先輩とぼく0
沖田雅
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)大分|穏《おだ》やかになってきた
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)私はしばらく[#「しばらく」に傍点]と言った
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底本データ
一頁17行 一行42文字 段組1段
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先輩とぼく0
むかしむか〜しと言っても2年前の夏のある日のこと。その日は生暖かい風が吹き、なぜか胸騒ぎがする夜でした。道本さんは導かれるように墓場へと向かったそうです。すると、そこで見たものは……、幽霊を一生懸命捜す先輩だったのです! なんて、素敵(?)な出会いで始まる、今回は愉快な仲間達結成秘話!
なぜ、OMRなんかがまかり通っているのか? なぜ、ぼくは先輩を好きになってしまったのか……。すべての疑問にお答えします!
超絶美少女だった先輩に、かわいい少年だったぼくに、元からオタクだったタッキーにさぁ会いに行ってみよー!
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沖田《おきた》 雅《まさし》
←というツンデレと対になる言葉が出来たそうですが……両方大好きです。ようするに私はギャップが大好きなのです。○○なのに○○。(例:美人なのに変人)この「なのに」が重要なんですよっ! ……そんな「なのに」で先輩とぼくはできています。
【電撃文庫作品】
先輩とぼく
先輩とぼく2
先輩とぼく3
先輩とぼく4
先輩とぼく5
先輩とぼく0
イラスト:日柳《くさなぎ》こより
1983年、鹿児島県吉松町に生まれる。好きな季節は、秋。暑くもなく寒くもなく、もうふ一枚で心地よく眠れるのです。夏は冷房をうんと涼しく調節しても、寒くなるだけなので不思議です。
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つばささんとの出会いとわたくし
入学直後のざわめいたお昼休憩の時間。
わたくしは教室でお一人でパンを食べていた、女生徒に声をかけました。
「はじめまして。わたくし小谷美香と申します。どうぞよろしくお願いしますわ」
俯きがちなその女生徒は、少しだけ上目使いでこちらを確認してポツリと言いました。
「……よろしくお願いします」
「よろしければ、お名前をうかがってもよろしいですか?」
周りから見れば、物静かで人付き合いの苦手な文学少女といった風情です。なぜそんな目立たない彼女に声をおかけしたのかというと……
わたくしは近くでその女生徒を観察します。メガネに三つ編み、わたくしと同じような服装。
背は高いですが、俯きがちで身を小さくしているのでそこまで目立っていません。ですがわたくしにはわかります。彼女はとてもスタイルが良い。しかも、ものすごい美人です。多分気付いている人はいないでしょう。わたくし以外には。
なぜわたくしが気が付いたかというと……同類だからでしょうね。
彼女はわざと、隠している。その美貌、そのスタイル、そしてその性格まで。
「……平賀つばさです」
「できればお友達になっていただきたいと思いまして」
「えっと……わたし……ですか?」
「そうですわ」
困惑しているつばささん。いや、困惑している振りをしているつばささん。俯き前髪で隠れた瞳で思いきりわたくしのことを値踏みしているのでしょう。
わたくしはそんなつばささんに近寄り、耳元で小さく言いました。
「同類同士仲良くやりましょう? あなたがなぜわざわざ自分の美貌、そして素敵な本性を隠しているのかはわかりませんが、わたくしなら多分お友達になれますわよ」
わたくしが隠している訳は、殿方をくどき落とす時の武器としてなのですが。ギャップをねらっている訳ですわね。
でもつばささんはどうして隠しているのでしょうか?
とても気になります。
「それに、あなたとお友達になればとても面白そうだと、わたくしの女の勘が申しておりますわ」
わたくしはにっこりほほ笑みました。殿方用ではない、親友同士に向ける笑顔。
そんなわたくしにつばささんは、
にやり
そう評することしかできない不敵な笑顔を浮かべて言いました。
「ほう、芝居に気が付かれるとは思わなかった。目立たないようにしていたのだがな」
つばささんはそこで初めて顔を上げ、その激しく美しい瞳でわたくしを見つめて言いました。
「こちらこそよろしく頼む」
これがわたくしとつばささんの初めての出会い。
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川村君との初遭遇と私
「えっと、先輩。こいつが川村秀則です」
はじめ君が「知り合いが先輩に会わせろ会わせろとうるさいんで連れて来て良いですか?」というので許可した。聞くところによると、なかなかに面白そうな人物でもあるし。
それでその川村君は私の前で片膝をついている。
「お初にお目にかかります。川村秀則と申します。どうぞお見知り置きを。タッキーとでも下僕とでも犬とでもお好きなように呼んでください」
かなりの人物だと聞いていたが……予想以上だな。面白いので、このまま彼に付き合ってみよう。
「ほう、君か。うわさは聞いているよ。それで何か我に用があるとのことだが?」
私はいつもよりもさらに偉そうに見えるように仕草と口調を変えた。
「はっ、本日は願いがあり、こうしてやって参りました」
「うむ、申すがよい」
ああ、何かとても楽しいぞ。
……はじめ君は呆れ顔でこっちを見ているみたいだが。
そんな冷たい視線を気にもせず川村君は続ける。
「私はかねてより一つの夢を持っていました。ですがそれが叶うことはないだろうとあきらめてもいました。ですが、平賀つばさ様、あなたがいればその夢をかなえることができる!!」
「……その夢とは?」
「美人でスタイルの良い女王様タイプの女性に、下僕としていいように使われることです!!」
なっ何とすばらしい夢なのだろうか。
はじめ君は、
「人のことは言えないかもしれないけど、もっとマシな夢持てよ!!」
などと突っ込んでいるが。
「口調が偉そうならばなお良し!! 趣味が合えばさらに最高!! まさにあなたは私が仕えるにふさわしい」
確かに私は彼に仕えられるにふさわしいだろう。外見的にも口調的にもそして……趣味的にも。
「うむ、良かろう」
私は鷹揚に頷く。
「ははーありがたき幸せ」
私はそこで立ち上がる。
「では手初めに、この学校を我が手に収め、皆を恐怖と絶望と爆笑の渦に落としてくれよう。付いて来い川村君、ともに覇道を歩もうではないか!!」
「はっ、地獄の底までついて逝きます!!」
そんな意気投合し燃え上がる私の耳に、
「……もしかしてぼくは取り返しのつかないことをしてしまったんじゃ」
そんなはじめ君の後悔に染まった悲しい声が聞こえてきた。
こんなことがあり私はとても使える手下を手に入れたわけだ。
これが私と川村君の出会い。
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真太郎と先輩の出会いとぼく
「…………こんなことがあったんですよ」
「ほう、それは興味深い」
放課後、先輩とお茶しながらぼくは、昨日あった出来事を話していた。
話の発端は昨日の朝。真太郎がいきなり、
「今日は頭に気をつけろ」
そんなことを言った。
ぼくは頭にはてなマークを浮かべつつも「うん、わかった」と返事をしたんだけど……夕方にはすっかり忘れてた。
そして昨日の夜に少し大きな地震があったんだけど……タンスの上の荷物がぼくの頭に落っこちてきて大きなたんこぶができた。
ちょっとびっくり。まるでこうなると知ってたみたい。
で、今日聞いてみたら夢で見たと真太郎が答えた。
そんなぼくの話を興味深そうに聞いていた先輩は聞き終わったあと、
「ではその真太郎君を呼ぼうか……」
おもむろに携帯電話を取り出した。
なんでいきなりそうなるのかぼくが聞こうとした瞬間、
ガラガラガラ
扉が開いて真太郎が入ってきた。
「……掛け持ちですいませんが、入部を認めていただきたいのですが」
「…………なんで?」
いきなり過ぎる真太郎の行動に、わけがわからないぼく。
「ほう、なるほど。はじめ君の言っていた夢の話はどうやら本当のようだ」
先輩がうれしそうに笑う。
「予定では、放送委員に電話をかけ派手に放送してもらい、ここに呼び出すつもりだった。やってきたあとは、話を聞いて勧誘し。良い返事がもらえなかった場合はいろいろ調べて自発的に入部してもらうつもりだった」
……ようするに脅すつもりだったんですね。最低です先輩。
「さらにそれでも了承しない場合は…………。ともかく」
なっ何をするつもりだったんだー!!
「真太郎君が今ここに来たということは、被害を最小限に抑えようとしていたのだろうな」
ぼくが「そうなの?」と目だけで問うと、真太郎はうなずいた。
なるほど。こうなるの知ってたから、真太郎は今日ぼくに何か言いたそうにしてたのか。
「……ごめん、ぼくが話したばっかりに。でもわかってたんなら口止めしてくれればよかったのに」
「……しょうがない、いつかはこうなってた」
何か色々悟ったような真太郎。
確かに先輩ならどこかで聞きつけて呼び出すだろうなー。
「……ごめんね」
ぼくはもう一度謝る。でも、心の中では万歳してた。正直うれしい。
だって…………仲間が増えたし。一人じゃないって素敵なことだ。
持つべき物は道連れ……もとい友達だ。
………………ごめんね。
これが先輩と真太郎の出会い。
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目次
ある日の放課後、つばさとボク……11
真夜中の少女とボク……20
ある日の放課後、つばさとボク2……122
2年生組の放課後とぼく……124
つばさ先輩との出会いとぼく……139
嵐ちゃん組+αの放課後とわたし……213
UFOとはじめ君と私……225
嵐ちゃん組+αの放課後とわたし 続き……248
そしてまたいつもの放課後とボク……258
ハニーとつばさの出会いとボク……261
おまけ……278
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――その月明かりの下にたたずむ少女をボクは美しいと思った。何よりも美しいと思った。そう、一生見守っていきたいと思うほどに――
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ある日の放課後、つばさとボク
空気が美しくきらめいているようにさえ感じられる清々《すがすが》しい土曜《どよう》の午後、短縮《たんしゅく》授業でまるまる空《あ》いた午後の自由時間、ボクはOMR部室に向かっていた。ただ演劇部《えんげきぶ》に顔を出していたので、いつもより少し遅くなっている。廊下から通り過ぎざまに教室を覗《のぞ》くと、時計の針は午後二時を指していた。
「もうこんな時間なんだね」
思いの他《ほか》時間をとっていたらしい。
大分|穏《おだ》やかになってきた秋の日差《ひざ》しに目を細めつつ、ボクは進む。窓の外に見える山は美しく紅葉《こうよう》を始めている。まだまだ緑《みどり》が混じっているから、七分といったところかなー。この未成熟《みせいじゅく》な美しさは、発展|途上《とじょう》にあるボクの美しさと相通じるものがあるのではないだろうか。……それはともかく、窓ガラスに映るボクと紅葉のコントラストがとても美しい。
文化祭も無事終わり、ボクが演劇部ですることはもうなくなった。慣例《かんれい》として受験《じゅけん》の為《ため》に3年生は引退ということになっている。第一ボクは後輩《こうはい》の指導《しどう》というガラでもないし。次期部長はなかなかの人物なので、ボクが顔を出さなくても問題ない。……と思うんだけど、ついつい顔を出してしまうのは先輩心《せんぱいごころ》という奴《やつ》かなーこれは。いやいや、引退後に顔を出すOB。青春だねー。我《われ》ながら美し過ぎるに程《ほど》があるんじゃないかなと思うんだけどどうかな? まあ、こんな答えがわかりきった質問をするお茶目《ちゃめ》なボクも美しいねー。
ボクはそんなことを考えながらも、すれ違う女生徒に笑顔《えがお》で声をかける。
「やあ、こんにちは、今日《きょう》も美しい良い日和《ひより》だねー」
「はっはい、こんにちは」
「こっこんにちは」
赤面する女子生徒。リボンの色からすると下級生かな。
「きゃーきゃー道本《みちもと》先輩に話しかけられちゃったー」
「っきゃーきゃーみんなに自慢《じまん》しちゃお」
そんな声がすれ違ったあとに微《かす》かに洩《も》れ聞こえてくる。
うーん秋になり、冬服に替わった女生徒達も美しい。いや、もちろん女性は夏服だろうが私服だろうが美しいのだけどねー。
そうこうしているうちに気が付けばもうOMRの部室前。美しいものを愛《め》でていると時間が経《た》つのが早い。花の命は短い、だからその一瞬《いっしゅん》を網膜に焼き付ける……ということでは特になかったりするんだけど。これは川村《かわむら》の嗜好《しこう》だからねー。ボクは蕾《つぼみ》も花もそして枯れた花すらも美しいと思うのだけどね。ドライフラワーというものがあるように、枯れ方次第だ。美しく年を重《かさ》ねた女性は、いつまで経っても美しい。年輪《ねんりん》を刻んだしわや白いものが混じった髪さえも。要するに女性の美しさに年齢《ねんれい》は関係ないということだ。
いつの間にか思考があさっての方向に逸《そ》れてしまっているね、この豪快《ごうかい》な逸れっぷりもそれはそれで美しい。
ボクはノックのあとに部室の扉《とびら》に手をかける。中に入るとそこには、ソファに腰をかけ文庫本片手にお茶をしているつばさがいた。
ああ、やはり絵になるなぁつばさは。とても美しいよ。
柔らかくなってきた秋の日差《ひざ》しの中で優雅《ゆうが》に読書。アンニュイな午後の風景。まさに深窓《しんそう》の令嬢《れいじょう》といった装《よそお》い。ハニーの身体《からだ》だから男なんだけど、そんなことは全く気にならない美しさ。
「美しい……」
と、思わず声が洩れてしまうのも仕方がない。この美しさの前には、文庫本の表紙に描かれた奇《き》っ怪《かい》な生物の絵も気にならない。タイトルを見ると、『謎《なぞ》の吸血生物チュパカブラを追う!!』とか書いてあるが気にしない。むしろその奇っ怪な生物が、つばさの美しさをより引き立てている……ような気がしないでもないかなーと少し無理があることを考えるボク。まあ、ボクは気にしないから別に良いけど、他《ほか》の人が見たら引いてしまうかもね。
ボクとしては、この天上天下《てんじょうてんげ》唯我独尊《ゆいがどくそん》で我《わ》が道をどこまでも突き進んでいるつばさの性格はとても好きだ。常人とはかけ離《はな》れた趣味《しゅみ》も突き詰めれば美しい。
それはボクがそう思っているだけで、この美を理解しないこの世にもの申すなんて思うこともない。感性は人それぞれだからね。でも、この美しさを理解できないとはもったいないものだと思うけどねー。
ボクはそんな美しいつばさに話しかけた。
「おや、つばさだけなのかな?」
部屋を見回してみるが、つばさ以外の姿が見えない。まだ来ていないのかな?
そのボクの問いにつばさは文庫本から顔を上げ答えた。そんなさりげない動作ですら高貴で優雅《ゆうが》、身体《からだ》が男に変わりはしたけど、その美しさは変わらない。でも文庫本はチュパカブラ。
「うむ、私だけだ。2年生組はやすらぎ公園の脇《わき》にできた……何と言ったか」
その形の良い眉《まゆ》を寄せて脳内から情報を検索しているつばさ。
やすらぎ公園の側《そば》にできたというと……
「らうんど10かな?」
最近やすらぎ公園側に、ボウリング、ゲームセンター、カラオケなどなどが入った複合《ふくごう》アミューズメント施設ができたはずだ。たぶんそこであってると思うけど……
「おお、それだ。そこに行った。はじめ君と典弘《のりひろ》君がボーリングで勝負するらしいよ」
なるほど、また典弘が勝負をふっかけたんだろうねー。この間の中間テストでも負けていたみたいだし。典弘は全教科のテストで、それぞれ何点かずつ負けていた。ああ、あの見事な負けっぷりはとても美しかったな。負けてぐぬぬぬぬぬ〜とうめき声を洩《も》らす典弘は美しかったし、……ははははと乾いた笑い声を上げるハニーも美しかった。「残念だったな典弘君……ぷっ」とわざとらしく笑い声を洩らすつばさの神経の逆《さか》なでっぷりも美しかった。笑い過ぎで様々《さまざま》な液体を顔面から垂《た》れ流していた川村《かわむら》は非常に美しくなかったけれども。
それにしても、いくら負けてもくじけないあの生き様は美しいと思う。身体能力の優劣《ゆうれつ》で勝負が決まる種目を避《さ》け、正々堂々勝利を掴《つか》もうとするその様の美しさには感動すら憶《おぼ》える。
今行っているらしいボウリングも、単純な腕力勝負ではなくテクニックの問題になるからねー。これなら、男女の身体の差も問題ないはず。……まあ、また典弘の連敗|記録《きろく》が増えるだけだろうけど。ハニー相手だと熱《あつ》くなり過ぎるあの性格をどうにかしない限り、連敗は止まらないと思うよボクは。皆もそのことに気が付いているようだけど、誰《だれ》も指摘しない。こういうことは自《みずか》ら乗り越えるべきだ……というのは建て前で、本音《ほんね》は今のままのほうが面白《おもしろ》いからだろうねー。勇ましく勝負を挑《いど》んで見事に敗北する典弘は、もうすでにOMRの風物詩といって良いかもしれないなー。
そんなことを思いつつ、ボクは2年生組のメンバーを思い浮かべる。
「2年生組だから……ハニーと典弘以外のメンバーは、オーラにタッキー、真太郎《しんたろう》かな」
つばさがうなずく。
「うむ。私も誘《さそ》われたのだがな、たまには同学年の友人同士で遊ぶのもいいだろうと遠慮《えんりょ》したのだ」
うん、そういうのも良いかもしれないねー。青春だ、実に美しい。だけど、それだと勘定《かんじょう》が合わないんだけど。
「じゃ、残りのみんなは?」
昔と比べ大所帯になったOMR。2年生が抜けたとしても、何人かはここにいるはずだ。
「ああ、美穂《みほ》君|美菜《みな》君の双子《ふたご》が昨晩料理番組を見たらしいのだ。今夜のご注文はどっち? という奴《やつ》だ」
「あー、なるほど」
ここまでで展開が完璧《かんぺき》に予想できる単純さも美しいね。
「それで、先ほどその話が出たおりに、あれが食べたいと駄々《だだ》をこね出したのだ。どうやらデザート特集だったらしい。アップルパイとクレープとか言っていたかな。それに嵐《らん》君が加わり収拾《しゅうしゅう》がつかなくなったので、美香《みか》達《たち》が作ることになった」
やっぱりね。
う〜ん、その姿が目に浮かぶよ。あの三人が駄々をこねたとなると、ものすごいことになってたんじゃないかな。まあ、それで作ってあげることにする美香も甘いね。ボクが美しいものを愛するように、美香は可愛《かわい》らしいものを愛しているからしょうがないか。どちらにしろ、あの姉妹愛はとても美しい。
「それで、調理《ちょうり》をするために桜《さくら》の家に行ったよ、桜の家はここから近いからな。桜も私と同じ理由でボウリングに行くのを遠慮していたのでそれについて行った」
へえ、桜が真太郎《しんたろう》について行かないのは珍《めずら》しい。
「上手《うま》くできたら届けてくれと言ってあるので、その場合夕方には届くだろう」
ここで行われるお茶会は、舌だけでなく目も楽しませてくれるからね。甘いものを食べてとろけるような笑顔《えがお》を浮かべる少女達は美しい。
「それは楽しみだね」
心からそう答えつつボクはソファに座る。場所はつばさの正面。ボクの定位置とでも言ったらいいのかな。いつからかそういうことになっていた。つばさの隣《となり》はハニーが永久に予約しているしね。
「どうだね?」
つばさが紅茶を勧《すす》めてくる。
「じゃあ、頂《いただ》こうかな」
「うむ、ティーバッグなので味は期待しないでくれたまえ」
そう言いつつ、つばさはティーバッグの入ったカップにポットからお湯を注《そそ》ぎボクの前に置く。ボクがそれに手を伸ばすのを見届け、つばさは再び文庫本に目を向ける。
それからは会話もなく、ただただ時間だけが過ぎていく。でも、居心地《いごこち》が悪い訳じゃない。ボクは紅茶に口を付けつつ、この空気を楽しむ。とても懐《なつ》かしく美しい空気。いつかもこんな時間が流れたことがあった。流れていたことがあった。つい最近のようで、すごく昔のことのようだ。
そうして、どのくらい経《た》っただろうか。何とはなしにボクは口を開いた。
「久しぶりだねー。つばさと二人きりなんてのも」
「……ふむ、考えてみればそうだな」
つばさの周りにはいつも人が溢《あふ》れている。いや、つばさの側《そば》にいるハニーの周りに人が集まっているのかな? ハニーには、華《はな》がある。人徳とでも言えば良いのかな、ハニーの側にはいつも人が溢れていて笑いが絶えない。やはりあの美しい内面から醸《かも》し出される温かさが人を引き付けるんだろうねー。
ほんと、ハニーの幽体《ゆうたい》が美しいのもわかるよ。幽体の美しさはそのまま内面の、魂《たましい》の美しさだ。……ああ、思い出しただけで陶然《とうぜん》としてしまうよ。今度久しぶりに抜けてもらおうかな。一時的に戻れなくして思う存分|愛《め》でまくろう。美のためだ、少々のことは許される。
そんなことを頭の中で平行して考えながらボクは答える。
「この、OMRも人数が増えたからねー、最初はボク達二人だけだったのに」
「うむうむ、まったくにぎやかになったものだと思うな。この部屋もあの頃《ころ》から考えると相当|様変《さまが》わりした」
うむうむとうなずくつばさ。
そのつばさを見ながらボクは思う。OMRもこの部屋の有《あ》り様《よう》もかなり変わった。でも、一番変わったのはつばさだろうね。
昔のつばさは…………………………
「……ん? どうしたね?」
いつの間にか物思いにふけっていたボクにつばさが問いかけてきた。
「いや、つばさと出会った頃を思い出していただけだよ」
そういってボクはクスリと笑う。
―――そう、ボク達が出会った、あの夏の日のことを。
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真夜中の少女とボク
高校に入って初めての夏休みが少し経《た》ったある夜。ボクは見回りを行っていた。ボクは定期的にこの町の霊的《れいてき》な場所を巡っている。墓場や廃屋《はいおく》などの霊が集まりやすい所だ。俗な言い方をすると心霊スポットとでもいうのかなー。で、ボクがそんなことしてる理由はうちの神社が受け持っている地域に質《たち》の悪い自縛霊《じばくれい》が生まれていないか、質の悪い霊が入り込んでいないか調《しら》べるため。たまにこの世に縛《しば》られた美しい霊《ひと》が成仏《じょうぶつ》する手助けをしたりするけど、これは完全にボクの趣味《しゅみ》。美しい霊《ひと》が未練《みれん》を残しこの世に留《とど》まっているのは美しくない。ほとんどの霊は放っておいても勝手に成仏していくんだけど、成仏するのは早いに越したことがない。
まあ、ボクは血筋からか生まれながらに霊感が強いので、自分の美意識《びいしき》に従って行動している訳だよ。修行《しゅぎょう》が足らないので、霊を祓《はら》うのは父に任せるけど、質の悪い霊から身を守るくらいならできるしねー。そもそも霊が見えるボクには彼らは身近なもの。生まれてこの方ボクの周りには常に霊がいたのだから、特に恐怖は感じない。恐怖の代わりに感じるのは…………見られる快感。ボクは霊に見られることで自分の美しさに、そして見られることの素晴《すば》らしさに気付かされた。人の視線《しせん》は良いよ、ボクの美しさに対する賞賛《しょうさん》その人の関心が自分に向いている証拠《しょうこ》、それを一身に浴びるとゾクゾクする。人の視線が美しさを磨《みが》くんだよ……と話が逸《そ》れたね。
まあそういう家に生まれたので、ボクは高校を卒業し大学に上がって神職《しんしょく》の資格を取ったあと、いつかは父の跡を継《つ》ぎこの地を見守っていくことになる。それについては何の不満も持ったことはない。
と、いってもまずは何か他《ほか》の仕事をして、すぐには父の跡を継がないと思うけど。ボクは未熟《みじゅく》だし……まだまだ視線を浴びたりない。うーん。モデルなんかはどうだろう。そうすれば何万何十万の読者が美しいボクを……いや、それなら俳優《はいゆう》になってブラウン管に映る方がいいかもしれない。でも、ブラウン管ではボクの美しさがちゃんと伝わらないかもしれないね。なら映画かな? それともミュージカルや舞台《ぶたい》俳優が良いかな? それならありのままのボクの美しさが…………どうしようもないぐらい話が逸れたね。いくらボクの美しさが動かしようのない事実だとしても、これはいただけない。
え〜と、要するに、いつかボクはこの街に帰ってきてこの街を見守っていく。ボクはこの街が好きだ。この美しい街が。
だから、今ボクは見回りを行っている。将来の為《ため》に、何よりこの町の為に。
そんな、いつも通りの夜の見回り。線香《せんこう》を片手に浮遊霊のみんなと世間話をし、成仏を勧《すす》める。暗い顔をした霊《ひと》の悩み相談《そうだん》をして、寂《さび》しそうな子供の霊《れい》と一緒《いっしょ》に遊ぶ。
今日《きょう》もいつもと同じで特に問題なし。
暗闇《くらやみ》の中を月の明かりを頼りに歩く。人は何か得体《えたい》の知れないものがいるかもしれないと暗闇を恐れる訳であって、霊が見えるボクにとっては暗闇は恐怖じゃない。真っ暗闇は、ボクの美しさを見ることができないので好きじゃないけどねー。
そんな暗くて涼しい幽霊|日和《びより》。美しくも穏《おだ》やかな夏の日の夜。今夜の見回りも今までと同じように何事もなく終わるはずだった。
真夜中の二時。草木《くさき》すら眠る、この世に在らざる者達の時間。
そんな時間に……
――――――――月の光に淡く照らされて立つ、一人の少女に出会うまでは。
…………美しい。
ボクは見つめていた、立ち並ぶ墓石の合間に立ち虚空《こくう》を見つめている美しい少女を。
その少女はこの世のものとは思えないほどに神秘的で、月明かりが映し出す少女のなだらかなシルエットはとても扇情的《せんじょうてき》で、その完成された造形は何よりも幻想的《げんそうてき》で、闇夜に浮かび上がる笑《え》みは何よりも蠱惑的《こわくてき》だった。
少女の姿がボクの網膜に映り続ける限り、脳裏《のうり》に浮かぶ少女を称《たた》える美辞麗句《びじれいく》は尽きそうにない。
その美しい少女の姿にボクは見とれた。頭の中がまっさらになり、全《すべ》ての思考が少女で染《そ》まる。まばたきすることすら惜しい。一度でも目を閉じれば幻《まぼろし》のように消えてしまいそうだ。ボクがこれまで見てきたあらゆるものの中で一番の美しさを持つ少女。
風が吹くたびに、月の光を反射し蒼《あお》く輝《かがや》く黒髪が揺《ゆ》れる。風がその腰まで伸びた黒髪に触れている証拠《しょうこ》、少女が存在している何よりの証《あかし》。幻ではあり得ない。
……にもかかわらず、そこに在るのが幻だとしか思えない。神々《こうごう》しいまでの美しさを身にまとった少女。
しかし、少女の瞳《ひとみ》に目がいった瞬間《しゅんかん》、少女がそこに在ると確信《かくしん》できた。その強い意志をたたえた瞳が圧倒的な現実感をもって存在を確信させた。
その瞳は真《ま》っ直《す》ぐに闇を見すえていた。そこに何かを見い出そうとしているようで、
呼吸することすら忘れ、ボクはその少女を見つめていた。
ボクはしばらく見とれていたが、時間と共にようやくまともな思考が戻ってきた。いまだに心臓《しんぞう》は跳《は》ね上がるように鼓動を重ねているけど。
落ち着き始めると共に、こんな夜中にこんな場所で何をしているんだろうという好奇心がボクの中に湧《わ》き上がる。
……いや、それは言い訳で、ボクはこの美しい少女と話してみたかっただけかもしれない。
ボクはただその口が奏《かな》でる美しいだろう声を聞きたかった。それはどんな声だろうか。柔らかな春の風のような温かな声だろうか。夏の日差《ひざ》しのような情熱的《じょうねつてき》な声だろうか。秋の紅葉のように色付いた艶《つや》のある声だろうか。冬の雪のように真っ白く透《す》き通るような声だろうか。
ボクの想像がどんどん膨《ふく》らんでいく。聞いてみたい。聞いてみたい。
さっきまでは何もない空間を見つめていた少女だけど、今はかがみ込んで何か足下《あしもと》に置いた機械《きかい》をいじっている。
ボクは熱《ねつ》に浮かされたように声をかけた。
「……ねえ、そこの美しい人」
月夜に響《ひび》くのは木々のざわめきと虫の声だけ。思いの他《ほか》ボクの声は良く通った。その声に気が付いた少女は、顔を上げボクを確認。その後、きょろきょろと周囲を見回し、自分以外に誰《だれ》もいないのを確認して言った。
「その美しい人というのは、私のことかね?」
「うん君だ」
「……ふむ、そうなのか」
美しい声。
だけど、ボクの想像など、木《こ》っ端微塵《ぱみじん》にしてしまうような予想外の声だった。
外見の華《はな》やかさとは相反《あいはん》する冷たく硬質な声。しかし、同時に情熱《じょうねつ》も秘めている。
その小さな口から洩《も》れる冷たさと熱《あつ》さという相反するものを含んだ涼やかな声は、独特な口調《くちょう》と相《あい》まって聞く者に凜《りん》とした印象を与える。
そう、凜々《りり》しい声という言葉が一番合うかもしれない。
「そのような歯の浮く台詞《せりふ》で呼びかけられたのは初めてだ。が、悪い気はしないな、なぜだろうか。言葉が嬉《うれ》しいのか、それとも声をかけてきた彼が美形だから嬉しいのか」
しかし……この口調は予想していなかった。男口調というか偉そう口調というか、凜々しいを通り越してもう男らしい。とても尊大なしゃべり方だ。だけど、奇妙|奇天烈《きてれつ》この上ないしゃべり方にもかかわらず、全く違和感がなかった。一度聞いてしまうと、この少女の口調はこれ以外にあり得ないだろうと思う。
「これは、どう考えても俗に言うナンパという奴《やつ》だろう。私の美醜《びしゅう》の感覚は世間一般と照らし合わせても問題なく機能《きのう》しているはずなので、彼が美形だという私の認識《にんしき》は間違っていないはずだ。ということは、美形な少年にナンパされたことを私は喜んでいるのだろうか。喜んでいるということは、ナンパを承諾《しょうだく》するべきなのだろうか」
……口調と同じで、何か奇妙なことで考え込んでいる少女。考えてることが美しい口からだだ洩れてるんだけど、これは癖《くせ》なのかなー。
その少女が顔を上げボクに言葉を振った。
「君はどう思う?」
「いや、どう思うと言われても……」
実に困るねー。
「第一、それはボクに向ける質問じゃないと思う」
ナンパをしている人間にナンパを承諾するか聞いてどうするのかな。いや、別にボクはナンパしている訳じゃないんだけど。
「なるほど、確《たし》かにそうだ。今の言葉は忘れてくれ。ということはだ、私は独力で答えを出さなければならないということだろう。他《ほか》の問題ならまだしもこういう問題は管轄外《かんかつがい》なのだが」
……本当に変わった人だね。美しいと誉《ほ》めてこんな反応をされたのは初めてだよ。
「それにしても真夜中の墓場でナンパか。最近はこのようなナンパが流行しているのだろうか。ふむ……これはあれか、吊《つ》り橋《ばし》効果というやつか。恐怖や緊張《きんちょう》など、心理的な興奮状態《こうふんじょうたい》の時の心拍数の上昇を、恋愛感情によるものと錯覚《さっかく》してしまうというあれなのか。アクション映画のエンディングで主人公とヒロインがくっつく理由のあれか。ということは、こういう異常な状況で結ばれたカップルは長続きしないとでも返すべきだろうか」
べきでないと思う。返されても困るねー、すごく。
「……むぅ、この誘《さそ》いに乗っかれば、そのようなお約束な展開が待っているのだろうか。それは、かなりそそられるものがあるな」
しばらくふむふむうなずいていた少女。何か答えが出たのか、それとも他《ほか》の疑問が浮かび上がったのか、顔を上げボクを見る。
間近に見た少女の顔を見て思う。やはり美しい。近くに寄っただけ、より鮮明《せんめい》にその美しさを感じることができる。
薄《うす》い唇《くちびる》、整《ととの》った鼻梁《びりょう》、細い眉《まゆ》、なめらかな肌。中でも印象的なのは瞳《ひとみ》、切れ上がった瞳は気の強さと知性を感じさせる。遠くから見た時は可憐《かれん》な花に見えたけど、近くで見るとただ可憐なだけでなく強さも同居している感じだ。
TシャツにGパンといった動きやすさを重視したらしいラフな格好。だけどそれがより、少女のスタイルの良さを強調《きょうちょう》している。
すらりと伸びた足に、引《ひ》き締《し》まったウエスト。ささやかではあるけどそれでも存在を主張しているバスト。まったく非の打ち所がない。全《すべ》てが少女のためにあつらえられたオーダーメイド品のように感じてしまうほどの完璧《かんぺき》さ。
……その美しい少女がやはり不可解なことを言っている。
「先ほどの言葉は、友人から始めようという意味で良いのだろうか。それなら了承するのもやぶさかでないという結論《けつろん》に達したのだが。初対面だが君の印象はそこまで悪いものではないからな。ただ、それ以上を求められた場合は断らざるをえないだろう」
少女は真面目《まじめ》に答えてるんだろうけど、どこかおかしい。
「いや、そもそもナンパじゃないんだけどね……」
少女に圧倒されていたボクだけど、ようやくこう言うことができた。
外見のみの美しさを重視するナンパというのはボクの美意識《びいしき》に反する。やはり美しさとは外面だけでなく内面も、その存在を全て測《はか》らなければわからないものだと思うんだよ。
この少女の外見はボクが心奪われるほど美しいけど、中身は付き合ってみないとわからないものだよ。とはいえ、この少女の美しさは外見だけに留《とど》まらないとボクの直感が告《つ》げているけどね。やはりここまでの美しさは造形美だけでは作り出せないと思うんだ。ただの美術品と、魂《たましい》の籠《こ》もった美術品の違いとでも言うかなー。やはり何か違う気がするんだよ。
「ナンパではない……そうなのか? 先ほどの美しい人という言葉は口説《くど》き文句ではないのかね? あの言葉、私の中では口説き文句に分類されていたのだが、今時《いまどき》の若者の間では違うのだろうか」
今時の若者などという言葉が美しく奏《かな》でられるたびに白い歯が覗《のぞ》く。言葉の意味を考えなければ、その声は耳に心地《ここち》良い。この口この声で愛でもささやかれたらどこまでも昇っていけそうだ。けれど、洩《も》れ出る言葉は奇妙なものばかり。そもそもこの少女が愛をさえずる姿が全く思い浮かばない。
「いや、ボクが特別なんだと思うよ。普通はこんな言葉は使わない」
「そうかね。では、なぜ君は使うのだい」
「ボクは美しいものには美しいと言うことにしているんだよ。それは美しいものに対する正当な賛辞《さんじ》だと思うから」
昔、美しいという言葉を言い過ぎると、その言葉の価値が下がると言われたことがあるけど、美しいものがこの世には溢《あふ》れているのだから仕方ない。
「なるほど、なるほど」
どうやら、ぶつぶつと呟《つぶや》きながら考え込むのは少女の癖《くせ》らしい。
「おお、聞きたいことを忘れていた。ときに、一つ聞いても良いかね?」
何かを思い出したらしい少女が聞いてきた。
「もちろんだよ。ボクに答えられることなら何なりと」
ボクはいつの間にか、この風変わりな少女の美しさ以外にも惹《ひ》かれ始めていた。少女と会話できるならどんな質問でも……
「君は生者か死者か」
覚悟を決めかけていたボクの耳に飛び込んできたのはそんな言葉。
「………………………………え?」
言葉は理解できるけど、その意味が理解できない。ボクは唖然《あぜん》としていたんだろう。思わず美しくない気の抜けた間抜け顔を見せてしまったに違いない。何たる不覚。美しく驚《おどろ》く練習をしよう。
あまりの予想外の質問に、現実|逃避《とうひ》気味《ぎみ》にそんな決意をしているボク。そんなボクに少女はもう一度聞いてきた。
「もう一度言おう、君は生者か死者か」
……ボクの聞き間違いではなかったらしい。この少女はボクに生きているのか死んでいるのかと聞いているんだ。
少女の顔を見ると、とてもじゃないが冗談《じょうだん》を言っているようには見えない。
はは、これは予想できなかった。
少女の印象を、少し変な娘《こ》から、すごく変な娘に変更しよう。
「う…う〜ん、生者だと思うよー」
どもりながらもどうにか答えるボク。
「それをどう証明できる? 君は死んだことに気付かず彷徨《さまよ》っているのかもしれないではないか」
表情を変えずただ淡々《たんたん》と言う少女。
「君が、ボクが死者ではないかと疑う理由は何かな?」
「夜中に墓場で散歩をするなどという生者はそうそういないだろう。怪《あや》し過ぎる。第一、夜の墓場にいるのは幽霊《ゆうれい》か運動会をしているオバケと相場は決まっている」
いや、断言されても。それに……
「その理屈で言うと、君も死者だね」
ボクのその言葉に、心底《しんそこ》驚《おどろ》いた顔をする少女。
「…………なるほど、その通りだ」
そして難《むずか》しい顔で考え込む。
「困った。実はすでに死んでいるにもかかわらず、それに気が付いてないという可能性を私は否定できない。怪談話《かいだんばなし》などでよく聞く、自分が死んだことに気付いていない霊《れい》。私がそうでないとは言えない」
「えっと……」
少女の考えが、何か奇妙な方向に進んでいる。
「ということはだ。私は突発的な事故などで死んだ為《ため》、そのことに気が付いてないということか? だとすれば、目の前に持ってきた機械《きかい》があることからして、ここに来る最中《さなか》に死んだということか。いや、不都合《ふつごう》が出ないように私がこの機械をでっち上げ、そこにあると思っているだけなのか。……むう。とりあえず今言えるのは、私は死んだことに気が付かず、幽霊を探していると」
「あの……」
「うーむ、死者のことを知ろうとしていた私が死者となり、死者となったことに気が付かないまま死者のことを調《しら》べようとしているのはなかなかに皮肉な結果と言えないだろうか。
…………ん? よくよく考えてみれば、何の問題もないな。人間も人間の身体《からだ》を研究している。自己《じこ》の存在を知ろうということに、問題があるはずはない。当然の欲求だろう」
なぜか、自分が死んでいるという結論《けつろん》に達してしまった少女。……ボクが余計なことを言ったせいでもあるので、間違いを正しておこう。
ボクは自称死者の少女に言う。
「いや君は生きてるよ」
「……ほう、なぜそう言いきれるのかね」
素直な疑問を浮かべた表情でボクに聞いてくる少女。
「なぜって、ボクは死者を見ることができるから」
ボクは美しい少女の顔を見つめて答えた。
その瞬間《しゅんかん》、きらーんと少女の目が光った気がした。
「…………ほう、ほうほう、ほうほうほうほう、それは本当かね?」
淡々《たんたん》としていた、少女の表情が輝《かがや》き始める。
「ほんとだよ。ボクも君も生きている、死者ではない。と、問題が解決したところで、ボクも一つ聞いていいかな?」
「うむ」
「君はこんなところで何をしているんだい?」
さっきの独《ひと》り言《ごと》から予想はできてるけど一応。
「ああ、幽霊《ゆうれい》のことを調《しら》べている」
やっぱりね。
「私の足下《あしもと》にあるのが、まあ、有《あ》り体《てい》に言えば幽霊|探知機《たんちき》だ。幽霊が現れる時に生じるという磁場の乱れ、急激《きゅうげき》な温度の変化、人体の反応などから、幽霊を観測《かんそく》しようというコンセプトで自作したのだ。幽霊が出る時周囲の気温が下がるとよく言うだろう。周囲の気温が本当に下がっているのか、身体《からだ》が何かを感じ反応しているのかはわからないが、それをどうにか観測できれば何かわかるかもしれないだろう。……が、反応はないのだが。ふむ、これは幽霊がいないのか、幽霊探知レーダーVF−1Sに欠陥《けっかん》があるのか」
手をあごに当て悩む少女。最後の奇妙な単語は、幽霊探知機とやらの名前なのかな。よく見れば足下の機械から少女の身体に何か線《せん》が延びている。身体に何かを付けているのか。
そんな少女を見ながらボクは悩む。
これは言うべきか言わざるべきなのか……
「墓場になら幽霊がいると思ったのだがな。残念だ。これは近場で済ますのではなく有名な心霊スポットにでも行ってみるか」
……と、幽霊がいないと嘆《なげ》く少女を取り巻く好奇心|旺盛《おうせい》な幽霊達がボクには見えている。
なかなかシュールな光景だ。
子供の幽霊(孝明《たかあき》君8歳死因病死)が少女の周りを走り回り、化粧をした妙齢《みょうれい》の女性の霊(律子《りつこ》さん27歳死因事故死)が品定めするように足先から頭のてっぺんまで睨《ね》め上げ、おばあさんの霊(妙子《たえこ》さん88歳死因老衰)が少女に話しかけている。要するに、少女に興味《きょうみ》を持った霊達が集まってきている。
そんな幽霊に囲まれつつ少女は、
「君、どこか良い場所を知らないかね? 生きの良い霊が沢山《たくさん》いる所が良いな」
と真面目《まじめ》な顔をして言う。その目の前で少年霊が手を振っている。
思いっきりおちょくられてる。この辺《あた》りには質《たち》の悪い霊がいないから問題ないけどね。
そもそも生きの良い霊って何だろう。死んでいるから霊をやっている訳で……気にしないことにしよう。何となくだけど、言っていることはわからなくもないし。
けど……それにしても……この娘《こ》は相当|鈍《にぶ》いね。ここまで幽霊に囲まれてるのに、全く気にしていない。いや、気が付いていない。ここまで近寄られて囲まれていれば霊感のない普通の人でも悪寒《おかん》を感じたり鳥肌《とりはだ》が立ったりと何らかの反応を示すはずなんだけどねー。
これは筋金入りの霊的不感症だね。霊感のなさもここまで来るともう才能と言っていいかもしれない。
「いや、ここにもいるよ。というか、君は幽霊達に囲まれてる。こんな時間に来る人間が珍《めずら》しいんだろうね」
「それはほんとかね」
きょろきょろ見回す少女。
「何も見えないぞ?」
「うーん」
教えてあげたほうが良いのか、教えないほうが良いのか。
少女を見ると、目をこらしそこにあるものを見ようとしている。
……これは、教えてあげたほうが良いかもしれない。
「たぶんどうやっても見えないよ。どうやら君は、霊感《れいかん》が全くないみたいだね」
「全くかね?」
「うん、全く。ここまで霊感がないのも珍《めずら》しい」
「なるほど、道理《どうり》で私は心霊|体験《たいけん》をしたことがない訳だ」
この美しい少女は、少女の言う『おばけ主催の運動会IN墓場』のまっただ中に放り込まれても全く気が付かないだろうね。
「そうではないかと思っていたが、残念だな」
表情の見えづらい少女だけど、今本当に落ち込んでいるのは何とかわかった。
「こればっかりはしょうがないよ、気を落とさないで……」
と、慰《なぐさ》めるボク。
その時、一つのことに気が付いた。少女は初対面で幽霊が見えると言い出した、うさんくさいボクのことを信じているようだ。普通信じないと思うんだけど。
「君は、なぜボクのこと信用してるんだい? 嘘《うそ》かもしれないだろう」
「嘘なのかね?」
「いや、そんなことはないけど」
「なら良いではないか。これでも多少は人を見る目があるつもりだ。君は悪人ではないだろう」
うーん、ボクは確《たし》かに美しく生きるをモットーにしているし、内面の美しさは外見の美しさに反映すると思っているので、悪人ではないと思うけど……そう断言されると照れるね。
「もう一つ聞いて良いかね?」
「良いよ」
「先ほどの質問の続きだが、幽霊でないなら君はこんな所で何をしているのだね?」
「いや、ボクは定期的にここに来ているから」
「ほう、なぜ定期的に?」
興味《きょうみ》の色が見える黒い瞳《ひとみ》がボクを見つめる。
少女の瞳に映るボクはものすごく美しいな。
少女の瞳の美しさとボクの美しさの相乗効果でものすごく美しい。思わずボクは見入ってしまう。
じー
「…………」
「…………」
じ――
「…………」
「…………」
じぃ――
「私の顔を見て何か楽しいのか? それとも私の顔に何か見えるのか? 死相とか」
しばらくなすがままにボクに見つめられていた少女がそんなことを聞いた。ボクは率直に応《こた》える。
「君の美しい瞳《ひとみ》に映った美しいボクが見える」
じいぃ――
ああ、何て美しいのだろうか。
そんなボクを、子供がおもちゃを見るような瞳で見つめながら少女が言った。
「……ここは笑うところなのだろうか」
「なぜかな?」
そんな感じで見つめ合うボクと少女。
「…………」
「…………」
じいいいいい――
「突っ込みを待っているならいつでも言ってくれたまえ」
「そんなことはないけど」
ああ、美しい。何と美しいのだろう。いつまでもこうしていたい。
穴が開きそうな勢いで見つめるボク。
そんなボクを見ながら少女は……
「……なるほど。君は真性なのだな。ふむ、君はとても面白《おもしろ》いな。わかった。君の気が済むまで思う存分見てくれ」
なぜだかわからないけどそんな非常に遺憾《いかん》な感じの納得《なっとく》をした。
「…………ふぅ」
ボクは汗を袖《そで》でぬぐった。たぶんボクの顔には最高にイイ笑顔《えがお》が張り付いていることだろう。
「満足したかね?」
一息ついたボクに少女が聞いてきた。
「きりがないからしょうがなくといったところだねー」
いやー、美しかったねー。
「なるほど。それにしても良いものを見せてもらった。君の瞳《ひとみ》に乾杯という口説《くど》き文句はベタで一度は聞いてみたいと思っていたが、君の瞳に映ったボクに乾杯という状況に自《みずか》らが置かれるとは想像だにしなかったよ。正直感動的ですらあった。予想外の出来事に巻き込まれるとそれだけで心躍《こころおど》る」
……妙なことで感動する娘《こ》だ。
「それではそろそろ先ほどの質問の答えがもらいたいな」
……ああ、そう言えばそんなこともあった。美しいものを見ると、こう見境がなくなる癖《くせ》はどうにかした方が良いかなー。
「それはねー見回りだよ」
「見回り?」
「そう、人の迷惑《めいわく》になりそうな霊《れい》がいないかどうか見て回ってるんだ」
「ふむ……なぜそんなことを?」
「まあ、家の事情と趣味《しゅみ》。そんなところかなー」
「ふむ、そうなのか」
作業に戻る少女。ボクはそれを興味深《きょうみぶか》く見ている。そのまま無言で時間が流れる。静かな時間。少女はボクのことを特に邪魔《じゃま》に感じてないみたいだ。
その無言の時間がどれくらい流れただろうか、少女が唐突《とうとつ》に聞いてきた。
「えーと、君。ここに次来るのはいつなのか聞いてもいいかね?」
「来週の今頃《いまごろ》はここにいると思うけど、大体一週間おきに見回ってるからねー」
でも、何でそんなことを聞いてくるのだろうか?
「では、その時に邪魔をしてもいいだろうか?」
「いいけど、どうして?」
「君が、霊がいることを確認《かくにん》したあとで、幽霊を探知できるか試《ため》した方が、効率が良いからだ。霊がいない所で幽霊|探知機《たんちき》を試しても全く意味がないだろう?」
そりゃそうだね。
「わかったよ。じゃあ、一週間後の午前二時にここで待ち合わせということで良いかな?」
「ああ、よろしく頼む」
そう答え、作業が終わったのか帰り支度《じたく》を始める少女。
……ボクはそこで重要なことに気が付いた。
「最後にボクからもう一つ聞いて良いかい?」
「いいぞ。これで質問は二回ずつ。等価交換だな。それで、質問は?」
ボクは少女の前に立ち一礼して言った。
「美しい貴女《あなた》の名前が知りたいのですが許していただけますか、お嬢《じょう》さん?」
「ほう、絵になるな」
当たり前だね、ボクは自分の美に人生をかけた男だよ。
「ボクの名前は道本《みちもと》誠《まこと》、好きに呼んでかまわないよ」
「平賀《ひらが》つばさだ。こちらも好きに呼ぶと良い」
「わかった。しばらくよろしく、つばさ」
そこで少女……つばさは初めて笑顔《えがお》をボクに向けた。
「ああ、こちらこそよろしく頼むよ、道本君」
一週間後、時間通りに墓地に向かうと、つばさは一足先に来ていた。
「こんばんはー」
「うむ、今日《きょう》もよろしく頼む」
鷹揚《おうよう》にうなずくつばさ。見た目からして高校生くらいだとは思うけど……とてもそうは見えない堂々とした態度《たいど》。
「それで、今日はどんな感じだろうか。いるかね?」
闇《やみ》に目をこらすつばさ。
うーん、釣《つ》り人《びと》同士の会話を彷彿《ほうふつ》とさせる言葉だね。今日《きょう》はどうだい? 釣れるかい? いやーまぁまぁだねぇ……と、こんな感じかなー。
とはいえ、つばさが言っているのは魚なんてかわいらしいものではなく、霊《れい》がいるかどうか。霊に会いたくない人はよくいるというか、ほとんどの人がそうなんだろうけど……
「できれば多いにこしたことはないのだがな」
ここまで会いたがる人は初めて見たよ。
「そうだねー」
ボクはつばさの周囲を見回す。相変わらず、幽霊の皆さんにおちょくられているつばさ。
「残念なことに本日も大漁《たいりょう》。つばさは、余程《よほど》気にいられたらしいよ」
「ほう、それは良かった」
霊が沢山《たくさん》いることを喜んでいるのか、気にいられたことを喜んでいるのか。たぶん前者だとは思うんだけど……後者も捨てきれない。
つばさはそのまま、自作の幽霊|探知機《たんちき》とやらをいじり始める。
それを横目にボクは、近くの霊と世間話を始める。今話しているのは、10年前に癌《がん》で死んだというおじいさん。ボクがここを見回るようになったずっと前からいるらしい。
ボクは、おじいさんの入っている一際《ひときわ》立派なお墓に腰を下ろす。
「そろそろどうです? こんな所にいてもしょうがないでしょう。死んだあとにこの世に残ってるのは、美しくないですよ」
『そうさのう』
おじいさんは困った顔で笑う。とても優《やさ》しそうな顔で、人を和《なご》ませる笑顔《えがお》。
大体の霊《ひと》はすぐに成仏《じょうぶつ》するものだ。自《みずか》らの葬式《そうしき》を眺め、身体《からだ》が火葬《かそう》されるのを確認《かくにん》すれば、霊は死を受け入れ成仏していく。
ここにいる皆は、まだ未練《みれん》を残してるみたいだけど、ほとんどの霊はじきに折り合いを付けて成仏していく。ここを見回るようになって結構|経《た》つけど、来るたびに顔ぶれは変わっていく。霊と仲良くなるとそんな時|寂《さび》しく思うけど、それが正しく一番美しいあり方だとボクは思う。
時計の針は巻き戻らない。陳腐《ちんぷ》な台詞《せりふ》だけどそれは紛《まぎ》れもない事実で歪《ゆが》めようのない現実なのだから。
「うーん、じゃあ。いったい何でこの世に残っているのですか?」
『……何か、……大切なことを忘れてる気がするんじゃよ』
大切なこと……
「んー、誰《だれ》か大切な人でも残してるの? そんなに気になるんならその人の守護霊《しゅごれい》になれば良いと思うけど。でも、独身ですよね?」
成仏以外の前向きな方向として、守護霊として見守るという選択《せんたく》もある。人でも土地でも建物でも。子供を思う母親の霊《れい》とか生徒達を見守ろうと学校に残った先生の霊とかをボクは知っている。ありふれた話だけど、美しいと思う。
『……わからんのじゃ』
「ただ、このままふらふらしてるのはいただけないですよ」
『ああ、わかっておる』
霊がこの世に留《とど》まる理由はいくつもある。死んだことに気が付いていないとか、あまりに強い未練《みれん》の情からその地に縛《しば》られてしまったとか、誰《だれ》かに強い想《おも》いを残してしまってるとか。
どちらにせよ言えることは、あまりに長い間ふらふらこの世に留まり続けると、未練の理由すら忘れて人に害をなす存在になってしまう。俗に言う悪霊《あくりょう》という奴《やつ》だね。そうなれば、強制的に祓《はら》われることになる。それは実に美しくない。ボクが見回ってるのは極力そんな悲しい霊を少なくしようとしているからなんだけど……。
と、その時ボクはつばさがこっちを見ていることに気が付いた。
「……ん? どうしたんだい、つばさ」
「いや、興味深《きょうみぶか》いと思ってね」
しげしげとでも擬音《ぎおん》を付けたくなるほど、興味深げにボクを見つめている。それを見て心拍数が跳《は》ね上がった。あの目に見られると、平静でいられなくなってしまう。視線《しせん》大好きなこのボクがだよ? こんなのは初めてだ。つばさの瞳《ひとみ》に映ったボクに集中すれば、大丈夫だけど。
「……まあ、君から見るとただの独《ひと》り言《ごと》だしねー」
「それもそうだが、会話の内容も興味深い。霊相手に人生|相談《そうだん》かね」
「そんなところだよ。霊がこの世に残っているというのはあまり良いことじゃないからね」
そういうボクを見て、なるほどとつぶやくつばさ。
「だから『残念なことに大漁《たいりょう》だ』なのか」
さっきの、ボクの言葉。よく憶《おぼ》えてるものだ。
「そうだよ。あまりこの世に留まり続けると色々忘れていって最後には悪霊になっちゃうからねー」
「ほうほう、その辺《あた》りの話は今度聞かせてほしいな」
「喜んで」
つばさの美しい声を聞けるならいくらでも話そう。ああ、ついでに知りたかったことを聞こう。
「じゃあ、そのかわりと言っちゃあなんだけど……」
「何だね?」
「レディに年を聞くのはどうかと思うけど、気になってしょうがないので聞いて良いかな?」
「ほう、今度はレディときたか。確《たし》かに間違いではないが、そう言われたのも初めてだ」
くつくつと面白《おもしろ》がるつばさ。ボクには理解できないがどうやらレディという言葉がお気に召《め》したらしい。
「ちなみにボクは15歳、高校1年だ」
「かまわんよ。私は16歳だ」
「えーと、高校2年かな?」
もしかすると先輩《せんぱい》? 何となく同《おな》い年ぐらいかなと思っていたんだけどねー。ボクの見る目も鈍《にぶ》ったか。
「いや、1年だ。早生まれなのだよ」
「へえ、それでどこの高校? ボクは凰林《おうりん》高校……」
「私も凰林高校だ」
………………え?
「え? 君も凰林高校なのかい?」
「うむ、間違いなく凰林高校だ。君のことも多少は知っている。ものすごい騒《さわ》がれっぷりだったからな」
まあ、美しいボクは入学した頃《ころ》とにかく目立った。まあ、今も目立つ方だし目立とうともしてるけど。人の視線《しせん》はボクの生きる糧《かて》だよ。
「……でも、おかしい。君くらい美しい人にボクが気付かないはずがない」
これは絶対。となると、何か理由があるのかな?
ボクのいぶかしげな視線に答えるようにつばさは言った。
「ああ、普段《ふだん》は分厚いレンズの黒縁《くろぶち》めがねで、三《み》つ編《あ》みという地味な格好《かっこう》で、潜伏《せんぷく》している。言動も控えめに、人の陰に隠《かく》れ、常にうつむいている」
「なっ何で、そんなもったいないことを?」
この美しさを隠しているなんてもったいなくて仕方がない。世界……いや宇宙の損失だ。
「目立たない為《ため》だ。自分の外見に対する評価というのは、今までの経験《けいけん》からわかっている。そういうのは正直|煩《わずら》わしい。だいたい、生まれつきたまたま持っていた身体《からだ》だけを好《す》かれてもしょうがないだろう」
そこでつばさはボクの下から上までをじっくり見たあと言った。
「……君ならわかるのではないか?」
容姿だけで人が寄ってきて困るということかな。それなら確《たし》かにわかる。
「新学期開始直後というのは、浮かれてるのかなぜかしらんが、そういう手合いが増えるのでな。中学の頃《ころ》で懲《こ》りたので今はおとなしくしている。……とはいえ、私がいた中学校は女子校だったのだがな」
苦笑するつばさ。
「しょうがないね、君は美しい。美しいものは人を引きつける」
「まあ、ずっとではない。ただの一時しのぎだ。私が本性をさらけ出せば、そういう者はいなくなるからな」
……確《たし》かに。機械《きかい》背負って墓場にやってくるみたいな奇妙な行動をするつばさだ。ボクが知らない様々《さまざま》な奇行を行っているだろうし、それを見ればつばさの美しい姿に夢を見た者達も現実の厳《きび》しさを知り去っていくだろうね。
ただ……
「嘆《なげ》かわしいね、本当の美しさというものをわかっていない。確かに君の外見は美しく価値あるものだ。ただ、それ以上に君自身が美しく魅力的《みりょくてき》なんだ。外見の美しさも重要だけど、真の美しさとは内面からにじみ出てくるものだよ」
そう、精神が美しいからこそ、肉体がより美しく輝《かがや》くんだ。
「君は外見のみならず、内面も美しい。いや、むしろ内面こそが美しい。その生き様が美しい」
だからこそボクは心を奪われたのだと思う。
「……君は面白《おもしろ》いな、私をそう評したのは君が初めてだ。見ての通り私は変人で通っているのでな。親もとうに匙《さじ》を投げて何も言わなくなった」
「自慢《じまん》じゃないけど、ボクは審美眼《しんびがん》には自信がある。ボクが初めてだというなら、君の周りには美しさというものをわかっている人がいなかったんだね。ああ、もったいないねー本当に」
少し大げさな言いぐさかもしれないけど、ボクは心の底からそう思う。美しいものの側《そば》に、美しさをわからない人間がいることほどもったいないものはないよ。猫《ねこ》に小判《こばん》、豚《ぶた》に真珠《しんじゅ》、宝の持《も》ち腐《ぐさ》れ。
鳴呼《ああ》と額《ひたい》に手を当て頭を振るボク。
……美しさを追求する者として、条件反射的に美しい行動が出るように訓練《くんれん》しているので、今の嘆くボクも相当美しかっただろう。
そんなボクを興味深《きょうみぶか》そうに見て、つばさはしみじみつぶやいた。
「………………ふむ、面白い」
******
暦《こよみ》はもう八月の終わり。毎週|土曜《どよう》の深夜、いや日曜日の早朝といった方が良いかな。ともかく、真夜中の密会はまだ続いていた。もう夏休みも終わり。気が付けば、つばさと初めて会ってから一月以上も経《た》っている。
墓地でかわされるのは何でもない話。でも、とても楽しく有意義な時間。ボクがその時間を楽しみにするようになるまでさして時間はかからなかった。
そんな夏休み最後の土曜深夜。今日《きょう》も今日とて喜び勇んでやってきたボクに、つばさは唐突《とうとつ》に言った。
「ああ、そうだ。ここに来るのはしばらくやめることにする。今まで世話になった。感謝《かんしゃ》する」
思考が停止した。
「どうしたね、道本《みちもと》君。顔が『おっ恐ろしい子!』とでも吹《ふ》き出しを付けたい感じになっているぞ」
そんな奇妙な表現でボクの状況を表すつばさ。
確《たし》かにボクは目を見開いて固まっているけど、つばさからそんな言葉が聞けるあたり、以前した美しく驚《おどろ》く練習《れんしゅう》が生きているらしい。やっぱり反復練習は効《き》くね。条件反射で出るまで繰《く》り返し練習しただけのことはある。
「いやいや、面白《おもしろ》いな。ここまで絵になる驚きっぷりは初めてだ。写真にでも残しておきたいところだよ」
そんなつばさの感想を聞きながら、どうにか考えをまとめ言葉を絞り出す。
「……途中《とちゅう》でやめるなんて君らしくないんじゃないかな?」
「ほう、私らしくないとは?」
「うん、君ならどこまでも突き進みそうな気がしてたんだけど」
今ボクが抱いた感情は、ちょっとした失望と少しの親近感。そして………………自分でも驚くほどの喪失感《そうしつかん》。
ボクは、この美しい真夜中の時間がいつまでも続くものだと錯覚《さっかく》していたようだよ。この二人の夜がなくなるということを、考えもしていなかった。
なるほど、そんなことも考えられないほど舞《ま》い上がっていた訳か。このボクが、このボクがっ。何ということだ、これほど美しい舞い上がりっぷりは幼稚園《ようちえん》の頃《ころ》に自分の美しさに気が付いてしまった時以来だよ。それほど舞い上がっていたというのに、なくしてから気が付くとは何ということだろう。美しくない、美しくないぞ。
「ハハッハハハハ……」
「ここまで見事な空笑《からわら》いは初めて見たよ。自虐的《じぎゃくてき》かつ空虚な空気を振りまいている。素晴《すば》らしいな」
ふふっ、流石《さすが》に美しい空笑いの練習はしていないので、この空笑いの美しさは素《す》のボクの美しさがにじみ出てきたものだと思うよハハハハッ。
「それはともかくなるほど、その通りだ。だが思い出してくれたまえ、私はしばらく[#「しばらく」に傍点]と言った」
「……どういうことだい?」
美しく不死鳥《ふしちょう》のごとく復活するボク。
「なに、色々|試《ため》したがどうやら今の私では霊《れい》の存在を知ることはできないらしい」
淡々《たんたん》と事実を述べるつばさ。
「なるほど、何の収穫《しゅうかく》もなかった訳だね」
要するにつばさにとっては、この一ヶ月が無駄《むだ》だったという訳だ。気落ちしていないだろうかと、つばさの顔色をうかがう。
だけどそんなのは全くの杞憂《きゆう》だった。ボクのその言葉に心底《しんそこ》意外そうな顔で言った。
「何を言うのだね。今の私では無理だと知ることができたというのは、とても大きな収穫だろう」
「……なるほど、非常に美しい考え方だ」
予想もしなかった答えに、ボクはたぶん間抜けな顔をしていたと思う。
でも、意味が読み込めた瞬間《しゅんかん》、確《たし》かにそうかもしれないと思った。つばさらしい前向きで美しい考え方だ。つばさに落胆なんていう後ろ向きな感情は似合わない。
夏休みの最初に始まったこの深夜の密会、そこでかわした様々《さまざま》な会話。その中でボクは、なぜこんなことをしているのかも聞いた。
つばさは『ただ知りたいからだ』と答えたあと……独《ひと》り言《ごと》のように言葉を付け加えた。
『この世は不思議《ふしぎ》だ、あらゆるものが私の好奇心を刺激《しげき》する。だから私は知ろうとしている。しかし私では全《すべ》てを知ることはできないだろう、それは人の手に余る。が、それでも私は知りたいのだ。そう、知りたい。ただそれだけだ』
つばさは、目標にたどり着けないことも、自分の能力に限界があることも全て受け入れている。それをわかった上で、顔を上げ真《ま》っ直《す》ぐに目標を見すえ、決してたどり着けないそこに向けて歩き続けている。
そんなつばさにとって、どんな失敗もすごい収穫なのだろう。どんな一日でも意味のあるものなのだろう。
振り向かない少女。立ち止まらない少女。
その真っ直ぐなまなざしをボクはとても美しいと思った。
つばさを美しく輝《かがや》かせているのは外見の美しさではなくその精神。そして、精神を映しているのがその瞳《ひとみ》。だからボクは、初めてつばさを見た時その瞳に心奪われた。
でも、この大切な時間ももう終わり。
「そう……そうか、寂《さび》しくなるね」
ボクはぽつりと言葉を洩《も》らした。
「なぜだね、別に会えなくなる訳ではないだろう。学校も同じだ」
「そう……なんだけどね」
ボクは、会えなくなるのが寂しいんじゃない。ただ、二人だけの秘密というものが、つながりが消えてしまうのが寂しいんだろう。もうこうして二人きりで話すことはないかもしれない……
そう思った瞬間に気が付けばボクは最初の夜と同じ言葉を発していた。
「……そこの美しい人」
「何だね?」
不思議《ふしぎ》そうにボクを見るつばさ。
「私の名前を知った今、その呼び方をする理由はないと思うのだが。それとも何か理由があるのかね?」
「うん、そうだよ」
理由はなかったけど今はある。あの言葉は何の考えもなく、ただただ洩《も》れ出しただけの言葉。だからこそ、あの言葉はボクの本心だった。
「ほう、聞こう」
「ボクは君を口説《くど》いてるんだ。ここで初めて会った日に君は言っていただろう。そこの美しい人という言葉は口説き文句だと認識《にんしき》してるって」
「なるほど、確《たし》かに私はそう言った」
「ではもう一度、そこの美しい人」
つばさは少し考え聞いてきた。
「それは友達から始めましょうということかね?」
「違うよ」
「友達以上恋人未満でラブコメろうとかそういう意味かね?」
「違うね」
「それは私と君が恋人同士になろうということかね?」
「うん、そうだよ」
「了承《りょうしょう》した」
……………………え?
間髪《かんはつ》入れずに返ってきた言葉に、ボクはたぶんぽかーんと口を開け固まった。今回ばかりは美しく驚《おどろ》くことさえできなかった。それくらい予想外だった。見つめ合うとか、言葉をためるとか、考えるとか、そんなのは全くなし。即答だ。
「だから了承したと言った」
「えっ、あ、うん、嬉《うれ》しいよ」
「ふむ、とても嬉しいという顔でないな」
「いや、ただ驚いているだけだよ。まさかそんなにあっさりOKが出るとは思ってもみなかったから」
「私は別に君のことが嫌いではないからな。断る理由がない」
「それが理由なのかな?」
「そうだ」
相変わらず顔色の変わらないつばさ。そんなつばさの顔を少し眺めたあと聞いた。
「…………つばさ、君今までに誰《だれ》かと付き合ったりしたことある?」
「ないな」
……だろうねと返しても良いのかどうか悩むね。
「客観的《きゃっかんてき》に見ると私の容姿はそれなりに整《ととの》っている部類に入るだろう」
「そうだね」
というか、整っている部類に入るどころじゃない。整っている部類という区分けの中でも、トップに立つだろう。いずれ絶世のという形容詞が付く美女になるのは間違いない。
「だからか、先ほども言ったように、告白されることは多々ある。私に告白する人間は、全体的に私がよく知らない者ばかりだがね。なぜそういうことになるのかというと、同じ学校やクラスで過ごしていると私は恋愛対象から外れていくらしい。まあ、理由はわからないではない。私は自分が変わっているというのを理解しているからな。自分で言うのも何だが、恋人にして楽しいこともあるまい」
確《たし》かに、つばさが普通の清く正しい男女交際なんてできるようには思えない。
「そのため私に告白してくるのは、必然的に私のことをよく知らない者。一目《ひとめ》惚《ぼ》れという非常に興味深《きょうみぶか》い理由で私に好意を抱く者になる訳だ。中学校入学時の同級生や上級生、進級したあとの下級生……何度も言うが女子校だったのだがな。
あとは通学時に私を見かけたという他《ほか》の学校の男子生徒。まあ、その者達も近寄ってきては勝手に去って行くのだが」
「なぜかな?」
「いや、ただ私に告白することになった理由を聞いていただけなのだが。話したこともなくただ見ただけで告白できるのだから余程《よほど》の理由があったのだろうと思ったのだが……」
この口調《くちょう》で淡々と根掘り葉掘り色々なことを聞いたんだろうねー。それは逃げると思うよ。
「ああ、そういえば。私のことを文学少女だと思っていた者もいたな。電車内で文庫本を読む私の姿を見ていたらしい。どんな本を読んでるのか聞かれ正直に答えたら、奇妙な笑いを顔に貼《は》り付けたまま去っていったが」
「…………」
何を読んでいたのか聞きたくもあり聞きたくなくもあり。
「まあ、そんな理由で、私と付き合おうとする者はいなかった」
それはまた……つばさならではだね。
「じゃあ、君から告白しようと思ったことは? つまり誰かを好きになったことはある?」
「ないな」
「じゃあ、ボクの告白になぜOKを出したんだい?」
「先ほども言ったように、私は別に君のことを嫌っている訳ではないのだから、断る理由はないだろう。男女交際というものに興味もあったしな」
……完全に興味《きょうみ》本位か。つばさらしいといえばつばさらしい。
でも、それはちょっと違うと思うんだけど…………まあいいか。
ボクのことを嫌ってない、それだけわかれば十分だ。これから少しずつ仲を深めていけばいいだけ。いつになるかはわからないけど、この恋人ごっこがいつか本当の恋人同士になるその日まで。
ボクはその日を想像してみた。恋に頬《ほお》を染《そ》めるつばさはさぞかし美しいだろうと思う。それは間違いない。
ただ…………………………つばさが頬を染めるシチュエーションや具体的な映像は、かけらも頭に浮かばなかったけども。
******
長い夏休みが終わり、二学期が始まった。
恋人同士となったはずのマイハニーつばさとボク。そのつばさは美しく恋で自分を見失ったり、美しく頬染めて手作り弁当を差し出してきたり、ボクに近寄ってくる女の子に美しく嫉妬《しっと》してみたり、二人|一緒《いっしょ》に仲良く美しく下校したり…………なんてことは全くなく、マイロードを自分の思うがままに突き進んでいる。つばさは相変わらずだった。いやまあ、恋に溺《おぼ》れるつばさはやっぱり想像すらできないんだけどねー。
と、そんなことを考えるボクも人のことを言える訳もなく、今までと変わらない生活を送っている。部活に勉学に趣味《しゅみ》にと夏休み前と変わらない。
とりあえず、ボクとつばさの関係は隠《かく》すことに決まった。ボクは美しい、美しくあることに人生をかけているし、そうあろうと日々を過ごしているのだから当たり前だけど。適度な運動適度な食事、ここ10年は姿見《すがたみ》の前でのポージングを欠かしたことがない。ここ一番で出る美しい動作は、訓練のみがそれを可能とするんだよ。
内面的な美しさは鍛《きた》えようがないけども、ボクは自分の美意識《びいしき》に抵触しないよう美しく過ごすことを心がけている。さしものボクも心の中には美しくないものを抱えているけど、その美しくないものに負けず美しく過ごそうとする、その姿こそが美しいんだとボクは思う。
そんな一見《いっけん》すると、がんじがらめでストレスのたまりそうな生活だけど、美しいボクを見るのは喜びなので辛《つら》いと思ったことはないんだけどねー。
そういうことで、ボクの美しさは厳然《げんぜん》たる事実として存在するわけで、だからボクはモテる。そんなボクに恋人ができたなんてことになったら、色々問題が発生するのは目に見えてる。センセーショナルなニュースとして、学校中が大騒《おおさわ》ぎになるだろう。万が一にも、つばさへの嫌《いや》がらせなんかがあったら困るしね。うーん、美しいとは罪だとはよく言ったものだよ。
とそんな生活を送ってた訳なんだけど、一つ重大な問題が発生。要するにボクとつばさには致命的なまでに接点がなかったりする訳なんだよ。まあ、しょうがないといえばしょうがない。クラスも違うし、一学期は話したこともなかったんだから、生活|習慣《しゅうかん》を変えないとなると顔を見ることすら難《むずか》しい。そんな訳で、どうにかならないものかと、それぞれの生活サイクルを照らし合わせた結果、昼食を一緒《いっしょ》にとるぐらいはできそうだということになった。
そういうわけで、昼休憩《ひるきゅうけい》のわずかな時間に逢瀬《おうせ》を重《かさ》ねることになったボク達。……とはいっても、逢瀬というほど美しいものではないんだけどねー。
今ボクがいる場所は屋上。普段《ふだん》生徒の立ち入りを禁止されている場所なんだけど、なぜかつばさは屋上の扉《とびら》の鍵《かぎ》を持っていた。ボクが持ってる理由を聞いた時の、あの笑顔《えがお》はとても美しかった……のだけれども、いかにも悪巧《わるだく》みしてますといった笑顔が一番美しく輝《かがや》いているのはどうだろう。あの笑顔を言葉で表すと、ニヤリといった感じかなー。
ボクは、母お手製の弁当に手を付けつつ聞いた。
「またパン食かい?」
「うむ、うちの母は朝弱いのだ」
「なるほど。……ということは朝ご飯は?」
「一応食べてくるが、トーストを焼く程度だ。私は料理をしない」
……はぁ。愛《いと》しのカレシに手作り弁当を持ってくるという美しい展開はなさそうだ。
「その偏《かたよ》った食生活で、それだけの美しいプロポーションが維持《いじ》されてるのが信じられないよ。それにもう少し手間をかけてあげればさらに美しくなれるとボクは思うよ」
「その予定はないな、私は自分の容姿に興味《きょうみ》がない。最低限見苦しくなければ問題ないだろう」
「見苦しいどころか今の君でも十分以上に美しいよ」
「なら問題ないではないか」
「んーそうなんだけどね。ボク的には、まだ美しくなる余地があるので、もったいないなと思う訳なんだよ」
ダイヤの原石がその辺に放置されてるとかそんな感じかな? 磨《みが》けば光り輝くのにね。
「そうかね、君がそこまで言うならおめかししてみようか」
「いやいいよ」
「ふむ、君の言うことはおかしいな。いったいどちらが良いのだね?」
疑問の色を浮かべるつばさ。
「君が、自分からおめかししようと思ってくれなければ意味がないんだよ。惚《ほ》れた男の為《ため》に美しく自分を磨く。それが乙女心《おとめごころ》というものだよねー。うん、実に美しい」
「ほう、そういうものか」
「そういうものなんだよ」
……なぜ、男のボクが乙女心のレクチャーをしているのだろうか。
「だからそうなるのを待ってるよ」
「そうかね。わかった。もしも、万が一そう思うことがあれば頑張《がんば》ってみよう」
…………ボク的には万が一はやめてほしいねー。悲しくなる。
と、このように、昼食時に交《か》わされる会話には色気成分が全くないんだよ。間違いなく恋人同士が交わす愛のささやきじゃあないね。つばさを本当の恋とか真実の愛とかいうものに目覚めさせるのは、難航《なんこう》しそうだ。それを除けば、ボクとつばさの関係は良好だ。適度に距離《きょり》を保ち互いを尊重する。つかず離《はな》れず干渉《かんしょう》しない。しっかりとした信頼関係で結ばれ、お互い憎からず思っている……と思う。
にもかかわらず、何かを間違っているような気がする。ボクとつばさの間にある壁《かべ》とでも言えばいいかな? はっきりわからないけど何か。
……ま、考えていてもしょうがないね。時間は十分ある、おいおいわかってくるはずだよ。気長に気長にといったところかなー。まったく焦《あせ》ることはない。見事なぐらいライバルはいないし。
それはなぜか? なぜなら、今もつばさは自分の美しさを隠《かく》しているから。ぐるぐるめがねに三《み》つ編《あ》み。初め見た時はびっくりした。よくぞここまでオーラを消せたものだと感心もした。普段《ふだん》のつばさは、どこにでもいる内気な少女といった感じで、見た目からは美しさも、そのとても変わった性格もうかがいしれない。
……もったいない。
ボクが何度目かのため息を心の中でついたその時。
「おお、そうだ。私は同好会を設立することに決めた」
と、つばさがいきなり話を変えた。相変わらずつばさと話していると会話がいきなり奇妙な方向に飛ぶ。
「…………同好会?」
「ふむ、そうだな……名前は超常現象研究会とでもしておこう。活動内容はこの世に存在するあらゆる神秘の探求といったところか」
まったく、つばさらしい。
「同時にこの変装もやめ、性格も地のものを出すことにする」
「それはボク的に歓迎《かんげい》すべきことなんだけど……何でまたいきなり?」
……大混乱に陥《おちい》る学校が目に見えるようだよ。いきなりものすごい美少女が現れるんだから。しかもその個性は学校一に違いない。
「うむ。潜伏期間《せんぷくきかん》に、この学校の重要人物やおおよその人間関係などは把握《はあく》した。下調《したしら》べは完璧《かんぺき》だ。ここでインパクトある登場をし、愚民《ぐみん》を掌握《しょうあく》。その後支配者として君臨《くんりん》、学校中を阿鼻叫喚《あびきょうかん》の地獄絵図《じごくえず》に塗《ぬ》り替え、恐怖のどん底に落として……」
「……してどうするんだいマイハニー……」
あまりの発言に思わず口を挟んでしまうボク。
ああ、何て恋人同士の語らいには相応《ふさわ》しくなさ過ぎる発言の数々だろうか。
「マイハニー! マイハニーか、いいな実に良いひびきだ。お返しに私は君のことをマイダーリンと呼ぼうか」
つばさがそんな風《ふう》に興奮《こうふん》している間に、ボクは想像してみる。
澄《す》み渡った青空の下、清々《すがすが》しいそよ風に吹《ふ》かれながら、穏《おだ》やかな太陽の光に包まれた恋人同士がハニーやダーリンと呼び合いつつ語り合う。絵になり過ぎるほど絵になる美しい光景。
しかし内容は学校の支配計画というバイオレンスなもの、潜伏とか愚民とか掌握とか支配者とか君臨とかのあり得ない単語がナチュラルに出てくる。さらには阿鼻叫喚の地獄絵図とか恐怖のどん底とか普通に生きていたら絶対に使うことがないだろう単語が……
…………ああ、想像した光景のあまりの美しさに涙が出てきた。
そんなボクの姿を見て流石《さすが》に哀《あわ》れに思ったのかつばさは話を続けた。
「……というのは冗談《じょうだん》で、私が自《みずか》らを置こうとしている学校内のポジションは、さわらぬ神にたたりなしと思われつつも一目《いちもく》置かれるといった感じだろうか。私は他人の目を気にするということはないが、面倒《めんどう》ごとはできるだけ避けたいのでな」
なるほど。学校内で好き勝手しようと思うならそのポジションは最適かもしれない。
「……同好会は一人から作れるしねー、問題ないんじゃないかな」
さっきの想像によるダメージを引きずりつつボクは答える。
正式な部には5人必要だけど、同好会として活動する分には一人でいい。しかも届け出るだけでOK。なぜかというと、同好会は名ばかりで、部費も出なければ部室もない。学校側が何をしてくれるという訳でもない。要するに言ったもん勝ちとかそういう世界な訳なんだ。だから同好会は、腐《くさ》るほど存在してたりする。活動してるのはほとんどないけどね。
「それで、どこで活動するのかな?」
同好会は部室がもらえない訳だから、どこかの教室を放課後《ほうかご》だけ使わせてもらうとかそういうことになる。つばさが作ろうとしてる超常現象研究会とやらは、どう考えても文化系っぽいので、活動場所は押さえないといけない。
「うむ、それなのだが、あそこを使いたいなと思っているのだ。東棟《ひがしとう》の3階の端にある空き教室。あの広い部屋が物置《ものおき》同然になって遊んでいるのはもったいないだろう」
……ああ、あそこか。ボクはあの部屋を思い浮かべた。そして、できるだけ真面目《まじめ》な顔をして言った。真面目な顔をしたボクも美しい……とかの考えは頭の隅《すみ》に追いやり、本気の真面目顔で言う。
「……あそこはやめておいた方が良いよ、つばさ」
「なぜだね?」
「……君ならあの教室のこと知っているだろう?」
「うむ、なぜあの大部屋が使われていないのか気になって調《しら》べたからな。あの教室、正確《せいかく》に言えば東棟の端にある、1階から3階までの全《すべ》ての部屋は、この学校設立当時から怪奇現象が続発。その為《ため》、物置として使われるようになった」
そう、あそこはまずい。あそこにいる霊《れい》は……
「怪奇現象は、典型的なポルターガイスト現象に、『痛い、痛い』という言葉が聞こえて来るというものだね。凰林《おうりん》高校|七不思議《ななふしぎ》の一つにもなっているよ。……調べたところ、どう考えても七つないのが困りものな七不思議だが。今度私が七つちゃんとでっち上げようと思っているがね、七不思議は七つないと駄目《だめ》だろう……話が逸《そ》れた。要するに、あの部屋が空《あ》いてるのはもったいないので私が有効活用しようではないかということだ」
「有効活用しようっていっても、許可とらないといけないだろうし」
……何よりあそこは危ない。
「心配ない。校長には許可を取った。校長と私は、とある趣味《しゅみ》で意気投合して以来仲良しなのだよ。強《し》いて言うなら屋上で輪《わ》になってUFOを呼んだ仲とでも言えばいいか」
仲良し……つばさの人間関係はいったいどうなってるのか気になってしょうがないよ。
「まあ、ただではなく、あの怪奇現象の原因を突き止めることという条件を出されたが。学校側も困っているようだね。大部屋を三つも使えないのだから、当たり前だが」
「……つばさは、原因を突き止められると思っているのかい?」
ボクは真面目《まじめ》に聞いてみた。つばさの覚悟の程《ほど》を知らないと……
「どうだろう、霊感《れいかん》のない私にできることといったら過去の記録《きろく》を洗い、怪奇現象の原因となりそうな要素を探すことぐらいだろう。原因さえわかれば、除霊の助けになるだろうからな。以前霊能者を雇って除霊を試《こころ》みたことがあるそうだしな。どうやら無駄《むだ》に終わったらしいがね」
確《たし》かにつばさにとってはそれが最良の方法だろう。あの霊は、完全に会話が通じないから、原因もわからない。しかもかなり強力な未練《みれん》を残している。残した思いが強ければ強いほど、この世に留《とど》まる力が強い。だからこそ、呼ばれた霊能者は除霊に失敗したんだと思う。だから原因さえわかれば彼女を成仏《じょうぶつ》させるとっかかりになるかもしれない。だけど……
「あそこの霊は質《たち》が悪い。会話が通じないんだよ。いたいいたいと繰《く》り返すだけでね」
そう、ボクがいくら話しかけてもどうにもならなかった。
「ほう、会ったのかね?」
「うん、あれだけ強力な自縛霊《じばくれい》に気が付かないはずはないよ。あの霊は危ない、下手《へた》したら怪我《けが》じゃすまないかもしれない」
「君が言うのなら間違いないのだろうな」
脅《おど》してみたけど、つばさは全く気にした様子《ようす》がない。さらに好奇心を燃《も》え上がらせただけの結果に終わったみたいだ。
「……止めても無駄みたいだね」
言い出したら止まらないつばさの性格は、よーくわかっている。
「うむ」
案《あん》の定《じょう》、つばさ特有の偉そうな肯定の言葉。
「…………はぁ」
ため息が洩《も》れた。
「しょうがないね、愛《いと》しのつばさのためだ。一肌脱ごう」
「そうかね、ありがとう。実は期待していた」
つばさの顔に、本当に嬉《うれ》しそうな笑顔《えがお》が浮かぶ。その笑顔に見とれつつもボクは言う。
「そもそも、ボクもどうにかしたいと思ってたんだよ。美しい女性が未練を残して縛《しば》られているのは美しくない」
そう、とても美しくない。
「ほう、美しい女性の霊なのか。見てみたいものだが何か方法はないかな」
…………ボクの美しい女性という言葉で、美しく嫉妬《しっと》なんかしてくれたらボクは嬉しいんだけどねー。
「それで、どうすればいい? こういうのは君の方が得意だろう」
つばさがボクに聞いてくる。
「さっきつばさが言っていたので良いよ。まずは調《しら》べてそれをとっかかりに成仏《じょうぶつ》させる。成仏させる方法で一番美しいのは、未練《みれん》を晴らしてあげることだ。これが一番無理がないからね。第一力押しで強制的になんて美しくないしね」
そう、どんなに強く縛《しば》られていようがその未練さえ晴らしてあげれば成仏するんだから。まぁ、何に縛られているのかすらわからなくなるほどすり減った霊《れい》なら美しくないことに力ずくになるんだろうけどねー。でも|あの霊《かのじょ》はまだかろうじて大丈夫な気がする。
「それで駄目《だめ》な場合はどうするのだ?」
「んー。もし、最悪手に負えないようなら、父さんに頼むことにするよ」
「君の父親は神社の神主《かんぬし》だったな」
「そうだよ、でもこれはやることをやったあとの最後の手段だと憶《おぼ》えておいて」
流石《さすが》にそれは美しくない。
「わかった。では調べものから始めよう。と、その前にまずはその霊と会ってみたいのだが。どうにかして私とその霊がコミュニケーションをとる方法はないかね」
「あるにはあるけど……」
「どんな方法だい?」
「ボクの身体《からだ》をその霊に貸してあげればいい」
「なるほど。それなら霊感ゼロの私でも大丈夫だな。しかし、道本《みちもと》君。君は乗り気ではないようだね」
「うん、まぁね」
「ふむ……それはあれかね? 身体を乗っ取られるとかそんな話かね?」
「乗っ取られることはないと思うんだけどねー。
玄人《くろうと》というほどの経験《けいけん》がある訳じゃないけど、素人《しろうと》という訳でもない。そんなへまをするつもりはないよ。
ただ、彼女がどんな人かわからないのが困る。未練で残っているのか、恨《うら》み辛《つら》みでこちらに残っているのか。後者の場合はできるだけ身体を貸すというのは避けたい。その思いが強ければ強いほど、こっちが引きずられてしまう可能性がある。だいいちそんな霊《ひと》に身体を貸したくないね。……まあ、たぶん大丈夫だとは思うんだけど」
美しい霊《ひと》だったし。
「でも絶対じゃないからねー」
「なるほど」
うーん。まずは彼女に近付いてみようか。もう少し様子《ようす》を見てからと思ってたけど、そんなことを言ってられなくなったし、良い機会《きかい》なのかな。
「……じゃあ、まず会いに行ってみよう。それでどうするか決めるよ」
「わかった。では今日《きょう》の放課後《ほうかご》決行だな」
******
ボクたちは、東棟《ひがしとう》の端の教室を1階から順番に巡っていく。あの霊《ひと》はなぜか東棟の一番端の三つの部屋に出る。完全に一つの部屋に縛《しば》られてる訳じゃないみたいだね。この辺《あた》りが手がかりを掴《つか》むヒントになるかもしれない。あの三つの部屋にだけ出るという理由が何かあるはずだ。
1階、2階と調《しら》べたが彼女はいなかった。そして最後にやってきた3階の教室、残ったのはここだけ。
つばさは神妙な表情で教室の前に立つ。奇妙にふくらんだ鞄《かばん》を持っているけど、中身は怖くて聞いてない。何が入ってるのかなー。
そして聞いてきた。
「……いるかね?」
ボクは答える。
「いるね」
部屋の前に来ただけでわかる。中から強い霊気《れいき》が洩《も》れている。全身ざわざわと騒《さわ》ぎ始める。
「行くよ」
ボクは、一つ深呼吸し部屋に入る。
……………………いた。
ボクの前に、ずぶ濡《ぬ》れの少女が立っている。顔には生気がなく目はうつろ。少女の首は周囲を窺《うかが》うように左右に揺《ゆ》れている。
『……いた…い。……いた…い』
少女が言葉を紡《つむ》ぐたびに、真《ま》っ青《さお》な唇《くちびる》から水がこぼれる。そのせいか言葉も不明瞭《ふめいりょう》だ。
少女の死因はたぶん溺死《できし》なのだろう。結《ゆ》い上げた髪も水に濡れ、着物はずぶ濡れで。少女が何かを探すようにふらふらと進む。そのたびに、したたり落ちる水滴が床《ゆか》に跡を付ける。
少女は積《つ》み上げてあった段ボール箱《ばこ》に触れそれを倒す。
「おお、ポルターガイスト」
つばさからしたら、勝手に段ボールが崩《くず》れたように見えただろうね。ここに置いてあるものは崩されることを前提にされてるみたいだから、段ボールの口はガムテープでふさいである。中身も壊《こわ》れないものだろう。まあ、いらないけど捨てるには……ってものを置いてるんだろうねー。
「それでどんな様子《ようす》なのだね?」
「全身ずぶ濡れで、痛い痛いと話すたびにゴポゴポと口から水がこぼれてる」
ボクは見たままをつばさに伝える。
「…………ホラーだな」
「うん、霊感《れいかん》が少しでもあるならここには近付かないね。空気が違うし、痛い痛いという声が聞こえてくるんだから。ちなみにさっきの段ボールは彼女が崩《くず》した」
この教室が使われなくなった理由がよくわかる。こんな霊が出るような教室で授業ができる訳ない。
「まあ、典型的な水の事故で死んだ人だね。着物着てるし、結構昔の霊《ひと》だと思うけど」
そのボクの言葉を聞いたつばさが考え込む。何か変なことを言ったかなー?
「……本当に溺死《できし》なのかね?」
そう念を押すように聞いてくるつばさ。
「死因は溺死で間違いないと思う。外傷があるようには見えないし」
「…………それはおかしいな」
「何がおかしいんだいつばさ」
ボクにはわからないけど、つばさは何か違和感を覚えているみたいだ。
「ふむ……道本《みちもと》君、息を止めてくれたまえ」
「え? わかったよ」
なぜそんなことを言うのかわからないけど、つばさの言われるままに息を止める。1秒2秒3秒と時間が過ぎていく。どのくらい止めていれば良いのかなー? 15秒16秒17秒……と、何もすることがないのでとりあえず秒数を数え続ける。息を止め苦しそうなボクもそれはそれは美しいのだろうなーと当たり前のことを考える余裕がある。
……55秒56秒57秒……
つばさは何をするでもなくボクの様子《ようす》を窺《うかが》ってる。どうやら止めるつもりはないらしい。
ボクの苦悶《くもん》の表情も当然のごとく美しいはずだ。
……107秒108秒109秒……
これは、限界まで息を止めろということかな。いったい何でこんなことを? それはともかく窒息《ちっそく》寸前のボクも……うぐ、…………むぐぐぐ……もうそろそろ限界かな……
「……ぷはぁ、はぁ、はぁ、はぁ……で、いったい…はぁ…何なん…はぁ…だい?」
ああ、空気が美味《おい》しい。むさぼるように空気を吸い込む美しいボクに向けてつばさが言った。
「痛かったかね?」
「いや苦し……あ」
そこで、つばさが感じた違和感の正体に気付く。
「溺死の経験《けいけん》がない私が言うのもなんだが、溺死とは痛いより苦しいものなのではないかな? 外傷もないということだし」
確《たし》かに……
「高い場所から水に飛び降りたのなら痛いかもしれないが、水を吐いているのだろう? となると、溺《おぼ》れて思い切り水を飲んでしまったということだ。故《ゆえ》に、その場合でも苦しいとなるのではないかと思うのだが」
「うん、考えてみればその通りだ。ならどうして……」
どうして、この少女は「いたいいたい」と繰《く》り返すのだろうか。何か他《ほか》に理由があるのか。……ボクも気になってきた。
「……しょうがないね。この娘《こ》をボクに降ろすことにするよ。今のままでは埒《らち》があかないしね」
ボクなら駄目《だめ》だけど、つばさなら何かわかるかもしれない。
……あんまり気は乗らないけどねー。これが単なる美しい霊《れい》なら何の躊躇《ちゅうちょ》もないんだけど。
「それでは、さっそく始めよう。
じゃとりあえずボクにこの娘が入ったら、美しく質問するなり、美しく絡《から》むなり好きにして良いよ。ただ5分|経《た》ったら教えてほしい。そうだね、身体《からだ》を揺《ゆ》すってくれればいい。美しくないことこの上ないけど、もしもの場合はうちの父親を呼んでくれると嬉《うれ》しいなー」
もしもは絶対に起きないし起こさせないけど。霊に身体を乗っ取られるなんて、美しくないにも程《ほど》がある。
「了承した」
真面目《まじめ》にうなずいてるのは良いけど、瞳《ひとみ》に見え隠《かく》れしてる好奇心を抑え切れてないよハニー。とてもとても嬉しそうだよハニー。やっぱり好奇心に瞳を輝《かがや》かせる君が一番美しいよ。ただ……恋人の身を心配する君もそれはそれは美しいと思うんだよねーボクは。…………はぁ、ため息をつくボクも美しいんだろうねー。
そんなことを思いつつ、ボクは「痛い、痛い」と繰り返す死者の少女に近付く。
少女の心に引きずられないように心を強く持ち、かつ心《こころ》穏《おだ》やかに少女を受け入れる。……できるかな? この少女は思いの他《ほか》強く縛《しば》られているんだと思う。しかも、何を考えているかわからない。
ボクは少女の瞳を真《ま》っ直《す》ぐに見つめる。
少女の焦点《しょうてん》の合わない瞳。だけどその何も見ていないような瞳がなぜか……遠くを見過ぎている故にどこを見ているかわからない、ボクの心を奪った瞳と重なって見えた。
横目でつばさを見る。ボクを真っ直ぐ見すえるつばさの瞳。
ボクは覚悟を決めると、霊体を寄せ身体の中に彼女が入り込めるスペースを作る。
そして、土砂降《どしゃぶ》りの雨の中|傘《かさ》も差さずに立っているような……
「失礼しますよ、美しいお嬢《じょう》さん」
びしょ濡《ぬ》れの少女にそっと触れた。
するりと少女が身体《からだ》に入ってくる感覚、自分の身体の感覚が受け渡されたその瞬間《しゅんかん》、少女の強い思いが流れ込んできた。
それは渇望、誰《だれ》かを心の底から求めている。
同時に記憶《きおく》の断片も流れ込んできた。
少女の中の、記憶のかけら。少女の瞳《ひとみ》が見つめていたもの。
全《すべ》てをなくした少女にただ一つ残った宝物。
少女に微笑《ほほえ》みかけるある男の記憶。
少女に残った一番古い記憶。
男と少女の最初の思い出は遠くで微笑む男の姿。
最初は偶然だった。
些細《ささい》な出来事だった。
しかし、大切な出会いだった。
その日から、少女の瞳の先には常に男がいた。
ただ、遠くから眺めるだけの日々。
少女はそれだけで良かった。
それだけのはずだった。
その歯車がどこで狂ってしまったのか、少女と男は想《おも》い合ってしまった。
少女と男の距離《きょり》が近付くたびに、記憶の中にある男の姿が大きくなっていく。
男から贈《おく》られた手鏡《てかがみ》に映った少女の顔は、嬉《うれ》しそうに微笑んでいた。
しかし、少女と男の出会い、それは祝福されるものではなかった。
少女はただ側《そば》にいたいだけだった。
だが、そんな些細な想いすら叶《かな》えられることはなかった。
周囲の無理解と古い慣習《かんしゅう》が二人の仲を阻《はば》み、
引《ひ》き離《はな》されることを知った二人は家を飛び出した。
そして最後に男は寂《さび》しそうに微笑んで……
美しい想いと美しくない結末。
そこで少女の記憶が終わった。
「……くん。……もとくん、……みちもと君」
誰かに呼ばれてるみたいだ。
ボクはうっすらと目を開ける。そこにはひどく慌《あわ》てた様子《ようす》のつばさがいた。
「……道本《みちもと》君!」
「……ん……ああ、つばさかい」
「ふぅ、いくら呼んでも帰ってこないものだから、少々|焦《あせ》ったよ」
「ふふ、つばさのそんな慌《あわ》てた顔は初めて見たねー。良いものを見たよ。慌てた君も美しい」
相変わらずのボクを見てつばさは苦笑して言った。
「全くだな。かなりのレアものだぞ」
ボクは重い頭を左右に振りつつ聞いた。
「それで、つばさは何かわかった?」
「いや、いくら話しかけても、痛い痛いと繰《く》り返すだけだ。目の焦点《しょうてん》も合っていない。私が目の前にいることに気が付いてすらいないな。透明な存在がどうとか言いたくなったな」
そんな独特の表現をするつばさは。
「ただ、気になったのは、『いたい』という言葉の滑舌《かつぜつ》の悪さだな」
「水を相当飲んだんだろうね。死んだ人間は、死んだ時そのままの場合が多いから」
霊《れい》は事故で死んだら血だらけで、火事で死んだら真っ黒|焦《こ》げだ。事故の多発する交通量の多い交差点を見渡せば、かなりショッキングな光景が見えたりもする。霊が見えるというのは便利なことばかりじゃない。
「それだけではない気がするのだがな。うーむ、言葉のアクセントがおかしいのか? それともただの方言か?」
つばさはボクの言葉に納得《なっとく》できないのか、
「……いた…い。……いた…い。……いた…い。……いた…い。……いた…い。……いた…い」
と、少女のまねを繰《く》り返す。
つばさは自分の世界に入り込んで、すぐには帰ってこなさそうだ。しょうがない、ボクは少女が入っている間に見えた映像を思い出す。音もなく、とぎれとぎれの断片的な映像。あれは少女が生前見ていた景色《けしき》だと思う。色も褪《あ》せ昔の白黒映画を見ているようだった。だけどそんな中で彼だけは色彩|鮮《あざ》やかだった。
彼は彼女の大事な人で……あの記憶《きおく》からすると……
「……いた…い。……いた…い。……いた…い。……いた…い。……いた…い。……いた…い」
ボクが考え込んでる間にもつばさは少女の言葉を繰り返す。
「……いた…い。……いた…い。……いた…い。……いた…い。……いた…い。……いた…い」
それが何度繰り返されたのかもわからなくなった頃《ころ》…………つばさはぽんと手を叩《たた》いた。
「ああ、なるほど」
頭の上に電球でも見えそうなほど、ありがちな動作。つばさをよく見てるとわかるけど、こういう典型的な動作をするのが好きらしい。このへんはとてもボクと気が合う感じだねー。
それはともかくボクはつばさに聞いた。
「何が、なるほどなんだい?」
つばさは、謎《なぞ》が解けた、疑問が消えたという感じの、とてもすっきりした顔で言った。
「痛いではない、会いたいだ」
ああ、そうか!
つばさの言葉でパズルのピースが美しく合わさっていく。
「彼女は会いたい会いたいと繰り返していたのではないか? 君はどう思う?」
ボクはさっき見た少女の記憶《きおく》を思い出す。少女の心に強く残った一人の男性。少女の記憶|全《すべ》てにいた、寂《さび》しい笑顔《えがお》の人。
「たぶん、合ってると思うよ」
でも、あの笑顔はどこかで見たような……
「ん? どうしたね?」
ボクの様子《ようす》が変わったことに気が付いたのかつばさが聞いてきた。
「いや、何でもない。それでだね……」
ボクはそう言ってさっきかいま見た少女の記憶のことを話した。
「なるほど。身分違いの恋から心中というお約束コンボか。ただ実際にあると気持ち良いものではないな……」
そこでつばさは言葉を切り、一つの疑問を口に出す。
「む、そうだとすれば、この少女はなぜこの世に残っているのだ? 二人仲良く旅立って、あの世か来世《らいせ》で添《そ》い遂《と》げましょう。……というのが心中の醍醐味《だいごみ》だろう」
……嫌《いや》な醍醐味もあったものだねー。ここで醍醐味という言葉が出てくるつばさの脳の内部は、さぞかし美しいことになっているんだろうと思う。
「うーん、どうしてだろう」
「男の方が死に切れなかったというのがありそうな線《せん》かな。まあ、それは調《しら》べていけば、おいおいわかることだ。ではわかったことをまとめるか」
つばさは乱雑に置いてあった段ボールを引っ張り出し、その上に座って足を組む。
素晴《すば》らしい脚線美だけど、今はそれに見入っている場合じゃなさそうだよ。残念。
ボクも、つばさにならって段ボールの椅子《いす》を用意する。
「それで道本《みちもと》君、他《ほか》にこの少女の身元の手がかりはないかね?」
「う〜ん、わかったことといえば、男の方が金持ちっぽくて、少女の方は使用人って感じかなぁ」
「おお、御曹司《おんぞうし》と使用人とはこれはまたベタな。これに対抗できる組み合わせは、お嬢《じょう》様と庭師ぐらいしかないぞ。運転手と奥様が次点かな」
相変わらずつばさはつばさだ。どんな話を聞いても変わらないらしい。
「他《ほか》には? 名前とか……」
「残念だけどわからないよ」
「それは困ったな」
「彼女自身が憶《おぼ》えてないんだからしょうがないよ。少女が使用人っていうのだって、彼女の断片的な記憶《きおく》からボクが勝手に推測しただけだし」
「彼女はそんなことさえも忘れてしまったのかね?」
「そうだよ。人間は忘れる生き物だって言うけど、幽霊《ゆうれい》になっても変わらない。そして最後に残るのは一番強い想《おも》い。今のあの娘《こ》に残ってるのはいくつかの思い出の断片だけなんだ」
「忘れる生き物かね」
「そう。何かを覚えようとしたり忘れないようにしたりはもう気合いの問題だ。怨《うら》みはらさでおくべきかーだよ。強い想いほど残る。他には、死んだ状況とかその人の性格とかにも影響《えいきょう》受けるみたいだけど」
忘れ方には個人差があるし、霊が自分が死んだことに気が付かなかったりすると、死んだその瞬間《しゅんかん》で時間が止まっていることもある。
「ま、例外はあるけど、古い霊の方が物忘れが激《はげ》しいことが多い」
「なるほど」
「と、いう訳でボクがわかる彼女の記憶はさっき話したことで全部だよ」
「わかった。……うむ、これで今後の方針は決まった。とりあえず、少女とその御曹司《おんぞうし》を会わせてやればいいのだろう。そうすれば、かなり気合いの入った彼女でもあの世に返るだろう」
「そうだね」
「ああ、そうだ。こういうものを持ってきていたのだった」
つばさがごそごそと取り出したのはポラロイドカメラ。鞄《かばん》のふくらみはこれか。…………鞄を開けた時に、見てはいけないものがいくつか見えたけど見なかったことにしよう。
「これで、彼女を撮《と》ってくれないか? 霊感のある君が撮ったら写るのではないかと思うのだ。ちなみに私は無理だ。昔そういうスポットを巡って撮りまくったことがある。写ったのはただの陰気な風景だけだった」
そりゃそうだね。
「わかった。試したことはないけどね」
ボクはポラロイドカメラを受け取り、目の前でごぼごぼ言ってる少女をファインダーに納める。
パシャ
少女は音にも光にも全く反応しない。本気で何も目に入っていないみたいだ。
「はい、撮ったよー」
「ありがとう。どれどれ」
つばさはボクからカメラを受け取ると、出てきた写真を覗《のぞ》き込む。ボクも覗き込む。少しずつ形を帯《お》びていくポラロイド写真。そこには彼女の姿があった。
「…………ほお、これが彼女か。よく写っているではないか。なかなか可愛《かわい》いお嬢《じょう》さんだな。水もしたたるいい女というところか」
そりゃ溺死《できし》だしねー。
「陰気なのがマイナスだが」
まあ、溺《おぼ》れて死んだ人が顔色良くても困るよね、色々と。
「顔の造作《ぞうさく》は悪くない、控えめで目立ちはしないが。背が低いのはまあ時代だな。
にしても、幽霊《ゆうれい》がここまではっきり写るとは面白《おもしろ》いな。道本《みちもと》君、今度幽霊の皆さんに集合写真を撮《と》らせてもらえるよう頼んでもらえないだろうか」
「かまわないけど」
「そうかね! いやありがとう! 嬉《うれ》しいよ!」
きらきら輝《かがや》き出すつばさ。……………………なぜか、今日《きょう》で一番嬉しそうだよ。今日ボクは他《ほか》にも色々|頑張《がんば》ったというのに。ものすごく複雑《ふくざつ》だよ。
「わかるのはこれくらいかな。それでは超常現象研究会初めての活動を始めよう」
「了解」
とても生き生きして、嬉しそうなつばさ。その美しいつばさにボクは見とれる。つばさはやはり好奇心に瞳《ひとみ》を輝かしている姿が一番美しい。こんなつばさが見れるのなら、どんなことにでも付き合おう。そんなことをボクは思った。
******
「彼女の身元は大体判明したぞ」
恒例のお昼休憩《ひるきゅうけい》、弁当を広げたボクにつばさが唐突《とうとつ》に切り出した。
「……それは早いね、どうやって調《しら》べたんだい?」
あの少女をボクに降ろしてからまだ一週間も経《た》ってない。なのにもうわかったのか。
「なあに、ただ病院やら老人ホームを回っただけだ。君の撮った写真を持ってな。昔のことは昔生きてた人に聞くのが一番早い。記録《きろく》などは、御曹司《おんぞうし》が使用人と心中というのは家の恥《はじ》だ……とかいう感じでもみ消されている可能性が高いと思ったしな」
なるほど、身分違いだと恋人同士を別れさせようとする美しくない家だ、体面を重んじてなかったことにするぐらいしそうだ。
「私はなぜか老人には好《す》かれる質《たち》でな。昔からうちの病院に通っては、色々な老人の話を聞いたりしていた。おばあちゃんの知恵袋を馬鹿《ばか》にしてはいけないぞ、老人の話は実に興味深《きょうみぶか》かったりするのだよ」
「へー」
興味深《きょうみぶか》そうに、ふんふんうなずいている子供の頃《ころ》のつばさを想像した。そりゃあ、老人に好《す》かれるだろうねー。外見は文句なしに可愛《かわい》らしいだろうし、そんな子が真剣に話を聞いてくれるんだから好かれないはずがない。寂《さび》しい老人とかには特に喜ばれただろうと思うよ。
「それで色々巡っては老人達に話を聞いていたのだが、運良くその少女と一緒《いっしょ》に働いていた方に話を聞くことができたのだ。その少女が未《いま》だ彷徨《さまよ》っていることを話したら、あの娘《こ》を成仏《じょうぶつ》させてやってくださいと、快く話してくれたよ。まあ、まず間違いないだろうな。それで詳しい話はこうだ。あるところに無駄《むだ》に金を持ってる家があった」
無駄に金って……身《み》も蓋《ふた》もないなーつばさは。
「そこの家の長男と、使用人のあの少女が恋仲になった。それを知った父親が激怒《げきど》、少女は解雇で、男の方はどこぞのお嬢《じょう》さんと強制的に結婚させられることに。悲観《ひかん》した二人は手に手を取り合って逃げ、広川《ひろかわ》に身を投げた。しかし、男の方は死に切れず生き残ってしまった。しかも記憶《きおく》をなくすおまけ付き」
ボクが見たあの男の寂しい笑《え》みの意味はそういうことか。あれは少女が最後に見た男の笑顔《えがお》。
「その後、男の父親は色々手を回して都合《つごう》の悪い事実を消し、少女の死は心中ではなくただの自殺ということで片付けられ、身よりのなかった少女はこの学校が建つ前にあった墓地に葬《ほうむ》られた。家の方は、男の弟がよろしくやって跡継《あとつ》ぎに収まった。男の方は彼女との思い出が詰まったこの街で暮らして、記憶が戻ることがあってはまずいという理由で、どこか遠くに連れて行かれた。この辺《あた》りはやっかい払いでもあったんだろうね。弟はせっかく転がり込んだチャンスを逃《のが》すつもりはなかっただろうし。いやいや、どろどろだな、愛憎《あいぞう》渦巻いてるな、渡る世間は鬼《おに》ばかりだな。ここまで典型的だと、いっそ清々《すがすが》しいな」
つばさが皮肉な笑《え》みを浮かべる。
つばさがそう言いたくなるのもわからないでもないけど。実に美しくない話だ。
「それで、その二人の名前はわかったのかな?」
「ああ、わかった。少女の名前は川辺《かわべ》多恵子《たえこ》、男の方は藤原《ふじわら》茂一《しげかず》だ」
少女の名前は知らない。ただ男の方は……
「まずは二人の墓を探さないといけないな。古い話だから男のほうもたぶん死んでいるだろう。少女の方は、この辺りにあるということだけはわかっているのでどうにかなるかもしれないが、男の方は困ったね。どこに連れて行かれたのやら。……ん? その顔は何か心当たりでもあるのかね?」
そう聞くつばさにボクはゆっくりと答えた。
「……男の方はあるよ」
なるほど、どこかで見たことのある顔だと思った。どうにかしたいと思っていたけど。こんなところで繋《つな》がるとは。これだからこの世は美しい。運命というのを信じてみたくもなるよ。
「ほう」
「あと、少女の墓の位置と、少女がここに出る理由もだいたいの予想が付いているよ。うーん、まずは少女の方から行こうか」
「わかった」
「じゃあ、今日《きょう》の放課後《ほうかご》東棟《ひがしとう》の裏に集合ということでよろしくねー」
******
凰林《おうりん》高校は高台にある。団地に面した北側以外は、木々に覆《おお》われた斜面になっている。その斜面と校舎の間にはネットが建っていて、ネットと斜面の間には舗装《ほそう》もされていない一部の生徒達が近道に利用する小道がある。ボクはその斜面の上の小道に立っていた。斜面を見下ろし確認《かくにん》したあと振り返る。振り返ったボクの視線《しせん》の先には東校舎の端、少女の霊《れい》が出ていた教室が見える。
つばさがボクに並び斜面の下を見ながら聞いてきた。
「この下に、彼女の墓が?」
「たぶんね。じゃあ、つばさはここで待っていて……」
「断る」
即答し断言するつばさ。まったく、スカートでこんな斜面降りたら危ないのに、その美しい足が傷付いたらどうするんだ。でも、聞く耳持ってくれないだろうねー。
でも、そんなつばさだからこそ美しいんだけど……どうにも矛盾《むじゅん》してるね。ああ、この世はままならないものだ。まあ、あの世はあの世で色々あるのかもしれないけど。何て感じで、さっきの『この世はこれだから美しい』とかいう感想と真逆《まぎゃく》のことを考えるボク。手のひらの返しっぷりまでも美しいとは流石《さすが》ボクだねー。
「……はぁ。じゃあ怪我《けが》しないように気を付けてね。その美しい身体《からだ》が傷付くのは世界の損失だし、ボクが耐えられない」
「わかった」
とは言ったけど、できるだけ、ボクが気を付けることにしよう。興味《きょうみ》を引くものを見付けてしまったらつばさはお構いなしになるだろうし。つばさの美しい足や手を守れるのはボクしかいない。ボクはそんな使命感に燃《も》える。
ボクとつばさはゆっくりと斜面を降りて行く。木々を足場に生《お》い茂《しげ》る雑草をかき分け、つばさが通る道を造る。その最中《さなか》にもボクは後ろを確認し、東校舎との距離《きょり》を確認する。
「ふむ、道本《みちもと》君。君は東校舎との距離を気にしているようだが、何か理由があるのかね?」
「……彼女は、人を想《おも》う気持ちに縛《しば》られてこの世に残った自縛霊《じばくれい》な訳だけど」
ボクはつばさの邪魔《じゃま》になりそうな草を踏み付け道を造りつつ答える。
「自縛霊《じばくれい》はその土地に縛《しば》られてるのは別として、人に縛られてる場合は、霊の想《おも》い人かその人ゆかりの場所でふよふよしてる訳」
良い想いだけじゃなく、怨《うら》みで取《と》り憑《つ》くとかそんな霊もいるけど、その感情が負か正かの違いだけで基本的には同じものだ。
「それで、人を想う気持ちで縛られてるにもかかわらず、想う人がいないと、捜《さが》すよね普通は」
「そうだな」
「人に縛られてる自縛霊はまあ、浮遊霊とあんまり変わらないから。その人を捜す為《ため》にうろうろする訳なんだけど、その時点でその霊の世界は決まってる訳なんだ。基本的に霊は、生前暮らしてた範囲《はんい》が行動範囲になる。つまり記憶《きおく》の中の世界が、その霊の世界の全《すべ》てになる訳だね」
「なるほど、アメリカで死んだ人がわざわざ日本にやって来て化《ば》けて出たとかそんな話は聞かないな」
後ろを向いて東校舎を視界に納め、現在位置を確認《かくにん》。そろそろかな。
「うん。あの娘《こ》の世界、最初はこの町の全体ぐらいはあったかもしれない。でも……」
……あった。
目的のものを発見してボクは足を止める。
ボクの目の前にあるのは苔《こけ》が生《は》え薄汚《うすよご》れ所々欠けた……小さな墓。
「でも、時間と共に彼女の記憶は消えていき……」
ボクは斜面の上の校舎を見上げた。
最後に彼女に残されたのは……ここから校舎までしかない小さな箱庭《はこにわ》。
「彼女の世界はこの墓を起点に、半径にしてここから東校舎の端まで」
「なぜこの距離《きょり》なのだね?」
「この距離は……彼女の思い出の中で、男が微笑《ほほえ》みを投げかけた距離。それだけが少女に残された世界。ここが起点になっているのはここに彼女が入っているから」
彼女はあの部屋に憑いてる訳でも、校舎に憑いてるわけでもない。彼女が東校舎端の上下3室に出る理由。それは……
「彼女はただ、恋人を捜し回っているだけなんだよ。彼女の世界にたまたま校舎の端が入ってるだけ」
だから、彼女は東棟《ひがしとう》端の教室にのみ現れる。ほんとはこの森の中も捜し回ってるんだろうけど、人が通ることがなく気付かれなかっただけ。
「彼女はこの小さな世界で愛《いと》しい人を捜し続けているんだよ」
でも、こんな小さな世界に彼女の愛しい人がいる訳もない。
「それにしても何でこんな寂《さび》しい場所に」
ボクのそんなつぶやきにつばさが答えた。
「この墓は学校ができる時にここに移されたんだろう。学校を建てるためには墓を移さないといけない。ほとんどの墓は、家族や親類によって引き取られていったのだろうが、彼女は身よりもなく引き取り手がいない。だから彼女の墓は密《ひそ》かにこんな人目のない場所に移されたんだろう。今時《いまどき》は、墓を建てる土地にも金がいる。こんな所に隠《かく》すように建てられてるのは、決められた場所以外に墓を建てるには許可がいるからだな。ちゃんと墓の体裁《ていさい》が整《ととの》ったままで移築《いちく》されているのは、この墓を移した人間の最後の良心か、はたまた祟《たた》りが怖かったのか」
「……どちらにせよ、美しくないにもほどがあるね」
「全くだ」
ボクの言葉につばさが同意した。
「ふう、ようやく戻ってきた」
「そうだね」
ボク達は斜面を登り終えて一息ついた。気が付けば日は沈みかけ。いつの間にやら、もう夕方だ。
「まあ、これで解決のめどが立った訳だな」
「そうだね」
ボクの手には墓から取り出した骨壺《こつつぼ》。多少不作法だけど、愛《いと》しの君に会わせてあげるんだから大目に見てもらおう。
「この娘《こ》を愛しの君の所に持って行けばいい。そうすれば、ハッピーエンドとは言わないまでも、それなりに美しい終わり方だね」
「それで、その愛しの君はどこに? そろそろ教えてくれても良いだろう」
つばさが興味《きょうみ》津々《しんしん》に聞いてくる。その顔を見ていたらいたずら心がむくむくと……
ボクはそんなつばさを見返し焦《じ》らすように言った。
「ふふ、それは付いてきてのお楽しみということで」
「むう」
つばさが憮然《ぶぜん》とした顔をする。たとえるなら、おもちゃをお預けされた子供のような。
「はははは」
日々発見がある。何て楽しくて美しい日々なんだろうと、ボクは赤く染《そ》まった夕焼け空を見ながら思った。
******
太陽は完全に沈み、辺《あた》りは暗闇《くらやみ》に包まれている。街灯《がいとう》に照らされる薄暗《うすぐら》い道を歩きながら僕たち二人は目的地へ向かう。
いや、三人か。ボクは腕の中の小さな陶器の壺《つぼ》に目を向ける。
「それで愛《いと》しの彼はやはり死んでいるのだね」
つばさが周囲を確認《かくにん》しながら聞いてきた。
「死んでるよ」
「ということはまだ成仏《じょうぶつ》していないのかね?」
「うん、成仏してない」
「しかし、男の方は記憶《きおく》がないのだろう? 何に未練《みれん》を残してるのだね。そもそも彼女と会ってもわからないのでは?」
「人の思い出は脳に刻まれるもの。でもそれだけじゃない。魂《たましい》にも残る」
「なるほど、そうでないと幽霊《ゆうれい》が生前の記憶を持っている説明がつかないな」
納得《なっとく》したようにうんうんうなずいているつばさ。
「うん。そして……だからこそ、強い想《おも》いは脳が忘れても、魂は忘れない」
そう、彼女が大切な記憶を忘れなかったように。
「だからだろうね。記憶がないにもかかわらず、彼は生涯独身だったみたいだよ。だから、ボクは困っていたんだ。肉親などの特に親しい人もいない。生に執着《しゅうちゃく》している訳でもない。なのになぜこの世に残っているんだろうってね」
そこまで言ったところでつばさは気が付いた。
「……この道は」
「そう、つばさの想像通りだよ。今向かっているのは、ボク等《ら》が出会ったあの墓場だよ」
「あの墓場で、なおかつ君と親しい霊というなら…………相手は君がいつも話しかけていたご老人かい?」
「正解。ボクが話していた老人の名前は、藤原《ふじわら》茂一《しげかず》さん。ちゃんと墓にも書いてあった」
少女の記憶の男の姿を見てどこかで見たことがあるなーとかと思うはずだよ。なぜならボクは、彼の未来の姿を見たことがあったんだからね。年を取り、しわを重《かさ》ねた彼の姿を。
ボク達は坂を上り、市街地から離《はな》れて行く。次第に緑《みどリ》が多くなり、反比例するかのように人工的な明かりが消えて行く。
街の夜景を右手に歩いていくと、左手に石の階段が見えてくる。
その階段を上ると、ボクとつばさが出会った場所がある。
「考えてみれば、ここを一緒《いっしょ》に上るのは初めてだね」
「考えてみればそうだな。いつも墓地で待ち合わせしていたからな」
ボク達は並んで階段を上ると、立ち並ぶ墓石の間を縫《ぬ》って行く。その墓地の一番奥、そこに周囲とは一回り大きく立派な墓がある。
藤原家と刻まれたその墓の前が、ボクとつばさの指定席だった。
「なるほど、藤原家《ふじわらけ》と書いてある。気にしてなかったので気が付かなかったな」
「死んだあとにここに戻ってきたらしい。立派な墓もあるしね」
死んでしまえば、やっかい払いをする必要もないので連れ戻したと。ああ、何て美しくない。
そんな風《ふう》に心の中で嘆《なげ》きつつ、ボクは周囲を見回し……目当ての人物を見付けた。
「どうもこんばんは」
『こんばんは』
ボクの挨拶《あいさつ》に目を細め挨拶を返してくる老人。
『どうかしましたか?』
「はい。……藤原|茂一《しげかず》さん。忘れ物を届けに来ました」
『忘れ物?』
「そうです。あなたの未練《みれん》。あなたが忘れていた大切なもの」
ボクは小さな骨壺《こつつぼ》を差し出す。
ボクの側《そば》が揺《ゆ》らめいたと思うと、徐々《じょじょ》に少女の姿が現れた。
言葉が出ない。彼女の中にはすでに言葉も残っていなかった。
『あ……ああ……あ』
少女の瞳《ひとみ》から清らかな水が流れる。
そしてそろそろと彼に近付いて行き、その濡《ぬ》れた手を彼の頬《ほお》に当てた。
『……ああ……あ』
彼の存在を感じた少女の顔が笑顔《えがお》に変わる。
少女の中に最後まで残った、ただただ純粋なその心が浮かべさせた、透明な笑顔。
しばらく彼は言葉もなく立ちつくしていたが、
『……多恵子《たえこ》』
彼の魂《たましい》に刻まれていた想《おも》いが蘇《よみがえ》る。彼の腕が少女を包み込む。
言葉はなく、強く抱きしめている訳でもない。ただ触れるだけの、壊《こわ》れものを扱うかのような軽い抱擁《ほうよう》。
しかし、彼らはそれで十分だった。たったそれだけのことをずっと想い続けていたのだから。
……美しくも優《やさ》しい光景。
美しい、実に美しい。
これほどの美しい光景はそうそうお目にかかれるものじゃないよ。忘れないよう全《すべ》てを脳裏《のうり》に焼き付けなければ。
ボクが心から感動していると、隣《となり》のつばさがボクの袖《そで》をちょいちょいと引っ張った。
「…………道本《みちもと》君」
「何だい?」
「たぶん今、とてもとても素敵《すてき》な光景が繰《く》り広げられているのだと思う。たとえるならば恋愛映画の残り5分ぐらいのところで流れてそうな感じの熱《あつ》い抱擁《ほうよう》などが行われていたりするのではないかと思う」
「うん、とても美しいよ……」
「…………が、私には何も見えないので何も楽しくない」
「…………」
「できれば解説を、お願《ねが》いしたい」
……台なしだ。とても美しくないよつばさ。
「今抱き合ってるよ」
「ほうほう」
「あっ、見つめ合った」
「ほほう」
「二人とも微笑《ほほえ》み合った」
「ほーう」
こんな感じで、実況|中継《ちゅうけい》を始めるボク。
「…………何か虚《むな》しくなってきたよ」
「実を言うと私もだ。出歯亀《でばがめ》とはこういうことを言うのだろうな」
「……鳴呼《ああ》、美しくない。実に美しくないよ」
と、ボクが自己嫌悪《じこけんお》に陥《おちい》っていると……気が付けば時を超えた再会はクライマックスだった。
抱き合った二人が蒼《あお》い燐光《りんこう》を纏《まと》いながら天に昇っていく。大きな光とそれに寄《よ》り添《そ》う小さな淡い光。長い年月を経《へ》てやっと二人は一緒《いっしょ》になれたんだ。
「……美しい」
やはりいつ見てもこの瞬間《しゅんかん》は美しい。
ボクは声もなくただただ見上げていた。
しばらくして、つばさが静かに話しかけてくる。
「……逝《い》ったのか?」
「うん、逝ったよ」
「それは良かった」
「そうだね……」
そこでボクの言葉が止まり、ボク等《ら》はどちらからともなく向き合った。
視線《しせん》と視線が絡《から》み合い、それぞれの想《おも》いが触れ合う。
ボクの目の前で瞳《ひとみ》を閉じるつばさ。
最高のシチュエーションの、最高のクライマックス。
すぐ目の前にはつばさの顔がある。その顔はいつかの夜のように美しく……だからこそボクは、どうしようもないくらいに理解した。
………………………………ああ、ボクには無理なんだ。
ストン……そんな軽い音と共に、ボクの胸の中に答えが滑り込んできた。
ただつばさは、こう言う時にはこういう行動をとるものだ、そういう考えだけで行動している。
彼女は、あの日から全く変わっていない。
何もせずただつばさの顔を間近で見続けるボク。唇《くちびる》に何の感触もないことに気が付いたつばさは目を開け聞いた。
「む? どうしたね」
「うん、何となくわかってしまったんだよ」
「何がだね?」
不思議《ふしぎ》そうな顔で疑問を投げかけてくるつばさ。
「ボクには無理なんだね」
そんなつばさにボクは言った。
「……別れよう」
そんなボクの言葉にも……
「ふむ、なぜだね?」
と、表情を変えずたんたんと聞いてくるつばさ。
「うん、答えは今の君の顔かな」
ボクの答えを聞いて考え込むつばさ。
「……それは、別れ話に発展するほど目を閉じた私の顔は見苦しいということかね? それは正直ショックだぞ」
「いやいや、そういうことじゃないよ。別れ話を切り出されたのに、その顔に浮かんでいるのは、なぜ私は振られたのだろうかという好奇心だけ。そこには悲しみもとまどいも何もないだろう?」
「……なるほど」
「これからキスしようという君は美しかった。とても美しかった。だけどそれは外見の美しさ。一番大切な想《おも》いがない」
「そうかもしれないな。普通ならここは頬《ほお》を染《そ》め恥《は》じらう場面なのだろうが……私にはその感情がわからない」
「ボクはそういう君をわかっていた。時間をかけて、仲を深めていけば君を変えていけると思っていた。君を輝《かがや》かせることができると思っていた。そしてそんな君を見守っていこうと思っていた。でも……君は、ボクが出会ったあの時から全く変わっていない。そんな君を見てわかってしまった」
見守るということは、側《そば》にいること。だけど一緒《いっしょ》にいるとは違う。見守るためには、少し離《はな》れてつばさのことを見ていないといけない。それではつばさの心に手が届かないんだろう。
つばさはすごいスピードで進んで行く。離れていたら、二人の距離《きょり》はどんどん開いていくだけ。
見守るボクはつばさに触れることはできず、触れられないボクはつばさを綺麗《きれい》に磨《みが》き輝《かがや》かせることができない。
そう……
「ボクでは君の心を動かすことができない。ボクでは君を美しく輝かせることができない……と理解したんだ」
このままでも普通に付き合っていける。それは間違いない、このまま二人で過ごし、人生を共に過ごすことすらできるかもしれない。
でも……つばさを今以上に美しく輝かせることはできない。
「ボクには…………美しい花を付けるはずのつぼみを手折《たお》ることなど、できないよ」
ボクは微笑《ほほえ》みながらつばさに言った。でも、ボクの今の顔は泣き顔に見えるかもしれない。
つばさはそんなボクを見つめ返して言った。
「君は融通《ゆうずう》の利《き》かない人間だな、そんなこと無視すれば何の問題もないというのに。キスどころかその先を求められたとしても私は拒否しなかっただろう」
「そこで無視してしまったら、ボクがボクであるという矜持《きょうじ》を失ってしまう。それはボクじゃない」
そう、そんな美しくない行動を取った瞬間《しゅんかん》ボクはボクでなくなってしまう。
「そうかもしれないな。……私はそういう君を正直好ましいと思っているよ」
そこでつばさは言葉を句切りボクを見た。少しだけ申《もう》し訳《わけ》なさそうな顔をしている。
「だが……すまないな。これは友人としての想《おも》いなのだろう」
「ふふ、だろうねー」
ボクは苦笑《にがわら》い。
「それでこれからどうするのだ?」
先ほどまでの顔はどこに行ったのか、あっさりと聞くつばさ。やっぱり好奇心が前に出ているみたいだ。
別れた直後の男女の会話じゃないね。まあ男女交際というよりは、男女交際ごっこといった感じだったんだけど。
ボクはそんなことを考えながら、
「ああ、そのことだけどね。君が良いなら友人として付き合っていきたい」
つばさに負けず劣らずの軽さで言った。
「私はかまわないが……君こそ良いのかね?」
「うん、いいよ」
寂《さび》しくないといったら嘘《うそ》になる。
未練《みれん》がない訳でもない。
でも、もっと美しく輝《かがや》けるはずの彼女の可能性を潰《つぶ》すのはもっと許せない。これは生き方の問題。信念の問題。ここで曲げてしまえばボクの生き方|全《すべ》てを否定することになってしまう。美しいつばさを見守るはずのボクが、つばさの可能性を奪う訳にはいかない。
それがボクの選択《せんたく》。でも、ボクの決意が消えた訳ではない。つばさを見守ろうと決めたあの想《おも》いは……。
「ボクは、友人として君の側《そば》にいよう。君を輝かせる人が現れる日まで。そして現れてからも」
「そうか」
笑顔《えがお》でつばさは手を差し出した。
ボクは笑顔でその手に自分の手を重《かさ》ねた。
「では今後ともよろしく頼む」
「こちらこそよろしく」
恋人同士の想いを伝えるキスではなく、想いを確《たし》かめ合う友人としての握手。
恋人ごっこが始まったこの場所で、ボク達の恋人ごっこは終わった。
******
「さて、これから超常現象研究会初めての会議《かいぎ》を行う。議題は今後の方針についてだ」
彼女が成仏《じょうぶつ》したおかげで使えるようになった教室でつばさが言った。
昨日《きのう》の夜の出来事はボクとつばさの関係を表す言葉を劇的《げきてき》に変えたが、ボクとつばさの関係は全く変化していない。いや、前より深まったかな?
言葉上では、恋人同士から友人同士にランクダウンした訳だけど、友人同士としての結び付きなら前よりも強くなった。親友と表しても抵抗がないほどに。
多少寂しく感じる部分もないではないけど、やっぱりこれで良かったと納得《なっとく》してもいる。あれが今できる最善でもっとも美しい終わり方だった。
今日《きょう》つばさは登校と同時に校長先生の所に報告しに行き、見事部室をゲットした。
その時初めて知ったけど、つばさは思いの他《ほか》校長先生に可愛《かわい》がられているみたいだった。まあ屋上で一緒《いっしょ》に輪《わ》になってベントラベントラー言いながらUFO呼ぶくらいだから、そうだろうとは思っていたけどねー。
つばさに聞いたところによると、子供の頃《ころ》に入院していた校長先生と知り合ったそうだ。そこで校長先生はつばさの好奇心を刺激《しげき》してしまったんだろう。その縁《えん》で、つばさは中高一貫エスカレーター式のお嬢様《じょうさま》学校に行っていたにもかかわらず、この高校に来たらしい。つばさ曰《いわ》く「面白《おもしろ》くなかったから」だそうだ。
そんな訳で部室を手に入れて初めての会議《かいぎ》が行われている訳だよ。
「それでは道本《みちもと》君、協力者を紹介しよう。私の友人|小谷《こたに》美香《みか》だ。私の友人をやっていることからもわかるように、美香もなかなか面白い人物だ。入会はしないが色々手を借りることになると思うので仲良くしてくれ」
つばさの友人。……美しいことにそれだけで他《ほか》の言葉がいらない気がするよ。ボクの目の前に座っている可憐《かれん》で美しい少女がいったいどんな面白人物なのか。
めがねつながりということはないと思うけど。
ボクはそんなことを思いながら、めがねに三《み》つ編《あ》みというつばさと似たような格好《かっこう》をした少女に挨拶《あいさつ》をする。
「初めまして小谷さん。道本|誠《まこと》ですどうぞよろしく」
そこで最高の笑顔《えがお》を見せるボク。ああ、条件反射とは恐ろしい。最高の笑顔を最高の角度で出してしまう。大体の女性はこの瞬間《しゅんかん》頬《ほお》を染《そ》める。しかし……
「美香で良いですわ。こちらこそよろしくお願《ねが》いします」
何事もなかったかのように、にっこりと微笑《ほほえ》む少女――美香。
この微笑みは……誰《だれ》かに見せることを前提とした笑顔。自然なように見えて、自然じゃない。自然に出たというよりは、自分をより良く見せようという笑《え》み。よく見てみれば格好は同じでも、つばさとは受ける印象が違う。つばさはひたすら美しさを隠《かく》すためのめがねと三つ編みだけど、美香の場合は美しさを隠しつつもわかる人間にはわかるという絶妙な……
ボクは右手を差し出した。
「君とは非常に美しい関係を築《きず》けそうな気がするよ」
「まあ、それは光栄ですわ」
がっちりと握手を交《か》わすボクと美香。ボクに感じることがあったように、美香にも何かボクに対して感じることがあったみたいだよ。
「いやいや良かった。まあ、心配はしていなかったが」
確《たし》かに美香とは非常に波長が合いそうな感じだ。
「ごほん、では顔合わせも終わったところで続きだ」
つばさはそこでボク達を見回す。
「今校内では怪奇現象が収まったという噂《うわさ》が流れている。まあ、事実なのだが」
「ボクが流したんだけどねー」
つばさにそれとなく広めてくれと頼まれたんだよ。
「そこで、その噂の熱《ねつ》が冷《さ》めないうちに、それに乗っかって超常現象研究会と私の存在を知らしめようと思う。まずは容姿のインパクトで注目を集めようと思っている。美香《みか》に協力してもらうので、それなりに見られる格好《かっこう》になるんじゃないかね」
「それは本当に楽しみだよ」
「私が地《じ》を出す以上これは必死《ひっし》なんだよ。なぜなら……」
なぜなら?
ボクと美香の視線《しせん》が続きを促《うなが》す。つばさはもったいぶるだけもったいぶって……そして言った。
「…………なぜなら、今のままでは美香とキャラが被《かぶ》っているのだよ! お下げの文学少女系めがねっ娘《こ》は二人もいらないのだ!!」
「それは確《たし》かに、助かりますわ〜色々と」
「確かに被っているのは美しくない。違う美が並んでいた方がそれぞれの美しさが引き立つし、見る方も楽しめる」
なぜかとても話が合うボク達。流石《さすが》つばさの友人になれるだけのことはあると美しく自画自賛《じがじさん》してみたくなるよ。
三人で顔を突き合わせ頷《うなず》いていると……つばさがハッと何かに気が付いたような顔をした。
「……何ということだ。今私は重要なことに気が付いてしまった。致命的といって良い。くうっ私としたことが」
「それは何だい?」
つばさがここまでうろたえるとはよっぽどのことに違いない。
「……私達の中に突っ込み役が一人もいないのだ。これでは話を綺麗《きれい》に落とせないではないか」
………………それは困った。
******
ざわざわ
ざわざわ
ざわざわ
ざわざわ
……いや、予想はしていたけどここまでとはね。なぜだか非常にギャンブル何かがしたくなるそんなざわめきの中、ボクは心の中で感嘆《かんたん》のため息をついた。
つばさが、いつも通りの胸を張った歩き方でボクの前を進んでいる。めがねはなく、うつむくことをやめたつばさの瞳《ひとみ》が正面を見すえている。
周囲の生徒がいったいあれは誰《だれ》だ? と、遠巻きに眺めている。
いやいや、効果的だ。いきなり現れたものすごい美少女、一番登校する生徒が多い時間帯を狙《ねら》っているし、それがボクを引き連れているんだからさらに目立つ。今日《きょう》一日はこの噂《うわさ》で持ち切りだろう。そして今日の昼休憩《ひるきゅうけい》には……いやいや、つばさには驚《おどろ》かされてばかりだ。
ボクは目の前のつばさの後ろ姿を見る。昨日《きのう》まであったものがなくなっている。あの長く美しかったつばさの髪がばっさりと肩の上で切られている。
さっきなぜ髪を切ったのか聞いたんだけど……
「失恋した時は髪をばっさり切るものだろう?」
と、意地の悪い美しい笑顔《えがお》で言った。
………………はぁ、つばさらし過ぎる理由だけど、もったいなさ過ぎる。美容師が何度も何度も「本当に切るんですか? 本当に良いんですね? いきますよ?」と泣きそうな顔で聞いてきて面白《おもしろ》かったとも言っていたよ。ご愁傷様《しゅうしょうさま》としか言いようがないね。ボクなら絶対できなかったと思うよ。あの美しい髪にはさみを入れるなんて。
そんなこんなでショートヘアーになったつばさ。似合ってはいる、ものすごく似合ってはいる。つばさの凜々《りり》しい雰囲気にぴったりだ。でも、でも……うああああ。ボクの中で行き場のない言葉に表すこともできない微妙な気持ちが心の中で荒れ狂っているんだよ。
ああ、苦悩に顔を歪《ゆが》めるボクも美しいに違いない。しかし、しかし鳴呼《ああ》――
******
昼休憩、つばさは押しかけた生徒がすし詰めになっている体育館《たいいくかん》の状況にまったく物怖《ものお》じをせず、壇上《だんじょう》をゆっくりと歩き中央のマイクの前に立った。
「うむ、では質問を受け付けよう」
一瞬《いっしゅん》静まりかえり、そのあとハイハイハイと沢山《たくさん》の生徒が我先《われさき》にと手を挙《あ》げる。
今ここで何が行われているかというと……記者会見のようなもの。
クラスで質問攻めに合うことを予測していたつばさは、一度に説明した方が効率が良いということで、この会見を用意していた。何か聞いてきた人には、「昼休憩に体育館に来てそこで質問してくれたまえ」と。
という訳で今の状況になっているわけだよ。それでボクはというと、その狂乱を舞台袖《ぶたいそで》で眺めている。
「では、君」
つばさが目の前の男子生徒を指さす。確《たし》かつばさのクラスメイトだ。
「えっと、いきなり変わったのは何でですか?」
「一つは、入学直後から夏休み前という浮かれた季節をやり過ごすためだ。私が前にいた女子校ですら、その時期にはお姉《ねえ》さまになってくださいとか、妹になりませんかとかそう言った輩《やから》が増えるのだ。共学ならさらにすごいことになったはずだ。まあ、こうして私が地《じ》を出した以上、私の外見だけに釣《つ》られる人間はいなくなるだろう。ある程度以上私のことを知れば、私を恋人になどという突飛《とっぴ》なことは考えなくなるだろう」
……突飛なことって。いや確《たし》かに、あの時のボクも突飛といえば突飛なんだろうけど……やっぱりあの美しい思い出を突飛の一言で片付けられると悲しくなるよ。
「はいはい!」
今度は2年の男子生徒。
「趣味《しゅみ》は?」
「知ること、好奇心を満足させることだ。最近は幽霊《ゆうれい》関連の書物を読みあさっていたな。その前はUFOにはまっていた。まあ、基本的に知ることは何でも好きだが、今言った系統の方が好奇心をそそられるので好んでいるな」
「ハイ」
次は1年の女生徒が手を挙《あ》げた。
「道本《みちもと》君とはどんな関係なんですか?」
「友人だ。いや親友といっても良いかもしれないな。凰林《おうりん》高校|七不思議《ななふしぎ》の一つであるずぶ濡《ぬ》れの少女を成仏《じょうぶつ》する際に力を貸してもらった。どうやったかは秘密だ」
親友、何て美しい言葉なのだろうか。
ボクがそう感動していると……
「しかしまあ、それ以上になることはあり得ないだろうから気にしないでくれたまえ」
……まあその通りなんだけど、その断言にはそこはかとなく寂《さび》しさを憶《おぼ》えるよ。いいんだけどねー。
「ああ、それで東棟《ひがしとう》3階のあの大部屋は、私が設立した超常現象研究会の部室になったので憶えていてくれたまえ。少女の霊を成仏させた報酬《ほうしゅう》だな」
といった感じで会見は続く。
「好みのタイプは?」
「わからない。そもそも恋愛感情というものが私にはよく理解できていないのでな。この辺《あた》りが先ほど道本君との関係を聞かれた時の答えに繋《つな》がっている」
「恋人は募集していますか?」
「していない。という訳で、私をくどくなどという血迷ったまねはやめてほしい。貴重な青春を無駄《むだ》にするものではないよ」
血迷ったまね……無駄。鳴呼《ああ》、涙を流すボクも美しいに違いない。
「スリーサイズは?」
「83/57/86。入学時の身体測定の結果なので今はもう少し育っているかもしれんな。微妙にきつくなったことだし」
何がきつくなったんだー!!
という男子生徒の絶叫が聞こえる。
何か質問が変な方向に行っている気がするよ。しかもつばさも何の躊躇《ちゅうちょ》もなく答えるし。
「男性|経験《けいけん》は?」
「ないな」
「女性経験は?」
「毒牙《どくが》にかかりかけたことはあるが、ない」
……つばさ、正直は美徳だけど流石《さすが》にそれは美しくないよ。
美しく頭を抱え本気で嘆《なげ》くボク。
その間にもつばさはどんな質問にも淀《よど》みなく答えていき……
気が付けば、つばさが美香《みか》に連れられてドナドナ退場しているところだった。流石に際《きわ》どいところに行き過ぎたみたいだねー。
という訳でつばさの存在は本性《ほんしょう》を表して一日目にして、全校生徒にものすごく深く刻み込まれた。
******
「では、前言ったように七不思議《ななふしぎ》を作ろう」
精神的に疲れた昼休憩《ひるきゅうけい》の会見を終えて放課後《ほうかご》、美香とボクを前にしてつばさが言った。
ちらほら部室を覗《のぞ》き込む人影《ひとかげ》が見えるけど、流石に入り込む猛者《もさ》はいないようだ。ああ、全校生徒がつばさに美しく踊らされているねー。
「今学校にある七不思議は、トイレの花子《はなこ》さん、真夜中に動く人体模型、夕方ににやりと笑うベートーベンの肖像画、西棟4階の階段を上がったところにある鏡《かがみ》を深夜二時に覗き込むと年老いた未来の自分の姿が映る、誰《だれ》もいないはずの体育館《たいいくかん》から聞こえるボールの跳《は》ねる音、そして痛い痛いと繰《く》り返すずぶ濡《ぬ》れの少女の六つ。
六不思議でないかと激《はげ》しく突っ込みたいな。まあ、こういうものはお約束のようなものだから、それらが実際の怪現象に結び付いているとは思っていないが。しかし6とは据《す》わりが悪い、落ち着かない。
しかも、珍《めずら》しく実際に怪現象が引き起こされていた怪談《かいだん》、ずぶ濡れの少女は、私達が成仏《じょうぶつ》させてしまった。これで五不思議になってしまった。これは由々《ゆゆ》しき事態《じたい》だとは思わないか?」
「確《たし》かに美しくないねー」
「という訳で、道本《みちもと》君。暇《ひま》でノリの良い幽霊《ゆうれい》の方に心当たりはないかね? 妖怪《ようかい》テケテケ、工作室をはい回る手首、上りは12段にもかかわらず下りは13段になる階段、このどれかを加えたいのだが。ああ、個人的にテケテケは譲《ゆず》れない。上半身だけの女が手だけでテケテケ追いかけてくるのだぞ? 素敵《すてき》だろう?」
ごめん、ボクにはその素敵さがわからないよ。
「ではあと一つだな。残りの二つの内、どちらが良いだろうか。校庭を走る二宮《にのみや》金次郎《きんじろう》像が個人的には良かったのだが、うちの学校にはないからな、困ったものだ」
二宮金次郎の像がなくて困る人間を初めて見たよ。相変わらずつばさの脳の中はとても美しいことになっているんだと思うよ。
「ともかく実際に怪現象を起こし、それを怪談《かいだん》に定着させるのだ! 学生というのはこういうものが大好きだからな、これが定着すれば代々の生徒が愉快《ゆかい》に楽しめるだろう。ふむ……どうせやるならとことんまで行く方が良いか? 七不思議《ななふしぎ》を入れ替えるとか。誰《だれ》もいない体育館《たいいくかん》から聞こえるボールの音という怪談は地味だしな」
ああ、信じられない。ボクの目の前で今、地味だからという理由で学校の七不思議が入れ替えられようとしているよ。ボクは今歴史の証人になってしまったのかもしれない。
……そんな感じで本格的に始まった超常現象研究会の活動。気が付けばボクも演劇部《えんげきぶ》と掛け持ちをすることになっていた。
まあいいかな、美しい少女に振り回される。これはこれでなかなか美しいんじゃないかと思うよ。
それに、見守るという誓いは今も生きているし、つばさといれば、より美しいものが見られるだろうしねー。もしかすると恋するつばさまでも見られ…………これだけは、もしかしそうにないねー。
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ある日の放課後、つばさとボク2
「いやなつかしいねー」
昔話のきりが良いところでボクは言った。
「全くだな、いやはや私も若かった。何だろうこう、恥《は》ずかしいな。背中がむずがゆい」
微《かす》かに照れているつばさ。照れるつばさというのはとても珍《めずら》しいが、こんなつばさもやはり美しい。
「で、どうなのかな? 昔の自分を思い出してみて」
「うむ…………」
つばさは目をつむりしばらく考えたあと……頭を下げた。
「いや、すまなかったな。君には非常に迷惑《めいわく》をかけた。今だからわかる自分の無知さに赤面する思いだよ。まあ、知らないものは知らないのでしょうがなかったのだが」
あれはあれで美しかったんで別に良いんだけど。
「だが、人を見る目に関しては今でも自信を持ってるよ。やはり君はいい男だった」
「いや、つばさにそんなことを言われると、とても照れるねー」
「今の私があるのは、君のおかげといっていいかもしれない」
「ま、きっかけぐらいはボクが作ったとうぬぼれても良いだろうけど、今の君があるのはひとえにハニーのおかげだよねー」
「謙遜《けんそん》することはない。あの時の君の選択《せんたく》があればこそだ」
「確《たし》かにあの選択は正解だったと思うねー。最近の君はとても美しく輝《かがや》いているよ。後悔《こうかい》は全くない。でも、一番すごいのはやっぱりハニーなんだよ。あのつばさをこうしてしまったのだからね」
少々変わった感じになっているけど、このつばさと恋愛をしているのだからね。
「まあ、はじめ君は得難《えがた》い人物だとは思うがね。正直めろめろだよ私は」
めろめろ……昔からは考えられない言葉がつばさの口から聞こえたよ。いや、すごいね。人は変わるものだと、少し感動してしまう。
「そのつばさをめろめろにするなんていう偉業を成《な》し遂《と》げたハニーは今何してるのかなー」
[#改ページ]
2年生組の放課後とぼく
「クシュッ」
急に鼻がむずがゆくなったぼくは小さくくしゃみをした。
それと同時にカコーンという気持ちいい音が響《ひび》く。ボーリングの球と十本のピンがぶつかった音だ。頭上のモニターがストライクという文字と共に派手《はで》に点滅する。
そのストライクを出したオーラは、戻ってくると同時に心配そうに聞いてくる。
「オー、ハジメ風邪《カゼ》デスカ?」
「うーん、違うと思うんだけど……」
おでこに手を当ててみる、熱《あつ》くない。別に身体《からだ》がだるいとかそういうこともないし。うん、ぼくの身体にはやっぱり異常なし。昨日《きのう》もよく寝たしご飯も美味《おい》しい食欲の秋だし。寝冷えしたとかそういうのもない。ぼくは健康《けんこう》そのもの……。
「ふっそのくしゃみは風邪などではない……」
そんな結論《けつろん》に達したぼくの耳に、微妙にぬめった声が聞こえてくる。……いやまあタッキーの声なんだけど、タッキーの声を表現しようと思ったらなんかそんな感じになった。
タッキーは、
「そのくしゃみは、場面転換が行われた証拠《しょうこ》に違いないのだ! そう、今どこかからバトンが渡されストーリーが新たな展開を見せたのだ! 使い古された方法だが、だからこそわかりやすく……」
こんな言葉を偉そうに垂《た》れ流す。
「あ、次ぼくが投げる番だね」
「ハジメ! ガンバッテクダサイ〜」
そんなタッキーをきっちり無視してぼくは投球準備に入る。
「無視するなー」とか聞こえてくるけど、意識《いしき》から閉め出し目の前のピンに集中する。今の身体に合わせて選《えら》んだ少し軽めのボーリングの球を胸の前で支え、一歩二歩と流れるように歩を進めそのまま球を投げる。
ボウリングの球はぼくの狙《ねら》い通りのコースを巡り、カコーンという小気味《こぎみ》良い音と共に全《すべ》てを倒した。
ストライク!
ぼくは笑顔《えがお》で振り返りオーラと手を合わせた。
「いえーい」
「オオ〜。ハジメスゴイネー」
「う〜ん、絶好調《ぜっこうちょう》だー」
と、喜んでるぼく達の隣《となり》のレーンではのりちゃんがボウリングの球を構えて精神集中してる。
投球に入るのりちゃん。のりちゃんの鍛《きた》えられた身体《からだ》から放たれた一球は、ボウリングの球とは思えないスピードで転がっていく。すごいアレがあたったら、絶対人死ぬよ。そんな凶器と化したボウリングの球は一直線《いっちょくせん》に先頭のピンに到達すると、
バッコーン!!
爆発《ばくはつ》したようにピンが吹《ふ》っ飛んだ。でも……
「ぐああああああっ!!」
見事に両端のピン、7番ピンと10番ピンが残ってる。
頭をかきむしって悔《くや》しがるのりちゃん。
ああ、またのりちゃん熱《あつ》くなってる。まあ、ぼくと勝負する時はいつもこんな感じに熱くなってるんだけど。
「えっと……どんまい」
ぼくの何度目かの励まし。ぼく、三回連続でこう言ってる気がする。
「くうぅ、そうやって余裕でいられるのも今のうちだ!!」
のりちゃんも三回連続でこう言ってる。
……三回連続で両端残すって、ある意味ストライク連続で出すよりすごいんじゃないかな。
「ひゃっひゃっひゃっひゃっひゃ、ひーひーひ〜〜〜」
後ろでタッキーが無視されたダメージなどまったく感じさせない勢いで馬鹿《ばか》笑いしてる。まあ、あの程度で傷付いてたらタッキーなんて一日もやってられないだろうけど。それにしても相変わらずむかつく笑い声だなあ。
「だまれっ!」
のりちゃんの攻撃《こうげき》を、小デブにあるまじき反射神経でかわすタッキー。
「まあ、女性チームを勝たせてやろうというそのレディーファーストの精神は素晴《すば》らしいが、そろそろ本気を出してくれ」
「言われなくてもわかってる!」
まったくもう、のりちゃんをそんなに煽《あお》らないでほしいよ。おかげでまたのりちゃんの脳内温度が上昇したよ。
このままだとまたいつもの通りに……
今ぼく達が何してるのかというと、お昼ご飯をかけてボウリング勝負をしてる。
初めは、確《たし》か……ここのボウリング場ができたという話になって、昔ぼくとのりちゃんでやったなぁという話になって、のりちゃんが負けたこと思い出して、勝負だーとなった。まあ、いつも通りといえばいつも通り。んで、そのままじゃ面白《おもしろ》くないから、チームを分けて勝負することに。チームは、ぼくとオーラの女性チーム(ぼくが女性チームにいるというぬぐい去れない違和感は考えないことにした。泥沼だし)で、残りはタッキーとのりちゃんと真太郎《しんたろう》チーム。
でもどう考えてもこっちが不利……とお思いでしょうが、全然そんなことなかったり。
スコアを見ると、オーラの場所にはずっとチョウチョが並んでる。一回ストライク出したら、それからずっとストライク。なんか、ストライク出した時と全く同じ力、スピード、コース、投球フォームで投げてるんだそうだ。だからいっつもストライク。パーフェクト。流石《さすが》オーラだね。そのオーラが二人分|稼《かせ》いでるからちょうどよく釣り合いがとれてたりするんだ。
あとは、ぼくが頑張《がんば》って、のりちゃんがいつも通り熱《あつ》くなればぼくたちが勝てそうな感じ。まあ、のりちゃんはもうすでに真《ま》っ赤《か》に燃《も》えさかってるから、こっちが崩《くず》れない限り勝てるんじゃないかなー。口には出さないけど。
カッコーン!
またオーラがストライク。
「ナーイス」
「ドウモデスー」
盛り上がる女性チーム。
「おい、真太郎! ストライクだ! ストライク! オレは絶対に負けられないんだよ!」
「…………」(真太郎《しんたろう》)
「おい、典弘《のりひろ》。おまえが言うなおまえが」(タッキー)
「うるさいぞ馬鹿《ばか》!」(のりちゃん)
「…………」(真太郎)
「あれ? あれれ? おまえだけマークが付いてない気がするんだが気のせいか?」(タッキー)
「いいかげんだまれ川村《かわむら》!」(のりちゃん)
殺伐《さつばつ》とした男子チーム。タッキーがのりちゃんを煽《あお》って、二人ががやがやと真太郎の集中力を乱す。どう考えても足引っ張りあってるよ。でも……男同士のあのノリ。懐《なつ》かしいなぁと、温かい目で見守りつつも、ちょっとセンチメンタルな気分になるぼく。その気分を振り払い、立ち上がりボールを手に取る。
にしてもさっきから、ぼくが投げる時に後ろで不穏《ふおん》な空気を感じるんだけど。なんというか……狙《ねら》われてる感じ? 被捕食者の勘というか、草食動物の勘というか。
ぼくはボウリングの球を構える。
…………やっぱり居心地《いごこち》が悪い。さっきから感じていたその感覚が今ピークに。
むむむむむむ……
ぼくは投球に入る。いつも通りの投球フォーム。一歩二歩三歩と足を前に出し、ボールを後ろに振りかぶり、ボールを放す…………と見せかけてボールを放さず、ボールの勢いをそのまま利用して半回転。
すると背後《はいご》には……床《ゆか》に寝転がってカメラを構えているタッキー。
「……………………」
「……………………」
ぼくとタッキーの視線《しせん》が絡《から》みあう。
ぼくは無言でずんずん歩いてタッキーの前に立つと、足の裏でカメラのレンズをふさぐ。
「で? 何か言うことは?」
絶対零度とまでは行かないけども、冷凍庫の温度くらいはありそうなほど冷たい目でタッキーを見下ろす。
タッキーはあろうことかその視線に耐え、逆にぼくの目をにらみ返して言った。
「もちろん、パンチラを撮《と》っているのだ!! 文句あるか!!」
うわっ、この馬鹿開き直りやがった。
「おれには、伝える義務がある!! 知る権利がある!! おれは自由だ!! 自由|万歳《ばんざい》!!」
「………………」
ぼくのスカートの中身を知る権利がタッキーにある訳ないだろう。
「………………そうなんだ。じゃあ、義務|頑張《がんば》って」
タッキーは、カメラを構えているせいでみぞおちが無防備なままさらされてる。ぼくはそのみぞおちの上にボウリングの球を構える。両手で支えてるけど、重さで手がぷるぷる震《ふる》える。う〜ん、凶器だなぁ。
「最後に言い残したいことはある?」
にっこり微笑《ほほえ》んでタッキーの最後の言葉を聞くやさしいぼく。
「引かぬ、媚《こ》びぬ、省みぬ!! オーラよ!! オレの生き様を見届けろっ!!」
なんか無意味に男らしくタッキーが言った。あまりの気迫に背後になんか奇妙な生物が見えた。…………豚《ぶた》かな? 龍《りゅう》や虎《とら》じゃないのはタッキーだから。
まあ要するに、タッキーはまったく反省してない。
「…………はぁ」
ため息が出た。
なんでこんなのと友達やってるんだろう。
「…………ふぅ」
ぼくはため息をもう一つつく。すごく悲しくなってきた。
そして……ぱっと、ボウリングの球を放した。かけらも躊躇《ちゅうちょ》なし。さよならタッキー。おまえのことはすぐ忘れることにするよ。
重力に引かれ、みぞおちを目指すボウリングの球。
しかしその瞬間《しゅんかん》! タッキーはぼくの注意がカメラから逸《そ》れた一瞬の隙《すき》を見のがさず、身体《からだ》を伸ばすことでぼくの足の下からカメラをずらした。
なっ!!
これは予想外だった。身体を伸ばすということは、お腹《なか》に力が入りづらくなるということ。
要するに……ただでさえ無防備だったみぞおちが、さらに無防備に。
…………なんて馬鹿《ばか》だ。
タッキーがそんなお馬鹿な行動をとっている間にもボウリングの球は落ちていき……。
ドス
パシャ
「ぐぇ」
タッキーがシャッター押すのと、ボーリングの球がタッキーのみぞおちを直撃《ちょくげき》したのはほぼ同時だった。踏み潰《つぶ》された蛙《かえる》のような声が響《ひび》く。
最後までカメラを放さずシャッターすら押したその勇気と覚悟と根性を、もっと別の場所に生かせと心から思う。
顔を真《ま》っ青《さお》にして、脂汗《あぶらあせ》さえ浮かべているタッキー。でも、口元は笑っている。
「……ふふ、ふ……ベストショットだ」
そのタッキーの横には、感動してうるうるしてるオーラ。
「……カワムラ、立派デシタ」
オーラに心から聞いてみたい。……本気でそう言ってるの?
なんか知らないけど盛り上がってるタッキーとオーラ。
「ま、とりあえず没収」
ぼくはタッキーの手からデジカメを奪う。
「のおぉおぉおぉおぉおぉ〜」
えーと、消去消去。
ぴぴっとデジカメを操作《そうさ》。
うわっ、これか。
画像データを一枚ずつ見ていく。他《ほか》にも沢山《たくさん》撮《と》ってる、というかぼくが撮られてる。いつの間に……まったく気付かなかった。なんでこいつは気配《けはい》を消すなんて特殊能力持ってんだ。キ○ガイに刃物という言葉にこれほど合う奴《やつ》見たことないよ。
ぼくは呆《あき》れつつも中身を確認《かくにん》していき……あった。
その中には見事にぼくのパンチラ画像が。限界ぎりぎりのローアングル。すさまじいまでの情念が感じられる画像だ。あの一瞬《いっしゅん》でこれを撮ったのか。呆れるのを通り越して逆に感心してきた。それに……
「むむむむむ」
……………………見てたらドキドキしてきた。なんか先輩《せんぱい》の…………………………はっ!!
そこで正気に戻るぼく。頭をぶんぶん振って邪念を振り払う。
だめだーっ! そっちいっちゃだめだー! 奴の場所まで落ちるつもりかぼく! もう帰ってこれないぞ! そこで伸びてる、存在自体がわいせつ物陳列罪のタッキーと同じになってしまうぞっ!!
自分を叱咤激励《しったげきれい》し、どうにか真人間ロードに復帰。
ふぅ、あぶないあぶない。
「という訳で、消去」
ピッ
「のおぉおぉおぉおぉおぉおぉおぉおぉおぉおぉおぉおぉおぉおぉおぉおぉおぉっ!!」
「ついでにぼくの他《ほか》の画像も消去」
ピッピッピッ
「ぎゃあぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁっ!!」
「おまけだ、嵐《らん》ちゃんと美香《みか》さんとオーラと…………ええい面倒《めんどう》だ。全部消去」
ピッ
「ひいいぃいぃいぃいいぃいぃいぃいぃいぃいぃいぃいぃいぃいぃいぃぃ…………    」
タッキーの悲嶋は少しずつ小さくなっていき、とうとう何も聞こえなくなった。
見たらタッキーは泡ふいてピクピクしてる。
ゾクゾクっ!
……うわーきもちいー。
なんだろうこの胸のすがすがしさは。快感だ、癖《くせ》になりそうだよ。
「じゃあ、続きいこうか」
そう言うぼくはとてもいい笑顔《えがお》をしてると思う。
「そうだな」
「……ああ」
そう返してくるのりちゃんと真太郎《しんたろう》。
…………なんかぼくを見る目におびえが入ってるような気がしたけどたぶん気のせい。
******
「いやそのごちそうさま」
ムスッとしてるのりちゃんにぼくは言う。まあ、のりちゃんが勝負に負けた時はいつもこんな感じなんだけど。
まーボウリングは案《あん》の定《じょう》というかやっぱりというか、ぼく・オーラの女性チームが勝った。で、今ぼく等《ら》がいるのは一階のハンバーガー屋さん。
う〜ん、ぼくは目の前にある空《から》のトレイを見て思った。食べ過ぎてしまったかもしれない。ボウリングしてお昼ご飯が遅れた分、沢山《たくさん》食べちゃったんだよねー。お腹《なか》すいてたし、おごりだし。……とはいっても、先輩《せんぱい》の身体《からだ》はあんまり食べないし。安くて有名なハンバーガー屋さんだし、値段はたかがしれてるけどね。
ぼくはジュースをちゅーちゅー飲みながら言う。
「このメンバーで遊ぶのって考えてみたら初めてだよね、そういえば」
「……そうだな」
真太郎が何個目かわからないハンバーガーを食べつつ言った。のりちゃんは負けたのが堪《こた》えたのか、その隣《となり》でぶつぶつ言ってる。もう少ししたら復活するはずだから心配はいらない。
「ま、はじめがつばさ先輩にべったりだからな」
「いや、そこまで言うほどべったりじゃ……」
「ベッタリデスネー」
「……べったりだ」
うわ、オーラはともかく、真太郎にまで突っ込まれたよ。
「つーか、つばさ先輩と会ったその頃《ころ》からもうべったりだったぞ。要するに高校入学直後から」
「ソーナンデスカ〜」
「そうだ」
自信満々なタッキー。
「えーそうだったっけ?」
「そうだ、忘れる訳がない。そもそも、最初につばさ先輩《せんぱい》の情報教えてやったのはおれだろう。ふふふふ、予感があったんだよ。おまえとつばさ先輩の組み合わせは面白《おもしろ》いと! いや、想像以上に面白くなり過ぎた気がするが」
そういえばそんなこともあったような……
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つばさ先輩との出会いとぼく
「――――入部希望の山城《やましろ》一《はじめ》です」
ぎくしゃくと平賀《ひらが》先輩の前まで行ったぼくは、ビシィッと気をつけをして言った。
「ほう、入部希望か」
平賀先輩の整《ととの》った顔がぼくを興味深《きょうみぶか》そうに見る。そしてそのまま向かいに座った男子生徒に話しかけた。
「物好きな人間がいたな、道本《みちもと》君」
「ほんとだねー。ちょっとびっくりだよ」
物好き……いや、否定はできない気がするけど、平賀先輩が言っちゃお終《しま》いな気がする。
あと、この格好《かっこう》いい男の先輩は道本先輩というのか。さらさらの髪の毛に整った顔立ち。座ってるけど、そのスタイルのよさがわかる。そういえば2年生の先輩に王子様がいる……とか、クラスの女の子が話してたなぁ。確《たし》かに美形だ。そして、この二人が並んでお茶をしているととてもお似合いだ。この二人付き合っているのかなぁ。それにしてはなんか、甘い空気がいっぺんたりとも感じられないというか、なんというか。
「それで入部の動機《どうき》は?」
平賀《ひらが》先輩《せんぱい》がぼくを観察《かんさつ》するみたいに見つめながら聞いた。うう……なんかものすごく恥《は》ずかしい。顔|真《ま》っ赤《か》だろうなぁ。そんなぼくを見る先輩の顔はどんどんいい笑顔《えがお》になっていく。
うわっ、なんかわかってしまった。この人、いじめっ子だ。間違いなくいじめっ子だ。ナチュラルボーンいじめっ子とかクイーンオブいじめっ子とかそんな感じだ。
ぼくの変人センサーが警鐘《けいしょう》を嶋らしてる。アラートアラートアラート。この人はお姉《ねえ》ちゃんたちと同類だ、近付くな近付くな。今おまえは人生の重大な岐路《きろ》に立たされているとぼくの本能が告《つ》げている。
でも、逃げたいけど逃げたら逃げたで後悔《こうかい》する気もする。
うわーうわーうわー。どうすればいいんだー。
…………ボン。
あまりのことに思考回路がショートした。相変わらず逆境に弱いぼく。
………………なんでぼくはこんなところにいるのかな。
〜ちょっと回想(逃避とも言う)〜
「……はぁ」
すごかったなぁと感嘆《かんたん》のため息を一つ。今ぼくたち新入生は、クラブ説明会に行ってきた訳だけど……いろんな意味で衝撃《しょうげき》だった。
体育館《たいいくかん》から戻ってきたぼくは席に着くと、山田《やまだ》君と向かい合わせになりお弁当を広げつつ聞いた。
学校が始まって数日、引っ越してきたぼくには同じ学校の友達がいないので、話す人が全然いなかった。それでも後ろの席の山田君とは、話すようになった。山田君は口数は少ないけどいい人っぽい。
「山田君、クラブどうするの?」
「真太郎《しんたろう》で良い」
「そう、じゃあぼくもはじめでいいよ。で、真太郎はどうするの?」
「柔道部だ。中学の時もそうだった」
あーなるほど、言われてみれば外見そのまま柔道部って感じ。うちのお父さんぐらい大きいし、筋肉もいい感じについてるし。ぼくと山田君……じゃない真太郎が並ぶとものすごい落差。話す時首が痛いくらい。ううっ、うらやましい。でもぼくの場合は成長期に入ってないだけで、もう少しで伸びるんだい。お父さんだってお姉《ねえ》ちゃんだって背が高いんだから絶対伸びるんだい。嘘《うそ》じゃないやい、ちくしょー!
……と、愚痴《ぐち》はそこまでにして、真太郎《しんたろう》って何かやってるとは思ってたけど柔道かー。
「それでおまえは?」
「う〜ん、どうしようかなぁ」
おじいちゃんにしごかれてたから、運動神経には自信がある。身長がハンデにならないスポーツなら……ああ、身長の心配する自分が嫌《いや》だ。早く身長伸びないかなぁ。今まで縁《えん》のなかった文化系のクラブもいいかもしれない。手先は器用だし、山に籠《こ》もって自給自足してたら、料理やらお裁縫《さいほう》までできるようになってしまった。嫌いじゃないからいいんだけど。
う〜ん。なんか、何やってもそれなりにこなせそうな気がする。ぼくって昔から要領がいいんだ。
ただ、これっていうものがないんだよね。あんた器用貧乏だからね〜とかお姉ちゃんに言われたことがある。
「何か気になったところはなかったのか」
「うーん、さっきのクラブ説明会のこと?」
今日《きょう》の午前中に、新入生に対するクラブ紹介があったんだ。どのクラブも趣向《しゅこう》を凝《こ》らしてたから、見てて面白《おもしろ》かった。
…………そういえば。
「一つ気になってるところはあるんだけど」
「どこだ?」
「えっと…………凰林《おうりん》ミステリー研究会」
「…………」
「いや、そのぼくって、特異体質というかなんというか。だから不思議《ふしぎ》なことに興味《きょうみ》があったり」
「…………」
真太郎の細い目がぼくをじーっと見つめている。なんか心の奥まで覗《のぞ》き込まれているようで…………ぼくは正直に白状した。
「………………ごめん、あの先輩《せんぱい》が気になってます」
ぼくはあの先輩が気になる。壇上《だんじょう》での凜《りん》とした姿。すらっとしたスタイルに涼やかな声。
この気持ちが何かはわからないけどとても気になる。話してみたい、あの先輩のことをもっと知ってみたい。
こんな気持ちになったのは初めて。これはまさか運命……とかいう感じで美しくまとめようとしていたぼくだけど、真太郎の冷静な突っ込みで失敗する。
「……変わった趣味《しゅみ》だな」
……ぼくも心からそう思う。あの先輩《せんぱい》、美人ではあるけど、とても変わった人みたいだし。
ほんと、なんで気になってるんだろう。ぼくの好みは普通でやさしい人だったはずなのに。
……普通で、と付けてしまう自分が悲しい。でも、一番ぼくの近くにいた女の人は、お姉《ねえ》ちゃんと嵐《らん》ちゃんだよ? 二人とも悪い人間じゃないんだけど、その……色々強烈だし。というわけで付き合うなら普通の人! と心に誓ってたりしてたはずなのに。
それに、ぼくああいう大人《おとな》っぽい女の人|苦手《にがて》だったはずなんだけど。これもお姉ちゃんにいろいろされたせい。あとお姉ちゃんの友達とかにもかわいいかわいいなんてかわいがられて居心地《いごこち》悪かったりしたし。
「うん……苦手なタイプのはずなんだけどね。でも、なんだか気になるんだ」
ぼくは目をつむりあの先輩の姿を思い浮かべる。寸分の狂いもなく再生できた自分に驚《おどろ》いた。よっぽど強烈に脳裏《のうり》に焼き付いたらしい。
ぼくはそのまま、ぽつりとつぶやいた。
「あの先輩……名前なんて言うのかなぁ」
なんてうっとり遠い目なんかしていたら……
「ふははは、任せてもらおう」
ビクッ
「うひゃあ」
いきなり真横から声が響《ひび》いた。というか、ものすごくびっくりした。
「あー……川村《かわむら》君だっけ?」
おそるおそる聞いてみる。自己紹介がものすごいインパクトあったから間違えてないはずだけど疑問形。ちゃんと名前を把握《はあく》してると思われるのが、なんかいやな感じだから。
「そうだ、川村|秀則《ひでのり》15歳|乙女座《おとめざ》。だがタッキーと呼んでくれ」
「はぁ」
なんだろうこの人は、今までに出会ったことのないタイプの生き物だ。
「ちなみに好きな女性のタイプは人外《じんがい》」
………………えっと、ほんとなんなんだろうこの生き物は。ぼくは助けを求めるように真太郎《しんたろう》を見る。真太郎は思いっきり無視してお弁当を食べていた。タッキーの自己紹介の時の対応から見ても付き合い長そうだから、この生き物の扱い方を心得ているらしい。
……と、いうことはこれの相手はぼくがするのか。ぼくはなんかいやな気分になりかけるけど、頭を振ってそれを振り払う。まだ出会ったばかり、いかに行動がアレでもそれだけでわかった気になるのはいけない。実はいい人かもしれないじゃないか。
「えっと……任せろって?」
立派な決意とは裏腹に、おそるおそる聞いてみる。
「あの先輩《せんぱい》のことが知りたいんだろう?」
「うん、それはそうだけど」
「ならおれが教えてやろう」
自信満々に胸を叩《たた》く。
「名前は平賀《ひらが》つばさ、父親は平賀|総合病院《そうごうびょういん》の院長。要するに、良いとこのお嬢様《じょうさま》だな。全国模試では上位に食い込む。この学校で一番頭の良い人間かもしれない。容姿端麗《ようしたんれい》、頭脳明晰《ずのうめいせき》。運動神経も悪いということはないらしい」
うわ……すごい。こんな完璧《かんぺき》超人がこの世にいたんだ。
「これが漫画《まんが》の世界ならミスなになにとか呼ばれてたり、学校のアイドルだったり、メインヒロインだったり、ファンクラブがあったり、お姉《ねえ》さまとか呼ばれてたりしてるんだろうが、そんなのは全くなし。彼氏もなし、というより浮いた話が全くない」
「……なんで?」
前半はともかく後半の浮いた話がないというのは……
「個性的過ぎる。変人過ぎる。常人と思考回路が違うのだろうな。妙な機械《きかい》背負って墓場に行ったり、屋上でUFO呼び出そうとしたとか、妙な魔方陣《まほうじん》の前で奇妙な呪文《じゅもん》を唱《とな》えていたとか、伝説がいくつもある。しかもデマではなく、本当のことらしい」
自信満々に答える川村《かわむら》君。
「それにしても川村君、くわしいね」
少し疑問に思ったのでぼくは聞いてみた。
「タッキーだ。……いや、あれだけ尖《とが》った人は珍《めずら》しい。気になるだろう。あのビジュアル、あの口調《くちょう》、あの性格最高だ」
まさか、こんなところにライバルが! ……って、別にぼくが先輩のことどうこうしようって気はないんだけど。そりゃ、ドキドキしたし、なんか気になるし、知り合いになりたいとか思うけど。う〜ん……。
「たまらないな、お近付きになりたいな。あんな人に手下《てした》としてあごで使われてみたいな。踏まれたいな。捨《す》て駒《ごま》として切り捨てられてみたいな。鳴呼《ああ》……これは運命に違いない」
恍惚《こうこつ》としてどこかにトリップしてる川村君(タッキーと呼ぶと、仲が深まった気がするのでなんとなくいやだ)
「そんな訳で、情報を集めたわけだ」
「川村君、どうやって集めたの?」
一応情報の信憑性《しんぴょうせい》を知りたい。
「タッキーだ。……ふふ、オタクというのはどこにでもいるものだよ。そう、君の側《そば》にも!」
なぜか虚空《こくう》を指さすタッキー。訳わからない。ともかく、オタクのネットワークが存在しているらしい。
「という訳で、はじめよ」
いきなり呼び捨て……オタク特有のなれなれしさかな。
川村《かわむら》君はものすごく芝居《しばい》がかったオーバーリアクションで、ババッと両手を広げる。マントをはためかせる仕草《しぐさ》だと思うんだけど、川村君はもちろんそんなものは着けていない。なので奇妙で近寄りがたい、いやーな空間が形成された。気が付けばぼく等《ら》の周りから人が消えている。見回すと、クラスメイトが遠巻きにぼく等を見守っていた。
うわっ、みんな! ぼくはこの人とはなんの関係もないんです! ほんとです! 信じてください! そう弁解したくてしょうがないぼくを尻目《しりめ》に、川村君はそんな微妙な空気に気付かない。
「是非《ぜひ》とも、つばさ先輩《せんぱい》と仲良くなって、おれに紹介してくれ」
ものすごく他力本願《たりきほんがん》なことを自信満々に言う川村君。妙にぬめった視線《しせん》でぼくの頭のてっぺんから足下《あしもと》まで観察《かんさつ》したあと、言葉を続ける。
「外見的要因でハネられることはないだろう。それに、さっきの話を聞いていたのだが、何かつばさ先輩の興味《きょうみ》をそそりそうな体質でも持っているんだろう?」
なんて耳ざとい。確《たし》かに幽体離脱《ゆうたいりだつ》しちゃう特異体質になっちゃったんだけど。もう一つは……変な人に耐性ができているということかな。うちのお姉《ねえ》ちゃん変だし、おじいちゃんもお父さんも変だしお母さんも、幼なじみの嵐《らん》ちゃんものりちゃんもみんな変わってる。そんな訳で、少々の変さならぼくはびくともしない。……なんて虚《むな》しい特技なんだろう。
でも、唯一《ゆいいつ》ぼくだけが普通だと思ってたのに、とうとうぼくも変な体質になってしまった。
「うん……まぁ。それで困ってたり」
「なら、その体質を相談《そうだん》するという名目で顔を出してみたらどうだ? あの人は特にそういう妙なことに詳しいらしい」
それはいいかもしれない。無理がないし、平賀《ひらが》先輩のことをよく知るチャンスにもなるはずだし。それくらいなら、危険だと思った時に逃げれそうだし。今は仮入部という期間もあるはずだし。
「凰林《おうりん》ミステリー研究会の部室は東棟《ひがしとう》の最上階、その一番端にある。それでは健闘《けんとう》を祈る! うははははははは……」
言うことだけ言って高笑いと共に消えて行く川村君。
「真太郎《しんたろう》、アレは……」
「……聞くな」
ぼくの言葉に、真太郎は疲れたように言った。
まあ、奇妙な出会いが発生したけど、こういうわけでぼくは……
〜ちょっと回想(終わり)〜
こんな状況に陥《おちい》っていると。
「どうしたんだい?」
ハッ!
平賀《ひらが》先輩《せんぱい》に話しかけられて返ってくるぼく。
顔|真《ま》っ赤《か》にしていきなり突っ立ったまま動かなくなる。顔にはなぜか笑《え》みが。うわーっ、なんて挙動不審《きょどうふしん》。普通の人がこんな姿見たら絶対ひくって。
……もちろんぼくの変人センサーに引っかかった平賀先輩はこれから何が起こるんだろうとドキドキワクワクしてるみたいなんだけど。
どうしようもなく変な人。でも。やっぱりなんか気になるんだ。この先輩の姿、声、あの自信満々な感じ。美人だからだろうか、ぼくと正反対だからだろうか。わからない、理由なんかないのかもしれない。ただなんとなく気になって、ただなんとなくあの人と話してみたいと思った。だから、ここに来たんだ。そうだ、そうだった。なんか緊張《きんちょう》し過ぎて訳わかんなくなってた。
よし!
ぼくは心の中で気合いを入れて話しかけた。
「えっと、入部希望と相談《そうだん》をかねてきたんですが……」
「ほう、私に相談かね?」
「はい」
「では聞こう」
ソファに深く座り直し話を聞くモードに入った平賀先輩。
「えっとですね、信じてもらえなくても仕方ない荒唐無稽《こうとうむけい》な話なんですが……」
「ほほう、それは面白《おもしろ》そうだ」
瞳《ひとみ》がきらきら輝《かがや》き出す平賀先輩。やっぱ変わってるなぁこの人。
「ぼくはですね、驚《おどろ》いたり衝撃《しょうげき》が加わったりすると幽体《ゆうたい》って言うんですか? それが身体《からだ》から抜けちゃうんです。一応自分でも調べてみたんですが、幽体|離脱《りだつ》とか体外離脱とか言うんですよねこれ」
「ほう……ほうほうほう」
なんか、平賀先輩の顔がますます輝き出した。
「なるほど、非常に興味深《きょうみぶか》いね。しかし私に相談してきたのはなぜだい?」
「今までは、問題なかったんですが、これからもそうだとは限らないじゃないですか。変なところで抜けてしまったりしたら危ないですし。それでどうにかしようと思ってた時に、平賀先輩のあのクラブ説明を聞いて、こういうことに詳しそうだなぁと思ったんです」
「ふむ、初対面の私に相談するぐらいだ、何か他《ほか》にも理由があるとは思うが?」
「……家族とかには心配かけたくなかったんです。ただでさえ、心配かけてたのに。それに、まだこういう体質になって日も浅いですし」
それに家族に言ってそこから、嵐《らん》ちゃんに伝わったらいけないし。ただでさえ、気にしてたのに。
…………そういえば、あれからまともに話もしてないけど、嵐ちゃんどうしてるかなぁ。
「日が浅い? そのような体質になった理由を詳しく話してくれるかね?」
「はい。えっと、ぼくは高校になってこの街に引っ越してきたんですが、前住んでたところに川があったんです。そこで溺《おぼ》れてしまって、生死の境を彷徨《さまよ》ったんです。あとからお医者さんに聞いたんですが、呼吸も止まってたらしいです」
「ほう」
「溺れて気を失って、次に気が付いた時には、病院の手術室で治療《ちりょう》を受けてる自分の身体《からだ》を天井《てんじょう》から見下ろしてました。なんか冷静に自分を見下ろしてたんですが、ふと、うちの家族はどうしたんだろうと気になったので、廊下に出てみました」
廊下では、真《ま》っ青《さお》になっているお母さんに、それを支えているお姉《ねえ》ちゃん。
特に嵐ちゃんの落ち込み具合はものすごかった。呆然《ぼうぜん》と自分の肩を抱いて、真っ青になってガタガタ震《ふる》えてた。
「そこで、悲しんでるお母さんたちを見て、戻らなきゃと思ったんです。そしたら、引っ張られる感じがして、次に目が覚めた時は病院のベッドの上でした。それ以来、ふとした拍子に幽体《ゆうたい》って言うんでしょうかそれが抜けるようになったんです」
「なるほど、典型的な臨死体験《りんしたいけん》だね」
お花畑は見なかったけど、川は見えた気がする。ちゃんと憶《おぼ》えてないのでたぶんだけど。
「では、見せてくれないかね? 君の顔を見ていれば嘘《うそ》を言っていないとは思うが、さりとて見てみなければ、流石《さすが》に完全に信用する訳にもいかない」
「えっ、あ、はい」
「すまないね」
「いえ、でもできるかどうかわかりません。勝手に抜けることはあっても、自分からっていうのは試《ため》したことがないので」
「ん? 試したことはないのかね?」
「自分一人だと、戻れなくなるんじゃないかと思ってしまうので」
抜けても、戻ろうと思いながら自分の身体に重《かさ》なってしばらくしてたら勝手に戻るんだけど、いつもそうなるとは限らないし。
「なるほど、それはそうかもしれない。まあ、今回は気にしないでも良いと思うよ。そこの道本《みちもと》君は霊感《れいかん》が強くてね。しかも家柄からそういうことに詳しかったりする。戻れなくなったとしてもどうにかしてくれるだろう」
平賀《ひらが》先輩《せんぱい》が道本《みちもと》先輩を見る。
「うん、どうにかなると思うよ。幽体離脱《ゆうたいりだつ》なら、線《せん》が切れている訳じゃないだろうからね〜」
線……抜けた時|身体《からだ》に繋《つな》がっている青白い奴《やつ》かな?
「という訳で安心して、幽体離脱してくれたまえ。ああ、そこのソファに座ると良い。その間に準備してくる。ちょっと待ってくれたまえ」
そう言って、平賀先輩は隣《となり》の部屋に消えて行った。ここは、理科室とか美術室とかと同じ間取りだから、平賀先輩が入ったのは準備室なんだろうけど……なんでこの部室はこんなに広いんだろう。ここ普通に平賀先輩が自由に使ってるみたいだけど。
そんなことを考えているうちに平賀先輩が戻ってきた。
「向こうの部屋の端に机が置いてあるのだが、その上に置いてあるものを見てきてくれたまえ」
「わかりました」
ぼくはソファに座ると目を閉じる。
抜けろ抜けろ抜けろ。
………………抜けない。
「無理かね?」
「はい、いつもは勝手に抜けるのでどうやったらいいのか、もう少し粘《ねば》ってみます」
抜けろ抜けろ抜けろ抜けろ抜けろ。
……………………やっぱり抜けない。
「すいません、やっぱりうまくいきません……」
どうしよう、このまま抜け出なかったら、ただ白昼夢《はくちゅうむ》を見てる変な人になってしまうんじゃないだろうか。
なんて不安になるぼくだけど、平賀先輩はまったく気にしてないみたい。
「そうかね、やはり恐怖心は拭《ぬぐ》えないか。それとも、慣《な》れていないだけなのかな。また、少し待ってくれたまえ」
今度は部屋の右側に積《つ》んであるがらくたの山を漁《あさ》り出す先輩。すごい量のがらくた。しかも正体不明意味不明|用途《ようと》も不明。要するにぼくの価値観《かちかん》ではゴミ。
うわぁ……すごい、なんかもう掃除《そうじ》がしたくてたまらない。もしかしたら、大事なものなのかもしれないけどこれは……A型|几帳面《きちょうめん》の血が騒《さわ》ぐ。
「またまた、待たせたね」
平賀先輩ががらくたの山から見つけ出したのは、なんか妙に古くさいCDコンポとヘッドホン。そして一枚のCD。
「この世にはね、幽体離脱を研究している人もいるのだ。これはその人達が使っている音楽だ。これを聴《き》くと幽体離脱できるらしい。私は無理だったが」
「わかりました」
ぼくは渡されたヘッドホンを耳にかける。
なんかゆったりした変な音楽が流れてくる。変な感じ、ふわふわする感じだ。
……あ、これは。なんか経験《けいけん》がある。今まではいきなりでよくわかってなかったけど、幽体《ゆうたい》が抜ける時はこんな感じだったような……
「山城《やましろ》君、山城君……ふむ、成功したのかね?」
気が付けばぼくは幽体|離脱《りだつ》していた。ふよふよ宙に浮いてぼくの身体《からだ》を見下ろす。その時|道本《みちもと》先輩《せんぱい》と目が合った。
「…………美しい」
道本先輩はぼくを見てそんな言葉を洩《も》らす。……美しい?
それはともかく道本先輩はどうやら、身体から抜け出したぼくの姿が見えるらしい。でもとりあえず聞いてみた。
『えっと……見えてます?』
「うん、……見えてるよ。……それにしても……なんと美しい」
陶然《とうぜん》とぼくを見つめる道本先輩、なんかものすごく居心地《いごこち》悪いんだけど。そんな道本先輩を見て、平賀《ひらが》先輩が興味《きょうみ》津々《しんしん》に聞く。
「ほう、そんなに美しいのかね」
「……美しさにここまで心奪われたのは、二度目だよ。……美しいとしか言いようがない」
「なるほど、まあ、これで疑う余地はない。だが、一応見てきてくれないかね。どの位《くらい》正確《せいかく》に周囲の状況を把握《はあく》できるのか知りたい。…………と、これは伝わってるのかな?」
ぼくは、コクコクとうなずく。
「伝わってるみたいだよ。…………美しい」
やっぱり、男の人に美しい美しい言われるのはなんか変な感じでむずがゆい。
まあ、それは気にせず、隣《となり》の部屋に行ってみよう。
ぼくはするすると空中をすべるように移動する。移動はその方向に進もうとするとできる。地面を歩くのと同じだと思う。歩く時にどのくらい足を上げて、どのくらい足を前に出して、みたいに足の動きを細かく考える人はいないからね。
ぼくは、隣の準備室に続く扉《とびら》をすり抜ける。別に壁《かべ》をすり抜けても問題はないんだけどわざわざ扉を抜けるのは、なんとなくとしか言いようがない。
『うわ……』
すごい部屋だ。すごく汚い。ものに溢《あふ》れてる。これ全部平賀先輩の私物なんだろうか。ここって授業とかで使ってないみたいだし。
さっきも思ったけど、平賀先輩はものすごくおおざっぱな人なのかもしれない。
『えっと、それで机は……』
ぼくはきょろきょろ見回し……あった。たぶんあれだ。
部屋の端に、職員室《しょくいんしつ》に置いてある先生の机と同じものが一つ置いてあった。ここが普通の教室として使われていた頃《ころ》の名残《なごり》かもしれない。
『それで置いてあるものはっと……』
ぼくは机の上までふよふよ漂っていき……絶句した。
なんてものを置いてるんだあの人は。
つーか、やっぱり平賀《ひらが》先輩《せんぱい》は変だ。そんなことを再確認《さいかくにん》しつつ、ぼくは机の上に広げられているものを呆《あき》れた目で見下ろした。
戻ると、なぜかぼくの下半身を凝視《ぎょうし》している平賀先輩がいた。
ぼくは自分の身体《からだ》に重《かさ》なると戻れと念じる。あっ、抜ける感覚がわかったら、戻る感覚も少しわかった気がする。今まではいつも唐突《とうとつ》に抜け、気が付いたら戻ってるって感じだったからなぁ。
これを繰《く》り返せば、自由に抜けたり戻ったりできそうな気がする。
っと、そんなことを考えている場合じゃない。ぼくは目を開くとすぐ前にいる平賀先輩に声をかけた。
「……何してるんですか?」
「おお、戻ってきたのかね。それで、何が置いてあったかわかるかね」
「…………何してるんですか?」
「いや、幽体《ゆうたい》と肉体の接続具合はどれほどのものなのかと気になってね」
「……それで、あんなものが置いてあったんですね」
どっと力が抜けるぼく。だけど平賀先輩は止まらない。
「うむ、そういうことだ。しかし、君が勃《ぼ》っ」
「すとーっぷ! お願《ねが》いです、やめてください。それだけは言うのをやめてください。許してください。ほんとかんべんしてください」
男の子としてこれは譲《ゆず》れない。その平賀先輩のきれいな唇《くちびる》からその言葉が発せられるのは聞きたくない。もう少しだけ、大人《おとな》になるまでのもう少しだけ、夢見させてくださいよ。まだこの温かなお布団《ふとん》に包まれていたいんですよ。
「なぜ君がそこまで必死になるのかはわからないが、まあいいとしよう。それで何が置いてあったかわかったかね?」
「えっと、そのグラビア誌でしたけど、なんであんなものが学校に……」
「私の私物だ」
「なんでそんなもの持ってるんですか!!」
「知的好奇心と後学のためにだ」
…………このひと、想像以上に変な人だ。
「それで、そのグラビア誌は開いてたかね? 閉じてたかね?」
「開いてました」
「開いてたページに写っていたのは?」
「水着のお姉《ねえ》さんでした。背景はどこか南の国の海でした」
「そのページに文章は何か書いてあったかね?」
「……きれいなお姉さんは好きですかと書かれてました」
…………これは何か深い意味があって、試《ため》されてたりしたんだろうか。それともただの偶然だろうか。
「ほう。それで、君は綺麗《きれい》なお姉さんが好きかね?」
「嫌いじゃないですけど、個人的には年下のほうが……って、何言わせるんですか平賀《ひらが》先輩《せんぱい》!」
「はっはっはっ、冗談《じょうだん》だ。君の能力に嘘《うそ》偽《いつわ》りはないだろう。信用する。……それにしても実に興味深《きょうみぶか》いね」
まあ、確《たし》かに自分でも妙な体質になったものだと思うけど。
「では、これからどうする?」
「今の感触からすると」
「今のを何回か繰《く》り返していけば、抜けたり戻ったりを自分でコントロールできそうな気がします」
「ほう、それは良かったではないか」
「ただ、もしものことがあるのでやっぱり……」
平賀先輩とか道本《みちもと》先輩がいる場所で練習したほうが安全だと思う。それに、これでさようならじゃ、平賀先輩のことをよく知るというもう一つの目的が果たせない。
「それでは、一応仮入部ということでどうかね。いや、まだ同好会だから仮入会か。君がその能力で困らないというところまで付き合うよ。こちらとしても興味深いし願《ねが》ったり叶《かな》ったりなのだが。全《すべ》てが終わったその時にまだ入会する気があるのなら、言いたまえ」
「わかりました」
これなら安心だ。引き返せなくなる前に逃げ出せばいいんだしね。
…………なんて、甘いことを考えてたこの時点で、もうすでに引き返せないところまで来ていたということにぼくが気付くのは、しばらく経《た》ってからなのでした。
******
平賀先輩との初遭遇《はつそうぐう》を終えて一週間。少しずつ先輩のことがわかってきた。お昼ご飯は売店で買うこと。昼休憩《ひるきゅうけい》と放課後《ほうかご》は部室にいること。怪《あや》しげなものが大好きなこと。お約束を愛してしまっていること。
そして……平賀《ひらが》先輩《せんぱい》のあらゆる行動にはどうやらすべて(奇行《きこう》含む)理由があるということ。
たとえば、平賀先輩と話してると内容がいきなり月面宙返りのごとく回転して訳のわからないところに飛んでいくことがあるんだけど、実はそれは伏線《ふくせん》で忘れた頃《ころ》に回収されたりする。そういうのを見てると、この人は行き当たりばったりで、その場のノリで、本能のままに生きている訳じゃなく、ちゃんと考えているんだなぁとか思う。話し相手の反応も予想して話の流れを作り出し、自分の持って行きたい場所に会話を誘導《ゆうどう》してるんだ。全て計算ずく、平賀先輩は頭いい人だなというのがぼくの感想。でも頭の使いどころを間違ってると思う。
ちゃんと見てるとこういうことに気が付くんだけど、平賀先輩の行動が変で目立ち過ぎるから変人の烙印《らくいん》を押されてるんだと思う。いや、変人なのは確《たし》かなんだろうけど、馬鹿《ばか》じゃない。ほとんどの人は平賀先輩のことを紙一重《かみひとえ》のほうだと思ってるんだろうけど、ぼくは天才のほうだと思う…………かなり紙一重よりっぽいけど。
あと、やさしい人だ。話してると、いろいろぼくのことを気にかけてくれていることがわかる。いや、奇妙なことばっかり言ってるから普通の人はわからないと思うけど、奇妙な言動の裏にやさしさが隠《かく》れている(ことがある気がする)。変な人に耐性がついてるぼくだからこそ気付けるようなささやかなやさしさなのは問題だと思うけど。もっとおおっぴらにすればいいのに。平賀先輩は恥《は》ずかしがり屋なのだろうか。
この一週間平賀先輩にくっついて、誰《だれ》よりも側《そば》で先輩を見てたぼくの感想はそんなところだ。
少しずつ惹《ひ》かれているのがわかる。平賀先輩はいい人だ。魅力的《みりょくてき》で頭がよくてきれいでスタイルがよくて。
先輩は変なところが目立って輝《かがや》き過ぎてるから、細かな輪郭《りんかく》が見えてこないんだ。色めがね外してものを見ろとかよく言うけど、サングラスをかけて先輩を見れば本当の先輩が見えてくる。
……まずいなぁ。本気でやられちゃったかもしれない。でもまあ、仮入部期間があるのでもう少し見定めてみよう。
あと、平賀先輩と道本《みちもと》先輩とは友達って感じだ。うん、これはよかったよかった。
……よかったって……まずいなぁ。
******
「やあ、こんにちは、はじめ君」
「こんにちは、今日《きょう》もよろしくお願《ねが》いします」
放課後に凰林《おうりん》ミステリー研究会の部室に顔を出したぼく。ここに通い出して二週間になる。部室にいるのは平賀《ひらが》先輩《せんぱい》一人。
今日《きょう》は平賀先輩と二人きりみたいだ。道本《みちもと》先輩は掛け持ちだからいつもいるって訳じゃないし来てても途中《とちゅう》でいなくなることが多い。
「ではやろうか」
「はい」
ぼくはソファに座りヘッドホンをあて、聴《き》き慣《な》れてきた音楽に身を任せる。しばらくすると慣れてきた感覚と共に幽体《ゆうたい》が抜けた。
「ふむ抜けたようだね」
道本先輩がいないと問題が一つあったりする。幽体|離脱《りだつ》したあとに、平賀先輩と意思の疎通ができないということ。
平賀先輩が「幽霊《ゆうれい》がポルターガイスト現象を起こせるんだから、抜けた幽体でもものにさわることができるのではないか?」という疑問を道本先輩に聞いたんだ。
道本さんが言うには、頑張《がんば》れば可能らしい。幽霊がものをさわれるのはもう気合いらしい。気合い。まあ幽体離脱した状態《じょうたい》は魂《たましい》だけの存在って感じだから、あり得るかもしれない。
ものを動かすだけでなく、慣れたら空気を震《ふる》わせて声を伝えることもできるらしい。どっちが難《むすか》しいかというと、力加減が難しいし見えない空気を動かすので、声を出すほうが難しいそうだ。
まあ、そんなこんなで意思の疎通ができるよう、抜けた時にものを動かす訓練《くんれん》を並行して行ってたりする。もしもできるようになったらとても便利だし、自分の幽体を思い通り操《あやつ》れるってことは自分の身体《からだ》に好きに戻れる手助けになるはずだ……ということらしいし。
『むぐぐぐ』
スカッ。
テーブルの上には鉛筆と紙が置いてあるんだけど……。
スカッ
スカッ
スカカッ
手がすり抜けてまったくさわれない。
うう、まったく手応《てごた》えがない。
『ふう、息抜きしよう』
ぼくは身体を伸ばしてストレッチをする。…………いや、今のぼくには身体がないんだけどこれは気分の問題。
ぼくは平賀先輩に近寄る。
聞いたところによると、平賀先輩は霊感ゼロらしい。だからぼくが何やっているかまったく見えてない。
ぼくは平賀《ひらが》先輩《せんぱい》の顔を至近距離《しきんきょり》から覗《のぞ》き込む。
……きれいだなぁ、やっぱり。
今、平賀先輩は手元の文庫本を読んでいる。文庫本の題名を確《たし》かめるのはこの間やめることにした。いや、なんというか……微妙な気分になるから。やっぱり平賀先輩は変だ。
で、ぼくが今何をしているかというと、ただ先輩を眺めているだけ。
最近、幽体離脱《ゆうたいりだつ》中に休憩《きゅうけい》する時に先輩を眺めるのが楽しみになってるんだよねー。覗き見みたいで多少気が引けるけど……でも、誘惑《ゆうわく》にはあらがえない。
ぼーっと眺めているだけであっという間に時間が経《た》つ。……これは、まずいなぁ。こんなのは初めてだよ。
ピピピピピ
その時そんな機械音《きかいおん》が鳴った。
あっ時間だ。
三十分おきにキッチンタイマーが鳴《な》るようになってて、これでもしぼくが身体《からだ》に戻ってこなかったら、平賀先輩が道本先輩を呼びに行くことになっているんだ。一応今までは問題なし。
さあ、身体に戻ろう。
「ふむ、早いな。だいぶ慣《な》れてきたようだね」
むくっと起き上がったぼくに平賀先輩が言った。
「はい」
最近は結構慣れてきて、身体に戻るまでの時間も短くなってきた。
「もう完全に幽体離脱を自分のものにできたのかい?」
「そうですね、もう少しって感じでしょうか。たぶん鉛筆にさわれるくらいになったら、なんの問題もなくなると思います」
抜けるのと戻るのを完全に制御できるのはもう少しかもしれない。でも……そうしたら、どうするか決めないといけない。
なんかここは居心地《いごこち》がよくて離《はな》れがたくなってる。
「そうかね」
「何かきっかけがあれば鉛筆にさわれそうな気がするんですけど……」
「まあ、急ぐことはない。のんびりいこう。それではお茶でも飲もうか。訓練《くんれん》の続きはそのあとで良いだろう」
「はい。あっお茶はぼくが淹れますよ」
「では頼もうか。君の淹《い》れるお茶はとても美味《おい》しいからな」
先輩が笑う。
ぼくと先輩はだいぶ仲良くなったと思う。
この部屋も、かって知ったるなんとやらって感じになっているし。なじんでるなぁ。
棚《たな》からお茶の葉を取り出しつつ思う。
ほんと、居心地《いごこち》が良くてここから離《はな》れたくなくなってくるよ。この部屋の時間はゆっくり流れているみたいだ。
でもどっちだろう。
ぼくはこの場所から離れたくないのか。平賀《ひらが》先輩《せんぱい》から離れたくないのか。
ぼくはお茶を淹《い》れて戻ると平賀先輩と一緒《いっしょ》にそれを飲む。
とてもゆっくりした穏《おだ》やかな放課後《ほうかご》だった。
******
凰林《おうりん》ミステリー研究会に仮入部して三週間が経《た》ったある日曜日《にちようび》の夜。
ご飯を食べてお風呂《ふろ》に入って、のんべんだらりとこれからどうしようかなぁなんて考えていた。
幽体《ゆうたい》が抜けるってぼくの妙な体質だけど……大体思い通りに抜けたり、戻ったりできるようになった。それでもたぶんびっくりした時なんかには勝手に抜けると思うし、まだものにはさわれないんだけどね。まあそれでも大体戻れるって自信が持てたのはいいことだと思う。この三週間は無駄《むだ》じゃなかった。
それに……平賀先輩と仲良くなったしね。
ぼやけた頭で平賀先輩のことを考える。
平賀先輩、変だ。間違いない、変だ。でも…………どうしようもなく惹《ひ》かれるぼくがいる。
ただ、あの人のことを完璧《かんぺき》に好きになってしまったら、困ったことになる。茨《いばら》の道間違いなし。普通の恋愛をして普通の家庭を持って普通の幸せを求めている小市民的なぼくとしてはそれは大問題だ。だって、あの人と一緒にいたら、普通なんて絶対に無理だろうし。
だから、逃げるなら入会しなければいい。学年が違うんだから、接点はなくなる。今ならまだ、引き返せる……のかな?
うーん、う〜ん。
そんな風《ふう》に悩んでいたぼくのもとに電話がかかってきた。
「はいもしもし」
『あーボクだけど今良いかい?』
「……道本《みちもと》先輩ですか?」
『そう』
いったいなんだろ。
『いや、ちょっと君の力を借りたいんだよ』
「力ですか?」
『そうなんだよー。……いや、ちょっと困ったことになっていてね』
「はい、ぼくにできることならいいですけど」
『うん、まあなんというか……つばさが行方不明《ゆくえふめい》になった』
……は?
ゆ く え ふ め い ?
ゆっくり頭の中で道本《みちもと》先輩《せんぱい》の言葉を繰《く》り返し……
「大事じゃないですか!」
ぼくは叫んだ。
『大事だねー。まあ、行方不明というよりは遭難《そうなん》っていった方が正しいのかもしれないけど』
「やっぱり大事じゃないですか! なんでそんなことに……」
『つばさはね、俺《おれ》より強い奴《やつ》に会いに行く! とか言ってUFOウォッチングに出かけた訳だけど』
…………何それ。
『昨日《きのう》から帰っていないらしい。つばさのお母さんから電話がかかってきたんだよ。まあ、つばさがこんな風《ふう》に家を空けることはよくあるので、一応電話したみたいなんだけど……』
道本先輩は何か知っているんだろうか。
『つばさが行ったのは、いつも通り武野山《たけのやま》だと思う。あそこはこの辺《あた》りで一番高いし、遊歩道なども整備《せいび》されてるからね』
へーそうなんだ。行ったことないからわからないけど。
『……だからこそ日帰りで行けるんだよ。近いしね。昨日の夜登ったんだから、今日《きょう》の昼には戻っているはずなんだけどねー。一応あの辺《あた》りで浮遊霊《ふゆうれい》やっている松井《まつい》さんに聞いてみたんだけどやっぱり、つばさは登ったようだ。でも下りたのは見ていないらしい。という訳でもしかしたらということがあるので、知り合いの霊《ひと》達に捜《さが》してもらってる。山頂の展望台辺りにはいないらしいね』
ということは……
「警察《けいさつ》に連絡しないと!」
そして捜さないといけない!
『その情報を幽霊から聞きましたとでもいうのかな? 美しくないね。眉《まゆ》をしかめられるのがオチだ。それに、人より幽霊の皆に頼んだ方が早い』
「どうして」
「君なら、どんな険《けわ》しい山道も、崖《がけ》も、暗闇《くらやみ》も関係ないだろう?』
どういうこと……
「そうか、幽体離脱《ゆうたいりだつ》すれば」
『そう、幽霊《ゆうれい》も同じだよ。人が捜すよりよっぽど早いね。ただ、もう少し人手が欲しいなーと、電話をかけた訳なんだよ。もしもの場合は人の手が必要になるかもしれないし』
「わかりました、すぐ行きます!」
ぼくは、パジャマから山歩きできそうな身軽な格好《かっこう》に着替えると、家を飛び出した。
******
「やあ、待ってたよハニー」
「ハニーはヤメテクダサイ」
なんか、幽体離脱《ゆうたいりだつ》したぼくを見てから、道本《みちもと》さんはぼくのことをハニーと呼ぶ。ぼくの幽体がきれいだったからだそうだ。平賀《ひらが》先輩《せんぱい》が言うには、道本先輩は美しければ性別を問わない人らしいので非常に困る。ぼくはノーマルです。
「では、幽体離脱して捜索《そうさく》に加わってもらえるかな。ここの遊歩道から登ったらしいから」
ぼくが道本先輩に指示されてやって来たのは武野山《たけのやま》にある遊歩道の入り口。周囲には街灯《がいとう》がぽつりぽつりとあるだけで、非常に薄暗《うすぐら》い。だからかもしれないけどなんか肌寒い。この感じはもしかしたら……いるのかな? まあ、道本先輩の協力者なんだろうけど……一応覚悟しておこう。
「それじゃあ、ぼくの身体《からだ》頼みますね」
「任せてよ」
「何もしないでくださいね」
「…………任せてよ」
「……その微妙な間が気になりますが、ま、いいです」
早く平賀先輩を捜《さが》さないといけないし……って、
『うわあ』
抜けたらすぐ目の前に幽霊の人がいてびっくりしたぼく。ものすごく、心臓《しんぞう》に悪い。いるかもしれないと覚悟はしていたけど、いきなり目の前はだめだ。
「いや、やっぱり美しいね」
のんびりそんなことを言ってる道本先輩。
『ここここの人は』
少々どもるのはご愛敬《あいきょう》。
「この人は協力してもらっている佐竹《さたけ》さんだ」
『……よ、よろしく』
ぼくは、道本先輩に紹介された青白い顔をした40代くらいのおばさんに頭を下げる。
『はいはい、こちらこそよろしく頼むよ』
この太ったおばさん、気さくでいい人そうだ。道本《みちもと》先輩《せんぱい》の知り合いだからかな。
『じゃ、ぼくも捜《さが》しに行きます』
「よろしく。もし見つかったらすぐ戻ってきてよ」
『はい』
ぼくはふよふよと遊歩道に入っていった。
やっぱり、幽体離脱《ゆうたいりだつ》って便利だよなぁ。
闇《やみ》の中を進みながらそんなことを思う。理屈はわかんないけど、暗くてもよく見えるし、壁《かべ》とかすり抜けられるし。恐怖心がなくなったから便利さばかりが目に付いてるのかもしれない。
……使うのは、必要な時だけにしよう。幽体離脱を悪用したら、軽犯罪し放題って感じだし、人としてそこまで落ちたくない。第一そういうのは男らしくない。
……こういう言葉がさらっと出るのはおじいちゃんの教育のたまものだろうか。
えーと、それで一応遊歩道をのぼってみようか。
ふんふん、道は結構ちゃんとしてるなぁ。丸太が等間隔《とうかんかく》に置かれて階段状になっている。そこそこ幅もあるし、足を踏み外すということはないかな?
でも確《たし》か一昨日《おととい》くらいに大雨が降ってたような。ぬかるんでるところに、足を取られたりしたら危ないかな。足場が弱ってたりもするかもしれないし。
そんな感じで足下を見ながらふよふよ漂っていく。
ふよ〜
ふよふよ〜
……ん?
今何か気になった。
よく見ると、道の端が少し削《けず》れている。誰《だれ》かが踏んで崩《くず》したのかな? ……もしかしたら。
ぼくはそこの斜面を急いで下りる。
そしてそこには平賀《ひらが》先輩《せんぱい》がいた。
崖《がけ》に寄りかかるようにして倒れている。上からは死角になっているので見えない。見つからないはずだ。
平賀先輩は動かない。
右腕の本来曲がらない場所が曲がっている。
ぼくの脳裏《のうり》をいやな想像が駆《か》けめぐる。
ぼくは急いで平賀先輩に近寄り、肩に触れようとして……そのまますり抜けた。
忘れてた。そういえば今抜けてたんだった。ものにさわる訓練《くんれん》はしてるけど一度も成功したことがないし。
どうしよう、急いで引き返してここに戻ってくる。それが一番だとわかってる。でも、一言……一言だけでいい。平賀先輩を元気付ける言葉をかけたい。言葉は無理でもぼくがここにいることだけは……
ぼくは心の底から叫ぶ。身体《からだ》がない今のぼくが叫ぶということは、強い想《おも》いをそのまま届けること。
『平賀《ひらが》先輩《せんぱい》!』
聞こえない。
『平賀先輩!!』
まだ、まだ足りない。
ここ二週間の平賀先輩の姿を思い出す。
嬉《うれ》しそうにニッと笑う平賀先輩。
いじわるそうにニヤリ……と笑う平賀先輩。
興味深《きょうみぶか》そうにほほぅ……と笑う平賀先輩。
……平賀先輩笑ってばっかりだ。
それにしても全《すべ》てが鮮明《せんめい》に思い出せてしまう。やっぱりぼくは……
『先輩っ!』
目を閉じてピクリとも動かなかった平賀先輩がゆっくりと目を開けた。
「…………ふむ?」
そのまま視線《しせん》だけで周囲を確認《かくにん》する。
「……何か呼ばれた気がしたな。救助が来たかね?」
平賀先輩は耳をすまし。
「幻聴《げんちょう》か。これは相当参っているのか。痛みで頭ははっきりしているし、幻聴を聞くほど参っているとは思えないのだが」
『先輩! 先輩!! ぼくですよ、ぼくっ!!』
「確《たし》かに寒さで体力は多少奪われているだろうが、まあ凍死するほどでもない、春でよかったな。問題といえば、独り言をぶつぶつ言っている今の私が問題か。流石《さすが》にこの暗闇《くらやみ》に一人きりだと心細いか」
そう、弱々しく笑う平賀先輩。
こんな時にも笑う平賀先輩。だけどこんな笑顔《えがお》は見たくない。ぼくはそんな平賀先輩が見ていられない。平賀先輩にはやっぱり自信満々に笑っていてほしい。
『先輩!!』
ぼくがここにいますよ!
「………………はじめ君?」
平賀先輩がぼくの名前を呼んだ。
『そうです! ぼくですっ!』
「これはどういうことだ? お迎えが来たとかそういうことかな。そんなことより、いまわの際《きわ》に聞こえる声がはじめ君というのはどういうことだろうか。……まさか、これが恋」
『……えええ〜っ!!』
そそそそそんな、ぼくは……でも。
「ふーむ、美香《みか》と同じ嗜好《しこう》を私が持っているとはな。確《たし》かにはじめ君はショタっ気《け》溢《あふ》れているからな」
……ショタっ気。なんか、ものすごく微妙な気分になるんだけど。ドキドキ感台なし。
「……ま、それは冗談《じょうだん》なのだが」
ガクッ
幽体《ゆうたい》のままずっこけるという見事なリアクションを披露《ひろう》するぼく。誰《だれ》も見てないのに。
平賀《ひらが》先輩《せんぱい》も平賀先輩だ。一人でボケてどうするんだ。というか、ここにぼくがいることに気が付いてる? 先輩は霊感《れいかん》ゼロらしいから、見えてないはずだけど、さっきの声が伝わっていた? それとも勘かな?
「それで、はじめ君そこにいるのかね?」
『はい!』
「…………聞こえんな。ふむ、今の声がはじめ君のものだとすると、道本《みちもと》君に話を聞いたはじめ君が幽体|離脱《りだつ》をして捜索《そうさく》に加わったとかそんなところかな」
そうです! ナイス推理です!
「はじめくん、もし聞こえているなら、私の肩でも叩《たた》いてくれたまえ。もしもの為《ため》に訓練《くんれん》していたんだろう? まあ、もしもの状況に陥《おちい》っているのは私な訳だが、まあ細かいことは気にするな。はっはっは」
はっはっはって笑ってる場合じゃなさ過ぎるでしょ!!
もう、平賀先輩は……
「まあ、はじめ君。君は頑張《がんば》っていた、ずっと訓練に付き合っていた私は知っている。君はとても頑張っていた。ふふっ家族に友人に心配をかけない為か。……君は優《やさ》しいな」
『……先輩』
感動で胸が温かくなる。今のぼくには胸もない訳でこれは錯覚《さっかく》に違いないけど……それでも先輩の想《おも》いは伝わった気がする。
「まあその他《ほか》に多少、不純な動機《どうき》も感じないでもなかったが」
ドキィッ!!
なんて鋭《するど》い。確《たし》かに先輩目当てとかいう動機も多少混じってましたけど。ほんのちょっとだけ。
「まあ、君ならできるよ。それにできてもらわないと私が困る。なぜなら……このままでは私は錯乱して独《ひと》り言《ごと》をぶつぶつ言ってる危ない人になってしまうのだ。だから頑張ってくれ。それにここで成功したらとても感動的だぞ。でき過ぎかもしれないほど感動的だ」
平賀《ひらが》先輩《せんぱい》はぼくがいるかもしれないって感じで確信《かくしん》してはいないけど、ぼくはここにいる。
ここで……ここで平賀先輩の期待に応《こた》えられなかったらなんのために訓練《くんれん》したんだって話だ。
がんばれぼく、ここが正念場だぞ。根性だ、気合いだ、熱血《ねっけつ》だ、閃《ひらめ》き……は関係ない。
そんな風《ふう》にぼくが気合いをためてたら平賀先輩が、
「ふふ、肩でやる気が出ないなら、別に肩以外でもかまわないぞ。自慢《じまん》ではないが、そこそこのボリュームを誇っているのだ」
そんなことをおっしゃった。
どこでも……って、ここで平賀先輩の胸とかさわったらエロパワー爆発《ばくはつ》って感じですよ。自己嫌悪《じこけんお》でどうにかなりそうですよ。
ぼくはぶんぶんと首を振って邪念を振り払い、もう一度集中する。
よし、肩を叩《たた》くぞ。
集中、集中、集中。
スカッ
ダメだすり抜ける。もっと、気持ちを入れないと。
さわれさわれるさわれる、ここで先輩にぼくの存在を知らせるんだ。それだけで先輩は安心できる。
スカッ
まだだめなのか。
えーい、気合いだ気合いだ気合いだ〜〜!!
女一人安心させられないで何が男だ!!
…………どうやら、ぼくにもおじいちゃんやらお父さんやらと同じ暑苦しい血が流れていたっぽい。
ともかく気合いは十分。ここでさわれば物語はハッピーエンド。全《すべ》てが上手《うま》くいく。何よりぼくは……先輩を元気付けてあげたいんだ!!
ぼくはその勢いのまま先輩に手を伸ばし……
とんっ
やった! さわれた!
先輩の肩を叩いた感触があった。先輩に伝わった?
「……おお、ほんとにいたとは、半分|冗談《じょうだん》だったのだが」
最初に先輩の顔に浮かんだのは驚《おどろ》きの表情。そして次に安心の笑顔《えがお》が浮かんだ。
「では、イエスの時は一回、ノーの時は二回肩を叩いてくれたまえ」
とんっ
「はじめくんかね?」
とんっ
「そうか、では今の私の現状を報告しよう。崖《がけ》から滑り落ち、右腕骨折、左足をひねったので、ここで動いてない。運のいいことに頭は打っていない。あとは、切り傷|擦《す》り傷が少々といったところか。まあ、命に別状はないな」
ほっ、よかった。
「ただ、私の尊厳《そんげん》は非常にピンチだ」
……尊厳?
そんなぼくの疑問に答えるように先輩《せんぱい》が言った。
「昨日《きのう》からここにいるんだよ私は」
あ……トットイレか、それは大変だ! 急がないと。
「と、いう訳で助けを呼んできてくれると助かるな」
とんっ
ぼくは、先輩に応《こた》えるとその場所をあとにした。
******
ぼくは遊歩道の入り口に戻ってくるとすぐに自分の身体《からだ》に入り込む。
そしてがばっと起き上がると叫ぶ。
「道本《みちもと》先輩、道本先輩!! 見つけました、平賀《ひらが》先輩見つけました!」
「本当かい! それはよかった」
「ただ怪我《けが》してます。救急車呼んでください。ぼくがここまで平賀先輩を連れてきますから」
「大丈夫なのかい? 動かして良いのかな? それに……一人で運べるのかな?」
「はい、怪我は腕の骨折と足の捻挫《ねんざ》だそうです。頭は打ってないって言ってたので命に別状はなさそうです」
そこで道本先輩は驚《おどろ》いた顔をして言った。
「……つばさと話したのかい?」
驚いたように道本先輩が言った。
「いいえ、ぼくにできたのは先輩の肩を叩《たた》くことだけでした。先輩がぼくに気付いてくれたので、それで意思の疎通をしたんです」
「あのつばさが気付いた? ……すごいな。いやハニー、君はすごいよ。君ならもしかするともしかするかもしれないな。いやー美しい」
訳のわからない理由で、盛り上がってる道本先輩。すごく嬉《うれ》しそうなのはなぜ? ま、そんなこと考えている暇《ひま》はない。
「ぼく、山歩きって結構得意なんですよ。重さも……平賀先輩くらいなら問題ないと思います」
おじいちゃんのあの非常識《ひじょうしき》な修行《しゅぎょう》がこんなところで役に立つとは、人生何が幸いするかわからないなぁ。
「じゃあ、救急車お願《ねが》いしますね!」
「わかったよ」
ぼくは走って今来た道を戻り始めた。
******
「平賀《ひらが》先輩《せんぱい》! お待たせしました!」
「やあ、はじめ君。待っていたよ」
「救急車呼んでもらったので、遊歩道の入り口までぼくが運びます」
「……大丈夫かい?」
「任せてください」
ぼくは先輩の身体《からだ》を起こすと背中に背負う。
「平賀先輩、大丈夫ですか?」
「ふむ、先輩で良い」
「え?」
「呼び方だ。平賀先輩というのは長くて面倒《めんどう》だろう」
「はぁ」
「それに……あの時聞こえてきた先輩という呼びかけはとても心地《ここち》良かったのでな」
「わかりました。……先輩」
「それはそうと、君はなかなかにパワフルだね。余分な脂肪を付けているつもりはないが、それでも私はそれなりに重いだろう」
「大丈夫です。軽いもんです」
先輩だしね。
「それに足取りもしっかりしている。山道を歩き慣《な》れてるようだな」
「ハハハハ」
思わず乾いた笑いを洩《も》らすぼく。
蘇《よみがえ》る記憶《きおく》。おじいちゃんに拉致《らち》され山奥で命がけサバイバーな生活を送った日々。ぼくは万感《ばんかん》の思いを込めてつぶやいた。
「…………いろいろあったんですよ」
「……そうか」
力ないぼくの声に、聞いてはいけないことを聞いてしまったという感じで相づちを打つ先輩。
そこまで話したところで先輩が言った。
「…………ふぅ、疲れたな」
先輩《せんぱい》が力を抜きぼくに全身で寄りかかる。肩に乗せられた先輩のあごがこちょばゆい。あと、一番重要かつ男心をくすぐる神秘の部分が背中に。
要するに……むねが……むねが。
ぼくの心臓《しんぞう》が早鐘《はやがね》のように鳴《な》り響《ひび》く。
ううー、しょうがないじゃん。思春期をなめるなー、多感な年頃《としごろ》なんですよぼくは。
ても、とても気持ちいいけど、このままだったら背中に全神経を集中して、足下《あしもと》がおろそかになってしまいそう。
……思春期をなめるなー。
それはともかく二次|遭難《そうなん》とかしゃれにならないので、どうにかこうにか先輩に伝えないと。
「あの先輩」
「何だね?」
先輩がしゃべると、あごが肩の上でもごもご動く。この感触も、ぼくの正常な思考を奪ってしまう。
「えっと……その……」
言えない、胸が背中に当たってますなんてとてもじゃないが言えません。
「…………ああ、なるほど。君も男の子だね」
「うう〜」
恥《は》ずかしい。
「くっくっくっ、いやいや、君の反応は実に可愛《かわい》らしいね。まあ、君の背中に当たる感触は、ささやかなお礼とでも思ってくれたまえ」
ささやかどころじゃないですよ。
「……ふう、君の背中は落ち着くな」
「そうですか?」
「すまないが一眠りさせてもらうよ」
今日《きょう》は、先輩のいろんな顔を見た。初めて見る顔ばかり。いつもはあんな感じだけど、やっぱり先輩も女の子なんだなぁ。
「……そう言えばはじめ君」
眠ったと思った先輩が再び口を開く。
「なんですか?」
ぼくはやさしい声でそれに答える。
「私の肩を叩《たた》いた時、実は胸を触ろうかと葛藤《かっとう》したかね?」
……前言|撤回《てっかい》。やっぱり先輩は女の子っぽくない。なんというか……おっさんっぽい?
「……はぁ」
ぼくは一つため息をつき、心地《ここち》よい重さを抱えたまま山道を下っていった。
******
先輩《せんぱい》が奇跡の生還《せいかん》(ちょっと大げさ)そして尊厳《そんげん》を守り通してから数日後の放課後《ほうかご》、ぼくが部室に顔を出すと先輩がいた。
「やあ、はじめ君。先日は助かった」
「先輩」
先輩の吊《つ》られた右腕はギプスで固められている。痛そうだ。近付いてみると足にも包帯が巻いてある。でも顔色はよい。
直接顔を合わせるのはあの日以来だ。電話はもらったんだけどね。内容はお礼と愚痴《ぐち》。
……なんか先輩はお父さんとお母さんにこっぴどく怒られたらしい。そりゃそうだよ、娘が遭難《そうなん》して怪我《けが》しましたって、普通怒る。怒らないほうがおかしい。
しばらく夜間の外出は禁止にされたと先輩は嘆《なげ》いてたけど、ぼくもそれがいいと思う。先輩を一人にしたらまた何が起きることやら。
「まあ、座りたまえ。お茶でも……」
「動かないでください!」
ぼくは立ち上がろうとする先輩《せんぱい》を押しとどめると、お茶を淹《い》れに行く。
ここ三週間でこの部屋にも慣《な》れたし。お茶は何度も淹れてるので何がどこにあるかも大体わかってる。…………あの、人を寄せ付けない魔境《まきょう》と化したがらくたの山以外は。
ぼくは二人分のお茶を淹れたあと、先輩の前のソファに座る。
ずぞぞぞ〜とお茶をすすりながら、今度お茶菓子持ってこようかなぁなんて思う。
そんなお茶をすする音だけが響《ひび》く無言の時間が流れ……唐突《とうとつ》に先輩が口を開いた。
「そういえば、この間の様子《ようす》からすると、もう練習《れんしゅう》の必要はないようだね」
この間……幽体離脱《ゆうたいりだつ》のことかな? ……あ、そうか。今までここに仮入会という形で入っていたのは、幽体離脱の練習をする為《ため》だったっけ。あの時ちゃんと先輩に触れることができた。ということは、もうぼくは大丈夫って訳か。
「おめでとう。これで君の問題は片付いた訳だ」
先輩がやさしく微笑《ほほえ》む。
「はい、ありがとうございます」
ぼくとしては、自分の問題が片付いたことより先輩がこんな顔を見せてくれたことのほうが嬉《うれ》しいなぁ。
「うむうむ、そんな頑張《がんば》ったはじめ君にご褒美《ほうび》だ」
えっなんだろう。
ドキドキしてるボクの前で先輩は、ポケットから銀のロケットを取り出した。
「お守りだ。勝手に幽体が抜けるのを防いでくれるらしいぞ。さらに悪霊《あくりょう》除《よ》けにもなるそうだ。ロケットなのはまあ、持ち歩きやすくするためだな。布製のどこからどう見てもお守りという感じの奴《やつ》は持ち歩きづらそうだからな。ちなみに道本《みちもと》君のお手製らしいぞ、あとでお礼を言っておくように」
へー。
ぼくは感心しながらそのロケットを見る。道本さん、こんなこともできるのかぁ、流石《さすが》神社の息子。でもこれで、驚《おどろ》いた時にふいに幽体が抜けることはそうそうないよね、それはうれしいなあ。
「わかりましたお礼を言っておきます」
ぼくはロケットをいじりつつそう答える。これならいつでも首にかけていられそうだし……あっ、ここが開くんだ。ロケットと言うからには誰《だれ》かの写真でも入れようかな、先輩に言ったら写真くれるかな…………え? 今ぼく何考えた?
ふっと浮かんだその考えに、衝撃《しょうげき》を受けるぼく。ぼく、先輩の写真欲しいの? でも……そんな衝撃は一瞬《いっしゅん》で吹っ飛んだ。ロケットを開くとそこにはもうすでに写真がセットされていたんだ。
「先輩……」
「何だね」
「このロケットもうすでに写真が入っているんですが」
ぼくは先輩《せんぱい》にロケットの中身を見せる。
開いたロケットの中には………………カメラ目線《めせん》で薔薇《ばら》をくわえた道本《みちもと》さんの姿が。
「…………美しいな」
先輩が表情を変えずに言った。
「いやまあ、美しいのは認めますけど」
少女漫画の王子様になれそうだ。でも……
「これ男のぼくが持ってると、色々と致命的なんですけど」
そう、いろいろと。
「なあに、そんなことはない。人気者になれるぞ。……一部の女生徒にだが。ちなみに私は道本君×はじめ君がいいな。ちなみに順不同だぞ?」
先輩がニヤニヤしながら言った。
「……お願《ねが》いですから、台詞《せりふ》の中に意味不明なかけ算入れるのやめてください」
ぼくは大きくため息をつく。
「この写真外したら、御利益《ごりやく》なくなるとかないですよね」
この写真、なんか魔除《まよ》けになりそうな気がするんだよね。……人除けにもなりそうだけど。
「さあどうだろう、一応聞いておこう。……私としてはそのままのほうが面白《おもしろ》くて良いのだが」
「いやです」
はぁ。
まったく、変な人ばっかりだ。
と、そこで会話がとぎれたのを見計らって先輩は、
「それでどうする?」
少し顔を真面目《まじめ》にしてそう言った。
「え? どうするって……」
唐突な質問に何を言っているか理解できないぼく。
「最初に話したことだ。入会するかね? それともやめるかね」
先輩がぼくを見つめる。
どうするか、どうしよう。
入会するかしないかってのは、先輩と一緒《いっしょ》にいるか離《はな》れるかって話なんだ。
先輩と一緒にいるなら、絶対|波瀾万丈《はらんばんじょう》な学校生活が待ってる。これは絶対。ぼくの望む静かで普通な学校生活は望めない。
けど、この先輩一人にしておくというのも……。道本先輩は先輩と仲いいけど、いつでも一緒って感じじゃないんだよね。演劇部《えんげきぶ》と掛け持ちだし、ある意味先輩と似たもの同士なんだ。自分の欲求に素直に生きてる感じ?
う〜ん、今ならまだ引き返せ……
この二週間の出来事が蘇《よみがえ》る。いろんな先輩《せんぱい》の姿が蘇る。遠くを見ていて足下《あしもと》見てない先輩、危なっかしい先輩。実際落っこちたし。
引き返せ……
笑顔《えがお》の先輩、ちょっと弱気になった先輩、いじわるな先輩。
引き返せ……
先輩、先輩、先輩。
引き返せ………………ないなぁ。
なんだ、ぼくはもうとっくに引き返せなくなってるらしい。こんな個性の固まりみたいな先輩に惹《ひ》かれてしまったんだ。普通の生活なんて望むべくもない。……いや、望むくらいならどうにかなるかな。頑張《がんば》れば、普通っぽい生活、普通かもしれない生活、……普通の生活? くらいなら送れるかも。…………泣けてきた。
ともかく、ぼくの答えはとっくに決まっていたらしい。
ぼくは、先輩の目を見つめて言った。
「入会します。これからもよろしくお願《ねが》いします」
「そうか、ようこそ凰林《おうりん》ミステリー研究会へ」
先輩がにっこり微笑《ほほえ》んだ。
この笑顔《えがお》は初めて見る笑顔、そして……たぶん先輩の心からの笑顔。
とてもきれいでやさしい、先輩の本当の笑顔。
ああ、だめだ。
ぼくは観念《かんねん》した。
さようならぼくの普通な日々、どこにでもあるようなありふれた学校生活。
ぼく、山城《やましろ》一《はじめ》15歳《さい》A型|牡羊座《おひつじざ》はたった今…………完璧《かんぺき》に恋に落ちてしまったらしいです。
******
「ごめんなさい、べったりだった」
回想を終了した直後ぼくは謝《あやま》った。先輩が好きだって自覚したあとは、確《たし》かに先輩といつも一緒《いっしょ》にいた。
「わかればいいのだよ、げははははは」
鷹揚《おうよう》にうなずくタッキー。くっ、なんでここまで偉そうに言われなきゃならないんだ! げはははって笑うな。
「まあ、今の二人の関係のきっかけはおれが作ったということだな、感謝《かんしゃ》しろ感謝しろ。言うなればおれは恋のキューピッドといったところか」
どこまでも増長するタッキー。それにしても……恋のキューピッドって言葉がタッキー以上に似合わない人間はこの世にいないんじゃないかって思うぐらい、キューピッドタッキーは気持ち悪い。うぷっ。
やな絵面《えづら》が浮かんでしまったので、ぼくは話を変えることにする。
「で、これからどうしよ」
「……勝負だ」
今まで沈黙《ちんもく》を守っていた、というか自分の世界に入り込んでぶつぶつ言ってたのりちゃんが復活した。
「えっ?」
「なんでも良い勝負だ!!」
再び燃《も》え上がるのりちゃん。
あーしょうがないなー。
「えっと、じゃあゲームセンターでなんか勝負しようか。ちょうど上にあるし」
ここは3階がボウリング場で2階がゲームセンターだから何か勝負できそうなのがあるよね。
******
2階は少し薄暗《うすぐら》くて、ゲームの灯《あか》りがよく映《は》える。昔のゲームセンターとは違って、おしゃれで女の人の姿もたくさんある。アミューズメントスポットって奴《やつ》だね。
タッキー的には気に入らないらしいけど。殺伐《さつばつ》さが足らん殺伐さがーとか叫んでた。
コインゲームのじゃらじゃらという音やパチンコの音、ゲームの音楽が混ざったなんとも言えない騒々《そうぞう》しい音が響《ひび》く。
んー、どれにしようか。
UFOキャッチャー。なんかものすごく地味な勝負になりそう。格闘《かくとう》ゲームとかはよしたほうがいい。あれは実力差がものすごく出るし。できるなら身体《からだ》を使う、簡単操作《かんたんそうさ》のゲームが。
ぼくは周囲を見回す。
そんなぼくにタッキーが話しかけてきた。
「はじめ、あれなんかどうだ?」
タッキーが指さしたのは一昔前に一世を風靡《ふうび》したダンスゲーム。
うー、あれなら慣《な》れと反射神経とリズム感の問題だろうからいい勝負になるかな。慣れ具合ならぼくものりちゃんも初心者だし。
「いいんじゃないかな? のりちゃんはどう?」
「良いだろう」
鷹揚《おうよう》にうなずくのりちゃん。
「で、どうやるんだ?」
ぼくはやったことはないけど、どうやるかぐらいはわかってる。でものりちゃんはそれ以前らしい。
「えーと、上から落ちてくる矢印が下の矢印に重なった時、床《ゆか》のところの矢印を踏めばいい。リズム感と、反射神経だね。これなら問題ないでしょ」
のりちゃんの得意分野だろうしって言葉は飲み込む。
「じゃ、始めよう」
お金を入れて勝負スタート。
音楽に合わせてステップ。
…………なるほど、はじめてやったけどこれは気持ちいい。
リズムに合わせて軽快に……って、なんか周りが騒《さわ》がしくなってきた。ギャラリーが集まってきたらしい。
うーはずかしいなー。でも真面目《まじめ》にやらないとのりちゃん怒るし。で、のりちゃんのほうはというと、
ダンダンダンダン
と、ものすごい音が聞こえてきてる。どうやら思いっ切り踏みしめてるみたい。もうすでに格闘技《かくとうぎ》と化してるよ。機械《きかい》が壊《こわ》れたらどうしよ。
その時、
「おう、典弘《のりひろ》こっち見ろこっち」
隣《となり》に座ってぼくを観戦《かんせん》していたタッキーが言った。
呼ばれたのはのりちゃんだけど、ぼくも横目で見る。なんだ? ……ってああ失敗した。ゲームに集中。落ちてくる矢印に注目。
……あれ、隣ののりちゃんがミスを連発。なんか一気に集中力が切れたらしい。
あれ、あれれ? このままじゃ普通にぼく勝っちゃうんだけど。
で、やっぱりぼくが勝った。ぼくの画面にはランクAと出てて、のりちゃんのところにはDって出てる。最初はよかったのに途中《とちゅう》からガタガタだったのりちゃん、いったいどうしたの? と聞こうとしたその時、
わーわー
ぱちぱちぱち
いきなりうしろから歓声《かんせい》と拍手が聞こえてきた。
え? 何?
振り返ると、いつの間にかものすごい人が集まってた。えっと……なんで?
と、頭にはてなマークを貼《は》り付けつつも、
「ど、どうも〜」
へこへこと頭を下げる、小心者のぼく。うー、恥《は》ずかしい。
ぼくは台から下りると、タッキーに小声で聞く。
「なんなのこれ?」
タッキーはにやりとして、
「これを見てみろ」
デジカメの画面をぼくに見せてくる。中には今まさにゲームを始めようってぼくの姿。今時《いまどき》のデジカメは、動画も撮《と》れるんだなぁ。
画面の中のぼくが踊り始める。…………これは。
「どうだ!」
今のぼくの身体《からだ》は先輩《せんぱい》のだから、踊ればものすごく目立つ。しかも、結構高得点で、ちゃんと踊れてるからなおさらだ。
ただ……そんなのは理由の一つ。一番の問題は………………ひらひらひらひらひるがえるスカート。
「こっこれが狙《ねら》いかあ〜〜〜っ!!」
このダンスゲームで勝負したらどうだと持ちかけてきたのは誰《だれ》でもないタッキーだ。
くぅ、よくよく考えればこの馬鹿《ばか》の狙いくらい読めたのに。
「どうだこの芸術的なスカートのひるがえり具合! 中が見えそうで見えない、究極のチラリズム。見えるより見えない方が男の想像力を刺激《しげき》するのだ。もう、このスカートの鉄壁《てっぺき》具合は、日曜《にちよう》朝のあのアニメに匹敵するっ!」
くそー、この短いスカートが憎い。個人的にはもっと長いほうが落ち着くのに、このくらいがかわいいのよーとか言うお姉《ねえ》ちゃんお母さん連合のせいでこんなことに。
「しかも鉄壁のスカートから伸びるのは、その美しい足だ!!」
ビシイッ
とぼくの足を指さすタッキー。
「その足に見とれ視線《しせん》を上げていけば鉄壁《てっぺき》のスカート。そこで突き付けられる究極の選択《せんたく》。足を見続けその美しい脚線美《きゃくせんび》を堪能《たんのう》するか、その足をさかのぼりたどり着いたひらひらと小悪魔的《こあくまてき》にひるがえるスカートに夢を託すかの、絶望的な二択。しなやかな足が健康的《けんこうてき》に躍動《やくどう》する様は……これはもう、芸術としか言えないだろう!! さりとて、ひるがえるスカートがおれ達に与えてくれるのは、即物的な、大衆的な、退廃的な喜び!! くそっくそっ、そんなもの選《えら》べる訳がないだろうっ!!」
うわ……マジ泣きし出したよこの馬鹿《ばか》。
「しかし、どちらか一方しか選べない。故《ゆえ》に男達は断腸《だんちょう》の思いで選ぼうとする。しかし、しかしだ!! さらに、その決断を阻《はば》もうとする悪魔達。
流れる黒髪、上気する頬《ほお》、真剣な瞳《ひとみ》、そして……揺《ゆ》れる母性の象徴!! 二択が五択六択に増え、男達の心を神への怨嗟《えんさ》の声が埋め尽くす。なぜ、目がたった二つしかない! なぜ、脳の処理速度はこんなにも遅いのか! なぜ、イチローの動体視力がおれにない! なぜ時間は止まらない! なぜ、なぜ、なぜっ!!」
マジ泣きが号泣《ごうきゅう》にランクアップ。
「ちくしょう、はじめ! おまえはおれ達をどうするつもりだっ!!」
どうするつもりもない。
でも、そのタッキーの叫びを聞いた何人かが、涙をだらだら流しつつうなずいている。
呆《あき》れて言葉もないとはこのことかな。
「はじめよ! おまえは……おまえはいったいどこまで……」
うおおーん
うおー
うっうっうっ
連鎖的《れんさてき》に広がっていく暑苦しい涙。
……タッキーのひどい言動には慣《な》れてたつもりだけど、流石《さすが》にこれはマジで引いた。なんなんだこの生き物は。
たぶんぼくの視線は、絶対零度に限りなく近付いてるはず。ぼくは瞳《ひとみ》から冷凍光線を発射しつつ、考える。あまりの馬鹿さに頭の回転が止まってしまったけど、何か……何かやらないといけないことがあるはず。何かを忘れている。
うーむむむむ
ぼくは必死に何かを思い出そうとし、どうにかその答えにたどり着いた。
はっ、そうだ。データ消さないと!
「それよこせー」
ぼくはタッキーのデジカメに手を伸ばす。しかし……
「これは消させん消させんぞ!! これには志《こころざし》なかばに果てた戦友達の夢が詰まっている!! 希望が、その熱《あつ》き想《おも》いが刻まれている!! おれの命に代えてもっ!! これは守り通してみせる!!」
デジカメを抱きかかえ、鉄壁《てっぺき》の脂肪ガードを発動するタッキー。台詞《せりふ》が無駄《むだ》に熱い。つーか戦友ってなんだよ。こんなに必死なタッキーは初めてかもしれない。我《わ》が子を守る野生動物の勢いだ。
くっ、これじゃあデジカメを奪えそうにない。気持ち悪くてタッキーにさわりたくないし。
「………………はぁ、しょうがない」
「みっ見逃《みのが》して……くれるの……か?」
涙を流しながらぼくを見上げるタッキー。そんなタッキーにぼくはにっこり微笑《ほほえ》む。
あとですきを見て奪おう。
と、いう訳でぼくはさっきから気になっていたことを聞いてみた。
「じゃあ、のりちゃんの集中力が途中《とちゅう》で切れたのは? タッキーが話しかけてからでしょ、のりちゃんが崩《くず》れたの」
「ああ、それはだな。はじめの横に座っていたおれを見るということは、はじめを見……」
「……死にたいならしゃべれ」
のりちゃんの本気の声がタッキーの心臓《しんぞう》を鷲《わし》づかみ。プラス実際にのりちゃんの手がタッキーの後頭部を鷲づかみ。
「なっなんでもないです、はい!」
本気で怯《おび》えるタッキー。ぼくはタッキーの後頭部にアイアンクローかましてるのりちゃんに聞く。
「えっと、なんで……」
「気にするな! 負けは負けだ!!」
「でも……のりちゃん顔が赤……」
「気 に す る なっ!!」
「うっうん、気にしない」
腑《ふ》に落ちないけど、のりちゃんがいいなら。
ぼくはごほんと一つ咳払《せきばら》いして、みんなを見回した。
「えっとそれで次はどうしよ」
ぼくは次の勝負をするためのゲームを物色《ぶっしょく》する。と、再びタッキーが提案してくる。
「あれならどうだ?」
タッキーが指さした先にはエアホッケー台があった。ああ、これなら大丈夫だよね。ただ、タッキーの提案ってのが気にくわない。また何か企《たくら》んでるんじゃないだろうか。
「どうしたはじめ?」
ぼくがタッキーを睨《にら》むと、タッキーがそしらぬ顔で聞いてくる。うーん、澄《す》ました顔が怪《あや》し過ぎる。でも、他《ほか》に勝負に使えそうなのないし。
「じゃ、これにしようか」
ぼくはのりちゃんに聞いてみる。
「いいぞ、今度こそ雪辱《せつじょく》をはらしてやる!」
という訳で、本日三回目の勝負が始まった。
カッ カカッ カッ カカッ カッ
ものすごい勢いでパックが台の上を走る。
集中力が高まる。ただただパックの軌跡《きせき》を追うぼくとのりちゃん。ものすごいラリーにギャラリーが集まってくる。
勝負は一進一退の攻防を繰《く》り広げてる。でも状況はぼくのほうが不利、8対6で負けてる。
うーこのままじゃ負けそうだ。このブレザーがいけない。熱《あつ》いし重いし。さっきもダンスゲームで動きまくったばかりだからなぁ。
「あーもう熱いし動きにくい、ちょっと待って」
ぼくはのりちゃんにそう言ったあと、ブレザーを脱いで真太郎《しんたろう》に渡す。
「これ持ってて」
「わかった」
その時|何気《なにげ》なくタッキーが口を挟む。
「リボンも取ったらどうだ? 熱いだろ」
その声にぼくはリボンを外し、ついでにシャツの一番上のボタンを外す。勝負に集中してるので、タッキーの真意まで頭が回らない。
あー涼しい。
ぱたぱたと手で顔を扇《あお》ぐ。うーん、このままだといけない。とりあえず差を縮《ちぢ》めないとね。こっちはパワーが足りないから、やっぱり跳《は》ね返りを上手《うま》く利用しないと。のりちゃんは動体視力すごいし。と、今後の作戦を練《ね》るぼく。ああ、思いの他《ほか》熱くなってるなあぼく。
のりちゃんは負けず嫌いだってぼくはいっつも言ってるけど、ぼくもたいがい負けず嫌いだよね。
よし、再開だ。
「おまたせー」
ぼくは構える。
「…………」
「…………」
始まらない。
「のりちゃん?」
なぜか挙動不審《きょどうふしん》なのりちゃん。
「あ、ああわかった」
視線《しせん》が左右に泳いでる。どうしたんだろう。
「じゃあ、はじめよ」
そして勝負は再開し…………あっという間に終わった。
「えっと……なんで?」
ぼくはのりちゃんに聞く。あの休憩《きゅうけい》のあと、のりちゃんは集中力が切れたのか、ぼくの得点が続きあっという間に終わった。ぼくの勝ちで。
真っ白になって台に突《つ》っ伏《ぷ》すのりちゃん。動かない。ぼくの問いに答えてくれる様子《ようす》はない。
「ふっ、流石《さすが》だなはじめ。これ以上ないほど女の武器を有効活用してる。しかも無意識《むいしき》なのが恐ろしい」
タッキーがいつの間にか横に現れ言った。
「何それ」
「わからないなら良い。いやわからないままの方が良い。こっちも良い写真が撮《と》れたしな」
「へえ、どんな?」
「ふっ、エアホッケーというのは構える時に前屈《まえかが》みになるのだ。しかも左右に激《はげ》しく動く。後ろから見ると、短いスカートがひらひら、可愛《かわい》いヒップも左右にフリフリ。実に素晴《すば》らしい競技《きょうぎ》ではないか!! さらに、第一ボタンを外したおかげでできた三角形の隙間《すきま》からちらちらと覗《のぞ》くのは魅惑《みわく》の布。なぜただの布きれがここまで男心をくすぐるのだろうか!! ただの布じゃん!!」
ぼくの問いに自《みずか》らの行動を暴露《ばくろ》するタッキー。やっぱ悪役って自分の悪巧《わるだく》みっぷりを誰《だれ》かに話して自慢《じまん》したいんだろうなぁ。というか、のりちゃんには悪いことしたなぁ。ぼくがタッキーの奸計《かんけい》に引っかかったせいで。
それはともかくぼくは……
「だからセクハラはやめろって言ってるだろっ!!」
そう叫ぶと同時に、渾身《こんしん》の怒りの鉄拳《てっけん》をタッキーの顔面にめり込ませた。あー手が痛い。
ピクリとも動かないタッキーとのりちゃん。タッキーを見下ろしハアハアと荒い息をつくぼく。見守るギャラリー。……なに、この修羅場《しゅらば》。
その時、スカートのポケットから携帯の鳴る音が聞こえてきた。この鮫《さめ》映画の音は先輩《せんぱい》だ。
ぼくは少し息を整《ととの》えたあと電話に出る。
「あ、はい先輩どうしたんですか? ――――はい――――はい――――、わかりました。――――はい、またあとで」
電話を切るとオーラが聞いてきた。
「ドウシたンデスカ?」
「美香《みか》さんや桜《さくら》さんとかがお菓子作って持ってきてくれるんだって。だから時間があるなら学校に戻ってきたまえ〜と先輩が」
「……そうか。なら戻るか」
全《すべ》てを見守っていた真太郎《しんたろう》がのっそりと言った。
「うん、そうしよう」
「カワムラとノリヒロどうシマスカ?」
オーラが倒れてピクリともしないタッキーと、真っ白な灰になっちゃってるのりちゃんを指さして言う。
あーどうしよ。
「うーん、持って行くと重いし…………ほっとこう。少ししたら復活するでしょ。あとで電話かけよう」
「なぜデスカ?」
タッキーはぜひともこのまま眠っていてもらいたいし、のりちゃんが復活したらまた勝負だーとか言い出すだろうし。それに……
「……体力を温存しとかないと」
ぼくの言葉を聞いて不思議《ふしぎ》そうな顔をするオーラ。そのオーラにぼくは説明する。
「だって、嵐《らん》ちゃんたちが関《かか》わってるんだよ? なんかもう一波乱《ひとはらん》ありそうな気がするんだ。のりちゃんもまだ諦《あきら》めないだろうし」
というか現在進行形ですごいことになってるんじゃないだろうか。……桜《さくら》さんたちに迷惑《めいわく》かけてないといいけど。
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嵐ちゃん組+αの放課後とわたし
「へっへくしょ〜い、うーちくしょー、誰《だれ》かがアタシのこと噂《うわさ》してるわね。やっぱかわいいって罪よね」
嵐ちゃんは小さくて可愛い鼻をむずむずさせたあと、大きなくしゃみを一つ。ただ、くしゃみのあとにちくしょうを付けるのはうら若き乙女《おとめ》としてどうですか? それにテーブルの上の薄力粉《はくりきこ》が吹《ふ》っ飛んで、なっちゃんほーちゃんの二人が真っ白になってるんですが。災難《さいなん》ですね。
「けほっしろいー」
「けほっけむいー」
「ああ、ごめんごめん」
クレープ生地《きじ》になるはずの薄力粉に直撃《ちょくげき》されてけほけほ咳《せ》き込む二人と、謝《あやま》る嵐ちゃん。
「あらあらまあまあ」
小谷《こたに》さんが、タオルで二人の顔をぬぐいます。
今わたしたちが何をしているかというと、お菓子を作っているのです。クレープとアップルパイ。
テーブルの上には、クレープの生地《きじ》をのばすトンボと呼ばれる道具。ホットプレート。クレープに使うのはお砂糖《さとう》と塩、卵、牛乳、生クリーム、チョコレート、購入《こうにゅう》してきた果物いくつか。アップルパイの方は林檎《りんご》とパイ生地。
はい、完璧《かんぺき》ですね。帰ってくる前にお店によって一通りそろえてきたのです。
おかげで少し遅れてしまい……くーくーくーくー鳴るお腹《なか》の音がものすごいプレッシャーを与えてきます。ちなみに音の発生源は三つ。その発生源は、詳しく説明するまでもないと思います。飢《う》えたこの三人は色々と困った人になるので急いで作らないといけないのです。時間との勝負ですね。……ただのお菓子作りにスリル感じてしまう今の現状には色々と言いたいことがないでもないですが、時間の無駄《むだ》なのでやめておきます。返す返すも言いますが時間の勝負なのです。
わたしはこの場で唯一《ゆいいつ》の味方にちらりと目をやります。それだけで小谷さんにはわたしの考えていることが伝わったようです。
頑張《がんば》りましょう、破滅の時は近いです。
……それで調理《ちょうり》の方法ですが、わたしと嵐《らん》ちゃんがクレープを、小谷さん姉妹はアップルパイを作るということになりました。この方が効率が良いですし。
ですが、こう決まった瞬間《しゅんかん》、嵐ちゃんが仁王立《におうだ》ちをして宣言。
「これは勝負ね!!」
……空腹から、いつも以上にテンションが高くなっているようです。ただ、これくらいならまだ許容|範囲《はんい》です。
「のりにーちゃんの口癖《くちぐせ》が移った気がするけど気にしない!! アタシのグツグツに燃《も》えたぎる乙女心《おとめごころ》が勝負に駆《か》り立てるのよっ」
グツグツに燃えたぎる乙女心というのが、にわかには想像できないのですが。と、いうよりも乙女心なのですからもう少し穏《おだ》やかな表現で燃えていただいた方が良いのではないかと……
「うふふ、受けて立ちましょう。小谷流滅殺料理術でぐうの音《ね》も出ないようにして差し上げますわ」
とりあえずわたしは、滅殺はないのではないかとか思うのですが。なぜか小谷さんは、いつもと人が変わっているようです。
どうやら小谷さんは、嵐ちゃんとの勝負に乗ることにしたようですし。
「ふっふっふっ、時を超えたアタシとさっちゃんの絆《きずな》に勝てるとでも? さらにアタシには百年近い経験《けいけん》の蓄積《ちくせき》があるのよ。ねっ、さっちゃん!」
「……えっと、あのですね」
わたしとしては、勝負よりももっと穏便《おんびん》に……
「うふふ、近所でも美人姉妹として有名なわたくし達の実力の程《ほど》を、存分にごらんになってください。後悔《こうかい》しても遅いですわよ?」
「わよ〜」
「よー」
……なりそうにありません。あと、美人姉妹というのは料理の実力に全く関係ない気がします。
「じゃあ、開始するわよ!」
開始する勝負。わたしはこの家の主《あるじ》として威厳《いげん》を持って言葉を……
「……とりあえず、怪我《けが》はしないように気をつけてほしいです」
言うことができず、乗り気な皆さんに、それだけ言うのが精一杯でした。
調理《ちょうり》開始してどのくらい経《た》ったのでしょう。先ほどからくーくー可愛《かわい》らしく鳴るお腹《なか》の音の間隔が短くなっていることから昼はかなり過ぎているとは思いますが……
わたしが時計を確認《かくにん》すると、すでに二時を回っていました。
いつの間にこんな時間になっていたのでしょう。
わたしは足に負担があまりかからないよう、椅子《いす》に座って果物類を切っています。
比較的に皆さん小柄とはいえ。五人も入った台所は狭いです。
でも、みんなでにぎやかに料理をするのは楽しいですね。楽しんでいるので時間の進みが早いのでしょう。
そんなことを考えていると、嵐《らん》ちゃんがいきなり……
「さて、本日の○○素材はっ!」
とか言い出しました。続いて、嵐ちゃんは、
だららららららら〜♪
と口で言い出します。
「アタシがピーの毛までむしる勢いで値切ってきたバナナ〜」
ピーは下品なので、自主規制しました。
それに対抗するように小谷《こたに》さん達が……
「うふふふふ、こちらはわたくしが生き馬の目を抜く勢いで値切り倒してまいりましたりんごですわ」
「ひゅーひょー」
「いえ〜い」
……嵐ちゃん達のテンションが先ほどよりもさらにすごいことになってるのですが。
「…………………………」
混迷を深めつつ料理勝負は続いていきます。どうしましょう。
******
「どうですか?」
「……見事に寝てます」
わたしは畳《たたみ》の上で川の字に寝ている三人組を見て言いました。
見事にでき上がったアップルパイとクレープ。味も上々で、三人は夢中で食べたあげくに、眠り出しました。
「久々の大はしゃぎでしたので疲れたのですわ。どうぞ、お茶のお代わりです」
「……すいません」
紅茶がなくなったのでわたしが淹《い》れ直しに行こうとするのを、美香《みか》さんが代わりに行ってくれたのです。
「いえいえ」
そう言って、花のように微笑《ほほえ》む美香さん。年齢的《ねんれいてき》にはわたしの方が年上にもかかわらず、大人《おとな》の色気では完璧《かんぺき》に負けている気がします。身体《からだ》のボリュームもさることながら、その落ち着いた雰囲気が、そうさせるのかもしれません。
「本当に、嬉《うれ》しかったんですわね」
小谷《こたに》さんがいとおしそうに眠る三人を見ています。そしてその視線《しせん》をわたしの方に向け……
「真太郎《しんたろう》さんと一緒《いっしょ》にいたいのもわかりますが、たまには嵐《らん》さんやうちの娘達と遊んであげてくださいな」
「……そうですね」
わたしの大事な年下のおばあちゃん。無邪気な笑顔《えがお》を向けてくれる優《やさ》しい双子《ふたご》。
「そうします」
わたしの大切な親友達。最近は、その大切な人達と過ごす時間が減っていました。
そして今の小谷さんの言葉で、なぜ小谷さんがいつもと違うのかわかりました。にぎやかに楽しくしようとしていたのですね。本当にどちらが年上なのでしょう。
「はい。それに…………たまには、距離《きょり》を置くのも新鮮《しんせん》で良いものですわよ?」
小谷さんには全《すべ》てがお見通しのようです。
「……わたしは手に入れたものを失うことが怖かったのですね」
気が付けばわたしは、心の中の想《おも》いを吐露《とろ》していました。小谷さんはどこか人に胸の内を語らせるようなそんな優しい雰囲気があります。
「余裕がなくて、真太郎様の想いが他《ほか》に流れることにすら嫉妬《しっと》していました。それが友情という名の想いだとしてもです」
だから、心から尽くしできる限り真太郎さまのお側《そば》にいようと。
「確《たし》かに、はじめさんは可愛《かわい》らしいですわ。わたくしもめろめろです。不安になるのもわかりますわ」
はじめさんは、わたしから見てもとても魅力的《みりょくてき》で。しかもわたしより真太郎さまと長く一緒にいて、その間にはちゃんとした信頼が結ばれているのがわかります。
「相手を信頼し、あり得ないとわかっていながらも、不安になってしまう。……恋する乙女《おとめ》ですわねぇ。そういえば、夏に一度つばささんも恋する乙女モードになってましたわ。あのつばささんがですわよ? ああ……可愛らしかった」
……そんなことがあったのですか。あの平賀《ひらが》さんが不安になるなんて……想像もできません。
「ですが文化祭あたりで色々|吹《ふ》っ切れたみたいでしたわね。うふふ、何があったんでしょうね。それに……」
わたしを笑顔で見ながら小谷さんは言いました。
「今日《きょう》の様子《ようす》ですと桜《さくら》さんの不安もすでに解消されているようですし」
真太郎さま達に付き合うのを遠慮《えんりょ》したことを言ってるのでしょうね。昔のわたしなら絶対について行ったと思います。
平賀さんが以前、男女の恋愛関係の機微《きび》については美香が一番だと言っていましたが、その通りだと思います。とても鋭《するど》いです。
「その原因を聞くのは……」
その言葉でわたしはあの夜のことを色々と思い出しました。顔が熱《あつ》くなっていくのがわかります。
「……少々|野暮《やぼ》ですわね」
赤くなった私の様子《ようす》を見て、くすくすと笑う美香《みか》さん。……こうも見通されると恥《は》ずかしくなるのですが。
「ああ……恋する乙女《おとめ》というのは、なぜこうも可愛《かわい》らしいのでしょうか」
頬《ほお》を染《そ》め身体《からだ》をくねらせる小谷《こたに》さん。しばらくそうしていたようですが、急に真面目《まじめ》な顔に戻し言いました。
「ですが、心配しなくて良いですわ。桜《さくら》さんとつばささんの不安は全くあり得ないものですから」
不安、わたしが真太郎《しんたろう》さまと山城《やましろ》さんに嫉妬心《しっとしん》を抱いてしまったことですか。
「あのつばささんとはじめさんが離《はな》れるなどということは、地球が逆《さか》さになってもあり得ません」
自信に溢《あふ》れる小谷さん。……ですが、
「……まったくあり得ないということは」
男女の仲ですし、何が起こっても不思議《ふしぎ》ではないと思うのですが。……こう思うのは、入れ替わる前の山城さんを知らないからなのでしょうか。
そう思うわたしに小谷さんは自信満々で言いました。
「あの二人に関しては断言できますわ」
あの二人は違うのでしょうか。確《たし》かにとても仲が良いとは思うのですが。
「では、あの二人の仲について、わたしがわかっている範囲《はんい》で説明しましょう。……うふふ、こんな話をできる方が今までいなかったのですわ。本人達に言うのはどうかと思いますし、こういう話に興味《きょうみ》がある方はいなさそうですし」
わたしはOMRのメンバーを頭に浮かべました。……確かにそうかもしれません。
「今後もたまに付き合っていただけると嬉《うれ》しいですわ。口が堅くて信用がおける女性の友人というのはなかなかに貴重なものなのです。つばささんは普通の女性というには少々変わり過ぎていますし」
苦笑する小谷さん。確かに否定できません。女性らしい話題で盛り上がる平賀《ひらが》さんは想像できません。
わたしにしても……女性らしい会話を交《か》わせる相手というのはとてもありがたいです。わたしの話し相手になってくれる数少ない同性の人物は、嵐《らん》ちゃん達三人と、平賀さん。
……色々|偏《かたよ》っています。
それに……今までちゃんと話したことがなかったのですが、小谷さんはとても素敵《すてき》な方だというのがわかります。細《こま》やかな心配りに、女性らしい優《やさ》しさ。これは是非《ぜひ》とも見習うべき長所だと思います。
「……わたしでよろしいのでしたら是非《ぜひ》に」
「はい、よろしくお願《ねが》いしますわ」
小谷《こたに》さんが手を差し出してきましたので、わたしも手を出して握手をします。
女性らしく柔らかで優《やさ》しい手です。とても小谷さんらしいです。
「では女の井戸端会議《いどばたかいぎ》を始めましょうか」
小谷さんがそう言って、二人の井戸端会議が始まりました。
「あの二人は初めから仲良かった……というか、はじめさんが好き好き光線《こうせん》を出していたのですが、その関係が両想《りょうおも》いといった感じになったのはある夏の出来事ですわね。まあ、これはつばささんに聞いた話なのですが……」
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UFOとはじめ君と私
三日前UFOが墜落《ついらく》した。
正直信じられないが、これが現実らしい。どの放送局でもニュースはこれ一色だろう。
だろう……と推測の域を出ないのは、今の私はテレビなどという文明の利器に触れられる所にいないからだ。
足を一歩踏み出す。
肩に食い込む荷物が重い。
頬《ほお》を流れる汗は不快だ。
空を覆《おお》う木々がありがたい。
目の前に見えるのは上下に動く大きな荷物……はじめ君だ。
いや実に頼もしいな、山を歩き慣《な》れているのだろう。私の倍以上の荷物を背負っているにもかかわらず足下《あしもと》はしっかりしている。しかもそれだけではなく、私の前で足下に注意を払い、危険がある場所は教えてくれる。何やら使命感のようなものが見受けられるな。はじめ君の心の内を言葉に直すと……「先輩《せんぱい》がいるんだしぼくがしっかりしないと!」といったところか。いや、男の子だね。それにこういう扱いは私としても新鮮《しんせん》だ。
しかしその頼もしさとは裏腹に、ひょこひょこ上下する荷物とその荷物で完全に身体《からだ》が隠《かく》れてしまっているはじめ君の後ろ姿はどこかコミカルだ。微笑《ほほえ》ましい。
男らしくもあり可愛《かわい》らしくもある。大人《おとな》の男になる前のどこか背伸びした少年。うむ、非常に好ましいな。
それにしても、ついてきてくれて助かったと心から思うが……はじめ君はなぜこのようなことに慣《な》れているのだろうか。以前私が遭難《そうなん》しかけた時も私を背負っているにもかかわらず足下《あしもと》がしっかりしていたし。……まあ、いつか話してくれるのを待とう。このことを話題に出すと、ははははと乾いた笑いが返ってくるしな。はじめ君には何か嫌《いや》な思い出でもあるらしい。
それにしても……疲れた。
疲労はピークに達そうとしている。身体が重い。
七月に入ってすぐなのだが、今日《きょう》も良い天気だ。要するに暑い。町中よりはだいぶマシなのだろうがこっちは身体を動かしているからな。まったく、雨よりはマシだが……恨《うら》めしいな。
ちなみに、学校とか細かいことを気にしていたらいい大人になれない!
……すまない、正直浮かれているのだ。
疲れているし身体も重い。しかしそれが気にならないほどに、私の心は浮かれている。
理由は最初に言った通りUFOだ。
今私がこんな山道、いや、獣道《けものみち》とでも言った方が良い道をはじめ君に引き連れられて歩いているのも同じ理由だ。
そうUFO! 未確認《みかくにん》飛行物体! 空飛ぶ円盤《えんばん》!
興奮《こうふん》しない方がおかしい。
私がいつから憧《あこが》れていたと思っている。存在するかどうかわからない曖味《あいまい》な存在。見間違いや目の錯覚《さっかく》、トリック写真、それらを排除した中にわずかに残る正体不明の飛行物体。
浪漫《ロマン》ではないか、感動的ではないか。
正直実際にこの目で見ることは諦《あきら》めていた。
しかし……しかし!!
と、その時はじめ君が立ち止まった。
「先輩、見えますよ。すごいなー」
…………私が一人で興奮しているうちに、いつの間にか到着していたらしい。
私ははじめ君の隣《となり》に立つ。
視界が急に開けた。
遠くに微《かす》かに見えたのは……
「……おお」
私達はとうとう墜落《ついらく》したUFOを微《かす》かながら視認できる所までやって来たのだ。
言葉がない。
つばを飲み込む音がやけに大きく響《ひび》いた。
ここからでは本当に豆粒にも満たない大きさにしか見えない。
双眼鏡《そうがんきょう》を取り出す手が震《ふる》える。
幼少時代から夢にまで見ていた不思議《ふしぎ》がそこにはあった。
これが感動か。
一直線《いっちょくせん》に続く木々のなぎ倒された跡、その先に葉巻型をした物体。大気圏を突入してきたにもかかわらず表面は鈍く銀色に光っている。
私は双眼鏡片手に立ちつくしたまま眺める。
言葉がない。
それにしてもどうにか間に合ったらしい。
UFOの表面を覆《おお》い始めている青はビニールシートか。ともかくあの巨体を隠《かく》そうとしているのだろう。あれをあのまま運ぶのは流石《さすが》に無理だろうからな。今の時代、空からの目はいくらでもあるから、とりあえずはビニールシートで一時しのぎをしようといったところか。進行具合から見て、隠す作業が開始するまでには墜落後二日近くかかっているようだが。様子見《ようすみ》をして当座の危険がないと判断し、ようやく行動を起こしたのだろうな。まあ、墜落直後のアレに近付くのは、事態《じたい》を把握できていない野次馬《やじうま》根性の溢《あふ》れた人物か、私のように好奇心が溢れ過ぎてしまっているような者だけだろう。
あの様子だと、あと一日程度で全《すべ》てが覆《おお》われるか。もう少し早く来たかったが、それは仕方がないか。
もう少し近くで見たい。だが……流石に無理か。
あれの周囲を自衛隊《じえいたい》が囲んでいる。UFOに比較的近い尾根への道は完全に封鎖《ふうさ》されているだろう。墜落直後は近くまで寄れて画像も出回ったが、それ以降は近付けた者はいないようだ。
緊急《きんきゅう》事態だからな、墜落して数時間後にはUFOの周りは封鎖された。
だからこそわざわざ私は遠回りして、双眼鏡でも小さくしか見えないようなこんな遠くで見ているのだからな。
だが、それで良い。肉眼で見られただけで十分だ。比較的至近|距離《きょり》からの写真はいくらか出回っているからな。研究者にでもなればあれに直《じか》に触れることができるかもしれないが。
…………将来の選択肢《せんたくし》の一つに入れておこう。あれを間近で見、触れることができるというのは抗《あらが》いがたい誘惑《ゆうわく》だ。
もう少しすれば、全てが隠されてしまうだろう。肉眼で見ることなど叶《かな》わなくなるはずだ。それまでのわずかな時間、私はあれを目に焼き付ける。
これがいつか一般に公開されるようなことがあれば良いのだがな。
「あーとうとう隠《かく》れちゃいましたね」
私があれを見始めてからからどれだけ経《た》ったのだろうか。UFOが完全にビニールシートで覆《おお》われたのを見たはじめ君が言った。
「そうだな」
「あれってこれからどうなるんでしょ」
「私ならあそこに建物を建てるな。動かせば何が起こるかわからない。というか、分解でもしない限り運べないがそんなことをする訳にもいかないか。空からの視線《しせん》を避ける為《ため》のビニールシートなのだろうが、あんなものでいつまでも隠していられない。ならばあれを覆うように建物を建てる。そうすれば、あの場であれを研究することもできるだろう」
銀河《ぎんが》をわたってきたであろう星の船を調《しら》べて、人間に理解できるのかはわからないが。
「だから先輩《せんぱい》は急いできたんですね」
「そうだな。肉眼で見られるチャンスは今しかなかった。ぎりぎりだったがね」
墜落《ついらく》したのが二日前。次の日すぐに出発し、この場に到着したのが今日《きょう》の昼。そして今は深夜を回ったところか。あと一日遅れていればアウトだったな。
「で、先輩ご飯食べませんか? 先輩ずーっとあそこにいましたし」
……確《たし》かにな。流石《さすが》に空腹だ。朝から何も食べていない。ライトをつけて昼夜関係なく作業していたのでずっと見ていた。それにしても、邪魔《じゃま》をしない為そんなに長い間、私を放置できるはじめ君はすごいな。よく私のことをわかっている。
今までは気にもならなかったが、身体《からだ》が空腹を訴えているのがわかる。
私は尾根の山頂付近でUFOを眺めていたのだが、そこから少し下った所。わずかな平地に、テントが立ち、食事の用意ができていた。
目の前には石で作ったかまどに飯ごうがかけられている。真《ま》っ暗闇《くらやみ》の周囲をかまどの中の小さな火が照らしている。側《そば》にははじめ君が拾ってきたのであろう薪《まき》が小さな山になっている。ちなみにおかずは持ってきた缶詰《かんづめ》だ。
「いや、すまない。迷惑《めいわく》をかけるな」
私ははじめ君が見つけてきたらしい椅子《いす》代わりの石に腰掛けつつ言った。
「いえいえ、役に立てて嬉《うれ》しいです。それにこんなに嬉しそうに浮かれる先輩を見るの初めてですからね。楽しいです」
そう言って笑うはじめ君。
「そうか、楽しめているようで何より。というか、そんなことで楽しめるのかね? 私はさっきまで微動だにせず黙《だま》ったままUFOを観察《かんさつ》していただけなのだが」
「楽しいですよ。先輩ものすごくニコニコしてましたし、来る時だってものすごく楽しそうだったじゃないですか。いつも以上に口数多かったですしね」
確《たし》かに昨日《きのう》の夜や、まだ体力がある内ははじめ君に色々話していた気がするな。
それに今のはじめ君の顔を見ていると嘘《うそ》を言っていないというのがわかる。
「まあ、ともかく君に感謝《かんしゃ》を。はじめ君がいなければ、たぶん間に合っていなかっただろうし、問題も色々発生していたはずだ」
昨日の朝ニュースを知ってすぐ、私ははじめ君に電話をかけた。道本《みちもと》君はどう考えてもこういうことが得意なタイプではないからな。
はじめ君は理由と目的地、そして計画を聞いたあと、あっという間に大きな荷物を背負い準備万端で私の家にやってきた。それに山に入ってからのはじめ君は水を得た魚のようだった。確かはじめ君は田舎《いなか》育ちらしいから色々と慣《な》れているのかもしれない。中途半端《ちゅうとはんぱ》な時間に出発したから山の中で夜を明かす羽目《はめ》になったし。
「いえいえ……」
いまだに謙遜《けんそん》を続けようとするはじめ君の言葉を私は途中で遮った。
「はじめ君、こういう時は素直に受け入れるものだよ。私がここまで感謝の意を表すことなどそうそうないのだから」
「はい……どういたしまして」
ようやく恥《は》ずかしそうな笑顔《えがお》で私の謝辞を受け入れるはじめ君。
「そういえば、もう少し下がった所にわき水あったんで、身体《からだ》拭《ふ》けますよ」
「それはありがたいな。流石《さすが》に、気持ち悪いしとても汗臭《あせくさ》い」
夏だからしかたがないとはいえ流石に辟易《へきえき》してきた。一応身体を拭いてはいるのだがな。
「先輩《せんぱい》は臭くありません!」
なぜか必死なはじめ君。
「…………はじめ君は匂《にお》いフェチかね。では今私の着ている服を洗濯《せんたく》しないまま君にあげ……」
「違います!」
真《ま》っ赤《か》になるはじめ君。はは、実に良い反応だな。頼りになると思ったらすぐこれだ。実に飽《あ》きさせない。
私は真っ赤になって食事の準備をするはじめ君をニヤニヤ見ていた。その赤さは炎の照り返しだけではないだろう。
ニヤニヤ。
「〜〜〜〜〜〜!!」
そのニヤニヤに気付いたはじめ君がさらに赤くなる。
いやいや、楽しいな。
ニヤニヤニヤニヤ。
それにしても…………我《われ》ながら良い性格をしていると思うな。
「……美味《おい》しいな」
やはりはじめ君の料理は美味《うま》いな。最近はじめ君のお弁当が楽しみになっている私がいるしな。餌付《えづ》けが完了されてしまっているよ。
「そうですか? よかったです」
ぱあっと笑顔《えがお》のはじめ君。……気持ち良い笑顔、私はこの顔が好きだ。食事とこの顔二つが揃《そろ》っているからとても美味しく感じられるのかもしれないな。こういうのもはじめ君の才能なのだろうな。
「それにしても君に山菜の知識《ちしき》があるとは驚《おどろ》きだよ」
「うふふふ、食べ物もなく米と植物|図鑑《ずかん》だけ持たされて山に放り込まれれば誰《だれ》だって……」
なぜか暗い顔で落ち込み始めるはじめ君。
……また、はじめ君の触れてはいけないところに触れてしまったらしい。
「……それにしても本当に先輩《せんぱい》嬉《うれ》しそうでしたね!!」
これ以上ないほど強引に話を戻すはじめ君。よっぽど嫌《いや》な思い出なのだろうか。ならはじめ君に乗ってあげるとしよう。
「ああ、実に有意義な時間を過ごさせてもらったよ。子供の頃《ころ》からの夢の一つが叶《かな》ったようなものだからな」
子供の頃UFOというものを知り、見てみたいと思った。それが叶ったのだから感慨深《かんがいぶか》いものがある。
私のその言葉を聞いて……
「……子供の頃から先輩《せんぱい》は先輩だったんですねぇ」
しみじみと微妙に呆《あき》れたような、感心したような表情でそんなことを言うはじめ君。
確《たし》かに私は私だったが。……その反応は何だね。
「では君の夢は何だね?」
そう聞いた私にはじめ君は少し逡巡《しゅんじゅん》したあと言った。
「えっと……幸せな家族を作って幸せに過ごすことでしょうか」
「……それは大きな野望だね」
おそるおそるといった感じで私を見上げていたはじめ君の顔が驚《おどろ》きに変わる。そんなに私の言葉が意外だったのだろうか。
「考えてみたまえ。今一日何組の夫婦が離婚《りこん》していると思う? この不況で何人の人間が職《しょく》を失っていると思う? その他《ほか》にも事故、病気、犯罪あらゆることが起こりうる。幸せな家族というのを作るのはとても難《むずか》しいし、それを維持《いじ》するのはさらに難しいだろう。……どうしたね?」
「いえ……そんなこと言われたの初めてで」
喜び驚き感心。今のはじめ君の表情はそんなところだろうか。
「男らしくないとか、もっと大きな夢を持てとか言われることが多いんですけど」
なるほど。世間の一般|常識《じょうしき》に当てはめればそうなるのだろう。しかし……
「どんな夢だろうと夢は夢だ。その人間が望んでいることなのだから他人がとやかく言うものではない」
もっと子供らしい夢を、もっと大きな夢を。大人《おとな》が子供に対して言いそうなことだが、そんなものは個人個人の問題だと私は思う。男だから女だからと当てはめるのもおかしい。そもそもはじめ君の野望も、はじめ君が女なら何の問題もないものだ。女の子がお嫁《よめ》さんになりたいということと全く変わらないものだしな。
……等《など》と考えていたらはじめ君が聞いてきた。
「それで先輩の夢ってなんですか? 子供の頃から変わってないみたいですけど」
「私はそこまで他の子供と違ったわけでもない。ただ少しだけ……ほんの少しだけ好奇心が旺盛《おうせい》だっただけだ」
それが普通と呼ばれる人々と私とを分ける少しの違いで、とても大きな違いなのだろう。
「昔の私は、よくものを聞く子供だった。あれは何? これは何? そんな私を見て、両親はまず私に読み書きを教えた。このままではいつか疑問に答えられなくなることがわかったんだろうね。確《たし》かに私は、あらゆることを疑問に思っていた。だから私に疑問を自分で解決する手段を与えてくれた訳だ。文字が読めれば、調《しら》べることができるから、努力さえすれば大体の疑問は解決する。だが、好奇心は新たなる好奇心を呼ぶ。それは際限というものがない」
そう、この世はわからないことだらけだ。
「私の好奇心はいまだに子供の頃《ころ》と同じだ。私は好奇心の虜《とりこ》だよ。私の夢はなるべく沢山《たくさん》のことを知ること、好奇心を満足させること。要するに……この世の全《すべ》てを知ることなのだろうな」
叶《かな》うことはないだろうがな。まあそれはしょうがないのだが。全知全能の存在がいるとしたらその者は神と呼ばれるだろう。
「……先輩《せんぱい》らしい、ものすごく大きな野望ですね」
さっきの私の言葉を使ってそんなことを言うはじめ君。その顔に見えるのは感心。私の奇妙な野望を普通に受け入れているようだ。
知ることが手段ではなく目的になってしまっている私は変な人間だろう。周囲からそう見られていることを私は理解している。自分でも周囲から浮いていると思う。
だが、はじめ君はそんなことを気にもかけていない。どう考えても私とはじめ君の性格は正反対だろう、私の野望を理解できているとは思えない。人は理解できないものを排斥しようとしたり遠ざかろうとしたりするものだ。私と周囲の人々の微妙な距離感《きょりかん》はそれだ。
にもかかわらず、はじめ君は受け入れる。理解はしてなくても、そんな人もいるのだろうと普通に受け入れる。
変人に耐性があるのかそれとも本来の資質なのかはわからないが、はじめ君は趣味《しゅみ》主義主張などに惑《まど》わされず、その人物の本質を見ているのだろう。素直なはじめ君らしいなと思う。
うんうん、とうなずいているはじめ君を見ながら私は理解した。普通とは違う能力を持っていようがいなかろうがそんなことは関係がない。
要するに……はじめ君も変なのだ。
自分では理解してない。いや、自分は普通だとすら思っているのだろうが。
私を私として受け入れられる時点で普通ではないのだがな。
しかし……受け入れられるというのは悪い気がしないものだな。
「ふっ、私と君は大きな野望を持つ者同士という訳だ」
「ははは、そうですね」
学校でははじめ君といることが多くなったが、昨日《きのう》今日《きょう》のようにずっと一緒《いっしょ》だというのは初めてだ。だが、いつもと違う環境《かんきょう》だからこそはじめ君の見せてくれる今までにない顔はとても興味深《きょうみぶか》かった。はじめ君の本質も少しばかり理解できたと思う。
……なるほど。先ほど、はじめ君が浮かれている私を見るのを楽しいと言っていたが、この気持ちがそうなのか。こういう「知る」もなかなかに面白《おもしろ》いものなのだな。私ははじめ君のことをさらに深く知りたいと思った。私が他人についてここまで興味《きょうみ》を覚えたのは初めてではないだろうか。
私がこんなことを思うとは……今日《きょう》は色々と興味深い体験《たいけん》ができる日だな。
そう思い笑《え》みを洩《も》らす私をはじめ君がきょとんとした顔で見ている。
その顔を見て私の顔には再び笑みが浮かぶ。
いや、実に楽しいな。
それからも私たちの会話は止《や》むことはなく、私とはじめ君の夜は更《ふ》けていった。
「そろそろ寝ようかね、明日《あした》は山を下りなければならないのだからな」
話のきりが良くなったところで私は言った。
もう、丑三《うしみ》つ時《どき》すら過ぎてしまっている。そろそろ空が明《あか》らんでくるのではないだろうか。
「そうですね」
寝床《ねどこ》のテントに向かう。昨日《きのう》の夜は私はテント、はじめ君は持ってきていた寝袋に入り外で寝ていた。
まあ、はじめ君らしい気の使い方なのだがな。
「はじめ君、今日もテントに入らないのかい?」
「えぅ!? ……えっと、外で大丈夫です。寝袋もありますし、夏ですし……」
奇妙な返事をしたあとそう答えるはじめ君。キョロキョロと視線《しせん》を彷徨《さまよ》わせつつ落ち着かない。
「一緒《いっしょ》でも私は気にしないぞ? 夏とはいえ朝方は冷えるしな」
私ははじめ君に笑顔《えがお》で誘《さそ》う。
「えっその、あの、……だっ大丈夫です! ぼく元気ですから、風邪《かぜ》なんてひきません!」
紳士なはじめ君。だが……プレイボーイにはなれないな。
「くっくっくっ」
笑いが洩《も》れる。相変わらずのうろたえっぷりが可愛《かわい》い。
まあ、だからこそ信用に値するのだが。
「ではおやすみ」
「おっおやすみなさい」
私はあわあわしているはじめ君に挨拶《あいさつ》をしテントに潜《もぐ》り込んだ。
今日は良い夢が見られるに違いない。
******
「…………朝か」
私は朝靄《あさもや》の中、立ちつくしていた。
山の朝の清々《すがすが》しく涼しい空気を感じつつ周囲を見回す。
場所は……どうやらキャンプしていた場所の側《そば》らしい。
「……さてどうしたものか」
私は考える。困ったな、こういう事態《じたい》は初めてだ。
「……ふむ」
昨晩からの記隠《きおく》を辿《たど》る。
墜落したUFOが覆《おお》われるのを見届け、はじめ君と夕食を食べつつ色々話し、寝る前にいつも通りはじめ君をからかい……
「……あ、先輩《せんぱい》。こんな所にいたんですか。起きたらいなかったのでびっくりしましたよ」
後ろから聞こえた声に私はゆっくりと振り返る。
「……やあ、はじめ君おはよう」
笑顔《えがお》で少しほっとした表情のはじめ君の顔が見えた。
「何をしてたんですか? 散歩ですか?」
とことこと私に近付いてくるはじめ君。
「……はじめ君、私がいないのにいつ気が付いたかね?」
私のその質問にはじめ君は少し考えてから言った。
「えっと、一時間前ぐらいです。声をかけても返事がないので寝てるのかなと思ったんですが、それからも反応がないので覗《のぞ》いてみたら先輩がいませんでした。トイレかなとも思ったんですが流石《さすが》に遅いと思ったので探しに来ました」
「なるほど」
少なくとも私は一時間前にはあのテントから出た訳か。
「それで、何してたんですか?」
「わからない」
「へえ、わからないですか。………………えっ? わからないんですか?」
はじめ君が、鳩《はと》が豆鉄砲《まめでっぽう》を食らったような顔をしている。狐《きつね》につままれたでも狸《たぬき》に化《ば》かされたでも良いがとにかくそんな奇妙な顔をしている。面白《おもしろ》い。面白いが……先ほどの私も同じような顔をしていたのだろうな。
とりあえずはじめ君をこんな愉快《ゆかい》な顔のままにしておくのも何なので詳しく説明しようか。
「うむ、わからない。先ほど気が付いた時、私はここに立っていた。要するに記憶がないのだ」
先ほどと同じように、もう一度|記憶《きおく》を辿《たど》ってみる。……ふーむ、もう一度思い返してみても、やはり昨日《きのう》の夜眠ってからの記憶がない。
「それって……」
はじめ君がおそるおそるといった感じで私の顔を窺《うかが》う。
「夢遊病というのがまあ一番あり得る話だな」
というか、それ以外考えられない。考えられるとしたら奇妙な超常現象に巻き込まれたとかそんな感じだからな。そのような素敵《すてき》な事態は流石《さすが》にないだろう。個人的にはUFOにアブダクションされたとかならとても素敵なのだが。
「いや、びっくりだ。私に夢遊病の気《け》があったとは……」
帰ってから家族に一応聞いてみるか。夜中にふらふら歩いている私を見たことがあるかと。…………かなりアレな質問だな、少し落ち込んでしまいそうだ。何にせよ記憶がないというのは気持ちの良いことではないな。
「まあ、考えていてもしょうがない。身体《からだ》を調《しら》べても特に怪我《けが》をした訳でもないようなので何の問題もないだろう。寝ぼけてその辺のキノコを食べたとかそういうことがない限りはな」
「…………」
はじめ君が心配そうに私を見ている。
「……何だねその目は」
「いえ……その」
「単なるたとえ話だ。無意識《むいしき》の内にとはいえそんなことをしていたら私は自分に絶望するぞ」
「そっそうですよね! あははは」
はじめ君はそうわざとらしく笑う。
「それじゃあ、朝ご飯食べましょう! 昨日の残り物ですが」
「わかった」
はじめ君は私に背を向け歩き始め……そっと後ろを振り向いて言った。
「…………お腹《なか》痛くなったら言ってくださいね」
……はじめ君が普段《ふだん》私のことをどう思っているかが伝わってくるな。
私は拾い食いをするほどには変人ではないとは思うのだが……。
はじめ君の壊《こわ》れ物に触れるかのような態度《たいど》に、流石の私も普段の行動をもう少しまともにするべきかと考えてしまう。
それにしてもだ。今朝《けさ》の私はいったい何をしていたのか。
空白の時間。
夢遊病かそれとも……。
私ははじめ君に聞こえないよう小さくつぶやいた。
「ふむ……どうしたものかな」
******
実家に帰還《きかん》して三日|経《た》った。
幸いなことにふらふらしている私を見たことがないらしい。
ならなぜあの日だけ? 慣《な》れない環境《かんきょう》だったからか? 疲れていたからか?
…………考えても仕方ないか。今のところ特に実害はないしな。
それはそうと、戻って一番|愉快《ゆかい》だったことは学校で色々な噂《うわさ》が流れていたことだな。
私とはじめ君が仲良く学校を何日も休んだのだから噂も広がる。ある意味で私たちは目立つからな。
それで何が愉快なのかだが、噂はもちろんのこと(身分違いの恋から派生する駆《か》け落ち系の噂が多かった)、噂によって引き起こされた騒動《そうどう》もとても愉快だった。噂の主《ぬし》が帰ってきて周囲の人間がどうするかというと、噂を問いただしに来る訳だ。噂は本当なのか? いったい何をしていたんだ? と。
だが、私に聞きに来る者は少なく、ほとんどの者ははじめ君の所に行く。真面目《まじめ》なはじめ君は、きちんとそれに対応するのだが……赤くなったり青くなったり右往左往して、とても素敵《すてき》なことになっていたらしい。
………………ああ、はじめ君は実に楽しい人だな。興味深《きょうみぶか》いよ。
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嵐ちゃん組+αの放課後とわたし 続き
「この頃《ころ》から二人の関係は良い感じになっていました。とどめは入れ替わり事件ですけども」
「二人が仲良くなったなれそめはそんな感じなのですが、その二人がどうして絶対に離《はな》れられないのか」
長い前振りがようやく本題に入るようです。
「はじめさんは常々、わたくし達のことを変だ変だと思っていらっしゃいます」
確《たし》かに、そんな節《ふし》がちらほらと見られる気がしますが。失礼な……と言い返せる人がいないのだけは確かです。わたしも含めて。
「ですが、わたくしに言わせていただきますと、一番変なのははじめさんですわ」
「わたしたちの中では、一番まともなのではないかと思うのですが」
言動も常識的《じょうしきてき》ですし。
「そうですね、嵐《らん》さんに聞いた昔の話や、わたくしが見てきたはじめさん。とても良い子ですね。優《やさ》しくて誰《だれ》にでも好《す》かれる。人が困っていると放ってはおけない献身の人……。それは、つばささんに対しても現れています。今の身体《からだ》の性別をふまえて言うと、はじめさんは尽くす女なわけです」
わたしもそう思います。だからこそ魅力的《みりょくてき》でわたしは不安になった訳ですが。
「それでですわ。いきなり話が飛んですいませんが、わたくしたち女には殿方《とのがた》に決して見られるわけにはいかない姿というのがいくつもあります。人間ですから、出すものは出しますし、生《は》えるものは生えますわ」
「……そうですね」
確かに、出したり処理してたりという姿は、とてもじゃないですが真太郎《しんたろう》さまには見せられません。そんな趣味《しゅみ》もありませんし。
それにしても話が飛ぶにも程《ほど》があるのではないでしょうか。
「……そういえば、以前つばささんが今と同じような話をしていました時に、『そんな無駄《むだ》なものは私には生えない』などというふざけたことをおっしゃってましたわね。つばささんに対して殺意にも近い憎悪《ぞうお》を感じたのはあれが最初で最後ですわ。うふふふ……」
……小谷《こたに》さんの笑顔《えがお》が怖いです。
それにしても何とうらやましい身体なのでしょう。つばささん……今ははじめさんですか。
「話を戻しましょう。ですが、あの二人は隠《かく》すとか隠さないとかそういうのを完全に超越した場所にいる訳です。身体が入れ替わってる訳ですし」
「……それはそうですね」
二人の関係にわたしと真太郎《しんたろう》さまを当てはめてみると……わたしが真太郎さまの身体《からだ》に入る分にはかまわないのですが、わたしの身体を真太郎さまが使うのはとても恥《は》ずかしいです。
「そういう全《すべ》てをさらけ出した関係。さらに、好きな人の身体と一つになっているという喜び。自分の身体を相手に任せているという信頼感。しかもこの世にたった二人だけしかいない特殊な境遇におかれている訳です。二人の絆《きずな》はどれほど強いものでしょう。これは偶然によって置かれた状況だと聞いていますが、…………これが最後の一押しをしてしまいました」
「……最後の一押しですか」
「はっきり言わせてもらいますと、はじめさんにはもう自分というものがありません。いえ、つばささんを想《おも》う心が全てになってしまったという方が正しいでしょうか。
全てがつばささんの為《ため》に。つばささんが幸せなら、つばささんが喜んでくれるなら……あら、最後のはオーラさんが混じってましたわね。まあ、オーラさんと、はじめさんは似ているところがあります。だからあの二人は仲が良いのかもしれませんね」
なるほど。あの柔らかい雰囲気は似ている気がします。
「それはともかく、この世にたった二人だけという状況が、元々持つはじめさんの献身という美点を、もう狂信的なまでに引き上げてしまった訳ですわ。もう、一種のつばさ教です。教祖のつばささんの言うことは絶対。はじめさんは、つばささんの言うことを疑いもせず、二人で一緒《いっしょ》にどこまでも、たとえ火の中水の中〜ですわ。
つばささんはつばささんで、その重過ぎるほどに強い想いを十二分に受け止めることができてるというか、存分に活用してるというか何というか」
苦笑する小谷《こたに》さん。
確《たし》かに山城《やましろ》さんは、どんなに否定しどんなに嫌がっても最後には折れています。つばささんはそれをわかって色々やっているのでしょうし。
でもそれは……負の方面にも発揮《はっき》されるのではないでしょうか。
「……危ういですね」
「はい、危ういですわ。つばささんが犯罪に手を染《そ》めようが本気で世界征服を企《くわだ》てようがついて行くでしょう」
うなずく小谷さん。
「ここまでになってしまったのは、お二人の変わった有り様が、互い違いにぴったりはまってしまったからですわね。これ以外の組み合わせがあり得ないほどに[#「これ以外の組み合わせがあり得ないほどに」に傍点]しっかりと。
変な形のつばささんと一つになる為には、くっつく側も変じゃないといけません。丸の穴に四角はぴったりはまらないのです。
二人そろえば、誰《だれ》もがうらやむほどに綺麗《きれい》な形です。ですが、一人一人では……」
それぞれのいびつさが際《きわ》だってしまうということですか。
「自分しかない平賀《ひらが》さんに自分がない山城《やましろ》さんですか」
ひたすら自分の好奇心のままに突き進む平賀さん、それに盲目的について行くはじめさん。
「はい。そうですね。要するに、つばささんが今のままなら、とても幸せでお似合いの微笑《ほほえ》ましいカップル。しかし何かの拍子で二人が離《はな》れてしまったり、つばささんが変わってしまうと……
とはいえわたくしは悲観《ひかん》していません。つばささんがグレたりすることもないでしょうし、この世を儚《はかな》んで破滅|願望《がんぼう》に染《そ》まってしまうということもないでしょう。……つばささんですから」
「……そうですね」
つばささんですからという言葉にはものすごい説得力を感じます。
「安定していますが、何かの拍子に崩《くず》れたら破滅してしまう危うさをも秘めている。そんなところなどがとてもあの二人らしいのかもしれません。ですからあの二人が離れることはありませんし、離れる時は……」
死が二人を分かつまで……ということですか。離れてしまったらもう終わってしまうと。
「これが、わたくしがあの二人を見ていて思ったことですわね。…………あら、もうこんな時間ですか。おしゃべりに夢中になり過ぎてしまいました」
窓から見える空は、赤く染まりかけています。
「つばささんとの約束ですし、そろそろ学校の方に参りましょうか」
「……はい。……この三人はこのままでいいですか?」
「桜《さくら》さんがよろしいのでしたら。よく眠っていますから、起こすのが可哀想《かわいそう》ですわ」
「……はい、わかりました」
「ああ、そうですわ。桜さんが真太郎《しんたろう》さんの為《ため》に作った分も持って行った方がいいですわよ」
一応真太郎さまの分は別に作っておいたのです。放っておいたら、あの三人組は全《すべ》てを食べ尽くしてしまいそうな勢いだったので。
ですがなぜなのでしょう。わたしは、あとで渡そうと思っていたのですが。今日《きょう》は夕飯をごちそうすることになっているのでそのついでに……と。
「……なぜです?」
わたしがそう聞くと小谷《こたに》さんはにっこり微笑《ほほえ》んで言いました。
「たぶん、みんな集まると思いますから」
******
小谷さんは、わたしの歩幅に合わせゆっくりと学校に向かいます。
空は赤く染まり、クラブ活動帰りらしき学生がちらほら見受けられます。その人達の中を避けるように歩きながら、わたしは小谷《こたに》さんに話しかけました。
「……小谷さん」
「はい。何ですか?」
「……先ほどの話ですが、わたしにというよりかは、嵐《らん》ちゃんに話されてたのですよね」
「…………気付いてたんですか。桜《さくら》さんも人が悪いですわね」
あの話の最中、たぶん嵐ちゃんの目は覚めていたと思います。
「嵐さんはわたくしたちが思うよりずっと大人《おとな》ですから、そのようなことは十分わかっているのでしょう。ですので余計なお節介《せっかい》だったのかもしません。ですが……」
言わずにはいられなかったということですか。同じ理由でわたしも嵐ちゃんに気が付かない振りをしていたのですが。
「その時が来たら桜さん、あなたが支えてあげてくださいね。桜さんだけではありません、うちの子たちもいますし嵐さんなら大丈夫だと思いますけど」
「……はい。言われるまでもありません」
「そうですね」
「……ですが、嵐ちゃんのことを気にかけていただいて嬉《うれ》しく思います」
嵐ちゃんの家族。そして親友として、心からそう思います。
「ふふ、わたくしは可愛《かわい》い女の子の味方なのですわよ」
そしてしばらく無言の時間が過ぎます。そのままゆっくりと歩き、学校が見えてきたその時|小谷《こたに》さんはぽつりと言いました。
「わたくしは、あの二人がどうなっていくのか気になります。片方が欠けたら成立しない唯一無二《ゆいいつむに》の関係。運命の二人とでも言えばいいのでしょうか。二人の関係は、ある意味で言えば男女関係の理想ですからね。…………何より見ていてとても楽しいですし」
そこでにっこりとわたしを見る小谷さん。
「あの二人のファンは多いですわよ。身近な例で言えば、道本《みちもと》さんが同じような思いで二人を見守っているのでしょう。同じといっても道本さんの場合は興味深《きょうみぶか》いとか楽しいとかではなく、美しいからということになるのでしょうけども」
くすくすと小谷さん。
「あっそうですわ」
いきなり、小谷さんの表情が輝《かがや》き始めました。
「ここだけの話ですが……」
こう振られると何かドキドキします。
「つばささんと道本さんのお二人には、昔何かあったのではないかと思いますわ。ただの勘ですけれども」
……小谷さんの女の勘、何て恐ろしいのでしょう。そんなことに気が付いてしまうとは。
「まあ、つばささんに聞いたことはありませんし、これからも聞くことはないでしょうけれども。
うふふふ、桜《さくら》さん、これは秘密ですわよ?」
「……はい」
言える訳がありません。どうやら、小谷さんは相当こういう話をする相手に飢《う》えていたようです。わたしの役割は、あの童話の深い穴ですね。王さまの耳はロバの耳。
でも、小谷さんとはこれから仲良くやっていけそうな気がします――――
「ということで、わたくしがとっておきの秘密の話をしたのですから、桜さんも何か秘密のお話をしていただけると嬉《うれ》しいですわ。そうたとえば、真太郎《しんたろう》さんとどこまで進んだとか……まあ、赤くなって可愛いですわ」
――――――――――――――――――――――――いきなり撤回《てっかい》したくなったのですが。
ああ、この人に対抗できるのは、平賀《ひらが》さんしかいませんね。
ちょっと現実|逃避気味《とうひぎみ》にそんなことを思うわたしです。
平賀さんは今何をしているのでしょうか、できればすごく助けていただきたいのですが……
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そしてまたいつもの放課後とボク
「ハクシュ」
いきなりくしゃみをしたつばさは……なぜか手をあごにあてて考え込んだ。
「どうしたんだい?」
「いや、どういうリアクションを取ろうかと思ってね。風邪《かぜ》か……と身体《からだ》を気にするか。誰《だれ》かが噂《うわさ》をしているな……などとつぶやいてみるか。なぜかキョロキョロ左右を確認《かくにん》してみるか。それとも、新たなリアクションを開拓するか……」
奇妙なことを考えているつばさ。ボク的には今の反応がもうすでに新たなリアクションなんじゃないかなーと思うんだけどね。
と、その時つばさの携帯が鳴った、
デーデーデーデデデーデデデーデーデーデーデデデーデデデー
闇《やみ》の側《そば》に落ちた仮面のあの人のテーマが流れ出す。うら若き女性の携帯の着メロがこれというのはどうなんだろうか。
携帯を取り出し電話に出るつばさ。
「私だ」
この何とも男らしい言葉が第一声なんだけど、さすがつばさだとしか言いようがないね。
「ああ―――そうか―――わかった。楽しみにしてるよ。ではまたあとで」
携帯電話を閉じたつばさにボクは聞いた。
「美香《みか》からかい?」
「ああ、そうだ。どうやら、上手《うま》くできたらしいよ。もう少ししたら持ってきてくれるそうだ」
「それは良かった」
どうやら美味《おい》しいものにありつけそうだ。しかし……ボクは窓の外を見る。すでに空は明《あか》らんでいる。思いの他《ほか》長い間話していたらしい。
「時間を忘れて昔話なんて、年を取った証拠《しょうこ》かな」
「全くだ」
しみじみつぶやき、苦笑するつばさ。
「ははっ」
そんなつばさを見て笑いが洩《も》れた。
「こんなつばさを見ることができるなんてね」
こんな時が来るなんて思いもしなかった。やっぱりあの時から流れが変わったんだろうね。そんなことを思い出して笑いが洩《も》れた。
「どうしたね?」
「いやね、ハニーがここに初めて来た時のことを思い出していたんだよ」
「なるほど」
つばさの顔にも笑顔《えがお》が浮かぶ。ボクの顔にも笑顔が浮かんでいると思う。
あの出会いはとても面白《おもしろ》かったからね。
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ハニーとつばさの出会いとボク
つばさが正体を現し活動を始めてからの出来事は……すごかった。今まで隠《かく》していた奇行を全開にしたんだから当たり前かもしれないけどね。
つばさの様々《さまざま》な逸話《いつわ》(墓場に変な機械《きかい》を背負って立ってたとか、屋上でUFO呼んでたとかの事実[#「事実」に傍点]……事実なのがすごいとボクは思う)を噂として流した。
実際にUFOを呼ぶ会が催されたりしたし。……ボクもかり出されたけどあまり美しくない出来事なので割愛《かつあい》。
他《ほか》には七不思議《ななふしぎ》をでっち上げ、学校中が怪談《かいだん》ブームに突入したり、沢山《たくさん》のグループが肝試《きもだめ》しを決行し、実際に心霊《しんれい》現象に遭遇《そうぐう》したり(ボクが知り合いの霊に頼んだ)、男女ペアで肝試しをするグループが多く、プチカップルブームに突入したりと美しいことに。
……最後は学校側から禁止令が出てしまったけど、つばさが裏から手を回したのか特に大きな問題にならなかった。
周囲の生徒は最初はとまどっていたみたいだけど、時間が経《た》つと同時に一番良い立ち位置に気が付いていった訳なんだ。積極的《せっきょくてき》にかかわりたくはないけど、端《はた》から見てればとても楽しい。大騒《おおさわ》ぎになるけど、最終的には綺麗《きれい》に収まる。なら騒ぎに乗っかって楽しもう。いやー、実に適応力の高い生徒の皆さんだよ。
いつしか超常現象研究会という名称はつばさの悪のりで凰林《おうりん》ミステリー研究会になり。通称OMRになった。その間にもつばさはその奇《き》っ怪《かい》な行動でその名前を轟《とどろ》かせ続けた。
そんな、騒がしい日々があっという間に過ぎて行き……
ボク達は2年に進級した。
恒例《こうれい》となった、放課後《ほうかご》のお茶会でボクはつばさに言った。いつもなら美香《みか》がいるけど、今日《きょう》はボクとつばさだけだ。
「髪、大分伸びたねー」
ようやく美しい黒髪が伸びつつある。腰まであった美しい黒髪をばっさり切ったつばさの姿を思い出し心の中でため息をついた。
はぁ、まったくつばさは……。
ショートヘアーは似合っていたけど、あれほどもったいないと思ったこともないかもしれないよ。あの黒髪はとても美しかった。
その髪もようやく肩に触れるあたりまで伸びてきた。やはりつばさの美しい髪は長い方が栄《は》えると思う。
そんなことをボクが思っていると……
「そうだな。髪を切るのは面倒《めんどう》なので前と同じぐらいには伸びるかもしれんな。それまでに、失恋でもすれば話は別だが」
つばさは思い出のままの意地の悪い笑顔《えがお》を浮かべた。
……まったくつばさは。
「失恋するには、まず恋をしないとね。どうだいそんな人はいないのかい?」
と言いつつ、答えはわかっている。
「いないな」
「はぁ、美しく恋に溺《おぼ》れるつばさを見られるのはいつだろうねぇ」
「さあ、どうだろう」
つばさは何か考え込んだあと言った。
「恋に溺れる私か。うむ……やはり全く想像できないな」
「ボクもだよ。でもそれは裏を返せば想像もできない美しさということじゃないかな?」
「なるほど、言い得て妙だ。そうかもしれないな」
「うん、そうだよ。君が君である限り、君の行動はとても美しい。これだけは間違いない」
「くっくっくっ、だとすると私も見てみたいな。とすれば、頑張《がんば》らねばならないか」
つばさは前だけを見て真《ま》っ直《す》ぐ歩き続ける。だけど、周りから見たらただふらふら漂っているようにしか見えないだろう。つばさは興味《きょうみ》をそそられればどんなことにでも手を出す。あっちに付かずこっちに付かず。真面目《まじめ》に生きている人間にとっては、人生を馬鹿《ばか》にし、せせら笑っているようにすら見えるかもしれない。
しかしつばさは、目標を持ちそれに向けて進んでいる。ただ、つばさの目が見ている場所は遠過ぎて、誰《だれ》にも理解できないだけだ。
誰にも理解されず、一人で歩き続ける凜々《りり》しく寂《さび》しいつばさ。
ボクは考える。つばさの側《そば》にいることができるのはどんな人間だろうか。つばさと同一の思考を持つ変人だろうか。盲目的につばさを愛し全《すべ》てを許す慈愛《じあい》の人だろうか。迷わないようにつばさだけを見て、どんな悪路でも、どんな回り道でも、つばさを信頼し付いて行けるそんな人だろうか。それとも普通過ぎるほど普通な人だろうか。
どちらにしろその人は、ただ前を向き歩き続けるつばさが、後ろを振り向かなくても付いてきていると、一緒《いっしょ》にいると信じることができる。そんな人物なんじゃないかと思う。
ボクのように見守る人ではなく、一緒にいることのできる人間。一緒に泣き笑い喜びを分かち合えるような人間。
…………しかし、
「どう頑張ればいいのだろうか。確実《かくじつ》に言えるのは、相手がいないと始まらないということだな。残念ながら心当たりは全くない。いまだに男性の好みというのもよくわからない」
考え込むつばさ。
つばさは面白《おもしろ》い面白くないで人を区別してるからねー。しょうがないと言えばしょうがない。
そんなつばさに恋愛感情を理解させてしまうようなすごい人間なんて、都合《つごう》良くほいほい現れる訳もない。
「まあ、気楽に待つしかないんじゃないかなーそんな相手が現れるのを」
好奇心を刺激《しげき》されれば名前のごとくどこにでも飛んで行ってしまうつばさのことだ。この学校を卒業したら、世界中を飛び回ることだろう。世界は広い。地球に住む人類、性別|年齢《ねんれい》にこだわらなければ60億はいる。それだけいれば一人くらいは…………かなり分《ぶ》の悪い賭《かけ》だけどねー。
「そうだな。まあ、私的には現れなくとも何の問題もない気がするがね」
「ボク的には大問題だよ。そうだ、新入部員なんかは来ないかな。新入生と先輩《せんぱい》というのはなかなか美しい……」
と考えたボクだけど、
「……残念だけど、一昨日《おととい》のつばさの演説を聞いてここにやって来る人間はいそうにないねー」
という悲しい結論《けつろん》が出てしまった。
あれだけ派手《はで》にやったんだ。つばさの美しくも激《はげ》しい伝説は一年生にも広がっていると思う。
「はっはっはっはっ」
他人事《ひとごと》のように笑うつばさ。笑っている場合じゃないよ、つばさ。……と呆《あき》れていたボクだけど、つばさに釣《つ》られるように笑いを洩《も》らした。
「ふふっはははは」
まあ、これがつばさだ。こうだからつばさは美しい。
だからボクは、そんな人が現れるまで友人としてつばさを見守っていこう。
現れてからも友人として見守っていこう。
ボクとつばさはただの親友。そして無二《むに》の親友。
こういう忍ぶ想《おも》いというのもボクらしく美しいだろう。
さあ、今日《きょう》も一日美しく過ごそうかな。
いつになるかはわからないけど、ボクの想いを継《つ》いでくれる人間が現れるまで――
と、そうボクが美しく決意を新たにしていたその時……
コンコンコン
ノックの音が聞こえた。
人が訪ねてくるのは珍《めずら》しいな。基本的に、ここに近付く生徒はいない。端《はた》から見てる分には楽しいが、積極的《せっきょくてき》にかかわりたくはない。それがOMRに対する、生徒達に共通する考えだからね。
つばさも同じ思いだったらしく、
「珍しいこともあるものだ」
と呟《つぶや》いたあと、ノックの主に向けて言った。
「開いている。入りたまえ」
すると、一人の少年が戸を開いて入ってきた。
高校生とは思えないほど小柄で、妙に真面目《まじめ》そうな、少女と見間違えそうなほどの美しい少年。緊張《きんちょう》でガチガチに固まり右手と右足が同時に前に出ている。何て古典的な……案《あん》の定《じょう》つばさの瞳《ひとみ》がきらきら輝《かがや》いている。あっという間につばさの心を掴《つか》んだらしい。つばさのあの目は新しいおもちゃを見つけた目だよ。
そんな新しいおもちゃ……新入生の男子生徒は真《ま》っ赤《か》な顔で言った。
「はははははじめまして、にゅ入部希望の――――」
******
「…………確《たし》かにあれは可愛《かわい》らしかった」
「本当にね」
ただ……それもあるけど、あの日はボクにとっては60億分の1の都合《つごう》の良い存在が向こうから現れてくれた特別な日でもあるんだよねー。
ボクの想《おも》いを継《つ》いでくれた、一途《いちず》で真《ま》っ直《す》ぐな少年。つばさと一緒《いっしょ》に歩ける奇跡のような少年。……今は少女か。
ボクは二人の出会いを神に感謝《かんしゃ》したい。
あの出会いからのつばさといったらもう……想像した通り、いや想像以上に美しかった。そして、その後の美しい日々を目《ま》の当たりにできた喜びと感動といえばもう……
ボクがそんな風《ふう》に、美しくつばさとハニーの美しき日々を思い出しているまさにその時、いつかと同じように、全《すべ》てが動き出したあの時と同じように扉《とびら》が開かれた。
部屋に駆《か》け込んできたのは、一途で真っ直ぐな少年……だった少女。
「うわあああああああああ」
髪の乱れと、汗で額《ひたい》に張り付いた前髪から見て、相当急いできたらしいハニーはつばさの後ろに隠《かく》れる。
「先輩《せんぱい》助けてください〜」
「どうしたねはじめ君」
カップに口を付けつっ、何でもないように聞くつばさ。でも、ボクにはつばさが美しく輝《かがや》き始めているのがわかる。何が起こるかとドキドキワクワクしているのだろう。身体《からだ》が変わっても変わらないつばさの美しさ。
本人は気が付いていないかもしれないが、やはりつばさの側《そば》にはハニーがいないとね。
「はじめ〜〜!! 勝負しろーっ!! もう一度だっ!!」
遠くから聞こえてくる声。
その声で全《すべ》てを悟るつばさ。
「……なるほど、状況は理解した。して、今回はどんな勝負で勝ったんだね?」
「えっと……」
ハニーが指折り数えていく。
「ボウリングとダンスゲームとエアホッケーです」
「ほほう、これはまた派手《はで》に勝ったな」
「だって、手を抜いたらのりちゃん本気で怒るんですよ! そういうことに関してものすごくのりちゃん鋭《するど》いんですよ!」
「君は思ったことがすぐに顔に出る人だしな」
「そっそんなことないです」
と言いながらももうすでに顔に出ている。
二人が、そんな問答をしている間にも、追っ手がやってきた。
「勝負だはじめっ!!」
扉《とびら》が開く。そこに立っていたのは仁王立《におうだ》ちした典弘《のりひろ》。
「もう、今日《きょう》は十分勝負したでしょ? 何回勝負すれば気が済むの」
「オレが勝つまで」
「子供の喧嘩《けんか》じゃないんだし……」
呆《あき》れたようなハニー。
つばさが真面目《まじめ》に言った。…………何かをたくらんで目が光り輝《かがや》いてるけどね。
「ならじゃんけんでもしたまえ。この場ですぐに勝負がつくだろう」
「じゃんけん?」
不服そうな典弘。
「じゃんけんとは奥が深いものだぞ。運、経験《けいけん》、相手の手を読む洞察力に、情報の蓄積《ちくせき》、駆《か》け引きなどの心理戦、勝負に必要なあらゆる要素が詰まっている。まあ、自信がないのなら無理にとは言わんが」
相変わらず人を思った方向に誘導《ゆうどう》するのが上手《うま》いつばさ。こう言われた典弘が勝負に乗ってこないはずがない。
「乗った」
やっぱりねー。
「では始めよう」
その合図でハニーが美しい声で言う。
「最初はグー、じゃーんけーん」
「「ぽん」」
この部屋にいる四人の視線《しせん》がハニーと典弘の手に集中する。
結果は……
「かったー」
ハニーの勝ち。
「いやー、のりちゃんっていつも最初にグー出すんだよねーうんうん」
得意そうにうなずくハニー。
「…………はっ!」
そこでようやく自分の置かれた状況に気付く。
「……しよっ勝負だー!」
「うわっ、もう最後って言ったじゃん!」
「勝ち逃げは許さん!」
「わざと負けたら怒るくせにー」
部室内をぐるぐる回り出す二人。
それをつばさが幸せそうに見ている。
いつの間にかやってきていた川村《かわむら》とオーラがその様《さま》を写真に納めている。追われるハニーの写真もそれはそれは美しいだろうから、今度データをもらおう。
「あらあら騒《さわ》がしいですわね」
「おお、美香《みか》か。待っていたよ」
「はい、会心のできですわ」
包みを持って現れたのは美香。
「では、紅茶でも淹《い》れてくれたまえ。はじめ君の方は手が放せそうにないのでな」
つばさがハニーを目で追いかけつつ言った。美香は持ってきた包みをテーブルの上に置くと、お茶の準備を始める。
「うふふ、了解ですわ」
その時現れた美しき三陣の風がテーブルの上に置かれた風呂敷《ふろしき》包《づつ》みをさらっていく。
「ほーほっほっほっ、これはいただいたわ!」
「いただいたわ〜」
「わ〜」
「ふふん、アタシ抜きで美味《おい》しいもの食べようなんて、そうは問屋《とんや》が卸《おろ》さないのよっ!」
言わずと知れた、嵐《らん》、美穂《みほ》、美菜《みな》の三人組。そんな三人組に、つばさが冷静に突っ込んだ。
「君たち、食べてきたのではないかね?」
嵐が、青さの残る未成熟《みせいじゅく》ながらも美しい肢体を自信満々に反《そ》らして言った。
「そんな昔のことは忘れたわ! いい女は過去にはとらわれないのよ!」
「前世の記憶《きおく》を持つ君が言うととても説得力があるが、流石《さすが》にそれはとらわれなさ過ぎだろう」
つばさがまた突っ込むなんて珍《めずら》しいこともあったもんだねー。まあ、突っ込みのハニーがそれどころじゃないからしょうがないんだろうけど。相変わらずハニーはわーわー言いながら典弘《のりひろ》から逃げている。
「何だこれは?」
「……騒《さわ》がしいです」
その声に扉《とびら》を見ると桜《さくら》と真太郎《しんたろう》のカップルもやって来ていた。二人はここに戻ってくる際に合流したんだろうね。嵐君が持っているのとは別の小さな包みを桜は持っている。真太郎君専用のものだろうか。う〜ん、仲良きことは美しきことかなー。
それにこれで突っ込み要員が補充……
「そんなことより、今日《きょう》のは自信作です! 楽しみにしてくださいですっ!」
「ああ」
ああ、突っ込み第二候補の桜《さくら》は恋する乙女《おとめ》モードで真太郎《しんたろう》に話しかけているよ。う〜ん、美しい、美しいが……こうなった桜には突っ込み役を期待できないんだよ。
という訳で……
「ああああーもういい加減にして〜〜」
「勝負しろーっ!!」
「ほ〜っほっほっほー」
「ほー」
「ほ〜」
「ツバサ! ハジメのベストショットをゲットしましたデスヨ!」
「ほう、それは楽しみだ」
「期待していてください。はじめにデータを消されてしまいましたが、復元する方法などいくらでもあります。よい子はまねしてはいけません。偽装《ぎそう》工作も完璧《かんぺき》、あのデータが復元されるなど、はじめは想像すらしてないでしょう。繰《く》り返しますがよい子はまねしてはいけません」
「流石《さすが》カワムラデス〜外道《げどう》デスー」
「ふはははー誉《ほ》めても何も出んぞ」
「真太郎さまっ! あ〜んです。あ〜ん」
「…………あー」
「あらあら、まあまあ。見せ付けてくれますわね〜。皆さんお茶が入りましたよ」
……突っ込み分が圧倒的に不足してるよ。
気が付けば人に溢《あふ》れ、あっという間に騒《さわ》がしくなる部室。
これまでの思い出は美しく、今のこの出来事も美しい思い出になる。そしてこれからの未来も美しいはずだ。
「まあまあ、落ち着こうよチェリーちゃん。みんなで食べるのが一番美しく事態《じたい》が収拾《しゅうしゅう》できる方法だと思うよ」
ボクは嵐《らん》をなだめる。
そしてつばさだけにそっとささやいた。
「つばさ、今の君はいつかの君より格段に美しいよ」
つばさは一瞬《いっしゅん》、きょとんとしたあと、いつもの傲岸不遜《ごうがんふそん》な笑顔《えがお》を浮かべた。
「当たり前だ。私は今恋をしているのだからな」
そう言ったつばさは、間違いなく出会った頃《ころ》よりも美しかった。
「ははははっ」
笑いが洩《も》れる
いやいや、今日《きょう》もいつも通り美しくかけがえのない一日になりそうだね。
[#地付き]おわり
[#改ページ]
おまけ
さて、どうしよう。
もうすぐクリスマス。
正直、先輩《せんぱい》に何|贈《おく》ったら喜んでもらえるかわからない…………ということはないんだけど。先輩の趣味《しゅみ》はいやってほど理解してるし。でも先輩の趣味に合うものを贈ったら、どう考えてもクリスマスってムードにならない。先輩の趣味はアレだし。
そんな訳で、マフラーを贈ることにした。
実用的なものならもらっても困らないだろうという結論《けつろん》に達した訳です、はい。
手編《てあ》みになったのは、ぼくの中で燃《も》えさかるこの想《おも》いを伝えよう! と暴走《ぼうそう》した結果。
正気に戻ってみると、男が手編みのマフラー贈るってどうだろうとか思ったけど……まあ、いいか。
で、肝心《かんじん》のマフラーなんだけど………手先の器用さには自信があったから調子《ちょうし》に乗ってしまいました。
ぼくの目の前には異様に長いマフラーが。
いや、なぜか熱中《ねっちゅう》しちゃって、気が付いたらこんな長さになってた。
「………………ま、いいか」
大は小を兼ねるとかいうし、これも問題ないことにする。
で、一番の問題は…………今日《きょう》は12月24日だということ。時計を見るとお昼の12時くらい。
……すいません、さっきもうすぐと言ったけど、もうすぐ過ぎるにも程《ほど》がありますね。
はい、なんというか、先輩がクリスマスを祝うという思考回路を持っているとは思えなかったので、誘うに誘えなかったというかなんというか……へたれな自分が憎い。
いや、でも、これで断られたりしたら立ち直れそうにないし。
とはいえ、もう考えている時間はない。そもそも当日に誘うってのが、あり得ない感じなんだけど。なんか、先輩も予定が入ってるかもしれないし。
でも、せっかく編んだんだし。
うああああああ
という、思考の堂々巡りを朝からやっているからこんな時間になっちゃった訳で、どうにかしないと先に進まない。時間は止まったりしません。
「…………はぁ」
ぼくは目の前に置かれた携帯電話に目をやる。なぜか正座してるんだけど、これは本当になんとなく。気が付いたら正座してた。
「……よし!」
このまま正座して携帯電話を見下ろしててもしょうがない。
ぼくは意を決して携帯電話に手を伸ばし…………
ちゃらららーちゃっちゃっちゃっちゃちゃー
たところでいきなり鳴った携帯電話に驚《おどろ》いて飛び上がった。
「うひゃぁ」
び、びっくりした。
誰《だれ》だいきなり! って、この曲は……
「……あ」
先輩《せんぱい》だ。
まさか、もしかして先輩…………いやいや早まるな。
ぶんぶん、首を振るぼく。
先輩は、もしかしたら、今日《きょう》がクリスマスだということに気が付いてない可能性も否定できない。だって先輩だし。
って、こんなこと考えてる場合じゃない。早く電話に出ないと。
「はい、もしもし山城《やましろ》です!」
「はい。それで先輩、どうしたんですか?」
「君ならわかってるんだろう? えっとその、今までの経験《けいけん》から導《みちび》き出された答えと、ぼくの願望《がんぼう》が生み出した答えがあるんですが」
「それはなにか? もちろん、真面目《まじめ》にクリスマスをしようというのがぼくの願望です。……今までの経験により導き出された答えはノーコメントということで」
「はっはっはっ、じゃないです!」
「それで、なんですか?」
「え? 今日の夕方6時にいつものところですか?」
「はい」
「はい」
「はっはいわかりましたっ!!」
「遅れません、絶対に行きます! 何があろうと行きます!!」
「はい、それではまたあとで……」
ピッ
携帯を切る。
……………………
…………………………ふふ
……………………うふふふふ
やったー! デートだデートだ。
頬《ほお》が熱《あつ》い、全身が熱い。
ぼくは十分ほど踊り狂ったあと…………ふいに冷静になった。
先輩《せんぱい》だぞ? あの先輩だぞ?
あの人がクリスマスを祝うなんて思考回路を持っているはずは……
「……やめた」
ぼくは考えるのをやめた。
ぼくだって夢を見たい。それに、万が一……まだ甘いかな、億が一……そう、兆が一ってこともあるしね、そうさ! ポジティブにポジティブに!!
……心の奥底で切なくて涙を流しているぼくがいるけど無視。
気にしない、気にしない。
今日《きょう》は楽しいクリスマスイブだ!
******
「よし!」
準備OK。服装おかしなところないし、プレゼントも持った。
いざ出陣とぼくが玄関に向かうとそこには……お姉《ねえ》ちゃんがいた。
「頑張《がんば》りなさい」
そう言ってお姉《ねえ》ちゃんはにっこり微笑《ほほえ》み、ぼくの手を取り両手で包む。
「お姉ちゃん……」
少しだけじーんとしかけるけど、手の上のかさかさした感触に眉《まゆ》をひそめるぼく。
何これ……
お姉ちゃんが手を離《はな》したので、覗《のぞ》き込むとそこには…………小さなビニールの袋に包まれた特徴的なゴム製品が。
お姉ちゃんはにっこり微笑んで言う。
「頑張りなさい」
……何考えて生きてるんだろうこの人。
「……はぁ」
ぼくはため息を一つつき、それをポイと放り投げた。
「ああっ、姉の愛に何てことを」
そんな展開になる確率《かくりつ》は、万が一を大きく越えて京《けい》が一とか垓《がい》が一とかになりそうだよ。
だって、先輩とぼくだぞ? そんな展開あり得ない。
この件に関しては、ぼくのへたれさが原因のかなりの割合を占めてる気がするけどね。でも、もう少し背が伸びて、先輩を抜いたその時には! その時にはかっこよく告白を!!
…………できるのかなぁ。
ってこんなこと考えてる場合じゃないじゃん!
ぼくは玄関の扉《とびら》を開きながら言った。
「じゃあ、行って来まーす」
[#地付き]一巻へつづく
[#改ページ]
あとがき
どうもすいません、ほんとすいません。沖田《おきた》雅《まさし》です。
この始まり方も恒例ですね、あとがきの内容も謝《あやま》ってばかりなので超飛ばす事をおすすめします。我ながら見苦しいので。
それでです、0巻です。6冊目です。
待っていてくださった神様のような方、お待たせしてすいません。全《すべ》て私が悪いんです。久々に自分に絶望してしまいましたよ。いえ、久々は言い過ぎでしたね。ほんとは『また』ですね。
……すいません。
それで4ヶ月間隔の刊行スケジュールが崩れ去った理由ですが……
電池が切れました。
いやすいません、ふざけてないんです。冗談《じょうだん》じゃなく、それが自分的に一番しっくり来る理由だったりするんです。
5巻が終わった時点で限界突破しちゃったんです。すいません、ほんとすいません。5巻|〆切《しめきり》限界ぎりぎりでしたし。
でも、電池充電している間に、うんうんうなって色々考えてたおかげで、どうにか終わりまでの道筋が見えてきた気がします。
うわー言い訳くさいです。それに6冊全てのあとがきで謝ってると、何かもう言葉の軽さがどうしようもありませんね。すいませんという言葉を袋に詰めたら空飛べそうですね。とはいえ、書かずにはいられない小心者な私です。
次こそ……この言葉もダメですね、書き過ぎて軽くなってますね、というか使える言葉が減っている気がしますね。すいませ……
何か謝ってばかりで内容が全くない、いつも通りのあとがきに泣けてきたので、この巻について色々と書いてみようかなと。
えーと、次出るのは6かむにゃむにゃと5巻のあとがきで書いたんですが、何故《なぜ》か0になってしまっていました。
この世は不思議《ふしぎ》でできています。
それでこの巻は0巻というだけあって昔話、1巻より前のみんなの出会いの話です。道本《みちもと》さん話は、かなーり昔から考えてたので書けて良かったです。道本さん友達に一人欲しい感じです。
はじめ君と先輩《せんぱい》の話は、男の子の時のはじめ君を書くのは考えてみればほぼ初めてでした。なかなか新鮮《しんせん》……なんて事はなく、いつも通りでした。何かすらすら書けました。入れ替わろうが入れ替わってなかろうがはじめ君ははじめ君だなあと。相変わらず色々と悩む苦労人でしたし。まあ色々思い悩まないはじめ君なんてはじめ君じゃないですからね。…………可哀想《かわいそう》に。
先輩はある意味、今と昔で一番変わった人かもしれません。言動思考はともかく、内面はかなり変わってるはずです。女の子の先輩、とても挿絵《さしえ》が楽しみです。
あとは、今までと違う組み合わせを試してみたりしました。2年生組が書いてて面白《おもしろ》かったです。やっぱりわらわらがやがやしてる感じが好きですよねー。
という訳で、この巻は今までと雰囲気違うと思いますが、こんなのもたまにはどうでしょう。これも『先輩とぼく』かなあと。この巻、私の中ではほとんど外伝扱いですし。
次は今まで通りの感じに戻ると思います。
それでは恒例のお世話になった皆さんへの謝罪《しゃざい》……もとい感謝を。
担当の高林《たかばやし》さん、今回もほんとご迷惑をおかけしました。電話で何度すいませんと謝《あやま》ったのか憶《おぼ》えてませんがもう一度、すいません。そして色々とありがとうございました。私の激励《げきれい》の為《ため》という名目でごちそうになった焼き肉|美味《おい》しかったです。というか、何か食べたいものありますかと聞かれた瞬間《しゅんかん》に「肉」と即答した自分はどうかと思います。
イラストの日柳《くさなぎ》こよりさん。いつもありがとうございます。と言いつつ今回はまだ挿絵が見られていないのですが、楽しみにしてます。この巻は女の先輩が見られるはずですし。
その他お世話になった皆様。いつもかつかつのスケジュールになっていると思います、すいません。でもこの本が出たのはご尽力くださった皆様のおかげです。ありがとうございます。
そしてこの本を手にとってくださった皆様。本当にありがとうございました。このシリーズをここまで続けられたのはひとえに皆様のおかげです。
これからもほんのりと頭空っぽで楽しめるような、わいわいにぎやかな話を書いていけたらと思いますので今後ともよろしくお願《ねが》いします。
それでは次の本でまた会えたらと思います。
[#地付き]沖田《おきた》 雅《まさし》
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先輩とぼく0
発 行  二00五年十二月二十五日 初版発行
著 者  沖田 雅
発行者  久木敏行
発行所  株式会社メディアワークス