうって思って、でもどこにいるか分かんないから、パーマーなら知ってるかもしれないって思って、それで教えてもらってここに来たの」
「あー、悪いが他を当たってくれ。忙しいんだ」
彼女の顔に失望の色が浮かぶ。罪悪感は、特に無かった。ただトラブルに巻き込まれたくないという気持ちだけが強い。俺が彼女を見下ろしていると、先ほど彼女をからかっていた客数人が近づいてきた。
「よぉココ。ちょっと聞きたいことがあるんだが」
「何だ?」
「もしかしてこのガキ、商会が追っかけてるお姫様じゃねえか?」
一瞬の躊躇《ちゅうちょ》。一瞬で決心。
「そうだ」
と俺は言い放っていた。
男たちが沸き立ったが、俺はすでに興味を失っており、そういえばサンドイッチがまだ残っていた、と俺は再び席についた。背後からは男たちの声に混じって、アルマの叫び声がするものの、すでに俺とは縁が無いものと決め付けている。
残っていたサンドイッチを手に取ったところ、ラダーマンが顔を近づけて、小声で話しかけてきた。
「連中は六人だ。全員やれるか?」
こっちにも火が入っている奴が居た。
「この店は常連を殺すのかよ」
苦笑しつつ応じたが、ラダーマンは真顔だった。
「目先の金貨のほうが価値があると思わねえか? なあ、手伝えよ」
「嫌だ。面倒くさい」
「貸しがまだ生きてたろ」
「あん? 昨日返したじゃねえか。釣り、受け取ったろ」
「生憎だな。俺がそれでいいって言ったか? ちっとばかし惜しかったが、釣りを突っ返そうって思ってたとこだったんだよ。お前に貸しを作ったままにしとくほうが得だって踏んだからな。返事も聞かずにとっとと出てくお前が悪い」
少し、頭に血が上った。目が据わったのが自分でも分かる。
「借りは返したんだよラダーマン。返したんだ。あんたは金貨を受け取った。それで収めねえってんなら、俺はあんたから殺さなくっちゃな」
小さな舌打ちが聞こえたが、ラダーマンも対応が早い。次の言葉を切り出した。
「五十枚」
分け前のことを言っているのだろう。アルマを商会に連れて行けば金貨三百枚だ。
が、たったそれだけの分け前しか出さずに、手を貸せというのも滅茶苦茶な話だし、ここから交渉を始めるのが普通だ。釣り上げれば恐らくは百枚から百五十枚までの間で決着が着く。が、俺は別の言葉を発していた。
「一つ貸しにしとくよ。それで俺はこの件には関わらねえ。これでお終いだ」
ラダーマンは呆れた表情を見せた。
「俺が言うのもなんだが、もうちっと欲かいたほうが良かねえか?」
「罪悪感で胸が一杯ってか? あんたにそんなもんがあったとは驚きだ。売り物の薬にでも手ぇ出したのか?」
俺は軽口で答え、ラダーマンは肩を竦《すく》めた。そしてそれ以上の打ち合わせは無い。ラダーマンは何も言わずにしゃがみこみ、カウンターの下でごそごそと何やら準備を始め、俺はカウンターを蹴って椅子を回転させ、盛り上がりっぱなしの男たちを眺めた。男の一人に腕を掴まれたアルマが、未だにもがき続けていた。
「やっ、放して、放してよっ!」
「静かにしなよお嬢ちゃん。暴れなきゃ何もしねえ。けど暴れるってんなら話は別だ。こいつがなんだか分かるよな?」
男は銃を抜き、アルマの眼前に持っていった。心の中で舌打ちを一つ。状況が一つ悪くなった。
「静かにする、大人しくする。守ってもらいてえのはこの二つだ。それさえ守ってくれりゃ、誰も何も嫌な思いはしねえ。分かるな?」
アルマは震えていた。助けを求めるように、俺を見た。視線が交差し、そして俺はほんの少しだけ口の端を持ち上げ、頷いた。アルマは目を大きく開き、かと思えば不意に大人しくなった。
瞬間。椅子から飛び降りて二発。
頭と胸に穴を開けられ一人が倒れた。アルマに銃を向けていた男だ。唯一銃を手にしていた男でもある。残りの五人の銃はまだホルスターの中だ。構えられる前までが勝負。まさに撃ったもの勝ちだ。
一発、二発、三発、四発。
男たちの体に次々に穴が開いていくが、俺のほうもこれで弾切れだ。残数一。
俺は排莢《はいきょう》、再装填の作業に入った。クイックローダーを素早くホルスターから抜き、シリンダーに突っ込んでピンを捻る。かちり、と慣れた感触があって、装填が済んだことを教えてくれる。
残った男が銃を構えたのと、ローダーを捨てた俺が銃を構えたのは全くの同時だった。
「くそったれ、なんだってんだ。おい旦那、店内での発砲はご法度《はっと》じゃ」
どん。
言い終わらないうちに男の頭に大穴が開いた。至近からの銃撃だ。撃ったのはラダーマンだった。そちらを見ると、ライフルを構えたまま、にやりと笑った。
「ただし店員は除く、だよ。馬鹿野郎」
「ああ面倒臭かった。死体片すのやんねえからな」
まだ息のある数名に止めを刺しつつ言った。引き金を引く度、男たちの体がびくりと痙攣《けいれん》する。やがて弾が切れた頃には、この場に生きている人間は俺たち三人だけになった。
「分かってるさ。にしても。久々に見たが、まぁた速くなってんな。大したもんだ」
俺は新たに装填しつつ、
「これしか取りえが無いんでな、そりゃ練習だってするさ。さて、アルマ。大丈夫か?」
アルマは尻餅をついていた。多少の返り血を浴びていて、今にも気絶しそうなほど蒼白だったが、震えながらなんとか頷いた。が、そのうち、足の間に水溜りが広がっていく。漏らしてしまったらしい。
「悪いな、怖かったろ」
俺は立ち上がらせようと手を伸ばしたが、彼女は自分を取り囲むように転がっている死体の一つを見て、そして触ってしまった。恐らくは、本当に死んでいるのかどうかを確かめようとしたのだろう。
血が、べったりと彼女の手に付着し、それを見た彼女は、気絶した。
「あーあ、床汚しやがって。とんだ嬢ちゃんだな。掃除するの誰だと思ってんだ」
「ウェイトレスのどっちかだろ? 死体を片すのは掃除屋だ」
「これでも慕われる店長ってのを目指してんだ。汚れ仕事を手下に押し付けてみろよ。嫌われっちまう」
「手下って言わないで店員って言えよ」
ラダーマンは俺の言葉など耳に入っておらず、苦りきった顔で顎を撫でていたが、やがて俺に向き直って口を開いた。
「ココ、商会に行ってきてくれるか?」
「俺が? 何で?」
「お望みの仕事だよ。金貨一枚」
「アルマを連れて金に換えて来いってか?」
「持ち逃げされかねねえってのに、誰がそんなこと任すってんだ。お前の仕事は商会の受付まで馬鹿面下げて歩いていって、『ガキを見つけたからとっとと金持って引取りに来い』って話つけてくんだよ。こいつは逃げられんように縛って転がしとく。どうだ?」
「年食って脳味噌小っちゃくなってんのか? 関わらねえって言ったばっかだろ」
「関係なんてねえさ。ただの伝言役だ。言葉を右から左に伝えるだけだ」
「なんか、言い包《くる》められてないか?」
「知るかよ。俺の中で筋は通ってる。で、請けるのか請けねえのか?」
俺はアルマをちらりと見た。彼女を見捨てたことが引っかかっているのだろうか。今もその見捨てる手伝いをしようとしている。しばらく考えてみたが、その疑問のほうがよほどぴんと来ない。要するに、彼女がドラゴンキラーの関係者だからだ。不愉快な記憶を呼び起こすキーワード。アルマはそのものと関わりがある。
元々、罪悪感などどこを探しても無いのだ。この街で生きていく上で最初に必要なことは、罪悪感だとか同情だとかを捨てることだった。俺は俺だけのために生きている。
ただ、俺の忌々《いまいま》しい記憶は、色々な感情の塊で、罪悪感であったり恐怖であったりと、実に様々な色を持ち合わせている。どうにかして処理しようと思っても、処理できずにいるから未だに悩まされているわけで、それがちょっとしたきっかけで呼び起こされる度、とにかくもやもやと処理のしようもない感情だけが持ち上がるのだ。
だから俺は手を広げ、指を五本立てた。気持ちを切り替えたかった。
「三枚だ。これ以上は出さねえぞ」
俺は銃をホルスターに納め、気絶しているアルマを横目で見つつ、カフェを後にした。
午前三時。街はガス灯に照らされ、夜だろうが歩くことに不自由はしない。
商会主導で設置されているこのガス灯は、とにかく馬鹿みたいに維持費を食うらしい。それらの負担は、主だった組織が分担して行っている。それぞれの組織が生き残りをかけて商会に歩み寄りを求め、それに商会が応じ、提供した形だ。
擦り寄りたくもない組織もあっただろうが、相手はドラゴンキラーを抱えているわけで、いつでも潰せるのだという無言の圧力の前には、頭を垂れるという選択肢以外は存在しなかった。
その商会が他の組織を潰さない理由は俺にも分からない。考えても分からないし、知りたくも無ければ、知る必要も無いだろう。俺には縁遠い場所の話だ。が、商会がこの街を実質的に支配している状況が長く続けば、生活レベルが他の土地に追いつくまで大した時間はかからないかもしれない。
そんなことを考えながら、俺は歩いていた。
さすがにお祭り騒ぎの町中である。普段は街娼が立っている街角も、今日は銃をぶら下げた連中に占拠されてしまっている。
目ざとい何人かは俺がクイックローダーを二つとも使っていることに気付き、何か新しい情報は無いかと求めてきたが、ドラゴンキラーを見るとムカつくだの、殺してやりたくなるだのと吐き捨て、自分の狙いはむしろドラゴンキラーのほうだと伝え、情報を求めて誤魔化した。
さすがに何度も同じようなことがあるといい加減に疲れてきて、俺は裏道を行こうと方針を改めた。が、裏道にはガス灯が無く、とにかく真っ暗で、それが不安の種でもあった。襲うにはうってつけの暗さだ。
だが、裏道に入って五分ほどしたところで出くわしたのは、強盗でも誰かを撃ちたくてたまらない馬鹿でもなく、一言で言えばトラブルだった。
最初は猫だと思った。
目が、頼りない光を反射してきらきらと光っていたからだ。だが、そいつは猫よりもずっと大きな生き物だったし、何より喋った。しかも、俺が最も聞きたくない声で。
「やっと見つけた」
その声だけで分かる。昨日俺を蹴り飛ばしてくれたドラゴンキラー、リリィだ。
反射的にグリップに手がかかったが、また壊されるかと判断を改め、小さくため息をついて両手を挙げた。
「あ、ああ。済まない。そういうつもりではないのだ。手を下ろしてくれないだろうか」
言われるがまま手を下ろす。ただし口は開かなかった。顔から表情が失われていくのが分かった。
俺はじっと目の前の女を観察していた。どうやら猫じみた目なのは右目だけらしいと分かったが、分かったところで問題は進展も後退もしない。
俺は口を開かなかったから、場には沈黙が下りた。気まずさを感じたのか、リリィは場繋ぎの会話を持ち出してくる。
「そうだ、昨日は済まなかったな。すっかり敵と思い込んでいた」
それでも俺は何も言わない。
「な、何か喋ってくれ。これでは私が悪者のようだ」
「特に言いたいことはねえよ」
「そうか。いや、アルマの居所を知らないかと思って探していた。もちろんアルマを探すほうが優先度が高かったし、あなたはそのついでだったのだが、あなたのほうが先に見つかった次第でな」
「どうして俺を?」
「この街で、アルマの知り合いといえば、あなたと、パン屋の二人だ。そちらにはすでに当たって、期待した答えは得られなかった」
入れ違いにでもなったのだろうか。あるいはパーマーに何かしらの考えがあって白を切ったか。まあ、どちらでも俺には関係が無い。
「残念だが、俺も知らない」
「そうか」
と沈んだ声で返事があった。
「行っていいか? 俺にも仕事があるんだが」
「あ、待ってくれ。その、アルマを探すのに協力してもらえないだろうか」
「は? 何で俺が」
「あなたはアルマの顔を知っているし、何より、私は動きが取れない。街の人間の中に、軍人でもないドラゴンキラーが居る。そいつの相手をするので精一杯で、運良くあなたを見つけてこうして話をしているが、いつ見つかるとも知れない」
「で?」
「で、とは?」
あまりに素直な物言いに、俺は最初はくすくすと、やがて声を上げて笑った。
「声が大きい」
「笑わずにいられるかよ。そりゃあんたの都合を並べただけじゃねえか。協力の見返りは? リスクに見合うだけの見返りはどうなんだ? 金か、それに見合うだけのものを並べて見せろよ」
俺は、リリィがパーマーから情報を引き出せなかった理由に思い当たった。恐らくは金を払うこともなく、素直にアルマの行方を尋ねたに違いないだろう。対価も支払わずにそんな真似をする。いかにも馬鹿だ。壊すしか能が無い化け物には全く似つかわしい短慮。
「な、アルマが心配ではないのか。あなたはアルマにパンを施したと聞いた。良い人だと、アルマも言っていた」
「たまたまだ。ありゃ例外。それに、俺はドラゴンキラーが好きじゃないんでな。マルクトのドラゴンキラーならなおさらだ。そういうことだから、後は自分で頑張ってなんとかしてくれ」
歩き出してその脇を抜けたが、リリィは音も無く俺の前に回りこんだ。それも一瞬でだ。本当にいんちき臭い身体能力である。
「頼む。この通りだ」
そう言って頭を深々と下げた。闇の中である。シルエットがそう動いただけで、顔までは見えない。声の調子からするとかなり焦っているらしかった。
「差し出せるものなど私の体くらいだ。化け物のような女を抱くことに抵抗が無ければ、好きにしてくれて構わない」
「あんたな、もうちょっと自分たちの置かれてる状況を理解したほうがいいぜ。どうひいき目に見たってあんたたちは終わりだ。そして負けの見えてる側につく奴は阿呆だ。あんたには俺が阿呆に見えるか?」
「頼む」
「話にならねえよ。どっか別の物好きに助けてもらえ」
「い、言うことを聞かねば殺すと言ってもかっ!」
リリィの声は震えていた。声の調子からして、怒りにではない。恐怖にだ。しかもそれは、相手を殺してしまうことに対する恐怖だと、俺には思えた。
「震えてるぞ。そんなに人を殺すのが怖いのか?」
「う、う、うるさい」
かまをかけてみれば声が上ずっている。どうやら図星らしい。ドラゴンキラーのくせに情けない話だ。
考えてみれば笑える話である。人を殺すのが怖いドラゴンキラーなど、乳を搾《しぼ》り出せない牝牛《めうし》並みに無用だ。が、俺の表情に笑顔は生まれなかった。ドラゴンキラーと対しているというそれだけで、俺の頭には強烈な痛みが走っていたからだ。
「まあいいや。殺したいなら殺せよ。逃げ切れるとは思ってねえ。あんたにゃそれだけの力があるんだ」
俺は歩き出した。歩を止めるつもりは無かった。殺されればそれまで、と一応は覚悟を決めてもいた。
「待て。待ってくれ。ま、て」
どさり、と音がして、振り返ってみるとリリィが倒れていた。
眉間に皺を寄せ、近づく。つま先でつついてみたが、動きは無かった。怪我をしているとは思えなかったが、もしかしたらどこかに致命傷でも負っていたのかもしれない。だが血の匂いは感じられなかったため、いまいちぴんと来ない話だった。
とにかく、生死を確認しようと思った。
懐からライターを取り出し、火をつけた。
瞬間、リリィは顔を動かし、俺のライターに点っていた火を吸い込んだ。まるで火の帯で、絶えることなく続いている。あまりの不気味さに、俺は思わずライターから手を離し、そして次の瞬間にはライターはリリィの手の中に移動していた。
火に照らされてリリィの顔をはっきり見ることが出来た。
美人といえば美人。女にしては短いその髪の色は真紅。およそ普通の人間の髪の色ではない。血か、ワインに近い赤。もちろん、眉も赤い。痛みを伝える努力しかしなかった頭が、瞬時に情報を引っ張り出してくる。俺の人生を狂わせたあのドラゴンキラーも、髪が変色していた、と。
であれば、ドラゴンキラーというのは、髪の色が変わるものなのかもしれない。だが、何度か顔を合わせたこともある商会のドラゴンキラー・パルパは当たり前のブラウンの髪だった。
俺は知らず知らず舌打ちをしていた。
知りたくもないことなのに、どうにも俺の頭は勝手に考えすぎる。だが、その理由も簡単に想像がついてしまって、反吐《へど》が出るほどに不愉快だった。そう、怖いからこそ知りたいのだ。
俺は頭を切り替えるため、視線をリリィへと戻した。
目に興味を引かれた。どことなく水っぽい目をしているが、それも左目だけで、右目は煌々《こうこう》と輝いている。どころか、瞳孔《どうこう》の形も違っていた。右目だけは、本当に猫かトカゲのようである。人間で言えば黒目に当たる部分が異様なほど大きく、白目がほとんど無い。黄色の強い色味に、細く縦長の瞳孔。全体的にあまり険の無い表情で、貫禄に欠けている。ドラゴンキラーに人間の見てくれと同じ考え方が通じるかは知らないが、年は俺と同じか、少し下ぐらいに見えた。
体のほうに目をやれば、細身。パルパも、三年前に見たドラゴンキラーも細身だった。ドラゴンキラーというのは一様に痩せ型なのだろう。
身につけているのは薄手の布製のもの。黒い長袖のジャケット。僅かに開いた喉元からは、黒いアンダーシャツを着ていることが知れる。両手には指先の切られたグラブ。下は腰の辺りまでスリットの入ったスカートだったが、さらにその下には膝辺りまでのショートパンツがのぞいている。足元はブーツだが、その色も当然のように黒い。どれもこれも体にぴったりと合った細身のものだった。
と、顔を見ているうちに、ライターの火が消えた。リリィは何度か火を起こそうと火打石を擦ったが、やがて諦めたのか、俺にライターを差し出した。
「すまない、つい」
「いや、何を謝ってんのか分かんねえよ」
「腹が減っていたのだ。気を失いそうだったのだが、ほんの少し足しになった。礼を言う」
「火を、食ったのか」
「ああ」
「大食いだって話は常識だと思ってたが、竜と同じものが食えるのかよ」
「食えるな。まあ、それでも燃費の悪いことに変わりは無い」
「そういうもんか」
「まあ、私は行き過ぎてしまっている分、他の連中に比べて火を食ったときのほうが燃費が良いが」
「行き過ぎ?」
「私の右目は化け物のようだろう? ドラゴンキラーになったとき、こうなった。より竜に近い。そういう意味で、行き過ぎ、という言葉を使う」
「いまいちよく分かんねえ話だが」
「紙の上に点を二つ取る。片方が人間。片方が竜だ。二つの点を線で結び、そのちょうど中心にもう一つ点を取る。それがドラゴンキラーだ。だが、私は点一つ分ほど竜に近い。そういうことだ。お陰で、髪の色までこんな風になってしまってな」
疑問が一つ解けた。が、同時に別の疑問が湧く。
「なるほどね。ん、ちょっと聞くが、ドラゴンキラーも竜害の原因になり得るってことか?」
「そうだな。規模は段違いに小さいが、竜害だ。だから普通は食わない。非常時のみだな。私の場合幸いなのは、火を食われてもたいして困らないという点だな。またおこせば済む」
「どうであれ化け物だ。逆立ちしたって好きにはなれねえ」
「どうしてそこまで嫌う? 何かあったのか?」
いつものように誤魔化そうかと思った。だが、心の中にあったのはドラゴンキラーに対する恨みだ。リリィが何をしたわけでもないが、少しくらいは俺の恨み言を聞かせてやろうというサディスティックな気持ちになっていた。
「ドニの戦役。知ってるだろ?」
「もちろんだ」
そう答えるリリィの表情は、どことなく暗かった。
三年前の戦争だ。北の隣国のアライアス連合国の助力を後ろ盾に、領主が起こした反乱である。マルクトの外交交渉で、ドニへの一切の助力をしないことを条件に、向こう二十年の相互不可侵条約が締結されて、ドニは孤立した。連合国の狙いは最初から条約締結にあったらしい。ドニは条約を結ぶためのダシにされたのだ。
後は、攻め潰されて終わりである。俺が参加した最後の戦争だ。
「従軍してたんだ、俺。んで、俺たちの担当だった戦場のど真ん中に竜とドラゴンキラー飛び込んできた。滅茶苦茶だったな。敵だけ殺せばいいってのに、何をとち狂ったか敵味方関係なしに皆殺しだ。ま、そういう理由だ。分かってもらえたか? ドラゴンキラーに協力してやれる気にはなれねえって」
「レクス」
「あ?」
「その虐殺を行ったドラゴンキラーの名前だ。少し、問題になったからな」
体中の血が一気に引いていくのが分かった。三年目にして初めて知った名前だ。いや、名前など知ろうと思えば調べはついたはずで、それをしなかったのは報復が徒労に終わることを理解していたからだ。
だが、聞いてしまった。聞いてしまった以上は、最後まで聞かなければ収まりも付かない。
ずきり、と一際大きな痛みが走った。
「詳しく聞かせてもらえるか?」
声が少し震えていて、俺は喉を掻いてそれを誤魔化した。
「あの戦争には私も参加していた。知っての通り、我々は敵を攻め潰すことには向いているが、占領には不向きだからな。普通は占領軍と一緒に動く。そして最も敵の攻撃が激しい戦線に投入される」
「んな常識はどうだっていい。レクスのことを」
「レクスはその日が初任務だった。私の部下として、共に味方の盾となるべく派兵された。が、戦線に投入される前に、竜の存在が確定した。私は無視して戦争を優先するべきだと主張したのだがな、レクスは聞かなかった。自分はドラゴンキラーなのだ、竜を狩ることが仕事であり、そのための肉体だ、人間の戦争は人間同士でやればいい、とな。火を吐きそうな勢いで興奮していた。そして、レクスは統率を離れて一人、竜を狩りに出た」
「軍紀違反だ」
「そうだな。だが指揮系統が全く別だ。形式上は軍団長の指揮下に置かれてはいたが、我々に直接命令が下せるのは団長閣下ただ一人だけだ。それ以外の誰かの命令を無視しても、書類で文句が飛んでくるだけで、実際に処罰はされない。だから問題とされたのは、あなたの言う敵味方構わず殺したことではなく、軍団長の命令を無視して飛び出したことのほうだ。そして、レクスには団長閣下より訓戒があったのみで、実際には何の処罰も下らなかった」
「は、ははは。ははははははは」
「ココ殿?」
「そいつは楽しい話だ。冗談みたいな真実か。ああ残酷だ。残酷すぎて笑いが出る。所詮《しょせん》兵隊なんて死んで当然だもんなぁ。壊すか犯すしか能のねえみそっかすどもは、幾ら死んでもかまやしないってか。は、笑うぜ」
「済まない。私に頭を下げられても嬉しくもないと思うが」
「全くだ。竜も殺せる超人からしてみりゃ、俺たちなんて虫けら以下の糞の寄せ集めだ」
興奮に任せて意味の繋がらない言葉を喚き散らした。不愉快だった。
レクス、レクス、レクス。
俺の人生を歪《ゆが》めた男。呪うべき名前。俺の病気の原因を作り出した元凶。
考えれば考えるだけ不愉快で、最後には尋常でないほどの頭痛に襲われた。気絶する前兆だと確信したが、気付いたところでどうしようもない。
俺はその場に膝を折り、頭を押さえ、そしてやっぱり気絶した。
「ココ殿? おい、どうした、しっかりしろ。ココ、ココ!」
しきりに名を呼ぶリリィの声だけが聞こえていた。
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四章
目を覚ますと同時に頭痛を自覚して、もはや俺の目覚めは頭痛無しには考えられないのではないか、と置きぬけに憂鬱になった。
いや、ここ二日ほどが異常なのだ。
極力関わらないように生きてきたのに、この数日はやたらとドラゴンキラーだとかマルクトだとか、果てはあの男の名前まで耳に入れる羽目になっている。触れずにそっとしておきたい部分を、ちくちくと針で刺されて刺激されいるようで、気分が休まることもないし、いつ来るとも知れない頭痛に怯えることまでしなければならない。
不愉快だ。気に入らない。
さらに気に入らなかったのは、目を覚ましたのが恐ろしく汚いベッドの上で、その隣にドラゴンキラーの女がいたことだった。薪《たきぎ》で火をおこし、その一本を手に持って、火を食っていた。
首を動かして室内の様子を確認すると、朽《く》ちている。どころか、破壊されているようにすら感じる。窓枠など周囲の壁ごと無い。お陰で室内で薪を燃やしているというのに、煙たさは感じなかった。
「起きたか。いきなり倒れるから驚いた。具合はどうだ? 頭に濡らした手ぬぐいを乗せてやることしか出来なかったが」
「ここは?」
「私たちの家、だったところだ。襲撃にあって逃げ出したのだがな。あなたを看病できるような場所をここしか知らなかったから、戻ってきたところだ。幸い、周囲に敵は居ない。それで、具合はどうなのだ? 悪い病気でも持っているのか?」
「三年前の戦役のことを思い出すだけだ。それを病気って言うんなら病気だろうよ」
吐き捨てると、リリィは悲しそうな顔をした。
俺は構わずに体を起こしつつ、額にへばりついていた手ぬぐいを放り、懐中時計を取り出して時間を確認した。午前五時。二時間ほど眠っていた勘定になる。もう一時間半ほどすれば日も昇るだろうが、そんなことよりも、ラダーマンの仕事をこなせていないことが問題だった。
首を長くして待っているか、何かしらのトラブルに巻き込まれたと踏んで、別の手段を講じているだろう。どちらかといえば後者の公算が高いし、それは今回の仕事の失敗を意味する。
ため息が出た。
その様子を見て、具合が悪いとでも見て取ったのか、リリィが少しうろたえた。
「ま、まあいい。それより、起きて早々になんだが、アルマを」
「断る」
と、俺はリリィの言葉を遮《さえぎ》った。
「頼む。この通りだ。正直なところ、どこを探したものか見当もつかないのだ。このままでは無闇に駆け回って時間を費やす。そうこうしている間に、アルマの身に危険が及ぶ」
「金のねえ奴に手ぇ貸す道理がどこにある」
「だから私を」
「それも御免だ」
再び遮って言う。
「街を見て回ったか? あんたよか良い女が、それこそ山ほど手前《てめえ》の体を売り物にしてる。金出して良い女を抱くか、面倒事背負わされる代わりにあんたを抱くかだな。どっちを取るか? 決まってる。良い女のほうだよ」
「それでも、それでも頼む。私はどうなっても構わない。力を貸してくれ」
リリィはそう言って深く頭を下げた。俺はそれを見ていたが、やがて首筋を掻きながら答えた。
「聞き分けのねえあんたに分かりやすく言ってやる。天秤に乗っかってるのは、金貨千枚貰ったって断る面倒仕事と、痩せっぽちの女だ。そいつをつりあいが取れてるって読み違える馬鹿は正義の味方だけだ。分かるか? あんたに手を貸すのは真性の変態だけだってことだよ。変態を探すのに苦労しねえ街だがな、そこまで可哀想な頭の持ち主は一人もいねえ」
顔を上げたリリィは口をきつく結び、そして黙った。
「そういうわけだ。俺なんかに構ってないで、アルマを探しに行くのが上策だ」
言いつつ煙草を取り出した。目の前にはバケツの中で薪が燃やされていたため、それを使って火をつけようとすると、リリィの手が差し出される。煙草を欲しがっているのかと箱を取り出すと、小さく首を振り、そして指先に火をともしてみせた。
人差し指の先に、ライターでおこしたような小さな火が生まれている。
驚いたが、俺はそれを無視して薪で火をつけた。リリィは寂しそうな表情を見せ、そしてそれを目にしたところで、俺は自身の幼い精神が満足感で満たされたことを自覚した。が、煙を吐き出すと、自身のあまりの狭量さに、情けなさが湧き上がってくる。俺は鼻先を掻きつつ、恥ずかしさを誤魔化すように口を開いた。
「あー、なんだ。ドラゴンキラーってのは多芸なんだな。そんなことも出来るのか」
「火を食う竜は火を吐くだろう? 我々にだって同じことが出来るさ」
「ああ、そうかい」
場に沈黙が下りた。俺は黙って煙草を吸い、煙を吐き続けたが、リリィは必死で言葉を探している様子で、どこまでも落ち着きが無かった。
煙草が短くなったところでバケツに放り込み、俺は腰を上げた。元はドアだったらしい場所を通りかけたところで、背後から呼び止められた。
「ココ殿」
「話は済んだろ。じゃあな」
「待ってくれ、考えていたことがあるのだ。出せるものがもう一つあった。レクス。レクスだ」
その名前をリリィが口にした途端、俺の血流は勢いを増していた。起きたばかりということもあるだろうが、ほとんど寝たままだった脳味噌が活動を再開し、そして当然と言わんばかりに今までよりもさらに大きな頭痛までも呼び起こしてくれる。
全く俺に似つかわしい。
名前を耳にしただけだというのに、気分が醒《さ》めていく。そのくせ別の部分は、レクスの名前をがなり、喚き、俺の気分を高揚させ、そしてそれらは混じり合い、得体の知れない感情の塊となって、さらにその大きさを増していった。
頭が痛い。痛くてたまらない。
俺はゆっくりと振り返り、そして。
笑った。
そうする以外に感情を処理出来そうもなかった。気分が悪いときの笑い方はどこまでも嫌らしいものを含んでいたようで、俺の顔をじっと見ていたリリィは喉を大きく鳴らした。
「洒落や冗談ってのは無しにしてくれるか? 奴の名前は俺にゃ重たいんでな。余裕がねえ。さあ言え。レクスを出せるってのはどういう意味だ?」
「事情を説明する必要がある。マルクトの内情についての話だ。だが、長くなる。時間がかかるのだ。だからその前にアルマを助け出したい」
「無事だよ」
と俺は口走っていた。ラダーマンのカフェで起こった出来事が思い出される。慌てて、
「どこにいるのかまでは知らねえが、無事だ」
と付け加えた。
「それは、どういう?」
「懸賞金をかけてんのは商会って呼ばれてる組織だ。生かして捕まえろって話らしい。だから、アルマがたとえどこの誰に捕まったとしても、殺されるこたねえし、行き着くのは商会だ。まだ街をうろついてる可能性ももちろんあるだろうよ。さあ、俺はカードを切った。次はあんたの番だ、ドラゴンキラー。レクスのカードを切る番だ。さあ切れ。すぐ切れ。今すぐだ」
俺はリリィに詰め寄った。リリィはその分だけ後ろに下がった。
が、次の瞬間、俺の目は三年前の戦場を見ていた。
起きてまだ十分と経っていないというのに、どうやら興奮しすぎたのがよくなかったらしい。が、反省しても意味は無い。後はただ気を失うのみだ。
心の中で自分に対して失笑を浴びせ、顔には興奮で歪《ゆが》んでしまった笑みを貼り付けた俺はその後、気絶した。
先ほどと同じ場所で目を覚ました俺は、手探りで時計を探し、時間を確認した。気絶していたのは三十分程度。が、時間の長短よりも、気絶の押し売りをしてくる俺の頭のほうが気に食わなかった。押し売りの上に安売りだ。短時間に二度も気を失うなど、使い物にならないにもほどがある。
俺が頭を押さえてため息をついていると、目を覚ましたことに気付いたらしいリリィが心配そうな声を投げてきた。
「気分はどうだ?」
「悪いさ。いつだって悪い」
「いつも、こうなのか?」
「あん?」
「いや、こう度々平静を失うというのは、その、大変なのではないか?」
俺は口の端を持ち上げ、
「こういうときにぴったりの言葉がある。使い込まれてすっかり艶の出た言葉だな。一度しか言わないからよく聞け。余計なお世話だ」
リリィは眉を寄せていたが、俺はそれ以上言葉を継ぐことなく、ゆっくりと体を起こした。
「無理をするな。顔色が良くない」
「じき収まる」
言いつつ煙草を取り出すと、先ほどと同様にリリィの手が伸び、そして指先に小さな火がともった。少し抵抗があったものの、薪を燃やしているバケツまで近づくのが億劫《おっくう》で、俺はそのままその火を使った。
煙を吐くと、少しだけ落ち着く。
「レクスの話をしろよ」
「いや、しかしだな」
「なんだよ」
「また気分が悪くなるのではないか?」
「もう落ち着いてる」
「しかし、いや、駄目だ。アルマが無事で、居所も商会だったか? そこにいるかもしれないとなれば、今は目の前のあなたのほうを心配すべきだ」
下らない、と吐き捨てそうになったが、何も言わなかった。
結果、場に沈黙が下りた。俺は黙って煙草を吸い、煙を吐くばかりで、特に口を開こうとはしなかった。話題も無い。が、リリィはそうではないことがその様子で知れた。
ちらちらとこちらの様子を確認しては、何かを言い出そうとしている。促そうかと思ったが、どうしてこちらから口を開いてやる必要があるのか、というちょっとした面子《メンツ》に拘《こだわ》った結果、場には言葉の一つも生まれなかった。
最後には、結局俺が折れた。煙草を挟んだ右手で、顔を隠すようにしつつ呟く。
「言いたいことははっきり言ったほうがいい。体に悪いって言うしな」
「あ、いや。その」
「面倒くせえな、とっとと喋れよ」
「いや、一つ世間話でもと思ったのだが、適切な話題を思いつかなくてな。他愛の無い話というのがどうにも苦手だ」
「何でもいいさ。食ったもんでも、今までの失敗でも、手強かった奴の話でも」
俺の言葉に促され、リリィは伏し目がちに口を開いた。
「あなたは、今までどれほどの人間を殺してきた?」
「三十までは数えた。それ以上は馬鹿らしくなって数えてない」
「私は今まで十七人だ。殺した人間の顔は今でも覚えている。今でも思い出すし、夢にも見る」
「つまんねえ話だ」
「あなたもそうではないのか? 戦役のことを思い出すと言っていた」
「そいつはちょっと理由が違う。殺すのも殺されるのも腐るほど見てきたんだ。今更そんなことに拘ってねえよ」
「では」
「拘ってんのは、俺の人生が俺の選んでいないところで勝手に変えられたってことだ。レクスか。一生忘れねえ名前だ。学もねえ教養も知識も金も力もねえ、そんな役立たずだがな、それでも手前で選んでたんだ。望んで軍隊に入って、殺して給料を貰ってた。それが、あの馬鹿のせいで滅茶苦茶だ。あんただったら許せるか? 俺はそれが許せなくってな。だから未だに拘ってんだが、相手はドラゴンキラーだ。泣き寝入りしかねえ。それで余計に色んなものが許せなくてな、それで今に至る、だ」
「選べる余地があっただけいい」
「あん?」
「私にはそんなもの無かった。自分の体を差し出す以外に選択肢は無かったのだ。街には家族がいた。弟が二人と、妹が二人。母親が男を作って出て行って以来、父が一家を支えていたのだがな、私が十五になった頃に死んだ。流行病だったが、医者に掛かるだけの金がなかった。そしてその病に、弟と妹二人が冒《おか》された。私は花売り、ああその、卑猥な意味ではなくて、単なる花屋の売り子だったのだが、私の稼ぎではどうしようもなくてな、だからドラゴンキラーになった。軍の中でもドラゴンキラーは特別扱いだ。給金も高級将校並に保証されているからな」
つまらない話である。どこにでも転がっていそうな、俺が最も興味の無い部類の話だ。
「ドラゴンキラーになるのは恐ろしかった。竜の肉を食えば大抵は死んでしまうと聞いていたからな。立会いの軍医にもそのことは何度となく言われたし、同意書も書いたよ。知っているか? 竜の肉を食う際には、軍医とドラゴンキラーが立ち会うのだ」
知らない話が出て、俺は欠伸を噛《か》み殺してリリィに目を向けた。
「どういうことだ?」
「ドラゴンキラーになった際、変化が体にも出たという話はしたろう。中にはそれよりもさらに行き過ぎるものもいる。竜とも人ともつかない化け物に変わるのだ。立会いのドラゴンキラーは怪物になってしまった人間を殺すためにそこに居るのだと、後から聞かされた」
「その半端《はんぱ》な生き物は軍事転用は出来なかったのか?」
「そもそも理性が無いらしい。ひたすらに血肉を求めて暴れるのだそうだ。馴らそうにも、竜染みた化け物だからな、手に負えるのはドラゴンキラーぐらいで、どうしたって手が足りない。だから、殺すしかないのだそうだ」
「そういうもんか」
「私も危なかった」
「つーと?」
「この目と、この髪と、これだ」
リリィはそう言って左腕の袖を捲《まく》り上げた。その下にはびっしりと鱗《うろこ》で覆われた皮膚があった。鱗の色は鮮やかな赤。青黒い模様は炎がのた打ち回っているような形をしている。
火竜だ。間違いない。火を餌とする竜のそれだ。
俺がその鱗に見入っていると、リリィは恥ずかしそうに袖を元に戻し、言葉を継いだ。
「皮膚にまで変化が現れると、それが行き過ぎの証のようなものだそうでな。かろうじて理性が残っていたから生き残れたが、危うく処分されるところだったよ」
「やっぱりつまんねえ話だ。あんたのも、俺のもな。お互いに不幸自慢してよ、馬鹿みたいだ」
「そうだな」
俺は短くなった煙草を捨て、矢継ぎ早に新しい煙草を取り出してくわえた。
リリィが気を使ったらしく、また指先に火を出した。だが、どれほど深く煙を吸い込んでも気が紛れることはなく、頭痛が容赦を覚えることも無かった。
煙を吐きつつ、
「そろそろいいだろ。レクスのことを聞かせてくれ」
「レクスか」
リリィは答えつつも、心配そうな表情を見せた。
「もう大丈夫だ。落ち着いてる。だからあの馬鹿のことを」
「一言で言えば、そうだな、力だけを求め続けている男だ」
「一言で済ませなくていい。俺が奴のことを十分に理解できるだけの情報をくれ。あんたがレクスを提供できるって言った意味もだ」
リリィは目を細めて、何やら考えていたが、やがて小さく息を吐いた。
「分かった。私がレクスについて知る全てを教えよう。それだけではない、上手くすれば、あなたの復讐を果たすことも出来るはずだ。だから、アルマを助けるために、力を貸してくれ」
その言葉には力があった。
俺の目には力がこもり、睨むような格好でリリィを見た。
「そりゃどういう、いや、話を聞けば分かる。そうだな?」
リリィは小さく何度も頷いた。俺は自身を落ち着かせるために、深呼吸を繰り返した。
何度目かの吐息とともに、背中が震えた。
歓喜の証だった。
俺は頭痛さえも快楽に感じながら、口の端を持ち上げ、けれども即答はせずにぎりぎりのところで踏みとどまった。
「返事は話を聞いてからでいいんだろうな?」
リリィは小さく頷くと、顎を上げ、天井を眺めた。何を話すべきかを整理しているように見えたが、実際のところはどうかは分からない。やがて、決意のこもった視線を俺に向け、ゆっくりと話し始めた。
「まず理解しておいてもらいたいのは、マルクトの帝宮内部、つまりは政治のことだ。現在、皇帝陛下のお体の具合が、あまり宜しくない」
リリィの口から飛び出したのは、随分と飛躍した話だった。
「長々と喋る気か? レクスのとこだけつまんで話してくれるとありがたいんだがな」
「嫌がらずに聞いてくれ。必要な情報だ。それはあなたにとってもなのだ」
ちっ、と舌打ちし、俺は新たな煙草を取り出した。すかさずリリィが手を伸ばしたが、
「構わず続けてくれ。ちゃんと聞いてる」
と先を促した。俺は薪が燃えているバケツに顔ごと近づけ、それで火をつけた。
「皇帝陛下の崩御が近いのだ。時間の問題だと誰もが思っているし、それは間違いない。そして、崩御を見越して元老院内部で派閥間の争いが始まった。これが半年前のことだ。派閥は三つ。皇子派、皇女派、それから民主派だ。そもそも、マルクトでは先代の皇帝陛下の頃から、元老院の力が拡大され続けてきたからな。今では皇族ですら、政治を構成する要素としか見ようとせん。不愉快な連中だ」
「そんな話をアルマが言ってたな」
「そうだ。アルマはマルクトの皇女なのだ。いや、皇女ということにされかかっている。皇女派の手によってな。継承権の問題をないがしろにしてでも、アルマを担ぎ上げようとしているのだ。皇女派は次代の皇帝に傀儡《かいらい》を望んでいる。政治的な後ろ盾を持たないことが、恐らくは目をつけられた理由だろう」
「続けてくれ」
「皇子派は、そうだな、守旧派だ。連中の強みは皇位継承権一位の、皇子殿下を擁《よう》していることにあるのだがな、実際は、第三王妃サリ様がその中心にいらっしゃる。つまりは帝室の復権を望んでいるのは、皇子派ではなく、サリ様ご本人だ。周囲に、子飼いの元老を侍《はべ》らせてな」
「皇子の母親が政治に口出しか。ま、よくある話だが、大抵はろくなことにならねえって相場が決まってる。欲ボケした貴族の末路は、国を滅ぼすか、自分が滅びるかだ」
「不敬だぞ。あなたの祖国の話でもあるのだ」
「もう捨てた国の話だ。それより、とっとと続けてくれよ」
「あ、ああ。最後は、民主派だな。そう、すでに形式だけのものになりつつある帝室の現状を見て、民衆の政治参加を望む派閥が生まれたのだ。その中央には、元老の中でも大物に数えられる、スケイド領主、マルフェイス卿。君主制の廃絶、民衆による政治の獲得を望んでいるようだ」
「で、あんたらが逃げてきたってこととどう繋がるんだ?」
「皇女派の力が大きいのだ。元老院のさらなる権限の拡大に繋がるのだからな。同調している議員も多い。皇子派、民主派はどうしても小勢の域を出ない。だからだ、皇女派の連中の足を止めるために」
「アルマの命を消せ、か」
「そういうことだ」
「馬鹿らしい。アルマを消したって皇女派にも次策くらいはあるだろう。他に皇族をでっち上げたって構わねえ。絶対にアルマじゃなきゃ駄目だって道理はどこにもねえ」
「そうだ。だから足止めなのだ。次策が打たれるまでの、時間稼ぎに過ぎない」
「で、逃げてきたと」
「ロディ殿の発案でな。あの方はマルクトの貴族だ。政治的な安定を望んでおられた。そして、アルマをマルクトから遠ざけては、と言われたのだ。アルマがいなければ皇女派は次の手を打ち、あるいはそれが成るかもしれない。皇子派、民主派が逆転を為しうるかもしれない。ともかく、アルマ抜きでこの争いに決着をつけるべきだと」
「下らねえ」
俺が吐き捨てると、リリィが睨んだ。
「事実だろ。こんな掃き溜めに落とされて、アルマも哀れなもんだ。傀儡だろうが、女帝として立ったほうが余程楽な生活が送れる。皇女派ってのは最大派閥なんだろう? 長いものに巻かれて何が悪い」
「それはそうなのだが」
「だが?」
「ロディ殿と、アルマの母君は、その」
リリィは言葉を選んでいるらしいが、適切な表現が見つからないようだった。
「ああ、良い仲だったってか? なかなか好き者だな、あの男。皇帝のお手つきに手ぇ出すとは、素敵な趣味だ」
「あなたに言わせるとどうにも品が無い」
「で、そのロディはどこだ? 姿も見えないが」
白々しく相槌を打つと、リリィは眉間に皺を寄せた。
「亡くなられた。私の、力不足だ」
「そうか。と、悪いな。先を続けてくれ」
「それで、母君の遺言も関わってくるのだ。アルマを政治の道具にはさせてくれるなと。市井《しせい》の娘として平凡な生涯を送らせてくれと」
俺は頬を掻きながら言った。
「まだレクスの話にぶち当たらねえのか?」
「今話すところだ。三つの派閥は議会での数的優位を争う一方で、実行力を集めにかかった。つまり、派閥争いがそのまま軍内部にまで浸透したのだ。主に高級将校を対象にして根回しが行われ、そしてそれはドラゴンキラーに対して真っ先に行われた」
「ああ、いよいよ出てきたな、ドラゴンキラー」
俺は無意識に身を乗り出していた。
「マルクトのドラゴンキラーは団長閣下を頂点に、他の団員は全て団長直属という形で組織されている。が、各派閥は団長だけでなくそれぞれのドラゴンキラーに対して直接交渉をもちかけた。それは一定の効果を上げた。団長の統率力も絶対では無かったのだ。なまじ力があるからだろうな。我の強い連中が多い。派閥の議員たちもそれを知っていたのだ。結果、レクスは皇女派に入った」
「皇女派ね」
「奴が何に惹《ひ》かれて皇女派に入ったのかは不明だ。そもそも、あの男に政治的な思想があるとは思えない。言ったと思うが、レクスは力を求める以外に興味が無い、そういう男なのだ。自分が強くなることしか考えていないのだろう」
「ああ、全く分かりやすくていい」
「人と竜、そしてドラゴンキラーの話をしたろう。覚えているだろうか」
「点を二つ取るってやつか?」
「そうだ。そして竜とも人とも知れない化け物になるとも言った。レクスは、今のところその化け物に限りなく近い場所にいる」
「三年前、あいつの髪が薄緑に染まっていくのを見たぞ」
「ああ、戦役の頃の話だろう。そしてそれだけではないのだ。レクスは、たびたび竜の肉を口にしている。し続けている。我々からしてみれば狂気の沙汰だ。確かに力は強くなる。身体能力も、口にした竜の肉の量に比例して高くなる。だが、反比例して失われていくのは自身の理性だ。いつ化け物に堕ちるとも知れんというのに、あの男は平気でそこに踏み込む」
「なんでそこまでする?」
「分からない。ただ」
「ただ?」
「あの男は、私の鱗をひどく羨ましがっていた。あるいはそれがきっかけであったかもしれないと、今は思う」
「さっぱり伝わってこないんだがな」
「上があると、レクスは知ってしまったのだ。ドラゴンキラーになって終わりではなかったと。強くなるためには、さらに危険を冒す必要があるのだと。そしてレクスは、恐らくは団内部でも有数の力を手に入れるに至った。純粋な身体能力ならば、恐らくは奴が最も高い」
「化け物の中の化け物ってことか」
「ほぼ、そうだな。恐らくレクスの体は鱗にまみれているはずだ。いや、そもそもそんな状態にあってなお理性を保っているという事実のほうが、私は恐ろしい」
ふん、と小さく鼻を鳴らした。
頭の中で状況が組み合わされていく。やがてそれらは一つの絵を描き上げた。
「一つ訊きたい。レクスを殺すのはあんたの役目、そういう理解でいいんだな?」
「そうだ。あなたがそれを望むならば、私がレクスを殺そう」
「やれんのか。相手は化け物なんだろ? いや、そもそもあんたは殺しが苦手だっつってたろ」
「私の拘りなど、アルマの身の安全に比べれば些事だ」
「どうしてそこまでアルマに拘る。まさかお前もロディと良い仲だったってオチか?」
下品な笑いを浮かべながら訊くと、リリィは少し悲しそうな表情を浮かべ、
「私は無能なのだ」
と呟いた。
「無能なのだよ。人の殺せぬドラゴンキラーなど、斬れぬ刃物と同じだからな。大飯喰らいの役立たず。軍にいた頃はその手の陰口が多かった。自然、前線に投入される機会も減ってな。私に与えられる仕事など、精々が伝令程度。馬よりも自動車よりも速いから、そういう理由で使われていた。奇遇というべきだろうな、私の戦争も、あの戦役が最後だ」
「あんたの話はくどい」
俺の相槌にリリィは、それもよく言われる、と苦笑した。
「詰め所で呆けているうち、アルマの身辺警護を命じられた。心地良かったよ。血の匂いもせず、野卑で野蛮な光景も無かったからな。アルマは、あの子は私に懐いてくれた」
「拘る理由にしちゃちっぽけだな」
「私の家族は、ドラゴンキラーとなった姉に会いたくないのだそうだ」
俺は右の眉を持ち上げ、
「アルマに弟どもの姿でも見たか?」
と訊いた。
「そう、だな。恐らくはそうなのだろう。かつて手にし、そして今は失ってしまったものだからだ」
「手前でガキを拵《こしら》えるって選択肢は無かったのかよ」
「ああ、それは、その」
とリリィは尻すぼみに黙った。
何かを考えている。そう見えた。
やがて小さく首を振ったかと思えば、薪の中に手を突っ込み、燃えている一本を手に取ると、そのまま火を食った。その傍から空いている左手で新たな薪を掴み、着火してはバケツに放り込んでいく。
話す気は無い、ということらしい。俺もそれ以上追求するつもりもなかった。
「アルマを餌にして、皇女派を釣り上げ、レクスを呼びつけて殺す。俺の頭にあるのはそういう絵だ」
「その辺りは好きにしてくれていい」
ふぅん、と相槌を打った。ぼりぼりとこめかみを掻きながら呟く。
「残りは、そう。無能のあんたにレクスが殺せるかどうかって問題は脇に置いてだな、上手くやって殺せた場合、それで俺はすっきりするのかって話だな」
「ココ殿?」
「いや、どうでもいい話だった。殺せりゃそれでいい。復讐が出来ればそれでいい。あいつがこの世の中から姿を消す以上の薬はねえ」
「では」
「手伝おう。正直、ドラゴンキラーと組むなんて吐き気のする話だが、レクスを殺すまではパートナーだ。よろしく頼む」
俺はそう言って煙と一緒に右手を差し出し、俺たちは握手を交わした。
「ありがとう、ココ殿。恩に着る」
「着なくていい。利害の一致だ。あんたはアルマを助けるために、街に明るい俺を頼る。俺はレクスを殺すためにあんたを頼る。それだけだ。それからな、ココ殿ってのはやめてくれ。俺はこんな口の利き方しかできねえんでな、あんたもそうしろ」
「あ、ああ。分かった、ココ」
「じゃあ行くか」
「ああ。それでどこへ行く」
「そりゃあ、ラダーマンのカフェさ。ちっと時間が経っちまってるから、まだ居てくれりゃいいがね」
俺がさらりと言うと、リリィは怪訝な顔をし、そしてその後、烈火の如く喚いた。
ラダーマンのカフェに向かう道中、リリィは俺のことを散々になじった。
「信じられん。なぜそうもやすやすと嘘をつけるのだ。最低と最悪を凝り固めたらこの街か。そこに住むお前は何だ?」
先ほどからずっとこの調子だ。外出用だと言って右目に眼帯をつけ、目立つ赤い髪を大き目のキャスケット帽に押し込んでいる。どちらもやっぱり黒かった。黒が好きなのは分かるが、こうまで黒尽くしだと趣味を疑う。とはいえ、俺も洒落者《しゃれもの》というわけではなかったから、その手の批評は避けるに越したことはなかった。
「あー、はいはい。分かったから少し黙れ」
「黙れだと? これが黙っていられるか。お前はアルマの居場所を知っていて黙っていたのだ。それだけではないぞ。ロディ殿が亡くなられたことを知っていて、ぬけぬけと私に尋ねた」
「だから、何度も説明したろ。俺はアルマの居場所を伝えるのが仕事だったんだ。誰かに漏らすってのは論外だし、それがお前ならなおさらだ」
「全く。何なのだこの街は」
「ケンケン喚くなよ。と、見えてきたぜ。あれがラダーマンのカフェだ」
「攻めるのか?」
「馬鹿言え。まずは情報だ。今何がどうなってんのかを調べなくっちゃな。てなわけで、一杯飲んでこう」
「中にアルマがいるかもしれないというのにか」
「だったらなおさらだ。ついでに言うと、このアパートの三階に俺の部屋があるんでな。この建物を戦場にするのは論外だ」
「悠長な」
「何事も情報だよ。情報だ、リリィ。知らないことが原因で命を落とした馬鹿を何人も知ってる。もっとも、知りすぎたことが原因で消された馬鹿も知ってるがね。とにかくだ、どう動くにせよ情報は必要だ。アルマの居場所が分かるだろうし、何より、俺は今回のマンハントについてはろくなこと知らないんだ。もしここにアルマがいたとしても、すぐに助けてそれでお終いってわけにはいかないんでね」
諭すように説明すると、リリィは苛立ちを隠そうともせずに、不満の表情を見せた。
「ま、どう思おうがそりゃ自由だが、暴れるなよ。それだけは守れ」
そう言って俺は店のドアの前に立った。閉店の札がかかっていたが、構わずに開けて中に入る。
入るなり、店の三人がカウンターで談笑している様子が目に飛び込んできた。
「よぉココじゃねえか。調子はどうだ?」
俺に気付いて一人が挨拶を寄越す。ハスキーな声はポニーだ。スプリングの背を頭一つ高くして、色気を二倍くらいにすればをそれがポニーである。スプリングだって色気は十二分にあるから、言ってしまえばセックスアピールの塊だ。黒い目に長い睫《まつげ》。黒髪を無造作に伸ばした美人で、口調が男くさいところが多少引っかかるものの、尻が抜群に良いためたいして気にはならない。
名前はポニーが好きだからという理由でそう名乗っているだけで、髪型とは何の関わりも無い。ウェイトレスの制服を上手に着崩していて、胸元が強調されていた。少しばかり銃身を長くした銃を、右の太股に巻いたホルスターに差している。銃身が長ければそれだけ命中精度は高くなりそうなものだが、スプリングと同様に射撃の腕前は下の下だ。
「元気はねえよ。いつだってな」
「らしいな。頭の病気だって? うちの薬どうよ。ばっちりきめて月でも太陽でも行ってくりゃ良い。帰ってこれるかどうかは神様次第ってな」
「薬はいいよ。それより、ラダーマン」
「なんだ?」
「代わりの使いは出したんだろ?」
「当たり前だ。手前の頭ん中じゃ時間が止まってんのか?」
「話はゆっくり聞くよ。野菜ジュース。こっちには」
と背後にいたリリィを見る。
「何でも構わん」
「いける口か?」
「ああ。いくらでも」
「ラム出してくれ」
「閉店の札が目に入らなかったか? とりあえず眼科行って来い。あのヤブに塩加減間違えた生理食塩水で目を洗ってもらえ。飲み物出すのは目を真っ赤にしてからだ」
「怒るなよ。ちょっとばかり気絶してただけなんだ。物盗られなかったのは幸いだな。夜でよかった」
「ちょっとばかり気絶だ? ったく、俺がどんだけわくわくして商会からの使いを待ってたと思ってんだ?」
「長くわくわく出来て何よりだ」
「そういう問題じゃねえだろ阿呆」
程度の低い軽口の応酬をやりつつ、スプリングの左隣に座った。リリィがさらにその隣に座る。席に着くなりスプリングは体を乗り出して、リリィを観察した。
「気になるか?」
軽い口調だったが、内心はそれどころではなかった。リリィがドラゴンキラーだとばれているかもしれない、という状況を一応想像した。どう動くかまで考えを巡らせようとしていると、先に言葉が飛んできた。
「だってココが女連れって珍しくない?」
思わずほっとする。どうやら気付いてはいないらしい。そう思えると、余裕が出てきた。
「そうか?」
「あたしらとぐらいしか並んで歩いたことないでしょう?」
「そうだったか」
「実は男にしか興味が無いって噂だけど。本当?」
「女好きだよ」
「それに、見ない顔だし」
どん、と音がして俺の前にジョッキが置かれた。隣のリリィにはラムとグラスが出される。新顔のリリィに興味があるのか、顔を横目で確認しつつ、再び俺の前に立ち、腕を組んだ。
「まったく、お前が帰ってこねえおかげでとんだ手間だ。どこで何してやがった?」
「言った通りだ。ちょっとばかり気絶してたのさ。頭の病気だよ。最近は特にやんちゃをするらしくてな。酒を入れた程度じゃ言うこときかねんだ、これが」
「使えねえなぁ、お前」
「自分でもそう思う。全く嫌んなる」
「あたしが慰めてあげようか?」
「そりゃ良い。あたしも乗った。けど、高いぜ? ラダーマン・カフェのスプリングとポニーを買おうってんだからよ」
「ココならただでいいけどなぁ、あたし」
楽しみだな、と愛想笑いをしかけたところで、ぼふ、と音がした。左を見るとリリィがラムを吹き出していた。慌てて口を拭ったが、赤面している。
「何やってんだ、お前」
「いや、済まない。私のことは気にせず進めてくれ」
小さくため息をついてから、改めてラダーマンを向く。
「で、もう換金は済ませたのか?」
「まだだ。が、もうすぐ来るって話だ」
「そうか。なあラダーマン。俺、あれからちょっと考え直したんだけどよ」
「分け前ならやらねえぞ。お前がそう言ったんだ」
「だよなあ」
三人がけらけらと笑った。
「そういや二人とも、マンハントはどうだったよ。結局ラダーマンが横からもっていっちまったけど」
「ん? まあ難しい話でもなかったよ。集合場所に集まってドンパチやるだけだったからな」
「ふぅん」
「でもさ、ドラゴンキラーってすごかったよ。ねえポニー」
「ありゃ反則だ。弾当たっても効きゃしねえ。機関砲持ち込んだ馬鹿もいたけど、あんだけ喰らっても無意味だ。銃が効かない相手ってのは、やりあってても少しも楽しくなかったな」
「で、肝心のアルマを取り逃がす、と」
「追っかけたんだけどな。誰かが野郎のほうを仕留めたって吹いてたけど、ありゃ吹き損だな。とっ捕まえるのが仕事だってのに殺してどうすんだって話だよ」
「俺詳しいこと知らねえんだけど、そもそもどういう経緯で商会が懸賞金かけたんだ?」
「商会に話が持ち込まれたんでしょう?」
と、スプリングはポニーを見たが、ポニーはラダーマンを見た。俺も釣られてそちらに目をやる。
「マルクトのなんとか言う奴が商会に依頼したんじゃなかったか。商会が虎の子のドラゴンキラーを早々に出した上、懸賞金だろ。相当な額が商会に流れてると思うぜ」
なるほど、と思ったのだが、顔には出さなかった。なるたけ会話を切らさないよう、自然を装って質問をぶつける。
「なんとかって? 誰よ」
「聞いてどうすんだよ」
答えに詰まるようなことはない。日常的に嘘をつきなれてもいるし、その程度の機転が利かない奴は早死にするのが普通だ。
「言ってなかったか? 俺はマルクトの生まれなんだ。そいつがマルクトで名前の売れてる誰かなら、何かしら感想が言えるかもだろ」
「へぇ、お前マルクトの人間かよ。ま、いいや。名前名前っと。なんだったか。あぁそうそう。ジン。ジンだ。確かそんな名前だった」
「知らねえなぁ」
言いつつ横目でリリィを見ると、かすかに頷いた。知った名前らしい。これ以上のことを聞き出そうかと思ったが、いい考えも無い。後は、穏便にアルマを確保するだけである。
俺は野菜ジュースを一気飲みし、カウンターに叩きつけるようにジョッキを置いた。
「ああ、不味い。いつもの不味さだ。最低だ。草食の家畜だってこんなもん飲まねえ」
「全く同感だ。そんなもん飲むのは手前だけだよ。舌がいかれちまってんだ。小便とワインの味を間違えるんだろ?」
「そこいらの草混ぜてんだろ。こんなもんで金を取るのは犯罪だ」
「言ってろ」
俺は作り笑いを浮かべつつ、にこやかに言った。
「それでなんだがな、アルマを金に換えるの、諦めてくれねえか?」
「あ?」
「必要になったんでな、アルマは俺が貰う」
スプリングとポニーが銃を抜こうとしたが、ラダーマンが手で制した。俺の手が動いていたことが、ラダーマンの位置からはよく見えたからだ。俺もラダーマンの合図を見て手をカウンターの上に戻した。
「どうも悪ふざけで言ってるんじゃねえらしい。が、事情ぐらいは聞かせろよ」
「何、俺のちょっとした復讐のためにゃ、アルマが要るんでね」
「止せよ。んなもんコイン一枚の得にもなんねえ」
「頭はすっきりするかもだ。そういうつまんねえ話さ。すっきりとはこねえかもしれねえ、けど来るかもしれねえ。ならやるさ」
「金にならんことをするのはプロじゃねえ」
「プロになった覚えなんてねえさ。何にも取りえがねえから始めた仕事だ」
「残念だ」
「俺もだよ」
その言葉を合図に全員が一斉に各々の銃を抜いた。俺はラダーマンに向けて、ラダーマンはリリィに向けて、スプリングとポニーは俺に向けて。
「銃を下ろせ、ココ。お前を殺したかねえ」
「下ろすのはそっちだ。リリィ!」
叫ぶと同時に、スプリングとポニーの手から銃が落とされていた。俺の時と同様に、しっかりと握りつぶされている。俺はラダーマンに向けていた銃をスプリングとポニーに向け、それを確認したらしいリリィはラダーマンに狙いを定めた。
「なっ」
とラダーマンは叫んで、リリィに銃を向けようとしたが、その動きよりもさらにリリィのほうが速かった。ラダーマンの銃を落とすと、そのまま腕を取って、床の上にねじふせてしまった。
「大した手際だ」
「どうすればいい? このままでいいのか?」
ねじ伏せられたラダーマンの様子を見ようと、カウンターから乗り出してみると、リリィの腕をしきりに叩いて、降参の意を表明していたが、リリィはそんなもの意にも介さない様子で、俺の判断を待っている。
「離していいぜ」
「しかし」
「ラダーマンは馬鹿じゃねえ。この二人もそうだ。あんたを相手に出し抜こうなんて考えねえよ。自分たちの命のほうが大事だからな。だから、このケンカは俺たちの勝ちで、それで終わりだ」
不承不承、という感じではあったものの、リリィはその言葉に従って、ねじり上げていた腕から手を離し、そして離した瞬間には俺の隣にいた。視認出来ない速度で動く、というのは反則だ。俺は銃を仕舞いつつ、声をかけた。
「立てよ、ラダーマン。二人も、悪かったな。銃壊しちまった」
「ま、いいんじゃねえの? ドラゴンキラー相手だったら、命があっただけめっけもんだ」
「だねぇ」
スプリングの相槌に合わせたように、ラダーマンが立ち上がった。腕が痛むらしく、左腕でマッサージを行っていた。
「くそったれ、ドラゴンキラーだと。てこたあ何か、あの嬢ちゃんの関係者か」
「そういうことだ」
「ドラゴンキラー嫌いなんだろ、手前」
「今でもそうだよ。察しろよラダーマン。色々あったんだよ」
「知るかよ、くそったれ。大損じゃねえか」
「まあ、その話は後でしよう。アルマを連れてきてくれよ」
「娼館の女どもを全員味見してやるつもりだったのによ。スプリング、ポニー!」
「はぁい」
「あいよ」
「嬢ちゃん連れて来い。縄も解いてな」
二人は返事をすることもなく、店の奥に消えた。俺は再び椅子に腰を下ろし、カウンターに肘をついた。リリィは立ったままだ。俺はリリィが飲んでいたラムがまだ瓶《びん》に残っているのを見て、それを手に取った。
が、口に運ぶ寸前で止まる。
ドラゴンキラーが口をつけたものだと思ってしまったからだ。
躊躇した。しかし、アルマの到着を今かと待ちわびているリリィの姿を目にしたとき、俺は瓶を口に運んでいた。安いラムが喉を焼いていく。
瓶を口から離すと、なんでもないことだったのだが、ちょっとした征服感があった。我ながら安い話である。少し気が大きくなった俺は、それからぐいぐいとラムを飲んだ。
やがて、
「店長」
とポニーの声がする。それと同時に、アルマの声が店内に響いた。
「リリィ!」
アルマは駆け出し、弾丸のような勢いでリリィの胸に飛び込んだ。
「アルマ。無事でよかった」
「リリィ、リリィ、リリィ」
「もう大丈夫だ。私がついている」
「感動の再会だな。良いもんだろ、ラダーマン」
「ああ、大損することが確定して、胸に開いた穴によっく染みるよ。くそ面白くねえ場面だ」
「くさるなよ。金ならくれてやる」
「なんだと?」
「待ってりゃ向こうから運んできてくれるんだろう? 金貨三百枚」
俺が笑って言うと、ラダーマンは事の重大さに目を丸くした。
「お前、商会と事を構える気かよ」
「そうなるな、多分」
「やめとけ。死ぬぞ」
苦りきった様子のラダーマンだが、俺のことを心配しているのではない。ただ、呆れているのだ。
「なんだってやるさ。殺したい奴が居るんでな。そのためにはアルマの安全を確保するってのがリリィとの約束だ。だから、このお祭り騒ぎを収めなくちゃなんねえ」
「正気とは思えねえ」
「この街にそんなものがあったとは驚きだ。いや、まあいい。だから、アルマの身柄引き取りに来る馬鹿ども潰して、そいつらが持ってる金貨をあんたにやる」
「何やらせようってんだよ」
「別に難しいことじゃない。騒ぎが収まるまでアルマの世話をしてくれりゃいい。飯を食わせて清潔なベッドを提供するだけだ。簡単だろう? 後は、あのガキまだとっつかまらねえのかって吹いてりゃ十分だ。商会にゃ、俺とリリィのことを話していい。アルマは持っていかれたってな」
自分の名前が出たことに反応し、リリィの胸に顔を埋めていたアルマがこちらを向いた。リリィも話の内容が気になったのか、幾分険しい表情だった。そして、話を持ちかけた当のラダーマンは、俯き加減で考え込んでいた。食いついている証拠だ。悪い話ではない、と思っているらしい。
やがてラダーマンは目だけを動かして俺を見た。
「知らん顔していいんだな?」
「もちろん」
「乗った」
ラダーマンの小気味良い返事とともに、リリィが口を開いた。
「冗談ではない」
「賛成できないか?」
「当たり前だ。信用できるわけがなかろう」
「しろ。アルマを連れてちゃ動きが鈍る。何せ、これからしばらく追われる身だ。それよっかラダーマンに守ってもらうほうがずっと安全だ」
「しかし」
「裏切らないさ。ラダーマンがアルマを商会に渡すような事態になったときには、俺たちは負けてるか死んでるかだ。大声なんて出せやしねえ」
「信用してくれていいぜ。嬢ちゃんを売るような不義理をやりゃあ、俺たちがあんたに殺されそうだもんな」
「そういうわけだ。アルマ、今の話は分かったな?」
「アルマ、嫌なら嫌と言っていい。何、誰が来ようと私が守ってみせる」
「ココは、私を守ってくれてるんでしょ? それで、これからも私が安全に暮らせるように仕事をしに行くんでしょ?」
「そうなる」
「分かった。私、ここにいる」
「あ、アルマっ」
「決まりだ。よろしく頼んだぜ、ラダーマン。スプリングとポニーも」
「はいはーい」
「色々教えてやるよ」
俺は腰を上げた。リリィの腹に顔を埋めているアルマの頭を撫でつつ、
「俺とリリィはこれから一仕事あるんでな、すぐ戻ってくるが、それまで良い子にしてな」
「うん」
「ラダーマン、確かこの店機関砲あったろ。貸してくれよ」
「構わねえが、強盗やろうってんだろ。あんなもの撃ってたらいい的だぜ」
「殺しつくすまで撃ちっぱなしってわけじゃねえよ。最初に何人か殺《や》れればそれでいい」
「スプリング、倉庫に案内してやれ」
ラダーマンはそう言ってカウンターから鍵を取り出し、スプリングに向かって放った。俺はリリィを見て、スプリングに続くように指示を出した。
「お前はどうするのだ」
「部屋に戻って準備してくる。ローダーが空っぽなんでな、こういうのは万端じゃねえとどうにも落ち着かないんだ。時間があるようだったら何か腹に入れてろ。味は最低だがな」
言い残してカフェを後にし、俺はそそくさと自分の部屋に戻った。
午前六時三十分。基本的に夜行性の人間が多いこの街では、そろそろ大半の人間が眠りにつく頃だが、夜中に目を覚ました俺は変わらず元気だった。
クローゼットを開け、中から弾の入った箱を取り出すと、手際良くクイックローダーにはめ込んでいく。続いて身につけているベルトを抜き、新たにガンベルトを身につけた。右に大きなホルスターがついている。大きな理由は簡単で、拳銃を差すためのものではなく、ライフル銃を差すためのホルスターだからだ。
そのライフル銃を取り出した。銃身の切り詰められたタイプのもので、ボルトアクション式。装弾数五。銃身に沿うように銃剣が折りたたまれているが、これまで一度も使ったことがないためにすっかりさび付いている。元は騎兵銃だ。馬上で使うことを想定して作られたもので、銃身が通常のものより三十センチほど短い。お陰でホルスターに差せるわけである。本来は背負うものだし、そのほうが取り回しも楽だと思うが、俺の趣味でこういうことになっている。
騎兵銃をホルスターに差し、さらに予備として装填済みのライフルを二丁、肩にかついだ。部屋を出る前、なんとなく洗面台の上の鏡を見て、足が止まった。無精ひげが伸びているのはいつものことだが、どことなく目に力が入っているようだ、と他人事のように思った。
俺は鏡に近づき、自分の顔を睨んだ。
商会と敵対する。相手は巨大な組織、こっちの戦力は人間一人とドラゴンキラー一人。無謀極まりない話だ。負けの見えてる側につくのは阿呆、と自身の言葉を思い出す。
だが。
レクスに辿《たど》り着くためには避けて通れないというのであれば、ためらうつもりはない。相手を完全に抹殺する必要などないのだ。ただ、こちらと喧嘩することが大損だと思わせればよい。そこが落としどころになる。
「負けるつもりはねえよ。あの馬鹿は絶対に殺してやる」
そう呟いて、部屋を出た。日が昇りかけていた。
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五章
頭痛だ。全く頭痛がする。
いつもの病気ではなくて、俺は今、空を飛んでいるというよく分からない状況のお陰である。
子供の頃は空を自在に飛ぶ鳥に憧れもした。大きくなったら鳥になるのだと真剣に願った時期だってあった。だが、年をとって分別が身につけば、そんな子供の頃の空想とはもちろん無縁になる。なったと思っていた。
思っていたのだが。
俺は今、空を飛んでいる。
正確には屋根から屋根へと跳躍を繰り返しているリリィに運搬されているだけなのだが、これがとにかく恐ろしい。長い時間地に足がついていないという状況がいかに恐ろしいか、そして、それこそ風のように動くとどれだけ寒いかを身をもって体験して、そのお陰で頭痛がしているわけである。
だんだん耐えられなくなってきていたのだが、そろそろ襲撃予定地点に到着しようかという頃合だったため、我慢した。
着地したときほど嬉しかったことはない。意味もなく地面を足で擦ったり、何歩か歩いてみて足のありがたさを噛みしめたりしていた。
「で、どうする」
とリリィは未だに片手で二輪の台車がくっ付いた機関砲を持ち上げたまま訊いてきた。ドラゴンキラーの筋力の前にはこんな鉄の塊でさえ、その辺りの果物と変わらない。華奢《きゃしゃ》な女が鉄の塊を持ち上げている姿は、どこまでも薄気味悪かった。
「奇襲に出てくれ。それらしい連中を見つけたら、突っ込んで殱滅しろ。恐らくだが、安全のために商会用の馬車を使ってるはずだ。それが目印。何、見ればすぐに分かる。それなりに派手だからな」
「それではこれを運んできた意味が無いではないか」
「おいおい、あんたが敵を潰せなかった場合の準備だろ。金の運搬役の中にパルパが、ああ、商会のドラゴンキラーが混じってるかもしれねえ。そうなったときのあんたの役目はパルパの足止めと、今俺たちが居る場所から離れた所にパルパを誘導して、ばちばちやり合って時間を稼ぐことだ。当たり前だが、出来るなら殺せ。で、普通の人間ならドラゴンキラーを相手に出来ねえことは嫌でも分かる。とすりゃあ残った連中はどうする?」
「逃げる」
「それもラダーマンのカフェのほうにだ。とっとと仕事を済ませようとするだろう。そこを叩く。つまり、あんたが持ってる鉄の塊の出番が来る」
「その根拠は?」
「質問が曖昧《あいまい》だぞ」
「ああ、その襲われた連中がカフェのほうに逃げるという確信はどこから来ている」
「簡単な話さ。面子だよ、面子。この街じゃ金と命の次くらいには大事なもんでな。組織の中でのし上がっていこうって思ってる連中ならなおさらだ。与えられた仕事もこなせねえ無能って評判は、組織じゃ致命的だからな。だから普通は、仕事を優先する」
「まるで軍隊だ」
「組織がそういう一面を持ってるって話だろ。軍隊も組織なら、マフィアだって組織だ。どういう器だろうが、中身が人間なら一緒だ」
「そういうものか」
「ま、そういうわけだから、ドラゴンキラーが居なかったらもうけものってわけだし、そのほうが良いんだが、最悪の状況は考えとくのが普通だ。あぁ、分かってるとは思うが余計なことは言うなよ。何か言われても無視しろ」
リリィは俺の言葉を真剣に聞いている。俺が軍人であったなら、こんな横柄な口を利くことも許されない相手だ。
「他に注意点はあるか?」
「俺の出番が来て、そいつが終了した場合、機関砲で合図する。二秒間の射撃を三回。そいつが撤退の合図だ。もし聞こえなかったら十分頃を目処にして逃げろ。可能ならあんたの持ってるそいつも回収してな。落ち合う場所はラダーマンのカフェ。ま、こんなところか。ああ、それと訊いとこうか。ジンってのは、誰だ?」
リリィは答えを口にするのを憚《はばか》っている様子だった。
「何だよ」
「言っていいものか迷っている」
「てこたぁ、知らないほうが幸せだって類の情報なんだな。そいつ、ドラゴンキラーか」
「皇女派の」
俺は舌打ちをしていた。もう一人ドラゴンキラーが増えた。もしアルマの引き受けにジンも同行しているとすれば、奇襲をかけて足止め、なんて真似は無謀な話になる。俺は勢いよく顔を上げると、
「引くぞ。別の機会を待つか、別の考えをひり出す」
と言った。
「冗談ではない。そんなことをすれば、アルマの身柄は連中の手に渡る」
「そうだ。けど仕方ねえ。ドラゴンキラーが二人連れで歩いて来るかもしれんだろうが。お前、仕事果たせるつもりでいるのか?」
リリィは喉を鳴らして唾を飲んだ。
「や、やる。必要ならば、やってやる」
「勘弁しろよ、俺は死にたかねえ」
瞬間、ずん、と音が響いて機関砲が地面に置かれた。そちらに気を取られた隙にリリィはすでに姿を消していた。
「あの馬鹿」
毒づきつつ、こうなっては仕方がないと腹を括くくった。
機関砲を改めて見てみると、なかなかに大口径だ。だから機関砲。パン屋の売り子、アズリルが使っていたのは機関銃で、それらよりも口径の大きなものを機関砲と呼んで区別している。
残された俺は、小さくため息をつき、煙草を取り出した。
火をつけながら、今居る場所を見渡す。ちょうど商会とカフェの中間地点辺りで、馬車も通れるほど大きな通りだ。そろそろ日が上りつつあったから、人に顔を見られる心配があったが、幸いまだ人通りは無い。
無心に煙草に口をつけながら、俺は耳を澄ませた。騒ぎが起これば何かしらの異質な音が届くはずである。
そしてそれは煙草が灰になったところでやってきた。
派手に何かが壊れる音、馬のいななき、そして、砲弾が命中したときのような、爆発音。
「奇襲成功、か。頼むぜ、俺の運。悪い運を呼ぶなよ、最悪でもパルパかジンだけって幸せな運を呼んでくれ」
呟きつつ用意を始める。肩に担いでいたライフルを機関砲に立てかけ、連中がやって来るだろう方向に照準を合わせた。広い射界が売りの武器だ。ただ、撃った反動で次弾を装填する仕組みのため、長時間撃っていると腰に来る。
爆発音は二度、三度と断続的に続いた。だが、聞こえてくる音は徐々に小さくなっている。推測される状況は一つ。敵の中にドラゴンキラーが混じっていて、リリィは仕事を果たしている、ということだ。願わくは殺して欲しいものだ。そうすれば後がぐっと楽になる。
俺は引き金に手をかけ、前方を凝視した。
やがて、数人が固まって脇道から飛び出してくる。背後を気にしている様子だったが、そのうちに俺の存在に気付いた。
「手前《てめえ》っ! 何やって」
言い終わらないうちに引き金を引いた。どどどど、と俺の体に振動が伝わってくる。これさえなければ良い武器だと思うが、好き嫌いが言える状況でもない。
機関砲は圧倒的な破壊力を示した。
射界に飛び込んできた馬鹿に次々と穴を開け、その場に倒した。幾人かは危険を察して脇道に引っ込んだが、俺は構わず壁に向けて撃った。次々と穴を開けられた壁は、やがて防壁としての意味をなさなくなり、そのうちに悲鳴を運んできてくれる。
やがて動くものがいなくなったところで立てかけてあったライフルを一丁手に取り、死体に向かって走った。近づいてみると、死体の一つがトランクをぶら下げていた。手錠で自分の腕と繋いであるが、恐らくはこれが金だ。
一瞬、喜色が顔に出たが、すぐに気を取り直し、連中が飛び出してきた脇道を警戒した。まだ生き残りがいる可能性は否定出来ないし、俺がその誰かの立場だったら、トランクを取ろうとしているところを撃つ。
入り口の壁に背を預け、耳を澄ませつつトランクに手を伸ばした。
発砲音。
瞬間に手を引き、ライフルだけ出して撃ち返した。撃ちあいになった。
飛んでくる弾の数から推測するに、どうやら残りは一人だ。弾は拳銃弾。そこで死体の数を数えたところ、六体転がっている。生き残りとパルパまで合わせて八人。納得出来る人数である。
そうこうするうち、撃っていたライフルの弾が切れたため、続けて右の腰に差していた騎兵銃を抜いた。相手が撃って来た弾の数はもちろん数えていて、今のところ九発。弾をどれだけ持っているかは知りようもないが、後一発、あるいは三発撃たせたところを転回点とすべきだろう。
ここいらに出回っているリボルバーの装弾数は五発か六発だ。そして普段から銃を三丁も四丁もぶら下げている馬鹿はいない。
その転回点はすぐにやってきた。十二発目のことだった。
俺は騎兵銃を捨て、そのまま拳銃を抜いて突入した。
次の瞬間に視界に入ったのは、リロードを急ぐ商会の使い走りの姿だ。俺はそいつの胸を狙って引き金を引き、弾は予定通りに命中した。男は胸を押さえて倒れたが、俺はやや近づいたところで、頭に狙いを定めて止めを刺した。殱滅が完了してもなお、俺は周囲に気を配りつつ、トランクの場所まで下がり、手錠の鎖を銃で撃ち抜いて千切った。
持ってみると、ずしりと重い。
後は下がるだけだ。
捨て置いていた銃器を回収し、打ち合わせ通りに機関砲の射撃を二秒間。三度繰り返したところで、俺は一目散に駆け出した。
時間にしておよそ三分足らずの短い戦闘だった。
ラダーマンのカフェまで戻った俺は、すっかり息が切れていた。
騎兵銃も含めてライフル三丁、拳銃一丁に、金貨三百枚の入ったトランクまで運んでいるわけで、さすがに重すぎる。肩で息をしながらの帰還だったのだが、俺が到着した頃には、スプリングとポニーが機関砲の片づけを行っているところだった。
リリィが無事回収してきたのだ。だったら俺もついでに拾えよ、と泣き言を口にしかけたが、あの宙にある感覚を思い出して、言葉を引っ込めた。
「あ、お帰りぃ。上手くいった?」
「ぼちぼちさ。リリィは?」
「中で飯食ってるよ」
俺は片手を挙げて返事をしつつ、店の中に入った。カウンターにアルマとリリィが並んで座り、ラダーマンは面倒くさそうに食事の用意をしているようだった。
とりあえず目につくのは、巨大な鍋である。それがカウンターに載せられていたが、想像するに、鍋から直接食った、ということではないだろうか。アルマがすっぽり中に入りそうなほどに巨大な鍋である。ラダーマン特製のたいして美味くもないシチューがことことと煮込まれていたはずだ。嫌な想像だが、どうもあの鍋は空だという気がしてならなかった。
嫌な顔をしている俺に、ラダーマンが薄笑いを浮かべて言った。
「首尾は上々ってとこか?」
「上手くいった。リリィ」
言いつつカウンターに近づき、持っていたトランクを渡した。そこで初めて、アルマは座っているのではなく、眠っているのだと気付いた。
「これは?」
「開けてくれ。壊していいから」
「ああ、そういうことか」
たいして力を込めた様子もなかったというのに、トランクはリリィの指先で強引にこじ開けられていた。ドラゴンキラー相手だとどんな頑丈な金庫もこの様だろう。その様子を横目で確認しつつ、俺は気になっていた鍋の中身を確認した。
やっぱり空だった。
「お前、ここに戻って何分経った」
「五分ほどだ」
「それでこれ全部食ったのか」
「容易《たやす》いことだ」
「いや、そういうことが言いたいんじゃねえんだけどな。まあいい。それより、ドラゴンキラーとやりあったんだろ? どうだった?」
「出てきたのは前に私たちの隠れ家を襲った奴だけだった。だから予定通りに仕事を果たし、機関砲の音が聞こえたのでな、撒いた」
「そうか」
リリィはしばらく俺の残念そうな顔を見ていたが、やがてトランクの中を覗きこみ、入っていた袋を引っ張り出した。見るからに貨幣の詰まった袋である。ラダーマンはそれを受け取って、中身を確認していた。一枚取り出して、噛む。噛んだ跡を俺も注視したが、メッキの偽物というわけではなかった。結構なことである。
「大もうけだなぁ、ラダーマン。得したなぁ、ラダーマン。羨ましくて泣けてくる」
「あん? 回りくどく言ってねえで、はっきり言えよ」
「リリィの飯代そっちでもってくれ」
「あぁ? 何の冗談だよ阿呆たれ。飯食わせる度に店の食材無くなっちまうだろうが。俺たちに餓死しろってか?」
「いいじゃねえの。金貨三百枚も儲けたんだ。それっくらい格好良いとこ見せてくれても罰は当たらねえよ」
「話を詰めとかなかったお前が悪い。金貨三百で引き受けたのは小せえ嬢ちゃんの世話だけだ。それ以外の頼みごとがしたかったら余計に金払いな。頼む相手がいねえってんなら、そこいらの犬にでも頼むんだな」
ため息をついた。
俺だってこんな稼業である。大抵の仕事が命がけになっている特性上、そこいらの平穏な暮らしをしている人間よりはずっと稼いでいるつもりである。蓄えだってある。が、それでもドラゴンキラーを養えるかといえば、大いに疑問だった。
「私のことなら気にするな。いざとなれば火を食う」
それならば心配はないか、と俺はほっとしていた。
が。
俺の口からは全く別の言葉が走り出していた。
「ああそりゃいい考えだ。実に最高の提案だ。けど、お前だって人間の食いもんのほうがいいだろ」
俺はなぜこんなことを言っている。違うはずだ。リリィが火を食うと言うのならば、そのほうがずっと経済的で、特に損をせずに済む。なのに、なぜ俺はこんなことを口走っている。
「だが、そこまで甘えるわけには」
「甘える? 何の冗談だ。今のところはパートナーだ。お互いのためにやることやるだけだ。ただ、お前が俺に金を使わせることを気にかけるってんなら、その分を仕事で返してくれ」
「わ、分かった」
再びため息をついていた。だがこのため息は意味が違っている。
俺は自分のことがよく分からなくなっていた。
個人主義者だと思う。損得には気を使っているとも思う。学は無いが、読み書きは出来る。女の趣味は良い尻をした女。そして、大のドラゴンキラー嫌い。
頭の中で順を追って考えたが、それでもリリィに気を使う要素は一つもない。
面白くなかった。だが追求すれば余計に面白くなさそうな予感があって、俺はそれ以上考えることを止めた。
「まあいい。とりあえずは小休止だ。昼まで休んでくれ。俺も少し休む」
「私なら平気だが」
「次はさっきの比じゃねえくらい気を使うんだよ。気力を取り戻すためにも休んでくれ。知ってるか? 寝るってのはさ、体も休ませるが、それ以上に頭の疲れを取るためなんだとよ。晩から騒ぎ続けたんだ。アルマの安全が確保されてんだし、あんたも気にせず休め」
「そこまで言うならば、甘えよう」
「ラダーマン、部屋の用意は?」
「二階の部屋を一つ開けた。元は物置だったし、掃除もまだだが、とりあえずベッドの用意は出来てる。鼻は詰まるだろうが眠れねえってこたぁねえよ」
二階はこのカフェの連中が寝起きする部屋が並んでいる。元々、このアパート自体がラダーマンのものだし、自分の部屋に自分と従業員を寝起きさせているわけである。ちなみに、三階から上の階に入るには外の階段を使わねばならないが、二階に限っては店の奥からしか上がれないようになっている。
「そういうことだ。じゃ、昼過ぎにな」
ライフルを担ぎ、そのまま店を出た。すっかり朝だった。
昼。
俺はドアの開く音で目を覚ました。鍵を開けたかどうかが判然としないが、ドアの開く音は確かに聞こえた。物取りか、それとも早速商会に俺たちのことが耳に入ったか。
何にせよ、こちらが奇襲をかける側だという意識を強く持った。
ベッドの側面に取り付けてあるホルスターに手を伸ばし、銃を手にした。が、そこでようやく侵入者の正体に気がついた。理由は足音だ。隠そうともせず、けれども慎重に俺のベッドに近づいてくるのは子供の足音で、まず間違いなくアルマである。
俺を起こしに来たのだろう。足音を殺しているのは、驚かそうと企んでいるのか。
大人しく驚かされるべきだろうか、と薄目を開けて様子を観察してみると、アルマはすでにベッドの傍までやってきていて、今にも飛びかかろうとしている。体をばねのように沈め、そして跳んだ。
「お昼っ!」
俺は飛び込んできたアルマを腕を伸ばして受け止めた。
「あ、ずるぅい。起きてる」
「もうちょっと気配を消して近づいてこなくっちゃな。ばればれだ」
「そんなの出来ないよ」
「簡単さ。すぐに出来るようになる」
「アルマにそのようなことは必要ない」
その声を聞いた瞬間に背筋が凍った。ベッドサイドに、いつの間に現れたか、リリィが立っていた。心臓が物凄い勢いでがなりたてていたが、それを気取られないように平静を装いつつ口を開いた。
「どこから入った」
「入り口からだ」
「あ、そう」
「驚いてる。ココ可愛い」
「悪い夢を見たんだ。そりゃあ心臓くらい鳴るさ」
アルマをおろしつつベッドから降りると、リリィが赤面し、慌てて視線を逸らした。俺が下着一枚しか身につけていなかったかららしい。
「恥ずかしがるようなことかよ。俺が素っ裸じゃないと眠れない奴だったらどうすんだ」
「そういう問題ではないだろう」
ぼやきつつ身支度を整えていると、アルマが俺の体をじっと見ていた。
「どうした?」
「傷、いっぱいだね」
俺は苦笑しつつ膝を折り、アルマに裸を晒さらした。
「触ってみるか? ただの傷だし、面白くはないだろうけどな」
アルマは遠慮がちに手を伸ばし、俺の左肩にある銃創やら、少しばかり肉がえぐれてしまっている右脇やらをぺたぺたと触った。
「痛い?」
「怪我したときはな。今は平気だ」
俺が笑っていると、リリィが口を開いた。
「そうまでしてか」
「何だよ」
「いや、怪我を重ねてなお、お前は軍人であることを続けたのだと、そう思ってな」
「殺すしか能がなかったからな。殺して殺して殺されかけてだ。ま、そりゃ今も変わらねえし、結局は俺が屑だって話だろうな。殺すしか能がねえなんざ、最低にも程がある」
リリィは何か言いたそうな顔をしていたが、俺のほうが先に口を開いた。
「これ以上は訊くなよ。喋る気もねえ」
「わ、分かった」
「先に出てろ。すぐ行く」
二人が部屋から出て行ったところで、急に恥ずかしくなってくる。
似合わない自分語りなどをしてしまった。裸を晒すより、そちらのほうがよほど恥ずかしい。
あるいは自分のことを知って欲しいのか。
まさか、と自虐的に笑った。冗談ではない。冗談にすらならない。そんな馬鹿な話はあってはならないものだ。だがそれを否定する材料もまた、俺の中には存在しなかった。
クローゼットに手をついて、違う違うと首を振り、何度か深呼吸を繰り返して自分を落ち着ける。そこから手早く着替え、部屋を出たところで落ち合った。
欠伸を楽しみながらしっかりと施錠し、俺たちは外に出た。
カフェはすでに開いていて、昼間から酒を楽しんでいるろくでなしどもがちらほらいたが、開店して間もないこともあって、やはり空いている。
「よぉココ。子供連れで酒やりに来たか?」
客の一人がそう言った。商会が懸賞金をかけている子供だとは思っていない様子だ。と、そこで初めて二人が俺を起こしに来るときにばれなかったものだ、と感心した。アパートの構造上、俺の部屋に来るためには店を通って一旦外に出なければならず、開店して間もないとはいえ、客はいたはずだ。
リリィに訊いてみようかとも思ったが、なんだかどうでもよくなった。ばれていないのだ。それだけで十分である。
「知り合いの子だよ。預かることになっちまった」
「へぇ」
「ちょくちょくこの辺りにいると思うが、手ぇ出したら殺すからな」
「出すかよ阿呆たれ。ガキに手ぇ出すのは変態だ」
「その変態が多いから言ってんだろ。ハンドジョブ・デニム」
「おいおいおいおい。そのふざけた渾名《あだな》で俺を呼ぶなって言わなかったか?」
「女を抱けないってのは損してるって言ってんだろ。マスかくのも大概にしろ。生身の女に目をむけろよ」
つまらない世間話を終え、俺たちは三人並んでカウンターに座った。カウンターに立っているのはポニーである。
「ラダーマンは?」
「まだ寝てんだろ。あたしだってもっと寝たかったけど、くじで負けちまったから仕方なくさ。せっかく儲けが出たんだし、今日くらい店閉めろって言ったんだけどな」
「ついてねえな、今日は外に出ねえほうが吉だ。ビールを。アルマには果物|搾《しぼ》って炭酸水で割ってくれ」
「あいよ」
俺が煙草を取り出していると、リリィが早速口を開いた。
「それで、どうするのだ?」
「せっかちだな。ちっとも休まってねえじゃねえか。ビール飲んでげっぷでもしろ。話はそれからだ」
「茶化すな。疲れは取れているし、落ち着いている」
へぇ、と相槌をうち、煙草を一口吸った。
すっかり煙草中毒者だが、寝起きの煙草は毎日美味い。吸った本数に比例してどんどん不味く感じるようになるわけで、その道理でいけば、一日で最初の一本が一番美味いのも当然だ。
「商会とな、直接交渉だ」
「アルマに懸賞金をかけた組織だな」
「ああ。上手くいけばお祭り騒ぎを収めることも出来るはずだ」
「いかなかったら?」
「そんときゃ、三人で逃げ出すしかねえなあ」
「呑気《のんき》な」
「死ななきゃ次はあるんだぜ、リリィ。死んだら終わりだが、死ななきゃ死ぬまで勝負が出来る。逃げるのも次のためだ」
「そういうものか」
「そういうもんだ」
「で、上手く行く公算は?」
「当たって砕けろ」
俺の返事にリリィはわざとらしいほどの所作でため息をつき、そして出されたビールを一気にあおり、律儀にげっぷまでしてみせた。口元をぬぐいつつ、にやりと笑う。
どうやら少しは気がほぐれたらしい。
俺はビールを半分ほど飲んだところでジョッキを置き、立ち上がった。ジュースを美味そうに少しずつ飲んでいるアルマの頭を撫で、
「じゃ、ちょっとでかけてくる」
「うん。頑張ってね、ココ、リリィ」
「ああ、頑張るよ」
「無事に戻る」
「ポニー、後は頼むぜ。粗相のないようにってな」
「男の悦《よろこ》ばせ方を仕込むのは粗相か?」
ポニーは楽しそうに言った。
「そいつは本人と相談してくれ」
俺はリリィを伴い店を出た。
目指すは商会。当たって砕けそうな予感がひしひしと感じられる午後一時。
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六章
室内には香が焚《た》き染《し》められ、しかもなんと表現したものか分かり辛い、酸っぱいようで実は甘かったり、爽やかなようで重かったりするなんとも不気味な香りで、平たく言うと、異様に臭かった。
お陰で、鼻の奥がむずむずとたまらない感じになり、しかも別段鼻がつまってむずむずしているわけではないから、取り除きたければ外に出るしかないが、生憎話をしに来ているから、それもかなわない。
もう激烈に不愉快だ。くすぐったいやら、むずがゆいやらで、やっぱりというかなんというか、俺は頭痛がしてきた。
部屋の広さは普通だが、部屋を飾っている品々は一級品だ。それもやたらと相手に圧迫感を与えるものではなく、下品にならないように心配りがされていた。ただ、香の趣味だけが絶望的に悪い。
体をどこまでも飲み込みそうなソファに座り、俺は話し相手を待っていた。背の低い猫足のテーブルを挟んで、向こう側にソファがもう一つあるが、そこに座るべき人物はまだ来ない。テーブルには果物が載せられているが、すっかりこの香でいぶされているのではないか、と想像して、手を出すのがためらわれた。
背後には、リリィが立っている。
振り向いて様子を確認すると、苛立っているかと思っていたリリィは、目を閉じて黙っていた。
「リリィ」
と声をかけると、目を開いたまではよかったが、何も言おうとしない。
「何だよ、緊張してんのか?」
リリィは首を横に振ってそれを否定した。
「じゃあ何だよ」
今度は苦々しい顔をした。
「あ? 何が言いたいんだ」
必死で何かを伝えようとしていたが、ようやく相応しい動作に思い当たったらしく、鼻をつまんで左手をその前で振った。臭いから口を開きたくない、ということなのだろう。
気持ちはよく分かった。本当に、痛いほどに。
「まあ、そうだな」
と言って再び姿勢を戻そうとしたところで、ドアが開いて、俺が待っていた女が姿を現した。その後ろにはパルパがつまらなそうに続いている。久しぶりに明るい場所でその姿を見たが、陰湿な目つきの、神経質そうな男である。目の下に隈を作っているほうが似合いだが、生憎肌の色艶は良い。
そして、商会幹部、ケン。商会でも二人しかいない女幹部の一人だ。もう一人の幹部は、商会代表の女房だから、腕だけで幹部に上り詰めたのはこの女だけである。五十過ぎの、いかにも落ち着いた雰囲気の小柄な女で、髪を染めるのを嫌っているらしく、頭には白髪を蓄えている。服にも髪にも装飾品にも金がかかっているとは思うのだが、そこいらで噂話に花を咲かせていても違和感が無い。
ケンは部屋に入るなり、
「臭っ! なにこれ。またマウリッツの趣味でしょう。そうね、パルパ」
「はい。そのように思われます」
「ああ、予想通りの答えで全く情けなくなるわ。見なさい。部屋の趣味は悪くない。けど駄目ね。あの子の鼻は曲がってるんでしょう。最悪の欠点よ、全く。あの子に訊いてみるといいわ、あの香りの良さが分からないなんて、どこまで前時代的なんだって答えが返ってくるに決まってるから」
「はぁ」
と、パルパはなぜか済まなそうに相槌を打った。頃合を見て、俺のほうから声をかける。
「そろそろ話を始めたいんだがな」
「あらココ。死にに来たんですって?」
ケンは俺のほうを向くなり、笑いながらそう言った。背後でリリィが拳を握る音がするが、無視して俺も笑って見せた。余裕のない素振りは見せたくない。
ケンは小さな体をソファに預けた。いかにも座りなれている、といった様子で、体は小さいくせに貫禄は十分。さすがに俺なんかとは物が違う。俺が用件を切り出そうとすると、タイミングを計ったようにケンのほうが先に口を開いた。
「にしても、あなたが商会に敵対するなんてねぇ。今日の用向きはそのお詫びかしら? それとも幹部の一人でも殺して自分も死のうって自殺願望?」
「喧嘩を売った覚えはないんだがな」
「面倒な話は嫌よ、ココ。私たちだって情報は掴んでいるし、他にも情報をお金に換えようって子たちがたぁくさん。金貨三百枚に、うちの若い子たち七人の命。それに、私たちが探している女の子の身柄も、全部あなたたちの仕業なんでしょう?」
ケンはにっこりと笑いながらそれらの言葉を口にした。それを知った上で俺たちをここに通した、ということなのだが、余裕の違いを見せつけられているようだった。何より、穏やかな笑顔を見せられているというのに、異様なほどの圧迫感があった。窒息してしまいそうなほどに、息苦しい笑顔だ。
俺は腹の底から精一杯の虚勢を無理矢理に引っ張り出して、笑顔を作ってみせた。
「言い訳なんかしねえし、命乞いをしに来たわけでもねえよ。話は一つだ。アルマにかけた懸賞金を取り下げてくれ」
「それは出来ない相談だわ。可哀想だと思うけど、うちにも面子ってものがあるのよ。顔に泥を塗られたら、相手を徹底的に責め抜いてみせしめにしなければいけないの。嫌になるわね。どうしようもないくらい下品」
ケンの笑顔は全く崩れない。このおばさんは、きっと今と同じように笑いながら、沢山の人間を殺してきているはずだ。
「それは困るな」
「私もよ、ココ。本当に困ってるの。でもあなたが良い子にするって言うんなら、命だけは見逃してあげる」
「金を返して、アルマを渡せって?」
「それとあなたの後ろにいるお嬢さんも。ドラゴンキラーなんですってね? あなたが来てくれれば助かるのだけど。ほら、うちのパルパだけじゃ手が足りなくなるときもあるでしょう? 馬鹿な子たちはこの街にも沢山いてね、パルパが竜退治に出かけてる間に抗争起こしたりするのよ。そういうとき、あなたがいてくれれば助かるわぁ」
ケンの視線がリリィに向けられた。
「ココと話してくれ。私は交渉ごとには不向きだ」
「あらあら。いいのよココのことなんか気にしなくったって。私はあなたに訊いてるんだから。どうかしら? 請けてくれれば、あなたの大事なお嬢さん共々、うちでお世話させてもらおうと思ってるんだけど」
なんだか雲行きが怪しくなってきた。が、リリィを上手く取り込むことが出来るのなら、それに越したことはないのだ。街で商会に逆らうものは居なくなるだろうし、バスラント中に手を伸ばすことだって不可能ではなくなる。
「ココ」
リリィの声には困惑の色。何か言うべきだとは思うのだが、ケンのにこやかな笑顔に抑えつけられ、俺は言葉を発することが出来なかった。
「だから気にしなくっていいって言ったでしょう? 私がいいって言わなくちゃ、ココは喋らないわ。そうよね?」
もはや命令と変わらない。
嫌な汗が背中に滲み出し、伝い、落ちる。腹の内側に黒々とした感情の塊が生まれ、身をよじりたくなるほどの大きさを伴った。銃口の前に身を晒した時にたびたび感じるものと同じだ。いや、それよりもよほど大きな、どこまでも大きな恐怖だった。
「どうかしら?」
リリィは困ったように俺の顔を覗き込んだが、俺は見返す余裕すらない。じっと、ケンの視線を受け止めるだけで精一杯だった。
「マルクトからの依頼なのだろう? それを反故《ほご》にしてもか」
「彼らが落としてくれるお金より、あなたが働いてくれることで手に入る利益のほうが大きい、と判断したからこそよ。お姫様には逃げられました、手付け金はお返しします、で話はお終い。あっちも依頼の内容が内容だから、大声で文句は言いづらいでしょうし、恐らくはそれで片がつくでしょうね」
「ココはどうなる」
ケンはやれやれといった様子で、苦笑した。
「あなたは、もう少し自分の価値を理解したほうがいいわね。あなたは特別なのよ。本当に本当に特別で格別の生き物。この世で一番の怪物なの。もうちょっと視野を広く持ちなさいな。あなたのためならお金を幾ら出したっていいって人が、世の中には沢山いるから」
「答えになっていない」
「なってるわよ。この子はこの街に掃いて捨てるほどいるその他大勢の一人。少ぉしやんちゃなところがあるだけの、取るに足らない子。分かるかしら? ココの代わりなら幾らでも簡単に用意できるけど、あなたの代わりは居ないのよ」
どこまでも上から物を見ているケンだが、言っていることは正しい。俺などその程度だし、自分でもそう思う。元軍人で、今は便利屋。街には似たような連中が山ほどいる。ケンから見れば、まさにその他大勢だ。
「そんな言い方はどうかと思うが」
「あら、気に障った? 意外と子供なのね。ドラゴンキラーになる前は何をしてたのかしら。男に抱かれたことはある? 男を抱いたことは?」
「な、何の関係がある」
リリィの答えを聞いて、ケンは楽しそうに笑った。
「あらあら、少し下品だったかしら。駄目じゃないのパルパ。止めてくれなきゃ」
「は、申し訳ありません」
「これでもね、悪い話を持ちかけているつもりはないの。考えてもごらんなさいな。あなたにとって最悪の状況は、大事なお嬢さんが捕まってしまうって状況でしょう。取引に応じなければ、すぐにそうなるわ。私たちにはそれを現実にするだけの力があるのだから。少しは想像が出来るかしら?」
リリィの呼吸が少し荒くなっている。押し切られるな、という実感があった。悩んでいるのだろうとも思う。一方で俺は、リリィが商会に降った場合の身の振り方などをぼんやりと想像し始めていた。
まず間違いなく商会の連中は俺を恨んでいる。上はどうかは知らないが、下っ端の連中からは組織の顔に泥をなすりつけた便利屋野郎だと思われているに違いなく、つまりは身の危険が待っている。
どう逃げる。そもそも逃げてどこへ行く。
リリィに上手いこと言って身の安全を保障させようか。
いや待て。相手はドラゴンキラーだ。癪《しゃく》だ。許しがたい。
そんなことをつらつらと考えていたのだが、不意に頭の隅っこにリリィに頼って何が悪い、という血迷った考えが浮かんだ。その考えを追い払おうと俺は努力を払おうとしたのだが、ケンの発する静かで柔らかい威圧感の前に思考は混乱し、自分が一体何を考えるべきかさえ定まらなくなりつつあって、結局俺は一番楽な道、つまりは自分の中の一番大きな声に従うことを決めた。
リリィを言い包めて俺を守らせよう。
「たぶらかしているつもりはないのよ。これはこちらの誠意。ドラゴンキラーを迎え入れようって言うんですもの。それくらいの誠意は見せるべきでしょう?」
「……れ」
「うん?」
「黙れと言った」
「あら、何か気に障ること言ったかしら?」
「気に障っただと? ああ大いにそうだとも。お前は高い所からしか物を言っていない。貴族連中と同じだ。自分が特権階級にあるものはそういう物の言い方しかしないからな。下々のことなど目に入らないだろうさ。だから、今、ここで死ぬかもしれないと想像もしていない」
「野蛮ねぇ。出来もしないことは口にしないほうがいいわよ」
「は、その男がどれほどだというのだ。相手をしながらお前の首を獲ることなど容易い。お前こそ立場を理解すべきだ。商会がどれほど大きな組織かなど知らないがな、正面からやり合おうが負ける気などしない」
その言葉を受けてパルパが腰を落とした。上目遣いにリリィを睨みつけている。明らかに殺す気満々だ。俺には言葉も力も無かった。
が、リリィはそんなパルパに一瞥もくれず、俺の肩を掴むと、そのまま持ち上げ、持ち上げたかと思えば下ろし、それを猛烈な勢いで何度も繰り返した。
「なっ、リリィ! 何しやがんだ馬鹿! 止せ、気持ち悪ぃ!」
俺が叫ぶと、ようやく止まった。内臓が上下に揺れていて、気持ちが悪い。リリィは俺の前に回り、苦い顔をしている俺の顔を覗き込んだ。
「なんだ、声は出せるではないか。しゃっきりしろ馬鹿者め。あれは女だ。撃てば死ぬただの女だ。私とは違う」
「理屈になってなくないか?」
「なっているさ。お前は私のパートナーだ。少なくともお前の復讐を果たすまではな。お前がそう言っただろう」
俺は一瞬目を開いたが、何やら可笑しくなってきて、顔を押さえて苦笑した。
「それも意味が繋がってねえよ。パートナーだからって何だ」
「知らん。察しろ。お前の頭は私と違って物を考えられる頭だろう」
「お前に諭されるとはな。びっくりだ。明日が待ち遠しいな。きっと未曽有《みぞう》の天災がやってくる」
「笑うな。ほら、交渉の続きだ」
リリィはそう言って再び俺の後ろに控えた。指の間から、パルパがケンに指示を仰いでいる様子が目に入った。顔から手を離し、
「煙草吸っていいか?」
と言った。
ケンが口を開こうとしたが、俺は返事を待たずに煙草を取り出し、横から手を出したリリィに火を貰った。慣れた香りが鼻の奥を刺激する。
「悪いな、うちの相棒はどうも自分の思う方向に話を持って行きたいらしい。力があるからだろうな。頭の先から爪先まで我侭に出来てるんだ」
「そのようね。体は大きくても子供だわ」
「だな。徹底的にガキだ。けど、請けてくれるだろう? ご機嫌取りだと思ってよ」
「あらあら、どうしてそういう話になるのかしら」
「相棒はやる気だ。余計な損をこさえることになっていいってんなら、別にそれでも構わない。いや、構わないって気に今なった」
俺は笑いながらそう言った。気が大きくなっているのがよく分かった。
「困ったわねぇ。聞き分けのない子は嫌いよ?」
「そっちこそ、話を聞いてくれ。出せる条件は、そうだな、商会からの仕事は格安で請けるってのでどうだ。そして呑んでもらいたい条件は変わってない。アルマの安全の保証だ」
まるでリリィが俺の部下か何かであるかのように言った。が、主語は不明瞭にしてあるから、俺自身が商会から格安で仕事を請けるという風にも解釈は可能だ。ケンは気付くだろうか。いや、気付いていると考えておくべきだろう。
だがどうでもよい話である。どうせはったりだ。
「断れば?」
「あんたを殺して、次は商会関連の施設を潰してまわる。その後は、他所の組織に身を預けるのも悪くない。ドラゴンキラーだ、高く買ってくれるんじゃねえかな」
「そういうつもりがあるんだったら、うちに来なさいな」
「はったりに決まってるだろ。分かってるくせに。ただ、本末転倒だろうが滅茶苦茶だろうが無謀だろうが大馬鹿だろうが、いざとなったらやるぞ。商会に頭を押さえつけられてる組織は山ほどあるんだ、きっと良い条件で買ってくれる」
ケンの顔から笑顔が消えた。食いついてくれたらしい。
視線を落として何やら考えている様子だったが、やがて顔を上げて、今までよりも低い声を出した。
「パルパ」
「はい」
「二人を玄関まで丁重に送って頂戴」
「よろしいので?」
「あら、私がいつあなたの意見を求めたのかしら」
「は、失礼しました」
「先に失礼するわね。この話は幹部会の議題に上げて、そこで方針を決めることにしたから。私の一存でどうこう言えるものではない気がしてきたのよね」
「返事はいつ貰えるのかな」
「日の落ちる前には」
そう言い残し、ケンは立ち上がって部屋を出て行った。残った俺たち三人は、しばらく無言だった。主にパルパが俺たちを睨んでいたことに原因がある。が、そのうち自分に与えられた命令を思い出したのか、
「ついて来い」
と短く言った。
廊下に出るなり、待機していた連中が一斉にこちらを睨んだ。
「どうなってんです?」
「帰すそうだ」
「何で? ここでばらしちまえばそれで済む話でしょうや」
「ケンさんの厳命だ。そして俺はそれに従っている。言うことが聞けないってんなら好きにしろ。一人の漏れなく俺が殺してやる」
その言葉で今度は廊下中が静まり返った。だが、男たちの顔には分かりやすい敵意が浮かんでいる。
厳い顔の男たちによって作られた花道を通り抜け、俺たちは商会玄関まで無事に辿り着いた。
「直に使いが出されるだろう。どこにいるか教えておいてもらおうか」
「ラダーマン・カフェ」
「確かに聞いた」
言った瞬間にはパルパの姿は消えている。
それを確認したところで、俺は大きなため息をつき、肩を落とした。仮眠をとっておいてつくづくよかったと思う。ただ言葉を交わしただけだが、疲労が体中にのしかかってきた。
「ああ、しんどかった。二度とごめんだ」
リリィを見ると、直立したまま固まっていた。
「どうしたよ」
「お、恐ろしかった。今になって震えが来る。見ろ」
そう言ってリリィは自分の手を見せたが、その手は落ち着きなくぶるぶると震えていた。
「なんだよ、あんだけ大層に吹いといてその様か」
「お前だってあの女にやりこめられていたではないか」
「お前な、どんだけ鈍感なんだよ。あの女は商会幹部だぞ。がっちがちの女傑だ。修羅場なんざ俺よりくぐってるはずだし、下手すりゃそこいらのドラゴンキラーよっか人を殺してる化け物だ。俺を見ろよ。所詮はフリーランスの便利屋だ。器が違うってもんだろ」
「無能自慢か。情けない男め」
「知るかよ馬鹿」
「何が馬鹿だ。貴様こそ能無しではないか」
「屁垂れ」
「根性無し」
一瞬の沈黙。
「トカゲ女」
「ミドリムシ」
俺たちはにらみ合い、その後、同時にため息をついた。
午後三時。
カフェに入ると、ラダーマンがカウンターの内側から声をかけてきた。
「よぉココじゃねえか。よく生きてたな。実は死体だったなんて落ちか? それとも俺がお前恋しさに夢でも見てんのか?」
「あんたの軽口が聞けて幸せだよ。ああ、幸せすぎて涙が出そうだ」
「まあ座れよ。そっちの姐《ねえ》さんもな」
俺たちは例の如くカウンターに陣取った。
「アルマは?」
「二階だ。さすがにぼちぼち人が増えてくる時間だしな、客の前には出せねえよ」
「それもそうか」
「しかしポニーに聞いて驚いたぜ。直接交渉なんて無謀な真似するとはな。よっぽど死にたいんだって笑ってたもんだが、どうしてどうして、生きて帰ってきた。大したもんだ」
「二度とごめんだ。商会幹部って、ありゃ人間以外の生き物だな。あんたは俺のことをプロだなんて言ったが、あっちのほうがよっぽどだ。小せえ年増だってのに、信じられねえ迫力だった」
「ああ、ケンに会ったのか。ありゃやり手だぜ。商会の幹部の中でも一、二を争うくらいの怪物だ。よくそんなのに会う気になったなあ」
「それがよ、やりあった挙句に会えりゃあって思ってたんだが、受付で名前を出したらあっさり応接室に通されたんだ。そりゃ拍子抜けしたもんだが、思い返してみると、銃撃戦のほうがまだよかったな。と、ラムと食い物をくれ」
煙草をくわえていると、カタカタと音がした。何かと思えば、リリィの手が未だに震え続けている。
「お前、それ怖くて震えてるんじゃなくて、単に腹減って震えてるだけなんじゃねえのか?」
「そうかもしれんと今気付いた」
舌打ちを一つ。
「ラダーマン、飯を大量に、だ。けどここじゃ目立つ。二階の部屋に運んでやってくれ」
「済まんな。気を使わせる」
「毎度」
リリィは席を離れ、店の奥へと消えていった。
俺はそれから一時間ほどかけてちびちびとラムを三杯飲み、ラダーマンの作った決して美味いとはいえないスープを食ってから店を出た。店を出る際、商会からの使いが来れば部屋まで呼びに来てくれるよう言付け、飯の代金を多目に払ったのだが、ラダーマンはさらに手を伸ばして催促した。
「何だよ」
「上の姐さんの分もだろ。これっぽちじゃ全然足りねえよ」
「ああそうだった。大飯喰らいがいたんだった。どうも嫌なことは忘れるように出来てるらしい」
苦笑しつつ、追加で大銀貨三枚を渡し、そのまま部屋に戻った。
特にすることもなかったため、銃の整備をしつつ時間を使った。ぬるい水の入ったグラスを片手に、くわえ煙草で銃を分解し、磨く。一旦手をつけると、久しく使っていないライフルが何丁もあることが気にかかり、結局そちらにも手を出した。何事も勢いだ。部屋の掃除を始めてしまうと最後までやらねば気が済まなくなる性たち質である。
気がつけば、六時を過ぎていた。そろそろ日の暮れる時分だった。ぼちぼち連絡の来るころか、とカフェに下りることにした。
ポニーとスプリングがのんびりと仕事をしており、ラダーマンは退屈そうにグラスを磨いている。カウンターにはリリィが一人で座り、グラスを傾けていた。
「アルマはどうした」
と背後から声をかけると、
「眠った」
と返事があった。
「私が戻ってからは、ここぞとばかりにはしゃいでな。会話が途切れることを恐れるように、ずっと喋り続けていた。お陰ですぐにへとへとだ。疲れて眠ってしまった」
ふぅん、と相槌を打つ。リリィはがらりと話題を変えてきた。
「交渉結果、どのようになると思う?」
「さあな。出るまでは分かんねえよ。感触は悪くないって思ったが、そういう思い込みは危ない」
「悪いほうに出れば、商会以外の組織に身を売ることになるのか?」
「逃げるさ。どこか遠くへ」
「なんだ、やはり逃げるのか」
「そりゃそうだろ。リスクの問題だよ、リリィ。他人を巻き込んだ上で、商会とやり合うのと、三人で逃げ出すのは、どっちが命の危険が少ないかって、それだけの話だ。アルマさえこっちに居りゃあ、皇女派を釣り上げることはどこでだって出来るからな」
「はったりばっかりだな、お前。嘘つきだ」
「口先だけで話がまとまるなら、それに越したことはないだろ」
「そういうものか」
「そういうもんだ」
と、たいして面白くもない話をしていると、背後でドアが開いた。ちらりと振り返るとパルパが二人連れで入ってくるところだった。後ろに続いている人間には見覚えがないが、どうせ商会の関係者だろう。
パルパは店内を見回し、俺たちの姿に気付くと、ゆっくりと近づいてきた。
緊張の一瞬だ。
パルパの姿を確認し、うるさかった店内がしんと静まり返った。ドラゴンキラーが姿を見せるだけでこの有様だ。リリィがドラゴンキラーだと教えてやれば、少しは面白くなるだろうか。
俺はカウンターに肘を置き、パルパをじっと見ていた。
ちょっとした睨み合いになった。
立場は明らかにこちらが下で、口を開くべきは俺のほうなのだろうが、それでも安く見られるのが嫌で、無理に突っ張って黙っていた。パルパにしてもそういう思いはあるらしく、黙って俺が口を開くのを待っている。下らない面子の問題だが、力だけが物を言うような街では案外大事な要素だ。
「用件を聞こう」
と口を開いたのはリリィだった。俺が睨むと、今まで見せたこともないような険しい顔である。気を張っているのが隣にいる俺にはよく分かったし、その緊張の具合は今までにない類のものだった。
気になって追求しようとすると、パルパが口を開き、俺はそちらに注意を向けなければならなかった。
「子供を引き渡せ。そして大人しく街を出ろ。それが幹部会の決定だ」
「なんでそうなるかね」
「事情が変わった。悪いことは言わないから、従え。俺の後ろに居るのも、ドラゴンキラーだ」
寒気が背中を走りぬけ、腹の内側には処理しきれないほどの重い塊が生まれた。
「リリィ、もしかして、後ろの奴は知り合いか?」
「ジン」
「お久しぶりです、リリィさん」
ジンと名乗ったドラゴンキラーは一見すると女と間違いそうな美形の男だった。長袖の白いボタンシャツにリボンタイという格好。裾はパンツの外にだらしなく出されていて、その上からさらにカーキ色の軍用コートを羽織っていたが、なぜか袖が両方とも無い。下は灰色のコットンパンツに、革靴。左の耳にピアスが二つ光っていた。
「ああ」
「事情が変わったとはこういう意味だ。お前たちとうちの力関係も変わった。もう一つ、今現在、協力してくれているドラゴンキラーはもう一人いる」
「ジン、誰が来ている?」
「レクスさんですよ」
ちっ、とリリィが舌打ちをしたのが聞こえた。視界の端で、リリィがこちらを見ているが、俺はレクスという名前を口にした、ジンを見ていた。
口の端が、俺の意思とは関係のないところで持ち上がろうとして、俺はそれらに噛み付いてそれを堪えた。強く噛みすぎていたらしく、痛みが走るが、それさえも快楽に感じてしまって、しきりに口の内側をかみ続けた。口の中には血の香りが広がっていく。
「ココ、気をしっかり持て」
「持ってるさ。持ってるに決まってる」
「リリィさん、皇女殿下をこっちに。それと、リリィさんも戻って来るんなら、罪は不問にするそうです」
「冗談ではないな」
「いいんですか? 僕ら、皇女殿下をお連れしますし、そうなったらリリィさん一人になっちゃうんですよ。皇女殿下と離れ離れになってもいいんですか?」
「荷物をまとめてマルクトへ帰れ」
パルパは鼻先を掻き、やがて面倒くさそうに口を開いた。
「ラダーマン、子供はどこに居る? 知ってるんだろう?」
「ああ、もちろん知ってるさ」
「店ごと吹っ飛ばされたくなければ。後は分かるな?」
「分かってるに決まってるだろ。ただし、少しでも店に傷つけてみやがれ、全部商会に請求するからな」
「渡してくれれば文句はない」
「スプリング、ポニー!」
「店長! 話が違うぞ!」
リリィの叫びも他所に、二人がそそくさと店の奥へと向かった。
「お前たちは動くなよ。命を助けてやると言ってるんだ。幹部会の出した結論は、決して悪いものじゃない。普通なら見せしめに殺すところを、見逃してやろうって話なんだからな。分かってるよな? ついでに言っておくが、殺すべきだという大勢に対し、生かしてもよかろうと主張したのはケンさんだ。感謝しろ」
「商会の内側のことには興味がない」
リリィがすっと立ち上がり、ドラゴンキラー二人と対峙する。とばっちりを避けるためか、我先にと客たちが逃げていく。が、それでも様子が気にかかるのか、大半は遠くへ避難するでもなく、外からうかがっていた。
「リリィ、座れよ」
「ココ! 貴様、言いなりになる気か」
「お前こそ無駄死にが望みか」
俺は煙草を吸った。茶色い巻紙にべったりと血が付着する。
「おもしろくねえけどな、玉砕はもっとつまんねえよ。見逃してくれるって言ってるんだ。大人しく甘えようじゃねえの」
「知るか。少しは根性見せてみろ。能無しの玉無しめ」
「下品だな、リリィ」
「ああ、お前のせいだろうよ」
リリィに言われるまでもなく、どうにか連中を出し抜けないかを必死に考えている最中だった。が、ドラゴンキラーが二人というのが最悪の条件だ。リリィが二人の相手をするという時点で、すでに納得が行っていない。
不愉快な話だが、黙って言う通りにする以外にない。幸い、見逃してくれると言っているのだ。後手に回ろうが、そこから考えを練るべきだった。
ややあって、スプリングとポニーがアルマを連れて現れた。
「アルマ」
どういう顔をしていいのかわからないリリィは、今にも泣きそうな顔だ。
「アルマ、悪いな、そういうことだ。好きなだけ恨んでくれ」
アルマは首を振った。
「そんなことしないよ。リリィもココも、私のために頑張ってくれてたの、知ってるもん」
「そうか」
「アルマ」
と再びリリィが呟いたが、横からジンが進み出て、アルマの前に膝を折った。
「皇女殿下、お探しいたしました。僭越《せんえつ》ながら、私、ジンが護衛を務めさせて頂きます。道中、苦労をかけることもありましょうが、どうかご容赦ください」
「えっと、あの、お願いします。ジンさん」
「はい。御身は身命を賭してお守り申し上げます。それから、私のことはジンと呼び捨てになさってください」
「芝居がかった奴だな。今時なんて言葉遣いだ」
「仕方ないでしょ。雲の上の方なんですよ。失礼があっちゃならない。おかしいですか?」
「いや、あんたにゃ似合ってるよ」
「あ、馬鹿にしてるでしょ」
「とっとと連れてけよ」
リリィは俺とアルマを交互に見ていたが、そのうち何かを吹っ切るように、俺の隣に乱暴に腰を下ろした。
「店長! 酒だ。あるだけ出せ。代金はそちらもちだ。嫌とは言わせない。だがもし言うのなら、この店ごと粉砕してやる」
「落ち着け。アルマが見てるぞ」
アルマに背を向けるリリィは、ただひたすらに唇をかみ締めており、瞳には涙が溜まっていた。
「リリィ、ココ。じゃあね。今までありがとう」
「ああ、元気でな」
白々しい別れの言葉が口から飛び出す。が、平静を装ってみても、どうしてくれようという思いは強まるばかりだった。
己の不明がもたらした事態だ。
こうなる前にやれたことは沢山あったはずなのだ。運など一つも悪くない。むしろ良すぎて怖いくらいだ。神様の気まぐれか、レクスがこの街に来ていると言う。それを幸運と呼ばずしてなんと言う。
ただ、俺の頭がどうしようもなく悪かった。気付いてからではもちろん遅い。だからそれが心底許せなかった。
商会の一行が店の外に出るまで、俺はじっと様子を見ていた。姿が完全に見えなくなったところで短くなった煙草を捨て、新たな一本を取り出し、リリィの肩を叩いて煙草を指差した。
が、リリィは苛立ちに任せて大火を作り出し、お陰で煙草は一瞬で灰になった。それを灰皿に捨てながら、
「いい加減落ち着けよ。前にも言ったろ。死ななきゃ次はあるんだ。死んだら終わりだが、死ななきゃ死ぬまで勝負が出来る。誰がこのままで終わらせるか。しかも俺はばかについてる。聞いたろう? レクスがこの街に居るんだとよ。最高じゃねえか。やってやる。何があろうと殺してやる」
「だが、私一人では三人も相手には出来ん。私たちがここで無駄な時間を過ごしている間に、アルマはマルクトに連れ戻されて終いだ」
「戻させなきゃいい」
リリィの険しかった表情が和《やわ》らぎ、新たに真剣な表情が生まれていた。
俺は頷きながら、
「バスラントが未だに紛争地域で居られる理由は何だ?」
と訊いた。
「それはもちろん、外からの侵入が海路に限られることと、この辺りの土地の領有権をアライアス連合国が主張しているという点による。ここに戦争をしかければ、連合国との関係がこじれるのは明白だし、わざわざ事を構えることもない、とどこの国も見ている。そして当の連合国側はバスラントの内情をよく理解し、ここが無法地帯だということを理解している。取ったとしても狭い土地だし、治安を回復させるにはかなりの時間と兵士の数を要するわけで、そしてそれは経済的な問題に行き着く。そうまでして」
俺はまだ続きそうなリリィの発言を遮った。
「長の講釈ありがとよ。大事なのは出入りは海路に限られるってとこだけだったんだが、まあいいや。で、連中も船を使って外に出るわけだな。子供連れで山越えなんて無茶は絶対にしねえ。だからあんたのこれからの仕事を言う。バスラント中の船をぶち壊して来い。一週間とは言わないが、それでも何日か時間は稼げるだろう。その間に、なんとかしようじゃねえの」
「そうか、そうだな。まだやれる。私たちはまだやれるのだな」
「そうだ。で、どれくらいでやれそうだ?」
「幸い、私は夜間の活動にも支障のない体なのでな。全力で駆ければ、日付が変わる頃には戻れる」
「じゃあ、そういうわけだ。行って来てくれ。と、飯は大丈夫か?」
「熊でも獲って食べるさ」
「あ、そう」
「店長、酒はまた今度だ。やることが出来た」
「そりゃ助かるよ」
リリィはゆっくりと店の外に出て行き、そして消えた。それを確認して、ラダーマンが盛大なため息を漏らした。
「全く、危ねえとこだったよ。酒がなくなるか、店が無くなるかって瀬戸際だったな、ありゃあ。しっかし、お前も上手いこと扱うじゃねえかよ、ええ? 助かったぜ」
「はらわた煮えくり返ってんのは俺も同じなんだよ。いいようにやられたら、むかつくだろう?」
「強い奴にはなびくのが生き方だと思うがね」
「全く同感だ。似合わない真似してるってのは、誰より知ってるよ。それより、俺にも酒だ。頭の良くなる酒があるならそれをくれ。それが強い酒なら文句はねえ。もちろんあんたの奢《おご》りだ、ラダーマン」
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七章
速度が時速にして十キロ上がれば、体感温度は一度下がると聞く。何が言いたいかといえば、とにかく寒いという一点。これでも加減してくれているのだろうが、リリィに掴まれて屋根から屋根へと移動している最中、俺は寒すぎて頭痛がしていた。
頭が割れそうに痛い上、手足の感覚はもはや無い。北方にあるわりに、バスラントが暖かいのは海流と風の影響による。が、それだって冬季になれば雪だって降るし、それ以外は涼しいか寒いかのどちらかで、温暖とまではいかない。そんな土地で、地面から高いところを、猛烈な速度で移動しているのだから、それはそれは寒い。いや、寒すぎる。
凍傷になるんじゃないか、と真剣に考え、俺は指先だけは動かし続けていた。
現在午前二時。
自分の仕事を果たしてリリィが戻ったのがおよそ一時間前。そのことはすぐにでも商会に伝わると予想されたため、部屋を出てどこかに潜伏しようとしてのこの状況である。
屋根を五つ飛ばしくらいで、ぴょんぴょんと飛び移っていくリリィ。そして掴まれている俺。すっかり荷物扱いで、それがいかにも情けない状況だった。にしても寒い。
部屋を出てまだ五分と経過していないが、俺はついに弱音を口にした。
「小休止だ。このままじゃ凍え死ぬ」
「なんだ情けない。それくらい我慢しろ」
「無茶言うなよ」
リリィは仕方なく、といった様子で、眼下のアパートの屋上に着地した。物干し台が山ほどあって、大量の洗濯物が干してあった。その上には鳥の糞を避けるためか、ひさしが用意されている。
「全く。この程度でへばるとはな。情けないにも程がある」
「半分変温動物のくせして」
「おや、知らなかったのか。竜は恒温動物だ。生憎だな」
「あんなものでかいトカゲだろうに」
「ふざけた生態の、常識外れの生き物さ。生物としては度を越した強度の外皮を持ち、巨躯を支え得るだけの強靭《きょうじん》な筋肉を持ち、薄い翼で自在に飛び、個体によって様々なものを餌にする。生きる災害にして害獣の王だ」
「最初のドラゴンキラーはきっと度を越した変態だ。竜の肉を食おうなんざ、正気じゃ思えないからな」
「諸説あるが、聞くか?」
「興味ねえよ」
「では竜の生殖方法については?」
「ん?」
「竜に雌雄は無いのだ。知っていたか?」
「いや、初耳だ」
「ではどうやって増える? 実はお前は答えを知っているのだがな」
「うん?」
「私が答えだよ。半人半竜。私の腕には鱗がある」
以前リリィが話した、二つの点の話をぼんやりと思い出していた。二つの点を取り、その中央に点を取る。端の点をそれぞれ人と竜だとすれば、中央がドラゴンキラーなのだという話だった。そしてリリィは点一つ分だけ竜に近い、とも言っていた。
では答えは一つだ。
ドラゴンキラーがさらに竜の血肉を摂取すれば、竜になる。
「そういうことか」
と呟いていた。
「そういうことだ。我々は竜の前段階。竜の生殖方法は、自身の血肉を食わせることだ」
「なんてふざけた生き物だ」
「さて、普通に考えると、竜の肉を食える状況は、自然死した竜の肉だけだということになる。その死肉を食うのは野生の生き物。大抵は死ぬが、運が良いのか悪いのか、一部の生き物は適応してしまう。肉食の獣ならば、大抵は腹を満たすだけの肉を食う。そして、肉体は徐々に変質していき、最後には竜になる」
「完全に殺すには、息の根を止めた後で死体を処分する必要があるってわけか。まったく、何もかもが常軌を逸してる。竜って何だ」
「面白い説が一つある。竜は生物兵器なのだとする説だ。有史以前に、竜のような常識外れの生き物を想像し、創造する文明が存在していて、その文明の主たちが竜を作り出した、という説だ。血肉が大半の生物にとって有毒であること、死んでも新たな竜として新生しうる点、常識から外れた食生活のあり方、強靭な肉体、薄弱な翼で空を飛ぶ性能、それらは進化の過程で獲得したものではなく、そのようにデザインされたものなのだ、だとさ」
「面白くないだろ、それ」
「そうか? 初めて耳にしたときはなかなか興味深かったものだがな。さて、そろそろ体は温まったか? それとももっと竜の話を続けようか?」
どうやら気を使って退屈しのぎの話をしていたらしい。
「いや、もう満腹だ」
「そうですよ。そろそろ区切りつけてくれないと、僕が話に入れない」
俺は瞬時に声のした方を見た。間違いなくドラゴンキラー・ジンの声だ。
「こっちですよ」
今度は背後から。
「ジン、悪ふざけは止せ。お前の能力は知っている。出てこないというのなら、お前のその髪を焼いて、禿《は》げ上がらせてやる。綺麗な顔をして、髪の毛だけが無くなるのだ。さぞ見物だろうな」
「ちょっとからかっただけじゃないですか。リリィさん、なんだか性格変わってません? 前はもっと物静かな人だったのに」
「相棒が野人なのでな。影響も受ける」
闇の中からジンがゆっくりと歩いて出てきた。顔には苦笑が浮かんでいる。
「おい、能力って何だよ」
「こいつは音竜の肉を食ってドラゴンキラーになったのだ。声を飛ばしたり、騒音で状況を混乱させたり、あるいは音を食って消したりと、なかなか便利な能力だ。焼くしか出来ない私よりよっぽど応用の術がある」
「火を出せるのだって色々使いようあるだろうに」
「解説どうも、リリィさん。えっと、そちらは確かココさんでしたね。まあこうして姿を見せたのは、敵対する意思がないってことをお伝えしたかったわけで。話だけをするつもりなら、それこそ力使えばできますからね」
「で、何の用だ? アルマから何か言付かったか」
「違いますよ。ちょっとした提案をしに来たんです」
「信用すると思うか?」
リリィは喧嘩腰だ。今なら一対一、ここでこいつを消せば、状況はかなり改善される、と思っているに違いなかった。
「落ち着けよ。殺し合いは話を聞いたあとでも出来る」
「そうですよ。いや、話の分かる人で助かります」
「話し合いで事が回ればそのほうがいい。弾も撃たなくて済むし、死体を片すのに掃除屋を呼ばなくても済む。経費がかからなくて喜ばしい話だ」
「若干たとえが野蛮ですけど、まあ悪い話を持ってきたつもりはありません。あなた方はきっと食いついてくれるという確信があります」
「聞こう」
「いいのか?」
「何度も同じこと言わせるなよ」
そして会談は開始された。
「まず分かってもらいたいのは僕の立場です。一言で言うと、僕、民主派なんですよ」
「なんだと? ではお前の目的はアルマの殺害か」
と、リリィがいきなり噛み付く。干してあった洗濯物をかき集め、それに火をつけて光源としていたため、眉間の皺まではっきり見えた。
「リリィ、話がややこしくなる。少し黙ってろよ」
「リリィさんって、もしかして元々そういう人だったんじゃないですか?」
「ココの影響だ」
リリィは言い切った。ジンはそれを受けて苦笑した。俺は先を促した。
「それで、その民主派がどうして皇女派に加担する」
「有り体に言うとスパイやってます。元々皇女派だったんですけど、マルフェイス卿に引き抜かれまして。で、皇女派を抜けるのも勿体ないから、内情を流すパイプ役をやってくれと」
「なるほどね」
「実際、僕は政治信条なんて特に無かったんですよ。団長が皇女派だからそれにくっついてただけで。で、そういうところに付け込まれたんでしょうね。マルフェイス卿に口説き落とされてしまったわけでして」
その言葉を聞いて、リリィの頬がほのかに染まった。何か気にかかっているらしいが、今はリリィに構っている場合ではない、と頭を切り替える。
「他人事みたいに言うんだな」
「ま、そういう話は脇に置いておくとして。僕に下された命令は、レクスさんの殺害です。敵対する派閥のドラゴンキラーは少ないに越したことはないですからね。今回はチャンスが巡ってきたわけで」
「殺すのを手伝えってことか」
「はい。ですが、それは正確ではありません。味方を殺したことが知れれば僕の立場が危うくなりますし、それはマルフェイス卿の立場を危うくすることと同義です。関係なんかちょっと調べれば分かっちゃいますからね。だから僕は少しも疑われるわけにはいかないんです。というわけで、直接殺害するのが誰だとしても、その罪をリリィさん、あなたに被ってもらいたい、とこういう話です」
「私が? 何の冗談だ」
「いいから口挟むなって。質問なら俺がする」
「しかし」
「悪いな、先を続けてくれ。そういうことをさせるからには、俺たちを釣り上げる餌も持って来てるんだろう? 絶対に食いつくって確信があるくらいだ。まあ、想像はつくけどな」
ジンは俺の反応に、満足げに微笑した。
「あなた方が最も欲している皇女殿下の身柄、それを差し上げてもいいと言われています。もちろん、マルクトには今後近づかないという条件で」
「あ、アルマを物のように語るな!」
俺はため息をついた。いい加減に聞き分けてくれてもよさそうだが、リリィは興奮しっぱなしだ。
「ジン、小腹空いてないか? リリィの声は不味そうだが、ゲテモノ食いってのも悪くない」
「いいじゃないですか。こういうかっかしたリリィさんを見るのは楽しいですよ」
「まあいい。けど、そんだけじゃ食いつくわけにゃ行かないんだがな」
「他に条件があると?」
「金くれ。分かりやすく言うと、うちの相棒がぶち壊した船の代金を弁償してくれ。遅かれ早かれいつかはリリィが船を沈めたってことはばれる。てことはだ、海運業者に漁師連中、そういう奴らに恨まれるってことになるわけで、そいつは肩身が狭い」
「無茶なことするからですよ。大体、僕にだって段取りがあったんですから。皇女殿下にはあること無いこと吹き込んでもう二、三日滞在してもらおうと思ってましたし、その間にけりをつけようと思ってたんですよ。それが何です? 僕らがあの酒場を離れた途端に行動起こして。手が早いにも程がありますよ」
「で、飲んでくれるのか?」
「まあなんとかしましょう。請けたという返答と見なしますが?」
「さてね、ちょっと悩んでるんだな、実は」
「どうしてです? 飛び切りの好条件のはずですが」
「そうなんだがな、先のことをちょっと考えてたんだ。リリィが罪を被るってことは、レクス殺しの脱走兵ってレッテルが貼られるわけだろ? それを口実に二番目、三番目のドラゴンキラーが送り込まれるようなことになれば、本末転倒だと思うんだがな。もう一つ、今回お前とレクスがここに送り込まれたのは、皇女奪還って大層な口実があったお陰だと思ってるんだが、アルマが戻らない場合は、やっぱりドラゴンキラーがやってくる。根っこの解決にならねえってのに、アルマだけ取り戻しても意味がねえ」
「確かにその心配はありますが、その辺りは信頼してもらうしかないでしょう。何せ政情は不安定なものですからね、確約が出来ないわけで。もちろんそのようなことにならないよう最大限の努力はしますし、希望的観測ですが、そうそうドラゴンキラーが国外に派出されることはないでしょうし」
「根拠は?」
「手続きが厄介なんですよ。人間の姿してますけど、僕ら戦略単位に数えられてますし。万人規模の派兵と同じですからね。実際問題一万人と戦争しようが、相手が普通の人間だったらまず負けませんが。と、話が逸れましたね。まあ外国の目もあったりなんかして、とにかく色々と問題があるわけです。今回のことだって、結構揉めたみたいですし、横槍も多かったって聞いてます」
「ああ嫌だ嫌だ。政治の世界ってのは色んな思惑が絡み合い過ぎてて、聞いただけで頭痛がする。さてリリィ、どうする?」
「交渉ごとはお前の仕事だろう」
「どうしたもんだろうな」
俺が悩んでいると、ジンはその背中を無理矢理に押す提案をしてきた。
「嫌なら無理にとは言いません。レクスさんを殺して、皇女殿下も殺すだけですから。その犯人はリリィさんってことにさせてもらうだけです」
「脅しているつもりか?」
「もちろん。僕は下された命令を達成しなければならない。それは僕の命なんかよりもずっと重いものですから、使えるものは何だって使いますよ。リリィさんを味方につけて、より成功の確率を上げる。そのために皇女は生かす。味方に引き入れられないならば、僕一人でやりますし、その場合は皇女殿下の使い道はありませんからね、僕の立場が民主派だということを考えれば、それは当然殺します。元々民主派の立場には、帝族は必要ありませんから」
「ココ、どうするのだ」
ジンの提案に乗るという選択肢と、ここでジンの命を取る、という選択肢の二択だ。
だがどちらにしても、新たなドラゴンキラーが送り込まれるという可能性は残ったままだし、であれば、民主派とやらに恩を売る形にしておくのは悪い判断ではない。マルクトに近づかないという約束さえしてやれば、皇女派に対して嫌がらせを山ほどやってくれるだろう。
「請けよう。嫌々だがね」
「ありがたい。きっとそう言ってくれると思ってました」
「ただ、上手くいった後の皇女派に対する牽制《けんせい》はしっかりやってくれ。それくらいの確約ならしてくれてもいいはずだ」
「約束せずとも、政敵なんですから、最大限にやりますよ」
「もう一つ。もし皇女派によるドラゴンキラーの派兵が認められた場合、民主派の協力が欲しい。具体的には、敵を安全に撃退できるだけのドラゴンキラーの協力が」
「それは」
「出来ないか? 出来るんじゃないのか?」
「それについても確約が欲しいわけですね」
ジンはいくらか挑戦的な表情を浮かべ、笑った。
「引き換えに、アルマをマルクトに近づけないって確約を出す。まあこっちも、端《はな》からそういうつもりはないんだがな。なんせリリィがそれを嫌がってる」
ジンは答えを口にしかねていたが、やがて覚悟を決めたらしく、
「分かりました。それについては僕の責任で、必ず約束を取り付けましょう」
と言い切った。俺がリリィを見ると、ずっとこちらを見ていたらしく、目が合った。
小さく笑ってやると、あっさりと視線を外す。もう少し喜んでくれてもよさそうなものだが、そうもいかないらしい。
「話がまとまって何よりだ。さて、後はレクスを殺してアルマを取り戻すだけだな」
「簡単に言うものだな」
「話すだけならただだよ。損は無いし、都合のいいことを考えれば気持ちがいいじゃねえか」
「ついでに無責任だ」
「馬鹿だな。だから気持ちがいいんだ」
取引が終了したところで、具体的な打ち合わせに入った。
「現在皇女殿下は商館内部に軟禁状態にあります。レクスさんとパルパさんの二人が厄介ですが、さてどうします?」
「何か策はねえのかよ」
「アイデアを募集してます」
「頼りねえなあ」
「デリケートな仕事には向かないんですよね、僕らって」
「ああ、そりゃ素晴らしい言い訳だ。泣きたくなるほど同感だ」
「私は裁縫が得意だぞ」
場の空気を少しも読まないリリィの発言に、俺はため息をつきながら応じた。
「ああそうかい、そりゃ結構。じゃあその得意な裁縫でレクスをぶち殺せ。急所に針でも刺すつもりか? ドラゴンキラーが針に刺されて身をよじって痛がるのか? ああ?」
どう考えても何も面白くない俺の言葉に、ジンは吹きだして笑った。俺は力なく頭を掻き、ため息をついた。
「おいおい、勘弁してくれよ」
「いや、すいません。レクスさんが体中に針刺してたら面白いだろうなあって、想像したら笑っちゃって。あ、どうぞ、先に進めてください。ちゃんと聞いてますから」
「いつの間に俺に主導権が移ったんだ」
「気のせいですよ」
ちょっとこいつを苛《いじ》めてやろうか、と思い立った。なんとなく、やられっぱなしでは気が済まない。ぼんやりと策めいたものは頭にあったが、それとは全く別のことを口にした。
「まあいい。それじゃあ、あんたがこっそりレクスを殺して、ついでにパルパも殺して、最後に商会の人間皆殺しにするってのがシンプルで簡単な話だ」
「ああ、それは助かるな」
「あのね、僕の話ちゃんと聞いてました? 罪を被るのはリリィさんなんですよ。虐殺も結構ですけど、一人だって取り逃すようなことがあれば、僕が犯人だってばれちゃうじゃないですか。できませんよ、そんなこと」
「俺たちも手伝うさ。情報は漏れやしねえよ。あんたが最初にドラゴンキラーをどっちか片してくれりゃあ、それで形勢は逆転だ」
「反対です。それよりも、皇女殿下を先に救出するほうがいいんじゃないですか? レクスさんの任務は皇女殿下の身柄の確保ですからね。取られたら、取り返しに出てきますよ、きっと。そして恐らくはパルパさんも。そこから逃げて見せて、相手を叩くというのでどうでしょう」
「なんだ、ちゃんと考えてるじゃねえか」
俺がそう言って笑うと、ジンは露骨に嫌な顔をした。
「ちょっと笑ったからって、そんなに苛めなくてもいいでしょうに。リリィさんが大人気なくなったの、なんとなく分かりましたよ」
「ああそう。ついでに言っとくと、俺も同意見だ。もうちょっと詰めようか」
「具体的には、そうですね。リリィさんが正面から、ココさんは裏口から。リリィさんが商館正面に姿を見せれば、恐らくはパルパさんが出るでしょう。レクスさんまで食いついてくれるかは未知数ですが、その隙に皇女殿下を裏口にお連れします。後は上手いこと逃げてください。リリィさんは力ずくで皇女殿下を取り戻しに来たとかなんとか言って、出来ればパルパさんと戦ってもらえるとありがたいです。それでパルパさんを追い詰めるような戦いが出来れば、きっと僕かレクスさんのどちらかに手を貸してくれるよう話が飛び込んできますから」
「ああ、多分そうなるな。で、あんたは戦いには参加せず、アルマを逃す、と」
「そういうことです。作戦の成否は、リリィさんの戦いぶり次第ってことになりますが」
俺とジンはリリィを見た。リリィはやや緊張した様子だったが、口をすぼめて小さく息を吐くと、
「任せろ。上手くやってみせる」
「結構です。それじゃあ僕は商館に戻ります。リリィさんに合わせて僕も行動開始しますから、時間はそちらの自由で結構ですよ。なんなら明日以降でも構いません。どうせ船は出ませんからね」
「いつでも構いやしねんだが、そうだな。ジン、あんた夜目は利くか?」
「え? ああ、まあ人並みには」
「じゃあ次だ。レクスの目はリリィの右目みたくなってんのか?」
「両目ともきんきらきんです。真正面から見ると怖いですよ」
「レクスも夜にゃ強い、か。てことは、断然昼間だな。ジンの力を当てにしたときに、真っ暗でよく見えねえなんて馬鹿な状況にゃなりたくねえ」
「そうしてもらえればありがたいです」
俺は頷き、
「昼過ぎだな。そう思っててくれ」
「了解しました。それでは」
そう言い残して、ジンは闇の中へと消えていった。
屋上に、俺とリリィだけが残された。
いよいよ、という思いが徐々に強まってくる。レクスの顔は三年前とどれくらい変わっただろうか、と詮無いことを想像し、俺は頭の隅にちりちりとした頭痛を自覚した。
ラダーマンの作る冗談みたいな不味さの野菜ジュースが飲みたくなった。
俺たちが腰を落ち着けたのは、以前リリィが俺を運び込んだ廃屋だった。
カビの生えたベッドに腰を下ろし、俺は淡々と煙草を吸い、リリィは緊急時の食事の取り方で、薪に火をつけては、食い、を繰り返していた。
よくよく観察してみると、リリィが火を食っている最中、猛烈な速度で燃えていることが分かった。煙草が灰になる様子に似ていたが、薪はものの十秒ほどで完全に炭化する。
「やることがないと時間が長いな」
リリィがそう呟いた。俺は懐中時計をポケットから引っ張り出し、鎖を外してリリィに投げた。蓋を開け、時間を確認すると、すぐさま投げ返される。
「午前五時。まだまだ長いな」
「少しくらいは寝るだろうが、後はだらだら過ごす」
「襲撃があるのではないか? 船を壊したのだ。それが私たちの仕業だと気付かれている」
「あったらあったで、そんとき考えりゃいい。どうせ迎撃するか逃げるかだ。パルパかレクスが出てくりゃ、そこでけりをつけられる」
「そうだな」
俺はベッドに横になり、両手を頭の後ろに回し、足を組んだ。
しばらく無言の時間が流れたが、沈黙に耐え切れなくなったのか、リリィが口を開いた。
「何か喋れ。退屈だ」
俺は鼻から息を抜き、天井を見上げたまま言った。
「ジンが民主派に引き抜かれたって言ったとき、顔赤くしてたろ。ありゃどういう意味だ?」
「む」
と漏らしてリリィは口ごもり、何事かと横目で確認してみれば、頬を染めている。
「何だよ。何恥ずかしがって。いや、そうだな。お前が恥ずかしがってるときは大抵は下半身の話だ。そうだろう?」
「煩《うるさ》い」
「別段珍しいこっちゃねえ。引き抜くためにジンに女をくれてやったとか、そういう話なんだろ?」
「いや、そうではないのだ。その、ジンは、ジンはだな」
「はっきり言えよ、まどろっこしい」
リリィは一旦咳払いをすると、
「ジンは衆道の気があるのだ。それにだな、民主派を代表しているマルフェイス卿にも、そういう噂があってだな。もちろん噂だ。噂なのだ。卿には愛妻家ともっぱらの評判もあるのだ」
「領主は年寄りか?」
「五十過ぎだったと思うが」
なるほど、と俺は苦笑した。
「五十過ぎのおっさんとジンが素っ裸でファックしてるところを想像して恥ずかしくなったわけだな。想像力が逞《たくま》しくて結構な話だ」
「ば、馬鹿。何を言うのだ」
「いいじゃねえかよ。それだって珍しかねえ。色んな奴がいていいさ。両方いける奴がいたって何の問題もねえ。男の尻だろうが家畜だろうが食い物だろうが、いける奴を相手にするのは当然だ」
「しかし、男同士など、その、非生産的ではないか」
「話ずれてるぞ」
俺の指摘にリリィは呻いた。
「その、お前は、どうなのだ」
「ん?」
「私のだな。か、体にだな。その。……むぅ。だ、大体、お前は女を目の前にして甲斐性が無いにも程があるのだ。私のせいではない」
「何言ってんのよく分かんねえよ。分かりやすく言え」
とにやつきながら返事をした。怪力おぼこ娘とでも命名してやろうかと、下らないことを思いつく。
「私は女なのだ。ドラゴンキラーだが、女だ。一応」
「知ってる」
「だったら何故。いや、その。期待しているとかではないのだが。その、男らしい反応というものがあってしかるべきだとだな。あ、まさかお前」
とリリィは一人で盛り上がり、一人で赤面した。何を考えているか手に取るように分かる。俺は苦笑しながら、
「男の尻掘る趣味はねえよ。女好きだ。が、お前と寝ようとは間違っても思わねえ。俺は尻の良い女が好みでな。ポニーかスプリングくらいありゃ合格なんだが、お前痩せてるじゃねえか」
「むぅ」
「それが一個目」
「な、まだあるのか?」
「ドラゴンキラーってのは掛け値なしに超人だ。てことはだ、締まり具合も超人並みってことだろ。だから」
「だ、だから?」
「千切れちまいそうだ」
何が、とは無論言わなかったが、それだけでリリィには十分だった。耳の先まで真っ赤になり、慌てて別の話題を持ち出した。甲高い声を絞り出しつつ、明後日の方向を見ている。
「そ、そうだ。知っているか? マルクトにはだな、火竜のドラゴンキラーが私以外にも五名いるのだ。なぜか分かるか?」
「別に恥ずかしい話をしてるわけでもねえだろ。俺がそう思ってるってだけだ」
「私にだって、加減くらいはだな」
「興奮した女に力一杯抱きしめられた経験があるんだが?」
「お前、私を苛めて楽しいか?」
「喋れっつったのはお前だ」
「もういい。マルクトに火竜のドラゴンキラーが沢山いるのはだな」
俺は苦笑を漏らしたが、リリィは頬を染めつつ講釈を続けた。
「緊急時に火を食料に出来るからだ。少なくとも、我々が食事をすることで引き起こされる竜害の、その実害は極端に少なくて済む。燃やすだけだからな。同じ理由で、水竜のドラゴンキラーも幾らかは多いな、うん。分かったか?」
「レクスは何竜だ?」
「風だ。私と同じ理由で量産された風竜のドラゴンキラーの一人だな」
「ジンは少数派か」
「ああ。竜の肉にも限りはあるからな。必要とする竜の肉を都合できない場合も、もちろんある」
ふぅん、と何気なく相槌を打ち、ついでに今まで気になっていたことを尋ねた。
「お前が火を出すのは、あれ食ったもの戻してんのか?」
「普通の食事をしても火は出せる。汚い想像をさせるな」
「てことは、ありゃ体の中から生み出してんだな。体液みたいなもんか」
「そうだ」
「てことは、自分で出した火を食っても腹は膨れないわけか。唾を飲みこんでも、体の水分が増えるわけじゃねえもんなぁ」
「そうだな」
「なるほどな」
取り立てて愉快なわけでもないが、特別に不愉快でもない雰囲気だった。
不満はなかったし、リリィを相手に下らない話で時間を使うのも悪くない。
そう思っていた。
その矢先だった。
「なあココ。復讐など考えずに生きてはどうだ?」
とリリィが言った。
血の温度が一度くらい下がったのではないか、そんなことを真剣に考えてしまうほど、俺の気分は一気に醒《さ》めた。そして、自覚していなかった痛みが急に生き場所を得たかのようにぶり返し、俺は思わず笑ってしまっていた。
このほうが俺には似合っているとも思えた。
「復讐はやめなさいってか? 笑える話だ」
「不毛だろう。何も生み出すことなく、大抵の場合は、また新たな憎悪を生む」
「散々な目にあってると思ってたが、お前はまだ弱ったことがないのか?」
「どういう意味だ?」
「綺麗事を口にする奴は大抵が満ち足りてる奴だってことだよ。アルマを殺されても同じことが言えるか?」
「それは」
「言えやしねえよ。取られたものが大切であればあるだけ、取った奴のことが憎くなる。憎しみを捨てて穏やかに生きなさいなんて諭す馬鹿は、それが人間性を否定してるってことに気がついてない真性の阿呆だ。やられたらやり返すんだよ。政治だろうがマフィアだろうが、ガキの喧嘩だろうが、そうやって世界は回ってるじゃねえか」
「だがどこかで断ち切らねば、延々と続いてく」
俺はため息をついた。体を引き起こし、リリィに向かってへらへらと笑ってみせた。
「じゃああんたの道徳で俺を救ってくれよ。心にしみるような、飛び切りの道徳があるんだろう? 俺の頭にこびりついて離れない病気をたちどころに治せるような、そんな飛び切りのやつだ」
俺の言葉に、リリィは悲しそうな顔をした。
「言葉もないだろうよ。道徳なんてものはそういうもんだ。頭の悪い金持ちのための豊かな生活指標、ぐらいに名前を変えればいい。世の中の底辺を這いずり回ってる俺には身に余るどころか拒絶反応が出る。暗い所で生きてるんだ。金の光に照らされれば、逃げ出したくなるのは道理だ」
リリィは必死で言葉を探している様子だったが、やがて、
「済まなかった。軽率だった」
と小さく頭を下げた。
「言い包《くる》めてるわけじゃねえ。責めてるつもりもねえ。ただ、余計なお世話だって言いたいんだよ。あんたはあんたの生き方で生きればいい。だが俺を巻き込むな」
俺は煙草を取り出し、ぱちぱちと爆ぜている薪を一本取って、火をつけた。
煙を吐きながら、笑った。
「いいことを教えてやるよ、リリィ」
「聞こう」
「ここが最初に襲撃されたのはな、大元を辿れば俺のせいになる」
リリィは目を開き、
「な」
と短く言った。
俺はアルマに初めて出会った時のことを話した。アルマがパンを欲していたこと。俺が世話を焼いてパンを与えたこと。そこからパーマーに情報が流れたこと。その引き換えに、アルマは店のパンを全て得たこと。
一通り話し終えたが、リリィの表情は冴えなかった。
「それが、ここが襲撃されたこととどう繋がる」
「ここがばれたのは誰からだ。決まってる。アルマと一緒にパンを運んできた女がいたはずだ。パン屋の売り子、アズリル。ここの話はアズリルからパーマーに流れ、そしてパーマーはその情報を金に換えた。分かるか? 俺が余計な世話を焼いたことがきっかけだ。仮定の話をしても仕方ないが、俺がもしアルマにパンをくれてやらなけりゃ、ロディは死なずに済んだかもしれない。あんたらはどこぞに部屋でも借りて、呑気に生活を始めてたかもしれない」
そして、俺と無関係なところでレクスが死に、アルマが死んでいたかもしれない。
そう続けそうになり、俺は口をつぐんだ。ただ笑った。
「恨んでくれていいぜ。ロディの恨みを晴らしたいなら、殺してくれたっていい。ただ、全部はレクスを殺してからだ。そいつが済めば、後はあんたの好きにしろ」
煙草を薪の中に放り込み、俺は再びベッドに横になった。
そこからは一切の会話もなく、ただゆっくりと時間が流れていくだけだった。
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八章
いつ眠ったのかも知れないが、とりあえず寝起きは最悪だった。頭痛がして、しかも立ち上がれないほど酷い。覚醒は一瞬だったが、次の瞬間には頭を押さえていた。
吐き気が酷い。喉も渇いている。そのくせ背中はべっとりと湿っていた。
部屋を出るときに持ってきた水筒を手探りで探したが、しばらく見つからず、そのことでも苛立ち、ようやく見つかったものの、温い水を含んでも気分が改善されることは無かった。
あまり薬に頼りたくはない。どうも眠くなるし、効きすぎるのか頭がふわふわとする。ラダーマンが方々に卸している薬をやれば、きっとその程度の酩酊《めいてい》では済まないだろう。いざというとき、自分の体が思うように動かなくなるのは気に入らなかった。医薬品にしても麻薬にしても同じで、だから俺は薬の類を極力体には入れない。酒だって呑まれないよう気をつけてもいる。が、昔のことを思い出すとどうにも自棄《やけ》になってしまう部分があるのが困り物で、お陰で二日酔いには事欠かなかった。
立ち上がって体を動かすと、余計に痛みが酷くなった。
舌打ちをし、痛みに顔を歪《ゆが》め、そして俺は痛みがある状態こそが当たり前なのだと、強く思い込む作業を始めた。立ったまま、ぼんやりと廃屋の腐った壁を眺める。大丈夫だ、動ける、痛みなど忘れてしまえ、そう念じた。その作業の途中に、どこへ行っていたものか、リリィが現れ、顔を合わせるなり険しい表情を作った。
「大丈夫か? 顔色が優れないようだが」
「気にするな。いつものことだ」
「気負いすぎなのだ。悲願かもしれないし、拘っているのも分かっているが、もう少し楽に考えてはどうだ?」
「もう一回言おうか? 気にするな、いつものことだ」
「今のお前では頼りないと言っているのだ」
「仕事はこなすさ。俺よりお前のほうが危ねえんだ。自分の心配してるほうが得ってもんだ」
リリィはため息をついた。俺はそこでようやく時計を取り出し、現在の時刻を確認した。午前十一時。作戦開始までもう間もなくだ。
武器類を身に付け、今日はさらにそこからアサルトベストを羽織った。ポケットが多いため、弾薬を持ち運びたいときには重宝する。もっとも、撃つ機会はそうないだろう。俺の仕事はそう多くない。
「準備出来たか?」
「ココ」
「何だ」
「何でもいいから、お前が身につけているものを一つくれ」
「あ? なんだ急に」
「お守りだよ。代わりに私もこれをやる」
リリィはそう言って一発のライフル弾を差し出した。表面には細かい文字が彫られていて、なかなかに手が込んでいる。
「ライフルから弾を拝借して、無事を祈る文言を彫った」
「おいおい」
「というわけだ。交換だ。ほら、何か寄越せ」
「寄越せっつっても、やれるようなもんなんてねえぞ。最低限の装備しかしてねえし、と、ちょっと待て。一つあった」
俺はそう言って右のホルスターから騎兵銃を抜き、先端の銃剣を示した。すっかり錆びついて用をなさない役立たずの板切れだ。
「こいつだ。これぐらいしかやれるものがねえ」
「ふむ、まあいいだろう。貰おう」
リリィは力任せに銃剣を引きちぎり、裏返したりして観察していた。
「錆びているな」
「ああ、俺の場合、接近戦になったら普通は拳銃を使うからな。そいつで刺すよかよっぽどいい。ま、そもそも刃物が性に合わねえって話なんだろうがな」
「弾が切れたことは無かったのか?」
「無いな。軍人だった頃はもっと大量に弾を持ってたし、この街じゃ弾切れを起こすような銃撃戦に出くわしたことはねえ」
「そういうものか」
「ああ」
リリィはしばらく銃剣を観察していたが、やがてそれを強引に手首に巻いた。錆びたブレスレットの完成だ。
「不恰好なアクセサリだな、全く。もうちょっと時間があれば、鋳溶《いと》かして形を整えられたが」
さらりと言っているが、鉄を溶かすなど生半な火力では出来ないはずだ。そういうことが出来るだけの能力があるということなのだろう。この女が本気になれば、この街など簡単に火の海に沈められるのではないか。
考えていくと、不気味だった。改めてリリィはドラゴンキラーなのだと気付かされる。
いや、気付いてはいたのだ。ただ、本人の性格が、俺にそれを忘れさせる。
「そこまでする必要があるのかよ」
「気持ちの問題だ」
「気持ちね」
「お前がくさくさしているから、わざわざ気を使っているのだろう。少しは自覚しているか?」
次の瞬間には眉が寄っていた。リリィはそれを見て苦笑する。
「ほら、すぐにそういう顔をする。抱え込むのも結構だがな、それを見せないのが大人だろう。違うか?」
「話を蒸し返す気か?」
「蒸し返したがっているのはお前だろう。すぐに格好つけたがるのは悪い癖だ」
俺の表情はますます険しくなった。興奮しているからか、心臓の鼓動と同じ速度で頭痛の波がやってくる。
「銃を抜きたがっている顔だな。だがお前はそうしない。私がドラゴンキラーだからだ。私が普通の人間なら殺していたか?」
「何が言いたい」
「言葉に出来ることならとっくにしている。同情かもしれないし、哀れみかもしれないし、もっと別のものかもしれない。ただ一つ分かっているのは、相棒が過去に囚われて、無闇やたらと苛立っているのは、痛々しくて見ていられないということだ」
「だから?」
「だからどうしていいか分からず、びくびくしながらこうして気を使っている」
リリィはほんの少しだけ赤面して、そう言った。もしかしたら錯覚だったかもしれない。だが俺にはそう見えた。そして、苦笑した。
「似合わないから、止めとけ」
「知るか。そうさせているのはお前だ」
「そうそう。そうやって喚くのがお前にゃ似合いだ」
「私は元々おしとやかな町娘なのだから、穏やかな気の使い方をするのが本分なのだぞ」
「どうだか。怪しいもんだ」
「スカートの似合うおしとやかさだ。何なら今度、もっとちゃんとしたものを履いて見せてやる」
俺は改めてリリィを上から下まで眺め、そしてちゃんとしたものという言葉に、何故か貴族連中が好んで身につけるようなフレアスカートのフリル付きドレスを思い浮かべ、そのあまりの似合わなさに、思わず吹き出した。
「やっと笑ったか。全く、どこまで子供なのだ」
「ジンを馬鹿にできねえな。お前のスカートは凶器だ。機関砲もびっくりだ」
「は? 何の話をしている」
「何でもねぇよ。が、少し楽になった。ありがとよ」
リリィは目を丸くし、そして今度は間違いなく赤面していた。
「何だ? おかしなことを言ったか?」
「いや、お前に面と向かって礼を言われるのは初めてだ。照れくさいものだな」
「そろそろ出るぞ。仕事の時間だ」
頭痛はまだ頭にこびりついたままだが、口にした通り、ほんの少しだけ楽になった気がしていた。錯覚だろうか。だがそれでもいい。まやかしだろうが夢だろうが、痛みがわずかに緩和された事実は、どうあっても動かない。
正午。
商館の裏口には武装した下っ端が三人たむろしていて、酒を回し飲みし、煙草を吸いつつ談笑していた。さすがにカードに興じるような真似はしていないが、邪魔ではある。
玄関でリリィが騒ぎを起こす手はずだというのに、それらしい喧騒は俺の耳には届かなかった。つまり、今の俺は待つことが仕事である。レクスのことを想像し、頭痛が喚き声をあげ続けたが、俺はそれを笑ってやった。
騒ぎはすぐに起こった。突如男たちの叫び声が響き、それに伴って商館の中がやかましくなる。そこまでは予定通りだったのだが、裏口前に待機している男たちは、やがて裏口から顔を出した男に何か含められたらしく、持ち場を離れようとしなかった。
「つまんねぇなあ、ドラゴンキラー同士の喧嘩なんてそうそう見られねぇってのに」
と、一人が大声で不満を口にしていたため、なんとか聞き取れた。見物に行ってくれれば後が楽なのだが、そう上手い話でもないらしい。まあ、アルマを連れたジンが何とかするだろう、と俺はぼんやり考えていた。手はず通りなら、もうじきアルマが現れるはずだ。
だが、五分後に現れたのはアルマだけだった。
アルマは裏口を恐る恐る開け、体を半分ほど出したところで、裏口に居た三人と鉢合わせした。アルマと三人組の目があったのがよく分かる。アルマは驚いた様子で、右から左へと男たちを見渡していた。近くにジンの姿はない。
「逃すって、エスコートするってことだろうがよ」
ぼやきつつも、今更躊躇するわけにもいかなかった。俺の存在が気付かれるため、発砲は避けたかったのだが、俺は騎兵銃を抜き、狙いを定めて撃った。
命中。が、頭を狙ったつもりが脇腹に命中している。やはり距離があると駄目だ。
後は突撃あるのみだ。俺はすぐさま騎兵銃から拳銃に切り替えて、身を潜めていた路地から飛び出した。一人は無力化したが、残りは二人で、こちらに気付いている上に、ここいらは見通しがいい。状況としては最悪だ。
下唇を噛みつつの突撃だった。
一箇所に留まることなく、右に移動しつつ引き金を引く。
一発、二発。三発目が片割れの胸に当たった。
「がっ」
と叫んで銃を落とす。
「アルマ、伏せてろ!」
これ以上走ると壁に激突するというところで、切り返して逆に走る。
四発。五発目を撃ったところで、俺は引き金を引くのを止めた。それは残りの一人も同じ考えだったようで、俺とアルマの両方をちらちらと見つつ、銃を真っ直ぐに構えていた。俺も足を止め、銃を構える。
にらみ合いになった。集中しろ、と自分に声をかける。
やがて男はにやりと笑い、息を吸い、そして叫ぼうとした。応援を呼ぶつもりだと直感した。
こちらに銃を撃たせようと誘っている、そう気付いたときにはすでに引き金を引いていて、男はそれをあっさりとかわした。すぐさま走りながらリロードの準備に入ったが、相手のほうが早い。排莢が済み、クイックローダーを手に持ったところで追いつかれた。
「残念だったな、俺の勝ちだ」
「らしいな」
撃たれる瞬間にかわす。かわしながらリロードして撃つ。出来なければ死ぬ。
俺は男の指の動きに全ての神経を注いでいたが、助けは意外なところからやってきた。どん、と男の背中に体当たりをかけたのはアルマだった。銃弾は俺の頭の上をかすめて飛んで行き、俺は自己ベストとも思えるリロードの速さで弾を装填すると、男を撃った。
計三発の大盤振る舞いだ。胸と腹に穴を開けられ、男は死んだ。
「アルマ、助かった。ジンは?」
「分かんない。鍵を開けたし見張りもいないから逃げろって、ジンの声だけはしたんだけど。でもどこにもいなくて」
「いい加減な奴だ。まあ無事でよかった。逃げるぞ」
俺はアルマを抱き上げようとしたのだが、それと同時に裏口のドアが開いて、他の男たちが顔を出した。
やはりばれていたらしい。それもこれもジンのせいだ。
頭の隅に、もしかしたら俺たちは奴に嵌《は》められたのではないか、という疑惑が浮かんだ。が、すでに事態は動いている。今更変更が出来ないところまで踏み込んでしまっている。
「野郎っ!」
何人かはすでに銃を抜いてやる気満々だった。慌ててアルマを抱き上げ、必死で走った。が、いくらアルマが子供とはいえ、重い荷物であることに変わりはなく、追いつかれるのは時間の問題だった。
狭い路地を利用してなんとか撒けないかと飛び込んでみたものの、逆に追い詰められている気がする。そして確実に危地に向かっていることを自覚すると、ジンの裏切りが事実である気がしてきて、俺は表情を歪めた。
それを息が切れているためのものだと思ったらしいアルマが、気を使って口を開いた。
「ココ、大丈夫? 私も走ったほうがいい?」
「いや、多分こうやって走ったほうがまだ速い」
「ごめんね、私がもっと体が大きかったら速く走れたと思うんだけど」
「無事に逃げられたら走る練習してくれ」
「うん。そうする」
話している最中も足を止めることなどなく、走り続けたのだが、どうしたって息は切れる。こんなことなら禁煙しておけばよかった、と今更ながらに恨めしい。
時折背後に向けて引き金を引いていたが、すぐに弾切れを起こした。
「アルマ、胸のポケットに弾が入ってる。取ってくれるか?」
「えっと、これ?」
「いい子だ。手を離す。しがみついてくれ」
アルマが俺にしっかりとしがみついたところで、自由になった両手を使って装填し、また撃つ。こんなことをいつまでも続けていられるわけがないが、弾の続く限り、足の動く限りは抵抗しなければならない。
ジンの裏切りが事実であろうがなかろうが、今の俺にはそうすることしか出来ない。
逃げては撃ち、撃っては逃げるを繰り返した挙句、最後には追いつかれた。何人かは俺の場当たりの射撃に不運にも当たってしまって倒れたが、俺はすっかり取り囲まれてしまっていた。
「手前《てめえ》にゃ何人も殺されてんだ。楽にゃ殺さねえからな。死ぬぎりぎりまで玩具《おもちゃ》にしてよ、頼むから殺してくれって言うまで責めて責めて責め抜いてやる。お願いだから発狂してくれるなよ。それじゃあ俺たちがつまらねえ」
「商会のどうしようもなく不細工な面に囲まれりゃ、どんな人間だって発狂しそうだがな」
どうする。どうやったら切り抜けられる。と、俺は腕の中のアルマに気がつき、小声で耳打ちする。
「アルマ、盾になってくれ。大丈夫だ、奴らはアルマには手を出さねえ」
「どうすればいい?」
「しがみついててくれりゃいい」
「分かった。頑張る」
前々から思っていたが、物分かりの良い子供である。俺よりもリリィよりも、よっぽど人間の出来がいい。貴人の血を継いでいるからか、それともそのように育てられたのか。
俺は銃を構え、抵抗の姿勢を見せた。
「撃つなよ。撃ったらアルマに当たるぜ」
右から左へと銃を動かして牽制してみるが、これも根本的な解決にはならない。時間稼ぎに過ぎないことは俺自身が一番よく知っていた。つまり、この間にとてつもなく素敵な考えを思いつかねば、殺される。
人数の差が大きすぎる。狭い場所に逃げ込もうにも、その隙を作るのも難しいほどにきっちりと囲まれている。壁を背にしてはいたが、要するに囲いのどこかを破らねばならないわけで、それは俺の死を意味する。
どうする、と気は逸《はや》るばかりで、少しも考えがまとまらない。いっそ降参してみるか、と考えたが、その場合も殺されるのがおちだ。
警戒するしか能のなかった俺に、さらに追い討ちをかけるものがやってきたのは、それからすぐのことだった。
「パルパさん」
囲いの一部が、すぅっと横にずれると、そこにはパルパがいた。
「よぅ。最近よく会うな」
もはや絶望的過ぎてどうしようもなく、俺はへらへらと笑いながらそう答えた。
「分を弁《わきま》えない頭の悪い便利屋のお陰でな。終わりだよ、ココ。せっかくケンさんが見逃してくれたってのに、お前は懲りずにこんな真似をする」
「リリィはどうしたよ」
「レクスが相手をしている。今頃は死体になってるだろうよ。二度やりあったが、あの女は駄目だな。使い物にならない」
「どうかな」
「殺気が無いんでな。必死さは伝わっちゃくるが、それだけだ。怖くはない」
「前はその女に時間を稼がれたんだろ。そんでお前がここに居るってことは、今回も仕留めきれてねえってことだ」
「腐ってもドラゴンキラーだからな。俺の腕が良くないこともあるんだろうが、ま、レクスが相手ではどうしようもないだろうな。あれは普通じゃない」
「へぇ」
「信じられるか? 奴は俺の目の前で、竜の肉を食って見せた。爪の先ほどの一かけらだがな。まったくの変態だ。壊れるのも時間の問題、いや、もう壊れているのか。あの女には同情する。たとえケンさんの命令でも、奴と絡むのは御免だ」
レクスの行動を教えられると、ちくちくと頭が痛みだした。不愉快さが体中に拡散していく。
畜生。
少しでも時間を稼いで、打開策を練らなくちゃならないってときに。
俺の頭はどうしてこうわがままに。
クソったれ。
歯を食いしばって堪えようとした挙句、俺の口からはパルパを馬鹿にする意味しかない軽口がこぼれていた。
「ケンの犬のくせして随分と人がましいこと言うじゃねえか。あの化け物の下で働いてるお前のほうが、よっぽど頭がいかれてる。いっそ首輪でもしろよ。あの年寄り相手に尻尾振ってりゃいい」
「好きに吼《ほ》えろ。どうせこれから拷問だ。今のうちに腹いっぱい喚いておくんだな」
パルパが片手を挙げ、それを合図に男たちが一斉に群がった。
俺の頭は真っ白になった。が、それがよかったのかもしれない。特に意識することなく、俺の銃はアルマのこめかみに向けられた。口からは自然と言葉が紡がれていく。
「全員動くな。動いたら撃つ」
男たちは足を止め、一斉にパルパを見た。パルパは陰気な顔つきに精一杯の呆れ顔を浮かべてみせた。
「なんとも生き意地の汚い男だ」
「今のところは目的もあるんでな。死ぬよりは生きてるほうを選んどかねえと、祭りに参加できなくなる」
にやけた笑いを返しながら、俺はアルマを強く抱きしめ、
「心配するな。ただの時間稼ぎのはったりだ」
と小声で言った。それに応えるように、俺にしがみついているアルマの手に力がこもった。
パルパはやや剣呑な表情でため息をつくと、次の瞬間には俺の視界から消えていた。かと思えば俺の手からは銃が弾かれ、今度は喉を掴まれて壁に押し付けられる。
「安心しろ、と言うべきなのか。お前はここでは死なない」
パルパはそう宣言しつつ、いつの間にか左手に抱いていたアルマを、取り巻きの男たちに渡した。
「ココ、ココ! やっ、放して!」
アルマはもがいていた。前にもこんなことがあったか、とアルマをあっさりと売った数日前を思い出した。あのときは、あの後でアルマが血を見て、そして気絶したのだったか。
手詰まりだ。これ以上はどうしようもない。心底そう思った。力が及ばなかったから死ぬ。運は悪くない。力が無かったから俺は死ぬのだ。
思ったより劇的な死に様だ、と思っていた。俺には過ぎた死に方だとさえ思う。だから俺の顔には微笑が浮かんでしまっていた。
が、俺が諦めたのと、助けが来たのは同時だった。
肉にナイフを突き刺したような、そんな音が響いて、パルパの胸から腕が生えた。それは背後から突き刺されたもので、パルパは口と鼻から血を吹き出し、そして腕が引き抜かれると同時に地面に倒れ、俺は尻餅をついた。
ジンだった。
ジンは無言のままパルパの前に膝を折ると、今度は後頭部目掛けて拳を振り下ろした。同時に、骨の折れる音が周囲に響く。パルパの体は一瞬びくりと跳ね、そしてそのまま動かなくなった。
ジンは立ち上がると、次の瞬間には俺の視界から消えた。
そしてそれは虐殺の始まりでもあった。
目に見えない何か、といってもまず間違いなくジンなのだが、次々と男たちを死体に変えていった。首を飛ばされ、胸に穴を開けられていく。殴られただけで絶命する者も多い。いつか見た光景だが、こちらはより鮮明に思い出せる。三年前のレクスの所業と、ひたすらに同じだった。
吐き気がした。ドラゴンキラーのどこまでも圧倒的で一方的な暴力。
頭の中を今なお駆けまわり続けている頭痛が、一際大きな波を生み、俺は歯を食いしばってそれを抑え込まねばならなかった。
気が付けば、俺たち以外は全て死体に変わっていた。
俺は胸を強く掴んだ。落ち着け、落ち着け。その言葉を延々と呪詛《じゅそ》のように繰り返した。やがて幾らか呼吸が落ち着いたところで口を開いた。
「遅いぞジン、どこで何してやがった」
そのジンは死体の服を使って手についた血を拭っていた。ジンはその作業に余念がないようで、振り返りもせずに返事をした。まるで背後から声をかけられているかのような響き方だった。どうやら音竜の力を使っているらしい。
「皇女殿下が部屋にいるって格好にしなくちゃならないでしょう。だからずっと部屋の前にいたんですよ」
「嘘くさい話だ」
「あれ? もしかして怒ってます? そりゃ確かに遅れましたけど」
俺は目を細め、
「お前、俺たちを使ったな? パルパを殺す餌にした。いや、それともここに来るのはレクスの予定だったか?」
ジンは立ち上がって振り向いた。その顔には悪びれている様子も、非の打ち所も無い、どこまでも自然な笑顔だった。
「そうですね。まったく仰るとおりです。レクスさんにこちらに来てもらうつもりだったんですけど、なかなか思い通りにことが運ばないものですよね。どこをどう間違ったか、パルパさんがこっちに来ることになっちゃって。それもこれもレクスさんが好戦的なのがいけないんですよ。一緒に皇女殿下の回収に出向くはずが、リリィさんのほうに興味湧いちゃって。いや、違いますね。それを知っておきながら使いきれなかった僕の能力不足ってことなんでしょう」
「むかつく話だ。いつもそういうやり方で物事を動かしてるってんなら、山ほどの禍根《かこん》を残してんだろうな」
「大丈夫ですよ。今まではちゃんと全員殺してます。そりゃもうきっちりと」
「俺たちも殺すか? リリィを動かしたいなら、ココとアルマは避難させた、の一言で済むもんな」
「そのつもりならとっくに殺してますよ。この場に生き残ってるのは僕だけになってるはずです」
「じゃあ何で生かす」
「命令されてないからですよ。使えとは言われましたが、消せとは言われてない。そして僕にはその理由を問うことは許されてないんですよ。もっとも、その必要もないんですがね」
「大した忠犬ぶりだ」
「まさにまさに。僕は犬たらんとしているわけです。半分竜ですが」
「つまんねえよ」
ジンは、同感です、と肩を竦《すく》めた。
「さて、愚痴なら事が終わった後でたっぷり聞きますから、今は移動しましょう。ココさんは皇女殿下を抱いててください。僕はあなたを抱えていきます」
「そうだな。アルマ、大丈夫か?」
近寄って声をかけると、アルマは今にも泣きそうな顔で震えていた。
「前みたいに気絶してもいいぞ」
俺が抱き上げると、腕に目一杯の力を入れて抱きついて来る。頭を撫でてやると、すぐに泣き出した。が、これ以上はどうしようもない。
「ジン」
と声をかけた次の瞬間には肩に担ぎ上げられていた。今まではアルマの頭を撫でている自分の手を見ていたというのに、今は建物の屋根を見下ろす格好になっている。あまりのギャップに思考が追いつかなかった。
「急ぎます。リリィさんがやられてたら話にならない」
そう告げるジンの声は、いつになく真剣で、俺は声の中に焦りの色を見つけていた。
再び商会前にやってきたとき目に飛び込んで来たのは、人外の光景だった。意思を持ったとしか思えないような火がうねり、玉となり、そしてそれは何かに阻まれて別の地点に落着する。爆発音が方々で響き、けれども壊れるのは道路や他の建物ばかりで、商館自体は全くの無傷だった。
少し離れた建物の屋上で、俺たちはその光景を見ていた。ジンはリリィが無事だと分かると、少し落ち着いたらしく、若干の余裕が見られた。
「どうなってんだ、ありゃ」
「リリィさんとレクスさんですよ」
「火と、風か」
「向かい風で盾を作ってるってとこでしょうね」
「そのレクスはどこだよ」
「今リリィさんとやりあってますね。予想はしてましたが、やっぱり押されてます。あちこち怪我してます。見えませんか?」
「見えるわけねえ。けど、やばいんじゃねえか、それ」
「ですね。じゃあ、皇女殿下。目一杯叫んでください。大丈夫、僕が拡声しますから、向こうのリリィさんにもちゃんと聞こえます」
「お前はどうすんだよ」
「リリィさんに拾ってもらったら、どこか適当な場所まで移動してください。その後をついてって、タイミングを見計らってレクスさんを仕留めます。奇襲で、一撃で。さっきと同じですよ。正面からレクスさんとやりあうなんて御免ですからね」
「やっぱり、相当なやり手か?」
「リリィさんから聞いてませんか? レクスさんはですね、ぎりぎりのところまで踏み込んでしまってるんですよ。理性は保っちゃいますが、限りなく竜に近いんです。単純な身体能力でいえば、僕らなんかよりずっと上ですし、その上トレーニングに余念が無いから体の使い方も上手いし、さらには気味悪いほどに勘も良い」
「ああそうかよ。一人でやらせりゃよかったな」
「まあ、済んだ話です。じゃ、また後で」
そう言ってジンは離れた。アルマが俺を見ていることに気付き、軽く頷いてやると、アルマは目一杯に息を吸い込み、そして叫んだ。
「リリィ!」
子供の肺活量では絶対に出ないだろう、尋常ではない大きさの声が辺りに響いた。
俺はすぐさまアルマを抱き上げ、そしてリリィが来るのを待った。やがて、何かが風を切って近づいてくる。それは徐々に大きさを増し、だん、と地面を蹴る音がしたかと思えば、俺は空中にいた。
「リリィ!」
「ああアルマ、無事でよかった。怪我は無いか? 痛いところは? おかしなことはされなかったか?」
「大丈夫。ずっと部屋にいたの」
「そうか」
「思ったより軽症じゃねえか。切り傷かすり傷ばっかりだ」
「だが奴は無傷だ」
「殺せなかったのかよ」
「情けない話だが、勝てる気がしない。奴は、奴は手を抜いていた。いつでも私を殺せたのだ。くそ。ジンはどうしている。奴の協力が無ければ、私一人では無理だ」
「弱気だな」
「こうまで差があるとは思わなかった。予想の範疇を超えている」
「俺は約束を果たしたぞ、リリィ」
「分かっている。なんとしても奴は仕留めるさ。それで、どこへ向かう」
「ねぐらにしてたとこがいい。あの辺りは人がいねえからな」
「了解した」
返事を聞きつつ背後を確認する。が、さすがにレクスの姿を確認することは出来なかった。
「奴はちゃんと追って来てるのか?」
リリィが首を捻って背後を確認すると、
「安心しろ、きっちり追って来ている。もうじき感動のご対面だな。嬉しくて泣けてくるだろう?」
「ああ、全くだ。嬉しすぎて漏れそうだよ」
「な、馬鹿。漏らすなよ。そんな男を運ぶのは私は嫌だからな」
「冗談だ。なに真に受けてんだよ」
不意にそこで会話が途切れた。話す話題は探せば幾らでもあっただろうし、話していたほうが気も紛れるだろうが、それでも俺もリリィもアルマも、誰も口を開かなかった。
廃屋に到着したのはおよそ二分後のことだった。
到着するなりアルマを廃屋内に入れ、俺は扉の前に立って銃を抜いた。さらに前にはリリィがレクスの到着を待っている。
「時間を稼いで隙を作れ。そうすりゃジンが仕上げをやる」
「姿もないぞ」
「どっかで見てるさ。間違いなくな」
「お前はアルマの護衛についていろ」
「お前らがやられたらアルマはレクスが連れて行く。俺は死体になる。どこに居ようが一緒なら、ここに居る」
「そうか」
リリィが相槌を打つと同時に、ざ、と音を響かせてレクスが着地した。
紛れもない。間違えようもない。俺の記憶にある姿とほとんど変わらない。
薄緑色の髪は肩にかかる程度だが、金属のワイヤーか何かのように、昼下がりの光をきらきらと反射している。女のような顔には、黄色く光る猫染みた目。
オレンジ色のボタンシャツには、縦じまの模様の入ったダークブラウンのネクタイ。灰色のベストに、スラックス。ジャケットは羽織っていない。素材の良い服だと一目で分かる。
レクス。
体の奥から湧き上がってくるのは、淀《よど》むことを知らない明確な殺意。
「そいつが協力者ですか、リリィさん」
「そうだ」
「全く、しつこいったらない。屑は屑らしくその辺で怯えて縮こまっていればいいってのに、分際を弁《わきま》えず盾突く。知能が羽虫並みに悪いんでしょうね、そう思いません?」
「お前が物を考えていると言えるのか?」
「そういう話じゃないですって。俺が馬鹿かどうかじゃない。力関係を理解しないそこの男が馬鹿だって言ってるんです。ちゃんと聞いてます?」
「ココはよくやってくれている」
「いいように使われてるんでしょ? ドラゴンキラーを自由に使って、自分が偉くなった気にでもなってるんですよ。反吐《へど》が出る。他人の力を行使して敵を潰して、それで自分が強いって勘違いするんだ。ああ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。不愉快だ。ねえそうでしょう?」
「レクス、それは違う。私は私が望んで使われている。私は自分のことはよく知っている。直情傾向で、思慮が足りない。その割りに物怖じする性質でな、平たく言えば子供なのだろう。足りない部分が山ほどある。ココはそれを十分に補ってくれている。私だけでは、恐らくは話をまとめることさえ出来なかった」
話の程度の低さはともかく、これは良い傾向だった。このまま話を続ければ、いずれはジンの一撃がやってくる。真正面から戦うよりは、そのほうがずっといい。
「俺はね、何度も団長に言ってるんですよ。マルクトには七十人からのドラゴンキラーが居るんだから、世界だって獲れるって。いっそ俺たちの国を作ろうって」
「馬鹿げた話だ」
「どうしてです? 支配が出来るだけの力を持ち合わせてるんだ」
「我々には子孫が作れないからだ。支配したところで、継ぐべき子は生まれない」
ガキを拵《こしら》える選択肢は無かったのかと、数日前リリィに訊いたことを思い出した。なるほど口ごもるわけだ。アルマに対する拘りも、そういうところから生まれているのかもしれない。女々しい、と即座に断定していた。遅れてそういえば女だった、と思い出す。
「竜が自分の死肉を食わせることを以《もっ》て生殖行為とするのなら、ドラゴンキラーを産む行為だってそうですよ。竜の肉を食わせることが、俺たちの生殖行為だ。なら何も問題は無い。どれだけ死体の山が出来ようが、一握りのドラゴンキラーを作り出せればいい」
「そんなやり方では、世代が一つ下っただけで世界の人口が激減するだろうな。最後にはこの世から人間が居なくなる」
「先のことなんかどうだっていいんですよ。その辺のことは後の世代が考えるべきことですから。って、何の話をしてるんだか。まあいい。とりあえず、そこの馬鹿を殺させてもらえません?」
ひゅ、と風を切る音が聞こえた。
次の瞬間には眼前に手刀が迫っていた。俺の鼻先にまで届いたそれは、しかしリリィによって阻まれていた。リリィは俺とレクスの間に割って入り、レクスの両方の手首を掴むと、押し合いをやっていた。
リリィの顔の向こうに、レクスの顔があった。
無駄なことは頭で理解している。しかしそれでも俺は銃を抜かずにはいられなかった。騎兵銃を抜き、リリィの肩に銃身の先端を乗せ、
「死ねよ」
と言って引き金を引いた。爆発音。すぐさま排莢、再び発砲。たん、たん、たん、とおよそ二秒に一度ほどの割合で銃声が辺りに響いた。撃ったそばから、弾丸はレクスの顔に命中したが、その全てが、レクスの顔の上でひしゃげてつぶれていた。五発打ちつくすと、騎兵銃の銃身を握り、思い切り殴りつけた。
ご、と音がしたが、銃が曲がってしまっただけで、当のレクスはつまらなそうに体を前に持って行こうとしている。
「くそったれ」
「ココ、満足したなら離れろ! もう持たんぞ!」
リリィが叫ぶのと同じタイミングで、また別の動きがあった。
俺に認識できたのは、どこからともなく現れたジンが、背後からレクスに蹴り飛ばされて地面を転がり、それに気を取られた一瞬にリリィもまた蹴り飛ばされて地面を転がった、とそれだけである。
ジンの奇襲だったはずだ。そしてそれは失敗に終わった。
背後からのジンの一撃をレクスはかわせたということになる。パルパを屠ったジンの一撃は、レクスには通じなかった。勘で気付いたのか、それとも気配でも察知したのか。
原因はどうだっていい。結果として、レクスと俺は向かい合っている。
俺はレクスを睨みつけていたが、一方のレクスは俺のことなど眼中にない様子で、今しがた蹴り飛ばしたジンの様子を確認していた。
「あれ、今のジン? なんでお前が俺を襲うんだ。答えろよ、死んでないんだろ?」
俺は視線をレクスから外さなかったが、やがて左のほうからジンの声が届いた。
「レクスさんを殺すのが僕の仕事なんですよ。それだけで十分でしょう?」
「こいつは傑作だ。お前は敵か。素晴らしい。素晴らしいじゃないかジン。俺はお前を殺してみたかった」
「ええ、レクスさんがそういう人だってのはよく知ってます」
「堪《たま》らない。堪らないなぁ。俺がどれくらい喜んでるのか、たっぷり時間をかけて聞かせてやりたいくらいだ。だけどそれは無理な話だ。もういきそうなんだよ。さあ立て。立って戦え。俺と遊べ。歌え、踊れ!」
レクスの宣言。そして、それに続いて爆音が起こった。今まで聞いたこともないような、途方もなく大きな音で、砲弾の炸裂音とも、銃声とも違う。大風を凝り固めたような異様に大きな音で、俺は思わず耳を塞ぎ、レクスも一瞬それに気を取られた。
それはジンの仕業なのだとすぐに理解したが、ジンにはその一瞬で十分だったようで、体勢を立て直すと、レクスとの戦闘に入った。
「リリィさん、まだ大丈夫でしょ? さっさと手伝って!」
「分かっている!」
目の前では人外の化け物同士の戦闘が始まっていた。
俺の目は右から左へと忙しいが、逆に言えば、それしか出来ることはなかった。
決着がつくまではおよそ五分ほどの戦闘だった。
途中、リリィが作り出したものらしい火の玉が飛び交い、どうも行く先を捻じ曲げられたらしく、俺の背後にある廃屋近くに落ちたり、周囲の木に引火したりして煙が立ち上っていた。
化け物同士の戦闘は、気味の悪いことこの上なかった。連中が全力で動いている時には全く視認出来ず、かと思えば突如現れて押し合いやらをやり、次の瞬間にはまた消えている。
爆発、爆音、爆風。
そういったものが飛び交い、そのあおりを食らって近くの朽ちた建物が完全に破壊されていく。
なんとなくだが、どうもリリィとジンは押されているようだった。二体一でなお押し込まれるというのは、それだけレクスの腕が立つ証拠だ。面白くない状況だった。
中でも最大に不愉快なのは、見ていることしか出来ない歯がゆさだ。
「くそったれ」
呟いて、煙草を取り出した。煙草入れから一本取り、口にくわえて火をつける。
何か。
何か出来ることはないのか。俺の能力で実行可能で、かつとてつもなく有効な、そんな嘘くさいほどに素晴らしいアイデア。が、煙を吐きつつ頭を捻ってみても、言葉の暴力くらいしか思いつかなかった。効果の程は知れている。
舌打ちをし、煙草を投げ捨てると同時に、どう、と轟音が響き、何かが地面に衝突した。それが何か確認しようとしているうちに、今度は俺のすぐ近くにも何かが衝突し、その衝撃で砕けた石の破片がこちらに飛んで来た。慌てて顔をかばったが、目を開けると、腕の隙間からレクスの顔が目に入った。
であれば、叩きつけられたのはジンとリリィの二人なのだ。
「ばぁ」
レクスは俺の顔を見ると、舌を出し、手をひらひらさせておどけて見せた。
何のつもりかは分からない。
が、俺の反応が無いと見るや、すぐに不機嫌な顔になり、
「つまんねえ奴。こんな頭の悪い奴に、どうしてリリィさんは。ああ全く不愉快だ。不愉快で不愉快でもうもちそうにない」
「リリィに惚れてでもいるのか? はっ、悪趣味極まりねえな。あんな尻のねえ女のどこがいいってんだ」
「羽虫が。リリィさんの名前を口にするなよ」
言うなり、俺は体のバランスを崩していた。足を払われたのだと気付いたのはその時だが、次の瞬間には顔を掴まれ、高々と持ち上げられていた。足をばたつかせて、顔にかかっている力を解こうともがいたが、もちろんそんなことではどうにもならず、俺はなされるがまま、それこそ石を放るかのように、宙を舞った。
ごろごろと何度転がったのかも分からないが、やがて止まった。ただ投げ飛ばされただけだというのに、体中が悲鳴を上げている。何より顔が痛い。穴でも開いたんじゃないかと錯覚するほど、局所的な痛みだ。
顔を上げるとそこにはレクスの姿があった。
胸元を掴まれ、持ち上げられる。
「よく聞け。あの人は俺と同類だ。ただのドラゴンキラーじゃない。限りなく竜に近い、特別のドラゴンキラーだ。お前みたいな羽虫がたかっていい人じゃあないんだよ」
「進んで化け物に成り下がった糞から人間の言葉が聞こえるな。ああ、そうか。なるほどなるほど。やっと分かったよ。出来すぎてると思ってたんだ。お前、アルマじゃなくて、リリィを追っかけてこの街に来たんだな。は、はははははは、こいつはお笑いだ。化け物でも女に狂うのかよ」
レクスは歯をむき出しにして笑い、俺は再び宙を舞った。先ほどよりずっと強い力がかけられたことが、その速度で分かる。俺は手を伸ばし、草を掴んだもののあっさりとすっぽ抜けた。が、お陰でバランスが崩れたのか、体が地面に触れた。そこからは必死で勢いを殺す作業だった。ごろごろと地面を転がった。最後には、廃屋の扉に触れたところで止まった。
体を起こすと、レクスがゆっくりと近づいてくる。
抵抗しなければならない。最後まで。何があろうと。それは理屈ではなく、俺の生き方だ。力が及ばず死ぬということは、つまりは全力を尽くした挙句の死だ。だから最後までやる。
俺は立てかけていた予備のライフルを手にし、素早く射撃を行った。五発を撃ちつくすまで、およそ十秒強。
新たに五発。次の五発。また五発。
それら全てを体に受けながら、レクスはゆっくりと近づいてきていた。
もう諦めろ、と俺の理性は言っていた。だが同じ理性が、最後までやれとも言った。
やがて全ての弾を撃ち尽くし、俺の手には一発の銃弾だけが残った。リリィがお守りにと俺に強引に押し付けた、あの弾だった。
「もう終わりか」
レクスが体中にへばりついた弾丸を、汚れを落とすような所作で何気なく払いつつ言う。
俺は最後の一発を装填しながら、笑った。
「つまんねえ話をしてやるよ。リリィは俺に体を開いたぞ」
瞬間、レクスの顔色が変わった。
「何の冗談だ?」
「本当さ。何なら本人に確認してみりゃいい。お前の大事な大事なリリィさんは、お前がどこまでも見下してる人間風情の腕の中で朝を迎えたって言ってんだよ」
無論はったりである。
だが、効いていた。銃より言葉のほうが効くとは、どこまでも不愉快な話だ。
レクスは顔を押さえて何やらぶつぶつと呟き、かと思えば自身の体を強く抱きしめ、それが終わると、肩を落とした。低く感情のこもらない言葉が、その口から発せられる。
「冗談にしちゃつまらない。真実だったら許しがたい。どちらにせよ言いたいことは一つだ。お前は死ぬよ。ああそれだけは絶対に」
俺がその言葉を頭の中で理解し終わらないうちに、俺の体は真横に吹き飛んでいた。
立ち上がりつつ、左腕を蹴られたのだと遅れて気付いた。が、直後に猛烈な痛みが走った。折れていた。
「簡単には死ぬな。命令だ。いいな?」
「お前こそとっととくたばれよ。命令だ」
どん、と音がしたかと思えば、俺は腹を押さえてその場にうずくまっていた。
見えない。何をされているのか分からない。理解と痛みが遅れてやってくる。
くそ。
胃袋の中身が逆流したがっているのを無理矢理に抑えつけ、俺はかろうじて右手に握っていたライフルを、改めて強く握りなおした。
体を起こすと同時に、それをレクスの顔に向ける。
「いいぜ。撃てよ。好きな所を撃たせてやるよ。どこがいい? 腹か、顔か、胸か。それともそいつで尻の穴でも掘るか?」
俺は力なく笑いつつ、口を開けて見せた。
「なるほど、俺の口の中を狙って撃ちたいと、そういう話か。いいぜ、撃てよ」
レクスは笑いながら、銃口を口にくわえた。
この余裕からして、無駄であるらしい。
が、それでも俺は引き金を引いた。たん、と乾いた音がして、弾丸は確かにレクスの口内に撃ちこまれた。そう思った。
が、次に俺の目に入ったのは、歯で弾丸を受け止めているレクスだった。上下の歯で、器用に弾丸を挟んで止めていた。俺は失望していたのだろう。どうやらそういう顔をしていたらしく、レクスは満足そうに笑った。
そして、舌を出してその弾丸を乗せると、そのまま飲み込んだ。ごくり、と喉が鳴る。
かと思えば舌を出して口の中には何もないことを教えた。
「リリィさんを汚したお前の言うことなど、誰が聞く。さあ、これからがお楽しみだ。ゆっくりばらしてやろう」
「くそったれ」
吐き捨てると、レクスは満足そうに、ははは、と高い声を出して笑った。
「ははははははははははははははは、は?」
急に、レクスの笑いが止まった。
異変は、その時に起こった。
「お前、お前お前お前お前っ! 何をした。言えよっ、俺に何をしたっ!」
レクスは鬼のような形相で喚いた。が、それがやがて意味の繋がらない叫び声に変わると、頭を押さえて膝を折った。
「知るかよ。俺が聞きたいぐらいだ」
肩で息をしつつ答えると、横から返事をするものがいた。
「竜の肉だよ。憶えのある感覚だろう、レクス」
俺と同様に肩で息をしているリリィが、気だるそうに近づいてきた。どうやらまだ生きていたらしい。思わずほっとする。
一方のレクスは、喉元、顔の順に鱗が浮かび上がり、さらには顔の骨格が変わっていく。人から猿へ、猿からトカゲのものへと近づいていく。
気味が悪い。何より危険な匂いがする。
俺は思わず後ずさっていたが、すぐに廃屋に突き当たり、それ以上下がることが出来なくなった。
「もはや返事も出来ないか。無事か、ココ」
とリリィが口にした矢先、二足歩行のトカゲとしか思えないような化け物に成り下がったレクスが、奇声を上げてリリィに突進した。が、その最中にも変化が進んでいたらしく、足が肥大し、その場に転倒する。
それを見るなり、リリィが蹴りを見舞った。レクスは先ほど俺が放り投げられたのとたいして変わらない勢いで吹き飛び、そしてやや離れた所に衝突した。どう、と土煙が舞う。そして煙が晴れると同時に、四つんばいになっているレクスの姿が目に入った。
俺は顔をしかめていたが、そのうち、蹴りを見舞って動こうともしないリリィに気がついた。
「リリィ、とっとと止め刺せよ!」
「ああ、それだけ大声を出せれば十分だ。どうやらジンも無事の様子だ。何よりだな」
俺の言葉を全く無視し、リリィが満足そうに歩み寄ってくる。
「おい」
とレクスを横目に言ったが、リリィは構う素振りすらない。
「弾が役に立ってよかった。作った甲斐があったな」
「弾だと? それが竜の肉と何の関係がある」
「お前が撃った弾丸の中身がそうだ」
「は? どうしてそういうことになる」
「竜の肉を粉末状にして、弾芯として成形し、その上で被甲したのだ」
「だからなんでそんな真似をしたのかって訊いてんだ。第一、竜の肉なんてどこで」
俺はなおも言い募《つの》ろうとしたのだが、リリィは手で俺を制し、顎でレクスを示した。
「見ろ、レクスが、竜になる」
レクスの体が肥大していた。徐々にではあるが、その大きさは大柄な人間のものを超え、肉食獣のものを超えていく。
背中、肩甲骨のある部分がぐいぐいと盛り上がり、限界を迎えると同時に、大きな翼となって突き出した。外に露出している部分の皮膚は、灰色と緑色の中間ほどの色へと変化し、やがてそれらは鱗の質感が強くなっていく。
「おい、今のうちに殺すんじゃないのか。いや、そもそも離れなくていいのかよ」
「大丈夫だ。まあ見ていろ。そうそう見られるものではないぞ」
「なんでそんなに余裕ぶっこいてんだ手前は。殺れるときに殺れよ」
「ココ、我々は竜を殺し得るからドラゴンキラーなのだ」
「知ってるよ。んなこたよく知ってる。おい、いい加減に」
と、俺はレクスをちらちらと見て、気になって仕方がないのだと、それとなく伝える努力をしたが、リリィには伝わらなかった。
「竜に対して我々は絶対的に優位だ。元がレクスだろうが、竜になってしまえばそこまでだよ。この戦闘は我々の、いや、お前の勝ちだ、ココ。あれはもうレクスではない。竜だ。分かるか? お前がレクスを殺した。体はまだ生きているが、すでにレクスという思想はこの世には無い」
「あ?」
「満足か?」
「今訊くことじゃねえだろ。さっさとあれをやれよ」
リリィは今なお肥大を続けているレクスを横目で見つつ、小さく笑った。
それを見て、何を言っても無駄だと諦めた。主導権がリリィにあることが腹立たしいが、乗せられる以外に選択肢は無い。
「もうすぐ変化が終わるな。さてココ。ドラゴンキラーの優位とは何だ?」
「知るか」
と半ば自棄になった俺は、吐き捨てるように言った。
「体の軽さゆえの、速度だよ。この小さな体を、竜の力で無理矢理に素早く動かしているのだ。竜の爪、牙にかかれば簡単に引き裂かれてしまう体だが、当たらなければ意味が無い。そして、我々は当たらないだけの速度で動けるのだ」
「ああそうかよ、能書きと講釈は腹いっぱいで満腹だ。そのうち尻の穴から飛び出すだろうよ」
「それは大変だ。漏れないように拳で栓をしてやろう」
「下品だな、お前」
「お前のせいだ。言っただろう。私はおしとやかな町娘なのだ。得意は裁縫。仕事は売り子のな」
「おしとやかな町娘は、そんな不敵な笑い方はしねえ。むかつく笑い方だ。負け方を知らない奴の笑い方だな。おら、もういいだろ。とっととやれよ、ドラゴンキラー」
「一撃で仕留めて来る」
リリィの宣言と、竜の吼え声は同じタイミングで起こった。顔を向けると、今や大型の草食獣すら超える大きさの竜が、こちらを見ていた。肥大は止まっていたが、その皮膚は千年を生きたかのような質感が付き纒《まと》い、存在しているだけで圧迫感がある。
リリィはゆっくりとかつてレクスであった竜に歩み寄っていく。その竜は目に明らかな警戒の色を秘めており、視界に入ったリリィを即座に敵と認識した。
ぶん、と低い風きり音を響かせ、竜がその巨大な腕を横薙ぎに振るう。当たる、と思った瞬間にリリィの姿は消えうせ、次に姿を見せた時は竜の頭上に着地していた。続けざまに拳を握り、一気に足元に振り下ろす。
ぱしゅ、と小さな音がして、リリィの腕は肘の辺りまで竜の頭にめり込み、そして一気に引き抜いた。
勝負はそれだけでついた。
竜の巨体は命令を出すべき脳を失い、そして前のめりに倒れた。倒れた衝撃で、地響きが起こる。足元も揺れた。リリィは竜の頭が地面に着くと同時に飛び上がり、竜の顔の前に着地すると、自身のスカートの両端を持ち、膝を折って会釈してみせた。
俺は少しだけ、笑った。
が、すぐに事情が知りたくなって、リリィに詰め寄った。
「で、どういうわけでこういうことになったんだ?」
「質問が曖昧だぞ」
「察しろよ馬鹿。あの弾だよ。弾」
「気を使っていると言ったはずだ。だからお前の復讐の足しになるかと思って用意した。拙《まず》かったか? 結果見事に上手く行ったではないか」
「思いっきり運が良かったせいじゃねえかよ。偶然の勝利にも程があるだろ」
「運がいい者は生き残るし、力の無いものは死ぬのだ」
一瞬、戸惑った。俺の思想と同じことを聞こうとは思わなかったからだ。が、慌てて頭を振って言葉を継いだ。
「そうじゃねえだろ。なんで言わなかった」
「思うところがあったのだ。いや、作っている最中から思ってはいたのだが、理性を失うことが果たして死であるか、というようなことを考え出したら、どうにも言い出せなくなってな。だから私の予定としては、レクスの動きを封じた後で、お前にその弾を撃たせるつもりだったのだ。極限の状況で多少の道理は無視して無理矢理納得させてやろう、という算段だった」
「俺が先に撃ってたらどうするつもりだったんだよ」
「撃たないさ。そのためにお守りと言って文字を彫ったのだ。幾らお前がひとでなしのろくでなしの屑でも、さすがに思いの詰まったものを易々とは使うまい」
「大体なんだよ、竜の肉なんてものを持ってるんなら」
「持ってるなら?」
「先に言え。何かに使えたかもしれないだろうが」
「食ってドラゴンキラーになるとでも? お前はそんな真似をするのか? おやおや、これは笑い話だ。食えば死ぬという賭けに出るのだな、お前は」
「誰が何を持ってて、何を知ってるかって情報は多けりゃ多いほどいいって話だ」
「ああ、私の下着の色と形が知りたいと」
「なに茶化してんだトカゲ女」
「茶化しもするさ。重い雰囲気だと、お前は絶対に一人で勝手に考えて不機嫌になるからな。気を使える優しい私に感謝しろ」
何か言い返そうとしたが、その前にアルマが廃屋から顔を覗かせていることに気付いて、リリィが声を上げた。
「アルマ! やっと終わった。これでもう安心だ」
「リリィ、怪我してる」
「全部軽傷だ。すぐに治る。だがアルマに手当てをしてもらえれば、もっと早く治るかもしれないな」
「うん、私頑張って手当てするよ」
「ありがとう」
リリィはそう言ってアルマを抱き上げた。俺は少しだけ肩を落とし、それからため息をついた。
頭痛はもちろんまだある。偶然の勝利のお陰だろうか。自身でやり遂げた、という実感はあまりに少ない。実際、最後の局面での俺の働きはほとんどなかったも同然だ。ただ見ているだけしか出来なかった。そのせいですっきりと来ないのか、それとも復讐とはこの程度のものなのか。
だが、アルマを抱き上げているリリィを見て、一つの仕事が終わったという妙な達成感だけは確かにあった。
後は。
そう、後は足の向くままに好きな場所に行くのもいい。少なくともこの街に居座ることが出来ないことだけは確かだ。商会の連中には恨みを買っているし、リリィとの契約が終了した今、個人である俺には到底太刀打ち出来る相手ではない。選択肢は逃げることだけだ。
「リリィ、アルマ」
「ココ。ココも大丈夫?」
「ああ。あちこち痛いんでな、俺はとっとと退散するよ」
「そうなんだ。せっかく手当てしてあげようと思ったのに」
「そいつはありがたい話だが、気持ちだけ貰っとく。じゃあな」
そう言って二人に背を向けた。
「ココ、どこ行くの?」
「どこって、どこだろうな。まだ決めてないが、商会の目からは逃れないとな。散々恨み買っちまったし、この街にゃもう居られねえ」
「お別れなの?」
「ん、まあそういうことになるか。元々そういう話だ。アルマを助け出して、レクスを殺すまでが仕事。そっから先は俺とは関係ない話だからな」
アルマは眉を寄せつつ、リリィの顔を見た。
「ココ行っちゃうって」
「大丈夫だ。私はこの街のやり方をよく知っている」
リリィは含みのある笑顔をアルマに見せると、俺のほうを向いた。
「何だよ。俺はこれ以上あんたらに関わるつもりはないぜ。大金積まれようが御免だ」
「金は無いな」
「論外だな」
「だが、助けてやろう」
「は? 何言ってんだ」
「痛い思いをしたくなければ、私を雇い、アルマの世話をしろ」
「却下。じゃあな」
手を上げてそう答え、振り向いて歩き出すと同時に、俺は右腕を取られ、ばっちり極められていた。地面に体をぶつけた衝撃が折れている左腕を直撃し、気絶しそうなほどの痛みを呼ぶ。
「手前《てめぇ》っ、何しやがる」
「知り合いの骨を折るというのは、いかにも気が引けることだと思わないか、ココ。全く嫌な作業だ。だが安心しろ。くっ付きやすいように、けれども痛みは最大限伝える折り方をしてやろう。人間には山ほど骨があるからな。折れる場所も沢山だ」
「耳と頭が悪くて、お前が何言ってるのか分からねえよ」
「お前は私にとって特別に気安い男だ、ココ。だから折れる。知らない誰かに暴力を振るうのは嫌なのだが、お前ならば不思議と腕を折っても許してくれそうな気がするのだよ」
「許すわけねえだろ。どんだけおめでたい頭だ」
「大丈夫だ。お前は許すよ」
「人の話聞いてんのか、馬鹿トカゲ」
「お前こそ、いい加減に諦めろ。これも縁だ。ちなみに、色よい返事を貰うまで諦めないぞ。付きまとわれるのとどちらがいいか、好きなだけ考えろ」
「くそ、なんて馬鹿だ。馬鹿すぎて吐き気がする。その馬鹿に付きまとわれる俺は何だ。不幸の星か」
「気にするな。私のほうが多少は馬鹿だ」
「慰めにもならねえよ、くそったれ。手ぇ放せ」
「まだ返事を貰っていない」
「分かったよ。雇えばいいんだろ、雇えば。アルマもちゃんと世話してやるよっ!」
俺が叫ぶとリリィは瞬時に取っていた俺の手を離し、
「アルマ、ココが私たちの世話をしてくれるそうだ。良かったな」
と言った。だが、当のアルマは先ほどとは違った表情で、眉を寄せている。
「駄目だよ」
「ん?」
「ココは嫌がってたよ? 嫌なことをするのはよくないよ」
「アルマは優しいな。だがな、ココは口ではああ言っているが、実際は喜んでいたのだ。腕を取っていた私にはよく分かる。だからあれは嫌なことではないのだ」
「本当?」
「もちろんだとも。私はアルマには嘘はつかないよ」
「じゃあいいんだ」
「そうなのだ。よいのだよ」
「ああもう好きにしてくれ」
俺は右手だけで煙草を取り出し、火を着けつつ、ジンが落着したと思われる場所へと歩いた。
足元を見ると、ジンがこちらを見ている。
「いつから起きてた?」
「竜の吼え声を聞いたときから。まさかレクスさんが竜になってるとは、さすがに予想外でしたけど」
「俺も予想外だったよ。びっくりだ。さっさと起きろよ」
ジンは笑顔を見せると、海老か魚のように跳ね、着地すると服の汚れを払った。
「約束、忘れるなよ」
「約束?」
「船の弁償とドラゴンキラー絡みの約束だ」
「もちろん。僕は義理堅いってそりゃ有名なんですから。しっかり守りますよ」
「さっぱり信用ならねえってのが、また笑える話だな」
「信じてたほうが楽でしょう?」
「裏切ったら、皇女派についやてる。お前の飼い主にはそう伝えといてくれ」
ジンは苦笑しつつ、分かりました、と言った。
「にしても、なかなかお似合いですよ」
「あ?」
「リリィさんとよろしくやるんでしょう? 痴話喧嘩も様になってる。明るい喧嘩をする二人は長く続きますよ、きっと」
俺は自身の眉がぴくりと動いたことに気付いた。なんとなく嫌がらせをしてやろうと拳銃を抜き、シリンダーに弾が残っていることを確認すると、ゆっくりと構え、そして三発続けて撃った。
「うっ」
と全く気の入らない声でジンはわざとらしく前のめりに倒れた。いつの間にか背後に来ていたリリィが一言感想を口にする。
「つまらん奴だ。芸がない。せっかくの音竜のドラゴンキラーが台無しだ。飛び切りの断末魔の声くらい演出してみろ」
「同感だな。物乞いの連中だってもっとましな芸するぞ」
俺たちが感想を口にすると、ジンはつまらなそうに顔を上げ、
「あなたたち、よく似てますよ」
と言った。
「ココの影響だ」
とリリィはまたも言い切った。
俺はつまらなそうに煙草を吸い、ジンは苦笑し、アルマは自分以外の三人の顔をきょろきょろと見回していた。
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エピローグ
ラダーマン・カフェのメニューは黒板に書かれており、客はそれを見て何を飲み食いするかを決める。カウンターの背後の壁に埋められたその黒板の下に、今日になってようやくうちの看板も付け足されることになった。
『ドラゴンキラーあります
アパート三階
便利屋ココまで』
それだけを付け足すのに払った代金が金貨一枚。大損だし、そもそも字が読める奴なんて限られているのだから、そんなことをせずともよいと思うが、せっかく事務所めいたものを開いたのだから、というリリィの提案による。
その看板を見ながら、リリィが口を開いた。
「なあココ。あの看板は何なのだろうな」
「うちの宣伝だ」
「そうではない。あの文言だ。なんだあれは。私は物ではない」
「ドラゴンキラー貸します、のほうが良かったか?」
「それはそれで何となく嫌だ」
「ドラゴンキラーおります、だと語感が気に食わねえし」
「いっそもっと可愛らしくしてはどうだ」
「ドラゴンキラー届けます。万事暴力で速攻解決。沢山の死体を作りたい方はこちらまで、ってか。なるほど可愛いな。おまけに血腥《ちなまぐさ》くって言うことなしだ」
「お前、ふざけているだろう」
「気のせいだろ。疲れてるんじゃねえのか?」
「もういい」
「納得してくれて助かるよリリィ」
俺たちが並んで酒を飲んでいると、やがてサンドイッチを乗せたプレートをアルマが運んできた。可愛らしいウェイトレス姿である。カウンターの内側で何やら計算に没頭していたラダーマンも、その様子をちらりと確認し、すぐに手元の作業を再会した。
「お待たせ。サンドイッチ持って来たよ」
「おおアルマ、ありがとう。これはまた、実に美味そうだ」
「ほんと? 私が作ったのよ」
「それは不味いわけがないな」
「ココはお酒のおかわり?」
「ん? ああ、もらおうか」
「少々お待ちください」
そう言って店の奥へと小走りに移動していった。リリィは目の前のサンドイッチを見ながら、小さくため息をつく。
「なあ、やはりアルマは部屋に居てもらったほうが」
「アルマが自分も役に立つって言い出したんだろうが。うちの家計を助けたいってよ。気持ちを酌《く》んでやるのも大事なことじゃねえのか?」
「だが、ここは人が多すぎる」
「大丈夫だよ。ラダーマンたちもいる。何より、お前が居るからな。アルマをさらってどうこうしようって馬鹿は、俺たちのことを知ってる外の人間に限られるってもんだ。街の人間は手を出さねえよ」
「そういうものか」
「そういうもんだ」
「商会ともけりがついたしな」
「ああ」
嫌々ながら。そう実に嫌々ながら、商会とはけりをつけることになってしまった。
俺は別の土地で便利屋をやったほうがいいと主張したのだが、リリィは面倒の一言でそれを突っぱね、商会と話をつけよう、という方向へと強引に軌道を修正した。俺は蚊帳《かや》の外だった。
ドラゴンキラー・パルパを含む、多数の死者を出した商会。もちろん俺たちと絡んだことによる被害だし、こちらを恨んで当然だったのだが、商会は驚くほど下手に出てきた。まあ、力を比べればそうもなるのだが、商会幹部の面々と一堂に会するようなことは、出来れば今後は遠慮したいと強く思った。
で、いわゆる手打ち、と相成ったわけである。その交渉で前面に立ったのはやはりケンで、かなりねじ込まれたりもしたが、一応はこれから友好関係を築いていこう、というところで話が落ち着いた。
ちなみに、ねじ込まれた条件は、商会からの仕事は格安で請けること、である。いつか俺が口にしたはったりが、現実のものとなってしまった格好だった。
代わりに呑ませたのが、アルマの安全の保証と、組織同士の抗争には関知しないということの二つだ。ただ、名前だけは自由に使わせてもらう、とはケンの主張。それがあると無いとでは随分違うのだとも言っていた。分かる話だったから、それも呑んだ。
あれからおよそ一月ほど経つ。
未だ完治していない体に無理を要求し、そうしてこなした仕事は二十八日間で十九件。働きすぎな感はあるが、それでも食費に消えていく。
いざとなれば火を食う、と遠慮していたいつぞやのリリィ像はとうに崩れ、今やもっと良いものを食わせろと主張する悪食《あくじき》で底無しの大飯喰らいだ。が、それは俺に対する態度なだけで、アルマの稼いだわずかばかりの賃金に関しては、一切手をつけていなかった。
なんだかやりきれない。本当に。色々と。
「どうかしたか?」
「どうしてこうなったのか神様に訊いてる最中だ」
「お前の運が呼び込んだのだ。諦めろ」
「人災の間違いだろ?」
「ミドリムシ並みの低能のくせに小難しい言葉を使う」
「お前はその鱗で野菜でもすりおろしてろ。竜の鱗で下ろせばあら不思議、野菜も一瞬でペースト状にって驚きの大発見だ」
睨み合いになった。が、俺のほうが折れた。カウンターに伏せて、ぼそりと呟く。
「金がねえ。こんだけ働いても貧乏ってのは、やりきれねえよ」
「だが調子は良いだろう?」
顔だけ動かすと、リリィは誇らしげに笑っていた。
「考える前に動くのだ。考えることが出来ないほどにな。やることがなければ精神だって腐る。そうすれば病む。病めば腐敗は加速するのだ。安心しろ。私が居座っている限り、ドラゴンキラーの評判を聞きつけて客は津波のように押し寄せて来る。看板も出したのだ。これからもっと忙しくなるぞ」
俺は力なく頷き、そして煙草を取り出した。
くわえたままでため息を一つ。
横からリリィが手を伸ばし、指先に小さな火をともした。
一口吸って煙を吐く。
「ま、それもありっちゃありか」
二口目の煙を輪っかにして天井に向けて吐き出すと、
「大した特技じゃないかココ」
とリリィが無邪気に笑った。
[#地から2字上げ](終)
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あとがき
はじめましてこんにちは。作者です。海原といいます。
あとがきなんて誰も読んでやしませんよう、という小さな反抗は即座に潰されました。
海「あのー、あとがきを書かないという選択肢はあるんでしょうか」
編「あぁ、駄目です」
見事な即答でした。実に見事でした。
よくよく事情をうかがってみると、どうやら本というのはページ数が十六(あるいは八)の倍数である必要があるとのことで、であれば、本文、イラスト、広告込み込みで十六の倍数に合わせれば、あとがきを書く必要が無いのではないか、と思い尋ねましたが。
編「そういう場合は力技でページ数を確保します」
という実にありがたいお返事をいただきました。あとがきからは逃げられないようです。あとがきの何がそこまで編集さんを惹きつけるのか、疑問は尽きません。
さて。
読了された方、楽しんでいただけましたでしょうか。
あとがきを立ち読みされている方、どうぞそのままレジの方へ。カズアキ氏の素晴らしいイラストを手元に置くチャンスです。けしからん格好のウェイトレスさんを眺めているだけで満足出来ること請け合いです。あと海原が編集さんに首を絞められずに済みます。
さてさて。
このお話は二〇〇六年の八月の終わりから九月の終わりにかけて書いたものです。C★ノベルズ大賞の募集締め切りは九月の三十日(当日消印有効)でしたが、ぎりぎりに出したような記憶があります。手直しもろくにしないままで。振り返ってみると、よく賞なんか頂けたもんだ、と呆れたくなりますが、運が良かったお陰です。ですがそこで運を使い切ってしまったようで、現在地獄におります。人災です。誰か助けて。
投稿を考えてらっしゃる方、なんだかんだ言いましたが、C★ノベルズ編集部は大変です。じゃなかった、大変に良くしてくださいます。新人をこんなに丁寧に扱って良いのか、ぐらいの扱いです。投稿されてはいかがでしょうか。馬車馬の気分が味わえます。
最後に謝辞を。
現在進行形でご迷惑をおかけしている担当編集、コードネーム番長殿、軍曹殿。鋭いご意見を頂いた編集長殿。素晴らしいイラストを提供してくださったカズアキ氏。校閲、DTP部署の皆様、印刷所、製本所の皆さん。
皆さんのお陰でココたちの物語が本になりました。心よりお礼申し上げます。
そして本書を手に取ってくださった皆さん。
よろしければ次でまたお会いしましょう。
[#地から2字上げ]海原育人
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156行
昼真っから
「昼間っから」?
20070911校正
校正に利用したのは、
ファイル [海原育人] ドラゴンキラーあります (rev2).zip 一般小説 ライトノベル 海原育人 @iW=3SxI9lX3ch68ai2rTXtkD-9p+86 50,950,413 8355d1fed770028e0b79544f15e5c45e14825a6ae0b7fe126ba825897cd92b2c
です。放流者に感謝。
テキスト版は、元々PDF版からテキスト抜いたやつと思われるので、基本的には間違いはないでしょう。
ルビの間違い修正(PDFからテキスト抜くとルビが本文に混ざりやすい)と、空白行が無視されているところに空行を入れた程度です。