先輩とぼく
沖田雅
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)諦《あきら》めと、現実|逃避《とうひ》のおかげだ。
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)だけ[#「だけ」に傍点]だった。
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底本データ
一頁17行 一行42文字 段組1段
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先輩とぼく
12月24日、聖なる夜。にもかかわらず、先輩とぼくは寒空のもとUFOウォッチングに励んでいました。先輩は凰林高校一番の変人で、一番の美少女で、そして一番のぼくの好きな人なわけで。だから、ぼくはとっても幸せでした。そう、そのとき! いきなり宇宙人に誘拐されてしまったぼく達だったのです!
いい加減な宇宙人に解剖されたぼく達は脳みそが入れ替わってしまい、もう大変。かくして「先輩がぼくでぼくが先輩で」が成立してしまったのです……。
そんなこんなで始まった、シュールで何でもありのぼくの新しいスクールライフ。どうなっちゃうの!?
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沖田《おきた》 雅《まさし》
1980年ごろ広島で誕生。大阪在住。ちなみにこの文、新幹線の中で書いてるのですが、今日の朝思いきり寝過ごしました。いま乗っているのは、予定の何本か後の便だったりします。馬鹿です。原稿の締め切りは寝過ごさないように……できたらいいなあ。
【電撃文庫作品】
先輩とぼく
イラスト:日柳《くさなぎ》こより
1983年生まれ、鹿児島県出身。最近、新しいイスとベッドを購入して上機嫌らしい。お風呂上りの耳かきが日課である。
寒い日は毛布に埋もれて寝ている
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数時間前の駅前
「では行こうか………………UFOを探しに」
「はいっ!」
開口一番そう言ったつばさ先輩に、ぼくは元気に返事を返した。
「…………うむぅ、普通なリアクションだね」
先輩が微妙に残念そうな顔で言った。
「先輩がクリスマスを祝おうなんて思うわけないじゃないですか。先輩の考えぐらいお見通しです」
「むむ、これは由々しき事態だ。これからは今まで以上に、はじめ君の想像を超える行動をとらなくては」
「とらなくていいですっ!」
ほんとにもう……あっそうだ!
「先輩、先輩。これあげます。クリスマスプレゼントです」
ぼくは背負っていたリュックサックからマフラーを出して渡す。
「ほうマフラーかね、しかも手編みか、ありがたくいただいておくよ」
そう言って自分の首に巻く先輩。
「夢中になって編んでたら、そんなに長くなりました」
「君はこういう細かい作業得意そうだからね」
「はい。まあそれだけではないですが…………くしゅっ」
「……かぜかね」
「ええ、なんか熱っぽくて」
「そうか、では今日はやめたほうがいいかな」
「いきます! 厚着してきたし大丈夫です!」
せっかくのクリスマスイブ、一緒に過ごしたい。それがUFOウォッチングでもかまわない! …………でもちょっぴりかまうけど。
「ふむ……でははじめ君こっちに来なさい」
「なんですか?」
ぼくが近づくと、先輩はぼくの首に余ってたマフラーを巻いた。
「今まであまり意味がないと思っていた長いマフラーにも利点はあるものだね、では行こうか」
「はい!」
……ここまではいい感じだったんだけど。
ああっここでおとなしく帰っていれば、あんなことにはならなかったのに。
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数ヶ月前の放課後
「美しい……」
(美しいじゃないですよ! 道本さん。なんで、身体に戻るの邪魔するんですか!)
先輩に頼まれて幽体離脱したぼく、そのぼくが身体に戻るのを変な力で邪魔する道本さん。
「美しいものを愛でるのに理由は要らないだろう? ハニー。君の幽体はとても美しい……」
(そんな馬鹿な話がありますかっ! …………って美香さん! なにしてるんですかー)
清楚な微笑でぼくの身体ににじり寄ってる美香さん。手には半ズボン。
「さあ、着替えましょう。うふふふ」
聞こえてないー! そうか、今ぼく幽体だから話しても聞こえないんだ!
そうなると、ぼくの言葉が聞こえるのは、霊能力を持った道本さんしかいない。
道本さん! やめるように言ってください、おねがいですから〜。
「美しい……」
うわー! 自分の世界に入ってるー! 唯一ぼくの言葉を聞ける道本さんがこれじゃ話にならない。
(どうしてこんな馬鹿なことに!? なんで〜〜〜?)
うろたえまくるぼく。
「これはだね、はじめ君の幽体が見たい道本君と、はじめ君の半ズボン姿が見たい美香と、幽体が入り込むことを阻止することができるという、道本君の霊能力を見たい私。その三者の目的が合致した結果なのだよ」
先輩が説明してくれた。ぼくがなにを言っているのかを予想して、説明してくれたんだろう。
けど、そこまでわかってくれてるんなら美香さんを止めてください。
そうこうしてる間に美香さんの手がズボンにかかる。
(うわー誰でもいいから止めてー!!)
「すごいな、本当にはじめ君が戻れなくなるとは。魔よけとか、御祓いなどと同じ原理かな」
「美しい……」
「さあ、かわいくなりましょう。うふふふふふ」
(うわああああ、やーめーて―――)
……ここから先は思い出したくない。うっこの頬を伝う熱いものはなんだろう。
先輩には変な人ばかり寄ってくる。この二人も変な趣味さえなければいい人なんだけど。
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入学して初めてのホームルーム
馬鹿がいる。
ぼくはそう思った。
あまりにもあまりにもな感想だけどぼくは、
「政治家になって将来、幼類哀れみの令を発布する!」
とか言う物体を表す言葉を、それ以外に知らない。
「幼い存在は社会から守られてしかるべきだ!」
幼い存在という言葉が脳内で、幼女とか少女とかに変換されたのはぼくだけではないはずだ。
「日本を将来支えていくべき子供たち、それらが健やかに育っていく環境を整える。それは少子化を叫ばれる今日、一番大切なことだろう!」
言っていることはとても正しい。だけど、言葉の隅々にそこはかとなく漂うダメ臭はなんだろう。
いや、それ以前に、こんなことは自己紹介のときに言うことじゃない。
あと、自己紹介のときに、
「おれのことはタッキーと呼んでくれ、あだ名の由来はオタクだからだ! あのジャニーのなよなよした男とは一緒にするな!」
こんなこと言うのもどうだろう。いや、どんな人物か表すには的確すぎるけど。
しかも最初から、女子の何割かを敵に回したんじゃないだろうか。
割り当てられた時間をオーバーしてまでダメトークを繰り広げる、川村秀則ことタッキー。
教室の空気が、入学直後の初々しさからかけ離れたなにかになりかけたとき、救世主が現れた。無言で前に行き、タッキーを黙らせ、壇上から引きずりおろした勇者の名は山田真太郎。
真太郎とタッキーは昔から知り合いだったらしい。中学校が一緒だったとか。
真太郎の席はぼくの後ろだったので、仲良くなった
凰林高校に入学して初めてできた友達、真太郎はいいやつなんで友達になれてよかったと思ってる。
もれなくタッキーがついてきたのは、かなりの誤算だったけど……。
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目次
第三種接近遭遇とぼく……11
つばさ先輩とぼく……21
家族とぼく……36
クラスメイトとぼく……54
金髪美人とぼく……67
ナルシストとぼく……84
ライバル(自称)とぼく……96
超戦隊シリーズとぼく……123
怪人とぼく……137
不良軍団とぼく……169
バレンタインとぼく……189
日記帳と私……225
宇宙人とぼく……236
グレイタイプの宇宙人と私……257
先輩とぼく……272
日記帳と私2……281
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第三種接近遭遇とぼく
今日は12月24日。ある聖者の誕生日の前日で、恋人達が愛を語らい、家族がご馳走を囲み、子供がプレゼントに胸躍らせる日(ぼく)。
今日は12月24日。にわかキリスト教信者が激増《げきぞう》し、人々が性欲物欲食欲を大義名分《たいぎめいぶん》の下に満たす日(先輩談)。
そんな幸せで愛と打算と欲に満ち満ちたすばらしい日。
ぼくにとってもそうなるはずだった。そう……そうなるはずだったんだ……………………。
唐突《とうとつ》だけどぼくにはある特異体質がある。幽体離脱《ゆうたいりだつ》しやすいのだ。先輩が言うには一度|臨死体験《りんしたいけん》をしたせいで、霊体《れいたい》が抜けやすくなっているのだそうだ。今も幽体離脱して自分の身体《からだ》を見下ろしている。まあそんなことはどうでもいい。
いや、どうでもいいわけではないけど、今ぼくの置かれている状況からすればそんなこと、本気でどうでもよくなってくる。
今ぼくの身体は、用途《ようと》不明の機械に埋め尽くされた銀色の部屋に寝かされている。そこまではいい。
ぼくの身体《からだ》を調《しら》べている、わけのわからない機械から伸びた金属の腕。まあそれもいい。
ぼくの身体にたくさんつけられているわけのわからない管《くだ》。よくはないけどこれもいい事にする。
ぼくの隣《となり》の台に寝かされた裸の女性……先輩《せんぱい》だ。大好きな先輩の裸がぼくのすぐ側《そば》にある。個人的には大問題だが、ぼくの脳にその艶姿《あですがた》を焼き付けつつも問題ないことにする。
もんだいなのは―――――ぼくと先輩の頭が輪切りにされて脳が取り出され、それを薄《うす》い緑色の液体の満たされた、二つの筒型《つつがた》をした半透明の入れ物に、別々に漬《つ》けられていること。そしてその入れ物を、異常に大きい頭と目、低い鼻、とがったあごと小さなロを持ち、灰色の肌を銀色のボディスーツに包んだ、人間の子供くらいしかない小柄な宇宙人二人が運んでいることだ。
ぼくの目の前で、B級SF映画のワンシーンのような光景が繰《く》り広げられている。ぼくの記憶《きおく》と気がたしかならこの宇宙人、確か先輩がグレイ型とか言っていた。そして今のぼく達の状況、先輩が前に言っていた、アブダクションとかいうやつだと思う。
今日……12月24日、世界がクリスマスイヴの空気に包まれている中、ぼくと先輩は空飛ぶ円盤《えんばん》にさらわれたのだ。
今ぼくは、天井《てんじょう》付近にぷかぷかと浮いて宇宙人の行動を見ている。というより、それしかすることがない。この状態《じょうたい》になって初めて気づいたことだけど、ぼくの人型をした幽体《ゆうたい》の後頭部から伸びた白く細い紐《ひも》はぼくの脳みそに繋《つな》がっている。だから考えることができるのか……なんて考える場合ではないけど、こんなことを考えることができるようになったのは、すこしは冷静になってきたからだと思う。
さっきぼくと先輩の頭が赤いレーザーで切られ、脳みそが取り出されたときには半狂乱になっていた。今冷静になっているのは、足掻《あが》いてもしょうがないという諦《あきら》めと、現実|逃避《とうひ》のおかげだ。というか現実から逃避でもしなければ、こんな非常識《ひじょうしき》な状況を受け止められない。ぼくの精神は自慢《じまん》じゃないけど脆弱《ぜいじゃく》だ。……先輩ならこんな状況に陥《おちい》っても楽しみそうだけど。
「おい、何でそんなにフラフラなんだ?」
ぼく達の脳を運ぶ宇宙人の一人が、もう一人に話し掛けた。さっきからなぜかぼくには宇宙人の会話を理解することができた。ぼくは今脳みそだけの状態でもちろん目も耳もない。そんな状況で会話が聞こえて周囲を見ることができる理由はテレパシーみたいなものかもしれない。これも先輩に話したら大喜びしそうだ。幽体|離脱《りだつ》しているからこんな人間|離《ばな》れしたことができるようになったのだろうか……まあ、実際に人間の身体から離れているわけだけど。
はっはっはっ
………思ったより精神が参っているのかもしれない。
それはともかく、ふらふら歩く宇宙人に、体格のいい宇宙人が話し掛けた。めんどくさいのでフラフラしてる方をフラフラ、比較的がっしりした方をマッチョと呼ぶことにする。たずねるマッチョに、フラフラが笑いながら答えた。グレイの表情なんて見たこともないからたぶんだけど。
「へっへっへっこれだよ」
フラフラは銀色のボディスーツのポケットから、小さな容器をとりだした。特徴のあるプラスチック製の小さな円筒《えんとう》形の容器、それに満たされた乳白色のとろみのある液体。あれは…………ヤク○トだ。
「おいおい、監視惑星《かんしわくせい》の物を無断で持ち込むのは違反だぞ」
「まあまあいいから飲んでみろよ……すごいぞ」
そう言いフラフラはヤ○ルトをマッチョに渡す。はじめは渋っていたが好奇心に負けたマッチョはそれを一気にあおった。その効果は劇的《げきてき》だった。マッチョは目を細めフルフルと身を震《ふる》わせた後、大きく息を吐いた。
「………すごいな」
「だろ〜」
フラフラは再び笑うと、マッチョといっしょにふらふらしながら、ぼく達の体がある部屋を出た。そして隣《となり》の部屋に入っていくと、部屋の中央にある円柱状の大きな機械のくぼみに、ぼく達の脳みその入った筒《つつ》をはめこんだ。危害を加える様子《ようす》はない。様子からしてどうやらぼく達の脳みそを調《しら》べているようだ。
少し安心した。検査だけなら返してくれるかもしれない。少し希望が出てきた。
その検査が行われている機械の横で宇宙人達による酒宴《しゅえん》――――じゃないヤ○ルト宴が行われていた。グレイ型の宇宙人はヤク○トで酔うのか……新発見だ。これも先輩《せんぱい》の喜ぶ新情報だ。無事帰れればの話だけど。
時間の感覚ははっきりしないけど宇宙人たちの空《あ》きヤク○トの入れ物が8個ほど増えたころ機械がピカピカ点滅した。機械についたモニターを見ながらフラフラが言う。
「よ〜しデータは取ったし〜さっさとこの脳〜みそ元に戻して〜あの二体を惑星《わくせい》に戻そうぜ〜」
「ああ、早く〜寝たいしな〜」
宇宙人達は、機械からぼく達の脳みその入ったケースを取り外《はず》す。
やった! 最初はどうなるかと思ったけど、どうにか帰れそう。ぼくがそう思った瞬間《しゅんかん》、さっきよりもふらついていた宇宙人達がぶつかってころんだ。はずみで床を転がるぼくと先輩の脳みそ。
あ〜〜〜〜〜〜〜
なんか頭が揺《ゆ》さぶられた気がする。
「お〜い〜しっかり〜しろよ〜」
「おまえ〜もな〜」
ろれつの回っていない宇宙人たちはふらふらしながらぼく達の脳みそを拾う。ケースに入ってなかったらどうなっていた事か、それ以前に手で持って運ばないで欲しい。
……お願いだから丁寧《ていねい》に扱って。
そんなぼくの必死の願いが通じたのか、宇宙人たちはふらつきながらもぼく達の身体のある部屋までどうにかこうにかたどり着く。そして二人はぼくと先輩《せんぱい》の体の前に立つと天井《てんじょう》から伸びる機械にぼくと先輩の脳みそを渡す。すると何本かの銀色のアームが天井から伸びてきて脳を身体《からだ》に繋《つな》いでいく。
…………………………………………………ちょっとまて〜〜〜〜!!
聞こえないと知りながらもぼくは思いっきり叫んだ。
まちがえてる! まちがえてる!
ぼくの体から伸びる白い紐《ひも》、それは先輩の体に戻されている脳みそに繋がっている。
つまり、ぼくと先輩の脳みそが入れ替わっているということだ。
なんでこんなことになってるの〜〜〜〜〜〜〜。
考えるぼくの脳裏《のうり》に、ついさっきの光景が浮かんだ。
ふらついた宇宙人たちが転んだ拍子《ひょうし》に転がる脳みそ。
あの時かっ!
ぼくは『飲んだら乗るな、飲むなら乗るな』という地球人類に伝わるすばらしい標語を、常に視界に表示されるように、宇宙人の大きな目に彫刻刀《ちょうこくとう》で彫《ほ》りこみたいという欲求に駆《か》られた。
そんなこと考えている間にも脳みそが身体に繋がれていく。宇宙人達は機械に任せて早々にこの部屋から退散していた。間違いに気づく者はだれもいない。途中《とちゅう》でフラフラがオッケーオッケーとか言ってたのは、本当にこのまま進めていいのかと、機械が聞いてたんじゃないか? と、いまさらながらに思ったけど、もうどうしようもない。無意味に慌《あわ》てふためくぼくの目の前で、機械は与えられた命令を黙々《もくもく》とこなしていく。
脳と体が繋がっていくたびにぼくの幽体《ゆうたい》は先輩の体に向かって引っ張られていく。そしてぼくの幽体が身体に重《かさ》なったと同時にぼくの意識《いしき》は途切れた。
「はじめ君、はじめ君」
かすかにぼくを呼ぶ声が聞こえた。今までに聴《き》いたことのない声だ。ぼくは目を開《あ》けると声のほうを見た。
……あれ? ぼやけて見えない。なにか世界に霧がかかっているようなそんな感じで全《すべ》てがぼやけている。
「だれ? ……って何? この声」
ぼくの声がいつもと違う。いつもより高い感じで……
そのとき再び声が聞こえた。
「ああ、まだ焦点《しょうてん》が合っていないのだね、入れ替わった影響《えいきょう》かな。はじめ君もう一度目を閉じたあとゆっくりと目を開くといい」
ぼくはわけのわからない事を言うその声の主に素直に従う。不思議《ふしぎ》と警戒感《けいかいかん》がわかない。そしてゆっくりと目を開き鮮明《せんめい》になった視界が映し出したのはぼくの顔だった。
「えっなんで……ぼくまた幽体離脱《ゆうたいりだつ》したの? でも動いてる、あれ? あれ?」
ぼくが抜けたら身体《からだ》は動かなくなるはず。そう思いつつぼくは自分の身体《からだ》を調べる。
そこにあったのは…………胸についた二つの盛り上がった脂肪の塊《かたまり》。柔らかで細い腕にすらりと伸びた足。そして身に着けているのは女性用の服、この服は見たことがある。これは先輩《せんぱい》の着ていた…………そこでぼくの脳に、某《ぼう》女優じゃないがビビビッと電気が走ったように感じた。あの空飛ぶ円盤《えんばん》での出来事が次々と思い出されていく。
「おっ思い出したー」
ぼくは思わず叫んだ。
「なにを思い出したんだい?」
目の前のぼくがしゃべった。今まで聞いたことのないと思っていた声は、なんてことはない、ぼくの声だったのだ。テープレコーダーに自分の声を録音《ろくおん》して聞くと自分の声に聞こえないのと同じ理由で、ぼくは自分の声だと気づかなかった。
それにぼくとは違う言葉の抑揚《よくよう》にこの口調《くちょう》、気づかなくても仕方がない。そして、ぼくはこの口調に聞き覚えがある。この口調は…………
ぼくは自分の身に起こっていることを理解しながらも、それを認めたくなくて目の前のぼくにたずねた。
「…………つっつばさ先輩《せんぱい》ですか?」
おねがいだから否定して……そんなぼくの願いも虚《むな》しく。
「ああそうだよ、私は平賀《ひらが》つばさだ。やっぱりきみは山城《やましろ》一《はじめ》君なのかい?」
………現実だ。
その信じたくない現実から逃避《とうひ》しようと、ぼくの意識《いしき》は再び闇《やみ》に潜《もぐ》っていった。
今年のクリスマスイブ。円盤《えんばん》型をしたソリに乗った、グレイ型のサンタクロースに貰《もら》ったプレゼントは、ぼくが一番欲しかった物、
先輩…………の身体《からだ》だけ[#「だけ」に傍点]だった。
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つばさ先輩とぼく
ぼくがつばさ先輩と初めて会ったのは、高校に入学して少し経《た》ったころだった。ぼくが入学したのは凰林《おうりん》高校。創立してから20年という新しくも古くもない中途半端な学校だ。偏差値的にも中途半端。それに自由な校風というのも合わさって、いろんな人間が集まってくる。場所的には高台にあって眺めはいいけど、そこまでの長い坂は登校時に地獄《じごく》に変わる。
ここに学校が建ったのは、高台で元墓地なので土地が安かったから。……という生臭《なまぐさ》い話を、先輩が前にしてた。
入学式の数日後、ぼくら新入生は体育館に集められた。何が行われたのかというとクラブ紹介、各クラブの代表者がステージ上で自分達のクラブの紹介を行うんだ。
運動系は実技を見せたり、文科系は作った作品を見せたりと、それぞれ与えられた時間の中で自分達のクラブを紹介していく。
みんな自分達の部に入部してもらおうと趣向《しゅこう》を凝らしていて面白《おもしろ》かった。後で知ったことだけどこの熱心な勧誘《かんゆう》の理由は、部員数によって部費が決まるというシステムが理由だった。
クラブ紹介は順調《じゅんちょう》に進み何人目かのアピールが終わったとき、体育館の中が静まりかえった。先輩《せんぱい》が出てきたのだ。下手な女優やアイドル達がスクラムを組んでかかっていっても太刀打《たちう》ちできないだろうその美貌《びぼう》に、見栄《みば》えのする長身、絶妙なバランスで整ったスタイル。短く切りそろえてある、天使の輪《わ》ができるほど艶《つや》のある美しい黒髪。体育館にいた新入生達|全《すべ》てがその先輩の姿に見惚《みと》れていた。男も女も……もちろんぼくも。
このときぼくは神様がこの美貌を創《つく》り出すために熱中していたせいで、この世界が不完全な物になってしまったのではないか……と深そうでまったく深くない、脳みその足《た》りない馬鹿《ばか》なことを考えていた。そんな恥《は》ずかしいことを考えてしまうほど、この出会いは衝撃《しょうげき》だったんだ。
先輩はその真っ白く、余分な物のまったくついていない完成された形の脚で、スカートをひらめかせながらステージ上を歩いていく。そしてステージの中心に備え付けられたマイクの前に立った。
静まり返った体育館の中で全ての人間が、その口から紡《つむ》ぎ出されるであろう美声を想像してそのときを待った。先輩がゆっくりと、やわらかそうな唇《くちびる》を開く。
「君達は地球外生命体を信じるかい? UFOは?」
空気がとまった。
「UMA……未確認生物は? 心霊現象は? 超能力は?」
先輩のきれいな、澄《す》んだ空気のような声が体育館に反響《はんきょう》した。心に染《し》み込んでくるような凜《りん》とした声。想像したとおりの美しい声だった。
でも発せられた言葉の意味を理解した人が、何人いただろうか。なんというか……大部分の人が理解したくなくて、脳が受け付けるのを拒否していた。体育館の中は完全に思考停止の状況に陥《おちい》っていた。
そんな状況を気にもせず先輩はしゃべり続ける。実際宇宙人はすでに地球に来ていてうーだらこーだら、人体には解明されてない部分がありオーラや超能力はうんにゃらほんにゃら。
ほかにも世界中の未確認生物について熱く語ったり、オーパーツと呼ばれる場違いな遺物《いぶつ》について暑く語ったり、臨死体験《りんしたいけん》や霊《れい》について厚く語ったり、失われた大陸や古代文明について篤《あつ》く語ったりした。
先輩はしばらくの間、気持ちよく語っていたが時間がきたらしく名残惜しそうにこう締《し》めくくった。
「知的好奇心を満たしたいなら我《わ》が凰林《おうりん》ミステリー研究会へ来るといい。呼びにくい場合はOMRと呼んでくれたまえ」
そう言いながら極上《ごくじょう》の笑顔《えがお》を見せると、先輩は舞台袖《ぶたいそで》へと消えていった。みんな固まったままで、拍手すら起こらなかった。後で聞いたことだがOMRとはある漫画《まんが》のもじりで、口さがない人間が馬鹿《ばか》にして言っていたのを、先輩が気に入ってしまったらしい。どのくらい気に入ったのかというと、わざわざ部の名称を変えたぐらい。昔は超常現象研究部だったらしい。それもベタな名前だけど。
これがぼくと先輩《せんぱい》の出会い。
次の日から様々《さまざま》な先輩についての情報が流れてくるようになった。上級生の知り合いや兄弟などから情報を仕入れてきた人たちがいたんだ。まあ、あれだけ派手《はで》な人だから気になるのも無理もない。その情報はデマとしか思えない話ばかりだったけど、おかげで先輩がどんな人物なのか大体わかった。いや、わかったつもりになってた。
その時は、そんなデマが立つほどとんでもない人だと思ってたわけなんだけど…………ほとんどが事実かそれ以上だったのはどうしたものか。
そんな流言蜚語《りゅうげんひご》の類《たぐい》すら軽く超えてしまう先輩の名前は、平賀《ひらが》つばさという。家はぼく達の住む広川《ひろかわ》市内で一番大きな総合病院。二年、学年一位の成績《せいせき》を誇り、全国模試でも一桁《ひとけた》台の常連。全国一位にもなったことがあるらしい。運動神経はそれなり。美人だけど彼氏なし。……それ以前に学校内に先輩に声をかける男なんていない。
ふつう『完全殺害マニュアル』とか『ナチスがUFOを製作していた』とかの怪《あや》しげな本を、カバーもかけずに堂々と読んで、男前な口調《くちょう》で話すような女の人を、彼女にしようというような奇持な人間はいない。先輩のことを話すとき大体の人が口をそろえて、
「中身があれじゃなければ」
と言う。
他《ほか》にも先輩は学校の屋上で宇宙人と交信していたとか、妙な機械を背負《せお》って墓場に立ってたとか様々《さまざま》な逸話《いつわ》を残している。もう一度言うけどこんな人を彼女にしようなんて変わった趣味《しゅみ》の人間はいない…………一部の例外を除いて。
例外はぼくだ。もう一目ぼれだった。その奇妙な内面を知ってもその気持ちは変わらなかった。クラブ紹介から数日後、ぼくは行動を起こした。OMRに入部したのだ。
幸いと言っては何だけどぼくは中三の三学期に川で溺《おぼ》れて死にかけてから、ふとした拍子に幽体離脱《ゆうたいりだつ》をしてしまうという特異体質になっていた。実際に困っていたし、何より先輩の興味《きょうみ》を引けると思ったので先輩に相談《そうだん》しに行った。
ぼくは案《あん》の定《じょう》気に入られ、すんなりと入部が決まった。実験台《じっけんだい》にされていろいろされたけど、ちゃんと特訓もしてくれた。おかげでぽんぽん幽体が抜けることもなくなった。
そしてぼくは先輩の後ろを付いてまわるようになった。いつも先輩の側《そば》にいることで、ぼくはどんどん先輩の魅力《みりょく》に参っていった。
そのころのぼくは、自分で言うのもなんだけどチビだった。入学当時ぼくの身長は150センチ、先輩は170センチ。その差約20センチ。程《ほど》なくぼく達は凰林《おうりん》高校の凸凹カップルとして有名になった。先輩に悪い虫をつけさせないためにもそれは都合《つごう》よかった。悪い虫なんかいなかったけど。
ぼくはなるべく先輩にまとわりつき、先輩《せんぱい》のお弁当なんかも作っていった。先輩も別に嫌《いや》がっていなかった。それどころか先輩はその状況を楽しんでいたと思う。それはぼくの贔屓目《ひいきめ》だけではないはずだ。
そうして時間が流れ12月になった。ぼくの身長は155センチになっていた。ようやく成長期に入ったのだ。ぼくは喜んだ。このままでいけば先輩が卒業する前に先輩の身長を追い越せそうだった。ぼくは追い越したそのとき先輩に告白しようと思っていた。
そうしてこうして訪れた12月24日、先輩からぼくに電話がかかってきた。ぼくは先輩が、クリスマスを祝うという精神構造をもっていないことは理解していたけど、クリスマスイブを二人で過ごせることがうれしかったので、先輩の誘《さそ》いにほいほいと乗った。
案の定クリスマスとはまったく関係ないUFOウォッチングだったけど、ぼくはかまわなかった。手編《てあ》みのマフラーなんかを先輩にプレゼントして、ぼくは幸せだった。ぼく達はぼく達の住む広川《ひろかわ》市の端にある武野山《たけのさん》に向かい、そして……そうして…………………………………
「………………こうなっていると」
ぼくは目の前のテーブルに置かれたカレーライスを見ながらつぶやいた。
「やっと戻ってきたようだね」
ぼくの姿をした先輩がカレーライスを食べながら言った。
「はい。なんでこんなことになったのかと、先輩との出会いにまでさかのぼってました」
「それで、原因は?」
「………先輩と出会ったせいですね」
「はっはっはっ違いない」
先輩は笑った。そして幸せそうにカレーライスを頬張《ほおば》る。
高級フランス料理なんかをドレスを着てお上品に食べるのが似合いそうな先輩だけど、先輩の実際の好物は小学生の好きな食べ物ランキングで上位を占めてそうな物ばかりだ。「味覚が幼いのだよ」と先輩は言っていた。カレーライスもそのひとつ。でもその似合わないと思っていたその好みが、今の先輩には似合いすぎるほどに似合っている。つまりぼくの身体《からだ》は小さくて童顔で子供みたいだということだ。そう思って……ちょっと………というか、かなりグサっときた。
「それでどうするんです? これから」
ぼくは窓の外を見ながら言った。ここは有名チェーン店のファミレス、ぼく達がUFOにさらわれた武野山のそばにある。現実|逃避《とうひ》で意識《いしき》を手放したぼくを先輩が背負《せお》ってここまできたらしい。先輩は、「小さくても高性能、ハイパワー。まるで日本製品の鑑《かがみ》のような身体だね」と言っていた。ぼくの身体は家庭の事情でそれなりに鍛《きた》えてあるから、先輩がそう思うのもわかる。
ぼくはついさっき目を覚まして夢じゃないと理解し、先輩《せんぱい》に何が起こったかを話した。そして話すことで頭の中が整理され現実を再認識《さいにんしき》し、現実逃避して今度は過去にトリップしていた。とはいえ逃げてばっかりではなんにも変わらないと、アニメの主人公みたいな考えで先輩にたずねたわけだけど……。
「ははっどうにもならないよ」
いきなり止《とど》めを刺された。
「……せんぱい〜」
思わず泣きそうになるぼく。
「ほう、他人《ひと》に助けを求めて目を潤《うる》ませているという状態《じょうたい》のその身体をはじめて見たが……なかなか庇護《ひご》欲をそそるものだね。これも君の才能かな」
「先輩ぃ〜そんな悠長《ゆうちょう》なこと言ってる場合じゃないですよ〜」
「うんそうだね……グレイ型の宇宙人がヤク○トで酔うとは、これは重大な発見だ。やっぱり乳酸菌《にゅうさんきん》が関係してるのかな?」
「ち〜が〜う〜」
「ははっわかってる……幽体離脱《ゆうたいりだつ》状態できみはテレパシーが使えると言うことだね。はじめ君、これはすごい才能だよ!」
「先輩〜」
ぼくは先輩をにらんだ。
「……かわいらしいな……その身体は君に使われたほうが幸せなのではないかと思い始めたよ」
「……………………」
ぼくは無言でにらみつづける。カレーの匂《にお》いのただようテーブルに堆積《たいせき》する沈黙。その沈黙に耐えかねたのか、先輩はあわてて話し始めた。
「これからどうするかだね。……まあこの身体については、どうしようもないというのが実情だ。よく漫画なんかである頭をぶつけた〜とか神がかり的な力〜とかで入れ替わったわけではなく、脳をそのまま入れ替えられたんだからね。今の人類の医学では元に戻すのは不可能だよ」
「そんなぁ」
「考えても見てごらん、脳を一回取り出したとして元に戻すには膨大《ぼうだい》な数の神経や血管をつなぎ合わせなければならない。今の技術じゃまず不可能だね。もし仮につなぎ合わせることができたとしても、身体の全《すべ》ての機能が正常に働く保証はない。まったくすごい技術だ。拒否反応もまったく起きてないし、五感全てが正常だ。男と女の脳の違いをものともしてないし、というよりは脳も弄《いじ》られたと考える方が妥当だね。しかもこれら全てを機械任せだという……本当にすごいな。私達の脳を漬《つ》けていたという緑色の液体も気になるし、私にきみと同じ能力がないのが口惜《くや》しいよ。ぜひぜひこの目で見たかった」
なんていうか……目の前が真っ暗になった。ぼくの人生設計がこなごなだ。
「私はもう諦《あきら》めた。できもしないことを考えるよりも、この身体《からだ》で生きていくことを考えるほうが建設的だよ」
先輩《せんぱい》は笑顔《えがお》で言った。ぼくはその笑顔にムカムカきた。ぼくがこんなに思い悩んでるのに!
「なんでそんなに先輩は平然としてるんですか!」
ぼくは先輩に向けて叫んだ。先輩はぼくの叫びを聞いた後、ゆっくりと口を開いた。
「正直その身体には愛着があるし残念ではあるが……」
先輩はそこまで言うと言葉を区切り、ぼくの目をじっと見つめた。
「平気そうに見えるのは、入れ替わったのが君とだからだろうね。これが禿《は》げでデブの中年の男と入れ替わっていたとしたら、これからの人生に絶望していただろう。でも君となら別にいいかという気分になってくる。はじめ君のこの身体の造形は気に入ってるし、私の身体に君が入っていると思っても不快感は感じないしね」
そう言って先輩はやさしく微笑《ほほえ》む。造形……先輩らしい言い回しだ。ぼくの容姿《ようし》はそんなに悪くないと思う、男にしては背が低くて華奢《きゃしゃ》で女顔だけど。
「でも……でも、やっぱりいやですよ。せっかく背も伸びてきて。後一年もしたら先輩に追いついてそうしたら………」
涙が出てきた。そのままぼくは、ぽろぽろと涙を流しつづける。なんか今までの全《すべ》てが否定された気がする。
「そこまで私を好《す》いてくれていたんだね。ありがとう、うれしいよ」
そう言って先輩は今までで一番の笑顔《えがお》を見せた。その笑顔はぼくの顔なのに………ぼくの顔に見えなかった。
しばらくたってぼくが泣き止《や》むと先輩が言った。
「落ち着いたかい?」
「はいすいませんでした」
「じゃあ食事をしながらこれからのことを考えよう」
「はい」
ぼくは返事をするとさめかけたカレーに手を伸ばした。クリスマスイブなのにカレーとはといまさらながらに思う。
「ではこれからだけど、今夜はどこかに泊まることにしよう。このまま帰ると家族を混乱させそうだからね。あとは……ちょうど明日はうちの両親も休みを取っているはずだな。きみの父親も土曜日で会社は休みだろう?」
「はい」
「ならとりあえず明日ははじめ君の家族に私の家に来てもらおう。双方の家族が集まっていれば私達が入れ替わったという証明をしやすい。今のところ入れ替わりを証明することのできるのは記憶《きおく》ぐらいしかないからね。検査をすれば他《ほか》にも見つかるかもしれないが。というより見つかってもらわないと困る。学校とか戸籍《こせき》、ほかにもいろいろ問題があるからね。しっかりとした証拠《しょうこ》がないと困る。まあその辺は父に頼むしかないだろう」
「はい」
「じゃあ食べたら宿を探そう……個人的にはラブホテルという物に一度入ってみたいのだが」
「はい……………いぃ!?」
思わず声を張り上げるぼく。
「何ですかそれは!」
「いや、さっきから話していただろう」
「若い二人が泊まるなんて………先輩はいいんですか?」
個人的にはうれしいけど……ぼくはさっき告白したような物だし。でも先輩のちゃんとした返事は聞いてない。でも……とぼくが理性と欲望との間で苦悩していると先輩が言った。
「あ〜〜〜今その質問をするのは私のほうではないかと思うのだがね。今は狼《おおかみ》が私で赤頭巾《あかずきん》ちゃんがきみなのだから」
……………忘れてた。目の前に自分の顔があるというのに、今の状況を忘れるなんてどうかしている。これは印象が変わりすぎていて、目の前にあるのが自分の身体《からだ》だと思えなくなっているからなんだろうか。動作に口調《くちょう》、表情なんかが先輩そのままなもんだから、今までと何も変わってない気すらしてくる。あと、この先輩の身体に違和感がなくなっているのも理由の一つかもしれない。
先輩の体をぼくの体が抱く。問題はない、というか大歓迎。夢にまで見たことだ。でも中身が入れ替わっているのが問題だ。男としては………やっぱり抱く側に回りたい。でもそれは無理な相談《そうだん》で……ということは、ぼくはいつか誰《だれ》かに抱かれるわけだ。だれに? 先輩以外に考えられない。この先輩の身体にぼく以外の男が触る……想像するだけで虫唾《むしず》が走る。ということは何の問題もないわけだ。……いや心の準備がまだだ。でも……思考の堂々|巡《めぐ》りに陥《おちい》りながら、ぼくは先輩に恐る恐る聞いた。
「えっと……先輩はぼくに何かするつもりなんですか?」
そう聞くと先輩はきょとんとしたあと笑い出した。
「くっくっくっくっ」
「せんぱい!」
人がまじめに話しているのに。
「いやすまない…………はじめ君は何かして欲しいのかね」
「心の準備が……でも先輩が望むなら……って今は先輩に聞いてるんですよ」
「はっはっはっそうだった。……個人的にはこの体の男性機能がちゃんと働くか調《しら》べてみたい。他《ほか》にも男性と女性の快楽の違いを比べてみたいが、もう無理な相談だな。………ふむ、処女だった事がいまさらながらに悔やまれるな」
この人はとんでもないことをさらっというな。
「しかしだ。だからといって自分の体相手に欲情することはないね」
「………………そうですか」
これはかなり問題だ。ぼくは他《ほか》の男に抱かれるのは死んでもいやだけど、先輩《せんぱい》が他の女性を抱くのはあまり抵抗がなさそうだ。そうなるとぼくの未来は……ぼくが絶望しかけていると先輩が言葉を付け足《た》した。
「と、思っていたのだが、きみの入った私の体はとってもかわいらしい。とても自分の身体《からだ》だとは思えない。今もきみのかわいらしいしぐさを見ていると、体の奥からこう……なにかが湧《わ》き上がってくる感じがするな。ナルシストではないつもりだが欲情は可能そうだ」
先輩もぼくと同じように、目の前にいるのが自分の身体だと思えなくなっているらしい。これで一安心だ。いや、また問題がでてきた。欲情できるならそれはそのままぼくの身の危険に……無意識《むいしき》のうちに不安そうな顔をしていたのだろう。それを見て先輩がまた笑った。
「はっはっはっ本当に君はかわいらしいな。表情がころころ変わって飽《あ》きないよ。まあ君が何を考えているのかわかるけどその心配はないと言っておこう。さすがにこんな状況では。いくら私が好奇心に忠実だと言ってもそこまで外道《げどう》にはなれないよ」
「はい」
……ほっとしたような残念なような。
「では、早く食べ終わって行くとしよう。愛の城へ」
たぶんぼくは、ものすごくいやそうな顔をしていたと思う。
愛の城………べつに比喩《ひゆ》表現じゃない、正式名称はラブキャッスル。この恥《は》ずかしい名前のラブホテルが実際に存在する。広川《ひろかわ》市の人間は誰《だれ》でも知っていて、学校でもたびたび笑い話に使われる伝説の城。ちゃちなヨーロッパのお城風の外観《がいかん》に、ピンク色の壁《かべ》。見た目だけは立派な門、ピンク色ののれんを抜けて入っていく駐車場……かなり恥ずかしい。できれば他《ほか》のところがいい。
でも無理だろう。先輩は行く気まんまんだ。このラブホテルのべたさ加減、先輩が最も好むところだ。
「……はい」
かなりいやだったが、こうなった先輩は止められない。ぼくはその時が来るのを少しでも遅らそうとカレーをゆっくりゆっくり食べ始めた。…………カレーの辛《から》さが心にしみた。
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家族とぼく
窓から振りそそぐ太陽の光を浴びてぼくは目を覚ました。見慣《みな》れない天井《てんじょう》を見てここがどこだか理解すると、ぼくは身体《からだ》を起こしすぐそばの鏡《かがみ》を見る。そこに映っていたのは、毎日見てても飽きなかったその顔。出会ったころと比べると結構伸びた、肩にかかるくらいの長さのつややかな黒髪が日の光に透《す》かされ輝《かがや》いていて、身に着けたバスローブは見えそうで見えない絶妙な感じに着崩《きくず》れている。それに眠たげな表情があいまって、壮絶《そうぜつ》な色気《いろけ》を放っていた。
こんな姿を見せられたらぼくは一瞬《いっしゅん》で理性を失いその身体を抱きしめていただろう。そう……それが自分の体になってなければ。
「はぁ」
ぼくは大きなため息をついた。夢じゃなかった。
ぼくはテンションの低いまま、まわりを見回した。先輩《せんぱい》がいない。咋日はこのダブルベッドでいっしょに眠ったはずだ。ぼくはバスローブをちゃんと着なおすと立ち上がる。
お城の調度品《ちょうどひん》みたいな家具の置かれている部屋。なかなか凝《こ》ってると先輩がしきりに感心していたものだ。安物だけど。
この部屋に隠《かく》れるところなんてあまりないばずだけど――――――そのときシャワーの音がしているのに気づいた。
シャワーを浴びているのか……。
ぼくはベッドに座り先輩《せんぱい》が出てくるのをボーっと待つことにした。シャワーの音は昨日の夜のことを思い出させる。シャワーを浴びるときに見た先輩の体。最初はすごくうれしくて、その後とても悲しくなった。この身体を客観《きゃっかん》的に見ることができたらどれだけ幸せだろうか。そう思ってかなり落ち込んだ。ぼくは先輩のように楽観的にはまだまだなれそうにない。元に戻れる可能性が残っていたら話は変わっていたと思うけど。
ぼくがしばらくそんなことを考えていると、先輩がシャワーを浴び終えて出てきた。そして髪の毛を拭《ふ》きながらぼくに挨拶《あいさつ》をした。
「やあおはよう」
「おはようございます」
挨拶するぼくに、先輩はニコニコしながら続ける。
「ああ、よろこんでくれたまえ。男性機能は正常に働いているようだ」
こっこの人は朝っぱらから何を言い出すんだ!
「おっお風呂場《ふろば》でいったい何してたんですか!」
「はっはっはっとりあえず観察だよ。朝はああなると知識《ちしき》では知っていたが生で見るのは初めてだからね。…………実に興味深《きょうみぶか》かった」
見る気力すらないけど、今|鏡《かがみ》を見れば真っ赤になったぼく……先輩《せんぱい》の顔が見れると思う。
そんなぼくに追い討《う》ちをかける先輩。
「後は刺激《しげき》による反応を見て、後は射精時の……」
「せんぱい! どこまでやったんです!」
「一通り。…………男とはなかなかに気持ちのよいものだね」
しみじみという先輩。
なんか人って恥《は》ずかしさで死ねるんじゃないかと思い始めてきた。今死んだら死因は恥死《ちし》なんだろうか……そんなことをぼくが考えているのも知らず。
「赤くなったきみもかわいらしいな、私がその身体《からだ》に入っていたころには絶対に見られなかった表情だよ」
そんな先輩を無視して、無言のままぼくはベッドの中にもぐりこんだ。
……先輩のバカヤロー
「はじめ君、そろそろ機嫌《きげん》を直してくれたまえ。そろそろここを出る時間だ」
ぼくが布団《ふとん》の中に立てこもってからすこしたった後、先輩が呼びかけてきた。しょうがないのでぼくはベッドからのそのそと出る。精神的なダメージが身体《からだ》にまで影響《えいきょう》を与え始めていて、スローモーションのようなゆっくりとした動きだ。ゾンビのほうが、もうちょっといい動きをするんじゃないだろうか。そんな生《い》ける屍《しかばね》以下のぼくに、先輩《せんぱい》が笑顔《えがお》で言った。
「じゃあ着替えるとしよう」
先輩の手の中にあるのは先輩……いや、ぼくの着替え。
そして先輩によるブラジャーの着付け講座《こうざ》が始まった。
泣きたくなった。というかちょっと泣いた。
ぼくは電車に揺《ゆ》られながら目の前を流れていく景色を見ていた。ぼく達の住む広川《ひろかわ》市は瀬戸内《せとない》海に面した都市だ。市の中心を市の名前の由来にもなった広川と言う一級河川が流れている。海に面しているおかげで気候は比較的温暖、山地が後ろにあるため雪もそこまで積もらないので、比較的暮らしやすい街だと思う。人口は30万人くらいで地方では中堅どころの都市なんじゃないかな。
主要な産業は特になし、市はそれではいけないと新たな産業の育成にがんばっているみたい。それにともない都市の再開発もはじまっている。おかげで家の近所もずいぶんと便利になったらしい。らしいと言うのは、ぼくの家族はぼくの高校入学と同時にこの街に引っ越してきたからで、その辺のことはよくわからない。
しばらく電車に揺られていると景色が見慣《みな》れた町並みに変わってきた。ぼくの家の最寄《もより》駅に近づいたのだ。ちなみにもうひとつ向こうの駅が先輩の最寄駅で、学校に行くときはさらに二つ向こうの駅で降りる。
今ぼくと先輩は先輩の家に向かっている。ぼく達の身に起きたことを説明するためだ。家族には昨日の夜電話をかけた。ぼくが先輩の家に、先輩がぼくの家に。ぼくが泊まるから今日は帰れないと告《つ》げると、電話の向こうでなぜか先輩のお母さんが大喜びだった。
先輩の場合はぼくのお姉ちゃんが出た。そして先輩が泊まることを告げると「でかした!」と叫んだ。携帯電話から漏《も》れた音がすぐ側《そば》にいたぼくに聞こえるほどの、大きな声だった。……はずかしい。先輩はそのほかに先輩の家の住所を教えて、明日つまり今日先輩のうちに行くように伝えた。
ふたりで泊まった翌日に家族を集める……なんか親達が何を考えているか簡単《かんたん》に想像できる。でもその想像は確実に裏切られる……心が痛む。そう思っていたとき先輩が手を握ってきた。落ち込んでいるぼくを励《はげ》まそうとしてくれているのだろう。立場が逆じゃないかと思いつつも、その手のぬくもりはとてもありがたかった。
「それは本当なの?」
ぼくのお母さんが言った。ここは先輩《せんぱい》の家の応接室。中心にテーブルが置いてありそれを囲むようにしてソファが並んでいる。広くてきれいな部屋に高級そうな家具、さすがお医者さんの家だ。
そのソファ、ぼくから見て右側のソファにぼくの家族が、左側のソファに先輩の家族が並んで座っている。ぼくと先輩はというと並んで下座《しもざ》に座っている。
「はい」
ぼくの姿の先輩が答える。
「とても信じられないわ」
ぼくのお母さんが148センチしかない身体《からだ》をソファに預けながら言った。いつもニコニコしているその顔には困惑の表情が浮かんでいる。名前は美紗子《みさこ》という。
「そうだな」
その隣《となり》の熊《くま》みたいな髭面《ひげづら》の大男が言った。山城《やましろ》一也《かずや》、ぼくのお父さんだ。ちなみに身長は二メートルちょうど。ぼくと一緒に歩いて親子だと思われたことはない。まあぼくがお母さん似なのもあるけど。年は42歳。お母さんは40歳だ。
「そうよねえ」
その隣の大柄《おおがら》な女性が言った。ぼくのお姉ちゃんだ。名前は一美《ひとみ》で身長は175センチ。20歳、市内の大学に通っている。クリスマスイブの夜に家にいることからもわかるように彼氏なし。原因は容姿《ようし》じゃない。お姉ちゃんは贔屓目《ひいきめ》に見なくても、十分美人の部類に入ると思う。無論先輩にはかなわないけれど。それでももてないのは……きつい性格だ。
お姉ちゃんはお父さん似なんだけど、お父さんの豪快《ごうかい》な性格まで受け継《つ》いでしまった。でもこの変なお姉ちゃんのおかげで、変な人に対する耐性《たいせい》ができていたともいえる。いつもは迷惑な人だけど、このことは感謝《かんしゃ》していいかもしれない。
「でもほんとのことなんだ」
ぼくは言った。そう言ってもまだ疑っているぼくの家族。まあ普通入れ替わりました〜とか言われても信じられるわけはない。
「………にわかには信じられませんが、とりあえず質問をしてみることにしましょう。そうすれば本当か嘘《うそ》かわかるはずです」
先輩のお父さんが言った。はじめてみるけどやさしそうな人だ。身長は先輩と同じか少し大きいくらいであまり大きくない。年は40代後半ぐらいだろうか、黒ぶちのめがねをかけていて知的な印象を受ける。この人の職業《しょくぎょう》は何ですかと聞くとほとんどの人が医者だと答えると思う。何か医者〜というオーラを放っている感じ。
その隣に座っているのが先輩のお母さん、何回かお邪魔《じゃま》したことがあるので顔は知っている。身長は先輩より少し低いぐらいのすらりとした美人だ。やさしいお母さんでなぜかぼくを気に入ってくれている。
その横の男の人は先輩《せんぱい》のお兄さんだろう。先輩によく似ていてかっこいい。男版先輩という感じだ。確か医大に入っていると先輩が言っていた。お兄さんが病院を継《つ》いでくれるおかげで好き勝手できると、先輩は感謝《かんしゃ》しているようだった。このお兄さんが先輩の家族の中で一番背が高いみたい。座っているのでたぶんだけど、うちのお姉ちゃんよりは背が高そうだ。
「じゃああたしが質聞するわ」
お姉ちゃんがそう言ってぼくに質問を始めた。家族の名前、年齢《ねんれい》から始まって。親戚《しんせき》の話、子供のころの話、家族旅行の話。と、家族しか知らないはずの質問をしてくる。もちろんぼくはそれにすらすらと答えていく。
「じゃあ最後の質問いくわよ……この間あたしがはじめを起こしに行ったとき、はじめは寝ぼけてあたしに抱きついてこう言いました」
「ちょっと待った〜」
ぼくは待ったをかける。
「お姉ちゃんそれ質聞になってないよ。それに誰《だれ》にも言わないって約束した………」
お姉ちゃんはかまわずニヤニヤしながら言った。
「つばさせんぱ〜い」
「わーわーわーわー」
あわてて口から出る音波でお姉ちゃんの声を相殺《そうさい》しようとするぼく。
「ほう………それはどんな夢を見ていたのか気になるな」
先輩がぼくを見ながらにやりと笑った。
まったく効果なし。
ぼくは真っ赤になって頭を抱え込んだ。
「あ〜母さん父さん、このコうちのはじめだわ」
お姉ちゃんがお母さん達を見ながら言った。
「ええ……うちのはじめちゃん以外の何者でもないわねえ」
そう言うお母さんと、その横でうなずいているお父さん。
わかってくれてうれしいよ。でも黙《だま》ってくれていたらもっとうれしかった。
「ええと一応わたし達のほうもやってみます」
そう言って先輩に質問をはじめる先輩のお父さん。結果はぼくの時と同じ。
そうしてようやく認めてもらえたみたい。
「………それで、これからどうするんだい?」
いままで一言も話さずに様子《ようす》を見ていた先輩のお兄さんが言った。
「ああそのことだけど………とりあえず身体《からだ》を調《しら》べてもらおうと思う。記憶《きおく》のようなあやふやな物じゃない、脳が入れ替わっているという確たる証拠《しょうこ》が欲しい。通常の生活を送るためには戸籍《こせき》の変更とかいろいろすることはあると思うけどそれは父にたのむよ。
後、できれば今の学校にそのまま通いたい。転校するのが一番簡単なんだろうが、わたしもはじめ君も今の学校を気に入っているのでね」
このことは昨日二人で話し合った。できれば今の暮らしを続けたい。それが難《むずか》しい事はわかってるけど、それでも……
「まあ初めはいろいろ問題も起こるだろうけど宇宙人の仕業《しわざ》だと言えば理解してもらえると思う。何年か前と違って宇宙人の存在は広く認知されているからね」
そう最近一番変わったことといえば宇宙人の存在が広く信じられることになったことだ。UFOをよく見かけるようになったし、アブダクションされたと言う人もたくさん出てきた。でも何より大きな原因はUFOの墜落《ついらく》だ。
UFOの墜落といえばロズウェルが有名だけど(先輩談《せんぱいだん》)、3ヶ月前に大阪《おおさか》近郊の山に一機のUFOが墜落した。お昼に墜落したもんだから膨大《ぼうだい》な数の目撃《もくげき》者がいた。無数のビデオカメラにも捉《とら》えられたし。携帯の写メールは飛び交《か》い、墜落現場に行った人の撮《と》ったデジカメの画像はネットに流れ全世界を駆《か》け巡《めぐ》った。乗組員は脱出していなかったらしい。
ここまでの証拠《しょうこ》が出たものだから、とうとうアメリカ政府とNASAも地球外生命体が存在し地球にきていると発表した。でも知ってはいたが接触はしていないとアメリカ政府は言っている。とても信じられないと先輩は言っていたけど。
まあそんなこんなでぼく達の世界は急激《きゅうげき》に変化した。ちなみにUFO墜落から一週間ぼくと先輩は行方《ゆくえ》不明になった。どこに行っていたかは言わなくてもわかると思う。
「あとはこれからの生活のことだけど、はっきり言って今の医学で元に戻せると思わないからこのままの姿で生きることを考えないといけないね」
「………そうですね」
先輩のお父さんが何か考えながら言った。
「あの……本当に元に戻すことはできないんですか?」
お母さんが先輩のお父さんに言った。
「ええ………残念ながら不可能だと言わざるをえません。現在でも脳の部分移植がアルツハイマーの冶療《ちりょう》方法として研究されていますが、脳をまるごととなると……」
「そうですか」
お母さんは俯《うつむ》いた。
「お母さん………」
ぼくは何か言いたかった。でも言うことができたのはそれだけだった。そんなぼくを悲しそうな顔で見てお母さんが言った。
「はじめちゃん、私たちはあなたの中身だけを愛してるんじゃないの……身体《からだ》も愛してるのよ。私にそっくりな目とか、公園でころんでできたひざ小僧の傷の跡とか。中も外も心も身体も全部を愛しているの。
それにもしあなたに子供ができたとして、心はあなたの心を受け継《つ》いでも身体《からだ》はつばささんの子供で私たちとは何の関係もない。それはとてもさびしいことよ。
…………ごめんなさい、こんなこと言って。はじめちゃんのせいじゃないし、どうしようもないことなのにね」
そう言ってお母さんはまたうつむいた。そんなお母さんの肩をお父さんが抱く。
沈黙《ちんもく》が部屋に満ちた。重い……とても重い沈黙だ。その沈黙に押しつぶされそうになってぼくは先輩《せんぱい》を見た。先輩は何か思案していたようだけど、いきなりうんと頷《うなず》きぼくのほうを見て笑った。そして座っているお母さん達に向けていった。
「それらの問題を一挙《いっきょ》に解決する方法があります」
みんなが一斉に先輩を見た。すべての視線《しせん》が自分に集まったのを確認して先輩は言った。
「わたしとはじめ君が結婚すればいいんです」
……………………………………………………………………………………はっ? 今なんと?
「そうすれば私たちの心も身体もあなた達の娘、息子になる。なにより私たちの子供は正真正銘《しょうしんしょうめい》あなた達の孫ですよ」
「すばらしいアイディアだ! なあ母さん」
予想に反してそう言ったのは先輩のお父さんだった。
「ええ! すばらしいわ!」
先輩のお母さんはそう言うとハンカチで目頭《めがしら》を押さえた。
「ううっ……つばさの子なんて抱けないなんて思っていましたわ。変わった娘だし、それ以前に結婚する気がなさそうでしたし」
そんな先輩のお母さんの背中を先輩のお父さんがうんうんと頷きながらぽんぽんと叩《たた》いている。
うちの親達はと言うと……
「はじめちゃんとつばささんの子供だったらどんなにかわいいでしょうね……」
とうっとりしているのがぼくのお母さん。
「がはははこりゃめでたいこりゃめでたい」
大喜びでめでたいを連呼《れんこ》しているのがぼくのお父さん。
「子供が生まれても絶対におばさんなんて呼ばせないわ。一美《ひとみ》お姉ちゃんって呼ばさせる!」
と息巻いているのがぼくのお姉ちゃん。あと、
「……女の子がいいなあ……おじさまって呼んで欲しいなあ」
と、夢見てるのが先輩のお兄さん。この中では比較的まともな方だと思ってたのに。
そしてそれらを見ながら「はっはっはっ」とのん気に笑っている先輩。
……さっきの重たい空気はどこいった? 部屋にはヘリウムを混ぜたような軽い空気が充満している。いやそんなことより問題なのは……。
「なんなんですか、いきなりこんな大事なことを決めて、ぼくと先輩《せんぱい》の人生の一大事ですよ! しかもなんでみんなすんなり受け入れてるの!?」
思わず叫ぶぼく。
「なんだはじめ君は反対なのかい? 私はきみに好《す》かれていると思っていたんだが…………かなりショックだよ」
「ちがいます! そんなことを問題にしているんじゃありません。先輩はいいんですか?」
「私かい? 私はきみのことを好いているからね、別にかまわないよ。私ははじめ君も私のことを好いてくれていると思っていたから問題はないと思っていたのだが……」
「ぼくは好きですよ! 先輩のこと。でもそれとこれとは話がちがうでしょう。なんかもうちょっと段階を踏んで………」
そのときお父さんが立ち上がり言った。
「わかった!」
ようやくわかってくれたか。
「おまえ達は今日から許婚《いいなずけ》だ。いまこの時からおまえ達は家族公認の仲になった。堂々と段階を踏んで仲を深めていけ」
…………………わかってない。
「平賀《ひらが》さん、よろしいですか?」
「ええ願ってもないことです。………長い付き合いになりそうですね、これからよろしくおねがいしますよ」
手を差し出す先輩のお父さん。
「こちらこそ」
その手を握るうちのお父さん。両者の顔に浮かぶいい笑顔《えがお》。
「お母さん、酒の用意を。ああ、山城《やましろ》さんお酒は大丈夫ですか?」
「見てのとおりです。酒が好きそうに見えるでしょう? 実際酒には目がないんですよ」
「用意してきますので少しお待ちくださいね」
将来生まれてくる孫のかわいらしさについて、ぼくのお母さんと話していた先輩のお母さんがそう言って席を立つ。それを見たお母さんも席を立ち言った。
「ああっ私も手伝います」
「いいえお客様に手伝わせるわけには……」
「お気遣《きづか》いは無用ですよ。これからは親しくさせてもらうことになるんですから」
「そうですか……ではお言葉に甘えて」
応接室を出て行くお母さん達。そうやって親同士が親睦《しんぼく》をはかっている中、うちのお姉ちゃんと先輩のお兄さんも話が弾《はず》んでいるようだ。話の内容は妹のすばらしさについて……ほかに話すことはないのか。
「つばさはお兄ちゃんと呼んでくれずに兄と呼んでいましたが、はじめくんなら呼んでくれそうだ………兄と呼ばれるのもそれはそれでよかったのですが、やはりお兄ちゃんに勝《まさ》るものはないでしょう。いや、お兄様も捨てがたいか……はっ! 今の状態《じょうたい》なら……義《ぎ》がつくのではないでしょうか。お義兄《にい》ちゃん、なんて背徳《はいとく》的な響《ひび》き……」
「よかったですねえ。その気持ちよくわかります。あたしも楽しみですよ、あの声でお姉ちゃんと呼ばれるのが」
なんて頭悪い会話が二人の間で行われている。
もうどうにでもしてくれ……ぼくはやわらかいソファに体をうずめ、大きくため息をついた。
でも、よくよく考えてみれば、これ以上いい話はないかもしれない。ぼくの夢も叶《かな》うし。ぼくの夢、それは結婚して幸せな家庭を築くことだ。こういうとたいていの人間は夢がないなあとか、もうちょっと大きな夢見ろとかそれに似たようなリアクションが返ってくる。でもぼくの夢を聞いた先輩はこう言った。
「へえ、それは大きな野望《やぼう》だね」
ぼくが不思議《ふしぎ》そうな顔をしていると先輩は、離婚《りこん》の多さや、事故の多さ。犯罪率の増加、病気、不況による経済状態悪化など様々《さまざま》な例をあげて、ぼくの夢の実現がどれだけ困難《こんなん》かを示した後こう付け足《た》した。
「困難だろうけどがんばってくれたまえ。私も私の野望をかなえるために努力するよ」
この時はとても感動した。ちなみに先輩の野望はこの世の全《すべ》てを知ることらしい。もちろん不可能だと思う。事実先輩もそう言っていた。それでもできるだけ色々な事を知ろうと日々先輩はOMRで妙な実験《じっけん》をしたり、様々なところに出かけているのだ。
その先輩の奇行の余波がぼくに降りかかってくるのは問題だけど。
まあ、過程はどうあれ夢が叶う。それはいいことだ。先輩に会ってから、先輩は奥さんとしてぼくの夢の中に組み込まれていたし。……たとえぼくの方が奥さんになるとしても、それはいいことに違いない。と、いうより……そうとでも思わないとやってられない。
そんなことを考えてたぼくに先輩は笑顔《えがお》で言った。
「これからもよろしく頼むよ、はじめくん」
その笑顔を見たぼくは先輩の側《そば》にいられるなら、どんな目に遭《あ》おうとそんなことは些細《ささい》なことだと思った。
…………………………まあそれは一時の気の迷いっぽいけど。
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クラスメイトとぼく
一月に入り寒さがピークを迎えたころ、新学期が始まった。今年の冬休みはとうとう病院に入院しただけで終わった。ぼく達の身体《からだ》を検査した結果、ぼくと先輩《せんぱい》の脳が入れ替わっていることが証明されたらしい。ぼく達のケースは非常にまれで、というより人類初であったらしく(そりゃそうだ)、世界中から高名な医者や学者が広川《ひろかわ》市に集まってきた。
検査が行われる中で、ぼくはモルモットの気持ちをいやというほど知った。中でも何より許せなかったのは、この先輩の身体を他《ほか》の男の前に晒《さら》し、いじりまわされたことだ。いくら相手が医者だといっても許せることじゃない。ぼくが暴れも逃げ出しもせずおとなしく検査を受けたのは、これはきみ達のためであると同時に人類のためでもあるんだと言う先輩のお父さんの言葉と、文句もいわずに検査を受けていた先輩がいたからだ。
そんな地獄《じごく》のような検査が終わって家に帰れたのは昨日のこと、もう学校が始まって一週間も過ぎていた。そんなこんなでようやく今日、学校に来ることができたのだ。
もう何年も来てなかったような気がする。
ぼくは学校の廊下を歩きながら思った。外に目を向けると、窓ガラスに萌黄《もえぎ》色のブレザーとチェックのスカートそして胸に赤いリボンをつけた制服姿の先輩……もといぼくの姿が映る。この先輩の制服姿、きれいで凜々《りり》しくて好きだったんだけどなあとか思って鬱《うつ》になった。
そんなぼくの横をぼくのクラスの担任、井上《いのうえ》春海《はるみ》先生が歩いている。先生の背は低い、入学当時のぼくと同じくらいだ。先輩には、ぼくがこう見えてたんだろう。なんかとてもかわいらしい。先生が人気のある理由の一つがわかった、視界が高くなると見え方が変わってくるもんだなあ。
「……先生、まだ信じられないわ〜」
感慨《かんがい》深く先生を見ていたぼくを見上げ、先生が独特の間延《まの》びした口調《くちょう》で言った。
「ぼくもです」
信じられないというよりは、信じたくないというのが本心だけど。
「でも、これからたいへんねえ女の子として生きていくんでしょ?」
「はい……戻れないですから」
自分で言ってて落ち込むなぁ。
「がんばってね! 先生も微力《びりょく》ながら力になるわ〜。これでも25年間女やってるんだから相談《そうだん》ぐらいには乗れるわよ〜」
「ありがとうございます」
話しながら歩いていると1−7と書いたプレートが見えてきた。ここがぼくのクラスだ。川の字に並んだ三棟の校舎の一番西に位置する西棟、そこの一階にある。今の時期は日が当たって暖かくていいけど夏は蒸《む》し風呂《ぶろ》状態《じょうたい》になる。
「じゃあそこで少し待っててね」
先生はぼくを入り口のところに立たせると教室の中に入っていく。
きりーつ れーい おはようございます
委員長の号令《ごうれい》とともにクラスのみんなが挨拶《あいさつ》するのが聞こえる。
「今日はみんなにいいニュースがあります〜。病気|療養《りょうよう》中だった山城《やましろ》君がやっと帰ってきました〜」
ざわざわとクラスが騒《さわ》ぐのが聞こえる。安堵《あんど》の声が聞こえてくるのがうれしい。帰ってきてよかったと思う。というよりこんなクラスだからぼくは戻ってきたんだ。他《ほか》の学校に転校して普通の女性として生活する方が、圧倒的に問題が少ないのをわかっていても、ぼくはこのクラスに戻りたかった。
「でも……少し複雑《ふくざつ》なことになっているので、みなさん落ち着いてくださいね………じゃあ山城君入ってきて〜」
ぼくは扉《とびら》を開き教室に入っていく。そして先生の横に立つとクラスを見回した。鳩《はと》が豆鉄砲《まめでっぽう》を食らったような顔とは、こんな顔を言うのだろうか。みんなポカーンしている。
「えっと、みんなひさしぶり。山城|一《はじめ》です。…………みんなの言いたいことは分かりすぎるほど分かるけど、ちよっと待ってください。今からぼくの身に起きたことを話すから」
そしてぼくは話し始める。もう何回もいろいろな人に話しているので、話はこなれて聞きやすく、分かりやすくなっている。
「…………というわけなんだ」
話を聞き終えてもよく理解できていないのが半分、信じられないという顔をしているのが残り半分そして……。
「すんばらすぃ〜」
叫んでる馬鹿《ばか》が一人。
「ぼくがこうなったのがそんなにうれしいかい? タッキー」
ぼくがタッキー―――川村《かわむら》秀則《ひでのり》に向かって言った。あだ名の由来《ゆらい》はジャニーズのあの人……ではなくオタッキーからだ。めがねに小太り、中背。外見は人々の想像通りのオタク、中身もオタク。性格は非常に社交的で前向き、運動神経が良くて頭もいい天に二物を与えられたオタク。漫画《まんが》研究会と特撮《とくさつ》研究会を掛け持ちしている。ちなみに学校でぼくはタッキーと後もう一人の三人でつるんでいる。
「いやいやそんなことはないよ………といいたいところだけど実はうれしいな」
「……タッキーらしいね」
ぼくは苦笑《くしょう》した。同情されるよりかはましだ。今の発言はその辺を分かってのことだろうと思う………半分ぐらいは。残りの半分、いやへたすればそれ以上はタッキーの趣味《しゅみ》だろう。
「えっと……なんで川村《かわむら》はそんな簡単《かんたん》に受け入れてるのよ」
委員長がクラスを代表するようにして言った。名前は安藤《あんどう》光《ひかる》、ポニーテールの活発な娘だ。クラスによくいる面倒見《めんどうみ》のいいタイプで小学校のころからずっと委員長をしているらしい。だからあだ名はずっと委員長なんだそうだ。
「なんでってはじめは嘘《うそ》つかないし、あの平賀《ひらが》先輩《せんぱい》がかかわってるんだから何が起こっても不思議《ふしぎ》じゃないだろ?」
「でも……」
それでも納得《なっとく》できてない委員長を見てタッキーが言った。
「よし、はじめ今からオレが質問するぞ」
「いいよ」
「おまえのスリーサイズは?」
「八十………って、ちょっとまったー! どさくさにまぎれて何聞いてるんだよ!」
「いやおれ平賀先輩のスリーサイズ知ってるし」
「何で知ってるんだよ!!」
「先輩のフィギュア作るって言ったら教えてくれた」
これだから社交的で行動力のあるオタクは手におえない。それよりも先輩何ほいほい喋《しゃべ》ってるの………。
「つばさ先輩は変わってるから、完成したフィギュアの一体を譲《ゆず》るという条件で簡単《かんたん》に教えてくれた。もし本物の先輩なら今のはじめみたいなリアクションはしないな。つばさ先輩こういう事に関しては差恥心《しゅうちしん》働かないみたいだし」
「…………納得《なっとく》したわ」
委員長はそう言うと、疲れたように椅子《いす》に座った。
「いや、まだだね。今度はぼくが、自分が山城《やましろ》一《はじめ》であることを証明するよ」
ぼくはそう言ってにやりと笑ってタッキーを見た。
「タッキーの秘蔵《ひぞう》のブツの隠《かく》し場所はベッドの下にある……がそれは囮《おとり》で本物はベットのマットの下に貼《は》り付けている」
「その通り!」
まだまだタッキーの顔には余裕がある。ふふふふ……でもね
「でも実はそれも囮でもっと秘蔵のブツはカバーを替えて本棚の取りやすいところに並んでる」
「そっその通りだよ」
余裕が消えてきた。うふふふふふふまだまだ……
「が、しかーし実はそれすらも囮《おとり》、秘蔵《ひぞう》中の秘蔵、門外不出《もんがいふしゅつ》のブツは……」
「わかった〜すまん! おれが悪かった〜」
ふん先輩《せんぱい》のスリーサイズを知った罰だ。……ぼくですら身体《からだ》が入れ替わるまで知らなかったのに。後、フィギュアはボッシュート。
「あ〜みんな納得《なっとく》したわね。で、これからのことなんだけど山城《やましろ》君……山城さんには女子として学校生活を送ってもらうことになるわ。もう元に戻れないのだから、別に問題ないと思うのだけれどどうかしら?」
春海《はるみ》先生が言った。ぼくはそれに少し付け加える。
「後、付け加えておくと、気に入らないようならぼくは体育とかの着替えはみんなとは別にするし、トイレも職員《しょくいん》用トイレを使うことにするよ。それでもだめならぼくは転校することになるんだけど……」
「いか〜ん。それはいか〜ん」
再び叫ぶタッキー。
「はじめはおれ達のクラスメイトで大切な仲間だ。転校なんかさせなくてもおれ達はこんな些細《ささい》な問題、簡単《かんたん》に乗り越えられるはずだ。仲間なんだから。なあみんな」
タッキーはそこまで言うと、みんなをさわやかな笑顔《えがお》で見回す。
「川村《かわむら》君……」
感動している春海先生。
「…………で、本音《ほんね》は?」
教室の後ろの方から低い声が聞こえた。
「こんなおいしいキャラ失うわけにはいかない!」
その声にものすごいオーバーアクションで答えるタッキー。
「伝説のボク女だぞ! ボク女とは漫画《まんが》やアニメでよく見る自分のことをボクと呼ぶキャラの総称だ。これの何が素晴《すば》らしいか……それは少女でありながらも女を売りにしていないところだ。ボクと呼ぶことで男に媚《こ》びず、それでいて女も失っていない。男|勝《まさ》りなようで実はか弱くそれを隠《かく》すために虚勢《きょせい》を張る愛すべきボク女……それが目の前にいるんだ。
しかもトランス少女でもあるんだぞ? 何らかの要因で少年が少女に変わってしまったり、少年と少女の人格が入れ替わるなどして、少女になってしまった少年。少女でありながらも少年の活発さ、凜々《りり》しさを受け継《つ》いだトランス少女。トランス少女は古今東西《ここんとうざい》あらゆる創作の世界に存在している。
両者に共通する魅力《みりょく》は何か………それは中性的な魅力だ。中性的な者に対する憧《あこ》がれや羨望《せんぼう》、それは今も昔も変わらない。太古《たいこ》より人が想像していた神は男も女も人をも超えた存在、中性だ。事実、世界中には半陰陽《はんいんよう》の神が多数いるし神話では性別転換した者も少なくない。
日本の歌舞伎《かぶき》の女形《おやま》や、宝塚《たからづか》なんかもそうだろう。世界でも男性が女性を演じることは珍《めずら》しくないし、16世紀から19世紀初頭にかけてのイタリアでは中性的な少年の美声を維持《いじ》するために去勢《きょせい》したカストラートなどもいた。
人は皆中性的な者に美しさや神秘を感じる。はじめはその神秘性を人類ではじめて体現しているんだ。少年の部分と少女の部分を併《あわ》せ持つはじめは間違いなく世界一の美少女だぞ。そのはじめと共に学校生活を送れる権利を持っているのはおれ達だけだ。どうだ? 女子達、まさかいやだなんて言わないよな。どうだ? 委員長」
「えっと……」
タッキーのものすごい剣幕《けんまく》にびっくりしている委員長。タッキー…………なんて馬鹿《ばか》なんだろう。
「ええい、歯切れの悪い! はじめはもう戻れないんだから女子と同じだ! ……とはいえ更衣《こうい》室ではじめに着替えを見られるのは恥《は》ずかしいかもしれない。しかし、しかしだ。おまえ達女子は見られるかわりにもっと素晴《すば》らしい物が見られるではないか! それは世界一のはじめの身体《からだ》だ。しかもそのときはじめは羞恥《しゅうち》に頬《ほほ》を赤く染《そ》めていることだろう。……おれは女子がうらやましい……うらやましすぎる」
感極まって本気で泣き出すおたく一匹。呆然《ぼうぜん》としているクラスメイト達と先生。あんなのと友達であることにむなしさを覚え始めたぼく。
「…………はっ。ごほん、え〜と女子はどう思ってるのかな?」
いち早く我に返った春海《はるみ》先生が言った。先生の言葉で、正気《しょうき》に戻った委員長が席を立ち答える。
「……ええ、はい。川村《かわむら》君に乗せられるわけではないですけど、全《すべ》て私たちと同じでいいと思います。これから女として生きていくのなら必要なことだと思いますし、中身が山城《やましろ》君なら別にいいかなとか思います。中身が川村君なら絶対に許しませんけど。みんなそれでいい?」
委員長はそうクラスの女子に問い掛ける。みんな頷《うなず》いている、よかった。どうやら一番の問題はクリアできたみたいだ。ぼくはにっこりと微笑《ほほえ》んで言った。
「ありがとう」
なぜか真っ赤になる委員長、よく見ると他《ほか》のみんなも赤くなっている。
今までにない反応だ、なぜだ?
ぼくはまだ先輩《せんぱい》の身体《からだ》の魅力《みりょく》に気づいてなかった。いや誰《だれ》よりも知っていたけどすっかり忘れていた。入れ替わる前、先輩はいつもニヤリと意地の悪い笑顔《えがお》をしていた。だからこそ、たまにぼくに見せるほんとの笑顔がものすごい破壊力《はかいりょく》だった。その笑顔を初めて見た瞬間《しゅんかん》に、ぼくの人生が決まってしまったようなものだ。ぼくはそれを忘れてその笑顔を大安売りしていた。ぼくは後々《あとあと》それを後悔することになる。
…………だってあんな馬鹿な組織《そしき》ができるとは思わないし。
「じゃ山城《やましろ》さん、席について」
「はい」
先生に答えぼくは自分の席に向かう。ぼくの席は廊下側の後ろから二番目。
「久しぶりだな」
ぼくが席についた時、後ろから声をかけられた。さっきタッキーに「で、本音《ほんね》は?」と聞いた人物、山田《やまだ》真太郎《しんたろう》だ。
「うん、真太郎久しぶり」
ぼくは振り向いて答えた。そこにいるのは190センチを超える巨体。所属部は柔道部で、アンコ型ではなく近代柔道家タイプの身体《からだ》をしている。柔道の全国大会ではいつもいい所まで行っている、結構すごい選手《せんしゅ》だ。髪型はスポーツ刈《が》り。そんな威圧的な要素しかない真太郎だけど、そう感じさせないのは目が細くいつも笑っているように見えるからだ。学校で先輩《せんぱい》と一緒にいない時、ぼくはタッキーと真太郎といっしょにいることが多い。ぼくを見て真太郎は言った。
「昨日の夜見た夢の理由がようやく分かった」
「また予知夢見たの?」
「ああ」
真太郎が見た夢はほんとになることが多い。それを知った先輩は予知夢だ! と言って無理やりOMRに入部させてしまった。おかげで真太郎《しんたろう》は二つの部を掛け持ちすることになった。ちなみにタッキーがこのことを知った時は、予知能力者は病弱な美少女か巫女《みこ》であるべきだ! と叫んだ、ほんと馬鹿《ばか》。やつにつける薬はこの世には存在しないんだろうと思う。
「で、どんな夢?」
「つばさ先輩《せんぱい》と二人で仲良く話している夢だ。つばさ先輩がにこにこ笑ってたし、ありえないと思ったがこういうことだったのか」
「はははは……そういうことだよ」
ぼくは力なく笑った。
「あっそうそう連絡しなくてごめんね、タッキーはともかく真太郎には連絡したかったんだけどこの声だから、電話できないし病院から出られないし」
「こういうわけならしょうがない」
真太郎はそう言って笑った。真太郎はとてもいいやつだ。
「じゃホームルームはこれでおしまい、解散」
先生がそう言った瞬間《しゅんかん》わっと人がぼくの所に集まってきた。ぼくへの質間|攻《ぜ》めは一時間目の授業が始まるまで続いた。
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金髪美人とぼく
ぼく達の衝撃《しょうげき》の登校から三日たった。登校初日は休み時間に全学年の生徒がひっきりなしにぼくを見物しに来た。二日目もそうだ。昨日までのぼくはパンダと最も気が合う人間だったかもしれない。でも三日目ともなるとだいぶ人数が減ってきた。
「ようやく静かになってきたよ」
ぼくは安堵《あんど》の声を漏《も》らした。朝から静かなのは精神|衛生《えいせい》上いいことだと思う。
「まあ、しょうがないだろ」
真太郎が苦笑《くしょう》しながら言った。それを聞いたタッキーが、真面目《まじめ》にたわごとをほざくという、とても器用な行動を取る。
「その通りだ、人間は美しい物を尊ぶ性質を持っている。自分では気づいてないかもしれないが、はじめの美貌《びぼう》はすでに神話の領域に達している。それがただで見れるんだ、人も集まるだろう。く〜おれは幸せ者だ。そのはじめをこんなまじかで見られるなんて……はじめと友達で良かったよ」
ここ数日のタッキーの言動にあきれていたぼくは「はいはいよかったね」と、適当に返事をする。
そのとき先生が教室に入って来た。
「きりーつ、れーい」
『おはようございま〜す』
「着席」
委員長の号令《ごうれい》と共に挨拶《あいさつ》をする。
「おはよ〜今日も元気にがんばりましょう」
春海《はるみ》先生が担任だと小学校に戻った気がしてくる。春海先生は小学校の先生をしても今とまったく同じ行動をとると思う。それでなぜなめられないかというと、先生をいじめるととても悲しそうな顔をする。あれで心が痛まない人間は人の心を持っていない疑いが出てくる。さらに他《ほか》の先生たちをバックにつけた先生は、校内最強といっても過言ではないかもしれない。
「今日はみんなにうれしいお知らせがあります。この間このクラスは、美人が一人増えたばかりだけど、また増えることになりました」
転校生? 今みたいな中途半端な時期に珍《めずら》しいなあ。
「入ってきていいわよ」
扉《とびら》を開いて一人の女性が入ってくる。
おっ大きい
身長は、180センチはあるだろうか。金色の巻き毛がライオンを髣髴《ほうふつ》とさせる。目鼻口の大きな白人系の美人だった。ほ〜っとクラスのあちこちからため息が聞こえる。
体型もダイナマイト級……先輩《せんぱい》の身体《からだ》もスタイルはいいがボリューム感では圧倒的に負けている。いや、ぼくは先輩のスレンダーな身体の方が好きだ。この地球上で顔も身体も先輩が一番だ! ……ぼくは誰《だれ》に弁解してるんだ?
こんな事を考えていると、気が付けば転校生の自己紹介が始まっていた。
「オーラ=レーンズデス。オーラと呼んデくだサイ。アメリカのカリフォルニアから来まシタ。ニホンゴは少しナらダイジョブです。ニホンにはニホンのカルチャーを学ぶために来まシタ。サムライ、フジヤマ、ゲイシャ、オリエンタルな感じガ素晴《すば》らしいデス。中でも素晴ラシイのはサブカルチャー、ワタシはアニメでニホンゴ覚えまシタ。フツツかモノデスガよろしクお願いしマス」
……また濃い人が増えたなあ。学校は面倒《めんどう》な生徒を全部、春海《はるみ》先生に任せてるのだと思う。そしてそれはたぶん正解。先生なら宇宙人の先生だってできると思うし。濃い面子《メンツ》の揃《そろ》ったうちのクラスをまとめられるのは、春海先生ぐらいじゃないだろうか。
「じゃあレーンズさん、あそこの席に座って。安藤《あんどう》さん色々助けてあげてね〜みんなも」
「はい」
委員長が答えた。そしてホームルームが始まった。
ついに来た。来てしまった。三時間目は体育……今日の晩御飯《ばんごはん》は何かなあ。はっ! あまりの嫌《いや》さに思わず現実|逃避《とうひ》してしまった。
「じゃあはじめちゃん、オーラちゃん行くわよ」
委員長が言った。ぼくはのそのそと用意を始める。
「用意デキまシたデス、イインチョ」
オーラがびしっと敬礼して言った。
オーラはあっという間にクラスに溶け込んだ。まだ学校に来て数時間しかたっていないのに、これは一種の才能かもしれない。
「よろしい。ではじめちゃんは?」
はじめちゃん、女子からはそう呼ばれるようになった。でも呼ばれるたびにちくちくととげが刺さる。慣《な》れることはあるのかなあ。そう思いながら、とろとろ準備する。
…………用意ができた。
「…………できたよ」
ぼくは沈んだ声で言った。
「じゃ行きましょう」
委員長を先頭に三人で歩き出す。
「ドしてハジメは揚所分からナイ?」
オーラが聞いてきた。
ああなるほど、まだ説明してなかった。ぼくはオーラに一から説明した。
「おーオリエンタルマジック」
……ちがう。でもまあ一応|納得《なっとく》したみたいだ。ぼくは矢継《やつ》ぎ早《ばや》に繰《く》り出されてくるオーラの質問に答えつつ、委員長の後に続いた。
おおっこれが男子禁制の門か、ここまできたのは初めてだ。今までは来る必要なかったし。
「じゃあ入るわよ」
そう言って委員長が更衣《こうい》室の扉《とびら》を開《あ》ける。
ものすごく引き返したい。ここを一歩踏み出せばなんかもう戻れない気がする。
「お邪魔《じゃま》シマース」
そんなぼくの葛藤《かっとう》を知らずに、オーラがぼくの腕を引っ張っていく。
そこで見たのは……楽園だった。下着姿の女子高生がわんさか、顔がボッと赤くなったのが分かる。先輩《せんぱい》の裸を毎日見てるからといっても、恥《は》ずかしい物は恥ずかしい。
「ここのロッカーについてる番号を見て、出席番号と同じところを使うの。といってもその規則守ってる人いないから、好きなとこ使うといいわ」
委員長がロッカーに荷物を入れながら言った。ぼくはその委員長の隣《となり》のロッカーを使う、オーラは委員長をはさんで向こうのロッカー。
さっさと着替えてここから出よう。そう思ってぼくは制服を脱ぎ始める。
……ん? 視線《しせん》が…………
ぼくが振り向くと更衣室内の視線がぼくに集まっていた。いや半分くらいはオーラにむかっているかな? でもオーラはまったく気にしていない。
居心地《いごこち》悪い……でも着替えないと。ぼくはブレザーを脱ぐとリボンを外《はず》し、Yシャツを脱ぐ。その時ポツリと委員長が言った。
「……やっぱりいい身体《からだ》してるわね」
「なっ」
反射的に胸を隠《かく》すぼく。
「あら女のコしてるじゃない」
ぐはぁ
今のは効《き》いた。ぼくが精神的なダメージを受けてよろめいていると、委員長が指を鳴らした。次の瞬間《しゅんかん》ぼくの両腕が押さえられる。押さえているのは運動部で力のありそうな娘達。
「なっなにを」
おびえるぼくに委員長が言った。
「うふふ女子の仲間に入る通過|儀礼《ぎれい》よ」
委員長の手のひらがわきわきと動いている。その委員長の後ろに同じような行動をとっている女の子達が列をなしている。ぼくはこれから何が行われるか理解した。
「おう、これマンガで見たことありマース」
ぼくと同じように両腕をつかまれているオーラ。とてもうれしそうだ。そんなオーラとは違いぼくは暴れるけど、怪我《けが》させちゃいけないので無茶《むちゃ》できない。そんなぼくの胸に委員長の手が近づいていき……、
「うわああああああああああああああ」
ぼくの脳裏《のうり》に牡丹《ぼたん》の花が散っていくという古典的な表現が浮かんだ。
今日の体育はバレーボールらしい。
「じゃあ二人組みに分かれてトス練習」
28歳独身(恋人募集中)の田中《たなか》芳江《よしえ》先生が言った。よく通る声が体育館に響《ひび》く。
『は〜い』
散らばっていく女子生徒達。
「はじめちゃん組みましょ」
委員長がポニーテールを揺《ゆ》らしながら走ってきた。冬だけあって上下ともジャージ。夏は体操服に短パンだ。……うちの学校ブルマじゃなくてほんとによかったと、男の身体《からだ》だった時とまったく反対の事を思う。
「…………」
ふてくされた表情のまま、ぼくは委員長を見た。
「ま〜だ怒ってるの〜? ほら、機嫌《きげん》直して。……じゃ、お返しに私の胸もむ?」
ぼくはぶんぶんと頭を横に振る。顔は真っ赤になっていると思う。……昔から顔に出やすいタイプと言われてきたけどここ最近は今までにましてひどくなっているような気がする。これはどうにかしないといけない。
「うわーかわいい」
そんなぼくのリアクションを見て騒《さわ》ぐ委員長……こんなキャラだったのか。面倒《めんどう》見のいい姉御《あねご》なキャラだと思っていたのに。
「……わかったよ」
ぼくは委員長と組んでトス練習を始めた。
「よいっしょ」
ぼくはうまく上がってきたトスを思いっきり相手コートに叩《たた》きつける。ぴー、先生が笛を吹いた。試合終了。ぼく達のチームの勝ちだ。同じチームの娘達が抱きついてくる。
ぼくは昔から運動神経はよかった。でもバレーボールではあまり活躍《かつやく》したことがない。背が低かったからしょうがないけど。でも先輩《せんぱい》の身体《からだ》は背が高いし、女子用のネットは低い、おかげで今まで打てなかったスパイクが打てた。気持ちよかった。それでも最初はかなり苦戦した、手や脚の長さもジャンプカも変わってしまったので、それに慣《な》れるのに時間がかかったんだ。
中でも問題だったのは胸、今までついていなかったところに重りがついたようなものだから、重心はずれるし慣性《かんせい》の法則に引きずられるし。だけど慣れれば大丈夫。カや敏捷《びんしょう》さは前の方があったけど、リーチの長さや柔軟さは先輩の体の方がある。この体も慣れれば使い心地《ごこち》が結構いいなあとぼくは思い始めていた。
……使い心地がいいってなんか卑狼《ひわい》だな。
ぼくはきゃいきゃいと騒《さわ》ぐ女の子達に囲まれてコートを出た。次は他《ほか》のチームの試合だからだ。
「ねえ見て、二年生の男子がサッカーしてるわよ」
外を見た女の子が言った。へえ、サッカーかいいな。ちなみにうちのクラスの男子はマラソンらしい、ご愁傷様《しゅうしょうさま》。
「あっはじめくん……じゃない平賀《ひらが》先輩がいる」
なんだって?
ぼくはいきなりダッシュをして扉《とびら》に張り付くとグラウンドを見る。
先輩がいた。先輩は目立つ…………小さくて。
いまならぼくが上級生のオネー様方に、かわいいかわいいと言われていた理由がわかる。男達の中にあの華著《きゃしゃ》な身体があると比較されて余計小さく見えるんだ。
そんなことを思いながら先輩を眺めていたその時、ドリブルをしていた先輩がつまずいた。
あっあぶない!
おもわず身を乗り出してしまったけど、先輩は体勢を立て直して、なんでもなかったように試合に戻っていく。ちょっとバランスを崩《くず》しただけみたい。でもなんか不自然なつまずき方だったような……
その時先輩がこっちに気づいて手を振った。ぼくも振り返す。
「おーアレが噂《うわさ》のハジメのボディですカ」
いつのまにか隣《となり》に来ていたオーラが言った。
「そうだよ」
「カワイらしいネ」
ごふうっ
……男に対してかわいいは誉《ほ》め言葉じゃないよ。たとえ自分自身がそう思ってしまっていたとしても。
「あっありがとう」
ぼくは愛想笑いを浮かべてオーラに言った。
「タイム」
その時|先輩《せんぱい》が叫んだ。そして同じチームの人たちを集める。そしてこちらを見ながらなにか話しているみたいだ。
…………聞きたい。
「オーラ、ぼくちょっと寝るから。何かあったら起こして。昨日あんまりねてないんだ」
「ん? いいデスよ」
「じゃお願い」
ぼくはそう言って身体《からだ》を体育館の壁《かべ》に預けて座り込む。
心だけ飛ばすイメージ、心だけ飛ばすイメージ。
ぼくがそう念じながら目を閉じる。するっとぼくの幽体《ゆうたい》が身体から抜けた。んー、よし! (問題なし。これが先輩との特訓の成果だ。抜けた幽体は入れ替わる前の姿をしている。先輩が言うには、これがぼくが自分の姿だと思っている姿らしい。だとしたら、先輩の身体に慣れたら幽体まで先輩の姿になるのだろうか……。
ええい! 考えるのやめやめっ! 意味ないし、考えたくない。
オーラにはぼくが寝ているように見えるだろう。ぼくは白い紐《ひも》が身体から伸びているのを確認して、先輩のところにフワフワ飛んでいく。その時先輩のことで頭がいっぱいのぼくは、オーラが座り込んだ先輩の身体を興味《きょうみ》深そうに見ていることに気が付かなかった。
「それでいくのか?」
「ああそれが一番だ。学校の体育のサッカーなんて、一部の人を除いて似たり寄ったりだからね。パスなんか繋《つな》がらない。だから一人残して全員守備。それでカウンターを狙《ねら》う。オフサイドも厳密《げんみつ》には取らないしね。幸いまだ0−0だから一点とって守れば私達の勝ちだ」
先輩が集まった選手《せんしゅ》の中心で説明している。
「で、誰《だれ》が残るんだ?」
クラスメイトの質問に自信まんまんで答える先輩。
「もちろん私だ」
起こるブーイング。
「何でおまえなんだよ」
その残る役はヒーロー確定だ。コートの外を見てみると、応援している二年生の女子の姿も見える。いいとこ見せたいのが男心というものだ。
「それはもちろん私のハニーが見てるからに決まっているじゃないか」
そう言ってぼくの身体《からだ》のほうを見る先輩《せんぱい》。
そこにあるのは座り込みピクリとも動かないぼくの抜け殻《がら》。
「寝てんじゃないのか?」
誰《だれ》かがつっこんだ。
「いや、見てくれているさ……心でね」
そう言いながら虚空《こくう》を見上げる先輩。……ばっちりぼくと目が合った。先輩には見えてないはずだけど、ぼくの行動パターン読まれてるなあ。
「それにこういうことはキャプテンがするものだろう」
「いつからおまえがキャプテンになったんだ?」
「なにを言っているんだ。私の名前はつばさだぞ」
納得《なっとく》するほかの人たち。…………本当にそれでいいのか?
ぼくがつっこんでる間に、グラウンドに散らばっていく先輩のクラスメイト達。そして審判が笛を吹《ふ》いて試合が再開した。
……ここにいてもしょうがない。
ぼくはふわふわと身体に戻る。ちなみに先輩達の試合の結果は1対0で先輩達の勝ちだった。
「あっ先輩」
更衣室《こういしつ》に向かっていたぼくはクラスメイトと歩いている先輩を見つけた。ぼくは走って先輩のもとに向かう。
「やあ、はじめくん。私の勇姿《ゆうし》を見てくれたかな」
「はい。かっこよかったですよ」
にこやかに言う先輩にぼくは答える。
「それにしてもこの体、本当に使いやすいな。カは強いし、すばやく動くし、体力はあるし」
「まあそれなりに鍛《きた》えてましたし」
「で、その体の使い心地《ここち》はどうだね?」
「あっはい最初は戸惑《とまど》いましたけどもう慣《な》れました。結構使いやすいです」
「そうだろう、そうだろう。君は身体を使うのが得意だったからね。まあ基本性能は悪くないと思うし、かわいがってやってくれたまえ」
……なんか、気に入っていた車かなんかを譲《ゆず》るみたいな口ぶりだ。先輩らしいといえば先輩らしいけど。
「………かわいいな。中身が変わるだけでこんなにかわいくなるもんなのか?」
先輩の隣《となり》にいる男の人が唐突《とうとつ》に言った。
「はっはっはっ見ての通りだよ」
うれしそうに笑う先輩。笑ってていいのだろうか。先輩、地味にけなされてるように思えるけど?
「前の先輩のほうがかわいいですよ!」
先輩の名誉《めいよ》を守るため抗議《こうぎ》するぼく。
「それは主観《しゅかん》の相違だな。たぶん今のきみの方がかわいいと言う人のほうが圧倒的に多いと思うぞ」
と、先輩。…………先輩が否定してどうする。
その時つんつんとぼくの肩をつつく感触。そこにいたのはオーラ。
「ハジメ、ワタシを紹介してくだサイ」
「うん分かった。えーと先輩、この娘はオーラです。今日転校してきたんです」
ぼくは先輩にオーラを紹介する。
「ハジメまして、オーラ=レーンズです。オーラと呼んでください。以後オミシりおきヲ」
オーラがそう言った瞬間《しゅんかん》先輩の瞳《ひとみ》が怪しく輝《かがや》いた。
「ほう、こちらこそよろしく頼むよ……ときに君はどこの出身だい?」
「カリフォルニアデス」
「ほほう」
先輩の目がさっきよりも怪しく輝く。何か面白《おもしろ》い物を見つけた時の目だ。獲物《えもの》を狙《ねら》う鷹《たか》の目と表現してもいい。
「先輩?」
ぼくが先輩に質問しようとすると。
「いやいやなんでもないよ、なんでもね……では授業に間に合わなくなるからこれで失礼するよ。はじめ君、君たちも急ぎたまえ」
そう言って先輩達は去っていった。うまく煙にまかれた。なんだろう……先輩は何を見つけたんだ?
「ハジメ、授業ハジまるヨ」
そのオーラの声で我《われ》に返るぼく。うわっ、時間がない。
「急がないと」
ぼくとオーラは走り出した。
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ナルシストとぼく
「せんぱーい。行きましょう」
ぼくは先輩《せんぱい》のクラス、2−3の前で叫んだ。今は昼休憩《ひるきゅうけい》、手にはぼくの手作り弁当。
「ちょっと待ってくれたまえ」
先輩はそう言って机の上の物を片付けている。凰林《おうりん》高校の男子生徒の制服は、黒に近い深い緑をしたブレザーとズボン、赤いネクタイ。ぼくの制服は、成長を見込んで大きめのを買ったんだけど、いまだに余ってる。おかげで、余計に子供っぽく見えてた。ただでさえ背が低くて幼く見られてたのに。でも先輩が着てるとそんな印象を受けない。それは先輩の表情が、大人《おとな》びているからだろうか。
「あら、はじめさん。お久しぶりですわ」
先輩と話していた小谷《こたに》美香《みか》さんが廊下のぼくのところまで来て言った。まるめがねに三つ編《あ》み、しかも図書委員。と、文学少女そのままという人だ。タッキーが文学少女の鑑《かがみ》だと、べた褒《ほ》めしていた。でも美香さんはその格好《かっこう》を、誤用のほうを確信犯的にやっている。その格好で図書委員やってると、もてるらしい。まじめで将来有望そうな人たちに。ちなみに部活は手芸部。手芸部に入ったのもいい男をゲットするためだそうだ。清純そうな外見《がいけん》、物腰とは裏腹に、とてもしたたかな人だと先輩も誉めていた。……誉め言葉なんだろうか。
「お久しぶりです」
頭を下げるぼく。
こういうふうに昼休憩に先輩を誘《さそ》いに来るのは、身体《からだ》が入れ替わって以来初めてだ。昨日もおとといも見物人が多かったので、ぼくも先輩も学校ではろくに顔を合わせていない。
「ああっ、昔のはじめさんもかわいらしかったですけど、今のはじめさんもかわいらしいわ」
美香さんがうっとりとして言った。前のぼくの身体は美香さんの趣味《しゅみ》にジャストフィットしていたらしい。半ズボンをはいて下さらない? とまじめに言われたときはどうしようかと思った。つまり美香さんはショタコンだということ。
その美香さんの琴線《きんせん》に触れてしまうぼくも悲しいけど……。
「つばささんも前の身体の時も凜々《りり》しくてよかったですけど、今の少年姿も捨てがたいですわ。あの声あの顔あの身体で美香と呼ばれますと、ぞくぞくっと快感が走ります」
ほんのりと頬《ほお》を染《そ》め、恍惚《こうこつ》の表情を浮かべて言う美香さん。今、美香さんとつばさ先輩が、仲がいい真の理由が分かったような気がした。この人も変なんだ…………変だ変だとは思ってたけどここまでとは。これが類は友を呼ぶというやつか。
はっまずい……今大変なことに気づいた。先輩《せんぱい》の男らしい性格――――自分で言っててどうかと思うけど、先輩はやっぱり男らしい――――にぼくの体、財力もあり、将来有望そうな今のつばさ先輩は、美香《みか》さんの理想なんだ。
「美香さん……つばさ先輩取らないでくださいよ」
ぼくは美香さんに釘《くぎ》をさす。美香さんはぼくに、にっこりと清楚《せいそ》な笑顔《えがお》を向けて言った。
「ええ、愛し合う二人の仲を引き裂《さ》くなんてはしたない真似《まね》はしませんわ。……ただわたくしはお二人の側《そば》に愛人としておいていただきたいだけです。それ以上は何も望みませんわ」
………この人だめだ。
「なに! 美香……そんなことを思っていたのか」
いつのまにか僕達の側に来て今の話を聞いていた先輩がわざとらしく驚《おどろ》いて言った。
わざとらしくぽっと顔を赤らめる美香さん。
「そうか……はじめ君、きみは私が愛人を囲うのを許してくれるかい?」
真顔で聞いてくる先輩。ぼくが心底《しんそこ》あきれてると。
「つばささん、少し違いますわ。わたくしはつばささんとはじめさん、両方の愛人になりたいのです」
「そうか、それなら問題ないな」
「ええ、よろしくお願いしますわ。末永くかわいがってくださいましね」
…………訂正、この人たちだめだ。
ぼくは二人を無視して一人で部室に向かった。
OMRの部室は美術室や科学室などの特別教室がある東棟の三階にある。どういう手段を使ったのか知らないし、知りたいとも思わないけど、空《あ》き教室のひとつを先輩が手に入れたのだ。文科系の中でもトップクラスの待遇だ。普通なら他《ほか》の部から文句が出そうなものだけど、先輩ならしょうがないなと思われているらしく、問題になっていない。
ぼくは階段を上りながらいろいろと思い出す。昼休憩《ひるきゅうけい》に先輩と食事をするという習慣《しゅうかん》はいつごろから始まったんだっけ……夏休みあとぐらいだったかな。先輩のお母さんは朝が弱いらしく、先輩のお昼はいつもパンとかだった。だから、ぼくがお弁当を作って持ってきましょうかと聞いたら、先輩があっさり釣《つ》れた。
…………あのころは良かった。いくらちびでもぼくは男だったし、いくら変でも先輩は女だった。そんなことを思い、現実|逃避《とうひ》的な幸せを感じていると、部室の扉《とびら》が見えてきた。
三階の廊下の突き当たり、ぼくは凰林《おうりん》ミステリー研究会と書かれたプレートのついた扉《とびら》を開ける。中は普通の教室よりも広い、美術室とかと同じ間取りだからだ。もちろん準備室もついていて、それもOMRのものになっている。壁《かべ》に取り付けられた本棚には先輩の蔵書《ぞうしょ》が所|狭《せま》しと並び、広い教室の半分を用途《ようと》不明の物体が埋め尽くしている。残りの半分にはソファと机が置かれ、教室の隅には冷蔵庫《れいぞうこ》が置かれている。さらにはテレビまで置いてあるという充実振りだ。これらは先輩《せんぱい》がいらないものを持ってきたり捨ててあったものを先輩が修理したりした物だ。ものすごく居心地《いごこち》がいいため、ぼくと先輩はここで食事を取ることが多い。
「やあ来たね」
ソファに座っていた男の人がぼくに気づいて言った。そしてすぐ側《そば》の何もない空間に話し掛ける。
「ああ……うん………はははそんなんじゃないよ。それじゃまたね……」
そう言って虚空《こくう》に向けて手を振る。
「今日は誰《だれ》なんですか?」
「ああ、今日は三年前に病気で死んだナミちゃん。早くあの世に逝《い》った方がいいよって言ってるんだけどねえ」
この長髪で、美形で、背の高い、危ないお兄さんは道本《みちもと》誠《まこと》さん。学年は二年、見てのとおり幽霊《ゆうれい》が見える。幽体|離脱《りだつ》したぼくが見えるのだから本物だ。
道本さんは子供のころから幽霊が見えたらしい。家が神社でなんか由緒《ゆいしょ》正しい血を引いているそうだ。そしてその能力で小さなころから四六時中幽霊を感じ、幽霊に見られてきた結果…………見られる決感に目覚めてしまったらしい。しかも重度のナルシスト。まあ実際に道本さんは背も高いしかっこいいけど。ぼくもついこの間までは、道本さんみたいだったらいいなあと思っていた。
そんな道本さんは演劇部《えんげきぶ》とOMRを掛け持ちしている。この人にとってたくさんの人に見られる役者というのは天職《てんしょく》なのだろうと思う。そんな道本さんがなぜOMRに所属しているのかというと、前に道本さんが成仏《じょうぶつ》できない幽霊を成仏させるのを、先輩が手伝ったからだそうだ。よくは知らないけど、先輩の四方八方に伸びまくった広い人脈《じんみゃく》が役に立ったらしい。それが縁《えん》で、先輩一人だったOMRに道本さんが加わった。それが、ぼく達が入学する前の話。
そしてその後、去年の四月にぼくが加わり、その何ヶ月かあとに真太郎《しんたろう》が強制的に連れて来られて、現在は四人になっている。タッキーとか美香《みか》さんは良く遊びにくるけど部員じゃない。ちなみに部として認められるには部員が五人いるので、OMRはいまだに部ではなく同好会扱いだ。それなのにこんな豪華《ごうか》な部室を持ってる辺《あた》り、権力とか人脈とかは偉大なんだなあと実感させられる。
道本さんは、今でもたまに野良《のら》幽霊を連れて来ては成仏させている。だからそれを手伝うのもOMRの活動の一環《いっかん》だ。
で、実はぼくも幽霊が見えたりする。幽体離脱している時だけだけど。同じ霊体同士だから見えやすいんだろうと先輩は言っていた。だけど怖いので、そこに浮かんでいるナミちゃんを見ようとは思わない。
「あれ、つばさ君は?」
道本《みちもと》さんが、きょろきょろとぼくの後ろを見て言った。
「置いてきました」
「そうなのかい、………………二人きりだねハニー」
思わずびくっとなるぼく。
「なっなんですか」
「ボクの気持ちを知っているくせに……つれないなあ。同性というきみにとっての最大の障害が消えた今、ボク達を隔《へだ》てる物は何もないじゃないか」
これが、道本さんが道本さんたる所以《ゆえん》だ。道本さんは美しい物を愛する。外見だけでなく、内面、行動、思想あらゆる物に美しさを見出す。あの美しさとは無縁《むえん》そうな真太郎《しんたろう》やタッキーも道本さんにとっては美しいらしい。タッキーは趣味《しゅみ》にかける情熱、真太郎は柔道で相手を投げる時の流れるような動作。真太郎はともかく、タッキーが美しいとはとても思えないけど。ちなみに道本さんが拾ってくる幽霊たちは美少女が多い、これは完全にこの嗜好《しこう》のせいだと思う。
そんなぼくが道本さんに見初《みそ》められてしまったのは、ぼくの幽体《ゆうたい》がそれはもう美しいらしい。自分では分からないけど。道本さんにとっては性別なんて意味のない物らしく、ぼくが男の身体《からだ》だった時から迫られている。
「ぼっぼくには先輩《せんぱい》というものが……」
「ふふっそんなことは些細《ささい》な問題だ。つばさ君の美しい肉体に君の美しい魂を宿した今のきみをボクが諦《あきら》めると思うかい?」
………………思わない。
ぼくがこの場をどう切り抜けようかと思っていると、扉《とびら》が開き先輩が入ってきた。
「おいおい、人の許婚《いいなずけ》に手を出そうとしないでくれたまえよ」
助かった!
ささっとぼくは先輩《せんぱい》の後ろに隠《かく》れる。
「なんだいつばさ、もう来たのかい。あと許婚とは初耳だね」
「最近そういうことになった。覚えておいてくれたまえ」
「………ボクは今のきみでもいいんだけどね、今のきみもとても美しい」
「遠慮《えんりょ》しておくよ」
「それは残念だ」
二人でにやりと笑い合った後何事もなかったように道本さんが話し掛けてくる。
「じゃお茶でも入れようかな?」
「ああ頼むよ。あとそれからお茶を入れた後ここから出て行ってもらえるとうれしいな」
「ふふっそれはひどいなあ」
見ての通り先輩と道本さんは仲がいい。初めのころは色々な意味ではらはらしたけど、今ではただ単に仲が良いだけだとわかってる。二人は掛け合いを楽しんでるだけなんだ。
「でも、まあここは退散しておくことにするよ。じゃあねハニー」
そう言って律儀《りちぎ》にお茶を淹《い》れた後に、いつの時代の人ですか? という感じのウインクをした後、部屋を出て行く道本《みちもと》さん。なんかもう似合いすぎ。
ああ、言い忘れてたけど、この部屋には電気ポットまで完備してある。ちなみに先輩は日本茶が好きだ。紅茶も、コーヒーも好きだ。先輩は淹れてもらうという行為が好きみたい。おかげでぼくは色々と淹れるのがうまくなった。
「では食べようかね」
ボクと先輩のランチタイムが始まった。
「うむ………今日もおいしかったよ。また腕を上げたかい? はじめ君は良いお嫁さんになるよ」
ぼくのお弁当を食べ終わった先輩が言った。料理は家庭の事情で、必要に迫られてできるようになった。だからあんまり好きじゃなかったんだけど、最近は好きになってきてた。先輩は本当においしそうに食べてくれるから。あとの理由は先輩への餌付《えづ》け。
そんなだからいつもは、先輩においしかったといわれるとうれしいんだけど、今はなんか素直に喜べない。
「本当にそうなることになるとは思いませんでしたよ」
ぼくは弁当|箱《ばこ》を片付けながら言った。前はぼくの弁当箱のほうが大きかったけど今は先輩《せんぱい》の弁当箱のほうが大きい。ぼくの身体《からだ》は小さいけどよく食べるのだ。
「ははっまったくだ。これだから人生は面白《おもしろ》い」
「……面白くなくて良いです。平穏《へいおん》が一番です。静かになってきて、つくづくそう思いましたよ」
ぼくはつぶやいた。そんなぼくを見て先輩が言った。
「だが、これからもっと騒《さわ》がしくなると思うよ。今まで私たちの情報は隠《かく》されていたが、学校に来たことで公開されたも同然だ。ただでさえこんな地方都市に、世界中の高名な医者や科学者が集まって様々《さまざま》な憶測《おくそく》が飛び交《か》っていたのだから、私たちのことが知れれば大騒ぎだよ」
ずーんときた。
「まあそれはそれでいい経験《けいけん》だと思うよ。それに騒がれるのは一時期だけだ、しばらくすればまた静かになるだろう。それにそこまでひどくなることもないはずだ。国からマスコミに対して圧力がかかるはずだからね。国も貴重《きちょう》なサンプルの私たちを失うわけにはいかないから必死だよ」
……サンプル、いやな響《ひび》きだ。それに………
「失うって何ですか?」
「精神的に追い詰められて健康を害されたり、自殺されたら困ると言うことだよ。まあ私たちにとってはありえないことだけどね」
自殺か……考えもしなかった。ぼくはかなりショックを受けていると思っていたけどそうでもないのかもしれない。これも先輩のおかげかな、いつでも平然としている先輩がいることで、ぼくはかなり救われてるみたいだ。最近の先輩の特異な言動は、ぼくのことを思ってのことかもしれない……
「ああ、さっきの美香《みか》のことだけど、どうだろう。お試し期間で愛人にしてみるのは」
……かと思ったりもしたけどただの勘違《かんちが》いの可能性が高くなってきた。
そして次の日ぼくと先輩が許婚《いいなずけ》となっていることが学校中に知れ渡っていた。犯人はもちろん道本《みちもと》さん、さらにその影では先輩が暗躍《あんやく》していたと聞いた。おかげでせっかく静かになりかけていたぼくの周りが再び騒がしくなった。ぼくが平穏《へいおん》に暮らせるようになるのはいったい何時《いつ》になるだろう。
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ライバル(自称)とぼく
今日は楽しい日曜日〜
ぼくはにっこにっこしながら新築の、ローンがまだかなり残っている我《わ》が家を出発した。今日は先輩《せんぱい》とデートだ! それがたとえ先輩が市内の方に本を探しにいくのに、ぼくが無理やりついていくとしてもだ。いっしょに出かけていっしょにご飯を食べていっしょに買い物をする。誰《だれ》がなんと言おうとこれはデートだ。
んん〜幸せだなあ
ぼくは笑顔《えがお》のままでスキップまでしている。すれ違う人たちがみんなぼくをみているみたいだけど、ぼくの目には入っていない。ぼくはひらひらとしたスカートをはためかせながら進んでいく。
今日のぼくの服装は真っ白いコート、その下は白いタートルネックのセーターに水色のフレアミニのスカート。足には黒いブーツ。ちなみにこれらの見立てはお姉ちゃんとお母さん。ぼくはやいのやいの言いながら面白《おもしろ》がる二人に、着せ替え人形にされた。しっかり化粧《けしょう》もされたし。でもいやじゃない。きれいでかわいい先輩の姿を見るのはとてもうれしい。先輩は飾り気のない人だったし。それに先輩と会うのに変な格好《かっこう》していくわけにはいかない。
先輩との待ち合わせ場所は、ぼくの最寄《もより》駅の縁《みどりが》ヶ丘《おか》駅。ここに先輩が来ることになっている。駅が近づくにつれて道が広くなり、歩道と車道がガードレールで区切られるようになる。お店も増えてきて人通りも多くなってきた。
その時、大きな荷物を持ってよろよろ歩いていたおばあちゃんが、歩道の段差につまずいた。荷物をばら撒《ま》き転ぶおばあちゃん。
「大丈夫ですか?」
ぼくはあわてておばあちゃんに駆《か》け寄った。
「ああはい、大丈夫です」
そう言って立ち上がろうとするお婆ちゃん。
「痛ッ」
でもおばあちゃんは足を押さえてうずくまる。怪我《けが》したのか、ぼくはおばあちゃんの靴下を脱がして足を見てみる。少し腫《は》れてる、軽い捻挫《ねんざ》みたいだ。どうしよう……あっその前に荷物を拾わないと。ぼくがそう思った時すっとおばあちゃんの荷物が差し出された。
荷物を拾って差し出したのは一人の少年だった。年はぼくと同じくらい。身長は今のぼく……170センチの先輩の体より少し高いくらいで、体つきは細いけどがっしりしている。なにかスポーツをしているのかもしれない。髪は長くぼさぼさで目が隠《かく》れているので表情が読めない。少年はその長い髪を無造作に後ろで縛《しば》っている。
「ありがとうございます」
ぼくはお礼を言った。
「大丈夫か?」
少年が、屈《かが》んでいるぼくを覗《のぞ》き込むようにして言った。
「このおばあちゃんが足をくじいたみたいなんです」
「……何か手伝うことは?」
「えーと、おばあちゃんお家《うち》この近くにありますか?」
「はい」
「よかった。すいませんがこのおばあちゃんを運んであげてもらえますか?」
どう考えてもおばあちゃんのほうが重そうだったので、ぼくはおばあちゃんのほうを頼んだ。
「わかった」
そう言って少年はおばあちゃんを背負《せお》う。ぼくはおばあちゃんの荷物を持った。
「すまないねえ、時間は大丈夫かい?」
おばあちゃんがすまなそうに言った。近くだって言うから先輩《せんぱい》との待ち合わせには間に合うと思う。
「あ、だいじょうぶです。えーと」
ぼくはおばあちゃんを背負っている少年を見る。
「オレも大丈夫だ」
「だそうです。で、おばあちゃん家《ち》はどっちですか?」
「こっちです」
ぼくとおばあちゃんを背負った少年はおばあちゃんの案内にそって歩いていった。
「ここです」
ある年季《ねんき》の入った古い家の前でおばあちゃんが言った。
「今|誰《だれ》か家にいますか?」
「いないんです。あいにく今日はみんな出てまして」
「そうですか」
ぼくはそういうおばあちゃんから鍵《かぎ》を借りてドアを開《あ》ける。中はなんかおばあちゃん家〜といった雰囲気を醸《かも》し出している。ぼくのおばあちゃんは元気かなあ、今年の正月は色々あって田舎《いなか》に帰れなかったし。……おじいちゃんの方は絶対元気だ、あの人は絶対100まで生きる。今の感じならギネス記録《きろく》すら更新しそうだ。ぼくはそんなことを考えながら家の中を進んだ。
居間《いま》を見つけたぼくは、無言でぼくについて来ていた少年に言った。
「おばあちゃんをこの部屋に」
無言で従う少年。
「あっおばあちゃんシップとか包帯とかありませんか?」
「あそこに」
おばあちゃんが指差した棚の扉《とびら》を開けると救急箱《きゅうきゅうばこ》が入っていた。ぼくは中からシップと包帯を取り出すと手際《てぎわ》よく巻いていく。諸般《しょはん》の事情によりぼくはこういうことも仕込まれている。
「よし、できました。これで大丈夫だと思いますけど腫《は》れが引かないようなら病院に行ってくださいね」
「すいませんねえほんとに」
おばあちゃんが頭を下げた。
「いえいえ困った時はお互い様ですよ」
ぼくがそう言ったとき玄関の扉を開く音が聞こえた。パタパタと歩く音が聞こえた後その足音の主は居間に来た。
「まあっおばあちゃんどうしたんですか?」
ふっくらした中年のおばさんが言った。おばあちゃんの娘さんかもしれない。
「この方達は足をくじいたあたしをここまで運んでくれたんだ、早くお茶出して! ええいまどろっこしい、昭夫《あきお》、昭夫はいるんだろ」
「なんだいかあさん」
そう言って中年の男性が顔を見せた。
「あたしを台所まで運んで頂戴《ちょうだい》」
「はいはいわかりましたよ」
そう言っておばあちゃんを抱える息子さん。おばあちゃんおとなしい人かと思ってたけど、思いのほか元気な人だなあ。
で、ぼくと少年は二人きりでこの部屋に残された。
…………会話がない。
この空気をどうにか打開しようと、ぼくは少年の方を見て微笑《ほほえ》んでみる。少年は照れたのかそっぽ向いた。……照れた? はっまたやってしまった。先輩《せんぱい》の笑顔《えがお》でまた一人、少年を魅了《みりょう》してしまったのかもしれない。しかも困った老人を助けるなんて、やさしくきれいな正統派美少女まっしぐらだ。………これはまずい、ここはさっさとここを出よう、そして少年には今日の出来事を美しい思い出の一ページにしまってもらおう。もう会うこともないだろうしそれがいい。
そう思って僕は少年にここを出ると言おうとした。だけど……あれ? なんかこの少年見たことあるような気がする。この照れてそっぽ向いた横顔………誰《だれ》だったかなあ。
「あの、ぼくと会ったことありません?」
別れの言葉を言うはずのぼくの口から出たのは、こんな言葉だった。
「………いや」
そっぽを向いたままの少年。その少年に再び話し掛けるぼく。
「えっと君の名前は……あああああああああああああああああああああ」
名前を聞こうとしたぼくの目に映ったのは壁《かべ》にかけられた時計、時計の針は九時五十五分をさしている。待ち合わせは駅に十時。
「ごっごめんなさい、時間がないのでもう行きます。ありがとうございました」
ぼくは少年に頭を下げて玄関《げんかん》に向かった。
そのとき奥から息子さんに抱えられて出てきたおばあちゃんと会った。
「すっすいません人を待たせているのでこれで失礼します」
「そうかい残念だねえ、待ってるのはあんたのいい人かい?」
「はいっ」
「そうかいそうかい」
おばあちゃんはうれしそうに笑っている。
「それでは失礼します」
「今日は本当に助かったよ、ありがとう」
ぼくはおばあちゃんの声を聞きながら玄関を出た。時間的に間に合うか微妙《びみょう》なところだ。
行け、ぼくよ。走れ、風になれ。ぼくは全力|疾走《しっそう》で駅に向かう。
あっ少年の名前聞き忘れたな………まあいいか。
今日はとても楽しかった。待ち合わせには少し遅れたけど先輩《せんぱい》はそんなことで機嫌《きげん》を悪くするような人じゃない。それでも平謝《ひらあやま》りに謝ったけど。
駅で合流したぼく達は電車で市街地に向かった。そして街に着いてしばらくぶらついたあと食事を取った。そのあと本屋めぐり。目当ての本が見つかったらしく、先輩はいい買い物ができたと上機嫌だった。その後映画を見た。今はやりの大作映画には目もくれず、B級感|溢《あふ》れる映画を選択《せんたく》するのがいかにも先輩らしい。映画の内容は……言わないでおこう。でも先輩はご満悦《まんえつ》らしい、ぼくには分からない世界だ。そしてぼく達は再び電軍で帰途《きと》に着いた。で、今いるのは緑《みどりが》ヶ丘《おか》駅。女性は男が送るものだといって先輩はいっしょにこの駅で降りた。
身体的には正しいんだけど……やっぱり何か釈然《しゃくぜん》としないものがある。
ま、そんなこんなで今にいたるわけなんだけど。
「あっ先輩先に出ていてください」
ぼくは改札の前で先輩にそう言うと向きを変えて走りだした。
別に深い意味はない……ただトイレに行きたくなっただけ。
ぼくはトイレの前に来ると迷わず女子トイレに入った。ああ、間違えて男子トイレに入っていたころが懐《なつ》かしい。……慣《な》れって怖いなあ。とほほ。
ぼくがトイレを出て、改札を通ろうとした時どなり声が聞こえた。
「山城《やましろ》一《はじめ》ぇ! ここであったが百年目だ。今こそ決着をつけてやるぜ!」
なんなんだこの場違いな熱血トークは、ぼくは声のする方に向けて走った。
「……………………君は誰《だれ》だね」
「なにぃ! 言うに事|欠《か》いてなんて言い草だ! このオレを忘れたと言うのかっ!!」
日が傾き、赤く染《そ》まった駅前の広場にいたのは先輩《せんぱい》と午前中に会った少年。
「せんぱ〜い」
ぼくは先輩に駆《か》け寄る。
「どうしたんですか?」
「いや……この少年にいきなり絡《から》まれてね」
先輩が言った。それを聞いて激怒《げきど》する少年。
「この少年、この少年だと! 馬鹿《ばか》にするのもいいかげんにしろ! 大体きさ…ま……は」
あっぼくに気づいた。
「あっあなたは……」
ぼくの方を見て顔が真っ赤になっている少年。手遅れだったか……少年はぼくのことを好きになってしまったみたい。………まったくもって先輩の美貌《びぼう》は罪だ。
「どうも」
頭を下げるぼく。そのぼくに少年は恐る恐るといった感じで聞いてきた。
「……まさか……この男があなたの………いっいいひとなのか?」
どうやらおばあちゃんの家を出る時の、ぼくとおばあちゃんの会話を聞いていたみたいだ。どう答えるべきか……できるだけショックを受けないように………
「いや許婚《いいなずけ》だ」
そんなぼくの思いも知らずに、衝撃《しょうげき》の事実を容赦なく告《つ》げる先輩。がーんとか擬音《ぎおん》がつきそうな勢いで衝撃を受ける少年。うわあ、いたそう。少年はしばらく固まった後うつむき、絞《しぼ》り出すような声で言った。
「いつもいつもいつもいつもいつもいつもいつも貴様はオレの前に立ちはだかる! 今日と言う今日は貴様に勝ってやるぞ!」
なんか聞いたことのあるフレーズだなあ………。
「ああ〜〜〜〜!」
思い出した!
「ん? 何か思い出したのかね」
顔を寄せ、小声で聞いてくる先輩《せんぱい》。
「はい……彼は大林《おおばやし》典弘《のりひろ》、前住んでいた街の幼馴染《おさななじみ》です」
ぼくは小声で先輩に話す。
「幼馴染の顔を忘れるなんて君も薄情《はくじょう》な人だね」
「しょうがないですよ! のりちゃん昔は分厚いビンぞこめがねだったんですよ! 身長もすごく伸びてるし、声変わりもしてるし、髪形も違うし。はっきりいって別人ですよ!」
「なるほど…………それで、なんで幼馴染に目の敵《かたき》にされているんだい?」
「前、先輩にぼくの名前の由来《ゆらい》を話しましたよね」
「ああ、男に生まれたからには一番を目指せという意味だろう?」
「はい」
同じ理由でお父さんもお姉ちゃんも名前に一がついている。お姉ちゃんは女だけど。もちろんおじいちゃんにも一の字はついている、ちなみにおじいちゃんの名前は一太郎《いちたろう》。ワープロソフトみたいな、というかそのまんまな名前。そんな微妙《びみょう》にハイテクっぽい感じのおじいちゃんだけど、中身は、日本男児をざるでこしてこして、余分なものを取り除いてできたような、日本男児の純血種。
「そんな家系だからぼくは前の街で漢《おとこ》の道教育なんてのを受けさせられてたんです。主におじいちゃんに。なんかうちの家に伝わる漢の三か条というのがあって、ぼくはそれにそって色々|修行《しゅぎょう》させられたんです。三か条の内容は、ひとつ、漢は強くなければならない。ふたつ、漢は賢《かしこ》くなければならない。みっつ漢はやさしくなければならない」
「ほほうそれはすばらしい」
「言葉だけは素晴《すば》らしいとぼくも思いますよ。でもやってることはめちゃくちゃなんです。山にこもらされたり、熊と戦わせようとしたり、谷から突き落とそうとしたり。獅子《しし》は千尋《せんじん》の谷にわが子を突き落とし這《は》い上がってきたものだけを育てるって、人間でやったら普通死にますよ!」
これだけじゃなくまだまだある。
「なるほど、だからこのはじめ君の身体《からだ》の身体《しんたい》能力は高いのだね」
「そうです」
でも、とんでもない修行ばかりだったとはいえ役に立っていることもある、今日おばあちゃんの足を手当てできたのはおじいちゃんに教わったことだし、ぼくが料理がうまいのだって、山籠《やまごも》りの時にぼくひとりで、食材の現地|調達《ちょうたつ》、調理をやらされたからなんだ。
最初は食べるだけで精一杯だった。植物|図鑑《ずかん》片手に、食べられる野草を探してたんだからしょうがない。それでも何度目かの山籠りのときには、味を気にするようになっていた。そんな自分に気づいたとき、人間って慣《な》れる生き物なんだなあと実感した。そのすぐあとに、ものすごいむなしさに襲《おそ》われたけど。
あと、漢はやさしくなければならないという考えも共感できる。
それでも、人に親切にするたびに漢気《おとこぎ》ポイントが貯《た》まり、そのポイントを世界で一番ためれば真の漢になれるという考えは共感できないし、したいとも思わない。
「で、それとこれとは何の関係があるんだね?」
「子供のころってしょーもないことでよくけんかするじゃないですか」
「そうだね」
「ぼくとのりちゃんもよくしました。……でも勝つのはいつもぼくなんです。無理やり鍛《きた》えられてましたし、もし負けたら更なる修行が待っているのでぼくも必死でしたし。それだけじゃなく、スポーツや勉強なんかでもぼくがいつも勝つんです。挑《いど》まれた勝負でぼくは負けを許されなかったので。だから、そんなこんなで仲が悪くなった……というかのりちゃんがぼくを勝手に敵対視してるんです」
「なるほど」
先輩は、あごに手を当てて何かを考えてるみたい。
「おい貴様こっちを見ろ! ええいオレの目の前でいちゃつくな! くそっ………なんで貴様と彼女が」
叫んでいるのりちゃん。たしかに顔を寄せ合ってしゃべっている今は、いちゃついてるように見えるかも。
「で、今の君を知っているのはどうしてだい? そもそもなぜ彼がここに?」
「ここにいる理由はわからないですけど、この町に来た理由はぼくと勝負するためだと思います。あと、今のぼくを知ってるわけですが………」
ぼくは今朝《けさ》のことを先輩《せんぱい》に話す。
「なるほどなるほど」
先輩の目がキラーンと輝《かがや》く。うわっ先輩がこの目をした時はろくな事が起こらない。
「せんぱ、むぐぅ………」
何をするかはわからないけど、ぼくはとりあえず先輩を止めようとした。そんなぼくの口をふさぐ先輩。むーむーうなるぼくを尻目《しりめ》に先輩はのりちゃんを見て言った。
「いや、すまない。君が余りに変わっていたので気づかなかったよ。いやあほんと見違えたねえ典弘《のりひろ》君。ああ紹介しよう、彼女は平賀《ひらが》つばささん。ぼくの許婚《いいなずけ》だよ」
先輩がいけしゃあしゃあと言った。
「さっき聞いた。……自慢《じまん》したいのか?」
「ふふっそうだよ。今、朝の事を聞いた。君はつばさに惚《ほ》れてしまったのだろう?」
先輩が笑った。うわあ………すごく悪そうな笑いだ。
「なっ貴様」
「ふふっ分かるよ。つばさは美人だし、気立ては良いし、やさしい。君の知らないことを言うと炊事《すいじ》洗濯《せんたく》がとても得意で、家事は万能だ。中でも料理は絶品だ。そして………あっちの方も絶品だ」
そう言って先輩《せんぱい》はぼくの腰に腕を回し、胸に顔をうずめる。
「ななななな何をするんですか!」
ぼくは、じたばたと先輩の腕から逃《のが》れようとする。
「くっはじめ、やめろ。嫌《いや》がってるじゃないか」
真《ま》っ赤《か》になりながら言うのりちゃん。
「きみは嫌よ嫌よも好きのうちという言葉を知らないのかね」
先輩はそう言いながら残っている腕を太ももにあて、つつつーっとスカートの中に入れていく。
「せんぱい!」
なっなに考えてるんだ先輩は! ぼくは抵抗しようとするけどがっしりつかまれていて思うように抵抗できない。
「はっはじめ、貴様!」
怒鳴《どな》るのりちゃん……また真っ赤になっているけど今度のは怒りみたいだ。そんなのりちゃんに意地の悪そうな顔をして言う先輩。
「ふふふふ、君にいい事を教えてあげよう。ぼくとつばさが許婚になったのはぼくが無理やり迫ったからなんだよ。……彼女にはぼくに逆《さか》らえない理由があってね。彼女はぼくの言いなりさ」
………一応事実だと思う。結婚を提案したのは先輩《せんぱい》だし、ぼくは先輩からのお願いに逆らえない。惚《ほ》れた弱みとでもいいますか。
でもこんな意地の悪い言い方しないでも。先輩、絶対のりちゃんをわざと挑発《ちょうはつ》してるよ。
「外道《げどう》があ……」
その挑発に簡単《かんたん》に乗るのりちゃん。のりちゃんが激怒《げきど》してるのが分かる。
「くくく、最初はつばさも抵抗したけどね……今はこのとおりだ」
………どのとおりなんだ。
「彼女の身体《からだ》でぼくが知らないところはないよ」
そりゃそうだ、この身体は先輩のなんだし。
「つばささん! どんな理由があるのか知りませんがそんな男に従うことはありません!」
叫ぶのりちゃん。
「そうは言っても、つばさの身体はぼくなしでは生きられない。そう仕込んだからね………彼女はぼくから離《はな》れられないんだよ」
確かにぼくは先輩から離れられない。…………仕込まれた覚えはないけど。
「そうなのか?」
のりちゃんがぼくに聞いた。スカートに進入しようとする先輩の手を押さえつけつつ、ぼくは頷《うなず》く。……嘘《うそ》ではないし、頷け〜という先輩の無言の圧力も怖かったし。
それを見てのりちゃんは顔をゆがめた。そして少し考えた後言った。
「それでも君はそんな男から離れるべきだ! できないというなら、そんな男オレが忘れさせてやる」
のりちゃん昔から熱くなると目の前が見えなくなる猪突猛進《ちょとつもうしん》型だったけど、しばらく会わない間にその性格にまで磨《みが》きがかかっていたらしい。そんなのりちゃんに先輩は言った。
「これでもぼくはつばさを愛している……君はどうなんだい? つばさとは今日会ったばかりなんだろう? それでもぼくより愛しているというのかい?」
「ああ、愛してるとも。オレは運命を感じた。オレのほうが貴様よりも彼女を幸せにできる」
……………………………なんなんだ、何でこんなことになっている? 何でぼくは男の幼馴染《おさななじみ》に愛の告白をされているんだ?
ぼくは事態《じたい》の進展に頭がついていっていなかった。
「ふふ、言い切ったね。つばさの秘密を知ってもそう言いきれるのかな?」
「貴様が受け入れられる秘密を、オレが受け入れられない理由はない!」
のりちゃん……なんか背中に炎《ほのお》背負《せお》ってるよ。
「では心して聞きたまえ」
先輩《せんぱい》が話し始める。先輩が言葉を紡《つむ》ぎだすたびに、のりちゃんの背中で燃え盛《さか》っていた情熱の炎《ほのお》が消えていく。完全に鎮火《ちんか》したのりちゃんはぼくと先輩を交互に見比べた後、ぼくの前で視線《しせん》をとめると聞いた。
「ほっ本当にはじめなのか?」
「……やあ、久し振りだねのりちゃん。ほんとかっこよくなったね、全然気づかなかったよ。はははっ」
とりあえず笑って言う………この場は笑ってごまかすしかない、もう手遅れっぽいけど。ぼくの目の前にはがっくりと膝《ひざ》をついたのりちゃん。そののりちゃんから地獄《じごく》のそこから響《ひび》いてくるような無気味《ぶきみ》な笑い声が聞こえてくる。
「………………ふふふふふふふふふおまえは無様《ぶざま》なオレを見てほくそえんでいたわけだな」
「いや、気づかなかったんだよ、ほんとだよ」
言い訳《わけ》するぼく。
「……くくくくお笑いだ……生まれて初めて惚《ほ》れた相手が貴様だとはな、しかも………愛の告白までしてしまった」
………………………………フォロー不可能。
そういやのりちゃんの浮いた話って聞いたことなかったなあ…………って何もかもなかったことにしようとしてる場合じゃない。
ぼくは先輩を怒った目でにらんだ。
「まさか初恋だったとは……かなり罪悪感を感じるよ」
「あたりまえですよ! 何でこんなことをしたんです!」
「いや、大林《おおばやし》典弘《のりひろ》君がどのような人間か知りたかったのと、いたずら心でやってしまった……大林君すまなかったな。これは本心だ、本当にすまない」
そう言って謝《あやま》る先輩。そんな先輩にもまったく反応せず「くくくく」と相変わらず不気味《ぶきみ》な笑い声を上げているのりちゃん。
「…………ところで大林典弘君、今の気持ちはどうだい? 個人的にはここまで追い詰められてしまった人間の心理|状態《じょうたい》が知りたいのだが……」
「先輩、怒りますよ!」
「……ふむ、残念だがこの問いはまた今度にするとしよう」
「今度でもだめです!」
そう先輩を怒った後、ぼくはのりちゃんに頭を下げた。
「のりちゃんほんとにごめんなさい。これはまあ犬に噛《か》まれたと思って忘れて」
無言で立ち上がるのりちゃん。そしてぼく達に背を向けて歩き出す。
「これからどうするの?」
ぼくはのりちゃんの背中に向けて言った。
「……オレの知ってるはじめは死んだ。安心しろ、もうおまえに勝負を挑《いど》むこともない。後のことは知らん」
そう言って去っていくのりちゃん。その背中を見てぼくはとても寂《さび》しくなった。のりちゃんに勝負を挑まれるの……ぼくは嫌いじゃなかったんだ。どんな理由でもまっすぐぶつかってきてくれるのは心地《ここち》いいものなんだ。でも、もうそれはない。
そのさみしさと一緒にもう一つ重い物がぼくの心に沈んでいった。
……ぼくが死んだというなら……ぼくはなんだ? 男でも女でもない。その重りに押しつぶされ、苦しくなって、ぼくは先輩《せんぱい》に聞いた。
「先輩……昔のぼくは死んでしまったんでしょうか」
「…………そうともいえるかもしれない。しかしそう考えるよりも生まれ変わったと考えた方がいい」
「じゃあ何に生まれ変わったんです? 男でも女でもない中途半端なぼくですよ」
ぼくはすがるように先輩を見下ろした。
「そうだね……私と共に生きるための君。というのはどうだい? 中途半端なのは私も同じだ。しかし、だからこそ中途半端な私と君はお互いの欠損部分を補い合うことができる。隣《となり》り合うパズルのピースのように。
それにだ、私は入れ替わることで君との間に誰《だれ》にも絶つことのできない絆《きずな》が生まれたと思っている。そして自分でも鷲《おどろ》きだがそれを心地《ここち》よく思っている私がいる。……きみはどうだい? 私はこの絆は今まで私たちが被《こうむ》ったデメリットを帳消しにして、さらにはおつりが来るほどの素晴《すば》らしい物だと思うのだがね」
先輩が微笑《ほほえ》みながら言った。………この笑顔《えがお》は反則だ。
「……そうですね、………ぼくもそう思います」
ぼくの心にどんっと乗っかっていた重りが先輩の言葉で吹《ふ》っ飛んだ。やっぱり先輩はすごいなあ。ぼくは先輩の手を握って言った。
「じゃ、帰りましょう。晩御飯《ばんごはん》ぐらい家で食べてってくださいね、うちの親も喜びますし」
「ああ、そうさせてもらおうかな」
家に向かって歩き出すぼくと先輩。
夕焼けは見る時の気分によって印象が変わるものだけど、今見える夕焼けはとってもきれいで暖かなものだった。
「君になら安心してはじめを嫁にやれるよ、がっはっはっは」
酔《よ》っているのかとても機嫌《きげん》のいいお父さん。てゆーか、なんでうちの親はこんなにも順応性が高いのだろう。もうすでにぼくを嫁に出す気満々だ。
「はっはっは、任せてください」
これは先輩《せんぱい》。順応性だけなら先輩も負けてない。
「くっ、昔はお父さんのお嫁さんになる〜とか言っていたはじめがとうとう嫁に……」
酔《よ》いのあまり、今度は記憶の捏造《ねつぞう》を始めたお父さん。
先輩と入れ替わってからまだ一ヶ月も経《た》ってないのだから、そんなことは間違いなく言ってない。
「そんな事が……心中察します。ですが、心配しないでください。お嬢《じょう》さんは必ず私が幸せにします」
とても付き合いのいい先輩、やっぱり酔ってる。いや、酔ってるとかは先輩には関係ないか。先輩はいつも酔ってるみたい…………これ以上はやめとこう。
あと先輩が飲んでいるのは、アルコールの入ったジュースだから何も問題はないらしい。なんて無茶《むちゃ》な理屈《りくつ》だ。
「くうっ良い話ねえ……」
これはお姉ちゃん、わざとらしく涙を拭《ふ》く振りをしてる。こちらもぜったい酔ってる。
今は食後の団欒《だんらん》、場所はぼくの家の居間。食器を下げてるお母さん以外はみんなここにいる。ということはここでテーブルを囲んでいる人間の中で、真《ま》人間はぼくだけということだ。だから今のような素敵《すてき》に歪《ゆが》んだ会話が交わされる。
今日はぼくが食器を洗おう、お母さんも先輩と話したいだろうし、会話の矛先《ほこさき》がぼくに向かおうとしてるし。
ぼくは嫌《いや》な方向に向かい始めた会話を背に受けながら、そっと居間を脱出した。
ん? なんかさっきとは雰囲気が違うな……洗い物を終えて居間に戻ろうとしたぼくはそう思った。扉の向こうからはさっきのような馬鹿《ばか》話が聞こえてこない。とても静かだ。
どうしたんだろう。
ぼくはそう思いつつ扉を開ける。すると…………。
「子供はやっぱり女の子よねえ…………おばちゃんとは呼ばせないけど」
「お母さんは男の子がいいわ」
「むむむぅ、男もいいが女も捨てがたい……」
「はははは、では間を取って一姫二太郎《いちひめにたろう》という方向性で行きましょう」
再び始まる馬鹿話。繰り広げられている会話はさっきと同じ……いや、確実に悪化している。てゆーか、なんて会話をしてるんだよ…………めまいがして来た。
……でもさっきとはなんか違う。部屋の中に広がる、あきらかな違和感。ぼくがその違和感の原因について考えていると、先輩が話を振ってきた。
「はじめ君は男の子と女の子、どちらが欲しいかね」
あまりにも唐突《とうとつ》な、とんでもない問いに頭の中が真っ白になる。お願いだからそんな事をぼくに聞くのはやめて……。
もうすでに、心の|HP《ヒットポイント》が1ぐらいまで減ってるぼく。にもかかわらず、次に先輩《せんぱい》が繰《く》り出したのは会心の一撃《いちげき》。
「まあ、どちらにしてもがんばろうではないか」
…………………………………………なにをだ。
次の日。一時間目の開始まで真太郎《しんたろう》と話して時間を漬《つぶ》しているとタッキーが来て言った。
「隣《となり》の1−6にまた転校生が来たらしいぞ」
「……ほんと最近多いなあ。で、何でタッキーそんなに落ち着いてるの?」
「男だからだ! 男が増えてもなんも面白《おもしろ》いことはない」
「なるほど」
ものすごく明確かつ納得《なっとく》できる理由だ。
「で、どんな人?」
「背は175ぐらいはあるだろう、髪が長くて後ろで縛《しば》ってる。いちおう男前の部類に入る。あといい体つきしてたな」
ん? まさか……
ぼくは隣の教室にその転校生を見に行った。
「あっのりちゃん!」
そこにいたのは予想していた人物だった。
「どうしてここに?」
のりちゃんはぶすっとした顔で言った。
「ふん! もともと勝ち逃げした貴様を完膚《かんぷ》なきまでに負かすために転校してくることになっていた。師匠《ししょう》と山に寵《こも》っていたせいで遅れてしまったがな」
………この漢《おとこ》らしさあふれる、時代|錯誤《さくご》な考え方はよく知ってる気がする。
「……ちなみにその師匠ってのは………」
「お前の祖父《そふ》だ」
…………やっぱり。そういえば昔、「漢には強敵《とも》が必要だ!」とか言っていた。この師弟関係は、おじいちゃんとのりちゃんの利害が一致した結果なんだろう。なんて迷惑な二人が手を組んだんだ。まあ、先輩と入れ替わった今、あまり実害がなさそうなのが救いかな。喜んでいいのやら、悲しんでいいのやら…………
「昨日は……転校を取りやめようかとも思ったが、やはり転校することにした。
やはり勝ち逃げは許せんからな。とはいえ身体能力ではオレが圧倒的に勝っているから体を使って勝ってもオレの鬱憤《うっぷん》は晴れん。だから身体的能力が関係ない勝負で貴様を負かすことにした。……首を洗って待っておくんだな」
「うん! まってるよ」
ぼくは笑って言った。身体《からだ》は替わってもぼくはぼくと認めてくれたのがうれしかった。今までどおり勝負を挑《いど》んでくれるのがうれしかった。
「……ところで気になってたんだけど、なんで昨日あんなとこにいたの?」
「ああ、あそこにいれば会えると、一美《ひとみ》さんに教えてもらった」
………お姉ちゃんが全《すべ》ての元凶《げんきょう》か、場所だけ教えて肝心《かんじん》なことはまったく伝えてないし。
おしおきしないとね、ぼくは頭の中で地味でダメージのある仕返しを色々考えていた。
数日後、お姉ちゃんがぼくに泣いて謝ってきたけど、それはまた別のお話。
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超戦隊シリーズとぼく
「今日はつばさ先輩《せんぱい》と一緒《いっしょ》じゃないのか?」
昼休み、弁当を取り出して食べようとしたぼくに真太郎《しんたろう》が言った。
「うん、今日何か用事があるんだって。だからたまには真太郎と食べようかなと」
「そうか」
凰林《おうりん》高校には売店派、学食派、弁当派がいる。ぼくは弁当派、真太郎も弁当派。と言うか、真太郎は二時間目の授業が終わった後にパンを食べて、昼休憩《ひるきゅうけい》に弁当を食べる。あと部活が終わって何か食べて、と真太郎は一日五食は食べている。これだけの巨体を維持《いじ》するには、それだけの食料が必要みたいだ。
ぼくと真太郎は黙々《もくもく》と、お弁当の中身を口に運んでいく。真太郎は普段《ふだん》からおしゃべりな方ではないけど食事中はそれに拍車《はくしゃ》がかかる。静かな食事時間が流れている。………こういうのもいい感じだ。そのとき珍《めずら》しく真太郎が口を開いた。
「昨日の夜、夢を見た」
「へえ、今度はどんな夢見たの?」
「…………」
話しづらそうにしている真太郎《しんたろう》だったけどしばらくして口を開いた。
「戦隊物のコスチュームを着てかっこよくポーズを決めていた」
「あはははは、それ面白《おもしろ》い! ほんとになったら笑えるなあ」
「……おまえも一緒《いっしょ》だったぞ」
突っ込む真太郎。
「………………さすがにそんな非常識《ひじょうしき》な夢は正夢《まさゆめ》じゃないと思うよ。真太郎の見た夢が全部本当になるわけではないしね」
とってつけたように意見を変えるぼく。
「だといいな」
「大丈夫だって」
そう言いながらぼくと真太郎はあることを考えないようにしていた。
あの人が関《かか》わるなら何が起きても不思議《ふしぎ》がないということを……
ぼくと真太郎は、沸《わ》き起こる不安をごまかすように箸《はし》を進めた。
「おっめずらしい」
パンを手に持ったタッキーが、ぼくを見て言った。タッキーは売店か弁当か食堂かはその日によって違う。今日はパンだったらしい。そして椅子《いす》をぼく達のところに持ってきて余計な一言。
「うう……こんな美人と食事をできるなんて幸せだなあ」
こいつだけは日にちが経《た》っても変わらない。
「それにしても弁当小さくなったな、前は真太郎の弁当の三分の二はあったのに」
タッキーがカレーパンをかじりながら言った。確かに昔はそのくらいあったけど、今は真太郎の弁当の半分もない。
「先輩《せんぱい》の身体《からだ》は少食なんだ。必要な量しか入らない」
「なるほどなるほど……それでそのプロポーションが保たれてるわけだな」
「………気持ち悪いからメガネを光らせてこちらを凝視《ぎょうし》するのはやめて」
タッキーは中指で眼鏡《めがね》を押し上げる癖《くせ》がある。この癖は観察《かんさつ》対象にとてもプレッシャーをかける。気持ち悪いから直せと前々から言ってたんだけど、観察対象になって確信した。
ぼくは正しかった。今すぐ、一秒でも早くなくしてしまえ、そんな癖。
「何を言う! おれは美しい芸術作品を愛《め》でているだけだ。何が悪い?」
「全部! 男にじろじろ見られても気持ち悪いだけだよ」
「…………きれいな髪だな」
「だからじろじろ見るなって!」
ぼくがタッキーの視線《しせん》から逃れようとしているとスピーカーから音が鳴り響《ひび》いた。
ピ〜ンポ〜ンパ〜ンポ〜ン
そして聴《き》いたことのある声が聞こえてくる。
『あ〜こちら凰林《おうりん》ミステリー研究会会長の平賀《ひらが》つばさだ』
先輩《せんぱい》、いったいどうしたんだろう。先輩の言っていた用事とはこの事なのかな。なんか先輩といる事で鍛《きた》えられた、ぼくの嫌《いや》な予感センサーがびんびんに反応してるんだけど………
『あー、唐突《とうとつ》だが私は凰林高校をあらゆる魔《ま》の手から守るために戦隊を組織《そしき》することにした』
センサー的中…………先輩、
『名前は学徒戟隊オーリンジャーとする』
………………なんで、
『これより我等《われら》が凰林高校を守るために選《えら》ばれた、栄誉《えいよ》あるメンバーを発表する』
………………こんな、
『心して聞くように』
………………馬鹿《ばか》なことを考え付くのですか?
ぼくは思わず机に突《つ》っ伏《ぷ》した。
「それではまずは凰林レッド、一年六組、大林《おおばやし》典弘《のぶひろ》』
なに〜〜〜
隣《となり》の教室からのりちゃんの叫び声が聞こえてきた。そののりちゃんの声プラス、はやし立てるクラスメイトの声が聞こえる。
『典弘君には熱血、考えなし、情に厚いといった典型的レッドをやってもらう』
やってたまるか〜
あ、のりちゃんの声がまた聞こえてきた。
『典弘君、君はたぶん今「やってたまるか〜」とか叫んでいると思うが………』
隣のクラスで起こる大爆笑《だいばくしょう》。のりちゃん……行動、読まれてるよ。
『………君にはこの学校を守る剣《つるぎ》となってもらう。拒否権はない。拒否するようなら私の口はとても軽くなってしまうかもしれない。あの夕日で赤く染《そ》まった駅前の公園、そこで燃えていた君の情熱。それに尾ひれをつけて足をつけて肺をつけて陸上行動を可能とした挙句《あげく》にロケットブースターを取り付けて大気圏|離脱《リだつ》を可能とし、元は一体なんだったんだといった状態《じょうたい》で全世界に向けて発射してしまいそうなほどに………。どうするかは君が決めてくれ』
先輩は意地悪だ。
『次は凰林ブルー、二年五組 道本《みちもと》誠《まこと》。道本君にはクールで渋い、レッドのライバル、よくあるブルーをやってもらう』
色々なとこから歓声が聞こえた。道本さんは女子生徒に人気があるからなあ。
……あ、脅迫《きょうはく》がない。時間の無駄《むだ》だと考えたのかな………まあさっきのあれを聞いて反抗しようとか思う人はいないと思うけど。それに道本《みちもと》さんなら喜んでやりそうだ。人に見られるの好きだし。
『次は凰林《おうりん》イエロー、一年七組 山田《やまだ》真太郎《しんたろう》』
「わああああああああああ」
「うおおおおおおおおおおおお」
クラスのみんなが歓声を上げる。
『真太郎君には、気がやさしくて力持ち、大食い。そしてなぜかカレー好きといった伝統的なイエローをやってもらう』
クラスのみんなが真太郎のとこに来ていろいろ話し掛ける。「いよっイエロー」とか「がんばってね」とか「大変ね」とか、励《はげ》ましてるのか面白《おもしろ》がってるのか同情してるのかわからない言葉が飛び交《か》う。当の真太郎と言えば悟《さと》ったように笑顔《えがお》を浮かべている。……やけくそかな。
『そして凰林グリーン、精神的に未熟《みじゅく》なチビ。これは私がやらせてもらう』
……ちびって……先輩《せんぱい》………ひどいですよ、気にしてるのに。
『……次は皆のお待ちかね凰林ピンクだ。紅一点、やさしく美人で活発。一見弱そうだが、芯は強い。日本中の大きなお友達大喜びのピンクは………』
……なんだろうこのやるせなさは。死刑の執行を待っている死刑囚になった気分だ。逃《のが》れられない確定した未来。それが望まないものであることをぼくは知っている。
『一年七組 山城《やましろ》一《はじめ》』
学校が揺《ゆ》れた。ぼくのクラスメイトの叫び声でぼくの鼓膜が悲鳴をあげた。他《ほか》のクラスでも叫んでるみたい。ぼくといえば予想通りだったのでショックを受けていない……ということはなく、しっかりショックを受けて魂《たましい》が抜けかけている。クラスメイトがぼくに向けて何か言っているみたいだけどぼくには聞こえていない。
『というわけなのでこの学校を守る正義の戦士に選《えら》ばれた諸君は凰林ミステリー研究室改めオーリンジャー秘密基地に食事が済《す》みしだい集まってくれたまえ』
……先輩、秘密基地って………。いやそれ以前に秘密じゃないよ。しかも正義の戦士っていまどき子供向けの特撮《とくさつ》でしか聞けないよ。
『メンバーが揃《そろ》いしだい、衣装《いしょう》あわせと決めポーズの練習を行う。衣装デザイン協力は特撮研究会、衣裳製作協力は手芸部だ』
…………………衣装あわせに決めポーズって。それにデザイン協力特撮研究会ってどこまで凝《こ》ってるんですか。ぼくはタッキーを見た。ぼくを見てにっこりと、さわやかさのまったく感じられない笑顔《えがお》を浮かべるタッキー。こいつ知ってたな、というよりこの企画に一枚も二枚も噛《か》んでいることだろう。
『ああ、あとこれを聞いている生徒諸君。我等《われら》が秘密基地の前にポストを用意した。参考にしたのは眼球生命体の父親が出る妖怪《ようかい》アニメだ。下半身で物を考える掃除屋の出るアニメの伝言板方式と迷ったが、匿名《とくめい》性と機密性を重視してポスト方式を採用した。何か助けを借りたい時は、内容を書いた紙をポストに投函《とうかん》してくれたまえ。正義の名の下に、その日の星回り、その日の天気、朝のニュースの血液型占いでみる私の運勢などから総合的に判断して、依頼を受けるかどうか決めることにする』
……………………もう突っ込むのに疲れた。
『名前の記入は各人の自由。ちなみにイタズラはあらゆる手段を用いて犯人を特定し、それ相応《そうおう》の報復《ほうふく》を行うこととする。以上放送を終わる』
チャチャチャッツチャララー
最後にちょっと昔の戦隊物っぽい音楽が流れる。
ピ〜ンポ〜ンパ〜ンポ〜ン
放送終了のチャイムがぼくの心に虚《むな》しく響《ひび》いた。
ぼくと真太郎《しんたろう》はクラスメイトの暖かい声援に見送られ、足取りも重く凰林《おうりん》ミステリー研究室――――――もといオーリンジャー秘密基地に向かった。今ぼく達に一番最適なBGMは「ドナドナ」だろうと思う。
「やあよく来てくれた」
扉《とびら》を開《あ》けると緑色のぴっちりしたいかにも戦隊物〜〜といった服装に身を包み、緑のメットを小脇《こわき》に抱えた先輩《せんぱい》がいた。満面《まんめん》の笑顔《えがお》を浮かべた先輩、その姿を見たぼくは本気で悲しくなった。
………あれを着るのか、ぼくはその緑色を震《ふる》えながら指差す。
「…………先輩、それは……その」
「変身スーツに決まっているではないか」
いやだ、嫌《いや》過ぎる。ぼくは真太郎を見た。いつもの笑っているような顔、でも今の笑顔は少し引きつっているように見えた。
先輩の後ろを見ると、凰林ブルーがコーヒーを飲んでいた。ブルーはバイクのフルフェイスのヘルメットを改造したらしい物体をかぶっている。その青いメットは白い線《せん》が眉間《みけん》のあたりから後頭部に向けて三本走ってる。耳のあたりにはアンテナの伸びた得体《えたい》の知れない機械がついている。ブルーのバイザーで目は隠れるけど口のあたりまでは隠《かく》れていない。
「やあハニー、どうだい? この格好《かっこう》似合ってるかな」
風林ブルー――――――――道本《みちもと》さんが嬉《うれ》しそうに言った。
……この場合似合うというのは誉《ほ》め言葉なんだろうか……そんなこと考えながらも、とりあえず
「似合ってますよ」
と答えてみた。そう言うと道本さんが嬉しそうだったので、間違いではなかったみたいだ。
………よろこべる道本《みちもと》さんの感性は思いっきり間違ってるような気がするけど。
その時乱暴に引き戸が開かれた。のりちゃんだ。
「やあよく来てくれた」
ぼくの時とまったく同じ行動をとる先輩《せんぱい》。
それを見たのりちゃんは崩《くず》れ落ちるように膝《ひざ》をつき、スローモーションのようにゆっくりと両手を床につく。
あっ身体《からだ》がプルプル震《ふる》えてる。
……ちょっと面白《おもしろ》い。先輩の気持ちが少しわかった気がする。
「では全員|揃《そろ》ったのでこれからこのスーツを着てもらう。では頼むよ」
先輩がそう言うと、隣《となり》の準備室から美香《みか》さんとタッキー、そしてオーラが現れた。
「こんにちは、はじめ君」
「ふふふふふ。いいな、はじめのその唖然《あぜん》とした表情も」
「ハイ、ハジメ」
タッキー先回りしたのか……これだから動ける小デブは。
「タッキーこれはいつから計画されてたの?」
「一週間前ぐらい前かな。はじめに気づかれないようにつばさ先輩と接触するのはなかなか難《むずか》しかったぞ」
オーラが転入した日か……なるほど。だからこの前、日曜《にちよう》のデートの時見た映画が超戦隊シリーズの最新作で、買ってた本が大解剖《たいかいぼう》ヒーローなんとかだったんだなあ。いまさらわかってもむなしいだけだけど。
「それで、オーラがいるのは?」
そうぼくが聞くとタッキーは急に身体をそらし、右手をオーラに向けて高笑いを上げた。
「ふははは聞いて驚《おどろ》け、オーラは我《わ》が特撮研《とくさつけん》の期待の新人だ」
「オーハジメよろシくデス。この目でヒーロー見レルなんテ感動デス」
オーラがニッコニッコしながら言った。
「と、いうわけでこの三人は凰林《おうりん》高校|英雄《えいゆう》プロジェクトの協力者だ。まずは衣装《いしょう》を着てくれ、美香頼むよ。そこに突っ立ってるのと崩《くず》れ落ちてるのは、オーラ君と川村《かわむら》君に衣装をもらってくれたまえ、寸法は合っているはずだ」
先輩がぼく等三人を見回しながら言った。
「うふふ……でははじめさん、こっちに来てくださいね」
美香さんがド派手《はで》なピンク色の物体を持ってぼくを手招きする。
「………先輩あれはどうにかならないんですか?」
ぼくはピンク色のアレを見ながら先輩に言った。
「なにぃ! 古《いにしえ》より続く伝統のピンクが気に入らないだとう!」
「タッキーは黙ってる!」
とりあえず、タッキーを一喝《いっかつ》して黙《だま》らせる。
「……はじめ君、そんなに嫌《いや》なのかい?」
ぼくは先輩を見て言う。
「アレは恥《は》ずかしいですよう」
「そうか…………」
先輩はそう言うと考え込んだ、やらなくて良いかもしれない。かすかな希望が見えかけてきたような気がしたその時……
「では予定変更、魔女《まじょ》っ娘《こ》物にしよう。川村《かわむら》君、大至急それっぽい小動物を調達《ちょうたつ》して来てくれたまえ」
「はっ了解しました!」
敬礼して部屋から出て行こうとするタッキー、そして叫ぶぼく。
「ちょっと待ったーっ! なんでそうなるんですか!!」
「なにって魔女っ娘と、悪の組織《そしき》の大ボスには小動物が必要だろう?」
先輩があたりまえだ、といった顔でぼくを見る。同意するようにウンウンとうなずいている、タッキーとオーラ。
「そんなこと言ってるんじゃないですよ。なんでいきなり魔女っ娘になるのかを聞いているんです!」
「……あの衣装《いしょう》が嫌《いや》なのだろう? だからかわいらしい衣装の魔女っ娘物に変更しようとしているのだが。なにかおかしいかね?」
全部だっ! そう叫びたいのを我慢《がまん》してぼくは考える。先輩は本気だ、ああなったらてこでも動かない。なら、ましなのはどっちだろう。
ひらひらの衣装で顔がもろにわかる魔女っ娘物と、顔が隠《かく》れる戦隊物。一人きりで小動物を引き連れて恥《は》ずかしい呪文《じゅもん》を唱える魔女っ娘物と、五人でやることにより恥ずかしさが分散する戦隊物………………考えるまでもない。
「戦隊物でお願いします」
ぼくは90度の角度で先輩に頭を下げて言った。真太郎《しんたろう》、のりちゃんごめん……やっぱり一人は嫌だ……恥《はじ》をかくなら道連れが欲しい。
「では衣装合わせを始めてくれ、休憩《きゅうけい》時間は少ないぞ」
ぼくはとても嬉《うれ》しそうな美香《みか》さんに連れられて隣《となり》の準備室に向かった。
……ぼくら三人、ピンクとレッドとイエローは姿《すがた》身《み》の前に立っていた。言葉も出ない……外野から「かわいいです」とか「オー! ジャパニーズヒーロー」とか「ふむ……似合っているな」とか「すんばらすぃい!」とか「鳴呼《ああ》っハニーまた惚《ほ》れ直してしまったよ」とか声が聞こえてくる。
なんというか………一生の恥《はじ》系の恥《は》ずかしさだ。これで顔が隠れてなかったら『探さないでください』とかの書置き残して家に帰ってるところだ。ただ、問題はロが隠れていないということだ。わかる人にはわかるという絶妙な顔の隠れ具合が小《こ》憎《にく》らしい。
「のりちゃん……大丈夫?」
相変わらず怒《いか》りでプルプル震えているのりちゃんにぼくは話し掛けた。
「………大丈夫そうに見えるか?」
見えない、怒りで声が震《ふる》えてるし。
「真太郎《しんたろう》は?」
「もうあきらめた」
賢明《けんめい》だ。
「ではこれから変身ポーズ、決めポーズの練習を行う」
先輩《せんぱい》がそう言い練習が始まった。
…………書置き残して家に帰るのはそう遠くないかもしれない。
[#改ページ]
怪人とぼく
先輩が前に言ったことは正しかった。ぼく達のことが週刊誌に載《の》った。それからぼく達の周りは大騒《おおさわ》ぎ、学校の校門の前に記者は来るわテレビカメラは来るわ。ぼく達は一躍《いちやく》時の人になった。ただ顔はでてない。ぼく達は未成年だし被害者だから。
もし顔を出したりしたら人権団体とかが許さないと思う。あの左曲がりの人々もたまには役に立つものだ、と先輩は危ない事を言っていた。
でもここ数日はだいぶおとなしくなったみたい。先輩の言ったとおり上から圧力かかったのかな? ぼくは人もまばらな、夕日で赤く染《そ》まった校門を見ながらそう思った。その疑間を、隣《となり》を歩く先輩に伝えてみる。
「ふむ……どうやらそのようだね」
そんなことを先輩と話しながら学校から出ようとした時、ぼく達は呼び止められた。呼び止めたのは180センチぐらいの、男の人。ものすごい筋肉質で、とても鍛《きた》えてあるみたい。なんなんだ? といったぼくの視《し》線《せん》を感じたのか、男の人は慌《あわ》てて笑《え》顔《がお》を浮かべ言った。なんか嫌《いや》な笑顔だ、作り物の笑顔みたい。
「ああ、怪《あや》しいものではないよ」
男の人は名刺を渡してくる。
フリージャーナリスト 木村《きむら》裕次郎《ゆうじろう》
そう書いてある。
「ちょっと話を聞かせてもらいたいんだよね。やっぱり身体《からだ》が入れ替わったりしたら大変だと思うんだよね。思春期だし、身体も心も成長している最中だし」
なんか嫌な言い回しだ。口調《くちょう》も気に食わない。
「お互いそれぞれの身体に興味《きょうみ》が湧《わ》いているところだと思うんだよね。その辺はどうなの? たとえば……その……エッチな事とか興味《きょうみ》ないの?」
一瞬《いっしゅん》でぼくの顔が羞恥《しゅうち》と怒りで真っ赤に染《そ》まる
「話す理由はありません!」
ぼくは男を睨《にら》んだ。
「へへっそんなこと言わないでよ、少しでいいから教えてくれないかな」
言葉使いは丁寧《ていねい》だけど言ってる事はとても失礼だ。腹が立つ、ぼくがさらに否定の言葉を言おうとした時|先輩《せんぱい》が言った。
「ふむ…………心の入れ替わった少年少女の倒錯《とうさく》した性生活。確かに興味《きょうみ》をそそるな、その記事を掲載《けいさい》できれば部数アップ間違いなし………さぞかし高く売れるだろう」
先輩はそこで言葉を区切ると、ゾゾッと寒気《さむけ》のする笑顔《えがお》を浮かべた。
「ただ私の父は一応地元の名士でね、お上と親しいのだよ。医者という職業柄《しょくぎょうがら》、警察《けいさつ》とも繋《つな》がりがある。しかも我々は被害者だ。宇宙人の人体|実験《じっけん》により人生を狂わされた哀れな少年少女。いかにも人権団体受けしそうだな。……貴殿に国家権力と世論《せろん》と法を、敵に回す度胸《どきょう》はあるかね? あるなら質間を続行してくれたまえ」
……先輩、笑ってるように見えるけどとても怒ってる。先輩は嬉《うれ》しい時も楽しい時も意地悪する時も相手を馬鹿《ばか》にする時も……そして怒った時も笑顔を浮かべる。ほんとにこの笑顔は怖い、この笑顔は一生ぼくに向けて欲しくないと思う。
「ちっ」
そう言う先輩に男は舌打ちをした。
「おい、どうした?」
その時、いつのまにか側《そば》に来ていた真太郎《しんたろう》が話し掛けてきた。今部活が終わったんだろう。
雰囲気を察したのか、男を睨《にら》みつけている。
「目撃《もくげき》者が増えたな。どうだい? 特ダネと引き換えに記者生命終わらせるかね?」
「ちっ糞餓鬼《くそがき》どもが」
先輩《せんぱい》の言葉に捨て台詞《ぜりふ》をはいて逃げるようにして消える木村《きむら》(あんなやつに敬語なんて要《い》らない)。
「…………あの男|逮捕《たいほ》されるかもな」
ぼくが去っていく木村の背中を睨《にら》みつけていると真太郎《しんたろう》が唐突《とうとつ》に言った。
「どうして?」
ぼくはあたりまえの疑問を口にする。
「夢で見た」
「なるほど……それは、面白《おもしろ》くなってきたね」
先輩が小さくつぶやいた。………また一《ひと》波乱ありそう。いつになったら平々凡々《へいへいぼんぼん》と幕らせるのかなあ。
木村と遭遇《そうぐう》した次の日の昼休憩《ひるきゅうけい》、秘密基地にみんな集まった。集まったのはオーリンジャー五人にタッキーにオーラに美香《みか》さん。今はみんなでテーブルを囲んでお茶をすすりながら先輩の話を聞いている。
「さて昨日の記者と真太郎君の夢の話だが。予知にはいくつか種類がある。よく知られているのが未来の大きな出来事を知る事のできる予知、予言とも言うな。このタイプの予知能力者で有名なのはノストラダムスだな。予知の成功例については皆の知っての通り。つい最近、恐怖の大王が大阪《おおさか》近郊に降った。
他《ほか》には自分の未来に起きる出来事を知る予知。これは虫の知らせや予感などを強力にしたようなものだ。こちらの例は枚挙《まいきょ》に暇《いとま》がない、この能力者は力の大小を問わなければかなりの数いるだろう。真太郎君は後者だね。今までの傾向からして、真太郎君の予知夢は真太郎君自身に関係する事が多い。ということは、夢で見た木村も君と関《かか》わる確率が高いということだ」
だから真太郎の夢には、真太郎といつもつるんでるぼくやタッキーが出てくることが比較的多い。当たる確率は五割に満たないけど、それは予知に基づき未来を変更したからではないかと先輩が前に言っていた。ぼくはなるほどと思ったものだ。危険があるかもしれないと知らされて注意しない人は居ないからね。オーリンジャー結成の予知夢は不幸にも現実になったけど。というより、誰《だれ》があんなふざけた夢が現実になるなんて思う? ありえないだろう夢が現実になっている今の状態《じようたい》は、悪夢《あくむ》と言っても差し支えないんじゃないかと思ったり思わなかったり。
「柔道関連ということもありえるが今回の場合は関係ないだろう。あの記者はスポーツ記者ではないだろうからね。で、どこで関わるかということだが……」
「つばさとハニー関係ではないかい?」
先輩《せんぱい》に続けるようにして、道本《みちもと》さんが言う。ぼくもそう思う、昨日ぼくと先輩に接触してきたし。
「私も最初はそう思った。だからとりあえずあの記者の事を調《しら》べてみた。そうしたら面白《おもしろ》い事がわかってね。
まあとりあえずその話は置いておいて、最近この近辺に変質者が現れるだろう?」
ここ最近女子高生を狙《ねら》う変質者が頻繁《ひんぱん》に現れていて、この辺の高校に通う女子生徒を震《ふる》え上がらせている。被害者はここ一週聞で三人。何をされるかというと、その男は暗闇《くらやみ》で待ち伏せそして……えっとその………体液をなすりつけるらしい、体中に。
…………なんて恐ろしい。しかも足が速いらしく逃げようとしても逃げられない。被害にあった娘の中には陸上部の女の子もいるらしい。絶対に出会いたくない。この身体《からだ》を変質者の手が這《は》い回るなんて……想像しただけで鳥肌《とりはだ》が立ってきた。そんなぼくを尻目《しりめ》に先輩は話を続ける。
「実は我々オーリンジャーに、あの変質者をどうにかしてくれという依頼があってね。性犯罪関連を色々調べていたんだよ。精液に固執《こしつ》しているようだからそれに重点をおき類似した事件を探した。犯人の身長は180センチ程度、筋肉質で足が速く、清楚《せいそ》そうなストレートの長い黒髪を持った女子高生を狙《ねら》い、精液に執着《しゅうちゃく》している。この条件でかなり数を絞《しぼ》る事ができたよ。発生した場所は全国に散らばっていたが」
……精液って先輩、もうちょっとオブラートに包みましょうよ。一応心は女の子なんだし。
しかし……先輩はどうやって情報を手に入れているんだろう。……聞いたら多分笑ってごまかされるだろうけど。
「それと同時に私はあの男の弱みを握ろうとこれまでの経歴《けいれき》を調《しら》べていたわけだが……あの男の名は木村《きむら》裕次郎《ゆうじろう》。職業《しょくぎょう》フリージャーナリスト。そういえば聞こえはいいが実際はゴシップ記者というやつだな。特ダネを追って全国を飛び回っている。記事を読んだが酷《ひど》いものだ、面白《おもしろ》くて高く売れれば真実はどうでもいいという考えが端々《はしばし》で見て取れる」
それで今回のターゲットはぼく達か。一体どんな事を書かれるのかな、先輩の言うとおりなら酷い事を書かれるんだろう。
「それら二つ、まったく関連性がないようだが私は一つ繋《つな》がりを見つけた。変質者が現れた時、木村はその付近で取材をしている。この付近に現れている変質者と関連があると思われた、全国各地の事件のほとんどでだ」
そこでみんなを見回す。
「真太郎《しんたろう》君が、木村が逮捕《たいほ》される夢を見た。それは木村逮捕に真太郎君が関わる確率が高いということだ。そして今現在真太郎君が関わりを持ちそうな犯罪者は、この近辺を騒《さわ》がしている変質者。私はオーリンジャーで変質者を捕らえようとしているからね。
さらに、今起こっている事件に類似した事件が全国で発生した時、木村がいつもその近辺にいる。どうだい? …………偶然とは考えにくいだろう?」
「それで、警察《けいさつ》に通報するのです?」
美香《みか》さんが聞いた。
「根拠は予知夢しかないんだよ? 私も真太郎《しんたろう》君の夢がなければ気づかなかっただろう。今のところ証拠は事件が発生した時その近くにいたという状況証拠しかない。精液を調《しら》べればわかるかも知れないが」
さっきから精液精液って。まったくもう、先輩《せんぱい》には差恥心《しゅうちしん》というものがないのだろうか。
「というわけで、我等《われら》オーリンジャーの手によって捕まえる。なに心配は要《い》らない、あの男が捕まる事は確定している。正義は勝つのだよ」
先輩らしいなあ、まあ先輩は悪知恵が働く……もとい頭がいいから多分大丈夫だと思うけど。
「ではこれよりその変質者を怪人ハムスター男と呼称する」
………どうしてハムスター?
「なんでハムスターなんですか?」
ぼくの疑問と同じ質間をするタッキー。
「それはだね……」
先輩は、もったいぶるように一呼吸|空《あ》けて……
「……種が大好きだからだよ!」
「うまい! さすがつばさ先輩」
大喜びで手を叩《たた》くタッキー。
………下品《げひん》だなあ。
「それデ、ドウやっテ捕まエルんデスカ?」
「どうでもいいから早くその馬鹿《ばか》を殴《なぐ》らせろ」
質問するオーラと、今自分に降りかかっている不条理《ふじょうり》を、変質者にぶつけようとするのりちゃん。レッドに変身するのが相当|嫌《いや》みたいだ。……ぼくも嫌だけど。
「こういう場合、我々が取ることのできる方法はいくつもない。それは現行犯で捕まえることだ。一般人である我々に逮捕《たいほ》権が発生するのは、現行犯を逮捕する時だけだからね。
……とはいえ手分けして見回ったとしても、その現場に出くわすのは困難《こんなん》だろう。だから囮《おとり》を使う。その囮だが、ストレートの黒髪で清楚《せいそ》そうな外見、しかも怪人ハムスター男は面食《めんく》いだ。さらに逃げるため運動神経も要求される。その条件を満たしうるのは…………」
で、先輩の視線《しせん》の先にいるのはぼく。…………………………拒否権はなさそうだ。
「みんな大変だ! 怪人が現れた!」
秘密基地につばさ先輩が駆《か》け込んでくる。
「たいへんだわ! 出撃《しゅつげき》しましょう、これ以上被害者が出る前に」
こう言ってるのはぼく。
「ふっ怪人ハムスター男か……」
こうニヒルにきめてるのは道本《みちもと》さん。
「よし、みんな行くぞー」
棒読みでそう言うのりちゃん。
「「おう」」
それに威勢《いせい》良く答えるみんな…………ではなく、先輩と道本さんの二名。あとはやる気なさそーな返事が三人。もちろん、ぼく、のりちゃん、真太郎《しんたろう》の三人だ。
ここまでが今テレビ画面に映っている映像。これが今、全《すべ》てのクラスで流されている。想像するだけで泣けてくる。明日からぼく達は、学校限定大スターだろう。またの名をおもちゃという。
で、肝心《かんじん》の内容の方なんだけど、流石《さずが》は道本さん、演劇《えんげき》部だけあって役に入り込んでいる。先輩も演技はうまい。けど、ぼくは恥《は》ずかしがって真っ赤だし、のりちゃんはまったくやる気がなくセリフは棒読みだ。真太郎にいたってはカレーを食べてただけ……まあこれはこういうキャラクター設定なんだけど。
そして、これを撮《と》ったのはタッキーとオーラ。なぜこんなのを撮ったのかというと学徒戦隊オーリンジャーの活動を全校生徒に知らせるため。とか先輩が言ってたけど、本当の理由は『面白《おもしろ》いから』だと思う。
「よしいくとしよう」
先輩が言った。ぼく達はテレビ画面のぼく達が飛び出すのに合わせて秘密基地を飛び出す。廊下を走るぼく達を見た生徒たちが歓声を上げる。夕方だけど結構な数の生徒が残っているみたいだ。
ぼくは早くこの羞恥《しゅうち》プレイから脱出しようと全力で走った。
「ああっお肌すべすべ、お化粧《けしょう》ののりがいいですわ」
美香《みか》さんが体をくねらせながら言った。今ぼく達がいるのは、美香さんの家。
この家を見ると、美香さんの強烈な個性を育《はぐく》んだ理由がわかりすぎるほどわかってしまう。外観《がいかん》は純和風の古い家なんだけど、中に入ると女性的な感じを受ける。
なんで女性的な印象を受けるかというと、美香さんちの家族構成が、お母さんに妹二人という女系家族だから。それを裏付けるように、目に入る家具などはなんとなく女らしいものばかりで、男の人が住んでいる気配《けはい》はない。美香さんのお父さんは、美香さんが小さなころに出て行ったそうだ。何かの夢を追い求めてどこかに行ったらしい。だから美香《みか》さんと妹二人は、小料理屋を営《いとな》むお母さんに、女手一つで育てられた。
美香さんの純日本的な雰囲気と、女性的な強さ、したたかさはそんな所から生まれたんだろうと思う。あと、堅実で将来性のありそうな彼氏を探してるのは、お父さんが大いに関係しているんだろう。周りから見たら、夢を追い求めるすごい人でも、家族としてはたまったもんじゃないなと思う。
それでその美香さんは今、美香さんの部屋でぼくに化粧をしている。部屋の中にいるのは先輩とぼくと美香さん。ぼくはハムスター男に顔を知られてるから、変装のために化粧をしてるんだ。
「女の容姿《ようし》は武器ですわ。中身がよければとか言う人が居《い》ますけど、そういう人に限って容姿を気にするものです」
美香さんがぼくの顔にパタパタ塗《ぬ》り塗りしながら話しかけてくる。内容は、化粧《けしょう》の重要さと男女の駆《か》け引き……ぼくにそんな話してどうするんだと心から思う。ぼくに女の武器を使えと?
………………無理だ。想像しただけで、ぼくの心は軋《きし》んでいやな音を出した。
「女が化粧をするというのは、武士が刀を抜くのと同じことです。殿方《とのがた》との恋愛は人生をかけた決闘《けっとう》ですよ。美貌《びぼう》という太刀《たち》でお相手の懐《ふところ》に入り込み、心の脇差《わきざし》で止《とど》めを刺すのです。そうして、相手の心に二度と忘れないように、自分の名前を掘り込んだら勝ちなのです」
……相変わらずぶっ飛んだ恋愛感だ。
「剣術には居合《いあ》いという技が存在します。刃《やいば》を鞘《さや》で隠《かく》すことで間合いを計れないようにするのです。私にとっての鞘は、この眼鏡《めがね》です、あと三つ編《あ》みも。この鞘で隠していて、いざというときに抜き放つ……美貌《びぼう》をひけらかしているよりも、この方がよっぽど効果的ですわ。例を挙げると、眼鏡をはずしたら実は美人とか、地味でおとなしい三つ編みだけど、三つ編みをほどいてお化粧をしたら美人とかです。大部分の殿方はギャップに弱いのです。
とはいえ普段《ふだん》でも容姿《ようし》に気を使わなくてはなりません。地味だけどよく見てみるとかわいい、とか思わせなければなりません。自分だけが知っている地味な少女のかわいらしさ。それは他者に対する優越感に変わり、彼女のかわいらしさを知っている自分は、彼女にとって特別な存在だと思い、それが恋へと変わるのです!」
………………濃いなあ。さすが先輩《せんぱい》と意気投合できるだけのことはある。
「他《ほか》にも少しずつ化粧をしていって、恋をして綺麗《きれい》になっている……というのを表現してみたりという搦《から》め手も、長期的に見れば効果的でしょう。
ちなみに眼鏡が好きで好きでたまらない殿方のために、眼鏡に映《は》えるお化粧というのも開発してます。武器はその場その場で使い分けてこそのものです」
したたかさ、計算高さもここまで来るとすがすがしくすら感じる。こんな会話の最中も美香さんは清楚《せいそ》な笑《え》みを浮かべ続けている。
「男心をわかってらっしゃる!」
タッキーがいきなりドアを開《あ》けると叫んだ。他の男共は居間《いま》にいるはずで、会話は聞こえないはずだ。
…………タッキーのやつ、立ち聞きしてたな。
「美香《みか》先輩《せんぱい》! おれは今感動に打ち震《ふる》えていますよ。眼鏡……眼鏡はいいものなんです。某《ぼう》眼鏡メーカーが昔言っていたではありませんか。そう、眼鏡は顔の一部なんです! 目鼻が本来持っている機能とは別に美しさという別の価値を持っているように、眼鏡には付加価値がついているんです。女医がかければ理知的に、委員長がかければまじめさを、文学少女がかければ純真さ。これらの、眼鏡自体に我々が投影《とうえい》しているイメージ、それが女性に彩《いろどり》を加え魅力《みりょく》を何倍にも引き立たせる。
美香先輩、あなたは女性ながらもそこの所をよーっくわかっていらっしゃる。眼鏡こそは人類が発明した最高の装飾品の一つ。コンタクトレンズなんぞは愚《ぐ》の骨頂《こっちょう》! 眼球に異物を貼《は》り付けるとはなんとおぞましい! なんと不衛生《ふえいせい》! 美少女たちの眼と、希少種となりつつある眼鏡っ娘《こ》を守るために今こそ我々は立ち上がらなければならないのだ!
ますますヒートアップしていくタッキー。ぼくは、タッキーの叫びを聞いて駆《か》けつけてきたらしい真太郎《しんたろう》に目配《めくば》せをする。真太郎はうなずくと、タッキーをむんずと掴《つか》んで引きずっていく。
「眼鏡はすばらしいんだぁぁぁああぁぁあぁぁぁあぁぁぁ………」
タッキーはその恥《は》ずかしい叫びと共に見えなくなった。さようならタッキー、二度と戻ってくるな。
「……まあ、こういう方もいらっしゃるわけです。ですから、あらゆる局面に対応できるだけの武装は整えていく必要があるのです」
美香《みか》さんが気を取り直して言った。
「はじめさん。あなたの持つ美貌《びぼう》は鍛《きた》えれば、それこそ歴史を変えることができるほどの輝《かがや》きを放つでしょう。それは鬼《おに》に金棒《かなぼう》、気のふれた方に刃物、(自主規制)の独裁者に(自主規制)ですわ」
あまりにも危ない物言いだったので、ぼくは心の中で自主規制をしておく。美香さん、見た目ではわかりづらいけどかなりハイになっているらしい。
「…………女の心得を長々と話しましたが、女の魅力《みりょく》を存分に鍛《きた》えてつばささんを寵絡《ろうらく》するのです。ああ、骨抜きにされたつばささんもかわいらしいでしょうね。
…………はい、出来ましたわ」
微妙《びみょう》に本音《ほんね》をちらつかせつつ、美香さんが手鏡《てかがみ》を渡してくる。
うわぁ
思わずため息が漏《も》れた。もちろん良い意味でのため息だ。女性は化《ば》けるって言うけど本当だなあ。
先輩《せんぱい》の顔をベースにしてるんだから、もちろん美人だ。ぼーっと鏡を覗《のぞ》き込んでいるぼくに、美香さんが解説を始める。
「つばささんのお顔は、よく言えば凜々《りり》しい、悪く言えば少しきつい印象を与えます。それが魅力《みりょく》なんですが、印象的過ぎますの。はじめさんと入れ替わって、かなりやわらかい印象を受けるようになったのですが、それはそれで魅力的なので一度見たら忘れないでしょう。
ですから、さらにやわらかい印象を受けるように、目元を少し垂《た》れた感じにしてみました。怪人さんは、清純派好みということなのでメイクが目立たないように、より自然な感じで。あとはストレートヘアーのウイッグをつけました。…………ああ、ロングヘアーのはじめさんもいいですわぁ」
相変わらずくねくねしながら、美香さんが言った。美香さん……今日一日で、ぼくの中の変人ランキングをすごい勢いで駆《か》け上がってしまってるよ。ちなみに変人ランキング、暫定《ざんてい》トップは先輩。でも先輩が、他《ほか》の人にトップの座を明け渡すことはないだろうということが涙を誘《さそ》います。
こんなに変な先輩を好きなぼくこそが、一番の変人じゃないかという考えがチラッと脳裏《のうり》をかすめたけど、それは記憶《きおく》の奥底《おくそこ》に沈めて封印《ふういん》することにする。
「すごいね、さすが美香《みか》だ。私でも暗がりで、パッと見ただけでは君だとは気づかないだろうね。一度や二度見ただけの者なら尚更《なおさら》だ」
先輩《せんぱい》が感心して言った。ぼくも、ものすごく感心している。今までの先輩の顔も好きだけど、こっちの顔もいいなあ。化粧《けしょう》したいろんな先輩の顔を見るために、美香さんに化粧の仕方教わろうかなという考えが、ふと頭をよぎる。けど、男として一番大切なものをなくしてしまう気がするからやめておこう。
「われながら良い仕事をしたと思いますわ。つばささんはお化粧させてくれませんでしたから、その分腕によりをかけました」
満足そうに言う美香さん。化粧をさせてあげなかったのか……先輩らしいけど。
ぼくは鏡《かがみ》を覗《のぞ》き込む。この顔は先輩であって先輩でない。この身体《からだ》に先輩が入っていたときに、綺麗《きれい》に化粧をした先輩を見たかったなあ。ぼくは鏡に映る綺麗な先輩の顔を見ながら思った。
「では始めるとしよう。それでは皆、打ち合わせどおりに頼むよ」
先輩は美香さんの部屋を出て居間《いま》まで行くと、そこにいる赤青黄色の凰林《おうりん》ジャーとその他を見回して言った。ぼくが変装している間にみんなも変身してたんだ。先輩もすでに変身を完了している。
オーラと青い道本《みちもと》さんは元気よく立ち上がり、赤いのりちゃんはめんどくさそうに立ち上がる。
黄色の真太郎《しんたろう》はのっそり身体《からだ》を起こすと、その脇《わき》でぴくりとも動かないタッキーを持ち上げて肩に乗せる。タッキーはどうやら真太郎に色々されたようだ。
うん、これはいいことだ。
ぼく達は古びた板の廊下を玄関《げんかん》へと進む。日本家屋に戦隊ひーろー………なんてミスマッチなんだ。
「それでは、気をつけていってらっしゃいませ」
危険なので、ここで別れる美香さんが、玄関《げんかん》でぼく達に言った。
…………正直、ぼくは本気でどこかに行ってしまいたい。
太陽はとっくに沈んで月が昇りかけている。今日は新月、月明かりは弱々しい。今、ぼくはとことこと薄暗《うすぐら》い路地を歩いている。もちろん囮《おとり》だ。
いやだなあ……木村《きむら》………いや怪人ハムスター男にしたらほんと美味《おい》しい餌《えさ》が歩いているみたいなものだろうと思う。少なくともぼくなら絶対引っかかる……って変質者と自分を同列に並べるのはよそう。とても悲しくなる。
今のぼくは、良家のお嬢《じょう》さんといった感じに見えると思う。目が切れ長できつい印象を与えるこの先輩《せんぱい》の顔は美香《みか》さんのお化粧《けしょう》のおかげで柔らかい雰囲気になり、大和撫子《やまとなでしこ》〜といった顔になっているんだ。先輩も言っていたけど、一度や二度見たことのある程度じゃぼくだと気づかないと思う。
そんなこと考えていた時いきなり何かが目の前をさえぎった。……無駄《むだ》に多い筋肉をタンクトップと短パンで包み、顔には覆面《ふくめん》をつけた男。手のひらがぬめって怪《あや》しく光っている。
…………怪人ハムスター男だ!
「うひゃああああああ」
ぼくは思わず悲鳴を上げながら、今きた道を走って逃げる。ちなみに悲鳴は演技じゃなく素《す》だ。先輩が今日はこの辺に出る確率が高いはずだと言っていたけど本当だった。さすが先輩………なんて感心してる場合じゃない。ああああ……今日だけは外《はず》れて欲しかった。
ハムスター男が追いかけて来てるのが足音と荒い呼吸でわかる。嫌《いや》過ぎる。これからぼくはある場所にハムスター男を連れて行くことになっている。そこまで逃げきればいいんだけど。全力で走りながらぼくは後ろを振り向く。
「ひぃいいいぃぃいいいぃいいいいぃぃいいいぃぃい〜」
ぼくの口から悲鳴がこぼれる。陸上|選手《せんしゅ》のような綺麗《きれい》なフォームでぼくを追ってくる怪人ハムスター男。一体|誰《だれ》だ! 健全《けんぜん》な肉体には健全な精神が宿るとか初めに言い出したのは。ぼくを追ってきているやつは健全な肉体に不健全|極《きわ》まりない精神が宿っているぞ! なんて文句言ってる場合でもない。
速いぞハムスター男。ぼくの身体《からだ》だったら多分逃げ切れる。それどころか戦っても勝てそうだ、伊達《だて》に鍛《きた》えられていたわけじゃない。でもこの先輩の身体では無理。この先輩の身体はあんまり鍛えてない。……だってムキムキの先輩の身体は見たくないし、この先輩の綺麗な手足に青痣《あおあざ》とかつけたくないし。けどそのせいで今、大ピンチ。
「ひいいやあああぁあぁぁぁああぁあぁぁああぁぁああ〜」
差がどんどん縮《ちぢ》まってる、いやだ、やばい、追いつかれる!
ハァハァという荒い息と足音がどんどん近づいてくる。
もっもうだめだ〜〜〜
ぼくがそう思った瞬間《しゅんかん》。
「うっ」
ハムスター男が苦痛の声をあげた。振り向くと足を押さえて走るスピードを落とした、ハムスター男。何かはわからないけどチャンスだ! ぼくはそのまま目的地に向け走る。
薄暗《うすぐら》い路地を駆《か》けるぼくを、さっきのスピードを取り戻しつつあるハムスター男が追う。
でも後少し、後少しだ。ぼくは道の先にある曲がり角を見る。あそこを曲がればみんなが待ってる。だけどハムスター男がぼくに迫ってるのがわかる。間に合うかどうかぎりぎりだ。ぼくとハムスター男はわずかな差で曲がり角を曲がる。そこで目に入ったのは……。
「のりちゃん!」
薄暗闇《うすくらやみ》の向こうに赤い勇姿《ゆうし》が見えた。
極度の恐怖から解放されたぼくは安堵《あんど》の余り幼児退行し、泣きながら凰林《おうりん》レッドに抱きつく。
「のり〜ちゃん。だめかと思った〜もうだめかと思ったよ〜。よかったよ〜」
「なっおい、はじめ離《はな》れろ」
照れて慌《あわ》てた声を出すのりちゃん。
「ぐっなんだおまえは!」
そんなぼく達にハムスター男が狼狽《ろうばい》した声をあげた。そりゃそうだいきなりヒーローが現れたんだから。
「正義の味方だ……不本意だがな」
そう言うのりちゃん。おおっかっこいい。さっきの勇姿が目に焼き付いてるからかもしれないけど。
それを聞いて逃げようと後ろを向くハムスター男、そこには真太郎《しんたろう》……もとい凰林イエローがいて道をふさいでいる。これでハムスター男に逃げ場はない。
「おい変態《へんたい》、どっちに向かっていくかは貴様が決めろ。オレ的にはこっちがお勧めだ」
レッドが手招きしながら言う。
罠《わな》にはめられた事を理解したハムスター男は、少し考えた後叫びながら凰林《おうりん》レッドに向かっていく。
「おおおおおおおお」
普通はそうすると思う。2メートル近い凰林イエローに向かうよりは、175センチの凰林レッドに向かう方が、助かる可能性がありそうだと思うだろう。でもそれは大きな誤算だった。ハムスター男の攻撃《こうげき》を紙一重《かみひとえ》でかわしつつみぞおちにパンチをめり込ませる凰林レッド。すごい、この暗闇《くらやみ》の中でも完璧《かんぺき》に見切っている。これが山籠《やまごも》りの成果なのか、なんかのりちゃんの五感すべてが鋭敏《えいびん》になっているみたいだ。なんか視力も回復したみたいだし、すごいぞ山籠り!
ぼくが感心している間にものりちゃんの攻撃《こうげき》が続く。筋肉の鎧《よろい》の隙間《すきま》をつくように、急所へとパンチを繰り出していく。
「ぐあっ……がっ………ぐえっ」
断続的に続く打撃音とハムスター男の声。ハムスター男も反撃するけど凰林レッドには当たらない。それにしてもハムスター男はタフだ。何発もいいのを貰《もら》ってるのに倒れない、あの筋肉は飾りじゃないらしい。
「これでとどめだ!」
その叫びと共に凰林レッドのパンチがハムスター男の顔面に炸裂《さくれつ》する。吹《ふ》っ飛ばされたハムスター男は「ぐええっ」とかいう叫び声と共に地響《じひび》きをたてて地面に倒れる。やった、凰林レッドの勝ちだ。
「ふふ、悪の栄えたためしはないのだよ」
いつのまにかぼくの側《そば》に来ていた凰林グリーンが言った。
「………先輩《せんぱい》! かっこつけてる場合じゃないですよ。どこ行ってたんですか、ものすごく怖かったんですよ! 話が違うじゃないですか!」
「いや、すまない。だが君には本気で怖がってもらわないといけなかったからね、ハムスター男が追いたくなるように」
「先輩ひどいですよ!」
話では、危なかったら助けが入るはずだったけど、誰《だれ》も来ないし。
「だが、あの男が君に危害を加えないように私は君の側にいた。途中《とちゅう》あの男の足が鈍っただろう?」
……そういえば
「それはこれだ、私はこれであの男の足を狙《ねら》った」
そう言って先輩はパチンコを出した。
「囮《おとり》をしている君の安全は万全をはかっていたよ。それに道本《みちもと》君にも裏で動いてもらっていた。私が君を危険にさらすと思うかい?」
なるほど、知らなかったのはぼくだけだったのか。まあそのおかげでハムスター男が罠《わな》にかかったけど。……なんか納得《なっとく》できない。ぼくは本気で怖かったし。
「許してくれたまえ、君の犠牲《ぎせい》のおかげでこの近辺の女子高生達が安全に帰宅する事ができる」
犠牲になってないって。でも、これで安全になったんだし……まあいいか。
「……わかりました、許します。でもこんなのは二度と嫌《いや》ですよ、本気で怖かったんですから」
「ああ、約束しよう」
そんな会話をしている間に、のりちゃんと真太郎《しんたろう》は、ハムスター男をロープでぐるぐる巻きにしている。
「くそっ、やめろっちくしょう」
真太郎が叫ぶハムスター男の覆面《ふくめん》を剥《は》ぐとそこから出て来たのは予想通り木村《きむら》。
「やあ、奇遇ですね木村さん。こんなところで何をしているのですか?」
先輩《せんぱい》ものすごく嬉《うれ》しそうだ。顔は半分|隠《かく》れてるけど、緩《ゆる》んだ口元と声でわかる。
「おまえは……」
木村も声で気づいたみたい。
「まあわかってて聞いているのだがね。市民の知る権利を守るという崇高《すうこう》な使命を帯《お》びたジャーナリストがこのような凶行《きょうこう》におよぶとは………いささかショックだな」
全然ショックそうじゃない。先輩は続けてもねちねちと言葉|攻《せ》めをつづける。
それを呆《あき》れながら見ていたぼくは突然話し掛けられた。
「美しくないなあ、変質者なら変質者なりの美学を持ってもらいたいものだね。そう思わないかい? ハニー」
振り向くとそこにいたのは凰林《おうりん》ブルー。その手には弓があり背中に矢を背負《せお》っている。
「ななななんですかそれは!」
弓矢を指差しぼくは叫ぶ。
「弓だよ……これでも家の神社に伝わる由緒《ゆいしょ》ある品なんだよ」
「そんな事聞いてるんじゃないです! 怪人を殺す気ですか!」
「ああ、安心してくれていいよハニー、矢尻《やじり》はゴム製のものに替えてあるから。これなら当たってもとても痛いだけだ」
道本《みちもと》さんが裏で動いていたとはこのことなのか、弓とはさすが神社が実家なだけのことはある。守ってもらってたというのはありがたいけど、武器はもっと他《ほか》のを選《えら》べなかったのか。戦隊ヒーローが日本古来の弓を持っているのはいささか違和感がある……というか、それ以前にこんな格好《かっこう》で歩いてたら警察《けいさつ》呼ばれても文句は言えないと思う。
「つばさ、警察《けいさつ》は呼んだからもう少しで来ると思うよ」
「ご苦労だったね」
それを聞いて慌《あわ》てたのは木村《きむら》。
「まっまってくれ、お願いだから見逃《みのが》してくれ。神に誓《ちか》ってもう二度としません、ですからお願いします」
「……そうだな………ヒーローは罪を僧んで人を僧まずというし」
「そうです! やはりヒーローはそうじゃないといけませんよ。へへへ」
先輩《せんぱい》の言葉に露骨《ろこつ》に媚《こ》びをする木村。
「ところでなぜこんな事をするのだい?」
「それは! 俺《おれ》様の数億《すうおく》もの生命の矢達がうら若き女体を泳ぎ回る……なんて素晴《すば》らしい事だろうか!」
あまりにも何気《なにげ》ない先輩の問いに、思わず答えてしまうハムスター男。
相変わらず馬鹿《ばか》だ。
「なるほど……その変質者の心理はとても興味深《きょうみぶか》いよ。ではそろそろ警察が来るからお務《つと》め頑張《がんば》ってくれたまえ」
「何ぃ! 見逃《みのが》してくれるんじゃなかったのか」
「とりあえず私の結論としてはあなたの存在そのものが害悪で罪だ。というわけで……我等《われら》凰林《おうりん》ジャーが悪との取引に応じるとでも思っていたのかっ!!」
そう言ってかっこよくポーズを決める先輩。……我等《われら》か、なんか我等の一員にぼくが入っているのかと思うととても悲しくなってきた。
「いいっいいですよつばさ先輩」
「カッコイイデス〜」
その先輩に向けてビデオカメラを回してる黒衣《くろこ》の格好《かっこう》の二人組。
「おい! そこの不審人物! なにしてる!」
思わず叫ぶぼく、それに黒ずくめの背が大きいのと小さいのが答える。
「オーハジメ、イイ映像が撮《ト》レマしたヨ」
「まったくだ、はじめは本当カメラに映《は》えるなあ」
説明するまでもないと思うけど、この二人はオーラとタッキーだ。
「やあご苦労様、いい画《え》が撮れたようだね」
「それはもちろん! ま、これからがおれの腕の見せ所です。楽しみにしていてください。それでは自分はお先に失礼します。警察が来たら面倒《めんどう》なので」
先輩にそう言ってタッキーは闇《やみ》の中に消えていった。後オーラも……さすがにあの黒ずくめは怪《あや》しすぎる。道本《みちもと》さんも同じ理由で消えた。自分の格好《かっこう》が怪《あや》しい事を一応理解していたらしい。めんどくさいという理由で赤も消えた。残されたのは緑と黄色と怪人と女子高生……これはこれで十分以上に怪しいけど。
そうこうしてると警察《けいさつ》がやってきた。怪人ハムスター男=木村《きむら》を引き渡し、事情|聴取《ちょうしゅ》をされて危険な事をするなとこっぴどくしかられた。まあそれはそうだよね、のりちゃんじゃないとあんな芸当は無理だろうし。それにしても強くなってたなあのりちゃん。強くなった理由が打倒《だとう》ぼくなのは引っ掛かるけど。
そして警察署から解放されてその帰り道。まばらにしか街頭のない薄暗《うすぐら》い道を歩きながら先輩《せんぱい》が口を開いた。
「今回も真太郎《しんたろう》君の予知夢は当たったな」
「はあ」
「……ところで君は近い未来だけでなく遠い未来も夢で見ることがあるのかい?」
あ、それはどうなんだろう。ぼくも気になる。
「……………………つばさ先輩、というかつばさ先輩の身体《からだ》と仲良く話してる夢を見たことがあります」
少し考えて、真太郎は答えた。
「そういえば真太郎、冬休み明け学校にはじめて行ったときそんなこと言ってたね」
「あの時は詳しく話さなかったが、あれは多分3、4年先だな」
「ほう……」
「他にもいくつか見た、川村《かわむら》とか今よく見る顔も結構出てきていた。内容は馬鹿《ばか》話してるだけで別に変わったことない。ただ……一つ気になる事がある」
「何だねそれは」
先輩が聞いた。真太郎《しんたろう》は少し言いよどんだ後、躊躇《ためら》うようにして言った。
「………はじめ……いや、つばさ先輩の姿が出てこない」
「えっ」
それはぼくと先輩が一緒《いっしょ》にいないということだろうか。
ぼくが不安そうにしてしているのに気づいたのだろう、先輩が言った。
「ああ、それは多分私がアメリカに留学してるからだろうね」
先輩が言った。留学だなんて初耳だ。
「本当ですか?」
「ああ、とはいっても今はまだ漠然として形になっていないから君に話していなかったんだが、どうやら未来の私はアメリカに留学する事に決めたらしい」
……ぼくはついて行っていないのかな。まあどうなるかわからないけど……とりあえず明日からは英語を頑張《がんば》ろう。
ぼくはそんなことを考えながら暗がりの中を歩いていた。その暗さのせいで、ぼくは先輩《せんぱい》が深く考え込んでいる事に気づかなかった。
次の日、タッキーが編集《へんしゅう》した映像が昼休憩《ひるきゅうけい》に流れた。晟初の秘密基地の映像から始まってぼくが囮《おとり》になって必死で逃げてるところ。先輩がパチンコで狙撃《そげき》するシーン、のりちゃんの戦闘《せんとう》シーンと一体どうやって撮《と》ったんだ? と疑間に思ってしまうような映像ばかりだった。
さらにはのりちゃんとぼくが抱き合ってるシーンまで……ぼくは恥ずかしくて教室にいられず逃げ出した。
オープニングの歌やエンディングの歌、CMまであって普通の30分番組になってた。
CMで流れたのは手芸部に特撮研《とくさつけん》、音楽製作に関《かか》わったらしい軽音部など製作に協力した部の紹介だった。
後、なぜかぼくのファンクラブなんて馬鹿《ばか》なものができたらしい。創《つく》ったのは……ぼくとつるんでるあの馬鹿。さらに馬鹿らしい事に会員数がどんどん増えているらしい。
笑顔《えがお》の大安売りしてきたつけが回ってきたみたい。先輩が嬉《うれ》しそうに会員ナンバー002の会員証を見せてくるし。はあ頭痛い。
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不良軍団とぼく
「さあて、今週のお便りは……」
先輩のこんなラジオのパーソナリティのような一言が、ぼくの鼓膜を振るわせた。
いつもと変わらない笑顔の先輩、その奥に見え隠《かく》れする機嫌《きげん》のよさ。普通の人にはわからないだろうけど、ぼくにはわかる。先輩は、先輩いわく「興味《きょうみ》深いこと」を見つけたんだ。
………なんか、人と人とがわかりあうことは幸せなことなんだろうか?
とか新しいタイプの人類みたいなことを考えてしまう。先輩の考えがわかってしまわなければ、ぼくの精神的な安息は、少しは延《の》びるはずだ。
結果は変わらないけど。
「……匿名《とくめい》希望の少年A君からだ。以下がお便りの内容だ。
『畜生《ちくしょう》! あの馬鹿どもをどうにかしてくれ。やすらぎ公園に巣《す》くってんだよ、馬鹿共が、しかも大量に。うざいんだよ、赤青黄色って何だよあの頭は、チューリップかよ。どの面《つら》見てもうっとうしいんだよ、まじで。ゴキブリみたいにわらわらわらわら湧《わ》いて出てきやがって。早急に駆除《くじょ》する必要があるだろう。地球美化、地域の平和、俺《おれ》様の精神の平穏を保つために。
第一、てめーら、出生率の増加ぐらいにしか役に立たないんだから、おとなしく自分らの巣に戻ってろ。いや、馬鹿《ばか》が増えるだけだから、さっさと駆除されて絶えてしまえ。とんびは鷹《たか》を生まないんだよ。覚えてやがれ、馬鹿共が、てめーらは将来俺様に使われることになるんだよ、人生的には俺は勝ち組、お前ら負け犬。犬が将来の飼い主にたてつくんじゃねーぐぎゃおーうば〜〜〜ああああああヴぁヴぁヴぁD▲ali♪8lair↓7×6//::;@]]bg☆qcn』
……以後、判読不可能。
以上だ。なかなかに愉快《ゆかい》な手紙だが、この他《ほか》にもいくつか寄せられてきている」
先輩がたんたんと言う。が、内容と口調《くちょう》がまったく合ってない。あと、他《ほか》にも来ているならこんなとっても素敵《すてき》に弾《はじ》けたお便りではなく、他のを読んだほうがいろいろな意味で良いのではないでしょうか? と突っ込みたくなったけどやめておく。
後、気になったのは…………この少年A君は、不良にいったいどんな恨《うら》みがあるのだろうか。
「要するにやすらぎ公園に不良がたむろしていて、学校帰りに公園の遊歩道が使えないということだ。未確認情報だが女生徒にちょっかいを出してきたり、金品の強奪《ごうだつ》などの事件も起きているらしい」
それは聞いたことがある。あそこが怖くて通れないと、クラスの女の子たちが言っていた。
「私たちはあの公園を通らないが、あそこの道は自然に囲まれていて通るとすがすがしい、それに近道にもなる。あそこを通って下校する者たちにとっては切実な問題だろう。
なにより、この少年A君が切れて実際に少年Aとして、新聞にでも載《の》ってしまったら寝覚めが悪い。わざわざ切れやすい少年の実例の作成に協力することもないだろう? と、いうわけで、今度の凰林《おうりん》ジャーの活動内容はやすらぎ公園の不良|一帰《いっそう》だ」
先輩《せんぱい》は秘密基地に集まったOMRの主要メンバーを見回しながら言った。ここに戦隊ヒーローVSヤンキー軍団という前代未聞《ぜんだいみもん》の対決が始まろうとしていた。
様々《さまざま》な表情を浮かべるみんな。中でも湯飲みをを覗き込んだ時に映った、ぼくのなんともいえないもの悲しい表情が、とても印象的だった。
秘密基地で行われたお芝居《しばい》の放映、秘密基地から出撃《しゅつげき》という、ぼく達(ぼく、真太郎、のりちゃん)の精神にかなりの勢いで痛みを伴《ともな》わせる儀式《ぎしき》の後、ぼくたちはせせらぎ公園の近くにいた。ぼく達には、痛みに耐えてがんばることはできそうにない。感動なんて不可能だ。ぼくと真太郎とのりちゃんはテンション低いまま、やすらぎ公園にある遊歩道|脇《わき》のベンチに座っている。
やすらぎ公園、多分安直に決められたんだろうと想像できる名前のこの公園は、一本の小川に沿うようにして存在している、ものすごく細長い公園だ。公園にあるのは小川と、それに並行《へいこう》して走る遊歩道。その遊歩道の脇《わき》には街路樹が植えられていて、そこを通る人の目を楽しませる。そこから少し離《はな》れると大きな道路が走っていて、周りには店や住宅が立ち並んでいる。だけど、ここだけはまるで別世界のようで、街中《まちなか》にいることを忘れさせてくれる。よくいう都会のオアシスってやつ。この辺は都会ってほど開けてないけど。
それで、今回問題になっている不良たちがいるのは、長い遊歩道のちょうど真ん中ぐらい。そこには大きな広場があり、そこに何本も植えられた桜の木々は春には桜色の彩《いろどリ》を見せ、花見の名所《めいしょ》にもなっている。ベンチやゴミ箱、水道にトイレと大体のものは揃《そろ》っててたむろするには良い場所だと思う。
「それじゃあ偵察をお願いするよ、はじめ君」
先輩《せんぱい》がベンチにぐて〜と座っているぼくの肩をたたきながら言った。
「…………か弱いぼくにどうやって偵察をしろというんです?」
ぼくに言う理由はわかるけど、少しだけ反抗してみる。
「幽体離脱《ゆうたいりだつ》して、ふわふわ浮かびながら見てきてくれれば良い。情報とは相手に知られずに集めるから意味がある。君の能力はそれを可能とする。
調《しら》べてもらうのは、人数、武器の有無《うむ》、さらに周囲の状況など、我等が同胞の安全のために、がんばって覗《のぞ》きまくってきてくれたまえ」
……なんていやな感じの激励《げきれい》だろう。基本的に、ぼくは幽体離脱をする場合は、体からあまり遠く離《はな》れない。道本《みちもと》さんが言うには幽体離脱した状態《じょうたい》の身体《からだ》は、無防備で悪霊《あくりょう》にとり憑《つ》かれやすかったりするらしい。でも今は道本さんがいるから大丈夫、家が神社でさらに霊感《れいかん》が強いだけあって、色々できるらしい。
あと道本さんの霊能力関係の話になるんだけど、何かの拍子に幽体が抜けてしまった時のために、ぼくは道本さんからもらったお守りを身につけることにしている。
お守りは、楕円《だえん》形の銀のロケットのついたネックレス。最初にもらったお守りのロケットの中には、道本さんの写真が入っていた。さすがにこれはあんまりだったので、お願いですから他《ほか》のにして下さいと言った。そうしたら、今度は先輩の写真が入っていたのでありがたくもらっておいた。
ただ、今は身体が入れ替わってしまってるので、ロケットに自分の写真を入れている痛い人になってしまっている。これはどうにかしたほうがいいかもしれない。
「…………はぁ、わかりました。身体、ちゃんと見ててくださいね」
「任せてくれたまえ」
先輩が自信満々でうなずいた。
なんかものすごく信用できないんだけど…………一応は自分の体なんだから先輩も無茶《むちゃ》なことはしないだろう。という、一般的な常識《じょうしき》に基《もと》づいた希望的|観測《かんそく》で自分を納得《なっとく》させて、ぼくは身体から離れた。
今はまだ二月、冬真っ盛《さか》りだ。
この寒い中わざわざ焚《た》き火《び》までして外でたむろするとは、常識《じょうしき》ないというかなんというか。
公園でたむろしている不良たちの人数は15人、全員それっぽい髪形や服装をしている。青はいないけど、赤とか金の髪をした不良たち。チューリップとは、少年A君はうまく例《たと》えたものだと感心する。不良たちは制服から見るに、ガラが悪いことで有名な大森《おおもり》高校の生徒。制服が変形しまくっててわかりづらいけど、たぶん間違いない。
ぼくは十五人ほどいる不良を区別するために、AからOまでのアルファベットを、端《はし》のほうにいるのから割り当てていくことにする。
「寒いな」
「ああ……寒い」
不良ABあたりがそんな会話してる。それならこんな所でたむろするなと、声を大にして言いたい。
「暇だな」
「ああ、暇だな」
「なんかねーかなー」
不良EFGあたりがそんな会話してる。それならこんな所でたむろするなと――(以下同文)。
「寝るなー、眠ると死ぬぞー」
「親父《おやじ》にもぶたれたことないのにー」
不良MNあたりがそんな会話をしてる。それなら――(以下略)。
ぼくは、一通り突っ込み終えた後、武器になりそうなものがあるか、だれが強そうか、ここにいる以外に伏兵《ふくへい》はいるか、とか先輩に言われたことを調べる。一通り調べ終わった後、ぼくは先輩達のところにふわふわ戻っていった。
……………………なんてことだろう
ぼくが偵察から帰ってくると、そこには目を覆《おお》いたくなるばかりの地獄《じごく》絵図が広がっていた。
不良の皆さん、常識《じょうしき》がないとか思ってごめんなさい。寒い冬に、人類の知恵の象徴《しょうちょう》である火を使い、創意工夫《そういくふう》の結果、重《かさ》ね着をして寒さをしのいでるあなたたちは、十分に人としての合格点に達していることでしょう。
では、合格点に達していない難儀《なんぎ》な人がどこにいるのか?
ここにいる。
ぼくは胸に広がるやるせなさを噛《か》み締《し》めながら、目の前の絶望的なまでに季節|外《はず》れな光景を眺める。
現在ぼくの身体《からだ》になっている先輩《せんぱい》の身体は、小川沿いの土手の草の上に、女の子座りしている。ご丁寧《ていねい》に白い小さな花でできた花輪《はなわ》を頭に乗せて。…………花輪って今は冬だぞ、辺りにはまったく花なんか咲いていない。違和感バリバリだ。
いや突っ込むところはそこだけじゃない。
その他《ほか》、突っ込まないといけないところは、真っ白なワンピースに着替えさせられていること。そのワンピースの袖《そで》が二の腕ぐらいまでしかなく、思いっきり夏の装いであること。夏に、どこかの高地で、真っ白なつば広帽でもかぶってたらとても似合いそうだ。
そんな清楚《せいそ》なお嬢《じょう》様な感じに仕上がっている先輩の身体、その膝《ひざ》の上に先輩が頭を乗せて、気持ちよさそうに寝ていること。冬の少し、くすんだ感じの光景の中にそのさわやかさがあふれ過ぎている光景が混じっていると、泣けるほどに浮いている。
今日は、2月10日、月曜日。今日の朝、お天気お姉さんが全国的に冷え込むでしょうって言ってた。
もう一度ゆっくり、聞き取りやすいように、区切って言っておこう。
「 今、は、冬、だ 」
さらにその様《さま》を、タッキーがひたすら激写《げきしゃ》していること。この光景を写し取ってしまってる写真を、うちの学校の生徒にでも見られたら……かなりヘビーな引き籠《こ》もりになってしまいそうだ。
いつどこで着替えさせた? なに? そのさわやかな格好《かっこう》は。なに? その馬鹿《ばか》ップル丸出しの膝枕は。なに? このメルヘンさは。なに? なんで撮《と》られまくってるの?
この季節も、時代も、常識《じょうしき》すらも超越した光景に比べたら、今見てきた不良たちのほうがよっぽどまともに見える。
とりあえず、今の状態《じょうたい》の身体《からだ》には戻りたくない。たまに見える人影《ひとかげ》が、生暖かい笑顔《えがお》で通り過ぎていく。あの笑顔を正面から受けたら、精神に多大なダメージを受けることはまず間違いないと思う。
ぼくはふわふわと漂《ただよ》い、目の前の恥《は》ずかしい光景を見ながら身体に戻るか戻らないかで葛藤《かっとう》していると、道本《みちもと》さんがぼくに気づいた。
「おかえり、ハニー。偵察のほうはどうだったのかな?」
しょうがなく身体に戻るぼく。いやいや入り込むと、冬の寒さが肌を刺した。
ぼくは膝《ひざ》の上に乗ってる先輩《せんぱい》の顔を覗《のぞ》き込むと、聞いた。
「…………これはどういうことですか?」
「膝枕をしてもらってるのだが」
そんなとぼけた答えを返してくる先輩に、もう一度聞いた。
「……なんでぼくと先輩は、こんな時期に、こんな場所で、こんな格好《かっこう》をして、膝枕をしているんですか?」
「趣味《しゅみ》だよ」
先輩にそう返されてしまったら言える事は何もない。先輩の趣味なら、ありとあらゆることが、ありえてしまう。
とりあえず、自分を騙《だま》し、納得《なっとく》したことにして、先輩に聞く。
「非常に寒いんですが、ぼくの制服は?」
心の寒さだけはどうしようもないので、どうにかできる身体の寒さをどうにかしようとするぼく。
「コインランドリーでオーラ君が洗ってるはずだ」
想像もしなかったその言葉に、一瞬《いっしゅん》意識《いしき》が吹っ飛ぶぼく。帰ってくると気を取り直し、深呼吸をしたあと先輩に聞く。
「…………なんでですか?」
「人は一日に0・5リットルから3リットルもの汗をかく。炎天下の工事現場などで働く人なら10リットルを超えることもあるらしい。……やはり女の子はいつも清潔《せいけつ》にしておかないといけないね」
「今は真冬で、ぼくは今、工事現場で働いているわけでもないです。あまり汗をかいていない今、洗う必要があるとは到底思えません。
…………何で、コインランドリーで、ぼくの制服が、洗われているんですか?」
ぼくがそう聞くと、先輩がぼくの疑問に答えた。その答えは、これぞ先輩といったイカレ……もといイカしたものだった。
「……かわいらしいはじめ君の姿が見たかった」
…………なるほど、こんないかれた格好《かっこう》をするためだけにわざわざ制服を洗っているのか。
…………これ以上の何も得ることの出来ない不毛な会話はやめることにしよう。
「わかりました。わかりましたから、何か他《ほか》に着る物ください。寒くて風邪《かぜ》をひいてしまいそうなんで」
恥《は》ずかしいという理由がかなりの部分を占めてるけど、そこは伏せておく。
「ふむ、それは大変だ。では、これを着ると良い」
ピンク色の塊《かたまリ》を渡してくる先輩。
……暖を得るために変身する、世にも奇妙な変身ヒーローがここに誕生《たんじょう》した。
背に腹は変えられないという言葉って良く出来た言葉だなあ。灰色の空に、半分|意識《いしき》を飛ばしながら、ぼくはそんなことを思った。
「凰林《おうりん》レッド」
レッドののりちゃんが、怒《いか》りで震《ふる》える声で言った。
「凰林ブルー」
ブルーの道本《みちもと》さんが、役に入りきって言った。
「凰林イエロー」
イエローの真太郎《しんたろう》が、すべてをあきらめた感じで言った。
「凰林グリーン」
グリーンの先輩《せんぱい》が、かっこよく言った。
「凰林ピンク」
ピンクのぼくが泣きそうな声で言った。
「「五人そろって凰林ジャー」」
五人で、手を突き出した。どーん、その音と同時に、ぼくらの後ろで起こる、五色の爆発《ばくはつ》。仕掛けを作ったのは先輩だ。
………………先輩|凝《こ》り過ぎだよ。
そんなぼく達に、不良Aが問う。
「…………………………………………正気《しょうき》か?」
…………ええ、非常に残念なことですが正気です。正気を捨てたら楽になれるのでしょうか。
いま、ぼく達は不良たちの前でポーズを取っている。ぼくが偵察してきた情報を先輩《せんぱい》に話すと、先輩が番長も女裏番もいないようだからこちらの戦力で十分勝てるだろうと言ったので、特に作戦も立てず普通に参上したしだいです。個人的には、番長とか女裏番とかの生き物が現代に生息してるとは思わないんだけど。
あと先輩が、ヒーローの登場は、高い所と紀元前のころから決まっている! とか言い出したので、ぼく達は今、高いところでポーズを決めている。その高い場所が、公衆トイレの上である辺《あた》りが泣けてきます。
「みなさん!」
先輩が関《かか》わって話がこじれる前に、ぼくが不良たちに話しかける。
「あのですね、ここは公共の場であって、あなたがたのようにガラのよろしくない人たちがたむろしていると、普通の人が使いづらいんです。ですから、穏便《おんびん》に立ち退《の》いていただきたいのですが」
「あーん? 俺《おれ》らも市民なんだから、ここ使っててもいいだろうが。あん? なんだ? 俺等がおまえらに直接迷惑をかけたのか?」
不良Bが奇妙なヤンキー言語で言った。
こんな格好《かっこう》でこの場に立っているもともとの原因はあなた達なので、ものすごく迷惑をこうむってます。……そう言いたいのをこらえて、ぼくは続ける。
「いえ、ぼく達ではないのですが、うちの高校の生徒があなた達に嫌《いや》がらせを受けています。ですから……」
「あ〜ん? 誰《だれ》だそいつは、ここに連れてこい。そいつと話せばおれたちが迷惑かけてないってわかるだろ」
どう考えても脅《おど》そうとしているようにしか見えないんだけど。
「ですから、あなた達は迷惑なんです。立ち退いていただけませんか?」
「いやだね、戦隊ヒーローに意見される筋合いはねえよ」
……ぼくでもピンクに色々と言われたくないな。この格好でいることはすでに穏便な解決という選択肢《せんたくし》を、初めから捨てているような気がしてきた。初めから、穏便でない方法で問題を解決することが定められた正義の味方。エンターテイメントであるという意味では正しく、正義の味方と言う意味ではものすごく間違ってる。
「そもそもなんだその格好は、親が泣くぞ」
文句言うついでに、不良Dに諭《さと》されるぼく。
「かわいそうにな……」
不良Hに同情されるぼく。
「……がんばれよ」
不良Jに励《はげ》まされるぼく。
………………マジで泣きそうだ。
そんなぼくを押しのけて先輩《せんぱい》が前に出た。
そして、不良たちに向けて演説をぶちかます。
「社会の底辺を這《は》いずる君たち不良は、ここに存在するだけで威圧感を与える。見てみるといい、風の子達が戯《たわむ》れているはずのこの公園の惨状《さんじょう》を。むさくるしい野郎しかいないではないか! これが公園のあるべき姿か? 否! 故《ゆえ》に我等《われら》が、この公園をあるべき姿に戻す。覚悟するがいい、戦闘員《せんとういん》『い』!」
「誰《だれ》が戦闘員『い』だっ!」
ビシイィッと不良たちを指差す先輩と、反論する不良O。先輩はどうやら、不良たちにあいうえお順にひらがなを割り振っていたらしい。いや、先輩のひねくれ具合からしていろは順かも。
「ボス格のいない君たちは、戦闘員としか言いようがないだろう? 服装もオリジナリティがあるようで、その実、画一《かくいつ》的でオリジナリティがない服装ばかり。まさに戦闘員といった風情《ふぜい》の自分たちに君たちは気づいていないのかい? そもそも…………」
さらに色々と言い続ける先輩、どんどん不良たちの怒気《どき》が膨《ふく》れ上がっていくのがわかる。
さすが先輩、相手を怒らせたら天下一品だ。
「ちくしょうてめえ! 降りてきやがれ!!」
不良B辺《あた》り(どれがどれだかわからなくなってきた)が、切れて怒鳴《どな》る。
「言われるまでもない。正義の味方は正々堂々戦うものだ。さあいくぞ! とうっ!!」
先輩がそう叫ぶ。
…………けど、実際に飛び降りたのはのりちゃんと真太郎《しんたろう》だけ。先輩は、正々堂々公衆トイレの上で高みの見物をしている。
うおらっ ごらあっ どらあっ
不良たちの威勢のいい叫び声と、
うごっ うがっ ひでぶっ
なかなかに懐《なつ》かしいものの混じった不良たちの悲鳴が響《ひび》いてくる。
のりちゃんと真太郎強いなあ。不良たちじゃ歯が立たない。
「くくくく」
と笑ってストレス発散しているのりちゃんと、相変わらず無口な真太郎。
それ以外には、不良たちの合間をスサササーと黒い影《かげ》が走り回ってる。黒衣《くろこ》の格好《かっこう》をしてビデオカメラを回しているタッキーだ。タッキー、ものすごくいい動きしてる。タッキーが近景のカットを、オーラが遠景のカットを担当しているらしい。オーラはさっきから少し離《はな》れた場所で「ガンバッてクダサイー」とカメラを回している。
ぼくの横では、ぼくと同じ感想を抱いたらしい先輩《せんぱい》と道本《みちもと》さんが、
「ふむ、川村《かわむら》君、相変わらず良い動きしてるな」
「ああ、なかなかに美しい動きだ」
などとのんびり話をしている。
不良たちもかわいそうに、ぼくは傍観者《ぼうかんしゃ》の視点で公園の惨事《さんじ》を眺めた。まあ、それもこれも不良たちの自業自得《じごうじとく》なんだけど。
かたやほのぼの、かたや殺伐《さつばつ》。そんな異次元空間は、思いのほか早く消滅した。
あっという間に不良がやられ、逃げ出したんだ。
「おぼえてやがれ」
不良Cぐらいが、そんな捨て台詞《ぜりふ》を吐《は》いて、よろめきながら去ろうとした。
それを聞いた先輩が、公衆トイレの上から飛び降りると、不良Cに向かってすごい速さで駆《か》け出した。速い、さすがぼくの身体だ! とか言ってる場合じゃない。先輩……まさか止《とど》めを刺す気か……とか無理やり危機感あおってみたけど、そうならないことをぼくは知ってる。ある意味、そのほうがまだましだ。ぼくがただ一つ言えることは、身体の傷は治《なお》っても、心の傷は治りにくいということだ。
「先輩ストーップ」
そのぼくの制止もむなしく、先輩は不良Cの元にたどり着く。
そして………………
「ありがとう!」
先輩が不良Cの手を握り、上下にブンブン振りながら言った。
「いや、まさか生きているうちに、あの捨て台詞を聞けるとは思わなかった。君は最高だ、雑魚《ざこ》キャラの鑑《かがみ》といっても良い。あの時、あのタイミングであの台詞をいえるとは……天才、そう君は天才だ。君は生まれつき雑魚キャラの才能を持っていたのだろう」
雑魚キャラの才能…………いやな才能もあったもんだ。
「私は今日という日を永久に忘れない。ビデオカメラで撮《と》っていたので、映像としても音声としても残っている。これは家宝《かほう》として子々孫々《ししそんそん》へと伝えていくよ。君はどうする? 住所を教えてくれれば届けるがどうするかね?」
ものすごい追い討《う》ちコンボを精神に食らわせながら、先輩が問いかける。
先輩……聞かなくてもわかるでしょうに…………
「うっうぅうわああああああああああああああああああああああああああああ」
案《あん》の定《じょう》不良Cは、泣きながら走り去っていった。あの不良Cは、今日この時|背負《せお》った十字架を、一生背負って生きていくのだろう。
「あ〜り〜が〜と〜う〜」
その不良Cに向けて手を振る先輩《せんぱい》。鬼だ、先輩が悪鬼羅刹《あっきらせつ》の類《たぐい》に見える。
ぼくは夕日に透《す》ける不良Cの背中に手を合わせた、合掌《がっしょう》。ゴッドスピードとか、ボンボヤージュとか、グッドラックとか、生きていれば何か良い事あるさ……とか、ありったけの前途《ぜんと》を祝福する言葉を不良Cに送りたい。不良C、君はなぜだか他人とは思えない。がんばって生きてください、ぼくもがんばるから。
あの(不良Cにとっての)悲劇《ひげき》から三日後、先輩が不良Cの身元を突き止めた。そして昨日、恒例《こうれい》の昼休憩《ひるきゅうけい》上映会で流れた、編集《へんしゅう》されたやつを送ったらしい。上映会では、もちろんあの捨て台訶のシーンも流された。そしたら不良C大人気。今、うちの学校で交《か》わされる別れの挨拶《あいさつ》は「おぼえてやがれ」。
…………もう、そっとしておいてあげようよ先輩。
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バレンタインとぼく
「はじめ、おれにチョコをくれ」
「やだ」
唐突《とうとつ》に直球勝負に出てきたタッキーを問答無用で打ち落とすぼく。
「なんでぼくがタッキーにチョコレートをあげないといけないの?」
「あさってはバレンタインだからだ」
そういえばもうそんな時期だ。
「……なおさらだよ。なんでぼくが?」
「今のおまえは女だからだ」
「で、なんでタッキーに?」
「この世の中にはお世話になった人にあげる義理チョコというものが存在するからだ」
「真太郎《しんたろう》はチョコ欲しい?」
ぼくはすぐ後ろの真太郎に聞いてみる。
「……甘いものは好きだ」
「じゃ、真太郎《しんたろう》にはあげよう」
「おれは?」
「ぼくはタッキーにお世話になった覚えはないよ」
「なっなんてひどいことをいうんだ、今まで積《つ》み上げてきたおれ達二人の間に流れる友情という名の川は幻《まぼろし》だったとでも言うのか!」
「うん、幻だね」
「なっ……ちくしよーぐれてやるー」
衝撃《しょうげき》をすごい表情とリアクションで表した後に、恥《は》ずかしいせりふと共に駆《か》け出すタッキー。そんなタッキーを見てみない振りして自分の思考に入り込むぼく。
そうか、今年は生まれて初めて渡す側になるわけだ。女性として生きる上では欠《か》かせない行事だろうと思う。かなりやな感じだけど、こういう事からこつこつやっていこう。
とりあえず先輩《せんぱい》にあげるのは決まり。後はお世話になっている人。真太郎にのりちゃん、道本《みちもと》さんにもあげよう。あっそういえば最近は女の子同士でもチョコレートを渡すらしい。なら男女関係なくクラス全員にあげようかな、色々迷惑かけたし。うん、そうしよう。それなら手作りだ、その方が安くつく。というか買ったらいくらかかることか。
よし、決まり! 今日の帰りに材料を買おう。
そんなことがあって今日は2月14日、ぼくの手に持った紙袋に入ってるのは大量のチョコレー卜。
お母さんが買ってきた真っ白なふりふりエプロンを着けて、鼻歌歌いながらチョコレートを作っている自分に気づいた時には、人生の悲哀《ひあい》を感じたりしたけどチョコは無事出来上がった。ぼくの精神|状態《じょうたい》はチョコレートの出来には関係なかったらしい。味見《あじみ》したけど思いのほか美味《おい》しかった。
よしっ
ぼくは気合をひとつ入れた。今ぼくがいるのは自分の教室の前。自分の教室にはいるのに気合入れないといけないなんて……そんな事考えながらぼくは教室の扉《とびら》を開《あ》けた。
予想どおり中に広がっているのは…………バレンタイン特有のあの張り詰めた空気。勝ち組と負け組のいる人生の縮図《しゅくず》がこの小さな教室の中に広がっている。
音を立てないように扉を開けたつもりだったんだけど、みんなの視線《しせん》がぼくに集まる。
「おっおはよう」
そう言って自分の席につく。なんかこの緊張感《きんちょうかん》でみんなの感覚が研《と》ぎ澄《す》まされているみたい。その時、タッキーがススススーと音もなくやってきた。
「はじめ……何か渡すものがないかなあ。そう甘くてチのつくもの」
何でタッキーはこうあつかましくて、こう恥《はじ》も外聞もないんだろう。ぼくは「はぁ」とため息を一つついて、紙袋からチョコを取り出して渡す。
「うぉおおをおぉおをおぉおおをおおをおおをおおぉおをおおをぉおをおおおぉをおおをおぉおおおぉをおおおをおおぉをおお」
チョコをもらうと同時にいきなり机の上に登り、ぼくのあげたチョコを高々と掲げ叫ぶタッキー、相変わらず恥《は》ずかしいやつだなあ。
「ふはははどうだ、もてない男共よ、いや貰《もら》った男共もだ! この世にこれ以上価値のあるチョコレートが他《ほか》にあるだろうか、いやない!(反語表現)」
そう叫んでチョコレートを見せびらかすタッキー。そのタッキーを見る男子達の憎しみの視線《しせん》。
…………醜《みにく》い。
さらに言いつのろうとするタッキーが次の言葉を発する前にぼくは言った。
「えっと、みんなの分もあるんだけど。クラスの全員分」
ぼくがそう言うと同時にわっとぼくに殺到するクラスのみんなと、チョコを掲げた自由の女神《めがみ》ポーズで固まっているタッキー。
「先に言ってくれよ〜」
「そうそう」
「私達も貰《もら》っていいの? ありがとう」
「きゃーうれしー」
ぼくはクラスのみんなにチョコを渡していく。こんなに喜んでくれるなら持って来てよかった。
「ぼくの身体《からだ》の事でみんなに迷惑かけたから」
「お安い御用よ」
チョコを受け取った委員長がホクホク顔で言った。
「オーハジメ、嬉《うれ》しいデス! ありがとデス!」
オーラはひとしきり喜んだ後、頬《ほお》を赤らめていった。
「……これはラブですカ?」
「らいく! ライク! like!」
強調《きょうちょう》のために繰《く》り返すぼく。
「オー残念デス」
危ない危ない。もう少しで新たな世界に連れて行かれるとこだった。精神的には正しい組み合わせでも肉体的には危ない。
「はいは〜いしずかに〜。これは一体どうしたの〜?」
教室の中に入ってきた春海《はるみ》先生が叫んだ。人ごみの向こうだからまったく見えないけど。先生に言われて自分の席に戻っていくみんな。人が空《あ》いたところでぼくのところに来る先生。その先生にもチョコレートを渡す。
「日ごろお世話になっているお返しです」
「あらあらまあまあ、嬉《うれ》しいわ〜ありがとう」
そういってかわいく笑う先生。……この人本当に25歳なんだろうか、制服着たら同級生で通用するんじゃないかな。
「は〜いみんな、いくら嬉しいからって授業中に食べちゃだめよ〜。あとそこの自由の女神《めがみ》君、机の上に立っちゃだめよ」
そこでようやく正気に戻りのろのろと机から降りるタッキー。
「………はじめ、愛が足《た》りないぞ」
「初めからないよそんなもの」
「友情の分差をつけてくれてもいいだろ?」
ぽんっ
ぼくは手を叩《たた》いた。そうだ思い出した。ぼくはひときわ大きな箱《はこ》を取り出すと後ろの席の真太郎《しんたろう》に渡す。
「はい、真太郎。真太郎には特別巨大チョコだ。お世話になってるし……先輩《せんぱい》がらみで色々迷惑かけてるからね」
魔女《まじょ》っ娘《こ》という選択肢《せんたくし》をぼくが蹴《け》ったせいで真太郎はイエローになった。だからお詫《わ》びをかねて、というか道連れにしてごめんなさいというぼくの思いが、このチョコには詰まっている。……だって変身するたびに罪悪感がチクチクと心に刺さるんだ。同じ理由でのりちゃんのチョコも特別製。
渡すと真太郎は嬉しそうに笑った。いつも笑ってるような顔だけど、今はいつもよりひときわ嬉しそうだ。良かった良かった。多少罪悪感が和《やわ》らいだ気がする。
「なんだそりゃー、ちぃくしょーう」
と、また叫ぶタッキー。ホームルーム前だというのに教室から走り去る。
そんなタッキーを無視して真太郎がぼくに聞いてきた。
「はじめ、平賀《ひらが》先輩にはもう渡したのか?」
「うん、朝来る時に渡して来た」
……特別製のを。お母さんとお姉ちゃんが、これよっこれしかないわっ! とか言って大きなハート型の型を持ってきた。恥《は》ずかしいから嫌《いや》だと言ったら、お姉ちゃんが他《ほか》の型全部持って逃げた。まったくうちの女どもは。
だから先輩に渡したチョコは巨大なハート型チョコだ。特別製のを作るつもりだったけど……さすがにあれは恥《は》ずかしすぎる、先輩には学校では絶対|開《あ》けないでくださいと厳命《げんめい》してある。
…………………………していたはずだ。
……………………していたと思う。
………………していたよね?
…………なのに。
……なんで。
先輩《せんぱい》は今ぼくのあげた巨大なハートチョコを誇《ほこ》らしげに抱えて廊下を歩いてるんだ?
なんでうれしそーにそのチョコを見せびらかしてるんだ?
開いた扉《とびら》からぼくを見つけた先輩は言った。
「君の大きな愛は確かに受け取ったよ」
そう見せたチョコレートの表面には『つばさ先輩に愛を込めて、あなたのはじめより はぁと』とホワイトチョコレートで書いてある。もちろんぼくは書いてないし、昨日包んだ時にはあんなのは書いてなかった。
お姉ちゃんの仕業《しわざ》か、多分ぼくが昨日寝てからやったんだ。いやお姉ちゃんだけでは無理だ、無器用だし。だから、たぶんお母さんも共犯だ。ほんと……うちの女どもは。
なんでぼくの周りの人間は、こうしょうもない事に情熱を燃やすんだ?
ひゅーひゅーとか
きゃーとか
はやしたてるクラスのみんな。それは伝説が誕生《たんじょう》した瞬間《しゅんかん》だった。
………………現在170センチぐらいの深い穴募集中。
昼休憩《ひるきゅうけい》、ぼくはのりちゃんにチョコ渡して、美香《みか》さんにも渡して、そして今部室……いや秘密基地で道本《みちもと》さんにチョコレートを渡している最中。
「日ごろお世話になっているお礼です」
「ありがとう。うれしいよハニー。やっぱりぼくの想《おも》いが届いてたんだね」
「届いてないです、全然届いてないです」
ズササッと後ずさるぼく。そんなぼくに道本さんが言った。
「それはともかくハニー………………私に体を貸してくれないか?」
ズササササーっと部屋の隅まで後ずさるぼく。
「なっなにを言うんですか」
「おいおい道本君、そういうことは許婚《いいなずけ》の私が最初だろう順番は守ってくれたまえ」
乱心した道本さんに、いつの間にかやって来ていた先輩がずれた突っ込みを入れた。
「そうですよ道本先輩、はじめの親友であるおれは順番的に、かなり上位に位置しているはずですから」
と先輩《せんぱい》に続くタッキー。
「ワタシノ番は何時《いつ》デショう?」
さらにそれに続くオーラ。
……ここには普通の人はいないのか。あと、タッキーに順番が回ることは永久にない。
「ああ、そういう意味じゃないよ。ええとこっち来て」
虚空《こくう》に向けて手招きする道本《みちもと》さん。そして手を斜め下40度ぐらいに伸ばして言う。
「紹介するよ。この学校に取り憑《つ》いている自縛霊《じばくれい》の小夜《さよ》ちゃんだ」
……見えない。先輩がぼくの方を見て確認しろと目で合図する。いやだなあ。
「美少女なのか? 美少女なのか?」
と興奮《こうふん》するタッキーに蹴《け》りをいれて黙《だま》らせた後、ぼくは身体《からだ》から幽体《ゆうたい》を引っ張り出した。ただ完全には身体から出ずに半分だけ出す。こうすれば身体にも意識《いしき》が通るから力が抜けて倒れる事がないし、先輩と話すこともできる。幽霊と幽霊の見えない人との通訳《つうやく》だってできる。難点《なんてん》は周りから見るとボケーっとしているように見えること。
で、見えた小夜ちゃん、うちの制服を着た長い黒髪の可愛《かわい》らしい娘だ。小夜ちゃんの腰に道本《みちもと》さんは手を当てている。さっきの道本先輩の奇妙な行動はこういうことだったのか。小夜ちゃん心なしか赤くなっているみたい……全体的に顔色悪いけど。まあ血色《けっしょく》の良い幽霊がいたらそれはそれで怖い。
ただ、見た感じ外傷がないみたい。幽霊って死んだ時のままだから、事故で死んだ人の幽霊はいろいろとすごい事になっている事が多い。血がべっとりとか内臓《ないぞう》ドバーとか、怖くてとても正気《しょうき》で見てられない。それが、ぼくが幽霊見たくない理由。道本さん、よくそんな幽霊達を四六時中見えてて気が狂わないよ。いや、おかしくなってるのかな? とか失礼な事を思わず考えてしまう。
それはともかく、そういう理由から小夜ちゃんは事故で死んだわけではないみたい。病気かな? そう聞くとフルフルと小夜ちゃんは首を振った。ならなんで死んだんだろう。
そう僕が思っているのに気づいたんだろうか小夜ちゃんはくるりと一回転した。
………………うわあ
背中に包丁が突き刺さってる、後ろ側は背中からスカートまで血だらけだ。この娘は犯罪に巻き込まれたのか……
「そう、この娘は運悪く通り魔《ま》に刺されてね……」
話す道本さんと側《そば》でさびしそうに笑う小夜ちゃん。
「でもこの娘が成仏《じょうぶつ》していない理由は恨《うら》みではないんだよ」
道本さんは、小夜ちゃんが自縛《じばく》霊になった理由を、小夜ちゃんに代わって説明してくれた。小夜ちゃんが説明しても先輩とかオーラにはわからないしね。……タッキーにわからせる必要はないんだけど、これはまあしょうがない。
「なるほど……内気な少女が、バレンタインというイベントの力を借りて……」
みんなでお茶を飲みながら話を聞いたあと、先輩《せんぱい》がつぶやいた。今みんなは四角いテーブルを囲むようにして座っている。小夜《さよ》ちゃんが、道本《みちもと》さんの隣《となり》に座っているのが妙な感じ。
(はい)
小夜ちゃんがうなずいた。先輩には見えてないけど。
「しかし、その美しい願いはある美しくない男の手により叶《かな》うことはなかった……そしてその美しい想《おも》いが彼女を縛《しば》り付けてしまっている。縛られている彼女の今の状況はとても美しくない」
「で、君は小夜君を呪縛《じゅばく》から解き放ってあげたいと。そのために未練《みれん》を無くす……つまり、思いを遂《と》げさせてあげようというんだね。それには小夜君の仮の身体《からだ》となる女性の肉体が必要だと。なるほど……面白《おもしろ》いな」
「さすがはつばさ、話が早い。君も知っているだろうけど霊《れい》を降ろす為《ため》には特別な資質が必要なんだ」
「どういうことなんです?」
ぼくは聞いた。
「つまり身体に隅々まで行き渡っている本人の霊体を端《はし》によせ、新たな霊体が入るスペースを作る事のできる才能が必要だということだ。はじめ君にはその才能がある……幽体離脱《ゆうたいりだつ》すれば体が空《あ》くからね。いつもやっている事だろう? こういう風に霊を自分の意志で自《みずか》らの身体に入れることを、霊を降ろすという。いわゆる降霊術だ、この能力を持つ有名な人々にはいたこや霊媒師《れいばいし》がいる」
なるほど……だから道本さんがぼくに身体を貸してくれと。
「ちなみに悪霊《あくりょう》が無理やりにスペースを開け、無理に入り込まれた状態《じょうたい》を取り憑《つ》かれたという」
と、とんでもないことをなんでもない事のように付け加える先輩。ということは…………なっなっなんだってー。
「ぼくに取り憑かれろって言うんですか!」
(……大丈夫です、ただちょっと借りるだけですから)
小夜ちゃんが言う。
「いやです! 男でも女でもこの先輩の身体に他《ほか》の誰《だれ》かを入れるっていうのは嫌《いや》です!」
「そんな事言わずに貸してあげてくれないかね」
先輩がぼくに向かって言う。
「ボクからもお願いするよ」
真剣な顔で僕に頼む道本《みちもと》さん……道本さんのこんな真剣な表情を見るのは初めてだ。
(あの、ご迷惑はかけませんし少しの間でいいですから、お願いします)
そう言って深々と頭を下げる小夜《さよ》ちゃん。背中の包丁が見える。………無念だったんだろうな。想《おも》いを遂《と》げさせてあげたいけど。でも………
「はじめ! お前には人間の心がないのかっ! 非業《ひごう》の死を遂《と》げた美少女……鳴呼《ああ》、この胸に去来《きょらい》するこの想い、これは何だ? 何だ? それは、せつなさ。
死者と生者は交わることがない、小夜ちゃんが成仏《じょうぶつ》すればもう二度と生きて会うことはないだろう。だが、この想いは残り続ける。バレンタインという日が来るたびに、悲運に見舞《みま》われた健気《けなげ》な少女を思い出す。そして狂おしいまでの切なさで身を焼くことになるだろう。バレンタイン一色で染《そ》まる街の喧騒《けんそう》を全身に感じながら、空を見上げて、小夜ちゃんはあの世で元気にやってるのかなあ……とか笑顔《えがお》で呟《つぶや》くことができる。
だがそれは、ベストではないまでもベターで終わることが前提だ。
要するに美少女|幽霊《ゆうれい》は、永久に未練《みれん》を抱えてさまよい続けましたじゃ萌《も》えないんだよ! これを切なさあふれる思い出にするには未練をかなえて、成仏させてあげる必要が…………ぶっ、がっ、ぶへっ」
ぼくはあまりにも馬鹿《ばか》な物言いに、そばにあった木製のおぼんでタッキーの頭を叩《たた》き黙《だま》らせる。
「ごめんね、小夜ちゃん、こいつには、悪気《わるぎ》はない、んだ。ただ、馬鹿《ばか》な、だけ、なんだ」
(はい、気にしてません。ですからそろそろやめてあげてください〜)
おぼんでタッキーを叩《たた》き続けていたぼくは、タッキーが動かなくなったのを確認して叩くのをやめる。
「はぁはぁ…………えっと、何の話でしたっけ」
ぼくは、息を弾《はず》ませながら聞いた。
「ハジメがサヨチャンニ取り憑カレるとイウ話デスね」
……そうだった。
ぼくは恐る恐るみんなを見回す。
「………はじめ君」
「………ハニー」
「………ハジメ」
(………はじめさん)
ああっ視線《しせん》が痛い………四人でそんな目で見ないで…………
……………………しょうがない。
「……わかりました」
(ありがとうございます!)
大喜びの小夜《さよ》ちゃん。
「でも先輩《せんぱい》の身体《からだ》を完全にあけ渡すのは嫌《いや》なので、身体を半分だけ貸すということで。それでだめなら協力できません」
これだけは絶対に譲《ゆず》れない。
(かまいません)
小夜ちゃんが嬉《うれ》しそうに言った。
「しかし、はじめ君。完全に抜けずに小夜君が入る場所を作る事などできるかね」
「幽体離脱《ゆうたいりだつ》の要領でできると思います」
先輩にそう答えてぼくは、悪霊《あくりょう》よけのペンダントをはずして、ソファに深く座る。
えっと、抜けずに身体の中で端《はし》に寄っていく感じで………こうかな?
「……これで小夜ちゃんは入れる?」
(はい、やってみます)
小夜ちゃんが入ってくると同時に身体にぞくぞくっと寒《さむ》気が走る。
うわっこの感覚にはなれそうにないなあ。小夜ちゃんが入ってきたのを確認してぼくは身体の操縦《そうじゅう》を小夜ちゃんにあけ渡す。
「……小夜君かい? はじめまして、平賀《ひらが》つばさだ」
そう言って手を差し出す先輩。
「はい、はじめまして。今日はよろしくおねがいします」
小夜ちゃんが先輩と握手《あくしゅ》しながら答えた。ぼくは今、幽体を身体の隅に寄せて小夜ちゃんの入れる場所を作っている。小夜ちゃんが見たものはぼくにも見えるし、感じた事はぼくも感じる。今の状態《じょうたい》を例《たと》えるなら小夜ちゃんがこのつばさ号のメインパイロットでぼくがサブパイロットといった感じかな。
「こちらこそ。ところで今はじめ君はどうなってるんだい?」
先輩が小夜ちゃんに言った。
「あっはい、変わりました、ぼくです」
答えるためにぼくがメインパイロットになる。
「なるほど、自由に入れ替われるんだね」
先輩が言った。今日先輩何回なるほどと言っただろうか。先輩はなるほどの数が増えるほど機嫌《きげん》が良くなっていく。知識《ちしき》が増えるのがほんとにうれしいんだろうなあ。
「はい。でもどっちが主導権《しゅどうけん》を持っているかというとぼくです。入れ変わりはぼくの意思です。というわけで変わります」
そう言ってぼくは小夜ちゃんに体をあけ渡す。なんか二重人格みたい……って二重人格なのか。
「オオゥ、ハジメスゴイネー」
オーラが目をきらきら輝《かがや》かせながら言った。先輩《せんぱい》が目を細めてオーラに続く。
「ほほう、とても興味深《きょうみぶか》いな。小夜君、後で色々聞かせてくれたまえ」
先輩はとてもうれしそうだ。
「はい」
「では、これからの話を進めよう。ところで君が思いを寄せていた人物というのは? 君と同世代だとすれば、年齢《ねんれい》的にはもう三十半ばを過ぎていると思うが」
「この学校の生徒だった……後藤《ごとう》利一《りいち》君です」
「………………なるほど」
先輩があごに手を当てつつうなずいた。小夜《さよ》ちゃんの答えに心当たりがあったみたい。
「ん? 聞いた事のある名前だなあ」
先輩は何かに気づいたみたい。だけどぼくはわからない。どっかで聞いた事あるような気がするんだけどなあ。はてさてどこで聞いたのか……。
「はじめ君、後藤|教諭《きょうゆ》の事だよ、教諭はこの学校出身のはずだ。年齢も一致する」
「ごりさんか! ……それは……また、渋い趣味《しゅみ》だね」
後藤利一、通称ごりさん。生徒に最も恐れられている教師。名前と苗字《みょうじ》の頭文宇をあわせるとごり。あだ名の通りゴリラに似た容貌《ようぼう》を持つ凰林《おうりん》高校最強の生物。生徒|指導《しどう》の鬼。
「おいおいはじめ君、教諭も二十年前は少年だよ」
「そうですよ! かわいかったですよ!」
そう言う小夜ちゃん。
でも、ごりさんのあの輪郭《りんかく》からわかる頭蓋骨《ずがいこつ》の構造からして……二十年前もごり顔だっただろう。やっぱり小夜ちゃんは変わった趣味という結論に達してしまう。
「さてどういう風に思いを伝えるか考えよう。チョコレートを渡すのはいいとして、これから用意するのかい?」
「ああ、それなら大丈夫だよ。小夜ちゃんの手作りを用意してある」
「どうやって用意したんです?」
身体《からだ》もないのに……念力《ねんりき》とか?
「ボクの身体を貸したんだよハニー」
さすが神社の息子、色々できるなあ。
「でも、それなら別にこの先輩の身体使わなくても……」
「男同士で渡すのかね、まあそういう世界もあるにはあるが」
先輩が言った。ちょっと想像してみる。
頬《ほお》を染《そ》めてチョコレートを渡す道本《みちもと》さんに受け取るごりさん………嫌《いや》な光景だ。
はあ、しょうがないなあ。ぼくも男なのに……身体は先輩のだけど。
……………………はっ!
「ということは先輩《せんぱい》が、先輩の身体《からだ》がごりさんに告白するってことじゃないですか!」
ぼくの脳裏《のうり》にほほを染めつつごりさんにチョコレートをわたす先輩の姿が浮かぶ。
「それはそうだよ」
なんでもないことのように言う先輩。でもぼくにとっては大事だ。
「いやだ〜〜〜そんな光景見たくない。やだっやっぱりいやです」
「往生際《おうじょうぎわ》悪いよはじめ君、男なら一度|交《か》わした約束を違《たが》えるものではないよ」
「ぼくは今女です!」
「往生際悪いよはじめ君、女なら一度|交《か》わした約束を違えるものではないよ」
「ぼくは男の心に女の身体の微妙な存在です!」
「往生際悪いよはじめ君、人なら一度交わした約束を違えるものではないよ」
……………逃げられそうもない。というより先輩と口で勝負するのがすでに間違っている。
ぼくが先輩に口で勝てるはずがない。
「あの……そこまで嫌《いや》なのでしたら……」
そう言ってくれる小夜《さよ》ちゃん……良い娘だ。
「いえ、いいです。やります。そこの先輩が興味《きょうみ》しんしんですから、逃げてもどうせやる事になります」
「すいません」
申し訳《わけ》なさそうに謝《あやま》る小夜ちゃん。そんなぼく達を見て先輩が言った。
「……面白《おもしろ》いな、まるで一人芝居を見ているようだよ。この光景を、事情を知らない人物が見たら気でもちがえたかと思うだろうね」
「ほっといてください」
そう言ってすねるぼく。まったくこの人は面白《おもしろ》がって。
「さて、作戦|会議《かいぎ》を始めよう。人物の居場所もわかっているし、渡す物もある。後の問題は後藤《ごとう》教諭《きょうゆ》が小夜君の存在……幽霊《ゆうれい》の存在を信じるかどうかだね。信じていなければ小夜君が何を言っても性質《たち》の悪い生徒のいたずらということになる。どういう方法でいこうか」
「あの、それなんですが、わたしは……ただ普通に渡したいです」
「あのゴリーが気づかなかったらどうするんだい?」
道本《みちもと》さんがぼくを見つめて言う。まあ、ぼくの中の小夜ちゃんに向けてなんだけど。
「中身は私だから気づいてもらえると思います。幽霊になってわかったんですが内面がその人の印象にかなり影響《えいきょう》を与えます」
これはとても共感できる。先輩の入ってるぼくの身体は印象ががらりと変わって、とてもぼくに見えない。先輩が言うには先輩に入っているぼくも、先輩の時とはまったく違うらしいし。
「それに気づいてくれなかったら、多分すっきりして成仏《じょうぶつ》できると思います。利一《りいち》君の記憶《きおく》の中に私がいないという事ですから。それに忘れているのに思い出させるのはただ重荷を増やすだけだと思います……気持ちの良い記憶《きおく》ではないでしょうから」
「…………17年弱しか生きていない私が言うのもなんだが、20年はとても長いぞ。そして人の記憶は曖昧《あいまい》でとても脆《もろ》い物だ、君に気づく確率は微々《びび》たる物だろう。君が言ったように内面は重要だ……それでも人の判断基準の主たるものは外面だよ」
先輩《せんぱい》が小夜ちゃんの心に届くように、ゆっくりとかみしめるようにして言う。
「はい。それでも利一《りいち》君なら気づいてくれると思います」
「センチメンタリズムの極致だな…………だが嫌いじゃない。よし! その線《せん》で進める事としよう。チョコレートを渡す場所は夕日で赤く染《そ》まる屋上なんてどうだろうか」
これはまたべたべただなあ。こうしてチョコを渡す場所を決める会議《かいぎ》は昼休憩《ひるきゅうけい》いっぱい続けられた。出てきた候補は先輩の趣味《しゅみ》に彩《いろど》られた、あれな感じのものばかりだった。
「…………先輩、なんか小夜ちゃんには特別に、肩入れしてる気がするんですが」
昼休みの作戦会議の後、教室に戻りながらぼくは先輩に言った。前にもこんなことがあったけど、前のときとは先輩の様子《ようす》が違うような気がする。
「ほう…………流石《さすが》だね、わずかな違いをも見逃《みのが》さない君の観察眼《かんさつがん》は感嘆に値するよ………………これが愛の力か」
先輩が嬉《うれ》しそうに言った。
「先輩からかわないでくださいよ! ぼくはまじめに言ってるんです」
ぼくがそう言うと先輩はにっこり笑ったあと、まじめな表情で言った。
「はじめ君、君はバレンタインの怪人というのを知っているかね」
「いえ、初めて聞きました、すいません」
バレンタインの怪人……なんだろう。
「君は高校に入ってからここに引っ越してきたのだから、知らなくても無理はない。バレンタインの怪人とは、この辺に伝わる都市伝説の一つだよ。
バレンタインに女の子がチョコレートを持っていると、全身こげ茶色の服を着て包丁を持った男が現れてこう聞いてくる。
『チョコをくれ』
渡さないと包丁で心臓《しんぞう》を一突《ひとつ》きにされて殺されてしまう、渡しても『代わりのチョコを用意してやろう』と言って包丁でめった刺しにされてしまう。めった刺しにされた少女の身体《からだ》は、時間が経《た》つと全身についた血が乾いてチョコレート色になる。
少女たちの返り血が乾いてこげ茶色になった服を着た男は、今もバレンタインになると獲物《えもの》を探してうろついている。
…………という話だ」
「先輩《せんぱい》それって……」
ぼくは思わず声を出してしまった。小夜《さよ》ちゃんの話とそっくりだ。
「ああ、似てるね。というよりもほとんど同じといって良い。
もてない男の僻《ひが》みと、怪人赤マントや口裂《くちさ》け女などの有名な都市伝説が元になってできた、地域限定の笑える都市伝説だと思っていたのだが……小夜君の話を聞くと、どうやら実際の事件と有名な都市伝説とが結びついて成立した話らしい。
これは愉快《ゆかい》じゃないだろう? この都市伝説はバレンタインの時期に、主に笑い話として語られる。が、実際に起きた事件が元になっていたとすると笑えない。
笑えない話ついでに言うと、この話には続きがあって、殺された少女は渡せなかったチョコレートを探して彷徨《さまよ》い続けるという。ますます笑えない。
だからだよ。とりあえず、私がこの都市伝説を聞いて、笑えないまでも良い思い出の一つとして語れるようになるためには、小夜君に成仏《じょうぶつ》してもらわないといけない。小夜君も未練《みれん》を残して彷徨うよりは、よっぽどましなはずだ」
「先輩…………」
さすが先輩だ、やっぱり先輩は優しい人だ。また惚《ほ》れ直したな。
「……ふむ、ふと思ったのだが……今、私が話したことは、先ほどの川村《かわむら》君の話にそっくりだな。まあ言いたいことがほぼ一緒だから同じになるのもしょうがないか」
………………せっかくきれいに終わりかけたのに。
そう思った瞬間《しゅんかん》、消えかけた良い雰囲気に止《とど》めを刺す奇声が響《ひび》いた。
「うおおおおおおおお美少女|幽霊《ゆうれい》ー」
どうやらタッキーが復活したみたい、遠くでタッキーの雄叫《おたけ》びが聞こえる。
さっきまではホント良い感じだったのに。
ぼくは、どうあってもきれいに終わることのできない星の下に生まれてきたらしい。
今ぼくがいるのは屋上、結局先輩の夕日で染《そ》まった屋上でのろまんてぃっくな告白に決定した。ぼくが屋上の手すりに寄りかかりつつグラウンドを見ていると、水色の銃っぽいものを持った先輩とタッキーと道本さんが逃げ回ってる。追っかけているのはゴリさん。カメラを抱えて、追いかけっこしている四人に付いて回ってる金色頭はオーラ。
「まてえ! ええい止らんか! 平賀《ひらが》、川村、道本!」
ゴリさんは顔を真っ赤にして激怒《げきど》している。あそこまでゴリさんを怒らせるなんて何したんだろう。
足は先輩達のほうが速いらしく、ゴリさんは追いつけない。
……何度見てもすばやく動くタッキーは気持ち悪いなあ。小太りのタッキーが俊敏《しゅんびん》に動くさまは、物理法則を無視しているように見える。
少し走って距離《きょり》が開くと、先輩《せんぱい》たち三人は振り返りゴリさんに銃っぽいものを向ける。
その先から出たのは水。
…………水鉄砲《みずでっぽう》か、先輩らしいというかなんと言うか。
顔面に水を受けたゴリさんは怒り狂ってさらに顔を赤くする。
その周りではクラブ活動中の学生たちが、やいのやいのとはやし立てている。
「ゴリさん元気だなあ……、先輩も相変わらずだなあ……」
ぼくは一人ごちた。他人《ひと》をおちょくることに関して先輩にかなう人はいない。
(利一《りいち》君、本当に変わってないです)
「……顔が?」
頭の中でつぶやく小夜《さよ》ちゃんに、思わず聞いてしまう。
(顔も、元気なところもです)
やっばゴリ……老《ふ》け顔だったんだなあ。
「……小夜ちゃんはゴリさんのどんなところを好きになったの?」
ぼくはなんとなく聞いてみた。
(まじめでやさしいところです)
まじめ……ゴリさんは、まじめとか堅物《かたぶつ》とかを通り越して、もうすでに化石《かせき》化《か》しているような気がする。
(……はじめさん。今、利一君が堅物すぎるとか思ったでしょう)
図星《ずぼし》だ。
(でもあの堅さがいいんですよ、まじめで、曲がったことは嫌いで、言いたいことは言う。私にとっては正義のヒーローでした。…………はじめさんはつばささんのどんなところを好きになったんです? あんな大きなチョコレートを渡すぐらいですから、それはもう大好きなんでしょう?)
「…………あれを見たの?」
(はい)
「はずかしいなぁ、あれは不可抗力なんだ。家のお母さんとおねえちゃんの悪ふざけで、ああなっちゃったんだよ。ほんとはもっとおとなしい形になるはずだったんだけど」
(どっちにしろ作るつもりだったんじゃないですか)
ぼくは手の中にある、小夜ちゃんの手作りチョコを見ながら言う。
「うん、まあね」
(バレンタインっていいものでしょう? 渡すだけで想《おも》いが伝わります。話すのが苦手《にがて》な私にぴったり……ぴったりでした)
「…………そうだね」
バレンタインの良さを語る小夜《さよ》ちゃん。聞いててとても悲しくなってきた。この悲しみを少しでも薄《うす》めるために、先輩《せんぱい》たちががんばってるんだと再確認する。ぼくもできるだけの事はしよう……とは言ってもここで立っている他《ほか》にすることはないけど。
「それはそうと、先輩を好きになった理由かぁ……うーん…………やっぱり笑顔《えがお》かなあ」
(笑顔?)
「先輩っていつも笑ってるけど、本当に笑うことってあまりないんだ。いつも意地悪な感じの笑顔ばっかり浮かべて、だから表情が読みづらい。だけどたまにものすごく優しい笑顔をするんだ」
あの先輩の笑顔を、この学校で一番見てるのはぼくだと思う。うぬぼれじゃなしに。あの笑顔を見せられたらぼくはもういちころだ、先輩から離《はな》れられなくなる。
(…………本当に好きなんですね)
「うん。……あとはあの変な行動が収まってくれたら言うことないんだけど」
(ふふっあれがなくなったら、つばささんじゃなくなるじゃないんですか?)
「ははっ、だね……ホント困ったもんだ」
ぼくと小夜ちゃんはひとしきり笑ったあと、黙《だま》って眼下に広がる平和な光景を見る。
下では相も変わらずゴリさんが、先輩たちにおちょくられている。先輩がなんか投げた、もうもうと真っ白い煙が広がる。石灰《せっかい》かなんかだろうか。
「ひーらーがー」
その煙の中からゴリさんが現れる。顔真っ白。でも石灰の下は真っ赤だろう。
そんなゴリさんに、
「道本《みちもと》君、川村《かわむら》君、ジェットストリームアタックをかけるぞ」
先輩《せんぱい》がそう叫ぶ。先輩を先頭にして三人で縦《たて》に並んで、ゴリさんに突っ込んでいく。
年齢《ねんれい》的に直撃《ちょくげき》だった世代のゴリさんは思わず、手で顔を防御《ぼうぎょ》してしまう。
その脇《わき》を何もせず通り過ぎる先輩たち三人。ものすごいおちょくり度合いだ。
「うがー」
本格的にぶち切れるゴリさん。……なんかゴリさんがかわいそうになってきたよ。
あっ先輩たちが校舎内に逃げ込んだ。それを追うゴリさん。そろそろ屋上に上がってくるはずだ。いまさらながらに、もっと他《ほか》に誘《さそ》う方法があったんじゃないかと思う。まあ、過ぎたことを言ってもしょうがないか。
さあ、準備をしよう。
ぼくが準備を始めようとしたとき、小夜ちゃんが言った。
(…………あなたたちはとってもお似合いですよ。色々と問題もあるようですが、つばささんは努力をしているみたいです、あなたたちが二人でいるために)
「色々? 努力?」
なんだろう。なんとなく最近の先輩《せんぱい》はおかしいような気がするけど。
(秘密です、つばささんが何も言ってないのですから。
不安かもしれませんが、はじめさん、あなたはあなたの想《おも》うとおりにすればいいんです。そうすれば、問題はないですよ。
…………幸せになってくださいね……私の分まで。私の叶《かな》わなかった夢はあなたに託《たく》します)
身体《からだ》の中の小夜《さよ》ちゃんが微笑《ほほえ》んだ気がした。
…………ぜんぜんわからない。でもわからないことをいつまでも考えていもしょうがない、ぼくもできることをがんばろう。
「うん、なんかよくわからないけど、ぼくもがんばるよ」
(はい)
それからぼく達は一言も話さず、待ち人が来るのを待っていた。その沈黙《ちんもく》は、なんかとても優しかった。
ぼく……いや小夜ちゃんが扉《とびら》の開く音に振り向く。振り向いた先にいたのは真っ赤になってぎょろりとした目で屋上を見回すゴリさん。相変わらずぶち切れている……先輩……これは少しやりすぎたんじゃないか? そのぎょろぎょろした目がぼくを捉《とら》えた、いや今は小夜ちゃんか。
こっ怖い
「おい平賀《ひらが》っじゃない山城《やましろ》、平賀はどこに隠《かく》れた。隠してもおまえの為《ため》にならんぞ」
そう言って詰め寄ってくる。……逃げたい。ゴリさんのどアップは心臓《しんそう》に悪い。そんなぼくとは裏腹に小夜ちゃんはくすくすと笑いながら答えた。
「さあ、知らないですよ」
その口調《くちょう》や動作に、雰囲気に何か感じる事があったのだろうか、ゴリさんの動きがぴたりと止まる。そんなゴリさんに微笑《ほほえ》みかける小夜ちゃん。
その笑顔に懐《なつ》かしいものを感じたんだろうゴリさんは、呆然《ぼうぜん》とつぶやいた。
「………………小夜ちゃん」
だけどすぐにはっと我に返る。
「……いやすまんな、変な事を言った。忘れてくれ。ちっ……今日のわしはどうかしてる」
ゴリさんはそう言って立ち去ろうとする。
その背中に向かって小夜ちゃんが言った。
「……利一《りいち》君……夢かなえたんだね」
その声にゴリさんの足が止まる。そして恐る恐る振り向いて言った。
「……小夜《さよ》ちゃん?」
その言葉を聞いて小夜ちゃんがにっこり笑う。
「ふふ、そう。あなたの教え子達は良い子ばかりね、この子もそう。この子に身体《からだ》を借りたおかげでわたしはあなたと話す事ができるの。信じられない?」
小夜ちゃんが胸に手を当てて言った。
「いや……その話し方は小夜ちゃんだ」
ゴリさんは茫然自失《ぼうぜんじしつ》といった感じ。そして今の状況を理解して記憶《きおく》が蘇《よみがえ》ったのか、ごりさんは顔を歪《ゆが》めた。
「…………小夜ちゃんすまない、俺《おれ》は君を……」
小夜ちゃんの話ではゴリさんとの待ち合わせの場所に行く途中《とちゅう》小夜ちゃんは刺されたらしい。呼び出したのは小夜ちゃん、ごりさんはただ呼ばれていっただけ。ごりさんには何の非もない。それなのにゴリさんは小夜ちゃんの事をずっと後悔しつづけてきたのだろう。
ぼくはこの時理解した。小夜ちゃんのことがあったからゴリさんは生徒|指導《しどう》に人一倍熱心で、生徒に対し厳《きび》しかったんだ。考えてみれば思い当たる節《ふし》がある、ごりさんは生徒の安全のことについては人一倍うるさかった。生徒指導の鬼と呼ばれるほどに。
「…………ここ懐《なつ》かしいです」
小夜ちゃんは少し微笑《ほほえ》んで、ゴリさんに背を向ける。そして屋上から見える景色を眺める。
ここは高台だから結構|見晴《みは》らしがいい。
「この景色、かなり変わったけど、ぜんぜん変わってない。あのころみたいな幸せな景色、…………ここで色々なこと話したでしょ? テレビの話とか、嫌いな先生の話とか、夢のこととか。先生になりたいって私に言った時の利一《りいち》君、かっこよかったなあ。あの時です、私が利一君の事好きになったのは。勇気がでなくて告白できなくて、ずっと思いを伝えられなくて、ようやく告白しようと思ったらあんなことになったけど……」
小夜ちゃんは、そこで振り返ってゴリさんを見て言った。
「だからね、私が勝手に好きになって、私が勝手に告白しようとして、私が勝手に死んだだけ。利一君が気に病《や》む必要はないの、ただ私の運が悪かっただけ。………そして私に勇気がなかったのが悪かっただけ」
そう言って微笑む小夜ちゃん。見えないけど、とても悲しい笑顔《えがお》をしてると思う。
「そんなことはない……そんなことは。それなら俺《おれ》のほうが!」
そう言うゴリさんを笑顔で制して、小夜ちゃんは口を開いた。そこから出たのは20年前に伝えるはずだった想《おも》い。
「で、これはあの時わたせなかったチョコレートの代わり。ずっと前から好きでした」
そう言ってきれいにラッピングされたチョコレートの箱《はこ》を差し出す小夜ちゃん。今、先輩《せんぱい》の顔は照れて真っ赤になった可愛《かわい》らしい表情をしていると思う。……そんな先輩の姿を他人《ひと》に見られるのは悔しいけど、まあ今日だけはいいか。
「ありがとう」
そのチョコレートを照れながら受け取るゴリさん。
良い光景だ…………でもこれが20年前の光景だったらどれほど良かっただろう。そんな事をぼくは思った。
「じゃあ、そろそろ逝《い》くわ。二十年も遅刻してるから。……ふふ、生きてた時は無遅刻無欠席だったのにね」
そう言って笑う小夜《さよ》ちゃんに、ゴリさんは何か言いかけたが口をつぐむ。
「さようなら利一《りいち》君」
そう言うと同時にぼくの身体《からだ》を抜け出す小夜ちゃん。ゴリさんが小さくさよならと呟《つぶや》くのが聞こえた。ごりさんに笑顔《えがお》を見せると同時に光が小夜ちゃんを包む。そしてぼくに向かってにっこり微笑《ほほえ》むと、小夜ちゃんの姿が光に溶けていく。
まるで天に昇っていく粉雪のようだった。それはとても美しく、幻想的でとても……とても悲しい光景だった。知らず知らずのうちに涙を流しているぼくがいた。
「…………逝ったのか?」
空が本格的に暗くなってきたころ、ゴリさんがぽつりと言った。
「はい」
「そうか…………山城《やましろ》……感謝《かんしゃ》する」
「……いえ。あとつばさ先輩《せんぱい》と道本《みちもと》先輩にもお礼言っておいてください。あの二人の方が、がんばったんですから。ついでにタッキー、川村《かわむら》君にも」
「ああ」
そこでぼくは、ふと思い出した。さりげない、そして心のこもった小夜ちゃんの言葉。ぼくはゴリさんに聞いてみる。
「……先生、小夜ちゃんの夢って何か知ってますか?」
「……ああ、…………お嫁《よめ》さんだそうだ。幼稚《ようち》な夢だと笑っていたよ。………………そんなささいな夢ぐらい叶《かな》えてやりたかった」
そう言って小夜ちゃんの昇っていった方向を見ている先生。
ぼくとゴリさんはそれから太陽が沈みきるまでそこで空を見上げていた。
二月のせっかちな太陽はとっくに沈んでしまっていて、辺《あた》りはすでに真っ暗だ。そんな中をぼくと先輩は並んで駅への道を歩く。もう遅いので、凰林《おうりん》高校の生徒の姿はまばらにしか見当たらない。
ぼくは手を伸ばし先輩の手……元自分の手を握って言った。
「先輩《せんぱい》はそんなに早く死なないでくださいね」
こんな言葉が出たのは、小夜《さよ》ちゃんを見たから。そして小夜ちゃんに言われたことが気になっているから。
「…………………………善処しよう」
ぼくの唐突《とうとつ》な問いに先輩は、ぼくの顔を見て笑顔《えがお》で言った。この先輩の言葉を聞いたとき、ぼくは先輩らしい持って回ったセリフだなあとかのん気な事を考えていた。
この時の、先輩の本当の想《おも》いをぼくが知るのはしばらく後のことだった。
あれから数日後、先輩がバレンタインの怪人の都市伝説に、新たな設定を付け加えて流した。それはバレンタインの怪人の撃退《げきたい》法。その方法は、そのチョコレートを渡す相手の名前を三回唱えると撃退できるというもの。
この素敵《すてき》な撃退法が広まって、伝わっていくといいなと心から思う。小夜ちゃんのために。
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日記帳と私
12月25日 (土)
何から書けばいいのかわからないほどさまざまな事が起こった。宇宙人にさらわれ脳を入れ替えられた。さらに家族|会議《かいぎ》に婚約。天地がひっくり返ったようなという表現があるが今の私の状態《じょうたい》を表すには的確《てきかく》な表現かもしれない。
人類初の出来事だろうからこれから先は未知の領域だ。はじめ君は色々と不安を抱えているようだが、私は不安より私違のこれからに対する好奇心の方が大きい。これから色々と楽しめそうだ。
追記
昨日今日とはじめ君の色々な表情が見ることができて良かった。体が変わってもはじめ君の可愛《かわい》らしさは少しも損なわれる事はない。デジカメを買おうと本気で考えてしまう今日この頃《ごろ》だ。
1月14日 (火)
病院では書けず、昨日は病院からかえると同時に睡魔《すいま》に負けてしまったので久し振りの記帳になる。病院内の出来事はあまり書き残そうとは思わない、観察《かんさつ》するのは好きだが観察されるのはあまり面白《おもしろ》くない。だが、そのかいもあり私とはじめ君の脳が入れ替わっている事が証明された。これは喜ばしい事だ。
しかし、それと共に問題が一つ発生した。かなり重大な事態《じたい》だ。普通ならこの事態を収捨《しゅうしゅう》するのは不可能だ。だが、私には一つあてがある。かなり可能性が低いがそれに賭《か》けようと思う。私は全《すべ》てを諦《あきら》める事が出来るほど無欲ではない。早速《さっそく》明日から、行動を起こすことにしよう。自分、はじめ君、そして私達を取り巻く人々の為に。
追記
病院でもはじめ君は可愛《かわい》かった。本当にころころと表情がかわる。しかし病院では負の表情が多かった。ああいう表常はあまり見たくないものだ。
1月17日 (金)
予想していた。いや望んでいた展開になってきた。まずあの人物が私の望んでいた存在に間違いないだろう。これで本格的に準備を進める事ができる。本当かどうかはわからないが、あの人物の嗜好《しこう》に合わせて進めるにはあれが一番だろう。私の趣味《しゅみ》にも合致《がっち》するし面白くなりそうだ。あの二人にも助力を願うことになるだろう。巻き込むのは彼等二人。ただ、後一入をどうするか。まあそれはおいおい考えていくとしよう。
できれば急ぎたいものだ、サッカーのとき不自然にふらついてしまった。端々《はしばし》に不調《ふちょう》が現れ始めている。後半は前線《ぜんせん》に張り付いていたおかげで運動量が減り、どうにかごまかせたのではないかと思う。しかし、こんなことがたびたび起こるとはじめ君に気づかれてしまうかもしれない。今後は気をつけることにしよう。
追記
ジャージ姿のはじめ君も可愛らしかった。川村《かわむら》君が撮《と》っているだろうからデータを貰《もら》うとしよう。いまさらながらに我が校はブルマでないのが残念だ、羞恥《しゅうち》に頬《ほお》を染《そ》めるはじめ君の姿が見たかったのだが。まあこれは後日個人的に頼んでみよう。
後、はじめ君との関係を公表することにした。理由はそのほうが愉快だから。嗚呼《ああ》、はじめ君のリアクションが、今から楽しみだ。
1月19日 (日)
今日ははじめ君と出かけた。着飾ったはじめ君は可愛《かわい》らしかった。元は私の身体《からだ》なのだが、使用する人間によってここまで変わるのかと驚《おどろ》いた。やはりあの身体ははじめ君に合っている。
本日の成果としては映画も素晴《すば》らしかったし、手に入れることのできた資料にも納得《なっとく》がいった。着実に計画は進んでいる。最初は問題解決のためだったが、今ではとても楽しんでいる自分がいる。早々に後一人を見つけ計画を進めたいものだ。
その折、はじめ君の幼馴染《おさななじみ》と会った。野性的な雰囲気のなかなか愉快な子だった。彼の初恋を壊《こわ》してしまったのは、個人的にとても愉快だった。他人の不幸は蜜の味とはよく言ったものだ。少々罪悪感がわくが。
変わった人物なので彼も計画に加えたいが無理だろう。それだけが残念だ。
その後、今私の身に起こっていることを、はじめ君の両親に報告した。話すかどうか迷ったが、私の家族とはじめ君の家族には知る権利がある。報告は、はじめ君が席を外《はず》した時に行った。はじめ君に知らせないためだ。はじめ君に知らせないのは私のわがまま。このまま知らせないでいられるならば、それにこしたことはない。どういう結果が待っているにしろ、ぎりぎりまで私ははじめ君の自然な表情を見ていたいのだ。
追記
はじめ君の艶姿《あですがた》を後世に残そうと、川村《かわむら》君に連絡を入れはじめ君を隠《かく》し撮《ど》りしてもらった。彼の技術ならカメラを気にしていない、はじめ君の自然な姿をカメラに収めている事だろう。見るのが今から楽しみだ。
1月20日 (月)
はじめ君の幼馴染、大林《おおばやし》典弘《のりひろ》君が転入してきた。こんな時期に転校してきた理由は山ごもりしていて時間がわからなかったからだという。いまどき珍《めずら》しい野生児だ、ますますもって素晴らしい。彼等も興味《きょうみ》をそそる事だろう。彼も計画に加わってもらう事にしよう。
これで必要な人員が揃《そろ》った。早急に準備を整えて、近いうちに英雄《えいゆう》プロジェクトを開始するとしよう。
私たちの人生をかけた一世一代《いっせいちだい》の大勝負。
最近父は目の下に隈が目立つようになった。私関係の事で奔走《ほんそう》してくれているのだろう、母や兄にも迷惑をかけている。絶対に負けるわけにはいかない。
追記
今日、川村《かわむら》君から写真を受け取った。さすがは川村君、とても良い仕事をする。気づかれることなくよくもまあこれほどのものを撮ったものだ。今夜はこの写真を枕《まくら》もとに置く事にしよう。いい夢が見れそうだ。
1月23日 (木)
英雄《えいゆう》プロジェクトが始まった。まずまずの滑《すべ》り出し。あの人物も興味《きょうみ》を示している。これで我々と接しやすくなり、情報を集めやすくなっただろう。これから、どんどん情報を集めて貰《もら》おう。まずは我々に興味を抱いてもらわないといけない。
これからが本番だ。頑張《がんば》るとしよう。というより、今私は楽しくてしょうがない。楽しみながら目的を達成する、私好みでとてもいい。はてさてこれからどうなるか。
追記
今日ははじめ君の困った顔をたくさん見ることができた。私の好きな表情の一つだ。あの表情を見たいがためにはじめ君を困らせてしまう。はじめ君には悪いが、これからもこの表情を見ていきたいものだ。
2月4日 (火)
怪人ハムスター男を捕らえた。今までの出現地点から現れる確率の高そうな場所で張っていたのだが、予測どおり現れてくれて助かった。これではじめ君とこの付近の学生の安全は保証された。私の身体《からだ》では変質者に対抗できなかっただろうから、個人的に気が気でなかった。さらに付きまとっていた記者まで消えて一石二鳥《いっせきにちょう》とはこのことだろう。
帰りに、真太郎《しんたろう》君に見た夢の話を聞いた。数年後の未来の夢、そこに私はいなかった。私が言った理由でいなかったのか、それとも……。
まあそれはおいおいわかる事だ。真太郎君が夢で見た未来は変えることができる。それは大きな利点だ。可能性があるなら、私に変えられない筈《はず》はない、そう信じるごとにしよう。
そして今日もはじめ君を家まで送っていったのだが、はじめ君の家族は私の身を本気で案じてくれている。それは私の身体がはじめ君のものだということだけではない。心の底から私という存在を案じてくれているのだ。温かい人達だ、このような家族に囲まれているから、はじめ君はあんな感じなのだろう。
できることならば、はじめ君とこの家族には笑顔《えがお》を残したいものだ。
追記
凰林ピンクを演じて女言葉で話すはじめ君はとても可愛《かわい》かった。とくに恥《は》じらいがいい。これからもこの路線《ろせん》で行こうと思う。川村《かわむら》君の撮《と》った映像が楽しみだ。
後恐怖にゆがんだはじめ君も綺麗《きれい》だったが、心臓《しんぞう》に良くない。あの表情はあまり見たくないものだ。
2月10日 (月)
今日は不良たちと戦って勝利した。あれはあれでとても愉快《ゆかい》で、意味のあるものだったが、私の目当ては他《ほか》にあった。
それはあの人物と二人きりになることだ。
その目的は、はじめ君を着替えさせる時に、手伝ってもらうことで果たされた。私もあの人物も複数《ふくすう》でいることが多いので、今回のような場をわざわざ設《もう》けたのだ。
できるだけ不自然でないようにするのに気を使った。私以外の人間が今回のようなことを行えば不自然|極《きわ》まりないが、私が行えば不自然だとは思われない。これは私の日ごろの行いが良いおかげだろう。
それであの人物と交《か》わした会話だが、たいした収穫《しゅうかく》はなかった。世間話の中に紛《まぎ》れさせるようにして探《さぐ》りを入れてはみたが、尻尾《しっぽ》はつかめない。が、あの人物の人間性の部分でいえば収穫があった。これは何の根拠もない、私の勘《かん》なのだが、
あの人物は私と同類だ[#「あの人物は私と同類だ」に傍点]。
あの人物が、私の求めている人物だとすれば、その性質は私の目的にとってプラスに働くかもしれない。そうなることを願おう。
追記
膝枕《ひざまくら》はとてもよかった。今度は、はじめ君の意識《いしき》がある時にやってもらうことにしよう。その時は耳掃除もしてもらおうと思う。こういう漢《おとこ》の浪漫《ろまん》が感じられるあたり、入れ替わってよかったのではないだろうか。
2月14日 (金)
今日は色々と収穫《しゅうかく》があった。一番の収穫は道本《みちもと》君に降りた小夜《さよ》君と話せた事だろう。小夜君との会話は5限目を抜けて行なったので、はじめ君には気づかれていないはずだ。道本君のことだから何かに気づいたかもしれないが、私が何か言わない限り黙《だま》っていてくれるだろう。
会話の内容的に言えば、はじめ君に取り憑《つ》いた経験談《けいけんだん》はとても参考になった。これで失敗した場合にどうなるかの目処《めど》がついた。とはいえ失敗する気は毛頭《もうとう》ないが。
必要な事は思いつく限り行った、今できる事は結果を待つだけだ。これからどうなるかは神のみぞ知るといったところだろうか。無神論者の私だが、今度ばかりは祈ってもいい。今日のはじめ君との約束を守るために。
追記
はじめ君よりもらったチョコレートはとても美味《びみ》だった。チョコレートに書かれていた文章は、お義母《かあ》さんとお義姉《ねえ》さんの仕業《しわざ》だろうが中々|愉快《ゆかい》だった。チョコレートを見せたあの時のはじめ君の顔といったら永入保存しておきたいぐらい可愛《かわい》らしかった。
お義母さん達は、はじめ君に気づかれないよう、何時《いつ》も通りに振舞《ふるま》ってくれているようだ。感謝《かんしゃ》しても感謝しきれない。
後、あの都市伝説についてのフォローもすることにしよう。あのままでは気分が悪い。何か愉快《ゆかい》な感じの救いを考えることにしよう。これは小夜《さよ》君に対するはなむけになるはずだ。
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宇宙人とぼく
ガタンゴトンガタンゴトン
規則的な音が車内に響《ひび》く、流れる景色は赤く染《そ》まり車内には帰宅する人が溢《あふ》れている。ここは電車の中、ここに広がるのはどこにでもあるありふれた光景。日本中の電車の中でここと同じ事が起きているだろう………………ごめんなさい嘘《うそ》つきました。
今、この六両|編成《へんせい》の電車の前から二両目、ぼく達がいる車両には異質な光景が広がっている。日本、いや世界広しといえどもこんな光景が広がっているのはここぐらいじゃないだろうか。
凰林《おうりん》レッドが腕を組んでドアに寄りかかり、凰林イエローがつり革につかまって立つ。鳳林ブルーが窓ガラスに映る自分に見惚《みと》れ、凰林グリーンと凰林ピンクが並んで椅子《いす》に座っている。
…………とても現実だとは思えないシュールな光景だ。
ぼくはさっきから一言も発していない、周りの視線《しせん》が痛い。サラリーマンにOL、高校生に中学生、買い物帰りのおばさん。ありとあらゆる視線がぼく達に突き刺さる。
…………帰りたい。
なんか泣きそうだ。何でこうなったか、涙なしでは語れない悲しいお話があるけど、泣いたらバイザーあげて涙を拭《ふ》かないといけないので顔を晒《さら》してしまう。それは嫌《いや》なのでかいつまんで説明すると、今日の放課《ほうか》後オーラが「武野山《たけのさん》にUFOが降りルノ見マシタ〜」とか言って部室に駆《か》け込んできた。それを聞いた先輩《せんぱい》がオーリンジャー出撃《しゅつげき》だ! といったのでぼく等五人は出撃した。そんなわけで今、電車を使って出撃中。
………どこの世界に電車で出撃するヒーローがいるんだ。
「ソロソロつきマスね」
オーラが先輩に話し掛けてきた。もちろんノートパソコン抱えたタッキーとビデオカメラ構えたオーラもついてきてる。オーラはさっきから嬉《うれ》しそうにぼく達を写している……さぞかし幻想的ないい画《え》が撮《と》れてる事だろう。
「そうだね……とてもたのしみだよ」
先輩が何か含みをもたせて言った。いやだなあ、先輩がとても嬉しそうだ。
このままなんの問題も起きないことを祈ろう。絶対に何か起きるけどね……はぁ。
暗闇《くらやみ》の中、曲がりくねった山道が統く。山道は丸太で階段状に舖装《ほそう》されていて気をつけていれば歩くのに困らない。メットにライトがついてるしね……ほんと勘弁《かんべん》してほしい。この額《ひたい》の部分が光るという壮絶《そうぜつ》に恥《は》ずかしいギミックは先輩《せんぱい》が仕込んでいたらしい。ほんと先輩って無駄《むだ》に凝《こ》る性質なんだから。絶対|他《ほか》にも妙な機能がついてるよ。
先輩を先頭に、ぼく等七人は武野山《たけのさん》に作られた登山道を登っている。この道はクリスマスに先輩と二人で登った道だ。あれから一ヶ月と半分ぐらい、思えば遠くに来たもんだ。前にこの道を通った時ぼくは男だった。
まあ、もうこの現実を受け入れつつある自分がいるけど。ぼくは薄暗闇《うすくらやみ》の中、ひょこひょこと上下する先輩の緑色の頭を見ながら思った。
しばらく黙々《もくもく》と歩いていると、先輩が前を向いたまま、一番後ろでカメラを構えているオーラに向けて言った。
「オーラ君……もうそろそろ良いのではないかね?」
「マダ、UFO見つカってナイデスヨ」
オーラが首を傾《かし》げていった。
「ふむ…では、言い方を替えよう。そろそろ正体《しょうたい》を現してくれないかね」
先輩の言葉をオーラは笑顔《えがお》のまま黙《だま》って聞いている。
………………正体?
「お膳立《ぜんだ》てはしたつもりだ、君の趣味《しゅみ》――――本当かどうかは知らないが――――にあわせてオーリンジャーを組織《そしき》した。どうやら正体を隠《かく》しているらしい君が、私たちに興味《きょうみ》を持ち、私達と関《かか》わっても不自然ではないように。
それに加えて、君がさらに私達に関わりやすくするために、川村《かわむら》君に君を特撮研《とくさつけん》に勧誘《かんゆう》するように言った。どうだいおかげで私達と関わり易《やす》くなっただろう? 私としても関わらせやすかったよ。君の趣味が本当なのかは後でゆっくり聞かせてほしいな」
相変わらず前を向き山道を登りながら言う先輩。
えっえっ? なに? わけわかんない。
他のみんなも被り物の下では、わけわかんないって表情をしているだろう。
「…………………」
オーラは相変わらず笑顔のまま。
「そして君らが興味をそそりそうな者達を集めた。予知能力者に、霊能力《れいのうりょく》者に、野生児に、おたくだ。
どうだい? 興味をそそっただろう? まあ、興味を持って貰《もら》う為《ため》に彼等の能力をわざわざ君に見せたのだがね。後、女性と男性で脳を交換された貴重《きちょう》なサンプルの私とはじめ君。それらをオーリンジャーという組織で括《くく》り、一緒《いっしょ》に行動しやすくした。君が攫《さら》いやすいように。
全員で招待されるか、個別に招待されるかは賭《か》けだったがね。五人一緒に攫うなら、人気《ひとけ》のないところに連れ出すだろうから何時《いつ》攫われるかは予想がつく。ということは攫われる前に交渉することができるということだ」
先輩《せんぱい》一体何を言ってるの?
「………………いつから疑ってました?」
……えっ? まさか
「疑ってたのは最初からだよ。オーラ=レーンズは古典的コンタクティーの一人トゥールーマン=ベスラムがカリフォルニアの砂漠で会った宇宙船の船長の名前だ。その時の目撃《もくげき》証言と外見の特徴も一致している。
なにより私は君達が私たちに接触してくると思っていた。なぜなら君達は地球人の生態《せいたい》を調《しら》べているようだったからね、謀《はか》らずもできた貴重《きちょう》なサンプルを見逃《みのが》すはずはないと思っていた。ただ、確信が得られなかったから今まで君が行動にでるのを待っていた。君がそうだという前提のもとに計画を進めてきていたから、間違いでなくて良かったよ。
私は前の時のように気を失ったままでなく、起きたまま君の宇宙船に乗り君と話がしたかった。土産《みやげ》も持って来た、ヤク○ト12本パックだ」
さらう……宇宙船………ということは、
「ふふっ正解です。私はあなた達を前にさらった宇宙人の仲間です」
嬉《うれ》しそうに笑うオーラ。
オーラが宇宙人……信じられない。
でも本人が言ってるんだから本当なのだろうと思う。それにしてもこの恥《は》ずかしいオーリンジャーにも意味があったのか。最初からオーラの正体《しょうたい》に気づいていたみたいだし……さすがは先輩いろいろ考えてたんだなあ。
「ただうまくいき過ぎだ。……オーラ君、君は私にわざとのせられたのではないか?
君の名前といい容姿《ようし》といい自分の正体《しょうたい》を伝えようとしているように思える。正体を隠《かく》しておくなら日本名で、黄色《おうしょく》人種の姿で日本人として入ってくるのが一番だ。君が我々をさらった宇宙人の仲間だとしてその姿は仮の姿なのだろう? なら姿形はどうとでもなるだろうし、今の君の日本語は完璧《かんぺき》だ。日本人に成《な》りすますのは簡単《かんたん》なはずだろう? それをしないということは、気づかせようとしているとしか思えない」
先輩のその言葉にオーラは笑いながら答えた。まるで教師ができのいい生徒をほめるみたいな感じで。
「それも正解です。元からあなたと接触するつもりでしたからね。あそこまでヒントをあげたのは、まあ、一種の遊び心とでもいいましょうか。気づいても気づかなくてもどちらでもよかったんですよ。不都合が起きてもあなたの記憶《きおく》は消せますし。これも人間|観察《かんさつ》の一環《いっかん》です。あなたがどのような行動をとるか。
そんなわけで、あなたに近づいて観察しようと思っていたら、あなたがその舞台《ぶたい》を用意してくれました。だから乗ったのです。なんとなく意図も読めましたし、何より楽しかったですし。この星のアニメや特撮《とくさつ》、漫画《まんが》などのサブカルチャーが好きだというのは本当ですから」
ぼくの知らないところで、先輩《せんぱい》とオーラの間で見えない駆《か》け引きが色々とあったんだなあ。ぼくにはとてもついていけない。ただ、妙な宇宙人がいたものだとは思う。
「やはりな……私が行なってきたことは、無意味だったということか」
こんなセリフだけど、先輩の口調《くちょう》はまったくショックを受けていない。
「そうでもないでしょう? 私とあなたたちは、あなたの行なってきたことのおかげで仲良くなりました。それはあなたの真の目的を達成させるために、とても都合《つごう》が良いはずです」
「そうだね」
先輩とオーラが何か含みのある笑顔《えがお》を交わし合う。
………………真の目的? 小夜《さよ》ちゃんが言っていたやつだろうか。
ぼくが先輩の真の目的ってなんだろうと考えていると、オーラは制服を脱ぎはじめた。ぼくがあわあわとあわててるのを尻目《しりめ》に、コートのボタンを外《はず》し、ブレザーの前を開《あ》け、カッターシャツのボタンを外す。ブラジャーを上に押し上げると大きな、形のいいバストがこぼれ出した。おおっというタッキーの声や美しい……と言う道本《みちもと》さんの声が聞こえる。ぼくも一瞬《いっしゅん》見惚《みと》れた。が、次の瞬間、首の付け根のあたりからお臍《へそ》のあたりまで一直線《いっちょくせん》に裂けた。まるでジッパーを下ろしたように。そしてオーラは大きな胸を手でそれぞれ外側に引っ張る、裂け目が広がり中が見える。
その裂け目の間から見えたのは……グレイタイプの宇宙人だった。ホラーで夢に見そうな光景。ぼくは固まって一言も発する事ができなかった。みんなも同じ……先輩以外は。
「なるほどなるほど、そうなっていたのか。アダムスキーが見たような、金髪|碧眼《へきがん》で地球人とまったく同じ姿《すがた》形《かたち》をした宇宙人などいるわけないと前々から思っていたから、作り物だと予想はしていたが……中に乗り込んでいたとは思わなかった」
先輩は顎《あご》に手を当てながら、オーラをじっくりと見ている。さすが先輩この恐怖のシーンを見ても動じない、あらゆる感情より好奇心が優先しているみたいだ。
「あと、こちらの不手際《ふてぎわ》のお詫《わ》びをしなければならなかったですからね……では行きましょう」
その瞬間周囲が明るくなった。オーラの頭上、生《お》い茂《しげ》った木にさえぎられてるけど、空飛ぶ円盤《えんばん》が浮いているのがわかる。ぼくがそのUFOを呆然《ぼうぜん》と見上げていると、UFOが一際《ひときわ》まぶしい光を発した。ぼく達はその光に包まれる。あの時の……前にさらわれた時の光だ。ぼくはふっと意識《いしき》が遠くなり――――次に気づいた時には畳《たたみ》敷《じ》きの和室に立っていた。
……和室? 頭ははっきりしてないけどとりあえず日本人の習性か、無意識に白いブーツを脱ぐ。そこでようやく周りを見回す余裕ができた。オーラ以外みんないる。みんな光に包まれた時と同じ状態《じょうたい》でたっている。だけどみんなボーっとして焦点《しょうてん》が定まっていないみたいだ。とりあえずぼくはピンクのかぶりものを外した後、先輩の側《そば》に行って肩をゆする。
「せんぱーい」
そう言いながら何度かゆすると先輩が正気に戻る。先輩は周囲を見回しながらぼくに聞いた。
「…………ここはどこだね」
「わかりません、でも宇宙船の中じゃないですか?」
「私にはただの和室にしか見えないが」
「はい。でもオーラが招待するって言ってたじゃないですか」
「そういえばそうだったね、……まだ頭が正常に働いていないようだ」
そう言いながら先輩《せんぱい》は緑のメットを外《はず》して、頭をふるふると振る。タッキーや真太郎《しんたろう》達も正気《しょうき》に戻ったみたいで周囲を見回している。
その時、ふすまが開いてオーラが入ってきた。制服を着ていて、いつも学校で見るオーラと同じ格好《かっこう》だ。オーラは丸いお盆を持っていてその上には急須《きゅうす》や湯のみ。そしてお茶菓子なのだろう、おせんべいが載《の》っている。
「ようこそ私達の船に、どうぞくつろいでください」
そう言って部屋の中央に置いてあるちゃぶ台、それを囲むようにしておいてある座布団に座るように促《うなが》す。そしてちゃぶ台の上に湯飲みを並べて、お茶を注《そそ》いでいく。
ぼく達はオーラに促されるままに座る。
「この部屋が気になりますか? 地球にもあるでしょう郷《ごう》に入っては郷に従えと。この部屋は中々|居心地《いごこち》いいですよ」
和室でくつろぐ宇宙人の姿は想像できないなあ。
「どうぞ。ああ変なものは入っていませんよ。このお茶は地球で買ったものですから」
みんな躊躇《ちゅうちょ》していたけど、先輩はまったく気にせずお茶をすする。それを見て他《ほか》のみんなも思い思いに手を伸ばす。……和室でくつろぐヒーロー達というのもすごい光景だなあ。それぞれの脇《わき》に置いてある外したメットも、この光景にアクセントを与えている。なんかヒーローショーの舞台裏《ぶたいうら》って感じ。
「はじめましてというのも変ですね、私のことは今までどおリオーラと呼んでください。本当の名前は、あなた達の喉《のど》の構造では発音できないので」
「了承した。それではオーラ君、君たちのことを教えられる範囲で教えてくれないかね」
「私達は準知的生命体のいる惑星《わくせい》を監視《かんし》するために、銀河《ぎんが》連邦から派遺《はけん》されている者です」
準知的生命体とか銀河連邦とかそれっぽい言葉がオーラの口から飛び出してくる。
「ほう……と言うことは、我々は知的生命体と認められていないということだね」
「はい。そうですね………私達があなた達に抱いている感情は、あなた達が犬や猫に感じる感情に似ているかも知れません」
「なにぃ! オレらが犬ころと一緒だと?」
気色《きしょく》ばむのりちゃん。たしかに犬は酷《ひど》いなぁ。
「まあ落ち着きたまえ典弘《のぶひろ》君。それで、あなた達の言う知的生命体の定義は?」
「私達が知的生命体としているのは、自分達が持っているカを理解し、その力を使った場合の結果を想像する事ができ、その結果から力の使用を止めることのできる者たちのことです。……あなた達は知的生命体ですか?」
「いやいや、とてもじゃないが知的生命体を名乗れないな、おこがましくて。確かに我々の精神の成熟度《せいじゅくど》は、君達から比べれば動物のようなものかもしれないな」
先輩《せんぱい》の言う事を聞いているとそうかもしれないと思う。同じ種族で争いつづける人類はとても知的な生物とはいえないかも、流されやすいなぁぼく。
「あと、銀河《ぎんが》連邦と言ったか。名称からして多数の宇宙人たちが組織《そしき》を構成しているようだが争いはないのかね」
「あります。一人一人の考え、価値観《かちかん》が違う以上争い事も起きます。
ただ解決方法はいたって紳士的ですよ。話し合いや平和な勝負などで揉《も》め事を解決します。暴力は使いませんし戦争も起きません。……というより起こせないんです。宇宙に進出し銀河連邦に加入できるほどになると、技術力も相当高いものになっています。戦争する双方とも、惑星《わくせい》など簡単《かんたん》に消滅させる事ができるんですから怖くて戦争できません。
ですから我々銀河連邦は、知的生命体の宇宙に、戦争を行う事のできる精神的に未熟《みじゅく》な生物が上がって来ないように、準知的生命の存在する惑星を監視《かんし》しています。
その監視を行うのが、私達監視員です。私達は準知的生命体の生態《せいたい》を調査《ちょうさ》し、準知的生命体が精神的に未熟なまま宇宙に出ようとすれば妨害します。
種族で一つにまとまっていない場合も妨害しますね、種族間の揉め事を持って宇宙に上がられると困りますから。銀河連邦が宇宙に上がる事を許しているのは知的生命体と認められたものだけです。
しかしです、私達はただ妨害ばかりしてるわけではありません。知的生命体への進化を促《うなが》すためにちょっと平和のお手伝いをしたりもします」
……平和のお手伝いってなんだろう。ぼくは疑間に思ったけど先輩はわかったみたいで言った。
「なるほど……ロズウェルと大阪《おおさか》か」
ロズウェルに大阪ってUFOの落ちた場所だけど。
「はい。宇宙人が来ましたよー、地球人同士で争ってる場合ではないぞーという感じです。後はあなた達がアブダクションと呼んでいる行為もそれですね。誘拐《ゆうかい》して話したり身体検査したり身体《からだ》に色々埋め込んだり。そして記憶《きおく》は催眠術《さいみんじゅつ》でよみがえる程度に消して返します。こうすれば危機感が募《つの》るでしょう? こちらも様々《さまざま》な情報が手に入るので、これは一石二鳥《いっせきにちょう》です。身体に害は与えていませんし、むしろ健康になるようなものです。
それに、あなた達の言うミステリーサークルもそうですね。こうした行動で地球外に生命体がいることを少しずつ示して、一つにまとまるように仕向けてるんです。普通は何もせず見ているだけなんですが、あなた達は精神的に未熟なまま飛躍的《ひやくてき》に技術を進歩させています。だから、挺《てこ》入れをしてるんです。
ただしそれぐらいが手出しできる最大限です。あとは自分達の力でまとまってもらわないといけません。我々が手を貸しすぎたのでは、自《みずか》ら進化したとはいえませんからね。進化の途中《とちゅう》で減びる種族は多いですよ、あなた達人類も一回滅びかけてますしね。他《ほか》の例からみても今の人類は危ないです」
「たしかにな…………いやまってくれたまえ、一回滅びかけた?」
「はい、一万二千年ほど前に」
「アトランティスやムーのことか!」
「あなた達の間ではそう呼ばれているようですね」
「すごいな……実在したのか」
先輩《せんぱい》がものすごく驚《おどろ》いた顔で言う。そしてとてもうれしそう。
「はい。と、今までえらそうな事を言ってきましたがあなた達のいる場所は我々が昔通った場所です。私たちの先祖も昔はとても知的な生物ではなかったですからね、同じ種族でほんの些細《ささい》な事で争い続けてました。あなた達の歴史と同じように、我々の歴史も争いばかりです。何度も滅びかかってますし。ただ今のあなた達地球人と違うのは、最終的には歴史から学んだという事でしょうか」
「それは少し違うな、我々人類は人類は歴史から何も学ばないという事を学んでいる……学んでいないのと、学んでいるのにどうする事もできないのは、どちらが救いようがないのかはわからないがね」
「少なくとも学んでいる方が、救いがあると思いますよ」
先輩らしい皮肉な物言いにそう答えてオーラが笑う。
「では……つばささんはもっと質問したいでしょうが、私が話せる事も時間も有限ですので本題に入らせてもらいます。
それは今日お招きした理由、こちらの不手際《ふてぎわ》であなた達の脳を入れ替えてしまった事です。本当にすいませんでした。まったく前代未聞《ぜんだいみもん》の事態《じたい》ですよ。あの二人――――――あなた達の脳を間違えた者達には、罰としてあなた達のいう減給一年間を言い渡しました。
あなた達の脳を勝手に元に戻そうかとも思いましたが、思いのほか順応《じゅんのう》しているようなのであなた達の意思を確認しようとあなた方をここにお招きした次第です。
……脳を元の身体《からだ》に戻しますか?」
目の前がパアッと明るくなった。うれしい……元の身体に戻れる。
「はい! もちろん!」
ぼくはうれしさのあまり叫んだ。そんなぼくに対し先輩は
「……できれば拒否させてもらいたいな」
と、答えた。
「そうだ! このまま人類の至宝《しほう》を失うわけにはいかない!」
この馬鹿《ばか》なセリフはタッキー。
「タッキーは馬鹿だから良いとしても、なんで先輩《せんぱい》まで元に戻るの反対するんですか!」
ぼくは先輩に問い掛ける。先輩はいったい何を考えてるんだろう。せっかく元に戻れるというのに。
「それはね………君がかわいいからだよ! その身体《からだ》は君のほうが似合っている。私は今の君を見るのが好きなのだ!」
「そうです、その通りです。つばさ先輩! 一生ついていきます!」
立ち上がり演説を始める先輩とそれに追随《ついずい》するタッキー。
………あきれて声も出ない。鯉《こい》のように口をパクパクしているぼくを尻目《しりめ》に先輩は話を続ける。
「さらにこのはじめ君の身体は生理もない、身体も丈夫。私の野望を果たすのにこれほど適した肉体はないだろう……そう、私は今のままが良い!」
「なっなんなんですかそれは! ひどいですよ先輩!」
当然|抗議《こうぎ》するぼく。いつも先輩に振り回されているぼくだけど、これだけは譲《ゆず》れない。
「君は私のこと好きかね」
そんなぼくにいきなり表情をまじめなものに変えた先輩が聞いてきた。ぐっ卑怯《ひきょう》な、先輩のこういうまじめで凜々《りり》しい表情はめったに見ることができないから破壊力《はかいりょく》抜群だ。
いきなり何を聞いてくるんだこの人は。
「好きですよ!」
「私も君が好きだよ……今も、入れ替わる前も。………ただ身体が入れ替わらなければ私は君の想《おも》いを受け入れなかっただろう。その気持ちは今も変わらない、という事は元に戻ると私は君の思いを受け入れないという事だ」
「なんでです! 今、前からぼくの事好きだったって言ったじゃないですか」
ぼくのその問いに先輩は少し間をおいてから答えた。
「…………私は変わった女だ、私は良い妻にも良い母親にもなれない。私では君の夢を叶《かな》えることはできない。だから君の気持ちを受け入れないつもりでいた」
「ならぼくが主夫《しゅふ》しますよ!」
「やはり子供には母親が必要だ。人間は男が糧《かて》を得て、女が子を産み育てる。そういう生物だ。男尊女卑《だんそんじょひ》とか差別だとかそんなのは関係ない。人間はそんなふうにできているのだからしょうがない。例外もあるがね、そして私は数少ない例外の一人。私は良い母親になれそうにない。だから私は子供を産むつもりはなかった。私の野望の妨げにもなりそうだし。君は子供好きだろう? 君の夢の中には子供達がいたはずだ。だが私は子供を与えることはできないし、与えるつもりもなかった」
ぼくは言葉を返せなかった。
「ただ……父親としてなら、それなりにいい父親となれるかもしれない。君と私、二人で生きていくなら、たぶん今のままが一番いい。私達両方の望みを叶《かな》える方法はこれしかないと思う」
ほんとにそうなのか? ぼくにはわからない。でもそうなのかもしれない、今まで先輩《せんぱい》が間違った事を言った事はない。でもこれは理解できても納得《なっとく》できない。
「今のまま私と共にいるか、元の身体《からだ》に戻り私と別れるか……卑怯《ひきょう》な選択《せんたく》を迫っている事は理解しているがそれでも私が譲歩《じょうほ》する事はない。どちらかを選《えら》んでくれたまえ」
先輩は本気だ、目を見ればわかる。昔からいろいろと、ぼく達の事を考えていてくれたこともわかった。そして、先輩が何かを隠《かく》していること、それをぼくに言うつもりはないということまでもわかってしまう。
ぼくには隠してることが何かはわからないけど、重要なことなんだと思う。でも、それが大切なことなのだとしても、ぼくが元の身体に戻りたいのは変わらない。
先輩と一緒《いっしょ》にいたい。けど、そうすると元に戻れない。わからない……ほんとにどうすればいいかわからない。
その時先輩が昔言った言葉を思い出した。
『この世に等しいものなどそうそうない。だから迷った時はその選択で得るものから失うものを引いた時、プラスになる方を選べばいい。マイナスでないということは失っていないということだ』
人生も数式、先輩らしい言葉だと思う。
今のぼくの場合比べるのは、先輩と生きる人生と男としての人生。
二つを比べると……なるほど簡単《かんたん》に答えが出た。そしてこの答えが、ぼくの想《おも》い。小夜《さよ》ちゃんが言っていた、あなたの想う通りにしろというのは、このことに違いない。
「…………わかりました」
ぼくは返事を返す。答えが出てみれば簡単な事、ぼくにとって一番大切なことは先輩と一緒にいることだ。先輩がそばにいる……これだけでどんなマイナス要素があっても計算結果はプラスになる。
先輩と一緒にいる権利、それは今までのぼくを捨ててでも失いたくない。先輩がそばにいない人生なんてぼくには考えられない。
なら、ぼくの選べる選択|肢《し》は一つしかない。
「…………すまないな。ただこの責任はとらせてもらうつもりだ。私の残りの人生をかけて君を愛そう」
真顔《まがお》でそう言う先輩、それを聞いて顔が真っ赤になってるぼく。さすが先輩こんなクサイせりふを真顔で言うとは……嬉《うれ》しいけど。
「よろしくお願いします。………………この身体にいる限りぼくは先輩以外と恋愛なんてできないですから」
照れ隠《かく》しにそっぽむいて言うぼく。
「はじめ君! 今のリアクションはポイント高いぞ。川村《かわむら》君!」
「はっ! お任せあれ」
叫ぶ先輩《せんぱい》とそれに答えてデジカメで写真を取り出すタッキー。
ぼくの人生における感動シーンランキングで、生涯《しょうがい》トップグループに食い込みそうなシーンがぶち壊《こわ》し。
「いやあ、美しかったよ。心と心が通じ合う、それはなんて美しいことだろうか。タッキー君、今|撮《と》ってる写真の焼き増しを要求するよ」
追い討《う》ちをかける道本《みちもと》さん。すでに感動のシーンが爆笑《ばくしょう》のシーンに変わってしまってる。
「もちろんOKです。そうだ! つばさ先輩、パネルに引き伸ばしましょうか?」
写真を撮る手を休めずにそんな事を言い出すタッキー。
「それはいいな、よろしく頼むよ。後、その画像データはくれたまえ。私とはじめ君の結婚式で配る恥《は》ずかしい愛の小冊子や、愛の引《ひ》き出物《でもの》に印刷するから。ああ、二人の出会いから結婚までの歴史を短編《たんぺん》の映画にして上映をするのもいいな」
「その時は、おれに一言かけてください。涙と感動を誘《さそ》う大爆笑ムービーを製作させていただきます」
先輩とタッキーの間で交《か》わされる耳を覆《おお》いたくなるばかりの恐ろしい会話。
嫌だ、恥ずかしすぎる。その結婚式の光景を想像するだけで悶絶《もんぜつ》しそうだ。
「どうだ真太郎《しんたろう》と典弘《のりひろ》もいるか?」
「………貰《もら》おう」
真太郎まで……のりちゃんは? 最後の望みをかけてのりちゃんを見るぼく。
「いらん!」
さすがのりちゃん! といいたいところだけどのりちゃんの顔が苦渋《くじゅう》に満ちているのはなぜだろう。
「典弘もいる……と」
そう言うタッキーと少しだけ表情の緩《ゆる》むのりちゃん。……………………もうどうにでもして。そう投げやりになったぼくを嬉《うれ》しそうに見ながら(なんか腹立つ)先輩が言った。
「まあそれはさておきオーラ君、二人きりで色々と聞きたいのだが時間はあるかね」
「ええ、では場所を移しましょう。皆さんはここでくつろいでいて下さいね」
そう言って出て行くオーラと先輩。……なんかぼくも一緒に行くって言い出せない雰囲気だった。ぼくは先輩達が出ていった方向を見てボーっとしていた。
「良かったじゃないかはじめ」
タッキーが話し掛けてきた。
「良かったのかな………もう戻らないって自分自身で決めちゃったよ」
さっきの先輩《せんぱい》の言葉は嬉《うれ》しかった。夢にまで見た先輩からの愛の告白だ。ただ失ったものも大きい。今までは状況に流されて先輩の身体《からだ》にいたんだけど、さっきぼくは自分の意志で先輩の身体にいることを選択《せんたく》した。ぼくは先輩と一緒にいることと共に、女として生きることも選択したんだ。後悔はないけどなんか無性《むしょう》にさびしい。
「おれは、おまえがそのままが良いとか言ったけどな、おまえが本当に不幸そうならそんなことは言わん。おれが見る限りおまえは幸せそうに見えた。まあおれの趣味《しゅみ》が入っているのを否定はせんがな。真太郎《しんたろう》もそう思うだろう?」
「ああ」
タッキーの言葉に真太郎が頷《うなず》いた。
真太郎にもそう見えていたのか。ぼくは入れ替わってから今までの事を思い出す。困った事ばっかりだけど……楽しかったな。
「……そうだね……うん、ぼくは幸せだ」
身体はもう戻らないけど、ぼくはとても幸せだ。先輩と一緒にいられるんだから。これ以上に素晴《すば》らしい事はない。
…………………………………………はずだ。
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グレイタイプの宇宙人と私
「さて、これで私も本題に入れそうだ」
私は目の前にいるグレイタイプの宇宙人……オーラ君に話し掛けた。私は今、金属ともプラスチックとも判別のつかない材質で出来た白い壁《かべ》に囲まれた部屋にいる。私とオーラ君は向かい合ってソファに座っている。やはりこのソファも今までに見たことも無い材質だ。やわらかく座り心地《ごこち》が良い。
オーラ君の口から甲高《かんだか》い声が聞こえてくる。時おり声が聞こえず口パク状態《じょうたい》になるが、オーラ君の声が人類の可聴域を超えているのだろう。オーラ君が声を発するとほぼ同時、ほとんどずれもなくどこからか聞きなれたオーラ君の声が聞こえてくる。これが本当の意味での同時通訳か。
オーラ君には大切な話があるといって人間の着ぐるみを脱いでもらった。やはりこれから行う交渉には相手の姿が見えているほうがいい。
「なんでしょう」
「あなた方ならわかっていると思うが?」
「……あなたの身体《からだ》のことですね」
「その通り。……正確に言えば私の身体になっているはじめ君の身体だが」
この身体……はじめ君の身体は病《やまい》に蝕《むしば》まれている。これは年末の身体検査で発見された。人間の医学で発見する事のできた病巣に、人類の技術をはるかに超えている宇宙人が気づかないはずはない。父によるとあと一年生きられれば御《おん》の字らしい。この事ははじめ君には言っていない。このことを知っているのは、私の家族とはじめ君の家族のみだ。
「それで私達に何を望むのです?」
「借りをかえしてほしい……不注意から私とはじめ君の身体を入れ替えてしまった借りを。具体的に言うとこの身体を治《なお》してほしい。現在の人類の医療《いりょう》技術では治療不可能なのでね」
私はオーラを見つめる。すこしの沈黙《ちんもく》の後オーラは言った。
「確かに借りですね……しかし拒否したらどうします? あなたに借りを返す義務はありませんよ? 銀河《ぎんが》連邦に加入していないこの星に住むあなたに対して、我々は何の法的な責任も持たない。あなたたちの脳を、元に戻そうとしたのは、すまないと思う気持ちや責任を感じている気持ち……加害者側が言うのもなんですが善意からです。
我々が問題にしているのはあなた方の脳を入れ替えたことではなく、規定に反して監視惑星《かんしわくせい》の物質を摂取《せっしゅ》した挙句《あげく》、酩酊状態《めいていじょうたい》に陥《おちい》り過失を犯したことについてです。それについても罰は与えてるのでもう何もしなくても問題はない、それどころかこういうことでたびたび関《かか》わるのはよくないとすら考えています。もう一度言いますが借りはありますが、返さなくても何の問題もありません」
「……それならどうしようもない。このまま家に帰って普通に生活を送るだけだよ、命が尽きるまでね。私があなたと交渉するために持っているカードは、その一枚しかないのだから他《ほか》にどうしようもないだろう?」
これは嘘《うそ》だ、まだカードはあるが今は出す時ではない。この交渉には私……いや私たちの人生がかかっている。失敗するわけにはいかない。
「………………………ではひとつ聞かせてください。なぜ先ほど元に戻しましょうと言った時に拒否したのですか?」
「先ほどはじめ君にした話と、今言った身体を冶療してもらうためというのでは不足かな」
「不足です。あれははじめさんを納得《なっとく》させるために言っただけの事であって、あなたの本心ではないでしょう?」
…………自分の胸の内を他人《ひと》に晒《さら》すのは好きではないのだがしょうがない。実際、オーラ君の情に訴えかけるために話すつもりだった。
「……あなた方がどのような進化を遂《と》げて、どのような技術体系をを持っているかは知らないが、宇宙に進出するほどの技術を有している以上、私のような者がいたはずだ。好奇心に忠実な者が。どんな世界でもそのような者達が技術を発展させていくし、この世から不思議《ふしぎ》を無くしていく。我々の脳を入れ替えることになった直接の原因、ヤ○ルトを飲むという君の仲間の行動。それも広義《こうぎ》に見れば未知の飲み物に対する好奇心の発露《はつろ》だろう。
「人間は全《すべ》てを知りえない」ギリシアの叙事《じょじ》詩人ホロメスの言葉。真理だな、我々人類は全てを知りえるほど上等な生物ではない。だがそれでも私は知りたい。犠牲《ぎせい》にすることで私の好奇心を満たしてくれるというなら、私は喜んで全てを犠牲にするだろう。私はそんな人の道に外《はず》れた人間だ。
そんな人間が自己《じこ》犠牲の精神を発揮《はっき》するなんておかしいと思うかもしれない。好奇心を満たすという目的を達成するためには、身体《からだ》を元に戻してもらうのが一番確実だ。元の身体に戻れば、今のように命をかけた駆《か》け引きをすることなく生きていく事ができる。そうだというのになぜ私が生命を危険に晒《さら》してまで今ここで交渉―――――と言うより懇願《こんがん》―――――をしているのかというと、私の行動は自己犠牲ではないからだ。
いつのまにか私の好奇心の向かう先に『はじめ君』がいた。時が経《た》つごとにその欲求は大きくなる。私は私が知りたいから、はじめ君にこの世界に存在していてもらわないといけない。私は私のためにはじめ君に死なれると困る。私は一生かけてはじめ君を観察《かんさつ》したいのだ」
はじめ君はとても興味《きょうみ》深く私をまったく飽《あ》きさせない。はじめ君は失いたくない、この思いは私の中にある好奇心に匹敵《ひってき》するほど大きなものになっている。
「………だからこの身体の問題は私がどうにかしたい。治《なお》れば良し、治らないなら治らないで、私なら死んでもはじめ君の傍《そば》にいられる。はじめ君は霊《れい》を見る事ができるのだから。
霊が存在している以上私の死はそこまで問題にならない。問題なのは、はじめ君と一緒にいることができない、コミュニケーションが取れないということだ。はじめ君が死んで霊になった場合、私には見ることができない。それは大問題だ。……とはいえ生きてはじめ君の傍にいるのが一番なのだがね」
霊は見える人間と見えない人間がいる。残念ながら私は見えない人間だ。それに、小夜《さよ》君の例から見ると、はじめ君と身体を共有する事ができるかもしれない。
「もう一度言う、私は私の好奇心を満たしてもらうためにはじめ君には生きていてもらわないといけない。これは単に私の欲求だ、自分の命よりも優先する私の欲求。だから私は命をかけている。……理由はこんなところでいいかね」
「なるほど、理解しました」
オーラ君は考え込んでいる。もう一押《ひとお》しか。
「ああ、わすれていたよ。後一枚カードがあった。君は興味《きょうみ》が湧《わ》かないかい? 私たちがこれからどうなるのか……それとも宇宙には私たちのような例は溢《あふ》れているのかい?」
「…………そんな例はほとんどありませんね、私の知る限りは。雌雄《しゆう》同体の種族はともかく、性別が存在する種族には、この星で性同一性障害と呼ばれるような性質を持つ者がまれにいます。が、そういう場合は身体の方を変化させます。ある程度以上技術が発達すると性別や容貌《ようぼう》などは好きにできるんですよ。身体《からだ》も若く保てますし、ほとんどの病気は治《なお》ります。他人《ひと》と身体を入れ替えるなんて酔狂《すいきょう》なことをする者はいないですよ。する意味がありません」
なるほど……容姿《ようし》や性別をどのようにでも変えることができるなら、身体というものの価値が暴落《ぼうらく》するのか。好き勝手に変えても問題に思わないほどに。それにともない内面、精神の価値が上がっているのだろう。ということは、精神の入れ替わった私達は珍しく、価値のある存在だということだ。
「なら、なおさら興味《きょうみ》が湧《わ》くのではないか? 君は私と同じ匂《にお》いがする…………好奇心に人生をささげた者の匂いだ。どういう基準で準知的生命体を監視《かんし》する者が選《えら》ばれるかは知らないが、あなたの仕事は好奇心がないと勤《つと》まらない仕事だろう?」
「……………………………」
「私たちは、地球人という生物を調《しら》べる上で貴重《きちょう》なサンプルになるはずだ。どうだい? 好奇心をそそらないかい? 私は私達の未来に興味が湧いて仕方ないが」
負《お》い目、情、好奇心に訴えかける……私が交渉で切ることのできるカードはこの三枚。あらゆることで劣っている私ができるのは、この哀れな子羊をお救いくださいと心に訴えかける事しかできない。これで無理ならもう打つ手はない。
「そうすると、あなたは元の身体に戻るより、その入れ替わった体を治《なお》すほうを選《えら》ぶということになります。その体を治療《ちりょう》する事で貸しは消えます。こちらの不注意で入れ替えた脳を元に戻すならまだしも、病《やまい》を治すという生命に関する事で監視|惑星《わくせい》に干渉《かんしょう》するのは準知的生命体監視員の服務規程違反です。その違反を犯《おか》すのは、あなたが言う貸しを返して余りあるものだと思います。負い目がないということはあなたを元に戻す理由もなくなる…………あなたは二度と自分の身体に戻れませんよ?」
私はオーラを見つめ、少しの間も置かずに言い切った。
「かまわない。……本来なら私ははじめ君が死んでいくのを、為《な》す術《すべ》も無く見ているだけだったはずだ。それに比べれば今の状態《じょうたい》のなんと素晴《すば》らしいことだろう。希望があり、失敗したとしても救いがある。
元に戻れないというのは、本来私たちが辿《たど》るはずだった人生からすれば些細《ささい》なことだ」
そう、本当に些細なこと。二人で生きることのできる人生に何の不満があるだろう。
しかも入れ替わっているほうがいろいろと面白《おもしろ》い。
「…………話を聞いていると、我々はあなた方に何の借りも無いような気がしてきましたが?」
オーラ君が至極《しごく》あたりまえな感想を言う。実際、私個人に関しては無い。入れ替えてもらったおかげで、このように希望が繋《つな》がっているのだ。だがそれを言っては話が終わってしまう。
「そうだね、個人的には感謝《かんしゃ》すらしているよ。ただ、それはそれ、これはこれ。君たちの不手際《ふてぎわ》で我々の人生が大きく変わったことには変わりない。責任を取ってくれたまえ」
「ものすごい屁理屈《へりくつ》ですね」
オーラ君はどうやら苦笑《くしょう》しているようだ。宇宙人の表情は読めないので多分《たぶん》だが。
「自分でもそう思うな。だがそんな屁理屈にでも頼らないといけないほど私は追い詰められてるということだ。だから唯一頼れる君に、手を変え品を変え頼んでいるのだが。
どうだい? 私の真摯《しんし》な思いと本音《ほんね》とたてまえといい感じの愛の言葉で、心は動かされなかったかい?」
「本音とたてまえを同時に言ってどうするんです……」
オーラ君があきれた声を出した。
「君の心を動かすには、私がどんなことを思っているかを残らず話すほうが、良い結果が出ると思ったのでね」
「まったくです。かなり心が揺《ゆ》れてます。あなたは本当に愉快《ゆかい》な人ですよ、失うのが惜しくなってきました」
「そうだろうそうだろう。私を生《い》かしておいたら後百年は楽しめるぞ。それにさっき言ったように人類の生態《せいたい》を研究するにあたって、我々は多少なりとも役に立つだろう? 他にできることがあるなら協力もしよう。君の手足として存分に働こう、私は人類の中ではそれなりに使えるほうだと思うがね。お買い得だぞ?
……というわけで治療《ちりょう》してはもらえないか?」
オーラは少し考えた後晴れやかな声で言った。
「…………ふふっわかりました。あなた……いえ、あなた達を気に入ってしまった私の負けです。あなたと一緒にいるために、男としての人生を捨てたはじめさんと、はじめさんと一緒にいるために命をかけたつばささん。二人の想《おも》いに免じて、あなたの身体《からだ》を治療しましょう。
先ほどあなた方を犬猫と同じといいましたが、私たちも親しくなった存在にはそれなりに情がわきます。
わたしはあなた達と過ごしたこの一月半は楽しかったですよ。あなた達は失うには惜しいサンプルですし……わたしはあなた達の事を勝手に友人だと思っていますしね」
友人か、それは多分大人が子供に言っているようなものだろう。精神の発達具合から言えばそんなものか、いやそれでも過大評価だな。先ほどオーラ君が言っていたように、その辺の犬と人間といっても言い過ぎではないだろう。自分より下の者に対して抱く保護者《ほごしゃ》意識《いしき》で感じる友情。対等な関係ではないが事実なので別に腹もたたない。
「それは光栄だ。……では、その友達のよしみで色々と聞きたい事があるんだが」
「だめです。私が話せるのは先ほど私が話した事ぐらいです。技術的なことや自然科学に関する事など、この世界の摂理《せつり》は自分で考え解《と》き明かしてください。自分で考える事に意味があります。地球でもこう言うでしょう学問に王道無しと。それに準知的生命体に過ぎた知識《ちしき》を与えるのは禁止されています」
過ぎた知識ね、反論できないな。
「ただ知的生命体同士が知識《ちしき》を交換するのは問題ありません。ですからいつかあなた達が知的生命体と認められたときに聞いてください。その時は私の知りうる限りを教えましょう……残念ながら百年二百年の話じゃすまないでしょうし、その前に人類が絶滅している確率も高いですが……まあそれはあなたががんばってください」
そう言ってオーラ君は大きな目を細めた……これはたぶん笑顔《えがお》だ。私も微笑《ほほえ》み返して言う。
「残りの人生、人類が滅びずに知的生命体となれるよう努力する事にしよう。楽しんで観察《かんさつ》してくれたまえ」
「ええ楽しみにしてますし、期待もしています。先ほどは禁止されていると言いはしましたが例外もあります。我々の望む方向へ進化してもらうために必要だと思われるなら、その人物の生命を救うことも許されるのです。それは双方にとって有益なことでしょう? そうなることを心から願っていますよ」
「まかせてくれたまえ、私はうまくすればあと百年は生きられるだろうから、色々と地球を改造する事ができるだろう。そう、とても愉快《ゆかい》な感じに。君らの意に沿うかはわからないが」
この言葉を聴《き》いたオーラ君は再び先ほどの表情を浮かべた。どうやらこの表情は苦笑《くしょう》で間違いなさそうだ。
「では冶療《ちりょう》をしましょう。痛くもないし、治療終了まで一時間もかかりませんよ」
「……それはすごいな。発達しすぎた科学は魔法《まほう》と変わらないとはSFなどでよく見る言葉だが。発達しすぎた医学はテレビゲームの回復魔法と変わらないな。ただありがたみがない。やはり良薬は口に苦《にが》くないと」
「痛くしますか?」
再びオーラが目を細める。これは少し意地悪な笑顔といったところか。
「………遠慮《えんりょ》しておくよ」
私は丁重《ていちょう》にお断りした。
「せ〜ん〜ぱ〜い〜長かったじゃないですか〜、また輪切《わぎ》りにされてるんじゃないかって心配しましたよ〜」
五人が待たされていた部屋に行くとはじめ君が私に駆《か》け寄り抱きついてきた。
「ははっ大丈夫だよ、ただ色々と話を聞いていただけだから」
私は私より高い所にある、はじめ君の顔を見上げ言った。実際は輪切りにされたが……意識があるまま輪切りにされるのは、中々|素敵《すてき》な体験《たいけん》だった。
「だいジョブですヨ〜そんなヒドイことしまセン」
私の隣《となり》にいる、見慣《みな》れた金髪美人姿のオーラ君が言った。口調《くちょう》もいつも通りに戻している。
「あっオーラ……えーとこれからぼく達どうなるの?」
はじめ君がおどおどと言った、オーラ君とどう接すればいいかわからないようだ。無理もないが。
「おウチに帰っテもらイマスヨ。できレバカラダを調《しら》べたイですケド……イタくしナイですカラどうデスカ?」
オーラ君が微笑《ほほえ》んで言った。
「やってもらったらどうだい? めったにない経験《けいけん》ができるぞ?」
私は立っている男達に向けて言った。
「ボクの美しい肉体に傷がついたら困るんで謹《つつし》んで遠慮《えんりょ》しておくよ」
「ふざけるなっ!」
「遠慮しておく」
「平賀《ひらが》先輩《せんぱい》が言うなら喜んで差し出させていただきます!」
それぞれ違うリアクションが返ってくる。
「ふむ……では川村《かわむら》君を置いて帰るとしようか」
「ああっその冷たい仕打ち、ゾクゾク来ました。平賀先輩、今おれの中の新しい扉《とびら》が開きかけましたです!」
川村君の行動も興味《きょうみ》が尽きないな。
「マアいいデス。モウぞンぶんニ調べマシタし」
それを聞いたはじめ君達はあわてて体を探っている。
「だいジョウブ傷は残っテませんヨ」
オーラ君がくすくすと笑っている。冗談《じょうだん》なのか、本当なのか判断しかねるところだ。調べたのなら、山道で光に包まれた後から、和室で意識《いしき》を取り戻すまでの間だろう。
「それでオーラ君はどうするんだい?」
道本《みちもと》君が聞いた。それは私も気になるところだ。
「そうデスね、学校生活楽シかったノデ、今までドオリ学校にイキタイです。人間|観察《かんさつ》ニいいデスシ。たダワタシも暇《ひま》がナイですカラ、アンドロイドに変ワリニ行って貰《もら》オウと思いマス。今までも三日に二日はアンドロイドに代わりに行ってもらってましたし」
それはすごいな……まったく気づかなかった。
「何い! アンドロイドだと! 感情はあるのか? いや初めはなくていい、後々《あとあと》感情が芽生《めば》える事はあるのか?」
突然川村君が興奮《こうふん》しだした。……何が言いたいかよくわかる。最近はやりのロボのメイドを想像しているのだろう。
「頭脳ハ有機コンピューターですカラ可能性ハありマス……とイウカ宇宙にハ、自我ニ目覚メたアンドロイドの人権ガ認めラレていル星もアりますデス」
「うおお――――ロボッ娘《こ》だ! 素晴《すば》らしい! ロボッ娘だ」
その様子《ようす》を怖いものを見るような目で見ているはじめ君……この世には君の理解できない世界があるのだよ。
「はっいま重大な事に気づいたぞ。もしも、もしもだ………そのアンドロイドに感情が芽生《めば》え、しかもそのアンドロイドと恋愛が成立した場合はどうなるんだ?」
…………さすが川村《かわむら》君、アンドロイドを口説《くど》く気だ。もうすでに子孫を残すという生物の本能すら捨て去っているようだ……さすが私が認めた漢《おとこ》。この解脱《げだつ》っぷりは清々《すがすが》しくすらある。
オーラは珍しい、興味《きょうみ》深いものを見るような目で川村君を見て、少し考えた後言った。
「………その時はアナタが死ぬマデアンドロイドを貸し出しマシょう。トテモ貴重《きちょう》なデータが取れそうですカラ」
それは私としてもとても興味深いな……今後は川村君を応援することにしよう。
「ただ、データは私たちに筒《つつ》抜けですヨ」
それはそうだ。はてさてどう出る川村君。
「そんな些細《ささい》な事、まったく問題ない!」
言い切る川村君。素晴らしい、素晴らしいぞ川村君。そんな私の心を代弁するかのように道本《みちもと》君が言った。
「美しい……今の君はとても美しいよ、輝《かがや》いてる」
私には理解しがたく、とても興味深い道本君の美意識《びいしき》だが、今回はとても共感できた。どんな道でも極《きわ》めようとする姿は美しい。
「ああ……川村が遠くに行ってしまったな」
「うん……タッキーがとおくに見えるよ」
「あいつは一体何者だ?」
「普通の人間だよ…………ただ重度のオタクをわずらってるんだ」
私の横ではじめ君と真太郎《しんたろう》君と典弘《のぶひろ》君が会話を交わしている。
いつもの光景だ、非日常から日常に変わっていっているのがわかる。私は斜め上にある元私の顔を見る。その視線《しせん》に気づいたはじめ君がこっちを見た。
「ん? どうしたんですか?」
「ふふっなんでもないよ」
やはり生きて、生きているはじめ君を見るのが良いな。
幽霊《ゆうれい》になるのは100年後でかまわない。
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先輩とぼく
「先輩《せんぱい》おはようございます」
ぼくは駅の前に立っている先輩に駆け寄って言った。周りには同じ学校の制服が溢《あふ》れている。
「やあ、おはよう。今日も清々《すがすが》しい朝だね、特にこの曇天《どんてん》具合がたまらない」
先輩は曇って一面灰色の空を見て言った。
「……そっそうですね」
とても清々しいとは思わないけどとりあえず同意しておく。なんか今日先輩、機嫌《きげん》がとてもいいみたいだ。
ぼくと先輩は並んでゆっくりと歩く。見慣《みな》れた景色、ここ一年ずっと見ている景色だ。
駅で待ち合わせて先輩と学校に行くようになってからは半年ぐらいかな、ここから学校までの十分間がぼくのお気に入りの時間だ。ゆっくりと歩くぼく達はどんどん追い抜かれていく、三年生が自由登校なので人が少ない。あとすこし経《た》てば、真新《まあたら》しい制服を着た一年生がここに加わるんだろう。
ときおり出会う見知った顔に挨拶《あいさつ》をしながら、ぼく達はペースを変えずに進む。このスピードがぼくと先輩のスピードだ。
ふわぁ
あまりに心地《ここち》よい時間、思わずあくびが出てきた。
「寝不足かい? まあ昨日ははしゃぎすぎたかな」
そう言って先輩が微笑《ほほえ》む。
昨日、みんなと別れてうちに帰ったあと、先輩と先輩の家族が家に来た。そしてご馳走《ちそう》食べて、お酒飲んで大騒《おおさわ》ぎ。うちの家族も先輩の家族も羽目《はめ》をはずしまくってた。とくに先輩のお父さんが大喜びで、お酒をたくさん飲んで、べろんべろんに酔っ払って先輩のお兄さんに背負《せお》われて帰っていった。ぼくの家族も飲みまくってたけど、うちの人間は基本的にざるだから、ひどいことにならない。
もちろんぼくも飲まされた。ぼくは今まで体質的にひどく酔ったことはなかったんだけど……昨日は思いっきり酔っ払ってしまった。先輩の身体《からだ》はアルコールに弱いみたい。先輩のお父さんも弱いみたいだしそういう家系なのかな。
ただ………ぼくはおもいっきり酔って色々|恥《は》ずかしいことしたような気がするけど、思い出せないという事はたいした事なかったんだ。うん、そうに違いない。今日の朝うちの家族がぼくを見るとき、半笑いだったのは気のせいだ。気のせいであって欲しい。
とにかく昨日は夜遅くまで騒《さわ》いでとても楽しかった。
「先輩《せんぱい》はどうなんですか?」
「若いから大丈夫だよ……身体《からだ》は君よりおよそ二年間も若いんだからね」
先輩の誕生日《たんじょうび》は4月1日のエイプリルフール……とても先輩らしい誕生日だと思う。んでぼくの誕生日は3月の25日。学年的には1学年しか違わないけど、誕生日的にはまる二年|離《はな》れている。
「うわっそんなこというんですかひどいなあ、元は先輩の身体なのに」
「…………そう、元なんだよ。もうその身体は君の身体だ」
先輩がぼくを見つめ静かに言う。
「………そうですね……わかりました。今日のたった今からからそういうことにします」
最近先輩はぼくに隠《かく》し事をしている気がする。身体を元に戻すのを断ったのだって、ぼくに話した以外に何か理由があるような気がする。そして、その理由はぼくのためのような気がする。先輩はぼくをおもちゃにして楽しんでるけど……誰《だれ》よりもぼくのことを考えていてくれてると思うから。
「……………すまないね」
「いいですよ。責任はとってもらいますから」
ぼくは笑って言った。
「それについては前言ったように任してくれたまえ」
先輩がやわらかく微笑《ほほえ》んだ。この笑顔だ……ぼくの人生を変えたこの笑顔《えがお》。
2月中旬の寒さが和《やわ》らいだ気がした。いつまでもこの暖かい笑顔の傍《そば》にいたい。ぼくは本気でそう思った。
その時ぼくはふと気がついた。
「ん? 先輩! それならなおさらですよ。ぼくの身体に向かって若くないとは何事ですか!」
「はっはっはっ」
笑ってごまかす先輩……まったくしょうがない人だ。つられてぼくも笑う。
「ところで今日はどうしてお弁当がいらないんですか?」
「……なに、ちょっとした野暮用《やぼよう》だよ」
さっきとは打って変わって、先輩がニヤリと笑った。ぼくの人生を狂わし続けているこの笑顔。二月中旬の寒さが氷点下《ひょうてんか》に達した気がした。ここから逃げ出したい、ぼくは本気でそう思った。
「どうしたんだ、今日は」
昼休憩《ひるきゅうけい》、タッキーが真太郎《しんたろう》と昼ご飯を食べているぼくに言った。
「今日|先輩《せんぱい》お弁当いらないんだって……なんか嫌《いや》な予感がするよ」
ぼくの脳裏にあの忌《い》まわしい記憶《きおく》がよみがえる。あの日から悪夢が始まったんだ。あの日から何度あのピンク色を着て出撃《しゅつげき》しただろう。
「それは大変だな」
まったくそう思っていない表情で言うタッキー。
「………タッキー、なんか知ってるんじゃないの?」
ぼくはタッキーを睨《にら》みながら言う。
「………………しらないぞ」
「今の微妙な間は何だー!」
「気のせいだろう」
むぅーうそ臭《くさ》い、目が泳いでるし。
ぼくがさらに追求しようとしたその時スピーカーからピ〜ンポ〜ンパ〜ンポ〜ンと音が鳴り響《ひび》く。
…………このパターンは、
「こちら凰林《おうりん》ミステリー研究会会長改め凰林グリーン、平賀《ひらが》つばさだ」
やっぱり………これから何が起きるんだろう。先輩の事だからぼくの想像もつかない奇怪《きかい》な事が起きるのだろうと思う。
「皆に残念なお知らせがある。今日、今現在を以て学徒戦隊オーリンジャーを解散する」
えっ? ぼくの聞き間違いじゃないよね。ぼくは真太郎を見る、ぼくを見て頷《うなず》く、真太郎。間違いない。
「やったー!」
ぼくは椅子から立ち上がると叫ぶ。もう恥《は》ずかしい思いしなくていい。先輩がオーリンジャーを組織《そしき》したのは、オーラに興味《きょうみ》を持ってもらうためだったんだからもうオーリンジャーをやる意味ないんだ。
ぼくが大喜びでガッツポーズしていると、クラスメイトの落胆《らくたん》の声が聞こえてきた。
「えーまじでー」
「うそだろーーせっかく面白《おもしろ》かったのに」
とか、
「そうよねー面白いしみんなの役に立ってたのに」
「うん……助かってたのにね」
とか。面白かったのにという感想にはなんと言うか……こうもやもやした気持が胸の中に沸《わ》いてくるけど、助かってたのにと言う感想にはごめんなさいと言った気分になる。みんなの役に立つのは嬉《うれ》しいけど…………やっぱりあの格好《かっこう》は嫌だ。
「落胆の声が聞こえるが、もうオーリンジャーが姿を現すことはないだろう」
先輩《せんぱい》なんか寂《さび》しそうだ。ぼくも少し、ほんの少しだけ寂しい気分になる。もう二度とやりたくないけど。
「そしてこれからが本題なのだが…………」
ぼくの中の嫌《いや》な予感メーターが振り切った。
「……私は今この瞬間《しゅんかん》に、悪の秘密結社ダークウイングを結成することを、ここに宣言する!」
だーくういんぐ……なるほど闇《やみ》のつばさか………………お願いですから先輩、もう勘弁《かんべん》してください。
「と、いうわけでこれよりこの学校は我々ダークウイングの支配下に入る。ではこれよりダークウイングの総帥《そうすい》と、我《われ》の誇る四天王《してんのう》を紹介しよう」
…………四天王って先輩ぃ。
「ダークウイング総帥、最近はやりの美少年悪役、愛に餓《う》えて世界|全《すべ》てを憎んでる系の悪の大ボスはこの私、平賀《ひらが》つばさがやることとする。これより私のことを呼ぶときは様をつけるように」
つばささま〜
とか言う声がどこかから聞こえてくる。それと共に起きる笑い。
「次、好戦的でバトルマニアで、最初はオレが行くぜとか言って正義の味方に戦いに挑《いど》んだ挙句《あげく》、一番最初にやられるような役どころの四天王一人目は、一年六組、大林《おおばやし》典弘《のりひろ》君」
隣《となり》のクラスで歓声が起こる。今回は脅しはなし……まあ前の時言ったから必要ないと思う。のりちゃんもここ一ヶ月ぐらいで理解したことだろう、先輩には逆《さか》らえないということを。
「その次、四天王二人目、ナルシストで美形の男で、オネエ言葉で話し、性格はとても残忍な男幹部を二年五組 道本《みちもと》誠《まこと》君。道本君は顔を攻撃《こうげき》されるといきなり切れて、よくも俺《おれ》様の美しい顔に〜〜〜〜と男言葉で叫ぶ事を義務とする」
…………義務って。しかもものすごいはまり役だ。前の時と同じく、いろんな所から黄色い声があがる。
「四天王三人目は、武人系で忠義《ちゅうぎ》に厚く正々堂々戦いを挑《いど》んでいくタイプ、そして最後に敵ながら天晴《あっぱ》れとか、違う出会い方をすれば友になれたのにとか正義の味方に言われたりする漢《おとこ》の中の漢な幹部を…………一年七組|山田《やまだ》真太郎《しんたろう》君」
うちのクラスで起こる歓声。みんな大喜びだ……真太郎とぼくを除いて。
「そして最後……皆が待ち望んでいたであろう女幹部。ほーっほっほと高笑いをあげ、高飛車で、無意味に露出度の高いとげとげした服を着て、操る武器は鞭《むち》。だが、実はかわいいところもあり総帥への愛ゆえに戦う四天王の四人目を……」
はいはい、わかってますよ。
「一年七組|山城《やましろ》一《はじめ》君!」
またまた学校が揺《ゆ》れた。クラスのみんなも大喜び。とりあえず人一倍大喜びしているタッキーを後で殴《なぐ》ろう。これにも一枚も二枚も噛《か》んでるようだし。クラスメイトにもみくちゃにされながらそう誓《ちか》う。
「我は我の支配下で、我の許可なく悪事を行う事を許さない! そのような不届《ふとど》き者を発見した場合は密告してくれたまえ。あと支配を円滑《えんかつ》に進めるため、我が民の悩みを解決する事も吝《やぶさ》かではない。密告や要望は我の居城、オーリンジャー秘密基地改めダークキャッスルの前にポストを用意してある」
形が変わっただけで今までとやる事は変わらないのか。せめて衣装《いしょう》がすごくない事を祈ろう。ぼくの受難《じゅなん》はまだまだ続きそうだ。
いや、まだまだどころじゃなくこれが一生続くのか……とほほ。
でも、まあしょうがないか。惚《ほ》れた弱みってやつだね。
で、女幹部の衣装だけど…………………………………………それはもうすごかった。
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日記帳と私2
2月20日 (木)
とりあえず、目的は果たされた。それもこれもあの人物、オーラ君のおかげだ。
信じられないほどの幸運により、私の生が繋《つな》がった。
こうして日記を綴《つづ》っていると、それを実感する。
この日記帳に綴るのは、過去の出来事。
この日記帳を綴るのは現在《いま》。
この日記帳の白紙に綴られるのは未来。
現在に過去を綴る事。未来に現在を綴ること。
これが生きていくということだろう。
ふむ、柄《がら》にもないことを書いてるな。どうやら酔っているらしい。この身体《からだ》の肝機能《かんきのう》は中々に優れもののはずなのだが、何事も程々《ほどほど》が良いということだな。はじめ君に酒を飲ませる場合は、今夜のように程々でないほうが面白《おもしろ》いが。先ほどのことは思い出すたびに頬《ほお》が緩《ゆる》んでくる、また今度飲んでもらうことにしよう。
話がそれたな、まあいい。酔ってるついでだ、読み返すたびに赤面しそうな続きを書くことにしよう。
この日記帳に未来が綴《つづ》られていく限り、私の生は続いていく。
そして、私の未来の象徴《しょうちょう》であるこの日記帳からはじめ君の名前が消えることはないだろう。
うむ、なんとも素晴《すば》らしい未来ではないか。
[#地付き]それでは、また悪巧《わるだく》みを始めることにしよう。
[#地付き]終わり
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あとがき
はじめまして、沖田《おきた》雅《まさし》と申します。
今この本を買って、あとがきを読んでくださっている方。本当にありがとうございます。
買う前にあとがきチェックしている方。あなたの気持ちはとてもよくわかります。私もあとがきを最初に読むタイプなので。でも、できれば中身も読んでいただければと思います。
私の事を現実世界で知っている方、手に持っている本を置いて、早急《さっきゅう》に家に帰って、お花を摘《つ》んだあと、睡眠をとってください。
読んで下さった方ならわかっていただけると思いますが、『先輩《せんぱい》とぼく』は色々な意味で知り合いには読まれたくない話です。が、応募時に実家の電話番号を書いていたので受賞の電話が実家にいき、親ばれ、妹ばれ、近所のおばちゃんばれまでしてしまいました。痛いです。近所のおばちゃんが読書感想文書こうか? と言って来た時にはどうしようかと思いました。
ならなんでこんな話を書いたのかという話になりますが、『先輩とぼく』は日の目を見るはずのなかった話なのです。
去年の1月ごろでしょうか、私は電撃《でんげき》ゲーム大賞に送る別の話を書いていました。その話は、妖怪《ようかい》大家族バトルアクションホームコメディラブ風味日本刀|和《あ》えといった話でした。若夫婦とその子供、そしてそれを取り巻く家族の話で、熱い話になるはずでした。ちゃんとプロットも作って、書き進めていたのですが、途中で行き詰まりました。
そこで気分転換に、他《ほか》の話を書こうと思いました。そこで思いついたのが『先輩《せんぱい》とぼく』の原型。
気分転換なのだから、今書いているのとまったく違う感じの話を書こうと思いました。三人称で書いていたので一人称。すこし真面目《まじめ》な話だったので、趣味《しゅみ》に走った馬鹿《ばか》話。最初少しと、なんとなくのラスト、それだけ考えて書き始めました。
べたべたなのも、お約束に溢《あふ》れてるのも、私の趣味です。ふらふらしてるのは、話を考えながらそのときの気分で書き進めていたからです。
ちなみに、『先輩とぼく』の世界コンセプトは『T○タッ○ルの超常現象の特番で、○沢編集長が大○教授を論破する世界』です。この世界ではノストラダムスは大預言者で、○○○ラーは大超能力者。宇宙人は地球に来ていて、幽霊《ゆうれい》も存在し、ネッシーもクッシーも元気に泳いでて、大西洋(地中海)と太平洋には超古代文明が沈んでいることでしょう。ああ、なんて素敵《すてき》な世界。
そんな感じで好き勝手書いていたのがよかったのか、思いのほかはかどり、気がつけば息抜きのはずの『先輩とぼく』だけが完成してました。なので、しょうがなく『先輩とぼく』だけを送ることにしたのですが、全然期待してませんでした。最初は送るつもりがなく、とことんまで好き勝手してたんですから当然です。
そうしたら、あれよあれよという間に銀賞というものすごい賞をいただいてました。びっくりです。どれほどのびっくり度かというと、受賞のお電話のときに「マジですか?」と聞いた私に対して「私もびっくりしました」という返事が担当さんから返ってくるぐらいのびっくり度です。
と、作品の成り立ちを長々と書きましたが、何が言いたいかといいますと……「やつ」は私ではありません。ええ、私ではありませんとも。やつは私の脳が生み出したキャラクターですが、「やつ」の主義主張思想趣味は私のものではありません。ありえないのですよ!
ただ眼鏡《めがね》は好きです。最初は先輩、眼鏡かけてましたし。
……で、こんな成り立ちですが、本を出すにあたり、気合い入れて改稿しました。枚数的には400字詰めの原稿用紙換算で、100枚くらい増えてます。応募時より、多少はましな物になっているのではないかと思います。
時間内にできることは、できるかぎりやったと思いますが、私のできる限りなんて高が知れてます。精進して次はより良い物が書ければと思います。どうぞ生暖かい目で見守ってやってください。
それでは、これ以降はお世話になった方たちへの感謝《かんしゃ》を。
私の作品を選《えら》んでくださった選考委員の皆様。ありがとうございました。中でも深沢《ふかざわ》先生。私の作品を評価して頂いただけでなく、作品のアドバイスまでして頂き本当にありがとうございました。いくら感謝しても感謝しきれません。
担当の高林《たかばやし》さん。ありがとうございました。新人の分際《ぶんざい》で締《し》め切り破ったり、勝手にテンパッた挙句《あげく》愚痴《ぐち》メール送ったり、きついですとか泣き言を言って締め切り延ばしてもらったり、著者校の段階で変えまくったりと、本当に御迷惑をおかけしました。今後はこのようなことがないように努力します。
授賞式でお世話になりました先輩方、ありがとうございました。特に成田《なりた》さんと有沢《ありさわ》さんには土産《みやげ》までいただきまして、あれは家宝にしたいと思います。
同期の有川《ありかわ》さん、柴村《しばむら》さん、水瀬《みなせ》さん、雨宮《あまみや》さん。イラスト大賞のシイナさん、隼さん、佐々木《ささき》さん、ありがとうございました。皆様がいたから恐怖の授賞式を乗り越えられました。これからもどうぞ仲良くしてやってください。
イラストの日柳こよりさん。まだ、ラフしか頂いていませんが、イメージぴったりで感動しました。あまりのかわいらしさに、夏場の話を増やしそうです(海、夏祭り、水着、浴衣《ゆかた》、etc)。あと怪文書を送ってすいませんでした(綺麗《きれい》な乳、すごい乳、おしとやかな乳とか書いてある馬鹿《ばか》なキャラ表)。これからもどうぞよろしくお頭いします。
この本が出るにあたり、ご尽力いただいた皆様。本当にありがとうございました。色々と遅れたせいで、かなり御迷惑をかけたのではないでしょうか。地面に穴掘って土下座したい気分です。
家族一同、友人一同、とても感謝しています。が、読むな。もし読んでも、そっとしておいてやってください……無視する愛もあるのです。あと、読書感想文は本気で勘弁《かんべん》してください。
そして最後に、この本を読んでくださった皆様。本当にありがとうございました。『先輩とぼく』は、大層なテーマもない、重大な事件が起こるわけでもない。でも楽しい気分になれる。そんな話を目指して書いています。
ですので、今あとがきを読んでいる貴方《あなた》が楽しい気分なら、これ以上の幸せはありません。
それでは2巻でお会いできたらと思います。
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先輩とぼく
発 行  二00四年二月二十五日 初版発行
著 者  沖田 雅
発行者  佐藤辰男
発行所  株式会社メディアワークス