先輩とぼく2
沖田雅
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)女を意識《いしき》させて、正統派|幼馴染《おさななじみ》エンドに突入
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)君の身体にはついてないだろう[#「ついてないだろう」に傍点]?
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底本データ
一頁17行 一行42文字 段組1段
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先輩とぼく2
いきなり現れたトンデモ台風少女。その名も嵐ちゃん! 彼女はぼくの幼馴染で妹みたいなもんで、それで先輩に敵意を燃やしてて……ってどうしてそんなことに!?
「うるさいうるさい〜何が愛し合う二人よ! ムキー。はじめにーちゃんはアタシのもんなんだからね!」
「くっこれはとんでもない強敵だ」
絶対楽しんでる先輩。また人間関係がややこしくなりそうな予感の新学期。もうぼくは疲れました……。
はじめのじいちゃんも来襲し、四天王も大活躍するかもしれない(?)、ハイテンション脱力ラブ(!?)コメディ、第2弾!
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沖田《おきた》 雅《まさし》
1980年頃広島で誕生、大阪在住。やればできる子といわれ続け、はや23年……できた試しがないです。前回ここに寝過ごさないように〜と書いたにもかかわらず、今回も色々遅れました。そもそも今書いてるこれが遅れてるのですからお話にならないです。今度こそは……。
【電撃文庫作品】
先輩とぼく
先輩とぼく2
イラスト:日柳《くさなぎ》こより
鹿児島在住。20歳。彩色、原画などの仕事を経て、現在イラストレーターとして活躍中。最近、テレビはほとんどみないのですが、なぜか大河ドラマだけはみてしまいます。好きな食べ物は白御飯。
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ホワイトデーのひとコマ
「うわぁあぁあぁぁぁあぁああぁぁ」
「なんだね、そのビブラートを効かせた悲鳴は。それはホワイトデーのお返しを貰った者のリアクションではないな」
先輩からもらった包みを開けて、悲鳴をあげたぼくに向けて先輩が言った。
「なななななんですかこれはっ!」
「飴だ。私はホワイトデーを、そのような行事だと認識しているのだが」
「そうです、ぼくもそう思いますよ!」
「なら問題はないではないか。存分に食してくれたまえ」
「でも…………なんでその飴の形が、モザイクかけないとお茶の間に流せそうもない形をしているんですかっ!」
きれいにラッピングされた袋を、どきどきしながら開けたら中に入ってたのがコレだ。無駄になってしまったどきどきを返してほしい。
「ど〜して先輩はこう、お約束へお約束へと走ろうとするんですかっ!?」
「私が背負ってしまった業だろう」
「そんなもの背負わなくていいですよっ! さっさと下ろしてくださいよ!」
「まあいいではないか。ちなみにそれは手作りだ…………参考になるものがあってよかった」
先輩が自分の下半身を見た。
「そっそれをぼくに食べさせようとしてるんですかっ!」
「はっはっはっ冗談だ。それは由緒正しき子宝神社で買ってきた子宝飴だ。相当な御利益を持っていることだろう」
「なんの御利益求めようとしてるんですか!!」
「決まってるだろう。さあ遠慮せずに」
本気で遠慮なんかしていない。けど、これを受け取らないという選択肢をぼくは持っていない。
「……わかりました。いただきます」
ぼくはそう言うと、果物ナイフを持ってきてその飴にあてる。
「…………一つ聞かせてもらうが……何のつもりだね」
「…………一口サイズにするんです」
「…………それは多分、人としてやってはいけない行為だと思うのだが」
「だれのせいでこんなことになってると思うんですか〜〜〜〜!!」
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再開の日、朝のひとコマ
鏡の前でにか〜っと笑ってみる。
「うん、美人だわ」
鏡の中のアタシが満足げにうなずいている。
アタシは自分の姿にしばらく見惚れた後、
鏡に映るもう一人の自分と、真剣な顔で見詰め合う。
アタシじゃないアタシ、まるで…………だめだめ、変なこと考えない!
アタシはもう、ずっと前のアタシとは違うのよ。
プルプルと頭を振るアタシ。
気を取り直してまた鏡に向き合うと、アタシは呟く。
「この一年ものすごく長かった……」
化粧もばっちり、
「でも……ようやくよ」
服もばっちり、
「やっと…………」
身体のボリュームは不十分な気がするけど気のせい。
「はじめにーちゃんに会える」
やることはやった。
「どんな、邪魔がいたって負けない」
後は、…………あたって砕けろよっ!
「そして幸せに……るのよ、アタシが……絶対にっ!!」
よし! 行こう!
アタシは部屋の扉……未来へと続く運命の扉を開いた。
そしてすぐ閉じた。
「わすれもの、わすれもの〜♪」
アタシは部屋の中にとって返すと、這いつくばってベッドの下に手を伸ばした。
ん〜と、ん〜とぉ〜…………あった!
アタシが手探りで引っ張り出した本の名は、
『図解、良くわかる四十八手、応用編』
よし! 行こう!
アタシはその本を手に、再び運命の扉を開いた。
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ある放課後のひとコマ
「これから、第53回あの馬鹿やろうをしばこう会議を始めます」
黒板にかわいらしい文字で、あの馬鹿やろうをしばくにはどうすれば良いか? と書いてある。なんて物騒な。
「はい、嵐たいちょ〜」
「なんでしょう、美穂君」
「53回もやってません〜」
「気にしない! アタシの脳内ではやってるのっ!」
「はい、嵐ぎちょ〜」
「なんでしょう、美菜君」
「馬鹿やろうって誰ですか〜?」
「馬鹿やろうっていったらあのにっくき平賀つばさにきまってるのっ!」
嵐ちゃんと美穂ちゃん美菜ちゃんの双子が仲良くやってるかな〜と心配になって、こうして幽体離脱してこっそり見に来たわけだけど……まったくなにやってんだろう、この三人は、仲良くしてるのは喜ばしいけど、もっと普通の高校生らしく仲良くできないものかなぁ。
「そうよ、あいつアタシの邪魔ばっかりして、絶対ギャフンと言わせてやるんだから!」
ぶつぶつ先輩の悪口を言い続けてる嵐ちゃん。そんな嵐ちゃんに双子の片割れが手を上げて言った。
「嵐しょちょ〜」
「なにっ?」
「なっちゃんお腹すいた〜」
「ほーちゃんも〜」
「……アタシも。じゃあどっか食べにいこうか」
「さんせ〜」
「じゃあね、じゃあね、あそこいこ〜前に言ってたお店〜」
「おっけ〜、じゃあ帰る準備しよう」
「たのしみ〜」
ああ…………突っ込みたい。とても突っ込みいれたい。
我慢は身体に悪い、突っ込みいれよう。
…………会議はどうなった?
ぼくは怪しげな書置きを黒板に残したまま、すべてを忘れ部屋を出て行く三人の背中に向けて突っ込みを入れた。
部屋に戻り、ぼくが見たことを話すと先輩は言った。
「はっはっはっ。どうだい? 突っ込みのいない集団というのは、中々に混沌としていて面白いだろう?」
なるほど、嵐ちゃんのことを先輩に相談したら、美香さんの双子の妹と仲良くさせればいいという助言をくれたんだけど……これが先輩の真の目的か。
…………まぁいいか、仲良くやってるみたいだし。
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目次
秘密会議と私……11
幼馴染とさくらんぼ……17
家族会議と夜這い……38
○○○オーディションと帰り道……53
花より団子と二日酔い……61
お馬鹿な特訓とコーチ……89
逆襲の××VSダークウイング……115
△△△△△来襲と月夜の散歩……147
悪の組織と探偵団……182
漢の浪漫とぼく……212
昔の夢と秘密の記憶……219
桜の苗木と昔の話……230
アタシとぼくと先輩と……241
秘密会談と私2……257
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秘密会談と私
宇宙人のほうのオーラ君と私
「なぜあんなことを言ったのですか? はじめさん泣きそうでしたよ」
夕日に赤く染まった私の城、OMR部室改めダークキャッスルの中でオーラ君が言った。
オーラ君の言葉は私が悪の秘密結社を立ち上げた事についての言葉だ。
私の前に座っているオーラ君はロボットのほうだが、話しているのは宇宙人のほうのオーラ君だ。以前のように乗り込んでいるのではなく、何かしらの手段で通信している。視覚|聴覚《ちょうかく》だけでなく触覚《しょっかく》や嗅覚《きゅうかく》、味覚と五感すべての情報をリアルタイムで送受信できるらしい。いったいどういう原理なのだろうか。こういう技術があるなら乗り込むなんて事をしなくても良いような気がするのだが……やはりオーラ君は変わり者だという事だろう。
「まあ、君なら予想ができていると思うが、お望みとあらば説明しよう。理由は三つ」
私はそこで言葉を区切り、自分で滝《い》れた茶をすする。
ふむ……やはりはじめ君が滝れたお茶のほうがおいしいな。だからといっておいしいお茶の淹れ方をはじめ君に学ぼうとは思わない。やはり淹れてもらうほうが、楽しみがある。
そんな事を思いつつ言葉を続ける。
「一つ目の理由は、君とさらに仲良くなることだ。私達の事をもっと気に入ってもらいたい。前回の戦隊《せんたい》物もそうだったが、ああいう事をやっていると、様々な出来事がやってくる。それらは普通に暮らしていただけではあまり遭遇《そうぐう》できないだろう。そのような出来事に遭遇した時のうちの部員の行動は、なかなかに興味《きょうみ》をそそるだろう?」
「そうですね……とても興味深いです」
オーラ君の表情が今までの笑顔から一変、真面目《まじめ》なものへと変わる。
「それらは君にとっても歓迎すべき事のはずだ。
…………私は自分やはじめ君、そして私達の周囲の人々に降りかかる、大半の問題を自分でどうにかする自信がある。さらに私の周囲の人物に頼ればどうにかできる範囲《はんい》は飛躍《ひやく》的に広がるだろう。
だが完全ではない。当たり前だ、私は全知全能の神ではないのだから。現に私ははじめ君を失いかけた。今二人とも生きていられるのは、信じられないほどの幸運のおかげだ。だが今後も幸運に恵まれるとは限らない。
だから私は自分で幸運を呼び寄せる事にした。要するにだ。もしもの時、……私が自分の能力を最大限に活用し、人脈を駆使し、考えうるすべての事を行って、それでもどうにもならなかった時。私は今回のような幸運を君に起こしてもらおうなどという虫のいい事を考えている。
この計画の第一の目的は、もしもの時に君が私達にできるだけの事をしてあげようと思ってしまうほど、君と親密になる事だ」
「打算的ですね」
オーラ君が表情を変えずに言う。
「友情とはえてしてこういうものだろう。無条件の友情など真の友情ではないと私は考える。一方的に与える側と与えられる側、そんなものが健全な友情だと思うかね。そんなのはただの自己満足と依存の関係だ。
私は友情を成立させるためには、最低でも精神的に対等か、対等であろうとしている事が必要だと思う。だから私はこの考えに基づき君と対等であろうと……与え与えられる関係であろうとしている。
悪の秘密結社設立はその一環《いっかん》だ。
私の提供するものは知的好奇心の充足、つまり私の周りにいる特殊な能力を持った地球人の情報などと、君の精神的娯楽、要するに愉快《ゆかい》な学校生活。
私が君から得ようとしているのは、幸せで愉快な人生。それに必要なのは、私とはじめ君、さらに私達の周りの者達の平穏《へいおん》無事な生活。…………とてもつりあっているとは思わないが、今の私にできるのはこれが精一杯だ。それに、この身体《からだ》を治してもらう際の契約で君を手伝うと言っていたが、周囲に心配事があるとそれにも支障をきたすだろう?」
私とオーラ君は見詰め合う。そして沈黙《ちんもく》がしばらく続いたあと、オーラ君は表情を崩《くず》して言った。
「ふふっやっぱりあなたはいいですね、私達はあなた達から見れば神にも等しい力を持っているわけです。実際あなた方人間のあがめている神の中には、何代か前の監視員《かんしいん》がいたりします。我々はずっと昔からこの惑星を観《み》ていたわけですから。
そんな存在に出会った時、普通の人なら恐怖や畏怖《いふ》を感じるか、困った時の神頼みと、祈り、ただ頼るだけになる人がほとんどでしょう。ですが、あなたはそんな私と友情を育《はぐく》み、さらには取引をしようとしている。
つばささん、あなたは地球人の中でもかなり変わった人です。私は、あなた達から見ればかなりの時間を生きてきましたが、あなたのような人にはあまり出会えていません。
だからこそ私はあなたと、いえあなた達と友人でいたい。本当はあまり好ましくないことなのですが、もっと深く付き合いたいとすら思っています。そして失いたくないとも」
私はそのオーラ君の言葉に笑顔で答える。
「それはよかった。それでは今度は君に愛想《あいそう》を尽かされないようにしないといけないな、せいぜい精進《しょうじん》するとしよう。友情を長く持続させるのは難しいからな。前も言ったと思うが私はあと百年生きるつもりだ。その間くらいは君と仲良くしていたいものだ。
いたらない準知的生命体の私だがこれからもよろしく頼むよ」
「こちらこそ、よろしくおねがいします」
そう言って私とオーラ君は笑顔を交し合う。
「……それで、二つ目の理由はなんですか?」
よくぞ聞いてくれた。
「もちろん面白《おもしろ》いからだ!」
私は叫んだ。第一の理由が本命だったはずだが、こちらのほうを本命にしてもまったく差し支えないような気がするのは自分でもどうかと思うが。
「どうだい? ショックを受けたはじめ君もかわいかっただろう? 川村《かわむら》君が撮《と》っているはずだが、そのデータが来るのが待ち遠しいよ。こんな事を続けていればそんなかわいらしいはじめ君がたくさん見られるわけだ。たまらない、たまらないな、もう垂涎《すいぜん》ものだよ。正直これだけでも行う価値がある。
さらに三つ目の理由として君が興味《きょうみ》深《ぶか》いと思う事は、私にとっても興味深い。つまり私の好奇心も存分に満たしてくれるわけだ。まさに一石三鳥、すばらしい計画だとは思わないか?」
「あなたらしいですね」
苦笑を浮かべるオーラ君。
「そう、これが私だよ。自分が面白《おもしろ》おかしく生きるためなら、自分以外を犠牲《ぎせい》にする事も厭《いと》わない。……まあ彼らにしても君の恩恵を受けられるのだから不服はないだろう。とはいえ彼らが今日ここで行われた会話を知る事はないので、不服はありすぎるほどあるだろうが…………その辺りは私の知った事ではないな」
それに、知らせたら私が面白くない。知らないからこその、あのはじめ君のリアクションだ。
……ああ、そうだ、思い出した。オーラ君に聞いておかないといけない事があったな。
「オーラ君、悪の秘密結社の次は何が良いかな? リクエストを受け付けるよ。個人的にはやはり魔女《まじょ》っ娘《こ》は外せないと思うのだが……」
魔法少女なはじめ君は、素晴《すば》らしいだろう。差恥《しゅうち》に頬《ほお》を赤く染め、ひらひらとしたかわいらしい服装で呪文《じゅもん》を唱えるはじめ君…………ああ、良いな。実に良い。
「そうですね…………月に導《みちび》かれたりした水兵さんルックの美少女な戦士とかはどうでしょう」
「それはいい。いやいや、君もなかなか好き者だね。あとは…………」
はじめ君が聞いたら、目を潤《うる》ませて許してくださいと土下座《どげざ》してきそうなその秘密会談は、はじめ君がこの部屋に姿を現すまで続いた。
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幼馴染とさくらんぼ
「がんば…………」
アタシは忘れない。あの茶色に濁《にご》った川の中で励《はげ》ましてくれたあの声を。
「もうすぐ…………」
アタシは忘れない。アタシの身体《からだ》をしっかりと抱えてくれたあの手の心強さを。
そう、アタシはずっと前から忘れていない。ずっと前から……
はじめにーちゃんとアタシ
うそよ、うそに決まってる。そう、そんなことあるはずがない。あってたまるかってーのよ。人格交換? 俺《おれ》があいつであいつが俺で? いつの時代のコメディよ。馬鹿《ばか》にするのもたいがいにしてほしいわ。
アタシは、見慣《みな》れない道を歩いている。周りには、比較的新しい家が並んでいて、道も升目《ますめ》みたいに綺麗《きれい》に区切られてる。都会って感じもしないけど、田舎《いなか》って感じもしない典型的な郊外の住宅地。
今アタシがいるのは広川《ひろかわ》市の端っこの辺り、はじめにーちゃんが行っている学校のすぐそばだ。
やっと会えるんだ。
アタシの胸が高鳴る。この街にアタシが来た理由のすべては、はじめにーちゃんに会うためだ。考えてみると、もう一年間も会ってない。これも計画の内。この計画のために、会いたいのをずっと我慢《がまん》してたんだから。はじめにーちゃんが里帰りしてきた時も、わざわざ会わないように気をつけてた。つらかった、とてもつらかった。でもようやくそんな努力が報《むく》われる日が来た。
この日のために、アタシは短かった髪《かみ》を伸ばした。お化粧《けしょう》だって勉強した。背も伸びたし、他《ほか》の所だってすごく成長した。なによっ! 文句あるならかかって来なさいよ! …………わかったわよ、「ちょっとは成長した!」ぐらいにまけといてあげる。……それはおいといて、ちょっとは女っぽさは増したはず。当社比的には五割増しぐらい?
何で大人《おとな》っぽくなろうとしたか、そんなの簡単《かんたん》。はじめにーちゃんをめろめろにするためだ。色っぽく迫って女を感じさせるんだ。妹を卒業するんだ。そして……
その時、はじめにーちゃんを見つけるのに関しては超高性能のアタシの目が、お目当ての人物を捉《とら》えた。見慣《みな》れた姿、ずっと前から見てきた姿の男の人……ではなく、その隣《となり》にいる女の人。
見た瞬間《しゅんかん》にわかってしまった。信じられない、でも……本当だった。はじめにーちゃんの身体《からだ》に入ってるのは、はじめにーちゃんじゃない、別の人。
そしてその隣を歩く背の高い美人、その表情、その動作。懐《なつ》かしい、とても懐かしい。アタシのよく知っている、アタシの大好きな人。
「うわ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん」
アタシは思わず泣き出した。もうだめ、我慢できない。大声を上げて泣くアタシを、周りの人が怪評《けげん》な顔をして見ていく。はじめにーちゃんの下校に合わせて、待ち伏せしてたから、辺りにはかなりの人通りがある。そんなこともまったく気にならない。今は、ただただ泣きたい。
「うわわ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん」
アタシの泣き声に、はじめにーちゃんが気づいた。
「らっ嵐《らん》ちゃん? どうしてこんな所にいるの? それに、何で泣いてるの? ほらっハンカチ、涙|拭《ふ》いて、それで落ち着いたらわけを話して」
美人になったはじめにーちゃんが、昔どおりの口調で、昔どおりのやさしさで、私を気づかってくれる。でもそれが今はいや。
アタシはしゃくりあげながら、はじめにーちゃんらしい女の人に向かって言う。
「ひっく、生まれた時からお隣《となり》同士で、一緒《いっしょ》にお風呂《ふろ》に入って一緒にお昼寝して、一緒に育ってきて、はじめにーちゃん下のきょうだいいなかったからかわいがってもらって、ひっく」
「えっ? えっ?」
混乱してるはじめにーちゃん。そりゃそーよ、アタシもわけわかんなくなってるんだから。そんなだから今まで思ってきたことが口からドバドバあふれ出してくる。止められないし……止める気もない。
「はじめにーちゃん、かっこよくて、賢《かしこ》くて、強くて、やさしくて、私を守ってくれて、ひっく。その他《ほか》にもいろいろあって……。ついには命がけでおぼれた私を助けてくれて…………それで好きになるなって言うほうが無理よ〜ひっく」
「えっと、あの……」
びっくりと困ったが混じったような顔をして、おろおろしてるはじめにーちゃん。
「一年前、はじめにーちゃんの引っ越しが決まって。ひっく。最初はいっぱい泣いたけど、チャンスだって思ったのよ。妹としてしか見てもらえてないから、今度会う時に女らしくなって、女を意識《いしき》させて、正統派|幼馴染《おさななじみ》エンドに突入って思ってたのに……………………追いかけて来てみたら、女になってるってどういうことよ〜!!
しかも、どこの馬の骨ともわからないやつが、はじめにーちゃんの身体《からだ》に入って、許婚《いいなずけ》になってるって…………なに? これは悪い夢なの? 夢なら覚めてよ〜、うぎゃわ〜〜〜ん」
また盛大に泣き出すアタシ。なんか泣き声が人じゃなくなってる気がするけど、そんなことはど〜でもいい。
「……はじめ君、パーフェクトな隣のお兄さんっぷりだね」
はじめにーちゃんの隣の馬の骨が言った。こんなやつの言うことに同意するのはいやだけど、まさにその通り。昔は友達にうらやましがられたもんよ〜、「山城《やましろ》先輩《せんぱい》と仲良くっていいな〜」とか。
そんな風に、アタシが輝《かがや》かしい栄光の日々を思い出していると、はじめにーちゃんが馬の骨に弁解してる。
「普通、かわいがるでしょう? 上しかいなくて、しかもその上があのお姉ちゃんでっていったらもう、妹か弟がほしくてほしくて。あんな横暴《おうぼう》なお姉ちゃんとは違って下がいたらかわいがってあげるんだ〜とか思ってたぼくですよ?
お隣の嵐《らん》ちゃんがかわいくてかわいくて、妹がいたらこんな感じかなって……」
「うぎゃぎゃぎゃーん、妹って言った〜〜〜〜」
かけらも女を意識されてない〜〜。
あの馬の骨のせい? あの馬の骨のせいねっ! はじめにーちゃんには、ずっと前からアタシが目をつけてたのに!
「まあ、はじめ君の溺愛《できあい》っぷりは想像に難《かた》くないが……。まったくもって君らしいな、自分の気づかないうちに正統派|幼馴染《おさななじみ》エンドへ一直線だ」
アタシが憎しみのこもった視線を突き刺しまくっているにもかかわらず平然と話を続ける馬の骨。
そうよ、はじめにーちゃんってものすごく鈍《にぶ》いんだから。ってなんでまたこいつの言うことに同意してんのよ! いい加減|黙《だま》りなさいよこいつ。
「そんなこといわれても……」
困った顔のはじめにーちゃん。
「気安くはじめにーちゃんに話しかけないでよ、馬の骨!」
今度は瞳《ひとみ》のレーザービームで焼き尽くそうとするアタシ。少しは居心地《いごこち》悪そうにしなさいよっ! どれだけ面《つら》の皮厚いの?
「…………馬の骨とはいまだかつて経験《けいけん》したことのない呼び名だよ。なかなか愉快《ゆかい》な娘さんだ」
「黙りなさいよ! その声で変なしゃべりかたしないでよ!」
アタシと馬の骨の間に入ってくるはじめにーちゃん。
「ちょっと嵐《らん》ちゃん落ち着いて」
「はじめにーちゃんは黙ってて、アタシはこいつと話つけるのよっ。あとから出てきたポッとでの馬の骨なんかに、負けてたまるもんか〜!」
「だそうだよ、はじめ君」
「その声でしゃべらないでって言ってるじゃない!」
本気でむかつくのよっ! どうにかこいつの口ふさぐ方法ない? 名案出してくれた人にはもれなくアタシの笑顔をあげるわ。
「…………話さずにどうやって話をつける気だね」
「知らないわよ! あんたが考えなさいよ!」
「まあ、考えてもいいのだが、一つ聞いていいかね?」
「あによ!」
「とても重要な事だ」
「だからなによ!」
もったいぶるんじゃないわよ、こいつのあらゆる行動がむかつくわ。
「今はじめ君は私の身体《からだ》に入ってる」
んなこと知ってるわよ。今、いやというほど実感してるわよ。今さら何聞くのよ。
「で、君は女性だ。どうするんだね。色々と。君の身体にはついてないだろう[#「ついてないだろう」に傍点]?」
…………ぐっなんて痛いところをついてくるのよ、こいつ。
「…………あっ愛の前にはどんな障害だって紙くずも同然なのよ!」
そうよ! 性別なんて関係ないわよ! ずっと前から積み重ねてきた私の想《おも》いは身体が変わった程度じゃ消えてなくならないわよ! 入れ物が変わったぐらいじゃ料理の価値は変わらないのよっ。はじめにーちゃんが入ってるなら、女の身体だって好きになってみせる!
「それでもなかなかにつらいぞ、いまだに同性愛というものはそこまでの市民権を勝ち得てない」
「同性愛って何よ! はじめにーちゃんは心は男なんだから問題ないのよ! それに……ちょっと待ってなさいよっ! 逃げんじゃないわよ〜!」
今こそあの奥義《おうぎ》を出す時! こいつをやり込めるためには、がんばって練習したあれしかないわ。
「ほんとに逃げるんじじゃないわよ〜〜〜〜」
アタシははじめにーちゃんと馬の骨を置いて走り出した。
負けてたまるか〜〜〜〜〜〜!
幼馴染の嵐ちゃんとぼく
「なかなか愉快《ゆかい》な娘だね。まるで台風のようだ」
嵐《らん》ちゃんが走り去ったあと先輩《せんぱい》が言った。
「はあ」
ぼくは相づちを打った。
「嵐と書いて『らん』ですから」
「なるほど、名が体《たい》を表してるな。それで彼女はどこへいったのだ?」
「さあ」
「……先ほどから気のない返事ばかりだね」
うん、自分でもそう思う。いきなりだったから、ちょっとびっくりしてる。いや、かなりかな。まさか来るとは思わなかった。ぼくに会うためだけに来たんだろうか。
「それはそうと、溺《おぼ》れていたのを助けたというのはやはり?」
先輩《せんぱい》が聞いてきた。そういえば溺れたことは話したけど、溺れた理由は話してなかったなあ。
「はい、向こうにいた時……ぼくが中三で、嵐《らん》ちゃんが中二の時です。嵐ちゃんが川に落ちて流されて、それをぼくが助けたんです。そこまでは良かったんですが、雨で増水してたんで今度はぼくが溺れちゃったんです。運良く下流のほうで引っかかってたとこを助けられたんですが……呼吸止まってたらしいんです。三途《さんず》の川を見た記憶《きおく》もかすかにありますし。そのせいで幽体《ゆうたい》が抜ける体質になったんです」
あれは苦しかった。おかげで今でもたくさんの水が苦手なんだよね……。
「ほうほう、なるほど。やはり臨死《りんし》体験《たいけん》の時には川を見るのかね。その辺の所は今度話を聞かせてくれたまえ。どのようなものなのかとても興味《きょうみ》がある」
興味しんしんって感じの先輩。
「話がそれたね。いかんいかん、面白《おもしろ》そうだとつい。あー……そうそう溺れたのを助けたという話だね。話を総合すると、嵐君は隣《となり》のお兄さんであるはじめ君に憧《あこが》れていて、その隣のお兄さんに、命がけで助けてもらったわけだ。
いや、実に劇的《げきてき》だ。運命を感じさせるね。あの年頃《としごろ》でそんなヒロイン的な体験をしたら、はじめ君は王子様決定だ。惚《ほ》れないほうがおかしいな。いやいや、本当に罪作りな人だ、はじめ君は」
そうなのだろうか…………先輩とぼくを当てはめて考えてみよう。先輩がぼくを命がけで助けてくれた…………惚れるなぁ。それどころか一生ついていきますとかいいそうだ。
「それにしてもだ。自分の身を顧《かえり》みず他人を助けようとする。まあ、そういうところが君の良いところなのだが……」
そこで先輩がぼくの目を見た。たまにしか……本当にたまにしか見せない真剣な顔で。
「が、今後は自重してくれたまえ」
「あの時は無我《むが》夢中《むちゅう》で」
久々に見たその顔にうろたえてしまうぼく。
「それがいけない。今の君がそのような状況に陥った時、身体《からだ》が昔ほどの能力がないのを失念しているだろう」
確かに……最近この身体《からだ》に慣《な》れてきてるし。
「……はいわかりました。一応気をつけることにします」
「よろしい」
さっきの真面目《まじめ》な表情とは一転、極上《ごくじょう》の笑顔が浮かぶ。先輩《せんぱい》に言われなくても前のような無鉄砲《むてっぽう》な行動は取れそうにないなあ、この笑顔を見れなくなるのはいやすぎる。
「あっ、ぼくが幽体《ゆうたい》離脱《りだつ》する体質になったとかのことは、言わないでくださいね。まだ嵐《らん》ちゃんに話してないんです。ぼくが溺《おぼ》れて死にかけたことで、ただでさえ責任感じてたのに、変な体質になりましたとか言ったらどうなることか。嵐ちゃんって気が強そうに見えて、結構思い詰《つ》める性質《たち》なんです」
そう、嵐ちゃんって繊細《せんさい》なんだよね。気が強そうなのは、強がってるだけ。でも、そんなところがかわいいんだけど、お兄ちゃん心をくすぐられるというか。
「だが、いつまでも隠しているわけにもいかないだろう?」
「はい、いつかは話すつもりですが、今はまだ隠してようかなと」
こんな体質になったころ色々考えたけど、話すなら何年か経《た》ってからにしようと決めたんだ。でも、この体質のおかげで先輩と仲良くなれたんだから、感謝《かんしゃ》してたりするんだけどね。
「またせたわねっ!」
律儀《りちぎ》にその場で待っていたぼくと先輩の前に、嵐ちゃんが戻ってきた。よほど急いだのか、はぁはぁと息を切らしている。
「思いのほか近くにスーパーがあったわ。さすが都会ね、……なんかとっても悔《くや》しいわ」
いや、別にここは都会じゃないけど……でも、前に住んでた所と比べればかなり都会になるだろうなあ。
ぼくはあらためて嵐ちゃんを見てみる。背は……伸びてるなあ。髪もかなり長くなってるし、全体的に大人《おとな》っぽくなっている。なによりびっくりしたのはスカートはいてること。嵐ちゃんが私服でスカートはいてるのを見たのは、ホント数えるほどしかなかったような気がする。気の強そうな顔はそのままだけど女の子っぽくなってるなあ。
あの嵐ちゃんが……となかなか感慨《かんがい》深《ぶか》いものがあるけど、この感想はどう考えても妹に対するものだよね。どうしよう…………。好かれて悪い気はしない、嵐ちゃんのこと好きだし。ただこの好きは、兄妹《きょうだい》の好きに近いものだと思う。う〜んまずい。どうにか嵐ちゃんを傷つけずにすむ方法はないかなあ。
そんなことをぼくが考えてる間に、嵐ちゃんは先輩と対決していた。
「ふっこれを見なさい!」
嵐ちゃんはその威勢《いせい》のいい声と一緒《いっしょ》に何かを取り出した。それは…………さくらんぼのパック。
「それがどうしたというのだい? …………まあ、予想はつくが」
先輩《せんぱい》の言葉の最後のあたりは小声で、嵐《らん》ちゃんには聞こえてないと思う。なんなんだ? いったい何が始まるんだ?
「いくわよ!」
そう言うと、さくらんぼをいくつか掴《つか》んで口の中に入れる。
むぐむぐむぐ。
さくらんぼをむぐむぐと咀嚼《そしゃく》している嵐ちゃん。頬《ほお》をふくらましているその様子《ようす》は、リスみたいでかわいらしいなあ。そのむぐむぐというかわいらしい小動物系のしぐさを続けていた嵐ちゃんが、小動物には似つかわしくないニヤリという感じの勝ち誇った表情を浮かべた。
「むおむむうむお」
嵐ちゃんがしゃべった。が、口を閉じたままで話しても伝わらないだろう…………と思ったんだけど先輩が、
「何っ!」
と、演技過剰な感じで驚《おどろ》いている辺り意思の疎通《そつう》はできているみたい。
その先輩の様子を満足そうに見たあと、嵐ちゃんが口をあけた。そのかわいらしい舌に乗っているのは、さくらんぼのへた。だけどそのへたが普通じゃない、四つぐらいのへたが見事に鎖《くさり》状に連《つら》なっている。
「ほうだ みはか! ふはりよ」
たぶん、「どうだみたか! 鎖よ」と言っている嵐ちゃん。自信満々だ。確かにすごい、すごいけど…………とてもいやだ。ああ、あのかわいい嵐ちゃんが……嵐ちゃんが変わってしまった。あまりのことにへなへなと座り込むぼく。全身の力がどんどん抜けていく。
「くッ……正直今までにない脅威《きょうい》を感じているよ」
驚愕《きょうがく》の表情を浮かべている先輩。…………感じるなぁっ! と、心の底から突っ込めたらどれだけすがすがしい気分になれるでしょうか。でも、今までのやり取りでそんなエネルギーなんて根こそぎ奪われてる。
「ついてるついてないなんて、アタシには関係ないわ! この舌技《ぜつぎ》ではじめにーちゃんをメロメロに……」
「しようとするなあー!」
さすがに今の発言は見逃せず、気力を振り絞って立ち上がり、突っ込みを入れるぼく。ああ……なんでこんな馬鹿《ばか》なことで、気力を振り絞らないといけないんだろうか。
そのぼくの叫びと共に沈黙《ちんもく》が広がる。
「…………」
「むぐむぬむにゅ」
「…………」
いや、沈黙《ちんもく》に一つだけ妙な音が混じってる。
「…………四葉《よつば》のクローバー」
「おおっこれは見事な、さくらんぼのへたでここまで複雑な形状を……」
「やめーやめやめやめーっ! 嵐《らん》ちゃんもそんなはしたないことはやめる! 女の子なんだから。ぼくはそんな娘に育てた記憶《きおく》はないよ」
さくらんぼのパックを奪い取るぼく。
「だって〜〜〜、はじめにいちゃーん。こいつがひどいこと言うんだもん。ついてないとか」
「ついてないとかも言うもんじゃありません!」
「むー」
ぼくを、すねた感じで見る嵐ちゃん。上目《うわめ》遣《づか》いがかわいい…………うああっ、お兄ちゃんとしての血が騒《さわ》ぐ、何もかも許してしまいそうだ。が、ここは心を鬼にして。
「ダメなものはダメ! その一発芸も封印! わかった!?」
「は〜い」
うんうん、納得してくれたみたいだ。じゃあ、何でここにいるのかを聞いてみよう。と、思ってぼくが話しかけようとしたその時。嵐ちゃんが先輩《せんぱい》に向かって叫んだ。
「そこの馬の骨ぇ、アタシの奥義《おうぎ》が封じられたからと言って安心してんじゃないわよ! アタシには最後の切り札があるんだっ! あんたがどれだけ逆立ちしても太刀打《たちう》ちできない切り札がね」
そこで、もったいつけたように間を空ける嵐ちゃん。勝ち誇った顔が生意気でかわいらしい。どんな顔でもかわいく見えるのはお兄ちゃん目《アイ》のせいだろうか。お姉《ねえ》ちゃんでは……というのは考えない。
「……今まで黙《だま》ってたけどアタシは凰林《おうりん》高校に入学が決まってるわ!」
聞いてない!
そう叫ぼうとしたぼくだけど先輩の言葉に遮《さえぎ》られる。
「それだけでは切り札になりえてないな」
「ふっ、あせらないで。本題はこれからよ」
腕を組み、先輩を見下ろす嵐ちゃん。口調から動作からあらゆる物を使って勝ち誇っている。ものすごい勝ち誇りっぷりだ。いったいなんなんだろう。
ちなみに先輩を見下ろせる理由についてはノーコメントにさせていただきたく存じます。
くうっ、嵐ちゃんも成長期に入ったのか……。
ぼくが嬉《うれ》しさと悲しさと切なさの微妙に入り混じった気持ちでいる間にも、嵐ちゃんの勝ち誇りトークは続いてる。
「……ここはアタシの家から遠いわ。だから下宿することになってるんだけど…………下宿先ははじめにーちゃんの家なのよ! ドーン」
最後に自分で効果音を入れる嵐《らん》ちゃん。そんな嵐ちゃんにびっくりして問いかけるぼく。今度こそは邪魔《じゃま》が入らない。
「えっ! 聞いてない! ホントに聞いてないよ」
そう、まったく聞いてない。初耳だ。どうしようもないくらい初耳だ。
「黙《だま》っててくれるようにおば様達に頼んでたから」
答えはわかりきってるけど一応確認するぼく。
「知らないのは……」
「そ、はじめにーちゃんだけ」
…………うちの家族と一回、腹を割って話し合う必要があるんじゃないかと思ってきた。いくら頼まれてたからと言っても、なぜこんな大事なことを黙ってるんだ?
「どうだ見たか〜! これで、部屋で着替えてる時に扉を開けてドキッとか、はじめにーちゃんがお風呂《ふろ》に入ってるのに気づかずに脱衣所で鉢合《はちあ》わせてドキッとか、家族が誰《だれ》もいない時に都合よく停電になってドキッとか、台風が来て家族が家に帰ってこられなくなって二人っきりで夜を明かすことになってドキッとかのうれしはずかしイベントが…………」
「くっとんでもない強敵が現れたものだ」
わざとらしく、衝撃《しょうげき》を受けてあとずさる先輩《せんぱい》。汗を拭《ふ》く動作なんかしてて芸が細かい。
「というわけよ、今までアタシがいないのをいいことに、好き勝手してたんでしょうけど、これからはそうはいかないわ。あんたがはじめにーちゃんといたのはたかだか一年でしょ? アタシは生まれてからずっとよ。その時間に勝てるやつなんていやしないわ! アタシ達の間には十三年間もの歴史があるのよ!」
自信満々な嵐ちゃん。だけど、そこまでいわれて黙っている先輩じゃない。
「ふっ、時間は過ごし方によって価値が変動するものだ。私とはじめ君の濃密《のうみつ》で愛に満ちた蜜月《みつげつ》の日々に比べれば君の十三年など比べるに値しないだろう」
走馬灯《そうまとう》のようによぎる先輩との思い出。あれを蜜月の日々というのか……。その先輩の言う蜜月の日々の中を占める蜜月の割合は、果汁が数パーセントしか入っていないエセオレンジジュースにすら負けてるんじゃないかと思う。
「どうだい? 過去よりも今のほうが重要だとは思わないか?」
嵐ちゃんに負けじとニヤリと笑い返す先輩。いやらしい笑顔。先輩、絶対嵐ちゃんからかってるよ。
「くぅ、あんたむかつく。まじむかつく」
目と目の間で火花なんか散らしてる二人。というより、嵐ちゃんが放った火花を先輩が受け流している感じかな。その受け流された火花は間違いなくぼくに降りかかってくるんだろう。逃げたい、その火花が何か変なものに引火《いんか》する前に。
でも無理、精神力が尽きちゃった、もうすっからかん。ぼくはよろよろと電柱に寄りかかる。そんな哀《あわ》れなぼくの横で、どんどん話が弾《はず》んでいってる。ものすごくいやな方向に向かって。
「なによ、あんたがはじめにーちゃんのなにを知ってるって言うのよ! じゃあこれ知ってる?」
そのうちに、ぼくの秘密|暴露《ばくろ》大会が始まってしまった。なぜだ? なんつーかもう、弾みすぎっ! どこまで弾んでいってるんだっ!
その弾んだ会話につられて、いつの間にか人垣《ひとがき》ができてしまってる。学校の側《そば》なものだからその人垣の材料は、ほぼうちの学校の生徒。まずい、まずすぎる。天下の往来……というか、天下の通学路でなんて話をしてるんだ、この二人は。
「やっやめ……」
止めようとするぼくだけど、人の話を聞かないこの二人。
「はじめにーちゃんわね「わあああああ」で「ひいいいいいいいいいいい」なのよ!」
「むう、なかなかやるではないか。ではこれはどうだね? はじめ君は「きゃあああああああああ」で「うぎゃあああ」なのだよ」
むきになった嵐ちゃんと、絶対楽しんでる先輩《せんぱい》。二人の会話に混じってた悲痛な叫びはぼくの声。ぼくは叫んでどうにか情報の流失を止めようとしたんだけど、決壊《けっかい》したダムのような二人を止められるわけもなく…………、
「きゃ〜〜〜うそ〜〜」
「へ〜〜〜そうなんだ」
もうだだ漏《も》れ。周囲ではうちの生徒達が、ぼくの過去を肴《さかな》に話が盛り上がってる。
「……見かけによらないんだな」
…………だ。
「きゃーだいたーん」
…………だめ、耐えられない。ぼくの差恥心《しゅうちしん》ブレーカーが思いっきり落ちたので、ぼくはこの場から逃げ出した。逃げ出したぼくを誰《だれ》も責められないと思う。
……………………明日から学校どうしよう。
それにしても、一番出会っちゃいけない二人が会ってしまった気がする。これからどうなるかまったく予想がつかない。
ただこれだけは言える、ぼくはもうだめだ(色々と)。
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家族会議と夜這い
うちの家族とぼく
カンカンカンカン。
家に帰るなりぼくがやったこと、家の中の探索。そして驚愕《きょうがく》の事実発覚。そして家族|会議《かいぎ》を開催するべくお鍋《なべ》をおたまで叩《たた》いている。この二つは居間に常備してある。いつだったかお姉《ねえ》ちゃんが、やっぱこれよ! とか言ってどこかから持って来た。この二つの調理器具はお姉ちゃんの目に留まったばかりに、本来の使われ方を一度もすることはなく打楽器として一生を終えるんだろう。運命って残酷《ざんこく》だ。あと、鳴らす時にはエプロンをつけるのよっとかお姉ちゃんが言ってたけど、めんどくさいから無視してる。
それはともかく、このお鍋が鳴らされるのは、家族集合の合図なんだ。
「いったいなによ〜」
「あらあらどうしたの〜」
お鍋の音を聞いてお姉ちゃんとお母さんがやってきた。
「はじめにーちゃ〜ん」
いつの間にか帰ってきてた嵐《らん》ちゃんもおまけとしてついて来た。このかわいらしい口からどれだけの機密情報が流失したかは、明日になればわかるんだろう。学校行きたくない。
でもまあ、登校拒否児として覚醒《かくせい》する前に確認しないといけないことがあるので、そのことは封印しておこう。
ぼくは、三人に座るように言う。そこで少し待っていると、お父さんも帰ってきた。
「がははは、帰ったぞ。我が家のお姫様達」
これで家族が全員集合だ。
女だらけだからか、妙にハイなお父さんに座ってもらったあと、ぼくは全員の顔を見回した。お父さん大きいからいきなり部屋が狭くなった気がする。
「嵐ちゃんが来ること、それを黙《だま》っていたのはまあ許すよ。嵐ちゃんが口止めしてたらしいから。ここに住むのを黙っていたこと。これはかなり怒ってるけど、どうにか許せる範囲《はんい》。
ただね………………なんで嵐ちゃんの荷物がぼくの部屋に運ばれてるのっ!!」
なんかもう住む気満々といった感じで、荷物がつんであった。ぼくの部屋に。
ぼくのその問いかけにお父さんが目を伏せて言った。
「我が家は狭いからな、くっわしの稼《かせ》ぎが少ないせいで」
「お父さん……狭いながらも楽しい我が家って言うじゃない」
「そうですよ、お母さんはこの家好きですよ」
お父さんを励《はげ》ますお姉《ねえ》ちゃんとお母さん。
「お前達……」
ガシッと抱き合うぼくを除いたうちの家族。
その様子《ようす》を冷めた目で見ながらぼくは言った。
「……その狭いながらも楽しい我が家の二階に部屋が四つあることを御存知《ごぞんじ》ですか? 一つ、お母さん達の寝室。二つ、お姉ちゃんの部屋。三つ、ぼくの部屋。そして四つ目、客間………客間!」
「二回も言わなくても……」
お母さんがそう言ってくるけど無視。
「どう? 部屋が一つ余ってる! そりゃあもう、どうしようもないくらいに余ってる! なんでその部屋を有効に活用しようって考えが出てこないの!?」
ぼくの心からの叫び。
「そんなっ家族も同然の嵐《らん》ちゃんを客間に押し込むなんてっ」
お姉ちゃんがぼくのほうを、「なんてひどいことを言うのこの子はっ」……て感じで見ながら言った。ぼくの心からの叫びに対する返答がこれだ。むくわれない。
「そうです、そんなひどいことできません!」
いつもふにゃふにゃ笑ってるお母さんがビシィっと言った。
本当にむくわれない……心の通い合わない家族ってなんて悲しいものなのだろう。いや、ぼくがおかしいの? ぼくが間違っててお母さん達が正しいの? なんか不安になってきた……。ぼくって間違ったこと言ってる? ちょっと目を閉じて考えてみる。
…………結論、やっぱりぼくは間違ったことを言ってない。どう考えても、一部屋に二人詰め込むほうがひどいことなのだ。なのになんでぼくがこうまで言われてるんだ?
「いいのですわ、おば様。アタシは、はじめにーちゃんにうとまれ客間へと追いやられる運命なんですヨヨヨ」
嵐ちゃんがわざとらしく顔を覆《おお》って言った。ヨヨヨじゃない!
……どなたか、一つだけ聞かせてください。人を客間に通すのを、世間では追いやられると表現するものなのでしょうか?
天井《てんじょう》を見ながら、どこの誰《だれ》とも知れない人に助けを求めるほどに追い詰《つ》められたぼくの横では、うちの女達が手を握り合っている。
「嵐ちゃん、大丈夫よおばさんがついてるわ」
「そうよ、あなたはわたしの妹のようなものなんだから」
「おば様、一美《ひとみ》ねーちゃん……ありがとう。アタシがんばるわ」
何でぼくがここまで責められないといけないんだ。どうしてこんなことになってるんだ。なんでぼくはこんなところにいるんだ。…………なんかもうどうでも良くなってきた。
「わかった、わかったよ……もう好きにして」
「はじめにーちゃん! ありがとう」
ぼくに抱きついてくる嵐《らん》ちゃん。
「……ぼく、もう寝るよ」
ああ……とても疲れたなあ。眠って起きたら今日の出来事は夢だったとかにならないだろうかと本気で思う。いや、こんなことが現実にあるわけないんだ。だから今日の出来事は夢の中の出来事なんだ。そ〜だ、そ〜にちがいない。
「は〜い、アタシも寝る!」
はいはいと手を上げる嵐ちゃん。えっ……まあ、いいか。寝てれば嵐ちゃんも静かだよね。
「あらあら、晩御飯《ばんごはん》はあとで食べるの? でもお布団《ふとん》用意できてないわ〜」
「一緒《いっしょ》に寝るから問題なしよ、おばさま」
「…………」
もう何も言う気にならない。来るとこまで来たって感じ。
……………………ベッドの中という最後の安らぎの場すら失ったぼくはこれからどうなるのでしょうか。
しどけない寝姿のはじめ君と私
「夜分遅くすいません」
私は山城《やましろ》家の戸を叩《たた》いた。日はすでに落ちているが、各家庭から団欒《だんらん》の光が外に漏《も》れ、周囲が闇《やみ》に染まるのを防いでいる。中でも山城家から漏れる光が一際《ひときわ》輝《かがや》いているように見えるのは、間違いなく私の贔贋目《ひいきめ》だろう。やはり私はこの家が好きらしい。
「あらあら、つばささん。どうしました?」
チャイムの音を聞いて中から出てきたのはお義母《かあ》さん。食事の支度《したく》をしていたのだろうか、エプロンをつけたままだ。ちなみに、戸を叩いたのにチャイムとはこれいかに? と疑問に思った人、気にしたら負けだ。
私は、出てきたお義母さんに礼儀《れいぎ》正しく頭を下げ、気品すら漂《ただよ》うだろう優雅《ゆうが》さで言った。
「はい。夜這《よば》いに参りました」
我ながらなんて品のある言葉だろう……完璧《かんぺき》すぎる自分が恐ろしい。
「まあまあ、それはそれは。どうぞ上がってください」
いや、自分で言っておいてなんだが、こうもすんなりいくとは。さすがお義母さん。
「では、失礼します」
「お父さん、一美《ひとみ》ちゃん、つばささんが夜這《よば》いに来たわよ〜」
玄関から家の中に向かって言うお義母《かあ》さん。その声につられて、玄関にやってくるお義父《とう》さんとお義姉《ねえ》さん。
「なに! それは豪気《ごうき》な。男はそうでなくては」
「あらそうなの。じゃあ、二階に上がるのはもう少し待つことにするわ。二時間ぐらいでいい?」
「はい、それだけいただければ十分です」
相変わらず面白《おもしろ》い家族だ。
「はじめちゃんは今部屋で寝てるわ。あっそういえば嵐《らん》ちゃんも一緒《いっしょ》に寝てるわ〜。どうしましょ」
やはりそんな面白い事になっていたか。愉快《ゆかい》な事になっているだろうと予想して来たのだが、ここまで予想通りだと笑えてくるな。さてさて、どうなっている事か。
「まあ、それも一興《いっきょう》です」
「まあ〜、最初から複数? なかなかやるわね。じゃあ、がんばってね〜」
と、お義姉さん。
「くうっ、とてもせつないな。娘を持つ父親は辛《つら》い」
と、お義父さん
「つばささん」
「なんですか? お義母さん」
「最初は女の子がいいわ。がんばってくださいね。産み分けの方法は知ってるかしら?」
と、お義母さん。
「任せてください」
そう答えつつ、私は思った。いや、本当に面白い家族だ。
階段を上がってすぐ、そこにはじめ君の部屋がある。私は扉に耳を当てると、中の様子《ようす》を探る。人が起きている気配《けはい》はない。どうやら眠っているようだ。
「う〜ん……おねえさま」
………………お姉《ねえ》さま?
寝言だろうか。今扉の向こうから、とても素敵《すてき》なワードが聞こえてきたのだが。これはぜひとも確認せねばなるまい。
「邪魔《じゃま》をするよ」
一応そう断ってから私は部屋の中に入る。部屋に入る前には挨拶《あいさつ》をする、人として当たり前の礼儀《れいぎ》だ。夜這《よば》いに来ていて礼儀も何もあったものではない気がするが、そこのところは気にしない。私は礼を尽くした。その事実だけが重要だ。
中に入ると私は周囲を見回す。お義母《かあ》さん達の趣味《しゅみ》なのだろうか、レースのカーテンやら、ピンクのじゅうたんやら、これ以上ないというほど乙女《おとめ》の部屋と化している。これを拒《こば》めないのははじめ君らしい。漫画雑誌が最後の砦《とりで》とばかりに元男の部屋というのを主張しているが、もはや風前《ふうぜん》の灯《ともしび》だろう。
そんな感想を抱きながら部屋の中に入ると、私はベッドの上を覗《のぞ》いた。二人ともよく眠っている。
……ふむ、それにしてもいい画《え》だな。幸せそうにはじめ君に抱きついている嵐《らん》君と、抱きつかれて寝苦しそうなはじめ君。何かにうなされているのかうんうんと唸《うな》っている。これを記録《きろく》に残さないのは人類に対する背任行為だとすら思えてくるな。
私は部屋の窓を開ける。呼んでいて良かった、まさに備《そな》えあれば憂《うれ》いなし。
「川村《かわむら》君」
「お呼びですか」
窓の外に張り付いているのはカメラを抱えた川村君。全身黒ずくめで、闇《やみ》に紛《まぎ》れている。
「ああ、一仕事頼むよ」
「はっ」
こ気味いい返事と共に音もなく部屋に入り込んでくる川村《かわむら》君。妙に手馴《てな》れている気がするが、それはたぶん気のせいだ。
「どうだい? この光景は残しておくべきだと思わないか?」
私はベッドのほうを指した。川村君は私が指した方向を見ると、感無量といった表情を浮かべて言った。
「……はい、素晴《すば》らしい。このような光景を撮《と》る事ができるとは……生きていて良かった。私は、この光景を撮る為に生まれてきたのではないかとすら思えます」
「そうだろう、そうだろう。では存分に撮ってくれたまえ」
「はっ」
そのあとは、カメラのシャッター音と、闇《やみ》を照らすフラッシュだけが、部屋のすべてだった。その間、私は二人の寝顔を飽きる事なく見ながら考えていた。先ほどの寝言《ねごと》、多分《たぶん》嵐《らん》君のものなのだろうが……なぜあのような寝言を? はじめ君は、今はともかく昔はお兄様だったはずなのだが。こんなに早く順応してしまったのか? それともなにかあるのか?
……まあいい、その謎《なぞ》はおいおい解き明かしていく事にしよう。それにしても……お姉《ねえ》さまとは興味《きょうみ》深《ぶか》い。
私がそのような事を考えていると、度重《たびかさ》なるフラッシュやシャッター音のせいだろうか、それとも人の気配《けはい》を感じたからなのか、はじめ君が目を覚《さ》ました。
「うっう〜ん」
色っぽくうなるはじめ君に私は挨拶《あいさつ》をする。
「やあ、おはよう。よく眠れたかね」
「う〜ん、いやな夢を見た気がします。なにかに追いかけられてるんです。でも体が重くて逃げられないって…………、先輩《せんぱい》なんでこんなところにいるんですかっ!!」
当たり前といえば当たり前の疑問に、私は真摯《しんし》に答える。
「夜這《よば》いだ」
「夜這いってなに考えてるんですかっ!」
「大丈夫、君の家族公認だから」
「んなもの大丈夫じゃありません!」
「まあ、そう言わないでくれ。ライバルの出現に焦《あせ》りいてもたってもいられず、夜這いという行為に走ってしまったという微妙な乙女《おとめ》心を察してくれたまえ」
それを聞いて、微妙な顔をしてるはじめ君。乙女心のところに突っ込みを入れたいのだろうが、一応私の精神は女なのであって言ってる事は間違っていない。だけど……というように葛藤《かっとう》しているのだろう。
「……まっ、まったくなに考えてるんですか。うちの家族も先輩も」
自分の中でどうにか折り合いをつけたらしく、私の台詞《せりふ》をスルーするはじめ君。相変わらず反応が面白《おもしろ》い。
はじめ君はそこでようやく周囲に注意を向ける余裕ができたらしく辺りを見回す。そしてようやく周囲の状況に気づいた。
「そっそこで写真|撮《と》りまくってる馬鹿《ばか》はなんなんですか!」
川村《かわむら》君を指さしながら言うはじめ君。どうやらおびえているようだ。確かにフラッシュで浮かび上がる川村君の顔は鬼気《きき》迫《せま》っているな、私でも少し恐怖を感じる。
「いや、君達の寝顔《ねがお》があまりにもかわいらしかったものだからね。なかなかに良い写真が撮れている筈《はず》だ」
「なっなんでそんなことを……」
「はじめ君の恥ずかしい写真を激写《げきしゃ》し、それをネタに私と別れるつもりならばら撒《ま》くぞとか脅《おど》すためだ。これも乙女《おとめ》心のなせる業《わざ》。許してくれたまえ」
「最低だ……」
頭を抱えるはじめ君。そんなはじめ君に私は話しかける。
「はじめ君…………乙女心のせいにすれば、何もかも許されてしまう気がするのだがどうだろうか」
「知りませんっ!!」
私がはじめ君とそんな風に会話を楽しんでいると、嵐《らん》君が目を覚ましかけた。
「う〜にゅ〜」
かわいらしく手で顔を洗う嵐君。
「……川村君」
流石《さすが》に、嵐君に見られるのはまずそうなので、川村君に退却を命じる。入ってきた時と同じく音もなく消える川村君。さすがに初対面がこれというのは哀《あわ》れすぎる。これから共に学校生活を送る事になるのだろうし。
それにしても只者《ただもの》ではないな、川村君は。相変わらずその技術が、普通に日常生活を送る上ではまったく役に立たないところが素晴《すば》らしい。
「むゅ〜〜。……うげ、なんであんたがいるのよ!」
「うげ、はやめたほうがいいな、君もレディの端くれだろう」
と、たしなめつつも、変わってもらっては困ると考えている私がいる。今のままのほうが絶対的に面白いだろう。
「うるさいわね、黙《だま》りなさいよこの出歯亀《でばがめ》野郎」
「……いやまさにその通り。私は今、反論できないほどに出歯亀野郎なのだが」
「なに開き直ってるのよ」
「まあ、厳密《げんみつ》にいうと私は出歯亀ではなく夜這《よば》いに来たのだ。どうだい? 君も参加するかい?」
「先輩《せんぱい》! なに馬鹿《ばか》なこといってるんですか!」
面白《おもしろ》いから……とは流石《さすが》に返せそうな雰囲気ではないな。私はそう考え、
「いや、目くるめく官能と背徳の世界に突入しようかなと思ってね」
と、答えた。………こういう時に、つくづく私は天邪鬼《あまのじゃく》なのだと思うな。
「なっなに考えてんのよばかー! 帰んなさいよ、この外道《げどう》」
嵐《らん》君に枕《まくら》を投げつけられ私は部屋の外に押し出された。外道か、これも反論できないな。
まあいい、今日はこの辺りで引く事にしよう。とても有意義な時間を過ごした事だし、新たな発見もあった。明日からも面白くなりそうだ。
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○○○オーディションと帰り道
○○○候補の皆さんとぼく
「……番、朝井《あさい》徹《とおる》です」
ぼくは何でこんなところにいるんだろう。
「それで、何か特技は?」
先輩《せんぱい》が聞いた。ここはOMR部室……じゃない、秘密基地……でもない、悪の要塞《ようさい》ダークキャッスルだ。今更ながらになんて馬鹿《ばか》なネーミングだろうかと思う。
「はいっ! 体力には自信があります! はっはっはっ」
今、この悪の要塞には、総帥《そうすい》と悪の四天王《してんのう》が横一列に並んで座っている。そしてこの五人の前に、入れ替わり立ち替わりうちの学校の男子生徒が立って自己紹介をしたあと、特技なんか披露《ひろう》している。ちなみに、今自己紹介した朝井君は腕立《うでた》て伏《ふ》せをやってる。
「うむ、そこまで。結果は後日連絡する。では次の者」
先輩《せんぱい》がいつも通りの感じで言った。だけど座っているイスは、なんかやな感じの装飾が施されている。うねうねしてたり、とげとげしてたり。そのイスに足を組んで座っているもんだからもう、悪の総帥《そうすい》って感じだ。
にもかかわらず、先輩だけじゃなくぼく、のりちゃん、道本《みちもと》さん、真太郎《しんたろう》の前に学校の会議《かいぎ》室とかによくある折りたたみの机がおいてある。まったく悪の趣《おもむき》が感じられないその机の上においてあるのは、お茶とネームプレート。このネームプレートには、役職《やくしょく》と名前が書いてあるんだけど…………「四天王《してんのう》第四の翼《つばさ》 山城《やましろ》一《はじめ》はないんじゃないだろうか。とりあえず、このプレートはこれが終わった瞬間《しゅんかん》に燃《も》やす。この世に存在するだけでいやだ。
ちなみにこれとはオーディション。……言葉がたらないなあ。でも、言葉に出すのもためらわれるんだけど、話が進まないので詳しく言うと……今ここで行われているのは戦闘員《せんとういん》選抜オーディション。
こんな馬鹿《ばか》なオーディション開く先輩もアレだけど、扉の向こうに戦闘員候補がずらっと並んでいるのもナニだと思う。でも、何より問題なのは……………………、
「はじめちゃんファン倶楽部《くらぶ》、会員番号55番、田中《たなか》康治《こうじ》です!」
…………これだ。
朝井《あさい》君と入れ替わるようにして入ってきた田中君の自己紹介。枕詞《まくらことば》のようにぼく非公認のファン倶楽部の会員番号を言うのはやめてほしい。なぜ非公認のファン倶楽部のメンバーが大量に来るんだ? まあ、理由はわかりきってるんだけど。
次から次へとやってくる戦闘員候補は、一通り芸を見せたあと、ぼくに向けてニッカーっという気持ち悪い笑顔を向けて出て行く。
「先輩!」
ぼくは挙手《きょしゅ》して発言を求める。
「なんだね、はじめ君」
「カエッテモイイデスカ?」
「だめだ。……それでは、田中君。意気込みでも語ってくれたまえ」
くっ、簡単《かんたん》に流された。何が悲しくて、うれし楽しい放課後《ほうかご》をこんなことで潰《つぶ》さないといけないんだろうか。この放課後の数時間、人生で一、二を争うほどの、無駄《むだ》な時間なんじゃないかと思う。
「はっ! 自分はダークウイングに入り、はじめ様の部下として、思う存分|嬲《なぶ》られ、踏《ふ》まれ、蔑《さげす》まれ、罵《ののし》られたいと思っています! そしてはじめ様の目の前で、はじめ様の記憶《きおく》に残ることもなく、正義の味方にその他大勢の内の一人としてやられたいと思います!」
馬鹿だ。
「美しい、君は素晴《すば》らしく美しいよ」
道本《みちもと》さんが立ち上がり拍手しながら言った。
「うむ、なかなかの逸材《いつざい》だ。戦闘員《せんとういん》の美学をとてもよく分かっている。誰《だれ》にも顧《かえり》みられる事なく、はかなく散っていく道端の花。だが、それは無意味なわけではない。それらの花々も、世界を構成し輝《かがや》かせる一つの要素。戦闘員とはそのヒーロー達の世界を彩る道端の花。それらの存在なくしてヒーローは光り輝かないのだ。
なかなか良い決意を聞かせてもらった。結果を楽しみに待っていてくれ」
満足げにうなずきながら言う先輩《せんぱい》。くそ〜馬鹿《ばか》ばっかりだ。それ以前に、これ以上変人|濃度《のうど》を濃《こ》くしてどうするんだ? そろそろぼくが生存できるぎりぎりの濃度に達しそうだ……。ぼくは蛍《ほたる》のように清らかな流れの中でしか生きられない、はかない生き物なんだよ。そしてわずかな期間輝いて散っていくんだ…………とか、自分に酔《よ》ってみる。
不幸を気取《きど》って、自分を哀《あわ》れんで、多少なりとも救われようとするさもしい精神活動の一環《いっかん》だ。ふっ……最近精神|防衛《ぼうえい》の方法も凝《こ》ってきたなあ。とても泣ける。
「では次…………」
こうして、これ以上ないぐらい盛り上がる二人(悪の総帥《そうすい》、先輩。四天王《してんのう》第二の翼《つばさ》、道本さん)とこれ以下がないぐらい盛り下がりまくってる三人(四天王第四の翼、ぼく。四天王第三の翼、真太郎《しんたろう》。四天王第一の翼、のりちゃん)。さらに、扉の前に並んでいる馬鹿達の織《お》り成す競演《きょうえん》(狂演?)は、夕日に染まる部室が真《ま》っ暗になるまで続けられた。
いつもどおり高一の貴重な青春が浪費されていく、春休み前の出来事だった。
悟りを開き始めたはじめ君と私
「そろそろ君の誕生日《たんじょうび》だね」
駅までの道すがら、私ははじめ君に向けて言った。沈みかけた太陽が空を茜色《あかねいろ》に染めている。三月も後半に入り、日の出ている時間も長くなった。放課後《ほうかご》、部室に寄ったのちに下校してもまだ周囲は明るい。
「あっそういえばそうですね、一年前の今頃《いまごろ》こっちにきましたから。…………激動《げきどう》の一年間でした」
はじめ君の顔を観察していると笑顔が、「激動の一年」の辺りで悟りを開いたかのような達観《たっかん》した表情へと変わる。面白《おもしろ》い。
「うむ、まったく愉快《ゆかい》な一年だった。だがこれで私の身体《からだ》も華の16歳《さい》になるわけだ」
16歳のところを強調して言うと、はじめ君がいやな顔をする。
「それでぼくの身体が18歳になるんですね。先輩の誕生日ももう少しですから」
「うむ、数々の歌に歌われた輝ける17歳ももう終わりだ」
「なんですかその言い草は! ぼくの脳は16歳ですよ!」
「いや、脳は外から見えないからあまり意味ないな」
「うわっひどいですよ先輩《せんぱい》」
拗《す》ねるはじめ君もいい。
「はっはっは。まあそれでだ。誕生日《たんじょうび》を迎えるという事は、私達が結婚できる年齢《ねんれい》に達する事を意味しているわけだ。今私は、戸籍《こせき》上では男なわけだからね。さあ、何時《いつ》籍を入れにいこうか」
「なっななななにをいきなりいきなり言い出すんですか! 急ぎすぎですよ! ぼく達高校生ですよ?」
「ふむ、急ぐ理由かい? それはだね。…………ごく普通のふたりは、ごく普通の恋をし、ごく普通の結婚をしました。でも、ただひとつ違っていたのは、…………奥様は女子高生だったのです! というコンセプトで今後の学園生活をいきたいなと思っているのだ。面白《おもしろ》そうだろう? 奥様は女子高生。良い……とても良い響《ひび》きだ」
「な…………」
口をパクパクさせているはじめ君。…………良い。やはりはじめ君の魅力《みりょく》の一つは、このめまぐるしく変わる表情だろう。
「なんですかそれ! おもしろくない、おもしろくないですよ! しかもぼく達ごく普通に恋してないですよ! この世のどこに脳が入れ替わってる人がいるって言うんですか! まずは、何より先に、ごく普通に恋しましょうよ! それにぼくはしずか〜に学園生活送りたいんです! ただ一生徒として集団に埋もれてゆる〜く生きていきたいんです! これ以上|騒《さわ》がれるネタを増やすのはいやです!」
いや、静かに暮らすのは無理だろう。私の周囲の濃《こ》い者達に囲まれていながらも埋没してしまわない個性的なはじめ君が、静かに暮らしていくのは不可能に近い。にもかかわらず、自分が普通の人だと思っているところがはじめ君らしいのだが。はじめ君のささやかな夢を壊《こわ》してしまうのは、流石《さすが》にかわいそうなので指摘はしないがね。希望を持ってもらっているほうが、リアクションにも張りが出るだろうし。
「だからだめです〜。だめ〜」
このように。
今はじめ君は両手を交差させバツの字を作り、全身で拒否をしているのだが、その愛らしさと来たら尋常じゃない。今日も良いものを拝《おが》ませて貰《もら》った。
それにしても……奥様は女子高生というのはとても面白そうなのだが。さすがに面白いからという理由ではじめ君を落とす事はできないか。人生の重大事であることだし。これは着実に内堀を埋めて実現させる事にしよう。ちなみに外堀は完全に埋まっている。あの家族なら一も二もなく賛成《さんせい》するはずだ。
「まあ、冗談《じょうだん》はそこまでにしておこう。それでだね、春休みにでも花見に行くというのはどうだろう。誕生日《たんじょうび》を祝いつつ、花を愛《め》でる。日本人に生まれた喜びを感じようではないか」
「はい! いいですね。賛成《さんせい》です! お弁当作っていきますよ!」
うむ、やはりはじめ君はのりがいいな。このたびのミッションは花を愛でることを目的としていないのだが、これははじめ君が知らなくてもいい事だ。
「それで、参加者はいつものメンバーでいいだろう」
「はい……そうですね」
微妙に言葉を詰《つ》まらせるはじめ君。
二人きりがいいけど、お花見だしにぎやかなほうがいいかも。でも二人きりも捨てがたいなあ。とでも考えているのだろう。はじめ君は、とても分かりやすい。そこが良いのだが。
「では、決まりだ。皆の予定を確認ししだい、日程を知らせよう。君には色々準備があるだろうからな」
「はい」
まあ、少しフォローを入れておくかな、二人でというのもそれはそれで悪くない。
「まあ、今度二人きりで行こう」
「はい!」
良い返事だ。こちらの気分まで良くなる。
では、当日までに色々と仕込んでおこう。今からとても楽しみだ。
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花より団子と二日酔い
乱れるはじめ君と私
「せんぱーい」
四月に入り少しずつ暖かくなってきた日射《ひざ》しの中で、はじめ君がうれしそうに手を振っている。はじめ君のうれしそうな顔を見ると、桜を見る前に良いものを見たという気になる。
ここは駅前なので人が多いのだが、はじめ君の前を通りすぎる人々も良いものを見たといった感じで和《なご》んでいるようだ。あのブンブンと振り回している腕《うで》は、子犬の尻尾《しっぽ》を髣髴《ほうふつ》とさせているし、笑顔も素晴《すば》らしい。誰《だれ》にでも愛される存在というかなんというか。本当に末恐ろしい才能だな。ふむ、……このはじめ君の才能を使って世界征服とかできないだろうか。町内ぐらいなら確実にできそうな気がするのだが。
そのような事を考えているのを微塵《みじん》も顔に出さず、私は笑顔で挨拶《あいさつ》をした。
「おはよう、はじめ君」
「おはようございます! 晴れてよかったですね!」
「まったくだ。ほほう。それが、はじめ君が腕《うで》によりをかけたというお弁当かね」
私は、はじめ君の足元においてある包みを指さして言った。五段重ねはありそうな大きさだ。
「そうです。せっかくのお花見もかねた誕生日《たんじょうび》パーティーですからね。がんばりました。期待していいですよ、先輩《せんぱい》の好みはしってますから」
「ほうそれは楽しみだ」
そんな私とはじめ君の二人だけの世界に、かわいらしい声が割り込んできた。
「アタシを無視して何いちゃついてんのよ! この泥棒《どろぼう》ねこっ」
今度は泥棒猫と来たか。こう呼ばれたのも初めてだ。嵐《らん》君には実にいい経験《けいけん》をさせてもらっているな。まあ、こうなる事が分かっていて、嵐君を見て見ない振りをしていたのだが。
「なんて無粋《ぶすい》な、愛し合う二人の間に入ろうとは」
「うるさいうるさい〜何が愛し合う二人よ! ムキー」
ムキーか。やはり嵐君はからかうとおもしろいな。
じたばたという表現があるが、今の嵐君はまさにそれだ。手足をじたばたさせて悔《くや》しがっている。嵐君のリアクションもとても面白《おもしろ》い。新たなおもちゃを手に入れた気分だ。
「二人ともやめましょうよ、せっかく来たんだから」
はじめ君が仲裁に入ってくる。私個人としては喧嘩《けんか》しているつもりなど毛頭ないのだが、これ以上からかうのはやめておくか。
ここにいるのは、先ほどのはじめ君の言葉の通り。私の誕生日が四月一日、はじめ君の誕生日が三月二十五日。という事なので二人|一緒《いっしょ》に誕生日を祝おうという事になったのだが、ちょうど桜が見ごろなこの時期。ついでに花見もかねようという事になったわけだ。
場所はやすらぎ公園、メンバーはいつものプラス嵐君。まあ、そんな理由で待ち合わせて、今に至っているわけだ。
「では行くとしようか。嵐君は初めてだろうがなかなかに良いところだよ」
そっぽを向いてこちらを見ようともしない嵐君。いや、嫌われたものだ。しょうがないのだろうが。
「でははじめ君いつもどおり手をつないで行こうか」
「えっ」
驚《おどろ》くはじめ君に、
「いっいつもどおりって言った? 言ったわね、この泥棒ねこっ! 人がいない間に卑怯《ひきょう》よっ。じゃあアタシもつなぐっ」
案の定、愉快《ゆかい》なリアクションを返してくる嵐君。ああ、私はなんと意志が弱いのだろうか、つい数十秒前にからかうのをやめようと思ったばかりだというのに。まあ、面白いから良いか。
「いっいつも通りってなんですか!」
「いや、照れなくてもいいぞはじめ君。いつもしている事ではないか」
「むきゃ〜〜〜〜くやしいー」
今度は激《はげ》しく地面を踏《ふ》み鳴らす嵐《らん》君。地団駄《じだんだ》を踏む人間を見るのは生まれて初めてだ。実に興味《きょうみ》深《ぶか》い。今日も面白《おもしろ》くなりそうだ。
「それにしても大きな重箱だね」
私は手に持った包みを見ながら言った。なかなかに重い。私がこれを持っている理由は、はじめ君を真《ま》ん中にして、三人仲良く手をつないで歩いているからなのだが。春の遊歩道、三人仲良く手をつないで、手にはお弁当。周囲から見ると、かなりの量の微笑《ほほえ》ましさを発散させている事だろう。その微笑ましさたるや、子犬や子猫の写真を使ったカレンダーなどにも引けをとらないはずだ。川村《かわむら》君に連絡していて良かったな、今もどこかで獲物《えもの》を狙《ねら》う肉食《にくしょく》獣《じゅう》のごとく我々を狙っているだろう。
「はい。よく食べそうな人間がそろってますから。のりちゃん、料理なんかできなかったですから。一人暮らしの今はあまりいいものを食べてないんじゃないかと思うんです。バイトで生活費|稼《かせ》いでるらしいんで、あんまり賛沢《ぜいたく》できないでしょうし。そんな苦労を背負うようになった原因の一つは間違いなくぼくにあるんで、栄養つけてもらおうとたくさん持ってきました。それに真太郎《しんたろう》は人の何倍も食べますし。タッキーは間違いなく、死ぬ気で食べると思います。美少女の手料理がどうこうとか言って」
うむ、彼なら間違いなく言うな。
「だから、美香《みか》さんが持ってくる分を合わせても足りるか心配ですよ」
そう言いつつ私の手の中にある包みを見る。そして、反対側の手につかまっている嵐君に目をやった。
「ん? どうしたの嵐ちゃん、誰《だれ》が来るか心配?」
はじめ君が聞くと嵐君はむすっとした顔ではじめ君の腕《うで》を抱え込む。ほお、見かけによらず人見知りする性質《たち》なのか。私に対しては人見知りをしていなかったようだが。まあ、これは私が最初から敵だったからだろうか。
「大丈夫だよ。変な人ばかりだけど…………いや、一人を除いて真《ま》人間《にんげん》はいないけど。それでもほんとは良い人ばかりだから」
まったくひどい言われようだな、否定はできんが。それはともかく、このような説明では余計に不安がらせるのではないだろうか。私は嵐君の様子《ようす》を窺《うかが》ってみる。思ったとおり嵐君の表情は冴《さ》えない。ちなみに誰が真人間かの話は今度じっくりとしてもらうことにしよう。
「あとね、眼鏡《めがね》のおにーさんには近づいちゃダメだよ。あぶないから」
ただ、この言葉には異論を挟《はさ》む余地はない。
「おーい、真太郎《しんたろう》〜」
はじめ君が手を振ると、桜の木の前で銅像のごとく座り込んでいた真太郎君が目を開けた。とはいっても、普通の人では目が細すぎて開いたように見えないだろう。私は、かすかなまぶたの動きで目を開いたと判断したのだが、実に分かりづらい。
真太郎君の家はここに近いので場所取りを頼んでいたのだが、こんなに良い場所をとってくれるとはな。春休み、そして満開の桜。このような好条件を日本人が見逃《みのが》すはずもなく、午前中にもかかわらず辺りは花見の客で埋まっている。だが、真太郎君の取った場所は桜を見るには絶好の位置だ。いったい、いつごろから場所取りをしていたのだろうか。
「うわっすごくいい場所だね〜ありがとう」
「気にするな」
何時《いつ》も通り口数の少ない真太郎君。そこで、はじめ君の腕《うで》につかまっている嵐《らん》君に気づいた。
「ああ、この娘《こ》は石川《いしかわ》嵐ちゃん。ぼくの幼馴染《おさななじみ》なんだ」
「山田《やまだ》真太郎だ」
「……………………」
警戒《けいかい》するようにはじめ君の腕をぐっと掴《つか》む嵐君。初対面の時もそう思ったのだが、行動といい、警戒心の強さといい、嵐君は本当に小動物のようだ。
「まあ、人見知りするけど慣《な》れればいい娘だから」
「ああ」
「ほら、嵐ちゃんはなれて、動けないから。大丈夫、大きいけど真太郎は噛《か》んだりしないよ。ね、笑ってるでしょ?」
笑ってるというよりは目が細いだけなのだと思うのだが。そして少し傷ついた感じの真太郎君。
「うう〜」
引き剥《は》がされる嵐君。ますます小動物のようだ。
そんな事を考えながら、私は周囲を見回した。見たところ場所取りの真太郎君を除くと、我々が一番最初のようだ。……っと、噂《うわさ》をすればなんとやら。他のメンバーが歩いてくるのが見えた。
美香《みか》に、道本《みちもと》君、川村《かわむら》君に、オーラ君に、あと典弘《のリひろ》君も見えるな、これで全員そろった。
「あっのりにーちゃん」
「本当にお前もこっちに来たんだな」
挨拶《あいさつ》を交わしている嵐君と典弘君。なるほど、はじめ君と二人は幼馴染なのだから、この二人も幼馴染《おさななじみ》なのだな。
「そうよ! あの泥棒《どろぼう》ねこにはじめにーちゃんを盗《と》られてたまるかってのよ!」
「そうか…………がんばってくれ」
典弘《のりひろ》君が、嵐《らん》君の頭をぼんぼんと叩《たた》きながら同情するように言った。
「なによっ? そのリアクションは!」
「まあ、良い勉強になるだろう」
「のりにーちゃんまであたしが負けると思ってるのね!」
嵐君がさらに言い募《つの》ろうとしたのを見て、はじめ君が二人の間に入る。
「どーどー、嵐ちゃん興奮《こうふん》しない。この娘《こ》が、今度うちの学校に通うことになる石川《いしかわ》嵐ちゃんです。仲良くしてあげてください」
興奮している嵐君をなだめつつ皆に紹介するはじめ君。
「あら、かわいらしいお嬢《じょう》さんですわね。小谷《こたに》美香《みか》と申します。どうぞよろしくお願いします」
「ボクの名前は道本《みちもと》誠《まこと》だよ。君みたいな美しい娘には誠と呼んでもらいたいね、チェリーちゃん」
「ハジメましテ、オーラ=レーンズデス。オーラと呼んでクダサイ」
「はじめましてお嬢ちゃん。飴《あめ》上げるから、あっちでおにーさんに写真を撮《と》らせてくれない……ぶっ」
いいな、流石《さすが》は川村《かわむら》君、オチが効いてるよ。ちなみに最後の奇妙な音は、はじめ君の拳《こぶし》が川村君の頬《ほお》にめり込んだ時に漏《も》れた声だ。
「タッキーは危ないんだよ! 今後一切、嵐ちゃんの10メートル以内に近寄るな!」
嵐君を庇《かば》うように立つはじめ君。手をフルフルと痛そうに振っている。私の身体《からだ》は戦闘《せんとう》用にはできていないのだからしょうがない。それにしても、はじめ君はお兄さんしているな。こんなはじめ君を見るようになったのは嵐君が来てからだ。こういう少し背伸びした感じのはじめ君もなかなかに良いものだ。
「なっなぜだ! おれはただ熟《う》れる前の青い果実を新鮮《しんせん》な内に切り取り、永久に保存しようとしているだけなのに」
「今のも見逃せない変態発言だけど、それ以上にタッキーの存在自体が危ないんだよ! つーかわざとやってるだろ」
「うわっ、お前は今おれの存在そのものを否定したぞ」
そんないつも通りの愉快《ゆかい》なやり取りから花見が始まった。
「おおっ、すばらしいぃ。美少女が、その美しい白魚《しらうお》のような指で作り上げたお弁当。愛する人に食べてもらうのを思い浮かべつつ、かわいらしいエプロンなどで武装して料理をしている姿を想像するだけでもう胸がいっぱいになる。愛は、どんな調味料にも勝《まさ》るのだ。どんな大富豪《だいふごう》でもこれほどのものを食べる事はできないだろう!」
何時《いつ》にも増して飛ばしている川村《かわむら》君。
「つばさ先輩《せんぱい》の好物ばかりが入っているように見える。が、この彩《いろど》りはどうだ、赤、緑そのほか様々な色。この心|躍《おど》る見た目の楽しさは栄養のバランスを考えた真心。つばさ先輩のことを思う気持ちが形となって現れている。
素晴《すば》らしい技術に裏打ちされた、栄養のみならず愛すらも摂取できる料理。これぞまさしく、究極と至高を兼ね備えた完璧《かんぺき》な料理! オレは今日という日を忘れない」
そこまで仰々《ぎょうぎょう》しく語ったあと、川村君はようやく箸《はし》を伸ばす。
「いざ……いざ参る………………って、もうねええええええええええ」
その箸の先にあるのは、空になった重箱。
あの川村君の前ロ上の間に、中身はあらかた取り分けられて、皆の手元に渡っている。残りはまとめて真太郎《しんたろう》君と典弘《のりひろ》君の前においてある。二人は惚《ほ》れ惚《ぼ》れするような食べっぷりで、重箱の中身を胃に納めていく。そんな二人に涙目で詰《つ》め寄る川村君。
「てめえら、何、かきこんでるんだよ、飲み込むんじゃねえよ。噛《か》めよ、もう少し味わって食えよ! ってそれ以前におれのぶんまで食うんじゃねえよ。おれが今日という日をどれだけ楽しみにしてたと思うんだよ! おれは三日前からなんも食ってねーんだぞ! 弁当に入っている栄養素を、愛を、限界まで吸収するために。さらには、舌をまっさらな状態にするために、三日前から水しか飲んでねーんだ! そうまでして今日という日に備えていたんだぞおれは。それをお前らは……お前らは…………」
本気で涙を流している川村君。これが俗にいう男泣きというやつか。素晴らしい漢《おとこ》っぷりだな。
「…………馬鹿《ばか》がいる」
こう眩《つぶや》いたのははじめ君。馬鹿というのは、漢にとって最大の賛辞《さんじ》の一つだという事を理解しているのだろうか。
「うおおおおおおん」
川村君の魂の働哭《どうこく》。胸に迫るものがある。
はじめ君はあきれたような表情を浮かべながらも、川村君に皿を一つ差し出した。
「はぁ…………はい、タッキー用にとっておいたから」
「おお、ありがとう。本当にありがとう」
涙を流しながら最大限の感謝《かんしゃ》を見せる川村君。
このさりげない優《やさ》しさ、はじめ君らしいな。
「はいはい、わかったから泣くのやめて。見苦しくて桜に集中できないから」
さらに、持ち上げたら落とす事も忘れない。女の中の女への道を着実に進んでいるようだ、
本人は自覚していないだろうが。
川村《かわむら》君が黙《だま》ったので、ようやく花見が花見らしくなった。花より団子の連中が多いが、それもまた花見だろう。
「美香《みか》さんこれおいしいですね〜今度教えてください」
「はじめさんこそ」
「じゃあ今度|一緒《いっしょ》に作りましようか」
「いいですわね」
「さすが、はじめにーちゃん! おいしい〜」
「ハイ、おいしいデス〜」
桜の下で戯《たわむ》れる乙女《おとめ》達。
「美しい……」
私の思いを代弁するかのような声が聞こえた。声の方向を見ると、道本《みちもと》君がうちの花達に見とれている。
それでも花見は花見なのだが……道本君らしいな。
川村君は感涙に咽《むせ》びつつ箸《はし》を進めている。涙で塩味になるのではなかろうか。その他《ほか》では、はじめ君|曰《いわ》く欠食児童の二人が、黙々《もくもく》と食べ続けている。ものすごい速さで。川村君でなくても味わって食べろと言いたくなる。
それぞれは盛り上がっているのだろうが、まったく統一感のない集団だな。まあ、そんな人材を集めているのだからしょうがないが。同じような者達が集まってもあまり面白《おもしろ》くないのだ。が、それは場合によりけり。こういう場は多少の統一感を持たせたほうが盛り上がるだろう。
と、いう訳でアルコールの出番だ。実を言えば、それが今日の真の目的なのだが。それでは作戦を開始しようか。
「おお、忘れていた。飲み物を持ってきていたのだ」
私は、美香と料理|談議《だんぎ》に花を咲かせていたはじめ君に声をかける。
「……お酒じゃないですよね」
不信感を隠そうともしないはじめ君。
「アルコールの入った液体なら持って来ているが、君の心配しているような事はないよ。私の身体《からだ》がアルコールに弱いのはいやというほど知っている。はじめ君にはこれ、オレンジジュースを持ってきた」
私は持ってきていた鞄《かばん》から、有名なオレンジ果汁100%のジュースのビンを取り出した。
あからさまにほっとした様子《ようす》のはじめ君。私に無理やりお酒を飲まされると思っていたのだろう。いや、そのとおりなのだが。
私は紙コップにその分の中身を注ぎ、差し出した。
「ありがとうございます」
ついでに持ってきていたアルコール類も皆に渡していく。今日の言い訳的には、皆10万15歳から10万18歳の間だからというのはどうだろう。10万をつければ、色々と許されてしまうこの国が私は大好きだ。あとは、製造から数ヶ月というのも許されるのだが、オーラ君は今何|歳《さい》なのだろうか。機会《きかい》を見て聞いてみよう。
「それでは不肖《ふしょう》川村《かわむら》秀則《ひでのり》が乾杯の音頭《おんど》を取らせていただきます。あれは桜咲く去年の入学式の事…………」
相変わらず話の長い川村君、それを無視してはじめ君が言った。
「乾杯!」
「「乾杯!」」
それに皆が続く。川村君は少し寂《さび》しそうだ。
皆と一緒《いっしょ》に何の疑いもなく、紙コップの中身を飲み干すはじめ君。
「っぷはあ、これおいしいですねえ」
いい飲みっぷりだ。
「そうだろう、そうだろう。歌に歌われるほどだからな。命の水だ○ンジュース。さあ、コップを差し出したまえ、注いであげよう」
「あっはい、ありがとうございます」
うれしそうに飲み干すはじめ君。
…………ああ、なんて簡単《かんたん》に騙《だま》されるのだろうか。少し心配になってきた。だが、これも私への信頼ゆえだろう。その信頼を踏《ふ》みにじるのは心が痛む。
「いや、良い飲みっぷりだねはじめ君。どうだいもう一杯」
「はい、いただきます」
…………いや本当に痛んでいるのだよ。
私は持参したアルコールをちびりちびりとやりながら、周囲を見回した。宴も酣《たけなわ》、皆それぞれ盛り上がっている。酔《よ》って頬《ほお》を染め、清らかさと色っぽさを兼ね備えた、大和《やまと》撫子《なでしこ》としての理想とさえ言って良い程の清純なる笑みを浮かべながら、良い男がいないと愚痴《ぐち》っている美香《みか》と、その愚痴に笑顔で付き合っているオーラ君。アルコールが入る前とまったく変わっていない典弘《のりひろ》君と真太郎《しんたろう》君、はじめ君の紙コップと自分の紙コップを目にも留《と》まらぬ速さで入れ替えている川村君。相変わらず良い仕事をしているな。だが統一感のない集団だ。見ていて面白《おもしろ》いといえば面白いのだが。
そして我がはじめ君はというと……
「ろうもはじめまひて、やましろはじめでふ。よろひくおにぇがいひまふ。いっひょにどうれふか?」
というように、何もない空間に向けて話しかけている。何かが見えているようだ。酔《よ》った影響《えいきょう》で幽体《ゆうたい》が抜けかかっているらしい。
なるほど、なるほど。酔って前後不覚の状態になると、はじめ君は自分の能力を制御《せいぎょ》できなくなるのだね。勉強になった。だが、前の時とは少し違う。どうやらその時の体調や状況で酔い方が変わるようだ。なんて飽《あ》きさせない人なのだろうか、はじめ君は。ついでに言うと、道本《みちもと》君がはじめ君のほうを見て美しいを連発している理由もこれが原因だろうが、一応聞いてみるとしよう。
「道本君、はじめ君の幽体は抜けかかってるのかい?」
「ああ、抜けかかっているよ。酔って赤く火照《ほて》った美しい少女の肌《はだ》。その周りに漂《ただよ》う青く純粋でやさしい光。周囲に咲き誇っているのは満開の桜。美しい……なんて美しいのだろう。まるで一枚の絵画のようだ」
道本君が恍惚《こうこつ》としていった。私も見たいがそれは無理だ。とても残念だ。しょうがないので酔って乱れたはじめ君を写真にとって、残す事にしよう。とはいっても私は何もしない。川村《かわむら》君がすべてやってくれている。餅《もち》は餅屋だ。
「ちなみにはじめ君の挨拶《あいさつ》の相手は誰《だれ》なのだい?」
私は道本君に聞いた。自分の世界に入り込んでいる道本君をこちらに呼び戻すのは気が引けるが、他《ほか》に方法がないのだからしょうがない。
「男だね、ん〜40前後ってところかな。体つきががっちりしている人だね、肉体労働系の仕事をしていそうだ。髭《ひげ》を生《は》やしていて、服装は……結構古い感じだ。でもべつに着物に髷《まげ》をしてるというわけじゃない。そうだね……明治とかその辺の人だと思うよ。あと、親身にハニーの話を聞いているね、義理人情に厚い中年といった風情《ふぜい》だね」
「なるほど」
男か、桜の下に死体が埋まっているとはよく言うがそれだろうか。私がそんな感想を抱いてると、
「なにぃ? 男ですと!? なんて風情がないのだ!」
川村君が急に立ち上がり叫んだ。あいかわらず耳聡《みみざと》い。
「だいたい、桜の木の下に埋まっているのは絶世の美女であるべきなのだ。そしてその美女はこの世に悲しい未練を持ってるべきなのだよ! そのほうが、成仏《じょうぶつ》させた時の感動も大きく、さらに思い出としても美しい。
過去にも美少女の成仏に力を貸した事があった。小夜《さよ》ちゃん…………そう、今、小夜ちゃんを思い出して俺《おれ》の胸に湧《わ》き上がった切なさ。この切なさがいいんだよ。こんな思い出ならいくらあっても困らん!
男じゃこんな感情湧かんだろう!? 薄幸《はっこう》の美女を成仏させる事により、我々が抱く切なさの総量はもう男を何百体、何千体と成仏させても到底|敵《かな》う事はないだろう。
この世に未練を残してとどまっていいのは美女、美少女だけだ! この狭い現世《げんせ》には男が彷徨《さまよ》うスペースなど在りはしないのだ!
だというのに……こら男! 貴様《きさま》なに桜の下なんていう素敵《すてき》スポットに、自縛《じばく》ってるのだ!」
満開の桜に向けて自らの趣味《しゅみ》をぶちまける川村《かわむら》君。
「ちなみにその男はどの辺りにいるのかね」
私は道本《みちもと》君に確認してみる。
「ああ、あの桜の木だよ」
道本君が指差したのは、川村君が説教をしている桜……の後ろにひっそりとたたずむ桜の木。枯れているのか、何かの病気にかかっているのか花をつけていない。
「なるほど」
ふむ、という事は、川村君は見当違いの方向に向けて熱く語っているわけか。…………おもしろいのでここまま放っておこう。
「もういいかい、つばさ。用が済んだのなら、あまり話しかけないでくれ。ボクは今この美しい光景を瞳《ひとみ》に焼き付けているんだ」
「了承した。邪魔《じゃま》してすまなかった」
さて、……どうしたものか。
肝心の目となってくれるべき道本君が役に立たない。状況が分からないので、あまりおもしろくない。あまりがつくだけで、それなりにおもしろかったりはするのだが。
「そーなんれすよ。きいてくらさいよ! ひどいんれすよ。先輩《せんぱい》は、先輩は……」
幽霊《ゆうれい》に向かって話しかけているはじめ君。面白《おもしろ》い。
「そもそも男だろう? なんに未練残してんだ。男らしく成仏《じょうぶつ》して、さっさとその場所美女幽霊に空けろ!」
相変わらず桜の木に向かって説教している川村君。とても面白い。
だが見えないのはいただけない。見えれば、さらに面白いだろうに。どうにかこの状況を打開する方法はないものか。
その時私は、嵐《らん》君がはじめ君と同じ方向を見ている事に気づいた。あの枯れかけた桜の木の方向だ。もしや嵐君にも見えているのか?
……少し探ってみるか、他《ほか》に気になる事もある事だしな。
「嵐君、君は何を見ているのだい?」
私は、幽霊のいるらしき方向に見入っている嵐君に話しかけた。
「…………なによ、話しかけないでよ」
心ここにあらずといった嵐君。なぜなのだろうか、やはり幽霊が見えているからか? 気になるな。
「ああ、返事を聞かせてもらえば引き下がるよ。君ははじめ君と同じものが見えているのかい?」
嵐《らん》君は私を少し見たあと、言った。
「……何言ってんの?」
……これは予想外だ。見えていないのか。嘘《うそ》をついているようには見えない…………では何を見ているのか。嵐君の視線の先にあるのは枯れかけた桜の木だけだ。この桜の木の何が嵐君を引き付けているのだろうか。
私がその事について考えている横では、相も変わらず酔《よ》ったはじめ君が幽霊《ゆうれい》に絡《から》んでいる。
「……こんらことも、あったんれすよ」
そう幽霊に向けて愚痴《ぐち》るはじめ君を見ながら、嵐君が聞いてきた。
「はじめにーちゃん、何を見てるの?」
「霊を見ているらしいね」
「……いつから幽霊なんて見えるようになったの?」
おお、そういえば嵐君ははじめ君の体質の事を知らないのだったな。どう答えるか……本当の事を言うわけにもいかない、はじめ君とも約束した事だしな。
「……ああ、それはこちらに来てからだ。私が色々と心霊スポットなどを連れまわしていたら能力に目覚めてしまったようだ」
「あんたのせいなの」
「そう私のせいだ」
「……そう」
…………思ったより淡白なリアクションだな、てっきり色々と罵《ののし》られると思っていたのだが。何か他《ほか》に興味《きょうみ》をそそるものがあるのだろう。見ている方向からするとあの枯れかけた桜しかないのだが。やはり桜を見ているのか?
私がそのように考え込んでいるうちにも、はじめ君と霊の会話は続いている。
「そーなんれす、たいへんなんれすよ」
「そーいうあらたは、どうしたんれす? なんで、こんらところに?」
「そうれすか……たいへんれふね」
ふむ、片方の言葉しか聞こえないというのはやはり不便だな。話の繋《つな》がりが良く分からない。
さてどうするか。
私が事態を把握《はあく》する方法を考えていると、嵐君が言った。
「ねえ、ここの桜って何?」
先ほどといい、今といい、私に質問をするとは珍しい事もあるものだ。
「ん? ここの桜の由来かね」
「そうよ。知ってるの?」
「ああ、知っているが……」
「じやあ、教えて」
「なぜ急にそんな事を?」
「いいから教えてよ!」
どこかおかしな様子《ようす》の嵐《らん》君。いったいなんなのだ? まあいい、説明しよう。何か分かるかもしれない。
「……昔、広川《ひろかわ》は大雨が降るたびに氾濫《はんらん》を繰《く》り返していた。それで、明治の後半辺りに広川の大規模な治水《ちすい》工事が行われた。やすらぎ公園を流れる小川は広川の水を逃がすために造られた人工の川だ。そしてこの桜は、工事が終わったその年に、広川で亡くなった人々の鎮魂《ちんこん》のために植えられた。それが、この桜達の由来だよ」
私は枯れかけた桜の木を見ながら説明した。そう考えると、なかなか感傷的な気分になってくる。そこの桜に自らを縛《しば》っている男の霊《れい》は、広川で溺死《できし》したか、工事の際の事故で亡くなった人かもしれないな。
「そう……なんだ」
さて、説明はした。これを聞いて、嵐君はどのような反応を見せるか。私が嵐君を見ると、私の話が嵐君に劇的《げきてき》な変化をもたらしていた。どこかを見ているが、焦点が合っていない。
「嵐君、どうしたんだね。嵐君?」
私の声がまったく耳に入っていない。自らの思考に深く沈んでいるようだ。いったいなんなのだ? 今の話の何が嵐君に影響《えいきょう》を与えたのだろうか。
気になりはしたものの、嵐君に聞くのは無理なようだ。自力でどうにかするしかないか。鍵《かぎ》となるのはこの桜だな。
しばらくすると、嵐君はいつもどおりの嵐君に戻っていた。いや、前にも増してはじめ君にくっついている、一時《ひととき》も離れようとしない。何時《いつ》も通りといえばそうなのだが……この違和感はなんだろうか。
今の嵐君はとても不安定な印象を受ける、触ると崩《くず》れてしまいそうな程に。これはどうにかしたほうが良さそうだ。
お見舞いに来た先輩とぼく
「うう〜、先輩《せんぱい》のうそつき〜。お酒じゃないっていったのに〜」
頭が痛い。がんがんする。昨日の花見の後遺症《こういしょう》だ。先輩がお酒飲ますからだよ〜。
「いや、あれはアルコールの入ったオレンジジュースだ。お義父《とう》さんに聞いてみたまえ。あんな物は酒ではないと言うだろう」
またこんな屁理屈《へりくつ》言ってる〜。お父さんにかかれば、ビールだってお酒じゃないとか言いそうだよ。酒飲みだから。
「卑怯者《ひきょうもの》〜」
ニコニコと笑ってる先輩《せんぱい》。
ここはぼくの部屋。お昼ごろに「大丈夫かねはじめ君」とかしらじらしく心配そうな顔をして先輩が現れた。先輩が元凶《げんきょう》なのに……まったく。それでぼくは、ベッドに寝たままぐちぐちと文句言ってるわけ。
「ところで、はじめ君。昨日、男性の霊《れい》とした会話の内容を覚えているかい?」
ぼくの愚痴《ぐち》がやんだ時に、先輩がそう聞いてきた。
「……霊?」
何で幽霊《ゆうれい》の話が出て来るんだ?
「そう、霊だ」
「ぼく幽霊と話してたんですか?」
「ああ、話してた」
「…………記憶《きおく》にないんですが」
うそ、まったく記憶にない。思い出そうとしても頭のガンガンが邪魔《じゃま》する。
「では、男性と話した記憶は?」
…………そういえば、色々話した記憶があるような。
「幽霊とは気づいてなかったのだね」
「そうみたいです」
「……はじめ君。君は私の前以外でお酒を飲んではいけないよ」
真面目《まじめ》な顔で言ってくる先輩。
なら飲ませるな〜と、叫びたかったけど頭が痛くて叫べないので、心の中で叫んでおく。
「それでどのような事を話したか覚えているかい?」
何を話したんだっけ。
「些細《ささい》な事でもいいんだが」
う〜ん。
「先輩がいじわるだとか」
「それは聞いた」
「先輩がひどいとか」
「それも聞いたな」
「先輩がぼくを弄《もてあそ》んでるとか」
「…………」
「先輩が鬼畜《きちく》で外道《げどう》で女の敵だとか」
「…………私関係以外で何かないかね。君の言った言葉は覚えている。ちなみに最後のセリフはなかったな」
ぼくのささやかな復讐《ふくしゅう》……まったく効いてない。
「う〜ん、工事がどうとか水を治めないととか言ってた気がします」
「本当かい?」
「はい」
うん、確かそう言ってた。
「その男の霊《れい》は、道本《みちもと》君の見立てだと100年くらい前の霊だと言っていた。とすれば、その頃《ころ》の水に関係する工事となると広川《ひろかわ》の治水《ちすい》工事だな」
「治水工事ですか?」
「そう、あの広川で行われた大規模な工事だ。彼はその工事で亡くなったのだろう、幾人もの犠牲者《ぎせいしゃ》が出たというし。突発的な事故などで、自分が死んだ事に気づいていないのだろう」
そこまで言うと何かぶつぶつ言い出す先輩《せんぱい》。
「……ふむ、やはり……君には関係ないか……とすれば桜か……」
何か考えているみたいだ。邪魔《じゃま》をしないようにぼくは静かにしている。こうやって、真面目《まじめ》に考え込んでいる先輩はかっこいいんだけどね〜。
そんなことを考えてたら、誰《だれ》かが階段を上がってくる音が聞こえてきた。タタタタタタという軽い音、たぶん嵐《らん》ちゃんだ。でもその軽快な音が、ぼくには、死へのカウントダウンに聞こえた。
2、1、0、バンッ
「あー、なにしてんのよ、なにしてんのよっ! あたしのいない間にっ!」
扉を開くと同時に叫ぶ嵐ちゃん。
ぎゃ〜〜〜〜あたまが〜〜〜〜!!
「君はどこに行ってたんだい?」
「あんたには関係ないでしょ!」
いつも通り口げんか始める二人。いつももいやだけど……
「大体あんたは邪魔なのよ! このトンビ」
今は……
「そのトンビというのはトンビに油揚《あぶらあ》げをさらわれる、ということわざから来ているのだろうか」
さすがに……
「うるさいわね、黙《だま》りなさいよ!」
もうだめ……
ぼくの、堪忍袋《かんにんぶくろ》の緒《お》も、もう限界。ぶっちーんとかいって、綺麗《きれい》に切れた。
「うるさーい、うるさいうるさい、うるさ〜い!! 出ていけ〜〜〜ぎゃあああ」
怒《いか》りのあまり自爆《じばく》するぼく。あ痛たたたたたたた、頭痛い。
ぼくは周囲にあるものを手当たりしだい投げつけて、二人を部屋から追い出す。
バタンと扉が閉められた。
やっと静かに……
「あんたのせいで、追い出されちゃったじゃないの!」
「止《とど》めを刺したのは、かなりの確率で君だろう」
ならなかった。
部屋を出てもうるさい二人。あの二人がそろうとなぜこんなにうるさいんだ……。でも、扉を挟んでる分だけさっきよりはましだ。ぼくは、耳をふさいで布団《ふとん》に潜《もぐ》る。さっさと寝よう…、それが一番だ。
そういえば、何で先輩《せんぱい》あんなこと聞きに来たんだろう。……まあいいか、どうせ頭痛くて何も考えられない。おやすみなさ……、
「きー、なに他人のせいにしてんのよ!」
「いや事実だろう」
「むっきゃ〜〜〜〜」
……眠れそうにない。誰《だれ》か、たす…け……て……。
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お馬鹿な特訓とコーチ
白衣の天使とぼく
「やった! やったぞおおおぉぉぉ」
「うっうっうっ」
「気を落とすなよ、お前はやるだけの事はやった。運が悪かっただけさ……」
「ばんざーい、ばんざーい」
よくある光景、毎年春になると全国の学校で見られる人間模様、美しい青春の1ページに普通はなると思う。これが何の変哲もない高校の放課後《ほうかご》じゃなければ。
「よし胴上げだ〜〜〜〜」
「田中《たなか》君の前途を祝して〜〜〜」
「「わっしょいわっしょい」」
これも、合格発表時の大学なんかで行われているのなら、未来への輝《かがや》かしい一歩になるはず。
でも、これが戦闘員《せんとういん》選抜オーディションの合格発表であるなら話は別すぎる。喜んでるやつも、泣いてるやつも、励《はげ》ましてるやつも、みんな馬鹿《ばか》。
ぼくはオーディション結果に一喜一憂《いっきいちゆう》する戦闘員見習い達を横目に部室に入る。そして部屋に入るなり先輩《せんぱい》に聞いた。
「先輩、あれはなんですか?」
「感動の光景が繰《く》り広げられていたな、青春だ……素晴《すば》らしい」
とてもうれしそうな先輩。ソファのいつもの席に座ってご機嫌《きげん》だ。先輩にはあれがそう見えたのか……もう何も言わないでおこう。
ぼくは鞄《かばん》を置いて、もう定位置になった先輩の隣《となり》に座った。そして、ぼくの前に座ってるのりちゃんに気づく。
「あれ、のりちゃんどうしたの?」
「…………呼ばれた」
のりちゃんはバイトしてる人だから、何かある時しかここに来ない。というより、何かある時にここに連れて来られる。……ああ、今日もまた何かあるんだ。心構えをしておこう。何があっても良い様に。
そんな感じでトンカントンカンと心を補強していると、いつの間にかいつものメンバーが全員集合してた。四天王《してんのう》(この呼び名はとてもいやだ)に、美香《みか》さんに、オーラ。あれ、タッキーがいないなあ。こんな時は喜んで来そうなんだけど。
「大体そろったな、では始めるとしようか。はじめ君、表の戦闘員の方々を呼んできてくれたまえ」
はぁ、今度はなんなんだろう。
「新人戦闘員の諸君! さあ、これから訓練に入る。戦闘員の肝、正義の味方にやられる訓練だ」
ずらっと整列した戦闘員候補の前を歩きながら先輩が言った。結構広いこの部屋だけど、20人くらいの人間が新しく入ってきたらさすがに狭い。
それにしても訓練までするのか……ヒーロー物の特撮《とくさつ》とかに出てくる悪の秘密結社とかが実在したらやっぱりこんな訓練してるのかなあ。いや、やられる訓練はしないだろうなあ。
「教官はこの三人、攻撃《こうげき》の見切りを大林《おおばやし》典弘《のりひろ》君、受身を山田《やまだ》真太郎《しんたろう》君、そして演技を道本《みちもと》誠《まこと》君だ」
先輩の後ろに控えているのは真太郎とのりちゃんと道本さん。真太郎とのりちゃんの二人は、最近良く見るようになった諦《あきら》めの表情を浮かべている。道本さんはいつも通り。
「君達は、ダメージを受けずに攻撃《こうげき》を受ける方法、ダメージを受けずに派手《はで》に飛ばされる方法をこれから学んでもらう。怪我《けが》をしない、これからはこれを念頭において行動する。怪我人が出たら面白《おもしろ》くないだろう? しかし、だからといって見るに耐えないへたな演技も許されない。
正直難しいだろう。だが、派手に、美しく、安全に。諸君《しょくん》にはこの三原則を守っていただきたい」
「「はいっ」」
元気良く返事をする、戦闘員《せんとういん》の皆さん。それを見て満足げにうなずく先輩《せんぱい》。
「うむ、なかなかに元気でよろしい。だがこれから、戦闘員となっている時の返事は「キー」だ。よく憶《おぼ》えておきたまえ」
「「キー」」
一糸《いっし》乱れぬ戦闘員の皆さん。それ見てオーラがうれしそうに言った。
「アア、カッコいいデス。まサカ、ホンモノノ戦闘員のミナサンを見らレルなんテ……。ココに来テ良かっタデス」
今日、というか最近しばらくはロボのほうのオーラなんだけど、前とあんまり変わらない感じ。特に趣味《しゅみ》。戦闘員を見て喜ぶロボ。ロボオーラってホントにロボットなんだろうか。自我が芽生《めば》える可能性があるとか前に宇宙人のほうのオーラが言ってたけど、ぼくにはもう芽生えてるようにしか見えないなあ。
「それでは、訓練を始めよう。場所は悪の組織《そしき》らしく、暗くじめじめした校舎裏で行う。もし怪我をした場合、疲労で倒れた場合は、はじめ君が介抱《かいほう》してくれる。存分に訓練に打ち込んでくれ」
「「キ―――――!」」
先輩の言葉を聞いた戦闘員の皆さんの返事が、思いのほか気合が入っていてなんかいやだった。
かわいい双子とアタシ
ごぼっ
泥水が口から大量に入ってくる。息ができない。着物が身体《からだ》の動きを邪魔《じゃま》する。水が冷たい。いやだ、こんな死に方はいやだ。あまりの苦しさに涙が出てくる。あまりの悔《くや》しさに鳴咽《おえつ》が漏《も》れる。でも、どちらもすぐにかき消されてしまう。アタシの命もこんな感じで簡単《かんたん》にかき消されてしまうんだろう。
その時声がかすかに聞こえた。
「…………今行く…………がんば…………」
大好きなあの声、諦《あきら》めかけていたアタシの身体に力がみなぎる。顔を必死に上げると水に飛び込もうとしているあの人の姿が見えた。
私は力を振り絞って叫ぶ
「―――――――――――」
「何ボーっと」
「してるの?」
ユニゾンしたかわいらしい声がアタシを過去から引き戻した。今は放課後《ほうかご》、教室で机に座ったまま意識《いしき》が飛んでたみたい。まだ、短縮《たんしゅく》授業だから外はまだまだ明るいけど。
あの花見から記憶《きおく》が鮮明《せんめい》になって来てる。泥水の冷たさも、苦しさも…………そして、そのあとに待ち受ける信じられないほどの喪失感《そうしつかん》も。
「ずっと前のことを思い出してたのよ」
そう、ずっと前のことを思い出してた。
「え〜聞きたいな」
「聞きたいな」
かわいい双子《ふたご》、ほーちゃんとなっちゃんが興味《きょうみ》津々《しんしん》といった感じで顔を寄せてくる。本名は小谷《こたに》美穂《みほ》と小谷|美菜《みな》。二人とは入学式の日に友達になった。花見の時にいた美香《みか》さんの双子の妹だ。どうやらはじめにーちゃんが仲良くしてと頼んでくれてたらしい。こっちには同学年の知り合いがまったくいなかったので、とても助かったし、心配してくれているのがわかってうれしかった。
「だめ〜」
これは、大事な記憶《きおく》。忘れてはいけない記憶。誰《だれ》にも教えない。いや……教えられない。
「「ぶー」」
「かわいくしたってだめ〜」
この双子《ふたご》はとてもかわいい。同性の私から見てもそう思う。こんなに女の子女の子してると同性から嫌われたりすることが多いけど、この子達はそんな事ない。人徳《じんとく》なのかな、得な娘《こ》達だ。それに、とても人懐《ひとなつ》っこい。おかげで人見知りをする私でも、すぐ仲良くなることができた。
二人の身長は160センチの私より低い……150センチと少しくらいかな。二人とも髪《かみ》を片側で結んでいる。双子なので顔がまったく同じ。二人はめがねをかけてるんだけど、その大きめのめがねまでいっしょだ。だから私は、二人の区別はその髪の結び目でつけてる。右で結んでいるのが美穂《みほ》ちゃん、左で結んでいるのが美莱《みな》ちゃん。
「いいも〜ん」
「なっちゃん達も教えないもんね?」
「ね〜」
二人は手に持った何かをちらちらと見ながら言った。教えたくてたまらないって感じだ。だから聞いてみる。
「なになに?」
「知りたい〜?」
「知りたい〜?」
「知りたい」
アタシは素直に言う。二人はうれしそうに顔を見合わせたあと。
「ちゃ〜ちゃちゃ〜ちゃちゃららら〜ん」
「凰林《おうりん》高校周辺マップ〜」
ネコ型ロボが道具を取り出す時の音楽を口で出しながら、ネコ型ロボのまねをして紙を取り出す。かわいいが似てない。
「ん? これはなんなの?」
アタシは紙を指さして聞いた。
「美香《みか》ちゃんに教えてもらった〜」
「学校周辺のおいしいお店が載ってる地図〜!」
へえ、それは便利そう。アタシこの辺のことまったくわからないし。
「いまからいこ〜」
「いこ〜」
この周囲の地理を知るのは必要だと思う。はじめにーちゃんを誘う口実にもなりそうだし。あそこの店速れてって〜とか言って…………それいい。決定。
「うんいく!」
アタシは超特急で帰り支度《じたく》を始めた。
「君達、美しくない、美しくないよ!」
ここが近道らしいよ〜と地図を見ながらほーちゃんが言ったので、学校の裏の道を通っていると、そんな声が聞こえてきた。声が聞こえてきた方向は、たしか体育館裏のはずよね……。様子《ようす》を見ようと金網《かなあみ》の向こうを覗《のぞ》き込むけど、植え込みが邪魔《じゃま》で見えない。
「なんだろ〜」
「なんだろ〜」
「なんだろね」
アタシ達は、顔を見合わせる。
「じゃあ、見にいこー」
「おー」
あっという間に話が決まったみたい。ま、いいか。暇《ひま》だし。
「うん、じゃあ中が見えるところにいこうか」
アタシ達は、金網沿いを歩いていく。すると、少しだけ植え込みの途切《とぎ》れたところがあった。中に見えたものは……、何か見たことのある顔ぶれ。はじめにーちゃんのお供達。のりにーちゃんに、山田《やまだ》なんとかとかいった大きな人。あとかっこいい道本《みちもと》なんとかさんに、他《ほか》には戦闘員《せんとういん》たくさん…………戦闘員?
「ああっ、だめだめ。こうだよ、飛び方はこうだっ」
道本……なんだったっけ? ああ、そうだ誠《まこと》だ。ボクのことは誠と呼んでかまわないよ。とかいってた、なれなれしく。その誠さんが美しく飛んでいる。弓なりに身体《からだ》をそって、放物線を描いて。指先は綺麗《きれい》に伸ばされて、長い髪《かみ》がはらはらと身体を包み込んでいる。ものすごい滞空時間。一瞬《いっしゅん》背後に薔薇《ばら》が見えたわ。
「きれいね……」
「うん……」
どうやら今の吹っ飛びで、二人のハートはがっちり掴《つか》まれたみたい。目がハートマークになりそうな勢いだ。いや、まあ確かに綺麗だったけどね……。二人のことがまた少しわかった。二人って結構ミーハーなんだなあ。
「どうだね、素晴《すば》らしい吹っ飛びっぷりだろう。ここまでやれとは言わないが、これに近づけるよう努力をしたまえ」
「「キー」」
何もしてないくせにとてもえらそうなのは、はじめにーちゃんに憑《つ》いた悪い虫。またこいつなの? でもはじめにーちゃんはいないみたいね。
「さすれば、天国が待っている」
虫が、腕《うで》を組んでマントをひるがえしつつ(何つけてんのこいつ)顎《あご》で校舎の端の辺りを指す。うわっかなりむかつく動き。
虫の思い通りの行動を取るのはいやだけど、気になるので校舎の端の辺りを見る。でも死角になってるからここからじゃ見えないわ……と、思ったら、壁《かべ》の向こうから声が聞こえてきた。
「やめてくださいよ、何でこんな格好をしないといけないんですか!」
「けが人の治療《ちりょう》はこの格好と決まっていますのよ」
「いやーだー」
聞こえてくるのははじめにーちゃんの声と……、
「美香《みか》ちゃん?」
「うん、美香ちゃん」
やっぱり。思ったとおり、美香さんみたい。
いったいなんなのかな。アタシは校舎の角からはじめにーちゃんが来るのをどきどきしながら待つ。
美香さんに引きずられるようにして出てきたのは、…………ナース服を着たはじめにーちゃん。
「「うおおおおおおおおおおおおおおお!」」
戦闘員《せんとういん》達が喜びの声を上げている。
虫がその戦闘員達に向けてムカつくぐらいえらそうに言った。
「どうだ? ナース服に含有《がんゆう》されている50%の優《やさ》しさに加え、はじめ君の持つ優しさが加われば100%を超える優しさを持った白衣の天使が誕生《たんじょう》する! たかだか50%の某|風邪《かぜ》薬など目ではない。正に究極《きゅうきょく》の癒《いや》し系美少女!」
なるほど、白衣の天使だから天国なのね。
「我が忠実なる僕《しもべ》達よ。闇《やみ》の申し子達よ! 限界まで肉体を酷使《こくし》し、自身の潜在《せんざい》能力のすべてを引き出すのだ。その際に発生した肉体、精神の疲労、怪我《けが》などは、はじめ君が癒してくれる。存分に傷つき倒れ、癒されまくってくれたまえ」
「「うおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」」
盛り上がってる馬鹿《ばか》な虫と愉快な仲間達。その叫びの合間には、
「せんぱ〜い」
というはじめにーちゃんの悲痛な叫び声が聞こえる。
「さらに、心《しん》停止にまで至れば人工呼吸も夢ではないだろう!」
「「うおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」」
「せ〜ん〜ぱ〜い〜」
…………はじめにーちゃん、いつもこんなことをさせられているのだろうか。これは絶対に、あの虫を駆除《くじょ》しないと。それにしても……似合ってるわ。
のりにーちゃんと山田《やまだ》さんと誠《まこと》さんが、色々教えてるのを、必死に学んでいる戦闘員《せんとういん》達。ある意味とても面白《おもしろ》い光景だけど、今日は予定がある。これを見続けるのは時間の無駄《むだ》だよね。
「う〜ん、もういこうか」
「うん〜」
「わかった〜」
アタシ達はこの場を離れた。いい物見たような、時間を無駄にしたような、見てはいけないものを見てしまったような、そんな微妙な気分。
今日はおもしろかった。学校周辺を巡ったんだけど、もちろん初めてのお店ばかり。さすがにお財布《さいふ》とお腹《なか》の都合で全部には入れなかったけど。なっちゃんとほーちゃんの二人とも、もっと仲良くなれたし今日は行ってよかったなあ。とてもいい気分転換になったし。
今は二人と別れてはじめにーちゃん家《ち》に帰ってるところ。楽しいと時間が経《た》つのがとても早い。気がついたらもう周りは真《ま》っ赤《か》に染まってる。
アタシが気分よく鼻歌なんか歌っていると、いきなり奇妙な高笑いが響《ひび》きわたった。
「ふはははははははは」
夕日に染まる道の向こうに丸い人形《ひとがた》のシルエットが見えた。逆光で顔は見えない。
「そこの迷える子羊《こひつじ》よ、このおにーさんにすべてをさらけ出しなさい!」
アタシは無言で携帯電話を取り出し……、
「もしもし、警察《けいさつ》ですか? 目の前に超《ちょう》弩級《どきゅう》の変質者が」
「いやあああぁぁぁぁぁぁぁ。待ってください〜〜〜ごめんなさい〜〜〜、すいません〜〜〜、許してください〜〜〜」
いきなり土下座《どげざ》を始める男。
ピッ
アタシは携帯を切った。
「……見たことある顔ね」
うん、どこかで見たことあるわ、この男。でも、真っ白いポロシャツにショートパンツといったテニスルックで高笑いを上げる男を知っているのはとてもいや。
「今度からは、お願いだから、いきなり通報するのはやめてくれ。それ以前に見覚えのある人間を通報するものじゃありません!」
ピッピッポッ
「もしもしおまわりさんですか……」
「すいませんすいません生意気《なまいき》言ってホントにすいません」
ピッ
「あんた、たしか花見の時に来てたわよね」
思い出した。泣きながらお弁当食べてた変な奴《やつ》だ。
「ふふふふふふふふ良くぞ聞いてくれた。おれは…………」
ピッピッ
「はい! ぼくはあなたの恋を応援するべく、ある御方《おかた》より派遣《はけん》されてきた川村《かわむら》秀則《ひでのり》といいます!」
んー? 恋の応援?
「…………どういうことよ」
「まずは、その携帯電話から手を離しましょう。やはり人間関係というものはお互いの信頼とかそういうところから始まったりするんじゃないかなーと愚考《ぐこう》するわけですよはい」
そう言われて、アタシは携帯電話をしまう。このままじゃ話進まないし。そうすると、いきなりえらそうな口調《くちょう》になる変な男。
「俺《おれ》の名前は川村《かわむら》秀則《ひでのり》、はじめの親友だ。親友という漢字にマブダチとルビ振ってもおかしくないほどの親友だ。嵐《らん》ちゃんははじめの事をよく知っていると思うが、男同士でしか話せない、わかりえないという事柄も存在するのだ。そして、その方面から君をサポートするのがおれの使命だ」
「で、そのお方って誰《だれ》?」
「正体は明かせない。が、君とはじめの仲を憂《うれ》えている者だと言っておこう」
とことんまで怪《あや》しいわね。この町でアタシとはじめにーちゃんの関係を知ってる人間はあんまりいないはずよ。あたしの恋を手助けする意味がない。第一こいつ、あのお邪魔虫《じゃまむし》と仲良かったんじゃないの? はっきりいって怪しすぎる。
……かといって手助けならのどから手が出るほどほしい。今行き詰まって、にっちもさっちも行かなくなってるから。こいつは信用できるのか……外見だけなら通報ものだけど。
う〜ん…………話だけでも聞いてみよう。
「て、どうやってアタシを応援してくれるの?」
「ああ、それはだな。話は大体聞いている。嵐ちゃんは大人《おとな》っぽくなってはじめを意識《いしき》させようとしたらしいが、それがそもそも間違っているのだ!」
「何でよっ!」
せっかくがんばったのに!
それはもう……さすがに血|反吐《へど》は吐かなかったけど、それでも色々がんばった。禁止令が出たけど、さくらんぼのへたであそこまでできるようになるまでにどれだけの時間がかかったことか! バナナ訓練はこの分だとまったくの無駄《むだ》になりそうなのが残念だけど。
……これは違うか。でも、それ以外にも、大人っぽくなるために色々と……。
アタシが、過去の訓練を思い出していると、目の前の男……名前忘れた。が、言った。
「はじめは基本的に年下|好《ず》きだ。理由は多分《たぶん》、一美《ひとみ》さんだ。少し聞いただけだが、小さい頃《ころ》相当色々されたらしいではないか」
あーされてたなぁ。一美おねーちゃんは多分かわいがってるつもりだったんだろうけど。って、今さらっと重大発言があったわ!
「多分そのせいだろう、はじめの心の奥底には年上の女性に対する恐怖が眠ってる」
ホントなの? でもっでもっ!
「じゃーあいつはどうなのよ! あのお邪魔虫は思いっきり年上じゃない!」
そーよ! あの虫は年上よ!
「お邪魔虫……つばさ先輩《せんぱい》のことか。それは、恋は盲目という事だろう。年上とかそんなのが気にならないくらいに。
それにつばさ先輩に関して言えば年上とか性別とか気にならないな。それ以前の部分、存在自体が強烈すぎる」
「…………あのお邪魔虫《じゃまむし》のことよく知ってるじゃない」
なに? やっぱりこいつはやつの差し金? 何をたくらんでるの?
「はじめと付き合ってれば親しくもなる、はじめはつばさ先輩《せんぱい》といつも一緒《いっしょ》にいるからな」
いっいつも……くやしい。でもこの学校に私が入学したからには、そうはいかないわよ。
そう決意を新たにするアタシ。
「……話を続けるぞ。外見的な好みで言えば、綺麗《きれい》系のつばさ先輩ははじめの好みではなかったはずだ。だが、はじめはつばさ先輩に惚《ほ》れた。はじめの一目惚れだったらしいが、自分の好みを超える何かを感じたのかもしれん。その後、はじめの好みはつばさ先輩になった。綺麗系が好きになったのではない、つばさ先輩が好みになったのだ。
そしてはじめは、その好みのつばさ先輩の姿を毎日見ているわけだ。とてもじゃないが普通にやっていたのでは太刀打《たちう》ちできない。打ち勝つためには、つばさ先輩の身体《からだ》とは逆の方向から攻めなければならない。つまりだ。未成熟さが醸《かも》し出すかわいらしさを前面に押し出し、はじめの以前の好みを呼び起こし勝負するほかないのだっ!!」
「が〜〜〜〜〜〜〜ん」
思わず口でそういってしまうほど衝撃《しょうげき》を受けた。ぐっ……なんて説得力のある。たしかに、大人《おとな》っぽくという正攻法は通用しなかった。
「そして、つばさ先輩が持っていない武器を最大限に利用する」
「その武器って何?」
この男の言うことに惹《ひ》かれるアタシがいる。くっ、こいつ何者? 只者《ただもの》ではないわ。
「幼馴染《おさななじみ》かつ妹のような存在という、ある意味最終兵器にすらなりうる稀有《けう》な関係だ! 幼馴染の良さは幼少の頃《ころ》からの思い出を共有している事だ。幼馴染イベントとして一緒にお昼寝、一緒にお風呂《ふろ》など萌《も》えエピソードは数多い。それを嵐《らん》ちゃん、君はこなしてきている。まれにみる逸材《いつざい》だ。それまでの積み重ねを生かさなくてどうする!
さらに、妹のような……というポジション。家族的ながらも恋愛関係にいたる事が可能という類《たぐい》まれな関係、それを利用しなくてどうする!!」
…………目からうろこがこぼれた、だばだばとダース単位で。なるほど、盲点だった。妹という関係から逃《のが》れようとばっかり考えてたけど、その妹を武器にするなんて考えもしなかった。見た目は変で中身も変態っぽいけどこの人はすごいかもしれない。いやすごいわ!
「わかった。あなたを信じるわ」
「それでは、今後はおれのことはコーチと呼べ!」
「はい! コーチ」
しばらくはこの人についていこう。…………しばらくだけだけど。さすがにずっとはね〜。
「では、特訓を始める。場所を移そう」
コーチがにやりと笑った。
コーチに連れられて来たのは小さな公園。寂《さび》れた感じで、子供が一人もいない。あるのは、錆《さ》びたブランコと滑り台だけ。夕方だからかなあ。あたしが周りを見ながらきょろきょろしてるとコーチが切り出した。
「まったく知らない男女二人組みの関係を判別するのに一番有効なのはなんだと思う?」
「う〜ん、態度とか……」
やっぱり仲が良いと恋人同士なのかなとかわかるよね。
「それもあるが……答えは互いの呼び方だ」
「呼び方?」
「そう、呼び方だ。母さん、父さん。こう呼び交わしていればその関係は一目瞭然《いちもくりょうぜん》だ。双方とも歳《とし》をとっていれば夫婦。お互いの歳が離れていれば親子」
確かに。
「名前で呼び合っていれば、恋人同士の確率が高いだろうし、苗字《みょうじ》で呼び合っていれば、友達の確率が高い。と、いうように。お互いの呼び方は二人の関係そのものといえる」
なるほど。
「……という事はだ。なりたい関係の呼び交わし方をしていれば、周囲からそういう関係と見られ、その環境《かんきょう》の変化は二人の関係を偽《にせ》の関係から真の関係へと変えるだろう。つまり兄妹《きょうだい》となりたければそういう呼び名で呼べば良い。
兄妹の例を挙げるとお兄ちゃん、お兄ちゃま、お兄様、……などなど盛りだくさんだ」
盛りだくさんなのか。
「ここまでは、お前がやってきた事だ。はじめにーちゃんと呼んでいるだろう? 入れ替わっていなければ、今までのように兄妹的な関係を持続させつつも、血がつながっていないというところを前面に押し出し、つばさ先輩《せんぱい》と対決するべきだった。
はじめのつばさ先輩への愛情を、嵐《らん》ちゃんに対する妹や幼馴染《おさななじみ》への愛情プラス恋人としての愛情で超えればいいのだ。さらに、妹を前面に押し出せば、背徳感《はいとくかん》という、プラス要素もある。つまりこういう事だ」
そう言うと地面に変な数式を書き出すコーチ。
つばさ先輩への愛 < 妹への愛 + 幼馴染への愛 + 恋人への愛 + 背徳感
なるほど、わかりやすい。
「が、そこで問題が発生する。今現在、はじめは女だという事だ。そしてこれからも女であり続けるだろう。はじめはもうその覚悟をしている。だから、はじめと嵐《らん》ちゃん、お前達二人の関係も変える必要が出てくる。どういう事かというと、お前達は兄妹《きょうだい》ではなく、姉妹《しまい》にならないといけないという事だ。嵐っ! お前にその覚悟があるか!?」
あるのかって? はじめにーちゃんが女になってたのはいやだけど…………せっかくチャンスがあるんだから、このチャンスを逃《のが》すわけにはいかない。私の心は決まってる!
「なめないでください! あります、アタシははじめにーちゃんという人間が好きなんだから!」
「ふっよく言った。それでこそ、おれの教え子だ。そこまでの覚悟があるなら、お前にはこの伝説の呼び名を使う資格がある」
ゴクリ
アタシののどがなった。
「その呼び名は――――――――――――――――――――――」
変わってしまった嵐ちゃんとぼく
「お姉さま〜」
ガンッ
そんな痛そうな音が教室に響《ひび》いた。てゆーか痛かった。なぜならその音は、ぼくが机に頭を強打した音だったから。
ぼくは痛むおでこをさすりつつ、ぼくにごろごろと擦《す》り寄《よ》っている嵐ちゃんに言った。
「……なっなに? そのお姉さまってのは……」
しかも髪形《かみがた》まで変わってる。背中ぐらいまであった髪をピンクのリボンで結んである。頭の両側で。ツインテールっていうやつか。
「えへへ、似合ってる?」
嵐ちゃんはぼくから離れると、髪を見せるようにくるりと一回転した。
「似合ってる、似合ってるけど…………そのお姉さまってのはなに?」
「なんでもないわ、お姉さま」
そう言って腕《うで》に抱きついてくる嵐ちゃん。
さっきまでぼくは真太郎《しんたろう》とかクラスの男子と学生らしくテレビの話題なんかで盛り上がってたはずなんだけど…………なんなんだこの百合《ゆり》な雰囲気は。
「そっそれで、どうしたの? こんなところまで来て」
「なんでもないわ、お姉さま。それとも用がないと来てはいけない?」
「そんなことはないけど。そのお姉さまってのは……」
ぼくがそう言うと嵐ちゃんは助けを求めるように後ろを向いた。
「コーチ! お姉さまがお姉さまと言われることに不快感を感じてます」
こっコーチ?
ぼくはその今時《いまどき》聞けないような呼び名で呼ばれた人物を見ようと、嵐ちゃんの視線をたどっていった。その視線の先にいたのは、腕《うで》を組み机の上に立ったタッキー。
…………………………お前か。
「案ずるな、嵐よ、お前はまだ妹道を貫けていないだけなのだ。今後は呼ぶ時だけでない、脳内ではじめの事を考える時も、夢の中でさえも「はじめにーちゃん」ではなく「お姉さま」と考えるのだ! それを無意識《むいしき》に行えるようになれば、その時こそおまえは完全無欠の妹となり、その完全無欠の妹が放つ「お姉さま」の一言が射貫《いぬ》けぬ物などこの世に存在しない!」
「はいっわかりましたコーチ」
いつの間にか、コーチと教え子の関係が成立してる、どうしてこうなったかとか色々聞きたいことがあるけどまずは…………
「わかればいい、妹道は一日にして成らず! これからも努力し……ぶひっ」
豚《ぶた》のような悲鳴を上げながら机から落ちるタッキー。ぼくが投げた上履《うわば》きがタッキーの顔を直撃《ちょくげき》したんだ。そして床の上でのた打ち回るタッキーに向けて一言。
「ひっひとの幼馴染《おさななじみ》に悪質な洗脳をするなああぁっ!!」
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逆襲の××VSダークウイング
絶滅が危惧されてる方々とアタシ
「う〜ん」
何か今の状況を打開する名案はないかな。お姉さま作戦は急に効果が出るものでないとコーチが言っていた。じわりじわりといくのよ。だからそれは気長にやっていこうと思う。
でも他《ほか》に何かすぐに成果が出ることがしたい。
そんなこと考えながら、アタシはやつのアジトに向かっていた。昼休みはそこにお姉さまがいるらしい。けど、おまけとしてやつ―――平賀《ひらが》つばさもいやがるらしいわ。お姉さま特製弁当を二人で……許せない。というわけで、邪魔《じゃま》する……じゃなくて奴《やつ》の魔の手からお姉さまを救い出すのだ! 正義はアタシの下にある!
そんな感じで学校の廊下を突き進んでいたら、窓の外に見慣《みな》れない生物がいた。この街に来てはじめて見るわ。この学校はガラがいいみたいで、一匹も生息《せいそく》していないのよね。
その絶滅危惧《ぜつめつきぐ》動物……不良が学校の横の道を歩いている。このまま行くと、校門に出るはず。どうやらうちの学校に用があるみたい。不良が徒党《ととう》を組んで他校に親善を深めるためにやってきた……ありえないわね。一番ありそうなのは誰《だれ》かにけんかを売りに来た……あっ! 使えるかもしれない!
アタシは目的地を変えて走り出した。うふふふふ、いけるわ。これでお姉さまの気持ちを私に引き寄せるのよ!
「あんた達っ」
不良達が校門に入る寸前で、アタシは声をかけた。どうにかぎりぎり間に合った。
「あっ? なんだてめえ」
こう言ったのは、不良達の先頭にいた男。どうやら、こいつがこの中のトップみたいね。
いーわ、いーわ、とても悪そうだわ。アタシは内心でほくそえみつつ聞いた。
「ここになにしに来たの?」
「あ? 見てわかんねーのか? お礼参りだ」
やっぱりね、ラッキ〜〜。
「それで誰にお礼参りに来たの?」
アタシはつぎつぎ質問していく。昼休憩《ひるきゅうけい》は時間が少ないのよ。
「あ? 何でてめえに言わねーといけねえんだよ」
「いいから、いいから。それで? 協力できるかもしれないでしょ?」
「おいおい、なんだこいつ」
「もしかして馬鹿《ばか》なのか?」
「おっ、よく見たらかわいい顔してんじゃねーか」
「おいおい、手を出すのはやめとけよ、もし竜也《たつや》さんにばれたら半殺しにされるぞ? 今日ここに来た理由を忘れたのか?」
「そうだったちゃんと落とし前をつけねえと、竜也さんにばれたら半殺しにされちまうな」
外野で交わされるそんな会話。なんか大ボスがいて、そいつが怖《こわ》いから来たみたいね。メンツを潰《つぶ》されてどうのこうのってやつかな。う〜んこいつら見掛け倒しなのか……その番長さんが来てくれたらいいんだけど。
「まあ、一応言ってみたらどうだ?」
「そうだな、失敗できねえしな、何かの役に立つかもしれねえな……アー教えてやろう」
どうやら、やっと話がついたみたい。男ならもっとバシッと決めなさいよ。先が思いやられるわ、でもまあしょうがないか。
「ふざけた奴《やつ》らだ」
「どんな?」
「戦隊《せんたい》ヒーローだ。あーなんだっけ?」
「オーリンジャーとか言ってなかったっすか?」
「おーそんな感じだ」
怖《こわ》くないだけでなく、頭も悪いらしい。ますます先が思いやられるわ。番長さん来てくれないかな〜。
「そのオーリンジャーとやらに、落とし前をつけに来たのよ」
おーりんじゃー? そういえば、コーチがこの一年のお姉さまの写真を見せてくれた時にそんなのがあったような。それにしてもコーチの写真はすごくよかった、今の写真も昔の写真も最高! 私の知らないこの一年のお姉さまが見れてよかった。何枚かもらって帰ってそれは私の宝物になったけど……って、話それすぎ。
えーつまり、こいつらのお目当ては、お姉さま達ということね、ますますラッキー。やっぱアタシの日ごろの行いを神様が見てくれてるに違いないわ!
「あんた達、そのオーリンジャーを倒したいの?」
「あたりまえだ! あそこまでなめられて不良やってられるか!」
うんうん、いい感じに燃《も》えてるわね〜。でももう一押し。
「でも今度負けたらあんた達の面目丸つぶれよ。一回、コテンパンにやられてるんでしょ?」
「今度は負けねえよ!」
うわっ、今どきいるんだ。気合だけでどうにかなると思っている人。
「気合で勝てるんならこの世に負ける人間なんていないわよ。また根性を武器にして突っ込んでやられるの? それじゃだめよ。やっぱり、切り札がないと」
「それは、なんだよ!」
ふふっ食いついてきた。
「むふふ」
「だからなんなんだよ!」
いらいらしてる不良。じらすのはこの辺でいいかな、時間も押してるし。アタシは、最高の笑顔で言った。
「…………かわい〜い人質《ひとじち》、一人いらない?」
妙に気合の入った正義の味方達とぼく
「おい! ここにふざけた正義の味方がいるだろうが! そいつらを連れてきやがれ」
昼休みの校門にそんな声がこだました。窓から外を見ると、校門のところに見えるのは不良御一行様、総勢30名の団体さん。
「ふむ、我々の事かな」
窓から外を見た先輩《せんぱい》が、のんびりとお茶をすすりながら言った。
「そうに決まってるじゃないですか! そんな悠長《ゆうちょう》なこと言ってる場合じゃないですよ! おもいっきりこの間のやすらぎ公園の仕返しに来てるじゃないですか! どうするんですか! オーリンジャー出せって言ってるじゃないですか!」
先輩と食後のひと時をまったり過ごしてたらこの騒《さわ》ぎ。どうにかしてよ、もう。
「本当に困ったな」
先輩が困った顔をして言った。よかった、ようやく理解してくれたか。
「オーリンジャーはすでに解散してしまってるではないか」
「ちが〜〜〜〜〜〜〜〜う。そうじゃないでしょ! 先輩っ! 問題はあの不良をどうするかてすよ!」
まったくこの人は……
「いや、まあ売られたけんかは買って存分に楽しんだあと、期限内にクーリングオフするという家訓が先祖代々伝わってる事だし、買わんわけにもいくまい」
「んな家訓が伝わってるはずないじゃないですか!」
「なぜそんな事が分かるのだい? もしかしたらという事も…………」
「ありません! ありえません! クーリングオフなんて言葉が先祖代々伝わってるはずないじゃないですか!」
「細かい事は気にしない、これがストレスを溜《た》めずに長生きする秘訣《ひけつ》だよ」
「先輩の人生哲学なんて聞いてないですよ! いい加減このパターンはやめましょうよ! おねがいですから話進めましょうよ! どうするんですかあれ!」
ビシイッと不良軍団達を指さして先輩に詰め寄るぼく。
「ふむ、とりあえず招集をかけようかな」
そう言って立方体の金属の箱の上に赤いぽっちの乗った、これ以上ないくらいボタンを主張しているボタンを取り出す先輩。そしてその赤いぽっちを押した。
五分後、ぼくの目の前には、よく訓練された軍隊のように整列した戦闘員《せんとういん》の皆さんがいた。あのボタンは押すと、全員の携帯にメールが行くらしい。その戦闘員の前を往復しながら先輩が言う。
「諸君、初|出撃《しゅつげき》だ! 敵は正義の味方御一行、レッドとイエローとブラックしかいないのは御愛矯《ごあいきょう》。存分に日ごろの訓練の成果を見せつけてやれ」
レッド、イエロー、ブラック…………相変わらず髪《かみ》の色か。
「適度に攻撃《こうげき》して、適度にやられ撤退《てったい》する。諸君《しょくん》らに望む事は唯《ただ》一つ、怪我《けが》をするな。あの血反吐《ちへど》を吐くような苦しい訓練はそのためだ。さらにその戦闘員《せんとういん》スーツは、それなりに頑丈《がんじょう》に作ってあるので、そうそう怪我をする事はないだろう。が、細心の注意を払ってくれたまえ。さあ、楽しもうではないか」
「「キィー」」
戦闘員の皆さんのお約束な奇声が、これから始まる悪夢の幕を開けた。
『安心してくれたまえ、先生方にはいつもどおりの撮影《さつえい》だと説明してある。今まで昼間にオーリンジャーの行動をテレビ番組形式で流してきたかいがあったというものだ。だから思う存分戦ってくれ、どうせ演技だ。あと、怪我をしないようくれぐれも気をつけてくれたまえよ』
耳につけた小型のイヤホンから先輩《せんぱい》の声が聞こえてくる。
『撮影のほうは任せてくれ』
『クレですヨ! ガンバッテくだサイ〜』
おまけにタッキーとオーラの声も聞こえてきた。
悪夢だなぁ。
ぼくは見渡す限り晴れ渡り、青一色のすがすがしい空を見ながら思った。今ぼく達、つまり四天王《してんのう》の四人はすっぽりとマントに包まれて立っている。
皆それぞれ、ありえない格好をさせられてる。あの戦闘員の皆さん集合のあと、ささっと着替えたんだ。こんなこともあろうかと……とか言いながら先輩が着替えを出してきた。どんなことがあると思ってたんだ先輩は…………
そんなこんなで、ぼくのマントの下はアレだ。棘《とげ》で皮で黒で、腕《うで》と足はごついのつけてるくせに、なぜか胴体の部分の面積が少なくて、肌《はだ》の露出《ろしゅつ》が激《はげ》しい悪の女幹部の正装って感じのやつ。今からこの格好で暴れた挙句《あげく》に、それを映像として残される。
お願いだから帰らせて…………。
そんなぼくの思いとは裏腹にプログラムは進んでいく。
ぼくは先輩が急遽《きゆうきょ》作成したプログラムを覗《のぞ》き込む。内容はこんな感じ。
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[#中央揃え]戦闘プログラム
1 正義の味方入場
2 正義の味方、リーダーのお言葉
3 悪の総帥《そうすい》挨拶《あいさつ》
4 正義の味方返答
5 音楽とともに戦闘員《せんとういん》入場
6 戦闘開始
7 戦闘終了
8 エール交換
9 四天王《してんのう》登場
10 四天王自己紹介
11 正義の味方のお言葉
12 戦闘開始
13 戦闘終了
14 お互いの健闘《けんとう》を称《たた》える
15 正義の味方退場
16 悪の総帥のお言葉
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あまりにも突っ込みどころが多すぎるから、全部に突っ込むのはやめておこう。代表して一つだけ突っ込んでおくと、構図的には不良軍団が正義の味方になるみたいなんだけど、それは無理がありすぎなんじゃないだろうか。
今は、黒ずくめで、目鼻口だけを出して、おでこの辺にWの文字をはっつけた戦闘員の皆さんがキーキー言いながら不良達をおちょくってるところ。
「くそっなめやがって! キーキーうるせーんだよっ!!」
「「キ〜キ〜」」
「黙《だま》れって言ってるだろうがっ!」
「「キッキッキ〜」」
意味不明の会話。だけどぼくは、戦闘員の皆さんが何を言いたいのかわかる。今のは「「キ〜キ〜」」で馬鹿《ばか》にして、「「キッキッキ〜」」で相手を笑ってるんだ。何でわかるかというと、戦闘員の皆さんの特訓に付き合ってきた成果だ。もうぼくは戦闘員の皆さんと日常会話ぐらいはすることができる。
……また一つ無駄《むだ》なスキルを手に入れてしまった。
ぼくがそんなことを考えて落ち込んでいるうちにも、戦闘員の皆さんは不良……じゃなかった正義の味方をおちょくり続けている。正義の味方の皆さんは、いつ爆発《ばくはつ》してもおかしくないぐらい怒《いか》り狂ってる。そんな正義の味方を見て、頃合《ころあい》だと思ったのか、
<<ふはははは、目に物を見せてくれるわ〜っかかれ!>>
と、校舎についたスピーカーから大ボスである先輩《せんぱい》の号令がかかった。いっせいに飛びかかる戦闘員《せんとういん》の皆さん。先輩の言いつけどおり、適度に攻撃《こうげき》して、適度に反撃を食らって、派手《はで》に吹っ飛んでる。
『素晴《すば》らしい』
そんな先輩の声がイヤホンから聞こえてくる。いや、確かに見てるとホントにヒーロー物の戦闘員を見ているようだ。綺麗《きれい》に一回転して吹っ飛ぶ人、錐《きり》もみ状態で吹っ飛ぶ人、ありえない距離を吹っ飛ぶ人など、とてもすごい。けど、この情熱をもっとましなことに使えないのか。そんなことをしみじみ思いながら、ぼくはその光景を眺めていた。
それから少しして、あらかた戦闘員の皆さんがやられた頃、先輩が高笑いを上げた。
<<ふはははははは、なかなかやるではないか>>
戦闘員の皆さんが全員やられて退却して、プログラムナンバー8、エール交換が始まった。なんか先輩はふはははという笑い声が気に入ったみたいだ。
「ちくしょう出てきやがれ! 次はてめえの番だ!」
叫ぶ不良……ではなく正義の味方。気持ちよく戦闘員の皆さんをやっつけたものだから、気が大きくなっているみたいだ。
<<悪の総帥《そうすい》がそうやすやすと出て行くと思うかね? 次は我の誇る四天王《してんのう》がお相手しよう>>
ああ、ついに出番が……
<<四天王、第一の翼《つばさ》。大林《おおばやし》典弘《のりひろ》>>
うわっ役職《やくしょく》名まで呼ばれてる。第一の翼というのが役職名かどうかなんてのは知らないけど。
そう言われると同時に身を包んでいたマントを放り投げるのりちゃん。鋭角《えいかく》的で痛そうなデザインの鎧《よろい》に身を包んでいる。武器は、発泡《はっぽう》スチロールでできた、手甲《てっこう》。怪我《けが》させないようになっているんだ。
のりちゃんは全身から投げやりな雰囲気を発散してる。なんかもう、とても申し訳ない気分になってくる。巻き込んでしまってごめんなさい。
<<四天王、第二の翼。道本《みちもと》誠《まこと》>>
次は道本さん、マントを華麗《かれい》にはずすとくねりとしたオカマッぽいポーズを決める。うわっさすがだなあ。ホントのオカマッぽい。身に着けてるのは丸っこいデザインの鎧。武器は細身《ほそみ》の剣《けん》。怪我させないように剣の先に丸い何かがついてる。どこかで見たことある形だ……ああ、綿棒《めんぼう》だ。あんな感じの剣。
<<四天王、第三の翼。山田《やまだ》真太郎《しんたろう》>>
真太郎の鎧はごつごつした感じの全身鎧だ。武器は根棒《こんぼう》。やっぱり発泡スチロール。一応真ん中に芯《しん》を通してぽきっといかないようになってる。
とりあえず真太郎《しんたろう》にも謝《あやま》っておこうかな。ごめんなさい。
ホントここまで凝《こ》らなくてもいいでしょうに……もう。
って、ここまで客観的に見れるのはやっぱり他人事《ひとごと》だからだよね。ああ、次はぼくの番だ……。いや過ぎる。
<<四天王《してんのう》、第四の翼《つばさ》。山城《やましろ》一《はじめ》>>
そう言われてぼくは、ぼくは……、
「だめです。無理です。耐えられないです」
ぼくはしゃがみこんで先輩《せんぱい》に言った。
『なぜだね』
「なぜってこの格好ですよ! 恥《は》ずかしすぎますよ!」
『そんなに素晴《すば》らしいというのに』
「素晴らしくないです! 先輩も着てみればわかりますよ。恥ずかしすぎます」
『そうか……では着てみようか』
「すいません今のなしです! 聞かなかったことにしてくださいっ!」
これを着た自分の身体《からだ》を想像してしまった。……先輩ならやる。
「それはそうと、やっぱり無理です」
『残念だ。実に残念だ。これが終わったあと、君を労《ねぎら》う為に遊びに行く予定があったのだが』
ぴくっとぼくの耳が反応する。
『そういえば、最近新しい遊園地ができていたはずだな』
ぴくぴくっ……だめだ、聞いちゃダメだ。飴《あめ》に惑《まど》わされるんじゃない。惑わされたら鞭《むち》を振るうことになるんだぞ! 飴で鞭を振るうなんて笑えない冗談《じょうだん》だ。
『それとも他《ほか》のどこかがいいかな、はじめ君の好みで行くところを選んでもらうのが一番いいか』
ぴくぴくぴく……こんなわかりやすすぎる飴につられるぼくでは……
『もちろん二人きりで』
ばっと立ち上がりマントを投げ捨てるぼく。
「ほーっほっほっほ、我が主に刃《やいば》を向ける愚味《ぐまい》な者共よ! 自らの愚《おろ》かさをその身に刻《きざ》みたいものからかかってくるが良い」
そしてピシィッと鞭を鳴らしつつ高笑いを上げる。
…………ああ、ぼくはもう汚れてしまった。
マントのしたから現れたのは裸同然の女幹部の衣装。それを見た学校中の男達から「おおおおおおおお」っというどよめきが起きる。
負けるな、負けるなぼく。がんばれ、がんばるんだぼく。ぼくは、そんな感じでくじけそうになる自分を励《はげ》ます。ああ、おいしそうな飴《あめ》が憎い。飴に負けた自分が憎い。
『素晴《すば》らしい、素晴らしいぞはじめ君!』
なんていうか、……場違いにも程がある。今ぼく達が立っているのは何の変哲もない校庭だぞ?
<<ふはははははは、この四人を倒せば、次は私がお相手しよう。まあ、そんな事はありえないが>>
「ふっえらい自信だな。だがこれを見てもまだそう言えるかな」
ぼく達の格好に目をむきつつ、それでもどこか余裕のある正義の味方のボスらしき人。どう考えても正義の味方の台詞《せりふ》じゃないぞ。
「おいっ」
不良のボスさんが合図した。すると、校門の辺りから悲鳴が聞こえてきた。
「きゃーいやー助けてお姉さま〜」
絹《きぬ》を引き裂くような……ではなく、柔軟材のCMでウールのセーターなんかにほお擦りしてやわらかーい、とか言う時みたいな感じの悲鳴。……悲鳴なのか?
声が聞こえたほうを見てみると、ロープでぐるぐる巻きになってる嵐《らん》ちゃんが、ぴょんぴょんと跳《は》ねている。
「………………先輩《せんぱい》、正義の味方が人質《ひとじち》とってるんですが」
『そうだね、どうやら普通にやっては勝てないだろうと作戦を立ててきたらしい。これは予想していなかったな。予定を変更することにしよう。これからは。我々が正義の味方、彼らが悪役という事で』
と、言われても、ぼく達の格好は、正義を行使する側の人間がする格好じゃないと思う。特にぼく。
『だが、その肝心の囚《とら》われのお姫様は大喜びのような気がするな』
「ぼくにもそう見えます……嵐《らん》ちゃん、なにやってるんだか」
『囚われのお姫様が王子様に助けられて、その二人の間に愛が芽生《めば》える。という、ファンタジスタな事を考えているのではないかね』
「……はぁ。まったく」
どうしよ。
『とりあえず、とてもうれしそうなお姫様を助けるしかないか』
「はいわかりました。で、どうしましょう」
『そうだね……』
先輩《せんぱい》が作戦を考えていると、
「てめえら、女を人質《ひとじち》にとって恥ずかしくねえのか!」
また話をややこしくする人物が登場した。校門のところで叫んでるのは、一人の男。
いったいどうなってるんだ! なんなんだ! もういい加減にして欲しい。
『……ほう、番長のお出ましか。いや、この場合は悪の大|魔王《まおう》かな。ははっこの先の展開がまったく予想できないよ』
先輩がとてもうれしそうだ。突然登場したのは番長さんらしい。
前、やすらぎ公園の不良を追っ払った時に、先輩が番長や女裏番がいなくて良かったとか言ってた気がするけど、実在したのか。ぼくは思わず驚《おどろ》きの声を漏《も》らす。
「ほんとにいたんだ……」
『驚くのも無理はない、番長なんて生き物が存在する町はそうそうないだろう。ある意味でUMAのようなものだからな。彼は大森《おおもり》高校番長、天王寺《てんのうじ》竜也《たつや》。いや、名前負けしていないな。ちなみに学年は三年で好きなものは喧嘩《けんか》、放浪の旅を繰《く》り返していたせいで二年の時に留年している。年齢《ねんれい》的には私の一つ上のはずだ』
そんな先輩の微妙に詳しい(なんでこんなこと知ってるんだ?)説明を聞きながらぼくは、先輩に未確認生物扱いされた番長さんを観察《かんさつ》してみる。ぼさぼさ頭、素肌《すはだ》にガクラン(中になんか着ろと思う)、そして時代|錯誤《さくご》なボロボロの学生帽。身長はのりちゃんと同じくらいかなあ、顔は生肉とか好きそうな感じ。中でも特に目を引くのはげじげじ眉毛《まゆげ》、世紀末を生き抜けそうなぐらい太くて立派だ。その眉毛に恥じない感じで傷もあるけど、あるのは左|頬《ほお》だし、一つだけで、七つもない。あとは……
『うーむおしい。あとは下駄《げた》を履《は》いていれば完璧《かんぺき》なのだが』
だそうだ。
その番長さんが不良達に詰《つ》め寄っている。
「いえ、竜也《たつや》さん。この女が人質《ひとじち》にしてくれと必死に頼み込んできたものでつい」
その番長さんの形相《ぎょうそう》に真《ま》っ青《さお》になってしまってる不良。
それにしても嵐《らん》ちゃん。自分を人質として売り込むお姫様がどこにいるんだよ……。ぼくがあきれていると、番長さんがぼく達のほうを見た。
「こいつらがやすらぎ公園でやってたことは謝《あやま》るわ。こいつらにゃああとできっちり焼きいれておくけえそれで勘弁《かんべん》してくれや」
<<いやなに分かってくれればいい>>
トップ会談《かいだん》が始まった。さっさとこんなのは終わらせて欲しい。けど、その願いは叶《かな》いそうにないみたい。
「が、わしらにもメンツってもんがあってなあ…………戦隊《せんたい》ヒーローにやられたとあっちゃあ、黙《だま》ってられんのよ」
そりゃそうだ。戦隊ヒーローにやられた不良って笑い話以外の何物でもないよね。先輩《せんぱい》が校内で放送したし、調子に乗ってビデオやDVDを販売したりしてるし。今でもうちの部室に来たらお手ごろ価格で手に入れることができるんだ。インターネット通販は、お願いですからやめてくださいと拝《おが》み倒して、どうにかなしになったけど。
あんなのを世界中にばら撒《ま》かれてはたまらない。あれにはぼくの恥《はじ》も記録《きろく》されてるわけで、番長さんの気持ちはとてもよくわかる。番長さんは直接出てないけど、それでも色々あったんだろう。あの出来事はこの街では有名だし。この番長さんも先輩の被害者か……なんか番長さんを見る目があったかくなってきた。そんな風に温かい目で番長さんを見守っていると。番長さんと目が合った。思わず同類相憐《どうるいあいあわ》れむ視線を送ってしまう。見詰め合う二人……って、だめだ! 慌《あわ》てて目をそらすぼく、うわっまたやってしまったのだろうか。また、目で射止《いと》めちゃった? 前ののりちゃんみたいに。あれでものすごく反省したでしょ、ぼく。何でまた繰《く》り返すんだ〜〜〜。そうだ、番長が硬派《こうは》なら何の問題もないんだ! 別にホモでもいいよ。女に興味《きょうみ》がないという人であって欲しい。
「はっ、なかなかいい面構《つらがま》えな奴《やつ》が来たな」
後悔《こうかい》しまくりのぼくを尻目《しりめ》に、うれしそうなのりちゃんが番長さんの前に出て行く。
「なんじゃおまえは」
番長さんがのりちゃんに聞く。
「後生《ごしょう》だから自己紹介はさせないでくれ…………」
一気にテンションが下がるのりちゃん。
のりちゃん……ごめんね、ほんとにごめんね。
「まあいいわ。お前が相手してくれるんか?」
「ああ、悪いがストレスの発散をさせてもらう」
不敵《ふてき》に笑うのりちゃん。
「へっいい度胸《どきょう》してるじゃねえか。てめえらは見ていろ! 手を出すんじゃねえぞ」
そう言って、ガクランを投げ捨てる番長さん。中からでてきたのは傷だらけの身体《からだ》。歴戦の勇士という感じで強そうだ。
「こいやあ」
番長さんの叫びで本日のメインイベントが始まった。鎧《よろい》を着てるのりちゃんと、ガクランのズボンだけの番長さん。ありえない組み合わせ。……ここは本当に現実なのか?
ぼくがそう思っている間にも戦いは続いている。ざっと見る限り互角だ。経験《けいけん》と野生の本能で戦っている番長さんと、武道をやってるのりちゃん。力は番長さんのほうがあるみたいだけど、のりちゃんのほうがすばやい。いい勝負だ。正直血が騒《さわ》ぐ。
でも、一番最初にやられそうなという設定の四天王《してんのう》の一人目と死闘《しとう》を繰《く》り広げる番長じゃなくて正義の味方というのはどうなのだろう。いや、今はこっちが正義の味方だったんだっけ。正直どうでも良いけど。
ハアッとかオラアッとかの男らしい気合の声を撒《ま》き散らしながら戦う二人。しばらく戦ったあと、二人は離れて、口から流れ出した血をぬぐう。
「ふっ、なかなかやるじゃねえか」
「ふん、こんなところにこれほどの男がいたとはな」
にやりと笑う二人。
『おおっ、素晴《すば》らしい。拳《こぶし》で語り合っているではないか。まさかこんなところで漢《おとこ》言語を見る事ができるとはっ! はじめ君、やはり拳こそ最高のコミュニケーション手段だと思わないかね』
なんか先輩《せんぱい》が興奮《こうふん》してる。思わない……と言いたいところだけど、せっかく喜んでる先輩に水を差すのもなんなんで、一応同意しておこう。
「はあ、そうですね」
そんな感じでぼくと先輩が和《なご》んでいる間にも、漢の世界はますます熱さを増している。
これからいったいどうなるんだ? とぼくがはらはらしながら成り行きを見守っていると、唐突《とうとつ》に番長さんが言った。
「あの女王様はお前の女か?」
じょっ女王様? いや、目線からしてあのとはぼくのことなんだろうけど。
「いや……違うが……女王様?」
微妙に引き気味ののりちゃん。
「なら、誰《だれ》の女王様だ?」
「女王様の意味が分からんが……誰のと聞かれれば、平賀《ひらが》先輩《せんぱい》……さっきからスピーカーで色々言っている人の物だと思うが」
そう聞くと校舎に向けて叫ぶ番長さん。
「お前を倒してあの女王様を頂く、この女王様は俺《おれ》にこそふさわしい」
なぜか傍観者《ぼうかんしゃ》から一気に当事者中の当事者になってるぼく。目が合ったから? 一目合ったその日から恋の花が咲いたの? 何でこう次から次へとわけわかんない方向に。いや、今度のはぼくが悪いのかもしれないけど。でも、相憐《あいあわ》れんだだけだぞ?
てゆーかなんで、先輩を倒したらぼくが頂かれないといけないんだ!? いつの間にそんなことになってんの? 拳《こぶし》で語ってそういうことになったの?
いやなによりも問題なのは女王様。女王様っていつからぼくが女王様になったんだ?
<<ふっいいだろう、が、戦うのは典弘《のりひろ》君だ。典弘君に勝てばはじめ君は君の女王様だ。そのかわり典弘君が勝てば、嵐《らん》君は返してもらう>>
「わかった」
スピーカーから流れる先輩の声。そしてなぜか勝手に景品と化したぼく。
「勝手にきめるな〜〜! 先輩も先輩ですよ! なんなんですかそれは!」
当然の権利として文句を言うぼく。だけど、誰も聞いてくれない。その間に、戦いはクライマックスを迎えてるみたい。最後の一撃《いちげき》にすべてを懸《か》ける〜って感じのクライマックス。
「はああああ」
背中に竜《りゅう》を背負った番長さんと、
「ほおおおお」
背中に虎《とら》を背負ってるのりちゃん。
なんなのもう、竜虎《りゅうこ》相打《あいう》ってる場合じゃないよ!
『熱いな……まさに漢《おとこ》の勝負』
それを見て感嘆《かんたん》の声を漏《も》らす先輩。
「熱いなじゃないですよ! 何で勝手にぼくを賭《か》けることになってるんですか! もしのりちゃんが負けたらどうするんですか!」
『問題ないな』
「問題ないってなんですか! ひどいですよ先輩!!」
そんなぼくを無視して説明を始める先輩。
『……あの番長、天王寺《てんのうじ》竜也《たつや》君だが、なかなかの人物だ。馬鹿《ばか》が大盛り、大森《おおもり》高校。と言われるほどの不良高校の頭に三年間も立っている。二年の時からだ』
「なら、なおさらですよ! どーすんですか!?」
ぼくはそう言うけど、まったく無視して先輩《せんぱい》の説明は続く。
『彼はとある二つ名を持っていてね…………その名も』
「……その名も?」
ぼくは「はああああ」と気合を溜《た》めている番長さんを見る。いったいどんな恐ろしい二つ名がついているんだろうか。
『その名も………………M番長』
「…………M番長?」
ぼくの聞き間違いだろうか……けっして番長につく二つ名じゃない気がするんだけど。
「……そのMっていうのはなんなんです?」
恐る恐る聞いてみるぼく。
『マゾのMだ』
まっ……マゾ番長、なんて恐ろしい生き物がいるんだこの町には。
『これが、彼が三年間も君臨《くんりん》している理由だよ。いくら攻撃《こうげき》してもM番長には気持ちいいだけなのだ。それは最強だろう。喧嘩《けんか》が好きになるはずだ。相手の攻撃が快楽《かいらく》なのだからな。殴るほうも気持ち悪いだろうし。ちなみに、彼が留年した理由だが、女王様を探して全国|行脚《あんぎゃ》していたかららしい。さらに言うと全身の傷は鞭《むち》の痕《あと》なのだそうだ』
…………何でこんなのばっかぼくの周りには集まって来るんだろう。
『そのM番長に、君は女王様として見初《みそ》められてしまったのだろう。君の格好はとても女王様してるからな。
まあ、勝てば何も問題なし、すべての問題が解決する。負けても君に下僕《げぼく》が一人できるだけだ。彼は女王様を欲しているのであって、恋人を求めているわけではないのだからね。それに女王様から命令すれば嵐《らん》君も戻ってくるだろう。どちらに転んでも不利益はない。そんな理由で私は君を賭《か》ける事を認めたのだ』
なっなっなっ
「なんてことするんですかー! 下僕なんていりませんよ!!」
『便利かもしれないぞ、鞭《むち》で叩《たた》くだけで色々とやってくれるだろう』
「いりません! いりません! まじでいりません! どうしようもなくいりませ……」
ぼくが先輩《せんぱい》に抗議《こうぎ》していると、ドスッという鈍《にぶ》い音が響《ひび》いた。ぼくが音のした方向を見ると……倒れてピクピクしてる番長さん。それを見下ろしているのは木刀を手に持った嵐ちゃん。
「なめんじゃないわよ! 何が俺《おれ》にふさわしいよ! あんたみたいな野蛮人《やばんじん》がなに語ってんのよ! 一見《いちげん》さんがお姉さまに手を出すんじゃないわよ! ずっと前からお姉さまを大好きなアタシと、お姉さまを取り合おうなんて百万年早いのよ!」
囚《とら》われのお姫様が魔王《まおう》の後頭部を殴打《おうだ》。凶器《きょうき》は木刀。
さっきからイヤホンからの音声が途切《とぎ》れてる。さすがの先輩も予想できなかったらしく言葉が出ないようだ。
「だいたいね、あんた鏡《かがみ》見たことあんの? つり合いって物を考えなさいよ。まったくこれだから筋肉でものを考える人種は…………」
一通りののしったあと、はっと我に返る嵐ちゃん。この場にいる人間だけじゃなく、校内すべての視線が自分に向かっているのにようやく気づいたみたい。
「………………」
その視線の中、嵐ちゃんはさっきまで自分を縛《しば》っていたロープを拾い上げた。そしてそれを自分の身体《からだ》に巻きつけて一言。
「キャータスケテー」
嵐ちゃんの声が戦いを終わらせた。別に、感銘《かんめい》を受けたとか心に訴えかけるものがあったとかヒロイックファンタジー的なことはまったくなく、ただ馬鹿《ばか》らしくなったんだ。不良の皆さんは番長さんを担いで去っていき、ぼく達のほうはなぜか先輩が勝利宣言なんかをしてた。
ようやく、わけのわからない戦いが終わった。残ったものは、ものすごい疲労感といやな映像。そしてぼくの心に刻《きざ》まれた深い穴。この穴には多分《たぶん》何か大事なものがはまってたはず。でもなくしてしまった。……あっ、目から汗が。
ここまでしたんだ、絶対元とってやる。わがまま言いまくってやる。先輩《せんぱい》覚悟しといてくださいよ〜…………とか考えてたら……
キ〜ンコ〜ンカ〜ンコ〜ン
チャイムが鳴った。
うわっ午後の授業が始まる。
『おお、もうこんな時間か早く教室に戻らないといけないな』
先輩がのんびり言った。
「誰《だれ》のせいだと思ってるんですか!」
『不良だろう』
ぐっ、それはそうだけど元凶《げんきょう》は先輩でしょう。とか思ってたら重大な事実に気づいたぼく。
「うわあああああああああ、服がああああ」
今ぼくは悪の女幹部だ。
『着替える暇《ひま》はないな、そのままで授業を受けたまえ』
「いやですよ! それにそんなのが許されるわけないじゃないですか!」
『大丈夫、君の次の授業の担当は井上《いのうえ》教諭《きょうゆ》だ』
そういえば次の授業は春海《はるみ》先生だ。
『彼女は生徒に理解のある教師だから大丈夫だろう』
「そんな……」
それなら次はサボる……
『無遅刻無欠席の君がサボるわけはないだろう。まあ、がんばってくれたまえ、はっはっは』
そうだった、今年の初めに少し休んだけど公欠ということで休みにはカウントされてないんだ。小学校の頃《ころ》から続いてきた記録《きろく》を終わらせるのか……? どうする? どうする? どうする? どうする? ぼくは葛藤《かっとう》を続けながら校舎へと走っていった。うわああああぁぁぁぁぁぁ………………
……………………結論から言うと、ぼくは授業を受けた。あの格好で受けた。優等生《ゆうとうせい》はつらい。先生からのお咎《とが》めもなかった。理解がありすぎるのも考えものだと思った。恥《は》ずかしかった。とても恥ずかしかった。タッキーが大喜びなので殴っておいた。他《ほか》の四天王《してんのう》も戦闘員《せんとういん》の皆さんもあの格好で授業を受けていた。二年生になってクラス替えがあったんだけど、相変わらず春海先生は変な生徒をあらかた引き受けていたらしく、うちのクラスにはぼく、真太郎《しんたろう》、のりちゃんと四天王が三人までそろってしまっていた。だけど、ほとんどの注目がぼくに集まってた。どうにかして欲しいと思った。戦闘員の数も、学校で一、二を争っていたらしかった。なんてクラスなのだろうと思った。あと、黒板を写していたら、真面目《まじめ》に授業を受ける女幹部って周囲からどんな風に見えるんだろうとか考えそうになったけど、いやな答えが出そうなんで考えるのをやめた。よく考えてみると、このことも先輩《せんぱい》の予定通りなんじゃないかと思った。もっと違うところで頭を使って欲しいと思った。現実|逃避《とうひ》気味に過去形で考えても、時間が早く進まないことに気づいた。
今は思い切り授業の真《ま》っ最中…………泣きそうだ。
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△△△△△来襲と月夜の散歩
ナイスアイデアとアタシ
前回の囚《とら》われのお姫様作戦は失敗した。正直あまりに馬鹿《ばか》な作戦すぎて思い出すのも恥《は》ずかしい。……思いついた時は名案《めいあん》だと思ったんだけど。お姉《ねえ》さま作戦もまだ成果が出てきてないし、何かすぐ結果が出る作戦はないかなあ。早くお姉さまの気持ちをゲットしないと、アタシがやろうとしていることはいくら時間があっても足りないのに。でも……どうしよ。う〜ん、う〜〜〜ん。
アタシはお弁当を前にしてそんなことを考えてた。今は昼休憩《ひるきゅうけい》で、いつもの二人と一緒《いっしょ》に、教室でお弁当を広げてる。ああ、相変わらずお姉さまの料理はおいしい……おっとっと、久々に頭を使いまくってるもんだから逃避《とうひ》しかけてたじゃない。大体アタシは頭使うのが苦手なのよ! なんだってアタシがこんなに思い悩まないといけないの……まったく。
……これも全部あいつのせいね! 今に見てろ〜。
「嵐《らん》ちゃん何ぶつぶつ言ってるの〜?」
「お昼休憩《ひるきゅうけい》終わっちゃうよ〜」
二人に言われてハッと我に返るアタシ。
どうやら、考えていたことを口に出していたみたい。
「うん、そうね」
生返事を返しつつアタシは脳みそを働かせ続ける。う〜ん、お姉さまを振り向かせる方法じゃなくて、お姉さまからあの邪魔者《じゃまもの》をひっぺがす方法を考えてみようかな。
「ね〜嵐ちゃんおもしろくないよ〜」
「あそんでよ〜」
口を尖《とが》らせてバンバンと机を叩《たた》いている二人。う〜んかわいいなあ。アタシ一人っ子だから今までわからなかったけど、妹っていうのはこんな感じなのかな。また一つ賢《かしこ》くなった。こういう姉の心理も、妹道を究《きわ》めるために必要だと思う。ふふっ、この分だとお姉さまを振り向かせる日も近いわね。
「ん〜ちょっと待って、もう少しで食べ終わるから」
こうは言ってみたものの、二人はもうかまってほしくてしょうがなさそうだ。そうだ、聞いてみたかったことがあったのよね。今のうちに聞いてみよう。
「二人は平賀《ひらが》つばさのこと良く知ってるの?」
「知ってる〜」
「何回かうちに遊びに来たし」
「遊んでもらったもんね〜」
「ね〜」
良く知ってるのか。それじやあもう一つ。
「平賀つばさってどんな人?」
「「変な人」」
まったく同時に言い切る二人。完全に声が重なってた、さすが双子《ふたご》ね。でも、そんなことはわかりきってる。あれが、変な人じゃなかったら、この世には真《ま》人間しかいなくなる気すらするわ。でも、アタシはもっと深い情報が欲しいの。
「ん〜……もっと具体的になにかない?」
む〜と考え込む二人。二人そろってあごに手を当ててるけど、これは血のなせる業《わざ》なんだろうか。髪型《かみがた》以外に違うところがまったくないわ。
そんな感想を抱いでいると、二人が答えを出した。
「優《やさ》しい人! 変だけど」
「頭いい人! 変だけど」
「…………他《ほか》には?」
「かわいい人。変だけど」
「かっこいい人。変だけど」
変なのはわかった。この二人にここまで言われるんだから相当変なんだと思う。アタシが思ってる以上に。でも、もっと他に役に立ちそうな情報がないものかな。
「あっ身体《からだ》動かすのはあんまり得意じゃないって言ってなかった?」
「言ってた言ってた〜。子供の頃《ころ》から学校の体育以外でスポーツやったことないとか〜」
「でも、美香《みか》ちゃんが言うにはそこまで運動|音痴《おんち》じゃないらしいよ〜」
運動はできるわけでもできないわけでもないのね。そう……その分だと運動系の習い事とかもしてないわよね。
その時アタシはひらめいた。頭の上に電球とか光った気がする。そのくらいのひらめき。そうか。この手があった! 別にアタシが二人を引き離さなくてもいいじゃん! あの人に知らせれば勝手に引き離してくれるはず。アタシって頭良い〜、アタシ最高〜。
アタシはお弁当を急いで食べると、二人に言った。
「ごめん、二人で遊んでて。用事ができちゃったから」
「「え〜〜」」
「ごめんね」
アタシは二人に謝《あやま》った。でも、とてもすまなそうな顔には見えないと思う。思いっきりにやけてるし。
「その用事って何〜?」
そんなアタシに二人が聞いてきた。
だめ、笑いが自然にこみ上げてくる。アタシはその怪《あや》しいムフフフ笑いをしたまま言った。
「ンフフフ〜電話」
神田川とぼく
「はじめ、早く逃げるのよ!」
学校帰りのぼくと先輩《せんぱい》の前に、お姉《ねえ》ちゃんが必死の形相《ぎょうそう》で走ってきた。それだけでなく肩で息してるわ、服は乱れてるわと、もうすごいことになってる。後ろから殺人鬼が追ってきてるんですと言われたら、普通に納得してしまいそうな慌《あわ》てっぷりだ。
「いったいどうしたの? そんなに急いで」
ぼくは、気が動転してるらしいお姉ちゃんをなだめつつ聞いた。お姉ちゃんはぼくの両肩に手を置くと息も絶《た》え絶《だ》えに言った。
「じ……」
「じ?」
「……じいちゃんが来た」
頭が真《ま》っ白になった。けどその言葉の恐怖が脳みそを再起動して、最善の行動をとろうとする。
「………………先輩《せんぱい》、さようなら。しばらく会うことはないでしょう。ではっ…………って先輩! 放してください! ぼくは逃げたいんです!」
全身全霊《ぜんしんぜんれい》で逃げ出そうとするぼくと、ぼくを捉《とら》えて放さない先輩の手。そのままとても心配そうな顔で聞いてくる。
「いや、そう言われても、話に置いていかれるのは好きではないし、何より君がとても心配だ」
「先輩……」
それほどまでにぼくのことを思ってくれているなんて…………とでも言うと思ってるんですか!? ぼくをなめないでほしい。先輩の顔には、べったりと「面白《おもしろ》そうだから」という文字が太字で書いてある。それはもう蛍光塗料《けいこうとりょう》で書いたんじゃないかっていうくらい、ぴかぴかと輝《かがや》きを放っている。
「放してくださいっ! 先輩にかまっている暇《ひま》はないんです!」
「今までにない切羽詰《せっぱつま》った発言だね、これはなおさら君を放すわけには行かない。私は君の力になりたいのだよ」
先輩の顔に書いてある文字が「ものすごく面白そうだから」にパワーアップしている。その文字は心配そうな表情の上で、闇夜《やみよ》に光る電飾のように輝いてる。
…………だめだ。あっさり観念《かんねん》するぼく。だって先輩がこうなったらもう、ちゃんと説明するほかないんだ。時間がないのに。時は金なりって言うけど……今、ぼくの時の値段は死ぬほど高騰《こうとう》してるよ。ぼくは足踏《あしぶ》みなんかしながら、先輩に説明する。
「前におじいちゃんのこと話したじゃないですか」
「日本男児の鑑《かがみ》のような人だと」
先輩の落ち着きっぷりがいやだ。ぼくがこんなにあせってるのに。
「そうです。……で、実はぼくと先輩が入れ替わっていたことを、まだ言ってないんです! 怖《こわ》くてみんな伝えるのを避《さ》けてたというか、わざと考えないようにしていたんですっ!」
あのおじいちゃんに伝える…………なんて恐ろしいことができるはずもない。何されるかわかったもんじゃない。今は時間を稼《かせ》いで対策を練っているところだったんだ。
「なるほど、日本男児の鑑なるべく育てられていたにもかかわらず、今の君は大和撫子《やまとなでしこ》の鑑だからな」
先輩が他人事《ひとごと》のように言った。
「そうですよ! 笑い事じゃないんですよ! これを知ったおじいちゃんがどんな行動に出るかわからないんですよ! お姉《ねえ》ちゃん、おじいちゃんはこのこと知ってるの?」
「…………知ってるわ。だから私はこれを伝えようと逃げ出してきたんだけど……父さんが私を逃がすために…………うっ」
手のひらで顔を覆《おお》うお姉《ねえ》ちゃん。
「お父さん……………って、浸ってる場合じゃないよ! 早く逃げないと!」
「それもそうね」
あっさりと態度《たいど》を変えるぼくとお姉ちゃん、お父さんも浮かばれないなあ。まあ、どうでもいいけど。
「で? どこに行くの?」
「どこに逃げよう……」
顔をつき合わせて、ない知恵を絞るぼくとお姉ちゃん。おじいちゃんに見つからない所ってどこだろう。
ぼくとお姉ちゃんは必死で頭を働かせる。でも、恐怖とあせりで頭がうまく働いてない。お姉ちゃんもぼくと同じような感じになってしまっている。
「うわあぁぁぁぁぁぁ! どこよ? 見つからないところわっ!」
「知らないよ! 知ってたらそこに向かってるよ〜〜っ!」
頭抱えてのた打ち回る馬鹿姉弟《ばかきょうだい》。
「市内のほうに出るのがいいのではないか? 木を隠すには森の中、人を隠すには人の中だ」
そんなぼく達を見かねたのか先輩《せんぱい》が助け舟を出してくれた。
「そう! そうよっ! 名案ねっ!」
「うんっ!」
「では向かうとしようか! 微力《びりょく》ながら力を貸すよ。ちなみに君の祖父《そふ》の外見はどんな感じなのだい? 参考までに聞かせてくれたまえ」
「とても大柄で、真《ま》っ白な髪《かみ》と髭《ひげ》を伸ばしてるわ」
と、お姉ちゃん。
「うむ」
「もう80歳超えてるんですが背筋がしゃんとしてて」
と、ぼく。
「うむ」
「着物をいつも着てるわね」
と、お姉ちゃん。
「なんか身体《からだ》つきとか雰囲気とか只者《ただもの》じゃないって感じのオーラをまとった……って先輩どこ見てるんです?」
先輩はぼく達の言葉を聞きながら、変な方向を向いている。具体的に言うと、ぼくの後ろ斜め上。先輩はしばらくそうしてたあと、口を開いた。
「うむ…………なんと言えばいいだろうか……非常に言葉に困るのだが」
先輩《せんぱい》が言いよどむなんてよっぽどのことだ。
「……はい」
「私はそれらしき人物を見た事があるのだよ」
残念そうに下を向き額《ひたい》に手を当てる先輩。
「っ! それはどこでですか! いつですか! 早く逃げないと」
「どこでっ! どこで見たのっ!?」
先輩に詰《つ》め寄るぼくとお姉《ねえ》ちゃん。いったいどこで見たんだ先輩はっ、近くなら早く逃げないと…………
「いや……………………そこの電柱の上に立っているのだが」
なっ!
ぼくとお姉ちゃんは先輩の言葉と同時に後ろを向き、上を見上げる。
「…………久しぶりだな、一《はじめ》」
そこにいたのは今一番会いたくない人物。
「おっ……おじいちゃん。あはっあははは、お久しぶりでデス。相変わらずお元気そうで何よりデス」
「ええ、良かったわ、本当にお変わりなく〜えへへっ」
笑ってごまかそうとするぼくと、かわいらしく笑ってごまかそうとするお姉《ねえ》ちゃん。とりあえずお姉ちゃんのえへへは気持ち悪い。まあそれはおいといて、ぼく達は思いっきり戦闘《せんとう》体勢で後ずさりなんかしてる。今のおじいちゃんとは一ミリでも多く距離をとりたい。
だって顔は笑顔だけどこめかみに青筋《あおすじ》浮いてるんだ! 全身になんかもやもやしたものをまとってる気がするんだ! これが先輩《せんぱい》が前に言ってた「気」なのだろうか……。
そんなぼく達の横で先輩が優雅《ゆうが》に一礼して挨拶《あいさつ》をした。
「どうもはじめまして、平賀《ひらが》つばさと申します」
そんな先輩を一瞥《いちべつ》したあとぼくのほうを見るおじいちゃん。
「一《はじめ》、儂《わし》に何か言う事はないか?」
「えっと…………本日はお日柄も良く」
「一美《ひとみ》は?」
「……本日はお足元の悪い中、我が家にお越し頂き……」
この期《ご》に及んでボケるぼくとお姉ちゃん。あっおじいちゃんのこめかみがぴくぴくと……そしてその脈動のあと、火山が噴火《ふんか》した。
「この馬鹿《ばか》もんが〜!!」
「ひいぃいぃい」
「ひゃあぁあぁ」
その一喝《いっかつ》で一目散《いちもくさん》に逃げ出すぼくとお姉ちゃん。
「はじめっおじいちゃんを止めてよ、姉を守ろうっていう素敵《すてき》な心意気はないの!? 年上を敬《うやま》うという人の崇高《すうこう》な部分を垣間見《かいまみ》せなさいよ!」
「お姉ちゃんこそ、か弱いおと……妹を守ろうっていう人間としての本能を発揮してよ! 妹を守るために自分を犠牲《ぎせい》にするというその自己犠牲の精神は末代まで語り継《つ》いであげるからあ〜」
「都合のいい時だけ女を主張するんじゃないわよっ! あんたは心が漢《おとこ》なんだから、弟として姉を守りなさいよ!」
「こういう場合重要なのは身体《からだ》の性別だよ! だからぼくを守って見事に散ってよ! 骨は拾ってあげるから」
並んで逃げながら醜《みにく》い言い争いをしてるぼくとお姉ちゃん。
「いやよ!」
「ぼくもいや」
「じゃあ、二手に分かれるわよ!」
お姉ちゃんが、さも名案《めいあん》だ! といった感じで手を叩《たた》き言った。
「だめ〜っ! おじいちゃん絶対ぼくのほう追ってくるでしょ〜!」
お姉ちゃんの服を掴《つか》むぼく。
「そんなのやって見なくちゃわからないじゃないのよっ!」
「わかるよ〜いやだよ〜おしおき受けるなら一緒《いっしょ》に受けようよ〜、黙《だま》ってたのはお姉《ねえ》ちゃんも一緒でしょう。ね? ね?」
どんどん弱気になってくぼく。後ろから近づいてくるプレッシャ〜がぼくをそうさせるのだ。
「いやよ! いやっ! あれはいや〜〜〜」
「ぼくもやだ〜〜」
脳裏《のうり》を過去のおしおきの数々が頭をよぎる。こんなのを走馬灯《そうまとう》のように見たくないよ! このいやな思い出のページを増やしたくないよ!
「いーやー」
「いーやーだー」
そう叫んだ瞬間《しゅんかん》、ぼくとおねえちゃんの無駄《むだ》なあがきが終わりを告げた。
そこにはガシイッっと首根っこを掴《つか》まれたぼくとお姉ちゃんがいた。おじいちゃん足速すぎだ……ほんとに80歳超えてんだろうか。恐怖にがたがたと身体《からだ》を震《ふる》わせながらそんなことを考えるぼく。もう観念してる。そんなぼくとお姉ちゃんにおじいちゃんが言った。
「儂《わし》がなぜ怒っておるのかというとだな、…………こんな大事を隠しておった事だ!」
「言おうとは思ってたんだ! でもタイミングがなかなか…………。それに言ったとしても、絶対怒ったでしょ〜痛っいたたた〜首が! 首があ〜」
「当たり前だ! 怒るにきまっておる」
「どっちにしても怒るんじゃんかぁ〜首が痛い痛い〜」
「一美《ひとみ》も同罪だ!」
「はい! 私が悪いです! ごめんなさい! 反省してます! もうしません! いたたたたた首痛い首痛い、やめて〜〜」
「心がこもっておらんわっ!」
おじいちゃんの説教と、ぼくとお姉ちゃんの悲鳴はしばらくの間やむことはなかった。
「お疲れ様でした」
おじいちゃんの肩に乗せられたぼくの耳に、先輩《せんぱい》の声が入り込んできた。ぼくの反対側の肩には、お姉ちゃんが狩られた動物のごとく乗せられている。首が痛い。
「…………おまえがはじめの許婚《いいなずけ》か?」
「はい、そうです」
ぼくが顔を起こすとこっちを見上げている先輩の顔が目に入った。とても首が痛い。
「いや、見事なお手並みで」
いつもどおりの先輩スマイルでそう言う先輩。見事なお手並みでってなんだ〜!
「平賀《ひらが》つばさとか言ったか」
「名前を覚えていただき光栄です」
その先輩《せんぱい》を見下ろしながらおじいちゃんが言う。
「話は大体|把握《はあく》しておる、おねしは本気で一《はじめ》を娶《めと》る気なのか?」
「はい」
そんな先輩におじいちゃんが厳《おごそ》かに言う。
「…………一を儂《わし》は男の中の男にするつもりでおった」
「聞き及んでおります」
おじいちゃんと普通に会話を交わせてる先輩。すごいなあ、物怖《ものお》じしないというか……神経が図太《ずぶと》いんだね多分《たぶん》。
「その身体《からだ》は、その集大成だ。男の中の男となるべく鍛《きた》えた身体だ」
「はい、この身体の能力はとても高い。この身体が成長しきれば素晴《すば》らしい能力を持った身体になるでしょう」
自分の身体を見下ろす先輩、……もうぼくの身体じゃないんだけど……成長して欲しいなあと思う。……って、こんな一言コメントを二人の会話に加えてる場合じゃないよ! いやな予感がする。
「それでおぬしは、その身体にふさわしい男なのか? おぬしは我が一族に加わるに値する男なのか?」
いや、先輩の中身は女だって。そう思ったけど、とても突っ込める状況じゃない。
「いや、それは自分ではなんとも言えませんね。私は自分で自分の評価を下せるほど恥《はじ》を知らないわけではありません」
「では、儂が下してやろう…………もしふさわしくなければ」
「ふさわしくなければどうするんです? もう身体を元に戻す事はできませんよ?」
ふさわしくなければ?
「二度と一には会わせん。一の相手は儂が探してやる」
なに〜〜〜〜! あまりにぼくの気持ちを無視した発言に肩の上で暴れるぼく。
「おじいちゃん! 何てこと言う……きゅっ」
おじいちゃんは、ぼくが発言することすら許してくれる気はないらしい。ちなみに最後のきゅっは、お爺《じい》ちゃんがぼくの腰を腕で締《し》め付けた時に出た声。
「では、そのふさわしいかどうかはどうやって見極《みきわ》めるのですか?」
「儂と勝負しろ。儂に勝てば許してやろう」
なっなんて古典的な。おじいちゃんらしいけど。でも、なんで……なんでそうなるんだ〜〜〜〜!! 動けないので心の中で叫ぶぼく。まったく意味がないのが悲しいけど他《ほか》に何もできないんだからしょうがない。
「そうですか……何があろうと私は、はじめ君を頂くと思います」
「戦う前から負けた時の言い訳か?」
その言葉を聞いた先輩《せんぱい》は、挑戦的な微笑を浮かべた。うわっ燃《も》えてる。
「しかし、かといって反対している人間がいるというのもおもしろくないですから、その勝負お受けしますよ。それで勝負の方法は?」
「おぬしが選べ」
「戦い以外の選択肢《せんたくし》はないようですね……」
個人的には、じゃんけんとかトランプとかの平和的な勝負で決めて欲しいなーとか思う。ただ、そんな勝負でぼくの人生が決められるというのもとても複雑だけど、戦いよりはよっぽどましだ。
先輩はしばらく考えたあと言った。
「……それでは剣道でお願いします」
「よかろう」
「ありがとうございます。それで、勝負の日時ですが……そうですね、時間は明日の正午、場所は凰林《おうりん》高校の体育館ではどうでしょう?」
「好きにしろ」
「ありがとうございます」
ぼくを無視してどんどん話が進んでいく。これはいやだ、まずはおじいちゃんの肩の上から脱出しないと……。
「降ろして〜」
おじいちゃんの肩の上で暴れるぼく。そんなぼくをおじいちゃんは地面にゆっくり降ろした。
「何かと準備があるだろう、手伝う事ぐらいは認めてやる」
お姉《ねえ》ちゃんを肩に乗せたまま、のしのしと歩いて行くおじいちゃん。
そのあと呆然《ぼうぜん》として、しばらく座り込んでいたぼく。
「だいじょうぶかね」
先輩がぼくの顔を覗《のぞ》き込んだ。それで我に返ったぼくは、立ち上がり先輩の肩を掴《つか》んでゆさゆさと前後に揺する。
「先輩! なに考えてるんですか! おじいちゃんと戦って勝てるわけないじゃないですか! おじいちゃんむやみやたらと強いんですよ? どうするんですか!」
「いやまあ、何とかするしかないね」
なんていい加減な。でもこの余裕は自信の表れだったりしないんだろうか……と、藁《わら》を掴むつもりで聞いてみる。
「ちなみに、先輩。剣道の経験《けいけん》とかは……」
「授業でやったくらいだね」
平然とそう言う先輩《せんぱい》。
「ああああ、もうだめだ〜! 何で剣道なんかにしたんですか!?」
相変わらず先輩をゆさゆさと前後に振りながら、先輩を問い詰《つ》めるぼく。
「あまり揺らさないでくれたまえ、脳が揺れる。それで剣道にした理由だが、防具を身に着けるからだ。防具があれば、もしもの場合でも怪我《けが》をしないだろう。それに、武道の経験《けいけん》などまったくない私だからね。何を選ぼうと一緒《いっしょ》だよ」
「うあああああああ、本気でもうだめだ〜」
これが途方《とほう》にくれるって言う感覚なのかなあ……。あっ、涙が出てきた。
「まあ、そういうわけだ。時間がないので明日の準備に入る事にしよう。とは言っても、はじめ君に手伝ってもらう事はあまりない」
「そんなぁ」
ぼくの人生がかかってるし何か手伝いたい。
「まあ、信じて待っていてくれたまえ。できるだけの事はやるつもりだ」
先輩が信じろといえば、だいたいのことは信じるけど……こればっかりは……。できるだけのことをやると言ってくれたのが唯一の慰《なぐさ》めだ。
「それではいくつか質問するよ……」
先輩はぼくにいくつか質問したあと、準備のために帰って行った。準備って何をするんだろ……ああ、どうなるんだろうか。いてもたってもいられない。何か身体《からだ》を動かしていたい、何かしてたら少しは気も紛《まぎ》れるのに。先輩……とてもじゃないけど今日は眠れそうにないです。
コンコン
布団《ふとん》の中で眠れずに悶々《もんもん》としてたぼくは、窓を叩《たた》くその音に気づいた。
なんだろう?
ぼくは隣《となり》で寝ている嵐《らん》ちゃんを起こさないように気をつけて身体を起こす。嵐ちゃん用の布団は用意されたんだけど、相変わらずぼくのベッドに潜《もぐ》り込んでくるんだ。
まったく困ったもんだとか思いながら窓の外を見ると、先輩がにこやかに手を振っていた。
ん〜〜〜!
ぼくは、ぎりぎりのところで驚《おどろ》きの声を抑える。あっ危なかったもう少しで叫ぶところだった。ここに、嵐ちゃん以上に困った人がいたよ。
ぼくはベッドを降りて窓のところまで、そろそろと歩いていく。
「いったいなんなんですか! こんなところで。ここ二階ですよ!」
ぼくは声を殺して先輩に言う。
「いや、夜中に二階の許婚《いいなずけ》の部屋の窓をノックする。いや若いね、青春だね、実は一度やってみたかったのだ」
屋根の上に座ってそんなことを言う先輩《せんぱい》。
「先輩……ってぼくが感動するとでも思っているんですか! 危ないですよ、早く降りてください」
「分かったから落ち着いてくれ。それでどうだい? 月夜の散歩としゃれ込むのは。今日はなかなかいい月が出ているぞ?」
そう言われてぼくは空を見上げてみる。今日は満月か……。
「良い月ですね…………ってもう二時ですよ! 草木も眠る丑三《うしみ》つ時ですよ? 眠らないで明日どうするんですか!」
「そうだね」
先輩が立ち上がり……よろけた。
ひぃいい〜〜〜〜〜!
窓から身体《からだ》を乗り出して先輩の服を必死に掴《つか》む。
「はっはっはっ冗談《じょうだん》だ」
「しっ心臓《しんぞう》に悪い冗談はやめてください!」
「では暖かくして外にでてきてくれたまえ」
そう言うと先輩は、雨どいをするするとつたって降りていく。…………相変わらず先輩の行動は変だ。でもまあいいか、眠れなかったし。ぼくは上に羽織《はお》るカーディガンを持って部屋を出た。
シーンと静まり返っている夜の住宅街を、ぼくと先輩は歩いていた。周りには誰《だれ》もいない、二人きりだ。こういうのもたまにはいいかもね。
「それでいきなりどうしたんです?」
「急に君の顔が見たくなったではいけないかね」
「別にかまいませんけど、先輩そんな理由で来たりしないでしょ」
「まあ、それはそうだ」
くっくっくっと笑う先輩。
「野暮用《やぼよう》があってね、そのついでに来たのだ」
やっぱりか。ぼくはそんな先輩を見ながら言った。
「まったくなんでこんなことになったんでしょう」
「さあね。だがいつか来るはずのものが今来ただけだ。まあ、今まで順風満帆《じゅんぷうまんぱん》に行き過ぎた感があるからな。こういうのもいいだろう」
「良くないですよ〜」
ぼくは下を向く。
「…………君は不安なのだね」
「はい」
「まあしょうがないだろう。常識《じょうしき》的に考えれば、私が勝てるはずはない」
「…………」
「だが大丈夫だ、君が隣《となり》で笑っていてくれさえすれば私に不可能はないよ」
「ふふっくさい台詞《せりふ》ですね」
「やはりか……自分でも少々決めすぎたかなと思ったよ」
「決めすぎです。でもうれしいですよ。それはそうと……先輩《せんぱい》の辞書にはやっぱり不可能はないんですか」
「それはそうとかね、そこはもうちょっと良い感じの恋人達の語らいが続くところではないか?」
「ぼく達には似合いませんよ」
「それもそうだ。ちなみに私の辞書に不可能はないよ。そのページは自分で破ってしまった」
「他《ほか》には差恥心《しゅうちしん》とかもないんでしょうね」
「うむ、ないな」
「常識はどうです?」
「あるにはあるが、糊付《のりづ》けされていてそのページは開けないのだ」
「うわっ、のりを剥《は》がすやつ買ってこなきゃ」
「安物では剥がれないぞ?」
「むうぅお小遣《こづか》いで足りるか……」
「諦《あきら》める事だ」
「諦め切れませんよ〜。それじゃあ、愛と勇気と友情はありますか?」
「私をなんだと思っているのだ。あるに決まっている」
「うそくさっ」
「なにっ? 純粋や清純などの言葉も選《よ》り取《ど》りみどりで取り揃《そろ》えてある私が、それらを揃えていないわけがないだろう」
「もっとうそくさっ」
「くうっ信じていないな。だが正々堂々はなかったりするのだ」
「だめじゃないですか! 正々堂々は書き加えてください!」
「それは無理な相談《そうだん》だな。あと、私の辞書の特徴としては恥《は》ずかしい言葉には赤い蛍光《けいこう》ペンでチェックが入れてあるのだ」
「最低だ……」
「はっはっはっ……おお、そういえば恋という字の場所には、もちろんはじめ君の名前が書いてあるぞ」
「へぇ」
「なんだね、薄《うす》いそのリアクションは。ここは大喜びするとこだろう?」
「…………それでほかにぼくの名前が書いてあるところは?」
「玩具《がんぐ》とか……おっと」
「おっとじゃないですよっ!!」
月夜の散歩の最中に交わされるいつも通りの他愛《たわい》のない会話。やっぱり先輩《せんぱい》がいいと思った夜だった。
「おじいちゃん、どうぞ〜」
部室におじいちゃんを案内したあと、ぼくはおじいちゃんに紅茶を入れた。先輩がお茶好きだから色んなのが常備してあったはずだけど、お茶の葉が切れてた。だからしょうがなく紅茶を入れた。コーヒーは飲まないだろうし。
う〜んおかしいなあ、お茶の葉もうちょっと保《も》つと思ったんだけど……しょうがないから明日買いにいこ。
ぼくは紅茶を自分の分も入れて、おじいちゃんの前に座った。昨日は、先輩と別れたあと、ぐっすり眠ったぼくがいた。ぼくにとって先輩はどんな精神安定剤よりも効くんじゃないだろうか。
今ぼくとおじいちゃんは、部室で先輩を待ってるところ。昨日の別れ際《ぎわ》、先輩が少し遅れるかもしれないから部室で待ってもらっておいてくれたまえとか言ってたんだ。思いがけず、おじいちゃんと二人きりの時間ができた。無駄《むだ》だと思うけど一応言いたいことは言っておこう。
「おじいちゃん、黙《だま》ってたのはほんとに悪かったと思ってる」
無視。
「でもね、ぼく先輩がほんとに好きなんだ。だから先輩じゃないといやなんだ。それに、ぼくは先輩以外の人に触られるのもいやだし」
まったく無視。
「それなのにひどいよ、おじいちゃんに勝てるわけないじゃないですか。おじいちゃんが何十年武道やってると思ってるの? それなのに先輩、まったくの素人《しろうと》ですよ」
どうしようもなく無視。むかむかっ。この態度は腹立つ。
「…………まあいいです。ぼくにはぼくの考えがありますから」
あまりにも腹が立ったんで、ちょっと強がってみる。おじいちゃんの言いなりになんかなってたまるか。ぼくがそんなことを考えていると、扉をノックする音が聞こえた。
「あっは〜い。どうぞ〜」
「失礼します」
のりちゃんだ。
「師匠、平賀《ひらが》先輩《せんぱい》の準備が整ったそうです。体育館に来てください」
部室に入って一礼したあと、のりちゃんが言った。のりちゃん昨日おじいちゃんに稽古《けいこ》をつけてもらって、色んなところにバンソウコウが貼《は》ってある。あれはぼくが貼ったんだけど……いやあ、見事にぼこぼこにされてたなあ。昔のぼくを思い出すよ。でものりちゃんですらまったく歯が立たないおじいちゃんに先輩が勝てるわけない。
他《ほか》のことなら信じられても、この勝負だけは先輩を信じられない。おじいちゃんの強さを知ってるし。
ああ、だめだ。さっきは強がり言ってぼくにはぼくの考えがあるとか言っちゃったけどいい案が何も思い浮かばない。家出ぐらいしかできることがない気がするよ。
「うむ」
ぼくはそう言って部屋を出るおじいちゃんに、とぼとぼとついて行った。
体育館に行くと先輩が剣道の防具を着込み正座して待っていた。すぐ脇《わき》には竹刀《しない》が置いてある。格好だけならいっぱしの少年剣士だ。周囲を見回すと、部活が終わって帰る人達が何事かと覗《のぞ》き込んでいるだけで人はあまりいない。今日は土曜日《どようび》で学校は休みなんだけど、体育館はクラブ活動で使われる。でも午前に使うクラブと午後に使うクラブの間にある空き時間を使ってるから。周りには人が少ししかいないんだ。
先輩を見ると、表情は真面目《まじめ》そのもの。カッコいい……とか見惚《みと》れてる状況でもない。惜しい。
「防具は?」
先輩がおじいちゃんに聞いた。おじいちゃんはいつもの着物姿だ。
「儂《わし》はいらん」
「そうですか……でははじめましょう」
そう言って、スッと立ち上がる先輩。
「で、どうなんだ? 平賀先輩は」
向かい合って立つ二人を見ながら、のりちゃんが聞いてきた。
「さあ、ただ武道|経験《けいけん》がないのは確かだよ。おじいちゃん……まったく大人気《おとなげ》ない。勝てるはずないよ……」
ぼくがのりちゃん相手に愚痴《ぐち》ってると、先輩が静かに言った。
「私は、特に武道というものを経験した事のない人間です。が、私には私の戦い方がある。私は一生はじめ君を守る事を自分の心に誓《ちか》った。私の守り方はあなたの望む方法とは違うでしょう。ですが、私は私のやり方でやらせてもらいます」
「能書きはそれだけか?」
「はい、では立ち合う事にしましょう」
ああもう、どうしよう。開始の合図はぼくがすることになった。それはかまわないんだけど……合図をしたくない。だって……先輩《せんぱい》が負けるのは見たくない。でもそんなわけにはいかない。ぼくが合図しなくても始まるだろうし……ならぼくがやったほうがましだ。
ぼくは先輩を見る、先輩がちらりとこっちを見た……そして目だけで笑う先輩。いつもの自信満々の先輩だ、ちょっと楽になった。そーだ、ぼくが信じなくてどうするんだ。ぼくは先輩に笑い返すと叫んだ。
「始め!」
そのぼくの開始の合図と同時に、沈黙《ちんもく》がこの場を支配した。ピンと張り詰《つ》めた空気がこの場に満ちる。
対時《たいじ》してまったく動かない二人。上段に構えた先輩と、構えず普通に立ってるおじいちゃん。一見何もしていないように見える。だけど、この二人の間に何か高度な駆け引きとかが行われているのかもしれない。このおじいちゃんと向かい合っていられる。それだけですごいことなんだ。先輩、実は剣道とかの経験《けいけん》があったんだろうか。
張り詰めた空気に、汗ばんできた。まだ春なのに、ぼくの頬《ほお》を汗が流れる。
微動《びどう》だにしない二人、まるで時間が止まってるみたいだ。時間の感覚がわからない、まだ一秒も経《た》ってないのか、もう何十分もこうしているのか。
その時風が吹いた。体育館の開いた扉から風が入り込み、ぼくの髪《かみ》を揺らす。その風を合図に先輩が動いた。先輩が竹刀《しない》を振り下ろす。
「はっ」
まだ間合いの外だ、おじいちゃんには届かない。何かのフェイントか? ぼくがそう思っていると…………おじいちゃんの身体《からだ》が崩《くず》れ落ちた。
………………………………は?
倒れてピクピクしてるおじいちゃん。何? 何をしたの? 竹刀を高速に振り落ろしたからカマイタチが発生したか、衝撃波《しょうげきは》を飛ばしたのか、気でも放ったのか。それとも竹刀が伸びた? わけわかんない、理解できない。そんな疑問はおじいちゃんの一言で解消された。
「……いっ……一服盛ったな」
…………どっ毒〜〜〜!?
「先輩! 何てことするんですか!」
ぼくは慌《あわ》てておじいちゃんに駆け寄る。
「大丈夫、身体《からだ》の自由を利かなくさせているだけで、命に別状はないよ」
「いっ……いつ盛った?」
ピクピクしながら先輩《せんぱい》を見るおじいちゃん。
「私の城で紅茶を飲んだでしょう?」
えっえっぼくが入れた紅茶? いつの間に? それにぼくも紅茶飲んだんだけど。
「ああ、はじめ君はこの事を知りません。うちの部室には部員それぞれのカップのほかに、来客用のカップが置いてあります。その来客用カップすべてに塗っておきました。味で気づかれないために、日本茶の葉は隠しておきました。紅茶なら飲んだ回数が少ないでしょうし、少しくらいの違和感もそのような味なのだろうと納得してくれるでしょう? あと、薬の出所は秘密です」
にっこりと笑う先輩。
なっなんてことを……こんなことやっておじいちゃんが許してくれるわけないじゃないですか。あああ、どうしよう。
信じてたのに〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。
…………もうこれは駆け落ちしかない。二人でどっか大都市に逃げるんだ。それで六畳一間の風呂《ふろ》なしアパートとか借りて、つつましく生活するんだ。銭湯《せんとう》に一緒《いっしょ》に通って石鹸《せっけん》とか男湯に向けて投げるんだ。お風呂を上がる時には合図するんだ。薄《うす》い布団で身を寄せ合って寒さをしのぐんだ。
ぼくがそんな神田川《かんだがわ》風味《ふうみ》な未来を本気で考えていると、先輩がおじいちゃんに話しかけていた。
「これが私の戦い方ですよ、どんな手段を用いても勝つ。正々堂々負ける事に何の意味もない」
いくら辞書に正々堂々という文字がないっていっても、薬はないでしょ薬は。
「……それで、……儂《わし》が認める……とでも思っておるのか?」
「普通に戦って私があなたに勝てるはずはない。それはあなたも分かっていたはずだ。にもかかわらず、あなたが私との勝負を要求してきたのは、私がどのような人間かを見極《みきわ》めるためだと思います。ですから私は、私がどのような人間かを全力で示したつもりです。卑怯《ひきょう》で、姑息《こそく》で、小賢《こざか》しい。私はこんな人間です。どうです? 認めていただけましたか?」
「くっ……くく、それがお前か」
「はい」
「くくっはっはっはっ、認めさせるつもりなら、もっとましな物を認めさせるつもりはなかったのか?」
「こんな人間なのだから仕方がないですね」
先輩が肩をすくめて言う。はぁ、先輩らしい。
「くっくくく、わかった、認めてやろう」
ひとしきり笑ったあとおじいちゃんはそう言った。うわっ信じられない展開だ。
「ほんと? おじいちゃん」
「認めんわけにはいかんだろう、手段はどうあれ儂《わし》を倒したのだからな」
「うわっやったーおじいちゃんありがとー」
そう言っておじいちゃんに抱きつくぼく。おじいちゃんはちょっと照れたように「ふんっ」と笑った。
「まあ、この男なら何があろうと大丈夫だろう」
おじいちゃんはどことなく満足そうだ。でも先輩《せんぱい》、中身は女の人なんだけど……まあいいか、なんか納得してるみたいだし。
「ええ、任せてください」
一件落着。どうなることかと思ったけど、思いもかけず一番の問題が片づいた。これでしばらく会ってないおばあちゃんにも会いに行ける。よかった、よかった。
あっ、あと一つ問題があった。いや、問題というより疑問かな。聞いてみよう。
「そういえば、誰《だれ》がおじいちゃんに教えたの? ぼく達が入れ替わったこと」
「ああ、それは本人に聞くといい」
そう言って視線を外に向けるおじいちゃん、ぼくがその視線をたどると、ぱっと隠れる嵐《らん》ちゃんが見えた。
なるほど……嵐ちゃんにも困ったもんだ。でも、まぁ今回はいいか。
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悪の組織と探偵団
とても有能な二人の部下と私
「首尾はどうだい?」
「はっ、どうにか近づくことに成功しました。ですが、完全には信用されていないと思われます。利用できそうだから利用しようというところでしょうか」
意図的に暗くした部屋の中に私はいた。灯《あか》りは、蝋燭《ろうそく》が数本立てられているのみで、赤い火が怪しく揺らめいている。その小さな灯りに照らされ浮かび上がるのは、禍々《まがまが》しい装飾で飾られた椅子《いす》に座している私と、私の前に跪《ひざまず》く一組の男女。
私が膝《ひざ》の上で撫《な》でているのはタマちゃん。ゴマフアザラシのぬいぐるみだ。悪の総帥《そうすい》としての嗜《たしな》みとして、撫でるための小動物を探していると、ダークキャッスル内でこれを発見した。以前ブームの時に買ったものだろう。やはり悪の総帥はこうでないといけない。あと、このタマちゃん、強く握ると悲鳴を上げるという細工《さいく》をすると面白《おもしろ》いかもしれないな。
私は左手でぬいぐるみを撫でつつ、右手で頬杖《ほおづえ》を突いている。上半身が斜めになるように体重を椅子のアームにかけ、もちろん脚は組んでいる。
完璧《かんぺき》だ、惚《ほ》れ惚《ぼ》れするほど完璧だ。
私は自分に酔《よ》いつつ、その男に向かって話しかける。
「それはそうだ。いきなり君を信用したら、そのほうが問題あるだろう。君の外見は嫌いではないが、世間一般に見て、小学校の付近をうろついていたら通報されるタイプだからな」
「ええ、自分の外見には無頓着《むとんちゃく》で気にしていなかったのですが、さすがにどうにかしようと思いました。まさかいきなり通報されるとは……」
……本当に通報されたのか。あの服装で行けば変質者と思われるのもしょうがないだろうが。いや、私は好きだが。
「それはそうと本当に良かったのですか? あなたにとって、あの娘は敵対すべき存在なのではないですか?」
男の疑問、いや忠告か。
「確かにな、私と彼……いや、彼女の間に入ろうとしてきた人間は初めてだ。今までそんな無謀《むぼう》な人間はいなかった。私が普通の男なら排除に動くべきなのだろうが…………気になるのだよ。あの娘が彼女に執着している理由が。
あの娘が彼女を好いているのは疑いようもないが、それ以外に何かあるような気がするのだ。何かに強要《きょうよう》されているというか……悲壮《ひそう》な決意のようなものを感じるな。彼女の傍《そば》にいたい、ではなく傍にいなくてはならない[#「いなくてはならない」に傍点]という風に。何があの娘をそうさせるのかはわからないが。そのような関係が自然とは思えない。私は二人の関係に危惧《きぐ》を覚えてしまってね」
「……御慧眼《ごけいがん》、感服《かんぷく》いたしました。そのようなわずかな感情の機微《きび》も見逃《みのが》さないとは」
「いや、私に分かるほど不自然だという事だ。事実彼女も、あの娘には何か違和感を感じている」
「いえ、それでもです」
「ふっ、褒《ほ》めても何も出ないぞ」
「いえ、皆のことを考えつつも、自分の趣味《しゅみ》を貫く。その姿勢に感銘《かんめい》を覚えます」
「私は、周囲の人間関係を、私好みに保つ事に関しては苦労を厭《いと》わない。個人的には皆それなりに仲良くというのがとても良い。ゆえに、あの娘とは本気で敵対したくないのだ。今後の事を考えると、適度な敵対関係そのほうがおもしろそうだ。今のままだと、本気で恨《うら》まれてしまいそうだからな。これはどうにかしないといけない」
「はっ」
「というわけで、それを念頭において行動してくれ。それに…………お姉《ねえ》さまというのは素晴《すば》らしいだろう?」
「はい、素晴《すば》らしいです」
目と目で語る私達。やはりこの男は分かっている。まあ、その素晴らしいというのも理由の一つだが、お姉《ねえ》さまと呼ばせる一番の理由は寝言《ねごと》で聞いて以来気になっていたからだ。これで何が変わるかは分からないが、何もしないよりはましだろう。
「それでそちらはどうだ?」
私は脆《ひざまず》く女のほうに話しかける。
「ハッ、アノムスメですガ。特にミョーな動キはアリマセン。小谷《こたに》シマイと仲良クやっテルミたいデス」
「そうかそれはよかった」
人見知りをするようだったからな、あの愉快《ゆかい》な双子《ふたご》なら大丈夫だろう。
「イエイエ〜。……アア、タダひとツ気にナるコトが」
「なんだ?」
「カノジョがマエに居眠りヲしたのデスガ」
「授業中にかね。なかなかに不良だな」
「ハイ。ソの時ノ寝言ガ……」
「どのような寝言なのだ?」
私がそう聞くと、女は少しの間を置き、
「……ごめんなさい」
彼女とまったく同じ声でそう言った。聞きやすいように音量を上げた以外はまったく同じだろう。すごいな。
「コんなカンジデス」
「さすがだな、そんなつぶやきすら見逃《みのが》さないとは」
「ハイ、学校内ノ会話は、スベテ聞こエてマスかラ。プライバシーに考慮《こうりょ》シテ、知っタコトを漏《も》らすコトハ許されてマセンが、今回は特別に許可をイタダキましタ」
「すまないね、そんな間諜《かんちょう》のような真似《まね》をさせて」
私は跪く女にそう声をかける。これは本心だ。
「イエ、あのムスメの為になるハズのコトデスから」
「それにしても、ごめんなさいとは意味深だね。いったい誰《だれ》に対する謝罪《しゃざい》なのか……普通に考えれば彼女に対するものなのだろうが……」
そう、普通に考えればそうなる。が、それだけではないような気もする。ふむ、気にはなる…………が理由が分からない事には動きようがないな。
「とりあえず、今までどおり進めてくれたまえ。どんな些細《ささい》な事でもいい、情報を集めてくれ」
「はっ」
「ハッ」
そう言うと同時に、シュッという擬音《ぎおん》を残して消える二人。残されたのは私一人。ああ、素晴《すば》らしい。非の打ち所のない部下っぷりだ。
「……それはそうとやはりいいな、こんな悪巧《わるだく》みトークをこのような雰囲気のある場所でするのは」
私はたまちゃんを撫《な》でつつ、一人残された部屋の中でつぶやく。すると、どこからか同意の声が聞こえてくる。
「は、わざわざ暗くしてるかいがあるというものです」
「はい〜サイコーデス」
やはりよく分かってる二人だ。
今の会話をするのに、わざわざこんなムーディーな部屋にしたのだが、今後もこういう手間も惜しみたくないものだ。
「悪の組織《そしき》の首領《しゅりょう》。漢《おとこ》の浪漫《ロマン》だな」
そのように悪の雰囲気に浸っていると、扉が開いた。
「うわっ、なんなんですかこの部屋はっ! 暗いし、蝋燭《ろうそく》ついてるし……って、教室で火なんか使っていいわけないじゃないですか!」
悪の組織を光で染め上げたのは、はじめ君。開いた扉からの光が、部屋の内部を照らす。
「いや、悪の組織ごっこをしていたのだ。雰囲気は大切だろう? だから扉を閉めてくれないかね」
「悪の組織ごっこってなんですか! 先輩《せんぱい》、タッキーとオーラと一緒《いっしょ》に今度はいったい何をたくらんでるんですか!」
壁《かべ》に張り付いていた二人の姿を見ながらはじめ君が叫ぶ。部屋を満たした光のおかげで正体を現したのだ。ああ、なんということだ、先ほどまでの悪の雰囲気がまったくなくなってしまった。
それに加え悪巧み感を出すために人物名を極力使わないようにしていたというのに、それもすべて水の泡だ。
「……ってそこも気になりますが、まずはこの部屋で火を使わないということのほうが大切です! 先生達に見つかったらどうするんですか。この部屋追い出されちゃいますよ!?」
「それは困るな、今度からは気をつける事にしよう」
うむ、気をつけなければならないな。
「……一応聞いておきますが、何に気をつけるんです?」
「ばれないように」
「ばれない以前に、やらないように気をつけてください!!」
精一杯《せいいっぱい》怒った顔で、私に詰《つ》め寄ってくるはじめ君。相変わらず、怖さよりもかわいらしさが勝っている。やはりはじめ君はからかいがいがあるな。
「分かったよ。約束しよう。私が君との約束を破った事はないだろう?」
「ええ、ないです。ないですよ。でも、先輩《せんぱい》はその約束の間をうまくすり抜けて同じようなことを繰《く》り返すでしょう?」
いや、まあその通りなのだが。
「分かった、火も、焔《ほのお》も、炎も使わないよ」
「そんなこと考えてたんですか! 呼び方を変えただけじゃないですか! 屁理屈《へりくつ》にもほどがありますよ! まったく」
文句を言いつつ、はじめ君がカーテンを開けていく。要塞《ようさい》内に光が入ってくる。
「いや、悪の要塞がこんなに明るくてはいかんだろう」
そう反論してはみたもののはじめ君はまったく聞き入れてくれない。しょうがないな、続きはまた今度する事にしよう。
「ふう、これでよし」
はじめ君が、額《ひたい》の汗を拭《ふ》き満足そうにうなずいている。これが新婚家庭で、はじめ君がエプロンなどをつけて鼻歌交じりに掃除しているのなら、これほど素晴《すば》らしい事はないだろう。が、悪の総帥《そうすい》としてはこの惨状《さんじょう》は嘆くべき事のはずだ。部屋はいつもどおりの明るさを取り戻し、とても悪の居城とは言えなくなってしまっている。
「はじめ君、悪の総帥として生活|環境《かんきょう》の改善を要求するよ」
「だめです。お日様の光を浴びないと身体《からだ》に良くありません。ほらこんなに気持ちいい」
日の光を浴びてとても気持ちよさそうなはじめ君。微笑《ほほえ》ましいのは大変結構なのだが、ここは悪の巣窟《そうくつ》のはずなのだ。
「ダークキャッスルと名づけたのだから、それなりの体裁《ていさい》を整えなければならないだろう?」
「そんなこと知りません」
ついっとそっぽを向くはじめ君。つれない、つれないぞ。が、そのつれなさがいい。どうやらはじめ君は女を極《きわ》めつつあるらしい。喜ばしい事だ。
その時私達に声がかかった。
「いやいや、美しいね。夫婦|喧嘩《げんか》の予行演習かい?」
美しく扉に寄りかかりながらそう言うのは道本《みちもと》君。いちいち芝居がかっているが、似合っている。あいかわらず絵になる男だ。
「ああ、そのようなものだ。住環境に関しては、はじめ君の尻《しり》に敷《し》かれてしまいそうだ。いや、良いな」
「うらやましいよ、ボクもハニーの美しいお尻の下に敷かれたいものだ」
「では、はじめ君に聞いてみたまえ。精神的にではなく、物理的になら敷《し》いて貰《もら》えるかもしれんぞ」
「それもいいね〜」
「二人とも何|馬鹿《ばか》なことを言ってんですかっ!!」
私達の何時《いつ》も通りの会話に、何時も通りつっこんでくるはじめ君。
「いや、至極《しごく》真面目《まじめ》に話しているつもりなのだが……」
「なおさら悪いですっ!!」
顔を真《ま》っ赤《か》にして怒るはじめ君。そのはじめ君をどうにか落ち着かせた頃《ころ》(このなだめすかし、落ち着かせる作業も面白《おもしろ》い)、道本《みちもと》君が言った。
「それで、ボクを呼び出した用はなんなんだい?」
そう、道本君は演劇《えんげき》部と掛け持ちなので常にここに来るわけではない。だが、今日は道本君の力を借りたかったので来てもらったのだ。
「君に一つ、頼みたい事があるのだよ…………」
にわか探偵とアタシ
「むっ」
アタシは愛《いと》しのお姉《ねえ》さまに会うために、ダークキャッスルとかいうアホな名前のついた部室に向かっていた。何でそんな名前になってるのかはコーチに聞いたけど……やっぱ、お姉さまを救い出さないといけないわ。あの目の上のたんこぶめ〜! あの可憐《かれん》なお姉さまにあんなことさせるなんてっ! …………悪者なお姉さまもステキだった……ってなに流されてるのよ! お姉さまを救えるのは私しかいないのよ!
そんな感じでやる気満々なアタシだけど、今日は一人じゃない。なっちゃん、ほーちゃんも一緒《いっしょ》だ。
「つばさ先輩《せんぱい》に会うのも久しぶりね〜」
「そうね〜」
和《なご》みまくってお遊び気分の二人。でも大丈夫。今日の作戦はこうだ。二人にお姉さま以外の人間の相手をしてもらって、その隙《すき》にお姉さまとむふふふよ! ちなみに今回の作戦は、なっちゃん、ほーちゃんの二人がダークキャッスルに遊びに行きたいと言ったことから思いついた作戦よ。ん? いつも家でいちゃついてるんじゃないかって? ちっちっちっ、甘いわね。学校で、たんこぶの目の前でいちゃつくことが意味あるのよ!
ってちょい待ちっ!
アタシはアタシの前をキャイキャイ言いながら歩いていた双子《ふたご》を捕まえて壁《かべ》に押し付ける。
「「むぎゅっ」」
双子《ふたご》ってこんな時もハモるのね。とか思いつつアタシも壁《かべ》に張り付く。
「なに〜」
「いたいよ〜」
そう不満の声を漏《も》らす二人。ごめん、けど我慢《がまん》して。
「しっ静かに」
アタシは耳を澄《す》ます。
「すまないな、忙《いそが》しいところを」
「いやいいよ」
そんな声が聞こえる。この声は……にっくきたんこぶと誠《まこと》さんね。
アタシが壁に張り付いた理由。それは、お姉《ねえ》さまが部室から出てきたから。アタシ達が張り付いているところの壁の前には張り出している部分があって、向こうからは見えてないはずだけど……
「たまには美少女以外を相手にするのも良いと思うしね、ハニーもそう思うだろう?」
「うむ、甘いものばかり食べていると飽《あ》きるからな。たまには脂《あぶら》ぎったものなども良い気分転換になるだろう」
「先輩《せんぱい》、脂ぎったってなんて失礼な……」
普通に続いている会話。うん、見つかってない。どうやら三人でどこかに行くみたいね……。会話からすると何か食べに行くのかな? でも何か違う気がする。
お姉さま達は、壁《かべ》に張り付くアタシ達に気づかず階段を下りていく。よかった、上ってきた階段が違ってたらかち合ってたわ。
「もういいよ、ごめんね」
アタシはアタシの言った通りに静かにしていた二人に言った。
「もうなに〜?」
「なんなの〜?」
鼻を押さえてる二人。ちょっと強く押し付けすぎたみたい。
「作戦変更、お姉さま達をつけるわよ」
ごめんなさいと謝《あやま》りつつ、そう宣言するアタシ。
「え〜なんで〜」
「一緒《いっしょ》に遊ぶんじゃなかったの〜?」
アタシは元から遊びのつもりはなかったけど……
「スパイよ、敵を知り、己を知れば……なんとかかんとかってコウシさんも言ってるわ!」
「「……子牛さん?」」
「……う〜ん、なんか違う気がするけどそう! だから普段《ふだん》どんな行動をとってるかを観察するのよ! 探偵《たんてい》のように!」
そう、まずは二人の行動を観察しよう。普段《ふだん》気づかないことにも気づけると思う。たんこぶの弱点とかお姉《ねえ》さまの攻略法とか。う〜ん策士ね、アタシ。
というわけで、探偵団が結成された。美少女探偵団とか名づけてもビジュアル的には問題ないわね。探偵と聞いて団員の二人は興味《きょうみ》をそそられてるみたい。そういえば、この間そんな漫画を二人に借りたわ。う〜ん、影響《えいきょう》受けやすいね〜この二人……って人のこと言えないか。
「じゃあね、じゃあね、サングラスとかつけない〜?」
「あとスーツも欲しいね〜」
「帽子《ぼうし》も必要よ!」
違う方向で盛り上がるアタシ達。
「って、そうじゃな〜い!! 早く追いかけないと。そんな変装してる暇《ひま》なんかな〜い」
「「は〜い」」
と、二人を納得させてさあ出発! とアタシが思ったその時、おしとやかな声がかかった。
「すこし待ってください」
「「あっ美香《みか》ちゃん」」
ちょっと待ったコールをしたのは美香|先輩《せんぱい》。なんだろう……今時間ないのに〜。
美香さんは、そんなあせりまくりのアタシにしっとりとした笑顔を見せて言った。
「話はだいたい把握《はあく》しています。わたくしに任せてください。さあ、こちらに……」
ゆったりと手招きする美香先輩。……さっきからしっとりとかゆったりとかつけてるけど、そんな感じの言葉で飾りたくなる雰囲気が美香先輩にはある。お姉さまを色気でめろめろにしようとしていた時の理想がこんな感じ。いいなぁ〜って物欲しそうに見ている場合じゃない。
「でも、早く追いかけないと……」
見失っちゃう〜と、言おうとしたアタシを遮《さえぎ》るようにして、美香先輩が言った。
「大丈夫です。つばささん達はふもとのトンネルを通ります。そこまでに追いつけば問題ありません。そうですね、嵐《らん》さん達が走れば、五分程度の余裕は生まれるはずですわ」
なるほど。この学校は団地の中にあるんだけど、団地から出る道はたくさんあるわけじゃない。それでここから降りる最短の道は、ふもとのトンネルを通るコース。だから、お姉さま達が団地に用がない限りあのトンネルを通るはず。
「それで何の用なんですか?」
「来て頂ければ分かりますわ」
美香先輩にそう言われるまま、アタシ達はダークキャッスルという名前をつけられてしまったかわいそうな教室(さすがに教室に同情したのは生まれてはじめて)に入っていく。
しぶしぶと教室に入るアタシ達……じゃなくてアタシ一人。なっちゃんほーちゃんは、なんだろう〜とどきどきわくわくしてる。さすがお姉さん。二人の扱い方をよ〜く心得てる。
「少し待ってください」
そう言って隣《となり》の準備室に消えていく美香《みか》先輩《せんぱい》。その間に部屋を見回すアタシ達。好奇心のかたまりっぽい二人は、この部屋に散乱する怪《あや》しい物体をキャーキャー言いながら見てまわってる。この教室は、真《ま》ん中で雰囲気ががらんと変わっている。右半分は怪しすぎる感じだけど、左半分は綺麗《きれい》でさっぱりしてる。これがお姉《ねえ》さまの努力の結果なんだと思う。
……この部屋は嫌い、変な組み合わせなのにとても自然な感じなのがとてもいや。
「女の子がそんな顔をするものではありませんよ」
気がつくと美香先輩が側《そば》に立っていた。そんなにいやな顔をしてたのかな……していたかもしれない。いけない、いけない。お姉さまをゲットするためにはいつもかわいくいかないと。
アタシが顔をムニュムニュとマッサージしていると、美香先輩が何かを差し出した。なんなのかな。
「探偵《たんてい》の正装です」
美香先輩の手の中には、さっきアタシ達が話してた服があった。サングラスと黒い帽子《ぼうし》と黒いスーツと赤いシャツと白いネクタイ。好意に甘えて装着するアタシ。とりあえず形から入るタイプのアタシとしては着ないといけない。だから着た。なっちゃんほーちゃんも喜んで着た。こちらは何も考えてなさそうだ。
何でこんな服があるのかな、なんかサイズがピッタリなんだけど。…………まーそんなことはどうでも良いか。
鏡《かがみ》の前でニヒルに笑ってみると鏡の中の探偵が笑う。
うふふふふ、これ以上ないってほど探偵ね。このかっこよさをもってすれば、お姉さまを落とすのも難しくないわ。女は危険な香りに弱いのよ!
そんな危険な香りを周囲に振りまくアタシを見て美香先輩が言った。
「ああっかわいらしいですわっ。わたくしもうめろめろですわ」
「おねえちゃん、なっちゃん達は?」
二人がくるくると美香先輩の周りを回る。
「美菜《みな》さんも、美穂《みほ》さんもかわいらしいですわ。……ううっよくぞここまでかわいく育ってくださいました」
感動で涙ぐむ美香先輩。うんうん、その気持ちよくわかります。二人とてもかわいいし。
って、うんうんとかうなずいてる暇ないじゃないのよっ! 早く追いかけないと。探偵の正装に着替えたことだしね。
「じゃあいくわよ〜」
アタシ達は教室を飛び出した。
んで、お姉さまを追いかけている今思うこと……周りの人の視線を一身に浴びてる気がする。もしかすると目立ってるかもしれない。でも、この服を着たことにより盛り上がったこの気持ちや、探偵スキルの向上に比べたらそんなことは些細《ささい》な問題なのよ! そんな感じでメラメラと探偵魂《たんていだましい》を燃《も》やしていると、目当ての背中を見つけた。
学校から続く坂のちょうど一番下にお姉《ねえ》さま達がいた。アタシ達は華麗《かれい》に壁《かべ》に張り付き身を隠す。今のアタシ達はどんな名探偵にも負けないくらいの名探偵っぷりね。さあ、尾行をはじめるわよ〜。
「どこ向かってるの?」
アタシは、後ろでかわいく壁に張り付いている二人に聞いた。もう、探偵になりきってる。うんうん、やっぱり何事も形から入らないとね。
「ん〜この先は、たぶん〜」
「やすらぎ公園かな〜」
やすらぎ……ああ、花見をした公園かぁ。今あそこにはあんまり近づきたくない。いろいろと思い出してしまう気がする。
お姉さま達を追っていると、見たことのある景色になってきた。前来た時も感じたけど懐《なつ》かしい感じがする。やっぱりここがあそこなのかな……
あたしがそんなことを考えているうちにお姉さま達はずんずんと進んで、この間お花見をした場所に到着した。そして桜を目の前に何かを話している。
なにしゃべってるのかなぁ、ここからじゃ聞こえない。世界一耳のいい人でもこの距離からじゃ聞こえないはず……
「じゃあ、たのむよ〜、まずはそこの幽霊《ゆうれい》を自分の身体《からだ》に降ろしてくれ〜」
「OKまかせてくれ〜」
…………聞こえてるじゃん。
「聞こえてるの?」
あたしは二人に聞く。
「「ん〜ん」」
二人そろって首を振る双子《ふたご》。
「でも、今のせりふってあの二人でしょ?」
アタシは桜の前で何かしゃべっているたんこぶと誠《まこと》さんを指差した。今桜の前にいるのは、その二人と、お姉さま。
「「うん」」
「じゃあどうして?」
「見てるの〜」
見て声が聞こえるわけがないじゃない。
「何を?」
「口の動き〜」
……口の動き、ああ!
「読唇術《どくしんじゅつ》ってやつ?」
「うん〜」
「そう〜」
「へーすごいっ……って何でそんなことができるの?」
あたしがそう聞くと、得意そうに答える双子《ふたご》。
「前にお父さんに教えてもらったの〜」
「ね〜」
すごいけど……そのお父さんっていったい何者? ま、いいか。便利だし。でも本格的に探偵《たんてい》らしくなってきたわね〜。
アタシは二人に通訳をお願いすることにした。今は、誠《まこと》さんが枯れた桜に向かって立っているところ……あっ、なんかいきなり態度が変わった。辺りをきょろきょろ見回してる。
「……これはどういう事だ?」
「はじめまして、私の名前は平賀《ひらが》つばさと申します。それで今の疑問に答えますと、あなたを道本《みちもと》君の身体《からだ》に降ろしました」
降ろした? なんだろう、誠さんの話し方も変わったんだけど。
「どういう事だ?」
「信じられないでしょうが、あなたはかなり昔に亡くなっています」
「はっそんな馬鹿《ばか》な」
「納得できないのは当たり前です。気づいてないからこそ、ここに縛《しば》られているのですから。そこで、今があなたの生きていた時代ではないという事を理解していただくために、今のこの町を御案内しようと思います。あなたがそこに縛られているのはいい事ではない」
なんかわかんないけど、幽霊《ゆうれい》がいて、その人を成仏《じょうぶつ》させようとしてるみたい。そういえば、あのたんこぶが花見の時なんか言ってたような……それどころじゃなかったからあんまり覚えてないけど。
「では、行きましょう。ああ、あなたのお名前を聞いてもよろしいですか?」
「……吉田《よしだ》晋《しん》だ」
アタシ達はお姉《ねえ》さま達にくっついてこの町を回った。会話を聞くためには、前に回って口の動きを見ないといけないので走り回ってとても疲れた。でも、そのがんばりのおかげで、だいたいの会話は聞くことができて、何してるのかは把握《はあく》できた。あのたんこぶがツアーガイドみたいに行く先々でその場所の説明してたの。そしてこの辺りをぐるりと回って、今お姉さま達は広川《ひろかわ》の河川敷《かせんしき》にいる。色々回ったおかげで、この辺の地理に詳しくなった。予想外の収穫《しゅうかく》ね。アタシは河川敷にあった草の茂みに隠れながらそう思った。
その茂みから上を見上げると、誠《まこと》さんの身体《からだ》に入った幽霊《ゆうれい》さんが高い土手《どて》の上に立っている。きちんと整備された広川をボーっと見ているのがわかる。広い河川敷には野球のグラウンドがあり、そこでは子供達が野球をしている。他《ほか》には犬の散歩をしている人もいれば、ベビーカーを押して散歩している若いお母さんもいる。とても優《やさ》しい光景だ。見ているとうれしくなる。
ホントがんばったかいがあった…………………………がんばった?
「そうか……もう工事がおわったんだな」
「はい、吉田《よしだ》さん。貴方《あなた》達の尊《とうと》い犠牲《ぎせい》の下に行われた工事のおかげで、洪水《こうずい》などの水害が起こる危険はほぼなくなったと言って良いでしょう」
二人の同時通訳は今も続いている。でも、アタシの頭の中には入ってこない。がんばったってなに……なんなの…………? …………ああ……そうか。
「ですから、安心して成仏《じょうぶつ》してください。あなたはすべき事をした。あなたがここに縛《しば》られている理由はありません」
幽霊さんは広川を見ながら口を開いた。
「…………わしはなぁ、最初ここの工事には乗り気じゃなかったんだ。危険だしこの広川を治められるとも思っていなかったからなぁ。だからある女が工事の話を持って来た時も断った。だがなぁ、その女、毎日毎日やって来るんだよ。まだ20そこそこの良い所のお嬢《じょう》さんがな、店の前で土下座《どげざ》して、まっすぐな目で言うんだよ。この川を治めるのに協力してくれとな。それが何日も何日も続いてな……、とうとうわしは根負けしちまった。工事に加わった同業のやつらも同じ事をされたらしい。そんで、自分の家の財産を潰《つぶ》して、工事して、仕舞《しま》いにはお上《かみ》を動かしちまった。すげぇ良い女だったよ、わしら皆|惚《ほ》れてたなぁ、嬢ちゃんに」
たんこぶとお姉《ねえ》さまは幽霊さんの話を静かに聞いている。
「くくっ、だもんでおっちゃんおっちゃんと呼ばれて相好《そうごう》崩《くず》しているうちに、いつの間にか、意地でも工事を完成させようって気になってたよ。嬢ちゃん人をのせるのがうまくてなぁ、のせられてもぜんぜん悪い気がしなかった。いや、楽しかったぜぇ」
そこまで笑顔で言ったあと、顔を曇《くも》らせる幽霊さん。
「…………そうか…………わし死んでたのかよ」
「はい」
「ざまぁねえなぁ……」
「事故ではしょうがないと思いますよ。それに無駄《むだ》な死だったというわけではありません。貴方達の志は受け継《つ》がれ、工事は完成しました。そしてあの工事以降も様々に手を加えられ続けています。これも貴方達が残したものが脈々と受け継がれている証拠です」
真面目《まじめ》な顔で答えるたんこぶ。こんな真面目な顔を見たのは初めてだ。
「…………ま、死んじまったもんはしゃあねぇなあ、男らしくお陀仏《だぶつ》するとするか。うちのやつらもみんな逝《い》ってるだろうしなぁ」
幽霊《ゆうれい》さんは照れくさそうに頭をかいている。
「…………ああ、一つ聞いていいか?」
「答えられる事なら」
「…………嬢《じょう》ちゃんはどうなった?」
「資料によると、結婚し、子供に恵まれ、16年ほど前に亡くなったそうです。家族に看取《みと》られての大往生《だいおうじょう》だったらしいですよ」
それを聞いた幽霊さんは笑顔を浮かべた。
「そうか、幸せだったのか。嬢ちゃんよかったなぁ。死んだ姉《ねえ》ちゃんの事気にして、自分だけ幸せになっていいんだろうかとずっと悩んでたからなぁ。…………教えてくれてありがとな」
「いえいえ良いですよ」
「じゃあ、まあ逝くかぁ」
幽霊さんがそう言った瞬間《しゅんかん》、誠《まこと》さんの身体《からだ》がびくっとした。そしてしばらく空を見上げたあと口を開いた。
「いや、たまにはこんなのもいいねぇ、吉田《よしだ》さんの話はなかなかに美しかった」
見えなかったけど、幽霊さんは成仏《じょうぶつ》したみたい。
「…………よかったですねぇ、おじさん」
「そうだね」
うん、……良かった。あたしがそんなことを思って良い気分になっていると、なっちゃんが聞いてきた。
「嵐《らん》ちゃん? 今何か言ってなかった?」
「えっ? 何言ってた?」
「声は小さすぎて聞こえなかったけど口が動いてたから〜。でも、何言ってるかはわからなかった〜。ほーちゃんわかった?」
「ん〜ん」
首を振るほーちゃん。
わからないか……良かった。聞かれてないみたいね。でもこの話から早くはなれよう。アタシは、ほーちゃんに話しかける。
「で、今お姉さま達何話してる?」
「えとね〜ゴホン」
ほーちゃんは一つ咳《せき》ばらいしたあと、通訳を再開した。
「……う〜ん、それにしてもおじさんの話に出てきた女の人すごいですねぇ〜」
「そうか、君は知らないのだね。この辺りでは有名な話だ。国に働きかけ、私財までも用い、荒れ狂う川を治めようとしたその女性の話はね。
花見をした桜があっただろう? あの桜は彼女が犠牲《ぎせい》者の鎮魂《ちんこん》のために植えたものなのだ。今|成仏《じょうぶつ》した吉田《よしだ》さんが桜に憑《つ》いていたのもその辺りが理由かもしれないな。まぁ、この件はこれで一件落着だ」
「はい、よかったです…………ところで早くここから動きませんか? この川ってなぜか怖《こわ》いんです」
「前に川で溺《おぼ》れた影響《えいきょう》かね」
「違うと思います。川が怖いんじゃなくて、この川がなんとなく苦手な感じがするんです。理由はわからないですけど」
「ふむ……」
やっぱり、ここがあの川だからお姉《ねえ》さまは怖いんだ。
ああ、……ごめんなさい。ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……
「分かった、早急にここから立ち去るとしよう。ではその前に……そこのかわいらしい探偵《たんてい》諸君《しょくん》」
アタシは、たんこぶのその声で我に返った。アタシは、頭をフルフルと振る。落ち込んでる場合じゃないのよ、そう、アタシにはやることがある。アタシは隠れていた茂みから立ち上がった。なっちゃんとほーちゃんもアタシに続く。
「いつ気づいたのよ」
「やすらぎ公園の辺りかな。どうだい? 広川《ひろかわ》市観光ツアーは楽しんでいただけたかな」
ぐっ、こいつに踊らされてたのか。あいかわらずむかつくわ。
「えっ、ぼく気づきませんでしたよ?」
でも、お姉さまは気づいてないじゃない。やっぱり、アタシ達の探偵スキルは高かったのよ。気付いたたんこぶがおかしいだけよ。
アタシ達三人はたんこぶの前まで歩いていくと、腕《うで》を組んで言った。
「ふんっなかなかやるじゃないのよ」
「「じゃないのよ〜」」
そう言うアタシ達をじろじろと見てくるたんこぶ。…………うっとうしいわ。いったいなんなのよ。アタシがいらいらしているとたんこぶが言った。
「……ふむ、人間は左右対称であるという事を美しいと認識《にんしき》する。そして君達は左右対称でとても美しい。しかもなんとなく空でも飛べそうな気がする」
今アタシ達は、アタシを中心にして右側にほーちゃん、左側になっちゃんが立っている。
…………左右対称ね、何から何まで。でも、
「その飛べそうってのは何よ」
「いや、その美しい髪型《かみがた》だろうね。……美しい」
誠《まこと》さんが髪をかき上げながら言った。…………見ようによっては羽みたいに見えるかもしれない。
それにしても……観察《かんさつ》するつもりが観察されている。むっむかつくわ……。でも今は分《ぶ》が悪い、尾行がばれた探偵《たんてい》ほど惨《みじ》めなものはないのよ。
「おっおぼえてなさいよ、いつかギャフンと言わせてやるんだからあ〜」
「じゃ〜ね〜つばさセンパ〜イ〜」
「はじめセンパイと、誠センバイもバイバ〜イ〜」
というわけでアタシ達は退却……じゃなくて転進した。今度こそは〜!
…………あとで自分の悪役っぽいセリフを思い出していやな気分になったのは内緒《ないしょ》だ。
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漢の浪漫とぼく
「やはりロケットパンチだろう」
「その気持ちもわかりますがドリルは必要です!」
放課後《ほうかご》の部室で繰《く》り広げられるついていけない、というよりついていきたくない会話。
会話の主はもちろんつばさ先輩《せんぱい》とタッキー。何でこんな会話が繰り広げられているかというと……っていつもと何も変わらないような気もするんですが、今回はちゃんとした理由があります。
事の始まりは十分ほど前。部室……じゃなかった要塞《ようさい》でぼくと先輩、オーラとタッキーという面々でくつろいでいた時、
「アアっ、電波ガ、電波ガ来マシタ〜、来てマス、来てマスヨ〜」
みたいな感じで、オーラが電波を受信した。
……これは別にオーラが電波さんなわけでなく、文字通り本当に電波を受信したんだ。本当に電波かどうかはわからないけど。まあとにかく、何らかの方法で通信がオーラに届いた。送り主はオーラ、とてもややこしい。だから二人を区別する必要がある場合は、オーラとロボオーラという風に呼んで区別することにみんなで決めた。
ロボオーラは通信が来たことを告げると話し出した。
「ハイ〜変わりマス〜…………皆さんお久しぶりです。お変わりはありませんか?」
「ああ、おかげさまでね」
答える先輩。口調《くちょう》ががらっと変わるので、ロボオーラからオーラに変わったのがよくわかる。
「それでですね、この度《たび》ロボオーラの仕様を変更する事にしようと思うんです。私が乗り込む事は、しばらくないと思いますので。乗り込む機能《きのう》をはずし、移動端末としての機能を強化しようと思うのです。が、通信機能を強化したとしてもかなり余裕ができるのです。というわけで、その余裕にどのような機能を詰め込むか、あなた方の意見を聞こうと思ったしだいです。ロボオーラはあなた方と一緒《いっしょ》にいる事が多いですからね」
「ほほう、それは面白《おもしろ》い。どのような機能でもいいのかね?」
先輩がキラリ〜ンと目を光らせて言った。
「ええ、かまいません。ネコ型ロボにしようが、地球|破壊爆弾《はかいばくだん》を搭載《とうさい》しようが。ただ、ロボオーラには意思があります。どんな機能を搭載しても、悪用はできません。まあ、その辺の心配はしていませんが…………」
というわけで、最初の会話に戻るんだけど。
「ドリル、それは男の浪漫《ロマン》。ドリル、それは男の夢。
立ち塞《ふさ》がる物を打ち破り、貫き、どこまでも突き進むドリル。男はその機能にすさまじいほどの共感を覚えます。その共感はどこから来るのか、それを探ると一つの答えにたどり着きます。それは本能。種族|維持《いじ》という本能に根ざした男のドリルへの想《おも》い。その想いは同胞《はらから》、いや兄弟に対する想いと言っても過言ではありません。そう、ドリルと我々は、まさに|魂の兄弟《ソウルブラザー》!
そして男の象徴《シンボル》たるドリルが、柔らかな曲線を主とした女性の腕《うで》についている。そこから喚起《かんき》されるエロティシズムは、我々の前立腺《ぜんりつせん》を刺激《しげき》し遥《はる》かなる高みへと我々を誘《いざな》ってくれることでしょう!!」
…………馬鹿《ばか》すぎる。もう手遅れって感じだ。
「ふむ………………前言を撤回《てっかい》しよう。ドリルは素晴《すば》らしい」
ここにも一人……。
「いえいえ、ロケットパンチも素晴らしいのは変わりません。まさしく甲乙《こうおつ》つけがたいとはこのこと。ですから右手ドリルで左手がロケットパンチでどうでしよう」
「うむ、それがいいだろう」
当事者であるロボオーラそっちのけで繰《く》り広げられる白熱した議論《ぎろん》。
その他《ほか》には足裏ジェットで空を飛べなくてはならないとか、目からビームは出るべきだとか、首は外れたほうがいいとか。
そんな感じで続いていた議論だけど、
「では、一番重大な議題に移るとしようか」
この言葉で本題に入ったみたい。今までの議題よりも重大(馬鹿と同じ意味)な議題があるというのか…………ぼくはあきれ果ててしみじみとお茶をすする。
「最終議題は…………おっぱいミサイルについて」
ぶぶー。
「けへっけほっ」
お茶を吹き出しむせるぼく。
「なんだい、はしたない」
そう言いながらぼくの背中をさすってくれる先輩《せんぱい》と、
「そうだぞはじめ。吹き出すならおれのほうに向けて吹き出せ」
馬鹿なことを言い出す馬鹿。とりあえずこいつは放って置くことにする。
「なんですかその、おっおっ…………」
「おっぱいミサイルかね」
「そう、それです! それはひどすぎますよ!」
「そうかね」
「ほら、オーラもなんか言って! 言いたいことは言わないと、どんどんすごいことになっちゃうよ」
ぼくがニコニコと成り行きを見守っているロボオーラに言った。
「別にカマイませンヨ〜〜ミナサンが喜ンでクレるのナラ」
やはりニコニコしながらそう返してくるロボオーラ。
くっなんて良い娘《こ》なんだ。ちょっとずれてる気もするけど。
それでもロボオーラをこの変人たちの毒牙《どくが》から守らなくてはいけない! と、ぼくが決意を固めたその時。
「ワタシテキにハ、セクシービームなんカがカッコよくてイイデス」
と、ロボオーラが言った。
……………………そういえば、ロボオーラの人格のベースになったのはオーラだって言ってたなあ。ぼくは、固めた決意の置き場所を探しながらそんなことを思った。
「これでオーラ君の身体《からだ》の仕様は大体決定したのだが」
会議《かいぎ》が終わったあと、先輩《せんぱい》がこう切り出した。聞いただけでくらくらするような機能《きのう》がロボオーラの身体には搭載《とうさい》されそうだ。本人はとてもうれしそうだからいいんだけど……でも、でもねえ。
「オーラ君、身体の改修が行われている間、君はどうするんだい?」
「ハイ〜、代ワリの身体ヲ用意シてもらイマス」
「そうなのか」
それを聞いたあと、先輩は何かを考えてるみたい。
「先輩どうしたんです?」
「うむ……」
先輩は生返事を返してきたあとロボオーラに向き直った。
「オーラ君、その代わりの身体の能力はやはり高いのかい?」
「代ワリですカラ、能力ガ落ちマス。ソレデモ、アナタ達カラ見れバ、高いはずデス」
「そうなのか…………それでその能力を落とす事はできるのかい?」
「デキますケド……」
「それでは、我々人類と同じ程度に能力を落としてみないかい?」
「なぜデスカ?」
首をかしげるロボオーラ。
「そうする事で見えてくるものがあるだろうからだ」
「ソウいうものデスカ」
なるほど、先輩はロボオーラに心を芽生《めば》えさせようとしてるんだ。前もそんなこと言ってたし。
「そういうものだ」
「ではマスターニ聞いてみマス」
ロボオーラに心が芽生《めば》える。それはいいな、今でも心があるような気がするけど、それはそういう風に見えているだけなのかもしれない。そうだとしたら、とても悲しい。
心があるんなら、本当の友達になれるかもしれない。うん、そのほうが絶対いいよね、ぼくも応援しよう。ぼくはニコニコ笑っているロボオーラを見ながらそう思った。
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昔の夢と秘密の記憶
ずっと前の夢とアタシ
「お姉《ねえ》……さま」
濁流《だくりゅう》の中からアタシは力いっぱい叫んだ。だけど出たのは、かすれた小さな声。もう声もちゃんと出ない。
「もう少し……がんば……」
泥水《どろみず》でかすむ視界の中、お姉さまが水に飛び込むのが見えた。水に沈んでるから声が途切《とぎ》れ途切れにしか聞こえない。
もうだめ、アタシがそう思ったその時、お姉さまの腕《うで》が私を掴《つか》んだ。力尽きて沈みそうな私を抱え、水面の上に持ち上げてくれた。顔が水面の上に出てようやく息を吸うことができた。
「ごほっけほっ、はあはぁ」
「もうちょっ……がんばって、もう……すぐだから」
耳元でそう言いながら、私を抱えたままお姉《ねえ》さまは泳いで岸に近づいていく。もう少し……もう少し、届いた。アタシは川べりに生《は》えた草を必死で掴《つか》む。そのアタシを後ろから支えてくれるお姉さま。ようやくアタシの上半身が川から上がった。助かった、もう大丈夫だ、そうアタシが安心した時、アタシの身体《からだ》を支えていたお姉さまの感触が消えた。アタシが振り向くと流されていっているお姉さまが見える。
「お姉さま、お姉さま」
アタシは必死にお姉さまに向けて叫ぶ。その声が聞こえたのかお姉さまは水面から顔を上げ、こっちを見た。その顔は…………顔は………………
そこで私は目を覚ました。……眠ってたみたい。お姉さまの顔、最後の部分だけ思い出せない。いつもだ。でも、溺《おぼ》れているんだから苦しそうな表情にきまってる。
アタシは大きくため息をつく。自分の馬鹿《ばか》さにいやになる。あれほど雨の日は気をつけろと言われてたのにあんなことになってしまった。この罪はいくら償《つぐな》っても償いきれるものじゃない。
「はぁ」
あたしが二度目のため息をつくと、いつもの二人組の声が聞こえてきた。
「ため息をつくと幸せが逃げてくのよ〜」
「そ〜よ〜」
アタシを覗《のぞ》き込んでるのはなっちゃんとほーちゃん。
「なっちゃん、ほーちゃん……今は?」
アタシは目をこすりつつ聞いた。いつから見られてたのかな。
「もう放課後《ほうかご》よ〜」
「よく寝てたね〜」
「そうなんだ」
ホームルーム中ずっと寝てたみたい。昨日色々考えてて眠れなかったからとても眠い。
「それで……アタシ何か言ってた? 寝てる間に」
「お姉さまって言ってたよ〜」
「えっほんと?」
「うん、はじめ先輩《せんぱい》のことすきなのね〜」
「ね〜」
互いに顔を見合わせてそう言う二人。
「うん、大好きだよ。ずっと前からね」
そう、ずっと……ずっと前から。
「きゃ〜いいなあ」
「うらやましいなあ」
よかった、それだけなのかな。見た夢が夢だから、何か言っちゃいけないこと言ったかと思ったけど、他《ほか》にはなにも言ってないみたいね。それとも聞かなかった振りしてくれてるのかな。だとしたら……とてもいい娘《こ》達。
「それじゃかえろう」
「かえろ〜」
「…………ん〜ごめん、お姉《ねえ》さまのところに行く」
今は無性《むしょう》にお姉さまに会いたいな。
「そっか〜」
「待っててもらったのにごめんね」
「ううん、い〜よ〜」
「また今度|一緒《いっしょ》に帰ろうね〜」
アタシは二人に手を振った。
「うん、ばいばい」
「ばいば〜い」
二人を見送ると、アタシは、お姉さまがいるはずの部室に向かった。アタシの決意を確かなものにするために。
ばれた秘密と私
「身体《からだ》のほうはどうだい?」
私はオーラ君に聞いた。今この部屋にいるのは私とオーラ君のみ。
「ハイ、アト三日ほドデ改修は終了する予定デス〜」
「そうかい、それは楽しみだ」
「人間ノ身体は不便デ面白《おもしろ》いデスねえ、アマリ聞こえナイしアマリ見えマセン。世界が、限定されたようです。見えナイ、聞こえナイ、分からナイ。ダカラ好奇心トカが発生するノデしょうカ?」
「そうかもしれないね。やはりその身体だと得るものがたくさんあるかい?」
「ハイ。無理ヲ言ってコノ身体の能力を、アなた達ト同じ程度にナルヨウに、制限を付けてモラッタかいがありマシタ。見えないことで、色々なコトが見えてキマス。勉強になりマシタ。ツバサの言う通りにシテ良かったデスよ」
「それは良かった」
彼女が色々感じて、一個の生命体としての感情に目覚《めざ》めてもらえるとありがたい。それはとても興味《きょうみ》が湧《わ》く事だからだ。あとは、川村《かわむら》君とどのようにからんでくれるかだ。裏方に回ってもらう事の多い二人なのだが、川村君の自我に目覚めさせるという計画は進んでいるのだろうか?
「アア、それで思い出しマシタ。マスターが今度、船に来てクダサイということデス」
「なぜだい?」
「身体《からだ》ガ完全に治っタカ調ベルそうデス〜」
「ほほう、アフターサービスも万全だ。至れり尽くせりだね」
「約束デスかラ〜、ソノ身体を治療《ちりょう》スルのと引き換えにマスターを楽シマセルとイウ」
「まあ、それはそうだ。喜劇《きげき》の役者に死なれてはオーラ君も面白《おもしろ》くないだろう」
「ハイ」
「了解したよ。契約|不履行《ふリこう》は私の主義にも反するし、健康にしてもらう事に何の異存もない。ああ、はじめ君はどうするのだい? 喜劇のヒロインであるはじめ君の体調も重要だ。脳を入れ替えた不具合は今のところ出てないようだが」
「技術には絶対の自信を持っていますが、一応調べてみます。とノことデス。それはまあ適当な理由をつけて誘うと思イマス〜。ホントのコトを知らせナイというツバサの意思ヲ尊重《そんちょう》するツモリでいマスし」
「ああ、それはありがたい。なぜなら、そのほうが絶対に」
「「おもしろい」」
私の言葉とオーラ君の言葉が重なった。
「はっはっはっ、君も分かってるじゃないか」
「ハイ、ツバサと会ってカラもう四ヶ月|経《た》ちマスしネ」
そうか、もうそんなに経つのか。この四ヶ月は愉快な出来事の連続だった。これからもそうありたいものだ。
「自然体のはじめ君が一番面白いからね、あまり気に病《や》んでほしくはないのだ。知らせればはじめ君は思いつめるだろうからね、一生をかけて恩返しするとか言い出しそうだ」
「まあ、ハジメの性格デ命を救わレタと知っタらソウなりそうデス〜」
「それがいいところでもあるのだが…………」
私の言葉をさえぎるように勢いよく扉が開いた。
「それはどういうことよ!」
その向こうにいたのは嵐《らん》君。その表情を見ると今の話を聞かれていたらしい。
「盗み聞きとは感心しないな」
…………はてさてどこまで聞かれたか。
「んなことどうでもいいわよ! さっきの話は何よ!」
「さっきのとは?」
「しらばっくれるんじゃないわよ! 治ったとか、治療《ちりょう》とか、約束とか、………………命を救ったとか!」
重要な事はすべて聞かれてしまってるな、どうするか…………
それにしても時期が悪かった。今はロボオーラ君の身体《からだ》の機能《きのう》が人類の標準並みに落とされているからな……そうでなければ盗み聞きに気づいただろう。今度から盗み聞き防止用の罠《わな》でも仕掛けるかな、今までは盗み聞きしようなんていう、無謀《むぼう》な人間がいなかったから必要なかったのだが。
「それにあんたっ! オーラとかいったわね。あんた人間じゃないのね? 宇宙人の仲間なの? 何でそんなやつがいるのよ! いるんならお姉《ねえ》さまの身体元に戻してよ! あんた達がやったんでしょう!?
「ン〜そうデス。デモ、ダメでス」
「何でよ……さっきの約束とか、治療とかの話と関係あるの?」
しょうがない、これは話すしかないか。
「アノ、どウしマス? 記憶《きおく》ヲ消シまスカ?」
オーラ君が耳元で囁《ささや》いた。
「……あまり、そういう事をしたくないな。それに、今後の事もある。真実を話しておいたほうがいいだろう。何より彼女は真実を知る権利のある人だ」
私の決断で、嵐《らん》君の人生は変わったはずだ。そういう人物にはできるだけ真実を知らせたい。
「こそこそ話してんじゃないわよ! どうなのよ!」
嵐君が叫ぶ。必死の形相《ぎょうそう》だ。……なぜだ? なぜここまで必死になっているのだ?
「嵐君、君の望みどおり真実を話そう。これははじめ君には知らせていない事だ。理由は聞けば分かる。この事は君の胸にしまっておいてくれるとありがたい。まあ、聞けば話す気にはならないと思うが」
「わかったわよ。さっさと話しなさいよっ!」
「分かった。四ヶ月程前のことだ……」
「と……いうわけなのだが、言えないだろう? 私はこれを、できるならば墓場まで持って行くつもりでいる。今入れ替わっているのはただの、私のわがままなのだよ。それ以外の何物でもない。というわけだから正々堂々はじめ君を取り合おうではないか」
そう言った私だが、嵐君の反応は私の予想に反したものだった。
「何で…………何であんたなのよ! アタシが……はじめにーちゃんは……お姉さまは私が助けないといけないのよ! アタシが幸せにしないと……そうしないといけないのよ! じゃないと……じゃないと」
何か思いつめたような嵐《らん》君。なにが嵐君をそうまでさせるのだろうか。
私は嵐君に聞く事にした。今まで私が感じていた違和感の答えを。これを聞くのは今以外にはないだろう。
「…………私も一つ聞いていいかね。「ずっと前から」……君が多用する言葉だ。ずっと前から好きだった。ずっと前から見てた。ずっと前から…………」
私は、嵐君の目をまっすぐに見る。その目には動揺《どうよう》がうかがえる。
「嵐君、私は常々疑問に思っていた事があるのだよ。…………そのずっと前からというのは、どのくらい前の事なのだい[#「どのくらい前の事なのだい」に傍点]?」
その言葉を聞いて、嵐君の身体《からだ》が強張《こわば》る。
やはり私の疑問は的外《まとはず》れではなかったか……
「今まで君の態度の中で、色々と気になる点があった。些細《ささい》だが、見逃《みのが》せない違和感だ。見ている場所が違うというべきか……立っている場所が違うというべきか。そう、違う時代の人間と話しているとこんな気分になるのではないだろうか」
私は言葉を続ける。
「嵐君。君が見ているのは今なのかい? それとも…………」
「うるさいうるさいうるさい! そうよ! アタシは過去を見てるわよ! でも……だってしょうがないじゃない! アタシのせいでお姉《ねえ》さまが死んじゃったんだから。それを思い出しちゃったんだから。どうやったら過去を見ないでいられると思うのよ。見ないでいられないわよおっ!」
嵐君はそう叫ぶと部屋を飛び出していった。目に光っていたのは涙か。
「ドウいうコとデスカ?」
オーラ君が聞いてきた。
「うむ、予想はついているが…………」
やはりはじめ君への執着《しゅうちゃく》はそういう事なのか。
「ずっと前から…………か、実に重い言葉だな」
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桜の苗木と昔の話
悲しそうな嵐ちゃんとぼく
「先輩! 今のなんですか。嵐《らん》ちゃん泣いてたじゃないですか!」
今、部室の前で嵐ちゃんと鉢合《はちあ》わせたんだけど、嵐ちゃんは泣いていた。追いかけようかとも思ったけど、何がなんだかわからないので慰《なぐさ》めようもない。だから先輩に聞いたんだけど。
「本気で怒ってるね。君にそれほどの怒りを向けられたのは初めてのような気がするな」
「怒ります! 嵐ちゃんに何したんですか! ……はっ、まさか、変なコスプレとか強要したんじゃないでしようねっ!」
「…………今、はじめ君が私の事をどう思っているかが見えた気がするが、それは置いておこう。
何があったのかだね。ただ、話しただけだよ。私達の身に起こった過去の出来事と、私の想《おも》いを」
「それで、ああなるんですか!?」
「そうだ」
先輩が真面目《まじめ》な顔で、ぼくを見て言う。こういう時の先輩は本気だ。ああ、もう〜。わけわかんない〜。でもこのままにもしておけない。
「何がなんだかわかりませんが、とりあえず嵐ちゃん捜しに行きます。抜けて行ったほうが早そうなんで抜けていきます。道本《みちもと》さん探してきて、紐《ひも》を伝ってぼくを追いかけてきてください。……くれぐれも身体《からだ》にいたずらしないでくださいよ!」
ぼくはお守りのロケットをはずすと、幽体離脱《ゆうたいりだつ》して教室から飛び出した。
「分かった」
ぼくの背中に投げかけられた先輩の短い返事、だけど先輩も心配しているのだということはわかった。
ぼくはしばらくその辺を飛び回ってたけど、嵐ちゃんは見つからない。闇雲《やみくも》に捜してもらちが明かないなあ。
脳みそ使おう。嵐ちゃんが行きそうなところはどこだろう。この街に来てからあまり日がたってないから、行くところは限られてるような気がするけど。
う〜ん、どこにいるんだろう。
ぼくはぷかぷかと浮かびながら頭を働かせる。先輩《せんぱい》に何か聞いてくれば良かったなあ、先輩なら予想とかできてるかもしれない。そんな他力本願《たりきほんがん》なことを考えてると、ふと頭をよぎるものがあった。
それは桜の木、小さな小さな桜の苗木《なえぎ》。
何でこんなのが思い浮かんだんだろう……何の関係もなさそうな感じだけど。でも……ぼくはだめもとで桜の木を目指すことにした。他《ほか》に当てもないし。この辺りで桜といえば、あそこしかない…………というよりあそこしか知らない。ぼくはやすらぎ公園に向かった。
いた!
やすらぎ公園に着くと、桜の木に背中を預けて座っている嵐《らん》ちゃんを見つけた。夕方だからか周りにあまり人はいない。でもほんとにいるとは……。さっき浮かんだ桜はなんだったのか……ってそんなこと考えてる場合じゃない。
ぼくはふよふよと嵐ちゃんに近づいていく。膝《ひざ》を抱えてじっと地面を見ている嵐ちゃん、遠めに見ても目がうつろなのがわかる。
それにしてもどうしたんだろう。何で嵐ちゃんがこんな風になってるんだろうか。嵐ちゃんのこんな姿を見たのは……ああ、ぼくが溺《おぼ》れて死にかけた時あんな感じだった。臨死体験《りんしたいけん》で身体《からだ》の外に出た時に見た時、あんな感じで病院の廊下に座ってた。
ぼくは近づき話を聞こうと思ったけど、身体から抜けていることを思い出した。うわっぼくってなんて馬鹿《ばか》なんだろう、嵐ちゃんぼくのこと見えないんだから抜けてきても意味ないよね。しょうがない、一回身体に戻ってくるしかないか。そう考えてぼくが学校に戻ろうとした時、嵐ちゃんがこっちを見た。目と目が合う。
……………………にっこり。なんとなく笑ってみた。
「おっ、お姉《ねえ》さま!」
うわっ見えてる。嵐ちゃん、霊《れい》とか見える人じゃなかったはずだけど。この一年で何かあったのかな。そういえば先輩が、相性がよかったり、知り合いだったら見えない人でも見えることがあるとか言ってた気がする。ぼくだから嵐ちゃんは見えたんだろう。
こっちをびっくりした顔で見てる嵐ちゃん。
まいった。えっと、どうしよう。……まずは説明しよう。
(あ〜〜〜ごほん、えとね、これはね……)
ぼくが嵐ちゃんに向けて話しかけると、嵐ちゃんがいきなり泣き始めた。
「ああ、お姉さま、ごめんなさい。アタシのせいで…………、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさ……」
(えっえっなに? どうしたの?)
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
ぼくがいくら聞いても、ひたすらごめんなさいを繰《く》り返す嵐《らん》ちゃん。
なぜこれほどまでに謝《あやま》られているのかわからない。
(嵐ちゃん! しっかりして! ぼくだよ、ぼく。山城《やましろ》一《はじめ》)
ぼくがそう言うと、ぼーっとした感じで言う嵐ちゃん。
「お姉《ねえ》さまじゃない?」
認めたくないけど、ぼくはお姉さまのはずだ。お姉さまじゃないとはどういうことだろう。
「そういえば、髪《かみ》が短い……」
今のぼくは、入れ替わる前の姿してる。これはぼくの心の形だ。だから、先輩《せんぱい》より髪短いけど。
「そっか、そうよね。前のお姉さまがいるはずないわ、ここにお姉さまがいるんだし」
噛合《かみあ》っているようで、まったく噛合っていない会話。
いったいどういうことだろう。
「やあ、嵐君」
ぼくが、混乱してどうにもならなくなっていると、先輩がやってきた。どうしてここがわかったんだろう。見たところ道本《みちもと》さんも連れてないし、ぼくの位置がわかるはずないんだけど。
先輩はぼくの身体《からだ》を背負ってここまで来たみたい。一緒《いっしょ》にいるのはオーラだけだ。先輩は、少し息を弾《はず》ませながら、嵐ちゃんに話しかけた。
「すまないが、会話は、聞かせてもらった。その辺りに、はじめ君が、浮かんでいるだろうが、今の状況を、理解しては、いないだろう。私も、全体像は、見えていない」
確かに、どうなっているかわからない。
「できれば、説明して、もらえないかい? それとはじめ君、身体に戻って、くれたまえ。人間を、一人担いで、ここまで来ると、流石《さすが》に、疲れる」
息が切れてる先輩。どれだけ疲れても口調《くちょう》が変わってないのが面白《おもしろ》い。それにしても何で先輩が背負ってきたんだろう。ロボオーラに頼めば……ああっそういえば、ロボオーラは今普通の人と同じなんだっけ。だから先輩がぼくを担いできたんだ。
ぼくはあわてて身体に戻った。
心配そうなお姉さまとアタシ
「嵐ちゃん、それでなにがどうなってるの? さっきからなにかおかしいし、いったいどうしたの?」
お姉《ねえ》さまがアタシに聞いてきた。
「……前のアタシも、川で溺《おぼ》れたの。それがここ。馬鹿《ばか》すぎよね、生まれ変わっても全然進歩してない。いやになる」
「えっそれはどういうこと?」
理解不能って感じのお姉さま。それはそうよね、いきなり生まれ変わってもとか言われてもわけわからないよね。
「アタシ、前世《ぜんせ》の記憶《きおく》残ってるの、少しだけど。思い出したのは一年半前。溺れてお姉さまに助けてもらった時。
同じ経験《けいけん》したから思い出したのかもしれない。でも原因なんてどうでもいい、思い出した内容が重要だったの」
そう、初めは川で溺れたことに関係したものだけだったけど、時間が経《た》つにつれて少しずつ思い出してきた。この前のお花見、あれでいくつかの記憶がよみがえった。そしてこの間お姉さまをつけて行った時、また色々思い出した。ここは、前のアタシが住んでた町だったから。
「注意されていたのに、雨で増水した川に近寄って溺れたアタシと、アタシを助けてくれたお姉さま。そこまでは同じだけど、前のお姉さま、アタシを助けてそのまま……」
そのまま………………帰ってこなかった。
思い出してから、あの光景を何度も夢で見る。お姉さまが沈んでいく光景。
「なるほど、だから君はその償《つぐな》いをしようとしてるんだね。にもかかわらず、はじめ君を幸せにするためのポジションとして考えていた恋人という位置に私がいたと」
あいつが冷静に言った。
「そうよ! 前と違って今度は血の繋《つな》がりもなかったし、男と女だった。神様が償うチャンスをくれたと思ったわよ! なのに、あんたが……あんたがお姉さまを幸せにしてた。お姉さまを救っていた。アタシがしないといけないのに。アタシがあんたと同じことできたとは思えないわよ。でも、それでもアタシがやらないといけなかったのよ……」
「なぜそこまで?」
なぜ? そんなの簡単《かんたん》よ。
「だって前のアタシは幸せな一生送ったのに、お姉さまは、身体《からだ》すら見つからなかったのよ! アタシが幸せに暮らしている時、家族に囲まれていた時、お姉さまは一人で水の中にいたのよ。アタシがお姉さまの人生めちゃくちゃにしたのよ。だから、お姉さまは幸せにならないといけないのよ! 今度こそ」
そう、お姉さまは幸せになる権利がある。
「この町にいると色々思い出すの、色んな記憶。そのだいたいが幸せな記憶で……幸せすぎる記憶で……。アタシは許せないのっ! お姉さまを殺しといて自分だけのうのうと幸せになってた前のアタシがっ!」
アタシは叫ぶ。
「なのにアタシのせいでお姉《ねえ》さまはまた死にかけて……。だから、アタシがお姉さまを幸せにするのよ、普通の人の何倍も、前の分も合わせたぐらい幸せに。そうでないと……そうでないと」
涙がこぼれてくる、自分の馬鹿《ばか》さがいやになる。いくら償《つぐな》っても償いきれるものじゃない。お姉さまが沈むあの姿、忘れられない。にもかかわらず、お姉さまが沈む時の顔を思い出せない。アタシが思い出したくないから思い出さないに決まってる。お姉さまの苦しそうな、つらそうな顔を見たくないから忘れているに違いない。最悪だ。
そんな大切なことを忘れて、のうのうと人生を送ってた自分がいやだ。自分が許せない。
「…………だから、嵐《らん》ちゃん、さっきぼくの幽体《ゆうたい》見て謝《あやま》ってたんだね。その……前世《ぜんせ》のぼくの幽霊《ゆうれい》だと思って」
お姉さまが、アタシをいたわるような優《やさ》しい声で聞いてくる。アタシなんかに優しくしないで良いのに。
「うん。でも、生まれ変わってるんだから、幽霊がいることなんてないよね。でもどうしてあんなことができるようになったの?」
お姉さまは少し渋るような感じで頭をかいた。
「えとね、……あまり気にしないで欲しいんだけどね。あの日|溺《おぼ》れてから、ぼくは幽体|離脱《りだつ》とかできるようになったんだ」
そんなことになってたんだ。なのにまたアタシは何も知らずに……。
「またアタシのせいでそんなことに……ごめんなさい、ごめんなさい」
「ああ、気にしないで、ホントに気にしないで。ぼくは気にしてないし、それどころか感謝《かんしゃ》してるし」
「……ごめんなさい」
やっぱりアタシには謝ることしかできない。そんなアタシにお姉さまは近づいてきて、顔を覗《のぞ》き込んだ。そしてアタシの涙をハンカチで拭《ふ》きながら優しい声で言った。
「……あのね、その人がぼくの前世なのかどうかはわからない。けどね、もしそうだとしたら一つはっきり言えることがあるよ」
なに?
「その前世のぼくは後悔なんてしてない。それどころか嵐ちゃんが助かって、幸せになって、とても喜んだと思う。これは絶対。
ぼくは嵐ちゃんを助けて死にかけたし、おまけに変な体質になっちゃったけどまったく後悔してないよ。なによりぼくが生まれかわってここにいるということは、ちゃんと成仏《じょうぶつ》したってことでしょ?」
そう言ってお姉さまがアタシに笑顔を向けた。そしてアタシを抱きしめた。今のお姉さまは背が高くて、アタシの頭が胸の位置にある。あの頃《ころ》と同じ身長差、あの頃と同じ暖かさ、あの頃と同じやわらかさ、そしてあの頃と同じ笑顔。
その笑顔を見てあたしは思い出した。
ああ、そうか。そうだったんだ。あの時、お姉《ねえ》さまが川に沈む時、お姉さまはアタシを見て笑ったんだ。……だから、だからアタシはがんばったんだ。だからアタシはがんばれたんだ。
あの笑顔があったから…………。アタシに向けて笑ってくれたから……。
頭の中にかかっていた霧《きり》が晴れた。
「だからそんなに思いつめなくていいんだよ。恩返しにぼくを幸せにしようなんてね。嵐《らん》ちゃんとまた会えた。それだけでぼくはとても幸せなんだから」
「……………………………………うん」
お姉さまは、アタシが泣き止《や》むまで頭を撫《な》でていてくれた。
ずっと前と同じように。
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アタシとぼくと先輩と
咲いた桜とアタシ
んーここは?
アタシが目を覚ますと上半身が何か柔らかいものの上に乗っている。誰《だれ》……ああ、お姉《ねえ》さまの膝《ひざ》の上に乗っているんだ、なつかしい……。でもなんで……ああ、さっき泣き疲れて寝ちゃったのか。お姉さまの膝の上はとても落ち着く。いつまでもこうしていたい。けどずっと乗ってたらお姉さまの足がしびれちゃうよね。そう考えてアタシがお姉さまの上から降りようと思った時、お姉さまがあいつに話しかけた。
「……先輩《せんぱい》はなんで、あそこにぼく達がいるってわかったんですか?」
……うう、起きるチャンスを逃《のが》してしまった。今さら二人の話の邪魔《じゃま》をしてまで起きるのもやな感じだから、アタシは二人の話を聞いていることにした。…………これは不可抗力《ふかこうりょく》で、盗み聞きじゃないわよ。
「ああ、それはだね。前の花見の時だ。嵐《らん》君の不自然な態度《たいど》が気になっていてね。他《ほか》にも思う事があったので、私なりに色々と手を打っていたのだよ。
この間、幽霊《ゆうれい》を成仏《じょうぶつ》させるために広川《ひろかわ》市を回っただろう? あれは成仏させるという理由もあったが、嵐君を広川市の色々なところに案内するという理由もあったのだ。花見で私の話を聞いた時も嵐君の様子《ようす》がおかしかった。だから広川市中を連れまわし、嵐君の反応を見ようと思ったのだ。そうすれば何か分かるかと思ったのでね」
「あれってそうだったんですか」
「ああ。美香《みか》に頼んで、あの双子《ふたご》にダークキャッスルに遊びに来るように言って貰《もら》い、嵐君と双子をダークキャッスルへ来るように仕向けた。それで、彼女達が来るのを見計らって部屋を出た。タイミングはオーラ君任せだ。とても耳が良いからね。ああ、その前にあの双子を通して探偵《たんてい》物の漫画とかも薦《すす》めてたな。
誘って連れ回しても良かったが、できれば自然な状態《じょうたい》での嵐君の反応を見たかったので、このような回りくどい方法をとった。あの双子の特技も知っていたしな。いや、面白《おもしろ》いぐらい思い通りに動いてくれた。あの服は流石《さすが》にやりすぎかとも思っていたが、嵐君がノリの良い人でよかった。あの服には盗聴器《とうちょうき》が仕掛けられていたのだよ」
……まったく気づかなかった。ここまで見事に踊らされてるともう何も言うことがないわね。
「嵐君の反応を見るのは、オーラ君にお願いした。実は私達をつけている嵐君達をオーラ君と川村《かわむら》君につけてもらっていたのだ。俗にいう二重尾行というやつだ。
色々手間もかけたが、そのかいもあって成果は上々だった。オーラ君によると、嵐君が大きく反応したのはやすらぎ公園と広川の河川敷《かせんしき》。そしてあの桜。私はこの三つにかかわりのあるものに一つ心当たりがあった」
「それはなんですか?」
「昔広川で行われた治水《ちすい》工事だ」
お姉《ねえ》さまの疑問につばさが答える。
「前に話した事があっただろう? 広川の治水工事に尽力した女性の事を。
その女性が嵐君の前世《ぜんせ》だとすればすべてがしっくりと収まる。桜に反応したのは嵐君が植えたものだからで、やすらぎ公園と広川の河川敷に反応したのは、嵐君がその工事にかかわっていたからだ。確信したのは幽霊の吉田《よしだ》さんが成仏した時、嵐君がありがとうと眩《つぶや》いていたとオーラ君に聞いた時だ。本当に微《かす》かな声だったらしく、オーラ君でなければ聞き取れなかっただろう」
聞かれてたのか……すぐそばの二人にも聞こえてなかったぐらいなのに。どーゆー耳してんのかな。
「まぁ、そういうわけだ。嵐君がその女性ならあの場所に行くだろうと思ったので、あそこに向かった。それで君はなぜ嵐《らん》君の居場所が分かったんだい?」
それはアタシも気になる。
「はあ、嵐ちゃんを捜してた時、なぜか小さな桜の苗木《なえぎ》が頭に浮かんだんです。それで桜ならあそこだなと」
「ほお」
「なんでそんなのが浮かんだんでしょう」
お姉《ねえ》さまが、首をかしげる。それを見たつばさは少し考えたあと、お姉さまに言った。
「ふむ……そうだね、仮定の話になるが……、君は前世《ぜんせ》の嵐君が桜の木を植える所を見ていたのではないだろうか」
どういうことだろう。そんな私の疑問を代弁するようにお姉さまがつばさに聞く。
「どういうことですか?」
「うむ、つまりだ。前の君が、嵐君の守護霊《しゅごれい》をやっていたということだ。それならば、嵐君と記憶《きおく》を共有していても不思議《ふしぎ》ではない。さらに、守護霊をやっていることで君は、嵐君が死ぬまで現世にとどまることになった。そのため成仏《じょうぶつ》する時期が同じになった。これで死の時期が数十年違うにもかかわらず、同じ時期に生まれ変わったという疑問も解消できる」
「そうなんでしょうか」
「ただの仮定だ。だが、嵐君を見守っていたというのは、とても君らしい」
うん、お姉さまらしいし……そうだったとしたらとてもうれしい。
「……こういうことはあまり口に出すものではないと思うが、はじめ君は知っておいたほうがいいだろう」
「はい、知って良かったです。……本当に」
お姉さまの視線がアタシに向いているのがなんとなくわかる。
うん、お姉さまになら知られてもかまわない、いや知っていて欲しい。前のアタシががんばったこと。あれは姉さまのためにがんばったんだから。こいつに知られてもいやな感じがしないのは自分でもびっくりだけど。
「まあ、これで嵐君が、過去に縛《しば》られる理由はなくなった。今後は自由に生きてもらいたいものだ。なあ、嵐君」
うわっ。
「……気づいてたんなら言いなさいよ。意地が悪いわね」
アタシは身体《からだ》を起こす。ああ、名残《なごリ》惜しいなぁ。
「まあ、そう言わないでくれ。君の代わりに伝えるべき事を伝えたと思うのだがね」
「ふんっ、それは感謝《かんしゃ》しておくわ」
自分じゃ言いづらいし。
「嵐ちゃん」
お姉《ねえ》さまがアタシを見て微笑《ほほえ》む。
「なっなに?」
「すごいね、嵐《らん》ちゃんは」
あらためて言われると、とても照れる。でも、アタシががんばれたのは、アタシだけの力じゃない。
「全部お姉さまのおかげよ。見守っててくれたんでしょ?」
「わかんない。でもそうだったらいいな」
「アタシもそうだったらいいな」
そう言って笑いあうお姉さまとアタシ。こんな風に笑いあうのは、川で溺《おぼ》れてから初めてな気がする。前のことを思い出して以来心から笑ったことがなかった。さっぱりすっきりしていい気分だ。
その時アタシはひらひらと舞《ま》うものに気がついた。ピンクでかわいい花びらだ。アタシは上を見上げる。そこには満開の桜があった。お姉さまが背を預けている桜の木、アタシが前に植えた桜の木。枯れていると思っていた桜の木が咲いていた。
「信じられない……」
「どうだい? この桜は君の未来を祝福しているようではないか」
呆然《ぼうぜん》と桜を見ていたアタシに向かってあいつが言った。
「でもどうして……」
「奇跡というものはあるのだね」
「そんな簡単《かんたん》な…………まあいいか」
アタシは桜を見上げてそう思った。
昔のアタシはよくこの桜を見に来てた。うれしい時、悲しい時、何かあるたび、ここに来てた。
今日もそう。気がつくとここにいた。ここに来ると元気になる、桜を見ると幸せな気分になる。だから、いきなり元気になって花をつけたこの桜の木、なにかひっかかるけど、気にしないことにしよう。あいつの言う通りアタシの未来を祝福していると思っておこう。そのほうが気分が良いから。
なにより、綺麗《きれい》だしね。
「そう、それで良い。という訳で、これだ」
あいつが缶ジュースを投げてきた。慌《あわ》ててそれをキャッチするアタシ。
「君の寝ている間に買って来た。季節が多少ずれているが、こんな時期の花見というのも乙《おつ》な物だろう。日が沈みかけているので時間はあまりないがな」
そういえばもう空が暗くなりかけてる。
「まぁ、夜桜というのもなかなかに風情《ふぜい》があって良いが」
それもそうか。アタシはお姉《ねえ》さまの隣《となり》に座る。アタシがお姉さまのほうを見ると、手渡された缶ジュースを調べていた。裏を覗《のぞ》き込んだりくるくる回して見たり。
「…………お姉さま何してるの?」
「えっ? その、あのねっ……」
挙動不審《きょどうふしん》なお姉さま。
「私がまた何か細工《さいく》しているとでも思ったのだろう? たとえばアルコールを入れているとかな」
「うっ…………だってしょうがないじゃないですか〜先輩《せんぱい》どうにかしてお酒飲ませようとするし」
あいつの指摘にばつが悪そうに言い返すお姉さま。
「まあ、間違っていないのだが。気づかれないようにその缶ジュースの中にアルコールを入れるのは難儀《なんぎ》したよ」
「え〜〜〜〜ホントですか!?」
「嘘《うそ》だ。流石《さすが》に制服ではな」
「先輩〜」
夕焼けの中三人だけのお花見が始まった。
「そうだ、一つ質問がある」
ジュースをちびちび飲みつつ、桜の木を背もたれにして桜を見上げていると、あいつがアタシに聞いてきた。
「なによ」
「君はなぜはじめ君が、お姉《ねえ》さまの生まれ変わりだと思ったのだい?」
「お姉さまは、前もお姉さまだったわ。優《やさ》しいし、強い、アタシの憧《あこが》れ。前と何も変わってない」
照れて頭かいてるお姉さま。照れたお姉さまも素敵《すてき》だわ〜。
「ほう、その中身ではじめ君が君のお姉さまだという事が分かったのかね?」
「それもある。たくさん。でもそれだけじゃない一番の決め手は……見た目がそっくりなの」
そうそっくり。瓜二《うりふた》つ。なっちゃんほーちゃん級の、そっくり双子《ふたご》に引けをとらないほどそっくり。ああ、お姉さま綺麗《きれい》だったわ〜。
「えっと……一ついいかな」
アタシが前のお姉さまのことを思い出していると、今のお姉さまがおずおずといった感じで聞いてきた。
「なあに、お姉さま」
「前のぼくって女だったんだよね……」
「うん、そうよ」
「…………そう、そうなんだ」
どこか傷ついた感じのお姉さま。
「はっはっは、女である前世《ぜんせ》のはじめ君と、男である現世のはじめ君がそっくりなのだな。なるほどなるほど、現世のはじめ君がかわいらしいわけだ」
「先輩《せんぱい》! せっかくぼくが口に出してなかったのに! ぼく男っぽくないこと気にしてたんですよ!?」
「まあ、良いではないか。今は私の身体《からだ》になっているのだし」
「むぐぅ…………ふう、わかりました。わかりましたよ。好きにしてください」
仲がいい二人。正直焼ける。お姉さまを譲《ゆず》りはしないけど、認めてやろうとは思うわ、こいつのこと。本当のこと隠して、変人を装ってるのは敵ながら天晴《あっぱ》れよ。
いいわ、今から私の正式なライバルとして認めてあげる!
なんか意気投合して完全に手に負えなくなった二人とぼく
「ふんっ、つばさ! あんた達の部に入部してやることにしたわ。今まで四人で部にすらなれなかったんでしょ? 感謝《かんしゃ》しなさいよ」
嵐《らん》ちゃんが先輩《せんぱい》に言った。えらそうだ。
「ほほう、それはそれは、心から歓迎するよ。それに………………ようやく名前を呼んでくれたか。なかなか感慨深《かんがいぶか》いものがあるね」
先輩がしみじみとつぶやく。
「馬の骨に、猫に、出歯亀《でばがめ》に……様々な名で呼ばれたからな」
「それ以外にも虫ってのがあったわ」
「虫かね」
「そう、虫よ虫。お邪魔虫《じゃまむし》、悪い虫」
「なるほど」
ようやく人間になれた先輩。よくもまあ、いろんな呼ばれ方してたもんだなあ。でも、これから楽しくなるかもね。嵐ちゃんの突飛《とっぴ》な行動も収まると思うし。
「それにしてもなぜいきなり入部を?」
「あんたにお姉《ねえ》さまを渡さないためよ!」
うあっ、突飛な行動がうんぬんと思った瞬間《しゅんかん》にこれ……狙《ねら》ってたんじゃないのかと本気で疑いたくなる。
「これで学校、家とアタシのほうがお姉さまと一緒《いっしょ》にいることになるわ! つばさ、あんたがアタシよりほんのちょっぴりリードしてるのは認めてやるわ。でもこれからは、今まで通りに行くとは思わないでよね」
「ふむ、心しておく事にしよう。だが、私は手ごわいぞ?」
「望むところよ」
いい感じのライバルトークをしてる二人。水を差すようで悪いけど、どうしても気になることがあるから、確認してみる。
「えっと、嵐ちゃん過去から開放されて、いい話〜って感じで終わったと思うんだけど」
うん、どう考えてもハッピーエンドぽかった。ぽかったよね? これ以上ないってほど未来への希望に満ち溢《あふ》れたハッピーエンドだったよね? これからは過去に縛《しば》られずに新しい恋を探そうとかそんな風になりそうだったよね? それが何でこんな……
「それに、もうそろそろお姉さまもやめてほしいなーなんて……」
ぼくは、嵐ちゃんを刺激《しげき》しないようにしつつも、心の底からの思いを伝える。
お姉さまはやめて欲しい。
「お姉さま! 前世《まえ》の話はもう終わったけどね、現世《いま》の話は終わってないわよ。アタシをなめないでほしいわ。アタシは前世の記憶《きおく》だけでお姉さまを好きになったんじゃないわ。アタシがアタシで、お姉さまがお姉さまだから好きになったのよ!」
「その意気や良し! それでこそ私の強敵《ライバル》としてふさわしい!」
「何でそーなるんですか、前と全然変わってないじゃないですか! あと嵐《らん》ちゃん、本気でお姉さまってのはやめて……」
「えーだって慣《な》れたし、なんかしっくり来るんだもん。前はそう呼んでたし。……そういえば、コーチが言ってたあるお方ってつばさなの?」
「ああ、私だ」
やっぱり先輩《せんぱい》が元凶《げんきょう》なのか。……でも……さすがにお姉さまと呼ばれ続けるのはいやだ。ぼくはお願いだからやめてと、もう一度頼もうとしたけど……
「そう落ち込まないでお姉さま」
「そうだよお姉さま」
先輩と嵐ちゃんが二人でたたみかけてくる。
「だーわかりましたよ! お姉さまでいいですよ! それはもういいです。ですから、みんな仲良くしましょう。先輩も嵐ちゃんもそう強敵をライバルって呼ぶのやめましょう! 呼ぶならせめてともにしましょうよ。みんな仲良く! 人類皆兄弟! ラブ&ピース!」
そう、本気で仲良くしてもらわないと、ぼくが板ばさみになってしまってすごいことになるはずだ。
「ふむ、それもいいかもしれないね。…………この世には一夫多妻《いっぷたさい》が認められている国もあることだし」
「そーゆー仲良くじゃなーい!!」
「おお、一夫多妻で一つ名案《めいあん》を思いついた。皆仲良くという方法だ」
「それ! それでいきましょう! もう何かわかりませんけど、皆仲良くできるならなんだっていいですよ!」
「ふむ、では嵐君、私に抱かれないかい?」
うがっ……なんてことを言いだすんだ。
「なんでよ」
「なぜならね、……私との間にできた子供ははじめ君の子供だよ。身体《からだ》ははじめ君の物なのだから」
嵐ちゃんはあごに手を当てて考えるポーズをしたあと呟《つぶや》いた。
「…………なるほど」
「そこー! 何言ってんの! 何が名案ですか! 先輩、もういい加減にしてくださいよ! ああもう、嵐ちゃんも納得しない!」
「え〜〜〜。だって名案じゃない。アタシとお姉《ねえ》さまの子供……かわいいのはもう確実だし」
「そうだろう、そうだろう。それにハーレムというのは男子の本懐《ほんかい》だ。美香《みか》も呼べば二つ返事で了承するだろうし…………。おお、なんて幸せな未来予想図なのだろうか」
中身女なのになに言ってんですか先輩は。いやそれ以前にどこをどうすれば、こんな妙な結論に達するんですか。
「おっおねがいだから、もうこれ以上人間関係ややこしくしないでよ〜〜〜〜〜〜〜〜」
ぼくの叫びが春の夕焼けに吸い込まれていった。
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秘密会談と私2
ここは私の城、嵐《らん》君の事が一段落《いちだんらく》したのでオーラ君と二人で話をしているところだ。
「いや、桜の事は感謝《かんしゃ》するよ。おかげでなかなかに感動的なシーンだった」
「いえいえ、この程度のことならいくらでもお申し付けください。私も楽しめましたし」
あの桜の狂い咲きは、オーラ君にお願いした。桜の木の悪いところを治してもらい、あの絶妙なタイミングで花を咲かせてもらったのだ。演出された奇跡でもこれが嵐君のあと押しとなっているのなら価値があるものだろう。
「それで嵐さんのことこれからどうするのですか?」
「そうだね……ああ言ってはいたが、彼女の感情の根底にはやはり姉妹の情、肉親の情というものがあると思うのだよ」
そう、若い時にかかるはしかのようなものかな。
「というわけで、今しばらくはこのぬるい三角関係を続けていこうと思う。彼女も心の整理が必要だろう。「奥様は女子高生」は惜しいがまだ時間はある。それにこういう三角関係もなかなかに良いものだ」
「そうですね、なかなかに古典的な関係で」
「そうだろう、そうだろう。嵐《らん》君の行動もだいたい予測がつくようになってきた事でもあるし、愉快な方向に導《みちび》いていけるはずだ。まあ、楽しみにしていてくれたまえ。素敵《すてき》な恋の鞘当《さやあて》を披露《ひろう》するよ」
「楽しみにしておきます。で、お次は何をして遊ぶのですか?」
「うむ、当初の予定通り魔法《まほう》少女でいこうと思う。美少女な戦士は、人が足りないな。一人目星をつけている人物がいるから、彼女を仲間に引き込んでからの話になるだろう。仮面のバイク乗りと、|すごい《ウルトラな》人もやっては見たいのだが……前者はどうにかなるかもしれないが、後者はさすがに無理だね」
「大きくするのはさすがに目立ちすぎですからね……戦う敵もいませんし」
「大きくする事について、技術的に不可能でなさそうなその物言いは流石《さすが》だね。では、魔法少女、設定はUFOにさらわれて善宇宙人から、地球に来た悪宇宙人を倒す力を与えられてという設定でいこうと思う。詳細は…………」
相変わらずはじめ君が知れば、目を潤《うる》ませて許してくださいと土下座してきそうな秘密|会談《かいだん》は、はじめ君がこの部屋に姿を現すまで続いた。いやいや、とても愉快《ゆかい》だね。
[#地付き]終わり
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あとがき
どうもすいません、正月に帰省したら家族どころか、一族郎党《いちぞくろうとう》、幼馴染《おさななじみ》にまで受賞《じゅしょう》したことが知れ渡っていた沖田《おきた》雅《まさし》です。お久しぶりです。1巻が発売された今、実家に帰りたくありません。いきなりすいませんから入るのもどうかと思いましたが、一番最初に浮かんだ言葉がすいませんだったもので……すいません。
そんな理由で今度は知り合いに見られても大丈夫なように、真面目《まじめ》で泣けて感動するやつを書いてやるぞとか思ったりもしたんですが、2巻もやっぱりこんな感じで落ち着きました。前と同じで馬鹿《ばか》ばっかりやってます。そして、やっぱり甘いです。相変わらず知り合いには見られたくありません。くう、次こそは。
それはそうとファンレターなるものをいただいたのです。とてもうれしかったです。書けない〜と、うなってる時に、こういうのが送られてくるとやる気が出てきます。
そんなファンレター達に添えられた一枚の紙に、「楽しみに待ってる方々がいらっしゃるのでがんばってください」とかそのようなことが書かれていたのを見て、おお、担当さんはこのような修羅場《しゅらば》をいくつも潜《くぐ》り抜けてきた歴戦の勇士なのだなぁとか思ったりもしました。……すいません、今度からはもっとがんばります。
それでは、少し2巻のネタバレ風味な事を書くので未読の方はこれ以上読まないでください。
で、未読にもかかわらずいまだに読んでいる方、あなたは私ですか? 私もいつかネタバレですと釘を刺されていたにもかかわらず、読み進めた記憶《きおく》があります。やっぱりだめですよ、そういうのは。…………説得力ないですね〜自分で言うのもなんですが。でも気になるのはわかるので伏字《ふせじ》で行きます。
1巻は入れ替わりの話だったのですが、2巻は○○○変わりの話です。入れ替わりだったから、今度は○○○変わりで……とかいう単純な理由で決めた記憶があります。他《ほか》には黄泉《よみ》がえりというのも考えてみたのですが……。
元墓地の上に築かれた凰林《おうりん》高校、ある夜その地下に眠る死者達が黄泉がえる。その時都合よく学校にいるOMRの面々、死者の襲撃《しゅうげき》に学校に立てこもることになる。机でバリケードを造り、学校にあるもので武器を作り応戦するが、多勢に無勢で追い詰《つ》められる。その絶体絶命の危機に先輩《せんぱい》が起死回生の策に出る! (ゾンビ相手に話し合いとか)そして明らかになる驚愕《きょうがく》の真実! (蘇った理由が、春の陽気に誘われて出てきたとかそんな感じ)死体が土に還《かえ》ってなかった理由は変な力が働いていたとかそんな理由で、地脈とか。火葬とか土葬とかは気にしない。
……こんなのしか思いつかなかったので没にしました。『先輩とぼく』はなんでもありの世界だといえ、流石《さすが》にこれは……。ちょっと書いてみたかったりもしますが。
それで2巻の内容的には三角関係です。ラブコメには三角関係が必要だという、私の中の奇妙な信念に従って書きました。ですが、書き上げてみると変な形の三角形になってしまった気がします。
三角関係ということで2巻は視点が三つに分かれているわけですが、先輩とはじめ君は男とか女とか気にしないで、こういう生き物なんだ……と思って書いています。ですが、嵐《らん》ちゃんはふつうの女の子な訳で、わかんねーまじわかんねーと、のたうってました。これも、嵐ちゃんは、こんな生き物なんだとか思って乗り越えました。
あと、タッキー、つばさ、嵐と、なんか某団体を彷狒《ほうふつ》とさせる名前がそろっちやってますが、ホント偶然だったり。最初は嵐ちゃん、理絵《りえ》とかいう名前で書いてたのですが、台風みたいな……と書いた瞬間《しゅんかん》にこいつは嵐だ、嵐なのだ。とか思ったのでこんな名前になりました。他意はありません。本気で。
それでは、お世話になった方々への感謝《かんしゃ》を。
担当の高林《たかばやし》さん、すいません、すいませんと言いながら、締《し》め切り延ばしまくってすいません。結果一ヶ月延びてたのには自分でひきました。すいません、扱いづらくてすいません。今度こそは、どうにかしたいです……と、1巻でも言ってた気がします。すいません。そして、ありがとうございます。
この本が出るにあたって御|尽力《じんりょく》を下さった皆様、ありがとうございます。いつも、誤字脱字にあふれていてすいません。
かわいらしいイラストを描《か》いてくださった日柳《くさなざ》こよりさん、ありがとうございます。
嵐《らん》ちゃんのラフがもうツボでツボで……おお嵐ちゃんだ、嵐ちゃんがいるよ〜とか本気で思いました。
そして最後に、この本を読んでくださった皆様、ありがとうございます。相変わらず、この本は重大な事件が起こるわけでもない。変なやつらが、おかしな世界で、愉快《ゆかい》に暮らしているだけの話です。
何かテーマがあるとすれば、「みんな幸せ」です。なので、これを読んでくださった皆様が、ほんのりとでも幸せな気分なら、これ以上の喜びはありません。
本当にありがとうございました。
[#地付き]沖田《おきた》 雅《まさし》
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先輩とぼく2
発 行  二00四年六月二十五日 初版発行
著 者  沖田 雅
発行者  佐藤辰男
発行所  株式会社メディアワークス