先輩とぼく3
沖田雅
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)何より変人|過多《かた》で、
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)そう二人きり[#「二人きり」に傍点]で。
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底本データ
一頁17行 一行42文字 段組1段
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先輩とぼく3
「……たりないな」その先輩の一言で、OMRの一員にさせられたのは不思議少女の桜さん! 占いマニアでポーカーフェイス。凰林高校の変人博覧会のこの部に、またまた濃い〜娘が入ってきました。
そんな無表情な彼女に、これまた無表情な真太郎が一目惚れしちゃったからもう大変! 面白いことを見つけて大喜びの先輩、親友の願いを叶えてあげたいぼく、やたらに首を突っ込む嵐ちゃんず。みんながてんでバラバラに真太郎を応援(!?)し始めたので、大騒ぎにならない訳がない!! そんなこんなで最後はホロリとくるはずの第3弾!
ちなみに魔法少女はじめました……。
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沖田《おきた》 雅《まさし》
1980年ごろ広島で誕生。大阪在住。この巻は←を目指していたはずだったんですが、なんか違う……まぁいいか。今まで一度だって計画通りにいったことないですしね。…………今、私……ものすごくだめな発言しませんでしたか?
【電撃文庫作品】
先輩とぼく
先輩とぼく2
先輩とぼく3
イラスト:日柳《くさなぎ》こより
1983年6月8日、鹿児島県吉松町生まれ。彩色、原画などの仕事を経て、現在イラストレーターとして活躍中。健康第一。お酒もタバコものみません。睡眠を最優先しながら余生を満喫中。
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いつかの春の出来事
「おばあちゃん、なんでさっちゃんのなまえはさくらなの?」
「それはね、おばあちゃんのお姉さんの名前をもらったんだよ」
「おねえちゃん?」
「そうだよ、綺麗でやさしくて、とても強い人だったんだよ。桜もそんな人におなり」
「うん!」
「それにね、桜の花は綺麗だろう? 見る人皆を和ませて、幸せな気分にする」
「すごいねぇ………さっちゃんどうやったら、さくらのきみたいになれるかなぁ」
「笑えばいいんだよ」
「わらうの?」
「いつもじゃなくていいんだよ。うれしいとき、幸せなとき、そんな笑いたいときだけ笑えばいい。そうすれば、周りの人も自分も幸せにする事ができる。桜の花と同じようにね………………」
「う〜ん……わかんない」
「そうかい…………桜にはまだ早かったかね。でも覚えておくんだよ」
「うんっ!」
「ああ、もう一つ覚えておくんだよ。笑っていたら、桜の笑顔を好きになる人がいるかもしれない。そんな人がいたら、放しちゃいけないよ」
「さっちゃんのえがおをすきになるひと? どおして?」
「それはね桜や………………そう言う人なら、笑顔でお願いをすれば、どんな無茶なお願いでも聞いてくれるからよっ! 惚れた男をいいように操ってこそいい女!」
「おっおばあちゃんこわい……」
「…………あーごほん。…………これも桜には早かったかね。でも覚えておくんだよ」
「…………うん」
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いつかの日曜日
「おお! オーラ君! 実に興味深いよ」
「すんばらすぃぃぃぃい!」
すこし離れた所で、先輩とタッキーがさわいでる。オーラをカメラで撮ってるんだ。
ぼくは、すぐ側のオーラに言った。
「……オーラ、どんな気分? いやじゃない?」
「イエイエ〜たのしンでイタダけるナラ〜」
うう、なんていい娘なんだ。
なのに、すこし離れた所では相変わらずの二人がいる。
…………ちなみにぼくはおかしくなってない。正気だ。もう一回詳しく再生しよう。
リピート
「おお! オーラ君! 実に興味深いよ」
「すんばらすぃぃぃぃい!」
すこし離れた所で、先輩とタッキーが騒いでる。オーラの胴体をカメラで撮ってるんだ。
ぼくは、腕に抱いているオーラの頭[#「腕に抱いているオーラの頭」に傍点]に言った。
「……オーラ、どんな気分? いやじゃない?」
「イエイエ〜たのしンでイタダけるナラ〜」
うう、なんていい娘なんだ。
なのに、すこし離れた所では相変わらず騒いでいる二人がいる。
今日は、オーラの改修した身体が帰ってきたらしく、新しい身体のお披露目会。というわけで、首と胴体が分離してる。
「では、今度はドリルを出してくれないかね?」
「ハイ〜」
右手が、なんかぐねぐねしたと思ったら、ドリルに変形した。
「すばらすぃい!」
ぼくは、胴体だけのオーラを嬉々として撮っているタッキーを見ながら思った。
…………あの写真、はたから見たらバラバラ死体に見えないかな。
「次は目からビームを頼むよ」
「ハイ〜」
…………でも、人に見られても大丈夫かな。こんなの現実だと思う人なんかいないよね。
ぼくは、目からビームなんか出してるオーラの頭を抱えたままそう思った。
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いつかの七夕
今日は七夕。
織姫と彦星が願い事を叶えてくれるとは思っていないが、自分の願いを紙に書くという行為は、自分を見据えることになり、願いを実現するために有益だ……とか先輩が言ったので、笹に飾るためにみんなで短冊を書いている。
みんなの書いた短冊は……
[お姉さまGET 石川嵐]
[パフェ 小谷美菜]
[あんみつ 小谷美穂]
[いい男が欲しいです 小谷美香]
[もっと美しくなれますように 道本誠]
[ツンデレ 川村秀則]
……なんて欲望にまみれた願いばかりなんだろう。タッキーなんかもうすでに願い事ですらない。
……七夕という行事を理解してるのだろうか。
[強くなる 山田真太郎]
[みんなしあわせ おーら=れーんず]
おかげで真面目に書いている真太郎とオーラの短冊に感動した。これだよ、これが七夕だよ。
そうそう、先輩は何書いてるんだろうか。ぼくは先輩の手元をのぞき込んだ。
「世界人類が皆……」
世界人類が皆幸せでありますように……とか? へー、先輩もこんなことをお願いするんだなぁ。
「……我が前にひれ伏しますように」
「って、何書いてんですかっ! 織姫と彦星に何を願おうって言うんですか!!」
「むぅ、お気に召さないか。では別の願いを書こう…………はじめ君が」
はじめ君がもっと私のことを好きになりますように……とか?
あはは、そんなことお願いしなくてもぼくは先輩のこと好きですよ……
「……エロかわいい感じで私にせまって来ますように」
「なんですかそれはっ! いったい何考えて生きてんですか先輩っ!!」
「もちろん君のことを考えているに決まっているではないか」
……今の流れで言われても、とてもうれしくない。
「では、そこまで言う君はいったいどんな願いを書いたのだね?」
「あっだめです」
ぼくが止める前に、先輩がぼくの短冊を奪い取った。
「えーなになに。[先輩が普通になりますように 山城一]………………あまりにも切実すぎて笑えないな」
「…………………………ううっ」
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目次
不思議少女とぼく……13
真太郎恋愛応援大作戦とぼく……41
魔法少女とぼく1……79
魔法少女とぼく2……99
だめ人間の群れとぼく(前編)……149
だめ人間の群れとぼく(後編)……187
ダブルデートとぼく……201
宝探しとわたし……233
エピローグとぼく……312
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夢
夢だ。
今日はどこだ?
ここは…………山、……森の中だ。
太陽がわずかに傾き光が赤みがかっている。時刻は夕方だろう。
誰《だれ》がいる?
はじめ、つばさ先輩《せんぱい》、道本《みちもと》先輩、川村《かわむら》、小谷《こたに》先輩、美菜《みな》美穂《みほ》の双子《ふたご》に、石川《いしかわ》、大林《おおばやし》、俺《おれ》、知らない男。
そして……
一枚の紙を大事そうに抱きしめている、背の低い少女。
どこかで見た事がある。
「そうですね……本当に……わたしなどのために……わたしは、ここまで想《おも》っていただいてるのですね。何てありがたい……何てうれしい」
少女は俺《おれ》のほうを向く。その太ももまで達した長く艶《つや》やかな黒髪が揺《ゆ》れる。
「今なら聞けます」
杖《つえ》をつき、左足を引きずりながら俺《おれ》の前まで歩いてくる。
そして言った。
花が開くような、鮮《あざ》やかな、柔らかな、温かな笑顔《えがお》で言った。
「……未来の……未来のわたしは笑えていましたか?」
夢の中で微笑《ほほえ》む少女。
俺は…………そんな不確定な未来に恋をした。
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不思議少女とぼく
「………………足《た》りないな」
ある日の放課後《ほうかご》、コーヒーに口を付けた先輩《せんぱい》がぽつりとつぶやいた。
「え? 砂糖《さとう》かミルク足りませんでしたか?」
あわてて先輩のほうを見るぼく。先輩の好みは把握してるし、たぶん間違ってないと思うんだけど……先輩はコーヒーに砂糖を三つも入れるんだ。初めて知った時は、びっくりした。先輩はブラックでコーヒー飲むのが似合いそうだから。昔、そのことを先輩に言ってみたら「苦《にが》いではないか」と真顔で返された。ちょっとおもしろかった。
「いやいや、相変わらずおいしいよ。砂糖の数、ミルクの量、共に申し分ない。私好みの味だ。流石《さすが》だね」
先輩がぼくを見た。そうだよね……だったらなんなんだろう。ぼくは聞いてみる。
「ありがとうございます。…………じゃあ何が足らないんですか?」
「うむ、この私の城の中に足りないものがあるのだ……」
会話を中断、コーヒーに口を付ける。幸せそうに目を細めているから、コーヒーがおいしいというのは嘘《うそ》じゃなさそうだ。よかったよかった。
それはそうと、この部室に足《た》りない物はなんだろうか……。ぼく的には、この部屋に足りないものは常識《じょうしき》だと思う。あと、整理整頓とかも足りない。何より変人|過多《かた》で、普通の人間が足りない。
「はじめ君、何が足りないかわかるかね?」
「はあ……」
ぼくはそう言われて、部室を見回す。相変わらず、変な部屋だ。わけのわからない物がいっぱいあるし。ぼくがどうにか少しずつまともな場所を広げて、ようやく半分ぐらいまでは普通の部屋っぽくなってきた。でもそのせいで、残り半分の怪《あや》しさが際《きわ》だってしまってる。整頓された左半分と、混沌《こんとん》とした右半分、対比でそれぞれが強調されてる。きれいなほうが強調されるのは構わないんだけど……変さが強調されまくるのはどうかと思う。これどうにかしたいんだけど……無理だろうなぁ。
今は放課後《ほうかご》、この部屋にいるのは、ぼく、先輩《せんぱい》、嵐《らん》ちゃん、美香《みか》さん、タッキー、真太郎《しんたろう》、道本《みちもと》さん、オーラ、美穂《みほ》ちゃん、美菜《みな》ちゃんの10人。コーヒー飲みつつ、美香さんが作ってきたクッキー食べつつ、みんなで話しながらだらだら過ごしてる。
このクッキー、おいしいんだこれが。作り方教わろっかな。いくらこのクッキーが、調理実習の時に男子にお裾分《すそわ》けするための予行演習だとしても、できたクッキーに罪はないしおいしいし。
ぼくはぽりぽりとクッキーをかじりつつ、部屋を見回した。冷蔵庫《れいぞうこ》に電気ポットにソファにテレビに……相変わらずとても居心地《いごこち》がいい。設備という面ではこの部屋で足りない物はないと思う。それどころか、足りすぎているんじゃないだろうか。まあ、便利なのはいいことだ。
「う〜ん、わかりません」
そんなわけで、ぼくはそう答えた。常識とか、整理整頓とか、真人間とかはさすがに言えない。変人いすぎとかも言えない。
「そうか…………では川村《かわむら》君?」
今度はタッキーに聞く先輩。聞かれたタッキーは、ピシイッと直立して答えた。
「はっ、不思議《ふしぎ》少女が足りません」
なっ何てバカな……そんなのが答えなわけがあるはずはない……
「その通り」
「って正解ですかっ!」
突っ込むぼく。そんなぼくを気にもせず、先輩は話を続ける。
「そう、我がOMRには不思議少女が足りない。OMRにいるのは、正統派ヒロイン、金髪外人ロボ、めがねっ娘《こ》で姉、幼なじみで妹、双子《ふたご》で妹……」
ちなみに、先輩《せんぱい》の視線《しせん》は、ぼく、オーラ、美香《みか》さん、嵐《らん》ちゃん、美穂《みほ》ちゃん、美菜《みな》ちゃんと移動した。ぼくは正統派ヒロインなのか? 中身男なのに。
「どうだね? 不思議《ふしぎ》少女が足《た》りないだろう」
その足りないというのが何を基準にしているのか、ぼくにはわからない。わかってしまったその時、ぼくはあちら側の住人になるんだろう。
「ハイ〜」
「足りません!」
このように。
ぼくは、あちら側の住人オーラとタッキーを見ながら、できれば永久にわかりたくないと思った。心から。
でも……今の先輩の言葉でひとつ気になったことがあった。ついでだから聞いてみようかな。
「先輩、美菜ちゃん美穂ちゃんは『めがねっ娘《こ》』はつかないんですか?」
先輩は、双子《ふたご》で妹としか言ってなかった。先輩とかタッキーとかなら眼鏡《めがね》が重要なんじゃないだろうか。前もめがねめがね言ってたし。
「うむ」
自信満々でうなずく先輩……なんでだろう。
そのぼくの疑問に答えたのは、やっぱりあの馬鹿《ばか》。
「ふっ、まだまだ甘いなはじめ、つばさ先輩の深遠《しんえん》たる考えを理解できないとは」
甘くて結構。
「美香先輩と、美菜美穂の二人には決定的な違いがある。その違いは、めがねっ娘としての致命的な欠陥《けっかん》と言っても良いだろう」
「それは〜」
「何ですか〜」
話を聞いた美穂ちゃん美菜ちゃんが身を乗りだして聞く。
「それは………………伊達《だて》眼鏡だからだ! 目が悪くないめがねっ娘などめがねっ娘ではない! 目が悪いからこそ、眼鏡が突発的な事故などで外れた時に「めがねめがね〜」と言いながら手探《てさぐ》りで探《さが》すことができる。目が悪いからこそ、眼鏡を外した自分のかわいらしさを知らないといった、普通の状態ではあり得ない状況が起きる。眼鏡に度が存在しているからこそ、眼鏡を外したら美人という人類の夢を体現することができる。
伊達眼鏡は、これらのような目が悪いからこそ起こる全《すべ》てのシチュエーションを切り捨ててしまっているのだ! これを致命的と言わずに何と呼ぶっ!!」
「……が〜ん」
「……が〜ん」
ショックを受けてる二人。その二人を見ながらぼくは聞いた。
「美香《みか》さん、二人って伊達《だて》眼鏡《めがね》なんですか?」
「そうですわ。二人はわたくしの真似《まね》がしたかったのです」
なるほど、真似か。二人ってお姉ちゃんっ子だもんねぇ。
「タッキー先輩《せんぱい》〜」
「なっちゃん達はどうすれば〜」
タッキーに助けを求める二人、確実に頼る人を間違えてる。
「……方法はない事もない!」
「そっそれは〜?」
「何ですか〜?」
「……おれについてくるか? おれについてくるならめがねっ娘《こ》養成の為《ため》の特別メニューを組んでやろう。
…………だが、覚悟しておけ。めがねっ娘とは、遣伝《いでん》、体質、環境《かんきょう》、趣味《しゅみ》、思考、容姿《ようし》、などの要素が奇跡的に一致した場合に現れる、神聖不可侵なる存在だ。それを人工的に作りだす…………まさに神をも恐れぬ行為、神に刃向《はむ》かう行為。生半可《なまはんか》な覚悟ではつとまらないだろう。…………おまえ達にその覚悟はあるか?」
いやいやいや、刃向かってない刃向かってない。つーかなんでタッキーはいっつもこう大げさなんだ?
「はい!」
「こーち!」
ああああこの展開は……
「なに言ってんのタッキー! 嵐《らん》ちゃんだけでなく、二人にまで! 美莱《みな》ちゃん美穂《みほ》ちゃんもそんな馬鹿《ばか》の言うこと信用しない! ああ、もう美香さん! 妹に魔《ま》の手が伸びまくってますよ! 何とか言ってくださいよ!」
「ふふっ、それはそれでかわいらしいので。……それに、大人《おとな》の階段を上るため、私の手を離《はな》れるお二人、とても寂《さび》しい。ですが………………この寂しさが快感ですわ」
へっ変な人だ、変な人がいる。
「はっはっはっめがねっ娘|談義《だんぎ》はこの辺《あた》りにしておこう。名残《なごり》惜しいがね」
ぜんぜん、まったく惜しくありません。
何で眼鏡がつかないんですか? とか聞くんじゃなかった。ぼくのあんな些細《ささい》な疑問が美菜ちゃん美穂ちゃん、二人の人生を変えてしまったのかもしれない。ああ、取り返しのつかないことをしてしまった……。
この償《つぐな》いの為《ため》にはあの馬鹿を駆逐《くちく》しないと……。ぼくが新たな決意を胸に秘めていると……先輩が言った。
「まあ、そんなわけだ。先ほどの話の通り、我がOMRに不思議《ふしぎ》少女を加入させようと思う」
また先輩《せんぱい》の変な行動が出た。加入させたいではなくて、加入させよう…………もう決定事項らしい。いったい誰《だれ》を連れてくるんだろうか。
「へーもう決まってるの? どんな娘なの? つばさをたぶらかしてくれるような人だとうれしいなー」
「仲良くなれるかな〜」
「なれるといいね〜」
この部屋に来るようになってあんまり日にちが経《た》ってないにもかかわらず、この部屋の主《あるじ》のようにくつろぎまくってる三人組。嵐《らん》ちゃん、美菜《みな》ちゃん、美穂《みほ》ちゃん。この愉快《ゆかい》な三人組は、学校でも有名になってきた。見た目も目立つのに、変なことばっかりしてるから。具体的に言えば、先輩に色々とちょっかい出して、負けて、捨て台詞《ぜりふ》と共に去っていくという感じ。漫画《まんが》なんかに出てくる間の抜けた敵役《かたきやく》みたいでおもしろいんだけど……おかげでぼくの心労が倍になった。先輩でいっぱいいっぱいだったのに……はぁ。でも憎めないんだよねーかわいい妹分だし。
「たぶらかしてくれるかは知らないが、なかなかに美しい女性だよ」
「ほほほ〜う、それはいいわねー、つばさ、思う存分たぶらかされなさいよ。お姉さまはアタシが引き受けたわ」
「はっはっはっ、考えておこう。それでは異論がないものとして話を進めよう」
異論を唱えたとしても、気にしないくせに……と心の中だけで思っておく。
「ふっ、美しい女性が増える事に異論があろうはずもない」
「全くですな」
「マッたくデスヨ〜」
道本《みちもと》さんと、タッキーはそうでしょうね。って、何でオーラまでまじってんの! ああ、やっぱりここにいる普通の人は真太郎《しんたろう》だけだ。もうすでに、ぼくの心のオアシスとなってるよ。
ぼくは黙々《もくもく》とクッキーを頬張《ほおば》っている真太郎を見ながらそう思う。
「そうだろう、そうだろう。私としても、女性が増えるのは華《はな》やかでうれしいな。彼女にはすでに、話をつけている。快く了承してくれたよ。では、メンバーも大体そろっている事だし紹介する事にしようか」
……先輩の「快く」ほど信用できない言葉もない。その人も巻き込まれたんだろうなぁ。かわいそうに。
ぼくがそんな感じでまだ見ぬ不思議《ふしぎ》少女さんに同情している間に、先輩が電話をかけていた。
「あー私だ。我が城に来てくれたまえ。私の愉快な仲間達を紹介しよう。まぁ急がないので、ゆっくり来てくれたまえ」
愉快な仲間達……何かいやな感じだ。その中にぼくが含まれていることが特に。
「ああ……ああ……待っているよ。では、またあとで会おう」
先輩《せんぱい》はしばらく会話を続けたあと、電話を切った。先輩の口調は誰《だれ》に対しても変わらないから、どんな人と話していたのか予想すらつかない。1年生なのか2年生なのか、はたまた3年生なのか。学校外ってのはないと思うけど……
「10分程で来るそうだ、はじめ君、もうひとり分コーヒーを頼むよ」
携帯電話をしまいつつ先輩が言った。
「はい、わかりました」
う〜ん、どんな人が来るのかなぁ。先輩のお気に召《め》すだけあって変な人には間違いないんだろうけどね。でも、できることならまともな人であって欲しいなぁ。変人|濃度《のうど》下がるし。
「彼女が、新たなる仲間だ。名前は水野《みずの》桜《さくら》。どうだね、この無表情さ。いいだろう? それに加えこのコンパクトさ。その筋の人間のハートをがっちりつかんで離《はな》さない」
ちょうど10分後、時間通りにやってきた不思議《ふしぎ》少女さんに対する、ものすごく失礼で無礼で気遣《きづか》いのかけらもない先輩の紹介。先輩らしいといえば先輩らしいんだけど。……ほかに言葉はなかったんですか? 先輩。
気を悪くしてないだろうかと、ぼくは桜さんの様子《ようす》をうかがう。何でぼくが……とも思うけど、生まれ持った性格ばかりはどうにもできない。
水野《みずの》桜《さくら》さんは……とても小さい人だ。この部屋で一番小さい美穂《みほ》ちゃん美菜《みな》ちゃんよりも小さいと思う。150センチを切ってるんじゃないかな。入学した時のぼくより少し小さい…………失言でした。忘れてください。思い出さないでください。
それで、桜さんだけどまっすぐ伸びた長い黒髪が印象的だ。とてもつやつやしててきれい。カラスの濡《ぬ》れ羽色《ばいろ》ってこんな感じの黒のことを言うのかな。
服装は凰林《おうりん》の制服だからうちの生徒なんだろう。……当たり前といえば当たり前なんだけど、先輩なら部外者つれてくるとかもあり得るから油断《ゆだん》できない。制服のサイズはぴったりで前のぼくみたいに成長することを考えてないみたい。もう、成長あきらめてるのか、成長が止まっているのか、はたまたお金持ちなのか。もう夏服なので、上は白いシャツ、スカートの長さは普通。太ももまである真っ黒なニーソックスが、足を覆《おお》い隠《かく》していて肌がまったく見えない。肌が出ているところは顔と手。その顔と手は真っ白だ。そして…………その手に握られてるのは一本の杖《つえ》。手のひらだけでなく、腕でも体重を支えられるタイプの杖。足が悪いのかな。
顔は、真っ黒な瞳《ひとみ》に小さな鼻と口。ようするに純日本的な整った顔立ち。ありがちな表現だけど、日本人形みたいな感じだ。ほんとお人形みたい。
でも、見た目だけでそんな印象を受けた訳《わけ》じゃない。そう思った一番の理由は……まったく表情が変わらないんだ。いつもにやにや笑ってる先輩《せんぱい》の表情も読みづらいけど、桜さんは先輩よりも読みづらい。顔がぴくりともしない。ずっと同じ顔、この部屋に入った時も、先輩が話しかけた時も、先輩が桜さんの紹介をしている今も、全然変わらない。先輩が不思議《ふしぎ》少女だと言ってる理由もわかる。たしかに不思議な感じがする人だ。
でも、これは問題だ。先輩の言葉で気分を悪くしてるかとかがわからないからフォローもできない。どうしよう……と、ぼくがおろおろしてると、タッキーが感極《かんきわ》まった感じで叫んだ。
「すんばらすぃいっ!!」
…………いい加減にして欲しい、ていうより黙《だま》ってくれ。……先輩だけで手一杯なのに、これ以上いやな空気を拡散しないでくれ。
「なんだ、はじめ。その顔は。不思議少女はすばらしいのだっ!」
いやな顔をしていたらしいぼくに、タッキーが語る。
「ああ、ミステリアスな不思議少女。不思議少女には無表情系と天然系がいるが、おれ的には無表情系を押したい。なぜか? 無表情な少女は考えが読めないのが良い。無口なのが良い、たまに冷たく毒吐くのも良い、……ああ、良い。はじめ、おまえも罵《ののし》られてみたいだろう? 冷たい目で蔑《さげす》まれたいだろう?」
ぼくに同意を求めるな。
「おれは罵られたい! 罵倒《ばとう》されたい! 蔑まれたい! 哀《あわ》れんでもらいたい! あの冷たい瞳《ひとみ》で見下されるのを想像しただけで……ああああだめだ、もう耐えられない、水野先輩お願いですから今すぐおれを罵ってくださいぃいぃ」
どっかに突き抜けてしまったらしく、いきなり土下座《どげざ》を始めるタッキー。生土下座を見たのは生まれて初めてな気がする。ぼくならいくらでも哀れんだ目で見てあげる……てゆーか、もうすでに哀れんだ目で見てるんだけど。
そんなタッキーを見たあと、桜《さくら》さんは、先輩《せんぱい》を見る。これを見ても表情は変わらない。筋金入りの無表情だなぁ。
先輩は桜さんの視線《しせん》を受けたあと、にこにこしながら言った。
「ああ、罵《ののし》ってあげてくれないかね」
ものすごくうれしそうだ。桜さんは少し沈黙《ちんもく》したあと口を開いた。
「別に構わないですが」
構わないんですかっ! 気に入られちゃったら、あの馬鹿《ばか》につきまとわれますよ!
やめといたほうがいいですよ……と言いかけたぼくを先輩が目で制す。
「……ですが、何と罵れば良いのですか?」
「そうだね……………………」
先輩は、桜さんの耳に顔を近づけごにゅごにょと耳打ちをした。いったい何を吹《ふ》き込んだんだろうか。
「……わかりました」
桜さんは、上半身を起こして正座状態になっているタッキーを見下ろしながら一言。
「……この下衆《げす》が」
うわぁ、無表情で、何の抑揚《よくよう》もなく静かに言われると、切り裂かれそうなほど冷たく鋭《するど》く聞こえる。ぼくが言われてたら、かなりの精神的ダメージを受けていたことだろうと思う。だけどタッキーは、
「あっふうぅうぅうぅん」
という怖気《おぞけ》の走る甘い吐息《といき》と共に後ろに倒れる。
「……たっきー?」
……返事がない、ただの屍《しかばね》のようだ。はぁ、タッキーに人間らしい反応を期待しても無駄《むだ》だなぁ。今、濡《ぬ》れタオルをタッキーの顔に置いたら、静かになるかな〜とかブラックなことを考えてしまうぼく。
「はっはっはっ、実に興味深《きょうみぶか》いな。いやいや、良い物を見せてもらった」
こんな頭の痛くなる光景の中でも、先輩は手をたたいて大喜び。
「では、紹介の続きといこう」
そして先輩がさっきにも増して、失礼なことを言いだした。
「彼女はね、両親《りょうしん》を自動車事故で失い、さらに自らもその事故で左足を悪くした。さらに入院したせいで一年留年。さらには引きこもりもう一年留年。私と同学年だが、桜君はもうすでに二十歳《はたち》だ。今は一人で自宅を守っている。いや、絵に描《か》いたような薄幸《はっこう》の少女だね。パーフェクトだ」
「せっ先輩《せんぱい》!」
だから、杖《つえ》ついてるのか……なんて納得《なっとく》してる場合じゃない。先輩はいったい何を言いだすんだ! デリカシーがなさすぎる。これで気分を悪くしない人なんていないでしょ!
ぼくはさっきよりもおろおろと先輩と桜《さくら》さんを交互に見る。言葉にするとおろおろおろおろぐらい。…………ものすごくうろたえているのが自分でもわかる。おろおろおろおろって何なんだー!?
そんな感じで、てんぱってるぼくに、追い打ちをかける馬鹿《ばか》がひとり。
「素晴《すば》らしいぃいぃい! ただ無表情なわけでなく、無表情にそんな理由があったとは……。これで、笑顔《えがお》なんか見せられたらもう…………。笑えない少女が、試練を乗り越え笑う……ああ、素晴らしい! 素晴らしすぎる! さらには、包帯まで似合うとは……完璧《かんぺき》だ……完璧すぎる……」
後ろにひっくり返ったままガクガクと歓喜に震《ふる》え、馬鹿なことをほざく馬鹿。いつの間にか復活していたらしい。
………………………………濡《ぬ》れタオルを用意しないと。
本気でタオルを濡らしにいこうとするぼく。言葉だけでなく息の根も止めないといけない。そんなぼくをまったく気にせずに話を進める先輩。
「どうだね? 同情したかね? まあ、それはしょうがない。誰《だれ》がどう見ても、桜君は不幸だ。何の不自由なく暮らしている、両親《りょうしん》共に健在《けんざい》な人間からすれば、ごくごく当たり前の反応だと言えるだろう。こちらに非はないにもかかわらず、罪悪感すら抱いてしまう」
確かに先輩の言葉を聞いた時、同情したと思う。ぼくは家族で欠けた人はいないから。それに、同じ理由で微妙な居心地《いごこち》の悪さも感じた気がする。これが罪悪感なのかもしれない。
でも、先輩は何でそんなことをいきなり言いだすんだろう。
「同情する事は悪い事ではない。…………ただ、同情するのは一度で十分だ。同情など引きずっても双方|面白《おもしろ》くないだろう? そう、面白くない事は良くない。人生を面白おかしく生きていく事に全《すべ》てを懸《か》けている私としては、面白くないのは耐えられない。許せない。
というわけで、最初に君達に同情して貰《もら》う事にした。今の同情は一生分の同情だ。これからは、同情したり気を遣《つか》ったりする事がないように」
なるほど、先輩らしい。あっさりというか、さっぱりというか……とても割り切った考え方。でも、この先輩の考え方は好きだなぁ。
「と、いうわけだ。同情タイムも終わったので、これからは自己紹介タイムといこう」
同情タイムっていったい何だ? とか思うけど。いい感じに空気が切り替わった。
「…………平賀《ひらが》さんは相変わらず面白い方です。わたしとしてはその辺《あた》りの性格をとても好ましいものと思っているのですが。それでご紹介にあずかりました、水野《みずの》桜です。3年1組です」
1組か〜、先輩《せんぱい》7組だから場所的に真反対のクラスだなあ。だからあんまり見た記憶《きおく》がないのか。
「わたしの所属する、占《うらな》い研究会が部員の減少により廃止される事になったので、平賀《ひらが》さんに拾われたというしだいです。どうぞよろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げる桜《さくら》さん。相変わらず無表情。
「あつ、どうも、山城《やましろ》一《はじめ》です」
つられて頭を下げる、骨の髄《ずい》まで日本人のぼく。
「2年5組です。何の因果か先輩と入れ替わってます。どうぞよろしくお願いします」
途中《とちゅう》に「運命だ、私と君とは結ばれる運命だったのだ」……という先輩の言葉が聞こえたけど聞こえないふり。先輩、いつか運命なんて偶然の呼び方を変えただけだとか言ってたくせに、ほんと調子いいんだから。
「はい、話はかねがね平賀さんから聞いています。こちらこそよろしくお願いします」
もう一度ぺこりと桜さん、ぼくもぺこり。
続いてみんなも自己紹介していく。美香《みか》さんと道本《みちもと》さんは3年生だから知ってたみたい。
「こうやって、面と向かって話すのは1年の時以来ですね。どうぞよろしくお願いします」
「やあやあ、君のような美しい女性と同じ時を過ごせるなんて、何と喜ばしいことだろうか。よろしくたのむよ」
タッキーは無視したから次は真太郎《しんたろう》の番かな。真太郎はのそりと立ち上がると、桜さんの前に立つ。
……ん? 真太郎の様子《ようす》がなんかおかしい。ぼーっとしている感じ。…………一目《ひとめ》惚《ぼ》れとか? あははは、まさかね〜。
「山田《やまだ》真太郎、2年だ」
相変わらず言葉が少ない真太郎。
「あなたが……」
少しの間、固まる桜さん。でもそれは少しだけ、すぐに今まで通りになる。
「……すいません。山田さんですね。よろしくお願いします」
あれ……桜さん、真太郎のこと知ってたんだろうか。真太郎は先輩に巻き込まれて色々してるから有名人だし、知ってても不思議《ふしぎ》じゃないんだけど……桜さんの今の反応は何だろう。
大きな身体《からだ》で桜さんの前に立って動かない真太郎。桜さんもおかしいけど、真太郎もやっぱりおかしい。
「……………………あの……何かわたしに用があるのですか?」
その微妙におかしい真太郎に向かって桜さんがいぶかしげに聞いた。その桜さんの問いに真太郎は答えた。
「…………結婚を前提に付き合ってくれ」
……………………………………………………………………………………は?
何か信じられない言葉が真太郎《しんたろう》の口から出たんだけど。
「…………冗談《じょうだん》ですか?」
桜《さくら》さんの反応もぼくと同じ感じ。冗談にしか思えないよね。でも……
「本気だ」
……らしい。
ああああああああ真太郎が壊《こわ》れたー、ぼくの最後のオアシスがー。真太郎しっかりしろ! しっかりしてくれっ! 真太郎が壊れたら真《ま》人間がぼくだけになるんだよ〜〜。
そんな、錯乱《さくらん》しているっぽい真太郎への対応も、桜さんは今まで通り。
「…………そうですか。わかりました」
クールだ。流石《さすが》は先輩《せんぱい》に不思議《ふしぎ》少女と評されるだけのことはある。でも……
「ただ、わたしには初対面の人に求婚された場合にそれを受け入れるという選択肢《せんたくし》が存在していないのですが。いえ、わたしだけでなくほとんどの人がそうでしょう。もう一度聞きます。本気なのですか?」
無表情だけど、言葉に刺《とげ》がある気がする。桜さん怒ってるのかもしれない。見た目にはわからないけど。
「本気だ。それに俺《おれ》にとっては初対面ではない」
「……いつの間にわたしと会ったのですか? わたしは全く知らないですよ? 遠くで見てお知り合いになったとかですか?」
おおう、反応がさらに冷たくなった気がする。ただぼくがそう思っているだけで、ほんとかどうかはわからないけど。
にしても、いつの間に……
「…………夢で見た」
……夢か〜。
「…………………………それが噂《うわさ》の予知夢《よちむ》ですか?」
……何か予知夢の話が出たとたん、桜さんの言葉が、さらに冷たくなった気がするんだけど。氷がドライアイスに変化した感じだ。冷たさが痛い。
でも、真太郎はそんな冷たさに負けないで、真面目《まじめ》な顔で言う。目が細くて笑っているように見える真太郎が、真面目な顔をしているように見えるんだから、真太郎は今大マジだ。本気の本気で結婚を前提に付き合ってくれと言ってるみたい。
それにしても、いったい何があったのだろうか。行動がぼくの知っている真太郎のものじゃないんだけど。……恋が真太郎を変えたのかな?
「夢の中のわたしは、そんなに魅力《みりょく》的でしたか? それともあなたにとって都合《つごう》の良い女にでもなっていましたか? どちらにしても、わたしがそのような事に付き合ういわれはないですね」
表情が変わらなくてもわかる。桜《さくら》さんは、怒ってる。
真太郎《しんたろう》もそれはわかってるんだろうけど……それでも、必死に思いを伝えようとしている。
「俺《おれ》の夢の中であなたは……」
真太郎が、具体的な夢の話に入ろうとした時、…………ぼくは信じられないものを聞いた。
「やめてください!」
……桜さんの叫び声。…………叫び声? 初めて聞いた。びっくりだ。先輩《せんぱい》も目を丸くしてるから、本当に珍《めずら》しいことなんだろう。相変わらず無表情だけど…………今の叫びは、今までで一番感情がこもっていた。
教室がぴりぴりした空気に包まれる。
その時、そのいやな空気を吹《ふ》き飛ばしたのは…………ものすごい泣き声。
「うわああああああああああああああああああああああん」
うわっ何? 何なの?
いきなり聞こえてきた泣き声にびっくりして、声の方向を見ると……嵐《らん》ちゃんが泣いていた。ものすごい大泣きだ。
「らっ嵐ちゃんどうしたの?」
ぼくは嵐ちゃんをなだめつつ、どうしたのか聞いた。
「うわああああああああああああああああああああああん」
でもまったく効果なしで、泣き続ける嵐ちゃん。
嵐ちゃんはしばらく泣き続け、嵐ちゃんが泣きやんだのはかなりあとのことだった。そのせい……いや、そのおかげで、真太郎と桜さんの話はうやむやになった。
嵐ちゃんといい真太郎といい、いったいどうしたんだ?
嵐ちゃんは、いったい何で泣いたんだろう。桜さんの身の上話を聞いたから?
ほんとわかんない。嵐ちゃんこそは、夢で見たという真太郎とは違って、完全に初対面のはずだ。なのに何で……?
桜さんが加わって再び騒《さわ》がしくなったぼくの周り。いったいこれからどうなるんだろうか。
でも、真太郎の恋は応援しようと思う。真太郎は冗談《じょうだん》であんなこと言う人じゃない。あれは本気だった。親友《しんゆう》としては……応援しないわけにはいかないよね。
未来を知りたくて知りたくないわたし
わたしはいつもの道を歩いていました。人通りの多い商店街。杖《つえ》をつきながらゆっくりと歩くわたしを、家路《いえじ》を急ぐ様々《さまざま》な人が追い抜いていきます。子供、大人《おとな》、女の人、男の人、会社員、学生、皆わたしよりもゆったりとした時間を生きているのでしょう。この足のせいで、わたしの時間はあっという間に過ぎていきます。一歩を踏みだすたびに、失っていく時間。人混みの中を歩いていると、自分だけ違う時間を生きている気分になります。
ですが…………それに対して何の感慨《かんがい》も抱かない自分がいるのです。
失っていく時間、別に構わないです。失う時間に何の価値も見いだせませんし。
失っていく時間、別に構わないです。同じ時間を生きたいと恩う人もいませんし。
失っていく時間、別に構わないです。…………本当に構わないのです。
わたしは、ここ数年そう考えて生きてきました。
そう……それにもかかわらず。わたしは、平賀《ひらが》さんの誘《さそ》いに乗りました。
平賀さんの誘いに乗ったのは、なぜでしょうか。
占《うらな》い研究会、そこに在籍《ざいせき》していたのはただ誘われたから。ただの人数合わせ。廃部になったとしても構いません。先輩《せんぱい》方が卒業し、部員もわたし一人になったので、別に家にいても変わりがないのですから。
今のわたしの唯一《ゆいいつ》と言っていい趣味《しゅみ》は占い。
占いに傾倒《けいとう》しているのは未来が知りたいから。
今わたしが実感できるただひとつの欲求、未来が知りたい。生きる事に何の感慨も抱いていないわたしが未来を求めるのはなぜなのでしょうか? 一寸先《いっすんさき》の闇《やみ》が恐ろしいからでしょうか?
違うのです。
今日は、久しぶりに……そう、本当に久しぶりに感情的になった気がします。あの感情は怒りでしょうか?
違うのです。
あれは……羨望《せんぼう》と恐怖です。わたし山田《やまだ》さんの見通す未来が羨《うらや》ましいのです。そして、恐ろしい……とても。山田さんに、未来を告《つ》げられるのがとても怖い。失う物も特にない、生きるという事に特に執着《しゅうちゃく》しているわけでもない、ただ流されるままに生きている。死んでいないから……あの事故で死ななかったから生きている。ただそれだけのわたしがなぜ、未来を欲《ほっ》するのでしょうか。なぜ、憧《あこが》れるのでしょうか。なぜ、嫉妬《しっと》しているのでしょうか。なぜ、恐れているのてしょうか?
わたしは足を止めました。杖《つえ》と右足に身体《からだ》を預け、足を休めます。
わたしは未来を望み、恐れている。
わたしが未来を知りたいのは、闇《やみ》を照らしたいのではなく、そこに光があるのを信じたいのかもしれません。わたしはこのままの生活が永久に続くのが恐ろしいのです。だからこそ、この先の未来に何かがあると信じたい。だから、その先の未来を知っている山田さんが、ねたましい。そして、未来を知っている山田さんが恐ろしい。
矛盾《むじゅん》しています。ですが、これがわたしの本心。
告《つ》げられる未来が闇《やみ》に満たされていたとしたら……その未来はとても恐ろしい。
それは、何もないという事です。
恐ろしい……それが一番恐ろしいのです。
だから知りたいのです、だから知りたくないのです。
わたしが平賀《ひらが》さんの誘《さそ》いに乗ったのは、なぜでしょうか。
それはたぶん……光が欲しいからです。
わたしは、違う時間の中を生きている人々の中で空を見上げ、ささやくように問いました。
「…………未来のわたしは……笑って……笑えているのでしょうか?」
そんな答える人もいない、わたしの問いは人の流れの中に消えていきました。
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夢
「真太郎《しんたろう》さま」
桜《さくら》先輩《せんぱい》が俺《おれ》に向けてゆっくりと歩いてくる。その顔には、とろけそうなほどの満面《まんめん》の笑みが浮かんでいる。
それを見て理解する。
…………夢だな。
ここは……学校だな。中庭あたりか?
桜先輩が四角い大きな固まりを取りだした。
「真太郎さまの為《ため》にお弁当を作ってきたのです」
…………夢だな。
桜先輩は俺の隣《となり》に座ると、それを広げる。
「早起きして作ったのですよ」
…………夢だな。
「お口に合うと良いのですが」
「一応、食べ物の好みは山城《やましろ》さんに聞いたのですが……」
「…………うれしいです」
「……うふふ……ですね」
………………………………夢だ。
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真太郎恋愛応援大作戦とぼく
「さて、どういう事か説明して貰《もら》おうかな」
真太郎《しんたろう》が桜《さくら》さんに求婚するというトンデモ行動に出たのは昨日のこと。
今はお昼休憩《ひるきゅうけい》。ご飯を食べつつ、先輩《せんぱい》が真太郎に昨日の行動の真意を問いただしている。ただ…………何か先輩《せんぱい》とてもうれしそう。興味《きょうみ》をそそることがある時の先輩はいつもこうだ。
「夢を見た。その夢に桜先輩が出ていた」
「それは聞いた。夢の中の少女に恋か。いや、なかなかにロマンティックでファンタジックだな。真太郎君、君、実は少女|漫画《まんが》が好きだという事があったりしないかね?」
「……ない」
真太郎が大きな身体《からだ》で少女漫画を読んでいるところを想像した。…………それはそれでおもしろいかも。
「いやいや、それにしても良かったな、君が予知夢《よちむ》を見る人で。私が夢で見た少女などに恋をしたら、ただの変な人だ」
今でも十分変な人です。自覚ないんですか?
「ただ、昨日のあの行動はいただけないな。あれでは、誰《だれ》だろうが警戒《けいかい》するだろう。もう少し考えて生きよう。私としては、なかなかに興味深《きょうみぶか》い桜《さくら》君の言動が見られたので、君に感謝《かんしゃ》したいぐらいだが。1年の頃《ころ》からの付き合いだが、桜君のあのような姿は初めて見たよ。実に良い物を見せてもらった。知り合いの知らない姿を、知るというのはうれしいね、とても興味深いよ」
先輩《せんぱい》はやっぱり先輩だなぁ。何でもかんでも自分の楽しみにする。だけど……
「本当に予想外の事態だよ。これは、なかなか面白《おもしろ》い転がり方をするかもしれないな。………………うむ、そう考えれば真太郎《しんたろう》君の行動も、あながち悪いとは言えないかもしれないな。思いもかけず愉快《ゆかい》な事になってきたものだ。嵐《らん》君の反応は、予想した範囲《はんい》内だったのだが……」
先輩、お願いですから黙《だま》っててください。ほんとおもしろ半分なんだから。
………………ん? 何か気になるところがあったぞ?
「あの……嵐ちゃんの反応って…………」
「ああ、独《ひと》り言《ごと》だ。気にしないでくれたまえ」
気にしないなんて無理ですよ。
嵐ちゃん、真太郎、桜さん。この三人が、いったいこれからどうなるんだろう。先輩相変わらず何か隠《かく》してるみたいだし。
「それでどうするの? 真太郎《しんたろう》」
「…………わからん」
「…………ふむ、まあしばらくは様子見《ようすみ》といったところだろう。ほとぼりを冷ますのがいいのではないかね? それでほとぼりを冷ます期間だが、そうだね…………桜《さくら》君がここに顔を出すようになるくらいまではそっとしておこうか。たぶん彼女はしばらくここに顔を出さないだろうからな。まあ気長にいこう…………」
ここまでが、昼|会議《かいぎ》。
で、今は放課後《ほうかご》会議が開かれている。
「ぼくは、全身|全霊《ぜんれい》で真太郎を応援するんですよ!」
ぼくは宣言した。ぼくの周囲にいるのは、先輩《せんぱい》、タッキー、美香《みか》さん、オーラ。嵐ちゃんズは遊びに行ったらしいし、真太郎、道本《みちもと》さんは部活で、のりちゃんはバイトに行ってる。桜さんは、先輩の言う通り部室に顔を出していない。
「そうかね」
先輩が相変わらず落ち着いて言った。いつものようにソファに身体《からだ》を埋めてゆったりしてる。
「そうです! 応援するんです! ぼくは、もーどうしようもなく真太郎と桜さんをくっつけようとしてるんです!」
ぼくは立ち上がって、握り拳《こぶし》を作る。
「ふむ、燃えているね」
ずぞぞぞとお茶をすする先輩。
「そうです! 燃えているんですよ!」
メラメラと炎を背負ってるつもりのぼく。ぼくの背中はかちかち山も真《ま》っ青《さお》なほどかちかちってるはず……わけわかんない。それはともかくぼくは燃えているんだ。
「それは結構。何事にでも熱く取り組むのは良い事だ。あっはじめ君、お茶のお代わりをくれないかね」
何か、先輩との間にものすごい温度差が発生している模様《もよう》。ぼくはいそいそとお茶のお代わりを淹《い》れる。まさに、水を差されたって感じだ。いや、ぼくが淹れてるんだけどね。
「理由を聞いて構わないかね」
「先輩ならわかってると思うんですが」
ぼくは、湯飲みにお茶を注《そそ》ぎながらそう答える。
「ああ、ありがとう」
先輩はそのお茶に口を付けたあと、口を開いた。
「ふむ…………できれば言葉にして欲しいね。君のやろうとしているのは、なかなかに骨の折れる事だよ。今日の昼言ったように、今の状況は全く予期していなかったのでな、どうなるかはわからない」
色々考えて動く先輩《せんぱい》が予期していないと言う…………これは本当の本当に予期しない出来事だったらしい。まぁ、真太郎《しんたろう》が夢の中の桜《さくら》さんのことを好きになるなんて、予期できるほうがおかしいんだけど。
「人ひとりの意識《いしき》を変えようとしているのだ。それ相応の覚悟がいるぞ」
この人というのは桜さんのことだろうと思う。たしかに真太郎は桜さんのことを好きだけど、桜さんは…………真太郎のことを何とも思ってないどころか、好きじゃないってところまでいってそうな気がする。あの時の態度からすると。実際あれ以来顔を出してないし。
でも……いくら難《むずか》しくったってぼくは本気だ。
「…………真太郎はですね……ぼくと先輩が入れ替わったあとでも、まったく変わらなかったんです。態度も、言葉も、呼び方も、接し方も何もかもです」
「それがどうした! おれのおまえへの思いは入れ替わったあとに、愛へと昇華《しょうか》し……」
「しゃらーっぷ!!」
ぼくは叫びと視線《しせん》でタッキーの言葉を遮《さえぎ》る。
「……それがどれほどうれしかったか。…………それでどれほど救われたか。
ぼくは真太郎に、とても感謝《かんしゃ》してる。心の底から感謝してる。でも、ぼくは真太郎に迷惑《めいわく》かけてばっかり。だから、今までの借りを…………ものすごい借りを返すなら今なんです!」
「……借りかね?」
「そうです。真太郎は、そんなこと思ってないでしょうけど」
そう、いつも助けて貰《もら》ってるばかりで、ぼくからは何もできてない。
「それに、それだけじゃない。ぼくは真太郎を親友《しんゆう》だと思ってる。だから、応援するんです! 親友の恋を応援するのに理由がいりますか? 男同士の友情です!」
それを聞いた先輩は、にっこりとほほえんだ。
「…………うむ、いいね、そういう友への熱い友情は」
「そうです! 何回も誓うようですが、ぼくは燃えているんですよっ!」
そう、何が何でも真太郎の想《おも》いを叶《かな》えてあげたい。ただ……桜さんの気持ちも重要だからどうなるかはわからないげど……できる限りのことはしたい。
真太郎とくっついて、桜さんが不幸になるなんてことはないと思うし。
「まあ、私としても応援しようという心づもりはある。彼女を引き入れた目的ともそう離《はな》れていない事だしな」
目的? 嵐《らん》ちゃんとも関係あるんだろうか。先輩はいったい何のために桜さんを引きずり込……じゃない、引き込んだんだろう。
「それに私見だが、脈はあるとも思っている」
「…………ありますか? この間の態度からすると何か……」
何か……ね。
「彼女が、他人《ひと》に対してあそこまでの反応を見せたのは、私の知る限り初めてだ。彼女は、感情というものをあまり見せない人だからね。その彼女のあの反応。真太郎《しんたろう》君に対して感情的になるという事は、良くも悪くも意識《いしき》が向いているという事だ」
なるほど、そうかもしれない。…………そうだといいなぁ。
「……で、はじめ君。具体的に君はどうしようとしているのだい?」
「………………どうしましょう」
燃《も》えてはいるけど、よい案は浮かばない。そもそも、人の恋の手助けをしようなんて初めてだし。
「ぼく的には、真太郎っていい男だと思うんですよ。真面目《まじめ》だし、気は優《やさ》しくて力持ちを地でいってるし。顔だってよく見れば愛嬌《あいきょう》あるし。だからその辺の魅力《みりょく》を伝えていったらいいんじゃないかと……」
「ほほう、はじめ君は真太郎君のような人が趣味《しゅみ》なのかね」
「ちゃかさないでください……でも、真太郎は、ぼくが女だったら好きになりそうなくらいいい男なんですよ」
「君は今女だが」
「生まれた時から女ならに訂正します! 揚《あ》げ足とらないでください!」
「いやいや、あまりにも熱心なので少々意地悪をしたくなっただけだ。私もまだまだ修行《しゅぎょう》が足《た》らないな。すまない」
……まさか……嫉妬《しっと》したの?
嵐《らん》ちゃんの時だって先輩《せんぱい》ひょうひょうとしてたから。そんな、普通の人みたいな感情を抱くとは……ちょっと感動。見た目にやにやしてるから、本当かどうかはわからないけど。
ぼくは気を取り直して話を再開する。
「それでですね、先輩さっき意識が向いてるって言いましたけど、向いてはいても桜《さくら》さんは何か真太郎のこと嫌いっていうか苦手《にがて》に思ってるというか……あんまりよく思っていないように思うんです」
「確かにな。……それでも完全に無視されるよりかはマシだが」
「だから、どうしたものかと……」
どんな感じで応援していけばいいかわからない。ぼくが頭を抱えていると、先輩が救いの手を差しだしてくれた。さすが先輩!
「……私にひとつ妙案がある」
「本当ですか!」
「ああ……あまりのできの良さに自分で自分が恐ろしくなる。私がこれほどのキューピッド能力を備えていたとは……」
いちいち大げさな先輩《せんぱい》。でも、ここまで自信満々なんだから、これで真太郎《しんたろう》の恋も多少は進展……
「プロジェクト名は……………馬鹿《ばか》っぷる大作戦だ!」
しそうにない。いきなり後悔した。頼る人|間違《まちが》えただろうか。
いやいや、作戦を聞く前からそんなこと考えちゃいけない。ぼくは気を取り直して聞いた。
「……それでその……馬鹿っぷる大作戦とはどんな作戦なんですか?」
「うむ、説明しよう。それはだね……いちゃつく私たちの姿を見せる事により、恋人が欲しいという桜《さくら》君の潜在《せんざい》的欲求を引きだすのだ!」
やっぱり後悔した。頼る人間違えたっぽい。
「ん? 効果を疑っているな。人というのは空気の中で生きている。雰囲気と言い換《か》えても良いな。そして、人はその空気の影響《えいきょう》を受けてしまう。というわけでだ。私たち二人が愛をまき散らし、そんな感じのピンク色をした空気で学校内を満たすのだ! さすればあの二人の仲が進むのは間違いない。…………愉快《ゆかい》だしな」
一番最後に本音《ほんね》が見えた。…………確実に間違った模様。何が起こるかわからないけど、…………一応これから迷惑《めいわく》かける人に謝《あやま》っておこう。ごめんなさい。
そんなことがあって一週間後、
「どうにかしろ……」
「ん……? どしたの? のりちゃん」
朝教室に着いた時、のりちゃんがやって来た。何か、もううんざりだーって感じのオーラを纏《まと》っている。いったいどうしたんだろうか。
そんなこと考えてるぼくも、だるい〜〜〜ってオーラを纏ってるんだけど。
「どうもこうもない…………いちゃつくのをやめろ」
たしかに最近、今までにもましていちゃついている。あの作戦が実行中だから。
「ふっ……やめれたら、どれほどいいか」
ニヒルに笑うぼく。いや、いちゃつくのは構わないけど、いちゃつく場所がいやだ…………。ぼくはこれでも人目を気にする人なんだよ。
「…………つばさ先輩か」
うんざり口調のまま、納得《なっとく》した風につぶやくのりちゃん。
「そう……今回はちゃんと理由もあるんだけど……」
本当に効果があるのか疑問に思ってきたけどね。そもそも、ぼくに対するデメリットが大きすぎる気がする。今までぼくと先輩《せんぱい》はいちゃついてきた、それは認める。馬鹿《ばか》っぷるの名を欲しいままにしてきたことも知ってる。だけど…………ここ最近はそれに輪《わ》をかけていちゃつきまくっている。先輩のたてたあの作戦の為《ため》に。
「いろんな奴《やつ》がなぜかオレの所に来るんだよ……あの二人にいちゃつくのをやめさせろとな」
相変わらず、男に好かれているらしいのりちゃん。昔からのりちゃんの周りには男が集まってにぎやかだ。ぶっきらぼうだけど妙に生真面目《きまじめ》で、実は面倒見《めんどうみ》もよいし、何かとっつきやすいんだよね。いじりやすいし。先輩にもいじられまくってるし……って今は関係ないことだね。
それはともかく、今回はそんなのりちゃんの性質があだになったらしい。
「……たくさん?」
「かなりな」
そっか……かなりなのか…………数日前にも謝《あやま》ったけど、もう一回心の中で謝っておこう。ごめんなさい。そうやって謝っているぼくに近づく丸い影《かげ》、
「もてない男の叫びだな」
「あいつらも、おまえにだけは言われたくないだろうな」
いつの間にかやって来てたタッキーに、そう返すのりちゃん。
「ふっ、おれには二次元の世界に数えきれない程の恋人がいるんだよ。おれ程になると妄想力《もうそうりょく》でその二次元の恋人達が実際目の前にいると錯覚《さっかく》することさえ可能なのだ!」
クワッと目を開くタッキー。真性だ、真性の人がいる。
「それはそうと、良い物を見せてやろう」
心底あきれ顔ののりちゃんとぼくを気にもせず、タッキーは写真を渡してきた。その写真は……
「よく撮《と》れているだろう。つばさ先輩に進呈したものだ」
これは……そう、昨日の中庭で撮られた写真だ。
〜回想シーン突入〜
目の前で先輩があーんと口を開けている。でも、小鳥の雛《ひな》が餌《えさ》をねだって口を開けているようなかわいいものじゃない。ぼくには、巣を奪ったあげく、育ててくれてる親鳥《おやどり》よりも大きくなった、とても図々《ずうずう》しいカッコウの雛に見える。
「……あ〜〜ん」
ぼくは、引きつった笑顔《えがお》で唐揚《からあ》げを先輩の口へと運ぶ。周りの好奇の視線《しせん》がいたい。逃げだしたいけど、これは作戦の一部であって逃げられない。……そうだ! 身体《からだ》が逃げられないのなら、心だけ逃避《とうひ》しよう。現実逃避だ。……そう、ここは実は森の中なんだ、木漏《こも》れ日がぼく達を優《やさ》しく包み、木々の間を駆《か》け抜けるそよ風がぼくの頬《ほお》を撫《な》でてるんだ。そんな静かな場所で先輩《せんぱい》と二人きり昼食を取っているんだ。ほら、目を瞑《つむ》れば小鳥のさえずりが…………
「おいおい、あれ見ろよあれ」
「うおっ、あ〜んだ。生あ〜んなんて初めて見た」
「くぅーおれもはじめちゃんにあ〜んしてもらいて〜」
……聞こえてこない。
「きゃーあ〜んしてるわー」
「あ〜あ〜今日も見せつけてくれるわね〜。独《ひと》り身は辛《つら》いわ〜」
……聞こえてこない。
「ちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょう」
…………………………………………聞こえてこない。
聞こえてくるのは、興味《きょうみ》本位の声と冷やかしの声と……怨嵯《えんさ》の声。最後のちくしょうは怖かった。
それはともかく、差恥《しゅうち》プレイここに極《きわ》まれり。現実|逃避《とうひ》程度じゃ太刀《たち》打ちできません。なのに、先輩はとてもご機嫌《きげん》。
……恥《は》ずかしくて死にそうだけど…………効果があるのかはわからないけど、少しでもあるならやらないと……そう考えてぼくは自分を無理矢理|納得《なっとく》させる。
そう、真太郎《しんたろう》のため、真太郎のため…………。
ぼくの箸《はし》が、10センチ、5センチ、3センチと、どんどん近づいていく。そしてその箸が先輩《せんぱい》に届こうしたその時、
「ど―――――ん」
そんな叫び声をあげながら走り込んできた影《かげ》が先輩を突き飛ばした。あぐらをかいた姿勢のままコロリと横に転がる先輩。先輩を突き飛ばした影は、ぼくが差しだした唐揚《からあ》げにぱくりと食いつく。そして、唐揚げを口に入れたまま叫んだ。
「もごむっもぐむむっもごーー!」
「嵐《らん》ちゃん、はしたない! 口の中の物がなくなってからしゃべる!」
「いや、はじめ君。突っ込むべきところはそこではないだろう」
先輩がひっくり返ったまま言った。そんな先輩に嵐ちゃんが言う
「もぐむぐ……ごくん。ああ、おいしい……じゃなくて、何こんな公衆の面前でいちゃついてんのよ!」
まさしくその通りだと思うけど……これにも事情があるんだよ。
「それにお姉さまといちゃつくことが許されるのはアタシだけなのよ!」
文句つけてるのはそこっ!?
「ふっ、許嫁《いいなずけ》の私にはその権利があると思うのだがね」
「むっきー、くやしい。入れ替わったなんて変な理由で決まったことなんて無効よ…………くそー、つばさっ! 勝負しなさい!」
何か、いきなり勝負を挑《いど》む嵐ちゃん。外野から「いいぞーやれやれー」とか無責任な声が聞こえてくる。「ああっお願いします。そいつらに目に物を見せてやってください……」という声も聞こえてきた。…………ちくしょうの人だろうか。
「いいぞ。で、何で勝負するのだね?」
「…………ちょっと待ちなさいよ! 逃げんじゃないわよ!」
そう言うと、いつの間にかやって来ていた、美菜《みな》ちゃん美穂《みほ》ちゃんの二人と円陣を組む。やっぱり、後先考えていなかったみたい。
「作戦|会議《かいぎ》よ。で、何かいいアイデアある?」
「じゃんけん〜」
「あみだくじ〜」
「そんなのアタシが負けるかもしれないじゃない。公平そうに見えて、絶対にアタシが勝てる。そんな勝負がいいわ」
…………嵐ちゃん。声大きいから全部聞こえてるよ。何て卑怯《ひきょう》なこと考えてるんだよ。
「はっはっはっ、あいかわらず愉快《ゆかい》な三人組だ。あの三人を引き合わせた私は間違っていないだろう?」
「それは……そうだと思います」
出会って二ヶ月であそこまで仲良くなるとは、相当馬が合ったんだろうなあ。
…………じゃあ桜《さくら》さんは? 桜さんも先輩《せんぱい》が連れてきた。
「…………先輩は桜さんをみんなに会わせたことは、間違ってないと思ってますか?」
ぼくのその問いに、自信満々で答える先輩。
「思っている。色々ごたごたしているが、今だけの事だ。それに我々がこのようにいちゃついているのは、桜君と真太郎《しんたろう》君をくっつけて、間違ってなかった事にする為だろう?」
「……そうですね」
うん、あの三人みたいに、桜さんと真太郎を仲良くさせるんだ。
「では、早速続きを。あ〜ん」
「うっ」
先輩が口を開ける。……二人を仲良くさせる為には、これを乗り越えなければならないのか。何かとても間違っているような気がしてきた。ぼく騙《だま》されてる?
「ああっ、人が作戦|会議《かいぎ》してる間に何してんのよ! 何もなかったように、いちゃついてるんじゃないわよっ!!」
「ふむ、見つかってしまったか。で、決まったのかね?」
何かいい作戦思いついたのか、嵐《らん》ちゃんが勝ち誇って言う。
「ふっ、お姉さまにはどちらがふさわしいか、この場の五人で多数決というのはどう?」
「…………ほほう、考えたね。五人の中の三人は君の手の者。負ける要素はないな。…………いいぞ、受けよう」
「……受けるの?」
びっくりしてるのは嵐ちゃん。受け入れられるとは思ってなかったんだろう。ぼくも思わなかった。だって、負けるし。先輩は負けるつもりなんだろうか。
「この勝負に勝った者は、この昼休憩《ひるきゅうけい》をはじめ君と二人きりですごす事ができる。そう二人きり[#「二人きり」に傍点]で。それで良いね?」
「いいわ」
二人きりを強調する先輩。
そして、みんなを見回したあと言った。
「では、始めよう。はじめ君には私がふさわしいと思う者は挙手《きょしゅ》してくれたまえ」
ぼくはあがった手を数える。一、二、三、四…………あれ?
「私の勝ちだな」
勝っちゃった。
「なっ何で」
嵐ちゃんが、美穂《みほ》ちゃん美菜《みな》ちゃんを見る。
手をあげたのは、ぼく、先輩《せんぱい》、美穂《みほ》ちゃん、美莱《みな》ちゃんだったからだ。
「だって〜」
「嵐《らん》ちゃんが遊んでくれないとさみしい〜」
ああ、だから先輩は二人きりを強調してたのか。二人きりということは、美莱ちゃん美穂ちゃんは遊べないもんなぁ。
それにしても嵐ちゃん、先輩にいいようにあしらわれているなぁ。ぼく的には、先輩に対抗しようというのがもう無謀《むぼう》なんだけど。
「くっ、盲点《もうてん》だったわ」
「嵐ちゃん〜」
「ごめんね〜」
悔《くや》しがる嵐ちゃんと、謝《あやま》る二人。
「……ううん、いいわ。今回は卑怯《ひきょう》に見えたしね」
しおらしい嵐ちゃん。卑怯なのは理解していたらしい。
「やっぱ………………公平にしか見えないけど、絶対アタシが勝てる。そんな勝負で挑《いど》むしかないわ!」
「うむ! いかさまは、ばれなければいかさまではないからな」
嵐ちゃんの懲《こ》りない叫びに、何か共感するものがあったらしい先輩。
…………二人とも、正々堂々って言葉知ってる? ああ、先輩は知らないのか。
「今日は引くけど、今度はこうはいかないわよ! おぼえてなさいよっ!」
「んじゃまたね〜」
「ばいば〜い」
いつも通りの捨て台詞《ぜりふ》で走り去る三人。それに、お約束の台詞を返す先輩。
「はっはっはっ。おととい来ると良い」
「きいいいいいぃぃぃぃぃ……」
どんどん小さくなっていく嵐ちゃんの叫び声。それを笑って聞いてる先輩。
「はっはっはっ相変わらず愉快《ゆかい》な三人だ。では続きを……あーん」
…………今日だけは、嵐ちゃんに勝って欲しかったかもしれない。
〜回想シーン終わり〜
……まあ、そんなわけで、ぼくの手の中にあるのは、とてもよく目立つ中庭でお弁当広げて、ぼくが先輩にあ〜んとお弁当を食べさせようとしている写真。
こう客観《きゃっかん》的に見せられると…………何て恥《は》ずかしいんだろうか。
ほかには、雨の日の相合《あいあい》い傘《がさ》とか、校内で手をつないで歩いてる姿とか。
あっ、嵐《らん》ちゃん襲撃《しゅうげき》中の写真もあるな。嵐ちゃんと双子《ふたご》の三人組は、作戦|遂行《すいこう》中にかなりの確率で現れてじゃまをしていく。その対応も、ものすごく疲れる。来なくても疲れるんだけど。はぁ……と思わずため息をつくぼく。そんなぼくにタッキーが言う。
「最近はその仲むつまじい姿にあてられた独《ひと》り身の奴《やつ》らが告白に走り、かなりのカップルが成立してる。その何倍の失恋者も発生しているがな」
……何か最近、校内でよくカップル見るな〜なんて思っていたけど……まさか、ぼく達が原因だったとは。先輩《せんぱい》の言う、ピンク色の空気が効果を現したんだろうか。
それで本命の桜《さくら》さんはどうなんだろうか…………効果がなかったら、ぼくがこうまで恥《は》ずかしい思いしている理由がないんだけど。
「のりの所に来た奴らは、その失恋組だ」
失恋組の皆さんか。
「自分達が失恋したにもかかわらず、あそこまでいちゃつかれると、そりゃあむかつくだろうな」
それはそうだ。……ちくしょうの人は失恋した人なのかも。
「ああ、安心しろ。おれ達はじめちゃんファンクラブとしては、二人を温かく見守る方向で活動している」
すんな。
「いや〜本当にごちそうさまといった感じだ。おまえの恥じらった姿やら、頬《ほお》を染《そ》めた姿やらを見てると、胸がいっぱい懐《ふところ》いっぱい……だ」
商売もすんな。
「そんなわけだ。もてない男には冬の時代だな、全く。まあおれには、はじめがいるから何の問題もないが」
「……………………何てことだ」
「……大変だな」
のりちゃんからかかる温かい励《はげ》ましの言葉。ほんと大変だ。
「ま、それはそうと、今は恋愛するにはもってこいだぞ。噂《うわさ》の元がありすぎて、些細《ささい》な噂なんかすぐに消える。成功しようが玉砕《ぎょくさい》しようがな。本来の目的である真太郎《しんたろう》の恋も多少は進展するかもな」
「……恋? 本当なのか?」
のりちゃんがびっくりという顔でこっちを見る。
「ほんともほんと、求婚までしてる。いや、恋の魔力《まりょく》とは恐ろしい。人をこうまで狂わせる」
言ってることは理解できなくもないけど、タッキーが言うといやな感じなのはなぜだろうか。
のりちゃんはタッキーの言葉を聞いたあと、納得《なっとく》といった風にため息をついた。
「……何となく読めてきた。おまえらが最近いちゃついてるのは……」
「そう、見せつけることで彼女に意識《いしき》させようとかいう感じで動いてるそうだ。ほかの奴《やつ》らにはものすごく効果的だったようだがな」
「…………先輩《せんぱい》、結果だけじゃなくて、その結果に到達するまでの過程も楽しもうとする人だから」
真太郎《しんたろう》と桜《さくら》さんをただくっつけるだけじゃおもしろくないから、いろんな人を巻き込んでるんだろう。……何てはた迷惑《めいわく》な人なんだろうか。
三人でそんなことを話していたら、朝練帰りの真太郎がやって来た。
「……どうした?」
ぼくは、そう声をかけてくる真太郎に返事を返す。
「何でもないよ、何でもね」
……何でもありすぎるけど、真太郎の為《ため》なら何でもない。そう、これぞ友情パワー。ぼくは負けないぞ!
平賀さんとわたし
「どうだね、最近。人生|面白《おもしろ》いかね?」
「いえ、特に」
平賀《ひらが》さんが来るたびにいつもかわされる会話、もうすでに挨拶《あいさつ》代わりになっています。
「ふむ、一度の人生楽しまないともったいないぞ?」
「憶えておきます。…それはそうと、ずいぶんと派手《はで》にやっているようですね、わたしの許《もと》にまで噂《うわさ》が届いてますよ?」
いつも通りの笑顔《えがお》を浮かべたまま、わたしの前に座っている平賀さん。基本的にわたしはあまり人と関《かか》わりを持たないのですが、そのわたしにまで噂が届いたのですから、その広がり方はとてもすごい。
ここは、旧|占《うらな》い研究会の部室。廃部が決定し、ここを退去しなければならないので、持ちだす物を整理している最中です。この部屋にある物……全《すべ》てとはいきませんが、必要な物は平賀さんが引き受けてくれるそうです。平賀さんは「部屋が汚くなると嘆くはじめ君を見るのが今から楽しみだ」……などと意地の悪い事を言っていたので、山城《やましろ》さんにとても申し訳《わけ》ないですね。
それで今の状況ですが、放課後《ほうかご》いきなりやって来た平賀さんが、一方的にわたしに話しかけているという状況です。今までも定期的に行われてきた事……ただ途中《とちゅう》で、平賀さんの身体《からだ》が女性から男性へと変わりましたが。……あれは流石《さすが》に驚《おどろ》きを隠《かく》せなかったですね。
「そうかねそうかね、それは良かった」
とてもうれしそうな、平賀さんです。
「どうだね? 羨《うらや》ましいかね? 恋がしたくなったかね?」
「…………それが目的なのですか? わたしと山田《やまだ》さんをくっつけようとしているのですか?」
いたずらっ子のような笑顔《えがお》の平賀《ひらが》さんに聞きました。
「いやいや、全《すべ》てお見通しかね…………と言いたいところだが、別にそうでもなかったりするな。はじめ君を口車に乗せて、いちゃついているだけだ。恥《は》じらっているはじめ君は良いぞ? 見たかね?」
「いえ、残念ながら見てないです」
「それは本当にもったいない。もったいないおばけが出るぞ、白が七分、黒が三分の割合で視界を埋め尽くしながら」
もったいないおばけというのが、想像できないのですが。七分とか三分とかもわかりません。
「だが、安心したまえ。そんな君の為《ため》、こんな所にはじめ君恥じらい写真集が……」
と、小さなアルバムらしき物を取りだす平賀さんです。
「どうだね、この写真などは特に素晴《すば》らしい」
孫《まご》の写真を自慢《じまん》する老人のようにうれしそうな平賀さん。確かに、写真の数々はとても良いできです。ですが、平賀さんがここに来たのは、それが目的ではないはず。
「……それで、いったい本当の用は何なのですか? 別に写真を見せる為に来たのではないと思うのですが?」
わたしは一通り見せられたあとに、そう切りだしました。定期的とさっきは言いましたが、今回の来訪は違いました。本来なら次に訪れるまで、あと2週間程あったはずです。平賀さんは、大体一月に一度の割合でやって来ていたので。
「うむ、その通りだ。いやすまないね、話をそらしてしまうのは私の悪い癖《くせ》だ。直す気は全くないが。
それでは本題に入らせて貰《もら》うとしようか」
わたしに向き直る平賀さん。
「あれ以来君は部室に顔を出していないだろう?」
「はい、そうですね」
「ただ来ていないだけと思っていいのかね?」
…………平賀さんは、退部するつもりなのかと聞いているのでしょうか。それなら……
「はい、ただ……次に顔を出すのは、いつになるかはわからないです。すいません」
「いや、いいよ。それだけわかればいい」
「あの……それだけですか?」
もう少し何か聞かれると思ったのですが。
「ああ、そうだ。…………君は、真太郎《しんたろう》君を怖がっているのだろう?」
……ズバリですね。平賀《ひらが》さんは、相変わらず人の心を読むのに長《た》けた人です。
「はい、そうです」
「そのような君を、無理に連れて行く事はできないだろう」
「…………心|遣《づか》いに感謝《かんしゃ》します」
……とてもありがたいです、本心から思います。わたしは、平賀さんがわたしとの間に保ってくれている距離《きょり》感を心地《ここち》よく思っています。深く踏み込んでくるわけでもなければ、あまり離《はな》れもしない。これがわたしと平賀さんの交流が続いている一番の理由ではないかと思うのです。
「それとだ。今は良いが、今後気が変わって我々と離れようという気になるかもしれない。が……それは無理だ。なぜならば、君の前にある人物が現れる。その人物は君を我々の世界に引きずり込むだろう」
「それは……」
「私の予言だ。なかなかにそれっぽくぼやかしているだろう? これなら外れても、色々とごまかす事ができる。……ああ、真太郎《しんたろう》君ではないよ。誰《だれ》かは来てからのお楽しみ。近々君も実感する事だろう」
暖昧《あいまい》にぼやかす平賀さん。部員の中にわたしにこだわるような人が山田《やまだ》さん以外にいるのでしょうか? そこまで親《した》しい人はいなかったと思うのですが。
「君の周囲はとてもにぎやかになると思っていい。私はそれを見て楽しませて貰《もら》う事にするよ」
わたしの周囲がにぎやかに……とても信じられないですね。
いつも通りの、何の代わり映《ば》えもしない放課後《ほうかご》。わたしが、いつも通りの道を、いつも通りの速度で歩き、いつも通り一人で帰宅していると……
「は〜い、そこの彼女、アタシと一緒《いっしょ》にお茶しばきにいかな〜い?」
そんな時代|錯誤《さくご》な口説《くど》き文句が聞こえたのです。しかも女性の声です。
わたしが振り向くと、そこには一人の少女がいました。気の強そうな瞳《ひとみ》に、二つに分けて結んだ髪の毛。印象的な見た目です。この娘《こ》は見た事があります。
「……確かあなたは」
OMRの部室で、大泣きをしていた方ですね。そういえば、あの騒《さわ》ぎで名前を聞いていませんでした。
「そう、石川《いしかわ》の嵐《らん》ちゃんよ」
………………らんですか。なつかしい、響《ひび》きの名前です。
「そのお供A、小谷《こたに》美穂《みほ》で〜す。ほーちゃんって呼んでね〜」
「そのお供B、小谷《こたに》美莱《みな》で〜す。なっちゃんって呼んでね〜」
石川《いしかわ》さんの左右から現れた同じ顔をした二人が、そう続きました。小谷さんの双子《ふたご》の妹ですか。
「水野《みずの》桜《さくら》です」
わたしは頭を下げます。
「あの……それで、お茶をしばきにというのは……」
「言葉の通りよ、おいしいお店知ってるから一緒《いっしょ》にお茶しない?」
なぜわたしを? まずそれが、一番に来ました。理由が思いつきません。
「……申《もう》し訳《わけ》ありませんが、用事がありますので」
本当は用事など特にはないのですが断る事にしました。わたしといても面白《おもしろ》くないと思うのです。何より、あまり親《した》しくないですし。
わたしは、これでこの話が終わるものと思っていました。ですが、石川さんの反応は予想しなかったものでした。
「……………………うそつき」
石川さんは、わたしをしばらく見つめたあと、そう呟《つぶや》きました。
ばれたのですか? 顔色を読まれる事はないはずなのですが。
「ふふん、まあいいわ。今日は自己紹介だけにしといてあげる」
「……そうですか」
「そうよ〜、今度からはこんなもんじゃないわよ。お茶だって、何だってしばきまくるわよ、覚悟しといてね」
しばきまくるのですか……
「…………なぜですか? なぜわたしにそうまで……」
そう聞くと、石川さんはにっこりと微笑《ほほえ》みました。
「そうね、…………あなたが気になるの」
その微笑みは……とても大人《おとな》びていて歳下《としした》には見えませんでした。それどころか、私よりも歳上にすら見えたのです。……なぜでしょう。それに今の笑顔《えがお》どこか見覚えがある気が……。
ですがそれも一瞬《いっしゅん》。すぐに、歳相応の先ほどまでと同じ元気な石川さんに戻りました。
「ふっふっふっアタシに気に入られたのが運の尽きと思ってあきらめてちょうだい。骨までしゃぶり尽くしてあげるわよ〜」
今のはいったい……?
「おー、嵐《らん》ちゃん悪〜い」
「悪女だ〜」
「ふっ今頃《いまごろ》気づいたの? アタシはこの生まれ持った美貌《びぼう》で男を惑《まど》わす悪女なのよ。目標はふじこちゃん!!」
ふわっと髪をかき上げる石川《いしかわ》さん。
「お〜」
「かっこいい〜」
「むっふっふっ」
もう一度髪をかき上げる石川さん。
「でも胸うす〜い」
「ふじこちゃんには、たりてな〜い」
「むぐっ、うるさいわね。これから育つのよ! それにあんた達よりかはあるわよ、ほらっ!」
そういって胸を張る石川さんに、
「ぶーぶー」
「同じぐらいじゃない〜」
と言い返す、小谷《こたに》美菜《みな》さんと、小谷|美穂《みほ》さん。
「ふふっ、同じと同じぐらいの間にはものすごい差があるのよ。たとえるなら、たけ○この里とき○この山くらい!」
…………どちらが上なのでしょう。
「五十歩百歩〜」
「どんぐり〜どんぐり〜」
どんぐり…………ドングリの背比べでしょうか。
「まっけおっしみぃ」
「うわ〜、ひどい〜」
「そんなこと言ったら〜、桜《さくら》さんだって〜!」
もにゅ
…………わたしは、ほぼ初対面の人間に胸を触られるという経験《けいけん》をしました。
「うわ〜」
驚愕《きょうがく》の表情を浮かべる小谷《こたに》美菜《みな》さん。
「えっ何?」
「おっ……おおきい……」
「えっほんと? そんなにあるの?」
石川《いしかわ》さんが近づいてきて……わたしの胸に手を伸ばしました。
もにゅもにゅ
「うわっ! ……………むむぅ、血筋的には有り得るけど…………ふんっ! それで勝ったと思わないことね」
思ってないです。そもそも何でこんな事になっているのでしょうか。無表情で胸をもまれている姿というのは、周囲からはとても奇《き》っ怪《かい》に映っていると思うのですが。
「アタシ達には未来があるのよ!」
「そ〜よ〜」
「そのと〜りよ〜」
がっちりと肩を組み合う三人。
対立が、いきなり協力体制に移行したようです。とても騒《さわ》がしい人達。これが若さというものですか。
三人はしばらく励《はげ》まし合っていたのですが、唐突《とうとつ》に我に返った石川さんが呟《つぶや》きました。
「…………何の話してたんだっけ」
「ん〜〜〜?」
「んん〜〜?」
今度は、三人寄れば文殊《もんじゅ》の知恵を体現しているお三方。こう言っては失礼かもしれませんが……本当におかしな人達です。
再び話が中断する事5分、小谷|美穂《みほ》さんが叫びました。
「ふじこちゃん〜!」
「ああ! そうそう、アタシに気に入られたのが運の尽きって話よね! そう、運の尽きなのよ、覚悟してなさい!」
めまぐるしく変わっていた表情が、最初の自信満々の表情へと帰ってきました。
それにしても……
「運の尽きですか……」
「そう、運の尽きよ〜。今まで通りの生活が送れるとは思わないことね」
まっすぐにわたしを見る大きな瞳《ひとみ》。一点の曇《くも》りもなくわたしを射抜《いぬ》きます。
「じゃ、またね〜。今度は今日みたいな嘘《うそ》は通用しないわよっ」
「ばいば〜い」
「またね〜」
手を振りながら去っていく三人。
…………騒々《そうぞう》しい、名前通り嵐《あらし》のような方達でした。平賀《ひらが》さんが言っていたのはこの事なのですね。とても納得《なっとく》がいきました。確かにものすごい勢いで引きずり込まれたようです。
ただ……なぜか……心地《ここち》よいです……とても。自分でも驚《おどろ》いているのですが、このまま流れに身を任せてみるのも良いかもしれない……わたしはそんな事を思い始めていました。
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夢
夢だ
ここはどこだ?
……駅前か。
いったい今度は何の夢だろうか。
俺《おれ》は周囲を見回す。すると見慣《みな》れた顔を見つけた。見慣れた姿ではないが……いったい何の格好《かっこう》だ?
はじめが、ひらひらとした衣装《いしょう》を着て、何か長い物を振り回しながら、叫んでいる。最後にポーズを決めると、手に持った長い物の先にいる、男に話しかける。
後ろには、黒い奇妙なシルエットをしたつばさ先輩《せんぱい》。
…………これは。
夢に自分が出ていない事に、これほど安堵《あんど》した事もない。
つばさ先輩が以前言っていたあれか……
それにしても……似合っているな。
………………これははじめには黙《だま》っておくか。
つばさ先輩《せんぱい》を敵に回すつもりはない。
何より、伝えないほうが、はじめの精神|衛生《えいせい》上いいだろう。
これがただの夢ならいいな。
俺《おれ》はそう思った。
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魔法少女とぼく1
「よく来てくれた」
先輩《せんぱい》がぼくに背中を見せたまま言った。ここはOMR部室、過去に秘密基地、悪の要塞《ようさい》といろんな呼ばれ方をしたけど、今はまた、ただの部室になってる。そんな部室の中で先輩は、窓につけられたブラインドを指で押し広げて外を見てる。ちなみにこの部屋には窓が4つあるんだけど、ブラインドがついてるのは先輩の前にある窓だけ。残り3つの窓には、普通に白いカーテンがついてる。何でそんな奇妙なことになっているのかというと、ひとつしか落ちてなかったから。
…………ホントにもう何で先輩は落ちてる物を拾ってくるんだろうか。このブラインドは拾ってきたばっかりなんだけど先輩のお気に入りだ。
先輩|曰《いわ》く「日本人は物を簡単《かんたん》に捨てすぎる、まだまだ使える物は有効に活用しなければもったいないだろう?」だそうだ。言ってることは立派なんだけど……その大義名分《たいぎめいぶん》のもとに先輩が拾ってくるのは、ぼくの価値観《かちかん》的にはゴミに分類される物ばかり。そのゴミのせいでこの部屋が汚く狭《せま》く怪《あや》しくなっていく。この先輩《せんぱい》の妙な収集|癖《へき》はどうにかならないものかなぁ。
まぁ、そんなわけでその窓の一角から照射されるハードボイルド分は違和感ばりばりで、これを見るたびに、ぼくの苦労、その水の泡さ加減に泣けてくる。
でも、今日は一味違った。いや、一味どころじゃない、二味も三味も違う。それ以外にものすごい違和感を発している物体があるんだ。何かもー世界が違うとかじゃ収まらない、次元が違うとか時空が違うとか言いたくなるほどの違和感。だけど…………ぼくは突っ込まない。全身|全霊《ぜんれい》でその欲求を抑え込んでる。
だって……だって…………先輩が思いっきり突っ込み待ってるんだもん。突っ込んだ時点で何かが始まってしまうんだ。絶対に。
「ここに来て貰《もら》ったのはほかでもない。君に聞きたい事があるのだ」
先輩が外を覗《のぞ》くのをやめてこっちを向いた。身体《からだ》の回転でしっぽがゆらゆら揺れる。
突っ込むな…………
「……なっ何でしょう」
「うむ、…………まあそれは置いておいてだ」
先輩はほっぺについた三本ひげをなでながらソファに深く身体を沈める。
つっこむなつっこむな…………
「今日の私はどこか違うとは思わないかね?」
先輩が耳をかきながら……頭の上についた三角形でふわふわした耳をかきながら言った。
つっこむなつっこむなつっこむなつっこむなつっこむな……
「ほら、全体の雰囲気がどこか野性味|溢《あふ》れているというか……」
先輩がもさもさのしっぽを手でもてあそんでいる。
つっこむなつっこむなつっこむなつっこむなつっこむなつっこむなつっこむなつっこむなつっこむな……
「ふむ、……君もなかなかに強情《こうじょう》な人だにゃ」
しまいには奇妙な語尾をつけ始めた先輩。
つっこむなつっこむなつっこむなつっこむなつっこむなつっこむなつっこむなつっこむなつっこむなつっこむなつっこむなつっこむなつっこむなつっこむなつっこむなつっこむなつっこむなつっこむな…………無理。
「せっ先輩」
「何だね?」
目をきらきらと輝《かがや》かせ、とてもうれしそうな先輩。顔には今日一番の笑顔《えがお》が浮かんでいる、相当突っ込んで欲しかったらしい。
「その……あの…………」
「うむ」
きらきら。
「その格好《かっこう》はいったい何なんですかぁっ!?」
先輩《せんぱい》は自分の毛だらけの姿を見下ろす。
「これかね」
「それです!!」
ぼくは先輩…………なぜか、黒猫の着ぐるみを着た先輩を見ながら言った。
なぜに黒猫? なぜに着ぐるみ?
まさか、元自分の身体《からだ》が黒猫と化している姿を見ることになるとは思いもしなかった。
なっ何てことだろう。こんな、変わり果てた自分の身体なんて見たくなかった。
そんな感じでぼくが打ちひしがれてるのに目もくれず、
「うむ、説明しよう。私は、悪字宙人の魔《ま》の手からこの街を守るため、善宇宙人より遣《つか》わされてきた猫型マスコット。資格を持つ者に魔法少女の力を与える事のできる能力有り………………という設定だ」
最悪だ。
「ん? 何だねその顔は。どうやら理解できてないようだな。…………しょうがない、彼に頼もう」
パチン
先輩《せんぱい》が指を鳴らした。すると、部屋の右半分、乱雑に積《つ》み上げられた不思議《ふしぎ》物体の中から現れたのは丸い影《かげ》。
「呼ばれて飛び出て〜〜〜〜〜〜」
…………何でそんな所にいるんだこいつは。
「うむ、よく来てくれた。それでは、はじめ君に魔法《まほう》少女ものにおけるマスコット小動物の重要性について語ってくれたまえ」
「了解しました! 魔法少女ものにつきものの小動物は、とても良く考えられた存在なのだ! 魔法少女というものは、正体がばれてはいけない。ばれない上で、ストーリーを進めようとすると、正体を知っている話し相手が必要だ。独《ひと》り言《ごと》だけでストーリーを進めると痛い人になってしまうからな。だが、その話し相手となるキャラクターは性質上、魔法少女と行動を四六時中共にしないといけない。だが、思春期|真《ま》っ直中《ただなか》の魔法少女と男性が寝食を共にしてはいけないのだ! そう許されない……いや、このおれが許さない! ここで、小動物の出番だ、話し相手になり、力の伝達者となり、マスコットキャラクターとなり、おもちゃも売れる。常に一緒《いっしょ》にいても小動物ならば問題ない。素晴《すば》らしきかな小動物うううううぅぅぅ…………」
………………ハッ
意識《いしき》が飛んでた、我に返ったぼくの目の前には先輩しかいない。タッキーはどこいったんだろうか。
そんな唖然《あぜん》としたぼくを先輩はうれしそうに眺める。
「と、いうわけだ。これで、君もこの黒猫姿の素晴らしさを理解してくれたと思う」
正直どうでもいい。
「まあ、そんなわけで私は、魔法少女ものに出てくる小動物らしく、魔法少女になる資格を持った君に力を授けに来たのだ」
資格…………
「で、その資格って何ですか?」
ぼくのなげやりな問いに自信満々で先輩は言いきる。
「見目《みめ》麗《うるわ》しい事だ。見た目の悪い魔法少女など、存在する事すら許されない」
うわっ身も蓋《ふた》もない、生々《なまなま》しいご意見。言ってることはわかる……わかるけど……
「私が言うのも何だが、その肉体なら十分にその資格を有している。容姿《ようし》的には十分及第点に達しているだろう。魔法少女にしては、少々とうがたっているがしかたない。身体《からだ》にボリュームがありすぎるような気もするが、それもまあ何とか許容|範囲《はんい》内だ」
元自分の身体に向けて暴言吐きまくりの先輩。
「先輩…………言っててむなしくなりませんか?」
「私がかね? 別にそのような事はないが……」
「……………………ならいいです」
ぼくが今の先輩《せんぱい》の姿を見て思うような事を、先輩は何も思わないらしい。何て得な性格なんだろう。ぼくもあんな感じでいけたら、かなり幸せな人生を歩めるだろうと思うよ。ほんとに。
てもそうはいかないわけで……
「というわけで、悪の組織《そしき》から移行して今度は魔法《まほう》少女ものだ!」
こんなこと言われて凹《へこ》んでる。
前に究極《きゅうきょく》の選択《せんたく》で戦隊ものか魔法少女ものか選《えら》べーって言われたけど、両方やるなら選ぶ意味ないですよ先輩。それどころか、いやなほうがあとに回るということになってしまって、精神的にかなり来ます。あまりのダメージに口から魂が出そうな気すらします。ぼくは、いやなことを先にするタイプなんです。ピーマンは最初に食べて、えびフライは最後に食べるんです。
「衣装《いしょう》は作成済みで、決め台詞《ぜりふ》も考えた。魔法の呪文《じゅもん》も決まった」
先輩の言葉が痛い。
絶対に、衣装はひらひらかわいい奴《やつ》で(ザシュッ)、決め台詞はかっこよすぎで却《かえ》ってかっこ悪くなってるような奴で(ブシュッ)、魔法の呪文は音の響《ひび》きだけを重視した意味のないかわいらしい奴(シュバッ)なんだろうと思う。
先輩の言葉から連想した自分の想像でダメージを受けるぼく。途中《とちゅう》に入っている変な擬音《ぎおん》はぼくの心がダメージを受けた時の音だ。
「だが……ひとつ決まっていない物があるのだ」
先輩が困った〜っていう表情で言った。手を額《ひたい》に当てて、これ以上にないようなお困りの動作。永久に困っていて…………という考えが頭をよぎる。そのほうが、被害者が増えないんじゃないだろうか。でも……
「……それは何ですか?」
ぼくはこんなことを言ってる。
個人的には、聞かなくてもまったく問題ないどころか、聞かないほうが絶対に問題がなくなる。なのに、こんなに会話をスムーズに進めようとしているのは…………早く帰りたいっていうのもあるけど、…………黒猫姿の元自分の身体《からだ》を見ているのがいやになってきたから。
「それはだね…………変身アイテムだ」
「……変身アイテムですか」
だめだ……
「そうだ、古今東西《ここんとうざい》、どんな魔法少女でも変身するためにはアイテムを使う。コンパクト、ステッキ、携帯電話…………」
やっぱり辛《つら》い。帰るまで耐えられるんだろうか。
「だが、今回魔法少女ものをやるにして、変身アイテムに独自性を求めたいのだ。マジカル☆ステッキではありふれすぎているのだよ」
ありふれてていいですよ。絶対そっちのほうがましだから。
「というわけでだ。厳選《げんせん》なる審査を経《へ》ていくつかの変身アイテム候補を選定した」
先輩《せんぱい》の前のテーブル、その上は真《ま》っ白《しろ》い布で覆《おお》い隠《かく》されてるんだけど、何かもこもこしている。たぶん先輩の言っている選定した変身アイテム候補とやらが並べてあるんだろう。
「これらがわたしが候補として選《えら》んだ物達だ」
ほら、やっぱりね……何かこれを、星の字のおじさんみたいにガシャーンとひっくり返したい自分がいるんだけど。
「存分に好きなのを選んでくれたまえ」
先輩が大きなアクションでかっこよく、布をはがす。
バサーっと翻《ひるがえ》る布の下から現れたのは………………丁寧《ていねい》に並べられた理解不能の小物群。
これらを選んだ時、先輩は酔っていたとか、疲れて脳の働きが低下していたんだと思う。…………そう信じたい。
ぼくは全身に漂《ただよ》う脱力感や倦怠《けんたい》感をどうにか気力で押さえ込みつつ聞いた。
「先輩…………それは何ですか?」
ぼくはテーブルの一番右端に置いてある物体を指さした。
「これはだね、……マジカル☆バールのような物―――だ」
先輩が、薄《うす》いピンクとか黄色とかのパステル調に色づけされたバールを手にとって言った。
街中で、黒猫の着ぐるみを着た先輩を引き連れて、ひらひらしたかわいらしい衣装《いしょう》を着て、このバールを振り回しながら、妙な呪文《じゅもん》を唱えて踊り狂う自分の姿が脳裏《のうり》をよぎった。
…………絶対捕まる。
そもそも、それ奇抜な色したただのバールです。『のような物』はいらないと思います。
でも、先輩的にはそこが重要なんだろうなぁ。先輩に聞いたら答えてくれるだろうけど話が長くなりそうなので次に進む。早く解放されたい。
「そっそれで、これは何ですか?」
ぼくは、右端から2番目の物体を指さした。
「うむ、これはだね……マジカル☆鈍器《どんき》のような物―――だ」
先輩が、薄いピンクとか黄色とかのパステル調に色づけされた壺《つぼ》を手にとって言った。
街中で、黒猫の着ぐるみを着た先輩を引き連れて、ひらひらしたかわいらしい衣装で身を包み、この壺を振り回しながら、妙な呪文を唱えて踊り狂う自分の姿が脳裏をよぎった。
…………何かもー危なすぎる。どこかの怪《あや》しい宗教団体と変わりない。
「ちなみにこの辺《あた》りは、マジカル☆鈍器のような物シリーズだ」
先輩がこの辺り〜とさした辺りにある物は、大きなガラスの灰皿、ゴルフクラブ、野球のトロフィー、熊《くま》の置物なんかがある。もちろん全部パステル調。このマジカル鈍器《どんき》のような物シリーズを振り回しながら、呪文《じゅもん》を唱えて踊り狂う自分の姿が脳裏《のうり》をよぎった。……想像の最後に、伝説の黄色い救急車とかが登場しちゃったんだけど。
まったく、…………もういい加減にして欲しい。自分の想像力の豊かさを呪《のろ》いたい気分。
「……で、これは何です?」
何かだんだん自分の目が据《す》わってきたのがわかる。もうどうとでもなれって気がしてきた。
「うむ、良くぞ聞いてくれた。これはだね…………マジカル☆住所不定|無職《むしょく》―――とかやろうと思ったのだが、それは流石《さすが》に人を馬鹿《ばか》にしすぎてるだろうと思いボツにした」
先輩《せんぱい》が、誰《だれ》ともしれないおじさんの写った写真―――写真の中のおじさんは、ピンクとか黄色とかのパステル調をした服を着てる。パソコンで加工したらしい―――を見ながら言った。先輩の最後の良心が働いたらしい。
でも、先輩がこんな写真を見せたせいで想像してしまった、おじさんと踊り狂っている自分の姿を。…………一生忘れられないと思う。何でぼくは、自分の想像でトラウマ作ってるんだ?
「で、どれが良いかね?」
さあ選《えら》べっと、にっこにっこしている先輩。とてもうれしそうだ。心の底から今の状況を楽しんでる。何ていじわるなんだろうか。
どれがいいと聞くんじゃなくて、どれがマシかと聞くほうが絶対合ってる。それで、どれがマシかだけど……甲乙《こうおつ》つけがたい絶妙ないやさ加減。よくもまぁこれだけいやらしい物ばかり集めてきたもんだ。
どう考えても、ステッキのほうがマシだ。
どれにするか。うむむむむむ〜〜…………決めた。……しょうがない、これにしよう。
「…………じゃあマジカルバールのような物でお願いします」
選んだ理由は、遠目に見たら、マジカルステッキに見えそうだから。決して、
「やはりそれかね。わたしもそれが良いと思っていたのだよ。バールのような物……言葉の響《ひび》きが良い。こじあけるという犯罪が行われた場合、それらは全《すべ》てバールのような物によって行われた事になるのだ。そのような汎用性《はんようせい》の高さも素晴《すば》らしい。何より、間抜けな字面《じづら》が良い。流石ははじめ君。見る目があるな」
とかいう理由で選んだ訳《わけ》じゃない。
「だが、すこし違うな。……マジカル☆バールのような物――だ」
「……だから、マジカルバールのような物――ですよね?」
「違うな」
どこが?
「ふむ、……では、これを見たまえ」
先輩はメモ用紙を取りだして文字を書き始める。相変わらずきれいな文字。だけどそのきれいで読みやすい文字で書かれたのは……
マジカル☆バールのような物
…………真ん中の星、どう発音したらいいんだろう。ぼくは先輩《せんぱい》に聞いた。
「では、お手本を見せよう」
再びパチン。
「呼ばれて飛びでて〜〜〜〜」
再び現れる馬鹿《ばか》。
「頼む」
その馬鹿が再び叫ぶ。
「了解しました。僭越《せんえつ》ながらわたくしめがお手本を……あーごほん。『マジカル☆バールのような物ぉおぉぉおぉ』…………以上です」
…………誠《まこと》に遺憾《いかん》ながら星が見えました。
そんなぼくの目の前で、右の怪しげスペースに潜《もぐ》り込んでいく馬鹿。………………何やってるんだろうこの人達。
「星が難《むずか》しいなら、ハートでも良いぞ? マジカル※[#ハート(白)、1-6-29]バールのような物……これはこれで良い。……ともかく魔法《まほう》少女ものに☆や※[#ハート(白)、1-6-29]は必須《ひっす》なのだ。この☆や※[#ハート(白)、1-6-29]を発するこつは、心に星やハートを思い浮かべ、言葉にその熱き想《おも》いを乗せるのだ!!」
熱き想いなんてないです。
「まあ、とても難易《なんい》度の高い技だからな。……精進《しょうじん》していれば、いつかは発することができるだろう」
精進するという予定がぼくの未来予想図には存在していないので、ぼくが言えるようになることはないです。ぼくがそんなことを考えている間に、先輩が話を元に戻した。
「では、さっそく衣装《いしょう》合わせだ。参考までに言っておくが、マジカル☆バールのような物の決め台詞《ぜりふ》は…………」
喜々として説明している先輩を見ながら、ぼくは声を振動で伝えてくる空気を呪《のろ》った。
放課後の三人とわたし
「はーい、ではさっちゃんがアタシ達のグループに入った記念に、親善パーティーなんかを開こうと思いま〜〜す」
放課後《ほうかご》、唐突《とうとつ》にわたしの教室へと来た石川《いしかわ》さんが言いました。窓の外は、微《かす》かに日が傾いた程度ですが、夏が近いので日が高いだけで、時間的にはもう遅いです。その為《ため》ほとんどの人が教室から出て行っているので、人影《ひとかげ》はまばらです。その石川《いしかわ》さんの言葉に小谷《こたに》美穂《みほ》さんと小谷|美菜《みな》さんがうれしそうに続きます。
「は〜い」
「さんせ〜」
最近|放課後《ほうかご》になると、この三人がやって来るのです。なぜでしょうか。いえ、わたしと一緒《いっしょ》に帰ろうとしているのはわかるのですが、なぜわたしなどと帰ろうとしているのでしょう。……わかりません。理解不能です。
それにしても…………
「……さっちゃんですか」
わたしは思わず呟《つぶや》きました。二十歳《はたち》になってさっちゃんと呼ばれるとは思いませんでした。
「そう、桜《さくら》だからさっちゃん。いいよね〜」
「はい、それは構わないのですが……」
さっちゃん……こう呼ばれるのはいつ以来でしょうか。ただ、ひとつ気になることが。
「……いつからわたしはあなた達のグループに入ったのです?」
三人と初めてお会いしてから、まだあまり日が経《た》っていません、どう考えてもそこまで仲良くなった記憶《きおく》はないのですが。
「こまかいことは気にしなーい」
「「な〜い」」
…………良くわからないのですが、わたしはどうやらこのお三方に気に入られたようですね。こんな無愛想で暗い女と一緒にいても面白《おもしろ》くないと、わたしは思うのですが。
わたしがそんな事を考えている間にも、話がどんどん進んでいたようで、
「じゃ〜さっちゃんちにゴー」
いつの間にやらこんな事に。
「あの…………なぜそのような事になったのですか?」
わたしはとりあえず聞いてみました。
「だってさっちゃんちここから近いでしょ?」
たしかに近いです。ですが……、
「どうしてわたしの家の場所を知っているのですか?」
「うふふふ、ひみつよひみつー。いい女ってのはいくつもの秘密を持ってるものなのよ!」
とりつく島《しま》のない石川さん。この問題をいい女だからの一言で片づけられても困るのですが。
「あっそうそう、料理はアタシが作るから。さっちゃんの歓迎会だからね〜。じゃあ、材料買いに行こう〜」
「「お〜〜〜」」
作る気に溢《あふ》れている石川さん達。
「今から食事の用意をするとなると、それは夕飯になると思うのですがいつ頃《ごろ》までの予定なのですか?」
「もちろんお泊まりよ! ほら、お泊まりセットもこの通り!」
そう言って、肩からかけていた鞄《かばん》の口を開く嵐《らん》さん。どうりで荷物が多いはずです。
残りのお二人も嵐さんに続いて荷物を見せてきます。準備は万全のようです。とても拒否はできなさそうです。
「…………わかりました。ご両親《りょうしん》の了解は得ているのですか?」
「もちろ〜ん」
「ね〜」
「うん〜」
根回しもすでに済んでいたらしいです。
…………しょうがないですね、部屋も余ってる事ですし。しばらくわたしとすごせば、わたしといても何も面白《おもしろ》い事はないという事に気づくでしょう。
「うふふふアタシのすごさを披露《ひろう》する時がとうとうやって来たわよ〜、ゆーざんもはだしで逃げだすような最高の料理を食べさせてあげるわ!」
「きゃ〜らんちゃんかっこい〜」
「ひゅーひゅー」
だだ…………若い彼女達のテンションの高さにはついていけそうにないですが。
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夢
夢だ。
ここはどこだ?
……木に囲まれている。山の中か……そこで、つばさ先輩《せんぱい》が、2枚の紙を見比べている。1枚は、とても古びた紙、所々|焦《こ》げている。もう1枚は、真新しい紙。
それらに書いてある物は何だ…………これは地図か。
書き込みが多いのは古い紙だが、新しいほうの紙も書いてある事はほとんど変わらない。違うのは古いほうの紙には、幾何学《きかがく》的な図形が並んで描《か》かれている。
何が書いてあるか読めないが……何か、意味があるのだろうか
それを記憶《きおく》しようとしたが、視界が白んできた。ここまでか。
それにしても、これは何の夢だ。
宝の地図で、宝|探《さが》しか?
……突拍子《とっぴょうし》もない。ただの夢だろう。
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魔法少女とぼく2
ぽつぽつと街灯《がいとう》が灯《とも》り始めた。今いるのは駅前、夕方になり人通りが増え始めた。学校帰りの人や会社帰りの人、いろんな人達が家路《いえじ》を急いでいる。今晩のご飯を期待している小学生。友達に手を振る中学生。疲れた顔のサラリーマン。あたりまえの夕暮れ、今日一日の終わりの始まり。何の変哲もないいつもの風景。そして、そんな人混みの中に紛《まぎ》れて歩く魔法《まほう》少女と黒猫。
…………絶望的なまでに浮いている。ある程度以上|視線《しせん》が集まると、痛みを感じる。先輩《せんぱい》と出会ってから知った貴重《きちょう》な知識《ちしき》。こんなの知りたくありませんでしたよ先輩。
魔法少女ものをやると言ったのが三日前。とうとう実行する時がやって来てしまった。美香《みか》さんも張り切って衣装《いしょう》を制作していたし。
全体的に黒と白で統一された色彩《しきさい》。かなり目立つ。
「黒か白か迷ったのだが元気な君は黒だろう」とは先輩の弁。
短いスカートに、ブーツに手袋。ヘソ出しルックで。全体的にはUFOをイメージしたそうだ。客観的《きゃっかんてき》に見ればそれなりにかわいらしいかもしれない。場所のことを考えなければの話だけど。主観的に見ると、恥《は》ずかしすぎて消えてなくなってしまいたい。
でも、そんなかわいらしい格好《かっこう》しているにもかかわらず、手に持ってるのは正気とは思えない色彩《しきさい》のバール。
…………フフッ人生初の職務《しょくむ》質問とか受けてしまうのももう間近かな。
「あっねこねこー」
「しっ、指さしちゃいけません」
指をさす、通りすがりの親子《おやこ》。さされるぼくら。この間には何か越えられない壁《かべ》のような物がある気がする。
「おねーちゃんきれーねー」
「めっよ、めー」
きらきらしたおめめの女の子と、それを諭《さと》すお母さん。
…………まさかこんなありそうでないリアクションをされる側になろうとは夢にも思わなかったです。
「おねーちゃん、バイバイ」
「あはは、ばいばい」
精一杯の笑顔《えがお》で手を振る女の子に、ぼくも精一杯の笑顔で手を振り返す。でも、笑顔になっていたか自信ない。
……無邪気な瞳《ひとみ》も痛いことを今知りました。
「…………先輩《せんぱい》、何でわざわざこんな人通りの多い所を通ろうとするんですか? いったいどこに行こうとしてるんですか?」
使い魔《ま》の黒猫に丁寧《ていねい》語で話しかける魔法少女というのはどうなんだろうかと思いつつ先輩に聞いた。声のトーンがとても低い。このトーンの低さでぼくの思いが少しでも伝わらないかと願う……
「人が大勢いる場所、そういう場所が悪に狙《ねら》われやすいと相場が決まっているのだ。悪がいないと戦えない」
けど、先輩にはまったく伝わらない。
それにしても戦うのか。でも……
「…………その悪って何ですか?」
考え込む先輩。まさかとは思うけど…………決めてないとかないよね。
「そうだね、…………ふむ…………」
先輩はきょろきょろして……ある一点で目をとめた。
「……おお、そうだ」
うああああ、絶対今思いついた〜〜!
「最近の若者の公衆道徳のなさなどと戦うのはどうだろうか?」
「何で魔法《まほう》少女がそんなものと戦わないといけないんですかっ!」
「自分の住んでいる街をより良いものにしようと努力する…………素晴《すば》らしい事ではないか」
正論で攻めてくる先輩《せんぱい》。先輩ってこんな時ばっかり常識《じょうしき》人になるんだから。
「なら何でこんな格好《かっこう》しなくちゃいけないんですか!」
「趣味《しゅみ》だ」
言いきられ言葉をなくすぼく。
「では行こうか」
静かになったぼくを引きずっていく、にこやかで黒猫な先輩。
ぼくが無我《むが》の境地とかに達するのも近いかもしれない。
「さあがんばってくれたまえ」
先輩がぼくの背中を押した。
…………観念《かんねん》した。さっさと終わらせよう。
「あのーすいません。ここ歩く人のじゃまなんで、どいたほうがいいんじゃないかなーと思うんです」
ぼくが声をかけたのは、コンビニの前で座っている、柄《がら》の悪い二人組。帽子《ぼうし》の人と、金髪ピアスの人。ただ、注意するにしては、ぼくらの人間レベルのほうが絶対低いような気がするんだけど。ぼくと先輩、魔法少女に小動物だし。
柄の悪い二人組は、ぼくを上から下までじっくりと見る、うああ、居心地《いごこち》悪い。そして、たっぷり一分ぐらい眺めたあと言った。
「やだね」
「でも……何というか、そう! こんな所で座られてると景観《けいかん》を損《そこ》ねるんです!」
さっさと帰ってください。すいません。そうしたらぼくも帰れるはずなんです。じゃまなのも確かですし。
「あんたらのほうが損ねてるだろ」
……おっしゃる通りで。
あっという間に口で負けたぼくは先輩に助けを求める。
「先輩〜」
「ふむ、そんな事言って後悔しても知らないぞ? 変身するぞ? 泣いても知らないぞ? ほら、はじめ君変身と決め台詞《ぜりふ》だ。前に練習しただろう?」
バールを振り回しながら、呪文《じゅもん》と振り付けの練習をした苦《にが》い記憶《きおく》がよみがえる。その記憶に従って。バールを空に向けて掲げて、くるくると回る。スカートがひらひらとたなびく。ちなみに頭の中空っぽで回ってる。色々考えてたら素《す》で泣いてしまいそうだから。
ぼくは何回転かしたあと、ぴたっとかっこいいポーズで止まる。そして決め台詞《ぜりふ》。
「あなたのハートをこじ開けてあげるっ※[#ハート(白)、1-6-29]」
本物の魔法《まほう》少女ものならここで謎《なぞ》の光とかが、どばーっと出るんだろうけど…………もちろんぼくがやっても出るわけがない。
ぼくがかっこいいポーズのまま固まっていると、後ろで何やらやっている先輩《せんぱい》。
ピッポッパッポッ
「ああ、私だ」
何か電話をかけ始めたみたいだ。
そんな中で相変わらず固まってるぼく。
ヤンキー座りのお兄さん達も固まってる。
「とりあえず今は戦闘《せんとう》中なのだ」
やな感じの沈黙《ちんもく》の中に響《ひび》く先輩の声。今は戦闘中なのか。
「なので召還《しょうかん》に応じてくれないかね。正直なかなかにピンチなのだ」
ポーズを決めてるぼくの背後《はいご》で、誰《だれ》かを召還しようとしているらしい先輩。
「このままでは、悪役の手にかかる魔法少女とかいう感じの18禁の世界に行ってしまいそうなのだ。というわけでこうして召還の呪文《じゅもん》を詠唱《えいしょう》しているわけだ」
何ていやな会話だ。そんな世界には絶対行きたくない。あとこれが召還《しょうかん》の呪文《じゅもん》なんですか? …………ゲームとかに出てくる召還の呪文って、意味がわかったらこんな感じなのかもしれない。
「まぁ、そう言わずに…………ああ、はじめ君、召還に少々時間がかかりそうだ。そうだね…………5ターンくらいかな。その間、楽にしていてくれたまえ」
先輩《せんぱい》が、会話の途中《とちゅう》でこっちを見て言った。それにしても……5ターンってどのくらいの時間なんだろうか…………5分くらい?
「…………私と君……というよりはじめ君と君の仲ではないか」
響《ひび》き渡る先輩の声…………じゃなくて呪文の詠唱《えいしょう》。電話の相手はたぶん……のりちゃんじゃないかなぁ。
ぼくは、決めポーズを解《と》いた。
そんな先輩の声を聞きながら、何となく見つめ合ったあと、手持ちぶさたから話なんか始めるぼくと二人組。
「……何か、大変だなーあんた」
「…………はい……とても」
「いつもこんな感じなのか?」
「残念ながら、だいたいこんな感じです」
「それは…………友達は選《えら》んだほうがいいぞ?」
「いや……友達というか何というか……惚《ほ》れた弱みでいいように遊ばれているというか……」
「うわっ、恋人かよー。あんた男運悪いなー、せっかくかわいい顔してるのに。俺《おれ》がいい男紹介してやろうかー?」
「いえ……恋人というより、そのワンランク上です。許嫁《いいなずけ》〜とか婚約者〜とかの」
「うそっマジかよー。人生はまだ長いぞ〜? あんまり早まったことはしないほうがいいんじゃねーの?」
「そーそー、俺らみたいにいい男がこの世にはたくさんいるぞ?」
「アハ……アハハハ………そうかもしれませんねー」
「で、それは何なんだ?」
「えっ、これですか? …………マジカルバールのような物です」
「……バールのような物か」
「……バールのような物です」
会話が止まる。何と素晴《すば》らしい、バールのような物の魔力《まりょく》。
………………どうにかしてほしい。
止まった会話に割り込むように聞こえてくる先輩の声。
「まあまあ、そう言わずに……」
その時、電話ではない、生の怒鳴《どな》り声が聞こえてきた。
「いい加減にしやがれ! バイト中だ! 営業妨害だ! やるなら、どっかほかの所でやれ!」
コンビニからのりちゃんが出てきた。携帯電話を耳に当て、コンビニのマークが付いたエプロンをしてる。…………何か頭の中がぐるぐるしてたから気がつかなかったけど、ここ、のりちゃんのバイト先だったのか。
「やあやあ、おつとめごくろうさま」
相変わらず携帯電話に話しかけている先輩《せんぱい》。
「こんなに近いのに携帯で話すな!」
「やはり、召還《しょうかん》は何かを媒介《ばいかい》にして行いたいね」
「んなこと知るかーっ!!」
…………のりちゃん、わざわざ先輩に付き合わなくても、携帯切ればいいのに。
「で、典弘《のりひろ》君は召還に応じてくれたわけだが……」
「応じてねーよ!」
「そうなのかね…………しょうがない、次に当たるか。ああ、そうそう。バイトが終わったらここに来たまえ」
「嫌《いや》だね」
拒否するのりちゃん。
「ここに行けば豪勢《ごうせい》な食物にありつけるはずだ。栄養は摂《と》れる所で摂っておいたほうがいいぞ? 味も、期待できるだろう」
「………………」
拒否したにもかかわらず、先輩に貰《もら》ったメモをきっちりポケットにしまうのりちゃん。
…………栄養が欲しいんだなぁ、何かホロリと来た。今度、お弁当でも作っていってあげようかなぁ。
のりちゃんは、そのまま店内に入っていった。
「バイト、頑張《がんば》ってくれたまえ」
先輩は、のりちゃんが店内に入るのを見届けたあと、再び電話をかけ始めた。
「…………残念ながら、召還に失敗してしまった。連絡がついたにはついたのだがこの付近にいるのは典弘君だけなのだ。すぐにはここに来る事ができない……。川村《かわむら》君は、重要な使命があるので呼ぶ事ができないしな」
色々な所に電話をかけてたらしい先輩が戻ってきたのは、電話をかけ始めて10分くらい経《た》った頃《ころ》だった。先輩はとても残念そうに首を振る。
「本当に残念だ。…………それで、どうなったのだね?」
「あっ、終わったんですか」
ぼくは、お兄さん達にジュースなんかおごって貰《もら》ってる。すっかり仲良くなってしまった。
「うむ」
「じゃあ、帰りましょう。あの、ジュースありがとうございました」
「べつに構わねーよ。一緒《いっしょ》にだべった仲だ。何かあったら、言いな」
「はい」
見かけによらずとてもいい人だったお兄さん達。
「おい、にーちゃん」
「私の事かね」
帰ろうとした時に先輩《せんぱい》に声をかける帽子《ぼうし》の人。
「あんまり、そのねーちゃんいじめるんじゃねーぞー」
「そうそう、あんたみたいな変人についてくるなんて娘《こ》はそーそーいねーぞー」
うう、見ず知らずの人の優《やさ》しさがここまで温かいものだとは……
「いじめているつもりは毛頭ない、これは私の愛情表現の一種だ」
何ていやな愛情表現なんだろう。もうちょっとほかの方法で愛を伝えてくれないものかなぁ。
「……が、覚えておこう。助言|感謝《かんしゃ》する」
本当に覚えておいてと、心から思う。
「それと、そこはやはり通行の邪魔《じゃま》だぞ?」
「おーう、覚えとくー」
「うむ、それでは、邪魔をしたな」
先輩はどこかに向けて歩きだす。
「えっと、では……」
「おーう、まー人生色々だ。がんばんなよー」
「じゃーなー」
「はい、さようなら」
二人に向けてお辞儀《じぎ》をするぼく。ほんといい人達だった。
ぼくが何となくいい気分で、先を歩いている先輩に追いつくと、
「うむぅ、残念だ。実に残念だ……かっこいい戦闘《せんとう》シーンを見たかったのだが。まぁ、決め台詞《ぜりふ》を聞けて、素晴《すば》らしい絵を撮《と》れただけで満足する事にしよう。目的は果たせたしな」
という呟《つぶや》きが聞こえた。
「お願いですから満足して、もう二度とこんなことがないようにしてくださいー」
「考えておこう」
「あとやっぱり撮られてるんですか?」
「撮《と》られているぞ」
……重要な使命とやらはこれか。相変わらず色々流すつもりなんだなぁ。撮ってるのはタッキー・オーラの二人なんだろうけど……姿がまったく見えない。いったいどんな方法で隠《かく》れているのだろうか。……オーラは、字宙人の技術をいかんなく発揮《はっき》してそうだ。
「今度見るかね」
「…………できれば遠慮《えんりょ》させてください」
そんな会話をしながら先輩《せんぱい》が携帯電話で時間を確認した。
「ふむ…………そろそろいいかな」
「え? 帰るんじゃないんですか? いったい今度は何ですか? ……ふふっもうどうとでもなれですよ」
やさぐれて来たぼく。こうやって人は非行に走るんだろうか。
「これから桜《さくら》君の家に向かう」
「…………桜さんですか?」
「そうだ」
何でだろう。何か用事があるんだろうか。
「なぜですか?」
「それが今日の目的だ。今日、あそこで嵐《らん》君達が桜君と仲良くなった記念に親善パーティーを開くらしい。それで参加させて貰《もら》おうと思っているのだ。ただ、準備中に行くのも何なのでな、それまでの待ち時間を有意義に使おうと」
「じゃっ、じゃあ、今やっていたのは…………」
「ただの時間つぶしだ」
「…………せ〜ん〜ぱ〜い〜」
ぼくがジト目でにらみつける。
「いいね、その目はぞくぞく来るよ」
なぜか知らないけど喜ばれてるぼく。
「まあ、それだけでもないのだが」
「じゃあ、何なんですか?」
「仮装《かそう》して行けば、親善パーティーも盛り上がるのではないかと思ってね。あの桜君をこちらの世界に引きずり込む為《ため》にはそれくらいのインパクトが必要だろう」
「そっそうだとしても、向こうで着替えればいいじゃないですか!」
「突然仮装して現れるから面白《おもしろ》いのではないか」
「それはそうかもしれないですけど……」
…………前向きに考えよう。みんなと桜さんが仲良くなったら、真太郎《しんたろう》関係で何か進展するかもしれないし。そう、前向きに……前向きに…………前向きに。
あっ! ということは。
「さっきのりちゃんにわたしてたのは……」
「そう、桜《さくら》君の家までの地図だ。それも目的のひとつだな」
「じゃあさっきの電話は」
「桜君の歓迎パーティーがある事と、何か愉快《ゆかい》な格好《かっこう》をしてきてくれという事を伝えた」
わざわざ、あんなところでやる必要はないでしょうに。
「……それで全員呼んだんですか?」
「真太郎《しんたろう》君を除く全員は来るそうだ。真太郎君は……一応|誘《さそ》いはしたがね、断ってきたよ。まあ、私としてもそのほうが良いと思う」
「何でですか? 来たほうが……」
「まだ、時期じゃないな」
「む――――じゃあ、いつまでこのままなんですか?」
一応ほとぼりが冷めるまでって話にはなってたけど、このままずっと放置ってのは真太郎がかわいそうだ。
「桜君の覚悟ができるまでだ」
「…………覚悟ですか?」
「そう、彼女が未来に向き合う覚悟だ。彼女は、未来に強い不安を抱えている」
「未来が不安なのは誰《だれ》だってそうだと思うんですけど」
ぼくだって不安だ。入れ替わっちゃってこれからどうなるんだろうと。……このまま行くと、人類の男として初めての経験《けいけん》を色々しそうだし。…………ああ、だめだ! 浮かびかけたいやな想像を頭をブンブン振って振り払うぼく。
「それはそうだ。未来がわからないのは楽しみがあって良いと思う私ですら、未来に恐怖を覚えるのだからな。未来は、何が起こるかわからない。という事は、どんな事でも起こる可能性があるわけだ。私が今ここで、劣情に駆《か》られ君を押し倒すという可能性もゼロではない」
ズサササっ
「……なぜ離《はな》れる」
「…………危険を感じたので」
「そう警戒《けいかい》しなくて大丈夫だ。私が劣情に駆られ我を忘れる可能性というのはとても小さい」
「…………わかりました」
ぼくは先輩《せんぱい》の隣《となり》に戻る。
「話を戻そう。人生、何が起こるかわからない。だが、彼女は何が起こるかわからない人生を生きる上で、自らを殺害するという方法をとる事ができない。性格上な。桜君は事故で自分だけが生き残ってしまった、なら自分は両親《りょうしん》の分まで生きなければならない……と考えてしまうのだ」
「……良いことじゃないんですか?」
うん、前向きだし。
「時と場合によるな。彼女が幸せならそれも良いだろう。が、不幸なら? その不幸が、生が尽きるその時まで続くとしたらどうだね? 自殺を賛美《さんび》するわけではないが、死んだほうがマシという事態もこの世には存在するだろう。これが、彼女の抱えた恐怖そのものだ。彼女が占《うらな》いというもので未来を知ろうとしていたのは、何があろうと生き続けなければならなくなってしまった自分の未来は幸せなのか……それを知ろうとしての事だ」
「でも……」
でも……何か釈然《しゃくぜん》としない。
「では聞こう。君は私の事が好きかね?」
「好きです」
「いやいや、そう即答されると、愛《いと》しさがこみ上げてくるな、劣情をもよおしそうだ」
ズササササササササササ
「……冗談《じょうだん》だ、そこまで離《はな》れる事はないだろう? 少し傷ついたぞ。それに、この獣《けもの》の格好《かっこう》をした私が君を押し倒すと問題だろう? 倫理的に。だから、たぶん大丈夫だ」
……………………ノーコメント。ああ、ひとつだけ。……たぶんは取ってください。
「それはともかく、その君の大好きな私が、死んでしまった。それだけでなく君の家族、友人、知り合い、皆が皆死んでしまった。まあ、大|地震《じしん》でも起こった事にしよう。そんな状況に君は陥《おちい》ってしまった。…………それでも、君は生きていくかね? 地獄のような生にしがみつくかね? 死という逃げ道が欲しくないかね?」
「…………欲しいです」
あって、欲しくないけど、そんなことになったら、ぼくは逃げたい。死んで幽霊《ゆうれい》になれば、先輩《せんぱい》に会えるかもしれないということを、ぼくは知ってしまっているから。
「だろう? だが、彼女はその道を選《えら》べない。どのような状況でも生きるという選択《せんたく》を取る。取らざるをえないのだ。…………だからこそ彼女は未来を知りたがっている」
それはとても恐ろしいことかもしれない。
「…………だが、彼女は、知る事も恐ろしいと思っている。幸せな一生を送る事がわかった、それなら良い。だが彼女は、不幸になると知ったあとでも生き続けるのだ。どんな状況に陥り、死に直面したとしても、彼女は生を求めるだろう。手段を選ぶという事をせずに。…………それが、死んだほうがマシだと思えるような事でもだ。
その辺《あた》りの、目的の為《ため》には手段を選ばないという考え。それは私の考えにとても近いものだ。だからこそ私は彼女の事を気に入っているのだが……
まあ、そういうわけで彼女は未来を求めながらも恐れている……つまり、未来を知る真太郎《しんたろう》君が恐ろしいのだよ。…………彼女が、真太郎君を受け入れる事ができるとすれば、未来を受け入れる覚悟ができてからだろう」
「でもいつそんな覚悟ができるんですか?」
「それは、そんなに遠くないはずだ」
「なぜわかるんです?」
「…………私が、この私がそうなる事を望んでいるからだ」
…………何かとても納得《なっとく》いった。先輩《せんぱい》なら、自分の望み通りになるように色々するんだろう。
「……その為《ため》の刺客《しかく》を放った事だしな」
ぼくに聞こえるか聞こえないかの小さな声でぼそっと言う先輩。何か物騒《ぶっそう》な単語が聞こえた気がするけど…………気のせいということにしよう。
泊まりに来た三人とわたし
「わ〜ひろいひろい〜」
今日の主役はさっちゃんだから〜……と言われ、わたしは最初にお風呂《ふろ》を頂いたのです。という事で、わたしは湯船《ゆぶね》につかっていたのですが、……なぜか石川《いしかわ》さんが乱入してきました。
わたしが言う事ではないのかもしれませんが…………バスタオルか何かで身体《からだ》を隠《かく》したほうが良いのではないかと思うのです。年頃《としごろ》の女の子なのですし。
わたしが入っていない時なら何の問題もないのですが……わたしの目は気にならないのでしょうか。
「…………あの」
わたしが口を開こうとすると、石川さんが言葉を遮《さえぎ》りました。
「まぁまぁ、細かいことは気にしないの、やっぱり裸《はだか》の付き合いは仲良くなる秘訣《ひけつ》よね」
石川さんはお風呂|桶《おけ》でお湯をすくうと頭からかぶりました。
そして、ふるふると頭を左右に振って水滴をとばすと、
「んじゃ、おじゃましま〜す」
狭《せま》い湯船に石川さんが入って来ました。
「か〜〜〜、いい湯ね〜〜、日本人に生まれた喜びを感じるわ〜〜」
石川さんは頭にタオルなど乗せて思いっきりくつろいでいる様子《ようす》です。ですが、二人はどう考えても狭いです。
「わたしは十分温まりましたので……」
そう言って出ようとするわたしの肩を手で押さえつつ、
「まーまー一緒《いっしょ》につかろ、ほらほら肩まで、いーち、にーい」
相変わらず強引《ごういん》な人です。再び湯につかりながらわたしはそう思いました。
今、わたしと石川さんは、二人並んでお湯につかっています。向かい合うのは流石《さすが》の石川さんも恥《は》ずかしかったのかもしれません。
「ふぃ〜〜〜〜ああ〜〜〜〜生き返るわね〜〜〜〜ふんふ〜ん♪」
とてもじゃないですが、女子高生に見えない石川《いしかわ》さん。恥ずかしがっているというのは、わたしの考えすぎのような気がしてきました。
しばらく、浴室の中で反響《はんきょう》していた鼻歌が、不意に止まりました。
「…………さっちゃんは、この家にひとりで住んでるの?」
「はい、そうです」
石川さんの口から漏《も》れたのは、そんな質問。
「親戚《しんせき》の人とかにはお世話にならないの?」
「両親が他界《たかい》したあと一緒に暮らさないかとは言って頂いたのですが、この家から離《はな》れたくなかったのでお断りしたのです」
「そっか〜」
そう言って、ぱしゃぱしゃとお湯をたたく石川さん。
「………………さみしくない?」
「慣《な》れました」
「……そう」
またぱしゃぱしゃとたたき始める石川さん。そしてしばらく間を開けたあと再び聞いてきました。
「その傷が事故の時の?」
今度は、お湯の中に沈んだわたしの左足を見ながら、石川さんが言いました。
「はい、そうです」
わたしは、自分の足を見ながら答えました。
そこにあるのは膝《ひざ》から足首へと続く大きな傷跡。
「ふ〜ん……大丈夫なの?」
「はい、走る事はできませんが、日常生活に支障が出ない程度には動きますので」
…………わからないです。いったい、何なのでしょうか? なぜ、わたしの事を聞いてくるのでしょうか。ただの興味《きょうみ》本位ですか?
「その怪我《けが》で留年しちゃったのよね?」
「……はい。高校1年の時に事故にあったのですが、事故の怪我で入院してた事で出席日数が足《た》らずに留年したのです」
「じゃあ、二度目の留年はどうしたの」
「…………家を出る気にならなかったのです。いえ、別に外が怖くなったとかそういう事はありませんでした。ただ……何もやる気が起こらなかったのです。それは今も変わりません。今学校に行ってるのは惰性《だせい》ですね、平賀《ひらが》さんに言われ通うようになったのですが」
そう、……平賀《ひらが》さんに学校に来いと言われて、通うようになりました。それから通い続けているのは何となくです。
「へーつばさがね〜。さっちゃんは、引きこもってた時何してたの?」
「別に何もしていなかったです。ただ座っていました」
「座ってただけ?」
「はい」
「……暇《ひま》じゃないの? 時間もったいないし」
「この足が傷を負って以来、わたしの時間の流れはとても遅く、そして早くなりました。行動が全《すべ》て遅いので、何をするにも時間がかかり、気がつくと時間が経《た》っているのです。ですから、ほかの人とは時間の流れが違うのです。……ですので、暇とも、もったいないとも思わないのです」
石川《いしかわ》さんの質問攻め。普通なら不愉快《ふゆかい》に思ってもおかしくないはずですが、そんな気が全くと言っていいほど起きません。なぜでしょうか。この遠慮《えんりょ》のない言葉、……何か親《した》しみがわいてきます。だからでしょうか、今までにないほど自分の事を話してしまったのは。
「そう……」
石川さんはしばらく黙《だま》ったあと、静かに聞いてきました。
「さっちゃん……………………今幸せ?」
「………………いえ。両親《りょうしん》の事を考えれば生きているだけ幸せだと思うのです。……いいえ、思わないといけないのです。ですが、そう思えません。わたしは笑えないのです。昔祖母に幸せな時、楽しい時には笑うと良いと言われました。そしてわたしはそれを守って生きてきました。あの事故まで。
ですが、あの事故以来笑えていません。ただの一度もです。という事は幸せでないのだと思います」
「そう……」
「はい」
「…………わかったわ」
何がわかったのでしょう。
わたしといても面白《おもしろ》くないという事に気がついて頂けたのですか?
「ふっ、それはアタシに対する挑戦と受け取ったわ」
…………………………………………………………なぜですか?
「さっちゃん、あなたを幸せにしたげる。このアタシが。そもそもアタシが側《そば》にいるのに幸せじゃないなんて、そんなこと許されないのよ!」
……どのような思考をたどってこのような結論に達したのか、全く見当がつかないのですが。
「あの、石川さん」
「だめーっ!!」
「あの何が……」
何がだめなのでしょう。
「そんなかたっくるしい呼び方はだめー。嵐《らん》ちゃんって呼んで」
「ですが……」
「ら ん ち ゃ ん !」
一言一言区切るように言う石川《いしかわ》さん……いえ、嵐ちゃん……さん。
「なっちゃんとほーちゃんもそう呼んでね」
「はい、わかりました。嵐ちゃん……さん、あの……」
ここしばらく他人《ひと》をちゃん付けで呼んだ事がないので、とても違和感があるのです。……といってもこの呼び方も相当違和感があるのですが。
「あはは、何それー。まー今はそれでいいわ」
「……なぜわたしに関《かか》わろうとなさるのですか? わたしといても面白《おもしろ》くないと思うのですが」
「前に言ったでしょ、気になるのよ」
「はい……ですが……」
「そう。気になるの。さっちゃんのことが気になるのよ」
「……なぜですか? わたしとあなたには何の接点もなかったと思うのですが?」
「そうでもないのよ。…………でも、理由はまだ教えない」
嵐ちゃんさんは、わたしのほうへと向き直り、微笑《ほほえ》んで言いました。
「ただひとつだけ。アタシはさっちゃんと、本当の友達になりたいわ。今みたいな押しかけ友達じゃなくってね」
前に見た大人《おとな》びた笑顔《えがお》……、
「………………はい」
わたしは無意識《むいしき》にうなずいていました。
「ほほう、その少女的な外見と湯上がりの色っぽさ、さらには内面の大人っぽさが絶妙なバランスで混じり合っている。いや素晴《すば》らしいね、眼福《がんぷく》眼福」
お風呂《ふろ》から上がり、髪を適度に乾かし、食事の用意を手伝おうかと台所に向かっていたわたしに声をかけてくる人がいました。
「しかもその服装が素晴《すば》らしい。私の見立ては間違っていなかったという事だな」
「……それで、平賀《ひらが》さん。どうしてここに? 何をしているのですか?」
平賀さんは居間のテーブルの前に座布団を敷《し》き正座しています。そして、音を立てお茶をすすっています。……用意していたわたしの着替えが入れ替えられていたのは平賀《ひらが》さんの仕業《しわざ》ですか。
「いやいや、こんなに面白《おもしろ》そうなイベントを私が見逃《みのが》すと思うかね」
イベント…………嵐《らん》ちゃんさんの言う『アタシ達のグループに入った記念親善パーティー』の事ですか。
「そうですか。それで……その格好《かっこう》は何なのです?」
今日の平賀さんの衣装《いしょう》…………とても黒いのですが……毛深いですし。流行には疎《うと》いのでわかりませんが……流行《はや》っているのでしょうか。
「うむ、パーティーといえば仮装《かそう》だろう。そんなわけでこのような素敵《すてき》装束《しょうぞく》ではせ参じたわけだ」
素敵装束……確かにかわいらしいとは思いますが。
「ふー良い湯だったわ〜」
そのような声と共に現れたのは、バスタオルを巻いた嵐ちゃんさん。手をうちわにして顔を扇《あお》いでます。
「ここで、フルーツ牛乳とかあったら最高なんだけど……」
そこまで言ったところで、平賀さんに気づく嵐ちゃんさん。
「うげっ何でつばさがここにいるのよ、それに何て格好してんのよ」
「今の君には言われたくないな、君こそなんて格好しているのだい?」
「いや〜何かこの家|居心地《いごこち》良くってつい……って、あんたはどうなのよ? 耳とかしっぽとかつけちゃって…………かわいいじゃないのよ」
ああああとかいう声を漏《も》らし、ふるふると震《ふる》えながらうっとりとしている嵐《らん》ちゃん。手を開いたり閉じたりしているのは、しっぽとか耳とかを触りたいのでしょう。
「うむ、良くぞ聞いてくれた、私は魔法《まほう》少女の使い魔としてこの街の平和を守ってきたのだ」
「ほらっそこに私の主《あるじ》が……」
そう言って指をさす平賀さん。その示した先を見てみると……体操《たいそう》座りで部屋の隅を見つめている山城《やましろ》さんがいました。平賀さんの黒猫の衣装に負けずとも劣らない奇抜な衣装です。
わたしの位置からは死角になっていたので気がつかなかったのです。とても小さく丸まっていますし。
「そこにももうひとり」
指をさされたのはわたし。なぜわたしの着替えが真《ま》っ白《しろ》でフリルのついたかわいらしい衣装に替わっていたのか、理解しました。山城さんと対《つい》になっているのですね。
「おっお姉さま、何て素敵な格好を……ああっさっちゃんも何てかわいい……」
かわいらしい衣装だというのには同意するのですが、わたしに似合っているのでしょうか。
「あの…………わたしは二十歳《はたち》なのですが。魔法少女[#「少女」に傍点]というには……」
「大丈夫だ。君の外見は十分少女で通用する。二十歳《はたち》という年齢《ねんれい》も問題ない。それどころかメリットもあるだろう。成人しているので、色々きわどい事をやっても大丈夫だからな。何より重要な事は、君の名前がさくらという事だ。そう、何も問題はない……何もな」
…………そうですか。
そんな会話を交《か》わしていると、山城《やましろ》さんがゆっくりとした動作で振り返りました。どうやら、やっとわたし達に気がついたようです。
「やあ、嵐《らん》ちゃん……」
とても生気がありません。相当ショックな事でもあったのでしょうか。しばらくうつろな目で宙を見ていた山城さんですが。嵐ちゃんさんの格好《かっこう》に気がつくと、いきなり正気に戻りました。
「らっ嵐ちゃん! 何て格好してるのっ! 女の子なんだからもっとつつしみを持って」
「うふふふ、お姉さまを落とすためならつつしみのひとつや二つ……」
「だめーっ! 捨てちゃだめーっ! 持ってないとだめーっ!」
「むむむむ、嵐君やるな、これは私も対抗するしかないではないか! バスタオル一枚に対抗するためには……………………裸《はだか》エプロンしかないか」
「先輩《せんぱい》! いったい何するつもりですかっ! お願いですから勘弁してくださいよっ!」
懇願《こんがん》する山城さん。その時新たな声が聞こえてきました。
「嵐よ素晴《すば》らしいぞ! 風呂《ふろ》上がりバスタオルの親しみ感、無防備感が良く出ている…………だが詰めが甘いな、70点といったところだ」
「コーチ! なぜここに!」
……いつの間にか庭に立っているのは川村《かわむら》さんです。カメラを持っているようです。
「ふっ、こんなおいしい……もとい、かわいい教え子の晴れ姿を見ないわけにはいくまい」
そして当たり前のように、縁側《えんがわ》を上り部屋に入ってくる川村さん。……なぜ玄関から入ってこないのでしょうか。それに身につけている服装が緑の迷彩柄《めいさいがら》で、所々に草木が結《ゆ》わえられているのはなぜなのでしょう。……庭に隠《かく》れていたのですか? そうだとしたら、いつから隠れていたのですか?
「コーチ…………なぜ70点なのですか?」
なぜ? といった疑問の表情を浮かべている嵐ちゃんさん。
「なぜ70点なのか。嵐、おまえはこの場合…………髪をタオルで拭《ふ》きながら出てくるべきだったのだ! 髪を乾かしている最中……つまり、両手がふさがっている状態! 風呂上がりバスタオルの無防備感に、その両手がふさがっているという無防備感を加えると、相手にどれだけ気を許し、相手の事をどれだけ信頼しているかが伝わる。そこから発生する、愛《いと》おしさは、たやすくはじめの心をおまえのほうへと傾けるだろう」
「なっなるほど」
「嵐《らん》ちゃん納得《なつとく》しなーい!」
「場合によっては、小悪魔《こあくま》的に見えそうで見えないという演出をするのも良い。その上級|編《へん》としては、アクシデントでバスタオルがはだけるが、なぜか、ぎりぎり、刹那《せつな》の差で見えない……というのがある。が、これは神に愛された者だけが行う事ができる業《わざ》。まさに神技《しんぎ》といって良いだろう。…………嵐、おまえがこの業を使えるかどうかは今後の努力にかかっている。精進《しょうじん》しろ。努力した者が報《むく》われるとは限らない……だが、努力しない者は報われない。それは先人たちが証明している」
「タッキー黙《だま》れっ! 何で、そんないいことを言った……って満足げな顔になってるんだよっ! 先人も報われないよっ!」
「はい! コーチ!」
「嵐ちゃんも返事しないっ!」
「はっはっはっ素晴《すば》らしいよ、川村《かわむら》君。その辺《あた》りの心得をはじめ君にも伝授してくれないかね」
「やですよっ!」
「お任せあれ」
「タッキーも任されるんじゃないっ!」
「じゃあ、アタシが……」
「嵐ちゃんっ! いいかげんっ……ごほっげほっ」
あまりに連続して突っ込みをしたせいか、息を詰まらせる山城《やましろ》さん。
「おっお姉さま! 大丈夫? これは人工呼吸しないと」
山城さんに駆《か》け寄る嵐ちゃんさん。山城さんは息も絶《た》え絶《だ》えに言います。
「なっ何で……そんな……ことに……なるのっ!」
こんな状態でも突っ込みを入れる山城さん。すごいです。
「それは…………」
口を開きかけた嵐ちゃんさん。山城さんはそれを遮《さえぎ》るようにして言いました。
「ぼくはひとりしかいないんですよ……三人でボケ倒すのはやめてください…………」
「だって……………………お姉さまに突っ込まれると愛を感じるの…………」
「…………実に意味深な言葉だね」
「今のセリフ、ナイスだ。90点!」
「なっ何を言ってんのっ!! …………うっ」
倒れ込む山城さん。とうとう限界が来たらしいです。
「おっお姉さま〜〜っ!」
「…………少々調子に乗りすぎたらしい。反省しよう」
そう言う平賀《ひらが》さんですが、わたしには全く反省の色が見えないのですが。
「反省だけなら猿《さる》でもできるもんね〜」
「うむ!」
…………やはり、そうですか。
瀕死《ひんし》の山城《やましろ》さんを膝《ひざ》に乗せる平賀《ひらが》さん…………そんな平賀さんに山城さんが弱々しく言います。
「反省するなら……静かにしてください。それに魔法《まほう》少女とかも今度からはしないと言ってください……お願いです……何でぼくがご町内を守らないといけないんですか……こんな格好《かっこう》で……この格好顔丸見えなんですよ……かけらも隠《かく》れてないんですよ……」
その言葉に、平賀さんは自信満々で応《こた》えます。
「大丈夫だ。素顔《すがお》を晒《さら》しているにもかかわらず、なぜか正体がばれないのが魔法少女というものだ。君もその法則に守られているだろう。安心したまえ」
「ああ……何て説得力のない…………ガク」
山城さんの身体《からだ》から力が抜けました。わたしもそう思います。わたしには、奇抜な格好をした山城さんにしか見えないですね。
「お姉さまっ〜〜〜〜〜!」
「えっ衛生《えいせい》兵、衛生兵ーっ!」
力の抜けた山城さんを見て叫ぶ嵐《らん》ちゃんさんと川村《かわむら》さん………………いつからここは戦場になったのですか?
「……それで何でここにいるのよ」
突っ込みすぎで気力と酸素《さんそ》を失ってしまった山城さんを部屋の隅に寝かせたあと、嵐ちゃんさんが先程のわたしと同じ質問をしました。
「ああ、それはだね…………君たちの様子《ようす》を見に来たのだよ、仲良くやっているのかね……と。あとは、ご相伴《しょうばん》にあずかろうかと思ってね。このあと、続々とうちの部のメンバーがやって来る。君達だけ桜《さくら》君と仲良くなろうなど、そうは問屋が卸《おろ》さない」
にやりと笑う平賀さん。
「くっ」
歯ぎしりする嵐ちゃんさん。
「残念ながら、真太郎《しんたろう》君は都合《つごう》がつかなかったがね」
平賀さんのその言葉を聞いて……少しほっとしている自分がいます。やはりまだ……怖いですね。いつかこの恐怖を克服できる時が来るのでしょうか。
しばらく平賀さんをにらんでいた嵐ちゃんさんですが、にらむのをやめてぶっきらぼうに言いました。
「……ふんっ、まあいいわ。全《すべ》てを知ってる〜〜って感じのその態度は相変わらず気に入らないけど…………今回は感謝《かんしゃ》するわ、ありがとう」
「いやいや、どういたしまして」
「お礼にアタシの腕によりをかけた料理を食べさせてあげるわ。ありがたく思いなさい。これで貸し借りなしのチャラよ」
「ほほう、それは楽しみだ」
「ふん、楽しみにしてなさいよ」
そう言うと、バスタオル一枚の姿で台所へと向かう嵐《らん》ちゃん。姿が台所へと消えたあと、
「きゃ〜嵐ちゃんせくし〜」
「せくし〜」
という、小谷《こたに》姉妹の声が聞こえてきます。
「うむ、見張りごくろう。さあ、仕上げに入るわよ」
「どういたしまして〜」
「まして〜」
それにしても見かけによらずとは嵐さんの事を言うと思うのです。失礼ながらあまり料理がうまいようには見えませんでした。ですが、料理の手際《てぎわ》や包丁|捌《さば》きなどはとても高校1年生だとは思えません。しかも作る料理が純和風なのには少々|驚《おどろ》かされました。すぐに台所を追い出されたので、細かいところは見てはいないですが。これは、わたしも楽しみです。
「どうだ! 見なさいつばさっ! これがアタシの実力よ」
テーブルの上に並べられた、料理を前に誇らしげに胸を張る嵐ちゃんさん。
「素晴《すば》らしいな」
その料理に、素直に感心する平賀《ひらが》さん。ですが嵐ちゃんさんは、平賀さんを見ていぶかしげな顔をしました。
「…………何よその反応は張り合いがないじゃない、いつものつばさならここで料理勝負とかに行くはずよ? 究極《きゅうきょく》とか至高とか言いながら」
「いや、そう言われても私は料理というものができない」
「何よそれ」
それは初耳です。
「私のようなキャラは料理ができてはいけないと、この宇宙が誕生《たんじょう》したその時から決まっているのだよ。というわけで、極力料理に触れないようにして生きてきた。あばたもえくぼと言うだろう? そのほうが私のキャラが立つのだ」
……そういうものなのでしょうか。
「何より私が、炊事《すいじ》洗濯《せんたく》など家事全般ができたら、完璧《かんぺき》すぎて嫌《いや》みだろう?」
「さりげなく自慢《じまん》してるんじゃないわよ!」
「ちなみに、一度はじめ君にお弁当を作っていった事がある。意図的に不揃《ふぞろ》いな形にしたおにぎり、わざと砂糖《さとう》で握った物だ。それを食べ、引きつった笑顔《えがお》を浮かべながらおいしいですと言うはじめ君のかわいらしさと言ったらもう……」
恍惚《こうこつ》とした表情で目をつむる平賀《ひらが》さん。どうやらその光景を思い出しているようですね。
「ううっ、見たい、見たいわ」
「写真があるぞ、川村《かわむら》君の作品なのでとても良く写っている」
「ちょうだい!」
叫ぶ嵐《らん》ちゃんさん。その時、いつの間にか復活していた山城《やましろ》さんが叫びました。
「あれそうだったんですか! ぼくがあの甘いおにぎりをどれほどの精神力でもって平らげたと思ってるんです! この甘さは先輩《せんぱい》の想《おも》いだ〜とか自分に言い聞かせてどうにか食べたのに……それが……そんなあほな理由が原因だったとは! ぼくの感動と、努力を返してください!」
そう抗議《こうぎ》する山城さん、そんな山城さんに平賀さんは冷静に返します。
「はじめ君……では聞くが、どうやったら砂糖と塩を間違える事ができるのだね? 見た目も手触りも違う。容《い》れ物も区別されているだろうし、完成すれば味見《あじみ》もするだろう。大切な人に食べさせる料理を味見しないわけがない。
…………そう、どう考えても、砂糖と塩を間違えた料理をドジで出す事などできないのだよ!!」
「………………………………」
無言の山城さん。
「という事はだ。味覚に異常がない限り、砂糖と塩を間違えたのならそこには何らかの意図が存在していたはずなのだ! そう、古今東西《ここんとうざい》、あらゆる媒体《ばいたい》で砂糖と塩を間違えた料理|苦手《にがて》キャラは自らのキャラクター性を引き立てるため意図的に間違えたに違いないのだっ!!」
「………………………………先輩」
……これは、流石《さすが》にかわいそうですね。
「さあ、料理が冷める。早く頂こうではないか。どうだね、これなんかおいしそうだぞ」
「…………そうですね」
気力を使い果たしたような山城さん。……わたしが同情するとは…………でも、微笑《ほほえ》ましくもあるのです。こういう関係も、少し羨《うらや》ましい気もします。このような事をわたしが思うとは……。気がつかないうちに、この楽しい皆さんに色々と影響《えいきょう》を受けていたかもしれないですね。
「何だここは……」
大林《おおばやし》さんが呟《つぶや》きました。
わたしも同じ意見です。いったいここはどこなのでしょうか。いえ、数時間前まではわたしの家だった事には間違いないのですが。
時系列を整理しますと、まずは小谷《こたに》美香《みか》さんが来ました。…………セーラー服で。言うまでもありませんが、わたし達の学校の制服はブレザーです。
次に来たのは、道本《みちもと》誠《まこと》さんです。玄関の前に虚無僧《こむそう》が立っているのを見た瞬間《しゅんかん》、わたしの思考は確実に停止していました。
その次に来たのは、オーラ=レーンズさん。玄関の前にくのいちが立っているのを見た瞬間、またもやわたしの思考は確実に停止していました。
それからしばらくしてやって来たのは、大林|典弘《のりひろ》さん。今度は、わたしの魔法《まほう》少女姿を見た大林さんの思考が停止していたようです。
「話は聞き及んでおります。初めまして水野《みずの》桜《さくら》です。どうぞよろしくお願いします」
「おっ……大林……典弘だ」
このような初対面の挨拶《あいさつ》をしたあと、皆さんのいる居間《いま》へと大林さんを案内しました。
というわけで、今わたしの目の前で、大林さんが呆然《ぼうぜん》と立ちつくしているというわけなのです。
大林さんの見た光景、それは確かに立ちつくしてしまうような光景かもしれません。
魔法少女が二人、黒猫がひとり、セーラー服の女子高生がひとり、森林|迷彩《めいさい》の軍人さんがひとり、虚無僧ひとり、くのいちひとり、猫耳の付いたバスタオルの少女ひとり、ひよこ二人。バスタオルの少女は言うまでもなく嵐《らん》ちゃんさん。猫の耳の付いたカチューシャを付けているのは、わたしの使い魔という事らしいです。山城《やましろ》さんが嵐ちゃんさんに渡してました。で、ひよこというのは、ひよこのナイトキャップを被《かぶ》ったなっちゃんさんとほーちゃんさんです。こちらは、自前らしいです。
……先程も言いましたが……いったいここはどこなのでしょう。
「やあ、典弘君。やっと仕事が終わったのかね、ご苦労様」
呆然と立ちつくす、大林さんに平賀《ひらが》さんが声をかけました。
「な……何だこれは?」
「親善パーティーだが」
「…………どのあたりがだ?」
「みんなが集まればそれだけでパーティーが始まる……とか小粋《こいき》な返事を返してみようか」
大林さんは、視線《しせん》を平賀さんから部屋の中に戻します。
「わー嵐《らん》ちゃん! そんな格好《かっこう》でくっついてこない!」
「えーいいじゃない、女同士なんだしやましいことなんて何もないわー」
「おお、美少女二人の絡みは素晴《すば》らしいぞ嵐! それでこそ俺《おれ》の教え子だ!」
「美しい……」
「美香《みか》ちゃん〜」
「何でしょう、美穂《みほ》さん」
「オーラ先輩《せんぱい》みたいな〜忍者|衣装《いしょう》が欲しい〜」
「オー、これデスカ」
「あっ! なっちゃんも欲しい〜」
「では、腕によりをかけて作らさせて頂きますわ……ああ、くのいち姿の美莱《みな》さん美穂さんもかわいらしいでしょうね……」
「ああ〜嵐ちゃんだめ〜〜〜」
「嵐よ! もう少しはじめの足を……」
「お姉さまぁ〜ん」
…………とてもにぎやかです。どうやら、アルコールが入っている人もいるようです。どこか危ない方向に向かいつつも、この部屋は楽しい空気で満ちています。ここが自分の家とは信じられません。
「はっはっはっどうだね? パーティーだろう」
「…………サバトというほうがふさわしい気がするが」
「気のせいだ。いや、魔法《まほう》少女が二人もいるし、使い魔も二匹いる。あながち間違いとも言えないか。まあいい。そんな所で立ちつくしてないで、君も座りたまえ。嵐君の料理はなかなかに美味《びみ》だぞ?」
「……ああ……さっさと食って、さっさと帰ることにする。長い時間ここにいたら脳が焼ききれてしまいそうだからな」
「そんな、つれない事言わずに一緒《いっしょ》に楽しもうではないか」
「断る。オレは飯さえ食えればそれで良い」
「いや、いや、今時|珍《めずら》しいくらいの硬派だね。だが、人生はもっと楽しまないといけない。というわけだ。美香、典弘《のりひろ》君をたっぷりもてなしてあげたまえ」
平賀《ひらが》さんが、妹二人の相手をしていた小谷《こたに》さんに声をかけました。
「うふふ、わかりましたわ」
女のわたしでもどきりとするような、妖艶《ようえん》な笑みを浮かべて立ち上がる小谷さん。どうやら少し酔っているようです。
「いっいや……遠慮《えんりょ》しておく」
「そう、固くならずに……別にとって食べたりはしませんわ…………はい、どうぞ」
大林《おおばやし》さんの隣《となり》に移動したあと、大林さんのコップにビールを注《そそ》ぐ小谷さん。
「あっああ」
「うふふ」
「いやいや、いいね。セーラー服で酒をつぐ…………良い子が行ってはいけないお店のようだな」
……………………ここが自分の家だとは信じられません。
ですが……とても、とても心地《ここち》の良い喧騒《けんそう》。その喧騒は皆さんが帰るまで続きました。
朝七時、わたしは目を覚ましました。習慣《しゅうかん》になっているので、いつもこの時間に目が覚めます。目覚ましを使わないのでほかの人を起こさなくて良いですね。わたしはそう思いながら隣を見ます。ですが、ひとり足《た》りません。嵐《らん》ちゃんさんの布団に目をやると、そこはすでにもぬけの殻《から》です。今、眠っているのはなっちゃんさんとほーちゃんさんの二人だけで、嵐ちゃんさんがいないのです。
嵐ちゃんさんは朝早いのでしょうか……そう思って部屋を出ると、良いにおいが漂《ただよ》ってきました。そのにおいの元だと思われる台所に近づくと、今度はとんとんという小気味《こきみ》好《よ》い音が聞こえてきました。台所に自分以外の人がいるというのは何年ぶりの事でしょうか。
台所の中をのぞき込むと、そこにいるのは予想通り嵐ちゃんさん。制服に、エプロンという姿で朝食を作っています。窓から入る朝日が、嵐ちゃんさんの輪郭《りんかく》を淡くぼやかしています。
わたしは…………その姿に見とれました。温かい……とても温かい光景。そしてどこか懐《なつ》かしい。
「あっさっちゃんおはよ〜」
わたしが、そのような感慨《かんがい》を胸に立ちつくしていると、嵐ちゃんさんが声をかけてきました。後ろを確認していないのに、なぜわたしだとわかったのでしょうか。
「……おはようございます」
「朝ご飯もうすぐできるよ〜」
話しかけてきながらも、嵐ちゃんさんはせわしなく動いています。二つに束《たば》ねられた髪が揺《ゆ》れ、制服のスカートがひるがえっています。
懐かしいと感じたのはなぜでしょうか……嵐ちゃんさんがここに立ったのは昨晩《さくばん》が初めてです。わたしが懐かしいなどという感情を抱く理由はどこにもありません。…………でも、とても懐かしい。
「やっぱ、日本人は和食よね〜」
嵐ちゃんさんのその声で我に返ったわたしは、嵐ちゃんさんの隣に立ちます。
「すいません。わたしも手伝います」
「ん? そ〜お? ありがと。じゃ〜お鍋《なべ》見ててね」
「はい」
わたしは鍋《なべ》の前に立ち、火にかけられたお鍋をのぞき込みます。
「おみそ汁は、煮立《にた》たせちゃいけないのよ、香《かお》りが飛んじゃうからね〜」
しばらく、お鍋を見ていたわたしですが、嵐ちゃんさんの事が気になり、つい嵐ちゃんさんの顔を見上げてしまいます。
真剣な顔で、フライパンに溶《と》き卵を流し込んでいる嵐ちゃんさん。周囲に、卵の焼ける良いにおいが広がります。嵐ちゃんさんは卵焼きを作ろうとしているようで、形を整えながら何度かに分けて流し込んでいます。
わたしは、おばあちゃんの作る卵焼きが大好きだったのです。砂糖《さとう》が入った甘い卵焼き。おばあちゃんのしわが刻まれた手で、とろとろの卵がきれいな形に整えられていくのは、子供心に魔法《まほう》のように見えたものでした。
卵焼きを作る嵐ちゃんさんが、幼い頃《ころ》の記憶《きおく》と重《かさ》なります。
「ん? どーしたの?」
「あ、いえ、何でもありません」
わたしの視線《しせん》に気がついた嵐ちゃんさんがそう問いかけてきました。わたしはあわてて鍋に目を落とします。
「変なさっちゃん」
あはははと笑う嵐ちゃんさん。
「……それにしても、さっちゃんと台所に立てるなんて思ってなかったわ〜」
「はい、出会った頃にはこんな事になるとは思いもしませんでした」
会って、まだいくらも時間は経《た》っていません。このように親密《しんみつ》になるとは……そして、嵐ちゃんさんと一緒《いっしょ》にいて安らげるようになるとは……全く思いもしなかったです。
「う〜ん……ちょっと違うんだけど…………そーね」
変な返事を返してくる嵐ちゃんさんです。いったいどう違うのでしようか。
「あっ、さっちゃんお鍋お鍋」
「あっはい」
わずかに煮立ったところで火を止めます。嵐ちゃんさんとの会話に気をとられていました。
「うふふふーさすがアタシね、良い感じにできてるじゃなーい」
おみそ汁を味見《あじみ》しつつ、ご満悦《まんえつ》の嵐ちゃんさんです。
「じゃ〜、さっちゃん。二人起こしてきてー。それから朝ご飯にしよ」
棚《たな》から食器を取りだしている嵐ちゃんさん。今朝《けさ》、初めて嵐ちゃんさんが料理しているのを見たのですが、とても手際《てぎわ》が良い。動きに全く無駄《むだ》がありません。……まるでここで料理をした事があるようです。
「はい、わかりました」
わたしは、2人を起こしに向かいました。
そのあと、4人のにぎやかな朝食。とても懐《なつ》かしくおいしくやさしい朝食でした。
[#改ページ]
夢
ここはどこだ?
見慣《みな》れた風景、……………ここは学校の廊下か。
今日の夢は学校での出来事か。
そこで俺《おれ》は信じられない光景を見た。
はじめがキスをしている。
………………相手は誰《だれ》だ?
俺が目を凝《こ》らせば凝らす程はじめとキスの相手がゆがんでいく。驚《おどろ》きで目が覚めたのか。
俺は、ぼやけていく夢の世界をできるだけ記憶《きおく》しようとする。はじめの服装《ふくそう》は……黒っぽいな。相手の身長ははじめと同じくらいか。髪は黒。着ている物は……うちの制服か?
あまり鮮明《せんめい》に見えないので確かかどうかはわからない。
そこまで見たところで、視界が白く染《そ》まっていく。目覚めが近い。
俺ははじめの為《ため》にもう少し詳しく見ようとしたが、無理だった。
まばゆい光と共に夢から覚めた。
……肝心《かんじん》なところが見えなかった。
相手はいったい誰《だれ》なのだろうか。
…………これは一応伝えたほうが良いな。
[#改ページ]
だめ人間の群れとぼく(前編)
今日はあいにくの空《そら》模様《もよう》、しとしとと雨が降っててやな感じ。梅雨《つゆ》だからしょうがないんだけど……ぼくは晴れが好きだな。晴れてるほうが気持ちいい。それに……夏服だから濡《ぬ》れると透《す》けるし。それがどれほどの人目を引くかは、男だったぼくが一番知ってる。男にじろじろ見られると気持ち悪いのは一生変わらないんじゃないかと思う。
今ぼくは、先輩《せんぱい》と一緒《いっしょ》に登校中。一時期はいっつも嵐《らん》ちゃんがいて先輩に突っかかってた。だけど、最近はあの双子《ふたご》と一緒に学校に行く約束しているらしいので、嵐ちゃんはいないことのほうが多い。…………朝が静かなのはいいことだ。疲れないし。それでも、たまに襲撃《しゅうげき》してくるんだけどね。
まーそんな感じでじめじめした朝、学校へと続く坂道の途中《とちゅう》で真太郎《しんたろう》に会った。
「真太郎おはよ」
「やぁ、おはよう」
ぼくと先輩の挨拶《あいさつ》、でも、おはようよりも早く真太郎が返してきた言葉が、
「…………夢を見た」
じめじめした中にも微《かす》かにあった、朝のさわやかな空気が吹《ふ》っ飛んだ。
「何か最近、真太郎《しんたろう》のその言葉が嫌いになってきたよ」
「…………聞かないか?」
「聞く、聞かないほうがもっといやだ」
何か起こりそうなのを知ってて、何が起こるか知らないのはいやだ。知ってれば回避《かいひ》できるかもしれないし。…………先輩《せんぱい》が関《かか》わってた場合は、回避不可能で、死刑宣告みたいなものだけど。
「で、どんな夢? そう切り出してくるってことは、ぼくに関係あるんでしょ」
「ああ…………」
うう〜、こんな風に微妙に間を開けるのは、良くない予兆《よちょう》。いったいぼくの身に何が起こるんだ?
真太郎は、しっかり間をとったあとに言った。
「…………おまえが誰《だれ》かとキスしている夢だ」
「…………………………誰と?」
何よりも先にその言葉が口から飛び出した。
「相手は誰? いろいろ聞きたいことがあるけど、それが一番重要。誰? 相手はだれ?」
「ほほう、それは面白《おもしろ》そう……もとい、大変だ。婚約者である私としては相手を知らねばなるまい」
先輩が、うれしそうに聞いた。かけらも、大変だと思ってるようには見えない。
「……で、誰?」
ぼくは先輩をスルーすると、真太郎をせかす。
「……わからん」
「…………はぁ?」
…………わからん。その言葉の意味を思わず考え込んでしまった。そして理解したあと、パニックが加速した。
「そんな無責任な! 何でわかんないの! ならなんで、ぼくが誰かとキスしたってわかるの!」
「夢の中で、はじめのキスの相手だけがぼやけていた。だからわからん。ただ特徴《とくちょう》だけはわかる」
「どんな? どんな? どんな?」
どんなって聞いてるけど、相手が先輩じゃないととてもいやなんだけど。
「ああ、たぶんうちの学校の制服だったな」
「……ふぅ」
先輩《せんぱい》はうちの学校の制服着てる。
「それで、ほかには?」
「髪は黒」
よしっ、これまたセーフ。先輩の髪は黒い。
「で、ほかには?」
「身長がはじめと同じか少し高いくらい……」
「うぎゃー」
アッアウトー。脳内の審判《しんぱん》さんが、かなりのオーバーアクションでアウトを告《つ》げた。
なっ何てこった―――!!
「はっはっはっ、それは私ではないな」
その衝撃《しょうげき》の答えを聞いたにもかかわらず、むかつくほど落ち着いてる先輩。
「わっ笑いごとじゃないですよ〜〜〜!! 何で? どうして? 何て夢を見るんだしんたろ〜」
「そう言われてもな」
困った顔の真太郎《しんたろう》。
「そうだ、真太郎君は見る夢を選《えら》べないのだからね」
それはそうだけど…………そう簡単《かんたん》に割りきれるものでもないんじゃないかと。
「先輩はいいんですか! ぼくがどこの誰《だれ》とも知らない人とキスしても。この身体《からだ》は元自分の身体でしょう?」
「うむ、これは由々《ゆゆ》しき事態だ」
おお、先輩が真面目《まじめ》な顔してる、ようやくこの深刻な事態を受け止めてくれたか…………
「夕方、デートの帰り、はじめ君を家に送る私、家に着いたにもかかわらず名残《なごり》惜しくて会話を続ける二人、日が沈み赤く染《そ》まり始めた世界で長く伸びる影《かげ》、そしてその影がだんだんと近づいていき…………というのを撮影《さつえい》し、思いきり映像として残すという、私の人生計画が粉々《こなごな》になってしまうではないかっ!!」
「怒る場所がちがーう! 何でそんなおかしな理由で怒ってんですかっ。まだ見ぬぼくの相手に向かって怒ってくださいよっ!」
「うむ、全くけしからんな。人の物をとってはいけないと親《おや》に習わなかったのかね、ぷんぷん」
…………心がこもってない。ぷんぷんって何やねん。
ぼくがあきれかえっていると、先輩がいつものゆるんだ顔でぼくを見た。
「まあ、様子《ようす》を見ることにしよう。相手がわからないことにはどうにもならないだろう」
「それはそうなんですが…………何で先輩はそんなにウキウキしてるんですか?」
「……気のせいだろう?」
うあー、先輩《せんぱい》なんか思いついたみたい。真太郎《しんたろう》の夢だけでも頭痛いのに、先輩まで何かたくらみ始めたよ……。
恐ろしい……とても恐ろしい。
今日の天気のように、ぼくの心の中がどんよりと曇《くも》っていった。
どうか……どうか今日一日無事に過ごせますように…………。ぼくは思いつく限りの神様に祈っておいた。
「ななななな何であんなに知れわたってるんですかっ!!」
昼休憩《ひるきゅうけい》、OMR部室に駆《か》け込んだぼくは開口一番そう言った。先輩はソファのいつもの位置でくつろいでる。
「朝に交《か》わされた私達の会話を聞いていた者がいたのだろう。壁《かべ》に耳あり障子《しょうじ》に目ありと言うではないか」
相変わらず、落ち着きまくってる先輩。その落ち着きが憎い、本気で憎い。
「それにしても広がりすぎですよ!」
そう、広がりすぎ。何か、たくさんの視線《しせん》感じるなぁとか思ってたんだけど、まさかこれが理由とは。その視線の集まり具合と、クラスの娘達の証言からすると、どうやら全学年に広がってるらしい。信じらんない。
「どうするんですか! というよりお願いですからどうにかしてください。助けてください」
何でこんなことになってるんだ…………
「いやはや、噂《うわさ》の流布《るふ》とは興味深《きょうみぶか》いものだね、伝われば伝わる程変化し別物になっていく」
「そんなこと言ってる場合じゃないんですよ! 何かみんなのぼくを見る目がぎらぎらしてるんですよ!」
そう、視線が集まるのはわからないでもないんだけど、何か……ちょっといやな感じの視線が集まってる気がするんだ。だから、ここまで逃げてきたんだけど……
「まぁ、それは噂のせいだろうね。ちなみに今回の噂の変化はこのような感じだった。
1時間目の休憩時間『はじめ君が今日キスするらしい』
2時間目の休憩時間『はじめ君が今日キスするらしいが相手はわかっていないらしい』
3時間目の休憩時間『はじめ君を倒した者には、褒美《ほうび》としてはじめくんの接吻《せっぷん》が貰《もら》えるらしい………』」
「ちょっと待った〜〜〜〜〜っ!!」
「いったい何だね」
「何なんですかそのありえない噂の変化の仕方は! 特に、2時間目から3時間目の間っ!!」
「いや、ただ単に噂《うわさ》に尾ひれがついただけだろう?」
「尾ひれとかそんなレベルじゃないですよ」
何かもーガ○ダムとガ○ガルとかそんなレベルで違う。全く別物に変化してる。
「ほんと……いったい何でこんなことに…………」
へなへなとソファに倒れ込むぼく。その時がらがらと音を立てて扉《とびら》が開いた。
「つばさ先輩《せんぱい》、尾ひれ胸びれ大作戦は成功しました。もう、大成功ですよ! 予定通りの噂に変化しました。さらに、あの噂を知らない我が校の生徒はいないと言っていいで…………」
そこまで言ってぼくに気づいたタッキー。ソファに倒れ込んだぼくは、タッキーからは見えなかったんだ。
「…………………………………」←(ぼく)
「…………………………………」←(先輩)
「…………………………………」←(馬鹿《ばか》)
部室の中にものすごい沈黙《ちんもく》が降りる。壁《かべ》に掛かっている時計の音がチッチッチッと聞こえる気がする。そんな目眩《めまい》がしそうな静けさの中、無言で先輩を見つめるぼく。そんなぼくを見つめ返した先輩が、真面目《まじめ》な顔で言った。
「…………噂の流布《るふ》とは実に興味深《きょうみぶか》いものだね」
「先輩〜〜〜〜〜〜〜!!」
まっまた先輩のせいか〜〜〜!
「元凶《げんきょう》が何言ってるんですかっ! 白々しいにもほどがありますよっ!」
そんなぼくの文句も先輩にはどこ吹《ふ》く風。いつも通り、にやにやしてる。
「まあ、すでに起こった事を嘆いても仕方ない。これからどのように対応していくかを考えるべきだ」
ものすごく正論で、激《はげ》しく同意できる先輩のお言葉。
ただ…………それを先輩が言うことがとても釈然《しゃくぜん》としない。この胸のもやもやはどこにぶつければいいんでしょう……
「では、現状を認識《にんしき》しよう。今現在、学校中に広がった噂が人々の欲望を増大させ、大きな歪《ゆが》みを作り出している。これは祓《はら》わないといけない」
歪みの元凶がこんなこと言った。
「歪みに囚《とら》われた学校……これを祓えるのは彼女しかいない!!」
握り拳《こぶし》で力説する先輩……彼女とは……
「さあ、彼女を呼ぼう。美香《みか》、美香はいるかね」
彼女とは美香さんのこと? ……とか思おうとしても、ぼくの直感がそれを否定している。
「はいはい、いますわ〜」
いつも通り隣《となり》の準備室から現れる美香さん。何か準備してたらしい。
「頼むよ」
「はい。わかりましたわ……」
「……彼女ってぼくですかっ!!」
「完全に着替え終わってから突っ込み入れるとは、…………突っ込みの鑑《かがみ》だね」
……うれしくない。
「何でぼくが魔法《まほう》少女の格好《かっこう》させられてるんですかっ!!」
この間着せられた魔法少女の服装《ふくそう》に身を包んだぼくがいる。「はふぅ……相変わらず何てかわいらしい……」とか言う美香《みか》さんの声が聞こえる
「決まっているではないか! 清廉《せいれん》なる魔法のパワーで歪《ゆが》みを祓《はら》うのだ……それができるのは魔法少女たる君だけなのだ!!」
………………先輩《せんぱい》を祓ったら歪みが消えたりしないだろうか。
そんなことを本気で検討していると、オーラが部屋に入ってきた。
「オゥ、いったいコレハ何デスカ?」
オーラが開けた扉《とびら》から、この部屋の前に集結している野郎どもの姿が見えた。
…………かっ囲まれてる!?
「オーラ! 早く、早くドア閉めて! 鍵《かぎ》かけてっ!!」
「オ〜わっカりマシタ〜。そレにシテモ〜アせってマスね〜。どシたのデスか?」
「どーも、こーもないよ…………」
ぼくが、オーラに説明しようとしていたら、がたがたと、ドアを開けようとする音が聞こえてきた。
「ギーズー」とかいう唸《うな》り声も聞こえる。
こっ怖い、マジ怖い。
どうやら、オーラが戸を開けた時にぼくの姿が見えたのがいけなかったらしい。
「ほほう、これは絶体絶命だね」
どこまでも他人事《ひとごと》の先輩。
「誰《だれ》のせいですか!」
「運命の女神さまとかいうのはどうだろう」
「そんな妙なものに責任|転嫁《てんか》しないでください!」
って、そんなあほな口論してる場合じゃない。
こうしてる間にも戸のがたがたが激《はげ》しくなってる。
「ギーズー」とかいうゾンビ達の声も。
ホラー映画のヒロインの気持ちがとてもよくわかる。これは怖い。
「オッオーラ!」
ぼくはオーラに向けて叫ぶ。
「ナンでショウ」
状況が読めているのか読めていないのか、いつも通り、ニッコニッコしてるオーラ。
「ぼくを抱えて、この部屋の窓から、跳《と》んで! オーラなら大丈夫でしょ!」
「イいデスけド……目立ちマスヨ?」
「緊急《きんきゅう》避難《ひなん》、不可抗力、何でもいいから、とりあえず脱出しないとぼくの身が危ない! この下は、あんまり人いないから大丈夫のはず。もし見つかったら、何か宇宙人パワーでどうにかして」
扉《とびら》の向こうでは、相変わらず「ギーズー」……時間がない、マジでない。
「ワかりマシタ」
「ありがとう!」
ぼくは、オーラの首に手を回して抱きつく。
「イきマスヨ〜」
「OK」
「ちょっと待ちたまえ」
いざ跳び降りようとしたその時、先輩《せんぱい》が呼び止めた。
「何ですか?」
「忘れ物だ」
マジカルバールのような物を手渡してくる先輩。
これをどうしろと……これで、ゾンビの皆さんと戦えと? 先輩…………ぼくを犯罪者にするつもりですか?
「では、健闘《けんとう》を祈る」
「………………頑張《がんば》りますとも! 意地でも逃げますよっ!!」
「デハ、行きマスヨー」
オーラが、ぼくを抱えて窓からダイブした。
その瞬間《しゅんかん》、急に上が騒《さわ》がしくなった。たぶん扉が破られたんだろう。
そんなことを冷静に考えながらも、身体《からだ》はどんどん落ちていく。うわああああああ、すごい。絶叫マシンみたいだ。でもそれは一瞬。オーラは二人分の体重を気にもせず、難《なん》なく着地した。
おおー、すごい。さすがロボ。
「オーラ、ありがとね、ほんとありがと」
オーラの手を掴《つか》むとぶんぶんと上下に振る。
「ドウいたシマシテ〜」
上から。「どこに行った?」、「逃げられたか?」そんな声が聞こえてくる。
早く逃げないと……ぼくは、お礼もほどほどに駆《か》けだした。
「避難《ひなん》用|縄《なわ》ばしごで、はじめ君は脱出した。1階に行って先回りすると良い」と聞き慣《な》れた声で聞こえたのはたぶん気のせいだ。…………ですよね? 先輩《せんぱい》。
「うわ――――」
暴徒と化した生徒達がぼくを追いかけてくる。
まったく何て学校だ。何でこんな変な人ばっかりなんだ。
もうどのくらい走っただろうか。行く先行く先で、ゾンビのみなさんが待ちかまえている。いったいぼくは、何人ぐらいに追いかけられているんだろう。そもそも何で、お勉強するはずの学校の中で、魔法《まほう》少女の格好《かっこう》で追いかけられないといけないんだ?
ぼくは、
「とうっ」
横からやってきたゾンビAをかわし、
「そりゃ」
正面から襲ってくるゾンビBを馬跳《うまと》びの要領で飛び越え、
「はっ!」
後ろから飛びかかってくるゾンビCに蹴《け》りを入る。ぼくのマタドールも真《ま》っ青《さお》なゾンビのかわしっぷりを見て、
「おおー」
という驚《おどろ》きの声が聞こえる。……昔、色々がんばってて良かった。おじいちゃんありがとう。
それはともかく、持てる技術、運動神経|全《すべ》てを使ってぼくは逃げ続ける。ぼくには目的地がある。あそこまで行けば……そう考えながら、ゾンビDをかわした。
ゾンビEFGとかわしていくぼく。でも、多勢《たぜい》に無勢《ぶぜい》。ぼくはどんどん追いつめられていく。
うげっ、前からも来た。ぼくは、急ブレーキをかけて止まる。完全に挟《はさ》まれた。やばいよやばいよ、どうする?
そのピンチに、緊張《きんちょう》感のかけらもない声がスピーカーから流れてきた。
『ああ、はじめ君ピンチのようだね』
「先輩《せんぱい》っ何で知ってるんですかっ! どこかから見てるんですかっ!? 見てるなら助けてくださいよっ!! 大ピンチですよっ!!」
叫びながら、ぼくはきょろきょろと周囲を見回す。
…………先輩、今放送室にいるんだから、見える所にいるわけないか。なら、どうやってぼくを見てるんだろう……カメラに映った映像でぼくの様子《ようす》を見てるのかな? でもどこにもカメラがない。見てるなら絶対ビデオカメラがあると思うんだけど……その時、何となく違和感を感じた。空気が動いたような……
ぼくは違和感を感じた何もない方向に声をかけてみる。
「…………オーラ?」
「ハイ…………イイエ、違いマス。ワタシは空気デス」
空気はしゃべらない。
オーラが目の前にいるみたいだけど完全に見えない。後ろの光景を自分に投影《とうえい》して透明になったように見せる……とかいう、SF系のアニメでよく見る技術かな? …………それにしても、オーラって何でもありだ。
先輩が、どうやってぼくの状況を確認しているかはわかった。わかってもどうしようもないけど。
『ふっ私が君を見捨てるわけがないではないか、助けよう』
「本当ですか!?」
おおー言ってみるもんだなぁ。これで、どうにか助かるかな……そう思った時に響《ひび》く先輩の声。
「では…………その場で、前教えた振り付けで踊り、決め台詞《ぜりふ》2を言うのだ!』
「…………本気ですか?」
先輩は、何でこう……希望を抱かせたあとに突き落とすんだろう。ほんと意地悪なんだから。
『本気だ。そうすれば助けが現れる』
…………これだけの衆人|環視《かんし》の中で、またあれをやるのか? いやすぎる。でも……それに頼らないといけないほどぼくは絶体絶命だ。助けるって言ったんだから、やりさえすれば先輩《せんぱい》は助けてくれるだろうし。
ぼくは決心した。恥《は》ずかしいほうがまだマシだ!
ぼくはマジカルバールのような物を振りながら踊りだす。スピーカーからアニメで魔法《まほう》少女が魔法を唱える時に流れるような、幻想的な音が響《ひび》いてくる。
その音を聞きながらぼくは決め台詞《ぜりふ》2を言う。
「あなたのハートに不法侵入※[#ハート(白)、1-6-29]」
踊りきって、ポーズを決めたその時……ぼわんという間抜けな音を立てて煙が広がった。
『おおっ素晴《すば》らしい、素晴らしすぎるぞはじめ君!!』と言う先輩の声と共に、辺《あた》りが煙に包まれる。
煙幕《えんまく》? これが助け?
「うわっ、何だ何だ?」
「火事か?」
ゾンビの皆さんのあわてた声が聞こえる。
少しして煙幕が晴れてきた。その煙幕の中に人影《ひとかげ》がある。
あれ? 誰《だれ》だ?
ぼくが疑問を口に出す前に、その人影が叫んだ。
「我らははじめちゃんファンクラブ幹部七人衆、またの名をマスター7」
……目の前に現れたのは、とんがった白い袋を被《かぶ》った7人の男。目の所だけは穴が空いている。身を包んでいるのは、どこかの秘密結社がつけてそうなローブ。だぶだぶで白く怪しいその服装が中身の正体を悟《さと》らせない。若干《じゃっかん》一名バレバレな奴《やつ》がいるけど。
「はじめの力によりおれらは召還《しょうかん》された。おれらは全力ではじめを護《まも》る。だが、その前にひとつ言っておく。はじめの唇《くちびる》を奪えるのはこの世でただひとり……そう、あの御方《おかた》のみ!! 貴様ら愚民《ぐみん》が奪おうなどとは…………身の程をわきまえろっ!!」
あの御方……先輩のことだろうなぁ。この演説ぶちまけてる白ずくめの小デブは、周囲の人間が凍りついているのにも気づかずにふはははーと身体《からだ》を揺《ゆ》らす。
「我々が何者か気になるようだな」
いや、気にならないです。あなたの正体はわかってますので。
「しょうがないな、では紹介しよう! 我らはじめちゃんファンクラブが誇る7人の精鋭《せいえい》!! はじめに召還されし7人の戦士っ!!」
7人の馬鹿《ばか》の間違いだと思う。
白ずくめの小デブ(120%の確率でタッキー)がローブをはためかせながら一番右端の男をさす。
「マスター1、またの名を制服マスター。制服の側《そば》にいるためだけ[#「だけ」に傍点]に教職《きょうしよく》を目指す剛《ごう》の者」
「美少女が身に付けた制服はただの布ではない、信仰に耐えうる程の神聖な物だ! 事実、身に付けるだけで付加価値がつき売れるのだっ」
……うわ。
「マスター2、またの名を指マスター。彼が歯科で美人女医に治療《ちりょう》して貰《もら》った時に漏《も》らした感想は語りぐさになっている」
「指が良いっ!!」
……ぐあ。
「マスター3、またの名を足首マスター」
「ルーズソックスはこの世から消えろ、ぶかぶかでふくらはぎから足首へかけての美しいライン見えないんだよちくしよー!」
……むわ。
「マスター4、またの名を黒髪マスター。高校入試で目の前にきれいな黒髪の女子生徒が来てしまった為《ため》に試験《しけん》にならず、高校浪人しかけた漢《おとこ》」
「我が生涯に一片の悔いなしっ!!」
……うあ。
「マスター5、またの名をへそマスター。へそ好きのあまり雷《かみなり》さまとあだ名のついた漢」
「へそ、それは人が人として生まれてきた命の証拠《しょうこ》! だが、昨今のヘソ出しルックはいただけん。情緒《じょうちょ》がない、風情《ふぜい》がない。普段《ふだん》見えないからこそ趣《おもむき》があるのだ! 常に出していてどうする!!」
「マスター6、またの名をホンニャラホンニャラマスター、けして口に出せないような物を愛する者、何を愛しているかだが……美少女の身体《からだ》から分泌《ぶんぴつ》される物と言っておこう」
「汚れなき美少女が汚れを排出するわけがない!! 美少女はその身から分泌する物まで清らかなのだっ!!」
……ぐはぁ。
「そしておれの名はマスター7、またの名をマスター・オブ・マスター、全《すべ》ての嗜好《しこう》を識《し》る者なりっ!!」
怪しい7人が歩を進め、ぼくの前に立ち壁《かべ》になる。
「我ら7人! はじめを常に[#「常に」に傍点]見守り守護《しゅご》する者。貴様らの毒牙《どくが》にかけさせはしなぶほあっ。………………なぜ殴る?」
「ごっごめん、怖かったから」
無意識《むいしき》にタッキーの後頭部を殴ってたぼく。ぼくの奥底《おくそこ》に眠る原始の防衛《ぼうえい》本能が反応したらしい。
ともかく、ぼくは理解した。ぼく未公認のファンクラブにいるのに、この人達がぼくを追っかけてこなかった理由。……キスに興味《きょうみ》がない……というか、キス以外の物にすごい興味を持っている……というか。…………まあ、一言で言うと○○だ。どっか突き抜けていってしまった人達だ。
さっきの言葉を少し訂正、7人の馬鹿《ばか》じゃなくて7人の○○だ。正直、こんなのをぼくが召還《しょうかん》したっていう、設定がいやだ。激《はげ》しくいやだ。
でも……とてつもない○○だけど…………ぼくのピンチに現れた救世主には違いない。
「そういうわけだ! ここから先は通さん! ……む、何だはじめ、その顔は。不安なのか? …………それも仕方ないか」
いや、少なくともぼくが変な顔をしてるのは不安なんかじゃない。
「だが、大丈夫だ! おれ達と奴《やつ》らは覚悟が違う! 出撃《しゅつげき》前に愛する者の写真を見、死亡フラグを立て、不退転の覚悟で臨《のぞ》んでいる我らが奴らに負ける理由があろうかっ!! …………ちなみに、これが死亡フラグを立てる時に使った写真だ」
タッキーが写真を差しだす。隠《かく》し撮《ど》りされた先輩《せんぱい》……というか今のぼくの写真。
「ひっ人の写真でそんな変なもの立てるなっ〜〜〜〜〜っ!!」
「さらには、その死亡フラグをより強固なものにするために、「帰ったらこいつと結婚するんだ……」とか「今度子供が生まれるんだ……」とか輝《かがや》かしい未来を語り合った!!」
「ひぃいいいいぃぃいいぃぃぃいいぃぃ」
鳥肌が、鳥肌がっ。
「このように、覚悟を完了したおれたちと、自分の嗜好《しこう》も貫かず、欲望に流されるままの貴様らでは、絶対的に覚悟の量が違うのだっ。それを今から見せてやろうっ! ……戦闘《せんとう》用意っ!!」
その声と共に、7人の馬鹿は一糸《いっし》乱れぬ動きで、ローブの中から何か取りだした。
それを見たゾンビの皆さんがあとずさる。
7人はその取りだした凶器を構える。
「いくぞっ! 攻撃――――開始っ!!」
「「「「「「おおっ」」」」」」
手に持った凶器を振りかざし襲《おそ》いかかる6人。
「奥義《おうぎ》、鳳翼乱舞《おうよくらんぶ》っ!!」(ただ、トイレ雑巾《ぞうきん》を大量に投げただけ)
「裏奥義、流星|槍《やり》っ!!」(ただ、トイレのモップで突いただけ)
「必殺、竜王《りゅうおう》逆鱗掌《げきりんしょう》っ!!」(ただ、トイレのビニール手袋でさわろうとしただけ)
「秘奥義、双龍牙《そうりゅうが》っ!!」(ただ、トイレのたわしを両手に持って振り回しただけ)
「秘技、水神《すいじん》激流破《げきりゅうは》っ!!」(ただ、トイレバケツの中の水をぴちゃぴちゃ散らしただけ)
「絶技、鬼神《きじん》旋風斬《せんぷうざん》っ!!」(ただ、トイレによくあるスッポンスッポンする奴――正式名称はラバーカップというらしい――で殴りかかっただけ)
なぜか攻撃《こうげき》時に必殺技の名前らしきものを叫ぶ6人。むやみやたらと仰々《ぎょうぎょう》しい名前のついた技は、とても下品で馬鹿《ばか》な奴《やつ》ばかり。そして、その奥義《おうぎ》に使われる凶器はトイレ用品。しかも使用済みで汚いのが一目でわかる。正直発想が小学生並みだと思う。だけど……効果は絶大。
「ぎゃああああああ」
「いやぁぁぁぁ」
「うわっっーこっちくんな」
「うぎゃ〜〜〜〜、当たった、当たった」
「うひいぃぃぃぃ」
「だめっだめっマジ許して」
「ぎょばあああああああ」
「俺《おれ》が悪かった――――――」
阿鼻叫喚《あびきょうかん》の地獄《じごく》絵図がぼくの目の前に広がってる。
7対大勢の戦いだけど、とても良い勝負、それどころか押してすらいる。その理由は……7人の連携が取れて組織《そしき》的に動いているから。武器の強力さもあるけど、それ以上に7人の動きが見事だ。7人が一体の生物のようにひとつになり動いている。遠距離《えんきょり》攻撃、近距離攻撃の分担ができていて、互いが互いの弱点をカバーしている。やっぱり…………戦闘《せんとう》員の訓練を受けた人達なんだろうなぁ。誰《だれ》かはわからないけど、何となく聞いたことのある声ばかりだし。ぼく非公認のファンクラブのメンバーとダークウイング戦闘員の皆さんってかなり被《かぶ》ってたし。
…………いつも思うけど、この学校って何でこんなにも能力を無駄《むだ》にしている人が多いんだろうか。この素晴《すば》らしい連携でスポーツなんかに打ち込んだら、すごそうなのに。
「行けっ! おれたちのことは気にせず行くんだっ!!」
ゾンビの皆さんを食い止めつつ叫ぶタッキー。
「んじゃ」
ぼくはそう返すと走りだした。
「おいっ!! はじめ、そうじゃないだろう!! そこは『でもっでもっ……』と逃げるのを逡巡《しゅんじゅん》するところだろうがっ!! そこでおれが『いいから行けっ、おれのことは気にするなっ!!』と返す。……こうだろう!?」
…………どうだろう。……色々言いたいことはあるけど、ぼくの台詞《せりふ》の場所を裏声で表現するのはやめて欲しい。とても気持ち悪い。何か大切な物を汚された気になる。
「それで、次にはじめが『死んだら……死んだら許さないんだからねっ。絶対許さないんだからねっ!!』と目に涙をためて走りだす。んでおれが『ふっ、おれは死なんよ……じゃあ待たせたな』こう言ったあとに敵と向き合う。これが燃える展開だろうが!! ……って後ろを振り向きすらしてねー、はじめっもう少し後ろ向きになろう。過去にとらわれてこそ人間だろうがあああぁぁぁ………」
後ろ向きになろうなんて言われたのは生まれて初めてだ。それはともかく、ぼくは一度も後ろを振り向かず走りだす。あの7人の○○が現れたおかげで薄《うす》くなった包囲網を突破する。足で地面を蹴《け》るたびにタッキーの叫び声が小さくなっていった。振り向かなかった理由は、別れが辛《つら》くなるから……とか、また会えるからさよならは言わない……とかいうことでは絶対ないことを付け加えておく。
「ふぅ、ここまで来れば一安心」
ぼくは、今のぼくに残されているわずかな安息の地のひとつ、1階にある女子更衣室に飛び込んで一息ついた。一応あの7人の馬鹿《ばか》に感謝《かんしゃ》しておこう。
この昼休憩《ひるきゅうけい》さえ乗り越えれば何とかなる。今何時だろう? ぼくが携帯電話を取り出して時間を確認しようとしたその時……
ゾゾゾッ
背筋に悪寒《おかん》が走った。ぼくは本能のままに前に飛ぶ。そして前転して立ち上がると、悪寒を感じた方向を確認する。するとそこには…………
「ふふっさすがはお姉さま、やるわね」
嵐《らん》ちゃんがいた。
「何してんの嵐ちゃん!! 今のぼくの状況わかってるの!?」
「わかってる……わかってるわ……わかってるのよ。………………お姉さまを倒せばキスができるんでしょ!!」
完全に歪《ゆが》められた情報が伝わっている模様《もよう》。先輩《せんぱい》……本気で恨《うら》みますよ。
「ちがーう! 本当はね、かくかくしかじかで噂《うわさ》が変な感じに変化したんだ。ほんとはうちの男子生徒の誰《だれ》かとぼくがキスしてる夢を真太郎《しんたろう》が見たんだ。だから倒したら〜とかはまったくのでたらめなんだーーー!」
「わかったわ」
「ああっありがとう、だからぼくをかくまって……」
「どこの誰だかわからない奴《やつ》にお姉さまの唇《くちびる》を奪われるくらいなら、いっそのことアタシがっ!!」
「うわー何で? 何でそうなるの!?」
「愛よ! 愛なのよ!」
そう叫ぶと指をぱちんと鳴らす嵐ちゃん。
ハッ
背後《はいご》に現れた気配《けはい》に気づいたぼくは再び跳《と》ぶ。ぼくが一瞬《いっしゅん》先までいた場所にいる二つの小さな影《かげ》。
「はじめせんぱい〜」
「ごめんなさい〜」
「でも〜」
「これも女の友情の為《ため》なの〜」
小谷《こたに》家の双子《ふたご》がそう言いながらじわりじわりと間を詰めてくる。何となく聞いてみる。
「……その友情の値段は?」
「「あんみつ〜」」
なっ何て安い……
嵐ちゃん、美菜《みな》ちゃん、美穂《みほ》ちゃん3人の作りだす三角形にとらわれているぼく。その三角形は、ぼくを中心にしてじわりじわりとちぢんでいく。このとらわれた三角形の値段が1000円ちょっとなのが泣ける。
……まずいぞ
「さぁ、お姉さま。観念《かんねん》してアタシの熱いくちづけを……」
これ以上近づかれると脱出が不可能になる。どうしよう……
「ん〜〜〜」
嵐ちゃんの唇《くちびる》が意味ありげに閉じられる。でも、瞳《ひとみ》は獲物《えもの》を逃《のが》すまいとらんらんと輝《かがや》いている。……獲物の立場からの意見で恐縮《きょうしゅく》ですが、この場にはまったくムードというものが存在していない気がするのですがそこのところどうでしょう。
嵐ちゃんに奪われるのはカウントされるのだろうかとか考えだすほどあきらめかけてたその時、起死回生《きしかいせい》の名案が浮かんだ。ぼくは、出口側の美菜ちゃんにピースサインをして叫ぶ。
「なっちゃん、二杯!」
ぴくんと反応する美菜ちゃん。
「だめ〜だめだめなのよ〜。そんな、嵐ちゃんを裏切るなんて〜」
口ではそう言ってるけど、動きが明らかににぶってる。目がきょろきょろとぼくと嵐ちゃんを行ったり来たりする。どうやら迷っているみたい。何て扱いやすい……
ぼくはその隙《すき》を見逃《みのが》さず、魔《ま》の三角地帯を抜ける。そしてそのまま、女子更衣室から脱出した。
後ろから、
「お姉さま待って〜〜〜〜!」
「待て〜!」
「二杯〜!」
「簡単《かんたん》に買収されてんじゃないわよ!」
「そうよ〜」
「ふっふっふ〜女の友情とはもろいものなのよ〜」
とかいう声が聞こえてくる。何て楽しい三人組だろう。
…………こんな三人組はほっといて、さっさと逃げよう。ぼくは、すたこらさっさと逃げだした。
ぼくは全力|疾走《しっそう》しながら今後の対策を練《ね》ることにする。走りすぎて流石《さすが》に息が切れてきた。これ先輩《せんぱい》の身体《からだ》だし。よくも、ここまでもったって感じだ。でももう限界。どこかで休まないと……。
……ほかに安全な所はどこかある? 女子トイレ? いや、個室にこもったら本当に逃げ場がなくなる。嵐《らん》ちゃんいるし。…………とりあえず違う階に行こう。雨で逃げ場所が校舎内に限定されてるのがきついなぁ。
そんなことを考えながらぼくが廊下を曲がろうとした。でも、曲がり角の向こうから声が聞こえてきたので急停止する。
「こっちかね?」
「ハイ〜、そのはずデス」
…………何かものすごく聞き慣《な》れたえらそうな口調が聞こえるんだけど。お祭り好きの先輩は、この騒《さわ》ぎに乗ることにしたらしい。
何て人だ……元凶《げんきょう》にしてラスボス。たち悪すぎ。いくら相手が先輩だとしても、人前でキスされるというのは絶対にさけたい。…………はじめてなのに。
そんなぼくの感傷はさておき、今のぼくの状況。前門の先輩、後門の嵐ちゃん。まさに大ピンチ!
…………いつもと変わらない気がするのは、ぼくの考えすぎってことにする。
それはともかく、どうしよう。
「お姉さまどこー?」とか、「はじめ君がいるのはこの近辺か……」とかいう風に、声がどんどん近づいてきてるし。
あああああ、今度こそもうだめだーー!
ぼくがもう、半《なか》ば観念《かんねん》した時……
「こちらです……」
そんな救いの声が聞こえた。そして、目の前の扉《とびら》がすっと開く。ぼくは迷わずその部屋に飛び込んだ。
逃亡者とわたし
部屋に入ってくるとすぐに、倒れ込む山城《やましろ》さん。戸を閉めた直後に、戸の向こうをたくさんの人が移動していったのがわかったのですが……いったい何なのでしょうか。追われているようだったので、深い考えもなく助けたのですが。
わたしは、床《ゆか》に倒れ込み荒い息をつく山城《やましろ》さんに声をかけます。
「大丈夫ですか?」
「…………かなり大丈夫じゃないです」
確かに大丈夫そうには見えないです。……衣装《いしょう》が以前見たあれなので、より大丈夫でないように見えます。追われているのも、平賀《ひらが》さん関係でしょうか。
「これ、よろしければどうぞ」
わたしは昼食用に持ってきていたお茶を渡しました。
「あっありがとうございます」
のどをならしながら一気に飲み干《ほ》す山城さん。相当のどが渇《かわ》いていたようです。
「……はあ……おいしい」
「それは良かったです」
一息ついたあと、山城さんはわたしを見て言いました。
「いや、助かりました桜《さくら》さん」
多少息が整ってきた様子《ようす》の山城さん。
「あの……それで、どうしてこのような事になっているのですか?」
「えっ? 聞いてないんですか?」
「聞いてないです」
はい、聞いてないです。何やら騒《さわ》がしいと思い顔を出したのですが、そうしたら追われている山城さんがいたというわけなのです。状況が全くわかりません。
「そうなんですか。わかりました。説明します。……この馬鹿《ばか》げた騒ぎは、朝に始まりました」
山城さんが、身振り手振りを交えて説明をしてくれました。しかし……これはまた………奇妙な事になってしまったものですね。
「……というわけなんです」
語り終えた山城さんは、何でこんな事に……と泣きそうな顔で唸《うな》っていたのですが。頭を振ってわたしのほうを見ました。
「ただ、この昼休憩《ひるきゅうけい》を乗りきれさえすればどうにか……」
今度は絶対に逃げきるという決意を固めた顔。
「そうですか」
「それで桜さん、ここは……?」
「占《うらな》い研究会です。もうすぐ、旧がつく事になりますが」
「へー…………ここが」
今度は好奇心を刺激《しげき》されたような顔で、周囲を見回す山城さんです。
本当に表情がよく変わる人ですね。まさにわたしの対極にいるような人です。
会話がないこの部屋。居心地《いごこち》の悪そうな山城《やましろ》さんに、ふとわたしは聞いてみました。単なる気まぐれです。
「ここに来たのも何かの縁《えん》。ひとつ占《うらな》って差し上げましようか?」
「本当ですか!?」
「はい。占いですから、当たるとは限らないですが」
「何の占いですか?」
「タロット占いから、四柱推命《しちゅうすいめい》、西洋|占星《せんせい》術、手相から動物占いまで」
「そんなにですか!?」
「広く浅く手をつけているだけですから」
山城さんは少し考えたあと。
「タロット占いにしてください。何か占い〜って感じがするので」
「はいわかりました。それで何について占いましょう」
「ん〜〜やっぱり……………………ぼくと先輩《せんぱい》がどうなるかでしょうか」
頬《ほお》を染《そ》める山城さん。とてもかわいらしい。なるほど…………平賀《ひらが》さんがのろけていた理由がわかりますね。
「わかりました」
わたしは、いつからこの部に伝わっているかわからない、古びたタロットカードを持ってきました。
「あの……聞きたいことがあるんですがいいですか?」
わたしがタロットカードを並べているのを興味深《きょうみぶか》そうに見ていた山城さんが、唐突《とうとつ》に聞いてきました。
「わたしに答えられる事でしたら」
今度はそわそわし始めました。
「…………あの……先輩といつ知り合ったんですか?」
また照れている山城さん。
「1年生の時クラスが一緒《いっしょ》だったのです」
「へ〜〜」
「その頃《ころ》不登校で学校に行っていなかったのですが、ある日、平賀さんがわたしの家を訪ねてきたのです」
「いったいどんな用だったんですか?」
「目の前の席が空いていると色々と不都合《ふつごう》があるので学校に来てくれたまえ。……初めて会った時、平賀さんにかけられた言葉です」
「…………先輩だ。そんなこと言うの先輩しかいない」
あきれたように頭を抱える山城《やましろ》さんです。
「はい。どうやら席替えで、わたしの席が平賀《ひらが》さんの前だったらしいのです。他人《ひと》に迷惑《めいわく》をかけるのは、あまり本意ではなかったので次の日から学校に通う事にしました」
「……それは……また……思いきったというか何というか」
どう反応して良いか困っている様子《ようす》の山城さん。
「それから、なし崩《くず》し的に学校に通い続けているというのが今の現状です」
「……いいことだったんですか? 桜《さくら》さんにとって」
「よくわかりません。そのあと、2年になってクラスが変わって平賀さんとあまり会う事がなくなったのですが。それでもたまに平賀さんがこの部屋にやって来る事で、関係が続いています。平賀さんがこの部屋にやって来て一方的に何か話して去っていくという感じですが」
「へー、友達なんですね〜」
「そうなのですか?」
「先輩《せんぱい》って、気に入った人間としか付き合いませんし」
「……そうですか。…………そうなのかもしれません」
「それで、1年生の頃《ころ》の先輩ってどんな感じでした?」
興味深《きょうみぶか》そうに聞いてくる山城さん。本当に平賀さんの事が好きなのですね。それにまっすぐです。ある時期から、平賀さんの話に山城さんが出る事が増えたのもわかります。
「今と同じです」
「……今と同じだったんですか?」
「まったく?」
「はい、全く同じです」
「かけらも……」
「かけらも変わってないです」
「先輩ってやっぱり筋金《すじがね》入りの変な人だったんですね……聞いてはいましたけど……」
落胆している様子の山城さん。
「これからも、変わらないと思います。変わらないでいて欲しいとも。……山城さんはどうなのですか?」
「んー微妙です。変わって欲しい気もしますけど、変わったら先輩じゃない気がします。……色々困ることも多いけど…………それが先輩ですよね。そんな先輩をぼくは好きになったんだから……」
『あーあー。ごほん、はじめ君を追っている血……というか愛に飢《う》えた野獣《やじゅう》の方々よ。朗報だ。はじめ君は、占《うらな》い研の部室……旧部室にいる模様《もよう》。我こそはと思う者は、大至急向かってくれたまえ』
「……今の訂正します。とても変わって欲しいです」
スピーカーから流れる平賀《ひらが》さんの声。確かにとても困った人ですね。
「お茶おいしかったです。ありがとうございました。それではさようなら」
やって来た時も急でしたが、帰る時も急ですね。おかげで占《うらな》いの結果を告《つ》げる事ができませんでした。
わたしは、開かれたカードを見ながら呟《つぶや》きました。
「ほんとうに……まぶしい人ですね。……羨《うらや》ましいくらいに」
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だめ人間の群れとぼく(後編)
「は〜じ〜め〜ちゃ〜ん」
奇妙に甲高《かんだか》い声で叫びながら、大泥棒《おおどろぼう》の孫《まご》ダイブで飛びかかってくるタッキー。空中で脱衣なんかするなっ! 何でそんな非常識《ひじょうしき》なことができるんだよ。普通できないぞ? そんなこと。
その飛びかかってくるタッキーの顔面に膝《ひざ》を入れて迎撃《げいげき》するぼく。
「ぼくを護《まも》るんじゃなかったのか〜〜〜」
ぼくの油断《ゆだん》を誘《さそ》っておいて、いきなり襲《おそ》ってきたタッキーに文句を言う。
「ふっ、さっき言っただろう……おれの名はマスター・オブ・マスター……全《すべ》ての嗜好《しこう》を識《し》る者…………つまり……おまえを追いかけ回している奴《やつ》らの嗜好も……我が内に……ある……ぐふっ」
タッキーはそこまで言って力尽きる。
まったくこいつは……。桜《さくら》さんと別れたあと、ぼくは追われに追われ、どんどん追いつめられていった。でも、途中《とちゅう》まではあの7人の馬鹿《ばか》がどうにか頑張《がんば》ってくれて助かったんだけど…………タッキーが裏切ったせいで崩壊《ほうかい》したようだ。元マスター7の人達は、追っかけてきたゾンビの人達との乱闘《らんとう》の末散っていった。たぶん、真っ白いローブに足跡いっぱいつけた屍《しかばね》がそこかしこに転がっているはず。…………君達のことは忘れない(というより、濃《こ》すぎて忘れられない)。
あと、ゾンビのみなさんの中に女の子の姿が混じっていたのはどうだろう。…………この学校には普通の人間がいないの?
そんなこんなでぼくは、逃げ回っているうちにとうとう西棟の4階に追いつめられた。東棟4階のOMR部室からオーラの助けで1階に下り、それから逃げ回って、また上って来てしまった。でも、もう少しで昼休憩《ひるきゅうけい》が終わるはず。そう、もう少しだっ!
……それにしても、何か大きな力を感じる。ここに逃げてきたというより、追い込まれたって感じがする。
それでも……捕まってたまるか! 絶対逃げきってやる!
ぼくはきびすを返して走りだす……いや、走りだそうとした。だけど走りだせなかった。なぜかというと、走りだそうと思ったら何かに足を掴《つか》まれた。掴まれた場所を見るとタッキーがしがみついてた。
しっしぶとい。
半裸《はんら》で鼻血流して気絶しているタッキー(最悪だ)をどうにか引き剥《は》がそうとするぼく、でもスッポンのように剥がれない。
ええーい。
ぼくは靴下《くつした》と上履きを脱いでタッキーから離脱《りだつ》する。でもいきなり自由になったものだから体勢を崩《くず》した。ケンッケンッケンッと片足で跳《と》んでバランスをとろうとするぼく。でも……
ガンッ
何かに顔からぶつかった。
いっ痛い。鼻がー鼻がー、思いきり鼻をぶつけた。涙が出てくる。お気に入りの先輩《せんぱい》の鼻がつぶれたらどうするんだーとか思いつつも、ぼくは何か冷たい物に張りついたままだ。変な体勢でくっついてるからすぐには離《はな》れられない。
「ほほー、これが真太郎《しんたろう》くんの見た夢の正体か」
そんな痛みの中で声が聞こえてきた。この声は先輩だ。夢の正体って何? 涙でにじんだ目を開けて、自分が張りついている物を見る。これは…………鏡《かがみ》だ。廊下の正面についた大きな鏡。西棟4階の階段上がった所の壁《かべ》には、大きな鏡がついてるんだ。
「はじめ君のキスの相手は、鏡に映った自分自身か。これは盲点だったな」
先輩がうんうんとうなずいてる。
…………なるほど。鏡に顔をくっつけている今は、鏡の中の先輩にキスしてるみたいに見える。
ぼくはゆっくりと顔を鏡《かがみ》から引《ひ》き剥《は》がすと…………その場にへたり込んだ。
まさか……終わったの?
「なーんだーこういう事かー」
「ちくしょう、おしかったのに」
「ざんねんだわ〜」
そんな、感じでぶつくさ言いながら散っている、ゾンビ達。
おっ終わったんだ! やっとあきらめてくれたんだ! ぼくは、逃げきったぞ!
ぼくは、心の中でガッツポーズ。現実のぼくはとても疲れていて、そんなポーズをする余裕はまったくない。
「はじめ君大丈夫かね」
先輩《せんぱい》が手を差しだしてくれた。ぼくはその手に掴《つか》まって何とか立ち上がる。
ああ、やっと終わった。
「……鼻が痛いです」
ぼくは先輩を恨《うら》めしそうに見る。
「おお、赤くなっているな、見せてみたまえ」
先輩は、鼻血出して動かなくなってる半裸《はんら》のタッキーに上履《うわば》きのまま乗ると、ぼくの顔をのぞき込んだ。先輩が乗った瞬間《しゅんかん》、ぐえって蛙《かえる》のつぶれたような声が聞こえた。どうでもいいけど。
「……これは痛そうだ」
「痛いですよ〜。鼻が低くなったらどうするんですか〜。先輩のこの顔好きなのに〜」
ほんと、もう。
それに痛そうだじゃないですよ。そもそも、ぜんぶ先輩のせいでしょうに。
「そんなに簡単《かんたん》に、顔は変わるものではないよ……。む? まぶたの辺《あた》りも赤くなっているな、ちょっと目を閉じてみたまえ」
「はい」
ぼくは言われるままに目をつぶる。
「おーこれは……」
どうしたんですか? と聞こうとしたぼくの口を何かがふさいだ。
――――――――――――――――――――っ!
声にならないぼくの声。
目を開くと、すぐ目の前に先輩の顔がある。
頭が真っ白になった。
むちゅ〜〜〜
そんな音が頭の中に鳴り響《ひび》く。
…………ぼく、キスされてる?
ムグ――――――――――――――――――――っ!
声を出そうと口を開いたら、何かが入ってきた。
ム――――――――――――――――――――っ!!
れろれろとか、そんな感じで動く柔らかい物。
なななな何なんだ? 何が起こっているんだ?
ぼくが完全にパニックを起こしていると……
すぽんっ、そんな音が聞こえそうな感じで先輩《せんぱい》の顔が離《はな》れた。
「ななななななななななななななななななななななな」
何か言おうにも言葉にならないぼく。そんなぼくに、先輩がぺろりと口の周りをなめて言った。
「ごちそうさま」
「なっ何をするんですか〜〜〜〜〜〜〜!!」
それに、ごちそうさまって何だーーーーっ!!
「キスだ。しかもディープな奴《やつ》だ」
「ななな何で? どどどうして?」
「いや、はじめ君が無防備に目を閉じるからつい……」
「つい!? ついじゃないですよっ!! それに先輩《せんぱい》が目を閉じろって言ったんじゃないですかっ!!」
「いや、そこまで信用されていると思ったら、愛《いと》しさが溢《あふ》れてきたのだよ……」
「そんなもの何の理由にもならないですよ〜〜〜〜」
ぼくが先輩に、詰め寄っていると、
「なるほど」
真太郎《しんたろう》がぼそりと呟《つぶや》いた。
「そういう事だ…………いや、そういう事にした」
そういうことにした?
ぼくは先輩の下を見る。鼻血流しながらぐてーっとのびてるタッキー。このタッキーに乗った先輩は、ちょうどいい高さ。ぼくよりもちよっと背が高いくらい。
…………なるほど……真太郎の言ってた夢の通り。
「まあ、私以外の誰《だれ》かにはじめ君の唇《くちびる》が奪われるというのもしゃくだからな。…………未来は自分の手で掴《つか》むものなのだよ!!」
「言ってることは素晴《すば》らしいですけど、掴むものと時と場所を考えてください!」
未来は自分の手で掴む…………ありがちだけど素晴らしいこの言葉を聞いてここまで悲しくなったのは初めてだ。
「本来の幕引きとしては、鏡《かがみ》にキスを想定していたのだがな。その為《ため》に情報を操作《そうさ》し、あの素敵《すてき》な7人組の力を借り、川村《かわむら》君に愛の狩人《かりうど》の皆さんを扇動《せんどう》してもらい、どうにか君をここへと追い込んだのだが」
……何となく、追いかけてくる皆さんが都合《つごう》良く現れたりしてたのはそのせいだったのか。
「川村君、実にぐっじょぶだったよ」
先輩は、踏みつけてるタッキーに向けて言った。
タッキーはぷるぷる震《ふる》えながら右手の親指《おやゆび》を立てた。……どうやら生きてたらしい。
「そして追い込まれた君は、私の計画通り鏡《かがみ》にキスをした。本来なら、そこで終わるはずだったのだ。だが…………良い感じに舞台《ぶたい》がそろっていたものだから思わず……」
「思わずって何ですか〜〜!」
思わずで、人の唇を奪わないでください!
「はじめ君…………自分に都合の良い未来には従うものなのだ!」
「さっきと言ってること変わってます!」
さっきは、未来は自分の手で掴むとか言ってたくせに。
「はっはっはっ、気にしないでくれたまえ」
何だかとても機嫌《きげん》のいい先輩。
「はははは、まったく……夢も希望もないですよ……」
ぼくはふらふらと鏡《かがみ》に向かうと、鏡の中にいる昔の先輩《せんぱい》に話しかける。いや、愚痴《ぐち》る。
「ぼくはね、元男ですよ。というより中身は男なんです。でもですね、女の子ほどじゃないですけど、多少の幻想《げんそう》は抱いていたんですよ。ふふっ自分的な計画としては、身長が先輩を追い越した頃《ころ》に、何かムードのある夜景なんか見ながら、先輩とキスするとかいう、あり得ない感じのこと考えてたりもしてたんですよ。計画では、もちろん、奪われる側じゃなくて奪う側だったんですよ。それが……それが…………」
ぼくは、鼻血出してピクピクしてるタッキーをもう一度見る。
……………………ああ。
「いやいや、打ちひしがれる美少女というのは絵になるね……」
そんな先輩の声を聞きながら、ぼくは思った。
……誰《だれ》か、先輩をどうにかしてください。
こうして学校中を巻き込んだ一大|騒動《そうどう》が終わった。
そしてぼくの思い出の一ページに、魔法少女姿でさんざん追い回されたあげく[#「魔法少女姿でさんざん追い回されたあげく」に傍点]、鼻血を流して半裸でのびたタッキーの上に乗った先輩につい舌を入れられてファーストキスを奪われる[#「鼻血を流して半裸でのびたタッキーの上に乗った先輩につい舌を入れられてファーストキスを奪われる」に傍点]……というエピソードが追加された。
あはははははははははははははははははは……………………笑えない。
追跡者とわたし
「どうだね、最近。人生|面白《おもしろ》いかね?」
「いえ、特に」
放課後《ほうかご》、平賀《ひらが》さんがやって来ました。いつも笑っている平賀さんですが、今日は輪《わ》をかけてうれしそうです。
「……ごきげんですね」
「わかるかね? 実にうれしい出来事があったものでね。いやいや、この私が恋する少女のような気分になるとは思わなかったな。実に興味深《きょうみぶか》い」
好きな人とキスして浮かれる平賀さん。…………わたしはとんでもなく珍《めずら》しい状況に遭遇しているらしいです。今の平賀さんは、出会った頃からすれば想像もできません。
「未来は自分の手で掴《つか》む……に、自分に都合《つごう》の良い未来には従うものなのだ……ですか」
平賀さんの言葉。とても平賀さんらしい考え方。
「ほうほう、見てたのかね」
「一時|山城《やましろ》さんをかくまった者としては、どうなるかが気になったので、追いかけたのです。足が遅いので着いた時にはもう、ほとんど終わっていましたが」
「未来など、その程度のものだよ。心の底から変えたいと願い、それ相応の努力をすれば未来は変える事ができる。私はそう信じている」
今回の騒動《そうどう》でも平賀《ひらが》さんは、その考えを実行し、未来を掴《つか》んだのでしよう。
「そもそもだ。そうでないと、私とはじめ君の人生を面白《おもしろ》おかしい方向に向かわせる事ができないではないか。ゆえに世界は、そうなっていないといけないのだよ」
……相変わらず自分を中心に世界を回している平賀さん。この考え方は極端《きょくたん》すぎる気がしますが、こんな考え方で動いていたからこそ、ああいう結末を迎えたのでしょう。山城さんは落ち込んでいたようですが。
わたしはこんな考え方ができる平賀さんが羨《うらや》ましいです。そこでわたしは思いだしました。
「あの、山城さんへの言《こと》づてを頼まれて頂けますか?」
「ふむ、よくわからないが伝えておこう」
「あまり良い結果は出なかったのですが…………あなた達二人なら何の関係もないですね……と」
未来を変える事はできると豪語《ごうご》する平賀《ひらが》さん。その平賀さんが側《そば》にいる限り、占《うらな》いの結果などお二人の人生に何の影響《えいきょう》も与えないでしょう。…………わたしも、未来を変える事ができる……そう信じる事ができるでしょうか。
…………未来は変える事ができると信じたい。わたしは心からそう思いました。
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夢
夢だ。ここはどこだ?
遊園地らしいな。
目の前の妖精《ようせい》からすると、ここはファンタジーランドだろう。
だが……何でマスコットキャラクターの森の妖精が、目の前で不可解な踊りをしているのだろうか。
しばらく踊ったあと、膝《ひざ》をつきうなだれる。
どことなく悲壮感を感じる。
遊園地に不釣り合いだ。
子供の夢が壊《こわ》れるだろう。
いったいこれは……何なんだ?
それはともかく……これは夢だな。
こんな、マスコットキャラクターがいるはずがないだろう。
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ダブルデートとぼく
今日は日曜《にちよう》。今現在、馬鹿《ばか》っぷる大作戦の最終段階真っ最中。何が行われてるか? それは、真太郎《しんたろう》と桜《さくら》さんを誘《さそ》ってダブルデート。このダブルデートでぼくと先輩《せんぱい》がいちゃつけば、必然的に真太郎と桜さんが二人きりになる。その際に、仲むつまじい姿を見せつければ、お互い意識《いしき》せずにはいられない。いったん意識したらその想《おも》いはだんだんと高まり……それは恋へと変わる…………そうだ。
正直信じられない。
先輩は、面白《おもしろ》いから今の作戦を選《えら》んだのであって、けっして効果的な作戦を選んだんじゃないんだと思う。だけど……ここまで来たら、もうやってやる。真太郎の為《ため》なら、多少のことなら我慢《がまん》する! 友情パワーをなめるなよっ! 最近失う物もあんまりないしねっ! …………しくしくしく。
というわけで、現在ぼく達は、電車で遊園地へ向かっている真っ最中。まあ、先輩の言う通りにしたら、真太郎と桜さんが二人きりになることは間違いないしね。
むー、どうにかして二人を仲良くしないと。ぼくが考え込んでいると、桜《さくら》さんが先輩《せんぱい》に話しかけている。
「あの……どこに向かっているのですか?」
……先輩は桜さんに行き先を告《つ》げていなかったらしい。
「集まるのはこの4人だけですか?」
……人数も伝えていなかったらしい。
「それに……なぜ、わたしは呼ばれたのでしょう」
……それどころか、何をするかすら伝えていなかったらしい。
…………先輩。
しようがないので、ぼくが代わりに説明する。
「えーとですね、今ですねファンタジーランドに向かってるんです」
「はい、あの……」
桜さんは知ってるみたいだ。というか、ぼく達の街で遊園地といえば、ここだ。
ファンタジーランド、そこはファンタジーの世界をモチーフにした遊園地らしい。らしいって言うのは、ぼくは行ったことないから。
規模的には、地方に一つはあるだろうって大きさの中規模遊園地らしい。ぼくが女幹部をした時のご褒美《ほうび》で、ぼくが遊園地行きたいと言ったら、ついでに真太郎《しんたろう》と桜さんを誘《さそ》おうってことになった。いつもまとわりついている嵐《らん》ちゃん達の影響《えいきょう》を受けたおかげで、桜さんは少しずつ変わってきているらしい。だから荒療治《あらりょうじ》に出るのだそうだ。初めは二人きりが良かったけど、先輩にそう言われて押しきられた。少し残念だけど……真太郎の為《ため》ならしょうがない。今日は、真太郎の恋のサポートに回ろう。先輩とならいつでも来れるしね。
「それで……なぜわたしが呼ばれたのですか?」
むむ……真太郎とくっつける為とは言えないし……どうしよ。
「多人数のほうが楽しいだろう? ただ、急に決まったものだから、都合《つこう》がついたのが我々だけだったのだ」
おお、先輩、ナイスフォロー。
「まあ、せっかくここまで来たのだ。思う存分楽しもうではないか。……ほら、見えてきたぞ」
先輩が窓の外を見ながら言った。小さく観覧車《かんらんしゃ》が見えた。それを見ながら決意を新たにする。よし、がんばろう。
「いや〜いい天気ですね〜」
ファンタジーランドの内部に入ったぼくは伸びをした。
「うむ、実によく曇《くも》っている。もう7月だというのにな」
「…………いいんですよ! お日様が出てないほうがシミになったりしないで! 紫外線《しがいせん》はお肌の大敵なんですよ!」
「いやいや、君もとうとうそのような事まで気にするようになったか。実に喜ばしい事だな」
「…………………………」
気にするなぼく。
「あっ妖精《ようせい》がいる」
この遊園地のマスコットキャラクターは緑の服を着て、羽をはやした妖精だ。遊園地の内部は幻想的な雰囲気になっているので実によく合っている。エルフちゃんと言うそうだ。
「中の人は中年の男性かもしれないがな」
「………………」
気にしないでがんばれぼく。
「あっ、観覧車《かんらんしゃ》だ。大きいですね〜あとで乗りますか?」
「個室の中で良からぬ事をしているカップルもいるのだろうな。不自然に揺《ゆ》れている籠《かご》はないかね?」
「先輩《せんぱい》は黙《だま》っていてください! せっかく人がデート気分を盛り上げようとしているのに!」
「冗談《じょうだん》だよ冗談、そんなに怒らないでくれたまえ」
ぼくと先輩が、そんなデート気分ぶちこわしの会話をしていると桜《さくら》さんがおずおずと申し出た。
「あの申《もう》し訳《わけ》ないですが、わたしは歩くのが遅いのです。ですのでわたしに付き合っていたら、いくら時間があっても足《た》りないと思います。ですから、別行動を取るのはどうでしょう。わたしの事は気にせずに楽しんできてください」
えっでもそうしたら……
「ふむ…………お言葉に甘え、別行動するとしようか。では、真太郎《しんたろう》君。桜君の事を頼んだよ。さあ、行こう、私としてはあのジェットコースターに乗りたいな」
先輩はぼくの手を掴《つか》んで走りだした。えっ? えっ? 馬鹿《ばか》っぷる大作戦は……って、これなら二人きりになるからいいか。ぼくらも、真太郎達も。
「こういう所のジュースはやはり高いな。足元を見ているというか商売|上手《じょうず》だというか……で、どうだね」
長丁場《ながちょうば》になるから……ということで、ジュースを員ってきた先輩が聞いてきた。
今、ぼくと先輩は、植え込みの陰に隠《かく》れている。
「ベンチに並んで座っています」
「ほほう、なかなか良い感じではないかね」
先輩《せんぱい》に引きずられ、真太郎《しんたろう》達から見えない所まで行ったあと、ぼくたちはきびすを返した。そんで、今は真太郎と桜《さくら》さんを監視中《かんしちゅう》。ただ……
「ただですね…………さっきからまったくしゃべってません」
ぼくらが去ったあと、なぜか二人は、何の乗り物にも乗らずベンチに座っていた。桜さんの足が不自由だとしても乗れる乗り物たくさんあると思うんだけど。
「…………二人とも必要ない時はしゃべらない人だからしょうがないか……だが、見ているほうはとても面白《おもしろ》くないな。こういう、学校でない場所……新鮮《しんせん》な場所では気分が開放的になるものだと思うが」
「……開放的になっておしゃべりになるあの二人を想像することができません」
「私もだ」
あの二人がおしゃべりになる…………うん、やっぱり想像できない。
そんなこと考えて、ぼくと先輩が顔を見合わせた時、
「見失っちゃったわよ! どこ行ったの?」
「わかんない〜」
「あ〜あれおもしろそ〜」
「遊びに来たんじゃな〜い!」
「は〜い」
そんな知ってる声が聞こえてきた。
この元気で気の抜ける声は……あの三人しかいない。
…………何でここにいるんだこの三人組は。このままほっときたいけど、ほっといてこのまま進んだら、真太郎達とかち合う。せっかく二人きりなんだからじゃまはさせない。
「嵐《らん》ちゃん、こっちこっち」
「おっお姉さま! 会いたかったわ〜」
ぼくに駆《か》け寄ってくる嵐ちゃん。
「しっ! 静かにして! ……で、何でここにいるの?」
今日のことは黙《だま》ってたのに。
「うふふ運命よ! 運命なのよ! 赤い糸で結ばれたアタシとお姉さまは、遠く引き離《はな》されても呼び合ってしまうのよ!」
「だから静かに! で、何でここにいるの?」
ぼくの注意で嵐ちゃんは声を小さくして言う。
「だから運命……」
「大方《おおかた》、はじめ君をつけてきたのだろう。今日出かける事ぐらいはわかっていただろうからな、はじめ君はすぐに顔に出る人だし」
…………否定できない。
「うっさいわねつばさ、黙《だま》ってなさいよ! 今お姉さまとアタシは偶然会えた運命を感じてるところなんだから!」
嵐《らん》ちゃんがぼくに抱きついてくる。
「…………でも何で静かにしないといけないの? お姉さま」
「ほら、あれ」
ぼくは、ベンチに並んで座っている二人を見せる。
「あ、さっちゃん」
「そ、隠《かく》れて見てるから気づかれないように静かにしてね」
「了解、なっちゃん、ほーちゃんわかった?」
「がってん〜」
「しょうち〜」
…………変な双子《ふたご》だ。
「それで、君が来た本当の理由は何なのだい?」
そんな三人を笑いながら見ていた先輩《せんぱい》が、嵐ちゃんに聞いた。
「…………お姉さまを独《ひと》り占《じ》めさせないわよ〜と言いたいところだけど、今日は違うわ」
嵐ちゃんが、ベンチに座ってる二人に目をやる。
「ダブルデートなんてする理由は、さっちゃんと、山田《やまだ》さんの二人をくっつけようとしてるんでしょ?」
「そうだ」
「だから気になったのよ」
「君は、真太郎《しんたろう》君とくっつけようとしている事については反対ではないのかね?」
「うん、さっちゃんには恋人が必要な気がするのよ」
ぼくは真太郎本位で動いてるけど、嵐ちゃんは桜《さくら》さん本位で動いてるのか。何で嵐ちゃんはここまで桜さんのことを気にしてるんだろう。
「山田さんは、顔はあんまり良くないけど、いい人だし。どうにかこうにか及第点よ。だからOK」
何て生々《なまなま》しいご採点。ぼく的には真太郎は総合的なレベルがかなり高いと思うんだけど……って、ぼくが男の好みを言ったらとても問題がありそうなんでやめておこう。
「というわけで、このことに関《かん》しては利害が一致したわね」
「そのようだ」
…………この二人が協力しているところを見られるとは…………長生きはするもんだね。16年しか生きてないけど。
「アタシはさっちゃんに幸せになってもらいたいのよ、笑顔《えがお》が見たいのよ。だから、さっちゃんと山田《やまだ》さんをくっつけるのを協力するわ。恋は女を変えるのよ」
恋は男も変えるけどね……真太郎《しんたろう》すごいことになったし。初対面で、結婚申し込むとかいう風に。
「で、どうなの? いい感じになってんの?」
嵐《らん》ちゃんが先輩《せんぱい》に聞いた。
「ベンチに座ったまま、何もしていないな」
「……ほんとね……話すらしてないじゃない」
「真太郎無口だから」
「さっちゃんもあんまり話さないわよ。う〜ん、似た者同士で相性《あいしょう》とかいいかもね」
それはあるかも。
「だが、この場合。その似た者同士はデメリットにしかならないな。話さなければ、仲を深めようがない」
「目は口ほどに物を言うって感じでどうにかならないでしょうか」
「ほとんど、接点のなかった二人が目と目で通じ合う事などできないだろう。第一、真太郎君には目がない」
いや、あります。ただ、細いだけで。
「さて……どうするか」
周囲を見回す先輩、その首が60度くらい回った所で止まる。何か発見したんだろうか。先輩の首が止まった方向……そこにいたのは、淡い緑色をした服に身を包んで、妖精《ようせい》さん。頭が大きい着ぐるみなもんだから、頭身が少しおかしい妖精さん。かわいい帽子で、とんがり耳の妖精さん。
エルフちゃんにいったい何の用があるんだろう。
ぼくがそんなことを考えてる横で、先輩が手招きをする。その手招きに引き寄せられたのは三人。嵐ちゃん、美莱《みな》ちゃん、美穂《みほ》ちゃん。
「いったい、何よ」
「うむ、それはだね…………………………という感じで行こうと思うのだが」
途中《とちゅう》声が小さくなったから聞こえなかった。いったいどんな作戦が……
「…………わかった、さっちゃんの為《ため》だもんね」
「ね〜〜」
「うんうん」
「では頼む」
先輩のその声と共に散開する三人。
…………ものすごくいやな予感がするんだけど。
「……先輩?」
「まあ、見ていたまえ」
ぼくの視線《しせん》の先では、嵐《らん》ちゃんが正面から妖精《ようせい》さんに近づいている。顔にはにこにこ笑顔《えがお》。手なんかも振っている。その嵐ちゃんに答えるように手を振る妖精さん。
どうやらおかしなことにはならないかな…………そう安心しかけた時、妖精さんの背後《はいご》に忍び寄る二つの影《かげ》。
「どうだね、あの隠密《おんみつ》的な行動は素晴《すば》らしいと思わないか? 足音すら聞こえない」
先輩《せんぱい》が隣《となり》でそんなことを囁《ささや》いているけどそれどころじゃない。
妖精さんのすぐ後ろにまで迫った二つの影、嵐ちゃんのほうに注意が行っているので、妖精さんはその影にまったく気づかない。
二つの影は妖精さんの背後に立つと……妖精さんの膝《ひざ》の裏側を押した、それぞれ片方ずつ。…………膝かっくんとか呼ばれてる奴《やつ》だ。
膝かっくんを受けた妖精さんはバランスを崩《くず》し後ろに倒れそうになる。手をばたばたさせて必死にバランスを取ろうとする妖精さん。でも頭が重すぎてそのまま後ろに倒れた。その妖精さんの下に入り、背中で支える二つの影……つまり、美菜《みな》ちゃんと美穂《みほ》ちゃん。
何が起きたかわかってない妖精さん。その隙《すき》に嵐ちゃんがその妖精さんの両足を掴《つか》む。そして「せーのっ」というかけ声と共に妖精さんの身体《からだ》を持ち上げ…………ぼく達のほうに走って来た。
なっ何してんのー。
と叫びそうになったぼくの口を先輩がふさぐ。
『若さの暴走!? 女子高生三人組森の妖精を拉致《らち》』、そんな三面記事のトップを飾りそうな見出しがぼくの脳内を踊った。
「よいしょ、よいしょ…………とうちゃ〜く」
「ごくろうさま」
先輩が、妖精さんを下におろしている嵐ちゃん達にねぎらいの言葉をかける。
「ふんっ、アタシ達にかかれば、こんなこと朝飯《あさめし》前よ」
「こんなこと朝飯前になっちゃだめー!!」
「はっはっはっ」
得意げな嵐ちゃんに、怒ってるぼくに、笑ってる先輩。そんなぼく達を見上げている妖精さん。
「えっ? えっ? 何? 何なの?」
妖精さんの頭の中がはてなで埋め尽くされてるのが手に取るようにわかる。
ごめんなさい。ほんとごめんなさい。
パニック状態の妖精さん。その妖精さんに優《やさ》しい、最高の笑顔で話しかける先輩。
「いきなりのお誘《さそ》いで申《もう》し訳《わけ》ありません、とりあえず、その頭をはずしましょう」
いや、いきなりすぎるでしょ! お誘《さそ》いっていうより誘拐《ゆうかい》でしょ!
ぼくが脳内つっこみしてる間に、なっちゃんほーちゃんが、妖精《ようせい》さんの首を取ろうとしてる。…………首を取るって、何か戦国時代の武将みたいだ。
妖精さんの着ぐるみは、首と胴体が分離《ぶんり》している奴《やつ》だったらしく、簡単《かんたん》に首が取れた。中から出てきたのは、20代前半くらいの、ショートカットでそばかすの活発そうなお姉さん。
「おお、かぶり物に負けずお美しい……」
……先輩《せんぱい》、それって褒《ほ》め言葉なんですか?
「大変なご無礼、誠《まこと》に申《もう》し訳《わけ》ありません」
丁寧《ていねい》な言葉|遣《づか》いに優《やさ》しい微笑の先輩。……この先輩、王子様モードと名付けよう。
「ですが、こうするしか私に取れる方法がなかったのです……………」
その王子様モードの先輩がつらつらと、今までの出来事を大げさに、感動的に話す。不幸な少女、その少女を好きになった少年。二人を応援しようとする友人一同。二人をどうにかここにつれてきたはいいが、なかなか進展しない二人。だけど、直接出て行ったら、気を遣わせてしまう。だから、正体を隠《かく》して二人に干渉したい、そう思っていた時に現れたのがあなた。背に腹は代えられないので、やむを得ずこのような行動を取ってしまった、申し訳ない。…………要約するとそんな感じ。たったこれだけのこと伝えるのに、先輩は5分かけた。その間、まったく言葉がとぎれない。勢いで、押し通そうとしているんだろう。さすが先輩……頭の回転がすごい。
「というわけなのでできればご助力願えませんでしょうか。ただ、少しの間その着ぐるみを貸してくれるだけで良いのです。お願いします」
目を潤《うる》ませて、すがるようにお願いする先輩。どうする? と訴えかけてくるあの犬といい勝負できそうな先輩。………やっぱり道具は使いようなのかなぁ。
「えっええ」
頬《ほお》をぽっと赤らめながらうなずく、妖精の中のお姉さん。
「休憩《きゅうけい》入れようかなと思っていたところだから、1時間くらいなら……」
完全に落ちた妖精の中のお姉さん。……先輩にホストとかさせたらすごそうだなぁ。
「本当ですか! ありがとうございます!」
でも……、こんなものすごくわざとらしい笑顔《えがお》を浮かべる元自分の身体《からだ》を見るのはいやだ。
「さて、道具は手に入った」
お姉さんが赤い顔で手を振りながら去ったあと、先輩がぼくらに言った。
「これからは、正体のばれないこの着ぐるみを着て、桜《さくら》君と真太郎《しんたろう》君の恋のサポートをする。…………はじめ君、よろしく頼むよ」
「えっ! ぼくが入るんですか!」
「それはそうだ。体格的に、一番合っているだろう?」
そういや、妖精《ようせい》の中のお姉さん、今のぼくと身長同じくらいだった。
「でも……」
「あと、どうにか着れそうなのは私か嵐《らん》君なのだが……」
嵐ちゃん…………嵐ちゃんが関《かか》わったら事態がものすごいところに転がっていきそうな気がする。先輩《せんぱい》にやらせると…………これまたどうなるかわからない。ぼくは覚悟を決めた。
「……やります」
「お姉さま! その態度はなにー!? そんなにアタシが信じられないの? ショックだわ〜」
「ああああ、そうじゃなくてね…………やっぱり、親友《しんゆう》の恋は応援したいでしょ? ね? ね?」
わざとらしく、泣き真似《まね》する嵐ちゃん。……泣き真似だってわかってるのにフォローしてるぼく……付き合いいいなぁ。
「いや、そこまで、やる気になっているとは……本当に友達思いだね、はいこれ頼むよ」
ぼくに妖精さんの生首《なまくび》が渡された。
どもーはじめましてー…………そんな感じを全身で表現しながら、桜《さくら》さんと真太郎《しんたろう》の前に飛びだしたぼく。
『いやいや、素晴《すば》らしいね、マスコット的なかわいらしさが出ているよ』
耳につけたイヤホンから先輩の声が聞こえてくる。先輩の背負《せお》ってた鞄《かばん》からトランシーバーやら何やらが出てきた。…………何で先輩はデートにこんな物持って来てるんだろうか。
そんな声を聞きながら、ぼくはコミカルな動作を心がけつつ、二人に近寄る。
でも…………まったくリアクションがない。二人はまったく動かない、空気も動いてない気がする。こう、何も反応が返ってこないとどうしようもないんだけど。……個人的には、二人がぼくに反応して、それから二人を冷やかしたり、もっと近くに座らせたり……といった感じで行こうと思ってたんだけど……まったく反応しないのは想定外だった。
…………どうしよう
先輩にぼくは、身振り手振りでこれからどうしたらいいんですか? と助けを求める。妖精はしゃべっちゃいけないんだ。声でぼくだとばれてもだめだし。
『うむ、わかった』
ああ、伝わった。うれしいな。以心伝心《いしんでんしん》、先輩との絆《きずな》を感じたよ。
『なになに?』
嵐ちゃんの声が微《かす》かに入り込んできた。
『ああ、「先輩《せんぱい》、今夜は楽しみにしてます。……ぽっ」だそうだ』
『んまっそんな計画があるの? 抜け駆《が》けは許さないわよ』
伝わってない〜〜〜!
違います違います、そんなこと言ってません、いったいこれからどうしましょうと聞いてるんです! …………とやっぱり身振り手振りで伝えようとする。
『うむ』
今度こそは伝わったかな?
『こんどは何?』
『それはだね「先輩、ぼくはぢめてだから優《やさ》しくしてくださいね」……だそうだ』
『いや〜〜〜! ふけつよ! 何するつもりよ! アタシも混ぜなさいよ!』
かっかけらも伝わってない〜〜〜! いや、かけらも伝わってないどころか、絶対変な所から電波受信してる。勘弁してくださいよ先輩。嵐《らん》ちゃんも何変なこと言ってんの!
がっくりと崩《くず》れ落ち、もうだめだ……と両腕を地面についてるぼく。……面白《おもしろ》いこと大好きな先輩が、今の状況で色々しないわけがない。やっぱ先輩に任せるんじゃなかった………そんな風に心の中で愚痴《ぐち》っていると、ようやく今の状況を思い出した。
はっ……いっ今は……
ぼくはおそるおそる桜《さくら》さんと真太郎《しんたろう》のほうを見る。そこには、あいからわず黙《だま》ったままぼくを見てる二人の姿。
いきなり現れて、奇妙な踊り(身体言語《ボディランゲージ》)をしたあげくに絶望して膝《ひざ》をつく森の妖精《ようせい》。それは、夢に見そうなくらい奇怪な光景だったことだろう。
…………感情を感じさせない桜さんの瞳《ひとみ》がぼくを哀《あわ》れんでいるように見えるのは気のせいだろうか。それともぼくの心がそう見せているのだろうか。
ええい、ぼくは今、キューピッドしてるんだ。こんな障害に負けてたまるか! ぼくは立ち上がりきょろきょろと見回す…………あれだっ! ぼくは、観覧車《かんらんしゃ》に目をつける。そう、観覧車といえばデートの定番! あれに乗れば、密室で二人きり。流石《さすが》にあれに乗って何も話さないってことはないと思う。
ぼくは、桜さんと真太郎の手を掴《つか》んで立ち上がらせると、着いてきて〜〜と身振り手振りで云える。
「何だ?」
いいから来て〜〜。
「何か知らんが、着いていけばいいのか?」
うん、うん。
ああ……意思の疎通《そつう》ができるって何て素晴《すば》らしいんだろうか。
よし、このまま連れてくぞ!
その決意を胸に足を踏みだした時…………
「ようよう、なかなかいいスケ連れてんじゃねーかにーちゃん」
ズサー
あまりに馬鹿《ばか》な声がかかったもんだから、ぼくは思わず前のめりに倒れ込んだ。受け身も取らなかったけど着ぐるみのおかげで大丈夫。ただ、妖精《ようせい》にあるまじき行動だったんで、子供の夢を壊《こわ》したんじゃないかということだけが気がかりだ。
「ねーちゃん、そんな奴《やつ》ほっといておれらといいことしようぜ、へっへっへっ」
………………。
「おいおい、シカトかよっ! お高くとまってんじゃねーぞっ!」
たぶん、ここで一番シカトされてるのはぼくだ。
ぼくは震《ふる》える腕を叱咤《しった》激励《げきれい》しながら身体《からだ》を起こす。
力の入らない足に力を込めて地面を蹴《け》る。
「こうなったら力ずくでぐはぁあっ」
ぼくの揮身《こんしん》の頭突《ずつ》きが、宇宙|戦艦《せんかん》みたいに立派なリーゼントのかつらをかぶった生物に炸裂《さくれつ》した。
「なっなぜ、エルフちゃんがおれに攻撃《こうげき》を?」
驚愕《きょうがく》の表情を浮かべる生物(人間とか言いたくない、あれと同じ種族かと思うと泣けるから)。
『おおっ、あの技はっ!! 虐《しいた》げられし妖精達が自らを仲間を……そして愛する者を守る為《ため》作りだした、一子相伝《いっしそうでん》、門外不出の殺人|拳《けん》! この武術の特徴《とくちょう》は翼《つばさ》を使った三次元的動術、その動きの美しさはフェアリーダンスと呼ばれ…………』
イヤホンから先輩のもっともらしい嘘《うそ》解説が聞こえてくる。大体、何でぼくがそんな大層な技を使えるんですか! そもそも、妖精が殺人拳なんて極《きわ》めてたらいやです。第一、何で先輩がそんなこと知ってるんですか。一子相伝、門外不出なのに。
そんなどう考えても突っ込みどころ満載《まんさい》な、解説のあとに聞こえてきたのは、
『さすがお姉さま!』
『おおーすごい〜』
『すご〜』
三人組の驚《おどろ》きの声。
…………そこで、誰《だれ》かが先輩に突っ込んでくれさえすれば、ぼくもこんなにストレスたまらないのに。
ちなみに、ぼくが放ったのは、ただの頭突きだ。理由は、頭が重いのでほかの攻撃は出しづらいから。思いの外《ほか》威力があって、戦艦リーゼントの生物は、なかなかいい距離《きょり》吹《ふ》っ飛んだけど。
「ふん、さすが遊園地、カップルの集まる場所。チンピラ対策も万全ということか」
リーゼントでグラサンで派手《はで》なシャツに趣味《しゅみ》の悪い金のネックレスの生物…………タッキーが起き上がりながら言った。
どんな遊園地でも、チンピラ対策に着ぐるみ使う所はなーいっ!
「ふっカップルに絡むというのもなかなかに美しいかもしれないな……これぞチンピラの美学。そして……見事に返り討《う》ちになるのもチンピラの美学。…………ああ、ボクはなんて美しいんだ? チンピラに身をやつしても美しい…………どうだい? そこの美しい人。ボクとめくるめく愛の世界へと旅立ってみないか?」
タッキーの後ろでこんなこと言ってる金髪ロン毛でタッキーと同じチンピラルックのこの人は……どう考えても道本《みちもと》さんだ。タッキーに付き合うなんて、道本さん何を考えているんだろう。
そして最後に控《ひか》えているのは……
「ムガー、ムガガー、ムグァー」
と呻《うめ》きながら、ビクッビクッとのたうっているのりちゃん。猿《さる》ぐつわかまされて、ロープで全身を縛《しば》られ、台車の上に載《の》せられている。どうやら、無理矢理連れてこられたらしい。無理矢理かぶらされた、極短ピチピチパーマそり込みつきのカツラが哀愁《あいしゅう》を誘《さそ》う。
どう考えても馬鹿《ばか》にしているようにしか見えない三人組。この三人で、いったい何するつもりなんだ?
…………と言いつつも、ひとつ、思い当たることがある。……べたべたで、べたべたなよくあるあれだ。先輩《せんぱい》がとても好きそうな感じの。
「ふっ、エルフちゃんが立ちはだかってくるとは思いもしなかったが……しょうがない。このおれの不良殺法で、血祭りに上げてくれるわ! はああああぁぁぁ」
気を溜《た》め始めるタッキー。
「ぐほあっ」
タッキーが吹《ふ》っ飛んだ。いや、ぼくが頭突《ずつ》きをかましたんだけど。
おなかを押さえてごろごろ転がったあと、ふらふらと立ち上がるタッキー。
「げっげほっ、貴様! 敵が必殺技を出す為《ため》に気を溜めている時は攻撃《こうげき》してはいけないという決まりを知らんのか? お父さんに教わっただろう?」
知らない。教わってない。
「ぐっ、そのリアクションの薄《うす》さ、知らないようだな。妖精《ようせい》だから仕方ないか。おい、エルフちゃん、今度は手を出すなよ! はぁあぁあぁぁ」
そう言って、また気を溜め始めるタッキー。
いったい何してるんだろうぼく。二人を応援しようと頑張《がんば》って妖精の着ぐるみまで着たのに…………何でチンピラなんかと戦ってるんだ? 妖精VSチンピラってかっこよすぎだよ……勘弁してよ。
「はぁあぁあぁあぁあぁ」
「………………………………」(←ぼく)
「ああ、美しい、美しいぞ川村《かわむら》君! 今君は輝《かがや》いている!」
「………………………………」(←ぼく)
「ムガームガームガガー」
「………………………………」(←ぼく)
…………何か、ものすごく腹が立ってきた。ぼくの身体《からだ》の中でふつふつと怒りが沸《わ》いているのを感じる。もうすこしで沸騰《ふっとう》しそうだ。でも……だめだ……ここで大暴れしたら、ぼくがこのデートにとどめを刺してしまうことになる。
「はあっ」
タッキーが一際《ひときわ》大きな気合いの声を放つ。どうやら気が溜まったみたいだ。気合いの声と共に、目にもとまらぬ早さで反復|横跳《よこと》びを始めるタッキー。
「くらえ必殺! 分身の術!!」
あまりのスピードに、タッキーが三人に見える。正直キモすぎる。不良がそんな技使うなっ!!
ぼくは心の中でそう突っ込みつつ……………………放置しておいた。
5分後
放置してたら勝手に体力を消耗したタッキー。
「はぁはぁ、漢《おとこ》が……はぁあぁ、必殺技を……出した時は……はぁはぁ、自分の持てる最高の必殺技で……応《こた》えるのが……はぁはぁ、最低限の礼儀《れいぎ》という…………ものだろうが…………がばぁっ」
そこまで言うと、何もしてないのに倒れる。
苦《にが》い……苦い勝利だった。
ああ、デート完全ぶち壊《こわ》しだ……分身の術使うチンピラの現れるデートっていったい何だよ。この状況で、何をどうやったら、二人の仲を進展させることができるっていうんだ……。落ち込むぼく、そんなぼくに先輩《せんぱい》から声がかかる。
『ふむ……これは、女がちんぴらに絡まれる、それを男が追い払う。女、男にべた惚《ぼ》れになる……という伝説の作戦を試そうとしたのだが……』
「んなことあるわけないじゃないですかっ! そもそも、バレバレですよ! どこをどう見たら、あれがタッキーに見えないって言うんですかっ! あれが道本《みちもと》さんに見えないって言うんですか! のりちゃんに見えないって言うんですかっ! …………あっ」
おっ、思わず声を出して突っ込んでしまった。
ぼくは、さっきからの成り行きでも一言も発してなかった桜《さくら》さんと真太郎《しんたろう》を見る。
今……素《す》で叫んだから完全にばれたよね。ああ……せっかく陰《かげ》ながら応援しようと思ってたのに。ぼくがそう落ち込んでいると先輩から声がかかった。
『ああ、はじめ君。気に病《や》まないでくれたまえ。どうせ、最初からバレバレだ』
…………バレバレ。
『だが……………………だからこそ伝わった事があるだろう。もう良い、引き返してきたまえ』
でも……
『今回の事は、我々は遊んでいて何も知らない。桜君たちも、何も気づいていない。そういう事になるだろう。君や、川村《かわむら》君達が、わざわざ正体を隠《かく》していた。……この意図をあの二人は読み取ってくれるだろう』
…………そうかも、そうかもしれない。
『それに、押しつけの善意より陰ながらの善意のほうが伝わりやすいものだ。君の想《おも》いは確かに伝わった。皆の想いも伝わった。それで良い。……それは素晴《すば》らしい事だ』
うん、方法はどうあれ……っていうか、方法は完全に間違ってるけど、みんなが二人を応援してるっていうのは伝わったよね。
『何より…………はじめ君の痴態《ちたい》も素晴《すば》らしかったしな』
それはよくない。
山田さんとわたし
「俺《おれ》が怖いのか?」
森の妖精《ようせい》が現れて、奇妙なダンスを踊り、ちんぴら三人組が現れ、妖精と戦い、双方とも消えたあと、何か決心したらしい山田《やまだ》さんがそんな事を聞いてきました。あの妖精――山城《やましろ》さんと、川村《かわむら》さん達――に後押しされたのだと思います。わたしも、どうにかしようと思いました。色々な人がわたし達を心配してくれています。そして応援してくれています。その想《おも》いに応《こた》えないといけません。
「……………………はい……怖いです」
わたしは、前に進むため正直に答えました。
わたしは、山田さんのほうを見ました。山田さんと目が合います。山田さんにはわたしの目の奥に潜《ひそ》むおびえを見て取る事ができたでしょう。
「わたしは…………わたしは、あなたの知っている未来がとても怖い」
山田さんだけが知っているわたしの未来。わたしは、それがどうしようもなく恐ろしい。
そのわたしの答えを聞いて口を開こうとする山田さん。
「言わないでください」
わたしは山田さんを制しました。
「……言わないでください」
わたしは山田さんから視線《しせん》を外しました。
「わたしの未来が闇《やみ》に覆《おお》われていると聞かされるのが、怖いのです。光に満ちていると言われるのも怖い……糠《ぬか》喜びとなった時の絶望感も怖いのです」
「…………俺の夢が現実になるかわからない」
「それは知っています……知っているのです。それでも……それでも恐ろしいのです」
そう、恐ろしい。どうしようもなく。なぜわたしはこんなにも臆病《おくびょう》になってしまったのでしょうか。
「…………俺の夢が現実になるかならないかわからない……それは救いだ。もし理想の未来を見ても、決まってないからそれが現実となるよう努力する。最悪な未来を見ても、決まっていないから、変えようと努力できる」
「そう……ですね。…………そういう考え方もあるのですね。山田さん、あなたは強いですね。わたしは……そのような考え方ができません。わたしは、ただあなたを羨《うらや》み恐れているだけ。……いつからですかね、わたしがこんな風になってしまったのは」
黙《だま》ってわたしの話を聞いてくれている山田《やまだ》さん。
「山田さん……あなたは強い。そしてあなたの周りにいる方々も」
「でも、わたしもこのままではいけないと思っているのです」
そう、わたしは変わりたいのですね、わたしは自分を変えたいのですね。変わらない表情も、変わらない心も何もかも。
「そうか」
山田さんの短い言葉、だけれども、深い優《やさ》しさといたわりが含まれているのがわかります。
嵐《らん》ちゃんさんといい、山田さんといい、平賀《ひらが》さん……あなたの周りには本当に素晴《すば》らしい人が集まっているのですね。この皆さんと知り合わせてくれた平賀さんに、心から感謝《かんしゃ》する時が来そうな予感がします。この人達となら未来と向き合う勇気を持てるかもしれない。今の自分を変える事ができるかもしれない。
「いつか……、わたしが未来と向き合えるようになった時、その時は…………わたしの未来を教えてくださいますか?」
「ああ」
「それでは……そうですね、観覧車《かんらんしゃ》にでも乗りませんか? あれならわたしでも乗れますので」
怪評《けげん》な顔をする山田さん。
「あちらの茂みで隠《かく》れていらっしゃる方々が、安心して遊べるようにです。わたし達が仲良くしていれば、あの方達は安心して楽しむ事ができるはずです」
「……そうだな」
山田さんが微笑《ほほえ》みました。山田さんは、もとより笑っているようなお顔をしているのですが……笑うと、さらに優しそうな顔になるのですね。
わたしの前で初めて見せる笑顔《えがお》。……山田さんは、わたしの前で笑顔を出せないほど真剣だったのですね。
わたしは、山田さんの事をどう思っているのでしょうか…………。わかりません。ただ……今は恐怖心に覆《おお》われているわたしの心。その恐怖が晴れた時に、この人の事を想《おも》えていたら良いとわたしは思いました。
[#改ページ]
夢
夢だ。ここはどこだ?
車の中だ。
中の広さからワゴンタイプの車のようだ。
後部座席に水野《みずの》先輩《せんぱい》がいる。
表情からは何が起こっているのかはわからない。
車を運転しているのは見知らぬ男。
その男が笑いながら…………水野先輩に銃を向けている。
何が起こっている?
これは現実に起こる事か?
それともただの夢か?
俺《おれ》は事の成り行きを見届けようとしたが、視界がぼやけてきた。
ほかには何が見える……気を失ったように動かない双子《ふたご》、ロープで縛《しば》られた石川《いしかわ》。
くっもう少し、もう少しだけ見せてくれ……もう少しだけ。
だが、……間もなく視界が光に満たされた。
[#改ページ]
宝探しとわたし
「ちょっとお嬢《じょう》さん、少々時間をいただけませんか?」
とある金曜《きんよう》の放課後《ほうかご》、下校していたわたし達4人に声をかけてくる人がいました。4人とはわたし、嵐《らん》ちゃんさん、なっちゃんさんとほーちゃんさん。学校帰り、3人に待ち伏せされているというのが最近の日課《にっか》となっています。
「何よ? ナンパ? アタシがかわいすぎるから声をかけようって気はわからないでもないけど間に合ってるわ」
いきなりかけられた言葉に対する嵐さんの言葉。声の主は男性。背の高いやせた方で、歳《とし》の頃《ころ》は30代後半から40代前半といったところですか。髪には白い物がちらほらと混じり、顔色が悪いように見えます。特に特徴《とくちょう》という物もなく……人が良さそうな印象を受けるというのは特徴なのでしょうか。
「いえ……あの……ナンパではなくて……」
妙に自信なさそうな感じの男性。その男性を疑わしげに見る嵐ちゃんさん。
「じゃあ何よ……はっまさか! アタシ達を誘拐《ゆうかい》してどこかに売り飛ばそうとしてるの? いくらアタシがかわいいからってそれは犯罪よ!?」
「いえ、……違います」
「じゃあ……何かのスカウト!? とうとうアタシのかわいらしさが全国に広まることに! ……いつか来るとは思ってたけど……」
「あの……話を聞いて頂けるとありがたいのですが……」
なぜか腰の低い男性。ナンパには見えません。
「何よーそれも違うの?」
「はい、あなたではなく、そちらのお嬢《じょう》さんに用があるのです」
わたしを示す男性。…………わたしですか。
「むむむむ……それはそれでむかつくわね、何かものすごい敗北感。敗因はそこはかとなく漂《ただよ》うおとなの魅力《みりょく》? ねえ、あんた。さっちゃんのどの辺に惹《ひ》かれたか教えてくれない? 参考にしたいわ」
「いえ、だからナンパとかそういう事では全くないんです!」
このままでは本題に入れないと、強い口調になる男性。
「そのお嬢さん……水野《みずの》桜《さくら》さんに用があるのです!」
……なぜわたしの名前を知っているのですか?
そのわたしが抱いたのと同じ疑問をぶつける嵐《らん》ちゃんさん。
「……何で、さっちゃんの名前知ってんのよ」
警戒《けいかい》感を隠《かく》そうともしない嵐ちゃんさん。
「ですからそれを説明しようと……」
嵐ちゃんさんににらみつけられながらも、必死な様子《ようす》で弁解する、男性。
「ん〜〜〜〜ちょいタンマ!」
嵐ちゃんさんは、なぜかわたしを中心に円陣を組みました。
「しっしっ、じゃまよ、離《はな》れなさいよ」
嵐ちゃんさんは、そうやって男性に離れて貰《もら》ったあと、切りだしました。
「じゃあ作戦|会議《かいぎ》を始めるわよ。どうする?」
「ただのナンパには見えないです。何か理由があるのではないですか?」
何か、せっぱ詰まっているというか、あせっているというか、そのような印象を受けるのです。
「うん、アタシもそう思う。むちゃくちゃ怪《あや》しいし、顔色も悪いけど、何となく悪い人には見えないし」
顔色が悪いというのは、関係ないと思うのですが。
「ということはよ、重要なことは……」
そこで、ぐるりとわたし達を見回す嵐《らん》ちゃんさん。
「「何をおごってもらえるか〜!」」
「その通りっ!」
とても息の合った三人。色気より食い気という言葉がわたしの頭をよぎるのですが……若いですね。
「行くならあそこね…………今まで食べたかったのに、高すぎて手が出なかったあれがある……」
「あそこ? あそこ行くの? あれ食べるの?」
「さんせ〜! だいさんせー」
ぱっと笑顔《えがお》になる、なっちゃんさんとほーちゃんさん。
「ふふっ、決まりね」
わたしとしても異存はありません。いったい何の話なのか気になる事ですし。
嵐ちゃんさんは円陣を解《と》くと、男性に宣言します。
「決まったわOKよ。話を聞くわ」
「あっありがとうございます!」
……腰が低いですね、わたし達のような小娘に頭を下げるなんて、いったい何の用があるのでしょうか。
「ただ、ひとつ条件があるわ」
「何ですか?」
不安そうな顔になる男性。
「行く店はアタシ達が決めるわ、知ってる所だと安心だしね」
……真の理由は伏せていくようです。なかなかに要領が良いですね。
「それくらいなら、おやすいご用ですよ!」
「じゃあアタシ達の行きつけの店に行きましょう」
わたしを除く三人が、にやりと笑いました。…………ご愁傷様《しゅうしょうさま》です。
救出大作戦とぼく
今日は土曜日《どようび》。だからお昼まで寝てようとか思ってたら、先輩《せんぱい》にたたき起こされた。先輩からの電話を取ったお姉ちゃんに、たたき起こされた。言葉のあやじゃない。物理的な衝撃《しょうげき》をもってたたき起こされた。たたくというよりかは、50キロオーバーの肉のかたまりが勢いをつけて乗ってきたといったほうが正しいけど、とにかくたたき起こされた。たしか、10時|頃《ごろ》だったと思う。そんで、嵐ちゃんがいるかと聞かれたんだけど、嵐ちゃんは何か早くにどっかに行ったと答えたら、大至急学校に来てくれたまえとか言われたので来た。
いったい何なんだろうか……まあ、行けばわかるよね。もう部室も目の前だし。
願わくば、あんまり変な理由じゃありませんように……。ぼくがそんな祈りと一緒《いっしょ》に扉《とびら》を開こうとしたら、中から声が聞こえてきた。
「………さて、ひとつだけ聞きたい。桜《さくら》君は無事か? いや、……あの三人もついているかもしれないな」
これは先輩《せんぱい》の声。
「無事です」
これはオーラの声。口調からして宇宙人のほうのオーラかな。いったい何話してるんだろう。
「そうかわかった」
「…………それだけですか? いったいあの4人がどこで何をしているか気になるのではないですか?」
「無事、それだけわかれば十分だ。無事なら何の問題もない。捜《さが》しに行くだけだ。できるだけ早く、無事でなくなる前に」
「……無事でなくなったら?」
「その時は君がどうにかしてくれるのだろう? こういう時の為《ため》に私は君を楽しませようと芸をしているのだ」
「ふふっそうでしたね」
にやりと笑っている先輩の顔が目に浮かぶようだ。
それにしても……芸? いったい何のことだろう。
「だが、このような事でわざわざ君の手を煩《わずら》わせるつもりはない。我々でどうにかする。あてもあるしな。一生のお願いは、ここぞという時に使うべきだ。一生のうちに何度も使えば、君達もお願いを聞き届けようとは思わなくなるだろう」
「ええ、まさしくその通りですね」
「ただ……ロボオーラ君の力を借りるのは問題ないだろう?」
「ええ、あの子が自分でそう願うのなら」
「なら問題ない」
うーん。思いの外《ほか》シリアスな感じの会話をしている気がしたんだけど。いったい何だろう?
「……はじめ君、入ってきたまえ。そんな所に立ってないでな」
……ぼくがここにいることに気がついていたらしい。うーん、何でだろ。オーラかな?
「はい。おはようございます」
ぼくは引き戸を開く。
「それでいったい何なんですか? 何で呼び出されたんですか?」
「まあ、おいおい説明するよ。ちなみに到着は君が最後だったりする」
そうなのか。でも、この部屋にいるのは先輩とオーラだけだけど。
「なので、早く支度《したく》をしてくれたまえ」
……したく……いやな予感ばりばりだ。
「それでは美香《みか》、頼むよ」
「はい、おまかせくださいな」
先輩《せんぱい》の声と共に、美香さんが現れた。隣《となり》の準備室のほうから。
美香さんがこういう現れ方をした時は、決まってコスプレのお時間だ。……いったい今度はどんな格好《かっこう》させられるんだろうか。
「うふふ、今回もなかなかの力作ですわよ〜」
とっても、ものすごく、しゃれにならないほどうれしそうな美香さん。
…………ああ露出《ろしゅつ》が高くないといいなぁ。
ぼくは、魔法《まほう》少女の格好を強制されて着替えてきた。前とは少し変わってて、長|袖《そで》になってるし、キュロットスカートに変わってる。タイツなんかもはかされてしまってる。おかげで肌の露出がなくなったけど……。露出はないけど…………。恥《は》ずかしいことには変わりない。でも、多少はマシだとか思っている自分がいるのがいやだ。慣《な》れって恐ろしい。
あと、マジカルバールのような物がついてくるのは決定事項らしい。
「おおっ、やはり似合うな。素晴《すば》らしい。冒険にはもってこいだな。肌が露出していると木の枝などに引っかけて大変だからな。では行こうか」
……冒険? 何ですかそれは?
「はい。…………あの…………なぜにこの格好なのですか? それに冒険っていうのは……?」
ズンズンと歩いていく先輩を追いかけながらぼくは聞いた。ぼくの後ろには、オーラと美香さんがついてきてる。いったい何なんだろうか。
「カワユイデスヨ〜」
「そうですわ! ああ、何てかわいらしいのでしょう」
そんなぼくへかかるオーラのお褒《ほ》めか慰《なぐさ》めかわからない言葉。と、それに続く美香さんの艶《つや》っぽい声。二人とも、『たぶん』ぼくを気づかってくれてるんだろうけど……
「…………先輩、何か最近こんな感じでほめられるたびに、どう返せばいいか迷うんですよ」
「素直に喜んだらどうだね」
「……何か大切な物を失ってしまいそうで素直に喜べません」
そう、入れ替わって結構|経《た》つけど、かわいいという評価はあんまり素直に喜べない。
「それで、なぜその格好なのかだね。それは……冒険の旅に出る必要があるからその格好なのだ!」
…………なぜに冒険の旅に出る必要があるんですか?
百歩も二百歩も譲《ゆず》って、冒険の旅に出る必要があるとしよう。譲る必要はないような気がするけど、断腸《だんちょう》の思いで譲る。
ぼくは、冒険の旅に出ないといけない。だとしたら……何で冒険するのにこんな格好《かっこう》なんだ? ぼくはいったい、どこを冒険するんだ? 魔法《まほう》少女の格好で。
「冒険といえばパーティーだろう? そう、冒険といえばパーティーだ。互いが互いの短所を補い、長所を高め合い、あらゆる困難《こんなん》に打ち勝っていく。ある時は財宝を探し、ある時は前人未踏《ぜんじんみとう》の迷宮に挑《いど》み、ある時は強大で邪悪な竜を倒す」
なぜ? と異論を挟《はさ》む余地もなく先輩《せんぱい》が話を続けていく。
「パーティー、それは命を共にする仲間、家族。そこには、何者にも断《た》たれる事のない絆《きずな》が存在している。ああ、何と素晴《すば》らしいのだろう」
……何で、こんなことを説明されてるんだろう。
「パーティーの素晴らしさはよ〜〜くわかりました。…………で、何でこの格好なんですか?」
ぼくがそうせかすと先輩が立ち止まった。いつの間にか目的地に到着していたらしい。ここは、学校の中庭。ベンチがあるそこに、OMRメンバーが勢揃《せいぞろ》いしてた。…………いや、三人|足《た》らない。嵐《らん》ちゃんズがいない。
「うむ、ここからが本題だ。パーティーには必要な人々がいる。ほら、そこに神官が」
「やあ、おはよう。今日もとても美しいねハニー」
「……おはようございます」
そこと示された場所にいるのは道本《みちもと》さん。…………家が神社だし、神官の卵かもしれないけど…………世界観《せかいかん》がまったく違う。
「そことそこには、武闘《ぶとう》家と戦士が」
真太郎《しんたろう》と、のりちゃん。二人とも無言。のりちゃんのこめかみがぴくぴくしてる。寝起きで機嫌《きげん》悪そうなのにもかかわらず、戦士扱いされたからかな。
真太郎は相変わらず静かに座ってる。
「美香《みか》は踊り子で良いな」
「はい、よろしいですわ。こんな時のためにと、日本|舞踊《ぶよう》を経験《けいけん》していたのですわ」
これまた世界観が違う。
「オーラ君と川村《かわむら》君は遊び人で良いね、実にはまり役だ」
……あれが将来|賢者《けんじゃ》になるのか?
女の子のキャラクターがプリントされた、どうしようもなくピチピチのTシャツを着たタッキーを見ながらそう思う。
オーラは、うさみみつけたらそんな感じだけど。イメージ的に。
「僭越《せんえつ》ながら私が勇考をやらせてもらおう」
先輩が自分をさす。相変わらず自信満々だ。
「む? 不服そうだね。何なら勇者の証《あかし》を立てるために、他人《ひと》の家に不法侵入してタンスでも開けるかね?」
「…………捕まるんでやめてください」
そんなこんなでみんなに役割が与えられた。
最後に残っているのは、
「魔法《まほう》使い」
……………………先輩《せんぱい》の指がぼくをさしてる。
「魔法使いと魔法少女は違います! どこの世界に、魔法少女引き連れて冒険するパーティーがいるんですか! そんなゲーム見たことありませんよ! マジカルバールのような物とか装備《そうび》している魔法使いっていったい何ですか! ひきますよ!」
「強そうではないか」
「そんな問題じゃないです。それに……それに、何でぼくだけこんな妙な格好《かっこう》させられてるんですか!」
ぼく以外はみんな私服なんだけど、土曜日《どようび》だし。
「まあ……これは内緒《ないしょ》なのだが……愛《いと》しさのあまり、君を贔屓《ひいき》しているのだ」
「あらあら、つばささん、何て不公平な」
「美香《みか》……聞いていたのかね。しょうがないな。だがそういう事だ。この世は平等などない、この世は贔屓でできている」
「はい、そうですね……そういうわけでしたら、しょうがないですわね」
とても残念そうな美香さん。
「そんな贔屓、いりません! 平等に! 平等にいきましょう! お願いですから平等でいってください!」
「そんな照れなくてもいいぞ?」
「照れてません〜〜〜〜!!」
はっはっはっとか笑って聞く耳持たない先輩。
ああああ〜、とぼくがとことんまで落ち込んでいると、
「ふむ、これで全員が集合したようだね」
先輩が、ぼくらを見回して言った。そのあと、今までのにやにや顔から真面目《まじめ》な顔へと変わる。いったい何なんだろう。
「これから私が言う事は、冗談《じょうだん》ではない。かなりの推測が混じっているが、一応事実として受け止めてもらいたい」
……先輩本気モードだ。ほんと何があったんだろう。
「本日集まって貰《もら》ったのはほかでもない、うちの愉快《ゆかい》な三人組と桜《さくら》君がさらわれた可能性がある」
…………さらわれた?
すぐには、脳が言葉を読み込まなかった。衛星《えいせい》放送の音声のずれみたいに、少し経《た》ったあと言葉の意味が読み込まれる。
「えっ! 何ですかそれっ! 大変じゃないですか!」
ものすごく大事《おおごと》だ。こんなとこで話してる場合じゃない、早く警察《けいさつ》呼ばないと……。
「実際には、たぶらかされて違れて行かれたのかもしれない」
「どっちにしろ大変じゃないですか! いったいどうしてそれを……」
何でそんなことがわかるんですか?
「…………真太郎《しんたろう》君の夢だ」
真太郎の夢……ぼくは深刻な顔をした真太郎を見る。
「今回の真太郎君の夢は、見知らぬ男ひとりと、一緒《いっしょ》に車に乗っている桜《さくら》君、嵐《らん》君、美穂《みほ》君、美菜《みな》君の4人」
「でもそれだけじゃあ……」
そう、一緒に乗ってるだけだったら、ただ一緒にドライブ〜かもしれない。
「…………真太郎君の夢の中では、美穂君、美菜君は意識《いしき》を失っていて、嵐君はロープで縛《しば》られていて、桜君は銃を突きつけられていたらしい」
「思いっきり大変じゃないですか!」
銃って日本? 日本の話? 何で銃が!
「ああ、実に大変だ……………………本当ならな」
「…………そっか、真太郎の夢だから」
「そう、現実に起こる事かもしれないが、ただの夢かもしれない。今日の出来事か、明日の出来事か……数ヶ月後の出来事かもしれない。だが、真太郎君は見過ごせないと感じ、私に電話で相談《そうだん》してきたのだ。朝一でね」
「そっか……だから、嵐ちゃんいるかって聞いたんですね」
「その通りだ。一足遅かったようだがな。同じく美穂君美菜君も捕まらなかった。嵐君の携帯にかけたのだが、お義姉《ねえ》さんが出た。肝心《かんじん》な時に忘れていってしまったらしい」
そうか、だから、お姉ちゃんがぼくにダイブしてきたのか。
「残りの3人は、携帯電話という物を所持していない。今時|珍《めずら》しいがな。おかげで困った事になっている」
そうか、まったく連絡つかなくなってるのか。なんか、そうなるととても心配だ。
「何が起こるか、何が起こっているのか。今はわからないが、一応は最悪の事を想定して行動しようと君達を呼んだのだ。もし、真太郎君の夢が本当ならば、あの4人を助けねばなるまい?」
うん、それは絶対だ。
「では、現状|認識《にんしき》から始めよう。皆の一番の関心事であろう銃は、真太郎《しんたろう》君に確認したところ、ベレッタM92らしい。それらしい写真を手当たり次第見せたから間違いないだろう。本物だとしたら、当たると痛いので注意するように」
当たると痛いって何ですか……当たり前です。もし本物なら死んじゃいますよ。
「車はワゴンタイプで、内装《ないそう》は古かったそうだ。車種も色もわからないらしい。曖昧《あいまい》な夢の世界の話だからしかたがないが」
車では探せないってことか。
「桜《さくら》君に銃を突きつけてる男は笑っていたそうだ。その笑顔《えがお》が気になるな……銃がおもちゃで遊びなのか、それとも銃が本物で他人《ひと》を撃《う》つ事に快感を覚える性格|破綻《はたん》者なのか……前者である事を心から祈りたいな」
先輩《せんぱい》の話を聞いていると、ものすごく危険な状況な気がしてくる。
「あの……やっぱり、警察《けいさつ》に任せたほうがいいんじゃないでしょうか?」
ものすごく危なそうだし。
「夢の話だからな。夢で、警察が動いてくれるはずもあるまい。何か証拠《しょうこ》があれば別だが」
そういえばハムスターの人の時もそうだった。でも……
「そもそも私が話しているのは、最悪の最悪、全《すべ》てが悪いほうに回っている場合の話だ。そうなっていない可能性のほうが、遥《はる》かに高い」
……そっか、そうだよね。…………でも、不安だ。嵐《らん》ちゃん達大丈夫だろうか。ぼくは真太郎を見る。真太郎、桜さんのこと心配だよね……
「というわけで、全て我々の力で解決する。まあ、心配する事はない。最悪の場合でも、オーラ君がいるから大丈夫だ」
「…………オーラの力を借りても大丈夫なのか?」
のりちゃんが聞いた。字宙人のほうのオーラ的にはどうかってことかな。……うーん、どうなんだろうか。たしか、地球人とあんまり関《かか》わっちゃいけないとか言ってた気がするけど。
「オーラ君も我々の中に入っている。そのオーラ君の力を借りるのに問題はないだろう。上にも確認を取った。あとは、オーラ君の意思次第だ。どうだね? オーラ君」
「ハイ! ガンバリマス!」
やる気満々のオーラ、頼もしい。
「という事だ。オーラ君は、未来からやって来た殺人ロボットのごとく、この地球上ではほぼ無敵だよ。拳銃《けんじゅう》一丁どころでどうにかできるはずもあるまい。うまくやれば、一国の軍相手に喧嘩《けんか》できるだろう。何より重要なのはオーラ君にはドリルがついている」
やっぱりそこが重要なのか。
「でも……オーラがいくら強いって言っても」
そう、やっぱり、相手が銃だと……
「それは大丈夫だ」
言いきる先輩《せんぱい》。
「現実的な話をすると、相手が拳銃《けんじゅう》を持っていようが、こちらが最初に発見されるという事があり得ないわけだ、オーラ君がいる限りはな。オーラ君の視力を知ってるかね。人工|衛星《えいせい》を肉眼で見る事のできるというアフリカの人すらも足下に及ばないぞ? 聴覚《ちょうかく》も、嗅覚《きゅうかく》も万事が万事、同じような感じだ。万が一こちらが先に発見されたとしても、確実に拳銃の射程外だろう。ある程度の近さに誰《だれ》かが潜《ひそ》んでいた場合に、オーラ君が気づかないわけがない。さらに悲観《ひかん》的な考えで、拳銃の射程内で我々が先に見つかったとしよう。それでも、大丈夫だ。聞いたところによると、オーラ君には拳銃の弾《たま》ぐらいなら見えるらしいぞ? いや、すごいね。それに拳銃の弾よりも、オーラ君の目から出るビームのほうが速い。命中率に至っては比べるまでもないだろう」
言われてみれば確かに。…………オーラってすごいんだなぁ。
「でも先輩なんでそんなに詳しいんです?」
「前、オーラ君の身体《からだ》を改装《かいそう》した時、色々聞いた」
なるほど。
「まあ、本音《ほんね》を言うと、オーラ君に任せていれば何の問題もないわけだ。それどころか、我々は邪魔《じゃま》にすらなるだろう」
それはそうかも……でも……心配だ。
「だが、引っ込んでいるわけにもいかないだろう? 男の沽券《こけん》に関《かか》わる……真太郎《しんたろう》君は特にな。個人的な考えだが、惚《ほ》れた女の危機に何もしないような男は生きている価値がない」
先輩のものすごくきつい言葉。でも、基本的には同意。
「それに、お姫様のピンチに現れるのは王子様と決まっている」
にやりとする先輩。目線《めせん》の先には真太郎。見た目はごつすぎるけど……一応王子様合格だと思う。
「ふっ、まさしくそうですな」
これはタッキー。
ひとつ言っておこう。タッキーの外見は王子様落第だ。Tシャツのプリントをどうにかしてから出直してこい。
「さて、君らの意志も聞かずにここまで話を進めてきてしまって済まないが、一応今がどのような状況かは理解して貰《もら》えたと思う」
……十分に理解しました。とてもピンチかもしれないし、まったく何でもないかもしれない。
「楽観的な事も言ったが、最悪の想定で事態が進んでいた場合、下手《へた》をすれば命に関わる事もあるだろう。さあ、君らに問おう。どうする?」
どうする?
そんなの最初から決まってる。
「行きます」
ぼくは間髪《かんはつ》入れず言いきった。そんなぼくを見て先輩《せんぱい》が微笑《ほほえ》む。
「……何ですか」
「いやいや、君は相変わらずかわいらしいね」
むう…………何ですかそれは。ここはかっこいいとかそんな感じの形容詞が欲しいところですよ。……何となく気分は悪くないけど。
「俺《おれ》も行く」
これはのりちゃん。
「……嵐《らん》は一応幼なじみだからな、ほっとくと寝覚めが悪い」
のりちゃんは照れたように付け加えた。
「美しい人がこの世から消える事は耐えられないね」
「……あの二人はわたくしの妹ですから」
道本《みちもと》さんと美香《みか》さん。
「トモダチですカラ〜」
これはオーラ。そうだよね、オーラはトモダチだよね。うん。
「ふっ、コーチとしては助けにいかないわけにはいかないだろう。あの3人にはまだまだ教えなければいけない事が山ほどある」
…………タッキー、その気持ちはうれしいけど、嵐ちゃんにこれ以上変なことを吹《ふ》き込むのはやめてくれ。お姉さまと呼ばれるだけでも、いやなのに。これ以上何をさせるつもりだ? 美菜《みな》ちゃんと美穂《みほ》ちゃんに変なこと吹き込むのも禁止。
そして最後は真太郎《しんたろう》。
「……行くぞ」
短い言葉。でも、とても強い決意が感じられる。
これで全員参加だ。
「うむ、君達ならそう言ってくれると思っていたよ。君らの熱い友情に涙を流してしまいそうだ」
大げさに目頭《めがしら》を押さえる先輩。
「それ以外の結論を出させないという口ぶりだったがな」
この皮肉はのりちゃん。
「不服かね?」
「ふん」
やっぱり照れてる。
そうと決まれば、先輩にひとつ言っておくことがある。
「…………先輩《せんぱい》の考えは、よーくわかりました。ものすごく大変なことになるかもしれません」
「うむ、気を引き締《し》めてかからないとな」
「なら……さっきも聞きましたが……何でこんな格好《かっこう》するんですかっ!!」
そう、何で魔法《まほう》少女の格好で救出に向かわないといけないの? どう考えても目立つでしょ。
そんなぼくの疑問に先輩は真面目《まじめ》な顔で答える。
「真太郎《しんたろう》君の夢の出来事は現実に起こる事がある。裏を返せば、起こらない事もある…………」
うん、それはそうだけど……
「という事はだ。今回の夢がただの夢で、実際には何も起こらなかった場合にだ」
「はい」
先輩が、目を見開いて言った。
「ただの無駄《むだ》な時間を過ごしたという事にならない為《ため》に、全力で楽しもうとしているのだ!」
「せっセンパイの馬鹿《ばか》〜〜〜! 何考えてんですかっ! 楽しくなくていいですよ! 時間の無駄結構。無駄にしましょう」
「時は金なり。時間を無駄にする人間に時間の尊《とうと》さはわからない」
「わからなくてもいいですよ!」
「ふう……しょうがないな。だが、もうすでに着替えてしまっているだろう? これから着替え直すと時間をさらに無駄にするぞ? 最悪の想定で動いた場合、一分一秒でも無駄にはできんのだ」
なら、最初から着替えてないほうが時間の節約になります、確実に。……もう言っても仕方ないので言わないけど。
「それに色々見られているからな、愉快《ゆかい》で楽しくないといけない」
「いったい誰《だれ》が見ているっていうんですか!」
先輩は、空を見上げながら言った。
「自分が見ているからな。……………………今私は、とても良い事を言ったのではないか?」
とても得意げな先輩。
………………ほんとにもう。とほほ。
「というわけでだ、これからの行動だが、まずは彼女達を捜《さが》さないといけないな」
「あてはあるんですか?」
「ある、これだ」
先輩が、一枚の紙を広げた。ぼくはその紙をのぞき込む。
「何ですかこれは?」
画面を横切るくねった線《せん》。バッテンとか、何か文字も書いてある。
「これは真太郎君が夢の中で見た地図だ」
なるほど、言われてみれば地図だ。
「これは、今回の夢とは違う日に見たものらしい」
嵐《らん》ちゃん達がさらわれるのとは違う夢なのか。でも……
「なら何で今回の夢と関係があるってわかるんですか?」
ぼくが先輩《せんぱい》に聞くと、先輩が地図の一点を指さした。
「ここを見たまえ、水野《みずの》家の宝と書いてあるだろう?」
「ほんとだ」
地図の上側の辺《あた》りに確かに書いてある。
「夢を見た時期的にとても怪《あや》しいだろう? 今回の件に関《かか》わっている可能性大だ。実際はほかにも図形だか文字だかわからない何かが書いてあったらしいが、覚えていないそうだ。残念だね。まあ、暖味《あいまい》な夢の出来事をここまで覚えていただけでも賞賛《しょうさん》に値すると思うが」
確かに。ぼくが夢の内容を覚えていることなんてほとんどない。
「だが、地図として必要な物は全《すべ》て覚えていたようなので、目的地がわかる」
先輩がもうひとつ地図を広げる。この街の地図だ。
「それはここだ」
二つの地図。特徴《とくちょう》的な街の中心を流れる川。それがとても似てるから、同じ場所を示した地図だってことがわかる。
「そして、宝と書いてある場所がここ……、宝の埋まっている場所に漢字で宝と書くのはどうなのだろうね。×印のほうが、趣《おもむき》がある気がするのだが。それで、その場所を現在の地図と照らし合わせると……ふむ、私達は、何かとあの場所に縁《えん》があるようだね」
…………ああ、あの山。この町を一望に見下ろすことのできる山。ぼくが先輩と一緒《いっしょ》にさらわれた山。その名も武野山《たけのさん》。
まったく縁があるなぁ。まあ、この広川《ひろかわ》市で一番高い山で目立ってるってのも理由なんだろうけど。
「真太郎君が夢で見た水野家の宝と書かれた地図、行方《ゆくえ》不明の桜《さくら》君達。怪しいとは思わないかね? ……というより、これ以外に何も手がかりがなかったりする。彼女たちが狙《ねら》われた理由としても説明がつく事だしな。もしその地図がもとで、見知らぬ男性と行動を共にしているというのなら、この地図の最終目的地、宝の場所に行けば桜君達と会う事ができるだろう」
当てずっぽうで探してても見つかりそうにないし、これならほんとに見つかるかもしれないという気になってくる。……まったくの見当違いっていう可能性もあるけど。
「というわけで宝探しに出発だ」
…………なるほど、だから先輩は冒険だパーティーだと言ってたのか。
「でも、嵐ちゃん達、朝早くから出かけてるんですけど、追いつけるんですか?」
「ああ、それはたぶん大丈夫だ……たぶんな」
何で先輩《せんぱい》はこんなに自信満々で言いきれるんだろうか。…………まあいいか、先輩のことだから何か考えがあるんだろう。
「さあ出発しようではないか」
先輩のこの言葉で、勇者ご一行がお姫様達を助ける為《ため》の冒険に出発した。
ああ、何か不安だなぁ。真太郎《しんたろう》の夢が間違いだったらいいなと心の底から思う……色々な意味で。
宝の地図とわたし
わたし達は車に揺《ゆ》られているのですが、なぜこのような事になったのかというと……昨日の、喫茶《きっさ》店での話にさかのぼります。
「自分の名前は小清水《こしみず》といいます」
「水野《みずの》桜《さくら》です」
わたし達は、互いに自己紹介をしました。その小清水さんですが……
「………はあ」
財布《さいふ》をのぞき込んでため息をつかれました。
「……すいません」
「いえ……」
とほほ……という感じで凹《へこ》んでいるのですが、なぜかというと……
「これよこれ! これなのよ!」
「やった〜」
「すごい〜」
と、妙にはしゃいでいるお三方が原因です。三人の前に置いてあるのはひとつのとても大きなパフェ。大きなバニラアイスの固まりに、色とりどりのフルーツ、生クリーム。山と表現したくなる程の壮観《そうかん》さです。ものすごい迫力です。そして値段はその迫力に比例しているのです。という事なので、財布を見ながらため息をつく小清水さんがいるのです。
「うっ〜わ〜」
「こんなの初めて〜」
「行きつけだったんじゃ……?」
「気のせいよ」
小清水さんの言葉をその一言で黙《だま》らせる嵐《らん》ちゃんさん。もう、パフェしか見えてないようです。
「んじゃ、いっただっきまーす」
「いただきま〜す」
「ま〜す」
ものすごい勢いで巨大パフェに襲《おそ》いかかる三人。
甘い物は嫌いじゃないのですが……見ているだけで胸焼けがしてきました。
「はい、さっちゃんの」
嵐《らん》ちゃんさんが、取り分けられた、パフェの固まりをわたしの前に置きました。
……ほんの一部分なのに、なぜこんなにも量があるのですか? そもそもこの巨大なパフェは何人前なのですか?
「……ありがとうございます」
「どういたしまして〜」
……この場合、無表情で嫌《いや》な顔ができないのは、良い事なのか悪い事なのか。ただひとつ言える事は……このパフェは食べきれないと思います。
「それで、さっちゃんに何の用なの?」
山が三分の一ほど姿を消した頃《ころ》、嵐ちゃんさんが言いました。恐ろしいくらいのハイペースで山が減っています。
「はい……自分は、以前小さな町工場をやっていました。不況ながらも細々と、どうにかやっていけてたのですが……」
「何? 倒産して借金できたとか?」
「それもあります」
……それもですか?
「まず、工場が火災で全焼しました」
「ふ〜ん、災難《さいなん》ね。……あっ、なっちゃんそれおいしそう」
「これ? は〜い、あげる〜」
「ありがと〜」
「……借金をし、建て直したのは良いのですが、一度開けた穴は埋まらず。借金が増えるばかり……」
「うわ、それは悲惨ね〜〜。ん〜〜〜おいし〜」
「でしょでしょ〜」
「これもおいしいよ〜」
「………………………………」
「ああ、続けて続けて」
…………嵐ちゃんさん。
「…………さらには、連帯保証人となっていた知り合いに逃げられ、それが止《とど》めとなり倒産。妻と子は実家に帰り、家は差し押さえられ、今は車で寝起きしています」
それは、ひどいですね。よくぞここまで立て続けに……といった感じです。何というか……
「呪《のろ》われてるんじゃないの?」
「嵐《らん》ちゃんさん。それはあまりにも……」
……わたしもそう思ってしまいましたが。
「ははは、いいんですよ。自分でもそう思いますから」
自虐《じぎゃく》的に笑う、小清水《こしみず》さん。顔色が悪いのはそれでですか。
「で? さっちゃんに何の用なの?」
確かに、今までの話ではなぜわたしに用があるのかわかりません。
「はい……失う物がなくなった私は、勝負に出る事にしました」
「おおっ、漢《おとこ》ね〜それでそれで?」
こういう話は好きらしく、興味《きょうみ》を示した嵐ちゃんさん。わかりやすすぎですね。
「……一発逆転を狙《ねら》って、とある骨董品《こっとうひん》店でこの宝の地図を買いました」
「宝の地図? むちゃくちゃ騙《だま》されたくさい話ね」
歯に衣着《きぬき》せね嵐ちゃんさん。もう少し気を遣《つか》って差し上げたほうが良いのではないですか? 小清水さん、少し落ち込んでいます。
「……これです」
小清水さんが、古びた紙を取りだしました。
「これは、水野《みずの》家の前々代当主が埋めたとされる財宝のありかが標《しる》してある地図です」
「水野家? ………前々代?」
「はい、水野家といえばこの辺《あた》りで有名な名家でした。それはあなたが一番知っていらっしゃるのではないでしょうか」
「はい、そうですね」
わたしは、水野家の人間ですから。
「それで、水野家ですが、前々代当主が財産を食いつぶして没落したと言われてます……が、その当主が、財産の一部を埋めていたらしいのです」
「さっちゃん本当なの〜?」
「なの〜?」
なっちゃんさんとほーちゃんさんが聞いてきます。
「そのような話を祖母から聞いた事はありますが…………」
わたしは、記隠《きおく》をさかのぼります。5歳|頃《ごろ》の話なので確かとは言えませんが、そのような事を言われた記憶が微《かす》かにあります。
「…………埋めたっけ?」
微かに呟《つぶや》く嵐ちゃんさん。
「あの、嵐《らん》ちゃんさん?」
「ああっ何でもない、何でもないわ! それでそれで?」
何かとてもあわてているようです。どうしたのでしょうか……そうわたしが訝《いぶか》しんでいるうちに、話が再開されました。
「はい。ところが、この地図……全く読めないのです」
テーブルの上に広げられた地図、そこに描《か》かれた川や山など特徴《とくちょう》的な地形……これは……この町ですか。
「これが、この街の地図だという事はわかるのです。一応印も書いてあるでしょう?」
はい、その地図には、一カ所に印が書いてあります。
「その印の場所を、堀りに行ったのですが何も出ませんでした。そこで、その横に書いてある文字……暗号らしき物が重要なのだと気づきました。しかし…………それが読めないのです」
小清水《こしみず》さんが指をさした場所、地図の右横には、何かが書かれてあります。文字のような、絵のような……幾何学《きかがく》的な模様《もよう》。これは…………
「水野《みずの》さん、これが読めますか?」
「…………読めます」
「おお! では……」
小清水さんの言葉を途中《とちゅう》で遮《さえぎ》る嵐ちゃんさん。
「で、その宝探しを手伝えって言うのね?」
「そうです。力を貸して頂けませんでしょうか」
「さっちゃんどうする?」
嵐ちゃんさんが聞いてきます。とても腰の低い小清水さん。感じの良い方なので助けてあげたいと思います。何より……
「…………わたしは、おばあちゃんの埋めた宝物を見てみたいです」
そう、見てみたいです。
「わかったわ。OKよ。アタシも気になるしね、何を埋めたか……じゃなくて、何が埋まってるか」
気がつけばお皿の上にそびえ立っていた山が消えていました。
あの山が三人の小さな身体《からだ》に入るとはとても思えないのですが。…………あの山はいったいどこへ消えてしまったのですか? わたしは、この世には不思議《ふしぎ》な事もあるものだという気分で、満足そうな三人を見ました。
そんな満足そうな嵐ちゃんさんは、にやりと笑いながらスプーンで小清水さんをさしました。
「うっふっふ〜分け前は弾《はず》んでもらうわよ〜」
…………という事があり、わたしたちは小清水《こしみず》さんの車に揺《ゆ》られているというわけです。ワゴンタイプの大きな車なので、5人乗って、荷物を載《の》せても多少の余裕があります。私たちの身体《からだ》が大きくないというのもありますが。
ただ、古い車なので地面からの振動がそのまま伝わる感じはいただけないです。乗り物に弱いので、酔ってしまいそうです。
よく、この振動の中寝られるものですね……わたしは、ぴったりくっついて眠っているなっちゃんさんとほーちゃんさんを見ながらそんな事を思いました。朝が早かったのもあるとは思いますが……すごい神経ですね、私には真似《まね》できません。
今わたし達が走っているのは武野山《たけのさん》の中を走る山道。山道なのでとても曲がりくねっています。
キキィー
このように。今、あまりの急力ーブで、車が傾きました。車体がきしみます。……車が保《も》つか心配です。それはともかく、急力ーブで傾いたと同時に、
「うきゃっ」
という叫びが聞こえてきました。そのあとに響《ひび》く、何かと何かがぶつかる音。
「……いっ痛いじゃないのよー。気をつけて運転しなさいよー」
嵐《らん》ちゃんさんの声が響きます。嵐ちゃんさんは、後ろに乗りだして、後部の荷台にある荷物を色々|探《さぐ》っていたのです。
「すっすいません」
どうやらひっくり返ったらしい、嵐ちゃんさんと、謝《あやま》る小清水さん。本当に腰の低い方ですね。
「……んー? 何これ?」
ひっくり返ったあともごそごそしていた嵐ちゃんさんですが、何かを見つけたようです。わたしは後ろを見ます。そこにはロープでぐるぐる巻きになった嵐ちゃんさん。
「そのロープは……」
「ここに転がってたから絡まっちゃったのよ」
「みゅ……あ〜嵐ちゃんみのむし〜」
「みゅみゅ……嵐ちゃん、すまき〜」
「むーうるさいわね〜」
先程からの騒《さわ》ぎで目が覚めたらしい二人。
「それはそうと、何これ?」
嵐ちゃんさんが取りだしたのは……
「……銃?」
それは銃でした。黒くて、私達の手には余りそうな大きさ。20センチと少しぐらいでしょうか。
銃があるなんてこれはいったいどうした事かと、内心で思っていると。
「ああ、それはライターです」
と、小清水《こしみず》さんが事もなげに言いました。ライター?
「貸してください」
小清水さんはそれを受け取ると、わたしに向け引き金を引きました。銃口から出る小さな炎。はぁ、変わった形のライターもあったものですね。
「へーへー」
感心している嵐《らん》ちゃんさん。
「かしてかして〜」
「なっちゃんも〜」
そのライターで遊び始める三人。
「あの……車、焦《こ》がさないでくださいね?」
そんな、小清水さんの言葉は聞こえていないようです。
「はぁ、はぁ、はぁ」
長い山道に、息が切れます。わたしは、杖《つえ》に体重をかけ息を整えようとします。
「止まんなさい! 休憩《きゅうけい》よ、休憩」
そのわたしの様子《ようす》を見て嵐ちゃんさんが、前を歩く小清水さんに声をかけました。
「すい……ま……せん……です」
「さっちゃんが謝《あやま》ることないわよ」
そこまで言うと、嵐ちゃんさんは前に向かって声を張り上げました。
「ほらほらお姫様を置いてくんじゃないわよっ! ペース早いのよ!」
「すっすいません、つい気がはやって……」
頭を下げる小清水さん。背中に大量の荷物を背負《せお》っていたせいで、頭を下げた拍子にバランスを崩《くず》してよろけます。
「宝物は逃げないわよ! まったく……男ならさっちゃんをかかえていくとか、したらどうなのよ」
「そっそれは気づきませんで」
ふらふらと、わたしに近づく小清水さん。
「いえ、わたしは自分の足で歩いていきたいです。……心配して頂いたのに申《もう》し訳《わけ》ないです」
「何で?」
ふらついている、小清水さんにこれ以上負担をかけるのは無理です。何より……
「おばあちゃんの埋めた宝物ですから」
おばあちゃんの、埋めた宝物。そこに着くまでは、自分で……自分の足で行かないといけない気がします。埋まっている物は、わたしや、お母さん。水野《みずの》家の女に残された物なのですから。
あの地図の暗号、あれは何の事はない、おばあちゃんの作った暗号です。
子供の頃《ころ》、お姉さんと一緒《いっしょ》に作って遊んだそうです。ひらがな五十音、全《すべ》てに記号を当てはめる。ただそれだけの単純な暗号。おばあちゃんは、おばあちゃんのお姉ちゃんと、その暗号で、手紙のやりとりをして遊んだそうです。自分達だけにわかる言葉、子供心にとてもわくわくした事でしょう。その気持ちはとてもわかります。おばあちゃんは、わたしのお母さんにその暗号遊びを教えて、わたしにそれを教えました。おばあちゃんに教わった頃は幼かったので理解できず、理解したのはお母さんに教えてもらってからですが。親子三代に伝わった遊び。その暗号で、書かれた地図。水野家の女……今はわたしにしか読めない地図。
「だから……自分の足で、進みたいです」
……ずいぶんと前向きになったものだと自分でも驚《おどろ》きます。ここまで一所懸命《いっしょけんめい》になった事は、最近ありませんでした。平賀《ひらが》さんを通じて知り合った皆さん。その皆さんの影響《えいきょう》を受けているのかもしれません。
ここでわたしががんばって宝物に到達できれば、何かが変わる気がします。……変われる気がするのです。
「でも、その…………おばあちゃんは、さっちゃんの足のこと知らなかったんでしょ?」
「はい」
あの事故にあったのは、おばあちゃんが亡くなったあとですから。
「じゃあ……」
「…………知らなかったとしても、わたしは、行ける所まで……」
杖《つえ》を持った手に力を込めて、足を踏みだしました。
「……行きたいです」
「そう……わかったわ。がんばって!」
嵐《らん》ちゃんさんはわたしを見て微笑《ほほえ》むと、
「コッシー! さっちゃんが歩くのにじゃまになりそうな物を見つけたら言いなさい。あと、じゃまな雑草とか刈《か》るのよ」
「わっわかりました」
いつの間にか、女王さまのように小清水《こしみず》さんを使ってる嵐ちゃんさん。あだ名まで付けています。
「それで、こっちであってんの?」
「あっているはずです」
地図と、コンパスを見ている小清水《こしみず》さん。
「じゃあ、行くわよ〜」
わたし達は、再び進み始めました。
宝探しとぼく
「ア……」
真太郎《しんたろう》が描《か》いた宝の地図に従って歩いていたら、オーラがそんな声を出した。前……先輩《せんぱい》と一緒《いっしょ》にさらわれた時に通った道とは違う山道を通って、ぼく達は武野山《たけのさん》を登ってる。オーラが声を出したのは、だいぶ登ってからだった。オーラは少しの間立ち止まったあと、先輩に話しかける。
「……ちょっといいデスカ」
「何だね?」
その二人に、ほかの人は気がついてない。真太郎は先頭をズンズン進んでるし、ほかのみんなもそれに続いてる。整備された山道を進んでるから歩調は速い。急いでるってのもあるけど。
「…………アノ……デ…………ノヨウデス」
ぼくは先輩のすぐ前を歩いてるんだけど……オーラが声を抑えてるから、何言ってるかあんまり聞こえない。
「本当かね?」
「ハイ…………ハ、……デス。『つかれた…………箸《はし》…………重…………持ったこと…………お嬢《じょう》様………………んてとこ……………』今ノ嵐《らん》………言…デス。ドウ………マスカ?」
やっぱりあんまり聞こえない。……でもお嬢様とか聞こえたような気がする。
「クッ……」
先輩が、口を押さえた。何だろ?
「ソノほか…………デ…………デス」
「……いっ今まで通りでいこう、そのほうが面白《おもしろ》…………良さそうだ。色々と」
…………先輩の頬《ほお》がぴくぴくしてる。笑いをこらえてるみたい。いったい何?
「おい、遅れてるぞ」
先頭の辺《あた》りを歩いているのりちゃんから声がかかる。
「ああすまない」
先輩は、歩調を速める。…………やっぱりほっぺたぴくぴくしてる。
「さあ、急ごうか。私の予想では、そろそろ遭遇《そうぐう》できるだろう。気を引き締《し》めてくれたまえ」
OKとか了解とか、みんなからの返事が返ってくる。先輩は、真面目《まじめ》な顔をして、真面目口調で、真面目なことを言っている。
でも…………ピクピク。
…………怪しい。怪しすぎる。
「……そろそろなんですか? 嵐《らん》ちゃん達に追いつくの」
「私の予想通りならな」
「…………先輩《せんぱい》」
「何だね?」
「…………何か隠《かく》してるでしょ?」
「気のせいだ」
「様子《ようす》おかしいですよ?」
「気のせいだ」
「…………さっき、オーラと何話してたんですか?」
「気のせいだ」
「……………………お嬢様《じょうさま》?」
「クッ」
ぼくに顔を見せないようにそっぽむく先輩。激《げき》怪しい。どう考えても笑いこらえてる。
「…………先輩」
ぼくが先輩をさらに問いつめようとしていると、先頭を歩いていた真太郎《しんたろう》が、いきなり走りだした。
うわっ、何? まさか嵐ちゃん達見つけたの? それなら、いきなり出るのは危ない!
「真太郎!」
「ああ、はじめ君。大丈夫だ。何の問題もない」
ぼくの叫びを先輩が止める。
…………問題ない?
真太郎が茂みを突き抜けたあとに聞こえてきたのは……
「クックマーーーーーー」
そんな叫び声。
森の熊さんとわたし
休み休みながらも、登り続けていたわたし達ですが、流石《さすが》にわたし以外の方も、疲れが見えてきたようです。
「つかれた〜つかれたわ〜、お箸《はし》より重い物持ったことないような、お嬢様のアタシに何てことさせるのよー」
そう叫びながら、鉈《なた》を振り回している嵐ちゃんさん。わたしが歩くのに邪魔《じゃま》になりそうな枝などを払ってくれているのです。
「らんちゃ〜ん、今〜」
「手にナタ持ってる〜」
「…………うっさいわね〜、言葉のあやよあや」
……疲労は、そうでもないのかもしれません。この三人に関して言えば。
「すい……ませ……ん」
ただ、わたしの疲労はかなりのもので、声も絶《た》え絶《だ》えになってしまいます。
「いいのよいいのよ、さっちゃんはな〜〜〜んにも悪くないの。悪いのは、そこでへばってるコッシーなのよ」
「コッシーがんば〜!」
「コッシーがんば〜!」
「はぁ…はぁ……はい……はぁ…はぁ」
なっちゃんさんと、ほーちゃんさんに励《はげ》まされている小清水《こしみず》さん。
背中に大荷物を背負《せお》っている小清水さん。宝を掘るのに必要な道具が詰まっているのですが……重すぎたようです。わたしの後ろを歩いている彼も、荒い息を吐いています。
最初、嵐《らん》ちゃんさんの行っている露払《つゆはら》いをやっていたせいでもあるのですが……。地面を掘るのは全《すべ》て小清水さんの作業でしたし。
「まったくだらしないわねー」
でも、その辺《あた》りは嵐ちゃんさんには、全く関係のない事らしいです。そのような事を考えていると、
「あっ」
わたしの杖《つえ》が、地面の段差に引っかかりました。その拍子にわたしは地面に倒れました。疲労で身体《からだ》が思うように動かなくなってきたようです。ですが……もう少しだけ頑張《がんば》ってください。わたしは自分の足に語りかけます。
「はぁはぁ、大丈、はぁはぁ、夫です、はぁはぁ、か?」
倒れたわたしに、手をさしのべてくれた小清水さん。息が荒く今にも卒倒《そっとう》しそうです。助けが必要なのは、あなたなのでは? わたしがそう思った時でした。
…………すぐ側《そば》の茂みから、何か大きな影《かげ》が飛びだして来たのです。
それを見た嵐ちゃんさんが悲鳴をあげました。
「クックマ――――――」
いきなりで、びっくりしたのかパニックを起こす嵐ちゃんさん。
「アアアアアアタシを食べてもおいしくないわよって、なんてアタシおいしそうなのー! 顔といい、身体といい、足といい、まずそうなところがどっこもないわ! 何てことなの……素晴《すば》らしいアタシの身体があだになるなんて…………ああー若さとかわいらしさの溢《あふ》れる自分が憎いわー」
なぜか盛大に嘆きだす嵐《らん》ちゃんさん。そんな嵐ちゃんさんにわたしは声をかけます。
「あの……」
「こうなったら、みんな! アタシが食べられている間に逃げるのよ!」
「嵐ちゃん〜」
「残しては行けないわ〜」
「あの……」
「馬鹿《ばか》っ! みんな食べられてどうするの! ……………アタシの犠牲《ぎせい》で、みんなが助かるなら安いものよ、美人|薄命《はくめい》って言うじゃない、これがわたしの運命だったのよ」
「ううー嵐ちゃんー」
「……やっぱりだめ〜、嵐ちゃんを置いてはいけない〜」
「そうよ〜ともだちじゃない〜」
「ぐすん、……なっちゃん……ほーちゃん」
「へへへへ」
「へへへへ」
「あの……」
「そうよね……簡単《かんたん》にあきらめるなんてアタシらしくないわね……、アタシ達が力を合わせれば熊《くま》の一匹や二匹」
「そうよ〜!」
「熊をやっつけるのよ……」
「あの……」
「…………ん? 今取り込んでるからあとにして」
「今でないといけない気がするのですが……」
「じゃあ、早く言って」
わたしは、手を取り合っている三人に言いました。
「熊ではないです」
「へ?」
そこでようやく、パニックから回復して周囲を見回す余裕ができた嵐ちゃんさん。
「山田《やまだ》さんです」
正気を取り戻した嵐ちゃんさんが見たのは……小清水《こしみず》さんを押さえつけた山田さんです。
「…………山田さん。どうしてここにいんの? って、ああ! コッシー死にそうになってる。さっさとどいてどいて」
嵐ちゃんさんに言われ、小清水さんの上から退《の》く山田さん。事態が読み込めてない様子《ようす》です。
…………いったい、なぜ彼がいるのでしょう。
わたしが疑問に思っていると、パチパチと拍手が聞こえてきました。
「いやいや、素晴《すば》らしい友情だね。感動したよ」
「…………」
取り乱したのを見られたのが恥《は》ずかしかったのか顔を赤くしている嵐《らん》ちゃんさん。
「状況からするに、倒れた桜《さくら》君に手をさしのべたその男性を、襲《おそ》っていると早とちりした真太郎《しんたろう》君が襲いかかったというところだろうな」
その通りだと思います。
「…………何でこんな所にいんのよ」
真《ま》っ赤《か》な顔の嵐ちゃんさんが聞きました。
「いや、真太郎君が気になる夢を見てね、見過ごせない夢だったので、君達を捜《さが》しに来たというところだ。幸い杞憂《きゆう》に終わったようだがね」
「夢? 山田《やまだ》さんまた夢見たの?」
「そうだ。ところで、銃というものに心当たりはないかね? 真太郎君の夢に出てきていたのだが……」
「銃ですか?」
「そう銃だ。桜君が銃を突きつけられているという夢を真太郎君が見てな、急いでここまでやって来たというわけだ」
銃……銃……ああ、もしかするとあれですか。わたしは嵐ちゃんさんを見ました。
「これ?」
嵐ちゃんさんが、上着を開くと、スカートの所に銃が挟《はさ》んでありました。
「何となく気に入っちゃって……」
それを取りだすと、平賀《ひらが》さんに向けて引き金を引く嵐さん。
「ばーん」
銃口から出る小さな炎。
「これかね?」
その炎を見ながら平賀さんが、山田さんに聞きました。
「これだ」
うなずく山田さん。
「なるほど、それで………嵐君ロープぐるぐる巻きになったりしたかね」
「あ〜、そういえば〜、嵐ちゃんが荷台で〜ごそごそしてた時〜」
「急カーブで〜、嵐ちゃん転がって〜、嵐ちゃんロープに絡まった〜」
「なるほどなるほど」
納得《なっとく》と、しきりにうなずいている平賀さん。
「余計なこと言わない!」
「は〜い」
「らじゃ〜」
「あと、美穂《みほ》君、美菜《みな》君、気を失ったりしなかったかね」
「気を失ったというか……お二人は先ほど、よく眠っていました」
それを聞いて再びうなずく平賀《ひらが》さんです。
「なるほどなるほど。疑問は大体解消した。いやいや、真太郎《しんたろう》君もまぎらわしい夢を見たものだ。いや、君達がまぎらわしい行動を取ったと言うべきか。私的にはとても愉快《ゆかい》で興味深《きょうみぶか》かったのだが」
夢……どうやら皆さんは、山田《やまだ》さんの夢の中でわたし達に危険が及んでいるように見受けられたので助けに来てくださったのですか。夢で見た…………そんな不確かな事のために……そうですか。
「さて、どうするかな…………今は、宝探しの最中かい? 一応話を聞かせて貰《もら》いたいのだが。その男性の事も紹介して貰いたいしな」
「わかりました…………、順を追って説明します」
わたしは、昨日からの出来事を話し始めました。
「なるほどなるほど。理解した。何とも、愉快な事になっているな」
「それでつばさ、あんた達どうするの?」
「ふむ……では、ついて行く事にしよう」
「え〜〜〜何で〜〜〜来なくていいわよ。お姉さまは大歓迎だけど。ね〜お姉さま〜」
「あはははははは……」
乾いた笑いの山城《やましろ》さんです。
「そう言わずに。色々と興味をそそるのだ。ついて行くだけついて行かせてはくれないかね?」
「う〜ん」
嵐《らん》ちゃんさんはしばらく考えたあと……
「お姉さま一日貸し切りで手を打つわ」
「乗ろう」
「即答!? ぼくの意志はどこに!?」
どうやら話が付いたらしいです。
「あのう……」
おずおずと口を挟《はさ》んだのは小清水《こしみず》さん。
「ああ、大丈夫。私達の目的は金銭ではない。まぁ、ここまで来たのだからせっかくのお宝を見ていこうとしているだけだ」
「そうですか」
平賀《ひらが》さんの言葉を聞いて、小清水《こしみず》さんはどことなくほっとしているようです。
「では行こう。宝はもうすぐのはずだ」
「何でわかるのよ?」
そう、なぜわかるのでしょう。小清水さんの持っていた地図。そこに暗号で書いてあったのは、『たけのさんのきたのおおいわからひがしににじゅっぽのところかおおいわからにしにすこしいったところにあるさんぼんすぎのまんなかをほれ』
読みやすくすると、武野山《たけのさん》の北の大岩から東に二十歩の所か、大岩から西に少し行った所にある三本杉の真ん中を掘れ。
この、大岩の場所ですが、地図に標《しる》されていたのですぐにわかりました。小清水さんは、この岩の辺《あた》りを色々掘っていたのです。それで、その指示された場所を掘ると、鉄の箱《はこ》が出てきました。それには、地図が入っていました。その地図にも、印と暗号が書いてありました。もう片方の場所も掘ってみましたが、そちらにも全く同じ地図が入っていました。二つの場所に埋められていたのは、土砂|崩《くず》れなどの予想外の出来事で箱が行方《ゆくえ》不明になってしまった時のための保険なのだと思います。
そのあと、掘る、地図が出る、また掘る、これを三度繰り返したのち、平賀さん達と出会ったのです。
ですので、この繰り返しをあと何度やるのかわからないと思うのですが……平賀さんはなぜわかっているのでしょう。
「この地図を見てくれたまえ」
わたしが持っている地図と、だいたい同じ。ただ……
「……少し違う」
嵐《らん》ちゃんさんが、今手元にある3枚の地図を取りだして見比べたあとに呟《つぶや》きました。
「うむ、これは真太郎《しんたろう》君が夢の中で見た地図…………宝を探し当てた時に持っていた宝の地図だ。言うなれば、解答だな」
解答ですか。
「真太郎君は何か記号が書いてあったことを覚えていたが、どんな記号だったかまでは覚えていなかった。そのかわり、地図と、その地図に描《か》かれていた宝の場所は覚えていた。君達よりかなり遅れて出発した私達が、君達に追いつけた理由は、君達の歩みが遅かったのもあるが、一番の理由はその地図を元に一直線《いっちょくせん》にやって来たからだ」
なるほど、確かにわたし達はかなりの遠回りをしています。
「ですが、その……答えを見て宝を探すというのは……」
「気に入らないのかね。ふむ…………宝を探すという行為に、何かを重《かさ》ね合わせているようだね、君は。よし、なら一応|解答編《かいとうへん》といこうか……嵐《らん》君、そのライターを貸してくれたまえ」
「何に使うの?」
「まあ、見ていればわかる。あと、桜《さくら》君。ここにある地図のうち、1枚目はどれかね。たぶん、どれでも構わないだろうが……1枚目のほうが愉快《ゆかい》なはずだ」
わたしは地図を手渡します。
平賀《ひらが》さんは、銃を構えて火をつけると……地図をその火の上にかざしました。
「なっ何を!」
あわてる小清水《こしみず》さん。
「まぁ、見ていてください」
地図をしばらく火に近づけていると…………地図に文字が浮かび上がったのです。
それを見て、山城《やましろ》さんが感心したように言いました。
「へーあぶり出しですか」
「うむ、真太郎《しんたろう》君が見た、宝の地図というのが、何カ所か焦《こ》げていたらしくてね。今見るとその地図は焦げていない。だからそうでないかと予想したのだが、予想通りだったな。たぶん、あと何個か鉄の箱《はこ》を掘りだしたら、中に地図を炎にかざせとか書かれた紙が入っていただろう。これが解答だ。さんざん歩き回ったあげくに、実は火にかざすだけで宝の場所がわかるというのは、なかなかに意地が悪い。実に私好みだ。だが、わざわざ最後まで付き合う必要もないだろう。君の足はそろそろ限界だろうし」
……わかりますか。確かに左足の感覚がほとんどなくなっています。このまま歩いていても、すぐに歩けなくなるでしょう。
「意地が悪いとは失礼ね! あれは、大切な物はすぐ側《そば》にある…………とかいう、歌にでもなりそうなすんばらし〜い教訓が込められてるのよ。ほかにも急がば回れとか、そのほかもろもろの教訓まで込められてんのよ!」
嵐《らん》ちゃんさんの叫び。わたしは、そこに見過ごせない違和感を感じました。
「なぜ……失礼にあたるのですか? 宝を埋めたのは嵐ちゃんさんではないはずです。それに……なぜ、そのような教訓が込められていると言いきれるのですか?」
わたしは嵐ちゃんさんに問いかけました。はっとする嵐ちゃんさん。思いきりうろたえているのがわかります。
「えっと……何てゆーか………………フィーリングがあったとかはどう?」
「少々無理があるな」
「じゃーね、えとね、そう! 天啓《てんけい》が降《ふ》ってきたのよ! こうパ〜〜〜〜〜って感じの光と共に……」
「…………うさんくさいな」
「……アタシもそう思う」
考え込み、何か良い考えを思いつこうとしている嵐《らん》ちゃんさん。
「思うに……そろそろ潮時《しおどき》なのではないかね。嵐君の思いもわかるが、ここまで来てしまったら言うしかないだろう」
「…………ふぅ、そうね。ここまでか」
嵐ちゃんさんは、頭をかくとこちらに向き直り、わたしの目を見つめてきました。
「さっちゃん!」
「はい」
「とても重要な話があるの」
「わかりました」
「アタシは実はね…………あなたのおばあちゃんの生まれ変わりなのよ!」
嵐ちゃんさんの叫びが周囲にこだましました。
カミングアウトした嵐ちゃんとぼく
「…………どう?」
「先ほどの天啓《てんけい》に負けず劣らずのうさんくささだね」
聞く嵐ちゃんと、答える先輩《せんぱい》。
「やっぱり…………アタシもそう思うわ。でもね、さっちゃん! 本当なのよ」
いきなり桜《さくら》さんにそんなこと言っても荒唐無稽《こうとうむけい》すぎて、すぐには信じられないよね。
「本当なのですか?」
そう、嵐ちゃんに聞く桜さん。
「嵐君、いきなりアタシはあなたのおばあちゃんですと言われても信用できないだろう。何か証拠《しょうこ》を提示しなければ」
「……それもそうね。う〜〜ん」
何やら考え込んでる、嵐ちゃん。
「そうだ! さっちゃんのお尻《しり》には、ほくろがあるのよ! 三つのほくろがきれいな三角形の形に並んでるの! さっちゃんのおしめを替えたわたしが言うんだから間違いないわ!」
これでどうだ! と言わんばかりの嵐ちゃん。だけど……
「……そうなのですか?」
「どうやら桜君は知らないようだね。自分の臀部《でんぶ》など、自ら見ようとしなければ見ることはないだろう。鏡《かがみ》などを、うまく使わなければならないだろうしな」
確かに。自分のお尻にほくろがいくつあるかなんて普通知らない。
「では、おれが、確認役を……」
立候補する馬鹿《ばか》。とりあえず蹴《け》りを入れて黙《だま》らせる。
「できれば、私も確認役に立候補したいが……」
先輩《せんぱい》……行動がタッキーと変わらないじゃないですか……情けないですよ、ぼくは。
「……それには時間がかかるな。ほかにないかね?」
またまた考え込む嵐《らん》ちゃん。
「う〜〜〜〜ん…………あっ! そういえば、嵐ちゃんのやんごとない所にもほくろが!」
「でわ……ぶっ」
タッキーを再び暴力で黙《だま》らせるぼく。同じことを繰《く》り返すなっ!
「嵐ちゃん、それじゃさっきと変わらない」
「じょうだんよ、じょうだん〜」
や〜ね〜と手を振る嵐ちゃん。ややこしいし、食いつく馬鹿《ばか》がいるから時と場合を考えて……
「えとね、名前の由来なんかどう? アタシがさっちゃんの名前つけたんだから」
へー…………そうなんだ。でもあり得ることか……何かものすごく不思議《ふしぎ》な感じだけど。
「うち……というか、前のアタシの家では、女の子が生まれたらお花の名前をつける習わしだったのよ。たとえば、アタシは蘭《らん》で、お姉さまが桜《さくら》。アタシ達のお母様が牡丹《ぼたん》で、お婆《ばあ》さまが撫子《なでしこ》」
いきなり自分の名前が出たので驚《おどろ》くぼく。そんなこと言われても覚えてないから違和感ばかりがある。
「んで、前のアタシに子供が生まれた時に、百合《ゆり》ってつけて、さっちゃんには、桜ってつけたのよ。お姉さまのように優《やさ》しい娘になるようにって」
そうなのか…………前も思ったけど、前のぼくは嵐ちゃんにとって相当大きな存在だったらしい。前のぼくが今のぼくと変わらないなら、それは買いかぶりなんじゃないかと思う。早くに死んじゃったから、だめなところが見えなくなってたんじゃないだろうか。
そんなことを思いつつ嵐ちゃんを眺めていたら、先輩《せんぱい》が話しかけてきた。
「ほほー、はじめ君の前世ネームは桜というのか」
「…………先輩……その前世ネームとかいう、いかがわしさ大|爆発《ばくはつ》の言葉を使うのはやめてください。お願いです。心の底からお願いです」
「むう、そのいかがわしさが良いのではないか」
「良くないです!」
「わかった。覚えておこう。………それはそうと、桜君に信じてもらうためには、名前の由来《ゆらい》だけでは少し弱いかもしれないな。調べればわかる事だ。一応この辺《あた》りの名士だったのだからその程度の記録《きろく》は残っているだろう」
それはそうかもしれない。何かほかにあるのかな?
「それじゃ、前のアタシの名言。小さなさっちゃんの手を引いて、やすらぎ公園を散歩していた時に言った言葉。笑顔《えがお》を好きになった奴《やつ》がいたら、放すんじゃない。なぜなら……」
「なぜなら?」
桜《さくら》さんが聞きます。桜さんは答えを知っているんだろうと思う。だからこの問いは確認。嵐《らん》ちゃんが、桜さんのおばあちゃんの生まれ変わりだと信じる為《ため》の最終確認。
「……そういう笑顔に惚《ほ》れた男は」
そこで一呼吸|挟《はさ》む嵐ちゃん。
「笑顔で頼めばどんな無茶《むちゃ》なことでも聞いてくれるからよっ!」
らっ……嵐ちゃんらしい言葉だ。
その言葉を聞いた桜さんの表情は相変わらず変わらない。いったいどう思ったんだろうか……嵐ちゃんが、おばあちゃんだと信じたんだろうか。ここにいるみんなが事の成り行きを見守っている中に先輩《せんぱい》の声が響《ひび》いた。
「…………うむ、至言だ」
しきりに感心して、うなずいている先輩。その先輩の笑顔につられて、いいように遊ばれているぼくとしては、とても痛くて為にならない名言。
「先輩……空気読んでください」
ぼくが先輩をいさめていると、
「……本当におばあちゃんなのですか?」
という、疑問というよりは確かめているような桜さんの言葉が聞こえた。
「だからさっきから本当だって言ってるじゃない!」
何か、えらそうな嵐ちゃん。
「なぜ……隠《かく》していたのですか?」
その問いを聞いた嵐ちゃんは、しばらく沈黙《ちんもく》したあと、ゆっくりと言った。
「…………前のアタシは、アタシだけどアタシじゃないの。うーん、何て言ったらいいんだろ……アタシの頭の中にはね、水野《みずの》蘭《らん》っていう人間の人生を描いた、超大作の漫画《まんが》が入ってるの。でもその漫画は、途中《とちゅう》の巻が抜けまくってて思いっきり歯抜けだし。所々破れたりしてるの。だからすべてを知ってるわけじゃない」
ぼくは、何にも覚えてないわけだからそれでもすごいことなんだけど。
「アタシは、死んで、また生まれて石川《いしかわ》嵐として育ったの。水野蘭じゃない。さっちゃんの両親《りょうしん》が死んだって知った時、ものすごく悲しくて、ものすごく泣いちゃったけど、……それでも少し違うの。大好きな登場人物が死んだって感じ。悲しいけど何か違う。繰《く》り返すけど、前のアタシは、アタシだけどアタシじゃないのよ」
桜さんと初めて会った時、嵐ちゃんが大泣きしたのはそういうことだったのか。
「でも、前のアタシはアタシと違うっていっても、アタシは、さっちゃんがちっちゃい頃《ころ》を知ってるの。どんなにかわいかったかも、どんなに良い子だったかも。だから……だからね、アタシはね、アタシとしてさっちゃんと友達になりたかったの。きっかけは前のアタシだけど、おばあちゃんじゃなくて、友達に……親友《しんゆう》になろうとしてるのは今のアタシ。だから、前は関係なしにしたかったの」
「……そうなのですか」
「そう……黙《だま》っててごめんね」
「いえ……とても、うれしいです。とても……」
あっ、桜《さくら》さん、何か今少し表情がゆるんだ気が。
「むむ……今笑いそうになったわね。もう一息。さっちゃんが笑うのは」
「そうですか? 自分ではわかりませんが」
「そう、もう一息よ! さっちゃんは笑ったほうがかわいい、絶対笑わせてやるんだから!」
嵐《らん》ちゃんが、笑顔《えがお》で宣言した。仲の良い二人の不自然だけどとても自然な関係……良かったね、嵐ちゃん。ぼくには、二人はもう親友にしか見えない。でも…………お兄ちゃんとしては少し焼けるなあ。
おばあちゃんの宝箱とわたし
「じゃあ、宝|探《さが》しを再開するわよ〜、お宝はもうすぐ!」
元気に宣言すると先頭に立って歩きだす、若く変身したおばあちゃん。
とても不思議《ふしぎ》な気分です。記憶《きおく》の中のおばあちゃんはとても物静かな印象だったので違和感があるのです。ただ……嵐ちゃんさんの片鱗《へんりん》をうかがわせる突飛な行動も記憶《きおく》しているので……若い頃《ころ》のおばあちゃんは、こんな感じだったのかもしれないですね。
「嵐君、君は中身を知っているのではないかね?」
先頭を歩きだしたおばあちゃんに質問を投げかけたのは平賀《ひらが》さん。
「うーん…………実は思いだせないのよねー。何かを埋めたのは覚えてるんだけど…………いったい何埋めたんだっけ、アタシ」
……覚えてないのですか。
「ま、お宝が何かは掘ってからのお楽しみってことで。レッツゴー」
「あの、おばあちゃん……」
わたしは歩きだそうとしたおばあちゃんに話しかけました。
「だめーっ!!」
「あの」
いったい何が……
「おばあちゃんなんて呼ばないでっ! アタシ今何歳だと思ってるの! 15よ15。おばあちゃんなんて呼ばれる歳《とし》じゃないのよ!」
ものすごく必死にそう言い張るおば……嵐《らん》ちゃんさん。
「わかりました、嵐ちゃんさん……」
「それもだめ! さんなんてもういらないでしょ? アタシ達は、もう親友《しんゆう》同士よ。秘密もなくなったし。ね? そうでしよ?」
「わかりました……嵐ちゃん」
確かに、さんをつけない……ただそれだけで何か親《した》しくなった気がします。
「なーに?」
とてもうれしそうな嵐ちゃんです。
「今度|一緒《いっしょ》に、お墓参りに行ってくれませんか?」
そう、わたしのお父さんとお母さんの入っているお墓に。
「…………いいわよ。アタシも行きたかったしね」
そうしみじみと言う嵐ちゃん。ですが、そのあとに奇妙な言葉が続きました。
「………………………………げ」
「げ……ですか?」
いきなり何なのですか?
「……そのお墓って……………………前のアタシ入ってるんじゃないの?」
「…………入ってます」
考えてみれば当たり前の事ですね。
「むむむ、いったいどんな顔して参ればいいのかしら。前のアタシ、天国で安らかに眠って…………ってアタシここにいるじゃない! あああ、頭おかしくなりそう。ああっそれに、前の旦那《だんな》が、旦那が入ってる。あああああむむむむぐぐぐぐぐみゅみゅみゅみゅみゅ………………」
混乱している嵐ちゃん。
「はっまさか……こっこれって、バッテンがひとつついたのかしら。この歳《とし》でバツイチ!? でも、前のアタシと今のアタシは違うのよ? そう、違うの! だから安心してね、お姉さま。アタシはお姉さま一筋よ!」
「嵐ちゃん……何に安心しろと……」
困った顔の山城《やましろ》さん。
確かに……とても不思議《ふしぎ》な事になっているようです。でも……とてもうれしい不思議です。頭を抱えている嵐ちゃんには悪いですが。わたしが嵐ちゃんを見ていると……
「いやいや、今までの会話を聞かせてもらったが、実に興味深《きょうみぶか》いね。私もついて行って良いかね」
平賀《ひらが》さんがそんなお願いをしてきました。そんな平賀さんに、嵐ちゃんはものすごく嫌《いや》そうな顔で言いました。
「ずぇえ〜〜〜〜〜〜〜〜ったい、お断りよっ! じゃあ、今度こそ出発ね」
進み始める嵐《らん》ちゃん。私がついて行こうと足を出した時、声がかかりました。
「足は……大丈夫か?」
「はい……どうにか」
わたしは山田《やまだ》さんにそう答えます。あと少しなら歩けます。
「……俺《おれ》に手伝わせてくれないか?」
「山田さん……気持ちはありがたいのですが、自分の力で……」
自分でどうにかしたい。
「桜《さくら》君、真太郎《しんたろう》君に手伝わせてあげてくれないかね? 好きな人が苦しんでいるのをただ見ているだけというのは辛《つら》いものだぞ?」
「平賀《ひらが》さん……」
確かに平賀さんの言う通りかもしれません。ですが……
「それにだ。真太郎君がここにいるのは君の為《ため》だ。君だから真太郎君が助けようとしている。そう、君だからだ。…………私はこうやって助けようという気を起こさせるのもその人の人徳《じんとく》……つまりその人の力だと思うがね」
「そういうものですか?」
「そういうものにしておくほうが便利だな、何かと」
「……何か、釈然《しゃくぜん》としないものがあるのですが」
「気にしたら負けだ。……大体君は考えすぎだ。君が魅力《みりょく》的だから、真太郎君が君を助けようとしている。それで良いではないか」
……考えすぎ……そうかもしれません。それに、自分の力で……とこだわるのは、愚《おろ》かな事かもしれません。
わたしは決心し、山田さんを見上げて言いました。
「では……すいませんが、よろしくお願いします」
「わかった」
山田さんは、言うが早いがわたしの身体《からだ》を抱え上げ、自分の左肩に乗せました。ものすごい高さに目が眩《くら》み、わたしはあわてて山田さんの頭を掴《つか》みます。
「えっ、あの……すいません」
「いや、いい。しっかり捕まってろ」
なぜ、肩なのでしょうか。確かに山田さんの肩は広くて座るのに十分なスペースがあるのですが。
「ほほう、そうきたか。うむ、背負《せお》うのはこの場合適さないな、後ろからハイエナが狙《ねら》っている。背の高さと山道の傾斜で後ろからよく見える。あと候補としてはお姫様だっこがあるが……その場合は両腕がふさがって危険だな。なるほど、真太郎君の桜君への想いが垣間見《かいまみ》えるな」
「先輩《せんぱい》、声大きいですよ!」
…………山田《やまだ》さん。どことなく照れているように見えるのは気のせいでしょうか。
「あー桜《さくら》君」
「何ですか? 平賀《ひらが》さん」
「うむ、ひとつお願いがある」
いったい何でしょうか……
「………………パンチだロボとか言ってくれないかね?」
「先輩! 何でそう、いい雰囲気をぶち壊《こわ》そうとするんですか! 黙《だま》っててください!」
「気を遣《つか》って、真太郎《しんたろう》君の頭に抱きついて『もうやめてっ! お願いっ!!』と言ってくれとは言ってないではないか」
「いったいどの辺が気を遣ってるって言うんですか! ああ、気にしないでくださいこれからは静かにしますので」
平賀さんの口を押さえて離《はな》れていく山城《やましろ》さん。…………相変わらずのお二人です。
「うーん、たぶんここよ、何となく覚えてる」
嵐《らん》ちゃんが、きょろきょろと見回しながら言いました。
「地図でも、ここだね」
平賀《ひらが》さんが、地図を見ながら言いました。
どうやら、本当に宝物に到達したようです。
「本当! 本当ですか! ああ、やっと……さあ、掘りましょう」
ばてて、口数が少なくなっていた……というか、予想外の展開で口を挟《はさ》めずにいたらしい小清水《こしみず》さんですが、ここぞとばかりに復活したようです。
「うむ、そうしよう。ああ、その辺の肉体労働担当の諸君、手伝って差し上げなさい」
「……オレらの事か」
「君ら以外にいないだろう。何より早く終わらせないと帰れないぞ?」
「…………ああーちくしょう、やりゃーいいんだろ」
小清水さんの手伝いに借り出されたのは、山田《やまだ》さんと、大林《おおばやし》さん。
「うつくしいボクの手が汚れてしまうではないか〜」
と、道本《みちもと》さんは拒否しました。
小清水さんに、二人の助力がついたおかげで、地面を掘る速さが、今までに増して速いです。今までも、だいたい1メートルほど掘ったら出てきたので、そろそろでしょうか……。見守る皆の緊張《きんちょう》が高まったその時…………
「あああああああああああああっ!!」
嵐《らん》ちゃんが叫び声を上げました。
「いったい何だね?」
「あはっあはははっ、何でもないわー何でもないわよー。ほんとほんと」
いきなり奇声を発したあとに、引きつった笑いで何でもないと言われても信じられるわけないですね。それにわたしは聞きました。
思いだした…………
と、嵐ちゃんが思わず漏《も》らした言葉をです。
目に見えて情緒《じょうちょ》不安定になる嵐ちゃん。おばあちゃんは、いったい何を埋めたのでしょうか……しかし、小清水さんはその嵐ちゃんの様子《ようす》に気がついていません。……幸か不幸か。おかげで作業は急ピッチで進み、しばらくしてガンッというスコップが硬い物に当たる音が聞こえました。
「おお、見つかったかね」
掘られた穴をのぞき込む平賀さん。
「はい、ああ……これで借金が返せる」
小清水さんの喜びの声が聞こえます。
わずかに見えた鉄の箱《はこ》、その周囲の土を3人で手分けして掘りだしていくのを、落ち着かない様子《ようす》で見ている嵐《らん》ちゃん。
その嵐ちゃんの態度と、嵐ちゃんの漏《も》らしたあの言葉からすると…………おばあちゃんが埋めたお宝は、あんまり期待できないのかもしれないですね。
この宝探し、わたしとしては、嵐ちゃんの隠《かく》していた事を知る事ができ、さらに仲良く、通じ合う事ができたので無駄《むだ》ではなかったのですが。
ミッションコンプリートとぼく
「よっこいしょっ」
穴を掘ってた三人のかけ声と共に、鉄の箱《はこ》が穴から出てきた。50センチ四方の鉄の箱。なんかとても重そう。いったい何が入ってるんだろう。
その頑丈《がんじょう》な箱にかかっている大きな南京錠《なんきんじょう》。でも鍵《かぎ》がない。
「ふむ、途中《とちゅう》の過程を飛ばしたから鍵がないのかもしれないな」
先輩《せんぱい》が、その南京錠を見ながら言った。
「じゃ〜しょうがないわね、これ埋めて何も見なかったことにしない?」
「しませんよ! せっかくここまで来たのにっ!」
小清水《こしみず》さんが、必死な感じで言った。話は聞いたけど……よっぽどせっぱ詰まってるんだなぁ。それにしても嵐ちゃんの不可解な言動。これはいったい何だ?
「私としては、是非《ぜひ》とも中身を確認してみたいね。はじめ君、マジカル☆バールのような物でこじ開けてくれたまえ」
…………とうとう日の目を見たマジカルバールのような物。
ぼくはマジカルバールのような物を南京錠に引っかけると、思いっきり体重をかけた。
「んぐ〜〜〜」
かっ堅い。
「このような事もあろうかと、はじめ君にマジカル☆バールのような物を持たせたのだよ!」
「流石《さすが》つばささんですわ」
「デスネ」
「素晴《すば》らしい、一生ついて行きますよつばさ先輩!」
なんか自慢《じまん》している先輩と、それを褒《ほ》める美香《みか》さんとオーラとタッキー。絶対|嘘《うそ》だ。それはそうと、堅すぎてどうにもならない。ぜんぜんびくともしない。
「せっ先輩堅いです」
ぼくは先輩に、助けを求めた。でも帰ってきた言葉は……
「…………はじめ君の今の台詞《せりふ》……その……少しどきどきするな」
「何あほなこと言ってるんですかっ!!」
ぼくがそう叫んだ時に力んだのが良かったのか、南京錠《なんきんじょう》の留《と》め金《がね》がバキッと言った。錆《さ》びてたのも良かったんだと思う。
「うわっ」
バランス崩《くず》したぼくは後ろに倒れそうになる。
「おっと危ない」
危ないところで先輩《せんぱい》がぼくを受け止める。
「ごくろうさま。さあ、御開帳といこうか」
先輩が鉄の箱《はこ》を開く。錆びているからか、スムーズにはいかないけど、どうにか開いた。
鉄の箱の中には木箱が入っていた。鉄の箱に守られていたおかげで、その木は腐《くさ》ってない。ぼくもどきどきしてきた。いったい何が入ってるんだろう。…………一応言っとくけど、ぼくのどきどきは先輩みたいに不純なものじゃない。
「ここからは、桜《さくら》君の仕事だろうね」
「はい……わかりました」
その木の箱を縛《しば》っている紐《ひも》を桜さんがゆっくりとほどく。
さすがに、どきどきしてきた。
その木箱のふたをゆっくりと開けるとそこにあったのは…………ひとつの壺《つぼ》。
「つぼ?」
ぼくは思わず呟《つぶや》いた。箱の中にあるのはひとつの壺。その壺の口は、布で縛られている。
「なーんだ壺ひとつだけ? しょうがない、これは見なかったことにしよう!」
…………なんかものすごく中を見たくなさそうな嵐《らん》ちゃん。
「何で、そんなにいやそうなの?」
「いっいやそうじゃないわよっ! 何言ってるのお姉さまっ! おほほほっ」
ものすごく怪《あや》しい。
桜さんが壺の口を覆《おお》っている布をはずす。そして壺の中に手を入れると……一枚の古びた紙を取りだした。そして、その紙を読むと……桜さんが固まった。
何? どうしたの?
先輩がカチーンと固まった桜さんからその紙を受け取ると、声に出して読んだ。
「なになに……壺の中身が空なのを見て落胆しているかもしれません。しかし、ここに来るまでに試された知恵、勇気、努力、そして協力してくれた仲間達。それらが本当の宝物、何物にも替えられない宝物なのですよっ!! きらーん……以上だ」
「………………きらーん」
ぼくは思わず呟いた。
ぼくには青空に半透明で浮かびながら、いい笑顔《えがお》をキメてる前世の嵐ちゃんの姿が見えた。きらーんは歯が光っている音じゃないかな。
みんなの視線《しせん》が嵐《らん》ちゃんに集中した。
「アッアタシじゃないわよ? アタシが悪いんじゃないわよ? さっきも言ったでしょ? 前のアタシはアタシと違うのよ!!」
思いっきりうろたえる嵐ちゃん。
「あああああ、そんなぁ、借金が借金が……」
嘆く小清水《こしみず》さん。
かける言葉がまったくない。わざとじゃないとはいえ……嵐ちゃん何てことをやってしまったんだろう。さよなら満塁《まんるい》ホームランだったのにホームベース踏んでませんでした……というぐらいのぬか喜び具合。……小清水さんの落胆っぷりは見てるこっちの胸が痛む。
「だって、そんな、こんなことになるとは思わないし、ってアタシのせいじゃないんだけど……」
必死に弁解している嵐ちゃん。とても嵐ちゃんっぽい気がするけど……これは……流石《さすが》に。
そんなある意味、修羅場《しゅらば》で悲壮な空気の中、桜《さくら》さんは先輩《せんぱい》から再び紙を受け取ると、その紙を大事そうに胸に抱いた。
「流石おばあちゃんです。……とても、おばあちゃんらしいです」
背の低い桜さんが下を向いているので顔が見えない。
「でも……そうですね、これは宝物です。本当に素晴《すば》らしい宝物」
「うむ、その宝物達は素晴らしいぞ。私もその宝達が愉快《ゆかい》で大好きだ。そして……宝物のひとつとして言わせてもらうが、特にそこの大きな宝物なんかは最高だ。自らを省《かえり》みず、丸腰で、銃を持っているかもしれない相手に飛びかかる。中々にできる事ではないぞ?」
先輩の目線《めせん》の先には真太郎《しんたろう》。
「そうですね……本当に……わたしなどの為に……わたしは、ここまで想《おも》っていただいてるのですね。何てありがたい……何てうれしい」
桜さんが、身体《からだ》を真太郎に向ける。
「前の約束通り……今なら聞ける気がします」
桜さんは、杖《つえ》をつき足を引きずりながら、真太郎の前まで行った。
そしてゆっくりと口を開く。
「……未来の……未来のわたしは笑っていましたか?」
ずっと下を向いていた桜さんが聞いた。
真太郎を正面から見上げ聞いた。
真太郎の目を見つめ聞いた。
微笑みながら[#「微笑みながら」に傍点]。
そう、桜《さくら》さんが微笑《ほほえ》んでいる。初めてだ、初めて見た。先輩《せんぱい》も嵐《らん》ちゃんも、みんながみんなその笑顔《えがお》に見とれた。
真太郎《しんたろう》は、その笑顔を見ながら言った。
「その笑顔だ」
「…………笑顔?」
桜さんは、自分が微笑んでるのに気づいてなかったみたい。
「ああ、俺《おれ》が夢で見たのは、今の場面。水野《みずの》先輩あなたが微笑んでる瞬間《しゅんかん》だ」
「わたしは……今笑ってましたか?」
真太郎がうなずく。
「俺が、心を奪われたのは、今のあなたの笑顔。俺はこの笑顔が見たかった」
真太郎が夢で見たのは今の瞬間だったのか……でも納得《なっとく》した。桜さんの笑顔は、とても素敵《すてき》だった。
「それだけですか? それだけでわたしの事を? たったそれだけの事の為《ため》に、こんな所まで来たのですか? 命が危険かもしれないのに?」
「ああ」
それを聞いた桜さんの顔が赤くなった。ボンッとかいう効果音つけてもいいほど急激《きゅうげき》に。
「先程の、嵐ちゃんの言葉…………わたしのおばあちゃんの言葉には続きがあります」
桜さんが、頬《ほお》を染《そ》めたまま言った。
「顔じゃない、笑顔を好きになったという男は、本当に好《す》いているという事……そういう意味でも手放しちゃいけない」
おお、これは……
「その言葉がなくても、手放すつもりはないですし、諦《あきら》めるつもりもないですが」
まさか……
「嵐ちゃんを見てもらえばわかると思いますが……わたしは惚《ほ》れっぽいのです」
来たー!
「初対面の時の言葉はまだ生きているのですか?」
「そのつもりだ」
「では……ふつつか者ですが、末永くよろしくお願いします」
桜さんは再び笑顔を浮かべた。今度は、頬染めのオプションつき。
これは…………真太郎じゃなくてもいちころだ。
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エピローグとぼく
「真太郎《しんたろう》さま〜」
桜《さくら》さんが真太郎に向かって歩いてる。
「真太郎さまの為《ため》にお弁当を作ってきたのです」
そう言って、肩にかけていた鞄《かばん》から大きなお弁当|箱《ばこ》を取りだす。
「早起きして作ったのですよ」
桜さん……とってもうれしそうだ。
「お口に合うと良いのですが」
「ああ」
真太郎もとてもうれしそうだ。相変わらず口数少ないけど。それにしても……
「桜さん変わりましたねー」
ぼくは眼下で繰り広げられる光景……真太郎と桜さんがお弁当を広げている光景を見ながら言った。
「うむ、少々|驚《おどろ》きだ。こうまで変わるとは。だが、これが本来の彼女なのかもしれないな」
「そうですね」
ぼくは相づちを打つ。でも、真太郎以外の人と話す時は前と同じで無表情なままなんだけどね。だから、こんな風にのぞきのような真似《まね》してるわけなんだけど。
ぼくは、仲のいい二人を見てよかったよかったと思いながら、先輩《せんぱい》に気になっていたことを聞いた。
「それであの人はどうなったんですか? エーと……ああ、小清水《こしみず》さん」
あの、宝探しに一発逆転を賭《か》けてた人。壺《つぼ》ひとつだって思いっきり落胆してたんだけど……。それ思いだしたら、早まった真似とかしてないだろうかとか心配になってきた。
でも先輩は、「うむ。まぁ、大丈夫だろう」と、自信ありげに言った。
「どうしてですか?」
「それはだね…………あの壺は良い物だからだ!」
ジーンと感動しているらしい先輩。今の台詞《せりふ》を言えた事が相当うれしかったらしい。
「壺ですか?」
感動の余韻《よいん》さめやらない先輩に向かってぼくは聞く。
「そうだ」
「そんなにいい物なんですか?」
「たぶんだが……なかなかの値がつくのではないかね。保存状態も良好であったしな。嵐《らん》君はそんなつもりはなかったのだろうがね」
「……そうですか」
「嵐君の奇妙な行動も、愉快《ゆかい》なだけではないな。桜《さくら》君、真太郎《しんたろう》君だけでなく、小清水《こしみず》さんをも幸せにしている。人徳《じんとく》というものかね。
そうそう、嵐君に聞いたところ、あの宝を埋めた理由は、財産を食いつぶしてしまった事が後ろめたかったかららしい。なので、財産以外に大切なものを残そう……というわけで、あの突飛な行動に出たそうだ。いやいや、前の嵐君もなかなか愉快な思考をする人だったようだね、今の嵐君と同じように」
ほんと……嵐ちゃんはおもしろい娘だと思う。ぼく的には、思考のぶっ飛び具合が先輩《せんぱい》とどっこいどっこいなんだけど。……いや、やっぱり先輩が一番ぶっ飛んでるか。
それはそうと……あの壺《つぼ》いったいいくらぐらいになったんだろうなぁ。ぼくには、ただの壺にしか見えなかったもんだから、少し気になる。でも、よかったよかった。
ああっ、あとひとつ気になってたことがあった。
「嵐ちゃんといえば……やっぱり今回のことは先輩の思い通りだったんですか?」
「桜君と嵐君を引き合わせた事かね?」
「はい」
ぼくはうなずく。そう、桜さんと、嵐ちゃんを引き合わせたのは先輩だ。
「うむ、彼女達が出会ったのは私が仕組んだ事だ」
やっぱり。
「前に色々と嵐君関係で調べた事があっただろう? その時、前世の嵐君の孫《まご》……桜君の事を知ったのだ。
桜君は以前から個人的に知っていたし、その桜君があまり良い状況にいない事も知っていた。嵐君とのつながりを知った時は流石《さすが》の私も驚《おどろ》いたが。まぁ、というわけで、桜君の状況をどうにかできるかもしれないなと思ったので嵐君と引き合わせたのだ。
やはり、少しでも知っている人間が良い状況にいないというのは、あまり気分が良くないからな」
「……先輩」
やっぱり先輩はいい人だ。色々理屈つけてるけど、知っている人が困っているから助けてあげたい、先輩はそう言っているんだから。また惚《ほ》れ直したよ。
ぼくが先輩株を急上昇させていると……
「それにだ、無表情な少女が、好きな人の前だけではこぼれるような笑顔《えがお》を見せる。良いな……その落差がたまらない」
…………うわ。
「普段《ふだん》はクールだが、二人きりの時はでれでれ。やはり、私としてはそういう時流に乗っている人物が側《そば》に欲しかったのだ」
上昇した株、いきなり暴落。
「……先輩《せんぱい》」
…………何でそこでこういう余計なことを言うんだろうか。そこで黙《だま》って真太郎《しんたろう》と桜《さくら》さんなんか見つめてたら、とても美しかったのに。
「ふむ、同じ『……先輩』という言葉でも、込める感情が違うとそこまで感じが違うものなのか……興味深《きょうみぶか》いな」
「…………はぁ」
思わずため息が漏《も》れた。そのぼくの様子《ようす》をにやにやと眺めながら、先輩は付け加えた。
「まぁ、個人的な趣味《しゅみ》は置いておいても、彼女の笑顔《えがお》は良いと思うがな」
「でも、ぼく達と話したりする時は今までのままですよ?」
「笑顔を大安売りするよりはこのほうが彼女らしいと思うがね」
それはそうかもしれない。
「それにだ……」
先輩は言葉を少しためて言った。
「桜というものは咲く時を選《えら》ぶものだよ」
ふっ決まった……とかいう感じで悦《えつ》に入ってる先輩。
ぼくの目の前には、宇宙人の技術で無理矢理桜を咲かせたことがある人がいる気がするんだけど……空気の読めてるぼくは突っ込まない。
言ってることはとてもわかるしね。
桜さんは、真太郎の前で笑うことに決めたんだね。真太郎の前で笑ってる桜さんはとてもきれいで、幸せそうで……見てるこっちまで幸せになる。
うん、これはこれでいい。
桜さんの、満開の笑顔を見ながらぼくはそう思った。
エピローグとわたし
「いやいや、どうにも見せつけてくれるね。君の周囲の温度が1、2度は上昇しているのではないかね。二酸化《にさんか》炭素も真《ま》っ青《さお》だ。地球|環境《かんきょう》に代わって苦情を言おう。おめでとう」
「……それはいったい何なのですか?」
「君らのいちゃつきっぷりに対する冷やかし、そのいちゃつきにあてられている地球と独《ひと》り身の連中、それら全《すべ》ての代弁として苦情を。さらには桜君、私から君へのお祝いの言葉だ」
「…………別々に言ったらどうですか? わけがわからなくなっている気がするのですが」
「それも結構。それはそれで面白《おもしろ》い」
「そうですか」
「そうなのだよ。面白い事は良い。面白くない事は良くない」
平賀《ひらが》さんは、そこで表情を少し真面目《まじめ》なものに変えました。
「私にとって、それは重要だ。はじめ君と一緒《いっしょ》にいるのも面白い。知的欲求を満たすというのも愉快《ゆかい》な事だ。私は、人生を楽しむ為《ため》に生きている」
「はい」
「だが君は違った」
「…………はい」
そう、少し前のわたしはただ何となく生きていただけ。
「君の人生はある一点からあまり愉快なものでなくなったのだろう? それが前々から私には面白くなかった。君の事を気に入っていたのでね。かといって、積極的に介入するネタもなかったので傍観《ぼうかん》するしかなかったのだが……ひょんな所から、ネタがやって来たのだよ。二つも」
二つ……
「……嵐《らん》ちゃんと真太郎《しんたろう》さまですね」
「そうだ……それにしても真太郎さまは良いね。今度はじめ君にそう呼んでもらう事にしようかな。つばささま……いいね、実に良い。……話がそれたな。ともかく、そんなわけで降って湧《わ》いてきたネタを、君にぶつける事にした」
だから、わたしをOMRへと誘《さそ》ったのですね。
「予想外の事が頻発《ひんぱつ》し、大変に愉快な事になっていたのでどうなるかと思ったが、どうやら君を面白人生レールに乗せられたようだ」
「はい。おかげさまで、素敵《すてき》な恋人と、かわいらしい歳《とし》下のおばあちゃんができました。ああ、おばあちゃんと言ってはいけなかったですね。そういえば先日、約束通り嵐ちゃんとお墓参りに行ったのですよ」
「ああ、やはり残念だ。自分の墓に参る時、人はどのような反応をするのかを見てみたいのだが……」
「だめです。二人きりで行ったのですから」
「そうか、そうだな。とても残念だがしょうがない」
本当に残念そうな平賀さん。今度行く時はさそってみましょうか。
「それで、真太郎君とはどうだね? どこまでいったのだね?」
「それは……秘密です」
そう、秘密です。
「ああ、私が、この私が二人の仲を見せつけられるとは思わなかったよ。このままでは、凰林《おうりん》高校ナンバーワンバカップルの座も危ういな。さて、死守するにはどうするべきか……最後の一線《いっせん》を越えるしかないか」
大げさに嘆き、真剣に考え込む平賀《ひらが》さん。
「まあ、何はともあれ良かった。君達がくっついてくれないと、はじめ君が構ってくれなくて寂《さみ》しいのだよ」
笑って冗談《じょうだん》のように言う平賀さん。でも……
「本音《ほんね》ですね」
「うむ、これも本音だ。いやいや、この私をこのような気分にさせるとは、本当にはじめ君は罪な人だ」
平賀さんは初対面の頃《ころ》と少し変わった気がします。……こう言っては何ですが、少し女らしくなったのでしょうか? 変なのは昔と同じですが。
平賀さんはいつも通り笑っていたのですが、ふいに何かを思いだしたのか口を開きました。
「そうだ、いつもの質問をしていなかったな」
そういえば……
今日は、いつも平賀さんがこの部屋に来ると同時に言っていた言葉を聞いていません。
平賀さんは、いつものいたずらっ子のような笑顔《えがお》で聞いてきました。
「どうだね、…………最近。人生|面白《おもしろ》いかね?」
平賀さんのいつもと同じ質問。でもいつもと少し違います。
そう、いつもと違うのです。
わたしは、いつも通り、いつも通りの無表情、いつも通りの口調《くちょう》で答えました。
「…………面白いです……とても」
[#地付き]終わり
[#改ページ]
あとがき
どうもすいません、沖田《おきた》雅《まさし》です。あいかわらず親戚《しんせき》に色々とばれていっているらしい沖田雅です。お久しぶりです。
本を直接読まれるよりも、あらすじのようにストーリーを要約された物を見られるほうが恥《は》ずかしい事に最近気づきました。…………それにしても「ざ・てれびじょん」は盲点でした。親戚内の情報伝達の速さに泣きそうです
というわけで3巻です。信じられません。何か最近、全世界を巻き込んだ盛大なドッキリの中で生きている気がします。首の後ろにプラグか何か刺さってないでしょうか?
それでこの3巻ですが、1巻2巻を読んでなくても楽しめる…………ということは全くなく、1、2を見てないとぜんぜんわからないと思います。それもこれも私の力不足です。すいません。一度でいいから、この巻だけ読んでも楽しめるとか言ってみたいです。お財布《さいふ》にやさしくなくてすいません。
それではネタばれっぽいけどネタばれではないはずの話に入ります。っぽいでも嫌《いや》な人はここから先を読まないでください。
が、その話に入る前に皆さんにお伝えしないといけない最重要事項として、この作品はフィクションであり、実在の人物、団体、事件とは、いっさい関係ありません。全く、関係ありません。くどいようですが、かけらも関係ありません。
いや、賢明《けんめい》なる読者の皆さんならわかっていただけているとは思うのですが一応。
…………ただ、指が良かった人は私の友達にいます。あの台詞《せりふ》には感銘を受けたので思わず使ってしまいました。ありがとうT君。
あの7人もホントは6人でM6とかにしようと思ってたんですが、悪乗りしすぎな気がしたのでやめました。いや、そんなところは問題ではありません。一番の問題は、いい話になるはずだったのに、何であんなのがバトルする話になったのかって事です。何であんな事になってしまったのでしょうか。正直自分の脳が信じられません。
…………話がそれました。話を元に戻します。
あー今回は、脇役《わきやく》キャラ強化月間ならびに、入れ替わっても続く男同士の友情とか女同士の友情。…………とかを書こうと思っていたはずなんです。特に男同士の友情、これは書かないといけないなーとか、書きたいなーとか思っていたのです。が…………はて? 何でこんな事に?
何か、思いのほかあの三人組が動きに動いて気がついたらこんな話になってました。予定でも出るはずは出るはずだったんですが、ここまで動くとは思いませんでした。
おかげで、3というよりは嵐《らん》ちゃん編《へん》その2といった感じになってしまいました。あの三人組はとても書きやすくてお気に入りなんですが。そのかわり、目の細い子が全く動きませんでした。キャラ動かそうとしたら動かなくて、動かすつもりがないキャラが勝手に動く、小説書くってとても難《むずか》しいです。これからも精進《しょうじん》して少しずつマシになっていきたいと思います。
それでありがたい事に4巻も出るそうです。皆さんのおかげです。ありがとうございます。今までと同じ周期で出る予定だそうですが、どうなるかわからないです。まだほとんど書いてないですし。
内容的には、先輩《せんぱい》とぼくの二人を中心とした夏休みの話になるはずです。ただただお気楽な話になるんじゃないかと思います。が、どうなるかは書きあがってみないとわかりません。まだほとんど書いてないですし。
水着、浴衣《ゆかた》、これは間違いなく出るというか、出すというか、ここだけはもうすでに書いてますというか。これが絵になったらもう思い残す事がなくなりそうです。カラー口絵を海の話にして、カラーで水着じゃーとか思っているのはここだけの話にしておいてください。
ではお世話になった皆様への感謝《かんしゃ》を。
担当の高林《たかばやし》さん。ありがとうございました。本当にありがとうございました。今回も順調に遅れて申《もう》し訳《わけ》ありません。ウルトラCを使えば何とか……とか言わせてしまってすいません。今書いているあとがきがすでに遅れていてすいません。今度こそはがんばります。
…………何か今、既視感《デジャヴュ》が脳をよぎりましたがたぶん気のせいだと思います。
今回も素敵《すてき》なイラストを描《か》いて下さいましたこよりさん。魔法《まほう》少女のデザイン、とてもかわいらしかったです。桜《さくら》さんのラフもこれ以上ないってくらい桜さんでした。本当にありがとうございました。
校閲《こうえつ》さんならびにこの本を出すにあたりご尽力下さった皆様。ありがとうございました。またご迷惑《めいわく》をおかけした事と思います。すいません、とりあえず全方位に向けて土下座をしておきました。
そして最後に、この本を読んで下さった皆様、ありがとうございました。
この本は、勉強に疲れた時、難《むずか》しい本読んで頭を使った時、気分が沈んでいる時、そんな時にぱらぱら〜と気分転換に読んで頂けたらなーと思います。それで、少しでも気分転換になったり、気分が良くなったとか感じて頂けたなら、書いたかいがあったというものです。
それでは、4巻でお会いできたらと思います。
[#地付き]沖田《おきた》 雅《まさし》
[#改ページ]
先輩とぼく3
発 行 二00四年十月二十五日 初版発行
著 者 沖田 雅
発行者 佐藤辰男
発行所 株式会社メディアワークス