先輩とぼく4
沖田雅
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)このたびはご助力|感謝《かんしゃ》します
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)存分に[#「存分に」に傍点]楽しませてもらっている
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底本データ
一頁17行 一行42文字 段組1段
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先輩とぼく4
夏といえば、浴衣に水着にスイカに花火に先輩とぼく。
楽しいはずの夏休みも、先輩が絡めば普通になる訳がない! 肝試しでは本物の幽霊さんをキャスティングしてるし、先輩の家で二人っきりの夜もなんでこんなことに!? 遊びに行った海では、なぜか無人島に漂流してしまいました……。
お馴染みの愉快な仲間たちも大暴走。花火大会には、さすらい中の番長さんがスペシャルゲストで登場! 多方面にいじられまくる、ぼくの運命は!?
ご要望にお応えして、指輪縁日イベントもご用意いたしました。「ぼくのなつやすみ」を一通りお楽しみください。
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沖田《おきた》 雅《まさし》
←モードですとか流行に乗って言ってみます。でもこの本が出る頃には、今更何言ってんだこいつって事になってそうです。ちなみに、これの原作見た事ないので見てみようかなー……なんて思いはしましたが忙しすぎて見れません。誰か助けてください。
【電撃文庫作品】
先輩とぼく
先輩とぼく2
先輩とぼく3
先輩とぼく4
イラスト:日柳《くさなぎ》こより
1983年6月8日、鹿児島県吉松町生まれ。市町村合併によって、故郷の名前が変更されます。出身地を書く時は昔の名前をそのまま使っちゃる。寿司と焼肉をたくさん食べたいです。
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交換日記
7月28日(水)
本日はじめ君ファンクラブの定例会議が開かれた。集まったのは私、川村君、美香、オーラ君、そして、はじめ君ファンクラブの面々。
だが、本日の会議は混迷を極めた。
始まりは、会議の議題。
次、はじめ君にどのような格好をさせるか。
ある男が言った。
「時代は、メイド! メイド服以外に何があろうか! かわいく、柔順、生活のお世話までしてくれる! そしてもしもの時には命をとしてご主人様の身を……くぅ、メイドサイコー!!」
またある男が言った。
「獣少女に決まっている! ふわふわの耳、ふさふさのしっぽ、そしてぷにぷにの肉球! 美少女の愛らしさと動物のかわいらしさを兼ね備えたあり得ない存在。ねっ猫耳ぃぃぃぃ――――」
はじめ君ファンクラブの鉄壁を誇っていた絆に亀裂が入った瞬間だった。
二つに分かれ討論を繰り返す両者、それはいつしかファンクラブまでも二分していった。
だが、さらに状況は悪化する。第三勢力が現れたのだ。
「貴様らはわかっていない! セーラー服に決まっているではないか!
セーラー服を着るにはタイムリミットが存在する。中学一年から高校三年までの六年間、たったそれだけしかセーラー服を着ることのできる期間が存在しないのだ! 今着せなくてどうする!」
まさに三つ巴、はじめ君ファンクラブが空中分解しかけたその時、誰かが言った。バラバラではなく組み合わせればより素晴らしいものになるのでは?
その起死回生のアイデアが皆の心を再び一つにした。
ののしり合うのをやめ、建設的な意見の交換が始まった。
「猫耳メイドはいいのでは?」
「いや、猫耳セーラー服も捨て難い」
「どうにかして、メイド服とセーラー服を両立するすべはないか?」
「メイド服から、ふりふりエプロンを取り出し、セーラー服の上に着せるのはどうだ?」
「セーラー服エプロンかそれは素晴らしい!」
男達は時には対立し、殴りあいながらも、協力して困難を克服していった。
そして激論を交わすこと八時間、ようやく完成したのは究極の組み合わせ。
「猫耳セーラー服エプロン」
神妙な顔で会長(川村君、ちなみに私は名誉会長)に提案する男達。会長はうなずいた。
「よろしい」
男達は肩をたたき、抱き合いながら喜んだ。
「やった! 俺達はやったんだ!!」
夕日が男達を照らしていた。
プロジェクトH(はじめ君ファンクラブ)
究極の萌える組み合わせを探せ  不可能に挑んだ男たち。
[#地付き]完
…………という訳で着てくれないかね?
7月29日(木)
嫌です!!
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交換日記
8月8日(日)
今日、美香が勉強を教わりにきた。
美香は、そこそこの所の国立大学を目指しているのだが、下に二人いるのでできるだけ親に金銭的な負担をかけないようにと、塾などに行っていないのだ。素晴らしいお姉ちゃんっぷりだな。まあ、そういうわけで、たまに私が勉強を教えているのだ。
それで今回は、私の家で教える事になったのだが……たまたま家族が全員外出していたので、広い家に二人きり。
若い男女が一つ屋根の下二人きり。これで間違いが起こらないわけはない!!
というわけで間違ってみた。
具体的には、美香が持ってきていた、様々な衣装(半ズボンや半ズボンや半ズボン)に袖を通してファッションショーのまねごとを。やはりはじめ君の身体は半ズボンが似合うな……これはほめ言葉だぞ?
最後には、勉強の疲れを癒すため、一緒に入浴したりもした。相変わらず美香は良い身体をしていたよ。単純なスタイルの数値で言えば今のはじめ君のほうが良いのだろうが、美香の身体は妙に艶めかしいのだ。美香のまとった雰囲気や細かな動作などがそう感じさせるのだと思うが。
ああ、安心してくれたまえ。昔、何度か一緒に入浴した事があるので問題はない。
一線も越えていないしな。
今日の出来事はこんな感じかな。それなりに愉快な一日だったよ。
8月9日(月)
間違ってみたって間違えすぎですよ!! 何で、そんなことするんですか!!
それに一緒にお風呂って問題ありすぎですよ!! ぼくが恥ずかしいじゃないですか! ぼくが恥ずかしいじゃないですかあっ!!
ああー今度から美香さんの顔がまともに見れませんよ〜どうしてくれるんですか。もうほんとに先輩は………………
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交換日記
8月16日(月)
今日、今度行く海のために水着を買いに行きました。女性用水着はよくわからないので、嵐ちゃんとお姉ちゃんについてきてもらいました。水着売り場はまだなんか恥ずかしいですし。んで、ついてきてくれたのはいいんですが。……完全に人選誤った気がします。
二人とも、次から次へと水着を持ってきては試着しろと言うんですが、個人的な趣味で選んでいるらしく恥ずかしいのばっか。露出度高すぎなんですよ。
他にも更衣室の中に侵入しようとするし、人の水着姿を写メールしようとするし、邪魔ばっか。
……まったくもう。
というわけでおとなしいのを自分で選びました。ついてきてもらった意味全くなしですよ。
そういえば、嵐ちゃんも水着買ってたみたいなんですが、どんなのを買ったのか見せてくれませんでした。へんな水着買ってないといいけど。
それで水着を買ったあと、三人でぶらぶらとウィンドウショッピングなんかしました。お姉ちゃんと嵐ちゃんは楽しそうで元気一杯でしたが、ぼくはとても疲れました。女の人はなんでこんなにも買い物が好きなんでしょうか? そういうことは身体が女になってもわかりません。
その買い物の最中に、何度かナンパされました。でも、お姉ちゃんが全部撃退。ぼくは、お姉ちゃんがいるときに来るなんてすごく運の悪い人達だなぁとか思いながら、走り去るナンパの人達を見てました。
そのあと、喫茶店でお茶して家に帰りました。ケーキがとてもおいしい店でした。
なんかものすごく体力を消耗したけど、この三人で出かけるなんてほんと久しぶりだったので、なかなか楽しい一日だったです。おわり。
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目次
8月31日と私……11
夏休みになくてはならないイベントと私……15
先輩の家とぼく……85
花火大会と私……133
青い海とぼく……189
無人島とぼく……222
無人島と私……253
9月1日と私……270
おまけ、川村レポート……272
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8月31日と私
私は目の前に置かれた日記帳に手を伸ばした。ここは私の部屋、壁《かべ》の一面を覆《おお》う本棚、その本棚に入りきらず堆《うずたか》く積《つ》まれた書籍《しょせき》、机とその上に置かれたデスクトップPCなどなどが雑然としているようで、その実、機能的《きのうてき》に配置されている。……決して散らかっている訳《わけ》ではないのだ。それはともかく、この部屋は私にとって、居心地《いごこち》の良い空間の一つだ。
私は手に取った日記帳を眺めつつ椅子《いす》に深く寄りかかる。この部屋にいる私はほとんどの時間を椅子の上で過ごすので、椅子の購入《こうにゅう》に当たり吟味に吟味を重《かさ》ねた。いくつかの候補の中から最終的に選《えら》ばれたのが、今私の座っている椅子。なかなかに良い買い物をしたものだと思う。
その椅子の背もたれが私の身体《からだ》を柔らかく受け止める。これ以上ない程《ほど》安らいだ状態《じょうたい》だ。これ程の安らぎを覚えるのは、他《ほか》にははじめ君と二人でお茶を飲んでいる時ぐらいか。私が何かを読む時はいつもこの状態だ。こういうリラックスした状態でこそ文章が頭に入ってくるというものだ。む、今一つ良い事を思いついた。椅子とはじめ君を融合《ゆうごう》させればさらに素晴《すば》らしき安らぎ空間が形成できるのではないか? 具体的にはこの椅子にはじめ君が座り、はじめ君の膝《ひざ》の上に私が座ると……………………話がそれた。まあ、これはとても良い考えだと思うので、はじめ君にお願《ねが》いしよう。
今、私が優先《ゆうせん》させるべきは、手の中にある日記帳に目を通す事だ。夏休みの最後に夏休みの思い出に浸る。締《し》めくくりとしては、これ以上のものはないだろう。
そう、本日でとうとう高校生活最後の夏休みが終わってしまった。実に名残《なごり》惜《お》しい、祭りの終わったあとのようだ。だが、最後にふさわしく、とても愉快《ゆかい》な日々だった。
そのすべてが私の目の前に置かれた日記帳に書き込まれている。
詳しく言うと、これは交換日記帳。これには私とはじめ君の夏休みの日々が綴《つづ》られている。
この交換日記、大成功だった。はじめ君の考えがよくわかって実に興味深《きょうみぶか》かった。日記という形だからこそ書ける事もあるしな。
自分のためだけに書く日記も良いが、反応が返ってくる日記も良いな。
では、読もうか。
私は日記帳の1ページ目を開いた。
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交換日記
7月20日(火)
今日《きょう》、先輩《せんぱい》がいきなり「交換日記をしようと思うのだ」……とか言いだした。いつも通り、ぼくになんの相談《そうだん》もなく。
まったく、先輩は唐突《とうとつ》すぎますよ、いつもいつもいつもいつもいつもいつもいつも……紙がもったいないのでこの辺でやめておきます。
といっても、今これを書いている時点で丸め込まれたぼくがいる訳《わけ》なんですが。
もう、日記をつけるなんて小学校以来ですよ。
えーと、それで今日の出来事ですが、まず終業式がありました。校長先生の無駄《むだ》に熱《あつ》くて長い言葉はどうにかならないんでしょうか? 体育館の中でさえあの暑さだから、校庭でやってたら倒れる人続出だったと思います。
そのあと、先輩と一緒《いっしょ》に帰りました。嵐《らん》ちゃんは、桜《さくら》さん家《ち》に遊びに行ったので、先輩と別れてからは一人でした。電車で席を譲《ゆず》ったおばあちゃんと世間話をしました。
そのあと帰り道にある公園で、近所の子とサッカーして遊びました。3対2で人数が合わないからと、人数合わせに誘《さそ》われたんです。昔を思いだす感じで楽しかったです。
身体《からだ》を思いきり動かしたんで、晩ごはんがとてもおいしかったです。
そのあと、テレビを家族と一緒《いっしょ》に見ました。
それで寝る前にこれを書いているんですが、一日の最後にその日の出来事をふりかえるってなかなかいいなぁと思いました。先輩《せんぱい》が日記をつけてる理由が少しわかった気がします。
あしたからは夏休み、う〜ん、とても楽しみです。先輩、いろいろ遊びに行きましょう。おわり。
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夏休みにはなくてはならないイベントと私
「やあ、首尾《しゅび》はどうだね?」
私は虚空《こくう》に向かって話しかけていた道本《みちもと》君に声をかけた。ここは某《ぼう》山の中、場所は秘密だ。道は人が通れる程《ほど》には整えられているが、完全にではない。少し歩きやすい獣道《けものみち》といった感じか。
生《お》い茂る木々が太陽の光を遮《さえぎ》り、昼間だというのに辺《あた》りは薄暗《うすぐら》い。そのおかげで夏真っ盛りにもかかわらず、涼しくて居心地《いごこち》が良い。……それだけが涼しさの理由ではないと思うがな。
「ああ、つばさかい。問題ないよ、この辺りにいる人にはだいたい話をつけた。気の良い人達ばかりで良かったよ」
道本君が視線《しせん》を宙に固定したまま返事を返す。
「そうか、ありがとう」
これで準備は整ったか。
「そうだ、一応私も挨拶《あいさつ》しておきたいな」
「そうかい? じゃ、ここら辺で一番の古株、坂本《さかもと》さんだ」
道本《みちもと》君が坂本さんがいる方を指し示す。その方向を見て私は腕を差しだした。
「初めまして、平賀《ひらが》つばさです。このたびはご助力|感謝《かんしゃ》します」
少しの間をおいたあと、手のひらが、ひんやりとしてきた気がする。
「こちらこそ、こんな面白《おもしろ》そうな事に関《かか》われて感謝してます……だそうだ」
道本君が坂本さんの言葉を通訳してくれる。
「さて、あとは夜を待つだけか」
実に楽しみだ。さあ、はじめ君の家に行こうか、今から行けばちょうど夕方|頃《ごろ》には戻ってこれるだろう。
「では頼むよ」
私がきびすを返そうとしたその時、道本君の声がかかった。
「ああ、つばさ。そういえば一つ気になる事があるんだ」
「何だね? 何か問題になりそうなのかね?」
今のところ、特に問題はなさそうなのだが。計画が壊《こわ》れない程度の問題であってほしいものだ。
「んー問題って事でもないんだけどねー。この辺《あた》りを子猫ちゃんの霊《れい》がうろついているんだよ」
「子猫ちゃん?」
道本君がそう言うと、かわいい女の子を想像するな。いや、本当に女の子かもしれない。というよりそうであってほしいな。私は期待を込め、疑問を口にする。
「その子猫ちゃんというのは、人間かね」
「いや、本物の子猫だよ」
本物か。むう、猫と少女の中間を取って猫耳少女ぐらいにならないだろうか。
「で、なぜ子猫がうろついているのだね?」
「さあ? この辺歩いていたら、何度か見かけてね。でも興味深《きょうみぶか》げにこっちを見ているだけで近寄ってこない。坂本さんによると、新参者だそうだよ」
新参者か。
「彷徨《さまよ》っている理由は坂本さんも知らないらしいよ。流石《さすが》のボクも猫とは話せないしね」
「ふむ……危険なのかね?」
危険なら計画を大幅に修正しなくてはならない。
「今のところは大丈夫だと思うよ。霊になりたてみたいだし。死んだ事に気づいてないんだろうねー、無邪気な物だよ。ただこのままだとどうなるか……。早めに成仏《じょうぶつ》させた方が良いと思うよ、動物霊は質《たち》の悪い事になる場合があるからねー。
それに、危険とかいうのを抜きにしても、どうにかしてあげたかったりするんだけどねー、子猫が成仏できずに彷徨っているというのは美しくない」
うむ、確《たし》かに美しくないな。
「だが、今のところは打つ手なしか」
「そうだね。わかるのはこの辺《あた》りをうろうろしているみたいって事だけで、どこに出るかわからないからね」
出会えなければ、どうしようもないか。場所に縛《しば》られている訳《わけ》でもなさそうだしな。
「…………まあ、この件は保留という事にするしかないか」
「そうだねー。ただ、ボクはハニーに期待しているんだけど。色々と妙な物に好かれる体質だしね」
その妙な物という物の中には自分や私も加えているのだろうか。…………否定はしないが。
「……それでは、一応もしもの事を考えて準備しておく事にするか」
「やあ、はじめ君こんばんは。その服、よく似合っているよ」
山城《やましろ》家から出てきたはじめ君を見て私は言った。
はじめ君は頼《ほお》を赤らめながら居心地《いごこち》が悪そうにしている。
「先輩《せんぱい》と出掛けるって言ったら、お姉《ねえ》ちゃんとお母さんが張りきっちゃって」
うむ、目に浮かぶようだ。……今も玄関を少し開けてこちらの様子《ようす》をうかがっているお義母《かあ》さんとお義姉《ねえ》さんの姿が見えるしな。
私は、その二人に軽く会釈《えしゃく》をする。
「……ふむぅ、全体的にかわいらしくて食べてしまいたいぐらいだ」
シックなワンピースがよく似合っているはじめ君。このまま、どこぞの高級レストランに普通に入れそうだ。中でも目を引くのは唇《くちびる》に塗《ぬ》ったリップ。薄《うす》い化粧がはじめ君の魅力《みりょく》を存分に引きだしている。
「食べないでくださいよ」
それはできない相談《そうだん》だ……と返したいところだが、今日《きょう》はそれを目的としていないので、おいしくいただくのはまた今度だな。
私は、そんな事を考えているとは微塵《みじん》も表情に出さずにはじめ君に言う。
「だが、そのお守りのペンダントは…………服装に合っていないかもしれないな」
「……そうですか?」
はじめ君が自分の姿を見下ろす。いや、似合ってない事もないのだが、今はそう言い張る必要がある。
「…………だが、問題ない。ほら君へのプレゼントだ、このネックレスなら合うだろう」
私は取りだしたネックレスをはじめ君に見せる。
「えっ! そんな高そうな物もらえませんよ」
「気にしないで良い。そこまで高価な物ではないからな」
「でも、なんでいきなり……」
「愛する君にプレゼントを贈《おく》るのに理由がいるかね? もし理由が必要なら、日頃《ひごろ》君に存分に[#「存分に」に傍点]楽しませてもらっているお礼という事にしてくれたまえ」
「………………したくないので、理由はなくても良いことにします」
「では、そのお守りを外して」
「はい」
私はそのお守りを受け取ると、代わりに私が持ってきたネックレスをはじめ君の首へかける。…………身長差があるので、かけづらいな。はじめ君が傷つきそうなので口には出さないが。
「うむ、とても似合っている」
「そうですか?」
「もちろんだとも。では行こうか」
「はい! ……で、どこに行くんです?」
「私の行きつけの良いところだよ」
…………そう、とても良いところだ。
「あの……どこに向かってるんです?」
空を覆《おお》い隠《かく》すように生《お》い茂る木々に気圧《けお》されたのか、おどおどと周囲を見回しているはじめ君。まだ時間的には、夕暮れのはずなのだが、木々が日を遮《さえぎ》り灯《あか》りがないと足下《あしもと》も見えない。
私は地面を照らしていた懐中電灯《かいちゅうでんとう》をはじめ君に向けた。暗闇《くらやみ》に浮かぶはじめ君の不安げな顔。私ははじめ君の不安を解消するため笑顔《えがお》で言った。
「私の行きつけの良い場所だよ」
その言葉を聞いたはじめ君が、何かに気がついた。嫌《いや》な予感をひしひしと感じているのだろう。はじめ君は、微妙に引きつった笑顔で質問を変えた。
「…………行きつけのどこ[#「どこ」に傍点]に向かってるんですか?」
「もちろん……」
私はもったいぶって答える。
「私の行きつけの墓場だ。やはり夏といえば肝試《きもだめ》しだろう」
この言葉を聞いたはじめ君は言葉も出ないらしく口をぱくぱくしている。うむ、いつも通りの良いリアクションだ。予定通りはじめ君に本当の事は伝わっていなかったらしい。まぁ、気づかれないように動いていたのだから当たり前なのだが。私の行きつけの良いところに連れて行ってあげようとだけ伝えていたので、よけいにショックなのだろう。
一応私は、何一つ嘘《うそ》を言っていないのだがな。
はじめ君が頭の中でぐるぐると色々考えているのがわかる。
「いっ行きつけの墓場ってなんっ! ………………」
我に返ったはじめ君、突っ込みを入れようとしたが途中《とちゅう》で止《や》めた。そして、近くの木の幹に手をつき自分を落ち着かせている。
「すーはーすーはー…………そっそうですよね。夏はやっぱり肝試しですよね〜」
おおっ、こらえた。必死で平静を装おうとしているはじめ君。なかなか強くなったものだ。
「おお、はじめ君もわかってくれるかね。そう、夏は肝試しをしなければ始まらないといっても過言ではないだろう」
言いきる私の耳にはじめ君のつぶやきが聞こえる。
「ぜったい過言です」
「何か言ったかね?」
「いえ、なんでもないです。……………………この服どうするんですか」
「……はじめ君?」
「なんでもないです」
「到着だ。ふむ、皆はもう到着しているようだな」
「……みんなつき合い良いですね」
集合していた顔ぶれを見て、はじめ君が呆《あき》れたような顔をした。
「これでこそ我が部員だな。しかも、それぞれ様々《さまざま》な思惑《おもわく》を抱いているのが良い」
「ここにいるみんなで肝試《きもだめ》しするんですか?」
「道本《みちもと》君は野暮用《やぼよう》があって今ここにはいないが……」
そこで何かに気づいたらしいはじめ君。
「……もう一回聞きますけど……肝試しに参加するのはここにいる人だけですよね」
「うむ、ここにいる者達で全員だ」
私は周囲を見回す。仲むつまじく寄り添《そ》った真太郎《しんたろう》君と桜《さくら》君のカップル。虫除《むしよ》けスプレーを大騒《おおさわ》ぎしながら掛け合っている嵐《らん》君と双子。それをにこやかに見ている美香《みか》に、それを撮《と》りまくっているオーラ君と川村《かわむら》君。相変わらず、いきなり呼びだされ(いや呼びだしたのは私だが)不機嫌《ふきげん》な典弘《のりひろ》君。道本君以外は皆いる。
それを聞いたはじめ君は再び考え込んだ。何か嫌《いや》な結論に行き着いたのか、その考えを振り払うように頭を振る。だが、完全に振り払えなかったのか、はじめ君は不安そうに質問をしてきた。
「…………一つ聞いていいですか?」
「何だね」
「……………きっ肝試しって脅《おど》かす人がいるんですか?」
「いないよ。道本君以外はここにいるだろう?」
「ほっ…………じゃあ、ただ怖いところを歩くだけなんですか」
台詞《せりふ》だけ聞けば安心した感じなのだが、顔は不安に染《そ》まったまま。薄々《うすうす》そうではない事に気がついているのだろう。自分で言うのも何だが、私が関《かか》わって普通に物事が進む事はあり得ないからな。にもかかわらず、気づかないふりをしようとするはじめ君が素晴《すば》らしい。気づいたら、本当になってしまうとか、少しでも真実を知るのを遅らせようなどと考えているのだろうがね。実に私好みの反応だ。
だが、そんな時間ももう終わり。とうとう真実を告《つ》げる時がきた。ある意味私の一番好きな時間。
「ふっ、心配しなくても良い、その事はちゃんと考えてある。この私が[#「この私が」に傍点]そんな、普通の肝試し程度で満足する訳《わけ》ないだろう?」
「心配なんかしてないです! 安心したんです! だからなにも仕込まなくていいんです!」
「…………心配しなくても良い、ちゃんと仕込みは入れてある」
「だからなにも仕込まなくていいって言ってるじゃないですか! お願《ねが》いですから話聞いてくださいよっ!!」
お願いです! と私のそでを引っ張るはじめ君。ああ……いいな。このはじめ君を見てると意地悪がしたくなる。ぞくぞくと脳髄《のうずい》に快感が走るのだ。我ながら良い性格をしているなと呆《あき》れるが、直そうとする気もさらさらない。
「それでだ。ただ墓場を歩くだけなら楽しくない。誰《だれ》かに脅《おど》かし役を頼むにしても人手《ひとで》が足りない」
「いいえ! 十分怖くて楽しいと思います!!」
挙手して発言するはじめ君。
「だが私はすべてを一挙に解決する、素晴《すば》らしい妙案を思いついた。あまりの素晴らしさに自分の頭脳が恐ろしくなった程《ほど》だ」
天を仰《あお》ぎ見る私。対照的にはじめ君はがっくりと肩を落としている。
「だから無視しないで……」
「で、その妙案の中身だが…………道本《みちもと》君に頼んで、この辺の浮遊霊《ふゆうれい》の皆さんに協力してもらうという案だ。どうだ、素晴らしいだろう?」
そう、道本君がいないのはそのような理由からだ。
「きっきききっきききっききっ」
私の案の素晴らしさに奇声を発する程感動したらしいはじめ君。
「そこまで感激《かんげき》してもらえると、私も考えたかいがあったというものだ。ありがとう」
「きっ肝試《きもだめ》しは本物の幽霊《ゆうれい》でするものじゃありませんっ!!」
はじめ君、渾身《こんしん》の突っ込みが森に響《ひび》き渡る。
「そうは言っても、これ程肝を試される事もないだろう?」
「肝以外の物も絶対試されてますよ! 取《と》り憑《つ》かれたり祟《たた》られたりしたらどうするんですかっ!!」
「大丈夫だよ。道本君によると、浮遊霊の皆さんは気のいい人ばかりらしいからな……一部を除いて」
「一部を除いてって、除かないでくださいよ! 無責任すぎますよ!! そもそも肝試しは、危険じゃないけど危険な感じがする場所でただ怖がるだけのものであって、実際に危険があるのは肝試しじゃないですよっ!!」
「いや、やはりやるからにはとことんまでやるというのが私の主義だ」
「やりすぎです! ほら、みんなもなんか言って……」
はじめ君が、この場にいる他《ほか》の者に助けを求める。
「ふっ、危険が多ければ多いほどお姉《ねえ》さまに抱きつくチャンスが増えるってものよっ! いいえ、行けるなら行けるところまで……ぐふふふ」
「嵐《らん》ちゃん! どこ行くつもりっ!?」
妄想《もうそう》の世界へ旅立っている嵐君。うむ、肝試しとは、ラブコメディに必須《ひっす》のイベントなのだ。強気な彼女が見せる弱さ、弱気な彼が見せる男らしさ、いつもとは違う一面に心|揺《ゆ》れる二人…………実に良い。
「それは本格的ですねぇ」
「美香《みか》さん! なに言ってるんですか! 幽霊《ゆうれい》ですよ? 本物の幽霊ですよ?」
「……幽霊に良い男がいたら、もったいないですわねぇ」
「美香さんまでなに言ってるんですかっ!!」
先程《さきほど》にも増して肩を落とすはじめ君、……だが、すぐに復活した。
「……ああっ! 最後の砦《とりで》が残ってた! 桜《さくら》さん! 先輩《せんぱい》になんとか言ってください!」
桜君はいつも通りの無表情で冷静に言う。
「……そうですね……わたしが怖がって真太郎《しんたろう》様に抱きつくのに適した場所で脅《おど》かしていただけさえすれば何の問題もないです。連絡が取れるのでしたら道本《みちもと》さんに、そう伝えていただきたいのですが? 占いで、攻《せ》めるが吉と出ていたので今日は積極的《せっきょくてき》に行こうと思っているのです」
「……桜さ〜ん」
いや、流石《さすが》だな。ここまで表情と言葉の温度差が激《はげ》しい人もそうそういないだろう。相変わらず桜君は全くの無表情だ。言葉の内容的には嵐《らん》君と変わらないのだがな。独特の雰囲気、色の白さに整った顔立ち。このまま夜道に立っているだけでこの世の者には見えなくなりそうだ。
「楽しみですね、真太郎様っ」
……などと思っていたらこの台詞《せりふ》でいきなり生気にあふれる桜君。花が開くような笑顔《えがお》。う〜む、真太郎君に対する時の態度《たいど》と普段《ふだん》の態度の落差がたまらなく面白《おもしろ》い。人によって態度を変える人間はいるが、ここまでされると、もう感嘆の念しか浮かばないな。
「で、何の占いでそう出ていたのだね?」
「……新聞の占《うらな》い欄《らん》です」
…………自分好みの結果なら何でも良いようだな。占いとは、元来そのようなものだとは思うが。…………人は変わる者だ。
「あ〜も〜なんでみんなはそんなにやる気満々なんですか……文句ある人言いましょう!」
やる気満々の桜君を仲間に引き入れるのをあきらめ、他《ほか》に仲間を捜《さが》そうとするはじめ君。
「道本|先輩《せんぱい》の見立てだ、さぞかし美少女な幽霊がいる事だろう! それを激写《げきしゃ》せずにおめおめと帰れるかっ!!」
「オー、ジャパニーズゴーストー」
はじめ君の視線《しせん》がこの二人を素通りし……ふてくされて木に背を預けている典弘《のりひろ》君にたどりつく。
「のりちゃんがいた! さあ、先輩になにか言って……」
「言わん。……何を言っても変わらないからな……」
典弘君のあきらめた感じも好きだな。とてもいじめがいがある。もちろんはじめ君には及ばないが。
地面につきそうな程《ほど》に肩を落とすはじめ君。相変わらず落胆したはじめ君は良い。
そんなはじめ君の肩を叩《たた》きながら嵐《らん》君が励ましの言葉を述べる。
「まぁまぁお姉《ねえ》さま、元気出して。それに悪いことばかりでもないわ。肝試《きもだめ》しは夏休みイベントとしてはずせないでしょ?」
ゆっくりと視線を嵐君に向けるはじめ君。
「普通の肝試しなら問題ないんだけどね……」
「という訳《わけ》で、このくじでペアを決めるわよ!」
嵐《らん》君が掲げたのは、くじらしき紙の束。
いやいや、どうしようもなく仕込んでいるのだろうな。間違いなくはじめ君と嵐君が組むようになっているのだろう。流石《さすが》は嵐君。だが、そうは問屋が卸《おろ》さない。いや、私が卸さない。
「残念ながら。ペアはもう既《すで》に決まっているよ」
「なんで!?」
その方が愉快《ゆかい》だから。
「それでだ。一つめのペアは桜《さくら》君と真太郎《しんたろう》君……いいかね?」
このペアは、まあ当然だろう。桜君の足の事もあるしな。
真太郎君と組めば無理をする事はないだろうし、いざとなったら抱きかかえてもらえるしな。
「……はい、……問題ないです。ねっ真太郎様っ!!」
「ああ」
うむ、やる気があるようで実に結構。どこまでも突っ走ってくれ。
「二つめのペアは美香《みか》と典弘《のりひろ》君」
「はい、わかりましたわ」
「……………………わかった」
「よろしくお願《ねが》いしますね」
「……ああ」
典弘君のあきらめた表情の中に微《かす》かに見えるのは照れだろうか。以前、桜君の家で行った歓迎会の時も思ったが、美香のように女らしい女性に耐性がないのだろうな。このどぎまぎした感じが初々《ういうい》しくて良い。実にからかいがいがある。
「三つめのペアはオーラ君と川村《かわむら》君」
「了解です」
「リョーかいデス〜」
「オーラよ、目標は二つ! 怖がるはじめと美少女|幽霊《ゆうれい》の写真!」
「リョーかいデス〜」
これも順当だろう。
「次は奇数になるが、嵐《らん》君、美穂《みほ》君、美菜《みな》君の三人…………」
「なっなんでアタシがお姉《ねえ》さまと組めないのよ! ペア替えを要求するわ!!」
予想通りの反応を返す嵐君。だが……
「……らんちゃ〜ん」
「……らんちゃ〜ん」
嵐君の両そでを引っぱる小谷《こたに》家の双子。二人とも目を潤《うる》ませて嵐君を見上げる。たじろぐ嵐君。…………あれは強烈だな。流石《さすが》の嵐君もあのうるうるには勝てないだろう。ふむ、あのうるうるは私にも使えるかもしれないな、今度はじめ君で試してみよう。
「…………うう、わかったわよ。つばさ! お姉さまに変なことしたら承知しないんだからぁ!!」
うるうるに負けた嵐君。これも予想通りだ。
「それで最後のペアは私とはじめ君」
「……わかりました」
「そこはもっと、喜ぶべきところだと思うが?」
「ワーイ、ウレシイナァ」
「棒読みで心がこもってないが良しとしよう。それでは、OMR恒例《こうれい》第一回|肝試《きもだめ》し大会を行う事にする」
ぱちぱちぱちぱち
私の合図で巻き起こる盛大な拍手。投げやりな拍手も混じっているが、気にしない。
「……恒例なのに第一回って」
というはじめ君の突っ込みも聞こえるが、気にしない。
「では、この地図を見てくれ」
私は各ペアに地図を配る。わざわざ汚して破いて、古びた雰囲気を出してある。
「コースはその地図に書いてある通り。山道を通り、墓場を横切り、一番奥のほこらに置いてある、はじめ君の恥《は》ずかしい写真を取って戻る……」
「なんて物を取ってこさせようとしてるんですかっ!!」
「灯《あか》りは、各チームに懐中電灯《かいちゅうでんとう》を一本ずつ。一本道なので迷う事もないと思うが、もし迷った場合は大声で叫び給《たま》え。オーラ君がきてくれるだろう」
「いや無視しないでくださいよ! どんな写真を置いてきたんですか!」
「それは見てのお楽しみだな」
「……先輩《せんぱい》」
イベント開始前に、やる気を完全に喪失《そうしつ》してしまったはじめ君。だが、何かに気づいたらしく叫んだ。
「ああっ!」
愕然《がくぜん》としているはじめ君に私は聞いた。
「何だね、はじめ君」
「このために……お守りを……ネックレスまで使って」
わなわなと震《ふる》えているはじめ君。素晴《すば》らしい反応だ。ああ、またゾクゾクしてきた。
「うむ、君のあのお守りは、霊体《れいたい》が不用意に抜ける事と、霊に取《と》り憑《つ》かれる事を阻止している訳《わけ》だ。だが…………それだと恐怖が半減して肝試《きもだめ》しを心から楽しめないだろう?」
「なんでこんな手の込んだことばっかりするんですか! 返してくださいよっ!! 取り憑かれたらどうするんですかっ!?」
「はっはっはっその時はその時だ」
「せーんーぱーいーっ!!」
はじめ君の叫びが森に吸い込まれていく。
…………ゾクゾクっ。
「さあ出発だ」
出発する順番は、私はじめ君組、嵐《らん》君双子組、川村《かわむら》君オーラ君組、真太郎《しんたろう》君|桜《さくら》君組、美香《みか》典弘《のりひろ》君組に決まった。
「……はい」
私にお守りを奪われたはじめ君が消え入りそうな声で応《こた》えた。
「では行ってくる」
私は皆に挨拶《あいさつ》すると、墓場へと続く山道へと足を踏み入れた。後ろから嵐君の声が聞こえる。
「お姉さまに変なことすんじゃないわよ、つばさっ!!」
「前向きに善処しよう」
墓場までの道は多少|舖装《ほそう》されているが、地面がむきだしなところが多いので木の根などに気を付けないと危ない。
私が照らす足下《あしもと》を見ながら、おっかなびっくり私についてくるはじめ君。その右手は私の袖《そで》をつかんで離《はな》さない。……お守りを没収して正解だったな。これぞ肝試しの醍醐味《だいごみ》というものだろう。
「それではじめ君、何か感じるかね」
しばらく歩いたところで私は聞いた。
「ひやっとしていやな感じですー。なんかいますー、この辺絶対なんかいますー、帰りましょうよー」
「私には霊感《れいかん》がないので全くわからないが……見て確認《かくにん》してくれないかね?」
私ははじめ君にお願《ねが》いをした。はじめ君は、幽体離脱《ゆうたいりだつ》をした時には幽霊を見る事ができるというなかなか愉快《ゆかい》な能力を持っているので、私のお願いに応《こた》えるなどお茶の子さいさい……
「いやです! 絶対いやです!!」
……のはずなのだが断られた。予想していた通りだが。
「そうかね、残念だ。では、先に進もう」
「だから戻りましょうよ〜〜〜」
「却下だ」
真っ暗な山道を私とはじめ君は歩く。聞こえるのは、虫の鳴き声と風鳴り。そして木々のざわめきのみ。
「うーううーいやだーかーえーりーたーいー」
訂正、はじめ君のうめき声も聞こえる。声を出していれば少しは恐怖心が紛《まぎ》れるのだろう。
私がそんなはじめ君の様子《ようす》を観察《かんさつ》していると、気がつけば墓場が見えていた。
「墓場が見えた。もう少しで折り返し地点だな」
「やっとですか…………ひっ」
そこまで言ったところで、はじめ君が悲鳴を上げ抱きついてきた。
「なんだね、いきなり。とても気持ちいいぞ?」
はじめ君に抱きしめられたまま、私は言う。ふむ、私の身体《からだ》も中々の物だな。
「いいいいいま、にゃーって聞こえました、にゃーって!!」
「…………にゃー?」
「そうです、にゃーです…………あっ、ああっじゃれてるじゃれてる。なんか足下《あしもと》でじゃれてきてます!」
「私には見えないが…………」
懐中電灯《かいちゅうでんとう》ではじめ君の足下を照らす。だが、照らしだされたのは地面だけだ。
「でもなんかいるんですよ〜〜」
どうやら、道本《みちもと》君が言っていた子猫の霊が寄ってきているのか。……いつも思うが、私も霊感が欲しかった。道本君が言うには、私は修行《しゅぎょう》などをしてもどうにもならない程《ほど》、霊感ゼロの人間らしい。残念だ。実に残念だ。
「それで、じゃれてきている霊は今どこにいるのだね?」
大騒《おおさわ》ぎしているはじめ君に私は聞いた。
「えっえっとですね、…………ひゃっ、入った! なんか入りましたっ!」
はじめ君がびくっと震《ふる》えた。
「あっあ〜〜先輩《せんぱい》先輩、なにか入ってきました! あっあっあっ……だから言ったんですよっ! ああっこそばゆい、なんか変な感じ!! 小夜《さよ》ちゃんの時みたい。ああ〜」
くねくねと身をよじらせるはじめ君。小夜《さよ》君の時と同じという事は完全に霊《れい》に取《と》り憑《つ》かれた訳《わけ》か。だが、そんな事は問題ではない、今重要なのは……
「…………こんな時に何だが、はじめ君。今の君はとても色っぽいな」
「そんな馬鹿《ばか》なこと言ってないで、なんとかしてくださいよ!」
女の時の私など足下《あしもと》にも及ばないこの色っぽさ。いや、以前の私と比べても意味はないかもしれないが。……これはどうした事だ? 今までにも色っぽいはじめ君を見てきたが、今のはじめ君はレベルが違うぞ。
「私にはどうしようもないな、道本《みちもと》君を呼ぼう」
私は携帯電話を取りだし……
「電波が届いてないな」
「あっどっどうするんですか〜〜あっあっ〜〜!」
相変わらず、色っぽく悶《もだ》えているはじめ君。電波が届いていない事など既《すで》に確認している、わざわざ確認《かくにん》して見せたのははじめ君の面白《おもしろ》リアクションを引きだすためだ。
「あっああっうひゃっ」
……素敵《すてき》だ。
「あっあっあっうんっ……ああー…………………………………………………にゃーん」
しばらく身悶えていたはじめ君だが、その鳴き声と共にいきなり四《よ》つん這《ば》いになった。
はじめ君が周囲をきょろきょろと見ている。右手で顔を洗い、その右手をなめる。私はそんなはじめ君に話しかけた。
「……にゃーん」
さて始めるか。
足下には私にじゃれつくはじめ君……いや、猫化したはじめ君。はじめ猫とでも呼ぼうか。にゃんにゃん言っているうちに、私はどうやらはじめ猫に気に入られたらしい。猫語を覚えた記憶《きおく》はないのだがね。これははじめ君に取り憑いた事が関係あるのかな。はじめ君の意識《いしき》が影響《えいきょう》を及ぼしているとか。……興味深《きょうみぶか》い。
私は足下のはじめ君から視線《しせん》を上げる。
今の状況予想外ではないのだが…………本当にこのような事になるとはな。
とりあえずは……。
「こんな事もあろうかと」
ぱちん
私は用意していた言葉を吐きつつ指を鳴らした。
「にゃっ!?」
その音に驚《おどろ》き、私から離《はな》れるはじめ猫。
「はっ」
はじめ猫と入れ替わるようにして、どこからともなく現れる川村《かわむら》君、私の前に跪《ひざまず》いて両手を上げる。その手の上に乗っているのは…………猫耳カチューシャ。
「そう、こんな事もあろうかと用意していたこの猫耳カチューシャで、君を立派な猫耳少女へと………」
「いったいどんなことがあると思っていたんですかっ!! ……………にゃ〜ん、にゃにゃにゃにゃ」
一瞬《いっしゅん》正気に戻るはじめ君。まだ、取《と》り憑《つ》かれたばかりなので、はじめ君と子猫が主導権《しゅどうけん》争いをしているのだろう。それにしても…………突っ込み入れる時だけ自分を取り戻すとは、相変わらず突っ込みの鑑《かがみ》だな。
だが、一瞬ならば私の計画を阻《はば》む事はできない。
「ちっちっちっ」
そう言いながら手を差しだす私。その私に向けて近づいてくるはじめ猫。はじめ君に取り憑いた猫の霊《れい》と言った方が正しいのだが、はじめ君が猫化したと考える方が面白《おもしろ》い。
好奇心と警戒心《けいかいしん》が混じったような表情でおそるおそる近づいてくる。
……………………今だ!
カパッ
はじめ猫の頭に猫耳カチューシャを装着する。
「ふぎゃーっ!!」
そう叫んで再び飛び下がるはじめ猫。
「ああ、すまない」
私ははじめ猫に謝《あやま》る。頭に付いた異物を気にして触っていたはじめ猫だが、いつもの位置に耳がある事に安心したのか気にしなくなった。
「おおっ」
感動の声を漏《も》らす川村君。
「オーネコムスメ〜」
いつの間にかオーラ君も現れていた。
二人とも感動した面持《おもも》ちではじめ猫を見つめている。
「…………ふむ、素晴《すば》らしい事は素晴らしいのだが…………耳が四つあるな」
仕方がない事なのだが、…………詰めが甘い印象を受ける。
だが、川村君は……
「大丈夫です! そのような問題など些細《ささい》な事です! 心の目で見れば耳の一つや二つ」
流石《さすが》だ。
「むしろ問題なのは、肉球《にくきゅう》としっぽがない事ですな」
うむ、それはある。
その川村《かわむら》君は、おもむろにデジカメを取りだすと、カメラのシヤッターを押した。
「しぎゃー」
急に光ったフラッシュに驚《おどろ》くはじめ猫。
ぴょんぴょん跳《は》ねながら道の脇《わき》の茂みに飛び込む。そんなはじめ猫をなだめる私。
「ああ、怖くない怖くない。こっちにおいで。……それで川村君、わかってるね」
「はっ、今夜中にデータを送ります」
そんな事をやっていると道本《みちもと》君がやってきた。
「どうしたんだい? なかなかこないので様子《ようす》を見にきたよ、皆さんも首を長くして………ああ、ハニーが子猫ちゃんになってるね」
「ああ、そうだ。君が気にしていた子猫の霊《れい》だろう。………………まさかここまで面白《おもしろ》い事になってくれるとは思いもしなかったが」
私は、木陰《こかげ》に隠《かく》れこっちを見ているはじめ猫を見る。
「ただ、このままではいけないな」
「祓《はら》うかい?」
ちっちっちっと子猫を呼びつつ道本君が聞いてきた。
「それは可哀想《かわいそう》だな。何もわかってない子猫だろう?」
「うん、ボクもそう思うよ。無理矢理《むりやり》だなんて美しくないしね〜」
「ならどうするね?」
「いつも通りだよ。この子の未練を晴らしてあげよう。そうすればこの子猫ちゃんも成仏《じょうぶつ》するだろうからね。最初からそうしたかったんだけど、捕まえられなかったから断念していたんだ。せっかくのこのチャンスは有意義に使いたいよね〜」
「うむ、そうする事にしよう。…………その方が面白《おもしろ》そうな事だし」
「はっ、賛成《さんせい》です! とても素晴《すば》らしい画《え》が撮《と》れそうですしな」
全くだ。
「さて、方向性が決まったところで、これからどうするか…………良し良し、こっちにおいで。怖くない怖くない」
私ははじめ猫の警戒心《けいかいしん》を解《と》こうとしながら、つぶやく。
「ここはおれにお任せを」
一歩前に出る川村《かわむら》君。
「ふむ、では任せよう」
「では…………こんな事もあろうかと!」
右手を掲《かか》げる川村君。その手にあるのは猫まっしぐらな猫缶。
「だからどんなことがあると思ってっ!! …………にゃ〜」
茂みの中から聞こえてくるはじめ君の声。
「ほらほら、美味《おい》しいぞー栄養満点だぞー」
川村君が猫缶のふたを空け地面に置く。
「……にゃ?」
茂みからはじめ猫が顔を出した。
川村君を上目《うわめ》遣《づか》いで見ながら恐る恐る、猫缶に近づいていく。
「ふふふっ、この子猫はおなかがすいて成仏できなかったに違いないのですよ! この猫まっしぐらで猫大好きな猫缶を持ってすれば子猫の一匹や二匹」
はじめ猫は、こつんこつんと右手…………右前脚で猫缶をつつく。
…………これは……また……凶悪なまでのかわいらしさだな。それにしてもなんだ? 先程《さきほど》も思ったが……いつも以上にはじめ君が魅力的《みりょくてき》に見えるぞ。いや、いつでも魅力的には違いないのだが。
私が、抱いた疑問について考えている間に、はじめ君を見ていた川村君がプルプルと震《ふる》えだした。
そして……
「うおおおおおー」
はじめ猫に飛び掛かった。どうやら川村《かわむら》君は、はじめ猫の愛らしさに我を忘れてしまったらしい。
「ふぎゃ―――――」
ばりばりばり
「ぎゃ―――」
響《ひび》き渡るはじめ猫の叫びと川村君の悲鳴。顔を抑えて地面をのた打ち回る川村君。
「……川村君、君がまっしぐらに飛び掛かってどうするね」
私は、地面に倒れピクピクしている川村君に話し掛けた。顔には引っかき傷がいくつもできている。
「……あまりに……美味《おい》しそうだった……もので」
「なにがおいしそうだっただ〜!! …………にゃー」
律儀《りちぎ》に突っ込むはじめ君。……確《たし》かにさっきの猫はじめ君は美味しそうだった。川村君が正気を失ったのもわかる。
はじめ猫は川村君が行動不能になったのを確認《かくにん》したあと、そろそろと猫缶に手を伸ばした。
「とりあえず、食欲ではないのかな」
目の前には、猫缶を平らげたはじめ猫が満足そうに手を舐《な》めている。
猫缶を食べるという新たなトラウマをはじめ君に植えつけた気がするが。まぁ、人が食べても健康《けんこう》には問題ないだろう。
「それでは、いったい何を未練にこの世に残っているのか…………」
その時響いたのは甲高《かんだか》い声。
「ふっ、どうやらアタシの出番のようねっ!」
「ね〜!」
「ね〜!」
今度現れたのは、嵐《らん》君達三人組。
いつの間にか追いついてきたらしい。だが出てきたのが、肝試《きもだめ》しコースとは全く違う方向だったのだがこれはどうした事だ? それはともかく現状を報告しよう。
「ああ今はね……」
「待って! 説明しなくても大丈夫!! なんかよくわからないけどわかったわ」
いや、それはわかってないだろう。
「えーとね、んとね…………そう! あまりの恐怖で猫化したお姉《ねえ》さまと遊んでるのね!?」
「いや、はじめ君が子猫の霊《れい》に取《と》り憑《つ》かれたので、それを成仏《じょうぶつ》させようとしてたのだ」
「…………そうだと思ってたのよ!!」
胸を張りなぜか自信満々の嵐《らん》君…………相変わらず面白《おもしろ》い。
「ところで、なぜ変な方向から出てきたのだね? 君の出てきた方向は肝試《きもだめ》しのコースではないだろう?」
その私の質問を聞いた嵐君。ふっふっふっと人差し指を左右に振る。
「ふっ、つばさ。なにもかもが自分の思い通りにいくとは思わないことねっ! アタシは先回りしてつばさと入れ替わろうとしてたのよ!!」
「それで〜、急いでたら〜」
「コーチの悲鳴が聞こえたの〜」
なる程《ほど》。だから2番目に出発したにもかかわらず、川村《かわむら》君より遅くやってきたのか。
「それでだ。今、子猫は食欲を満たしたのだが、成仏《じょうぶつ》しなかった。だから次はどんな欲求を満足させようか考えていたところだ」
「そういうことなら、アタシに任せなさい! ふっふふふふ」
嵐君が笑いだす。そして叫んだ。
「こんなこともあろうかとっ!」
高く掲《かか》げた嵐君の手にあるのは………エノコログサ、通称猫じゃらし。夏なのでまだ穂《ほ》が青い。
「こんなことも〜」
「あろうかと〜」
嵐君に続いた双子の手にも猫じゃらし。
「だからもーどんなことがあると思ってたの!! …………にゃ〜」
いやいや、とても楽しくなってきた。
「これで遊んであげれば、子猫の一匹や二匹!」
3人ははじめ猫に飛び掛かった。
「…………成仏しないわね」
猫じゃらしを持った嵐君、顔には困惑《こんわく》の表情。
遊んでもらっていたはずのはじめ猫は、大変ご機嫌斜《きげんなな》め。
「ふぎゃ―――」
今のはじめ猫の行動を本物の猫に当てはめると、背中を丸め毛を逆立《さかだ》てしっぽを立てているという感じか。当てはめずに見たままを描写すると、四《よ》つん這《ば》いになったはじめ君が背中を丸めて怒っているという奇妙な状態《じょうたい》だ。
とりあえず私は、嵐君に言った。
「君は猫を飼わない方が良いな」
「アタシは犬派なのよ!」
確《たし》かに、あのような過度のコミュニケーションは犬向きかもしれないな。
それはそうと、食欲でも、遊びたかった訳《わけ》でもない。他《ほか》にはどのような欲求があるのだろうか…………そこで私は気がついた。
まさか…………いやあり得る。それなら、はじめ君の異常な色っぽさも説明がつく。私は、思いついた考えを道本《みちもと》君に聞いてみる。
「これは…………発情しているのではないかね?」
「……発情かい?」
「雌《めす》猫は生後7ヶ月|頃《ごろ》から三ヶ月ごとに発情するようになる。はじめ君に取《と》り憑《つ》いている子猫はその辺《あた》りを未練にしているのではないかな」
「なる程《ほど》……そうかもしれない」
肯定の意を返してくる道本君。
「……いやいや、猫化したはじめ君が、なぜか妙に色っぽいなと思っていたのだが、こういう事だった訳だな。フェロモンを振《ふ》り撒《ま》きまくっていたのだ」
うんうんと、納得《なっとく》してうなずく私。いつだろうが謎《なぞ》が解明されるのは気持ちいい。
そうかそうか、発情していたのか。
その時、ここまで私達の会話を静かに聞いていた川村《かわむら》君がぼそりとつぶやいた。
「という事は……………………子猫を満足させれば成仏《じょうぶつ》するという事ですな」
その声を聞いて全員の視線がはじめ猫に集中した。中でも川村君と嵐君の目がギラギラ危ない光をたたえている。
「なにを満足させるつもりだっ!! …………にゃ〜」
一変した周囲の状況に突っ込みを入れるはじめ君。突っ込みの本能で発言する割合が少なくなってきた気がするな。子猫が主導権《しゅどうけん》を取ろうとしているのか……
それはそうと、やってみる価値はあるか。
「おいで」
「にゃ〜ん…………なに考えてんですか…………にゃにゃ…………先輩《せんぱい》! …………にゃ〜」
所々はじめ君の正気が混じるが、もはや風前《ふうぜん》の灯火《ともしび》といった感じだ。さすがに動物の本能には勝てないらしい。子猫は、自分をいじめた川村君と嵐君―――二人はいじめたつもりなど毛頭ないのだろうが―――の事は警戒《けいかい》している。が、子猫と仲良しな私がちっちっちっと呼ぶとそろそろと寄ってくる。うーむ、かわいい。
もう少し、もう少し……。私の手がはじめ猫に届こうとしたその時……
「だめ―――――――――――!!」
嵐君の叫び声が響《ひび》いた。
「ふぎゃああああああああああああああああああああああ」
いきなりの大声に驚《おどろ》いたはじめ猫。ひときわ大きく鳴いたあと、全力疾走で森の茂みへ消えていく。
もう少しで、はじめ猫を捕まえる事ができたのだが……。
「嵐《らん》君、いきなり何だね、はじめ猫が逃げてしまったではないか」
「お姉《ねえ》さまを捕まえて、なにするつもりだったのよ!」
そう問われ私は正直に答える。
「とりあえず、欲求不満を解消してあげようかと」
「いやあああああ、不潔《ふけつ》よ不潔〜〜〜〜っ!! どうしてもやるなら、アタシがやるわよ!!」
相変わらず支離滅裂《しりめつれつ》な嵐君。
「アタシアタシ、アタシがやるの〜〜!!」
じたばた騒《さわ》ぐ。はじめ猫は相当遠くに逃げていっただろうな。難儀《なんぎ》な事だ。どうやって捕まえるか……
「あの……どうしたのですか? 脅《おど》かしていただけなくて、驚《おどろ》くに驚けなかったのですが。色々叫び声は聞こえていたので、もう少し進めば脅かしていただけるのですか?」
はじめ猫|捕獲《ほかく》計画を脳内で立案していた私に声が掛かった。唐突《とうとつ》に掛かったその声に振り返ると桜《さくら》君と真太郎《しんたろう》君がいた。
桜君達にまで追いつかれたか。もう、肝試《きもだめ》しをやっている状況ではないな。
「とりあえず、今現在とても愉快《ゆかい》な事になっているのでな、肝試しは中止になりそうだ」
「それは……非常に残念ですね」
表情だけ見ればかけらも残念そうではないが、口に出す程《ほど》なのだから、相当残念なのだろう。
「愉快な事?」
今まで黙《だま》っていた真太郎君が言った。
「うむ、それはだね…………」
「……というわけだ」
「それはまた大変な事になっているのですね」
「うむ、君達は見ていないが…………凶悪な程のかわいらしさだぞ。外見的なかわいらしさだけでなく、フェロモンでくらくらくる」
「それで、どうするのです?」
「とりあえず、子猫の未練を晴らして成仏《じょうぶつ》させてあげようとしてるんだよ、チェリーブロッサム。無理矢理《むりやり》成仏は可哀想《かわいそう》だからね。できない事はないけど、普通に成仏するのが一番美しい」
道本《みちもと》君がいつも通りの様子《ようす》で答える。
「…………ですが……その……未練というのは発情、つまり性欲な訳《わけ》なのですね?」
「うむ、その通りだ」
「…………どうやって、未練を断ちきるのですか?」
桜《さくら》君のもっともな疑問。
「君の想像している通りで、間違いないと思うよ。ほら、嵐《らん》君はやる気満々だ」
私は視線《しせん》を嵐君にやる。
「ふふふふこうなったら…………封印していた舌技《ぜつぎ》を使うしかないわ。この非常|事態《じたい》ならお姉《ねえ》さまも許してくれるはず……」
……絶対に許さないだろうが。
「さすが嵐ちゃんです。あの積極《せっきょく》さは見習わなければ……」
「ん? あれ、さっちゃんいつのまに」
そこで初めて桜君に気がついた嵐君。
「つい今しがた……それで、その舌技とは何ですか? 話の流れ的に、とても会得《えとく》したい感じなのですが」
おお、舌技に目をつけたか。さすがは桜君、愛する者のための自己の研鑽《けんさん》を惜しまない。……いつも思うが、嵐君と思考回路が似ているようだな。
「ふっ、しょうがないわね。他《ほか》ならぬさっちゃんの頼み、アタシが、前世《ぜんせ》と現世《げんせ》の経験《けいけん》と知識《ちしき》で編《あ》みだした必殺テクを伝授してあげるわっ!!」
「よろしくお願《ねが》いします」
年齢的《ねんれいてき》には逆な気がするが、元引きこもりで友人も少ない桜君はその手の知識が少なそうなのでしょうがないか。逆に嵐君には前世の記憶という下支えがあるのでそういう知識、技術が豊富と。嵐君は、はじめ猫を成仏《じょうぶつ》させるにはうってつけの人材かもしれないな。だが、はじめ君は私色に染《そ》める予定なので、成仏させるのは私でないといけない。
ふむ、今思ったのだが…………床上手《とこじょうず》の処女というのはどうなのだろうか。
私がそのような事を考えている間に交《か》わされる、実に興味深《きょうみぶか》い会話。ただ、真太郎《しんたろう》君の前でする会話ではないな。真太郎君は、微妙に困った顔で固まっている。私的には面白《おもしろ》いので問題ないが。
「真太郎君、良かったな」
私は冷やかすように真太郎君に話し掛けた。
「む……う……」
困り顔で呻《うめ》く真太郎君。確《たし》かにこの場合はリアクションが取りづらいだろう。
まあ、この辺で話を元の流れに戻すか。今の流れもとても面白いがこのままでは話が進まない。
「あー、盛り上がっているところすまないが、これからの事だ。では、こういうのはどうだろう。最初にはじめ君を捕まえ手懐《てなず》けた者が子猫を成仏《じょうぶつ》させる権利を得るという事で」
「わかったわ!」
「意義ありません」
「オーケーデス〜」
「よくわからないけど〜」
「わかりました〜」
「ふふっ、腕が鳴るよ。待っててくれよハニー……今は子猫ちゃんか」
やる気があるのはこの辺《あた》りか。なぜか双子が混じっているが。
「そんな事を言って良いのですかな、つばさ先輩《せんぱい》」
やる気を燃《も》え上がらせている川村《かわむら》君。はじめ猫ピンチだな。
川村君は背負《せお》っていた鞄《かばん》を見せる。
「こんな事もあろうかと用意してきた」
川村君がバンと鞄を叩《はた》いた。
ばさばさ
袋に穴が開いていたのか、中身がこぼれでる。
皆が無言でこぼれ落ちた物に視線《しせん》を集める。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
……………………はじめ猫大ピンチだな。
「あの……それは犯罪ではないのですか?」
桜《さくら》君のまじめな突っ込み。桜君は真太郎《しんたろう》君が絡《から》まなければ突っ込み役になれるのだ。ボケばかりの、我々にとって貴重な存在だ。はじめ君がいない今はなおさらな。真太郎君がもっと話してくれれば突っ込み役になれそうなのだが……これは無理な相談《そうだん》か。
「限りなく犯罪|臭《くさ》くて、実際税関を突破するのが不可能そうな物の数々だがどうにか、かろうじて、大丈夫なはずだ」
………たぶんだが。
「ではとりあえず、捜そうか。はじめ猫が病原菌媒体でも捕まえてしまう前に」
「病原菌媒体…………ねずみですか?」
桜君が聞いてきた。
「うむ、流石《さすが》に、捕まえて噛《か》みつきでもしたら、はじめ君の健康《けんこう》が危《あや》うい」
都会育ちの私の身体《からだ》は、その辺りの免疫系が弱い気がするのだ。
「……それは、危なそうです」
「だろう? という訳《わけ》で、早急にはじめ猫を捕まえよう。では……散《さん》っ!」
私の合図と共に目の前からぱっとかき消える……何て事ができるのは川村《かわむら》君とオーラ君ぐらいなので、その他《ほか》はおいおい、散っていく。
「お姉《ねえ》さま〜〜っ!! 今アタシが助けてあげるわっ!」
「助けて〜」
「あげるわ〜」
「待っててくれよ子猫ちゃん、ボクが美しく成仏《じょうぶつ》させてあげよう」
そして最後に、真太郎《しんたろう》君が動きだす。
「……じゃあ、俺《おれ》達も行くか」
「真太郎様! まさかっ!! わたしでは満足できないのですか!? それは確《たし》かに山城《やましろ》さんは魅力的《みりょくてき》ですが……」
「いや、捕まえたら、つばさ先輩《せんぱい》に引き渡す」
「……安心しました。そうですね、頂いた恩は返さないといけないですしね」
「ああ」
これでみんなはじめ猫の探索に行った。
では、私も行こう。急がないと色々な意味ではじめ君の身が危《あや》ういからな。っと、その前に準備をしなければ…………私はこんな事もあろうかと用意していた秘密兵器を取りだした。
私がはじめ猫を探索していると…………非常にせっぱ詰まった叫びが聞こえてきた。
「うわっちょっまっ何するんだはじめ! おい! 正気に戻れ!」
「にゃ〜〜」
「あらあら、最近の若い子は積極的《せっきょくてき》ですわね」
この声は……最後尾の美香《みか》、典弘《のりひろ》君組だな。
茂みをかき分け叫び声の方向に向かう。少しすると突然茂みがなくなった。私達が辿《たど》ってきた道に出たのだ。
茂みを出て視界を確保《かくほ》した私が見たものは…………典弘君を押し倒しているはじめ猫。ぺろぺろと典弘君の顔を舐《な》めている。
「あら、つばささん。どうしてこんなところに?」
私の存在に気づいた美香がいつも通りのおっとり口調《くちょう》で言う。こんな非常|事態《じたい》(典弘君にとって)でも変わらない。
「そこの、はじめ君を捜《さが》しにきたのだ」
先程《さきほど》と同じ体勢で典弘君の頬《ほお》を舐めまくっているはじめ猫を見る。
「それはそれは……ですがはじめさんはなぜこんな事に?」
「うむ、話せば長くなるのだが…………大変な事になっているのだよ」
「そんな事わかっとるわ―――――!! だから、そんなところで話してないで、何とかしろ〜〜〜〜〜!!」
上に乗ったはじめ猫からどうにか逃げようとしている典弘《のりひろ》君。だが、抜けだせない。がっちり組み伏せられているし、女である今のはじめ君を力ずくで引きはがすという事もできないのだろう。………紳士だな。
私は、紳士な典弘君に言う。典弘君に倣《なら》い私も紳士的に……
「いや、やはり急いで中途半端《ちゅうとはんぱ》な情報を提供するぐらいなら、ゆっくりとでも確実に落ち着いてすべての情報を提供する方が良い。それが、紳士的な行動というものだろう」
「んな事知るか〜〜〜〜〜〜!!」
もがく典弘君と舐《な》めるはじめ猫。うーむ、この行動を見るに、完全に子猫が主導権《しゅどうけん》を取ったらしいな。やはり、はじめ君でも動物の本能には勝てないか。
「くそっ、わざとだなっ! わざとやってるなっ!?」
典弘君がこっちを見る。顔だけではじめ猫から逃げようとしているのだろう。今の典弘君にできるのは、唇《くちびる》を死守する事だけだしな。
まあ、確《たし》かにわざとだが。…………それにしても…………実に面白《おもしろ》いな。
「それでだね、美香《みか》。今の状況は……………………」
私が、ゆっくりと現状を報告しているうちに、はじめ猫は典弘君の頬《ほお》から唇付近へと舐める場所を移していく。必死で逃げる典弘君。
「………………という訳だ」
「それは…………大変ですわね」
「オレが一番大変だぁぁぁぁぁぁ!!」
私は大変な典弘君に聞いた。
「典弘君。くる前に何か食べてきたりしたかね?」
「何でそんな事をっ」
「いいから、いいから」
「さっ鯖缶《さばかん》を食ってる途中《とちゅう》につばさ先輩《せんぱい》にっ呼び出されたっ」
「…………なる程《ほど》それか」
それにしても、鯖缶か。男の一人暮らしは悲しいな。
「納得《なっとく》してないで止めろ――――――――――――――――――――――!!」
典弘君の悲痛な叫び。
そこでとうとう、はじめ猫の舌がどんどん典弘君の唇に近づいていき……………………
さんざん舐《な》め倒して満足したのか、はじめ猫は茂みに消えた。
残されたのは、物言わぬ屍《しかばね》となりはてた典弘《のりひろ》君。
「いや、まぁ、その……何だ。生きていればこんな事もある」
「……………………」
「それに、ファーストキスがはじめ君なんてそれは幸せな事だと思うぞ」
「……………………ほっといてくれ」
反応からするに、やはりファーストキスか。これで、初恋とファーストキスの相手がはじめ君となった訳《わけ》だ。
「では、まぁ頑張《がんば》ってくれ。それで美香《みか》はどうする?」
「しばらくしたら、追いかけますわ」
地面に大の字で倒れている典弘君を見ながら美香が言った。
「うむ、典弘君を優《やさ》しく慰《なぐさ》めてあげてくれ」
「わかりましたわ」
では、行くか。
私は、はじめ猫の消えた方向へ走りだした。
少々悪のりしすぎたかな。とても面白《おもしろ》かったのだが。
……それはそうと、嫉妬《しっと》の念が湧《わ》かないのは、どうしてか。私の身体《からだ》だからか? 典弘君の事を気に入っているからか? あれは子猫の行動であって、はじめ君の意志ではないと思っているからか? 面白いからか?
…………これら全部が理由だろうな。やはり私の思考回路は普通ではないらしい。特に困るという事もないので、別に構わないが。
いた。
あれから追跡を続けていた私は、とことこと木々の間を縫《ぬ》って歩くはじめ猫を発見した。
さて、ゆっくり近づいて…………私がそろそろとはじめ猫との距離《きょり》を縮《ちぢ》めていると……
「ふふふふふふ」
闇夜《やみよ》に不気味《ぶきみ》な笑い声が響《ひび》いた。はじめ猫がびくっと立ち止まる。
「……おれは悟った。なぜ、子猫に警戒《けいかい》されてしまうのかを」
生理的に受けつけないとかそういった印象を私は受けているが。
「そう、見た目の姿が違いすぎるのだ! ならば、見た目の姿を近づける事で、警戒感をなくす事ができるだろう……とうっ」
かけ声と共に木の上から飛び降りてくる影《かげ》。もちろん、川村《かわむら》君だ。
両手両足で落下の衝撃《しょうげき》を逃がす。相変わらずの運動能力、だが目を瞠《みは》るべきところはそこではなく、川村《かわむら》君の持つシルエット。
川村君は四《よ》つん這《ば》いのまま顔を上げた。そして言った。
「さぁ、おれの胸に飛び込んでおいで……」
頭に猫耳[#「頭に猫耳」に傍点]をつけた川村君がにやりと笑っている。
「ふぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
今までで最大の鳴き声で逃げだすはじめ猫。…………これは……強烈だな。川村君の頭に乗っている物が、はじめ君の頭に乗っている物と同種の物体だとはとても思えない。使う者によってこうまで印象が変わるとは…………恐るべし猫耳カチューシャ。
これもはじめ君のトラウマにならなければ良いが。
「…………なぜだ――――――!!」
川村君の声が少し遅れて響《ひび》いた。
猫耳をつけたまま闇夜《やみよ》に叫ぶオタクの図。人として完全に終わっている気がするな。本気で目の毒なので、はじめ猫をさっさと追おう。…………今日《きょう》の夜、今の光景が夢に出ない事を祈ろう。
私がはじめ猫を追跡して歩いていると、急に視界が開けた。大木が倒れ、このスペースができたのだろう。天を覆《おお》っていた緑《みどり》の天井《てんじょう》に切れ目ができている。
優《やさ》しく淡い光を倒木へ届ける月。だが、その月の光に照らされているのは倒木だけではなかった。倒木の上には美しい半裸《はんら》の彫刻が一体。
私はピクリとも動かないその彫刻に向けて話し掛けた。
「はじめ猫を見たかね?」
「ああ、子猫ちゃんならあっちに行ったよ」
「感謝《かんしゃ》する。…………それにしてもその格好《かっこう》は何だね?」
私は半裸の彫刻……道本《みちもと》君に聞いた。ポーズまで取ってとても美しい。わざわざ夜空が見えるここを選《えら》んだのだろう。月明かりが道本君の肉体を照らしとても幻想的な絵に仕上がっている。今の道本君は神々《こうごう》しさすら感じる。これは先程《さきほど》の川村君のすさまじい姿を見たせいだろうか。あれはあれで、神がかっていたが。
「ボクの美しさで子猫ちゃんをおびき寄せようとしたのだが…………全く無視されてしまったよ」
これはまた、独創的な方法だ。
「真の美はあらゆる物を超越するというのがボクの持論《じろん》だからね。……子猫を引き寄せられなかったという事はボクの美しさもまだまだだという事だよ」
そう言って大きくため息をつく。
「ヤブ蚊《か》達は、吸い寄せられてきたんだけどね…………まだまだ、美を探求していかなければならないようだよ」
二酸化《にさんか》炭素を放出しさえすれば蚊は寄ってくる……などと野暮《やぼ》な事は言うまい。道本《みちもと》君の美しさは蚊に通用したのだ。今、人の美は種族の垣根を越えた。
「いやいや、安心すると良い。今の君はなかなかに大量のフェロモンを発散してるよ。相手が悪かっただけだ」
「そうかい?」
「うむ、私は嘘《うそ》は言わんよ。では先を急ぐのでな」
「ああ、頑張《がんば》って」
「まてーまちなさい――――」
「まって〜」
「まって〜」
道本君と別れて少し、騒《さわ》がしい集団がくるのがわかった。
「くっ、どこに行ったの…………えーい、もう」
走ってきた嵐《らん》君が足を止めた。
「なっちゃんはあっちだと思うー」
「ほーちゃんはあっち〜」
「アタシはこっち……」
別々の方向を指さす三人。
「……………」
「……………」
「……………」
「最初はぐー じゃん けん ぽん」
「なっちゃんの勝ち〜」
「くっ、じゃあ、あっちね」
…………手分けした方が効率が良さそうなのだが。いや、これも言うだけ野暮《やぼ》か。
決まった方向へ走りだした三人。だが、嵐君は急ブレーキ。
「…………なに、それ」
なぜか怒り始める嵐君。
「あんた! ちょっとそこ座んなさい!!」
何もない暗闇《くらやみ》に向けて説教し始める嵐君。
「空気読みなさいよ! 肝試《きもだめ》しなんて中止よ中止! だいいちね、うらめしや〜じゃないわよ。ぜんぜん怖くないのよ! そんなんでアタシが驚《おどろ》いてお姉《ねえ》さまに抱きつけると思ってんの!? 恥《はじ》を知りなさい恥を」
……正座してうなだれている幽霊《ゆうれい》の姿が目に見えるようだ。
「仮にも日本で幽霊やってるんなら、もうちょっと雰囲気を大事にしなさいよ。まったく、型にはまりすぎてんのよ。ひゅーどろどろなんてベタな効果音を出された方の身にもなってみなさいよ。その辺にいるんでしょ? ひゅーどろどろとか口で言ってたやつ! あんたも出てきなさい」
ふむ、嵐君はちゃんと霊とコミュニケーションを取れているようだ。
「へ〜これが幽霊さん〜? はじめてみる〜」
「なんかもやもやしてるね〜こんばんは〜」
予定通り双子も少しは見えているようだな。道本《みちもと》君の言った通りだ。道本君が「見え方に個人差はあるだろうけど、つばさ以外は何かいるぐらいは感じられるだろうね、幽霊の皆に頑張《がんば》ってもらえば」……と言ったので、この肝試しを決行する事にしたのだ。
…………が、肝試しが流れたとはいえ、幽霊に説教しだすとは思わなかったな。
相変わらず説教を続ける嵐君を見ながら私はそんな事を考える。
「まったくそろいもそろって。いったい何年幽霊やってんのよ。ボスの顔が見たいわ。……え? あんたなの? 近頃《ちかごろ》の幽霊《ゆうれい》の質も落ちたもんだわ……」
なぜか言いたい放題の嵐《らん》君。だが、話の途中で目線《めせん》を上に移動させる。
「……ん? 一人きらきらしながら空に昇っていったわね。今のなに?」
「きれい〜」
「きれい〜」
双子の反応を見るに相当きれいらしい。
「……ん? 成仏《じょうぶつ》した? なんで? 美少女に叱《しか》ってもらった感動で昇天してしまったのです?」
…………奇妙な牲癖《せいへき》を持った霊が一体|程《ほど》いたらしい。
「ま、それはしょうがないわね。アタシが美少女すぎるのがいけないんだから」
この場合は、しょうがないですますのか。
「ん? 今度はなに? …………もう一回チャンスをください? あつかましいわね。でもまあ、チャンスをあげるわ。この辺に背がものすごく大きいのと、ちっちゃくてかわゆ〜いのが歩いてるから、その二人を脅《おど》かすのよ。ああ、なんて友達思いなのかしらアタシ。じゃ、行くわよ、とろとろしない!」
ぞろぞろと連れだって歩いていく嵐君達。見えないのでたぶんだが。
…………とりあえず嵐君達についていこう。その方がとても面白《おもしろ》そうだ。それに、もうこの辺《あた》りは存分に歩き回ったからな、あとははじめ猫がやってくるのを待つだけだ。
「ほら来たわよ、準備はいい?」
真太郎《しんたろう》君、桜《さくら》君組を発見した嵐君は声を低くして言った。今私は少し離《はな》れてその様子《ようす》を見ている。場所的には嵐君達も桜君達もどうにか視界に収められるところをどうにか確保《かくほ》した。だが、声は微《かす》かに聞こえる程度。もう少し近づいた方が良いかな。だが見つかるのはまずい。見つかればこの素敵イベントを壊してしまうかもしれない。
「よし、じゃ、アタシが合図したら飛びだすのよ」
嵐君はそう言うと、タイミングを計る。
「3、2、1、今よ!」
風が吹《ふ》き抜けた。数秒遅れて起きる悲鳴。
「きゃああああああああ」
桜君が真太郎君に抱きついている。端《はた》から見たら幽霊に怯《おび》えて抱きついたように見えるだろう。だが、私は見てしまった。幽霊が飛び出した瞬間《しゅんかん》、桜君の目が獲物《えもの》を見つけた鷹《たか》のようにぎらりと輝《かがや》くのを。あれは、演技だ。だが、素晴《すば》らしい演技だ。
真太郎君の顔がとても幸せそうだ。
だが、その時すべてをぶちこわす嵐《らん》君の声が響《ひび》いた。
「ちょっ待ちなさいよ! 何|成仏《じょうぶつ》してんのよ! お姉《ねえ》さまが元に戻ったあと脅《おど》かしてもらって抱きつくんだから、もうちょっと待ちなさいよっ!!」
とても焦《あせ》った嵐君の声、どうやら幽霊《ゆうれい》の皆さんが成仏しかけているらしい。なぜだろうか?
「私達はやり遂《と》げた? 充実した? 感動した? さっさと生まれ変わって彼女作る? あんた達が成仏する理由なんて知らないわよ。いい笑顔《えがお》で成仏してんじゃないわよ。だから、もうちょっと待てって言ってんのよ馬鹿《ばか》ーっ!!」
立ち上がり、宙を掴《つか》む嵐君。成仏しかけている幽霊の足でも掴もうとしているのではないだろうか。……すごいな、そこまでやるか。
「嵐ちゃん、そこで何をしているのですか?」
微妙に険《けん》のある桜《さくら》君の言葉。良いところを邪魔《じゃま》されて少し怒っているのではないだろうか。相変わらずの無表情なので本当かどうかはわからないが。
そろそろ出ても問題ないか。
「はっはっはっ、素晴《すば》らしかったよ。桜君も嵐君も。特に嵐君、幽霊達を軒並み成仏させてしまうとは……すごいな」
私は拍手をしながら嵐君達の前に姿を現す。
「うっさいわね!」
残念さを全身で表している嵐君。
「脅《おど》かしてもらって、お姉さまに思う存分抱きつくつもりだったのに……」
はじめ猫を捕まえさえすればいくらでも抱きつく事ができるというのにな。一つの事に集中すると、その他《ほか》の事がさっぱり消えてしまう……嵐君らしくてとても愉快《ゆかい》だ。
その時、聞《き》き慣《な》れた声が聞こえた。
「……にゃー」
声の方を見ると、私達をとろんとした目で見ているはじめ猫。いや、私をとろんとした目で見ているはじめ猫に訂正した方が正しいな。
そのはじめ猫だが。服がもうぼろぼろだな、悪い事をした。代わりの服を今度プレゼントしよう。
服だけでなく、身体《からだ》の方もぼろぼろなようだ。さんざん逃げ回ったので疲れたのだろう。そろそろ終わらせるべきだな。十分楽しんだ事だし。
「ちっちっち」
私ははじめ猫に向けて手を出した。
「にゃー」
ふらふらと、私の方へと寄ってくるはじめ猫。
「だめっ! こっちよこっち〜こわくないわよ〜ほらほら」
嵐《らん》君も負けじとはじめ猫を呼ぼうとする。
私と嵐君の最終対決。
だが、結果は初めからわかっている。
はじめ猫を呼ぶ勝負……勝ったのはもちろん私。
私に近寄ったはじめ猫は……にゃーんと鳴きながら身体《からだ》をすり寄せてくる。頭をなでてあげるとのどをごろごろと鳴らす。
ふっ……たわいもない。
「なっなんで?!」
嵐君が叫んだ。
だが、はじめ猫はうっとりした顔で私の側《そば》から離《はな》れない。
私ははじめ猫をなでる。目を細めにゃーんと鳴くはじめ猫、私はその仲むつまじい姿を見せつつ嵐君に言う。
「まぁ、こういう訳《わけ》で、私の勝ちだ」
「なっなんでっ!?」
「つばさ先輩《せんぱい》すごい〜」
「すごい〜」
「…………良かったな」
「はっ、真太郎《しんたろう》様っ! 今……山城《やましろ》さんにみとれましたね!? …………わかりました。わたしは、真太郎様の好みをすべて把握《はあく》できていなかったようです…………。ですが、安心して良いです。今後はわたしが猫耳をつけてどんな望みも叶《かな》えて差し上げます!」
悔《くや》しがる嵐君と、感心する双子。安堵《あんど》する真太郎君に、素晴《すば》らしい決意を固めている桜《さくら》君。
しばらくすると、嵐君の叫び声に導《みちび》かれ、他《ほか》の者達も集まってきた。
「流石《さすが》つばさ先輩です」
君も流石だよ、頭に猫耳がついたままだ、皆見て見ぬふりをしているようだが。
「オー、ツバサスゴイネ〜」
「美少年に猫耳美少女。う〜ん、美しい光景だね」
「あらあらまあまあ、妬《や》けますわね」
全員集合だ……典弘《のりひろ》君以外は。
「美香《みか》、典弘君はどうしたんだね?」
「帰りました。……何か、ものすごく葛藤《かっとう》していたようでしたが」
彼の頭の中では、男の幼なじみに唇《くちびる》を奪われた、だが相手は初恋の女性でもある訳で〜というように堂々|巡《めぐ》りをしているのだろう。相変わらず、まじめだな。そこが面白《おもしろ》いところなのだが。
「と、いう訳《わけ》で、今から子猫を成仏《じょうぶつ》させ……」
「きー放して〜〜〜お姉《ねえ》さまになにすんのよ〜! 成仏させるならアタシが!」
会話を途中《とちゅう》で遮《さえぎ》る嵐《らん》君。
「まぁまぁ〜嵐ちゃ〜ん」
「おちついて〜〜〜」
「ソウデスヨ〜〜マケはマケデス〜」
双子とオーラ君に取り押さえられる嵐君。その嵐君に私はゆっくり語り掛ける。
「どちらが子猫に気に入られているかは一目瞭然《いちもくりょうぜん》だ。それに最初に捕まえた者が子猫を成仏させる権利を得ると決めていただろう?」
「ううっ」
未練たらたらな嵐君が近づいても、何のリアクションも起こさないはじめ猫。気持ち良いぐらい私に首《くび》っ丈《たけ》だ。
「それに見てみたまえ、私にめろめろになった子猫の姿を。初対面の私がこのように子猫とうち解《と》けられる訳はない。ならばなぜ、ここまで私がなつかれたのか……それは愛だ! 身体《からだ》の持ち主であるはじめ君の想《おも》いが子猫に伝わったのだよ!!」
「くっ……ううっ……負けたわ。…………今回は完敗よ」
がっくりと膝《ひざ》をつく嵐君。
「わかってくれれば良いのだよ。……では、今度こそ子猫を成仏させようか」
私は頬《ほお》をすりつけてくるはじめ猫の頭をなでながら言った。
それを見ていた嵐君。最初はおとなしくしていたのだが、徐々に身体が震《ふる》えてくる。そして……
「うう〜……やっぱだめー! いや――――うきゃー放して――!!」
再び取り押さえられる嵐君。
「あー、嵐君を頼むよ」
私は嵐君を取り押さえている三人に声をかけた。
「あいあい〜」
「さ〜」
「リョーカイデス」
さて、これからが本番か。
「それでは、しばし待っていてくれたまえ」
私ははじめ猫を引き連れて茂みの中に入っていく。
「はっ、幸運を祈ります!」
「頑張《がんば》ってください、応援してますわ」
「いやああああああ」
「つばさせんぱい〜」
「なんだかわからないけどがんばって〜」
「クサバのカゲからオウエンしてマス」
「いやあああああああああああああああ」
皆の声に送られる私達。うむ、持つべき者は仲間だな。
その時、はじめ君が土壇場《どたんば》で意識《いしき》を取り戻した。
「ちょっと待っ…………にゃ〜…………他《ほか》に方法…………にゃんにゃんにゃ〜ん」
おお、根性だな。だが、もう遅い。
やる気満々な子猫と、嫌がるはじめ君。
だが、いくら嫌がっても、子猫は私にすり寄ってきて離《はな》れない。
私は茂みで皆が見えなくなる寸前、手を挙《あ》げ笑顔《えがお》で言った。
「それでは」
そして私はひとりごちた。
……………………………………………………………………マタタビは本当に効くのだな。
しばらくして、はじめ君が私から逃げるようにして走りだした。私はそのあとにゆっくりと歩いていく。
いくつかの茂みを抜けたところで皆と合流したはじめ君が見えた。
「はあっ……はぁっ……はぁ……」
と、荒い息をつくはじめ君を皆は無言で見つめている。
そのような微妙に奇妙な空気の中、皆の気持ちを代弁するかのように口を開いた者がいた。
「はじめ…………子猫は成仏《じょうぶつ》したのか?」
「…………した」
顔を真《ま》っ赤《か》に上気したはじめ君が川村《かわむら》君の問いに答える。
再び訪れる沈黙《ちんもく》。
「………………………………………………………………………………どこまで行った?」
さらに続けて、誰《だれ》もが聞きたかった事を問う。
その問いにはじめ君は、大声で叫んだ。
「黙秘《もくひ》します!!」
[#改ページ]
交換日記
7月24日(土)
今日《きょう》、みんなで肝試《きもだめ》しをした。…………行きつけの良いところに連れていってあげると言われついていったら……………………先輩《せんぱい》行きつけの墓場でした。なんで、肝試しなのかとか、なんで行きつけの墓場なんて妙な物があるのかとかいっぱい言いたいことがありますが、きりがないので一つだけ…………お願《ねが》いですからぼくに隠《かく》れて色々|企《たくら》むのはやめてください。
あと、肝試しに本物の幽霊《ゆうれい》を使うのは今後禁止です! ぜったい、ぜ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ったい禁止です!! もう、なんでこんな当たり前のことを言わないといけないんですか………
子猫に取《と》り憑《つ》かれたおかげで、本物の幽霊に脅《おど》かされるなんてことはなかったんですけど…………それはそれで大変でした。服はぼろぼろだし………………猫缶食べたし。
味的には、ぜんぜん味がしなくておいしくなかったです。
でも、子猫が成仏《じょうぶつ》したのだけ[#「だけ」に傍点]はよかったです。成仏させる方法とかそれまでの過程《かてい》は悪すぎです。0点です。…………もう勘弁《かんべん》してください。
とても疲れたので、家に帰ってお風呂《ふろ》に入ってすぐ寝ました。
だから、これは朝に書いてます。
そういえば、ものすごくやな夢を見ました。タッキーが猫耳を…………うああああ、書いてたら思いだして鳥肌立ってきました。なんでこんな夢見たんだ――――トラウマになりそうです。他にはのりちゃ[#「他にはのりちゃ」に二重線]
PS
ある時から記憶《きおく》がないんですよ。嵐《らん》ちゃんの叫び声で逃げだした時ぐらいから、最後先輩に捕まえられた時まで。子猫の本能に負けたというか、意識《いしき》を手放したというか、あきらめたというか。
それで…………ぼくの意識がない間…………子猫なにしたんですか?
[#改ページ]
家族と私
「父よ、母よ。この夏、休みが取れそうなのか?」
久々に家族4人で摂《と》った夕食の最中、私は唐突《とうとつ》に切りだした。はじめ君の家の夕食と違いとても静かなので声がよく通る。はじめ君の家のにぎやかな食事も良いが、私的にはこの静かな夕食も味があって嫌いではない。
父が箸《はし》を止め私に聞く。
「ええ、取れそうです。夏休みですからね。……それがどうかしましたか?」
そうか、それは良かった。
「ああ。その休みに、夫婦で出掛けるという予定はないかな?」
「いえ、ないですね。久しぶりに家でゆっくりしようかと思っていたのですが。どうかしましたか?」
「夫婦でどこかに出掛けないか? 兄もどこかに消えてもらえるとありがたい」
私は箸を置き家族に語り掛ける。
「つばささん。いつにも増して意図が読み取れませんよ?」
「母さん、前振りが訳《わけ》わからないのはつばさの癖《くせ》だ。もう少し話を進めればわかるようになると思うよ」
母へ兄が言う。うむ、この持って回った話し方は癖だ。直す気もないが。
私は話を聞くモードになった家族に向け口を開く。
「その、何だ……」
私はこの場にいる全員の顔を見回したあと言った。
「孫の顔が見たくないかね[#「孫の顔が見たくないかね」に傍点]?」
「…………………………………………」
「…………………………………………」
「…………………………………………」
三人は私の言葉を読み込んだあと少し考え……
「母さん、久しぶりに夫婦水入らずで旅行にでも行こう」
「はいあなた。どこがいいかしら?」
「僕もどこかに出掛けるとしよう」
うむ、我が家族は話が早くて助かる。あっという間に一致団結した家族に私は付け加える。
「できればでいい、休む日は私に決めさせてくれ」
「なぜです?」
父が怪訪《けげん》そうに聞いてくる。
「秘密だ。まぁ…………念には念を入れておこうという事だよ」
そう言いつつ、頬《ほお》をゆるめる私。今の私の顔には、はじめ君が嫌いだという、何かを企《たくら》んでいる時に私が見せる笑顔《えがお》……とやらが浮かんでいるのだろう。実際企んでいるしな。
予定を話し合い始めた家族を見ながら、私は心の中でつぶやいた。
……さあ、面白《おもしろ》くなってきた。
[#改ページ]
先輩の家とぼく
『やあ、はじめ君元気かね。君はこんな暑さでも元気いっぱいだろうが、私は暑さで動く気がしない。猛暑《もうしょ》にも程《ほど》があると思わないかね? それはそうと暑さ以外に少し困った事になってしまっていてね、是非《ぜひ》とも君の力を借りたいなという訳《わけ》で電話をかけた次第だ』
夏休みに入って少し経《た》った頃《ころ》かかってきた先輩《せんぱい》の電話。動く気はしないのに口は動くんだな、とかとりとめのないことをぼくは思った。
「はい、ぼくにできることなら力を貸しますけど」
う〜ん、そうは言ったものの、なんか釈然《しゃくぜん》としない。なんでだろう…………ああ! そうか。先輩が助けてくれとか言うのがおかしいんだ。基本的に先輩ってなんでもできる人だし。これは先輩がなにかを企んでいると考えといた方がいいかもしれない。
『流石《さすが》ははじめ君だ。君ならそう言ってくれると思っていたよ。やはりこれは、愛かな?』
「そういうことにしといてください」
『何だね、つれないね、いったいどうしたんだね、まさか君も太陽にやられたか? 個人的に君は晴れ女というか太陽と友達というかそんな感じの印象を持っていたので、熱《ねつ》にやられるとは少し驚《おどろ》きだよ。それはそうと……』
「そう言う先輩《せんぱい》はなんだかテンション高いですね」
『そうかね? これはやはり暑さで脳が熱|暴走《ぼうそう》気味なのかもしれないな。これはいかん、早く私の家まできてくれたまえ』
「はあ……なぜですか? 会話の前と後ろが繋《つな》がってませんよ?」
いつにもまして訳がわかんない先輩。いったいなんなんだろうか。
『うむ、父と母が旅行に出ていてな、兄も出掛けていて数日戻らない。今我が家に存在している生物は私とダニやゴキブリや蚊《か》などの虫しかいないのだよ』
なんていやな説明だろう。ぼくの知る限り一人だけだと説明するのにゴキブリやらダニやら出した人は初めてだ。
『という訳で、一つだけ困る事がある。前言ったように私は料理ができない。栄養を摂取《せっしゅ》するだけの料理ならできるだろうが、それだと心の栄養が足りなくなってしまうだろう。そう、これから数日、私には食べる物がないという事だ。餓死《がし》はしないが、心が飢餓《きが》を起こしてしまいそうなのだ』
また、おおげさな…………
『はじめ君、今、君はおおげさだと思ったね?』
うわっ図星《ずぼし》だ。
『では、この数日で私がどうなるのかシミュレーションしてみよう。心の栄養の欠乏によりやる気が大幅に減退し、家に引きこもる。引きこもった事で君に会えなくなってしまい、愛メーターが徐々に減少。やる気の減退により食事もしなくなり、栄養も足りなくなるだろう。そして……』
「あーもういいです、わかりました。よーっくわかりましたから」
『そうかね、これからが良いところだというのに。引きこもりの極限|状態《じょうたい》で神を見た私が、世界中を愛で満たすという壮大なストーリーが……』
……なんで、話がそこまで飛ぶんだろう。
『まぁ、そういう訳で夕飯でも作りにきてくれないかね?』
「はい、どういう訳でそうなるのかはわかりませんけど、いいですよ。先輩の心が餓死するのをただ見ているだけというのも忍びないですし、特に用事もなくて暇《ひま》ですし」
『愛がない言葉だね、特に後半』
「気のせいですよ」
おおっ、今ぼく先輩をうまくあしらってない?
『昔の君なら。一も二もなく了承していてくれただろうに……昔の純粋で無垢《むく》で汚れのかけらもなかった君が懐《なつ》かしい』
「一体|誰《だれ》がその純粋さを奪ったと思ってるんですかっ!?」
『私だとしたらうれしいな。誰の足跡もついていない真っ白い雪に足跡をつける快感のような下卑《げび》た感情が心の深層から浮かび上がってくるよ』
あっという間にペースを奪い返された。
気持ちはわからなくもないけど、ぼくも雪に足跡つけるの好きだし。
でも……汚される側になるのはとてもいやだなぁ。
『まあ、それはともかく。君の料理を楽しみにしてるよ』
「はい、わかりました」
そうか、今日《きょう》はお弁当じゃなくて作りたてを食べてもらえるんだ。う〜ん、なんかやる気出てきた。
「それで何時くらいに行きましょうか?」
『そうだね…………午後3時くらいに料理の材料を持って家を訪ねてくれたまえ。材料代は私持ちなので、かかった経費は報告するように。その他《ほか》の別プランとしては、二人で仲良くスーパーで夕飯の食材を買い物するという、さわやか青春カップル大作戦がある。
その場合は2時|頃《ごろ》、学校の制服を着てきてもらいたいのだが……』
「3時に訪ねることにします」
『まぁそれでもかまわんが。それではまたあとで会おう。楽しみにしているよ』
「はい、それでは」
ピンポ〜ン
先輩《せんぱい》の家に呼《よ》び鈴《りん》の音が響《ひび》いた。
「こんにちわー山城《やましろ》ですー」
ぼくはインターホンに向けて話し掛ける。
洋風の豪奢《ごうしゃ》な建物、先輩の家は相変わらず大きくて立派だ。ぼくんちの倍はありそうだ。実際あるし。家の大きさに比例して、目の前のドアもものすごく立派。ぼくはそのドアの前にボーッと立つ。手持ち無沙汰《ぶさた》なんで空を見上げた。
あー曇《くも》ってるなぁ、風も少し強いし。雨降るかも……帰る時降ってないといいなぁ。天気予報なんて言ってたっけ…………あれ? そういえば、ここ数日天気予報見てないなぁ。いつもならテレビ見てるとかってに流れるから結構見てるんだけど。……まあ、こんな時もあるかな。
そんな感じでしばらく空を眺めてたぼくだけど、家の中で誰かが動く気配《けはい》が全くしないのでもう一回チャイムを鳴らしてみる。
ピンポ〜ン
…………やっぱり人の気配がしない。
あれー? どうしたんだろう。この時間にこいって言ったのは先輩《せんぱい》なのに。
ぼくは腕時計で時間を確認《かくにん》する。お姉《ねえ》ちゃんにもらったかわいらしいデザインの時計だ。これで時間を確認して、確実にデートの時間に遅れたり早めについたりしなさいって言われたんだけど、確実に時間を守らなくてどうすんだって思う。ちなみに、待つ時は一時間、遅れる時は5分だそうだ。で、言うセリフはけなげな笑顔《えがお》で「ううん、今きたところよ」と、申《もう》し訳《わけ》なさそうに息を切らしながら「ごめんなさい、待った?」…………いや先輩は大喜びしそうだけど。
それはともかく今の時間は……うん、お昼の3時。間違いない。時間ぴったし。早くこれ冷蔵庫《れいぞうこ》の中に入れたいんだけどなぁ。ぼくの手には、料理の材料が入ったビニール袋。夏だから生物関係は痛みが早いし。今日《きょう》は曇《くも》ってるからまだましだけど。
……電話掛けて見ようかな、ぼくがそう思って携帯電話を手に取った時、携帯電話が鳴った。
でーでん   でーでん  でーでんでーでんでーでん……
…………先輩から掛かってきた時の着メロは鮫《さめ》映画の音楽。
前に先輩が、私はこれがいいとか言って勝手に設定した。これ人前で鳴ると結構|恥《は》ずかしいんだけど。なんとなく不安をかきたてる音楽だし。食べられそうだし。
「はい、もしもし」
「ああ、私だ。はじめ君、もうついたかね?』
「はい、今先輩の家の前です」
『そうか、すまないが勝手に入っていてくれないか? 少々|野暮用《やぼよう》で出ているのだ。一応遅れた時の事を考えて郵便受けの中にカギを入れておいたので、それを使ってくれたまえ』
「わかりました。で、いつ頃《ごろ》帰れそうです?」
『そうだね……夕方には帰れると思う。まあ、それまでの間、料理の仕込みでもしておいてくれたまえ。楽しみにしているよ』
「はい、それは任せてください」
『ではまたあとで』
「はい」
野暮用って…………考えるのやめとこ。やな想像しか浮かばないし。てゆーか先輩の言う野暮用っていっつもろくでもないことばかりなんだよね、ぼくの経験《けいけん》からいって。
……まあ、考えてても仕方ないしさっさと入ろう。
ぼくは、先輩の言った通りの場所にあったカギを使い、家の中に入った。
ぼくは、食材を冷蔵庫に入れるために真っ先に台所に向かった。勝手知ったるなんとやら、先輩の家の間取りはだいたいわかってる。台所でぼくの目に一番に入ってきたのは、ダイニングテーブルの上にきちんとたたんで置かれたエプロン。真っ白なフリルで、胸のところにピンクのハートがアップリケしてある。局地戦闘《ダイニングせんとう》型エプロン若奥様仕様って感じだ。これを着て料理しろってことかな。ほんと、先輩《せんぱい》らしいなぁ。まあ、これくらいならいいか。
ふっ、今まで数々の修羅場《しゅらば》(戦隊物、悪の女幹部、魔法《まほう》少女)を経験《けいけん》してきたぼくにとっては、こんなエプロンなんか苦にもならな…………だめだ、泣けてきた。
でも、エプロンの横に置いてあるお玉が意味不明だ。なんか妙な波動を感じる気がするけど…………まっいいか。
ぼくは考えるのをやめた。先輩のことだからこれにもなにか変な意味があるに違いない。だからこそ、考えない方がいい。どうせ理解できないし。じゃあ料理を始めよう。
ピンポ〜ン
鼻歌なんか歌いながら、気持ちよく包丁を振り回していたぼくの耳にチャイムの音が響《ひび》いた。
「あっ、はーい。今行きますー」
先輩かな? …………でもなんでチャイム鳴らすんだろう。
ぼくはそんなことを考えながらエプロンを脱ぐと、あわてて玄関に向かう。
その間、時間があったにもかかわらず、チャイムを鳴らした誰《だれ》かは入ってこない。先輩じゃないのかな? ぼくは一応のぞき穴から確認《かくにん》してみる。
…………先輩だ。
のぞき穴のレンズにはおもしろく歪《ゆが》んだ先輩の姿が映っている。なんで入らないんだろう。カギ開いてるのに。
ぼくは、扉《とびら》を開ける。そこに立っているのはやっぱり先輩、持ってる荷物はなにもない。いったい、どこ行ってたんだろうか。ぼくはそんな先輩に向けて言う。
「おかえりなさい、どこ行ってたんですか?」
そんなぼくを見て先輩は悲しそうな顔をした。
とてもとても悲しそうな顔。その顔のまま顔を左右に振る。
一体なんだろう、このリアクションは。ぼく今なにか変なこと言った? 言ってないよね?
まったく訳《わけ》のわからないぼくに先輩が言う。
「……………………はじめ君、違う。君はとても間違っている」
「え? なにかおかしかったですか?」
ぼくは自分の台詞《せりふ》を思いだしたり、自分の格好《かっこう》を見下ろしたりする。別に変なところなかったよね。
「私は5分ばかり時間を潰《つぶ》してくる。その間に、今、君が何を間違ったかを考えてくれたまえ」
先輩《せんぱい》はそう言うと、時間を潰《つぶ》しに歩いていく。
扉《とびら》の前にぽつーんと一人残されたぼく。ぼくはなにを間違ったのか。うーん、これはやっぱり先輩の趣味《しゅみ》と違ったってことだよね。う〜んう〜〜ん。ぼくはそう考えながら扉を閉めると台所に向かって歩き始める。
その時さっきの記憶《きおく》が蘇《よみがえ》った。台所に入った瞬間《しゅんかん》目に入ったもの。ああっあれだ! あのエプロンだ!! あの、不可解なお玉の理由もわかった。あれを持っておけということだ。
…………あー……先輩らしいなぁ。
でもこれで問題解決だ、こそばゆくて恥《は》ずかしいけど、これくらいのことは我慢《がまん》しよう。どうせ、先輩にしか見られないんだしね。
……ほんと、少々のことじゃ動じないぼくがいるなぁ。まったく。
ピンポーン
また呼《よ》び鈴《りん》が鳴った。
「おかえりなさーい」
笑顔《えがお》で先輩を出迎えるぼく。若奥さんエプロンで、手にはお玉。……完璧《かんぺき》だ。
「……………………………………………………………………………………………………」
なのに先輩は黙《だま》ったまま。
あれ? また間違えた?
恥ずかしいから、誰《だれ》かにこの姿を見られる前にこの扉を閉めたいんだけど。
そんな顔が真《ま》っ赤《か》になっているだろうぼくに向けて、先輩がゆっくりと言う。
「……服装は良い。服装は良いのだ。だが…………いや、みなまで言うまい。また五分ほど時間を潰してくる事にする。君なら自分の間違いに気づく事ができるだろう。私は君を信じているよ」
また去っていく先輩。信じていると言われたのに全然うれしくない。こんなことで信じられてもね…………
ぼくは歩き去っていく先輩の背中を見る。
今度は一体なにを間違った? ……って薄々《うすうす》だけど気づいているぼくがいるんだけど。考えないようにしてたというか、考えたくなかったというか。
新妻《にいづま》エプロンにお玉。………………たぶんあれだ。間違いない。
でも、あれだけど……ぼくは言われることにロマンは感じても、言うことは考えたこともなかったんだけど。
うう……ああ…………ぼくがあれを言わないといけないのか。うわっ、想像しただけで顔から火が出そうだ。恥ずかしすぎる。さすが先輩、確実《かくじつ》にぼくのいやなところを突いてくる。でも、あれを言わない限り先輩《せんぱい》は絶対この家に入ってこない。何度でも、いつまでも今の行動を繰《く》り返すだろうと思う。先輩だし。
ここは…………やるしかないか。
いつかは言わされてしまうんだから、今のループは早めに終わらしといた方が良いはず。
はぁぁ………………よしっ!!
ぼくは一つため息をついたあと、気合いを入れた。
さあ、先輩いつでもかかってきてください!!
ピンポ〜ン
準備《じゅんび》万端《ばんたん》待ちかまえたぼくの耳にチャイムの音が届く。
今回は帰ってくるのが早い。
「は〜い、ただいま〜」
わざわざ台所で待ち構えていたぼくは、スリッパの音をパタパタ響《ひび》かせながら玄関に向かう。先輩が求めているのはこの行動のはずだ。こういう細かなこともこだわりそうだしね。
玄関に着いたぼくは、ドアノブに手をかけ一息つき、一気に開いた。
「おかえりなさいませ〜、ごはんにする? お風呂《ふろ》にする? それともわ た し ?」
早く終わらせたいので一呼吸ですべてを言いきる。よし完璧《かんぺき》。これで終わりだ! ようやく解放される……と安心したことで、ようやく周囲を見る余裕ができたぼく。そんなぼくの目の前に……知らないおじさんが立っていた。
「………………………………………………………………」
「………………………………………………………………」
時が凍《こお》った。
「……………………………………………………………………………………………………」
「……………………………………………………………………………………………………」
いったいどのくらい経《た》っただろうか。恐ろしいまでの沈黙《ちんもく》が続く。ぼくにとっては永劫《えいごう》の時間にも等しい数分間がすぎ、ようやく時が動きだす。
「……あの………………夕日《ゆうひ》新聞ですが……」
よっぽど意表を突かれたのか、しどろもどろという感じの新聞|勧誘《かんゆう》のおじさん。
「………………………………………………ごめんなさい……いりません」
下を向いて真《ま》っ赤《か》になっているはずの顔を隠《かく》し、消え入りそうな声でかすかにつぶやくぼく。
……………………………………消えてなくなってしまいたい。
「…………そっそうですか。ではまたの機会《きかい》に」
「…………………………………………………………はい」
おじさんが去ったあと、ぼくは玄関にぼーぜんと立ち尽くしていた。
どれくらいそうしてたんだろうか。
耳に入ってきたチャイムの音でぼくはどうにか覚醒《かくせい》する。
…………先輩《せんぱい》が帰ってきた。
ぼくはのろのろとドアノブに手をかけ扉《とびら》を開ける。
立っているのが先輩なのかを確認《かくにん》。とってもいい笑顔《えがお》を浮かべた先輩が立っている。そこでようやくぼくは口を開く。
「おかえり…………なさい。ごはん……にする? うっ……お風呂《ふろ》に……する? それとも……ううっ……わ た し ?」
「もちろん君で」
バタン
無言で扉を閉めるぼく。
ガチャ
先輩が扉を開ける。
「なんだね、いきなり。それに台詞《せりふ》も格好《かっこう》も完璧《かんぺき》だったのだが……リアクションが私の予想と違っていたな。予想では、恥《は》ずかしそうに、かつかわいらしく頬《ほお》を染《そ》めている君がいるはずだったのだが。今の君は悲壮感にあふれていた。何かあったのかね?」
この先輩《せんぱい》の言葉が引き金になった。
脳内で再生されるさっきの出来事。
「うっうっうわあああああああああ」
……………………ぼくは、恥《はじ》も外聞《がいぶん》も捨てて思いっきり泣いた。たぶん、今なら男でも泣くことが許されると思う。
男が泣いていい時は、親が死んだ時、失恋した時、財布を落とした時の三つだというのをどっかで聞いたことがある。だけどぼくはそれに、「おかえりなさいませ〜、ごはんにする? お風呂《ふろ》にする? それともわ た し ?」という台詞《せりふ》を赤の他人に聞かれてしまった時というのを付け加えたい。
ぼくの今にも壊《こわ》れてしまいそうな心を救うには、タイムマシンか人の記憶《きおく》を消す機械《きかい》が必要だ。最悪|13《サーティーン》の人でもいい。お願《ねが》いだから誰《だれ》か助けて…………。
「はっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっ」
「………………………………」
笑いすぎて涙まで流している先輩。無言で先輩を見つめるぼく。いや、かなりむかつくんだけど。ぼくが泣きながら理由を説明し終えたあとの先輩のリアクションがこれだ。
なんか先輩のツボに入ったらしい。笑うなと言わないけど、もっとぼくを思いやってくれてもいいんじゃないかと思う。確《たし》かに他人《ひと》から見たら喜劇《きげき》かもしれない。でも、ぼくからしたらものすごい悲劇だ。トラウマランキングの上位に入るのは間違いない。
そんなぼくをまったく気にせずに笑い続ける先輩。先輩は5分ぐらい笑い続けたあと、涙を拭《ふ》きながら言った。ようやくしゃべれるようになったらしい。
「うっ……くっ……それで君は…………新聞の勧誘員《かんゆういん》にあの台詞を言ってしまった訳《わけ》だ」
「…………そうです」
「……………………ぷっ……いや失礼」
……一体|誰《だれ》のせいでこうなってると思ってるんですか。
ぼくの責めるような視線《しせん》に気づいたのか、先輩がまじめな顔で言う。
「ああっ、赤の他人にかわいらしい君の姿を見られてしまったのだね。激《はげ》しい嫉妬《しっと》で今にも狂ってしまいそうだよ」
でも、頬のゆるみを見逃《みのが》すぼくじゃない。
「…………うれしそうですね」
「そんな訳ないだろう? 愛する君の恥ずかしい姿を他人に見られてしまったのだ。私の胸は憤怒《ふんぬ》の炎で燃《も》え尽きてしまいそうだ」
「そういう言葉は、表情と台詞《せりふ》を一致させてから言ってください」
どうしようもなくにやけてるんですよ、顔が。
「いやいやいや流石《さすが》ははじめ君、私が仕込みを入れなくてもこれだ、君は私にだけでなく神にも愛されているんだろうね。…………今回君を愛したのは笑いの神様か」
ぼくは、笑いの神様に愛されても別にうれしくない。
「では、食事をする事にしよう」
「……まだできてません、先輩《せんぱい》がじゃましまくりましたので」
「……では、いつできるのだね」
「……………………ぼくの傷心《しょうしん》が癒《いや》された頃《ころ》です」
正直なにかしようって気になれない。やる気ゼロ。動くことどころか息をするのもめんどくさい。
それを聞いてまじめに慰《なぐさ》め始める先輩。
「…………はじめ君」
「…………なんですか?」
ぼくはうなだれてた顔を上げる。
ぼくが見たのは今までにないような真剣な顔。夕食がかかっているので、本気モードになったらしい。
先輩がぼくの目を真正面から見つめる。うあ、そんな場合じゃないんだけど、どきどきしてきた。
そんなぼくに先輩が、ゆっくりと口を開く。
「長い人生、一度や二度はこんな事はあ……」
「ある訳《わけ》ないでしょう!! 人の平均寿命が今の倍あったってそんなレアなイベントに遭遇《そうぐう》できる人なんていませんよっ!!」
「ごちそうさま」
「……おそまつさまでした」
あれから、傷心のまま料理を完成させたぼくがいた。全体的に塩味がきいていたのは、気のせいじゃない。
「流石《さすが》ははじめ君、とても美味《おい》しかったよ。いつもの弁当も美味《びみ》だがやはり温かいと違うな」
テンションは低いけど、ほめられて、先輩が喜んでくれてうれしくない訳はない。
「はい。今日《きょう》は弁当に入れられないような物を重点的に作ろうと思ってたので」
温かい揚げ物に、スープなんかもつけてみた。作ったのは全部先輩の好きな物ばっかりだ。
「うむ、今後もたまに頼みたいな。家《うち》の母も喜ぶよ、娘と台所に立てるとな」
「それくらい先輩《せんぱい》がしてあげてくださいよ」
まったく、うちのお姉《ねえ》ちゃんといい先輩といい。
「いや、もう私は息子になってしまったしな。さて、これからどうするかね?」
「えっこれからですか?」
……うーん、特になにも考えてなかったなぁ。
「君に案がないなら映画でも見ようと思っているのだが。さっき出ていたのは、映画を借りに行っていたのだ」
「そうだったんですか。てっきりぼくにあの台詞《せりふ》を言わせるためかと…………」
あっ、だめだ、できたてほやほやのトラウマ思いだして涙が出てきた。うう……あのおじさんの記憶《きおく》消したい。ついでに自分の記憶も。
「まあ、そっちが本命だったのだが」
「……………………先輩」
「はっはっはっそれでは、映画を見よう。最近映画を見るため、部屋を一つ完全防音にしてね」
おおーすごい
「どうだね、うちの自慢《じまん》のシアターシステムは」
「すごいです」
ほんとすごい。6畳《じょう》ほどの部屋に、なんインチあるかもわからない大きなテレビ、スピーカーも部屋の四隅《よすみ》に置いてあり、部屋の真ん中に座り心地《ごこち》のよさそうなソファが置いてある。
「完全防音、雨戸を閉めれば外から光も入らない。まさに外界から隔離《かくり》された空間、映画を見るにはうってつけの環境《かんきょう》だろう? 最近父にねだって部屋まで改造したんだよ」
流石《さすが》お金持ち。これは……今まで考えてなかったけど……ぼくって玉《たま》の輿《こし》に乗ろうとしてるのかな? …………逆玉かな?
「では、トイレに行くなら今のうちだ。映画は中断せずに一気に見るというのが私の流儀《りゅうぎ》だ。映画の途中《とちゅう》で席を立つなど言語道断!」
「いいです、さっき行ったんで」
ぼくは物珍《ものめずら》しげに部屋をきょろきょろ見回しながら答えた。ほんとすごいなぁ。
「では、座りたまえ」
「あっ、はい……うわっやわらかっ!」
「座り心地が良いだろう?」
「はい、すごいです」
……ほんとすごすぎ、居心地《いごこち》よすぎ。
先輩《せんぱい》はこのものすごい設備で、変な物ばっか見てるんだろうなぁ。……今、ぼくの頭をよぎったことわざは猫に小判。
「では上映開始だ」
先輩は借りてきた映画をDVDプレイヤーに入れる。
……いったいなにを借りてきたんだろう。先輩の趣味《しゅみ》だと、超B級とかそんな感じなんだろうけど……ぼくがそんなことを考えているうちに準備が終わったらしい。
「やはり今回のように二人きりで映画を見る場合はラブストーリーだろうと、少し前に一世《いっせい》を風靡《ふうび》した超大作ラブストーリーを用意した。あの超|豪華《ごうか》客船が沈むやつだ」
「ええ〜〜〜〜っ!!」
「……なぜそこで驚《おどろ》く」
心外だという感じの先輩。
「えっと、ものすごく予想外だった物で」
正直今でも信じらんない。先輩が、こんな無難《ぶなん》な映画を選《えら》ぶなんて。
「いったい君は私を何だと思っているね。私の心は、18歳のうら若き乙女《おとめ》だよ?」
18才のうら若き乙女は、色々仕組みまくって「おかえりなさいませ〜、ごはんにする? お風呂《ふろ》にする? それともわ た し ?」なんて台詞《せりふ》をぼくに言わせようとはしないと思います。……ああっ、だめだ、また思いだした。思いだすな思いだすな思い出すな……
「と、言いつつも君の言いたい事はわからないでもない。今回この映画を選んだのはね、恋人同士が見る定番映画だという事もあるが……一番の理由としてはひねくれた私は今まで一度も見た事がないのだよ。私はブームに逆らいたくなるのだ」
…………ほんとひねくれてるなぁ。
「それで、君はどうだね? この映画を見た事あるのかね?」
「テレビでやってるのを見ました。ただ少し見逃したところが……」
「ならちょうど良かったな」
「はい。それにこの映画を選んだ理由が、どんな理由だとしてもうれしいですよ。先輩と恋愛映画を二人きりで見るなんてあり得ないと思っていましたから」
ああっ、これが普通の恋人同士って感じなのかなぁ。先輩と出会ってから一年三ヶ月、ようやく、ようやくここまで。
ううっ、うれしい。ものすごくうれしい。そして、こんなことで泣けるほどに感激《かんげき》してしまう自分が悲しい。
「喜んでもらえてうれしいよ。では、上映開始だ」
先輩が灯《あか》りを消した。
ゴ――――――――――――――――――――
玄関のドアを開けるとそこに広がっていたのは別世界。ものすごい風が吹《ふ》き、激《はげ》しい雨が地面を叩《たた》いている。お向かいの庭木が折れそうなほどにしなっている。
「ふむ、流石《さすが》オーラ君、時間通りだ…………」
聞き捨てならない先輩《せんぱい》の言葉。まっまさかこれは………………
「それはともかく、この嵐《あらし》ではもう帰れないな。今日《きょう》は泊まっていくと良い」
そう言って先輩は…………ニヤリと笑った。
はっ謀《はか》られたっ!!
先輩はこれをねらってたんだ!!
さすがオーラ君とか言ってるのは、オーラに正確《せいかく》な天気予報を教えてもらってたに違いない。……台風作って連れてきたとかいうのはさすがにないと思うけど…………ありえないって言いきれないのが恐ろしい。
そして、天気予報見てなくて台風がきてるのを知らなかったのも、うちの家族に先輩が頼んでいたに違いない。ぼくに天気予報を見せないでって感じで。考えてみたら、新聞すら見てないぞ? 用意周到な…………ていうか、なんで家《うち》の家族は協力するんだ? 息子ってゆーか娘の大ピンチなのに。……あの家族ならしょうがないか。
映画を見ようって言ったのも、台風の接近に気づかせないためだったんだ。あの部屋は完全防音だったから、外がこんな嵐なのに、音がまったく聞こえなかったし。
……はっ! まさか!! このためだけにあの部屋作ったんじゃないか? ……………………いやいや、早まるなぼく。さすがの先輩でもそこまでは。
他《ほか》にはあの映画を選《えら》んだのも長い映画だからで、トイレに行っておけって言ったのもあの部屋から出さないため。みんなみんな…………
ぼくは先輩の顔をちらりと盗み見る。先輩がとてもうれしそうだ。その顔を見てぼくは確信した。ぼくが考えたことは正解だ。あれもこれもそれも先輩の計画だった。そして先輩の計画の最後の仕上げは…………
「いやです! 帰ります!」
先輩と二人きりで夜を明かす。それは今までにも何回かあったけど、今回は今までとは違う。先輩が、仕組んで今の状況になったんだ。…………ものすごく身の危険を感じる。帰らないと! なにがなんでも帰らないと!!
「そうかね、それは残念だ。…………無理には引き止めないが。では、これを差して帰ると良い。君は傘《かさ》を持っていないだろう?」
あれ? いやにあっさりと。しかも、傘まで貸してくれるなんて……。いやいや、気にするな。ぼくは家に帰るんだ。
「ありがとうございます。それでは先輩《せんぱい》、さようならっ!!」
「ああ、ではまた…………」
ぼくは傘《かさ》を差すと嵐《あらし》の中に飛びだした。
「やあ、おかえり」
「………………ただいま」
5分後、先輩の家の玄関に立っているぼくがいた。にこやかに迎えてくれたのは先輩。
「大型で非常に強い台風16号、最大|瞬間《しゅんかん》風速40メートル。これがこの台風だ。警報《けいほう》の類《たぐ》いが軒並み発令されている。この嵐の中帰るのはさすがに危険だね」
勢いよく家を飛びだしたぼくだけど、少し歩いただけでギブアップして戻ってきた。いや、風が強すぎて普通に歩けないし、傘は折れてふっ飛んでったし、なんか普通なら飛びそうにない看板とか飛んでたし、雨も強いし、この台風の中帰るのは危なすぎる。確認《かくにん》してないけど、電車も止まってるだろうし。
でも、この先輩の家の中もそれはそれで危険なんだけど。命の危険がないだけまだマシ…………かもしれない。
そんなこと考えてるぼくは今、全身びしょびしょで、水もしたたるいい女|状態《じょうたい》。ポタポタ水滴を垂《た》らしながら玄関に立っている。
そんなぼくに、準備していたタオルを渡してくる先輩。すべての行動が先輩の予想通り。相変わらずぼくは、先輩の手のひらの上で愉快《ゆかい》に踊ってるんだろう。少し……というか、かなりしゃくだ。
「そのままでは風邪《かぜ》をひく。とりあえず温かいシャワーでも浴びたまえ、その間に君の着替えを用意しておこう」
「………………わかりました」
とても優《やさ》しい先輩、いつもならうれしいんだけど……今は下心が見え見えで怖い。
「………………はじめ君」
「なんですか?」
「………………違うだろう?」
「なにがですか?」
先輩がぼくの目を真《ま》っすぐ見つめて言った。本日二度目の先輩のダメ出し。
「わざわざ、私が真っ白いYシャツを用意したのだよ? 君が全身ずぶ濡《ぬ》れなのを知っていて、にもかかわらずYシャツ1枚のみを君に渡したのだよ? その裏に存在する意図を察してくれても良いだろう? 君と私の仲なのだし」
「はぁ」
シャワー浴びて帰ってきたぼくに先輩《せんぱい》がそんなことを言った。相変わらず訳《わけ》のわからないことを…………。なんかさっきよりもとても哀《かな》しそうだ。なんで、こんな裏ぎられた〜〜って顔されないといけないんだろう。
「何だね、その返事は。君は今、男のロマンを完膚《かんぷ》無《な》きまでに粉砕《ふんさい》してしまった事に気がついているのかね?」
「はぁ」
哀しそうな顔でとくとくとぼくを諭《さと》す先輩と、どこまでも冷《さ》めたぼく。
「君はなぜ……なぜ下を穿《は》いているのだね?」
下…………スカートのことかな?
「いや、なんというか…………一般|常識《じょうしき》?」
「そんな一般常識など捨ててくれたまえ。今のシチュエーションで君の取った行動は、非常識と言っても良いだろう。そう、君の行動の指針となるべき常識は他《ほか》に在ったのだ」
一体それはどこの世界の常識だ。スカート穿いて、なんでここまで文句を言われなければいけないんだろうか?
「今ここで重要なのは、大雨→ずぶ濡《ぬ》れ→彼氏の家で雨宿り→これでも着ててくれたまえ、いつまでもそんな格好《かっこう》でいると風邪《かぜ》ひくぞ→ぶかぶか裸Yシャツ。そう、このコンボこそが今君の取るべきだった常識的な行動なのだよ」
本気の言葉で語り掛けてくる先輩。だからどの辺が常識的な行動なんだろう?
でも、先輩がなんでここまで必死なのかがやっとわかった。そのロマンもわからない訳でもない、ぼくも15年ほど男やってきてた訳だし。
……だけどこんな馬鹿《ばか》な理由で納得《なっとく》する訳にはいかない。見ると着るとじゃ大違いなんだら。
「背の高いその身体《からだ》では、兄のYシャツでも小さいだろうと、わざわざ大きめの物を用意したというのに…………」
なるほど。だから今ぼくが着てるYシャツがぶかぶかなのか。シャツのすそは太ももの辺《あた》りまでくるし、そでからは指の先が少し出る程度だ。
「という訳でリテイク、シャワーからやり直してくれたまえ」
「えー」
いやな顔をするぼく。そんなぼくに、捨てられた子犬のように目を潤《うる》ませ対抗する先輩。
「……はじめ君」
うるうるうるうる
………………どうする?
と、先輩《せんぱい》の、瞳《ひとみ》が問い掛けてくる。新たな技を手に入れた先輩。
ああ、だめだ。この瞳には逆らえそうにない。
この技は小谷《こたに》家の双子のものだったはずだけど……またいやな技を手に入れたもんだなぁ。
「………………はぁ」
…………どうするって最初から決まってるよね。
しょうがない、恥《は》ずかしいけどどうせ見てるの先輩だけだし、先輩の願《ねが》いをかなえてあげるとしよう。
「……わかりました」
「本当かね! 流石《さすが》はじめ君だ」
満面《まんめん》の笑《え》みで喜ぶ先輩。
この笑顔《えがお》を見ると、なんでもやってあげようって気になる。
ほんとぼくって、先輩に甘いなぁ。
………………失敗した。
ぼくは心の中でつぶやく。
いや、いつも通りなんだけどね。いっつも情にほだされ先輩の言うことを聞いてしまって、後悔《こうかい》する。
今回の場合、なにを失敗したかというと…………もちろん裸Yシャツだ。
下|穿《は》いてないとものすごくスースーする。スカート初めて穿いた時もそう思ったけど、今のスースーさはスカート以上だ。
それにYシャツの布の薄《うす》さがとても心細いというかなんというか。一応下着は着けてるから厳密《げんみつ》に言えば裸Yシャツじゃないんだけど。
そんな居心地《いごこち》悪さを感じてもじもじしているぼくをしみじみと見つめている先輩。
「ああ…………いいな…………とても良い」
先輩は何をする訳《わけ》でもなく、じ―――っとぼくを観察《かんさつ》し続けている。
「あの…………先輩」
「何だね?」
「そう、じーーーっと見られていると居心地が悪いというか……」
「気にしないでくれたまえ。空気だとでも思ってくれれば良い」
「空気はそんなねっとりしてません!」
「熱帯《ねったい》雨林《うりん》の湿度をなめてはいけないな、湿度ほぼ100パーセントなどというところもあるらしいぞ?」
「ここは日本です!!」
そんな、いつも通りっぽい掛け合いを続けつつも、じ―――っとぼくを見つめている先輩《せんぱい》。
「………………………………」
「………………………………」
…………なんだろう、この空気は。ピンク色がついているように感じてしまう。
その時、どこかから小さく電話の音が聞こえた。ちょっと前にヒットした女性グループの曲。この曲は……嵐《らん》ちゃんだ! 確《たし》かシャワーを浴びる時に脱衣所に置いたまんまだっけ。
渡りに船とはこのことだ。ぼくは急いで携帯電話を取りに行く。これで一時的にでも、あのピンク色の空気から脱出できる。
ぼくはぺたぺたという足音を響《ひび》かせながら走る。
「はい、もしもしー」
『ああっ、やっと繋《つな》がった。お姉《ねえ》さま! 大丈夫? 無事? 無事なの? つばさになんか変なことされてない?』
いきなり、耳がきーんとなるほどの大声が鼓膜をふるわせた。あまりの高い声に超音波とか出てそうだ。ぼくは携帯電話を耳から少し離《はな》しながら答える。
「うん、今のところは…………されまくってるかも」
『いや〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!』
今度は手を伸ばして、限界まで携帯電話を耳から離す。こっ鼓膜が痛い。嵐ちゃん声高すぎる。
お姉さまが、アタシのお姉さまが〜〜〜という声が電話口から漏《も》れてる。
しばらく、超音波を発し続けていた嵐ちゃんだけど、不意にその声がやんだ。そしてどたばたと誰《だれ》かが誰かを追いかけ回す音が流れたあと、少し低めの声が聞こえた。
『あーはじめ?』
この声は……うちのお姉ちゃんだ。一美《ひとみ》お姉ーちゃん、返して、返して〜。という嵐ちゃんの声が小さく聞こえる。お姉ちゃんが嵐ちゃんから電話を奪いとったらしい。電話越しのぼくでさえここまで耳が痛くなったんだから、ぼくの家はすごいことになってるんだろう。
『そっちはどう?』
落ち着いたお姉ちゃんの声が耳に心地《ここち》よい。
「うん、大丈夫。でも、台風で帰れないから、先輩の家に泊めてもらうよ」
『そう…………がんばるのよ』
「なにをっ!?」
『痛いのは最初だけだから』
「だからなにをっ!?」
『とうとうはじめも大人《おとな》に…………』
「だからなに言ってんの!?」
電話の向こうで、きゃーいやーお姉《ねえ》さま逃げてーはやく、はやくー、と嵐《らん》ちゃんが暴《あば》れてるのがわかる。
『じゃ、幸運を祈るわ』
「だからなに〜〜〜〜〜っ!?」
プッ…ツーツーツーツー
………………切れた。人の不安をあおるだけあおって切った。なんて人だ。
ぼくが携帯電話片手に固まってると、後ろからやな笑い声が聞こえてきた。
「ふっふっふっ」
「…………なんですか、その笑い声は」
いつの間にかやってきていた先輩《せんぱい》が、怪《あや》しげな笑《え》みを浮かべ言った。
「いや…………、家族への連絡は終わったようだね」
「…………終わりました」
「さぞかし心配していた事だろう」
「いや、全然」
かけらも、まったく。
「嵐ちゃんは今にもここまでやってきそうな勢いでしたが」
「ふふっ嵐君らしい。だが…………流石《さすが》の嵐君もこの台風ではここまでこれないだろう」
「…………そうですね」
「……………………」
「……………………」
「………………………………………………………………………………二人きりだね」
びくっ
思わず身体《からだ》が震《ふる》えた。今の雰囲気で言われると……
「そっそうですね」
ぼくはびくびくしながら答える。
「先輩………………なんでそうぼくのほうににじり寄ってくるんですか?」
「それはね…………君の事が大好きだからだよ」
「先輩…………なんでシャツのボタン外してるんですか?」
「それはね…………暑いからだよ」
「先輩…………なんでぼくのシャツのボタン外そうとしてるんですか?」
「それはね………………………………君を食べるためさ――」
「うぎゃーっ!!」
ぼくは逃げだした。
「はっはっはっ良いではないか良いではないか」
そんな馬鹿《ばか》なせりふを吐きながら追い掛けてくる先輩《せんぱい》。
「よいではないかよいではないかって、先輩いつの時代の人ですかっ!!」
「一度言ってみたかったのだ。あとは…………嫌《いや》よ嫌よも好きのうちという言葉も使ってみたい」
「一生使わなくていいです!」
走りながら、ぼくは先輩に突っ込む。いや、突っ込んでるような状況じゃないんだけど、つい……。
それはそうと、捕まるのも時間の問題だ。いくら先輩の家が広いからといって、逃げられるところなんてたかが知れてる。今の先輩の方が足速いし。
案《あん》の定《じょう》……
「さあ捕まえた」
先輩が、居間まで逃げてきたぼくを捕まえた。
「ぎゃーーー」
「さぁ、私と夜明けのモーニングコーヒーを飲もうではないか」
いやだー、なんかいやだー。これは…………最後の手段しかない!
とうっ
ぼくは幽体《ゆうたい》だけで逃げだした。
ガクンと崩《くず》れ落ちるぼくの身体《からだ》。その身体を受け止める先輩《せんぱい》。
「ほう、幽体離脱《ゆうたいりだつ》で精神だけ逃げたかね」
さすがの先輩も、ただの抜《ぬ》け殻《がら》に変なことしたりはしないだろう。反応がなくて面白《おもしろ》くないだろうし、ぼくが抜けたら、ただの先輩の身体になるし……そんなことを考えながらぷかぷか浮いてると……
「ふっ」
先輩が笑った。
幽体が抜けてピクリとも動かないぼくの抜け殻の前に、お行儀《ぎょうぎ》よく正座する先輩。
いったいなんだ? なにするつもりだ?
ぼくは、ふわふわ漂《ただよ》いながら先輩の行動を見る。
先輩は目をつむり、手を会わせたあと、厳《おごそ》かに言った。
「いただきます」
ぼくはあわてて身体に戻るとガバッと起き上がる。
「いったいなにしようとしてるんですかっ!」
「いや、ナニをしようとしていたのだが」
「それでうまいこと言ったつもりですかっ!」
ぼくは立ち上がり逃げようとする、だけど先輩に掴《つか》まれてるので逃げられない。
「見損《みそこ》ないましたよっ、先輩がここまで外道《げどう》だとは!」
「愛は人を狂わせるのだよ」
「それは本当に愛のせいですかっ!?」
先輩は少し考えたあと答える。
「……………50パーセントくらいは」
「残りの半分はっ!?」
なに? なんなの? ……生まれつき?
「まぁ、そんな事は良いではないか。さあ、私と一緒《いっしょ》に夜明けのモーニングコーヒーを……」
抱きついてくる先輩。
「うぎゃーーー」
「いや、もう少し色っぽい悲鳴の方が私好みだな。いや〜〜〜〜や、きゃ〜〜などの」
「なに言ってんですかっ! うわわわわわわわわわわ、なにしてるんですか!」
もがくぼく、だけどびくともしない先輩。前も思ったけど、やっぱりぼくの身体の力は強い、この先輩の身体じゃ太刀打《たちう》ちできない。
…………ああ、さようならきれいだったぼく……というより、先輩の身体。とあきらめかけたその時……
ピカッ
窓の外が白く光った。そして、間髪《かんはつ》入《い》れず爆音《ばくおん》が響《ひび》き渡る。
どーん、ごろごろごろごろごろ。
雷だ…………とぼくが理解した瞬間《しゅんかん》、ぱっと電気が消えた。停電だっ!
暗闇《くらやみ》になった瞬間、ぼくの身体《からだ》は反射的に動いていた。ぼくは先輩《せんぱい》の手の中から抜けでる。ああ、助かった。ぼくは真っ暗闇の中、一目散《いちもくさん》に逃げだした。
ぺたぺたぺた、こんこん、ガチャ。
この音は一つ目から、先輩が廊下を歩く音、扉《とびら》をノックする音、そして扉を開ける音。
……………先輩、絶対楽しんでる。わざわざ音を立てて動いて、近づくのを知らせてるんだ。こんな怪談《かいだん》聞いたことあるし。トイレの個室に隠《かく》れたらトイレの端の個室から順番にノックしていくってやつ。そして最後には……
「…………まったく」
ぼくは、逃げ込んだ先輩の部屋でつぶやいた。ここに逃げ込んだのは、先輩の盲点をつこうとしたから。普通ならこの部屋に隠れないと思うからね。だけど、時間|稼《かせ》ぎにしかなっていない。この家が陸の孤島なのは変わらないから、見つかるのは時間の問題。
どれくらい暗闇の中に隠れていただろう。
ジジッという小さな音のあと、蛍光灯《けいこうとう》に光が戻った。
あっ、電気ついた。ただブレーカーが落ちただけだったの?
これでとうとう身を隠す暗闇すらなくなった。もうだめ、逃げられない。
今更電気消したら、ここにいるって知らせるようなものだし。
どうしよ……ぼくは周りを見回す。
あっ、あれは……
電気がついて気がついたけど、先輩の机の上に交換日記帳が置いてある。
そうだ……どうせ逃げられないんだ、日記を書こう。それで、ぼくがなにを思っていたかを先輩に伝えよう。そうすれば、先輩がこんなことをしなくなるかもしれない。
…………微《かす》かな希望だけど。
一心不乱に日記を書いていたら……窓から光が入ってきているのに気がついた。
いつのまにこんなに明るくなったんだろう。よっぽど集中していたのかも知れない。
そこでぼくは気がついた。
「ああっ…………光だ!! …………朝になったんだ。もう、台風も過ぎ去ったんだ」
うれしい、なんかものすごくうれしい。太陽の光がここまで暖かいものだなんて思いもしなかった。
希望……そう、これは希望の光だ! ぼくは先輩《せんぱい》から逃げきった、この身体《からだ》を守りきったんだ。
「やった朝だあ――――」
ぼくは両手でカーテンを開いた。
「ぁ―――――…………」
…………………………………………………………なんだこれは[#「なんだこれは」に傍点]。
ぼくは固まった。脳も身体も、みんなみんな固まった。
……なんで、こんなものが見えるんだ? ぼくの脳が作りだした幻覚? それはともかく、ぼくの希望を消し去ったのは非現実的な光景。
カーテンを開け放った窓から見えているのは…………………………………光り輝《かがや》く空飛ぶ円盤《えんばん》。
「ああっ! 何て素晴《すば》らしいのだろう。何て美しいのだろう。希望に満ちた表情が絶望へと塗《ぬ》り替えられる刹那《せつな》。変化……そう、変化の瞬間《しゅんかん》は美しい。朝から夜へと変わる合間のわずかな時間に訪れる夕焼けが美しいように、子供から大人《おとな》へと変わる最中の少女が輝いているように」
先輩が隣《となり》でなんか言ってるけど、耳から耳へと抜けてるのでなに言ってるのかわからない。
今まで先輩のいろんな変な行動を見てきたけど、…………これは…………極《きわ》めつけだ。
「ああ、ありがとう。とても面白《おもしろ》かったよ」
手を振る先輩。
光るUFOがそれに応《こた》えるように左右に揺《ゆ》れたあと…………ジグザグ飛行で遠くの空に消えていった。
…………オーラって実は暇《ひま》なの? こんなことに手を貸すなんて。……………………ああ、宇宙人が地球にきてるのを知らせるってことになるからオーラにも得があるのか。
にしても、なんて意地が悪いんだろう。ぼくが、助かった〜と喜んだその時突き落とされた。
無人島で船を見つけて手を振ったのに、気づいてもらえなかったような気分という感じかな。
信じらんない。本気で信じらんない。
あまりに常識《じょうしき》外《はず》れの出来事に固まっていたぼく。
先輩はそんなぼくの方を振り向き、怖いくらいの笑顔《えがお》を浮かべた。
「さぁ、はじめ君………………夜はまだまだこれからだよ」
…………ぼくはそこで意識を手放すことにした。
さようなら……お休みなさい…………
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交換日記
8月2日(月)
今日《きょう》は先輩《せんぱい》の家に、不可抗力というか、先輩にはめられて、泊まることになった。っていうか現在進行中ではめられてる。はめられてはめられそうですってはっはっはーもうやけです。天気すら味方につける先輩が怖くて仕方がありません。
で、今日ほど貞操《ていそう》が危うくなった日もありませんっというか、今も危ういんですが。
だからこそ今の気持ちを先輩にぶつけようと日記を書いています。
今も扉《とびら》をノックする音が遠くで聞こえます。そして、そのノックの音が少しずつ大きくなってくるのがわかります。…………なんで先輩はこんな怪談《かいだん》じみた行動取るんですか! これに似た学校の怪談聞いたことありますよ!! 絶対楽しんでるでしょ!?
いつもいつもいつもいつもいつも。思いだしてみたらいろいろ、心当たりがあるんですよ。台風情報|隠《かく》したり、防音の部屋にぼくを閉じ込めてたり。なんで先輩はこう計画的に変なことしようとするんですか! その脳みそをもうちょっと世のため人のために役立ててくださいよ!
そもそもぼくの身体《からだ》は元自分の身体でしょ? もっと大事にしてくださいよ!!
って、今|隣《となり》の部屋の扉がノックされてます。がちゃっと扉を開けて、先輩が部屋に入っていく音が聞こえます。ゴソゴソと音がします。先輩絶対にわざと音出してるでしょ!! どうやったらゴソゴソなんて音出すことができるんですかっ!?
絶対|焦《じ》らして楽しんでるでしょ先輩!!
ああ、もう今何時? 外真っ暗だし、まだ台風いるのかな? 台風さえどっか行けばこの家から脱出できるのに。
ああ……とうとう、今ぼくの隠れてる先輩の部屋の扉がノックされてます。
どうやら、ぼくの貞操はここまでのようです。腹くくります。さようなら、きれいだったぼく。そしてこんにちは、大人《おとな》になってしまったぼく。
あれ、光が
8月3日(火)
いやいや、君の昨日《きのう》の日記は実に素晴《すば》らしかった。
臨場感《りんじょうかん》にあふれていたよ。君の感情が伝わってくるようだった。特に、だんだんと崩《くず》れていく文字と、最後書きかけで止まった文字などは最高だ。
私は昨日《きのう》という日を忘れないだろう。
中でも、朝方コーヒーを持った私に起こされたはじめ君の反応といったらもう…………ああ、たまらない。思いだしただけで頬《ほお》がゆるむ。
はじめ君が存在するこの世界にありがとうと言いたいな。いや、言おう。
ありがとう。
今回の作戦の目的だった、エプロンでお出迎え、裸Yシャツ、二人で夜明けのモーニングコーヒーの三つをクリアできたので、私的には満足だ。
はじめ君の反応がかわいらしかったので、また今度やろうと思う。
追記
思わず、第4の目的を設定してしまいそうだったが、どうにかこらえた。
やはり、美味《おい》しいもの、好きなものは最後にとっておくべきだと思うのだ。
…………その時が今から楽しみだ。
8月4日(水)
なんかニュースで、広川《ひろかわ》市《し》の上空に現れた謎《なぞ》の発光体とかいって大騒《おおさわ》ぎになってるじゃないですか! どうすんですか! 先輩《せんぱい》の趣味《しゅみ》に世界を巻き込むのはやめてくださいよっ! しかもあのUFOが現れた本当の理由が知られたら、UFO研究家の人達泣きますよ!?
それに、一緒《いっしょ》にモーニングコーヒーが飲みたいだけなら、ちゃんと言ってくださいよ! 紛《まぎ》らわしい行動取らないでください!
あと、ちゅんちゅんとかいうすずめの鳴き声のBGMで意味深に起こすのもやめてくださいよ! 朝チュンですか? 朝チュンがしたかったんですか?
……それで今日《きょう》の日記ですけど…………愚痴《ぐち》書いてたら、もう書くところがあんまりないです。なので簡潔《かんけつ》に。
えーと、普通の一日でした…………普通最高!!
PS
はじめ君の反応がかわいらしかったので、また今度やろうと思う。
…………お願《ねが》いですからやめてください。
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花火大会と私
「いやいや、艶《あで》やかだね。素晴《すば》らしいね、今私は男に生まれた喜びを噛《か》み締《し》めているよ、こんなにも美しいものを見る事ができるのだからな」
「一体どこの誰《だれ》が男に生まれてきたって言うんですか」
浴衣《ゆかた》美人と化したはじめ君が呆《あき》れたように言った。
「はっはっはっ。まぁそれは置いておいてだ。その浴衣、とても似合ってるね」
浴衣姿のはじめ君、素晴らしいな。本当に素晴らしい。
はじめ君の浴衣は白い生地《きじ》に、可憐《かれん》な赤い花が彩られている。とても涼しげで、はじめ君に似合っている。帯は薄《うす》い赤、手に持った巾着《きんちゃく》と高下駄《たかげた》の鼻緒《はなお》も同じ色で統一してある。
それに、一目でわかる普段《ふだん》との違い、それは髪が結《ゆ》い上げられているという事だ。見えるうなじが実に色っぽい。
「……ありがとうございます」
少し困った顔でそう返してくるはじめ君。なぜだ? 私は心からほめたというのに。
「どうしたね」
「何度も繰《く》り返したこの会話ですが、いまだになんか違和感が」
なるほど。
「ふむ、それはあるかもしれん。私は元自分の身体《からだ》を褒《ほ》めちぎっている訳《わけ》だからな。だが、考えてみれば自分の姿を見る事などあまりない。鏡《かがみ》などを使わない限り自分を見る事はできないからな。特に私などは、最低限の身だしなみを整《ととの》える時以外は鏡など見なかった。
女性でよく化粧を直す人などは当てはまらないかもしれないがな」
ん? 私を見るはじめ君の視線《しせん》が残念そうだ。
「私の化粧した姿が見たかった……という目をしているな」
「してます。言ってもしかたがないんで言いませんが」
「今なら私は君の望みに応《こた》える用意があるが……」
「けっこうです!!」
「そうかね。まぁ、そのような私だったからこそ、私は完全に雰囲気の変わった元の身体を、自分の物だと思えなくなっているのではないかと思うのだ」
その言葉を聞いたはじめ君がうなずいている。
「確《たし》かに、自分の顔がどうなってるかって、あんまり覚えてないものですよね。ぼくも先輩《せんぱい》の顔ならはっきりと覚えてましたけど、自分の顔はあんまり覚えてなかった気がします」
「それにだ。確《たし》かにその身体《からだ》の造形は私の物だが、それがここまで魅力的《みりょくてき》になったのは君が入っているからだ。という訳《わけ》で、あらゆる人からの君への賛辞《さんじ》は素直に受けても良いと思うぞ」
「それはぼくが女らしいと言っていることと、同じなんじゃないかと思うんですが?」
「私はただ君がとても魅力的だと言っているだけだ」
「…………はぁ、わかりました。先輩《せんぱい》がそう言うならそうなんでしょう。できるだけそう考える事にします」
「そうしたまえ、誉《ほ》められて空《むな》しくなるなど、ほめた人間への冒涜《ぼうとく》だろう? 君が賛辞を素直に受け入れさえすれば、皆幸せになるのだからな。ほめられた時に「ありがとうございます」と笑顔《えがお》で返すともっと良いな」
「わかりました」
「ではもう一度だ。……その浴衣《ゆかた》、とても似合ってるね」
私は先程《さきほど》の言葉を繰《く》り返す。
「はい、ありがとうございます」
そう言ったあと、にっこりと笑顔を浮かべるはじめ君。これが少女マンガのワンシーンなら、はじめ君の周囲が花ですごい事になっていただろう。そんなはじめ君を見た私は……
がばっ
「うぎゃー、なっなんでいきなり抱きついてくるんですかっ!!」
「いや、君のあまりの愛らしさに気が付いたら君を抱き締《し》めていた。実際、本気で意識《いしき》が飛んだのだ。……どうやら君は今また新たな段階へと進んでしまったようだ」
「無理矢理《むりやり》進ませたくせに! っそれよりも早く離《はな》れてください。注目集めまくってますよ!!」
「私の身体をどう扱おうと私の勝手だろう?」
「だから、先輩はなんでこう、言うことがコロコロ変わるんですかっ!!」
「その方が面白《おもしろ》いからだ。特に君のリアクションが」
「……………………………………………………」
無言で、私を引きはがそうとするはじめ君。どうやら怒ったらしい。からかうのはこの辺にしておくか。はじめ君の怒った顔も良いが、そればかりというのももったいないからな。
「それで、その浴衣はどうしたんだね?」
入れ替わったばかりの頃《ころ》、私とはじめ君の衣服の交換を行ったのだが、その中に浴衣はなかったはずだ。まあ交換したとはいえ、私の衣服が活用されている気配《けはい》はないが。あまり女らしい服を持っていなかったので、それも仕方ないのだがな。
はじめ君には女らしい格好《かっこう》が似合う。そのためお義母《かあ》さん、お義姉《ねえ》さんの二人が、大量に女物の服を買い集めているようだ。そして、女に慣《な》れるためには女らしい服装をすればいい! ……という大義名分の下《もと》、はじめ君を着せ替え人形にして遊んでいる。
何と素晴《すば》らしい。
「浴衣《ゆかた》なんて持ってないから着るつもりなかったんですが、お母さんとお姉《ねえ》ちゃんがなぜか用意してて無理矢理《むりやり》着せられました」
不思議《ふしぎ》そうなはじめ君。……なぜかというと、私が前々からお義母《かあ》さんとお義姉《ねえ》さんに今日《きょう》の事を伝えていたからな訳《わけ》だが。
「それでこの浴衣ですが、ぼくはお姉ちゃんともお母さんともサイズが違うんでお母さんが新しく縫《ぬ》ってくれたみたいです。浴衣姿のこの身体《からだ》を見るのは初めてなんで、うれしかったりするんですけど」
ほう、手作りか。お義母さんは、見た目の印象どおり女らしい人なのだな。そのお義母さんに似たのだからはじめ君が女らしいのは当たり前か。
「それにしても……だいぶ、人増えてきましたね」
「そうだね」
私は駅へと流れる人々を眺める。その流れの中には、浴衣姿の人がちらほらと見受けられる。
今日は広川《ひろかわ》花火大会。広川の河川敷《かせんじき》を使った大きな花火大会で、県外からも多くの人々が訪れる一大イベントだ。夜店なども立ち並び、広川市の夏の風物詩といったところか。人込みが嫌いな私だが、この周囲から伝わってくる喧噪《けんそう》と、期待感。この雰岡気は嫌いではない。
今私達が立っているのは駅、はじめ君と私はここで待ち合わせた。嵐《らん》君は美香《みか》の家に双子を迎えに行っているのでいない。一応待ち合わせるという事になってはいるのだが……その辺は臨機応変《りんきおうへん》に行動するという事で。
「では、我々も行くとしようか」
「はい」
「おお……なんという……」
はじめ君の浴衣姿を見た瞬間《しゅんかん》、川村《かわむら》君が突然泣きだした。
「素晴らしい! そう、うなじは素晴らしいのだ!! ふだんは髪に隠《かく》れ、髪をあげた時にだけ現れる。その希少さ。ただ、出していれば良いという訳ではないのだ! さらに、うなじと浴衣の夢のコラボレーション、浴衣もうなじも単体だけでも良い。だが、二つが合わされば、その萌《も》え度は飛躍的《ひやくてき》に増加する。まさに、我々男の夢と希望と何かそれっぽい物を満たしてくれる素晴らしき存在、それが浴衣とうなじなのだ!! おれとしてはこの和服時に見えるうなじの色っぽさを世界三大チラリズムの一つに認定したい!!」
「…………先輩《せんぱい》、人の顔見た瞬間こんなこと言いだす馬鹿《ばか》にも笑顔《えがお》でありがとうと返すべきですか?」
心底《しんそこ》呆《あき》れているはじめ君。
「個人的には返しても問題ない気がするのだが…………一応ほめているのだろうからな。で、川村《かわむら》君。残りの二つは何だね?」
「セーラー服で伸びをした時にちらりと見えるお腹《なか》と、チャイナ服のスリットの透《す》き間《ま》から見える白い足!! この二つを、おれとしては押したいですな」
ここまで聞いたところで、とうとう切れたはじめ君。
「タッキー!! なんて馬鹿《ばか》な理屈をこんな大通りの中心で叫んでるんだよっ!!」
「うむ、異議《いぎ》なしだ」
「ほら先輩《せんぱい》もぼくの意見に賛成《さんせい》を…………」
「やはり、日常の中に潜《ひそ》むチラリズムこそ素晴《すば》らしいな」
「そっちですかっ! そっちの方なんですかっ!? まったく先輩も、なに納得《なっとく》してるんですかっ! 先輩達の頭の中に異議ありですよっ!!」
「………………………………」
私がはじめ君に見とれていると、はじめ君が私の視線《しせん》に気づいた。
「なっなんですか?」
「いや、今日《きょう》の君の突っ込みは切れているね、やはり浴衣《ゆかた》が原因だろうか」
「浴衣は関係ありません! 先輩が、いつにも増してボケまくってるだけです!」
そうなのか。ふむ、柄《がら》にもなく周囲の雰囲気にひきずられているらしい。……それも仕方ないか。私は期待に胸を躍《おど》らせている人々を見ながら思う。
今、私達がいるのは縦川《たてかわ》駅《えき》、河川敷《かせんじき》に一番近い駅だ。ここで、皆と待ち合わせている。周りは、人、人、人。普通なら目当ての人物など見つからない。だが、その辺《あた》りの事は織《お》り込み済みだ。なぜなら我々には……
「……あっ真太郎《しんたろう》だ」
聞こえてきたはじめ君の声。そう、我々には真太郎君がいるのだ。
はじめ君の言葉に周囲を見回すと…………いた。花火大会へと向かう人の流れの中に、見覚えのある顔が頭一つ飛びだしている。背が高いとこういう時には便利だな。
「おーい、真太郎ー」
はじめ君の呼ぶ声に気づいた真太郎君が私達を発見した。その飛び出た頭が人の流れに逆らいつつも少しずつ近づいてくる。
そして目の前まできた瞬間《しゅんかん》、はじめ君が言った。
「うわっ、おあついなぁ」
「……こんばんは」
そのはじめ君の言葉に、真太郎君のすぐ側《そば》の桜《さくら》君があいさつで返す。桜君の背の低い身体《からだ》が人込みに完全に隠《かく》れていたため全く気がつかなかったのだ。さらにもう一つ隠れていたものがある。二人が繋《つな》いでいた手だ。身長差が50センチあるので、手をつなぐというより、桜《さくら》君が真太郎《しんたろう》君にぶら下がるという感じになっている真太郎君が支えているので桜君も歩くのが楽そうだ。
「うんうん、二人が仲良いとぼくもうれしいよ」
感無量といった感じのはじめ君。二人をくっつけようとしていた時の、苦労を思い返しているのだろう。
「全くだ。魔法《まほう》少女になったり、バールを振り回したり……」
「それは違いますっ! しかもぼくのことじゃないですかっ!! お願《ねが》いですから、思いださせないでください…………」
それは無理な相談《そうだん》だろう、心に刻まれたあの出来事は不死鳥のように何度でも蘇《よみがえ》る。わざわざそうなるように仕向けたのだからな。あれくらい強烈な思いでなら、絶対に忘れる事などできない。はじめ君は魔法少女という単語で、ファーストキスの記憶《きおく》が蘇るという愉快《ゆかい》な体質になったのだ。
「それはそうと……うむ。桜君、私の言いつけ通り浴衣《ゆかた》を着てきたようだな」
「……はい、そうです。……平賀《ひらが》さんに言われなくても、着ていたと思いますが。……今日《きょう》浴衣を着ずにいつ着るというのです?」
うむ、似合っている。
桜の花をほうふつとさせる淡いピンク色の浴衣を身に包んだ桜君、柄《がら》も桜の花びらだ。長い黒髪も結《ゆ》い上げられている。今見えているうなじは、はじめ君の物より希少価値が高いだろう。
「くっ、素晴《すば》らしい。ここは天国か? パラダイスなのか?」
うなじに囲まれ幸せそうな川村《かわむら》君。
その川村君を完全に無視してはじめ君が言った。
「桜さん、とってもお似合いですよ!」
「……ありがとうございます。……山城《やましろ》さんもお似合いです」
「ありがとうございます」
お礼と共に浮かぶ笑顔《えがお》。先程《さきほど》の私の言葉をちゃんと守っているな。うん、うん、美少女はやはり微笑《ほほえ》んでいる方が良い。
桜君のような例外もあるがな。桜君は、いつも笑わない事で、微笑みの価値を高めている。
「うりうり、真太郎は幸せもんだぁ〜」
「ああ」
肘《ひじ》で真太郎君を突つくはじめ君と、照れながらも答える真太郎君。男同士の友情だな。外見的には、男と女の友情なのだが。
「真太郎様それは本当ですか? ありがとうございますっ!」
桜君の無表情が一気に笑顔に変わる。
うむ、その価値のある笑顔《えがお》を見る事ができた。これは幸先《さいさき》が良い。
「……それで、これからどうするのですか?」
笑顔をあっという間に消し、クールモードで聞いてくる桜《さくら》君…………これも良い。
「とりあえず、真太郎《しんたろう》君が立っていれば目印になる。他《ほか》の皆はおいおいやってくるだろう。……という訳《わけ》で、我々はお先に行かせてもらうよ」
「えっ? ぼく達だけ先に行くんですか?」
「うむ、せっかくの花火大会だ。二人きりですごそうではないか。いや、私が君と二人きりで過ごしたいのだ」
「……先輩《せんぱい》」
感動した様子《ようす》のはじめ君。
「では行こうか」
私とはじめ君は二人で歩きだす。が、私は足を止める。
「伝え忘れた事がある、少し待ってくれたまえ」
「え? あっはい」
私は皆の許《もと》に戻ると、桜君に言った。
「桜君」
「……はい、なんですか?」
「嵐《らん》君に、ふはははははーはじめ君は頂《いただ》いた、悔《くや》しければ追ってくるが良い。私は逃げも隠《かく》れもしない……と伝えておいてくれたまえ」
「……わかりました。……嵐ちゃんの荒れる姿が目に見えるようです」
桜君の無表情の中に微《かす》かな呆《あき》れの表情が見える気がするな。
「はっはっはっ、嵐君はこうやって煽《あお》った方が面白《おもしろ》いからな」
こう煽っておけば嵐君は愉快《ゆかい》な追跡者に変わるだろう。
「……それに、せっかく、山城《やましろ》さんが二人きりだと喜んでいたというのに」
「勘違《かんちが》いしないでくれ、私は二人きりを楽しむ。だが……良いところで嵐君が乱入してくると、さらに面白そうではないか。……ああ、はじめ君の素敵《すてき》リアクションが目に見えるようだ。いう訳で、頼んだよ」
「……はい、わかりました」
河川敷《かせんじき》へと向かう人込みの中はじめ君が言った。
「さーなに食べようかなー。先輩は、なにか食べたい物ありますか?」
「はじめ君だな、帯でくるくる回して浴衣《ゆかた》を脱がしたあとに。悲鳴はもちろん、あ〜れ〜〜〜〜だ」
「…………」
むう、はじめ君の目が冷たい。
「……祭りで食欲を満たすというのなら、焼きそばと決まっているが、ただ食べたい物という選択《せんたく》であれば綿菓子《わたがし》が良いな。あの懐《なつ》かしい味がたまに欲しくなる。だが、あの綿菓子を入れる袋のアニメ柄《がら》はどうにかならないものか」
「それはあるかも、あれ恥《は》ずかしいですよね。美味《おい》しいんですけど」
「他《ほか》にはチョコバナナやリンゴ飴《あめ》が定番かな」
「最近はイチゴとかブドウの飴もありますよ〜」
私達が夜店の食べ物について語り合っているうちに、混雑がさらにひどくなってきた。河川敷《かせんじき》についたのだ。土手の上へと続く階段に人が集中し、ものすごい事になっている。あれを突破するのは骨だな。だが、あそこを通る他に道はないのだが。
「さあ、はじめ君。はぐれないように手を繋《つな》ごうか」
私がそう言うと、はじめ君がきょろきょろしだした。
「……どうしたね?」
「いや……いつもならこういう良い感じのシーンで邪魔《じゃま》が入るものでつい」
「大丈夫だ。今日《きょう》は二人きりだろう?」
心配そうなはじめ君の顔が、喜びの顔へと変わる。
「そうですね、今日はいつもとは違うんですよね!」
「うむ」
「じゃあ、手を繋ぎましょう」
「うむ、存分に二人きりを楽しもうではないか」
「はい!」
……しばしの間だけだが。
「はじめ君、買ってきたぞ」
私は両手に焼きそばとジュースを持ってはじめ君の許《もと》へ帰還《きかん》した。会場の隅に、椅子《いす》と机の置いてある休憩所《きゅうけいじょ》のような場所があり、そこで席を取ってもらっていたのだ。
「ありがとうございます」
「やはり夜店では焼きそばだろう」
私は焼きそばとジュースを渡す。
「そうですね。でも高いんですよね、夜店の商品って全体的に」
「まあ、それはしょうがない。そういうものだ。私は雰囲気にお金を払っているものと思っているよ」
「雰囲気ですか」
「うむ」
はじめ君は、人波を見る。夜店から聞こえる威勢の良いかけ声に、浴衣《ゆかた》姿で走る子供達。親子連れに、恋人同士に、グループでやってきた学生達。様々《さまざま》な人が花火大会や祭りなどに共通するこの雰囲気を楽しんでいる。
「確《たし》かにこの楽しい雰囲気にならお金を払ってもいい気になりますね」
はじめ君はそう言って微笑《ほほえ》んだ。夜店の灯《あか》りに照らされたはじめ君はとてもきれい……。くっ、危ない危ない。思わず「きれいだ……」などと呟《つぶや》くところだった。まだ早い、言うべき時は花火が上がった時。花火に照らされたはじめ君を見て私がこう言うのだ。
『きれいだ……』
『はい、きれいですね……』
ここだ。ここで花火に見とれるはじめ君に向けて言うのだ。
『いや君が』
これだ。これなのだよ。そのために今ここで言う訳《わけ》にはいかない。
ふむ……私はもしかしたらナルシストの素質があったのか。いや、確かに私は自分が好きだったがそれは内面の事と思っていたのだがな。
確かに、自分の造形はそれなりだとは思っていた、だからといってそれをどうこうしようとはしなかったが。だが、客観的《きゃっかんてき》に自分の身体《からだ》を見るようになって、私はかなりもったいない事をしていたのかもしれないと思い始めた。磨けばここまで輝《かがや》くというのに。まぁ、だからといって、おしゃれに気を遣《つか》う自分など想像もできないのだが。
そんな事を思いつつ私は話を変えた。
「二人きりで花火大会というのも良い物だな」
「そうですね…………あっ」
「どうしたね?」
「あれ、美香《みか》さんですよね?」
はじめ君の目線《めせん》の先には歩いてくる美香の姿が見えた。
「美香」
私の呼ぶ声に美香が気づいた。
「あら、つばささん、はじめさん、こんばんは」
美香が優雅《ゆうが》にお辞儀《じぎ》をする。美香の浴衣は、薄《うす》いグレーに百合《ゆり》の柄《がら》。比較的おとなしい柄なのだが、美香の魅力《みりょく》を存分に引きだしている。さすが、自分の見せ方を心得ているな。
「一人かね。他《ほか》の者は?」
「真太郎《しんたろう》さん、桜《さくら》さんの二人は別行動です。仲むつまじい恋人同士を邪魔《じゃま》する程《ほど》、わたくしは野暮《やぼ》ではありませんし。オーラさんと、川村《かわむら》さんは。「浴衣〜」などと叫びながらカメラを抱えて人込みの中に消えました。嵐《らん》さんは「つばさめー」と叫びながら人込みの中に消えました。私の妹達はそれについて行きました。道本《みちもと》さんは知り合いを見つけたそうで、先に行ってくれと言われました。ちなみに私にはその知り合いの姿というものが全く見えませんでしたわ」
「はっはっはっ私が言うのも何だが、集団行動のできない人達だ」
「全くですわ」
「で、これからどうするかね……」
私が美香《みか》に聞いたその時、他《ほか》からも声がかかった。
「美香」
美香の前に男が立っている。背が高くがっちりとしたスポーツマンタイプだ。
「あら、どうもお久しぶりです」
「元気だったか?」
「はい」
「ふむ、お邪魔《じゃま》なようだね。私達はもうそろそろ移動する予定だったので、この席を譲《ゆず》るよ。気が向いたら追ってきたまえ、この辺《あた》りをうろついていると思う」
「はい、感謝《かんしゃ》しますわ」
美香が私達に向けて言った。
美香が男と話しているのを横目で見つつ、その場を去る私達。美香の姿が見えなくなるのを待って、はじめ君が私に聞いた。
「えっと、あの美香さんと話してたのは誰《だれ》ですか?」
「美香の昔の恋人だろう」
「昔のですか?」
「ああ、会った事はないが、まず間違いないだろう。まあ、我々は我々で楽しもう」
私がそう言ったにもかかわらず、後ろを気にしているはじめ君。
「なんというか……いろいろこじれたりしないんですか?」
ふむ、その心配はもっともかもしれないな。だが、美香には当てはまらない。その理由はおいおい話していこう。
「とりあえず、大丈夫だ。君は気にしなくてもいいよ」
私達は二人並んで歩みを進める。
「はぁ、そうですか」
心配性のはじめ君。私は心配してもしょうがないとはじめ君に言い、夜店見物を再開する。
「さっきも言いましたけど、やっぱりいいですね〜この感じ。みんな楽しそうで」
「そうだね」
きょろきょろしていたはじめ君が一つの夜店に目をとめた。
「スーパーボールすくいか、懐《なつ》かしいなぁ」
「うむ、実に懐《なつ》かしい。童心に返るようだ」
「こっちには、ニモすくいがありますよ。最近はこんなのがあるんですね〜」
ポンプで作られた水流の中を、カクレクマノミの形をした小さなプラスチックのおもちゃが流れている。これを、多くすくえば飾ってある商品がもらえるのだろう。
…………だが、はじめ君は一つ間違えている。
「はじめ君、少し違う」
「なにがですか?」
「これはネモ[#「ネモ」に傍点]だ」
「えっ、でも……」
「よく見てみたまえ」
私は、夜店にはられた紙を指さした。そこにはアルファベットでNEMOと書いてある。正確《せいかく》にはNEMOすくい、300円。
「わかったかね、これはネモすくいなのだよ」
「…………ネモ」
いきなり突き落とされた大人《おとな》の世界に何か釈然《しゃくぜん》としないものを感じているはじめ君。まだ若い。私はこういうのが大好きなのだがな、すれすれな感じが実に素晴《すば》らしい。
「ところではじめ君」
「はい?」
「こういうのは得意だったりするかい?」
「それなりには」
謙遜《けんそん》するはじめ君の性格からしてかなり自信があるのだろう。
「では、あれを取ってくれないかね、とても欲しいのだ」
私は、商品の一つ、ネモのぬいぐるみを指さした。
「…………あれ、にせものなんですよね?」
「だからこそ意味があるのだ」
そう、麗《うるわ》しきバッタものワールド。
「……わかりました」
はじめ君は、人込みをかき分けて最前列に出た。
「おじさーん、一回やりまーす」
「まいどー」
そして10分後、私の手の中にはネモのぬいぐるみがあった。
自信があるだけあって、はじめくんは、見事一発でぬいぐるみを取った。流石《さすが》ははじめ君。
「ありがとう、うれしいよ」
私は、笑顔《えがお》で礼を言う。本当にうれしいな、私はネモを眺める。うむ、実に見事なバッタものだ。
「いえいえ」
はじめ君が少し照れたように頼《ほお》をかいた。
「今日《きょう》から、これを君だと思って抱《だ》き締《し》めて寝るよ」
「…………もっとましなものをぼくに見立ててください」
私達が、ネモすくい以外にも、いろいろな出店をのぞき込んでは遊んでいると、美香《みか》が戻ってきた。
「お待たせしました」
「やぁ。話はすんだのかね」
「はい、すみましたわ」
「で、どうするね。私達と一緒《いっしょ》に夜店でも冷やかすかね?」
「いえいえ、お二人の邪魔《じゃま》をするのもなんですし」
「気にしないでいいですよー。こういう場所を一人で回っても楽しくないですよね」
「ですが……」
はじめ君と美香がそのような押し問答を続けていると、先程《さきほど》のように美香に声が掛かった。
また男性だ。
「あっ」
「こんばんは」
今度の男は、線《せん》が細く眼鏡《めがね》をかけた知的な印象を受ける。
「……あれから、お変わりはありませんか?」
「はい、変わりありません」
美香は男と挨拶《あいさつ》を交《か》わしたあと、私達に言った。
「お二人はお先に行っていてください」
「ああわかった」
美香が見えなくなると、はじめ君が口を開いた。
「えっと、今の人は……」
「美香の昔の恋人だろう」
「……あの人もですか?」
「あの人もだ」
「……なんというか……すごいですね」
感心しているはじめ君。
「うむ、ついでだ、美香《みか》のすごさを教えてあげよう。美香の男性|遍歴《へんれき》はすごいぞ、その数は両手両足でも足りないだろう」
「そんなに!」
驚《おどろ》くはじめ君。
「……だが、美香の本当にすごいところはそこではない。何よりすごいのは今まで数々の男性とつき合ってきたにもかかわらず、一度もトラブルを起こしていないという事だ」
「一度もですか?」
さらに驚くはじめ君。これにははじめ君も目を丸くしている。
「ああ、ただの一度もだ。つき合う期間はまちまちだが、大体一カ月前後が多いようだな。そのくらい付き合えば、つき合っている男の人となりが大体わかるらしい。そして美香は自分の求めていた男でないとわかったら、別れを切りだす。だが、どういう魔法《まほう》を使ったのか、いつも別れは円満に進み、かけらも遺恨《いこん》を残さないのだ」
「……だからさっきみたいに別れたあとに気さくに話しかけられるんですね」
「うむ。下手《へた》な別れ方をすれば、恨《うら》まれストーカーを生んでしまったりもするだろうからな。実にすばらしい能力だ」
私的には尊敬に値する能力だと思う。以前どうやっているのかと美香に聞いたら、「良い思いでにしているのですよ。せっかくの恋です、そうしないともったいないではないですか」……という言葉が返ってきた。きれい事すぎるほどきれい事だが、それを実現させているのが素晴《すば》らしい。男を自分の思うように操《あやつ》っているのだろうな。
「人間的な魅力《みりょく》なら君も負けていないが、女性としては……」
「女性として負けていてうれしいですよ」
「私としては悔《くや》しがって女を磨いてほしいがな。それはともかく、大多数の男性にとってつき合うなら君より美香の方が幸せだろう。君はつき合うに際し、最高でもあり最悪でもある」
「…………それはどういうことですか?」
怪訝《けげん》な顔をするはじめ君。確《たし》かにややこしい言い方をしてしまった。
「君はつくすタイプだ。しかもとことんまでな。それは私が身をもって体験《たいけん》しているのだから間違いない。そしてそれは君の美徳でもあるが、欠点でもある。美人で性格も良くてスタイルも良くて炊事《すいじ》洗濯《せんたく》何でもでき、惚《ほ》れた相手にはどこまでもつくす。
まさに男の夢と言って良いだろう。元男の君が男の夢になるというのも何とも皮肉だな。いや、元男だからこそなれたのかな。
それはともかく、君は完璧《かんぺき》すぎる。…………そう、完璧すぎるのだ。美しい花には刺《とげ》があるどころの話ではないぞ? へたをしたら、人生そのものが壊《こわ》れてしまうだろう」
「おおげさな……なんでぼくとつき合うと人生が壊れるんですか?」
「意志が強い人間でなければ、君に溺《おぼ》れてしまうからだ。この私でも君に溺れてしまいそうになるのだからな」
「いや溺れるって言われても……」
「そう、何の目標も持っていない人間なら、あらゆるやる気をなくし、はじめ君しか見なくなるのではないだろうか」
「そうなんですか? よくわかりません」
「たとえば、私がミュージシャンになるために上京すると言ったら君はどうする?」
「……ついて行くんじゃないでしようか」
はじめ君は少し考えたあと言った。
「だろうね、君は心から私を応援してくれるだろう。私の才能のあるなしにかかわらずな。それどころか経済面でも助けてくれるだろう。音楽で食べられない間の衣食住まで面倒《めんどう》見てくれるだろうね。そして、私は成功できぬまま、君に依存し負け犬人生へとひた走る。要するにひもだな。質《たち》が悪いのはそれでも幸せだという事だ、君も私も。これが最高だが、最悪だという事だ」
自分が幸せでもひもという人生は良いものではないだろう。
「だが美香《みか》は、はじめ君とは違う。才能を感じ成功すると思えば応援するだろうし、才能がないとわかれば、才能がある方面に誘導《ゆうどう》するだろう。本人に気づかれないように。美香と付き合う男が、自分自身の意志でそういう道を選《えら》んだと思うように」
気づかれずに相手を、自分の思いのままに操《あやつ》る。実に怖いね。魔性《ましょう》の女とは美香のような人の事を言うのではないかな。
「10年後、美香の隣《となり》に立っている男性は何かしらの分野で成功しているか、成功し掛けている事だろう。私は正直楽しみだよ、美香がどんな人物を選ぶのかがね」
「……でも、好きな人を応援したいというのは当たり前なんじゃないですか?」
納得《なっとく》のいっていないはじめ君。
「応援にもよるだろう。野球少年のうち何人がプロ野球の選手《せんしゅ》になれると思うね? 夢を見るのは良い事だが、引《ひ》き際《ぎわ》はわきまえなければならない。夢を追い続ける。それは良いが、人生を引き替えにしてはいかんだろう。
君の応援は、引き際を誤らせる。君に応援されれば、何だってできると思うだろうからな。あれだ、私を甲子園《こうしえん》につれてってというやつだ。漫画でもあるまいし、いったい何人の高校球児がその願《ねが》いを叶《かな》えてあげる事ができる? そして夢破れたあとに君に全身全霊《ぜんしんぜんれい》をもって慰《なぐさ》められ、最後には自分に唯一《ゆいいつ》残された君に溺れると」
「むぐ」
こういうはじめ君の性格は美徳ではあるのだが。
「美香の父親は夢のために家族を顧《かえり》みない人だったらしいので、美香はこのような感じになったのだろう。まぁ、君も美香《みか》も相手を幸せにできる事だけは間違いないが」
ないのだが……ただ誰《だれ》かに守られるだけの人生というのは、本当に幸せなのかとか私は考えてしまう。
「私が思うに、はじめ君は、いまだ男の思考のまま生きているのだと思うのだ。だから誰かを応援する、その時は、包み込むようにあらゆる物から守ってくれる。そして守り養うという事に全く抵抗感がない。一太郎《いちたろう》氏の男の道教育が、妙な方向で花開いたものだ」
どんな危険からも、愛する者を守る。
果てしない優《やさ》しさで相手を包み込む。
弱きを助け強きをくじく。
男は外敵から家を守り、家の内部は女が守る。
古き良き真の男とはこのような感じか。多少|古臭《ふるくさ》い考え方だと思うが、理想の日本男児と大和撫子《やまとなでしこ》の夫婦とはこのようなものだろう。
だが、男の中の男のまま女になったら?
正確《せいかく》には、男の中の男を目指している少年のまま女になったら?
それが、今のはじめ君だ。とても魅力的《みりょくてき》で誰もを魅了してしまう。様々《さまざま》な偶然が重《かさ》なって今の状況になったのだが……実に興味深《きょうみぶか》い。
その魅力的なはじめ君はしばらく考えたあと私に聞いた。
「うーん、変わった方がいいですか?」
ただただ、無条件に相手に尽くすのをやめようという事かな。それなら結論は出ている。
「私と一緒《いっしょ》にいる以上変わらなくても問題ない。私の夢は、すべてを知る事。だが絶対に誰もたどり着けないので、もう夢破れているようなものだ。その事を知っている私は別に君に慰《なぐさ》めてもらう必要もない。好奇心が持続する限り、私は一生今のままだ。落ちる事も上がる事もない。ゆえに君に溺《おぼ》れる事もない。……君でちゃぷちゃぷ水遊びぐらいはするだろうが」
「……しないでください」
「ただ、私以外を選《えら》ぶなら、変わった方が良い場合もあるだろうね」
「じゃ、変わらないことにします」
「うむ」
即答か、相変わらずかわいい事を言ってくれる。
「そうだ、ここで少々待っていてくれたまえ」
私ははじめ君を残し、先程《さきほど》目をつけていた店へと向かった。わざわざ通り過ぎてまで買いに行こうとしているのは、はじめ君に何を買うのかを見せないためだ。
「はじめ君、これは私からのプレゼントだよ。ネモのお返しだ。さあ左手を出して」
私に言われるがまま、左手を差しだすはじめ君。
「へーおもちゃの指輪《ゆびわ》ですか。ありがとうございます」
私の手の中にあるのは500円|程《ほど》で売っていたおもちゃの指輪。
「いや、お礼を言いたいのは私の方だ。先程の君の答え、とてもうれしかったよ。これはそれのお返し、君の想《おも》いへのお返しだ。私の想いを届ける愛の儀式《ぎしき》とでも言おうか」
「愛の儀式ってなんですか……」
恥《は》ずかしがっているはじめ君。
「さあ、早く」
半《なか》ば強引にはじめ君の手を取る私、はじめ君の頬《ほお》が赤く見えるのは夜店の灯《あか》りだけが理由ではないはずだ。うむ、初々《ういうい》しくて良いな。
私ははじめ君の目を見つめながら、指輪をはめた。
そして、強くその指を握る。
握る。
握る。
握る…………。
「あの……なんでそんなに長く指を握ってるんですか?」
「何でもな……」
私が答えかけたその時、いつの間にか接近していた川村《かわむら》君が叫んだ。
「なっ何ですと!?」
相変わらず神出鬼没《しんしゅつきぼつ》だ。だが、ナイスタイミング。素晴《すば》らしいタイミングだ。今私は時間を稼《かせ》がねばならないからな。
「くっ、縁日指輪《えんにちゆびわ》イベントを発生させるとは、流石《さすが》つばさ先輩《せんぱい》です。ですが、足りない…………そう! 幼なじみ分が足りないのですよ!!」
「ソウデス! オサナナジミーはスバラシイのデス!!」
気がつけば浴衣《ゆかた》姿のオーラ君もいた。そう言えば美香《みか》に着つけをしてもらうと言っていたな。オーラ君の浴衣姿は……何というか……すごいな。
はちきれんばかりの胸の双丘《そうきゅう》が、真《ま》っ赤《か》なトンボ柄《がら》の浴衣から今にもこぼれ落ちそうだ。うーむ、さすが、コーカソイドをベースにしているだけの事はある。日本人用の浴衣では体格的に小さいのだろう。美香の事だ、わざと着崩《きくず》しているのだろうな。…………これはこれで良い。健康的《けんこうてき》な色気というか。すれ違う男どもは皆その胸の谷間に釘づけだ。
話を戻そう。それで、幼なじみ分の話だが……確《たし》かに足りない。画竜点睛《がりょうてんせい》を欠くとはこの事だ。幼なじみにはなろうと思ってもなれないので仕方がないのだが。
「縁日指輪イベントが一番|輝《かがや》くのは幼少期! 子供が、少ない小遣《こづか》いで幼なじみの少女に指輪を贈《おく》ってこそ、縁日指輪イベントは完遂《かんすい》されるのです! 我が弟子|嵐《らん》は完全無欠の幼なじみ! さあ、嵐よ! 完璧《かんぺき》なる幼なじみエピソードを語って皆を萌《も》やしつくすのだ!!」
川村君はオーバーアクションでそこまで言うと嵐君に話を振った。嵐君もいつの間にかやってきていたらしい。
オレンジの生地《きじ》にヒマワリの柄の浴衣を着た嵐君。その嵐君の肩越しに、青地にスイカ柄の美穂《みほ》君と、赤地に金魚柄の美菜《みな》君が見える。三人そろうと信号機《しんごうき》のようだ。
それで、その嵐君だが、辛《つら》そうに首を振っている。
「嵐……おまえ、まさか……」
川村君が愕然《がくぜん》とした表情で嵐君を見る。
嵐君は下を向き、震《ふる》えながら手を握《にぎ》り締《し》めている。
「憎い……食い意地の張った過去の自分が憎いわ…………」
「なっ何て事を……」
その嵐君の言葉で全《すべ》てを理解してしまったのだろう。川村君は絞りだすようにつぶやいた。
「だって……だってしょうがないじゃない! あの時……十年くらい前の夏祭り…………お小遣《こづか》いをもらったお姉《ねえ》さまがアタシに何か買ってくれるって言った時、すぐ側《そば》に………………おいしそうな綿菓子《わたがし》が売ってあったのよぉぉぉ。うわああああぁぁぁぁぁぁぁ」
人目もはばからず泣きだす嵐君。
「うっうっうう」
…………とりあえず、ライバルとして勝利宣言でもしておこう。
「ふっ、縁日《えんにち》指輪《ゆびわ》イベントのない幼なじみなぞ恐るるに足らないな」
「くそ―――おぼえてなさいよ――――」
「嵐《らん》ちゃ〜ん」
「まって〜〜〜」
勝ち誇る私を憎々しげににらみつけたあと、人込みの中へ走りだす嵐君と双子。うむ、今日もなかなかに愉決《ゆかい》なリアクションを見せてもらった。
「で、いつまでぼくの指握ってるんですか?」
「気にしない」
そう言いながらも私ははじめ君から視線《しせん》を外さない。
「あの…………ものすごく気になります」
見つめ合う事数分。
「……そろそろいいか」
私は手を放すと、はじめ君が手をかざして指輪を眺める。そしてうれしそうにつぶやく。
「へー、おもちゃなのによくできてますね、ありがとうございます」
いや、実に良い光景だな。
私は、はじめ君に向かって言う。
「君の左手の薬指にはめられた指輪は、愛の証《あかし》だ」
頬《ほお》を染《そ》めているはじめ君。私はそんなはじめ君に、言葉を付け加える。
「そしてそれは君を縛《しば》る鎖《くさり》でもある。ふははははは、もう君は私から逃《のが》れられない。その指輪は、誓《たと》えるならば呪《のろ》いのアイテムといったところか」
はじめ君の頬《ほお》の赤さ……照れの赤さが怒りの赤さに変わる。
「だから……先輩《せんぱい》は……なんでこう……いいシーンを台なしにしようとするんですかっ!!」
「古代ギリシャでは薬指を流れる血は心臓《しんぞう》に繋《つな》がっているとされてきた。そして指輪とは、鎖《くさり》の変化した物だという……つまり君は今私に急所を握られてしまったという訳《わけ》だ」
「だからなに言ってんですか! さっきまでのいい雰囲気どこいったんですかっ!! そんなこと言うなら、この指輪外します!!」
「そうよそうよ! お姉《ねえ》さまそんなもの早く外しちゃって、このアタシの買った指輪をつけるのよ!」
……いつの間にか戻ってきていた嵐君が指輪を突きだした。買いに行っていたらしい。行動が相変わらず早いな。
「外すけどつけない! 嵐ちゃんももう…………。こんなものはさっさと外し…………外し…………外れない?」
あれ? あれ? と言いながら指輪を引っ張るはじめ君。
「ああ、一つ言い忘れていた。その指輪《ゆびわ》に瞬間《しゅんかん》接着剤を少々つけさせてもらった。一応人体に害のないものを選《えら》んだから安心してくれたまえ」
うつむいてぷるぷる震《ふる》えだすはじめ君。
「……だから……さっき指を握ってたんですか…………。なっなっなんでこんな馬鹿《ばか》なことをするんですかっ! 一体どこをどう安心できるっていうんですかっ!! 人体には安心でもぼくの心が安心じゃないですよ! こんなのつけたまま家に帰ったらうちの家族になにを言われることか!! とってくださいよ!」
「呪《のろ》いのアイテムは捨てられないと相場が決まっているのだよ」
「だからなんで呪いかける必要があるんですか!」
「いや、何となく」
「なんとなくで呪いかけないでくださいよ!!」
「では、面白《おもしろ》いからに変更してくれたまえ」
「さらに悪化してますよ!!」
ああ……楽しい。打てば響《ひび》く鐘《かね》のようにリアクションが帰ってくるのがとても楽しい。それに、突っ込みを入れてる最中は私だけを見ていてくれるからな。川村《かわむら》君や嵐《らん》君がはじめ君の前でぼけまくる理由もわかろうという物だ。……いや、彼らは天然か?
「お姉《ねえ》さま大丈夫!? くっ、つばさこしゃくなまねを…………そんな指輪なんてこのアタシがっ、なっちゃんほーちゃん、お姉さまを掴《つか》んで!」
「はーい」
「りよーかい」
双子がはじめ君に抱きつくと、嵐君が指を引っ張る。
「そーれっ」
「ん〜〜〜〜〜〜〜〜」
「ん〜〜〜〜〜〜〜〜」
「いたたた、いたいいたい。指が抜ける指が抜ける!!」
指は抜けそうになるが、指輪は抜けない。第一そう簡単《かんたん》に外れては面白くないではないか。
「ふっふっふっそんな事では私の呪いは解《と》けないよ」
「いたたたって、先輩《せんぱい》なんですかその悪者トークは!」
「むぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐっぐぐ…………かくなるうえは……」
「嵐ちゃんも口調《くちょう》が悪役になってる!! しかもそのセリフ言ったら絶対失敗しちゃうし。そもそも、一体全体なにするつもり!?」
「うふふふふふふ」
嵐君の薄気味《うすきみ》悪い笑い。
シャキンシャキン。金属をこすり合わせる鋭《するど》い音が響く。
「嵐《らん》ちゃん……そっそのはさみはなに?」
嵐君は右手ではさみを開いたり閉じたりしている。
「夜店のおっちゃんに借りたの……これは最後の手段だったのに……つばさが悪いのよ……」
それを見たはじめ君は、脱兎《だっと》のごとく逃げだした。私もそれに続く。
「安心してお姉《ねえ》さまー! 切るのは指輪《ゆびわ》だけだからー!!」
そんな声を背中に受けつつはじめ君が聞いてきた。
「なんで先輩《せんぱい》も?」
「私は何事も特等席で見るのが好きなのでな。……まこうとは思わない事だ。身体能力的に、私の方が上なのだから。それに、今の君の格好《かっこう》、走りづらいだろう」
浴衣《ゆかた》と高下駄《たかげた》で走りづらそうなはじめ君
「……ここまで計算して浴衣着てこいとか言ったんですか?」
「一番の目的は君の浴衣姿が見たかったからだよ。…………2番目の目的はと聞かれれば、走りづらいからとしか答えようがない私がいる訳《わけ》だが」
「先輩―――っ!!」
ああ……良い。
「ふふっ、ようやく見つけたわ、お姉さま」
「見つけた〜」
「わ〜〜」
綿菓子《わたがし》を左手に持った嵐君が言った。美穂《みほ》君と美菜《みな》君の手にも綿菓子。
三人ははじめ君を追い掛けつつも、花火大会を心から楽しんでいるようだ。良かった良かった。
「さあ、……お姉さま……手を出して。アタシがそんな指輪……いや、つばさの呪《のろ》いなんてぶった切ってあげるから」
「いや、怖いから遠慮《えんりょ》しとく」
「怖がらなくていいわ……」
シャキンシャキン
綿菓子を持っていない右手に握られたはさみが光る。
「いや、怖いって……」
「大丈夫大丈夫」
にじり寄ってくる嵐君達。絶体絶命だな。さてはじめ君はどうするか。
「……あっチョコバナナ!」
はじめ君が屋台《やたい》を指さした。
「えっ?」
「ええっ?」
「ほんと?」
面白《おもしろ》いぐらいに釣られる三人。はじめ君の指の先にある屋台《やたい》を見る。その隙《すき》に逃げだすはじめ君。……最近、三人組のあしらい方がなれてきたな。と、いうよりもなぜあれに引っ掛かるのだ? ……まあ、面白いから良いのだが。
ドンッ
「あっ、すいませ…………んんん!!」
走っている最中に人にぶつかったはじめ君。ぶつかった相手を見て心底《しんそこ》驚《おどろ》いた顔をする。
「ん、おまえは」
「人違いです、人違いです、人違いなんです」
「………………」
「だから、女王様なんかにはなれないですよ!!」
「安心しろ、おまえにはもう興味《きょうみ》はない」
狼狽《ろうばい》したはじめ君に、低い声で話し掛ける男。
「…………ほっ」
そう、はじめ君がぶつかってしまったのは、いつぞやのM番長、本名|天王寺《てんのうじ》竜也《たつや》君。
詳しく知らない人もいるだろうから説明しよう。マゾ番長はあらゆる攻撃《こうげき》を快楽に変えてしまう能力で、不良の吹《ふ》きだまりである大森《おおもり》高校に3年も君臨《くんりん》している、天然記念物や人間国宝に指定されてもおかしくない程《ほど》希少な典型的な番長なのだ!!
「貴様、何をぶつぶつ言っとるんじゃ」
「いや、気にしないでくれたまえ」
天王寺君の視線《しせん》が私の頭から下がっていき、足に到達したところでまた頭へと帰ってくる。
「………貴様、…………どっかで会った事が?」
「会った事はないが会話した事はある。憶《おぼ》えていないかね、いつぞやの悪の総帥《そうすい》だ」
「………おまえが」
合点《がてん》がいった様子《ようす》の天王寺君。
「で、なぜはじめ君に興味がなくなったのだね?」
「ああ、あの時後頭部に食らった一撃《いちげき》……えぐり込むような重さといい、容赦《ようしゃ》のなさといい、気追といい、非の打ちどころがない。そうじゃ、あれこそ俺《おれ》の求めていた女王様なんじゃあああ!!」
なる程、嵐《らん》君の事か。あの悪の秘密結社で遊んだ時に、嵐君が食らわせた一撃が相当気持ち良かったらしい。
「あれ以来|捜《さが》しているのだが見つからんのだ、後頭部からの一撃《いちげき》じゃけぇしょうがないが。姿もちゃんと見てなかったしのう」
後頭部をさすりながら、快感を反芻《はんすう》しているらしい天王寺《てんのうじ》君に私は聞いた。
「君の手下に顔を見た人間もいただろう?」
あれだけ、目撃者がいたのだから見つけるのは簡単《かんたん》なはずだ。
「ふっ、簡単に見つかっては面白《おもしろ》くないわ。自分の力で捜しだしてこそ意味があるんじゃああああ!!」
夜空に雄叫《おたけ》びを響《ひび》かせる天王寺君。前向きで行動的なマゾというのは面白いな。
「……感動したよ。私にできる事なら協力は惜しまない」
「惜しんでくださいよ! 個人的には絶対に引き合わせちゃいけない組み合わせだと思うんですよ!!」
そこまで言ったところで、天王寺君に見られている事に気がついたはじめ君。
「…………いや、ぼくはその女王様が誰《だれ》だか知らないけどね」
必死にごまかそうとするはじめ君だが、すべてを台無しにする素晴《すば》らしいタイミングで追っ手がやってきた。
「ふっこんどこそは、逃がさないわよお姉《ねえ》さま」
バンバンバンバンバンバン
「わよ〜」
バンバンバンバンバンバン
「わよ〜」
バンバンバンバンバンバン
ちなみに三人の言葉にかぶっているバンバンバンバンバンバンという音は、水風船を手で打つ音。嵐《らん》君達は存分に、花火大会を楽しんでいるらしい。良きかな良きかな。ちなみに三人のロの周りにはチョコバナナを食べた名残《なごり》であろうチョコレートが付いている。良きかな良きかな。
「さー、お姉さま、私の指輪《ゆびわ》をつけて身も心も結ばれるのよ」
シャキシャキン
はさみを動かす嵐君だが、目の前に立つ大きな壁《かべ》に気がついた。
「…………ん? なにこのでかいの、邪魔《じゃま》よ」
大きな壁……天王寺《てんのうじ》君にそう言い放つ嵐君。
「……この声、……そして突き刺さってくる言葉…………間違いない」
「いや、間違いです!」
天王寺君のそでを掴《つか》んで振り向くのを阻止しようとするはじめ君。だが、天王寺君ははじめ君など気にもせず振り向いて言った。
「お願《ねが》いだ…………俺《おれ》の女王様になってくれ!!」
「いやよ。かわいくない。鏡《かがみ》見てから出直しなさいよ」
嵐《らん》君のこういう決断の早さは好みだ。全く考えていないだろうと言いたくなる。そして相変わらず辛辣《しんらつ》な嵐君の言葉。だが……
「………………気持ち良さそうだな、天王寺《てんのうじ》君」
「この言葉の痛さがたまらん……やっぱり俺の女王様にふさわしいのはおまえしかいないんじゃああ!!」
「ええ〜い! 暑苦しいのよ。顔でかいのよ! あんたみたいなかわいくない手下はいらないわ。ほら見なさいよ、もう十分間に合ってるの。どうしてもって言うなら、このくらいかわいくなってからきなさいよ」
私は嵐君の視線《しせん》の先にいる美穂《みほ》君と美菜《みな》君に目をやる。
…………天王寺君が、ここまでかわいくなるのは物理的に不可能だろう。ふむ、質量が三分の一ぐらいになればどうにか……。
「あーもー嵐ちゃん、煽《あお》らない煽らない。でもそう言うことだから番長さんもあきらめて……」
この二人の出会いをなかった事にしようとするはじめ君。だが、そんなはじめ君を見て……
「……そうだ!」
嵐君が何かを思いついた。そして天王寺君に向き直ると言った。
「あんた! お姉《ねえ》さまを怪我《けが》させずに、私の前につれてきなさい! そしたらたまになら遊んであげるわ!!」
「なに言ってるの嵐ちゃん!!」
「いや、素晴《すば》らしい思いつきだ」
とても面白《おもしろ》そうで。
「先輩《せんぱい》もなに言ってるんですか!!」
嵐君の言葉を聞いた天王寺君がはじめ君に近づく。
「女……おとなしく、捕まれ。俺のすこやか奴隷《どれい》ライフのために」
ゲシッ
「お姉さまのことを女呼ばわりしてんじゃないわよ!」
天王寺君にけりを入れる嵐君。
「…………ああっ」
はじめ君は、天王寺君が快感の声を上げている間に逃げだす。私としてはすこやか奴隷ライフのところに突っ込みを入れてほしかったのだが……そんな余裕はないらしい。
「あっ、逃げたわ、追いなさい」
それにしても愉快《ゆかい》な事になったものだ……私は嵐《らん》君の声を聞きながらそう思った。
天王寺《てんのうじ》君が走ると、モーゼが起こした奇跡のごとく人垣がきれいに割れていく。天王寺君は、人込みで歩きづらいという経験《けいけん》をした事がないに違いない。
服装のハンデのみならずこのような特殊能力まで使われては、はじめ君といえども逃げきれる訳《わけ》はない。案《あん》の定《じょう》あっという間に追いつかれるはじめ君。
「追いつめたぞ女」
ゲシッ
「だから、お姉さまのことを女なんて呼び方するんじゃないわよ!!」
「ああ〜」
快楽の声を上げる天王寺君、……いや、今の場合はM番長と呼ぶべきか。
「……先輩《せんぱい》」
「何だね」
「……なんでしょうこの異常な状況は」
「私的にはとても素敵《すてき》な状況なのだが」
「……さっきまでは確《たし》か二人きりで花火大会を満喫《まんきつ》していた気がするんですが、あれは夢だったんじゃないかとか思えてきました」
「いや、現実だよ。そして今の状況も現実だ」
「……ううっつらい」
現実の辛《つら》さに打ちのめされているはじめ君。前半は青春ほのぼのラブストーリーで、後半はすこやか変態《へんたい》コメディ。ははっ、はじめ君に少々同情してしまったよ。私のせいなのだが。
打ちのめされて、ぼろぼろで、KO寸前のはじめ君に天王寺君が言った。
「……山城《やましろ》さん、お願《ねが》いですから捕まって頂けないでしょうか」
「うわっ、気持ち悪……」
反射的にそう漏《も》らすはじめ君。
「お姉《ねえ》さまが気持ち悪がってるじゃないのよ!」
ゲシッ
「ああ〜」
……この掛け合い、ものすごく面白《おもしろ》いのだが。それはそうと天王寺君はなぜはじめ君の名前を知っているのだろうか。……ああ、あの時か。そういえば、女幹部の時の名乗りを聞いていた気がするな。
「まったく役立たずね、このぐず」
「……ああ」
それにしても、実に良いコンビだな。
「くっ! こうなったら!!」
嵐《らん》君が、最終手段に出ようとしたその時、ドーンという大音量と共に花火が上がった。
空一面を彩《いろど》る大輪《たいりん》の花が、周囲を照らす。
「うわー」
「すごい……」
「きれい〜」
「きれいね〜」
皆が空を見上げる。
「とりあえず、休戦って事にしないかね?」
「うん……」
私の提案に嵐君が素直にうなずく。
「にしても、人が邪魔《じゃま》ね……」
見えづらいのか双子が、ぴょんぴょん跳《は》ねている。空に上がる花火は見えるが、低い花火はあまり見えないのだ。私も見えづらいし。
それを見た嵐君が天王寺《てんのうじ》君に話しかける。
「えっと、あんた……」
「好きなように呼んでくれ、女王様」
「じゃ、ぽち。そこに四《よ》つん這《ば》いになって」
「おうっ!!」
実に威勢が良いな。嵐君に言われるがまま四つん這いになった天王寺君、嵐君と双子はその上に乗る。
「お〜みえるわ」
「みえる〜」
「みえるみえる〜」
よく見えるようになって喜ぶ三人と。
「ああ〜」
美少女三人に足蹴《あしげ》にされて喜ぶ一人。
これは心温まる光景と見るべきか、フェティシズムにあふれた官能的な光景と見るべきか。
「……嵐ちゃん」
はじめ君が呆然《ぼうぜん》とした表情で嵐君を見ている。
「気にしない事だ。ほら、花火大会にきて花火を見ないでどうするね」
「そうですね……」
私と身も心も疲れきったはじめ君は空を見上げた。
「あら、皆さんおそろいで」
夜空に咲く炎の花々に私達が心奪われていると、いつの間にやってきたのか、美香《みか》が側《そば》にいた。道本《みちもと》君や、川村《かわむら》君、オーラ君、桜《さくら》君に真太郎《しんたろう》君もいる。
「やあ、美しいね〜。ほらよっちゃん、ぼくの仲間だよ」
隣《となり》の何もないスペースに話し掛ける道本君。どうやら、幽霊《ゆうれい》――美少女だろう――を案内していたらしい。
「ふははは、かなりの浴衣《ゆかた》美人の写真をゲットしましたよ!」
「ハイ〜、シマシタ〜、タノしミにシテいてクダサイー」
「花火、とてもきれいですね、真太郎様!!」
「ああ……」
いつの間にやら全員集合だ。
普段《ふだん》はバラバラだが、肝心《かんじん》な時には皆集まってくる。我々はこれで良いと思うな。
私がそんな感慨《かんがい》を抱いていると、美香がはじめ君の手にはめられている指輪《ゆびわ》に気づいた。
「あらあら、はじめさん。良い物をつけていらっしゃいますわね」
「先輩《せんぱい》にもらいました。…………呪《のろ》われてますけど。ぼくを縛《しば》る鎖《くさり》だそうですよ。これでぼくは先輩《せんぱい》に捕らわれちゃったらしいです。……先輩が今度からは普通にしてくれるよう、美香《みか》さんから言ってくださいよ。指輪《ゆびわ》に接着剤つけて取れないようにするなんて、聞いたこともありませんよ……」
「あらあら、それはまあ強い絆《きずな》が誕生《たんじょう》した事ですねぇ」
愉快《ゆかい》そうに笑う美香。
「強すぎで泣けますよ……」
ド――――ン パパパパ……
その時はじめ君の言葉を遮《さえぎ》るようにして、ひときわ大きな花火が上がった。
「……うわぁ」
花火に見とれるはじめ君。
その隙《すき》に私の横へと移動してきた美香が、くすくすと笑いながら小声で話し掛けてきた。
「うふふふ、本当に捕らわれているのはどちらでしょうね」
「決まっているだろう?」
私は左手を夜空にかざし、薬指にはめられた指輪を見ながら言った。
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交換日記
8月14日(土)
今日《きょう》みんなで花火大会に行きました。
みんな浴衣《ゆかた》がよく似合っていました。
色々食べたけど、おいしかったです。値段が高いのはまぁ、しょうがないですよね。雰囲気に値段を払っていると思うと良いという先輩の言葉に納得《なっとく》です。
それで、先輩にネモのねいぐるみ取ってあげました。
そのお返しに先輩に指輪もらいました。でも…………その指輪は呪《のろ》われてました。
なんで呪われてるんですか!! なんで呪う必要があるんですか!!
帰って家族にさんざん笑われましたよ!!
家族そろって記念写真とか撮《と》ろうとするんですよ!!
赤飯《せきはん》はやりすぎだと思うんですよ!
……あとは、先輩に挑発された嵐《らん》ちゃんに追い掛け回されて、最後にはM番長まで出てきました。なんか、嵐《らん》ちゃんの勢力が拡大している気がするんですが。番長が下僕《しもべ》になったってことは、嵐ちゃんが大森《おおもり》高校を配下に治めたってことじゃないですか?
……嵐ちゃんはいい娘《こ》ですけど…………権力は持たせちゃいけないタイプの人間だとぼくは思うんですよ。……どうしましょう。
ああ、花火はとてもきれいだったです。また来年もきたいなぁ。
PS
でも…………指輪《ゆびわ》少しうれしかったです。プラスマイナスで言えば、ちょっとだけプラスになるくらい。……………呪《のろ》われてなかったら、かなりプラスだったのに…………
8月19日(木)
今日《きょう》、田舎《いなか》に帰ってきました。久しぶりにおばあちゃんに会って積《つ》もりに積もった話をしてきました。おじいちゃんに、言われてたからか、ものすごくすんなり受け入れてくれたみたいです。というより、なんでこんなに喜ばれているんでしょうか。少し複雑《ふくざつ》です。一緒《いっしょ》に台所に立ったら大喜びだし。
まったく、お姉《ねえ》ちゃんも料理ぐらいできるようになればいいのに。ぼくが仕込もうかなあ。できる方が将来的にいいですよね。今のままだと、お姉ちゃんの旦那《だんな》さんになる人がかわいそうだし。
ああ、そういえば、おじいちゃんどっかに出掛けているらしく家にいませんでした。一体どこ行ってるのかなぁ。
それはそうと、あさって海ですね、楽しみです。いろいろと問題点はありますが。
ビーチバレーにスイカ割り。この辺《あた》りの夏の行事は楽しみなんですが、難点《なんてん》は水着を着なきゃいけないこと。
このあいだ日記に書いたように、水着は新しく買ったんです。が、ものすごく恥《は》ずかしいです。
それに川で溺《おぼ》れて以来、しばらく泳いでないので、ちゃんと泳げるかもわからないし……まあ、どうにかなりますよね。泳がないと嵐ちゃんがまた色々気に病《や》んだりしそうだし。
まあ、その辺《あた》りのことをのぞけば楽しみです。みんなでわいわいするのは好きですしね。あさってが楽しみだなぁ。
PS
水着、とても似合ってることだけは間違いないですよー。……この身体《からだ》の水着姿見れて個人的にうれしかったです。
他《ほか》の人には見せたくないんですけどね……はぁ。
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青い海とぼく
なぜだ! なぜだ? なぜなんだ!?
突然ですいませんが、ぼくはとてつもない窮地《きゅうち》に陥《おちい》っています。
「きゃー、嵐《らん》ちゃん胸おっきくなったんじゃな〜い?」
「え〜そんなこともあるわよ。そういう、あんた達も……変わったふうには見えないわね」
「うわ〜っ」
「ひど〜」
「あらあら、女は胸の大きさじゃありませんわよ。大きければ大きいなりの、小さければ小さいなりの良さという物があるのですわ。……ああ、かわいらしい」
「……真太郎《しんたろう》様はどのような大きさが好みなのでしょうか」
「ソーデスヨ〜。チイサイと、イチぶノ人に大にんきデス」
「オーラに言われるとなんかとても悔《くや》しいわ。その胸いったいなに入ってるの?」
「ミサイルとかデスネー」
「そう言えばそうだっけ」
「かっこいい〜」
「すご〜い」
「それはともかく、ほらほら成長してんのよ! ね〜お姉《ねえ》さま〜」
なんか周囲では、すごい会話が繰《く》り広げられてる。中身男のぼくの前で恥《は》ずかしくないのかな、とか思うけど。みんなの中では完全に男扱いされてないみたい。
ともかくかなりのすごい状況。
…………でも、いつもなら大問題であるはずのこの状況が、本気でどうでも良くなるくらいの状況にぼくは陥《おちい》っている。
「コーチ! コーチですか!? 定番の更衣室卜ークにお姉さまがまったく興味《きょうみ》を示しません!!」
なんか、タッキーに電話かけているらしい嵐《らん》ちゃん。
「…………はい…………はい、了解! ここから離脱《りだつ》して作戦の第二段階に移行しますっ!!」
水着に着替え終わった嵐ちゃんズが更衣室からばたばたと出て行く。
「はじめさん、どうかしましたか?」
いつまでたっても着替え始めないぼくに美香《みか》さんが聞いた。
「なんでもないです。先に行ってください」
振り向きもせず、鞄《かばん》の中を凝視《ぎょうし》しながらぼくは答える。
「そうですか、ではわたくし達も行くとしましょうか」
美香さん桜《さくら》さんオーラの三人がいなくなって一人になるぼく。
そこでようやく鞄から水着を取りだす。まあ、海にきたんだから当たり前だよね、水着を持ってきた。それはなんの問題もない。
なにが問題なのか…………問題なのはその水着。
なんでこんなことに…………
今日《きょう》はいつものメンバー(|│《マイナス》のりちゃん)で海にきた。のりちゃんは肝試《きもだめ》し大会以来、音信不通で行方不明《ゆくえふめい》。先輩《せんぱい》は理由を知ってるみたいだけど教えてくれない。
それはともかく、今日は海。前々から計画してて、それなりに楽しみにしてた。それなりにがつくのは、水着がいやなのと、水が苦手《にがて》だから。海みたいに深くて下が見えないと怖いよね……。考えてみたら、去年は海に行かなかったから、川で溺《おぼ》れて以来初めて海で泳ぐことになる。去年泳ぎに行かなかった理出は先輩がめんどくさがったから。先輩の水着姿見たかったのに。
まあそんな訳《わけ》で、今日の日のために水着を買った。あまりに露出《ろしゅつ》が高いと恥ずかしいから赤と白のチェックのワンピース、パレオもついてて露出《ろしゅつ》が少ないやつ。ビキニとかはさすがに無理だ。着るのもいやだし、飢《う》えた男どもにじろじろ見られるのもいやだ。先輩《せんぱい》の身体《からだ》を他《ほか》の人にはあんまり見せたくないし。…………いや、露出度の高い水着も試着してみて、とても似合ってるとは思ったんだけど、他の男に見せる必要なし。
そんなぼくの乙女《おとめ》心か男心かわからない微妙な思い。そんなぼくの思いが踏みにじられるような緊急事態《きんきゅうじたい》がただいま発生中な訳《わけ》です。
今ぼくが見下ろしてるのは二枚の水着。片方は紺色《こんいろ》の特徴的なフォルム……スクール水着だ。新品だろうその水着にはご丁寧《ていねい》に
『 2ねん5くみ やましろ はじめ 』
という白い名札が胸のところについている。
もう一つは真っ白い水着。真っ白は恥《は》ずかしいけど、まあそれは譲歩《じょうほ》するとして…………この面積《めんせき》の少なさはなんだ? ビキニだ。
なんでこんな物達がぼくの鞄《かばん》の中に入ってるんだ?
つーか、なんでこんなのしか入っていないんだ? ぼくが買った水着は? なんかあり得ない変形合体してこんなになってしまったのか? くるまでの数時間でこんな形に進化したのか?
…………疑問形でいろいろ考えてるけど実は疑問ですらない。犯人はわかってる。おじいちゃんの名前にかけたりしてもいい。じっちゃんの名にかけてーとかいう感じで。
それで犯人は…………。先輩だ、お姉《ねえ》ちゃんだ、お母さんだ。それ以外考えられない。
だけど犯人がわかったところでどうしようもない。おまえだとか指突きつけてもなんの解決にもならない。
今、一番必要なのはこの事態をどう収拾するか。
どうする? ………………この二つから選《えら》ぶ、それしかない。
水着を入れていた袋を開けた時、ホタテ貝の貝殻《かいがら》三枚と錐《きり》と紐《ひも》が入っているのを見た時は本気で帰ろうと思ったけど、その下に、先輩達の最後の良心だろう、スクール水着とビキニが入っていた。これ以上ないほど悪意に満ちてるけど。…………悪意に満ちた良心ってなんだ?
貝殻を見なかったことにすると、実質二択。ビキニとスクール水着。どちらにするか。
水着ぐらい売っているだろうと思った人、ぼくもそれは考えた。考えたけどぼくには先輩から二択を迫られてるのに第三の選択肢《せんたくし》を取ることなんてできない。もしもそんな行動とったら、ものすごく悲しそうな顔で静かに、子供を諭《さと》すように説教をしてくるんだ、絶対に。
「はじめ君、……違うだろう」みたいな感じで。
先輩の笑顔《えがお》にも弱いぼくだけど、先輩の悲しい顔にも弱いんだ。どうせなら笑顔を見ていたいと思うから先輩の言いなりになってしまう。
…………このへんが、尽くすタイプとか言われる理由だろうか。
究極の二択……スクール水着VS白ビキニ。はたしてこれほど過酷な選択《せんたく》がぼくの人生の中にあったでしょうか。…………あったなぁ。おかげで今ぼく女やってるし。
それはともかくどっちかを選《えら》ばないといけない。ビキニの方は露出度《ろしゅつど》の高さが恥《は》ずかしい、なんなんだこの布の表面積《ひょうめんせき》の少なさは。スクール水着は…………なんか、ものすごく恥ずかしい、これを海で着たら人としてだめになる気がする。う〜ん。
ぼくは正座したまま二つを見下ろしている。脳の中ではものすごい速度で損得勘定《そんとくかんじょう》が行われてる。なんて無駄《むだ》な時間なんだろうか。
こんなにお日様が元気で絶好の海水浴|日和《びより》だっていうのに。
そう考えたら…………………涙出てきた。なんで、ぼくはこんなことで思い悩んでいるんだろう。せっかく遊びにきたのに。青い空と青い海がぼくを呼んでいるのに。
………………………うふっふっふっくっくっくっわはっはっはっは〜
ええ〜い。先輩《せんぱい》がその気ならやってやろうじゃないですか! ビーチの視線《しせん》を独《ひと》り占《じ》めしてあげますよ! これは先輩の身体《からだ》だったんですから、ぼくが恥ずかしい訳《わけ》じゃないんですよ! そうですよ! そういうことにしますよ!
ぼくは意を決して片方の水着に手を伸ばした。
「大きすぎず小さすぎない、程《ほど》良い大きさのバストとヒップ、くびれたウエスト、それがすらりとした長身にマッチしそれぞれの比率はまさに黄金比。殻《から》を割らずに立ってしまったコロンブスの卵のような奇跡的なバランスで構成された、美の女神をも髣髴《ほうふつ》とさせるその肉体を包むのは穢《けが》れを知らぬ白き布。その清純さとは裏腹に美の具現たる肉体を包む純白の面積は大自然を前にした人間のような矮小《わいしょう》さで無垢《むく》なる肌を潮風《しおかぜ》に晒《さら》している。そのアンバランスさが男心を直撃《ちょくげき》し……」
「わ〜〜〜〜〜だまれ馬鹿《ばか》! 見るな馬鹿! それ以前に批評するな馬鹿!」
ぼくは眼鏡《めがね》を光らせながら批評している馬鹿に向け怒鳴《どな》った。
「いや、女体のマエストロとしては……」
「い い か ら だ ま れ ! 」
ぼくは言葉と視線に殺意をこめてタッキーを睨《にら》む。
「やっぱり似合ってるよ、私の見立てに間違いはなかったね」
先輩がうんうんうなずきながら近づいてきた。
「……先輩…………これはどういうことですか?」
身体を縮《ちぢ》ませながらぼくは先輩に聞く。さっき開き直ったとはいえ、からみつくような周りの視線が気持ち悪い。先輩の身体と入れ替わってから人に見られることに慣《な》れたけど、今日《きょう》は特別注目されている。『ビーチの視線独り占め(はぁと)』、なんていう水着売り場にでもありそうな、ありふれたキャッチフレーズ。それをこれ以上ないってほど体現してたりする今のぼく。
それは理解できる。このきれいでスタイルのいい先輩《せんぱい》の身体《からだ》がきわどい水着を身につけてるんだから、人目を集めて当然だ。問題は、先輩はなぜぼくに人目を集めようとしているのかだ。わざわざあんな手の込んだまねまでして。もし、ぼくが買った水着を着てれば、もう少しましだったろうし、ぼくの恥《は》ずかしさもかなり軽減されていたと思う。そこのところははっきりしてもらわないといけない。
「なに、やはり美しいものは人目にさらしてこそ輝《かがや》くものだ。女性は見られる事で美しくなるというだろう? 私はそれを実践しただけだ。そう、これは君のかわいらしさを引き立てるために必要な事なのだよ」
「………………先輩、去年泳ぎに行くと視線《しせん》が煩《わずら》わしいから泳ぎには行かないとか言ってましたよ?」
「私はあれ以上美しくなる必要性を感じなかったのでね」
くっ、こう言われたらぼくがなにも返せないのを知ってるくせに。ええ、そりゃあもう先輩はきれいでしたよ。でもね、ぼくに水着姿を見せてあげようとか、女の子っぽいこと思ってほしかったですよ。見せてくれても罰《ばち》は当たらなかったはずですよ。
「…………それにしてもすごいな」
「先輩が用意したんじゃないですかこの水着っ!」
「いや、それもあるが。この遠巻きに我々を囲むギャラリーだよ」
先輩がぼくを遠巻きに見守る男どもを見ながら言った。
「ここまで男心を引きつけるとは……やはり、大胆な水着にもかかわらず恥ずかしがっているという初々《ういうい》しさが良いのだな。好きな男の気を引くためにちょっと大胆な水着に挑戦しました……といった感じか、スクール水着も捨てがたかったが、それはまあ他《ほか》でどうにかなった事だし良いか」
「…………はぁ」
ぼくは、あきらめのため息をつくと周りを見回す。
「おーすげぇ、スタイルいーな」
「どっかのモデルか?」
「腰ほそっ」
とかの外野の声が聞こえてくる。
「うむ、私の時よりも、一段とバランスが良くなっている気がするな。規則正しい生活と、適度の運動、バランスの良い食事などが効《き》いているのだろうね。私の生活は、昼夜逆転したり、食事抜いたりなど不摂生《ふせっせい》極まりなかったからな」
「素晴《すば》らしい脚線美…………美しいよハニー」
「あの胸…………おっぱい星人が泣いて喜ぶな、とりあえず一枚」
…………内野からも聞こえてくる。
ぼくは、泣きながらデジカメのシャッターを押そうとしていたタッキーからカメラを奪い、海に向かって投げる。
「とりゃー」
きれいな放物線《ほうぶつせん》を描いて海に沈むデジカメ。うん、なかなか飛んだ。
「のおおおおおおお」
タッキーが急いで海に飛び込む。そしてクロールで、水没地点を目指す。…………あの身体《からだ》なのに……泳ぎが上手《じょうず》だなぁ。なんでだろう。脂肪だから浮くのか?
デジカメには防水のカバーがついてたから壊《こわ》れはしないはず、見つかるかどうかは知らないけど。
これで邪魔者《じゃまもの》は消えた。
「ああっお姉《ねえ》さま、なんてすてきな」
お次は嵐《らん》ちゃんか……ぼくは声のした方を見て…………叫んだ。
「なっ嵐ちゃんその水着はっ!!」
嵐ちゃんがつけてるのは黒ビキニ。
「うふふふ似合う?」
「いや、黒はないでしょ黒はっ!! それにもう少しおとなしい……なんでもない」
嵐ちゃんに、もうちょっとおとなしめの水着を着なさい! と、言おうとしたぼくだけど……自分の格好《かっこう》を思いだしてやめた。ぼくにはそれを言う資格がない……。
「今日《きょう》のテーマは大人《おとな》の魅力《みりょく》よ! そう、これが計画の第二段階、このセクシーな水着でお姉さまを悩殺するのよ!!」
確《たし》かに水着は色っぽい…………でも、嵐ちゃん、浮《う》き輪《わ》をつけてる。浮き輪、浮いてるなぁ。
「すばらしい、すばらしいぞ嵐! ちょっと背伸びしてみた少女という感じが出ている。ある意味、年齢《とし》相応な水着を着ているよりも幼さが強調《きょうちょう》される。その水着に浮き輪という組み合わせも良いな。嵐、こっちを向いてポーズを……」
がっ、とぼくはまたカメラを奪い取る。
ぽ―――――ん。
再び波間に消えていく、デジカメ。
「のおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」
今度はバタフライで取りに行くタッキー。泳ぎが巧《うま》すぎで気持ち悪い。にしてもいつの間にわき出たんだこいつは。
「うわ〜〜」
「はじめ先輩《せんぱい》だいたんね〜」
お次は双子…………なるほど。先輩《せんぱい》が他《ほか》でどうにかなったと言ってたのは、このことなのか。ぼくは美穂《みほ》ちゃんと美菜《みな》ちゃんのスクール水着を見ながら思った。いや、むちゃくちゃ似合ってると思う。どう考えても高校生には見えないけど。でも、同じスクール水着だけど形が少し違うなぁ。
「素晴《すば》らしい、流石《さすが》は美香《みか》先輩。新スクール水着と旧スクール水着を組み合わせるとは。新スク好きと旧スク好き双方の需要を満たすナイスな選択《せんたく》。わかってる、あなたは男心をわかってる! 美香先輩一生ついていきます!! では、いちま……」
ぽ――――――――――――――――――ん。
「のおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」
今度は平泳ぎでデジカメ救出に向かうタッキー。いったいなんなんだ、このだめなサイクルは。……このへんで終わらせよう。
ぼくは近くに落ちてた大きめの石ころを投げた。
ひゅ〜〜〜〜〜〜ん、ガッ。
おお、すごい。ホントに命中した。
ぶくぶくとあぶくを残して沈んでいくタッキー。このまま海の藻《も》くずになってくれるとぼくはうれしい。
「はっはっはっ、君達は本当に面白《おもしろ》いな。それで美香、川村《かわむら》君の言う通り素晴らしいぞ」
今までのやり取りを笑いながら見ていた先輩が言った。
「はい、会心のできだと思いますわ。…………ううっ何て……何てかわいらしい」
美香さんが色っぽく身をくねらせる。水着だから、今までにもまして色っぽい。髪はおろしてて、いつもの三《み》つ編《あ》みじゃないけど、眼鏡《めがね》は掛けたまま。美香さん眼鏡がないとなにも見えないって前言ってたからね。
で、美香さんの水着はワンピースタイプの水着におそろいのパレオをまいてる。美香さんの清楚《せいそ》な雰囲気にとても合ってる。だけど、…………この色っぽさはなんだろう。パレオからのぞく足が妙に色っぽい。…………先輩やタッキーが、チラリズムチラリズムと言ってる理由が少しわかった。
えっと他の人は……いた。ざっざっとビーチパラソルを打ち込んでいる真太郎《しんたろう》。その側《そば》に広げたビーチマットに桜《さくら》さんが座っている。
桜さんの水着は花柄《はながら》の青いワンピース。涼しげでクールなイメージが桜さんっぽい。
それにしても…………桜さんスタイル良いなぁ。着やせするタイプなのか。真太郎は果報者だ。
そしてオーラ。デニム地のビキニにショートパンツ。………相変わらずすごい胸だ。破壊力《はかいりょく》抜群。いったいなにが入ってるんだろう…………って、色々入ってるんだった。先輩とかが調子《ちょうし》に乗ったおかげで、本当に凶器なんだよなぁあれ。
「そう言えばオーラ、海水だいじょうぶなの? 錆《さ》びたりしない?」
「ハイ〜だいじょうぶデス〜」
「そうなんだ。……すごいなぁ」
さすが宇宙人の作ったロボ。
で、ここからは、男の人の水着描写です。
真太郎《しんたろう》、青いトランクスの水着。飾り気もなく無難《ぶなん》な感じ。真太郎らしい。
先輩《せんぱい》、漢《おとこ》と豪快な文字で書かれた、トランクス。…………なんてセンスだ。
道本《みちもと》さん、紫《むらさき》のブーメランビキニ……この水着が似合う人間がいるとは思わなかった。
タッキー、赤と白のよこ縞《じま》の囚人服《しゅうじんふく》をぴっちりさせて、すそとそでを短くしたやつ、同じ柄《がら》の帽子つき(名前がわからない)。なんかマンガとかでおじいさんが着てたりするけど………これを着る人間がこの地球上に存在するとは思わなかった。……どこで売ってんだろ、この水着。
以上。
あっそうだ。嵐《らん》ちゃんに、さっきから気になっていたことを聞いてみよう。
「嵐ちゃんその浮《う》き輪《わ》は?」
「うーん、一応ね…………。水怖いしまた溺《おぼ》れちゃいけないから」
ああ、やっぱり嵐ちゃんも水怖いんだ。
嵐ちゃんは、そう言ったあと、上目遣《うわめづか》いで少し不安そうに聞いてきた。
「……おっお姉《ねえ》さまは?」
…………怖い。足がつけば問題ないとは思うけど…、下の見えない海は怖くてしょうがないと思う。下が見えないとあの濁《にご》っていた川の水を思いだすんだ。でも……。ここで、弱音を吐く訳《わけ》にはいかない。どう考えても、ぼくが水を苦手《にがて》になったのは嵐ちゃんを助けて溺れたせいだ。それを知ったら嵐ちゃんが、また自分を責める。
「大丈夫、大丈夫! あの程度で水が怖くなるほどヤワじゃないよ。ははははははは」
「そう、よかった」
安心する嵐ちゃん。
「お兄ちゃんはつらいな」
小さな声でささやく先輩。
「これくらい平気です! さあ、嵐ちゃんを安心させるために泳がないと」
海に突撃《とつげき》しようとするぼく、そのぼくの肩を掴《つか》んで止める先輩。
「その前に、やらなくてはいけない事がある」
やらなくてはいけないこと?
「……ああ、準備《じゅんび》体操《たいそう》ですか」
「それもあるが、他《ほか》にあるだろう?」
ほかに……
「…………わかりません」
「ふむ、ではヒントだ。君はその身体《からだ》の肌を痛めるつもりかい?」
肌を痛める…………ああ!!
「オイル塗《ぬ》るんですね。今まで気にしたこともなかったんで気が付きませんでした」
男の時はそんなこと気にもしなかったし。
「そんな事だろうと思って私が用意している」
先輩《せんぱい》の手にはオイルのビンが。
「ありがとうございます」
ぼくが、手を伸ばすと先輩がオイルのビンを引っ込める。
「ノンノン」
「…………ナゼデスカ?」
いやな予感が。
「……そこに寝転びたまえ」
やっぱり―――!!
「やです! 自分で塗ります!!」
「私が自分の身体にオイルを塗るのに何の問題がある? それとも何かい? 君は私の身体にオイルを塗りたくるつもりなのか? …………いやらしい」
「なんですかそれは!! 前に先輩、その身体を自分のものだと思いたまえ……とか言ってたじゃないですか!!」
「では君は自分の身体をいやらしい手つきで触りまくるのだね? …………不健全《ふけんぜん》な」
「一体ぼくにどうしろって言うんですかっ!」
「だからそこにうつぶせになりたまえと言っている、さあ」
「つばさっ、お姉《ねえ》さま、いやがってるじゃない! つーか、計画の第三段階を取るんじゃないわよっ!!」
「計画してたのっ!?」
「…………しょうがないわね、代わりにアタシが」
「なんでっ!? いや、だから自分で塗るし! ちゃんと背中に手届くし! ほらほら、身体柔らかいんだ」
背中を触ってみせるぼく。だけど誰《だれ》も見てくれない。
「良いからうつぶせになりたまえ。君は私達の善意を無駄《むだ》にするのかね」
「そうよ、お姉さまっ!」
無理矢理《むりやり》うつぶせにさせられるぼく。
「いや、絶対善意以外のなんかで動いてるでしょ!」
そんなぼくの叫びも気にせずに、背中にオイルがたらされる。
「ひゃっ! あっあっだめだって嵐《らん》ちゃん、先輩《せんぱい》もどこ触ってるんですか、うわっやめてやめてお願《ねが》い、ちょっまっああっ、うわっなにっ……なんか手が多いよって……なんで美穂《みほ》ちゃんと美菜《みな》ちゃんまで加わってるの!! あっうわっ……だかーらー………やっやめて〜〜〜!! やめ………………」
「いや壮観《そうかん》だね、この眺めを見てみたまえ」
よろよろと立ち上がったぼくが、周りを見回すと、ギャラリーの皆さんが軒並み前屈《まえかが》みになってる。
…………男って悲しいなぁ。
「では、君が楽しみにしていたビーチバレーでもしようか」
しみじみと男の悲しさを感じていたぼくに先輩が言った。
いや、楽しみにしていたことはいたんだけど…………今はそんな気分じゃなかったり。なんかいろいろ疲れちゃった。それに、ギャラリーの皆さんがとてもじゃま……かと思ったらそうでもないみたい。
ギャラリーの皆さんは前屈みのまま海へと行進している。みんな海に入って冷やそうとしているんだろう(なにかは言わない)。
……………………男って……ものすごく悲しいなぁ。
悲しい行列を見ていたぼくに、先輩が耳打ちをする。
「それにだ。ビーチバレーなら、海に入らなくてもいいだろう」
そうか。それにビーチバレーやってたら、海で泳ぐ前に心の準備とかできるかも。
「はい、賛成《さんせい》です。やりましょう」
「ではこれを」
先輩がふくらむ前のビーチボールを渡してくる。
「空気入れを忘れてしまった。君の肺活量を存分に発揮《はっき》してくれたまえ」
「ぼくがですか?」
「か弱い私にさせるつもりかね?」
「……………………か弱いかどうか知りませんがわかりました」
ぼくは、深く息を吸い込んだあと、ビーチボールに口をつけた。
ふ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「はぁはぁ、入れ終わりました」
疲れた。…………考えてみたら、ぼくの身体《からだ》の先輩《せんぱい》がやるべきだ。絶対に。今度は先輩にやってもらうぞ! 疲れてはぁはぁ言いながらぼくはそう誓う。
「ごくろうさま、という訳《わけ》でビーチバレーをやろう」
ぞろぞろとみんなが集まってくる。
「ふっ、とうとう、必殺|稲妻落《いなずまお》としを使う時がきたようね」
「では、私は松葉崩《まつばくず》しで」
「あぶな〜〜〜〜〜〜い! 似てるけど全然ちがーう!! 木《こ》の葉落《はお》としでしょ!?」
「そうだったそうだった。はっはっはっ」
…………まったく先輩は。
「ふっボクの美しい技を……いや、むしろボクの美しく躍動《やくどう》する肢体を見てくれ」
「いや、それビーチバレーの楽しみ方違います!」
……道本《みちもと》さんも先輩につられなくていいのに。
「じゃあ……」
「はい! そこ、無理してぼけようとしないでよし! てゆうかぼけるの禁止!」
なぜか対抗心を燃《も》やしてぼけようとする嵐《らん》ちゃんに釘を刺す。
「じゃあ始めるよ」
「「は〜い」」
みんなからぱらぱらと返事が戻ってくる。
「そーれっ」
ぼくがビーチボールを高く上げる。
その時|駆《か》けてきた丸い影《かげ》が、叫んだ。
「オーラ!」
「リョーカイ!」
オーラがそのかけ声と共に腕を組む。その影はオーラの組んだ腕に足をかけると…………宙を舞《ま》った。
ジャンプにオーラの力が加わったために、人が到達できない高みへと舞い上がってしまっている。その影は空中でビーチボールを掴《つか》むと、二回身体をひねったあときれいに着地する。
「おおっ」
「……美しい」
先輩と道本さんが感嘆の声を漏《も》らした。
そして………………………………ビーチボールの空気を入れる場所に口をつけた。
「ずぞぞぞ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
「吸うな〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!」
ぼくは、あろうことか、ビーチボール内の空気を吸収しているタッキーに全体重をかけた蹴《け》りを入れる。
「ぐはぁ」
タッキーは何度か地面でバウンドしたあと、白目《しろめ》を剥《む》いて動かなくなった。
「さーて、今からスイカ割りを始めまーす」
木刀《ぼくとう》で素振《すぶ》りしているぼく。さーて、今から楽しみにしていたスイカ割りだ。先輩《せんぱい》がスイカを用意してくれてたんだ。
さすが先輩。ぼくの日記を見て用意してくれたのかなぁ。
わー楽しいなぁ。
「おいはじめ、こういうお約束はスイカを側《そば》において、おっと危ないスイカと間違えて叩《たた》きそうになっちゃったテへ、とか笑わせるものであって…………」
地面から首だけ出したタッキーが叫んでいる。
「…………おれの頭の上にスイカを置くのは反則だろう!!」
「黙《だま》れスイカ」
タッキーの頭の上にはスイカがくくりつけてある。割れたスイカが落ちてもいいように、タッキーの生首の周りにはビニールシートが敷《し》いてある。
「これ、スイカを狙《ねら》おうがおれを狙おうが、当たったらおれの頭が割れる!! あと、目隠《めかく》しをする努力ぐらいはしてくれ!!」
「……嵐《らん》ちゃんお願《ねが》い」
「はーい」
嵐ちゃんが、とてとてと走り寄って目隠しをする。
「……………………って、おれの目を隠してどうする!!」
目隠しされて死刑執行直前といった状況になったタッキー。
ビュン ビュン ビュン
木刀が風を切る音が響《ひび》く。うん、いい感じになってきた。
「おい、まじか、いやすいません。さっきはとてもおいしそうだったから魔《ま》が差したというか、実際おいしかったんだが……って、待ってくれ。話し合おう、話せばわかるはず。いや、これは本気でしゃれにならないから、すいませんすいません許してください、ちょっと調子《ちょうし》に乗ってしまいました。あの場合はやはり間接キスぐらいで我慢《がまん》しておくべきでし…………ぐひゃ」
ぼくの怒りとか気合いとか気とか色々なものを乗せた木刀の一閃《いっせん》がスイカを砕《くだ》いた。
「…………スイカおいしいですね」
「ああ、美味《おい》しいな」
ぼくと先輩《せんぱい》は並んでスイカを食べている。食べ終わった嵐《らん》ちゃん、美穂《みほ》ちゃん、美菜《みな》ちゃんの三人組が、波打ち際できゃっきゃと騒《さわ》いでいる。道本《みちもと》さんは甲羅干《こうらぼ》しをしてて、美香《みか》さんは気が付いたら消えていた。いい男でも見つけにいったんだろうというのが先輩の予想だ。桜《さくら》さんと真太郎《しんたろう》はいい感じで浜辺に座っている。タッキーは顔を真《ま》っ赤《か》に染《そ》めたまま地面に埋まっている。オーラは「オー、ナマクビ、オチムシャー」とか言いながらタッキーをつついてる。
みんなはそれなりに海を満喫《まんきつ》しているようだ。
でも…………ぼくは、せっかくの海なのに全然楽しめてない。やったことといえば、ひたすら突っ込み入れてただけの気がする。つまりいつも通り。なんで海まできていつもと同じことを……
スイカをしゃりしゃり食べながら落ち込んでいるぼくに、先輩が優《やさ》しく言った。
「はじめ君。ボートでも借りて。一緒《いっしょ》に乗らないかい?」
「えっ?」
「ボートなら君でも大丈夫だろう?」
「はい、大丈夫です」
泳ぐのと違って、海に入らないからね。
でも、大丈夫だけど……なんでいきなり?
「それに…………」
先輩がもったいぶって言った。
「……海の上なら二人きりだしな」
「はい!!」
ぼくは元気よく返事をした。
「ふあぁ〜」
ボートに乗ってゆらゆらしてたら、あくびが出た。
「大きな欠伸《あくび》だね」
キコキコオールをこいでいる先輩。のどかに流れる時間。そうですよ、これなんですよ。これが海なんですよ。これこそがひと夏の甘酸《あまず》っぱい思い出って感じなんですよ! さっきのまでだったら、思いでがものすごい彩《いろど》られ方してたんですよ。
…………でも、居心地《いごこち》よすぎて眠くなってきた。
「いや、すごくきもちよくて、いろいろ疲れましたし」
「では少し寝るかね? 海の上を漂《ただよ》いながら眠るのはなかなかに気持ちいいだろう。海は生命のゆりかごというしな。適当なところで起こしてあげるよ」
今寝るのはもったいない気がする、でも……睡魔《すいま》に勝てそうにない。
「そうですか……じゃあお言葉に甘えて」
ぼくは目をつむった。
ゆらゆらゆらゆら
身体《からだ》が気持ちよく揺《ゆ》れてる。ほんとゆりかごみたいだ。
ゆらゆらゆらゆらゆら
ゆゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆら
ゆらゆらゆらゆらゆらゆら
ゆらゆらゆらゆら
ゆらゆらゆらゆらゆら
ゆら………………
…………
……
う〜ん、気持ちいい。ふわふわする。
あれ、なんでこんなに気持ちいいんだろ?
…………う〜ん……ああ、そうか。海にきてたんだっけ。
そうだ、海で先輩《せんぱい》とボートに乗ってたんだ。先輩が寝てもいいよとか言ってくれたから眠ったんだよね。先輩の側《そば》だからか、このゆらゆらが気持ちよかったからかわかんないけど、ぐっすり寝ちゃったみたい。
でもそろそろ起きよう。
「う〜〜ん」
ぼくは目を開け一度のびをしたあと、身体を起した。
いったい今何時くらいだろ。ぼくは周囲を見回す。
………………………………………………え?
ぼくは、海水を手ですくうとそれで顔を洗う。
……………………………………………………………………………………………………え?
「えっ? えっ? ええ〜?」
なっなんで。なんで?
「おはよう」
パニクるぼくに先輩が目覚めのご挨拶《あいさつ》。でも、それにおはようと返せる余裕がまったくないぼく。
「なっ……こっ……なっ」
言葉にならずに、ぱくぱくと口を開け閉めする。
「落ち着きたまえ、はじめ君」
「おっ落ち着いてられますか! 陸がっ陸がー」
そう、陸がものすごく遠くに見える。しかもぼく達がいた海水浴場はまったく見えない。
「いや、遠いね」
遠い目で言う先輩《せんぱい》。
「遠いねじゃないですよ! なに遠い目で言ってんですか!! なんで、こんなことになるまでほっとくんですか!! こうなる前に起こしてくださいよ!!」
「いや、君の寝顔があまりにもかわいらしかったものだから、ついつい」
「ついついで、漂流《ひょうりゅう》なんてしないでください。つーか、わざとでしょ? わざとでしょ?」
「うむわざとだ」
「威張《いば》らないでくださいよ! なんでこんな…………」
「そうだね、無人島に愛する少女と二人で流れ着く……というのは、男の夢だろう? そう、文明から離《はな》れた二人は助け合いつつ愛を深め強く生きていくのだ」
「そんな夢なんて見るだけにしといてください! お願《ねが》いですから叶《かな》えようとしないでくださいよ!!」
「夢は見るものじゃない叶えるものだとどこかの誰《だれ》かが歌っていただろう」
「叶える夢にもよりますよ!」
「まぁ、流石《さすが》に何の予定もなく遭難《そうなん》している訳《わけ》ではないよ」
「そうなんですか?」
そのぼくの言葉に、ものすごくうれしそうな笑顔《えがお》で返す先輩。
「そうなん[#「そうなん」に傍点]だよ」
なに喜んでるんだろう、先輩。
…………はっ!
そこでぼくは気が付いた。
「……いっ今のはわざとじゃないですよ!?」
「いやいや、君もなかなかやるようになったものだ」
「だから、わざとじゃないんです!!」
「謙遜《けんそん》しなくても良い」
「だーかーらー!!」
「…………それで先程《さきほど》の話の続きだが、ほら見たまえ」
ようやく話が元の場所に戻ってきた。こんなこと言い合ってる暇《ひま》ないのに……こんな馬鹿《ばか》なやりとりの間にもどんどん流されてる。
先輩《せんぱい》が指さした先には、なんか大きめの緑色《みどりいろ》をした袋が置いてある。ぼくが乗り込んだ時にはなかったぞ。
「君が眠ったあと持ち込んだ。中身はキャンプ用品だよ。これだけあれば、どんな無人島でもしばらく生きていける。さあ存分に遭難《そうなん》しよう」
存分に遭難しようとか意気込まれても、非常に困るんですけど。
「ふむ、あの島などどうだね、いかにも無人島といった寂《さび》れ具合が素晴《すば》らしいね」
オールに手を掛ける先輩。
「もう、好きにしてください…………」
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交換日記
8月19日(木)
明日《あす》は海なので、準備に追われた。だが、そのおかげで準備も万端《ばんたん》。明日が楽しみだ。
お義母《かあ》さん達に頼んだ水着の件だが、はじめ君はどれを選《えら》ぶかな、本命、白ビキニ。対抗、スクール水着。大穴、帆立《ほた》て貝の貝殻《かいがら》といったところか。
どれでも、私的にはOKだが。
その他《ほか》、私の愉快《ゆかい》な仲間達の水着姿も楽しみだ。綺麗《きれい》どころがそろっているからさぞかし目の保養になる事だろう。川村《かわむら》君には是非《ぜひ》ともがんばってもらわなければな。
だが、その海水浴でさえ前座だ。
それは…………無人島、楽しみで仕方ない。
そう、無人島だ。計画的に遭難して、無人島に漂着《ひょうちゃく》する。幸いそれは瀬戸内海《せとないかい》には大量に存在している。だが、目的地は決まっている。無人島には……おっと、これは企業秘密だ。
ふむ、寝て起きたらもう明日か。当たり前の事なのだが、なぜかとてもうれしい。子供の頃《ころ》に帰ったようだ。
ああ、楽しみだ。とても楽しみだ。
今日《きょう》は早く眠ろう。そうすれば、それだけ早く明日《あす》がくる。
PS
私の水着もはじめ君に負けず劣らず素敵《すてき》だぞ、楽しみにしておいてくれたまえ。
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無人島とぼく
無人島生活一日目
「これでよし」
ぼくは組み立てられたテントの前で、腕を組む。
ここは、上陸地点の砂浜。なかなかに広かったのでここでキャンプすることにした。いつの間にか日は沈みかけてる。完全に沈む前に寝床が確保《かくほ》できてよかったよ。
そんなことを考えながらテントの最終確認。……うん、問題なし。おじいちゃんに強制的に山ごもりさせられて以来かな、こんなことするのは。
「ああ、組み上がったかね。日が落ちる前に寝床が確保できて良かった。それにしても…………生き生きしているね」
いつの間にか背後《はいご》にいた先輩《せんぱい》が言った。テントを見ながら感慨深《かんがいぶか》げにうなずいていたのを見られたらしい。
「まぁ、慣《な》れてますし、基本的にこういうの嫌いじゃないですしね」
そう、命の危険さえなければ。他《ほか》には食べ物の心配とか水の心配とかしなくていいんなら、自然に囲まれるのは大好きなんだ。
「ふむ、一太郎《いちたろう》氏に仕込まれたのだったか」
「そうです」
サバイバルな技術は一通り教わった。というより、憶《おぼ》えないと危なかったし。
「それで先輩《せんぱい》、魚釣れましたか?」
テント建てるのに邪魔《じゃま》だったんで、先輩には魚釣ってもらってたんだ。道具の中に釣《つ》り竿《ざお》も入ってたし。分担として、ぼくがテントを組み立て、かまどとか火の用意。先輩は食料|調達《ちょうたつ》。普通逆な気がするけど、ぼくがやった方が効率よさそうだしね。
それで、先輩の釣果《ちょうか》によって晩ご飯のメニューが変わる。なんか釣れてるといいけど。
「うむ、この通りだ」
バケツの中に何匹か魚が泳いでいるのが見える。
おおーたくさん。先輩釣りうまいのかな。なんとなく、黙《だま》って微動《びどう》だにせず座り続ける先輩の姿が浮かんだ。
……なんかはまってる気がする。
「じゃ、ご飯|炊《た》きましょう」
ぼくは、手作りのかまどに飯ごうをつるす。そして火を調節《ちょうせつ》しつつ思う。
……なんかものすごくキャンプって感じがするなぁ。
さっき、薪《まき》を集めるためにこのへん少しうろついた。その時知ったんだけど、この島、今は無人島だけど、昔は人が住んでたらしい。
今ぼく達がいる砂浜から島の中に少し入るとそこは森、その森を少し歩いていくと、廃村があった。家はもうぼろぼろだったから、人がいなくなって結構|経《た》っていそうだ。そこには井戸《いど》もあった。先輩が浄水器を持ってきていたので、井戸の水を浄水器に通せば、飲み水の心配もなさそうだ。荷物の中にはお米もあったし、薬とかもあった。ライターもあったし、缶詰もあった。懐中電灯《かいちゅうでんとう》もあった。なんか、もうよりどりみどり。数日は楽に暮らしていけそうだ。というより、何日かいる前提で先輩は用意をしたみたい。
……まったく先輩は。
今日《きょう》の晩ご飯は先輩の釣ってきた魚の塩焼きと飯ごうで炊いたご飯。
「…………おいしいなぁ」
塩焼きになった魚を食べてつぶやくぼく。木の枝で作った串《くし》に刺《さ》さった魚が他にも、火の側《そば》でいい感じに焼けている。
自然の中で食べるご飯はなんておいしいんだろう。このご飯のおいしさだけで先輩《せんぱい》を許してしまいそうになる。……まだ許さないけど。
ぼくは、水着の上にTシャツを羽織《はお》っている。あの格好《かっこう》のままうろつくのはね……。でも、Tシャツしか入ってなかった。先輩はどうしてもぼくを水着姿のままでいさせたいらしい。あと、どうしてもスクール水着を着させたいらしい。今の水着、明日《あす》ぐらいまでなら海で洗えば大丈夫かな。…………なんか、どうしてもスクール水着着たくないんだけど。
…………はぁ。
ぼくは空を見上げる。お日様はとっくに沈んで辺《あた》りは真《ま》っ暗《くら》、星がとてもきれいだ。こんな満天の星空を見るのはどのくらいぶりだろう。
周囲にある灯《あか》りは即席かまどの炎だけ。この真っ暗|闇《やみ》はとても懐《なつ》かしい。
ぼくは炎に照らされながら先輩に聞いた。
「で、いつまでここにいるつもりですか?」
「うむ、3、4日はいたいね、お義母《かあ》さん達にもそう言っているし」
いつも通り手回しのよいことで。それにしても自分の子供が無人島に拉致《らち》られるのを認める親がどこにいるんだよ……いや、いるんだけど。なんでぼくの周りにはこんなに変な人間しかいないんだろうか。
「じゃあ、帰りはどうするんですか? またボートですか?」
「行きはともかく、帰りはさすがに危険だからね」
「行きはともかく?」
先輩、またなんか仕込んでたんだろうか。
「いや、なんでもない。それで帰りの話だが、心配しなくて良いよ。ちゃんとあてがある…………君には教えないが。ふははははははは簡単《かんたん》に帰れるとは思わない事だ」
「…………ご飯抜きますよ?」
「冗談《じょうだん》だ」
無人島で交《か》わされるいつも通りの会話。これはよいことなのか悪いことなのか。ま、よいことだと思っておこう。マイペースはよいことだ。
そんな感じで話していると、気が付いたらご飯を食べ終わっていた。先輩と話していると時間が経《た》つのが早い。ただこれは黙《だま》っておく。先輩が調子《ちょうし》に乗りそうだから。
おなかもいっぱいになったし、そろそろ寝ようか。電気のないところでは早く寝るに限る。
「じゃ、そろそろ寝ましょうか、おやすみなさい」
ぼくはテントにもそもそと入っていく。
「うむ、寝ようか」
先輩もついてくる。
「無人島にきて初めての夜、さあ一緒《いっしょ》に愛を語らおう………………なぜ閉めるのだね」
先輩《せんぱい》がテントに入る前にぼくは入り口のジッパーをおろした。
「先輩は、外で寝てください! こんなとこにぼくを連れてきた罰《ばつ》です!!」
「むぅ、君もなかなかひどい人だね」
「先輩が一番ひどいです! どうせ、風邪《かぜ》なんか引きません。夏ですし」
「ヤブ蚊《か》とかが寄ってくるだろう。この身体《からだ》の血は実に美味《おい》しそうだしな」
「これでもかけといてください」
テントから手だけを出して虫除《むしよ》けスプレーを渡す。
「むぅ…………この冷たい仕打ちが快感になったらどうしよう」
「知りません!」
…………ほんとにもう。
ああ、そうだ。寝る前に日記書いとこ。荷物の中にちゃんと日記入ってたし。日記っていうけど、書かれるのは愚痴《ぐち》とか突っ込みばっかりなんだけど。でも、先輩に文句言うのにちょうどいいんだよね、この日記。いつもならはぐらかされたりするからなぁ。
それにしても……………もっとましな物が書きたいよ。
そんな感じで唐突《とうとつ》に始まった無人島生活一日目が終わった。
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交換日記
8月20日(金)
今ぼくは、無人島で日記なんて書いてます。なんでこんなことに……って、原因のすべてが昨日《きのう》の先輩の日記に書いてありますね。
かなりやな感じです。
いいかげんにしてほしいです。
こないだの台風の時は陸の孤島だった訳《わけ》ですが、今回は本当に孤島です。無人島です。
頭痛いです。
なにが悲しくて無人島に拉致《らち》られないといけないんですか。
計画的に遭難《そうなん》しようとする先輩の思考回路が想像もつきません。
もう……こうなったら開き直って楽しむしかないと思ってきましたよ。
うん、前向きに考えよう。
命の危機《きき》すら感じたおじいちゃんの時と比べたら、今回は楽です。テントとかお米とかなんでもあるんですから。水も見つけたし、困ることはなにもない。そう、そうなんですよ! そう考えたら、誰《だれ》もいない島でバカンスですよ、先輩《せんぱい》と二人きりですよ、青い海に青い空ですよ。
ポジティブにポジティブに…………
っと、その前に一言。
先輩のバカ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!
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無人島生活二日目
「うっう〜〜〜〜ん」
ぼくはテントから這《は》いだすと、大きく伸びをした。
今日もとってもよい天気。朝の空気がすがすがしくて気持ちいい。まだ太陽は顔を出したばっかりのはず。でも、電気がない今、お日様の光と一緒《いっしょ》に目覚めるのが一番…………そこまで考えたところでつらい現実を認識《にんしき》したぼく。
夢じゃなかった。
「……………………はぁ」
見渡せば白い砂浜に青い海、素晴《すば》らしい。なのにこんなにテンションの低いぼく。まあ、しょうがないけどね。先輩の奇行は今に始まったことじゃない。ポジティブに楽しむ感じでいこう。じゃないとやってられない。よーし、がんばろう。先輩に負けてたまるか〜〜!!
そんなこんなで無人島生活二日目が始まった。
…………さて、どうしよう。
張りきったはいいけどここは無人島。……まずは朝ご飯かな、先輩が食料持ってきてるからありがたいなぁ。いや、思いっきり当たり前のことなんだけど、先輩《せんぱい》が人としての常識《じょうしき》を持ってたのがうれしい。こんな当たり前のことで、さすが先輩とか見直してしまいそうだ。
……これって、不良がたまにいいことしたら、ものすごくいい人に見えるってやつだよねぇ。
ま、という訳《わけ》で、とりあえず先輩を起こそうか。朝ご飯を調達《ちょうたつ》してきてもらわないと。
「先輩おはようございますー」
ぼくは、地面に寝っ転がってる先輩を揺《ゆ》する。身体《からだ》をぴんと伸ばして、胸の上で手を組んでる。むちゃくちゃ寝相《ねぞう》のよい先輩。
「……………む、おはよう。とても気持ちの良い朝だね。ただ、地球をベッドにして眠ると身体が痛いな」
「罰《ばつ》です」
「あと、おはようのキスとかが欲しいな」
「却下です」
昨日《きのう》はテントに進入を許すとなにされるかわかったもんじゃないので、先輩にはテントの外で寝てもらった訳だ。ぼくは怒ってたしね。
「じゃ、朝ご飯釣ってきてください」
ぼくは釣《つ》り竿《ざお》を渡す。3、4日分の食べ物は先輩が持ってきてるけど、できるだけ大事に食べていきたい。先輩が、いつ気が変わったとか言いだすかわからないから。だから何日いてもいいように、調達できるものはここで調達する。
「………頼もしいな君は」
先輩が起き上がりながら言う。なんかうれしそう。
「ふっふっふっ、誰《だれ》のせいで頼もしくならないといけないんですかね?」
皮肉たっぷりにそう言うと、先輩はそそくさと立ち上がった。
「さっそく釣ってこよう。楽しみにしていてくれたまえ」
ここにきてなんとなく立場が逆転してる気がする。先輩は思いっきり都会の人だし、大自然の中はぼくのホームグラウンドみたいなものだしね。これはこれで新鮮《しんせん》だなぁ。
「いってらっしゃい〜〜〜」
手を振り先輩を見送る。なんか新婚さんみたいな……すとっぷ! もう少しで最近増えたトラウマに触れるところだった。
ふ〜危ない危ない……と、涙目で空を見上げるぼく。
…………ええ、強がってますよ。強がってますとも。
「じゃ、ぼくは水|汲《く》んでこよう。あと薪《まき》を集めてこないとね」
ぼくは腕まくりなんかして気合いを入れた。涙目で。
「で、なにするんですか? わざわざ無人島まできて。さすがのぼくもなんとなくとかいう理由で遭難《そうなん》したとか言われたら怒りますよ」
ぼくは、朝ご飯を食べつつ先輩《せんぱい》に聞いた。朝ご飯は、ご飯に缶詰《かんづめ》。魚は釣れなかったのでなし。
昨日《きのう》はつかれてたからすぐに寝た。だからようやく落ち着いた今、今後の予定を聞いたんだ。
「無人島で男女二人きりといったらする事は決まっている。いや、これはもうすでに義務の域に達しているのではないだろうか」
「…………」
また先輩が変なこと言いだした。
「それで具体的にどうするかだが…………個人的には、救助された時にはなぜか三人になっているという展開が素晴《すば》らしいのではないかと思うのだが」
「無理に決まってるじゃないですかっ! いつまでここにいるつもりですかっ!!」
「では、おなかの中の子供と三人という感じで」
「いやです! ぜ〜〜〜〜ったいいやです!!」
「それもダメなのかね。はっ! まさか君は、救助されずに、このおなかの子供と一緒《いっしょ》に強く生きていこう……という、感動的な展開がお望みなのか?」
「論外ですっ! なんでこの無人島で一生終えないといけないんですかっ!!」
「むぅ……これもだめか」
残念無念を顔にはっつけている先輩。先輩の頭の中をのぞいてみたいよほんと。
呆《あき》れ果てたぼく。でも、先輩は止まらない。
「では、何かね。君は無事|生還《せいかん》したあとに無人島生活どうだったと聞かれて、何もなかったですとでも答えるつもりかね? そのような事を、お約束をこよなく愛する私が認めると思ってはいないだろうね?」
「先輩がそんな人だってのは、心の底から理解してますが、ぼくが持ちうるすべての力を総動員して拒否します」
「今までにない程《ほど》意志が固そうな発言だね」
「はい、ぼくは本気です!!」
無人島から生還した時には三人なんてあり得ない。仮に、ここで子供作って帰ったとして、将来子供に生まれた由来とか聞かれたらどう答えればいいんですか。無人島に拉致《らち》られて、お約束を全《まっと》うするために仕込んだんだ……とか? 絶対子供グレるよ。
「今までの話は本気だが、それが嫌《いや》ならばしょうがない。B案でいこう」
「B案はなにするんですか?」
また、変なことなんだろうなぁ。
「君の水恐怖症を治そうかなと思う。ここなら嵐《らん》君もいないしな」
「……苦手《にがて》なだけで恐怖症まではいってないと思うんですが」
怖いのは、下が見えない水ってのが、溺《おぼ》れた時の泥水を思いだすから。前世《ぜんせ》じゃぼく死んじゃったらしいし、現世じゃ死に掛けたしなぁ。
それにしても、ものすごくまともだ。拍子抜けした……ああっ!! 今……ぼくはなにを考えてしまったんだ? 物足りないとかいう考えが頭をよぎり掛けてしまったぞ。だめだ、こらえろぼく。あっちの世界に行っちゃいけない。先輩《せんぱい》の思うつぼだ。
「何ぶつぶつ言っているのだね?」
「気にしないでください!」
それどころじゃないんですよ。今|瀬戸際《せとぎわ》なんですよ。一歩でも足を踏みだしたら、M番長と同じ場所に落ちてしまいそうなんですよ。
「そうかね。では話を続けよう。君は、嵐《らん》君に楽しそうに泳いでいる姿を見せねばならないだろう? お兄ちゃん……いや、お姉《ねえ》さまとして」
「言い換えなくてもいいです。お兄ちゃんとしての方にしといてください」
確《たし》かにぼくは嵐ちゃんの前で楽しそうに泳がなくちゃいけない。先輩に拉致《らち》られたおかげで今回はどうにかごまかせたみたいだけど。はっまさか先輩はこのために…………な訳《わけ》ないか。
「ここなら誰《だれ》の目もない。思う存分水への恐怖を克服してくれたまえ」
そうだ……ちょうどいい機会《きかい》だ、がんばろう。いつまでもこのままでいる訳にはいかない。
「という訳で特訓だ」
「はい!」
「びしびしいくぞ」
「はい!」
「……で、物は相談《そうだん》なのだが。私の事をコーチと呼んでくれないかね? 正直|川村《かわむら》君がうらやましくて仕方がないのだ」
「それはいやです」
周囲に見えるのは海海海で海ばっかり。遠くに陸とかも見えるけどとても遠い。唯一《ゆいいつ》すぐ側《そば》に見える無人島が安心感を与えてくれる。この無人島から離《はな》れたらまた遭難《そうなん》だからね。
「で、なにをするんですか?」
先輩がオールを漕《こ》ぐのをやめたので聞いた。
「荒療治《あらりょうじ》だ、恐怖というものは慣《な》れるもの。という訳で海に入りたまえ」
「ええっそんないきなり……心の準備がまだ」
「良いから入りたまえ」
先輩がぼくをバッシャ〜ンと海に突き落とした。
「うわわわわわわわわわわわわ」
下が見えない下が見えない怖い怖い怖い怖い怖い……
そんな感じでぼくがパニックを起こしかけたその時、先輩《せんぱい》がぼくの手を握ってくれた。
その手にしがみつくぼく。
「落ち着いたかね」
しばらくして先輩の落ち着いた優《やさ》しい声が聞こえた。
「はっはい、どうにか」
先輩の腕の感触が、ぼくを落ち着かせてくれる。
「それは良かった。少しずつ慣《な》らしていこう」
「はい。……………………それで先輩、それはなんですか?」
ぼくがしがみついてる左腕とは逆の手に瓶《びん》を持っている先輩。
「ボトルレターだ。やはり無人島からの情報伝達手段はこれだ。とてもロマンチックだしな」
そう言って、少し遠くに投げる先輩。
これはロマンチックなのか、ゴミを増やしてるのか。……これはどう判断するべきかな。でもなんで今?
「それでなんて書いたんです?」
ぼくは先輩に掴《つか》まってぷかぷか浮かびながら聞いた。先輩に掴まってたら少しずつ怖くなくなってきた気が…………
「うむ、内容は……はじめまして♪ わたしは高校二年生の女子高生デス。スタイルはけっこう良いって言われます(キャッ。)でも最近彼と別れてとっても寂《さび》しいの。クスン。とゆー訳《わけ》で、年上で甘えさせてくれるお兄さんみたいな人を募集《ぼしゅう》してま〜す☆★
映画見に行ったりドライブしたりしたいな☆
でんわ待ってま〜す♪
はじめ(はぁと)090−****−****」
「ぎゃああああああああああああああああああああああああ」
先輩の手を離《はな》すと、ばしゃばしゃと泳いでボトルを拾いに行くぼく。あっという間に瓶にたどりつき、あっという間にボートに戻ってきて先輩に文句を言う。
「なっなんてものをボトルに入れて流すんですか! しかも、携帯番号書くのはやめてください! こういう場合はメールでしょ? って、先輩! なにふりかぶってるんですか! あっあっああーまた投げたー」
今度は逆方向に別のボトルが飛んでいく。
「今のは……初めまして、私は16歳の女の子です。私が行ってる学校が女子校なので出会いがないんです。いっぱいドキドキしたいのに……。さみしがりやで甘えんぼな私と誰《だれ》か遊んでくれませんか?
スタイルは脱いだらすごい≠チて言われます。あと、友達に言わせるとかわいい系だそうです。
では、お電話待ってます。
はじめ 090−****−****」
「うわああああああああああああああああああああああああ」
はぁはぁはぁ
「もういいかげんに……」
「次は……」
「もういいですっ!!」
「ああ、疲れた……」
どうにか陸地にたどりついたぼくは、バッタリと砂浜に敷《し》いたビニールシートの上に倒れ込む。全身が疲れてて、手と足なんかもう動かすのもいやだ。
そんなぼくに先輩《せんぱい》が優《やさ》しく言った。
「だが、泳げたではないか」
「……そうですね、下が見えないのが怖いとか思う暇《ひま》もなかったですしね」
必死だった。ぼくはものすごく必死だった。あんなばかなボトルレターが人のいるところに流れついて誰《だれ》かに読まれたら……想像するだけで恐ろしい。下手《へた》したら、国境すら越えてしまうし。
「はじめ君、ゆっくり休むと良い、水泳は全身運動だからな」
……こんなに疲れたのは誰のせいだと思ってるんですか。
「だが、もうこれで嵐《らん》君の前でも人魚のように自由自在に泳げるだろう。はじめ君、よく頑張《がんば》ったな」
「先輩……」
心のこもった労《ねぎら》いの言葉。ちょっと感動した。
「では、頑張《がんば》った君を労うために、私がマッサージをしてあげよう」
手をわきわきさせながら先輩。
「えっ?」
なんか色々されそうでいやなんだけど。
「大丈夫。いやらしいまねはしないと誓うよ」
「……約束ですよ?」
「ああ。誓おう」
先輩が足、腕、腰とマッサージしてくれる。
ぐいぐいもみもみ。
おおーまじめにしてくれてる。すごく気持ちいい。
ぐいぐいもみもみ
ぐいぐいもみもみ
ぐいぐいもみもみぺたぺた
ぐいぐいもみもみぺたぺた
あ〜気持ちい…………ぺたぺた?
ぼくは首だけで先輩《せんぱい》の方を向く。
「……………………なにしてるんですか?」
先輩の手にあるビニールテープを見てぼくは言った。黒くてごついテープだ。
「はじめ君。小さな頃《ころ》に習っただろう。自分の持ち物には?」
自分の持ち物には……
「……名前を書きましょう」
「正解」
なんで今さらこんなことを言いだすんだ…………
「はっ!」
ぼくは背中に手を回す。ああーテープが貼《は》ってあるー。なんかテープで文字が書いてあるみたい。
「いったいなんて書いたんですか!」
「つばさの、と書いてある」
「あほですか〜〜〜! 取ってくださいよっ! 変な日焼けになるじゃないですかっ!!」
「拒否権を発動させてもらおう」
「じゃ、どいてください! 自分で取ります!」
「それも拒否する」
「じゃあ力ずくで…………ああ〜力が入らない〜」
「ふははは、先程《さきほど》水泳は全身運動だと言っただろう。あれだけ泳いで力が入ろうはずもない」
こっこれが目的だったのか。最悪だ。
「鬼〜〜悪魔《あくま》〜〜人でなし〜」
じたばたするぼく。
「はっはっはっ、じたばたしないでくれたまえ。今日は、力ずくでも君を私の物にすると決めていたのだよ」
「いや、なんか違うでしょそれ〜〜〜〜〜〜〜っ!!」
それで結論からすると先輩《せんぱい》は夕方までどいてくれませんでした。
という訳《わけ》で、ぼくの背中に「つばさの」という馬鹿《ばか》な刻印《こくいん》が刻《きざ》まれています。……今年はもう泳ぎに行けないなぁ。
無人島生活四日目
「うっう〜ん」
今日《きょう》も天気だ。空気もうまい!
さあ、今日もがんばろー。
まずは水|汲《く》んでこよう!!
ぼくは日課《にっか》となった行動に移ろうとして…………唐突《とうとつ》に我に返った。
……………………ぼくはいったいなにしてるんだろう。
なんか、むちゃくちゃ順応してる。流されるままに流されて、この異常きわまりない無人島生活に疑問を抱いてなかった。
しかも着てるのは相変わらず水着、とうとう昨日《きのう》はスクール水着に手をつけてしまった。
それはともかく水着で無人島生活。なんなんだこの状況は、改めて考えてみたら、ものすごいことになってるぞ。深夜テレビでやっても違和感なさそうなほどの馬鹿度だよ。
……まぁ、考えても仕方ないのか。3、4日とか言いながら、まだ先輩帰ろうとか言いださないし。流されようが流されないでいようが状況は変わらない。先輩が帰りたくなるまでは無人島。
「……はぁ、考えるのをやめよう」
ぼくは森に入っていった。
今日はもうちょっと奥に入ろうかな。
薪《まき》代わりにする木の枝を拾いながら、そんなことを考える。今までは、キャンプの近くで薪拾いをしてたんだけど、使えそうな木の枝が少なくなってきた。枯れた木じゃないと煙《けむり》がすごく出るから折れた木の枝がいいし。
ぼくは、拾った枝をまとめて置くと、今までより奥に行くことにした。
廃村となった村の中を通りながら思う。
ほんっと先輩と二人きりなんだなぁ。こんなこと今までで初めてだ。邪魔者《じゃまもの》が誰《だれ》もいない、そう考えたら、無人島生活もいいかもしんない。いや、先輩が一番の邪魔者なのか。先輩の意識《いしき》が変わらない限り、ぼくの理想とする清く正しい男女交際は送れそうにない。
…………はぁ
まったく、変な人を好きになったもんだなぁ。好きになってしまったものはしょうがないんだけどね。そういや、一度変な人とつき合ってしまったら、物足りなくて変な人としかつき合えなくなるって聞いたことがあるなぁ。確《たし》かにあの個性の固まりの先輩《せんぱい》に比べたらどんな人だってね〜。
ぼくは所々に落ちてる枯れ木を拾いながら、そんなことを考えていた。
その時、
…………あれ?
なんとなく地面に違和感を覚えたぼくはしゃがみ込んだ。そして違和感の元を探す。
ぼくは今なにが気になったんだろう。
ああっ、これだ!!
なんてことだ、大変な発見をしてしまった。とりあえず先輩に報告しないと。
ぼくは枝をかかえたまま走りだした。
「先輩!!」
ぼくは、岩場で釣り糸をたらしてぼへーっとしている先輩を発見すると呼んだ。先輩はぼくが到着するのを待ってから口を開いた。
「どうしたね?」
「この島、ぼく達以外に誰《だれ》かいますっ!!」
「……何? ここは無人島ではなかったのか……それは残念」
「いいえ、たぶん無人島だと思います」
人は住んでたみたいだけどそれは昔のこと、今ここに定住してる人はいないはず。…………島の全部見た訳《わけ》じゃないから本当かどうかはわからないけど。
「…………ふむ、という事は。…………ここは無人島だが、我々のようにこの島に上がり込んでいる者がいるという事か?」
「はい」
さっき、枝を拾っている時に見つけたのは、人が歩いた跡。しかも最近。……こんな無人島にいったいなにしにきてるんだろう。
「…………我々のように遊びにきたのであればいいな」
「そんな不安をかき立てるような物言いはやめてくださいよ! それ以外になにがあるっていうんですか!」
「いや、逃亡中の指名手配犯が身を隠《かく》しているとかはどうだろう。そして、その逃亡者はこの無人島でうら若き少女を見つけ欲望の限りを尽くす…………そう言えば、凶悪犯逃亡とかいうニュースを見た気が……」
「逃げましょう! 今すぐこの島から出ましょう!!」
「冗談《じょうだん》だよ、そんなべたな話は今時官能小説の舞台《ぶたい》にもならないだろう」
「それでもです!」
先輩《せんぱい》に言われたらものすごく怖くなってきた。無人島に自分達以外の人がいるとここまで怖いのか。
「…………ふむ、しょうがない。では帰るか」
「はい!」
「くる時はまだしも、帰りは危ないのでボートでは帰りたくなかったのだがな、流石《さすが》に危険だし」
「でも、ここにいるよりましです!」
「ではボートの様子《ようす》を見てこよう」
「なっないー」
ぼくは叫んだ。
「ボートがないですよ!」
顔と顔がくっつきそうなほど先輩に詰め寄るぼく。
「見ればわかるよ。ふむ……確《たし》かにこの場所にあったはずなのだがな。完全に陸に揚げていたから潮《しお》に流される訳《わけ》はないし」
「どどどどどうしましょう」
「……まあ、なるようにしかならないな。とりあえず、この島に我々以外の第三者がいるものとして行動しよう」
いつも通り落ち着いている先輩。頼もしくもありむかつきもする。
「そうだ! 先輩の言ってた、島を出るあてっていうのは?」
「……残念ながら、今はまだ無理なのだよ」
「そんな〜……じゃあ、いつ頃《ごろ》なら大丈夫なんですか?」
「明日《あした》なら大丈夫だろう」
「明日………………わかりました」
明日《あす》までどうにか危険がないように過ごさないと。いや、まあこの島にいる人が危険だと決まった訳じゃないんだけど。……でも、普通の人がこんな無人島にくる訳ないし。
そう考えたら、いてもたってもいられなくなってきた。
「……このへんちょっと見回ってきます。この島にいる人の手がかりあるかもしれませんし」
「大丈夫かね? こういう場合は私が行くべきだと思うが」
先輩が心配そうに言った。
「大丈夫です。なにかあったら逃げてきますから。だいたいこういうのはぼくの役割ですよ。先輩《せんぱい》は逃げる方法でも考えててください」
……なんてかっこよく決めたものの……怖いなぁ。こんな無人島で誰《だれ》かと鉢合《はちあ》わせたら普通|驚《おどろ》くよ。島の向こう側とか見てないからこの島の大きさわかんないけど、あんまり大きくない島だと思う、ということはこの島にいる誰かとも遭遇《そうぐう》しやすい訳で…………心の準備をしておこう。
一番いいのは、なにも見つからずに明日《あす》になって普通に帰る。次は、いたのは懐《なつ》かしいこの島に里帰りしてたおじいさんとかで、世間話とかして別れること。
最悪は……考えないでおこう。
……そもそもなんでこんな緊張感《きんちょうかん》持って無人島探索してるんだ、ロビンソンクルーソーですか? 先輩と二人きりならこれはこれで……とか思い始めた矢先にこれ。先輩といたら、いっつもなにか起こるなぁ。ほんと先輩ってトラブル体質なんだから。いや、ぼくがトラブル体質なの? ……否定できないところがなんとも悲しい。
ぶつぶつぐちぐちぐるぐるもんもん頭の中でいろんなことを考えながら歩いていたら。
ガサガサッ
すぐ側《そば》で音がした。
「ひぐっ」
出そうになった驚きの声をどうにか押しとどめることに成功した。
こっこんなに側にくるまで気づかないなんて…………相当なまってたのかなぁ。そりゃあ入れ替わってから修行《しゅぎょう》みたいなことなんにもしてないし、つーかする必要ないし。でも、やっとくべきだったかな。でも、漢《おとこ》の道教育を今さら受けても……って、そんなこと考えてる場合じゃない。
がさごそ草をかき分けてなんかがくる。
うわっ、まさかこんなに早く遭遇することになるとは、まだ心の準備ができてないのに! どうしよ、どうしよ。とりあえず挨拶《あいさつ》? いや、最悪の場合は逃げないといけないし。そもそも挨拶ってなに? こんにちは? 初めまして? いや、いきなり無人島で挨拶されたら相手も驚くでしょ、だからもっと穏便《おんびん》でオブラートに包んだ感じの挨拶は……混迷を深めるぼくの脳内|会議《かいぎ》。
その会議の結論が出る前に…………ぬうっと人が出てくるのが見えた。
「ひーごめんなさい! 怪《あや》しいものじゃないです! いや、水着で無人島歩いてるのは怪しすぎるかもしれませんが決してわざとじゃないんです……」
驚きと恐怖で目をつむってなんとなく謝《あやま》ってしまうぼく。
………………………………沈黙《ちんもく》。
なんの反応も返ってこない。
えっ、なに?
向こうも驚《おどろ》いたのかな。ぼくは目を開けて相手を確認《かくにん》した。
そこにいたのは…………
「ええ〜〜っ!!」
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無人島と私
「ええ〜〜っ!!」
目の前でびっくり仰天《ぎょうてん》しているはじめ君。
今私ははじめ君の背後《はいご》に隠《かく》れている。最近の注意|散漫《さんまん》なはじめ君なら、私でも尾行できる。はじめ君は私がついてきているとは思いもしないのだろうな。私がはじめ君を一人にする訳《わけ》はないだろうに。ちなみについてきた理由は、危険があるからではなく、とても面白《おもしろ》そうな事が始まるかもしれないからだ。そうしたら案《あん》の定《じょう》始まった。
「のっのりちゃん?」
はじめ君が心底《しんそこ》驚《おどろ》いたという様子《ようす》で鉢合《はちあ》わせた相手…………典弘《のりひろ》君に言った。
だが、話し掛けられた典弘君は焦点の合っていないうつろな目でつぶやく。
「くっくそ、とうとう幻覚《げんかく》に幻聴《げんちょう》まで……」
典弘君は近くにあった大きな杉の木に手をかけると、
がんがんがんがんがんがんがん。
頭を木に打ちつけ始める。
「うわああああああっ、のりちゃんストップ!!」
慌《あわ》てて典弘《のりひろ》君の肩を掴《つか》んでやめさせるはじめ君。だが典弘君は……
「くっ今度は感触まで…………」
そう言って再び頭を打ちつけようとする。
「だから、頭を打ちつけようとしない!! おでこから血が出てるって!!」
はじめ君が先程《さきほど》よりも強く引っ張ると、ようやく現実だと気づいたらしい。
微《かす》かに生気の戻った瞳《ひとみ》で口を開いた。
「…………本当に…………はじめか?」
「そう、ぼくだよ。だから、頭ぶつけようとするのはやめて〜〜〜〜!!」
「それにしてものりちゃん、なんでここに?」
ようやく落ち着いた典弘君にはじめ君が聞く。
「いや、それはオレが聞きたい。おまえ何でこんなところにいるんだ?」
「……ぼくは先輩《せんぱい》に無理矢理《むりやり》連れてこられて、強制的に無人島ライフをエンジョイさせられてるんだけど」
「……あの人らしい」
「……うん……ものすごくね」
全くだ。
苦笑《にがわら》いを浮かべるはじめ君に典弘君。
「それでのりちゃんは?」
「オレは師匠と、この無人島で修行《しゅぎょう》をしている」
「まだ強くなるの? もう十分強いでしょ?」
確《たし》かに、典弘君と喧嘩《けんか》して勝てる高校生は全国を捜《さが》してもそうはいないだろう。
「……オレは精神を鍛《きた》えている。オレは自分に勝たなければならない」
自分に勝つか……これまた深い事を。
こんな事を考えだしたのはあの胆試《きもだめ》しの一件からだろうな。いやいや、元凶《げんきょう》である私としてはとても面白《おもしろ》……非常に心苦しいな。
「そうなんだ。…………って、こんなに悠長《ゆうちょう》に話してる場合じゃないでしょ! そのおでこ手当てしよう。血がだくだく出てるから。とりあえずそこ座って」
はじめ君は典弘君をちょうど側《そば》にあった倒木に座らせて、傷口をのぞき込んだ。
「…………血で傷口が見えないなぁ。とりあえずなにか血を拭《ふ》くものは……」
はじめ君は、典弘君の格好《かっこう》を見たあと、自分の姿を見下ろす。典弘君の格好は、かなり薄汚《うすよご》れ、所々裂けてすらいる。はじめ君は水着の上にTシャツ着ただけだ。すらりと伸びる足がとても健康的《けんこうてき》な魅力《みりょく》を発散している。案《あん》の定《じょう》、典弘《のりひろ》君は目のやり場に困ってきょろきょろしている……くっ、からかいたいな、ものすごく。
ともかく、傷口を拭《ふ》くようなものは何もない。
「…………しょうがない」
はじめ君は一つため息をついたあと、Tシャツを脱いで、それで血を拭こうとする。こうきたか、ナイスだはじめ君。素晴《すば》らしすぎる。ただ、Tシャツを破いてそれを包帯代わりにした方が、ポイントが高いのだがな。実に惜しい。
「おいっはじめ!!」
Tシャツという封印から解放されたはじめ君の水着姿。昨日《きのう》はスクール水着だったが、今日は白ビキニだ。慌《あわ》てた典弘君は立ち上がろうとする。
「動かないっ!!」
はじめ君はそう一喝《いっかつ》すると、押さえつけて血を拭く。
「うわ〜どれだけ強く打ちつけたんだよ。ざっくりいってる」
「……そっ……そうか」
「ちゃんと手当しないと、傷残るよ。あとで、ぼく達がキャンプしてるところに行こう、包帯もあるし」
「……そっ……そうか」
「他《ほか》に傷は……」
「……そっ……そうか」
同じ言葉を繰《く》り返す典弘君。はっはっはっ、典弘君の思考は完全に停止しているようだ。
だが、それもしょうがないだろう。今、はじめ君はものすごい格好《かっこう》をしているのだ。
ビキニで、前屈《まえかが》み。胸の谷間が強調《きょうちょう》されるポーズ。しかもその胸が、ちょうど座っている典弘君の目線《めせん》の先にある。
いや、自覚がないというのは恐ろしいな。確《たし》かにあの胸は、男の時にはなかったものだから気がつかないというのもあるだろう。だが、一番の要因としては、相手が典弘君という事だろうな。はじめ君は、幼なじみとして典弘君に接している訳《わけ》だが、過去に遡《さかのぼ》れば男として接した回数の方が圧倒的に多い。はじめ君と典弘君は幼なじみだからな。ゆえにいつも通り接するという事は、つまり昔の男だった頃《ころ》と同じように典弘君に接するという事だ。これは典弘君もたまらんだろうな、無防備にも程《ほど》がある。
はじめ君はなおも近寄って他に傷がないか探そうとする。さらに接近する胸。ほおおお、これはすごい。私が典弘君と代わりたいくらいだよ。これを自覚してやっていれば、魔性《ましょう》の女なのだが。
そこで典弘君は奇妙な声を出した。
「うっ」
「……うっ?」
はじめ君も間抜けな返事をする。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおお」
いきなり立ち上がる典弘《のりひろ》君。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」
そして叫びながら走りだした。
「うわっ、なんで逃げるの」
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ…………」
どんどん小さくなっていく典弘君の声。とうとう、典弘君の中の何かが限界を迎えたらしい。
「………………………………一体なんなんだ」
はじめ君が、唖然《あぜん》としている。
はっはっはっはっ実に面白《おもしろ》い。いかん、涙が出る。いやいや、相変わらず面白いな。
パチパチパチパチ
頃合《ころあ》いだなと、私は拍手をしながら出ていく。
「いやいや、一部始終見させてもらったが、実に素晴《すば》らしかった。…………君も罪作りな人だね」
「先輩《せんぱい》いつから見てたんですか? それに罪作りって…………」
「一部始終だと言っただろう。罪作りの件に関してはノーコメント」
教えてしまったら面白《おもしろ》くないではないか。これからもはじめ君は無自覚に典弘君を追いつめていくのだ。はっはっはっ典弘君も災難《さいなん》だな。
その時、私の反対側からも声が掛かった。
「全くこの程度で心を惑《まど》わされるとは修行《しゅぎょう》が足りんわ」
「おじいちゃん!!」
私の反対側から出てきたのは一太郎《いちたろう》氏。
私は頭を下げる。
「どうも、こうしてお会いするのはお久しぶりです」
「そうじゃな」
典弘君と同じくボロボロの道着を着た一太郎氏。その一太郎氏を見てはじめ君が何かに気づいた。
「はっ………………先輩、帰る当てってまさか」
「うむ、これだ」
私はうなずく。
「……ということは、先輩はおじいちゃん達がここで修行していることを……」
「むろん知っていた。だからこそ、この島にきたのだ。一太郎《いちたろう》氏と君が会えるように、わざわざオーラ君にここまで引っ張ってもらってまでな」
そう、さすがの私も、ゴムボート一つで海を渡るような愚行《ぐこう》は犯さない。命の危険があるからな。
「…………先輩《せんぱい》はすべてを知ってぼくをからかっていたんですね、いつも通り」
「失敬な。すべて君を一太郎氏に会わせてあげようという私の優《やさ》しさから出た行動だぞ?」
「会わせてくれるだけなら遭難《そうなん》する必要はまったくありません!」
「いや、やるからには劇的《げきてき》な再会の方が良いだろう」
「一体全体どのへんが劇的だったって言うんですかっ!!」
「典弘《のりひろ》君と再会した辺《あた》りは劇的だったのではないかと思うのだが」
「おじいちゃんまったく関係ないじゃないですかっ〜〜〜!!」
拗《す》ねていたはじめ君がようやく口をきいてくれた。
「でも先輩、なんで知ってるんです? おじいちゃんがここにいるってこと。ぼくでも知らないのに」
はじめ君の問いに私は自信満々で答える。
「うむ、私と一太郎氏は仲良しだからだ。定期的に連絡を取るほどにな」
「定期的……おじいちゃん、そうなの?」
「ああ、そうじゃ」
「へー、意外だなぁ。それでおじいちゃん、ここまでどうやってきたの?」
「泳いできたに決まっておる」
「…………泳いできたって、どれだけ距離《きょり》があると思ってるの……」
「という訳《わけ》で、帰りは典弘君と一太郎氏にひっぱってもらう予定だ。ちなみにボートは空気を抜いて隠《かく》してある」
いけしゃあしゃあと言う私をはじめ君が冷たく睨《にら》む。
「ああ、連絡を取っていたで思いだしました。次の私の手は4、五、金で」
「…………う、むぅ」
私の言葉を聞いた一太郎氏が考え込んだ。
「えっそれなんですか?」
「いや、一太郎氏と郵便|将棋《しょうぎ》をしていてね」
「郵便将棋?」
はじめ君が不思議《ふしぎ》そうな顔をする。ふむ、近頃《ちかごろ》の若者には聞《き》き慣《な》れない言葉だったか。
「一手ずつはがきで送り合う将棋の事だよ。まぁ、文通でする将棋だ」
「そういえば、前、おじいちゃんの家の住所を先輩《せんぱい》に聞かれましたね」
「ああ、そうだよ。君の艶姿《あですがた》を毎回送りつつ、そのついでで親睦《しんぼく》を深めるために将棋をしているのだ」
「…………送らないでくださいよ…………ほんとに」
「孫《まご》の身を案じる祖父《そふ》の心を酌《く》めないような人間にはなりたくないな」
「ならぼくの心も酌んでくださいよ!」
「いつでもどこでも君の心を酌んであげるよ、ただ、自分の心を優先《ゆうせん》するが」
「まったく意味ないじゃないですかあ〜」
落ち込むはじめ君。どんな写真が送られてしまったんだろう〜〜とか考えているのだろう。
ちなみに今まで送った写真は、魔法《まほう》少女、悪の女幹部、オーリンピンクだ。
「はっ、田舎《いなか》に帰った時におばあちゃんが楽しそうでよかったわ……とか言ってたのはこのこと…………」
色々考えては勝手に落ち込んでいくはじめ君。……実に面白《おもしろ》い。
その素敵《すてき》なはじめ君の様子《ようす》をにやにや眺めつつも、一太郎《いちたろう》氏との話は進んでいる。
「そうですか。では、我々のキャンプにきませんか? 米がありますよ」
「ほほう、久しぶりの米じゃの。ご相伴《しょうばん》に預からせてもらうとするか」
聞いたところによると三週間。つまりあの肝試《きもだめ》しのあと、すぐにここにきたらしいからな、流石《さすが》に米も切れるだろう。魚だけは豊富にあるので生きるだけなら問題なさそうだが。
「では行くかの。輿弘《のりひろ》のやつも戻ってきた事じゃしな」
典弘君?
「………………ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおお!!」
おお、戻ってきたな。島を一周して戻って来たのだろう。すごい体力だな、簡単《かんたん》に一周できる程《ほど》小さな島でないというのに。
はじめ君は、典弘君の叫びを聞いて言った。
「じゃ、とりあえず。晩ご飯作ります」
「はじめは寝たのか?」
「ええ、それはもうぐっすりと」
私が夜の海を眺めていると一太郎氏が話し掛けてきた。
その一言を皮切りに沈黙《ちんもく》が降りる。
時間はもう夜半過ぎ、聞こえるのはさざ波の音だけ。私は吸い込まれそうな程暗い海を飽《あ》きもせず眺め続ける。
「……何を悩んでいる?」
唐突《とうとつ》に一太郎《いちたろう》氏が口を開いた。
……………………何を悩んでいるか? ……か。
これが年の功というやつかな、はじめ君にすら気づかれなかったというのに。
私は海を眺めたままつぶやく。
「……私は、信念を持って行動している訳《わけ》です。普段《ふだん》の奇行も、趣味《しゅみ》という事は否定しませんが、目的があっての事です」
ここまで心の内をさらすのはいつ以来か。
「ただ、はじめ君には重荷になっているのではないかと思うのです。無茶《むちゃ》な事を要求している訳ではありませんが、それでもはじめ君にとっては嫌《いや》な事に変わりない。にもかかわらず私はそれを心から楽しんでいる。…………嫌な人間ですね」
オーラ君を楽しませる、そのために私は色々と仕組んでいる。今|培《つちか》っているオーラ君との関係は将来必ず役に立つ時がくるはずだ。なぜか確信《かくしん》を持ってそう思う。
「私は間違っていない。にもかかわらず……ふと頭をよぎる時があるのです。はじめ君が私から離《はな》れてしまうのではないかという不安が」
そう、私は恐れている、はじめ君を失う事を。以前の私は同じ思いで、入れ換わったまま今後の人生を過ごす事を選《えら》んだ。そして今も、同じ思いで色々と行動を起こしている。だが…………その行動の過程ではじめ君を失っては何の意味もない。
私は、はじめ君は私の考えや想《おも》いを受け入れてくれると信じている。何も話さずにわかってくれという無茶《むちゃ》な要求だが、はじめ君なら……と。
だが、…………それでも不安がある。
私がこのような想いを抱くとは誰《だれ》が予想しただろうか。はじめ君が私の中を占める割合が多くなっている。
「私は、はじめ君がいない人生など考えられなくなってしまった。私は怖いのですよ……怖いのです」
相も変わらず海を眺め続ける私に一太郎《いちたろう》氏が言った。
「儂《わし》は一《はじめ》をそんな柔《やわ》な人間に育てたつもりはない。そもそもその程度で心変わりするような奴《やつ》であったら、おまえははなから一の事を好かんかっただろう?」
「……………………」
「……あれはまっすぐに育った。男のままで成長すればどれだけいい男になったかと思うと惜しいが、それもしょうがない。だがな、男の中の男は無理じゃが、性根《しょうね》は全く変わっておらん。まっすぐなままじゃ。信じておれ。おまえの思いが一の許《もと》にある限り、一はおまえから離《はな》れる事はないじゃろう」
そうだ……そうだな。私がはじめ君を信じなくてどうするのだ。
「……すいませんでした、柄《がら》にもない事を話してしまったようです」
本当に柄にもない事を考えたものだ。どうかしていたらしい。
「かまわんよ、久々に将棋《しょうぎ》の好敵手に会って儂《わし》は喜んでおるのだ。好敵手には、意気《いき》軒昂《けんこう》でいてもらわんとつまらんわ」
「いや全くです」
すべて吐きだして、すっきりした気がするな。
迷いが晴れて俄然《がぜん》やる気が出てきた。
「ああ、そうだ。近々、美少女戦士の格好《かっこう》をしたはじめ君の姿をお見せできると思いますよ、楽しみにしておいてください」
「何だかよくわからんが、楽しみにしておこうかのう」
「是非《ぜひ》、是非」
[#改ページ]
交換日記
8月24日(火)
今日《きょう》、どうにか生還《せいかん》しました。合計四泊五日の無人島生活。日帰りのはずがなんでこんなことに。
でも、楽しいことはたくさんありました。ご飯はおいしかったし、下が見えないところでも泳げるようになりました。おじいちゃんに久しぶりに会ったし、のりちゃんにも久しぶりに会いました。なにより先輩と二人きりだったこと。
ただ…………いやだったこともたくさんあるんですよ!
なぜに無人島? とか、ずっと水着で暮らしたとか、とうとうスクール水着を着てしまったとか、背中にあほな日焼けができたとか、先輩があほなボトルレターを出そうとしたとか。
さすがのぼくでも怒って先輩のこと嫌いになりますよ!!
………………うそです。
この無人島生活……いや、この夏休みでわかりました。どんなことされたってぼくは先輩が好きなんです。先輩がいいんですよ。
いくら先輩が鬼で、悪魔《あくま》で、変人で、お約束大好きで、etc.etc.……自分の楽しみのためならどんなことだってしてしまうような人でも。
…………はぁ、ぼくって趣味《しゅみ》悪いんでしょうか?
悪いんでしょうねぇ。
自慢《じまん》じゃないですが、先輩についていけるような人は絶対ぼくぐらいですよ?
もう少しいたわってくれたって罰《ばち》は当たりませんよ。
という訳《わけ》で、先輩の高校最後の夏休み、存分に遊びまくりましょう!! 普通に!!
ものすごく普通に!!
PS
ただ、今後はもう少しお手柔らかに。
[#改ページ]
9月1日と私
ふう…………読み終わった。色々思いだしていたら思いの外時間がかかった。もう、空が明らんできているではないか。いつの間にか日を跨《また》いでいたようだ。
既《すで》に、暦《こよみ》は9月に入った。…………時間の経《た》つのは早い。名残《なごり》惜しい程《ほど》に。
日記を読んで思った事は…………なかなか良い仕事したな私。自分をほめてあげたいですという、とある銀メダリストの言葉を思いだしてしまった。
エピソードとしては裸Yシャツも良かったし、ねこ耳はじめ君も良かった。水着を着た恥《は》じらいも、浴衣《ゆかた》姿も…………ああ。
……いかん、思わず頬《ほお》がゆるむ。
他《ほか》にも色々な事があった。…………実に満ち足りた日々だったな。
この日記は、コピーをとってオーラくんに進呈しよう。さぞかし喜んでくれる事だろう。
我々の愛の日々を他人《ひと》に見せるのは気が引けるが…………はじめ君なら許してくれるだろう。
私達の未来への保険だからな。掛け捨てではない事を祈るしかできない不安定な保険だが…………その辺《あた》りはオーラ君との友情に期待しよう。全く飼い犬は辛《つら》い。
…………今、飼われた我が身を哀《あわ》れもうとしてみたりしたのだが、全く辛くないな。心から楽しんでいるからか。
そうだ、ついでだから、以前もらった川村《かわむら》君のレポートもつけておこう。なかなか愉快《ゆかい》だったしな。
さあ、明日《あす》…………ではない、今日《きょう》から新しい学期の始まりだ。
秋特有のイベントも色々ある事だし、今度は何して遊ぼうか。文化祭? 紅葉狩《もみじが》り? スポーツに芸術に食欲に性欲の秋。……最後のは違うか。それはともかく、夢がふくらむ。はじめ君さえいれば、大体の出来事が面白《おもしろ》おかしくなるからな。仕込みがいがあるというものだ。
あれをこうして、いや、あっちの方が良いか。だが……それならば…………う〜む。
………………………………いやいや飼い犬は辛いな。本当に辛い。
[#地付き]終わり
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おまけ、川村レポート
7月21日の山城《やましろ》一《はじめ》観察記録《かんさつきろく》
日記をつけようと思った者は、今までに見過ごしていたような事に気づいたり、今まで関《かか》わらなかったような事に関わろうとしたりするものだ。だからこそ今日《きょう》は愉快《ゆかい》な行動を取るかもしれない。…………とつばさ先輩《せんぱい》の言われた通り、はじめの本日の行動は素晴《すば》らしかった。さすがはつばさ先輩です。今こうやって文章に起こそうとするだけで今日見た光景が蘇《よみがえ》り……もうたまりません。ありとあらゆる感謝《かんしゃ》の言葉を並べても、おれの抱くつばさ先輩への感謝には到底足りません。つばさ先輩へのあり余る恩を返すためには、今日の出来事を事細かに記録《きろく》する事しかないと思い、キーボードに向かっています。
それでは、はじめのつばさ先輩と別れてからの行動を、時系列順に記《しる》します。
1:32
つばさ先輩が電車で降りたあとの事です、つばさ先輩と入れ替わるように入ってきた老婆《ろうば》ですが、短縮《たんしゅく》授業であふれた学生、主婦同士でランチかましてきたらしい中年女性グループ、サラリーマンらしき男などでごった返す車内には、座るところがありません。
そこではじめです! あいつの性格的に見過ごせる訳《わけ》もなく、当然席を譲《ゆず》ります。ああ、親切な美少女とはなんと素晴らしいものなのでしょうか。席を譲った老婆と世間話などを始めるはじめ、この人当たりの良さもたまりません。電車の中がほのぼのとした空気に包まれていました。
その時の会話全文はこちらです。
「あっ、おばあちゃんどうぞ」
「いいのかい?」
「はい。ぼくすぐ降りるんで」
「ありがとうねぇ。お昼なのに人が多いねぇ、何かあったのかい?」
「今日で学校が最後だったんです」
「そうかいそうかい」
「やっぱり夏休みに入るこの時が一番うれしいです。もう、楽しみで楽しみで」
「そうだねぇ」
「いろんなところに行きたいなーって想像が広がります」
「海とか気持ちいいからねぇ」
「はい。……ただ、海は行きたいんですけど……」
「ん? もしかしたら金づちだったりするのかい?」
「んー前は泳げたんですけど、一回|溺《おぼ》れてからは、水が少し怖いんです」
「そうかいそうかい」
「それに、水着が恥《は》ずかしいですし」
「…………近頃《ちかごろ》の若い人でもそういう事思うんだねぇ」
「いや、まぁ近頃の若い人には違いないんですが……いろいろと事情がありまして」
「事情かい?」
「ははは事情です」
「じゃあ山なんかどうだい?」
「山はいいですね〜涼しいし、空気も食べ物もおいしいし」
「美味《おい》しいねぇ」
「ああいうところで料理を食べるといつもよりおいしく感じるんで、作りがいがあります」
「料理が得意だったりするのかい」
「実は得意なんです。結構|自慢《じまん》なんですよ〜。先輩《せんぱい》にいいお嫁《よめ》さんになれるって言われるくらいに…………こんなこと言われるようになるとは思いもしなかったですが……」
「女の子だしおかしくないんじゃないかい?」
「はははは、そうなんですよねぇ、女の子だったらまったくおかしくないんですよねぇ……あっ、つきました。おばあちゃん、それじゃあ」
「はいはい、ありがとねぇ」
「いえいえ、さよなら〜」
こうして、駅に到着しました。はじめは周りの人々を幸せにする達人だと思いました。あの電車内にいた人は、今日という日を気持ち良く過ごせた事でしょう。癒《いや》し系《けい》とははじめのようなやつの事を言うんでしょうな。実に、良いものを見せていただきました。
2:01
はじめが公園の入り口にさしかかった時です。サッカーボールがはじめの許《もと》に転がってきました。公園内で小学校低学年の少年達がサッカーをしていたのです。
「そこのおねーちゃーん、とってくださーい」
転がってきた方向から聞こえてくるその声にはじめは気づくと、そのサッカーボールを蹴《け》り返しました。さすがは運動神経の良いはじめ、蹴《け》り返したサッカーボールは寸分《すんぶん》違《たが》わず少年の足下《あしもと》へ。
「おおー」
「すげー」
と少年達からわき起こる感嘆の声。
少年達は集まってごにょごにょ話したあと、はじめに向かって「おねーちゃーん」と手紹きしました。
そう、ここで信じられないような事が起こったのです!
はじめは少年達と何か話したあと………………なんと……なんと…………少年達とサッカーを始めたのです!
どうやら、少年達の人数は奇数でバランスが悪かったからなのでしょうが、そんな事はどうでも良い。
小学生の少年達に混じってサッカーを楽しむ高校生の美少女、…………あまりの感動に涙があふれ、視界が曇《くも》るのを止めようがありませんでした。
はじめは、もはや神に愛されているとしか言いようがないとは思いませんか? ゴールを決めて無邪気に喜ぶはじめ、アシストを決めて少年と手を合わせるはじめ、試合に勝って少年達と抱き合うはじめ。
思いだしただけで歓喜の涙があふれでます。
これぞ、気取らない美少女の極地です!!
しばらく遊んで日が傾きかけた頃《ころ》、はじめは少年達と手を振って別れた訳《わけ》ですが、非常に素晴《すば》らしいものを見せていただきました。
写真を同封しておきますのでお納めください。
5:32
知り合いと思われる中年女性と会話。
さすがははじめ、近所の受けも良いようですな。
5:38
はじめ帰宅。
6:00〜10:30
この辺《あた》りは食事のあと、テレビを見ながら、家族の団欒《だんらん》をしていた模様《もよう》。
10:30
入浴。
流石《さすが》のおれも、曇《くも》りガラスを透視する事はできません。換気扇《かんきせん》から吸いだされてくる湯気《ゆげ》を一身に浴びましたが。
11:00
2階の自分の部屋で、うれしそうに日記を書いているはじめを目撃《もくげき》。風呂上がりだったので、色っぽかったです。
11:30
就寝《しゅうしん》
今日《きょう》の出来事は以上です。
素晴《すば》らしい、夢のような一日でした。
あまりの萌《も》えっぷりに萌え尽きてしまうかと思いました。今日命尽き果てても悔《く》いが残らなかったに違いありません。
つばさ先輩《せんぱい》の美しい肉体に、はじめの良い性格、今更ながらにおれは思いました。はじめは素晴らしい。
例外もあるでしょうが、外見に恵まれた女性は日々を暮らすうちに、世間の価値観《かちかん》、周囲の態度《たいど》などから自負《じふ》を深め、自分の外見に自信を持っていくのでしょう。おれはこれを否定するつもりはありません、美香《みか》先輩などがその典型ではないでしょうか。周囲の反応を糧《かて》に自らをさらに高めていく。これは素晴らしい事です。ただ、自らの美しさに驕《おご》ってしまう者も多く、それらの人々が、美人は性格が悪いというような風評の元になっているのではないでしょうか。
ですが、美人だから性格が悪いという事もない、その逆に容姿に恵まれなかったゆえに卑屈になったりという事もあるでしょう。どちらに転ぶかは本人の資質もあるでしょうが。
大部分の女性にとって自らの外見は重要なものである事は間違いない事でしょう。容姿はその人物の性格に多大な影響《えいきょう》を与えている。思考や行動にも影響を与えているのではないかと思います。
しかし、はじめは男として育ってきたので、そのような事が全くない。女として暮らした経験《けいけん》が全くないのだから、ある意味、赤ん坊のように純粋な存在と言っていいかもしれません。男心はわかるが、女心はわからない……という事は、女性の負の部分を全く持っていないという事。
はじめは、少年のさっぱりした気質のまま美しい女性の肉体に入った。少年特有の性的な衝動《しょうどう》は男性の身体《からだ》から出たおかげでかなり減退している事でしょう。
まさに男と女のいいとこ取りです。生来の性格の良さもあったでしょうが、今はじめは、究極の性格美人と言っていいのかもしれません。
外見に対する考え方もつばさ先輩《せんぱい》の身体なので、はじめは自分の外見の美しさを知っている。さらに、もっと綺麗《きれい》なつばさ先輩の姿を見たいと自分の美しさを磨くという事もしている。
……しかし、はじめは自分の容姿に頓着《とんちゃく》していない。はじめが磨いているのは自分の身体ではなくつばさ先輩の身体なのだから。ゆえに、はじめが自らの美しさに驕《おご》るという事はない。
ありえない……ふつうはありえない。ですが、奇跡的な偶然がそれを可能としてしまった。
さらにはじめは18歳の肉体に16歳の精神が入っている訳《わけ》ですが、男と女の精神|年齢《ねんれい》の違いからいってそれ以上の差が生まれている事でしょう。青くもなく、熟《じゅく》してもいない、その中間の若い肉体と、その身体に宿る精神の幼さ。そのアンバランスさもはじめの魅力《みりょく》を引きだしているのでしょう。
また美人は女性にやっかまれたりする事があるかもしれませんが、中身が男のはじめはそのような事もない。男から見たはじめは偶像《ぐうぞう》のような存在でしょう。恋愛対象にならないが愛《め》でる対象にはなるという存在。つばさ先輩という決まった相手がいる事もありますし。
そう、いくら美しく、いくらかわいらしく、いくら愛らしくても、はじめが周囲に負の感情を引きだす事はない。
外見、内面、周囲に与える影響《えいきょう》、etc.etc.……すべてにおいて完璧《かんぺき》。そう、はじめは完璧なのです!!
本日、はじめを観察《かんさつ》しておれはつくづく思いました。はじめには隙《すき》がない。我々は究極の美少女という、人類の夢が誕生《たんじょう》する瞬間《しゅんかん》を目《ま》の当たりにしているのかもしれません。そのはじめの側《そば》にいる事ができる、おれにとってこれほど幸せな事はない。
入れ換わったままというつばさ先輩の決断、裏に他《ほか》の理由が隠《かく》されているような気がしますが、おれにとってはそんな事は関係ない。
ありがとうございます。
今のはじめに会わせてくれた、その事におれは心からそう言いたいです。
これにて、本日の報告を終了させていただきます。
[#地付き]川村《かわむら》秀則《ひでのり》
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あとがき
おひさしぶりです、沖田《おきた》雅《まさし》です。4巻です。真冬に真夏の話です。すいません、ちょうど半年ズレてます。いや、まあこれは、作中時間の流れと執筆速度との兼ね合いで、しょうがないといえばしょうがないんですが。先輩《せんぱい》とぼくは、1年間の話をゆっくり書いているので、いつかはズレも修正されると思います。そのあと、またずれると思いますが。
で、4巻です。担当さんに短編集《たんぺんしゅう》みたいな感じでどうでしょうとか言われて、はい、私もそんな感じが良いと思ってたんですよ〜とか二つ返事で安請《やすう》け合《あ》いしたのはいいですが、ここまで辛《つら》いことになるとは思いませんでした。今までで一番辛かったです。
4巻は予告したとおり、海です、花火大会です、水着に浴衣《ゆかた》です。絵になるのが楽しみです。全く趣味《しゅみ》丸出しで書いてたので、最初は気持ち良く書けてました。ですが後半、一つだけどうしても先に進まない話がありまして、今度の月曜日の朝までに原稿があがらなかったらご相談《そうだん》しましょうとまで担当さんに言わせてしまいました。いつもいつもすいません。
にもかかわらず、月曜日の朝8時の時点で短編の一つの終わらせかたが決まってないというひどい状態《じょうたい》でした。なんかもー精神が危険領域に達して、さあ、自分探しの旅に出かけようとかそんなこと思った時にふっとアイデアが出てきて、朝10時に原稿を無事送ることができました。人間って、追い込まれるとなんだってできるんだなぁとか思いました。おかげで、一つ大きくなった気分がします。ニュー沖田です。ウルトラスーパーグレイト沖田ぐらいにならないと締《し》め切《き》りを守れそうな気がしないので、あんまり大きくなってない気がしますが。
私は基本的に見切り発車で、発車したあとはもう勢いで書いていくという感じなので進む時は進むんですが、進まない時は全く進まないんです。その時々で、ルートが決まってなかったり、目的地が決まってなかったりするからなんですが。目的地ぐらい決めてから発車しろと自分でも思います。いつか取り返しのつかないことになりそうなので、この書き方はどうにかしたいです。どうにかできたらウルトラ沖田ぐらいになれるんじゃないでしょうか。何書いてるんでしょうね、わかりません。
あと、どの話で私が開眼《かいがん》したかわかった人は、手紙でも送ってください。当たってもはずれても、ファンレターが来たーと私が喜ぶだけですが。すいません。
それで、これから先はねたばれしてるので見ないでください。
と言いつつも表紙で盛大にねたばれしてますが、まあこれはこれで。表紙なんにしようかと担当さんに聞かれて猫耳と即答したのは私ですし。
それでねたばれというか注釈というか言いわけです。
えっとですね猫が酔うあの植物、酔っぱらうのは大人《おとな》の猫だけらしいです。どうしても子猫が良かったので、子猫にしましたけど。先輩《せんぱい》とぼくの世界では子猫も酔うということにしておいてください。あと、人間の身体《からだ》なのになぜ酔うの? とかも考えてはいけません。においの記憶《きおく》が残っててそれを思いだして酔ったに違いないのです。想像妊娠みたいな感じで。宇宙人とか幽霊《ゆうれい》がいるんだから、そんなことは些細《ささい》なことですよね? ね? ……すいません。
それでは、お世話になった方々への感謝《かんしゃ》を。
担当の高林《たかばやし》さん。今回も色々とご迷惑《めいわく》をかけてすいませんでした。この本が無事出たのは高林さんのおかげです。本当にありがとうございます。
イラストのこよりさん。猫耳のラフが素敵《すてき》でした。表紙が素敵でした。特に裏表紙なんか最高でした。この4巻には素晴《すば》らしいイラストが載《の》っていることでしょう! 水着とか浴衣《ゆかた》とかエプロンとか。いつも、ありがとうございます。
この本が出るにあたってご尽力《じんりょく》くださった皆様。ありがとうございます。今回も色々遅れてしまいすいませんでした。今度こそは……
同期の皆様、いつもお世話になってます。愚痴《ぐち》ばかり言ってる気がしますが、とてもありがたいです。また遊んでやってください。
そして最後に、この本を読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。
この本は笑ってお気楽で良い気持ちになれる本を目指しました。今皆様がそんな気持ちでしたら、とてもうれしいです。
それでは。5巻でお会いできたらと思います。
[#地付き]沖田《おきた》 雅《まさし》
[#改ページ]
先輩とぼく4
発 行  二00五年二月二十五日 初版発行
著 者  沖田 雅
発行者  佐藤辰男
発行所  株式会社メディアワークス