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風俗の人たち
永沢光雄
目 次
テレクラ[#「テレクラ」はゴシック体]◎1990年4月
SMクラブ[#「SMクラブ」はゴシック体]◎日暮里◎1990年5月
美療マッサージ[#「美療マッサージ」はゴシック体]◎池袋◎1990年6月
本番ストリップ[#「本番ストリップ」はゴシック体]◎1990年7月
女装プレイ[#「女装プレイ」はゴシック体]◎池袋・秋葉原◎1990年8月
ロリコン[#「ロリコン」はゴシック体]◎高田馬場◎1990年9月
ダッチワイフ[#「ダッチワイフ」はゴシック体]◎上野◎1990年10月
ホテトル[#「ホテトル」はゴシック体]◎渋谷◎1990年11月
ニューハーフ[#「ニューハーフ」はゴシック体]◎入谷◎1990年12月
幼児プレイ[#「幼児プレイ」はゴシック体]◎六本木◎1991年1月
吉原ソープ街[#「吉原ソープ街」はゴシック体]◎1991年2月
性感マッサージ[#「性感マッサージ」はゴシック体]◎池袋◎1991年3月
ダイヤルQ[#「ダイヤルQ」はゴシック体]2[#「2」はゴシック体]◎1991年4月
シリコンボール[#「シリコンボール」はゴシック体]◎本郷◎1991年6月
ボンデージ[#「ボンデージ」はゴシック体]◎四谷◎1991年7月
ピンサロ[#「ピンサロ」はゴシック体]◎新宿◎1991年8月
ホストクラブ[#「ホストクラブ」はゴシック体]◎梅田◎1991年9月
売春ストリート[#「売春ストリート」はゴシック体]◎新大久保◎1991年10月
レズバー[#「レズバー」はゴシック体]◎新宿二丁目・六本木◎1991年11月
マナ板ショー[#「マナ板ショー」はゴシック体]◎1991年12月
チョンノマ[#「チョンノマ」はゴシック体]◎黄金町◎1992年2月
女装マニア[#「女装マニア」はゴシック体]◎1992年4月
ゲイバー[#「ゲイバー」はゴシック体]◎新宿二丁目◎1992年6月
AV女優[#「AV女優」はゴシック体]◎1992年7月
個室割烹[#「個室割烹」はゴシック体]◎西川口◎1992年8月
SMクラブ[#「SMクラブ」はゴシック体]◎恵比寿◎1992年9月
女性風俗ライター[#「女性風俗ライター」はゴシック体]◎1992年10月
イメクラ[#「イメクラ」はゴシック体]◎目黒◎1992年12月
ゲイ・タウン[#「ゲイ・タウン」はゴシック体]◎新宿二丁目◎1993年1月
歌舞伎町1[#「歌舞伎町1」はゴシック体]◎1993年2月
歌舞伎町2[#「歌舞伎町2」はゴシック体]◎1993年3月
歌舞伎町3[#「歌舞伎町3」はゴシック体]◎1993年4月
変態クラブ[#「変態クラブ」はゴシック体]◎新宿二丁目◎1993年5月
個室割烹[#「個室割烹」はゴシック体]◎西川口◎1993年6月
投稿写真[#「投稿写真」はゴシック体]◎1993年7月
ブルセラ・ショップ[#「ブルセラ・ショップ」はゴシック体]◎新宿西口◎1993年8月
女子高生[#「女子高生」はゴシック体]◎1993年9月
ふんどしパブ[#「ふんどしパブ」はゴシック体]◎池袋◎1993年12月
お見合いパブ[#「お見合いパブ」はゴシック体]◎新宿東口◎1994年1月
SMクラブ[#「SMクラブ」はゴシック体]◎池袋◎1994年2月
SMクラブ[#「SMクラブ」はゴシック体]◎五反田◎1994年3月
個室割烹[#「個室割烹」はゴシック体]◎西川口◎1994年4月
ストリップ[#「ストリップ」はゴシック体]◎上野◎1994年5月
ボディ・ピアッシング[#「ボディ・ピアッシング」はゴシック体]◎渋谷◎1994年6月
枕芸者[#「枕芸者」はゴシック体]◎石和温泉◎1994年7月
ピンク映画[#「ピンク映画」はゴシック体]◎新宿◎1994年8月
SM女王様[#「SM女王様」はゴシック体]◎1994年9月
SMショー[#「SMショー」はゴシック体]◎1994年10月
外人ホテトル[#「外人ホテトル」はゴシック体]◎1994年12月
AVとストリップ[#「AVとストリップ」はゴシック体]◎花巻ほか◎1995年1月
カップル喫茶[#「カップル喫茶」はゴシック体]◎御徒町◎1995年2月
ビデオ相互鑑賞会[#「ビデオ相互鑑賞会」はゴシック体]◎大塚◎1995年3月
ホモ映画館[#「ホモ映画館」はゴシック体]◎歌舞伎町◎1995年4月
レズバー[#「レズバー」はゴシック体]◎新宿二丁目◎1995年6月
ボックスサロン[#「ボックスサロン」はゴシック体]◎西川口◎1995年7月
ピンサロ[#「ピンサロ」はゴシック体]◎大塚◎1995年8月
デートクラブ[#「デートクラブ」はゴシック体]◎1995年9月
ソープランド[#「ソープランド」はゴシック体]◎1995年10月
渋谷道頓堀劇場[#「渋谷道頓堀劇場」はゴシック体]◎1995年12月
新宿二丁目の病院[#「新宿二丁目の病院」はゴシック体]◎1996年1月
素股プレイ[#「素股プレイ」はゴシック体]◎歌舞伎町◎1996年2月
女子高生売春[#「女子高生売春」はゴシック体]◎渋谷◎1996年3月
立ち飲み屋[#「立ち飲み屋」はゴシック体]◎池袋◎1996年4月
のぞき部屋[#「のぞき部屋」はゴシック体]◎歌舞伎町◎1996年6月
韓国式エステ[#「韓国式エステ」はゴシック体]◎新宿◎1996年7月
グランドキャバレー[#「グランドキャバレー」はゴシック体]◎池袋◎1996年8月
雨は降るがままにせよ
ソープ嬢[#「ソープ嬢」はゴシック体]◎吉原◎1997年5月
あとがき
[#改ページ]
テレクラ[#「テレクラ」はゴシック体]
[#1字下げ]1990年4月◎最高裁が連続射殺事件の永山則夫被告の上告を棄却、逮捕から21年目に死刑が確定する。[#「1990年4月◎最高裁が連続射殺事件の永山則夫被告の上告を棄却、逮捕から21年目に死刑が確定する。」はゴシック体]
「オジサン、またエッチなことばかり考えてるんでしょ」
「もしもし、オジサン、年はいくつ?」
「オジサンじゃないよ。まだ三十になったばかりなんだから」
「なに言ってんの。三十なんて、リッパなオジンじゃん」
「そうかなあ。君はいくつなの」
「ボク?(ちなみに女の子である、念の為)ボクは十七だよーん」
「じゃあ、まだ高校生?」
「そーだよーん」
テレフォンクラブ、すなわちテレクラというものが巷に出現し始めてから、もう四、五年がたつだろうか。
私は、このテレクラなるものが、どうにも理解できなかった。システム自体はわかる。男がいくばくかの金を払い(最近は八百円〜千五百円くらい)、店の中の個室に入る。個室には机と椅子があり、机の上にプッシュホン式の電話器がポツンと置かれている。何故かティッシュペーパーの箱を置いている店もある。
さて、男はここでどうするのか? 椅子に坐って、電話がかかってくるのを待つのである。壁に赤いボタンがついており、それを押すと可愛いオネエチャンがオシボリを片手にやって来る、というわけでもない。本当に、ただ電話を待つのである。誰から電話がかかってくるのかというと、世間のさまざまな名も知らぬ女性からかかって来るのである。
店には、早取り制と順番制の二種類がある。早取り制というのは、女の子から電話がかかって来たらとにかく一番早く受話器を取った人が勝ちというシステムである。その為、そういう店では皆、受話器を耳に当て指でフックスイッチを押して待つらしい。かかって来たらパッと指を離せばいいらしい。順番制というのは、店の人がかかって来た電話を客に順番に振りわけてくれるシステムである。こちらの方が落ちつけるといえば落ちつける。
そして、それだけなのだ。見知らぬ女の子と電話でお話をして、それでおしまい、なのである。ウーン|解《げ》せん、それでは飲み屋で店のママとバカ話をしている方がズッと楽しいではないか、と私は思っていた。ところが、どうも違うらしい、と気づくのにそう時間はかからなかった。成田アキオのマンガを見るまでもなく、電話でのお喋りはキッカケにすぎないらしいのだ。互いに見知らぬ男女が、電話で話が合えば日を改めて待ち合わせをして、運が良ければセックスまでこぎつけることができるらしい。私はそれを知り、驚くとともに、何か深くて暗い穴ボコをチラッと見たような気がした。そして、それを証明するかのように、テレクラに関する事件が新聞で目にとまるようになった。
*北九州・折尾=テレクラを通じて売春をしていた女子中学生(15)と関係したあと、「売春していたことをバラす」と脅し売春料を三千円に値切った男が逮捕される。男はテレクラの従業員だった。
*熊本=テレクラ女子従業員(50)が知人の女子高生(16)に売春をあっせんし、逮捕される。
*福岡=テレホンクラブを利用し、デート嬢集めをしていたデートクラブ経営者(51)が逮捕される。経営者は「テレクラに電話をかけてくる女の子は売春の誘いに乗りやすいから」と語っている。
*福岡=女子中・高生がテレホンクラブを利用して売春していた事件で、福岡県警はテレクラの客六人を逮捕、女子中学生ら十八人を補導。
要するに、テレクラは売春行為の温床と化してしまったのである。確かに売春する側からすると、道端で客をつかまえるよりも電話の方が便利であろうし、客の方もその女性と顔を合わせる前に電話で擬似恋愛をしているので売春という意識は薄く、こづかいも[#「こづかいも」に傍点]渡しやすいのだろう。こう考えると、恋愛と売春の区別がよくわからなくなってくる、ただ驚くことは、新聞紙上に登場する彼女らの年齢の低さである。ほとんどが女子中・高生だ。中・高生が売春をしちゃいけないという法はないが(いや、あるか……)、これでは下手をすると、電話での交渉では顔が見えないだけに、新宿アルタ前で父と娘がバッタリ、ということになりかねない。心配である。
そうするうちに、売春以外の事件も起きるようになってきた。
*大阪=テレクラで知り合った少女(17)を「ファッションモデルにしてやる」と言って自宅に誘い、猥褻な行為をしていた男(69)が逮捕される。
*兵庫=テレクラで知り合った家出少女(14)を八日間監禁し、淫らなことをしていた会社員(31)が逮捕される。
*神奈川=テレクラで知り合った女子中学生(14)の住所を聞き「俺の言う通りにしないと学校に言いつける」と言ってホテルに連れ込み、淫らな行為をした子供会の役員(39)が逮捕される。
*千葉=テレクラに電話をしてきた女子中学生(15)を「ディズニーランドに行こう」と誘いモーテルに入って性行為をした家庭教師(38)が逮捕される。
*札幌=テレクラで物色した女性二人を、覚醒剤漬けにしていたずらしていた男(41)が逮捕される。
こうなってくると、恋愛なのか売春なのかなどと悠長なことは言ってられなくなる。覚醒剤漬けにしていたずら、などはもう立派な犯罪ではないか。それにしても、ここでも被害者の女性の年齢の低さが目立つ。いや、逆に考えると、彼女らの年齢が低いために事件が表沙汰になったとも言える。そうだとすると、新聞紙上に載る事件は本当に氷山の一角にすぎないのではないか。テレクラの向うには、もっとドロドロしたものが見え隠れしているように思えてならない。
私がテレクラに行ってみようと思ったのは、一本の間違い電話がキッカケだった。
その日、私は部屋を引っ越したばかりだった。朝からのコマゴマとした労働でグッタリとなった私は、袋から出した布団の上でうたた寝をしていた。すると電話のベルである。引っ越し早々誰からだろうと思い受話器を取った。若い、いや幼いといった方がいい女の子の声が耳に飛び込んで来た。
「オジサン、またエッチなことばかり考えてるんでしょ」
「ハ?」
「今日も電車でチカンしちゃったのォ」
「エ?」
「ダメなのよォ、チカンなんかしちゃぁ」
「あの、どちらにおかけですか?」
電話は、彼女が「アラッ」と言って、一方的に切れた。受話器を置いた後、私はしばらく呆然としていた。私は確かにエッチなことは年がら年中考えているが、チカンは一度だってしたことがない。なぜ私があんなことを言われなくてはいけないのだ。
やがて、思い当った。今のがテレクラなのだ。多分、この電話番号の前の持ち主が、どこかのテレクラで今の電話の女の子と知り合ったのだろう。そして、自分の電話番号を彼女に教え、たまにああいう会話をして楽しんでいたのだろう。それにしても、私の部屋の電話番号の前の持ち主が、チカン常習者だったとは知らなかった。
そんなことがあって、私はテレクラに興味を持ち、実際に新宿のテレクラに行ってみた。この原稿の冒頭の会話は、その時のものである。
「よく、こういう所に電話するの?」
「そうだね、ヒマな時なんかよくするね」
「今、どこから電話してるの?」
「友達の部屋だよーん」
「部屋って、アパート?」
「そう、だからよく使わせてもらってんだ」
「今、友達はいるの?」
「ウウン、タツオとデート。そんでボク一人だから、ヒマで、電話してるってわけ」
「タツオとデートね……」
「ウン、超やさしいんだから。ボクも彼氏が欲しいな」
「こういう所の電話番号は、どうやって知るのかな?」
「電話ボックスのチラシとかぁ、マンガの本とか」
「マンガ……?」
「ほら、女の子用のエッチな雑誌があるじゃん」
「ああ、レディスコミックね」
レディスコミックを数冊買って、調べてみて驚いた。一冊平均、十〜十二頁はテレクラの広告である。男性雑誌なんかカワイイもんだ、と思えるようなエロマンガとエロマンガの間に、テレクラの広告が挟まっている。マンガを読んで欲情したら、テレクラへ電話をしてテレフォン・セックスを楽しもう、というわけだろうか。中には、記事だと思って読み始めたら、三頁目の最後でテレクラの広告だとわかる巧妙なモノもあった。そのうちの一つを紹介しよう。
「……女性が誰かとおしゃべりしたいナ≠ニ思ったら、すぐに利用OK。めんどうな手続きなど一切ありません。とにかく、目の前に電話があれば、即、テレコミ・タイム。自分のお部屋にいたまま、好きなBGMをかけながらでも、コーヒーカップをかたむけながらでもいいのです。(中略)おしゃべりなパートナーの男性たちは、厳重な審査を受けて[#「厳重な審査を受けて」に傍点]会員になった、心やさしい男性たち。決して営業目的やおしゃべりすることを仕事にしているプロではありません。素直にハートを開いて、お友達感覚でトークできます。(中略)うれしいことに、女性の利用料は無料。つまりタダ。テレコミの運営にかかる費用は、男性側が負担してくれています」(傍点は筆者記)
ちなみに、私の場合、幸いにして厳重な審査を受けることなく、千五百円を払ったら会員になれた。
ところで余談になるが、女性に対して自信を持てない男性に、レディスコミックに掲載されている様々な広告に目を通すことをお勧めする。女性も自分と同じように、いやそれ以上に、いろいろなことで悩んでいるということが、わかるに違いない。
「友達なんかも、よくテレクラを利用しているの?」
「ウン、ボクのグループはみんなテレクラで遊んでるね」
「遊ぶって?」
「変なオジンをからかったりさ」
「どうやってからかうの?」
「デートするとか言ってぇ、待ち合わせ場所を決めて、そのオジンが来るのをみんなで見るの」
「なるほどね。友達の中でさ、テレクラで事件に巻き込まれた人とかはいない?」
「事件ってワケじゃないんだけどさ、一回だけつき合ったら、妊娠しちゃった子がいたよ。もう、超ヒサン!!」
「それで、その子どうしたの」
「堕ろしたに決まってるじゃん。みんなでカンパとかしたよ」
「バイトとかして?」
「ウーン、それとか、こういうやつで稼いだりしたり……いろいろ」
「アッ、つまりそれって、テレクラで知り合った人からおこづかいを貰うわけね」
「ウン、そういうこと」
「君もそういうことしてるの」
「ボクはしない。だってコワイじゃん。オジンばっかだし。それよりさ、土曜日だし、どっかで会おうか。なんかオゴッてちょんまげ」
私は一瞬迷ったが、今日は遠慮しておくと答えた。彼女と会っても、どうも私とは会話が噛み合わないような気がしたからだ。それに、もうオジンだしさ……。
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SMクラブ[#「SMクラブ」はゴシック体]◎日暮里
[#1字下げ]1990年5月◎ゴッホの絵を史上最高値の約125億円で斎藤了英大昭和製紙名誉会長が落札。[#「1990年5月◎ゴッホの絵を史上最高値の約125億円で斎藤了英大昭和製紙名誉会長が落札。」はゴシック体]
「Mの人はほんとうに十人十色ね。その人の歴史が全部覗けるみたいよ」
平日の正午丁度に、僕は日暮里の駅に降り立った。電話で教えられたとおりに十分程度歩くと,何の変哲もないマンションの二階にその「SMクラブ」はあった。
日暮里の暖かい日差しを浴びながら、「SMクラブ」を取材に行くということに、いささか背徳的な刺激を感じながら、僕は部屋番号だけが書かれているドアのインターフォンのボタンを押した。
しかし、「SMクラブ」を取材に行くのになぜ日暮里なのか? そりゃ日暮里にもその手の店が沢山あることは知っていたが、やはりSMとくれば六本木・赤坂なのではあるまいか。実は以前に六本木・赤坂にも何度か「SMクラブ」の取材に行ったことがある。でもなんかウソっぽいんだよね。やたらと有名人の名前を出しては、「あの人もワタシの奴隷なの、カワイイもんよ」なんて言うし、ひどいのになると、「もう死んじゃったから言うけど〇〇さんのプレイはね……」なんてママさんが言ったりする。多分本当のことなんだろうけど、死んじゃったからってそんなことベラベラ喋られたんじゃ浮かばれないよね。ああいうとこってのは、秘密厳守が最低条件なんじゃないの? そしてそのくせ変にプライドが高い。「SMは芸術だ」、「SMはインテリにしかできない」なんて言ったりする。極めつけは、「ワタシたちをソープなんかのコたちといっしょにしないで。ワタシたちは絶対に本番はしないんだから。あくまでもメンタルなプレイをしてるんですから」とのたまう。思わず、「本番はしないって言ってたって、アナルセックスしてりゃ同じじゃねえか!!」という言葉が喉元まで出かかった。月並みな言い方だけど、職業のみ[#「のみ」に傍点]には貴賤はないのだから、職種のみで他人を差別してはいけません。
そんな訳で、六本木・赤坂の「SMクラブ」には少し異和感を感じていたので、日暮里まで足を運んだ。
ドアを開けると、プレイルームがあった。ムチやセーラー服などが無秩序に壁にかけられている。オマルや浣腸器が床に転がっている。プレイルームとは言え、部屋自体は普通のマンションの一室なのだから、それらが妙に生々しい。もし友人の家にこのような道具が転がっていたら、見てはいけないモノを見たような気がして足早に立ち去ることだろう。
プレイルームの横に、コタツとテレビが置かれた部屋があり、そこで二人の女性が僕を迎えてくれた。一人はユミさんと言い、この道十数年のベテラン。SとMどちらもできるという、バストの大きい三十代後半の女性。もう一人は最近入ったばかりの、やせぎすのM専門の女性。人妻だそうな。御主人が会社に行っている昼間だけ働くらしい。
それにしても、なんと生活感のにじみ出た部屋なのだろう。知らない人が見たら、洗濯を終えた主婦が二人集まって世間話に興じているように見えるだろう。
そう言えば、以前池袋のSMクラブに取材に行った時、その道では女王様として有名なSさんが、出前でとった「たぬきソバ」のドンブリを似たような部屋で洗っているのを見たことがある。黒革の下着姿で流しに立つ女王様は、なんとも微笑ましいものだったが、これを彼女に心酔している奴隷の方々が御覧になったらやはりガッカリするのだろうな、と思った記憶がある。女王様だって、日常生活は営まなくちゃいけないのだね。
ユミさんの話
「一応どちらでもできるんですけど、私自身はSですね。子供の頃からよく男の子を苛めていたし、親に隠れて『奇譚クラブ』なんかを読んでました。女の人に縛られてる男の写真を見ると背中がゾクゾクしちゃって……。大学の頃にこういう店にバイトで入ったんですけど、それ以来ずっとSM一筋。結婚? 子供が欲しかったからしましたけど、嫁に行く気はなかったから養子で来て貰いました。子供ができたらすぐ追い出しちゃったけど。あんまり奴隷には向いてない人だったの」
どうにも僕にはこの手の話は信じられない。根っからの女王様というのは、本当にいるのだろうか。僕が、どちらかと言うとMの気が強い人間なのでそう思ってしまうのかもしれないが、本来セックスにおける女性の立場とはMそのものではあるまいか。正常位における女性のポーズなど、屈辱的なポーズ以外のなにものでもないではないか。SMクラブの女王様だって、「私の足をお舐め!!」とか言ってるのは仕事だからであって、プライベートな時間では男の体の下でヒイヒイ泣いてるのではあるまいか。僕がそう言うと、ユミさんは「そんなことはない」と言い切った。
「だって私はセックスが気持ちいいなんて思ったことないもの。結婚してる時だって、なんでこんなモノがいいんだろうと思ってた。最初のうちは、悪いかなと思って声を出してあげたりしてたけど、面倒くさくてやめちゃった。それより男のひとを苛める方が、よっぽど気分がスッキリする。そりゃ偽物の女王様も沢山いるだろうけど、本物の女王様は大抵そうよ。せいぜいクリトリスを舐めさせていい気持ちになるくらいで、中には私生活ではレズの人も多いね」
となるとSの女性というのは、不感症の女性ということなのか。確かに、池袋のS女王様は今まで二回しかセックスをしたことがないと言っていたし、六本木のM女王様はレズで、男性を相手にしても絶対濡れないといっていた。一度、絶対にエクスタシーを味わわせてやると豪語した男性を五時間相手にしたが、Mさんのヴァギナは最後まで開かなかったそうだ。
それらを考えると、真性Sの女性の存在というのもやや納得できる。彼女らは快感を得られないセックスの代償行為として、SMプレイで潜在する性的欲求を解消しているのだろう。しかしやはり、数あるSMクラブの中でもこういう女性は数少ないだろう。「ソープで働くより、こっちの方が体力的にラクだもん」という女王様の方が圧倒的に多いと思う。
ところで、僕の知り合いにも幾人かサディスティックなプレイを好む男性がいるが、彼等にも同様のことが言えそうな気がする。不感症ではないが、彼等は総じてオナニストである。彼等は女性を縛り嬲りつくすが、その場で射精することは好まない。たまに口内発射やアナルセックスをすることがあるらしいが、大抵はそのまま興奮を持続させて家に持ち帰り、オナニーを楽しむ。普通のセックスをしない訳ではないが、それほど楽しくはないと言う。妻帯者もいるが、年に何度かのそれも義理であることが多いらしい。
つまり、真性Sの女性と男性は、セックスを必要としていないんですね。別の言い方をすれば、生殖を拒否しておる訳です。この辺からSMプレイと世紀末とはよく結びつけられるのでしょうか。そう言えば、ホモ・レズ行為も生殖をしない。やはり人口増加の一途をたどっている人類は、この辺でその流れに歯止めをかけようとしているのでしょうか。エイズも衰えを見せないし……。
―――お客さんは何歳ぐらいの人が多いんですか?
ユミ[#「ユミ」はゴシック体] 二十歳ぐらいから七十五歳までいろいろですね。
―――二十歳ぐらいとは若いですね。
ユミ[#「ユミ」はゴシック体] ここ数年、若い人が増えてきました。山田詠美さんの本を読んで来た、と言う大学生が多いですね。
―――彼等はどういうプレイを?
ユミ[#「ユミ」はゴシック体] ほとんどMです。「お仕置きをして下さい」って。あのね、ウチに来る若い人は大抵童貞なんですよ。
―――童貞でSMプレイ……?
ユミ[#「ユミ」はゴシック体] そう。高校の頃からSM雑誌を読んで憧れてて、大学に入ったから来ましたって。セリフなんか、初心者とは思えないくらい上手ね。
―――大学に合格したから苛めて下さい、と。
ユミ[#「ユミ」はゴシック体] 親が聞いたら泣くわね(笑)。でも、そういう子には注意をしてあげるの。若いうちからこういう所ばっかり来てたら、普通のセックスが出来なくなっちゃうよ。早く恋人見つけなさいって。
―――女子大生の恋人に、「女王様、僕をぶって下さい」。
ユミ[#「ユミ」はゴシック体] (笑)ふられちゃうわよね。前は、普通のセックスでは物足りなくなった、って人が多かったんだけどね。
この時、受付の電話がなる。
ユミ[#「ユミ」はゴシック体] はいモシモシ。SプレイとMプレイのどちらをお望みですか。ハイ、縛り・浣腸・バイブ・聖水、特別料金で黄金・アナルとなっておりますけど。エッ、ア、それはお断りしております。申し訳ございません。
―――何を断わったんですか?
ユミ[#「ユミ」はゴシック体] フィストファックをやらせてくれって言うのよ。どこがいいんだろうね、あんな乱暴なこと。
別のSMクラブで、不思議な光景を見たことがある。店の中で一人の女王様に話を聞いていたのだが、台所で全裸にエプロンだけを着けた姿で、一人の中年男性が山のようにつまれた汚れた皿を洗っているのである。それが延々と続く。あの人は何者なのか、と女王様に尋ねると、客だと答えた。京都の会社員で、毎月一回の東京の出張の度にやって来るらしい。京都駅から彼から電話が入ると、汚れた皿を作るのが大変なのだそうだ。
つまり、彼は京都から皿を洗いにやって来たのである!!
なんと言っていいか……見上げた根性と言う他はない。
彼は皿を洗い終わると、裸のお尻をふりふり、「終わりましたので、お靴を磨かせて頂きます」と女王様に言うと玄関の方に歩いて行った。驚いたことに、エプロンの下の彼のペニスは勃起していた。
やがて靴を磨き終えた彼は、その他には何もせずに三万円を払って帰って行った。僕のことなど全く眼中に無いようで、実にスッキリとした顔をしていた。
ユミ[#「ユミ」はゴシック体] Sの人は上手か下手かぐらいで、大体パターンは決まっているのよ。ハードになると話は別だけどね。Mの人は本当に十人十色ね。その人の歴史が全部覗けるみたいよ。
―――どんな人がいるんですか。
ユミ[#「ユミ」はゴシック体] 椅子に縛られて、私が他のお客さんにアソコを舐めさせるのを見せつけられたい、とか。七十分間。嫉妬プレイって言うのかしら。もうビンビンに勃起させて、目を血走らせて見てるわよ。
―――最後まで何もしてあげないんですか?
ユミ[#「ユミ」はゴシック体] そう。見てるうちにイッちゃうこともあるけど。
話をしてると、客が一人やって来た。背広を着た三十代半ばの男性である。僕が帰ろうとすると、「いいの、遠慮しないでいて。その方があの人も喜ぶから」、ユミさんが言った。
男はプレイルームでそそくさと背広を脱ぎ全裸になり廊下に横たわると、「お願いします、女王様」と言った。
ユミさんは手にしたロープをしごきながら男に近づくと、器用な手さばきで彼をたちまちのうちに縛り上げた。何が始まるかと思いみていると、ユミさんはこちらに戻って来た。
「さて、どこまで話したかしら?」「えっ、でもお客さんは?」「いいの、あれで。ああやって二時間転がしておけば、あの人は満足なんだから」
話の合間に、ユミさんは何度か立ち上がると、ウンウン呻っている男のそばへ行き、「こんなみっともない姿になって、お前は恥ずかしくないのかい。エッ」と言いながら、ハイヒールで彼の体を踏みつける。その度に男は、「済みません、恥ずかしいです、女王様」と、本当に恥ずかしそうに答える。
あなたも彼を苛めてあげて、と言われたが、それは辞退して店を出た。いくら彼でも、僕に「恥ずかしくないのかい?」と言われたのでは、さすがに不本意だろう。
彼のプレイはまだまだ続くようだった。
駅に向かう僕の体の中で、抑圧された何かがピクッと蠢いた。
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美療マッサージ[#「美療マッサージ」はゴシック体]◎池袋
[#1字下げ]1990年6月◎ペルーの大統領選で日系のフジモリ前国立農科大学長が当選。[#「1990年6月◎ペルーの大統領選で日系のフジモリ前国立農科大学長が当選。」はゴシック体]
「やっぱり、みんな病気が恐いんじゃないかな。エイズとかさ」
「美療」が流行っているという。ここ一年の間にそのような店(?)が、どんどん増えているらしい。
「美療」という字面から推察するに、女性のための店だろうと思ったのだが、客はほとんど男だという。なるほど、男も自分の美しさのために力を入れるようになったのか、と感心していると、「アヌスをどうのこうの……」という声が聞こえてきた。美とアヌス? なんかよくわからなくなったので、実際にそういう店に行って話を聞いてみることにした。
一年ほど前にオープンした、池袋の「アイ美療」は、この新しい業界においては草分け的存在である。ここのS社長は、他にSMクラブも経営している。
「最初は不安でしたよ、お客さんが本当に来てくれるかどうか。SMクラブをもう一軒出すんなら、自信はありましたけどね。でもSMクラブはしんどいんですよ。必ずお客さんと、プレイについて面接しなくちゃいけないし、費用もかかるしね。その点、この商売は女の子さえいれば、電話一本でできるからね。楽といえば楽ですよ」
「美療」とは、簡単に言えば「性感マッサージ」である。「アイ美療」では、女性はピンク色の看護婦の制服を着ている。その点ではSMクラブの、ナースプレイに似ている。指名のナンバーワンを誇るいずみちゃん(二十三歳)も、ナースプレイ出身者だ。ただし、プレイ中に制服を脱ぐことはない。いずみちゃんに、プレイ内容を聞いた。
「まず、お客様に裸になっていただいて、パウダーで全身をマッサージいたします。次にオイルを使ってのアナルマッサージ。前立腺マッサージとも呼んでるんですが、アナルに指を入れてグリグリっと。お客様が感じてくると、アナルの中で前立腺がプクッてふくらむのがよくわかりますよ。最後はローションをつけた手で、スッキリして頂くと。約六十分ですね。じっくりと、できるだけお客様に気持ち良さを持続して貰うのが、私たちの務めです。気持ちいいし、サッパリすると思いますよ。お客様は何もしなくていいんだし、ただただされるがままになっていればいいんですから」
S社長が後を続ける。
「要するに、SMクラブのようにマニアックなものではない。ソープでもない。ソープはスッキリするかもしれないけれど、同時に疲れもするじゃないですか。もちろん、ヘルスやホテトルのように、抜いちゃったらそれでおしまい、というのとも違う。そういういろんな業界の、いい部分だけを集めた、と言えばいいのかな。
この商売は、実は十年ぐらい前からあるんですよ。巣鴨に巣鴨美療というのがありましてね。もともとは、不感症の女性のための性感マッサージだったんです。『ザ・テクニック』とか言ってたかな。もちろん、マッサージ師は男でした。でも、やっぱり女性だけを相手にしてたんでは、数に限りがあるでしょう。それで男性のお客さんのためのコースとか、夫婦や恋人同士のカップル相手のコースなんかを作ったんです。カップル相手のコースっていうのは、要するに前戯をいろいろと教えてあげるわけです。セックスがマンネリ化してしまった男女に、新しい刺激を与えるんですね。
それで、去年、何か新しい商売をしようと思った時、その店のことを思い出したんです。あれでいってみようと。そうしたら、思ってた以上にヒットしちゃいましてね。どんどん同じような店が増えてきました。ええ、それは予想してましたよ。もしこの店が当たったら、類似店が出てくるだろう、と。これはこういう業界の常ですから、くやしいことはありません。どんなに店が増えても、最終的にお客さんは質のいい女の子のいる店に行くんですからね。そこが勝負です」
値段やシステムは、どうなっているのだろう。
「八十分で一万五千円です。お客さんから電話がきたら、簡単にプレイ内容を説明する。お客さんは、大抵、新聞なんかの広告を見て電話をかけてくるんですが、どういうことをする店なのかよくわからないんですよ。それで、まず説明をする。ただ、クドクドとは説明しない。どっかに謎の部分を残しておかないとつまらないでしょ。その辺がSMクラブと違うところです。SMは十人のお客さんがいれば、十人とも望むプレイが違いますからね。きっちり打ち合わせをしないと、トラブルの元になってしまう。
説明が終わったら、ウチの指名したホテルに入ってもらって、またそこから電話をしてもらい、女の子が直行するというわけです。
だから、お客さんは余計な人間と顔を合わせることはないわけです。その点ではホテトルと似てますね。ただ、その分ちょっと心配ですけどね。最近、ホテルで事件が多いでしょ。昨日も、この近所のホテルでソープ嬢が殺されちゃったし。気をつけないとね。どういう人間がいるかわからない世の中だから。
それに、ああいう事件があると、モロに商売に響くんですよ。去年の秋口に、ウチが使ってたホテルで、やっぱり殺人事件があったんですけど、この時はさすがに客足が減りました。ホテルなんか大変ですよ。事件があったら、最低一カ月はホテルの前に刑事が張りつくんですから。普通のカップルが入ろうとしても、尋問を受けてしまう。そんなことをされてまで、客はホテルに入りませんよ。ホテルは死んじゃいますね。そのホテルは、名前を変えて、どうにか乗り切ったようですけど。まあ、ウチは服を脱ぐわけじゃないし、大丈夫だとは思ってますけど」
それにしても、アナルマッサージを好む客はそんなにいるものなのだろうか。いずみちゃんが答えてくれる。
「多いですね。私は以前SMクラブに勤めてたんですけど、年々増えていくみたい。お尻に指を入れられて喜ぶお客様が。立ち[#「立ち」に傍点]の悪い人でも、アナルに指を入れてあげると、もうビンビンですよ。インポ気味だっていうお客様も多く見えますけど、皆さん治ってお帰りになります。
ワタシですか? 別に抵抗ありませんよ。好きなんですよ、男性のアナルが。指を入れると、ヒーヒー言って男の人が喜ぶでしょ。征服感って言うのかな。ワタシが男になったみたいな感じ。だから、Mの男性も多いですね。SMクラブに行く時みたいに、女性モノの下着をつけたりして。そういうお客様は、そういうお客様なりに可愛がってさしあげますけど。
口は使いません。タッチも、制服から出ている範囲ならいいですけど……」
話を聞くにつけ、「美療」が実にソフトなプレイであることがわかる。なぜ、今、このようなソフトな風俗産業が流行るのだろうか。
「そうだねえ。やっぱり、みんな病気が恐いんじゃないかな。エイズとかさ。遊びたいけど病気が恐いってお客さんが、ウチに来てくれるんじゃないかな。私もフィリピンに行った時に、病気を貰って来ちゃったけど、アレはイヤなもんだからねえ」
もう一軒、別の店へ行ってみた。同じ池袋にある「セシル美療」である。こちらは、今年の四月にオープンしたばかりの店である。丁度、女の子たちが仕事[#「仕事」に傍点]に出ており、マンションの十四階にある事務所では、T社長が一人で電話の応対をしていた。まだ二十代半ばと思える、若い社長である。昼間は別の会社で営業をしていると言う。
「もともと、僕自身が風俗が大好きだったんですわ。ソープ、ヘルス、ホテトル、ピンサロ、SMクラブと、いろいろ遊びに行きました。それで、五、六年前から『巣鴨美療』という所に行き始めたんですけど、これがメチャクチャ気持ちがいい。僕に一番合ってるのはこれだ、と思いまして、ずっと通ってたんです。そのうちに、同じような店がいろいろ出来てきて、新聞なんかの広告を見ては、遊びに行ってたんです。
そのうちに、こんなに好きだったら、いっそのこと自分で店をやってみたらどうだろう、と思いまして、この店を始めたんです。自分がこんなに好きなんだから、絶対に当たるはずだ。これから伸びる風俗産業はコレだ、と思いましたね」
そう語るT社長は、黒ブチのメガネをかけてしゃれた背広を着こなし、学生の頃から事業の才覚を現わした青年実業家といった趣である。その彼の口から、「アナルマッサージはですね……」といった言葉が飛び出してくるのだから、なにか不思議な感じがする。
プレイ内容は「アイ美療」とほぼ同じである。違う点は、こちらは女性がパンティとブラジャーの下着姿であるということと、下着の上からならタッチはどこでもOKという点である。口はやはり使わない。
「性感マッサージ、回春マッサージと広告ではうたってるんですが、お客様は二十代前半の方が圧倒的に多いですね。値段が手頃だからでしょうか。ホテル代こみで、約一万八千円です。お客様は、土・日曜日に集中しますね。土曜はわかりますけど、日曜日に多いのには、僕も驚きました。朝の十一時から電話がかかって来ます。起きてすぐにかけてくるんでしょうかね。
次いで多いのが月曜日です。月曜日は、比較的、中年のサラリーマンの方が多いです。日曜日に家族サービスをした疲れを解消しようと思うんでしょうか。僕もサラリーマンをしていますが、大変ですよね、サラリーマンは。
魅力ですか? やはり、時間いっぱい、気持ち良さを持続できるということではないでしょうか。早漏の方でも、充分に持続されると思いますよ。もし途中でイッてしまっても、ウチはお客様が可能な限り、プレイを続けます(それはアイ美療も同じである)。女の子に聞いたんですが、最高で三回イッた方がいらっしゃったそうです。
こういうこと、して欲しくても、なかなか奥さんや恋人に(してくれとは)言えないですよね。やはり、男がリードしなくちゃいけなくなっちゃう。それがここでは、女の子に身を委ねていれば、全てリードしてくれる。それに病気の心配もないから、奥さんや恋人に移す心配がない。そうやって、精神的なバランスを取ることができるんじゃないでしょうか」
取材をしていて、おぼろげながら「美療」の姿が見えてきた。ここでは、男は完全に受け身なのである。自分から、なにも行動を起こす必要がない。全て女の子にされるがままなのである。
最近、女性雑誌で、「今、セックスをしたがらない男が増えている」という特集を目にして、「ケッ、なにを言ってやがるんだ」と思ったのだが、こういう店が流行っているのを見ると、あながちそれもウソではないのかと思ってしまう。
これはやはり、男性の女性化なのだろうか。そう言ってしまえば、簡単に結論が出そうな気がするが、僕はそう言いたくない。むしろここにきて、男はやっと「男性的」という自らに課せられた幻想を脱ぎ捨てようとしているのではあるまいか。男は皆が「男性的」では、決してないのである。女性が、今までの既成概念を乗り越えて、あらゆる分野に進出しようとしている今、男ももっと自分に素直に生きていこう、と思い始めてるんじゃないだろうか。
そんなことを思っていると、テレビが、日本での子供の出生率が年々低下している、というニュースを伝えていた。
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本番ストリップ[#「本番ストリップ」はゴシック体]
[#1字下げ]1990年7月◎神戸高塚高校で女子生徒が、登校門限時間に教師が閉めた門扉に頭をはさまれて死亡。[#「1990年7月◎神戸高塚高校で女子生徒が、登校門限時間に教師が閉めた門扉に頭をはさまれて死亡。」はゴシック体]
「顔も良し、体も良しって子が出ないとね、満足して貰えないんですよ」
場内が暗くなり、ステージ中央に一枚の布団が敷かれた。
「ハイ、次は本番ショーです」
さきほどから踊り子さんが踊り終わるたびに、「ハイ拍手、ハイ拍手!」とがなりたてていたスピーカーから聞こえる男の声が、今度は静かにそう告げた。途端に、十人近い男達が席から立ち上がり、「ジャンケンポン!」と低く、しかし気合の入った声を掛け合いながら、ジャンケンをし始めた。
その男達の中に、一人だけカン高い声をあげて勝負に挑む、白いハチ巻きをした男がいた。彼は踊り子さんが踊る曲に合わせて、タンバリンを叩いたりピアニカを吹いたりしていたので、どちらかというと地味な客たちの中でやけに目立っていた男だった。踊り子さんのグルーピーかなんかなのだろうか。
「ジャンケンポン! ジャンケンポン!」
彼の声は次第に熱をおびて、勝ち続ける。他の男達は彼の迫力に圧倒されている感じだった。最後の勝負に彼が勝った時、客席から「オーッ……」という感心したような声があがり、期せずして拍手がおこった。
彼はやや照れたような顔をしながらも、ハチ巻きを取り、胸をはってステージに上がった。ステージの布団の上には、いつの間にかさっき踊っていた踊り子さんがネグリジェ姿で坐っており、ニコニコと笑いながら男達の勝負を眺めていた。
男は彼女と二言三言、なにやら言葉を交わすと、ズボンを脱いで彼女の前に正坐をした。彼の赤いトランクスが、陰湿になりがちなイメージを避けさせてくれた。
踊り子さんは立ち上がると、ネグリジェをまくり上げ自分の股間に彼の顔を押しつけた。男は正坐をしたまま彼女の腰を抱いている。
やがて彼女はネグリジェを脱ぎ全裸になると、男に胸を揉ませ始めた。彼女は確かに全裸のはずなのだが、こちらに背を向けた男が邪魔になってなかなか見えない。だが場内はシーンと静まりかえり、客たちはステージ上の二人をジッと見つめている。甘ったるいムードミュージックがかすかにスピーカーから流れる。
胸を揉み終えた男は、布団の上に仰向けに横たわった。踊り子さんはそのスラリと伸びた足を男の足にからませ、男のトランクスを器用な手つきで脱がした。
すると、ビヨーン! といった感じで男のペニスが隆々と天井を向いて現われた。
ヒューッ、という溜息のようなものが場内からもれた。
正直、僕も感心してしまった。
ビデオ男優でさえスタッフの前で勃起させるのはなかなか大変なのに、彼はステージの上でスポットライトを浴び、多くの他人の目に見つめられながら、早くも勃起させてしまったのだ。最近、どうにも元気のない当方としては、いささか嫉妬を感じながら彼の太い逸物を見つめた。
踊り子さんはクスッと笑いながら、男のペニスにコンドームをかぶせると、パックリとそれを口に含んだ。そして、舌を突き出し、チロチロと彼のモノを舐め始める。
僕の横の客が、ゴクリとツバを飲む音が聞こえた。
踊り子さんは硬度を確かめるように、彼のモノを手で二、三度こすると、彼の横に足を開き気味にして寝た。
客の男たちが、グッと身をのり出す。
ステージの上の男は無表情で起き上がると、踊り子さんにおおいかぶさっていった。
一瞬のことでよく見えなかったが、どうやら彼のペニスは踊り子さんの体内にスムーズに挿入されたようだ。
男の腰がゆっくりと前後に動き始める。踊り子さんは彼の背中に腕を回しながら、左右に首を振って客席をなめ回すように、見回した。客の顔を一人一人確かめるかのようだ。僕も彼女と目が合ってしまい、思わず目をそらしてしまった。なにか、ノゾキをしているところを見つけられてしまったような感じがした。
三日前に、僕は某雑誌の取材で、あるストリップ劇場のチェーン店の仕込みをしている人物にインタビューをしていた。現在のストリップの現状を聞くのが目的だった。
開口一番、彼は、
「ダメだねえ。踊り子が全然いないんですよ。踊り子になろうっていう女の子が、本当に少なくなってきた。それに加えて、この前、外人の不法労働者をつかまえるっていうウワサが流れたでしょ。あれで外人の女の子たちがみんな国に帰っちゃったもんだから、もう大変。よその店の専属の子を借りてきたりしてヤリクリしてるんだけど、もう成りゆきまかせって感じだね。一応、一カ月先ぐらいまではメインの子は決めてあるんだけど、それだけじゃステージが成り立たないもんねえ。AV女優に出て貰ったりしてるんだけど、それだけじゃ間に合わないもんねえ」
と一気に喋り、溜息をついた。
「でも、お客さんは入ってるんでしょ?」
「まあおかげさんでソコソコは入って貰ってますけどね。最近はお客さんも目が肥えてきましたから、ただ女の子が裸になればいいってもんじゃなくなってきたワケよ。顔も良し、体も良しって子が出ないとね、満足して貰えないんですよ。アダルトビデオなんて、みんな可愛いからねえ。お客さん、そういうの見慣れちゃってるから贅沢になってるんだね。そして、そんなAVギャルにこっちが頼ってるんだから、皮肉な話だけど」
話をしていると、事務所に電話がかかってきた。彼が受話器を取る。
「エッ、いなくなった? 男が金を持って? 男ってアイツでしょ? そうそう。どうも危ないヤツだと思ってたんだよね。いや、どうも済みません。おわびの言葉もない……」
どうやら、どこかの地方の劇場に彼が仕込んだ踊り子が、ギャラかなんかを前払いして貰ったまま、ヒモの男といなくなってしまったらしい。彼はひたすら電話の前で頭を下げながら謝り続けている。
「すぐに代わりの子をやらせますから。いえ、正直言ってそんな可愛い子じゃないんですけど、必ず埋め合わせしますから。どうか、今回はカンベンして下さい。ハイ、ハイ。どうも済みません」
延々と電話で謝る彼に目で合図をして、僕は事務所を出た。
「モシモシ。〇〇劇場さんですか」
「ハイ、そうですけど」
「取材の者ですけど、社長さんお願いしたいんですが?」
「私ですが」
「あの、二カ月先ぐらいまでの、そちらでの踊り子さんのスケジュールを知りたいんですけど」
「申し訳ないけど、来週の番組しか決まってないんですよ。東京の仕込みの人に頼んでるんだけど、なかなか決まらないらしいんですよ。ウチで専属みたいにして踊ってたフィリピンの子も帰っちゃったしね。本当に困ったもんですよ」
「モシモシ。二カ月先ぐらいまでの、そちらでの踊り子さんのスケジュールを教えて欲しいんですけど」
「ウチは今月いっぱいで閉めるんですわ」
「済みません。失礼しました」
「取材の者なんですが……」
「そんなもん、いらん! 雑誌なんかに載ったって、なんのエエこともない!」
ガチャン!
(女性)「こんな状況なんでねえ、先のことはなにも分からないんですよ。せっかくお電話下さったのに申し訳ないんですけど、こんな状況なもんでねえ……」
「一寸先は闇や……」
(NTTの女性の声)「お客様がおかけになられた電話番号は、現在使われておりません」
ステージの上では、まだユックリとしたピストン運動が続いている。
ライトに照らされた男の白い尻を見ているうちに、不思議な気持ちになってきた。これは一体どういう空間なのだろう。
一組の男女がステージの上でセックスをして、大勢の男たちが、ある者は固唾を飲み、ある者はボンヤリとそれを見ている。
女は何も感じないのか、身をよじらせることもなく、表情を変えずに客席に視線を送っている。
かつて、知り合いの編集者が、アメリカのポルノ雑誌の編集長を連れて、いわゆるこの「マナ板ショー」をしていたストリップ劇場に行ったことがあった。その時、そのアメリカ人の編集長は、
「客と踊り子がステージの上でセックスをするなんて、信じられない。なんでもあるアメリカでも、これはない……」
と目を丸くして驚いていたそうだ。
かつて、何度か「マナ板ショー」を見たことのある日本人の僕も、だんだんとそのアメリカ人と同じ気持ちになってきた。
これはもしかしたら夢かもしれない。
やがて、ハチ巻き男のセックスは静かに終わり、パラパラと鳴る拍手を受けながら、彼はズボンをはいて客席におりた。
踊り子さんはニッコリと笑い、客席に呼びかけた。
「次の人は誰かな?」
再び男たちが立ち上がり、ジャンケンをし始めた。
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女装プレイ[#「女装プレイ」はゴシック体]◎池袋・秋葉原
[#1字下げ]1990年8月◎90年度経済白書。景気は戦後最長のいざなぎ景気に並ぶ可能性を示唆。[#「1990年8月◎90年度経済白書。景気は戦後最長のいざなぎ景気に並ぶ可能性を示唆。」はゴシック体]
「可笑しいのはね、女装してブサイクな人ほど外に出たがるの」
男たちの心の中には、多かれ少なかれ女装願望があるらしい。僕も学生時代に芝居をしていた頃、遊びで女の子にドーランでメイクをして貰い、花柄のワンピースを着てみたことがあった。なにやらゾクゾクとしたものを感じたことを覚えているが、大鏡の前に立った時、僕は慌ててワンピースを脱ぎ捨ててしまった。鏡の向うには、まぎれもなきポール牧がワンピースを着てシナを作って立っていたのだ。それ以来、僕は女装することを自分自身に禁じてきたが、最近、女装を商売にする店が増えてきたと聞いたので、編集部のM君と取材に出掛けることにした。
まずは池袋の「アクトレス」という店に行く。ここは女装プレイが売り物のSMクラブだ。普通のSMコースもあるのだが、客のほとんどは女装プレイが目当てで来るらしい。
マンションの一室にある事務所に入ると、衣装棚にズラリと並べられた女物の洋服やカツラが目についた。客はここで自分の気に入った衣装を選び、女の子とホテルに「いざ、いざ」と赴くのだろう。
女装プレイはいくつかのコースに分かれているのだが、人気のあるのは「女装レズコース」だそうだ。これは男が女装して(もちろん下着も)、女王様ならぬお姉様とレズプレイを楽しむコースで、七十分・二万四千円。これに四千円をプラスすると、お姉様がパンティを脱いでくれてアソコを舐めることができる。それにまた五千円をプラスすると、お姉様とシックスナインができるシステムとなっている。他に九十分・三万円の野外コースというのもある。これは女装した姿でお姉様と外に出て、ショッピングをしたりお茶を飲んだりするコースだ。フィニッシュは、いずれもオナニーかお姉様がバイブか手でイカせてくれる。
この店のオーナーであるマリアさんに、いろいろ話を聞いてみた。
「お客さんの年齢は、二十歳前後から五十、六十代と幅広いですよ。若い人は、マザコン、シスコンが多いわね。ウチの女の子をお母さんやお姉さんに見立てて、レズプレイの時なんかでも、『何をしてるの。しっかりしなさい!!』なんて怒られると凄く興奮するみたい。最後は『ママ、ママ!!』って叫んでイッちゃうのね(笑)。とにかく女の子に好きなように扱われて、辱められるのが好きみたい。お姉様にペニスを触られて、『どうしたの? こんなにクリトリスを大きくして! 本当に淫乱なんだから』、『イヤ、お姉様、そんな恥ずかしいこと言わないで』なんてね。
あとは『女装して犯されたい』と言う人も多いな。そういう人はアナルをバイブで犯してあげるの。ペニスがクリトリスで、アナルがヴァギナって訳ね。
最近はウチに限らず、Sコースに来るお客さんは少なくなりましたよ。Sって、お客さんが女の子をリードしなくちゃいけないでしょ。それがイヤみたい。あくまでも受け身でいたいのね。
今は家庭で兄弟の数が少ないでしょ。それでついお母さんが過保護になって、なんでもしてあげちゃうから、そういう男性が増えてきたのかしらね。
レズプレイの時の名前? もちろんつけますよ。お客さんが自分から『〇〇子って呼んでくれ』って言ってきます。初恋の人や、好きなタレントの名前が多いわね。なかには妹の名前で呼んでくれって、危ない人もいますけど(笑)。
人気のある服ですか。二年前は、テレビの『おニャン子クラブ』の影響からか、猫も杓子もセーラー服だったけど、最近はミニのボディコンが人気があるわね。やっぱり、その時に流行している服を着たいのね。服はフリーサイズやLサイズ専門の店で買って来ます。
自分で服を持って来るお客さんもいますよ。背広のズボンを脱ぐと、もう網タイツにパンティだったりして。その人は仕事中も毎日、女物の下着をつけてるんですって。
可笑しいのはね、女装してブサイクな人ほど外に出たがるの。野外プレイね。女装が本当によく似合って、その辺の女性よりキレイになる人はまず外に出たがらないわね。ホテルの部屋で、自分の姿を鏡で見てウットリしてる。ブサイクはすぐに外に出ようとする。あれは不思議よね。なんでかしら」
マリアさんの話を伺っているうちに、ふと僕も体験をしてみようかな、と思ったが、その瞬間、ポール牧がレズプレイをしているおぞましい姿が脳裏をよぎったので、僕は礼を言って引き上げることにした。
次に向かった所は、秋葉原にある「女装の館・エリザベス」である。今年で十一年になるこの店は「アクトレス」と違い、女装趣味の男性が集まり女性になって懇談をするという、サロン的な店である。
ここではM君が女装にチャレンジすることになっている。M君は二十三歳。髪を金色に染め片方の耳にピアスをしているという、一風変わった編集者だが、彼がどのように変身するか楽しみである。M君は普段は無精ヒゲを伸ばしっ放しにしているのだが、今日はツルツルに剃ってある。彼自身、ただならぬ気合いが入っていると見た。
「エリザベス」は五階建てのビルの中にあり、二、三階が女装用品売り場で、四階が着替えとメイク室、五階がサロンと写真スタジオとなっている。つまりビル全体が女装関係なわけで、館と銘打つのもうなずける。女装の要塞といった趣すらある。なぜか大きく深呼吸をして、僕たちは店内に入った。
平日の昼間だったが、もう客はけっこういるらしく、五階のサロンから聞こえてくる声が賑やかだ。
M君はまず、四階で服を選んで貰うことになった。ここで働いてるスタッフの方々は全て女性である。皆、化粧っ気もほとんどないサッパリとした女性ばかりである。その間をなまめかしく女装した男たちが、そぞろ歩くのである。つまり、今のところこの店で男の格好をしているのは、僕とM君の二人だけである。しかしそのM君も数十分後には、あちら側のお方になってしまうのだ。淋しい。
「どういう服にしますか?」
と店の女性に聞かれたM君は、
「水商売風にして下さい!」
と、きっぱりと答えた。
「できるだけ派手な写真になったほうが、雑誌が面白くなりますもんね」
と、M君は僕に言う。さすが編集者だ、と僕は答えたが、仕事のためと言うよりM君個人の趣味ではないかと、僕は内心思った。
結局M君は、白いブラジャーとショーツ、白いスリップに黒いレースのドレスを選んで貰い、それを手にして更衣室に消えた。僕はM君が着替えているところから写真に撮ろうと思い、M君を追いかけて更衣室のアコーデオンカーテンを開けようとしたら、中から、
「着替え終わってからにして……」
と言うM君の消え入りそうな声がした。それは確かに、日頃は何でもアリのM君の声だった。ああ、M君はもう変身し始めているのだ。僕は全身の肌に感動を覚え、カーテンを開けるのをやめた。
待つことしばし十数分。M君が黒いドレスを着て恥ずかしそうに現われた。M君はしきりに自分のスネ毛が濃いことを気にしていたが、それは黒いストッキングでうまくカバーされている。よかった。
「アラ、可愛いじゃない。ネエ」
と店の人は僕に言ったが、再び全身を襲った感動のために僕は答えることができなかった。
次はいよいよメイクである。M君は、
「パンティがとってもきついの」
と、僕に言ったきり、何も喋らない。何が彼の心の中で起こっているのだろうか。
化粧台の前に座らせられたM君は、メイクの女性の手で、見る見るうちに変身していった。
「はい、目を閉じて。はい、口を少し開き気味にして」
という女性の声に、M君は素直に従っている。
「若い肌ってハリがあっていいわね」
などと言われると、鏡の中でM君は嬉しそうに微かに笑う。
やがてメイクが終わり、カツラをかぶせられてM君の女装は完成した。店の女性の一人が、
「アッ、誰かに似てる。誰だったかな」
と言うと、
「ピーターでしょ」
とM君が鏡を見ながら自分で言う。
「そ、そうね、本当だわ……」
と、その女性はやや低い声で答えた。
僕は女性になったM君を連れて、五階のサロンに上がった。十人ぐらいの美女[#「美女」に傍点]が僕たちを迎えてくれた。
「アラ、キレイになったわねえ」
などと、口々にM君は声を掛けられる。新人の美女[#「美女」に傍点]は、「そんなぁ」などと言いながら恥ずかしげに俯いて、自分の履いているハイヒールを見つめちゃったりするのである。
サロンで、静さん(ここではそれぞれ店内だけの名前を持っている)という、かなり年配の方と話をした。この方は女装歴五十年という、女装の大ベテランである。戦時中、女学生ですらセーラー服を着ることを許されずモンペのようなものを身に着けていた頃、こっそりとお姉さんの持っていたセーラー服を着ていたという、剛の者だ。深夜、自分の部屋でセーラー服を着ている時、空襲警報が鳴るのが一番困ったとおっしゃる。そりゃそうだ。まさかセーラー服姿で防空壕に入るわけにはいかなかったろう。
静さんは子供の頃から女性になりたくて仕方なかったそうだ。なんで男に生まれたのかと、幾度も神を恨んだ。戦後、女性と結婚して子供を三人作ったが、その想い断ちがたく現在に至っている。
「かなわぬ夢と知りながら、生きてるうちに一度でいいから、女性になって男の人に抱かれたいの。犯されたいの」
と静さんは遠くを見つめておっしゃる。
静さんの話を伺いながら、隣に坐っているM君がやけに静かなのでチラッと見ると、彼女[#「彼女」に傍点]は取材など興味がないといった顔をして、壁にはりめぐらされた鏡に映る自分の顔をウットリと眺めている。もしかしたら僕は、M君の人生を変えてしまったのかもしれない。
そう言えば、「アクトレス」のマリアさんがこんなことを言っていた。
「男として生きるって、精神的にとっても辛いんじゃないかしら。でも、現実にはそれから逃げることができないから、こういう店に来て一時的にだけど女性になって、ストレスを解消してるのかもね。男の人って、可哀そうね」
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ロリコン[#「ロリコン」はゴシック体]◎高田馬場
[#1字下げ]1990年9月◎ソウルで分断後初の南北首相会談が開催。ソ連と韓国が国交を樹立。[#「1990年9月◎ソウルで分断後初の南北首相会談が開催。ソ連と韓国が国交を樹立。」はゴシック体]
「どうもこの趣味は、犯罪に近く見られるんで困るんですよ」
八月の或る朝、新聞をひろげると、「幼女連続殺人」の容疑者・宮崎勤の公判の記事が載っていた。彼は、「暑い。だるい」と言っただけで終始無言であったという。
もうあれ[#「あれ」に傍点]から一年が経ったのだ。宮崎が捕まった日のことは、僕もよく覚えている。あの日も暑かった。テレビに映し出された彼を見て、ちょうど彼と同じくらいに髪を伸ばしてメガネを掛けていた僕は、慌てて床屋に行き思い切り髪を短くしてもらった。当時、僕はなんの仕事もせず、一日中部屋でゴロゴロしたり、近所を散歩したりする毎日だったので、御町内の皆さんにこれ以上胡散臭く見られてはかなわない、と思ったからだ。
幼女趣味というものを、とりあえずは持ちあわしていない僕でさえそうだったのだから、宮崎と同じ傾向の趣味をお持ちの方々は、さぞイヤな思いを味わったことだろう。
テレビではお決まりの有識者たちが、ヒステリックに宮崎を分析し始めた。いわく、「ビデオに没頭するあまり、現実とビデオの区別がつかなくなったのだ」、いわく、「大人の女性とコミュニケーションが取れないため、幼女愛に走ったのだ」等々。
日本中の、ビデオマニアの息子を持つ家庭の食卓では、そのテレビを見ながらどのような会話がなされたのだろうか。
「ススムクンは大丈夫よね、お友達も沢山いるし」
「当り前だろ、何言ってんだよ」
ぐらいの会話があったことは容易に想像できる。
だが、自分の息子がビデオマニアであることは、その機材などから簡単に分かると思うが、息子がロリコンであった場合、それを家族が察するのはなかなか難しいだろう。或る日、息子のベッドの下を掃除していて大量の幼女の写真が出てきたら、多分その母親は卒倒してしまうに違いない。
僕は今まで、SMマニアや、ホモ・レズ、女装マニアなど、いろいろな性的趣味を持つ人達に会って来たが、ロリコンの世界だけは意識的に避けてきたような気がする。
僕が出版社に勤めていた頃、同じフロアにロリコン漫画雑誌の編集部があったのだが、そこを訪れる読者の男の子たちの妙な暗さに、はっきり言って嫌悪感のようなものを抱いていたからだ。日々、自分でもイヤになるほどダラダラと酒を飲んで時間をうっちゃっている僕でさえ、「コラ、君ね、シャキッとしなさい、シャキッと。ほらほら、ショルダーバッグを下げたまま人を上目使いで見ないで、床屋に行って、スポーツでもしなさい。エッなんだって? 君、言いたいことがあるならハッキリ言いなさい、ハッキリ」と、怒鳴りつけてやりたい衝動にしばしば駆られたものなのだ。
しかし、もうあれ[#「あれ」に傍点]から一年が過ぎた。いつまでもイヤだからと言って、避けてばかりもいられまい(そんなことないか)。まあ、記念と言ってはなんだが、ここは覚悟を決めてロリコンの世界にちょっとだけ触れてみよう。いきなりマニアの人に会うのは恐いので、マニアの人々が集まるので有名な、高田馬場にある「ペペ」という店に行ってみた。この店は、ロリータの写真集やビデオの販売及び製作を行っている店である。ここの社長の田中一雄さんに話を伺った。
この店を始めたのは、八年前のことです。当時も性風俗は華やかで、SM・ホモ・レズなどどんな店もあったんですけど、ロリータ関係の店だけはなかったんです。どうしても陰湿なイメージがあるんですよね、ロリコンって。昔はSMもホモもレズもロリコンも、みんな変態ということで一くくりにされていたのが、次第にSM・ホモ・レズは市民権を得るようになってきた。開き直れるわけですよ、ホモやレズは。「僕はホモだ、文句あるか」って言われれば、「文句ありません」って答えちゃうでしょ。でも、「僕はロリコンだ、文句があるか」って言ったら、「おおいに文句がある」って言われそうじゃないですか(笑)。
だったら僕がやろうじゃないか、と思ってこの店を始めたわけです。最初はサロン的な感じで発足したんです。同じ趣味の人が集まって、それぞれ少女を盗撮した写真を持ち寄って交換したりね。今のコミック・マーケットみたいな感じですね。でもそのうち、需要と供給のバランスがとれなくなってきちゃってね。マニアの提供する写真の数なんて、たかが知れてるでしょ。でもそれに対して需要がもの凄く多くなってきたんです。ある程度は予想していましたけど、ロリコンの人があんなに多いとはさすがに驚きでした。
そんな訳で、じゃあ僕らが写真集やビデオを作ろうということになったんです。場所を提供するだけじゃなしにね。
ロリコンと一口に言っても、様々ですよ。今うちに来ているお客さんは、「正統派ロリコン」と呼べばいいかな。あくまでも、現実[#「現実」に傍点]の少女の美しさとエロティシズムを追求しているわけです、写真とかビデオでね。一時、そういった人たちと、劇画やアニメ系のロリコンの人たちがごっちゃ[#「ごっちゃ」に傍点]になった時期があったんです。交流もありました。でも、劇画がすごく過激に走りましたよね。鉢植えに少女を植えちゃったり、異星人に少女が犯されたりとか……。そこまで来ちゃうと、現実の少女を追い求めている正統派は、「それは違うんじゃないか」と思うんですよ。だから、現在はその両派は完全に袂を分けてます。
現実の少女の美を追求する、と言っても、実際に追い駆け回すわけじゃないですよ。そんなことをしちゃったら、犯罪ですからね。どうもこの趣味は、犯罪に近く見られるんで困るんですよ。
あくまでも写真や、僕たちの作ったソフトなビデオ(僕たちのビデオには男とのカラミなんか出てきませんからね、勿論)を媒体として想像力を膨ますんです。その辺が、なんでもありの劇画やアニメとは違うんです。逆に言うと、ロリコン劇画・アニメファンは材料を与えられすぎちゃって、想像力が欠如しちゃうんじゃないかと思いますね。
店を始める時に、どのくらいの年齢の少女を扱えばいいのかもう一つ不安だったもので、マニアの人たちにアンケートを取ったんです。そうしたら、九十五パーセントの人たちが「十二、三歳の少女に一番エロティシズムを感じる」と回答してきました。中には、十歳以下の少女じゃなければイヤだ、と言う人もいましたけどね。そうなるとロリコンと言うより、完全な幼児愛ですね。幼児性愛とロリコンははっきりと違います。僕なりにロリータの定義づけをしてみたんですけど、それは「発毛・生理・ブラジャー」なんですね。陰毛が生え始めた、生理が始まった、ブラジャーをつけ始めた、その時期の少女がロリータなんじゃないでしょうか。つまり、子供から大人へ移行する微妙な時期の美しさですね。それと生命の神秘。ですから幼児性愛者とは違う訳です。幼児性愛者は、少女が大人になるのを拒否しているんですから。幼児愛の人は、下手すると男の子でも女の子でもどっちでもいい、ということになりかねません。幼児だったらなんでもいいわけです。アメリカの幼児誘拐なんて、そのあらわれですよね。
以前、店に男性から電話がかかってきましてね、「僕はロリコンかもしれない。十二歳の女の子を好きになってしまった」と悩んでいるんです。でも、どうも声が若いので、年齢を聞いてみたら十二歳だと言うんですよ(笑)。
「君ね、それは当り前のことなんだよ。同じ年の女の子を好きになるのは、なんにもおかしいことじゃないんだから、変に悩まないで健全に生きて行きなさい」って答えましたけどね(笑)。
いくら、十二歳がロリータだからと言って、同じ年の男の子じゃねえ、普通の恋愛ですよ。やはり年齢のギャップが無いとね。だからと言って八十歳の男性が十八歳の女性を好きになったからといって、ロリコンとは言えない。まあ難しいところですね。
ロリコンはね、大都市に多いんです。もっと大きく言い切っちゃうと、先進国にしか成立しない。別に田舎や発展途上国をバカにしているわけじゃないですよ。でも、先進国の都会の女の子って可愛いじゃないですか。ファッションもしゃれてるし。だからこそ美を感じるわけです。アフリカに行って裸足で走り回っている女の子を見たって、ムラムラとは来ませんものねえ。
ロリコンになる理由はいろいろあると思うんです。お母さんやお姉さんを見ていて、大人の女性に絶望したとか、同世代の女性とつき合ってて、ひどい仕打ちをされたとか。それで成人した女性に嫌悪感を覚え、何も知らない少女に、本当の意味での心と体の美しさを求めるようになるんでしょうね。
僕が、こんなことを言っちゃいけないと思うんですけど、彼らは「勘違い」をしていると思うんです。十二歳の女の子とセックスをして楽しいですか。「ワーン、痛いよ」と泣き叫ぶ女の子とセックスをして楽しいですか。やはりセックスというのは、引いては押し、押しては引いて、という大人同士の駆け引きが楽しい訳でしょ。十二歳の女の子とセックスをしても、彼女等が喜ぶと思ったら大間違いです。そのことに気づけば、彼等も卒業できると思うんですよ。
田中さんは、「今の男性はあまりにも疲れ過ぎている」と言う。僕も、そうだろうな、と思った。「そうじゃない、何を情けないことを言っているんだ」という男は、たまたま今の時代に強いだけだ。確かに、自分に対して変に強い自信を持っている男というのは、なにか胡散臭い。どこかでシッペ返しをくらうような気がする。
しかし、何があったか知らないが、短絡的に「成人した女性に失望」しちゃいけない、と僕は思う。僕自身、前記したように実にだらしなく生きているが、たかが女性に失望して自分を閉ざしてしまうようじゃ、これからの人生はもう大変だぞ、と思う。もの凄い大金持ちじゃない限り、僕たちには現実がついてまわるのだから。
僕は女が大好きだ。たまには尊敬さえしたりする。そして、僕は好きな女とつき合う時、がっぷり四つに組み合って、「恋愛」をしたいと思う。要は、その好きな女に向かって、「愛してる、大好きだ!!」と言えばいいだけの話だ。それでフラれれば、一週間ぐらい、ワンワンと泣けばいい。
簡単に、自分の中に永遠に続く傷を残すものじゃない。
いい年をして、十二歳の女の子に性欲を感じるんじゃない!!
「でも僕らがいなかったら、あの彼らのエネルギーはどこへ行っちゃうと思いますか? 恐いですよね」
と、田中さんは言った。
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ダッチワイフ[#「ダッチワイフ」はゴシック体]◎上野
[#1字下げ]1990年10月◎ドイツが国家統一を実現。ゴルバチョフソ連大統領にノーベル平和賞。[#「1990年10月◎ドイツが国家統一を実現。ゴルバチョフソ連大統領にノーベル平和賞。」はゴシック体]
「エイズ騒動で、またダッチワイフが見直されてきましたね」
まず、次の心優しい文章を読んで頂きたい。
「この娘達一人一人が私どもの手元で成長し、なにかのご縁で皆様のところに嫁いで行く日、それは花嫁の親として私たちの新しい責任の生まれる日でもあります」
なんかよくわからないが、並々ならぬ情熱だけは伝わってくる文章である。これは別に生まれる子、生まれる子が全部女の子だったお父さんがやけくそになって書いた挨拶状ではない。実はオリエント工業というダッチワイフを専門に作っている会社のパンフレットに載っている文章なのである。娘達[#「娘達」に傍点]というのは勿論ダッチワイフのこと。
この文章に導かれるように、僕は早速その娘達に会いに出掛けた。
上野のビルの二階にあるオリエント工業の店は意外に狭かった。ドアを開けるといきなり二人の娘達[#「娘達」に傍点]が目に飛び込んで来た。二人ともネグリジェ姿で立ったままガラスケースの中に入っている。それぞれ「面影」に「影美」と名前がついている。面影ちゃんのお値段は十五万八千円、影美ちゃんは十九万二千円也。
ダッチワイフというと、空気を入れて膨らませるビニール製のものばかりイメージしていた僕は、マネキン人形のように直立しているお二人を見て意外な気がした。
「ああ、大人のオモチャ屋さんに一〜二万ぐらいで売ってるやつですね。私たちは、ああいうものじゃどうしようもない、もっといいものを作ろうと考えて、十五年前にこの会社を始めたんですよ」
販売を担当しているというRさん(男性)が説明してくれた。
「脳神経科医で佐々木さんという人がいるんですが、この人が精神障害者や身体障害者の性欲の問題でひどく悩んでいたんです。いくら精神や身体に障害があっても、体は成長し、当然性欲もそれとともに大きくなります。しかし、それを解消する場所なり機会は、今の日本ではなかなかありませんよね。そのために、いろいろ悲惨な事件が起きているんです」
Rさんの話によると、そういった障害児を持つ或る母親は、自分の息子が体の奥から衝き上げてくる性欲の衝動に日夜苦しんでいる姿を見て思い悩み、ついに息子の前で体を開く決心をした。自分が息子に抱かれることで少しでも息子の性欲に歯止めがかかれば、と思ったのだろう。これだけでも悲しい話であるが、現実はもっと残酷だ。会社からいつもより早く帰って来た父親が、自分の妻と息子が裸で抱き合っている姿を目撃してしまったのだ。その母親は自殺してしまった。実になんとも、やるせない事件である。
「そしてその佐々木さんはそういう人たちの為にダッチワイフを作ってみてはと考え、今のうちの社長と相談してオリエント工業ができたんです」
それまでも、ダッチワイフが無かったわけではない。
「でも、それらはいわゆる、さっきあなたがおっしゃったようなビニールを膨らまして使用するものばかりだったんです。あれはすぐにパンクしちゃうんですよ。特に身体に障害のある方の中には、自分の手で自分の体を支えられない人もいますよね。そういう人は全体重を人形にかけてしまうんで、一発で壊れてしまうんです。せっかく買ったのにねえ。だからかなりの体重がかかっても壊れないものにしようと、最初は人形の腰の部分を強固なものにしたダッチワイフを作ったんです。他の部分はまだビニールでしたけどね」
しかし、現在の日本の法律では、いわゆる性具、つまり性欲の解消もしくは性交のために用いる道具を作ってはいけないことになっている。それで、大人のおもちゃ屋の店頭にあるバイブレーターも、コケシや亀などの形をして、飾り物として売られている。「お部屋の装飾品として最適です」というわけ。「ですから、ダッチワイフも法律にひっかかる可能性があるんですよね。法律には、『性具を作って売ってはいけない』とあるだけで、具体的に性具とはどういうものか説明されてないんでアイマイですし……。
それで、販売する相手を限定したんです。一級と二級の身障者にしか売らない、と。つまり重度の身障者にしか売りませんよ、というわけですね。まあ本来の目的自体がそうだったんですけど。通販の場合も、身障者手帳のコピーを送って貰って販売してました。
その頃からいろいろな商品の通信販売が盛んになってきたんですが、送ってきた商品に不満があると、すぐに消費者センターに文句の電話が入るんですよ、お客様から。そしてその件数が多いと消費者センターから警察に連絡が行って、そのメーカーはチェックを受けるんですけど、ウチの場合その苦情が一件もなかったんです。それで警察にも信用ができたと思いますよ」
そのうちに、身障者以外の人達からも問い合わせが殺到し始めた。たいして宣伝もしていなかったから、口コミで伝わっていったのだろう。
「それで、お客様の対象をじょじょに広げていったんです。身障者じゃなくとも、六十五歳以上ならいいじゃないか。六十五歳以下でも独身者ならいいじゃないか。結婚していても、単身赴任者ならいいじゃないか、という具合に。今はほとんど条件はありませんね。
昔は当初の目的が目的だったので、お客様一人一人の話をジックリと聞いて相談にのってお売りしてたんですが、今は逆に特別な場合を除いてはあまりお客様のことを調べたりはしないようにしています。あんまり根ほり葉ほり聞かれたら買いづらいですものね」
十五年間、改良に改良を重ねて、現在は前記した面影ちゃんと影美ちゃんの二体が売られている。
「パンフレットにも書いてありますが、佐々木さんは自分の作ったダッチワイフは本当の自分の娘のようだ、と常々言っています。お客様がお買い上げになる時は、『幸せになれよ、可愛がって貰うんだぞ』と呟いて送り出すんですよ」
面影ちゃんは、本物の人体と同様に、骨・内臓・筋肉・皮膚にみたてた四層から成っており、この構造が人間同様の感触を作り出しているそうだ。中心からの三層は窪みやしわに対して四〜九秒で素早く元のボディラインを取り戻す。
失礼して僕も面影ちゃんの八十八センチのオッパイを触らせて貰ったが、ムニュッと弾力がありなかなか気持ちが良かった。
ただ、面影ちゃんのオッパイを揉んでいる僕を見るRさんの目つきがなんか悲し気だったので、僕はすぐに手を引っ込めてしまった。Rさんの恋人か娘さんをRさんの目の前で凌辱しているような気になったからだ。そう言えばこの面影ちゃんはまだ結婚前のきれいな体なのだ。まだ処女なわけだ。僕は処女のオッパイを揉んでキャッキャと喜んでいたのだ。なんて悪い男なのだろう。面影ちゃん、このことは忘れて下さい。
「この子は百二十キロまでの人なら全体重をかけても大丈夫なんですよ」とRさんが言ったので、「では小錦はちょっと無理ですね」と僕が言うと、「あの人は恋人がいるらしいからいいでしょう」とRさんが言った。小錦の恋人は面影ちゃんより頑丈なのかもしれない。
面影ちゃんの皮膚はスキンの原材料のラテックスを使用しているので、しっとりスベスベなんですよ、とRさんが説明してくれたので、「ホーどれどれ」と僕は面影ちゃんに再び手を伸ばしかけたが、今度はやめた。Rさんは心なしかホッとしたようだった。
影美ちゃんはロングセラーの面影ちゃんをより改良したもので、面影ちゃんは足が九十度までしか開かないのだが、影美ちゃんはより大胆に足を開き、手足の関節も自由自在に動くので、どんな体位でも可能なのだそうだ。つまり、面影ちゃんはウブな女の子で、影美ちゃんは床上手というわけなのね。
「今は影美の方が売れてますね。やはりお客様は、よりいいものをお求めになりますから。先日、奥さんを亡くされたという御老人が影美をお買いになったのですが、奥さんが生前着てらした洋服を着ている影美の写真が送られてきましたよ」
面影ちゃんも影美ちゃんも、ボディはフィリピン人のモデルを使って型を取ったそうだ。なるほど、スタイルがいいはずだ。背中の肩甲骨のあたりなど、人形の息遣いが聞こえてきそうだ。
Rさんは、もっと性能のいいものを作りたいし作れる自信はあると言うが、あまり値段が高くなると警察に目をつけられる恐れがあるので、なかなか踏み切れないのが現状だ。お客さんの中には、百万円出すから自分の為の特注品を作ってくれと言う人もいるそうだが、元型を作るのだけで一千万かかるので、一体だけ、というのはコスト的に無理という。
「エイズ騒動で、またダッチワイフが見直されてきましたね。アメリカとか海外に単身赴任で行かれる方など、何日に向うに着くからそれまでに送っておいてくれ、とお買い求め下さいます。インドネシアとかシンガポールなど、そういった物に規制の厳しい国には残念ながら送れませんけど。或る会社など、単身赴任者の為にと、十数体まとめてお買いになりましたよ。いい会社ですね(笑)。身障者のボランティア団体の方なども、まとめてお買いになったりしますね」
最近は、どういう客が多いのだろうか。
「それがね、若い人が多いんですよ、本当に。以前は若いお客さんなんかめったになかったんですがねえ。二十代前半の、学生風の人が買うんですよ。見た目には、普通にしていれば充分に女性にモテそうな人が多いんで、不思議に思って聞いてみると、生身の女性が恐いと言うんですな、異口同音に。ダッチワイフの方が余計なことを喋らないし、裏切らないからいいんだそうです。私がこう言うのもなんですが、モッタイない話ですよね。これも時代なのでしょうか」
ところで、ダッチワイフと生活していた人が恋人ができたり結婚することになって、人形を処分したくなった時はどうすればいいのだろうか。
「その時はこちらに送り返して貰えれば、責任を持って断裁し、夢の島に持って行きます。ただね、一体一体に、お客様の思い入れがつまっていると思うと、正直言って処分するのはちょっと恐いですね。もうただの人形じゃありませんからねえ。
一度、奥多摩の山中に、ウチの人形が首吊り自殺死体のようにして捨てられてたことがあったんです。ちゃんと靴もそろえて。ちょっとした事件になりましてね。あれは参りました」
最後に、昔から思っていたことをRさんに聞いてみた。南極越冬隊がダッチワイフを持って行くというのは本当なのだろうか。
「聞いたことはありませんね。そりゃ個人的に持って行く人はいるかもしれませんが。ただ、ダッチワイフに南極という名前をつけたのはウチが最初なんです。その後他のメーカーが南極二号とか出してきたんでやめましたけど。南極はウチが元祖なんです」
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ホテトル[#「ホテトル」はゴシック体]◎渋谷
[#1字下げ]1990年11月◎天皇、即位の礼。雲仙普賢岳200年ぶりに噴火活動。沖縄県知事に大田昌秀が当選。[#「1990年11月◎天皇、即位の礼。雲仙普賢岳200年ぶりに噴火活動。沖縄県知事に大田昌秀が当選。」はゴシック体]
「誰とであろうと、ステキなセックスができれば、もう幸せなんです」
渋谷で働くようになって、三年になります。その前は新宿のホテトルにいました。
ホテトル嬢になったキッカケですか? 借金です。或ることがあって、六百四十万円の借金を背負っちゃったんです。全部、わたしが悪いんですけどね。それまでは外資系の会社に勤めていたんですが、普通のOLの給料じゃ、とてもじゃないが返せる金額じゃない。困っちゃって母親に泣きついたんですけどね、「自分で作った借金なんだから、自分でなんとかしなさい」って言われちゃった。それで昼間は会社に行きながら、夜はホテトルで働くことにしたんです。今も会社勤めは続けてますよ。
家族は母と妹がいます。妹はもう結婚してしまいましたけど。父は新聞記者だったんですけど、或る国の戦争を取材している時に、地雷を踏んでしまい、死んでしまいました。父は中東と東南アジアが担当で、いろんな国を母と転々としていたので、わたしが生まれたのも外国です。おかげで、七カ国語が喋れるようになりました。ええと、日本語でしょ、それに英語、イタリア語、パキスタン語、インドネシア語、アラビア語、それとマレー語ですね。でも、借金もそれが災いしちゃったんですけど……。
借金は半年で全額返すことができました。別に辛くはありませんでしたよ。なにせ、一日でも早く借金を返して、安心して眠りたいという一心で働いてましたからね。それに、わたし、セックスが大好きなんですよ。誰とであろうと、ステキなセックスができれば、もう幸せなんです。
わたし、外国暮らしが長かったでしょ。だから、普通の日本人とセックス観がちょっと違うかもしれない。とにかく、セックスをエンジョイしたいんですよ。そんなわたしから言わせて貰うと、日本人のセックスはまだまだ上手じゃないわね。そりゃ、昔の男性よりは上手になったかもしれないけど、外人に比べると、まだ自分勝手なところが多いですね。
まず、キスが下手なんですよ。キスの意味を理解していない。セックスは、キスに始まりキスに終わるんですから、キスで、充分に女をその気にさせて、たっぷりと脱がせてあげないと。
キスをおろそかにするセックスなんて、考えられません。
わたしと同じようにホテトルで働いている女性や、ソープで働いている人の中には、体は許しても唇だけは許さないって言う人が多いけど、わたしはお客さんともたっぷりとキスをしますよ。
だって、たとえ間にお金の取り引きがあると言ったって、せっかく男と女が出会えたんですもの。そりゃ、擬似恋愛かもしれないけど、九十分なら九十分、限られた時間の中では恋人同士なんですもの。わたしとしてもたっぷりと楽しまなきゃ損じゃないですか。
でも、さっきも言いましたけど、日本人はキス一つとっても、まだまだ下手な人が多いですね。いい年をした男性でも、まだ歯をガチガチぶつけてくる人がいますもの。まるで高校生みたいにね。
だからわたし、そういう人には懇切丁寧に教えてあげるの。キスの仕方から、ペッティングの仕方、インサートのタイミングとか、腰の動かし方なんかをね。
そういうのって、外国じゃ学校の先生や親が教えてくれるんですよ。でも、日本の性教育はまだオシベとメシベのことぐらいで、そこまでは教えてくれないでしょ。だからわたしが教えてあげるの。
わたしみたいな女性がなかなかいないから、男の人たちは最初に体験したやり方が正しいと思っちゃって、そのまま直そうとしないのよね。女性を喜ばそうという気持ちが足りないと思う。自分だけイッちゃえばいいという考え方よね。
ちゃんと結婚している人だってそうなんだから、奥さんがかわいそうよ。まあ奥さんも「セックスなんてこんなもんか」と思って、感じもしないのに声を出してあげてるのかもしれないけれど、そんなのってもったいないわよ。セックスってもっと素晴らしいものなんだから。
女の体って、一人一人微妙に違うものなんだから、感じるところも一人一人違うのよ。そこのところを分からずに、どの女性に対しても同じ愛撫の仕方しかしない男性が多いですね。感じもしないところを、ずーっと舐められても女性はシラケちゃうだけですよ。変に知ったかぶりをせずに、女性に「どこが感じるの?」って聞いてみればいいんですよ。聞くことは決して恥ずかしいことじゃないんだから。感じもしない脇腹をいつまでも舐めてる方が恥ずかしいことですよ。
そもそも、日本の男性はセックスの最中にあまり喋らないですよね。怒ったような顔をして、もくもくとピストン運動をして、最後に「ウッ」とか呻いて勝手にイッちゃう。あれじゃムードもなにもあったもんじゃないですよ。もっと甘い言葉を囁かなきゃ。「愛してるよ」、「ステキだよ」、「なんて君はきれいなんだ」ぐらいでもいいんですよ。その言葉一つで、ムードが全然違ってくるんですから。
体位についてもそうですよ。わたしは正常位が好きなんですけど、女性はそれぞれ自分の一番好きな、自分に一番合った体位ってあるんですよね。どの体位もそこそこ感じるけど、最後はバックでイカせて貰いたい、とかね。
わたしはこの商売を始めて、本当にもう沢山の男性とベッドを共にしてきましたけど、二人だけですよ、「最後はどの体位でして欲しい?」って聞いてくれたの。もう感激しちゃいましたね。言葉って、そういうコミュニケーションのためにあるんですから、どんどん使わなきゃ。外人はみんな聞いてくれますよ、「どの体位でイキたい?」って。
いいこと教えてあげましょうか。わたしは正常位が好きだってさっき言いましたけど、正常位だったらなんでもいいってわけじゃないんです。わたしの場合、ピンと足をまっすぐに伸ばした状態での正常位じゃないと、オルガスムスに達せないんです。なんでかわかりますか?
わたしは、中学一年生の時にオナニーを覚えたんですけど、もちろんその時は処女でした。あのね、処女の時にオナニーを知った女性は、イク時に、足をピンと伸ばさないとイケなくなっちゃうんですよ。最初にエクスタシーを感じた時の習性でしょうね。だから今でも、膝を曲げた状態では、どんなに気持ちが良くてもアクメに達しないの。だって、一人でオナニーをしてて、わざと膝なんか曲げたりしないじゃない。
逆に、男性とのセックスを知ってから、オナニーを覚えた女性は、膝を曲げた状態でもちゃんとイクみたいですよ。
ホテトルとソープ、どっちがいいとか悪いとかじゃありませんけど、お客さんでもソープ派とホテトル派に分かれるみたいですね。この前ね、今までソープでしかセックスをしたことがないっていう男の子に呼ばれたの。そうしたら、本人はこっちに近づこうとせずに、服を脱がされるのを待ってるのね。だから、「そうじゃないのよ、シロートの女の子はそんなことしてくれないのよ。それじゃあ、本当の恋人ができた時に、相手の女の子がビックリしちゃうわよ」って、女性の服の脱がせ方からキスの仕方、愛撫の仕方なんかいろいろ教えてあげた。その子ったら、「セックスってけっこう大変なんですね」、なんて言いながら鼻の頭に汗をかいてたけど、嬉しそうだったわよ。なんかもうボランティアをしているような気分ね。セックスに今一つ自信のない男性は、どんどんわたしを呼んで欲しいわ。手取り足取り教えてあげる。結婚している人だって、わたしに教わったとおりに奥さんにしてあげれば、奥さんが大喜びすること受け合いよ。
ここって場所柄、パンク少年もお客さんに多いのよ。鎖をジャラジャラ言わせて、髪の毛を逆立てて、「俺はもう何人も女の子を知ってるんだぜ」みたいにツッパってるんだけど、みんな下手ね。いざとなるとどうしていいかわかんないって顔になっちゃって、かわいいったらないの。最後はすっかり素直になっちゃって、「ありがとうございました、自信がつきました」って帰って行くわ。
最近は、奥さんに逃げられた、とか、他の男に奥さんを寝取られたっていう男のお客さんが増えてるんだけど、話を聞くとたいてい男性が悪いわね。あまりにも奥さんを構わなさすぎるのよ。セックスをしなさすぎるの。女だって自分と同じように、いえ、自分以上に性欲があるんだから、そこのところわかってあげなくちゃ。女って、男と違って体で浮気をするんですよ。気持ちはどんなにダンナさんのことが好きでも、体もダンナさん一筋かというとそうじゃないんだから。だから、結婚している人は、ちゃんと奥さんを定期的にかわいがってあげないと駄目ですよ。
あとね、若い人に言っておきたいんだけど、コンドームが無い時に、彼女が、「大丈夫よ、今日は安全日だから」って言っても、絶対にしちゃ駄目よ。女の、「大丈夫だから」ってセリフの裏には必ず何かがあるんだから。彼女と結婚するつもりがあるんなら別だけど、そうじゃなかったらちゃんとコンドームを用意しておくことね。
わたしには、そんなに変なお客さんはつかないわね。「なんか危ないな」と思ったら、すぐに逃げてくるしね。ホテルの部屋のチャイムを押して、ドアを開けてくれない人は危ないわね。そういう人に、一回体中をガムテープでグルグル巻きにされたことがあるからね。SMプレイをしたいっていう人には、「SMクラブに行ってね」って言って断わるようにしている。わたしがしてあげるのは、せいぜいオシッコを飲ませてあげるくらいね。
とにかくわたしは、日本の男性にセックスの素晴らしさを教えるために、これからも頑張るわ。
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ニューハーフ[#「ニューハーフ」はゴシック体]◎入谷
[#1字下げ]1990年12月◎東証大納会終値は89年末の史上最高値と比べ約4割の値下げ。バブルしぼむ。[#「1990年12月◎東証大納会終値は89年末の史上最高値と比べ約4割の値下げ。バブルしぼむ。」はゴシック体]
「私は性転換をする気はないわ。……性転換をしたら、単なる女ですもの」
[#1字下げ]「プラトンは、原初の人間は両性具有者であって、その容姿は球形であり、周りをぐるりと背中と横腹が取り巻いていた、と言っている。ところが、驕慢な人間どもは神々に逆らって、天上への登攀を企てたので、ゼウスが怒って、彼らのわがままをやめさせる目的ですべての人間の身体を二つに切断した。それ以来、人間の本来の姿が二つに断ち切られてしまったので、みなそれぞれ己れの半身を求めて、ふたたび元の一身同体になろうと熱望するようになった」(澁澤龍彦『アンドロギュヌスについて』より)
東京は入谷にある「ニューハーフクラブ」なる店に取材に行った。ここには男性器を切断し女性器を作った、つまり完全に性転換を済ませた人が一人、いわゆるタマ[#「タマ」に傍点]だけを抜いている人が二人、そして、男性器には手をいれてない人が二人いる。もちろん、五人の胸は全員ふくらんでいる。
私がインタビューをした、白川今日子さん(二十二歳)はその中で、男性器はそのままの方の一人である。豊満な胸、長い髪、そして私は今日子さんの声が俗に言うオカマ声ではないことに驚いた。今までもニューハーフと呼ばれる人達に何人か会ったことがあるが、皆、容姿はどんなに女性のそれであっても、声だけはどこかに男性の匂いを感じさせたものだ。なのに彼女にはそれがない。この人にオチンチンがついてるとは信じられなかった。それどころか、この女性[#「女性」に傍点]の股間には男性器がついているのだ、と認識するとなにやらエロティックな感情に私は襲われた。これに似た感情を昔抱いたことがあるが、あれは何だったのだろうと考えた私は、すぐにそれがわかった。あれは昔、私が十代の頃に「アンドロギュヌス」について書かれた本を読んだ時に覚えた性的興奮だった。アンドロギュヌスとは両性具有者と訳される。つまり、女と男の両性を兼ね備えた人間のことだ。冒頭に紹介したように、アンドロギュヌスは古来、完全な人間の原型と見なされてきた。すなわち「アンドロギュヌスは、この上もなく人工的な性であって、二つの原理・男性と女性を混淆し、それらを互いに釣合わせるのである」。
まだ童貞だった私はこのアンドロギュヌスという存在を本の中に知った時、妙に胸がザワザワとして落ち着かなかったものだが、今私の目の前にいる今日子さんこそ、そのアンドロギュヌスではないか。まさに、人工的な性[#「人工的な性」に傍点]であり、男性と女性を混淆した[#「男性と女性を混淆した」に傍点]美しさを保っている。彼女の姿をプラトンに見せたら、プラトンは感激のあまり失神していたのじゃないだろうか。
「ニューハーフクラブ」マネージャー宮里さん(男性)の話
「最近の子は、胸を大きくするのにシリコンは使わないね。ホルモン注射だけ。昔はさ、何がなんでも大きくしたい、人より一ミリでも大きくしたいって、シリコンをバンバン入れてたけど、今の子は注射を打ってちょっとふくらめばいいやって感じね。注射は十日に一回ぐらいかな。こういうお店に入ってくる子でも二つに分かれるの。一つは、どうしても完全な女になりたいっていう子たち。もう一つはオチンチンがついてるこのままの状態がいいっていう子たち。でも、男の射精の快感を知ってる人が、性転換して女性器を作って男性とセックスできるようになっても、肉体的には欲求不満になるみたい。それなりに快感はあるらしいけど、やはり男のドピュッという快感にくらべちゃうとね……。でも精神的にはとっても満たされてるようだから、いいんじゃないかな。
ウチは普通のプレイの他に、SM・女装レズ・3Pもやってます。SMコースに来るお客様のほとんどはMの人ですね。3Pはコンパニオンが二人つきます。夫婦で来たいとおっしゃるお客様もいますけど、女が出入りすると警察がうるさいんで、女性は入れないようにしています。お客様は十代から七十代までマチマチですね。中心は三十、四十代かな。普通の風俗には飽きた方が多いみたい」
指定されたマンションのエレベーターに乗り込み、五階で降りるといきなり受け付けになっており、音楽が響き、普通のファッションヘルスのように派手だ。コンパニオンは写真とビデオで選べる。ビデオを見ていると、五人のコンパニオンが次々と出てきて、胸を露わにしながら「今日子です。チャームポイントは口とお尻で〜す」などとおっしゃるわけだ。この店のコンパニオンの条件は厳しい。まず髪が長いこと、それが自毛であること、ちゃんと胸があること、やる気があること、そして美人であることだ。「(美的に)落ちる子を雇っても指名はつかないし、かえってその子がかわいそうだからね」と宮里さんは言う。
それにしても、女装レズプレイとは一体なんだ!? 以前、SMクラブの女装レズを取材したことがあったが(これは男の客が女装して女王様とプレイをする)、この店では本来は男である二人がレズプレイをするわけだ。相手が今日子さんだとすると、どっちもオチンチンを勃起させながら、「お姉さま」、「よし子ちゃん」とかやるわけだ。頭がこんがらがってしまう。
白川今日子さんの話
「女装レズは面白いわよ。お客さんにはちゃんと女装してあげて、抱き合うの。最後は二人のオチンチンを重ねて私が二本を握って、これを束ねるって言うんですけど、束ねて私が二本を同時にしごくの。『アッ、お姉さまのクリトリスがあたしのクリちゃんに当たってる!』、『あなたのクリトリス、とっても熱いわよ!』なんて言い合いながら、二人でイッちゃうの。後は二人の精液を舐めっこしたりしてね。『お姉さまの愛液、おいしい』なんて(笑)」
解剖学的には、性別が生じるのは、その成長の最後の時期であり、男性の場合は生殖器の芽が発達し、女性の場合は萎縮したまま残る。この過程において、女性のクリトリスはペニスの痕跡器官であるとされているのだから、このレズ行為は生物学的・解剖学的に、決しておかしいことではない、と思う、のだが……。
再び今日子さんの話
「私って、女性ホルモンがよっぽど体に合ってるのね。お医者さんも、注射だけでこんなに胸が大きくなった人は初めてだって驚いてたもの。それに注射をずっと打ってると、ホルモンのバランスが崩れて季節の変わり目に体調をおかしくしちゃう人が多いんだけど、私はそんなことがないの。
私は性転換をする気はないわ。このままでいいと思ってる。だって、胸があってオチンチンがあるというこの姿がニューハーフなんですもの。性転換をしたら、単なる女ですもの。でも、最近の性転換の手術って凄いわね。手術した人に見せて貰ったんですけど、きれいにオ◯ンコが作ってあるの。その辺の女性よりずっときれい。もちろん男性ともセックスができるし、快感もあるんですって。
タマ抜き[#「タマ抜き」に傍点]した人も勃起はするのよ。射精はしないけど、透明な液がチロッと出るみたい。
私は、生まれた時からこんなだったの。女の子の服が着たくてお母さんにお願いしたわ。お母さんたら『そんなことを言ってると大きくなったらオカマになるわよ』って言ってたけど、オカマどころかニューハーフになっちゃった。
小学校一年生の時に、トイレで同級生の男子と、オチンチンをこすり合わせた。『気持ちいいのよ』って私の方から誘って。初フェラチオは中二の時。相手はやっぱり同級生。感動したわね。もう、おいしくて、おいしくて。だから、お店でもフェラチオするのが大好き。でも逆に、フェラチオしてくれるお客様も多いのよ。先日も、私がフェラチオされながらいい気持ちになっちゃって、『ダメ、イッチャウ、イッチャウ!!』って叫んだのに、その人ったら全然口を離してくれないから、悪いなと思ったけど、私、その人の口の中に出しちゃった。そうしたらその人、目を白黒させながらもゴクンて飲み込んでくれて、『おいしかったよ』って。嬉しいわね。そう言われると。
アナルセックスは高二の時。スナックみたいな所で、三十二歳の男性に誘われホテルについていったの。その頃は、すっかり女装してたから、その人、私のことを女だと思ったのね。ホテルで、実は男だって打ち明けたら、『それでもいいや』ってやられちゃったの。痛かったわぁー。その点は女性の初体験と同じね。気持ち良くなったのは、七回目ぐらいの時かな。やるたびにだんだん痛みが薄れてきて、或る日、あらっなにこれって感じで快感が襲ってきたの。それ以来、もう病みつきね。私は、普段は自分はニューハーフなんだ、女性とは違うんだ、と思ってるんだけど、アナルセックスの時だけはそれを忘れちゃう。ズン、って体の中にペニスが入って来ると、ああ私は女性なのね、女性として愛されてるのね、って思っちゃう。体位は正常位が好き。上に乗ったりバックもいいけど、正常位はちゃんと相手の顔が見えるから好き。
たまにだけど、アナルをされながら、ペニスに全然手を触れてないのに、射精しちゃう時があるの。私達はそれを『トコロテン』って呼んでいるの。後ろから押し込まれてそのままピュッと出ちゃう感じでしょ。だから『トコロテン』。『トコロテン』の時は凄い快感ね。この世のものとは思えないくらい。
ウチは時間内だったら、何回でもOKよ。ソープなんかは一回とか二回までとか決まってるらしいけど、私達はプロなんだもの。お客様が、もう満足だって言うまで、サービスするわ。それに、元々は同じ男なんだから、どこをどうすれば感じるか、手に取るようにわかるじゃない。女性とするよりいいと思いますよ。
エイズは心配ありません。店の方針で、月に一回血液検査を受けてますから、大丈夫です」
オーストラリアのある部族には、青年は一度は己れをアンドロギュヌスに化さなければ性的に成熟した男にはなれない、という宗教がある。言い方を換えれば、全体(アンドロギュヌス)としての様態を知らなければ、特殊(男性)としての様態をも知ることはできないということだ。いかがですか。あなたも本当の男になるために、現代のアンドロギュヌスに会いに出かけてみませんか?
[#地付き](参考文献・澁澤龍彦著『夢の宇宙誌』)
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幼児プレイ[#「幼児プレイ」はゴシック体]◎六本木
[#1字下げ]1991年1月◎米軍を主体とする多国籍軍がイラク軍に攻撃開始。湾岸戦争始まる。[#「1991年1月◎米軍を主体とする多国籍軍がイラク軍に攻撃開始。湾岸戦争始まる。」はゴシック体]
「幼児プレイは相手のストレスを全部こっちが背負うことだから大変なの」
今までも何度か言ってきたことだが、どうも最近の男たちのセックスは受け身になってきているような気がする。個人のプライベートなセックスまで覗きまくったわけではないが、いろいろな風俗産業を取材した限りではその傾向が強まっているのは確かだ。これはなにも女装レズや性感マッサージといった特殊なものだけに見られるのではなく、あの正当派風俗の王様・ソープでさえ、「最近は自分からは何もせず、私たちのされるがままになっているお客さんが増えてますね(某ソープ嬢談)」なのである。もちろん体位は女性上位が大人気。
こりゃ一体どうしたんじゃろか。男たちに何が起こっているんじゃろか。
それを知りたく、受け身風俗の総本山ともいうべき幼児プレイを取材した。
六本木のマンションの一室にあるSMクラブ「悦」に出向くと、丁度、幼児プレイの客がプレイ前の面接をママさんに受けていた。男は二十七、八歳ぐらいの背広にネクタイのサラリーマン風。中肉中背でメガネをかけている。いかにもおとなしそうな男だが、かといって別に恥ずかしがってるようには見えない。淡々とママと受け答えをしている。ママは渋目の和服を着た、いかにもお母さんっぽい女性。
「今日はどんなママがいいの?」
「ウーン、やっぱりキレイな人……」
「年はいつも通り三十歳前後ね」
「ウン」
「でもいつも思うんだけど、あなたのお母さんだったらもっと年上の女性がいいんじゃないの?」
「だって僕、二歳の赤ちゃんだもん。だからママも若いの」
「ああ、なるほどね。で、オムツはどんなのがいい?」
「布のやつだったらなんでもいいよ」
「呼び方は、ボクちゃんでいいのね」
「ウン」
「わかりました。じゃ、こちらの部屋で待っててちょうだい。すぐにママが来ますからね」
「あのね、僕ね、いっぱいいっぱいオッパイをしゃぶりたいの」
「ハイ、わかってますよ」
ママと喋ってるうちに、口調がすっかり幼児化した男は顔を上気させてプレイルームの中へ消えて行った。ママは女の子たちのいる部屋のドアを開けて何か話している。やがてその部屋から下着の上にピンクのエプロンを着けただけの姿の女性が出て来て、赤ちゃんの待っている部屋に入って行った。
「今のお客さんは月に一回いらっしゃるわね。昼食も弁当を作って外食はせずにコツコツお金を貯めて来るんですって。幼児プレイのお客さんはSMプレイのお客さんに比べると、お金の無い人が多いわ。仕事もバリバリやるようなタイプじゃないしね。SMのお客さんは週に一回は来ますもの」
とママが言った。
しばらく時間がたつと、プレイルームの中からかすかに、
「ボクチャーン、どうしちゃったの?」
という女性の声が聞こえてきた。続いて、
「アブアブアブ……」
と男性の声がした。
「他のSMクラブでも幼児プレイをしている所はあるけど、数は少ないわね。とにかく疲れるし大変なのよ。はっきり言えば、子供を育てたことがない人はできないわね。子供の心理がわからないと無理なのよ。でもこの商売してるコでそんな人は少ないでしょ。だから、私は子供がいるから、いろいろ女の子に教えてあげるの。
でも、教えたからって誰でも幼児プレイのママにはなれませんよ。生まれながらに母性本能がとても強い女性じゃないと駄目。女王様役の女の子はママにはなれないわ。昔は女王様でもママになれたのよ。昔の幼児プレイというのは、相手を無理矢理に赤ちゃんにさせて、お尻をパシパシ叩いてお仕置をするようなプレイが中心で、SMに近かったからね。『なんでママの言うことがきけないの!!』って感じ。客も四十歳以上がほとんどで、若い人が幼児プレイに来るなんてまずなかったわ。
それがここ数年で客層がガラッと変わっちゃったの。二十代の人ばっかり。それと共に、お客さんの求めるものがまるで変わってきた。ひたすらママに甘えたいらしいのね。叩かれるなんてとんでもないわけ。とにかく本当の赤ちゃんになりきりたいのよ。だから、SMとは全く別の世界になっちゃったのね。これじゃあ、女王様には無理よ。無条件で優しくなくちゃいけないんだから。
SMプレイなら、女王様でもM女でもプレイをしながらストレスがとれるのよ。その子の趣味にピッタリのことなんだから。でも幼児プレイは相手のストレスを全部こっちが背負うことだから大変なの。やれる子は本当に少ないわね」
ところで、「アブアブ」という声が時々漏れ聞こえてくるあの部屋の中では、現在どのようなプレイが行われているのだろうか。
「人それぞれだけど、基本的にはオムツとよだれかけを着けて、ママのオッパイを吸ってハイハイをしたりしてママに遊んで貰って、オムツの中にオシッコをしてお風呂で洗って貰う、といったところかな。
でも同じそういったプレイでも、七、八年前と今とでは随分変わってきたわ。
昔はいくら幼児になるといっても、せいぜい幼稚園どまりだったの。だからまだ言葉でのコミュニケーションができたのね。『何をして欲しいの?』と聞けばちゃんと答えが返ってきたのよ。それが今は、〇歳から四歳までになるお客さんがほとんどなのよ。もうひたすら『アブアブ』だけ。言葉のやりとりがまるでない。
それとね、昔は哺乳ビンを与えておけばよかったんだけど、今はみんなオッパイを吸いたがるわね。哺乳ビンは絶対にイヤだって。思うんだけど、今の二十代ぐらいの子で母乳だけで育てられた子って少ないじゃない。昔は電車の中でオッパイを出して赤ちゃんに吸わせてたお母さんは沢山いたけど、今は全然いないでしょ。だからオッパイの感触に憧れてるんじゃないかしら。
甘え方も変わってきたわね。昔はオンブしてとか、だっこしてとかの要求が多かったけど、今は圧倒的に添い寝ね。ママの腕枕で寝たいとか、添い寝してただただギュッと抱きしめていてくれとかさ。そのまま本当に眠っちゃう人もいるわよ。これもやはり、今のお母さんたちが添い寝とかあまりしてあげてないからだと思うわ。外に出る時も乳母車だし、自立心を育てるとかいって、早いうちからお母さんと別に寝かされたりするでしょ。だからスキンシップに飢えてるんだと思うわ。
とにかく皆さん、ものの見事に赤ちゃんに落ちる[#「落ちる」に傍点]わね。さっきのお客さん、あなたも見てたでしょ。あれで部屋に入ったら、完璧に赤ちゃんに落ちたはずよ。女の子が部屋に入ったら、ベッドの上で仰向けになって足を開いて『アブアブ』って言ってるんだから。
女の子の服装は、お客さんのリクエストによっていろいろ。普通の服にエプロンとか、さっきみたいに下着の上にエプロンとか、着物がいい、スリップがいい、ネグリジェ姿がいいとかね。みんな、自分が子供の頃に見た母親の姿を求めてるみたい。
ただ面白いのはね、全員、『キレイな人をお願いします』って言うの。『あなたのお母さんってそんなにキレイな人なの?』って聞くと、『今はブスだけど昔はキレイだった』って。そんなわけはないと思うんだけど、残ってるイメージはそうなんでしょうね。
呼び方はママが多いけど、前に『バアヤ』って呼ぶ人がいたわ。母親が病弱でずっとバアヤに育てられたんだって。
オモラシは幼児プレイをする人は全員がするわよ。布オムツの中でオシッコがジワーッと広がっていく感じがいいんだって。だから紙オムツは嫌うわね。ウンコもしたいっていう人もいるけど、その時は悪いけど紙オムツにして貰うわ。後始末が大変だもの。オムツのガラにこだわるのは年配の人。若い人はガラにまでこだわらないみたい」
ところで、この幼児プレイも一応射精産業に入ると思うのだが、そのへんについてはどうなのだろう。
「みんな、オムツをした時からビンビンに勃起してるけど、最後に射精をする人は全体の七割ね。オモラシをした後、ママが、『アラ、オシッコの出が足りないわね。じゃあママがバイブでもっとオシッコを出させてあげましょうね。マア、こんなにオチンチンを大きくさせちゃって、脱腸になっちゃったのかな』って出させてあげるの。あくまでもオシッコなのよ。射精しても、出たものはオシッコ。だって精液が出ちゃったら大人の証拠だものね。自分が大人であることは、絶対に認めたくないわけよ。
後の三割は『いいです』って言って、勃起したまま帰っちゃう。いくらオシッコだとごまかしても、やはりそれは射精なのだから、ママにそんな自分を見られたくない、という人たちね。そういう人たちは、家に帰ってからここでの自分の姿を想像してオナニーをするんだって。もうオムツをしてないし、ママもいないから罪悪感を感じずに自由にできるんだってさ」
ところで、なぜ幼児プレイに男たちは集まるのだろうか。そして、最近の客にはどういった共通点があるのだろうか。
「甘えたいのよね。会社でも自分でものを考えることを要求されるし、人間関係においてもいろいろ考えなくちゃいけないでしょ。だからここに来て、何の思考力もない赤ちゃんに戻って、何も考えずにドップリと甘えたいんだと思うわ。彼らが唯一安心できる場所なのよ。
お客さんはさっきも言ったけど、おとなしい人が多い。会社でも弱い立場だと思う。友達も少ないし、酒も飲めない、ましてや恋人なんかいないわよね。かといって、恋人が欲しいかというと、それも違うみたいなの。同じぐらいの年の女の子は恐いし、普通のセックスには興味はないんだって。それと一人っ子がほとんど。一人っ子でもの凄く過保護に育てられたか、逆にいろんな事情で一人っ子だけど放ったらかしに育てられたかのどっちかね。とにかく問題は育った環境なのよ。
私は思うんだけど、幼児プレイに限らずSMクラブって一種の精神病院だと思うの。日本ってアメリカみたいに精神科に気軽に相談に行く習慣ってないじゃない。だから、ストレスが溜って精神的にバランスが崩れそうになるとこういう所に来るんだと思うの。お客さんによく言うのよ、ここで払うお金は治療費だと思いなさいって」
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吉原ソープ街[#「吉原ソープ街」はゴシック体]
[#1字下げ]1991年2月◎多国籍軍がイラク、クウェートに進攻。ソ連、ワルシャワ条約軍事機構の廃止を発表。[#「1991年2月◎多国籍軍がイラク、クウェートに進攻。ソ連、ワルシャワ条約軍事機構の廃止を発表。」はゴシック体]
「ソープで働く女の子は減ってきましたね。いろんな風俗店ができましたから……」
恥ずかしながら、吉原という所へ、今まで行ったことがなかった。住んでいる場所の関係で、ソープといえば新宿ばかり。「やっぱり吉原はいいぜ」という話を聞く度に、一度行ってみたいと思いながら、来たるべきその日のために二軍で練習をするような気分で新宿へ通っていた。
吉原には一軍というか、本場というイメージがある。落語や時代小説で吉原の名に触れる度に、やはり伝統のある場所なんだ、僕なんかはまだまだとてもとても、という気持ちになっていた。
だから僕はいささか緊張しながら、鶯谷の駅に降り立った。若手落語家の新作落語ばかりを聞いていた男が、ひょんなことから国立演芸場に志ん朝を聞きに行くことになってしまった気分といえばわかって貰えるだろうか(わかんねーよ)。
吉原は最寄りのどの駅からも歩くにはちょっと遠い所にあるので、タクシーで行くことになる。店に電話を入れれば車で迎えに来てくれるのだろうが、今回は取材が目的だから遠慮することにした。
タクシーに乗り込み行き先を告げると、運転手氏が「ポン引きには気をつけて下さいよ。ちょっとでも言葉をかわしたら、たちまち引っぱりこまれるからね。なにせあいつら、お客さんを乗せて行くと車の前に立ちはだかって動かねえんだから。恐いですよォ」と言った。それを聞き、僕はたちまち不安になった。はたして目的の店にまでたどり着けるだろうか。こりゃ、店の場所をちゃんと確かめて、わき目もふらずに直行しなければ。
運転手氏が言っていたようなことはおこらず、僕は簡単に取材をOKしてくれた店に到着した。店長さんにそのことを言うと、店長さんはちょっと不愉快そうな顔になり、「その運転手さんはずっと昔のイメージで喋ってるんじゃないですかね。今はどの店もそんな強引な客引きはやってませんよ。そりゃ一応声だけはかけますけど」と言った。
まだ夕方前だったが、待合室には客が七人いた。同じ会社のものらしい茶封筒を持ったサラリーマンの三人連れが、お互いに話もせず並んで座っていたのがおかしかった。ここで抜いてから会社に戻るのだろう。それとも今日は直帰なのかな?
七人がボーイさんに呼ばれて次々と姿を消したので、その待合室で店長さんに話を聞くことにした。テレビでは子供向けのアニメをやっていた。
最近の景気について
「ウチだけじゃなく、吉原全体としてもだいぶ落ち込んできてますね。原因はいろいろあるんでしょうけど、一番大きいのは湾岸戦争でしょう。お客さんのほとんどがサラリーマンですから、戦争からくる経済的影響がもろにこういう所でも出るんですよ。今は日本だけの企業じゃありませんからね、外資系の会社では接待費が使えなくなったとか、そういうのが大きいですね。一番の稼ぎ時の十一月、十二月、一月にぶつかっちゃいましたから、これは痛いですよ。そしてこれからは、ただでさえ数字の落ちる二月、三月ですから、どうしようもありません。
よくニッパチと言って二月、八月は客足が落ちると言われてますが、ここ数年は三月、九月がひどいです。二月は日が少ないから数字が出ないだけで、本当にきついのは三月なんですよ。子供の入学費とかで(親が)いろいろ大変なんじゃないですか。
それにしても早く戦争が終わって欲しいですね。フセインは知らないでしょうね、私たちがこんなに苦しんでるなんて。罪なことをしてくれますよ」
エイズについて
「エイズ騒動ね。あの時は本当に大変でした。今でも覚えてますよ、三年前の一月二十日。テレビで、神戸の風俗嬢がエイズで死亡したというニュースが流れてね。私はその頃別の店にいたんですが、次の日から客足がバッタリと途絶えました。そりゃまあ見事なほどに。吉原だけじゃなく、全国のソープがそうだったんじゃないですか?
お客さんから電話はどんどん入るんですけど、『今から行く』っていう電話じゃないんですよ。『この前そっちに遊びに行ったけどエイズは大丈夫なのか?』とか、『遊びに行きたいけどエイズが心配だから、大丈夫だという証拠を見せて欲しい』とかね。証拠を見せろと言われても、『ウチは絶対に大丈夫ですから信用して来て下さい』と答えるしかないじゃないですか。
そりゃ気持ちはわかりますよ。独身の人はこれからのことがあるだろうし、妻子持ちの人は家庭には迷惑をかけたくないと思うでしょうしね。
とにかくお客さんも店もパニック状態に陥りましたね。
それと、お客さんが来ないのは勿論大変でしたが、もっとショックだったのは女の子が次々にやめていったことでしたね。これは大問題ですよ。たまに客が来ても、相手をする女の子がいないんですから。
毎日毎日、いかに女の子をとどめるかで必死でしたよ。そのためにはエイズの正しい知識を得なくてはと勉強しまして、女の子を説得するんですよ。エイズに感染するのはホモと麻薬患者がほとんどなんだから、ソープで感染することはないんだ、とかね。でも、その時は納得してくれるんですけど、次の日から顔を見せなくなるんです。こっちが大丈夫だ大丈夫だって強調すればするほど、女の子の不安感を増しちゃうのかなって反省したりしてね。
そんな状態が何カ月も続いたんですから、はっきり言って死活問題でしたね。
立ち直るのには、半年ぐらいかかったでしょうか。早くエイズの特効薬が作られるといいですね。私のカンですと、もうすぐ発見されるような気がするんですが、医学状況はどうなってるんでしょうか?
女の子の定期検診ですか? 勿論やってます。こういったお客さん商売なんですから、それは店としても女の子一人一人にしても、当然の義務なんじゃないでしょうか。私はそう思うけど、違いますか?」
女の子について
「店には現在十五〜十七人の女の子がいます。原則として、二日出て一日休みです。でもハードな仕事ですから、女の子の体調の都合とかでローテーションが狂ってきますから、スケジュール調整が大変です。それぞれの生理休暇もありますしね。
女の子の集め方ですか? ウーン、一番むずかしい質問ですね。どこまで話していいのかな(笑)。ウチで働いてる子の紹介とかね、別の風俗業からのとらばーゆ[#「とらばーゆ」に傍点]とか、ま、いろいろですね。よその店からの引き抜きなんてやってませんよ。その子が自分の意志で、ウチで働きたいと言ってくるなら別ですけど。それにしても、ソープで働く女の子は減ってきましたね。いろんな風俗店ができましたから、散らばっちゃうんでしょうね。それに、フリーターって言うんですか、ソープほど高額じゃないんだろうけど、結構高い給料を貰えるバイトが沢山あるようだしね。
だから、面接に来る子でズブの素人は本当に少ないですよ。ほとんど以前に経験のある子ですね。
仕事の教え方? ああ、講習ですか。講習は私がやったり、マネージャーがしたり、フリーの講師という人もいますしね。ええ、いろんな店から呼ばれて、女の子にテクニックを教える人です。そういう職業もあるんですよ。
それにしても最近は女の子のやめるサイクルが短かくなってきました。以前は同じ店に二年とか三年いる子がいたものですが、今は一年もったら長い方ですね。大抵、二、三カ月でやめていきますよ。
これは、重いものを背負った子が少なくなったことも関係あると思うんです。昔は、親とか亭主がサラ金で何千万も借金をしたとか、そういうキッチリとした重い理由があって仕方なく働く正統派が多かったんですけど、今はもっと贅沢がしたいとか、海外旅行の資金集めとか、そんな理由で働いてる子がほとんどですから。長続きするわけないですよ。やっと仕事も覚え客もつき始めたころに、『やめます』ですからたまりませんよ。こういう仕事ですから、強く引き止めるわけにもいきませんし。採用する度に、せめて一年続いてくれと心の中で祈ってますよ。
吉原の女の子は、北海道・東北・北陸と、北国の人が多いです。西はあまりいないな。
結婚するからやめる、という子もたまにいますよ。そういう時は本当に嬉しいですね。店中で祝って送り出しますよ。まあ、結婚式に呼ばれることはありませんがね(笑)。実際、みんながそういう理由でやめていってほしいですね。でも、一度こういう世界に足を踏み入れちゃうとなかなかね……。
月収は、少ない子でも二百万はいくでしょうね、ウチの場合。高級店はもっと貰えるんじゃないかな。そのくらいハードな仕事だということですよ」
男性従業員について
「働きたいという問い合わせは多いです。かなりの年配の人からも電話があります。でも、労働時間が昼の十二時から夜の十二時と長いし、休みも月に三日程度ですから、高年齢の人にはちょっとキツイですね。やはり二十代から三十代ということになりますか。
ボーイさんたちは、通勤は認めてません。吉原は御存知のようにどの駅からも離れてますから、通勤は厳しいんですよ。家が吉原の近くなら別ですけど。ですから全員寮に入って貰います。店が用意したマンションですけど、二人一部屋ですね。仕事は、電話予約・接客・駅までの送迎が主ですね。
昔は女の子がボーイさんにチップを渡したり、御飯を食べさせてやったりしたらしいですけど、今はそういうことはないですね。私もサラリーマンをやめて、六年前にこの世界に入りましたが、そういう経験はありません。
そのかわり、月に一、二回ですが、女の子とボーイさんを集めて食事会を開いてます。同じ職場で働いていても、顔を合わせることがなかなかないですからね。そうやってチームワークを強めていくんです」
店を出ると、外はもう夜だった。ズラリとソープランドのネオンが輝き並んでいる。車道わきの下水から湯気がもうもうとたっていた。
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性感マッサージ[#「性感マッサージ」はゴシック体]◎池袋
[#1字下げ]1991年3月◎広島市の新交通システム工事現場で鋼鉄製橋桁が落下、14人が死亡。[#「1991年3月◎広島市の新交通システム工事現場で鋼鉄製橋桁が落下、14人が死亡。」はゴシック体]
「わたしはとにかく、男の人が喜んでくれる顔を見るのが大好きなのよ」
一人の少女がいた。彼女は幼い頃から音楽が大好きで、エレクトーンを習っていた。最初は親の強制だったが、上達するほどにエレクトーンが好きになり、やがては暇さえあれば少女はエレクトーンを弾くようになった。エレクトーンの奏でるリズムが、それを演奏する自分の体の中で心地良く響き通り抜けていくのが、少女は好きだった。一生、エレクトーンを弾き続けられればいいな、と思っていた。
エレクトーンを弾きながら、少女の胸はふくらみ始め、陰毛が生え、少女の体は大人の女のそれとなり、高校を卒業した彼女は一人の男と恋愛をし、結婚をした。十九歳の時だった。周りの人間は早すぎると反対したが、彼女は自分の幸福を信じ、男と一緒になった。だが、その夢は長続きせず、彼女は二十三歳で再び一人になった。これからは一人で生きていかなくてはならない。反対を押し切ってした結婚だから、プライドの強い彼女は親に頼るわけにはいかなかった。
彼女は池袋のクラブでエレクトーンを弾き始めた。酔客のがなりたてる歌の伴奏である。屈辱的なことも度々あったが、それでも彼女は幸せだった。自分の好きなエレクトーンで食べていける。こんな幸せなことはなかった。
だが、世の中ではカラオケが大ブームとなっており、やがて彼女の働いていたクラブにもカラオケが導入され、彼女はお払い箱となった。
「どうしようって思ったわ。自分にできることはエレクトーンしかないしさ……」
とにかく、生きていくためには金を稼がなくてはいけない。彼女は風俗産業で働くことを決意した。当時は今のように風俗産業が花ざかりではなく、ソープランドとピンサロぐらいしかなかった。
「ソープで働くことは考えなかったね。下のお口はさ、やっぱり愛する人のために使いたかったの」
だから彼女は上のお口を使うピンサロに勤めた。上野の「セブンスター」という、女の子が二十五人程いる大きな店だった。俗に言う「花びら回転」の元祖のような店で、店内では片足にパンティをひっかけたり、オッパイを片一方だけ出したままの女の子がヘルプにつくために走り回っていた。
「厳しい店だったの。指名されなくても、とにかく空いてる席に座ってお客さんのをしゃぶれって。それにね、店内に音楽が流れてるんだけど、四曲に一曲ぐらいスローなバラードが流れるの。その間はラブタイムと言って、曲が終わるまでは、どんなことがあってもお客さんのオチンチンを咥えてなきゃいけないの。店中シーンとなって、音楽が流れる中、ピチャピチャって唾液音だけが響いてる。ちょっとすごい光景よね」
彼女はレイコという源氏名をつけられた。結婚していた頃もめったにフェラチオなんかしたことがなかった彼女は、客を射精させればそれでいいのだろうと思い、数々のオチンチンを口にほおばっては必死に頭を上下させた。いきなり客が射精をして、思わずむせ返ることも度々だった。
「それがね、或る日、常連のお客さんに『レイコちゃんは下手だねえ』って言われたの。エッ、こんなことに上手とか下手とかあるの? って驚いちゃった」
店に入った頃はそのウブさを期待されて指名の多かった彼女だが、一カ月、二カ月がたつと次第に彼女を指名する客が減っていった。
「最初は三カ月ぐらいでやめようと思ってたのよ。でもやってるとだんだん欲が出て来るのよね。だって、わたしが一日に五十本抜くところを、他の子が指名されて百本も二百本も抜いてるんだもん。自然に入ってくるお金も差が出てくるじゃない? なぜわたしは指名されないんだろうって、くやしくなった」
店の女の子はみな二十代前半の若い娘だったが、一人だけ四十歳過ぎの女性がいた。
「顔もそんなにいいわけじゃないし、スタイルも崩れてるのに、なぜか彼女を指名する人が多かったの。なんでだろうって不思議だった。エリカさんだったかな」
疑問に思った彼女はエリカさんのヘルプにつき、エリカさんを指名した客に尋ねた。「どうしてエリカさんを指名したの?」客は答えた、「だってあの人は上手だもん」。やはり尺八にも上手、下手があったのだ。彼女はどうすればお客さんが喜んでくれるのか、その客に聞いた。
「やみくもに頭を上下させちゃいけない、って言われたの。それはフィニッシュの時でいいって」
最初の内は、咥えたまま頭を動かさずに舌を動かせ、と客は言った。
「ちょうど、ソフトクリームを舐めるようにって。ホラ、ソフトクリームを食べる時っていきなりかぶりつかずに、わきから舐めたりしながらいろいろ楽しむじゃない。あんな感じでオチンチンを舐めろって言われた」
言われた通りにペロペロと舌を動かすと、客のオチンチンがドクンドクンと脈打つのがわかった。今までは気づかなかったことだ。
「その時に初めて頭を激しく上下させてピストン運動すると、あっという間に(精液が)出ちゃったの。その瞬間、わたしは尺八に開眼したわね。考えてみれば、こっちが早く出さなくちゃと思って焦ると、その焦りがお客さんにも伝わってかえって出なくなっちゃうの。歯が当たったり、唾液も少なくなるしね。それがテクニックに自信が出てくると、余裕を持って柔らかく咥えられるし、その方が唾液もタップリ出るからお客さんは早くイッちゃうの。尺八の基本はこれね。それを教えてくれたあのお客さんには今でも感謝してるわ。他の女の子に聞いても、そんなテクニックは絶対教えてくれないしさ。女の子を育てるのは客なのよ」
基本を身につけた彼女は、日増にそのテクニックに磨きをかける。面白いように客は彼女の口中に精液を放出する。自然に彼女を指名する客が増える。
「やっと仕事が面白くなってきた。毎日、いろんなオチンチンが見れるしね。真珠を入れてるのや、クモの刺青があるのやら……」
たちまち上野の店のトップクラスに躍り出た彼女は、やがて同じ系列店である巣鴨の店に移る。そこで彼女は、風俗評論家のラッシャー三好と出会う。彼は彼女に尺八されながら言った。
「君は基本はできてる。だが、まだまだやな」
「なにが足りないんですか?」
「玉や。サオばかりじゃなく、玉も舐めなあかん!!」
ああ、まだわたしの知らない技術があったのか、と三好の言葉に頭を殴られたような気持ちになった彼女は、三好に頼み「玉舐めの秘術」を教えて貰った。
「まず、蟻の戸渡りに舌を這わせサオに向けて舐め上げるの。次に玉袋の表面を全体にわたってベチョベチョに舐めてから、玉を一つずつスッポリと口に含んで舌でレロレロってするの。玉の小さい人の場合は、二個いっしょにね」
三好の言う通りに玉舐めをした彼女は、もう充分だろうと思い、三好の玉から口を離しサオを咥えた。そこで三好は怒鳴った。
「アカン!! なんで手を遊ばせておくんや。サオを咥えながらも、玉を揉まんかい!!」
額に汗し、三好のサオを咥え玉を揉みながら、「一つのことを極めることはなんて大変なんだろう」と彼女は思った。
やがて彼女はディープスロートもマスターした。喉の奥にまでオチンチンを飲み込むのである。
「あれはね、呼吸法が難しいの。喉の奥にサオの先が達した時に、鼻からフーッと息を抜くと楽なの。でも、オチンチンが楕円形の人は無理ね。口の中が全部ふさがって息が出来なくなっちゃうから。そういう人には、『お客さんのはとっても大きいから悪いけどできません』って謝るの。大きいって言われれば、お客さんも悪い気はしないでしょ」
それまではオシボリに吐き出していた精液を飲み込む、「ゴックン・プレイ」もするようになった。
「でも、精液の濃い人は駄目。喉に引っかかって、どんなにうがいをしても取れなくなっちゃうから。それで炎症を起こす子もいるのよ。だから、まず一回出してみて、薄かったら飲んであげる」
マリアと名前を変え、メキメキと腕を上げた彼女を、ラッシャー三好は某週刊誌誌上でこう評論した。
「究極の尺八である。まさにトルネード尺八!!」
つまり、彼女に尺八をされると、龍巻にあったようにオチンチンが吸い取られてしまうというわけだ。驚いたことに、三好が彼女にトルネードの名を冠したのは、野茂英雄が登場するずっと以前である。彼女こそ、元祖トルネードなのだ。
やがて彼女は友人の紹介で、SMクラブに勤め始める。面接のつもりでその事務所に行ったら、いきなり客を取らされた。幼児プレイの客である。どうプレイしていいかわからない彼女は、とりあえずその客に尺八をして帰した。次はSの客である。当然尺八でフィニッシュ。次はMの客である。これも、どうやっていいのかわからない女王様は、奴隷に尺八をしてやった。いつもはオナニーで済まされる奴隷は、黒い皮の下着をつけた女王様がフェラチオをしてくれたので、涙を流して喜んだ。
このSMクラブでは、彼女はアヌス舐めを覚えた。
「男の人って、アヌスを舐めてあげるととっても喜ぶのよね。初めて知った。アヌスを舐めてから、アヌスに指を入れて尺八すると、たちまちイッちゃうの」
そんな彼女が、今年の二月に池袋に店を開いた。名づけて、「美療 マリア」。尺八、シックスナイン、全身奉仕となんでもありの、性感マッサージの店である。
「その前は、一年ぐらいSMクラブをやってたんだけど、いろんなアイデアを出してもすぐに他の店に真似されるし、SM人口も頭打ちになってきたから、やめたの。それで次に何をしようかと考えた時、やはりわたしには尺八しかないと思ったのね。原点に帰ろうと思ったのよ。わたしのトルネード尺八はわたしだけのものだし、これだけは誰にも真似ができないって自信があったし。わたしはとにかく、男の人が喜んでくれる顔を見るのが大好きなのよ」
マリアは今でも休日はエレクトーンをひいて過ごしている。
「尺八もね、やっぱりリズム感なのよ。最初は四拍子でユックリと始めて、エイトビートになる時はラスト。エレクトーンをやってて本当に良かったと思うわ。なにをやっても、無駄なことはないのよね」
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ダイヤルQ[#「ダイヤルQ」はゴシック体]2[#「2」はゴシック体]
[#1字下げ]1991年4月◎政府がペルシャ湾岸の機雷除去のため海上自衛隊掃海部隊の派遣を決定[#「1991年4月◎政府がペルシャ湾岸の機雷除去のため海上自衛隊掃海部隊の派遣を決定」はゴシック体]
「わたし、五歳以上年上の人じゃないと、興味ないんだ」
[#2字下げ]NTT広報部との会話
――最近ダイヤルQ2が大流行りですけど、テレフォン・セックスや売春に利用されているケースがかなりあると思うのですが、その点について、NTTとしてはどうお考えですか?
「私共としましては、回線を提供しているだけですので、その番組内容に関しては基本的に口出しのできる立場にはございません」
――中・高生がダイヤルQ2で三十万円使ったとか、五十万円使ったとかいう話をよく聞きますが?
「その点につきましては、利用する方が未成年の場合、その保護者の方から苦情の連絡が来た場合、その御家庭の電話ではダイヤルQ2はブロックするように処置させて頂いております」
――ブロックとはなんですか?
「要するに、ダイヤルQ2にはブロックされた電話ではかからなくなる、という訳ですね」
――もう一度お聞きしますけど、ダイヤルQ2にアダルト番組があったり、テレフォン・セックスに利用されていることに関してどう思いますか?
「番組内容に関するチェック機関は他にちゃんとあるんです。あとは、ダイヤルQ2を利用される国民の方々の良識を信じるしかありませんよね。でも、いい番組だって沢山あるんですよ」
――と言うと、ダイヤルQ2におけるアダルト番組は悪い番組であるとお考えなのですか?
「いや、そんなことは言ってませんよ。皆様方一人一人にとって、いい番組というのはあるわけですから。私共はただその場を提供しているだけですから……」
ダイヤルQ2が大流行である。僕は最近、北陸・四国・九州と旅行してきたのだが、どの都市でもスポーツ新聞を開くとダイヤルQ2の広告が目白押しだ。他の(?)風俗産業の広告が、隅の方で小さくなっている。電話をはじめとするそういった機械類には、めっぽう弱い僕は、なにやら電話を介してのスケベな事が流行りだしたんだな、と思って東京に帰って来た。東京に戻り、本誌編集長に、
「来月はどこを取材しましょうかね。たまにはその業界の人に話を聞くだけじゃなく、体験取材なんてことをやってみたいな」
と言うと、
「じゃ、ダイヤルQ2をやってみて。会社の電話を使っていいから」
という答えが返ってきた。
ウェーン、それじゃやっぱり人の話を聞くだけじゃないかよう!!
ダイヤルQ2の詳しいシステムはよく知らないが、どうやらアメリカで最初に始まったものらしい。
現在の日本のダイヤルQ2は、おおまかに分けて三つに分かれる。パーティ・ラインとツー・ショットと情報提供番組である。もう、こ〜んなことみんなは知ってるんだろうな。知らないのは僕くらいのもんだろうな。でも、一応説明しておくと、パーティ・ラインというのは複数の人間が電話を通じて喋れるわけ。電話を通じて仲良しグループができたりするらしい。それで、電話だけでできた友人たちとたわいもない世間話をするらしい。ツー・ショットというのは、文字通り、男と女が一対一で喋れる。その時の電話料金は、男が女の分も払う。これがテレフォン・セックスの温床となっている。情報提供番組は、阪神タイガース情報なんて間の抜けた可愛いらしいものもあるけど、人気のあるのはアダルト番組だ。一方的に女性のアッフンアッフンという声が流れてくる。これには、いろいろとバリエーションがあるみたいだけど。
早速、僕はパーティ・ラインに電話をかけてみた。土曜日の夕方のことだ。かなり込み合っているらしく、話し中でなかなか電話がつながらない。何度か電話のボタンを押すうちに、やっとつながった。「こんにちは」と言う、若い女性の声がする。十代だろうか。
「こんにちは。今、どっからかけてるの?」
「阿佐ヶ谷。そっちはいくつ?」
見知らぬ人間に、そっち、と呼ばれる覚えもないな、と思いながら、つい、
「二十六歳だけど」
と答える。本当は三十一歳なんだよ。なんで咄嗟にサバをよんじゃったんだろう。
「わたしは十七。他にこれに(パーティ・ラインに)参加してる人いるのかな?」
「いないみたいだね。僕と君だけのようだね」
「フーン、そうなんだ。今、どっからかけてるの?」
「会社から」
「会社!?」
「でも心配しないで。みんな帰っちゃって、僕一人だから」
「ケチなんだね」
なんだ、この唐突な言い方は。
「別にケチじゃないよ」
ガチャッ。
電話は切られた。後で、ダイヤルQ2をよく利用している人間にこのことを言ったら、その女の子は売春目的だったのじゃないか、と言った。会社からダイヤルQ2に電話をするような人間は、金の無い人間だと思われるらしい。
次に、ツー・ショットに電話をする。呆れるほど、電話がつながらない。
「ツー・ショットメディアセンターです。女性からの電話があなたの電話回線に接続されますので、しばらくお待ち下さい。初めて話をする相手ですので、明るく健全な会話を楽しみましょう」
とおっしゃる女性の声のテープが、エンエンと繰り返されるばかりだ。ダイヤルQ2の料金は、平均して四〜六秒で十円である。こうやっていて電話がつながるのを待っているだけで、どんどんこちらの料金が加算されるシステムだ。なるほどねえ。
元祖テレフォン・セックスの女王と自ら称している横浜の清水節子嬢のオフィスに行った。彼女は、今まで十数年の間、ボランティアのように電話による人生相談やセックスを行なってきたが、昨年の夏に横浜でもダイヤルQ2が開設された時に、NTTの勧めでダイヤルQ2に参加したのだそうだ。彼女がやっていることは、いわゆる情報番組だ。テレフォン・セックス、人生相談、テレフォン・デートとコースがわかれていて、オフィスに待機した女性たちがそれぞれのコースに応じて対処する。
清水のオフィスの中に入って驚いた。なんと、六十名ほどの女性が薄い板で仕切られたボックスの中でかかってきた電話の相手をしているのである。オフィス中で、「アン、もう勃起しちゃったの。フフッ、私もね、もうグチュグチュよ」なんて声が聞こえる。まるで、テレフォン・セックスの工場のようだ。この現場を見たら、ここに電話をかけてくる男性たちはどう思うだろうか。現在、このオフィスに登録されている女性は、百二十一人だそうだ。
清水に、ダイヤルQ2を開設するにあたって、金がいくらかかったか聞いてみた。
「一千二百万ぐらいですかね」
人件費も大変だろう。
「女の子一人当り、二十万として、二千万円かかっちゃうわよね」
そんなにお金をつかっても、ダイヤルQ2とは儲かるものなのだろうか。
「その件に関してはノーコメントです。ウフッ」
やはり、儲かるんだろうね。
「モシモシ」
本当に長い時間がたって、ようやく電話がつながった。
「こんにちは。君は、高校生?」
「キャハッ、なんで?」
「だって、こういうのを利用するのって、みんな十代の子かな、って思って」
「ヤダ、わたしは二十二歳ですよ」
「ヘエ、僕は三十一歳。君から見たら、もうオジサンだよね」
「わたし、五歳以上年上の人じゃないと、興味ないんだ」
ダイヤルQ2童貞の僕は、その時ハッキリ言って、胸がドキッとしました。
「ダイヤルQ2はよく利用するの?」
「週に一回ぐらいかな」
「どんな時にかけるの?」
「淋しい時かな」
「恋人とかいないの?」
「二週間前に別れちゃった。私の方が振ったの」
「なんで?」
「結婚しようって言われたから」
「結婚すればいいじゃない」
「いや。そんなことして、縛られたくないもん」
「仕事は何をしてるの?」
「コンピューターのプログラマー」
「ダイヤルQ2で、エッチなことを言う人はいない?」
「いる。テレフォン・セックスしようとか」
その時ですね、僕の勘違いかもしれないけど、彼女が自分の口からテレフォン・セックスと言った時、僕は彼女がヘンな気分になっているのを感じました。
「そう言われた時は、どうするの?」
「すぐに切っちゃう。面白いエッチな話だったら楽しいけど……」
面白くてエッチな話を知らない僕は、「これからも幸せに暮らしてね」と言って電話を切った。
面白くてエッチな話を知っている友人に話を聞くと、ダイヤルQ2で本当にオナニーをし始める女性がいるそうだ。「濡れてる音を聞かせてごらん」と言うと、受話器をアソコに当ててペチャペチャと音を立てたという。
うらやましい。うらやましいついでに、ダイヤルQ2のホモ専門番号にダイヤルしてみた。ここも混んでいる。なんどか電話をしてやっとかかった。その男がいきなり、こう言った。
「僕ね、もうパンツ脱いでるの」
「そ、そうですか」
「今ね、お尻に指を入れてるの。君は?」
「いや。まだ服を着てるけど……」
「ね、お願い、君も早く服を脱いで。あっ、君の声を聞いてたら、もう出ちゃいそう」
僕は慌てて「ごめん」と言って電話を切った。僕自身がオナニーの対象にされたのは、多分初めてのことだろう。驚いた。土曜日の夕方に、僕の声でオナニーしちゃう人がいるのだ。誰か知らないけど、済まなかった。しかし、歳を聞いた時、彼が「年下は嫌いですか?」と少し思いつめたように喋った言葉が印象的だった。
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シリコンボール[#「シリコンボール」はゴシック体]◎本郷
[#1字下げ]1991年6月◎雲仙普賢岳で大規模な火砕流が発生、消防・報道関係者ら約37人が死亡。[#「1991年6月◎雲仙普賢岳で大規模な火砕流が発生、消防・報道関係者ら約37人が死亡。」はゴシック体]
「ボクは性風俗の帝王ですから、なんでも聞いて下さい」
アマヤさんに会いに行きました。アマヤさんは東京は本郷のマンションの一室で、「タカラ産業」という会社を経営している社長さんです。
この会社はなにをしている会社かというと、手術をせずに包茎を直したり、ペニスを増大する器具を製造・販売している会社です。他にも、女性を悦ばすためにペニスに埋めるシリコン玉を作ったり、それをひと塗りしたら五分後には女性の膣が締まるという中国のブランド商品を扱っている。
とにかく、「ウチでできることなら、性の悩みにはなんでも応じましょう」という会社なのです。とってもマジメな会社なのですね。
僕は最初、電話でアマヤさんと話をした時に、不用意に「大人のオモチャ」という言葉を使ったら、
「ウチは大人のオモチャ屋ではありません」
と怒られてしまいました。
アマヤさんが仕事をしているマンションの部屋はウナギの寝床のような部屋で、これでもかとばかりに作業机、棚が置かれてあるので、とても狭い。狭くて、暑い。
僕がハンカチで顔の汗をぬぐっていると、スーパーでレジを打っているような秘書のオバサンが、クーラーのスイッチを入れてくれ、罐コーヒーを冷蔵庫から出して、手渡してくれました。
ジャージ姿のアマヤさんは、そのオバサンに「今日はもう帰っていいよ」と言って、僕と膝をつき合わせるようにイスに座りました。なにせ、スペースが無いのです。こんな至近距離で人にインタビューするのは初めてです。
「さあ、何を話しましょうか。ボクは性風俗の帝王ですから、なんでも聞いて下さい」
とアマヤさんは言いました。
アマヤさんは五十七歳だが、少なくとも十歳は若く見えます。目がクリクリとした、顔がふくよかな童顔で、その上にはオカッパ頭の髪の毛がフサフサとしている。小柄だが、ウムを言わせぬ迫力がある。さすが、性風俗の帝王だけあります。
「あの、こちらで作っている商品の話などを聞きたいのですが……」
と、僕が言うと、アマヤさんは、
「ハイ、ハイ、ハイ」
と、皆まで言うなという風に僕の質問をさえぎり、つい立ての向うに姿を消すと、多量の商品とチラシを持って現れました。
大小のシリコンボールや、シリコンリングにシリコンボールがついているやつとか、ギザギザになってるシリコンリングなどが、僕の前に並べられました。それぞれ商品名がついていて、シリコンボールは「男性アクセサリー」、ボール付きリングは「熊五郎」、ギザギザリングは「ヤギの目シリコン」です。
これらはどうやって使うかというと、シリコンボールは前記したように、ペニスの皮に埋め込むわけですね。よく、刑務所に入った人がブラシの柄を切って丸く削り、オチンチンに埋め込むという話を聞きますけど、あれでは硬すぎて、男女とも痛みを感じるのだそうです。その点、アマヤさんのシリコンは柔らかいのでとても具合がいいのです。一応医療用ですが、個人でも簡単に埋め込めるそうです。オチンチンの皮を指でつまんで、そこを竹串でクッと刺して、その内にボールをキュッと埋めて、あとは抗生物質を一週間も飲んでりゃ、OKなのです。
アマヤさんも勿論、ボールを埋め込んでいます。現在、十三個だそうです。本当は十六個のはずなのですが、その内三個は落っこっちゃったのです。
「埋めてからすぐに、女とセックスする機会があってね、ヤバイかなあと思いながらやっちゃったら、やっぱり取れちゃった。後から化膿しちゃってね。ボールを入れたら、一週間はやっちゃいけないね」
アマヤさんはそう言いながら、ホラ、と言い、いきなりジャージとパンツを下げて、自分のオチンチンを僕に見せてくれました。
見せて、とお願いしたわけじゃないのに……。僕が世界で一番気持ちの悪いのは、南米に棲息するイボガエルですが、二番目はシリコンボール十三個入りのオチンチンです。
「これを入れてやれば、女はヒーヒー言って悦ぶよ」
また一つ、女性がわからなくなりました。
熊五郎とヤギの目シリコンは、言ってみればシリコンボールの代わりです。このリングをペニスにはめてセックスをすれば、「女はヒーヒー」になるわけです。
「他にもいろいろあるけど、なんてったってウチの目玉商品はジャンボマシンだね」
アマヤさんは胸をはってそう言いました。ジャンボマシンとは、オシャブリを半分に切ったような物で、これを亀頭に吸い着ければ、仮性包茎は直るし亀頭も大きくなるという、画期的な商品です。特許庁の認可も受けています。
「これは、赤ん坊のオシャブリをいじくってて思いついたんです。ウチの製品は、みんな手作りですから、注文生産が間に合いません。そのくらい、売れてます」
アマヤさんの所には、全国からアマヤさんの商品を使った人たちから礼状が届けられてます。
「タカラさんにはいつもお世話になります。貴社の商品はすべてすばらしいもので、即戦力となり女が喜ぶばかりには驚きます。ジャンボマシンのおかげで小生のカサも今では九ミリ以上にもなり、友達にうらやまれる程です」
「いつもお世話になっております。私がタカラさんを一番気にいっているのは、何でもTELで話を詳しくして頂ける事です。男の弱い原因は深酒、糖尿、前立腺肥大、仕事の内容等々。アドバイスでは相手の女の状態迄聞かれ、それに合った商品を選んでもらえるので今迄大変助けてもらいました。タカラさん程その道の事を詳しく知っている方は、そういないと思います。タカラさんを知って、私は男として自信を持ちました。タカラさんは私のセックスのちえ袋だと思ってます。カリも九ミリ高くなりました」
いたれりつくせりのアマヤさんなのです。女性からの礼状もあります。
「いつも御宮宝(中国の媚薬)を送っていただき本当にありがとうございます。今同棲している彼はプレイボーイで他に数人の女性がいるのを知りました。でもタカラさんの宮宝を使ってからお前のはしまると言って最近は私を大切にして何回も求めて来ます。今、私はとても女として幸せです。いつものように個人名で局止めで一個至急送ってください。月一回は必ず買わせていただきます」
こんな手紙が、アマヤさんの元には沢山あります。みんな、アマヤさんに心から感謝しています。アマヤさんはもしかすると、とてもスゴイ人なのかもしれません。
アマヤさんは、福井県の武生という街に生まれました。小さい頃から音楽が大好きで、九歳の時からピアノを始め、十四歳の時から声楽も習うようになりました。そして、音楽で身を立てようと、高校を卒業して、大阪の音楽学校に進みます。
アマヤ少年はその一方、本で、平安時代に木を丸く削ってそれを紐で数珠つなぎにした男のオナニー道具があったことを知り、早速家にあった数珠をバラして同じようなものを作り(バチ当たりですね)、試してみたりしていました。
「驚いたねえ。気持ちがいいのなんの。手でやる時の倍は飛んだね、精液が」
この頃から、今の才能があったのですね。
ちなみに、十九歳の時に福井の遊郭でアマヤさんは童貞を失います。
「仮性包茎だったしね。アッという間に終わっちゃったよ。良さがわかってきたのは、十回目ぐらいかな」
音楽学校を中退して福井に戻ったアマヤさんは、ピアノ教室を開きました。
「教え方がうまかったからねえ、生徒は沢山集まったよ。テレビの欽ドンのオーディションにも(なんかよくわからない)、何人も送り込んだしね」
その頃の発表会の写真がまだ残っています。アマヤさんは、いかにも実直そうなピアノ教師然として写っています。
或る日アマヤさんは歯医者の待合室で雑誌で使用済みパンティの広告を見、通販というものを知ったのです。
「自分もやってみようと思い、今の熊五郎みたいなのを作ったわけよ。でも、全然売れんかった」
次に作ったのが、御存知、ジャンボマシンです。仮性包茎である自分で試してみて、アマヤさんは製品に自信を持ちました。
「でも肝心のお金が無いわけだ。それで僕は熊五郎をもって、福井の温泉芸者をヒーヒー言わせて八十万円貢がせ、前から知っていた未亡人の所に行ってヒーヒー言わせて五十万円貢がせたわけですわ」
ヒーヒー言わせた金で売り出したジャンボマシンは大当たりをし、アマヤさんは福井駅前に「艶歌」というスナックを開きました。
「当時付き合っとった女を、店のママにしました。もう僕はカミさんがおったけど、愛人を持つのは男のカイショや、の一言でシマイですわ」
ただ、その愛人には亭主がいて、アマヤさんはその亭主から大きな灰皿で頭をカチ割られることになります。
「もう、あの時は死ぬと思いました。その男、それから半月後に、本当に人を殺しましたからね」
当時のスナック内での写真がまだ残っています。パーマをかけたアマヤさんは、いかにも地方のスナックのマスター然として写っています。
昼はジャンボマシンを作り、夜はスナックのマスターと、超多忙のアマヤさんでしたが、東京の広告代理店の勧めで、東京に出てジャンボマシンを作ることを決意します。東京で長年の夢だった作曲家活動をしたい、ということもありました。アマヤさんが、五十歳の時でした。
現在、アマヤさんは日夜シリコンを削りながら、作曲家協会にも所属し、多忙ながらも幸せな日々を送っています。
アマヤさんの奥さんは福井で美容院を経営しているので東京で息子さんと二人で暮らしています。
「息子はヘビメタのバンドをやってるんです。明日もコンサートがあるんですよ」
とアマヤさんは言い、嬉しそうに、息子さんのバンドのCDや、雑誌の紹介記事を見せてくれました。
今だ現役のアマヤさんは、東京にも若い恋人がおり、月に五回は平気だそうです。
アマヤさんの顔写真を撮り、おいとましようとした僕に、
「これは撮らんでいいの?」
と言い、ジャージとパンツを降ろそうとしました。慌てて僕はアマヤさんの部屋から逃げ出しました。
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ボンデージ[#「ボンデージ」はゴシック体]◎四谷
[#1字下げ]1991年7月◎大坂地検が中堅商社イトマンの前社長ら6人を自社株取得、特別背任容疑で逮捕。[#「1991年7月◎大坂地検が中堅商社イトマンの前社長ら6人を自社株取得、特別背任容疑で逮捕。」はゴシック体]
「ラバーとかレザーの匂いには、なんか根元的な懐かしさを感じるんですよ」
SMと聞くと、つい我々は繩とか蝋燭とか浣腸器などを思い浮かべてしまうが、それらはかなり日本的なSMプレイの小道具であるらしい。ヨーロッパやアメリカのSMでは、革製品の下着や猿ぐつわで相手を拘束して、ムチなどで叩くらしい。日本では性的な目的で相手の自由を奪う時に「緊縛」するが、海の向こうでは「拘束」するわけだ。
この違いを見ても、日本人の指先がいかに器用であるかがわかる。外人に「亀甲縛り」なんかできるか(僕もできないけど)、と思わず自慢してしまいたくなるが、今回はそういう話ではない。東京にも、そういった革を素材とした服や下着、そして拘束具を販売している店があるらしいのだ。日本的なSMもいいが、たまにはそういったオシャレな感じのSMを取材してみるのもいいのではないかと思い、早速、その店を訪ねてみることにした。
その店、「アズロ」は四谷にあった。約束した時間よりかなり早く駅に着いてしまったので、焼き鳥屋に入った。かなり暑い日だったので、生ビールが生き返るかのように美味しく、青々とした枝豆に日本の夏の幸せを感じた。店内のテレビでは大相撲の中継をやっていた。生ビールを二杯飲みほす頃には、時間もせまり、体中に張りついていた汗もひいたので、僕は焼き鳥屋を出て「アズロ」へ向かった。
「アズロ」は、ビルの地下にあった。「A・Z・Z・L・O」と書かれた鉄の扉を開けて螺旋状の階段を降りて店に入った。店内は薄暗く、冷房がほどよくきいて気持ちいい。広さは、街中によくあるブティックぐらいだ。その中で、ラバーの下着やワンピース、ハイヒールやガスマスクなどが、弱い照明の光に照らされて鈍く冷たい光を放っていた。女性の歌う、けだるいフランス語の歌が、静かに流れ、ラバーのミニスカートをはいた若い女性が、ニッコリと笑って、僕に「いらっしゃいませ」と言った。ついさっきまで接していた、生ビールと枝豆と大相撲の日本の夏が、宇宙の果ての膨張のように、急速に飛び離れていくのを感じた。
「アズロ」は山崎さんという若い夫婦が経営している店だ。御主人の本職はアンティックの輸入業で、奥さんはスタイリストである。言ってみればこの店は二人の趣味の店である。
僕が店にお邪魔をした時、御主人は外出中だったので奥さんに話を聞くことにした。「どうぞ」と出して貰ったドイツの白ワインが、辛口でとても美味しかった。
――取材をしに来て恥ずかしいんですが、そもそもこちらのお店をどう定義していいか、僕にはわからないんですよ。最初、編集部の説明では「洋モノのSMファッションの店」ということだったんですけど、山崎さんを知っている人に聞くと、「SMなんて言ったら怒られるよ、アートなんだから」と言うわけです。それで、まずどう話を切り出していいかわからなくなっちゃった。
●ウーン……五年ぐらい前から、日本でもボンデージという言葉が流行りだしましたよね。私たちもその流れに乗っかろうと思って、この店を始めたんですけど、最近になってボンデージの底の浅さが見えてきたんですね。
――底の浅さとは?
●ボンデージって、結局、床にゴロッと転がった女性にラバーの拘束具をつけて、ビジュアルとしてそれを楽しむだけなんですよ。SMって、すごくメンタルなものですよね。でもボンデージにはそういった精神的な深さみたいなものがないんですよ。広がっていかない。物としての女性をラバーで拘束したら、それで終わりなんです。でも、私たちはもっと精神的なイメージの広がりが欲しいわけです。ですから私たちのやっていることは、ボンデージではなく、もっと広い意味のフェティッシュ・ファッションなわけです。こだわり、ということでしょうか。車にたとえれば、道具としてだったらコロナでもスバルでもなんだっていいわけですよね。でも、自分は絶対にポルシェじゃなくちゃイヤだという人がいるわけですよ。ポルシェじゃないと満足できない、気持ちが良くない、と。それがフェティッシュなわけです。それが私たちの場合ポルシェじゃなくて、たまたまラバーだったんですね。
――具体的には、この店の他にどんなことをやっているんですか?
●毎週土曜日の深夜に、芝浦のゴールドというディスコで、会費三千円でパーティをやっています。そこには、いろんな人がフェティッシュ・ファッションで来ますよ。若い女の子や、ペニスを切っちゃった男の人とか。みんな、そういうファッションをした自分を人に見られたいんですね。その他に、会費が八千円から一万円くらいで、もっとグレードの高いパーティも開いてます。この時は男の人はタキシード着用ですね。このパーティは秘密厳守で、絶対に公開はしません。ですから皆さん安心して、飲んだり食べたりしてますよ。みんなの見ている中で、女の子をスパンキング(SMプレイの一種で、要するにお尻などを叩くわけですね)をしたり、自然の流れの中でセックスをしちゃったりね。
――乱交パーティみたいなものですか?
●(笑)違いますよ。たまたまそういうことをする人もいる、ということです。それだけ、そのパーティに参加する人たちが安心しているということですね。ですから、誰でもが参加できる三千円のパーティと、それ以上のパーティは区別しているんです。社会的にも経済的にもグレードの高い人しか出席できないようにね。だって、誰もがポルシェに乗るようになったら、ポルシェに乗る意味が無くなっちゃうでしょ。
――フェティッシュ・ファッションとは、SMプレイのためのファッションなんですか?
●ウーン……どう言えばいいんだろう。私はね、SMは好きなんだけど、主人はSMという言葉が大嫌いなんです。主人に、「要するにSMなんですね」なんて言ったら、それだけでプッツンきちゃいますよ。彼はフェティッシュの写真やビデオも撮ってますが、その時点で彼の世界は完結するんですね。
――すると、御主人にとってフェティッシュ・ファッションの延長線上には射精はないというわけですか?
●信じたくない、認めたくない、という感じなんでしょうね。
――でも奥さんはSMはお好きなんですね?
●ハイ。主人はしてくれませんけど。どんなにお願いしても。その辺は彼と考え方がちょっと違いますね。私は、フェティッシュの向こうにはSMという行為があるのが自然だと思ってますから。でもSMって面白いですね。SMという行為は、大都市にしか発生しないんですから。こう言っちゃ悪いですけど、経済・政治・軍事的にピリピリしている都市の病気みたいなものですよ、SMは。
――文化とか文明が頭打ちになるとSMが流行するというわけですか?
●そうですね。そういった都市で暮らしている人間は、いろんなストレスが溜まっちゃうから、生きるためにはとにかく刺激が必要になるんですね。食べ物にしても、やたら辛いものが好まれたりするでしょ。田舎に住んでたら、そんな必要ないですよ。今、世界でSMがすごく流行しているのは、ロンドンと東京とベルリンなんです。三都市とも、確かに活気はあるけど、同時にその倍以上の危機感を抱えてますよね。歴史的に見ても、その国でSMが流行する第一の条件は、(豊かさが前提ですが)国家的規模の危機感なんですね。私はバンコクやパキスタンにも行きましたが、あちらにはSMなんかありません。あちらは、女性をとっかえひっかえ金で買うのが普通なんですよね。ですから、なんで一人の女性に執着してラバーの下着を着せたりするのか、不思議に思われました。ニューヨークは、別の意味で、もうSM文化はありません。あそこは暮らす街ではなくて、単に通過するだけの街になっちゃったんですよね。私の友達もみんな、ニューヨークはもう(SMは)駄目だって言ってます。
――SMって、行きつく先は死だと思うんですが……エロスとタナトスと言いますか……。
●そうですね。私もエロスと死は背中合わせだと思います。セックスをしていて、女性がエクスタシーに達する時、「死ぬ、死ぬ」と叫んじゃうのはその表れだと思います。でも、別な考えもあると思うんです。ストレスの溜まった男の人がハイヒールをはいてみたら、気分がスッキリしたとか、SMプレイをしてみたら解放されて明日への仕事の活力が湧いてきた、とかって聞きますでしょ。私は、そういう生き続けるためのエロスを信じたいですね。主人が、ハードセックスとしてのSMを嫌い、一般的なフェティッシュとファッションにこだわるのも、そんな理由のような気がします。
店の中でインタビューをしていたのだが、入ってくる客は、意外に若い女性が多い。二、三人連れで来ては、キャッキャと笑いながらラバーのパンツや下着を買って行く。男の客は、三十歳前後のサラリーマンが多い。彼らは黙って品物を慎重に選び、そして金を払って静かに帰って行く。
夜もかなり更けた頃、御主人の山崎氏が店にやってきた。やせた、芸術家タイプの人だ。僕が彼に、「射精を拒否しているんですか」と尋ねると、彼は「そんなことはない」と答えた。
「ただ、人間は頭がエクスタシーに達しないと、肉体もエクスタシーに達しないですよね。セックスとは、イメージですから。そのイメージの活性化の為に、僕はラバーにこだわるんです。ラバーとかレザーの匂いには、なんか根元的な懐かしさを感じるんですよ。深く深く、人類の昔に戻れるような」
僕が帰ろうとする頃、某女性誌の女性ライターが店にやって来て、週末のパーティを体験取材したいと山崎氏に言った。できれば、軽くSMプレイもしてみたい、と言う。山崎氏はつまらなそうに、「そんなこと、彼氏とやれば」と言った。
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ピンサロ[#「ピンサロ」はゴシック体]◎新宿
[#1字下げ]1991年8月◎ソ連で保守派がゴルバチョフ大統領を軟禁しクーデターを起こすが失敗。[#「1991年8月◎ソ連で保守派がゴルバチョフ大統領を軟禁しクーデターを起こすが失敗。」はゴシック体]
「私はね、やはりハートとハートの触れ合いを大切にしたいんです」
久し振りにピンサロへ行った。
思えば、僕が初めてフーゾクへ行ったのがピンサロだった。
今から七、八年前になるだろうか。白夜書房の『ルポルノ・マガジン』という雑誌の編集者になったばかりの僕は、落語家のピンサロ取材に同行することになった。
それまで、ピンサロはおろかソープもヘルスにも行ったことのなかった僕は、わけもわからずにカメラを持ってセックスさんの後をついて行った。
取材する店は巣鴨の「C」という店だった。まだ開店前だというのに、店の前には十数人ほどのサラリーマンが列を作っていた。皆、実直そうな顔をして、スポーツ新聞などを読んでいる。そのわきをすり抜けるようにして店内に入ると、店長さんによるボーイさんたちの訓示の真最中だった。
「ローマは一日にしてならず!!」と店長さんが言うと、横一列に並んだボーイさんたちがそれを唱和する。それを見ただけで、「僕はピンサロには勤められないな」と思ってしまった。
そうやって男たちが直立不動で怒鳴っている横で、派手なドレスを着たピンサロ嬢たちが思い思いにソファに座って、足を組んで煙草を吸いながらつまらなそうに男たちを眺めていた。
やがて、「今日も一日がんばろう!!」の一言で訓示は終わり、それと共に広い店内が薄暗くなり、大音響でディスコ調の音楽が鳴り響き、外にいたお客さんたちがドッと入って来た。
セックスさんと僕が店長さんに話を聞こうとすると、店長さんは「まあまあ、とりあえず体験してみて下さいよ」と僕たちの背中を押し、ソファに座らされた。
「エッ、一体どうなるの?」といった感じで一人で座ってると、「いらっしゃい」とミニスカートの女性が横に座り、「さあズボンを脱いで」と言った。「イヤ、僕は取材で……」などと言ってると、「なにを言ってるの、さあ、こんにちはさせて」と彼女は言い、僕のジーパンのジッパーを下げた。彼女の香りが妙に生臭かったのを今でも覚えている。
男とは弱いものだ。口では「僕は客じゃないんです」と拒むのに、体の方は拒む気配を一切見せずに五分も持たずに彼女の口の中でイッてしまった。
彼女が去り、虚脱状態でパンツを半分ずり下ろしたままでいると、すぐに別の女性がやって来て僕は再び咥えられてしまった。フェラチオをされて勃起している僕の横を、ボーイさんたちがオシボリを持って「ガンガン、バリバリ行きましょう!!」と怒鳴り歩く。なんか、パチンコ屋の中でオチンチンを咥えられているような気がしたものだった。
その日、僕は結局、三人の女性に一発ずつ抜かれた。今から考えると、あれが「花びら回転」というやつだったのですね。
その店が警察の手入れを受けて営業停止になったのは、その二カ月後のことだった。
あれから八年がたった。現在のピンサロはどうなっておるのだろうと、僕は新宿・歌舞伎町の「エアポート2」に行った。実は、その前に赤羽のピンサロにも行くつもりだったのだが、電話を入れると人の良さそうな店長さんが出て、「実は明日から営業停止なんですわ」と済まなそうに言ったので、行けなかったのだ。今も、ピンサロと権力との戦いは続いているのだ。
「エアポート2」の店内は思ったより広くなかった。平日の夕方五時過ぎに行ったのだが、客はあまり入っていないようだ。
ボックス席がベニヤ板で仕切られている。店の隅に、そのベニヤの余り板が立て掛けてあった。
「店長さんに話を聞きたい」とボーイさんに言うと、「こちらでお待ち下さい」とそのボックス席の一つに座らされた。
「オッ、これは八年前の再現かな!? パンツをはき替えてくりゃよかったな」とドキドキしながら、フカフカのソファに沈み込むように座って待ってると、僕の横に座ったのは名刺を手にした四十歳ぐらいの店長のWさんだった。もちろん男性である。世の中、そうそう甘くはないのである。
僕はその店長さんと狭いボックス席で、体をくっつけ合いながら話をした。他のボックス席では客の男がちゃんと女性にチュバチュバして貰っている。
ま、いいか。これもオツというもの。僕だって、もう若くはないんだし。
「エアポート2」は開店してまだ四カ月の新しい店である。だが、その割には巣鴨の店で感じたような活気が感じられない。なぜだろうと思ったが、わかった。流れる音楽が静かで、ボーイさんたちも歩き回って怒鳴っていないからなのだ。そのことを店長さんに聞いてみた。
「私自身がね、ああいううるさいのが好きじゃないんですわ。それに従業員が必要以上に歩き回ったら、お客さんが落ち着かんでしょう。なんかせかされてるようで。お客さんには落ち着いて遊んで貰いたいんですわ」
店長さんは、巣鴨、赤羽、池袋と、ピンサロ一筋に歩んで来られた方である。新宿はこの店が初めてだ。
「歌舞伎町は難しいです。巣鴨や赤羽だったら駅前からズラッとピンサロが並んでて、そっちの方に来る人はもうピンサロで遊ぶ客とかわかりますからね。でも、歌舞伎町は他の遊び場所が沢山あるでしょ。ソープ、ヘルス、覗き、テレクラ、飲み屋にいろいろ。だからこの町に来る人が、どこで遊びたがってるのかわからないんです。そういうお客さんを、どうやってピンサロに来させるか、頭が痛いですわ」
店長さんはそう言うと、口を真一文字に閉じた。
「そのために、何か特別なことをしているんですか?」
「特別なことはしてませんが、やはり他のフーゾクよりも値段が安いのがウリでしょうね。朝十時から夕方の五時まででしたら、四千五百円で遊べますからね。ファッションヘルスだって、今は一万円以上するでしょ。ソープになると、三〜四万円がザラですもんね。それにくらべると格安ですよ」
「エアポート2」では、入口に女の子たちの写真が並んでおり、その写真を見て女の子を指名できるようになっている。ちなみに指名料は二千円。
「やはりね、お客さんだってどうせ遊ぶなら自分の好みの女の子と遊びたいと思うんですよ。ですから、ウチは基本的にマン・ツー・マン・システムです。巣鴨なんかじゃ、今も花びら回転をやってるようですけど、私はあまりアレは好きじゃないんです。アレってなんか機械的でしょ。とにかく射精すればいい、みたいな[#「みたいな」に傍点]。私はね、やはりハートとハートの触れ合いを大切にしたいんです」
中年の店長さんが、「……みたいな」と若い女の子のような言葉使いをしたので、僕はちょっとおかしくなった。やはり毎日女の子と接していると影響されてしまうのだろう。
「苦労ですか? それはもう人間関係に尽きます。現在、二十人ほど女の子がおりますが、商品とはいえ人間ですからねえ。いやあ、難しいですわ。キャベツやハクサイと違いますからね。一人一人の性格を把握して、なだめたりすかしたりね。彼女らの生理の日も覚えてなくちゃいけないしね。お客さんから、『サービスが手抜きだ』と苦情がきたら、その子をメシに誘ってやんわりとたしなめたりね。頭から怒ったりしません。そんなことをしたら、女の子は次の日から来なくなります。実は花びら回転をやらないのは、そのこともあるんです。アレは重労働なんで、どうしても女の子の定着率が悪くなるんです。とにかく今の女の子は気まぐれですからねえ。毎日が大変ですよ。胃は痛くなるわ、円形脱毛症になるわ……」
店長さんはそう言うと、フーッと溜め息をつき苦笑いをした。よく見ると、店長さんの目の下にはハッキリとわかるクマがある。本当に苦労しているようだ。
では、男性従業員に対してはどうなのだろう。やはり僕が昔見た、あの厳しいミーティングをしているのだろうか。
「ああ、アレね。私はしません。私自身、あの軍隊式のやり方で育てられた人間ですけど、今の人にそんなことをしたら、すぐにやめてしまいますよ。なにせ、今は仕事が沢山ありますからね。少しでも楽に金が稼げる方に移ってしまいますよ。正直言って、歯がゆい思いもしますけど、時代ですから仕方ないですわ。注意しようと思ったら、やはり女の子と同じようにメシに誘ってですね、こうやんわりと、傷つかないように言ってやるわけです。一日に五回も六回もメシに行く時がありますよ。営業が始まれば、お客さんも来るし、自然に流れていくから楽ですけど、その前後ですな、しんどいのは」
その時、ボーイさんがソッと寄って来て、店長さんに「〇〇ちゃんが相談したいことがあるって言ってるんですけど」と耳打ちした。
「ああわかった、すぐに行く」と店長さんは言い、僕に向かって無言で苦笑いした。
その後、店長さんを円形脱毛症に追い込んでいる女の子たちの一人の、季実子ちゃんに話を聞いた。バストが百八センチという、二十一歳のお嬢さんだ。
「ピンサロで働くようになったキッカケ? なんとなくだね。求人誌を見てさ、金が稼げそうだな、と思って。別にイヤじゃなかったよ。いろんなオチンチンがあるんだなァ、と思ったぐらいで。
(最初に)講習(男性店員がやり方を教えること)は受けなかった。みんな必ず受けるんだけど、ワタシは最初から自信があったからね。ワタシ、今七人のセックスフレンドがいるの。その子らにいろいろしこまれてたから大丈夫。フェラチオのテクニックなんて、教わるもんじゃないわよ。遊んで身につけなきゃ、本物じゃないね。
この前さ、その子らの内の二人と、満員のスナックの中で3Pセックス、しちゃった。みんなに見られてて、凄く興奮したよ。後で見てた人たちからお金貰っちゃった。
嫌いな客? やっぱり酔っぱらいかな。全然いかないんだもん。疲れちゃうよ。
今までで一番イッた客? 四十分で四回って人が最高かな。みんな、あんまりいけないもんよ。
出勤日? まちまち。その日の気分だね。朝起きて、今日はイヤだな、と思ったら、『休みまーす』って感じ。この仕事、休みたい時に休めるからいいよね。ソープとかに移る気はないね。ソープってかったるそうじゃん。ピンサロの方が楽だよ」
そう言えば、店長さんが最後にこう言っていた。
「夜寝る時、明日はちゃんと女の子たちが約束通り来ますように、とお祈りしてから眠るんです」
店長さん、ガンバレ!!
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ホストクラブ[#「ホストクラブ」はゴシック体]◎梅田
[#1字下げ]1991年9月◎台風19号が九州から北海道まで吹き抜け死者44名。韓国、北朝鮮が国連に同時加盟。[#「1991年9月◎台風19号が九州から北海道まで吹き抜け死者44名。韓国、北朝鮮が国連に同時加盟。」はゴシック体]
「大抵ワタシらトドにコケのはえたみたいなの抱いてお金貰うてますもん」
僕は元プロレスラーの取材で大阪に来ていた。元プロレスラーは今度大阪で新しい事業を起こす。そのへんの現在の心境をインタビューしようと、久し振りに関西の地を踏んだわけだ。
東京に自宅のある元プロレスラーが宿泊しているホテルの部屋で彼と話をしていると、電話が鳴った。彼は受話器を取りしばらく話をしたあと、「それでは今から行きます」と言って電話を切った。
「僕にね、協力してくれてる女社長なんだ。五十歳くらいかな。今から飲みに来いと言ってる。どう、よかったら君も一緒に来ないか。ここだけの話だけど、社長が一発やりたがったら、君、頼むぜ」
三十分後、僕と元プロレスラーは梅田の豪華なカラオケパブのビップルームのソファに、やや小肥りだが年の割にはチャーミングな女社長を挟んで坐っていた。彼女は大阪で十店以上のブティックを経営しているらしい。乗っている車は運転手つきのロールスロイスである。彼女はケイ・ウンスクの女のなんとかという、まあ、女が一人で生きて行くのはとっても大変なんだ、という意味の歌を唄い終わると、室内電話で店の人間に「あのな、Kに電話をして、神戸のタカシを迎えによこすように言うてくれんか。そうや、あのホストクラブのKや」。
やがて、神戸のタカシが薄茶色のスーツをバッチリ決めてやってきた。身長は百八十センチはあるだろう。スリムな体で、顔はさっぱりとしたいわゆる二枚目である。
「ああ、御苦労さん。今からあんたんとこに行こうと思ったんやけど、荷物が重うてあんたに持って貰おう思うてな。ほなこれ持ってや」
社長がタカシに手渡したものは、なんとかという高級であるらしいブランド商品の小さな紙袋だった。
「ほな行こか」
女社長は僕たちに言った。
「えっ、ホストクラブって男でも行けるんですか?」
元プロレスラーが驚いたように言った。
「そりゃ男だけやったらあかんけど、女性同伴やったらかまへん。なあ、タカシ」
「はい。どうぞおいで下さい。特に社長のお連れさんでしたら、大歓迎です」
「社長なんて呼ばんとき。アケミさんでええて」
と女社長は嬉しそうに笑いながら、「取っとき」と言いタカシに一万円札を手渡した。タカシは軽く会釈をすると、黙ってそれをスーツのポケットにしまい込んだ。
Kというホストクラブは、カラオケパブから歩いて三分程のところにあった。僕たちは階段を降りて地下にあるその店に入った。店の大きなドアの前には、もうタカシから連絡が入っていたのだろう、四人のホストが女社長を出迎えに来ていた。いらっしゃいませ、いらっしゃいませ、と彼らは丁寧に女社長と僕らに頭を下げた。あやや、と僕と元プロレスラーは恐縮してしまい、同じように彼らに対して九十度の角度で腰を曲げて挨拶を返した。
店内は広かった。コの字型のソファが五十ほどあり、中央がダンス用なのだろう、大きくスペースが空いていて、その後ろで生バンドが邪魔にならない程度の音響で演奏していた。ちょっとした高級なクラブ、といった感じである。テーブルはその三分の二ほどが人間で埋められており、各テーブルに一人ないし二人のホステスがついている、とつい僕は思ってしまったのだが、いやいや、ここはホストクラブなのだ。この目の前の光景は、つまり、客である一人から二人の女性に五、六人のホストがついているわけですね。なんという贅沢。銀座のクラブ(行ったことないけど)でも、一人の客にこんなにホステスがつくのだろうか。
僕たちは、すでに準備が整っていた奥のテーブルに案内された。置かれているボトルはヘネシーだった。女社長はコの字型のソファのちょうど中央にドカッと坐り、僕と元プロレスラーは前の店のように彼女を挟んで坐った。その僕たちの両脇に三人ずつホストが坐った。皆、本当にハンサムである。先程のタカシは元プロレスラーの横に坐った。
一番年下らしいホストが、誰に言われたわけでなく皆の分の水割りを作り、その次に若そうなホストがそれをさりげなく配る。見たところ皆二十代前半だが、それなりの秩序があるらしい。
「今日はな、あんたらにおみやげがあるんや。わたし、この前香港に行って来た時に買うて来たんやけど、みんなでわけ」
女社長はそう言うと、さっきタカシに持たしていた紙袋から人数分の小さな紙包みを取り出してホストの一人に手渡した。ネクタイピンらしい。包みを広げた彼らは口々に、「社長、ありがとうございます」と言った。そのたびに女社長は「アケミさんでえぇて」と答えながら実に嬉しそうだった。
それにしても、けっこうダンディな元プロレスラーは別として、汚ないジーパン姿の僕は実に場違いだった。そう思いながら、小さくなって水割りを飲んでいると、
「大阪の方なんですか?」
と、僕の隣に坐っていたホストが声を掛けてきた。それまで無意味に緊張していた僕は初めて隣に坐っている男の顔を見た。男は、他のホストたちに比べて、見るからにふけていて顔もそれほどハンサムではなく、なんとなくポール牧に似ていた。僕は彼の顔を見て、この店に入って初めてホッとした。
「いえ、東京からなんですけど」
「私も東京なんです。こっちに来て、もう十五年になりますけどね。ア、私は加藤といいます。社長にはいつもお世話になってます」
彼はそう言うと僕に名刺を渡した。
「お店は何時からやってるんですか」
「十二時から朝の五時までです」
「男の客なんか来ることあるんですか」
「よくいらっしゃいますよ。スナックなんかで飲んでいて、その店の女の子を店が終わってから誘おうとすると、普通の店に行こうと言うと断られるけど、ホストクラブならOKみたいですね」
「女の客は、どんな仕事の人が多いんですか」
「こちらの社長のように自分で会社をお持ちの方もいらっしゃいますけど、やはり水商売で働いてる方が多いですね」
僕たちの会話を聞きつけて、女社長が口を出してきた。
「そやな。最近はホストクラブにも何をやっとるんか若い女の子が来るようになったな。わたしらは余裕があるから遊びに来るんやけど、多分あの子らはギリギリの金を使うてここに来るんやろ。他人ごとながら心配になるわ」
言われてみると、四、五人のホストに囲まれニコニコしている女性は、圧倒的に若い女性が多い。
僕は加藤さんと妙に気が合ってしまい、店が終わってから彼がよく行くという朝の七時までやっている焼き鳥屋で一緒に飲む約束をした。
僕たちが店を出る時、女社長は二十三万円をキャッシュで払い、タカシを連れてどこかに消えた。
「いやあ、楽じゃないですよ」
焼き鳥屋で加藤さんはコップのビールを飲み干すとそう言った。
「今頃タカシはあのオバンに上に乗っかられて、ヒイヒイ言ってるんと違いますか」
「やっぱり、その、店外デートみたいなものはあるんですかね」
「それが無かったら食べていけませんよ。とにかく自分の客をつかまなきゃ。店での給料なんてしれたもんですよ。ま、言うたら僕ら男の売春婦ですよ」
「でも、セックスして金が貰えるなんて、僕からしたらうらやましいなと思いますけどね」
「なにをおっしゃいますやら。五十、六十のオバン相手にチンチン立たせなあかんのですよ。さっきの社長さんなんか、ごっつうえぇ方です。大抵ワタシらトドにコケのはえたみたいなの抱いてお金貰うてますもん」
「でも、さっき店には若い女のお客さんがいっぱいいたじゃないですか」
「ああ、あの子らね。さっきは水商売と言いましたが、ほとんどはソープやヘルスの風俗の子たちです。ワタシらにとってはいい金づるですけど、とにかく暗いのがたまりません。屈折してるんでしょうなあ、ああいう商売してると。仕事でたまったウップンをワタシらではらそうとしますから、たまりませんよ。いいと言うまで体を舐めろとか言って本当に一時間もペロペロ舐めさせたり、しょうみの話、わたしのオシッコ飲んだら五十万円やると言うお客さんもいたしね」
「加藤さんは飲んだんですか」
「飲みました。こんなことを人にさせるからには、自分が仕事でよっぽど辛い目にあってるからなんやろな、と思って。ま、五十万円が欲しいのが一番でしたけど。あれはソープの子やったなあ」
「でも、トドにコケがはえたようなオバサンでも、立つんですか」
「立たせます。体全部を一切無視してですね、オメコだけを見つめるんです。オメコというのはあんまり年の差で違いがないし、みな同じようなものですからね。それをジーッと見つめて、これは吉永小百合のオメコだと自分に言い聞かせるんです。すると立ちます」
「立ちますか」
「立ちますね」
「やはり、吉永小百合ですか」
「相手の年が年だけに、やはり吉永小百合かなーと。まあ、八千草薫にも時々お世話になってますが」
「他にはどんな客がいるんですか」
「さっき男の客もいると言ったでしょ。他で飲んでてその店の女の子を連れて来るって。あれはね、その女の子にモテたいからじゃないんです。女性と同伴じゃないとウチは入れませんからね、それで女の子を連れて来るんです。彼らは僕たちが目当てなんですよ。ホストクラブに来る男の客は、ほとんどがホモですよ。だってね、普通、男が金を払って男に会いに来て楽しいですか。あなたはさっき楽しかった?」
「いや、緊張してたもんで……」
「楽しくないですよ。少なくともワタシだったらイヤだな」
「でも、そういうホモにも誘われるんでしょ? 断わるんですか」
「いえ、ちゃんと寝ます。女性とはチップが違いますからね。ホモの場合、一回で百万円はくれますからね。もう、目をつぶってお尻を差し出してですね、歯を喰いしばって痛みに耐えるわけです」
「大変ですね」
「大変ですけど、自分で選んだ仕事ですから」
「結婚はしてるんですか」
「してます。二歳の子供もいます」
「加藤さんはおいくつなんですか」
「今年で三十二歳です」
「あっ、僕と同じですよ」
「そうですか」
「ええ」
「ま、人生は辛いですけど、お互いにがんばりましょう」
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売春ストリート[#「売春ストリート」はゴシック体]◎新大久保
[#1字下げ]1991年10月ミャンマー民主化運動の女性指導者アウン・サン・スーチーにノーベル平和賞。[#「1991年10月ミャンマー民主化運動の女性指導者アウン・サン・スーチーにノーベル平和賞。」はゴシック体]
「全く迷惑な話よね。急にこんな外人の女が来ちゃってさ」
なにやら、新大久保の町が大変らしい。なんで大変かというと、町のある一角に外国からいらっしゃった春をひさぐ女性が毎夜立ち並び、それに対して大久保の町内会が彼女らを町から追い出す運動を始めて、とにかくまあ、大変らしいのだ。
ほな、ちょっとその町を覗いてみましょうか、と、僕は友人と山手線の新大久保の駅に降り立った。
新大久保といえば、ラブホテル街で有名である。新宿の歌舞伎町をトットットと通り抜けてしばらく歩くと、そこはもう新大久保のホテル街である。僕の友人が十二年前にそのホテル街のド真ん中のアパートに住んでおり、よく遊びに行ったものだが、その頃はそんな道ばたに立って男を誘っている女性などいなかった。アパートの二階の窓から外を眺めていて目につくものといえば、ラブホテルのちょっと薄暗いネオンと、何気ないふりをしながら歩いていてサッと九十度の角度で曲がり、そのネオンの下をくぐってホテルの中に消えてゆくアベックばかりだった。当時、浪人中で童貞だった僕と友人は、友人が騙されて買った朝鮮ニンジンをかじりながらその風景を見ては必要以上に逆上し、翌年の春には二浪目に突入することを決めたものだった。
その新大久保の町を十二年振りに訪れた。月曜日の夜の八時三十分である。東京は十月に入ってからほとんど雨で、その日も朝から雨が降っており、夜になっても小雨がパラついていた。
僕と友人は、とりあえず現場を見てみようと、スポーツ新聞や雑誌で報道されているいわゆる売春ストリートに向かった。
だが、その通りにはそのような女性は一人としていない。目につくのは、罐ビールを片手に何やら話し合っている肌の色が黒い男が二人と、アパートの前で集会を開いている猫だけである。
「やっぱり今日は雨が降ってるから、出て来ないのかね」
「月曜は定休日なのかな」
などと僕たちが話していると、通りの向こうから七、八人の団体が歩いて来た。老若男女、入り混じった集団だが、それぞれ肩から白いタスキをかけている。皆、なにやら重苦しそうな顔をして歩いている。彼らのタスキには、「百人町を浄化する会」と書いてあった。百人町とはこの辺の町の名前である。浄化する、とは、すなわちこの通りに毎夜立つ外人の売春婦を追い出そうということだろう。彼らの後ろには、警官が一人、これまたつまらなそうな重苦しい顔をして歩いていた。
「まいったなあ、今日は取り締まりの日なのかなあ」
「これじゃ、今日は彼女らは出て来ないね」
僕と友人は、とりあえず(何がとりあえずだかわからないが)その辺の飲み屋に入ることにした。そのウワサの通りを曲がったところに(その通りの角にも別の警官が立っていた)カウンターだけの小さな焼き鳥屋があり、僕たちはそこに入ってウーロンハイを注文した。四十歳がらみの夫婦がやっている店だった。
「最近、この辺に外人の女の人たちが立って大変なんですってねえ?」
「ああ、そうだねえ。変な町になっちゃったよ」
「いつ頃からですか?」
「三年前からポツポツと見かけたけど、今年になってから急に多くなってきたね。マスコミが騒ぐからさ、かえってここに集まっちゃうんじゃないのかねえ」
「やっぱり、東南アジアの人が多いんですかねえ?」
「いや、この辺はほとんどがコロンビア人らしいよ。コロンビア、知ってる? 南米だよ、南米」
僕が店の親父さんと喋っていると、一人の若い太った男がドアを大きな音を立てて入ってきた。
「レバーを塩で五本とね、肉ジャガとオニギリを二個、大至急に作って。あと、ちょっと電話かして!!」
男は、寡黙な奥さんからカウンターの中にあった電話を受け取り、腹立たしそうにダイヤルを回し受話器を耳に当てた。
「バカヤロー!! 今、何時だと思ってんだよ。九時だよ、九時。女はなにしてんだよ。女だよ、女!! エーッ、風呂に入ってる!? どうしようもねぇなあ。早く来させろよ、仕事なんだからよ!!」
男が電話を切り、肉ジャガをたいらげ、「ねえ、オニギリはまだなの。俺、すげぇ腹が減ってるんだ」と叫び始めた頃、一人の長髪の男が店に入ってきた。
「ああ、××ちゃん、待ってたんだよ。すぐに女たちのアパートに電話してよ。俺、言葉わかんねぇからさ」
太った男にそう言われた長髪の男は、「ハイ、ハイ」と額に汗をかきながら電話のダイヤルを回すと、突然わけのわからない言葉で喋り始めた。
「スペイン語だね」
小声で友人は僕に耳打ちした。
長髪の男は受話器を置くと、オニギリを食べ終わって指を舐めている太った男に、
「済みません。今、来るそうです。他の女の子たちも事務所に電話が入ったら、僕のポケットベルが鳴るように頼んでおきましたから大丈夫ですよ」
と言った。太った男は鷹揚にうなずくと、立ち上がり金を払い長髪の男と店を出て行った。
「あいつら、暴力団のやつらだよ。デブがヤクザで、あとから来たのが通訳。コロンビアのヤクザと手を結んでさ、女の子をいいように使ってんだよ。どうしようもないよね」
焼き鳥屋の親父さんが吐き捨てるように言った。すると、それまで寡黙ながらも嫌悪感丸出しにして彼等と対応していた奥さんが、
「もう、辛抱ですよ、辛抱。耐えてれば、いつか台風は去ってくれます」
と言った。
僕は奥さんに、そのコロンビアの彼女たちが店に来たらどうするかと聞くと、奥さんは伏目がちに唇をゆがめながら、「まだ来たことはありませんけど、来ても絶対に断わります。この辺の店はみんなそうでしょうね」と、実にまあ本当にいまいましそうに答えた。そう言えば、今日この店に立ち寄るまでに、いくつものラブホテルの前を通り過ぎたが、その多くの入り口には、「外人女性とのお客様の御利用はお断りいたします」という貼り紙があった。
「でもね、暴力団と契約して売春を見て見ぬふりしているホテルもあるから、どうしようもないんだよね」
親父さんが焼き鳥を焼きながら、そう言った。
僕たちの飲み物はウーロンハイから、いつしか日本酒へと変わり、気がつくと時計の針は十一時を回っていた。僕たちは勘定を済ますと、先程は猫と肌の浅黒い男が二人しかいなかった通りに向かった。
いやまあ、正直言って、ビックリした。その通りに入る角を曲がった瞬間、僕ら二人の目に、ストリート一面にカラフルな傘をさしたカラフルなブロンド髪の若い女性がひしめいて立っている光景が入ったのだ。
その中には、先程スーパーの前で見かけた買い物帰りの白人のお姉ちゃんもいた。その時、彼女はジーパン姿だったので、「多分彼女も商売女なんだろうが、今日はどうやら休みのようだね」と友人と話していたのだが、そのお姉ちゃんは同じくジーパン姿のまま、なぜか自転車にまたがって客を引いていた。
一瞬、ここは日本だろうか、と思った。が、焼き鳥屋の親父さんが言うところによると、コロンビア人の女たちと交渉をして、彼女らとホテルの中に消えて行くのは、まぎれもなく日本人の背広を着たサラリーマンである。
かなり日本酒の酔いの回った友人は、彼女らの一人に、「ハウマッチ」と声をかけた。メガネをかけた、ワンピースの下からも胸の大きさがハッキリとわかるその女性は、日本語で「ニマンエーン」と答えた。僕たちが、「ニセンエーン」と言うと、彼女はその笑みを残したまま黙って僕たちを交互に見つめ、僕たちは「ソーリー」と言って彼女の前を離れた。
そんな僕たちをずっと見ていたのだろう。横道からススッと外人の女たちをかきわけるようにして背の低い日本人のオバサンが近寄ってきた。
「お兄ちゃんたち、女を買いに来たんでしょ」
「ウン、マア、そうだけど……」
「だったら、オバサンは悪いことは言わないから、あの外人さんたちを買うのはやめなさい」
「なんで?」
「ここだけの話だけど、この前ね、この|娘《こ》ら一斉に検挙されたの。その時にわかったんだけど、この娘らの九十パーセントは病気だったんだって」
「病気って、なに?」
「そりゃあんた、エの字のつくもんよ」
「エイズ!?」
「そうね。それに、それじゃなくとも、この娘らと遊んで淋病になっちゃってウミがドロドロってお客さんを、わたしは知ってるわよ」
「そりゃ、恐いね」
「恐いわよ。だから、悪いこと言わないから、今日はわたしの紹介する日本人の子にしなさい。五人いるけど、みんないい娘ばっかりよ。どうせこんなコロンビアの女の子なんて、足を開けばいいと思ってるんだから。その点、ウチの子はサービス満点だからね。お金を貰う以上、お客さんには満足して帰ってもらわないと駄目だって、いつも言ってるから。だてにここで十年商売してないわよ」
「オバサンとこは、いくらなの?」
「二万五千円。ホテル代込みだから、安いでしょ。それに日本語も通じるし、サービス満点だから最高よ」
「その女の子たちは、ここに立ってないの?」
「立たせないわよ。ちゃんと近くの部屋で待たせてる」
「オバサンの所は日本人だけなの」
「どうしても外人がよかったら、韓国と台湾がいるわ。どっちにする?」
その時、この売春ストリートを二人の警官が通った。道ばたにひしめいている南米の天使たちは、別に彼らを恐れるふうでもなく、客待ちをしながら互いにお喋りをしている。
オバサンは男の二人連れと目が合うと、「ヨッ」と言うように手を上げて挨拶をした。
「もうね、長いことここで商売してるし、知り合いも多いのよ。で、どうなの? 遊ぶの、遊ばないの?」
僕と友人はかなり心が揺らいだが、本当に持ち合わせの金が無かったので、「今度絶対に遊びに来る」と言って、オバサンと別れた。別れぎわにオバサンは、
「絶対に来てよね。でも、全く迷惑な話よね。急にこんな外人の女が来ちゃってさ。病気持ちのくせに。ウチの娘らは、毎月ちゃんと病院に行かせてるから、絶対に大丈夫だからね」
と言った。
僕と友人は、春をひさぐ異国の女性たちに「ハロー、ハロー」と声をかけられながら、その売春ストリートを後にした。そして、タクシーをつかまえようと大通りに立っていると、焼き鳥屋で見かけた太った男が、南米人らしい女性の髪をひっつかんで、どう見てもうさん臭いスナックの中に消えて行った。
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レズバー[#「レズバー」はゴシック体]◎新宿二丁目・六本木
[#1字下げ]1991年11月◎宮沢喜一内閣が発足。成田空港問題で政府と反対派住民との初の直接対話開かれる。[#「1991年11月◎宮沢喜一内閣が発足。成田空港問題で政府と反対派住民との初の直接対話開かれる。」はゴシック体]
「レズのことをお書きになるんでしたら、ちゃんと調べて書いて下さいね」
話題のわりにはつまらない映画を観終えて、どこかで一杯やろうかと新宿の街をウロウロしていた僕が、学生時代の後輩だったヨシエと出会ったのは全くの偶然だった。七年振りのことだったろうか。
ヨシエは、新宿二丁目の小さな店で働いている、と言い、今から店を開けるから飲みに来ないか、と僕を誘った。ママと、彼女を含めた三人のバイトの女の子でやっている店だそうだ。
「T」というその店は、こぎれいなビルの三階にあった。十人ほど坐れるカウンターとボックス席が四つある。シンプルな店内のクリーム色の壁には、マリー・ローランサンの複製画が一枚掛けてあった。
一人で開店の準備をするヨシエに、他の人達はどうしたのか、と尋ねると、バイトの子は交代制だし、ママは十二時近くにならないと来ない、と彼女は答えた。
「それにね、ここは十二時までは普通の店だけど、それを過ぎるとちょっと面白い店になるんですよ」
「面白いって、どんなふうに?」
「フフッ、それは見てからのお楽しみ。どうせ暇なんでしょ。それまで飲んで待ってて下さいよ」
ヨシエはそう言うと、彼女のオゴリという意味なのかどうかわからないが、大きめのグラスにタンカレージンをドボドボと注いで僕に手渡した。
店は八時に開店したが、こちらが心配になるほど店は暇だった。十時頃にサラリーマンの客が二組入って来たが、互いにカラオケを二、三曲歌うと一時間ほどで帰っていった。
彼らが帰り、店は再び静かになった。僕とヨシエは学生時代の話に戻った。
しばらくすると、ドアが静かに開き、二人の女性が身を寄せ合いながら入って来た。一人は三十代後半でショートカット。もう一人は二十代半ば頃だろうか、ロングヘアをソバージュにした、なかなかの美人だった。
「ヨシエちゃん、ご免ね。ママ、今日も酔っぱらっちゃった……」
ショートヘアの女性が言い、連れの女性とカウンターに坐った。
「とりあえず、ビール出してちょうだい。喉が乾いちゃって」
しようがないんだから、と言いながらヨシエはママの前にビールとグラスを一つ置いた。
「じゃ、キョウコちゃん、ビールを飲ませてあげる」
ママはそう言うと、グラスにビールを注ぎ一口含み、キョウコと呼んだ女性の肩に手を回すと、二人は吸いつけられるように口と口を合わせた。コクッコクッといった感じで、キョウコの白い喉が動く。やがて二人は唇を離し、キョウコは「おいしかった」と言って、ママの肩に首をもたせかけた。
ママはその時に初めて僕の存在に気づいたかのように目を丸くすると、「こちら、どなた?」とヨシエに聞いた。ヨシエは、フリーライターで自分の先輩である、と手短かに僕のことを紹介した。
「まあ、フリーライター……。じゃ、やっぱりレズのことの取材でウチに来たわけ?」
エッ? と胸の中で呟きヨシエを見ると、彼女はクスッと笑ってウインクをして見せた。
「でもウチじゃあんまり取材にならないわよ。ウチはね、最初は普通のパブとして開店したのに、たまたまワタシと店の子がレズだったんで、自然にレズの客が集まるようになっただけなんだから。本当のレズバーは、男なんか入れないのよ。本当のレズバーに行ってみたい? あなたがどうしてもって言うなら、ワタシがかけあってみてもいいわよ」
かなり酔っているママの独り合点の言葉に、ヨシエの言っていた面白い店の意味を理解した僕は、乗りかかった舟だと思い、「お願いします」と答えた。
「わかったわ。じゃあ、ちょっとここで待っててね。キョウコちゃん、すぐ帰るから」
ママはそう言い、店を出て行った。
「おい、ヨシエ。おまえ、レズになったの?」
「ヘヘッ、そうなんだピョーン」
七年の歳月は人を変える。僕はヨシエが学生時代に同棲していたオカザキの顔を思い浮かべた。
ドアが開き、髪の長い女性が入って来た。彼女はカウンターに坐ると暗い声で、「ジンライム」と言った。
「ミキ、どうしたの?」
ヨシエがジンライムを作りながら尋ねる。
「ヒロがさ、変にアタシのこと疑っちゃってさ……もうイヤ……アタシ、浮気なんかしてないのに……」
「そう。ヒロって情熱的だからねェ」
ヨシエがミキに僕のことを紹介してくれて、僕たちは並んで酒を飲んだ。ミキが好きだという少女マンガの話をしていると、ドアがバターンと大きな音を立てて、一人の人間が現われた。その人間は、スーツ姿で頭は角刈りにしているが、男としては非常に肩幅が狭く、骨格が小ぢんまりとし過ぎていた。それがヒロだった。もちろん女性である。ヒロはツカツカとミキに歩み寄ると、ミキの脱色した長い髪をむんずと掴み、
「こんな所で何をしてんだよ。こんな不細工な男(僕のことですよね)と酒なんか飲みやがってよ。俺の方がずっといい男だろうが。帰るぞ。どんなに俺がいい男かわからしてやる!!」
と叫んだ。ミキはヒロに髪を掴まれたまま無言でヒロと共に店を出て行った。
「タチ(男役のこと。ちなみに女役はネコ)って恐いわよね」
それまで黙って様子を見ていたキョウコが口を開いた。
「そうよ。キョウコだって人ごとじゃないでしょ」
とヨシエが言った。キョウコは一年前に浮気(もちろん女性との)がバレて、ママに包丁で背中を切りつけられたそうだ。
「ネコは男とも喋ることができるけど、タチは男そのものにライバル意識を持ってるから、絶対に男と親しく話なんかしないわよ」
ヨシエはそう言って、わたしはネコだからさ、とクスッと笑った。
それから十分ほどして包丁のママが戻って来た。
「あんた。特別に入れてあげるって向こうのママが言ってたから、今から行こう。キョウコ、悪いけどもう少し待っててね」
その本格的[#「本格的」に傍点]なレズバー「A」は「T」から歩いて三分ほどのところにあった。十人も入れば満員というカウンターだけの店で、僕とママが行った時は三組のカップルが思い思いのカクテルを飲んでいた。当然、全て女である。
「済みません、男なんです」
思わず僕は「A」のママに謝った。
「いいのよ。Tのママの紹介だから信用してるわ。あなたならその辺の酔っぱらいみたいに、『どうせ男にモテねえから女同士でつるんでんだろう』なんて言わないでしょ」
ママの言葉に、「ええ、もちろん」と口の中でゴニョゴニョ言いながら他の客の顔を見て、僕は正直言って驚いた。皆若く、そして美形である。さっき見た角刈りなどいない。だがやはりカップルの内の一人はショートカットで一人はロングヘアである。その二人ずつがピッタリと身を寄せ合って談笑している。この光景はどこかで見たことがあると思ったら、そうそう、宝塚の舞台でくりひろげられる世界にそっくりだ。
「レズのことをお書きになるんでしたら、ちゃんと調べて書いて下さいね。決して興味本位じゃなく。ゲイはだんだんと市民権を得てるような気がしますが、レズはまだなかなか認めて貰えないんですよ。よろしくお願いします」
Aのママは僕にそう言った。実は取材で来たわけじゃないんですよ、とは言えずに、僕はただ「ハイ、ハイ」と答え、「なんでこの店に男がいるの?」というまわりの冷たい視線を体全体で感じながら、肩身を狭くして酒を啜った。
やがて一組のカップルが立ち上がり、店を出て行った。
「あのコら、これからどこに行くかわかる?」
Tのママが僕に言った。
「家に帰るのかな?」
「バカね、ホテルに行くのよ。ここはね、レズのシングルバーみたいなものなの。淋しくなったらここに来て今夜の相手を探すのよ。ホモバーと同じ。だから、二丁目のラブホテルはホモとレズばっかりよ」
「ママもそういうことあるんですか?」
「たまにね?」
「だって、ママにはさっきのキョウコさんという人がいるんでしょ」
「本当にバカね。男は結婚しても浮気をするでしょ、それと同じよ。いつも定食ばかり食べてたら飽きるでしょ」
「じゃあ、キョウコさんが浮気をしても許すんですか?」
「許すわけないでしょ。自分が浮気をしても、女房の浮気を許さない。その辺は男と同じよね、わたしは」
Tのママと話をしている僕の目のはしに、カウンターの端に坐っているカップルが女同士でキスをしている姿が入る。彼女らも今晩燃える一夜を過ごすのだろう。
「ねえ、今日の三時から六本木のあそこで、アレがあるんだけど行かない?」
AのママがTのママに言った。
「エッ、今日だったっけ。今日はまずいなァ。キョウコを待たしてんのよ。そうだ、この人を連れてってやってよ。わたしも向こうに電話しておくからさ、大丈夫よ。この人、きっとビックリするわよ。ネ、あなた、いいものが見れるからこちらのママに六本木に連れてってもらいなさいよ。ネ」
僕は何がなんだかわからずに、「ハイ」と答えていた。
午前三時ちょっと前に、僕とAのママを乗せたタクシーは六本木のマンションの前に着いた。ママはタクシーの中では饒舌だったが、降りると無口になった。僕はママに促されるままにエレベーターの中に入った。ママは6のボタンを押した。
エレベーターを降り、僕たちは一つの部屋の前に立った。ママがインターフォンを押し、「××です」と名前を言うと、ドアが開いた。事前に連絡がいってたらしく、僕のことは何もとがめられなかった。
狭い室内には三人の女性がいた。三人とも四十代ぐらいで、その身なりは派手で高価そうだった。僕とママが床に腰を降ろすと、化粧気の無い五十歳ぐらいの女性が二人の二十代の全裸の女性と共に現われた。五十がらみの女性は実に愛想のない声で「今日は二週間キウイだけを食べさせた子です。では御覧になって下さい」と言って、一人だけ姿を消した。
残された二人の女性たちは無言のまま、一人は床に仰向けに横たわり、一人はその彼女の顔の上に跨った。跨った瞬間、ピュピュッという奇妙な音と微かな匂いと共に、その肛門からかなり立派な大便が現われた。下の女性はそれを口を開けて待ち受け、驚くほどの器用さで呑み込んでいく。
すっかり出し終わった女と、それをすっかり食べ終わった女は立ち上がり礼をした。先程の女が現われ、「今日はこのような女の子を三人用意してございますが、いかがでしょう」と言った。先客の女性たちが無言で手をあげた。「ありがとうございます。ではこちらへ」と女は言い、全裸の女性たちと手をあげた女性共々、隣室へ消えた。
「じゃ、帰ろうか」
しばらくしてAのママは僕に言ったが、その声は興奮のためか嗄れていた。「そうですね」と返事をした僕の声は、あっけにとられて嗄れていた。
六本木の駅に続く坂道を歩きながら、僕はママに聞いた。
「先にいた人たちは、あれからどうするんですか」
「買ったのよ。あなたが見たような、キウイだけを二週間食べさせた女の子を買ったの。今頃、どっかのホテルでそのウンコを食べてるんじゃないの」
「ハア、いくらぐらいなんでしょうかね」
「百万ぐらいね」
僕は六本木のレズバーに顔を出すというママと別れ、一人でタクシーで家に帰った。
今だにあの一夜を思うと、頭が混乱してくる。東京にはワンダーランドがまだまだ沢山あるようだ。
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マナ板ショー[#「マナ板ショー」はゴシック体]
[#1字下げ]1991年12月◎ゴルバチョフソ連大統領辞任、エリツィン・ロシア大統領が核のボタンを継承。ソ連が消滅。[#「1991年12月◎ゴルバチョフソ連大統領辞任、エリツィン・ロシア大統領が核のボタンを継承。ソ連が消滅。」はゴシック体]
「ハイ、次は本番マナ板ショー、御希望の方は手を上げてジャンケンをして下さい」
晩秋には恋人たちがよく似合う。黄や茶の色彩を濃くした公園の中を、暖かそうな上着に身を包んだ男女が落葉を踏みしめながら、体を寄せ合って歩いている風景はヨーロッパの渋いスパイ映画のワンシーンを観ているようで、なんともいいものだ。
なーんて、三週間前までは思ってたんだよ、俺は。つき合ってた女にフラれるまではよ。
「お酒とわたしと、どっちが好きなの?」と詰問されて、思わず考えこんでしまったのがいけなかったんだよな。「もう、あんたの声も聞きたくないわ!」って言われちまったよ。声も聞きたくないってことは、顔なんかもっと見たくないってことだろ。もう、まいっちゃったよ。
淋しい。部屋には暖房器具がないから、よけいに淋しい。
人間って勝手だよな。てめえが幸せな時は他人の幸せにも寛容なのに、そうじゃなくなると、とたんに他人の幸せが妬ましくなる。
ええい、世の中にはなんでこんなにアベックが多いんだ!? みーんな結婚して幸せなのに、なんで俺だけに女がいないんだ!!
そんなことを思いながら、或る日曜日、俺は電車を幾つも乗りついで首都圏の某県の某市にあるストリップ劇場に行った。本当は行きたくなかったよ。日曜日の夕暮れにストリップ劇場なんて。あまりにも侘しすぎるじゃん。でもさ、お仕事だから仕方がないの。女にフラれても、お仕事はしなくちゃいけないの。
それにしても、電車の中もアベックが多い。みんな、イチャイチャお互いの体を触れながら幸せそうにお喋りしている。休日の楽しいデートの帰りなのだろう。えっ、この後はどっちかの部屋に行ってセックスか!? ヘン、勝手にセックスでもなんでもしてくれよ。男同士で喋ってる奴らもいるが、あいつらはきっとホモに違いない。ホモのアベックなのだ。お前ら、三年後にはエイズだぞ!! ああ、この世で一人ぼっちなのは、内外タイムスを腋に挟んで電車に揺られている俺だけだ。それにしても、日曜日にストリップ劇場に行く人間なんているんだろうか。もし、客が俺一人だけだったらどうしよう……。
某市の暮れかかった空は、曇り空だった。駅はけっこう大きかったが、駅前の商店街は日曜日のせいか休みの店が多く、歩いている人間も少なくてガランとしていた。俺はおもわず自分の肩を両手で抱きしめた。
目ざす劇場は、駅から歩いて三分ほどのところのビルの中にあった。誰が出ているのだろうと入口に貼られているポスターを見ると、「特別ゲスト・菊池エリ来演!!」とあった。菊池エリとは五年前に、俺が編集者をしていた頃にグラビア撮影で一度会ったことがある。そうかそうか、エリちゃんも頑張っているのだな。俺はちょっと体が軽くなり、階段をトントンと上がると、受け付けのオバチャンに「一人ね」と言った。オバチャンは無表情に「六千円」と答えた。せいぜい四千円ぐらいだろうと思っていた俺はいささかたじろいだが、一万円札を出し釣りを貰うと劇場の扉を押して中に入った。ストリップ劇場特有の饐えた匂いがプーンと鼻をつき、俺は場内を見回した。
驚いた。
超満員なのである。決して広いとは言えない劇場だったが、百人は優に超える男たちが場内を埋め尽している。そして固唾を飲んで、舞台上でシースルーの一枚の布のようなものを身に纏って踊る女性を見つめている。もちろん座る席などなく、ほとんどが立ち見だ。俺は急に嬉しくなった。
淋しいのは自分だけじゃない!!……
俺は場内の片隅にある自動販売機でビールを買い、それを飲みながらスポットライトを浴びてゆるゆると踊る女の子を見ることにした。静かな熱気が充満した中で飲む冷えたビールはおいしかった。
一息ついて、俺は再び場内を見渡した。そしてまた驚いた。客の約三割が、一目でわかる外人さんなのである。白人もいるが、大部分は湾岸戦争時にテレビでよく見かけた、顔の彫りが深く色の浅黒い男たちである。彼らはそのほとんどが仲間同士で来ていて、そのせいか俺のように一人で来て、夢中で拍手をし、女の子の股間を必死の表情で覗き込んでいる日本人と違い、笑みを浮かべつつ、仲間同士でなにやら喋りながら余裕あり気にステージの上の踊り子さんを眺めている。多分、彼らの多くはいわゆる出かせぎで日本に来ている人たちなのだろう。
やがて、女の子(日本人だと思う)の踊りが終わり、その子のマナ板ショーになった。場内のマイクが「ハイ、次は本番マナ板ショー、御希望の方は手を上げてジャンケンをして下さい」と言うと、八人の日本人の客が焦ったように手を上げて無言のままジャンケンをして、勝った中年の男が舞台に上がった。こいつもいい年をして、家に帰ったら一人で部屋の明かりをつけなくちゃいけないのだろうか。
ストリップ劇場のマナ板ショーは、もう数えきれないほど見ているが、何度見ても「凄いなあ……」と思ってしまう。よくこれだけの客の前で、ライトを浴びながらセックスができるもんだ。
マナ板ショーが終わり、次が菊池エリショーだった。「お待たせいたしました。今世紀最強のポルノクイーン・菊池エリの登場です」とのマイクの紹介の声と共に、ボンデージ姿の菊池エリが現れた。今世紀最強という言葉に俺は思わず吹き出しそうになったが、まわりがあまりにも真剣に彼女を見つめているので、ビールと共に笑いを飲み込んだ。
菊池エリのショーはなかなか素晴らしかった。特にペニスの型をしたバイブを使ってのオナニーショーは、「さすがプロ!!」と唸らされるものがあった。
次はあまり名前を聞いたことのないAVギャルのショーだった。踊りが終わり場内が明るくなり、一度舞台そでに引っ込んだ全裸のそのAVギャルが、ポラロイドカメラを持って再び現われた。ポラロイドショーである。
「一枚千円でーす。お客さんの好みのポーズをとりますよ」
彼女がそのボリュームある体に似合わない可愛い声でそう言った。
「ハイ」
客席の後ろで立って見ていた色の浅黒い外人の一人が手を上げた。彼女は彼を見るとニッコリ笑って、「オーケー、プリーズ、ワンサウザンドエン」と言った。前に座っている客の間をぬって舞台の近くまでやって来た彼は千円札を彼女に差し出すと、
「イッショニ、キネンシャシン、イイデスカ?」
と言った。彼女が頷くと、受け取ったカメラを友人らしき男に手渡した彼は、靴を脱いでステージに上がった。
「どんなポーズがいい?」
その娘がそう尋ねると、男は「ダッコ、ダッコ」と答え、彼女はニッコリ笑ってステージの上であぐらをかいて座っている彼の膝の上に座り、足を大きく拡げた。男はニヤニヤ笑いながら彼女の胸に手をやり、友人がカメラのシャッターを押した。
「あの写真、国に持って帰ってみんなに自慢するんだろうなあ」
俺の隣で立ってそれを見ていたジャンパー姿の四十がらみの男が、誰に言うともなしに呟いた。そうなのかなあ。
ポラロイドショーの後は、白人のけっこう若くて美人の女の子のマナ板ショーだった。今度は十人以上の男たち(日本人)が立ち上がりジャンケンを始め、五十歳ぐらいの茶色いスーツを着た紳士風の男が舞台に立った。その男は女の子にズボンを脱がされると、コンドームをつけられフェラチオして貰い、女の子にうながされるままに彼女の上に乗るとピストン運動を始めた。
その時、場内アナウンスが劇場内に鳴り響いた。
「個室サービスを御希望のお客様は、受け付けでカードを貰い、自動販売機の前にお並び下さい」
すると、今までニヤニヤと笑っていた外人さんたちが急に引きつった顔で、ドドドッといった感じで受け付けに殺到し、番号の書かれたカードを手にして自販機の前に並び始めた。自販機の横にはカーテンがあり、どうやらその奥が「個室」であるらしい。
つまりそのなんだ、いくばくかの金を払えば、個室で踊り子さんを相手に本番ができるってえわけだ。特別ゲストの菊池エリとはできないだろうけどね、もちろん。
それにしても、これはなかなか面白い光景である。ステージの上では日本人代表の男が「酒よ」のBGMにのって白人女性を相手に腰を動かし、個室では日本人の女性とセックスをしようと、カタコトの日本語で「酒よ」を口ずさみながら色の浅黒い外人さんたちが行列を作っている。行列の中には日本人はいない。
やがて、ステージの上での本番が終わり、劇場の人がダンボール箱を持ってステージに上がった。
「さあ、めったに手に入らない裏ビデオだよ。一本八千円だ」
今度は日本人がドドッと、ダンボールの中身を見ようとステージの脇につめかける。
外人さんたちはまだ行列を作っている。見ていると、大体一人、五分ぐらいでカーテンの奥から出て来るようだ。
どんなにねばっても席は空きそうにないので、腰が痛くなってきた俺は劇場を出ることにした。出る時に受け付けのオバサンに、「個室サービスは幾らなの?」と聞くと、「四千円」とそっ気ない答えが返ってきた。
時計を見ると、午後の七時を過ぎていた。多分いるに違いない淋しいOLたちが「ちびまる子ちゃん」を観ている同時間に、某県某市のストリップ劇場では国境を越えた淋しい男たちが六千円を払って女の裸を観て、加えて四千円を払い本番をしているわけだ。
そう思うと、俺はなんとなく慰められたような気分になり、劇場横の飲み屋に入った。
日本酒八海山を飲み、菊池エリの舞台のように美味な里芋を食べながら、俺は店の親父に話しかけた。
「さっき、そこのストリップ劇場に行って来たんだけど、外人さんが凄い多いねえ」
「ここ一年で、この町にも外人さんがかなり増えましたからねえ。ウチにもたまに外人さんが来ますけど、悪いとは思うんですがお断わりしてます。言葉が通じないからねえ、どうしようもないんですよ」
俺の隣で飲んでいた、額の禿げあがった男が言った。
「個室サービスやってたでしょ、あそこ」
「ええ、やってましたね。外人さんが行列してましたよ」
「ソープなんかに比べたら全然安いからな。ああいうのがないと駄目なんだよ。犯罪防止のためにもさ」
店を出たら、小雨が降っていた。寒い。今から俺は犯罪を犯さずに、東京のアパートにかえることができるだろうか。自分の吐く息が白くなりそして消えていくのを見ながら、俺はそう考えた。
駅に向かおうと歩を進めると、救急車が一台サイレンを鳴らしてやって来て、ストリップ劇場の前で停まった。
なにがあったのだろう。見ていようかと思ったがやめて、俺は再び歩き出した。なにがおこったのかを知ると、ますます淋しくなりそうだったからだ。
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チョンノマ[#「チョンノマ」はゴシック体]◎黄金町
[#1字下げ]1992年2月◎アルベールビル冬季五輪開催。東京地検と警視庁が「佐川急便マネー疑惑」で強制捜査に着手。[#「1992年2月◎アルベールビル冬季五輪開催。東京地検と警視庁が「佐川急便マネー疑惑」で強制捜査に着手。」はゴシック体]
「昔は……一軒に女の人は一人だけだったし、商売のやり方も風情があったよね」
横浜の黄金町に行こう、ということになった。黄金町といえば座布団売春、いわゆるチョンノマで川崎と並んで有名な町である。一階は飲み屋、そこでビールなどを飲みながら交渉に成功した客が二階で女の子とセックスができる店が立ち並んでいると聞く。関西でいえば飛田のような町なのだろう。とにかくその通りを歩けば、店々の入り口に立った女性から「お兄さん、寄ってらっしゃいよ。一緒に遊びましょ」の声がかかるらしい。横浜に住む友人が、「ひやかして歩くだけでも結構楽しいよ」と言っていた。もちろんこちらはひやかしだけのつもりはない。エイズは確かに恐いが、郷に入れば郷に従え。やる時にはやる気構えである。
二月の或る火曜日、僕は本誌の編集者と高田馬場で待ち合わせをし、JR品川駅で京浜急行に乗り換え黄金町に向かった。当然ながら二人とも鼻息が荒い。
「いい子だと思って安易にスッとその店に入ったりせずに、とりあえず全部の店を見て回ろうね。それから決めようよ」
編集者がそう言う。僕も、
「そうだよね。せっかく横浜まで行くんだから、できるだけいい思いをしないとね」
と答える。正直言って、ここのところセックスには本当に御無沙汰している。やり方を忘れてしまったんじゃないか、と思ってしまうぐらいだ。とりあえず酒を飲み過ぎないようにしよう。せっかく売春のメッカに行って、いざという時に役に立たなかったらどうしようもない。
とにかく客引きが凄いらしいから、それだけには気をつけよう、と二人で注意し合って黄金町の駅に降り立ったのが午後七時過ぎ。さてさて、この駅を出たらもう女の子がよりどりみどり。僕たちは黄金町に詳しい友人に書いて貰った地図を片手に、いさんで改札口を通り抜けた。地図によると、駅を出たらすぐに日ノ出町駅まで続く高架下の店は全て売春ゾーンになっている。凄い。一体、何軒の店があるんだろう。風は強く冷たかったが、僕と編集者の体は熱く火照っていた。
そして、確かに店は沢山あった。だが、そのほとんどに明かりがついてなかった。走り行く電車の音を聞きながら高架下を何度も往復するうちに、僕たちの体は急速に冷えていった。
「火曜日は全店定休日なんじゃないの?」
「いや、そんなことはないだろう。まだ時間が早いんじゃないのかな……」
たまに明かりをつけてドアを開けている店もあるが、その前を思わせぶりにゆっくりと通っても中のオバサンはつまらなそうに僕たちを見るだけで声をかけてくれない。
その内、明かりはついているのだがドアに鍵を閉めている店があった。その二階を見るとボンヤリと明かりがつき、中でなにやら人影が動いている。
「これだよ、これ。こういう店はね一軒に一人しか女の子がいないから、客がついちゃうと下の店を閉めちゃうんだよ。やっぱりやってるんだ。よかった、よかった」
編集者が嬉しそうにそう言った。だが、それにしても寒過ぎる。やはり時間が早過ぎたんだと判断した僕たちは、とりあえず暖まろうと高架下を離れ、線路沿いに流れる川の横をブラブラと歩いた。売春をしていない普通の店を探したのだが、どうもそれらしき店が無い。というより、開いてない。皆、大衆割烹とか小料理屋の看板を出しているのだが、ことごとく閉まっている。風景は素敵だ。川が静かに流れ、向こう側に広がる街のネオンが川面に揺れ、並木がずっと続く。木はどうやら桜のようだ。こんな所で花見をしたら最高だろうね、と言い合いながら二人の男はブルブル震えながら歩いた。しばらく歩くと、「おでん」の黒い文字がクッキリと浮かび上がったちょうちんが見えた。これだ、と思った二人はその店に駆け寄り、戸を開けようとした。だが開かない。この普通のおでん屋に見える店も、やはり売春の店なのだろうか。そう思い二人で顔を見合わせていると、入り口の小窓が開き、白髪のオバチャンが顔を出した。「あの、遊びじゃなくて、ただ飲みたいんですけどいいですか?」と言うと、オバチャンはニッコリ笑って戸を開けてくれた。壁が薄ピンク色なのがちょっと気になったが、狭い店内ではオデンがグツグツと煮え、一応普通の飲み屋だった。オバチャンの他に女性がいる気配はない。一つしかない座敷席に座り、とりあえず熱燗を頼んだ。なぜ鍵をしていたのかとオバチャンに問うと、「こういう所だからねえ、変なお客さんが来るのよ。酔っぱらいとか、女目当ての客とかね。だから恐いんでお客さんが誰もいない時は入り口は閉めてるの」とオバチャンは言った。
「ここで店をやって四十年になるんだけど、ここ二、三年でこの町も変わったねえ。私はめったに高架下には行かないんだけど、三年前に用事があって行ったらビックリした。東南アジアから来た女の人たちが狭い店の中に五、六人いて、顔だけ出して手でオイデ、オイデをしてるのよ。変な町になっちゃったなあと思ったね。わたしはいつもそこの銭湯に通ってるんだけど、今は客の半分以上が外人さんだよ。あの人たち下洗いせずにいきなり風呂に入っちゃうんだよ。こう言っちゃなんだけどなんか汚らしくてね。昔はまだ良かったんだよ。一軒に女の人は一人だけだったし、商売のやり方も風情があったよね。それがさ、目先の金欲しさの人たちが外人の女の人を大勢雇って客引きを強引にした時から変わっちゃったね。それで警察に目をつけられて、みんなつかまっちゃったもんね。だから閉まってる店が多いでしょ。それにさ、二年前だっけ、ここで働いてたタイの女の子がエイズだったってわかって、客足がバッタリ跡絶えたみたいだね。京浜急行としてもああいった店を全部無くしてキレイな町にしようとしてるみたいだから、もうこの町も長いことないんじゃないの。わたしは、人にはそれぞれ事情があるから売春が悪いとは思わないけど、一時期本当にやり過ぎたものねえ」
オバチャンの喋りにちょっと東北訛があったので出身地を聞くと、僕と同じ宮城県出身だった。僕はひとしきりオバチャンと宮城県の話をし、酒とオデンで体も暖まったので再び高架下に挑戦することにしてその店を出た。
時間は十時を回っていた。さすがに先程よりは明りがつきドアの開いた店が多いが、それでも町は異常に暗い。通りを歩く人間もほとんどいない。しばらく行きつ戻りつしてみたが、誰も声をかけてくれない。もしかすると今日、当局の手入れがあるという情報が入ったのだろうか。そうとでも思わなければ、あまりにもこの町は淋し過ぎる。これが天下の黄金町だとはとても思えない。こうなるともはや女の子を選ぶという状況ではない。僕たちは暗い路上で話し合い、どこでもいいから入ろうということになった。ところが、数少なく開いている店に次々と顔を突っ込んで、「ちょっと遊びたいんだけど」と言うと、「ダメダメ、ウチはそんなことやってないよ」と椅子にも座らせてくれずに追い返された。
思わず僕は、「黄金町に行こうよ。もうウハウハで大変みたいなんだから」と言った編集者を睨んだ。編集者は慌てて「遊びたい、って言ったのがマズかったんだよ。飲ませてくれる? って言えばいいんじゃないかな」と言った。しばらく歩くと、「スナック・××」という店の看板に灯がついていた。僕らはそこのドアを押すと、「済みません。飲ませて貰えますか?」と恐る恐る尋ねた。スナックと銘打たれた店に、そんなことを言って入ったのは初めてだ。
中では六十歳ぐらいと三十歳前後の女性が二人でテレビの時代劇を見ていた。カウンターの中に立っていた六十歳ぐらいの方が、「どうぞ」と言った。僕たちはカウンターに座り、壁に貼られてあるメニューを見た。ジュースでもなんでも飲み物は全て千円である。僕たちは熱燗を一本ずつ注文した。乾き物のお通しが出た。
僕としばらく雑談をしていた編集者が、年配の方の女性に、「ここは遊ばしてくれるの?」とふいに聞いた。オバサンは表情を微かに変え「さあ、どんなもんだろうね」と答え、僕の横に座っていた女性に「買い物に行ってくるから」と言い店を出た。僕がその三十前後のオネエサンに、「実は東京から遊びに来たんだけど、どの店も入れてくれなくて弱ってるんだ」と言うと、オネエサンはちょっと困った顔をして「あらそうなの……」と言った。
「最近はね、この町も厳しいのよ。確かにここは(女性と)遊べるけど、今は顔見知りの人しか入れないからね。あんたたちを信用しないわけじゃないけど、変装した刑事がよくやってくるのよ。それに騙されて営業停止くらった店が何軒もあるもの」
僕は無精髭を生やしヨレヨレのオーバーを着ており、編集者は皮ジャンを着て髪を伸ばし口髭をたくわえている。いくらなんでもこんな刑事はいないだろうと言うと、最近はそういう刑事もいる、とのこと。
「せっかく東京から来てくれたのに悪いわね。でも今日は本当に駄目なんだ。ほら、今日は閉まってる店が多いでしょ。あの店は全部外人をつかってる店なの。そういう店って、なんだか知らないけど警察の情報が入るのが早いのよ。だからこういう日はわたしたちも注意することにしてるの。よっぽどの常連さんじゃないと客は取らないんだ。悪いこと言わないから、今日はおとなしく帰った方がいいよ」
オネエサンが教えてくれたところによると、この辺の客はお遊びが一回で一万円だそうだ。時間は約三十分。二階で客と寝ると売春防止法にひっかかるので、ほとんど近所のホテルに行くことにしているらしい。
その内にオバサンが帰って来た。
「この人たちね、東京からワザワザ来たんだって」
オネエサンがそう言ってくれた。オバサンが済まなそうな顔をして、「そりゃ悪かったねえ。でも今日は駄目なんだ。お腹減ってるだろ。今、モチを焼いてあげるから、それを食べてお帰り」と言った。なんか本当に、僕らは学生に戻ったような気がした。
モチを食べながら話を聞くと、オバサンは福島出身でオネエサンは岩手の生まれだった。横浜に来て、まさか宮城、福島、岩手の女性と話をするとは思わなかった。僕はつい嬉しくなってしまったが、東京生まれの編集者はシラけた顔をしてモチを食べている。
僕たちが、それじゃあ帰る、と言うと、オネエサンがオバサンに聞こえないように、「今度の土曜日の八時においで。わたしがたっぷり遊んであげるから」と僕の耳元で囁いた。オバサンは僕たちが大通りに出てタクシーをつかまえるまで、一緒についてきてくれた。僕がタクシーに乗り込む時、オバサンが僕の耳元で囁いた。
「あの子には内緒だけど、今度の土曜日の六時においで。わたしがたっぷりサービスしてあげるから。若い子より大人の方がいいんだよ」
僕はもしかするとモテたのだろうか。だがもう週が明けた時点で僕はこの原稿を書いているが、僕は土曜日に黄金町には行かなかった。なんか、とんでもないことになりそうな気がして……。
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女装マニア[#「女装マニア」はゴシック体]
[#1字下げ]1992年4月◎旧ユーゴのボスニア・ヘルツェゴビナ共和国で民族衝突から内戦状態に。[#「1992年4月◎旧ユーゴのボスニア・ヘルツェゴビナ共和国で民族衝突から内戦状態に。」はゴシック体]
「変質者じゃないけど変態だよ。変態としてのプライドがあるよ」
或る平日の夕方、私は京浜急行線の某駅に降り立ち改札口を出た。そしてジーパンのポケットから手帳を取り出して、駅前の公衆電話に向かいメモをしていた番号を押した。話し中。何度目かにやっと電話がつながった。私が名乗ると、相手の男は早口で「すぐに駅まで迎えに行く」と言った。ほどなくして彼が現われた。ジャージ姿で長髪。眼鏡をかけてやや小肥りである。身長は百七十センチ弱といったところ。肩からハンディビデオの入ったケースを下げている。「じゃ、早速部屋に行きましょうか」と男は言った。写植屋を営む男はこの町に自宅兼仕事場の家を持っているのだが、その家から八百メートルほど離れた所にあるアパートに部屋を借りている。大通りから横道に入り奥まった所にあるそのアパートは、場末の旅館のような建物だった。ガラガラと引き戸を開けると長く続く廊下が鈍く黒光りしている。男の部屋は二階にあった。
「今ね、僕と仲間でここの部屋を三つ借りてるんだ。そんな人をどんどん増やして、いずれは女装者のトキワ荘にしようと思ってるの」
男は階段を登りながら楽しそうに言った。トキワ荘とは、昔、そこに住む手塚治虫を慕って当時の若手マンガ家達が大勢住みついたアパートの名前である。
「ここです。散らかってて申し訳ないけど……」
男が一つの部屋の前に立ち戸に手をかけた。廊下の先に一つだけあるガラス窓から、初春の夕陽が弱々しく光を射し込ませている。
戸が開き男の後に続いて部屋に入った私は、予想していたこととはいえ一瞬頭がクラクラとした。壁中に吊るされた、これでもかとばかりにフリルのついた派手な色のワンピース。洋服かけにひしめく二十着を超えるセーラー服。床には赤いランドセルや女性用の下着が転がり、本棚には『キャンディ・キャンディ』のマンガ本がズラリと並べてある。天井はと見ると可愛いイラストの入った傘が幾つも吊るされている。とにかく、六畳のその部屋には少女用の持ち物で溢れかえっていた。
三十九歳のその男、自称キャンディ・ミルキーさんは、「じゃ、今から着替えるね」と言った。
「男の格好のままだと話をしていても気合いが入らないんだよね」
キャンディ・ミルキーさん(以下キャンディさん)は行動する女装者として最近一部マスコミから注目されている。テレビにも何度か出演している。行動するといっても別に政治的活動をしているわけではない。マンガのキャンディ・キャンディの扮装をしてオートバイに跨り原宿に行き、表参道を歩くだけだ。だがそれだけでも、今まで密室の中の行為とされていた女装界にとっては画期的なことなのである。そして、彼はそうやって個人的にアウトドア女装を楽しむかたわら、女装仲間たちと『ひまわり』という女装雑誌を出版している。
「この前さ、横浜の大道芸人協会とかいう所からイベントの出演依頼の葉書が来たんだ。なんだこれって思ったよ。俺は単なる女装マニアであって、大道芸人じゃねえんだよ」
キャンディさんは私の目の前で、自分の裸体を晒さないように器用に女装し始めた。その姿は、中学の時に体育の授業の前に女の子たちが教室で男子生徒の目を気にしながらスカートでカバーしつつブルマーをはいていた姿を思い起こさせた。
「四人兄弟の末っ子です。上には兄二人に、姉一人。末っ子の女装者って珍らしいんだけどね。大抵長男だよね、女装マニアになっちゃうのは。僕の場合はやっぱり姉の影響が大きかったね。姉の洋服とか下着を見て、あんなキレイなものを身につけられる姉がとっても羨ましかったもん。子供の頃ね、或る日銭湯に行く時に母親が間違って着替えとして僕に姉のフリルのついたブラウスを持たせたの。風呂から上がってそれを着た時は、なんとも言えず嬉しかったね」
それをキッカケにキャンディさんの女装人生は始まる。姉のスカートやスクール水着をこっそりと持ち出しては、自分の個室が無かったのでトイレの中で身につけては一人で楽しんだ。やがてキャンディ少年は新聞配達を始める。早朝の町を自転車で走っていると、ゴミ捨て場には様々な物が捨てられている。その中には驚く程、女性の使い古しの下着があった。キャンディ少年は毎朝ゴミ捨て場をあさってはそれらを家に持ち帰った。
キャンディさんの秘密の小部屋は、種々雑多な少女用品が積み重なり歩く隙間も無い。キャンディさんは床に私を坐らせるために、それらの物をアバウトに移動させてスペースを作ってくれた。私は礼を言ってそこに坐ったが、私の膝の下に黄色いパンティが丸まって転がっている。こう言っちゃ悪いが、このパンティが、私の目の前で、すね毛を見せながらフリルのついたドレスに着替えているキャンディさんが使用したものだと思うと、指先でつまんで移動させる気にはならなかった。かと言って、「あの、ここにパンティが落ちてます」ともなんか失礼なようで言えなかった。そのため私は二時間ほど、ずっと膝の下のパンティを意識しながらキャンディさんの話を聞くことになった。
「女房と結婚したのは二十三歳の時。中三を頭に三人の子供がいるよ。全部、男。だからもう、完璧な力強い日本のお父さんを演じなくちゃいけないから大変だよ。女房にはこの趣味はバレちゃってるし、息子たちもウスウス気づいてるらしいんだな。だから余計、仕事とか生活とかきっちりやらないと駄目なんだ。女装者っていうハンディを持って家庭生活を始めたようなもんだからね」
写植屋のトッツァンは、自分の手作りのキャンディ・キャンディのドレスに着替え、私の目の前でスカートをたくし上げてパンストをはき、今は鏡を見ながらマスカラを塗っている。たくみな化粧ぶりである。狭い部屋中に化粧品の匂いが充満し始める。
「雑誌を始めてから地方のいろんな女装者と会ったんだけど、東京の女装者より地方の人の方がオリジナリティがあるし楽しんでるよね。東京はさ大きな女装クラブがあるし情報も多いから、どうしてもシステム化しちゃうし遊び方もパターン化しちゃうんだよ。女装クラブの密室の中でサロン的に仲間と喋ったり、外に出ると言ってもせいぜい新宿二丁目あたりに飲みに行くぐらいでしょ。地方はすごいもん。冬の誰もいないキャンプ場でテニスウェア姿になったり、牧場で下着姿になったりしてるもんね」
『クロスドレッシング』という女装雑誌がある。キャンディさんのことは、その雑誌の編集者から紹介された。「キャンディさんは女装しちゃうと本当に十二歳の女の子になっちゃうから面白いですよ」と編集者は言っていた。だが、化粧もすっかり完了し完全にキャンディ・キャンディ姿になったのにキャンディさんはまだ写植屋のトッツァンのままだ。フリルのついた赤いドレスを着たまま私の前であぐらをかき、べらんめえ口調で警官に職務質問された時の話を楽しそうに喋っている。一人称が時に僕になったり俺になったりするが、「あたしはね」とか「キャンディはね」とかにはならない。なんかだんだん、豪快なママのいるゲイバーにいるような気がしてきた。
「女装と性欲は切っても切り離せないよね。俺だって昔は女装してはオナニーしてたもんね。アネキのスカートをはいただけで気持ち良くなってピュッと射精しちゃったりしてさ。女装クラブに初めてくる人なんか、更衣室に入ったきり出てこれないもんね。勃起しちゃうから。タイトスカートなんかはいちゃったらそんなの一発でわかっちゃうじゃない(ちょっと女っぽくなってきたかな)。慣れちゃうとそんなことはなくなるけど。勃起せずに女装することを楽しめるようになるっていうのかな。でも女装って複雑なんだ。女装することだけで満足する人はいないもん。女装して、それからどうするかなんだよね。だから女装者が十人いれば、十人ともその楽しみ方は違うと思うよ。或る人は男に抱かれたくなったり、女と擬似レズプレイをしたくなったり、女装した自分に恋をして鏡を見ながらオナニーしたり、外に出て人に見てもらいたくなったりね。とにかく女装って、SMとかホモとかレズとかセックスの全ての要素が入り込んでくるんだ。俺は残念ながらホモではない。女が好き。でも結婚してる女装者は多いけど、そういう人は奥さんとセックスをする時、絶対に奥さんを全裸にさせないね。何か着衣を残したままセックスをする。もし自分の彼氏がいつもそういうセックスをするのなら、その彼は潜在的かもしれないけど女装者だと思って間違いないね」
キャンディさんはロリコンだと自分で言う。ただちゃんとセックスをしたいから、彼の理想の女性は顔は幼女、体は大人、そして陰毛の無い女性ということになる。
「宮崎クンも女装することを覚えたら、あんな事件は起きなかったと思う。僕みたいに女装をすれば自分が幼女になれるんだから。ただ、世間やマスコミは宮崎クンのことを異常だって言うけど、彼は正常ですよ。正常な精神を持って彼は殺人を犯したんだ。異常だって言う人は、彼を異常者扱いして自分が安心したいだけなんだよね。そりゃ、子供を持つ親の立場からしたら許せないと思うけど、女装者として言わせて貰えば、あれは毎日のように沢山起こっている殺人事件の一つです」
キャンディさんは四十分ほど彼の宮崎クン論を語った。できれば宮崎クンに会ってみたいと言った。彼の言葉は、その一つ一つには説得力がある。だが、そのなんだ、トータルとして彼が何を言いたいのだろう。私が思うに、彼は弱者を特別視するな、弱者を異常者というカテゴリーでひっくくって社会の外に追い出すな、と言いたいのだと思う。
キャンディさんはその趣味のため、取り引き先から仕事を断わられることもある。
「でもいいんだ。仕事をするために生きてるわけじゃないし。どうせ人間なんて死んじゃうんだから好きなことをしなくちゃ」
「女装なんて病気よ。でもこの病気を持っていれば、他の大きな病気はしないと信じてるんだ」
「善意っていう判断があるでしょ。みんな、自分がいい人だと思ってるから苦しいんだよね。自分は悪人だと思えば、こんな楽なことはないよ。僕みたいな女装者として世間から見下されていると、とっても楽しいよ」
キャンディさんは自分で変態だと言う。
「変質者じゃないけど変態だよ。変態としてのプライドがあるよ」
一緒に行った、今は伝説になっている変態雑誌をかつて作っていた編集者は、「彼は変態だろうか」と言った。「だって、あまりにも饒舌で、それに自分の行動を理論づけているし、第一、健康的だからね」。
編集者に言わせると変態というのは、なぜ自分がこんなことをしてしまうのか説明できず、その行為に激しい後ろめたさを持ちながら、しかしそれ[#「それ」に傍点]をやめられない人のことだと言う。
私もそう思う。
キャンディさんの部屋で彼の話を聞いてるうちに、私は芝居小屋の楽屋で女形の役者と話をしているような気になっていた。こんなことを言ったら彼は激怒するだろうが、その目立ちたがり屋精神をもってすれば、関西のテレビ局あたりに売り込めばそこそこのお笑い芸人になれるのではないだろうか。
だって、変態としてのせつなさがあまりにもないのだもの。横浜の大道芸人協会の見方は正しいと、私は思った。
そして、キャンディさんはとうとう十二歳の少女には変身してくれなかった。最後まで、ちょっと変わった趣味を持ったオジサンだった。それにしても、いつの間にか自分のアパートの住人が女装者ばかりになってしまったら、大家さんは驚くだろうねえ。
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ゲイバー[#「ゲイバー」はゴシック体]◎新宿二丁目
[#1字下げ]1992年6月◎PKO協力法案、社会党・共産党などが牛歩戦術で反対するが、可決され成立する。[#「1992年6月◎PKO協力法案、社会党・共産党などが牛歩戦術で反対するが、可決され成立する。」はゴシック体]
「あんたもホモなんでしょ?エッ、違うの?ヤダーッ!!」
十二年前、私は大阪の天王寺で初めてゲイバーに行った。英語で楽園を意味する名前のその店には女装した三人のオカマがいて、店内の照明がやけに暗かった。ママはいつも黒いドレスを着て客引きの為に路上に立ち、レナと名乗るオカマは阪神タイガースが絶大な支持を得ている大阪を意識して虎模様のドレスを着ていたが、客はあまり訪れなかった。もう一人、アイちゃんという若く小柄なオカマはいつも鼻をグズグズいわせて泣きそうな目をしていた。聞くと、大阪のモグリの医者に二十万円で睾丸を取って貰ったのだが、それ以来ホルモンのバランスが崩れてどうにも体調が芳しくないらしい。早くサオ[#「サオ」に傍点]も取っちゃいたいんだけど、こんな調子じゃ……お金もないしさ、サオを取るには百万円必要なのよ。アイちゃんはそう言うとさめざめと泣いた。まだ睾丸を取っていないレナは、「バカよね、日本なんかで手術しちゃって。わたしは絶対にモロッコで手術するわ。なんたって性転換はモロッコよ」と言った。アイちゃんは酔っぱらうと「わたしは文学少女なの。五木寛之の本はほとんど読んだの。あんな幸せ[#「幸せ」に傍点]な恋愛をするのが夢だわ」と叫んだ。五木寛之のどんな本が特に好きなのかと聞くと、アイちゃんは「エート、ほらほら……」と言い空中に視線をさまよわせる。
「なんだっけな、なんだっけな。とってもステキなお話だったんだけど……」
たまたま私の他にいた客が、「ホンマはそんな本、読んだことなんかあらへんのやろ」とからかうと、アイちゃんは大声で泣き出すと同時に激怒し、その客のボトルを手にするとトイレに閉じこもった。そして、トポトポという明らかにオシッコではないボトルからウイスキーを流す音が小さく聞こえてきた。レナがトイレのドアを叩いてアイちゃんの名を呼んでも中から返事はなく、長い間そのトポトポという音は続いた。音が終わってもアイちゃんは出て来なかった。ボトルを突然奪われた客は新しいボトルを貰って怒りを静めたが、アイちゃんはとうとうトイレから出て来なかったので、私たちは尿意を催す度に店の外に出て路地で用をたした。レナは、「チンポコ取ってなくて本当に良かったわ」と言いながら立ち小便をしに外に出た。
大阪には梅田、難波、天王寺と三つの大きな町がある。梅田はキタ、難波はミナミと呼ばれ、天王寺は難波よりももっと南、紀伊半島の入口に位置し、こと水商売に限って言えばキタ、ミナミに比べて一番格下の町とされていた。町には誇張ではなく浮浪者、アル中、シャブ中、売春婦(夫)が昼間から溢れており、飛田というチョンノマの遊廓では九州から売られてきた娘たちが(現在はどうか知らないが、当時は間違いなく人身売買があの町にはあった)春をひさいでいた。学生という身分のまま決まった職もなくブラブラしていた私は、親に仕送りして貰いながらその町の夜にどっぷりと浸った。好きな女にはふられ、かと言って学校には行く気もせず、ましてや定職につこうなどとは露ほどにも思わずに、どうしようもなく肥大する自意識だけを大切に飼っていた私は、その町に足を踏み入れると全てが許されるような気がして毎晩のように通い、そのゲイバーにも三日に一度は行った。ママやレナやアイちゃんと喋っていると、その時だけは心が晴れるように思えた。私は自分がホモだとは思わないが、ゲイバーっていうのは弱くて駄目な人間に対して限りなく優しい所なんだな、と思った。
或る日、夕方の六時前にその店のドアを開けた。開店は七時だったが誰かいれば飲ませて貰おうと思った。ドアを開けるとそこにはパンツ一枚姿の、頭がすっかり禿げ上がったトッツァンが立っていた。私は思わずトッツァンの顔を見つめた。次の瞬間トッツァンは「キャーッ」と悲鳴を上げ横のテーブルに置いてあったカツラを頭に乗せた。
「やだ、なによ。まだ化粧してないから三十分後に来てね」
ママだった。私は何か凄い悪夢を見たような気がして、さすがにその日はその店には行けなかった。
秋口になってアイちゃんの姿が店から消えた。体の調子が悪くなって入院したとレナが言った。季節の変りめだからな、と私は答えた。そんな或る日の昼間、牛丼屋で卵をかけた牛丼をかっこんでいると、長髪でタンクトップを着た筋骨隆々の男に声をかけられた。誰なのかわからずに戸惑っている私に男は、「レナよ」と独特のオカマ声で言い隣に座った。その見事なまでの胸と肩の筋肉を見て、私は彼がかつて三池炭鉱で働いていたという話を信じた。
牛丼を食べながら、本当のところアイちゃんはどうしたのだと私は聞いた。レナは箸を止めるとお茶を飲み、ここだけの話よ、と言った。アイちゃんね、梅毒らしいのよ、もうかなり進んでて駄目みたい。ほらなんかあの子ヘンだったじゃない、突然泣いたり笑ったりしてさ、あれ病気のせいだったらしいの。でもこのことは誰にも言わないでね、こんな話が広まるとますます客が来なくなっちゃうから。
「君はどうするの?」
「もうあのお店はやめるつもり。梅毒の子と働いてたなんて気持ち悪いものね。ミナミのお店から来ないかって言われているの。天王寺からミナミの店に移るなんて、ちょっとした出世じゃない。一緒に九州から出て来たママには悪いと思うけどさ。いつまでもあそこにいてもどうしようもないしね」
ねえ、ここであったのも何かの縁だからさ、アタシのアパートに寄っていかない? というレナの誘いを断わって私は牛丼屋を後にした。ほどなくして私はそのゲイバーに十万円近いツケを残したまま大阪を離れ、東京の出版社にもぐり込んだ。
東京に出て来た当初、私は会社の上司に連れて行かれた新宿二丁目のゲイバーでベロンベロンに酔っぱらった。その店の人間は誰も女装していなかったので、私はそれがゲイバーだとは気づかなかった。上司は先に帰り、酔眼朦朧とした私だけが店に残った。私はそこのマスターに誘われるままに彼と近所の店に飲みに行った。カウンターだけの小さい店で、背広を着た中年から初老にかけた男と、どう酔った目で見ても十代にしか見えない少年の二人連れが四組ほど座っていた。中の一組はキスなんかしている。なんか変だなと思いながら私はマスターにすすめられるままにバーボンのソーダ割りを飲み、そしてカウンターで眠ってしまった。
気がつくと私は知らない部屋のベッドの上に寝ていた。下半身がもぞもぞするので上半身を起こすと、私の下半身はジーパンとパンツがずり下げられまさしくマスターにフェラチオをされる寸前だった。私は思わず彼を突き飛ばしジーパンのジッパーを引き上げながら、夢中でそのマンションなのかホテルなのかわからない部屋を出てタクシーをつかまえて自分の家に帰った。マスターの「ねえ、待って。私の話を聞いて!!」という叫び声が今も耳に残っている。今から考えてみれば、あれほど瞬間的に激しく他人から求愛されたことは三十三年間の私の歴史の中で無かったが、いかんせん私はやはりどんなに嫌われても女の方が好きなのだ。
それからしばらく私はゲイバーから足を遠ざけた。女性と同棲したり、仕事が忙しかったり、ゲイバーに行くならソープに行く方がよかったりと、いろいろな原因があった。それが最近、女性と別れ会社をやめ、エイズが怖いからソープに足を運ばなくなり、要するにとっても淋しくなって新宿二丁目に出没するようになった。その心境はかつての大阪時代と同じである。違うのは家からの仕送りがないだけだ。人間はかくも進歩しないものなのだろうか。
先日も私は新宿で友人と飲み、明日が早いという彼と別れて二丁目の或るゲイバーに行った。ゴールデン街で理屈っぽい話に囲まれるのはイヤだったし、女の子のいる店に行って女の子を楽しませる話をするにはちょっと元気がなかった。
ビルの三階にあるその小さなゲイバーには三人のオカマがいた。だが三人とも別に女装はしていない。今風のカッコイイ服に身を包んでいる。ママは三十代、二人の男の子は二十代である。
夜の二時を過ぎていたが店は客でいっぱいだった。そのほとんどが女性だ。聞くと、近くのレズバーから流れてきた女性たちらしい。
カウンターで隣り合わせた女性に、レズの人もよくゲイバーに遊びに来るの、と聞いた。黒いストレートの髪を腰のあたりまで伸ばした彼女は、恋人らしいショートカットの年配の女性に体をもたせかけながら答えた。
「よく来ますよ。だってぇ、こういう店の方が安心でしょ。男の人がいてもホモなんだから、絶対にあたしたちに変なちょっかい出してこないじゃない。お互いに下心なしの友達になれるのよ。わたしたちって他の町だと変に見られるから自分が同性愛者だってことは誰にも言わないけど、二丁目だったら言えるのよね。この町にさえいればわたしたちって自由なのよ!! あんたもホモなんでしょ? エッ、違うの? ヤダーッ!! 普通の男がなんでこんな所に来るのよ!! ア、わかった。どうせマスコミ関係かなんかで、わたしたちのことをバカにしようとしに来てるんでしょ。帰りなさいよ!!」
彼女はかなり酔っているようで、そう叫ぶとカウンターに突っ伏してグーグー寝始め、恋人に連れられて帰って行った。
私はママ格の三十代のオカマとカウンター越しに話をした。
「女性の客は多いの?」
「多いわねえ。レズとかお店帰りのホステスとか。恋人を見つけようとするホモはそういう[#「そういう」に傍点]店に行くからね。だからそういう店は女性は入れないわよ。わたしは友達としてだったら女性は大好きだから大歓迎だけどさ。男の客もノンケ(ホモじゃない男)が多いわね」
「でもママのセックスの相手はやっぱり男なんでしょ?」
「そりゃそうよ、男が大好き」
「病気なんか大丈夫なの?」
「病気って……エイズ?」
「ウン」
「わたしの友達にはいないけど……でも……」
「でも……?」
「……いいじゃない、そんな話は。さ、歌を歌いましょうよ」
明け方、私がその店を出てハトの鳴き声を聞きながらタクシーを掴まえようと道に立っていると、十八歳ぐらいの小柄な少年が近づいてきて「今日寝る所がないんだ」と言った。「僕も同じだ」と答えると彼は無言で去って行った。
ホモもレズも悲しく楽しい。深夜の新宿二丁目は悲しく楽しい。そしてこんな文章でしめるのはいかにも安易で気恥ずかしいのだが、人間は楽しく悲しい。
それにしても天王寺のあのゲイバーはどうなったろうか。アイちゃんはまだ生きてるのだろうか。
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AV女優[#「AV女優」はゴシック体]
[#1字下げ]1992年7月◎バルセロナ五輪開催され、女子200メートル平泳ぎで14歳の岩崎恭子が金メダル。男女マラソンで銀メダル。[#「1992年7月◎バルセロナ五輪開催され、女子200メートル平泳ぎで14歳の岩崎恭子が金メダル。男女マラソンで銀メダル。」はゴシック体]
「大丈夫ですよ。まだ若いんですから、これからもいい人が見つかりますよ」
わたしは三十歳の誕生日を前にして、それまで五年間勤めていた出版社を退社した。具体的な理由は特にない。ただ、就職した時から三十歳になるまでにはサラリーマンをやめようと漠然と思っていただけだ。
わたしはその出版社でエロ本を二冊作っていた。エロ本の編集者と言うと、友人たちは皆うらやましそうな顔をしたが、世間が思うほど役得のある職業ではない。ちょっとした物理的な事情があって、下積み経験もほとんどなく編集長になってしまったものだから、その仕事のほとんどはデスクワークだった。だから、風俗取材の仕事や、ヌード撮影に同行することは他の同僚の編集者に比べて極端に少なかったと思う。だから女性の性器をナマで見ることなどまずなかった。たまに撮影に同行しても、モデルさんがカメラマンの指示に従って足を開くと、現場慣れしていないものだから、本当はその生々しい姿を目に焼きつけたいのに、つい目をそらしてうつむいてしまうのが常だった。そして撮影が終わると、モデルさんはきっちりと帰ってしまう。そのけじめのつけ方は、まさにビジネスといった感じである。
わたしがその出版社に入社した頃はそうではなかった。モデルさんは時間にはルーズで二、三時間は平気で遅れてくるし、その挙句、「今日は行けない」という電話が待ち合わせの喫茶店に入るのも珍しくなかった。その理由は大抵、気分が悪い、生理になった、彼氏が泊まりに来ている、のいずれかであった。彼女たちのほとんどが、モデルプロダクションの人間に道で声をかけられてヌードモデルになった人たちだから、素人に毛が生えたようなものである。おまけにギャラも安かったから、プロ意識など持ちようがない。わたしたちスタッフもそのことは承知しているから、モデルさんが来られなくなっても怒ったりせず(その度に怒ってたら、それこそ身が持たない)、少し困ったような笑顔を顔に浮かべて新宿の中華料理屋で焼きソバなんかを食べて別れるのだった。
だがその代わり、美味しいことも沢山あったらしい。わたしはまだ新米でそのような僥倖に出くわすことは一度もなかったが、彼女たちの仕事に対する気持ちがアバウトであった分、撮影が終わってからの態度もアバウトで、彼女たちはカメラマンや編集者と酒を飲みに行き、そのままホテルに行くことは半ば常識だったらしい。わたしは編集長やカメラマンからそんな話を聞く度に、「よし、僕も一人前の編集者になったら絶対にモデルさんとセックスをしよう!!」と固く心に誓ったものだった。
その頃のエピソードとして忘れられない事件が一つある。会社で仕事をしていると、まわりの先輩たちの様子がどうもおかしい。いつもは明る過ぎる先輩たちが、妙に世界の不幸を一人で背負ったような顔をしている。そして、やたらとトイレに立つのだが、その時の姿がとにかく変だった。眉間に皺を寄せて腰をかがめ、不自然に腰を引きながらトイレに行くのだった。後から聞くと、その先輩たちは一人のモデルさんと乱交パーティをやり、全員が彼女から淋病を移されたのだそうだ。わたしは嘘いつわりなく、心から先輩たちを尊敬した。エロ本の編集者になったというのに、一度も性病にかかったことのない自分が恥ずかしかった。
ところが、時代というものは変わる。前記したようにわたしがひょんなことから(わたしに編集能力があったわけでは全くなく)編集長になった頃から、エロ本業界は以前のような牧歌的なものではなくなってきた。アダルトビデオというものが出現し市民権を得て、雑誌のグラビアに登場するモデルさんのほとんどがアダルトビデオ女優になってしまったのだ。そうなるとモデルさんのギャラも自然にアップして、それに伴って彼女たちにもプロ意識というのが芽生え始める。第一、驚くほど女の子たちが美形になった。なんでこんな可愛い子がビデオや雑誌で脱ぐんだろう、とわたしは思ったものだ。彼女たちの多くは異口同音に、この仕事をステップにして女優や歌手になりたいと言った。新宿や渋谷で彼女たちがスカウトされることには変わりはないが、アダルトビデオという動くビジュアルメディアが出現したため、そしてそのビデオというものが彼女たちの生まれた頃から歌番組やアニメやドラマを見続けているテレビという機械を通じて全国に流布されるものだから、それまではバイト気分でカメラの前で裸になっていた彼女たちは、大きな野心を持ち始めた。そして時代も、確かにその野心が可能かと思わせる気分を内包していた。だからプロダクションも彼女らの管理を強め始める。よって、彼女らは朝の仕事の待ち合わせ時間には決して遅れないようになったが、仕事が終わったらわたしたちの酒の誘いにも応じずにさわやかな笑顔を見せて家に帰るようになった。
高度経済成長をジャンピングボードとして、バブル経済とやらが日本全国を覆い始めた時だった。たまに撮影に行ってもモデルさんの多くは株をやっており、ラジオの株式市況の中継に一生懸命で、先輩たちが経験したような色っぽいことに事態が展開する隙はまるでなくなっていた。
だからわたしはせっかく念願の編集長になれたというのに、役得でセックスをしないまま会社をやめてしまった。まあ、わたし個人がただたんにモテなかったということもあるんでしょうけど。
会社をやめてから一年間、わたしは何をしていたかというと、失業保険を貰いながら学生の頃から一緒に暮らしていた女性に食べさせて貰っていました。その頃、その女性はホワイトペキニーズという小型犬を飼っており、わたしが毎日その犬を散歩させて五百円のこづかいを彼女から貰っていたのです。男としてなんと情けない生活だと思われるかもしれませんが、わたしにとってはとてつもなく幸せな一年間だった。このまま一生、犬の散歩をして生きていってもいいかな、と思ったぐらい。しかし人生、そう甘いものではありません。さすがにわたしの生活ぶりに愛想をつかしたのか、或る日その女性はわたしに部屋を出て行けと言った。これ以上、あんたみたいな甲斐性のない男と暮らすのはマッピラだ。そう言われれば、わたしとしても、なるほどなと納得するしかない。わたしはおとなしくそのアパートを出て八年ぶりに一人暮らしを始めました。
一人暮らしを始めてまず困ったのが金。なんたって仕事がないんだから、どうしようもない。悩んだ末に、わたしは以前に働いていた出版社でAV雑誌を作っている友人に電話をした。
「何か、仕事はないかな?」
わたしが編集者だった頃、たとえ友人であろうともそんな電話を貰ったら、まさにケンもホロロに断っていただろう。だがその友人は違った。
「じゃあ、アダルトビデオ女優のインタビューをやってみる?」
生意気にも、短いのはイヤだと言うわたしに、彼は十ページ近くの枚数を割いてくれた。そしてその雑誌『ビデオメイト・デラックス』でわたしのAV女優インタビューの連載が始まった。
第一回は日向まこが相手だった。そこで思ったのだが、わたしはインタビュアーとして実に不適格な人間である。まず初対面の人間とは酒を飲まないと話はできないし、男の兄弟しかいずにしかも男子校出身のため、女性と自然に会話ができない。さりげなく話をしようとすればするほど、変にかたくなになりぎこちなくなる。そんな風だから、AV女優のインタビューに不可欠な「初体験はいつですか?」とか「性感帯はどこですか?」といった質問がなかなかできない。結局、日向まこのインタビュー記事は堅苦しい雰囲気を表したまま終わってしまった。
それからもう三年がたとうとしている。『ビデオメイト・デラックス』の連載は事情があって終ったが、現在は二冊の雑誌でわたしはAV女優のインタビューをしている。この三年間で話をしたAV女優は何人になるだろうか。多分、五十人はくだらないんじゃないだろうか。エロ本の編集者をしていた頃に、実際には会えなかったAV女優さんたちに、会社をやめてから現在、こうやって毎日のように会えるのは不思議な気がする。
今まで会ったAV女優さんの中で、印象に残っている人を挙げてみよう。まず日向まこの次に会った松本まりな。彼女にはとにかく慰められた。当時わたしは女と別れた心の傷が癒えずに毎日のように酒を飲んでいた。そして松本まりなと会った時もわたしは二日酔いで、彼女と会うなりわたしは迎え酒でビールを飲み始めた。
「何かあったんですか?」
当時二十歳だった松本まりなはわたしにそう尋ねた。
「うん、女に出て行けって言われちゃってさ」
わたしはそう答えた。それからは、もうインタビューではなかった。わたしは何も言わずに酒を呷り、松本まりなはその時のわたしの心情を察したのか、「大丈夫ですよ。まだ若いんですから、これからもいい人が見つかりますよ」と繰り返し言っていた。いい娘だと思った。そして、仕事にかこつけて甘えている自分がイヤになった。
もう一人、特別に記憶に残っているのは、あの樹まり子である。わたしが彼女に始めて会ったのは、確か彼女が十九歳の時だったと思うのだが、その時点で彼女は五十人以上の男性とセックスをしていたはずだ。中二の時に二人の男性から犯された初体験の話から始まって、彼女の男性体験を聞いているうちにわたしは正直言って、ついつい焼き肉を食べ過ぎてしまったような、ゲップが出てもうカンベンしてくれと言いたくなるような気分になった。
その樹まり子と今年、わたしは久し振りに新宿の飲み屋で会った。すっかり痩せて大人っぽくなった彼女は、一時引退していたが再びAV界に復帰するという。久し振りに会った樹まり子は、最初に出会った時よりも素直で美人で可愛かった。多分この三年間、彼女にもいろいろなことがあったのだろう。
美穂由紀のことも忘れられない。彼女はわたしが唯一同じ雑誌で二度インタビューしたAV女優だ。彼女はもう引退したが、元気で生きているだろうか。わたしは美穂由紀が物凄く気が強くて、物凄く涙もろいことを知っている。彼女に最後に会った時、わたしは彼女に自分の電話番号を教えたが、まだ電話はない。多分、とってもステキな彼氏を見つけたのだろう。
それにしても、今回はわたしの個人的な話だけで申しわけありません。来月からはちゃんと取材をしますから、どうかカンベンして下さい……ネ。
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個室割烹[#「個室割烹」はゴシック体]◎西川口
[#1字下げ]1992年8月◎金丸信自民党副総裁、東京佐川急便からの5億円授受を認め副総裁を辞任。中国と韓国が国交を樹立。[#「1992年8月◎金丸信自民党副総裁、東京佐川急便からの5億円授受を認め副総裁を辞任。中国と韓国が国交を樹立。」はゴシック体]
「お客さん、取材の人なんだってね。困るんだよ。勝手に雑誌とかに出されるの」
その日、僕は新宿から埼京線に乗り赤羽駅で各駅停車に乗り換え、夕暮れの西川口駅に降り立った。そしてジーパンのポケットにある二枚の一万円札を手で確かめると改札を出た。二日前、やはり同じようにこの街に来た時のことを思い、僕はいささか気が重くなった。果たして店に入れてくれるだろうか。駅から歩いて五分程の所にその店「U」はある。僕はそこに直行せず、駅前の小さな飲み屋に入り勢いをつけることにした。
一週間前、僕は高田馬場の飲み屋で、打ち合わせを兼ねて本誌の編集者と飲んでいた。
「今度は何を取材しようか?」
編集者が言った。
「ウーン、そうだなあ」
僕は考え込んだ。エイズや警察の取り締まりなどもあって、どうも最近の風俗産業は元気がないような気がする。テレクラも一時の勢いがなくなったようだし、ソープランドなぞ客どころか働く女の子にも不足している状態だと聞く。いっそのことエイズの取材でもしようか、と僕は言った。編集者は笑って、
「ウン、それもいいけど、個室割烹って知ってる? 最近、西川口でそんな店が流行ってるらしいんだ」
と言った。個室割烹? 一体それはなんだと尋ねる僕に、編集者はバッグから『アサヒ芸能』を取り出すと或るページを開いて見せた。そこには、「今、個室割烹が大人気!!」といった体験取材記事が載っていた。その記事からすると個室割烹とはソープでもピンサロでもファッションヘルスでもない、本番風俗店らしい。個室に入ると酒と簡単なツマミが出て来て、相手をしてくれる女性とその場で本番ができるというシステム。最近めっきり少なくなった、いわゆるチョンノマというやつに似ていますね。風情があって面白そうだし、値段も一万円と安い。
「どう? そこ、体験取材してみない?」
「いいけど、でもやっぱりエイズが心配だなあ……」
「大丈夫だと思うよ。どうせコンドームするんだろうし……。俺、思うんだけど、最近ではその辺を歩いてる素人の女の子の方が風俗嬢より危ないぜ。外国なんかに遊びに行って、何をしてくるかわかんないんだから。その点今の風俗店は定期的に検診してるから安心だよ。大丈夫、大丈夫」
僕は編集者にそう説得されて、取材を引き受けた。そして、もちろん編集者も一緒に行くのだろうね、と言った。すると彼は、何をお前は言ってるんだ、という顔をしてこう言った。
「俺にはカミさんも子供もいるんだぜ。そんな所に行けるわけないだろ。その点、お前は独り者だから、万が一何があっても人に迷惑かける心配がないからいいじゃん。ま、店の前まではついてってやるよ、な」
ウーン……。
五日後、僕は編集者と二人で西川口の個室割烹「U」の前にいた。前金五千円と書かれた看板の前に立っている客引きのお兄ちゃんが声を掛けてきた。僕たちはそれを無視してその場を立ち去った。
「なんかさ、ぼったくられそうな感じだね?」
「大丈夫、大丈夫。今時ぼったくるような店なんかないって。じゃ、俺はそこの飲み屋で待ってるから、頑張ってね」
路上に一人残された僕は、仕方なく再び「U」の前まで行った。客引きが再び「いらっしゃい」と声を出しドアを開けて手招きをした。僕は「いや、どうも」などと口の中でモゴモゴ言いながらその中に吸い込まれるように入った。中はすぐに細い階段になっている。
「どうぞ、こちらへ」
階段の横の調理室らしい所から出て来た四十歳ぐらいの男が、僕の脱いだ靴をビニール袋に入れるとそれを持って、二階の部屋に案内してくれた。二階には部屋が五つほどあったろうか。男はその内の一つの部屋のフスマを開けると「前金でセット料金五千円頂きます」と言った。金を払った僕を男はその部屋に入れると、フスマを閉めて去った。
部屋は意外に広かった。八畳ぐらいはあるんじゃないだろうか。照明は薄暗い。部屋の真ん中にテーブルが置かれ、その両側にやけに縦に長い座布団が二つ置かれている。僕は落ち着かない気分でその座布団に腰を降ろした。テーブルの上に、「女の子には一切チップはあげないで下さい。もしチップを要求するような悪い娘がいたら、すぐに店長へ!!」と書かれた紙が貼ってある。すると全額五千円ということなのだろうか。本番をして五千円というのは安過ぎる。まさかそんなことはないだろう。
ほどなくして、さっきとは別の男が大きな長方形のお盆を持って部屋に入って来た。盆の上にはビールの中ビンが二本と、枝豆や煮物などのツマミの入った小鉢が四個乗っていた。男はそのお盆をテーブルの上に置くと「すぐに女の子が来ますから」と言って部屋を出て行った。部屋の中を見回すと、飲み物の追加オーダーの料金が貼ってあった。それによると、ビールが二本で千円、酒も二本で千円、スーパーニッカのボトルが三千円となっている。こういう店にしてはかなり安いのじゃないだろうか。
「失礼します」と声がしてフスマが静かに開き、カラフルな色の長襦袢の女性が入って来た。
その彼女の顔を見た瞬間、僕は内心、「こりゃ駄目だ」と思ってしまった。決してブスなわけじゃない。かと言って美人なわけでもない。強いて言えば、人の良さが全面的に出ている顔なのである。僕がこういう場所で会うには一番苦手なタイプである。ついお茶を飲みながら世間話をしてしまいたくなる。やはり風俗店では髪が赤くて化粧が濃くて、性格がとっても悪そうな女性と出会いたい。そういう娘が相手ならすぐにも勃起できる自信がある。ゴロンと寝転がって不貞腐れた顔で「早くしてよ」なんて言われると、正直言って燃える。それが妙に優しくされると、済まないという気持ちが先に立ってどうもいけない。歳を取った証拠なのだろうか。
彼女は僕の隣に横座りすると、グラスにビールを注いでくれた。僕も彼女のグラスにビールを注ぐ。そして二人でグラスを合わせる。彼女はグラスにちょっと口をつけると、僕に聞いた。
「結婚してるの?」
「いや、昔はしてたけど、今は一人」
「バツイチなの? じゃあ、わたしと同じだあ。握手、握手」
僕たちは握手をした。彼女はTシャツを着た僕の腕をさすった。
「冷房、寒くない?」
「イヤ、別に……」
「年、幾つなの?」
「今年で三十三……」
「ワッ、年もわたしと同じだ。握手、握手」
僕たちは再び握手をした。
「あのさ、サービス料として一万円貰うことになってるんだけど」
「ア、ああ……」
僕は慌ててポケットから一万円札を出して彼女に渡した。
「ここ、本番できるんでしょ?」
「ウーン、まあね……」
彼女はあいまいに笑った。
「布団とか敷くの?」
「ウウン。この座布団の上でしちゃう」
テーブルの上のティッシュペーパーの箱が生々しい。
「一日に、何人ぐらいお客さんを相手にするの?」
「そんな、何人も来ないわよ。二、三人くればいい方かな。夏はね、特にヒマなの」
「女の子は全部で何人いるの?」
「今日は四人。昼と夜で交代制なの」
「この店で働く前は何をしてたの?」
「本番をやるピンサロがあるでしょ。そういう所で働いてた。五年前に離婚してから、ずーっとこういう商売だよ」
僕がなかなかアクションを起こさず彼女に質問ばかりしているので、彼女の目に不安そうな光が宿った。
「ねえ、時間が四十五分しかないから、そろそろしないと間に合わないよ」
「いや、いいんだ、今日は」
「もしかしたらお客さん、週刊誌かなんかの人?」
「えっ、いや、週刊誌じゃないけど、似たようなもんかな」
「じゃあ、今日は取材なの?」
バカな僕は、つい、ウンと答えてしまった。すると急に彼女が一万円を持ったまま立ち上がった。
「お金、下に渡して来ないといけないから、ちょっと待っててね」
彼女はそう言うと部屋から出て行った。しばらくしてフスマをノックする音が聞こえたので「どうぞ」と僕は言った。フスマが開くとそこには最初に部屋に案内してくれた男が立っていた。そして僕をギロリと睨みつけるようにすると部屋に入って来た。
「お客さん、取材の人なんだってね。困るんだよ、勝手に雑誌とかに出されるの。ただでさえ警察に睨まれてるのに、派手に雑誌とかに出るともう取り締まられちゃうんだよ。この前も大宮で似たような店がつかまっちゃったばかりだからね。この前、アサ芸に出た記事は西川口の他の店のことなんだけど、みんなにウチのことだと思われて弱っちゃってるんだよ。だからアサ芸を読んで来たっていうお客さんは断わることにしてんの。ハッキリ言って迷惑なんだよ。だからさ、このサービス料の一万円は返すから、今日は帰ってくれませんか」
男はドスのきいた声でそう言うと一万円札を僕に返した。僕は、わかりましたと答え、部屋を出た。入り口で靴をはいてると先程の女性がやって来て、僕の耳元で囁いた。
「ごめんね。でも、取材に来る人で自分から取材だって言う人っていないよ。あんた、その仕事、向いてないんじゃない」
僕は店を出ると、編集者の待つ飲み屋に行き、ありのままを報告した。編集者はあきれたように溜息をつき、何も言わなかった。
二日後に僕が西川口を訪れたのは、あの彼女の「その仕事、向いてないんじゃない?」という言葉と、編集者の失望したような表情が忘れられなかったからだ。本番ぐらい、やってやろうじゃないの。
飲み屋を出た僕は「U」に向かった。そして客引きのお兄ちゃんに声を掛けた。
「あの、入りたいんだけど……」
お兄ちゃんは僕の顔をジッと見た。
「あれ? あんた、この前の取材で来た人?」
「ウン。でも、今日は仕事じゃなくて個人的に遊びに来たんだ。記事にしたりしないから、遊ばせてくれないかな」
お兄ちゃんは、「ちょっと待ってて」と言うと店の中に入った。そして一分ほどして出て来ると済まなそうに言った。
「ごめんな、店長が駄目だって、取材の人間は信用ができないって」
小雨が降って来た。八月だというのに、やけに肌寒い日だった。
「あんた、この仕事、向いてないんじゃない?」
今、店の中で体を張って働いているだろうあの女性の言葉が、駅に向かう僕の頭の中で何度もエンドレステープのように鳴り響いた。
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SMクラブ[#「SMクラブ」はゴシック体]◎恵比寿
[#1字下げ]1992年9月◎宇宙飛行士の毛利衛ら7人を乗せた米スペースシャトル「エンデバー」打ち上げ。[#「1992年9月◎宇宙飛行士の毛利衛ら7人を乗せた米スペースシャトル「エンデバー」打ち上げ。」はゴシック体]
「わたしは女王様専門……Sっ気がありすぎるからM女にはとてもなれない」
九月の或る日曜日の午後、私は恵比寿の駅に降り立った。二、三日前までは三十度を優に越える暑気が首都圏の街々を覆っていたのだが、その日は雲ひとつない青空が心地よく広がり、吹く風は秋の訪れをすぐそこにまで感じさせ、実に気持ちがよかった。こんな日は気の合う友人たちと二子玉川べりの茶店でビールを飲むのが楽しいんだよな。そこに可愛い女性が一人混じっていれば言うことはない、などと思いながら改札を抜けて駅を出る。
恵比寿はどちらかと言うとビジネス街だ。特に私が出た東口に面した方はその趣が強い。だからビルの立ち並ぶその街は、日曜日はほとんど人通りがない。隣の渋谷やその隣の原宿などは若者でごった返しているだろうに、ここは都会の中にとつぜん現れたエアポケットのように静かだ。
私は駅前の電話ボックスに入るとジーパンのポケットから一枚のメモ用紙を取り出し、そこに記された番号に電話をした。若い男性が出て、そこに行くまでの道順を教えてくれた。私はゆるゆると続く坂道を降り、目指すマンションの前に立った。空と風が本当に気持ちいい。私は小さく息を吸い込むと、マンションの中へ入った。エレベーターのボタンを押すとドアが開いた。私はそれに乗り込み、目的の階のボタンを押す。ほどなくしてエレベーターは停まり、エレベーターを出た私は先程電話で教えられた番号の部屋のインターフォンを押す。ガチャリと音がしてドアが開き、電話で応答してくれた人らしい男性が姿を現わした。
「お待ちしてました。奥の部屋へどうぞ」
私は礼を言い靴を脱ぐと部屋に上がった。その部屋にはソファとテーブルと本棚があり、本棚にはSM雑誌やSMビデオがぎっしりと並んでいる。壁にはSMプレイ中の男女の写真や、ボンデージファッション姿の女性の写真がセンスよく飾られている。そして玄関と正対したところに襖があった。
「小さな犬がいるんですけど、犬は苦手じゃありませんか?」
襖を開けようとして、男性が私にそう聞いた。大丈夫だ、と私は答えた。襖が開き、男性は私を次の部屋に招き入れた。
畳敷きのその部屋は、やはりソファとテーブルがあり、一人の髪の長い小柄な女性がソファに座りヌイグルミのような小犬と遊んでいた。
「あの、女王様ですか?」
私がそう尋ねると彼女は顔を上げクスッと笑い、「ええ、そうです」と言った。
私はその若き女王様に勧められるままに彼女の横に腰を降ろした。三分の一程開けられた窓から時折吹き込む風が、やや汗ばんだ肌を冷やしてくれる。床上を走り廻っていた小犬が私の足を咬む。駄目よチャッピー、と言いながら女王様が自分の膝の上に小犬を抱き上げる。
ここは開店して六年ほどたつSMクラブである。目黒に姉妹店がある。ここに所属している女性はほとんどがM女かSM兼任であり、女王様専門は私の隣で犬をあやしている彼女一人だ。
「最近はSのお客様がほとんどなんです。M男は少なくなりましたね。二、三年前はM男ばかりだったんですが」
アイスコーヒーを私の前に置いてくれたマネージャーと覚しき男性がそう言った。
「でも週に一度ぐらいM日っていうのがあって、一日に五人も六人もM男がくる日があるのよね。そんな日はわたしなんかてんてこまいなの」と女王様が笑った。
私はノートとペンを取り出し、東京の女王様に話を訊くことにした。
「この店に勤め始めて七カ月です。その前は専門学校の学生でした。ちゃんと卒業しましたよ。現在、二十二歳です。
女王様になった動機ですか? 昔から心理学というか、精神分析みたいなものに興味があってそんな本ばっかり読んでたんですね。その内に、実際にそういった人間の裏側の姿を見れる仕事がしたくなって、SMクラブで働くことにしたんです。本当は精神科医になるのが一番なんですけど、それは無理だしね。
わたしは女王様専門です。収入的にはM女の方がお客も多いし料金も高いから儲るんでしょうけど、わたしはSっ気がありすぎるからM女にはとてもなれない。でも少なくとも日に一人はMのお客様がいらっしゃいますから生活に困ることはありませんね。趣味と実益がかなって楽しいです。
お客様の年齢層は幅広いですね。二十代前半から六十代といったところでしょうか。でもそう安いお遊びじゃありませんから、やはり三十代から四十代の方が主ですね。プライベートなことを訊かないようにしてますから職業はわかりませんけど、場所柄、やはりサラリーマンの方が多いように思います。お店に来る時もちゃんとネクタイをされてる方が多いですね。
プレイする場所は目黒のラブホテルです。ここからタクシーでワンメーターですから、そんなに遠くありません。常連の方は電話を貰ったら直接ホテルに行って待っててもらってます。料金は四十分で一万円から、オールナイトで十二万円までいろいろです。
お客様ですか? これはもう十人十色と言うか百人百色と言うか、本当に千差万別ですね。まあそれぞれ性格の違う人間なんですから、それは当り前なんでしょうが」
私は昔からSMには少なからぬ興味があった。元々Mっ気が強いので、SMクラブを取材して話を聞いたりすると、一度体験したら自分もハマってしまうかもしれないなと思うことが何度かあった。しかし、その時の自分を想像するとどうにも一人で照れてしまう。よろしく、などと言いながら女性とホテルに入りその五分後にはその女性の前に跪いて「女王様」と口走っている自分の姿は想像するだにお世辞にも誇れるものではない。それはまあいいとしても、女王様に「わたしの前でオナニーをおし」などと命令されて興奮しきった自分が快感の虜となってトロンとした目をして右手を動かして、問題はその後である。男は射精をすると一気に冷めるものだ。射精した瞬間に、そこに至るまでの自分の行動が客観的に押しよせてくるに違いない。これはね、かなり恥ずかしいと思う。
「プレイが終わった後で照れちゃうお客様もたまにいらっしゃいますね。『俺、なんか恥ずかしいことしちゃったなァ』なんて。でもそういう方は必ず二度、三度と来ます。そしてだんだん慣れていくというか解放されていくというか、照れなくなります。だから、あなたも大丈夫ですよ。
お客様が奴隷に変わる瞬間ですか? プレイの前にシャワーを浴びて貰うんですが、その間にわたしは女王様のコスチュームに着替えるんですね。そしてお客様がシャワー室から出て来て黒い網タイツ姿のわたしを見た瞬間、何も言わなくともわたしの前に跪き挨拶をします。『女王様、どうぞ奴隷のわたしを調教して下さい』って。その時点でペニスは大抵勃起してますね。
皆さん、言葉で嬲られるのがお好きです。特にペニスのことを嬲られるのが。『こんなちっぽけなものをつけててよく生きてられるね。お前、本当は男じゃないんじゃない』なんて言うと、おびえた顔をしながらも興奮してますよ。
わたし、男性のおびえた顔が好きなんです。ローソクを垂らす時や、洗濯バサミでペニスを嬲る時なんか、本当におびえた目をするんです。そんな顔を見ると、体中ゾクゾクしちゃって、思わず自分が濡れるのを感じます。
あと、大抵の人は聖水ですか、わたしのオシッコを飲みたがりますね。飲ませ方はいろいろです。顔面騎乗したまま飲ませたり、椅子に縛りつけてわたしがテーブルの上にしゃがんで飲ませたり、床に寝かせてわたしが立ったまま放尿してやったり、その時のプレイの流れによってわたしが判断するんです。魔法瓶にわたしのオシッコをつめて持ち帰る人も多いですね。家でチビチビと飲んだり、御飯にかけて食べるそうです。
唾液やウンコをタッパーに入れて持ち帰る人もいます。そういう人たちって、わたしの体から出た物を後になって見て、確かにあのプレイの時間は夢ではなかったと確認したいらしいんですね。確認することによって、再び楽しめるというわけです。
あと、わたしが咀嚼したサンドイッチなんかを食べたがる人もいます。オシッコ、唾液、ウンコ、そして咀嚼物を体に入れることで女王様と一体感を味わうらしいです。
ウンコを食べたい方は、前日に予約して頂きたいですね。そうそう簡単に出ませんから。浣腸便ならいつでも大丈夫なんですが、大半の方は固形便を食べたがりますからね。
アナルを責められるのが好きな方も多いです。肛門にわたしの手が手首までスッポリ入った方がいた時は、さすがにビックリしましたけど。あと、わたしのオシッコで浣腸してくれと言うお客様にも驚きました。洗面器におしっこをして、ちゃんとしてやりましたけど。涙を流して喜んでましたね。
お腹を痛めつけてくれという方もいました。あとは何もしなくていいから、プレイの間中、ハイヒールで腹を踏み続けてくれとおっしゃるんです。家に帰ってからその痛みを感じながらオナニーするんだそうです」
それにしても、二十二歳の若さでそんな男性たちの姿を毎日のように見ていたら、女王様自身のこれからの恋愛に支障はきたさないのだろうか。男性不信に陥らないのだろうか。
「それはないですね。誰だって隠してる部分ってあるじゃないですか。それが普通の人間でしょう。だから嫌悪感なんか覚えませんよ。むしろいとおしくなります。今は恋人はいませんが、彼氏ができてその人がマゾだったら望むことをなんでもしてあげますよ」
一時間半ほど女王様の話を聞き、私はそのマンションを辞した。空っ腹でやたらと煙草をふかしていたからか、胃が妙にもたれて気持ち悪くなっていた。
だがそれよりも、女王様の話を聞きながら、やたらと口中に唾液が溢れてきた自分が恐かった。
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女性風俗ライター[#「女性風俗ライター」はゴシック体]
[#1字下げ]1992年10月◎米国ルイジアナ州で留学中の高校2年生服部剛丈が訪問先の家を間違え家人に射殺される。[#「1992年10月◎米国ルイジアナ州で留学中の高校2年生服部剛丈が訪問先の家を間違え家人に射殺される。」はゴシック体]
「女の裸さえ載っけときゃ売れるって思ってるアホな編集者ばっかりだからさ」
先日、久し振りに風俗店廻りをした。某雑誌からの依頼で二日間で六軒のファッションマッサージ店を取材したのである。
取材時間は一軒につき約三十〜四十分。女の子の写真を撮って、初体験の時の話や性感帯など基本的なことをポンポンと訊いては、「ありがとうございましたァ」と礼を言って別の店へ向かう。池袋、新宿、代々木、目黒、六本木と東京の繁華街をカメラマンと共に急ぎ足で歩き廻った。
この仕事のコツはできるだけ短時間で取材を終えることである。女の子の生い立ちや悩みなんかを知ろうと粘ることは反則だ。店の営業時間内に取材をするわけだから時間が長びくと当然、店側から嫌われる。それに、そんなデータを編集者は望んでいないし、読者だってそんな辛気臭いことを知ろうとは思っていない。女の子がどんなに可愛くてオッパイが大きくても、「お父さんは大工だったんですけど私が十歳の時に仕事中に屋根から落っこちて右足が不自由になったんです。それ以来お父さんは酒浸りになって、お酒を飲むとお母さんや私に乱暴をふるうようになったんです。お母さんはそれを苦にして首を吊って死んじゃいました。そして、お母さんの葬式の晩に、私、お父さんに犯されちゃったんです」なんて言われたら、立つモノも立たなくなっちゃうものね。
風俗嬢の情報はあくまでも「初体験は十五歳の時。相手は二つ上の先輩。場所は彼の家。うん、彼の両親が留守だったの。エッ? ただ痛かっただけよ。その人とはすぐに別れちゃった。セックスが気持ちいいと思ったのは三人目の彼の時。その人は大学生だったんだけど凄い遊び人でぇ、とっても上手だったの。性感帯はねえ、そうだなあ、とりあえず全身どこでもってしといて。胸とか背中とかって言っちゃって、それが雑誌なんかに載っちゃうとぉ、お客さんってそこばっかりしつこく舐めてくるのよねぇ。それって困りモンだからぁ、全身って書いといて。好きな男性のタイプ? ウーン、江口洋介みたいな男らしい人」ぐらいでいいのである。第一、生いたちなんか訊いたところでそんなことを書くスペースなんか貰えない。
とにかく私は店から店へと蝶のように移動しては取材をした。でもなんか、仕事をしているという気がしない。こんな楽をしてお金を貰っていいのだろうか、という思いがついてまわった。カメラマンにそう言うと、彼は「ウーン、でもこれが一月の内で一日や二日だからそう思うかもしれないけど、毎日だったら精神的にしんどくなるんじゃないかな」と答えた。
そうかもしれない、と私は思った。もし私がこの仕事を毎日やれと言われたら、一体自分は何をやっているのだろうと疑問を感じ、かなり鬱屈してしまうだろう。それはその仕事自体がどうのこうのではなく、私自身の問題なのだが……。
だが、世の中にはちゃんと毎日のように風俗店及び風俗嬢を取材している人たちがいる。俗に言う「風俗ライター」と呼ばれる人たちである。
私はエロ本の編集者をしていた頃、その方々に大変お世話になった。グラビア四ページでソープ嬢の紹介をしたいと思うと、私は知り合いの風俗ライターに電話をする。すると二、三日後には十人ほどの可愛いソープ嬢のネガとデータが手に入るわけである。
彼らは大抵一人で行動する。日頃からマメにいろいろな店と連絡を取り合い、いい女の子が入ったと聞けばカメラ片手に出かけては取材をする。ソープに強い人、ピンサロに強い人、SMクラブに強い人とやはり人によって得意分野はあるが、その情報網には大変なものがある。
私が初めて風俗店の取材に行ったのは、出版社に勤め始めて間もない頃だった。編集長に命じられて三十代半ばの風俗ライター氏に同行して巣鴨のピンサロに行ったのである。仕事内容から言えば別に私が行く必要はなかったのだが、編集長は新人に何事も体験させようと思ったのだろう。
ライター氏は何人かのピンサロ嬢と手短かにインタビューをし、彼女らの写真を撮り、無事に取材は終わった。私がすることは何もなく、ただ仕事前のピンサロ嬢たちを物珍し気に眺めていただけだった。
店長に礼を言い、私たちは店を出ようとした。その時である。店長が意味あり気な笑みを顔に浮かべて私たちに近づくと、「どうかいい記事をお願いしますね。これは少ないですけどお車代です」と言い、私たちのシャツの胸ポケットに小さな|熨斗袋《のしぶくろ》を差し込んだ。私は驚きライター氏の顔を見た。ライター氏は「大丈夫」と言うように目くばせをすると、店長に「どうも」とそっ気なく言った。
店を出て熨斗袋を開くと一万五千円が入っていた。二人で三万円である。別にカッコをつけるわけではないが、私はライター氏に、「この金は返した方がいいんじゃないか」と言った。すると彼はニッコリ笑い、「いいの、いいの、いつものことなんだから。返したりしたらかえって失礼になっちゃうよ。この金でなんかうまいもんでも食べて帰ろう」と言った。私は昔も今もプロの言葉には無条件で従うことにしている。二人はその足で鰻屋に入り三万円弱を飲み食いして家路に着いた。
酔っぱらいながら、これで俺も政治家の悪口を言えなくなったな、とボンヤリと思ったことを覚えている。
ところで、その仕事の性質上、風俗ライターはどうしても男性が多い。私が知る限り署名原稿を書いていた女性の風俗ライターはあべしょうこさんと中村小夜子さんの二人しかいない。あべさんはその独特の多情的な文体で今も活躍しているらしいが、中村さんは不幸な事故で亡くなられてしまった。
女性の書く風俗記事というのは、書き手が女性であるというだけでも不思議な魅力がある。だから、かなり難しいだろうが、この分野にもっと女性が進出して来ないものかと思っていた。そうしたら、ハイ、ちゃんといらっしゃいました。
彼女の名前は深沢薫。本名です。弱冠二十五歳ながら、全国の性風俗店を飛び廻っています。ソープだろうがファッションマッサージだろうがSMクラブだろうがなんでもござれという、実にたのもしい女性である。
私はぜひ、その深沢さんにお会いしたいと思ったが、私なんかと違って彼女はとても忙しくなかなか連絡が取れない。編集者が粘りに粘って、この原稿の締め切りギリギリになってやっと白夜書房の会議室で彼女に会うことができた。
深沢さんは、メガネをかけた小柄でチャーミングで、なおかつ知的な雰囲気を漂わせた女性だった。服は黒のブラウスに黒のパンツという出で立ち。
私がビールをすすめると、「本当は好きなんですけど、今はこれだからやめてるんです」と言い、自分のお腹を指さした。見るとお腹が見事に膨らんでいる。
「妊娠八カ月目なんですよ」
訊くと、ご主人は彼女より二歳年下の調理師さんだそうだ。妊婦の風俗ライターというのは、多分今のところ日本では彼女一人だろう。大きなお腹を抱えてカメラとペンを持ち風俗店に出入りする彼女の姿を想像すると、何やらホノボノとしたものを感じつい笑ってしまった。同性に取材されると風俗嬢は少なからず抵抗感を覚えるのじゃないかと思っていたが、深沢さんなら彼女らも受け入れてくれるだろう。
「みんなに言われるんです。お前はあまりにサバサバし過ぎていて女じゃないみたいだって。ちゃんと妊娠できたのにねえ」
深沢さんは東京出身。中学を出て服飾関係の専門学校に通う。卒業後女性誌の出版社に編集者として入社。そこを二年でやめて風俗ライターとなる。
「もともと性風俗には凄く興味があったんです。新宿とかに出てソープランドのネオンを目にすると、あのお店の中では一体どんなことが行われてるか知りたくて仕方がなかったんです。それで風俗関係の雑誌を作っている編集プロダクションに入って、風俗ライターになったんです。二十一歳の時でした。プロダクションの社長も最初のうちはそんな小娘が性風俗の取材なんかできるわけがないと思ってたらしいんですけど、自分で勝手にアポイントメントを取ってちゃっちゃと取材に行ってきました。でもやっぱり初めの頃はさすがに女の子たちに舐められちゃって、なかなかインタビューができなかったですね。なんたって取材する方も取材される方も大体同じ年か私の方が年下なんですから、バカにされるのも無理はないですよ。そのうちにお姉さんぽくふるまうことを覚えて、なんとかスムーズに仕事ができるようになりましたけど」
深沢さんは現在、約十五冊の雑誌で文章と写真を掲載している超売れっ子だ。もちろんご主人より収入はいい。最近では風俗業界でのネームバリューも高まり、いろいろな風俗店からぜひ取材をしてくれという電話がひっきりなしにかかってくるらしい。
「自分でアポを取るしかなかった駆け出しの頃を思うと、確かに楽にはなりましたね。でも、正直言ってもう飽きてきちゃった。四年間でそれこそ何千人っていう女の子と会ってきたけど、みんなそんなに違いはないしね。この前会ったファッションマッサージの子は久々にヒットだったな。彼女、中学生の時に父親が死んで母親の再婚相手に犯されて、その後に妻子持ちの男とつき合い始めてその男に貢ぐために風俗に入ったんだって。その男になんとかしてお店を一軒持たせたいそうなの。結婚は考えてないんだって。そんな話を実に明るく喋るの。でもさ、残念だけど風俗誌じゃそういう話って書けないじゃない。女の裸さえ載っけときゃ売れるって思ってるアホな編集者ばっかりだからさ」
今、風俗業界はエイズとバブル崩壊などで大変な不景気らしい。そうなると風俗ライターも共倒れになるのではと思うのだが、彼女に言わせるとこれが全く正反対らしい。業界が不景気になればなるほど、店側は一人でも多くの客に来て欲しいから宣伝のために風俗ライターの仕事はどっと増えるのだそうだ。
ここで深沢さんが最近書いた文章を紹介したい。江戸っ子らしいタンカのきいたいい文章である。
――風俗暗黒時代で業者はさらに風俗ライター様々になっているけど、バカらしい。エイズ問題は確かに可哀想だが、バブル時代イイ気になってプレイ料金をポカスカと上げたのは誰? 今の業者はたかが風俗ライターを先生呼ばわりして、表面だけ頭を下げる。そしてちょっとのミスにはヤクザ根性を出し、脅してみせるだけ。ほんの少し前まで残っていたヤル気いっぱい、誠意ある業者のおっさん達は一体どこへ消えちゃったんだろう。なんだか今の私の忙しさって……少し虚しい――
深沢さん。元気な赤ちゃんを産んで下さいね。そして風俗を通して、あなたにしか書けない文章をこれからも書いていって下さい。
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イメクラ[#「イメクラ」はゴシック体]◎目黒
[#1字下げ]1992年12月◎自民党竹下派が分裂、小沢グループが羽田派を旗揚げ。韓国大統領に金泳三氏が当選。[#「1992年12月◎自民党竹下派が分裂、小沢グループが羽田派を旗揚げ。韓国大統領に金泳三氏が当選。」はゴシック体]
「わたしの好きなプレイは女教師プレイや、オフィスでの女上司プレイ」
暖房のきいたそのマンションの一室は冬とはいえ昼下がりの陽射しが差し込み、セーターを着こんでいる身としては暑いくらいだった。カーテンの隙間から覗ける目黒の住宅地の風景は静かでのどかだった。
ドアを小さくノックする音がした。私が「どうぞ」と言うとドアがゆっくりと開き、黒いレースのブラウスとスカートを身につけ、ゆるいウエーブのかかった髪の長い女性が現れた。タレントの三田寛子を色っぽくしたようなその女性は、「よろしくお願いします」と言うと私の目の前にあるベッドの上にフワリと座った。声は高くも低くもなく、実に耳に心地よかった。あくまでも控え目な発声なのに、妙にこちらの鼓膜を気持ちよくくすぐる。
この女性こそ、イメージクラブ店「ピーターパン」で人気ナンバーワンのあさみさんである。現在二十一歳。
私は彼女への取材の仲介を、この店の社長さんと親しい友人のライターに頼んだのだが、社長氏は彼女の取材をOKすることに消極的だったらしい。なぜなら、あさみさんは別に雑誌などに紹介されなくとも充分にお客さんがついているのだ。むしろこれ以上、彼女を指名する客が増えると捌ききれなくなるのが目に見えている状況なのである。それでもこのインタビューができたのは、彼女自身が写真を撮らないことを条件で、OKしてくれたからだ。いい人なのである。
「東京生まれで、今も実家で両親と暮らしてます。だから写真を撮られると困るんですよね。
高校を卒業して旅行代理店のOLをしながら、夜は性感マッサージの店で働いてたんです。ところが今年の初め頃の或る朝、いつも通りに出勤すると会社が倒産してたんです。社員のほとんどは会社がそんな経営状況にあったとは知らなかったから、みんな慌てましたよ。家庭を持ってる男の人なんか、呆然としてました。バブルの崩壊という言葉を、初めて身にしみて感じましたねぇ。
それからしばらくは昼も性感マッサージの店にいたんですけど、去年はあんなにお客さんが来てたのに、パッタリと客足が途絶えちゃったんです。一日中店にいて、一本も来ないこともザラでした。エッ? ああ、一本というのはお客さんのことです。この業界ではお客さんが三人ついたら、三本抜いたっていうんです。やはりペニスのことでしょうかね。でもそんな呼び方、ちょっとお客さんに失礼ですよね。済みません。
それで性感[#「性感」に傍点]にいてもお金にならないんで、人の紹介でこの店で働くようになったんです。親には普通の会社でOLをしているって言ってます。知り合いの人が会社を経営しているんで、そこに籍だけ置いて貰ってるんです。生理の時はイメクラの仕事はできないけど、家にいるわけにはいかないからちゃんとその会社に行って時給五百円で事務のバイトをしています」
御存知のようにバブルとやらが崩壊して中小企業が次々と倒産し、大手企業でもボーナスの一部が現物支給となったことなどが話題となっている今日この頃、どこに行っても景気のいい話は聞かない。ソープやファッションヘルスなど性風俗を代表する店においてもそれは同じである。だがそんな業界にあって、イメージクラブ、通称「イメクラ」の店が流行りに流行っていると聞いた。
イメージクラブとは一体なんぞや。週刊誌やスポーツ新聞などの紹介記事を読んで知っている方も多いと思うが、要するに普通のファッションヘルスに芝居が加味されたものである。ただ単に裸になった客と女の子が即物的にシックスナインをして女の子の手、もしくは口で客が射精をするのではなく、その結果に至るプロセスを客の希望する設定で楽しむのである。
例えば痴漢プレイ。これは部屋の中に取りつけられた吊り革を利用して部屋全体を電車の車両に見たてて楽しむものである。即ち、客の要望によりセーラー服やボディコンスーツや普通のOL風のスーツを着た女の子が吊り革を掴んで立ち、背後から客が彼女の体を好きなように触りまくるわけだ。女の子は客のリクエストにより、抵抗したり何も言えずに恥ずかしがってされるがままになったりする。そして最後は電車を出てホテルかどっかのベッドの上で結末を迎えるというわけだ。
例えば女教師プレイ。客が生徒になり、女教師のペットになったり、逆に女教師を凌辱したりする。そのプレイのために部屋には教室の机に見立てた学生用の机が用意されてある。
他にも近親相姦プレイ、これは女の子が妹や母親や姉になったりするわけですね。オフィスラブプレイ、部下の女の子に思う存分セクハラをしたり、また上司の女性にいじめられる。女医プレイや制服プレイなんてのもある。それらのプレイのために、店には様々な女性用の服が用意されている。前述した以外にも、ウェディングドレス、スチュワーデスの制服、ナース服、オムツ、ブルマー、浴衣、どんなプレイなのかわからないが赤フンドシなんてものまである。
性風俗の取材をしたり男の友人と話をしたりする度に思うのだが、男が性的興奮を感じる必要状況とは実に様々である。極言すれば指紋と同じように、人間が百人いれば百の性癖がある。マゾ気質を持った男性でも、その望むいじめられ方はいろいろだ。或る者は全裸にエプロン姿で皿洗いを女王様から命じられると至福の悦びを感じるかと思うと、別の男は睾丸に銀製の針を女王様に突き刺して貰わないと射精することができなかったりする。
逆に言えば、男は射精さえすればいいという動物ではない。射精に至るプロセスが大事なのである。ドタッと寝そべり鼻息だけを荒くして自分の快楽だけを貪ろうとする女房や恋人の体の上で射精をしても、それは男にとって快楽ではない。その女性との関係性を円滑に維持するための労働にすぎない。己れの快楽のためだったらそんな労働よりは、たとえ貧しい想像力であろうともそれを駆使したオナニーの方が百万倍も気持ちがいい。
私はこのイメージクラブというものが流行っている理由がわかるような気がする。ソープやファッションヘルスは女房や恋人が別の人間に変わっただけである。やたらと聞き分けがいいという違いはあるが、大筋は同じだ。ピンサロは本当に射精だけの場である。もっと精神的な性欲を満足させてくれる場所はないのだろうか。迷える男たちがそう思い始めた時、SMクラブが出現した。そこで、男たちは今までのあくまでもフィジカルな性風俗ではなくメンタルなそれを経験した。だが、SとMというコースに大別されたプレイから落ちこぼれる人間が現れるのは明らかである。人間はどんなに頑張っても記号には成りえないのだから。
そこに、できるだけメンタルな性欲を満たそうというイメージクラブができたのである。一度でいいから、自分が毎日利用しているラッシュの小田急線の中で思う存分痴漢をしたいと思っているお父さんが、疑似ではありながらその願いを満足させることができるようになったのである。
「男の人って、かわいい。会社では多分とっても威張ってる人が、ここではわたしの前で素直な子供に変身するんです。
わたしの好きなプレイは女教師プレイや、オフィスでの女上司プレイ。SMの女王様みたいにハードにはなれないけど、優しく男の人に命令するのが好きなんです。『さあ、わたしの前で四つん這いになってオナニーしてごらんなさい』とか。みんな最初は恥ずかしがるけど、わたしがその人の前で膣を広げて見せたりすると、もう一生懸命になって手を動かして声を出してイッちゃいます。本当はせっかくだからフェラチオでイカせてあげたいんだけど、オナニーをする姿を見ててくれっていうお客さんが多いですね。
週に一回は必ずくる男の子もそうなんです。十八歳で体が大きくて、髪の毛もリーゼントにして見るからにツッパリなんですけど、彼、女教師プレイが好きなんです。私が彼の家庭教師になって、『どうしたの? この前のテストは全然駄目だったじゃない』なんて叱ったりするとすごく喜ぶんです。『僕、硬派で売ってて不良だと思われてるけど、本当はこうやって叱られたいんだ』って言ってました。週に一回こういう所に来るのはお金がかかり過ぎるから月一回でいいのよって言ってるんだけど、ここに来るためだけにバイトをしてるから大丈夫だって。彼も私の前でオナニーをして帰って行きます。彼がイッたあとは、三十秒ぐらい彼を黙って抱きしめてあげる。だって、男の人って射精しちゃった後ってふと我に返って恥ずかしいものなんでしょ、女の前でオナニーなんかしちゃうと。それなのに射精したからってすぐに、ハイハイって感じで彼のコンドームをはずしたらせっかくのいい気持ちが台無しになっちゃいますよね。やっぱり余韻を大切にしてあげないと申し訳ないです。
一カ月に一回、腋毛や陰毛やスネ毛など全身の体毛を剃って貰いにくる人もいます。四十代半ばで独身のサラリーマンなんですけど、来る度に、『ごめんなさい。こんなに毛が生えてしまいました』って言うの。ちょっとオカマっぽい人なんです。仕方ないからわたしも『本当ね。じゃあわたしがきれいにしてあげるね』って言ってカミソリで剃るんです。
この店に入って五カ月なんですけど、最初の二カ月は悩みました。それまでは性感マッサージにいたんで、マニュアル通りにやってればよかったんですが、ここでは一人一人が違うタイプのお客さんですから、それに合ったセリフを言うことがなかなかできなかったんです。今どんなプレイでも自分のパターンをつかめてきたのでなんとか頑張ってます。わたし、男の人を優しくいじめるのが好きみたい。プライベートのセックスはマグロのように相手のなすがままだったんですが、本当の自分は男の人をリードするこの店でのわたしのような気がします。
今は一日五本から六本こなすんですが、疲れますね。お客さんはスッキリとした顔で帰って行きますが、わたしはドーンとストレスがたまっちゃう。それでやたらと食事をしちゃうんです。お酒が飲めないんで、もっぱら食べまくってる。一日に四食も五食も食べちゃいます。
それにしても、今の男の人って、凄く疲れてませんか?」
あさみさんは現在、恋人がいない。性格的に彼氏ができると仕事がおろそかになるので、意識して彼氏は作らないようにしているのだ。好きな男性は石原裕次郎。今は亡き裕次郎がこのマンションの部屋にやって来て君の前でオナニーをしたいと言ったらどう思う、と訊いたら、あさみさんは本当に困ったように眉間にしわを寄せしばし考え、「やっぱりイヤですね。イメージが狂っちゃう」と言った。
あさみさんは来年の夏、オーストラリアに留学することを考えている。将来はどんな仕事でもいいから、自分で会社を経営してみたいそうだ。
それにしても、とてもかわいらしく、色っぽく、いい人だった。
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ゲイ・タウン[#「ゲイ・タウン」はゴシック体]◎新宿二丁目
[#1字下げ]1993年1月◎皇太子妃、小和田雅子に決定。曙が外国人で初めての横綱に、貴ノ花は史上最年少大関に。[#「1993年1月◎皇太子妃、小和田雅子に決定。曙が外国人で初めての横綱に、貴ノ花は史上最年少大関に。」はゴシック体]
「田舎のホモにとって二丁目は絶対に憧れの街だからね」
去年の十月、練馬の畑に囲まれたアパートから新宿二丁目に引っ越しをした。説明するまでもないが、新宿二丁目は同性愛者の街である。数えてみようなんて気をはなから起こさせないくらいの数のゲイバーやレズバーが林立し、毎夜、明け方までダミ声のオネエ言葉が街中を飛び交う。
新宿二丁目に転居することになったと言うと、大抵の知人は「よくあんな所に住む気になったねえ」とあきれたように感想を述べた。「あんな所、普通の人間が住めるアパートなんてあるの?」と、妙にわたしを疑わし気な目で見て言う男もいた。唯一人、若いのにアル中の友人だけが、「へえ、かっこいいなあ、ハードボイルドだなあ」とドンヨリとした目を瞬かせながら誉めてくれた。
しかし、わたしだって自分から望んでこの街に部屋を求めたわけではない。練馬の部屋が何かと不便になり都心近くに移ることを決意したものの、なかなか新しい部屋が見つからない。いや、部屋は見つかるのだが、貸してくれないのである。全て、わたしのこのフリーライターというわけのわからない職業が原因である。最初のうちは愛想良く部屋の説明をしていた不動産屋や大家の顔が、わたしが職業を明らかにした瞬間、冬の日本海のようにどんよりと曇る。そして次のようにのたまう。
「ウチはねえ、外国の人とかちょっとよくわからない仕事の人はお断わりしてるんですよ。やはりちゃんとした[#「ちゃんとした」に傍点]所にお勤めじゃないとねえ……」
わたしはそれ以来、街で見かける東南アジアや中近東の人々に、無言ながら熱い連帯の念を送ることにしている。打倒、ちゃんとした[#「ちゃんとした」に傍点]不動産屋!!
一度などは、手付け金まで払っていたのに後になって断わられてしまった。そんなこんなで、わたしは部屋探しにホトホト疲れてしまった。しかし、練馬の部屋を出ることはもう大家に通告している。後にはひけない。私は焦った。そんな時、二丁目の飲み屋で知り合った不動産屋から電話があった。
「部屋探してるんだって? 新宿二丁目のアパートでよかったら紹介するよ。うるさいことは何も言わないからさ……」
溺れる者は藁にすがってしまった。わたしはその部屋を見ずに、二丁目に移ることを決心した。それにしても二丁目ではよく飲んでいたが、まさか自分があの街で暮らすことになるとは夢にも思わなかった。
その部屋は、二丁目のまさにゲイバー街のど真ん中にある七階建ての雑居ビルの三階にあった。ビルの地下と一階はゲイバーである。向かいのビルもほとんどのテナントがゲイバーである。両隣もゲイバーである。「ボーイズマッサージ」なんていう、よくわからない店もある。
確かに入居に際してうるさいことは何も言われなかったが、部屋自体はうるさかった。昼間は街は死んだように静かなのだが、夜になり無数のネオンが点灯し始めるとその嬌声とカラオケの喧噪が始まる。
引っ越した日の夜、わたしは窓からネオンの灯を見ながらアル中の友人の言葉を思い出し、「ウーン、ハードボイルドだなあ」と呟いていた。自分がフリーライターではなく私立探偵になったような気がして、思わず近所の酒屋にバーボンを買いに行ってしまった。バーボンを飲みながら、わたしの頭の中で「ギャラは一日二万プラス必要経費……」という台詞がグルグルと回っていた。
翌日の昼、わたしは寝不足と二日酔いの頭を抱えて、ヨロヨロと昨日のうちに目をつけていた定食屋に向かった。昨夜は、明け方に布団に潜り込んだのだが、階下の店から男同士で歌う『銀座の恋の物語』が地鳴りのように沸き上がってきてなかなか寝つかれなかったのである。あれほどうるさいと思っていた練馬の虫の音がとても懐しく思えた。
ホモ雑誌やホモビデオやホモ用の大人のオモチャが店内狭しと並べられてある雑貨屋でスポーツ新聞を買い、定食屋の暖簾をくぐる。カウンターの隅に座りとりあえずビールを注文し、さて何を食べようかとメニューを見ていると、「あら、ナガサワちゃんじゃないの」と、今までは昼間は決して耳にすることのなかった個性的なダミ声が聞こえた。顔を上げると、たまに飲みに行っていたゲイバーのマスターの顔がカウンターの真ん中ほどに見えた。
三十秒後、そのマスターはわたしの横に座り、ビールを酌してくれていた。
「えっ、二丁目に引っ越してきたの? じゃあ同じ町内会じゃない。仲良くしましょうね。ゴミを捨てる所とか知ってる? わからないことがあったらなんでも聞いてね」
正直言って、食欲が失せた。わたしは彼の酌でビールを二本飲みその店を出た。
部屋に戻る途中、「ボーイズマッサージ」という店から、スーツをキッチリと着た五十歳ぐらいの禿げた男が、二十歳ぐらいの背の高い少年に見送られて出て来るのを見かけた。心なしか男の顔はうっすらと上気しているようだった。一体、あの店の中では何が行われているのだろう。
陽が落ちてきて窓の外でネオンがポツンポツンとつき始めた頃、インターフォンが鳴った。わたしは仕事机を離れて玄関のドアを開けた。そこには薄いグリーンのスーツを着た若い男が立っていた。男はわたしの顔を見て一瞬驚いたようだったが、すぐに気を取り直して叫んだ。
「いるんでしょ、ヒロシ。ヒロシを出して!!」
わたしは、ヒロシという人間は知らないし今この部屋にいるのはわたし一人だと言った。わたしの言葉を聞くと、男はフンと鼻を鳴らし、「わかってるんだからね。上がらせて貰うわよ」と言うと革靴を脱ぎ捨ててわたしを押しのけて部屋に入ってきた。そして二間しかない部屋の中を歩き回り、トイレと風呂場も確かめ、挙句の果てはベッドの布団までもめくったかと思うと、床に座り込んで急にグスングスンと泣き出した。
私は冷蔵庫を開けると罐ビールを二本取り出し、一本を男に手渡した。
男はひくついた声で小さく「ありがとう」と言うとプルトップを引き、「じゃ、カンパイ」と言ってわたしの前に罐を差し出した。何がカンパイなのかよくわからないが、わたしもつられて「カンパイ」と言いビールを一口飲んだ。
とぎれとぎれの男の話を聞いてわかったことは、わたしが越してくる前はここにヒロシというホモのデザイナーが住んでいたということ、ヒロシと男はここ一年ぐらい恋仲だったこと、だが最近ヒロシの仕事がうまくいかなくなりヒロシは男から三十万円借りて姿をくらましたということ、男は二丁目のゲイバーで働いてること、であった。そう言えば、ここの前の住人は家賃をためたまま夜逃げをしたと不動産屋から聞いたような気がした。
男はビールを飲み干すと、鼻をグスグスさせたまま、くどいくらいに謝って帰って行った。もしヒロシから連絡があったらここに電話をして、と店の名刺を置いて。
練馬にいた頃、夏など窓を開けているとよくヤモリが入って来て閉口したものだったが、ヤモリとオカマ、追い出すのはどちらもなかなか困難である。
そんな風にして、わたしの二丁目での生活は始まった。
街を歩いていて知り合いのオカマやレズのお姐さんに声をかけられるのにも慣れた。自分を買ってくれる男を探して通りの両側を埋めるようにして立っている売春ホモ少年たちをかきわけて歩くのにも慣れた。最初のうち、その少年たちがなんで道端に立っているのかわからなかった。友人との待ち合わせかと思ったが、それにしては数が多過ぎるし、下手をすると何時間でも寒空の下で立っている。やがて、中年の男に声をかけられた彼らの一人が、一言二言、言葉を交わすとその中年男とラブホテルに入って行くのを目撃してやっと彼らが立っている意味がわかった。
「彼らはほとんど地方から二丁目に憧れてきたホモ少年たちよね。田舎のホモにとって二丁目は絶対に憧れの街だからね。ここに来ればなんとかなると思うのよ」
そう語るのは、わたしが二丁目で暮らし始めてから知り合ったオカマのクニちゃんである。クニちゃんの職業は宝石デザイナーだ。クニちゃんとは二丁目には数少ない、普通の焼き鳥屋で出会った。カウンターで飲んでるうちになんとなく話をするようになったのだが、話を聞いていて驚いた。なんと、クニちゃんはわたしと同じ仙台出身で、わたしの高校の後輩だったのである。
なんでホモになったんだ、と思わず詰問口調で尋ねると、「高校の体育館の用具室で先輩に犯されちゃってぇ、それ以来……」という答えが返ってきた。確かにわたしが在籍していた高校は男子校で女にはとてつもなく不足していたが、だがしかし、体育館でそんなことがくりひろげられていたとは知らなかった。クニちゃんに聞くと、そんなことはよくあったこと[#「よくあったこと」に傍点]らしい。わたしはクニちゃんに、君を犯した先輩の名前はなんていうのだ、と尋ねたが、クニちゃんは口を濁してとうとう教えてくれなかった。もしかしたら、クニちゃんを犯してホモの道に引きずりこみ、二丁目に憧れさせるようになった男はわたしの同級生かもしれない。ホモがいけないとはもちろん思わない。もちろん思わないけど、でも、しかし、母校がホモへの出発点だったとは……いや、別にいいけどね……。
クニちゃんとは今もその焼き鳥屋でたまに会う。会う度にクニちゃんはわたしのことを「先輩」と呼んでくれる。どうも、複雑な気分である。
昨日もクニちゃんと飲んだ。二人で焼き鳥屋を出ると、路上でレズの男役(タチ)の角刈りの女性が、女役(ネコ)らしい髪の長い女性の上に馬乗りになって「この浮気猫!!」と叫んで殴っていた。
「いやあね、女って乱暴なんだから」
クニちゃんがそう呟いた。
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歌舞伎町[#「歌舞伎町」はゴシック体]1
[#1字下げ]1993年2月◎連合赤軍事件の永田洋子、坂口弘両被告に対し、最高裁が上告棄却、死刑が確定。[#「1993年2月◎連合赤軍事件の永田洋子、坂口弘両被告に対し、最高裁が上告棄却、死刑が確定。」はゴシック体]
「性風俗店で遊ぶ人たちの気持ちは理解できませんねえ」
年末年始と、ただただ寝て暮らした。流行というものにはいたって鈍感なタチなのに、何を間違ったのか流行りのインフルエンザにかかってしまった。そのため外を出歩くことができず、先月は自分の住んでいる新宿二丁目について書かせて貰った。編集者と酒を飲んだ時に冗談半分本気半分で、女性客のパンチラがおがめることで話題のディスコ「ジュリアナ東京」に行こうと言っていたのに残念であった。
その編集者から電話があった。
「どう? 風邪は治った?」
「ええ、もう大丈夫ですよ」
「じゃあ、次はどこに取材に行こうか?」
「……ジュリアナ東京……」
私はなぜか急に小声になって答えた。熱を出してウンウン唸っていた時はあれほど「ジュリアナ東京に行ってネエチャンたちのパンチラを見るんだ」と思っていたのに、いざ元気になってジュリアナ東京が身近に感じられてきたら(つまり、行こうと思ったらいつでも行けるという体調になると)急に臆してきたのである。自分なんかがそんな派手な所に行っていいのだろうか? バチが当たるんじゃあるまいか? これがストリップならバチなど考えずにさあ行こう、すぐ行こうとなるのに、我ながら不思議な自意識である。
だがそれは、酒を飲んだ時は「よし!! 次はジュリアナ東京だ!!」と叫んでいた編集者も同じようだった。
「ええっ? じゅりあなとうきょう!?……本当に行くの……」
「だって、一緒に行こうって言ったじゃない……」
「そりゃ言ったけどさ、でも俺たちなんかが行ったら入口で(入店を)断られるんじゃないかなあ」
「スーツにネクタイだったら大丈夫なんでしょ?」
「普通はそうだろうけど、でも……」
「でも、なに?」
「似合ってないって言われて、断られるかもしれない」
「ウーン……」
「それに確かあそこさ、男だけじゃ入れないはずだよ。女の子を連れていかないと駄目。永沢クン、そういう女の子を調達できるの?」
「………………白夜書房のさ、経理の女の子かなんかに頼もうよ。若い子なら喜んでオーケーしてくれるよ。ね、それくらい君から頼めるだろ」
「……ウーン、まあ、頼めないことはないと思うけど………ちょっと待って」
受話器を離した編集者が、まわりの若いスタッフに「ジュリアナ東京って入場料はいくらなんだ?」と訊く声が聞こえた。「えっ? 一人が六千円。フーン、わかった」
「あのさ、ジュリアナ東京って入るだけで一人六千円するんだって」
「うん、そのくらいはするだろうね」
「するとさ、永沢クンと俺が女の子を二人連れて行くとして、四人だから、二万四千円になるよね」
「ウン、そういう計算になるよね」
「ちょっとさ……」
「………」
「それじゃ、予算オーバーになっちゃって、ちょっと苦しいんだよねぇ……」
横浜の売春街に取材に行った時にはこっちが驚くほど札びらを切っていた男が、急にケチになった。だが私はあえて抵抗しなかった。
「予算オーバーか……」
「そう、予算オーバー……」
「予算オーバーじゃ、仕方ないね」
「うん、悪いけど、なにせ予算オーバーだから……」
「残念だけど諦めましょうか」
「諦めるしかないな、残念だけど……」
「考えてみれば、ジュリアナ東京なんてもういろんな雑誌で取材されてるもんね」
「そうそう。この前なんかテレビでもやってたぜ。ジュリアナ東京なんて、もう時代遅れだよ」
「そうだね。取材してもきっと面白くないね」
「そうそう」
電話を切った私は正直言ってホッとしていた。やはり酒に酔ったからといって、分不相応な思いつきを口に出してはいけない。私は編集者との電話での会話だけで、充分にジュリアナ東京を体験したかのような疲労を感じていた。さようなら、ジュリアナ東京。
一時間ほどたって、再び編集者から電話があった。
「あのさ、カメラマンのHさんという人が明日、新宿の歌舞伎町のピンサロの女の子を撮影しに行くんだって。それでさ、それに同行させて貰って、そのピンサロの店長さんに最近の歌舞伎町の現状を訊いてみない? 今まで新大久保とか横浜とか新宿二丁目は取材したけど、歌舞伎町はやってなかったじゃない。世界の繁華街の歌舞伎町を取材しない手はないよ」
私は即座に承諾した。ジュリアナ東京よりも歌舞伎町の方がはるかにいろいろなマスコミに取材されてるとは言わなかった。ジュリアナ東京はたかが一軒のディスコ。歌舞伎町は町という生き物である。常に変化していて、奥が深いに違いない。取材をしても取材をしてもしつくしたということはないだろう。それに、歌舞伎町なら私の住んでるアパートから徒歩で三分である。
「新宿の歌舞伎町はエイズの宝庫です」
最近、私は歌舞伎町という地名を聞くとこの言葉を思い出す。
この言葉は、私が去年、某医療会社を取材した時に、そこのエイズ研究室長が発したものである。
このエイズ研究室では関東と東北の一部のエイズ検査を一手に引き受けている。一日に約二百件の検査が各地の病院から申し込まれ、少なくとも一日に二、三人は陽性の患者が見つかるそうである。その陽性患者が出る病院の中で断トツに比率が高いのが歌舞伎町の病院である。
陽性患者のほとんどは東南アジアを中心とした外国人の風俗嬢であるが、最近は日本人の男性も増え始めている。
そして恐いのは、そのエイズ研究室には陽性患者を入院させる権限がないことだ。そこではただ単に依頼を受けた病院に、患者が陽性であったことを報告するだけである。病院はその患者(大抵はその患者が勤めている店のオーナーにだが)にその現実を告知し、再検査を促す。だがその大部分は再検査を受けには来ず姿をくらましてしまう。他の店に移ってしまうのだろう。
「なにもきれいごとを言うつもりはありません。わたしも男ですから、男の気持ちはわかります。しかしこの現実を前にすると、性風俗店で遊ぶ人たちの気持ちは理解できませんねえ。厚生省の発表する数字は慎重を期すために確かに現実よりは少ないかもしれません。それでもマスコミを通じて公表されているんですから、その数字を見てちょっと想像力を働かせれば性風俗店で遊ぶということはどういうことかわかるでしょ。極端に言えば、地雷がどこに埋まっているかわからないカンボジアの田舎町を歩くよりも、歌舞伎町で遊ぶ方が恐いことだと思いますよ」
室長はニコリともせずにそう言った。
考えてみればここ十年ほど歌舞伎町では飲んでいない。その周辺のしょんべん横丁やゴールデン街ではよく飲んだし今でも飲んでいるが、歌舞伎町で飲もうという気にはなれない。キャパシティの大きい店が多いということもあるのだろうが、歌舞伎町で飲んでいてもどうも落ち着かないのである。飲んでいても胸がザワザワとして歌舞伎町から出て行きたくなる。上手く言えないが、絶対に本音を聞けないという感じがする。
私は猥雑な町は決して嫌いではない。嫌いだったら新宿二丁目なんかには住まない。だが、歌舞伎町だけは好きになれない。苦手である。二丁目や大阪の天王寺、いや、全国のいろいろな繁華街はその町に足を踏み入れた瞬間、ウキウキとしたりホッとしたりするのだが、歌舞伎町はそうはならない。恐い感じがする。なんか、町全体が何かにひどく焦ってイライラしているような気がする。それはなんなのだろう……。
編集者から電話のあった翌日、私はカメラマンのHさんと夕方に待ち合わせて歌舞伎町の某ピンサロに行った。訊くと、その店の店長からHさんに電話があり、店の女の子の取材と撮影を頼まれたのだそうだ。それを雑誌に載せて貰い店の宣伝をしたいということなのだろう。
撮影は店内で行われた。雑誌に顔を出せる女の子は全部で四人だった。日頃は薄暗い店内の照明を明るくして撮影したもので、女の子たちの顔や姿が隠しようもなくリアルに浮かび上がった。Hさんは横に立っている私にだけ聞こえるように「ハァ……」と溜息をつきながらシャッターを押した。
私は撮影の邪魔にならないように、ニコニコと笑って撮影を見ている店長にすり寄り、「どうですか、最近の景気は?」と訊いた。
店長は顔をニコニコさせたまま鼻で大きく息を吸い込んで、静かに吐き出す息と共に答えた。
「厳しいですね。厳しいです……」
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歌舞伎町[#「歌舞伎町」はゴシック体]2
[#1字下げ]1993年3月◎金丸信元自民党副総裁、脱税容疑で逮捕、中国共産党の江沢民総書記が国家主席に。[#「1993年3月◎金丸信元自民党副総裁、脱税容疑で逮捕、中国共産党の江沢民総書記が国家主席に。」はゴシック体]
「バブル崩壊とエイズ騒動ですね。……二発同時にくらっちゃいましたからね」
「厳しいですね。厳しいです……」
歌舞伎町のピンサロの店長は、最近の店の景気を尋ねた私に鼻をピクピクさせてそう言った。
私はカメラマンのHさんがピンサロ嬢を撮影しているのを横目に、その四十がらみの店長に、「もしよろしかったら、その辺の喫茶店でコーヒーでも飲みながらお話をうかがわせて頂けませんかね」と言った。
「よろしいですよ。でももう夕方ですし、コーヒーよりはちょっとお酒の方がいいんじゃないですか? この近くにウチの系列店のクラブがあるんで、そこで軽くやりながら話をしませんか?」
アル中気味の私には、断わる理由が何もない嬉しい提案だった。
撮影が終わり、私とHさんと店長の三人は店の外に出た。入る時には気づかなかったが、店の入り口に英語と中国語とハングル文字と中東系らしいミミズののたくったような文字の文章が書かれた紙が貼ってあった。どれもどういう意味かわからなかったが、なんとなく新宿東口の「カメラのさくらや」の店内にある外人用の案内板を連想させた。確かにここ数年、歌舞伎町にも外人が急増した。ピンサロとしてもそういった外人の客を無視できなくなったのだろうか。
夕暮れせまる中、三人はコマ劇場の横を歩いていた。もうあらゆる店にはネオンが点灯し、呼び込みらしい男たちが路上でウロウロしている。その中の何人かは店長の顔を見ると、「コンチワッス」と挨拶をした。その度に店長は鷹揚にうなずく。もしかすると、怖い人なのかもしれない。でもまあ私だって、町内で知った人に会えば挨拶をするしな……。
店長の言ったクラブはビルの五階にあった。そのビルの前にも何人かの呼び込みがたむろしていた。店長は彼らの姿を見て、チッ、と舌打ちをした。
そのクラブの店内は、こう言っちゃ悪いが意外に上品で落ち着いていた。女の子たちは十人ほどいたが皆化粧も濃くなく素人っぽい子ばかりだ。そしてまだ午後の五時半だというのに、背広をキッチリと着こなしたサラリーマン風の男たちがソファに座って女の子を相手に水割りを口にしている。行ったことはないが、なんか銀座の高級クラブ午後十時といった感じだ。
私とHさんは店長に促されるままにソファに座った。ジーパン姿の私たちはどうも場違いで、気分が落ち着かない。
店長の姿を見た二人の女の子が慌てて私たちのテーブルについて、カミュの水割りを作り始めた。
店長は水割りを一口啜ると、フーッといかにも疲れたように溜息をついた。
「ここはね、去年の暮れまでピンサロだったんです。ウチの二号店だったんです。十月に開店して、僕は本当に寝ずに働いたんですが、ビルの五階ということもあってお客さんが入らないんですよ。お客さんがウチに来ようと思ってもその前に一階や二階や近所の店の呼び込みにつかまっちゃうんです。『あんな店よりウチの方がいいよ』って言われて。それで嫌気がさして今年からクラブにしたんです。昼の十二時からやってますけど、けっこうお客さんは来てくれますよ。昼の女の子は夕方の六時で終わりでその後の店外デートはOKですから、それを目的に来てくれるんでしょうね。夜より昼の方がお客さんが多い時もありますよ」
なるほど。もう六時が近く、客は次々と席を立つが、店を出る時に女の子に「じゃ、××で待ってるよ」と言って出て行く。この人たち、一体仕事は何をしているのだろうか。
「ところで、ピンサロの方はどうなんです? さっきは厳しいとおっしゃってましたが……」
「ええ、冗談抜きできついですね。一昨年と比べると昨年の売り上げは二分の一と言っても決してオーバーじゃありませんよ。昨年の暮れは僕たち社員のボーナスは出ませんでしたから……。いや、こんなこと人に言うことじゃないんですが……」
「原因はなんですか?」
「やはり、バブル崩壊とエイズ騒動ですね。一発のパンチでもきついのに、二発同時にくらっちゃいましたからね」
「このところ急に東南アジアやアラブの人たちが増えましたけど、そういった人たちとのトラブルはないんですか?」
「ウチは外人お断わりですから、そういったトラブルはありません」
「エッ、でも店の入り口には外国語の案内がありましたよ」
「(失笑)あれは案内じゃなくて、断わりの文章なんです。ウチは日本人オンリーの店だ、という意味ですね。顔は日本人と同じでも話してみれば外人だとわかりますから、その時は店員があの貼り紙を黙って指さすんです。大抵の外人は素直に帰りますよ」
「なぜ外人は駄目なんですか?」
「金を持ってないでしょ。だから溜まりに溜まったところでどうしようもなくなって、本番をしにウチのような店に来るんです。安いと思って。本番は駄目だと言うと、怒り出して手がつけられないんですよ。それに、女の子が外人はイヤがりますからね。外人はエイズですから」
「外人はエイズですか?」
「だってそうでしょ? エイズって外人が日本に持ってきちゃったんでしょ? 外人がエイズさえ持ってこなければ、バブルが弾けても額は少なくともボーナスは出ていたと思うんですよね」
「話は変わりますけど、最近台湾マフィアが歌舞伎町を跋扈していると聞いたんですが、それは本当なんでしょうか?」
「バッコ?」
「いや、ええと、台湾マフィアが勢力を強めているらしいんですが……」
「だから、ウチは外人お断わりだからそんなのは関係ないんですよ」
「いや、その、客としての台湾人じゃなくてですね、その、日本の暴力団と台湾マフィアの関係性の中での歌舞伎町のピンサロの存在性というか……」
「だから、ウチはあらゆる意味で日本人オンリーなの! 台湾人は関係ないの! そりゃ話はいろいろ聞きますよ。でもそういうトラブルのある所は台湾パブやフィリピンパブだからね。ウチみたいな所は関係ないですよ」
「あらゆる意味で日本人オンリーだと……」
「そ、あらゆる意味でね」
「これからの歌舞伎町でのピンサロの将来は明りが見えますかね?」
「ウーン……景気が回復してエイズがなくなることを祈るばかりだけですけど……でも、僕がこの商売に入ったのは赤羽なんですよ。赤羽の風俗は景気もエイズも関係ないですからね。今年頑張ってまたボーナスが出なかったら、赤羽に戻ろうかなと思ってるんですよ。もうこの歳になったら、こういう商売でしか生きていけないですからね」
一時間ほど店長と話をして、私とHさんは礼を言って店を出た。日曜日だったが、歌舞伎町はネオンの色と呼び込みの声や嬌声と、そして人間とで平日同様に賑わっていた。今から別の仕事があるというHさんと別れ、私は久し振りに歌舞伎町をブラブラと歩くことにした。ふと見ると目の前にストリップ劇場がある。私は決してストリップは嫌いではない。もしかすると、ソープやピンサロよりもずっと好きかもしれない。ピンサロの店長と話を交わしてやや刹那的になっていた私は吸い込まれるようにストリップ劇場に入って行った。入場料四千五百円を払い、入口でビールを買う。日曜日の夜のストリップ劇場なんて平日の昼間の寄席のようなもので客なんか数えるほどしかいないだろうから、前の座席の背に足でもかけてビールを飲みながら女の子のオマ◯コを眺めようというハラである。ところが、ドアを開けて驚いた。劇場内はギュウギュウづめの超満員。私はどうにかトイレ横に自分の空間を確保して、罐ビールの栓を開けて場内の客を見渡した。舞台の上では女の子が全裸で股間を晒け出して踊っているのだが、別にいいカッコをするわけじゃないのだが、オマ◯コよりも日曜の夜にストリップを観に来ている男たちに興味がいったのである。ほとんどは中年以上の男で、その半分は何故か背広姿である。彼らの私生活は知る由もないが、多分彼らの半数以上は家庭を持っていると思う。どうして日曜の夜に背広姿でストリップ劇場に来て、オネエチャンたちのオマ◯コに目を輝かせているのだろう。自分も日曜の夜にストリップを観ている人間の一人だということを忘れ、私は深く深く考え込んでしまった。
数日後、私は白夜書房の『ビデオ・ザ・ワールド』という雑誌の仕事で、深乃麻衣というアダルトビデオ女優にインタビューをした。インタビューが終わり、編集長やカメラマンと深乃麻衣を交えて小料理屋で飲みながら食事をしていると、深乃麻衣が煮魚を食べていた箸を止めて突然思い出したように憤然とした顔をして喋り始めた。
「わたしさ、腹立っちゃったのよ! この前歌舞伎町を歩いてたら、ビデオ屋があったのね。なんかちょっとうさんくさそうで面白そうだったから、入ってみたの。そしたらさ、わたしの裏流出ビデオがあるじゃない! アッタマ来てさ、『これはわたしの出演してるビデオよ、警察に言うわよ』って言ったらジュースいっぱいくれたの。それから何度かそこに行ってはジュースとかお菓子を貰ってるんだ」
編集長がその話に俄然興味を示した。
「その店、裏流出のビデオが沢山あるのかな?」
「あると思うよ。なんなら、今からみんなで行く?」
編集長とカメラマンと私は異口同音に答えた。
「行く!」
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歌舞伎町[#「歌舞伎町」はゴシック体]3
[#1字下げ]1993年4月◎カンボジアで国連選挙監視のボランティア中田厚仁が射殺される。天皇、皇后初めての沖縄訪問。[#「1993年4月◎カンボジアで国連選挙監視のボランティア中田厚仁が射殺される。天皇、皇后初めての沖縄訪問。」はゴシック体]
「まいったなあ。……こんなにバレちゃったらこの商売も終わりかなぁ」
「歌舞伎町の裏ビデオ屋に、わたしの裏流出ビデオがあったのよ!! もう許せない!!」
アダルトビデオ女優の深乃麻衣がそう言って怒った。
話を聞いていた『ビデオ・ザ・ワールド』の編集長とカメラマンと私は、深乃麻衣と共に早速その店に行ってみようということになった。最も編集長はその店のことよりも、その店にあるかもしれない自分がまだ入手していない裏流出ビデオの方に興味があったようだったが。
高田馬場から歌舞伎町までタクシーで約五分。時刻は夜の八時を過ぎていた。そろそろ歌舞伎町が活気を見せ始める時間だ。色とりどりのネオンが瞬き、テレクラなどの店の拡声器から客を誘う女性の声がエンドレステープで流れている。コマ劇場でのショーが終わったところらしく、何百人というオバチャンたちがどっと劇場の出口から吐き出されてきた。まだ宵の口だというのに、集団でそぞろ歩くサラリーマンや学生たちはかなりきこしめしているらしく、足元も覚つかなく声も自然に大きくなっている。そんな男たちに、ファッションヘルスやピンサロの呼び込みの人間が、とりあえずという感じで投げやり風に声をかける。歌舞伎町は今日も健在だ。
私たちは深乃麻衣に案内されて、彼女が偶然に発見したというその裏ビデオ屋に向かった。
店は雑居ビルの中にあった。階段の踊り場のところに「××ビデオショップ」と書かれた小さな看板があった。ちょっと見には気づかずに通り過ぎてしまいそうだ。カウンターだけの飲み屋ぐらいの狭い店内には所狭しとビデオが並べられてある。女優の売れ行きベストテンという表が貼られてあり、目下のところ北原ななせが一位だった。
「こんにちはぁ、また来たよぉ」
深乃麻衣が大声でそう叫ぶと、店の奥から何事かという顔をして男が二人出て来た。一人は四十歳ぐらいで、もう一人は学生風の若い男だった。年上の方が店長なのだろう。裏ビデオ屋というから、少しヤクザっぽい胡散くさい男を想像していたのだが、学生街のちょっと洒落た喫茶店のマスターといった平和そうな感じの男だった。
「コンニチハ!!」
深乃麻衣が手を上げて再び店長に声をかけると、店長は、また来たのかとあからさまにウンザリとした顔をして、「ハイハイ、こんばんは」と言った。
「あっ、そんなイヤな顔をすると、警察に言っちゃうぞ。あの店は裏ビデオを扱ってまーすって」
「またそんなこと言うんだから。イヤがってないですよ。麻衣ちゃんには毎日でも遊びに来て欲しいですよ。だから、あんまりいじめないで」
「ヘッヘー、ジュースある? 喉かわいちゃった」
「ハイハイ、あります、あります」
店長は奥に引き込むと、紙パックのジュースを山ほど両手に抱えて出て来た。
「ハイ、どれでも好きなだけ飲んで」
怒っていたわりには、深乃麻衣はちょくちょくこの店に来ては「警察に言うぞ」と店長を脅しては楽しんでいるようだ。レジの所に彼女のサイン色紙が貼ってあった。普通のレンタルビデオ屋に色紙が飾られているAV女優は無数にいるだろうが、裏ビデオ屋に頼まれてサインをした女優は深乃麻衣ぐらいだろう。もしかしたら深乃麻衣の方から、自分の色紙を飾るように強要したのかもしれないけど……。
「今日はね、友達を連れて来たんだ。いいモンがあったら買うって言ってるからお客さんだぞ。感謝してよね」
深乃麻衣がジュースをストローでチューチュー飲みながら、店長に私たちを紹介した。
店長は目で私たちに、どうも、と挨拶した。私たちの他にも中年のサラリーマンの客が二人いて、ひっそりとビデオの品定めをしている。
ビデオの棚の前に置かれた平台の上に、なんと『ビデオ・ザ・ワールド』のバックナンバーがずらりと並んでいた。『ビデオ・ザ・ワールド』は裏流出に関する情報も多いので、ビデオを選ぶ客へのサービス資料として置いているのだろう。なにせこの店の平均価格は一本二万円なのだそうだから、客も慎重にならざるを得ないのだろう。それにしても意外なところで『ビデオ・ザ・ワールド』が役に立っていた。
「アッ、わたしね、今日この雑誌の取材を受けたんだよ」
深乃麻衣が並んだ『ビデオ・ザ・ワールド』を見て言った。「フーン」と店長が気乗りのしない返事をした。
「それでね、あの人がこの雑誌の編集長なんだよ」
深乃麻衣が棚のビデオを眺めていた編集長を指さした。
「エッ……!?」
店長が驚いた声を出した。いきなり身元を明かされた編集長が照れ笑いをして「どうも」と挨拶した。
「エーッ、本当ですか。まいったなあ。麻衣ちゃん、業界のプロの人を連れてこないでよ。こっちは地道に細々と商売してるんだからさあ……」
「いいじゃん。雑誌でこの店のこと宣伝して貰えば」
「冗談言わないでよ。そんなことしたら、一発でつかまっちゃうよぉ」
私が店長に質問した。
「この店の品物は、どういうルートで入ってくるんですか?」
「エーッ、知らないですよ、わたしはなんにも。わたしはただ店をやってるだけなんですから。いつも突然、よく知らない人がビデオを置いていくんですよ。それだけなんです。まいったなあ。今年はなんとか無事に正月を迎えられたと思ったのに……こんなにバレちゃったらこの商売も終わりかなぁ」
店長は本当に困ったようだった。彼が過去の正月をどのように過ごしたのか知る由もないが、正月云々のくだりはほとんどひとり言で涙声になっていた。ちょっとかわいそうになったが、私は言葉を続けた。
「いろいろと知りたいので、今度席をあらためてゆっくりとお話を伺わせて貰えませんかね?」
「話!?」
「ええ」
「わたしに!?」
「ええ」
「それ、雑誌に載るの!?」
「ええ、できれば……」
「もう、勘弁して下さいよぉ。わたしが知ってることなんか何もないんですよ。ただこうやって店でレジを打ってるだけなんですから。明日ね、娘の幼稚園の入園式なんですよぉ。ジュース飲みますか、ジュース。栄養ドリンクもありますけど……」
娘のことまで聞かされてはさすがに店長が気の毒になり、ジュースと引き替えにインタビューは諦めた。
その時、それまで棚のビデオをチェックしていた編集長が店長に言った。
「ここにあるやつ、全部あるなぁ……」
店長がタオルで顔の汗を拭いながら答える。
「そりゃそうでしょう。わたしたちなんかより、そちらの方がずっと詳しいんですから」
「フーン」
編集長はいかにも残念そうだ。すると深乃麻衣が店長を咎めるように言った。
「奥にあるんでしょ、奥に。特別の客にしか売らないやつが。わたし、この前来た時に、奥から出してきたビデオを売ってたの見たんだからね!!」
店長は深乃麻衣の言葉が終わらないうちに、観念しきった表情をしてガックリ肩を落とし、若い男に「アレ、持って来て」と言った。「本当にいいんですか?」と若い男は不安気に尋ねたが、店長は黙って頷くだけだった。
やがて若い男が店の奥からビデオを五本持って来た。「どうです?」と店長がそれらを編集長に差し出した。編集長はタイトルを見るなり、「へーッ」と喜びの声を上げた。
「ヘーッ、こんなのまで裏に出てるとは知らなかったなぁ。五本、全部買いますよ。幾らです」
店長は他の客をチラッと見ると手元のメモ用紙にサラサラッとボールペンを走らせ、黙って編集長に見せた。私が覗き込むと、そこには、一本三千円、と記されてあった。編集長が驚き店長に囁いた。
「本当にこれでいいの。一本二万円だって聞いたんだけど」
「ええ、これで結構です」
「よかったね」と言って深乃麻衣が編集長の肩を叩いた。
「ただし」と店長が泣いてるような笑ってるような顔をして言った。
「ただし、二度とここには来ないということで、お願いします」
編集長はそれには答えず、ただ大声で笑って一万五千円を財布から抜き出した。
店長がビデオを包装していると、電話が鳴り店長が受話器を取った。
「ああ、お前か。ウン、今日はちょっと遅くなる……大丈夫だって。入園式には絶対に出るから……ウン、飲まないで帰るから。じゃ」
娘の入園式の話は本当だったようだ。
帰り際にカメラマンが店長に訊いた。
「『ビデオ・ザ・ワールド』は客へのサービスのために揃えてあるんですか?」
「サービスというか、そういう資料を読んで内容を納得して買って貰いたいんです。思っていたのと違うと腹を立てられて、警察に|密告《チク》られるのが恐いんですわ……」
店長が怯えたような目をして答えた。深乃麻衣が、「また来るねえ」と言うと、その店長の目はますます暗く澱んだ。
店長にとって、受難の一日であったに違いない。
表に出て、皆と別れて歌舞伎町をそぞろ歩いていると、ストリップ劇場に東南アジアあたりからの観光客が団体で中に入って行くところを見た。その中には小学生ぐらいの子供が何人もいた。せめて、今日はSMショーとかではなく、ビデオアイドルショーだったらいいな、と思った。
それにしてもこの町は、これからどんな生き方をしていくのだろう。
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変態クラブ[#「変態クラブ」はゴシック体]◎新宿二丁目
[#1字下げ]1993年5月◎初のプロサッカー・Jリーグが開幕。米国政府が戦略的防衛構想(SDI)に終止符。[#「1993年5月◎初のプロサッカー・Jリーグが開幕。米国政府が戦略的防衛構想(SDI)に終止符。」はゴシック体]
「ストレスが溜まっても、その店に行くとスッキリするの」
[#2字下げ]「マットと言います。今日は聞くだけにしておきます」
[#地付き](ローレンス・ブロック、田口俊樹訳『八百万の死にざま』より)
私と本誌編集者は新宿三丁目の寄席の前で待ち合わせをし、二丁目に向かって歩いていた。夕方の六時を過ぎていたが、頭上にはまだ青空が広がっていた。
私達は二丁目の、とあるビルの前で立ち止まった。このビルの三階に、目指す会員制の変態クラブがあるのだ。
この店の存在は、仕事で知り合った一人のAV女優から教えられた。
「ストレスが溜まっても、その店に行くとスッキリするの。もう、なんでもありのムチャクチャな店なんだ」
私は、そこではSMショーみたいなことをやってるのか、と訊いた。
「そんなことやってないよ。一見、普通のバーなんだけど、客同士が勝手にいろんなプレーを始めちゃうの。わたしはマゾだから、Sのお客さんがいたら調教して貰うの」
彼女の説明では、その店が一体どういう店なのかいまひとつよくわからなかったが、とりあえず電話番号を教えて貰った。
電話をすると、マスターらしき男性が出た。オカマっぽい喋り方をする人だった。取材をしたいと言うと、彼はしばらく渋っていたが「彼女の紹介なら仕方ないわねぇ」と了承してくれた。
「ただし、あくまでもうちのメンバーのような顔をして来てね。取材だってわかると、常連の人がいやがるから」
ビルの前で編集者が「メンバーのような顔ってどんな顔をすりゃいいんだ」と言った。
「行きつけの焼き鳥屋のノレンをくぐるような顔でいいんじゃない」と私は答え、焼き鳥屋に入るにしてはいささか強ばりすぎた顔をして二人は階段を登った。
ドアを開けると、カウンターとボックス席が二つある、AV女優が言っていたようにどこにでもあるこぢんまりとしたバーである。もうすでにカウンターには五人の客が座って水割りを飲んでいる。そのうち二人は二十代と四十代の女性である。みな顔見知りらしくなごやかに談笑している。
私達がカウンターの端に座ると、四十代半ばらしい小柄なマスターが近寄って来て、小声で「店の説明を書いておいたから読んで」と言い、私に一枚の便箋を手渡した。そこには以下のような文が記されてあった。
「会員は全国におります。店内でのタッチプレーは自由だが是非権は男女共あります。飲食代の外は、金銭の授受はなし。
店内の情景
〇スプリングコート一枚で中は素裸の奥様が来て、家で読む事の出来ないエロ本を持参しただひたすらオナニーにふけり完読してお帰りになる奥さんとか、その後五分もしないうちにそのご主人が上下の衣類をかかえ自縛をして入って来る。その時オナニーにふける奥さんは夫婦ということを内緒にしてある。なぜならもうすでに数人来ている会員男女とタッチプレーが始まっているからだ。
〇中国人の奥様の首には犬の首輪がかかっている。ご主人はカナダ人の巨根の持主である。この夫婦はいつも木よう夜にやって来る。ドリンクのサービスをするやいなやもうとなりの男性の股のチャックを開いている。酒を飲まずにくわえこむのだ。あと数人の男女との謝肉祭が始まる。
露出、女装、3P、野外、覗き、フェチ、あらゆる趣味の男女のスナックとして六年がんばって来ました。初回はビジターで、男性二万、女性一万。何時間ご飲食なさろうが突発的にプレーに参加しようがの条件で、ご入会は私共のOKサインが出れば入会をお勧めします」(原文ママ)
ちょっと奇妙な文体だが、概ね店のシステムは理解できた。要するにどんな変態的性癖を持つ人間でも、この店内ではプレイ相手が承諾すれば何をしてもいいということなのだろう。
だが、そのわりには店内はあまりにも穏やかだ。まだ時間が早過ぎるのだろうか。
私のそんな思いを察してか、マスターが水割りを作ってくれながら、
「静かでご免ね。プレイはお客さんが勝手に始めるものだから、何も起きない日もあるの。まあ、これでも見ながらゆっくりしてってよ」
と言って、一冊のぶ厚いアルバムを渡してくれた。開くと、全裸や半裸の複数の男女が様々な形で絡み合っている写真が目に飛び込んできた。どの頁にもそんな写真が貼られてある。
「それね、みんなこの店の中で撮った写真なの。いい写真はすぐに誰かが持って行っちゃうから、あんまり凄いのはないんだけどさ」
いやいや、もうレズありホモありSMあり、なにがなんだかわからないものもあり、凄い。投稿雑誌に読者から送られてくる写真の集大成といった感じだ。
そうしているうちにも、客は二人、三人と入って来て、やがてカウンターは一杯になった。
すると、それを待っていたかのように、カウンター中央に座っていた二十代風の女性が「暑いわ」と言って着ていたワンピースを脱ぎ始めた。見る見るうちに、彼女はワンピースを脱ぎさった。中から、黒いTバックのパンティとノーブラのこんもりとした胸、そして金具のぶら下がった革製の首輪が現われた。
「これね、わたしが大学生の頃の御主人様が特注で作ってくれたの」
と、彼女はまわりの客に首輪を自慢した。
「へえ、かっこいいねぇ」
彼女の隣の男性がその首輪を触る。
マスターによると、その女性は人妻なのだそうだ。中央大の法学部を出て、慶応大出身の商社マンと結婚したらしい。夫婦ともSMマニアで、今日は彼女一人だが、よく夫婦一緒にこの店に来るそうだ。
「ねえ、ローソク、キープしてあったよね」
彼女がマスターに言った。「ああ、あるよ」とマスターが答え、棚の上から極太で長いローソクを取ると彼女に手渡した。ボトルのキープは私もよくするが、ローソクのキープというのは初めて聞いた。
彼女はローソクにライターで火をつけると、立ち上がり自分の腕にロウを垂らし始めた。
「アアッ、いいっ」という声が彼女の口から漏れる。両腕をロウで一杯にすると、今度は口の中にロウを垂らし始めた。垂らしてはロウを吐き出し、また垂らす。やがて、
「ああん、やっぱり自分でやるともうひとつ感じないわ。ねえ、やって」
と言い、隣の四十がらみの禿げた小肥りのスーツ姿の男にローソクを手渡した。男は頷くと、彼女を床に寝かせて背中にロウを垂らし始めた。
「アアッ、いいわ、感じるっ!!」
それを見てマスターが男に、
「あんた、ホモのマゾのくせに、なんで人にローソク垂らしてんのよ」
とからかった。男は照れたように禿頭を手で撫でた。
私が、そのローソクプレイに目を奪われているうちに、ボックス席のソファでは別のことが始まっていた。編集者に肘をつつかれてボックス席を見ると、私たちの隣に座っていた四十ぐらいのグラマーな女性が裸になって、いつの間にか来ていた二十代ぐらいの女性と抱き合っている。それを横に座っているやはり二十代の男性がじっと見つめる。
「あの若い男女は恋人同士なのよ」
マスターがそう教えてくれた。つまり、自分の恋人が店でたまたま会った女性とレズプレイしているのを、何も言わずに彼は眺めているわけだ。どういう気持ちなのだろう。やはり、それもプレイの一つで楽しいのだろうか。
やがて年上の女性が若い女性のパンティの中に手を入れ、なにやら激しく動かし始めた。
「アアン……」という声が店内に響く。その自分の恋人の声に興奮したのか、若い男はズボンを降ろすとオナニーを始めてしまった。
床の上では、今度は立場が逆になって、ホモでマゾの男が縛られて転がされ、人妻に鞭で叩かれている。
バシッ。
「い、痛い!!」
「痛いじゃないだろ!! 気持ちいいとお言い!!」
バシッ。
「き、気持ちいいです。ありがとうございます」
その時、他の客はどうしているかというと、そういった情景を別に見もせず、隣の客と談笑したり、壁に取りつけられたテレビの画面に流れている洋モノの裏ビデオを眺めたりしている。
マスターがカウンターの中の手伝いの女性のスカートをいきなりまくり上げた。薄緑のガードルが丸見えになる。
「このコはね、どうしようもない露出狂なのよ!!」
女性は「イヤ、恥ずかしい……」と言いながらも抵抗しない。その姿を見て、カウンターの客たちが笑う。
やがて、ホモのマゾ男を徹底的に打ちすえた人妻が私たちの方に鞭を手にしたままやって来て、編集者に「あんたも可愛がってあげるわ」と言った。
「そうね、それがいいわね」
そう言うが早いか、マスターがカウンターから出て来るなり、どこに隠し持っていたのか手錠で編集者を後ろ手に椅子にあっと言う間に固定してしまった。そして彼のシャツをまくり上げて背中を露わにした。
「さあ、たっぷり可愛がっておあげなさい」
マスターがそういうと、人妻はニヤッと笑い舌なめずりをした。そして次の瞬間、鞭が編集者の背中めがけて打ち降ろされた。
「ウッ」
編集者が呻く。しかし人妻は容赦なく二度三度と彼の背中を叩く。
私は彼がそんな気は全くなく、しかも実に短気であることを知っているため、気が気ではなかった。十回ほど打たれたろうか。取材だと思って我慢していたであろう彼の目が、プツンと切れたのを私は見てとった。私は人妻に、もうやめてくれと言った。「仕方がないわね」と人妻は言い、彼は解放された。手錠を外されて彼が暴れはしないかと心配したが、彼はムッとした顔はしていたがなんとかこらえてくれた。
私がホッとしていると、マスターと人妻が同時に私に言った。
「次はあんたの番よ!!」
私は心の底から言った。
「すみません。今日は見るだけにしておきます」
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個室割烹[#「個室割烹」はゴシック体]◎西川口
[#1字下げ]1993年6月◎宮沢内閣不信任案可決、衆議院解散。新党さきがけ、新生党結成。ゼネコン汚職で仙台市長ら逮捕。[#「1993年6月◎宮沢内閣不信任案可決、衆議院解散。新党さきがけ、新生党結成。ゼネコン汚職で仙台市長ら逮捕。」はゴシック体]
「やはり素人の女の子じゃないと、お客さんが来ませんからねえ」
Wさんは、今、大変である。
Wさんは今年の春まで新宿・歌舞伎町のピンサロ「エアポート2」の店長を務めていたのだが、店が一時営業停止になってしまったこともあり、そのピンサロやクラブなどのチェーン店を経営している会社をやめて、ついにかねてからの念願だった独立をはたした。
思えば九州の高校を卒業して東京へ出て来てから水商売一筋。クラブ、キャバレー、ファッションヘルス、ピンサロといろいろな所で働いてきた。その間に恋愛をし、結婚もした。商売柄、休みもなく毎日、早朝から深夜まで働きに働いた。そして、クタクタになって帰ってくる夫を寝ずに待っている妻が注いでくれるビールを一息で飲み干すWさんは、口癖のようになってしまった「いつかは自分の店を持つからな」という言葉を自分に言い聞かせるように繰り返した。
その言葉がついに実現する時が訪れたのである。
だが、なにせ時期が悪い。世の中、どうしようもなく不景気だ。不景気の波はまず水商売に襲いかかる。それに加えてエイズという問題もある。Wさんが勤めていた店もバブルとやらがはじけて以来、ここ一年ほどガタッと客足が減ってしまっていた。今年の初めにWさんと会った時、「これは内緒ですけどね、去年の暮れのボーナス、いつもの半分だったんですよ。でも経営状況を知ってますからね、文句は言えませんよ。ボーナスを出してくれただけでも、社長に感謝しなくちゃ」と言っていたくらいだ。こんな時期に独立して自分の店を持つなんて、商売とか経営とかには全くのド素人の私から見ても、無謀に思える。しかし、Wさんは独立することを決意した。いくら状況が悪いとはいえ、今やらなくて何が男ぞ!! それに、妻への「いつか自分の店を持つからな」という台詞も言い飽きた。
Wさんが八方手をつくして探した末、ようやく埼玉県の西川口に恰好のテナントを見つけた。そのテナントは駅前のビルの一階にあり、以前はフィリピンの女性たちを集めたパブだったが、思ったように客が来ずに三カ月で店を閉めてしまった所だった。
Wさんはそこを借りることにした。営業品目は、もちろん女性を雇っての風俗業である。本当は長年関わりそのノウハウも熟知したピンサロをやりたかったのだが、単純な昔ながらの形態のピンサロではこの不況を乗り切れないことを痛感していたWさんは、悩みに悩み考えに考えた末に、「個室割烹」という店にすることにした。
朝から雨がシトシトと降る或る日、私はWさんからの電話で起こされた。
「今度、『個室割烹』の店を開くんで、取材に来てくれませんかねえ」
私は寝呆けながらも、Wさんの並々ならぬ情熱を感じ、西川口に行くことを約束した。個室割烹とは、いってみればピンサロとファッションヘルスの中間的なものである。客は店に入ると、個室に案内される。そこには当然女の子がおり、酒と料理を供される。だから割烹。そして、客はピンサロ的サービスを享受するわけだ。
梅雨独特の湿気がたっぷりと漂っている七月十三日、私は新宿から埼京線に乗り、赤羽で京浜東北線に乗り換え西川口の駅に降り立った。もう私のシャツは汗でビショビショだった。先月、新宿の変態クラブで自分の誕生日だというのに手錠をはめられて女性に鞭で叩かれた編集者が、「今日はお前がちゃんと体験するんだぞ!! 女の子と話をするだけなんてカッコつけたら許さないからな」と言った。「俺はその間、近所の飲み屋で待ってるから」とも言った。よっぽど、先月、自分だけが鞭で叩かれて、私がその姿を見ていたことが腹にすえかねているのだろう。私は、わかったと答えた。明日は私の誕生日である。これも何かの縁なのだろう。
約束の時間より早く着いたので、私たちは久し振りに西川口の町をプラプラと歩くことにした。風俗店の集まっている路地をひやかしながら歩いていると、まだ昼間だというのに女の子たちの顔写真を貼ったボードを手にした客引きの男が近づいてきて、「本番できるよ。本番だよ」と言った。私たちが大通りに出るまで、その男はしつこく食い下がってついて来た。その、まさになりふりかまわずといった姿は、いくら不況とはいえ歌舞伎町や池袋でも見られない。本当に客がいないのだろう。
駅前に「愛酒道場」という手描きの看板のかかった掘っ建て小屋のような店があり、なんだろうと思って入ってみると、ムッとした空気が澱んでいる店内には、ビールや日本酒の自動販売機が壁際に並んでおり、幾つか置かれたテーブルで浅黒い顔から汗をしたたらせた男たちが数人、それぞれ互いにそっぽを向きながらカップ酒を飲んでいた。私がそのなんともいえぬ殺伐とした光景に見とれているうちに、編集者がWさんの店に電話をした。
「Wさん、迎えに来てくれるって」
編集者がそう言った。私たちが「愛酒道場」の隣のマクドナルドの前に立ってると、「やあ、どうもどうも」と手を振りながらWさんがやって来た。私は一瞬、その人がWさんだと気づかなかった。歌舞伎町で会った時のWさんはいかにも店長然としたパリッとした背広姿だったが、今、私の前にいるWさんはジーパンにTシャツ姿で、首にタオルを巻いている。そのいでたちは「愛酒道場」にいる人たちとほとんど変わらなかったが(私も似たようなものだったが)、しかし、Wさんの目は歌舞伎町で会った時よりもキラキラと光っていた。
Wさんの店は駅から歩いて二分ぐらいの所にあった。私はもうとっくに開店しているものだと思っていたのだが、驚いたことにまだ内装の工事中もいいところだった。店内では工事の人たちが剥き出しのベニヤ板のようなもので仕切られた個室の間を行ったり来たりしながら、大声をあげて忙しく働いている。私は、やっとWさんの服装に納得がいった。Wさんも業者の人たちと一緒になって働いているのだ。
しかし、これじゃあ、何を取材すればいいのだろう。内装工事の人に、「風俗店の工事をするのはどういう気持ちですか?」とでもインタビューすればいいのだろうか。とても体験取材どころではない。
私が困惑しているのを見てとったWさんが「ちゃんと女の子を待たせておきましたから、その子にいろいろ話を訊いて下さい。三階に女の子たちの寮があるんですよ。そこにいますから」と言った。
三階までの階段を登りながら、Wさんが首筋の汗を拭き拭き、「いやあ、もう大変ですよ。八月五日に開店予定なんですが、そのためには七月二十日までには工事を終わらせなくちゃいけないんで、わたしも毎日、朝から晩まで肉体労働ですわ」と溜め息をついた。しかしその溜め息は決してイヤイヤながら働いているというものではなく、単純に、躯が疲れている溜め息、いや、それよりも、自分が張り切っていることの照れ隠しのような溜め息だったので、私は嬉しくなった。
「女の子はもう集まったんですか?」
「いや、これから会って貰う子を含めて、まだ三人ですわ。今、女性誌とかに募集の広告を載せてるんです。やはり素人の女の子じゃないと、お客さんが来ませんからねえ。でも、雑誌の広告料って高いですなあ。五行広告のチッポケなやつで三万円以上ですよ。なんとか値切って二万円にして貰ったんですけどね。開店までに、二十人近くは集めたいんですがねえ……」
そしてWさんは誰に言うともなく、「大丈夫、大丈夫。集まる、集まる」と呟いた。
三階には八畳ほどの部屋が二つあり、それぞれに二段ベッドが二つ置かれてある。フィリピンパブの時は、三つベッドがあったそうだ。つまり一部屋に六人の女の子が寝起きしていたわけである。まさにタコ部屋である。それじゃああんまりだと思い、Wさんはベッドを一つずつ減らしたそうだ。
「女の子たちには、できるだけ気持ち良く生活して欲しいからね」
その一室に、浴衣のような和服を着た桃子さんという源氏名の二十一歳の女の子が、けだるそうに座っていた。桃子さんは以前、歌舞伎町でWさんが店長をしていた店で働いていたのだが、Wさんが独立したと聞いて、ここで働くことにしたのだそうだ。
「決して引き抜いたんじゃないですよ。わたしが店を開くと決心した時には、桃子はもう前の店を辞めてたんですから。引き抜いたりしたら、いろいろトラブルの原因になりますからねえ」
Wさんが慌てたように言った。そして、「済みませんけど、わたし、工事の手伝いをしなくちゃいけないんで……」と言って部屋を出て行った。そんなWさんの姿は、まさに必死という言葉がピッタリだった。
それに比べ、桃子さんは実にノンビリとした顔をしていた。桃子さんはこの寮に住んでるわけではなくほかに自分の部屋があり、フリーターをしている妹と一緒に住んでいるのだが、今日は取材だというのでWさんに呼ばれてやって来たのだそうだ。
「前の店を辞めてしばらくプラプラしていたんだけど、わたしって高校を卒業してから風俗の店でしか働いたことないから、今さらマクドナルドのバイトとか、普通のOLなんてできないみたい」
桃子さんはそう言ってけだるく笑った。
「ここの家賃、百七十万円なんだってねえ……」
私が桃子さんにそう言うと、彼女は目を丸くして驚き、「百七十万……!! へえ、そうなんだあ……。大変だねえ、Wさん」と他人ごとのように言った。
Wさんは、大変なのである。
そんな大変なWさんの店の名前は「遊名人」。通常コース(普通のピンサロのようなサービス)は四十分で一万円。夜這い、セクハラ、痴漢電車などのコスチュームプレイが楽しめるイメージコースは一万五千円である。この連載ではあまり店の宣伝のようなことはしたことはないのだが、大変なWさんの姿を見て、ウーロン茶を飲ませて貰ったこともあり、Wさんを応援したくなった。
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投稿写真[#「投稿写真」はゴシック体]
[#1字下げ]1993年7月◎北海道南西沖地震で津波が奥尻島直撃、死者・不明者230人余。衆院選挙で自民党過半数を割る。[#「1993年7月◎北海道南西沖地震で津波が奥尻島直撃、死者・不明者230人余。衆院選挙で自民党過半数を割る。」はゴシック体]
「ああいうのをいちいちヤラセで作っていたら金が幾らあっても足りねえよ」
深夜、私は自室の机の前で呆然としていた。
奇妙な性的興奮と軽い吐き気のようなものに襲われ、頭の中はパニック状態になっていた。
机の上には何枚ものいわゆる投稿写真と呼ばれるものが並んでいる。そして机の横のベッドの上に置いてある大きな紙袋の中には、別の写真が出番を待って息をひそめている。その数は全部で二百枚はある。
「いやいや……こりゃ大変な仕事を引き受けてしまったなあ……」
私は一人溜息をついた。
『クラッシュ』の増刊号に『投稿通信』という一冊丸ごと投稿写真のオンパレードといった感の雑誌があり、掲載する写真に添える短い文章を書く仕事をそこから頂戴した。
生の投稿写真を初めて見るわけではない。かつてエロ本の編集を担当していた頃、その雑誌にもそういうコーナーがあり、毎月読者から送られてくる写真を会社で眺めていた。その会社に勤めるまでは投稿写真なんてほとんどはヤラセだと思っていたので、実際に送られてくる写真を前にして驚いた。先輩編集者にそのことを言うと、「当たり前だろ。ああいうのをいちいちヤラセで作っていたら金が幾らあっても足りねえよ」と言われた。その頃には、エロ本の編集費の少なさや、一回の撮影にかかる経費ぐらいはわかっていたので、私は深く頷いたものだった。
だから、今回の仕事を受ける時も、かって知ったる、という軽い気持ちだった。今さら投稿写真ぐらいで驚く自分じゃあるめえ……。
誤算だった。袋いっぱいの写真をアパートに持ち帰り、やれやれとテレビのスイッチを押しウィスキーに氷を入れて飲む。テレビのニュースでは鹿児島での台風による被害状況を説明している。鹿児島はつい先日仕事で行ったばかりだ。西鹿児島駅などまだ記憶に新しい所が水浸しだ。続いて細川総理大臣の初めての記者会見の模様が流れる。細川さんはアメリカの大統領のように手にしたペンで記者を自ら指名して質問に答えている。そのキザぶりに好感を持つ。
やがて近所の焼き鳥屋に勤めている家人が帰って来た。二人で遅い夕食をとる。「今日も店はヒマだった」と家人が言う。やはり不景気なのだろう。夕食を終え一服して、私は隣の仕事場兼寝室に入った。
さてさてと原稿用紙を広げ、袋から最初の何枚かの写真を取り出し机の上に並べる。写真はもちろん無修整である。女性の顔も股間もはっきりと写っている。
女性は若く、なかなか美人。その彼女がどこか行楽地に向かうらしい電車の中で窓外の風景をバックに椅子に座りミニスカートをはいた足を開き、剃毛された性器を自分の指で押し広げている。投稿者は彼女自身である。写真は恋人である彼氏に撮ってもらったらしい。
そういった写真が珍しいわけじゃない。会社にいた頃はもっと過激な写真を何百枚と見ていた。だが、私の胸は妙に高鳴った。原稿を書くのを忘れ、私は投稿者の写真を袋から取り出す。投稿者が街でナンパしたOLが、ラブホテルのバスルームで放尿しながらニッコリ笑っている。次の写真は夫婦だ。セーラー服を着せられた童顔の妻が、剃毛された性器を御主人のペニスに貫かれながら自動シャッターのカメラをとろんとした目付きで見ている。
隣の部屋では、家人がセンベイをパリポリと齧りながら深夜のテレビのお笑い番組を見て笑っている。
このギャップに私は興奮してしまった。今までは会社という、いわば公的な空間の中でしかそれらの投稿写真を見たことがなかった。周りの人間たちも当然だが仕事をしている。そんな中にあっては、一瞬、「オッ、こりゃ凄いな」と思ってもその劣情に浸ることはできず、周りの目を気にしてどこかで自分の気持ちにブレーキをかけていた。
それが、日常生活を送っているアパートの狭い部屋で電気スタンドの灯りでそれらの写真を見ると、ブレーキはかからずストレートに私を直撃した。
私は半立ち状態になったペニスを気づかれないように、テレビに笑い転げている家人の前を通り台所の流しで顔を洗うと、再び机に戻った。いちいち写真に興奮していたのでは仕事にならない。なにせ同じように生々しい写真が二百枚近くあるのである。
私は心を鎮めながら、原稿用紙に文字を書き進めた。
こういった、あくまで写真重視のページの仕事は、先割りといって、レイアウターが先に写真の位置を決め文字数を決めて、ライターに回ってくる。編集者が私に電話で言った予定では、二日前にそのレイアウト用紙が私の許に届くはずだった。それが二日遅れた。お盆休みを前にしてレイアウターも忙しいんだろうと思っていたが、実際に写真を見ながら遅々としたペースで仕事をしていくうちに、レイアウターに漠然とした連帯感のようなものを私は感じていた。そのレイアウターの方はどなたか存じあげないが、もし独身であったり、結婚していても奥さんが何かの理由で留守にしていたとしたら、それは辛い作業であったろう。私だってもし隣の部屋に家人がいなかったら、シャープペンの代わりに他の物を握っていたに違いない。そして、一文字も書かないうちに何故か体がヘトヘトになり眠り込み、〆切から三日は遅れたろう。
そのくらい、自分の家で眺める投稿写真というものは迫力がある。
その撮影した場所が野外であれラブホテルであれ、その瞬間、そこは彼ら二人の寝室である。自分の仕事場兼寝室でそれらの写真を眺めていると、なんか寝室にいながら他人の寝室を覗いているようなリアルな感じがする。一人で机の前で思わず赤面なんかしてしまう。亡くなった寺山修司の芝居に『レミング』というのがあり、それは部屋と部屋を隔てる壁が消えてしまうというストーリーだったと憶えているが、まさにそんな感じである。
よく、取材の帰りなどの夜に、東京湾近くの道路を車で通る。そこには幾つもの高層建築のアパートが立ち並んでいる。私はあの人工的な団地を目にする度に、今、この中で何人の人がセックスをしているのだろうと思ってしまう。
また、地方に行った時に、夜の電車の窓からポツンポツンと家の灯りが見える。ふと、あの家ではどんなセックスが繰り広げられているんだろうと考える。
そんな想像をすることは、旅や仕事に疲れた私のちょっとした気休めというか、頭のレクリエーションだった。決して見ることはできないがゆえに、私は自由に想像をして楽しんだ。
だが、自宅で見た生の投稿写真は、その私の拙い遊びの答えを一挙に出してくれたような気がした。
あんたが思っていた通り、いや、それ以上のことをみんなやっているんだよ。
それにしても、一般の方々というか、皆さんは本当にスケベである。正直言って、よくぞここまでセックスを探究できるものだと、あきれを超して感動すら覚える。中には毎月五、六人の女の子をナンパしてそのセックスを撮って送ってくる人もいる。この人は一体どんな仕事をしているのだろうか。ナンパをすることだって金がかかるだろうに、生活は大丈夫なのだろうか。多分、かなり生活に余裕のある人なんだろうな。
よく、「男なんてみんなスケベなんだからさあ」という言葉を耳にする。それは、半分当たっていると思うし、半分外れていると思う。私だって男である。道できれいな人とすれ違えば思わず振り返り、電車の中ではミニスカートをはいた女性の、そのスカートの中をスポーツ新聞を読むふりをしながら想像する。だが、どうしても私のスケベはそれ止まりだ。ナンパをしてその妄想を実行に移す勇気も気力も体力もない。そんな男は、私の周りに結構多い。そして、そんな男たちは、セックスよりも執着しているものを持っている。それは酒だったりギャンブルだったり仕事だったり、いろいろだが。
私は思う。この投稿写真を送ってくる方々は、本当にセックスが好きなのだろう。きっと、常に頭の中はセックスのことがあるに違いない。私が、目をさましている時はいつも酒が飲みたいと思っているように。正直言って羨ましいと思う。私だって、一度でいいから衣装や小道具をそろえ、何時間もかけて女性をヒイヒイ言わせ、その姿を写真に撮ってみたいものだ。
それにしても、二百枚近い投稿写真を見ながら私は、そういった真のスケベな男たちの相手になる女性の多さに驚いた。彼女らは(当たり前の話だが)顔はいたって普通の人である。だがいったん服を脱ぐと、剃毛されていたり乳首や大陰唇にピアスをしたり、野外で平気で放尿したり自分でバイブレーターを突っ込んだりする。
今さら何を、と言われるかもしれないが、女性というものがわからなくなってしまった。
最初に、投稿写真を見ていて軽い吐き気を覚えた、と書いた。それは本当である。パックリと開いてペニスを受け入れる様々な女性器を見ているうちに私は憂鬱になり、悪いが、吐き気を覚えた。
家人はまだ隣室でテレビを見ている。彼女も、女性である限り、写真の中の無名の女性たちのような資質を持っているのだろうか……。きっと、持っているのだろうな。
二日がかりでなんとかその仕事を終えた私は、『クラッシュ』の編集部に電話した。
「次は投稿写真について書きたいんだけど……」
「エッ、ああ、それは気づかなかったなあ……。毎日会社で見ているから、慣れっこになっちゃってた」
電話に出た編集長はそう言った。編集長は妻と二人の子供がいる。
「一度ね、家に投稿写真を持ち帰って見てごらん。きっと、凄い新鮮だよ」
私は言った。
電話を切り隣室に行くと、今朝も家人はテレビの前で眠っていた。テレビでは、細川総理大臣が何やら喋っている。
この人はどういうセックスをしてきたのだろう?
私はついそう思ってしまった。
[#改ページ]
ブルセラ・ショップ[#「ブルセラ・ショップ」はゴシック体]◎新宿西口
[#1字下げ]1993年8月◎38年ぶりの非自民政権・細川護熙内閣発足。衆院議長には初の女性議長・土井たか子を選出。[#「1993年8月◎38年ぶりの非自民政権・細川護熙内閣発足。衆院議長には初の女性議長・土井たか子を選出。」はゴシック体]
「お客さんのニーズの多い制服が、自然に値段が高くなるって感じですかね」
渋谷のブルセラ・ショップが警察に検挙された時のマスコミの反応は凄かった。私の知る限りスポーツ新聞はこぞって社会面に「ブルセラ」という大きな活字を載せていたし、昼過ぎのテレビのワイドショーでは、どのチャンネルを回しても「女子高生の実態!!」とかいう特集をやっており、顔にモザイクをかけられた女子高生とやらが、音声をかえた変な声で「バイトをするよりわぁ、やっぱりぃ、パンツを売った方がぁ、手っ取り早くお金になるしぃ、友だちも売ってるからぁ……」なんて言っている。私はいわゆる一般紙を購読していないのでわからないが、多分一般紙も三面記事として報道したに違いない。平和で平凡な私鉄沿線の住宅地の、ローン三十五年の家の食卓で、小学生の息子や娘に「ブルセラ・ショップってなんなの?」と尋ねられた出勤前のお父さんはさぞ困ったことだろう。
あのマスコミの騒ぎ方を見ると、一瞬、そのブルセラ・ショップが大変な犯罪を犯したような感じがしたが、よくよく読んだり聞いたりしてみると、たんに古物商の許可を取っていないということらしい。それなら、休日の公園などでバザーをやっているオバチャンたちだって、同じ理由で検挙されるはずだ。
まあ、警察の気持ちはよくわかる。「お前ら、いいかげんにせえや」という感じで、見せしめとしてあの渋谷の店を選んだのだろう。
「今まで見て見ぬふりをしていたけど、あんまり図に乗ったらいけないよ」という感じだろう。あれだけマスコミに取り上げて貰って、さぞ警察は溜飲を下げたに違いない。
ところで、マスコミはブルセラ・ショップに対して、なんであそこまで大騒ぎをするのだろう。やはり、女子高生が自分の下着を売りにくるという点に、刺激されたに違いない。こりゃエッチだ、と思ったはずだ。古今東西、エロネタは売れる。
だが、これは私の推測だが、日本中のあらゆるテレビ局、新聞社、出版社で、このネタを扱うことになった男性たちは、そばにいる女性スタッフの目を意識しながら、「わっかんねえよなあ、なんで下着なんか欲しいのかなあ、中身があるんなら別だけどさ、ヘッヘッヘ」なんて、何も言われてもないのに弁護をするように口走ったに違いない。これは断言できる。私の行きつけの何軒かの飲み屋でも、このブルセラ・ショップのことが話題になると、男たちは皆一瞬目を光らせ、だが異口同音に「なんで女子高生の下着なんか欲しいのかねえ。それにしても女の子が自分の下着を売るなんて、本当に世も末だね」と言い合っていた。かくいう私もその一人だった。俺は絶対にそんな変態じゃないよ、というわけだ。
だが、私はそんな話にうなずいて良識ある一般市民を演じながら、十五年ほど前の自分を思い出していた。
仙台の男子高校を卒業した私は、大学受験に失敗し、だがどうしても家から離れたかったので、東京に出て来て予備校に籍を置いた。だが、勿論まじめに予備校に通うわけはなく、初めて体験する東京という街に恐れつつも感動しながら、覚えたての酒とパチンコで毎日を過ごしていた。或る日、高田馬場のパチンコ屋でスッカラカンになり頭の中が真っ白になった私は、早稲田大学の近くのアパートに住む友人に金を借りに行った。友人は高校の同級生で、やはり浪人生だった。
幸い友人は部屋にいて、私は二千円を借りることができた。礼を言って部屋を出ようとする私に、友人がニヤニヤと笑いながら言った。
「いいもんがあるんだけど、見てえか?」
見たい、と私が答えると、友人は参考書が無駄に山積みになった勉強机の一番下の引き出しを開けて、一枚の薄いピンクの布切れのようなものを取り出した。そして、「ほら」と言って友人はそれを私に手渡した。
手にしたその布切れをまじまじと見る。それは、まごうかたなき、話には聞いたことのある女性のパンティであった。それは、幼い頃によく目にした、庭の物干し棹でビラビラと風に吹かれていた母親や祖母の旗のようなパンツとは違い、私の手の中で小さく丸く縮こまっている。
「誰のパンツかわかるか?」
友人は訊いた。私はそれに答えず、無言で手の中の布きれを見つめていた。
「――ちゃんのパンツだ。びっくりしたべ。東京さ出てくる時に、――ちゃんの家の庭に忍び込んで、記念に盗んできたんだ」
友人は得意そうに言った。――ちゃんは私も知っている。というか、――ちゃんは私の中学時代の同級生で、私たちの間ではかなり評判の美人だった。
私はのどの渇きを覚えながら、その小さな布きれを広げてみた。裏がわの、ちょうど股間があたる部分に白い布が縫いつけられてある。私はそれを凝視した。白い布には、かすかに黄色いしみがついていた。
私の視線の行方を追っていた友人が、「なっ、すげえべ。それ、――ちゃんのオシッコのしみだぞ」と言った。
正直、私は興奮した。心臓がドキドキと高鳴った。この白い布の所に、あの――ちゃんの、そのなんだ、まだ実際には見たことはないが、女性の性器っちゅうもんが直接当たっていたのだ。
「パンティって羨ましいよなぁ」
私の胸の内を見透かしたように、友人が言った。
「うん」
私は答えた。
「俺、――ちゃんのパンティになりてえなあ。パンティになったら、受験勉強なんかしなくていいしなあ」
友人はそう言って、大きく溜め息をついた。
私もそれに応えるように溜め息をついた。
その瞬間、友人は私の手から布きれをサッと取り上げた。
「これは貸さねえぞ!! 金は貸しても、これだけは貸さねえぞ。これは俺のお守りだからな!!」
翌年、友人は志望校とは違ったがとりあえず大学に入学し、私は二浪目のまた暗い一年に突入した。
やはり、あの一枚の布きれが若い人生の明暗をわけたのだろうか。
その後、私はなんとか童貞を失い、何人かの女性とスッタモンダをし、今は結婚して一人の女性と一緒に住んでいる。その十数年の間に、私は女性が決してきれいで美しいだけではないことを知った。そして、洗濯機の横に置かれた洗濯カゴに女性の下着が入っているのを見ると、目をそらすようになってしまった。だが、今でもあの十五年前の――ちゃんのパンティを思いだすと、胸がかすかに高鳴る。
もしかすると、ブルセラ・ショップで女子高生のパンティを買っている人たちは、私にとっての――ちゃんのような、自分の中の永遠に幻の理想の女性を追いかけているのかもしれない。
先日、私は新宿西口のマンションの一室にあるブルセラ・ショップに行った。この店は、まだ開店準備中である。以前は別の店名で営業していたのだが、渋谷の事件のことなどもあり一度店を閉め、今は古物商の認可がおりるのを待っているところである。三十代後半ほどの店長のIさんは、「認可がおりたら明日からでも開業したい」と言う。今は仕方がないから、朝から晩まで在庫整理に明け暮れているが、下着を売りたい女の子や、それを買いたい男性からの電話がひっきりなしにかかってくる。その対応でなかなか忙しいらしい。
店内は狭い。その狭い店内にズラリと女子高校の制服や、パンティが並べられてある。
その光景は、いってみればちょっと趣味の偏った古着屋である。これを見て猥褻だと思うかそうでないかは、その個人の判断力というか想像力によってわかれるのだろう。
制服は、学校によって値段に差はあるが、平均で四、五万円といったところだろうか。ちなみに東京都の学校の中では、堀越学園が一番高かった。
「こういうのは値段があってないようなものですからねえ……。偏差値が高いからって、値が張るわけじゃないし、難しいですね、こういう値段を決めるのは。まあ、お客さんのニーズの多い制服が、自然に値段が高くなるって感じですかね」
銀座の画廊の店主のような表情で、Iさんは言った。
「いろいろとお客さんから注文があるんですが、北海道のナントカ女子校の制服なら金はいくらでもいいから買いたい、と言われた時は弱っちゃいましたねえ……」
パンティは洗濯済みのものがカゴに山盛りになっており千円均一。しみつきや匂いつきのものはビニール袋に入っており、三千円から五千円である。
「これ、Iさんがはいてオシッコのしみをつけちゃったやつでも通用しますよね」
私がそう言うと、Iさんは顔をキリッと引き締め、「ウチは全部本物です。こういうことは信用商売ですから!!」と憮然としたように答えた。
ビニール袋の中に入っているパンティを見せてもらうと、なんのあれだかわからないが確かに値段の高い物ほど汚れがひどい。ちょっと吐き気がしたが、これも――ちゃんのパンティかもしれないと力ずくで思い込むと(――ちゃんは私と同じ年なのだが私の中ではあくまでも女子高生である)なんとか心が安らいだ。要は想像力である。
一瞬、うちのカミさんのパンツを洗濯カゴ一杯に持って来たらいくらになるのかな、と思ってしまった。
店内をうろつき回っているうちに、妙な物を見つけた。小さな紙パックなのだが、「経血茶」という文字が大きく記されており、その横に、「処女の鮮血エキス配合」と書かれ、「キミの股間を直撃!!」、「滋養強壮・虚弱体質」という文字が躍り、「一服の暖は心を満たす やすらぎの香りひとしずく」というコピーまで書かれてある。
なんとなくわかったが、あえて、これは何かとIさんに恐る恐る尋ねると、Iさんは嬉しそうな顔して、
「これはですねえ、ウチのオリジナル商品で、女子高生が持ってきたナプキンやタンポンを小さく刻んでお茶の葉に混ぜてティーバッグにしたんです。人気商品ですよ」
と説明をしてくれた。血には滅法弱い私は目まいがしそうになった。
いくら要は想像力だとはいえ、うーん、こりゃ、ちょっとあんまりじゃないだろうか。
「女子高生のものなら、教科書でも鼻クソでも商品になりますよ」
Iさんはそう言って笑った。さすがに鼻クソはなかったが、使い切っていろいろと落書きのある教科書が、セットで置いてあった。
今、私の机の上にIさんから貰った経血茶(ワーッ、文字を書くのもイヤだ)が置いてある。記事を書くからにはこの中身を見なくてはいけないと思ってさっきから見つめているのだが……済みません、私にはその勇気がありません。どうしよう、これ。棄てると、なんかバチが当たるような気がするし……。
そんなことを思い悩みながらテレビをつけると、東京の町田市で女子高生の使用済み下着の自動販売機が発見されたことを報じた。その地域の、PTAとか市会議員など良識ある方々はいたく怒っていらっしゃるらしい。
フン、それで下着ドロボーがいなくなりゃ万々歳じゃないか。
それより、この経血茶をどうしよう……。
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女子高生[#「女子高生」はゴシック体]
[#1字下げ]1993年9月◎ロシアの権力闘争が決定的事態になり、10月3日の市街戦の結果、エリツィン大統領が制圧。[#「1993年9月◎ロシアの権力闘争が決定的事態になり、10月3日の市街戦の結果、エリツィン大統領が制圧。」はゴシック体]
「今日、泊まる所ないんだ。だからホテル代払ってくれたら一万円でいいよ」
机の上に四本のビデオテープが置いてある。
それぞれのタイトルは、『えり子の秘密』、『制服の少女』、『パンツを売りに来た女子高生』、『女子高生シャワー物語』。
いずれも、新宿のブルセラショップから借りて来たものだ。先月号でこれらのビデオにもふれたかったのだが、紙数が尽きてかなわなかった。
四本のうち『パンツを売りに――』と『制服の少女』はただ単に登場する女性が高校の制服を着ているというだけかも知れない。あまりに言動が場慣れしている。『えり子の秘密』は、うーん、どうかなあ……といったところ。髪の毛を染めていて派手だが、もしかしたら素人かもしれない。
これは絶対に現役の女子高生だ、と確信したのが『女子高生シャワー物語』。
一人の化粧っ気のない、とりたてて可愛いともいえない女の子がマンションの一室でビデオに撮られている。
「オシッコをするところを見せてよ」というスタッフのことばに、彼女は何度か笑いながら拒否するが、スカートを脱がないなら、という条件で承諾する。
マンションの狭いベランダに出たセーラー服姿の彼女は少し照れながらパンツを脱ぎ、スカートをまくり上げてしゃがんだ。そして、「あれ、出ないや、ちょっと待ってね」と何度か言った後、放尿した。チョロチョロと静かに、ベランダの床を彼女の放出した液体が黒いしみを作っていく。
「やだあ、きたないよオ……ねえ、もういい?」と彼女は笑いながら叫び立ち上がる。
次のシーンはバスルーム。セーラー服を脱いだ彼女は、白いブラジャーとパンティという下着姿でシャワーを浴び始める。パンティの上から陰毛が黒く透けて見える。
スタッフが、「オナニーをしてくれない?」と言う。
「やだあ……だってそんなことしても、ギャラは同じでしょ?」と彼女は言うが、ギャラの交渉がまとまったのか、小さなバスタブの中でオナニーをし始める。
目をつむり、片手で胸を揉み、もう一方の手でパンティの上から股間を探る。
その姿は、AV女優が見せるそれと違い、とても生々しかった。いかにも、この子がいつもやっているオナニーのスタイルといった感じだった。決して激しくはないが、いやらしい。えんえんとそのシーンは続き、フッと彼女がイキ、ビデオは唐突に終わる。股間をまさぐる腕に、根性焼きというのだろうか、煙草の火を押しつけたような丸い小さな火傷の跡が三つあったのが印象的だった。
彼女のギャラは、いくらだったのだろう?
先日、大舞じゅりあというAV女優と話をする機会があった。彼女も高校の頃はけっこう遊び、寝た大人の男からこづかいを貰うこともたまにあったらしい。
私は大舞じゅりあに、「ブルセラショップについてどう思う?」と訊ねた。
「別にいいんじゃないかなあ……。パンツを買って貰えるんでしょ? そんなラクなこづかい稼ぎは他にないじゃん」と彼女は答えた。
「でも、自分が使用した下着だよ。恥ずかしくはないかな?」
「そんなの、割り切っちゃえばなんてことないよ。AVだってそうじゃん」
私が高校生の頃、男子高生の使用済みブリーフを買ってくれる店があったとしたら、私は売りに行ったろうか?
当時、親から貰うこづかいは少なかったし、欲しい本やレコードは沢山あったから、ええいままよ、と売りに行ってたかもしれない。
ただ、ビデオに出演してオナニー姿を晒していたかとなると……どうかなあ……。
私は新宿二丁目に住んでいる。ここはいわずとしれたホモの街である。朝から晩まで、若い男たちが同好の士を探しに、または春をひさぐために路上に立っている。その中には明らかに高校生とわかる少年もいる。
ホモグッズ屋の前を通ると、店頭に、『男子高生のオナニー』というビデオが平積みになっていた。
都内での取材仕事を終え、私は西武新宿駅に降り立ち、アパートに帰ろうと歌舞伎町を歩いていた。時間は夜の十二時を過ぎていた。かなり疲れていたので、ショルダーバッグを下げた私の足取りは重くゆるやかだった。
ゲームセンターの前を通ると、一人の女の子が近づいてくるのがわかった。ピンクのミニスカートにジージャン姿の女の子で、髪は肩ぐらいまでのびている。どう見ても、年齢は十五、六歳といったところだろう。化粧をして目にはアイシャドーを塗っているが、下ぶくれの幼い頬は隠しようもない。
「一万円でいいよ」
彼女は私と歩調を合わせて並んで歩きながら、うつ向いたままそう言った。
「エッ?」
私は訊き返した。
「今日、泊まる所ないんだ。だから、ホテル代払ってくれたら、一万円でいいよ」
もう眠くて、と言い彼女は小さくアクビをした。
「家に帰りなよ」
私は言った。
すると彼女は、
「バッカみたい」
と言って私からスーッと離れて行った。追いかけて行って、年上の人間に対する言葉づかいを教えてやろうかと思ったが、疲れていたのでやめた。
私は歩きながら、一人の友人のことを思い出していた。去年、バイク雑誌の編集者をしている友人と久々に飲んだときのこと。
かなり酔いが回ってきた頃、その友人が言った。
「おい、女子高生の体っていうのはやっぱりいいぞう。本当に、肌がピチピチしてるんだぞう……ヘッヘッ」
友人の会社は渋谷にある。出版業界の常として深夜に仕事を終え、一杯やり、帰ろうとタクシーを探していると女の子に声をかけられたのだそうだ。
「今夜、泊まる所がないの……」
友人はその十代の女の子を道玄坂のラブホテルに連れて行った。セックスを二回やり、こづかいとして二万円渡したという。
友人は嬉々としてその話をした。
「本当に女子高生なんだぜ。学生証を見せて貰ったもん。いやあ、今の女子高生は凄いねえ。こっちが何も言わなくともフェラチオしてくれるしさあ。幼い顔してるけど、感度はバツグンだし。やっぱり若い子はいいぞう。なんたって、ソープに行くより安いしよ」
その後、何度かその友人から酒の誘いの電話があったが、たまたま用事もあり断わり続けた。いつしか連絡がなくなり、私の方からも連絡はしていない。
二丁目に着き、「さてこのままアパートに帰ろうか。それとも軽く一杯やろうか」と考え、路上でふと立ち止まり三秒ほど考えていると、「オジサマ」という声がした。
驚いて振り返ると、そこにはジーパンに白のボタンダウン姿の、前髪をハラリと額に垂らした少年がニコニコしながら立っていた。
「オジサマ。僕、オジサマのタイプじゃなあい?」
一瞬、全身で絶句した私だったが、気を取り直して、「タイプとかそういうことではなく、申し訳ないが私に君が提案したような趣味はない」と答えた。
少年は、
「フーン」
と言い、さしてがっかりしたような顔も見せずに去って行った。私は、三十四歳で「オジサマ」と呼ばれたショックでしばらく呆然としていた。その横を、自分の息子ぐらいの少年の肩を抱いたスーツ姿の男が通る。
それにしても、内容はともかく、やけにもてた一夜ではあった。
「この前さ、ビックリしちゃった」
行きつけの焼き鳥屋で飲んでいると、アルバイトで働いている女の子がそう言った。
「どうしたの?」
「隣のマンションの四階に焼き鳥の出前に行ったの。そうしたら、エレベーターで制服姿の女子高生二人と一緒になったのね……」
時刻も夜の九時を回っているし、そのマンションに学習塾があるとも聞いたことがない。あまりに場違いな女子高生の出現に、彼女は焼き鳥が盛られた大皿を手にしたまま女子高生たちの会話に聞き耳を立てた。
女子高生たちは彼女の存在を気にせず、いや、無視するかのように喋り始めた。
「今月は今まで幾ら稼いだ?」
「二十万かな?」
「エーッ、わたしは十七万よオ。やっぱりあの変態オヤジを断わったのが痛かったかなァ」
「変態オヤジって、あのオシッコを飲ませてくれっていう奴?」
「そう……」
「オシッコぐらい、飲ませてあげればいいじゃん」
「エー、やだよ、気持ち悪い」
「でもオシッコ飲ませれば、五万はくれるんでしょ?」
「十万やるって言われた」
「十万!? わたしなら絶対OKだな」
「じゃあ、今度あんたに紹介するよ」
そんなことを喋りながら、女子高生たちは三階で降りたそうだ。多分、その三階に女子高生専門の売春事務所ができたのだろう。
「わたしなんか、毎日働いて月に二十万も貰ってないのよっ!!」
焼き鳥屋の女の子が怒ったように言った。
私がたまさか見聞きしたこれらの現状は、おそらく氷山のほんの一角なのだろう。それに対して、私は別に何も言うことはない。
ただ、今の少年少女たちは、性というフィルターを通して大人たちを軽蔑していることだけは、確かだと思う。
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ふんどしパブ[#「ふんどしパブ」はゴシック体]◎池袋
[#1字下げ]1993年12月◎南アフリカで暫定執行評議会が発足し、白人支配が終わる。政府がコメ市場の部分開放を決める。[#「1993年12月◎南アフリカで暫定執行評議会が発足し、白人支配が終わる。政府がコメ市場の部分開放を決める。」はゴシック体]
「就職あきらめたからァ、なんか水商売の店を紹介してくんない?」
どうも、世の中は不景気らしい。私が住んでいる新宿二丁目の飲み屋も、おしなべて閑古鳥が鳴いている。あれ程路上でうろうろしていた売春や友情を求めていたホモも、テレビドラマなどで脚光を浴びはじめたら、とんと姿を見せなくなった。やはりコケと同じように、日陰の身は日陰でこそ生息するものである。下手に陽の光を浴びたら死んでしまう。あらゆる怪し気なものは、秘してこそ花である。
あ、不景気から話がずれた。とにかく不景気なのだそうだ。知り合いの飲み屋の親父は「バブルの頃に儲けた覚えはねえが、なんでバブルがはじけたからって俺んとこまでそのとばっちりをくわなくちゃいけねえんだ」と、カウンターに私しかいない店の中でシャカシャカと包丁を研いでいた。
大学生、特に女子大生の就職も大変らしい。
編集プロダクションを経営している友人が、「軽い気持ちで」社員を募集したら、なんと百人近い応募があったそうだ。その内の半数以上は女性。それも、京都大学、慶応大学、早稲田大学など、かなりオツムのいい学校の人たちで友人もビックリしてしまったそうだ。
そういえば今年の秋、私も一人の女子大生の就職(?)を手助けした。
友人の雑誌編集者が、「大学の後輩で、エロ本じゃなきゃ脱いでもいいという女の子がいるんですけど」と電話をしてきた。友人は早稲田を卒業している。
ヒマだった私はその女子大生と会った。顔もプロポーションもまあまあだった。
「来年、卒業なんですけどォ、全然就職の内定が貰えないんですよォ。もう、四十社も面接を受けたのにィ。超むかつくって感じィ」
本当にこの子は早稲田の女の子なのだろうかと、彼女の痴呆的な喋り方を聞いて私は思った。私は二度ほど、早稲田を受験して、落ちている。だから、とっくに三十を過ぎているというのに今でも早稲田の女子大生と聞くと、胸と股間がときめく。慶応や上智ほどお嬢さんではないだろうが、質素ながら知的なのだろうと勝手に思っていた。
「だからァ、もう脱いじゃってもいいかなって感じ。エロ本はイヤよ。わたしにもプライドがあるからさァ。写真週刊誌ならやっていいわよォ」
私は友人の某大手出版社の写真週刊誌のカメラマンに電話をした。彼は女子大生ヌードやOLヌードを専門にしている男である。
「早稲田の子で、脱いでもいいって子がいるんだけど……」
「いいじゃん、いいじゃん。それいこうよ。スタジオとっとくからさ、やろう、やろう」
私の心の中のどこかに、自分が落ちた大学の女の子を脱がせてやろうという、妙な復讐心があったのかもしれない。
撮影は目黒のスタジオで行われた。私も責任上、その現場に同席した。
彼女の脱ぎっぷりはよかった。
「彼氏はいるの?」
スッポンポンでソファに横たわる彼女に私は尋ねた。
「いるよ」
「同級生?」
「ううん。大学の先輩。テレビのディレクターをやってるのォ」
「その彼に、今日のことは言ったの?」
「エーッ、言うわけないじゃん。言ったら反対するに決まってるしィ」
「でも、これって雑誌に載るんだよ。彼がそれを見ちゃったらバレるよ」
「ウーン……、その時は別れる。別にさァ、わたしが彼を好きなわけじゃないんだもん。一回セックスをしちゃったらァ、彼の方がわたしに夢中になっちゃってェ、やたらしつこいんだ」
翌々週、彼女のヌード写真は全国にばらまかれた。新宿駅の売店で私はその雑誌を買い求め、電車の中で印刷ブツ[#「ブツ」に傍点]になった彼女の裸を眺めた。なんか妙な気持ちだった。
二日後の深夜、彼女から電話があった。
「ねえ、ちょっと相談があるんだけどォ……」
「どうしたの?」
「もうさ、わたしさ。就職あきらめたからァ、なんか水商売の店を紹介してくんない?」
電話をしてきた彼女も、それを受けた私もベロンベロンに酔っぱらっていた。私は彼女の言葉を冗談だと思い、以前に取材をした歌舞伎町のランジェリーパブの電話番号を教えた。
そのまた二日後、彼女から電話があった。
「ありがとう。わたし、あの店で働くことにしたわ。よかったら、飲みに来てよね」
師走である。私は編集者と共に、夕暮れの池袋の街角に立っていた。これから二人で、十一月に開店した「ふんどし倶楽部」に行くのである。その店では、ホステスである女の子がふんどし姿で客を接待するらしい。六本木にも同様の店があり、池袋はその新しい店だそうだ。六本木の店には一度行ったことのある編集者がそう説明してくれた。
それにしても、池袋の街は驚くほど静かだった。例年なら十二月になれば街はクリスマスムード一色なのに、ジングルベルのジの字も聴こえてこない。それよりもまず、人がいない。もうボーナスは出たはずなのに、この静けさはなんだ。本当に、不況なのだろうか。
そんなことを喋りながら、私たちは「ふんどし倶楽部」へ向かった。
今日、アパートを出る時、知り合いのオカマに出会った。
「あら、これからお仕事ォ?」
「ウン」
「なんの取材?」
「ふんどしパブ」
「エッ!?……」
「ふんどしパブ!!」
「それって、女の子がふんどしをしているお店?」
「ウン」
オカマは一瞬目を見開き、間をおくと、
「大変ねェ、尊敬しちゃうわァ。素敵なお仕事ねぇ」
と身をくねらせて言った。はははっ、オカマに尊敬されてしまった。
「ふんどし倶楽部」は地下にあった。ドアを開けるとまだ開店前で、色とりどりのふんどしのような布を下半身にまとった十数人の女の子たちが(上はちゃんとブラジャーをしている)、意外に広い店内でジュースなんかを飲みながら談笑している。黒服を着た男性のスタッフも六、七人いる。その中の一人が、
「では、朝礼を始めます!!」
と言った。
そして、ソファに座った「ふんどしギャル」たちを前にして、男たちが次々と喋り始める。
かつて、ピンサロの朝礼を見たことがある。
それは、まさに軍隊調で、実に厳しいものだった。「お早うございます」の声が小さいという理由で、何人もの男性従業員が店長にビンタをくらっていた。ビンタをくらう度に男たちは口々に「ありがとうございました!!」と叫ぶ。それを、ホステスたちがおびえた目で見守る。正直言って、自分はピンサロに勤めることはできないなと思った。
だが、「ふんどしパブ」の朝礼は違った。
「では――主任。お願いします」
司会役の男がいう。――主任が一歩前に出て喋り始める。
「エートォ、いつも仕事の話をしてたら肩がこっちゃうんでェ、今日はナゾナゾを出します。みんな、野球は好きかなァ?」
シーンとする「ふんどしギャル」たち。あせる――主任。
「エッ、アレッ? みんな、野球を知らないの? まいっちゃったなあ……ハハッ。でもナゾナゾを出します。エート、バッティングが苦手な動物はなんでしょうか?」
シーン。
「アッ、アレッ? わからない? しょうがないなァ。じゃ、答えを言うね。答えは、オランウータンでーす。『オラは打たん』ってわけ、ハハハッ」
シーン。
次々と男たちが喋り、朝礼は二十分を超える長いものだったが、全てこんな調子だった。
「ふんどしギャル」たちは、二十代の男たちが必死で放つギャグをなんとかして笑って受けようとする。
「なんかさ、テレビのバラエティ番組の前説みたいだね」
編集者がそう言った。
「とにかく、今週はほとんどの会社でボーナスが出ます。だから、お客さんも沢山くるはずです。がんばりましょう!!」
若い社長がそうしめくくり、店は開店となった。
私たちを二人の本当に可愛い「ふんどしギャル」が相手してくれた。二人とも十九歳の女の子だ。
「ここに勤める前は何をしていたの?」
「新宿の〇〇っていうランジェリーパブにいたけどォ、そこが失くなっちゃったんでェ、ここに移って来たのォ」
驚いた。私が早稲田の女の子に紹介した店がその店である。
「その前の店って、女子大生がいたでしょ?」
「うん、けっこういたよ」
「早稲田の子もいたでしょ?」
「ああ、いたいた。写真週刊誌でヌードになったって言ってたなァ」
「その子、今はどうしてるの?」
「知らない。ファッションヘルスとかソープにでも行ったんじゃないの……」
ああ……。
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お見合いパブ[#「お見合いパブ」はゴシック体]◎新宿東口
[#1字下げ]1994年1月◎衆院選挙に小選挙区比例代表並立制を導入する政治改革関連法案が可決成立する。[#「1994年1月◎衆院選挙に小選挙区比例代表並立制を導入する政治改革関連法案が可決成立する。」はゴシック体]
「一人で歩いている女の子を店に入れるのは、けっこう大変なんですよ」
四年ほど前だと思う。友人二人と私は新宿で酒を飲んでいた。友人の一人が言った。
「お見合いパブって知ってる?」
なんだそれは、と私は尋ねた。
「最近流行ってるらしいんだ。素人の女の子とお見合いができるらしい」
彼はジーパンのポケットから、路上で貰ったという小さなチラシを取り出した。そこには、「お見合いパブ アダム&イブ」と店名が記されており、「お気に入りの女性を見つけてフィーリングが合えば、あとはお二人のご自由に」というキャッチコピーが添えられてあった。
なんかよくわからないが、かなり酔っぱらっていた私たちは、「よし、行ってみよう」ということになった。
店は新宿東口の雑居ビルの中にあった。幾ばくかの金を払い、私たちは薄暗い店内に入った。店内はテーブルが二列、並列に並べてあり、私たちは従業員に促されるまま椅子に座った。向かい側のテーブルには七、八人ほどの女性が座っており、思い思いにビールを飲んだりサンドイッチを食べたりしている。どちらの列のテーブルにも、番号が記された札が立てかけてある。私たちが座ったテーブルには、メッセージカードという紙とボールペンが置かれてあった。
「気に入った女性がおりましたら、メッセージカードにその女性のテーブルナンバーとメッセージをお書き下さい。知らせてくれましたら、私たちがその女性にカードをお届けします」
男性の従業員がそう言った。
はっきりとは覚えてないが、私たちは酔いにまかせてそのカードを乱発したような気がする。「よかったらこれから一緒に酒でも飲みませんか?」とか書いて。確か、メッセージを一枚出すごとにお金を取られたような気がする。
メッセージカードには、女性が返事を書く欄があり、それが再び従業員の手を経て戻ってくる。私たちはことごとくふられた。
「ケッ、どうせあの女たちはサクラだぜ」
私たちは悪態をつきながら、その店を出た。
先日、編集者から「お見合いパブを取材しないか」と言われて、あの時のことを思い出した。
まだ、あの店があったのか……。
正直な話、私はそう思った。てっきり、テレクラなどの勢力に押されて、消え去ったものと思っていたのだ。
とある平日の夜の七時半、私は四年ぶりにその店を訪れた。ロックミュージックがかなりの音響で流れる店内の様子は、四年前とまるでかわりはなかった。時間がまだ早いためか、客は女性の二人連れと、男性の二人連れがいるだけだった。私は店の片隅に設けられたボックス席で、二十代半ばの店長に話を訊くことにした。このボックス席は、メッセージカードのやり取りで合意に達した男女が、直接話をする場なのだそうだ。
一回来たことがあるといっても、なにせ四年前のことで、システムなどはすっかり忘れている。
「料金は?」
「男性は三十分飲み放題で二千五百円。延長は十分ごとに八百円の加算となります。メッセージは一枚出すごとに、千円頂いてます。女性は無料です」
「女性は無料なんですか?」
「ええ、何時間いても何を飲み食いしても無料です」
今、店内にいる女性の二人組はジュースを飲みながらスパゲッティを食べている。大学生風の男性の二人組はその彼女らを上目づかいにチラチラと見ながら、メッセージカードにペンを走らせている。
「女性の方は、本当に素人なんですか?」
「もちろんですよ。よく、サクラなんじゃないかって言われるんですが、サクラなんか使ってたらこっちの金が持ちませんし、いつも同じ顔ぶれだったら男のお客さんにあきられちゃいますよ。だから、女の子を集めるのが大変なんです」
「エッ、集めるって?」
「よっぽどの常連じゃない限り、女の子が自分から来ることはありませんからね、スカウトマンが外で女の子に声をかけて店に連れて来るんです。何を食べてもいいし、気にくわなかったらすぐに出て行ってもいいからって言って」
「大変ですね」
「大変です……」
「一日に、どのくらい女の子が来るんですか」
「ウーン……日によって違いますけど……金曜の夜とかは多いですね」
「時間帯は?」
「夜の八時から十一時ぐらいまでが、一番多いですかね」
「女の子がいない時はどうするんですか?」
「その時は、男性のお客さんも入れません。また、男性のお客さんがいる途中で女の子が全員帰っちゃったら、その時点で時間をストップさせて貰ってます」
メッセージカードを見せて貰った。「素敵なあなたとお話し願えますか? お返事をお待ちします」と書かれており、職業、出身地、血液型、星座、趣味、性格、そしてメッセージを記入する欄がある。私は四年前、ここにどういう文字を記したんだっけ……。思い出せないが、酔っぱらっていたとはいえ、けっこう|本気《マジ》だったような気がする。女の子のお返事カードには、「いずれかに◯をつけてお返し下さい」と書かれており、「●よろこんで御一緒に飲みましょう」、「●御好意はありがたいんですが、今日は都合が悪くて……」とある。
おっ、今、メッセージを書き終えたらしい男性二人組が従業員を呼んだ。そして、彼らのカードが従業員によって向かいに座る女の子たちに運ばれたぁ!! さぁ、どうなる。
私は固唾をのんでその様子を見守った。カードを受け取った二十歳前後の女の子たちは、互いに自分の貰ったカードを見せ合いながら笑っている。その様子を見て見ぬふりをしながら、男たちは落ち着かない素振りでビールの入ったグラスを口に運んだりしている。その気持ち、わかるぞっ!!
やがて彼らのもとに返事のカードがやって来た。彼らはそれを一瞥するなり苦笑し合い、二人同時に煙草を口に咥えた。どうやら交渉は決裂したらしい。
「こう言っては失礼ですけど、女性がOKをする場合はけっこうあるんですか」
「ええ、一緒に飲みに行くぐらいは、かなりあると思いますよ。その後、ホテルに行ったかどうかは私にはわかりませんけど……」
「店長さんはこの店に勤めてどれくらいになるんですか?」
「開店して一年後に入ったから、六年かな」
「そのくらい長いこと見ていると、この女の子はOKしそうだなってわかります?」
「まあ、大体わかりますね。最終電車が終わった直後に来る女の子は、おいしいと思いますよ」
「そういう子は、家に帰れなくなったから、ホテルに直行できると……」
「ハハハ、まあね、そういうこともあるんじゃないですか」
店長と喋っているうちに、次々と女の子がスカウトマンに連れられて店に入って来た。皆、二人連れで、化粧気のない素朴そうな子から、ボディコンファッションの何をしているのかわからない子まで様々である。彼女らは席に着くなり、スパゲッティやサンドイッチやサラダを注文し、パクパクと食べ始める。それに伴い、男性客も増えて来た。どれも二、三人連れの会社帰りのサラリーマンである。学生風の男性客は、経済的にサラリーマンにはかなわないと思ったのか、スゴスゴと帰ってしまった。
まだ夜は早いから、男たちはシラフである。そのシラフの男たちが、真剣な顔で食欲の権化のような女性たちにメッセージカードを渡している。だが、なかなかカップルはできないようだ。
「男性が直接に女性に話しかけてはいけないんですか?」
「それは禁止ということにさせて頂いてます。このメッセージカードが、ウチの命ですから」
男性側のテーブルと女性側のそれとの間は、一メートルもない。だが、その僅かな距離が、とても長いのだ。
「男と女の間には深くて暗い河がある、か……」
同行した編集者が呟いた。
やがて、ボディコンファッションの胸のやたらに大きい女の子が立ち上がりカラオケを歌い始めた。曲は『渚のハイカラ人魚』。拍手も、「ヨッ」とか「いいぞっ」とかの掛け声もない。彼女は一人だけ楽しそうに歌う。
「どうですか、永沢さんもメッセージを出してみませんか?」
店長にそう言われたが、シラフではちょっとできない。それに、そんなことはありえないと思うが、まかり間違って、一緒に飲みましょう、という返事が来たらどうすればいいんだと考えた。見も知らぬ若い女の子と二人で、何を喋ればいいというのか。考えただけで疲れてくる。昔はそんなことは思いもしなかった。四年という歳月は、一人の人間を老けさせるのに、充分な時間である。
私は店長に礼を言って、店を出た。なるほど、店の前には数人のスカウトマンがいて、女の子たちに声をかけている。その中の一人の男性に声をかけた。彼は二十二歳で、この仕事について九カ月目だそうだ。それ以前はサパークラブでウェイターをしていたらしい。
「一日に何人ぐらいに声をかけるの?」
「ウーン、平日は人が少ないけど、それでも百人は軽く越えるでしょうね」
彼は夕方の六時から朝の五時まで路上に立ち続け、女の子に声をかけ続ける。
「一番辛いことは?」
「天候かな。雨の降ってる日とか、今日みたいに寒い日は、やっぱりきついですね」
「嬉しいことは?」
「いろんな人と知り合えることかな」
「知らない人に声をかけるのって、プレッシャーを感じない?」
「今はもう感じないです。前は人見知りが激しかったんですけど、この仕事をするようになって、それが無くなりました」
「失礼だけど、月々の給料は幾らなの?」
「基本給が三十万円。あとは歩合制で、頑張れば五十万円ぐらいいくかな。でも欠勤や遅刻をしたり、一日のノルマを達成しなかったら逆にひかれますけど。ノルマはポイント制になっていて、平日は十ポイント。休日の前の日は十五ポイントです。新規の女の子一組で一ポイント。一回来たことのある子は〇・五ポイント。一人の新規は二ポイントです。一人で歩いている女の子を店に入れるのは、けっこう大変なんですよ」
頑張って下さい、と言って私は彼と別れた。
帰り道、新宿のいたるところに、なんのスカウトか知らないが、彼と同じようなスカウトマンを見かけた。彼らは白い息を吐きながら、女の子に声をかけている。
やはり、世の中、楽な仕事はないようだ。
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SMクラブ[#「SMクラブ」はゴシック体]◎池袋
[#1字下げ]1994年2月◎冬季五輪リレハンメル大会開催、日本はスキー複合団体(男子)でアルベールビルに続き金メダル。[#「1994年2月◎冬季五輪リレハンメル大会開催、日本はスキー複合団体(男子)でアルベールビルに続き金メダル。」はゴシック体]
「自分の恥ずかしい姿を写真に撮られるのが好きなお客さんは多いわよ」
夜の六時。私は池袋駅から五分ほど歩き、そこのマンションの一室のチャイムを押した。ここが、今日話を訊くことになっている京子女王様(仮名)のいるSMクラブである。
中から三十代と思しい男性が、コードレスフォンの受話器を耳に当てながら現われた。私が「白夜書房の取材で……」と言いかけると、彼は小声で「向こうに座ってお待ち下さい」と奥の部屋を手で示した。そして再び電話の相手に話し始めた。
「それでですね、Mコースは二万円になっております。Sコースは三万円です」
私は玄関で靴を脱ぎ、奥の六畳ほどの部屋に入りこぎれいなソファに座った。ソファは二つ。それぞれの前にテーブルが置かれ、後はテレビが一台あるだけ。テレビはニュースを流している。窓の外には向かいのゴルフ用品のビルの大きな赤いネオンが見える。
「ハイ、――マンションの――号室です。道に迷いましたらまたお電話を下さい。ハイ、お待ちしております」
電話が切れ、少しして先ほどの男性がお茶を持ってきてくれた。名刺を交換する。男性はここの社長であるらしい。
「さっき京子さんから電話がありまして、タクシーでこちらに向かっているんですが、道が渋滞していてちょっと遅れるらしいんですよ。申し訳ありませんがお待ち下さいますか」
社長さんが丁重な言葉で謝る。客じゃない私は恐縮してお茶を啜る。
ピンポーンとチャイムがなり、社長さんがドアを開けると一人の男性が現われた。年は二十代半ば。セーターにスラックス姿で髪はボサボサ、手には紙袋を持っている。どうやらさっきの電話の客のようだ。仕事を終え、一目散にやって来たのだろうか。
男性は私の姿を見ると、社長さんに「ずい分待つの?」と訊いた。「いえ、そんなことはございません」と社長さんは答え、男性に私の隣のソファに座るよう促した。二つのソファの間には小さな仕切りがあるので、男性の顔はよくわからない。
「メニューでございます」
社長さんが男性に小冊子のようなものを手渡した。それに、いろいろなコースや値段が記されているらしい。
「どのコースになさいます」
男性は「これ」と言い、メニューの箇所を指さした。
「Mコースですね」と社長さんは言い、「こちらが女の子でございます」と十枚ほどの女性のブロマイドをテーブルの上に置いた。男性はそれをためつすがめつしながら、熟考に入ってしまった。
「彼女ですと、比較的早くプレイに入れますが」と、社長さんは一枚のブロマイドを取り上げて男性に見せた。
「フーン……どれぐらい待つの?」
どうも、待つということが苦手な方らしい。
「いえ、今ちょっと近くのスーパーに買い物に行ってるだけですので、すぐに戻ります」
社長さんはあくまでも丁重だ。
「このコでよろしいですか?」
「…………ウン」
「では、プレイ料金、二万円頂きます」
男性は無言でズボンのポケットに手を突っ込むと、グシャグシャになった五千円札や千円札のかたまりを取り出し、自分では数えることなくそれを社長さんに渡した。社長さんは「少々お待ち下さい」と言うと立ち上がる。その時、ガチャと玄関のドアが開き、毛皮のコートを着た若い女性が現われた。社長さんは男性に「今、戻りましたから」と言い、手にした札を伸ばして数えながら部屋を出て行った。一分ほどして、地図がコピーされた一枚の紙を手にして社長さんが現われた。
「今プレイルームが使用中なので、ここのホテルに行って頂きたいんですが……」
地図を渡された男性は少し驚いたようだ。
「あの……ホテルの部屋代は約四千円ですが……」
私はその言葉を耳にし、他人事ながら心配になった。あのお金の出し方を見て、男性には経済的余裕はあまり無いように思えた。社長さんも同じ思いだったらしく「大丈夫でしょうか」と男性に訊いた。男性はテーブルの上を見つめて無言である。すると社長が、「プレイルームだと二千円ですが、あと三十分はお待ち頂くことになります。ホテルはここから三分ほどの所ですぐにプレイに入ることができますが……」と、待つことの嫌いな男性の弱点をついた。男性は口の中でモゴモゴと、「じゃ、ホテル」と呟き紙袋とホテルへの地図を持って立ち上がる。紙袋の中には何が入っているのだろう。
「ではホテルに着いたら、電話で部屋番号を教えて下さい。すぐに女王様が行きます」
社長さんはそう言いながら男性を送り出した。
テレビでは、外国の南の海で、日本人のダイバーたちが事故で亡くなったというニュースをやっている。
社長さんが一人の女性を連れて部屋に現われた。ベージュのコートを着、化粧の薄い女性である。いかにも普通のOLといった感じの女性だ。SM雑誌のグラビアでしか京子女王様の顔をしらない私は、この女性が京子さんかと驚いたが、やはり違った。そのOL風の女性は、この店で働こうと面接を受けに来たのである。男性客が座っていたソファに腰をおろした彼女は社長の質問に、「風俗の仕事の経験はないんですけど、SMには昔から興味があって……」などとか細い声で答えている。いかにもM女といった感じだが、この女性が黒い下着をつけた女王様になったらと想像すると、今の姿とのギャップに私は少し興奮した。窓の外のネオンが点灯する度に、彼女のうつ向きかげんの顔が赤く染まる。
そんなこんなで小一時間が過ぎた。
「遅れちゃってごめんなさい……」と言って京子女王様が玄関のドアを開けた。黒のミニスカートに黒いタイツ。白のワンピースの上からは黒のコルセット。足元はもちろん黒のブーツである。女王様は、面接中の女性と社長さんをチラリと横目で見ると、「下のプレイルームでお話ししましょうか」と言った。
同じマンションにあるプレイルームに、私は女王様と共に入った。中は真っ暗だ。廊下と部屋にかなりの段差があり、転びそうになりながら女王様が蛍光灯のスイッチを押してくれるのを待つ。
明りがともった。ビジネスホテルのシングルルームのような部屋である。壁の一面が鏡張りになっており、奥まった所に、人を縛り吊るすためなのだろう、鉄パイプを組んで作った鉄棒のようなものもある。その一本の柱には、病院の点滴器のような浣腸器が吊り下げられてある。ここで、ついさっきまで、なんらかの行為が繰り広げられていたわけだ。
入口近くの壁にワラバン紙がセロテープで何枚も貼られており、そこには上手とか下手とかなどいえない筆字で「バカ犬にザンパンを与えて下さい」、「バカ犬ヲ忘レナイデ」などと書かれてある。
「これはなんですか?」
「ああ、それはね、年明けに来たお客さんにお尻の穴に筆を入れて書き初めをさせたの」
ホラ、と女王様が指さした一枚を見ると、なるほど、「オシリノ穴デカキマシタ」とある。そしてサインのつもりなのか、勃起しているらしい大きさのペニスの形が、朱で魚拓のように残されている。
別の壁には二十枚ほどのポラロイド写真が貼られてある。全て、顔から下の男性の裸体の写真だ。股間にローソクを垂らされたり、ペニスを紐のようなもので縛られたりしている。私が興味深げにそれらの写真を眺めていると、「そうやってね、自分の恥ずかしい姿を写真に撮られるのが好きなお客さんは多いわよ」と女王様は言った。中に、アナルに人間の手が手首まで挿入されている写真があった。いわゆるフィストファックである。話にはさんざん聞いていたが、その状況を写真で見るのは初めてだ。
「これ、京子さんの手?」
「ウン、そう、わたしの手。でも、ゴム手袋をしてるから汚くはないわよ。その写真は一本だけど、その人は二本の手がラクラク入るわ」
「どういう人なの? 年配の人?」
「ううん、若いわよ、二十五、六かな。まだ童貞なんだって。今まで真剣に好きになった女性がいないって言ってた」
私は女王様、京子さんと予定の一時間を大幅に超え、三時間近く喋った。
京子さんは子供の頃からミミズが好きなのだそうだ。
「ミミズのいる畑って、土が肥えるっていうじゃない。あんなちっぽけな生き物でも、ちゃんと社会の役に立ってるのよね。それに、ミミズって雄になったり雌になったりするんでしょ。だから、一人でも淋しくないんだなと思って、好きっていうより憧れてるの」
京子さんの両親は、彼女が小さい時に離婚をした。そして京子さんは父親に引き取られる。やがて父親は子連れの女性と再婚し、彼女は古典的な継子いじめにあう。
「わたしにはなんにもしてくれない人だった。わたしが中学生の時だったかな、お茶碗を買って、『お願いですからこの茶碗に、普通のお母さんのようにご飯をよそって下さい』って頼んだら、義母さんは何も言わずに茶碗を手で払いのけて……茶碗は床に落ちて割れちゃった。その瞬間、『ワタシって名前も何もない人間なんだな』って思ったの」
京子さんが高校生の時、仲の良かった同級生の母親がSMクラブを経営していた。その母親も自ら女王様として客の相手をしていた。
「そのお母さんに頼んで、プレイルームの天井裏からプレイを覗かせて貰ったのね。感動した。性的な興奮じゃなくて、SMってひとつの芸術作品なんだなっていう知的興奮で」
友人の母親から京子さんは、「あなたは女王様の素質があるわ」とすすめられ、その店で女子高生でありながら女王様として働き始めることになる。
電話が鳴った。京子さんが受話器を取る。
「ハイ……ア……ハイ……わかりました。あと十分ぐらいで終わります」
「お客さんですか?」と私が訊いた。
「ウン、そうみたい。今、店に来て待ってるんだって。ごめんね」
私は礼を言って、プレイルームを出た。エレベーターの前に立っているとドアが開き、四十歳ぐらいのネクタイをした恰幅のいい男性が出て来て、プレイルームの方へ歩いて行った。
三十分後、私は焼き鳥屋のカウンターで冷酒を飲みながら、今頃あの中年男性は京子さんの前でどんなかっこうをしているのだろうとふと思った。
都会の夜とSMは、よく似合う。
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SMクラブ[#「SMクラブ」はゴシック体]◎五反田
[#1字下げ]1994年3月◎フィギュアスケート世界選手権で佐藤有香が優勝、日本2人目の女子シングル世界チャンピオン。[#「1994年3月◎フィギュアスケート世界選手権で佐藤有香が優勝、日本2人目の女子シングル世界チャンピオン。」はゴシック体]
「M女ってラクだもん。お客さんに言われた通りに動けばいいんだから」
今までいろいろなSMクラブに取材に行ったが、考えてみると話を訊いたのは全て女王様で、M嬢とは会ったことがない。こりゃ是非M嬢に会いたいと、編集者に相談すると、五反田にある「オーロラ」という店のイブさんという女性のアポを取ってくれた。編集者によるとイブさんは真性M女なのだそうだ。彼女が載っている雑誌のグラビアをファックスで送って貰ったのだが、なるほど凄い。取材記者の男性二人の全身を舐めまわすわ、放尿・脱糞はするわ、アナルセックスも平気だわ、本当にマゾであるらしい。
取材日の当日、そろそろ出かけようかと思っていると、編集者から電話があった。
「今日の取材は中止になっちゃった」
「どうしたの?」
「今、店から電話があって、昨日のお客さんのプレイがハードだったんで、イブさんが体調を崩して今日は休みなんだって」
「へえ、ハードって、どんなことをされたんだろう」
「スッゴイことされたんだろうね」
私たちは受話器を手にしながら互いに妄想をふくらませた。
二日後の夜、私は五反田に向かった。事前に店に電話を入れると、今日はどうやら大丈夫のようだった。
駅から歩いて五分程のマンションの二階のブザーを押すと、いきなり黒い毛皮のコートをはおったイブさんが現われ、「四階にあるプレイルームでお話ししましょう」と言った。
プレイルームの中は充分過ぎる程、暖房がきいていた。
「ああ暑い」と言って、イブさんがコートを脱ぐと、下はほとんど裸同然のスケスケの紫の下着だけだった。きれいに剃毛された股間が露わになっており、目のやり場に困る。
「ここ狭いでしょ。イメージプレイ用の部屋だからね。SMプレイはやっぱりホテルじゃないと無理ね」
そう言ってイブさんはベッドの上に座った。巨乳がブルンと揺れた。
イブ[#「イブ」はゴシック体] おとといは御免なさいね。ちょっと体調崩しちゃって。
――前の日のプレイがハード過ぎたんだってねえ。
イブ[#「イブ」はゴシック体] ううん、そんなことないよ。ちょっと前の晩に飲み過ぎちゃっただけ。お店の人が、そう言わないと理由にならないと思ったんじゃないのかな。
――なあんだ。どんな凄いことやらされたんだろうって、ワクワクしながら想像しちゃってたのに。
イブ[#「イブ」はゴシック体] ハハハ。ここはそんなにハードなお客さんは来ませんよ。本当にマニアの人は少ないもん。マニアの人は六本木とか池袋に行くんじゃないかな。ここは、ソープやヘルスに飽きた人が変わったことやってみようって来るのが多いみたい。
――どんなプレイを求める人が多いの?
イブ[#「イブ」はゴシック体] まず舌や手を使っての全身奉仕でしょ。取りあえずヌキたい人は、そこで一発ヌイてあげるの。それが終わったら、お浣腸されてアナルセックスっていうのが、誰でもやりたがるコースですね。
――アナルセックスは簡単にできるの?
イブ[#「イブ」はゴシック体] わたしは平気。お浣腸してからするのがベストなんだろうけど、ローションを塗っただけでもスルッて入りますよ。お尻の穴を柔かくほぐして貰って、指が三本入ったらOK。わたしってお尻の穴のシワシワが多いんですよ。少ない人は、ただ痛いだけみたいね。この業界に入るまではアナルはやったことなかったけど、一週間で慣れちゃった。
――この仕事をする前は何をしてたの?
イブ[#「イブ」はゴシック体] 普通のOL。コンピューターのオペレーター。最初は、昼はOLで夜はバイトでこの仕事をしてたんだけど、朝起きるのが辛くなってSM一本にすることにしたの。
――最初っからM女?
イブ[#「イブ」はゴシック体] ウン。だって、M女ってラクだもん。お客さんに言われた通りに動けばいいんだから。その点、女王様は大変でしょ。頭を使ってお客さんをリードしてあげなくちゃいけないじゃない? 精神的にとっても疲れると思うよ。なのにM女の方が女王様よりギャラがいいんだから、M女は得よ。
――やっぱり、昔からM志向だったの?
イブ[#「イブ」はゴシック体] ううん。わたしはノーマルよ。
――エッ!?……
イブ[#「イブ」はゴシック体] ギャラのいい仕事だからやってるんですよォ。だからプライベートのセックスではSっ気が強く出てると思うよ。仕事とのバランスを取るために。そうじゃなきゃ、精神的におかしくなっちゃいますよ。だって、この店に来るお客さんって、どっか病んでるというか、つまりその、変態なわけでしょ。かわいそうな人たちって思うんだけど、そんな人たちを毎日相手にしてたら、自分の中で上手にバランスを取らないと、続けられませんよ。
――フーム……。
イブ[#「イブ」はゴシック体] 同じ風俗でも、ソープはお客さんに対する肉体奉仕だと思うのね。それに対してSMクラブは精神的な奉仕をする場所だと思うの。まあ言ってみれば、病院のようなものよね。だから重症の患者さんが来ると、こっちが精神的にまいっちゃう。患者さんの病んだ部分を一時的にせよ吸い取ってあげるわけだから。
――僕の母親はマッサージというかカイロプラクティックのようなことをやってるんだけど、母も同じようなことを言ってたなあ。症状の重い人を楽にしてあげると、自分が同じような症状になって苦しいって。
イブ[#「イブ」はゴシック体] 同じですね。お母さんの気持ちはよくわかる。
――ソープに移ろうと思ったことは?
イブ[#「イブ」はゴシック体] ギャラはいいんでしょうけど、ソープって挿入行為があるでしょ。わたし、アナルは平気なんだけど、前に挿入されるとなぜだかとっても疲れるんですよ。プライベートで男の人に挿入されると、二、三日は店を休まなくちゃいけないほど疲れるの。だから、ソープはとても身がもたないと思う。
――プレイの話に戻るけど、縛りとかムチはあまりないの?
イブ[#「イブ」はゴシック体] ムチはともかく、縛りは初めての人とか、なんか何するかわからないような人にはお断わりしてるの。だって恐いじゃないですか。二人っきりのホテルの部屋で、がんじがらめに縛られるんですよ。下手したら殺されちゃうかもしれないでしょ。世の中、物騒だし。だから、縛りは、何度も通ってくれて二人でいろいろお喋りをして、安心できる人だなと思った人じゃないと駄目ですね。
――実際に殺された女の子がいるもんね。
イブ[#「イブ」はゴシック体] そうでしょ。東京の夜は好きだけど、恐い。
――今までそんな恐い目に会ったことは?
イブ[#「イブ」はゴシック体] 一回あった。池袋のSMクラブにいた時。プレイルームで縛られてたんだけど、その客、わたしを縛ったまま部屋から出て行っちゃったの。アレアレ、わたしはどうなるのって感じ。結局、様子がおかしいと思って来てくれたお店の人にほどいて貰ったけど、縛られてベッドに転がったまま、泣きたくなっちゃった。それ以来、縛りには注意してる。
――他には?
イブ[#「イブ」はゴシック体] 恐いっていうんじゃないけど、これは渋谷にいた時のことなんだけど、その店はアナルセックスは別料金で女の子に直接渡すシステムだったのね。それで、その時の客がアナルをしたいって言うから、じゃ一万五千円頂きますって。それでアナルセックスをして、わたしはシャワーを浴びたの。出て来たら、客と冷蔵庫の上に置いておいた一万五千円がないじゃないの!! あれは腹が煮えくり立ちましたね。
――|無料《タダ》アナル!!
イブ[#「イブ」はゴシック体] そう、|無料《タダ》アナル。あんなにくやしい思いをしたことはなかったな。どうせ、仕事もロクにできずに、周りからバカにされてる奴なんだろうけど。
――アナルセックスって、気持ちいいの?
イブ[#「イブ」はゴシック体] ほとんど感じない。たまにね、ストレスが凄くたまってる時に感じる。だから、アナルが気持ちいいなと思ったら、仕事は少し休むことにしてるの。でもねえ、何が困るといって、お客さんに「本当に感じてるのか?」って訊かれるのが一番困る。感じるわけないよねえ、仕事でやってるのに。仕事だと思うから、演技で喘いでるってことがわかんないのかな。わかんないか、ハハハ。
――彼氏はいるの?
イブ[#「イブ」はゴシック体] たまーにセックスをする人はいるけど、恋人って呼べる人はいないなあ。恋人を作るとさ、精神的に疲れるもん。
――あのさ、もしかするとイブさんはかなりレズっ気があるんじゃない?
イブ[#「イブ」はゴシック体] エッ、アハハハ。わかりました? 実はそうなの。なんでわかったの?
――レズの知り合いがけっこういるんだけど、彼女らの雰囲気になんとなく似てるなあと思ったんだけど……。
イブ[#「イブ」はゴシック体] ピンポーン。セックスはやっぱり女性相手がいいですね。わたし、タチ(男役)でもネコ(女役)でもどっちでも相手に合わせてできますよ。SMクラブはね、意外とレズの子が多いですよ。
――じゃ、女性の恋人はいるの?
イブ[#「イブ」はゴシック体] 今はいない。レズの女性ってセックスは気持ちいいんだけど、とっても嫉妬深いから恐いんですよ。男なんか比べものにならないくらい、相手を束縛しようとするんです。ちょっと浮気でもしようもんなら、なんか刺されちゃいそう。
――飲みに行くのはどんな所?
イブ[#「イブ」はゴシック体] やっぱりレズバー。新宿二丁目とか。
――僕、二丁目に住んでるんです。
イブ[#「イブ」はゴシック体] へぇ、じゃ、今度一緒に飲もう。
――ハハハ、レズバーで?
イブ[#「イブ」はゴシック体] 居酒屋でいいですよ、ハハ。
――最近、どんな夢を見た?
イブ[#「イブ」はゴシック体] キリストみたいに処刑される夢。よく見るんですよ。あと黄金(ウンコ)を食べる夢。ウーン、ノーマルだと自分では思ってたけど、少しはマゾっ気があるのかなァ……。
――これからも、まだM女を続けるの?
イブ[#「イブ」はゴシック体] 精神的にラクだと言ってもねえ、そろそろ体がキツくなってきたから、勉強して、女王様になろうかな。
真性M嬢に会いに来たら、実はレズだったという今回の取材、いかがでしたでしょうか。いかにもM女らしく濡れた言葉を期待されていた方、済みません。
でも、イブさん自身は、ちょっとソウウツの気がありそうだけど、明るくてチャーミングな人でした。
さあ、今度こそ真性M嬢に話を訊きに行くぞ!!
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個室割烹[#「個室割烹」はゴシック体]◎西川口
[#1字下げ]1994年4月◎細川首相、佐川急便からの1億円借り入れ問題などを理由に辞任。新生党党首羽田孜が首相に。[#「1994年4月◎細川首相、佐川急便からの1億円借り入れ問題などを理由に辞任。新生党党首羽田孜が首相に。」はゴシック体]
「この商売はちょっとでも手抜きをしたら、すぐに落ち目になりますからね」
京浜東北線に乗り、久し振りにWさんに会いに行った。
今年で三十八歳になるWさんは西川口の駅前で「個室割烹」の店を経営している。割烹といっても飲食を目的とした店ではない。女の子がファッションヘルス的なサービスを供応してくれる風俗店である。
Wさんと会うのはこれが三度目だ。
最初に会ったのは昨年の春だった。場所は新宿の歌舞伎町。Wさんはその町のピンサロ店で、ベテラン店長として働いていた。バブルがはじけ、それに追い討ちをかけるようにエイズの認識が人々の間に広まり、風俗店がどこも青息吐息となり始めた頃だった。
Wさんの店も例外ではなく、景気のよかった頃に比べると売り上げが半分ほどに落ちていた。それを打破しようと会社は同じ歌舞伎町に二号店を出し、Wさんはそれこそ寝ずに働いたが、客は思ったようには来ない。会社は三カ月で二号店をあきらめ、店外デート可のクラブに変えたが、それも芳しくないらしい。私はそのクラブでWさんと話をした。
「厳しいです。本当に厳しい。去年はとうとうボーナスが出ませんでした。大変です」
黒縁の眼鏡をかけ口髭をはやした小柄なWさんはそう言って溜息をつくと、水割りをずずっと啜った。「頑張って下さい」と言って私はWさんと別れた。
ほどなくして、Wさんの店が営業停止処分を受けたという話が伝わってきた。警察の手入れがあったのだろう。あの実直そうなWさんはどうなったのだろうと、心配になった。
七月の或る日、そのWさんから電話がかかってきた。意外に元気そうな声だった。話を聞いて驚いた。独立して、西川口に店を出すと言う。確かに、自分の店を持つのが夢だとWさんは言っていたが、ちょっと時期が悪すぎはしないだろうか。景気は相変わらず悪く、風俗店はどこも客が来ない状況が続いている。しかも開店は八月だと言う。二月と八月は売り上げが落ちるというのが水商売の定説である。もう少し時期を待った方がいいんじゃないだろうか。「無謀じゃないですか」という言葉が喉元まで出かかった。
とりあえず私は西川口に出かけた。Wさんが、「写真撮影のできる女の子を用意しておきますから、ぜひ取材に来て下さい」と言ったからだ。開店を前にして、やはりWさんも不安だったのだろう。
西川口の駅まで迎えに来てくれたWさんは、ジーパンにTシャツ姿で首にタオルを巻いていた。顔からは汗がポタポタと落ちている。歌舞伎町で会った時のスーツ姿のWさんとは別人のようだった。
「いやあ、もう大変ですよ。開店まであと少しなんですが、内装工事が思ったようにはかどらないんで、わたしも朝から晩まで肉体労働です」
とWさんは言い、タオルで汗をぬぐった。
店はビルの一階にあり、なるほど、店内では内装工事の真最中だった。取材に来たはいいが、どんな店になるのか想像がつかない。ただ、思っていたよりもずっと広かった。以前はフィリピンパブだったが、閑古鳥が鳴いてつぶれたのだそうだ。私の不安はつのった。水商売というのは不思議なもので、場所はいいのにどんな店が入っても流行らないテナントというのが必ずある。
Wさんはビルの三階に私を案内してくれた。フロアは幾つかの部屋にわかれており、そこに事務所と店で働く女の子たちの寮を構える予定らしい。フロアにはベニヤ板や、セーラー服など様々な衣装、それになぜか電車の吊り革などが転がっており雑然としていた。コスチュームプレイなどもメニューに加えるつもりのようだ。吊り革は痴漢プレイのためのものだろう。Wさんはセーラー服を手に取ると、「これらの衣装も、全部わたしが買い集めて来たんです。できるだけ安い店を探してねえ。衣装代だけでもバカになりませんよ。いや、大変です」と言った。
Wさんはその日、「大変です、大変です」を連発した。実際に、大変だろうなと思った。ただ、歌舞伎町で会った時に聞いた「大変です」のようにどこか投げやりで暗いものではないのが救いだった。「ここまできたらやるしかない」という、開き直った明るさがあった。
「頑張って下さい」と言って、私はWさんと別れた。だが、帰りの電車の中で私は、「Wさんの店は年内もつかどうかだろうな」と正直いって思っていた。
夏が過ぎ秋になった。Wさんの店がつぶれたという話は、少なくとも私の耳には入ってこない。Wさんは頑張っているのだろうか。
十二月になった。或る日、私は宅急便を受け取った。ハムの詰め合わせ。Wさんからのお歳暮だった。結構、高価なもののようだった。取材をした人間からそんな物を貰うのは初めてだった。私が案じていたのに反して、Wさんは経済的にも精神的にも余裕ができたのかもしれない。もしそうだったら、めでたいことだ。私の文章がWさんの力になれたとはとうてい思えなかったが、有難くハムを食べさせて頂いた。美味しかった。
Wさんは九州の徳之島に生まれた。十八歳の時に東京に出て来て、自動車の部品販売会社に勤める。給料は九万円だった。
Wさんが二十歳の時、中学校で同級生だった友人が恋人の女の子と後輩を連れてWさんを訪ねて東京に出て来た。友人は神戸でヤクザまがいのことをしていて、何かの事情で神戸にいられなくなったらしい。三人はWさんの六畳一間のアパートに転がりこんだ。ヤクザになりたがっていた友人は、まっとうに働こうとはしなかった。Wさんは三人を食べさせるため、会社の仕事が終わると夜は新宿のキャバレーでボーイのアルバイトを始めた。だがそんな二重生活が長続きするわけがない。体がきつくなったWさんは会社をやめ、午後の三時から通しでキャバレーで働くようになる。給料も会社よりよかったし、何より水商売の仕事が楽しかった。やがて友人たちは新興右翼団体に入りアパートを出て行ったが、Wさんは昼の仕事には戻らなかった。そして十八年、Wさんは夜の町で生き続けた。
年が明けた。
先日、仕事から戻ると、一本の留守番電話が入っていた。Wさんからだった。撮影のできる女の子が四人いるから取材に来て欲しいという内容だった。やはり、Wさんは頑張っていたのだ。女の子はともかく、私はWさんに会いたくなり西川口へ行くことにした。
まだ夕方前だったが、Wさんの店はネオンが派手に点っていた。いかにも割烹屋然とした赤提灯がとってつけたように吊されてあるのが、Wさんの人柄を思わせてご愛敬である。入口に、「真珠、シリコンを入れたお客さまはお断りします」と書かれた貼り紙があったのには思わず笑ってしまった。
ドアを開けると、数人の黒いスーツを来た男性が迎えてくれた。そのうちの一人に、Wさんに会いに来た旨を告げると、「社長はもうすぐ来ると思いますので、こちらでお待ち下さい」と店内の個室に通された。社長でありながら陣頭指揮をしゃかりきになってとっているWさんの姿を想像していたのだが、なかなかの余裕ではないか。
開店前に来た時はベニヤ板が剥き出しだった店内は、しっとりとしたコーディネイトがしてある。
個室に入ると、精液とか汗とか、いろいろなものが入り混じった風俗店ならではの独特な匂いがふっと鼻をよぎった。煙草に火を点けWさんを待つ。その間にも、「いらっしゃいませ」という男性従業員の声が聞こえてくる。平日の夕方前というのに、盛況のようだ。
十分ほど経ったろうか。戸がスーッと開き、「お待たせして済みません」とWさんが現われた。去年の夏とは違い、キチンとしたスーツ姿だった。
「ここではなんですから、外に行きましょうか。早くからやってる居酒屋が近所にあるんですよ」
そう言うWさんの、眼鏡の下の目は穏やかに笑っていた。そんな目は、過去二度の取材の時に決して見たことがなかった。
従業員たちに丁重に見送られるとWさんと一緒に私は店を出た。居酒屋に行く道すがら、「今日は二日酔いなんですよ。昨日、かなり飲んじゃって」とWさんが言った。
時間が時間だけに、居酒屋はほとんど客がいなかった。Wさんは生ビールを、私はビンの黒ビールを注文した。
四分の一ほど空けたグラスをテーブルに置いてWさんは言った。
「いやね、昨日は、(店を)やめたいとか言ってる女の子がいたんで、飲みに連れて行っていろいろ話を聞いたんですよ。この業界に入ってくる女の子はみんな問題を抱えてるんですよ。借金があるとか、家庭が複雑だとかね。寂しい女の子ばっかりなんです。だから、時々そうやって話を聞いてやらないと、女の子自身が煮つまっちゃって店をやめちゃうんです。まるで学校の先生ですよ。大変ですわ」
「でも、お店は順調そうでよかったですね」
「ええ、おかげさまでね。開店して一週間ほどで軌道に乗れたって感じですかね」
「今、女の子は何人くらいいるんですか?」
「早番と遅番を合わせて、二十五人くらいかな。でも半年ぐらいでやめていくんで、常に雑誌で募集してるんです。広告代だけで月に百五十万円くらいつかってますよ。だから若い娘が集まるんでしょうね。ウチの女の子の平均年齢は二十一、二ぐらいですか。今年卒業したばかりの娘もいますよ。やはり募集には金を惜しんじゃいけませんね。他の店は一店舗あたり、広告につかう金は五十万ぐらいじゃないのかな。でもね、ここだけの話、今の若い女の子は何を考えてるのかわかりませんね。話が全然通じません。もう、大変です」
「でも、店が軌道に乗ってやっと安心できたんじゃないですか?」
「いやいや。この商売はちょっとでも手抜きをしたら、すぐに落ち目になりますからね、絶対に油断できません。それに、今、二号店の店舗を探してるんです。でもなかなかいい物件がなくてね。まあ、ゆくゆくは三号店、四号店とひろげていければと思ってます。わたしはもうこの商売でしか生きていけないしね。今さら昼間の仕事はできないし。大変ですわ」
「頑張って下さい」と言って、私はWさんと別れた。
生き続けるというのは、大変なことの連続なのである。
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ストリップ[#「ストリップ」はゴシック体]◎上野
[#1字下げ]1994年5月◎F1の人気ドライバー、アイルトン・セナがサンマリノ・グランプリで壁に激突して死亡。[#「1994年5月◎F1の人気ドライバー、アイルトン・セナがサンマリノ・グランプリで壁に激突して死亡。」はゴシック体]
「ストリップのお客さんって……とっても優しいんですよ」
平日の午後六時。私はストリップ劇場である上野スター劇場のドアを押した。雑居ビルの三階にあるこの劇場は狭い。客席が二十席もないんじゃないだろうか。今まで私はいろいろなストリップ劇場に行ったが、その中でも一、二位を争う狭さだ。すでに客席は埋まっており、私はステージ横の壁にもたれてショーを観ることにした。
「お待たせいたしました。只今から当劇場が皆様に心をこめてお送りするヌードショーを始めさせていただきます」
アナウンスが流れる。ストリップは一日、ショーを四回行う。その三回目のステージの始まりだ。
「まず、トップを飾って登場いたしますのは、石原ゆき嬢です」
紹介のアナウンスと共に石原ゆきが大きな目をクリクリと見開き、ニッコリと笑って舞台に登場した。赤い東南アジアの民族衣装風のドレスを着ている。ミラーボールが回り出し音楽が響き始める。インドの民族音楽のような曲だ。その曲に合わせ、石原ゆきは両手を顔の左右に広げ掌を天井に向けて開き、踊り始めた。インド舞踊をベースにした踊りらしい。
この踊りが実に上手だ。プロのダンサーに対して、上手という言葉を使うことが失礼なことは重々承知しているが、AV出身のにわかじこみのダンサーが幅をきかす昨今のストリップを見慣れてしまった私としては、やはりこの言葉が賛美として頭に浮かんでしまう。石原ゆきは結構身長がある。普通、背の高いダンサーが狭い劇場で踊ると、こちらに彼女自身の踊りにくさが伝わってくるものだが、彼女はそれを感じさせなかった。実にのびのびと踊る。
この後、私は石原ゆきから話を訊くことになっている。この劇場に「AV出身ではない、ちゃんとしっかりとした踊りができるストリッパーにインタビューをしたい」と電話をしたら、彼女を紹介されたのだ。
ショーは佳境に入り、石原ゆきは全裸になり客席に向かって大きく足を開く。男たちは顔の前で拝むようにして拍手をしながら、覗き込むようにして彼女の股間を注視する。
これからインタビューする女性の股間をまず見るというのは、なんか妙な気分である。
三十分後、私は劇場近くの割烹料理屋で石原ゆきと向かい合っていた。
「石原ゆきのゆきってどう書くんですか?」
「ひらがなでもカタカナでもいいんですよ。あっ、ひらがながいいかな」
「エッ、決まってないの?」
「ウン。売れてる人は劇場前に名前を張り出されたり、サインを頼まれたりするから名前が必要だろうけど、わたしはそんなことないからね」
楽しそうにそう言うと、石原ゆきは揚げだし豆腐にがぶっとかぶりついた。
石原ゆきは青森に生まれた。そして、地元の通信制の高校に籍を置きながら、腕に職を付けようと洋裁学校のデザイン学科に通った。
――将来は何になりたかったかって? ウーン、とにかく東京に出たかったですね。テレビや新聞を見ても、面白そうなことって全部東京で起きてるじゃないですか。東京ではあらゆる可能性が待ってると思ってましたね――
彼女と同じ世代で、同じ東北出身の私としては、その気持ちは痛いほどわかる。東北人にとって東京とは正に「花のお江戸」なのだ。私も高校時代は、何の仕事をしたいというよりも、とにかく東京で暮らしたいと思っていたものだ。
石原ゆきは高校を卒業すると、望み通りに東京に出てきた。就職先は六本木のオートクチュール専門のブティック。デザイン学校の教師に紹介された店である。
――その店の女性経営者の家に住み込みで働いたんです。目黒の高級住宅地にあるお屋敷のような家。だから、デザイナーの卵というよりは、ほとんど小間使いのような生活でしたね。炊事、洗濯、掃除となんでもやりましたよ。でもその先生が酒乱でね、お酒を飲むとわけのわかんないことを言い出すんで、最初のうちはビックリばっかりしてました。それにね、その先生の家には男の芸能人が沢山出入りしてたんです。名前は言えないけど、なんか大変だったなあ。憧れて出て来た東京だけど、変な所に来ちゃったなあって感じでしたね――
一年後、彼女は麻布にある先生のもう一軒の家に住み始める。簡単に言えば管理人だ。もちろんブティックには毎日通っていた。給料は六万円だったが、家賃はいらないのでそう生活に不自由はしなかった。青森から出て来た少女が一年後には麻布の一軒屋で暮らすようになったのだから、出世といえば出世である。私なんか東京に出て来た頃は田無の三畳のアパートに住んでいた。
――でもね、学校で習ったことと現実って全然違うんですよ。それで悩んで、お店をやめちゃったんです。お酒とかディスコとか、遊びを覚え始めたんで、もっと自由に遊びたいということもあったんですけど。やはり二十歳の女の子に管理人は向いてないですよね――
石原ゆきは中野の四畳半のアパートに移り喫茶店でバイトをし始めた。その店を経営している夫婦が絵に描いたような全共闘世代で、しかもアングラ劇団出身。彼女はその夫婦の生き方に、今まで知らなかった世界を感じる。同じ頃、青森の友人が家出同然で東京に出て来て、新宿ゴールデン街の店で雇われママのような形で働き始めた。石原ゆきはその店に入りびたるようになり、映画、演劇、文学に理屈をこねるオジサンたちの、いわゆるゴールデン街文化に触れることになる。ゴールデン街が最後の活気の光を放っていた頃だ。私も同じ頃、毎晩のようにその街で酒をかっくらい、文化人のオジサンやそのオジサンたちを頭ごなしに怒鳴りつけるママたちの喋る言葉に耳を傾けていた。そうすることで、自分がどんどん大人になっていくような気がした。
――その頃、女だけの舞踊団があるって話を耳にはさんだのね。その話を聞いた瞬間、「そうだ、わたしも肉体で生きて行こう!!」って思ったの――
石原ゆきは、思ったことはすぐに行動に移す人間である。彼女はその舞踊団に入団した。練習生として稽古をしているうちに、自分の体が内側から充実していくのを感じた。東京に出て来て、やっと自分が本当にやりたいものに出会ったような気がした。
――その舞踊団がフランスのフェスティバルみたいなものに呼ばれて、向こうで公演をすることになって、わたしもそれに参加することになったの。でも、稽古はしてたけどそれまで生の舞台に立ったことはないわけでしょ。そしたらリーダーに「度胸だめしにストリップ小屋に出てみないか」って言われたんです。それで女の子三人でチームを組んで一カ月、九州から京都までの小屋を廻ったんです。それがわたしのストリップのデビューですね。でもスッポンポンにはなりましたけど、いわゆる御開帳はしませんでした。ひと月で、三人で百万円ほど稼ぎましたかね。そのうち三割を舞踊団に入れました。度胸だめしというよりは、海外公演のための資金稼ぎですね――
フランス公演は三カ月続き、各地を転々として石原ゆきは踊った。日本とは違い、人々が芸術家として扱ってくれることに彼女は驚いた。「こんな所でわたしなんかが踊っていいの?」と思ってしまうような、立派な劇場のステージも踏んだ。
無我夢中でフランス公演を終え日本に帰って来た彼女は「さて、これからどうしよう」と思った。喫茶店はもうやめているし、また公演があるから一つの所に勤めるのも無理だ。そう悩んでいる彼女に、舞踊団の先輩が「キャバレー回りをしてみない?」と声をかけた。
――いわゆるストリップティーズですね。一枚一枚と服を脱いでいくという古典的なやつ。それで日本全国のキャバレーを回りました。行かなかったのは沖繩ぐらいかな。楽しかったですよ。わたしって、どんなことでも楽しめる人なんですよ。それに、ライザ・ミネリの『キャバレー』っていう映画が好きで、自分もあんなショーができたらいいなって憧れてたから、苦じゃなかったです。ただね、高知の室戸岬のキャバレーに行った時は泣いちゃった。ショーが終って一人のお客さんに席に呼ばれたんです。そしてそのオジサンが、「あんたの踊りはたてまえだけの踊りだね」って言うんです。「ぐちゃぐちゃ踊らず、パッと足を開けばいいんだ」って。えっ、それだけ? それだけの世界なの? って思って淋しいというか、なんか悲しくなって涙が出てきちゃった――
その頃、石原ゆきはつき合っている男性がいた。彼は文化人類学的な批評を書く学者肌のライターだった。彼女と彼は、ゆくゆくは結婚しようと思っていた。或る日彼女は旅先から彼と同棲していた早稲田のアパートに電話をかけた。電話に出た彼の声が苦しそうだ。どうしたのかと訊くと、「熱があって気分が悪い。もう駄目かもしれない」とのたまう。さすがに心配になったが、仕事はまだ終っておらずキャバレーからキャバレーへの旅は続けなくてはならない。ショー・マスト・ゴー・オンである。不安な気持ちを抱きながらもなんとか仕事を終えて東京へ戻ると、彼は肺炎で入院していた。恋人の顔を見ると病院のベッドに横たわる彼は、「仕事をしながら、まるで自分の血をインクにして文章を書いているようだと思った」と言って恋人の母性本能をくすぐった。そんな言葉、私も一度女性に言ってみたいものである。だが、二日酔いでいつもベッドに横たわっている私は、さしずめ「酒をインクにして書いてるようだ」と言うぐらいが関の山だろう。
――でも、その人とは別れちゃったの。わたしが舞踊での海外公演と国内でのキャバレー回りでほとんど東京にいなかったせいもあるけど、要するに結婚に向いてない男だったのね。わたしの方から「別れよう」って言いました――
そして彼女は男と暮らしていた部屋を出て三畳一間のアパートに引っ越す。東京に出て来た当初は麻布の一軒家に住んでいたのに、えらい変わりようである。
――その頃かな。キャバレーの人気がなくなってきて店がどんどんつぶれ始めたんです。それで、ストリップ劇場で踊るようになったの。ストリップの小屋って、ちゃんと幕があったりちゃんとソデがあったり、正面もきちんとしてるじゃないですか。ちゃんとした劇場じゃないですか。わー、いいなあと思いましたね。それにストリップのお客さんって、キャバレーの酔っぱらったお客さんと違ってとっても優しいんですよ。わたしがどんなに好き勝手に踊っても受け入れてくれるんです。確かに、最終的には大股開きの世界なんだけど、でも、踊り子とお客さんとのつながりがちゃんとあるっていうのかな。踊ってて楽しいですよ。ストリップ劇場は大好きですね――
二年前、石原ゆきはヨガの道場に通い始め、瞑想をすることを覚えた。それまで肉体で生きてきた彼女だが、これからは精神世界も大切にしなくてはいけないと思ったからだ。やはり恋人との別れはつらかったのだろう。そのヨガの道場で彼女は一人のサラリーマンの男性と出会う。そして、彼女は妊娠をしたことに気づく。
――それでその人と結婚したんです。堕ろすなんてことが頭に浮かばなくてさ。それと同時に、舞踊団をやめたんです。七年ぐらいいたけど、後悔はしてませんね――
去年の一月、石原ゆきは男児を出産した。
子供の話になると、石原ゆきは顔をほころばせ、「子供の写真を見る?」と言った。「ぜひ見たい」と答えると彼女はいそいそとバッグから母子手帳に挟んだ子供の写真を取り出した。母親似である。「可愛いねえ」とお世辞ではなく言うと、「本当? そう言われると嬉しいなあ」と彼女は笑った。
「ところで、ダンナさんは何をしてるの?」
「ハハハッ。それがね、ダンナは失業中なんですよ。半年前に会社を辞めちゃったの。今は毎日子供のおもりをしてる」
「大変だねえ」
「ハハハ、仕方ないですよ。彼も男だからいろいろあるんだろうしね。でも、七月からはまた働き始めるって言ってるから、それを信じて踊りますよ」
「ストリップはこれからも続けるの?」
「そう長いことはできないでしょうね。体の線も崩れてくるし、やっぱり子供の面倒をちゃんと見たいしさ」
そう言うと石原ゆきは腕時計を見て、「あっ、そろそろ次のステージだ。ご免なさい、また劇場に戻るね」と店を出て行った。彼女は最後のステージを終えると、九時半の電車で夫と子供の待つマンションに帰る。余計なことですが、石原さんのダンナさん。七月からは本当に働いて下さいね。
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ボディ・ピアッシング[#「ボディ・ピアッシング」はゴシック体]◎渋谷
[#1字下げ]1994年6月◎松本市で猛毒神経ガス・サリンによる中毒事件発生、7人が死亡。自社さ3党による村山内閣発足。[#「1994年6月◎松本市で猛毒神経ガス・サリンによる中毒事件発生、7人が死亡。自社さ3党による村山内閣発足。」はゴシック体]
「体の、つけられる部分の全部にピアスをつけていますよ」
このコラムを続けていることでの最大の楽しみは、普通に日常生活を送っているのではなかなか出会うことのできないであろう方々の話が聞けることである。ある時はSMクラブの女王様であったり、ある時はいろいろと苦労しながらピンサロの店を経営しているオジサンであったり……。世の中、まさに十人十色。様々な生き方があるのだなあと思うと、勇気づけられ、嬉しくなってしまう。
そして今回、話を聞かせて頂いたのは、渋谷でボディ・ピアッシングの店を開いている間宮英三さん(三十七歳)である。ボディ・ピアッシングとはつまり、体中の到る所にピアスを装着することである。耳たぶや鼻、唇は言うに及ばず、乳首やへそ、性器に至るまでピアスをつけてしまうらしい。
ピアスと聞くと、私には胸がチクッと痛くなる思い出が一つある。あれは私が二十代後半の頃だった。当時、私は一人の女性と同棲をしていた。経済的な問題もあり、ほとんど化粧をすることもなかった女性だったが、或る朝、私が酔っぱらってアパートに帰ると彼女がニコニコと笑って私を迎えてくれた。いつものことながら朝帰りをしたのにこの機嫌の良さは妙だと思い、女性の顔をまじまじと見つめると、彼女の耳にキラリと銀色に光るものがある。訊くと、どうしてもピアスをしたく、金を貯めてピアス代とその為の手術代を作ったのだと言う。お互いに会社員だったが、私の給料はほとんどが酒に消え、生活費は彼女の稼ぎに頼っていたため、幾らかかったのか知らないが、ピアスの為の金を貯めることは大変だったろうと想像する。
「昨日、原宿の病院に行ってつけて貰ったの。ね、きれいでしょ。あんたに見せようと思って、寝ないで待ってたんだ」
女性は、本当に嬉しそうに言った。なのに、私は怒鳴った。
「自分の体に穴を開けたんだな。なんでそんなことをした。気持ちが悪い。すぐにそんな穴は塞いで貰え。そしてそんなピアスとやらはすぐに捨てろ。そうしないと、俺は絶対にお前の顔なんか二度と見ない」
女性は泣いて、ピアスをすることを認めてくれと懇願したが私は許さなかった。女性は泣きながらアパートを出て行き、数時間たってインスタントラーメンの入ったコンビニエンスストアのビニール袋を下げて帰って来た。彼女の耳には、ピアスはなかった。私たちは黙り込んだままラーメンを啜った。
あの時、私はなぜあんなことを言ってしまったのだろう。確かに、耳たぶとはいえ体に穴を開けるということが気持ち悪いとは思っていた。だが、今から考えると、何もあんなにひどい怒り方をしなくともよかったのになあ、と思う。後日、私が年上の女性の友人にその時のことを言うと、「彼女がかわいそう。あなたもひどいことをするわね」とあきれたように言われた。
私は多分、ピアスを怒ることによって男性としての権威を取り戻そうと考えたのだろう。酒を飲んだら何日もアパートに戻らない私にとって、たまに帰る二人の部屋は針のムシロだった。彼女のさりげない一言までが、自分を責めているように感じた。自業自得とはいえ、窒息しそうだった。だから、自分にとって非日常と感じていたピアスというものを彼女がつけてきたことに、私は飛びついたのだ。このことなら、きちんと男らしく怒れる、と。ムキになっていたのだと思う。
しばらくして、私は彼女に捨てられた。それ以来、ピアスと聞くと、胸が少し痛む。あの頃、帰って来ない自分勝手な男を待ち続けるしかなかった女の唯一の生きる支えは、ピアスをつけるんだという想いだけだったのかもしれない。
久し振りに降り立った渋谷の街は、土曜日の午後ということもあったのだろうが、どこから湧いて集まったのだろうと不思議になるくらい、大勢の人間でごったがえしていた。大袈裟ではなく、歩行もままならない。
間宮さんの店、「パラドックス」は、高校生たちがたむろすることで有名なセンター街を抜け、東急ハンズの横の坂道を登った所にある。センター街ではチェックのスカートの制服姿で顔にうっすらと化粧をした女子高生たちが、なんのスカウトかわからないが携帯電話を手にした男たちに声を掛けられたり、同じ年ぐらいの男たちにナンパをされて楽しそうな顔をしている。
雑居ビルの二階にある「パラドックス」の狭い店内は、ピアス、映画や音楽の輸入ビデオ、タトゥ(刺青)やボンデージに関する輸入本で一杯だった。二十代後半ぐらいの男性がずらりと並べられたピアスを眺めながら、間宮さんに遠慮がちに質問をし、間宮さんはそれに親切に答える。レジの電話が鳴り、店の若い男性が受話器を取り応対をする。
「そのピアスは現在品切れなんですよ。それと同じ型でサイズが小さい物ならありますが……」
レジの横で罐ジュースを飲みながらボーッと椅子に座っている三十代後半の男性がおり、私はその貫禄のある風貌から実質上の店のオーナーかと思った。だが、後から間宮さんに訊くと彼はただの客なのだそうだ。学校の教師だがピアッシングが好きで、週末になると、店に来て間宮さんたちと何かと話をしながら午後を過ごすらしい。
店の業務が一段落したので、私は女子高生をかきわけて間宮さんと近所の喫茶店へ行った。私はビール、間宮さんはメロンヨーグルトというものを注文した。間宮さんは、酒の味自体は好きだがアルコールが体質に合わず、酒を飲むとすぐに頭が痛くなるらしい。つまり、間宮さんは二十四時間、シラフなのだ。「お酒っておいしいですよね。あれをちゃんと飲める人ってうらやましいな」と間宮さんはおっしゃる。そのシラフの間宮さんの顔を改めて直視すると、ついてるついてる。耳には重そうな飾りのついたピアスがズラッ。鼻の穴にも銀色のリング。その鼻の下、唇の上の方にも小さなボルトのようなものが埋め込まれ、唇の端にもリング。そして、服やTシャツから覗く胸にブルーのタトゥが広がっている。世間の人が見たら、私と間宮さん、どちらがシラフだと思うだろう。いつも感じるのだが、二十四時間シラフの人ほど、なんか妙な人が多い。
「体の、つけられる部分の全部にピアスをつけてますよ」
と、間宮さんは言う。つけられる部分の全部とは、顔面の他に乳首、へそ、性器である。
「オチンチンに!?」
私が驚くと、間宮さんは笑い、「だって、自分でやらなかったらお客さんに勧められないでしょ?」と言い、「BODY PIERCINGS」と記された一枚のチラシを渡してくれた。そこには図解で、ペニスへのピアッシングが描かれてあった。
私はそれまで、女性の性器へのピアッシングは知っていた。それは、大陰唇のビラビラにするものであった。だから男性の場合も、ビラビラというか、その、包皮ヘピアスをするものだろうと思っていた。だがそのチラシの図解を見て驚いた。なんとペニスの、亀頭を真横からズップリとピアスが貫いているのである。
「こんなことして大丈夫なんですか?」
「大丈夫ですよ。針を通した時の痛みは一瞬だし、出血もほとんどありませんから」
「痛みって、どのくらい痛いんですか?」
「ペニスだと、まあ、小指の爪をはぐよりはちょっとは痛くないでしょうね」
私は間宮さんのその言葉を聞き、貧血になりそうになりビールをあおった。私、小指の爪をはいだことはないが、多分、さぞ痛いのだろう。それは想像にかたくない。それよりもちょっとは痛くないというのだから……きっととっても痛いに違いない。
「でも、痛みなんて慣れですよ。針を通す時の恐怖心さえ無くなってしまえば、痛みなんてどうということはありません。でも僕もペニスにピアッシングをする時は、さすがに恐かったですけどね。体中のあらゆる場所にピアスを入れて、最後がペニスでしたから。尿道? 全然問題ありませんよ。尿道って、人が思っているより大きいんですよ。だからそこに何ミリというピアスが入っても全然大丈夫。むしろ、刺激によって亀頭はひと回り大きくなるし、精力も高まるし、いいもんですよ。それに、これを言うとそういう人ばっか店に来そうだからあまり喋らないんですけど、男性で仮性包茎の人なんか、包皮にピアッシングをすれば確実に包茎は治ります。ピアスは平均一万二千円だから、手術をするよりずっと安いでしょ」
だが、「パラドックス」ではピアスを売るだけでピアッシングはしてくれない。アメリカなどではピアス店で直接にピアスを入れてくれるのだが、日本では法律により正規の病院でなくてはそのような行為はできないことになっている。だから「パラドックス」では客が自分で行なうピアッシングの仕方を充分に説明してピアスを売っている。そして、「ピアッシングは、正しい知識、方法によって行なわないと、大変危険が伴ないます。充分相談の上、行なって下さい。消毒が不完全だったり、ピアスの材質、サイズ等を間違えると、傷が治らなかったり、生活に悪影響を与えたりで、結果的にムダな苦痛を味わうことになります」と、「パラドックス」のチラシに記されている。実際、ピアッシングの何の知識もない整形美容院でピアスをつけたはいいものの、後からトラブルが起こった人からの相談が間宮さんのもとには絶えないそうだ。
「パラドックス」には女子高生もよく来る。学校では当然のことながら顔面へのピアスは禁じられているため、乳首や大陰唇へのピアッシングを求めてくるのだ。
「情報がやたら豊富で、そのために背伸びをしちゃってるんでしょうけど、まあ、自分だけの密かなオシャレといった感じでしょうかねえ。そういう子は、必ず一人で店に来ますね。もともとマゾっ気がある子だと思うけど」
あなたが道で擦れ違った女子高生も、股間に銀色のピアスをしているのかもしれない。
間宮さんはかつて、製薬会社に営業マンとして勤務するサラリーマンだった。それが、趣味がこうじ、会社をやめ「パラドックス」を開いた。三十歳を過ぎて結婚をしたが、二年ほどで結婚生活は終わりを告げる。
「余計なお世話ですが、なんで奥さんと別れちゃったんですか?」
「……まあ、いろいろあってね……」
「やはり、間宮さんのピアスとかタトゥの趣味が原因で?」
「いえいえ、そんなことはないです。もっと、よくある話でね、別れました……本当にね、世の男と女にはよくある話で……」
この時、私は初めて、顔面中にピアスを(そして、目には見えぬが乳首やペニスにもピアスを)つけた間宮さんを身近に感じた。だから、それ以上の離婚に関する質問はしなかった。男と女、別れる時はどのような理由であれ別れるのである。あらゆる理由が重なって別れるのである。私はそのことの具体的な理由を訊く芸能レポーターではない。そんなもんですよね、と呟けば男同士、わかるものだ。
「間宮さんにとってピアスの魅力とはなんですか?」
「ボディ・マニピュレーション!! つまり、人体操作ということかな。ピアスに限らず、タトゥにしても、今は実験中なんだけど焼き印とかね。自分の体をどんどん変えていくっていうのが面白い。原始の頃からそういう欲求って人間の中にはずっとあると思うんですよ。いろんな民族が、自分たちの体を傷つけてオシャレをしているでしょ。その気持ちがよくわかるんです。せっかく与えられた自分の体なんだから、自分で好き勝手に作り変えたっていいじゃないかって感じですね。生まれたままの体っていうのは、言ってみれば真っ白なキャンバスなんですよ。せっかく真っ白なキャンバスを貰ったのに、死ぬまでそこに何も描かないなんて、そんなつまらないことないじゃないですか」
私は現在、一人の女性と結婚をし、彼女と一緒に暮らしている。私が酔っぱらって帰った或る朝、彼女が乳首や大陰唇にピアスをつけていかにも嬉しそうに待っていたらどうしよう。そんなことを考えながら私は間宮さんと別れ、相変わらず十代の人間たちがひしめく渋谷を逃げるようにして後にした。
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枕芸者[#「枕芸者」はゴシック体]◎石和温泉
[#1字下げ]1994年7月◎村山首相、自衛隊容認、原発容認、日米安保容認、日の丸・君が代の尊重などを表明。[#「1994年7月◎村山首相、自衛隊容認、原発容認、日米安保容認、日の丸・君が代の尊重などを表明。」はゴシック体]
「枕芸者がいるトコだよ。石和に行ったらもうやり放題だぜ!!」
ひょんなことから、私の住む町の町内会のオジサンたちと山梨の|石和《いさわ》温泉に一泊二日で旅行へ行くことになってしまった。
私の住む町は新宿にあり、ホモやレズなど同性愛の方々が昼となく夜となく徘徊していることで有名である。だがそんな町にも何代にも続いて住んでいる人々がちゃんといて、その人々で町内会が組織されている。町内会は子供会、婦人部、青年部、青年部のOB会で成り、その保守性と緊密さは地方の村のそれと比べて勝るとも劣らない。祭りだ、盆踊りだ、旅行だと月に一度はなんらかのイベントがある。
今回、私が参加した旅行は、町内会でも一番力を持つOB会の有志によるものである。外様の私がなんでそんな旅行に同行したかと言うと、全て酒のせいである。近所の焼き鳥屋で飲んでいるとOB会のお歴々がゾクゾクと入って来た。私も酔っていたが、向こうもかなり酔っている。その内の一人、この辺一帯の土地を取り仕切っており向かう所敵なしのオカマたちも一目置く不動産屋の社長が私に言った。
「今度、山梨の石和温泉に行くんだが、お前も行かねえか」
「イサワ?」
「なんだ、石和温泉も知らねえのか。枕芸者がいるトコだよ。石和に行ったらもうやり放題だぜ!!」
マクラゲイシャ、ヤリホウダイ……私は酔った頭の中でそれらの言葉を反芻し、酔いにまかせて「行きます」と答えていた。
翌朝、目を覚まし昨夜の約束を思い出した私は後悔の念に襲われた。石和行きのメンバーは、この町で生まれ育った社長さんばかりである。皆、よくいえば豪放磊落、悪くいえばワガママ。人のことはいえないが酒グセは決して良くない。絵に描いたような、日本の中小企業経営者たちである。青年部の若者たちも常日頃、OB会の人間たちに対しては敬して遠ざけるという態度に出ている。そんな方々と一泊の旅行だなんて……私は酒の勢いというものを呪った。だが今さら断わったら何を言われるかわからない。私は覚悟を決めた。
当日、メンバー九名はそれぞれの妻や子供の見送りを受けて新宿駅へ歩いて向かった。
「家族に見送られちゃ、悪いことはできないすね、ヘッヘッへ」
寿司屋の若旦那ヒデさんが嬉しそうに私に言う。ヒデさんは唯一私と同じ三十代で、奥さんは二人目の子供を腹に宿している。「そうですね」と答える一番年下の私は、電車の中で食べる為にヒデさんが作ったツマミや酒や氷の入った発泡スチロールの箱を抱えている。十何年かぶりに体育会系のクラブに入ったような気分だ。
新宿駅に着くと、四十代の一人の和服姿の女性が待っていた。不動産屋さんの愛人であるバーのママである。石和温泉と聞き、これはならじと急遽同行することになったらしい。どうりで不動産屋さんの表情がうかなかったわけだ。
新宿から甲府行きの特急に乗る。一時間半で石和温泉に着いた。その間、用意していったツマミや酒は全て無くなった。オジサン達は元気である。石和でこうなのだから、東南アジアに向かう飛行機の中での、日本人のオジサンたちのハシャギようはさもありなんである。
石和温泉の駅は思っていたよりも小さかった。駅前も数軒の土産物屋があるだけで、あとは何もない。タクシーに乗り、山とブドウ畑を見ながら五分、私たちは予約をしていた旅館へ着いた。
私はヒデさんと居酒屋を経営するチュウさん(四十三歳)、そして花屋の御主人のサトウさん(四十五歳)と同室である。不動産屋さんはやはり愛人と同じ部屋である。皆口々に「かわいそうに」と言う。部屋に入るなりチュウさんが、先日やっと念願の結婚をしたというのに、「今夜はやってやってやりまくろうぜ!!」と叫ぶ。「やっと嫁が来たから、これからは安心して遊ぶんだ」と言う。
この町内には四十を過ぎても独身の男性が多い。家も金もあるのに、なぜか嫁の来てがない。親と同居しなくてはいけないという点が嫌われるのだろうか。そういう意味では農村と同じである。チュウさんも今まではソープに行くたびに「結婚しよう」とソープ嬢をくどいてはふられていたらしい。一度など、通いつめていたソープ嬢がカニ鍋が好きだと聞き、店から用具材料一切をソープに持ち込み、あの湿気百パーセントの部屋でカニ鍋を作りソープ嬢から大変な顰蹙を買ったこともあるという。だから、チュウさんはやっと結婚を意識せずに純粋に遊ぶことができるようになったわけだ。
皆でひとっ風呂浴び、浴衣に着替えて宴会場へ行く。
三十畳はあるだろうか。そこに十のお膳が五つずつ並列に置かれ、その上には名物の馬刺を始めとして様々な料理が並んでいる。今までテレビや映画で見たことはあるが、実際にこういう旅館の宴会を経験するのは初めてだ。緊張気味に座って待っていると、「失礼しまあす」と言って和服姿の芸者さんが六人登場した。一人はけっこう年配の女性だが、あとの五人は若い。皆、二十代前半のなかなかに美しい女性である。こ、この人たちが、その、枕芸者と呼ばれる方々なのだろうか。私は思わず生つばを飲んだ。
芸者さんたちは私たちに向かって横一列に座ると、「よろしくお願いします」とお辞儀をし、立ち上がるとビールを注いで回る。「どうぞ」とビール瓶を差し出され、「あ、いやこりゃ済みません」と私は恐縮してコップを持った。なんたって、相手は枕芸者だ。あと数時間後にはこの方とシッポリといってるかもしれない。
やがて年配の芸者さんが歌い始め、二人の若い芸者さんが扇子を手に舞い始める。信玄節というものらしい。素人目に見ても踊りは下手だ。だが私たちはそれをジックリと観賞し、終わると力いっぱいに拍手をした。まるでストリップ劇場のようだ。
やがてカラオケが始まった。オジサンたちは順ぐりに歌い、歌っていないオジサンたちは芸者さんを相手に浴衣姿でチークダンスを踊る。日本のオジサン、ここに極まれりといった光景である。それと同時に、部屋の片隅で年配の芸者と幹事役の鉄板焼き屋の御主人との間で今夜の交渉が始まった。私はコップを片手に二人に近づきその交渉を聞かせて貰う。年配の女性はどうやら若い芸者を束ねる置き屋の女将であるらしい。女将は、女の子一人、ホテル代と別に一晩で七万円だと言う。わかったと鉄板焼き屋さんは答えて、「お前はどうする?」と私に尋ねた。私は三万円しか持って来ていない。「僕はストリップでも観に行きますよ」と答え、私は淋しくビールを飲んだ。
宴も終わりに近づき、私と不動産屋さんを除くオジサンたちが、これからのことを思い胸をワクワクさせ始めた頃、事件が起きた。「キャーッ」という女性の叫び声が響いたのである。その女性はチュウさんとチークダンスを踊っていた芸者さんだった。かなり酔ったチュウさんが興奮のあまり、どういう踊り方をしたのか彼女の着物のお尻の部分を破いてしまったのだ。彼女は泣き始め、チュウさんは「ご免な、ご免な」とオロオロし、そして宴は終わった。
オジサンたちは好み好みの芸者さんを連れて旅館を出、タクシーに乗りどこぞへと去る。身重のカミさんに五万円しか小遣いを持たせてもらえなかったヒデさんが、女将と必死に交渉をしている。それを横目で見ながら、失意の私は部屋に戻るとジーパンとTシャツに着替えフロントに行った。
「この辺でストリップはあるかな」
「ございます。こちらでチケットをお求めになりますと三千円のところ、五百円割り引きになりますが、いかがなさいますか?」
もちろん買った。こんな場所でストリップのチケットを購入したのは初めてだ。
「で、劇場にはどう行けばいいのかな?」
「ちょっとお待ち下さいませ。今、劇場から迎えの車を呼びますから」
ロビーで待っていると、本当に劇場名を車体に大書したマイクロバスが玄関に着いた。客は私一人である。恐縮して乗り込む。どうも今日は恐縮ばかりしている。
ほったて小屋のような劇場は、いろいろな旅館の浴衣を着たオジサンたちで満員だった。どうやらこの劇場は、客がいると旅館から連絡があるとどこへでも車で迎えに行くらしい。旅館の部屋とストリップ劇場が直結しているのである。いい土地だ。
どんな踊り子さんが出ているのだろうと小屋の前をためつすがめつするが、どの劇場にもある踊り子さんの名前を書いた紙が貼られていない。なんか淋しくなる。
踊り子さんは全員で六名だった。南米出身らしい外人が三人と、日本人が三人である。外人の一人はマナ板ショーもする。酔いにまかせたオジサンが浴衣をはだけて舞台に上がるが、飲み過ぎたのか御子息がうんともすんとも言わない。「アンタ、スケベナノニダメネー」と踊り子さんにからかわれ、それでも嬉しそうにガッツポーズをして舞台から降りるオジサンを仲間たちがやいのやいのとひやかす。多分彼らが地元の町内に帰ったら、このオジサンの行動は尾ヒレをつけられ武勇伝として伝播するのだろう。
私は、浴衣のオジサンたちにまじってストリップを観ているうちに、別にかっこをつけるわけではないが不快感を覚え始めた。東京、千葉、神奈川、いや、そこらに限らず普通の劇場で感じる観客と踊り子との一体感がない。客は踊り子に対して拍手一つをとっても優しさがないし、踊り子たちはあからさまに客を馬鹿にしている。実に殺伐とした雰囲気だ。しばらくして、芸者たちを連れたオジサンたちが入って来て、前の方の席に陣取った。踊り子さんはそれに気づくと、薄ら笑いを浮かべまるで喧嘩を売るように一人の芸者の前で御開帳をした。芸者は化粧の濃い頬を紅潮させ、目をそらさずキッと踊り子の股間を見つめる。やんやと喜ぶ浴衣姿のオジサンたち。
私が劇場を出ようとすると、モギリのお兄ちゃんが「お帰りですか。ではマイクロバスを用意しますから」と言った。
再び一人でマイクロバスに乗って旅館に帰ると(さすがに申し訳なく、運転手さんに千円を渡した)、部屋ではチュウさんが酔いつぶれて眠っていた。どうやら着物を破ってしまった芸者さんには結局、嫌われてしまったらしい。二十万円を持って来たのに残念なことである。私が戻ったことを知るとチュウさんは一瞬目を覚まし、「バカヤロー、石和に行けばやりたい放題だって言ってたじゃねえか!!」と呻き、また鼾をかき始めた。
テレビを眺めながらウイスキーをチビチビとやっていると、サトウさんが満足しきったような顔をして帰って来た。
「いやあ、石和の芸者は凄い、凄い」
そう言ってサトウさんは布団にもぐり込むとスヤスヤと眠り始めた。
ほどなくしてヒデさんが帰って来た。私はヒデさんに、何をしてたのかと訊いた。
「いやさあ、俺、五万しか持ってないじゃない。それであの女将に交渉してネギったんだよ。でもあの女将は七万からビタ一文まけられないって言うわけ。こりゃ駄目だと諦めて酒でも飲んで寝ちゃおうっと部屋に行こうとしたら、エレベーターの所まで俺が狙ってた芸者が追いかけて来て、『三十分後に旅館の前で待ってて。女将さんには内緒よ』って言うわけ。半信半疑で着替えて旅館の前で待ってたら、来ましたね、彼女が。白いクラウンを運転して。それで二人で飲みに行って、あとはタダマン。いやあ、石和っていい所だねえ」
私は町内に帰り、ヒデさんの身重のカミさんに、石和での御主人の行状を黙っている自信が、当然のことながら全くない。なにが、「家族に見送られたら悪いことはできないっすね」だ。
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ピンク映画[#「ピンク映画」はゴシック体]◎新宿
[#1字下げ]1994年8月◎ビートたけしがバイクで飲酒運転、新宿区の路上で転倒、頭の骨を折る重傷。[#「1994年8月◎ビートたけしがバイクで飲酒運転、新宿区の路上で転倒、頭の骨を折る重傷。」はゴシック体]
「三本とも新宿でロケをやっていたね……予算が少ないんだろうなあ」
八月十日。東京。暑い。そして、さしたる仕事もない。フリーライターという職業はまさに水商売であると痛感する。飲み屋の客足と同じように、仕事も来る時は重なってドッと来るが、来ない時はまるで来ない。
今仕事がないということは、秋口は貧乏ということだな、と鼻毛を抜きながらボンヤリと考える。
ストリップでも観に行こうか。だが東京のストリップは最低でも四千円はする。仕事のない身にはちょっと高過ぎる。
何か安く、現在の侘しい心境に合った娯楽はないだろうか。友人の編集者に電話をしてみる。編集者も暇だったらしく私のどうでもいい電話につきあってくれた。
「ポルノ映画って最近観た?」
しばらくとりとめのない話をした後、そう編集者が言った。
ポルノ映画か……そういわれてみると全然観ていないなあ。観ていないどころか、その存在すら忘れていたような感がする。雑誌やスポーツ新聞でもアダルトビデオの情報はあるがポルノ映画のそれはほとんどない。飲み屋での男たちの会話でも、アダルトビデオは話題にのぼるがポルノ映画のことを喋る人間はいない。たまにあったとしても、それは全て昔のにっかつなどの話で現在のことではない。
今、ポルノ映画は作られているのだろうか。
作られているとしても、それを観ている人間はいるのだろうか。
そんな話をしているうちに、ではポルノ映画を観に行ってみようじゃないか、ということになった。
たしか、新宿駅の中央口近辺にその手の映画館があったはずだ。
私と編集者は夕方の五時に新宿駅で待ち合わせをした。
「『ぴあ』を買って調べたんだけど、成人映画館って新宿には三軒しかないよ」
会うなり編集者がそう言った。どれどれ、と私は編集者が手にしていた情報誌を見せて貰った。
なるほど、彼の言う通りだ。三館ともやはり中央口近辺にある。歌舞伎町に一館もないのが淋しい。それどころか、東京都内全てでも成人映画館は二十四館しかなく、そのうち一館は休館している。
「どこに入ろうか?」
「まあとりあえず行ってみよう」
三館のうち、新宿国際は洋画だったのでパス。その地下の新宿国際名画座は邦画。建物は意外にきれいである。料金は三本立てで千八百円。入り口に「女装及びホモの方の入場お断わり」と書かれた紙が貼ってある。もう一軒の新宿昭和館地下はそこから歩いて一分ほどの所にあった。こちらはかなり歴史を感じさせるつくりで、三本立てで千四百円。私たちは迷わず昭和館地下に入ることにした。
チケットを買おうとして、私はふと切符売り場のワイシャツ姿のオジサンに尋ねた。
「中でビールは売ってますか」
「ジュースはあるけどビールはないよ」
私たちは駅に戻りキオスクでビールを購入し再び昭和館地下に戻った。ジュースを飲みながらポルノ映画を観る気にはなれない。
チケットを買い地下に降りる。モギリのしわくちゃな顔のオバチャンが「いらっしゃい」ととても小さな声で呟く。
ポスターを見る。『痴漢電車・通勤下半身』『全身性感帯・超いんらん女』『痴漢電車・イケナイ遊び』の三本立てである。どこの映画会社なのか確かめようとしたら、どれも制作者名と会社名の部分が折られたり他のポスターが重ねられたりして隠されている。何か、そうしなくてはならない理由があるのだろう。一枚だけチラッと折られている部分をめくってみると大蔵映画という文字が見えた。懐かしい。私が高校三年生の時に仙台の映画館で生まれて初めて観たポルノ映画が大蔵映画の作品だった。友人四人と固唾をのんでスクリーンを見つめたものだ。私が座った椅子の下になぜか使用済みのコンドームが落ちていたのを覚えている。
ドアを押して中に入る。思っていたよりも広い。スクリーンでは女性が電車の中で男にパンティの上から股間をまさぐられている。足を進めようとして、私は困った。足元が真っ暗なのである。傾斜がかなりきつい階段が私の前にあるのはわかるのだが、段差がまるでわからない。下手をしたら転げ落ちそうだ。私たちはいったんロビーに出て別の入口のドアを押した。こちらはまだうっすらと階段がわかる。恐る恐る一歩ごと確かめるように降りる。今までこの階段でこけた客はいないのだろうか。心配になる。
スクリーンに近い、端の席に編集者が座ったので私もその隣りに座った。すると編集者が小声で、「席を空けて座ろうよ。並んで座ってたらホモだと思われるよ」と言う。国際名画座の貼り紙を思い出し、慌てて席をずらす。
ほどなくして映画は新宿駅のホームを映して終わった。館内が明るくなる。客席を見渡すと意外に客が入っている。二百人近く入れそうな広さだが、その席の三分の一は埋まっている。そのほとんどが四、五十代の男性である。ネクタイをした人もいれば、パンチパーマにジャンパー姿の何をしているのかよくわからない人もいる。眠っている人も多い。どうやら私たち以外は皆一人で来た客のようだ。
編集者が、「センベイか何か買ってくる」と言って席を立った。私は罐ビールの栓を空ける。ゴクゴクとビールを飲み、やれやれと息を大きく吸い込むと、異臭が鼻をついた。トイレの匂いのような、なんか妙に生臭い変な匂いである。カサコソと音がするので足元を見たら、今まで見たこともないような巨大なゴキブリが走り去って行った。
編集者がスルメを揚げたようなお菓子とポテトチップスを買って戻って来た。「今、上から客席を見たら頭のてっぺんが禿げた客ばっかりだぜ」。そう言いながら、彼は早速スルメの袋をピリリと開けムシャムシャと食べ始める。館内で物を食べているのは彼だけである。こんな所でお菓子を食べる人間はそういないだろう。
「そのスルメ、どのぐらい前のものだろうね」
私が言うと編集者は一瞬ギョッとした顔で袋をためつすがめつした。
「製造年月日が書いてない……」
「この映画館ができた時からおいてあったんじゃないの?」
「……ウーン、でも大丈夫だよ」
編集者は再びスルメをムシャムシャと食べ始めた。無神経な人間の大胆さが羨ましい。
ブザーが鳴り場内が暗くなる。女性がフェラチオをするシーンに『全身性感帯・超いんらん女』というタイトルが重なり映画が始まった。主演は麻吹まどか。
ピンクキャブという名でライトバンに女の子を乗せて売春のポン引きをする男。だが男は商品である女の子と恋仲になり、女の子を連れて妻と売春組織から逃げる。組織のボスは追っ手を出し二人をつかまえようとする。必死に逃げる二人。そんなストーリーである。ロケは新宿が中心。何度もコマ劇場の前の広場が映し出される。
男の妻役に田代葉子が出ていた。グラビアやAVはおろか、ストリップ劇場でも顔を見かけないと思っていたが、こんな所にいらっしゃったんですね。彼女とは以前何度か酒を飲んだことがある。どちらかというとロリコンぽい雰囲気を売りにしていた彼女だが、久し振りに見たら体の肉づきが良くなりしっかりと人妻らしい色気を出している。元気そうで安心した。一緒にストリップ劇場を回っていた佐伯リカさんは、どうしているんですか?
それにしても昔のポルノ映画(先程から私はポルノ映画と書いているが、実際はなんと呼ぶのが正しいのだろう。今、津田一郎というスチールカメラマンが書いた『ザ・ロケーション』という本を開いたら、津田氏はにっかつロマンポルノをポルノ映画、それ以外の大蔵や新東宝の映画をピンク映画とわけている。その意味では私が観たのはピンク映画なのだろう。確かにピンク映画と呼んだ方がしっくりとくる)は、こんなにセックスシーンが多かったろうか。『超いんらん女』は一時間十分の作品だが、絡みのシーンは九回あった。一回が平均して五分として四十五分。作品の半分以上が絡みの勘定だ。昔はもっとストーリーに重点を置き、ここぞという時にセックスシーンがあったように記憶しているのだが……。多分、アダルトビデオに対抗するためなのだろうが、監督の思い入れがストーリー部分にたっぷりとつまった昔の映画が懐かしい。セックスシーンではビデオに勝てっこないのに、と淋しくなる。
二本目は『痴漢電車・イケナイ遊び』。妻の浮気調査を夫に頼まれる探偵役に港雄一が出ていた。犯し屋として一世を風靡した方である。その港さんも、着実に年を取った。髪の毛はほとんど白髪で、昔のギラギラとしていたところがもうない。犯し屋も人間が丸くなったらしい。ただ、出演している中で一番元気で、唯一芝居らしい芝居をしていたのが港さんだった。嬉しくなる。
私はいつも思うのだが、なぜ一般映画やテレビの人間は、港雄一や久保新二、そしてぐんと若くなるが山本龍二を使わないのだろう。もったいないことである。彼らの二人とないキャラクターと力をもっと多くの人に知って貰いたい。
映画を観ているうちに腰が痛くなってきた。椅子がグラグラとして安定しないのである。何度か席を替わったがどれも同じである。仕方なく腰をずらし前の椅子の背に膝を当てがって楽な姿勢を取ろうとしたら、前の背もたれが倒れそうになったので慌てた。
二本目の途中で学生らしい若い男が三人入って来て、私たちの前に座った。私は彼らを見て大学の時の先輩を思い出した。その先輩はとにかく映画が好きで、私もよく一緒にポルノ映画館に連れて行かれた。先輩は卒業すると獅子プロというピンク映画のプロダクションに助監督として入った。先輩と最後に会ったのは十年前である。新宿の通称「しょんべん横丁」の一軒の飲み屋で、私は偶然先輩と会った。先輩はロケが終わったばかりらしく、アポロキャップをかぶりジーパンの尻のポケットに脚本をつっ込んでスタッフ達と大声をあげて飲んでいた。先輩は私に「今な、シナリオを書いてるんだ。採用されたら五万円貰えるんだぜ」と嬉しそうに言った。先輩は何度も「俺たち活動屋はさあ」という言葉を誇らし気に口にした。数年後、風のウワサで先輩が獅子プロをやめたことを知った。先輩のシナリオはとうとう採用されることはなかったらしい。先輩は今頃どこで何をしているんだろう。今も映画を見ているのだろうか。
『痴漢電車・イケナイ遊び』が終わり、私たちは外に出た。田代葉子と港雄一に会えたことは嬉しかったが、しかし心は妙にシンミリとしていた。作品が、あまりにもつまらなかった。
「三本とも新宿でロケをやっていたね」
編集者が言った。
「そういや、そうだったなあ。ああいう映画の撮影の集合場所って新宿が多いから、ついそうなっちゃうんだろ」
「予算が少ないんだろうなあ」
ロケをした町でその映画を観るというのは本来なら嬉しいはずなのだが、暑さにもかかわらず一瞬私たちの回りに秋風が吹いたような感じがした。
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SM女王様[#「SM女王様」はゴシック体]
[#1字下げ]1994年9月◎オリックスのイチロー、192安打を放ちシーズン最多安打のプロ野球記録を更新(最終的には210本。)[#「1994年9月◎オリックスのイチロー、192安打を放ちシーズン最多安打のプロ野球記録を更新(最終的には210本。)」はゴシック体]
「いろいろあったんですよ。そのことを話したくて電話をしたんです」
七月末の或る夜、酔っぱらってアパートに帰ると留守番電話が入っていた。再生のボタンを押すと、女性の声が流れてきた。
「もしもし。〇〇〇の京子です。ちょっと話したいことがあるので、もしよろしかったら電話をくれませんか。じゃ」
一緒に帰って来たカミサンが酒ですわった目をますますすわらせて、「この人、誰?」と訊いた。
「エ? ああ、女王様だよ」
「ジョオーオーサマ?」
「ウン。〇〇〇、その店に取材をしに行って知り合ったんだ」
世の中広しとはいえ、女王様から直接電話がかかってくる人間はそうはいないだろう。そう思った私は得意気にカミサンに説明した。カミサンは「フーン」と答え、大きな欠伸を一つすると「わたし、もう寝るね」と言いベッドに潜り込んでしまった。ありがたくも女王様から自分の亭主に電話があったというのに、なんで感動しないのだろう。私は憤慨し、台所からコップを持って来てそこにウイスキーを注いだ。海の向こうでは皇太子の女房が誰ぞに無言電話をしたとかで大騒ぎになっているというのに……。こっちは女王様から留守番電話が入ったんだぞ!!
翌日、私は恐縮しながら京子女王様のお部屋に電話をした。幸いなことに女王様は在宅中であった。
「昨日はせっかく電話をいただいたのに、留守をしてて申し訳ありませんでした」
「フフ。元気でした?」
「ハイ。おかげさまでなんとか生きております。女王様はいかがあそばされていらっしゃいますか?」
「毎日暑いわねえ」
「……ハ、ハイ。暑いです。私はなにせ東北出身で暑さにはめっぽう弱いもので、もうバテバテです」
「じゃあ、元気じゃないんじゃないの」
「ア、いや、そんなことはないです。元気です。ハハハ、元気です」
「わたしね、お店やめたんですよ」
女王様は突然話題をお変えになる。
「そりゃまたどうしてですか?」
「いろいろあったんですよ。そのことを話したくて電話をしたんです。よかったら会えませんか?」
「ハ、ハイ」
「わたしが人にこんな電話をするなんて珍しいんですよ」
「ありがたき幸せです」
私は女王様と八月に入った一週間後の土曜日に会うことを約束した。店をやめても女王様はなかなか忙しいらしい。
その日の昼間に私から電話をして会う場所と時間を決めようということになり電話を切ろうとしたら、女王様が「わたし、Hさんと最近仲良しなの」と言った。
Hさん? 誰だ? そのような名前の男性は私の知り合いにはいない。だが、女王様は私がその名前を知っていて当然という口ぶりである。
「済みません。その方はどなたですか?」
「エッ、Hさんを知らないんですか?」
「ごめんなさい」
「今発売されている『〇〇〇』(SM雑誌の名前)を読めばわかりますよ。じゃ、土曜日に会いましょう」
京子女王様はそう言って電話を切った。
京子女王様は、先祖は京都の公家という由緒正しき家に生まれたが、両親が離婚して父親と共に札幌に移り住む。父親はそこで再婚をしたが、新しい母親との仲はしっくりとはいかなかった。そんな女王様がSMと出会ったのは高校生の時である。その時のことを私はかつて本誌で次のように書いている。
「京子さんが高校生の時、仲の良かった同級生の母親がSMクラブを経営していた。その母親も自ら女王様として客の相手をしていた。
『そのお母さんに頼んで、プレイルームの天井裏からプレイを覗かせて貰ったのね。感動した。性的な興奮じゃなくて、SMってひとつの芸術作品なんだなっていう知的興奮で』
友人の母親から京子さんは、『あなたは女王様の素質があるわ』とすすめられ、その店で女子高生でありながら女王様として働き始めることになる」
一週間が過ぎ、京子女王様と約束した土曜日が来た。昼過ぎに起きた私は女王様に電話をした。女王様は留守だった。「ただ今出かけております。御用の方はメッセージをお入れ下さい」という女王様の言葉が受話器の向こうで聞こえる。
近所に買い物にでも出かけているのだろうと思った私は、とりあえずアパートを出た。女王様に会う前に、彼女が仲良くしているというHさんのことが載っているSM雑誌を買おうと思ったのだ。駅前の本屋に入った。SM雑誌は仕事柄いろいろと読んだことがあるが、考えてみれば自分で購入するのは初めてである。レジにその雑誌を持っていく時、少し緊張した。
喫茶店に入り、ビールを注文し、雑誌を開いた。Hさんはすぐに見つかった。四十歳過ぎらしいHさんは、カラーグラビアで女性を縛りムチやロウソクでいろいろといじめている。その写真に添えられた文章を読むと、HさんはSM同好会を主催し、その世界ではかなり有名な方らしい。京子女王様が、「エッ、Hさんをしらない?」と言ったのも納得がいった。
喫茶店から何度も電話をするが、女王様は不在である。とりあえずアパートに戻り一時間おきぐらいに電話をするが、やはりいらっしゃらない。女王様の身に何かが起きたのだろうか。心配である。その頃、私はけっこう忙しく、かなり無理をしてスケジュールを空けていたのだが……。もしかすると「約束破り」という新しいSMプレイなのかもしれない。でも、あまり気持ちよくない。
翌日、出先から女王様に電話をするがやはり不在。SMクラブにはマゾ男性をロープで縛ったまま床に転がしておく放置プレイというものがあるが、こんなに長時間プレイをしていただくと、お店だったらいったい幾らプレイ代を払わなくてはいけないのだろう。感謝しなくてはいけない。
月曜の朝、やっと女王様から電話があった。
「ご免なさいね。札幌の父が義母と離婚すると言ってきたり、ルームメイトの女の子が突然いなくなったりして大変だったの」
よくわからないが、女王様は大変だったらしい。少なくとも新しいプレイではなかったとわかり私はホッとした。
「今日なら会えるんですけど、どうですか?」
女王様はそうおっしゃってくれたが、私はその日は仕事で名古屋に行かなくてはいけなかった。私はカレンダーを眺め、「八月十九日には仕事が一段落するのでそのあたりに電話をします」と言った。
だが、仕事は予定通りには終わらないものである。八月十九日、私は石川県にいた。暑さと取材でへトへトになって深夜にホテルに帰り東京のアパートに電話をすると、カミサンが「わたしも今帰ってきたんだけど、女王様から『電話が欲しい』って留守電が入ってたわよ」と言った。「わかった」と私は答えたが、まるっきり予定がつかなかったので、とりかかっていた仕事が終わるまでの二週間ほど女王様に連絡をしなかった。どうも私は二つのことを同時にできない。子供の頃も買い物を母親に言いつけられると、必ず何か一つは買うのを忘れて怒られたものだ。
結果的には私は畏れ多くも女王様に対して「逆放置プレイ」をしかけてしまった。
女王様とようやく連絡が取れたのは九月に入ってからである。
「今度こそ絶対に会いましょう」
そう私は電話でいった。
「そうね。じゃあ、会う日と場所と時間を決めましょう」
女王様は優しく答えてくれた。
かくして、九月五日の午後五時に私は女王様の住むマンションの最寄りの駅から電話をすることになった。だがその日、そろそろ出かけようと思っていると電話が鳴った。女王様からだった。
「ごめんなさい。わたし風邪をひいちゃったみたいなの」
「そ、そうですか。じゃ今日は会うのをやめましょうか」
「そうしてくれますか。やっぱり人と会う時は体調万全で会いたいから明日はどうですか」
明日……明日は原稿の〆切が一本ある。しかし、ええいきますよ、もうお互いに放置プレイはやめた方がいい。とにかく早く会ってすっきりしよう。
「わかりました。じゃあ、明日の夕方五時ということで」
私は気付くとそう答えていた。
私の住む新宿二丁目から女王様が日頃利用されているその駅まで、地下鉄でわずか十分ほどである。
九月六日の午後、電車のシートに座りながら、「こんなに近い距離なのに女王様と会うまでずいぶんと時間がかかったもんだなあ」と私は感慨深かった。あえて私は出かける前に女王様に電話をしなかった。なんかまた留守番電話が答えるようで恐かった。
「今、駅に着いたんですが」
私は駅構内の公衆電話から女王様のお部屋に電話をした。(それにしてもこの話、やけに電話が登場するね)
「今ね、部屋にSさんが来てるの。今度SさんとSMのビデオを作るから、その打ち合わせなの。だから十分か十五分くらい、そこで待ってて。打ち合わせが終わったら迎えに行きますから」
電話に直接出られた女王様はそう言った。留守番電話でなくホッとしたのもつかのま。
Sさんに、私は直接お会いしたことはないがお名前はかねてからよく存じあげている。SMの世界で、ビデオ監督、ライター、その他もろもろのことで大変活躍されておられる方である。
Sさんの名前を訊いたからではないが、私は不吉な気持ちにとらわれた。ここで再び、「放置プレイ」されるかもしれない。そう思った私は「女王様が知っている喫茶店はありませんか? そこで待ってますから」と言った。女王様が教えてくれた店に行くと、そこは立ち飲みのコーヒー屋だった。私は十代の頃から腰が悪く立ち続けるのは苦痛に近いのだが、どこかヤケッパチな気持ちになりアイスコーヒーを頼んだ。女王様は十分か十五分とおっしゃった。そのお言葉をとにかく信じよう。
そして、一時間がたった。
私は大袈裟にいうのではなく、腰の痛みで泣きたくなっていた。だがここでしゃがみこむわけにはいかない。変な人に思われてしまう。そうではなくとも、こんな店で一時間も立ちつくしていること自体、もうすでに店員から変な客だと思われているのはひしひしと感じているのだから。
いいや、もう帰ろう。十二分に放置プレイは満喫した。
そう思った時、
「待たせちゃってご免なさい」
という声が背後に聞こえた。
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SMショー[#「SMショー」はゴシック体]
[#1字下げ]1994年10月◎作家の大江健三郎にノーベル文学賞。日本シリーズで巨人が西武を破り、5年ぶりの日本一に。[#「1994年10月◎作家の大江健三郎にノーベル文学賞。日本シリーズで巨人が西武を破り、5年ぶりの日本一に。」はゴシック体]
「一部は縛りライブ、二部は調教ライブで、約二時間半のショーとなります」
先月は失礼をしました。SMの京子女王様と会った時の話をしようと思ったのだが、やっと出会えたところで紙数が尽きてしまった。まあ、SMクラブ以外の場所で女王様と会うのはいかに困難かということをわかっていただいたら幸いである。
私はその辺の飲み屋にでも入って話を聞くつもりだったのだが、京子さんが「わたしの部屋においでよ」と言ってくれたので、私は自転車を押す女王様と並んで歩き、彼女の住むマンションに向かった。女王様のプライベートルームが見れるのだと思うと少し緊張した。途中、酒屋でウイスキーを買った。
女王様はワンルームマンションに住んでいた。ドアを開けると犬が二匹飛びついて来たので驚く。部屋にはベッドとテーブルがあり、他にも様々な家具が所狭しと置かれている。ステレオからは暗い雰囲気のシャンソンが流れている。ここにルームメイトの女性がいたとはちょっと信じられない。犬だって一匹は中型犬である。どうやって人間二人と犬二匹が寝起きしていたのだろうか。壁に吊るされた黒革のボディスーツが蛍光灯の光を鈍く反射させている。
「ルームメイトは同じクラブで働いてた人ですよね。どうしていなくなっちゃったの?」
「彼氏との仲が上手くいかなくてノイローゼ気味だったんですよ。それで或る日、病院に行ってくるって言って出て行ったきり戻らないの。わたしの貯金通帳と一緒に」
「貯金通帳……。警察や銀行には届けたの?」
「ウウン。そういうのあんまり好きじゃないから。でも、お金が無くなってちょっと困っちゃいましたね。それより彼女のことが心配。一応彼女の実家には連絡をしたけど……」
女王様はそう言って細くて長い煙草に火をつけた。
「クラブはどうして辞めたの?」
「不況で店の売り上げが思うように伸びなくなって、仲の良かった店長が辞めちゃったんですよ。それと同時に店の方針もSMからイメクラっぽいものに変わってきたし……。それにSMが最近市民権を得てきたというか、変にファッショナブルになってきたでしょ。そういう風潮にも疑問を感じてたしね。やはりSMはもっと地下に潜った隠微なものであって欲しいんですよ」
「じゃあ、今はどうやって生計を立ててるんですか?」
「プライベートなお客さんとプレイをしたり……お金は相手によるけど一晩で十万から二十万くらいかな。わたしから請求したことはありませんよ。貰えなくても構わない。わたしも楽しんでるんですから。この前Hさん(前回で書いたSM同好会を主催している男性)とも初めてプライベートでプレイをしました。Hさんは真性マゾなんで楽しかったなあ。あとは広告ポスターのデザインをしたり。これもわたしがデザインをしたんですよ」
女王様は壁に貼ってある大きなポスターを指さした。或る大きなブティックのポスターで、一万円札がはみ出た革の財布が荒繩で縛られている。素人目に見てもセンスのよさを感じる。私の目の前でエビアン水を飲みながらけだるく煙草を吸う女王様は、多才なのである。
私は三時間近く女王様の部屋にお邪魔してしまった。途中、女王様はお手製のいくら丼を出して下さった。夜も遅くなったのでおいとまを告げると女王様が言った。
「わたしの友だちで明智伝鬼さんという縛り師の先生が今度の土曜日にショーを開くんだけど、一緒に観に行きませんか」
私はぜひお願いしますと答え、部屋を辞した。女王様のベッドの上で二匹の犬が眠りこけていた。
その当日の朝、女王様からファックスが届いた。
「熱が出てしまったので今日は御一緒できません。先方には連絡をしてますので申し訳ありませんがお一人で行って貰えませんか」
午後六時過ぎ、私は一人で山手線の〇駅に降り立った。小雨が降っている。正直言って、心細かった。今までも何度かSMショーと称するものを観に行ったことはあるが、どれもどうも子供だましの域を越えていなかった。だが今回は、ホンモノの予感がする。
会場は駅から歩いて五分ほどの、ホテルの一階に作られたスタジオだった。恐る恐るドアを開け、出て来た若い男性に「京子女王様から紹介された者ですが」と言うと丁重に奥に通された。やはりこの世界、女王様の権威は相当なものであるらしい。
スタジオはけっこう広い。中央奥に床より一段高く舞台が作られ、それを囲むようにソファとテーブルが並んでいる。もうすでに先客が数人おり、皆カメラの機材をセッティングしている。つまりこれはSMショーと同時に撮影会なのだ。私はソファの片隅に座り、出されたコーラをチビチビと飲む。
ショーの開始は七時半。その頃には三十人ほどの男性客が集まりほぼ満員である。二十代から五十代までと年齢層は幅広い。ほぼ全員がプロが使うようなカメラを手にしている。カメラ屋が流行るわけだ。中には何人か若い女性もいるが、このショーの主催者はSMクラブも営んでいるのでそこのスタッフらしい。客の飲み物や灰皿を替えたりしている。
ここでのショーは、毎月第二、第四金、土に開かれる。金曜日のメニューは「開脚吊り・バイブ責め・クリトリス責め・アナル責め・剃毛」で観賞費は二万円。土曜日はそれらの他に「浣腸強制排泄・自然便ひねり出し・アナルクスコ」などが加わり三万円である。会員制で入会金は五千円。
場内の照明が暗くなり舞台にスポットライトが当たり、四十代と思われる明智伝鬼氏と身長の高い若い女性が黒い革の下着姿で登場した。先程の男性が前口上を述べる。
「これより明智先生のショーを始めさせて頂きます。一部は縛りライブ、二部は調教ライブで、約二時間半のショーとなります。彼女の名前ははるかさんです。うちのSMクラブの女の子で、ごらんのように背が高いのでSプレイもできます。そちらの方もよろしくお願いします」
ショーが始まった。サングラスをかけた明智氏は無表情に手にしたロープをはるかさんの体に這わせ始める。その唇を固く閉じた表情と器用な手先は、まるで浅草あたりにいる頑固な職人のようだ。私は持参していたポケット瓶のウイスキーをコーラの入ったグラスにドボドボと注いだ。
何本ものロープがはるかさんの体に巻きつく。いつの間にか彼女のブラジャーが脱がされている。やがて天井近くのポールを利用して、はるかさんの片足がロープで吊られる。明智氏が「どうです」とばかりにはるかさんの体をグルリと回す。途端にフラッシュが幾つもたかれる。はるかさんは視線の定まらない目をとろりとさせている。
三十分程たったろうか。はるかさんは何本ものロープで今、パンティを着けたままエビぞりになって宙に浮いている。明智氏がそんな彼女をグルグルと回す。フラッシュ、フラッシュ。全身を紅潮させたはるかさん。俗な言い方だが、苦痛と恍惚。いやらしさと美しさ。いつだったか大正時代の責め絵画家の伊藤晴雨の絵を目にしたことがあるが、伊藤晴雨がなぜ女を荒繩で縛った絵に固執したのか、ほんの少しだけわかったような気がした。床に降ろされてロープを外される時、はるかさんの手首がカクンカクンと、自分の意志とは関係なく動く。まるで死体のようだ。
ロープを全てほどかれたはるかさんはパンティを脱がされて全裸になり、今度は大股開きの姿勢のまま座らされて再び縛られ始める。そして明智氏が荒く息を吐きながら彼女を吊るし上げる。宙に浮いたはるかさんの性器はもちろん、肛門までが見え過ぎるほどはっきりと見える。フラッシュが無数にたかれる。カメラを手にした男たちの、ゴクンと唾を飲む音が聞こえた気がした。私は、生まれて初めて女性のオシッコをする穴というものをハッキリと目でとらえ、感動してウイスキーを呷った。
これで第一部は終わり、約十五分の休憩に入った。客たちはけっこう知り合いらしく、ビールなどを飲みながら世間話を始める。この光景だけを見ると、町内会の寄り合いのようだ。
二部では、はるかさんは赤い長襦袢をつけただけの姿で四つん這いで登場。明智氏が彼女の乳首をギュッとつまむ。オッパイの肉を洗濯バサミではさむ。乳首もはさむ。そして黒革の鞭で打つ。その度にはるかさんは、「アーッ、アーッ」と絶叫する。いつの間にか京子女王様の部屋で聞いたような、暗くけだるいシャンソンが流れている。SMとフランス語の歌はやけによく似合う。
明智氏はかなり大きなバイブレーターではるかさんの股間を責め始めた。
「アーッ、だめ、いっちゃう!!」
はるかさんはグイッと上げた腰をピクピクと震わせて叫ぶ。
明智氏はバイブを動かしながら、そんなはるかさんの胸にロウソクのロウを垂らし、乳首の回りに小さなロウソクを何本もたてる。
「アアーッ、気持ちいいの!! ねえ、気持ちいいの!! いっちゃいます!! アア、いっちゃううう……」
ロウソクを立てられたままのはるかさんの体が数秒間ケイレンした。私のウイスキーを飲むピッチが上がる。
明智氏は今度は、客にはるかさんの股間がよく見えるように彼女を四つん這いにさせた。そして性器にワセリンを塗り極太のバイブを挿入。はるかさんの性器はそれを苦もなく呑み込む。続いて肛門にもピンクローターが挿入される。
「アアッ、ハー、ハーッ、もうダメェッ!!」
はるかさんが喘いでるうちに明智氏は舞台奥に用意されてあった、大きい注射器のような浣腸器と洗面器を手にした。洗面器に入っているのは透明な液体である。明智氏ははるかさんの肛門に埋め込まれていたピンクローターを抜き取ると、透明な液体を吸い込んだ浣腸器を彼女の肛門に差し込み、ゆっくりゆっくりと注入し始める。「アアアッ」という嗚咽のような声がはるかさんの口から漏れるが、その彼女の顔はこちらからは見えない。見えるのはバイブが挿入されたままの女性器と浣腸器を差し込まれている肛門だけである。一本、二本、三本と明智氏は浣腸液をはるかさんの腸に注入していく。場内の緊張感が高まる。その気配を察してか、それまでロビーでお喋りをしていたスタッフの女の子たちが見にやって来た。
十本ほど注入されたろうか。
「どうだい? 出そうかい?」
明智氏が全身に汗をにじませたはるかさんに小声で尋ねる。
「もうあと三本入れて」
はるかさんが苦しそうに答える。それが合図かのように膣に挿入されていたバイブが何かに押し戻されるかのように、床にポトリと落ちた。
「ようし。じゃあ、もう残っている液を全部入れちゃおう」
明智氏が言った。それを聞き、私の隣で見ていたスタッフの女の子の一人が「ヒエーッ、むごい」と呟いた。
たて続けに明智氏は五、六本の浣腸をすると、空の水槽を持って来てその上に跨るようにはるかさんにうながした。
はるかさんが水槽に跨った途端、ババババッともの凄い破裂音が響き、はるかさんの肛門から浣腸液が噴出し、たちまちその茶色っぽい混濁した液体は水槽の四分の一を占めた。その後、長い放尿が続く。
これで終わりかと安心しかけたが、明智氏もはるかさんもこれだけでは満足してないらしい。「ウン、ウン」と言いながらはるかさんは懸命にきばっている。どうやら大便本体を出すまではわたしの仕事は済まじ、と思っているらしい。明智氏も、「頑張って!! もっとお腹に力を入れて!!」と励ます。だがチョロチョロと浣腸液が流れるだけで、とうとうしっかりとした大便は現われなかった。
「これで終わります。彼女は頑張りました」
明智氏がはるかさんの肩を叩いてそう言った。はるかさんはお腹をさすりながら、申し訳なさそうに頭を下げた。拍手が起こる。特にスタッフの女の子たちが感動したように大きく拍手をしていた。
外に出ると、十時半を回っていた。なんとも言えない疲労感が体を包んでいた。だがそれは決して不快なものではない。奇妙な疲労感だった。
アパートに帰ると、京子女王様から留守番電話が入っていた。
「今日はどうでした? 一緒に行けなくて済みませんでした。えーとォ、再来週の土曜日に同じ場所で、今度はわたしのショーがあるんで絶対に来て下さいね。よろしくゥ」
ええっ…………。
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外人ホテトル[#「外人ホテトル」はゴシック体]
[#1字下げ]1994年12月◎新進党結成、党首に海部俊樹。三陸沖に地震、青森県を中心に死傷287人。[#「1994年12月◎新進党結成、党首に海部俊樹。三陸沖に地震、青森県を中心に死傷287人。」はゴシック体]
「たまらん仕事ですよ。外国語で人を慰めるというのは」
師走の夕暮れ、東京の或る繁華街の喫茶店でオカモトさんと待ち合わせをした。オカモトさんは外人ホテトルのマネージャーである。オカモトさんは約束の時間より五分ほど遅れて現われた。オカモトさんはジャンパーにスラックス姿で、油気のない髪は少し寝癖がついている。手には風呂敷包みを持ち、どこかへ届けるのか中から菓子折りが見える。この大手書店の店員のようなオカモトさんを見て、オカモトさんの実際の職業を当てられる人間はまずいないと思う。いかにもその業界らしい人物を想像していた私は、拍子抜けがしたというか、緊張が解けた。
オカモトです。遅れちゃってごめんなさい。あっ、こりゃどうも。ぼくこういう名刺みたいなものは作ってないもんで、すみません。あっ、えーと、アイスコーヒーを下さい。
フーッ、本当に不景気ですよ。まず街に人がいませんもんね。飲み屋さんを覗いてもどこもガラガラでしょ。弱っちゃいますよ。まあ今月はボーナスが出るんでかなり期待してるんですけど、八、九、十月は泣きたくなりました。お客さんが全然来なかったなあ。どうしようかと思いましたよ。だからって大々的に宣伝をすると目をつけられるしねえ……立場の弱い仕事です。
女の子は常時二十人ぐらいいますよ。ほとんどが南米の娘です。もっとヨーロッパやロシアの女の子も入れたいんですけど、そういう娘はショーパブとかに行っちゃって、こっちの仕事にはなかなか流れてきませんねえ。
女の子の集め方ですか? 手配師というか、そういう女の子を紹介してくれるマネージャーがいるんです。ぼくは三人ほど知ってます。日本人と結婚した外人女性が多いですね。そういう人だと、日本と向こうを自由に行き来できますから。
でも今はそんなマネージャーの仕事もかなり難しいようですよ。入国管理局が外人に対してとっても厳しくなりましたから。
女の子のビザですか。このことはあんまり喋りたくないんですけど……もちろん観光ビザです。労働ビザなんかまず取れませんよ。すんなり取れてたら、東京でこんなに中国人同士が仕事の取り合いで殺し合いをしちゃうほど揉めませんよ。留学ビザは、本当にちゃんと学校に通ってなくちゃいけないし、保証人の問題とかいろいろクリアしなくちゃいけなくて大変なんです。日本はなんかおかしいですよ。外人に厳しすぎる。アメリカとかカナダはもともと移民の国ですから比較的自由でしょ。けど、日本人にはできるだけ外人を排除しようという意識がある。中国人や韓国人が日本で店を構えて富を得ているのが気にくわないという人が、けっこういるわけです。それで暴力沙汰になったりする。国の法律もそうですが、国民の意識レベルにおいても日本は外人に優しくないんですね。まあ、ぼくなんかにはわからない問題がいろいろとあるんでしょうけど。
こういう仕事をしていると、社会のしきたりというか、現実というものに毎日のようにぶつかりますよ。でも法律というものを考えちゃったらこの商売はやっていけないし……。
ビザの切れてる女の子が職務質問でつかまったり、入管でひっかかったらもう国に帰るしかないです。でも女の子がウチでの仕事のことを喋ることはまずありません。だって彼女らも、自分のしている仕事は日本の法律で禁じられているって知ってますもん。下手に喋って罪になるより、さっさとチケットを買って国に帰った方がいい。悲惨なのは帰りの旅費も持っていない子です。その時は日本国が金を立て替えて帰すことになるんで、その子の国と日本が交渉して話がまとまる間、六カ月ぐらい入管に閉じ込められるんです。入管なんて刑務所と同じですよ。
女の子がつかまった時のアフターケア? 基本的にしません。あくまでも契約の関係ですから。女の子は個人事業主で、契約する段階で、「あなたが入管でつかまってもオフィスは責任を持ちませんよ」ということをお互いに確認しますから。その代わり、いろいろな情報が入ったらちゃんと教えてあげますよ。今は危険だから外出するな、とかね。
女の子たちは賃貸マンションに住まわせてます。五部屋借りてるんで、一部屋三、四人ぐらいですか。食事は、外国人向けの店から出前を取ったりしてるようですよ。そういう店がちゃんとあるんです。彼女らはやはり日本食は口に合わないようですね。
外人を管理するのはしんどいですねえ。日本人と違って、彼女らはどっちかというと好き嫌いで生きてる人種ですから。頑張らなくちゃとか、我慢するとか、そういう日本人の感性についてこれないんですよ。ぼくもなかなか彼女らについて行けないし。
言葉はねえ、勉強しましたよォ。必要にせまられましてねェ。南米は主にスペイン語なんで、NHKラジオのスペイン語講座を聞いて。大変ですよ、ホント。女の子が何か悲しいことがあったらしくて泣いてると、辞書をひきながら事情を訊き、慰めるんです。たまらん仕事ですよ。外国語で人を慰めるというのは(笑)。
あと気をつけてるのはクスリですね。ウチはまだ幸いそういうことはないんですけど、万が一もし女の子たちがやってたりしたら相当にヤバイので、警察の問題もありますし、だから女の子たちには口を酸っぱくして、クスリだけはするなと言ってるんですけど、実態はどうでしょうねえ。向こうの人間はぼくらと違ってクスリに対する考えが実にイージーですから。楽しくなれるのに、どうしてやっちゃいけないのって感じですからねえ。でも、日本でも最近の女子高生が、そういう南米風のイージーな考え方を持つようになってきたみたいですね。誰にも迷惑をかけてないのに、どうして体を売っちゃいけないの。クスリなんてお酒と同じじゃん、って感じですよね。ぼくがこんなことを言うのもなんですが、日本はどうなるんでしょうねえ(笑)。
ヤクザの方々? ウーン……大きな声じゃ言えませんが、そういうバックボーンがなかったらこの商売はやっていけませんよ。ああいう方々にですね、それなりの挨拶なしでホテトルをやろうとしたら大変な目にあいます。いや、まず商売ができませんね。商売をしようとしたら、まずチラシやビラをまくでしょ。すると、お客さんよりもまず、その筋の方から電話がかかってきますよ。「どうしたの?」って。今は暴対法とかいろいろ厳しくて、あの人たちもいきなり恐い言葉は使えないんです。だからあくまでも優しく、「何してるの? どうしちゃったの?」って(笑)。
ちゃんと挨拶[#「挨拶」に傍点]をしていれば、あの人たちは別に恐いことはないです。向こうも仕事だし、変にこっちがびびって商売をやめたら、向こうの収入が減るわけですからね。お互い、ビジネスライクな関係です。挨拶は、まあこっちにすれば仕事をするうえでの保険のようなもんですね。
一応ホテトルなんですが、今はお客さんの自宅への宅配もしてます。二十三区以外の場所へも、車で女の子を届けてます。そのくらいしないともうやっていけませんよ。一つの場所だけでお客さんを待ってちゃ駄目です。だから、女の子を送り迎えする運転手が数人はいつも待機してます。近所のホテルに行く時も車ですよ。いくら近くだからって、ビザが切れてる女の子を一人で歩かせるなんて、恐ろしくてできませんよ。いつ職務質問を受けるかわかりませんから。だから、女の子には休日に買い物に行く時は原宿にしろと言ってるんです。あそこなら、他の純粋な観光客にまぎれられますからね。
お客さんとのトラブル? そりゃありますよ。「女の子のサービスが悪いから金は払わん」とかね。そんな時はとりあえず「うちはソープランドと違って、サービスは強要してないんです。ただお客様に女の子を紹介してるだけなんです」と説明するんですが、それでも揉めるようだったら、もう仕方ありませんよ、帰さします。この商売、ノートラブルが一番です。警察に通報されたら面倒ですからねえ。でも「警察を呼ぶぞ」っておっしゃるお客さんは知らないんですよね、自分も調書を取られちゃうことを(笑)。
病気ですか? 定期的に検査を(女の子に)させてますし、まず女の子一人一人が気をつけてますから大丈夫ですよ。だって病気になったら自分自身が終わりになっちゃうんですから。そんなことも考えないほど女の子たちはバカじゃないです。コンドームもちゃんと使用してますし。
でもねえ、遊ぶ時ぐらいは生でやりたいっていうのがお客さんの心理ですよね。その気持もわかるんでねえ、そのかねあいが、むずかしいんですよねえ。
ぼくの年齢ですか? 三十です。前はサラリーマンをやってたんですけど、まあいろいろと事情があってやめちゃいまして。ええ、いろいろあったんです。まあその辺はね、勘弁して下さい(笑)。それで知人の紹介でソフトSMの店のマネージャーになったのが三年前ですか。今の店に移ったのは一年前です。
収入ですか? 普通にサラリーマンをやってるよりはいいと思います。いろいろリスクを背負っているわけですから、そのくらいは貰わないとねえ、しょうがないですよ。家族に背を向けてやってるわけですから。ええ、うちの奥さんはぼくの仕事のことは知りません。輸入品を扱っている友人の会社を手伝っていると言ってごまかしているんですが。決してね、まるっきり嘘というわけじゃないんですけど(笑)、やはり外人ホテトルなんて本当のことは恐ろしくて言えませんよ。なんかぼく、恐ろしがってばかりですねえ(笑)。
仕事の喜び?(笑)喜びねえ……お客さんに満足して貰えた時に、よかったなとは思いますけど。指名される女の子が多いと、ああ気に入って貰ってるんだなって嬉しいですが……仕事自体はね、楽しくないですよ(笑)。苦しいことの方が多いですよ。疲れるしね。
でもこの商売は、どんなに不景気だとはいっても、常になんらかのニーズはあるわけですから、一度軌道に乗れれば十年はこれで食べていけると思ってるんですよ。本当に、いろいろと疲れますけどねえ。
話を終え、私とオカモトさんは喫茶店を出た。「今日はお忙しいところ、ありがとうございました」と言うと、オカモトさんは「いえ、こちらこそ」と言って深々と頭を下げた。私も慌てて腰を直角に曲げた。そしてオカモトさんは生真面目なサラリーマンのような足取りで夜の街に出陣して行った。その「実直」という二文字が貼りついたような背中を見ながら、別れ際にオカモトさんと交わした会話を反芻していた。
「オカモトさんは店の女の子とやっちゃったりしたことはあるんですか?」
「そりゃありません。ただ講習として、最低限やらなきゃいけないことを教えなきゃいけない場合はあります。仕事でやるって、辛いですよ。どんなこともいざ仕事になると、楽しくないもんですね。ハハハッ……」
多分、その講習の時、オカモトさんは真剣になりながらも顔は、サラリーマンが出張経費の精算をしているような顔をしているんだろうなあ。
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AVとストリップ[#「AVとストリップ」はゴシック体]◎花巻ほか
[#1字下げ]1995年1月◎M7・2の直下型地震・阪神大震災発生、死者は6308名、被害総額(概算)は約9兆6000億円。[#「1995年1月◎M7・2の直下型地震・阪神大震災発生、死者は6308名、被害総額(概算)は約9兆6000億円。」はゴシック体]
「スーツのような真面目そうな服を着ている時の方がノーパンは楽しいの」
12月×日[#「12月×日」はゴシック体]
雑誌の取材で、AV女優の桂木綾乃さんと会う。
待ち合わせの場所で水割りを飲んで待っていると、毛皮のコートを着た桂木さんがいらっしゃった。コートを脱ぐと下は黒いミニのワンピースに黒い網タイツといういでたちである。
「わたしはまずビールを頂こうかしら」
フワッといった感じでソファに座った桂木さんが言った。酒はけっこうイケる口なのだそうだ。
ビールをクイッと飲み、ああ美味しいと言いながら桂木さんが、
「わたしね、一人遊びっていうのかな、外出する時はいつも下着はつけないんです。そして階段を登る時なんか、『あっ、今お尻が見られてるかも』なんて思うとゾクゾクって感じちゃうんです」
とおっしゃる。
「えっ、じゃ今日も……」
「ええ、今日もつけてませんよ、フフッ」
私は思わず桂木さんの網タイツに包まれた膝頭に目をやった。これのあとちょっと先に、そのなんだ、下着をつけてない桂木さんの股間があるわけだ。そう思うと急に尻のあたりが落ち着かなくなった。今までいろいろな人にインタビューをしてきたが、下着をつけていない女性に話を訊くのは桂木さんが初めてだと思う(そんなこといちいち尋ねたことはないので確かではないが)。
私は一度桂木さんを、都内の会員制のSMショーを見せる店で見かけたことがある。その時彼女は客として来ており、若い女性が浣腸をされて排泄する姿を、頬をやや上気させながらジッと見ていた。
「あの時はショーに出演しないかって言われてたんで、見学しに行ったんです。二週間後に出演しましたよ。縛りとバイブ責めだけで、浣腸はされませんでしたけど」
「あの時は薄いベージュのスーツを着てたけど、やっぱりノーパンだったの?」
「ええ。スーツのような真面目そうな服を着ている時の方がノーパンは楽しいの。スーツを脱がせたら変態の体が出てくるっていうのが、いいじゃないですか」
桂木さんの初体験の相手はメスである。メスといっても女ではない。手術で使うあのメスである。
「処女膜強靭症だったんです。短大の頃につき合ってた人とエッチをしようとしたんだけど指も入らなくて、わたしは人間じゃないのかもしれないって悩んで病院に行ったらそう言われたんです。それでメスで処女膜を切って貰ったんです。手術は五分ぐらいだったかな。でもその後をちゃんと縫ってくれたんで、人間を相手にした時も出血しましたよ」
東京の名門女子短大に通う桂木さんにSMを教えたのは、慶応大学のヨット部の男だった。
「わたしの部屋でエッチをしている時、オシッコがしたくなったんです。それで『トイレに行きたい』って言ったら『ここでしろ』って。そんなこと言われてもわたしのベッドですからね、『イヤだ』って言うと、『じゃ、ここじゃなければいいんだな』って風呂場に連れて行かれたんです。仕方ないからしましたよ、しゃがんで彼のオチンチンをしゃぶりながらオシッコを。する前は恥ずかしくてイヤだったんですけど、いざしてみたらゾクゾクっていう快感が体に走ったんです。その時に思いましたね、わたしってマゾなんだって」
次につき合った男はマゾだった。「僕がオナニーをしている恥ずかしい姿を見て下さい」なんて言う。そんなの気持ちが悪いと思ったが、何度も見ているうちに面白くなった。しまいには桂木さんの方から、「さあ、わたしの前で自分でしてごらん」と女王様然として命令するようになった。
そして次に知り合った男はサディスト。今度は逆にオナニーを強要され、縛られ、アナルセックスをしこまれた。
桂木さんは現在、昼間は画廊の受け付けの仕事をしている。
「ビデオの仕事だけでも食べていけるけど、日常と非日常のバランスを取りたいっていうか……ビデオはわたしの裏の顔にしたいんです。昼間はツンとすまして仕事をしているのに実はっていう感じが欲しいんです。その方がイヤらしいでしょ。ま、これも一人遊びですけどね。でもこの前、その日常の場の画廊でエッチしちゃった、サド男と。壁に手をついてスカートをまくりあげてね。いつ客が来るかと思うとドキドキして、とってもよかったですよ。店はガラス張りだし」
それまでの話だけでも、私はもう腹いっぱいという感じになったのだが、桂木さんの話はまだ続く。桂木さんの飲み物はすでにビールからウイスキーに変わっている。
「最近、レズに目ざめたんです。高校時代の同級生でフェリス女学院大学に通ってる女の子がいるんだけど、この前わたしの部屋に泊りに来たのね。それで二人でお酒を飲んでるうちに互いに妙な気持ちになっちゃって、気がついたら彼女を全裸にしてたの。そして、『あら、どうしてここがこんなに濡れてるの?』とか、『どうして欲しいの? さあ言ってごらん。言わないとしてあげないわよ』なんて、自分が言われたいことを言ってたの。MってMの気持ちがわかるから、Sにもなれるのね。そのフェリスの子、泣きそうな声で『オ、オマンコをもっといじめて下さい』ですって。今調教中なんです」
桂木さんの話はその後も延々と続いた。私はウイスキーを飲みながら、「ハア、ホウ」と声を出すばかり。その、あまりにもなんでもありの性生活に、私は頭の中が次第に真っ白になっていくような気がした。
それにしても、と私は今だに後悔している。
あの時、「ちょっとスカートの中を見せてくれる?」って頼んだら、桂木さんはきっとスカートをまくってくれたろうなあ……と。
12月×日[#「12月×日」はゴシック体]
部屋でテレビを見ながらウイスキーを飲んでいると、消防車のサイレンが近づいて来て近所で止まった。すわ何事かと飛び出すと、路上に止めてあった焼きイモ屋の車が炎上していた。燃える焼きイモ屋。すぐに鎮火したが、印象深い光景だった。かわいそうな焼きイモ屋のオヤジ。燃える焼きイモ屋。
12月×日[#「12月×日」はゴシック体]
正月まであと幾日もないというのに、私は岩手県の花巻にいた。ひょんなことから『宮沢賢治の故郷を訪ねる』というラジオ番組に関わることになり、その取材である。
寒い。新幹線の新花巻駅前は見事に何もない。見渡す限り畑と田んぼ。風を遮るものは何もないから、北上山地から吹き降ろしてくる風がモロに体にぶつかってくる。私も東北出身だが、長く東京で暮らすうちに体がなまってしまったようだ。歯がガチガチと鳴る。晴天の空から粉雪がパラパラと舞い落ちてくる。
タクシーの運転手のオジサンに、「今は何度ぐらい?」と訊くと、「今日はまだあったけえから、五度ぐれえでねえべか」という答えが返ってきた。「えっ、これで五度なの」と驚くと、「ああ、ごめん。零下五度だ」とオジサンは言った。
宮沢賢治記念館、そして彼のお墓を回り、賢治が農学校の教師をしていた頃の教え子に会いに行く。教え子とはいっても八十歳をとうに過ぎているオジイサンだが、記憶力抜群の|矍鑠《かくしやく》とした元気な人だった。
オジイサンは賢治に「君は役者の才能がある。君は喜劇の天才だ」と言われ、浅草に出て役者になろうとしたが、父親の猛反対にあって断念したのだそうだ。
「今でもあの時浅草さ行っでだら、エノケンやロッパぐらいにはなれでだど思うよ」
とオジイサンはくやしそうに言った。
夜は花巻温泉のホテルに宿泊。すっかり冷えきった体を温泉でゆっくりと温める。
食事の時、仲居さんに「色っぽい遊び場所はないの?」と訊く。
「花巻はそういうのないの。だから家族が安心して来れるの」
「ストリップもないの?」
「ああ、ストリップはある。ちょっと待って、今日やってっかどうか電話で訊いでみっから。……ああ、小劇場すか? 今日やってる? はい、はい、どうも。あのね、夜の八時から十二時までやってるって」
食事をしながら岩手の地酒を飲み(これが実に美味かった)、九時過ぎに私はラジオ局のディレクターを誘いストリップ劇場に出かけた。外に出るとまだ雪は降っており、すでに十センチほど積もっている。
『小劇場』はホテルから歩いて五分ほどの所にあった。プレハブ建ての、言っちゃ悪いが掘っ立て小屋のような劇場である。ネオンも無く、仲居さんに教えられなかったらここが劇場だとは分からなかったろう。
ベニヤ板で仕切った窓口で三千五百円を払いホールのドアを開ける。二十人ほども入れば満席の客席に、客は七、八人いた。皆、このクソ寒いのに浴衣姿で来ている。ステージの上ではなかなか可愛らしい東南アジア出身だと思われる若い女性が踊っている。客達はもうかなり酔っているらしく「踊りはもういいがらべッチョコ見せでけろ」などと叫んでいる。べッチョコとは東北弁でオマンコのことである。私はオマンコという言葉は平気で使えるが、ベッチョコは口にできない。耳にするだけで何かいたたまれなくなる。それにしても私は今までいろいろなストリップ劇場に入ったが、あんなにうるさい客のいる小屋に入ったのは初めてだった。
「あんたたち、ドスケべ!!」と捨て台詞を残し女の子が引っ込んだ。そして次に山本リンダの『どうにもとまらない』の曲に乗り登場して来たのは、まごうかたなき五十代の日本人女性。するとさっきまでやんややんやと騒いでた客たちが揃って席を立ち帰り始めた。気持ちはわからんでもないが、そりゃあんまりだろうと思っていると、ディレクター氏が「俺達も帰ろうよ」と言う。「駄目だよ、俺達が帰ったら客が誰もいなくなるでしょ。あのオバサンに失礼だよ」とたしなめる。
オバサンは二人の客の前で踊りともつかぬ踊りを見せるとすぐに全裸になり、私の前に仁王立ちになると腰をグッと突き出した。陰毛の下から褐色の性器が覗く。そしてオバサンは私に極太のバイブを差し出し、無表情に「さ、入れて」と言う。「えっ、いや、俺、無器用だから……」と情けなくも戸惑っていると(本当に無器用なんです)、横からディレクター氏が「じゃ俺が」とバイブを受け取ってくれた。さっきは帰ろうと言ったくせに、実はなかなかいい人だったのである。
ディレクター氏の持ったバイブは音もなくズブズブとオバサンの太ももに埋もれた性器の中に呑み込まれた。「ハイ」とオバサンは言い狭いステージの中央に戻ると、「フンッ」と腰に力を入れた。するとポンと、バイブが性器から飛び出した。オバサンはそれを拾うと無表情のままそれをかざして見せた。私たちは手が痛くなるぐらい拍手をした。私たちの拍手が終わると、オバサンは垂れ切った胸を両手で持ち上げ、クネクネと曲に合わせて動き始めた。『どうにもとまらない』とオバサンの踊りが、エンドレスで続く気がした。
太郎の屋根に雪はふりつむ
次郎の屋根に雪はふりつむ
もう どうにも止まらない
12月×日[#「12月×日」はゴシック体]
競輪グランプリでしたたかに負けた夜、飲み屋で友人に、燃える焼きイモ屋の話をした。すると友人は「俺は国分寺の駅前でタコ焼き屋が炎上しているのを見たぞ」と威張った。別に威張ることじゃなかろうと思いながら、少し不機嫌になり黙って酒を飲んだ。
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カップル喫茶[#「カップル喫茶」はゴシック体]◎御徒町
[#1字下げ]1995年2月◎東京協和信用組合と安全信用組合の二信組、解散。事業を東京共同銀行に譲渡することを決定。[#「1995年2月◎東京協和信用組合と安全信用組合の二信組、解散。事業を東京共同銀行に譲渡することを決定。」はゴシック体]
「ヒサシブリダネエ……キョウハ、ダイサービスシテアゲルヨ」
スポーツ新聞で、カップル喫茶なるものが流行っているらしいことを知った。カップル喫茶とは昔でいう同伴喫茶である。しかもそれがかなり過激になっているそうだ。一体、どう過激になっているのであろうか。これはぜひ行かねばならぬ。そう思った私は本誌の編集長に電話をした。
「カップル喫茶に行きたいんですが」
「そりゃいいけど、一人じゃ行けないよ。誰と行くの?」
ああそうか、そりゃそうだよな。二秒ほど考えた私の頭に一人の女性の名前が浮かんだ。その名は大井ちづ。彼女は私がかつて白夜書房に勤めていた頃の同僚で、現在は『クロスワードランド』というパズル雑誌の編集をしている。気さくで酒づき合いの良いいい女である。私は一度彼女と『羊たちの沈黙』という映画を観に行ったことがあるから、もはや他人ではない。その時彼女は二十九歳。
「大井さんにお願いしたいんだけど……」
三十分後に編集長から電話があった。
「大井さんに話してみたらOKだって。ただ絶対に彼女に変なことするなよ!!」
数日後の夕暮れ、編集長と大井さんと私の三人は上野の御徒町駅に降り立った。この町に「S」というカップル喫茶があるらしい。私は大井さんと二人きりで大丈夫だと言ったのだが、編集長はどうしても店の前までついて行くという。そして取材が終わるまで近くの飲み屋で待っているという。やはり社員である大井さんの身が心配なのであろう。やはり私のことがよっぽど信用できないのであろう。
二十分ほど歩き回りようやく「S」を見つけた。看板には今風のカップル喫茶ではなくちゃんと同伴喫茶と記されている。高校時代、仙台の田舎町で見かけて、一体どういう喫茶店なのか気になって気になってしかたがなかった文字である。あれから十八年たち、ようやく同伴喫茶の実態を知ることができる。大井さん、ありがとう。
だがその日、「S」は休みだった。落胆する私と大井さんに向かって編集長は手帳をパラパラとめくり、「相互鑑賞クラブっていうのがあるけどそこに行ってみる?」と突然大胆なことを言いだした。相互鑑賞クラブとはマンションの一室かなんかにカップルが集まりお互いのセックスを見せ合いっこするところらしい。あれほど大井さんの身を心配していたくせに、編集者という人種はいざとなると残酷なものである。私としてはそのようなところに行くのはやぶさかではないと意見を表明したのだが、大井さんの「そんなのは絶対にイヤ!!」という叫びにも似た一言でその案は却下された。一緒に『羊たちの沈黙』を観た仲だというのに……。その日、目的を失った私たちが何軒も飲み屋をハシゴし、最後は明け方の高田馬場のカラオケボックスで店員に「もう店は終わりです」と言われながらもマイクを奪い合っていたことはいうまでもない。
一週間後、私たちは再び上野の町にいた。目指すはもちろん同伴喫茶「S」。
「わたし、ちょっと感じが変わったと思いませんか?」
大井さんが歩きながらそう言う。
「えっ……いや……なにかあったの?」
「わたし、三日前に三十歳になったんです」
「あ、そうなんだ。そりゃ誕生日おめでとう」
「二十代の最後と三十代の最初のわたしの思い出が、永沢さんと上野の同伴喫茶に来たっていうことなんですよね」
「あ……そ、そりゃ、なんか申し訳ないねえ……」
「いいんですけど、でも、これって一生忘れないんでしょうね」
二人のやりとりを聞いていた編集長が言った。
「人生って一度きりだっていうのにねえ……」
「S」はその日は開いていた。雑居ビルの地下に「S」はある。「じゃ、そこの焼き鳥屋で待っているから」と言って去って行く編集長を見送り、私と大井さんは暗い階段を降りた。ドアの前に貼り紙がしてあり、「当局のおたっしにより、覗き、スワップ等の行為はおやめ下さい」「同じ女性が一日に何人もの男性と来店されるのは御遠慮下さい」「当店はホテルではないので、度を超えた猥褻な行為はおやめ下さい」などと書かれてある。
内容は具体的なのだが、だが、それだからこそよくわからない。一体、このドアの向こうにはどんな世界が展開されているのだろうか。私と大井さんの緊張感はいやがうえにも高まる。しかし、普通緊張したカップルというものは安心し合うためにできるだけ身を寄せ合うものだが、大井さんは二歩、私から身を遠ざけた。悲しい。これが先週なら、二十代最後の思い出として手ぐらい握ってきたかもしれないが、さすが三十代になると女は用心深くなる。女一人が生きていく知恵というものだろうか。
黒いガラスのドアを押すと、「いらっしゃい!!」という予想に反した妙に元気のいい声が私たちを迎えてくれた。声の主はレジの横に立つエプロンをした三十歳ぐらいの体格のやけにいい男性である。
「どうぞ!!」
と彼は片手を差し出し店内に歩を進めるように促すが、いかんせん照明がひどく暗い。だがここで畏縮してはならじと大井さんを後ろに従えて歩き出す。
店内はやけに細長く、真ん中の通路を挟んで高い背凭れで区切られた二人用の席がズラッと並んでいる。まだ夕方六時を過ぎたあたりだというのに、もう若いカップルがいる。いかにも会社の上司とOLといった二人の姿も暗闇の中で目に入る。
どうにかこうにかまわりに誰もいない一角を見つけ、私たちは席に座った。実に狭い。やっと大井さんの体が私と接した。ほー、やれやれ、なんとか席を確保したぞと思っているとカツカツと靴音が聞こえさっきの若い男性がやって来た。
「お飲み物はいかがいたしますか?」
「あ……えーと……ビールはありますか?」
「アルコールはジンフィズと水割りだけなんですが」
「あ……じゃ、僕は水割りを下さい。大井さんは何にする?」
「ジンフィズ……」
「かしこまりました」
彼が飲み物を運んでくるまでの約五分間、私たちは沈黙していた。大井さんが煙草に火をつけたので私も慌ててハイライトを口に咥えた。なんか昔、連れ込み旅館に女性と行った時の、仲居のオバサンがお湯の入ったポットとお茶菓子を持ってくるのを待つなんともいえないぎこちない間を思い出した。
「ではごゆっくり」
男性は連れ込み旅館のオバサンと同じ台詞を残し、目の前の小さなテーブルに二つのグラスを置き立ち去った。水割りは限りなく水に近かったが、それでも一口啜るとなんとか気持ちが落ち着いた。すると今まで聞こえてこなかった音が耳に入り始めた。
「ウッ…ウン…アア…ウッ…ウン…アア…」
女性のその押し殺したような声は、どうやら私たちの横のボックスから聞こえてくるようだ。
「な、なんですかね、あの声は?」
大井さんが私の耳元で囁く。
「や、やってんじゃないのかな」
私も大井さんの耳元で囁く。彼女と知り合って随分と時がたつが、こんなに近距離で話し合うのは初めてである。とにかく、ちょっとでも大きな声を出したらたちまち店内に響くような雰囲気なのである。「ウッ……ウン…アア…ウッ」という声と、スピーカーから流れる『枯葉』のやけに甘ったるいピアノバージョンのみが店内を支配している。
「や、やってるって……ほ、本番ですかね?」
大井さんが言う。先週まではそんな本番などという言葉を口にするような女性ではなかったはずだが……三十歳になると変わるものである。
「永沢さん、後ろ、後ろ……」
と、それまで以上に小さな声で大井さんが、念のために駅の売店で購入していたポケット瓶のウイスキーを薄い水割りに足しつつ飲んでいる私に言うので、なんじゃらほいと後ろを振り向くと、いや驚いた。そこには背凭れに手を掛けて私たちを覗き込んでいる女性の顔があったのである。「ワッ」と私は思わず声を出してしまった。一瞬、ヒッチコックの映画を連想した。
するとその女性はニッコリと笑って私たちの横に立った。
「ココハ、ハジメテデスカ?」
三十代半ばぐらいのその女性は、変なアクセントでそう言った。どうやら日本人ではないらしい。
「はい、初めてです」
「フーン、ココハネ、イロイロトオモシロイヨ」
「面白いんですか?」
「ウン、イロイロネ、オモシロイヨ」
そしてその女性は大井さんにニッコリと笑いかけ、「アツクナイカ? ソノフク、ヌガナクテ、イイノカ?」と私にとっては大変に嬉しいことをおっしゃってくれたが、そして確かに暖房はききすぎているとは先程から感じていたのだが、大井さんは突然表情をキッとさせて「暑くありません!!」と答えて口を真一文字に結んだのである。
それにしてもこの女性は一体なんなのであろう。店員なのであろうか。それを訊こうか訊くまいかと迷っていると、中年の男が一人だけで店に入って来た。その頃になると暗さにも目が慣れて、なんとかみえるようになっていたのである。
謎の異国の女性はその男を見ると、「アラ」と言い男の席に歩み寄った。私と大井さんは息を殺して彼らのやりとりに耳を傾けた。
「ヒサシブリダネエ」
「うん」
「キョウハ、ダイサービスシテアゲルヨ」
「おお……う……うん……おお……あ、気持ちいいぞ」
な、なんだ、この会話は? と思っていると、さっきから隣で「ウッ、ウッ」と嗚咽を洩らしていた女性の「これで今年は何回目だっけ?」という声が聞こえた。
「五回目かなあ……」
相手の男性が答える。
「へえ、もうそんなに来てるんだ」
女性は、女優の春川ますみに似た声でそう言うと、再び「ウッ、アア、ウン」と喘ぎ始めた。
「な、永沢さん……」
大井さんが言う。
「ここって、もしかしたら、その、商売の女性の場所なんじゃないんですか?」
「ど、どうも、そ、そのようだね……システムはよくわからないけど……」
そのうち男の「オッ、ウウッ」という声が隣のボックスから聞こえたかと思うと、ファスナーを上げる音がして背広姿の男が立ち上がった。そして、「フーッ、すっきりした」という表情でこちらをジロジロと見る。大井さんが「ワッ、あの人と目が合っちゃった」と悲し気な声を出し俯きかけて何か気配を察した風にひょいと顔を上げ振り向いたので私もつられて後ろを向くと、大サービスとやらを受けていたはずの男が私たちの席を覗き込んでいた。男と私が目と目が合っても、男はひるむことなく目をそらさず、私がひるんで顔を戻した。
「もう帰りませんか?」
大井さんが呟いた。私もそれに頷き、二人は席を立った。
二人で入口に向かおうとすると、大サービスの謎の異国人の女性が、私の後ろの大井さんに「モウカエルノ? アンタ、カワイイワネ」と言い、大井さんの胸を揉んだ。
なんだかもう、なにがなんだかよくわからない。あらためて店内を見渡すと、アベックよりも一人で来ている男たちがやけにいる。その男たちがニヤニヤと、いかにもいやらしい目をしてそそくさと退場する私たちを眺めている。
山手線に乗り、どこか日本じゃない所に来てしまったような気がした。
レジで、やけに元気なエプロンの男性に、二人のドリンク代三千円を払い、外に出て私と大井さんは溜息をついた。
性は、悲しい。
焼き鳥屋で編集長と合流した私たちが、明け方の高田馬場のカラオケボックスでマイクを奪い合ったことは言うまでもない。
しかし、あの同伴喫茶って、一体、本当に、なんだったのだろう。
*大井ちづ様、ありがとうございました。胸まで揉まれて、すみませんでした。
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ビデオ相互鑑賞会[#「ビデオ相互鑑賞会」はゴシック体]◎大塚
[#1字下げ]1995年3月◎都内の地下鉄日比谷、丸の内、千代田線の車内に猛毒ガスのサリンまかれ乗客・駅員ら10人死亡。[#「1995年3月◎都内の地下鉄日比谷、丸の内、千代田線の車内に猛毒ガスのサリンまかれ乗客・駅員ら10人死亡。」はゴシック体]
「わたしたちのような仕事が無くなったら絶対に性犯罪が増えると思う」
三、四年前から夕刊紙の風俗広告欄などで「ビデオ相互鑑賞会」なる文字が目立ちはじめた。
一体なんだろう、これは、と私は思った。文字どおり、ビデオを鑑賞する会には違いない。そのビデオとはもちろんエッチなビデオだろう。だが、相互とは一体何なのか。
風俗に詳しい友人に訪ねると、「マンションの一室でカップル同士で裏ビデオなんか観てさぁ、そして雰囲気が昂まったところで同じ部屋で何組ものカップルがセックスをしちゃうんじゃないのかな。だから、相互鑑賞会」という答えが返って来た。
「じゃ、そこには女の子と一緒に行かないと入れないのかな」
「だろうな」
そのような開放的な女友達を持たない私は、その相互鑑賞会に行くのを諦めた。
しばらくして夕刊紙から「ビデオ相互鑑賞会」という文字が消え始め、かわりに「大人のパーティ」などという、実に抽象的な文字が載り始めた。
大人のパーティ、うーん、なんともいかがわしい響きである。再び友人に訊くと、それはビデオ相互鑑賞会とイコールであるらしい。なんらかの理由で「ビデオ――」という名称が使えなくなったらしい。大人のパーティとはどんなパーティなのだろう。
そんなことをブツブツ言ってると、
「じゃあ、そのパーティに行ってみようか」
と、本誌の編集長が言った。
「行こうかって言っても、一緒に行ってくれる女性がいないよ」
先月、上野の同伴喫茶に同行してくれたクイズ雑誌編集者のオオイチヅも、さすがにこれには協力してくれないだろう。
「でも主催者に話ぐらいは訊けるだろ。こっちで取材できる店を探しておくよ。でも今は忙しいから、一人で行ってくれよな」
二日後、編集長から電話があった。かなり興奮した口調である。夕刊フジに載っている大塚の「相互鑑賞会キ〇ーテ〇ー」という店と連絡がついたらしい。
「それがさ、主催者が女性でさ、すっごい色っぽい声なんだよ。やっぱり俺、一緒に行くからね」
そんなわけで、三月の雨の金曜日の昼下がり、私と編集長は大塚駅に降り立った。編集長が店に電話をして道順を尋ねている間、私は駅の売店でインタビュー用のウイスキーを買った。緊張をほぐすためである。
店のある雑居ビルは駅から歩いて数分の所にあった。
言われた部屋番号のインターフォンを押すとドアが開き、アコーデオンカーテンで仕切られた奥の部屋に通された。その六畳ほどのカーペットの敷かれた部屋には中央にテーブル、そしてテレビがあった。窓の外には大塚の街のビルが立ち並んでいる。その部屋に主催者であるママさんがけだるく座り、テレビでワイドショーをぼんやりと眺めていた。想像していたよりも若く、そして期待を裏切らない美しい女性だった。編集長の喉がゴクッと鳴る音が聞こえた。
挨拶を交わしていると、先程ドアを開けてくれた電話番の女性がウーロン茶を出してくれた。私はそこに恐縮しつつバッグから出したウイスキーを注ぐ。「まあ……」と驚くママさんに編集長が「すいませんねえ、こいつちょっとアル中気味なもんで」と謝る。気味じゃなくて、正真正銘のアル中なんだよーん。
「それで、今日はどんなことをお話しすればいいのかしら」
「あの、取材に来てこういうことを言うのはなんなのですが、その、こちらのようなお店、あの、店と呼んでいいのですか?」
「ええ、お客様からお金を頂いてるんですから、店で結構ですよ」
「その店のシステムといいますか、具体的な内容をまるで知らないんですよ。そのへんから教えて貰えませんか?」
◎店のシステム
八畳の部屋が二つある。一部屋には女性が常時四、五人おり、客はそこで彼女らとビデオを観る。そして気分が昂まり気に入った女の子がいれば、隣の部屋でその娘とプレイができる。その部屋には布団が三組敷いてあり、他の客のプレイを観ながらプレイを楽しめる。時間内なら何人の女の子とプレイをしても良い。料金は四時間で三万円。初心者向けに二時間で二万円というのもある。
「ということは、男の客が一人で来てもいいんですか?」
「(笑)もちろんですよ」
「なあんだ。相互鑑賞会っていうから、てっきりスワッピングパーティみたいに、女性同伴で来なくちやいけないんだと思ってましたよ」
「(笑)まだそんな誤解をしている人がいるんですねぇ」
「すみません」
「まあ、もともとは三浦和義の事件で有名になったスワップパーティが発想の原点らしいんです。三浦と一緒にスワップパーティを主催していた人が、こういう相互鑑賞会を始めたんですって。スワップパーティだと、ホテルのスウィートルームを借りきらなくちゃいけないし、やはり女性同伴じゃなくちゃ参加できないでしょ。日時も限定されちゃうし。それならこっちが、好きな時にプレイを楽しめるように、場所と女性を提供しましょうというわけです」
「じゃあ、女性は、その、お店の女の子なんですか?」
「ええ。一応、店とはお金の関係の無い自主的にやって来た会員だということにしてますけど、そんなことあるわけないじゃないですか。女の子にはちゃんと店から給料を払ってますよ。たまに本当に素人の女性から『会員になりたい』って電話があることがありますけど、そういう人は大抵四十代から五十代なんですね。やはりそういう人は男のお客さんから声がかからない。かわいそうだけど、仕方がないんですよね」
ママさんは、男はかわいそうと言う。女性が実は店で雇っている人間だとウスウスわかっていても、あくまでも会員の素人女性だと強調すると嬉々として素直に喜ぶのだそうだ。
「ソープとかだと、女性に(客が)直接お金を渡すじゃないですか。そうすると、いかにもお金でその女性を買っているという気がするらしいんですね。その瞬間、現実に戻るんですって。しょせんこの女は自分のことが好きじゃなくて、金を払ったから俺に抱かれたんだと。その点、ウチは店には金を払うけど女の子には払いませんから、幻想でも女性に対する恋愛感情が長続きするみたい」
店の営業時間は昼の十二時半から夜の九時までである。それ以上遅くに営業をしていると客に酔っぱらいなどが増えて、何かと面倒なことが多くなるからなのだそうだ。酔っぱらいはどこでも迷惑がられてしまう。すみません。
私たちが店を訪れた時は昼の三時を回っていたが、すでに客は何人もいるようである。その証拠に壁ごしに女性の「アッ、ウッ、ウウッ、ウッ」という押し殺したような声が聞こえる。やっておられるのだ。私たちの部屋に置かれたテレビでは円高のニュースを放送している。
「お客さんは年齢も職業もいろいろですけど、一番多いのは外回りの営業マンですね。だから脱いだワイシャツなんかがシワにならないようにロッカーを置いてるんです。これは他の同業の店にはないと思いますよ」
訊くと、今来ている客も背広を着たサラリーマンらしい。おい、日本は円高で大変なんだぞ!!
「都内で同業の店は三、四十軒あるんじゃないかしら。だから他と差別化をはからないと生き残れないんですよ。ウチは他と比べて料金は安いし……多分他の店は二時間で三万円ぐらいじゃないかな……時間内なら何人の女性とプレイしてもいいんです。他は二人までとか制限のある店が多いんですよ」
「じゃ、二時間以内なら四人とやっても五人とやっても二万円なんですか」
「そうです。不景気ですからねえ、そのくらいのサービスをしないとお客さんが来てくれないんですよ」
同じく不景気にあえいでいるだろう、隣室のサラリーマンは今抱いている女性で何人目なのだろうか。なけなしの二万円を払ったのだ。悔いのないよう、頑張って元を取って貰いたいものだ。
「なぜ当初のビデオ鑑賞会から、大人のパーティとかっていう名称に変わったんですか?」
「新聞が、ビデオ鑑賞会だと広告を載せてくれなくなったんです。なぜかよくわからないけど、ビデオっていうのがまずいみたいですね」
電話が鳴った。電話番の女性がティッシュペーパーを買いに出かけているので、ママさんが電話を取る。
「ハイ、もしもし……女性の方は会員ですから年齢はわかりません。ハイ、お待ちしております」
私はママさんが電話の相手をしている間、トイレに行った。事務所とトイレを仕切っているアコーデオンカーテンを開けると、シャワーを浴びたばかりらしい女性がタオルで体を拭いていた。「ごめんなさい」と言い慌ててカーテンを閉めた。さっきまでサラリーマンを相手に「ウッ、ウン」と声を出していた女性に違いない。グラマーな若い女性だった。
「店の女の子の事情はよくしらないんですよ。面接の時に年齢とか住んでる場所ぐらいは訊きますけど、あまりよけいなことは訊かないようにしてるんです。だってこんな所に来るにはそれなりの事情があるに決まっているでしょ。その事情をわたしが知ったところでどうにもならないしね……。わたしは十代の頃からこういう業界に入ったから、その辺はわかるんです。わたしですか? イメージクラブとSMクラブ以外の風俗は全部経験しました。いろんな店で働きながら、でも、いつも上を見ていましたね。いつかは人に使われる立場から、人を使うようになろうって。この店を出したのは去年の八月です。店を出した頃は、わたしもお客さんの相手をしてましたよ」
独身だと思っていたママさんは、実は結婚をしている。御主人は「全然別の仕事」をしているそうだが、妻の仕事は知っている。
「これから? うーん……これが長続きするとは絶対に思ってませんけど、風俗の仕事にはずっと関わっていきたいですね。だって、こんなことを言うとかっこつけてるみたいですけど、わたしたちのような仕事が無くなったら絶対に性犯罪が増えると思うんです」
また客が来たようで、「アッ、ウッ」という女性の声が聞こえ始めた。
東京という街は、昼も夜も、本当になんでもありだ。
帰る時、ママさんに言われた。
「お酒の飲み過ぎに気をつけて下さいね。今度はシラフで客として来て下さいね」
はい。ママさん、ありがとうございました。
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ホモ映画館[#「ホモ映画館」はゴシック体]◎歌舞伎町
[#1字下げ]1995年4月◎東京、大阪の知事選で、タレント出身の青島幸男、横山ノックが当選。青島都知事、都市博中止を表明。[#「1995年4月◎東京、大阪の知事選で、タレント出身の青島幸男、横山ノックが当選。青島都知事、都市博中止を表明。」はゴシック体]
「ソーセージですよ。自動販売機でソーセージ売ってます」
「ホモ映画を観に行こうかな」
ネタに困った私は思いつきで苦しまぎれにそう言ってしまった。言ってからすぐに後悔した。だが、『クラッシュ』でホモネタを扱うことはどうせないだろう。
しかし受話器の向こうから聞こえてきた編集長の返事はこうだった。
「あ、それいいねえ。じゃ、さっそくウチの若いやつにホモ映画館を探させるよ。エッ、ホモは駄目じゃないかって? そんなことないよ。面白ければホモでもOK」
翌日、ウカイ君という二十六歳の編集者から電話があった。
「『バディ』というホモ雑誌の編集部に電話をして訊いたんですが、新宿にいい(!!)ホモ映画館があるそうです」
心なしかウカイ君の声は暗い。ホモ雑誌社に電話をするのに、かなりの度胸を要したに違いない。私は電話を編集長に代わって貰い、一緒に行ってくれないかと頼んだ。
「駄目だよ。俺は明日からサイパンに社員旅行に行くんだから。なんだよ、だらしねえなあ。ホモ映画も一人で観れねえのかよ。じゃ、ウカイに行かせるよ。それにしても、ルポライターだったらホモ映画館ぐらい一人で行けよ。他のルポライターは戦場にだって一人で行くんだぜ」
喉元まで出かかった「戦場なら一人で行ってやるよ」という言葉を押さえ、私のことを初めてルポライターと呼んでくれた編集長に、あなたなら一人でホモ映画館に行けるかと尋ねた。
「なんで俺が一人でホモ映画を観に行かなくちゃいけねえんだよ。絶対にやだね、ホモ映画なんか」
私は別にホモに偏見を抱いているわけではない。それどころか、私の住んでいる所はホモのメッカ新宿二丁目であり、親しいホモの友人も何人かいる。一般の人よりはずっと同性愛への理解度は深いと思う。だが、それとホモ映画専門の映画館に行くのとは話が違う。聞くところによるとそういう映画館は、ハッテンバであるらしいからだ。ハッテンバとはつまり、ホモ同士がそこに集まり、そのなんだ、なんやかや心身ともに仲良くなるという場所である。
相手がいくら男だからってお前なんかがモテるはずはないだろう、と言うなかれ。私は知っているがホモには悪食が多い。供給が限られているせいか、男なら誰でもいいという男も多々いる。ブサイクだからとて、ユメユメ油断してはならないのである。
決行日は私の気持ちを反映してか、頭上には厚い雲が広がり小雨が降っていた。
「昨日からなんか胸がドキドキしてるんです」
待ち合わせをしたウカイ君が、心配そうに弱々しく笑った。
「でもドキドキはしてるんですけど、ワクワクはしてないんですよ」
ウカイ君は身長が百八十センチぐらいで顔もなかなかハンサムである。いざとなったら彼を置き去りにして逃げようと思ったら、少し気持ちが楽になった。
それにしても今頃編集長は、サイパンの青空の下、浜辺でビールでも飲んでいるんだろうなあ。人生はまことに矛盾に満ちている。
ブツブツと編集長の悪口を口にしながら、私たちは新宿・歌舞伎町を歩いた。目指すはウカイ君が探した、いいホモ映画館「新宿ローズ」。ローズですよ。私はその名前を聞いたとたん帰りたくなったが、お仕事はちゃんとしなくてはならない。
新宿ローズは、歌舞伎町の奥まった所にあるラブホテルの地下二階にあった。
ウカイ君の調査によると、今日は『仮面の誘惑』という作品と、『狂った舞踏会』という作品が二本立てで上映されているらしい。
「タイトルからしておどろおどろしいねえ」と私が言うと、どうも映画には一家言持っているらしいウカイ君が、「でもどうせくだらない内容だと思いますよ」と鼻で笑った。
私はウカイ君を先にうながして地下に続く階段を降りた。階段わきにこれから上映予定の『義経伝説』とか『指まがりのダンディ』とかいった作品の、若い男たちが裸で写っているポスターが貼ってあり、いやがうえにも緊張は高まる。
自動販売機で千八百円のチケットを買い中に入ると、モギリのお兄ちゃんがオネエ口調で「いらっしゃいませぇ、どうぞごゆっくりぃ」とクネクネと言った。ついに来てしまったのだ、ホモ映画館に。しかし、映画館に来て「どうぞごゆっくり」と言われたのは初めてだ。映画館に来たら、映画を見終われば帰るに決まっているのに、なにがどうぞごゆっくりなのだろう。やはりここには何かがある。緊張は高まる。
入口横にはガラスケースが置かれ、売り物としていろんな種類の男物のビキニパンティが置かれている。シースルービキニなんてのもあり、それをはいてニッコリ笑っている若い男の写真が飾られている。『薔薇族』とか『バディ』といったホモ雑誌のバックナンバーも並べられてある。なぜかケースの上に置かれたカゴにティッシュペーパーがつめられ、「御自由にお取り下さい」とある。手に取ると『薔薇族』提供のティッシュだった。
タイムテーブルを見ると、午後四時三十分から『仮面の誘惑』が上映されるらしい。あと二十分ほどある。それまでテーブルが幾つか置かれたロビーで待つことにした。ロビーには恋人同士らしいサラリーマン風の二人の男がソファに並んで座っており、後は中年の客が五、六人所在なげに立ったり座ったりしている。
「二人のための談話室」と記されたチラシが目に飛び込んできた。
「当劇場では二人っきりで楽しい時間を過ごせる談話室(一時間・千円)を設けております」
その横にビキニパンティ一枚の二人の男が、ソファに座って肩を組みながら仲良く談話をしている写真が貼ってある。そしてなんと一時間以内なら食事などのために途中外出してもいいらしい。やはりここはたんに映画を鑑賞する所ではないらしい。緊張は高まる。
ロビーをブラブラと歩いていたウカイ君が慌てて戻って来て言った。
「ソーセージですよ。自動販売機でソーセージ売ってます!!」
ソーセージがどうしたんだろう。私はウカイ君に連れられてその自販機を見に行った。
問題の自販機はよく一般の映画館でも目にするお菓子などを売るものだった。十二カ所に仕切られた中でパンやポテトチップスなどを売っているアレである。だが、新宿ローズのその自販機にはソーセージの比率があまりにも高かった。十二のうち四つの窓でソーセージを売っている。この多過ぎるソーセージは一体何を意味しているのか。謎は深まる。
「ウカイ君」
「は?」
「場内に入ってどんなにすいていても、絶対二人で並んだ席で映画を観ようね。男同士で気持ち悪いかもしれないけど、お互いの身の安全の為には仕方がない」
「ラジャー!!」
ところで、普通映画館というものはいくら二本立てとはいえ、一本が終われば中にいた何割かの客が出て来て入れ違いにロビーの客は中に入るものである。私たちはそのつもりで『仮面の誘惑』の上映を待っていた。だが会場からはいつまでたっても人は出て来ないし、ロビーの客にも変化はない。サラリーマン風の二人も相変わらず手を握り合ってのお喋りに余念がない。
ふと時計を見ると、もう四時三十分を過ぎている。慌てて、ドアではなくカーテンをまくって場内に入る。もう場内は暗く、小さなスクリーンでは映画が上映されている。どうやらここでは休憩時間というものはほとんどないようだ。
とりあえず目の前の席に、ウカイ君と隣同士で座る。目が慣れてきたところで、六十席ほどの場内を見渡すと椅子に座っている男は三、四人しかいない。そして、なぜか座らずに後ろに立っている客が七、八人。彼らは後ろに立ちながら、入ってくる男を物色しているのだろうか。この状況ではそうとしか思えない。しかし、ここでは私たちはどんなにすいていても隣同士に座っちゃう、とっても仲のいい恋人同士だから、彼らには手も足も出せないのだ。大丈夫なのだ。
「ね、ウカイ君。僕らは恋人同士だもんね」
「ハ、ハイ……」
不思議なことにこの状況下にいると、ハンサムで背の高いウカイ君を連れていると、ちょっと得意な気分になってしまう。どうだ、うらやましいだろう。でも、ウカイ君はどう思っているのだろうか。どうせなら、こんな禿げかかって無精ヒゲをはやしたオヤジとじゃなくて、もっとダンディなオジサマと来たかったなんて思ってるんじゃないでしょうね。そんなことを思ってたら、許さないんだから。ソーセージを買っちゃうよ。
さて、映画の内容である。二本とも佐藤寿保という人の監督作品だが、想像していたよりはずっと作品としてのレベルが高い。どちらも血がやたらと出て来てSMチックで一人よがりなシリアスな作品だが、低予算の中で駆使する映像表現としては実に志が高いと思った。立派な恋愛映画である。驚いて入口で貰ったチラシを読むと、『狂った舞踏会』は'94バンクーバー映画祭、'95ロッテルダム映画祭正式招聘作品で、今はアメリカで『マッスル』というタイトルで上映中であり、今年中にはイギリスでも公開の予定らしい。実は私としてはもっとくだらないホモ映画を観たかったのだが、どうやらホモ映画という範疇から飛び出してしまう力のある映画を観てしまったらしい。皮肉屋さんのウカイ君もしきりに感心していた。
男同士のカラミも、思っていたより抵抗なく見れた。しまいにはちょこっとだけど、下半身が反応しちゃったりして。
ホモ映画、侮れず。
これが私の感想である。この世界にはもっといろいろな才能がいるような気がする。他の作品も観てみたい。でも一人で観に行くのはやっぱりまだ怖いな。
「ウカイ君。また一緒にここに来ようか?」
「エッ、イヤ、アッ、エッ?……」
「今度来た時は、仕事として『二人のための談話室』にも入ってみようか?」
「エッ、イヤ、アッ、エッ?……」
「なんなら、今日でもいいよ」
「……あの、仕事が詰まってるもんで、すぐに会社に帰らなくちゃいけないんですよ。すみません、俺、帰ります」
ウカイ君は私を一人残して脱兎のごとく階段を駆け上がり姿を消してしまった。
サイパンの編集長、仕事熱心な部下を持って良かったね。
あ……ネクタイ姿のオジサマが近づいて来る……。
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レズバー[#「レズバー」はゴシック体]◎新宿二丁目
[#1字下げ]1995年6月シラク仏大統領、南太平洋で8回の核実験をおこなうと発表、世界的規模で反対運動起こる。[#「1995年6月シラク仏大統領、南太平洋で8回の核実験をおこなうと発表、世界的規模で反対運動起こる。」はゴシック体]
「お前な、こんな所で男なんかと何くっちゃべってんだよ!!」
私は新宿二丁目のド真ん中にある雑居ビルの三階に住んでいる。昼間でも陽はほとんど当たらない。昼間なのに蛍光灯をつけないと生活が出来ない。そして一歩外に出ると、昼間なのに若いホモがいつも少なくても二十人は路上に立っている。引っ越してきた当初は彼らがなんのために立っているのかわからなかったが、それとなく観察しているうちにほどなくしてわかった。
彼らは客を取っていたのである。見ていると平日なのにスーツを着たオジサマがすーっと少年たちの一人に近づき、二言三言交わすと、二人はすーっと近所のラブホテルに入って行く。私も何度か「オジサン遊んでよ」と声をかけられたことがある。
ごめんね。オジサンはたまたま近所に住んでいるだけのタダのオジサンなのだよ。
とんだ町に住んでしまったものだと思ったが、人間は環境に適応するものである。すぐに慣れた。今では立っているホモ少年たちもありふれた日常風景の一つである。
私はそんなホモ少年をかきわけながら、道一つへだてた所にある雑貨屋でスポーツ新聞を買っている。ちゃんとした店名はあるのだが、私はその店をホモ屋と呼んでいる。なぜなら店内には所狭しとホモ雑誌、ホモビデオ、男性用ビキニ、アナル用バイブレーター、アナル用クリームなどが並べられているからである。私は毎朝それらのホモグッズをかきわけてレジまで行き新聞を買うのである。レジに立っている若者たちももちろんホモである。おつりを貰う時フッと手と手が触れるのだが、ホモたちの手はなぜかいつもしっとりと汗ばんでいる。そんなことにももう慣れた。ただなぜかホモ雑誌と並んでいつも『小学五年生』が置いてあるのだが、あの理由だけは今もわからない。
一度、スポーツ雑誌『ナンバー』が男性スポーツ選手の上半身裸の写真を特集したことがあった。この時はすごかった。それまで『ナンバー』など置いたことのなかったホモ屋が、いきなり何十冊もの平づみである。しかも一冊ごとにビニールで被っている。『ナンバー』も、まさか自分がビニ本になるとは思っていなかっただろう。
夜はもちろんホモ特有の甲高い声が町中に響き、明け方には男同士の『銀座の恋の物語』のデュエットが地鳴りのように聞こえてくる。
もうとにかく朝から晩までホモ満載の町なのである。
この町は、さすがの東京も人が閑散とする正月やお盆の時期に人が溢れる。長い休みのとれるその時期に、ここぞとばかりに全国からホモが集まるからだ。聖地巡礼といったところか。だから正月とお盆は二丁目に来ると全国の方言が聞ける(ただしホモ言葉だけど)。
ところがこの町に一年ほど前から異変が起き始めた。
カップルの女性の姿が目立ち始めたのである。二丁目にだって女性は大勢遊びに来るが、その女性たちは「ゲイバーに行ってみたいわ」などとのたまって男に連れて来られる人たちである。
だが、二人で寄りそって歩く女性たちは、明らかにそんな男に媚を売る女とは違う。二人のうちの一人は必ず短髪である。
つまり、まごうかたなき、レズビアンなのですね。
それまでも二丁目にレズバーが何軒かあるのは知っていた。だがゲイバーに来る客のように表面に露出することはなかった。あくまでもひっそりと、たとえれば隠花植物のように棲息していた感がある。それがここに来て、レズたちがホモに負けることなく堂々と闊歩するようになった。
一体、レズ社会に何が起きているのか。ホモと比べて実に遅かった感があるが、レズもやっとこの二丁目で市民権を得るようになったのか。
本格的なレズのセックスを目にしたことがない。ぜひ見てみたいと思うのだが、当然ながらそんな機会がそうあるわけはない。まさか近所を歩いているからといって、レズのカップルに「お二人のセックスを見せてくれませんか」と頼むわけにもいかないし……。
悩んだ末、本誌編集部からアメリカのレズの裏ビデオを借りてきた。『スプリット・テイル・ラヴァーズ』というのがそのタイトルである。
いやはや凄い。ストーリーも何もなく、ただひたすらグラマーな白人女性たちが舐めしゃぶり合う。「オーッ!!」「アーッ!!」と大声で叫びながら絡み合う。あげくのはてに、太いバイブを相手のアナルに入れて力ずくでのピストン……。
レ、レズって、こんなハードなセックスをするの? 多分、アメリカ人だからだろうねえ……。実はもう一本借りたんだけど、ぶ厚いステーキを食べてしまった感じがして、まだ見ていない。
ああ、日本人の本当のレズセックスが見たいなあ……。
ところで、私は毎月AV女優にインタビューをしているのだが、ここ最近、「わたしはレズだ」とか「バイセクシャルです」とカミングアウト(告白)する女優さんが増えてきた。例えば氷高小夜。彼女はバイセクシャルで、どちらかというと女性の方が好きなのだそうだ。女性の恋人と同棲している女優さんもいた。単なる偶然かもしれないが、やはりレズビアンたちもホモに負けずに顕在化しようとしているような気がする。
永沢のレズ日記
〇去年のクリスマスイブの夜のことである。
三十人ほどのレズビアンたちが二丁目でパレードを行った。皆、思い思いの仮装をしてクリスマスソングを歌いながらねり歩く。それをホモたちがオドオドした目をして遠巻きにして眺めている。レズとホモは仲が悪いのだろうか。古い話で恐縮だが、昔、民青の本拠地に乗り込んだ中核を思い出す。
〇深夜、部屋で仕事をしていると外が何やら騒がしい。騒がしいのはいつものことなのだが、どうも様子が違うので窓を開けて外を覗くと、女性が五人ほどで一人の女の子を路上で取り囲んでる。そして女性たちは口々に女の子をせめる。
「――ちゃんにさんざん世話になっておきながら、よくも裏切ることができたね!!」
「あんたなんか生きる資格がないよ!! カスだよ!! ゴミだよ!!」
なんとも激しい言葉だが、どうやら彼女らはレズビアンで、せめられている女の子とリーダー格の――ちゃんが恋仲だったのに、女の子が浮気をしてしまったらしい。
「――ちゃん、許して……」
と女の子が――ちゃんの前に跪くが、「うざってえんだよ!!」と――ちゃんは女の子の顔を蹴り上げ、何度も体を蹴りつける。近所のゲイバーのドアが開き、見かねたようにホモのマスターが出て来て、「あんたたち、やめなさいよ」と言う。すると五人のレズビアンは異口同音に叫んだ。
「うるせえ!! ホモはすっこんでろ!!」
ホモが「ヒャッ」と小さく叫んですっこんだことはいうまでもない。
永沢? 恐ろしくて何もできなかったのはいうまでもない。
二丁目に、レズという過激派が現われた。
〇夕方の早い時間、近所の焼き鳥屋に行く。ここはホモでもレズでもない普通の焼き鳥屋である。たまにここのオヤジと野球の話をするのが私の楽しみである。
店に入るとカウンターにソバージュパーマの女の子が一人で座っている。なかなか可愛い娘である。
私がチューハイを飲みながらオヤジと前夜の巨人・阪神戦の話をしていると、女の子が話に加わってきた。女の子は巨人ファンだと言う。やはり巨人ファンのオヤジは相好くずし、「これはサービスだよ」と焼き鳥を出す。
するとドアがバッと開き、角刈りでスーツを着た決して美形とはいいかねる女性が現われた。
「お前な、こんな所で男なんかと何くっちゃべってんだよ!!」
角刈りはそう言うと女の子の髪をむんずと掴み、「これで足りるだろ!!」と一万円札をカウンターの上に投げ出し、女の子をひきずるようにして出て行った。
あれは一体なんだったんだろう。やはり過激派だろうか。「こんな所」と「男なんか」と言われたオヤジはいたく落ち込んでいた。
〇例のホモ屋に行くとスポーツ新聞の横に見慣れない雑誌が置いてあった。タイトルを『フリーネ』。どうやら日本で初めて創刊されたレズビアンのための雑誌らしい。これは面白そうだ。私は日刊スポーツと『フリーネ』を購入して部屋に戻った。
『フリーネ』は異性愛者と男にとってはあまり面白いものではなかった。マンガと小説で構成されているのだが、理屈が多く全然ポルノチックではない。しかし私がそんな不満を言っても仕方がない。
ペラペラとページをめくっていると、新宿二丁目レズバーマップというのがあった。その地図を見て驚いた。私の住む部屋のまわりになんと九軒ものレズバーがあったのである。皆、歩いて一分もかからないところだ。薄々感づいていたが、まさかこんなに増えているとは……。ホモばかりだと安心(?)していたら、いつの間にか私はレズに囲まれて生活していたのである。
〇深夜、二丁目にパトカーが来た。意外にもこの町にはこういうことが少ない。たまたま飲んでいた店からヤジウマとなって出ると、路上で二人の女性が殴り合いのケンカをしていた。同じくヤジウマのホモの解説によると、二人は二丁目のレズ界で権力争い(?)をしているママ同士なのだそうだ。
それにしてもレズはよくケンカをする。ホモ同士がケンカをしてるのはまず見たことがないのに……。
あれっ、でも今ふと思ったけど、この町で一番の少数者は私のような異性愛者ってことかなあ。そろそろ引っ越そうかな。
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ボックスサロン[#「ボックスサロン」はゴシック体]◎西川口
[#1字下げ]1995年7月◎兵庫銀行と木津信用組合の自主再建が困難となり、破綻処理がきまる。[#「1995年7月◎兵庫銀行と木津信用組合の自主再建が困難となり、破綻処理がきまる。」はゴシック体]
「ピンサロのね、まあ、ちょっとサービスがハードなやつかな」
また、夏が来た。飽きもせずよくも毎年、毎年律儀にやって来るものである。私にとってこの夏は一体何回目の夏なのだろうか。つらつらとそんなことを考えてみる。本当の話、三十歳を越えた時から自分の年齢を確認しなくなった。
子供の頃は、とにかく早く大人になりたかった。その分、一年がやたらと長かった。永遠に自分は子供のままじゃないかと思ったこともあった。だが心配することはなかった。時間はちゃんと私の上を通り過ぎて行き、今では一年が過ぎるのが早いこと、早いこと。
さて、何回目の夏なのだろうか。三十五回目だな。そう思い妻に確認すると、「もうアンタは三十六歳よ!!」という答えが返ってきた。驚きはしなかったが、納得もしない。ふーん、俺って三十六歳なの、ふーん、でもそれ本当、嘘ついてない? といった感じである。どうも四捨五入すると四十歳というのは認識したくないらしい。だが妻と知り合ったのはわずか三年か四年前なのに、なぜ私の年齢を覚えているのだろう。多分、三年か四年しかつき合ってないからだろうな。これから二人の間に何があるのかわからないが、近いうちに私の年齢など妻である女性も関心がなくなると思う。そんなものである。他人のことなんて。
それにしても、夏である。東北生まれのせいか、夏はとにかく苦手だ。日本の豊かな季節の移りかわりは人後におちずに愛しているつもりだが、ワガママを言わせて貰えば、どうか四季の中から夏を抜いて欲しい。アジサイの季節から、いきなり秋になって欲しい。とにかく、私は夏が嫌いである。さっきテレビで、アメリカの一部が猛暑に襲われて多数の人間が死んでいるというニュースをやっていたが、ああ、イヤだ、イヤだ。暑さで死ぬなんて、ちょこっと想像するだけでも死んでしまいたい。できれば夏の間は、世間から自分を無かったことにして貰い、クーラーをきかせた部屋で毛布にくるまって秋が来るまで眠っていたい。
だが、そんな夏に頑張っている人がいる。
Wさんである。
この連載をずっと読んでいただいている人などいないと思うが、もし御一人でもいらっしゃったとしたら、その方はWさんのことを御存知だと思う。Wさんはこの連載の中で唯一、過去に三回も登場して貰った男性なのだ。
私はいつの間にかいろいろな人間にお話をうかがう仕事を生業にしてしまっているが、根が人と会うのが苦手なため、一度取材をした人間と二度、三度と会うことはほとんど無い。だが、何故かWさんとは何度もお会いしている。Wさんが新しい仕事を始める度に連絡をくれるということもあるが、私がWさんという人間をどこか愛しているためでもあろう。
現在、三十九歳のWさんは、九州の徳之島に生まれた。だが島にはそうそう仕事はない。高校を卒業したWさんは東京に出て、職を転々とし、水商売に落ち着いた。
私がWさんと初めて会った三年前、彼は新宿・歌舞伎町のピンサロの店長だった。
春だった。バブルがはじけた頃で、黒いスーツ姿のWさんはさすがに大変そうだった。目の下に隈ができていた。
その年の夏、勤めていたピンサロが警察によって営業停止にされたこともキッカケとなって、Wさんは西川口に個室割烹の店を持ったのである。
開店前の七月の暑い或る日、私はWさんに会いに行った。元はフィリピンパブだった店はまだ改装中で、Wさんは首からタオルをぶら下げたジーパン姿で業者にまじりベニヤ板などを運んでいた。
「いやあ、やっと念願の独立ですわ。本当は自分が一番よく知ってるリップ(Wさんはピンサロのことをこう呼ぶ)をやりたかったんですが、この辺は過激なサービスの店がほとんどなんで、純粋なリップはなかなか受けないんですよ。ま、この店が軌道に乗ったら、いずれはリップの店を出すつもりです」
Wさんは顔から大粒の汗をボタボタと落としながら言った。
「ここの家賃が月に百七十万円なんで大変ですよ。でも家で待ってるカミさんと猫のためにも頑張りますよ」
大変だ、大変だを連発するWさんは、しかし嬉しそうだった。
その翌年の一月、私は「写真撮影ができる女の子がいるので取材に来て欲しい」とWさんに言われ、西川口に出かけた。とても寒い日だった。
上手くいくだろうかと陰ながら心配していたWさんの店はなかなかの盛況だった。何人もの黒服ボーイがWさんに丁寧に挨拶をする。Wさんの薄い色のサングラスの向こうの目が満更でもなさそうだ。
私とWさんは店の近くの居酒屋でビールを飲んだ。黒いスーツ姿のWさんの両手首には高価そうな時計と金色のブレスレットが光っていた。店の成功とWさんの生活の羽振りの良さが伝わって来た。
「女の子の募集広告だけで月に百五十万円かかるんです。大変ですよ」
今、二号店の店舗を探している、と言いながらWさんはビールをグイグイと飲んだ。いかにも仕事が順調にいっている男といった感じで、私も安心した。
その後、Wさんから上野にピンサロの店を開店したという知らせがあった。Wさんが本当にやりたかったリップの店である。私は、「おめでとうございます」と言ったが、その頃別の取材が入っていたので、ついに上野の店には行けなかった。
そして今年の七月。Wさんから久し振りに電話を貰った。今度は西川口にボックスサロンという店を出したと言う。編集者と私は一年半ぶりに西川口に出かけた。
西川口はあいかわらず風俗の街で雑然としていた。暑かった。駅前に立つテレクラのティッシュを配っているお兄ちゃんのTシャツの背中も、汗でビッショリと濡れている。
Wさんと駅前の喫茶店で待ち合わせをした。喫茶店の窓から、Wさんの新しい店の看板が見える。丁度、最初の店の裏側だ。駅前に二軒も店を持つなんて、Wさんは頑張っているらしい。しかも上野にもピンサロの店がある。もう立派な実業家だ。
ビールを飲んで待っていると、Wさんが入って来た。「いやいや、どうもどうも」と言ってWさんは椅子に腰を下ろし、テーブルに携帯電話を置いた。そしてアイスコーヒーを注文し、フーッと溜息をついた。サマーセーターを来たラフな格好のWさんの腕には時計はあったがブレスレットはなかった。
「ボックスサロンって、どんな店なんですか?」
「ピンサロのね、まあ、ちょっとサービスがハードなやつかな」
新しい店を出したばかりだというのに、Wさんはどこか元気がない。
「Wさんが新しい店を出す時っていつも夏ですよね。なんか、夏に開店すると成功するっていうジンクスでもあるんですか?」
「ハハ……たまたまですよ……上野の店はたたんじゃったしね」
「えっ、ピンサロ、やめちゃったんですか?」
「うん。女の子は集まんないし、客は来ないしで、こりゃやってても仕方ないって、去年の暮れにやめちゃった。上野ってボッタクリの店が多いから、ウチもそんな店と同じだと思われちゃったんだろうなあ……」
「Wさんが一番やりたかったリップの店だったのに、残念でしたね」
「ハハッ……仕方ないですよ。やりたいことが必ずしも儲かるとは限らないから……」
Wさんはアイスコーヒーをストローでズズッと啜る。どうも話が盛り上がらない。それで私は奥さんのことを訊いてみることにした。今までも「大変だ、大変だ」と言いながらも、話題が年下の奥さんと猫のことになると、Wさんはその時だけは仕事を忘れたようにニコニコと話してくれたからだ。
「奥さんお元気ですか?」
「あ、ああ、あのね、別れちゃった」
エッ、と私と編集者は同時に声をあげた。
「去年の暮れからね、そうだ、上野の店を閉めた頃だな。その頃から別居してたんだけど、この前正式にね、別れた」
「そ、そりゃ、なんと言っていいか……あの、猫は?」
「カミさんが連れてった。わたしじゃ面倒みれないもん……」
いろんなことがあったらしい。
喫茶店を出て、Wさんの新しい店に行った。
時間がまだ早かったこともあろうが、ミラーボールの回る薄暗い店内に客はほとんどいなかった。そして、松崎しげるの歌声だけが大ボリュームで響いていた。
美しい人生を
かぎりない喜びを
この胸のときめきをあなたに〜
別れ際、私はWさんに尋ねた。
「Wさんは夏がお好きですか?」
「嫌い……」
「徳之島生まれなのに?」
「うん。大っ嫌い……」
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ピンサロ[#「ピンサロ」はゴシック体]◎大塚
[#1字下げ]1995年8月米国がベトナムと国交正常化。ベトナムが東南アジア諸国連合(ASEAN)に加盟。[#「1995年8月米国がベトナムと国交正常化。ベトナムが東南アジア諸国連合(ASEAN)に加盟。」はゴシック体]
「花電車って知ってる? ストリップとかの芸なんだけどさ……」
「戦後、新宿のクラブでホステスをしていた時は、わたしの目の前で二人のお客さんが死んじゃったの」
小料理屋でぬる燗をグラスで飲みつつ、ピンサロ店を経営する六十五歳の女性は天気の話でもするようにそう言った。
「死んだ?」
私は驚き、オウム返しに訊いた。
「ウン。自殺。砒素を飲んでさ」
「どうしてまた?」
「二人ともわたしについてたお客さんだったんだけど、わたしが他の客と結婚することになったって言ったら、ショックだったのか死んじゃったの。ひ素って青酸カリと違ってすぐに死ねないのね。病院に運ばれてもかなり長いこと苦しんだらしいわよ」
若い頃のチャーミングさがすぐに想像できる頬のふっくらとした女性は、口をへの字に結びフーッと鼻で溜め息をついた。
店の外では都会のセミが一匹、つまらなそうに鳴いていた。
友人のカメラマンが、人づてに頼まれてピンサロの女の子の宣伝用写真を撮るというので同行した。一人や二人なら興味がわかなかったろうが、女の子の数が九人だというので面白そうだと思ったのだ。どうせヒマでもあったし。
夏の太陽に照らされながら汗をボタボタと顔から落としつつ大塚の駅前で待っていると、淡いピンクの花柄のスーツを着た上品な年配の女性が近寄って来て、「――さん?」とカメラマンの名前を呼んだ。この女性がピンサロ店オーナーのフジタさんだった。都内でピンサロを経営している女性はフジタさんを含め二人しかいないそうだ。
フジタさんは、そのうっすらと化粧をした顔に一粒の汗も浮かべずに私たちを店に案内した。
店は雑居ビルの地下にあった。狭い店内にはボックス席が十個、ギュウギュウに作られている。客は誰もいない。シースルーの下着姿の女の子が二人、奥のソファに並んで座って罐コーラを飲んでいる。
「今、昼の部が終わったところなんです」
私たちに罐コーヒーを買って来てくれた四十歳ぐらいの男性店長がそう言った。
テキパキとカメラのセッティングをしながらカメラマンが言った。
「女の子は九人でしたよね」
店長がハンカチで顔の汗を拭いながら答えた。
「あっ、いや、すみません。この子ら二人と、もうすぐ来る遅番の二人の四人なんです」
「女の子は全部で十一人いるんですけど、みんな気ままでねえ……今日は暑いから……、でも、女の子の気ままさなんかをいちいち怒ってたらこの商売はやっていけませんよ」
フジタさんがおっとりと言った。
ほどなくして撮影が始まった。「イヤーッ、緊張しちゃう」と言いながらも、女の子たちはけっこう嬉しそうにフレームにおさまる。
フジタさんがその風景を見ながら感心する。
「やっぱりこうやってライトを当てたり、あれはなんて言うの? フーン、レフ板……、ああいうのを使わないといい写真は撮れないんでしょうねえ。この前、店長に撮らせて日刊ゲンダイに出したんだけど、これがひどい写真でさ。顔がみんな真っ黒なの。どんなことでもプロの方にお願いしないと駄目ね」
「最近のお店の景気はどうですか?」
「ウーン、八月は七月よりは良くなるかなァ。どう?」
訊かれた店長は「ウーン」と言ったまま眉間にシワを寄せて沈黙してしまった。嘘のつけない生真面目な人のようだ。ちなみに独身で、実のお姉さんと暮らしているそうだ。
「近頃は、昔みたいにボーナスが出たからって、店の売り上げにはあんまり関係ないみたいね」
フジタさんが唇をとがらせて言う。
フジタさんは撮影の終わった女の子に話しかける。
「最近はどういうタレントが人気あるの?」
「キムタクとかぁ、ソリマチとかぁ」
「その人たちはかっこいいの?」
「ウン、超カッコイイ!!」
「学校にはちゃんと行ってる?」
「やだァ、もう夏休みですよゥ」
一時間後、私たちはフジタさんと店長と共に店の上にある小料理屋にいた。
「ああ、おいしい!!」
ぬる燗を一口飲んだフジタさんが言った。
「ひさしぶりのお酒なのよ。このところ頭痛がひどくてお酒をひかえてたの。年が年で恐いから精密検査を受けたりして。その結果が今日出たの。大して心配することはないんですって。フフッ、かんぱぁい!!」
生ビールを飲み終えた店長が「ではわたしは店に戻ります」と立とうとすると、フジタさんが「どうせ客なんか来てるわけないんだから、もう少し飲みなさいよ」とひきとめた。
「で、ではもう一杯だけ」と店長が困ったような顔をして座り直した。
フフフッ、とフジタさんがワガママな小娘のような目をして笑った。
上野にも店があるんだけど、わたしはあと三年働いたら店長たちに店を任せて引退するの。それでね、富士の裾野に広ぉい地所を買ったのね。暴走族とか、不良の男の子たちの更正施設を作りたいの。それが今の夢ね。大学の児童心理学科を出たこともあって、そういう活動に興味があるのよ。それにわたし、若い男の子がとっても好きなのよ(笑)。男の子たちに囲まれて残りの人生を過ごしたいわ。
東京に生まれて女子中、女子高に通って、大学を出たのが今から四十年以上前ね。大学を卒業して、すぐに新宿のクラブに勤めたのよ。両親が離婚したりして家庭が複雑になってたんで、とにかく家を出て一人で生活をしたかったんですよ。
それで新宿東口にあるクラブ。女の子が百人ぐらいいたわねぇ。あの頃の新宿は東口が一番にぎわってた。今の歌舞伎町の所なんてなんにもなかったわよ。バラック小屋が立ってるぐらい。
わたし、お店に入ってすぐに指名してくれる客がけっこうついたんですよ。それで同僚の女の子たちに妬まれてね、トイレで髪の毛をゴソッと抜かれたりもしたわ。
この野郎って思ってね。こいつらには絶対に負けてなるものかって頑張ったわね。気が強かったのね。今までどんな辛いことがあっても涙を流したことはありませんね。泣いてるヒマがあったら、何か行動した方がいいですよ。
でも、あの頃は面白い時代でしたね。なんか毎日がお祭りみたいで。
大きな汚職事件が沢山起きたんですよ。だからクラブの客も汚職が群れをなしてくる感じよ(笑)。だって三人で来たら最低五、六万は取られる店よ。当時の五、六万ですよ。普通の人はとてもじゃないが来れませんよ。汚職とかやってなければ遊べません。政治家の二階堂進なんかよく来てたわね(笑)。
靖国通りをいろんな店のホステスたちが船の形の大きな車に乗ってパレードをしたこともあったわ。わたしも乗りましたよ。今なんか以上に、ある所には金があるって時代でしたね。
関係ないけど、インドネシアのスカルノ大統領と結婚をしたデビ夫人っているでしょ。あの人、赤坂のラテンクォーターってクラブのホステスだったんだけど、歯を全部抜いて総入れ歯にしてたの。それで大統領が店に来てホテルに誘われた時、入れ歯を外して大統領のアソコを舐めたら気に入られて大統領夫人になったのよォ。なにがあっても不思議じゃない時代でしたね。
結婚は二十五歳の時。酒を飲めないのに毎日通ってくる人がいたのよ。松下幸之助さんの下で働いてた人だった。その人が毎日店に来てはわたしに「結婚してくれ」って言うんですよ。
わたしその人のことあんまり好きじゃなかったのね。だってお酒は飲まないし、喋っても真面目一本で全然面白くないんですもん。
でも、その人、三年間毎日お店に来たのよ、雨の日も風速三十メートルの日も。風速三十メートルの日もよ!! そんな日にはさすがに汚職の人たちも来ないわよ(笑)。
それで、こんなに好きになってくれるのなら、結婚してもいいかって思ったの。それが今のダンナ。
結婚して知ったんだけど、ダンナは三年間お店に通うために、田舎の土地や山を売り払ってたの。長男の権限で。バカよねえ。店に来たいのなら汚職すればいいのに(笑)。ホントに真面目なんだから。
子供は息子ばっかし三人。もうみんな結婚しちゃって、家によりつきもしませんよ。だから今のわたしにとって息子は、店の店長たちなの。実の息子はわたしになんにもしてくれないけど、店長たちはわたしのために働いてくれてるんだもん。可愛いから、背広とかいろんなものを買ってあげるの。
わたしもピンクサロンにホステスとして働いたことがあるんですよ。ダンナが独立して事業を起こして失敗した時にさ。
その頃のピンサロは今みたいにハードじゃなかったけど、芸ができないと指名が取れなかったのよ。花電車って知ってる? ストリップとかの芸なんだけどさ、アソコで煙草を吸って客に渡したりするんですよ。それがわたしは上手だった。わたしのアソコってね、かなり器用なのよ(笑)。
今? フフフッ、今はもう駄目よ、ってことにしておきましょう(笑)。
フジタさんにひきとめられひきとめられ、店長はいつの間にか生ビールの大を二杯とウーロンハイを五杯飲んだ。三百六十五日働いているという店長の顔は真っ赤だ。そしてそれまで無口だったのに急に喋り始めた。
「自分は、オーナーの夢、その、暴走族のなんとかですか、その夢のために今まで以上に頑張りますよ。は、八月はちょっと無理かもしんないっすけど、そ、それは許してもらいたいんっすけど、秋になったら、じゅ、十月には今の倍は売り上げてみせますよ。ま、まかせといて下さい!!」
そう宣言する店長を、お銚子を五本空けたフジタさんはさすがにトロンとした目で頬づえをつき、幸せそうに眺めていた。
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デートクラブ[#「デートクラブ」はゴシック体]
[#1字下げ]1995年9月◎沖縄で女子小学生が米海兵隊員ら3人に暴行される。県民から基地の整理・縮小を求める声高まる。[#「1995年9月◎沖縄で女子小学生が米海兵隊員ら3人に暴行される。県民から基地の整理・縮小を求める声高まる。」はゴシック体]
「オジサンたちは自分の子供ぐらいの女の子とデートをするのが楽しいみたい」
最近、女子高生が気になって仕方がない。これって、年をとったという証拠なのだろうか。
二十代の頃は女子高生などには全く興味がなかった。セーラー服姿の女の子を見かけてもピクリとも心は動かされなかった。大学生のくせに女子高生なんかとつき合っている奴を見ると、馬っ鹿じゃなかろうかと思っていた。あんな小便臭いガキ(実際に小便臭いのかはかいでみたことはないのでわかりませんが)とつき合って何が楽しいのだろう、と思っていた。
女は年上。とにかく年上。女は年上に限るのだ!! そう思って生きてきた。
十歳ぐらい年上の女性から、「恐がらなくていいのよ。お姉さんが教えてあげる……アッ、アアッ、いい、いいわ、ボクったら、初めてなんて……アアッ……嘘なんでしょ」と言われる土曜日の昼下がりを夢みて生きてきた。
ところがそんな土曜日など一度も経験することなく、気がつくと、十歳年上の女性とつき合うと保険金殺人か遺産目当てと疑われかねない年齢になってしまった。
人生は一度きり。
そう、つくづくとしみじみと思う。
そして急に、路上ですれちがう女子高生を目で追っている自分を発見した。
こりゃ一体どうしたことか。
私が住むアパートの近くに予備校があり、そこには大勢の女子高生が通っている。
彼女らの姿が気になって気になって仕方がない。
制服のせいもあるだろう。
最近はセーラー服はほとんど見られず、ブレザーにチェックのスカートといった出立ちが主流である。
その姿がいかにもいいとこのお嬢さんといった風情で、こういった言葉を使うのは実に恥ずかしいのだが、とてもキュートである。セーラー服はなんか貧乏臭くて、私にはいただけない。
おまけにそのチェックのスカートの丈が、校則ではどうなっているのか知らないが、一様に短い。
その下に伸びている足は、大体はいかにも十代といったズドンとした足なのだが、たまにキュッと締まった足首の持ち主がいる。そして内実はわからないがその顔が、知的で大人っぽかったりしたら、こりゃもうたまらん。
そんな子に黒い革製の小さなパンティを差し出す。
「明日はこれを穿いて学校に行きなさい」
「え? 明日は体育があるからそんな下着は恥ずかしいよ」
「駄目。そうしないと、ご褒美はあげられないな」
そして翌日、彼女は学校が終わると制服のまま私のアパートにやってくる。
「オジサンが変なことをさせるから、着替えるのが恥ずかしくて今日の体育は見学にしちゃったよ」
そう言い彼女はハラリとスカートを下ろす。
白いソックスの上に、下半身を締めつけるように包む黒いパンティが現われる。
「いい子だ。約束をちゃんと守ったんだね。素敵だよ」
「だから、ご褒美をちょうだい。アッ……アア……やっぱりオジサンが……最高……」
などという土曜日の昼下がりを想像しながら予備校の前に立っていると、このところずっとピクリともしなかったアル中チンポがモゾモゾっと蠢く気配を見せた。もうほとんど犯罪者である。
先日、某雑誌の女性編集者と酒を飲みながら打ち合わせをしている時、酔いにまかせてその妄想を口にしたら、仕事はなくならなかったが、担当が不精ヒゲをはやした男に代わってしまった。むべなるかな。
そんな或る日、電車の中で夕刊紙を読んでいると一つの記事がまさに目に飛び込んできた。
それは、マンガ家が新宿のデートクラブに潜入したイラスト入りの記事だった。
デートクラブ(プラクラ)のことは御存知のことと思う。マンションなりの一室に女性を集め、客である男性はその中で気にいった子と店外デートができるのである。そこで二人でお茶しようがホテルに行こうが女の子の自由意志、だから店は売春とは関係ないというシステムだ。女の子はほとんどが女子高生らしい。
その記事の中で私が気をひかれたのは、女子高生がその場でパンティを脱ぎ客に五千円で売るというレポートである。
かつてブルセラショップを取材したことがあるが、その時はそこまで生々しい下着販売のやり方はお目にかかれなかった。
うーむ。犯罪者になりつつある私は他の乗客に聞こえないように唸った。そして唸りながらアパートに戻り『クラッシュ』の編集部に電話をした。
「デートクラブを取材したい」
「あれっ、女子高生には興味なかったんじゃなかったっけ」
「最近体質が変わったのである」
編集部が探してくれた店は池袋にあった。奇しくも私の大好きな土曜日の昼下がり、私は傘をさして池袋に向かった。なんでも台風十二号とやらが日本においで下さるとかで朝から大雨なのである。
そのデートクラブは駅から徒歩五分のところのマンションにあった。
インターフォンを押すと、黒いスーツにノーネクタイの、髪を半分茶色に染めた人のよさそうな若い男性が迎えてくれた。この店のマネージャーらしい。
廊下の壁には女の子のポラロイド写真が名前入りで一面に貼ってある。
「中には女子大生や保母さんとかもいますけど、ほとんどが女子高生ですね。いつもは(店に)二十人くらいはいるんですが、今日は雨なんで三人しかいないんですよ。女子高生は雨に弱いんですよ」
受け付け横のマジックミラーから覗くと、なるほど十二畳ほどの部屋に三人の私服の女の子がいる。一人はファミコンをやり、一人はつまれた布団にもたれて雑誌を開き、一人は何やら電話をしている。なんか女子寮の一室(覗いたことはないけど)のような風景である。
受け付けに料金表が貼ってある。
『入室料/12時〜15時 4千円・15時〜19時 6千円・19時〜22時 8千円
指名料/3千円』
デート時間は五十五分だ。
「警察とかPTAがうるさいんでね、五十五分に時間を設定したんです。たとえば変なこと(両掌を内側に向けてヒラヒラさせる)をしようとしても、ここからホテルに行くにも十分はかかるでしょ。そしてシャワーを浴びたりお喋りをしたりしてたら五十五分はあっという間に過ぎて何もできないじゃないですか。そういう意味の五十五分なんです。五十五分以内に女の子は必ずここに帰ってくるように言ってあります。その後でまた二人がデートするかは、それは個人の自由ですけど」
そう説明してくれるマネージャー氏の後ろには注意書きがある。
「注意 @女の子を車には乗せないで下さい。A売春行為はしないで下さい。Bデートはあくまでも公衆の中で過ごして下さい。」
「ウチはあくまでもプラトニックデートのための出会いの場なんです」
ピンポーンとインターフォンが鳴り、ジャンパー姿の二十代らしい男が入って来た。
「いらっしゃい。今日は雨なんで三人しか来てないんですが、いいですか」
男は「フーン」と言い、マジックミラーを覗き「あの奥でファミコンしてる子」と言葉少なに言った。
「わかりました。それでは指名料込みで七千円いただきます。一階のエレベーターの前で待ってて下さい」
男は慣れた風に「ウン」と頷き出て行った。
「さやかちゃん、御指名だよ」
「ハーイ」
さやかちゃんが女子寮から出て来た。スラリとした、ショートカットのボーイッシュな女の子である。
「今三時だから、四時までに帰って来てね」
「ハーイ」
さやかちゃんはハンドバッグを持ちプラトニックデートをしに出て行った。
マネージャー氏がさやかちゃんの後ろ姿を見送りながら溜息をついた。
「僕は二十四歳ですが、今の女子高生は理解できないですね。割り切っているというか、何も考えてないというか……」
プラトニックデートのはずなのに、なぜそんなことを言うのだろう。
「一回ここに帰ってきて、また同じ人とのデートに出かける時は、『変なこと(また掌をヒラヒラ)をしたなら今日はもう戻ってこなくていいからね』って言うんです。変なことをしてここに戻ってきたら、ウチが売春をさせてるみたいになりますから」
「客層ですか。二十代前半と、四、五十代の方の二つに見事にわかれますね。二十代の人は本気で恋人を探しにくるみたい。オジサンたちは自分の子供ぐらいの女の子とデートをするのが楽しいみたいですね」
三十分もしないうちにさやかちゃんが帰ってきた。「お帰りなさい。早かったね」とマネージャー氏が迎える。
「あのさ、この後、またあの人とデートしに行っていい?」
「いいけど、どこに行くの? カラオケ?」
「ううん。飲みに行くの」
「の、飲みに? この時間から……」
マネージャー氏は思わず苦笑しつつ「気をつけてね。変なことをしちゃったら戻ってこないでね」と言い、さやかちゃんは「ハーイ」と言って出て行った。
残念ながらこの店では私が楽しみにしていた脱ぎたてパンティ売りはしていなかった。
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ソープランド[#「ソープランド」はゴシック体]
[#1字下げ]1995年10月◎東京地裁が、東京地検と東京都の請求を認め、オウム真理教に解散命令。[#「1995年10月◎東京地裁が、東京地検と東京都の請求を認め、オウム真理教に解散命令。」はゴシック体]
「フフッ、じゃ、わたしがソープの味を思い出させてあげる」
私、この連載にあたりましては、今までいろいろな方から批判をされてきました。
皆様、口々にこうおっしゃいます。
「性風俗レポートなのに、なぜそれを書いている本人が体験をしないのだ!!」
おっしゃられることは充分にわかるもので、そう批判される度に、私は「いやあ、それはまあ……」などと口をモゴモゴとさせ「まあ一杯いきましょうよ。今日は飲みが足りませんよ。……ところで今年のジャイアンツですけどね」などと話の矛先を変えるのに苦慮してきました。
先日もこの『クラッシュ』と同じ出版社の『ビデオ・ザ・ワールド』という雑誌のゴルフばっかりやっている編集長と会ったおり、「お前よお。性風俗をレポートするならちゃんと自分で体験して書けよなあ。体験もせずに書くなんて情けないというか、卑怯だぜ。そうだ、お前は卑怯だ!! 他のライターはみんな体を張って書いてるっていうのによ」といたく怒られてしまいました。
また、別の出版社の編集者には、「永沢さんの文章って実用的じゃないですよね。あれを読んで風俗に行きたいなんて絶対思いませんもん。第一、ピンサロの店長の生い立ちなんか読んで喜ぶ人なんているんですか」と蔑んだ目をして言われてしまいました。辛うございます。
私が性風俗を体験しないことには幾つかの理由があります。
まず、セックスという行為がどうにも恥ずかしい。セックスが嫌いなわけでは多分毛頭ないと思うのですが、でもどうしても恥ずかしい。
それに、風俗で働いている女性たちにインタビューをしていると、全員とはいいませんが、かなり多くの方々が客の男性を軽蔑しているのですね。それを知っちゃうと、どうも腰が重くなる。
あとは病気。何年か前にエイズ問題を扱う仕事をしまして、つくづくエイズの恐さを知らされたわけです。性風俗イコールエイズとはもちろん思わないし、そういう可能性が本当に少ないことはデータ的に知っていますが、万に一つということがある。私だって昔は何度かソープランドに行ったことがありますが、そのエイズ調査をしている頃に結婚したもので、自分一人ならまだしも配偶者には迷惑をかけられないという思いが強くなったわけなのです。
そしてアル中。眠っている時以外はほとんど酒を口にしているため、年中体がだるい。そのためセックスという行為を思い、女性の体の上に乗って腰を動かさなくてはいけないのだなと思っただけで億劫になってしまう。そんな厄介なことをするぐらいなら、酒を飲みながらテレビでも眺めていた方が楽だと考えてしまう。次第にラジオから流れる曲で、「わたしを抱いて」なんて歌詞を聞くだけでどっと疲れを覚えるようになってしまいました。
配偶者ともここ二年間セックスはしておりません。ここまで間があくと生来の気恥ずかしさも加え、今更セックスをするタイミングなど作れないのでございます。
性欲はあるんです。たまにちゃんと朝立ちなんかもする。でもそんな時はオナニーでちゃっちゃと済ませちゃう。その方が楽。
そんなことがいろいろと絡みあって、性風俗を体験することをなんとなく避けてきた私なのであります。
ところが、そんな私がついに十年ぶりぐらいに性風俗を体験したのです。
ことの起こりは、やはり『クラッシュ』の編集長からの電話でした。その時私は自室で某社の編集者と仕事の打ち合わせをしていました。編集者が土産にウイスキーを持って来たので、昼間でしたがそれを飲んでいた私はいつになく御機嫌でした。
「そろそろ〆切だけど、何を取材する?」
編集長がそう言います。
「うーん」
私が唸ります。
いつもなら十分も喋ればなんかアイデアが出るのですが、この時はなぜか二人ともなんの企画も思いつきませんでした。
ふと、編集長が言いました。
「駅前ソープはどう?」
「駅前ソープ? なあに、それ?」
「俺が昔よく行ってたんだけど、中野や吉祥寺の駅前にあるソープランド。本番はなくて手でやってくれるだけなんだけど、なかなかいいよ」
「それって、昔オジサンたちが言ってたオスペってやつ?」
「そうオスペ」
気がつくと私は、「行く!!」と叫んでおりました。オスペというなんともいえぬ言葉の魔力に魅せられたのか、ウイスキーの酔いがそう言わせたのか。
「行くって、やっぱり店長さんに生い立ちを訊くの?」
「ううん。ちゃんと体験する!!」
やはり、今までの批判に私のか弱い心が耐えかねていたのでしょうか。
四時間後、私と編集長は中央線某駅のプラットホームに降り立っておりました。「あそこだよ」と言う編集長の指先の向うには、そこまで派手にしなくても、と思えるぐらいの「ソープランド」という実にわかりやすく大きなネオンが赤く光っておりました。
その店の近くまで歩いて行くと、かつては傍若無人に夜の街を暴れまくっていたのに最近は家族を大切にし休日に釣りに行くのが唯一の楽しみとなってしまった編集長が、「じゃ、俺はここで飲んで待ってるから」と言い、一軒の居酒屋の中に消えていきました。
私は一人でソープランドに入りました。さすがに恐いことはありませんが、やはり胸はドキドキします。
「いらっしゃいませ」
黒い背広を着た男性従業員が迎えてくれ、「入浴料五千円を頂きます。あとは室内で女の子に七千円を渡してやって下さい」と言いました。
誰もいない待ち合い室のソファに座ると一分もしないうちに一人の女性が「お待たせしました」と現われました。けっこうな美人ですが、白粉が塗り込められた目尻のシワを見るに、オバサンです。でも、オバサンなのですがどう見ても私よりは年下です。悲しい。一瞬十代の頃に戻り、「あっ、オバサンだ」と思ったのですが、冷静に考えれば三十六歳の私よりは年下なのです。私の上を通り過ぎた年月は、思っていた以上に重い意味を持っていたようです。
通された部屋は狭かった。六畳もないと思われるその部屋に小さなベッドと湯のはってあるバスタブがあります。
「よくこういう所に来るんですか?」
「いや、十年ぶりぐらいかな」
「フフッ、じゃ、わたしがソープの味を思い出させてあげる」
風呂に入った後、私と女性は全裸でベッドの上に座りました。
「吸って……」
女性は掌に収まりそうな形のよい乳房を突き出します。
私は魔法にかかったように、そのやや大きめで色の濃い乳首に顔を近づけ、そして口に含み、舌と歯でその久し振りの感触を味わいました。胸の鼓動は一気にたかまります。
「素敵よ。お上手」
現場を長く離れていたプレーヤーの技術が上手いわけがありません。しかし、嘘とはわかっていてもその言葉は私を勇気づけてくれました。
「ね、ここを舐めて」
女性はベッドに横になると、私の前で足をゆっくりと開きました。
これまた実に久し振りに近距離で見るオ◯ンコ。
少し開きぎみのやや大きめな、だが両方とも均整のとれた大陰唇がクリトリスをふんわりと包んでいます。
私の頭の中はもう真っ白になり、言われるままにその豊かなオ◯ンコに舌を這わせました。なぜか目をつむり、夢中になって舌を這わせました。舌が次第にオ◯ンコの形を思い出してきました。
そうそう。オ◯ンコって、こういう形をしていたんだっけな。すっかり忘れてたよ。よろしくね、オ◯ンコ。
「アアン。素敵。とっても、お上手。素敵よ、素敵。イキそう……」
女性のそう言ってくれる声が耳に入ります。その声を聞きながら、昔読んだつげ義春のマンガで台風の近づく海で一人泳ぐ男に、「素敵よ、あなたって素敵よ」と言う女性の台詞を思い出しました。初めてあのマンガの意味がわかったような気がしました。
「わたしにもさせて」
オ◯ンコを舐めるのに必死な私を女性が止め、仰向けにさせると、口と手で私のペニスをいじくり始めました。しかし、昼からウイスキーを飲んでいる私のペニスはうなだれたままです。女性の指が刺激を与えようと私の肛門に潜り込みますが、それでも我がペニスはシャキっとしません。
「もう、いいですよ」
さすがに申し訳なくなり私は言いました。
すると女性は「もう少し頑張らさせて」と言い、私の上で体を変え、私の顔の上で足を開きました。シックスナインと言われているヤツです。私の目の前に女性の薄茶色のすぼまった肛門が現われました。私はそれにも舌を這わせました。
「アッ、そこはだめ……」
女性は手で私のペニスをしごきながらそう言います。
すると、どうでしょう。私のアル中ペニスがムクムクと力をみなぎらせ始めたのです。
「……大きくなってきたわ……」
女性はここぞとばかりに、手と口の動きを速め、力を強めました。
そして、あっという間に私は射精をしたのであります。
来てよかったと心から思いました。なんか、とてつもない元気を与えられたような気がしました。
「素敵だったわよ」
服を着て部屋を出ようとする私の背中を抱きしめ、女性は言ってくれました。
「ありがとうございました」
私はそうお礼を言い、爽快な気分で店を出、編集長がスポーツ新聞でも読みながら待っているであろう居酒屋に向かったという、そういう一夜のご報告でございます。
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渋谷道頓堀劇場[#「渋谷道頓堀劇場」はゴシック体]
[#1字下げ]1995年12月◎東京協和・安全両信組の不正融資にからみ山口敏男元労相を背任容疑で逮捕。[#「1995年12月◎東京協和・安全両信組の不正融資にからみ山口敏男元労相を背任容疑で逮捕。」はゴシック体]
「とってもいい子で可愛くて、恋心みたいなの抱いちゃってさ」
十一月の深夜、けっこう酔っぱらって新宿・花園神社の酉の市に行った。出店が神社の外にも建ち並びコートを着て白い息を吐く人々でごったがえしている。
いたる所で熊手を買った客に店の人間が贈る、シャシャシャン、シャシャシャンという三本締めの音が聞こえる。顔見知りのヤクザの親分も熊手の店を張り、精一杯の笑顔をふりまいて頑張っていた。
そんな中を押し合いへし合い歩いていると、屋根なしの幕を張りめぐらせた見世物小屋があった。
「蛇女」という毒々しい色で書かれた看板が立っていた。
これか、と私は思った。昔から全国のいろいろな所でいろいろな人に、この蛇女の見世物の話は聞いていたが、遭遇したのは初めてである。
木戸で、「いらっしゃい、いらっしゃい、お代は見てのお帰りだよ」と呼び込みをしている老人男性の横をすり抜け、私は中に入った。
板で作った観客席に、百人以上の客がいる。ほぼ満員である。三十歳前後のアベックが多い。
ショーは、ハッピを着た若い女の子が四匹の小型犬を扱うドッグショーから始まった。司会はその女の子の母親らしきやはりハッピ姿の年配の女性。ドッグショーは輪をくぐらせたりとたわいのないものだったが、女の子がなかなか可愛らしく健気でよかった。次は司会の女性が大蛇を首に巻いたりする大蛇ショーなのだが、前日にその大蛇が悲しくもお亡くなりになったそうで、残念ながら中蛇ショーだった。この日は二の酉だったが、三の酉までには大蛇を外国から取り寄せるそうだ。
そしてついに目当ての蛇女のショーである。
昔から映画や読み物で知っていた、「親の因果が子にむくい哀れなのはこの子でござーい、花ちゃんやーい」という口上はなかったが、ちゃんと本当に花ちゃんが出て来た。
この花ちゃん、年齢はぱっと見た目には六十歳を優に越えている。目がどこにあるのかわからないぐらい顔がシワだらけである。
花ちゃんは舞台の上に座ったまま何も喋らない。花ちゃんの前には二匹の三十センチほどの蛇が入ったガラスケースが置かれている。
「花ちゃんはね、子供の頃から蛇を食べて生きてきました。では早速食べて貰いましょう」
司会の言葉が終わらぬうちに、花ちゃんは蛇を一匹手掴みにすると蛇の喉にかぶりつき首を食いちぎった。そして首をペッと吐き捨てると、肉を食べているように口をモグモグと動かす。続いてもう一匹。
意外にも小屋内で目をそらしたり、悲鳴をあげる女性はいなかった。皆、楽しんでいる顔をしている。私も本当はこういう芸は苦手なのだが、ほのぼのと見ていられた。これが若い女性だと陰惨な感じがするのだろうが、花ちゃんが蛇を食いちぎると、田舎のバアサンが漢方薬か何かを飲んでいるような気持ちになるのだ。
花ちゃんは次に四十センチほどのクサリを手にし鼻の穴にムギュッムギュッと挿入し、口からスルリと出してみせた。
「これを花ちゃんは蛇でやってご覧いただきます!!」
花ちゃんは新たに用意された蛇を掴むと、シッポから鼻に入れようとする。蛇はかなりお疲れの御様子であまり抵抗しないのだが、なかなかうまく花ちゃんの鼻の穴に入っていかない。今日は調子が悪いのか、花ちゃん、シワだらけの顔にはっきりとあせりの色が浮かぶ。
客がシーンと静まりかえる。固唾を飲んで見守るといったら大袈裟だが、花ちゃんを全員で心配し始めたのだ。頑張れ花ちゃん。嫌だとは思うがちゃんと入ってやれ、蛇。
五分ほどの長い時間が経ち、蛇のシッポがやっと花ちゃんの口から現われた。ニッコリ(だと思う、多分)する花ちゃん。座りながら客席中にそれを見せ、手をわずかに広げたりなんかする。
拍手、拍手、拍手!!
「ハイ、蛇はこれ以上入るのは無理です。どうもありがとうございました!!」
これでショーは終わった。出口で払った木戸銭は八百円だった。
後日、蛇女を見たことがあるという数人の友人に電話で尋ねてみたが、十年前に見たとか子供の頃に見たとか時代はマチマチ。だが彼らの覚えている蛇女の名前は(それにしてもよく覚えているよね。よっぽど衝撃的だったのだろう)、皆、花ちゃんだった。
もしかすると、私の見た花ちゃんと同一人物なのだろうか。
そうだとすると花ちゃんにインタビューをしたいような……いや、よそう。またどこかで花ちゃんと出会えるのを楽しみにしていた方がいいような気がする。
十二月三十一日で渋谷の名門ストリップ劇場「渋谷道頓堀劇場」が、ビルの建て替えなどいろいろな理由で閉館することになったらしい。
そこで本誌編集長と二人で師走の空の下、渋谷のハチ公前で待ち合わせをした。
編集長は道頓堀劇場に幾つかの思い出があるそうだ。
「一番の思い出はね、ずいぶん昔になるけど、たまたま道頓堀に出演していた女の子をスタジオで撮影したんだ。とってもいい子で可愛くて、恋心みたいなのを抱いちゃってさ、後でショーを観に行ったんだ。そしたら、まだ道頓堀もソフト路線じゃなくて、マナ板ショーがあったわけ。そしたら男たちが誰が彼女とやるかってジャンケンをしているの。思わずそいつらをぶん殴ってやろうかと思ったけど、そのまま帰った」
他に、雑誌に掲載した踊り子のことでちょっとしたトラブルがあって劇場に呼び出され、怒られたこともあったそうだ。
「素直に『ごめんなさい』って謝ったら、『そう言ってくれればいいんだ』って気持ちよく許してくれたけどね」
クリスマスソングがいろいろな店から流れてくる道玄坂を歩きながら、編集長がやけに優しそうな目をしてそんな話をする。現在は二人の子供を持つ彼の青春時代、駆け出しの編集者だった頃の話である。
私はというと、恥ずかしいことに(別に恥ずかしがることもないけど)道頓堀劇場には今まで一回も行ったことがない。
他の渋谷の劇場、そして新宿の劇場にはずいぶんと足繁く通ったものだが、道頓堀劇場には足を向けることはなかった。
なぜかというのを説明するのは難しいのだが、私がストリップ劇場に一番頻繁に通っていた頃、私は会社員で自意識過剰の絶頂期だった。とにかく自分を最低の人間だと思いたかった。笑っちゃう言い方をすれば、負のナルシシズムに酔っていたのである。それを演じ満足するためには、ろくに踊ることもできないストリッパーがマナ板ショーをしている劇場の客席にうずくまって、ポケット瓶のウイスキーを飲むのが最適だった。
そしてその頃は既に道頓堀劇場は名門との評判高く、アイドル路線を打ち出し勿論マナ板などはなく、劇場には学生たちがつめかけているという噂だった。そんな元気な場所へ行ったら、ウツ気味の私の心は救われないと思った。敷居が高かったのである。
「なに緊張してんだよ。入るぞ」
道頓堀劇場の小さな入り口の前に立った私を、編集長が促した。
地下に続く階段を降り、一人四千円を払い中に入る。時間は夕方過ぎだしさぞ客で一杯だろうと思ったら、そうでもなく、私たちは舞台袖のステージに面した席に座れた。一般的に客席の少ないストリップ劇場で、この時間帯に椅子に座って観られることは、案外珍らしいことである。よし、腰をすえて観るぞ。
私たちが入った時は運よく、ショーの二番目の女の子が踊っていた。だから順序よく最後まで観ることができた。
踊り子さんたちは、まず着衣で、次にセミヌードで、そして最後はアップテンポな曲で足を開いてくれる。他の劇場のようにポラロイドショーもなく、踊り子さんが客に喋りかけることもない。下品な声のアナウンスでの踊り子紹介もない。「ハイ、拍手」という拍手の強要もない。
皆、懸命に踊る。ステージは狭く、天井は手を上げたら触れてしまいそうなほどなのだが、彼女らはその狭い空間を体が熟知しているかのように伸び伸びと踊る。狭さを全く感じさせずに踊る。二十分強の持ち時間を、踊りつくす。
二人、三人と彼女らの踊りを観ているうちに、私は彼女らの肌がキラキラと輝いていることに気がついた。汗である。彼女らの汗が肌の上で照明に照らされて虹色にキラキラと光っているのである。観る位置と照明の関係もあるだろうが、私は出演している踊り子さんが皆汗をかいているのを初めて見た。感動した。思わず、涙が出そうになった。
話に聞く、道頓堀名物の幕間のコントも観れた。かつてはコント赤信号もここで演じていたらしい。若手の男三人組のコントで泣けるほどに笑えなかったが、それはそれでいい味を出していたと思う。いかにも売れる前の芸人という感じ。
圧巻はトリの氷室真由美さん。登場するなり、その美しさに私と編集長は息を飲んだ。そしてその踊りの見事さに二人で「フーッ」と溜息をついた。
最後、全裸になった氷室さんが私の目の前で畏れ多くも開脚なすって下さったが、あまりの申し訳なさに私は彼女の顔ばかりを拍手をしながら眺めていた。……そんなことまでして頂かなくていいです。あなたの踊りだけで私は満足です。
こんなに素敵なショーが観られるのなら、もっと早くここに来ていればよかったなあ、とつくづく後悔した。
劇場を出て私は編集長に言った。
「氷室真由美に恋をしちゃった」
編集長が答えた。
「俺も……」
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新宿二丁目の病院[#「新宿二丁目の病院」はゴシック体]
[#1字下げ]1996年1月◎村山首相退陣、橋本龍太郎が首相に。社会党が党名を社会民主党にかえる。[#「1996年1月◎村山首相退陣、橋本龍太郎が首相に。社会党が党名を社会民主党にかえる。」はゴシック体]
「一度東京で生活しちゃうと、もうあんななにもない田舎には帰らないよ」
正月早々、風邪をひいてしまった。この風邪がしつこい。いつもなら風邪薬を飲んで一晩も寝ていたら治るのに、今度の風邪はどんなに薬を飲んでも、腐るほど寝続けても、吐き気を我慢しつつオカユを胃に流し込んでも、全く衰える気配を見せない。おかげで一月四日の東京ドームでの新日本プロレスにも、一月十五日のラグビーの早明戦にも行けなかった。せっかくチケットを買っていたのにィ。
そして、こりゃもう辛抱たまらんと、新宿二丁目のA医院という病院に行くことを決意した。わざわざ新宿二丁目まで行ったのではない。私が新宿二丁目に住んでいるのだ。風邪で病院に行くなんて小学生の時以来である。
A医院に入ろうとして看板を見て気がついたのだが、この病院は内科と産婦人科があるらしい。
それにしても、A医院という名前、どこか記憶の片隅に引っかかっているのだが、なんだったろう。病院には今まであまり縁はなかったのだが……。
待ち合い室は土地柄、一見して水商売とわかる女性で一杯だった。中国語で何やら喋っている若い二人組もいる。異国の地の病院の世話になるのは、さぞ不安だろうなあ。
男は私一人である。
「風邪をひいたんですけど、男でもいいんでしょうか」と受け付けの女性に訊ねると、「大丈夫ですよ」と笑ってくれたので、コソコソとソファの隅に座る。
そして、何気なく壁を見て驚いた。
主な婦人病の治療代が表示されていたのである。
・クラミジア治療――円。
・コンジローム治療――円。
という風に。
産婦人科ってどこでもこういう値段表が貼られているんだろうか。この病院が特別なのだろうか。
なんか飲み屋のメニューみたいではないか。
思わず「じゃ、クラミジア二人前にコンジローム二人前、とりあえずそんなとこで」と言ってしまいそうになるではないか。
人工中絶代の値段も書いてあった。
・三ヶ月以内 90000円
・五ヶ月以内 120000円
・五ヶ月以降 150000円
生々しい、見てはいけないものを見てしまったような気になり、思わず目をそらしてしまった。五カ月以降でも中絶ができるとは初めて知った。
他にも貼り紙はいろいろあった。
『クラミジア新治療始めました』
なんてのもある。新治療はやはり従来の治療より料金は高いのだろうね。でもこう貼られると、「クラミジアなんですけど、前までの安い方で結構です」とはなかなか言いづらいものがあるだろう。でもこのノリ、「ボジョレヌーボー入荷しました」と全く同じノリじゃないか。そう思うと、ついプッと噴き出してしまい、まわりの女性たちからジロッと見られてしまった。
いかんいかんと顔を引き締め、再び壁を眺めていると、一枚の貼り紙に目が止まった。
『エイズ検査行っております』
それを見た時、眠っていた記憶がパッと蘇った。
四年前、私は或る仕事で福島県の某医療研究所へ取材に行った。その全国的に有名な研究所ではかなり早くからエイズ検査を行っており、福島のそこは関東および東北の一部地域を担当していた。つまり、担当地域の各病院でエイズ検査を受けた人間の血液が、そこに送られてくるのである。
白衣を着、マスクをつけた私はその血液検査を見せて貰った。
今はどうかわからないが、当時エイズ検査は三通りの方法で行われていた。二通りで陽性が出ると、再検査の必要あり。三通りとも陽性の場合は、エイズである。
研究所では一日に二、三件のエイズ患者が発見される。その日、私の目の前でも一人のエイズ患者が発見された。
カルテを見ると、二十二歳の女性である。フィリピン生まれで、名前はなんと松田聖子。エイズ検査は本名でなくとも受けられる。新宿の病院からの依頼である。
研究所の先生はすぐにその病院に電話をする。
「もしもし。――研究所です。先日依頼があった人の中でね、松田聖子さん、三つとも陽性でした。詳しい診断書はすぐに送ります」
電話を切った先生が言った。
「風俗関係の人でしょうね。店が強制的に定期検診を受けさせてるんでしょう。でもそういう患者がちゃんと治療を受けられることはまずありません。病院から店に報告すると、店側はトラブルを恐れて、よその土地の店に女の子を売っちゃうんです」
先生は私にカルテを見せながら言葉を続けた。
「今、電話をしたこの新宿のA医院ね。この病院は、こう言っちゃ不謹慎ですけど、研究者にとってはエイズの宝庫なんです。とにかく陽性患者が他の病院と比べて断トツに多いんです」
あの時の研究所の先生の言葉が、昨日のことのように思い出された。
そうか。今、私がいる病院が、フィリピンの松田聖子ちゃんが検査を受けたA病院だったのか。
しばし感慨にふけり順番を待っていると、
「あら、永沢さん」
と声をかけられた。
驚いて顔をあげると、Kちゃんだった。
Kちゃんは、私の唯一知り合いのソープランド嬢である。
だが、残念ながら彼女の店には行ったことがない。時々、互いに行きつけの焼き鳥屋で顔を合わせ、一緒に酒を飲むだけの淡い仲である。
「ああ、ビックリした。いやなにね、風邪がひどくってさ」
「本当だ。凄いガラガラ声」
「Kちゃんは?」
訊いてから、しまったと後悔した。だがKちゃんはにこにこと笑い、声をひそめるでもなく答えた。
「お店の定期検診。面倒くさいのよ、これが」
Kちゃんは、本人によると二十八歳。店では二十二歳だが、その年で充分に通じる童顔の女性だ。
Kちゃんは北海道の旭川で生まれた。
高校を卒業すると、両親の反対を押し切って東京の短期大学に入った。
「どうしても東京で暮らしてみたかったのよねェ」
短大を卒業すると、Kちゃんはそのまま東京の小さなコンピューター会社に就職する。
「親は旭川に帰って来いって言ったけど、一度東京で生活しちゃうと、もうあんななんにもない田舎には帰らないよ」
手取り十三万円そこそこの、質素なOL生活を送るうち、Kちゃんは恋をした。相手は取り引き先の会社の男だった。一年間の恋愛期間を経てKちゃんは彼と結婚をした。式はもちろん東京で。旭川から駆けつけた両親も祝福してくれた。
Kちゃんは会社を辞め専業主婦となった。
「幸せだったなあ……」
だが幸せなKちゃんを待っていたのは、カードローン地獄だった。
今までの質素な生活の反動が出たのか、結婚をして気が緩んだのか、Kちゃんはクレジットカードで服やアクセサリーを買いまくった。Kちゃんをすっかり信頼して家計を全てKちゃんに任せてある夫は、妻が新しい服を着ていても、上手くやりくりをしているのだと思ったのだろう、「その服似合うね」と言ってくれた。すぐに支払いができなくなった。それどころか家賃も払えない。Kちゃんはサラ金に手を出した。
「あっという間にニッチもサッチもいかなくなっちゃった。でもそんなこと、ダンナにも旭川の両親にも言えないしさあ……」
悩んだKちゃんは、夫に「パートで働く」と言い、昼間のソープランドで働き始めた。
半年ほどたった頃だったか。着実に借金を返していたKちゃんに破局が訪れた。平日の昼間だというのに、Kちゃんの客として夫の同僚の営業マンである男が店に来たのだ。Kちゃんの結婚式にも出席した男である。家にも何度か遊びに来た。「いらっしゃいませ」と言って個室で頭をあげ、Kちゃんは絶句した。男も絶句した。暗い部屋で時間が凍りついた。そして、男は何も言わずにKちゃんに二万円のサービス料を渡すと部屋を出て行った。
「それからの一カ月は地獄だったよ。その彼がダンナに喋ったんじゃないかと思って気が気じゃなかった。そしてとうとうそれに耐えきれずに、自分からダンナに全てを話したの。ダンナは何も知らなかった。あの人、喋らなかったんだね。ダンナ、泣いてたなあ……」
Kちゃんは離婚した。そして仕事は昼間から遅番にかわったので、焼き鳥屋に来るのは夜の十二時過ぎだ。明け方まで飲んでいることも多い。
「離婚したら、急に酒が強くなっちゃったの。ホラ、あんたもちゃんと飲みなさいよ」
私の風邪はホンコンA型だと診断された。
「この風邪は長引くよォ。治ったと思ってもすぐぶり返すんだ。半年ぐらい摂生しないと治らないな。酒なんか飲んじゃ駄目だよ」
私は、注射でもしてすぐに治してくれ、と言ったが、「そう簡単に注射はせん!!」とA医院の先生に怒られ、かわりに山程の薬を渡された。
診療室を出ると、まだKちゃんがソファに座っていた。
「どうだった?」
「うん、なんか治りにくい風邪にかかっちゃったみたいだ。注射してくれって言ったのに、してくれないんだ」
「今の病院ってどこでもそうよ。風邪が治ったらまた飲もうね」
治らなくても飲もう、と答え、私はA医院を出た。
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素股プレイ[#「素股プレイ」はゴシック体]◎歌舞伎町
[#1字下げ]1996年2月◎菅直人厚相が輸血液製剤でHIV感染した血友病患者に謝罪。将棋の羽生善治名人、史上初の7冠。[#「1996年2月◎菅直人厚相が輸血液製剤でHIV感染した血友病患者に謝罪。将棋の羽生善治名人、史上初の7冠。」はゴシック体]
「こうやってネオンが灯り始めると、気持ちがウンザリしちゃうんですよ」
「意地でしかないね、この仕事を続けているのは、ウン。楽しいことなんか何ひとつないよ!!」
Kさんは大きな声でそう言った。
歌舞伎町の或る雑居ビルの二階。そこにズラリと並んでいる個室の一つで、私と本誌編集長はKさんを待っていた。個室は三畳弱の広さで、私たちはその部屋の大部分を占めるベッドの上に座っている。
外は寒風吹きすさぶので厚着をしてきたのだが、個室内は暑いほど暖房がきき、つい眠くなってしまう。
壁には一枚の紙が貼ってある。
「指入れ 本番行為 及びサービスの強要 同業者による引き抜き行為を禁止とします それらが発覚した場合 罰金五十万円を頂きます」
指入れとは、女性の膣に指を挿入すること。本番行為とは勿論交尾。サービスの強要とは女の子の髪を掴み「ホラホラしっかりしゃぶらんかい!」とのたまうことだろうか。同業者による引き抜きとは、客のふりをした同業者がギャラなどの面でいい条件を提示し、可愛い女の子を自分の店に引き入れること。それらのことをしてしまうと、嘘か本当かわからないが五十万円(この金額はどういう根拠で決められたのだろう)の罰金を取られてしまうのである。
そう、ここは「素股参千円道場」という性感マッサージ店なのである。店名からわかるように、フィニッシュは女の子が素股で導いてくれるのが特色となっている。そして、私たちが今いる個室がプレイルームなわけだ。
「ジャイアント馬場が遊びに来てもベッドに寝そべれないなァ」
編集長が呟いた。
「どうも、お待たせしました」
ドアが開き、頭をやや屈めてKさんが入って来た。恰幅のいい体で紺色のスーツをきちっと着こなし、手には携帯電話と分厚いシステム手帳を持ち、前髪の一部を茶色に染めている。外見だけでは、なんの仕事をしているかすぐには判断できないKさんは、本人の言によると「この店の広報係です」ということだ。
Kさんもべッドの上にあがってきたので、風俗店の個室で男三人が正座をして顔を突き合わせるという、異様な光景が出現した。
――お店の景気はどうですか?
「いやあ、まだまだ。なにせ一月二十六日に開店したばかりだから、手探り状態ですねえ。お客さんは今のところけっこう来てくれてるけど、僕の理想を十としたらまだ一にもなっていないなあ……」
――歌舞伎町全体の景気はどうなんですか?
「全然駄目。毎日のように到る所から、隣のビルからもバタンバタンっていう音が聞こえてくるもん」
――バタンバタンって?
「店がつぶれる音(笑)。風俗店でも飲み屋でも、誇張なしに毎日バンバンつぶれてますよ」
現在三十歳のKさんは、宮城県に生まれた。そして、学校を出てポーカーゲーム機が置いてあるパブで働いていると、その店の常連客である「社長」と呼ばれる男に「俺のやっているテレクラ店で働かないか。給料は今の店よりずっといいものを出すよ」と声をかけられた。
バブルが始まった頃だった。Kさんは二つ返事でその話に乗った。何せ若い。どんなことでも面白く感じる遊び盛りである。金はいくらあっても足りない。それに加えて車好きだったKさんはいい車が欲しかった。
テレクラ店に就職したKさんは、しゃにむに働いた。
「先輩たちは朝の九時に店に来るんですが、先輩から『俺たちが来る二、三時間前に来て掃除をしてろ』というわけです。そう言われたら三時間前に行くしかない。五、六時間前と言われたら、六時間前に出る。そんな時代だったなあ。自衛隊に入ったのかと思っちゃった。今の若い子にはそんなやり方は通用しないねえ。(そんなことを強要したら)一日でいなくなっちゃうよ。ここ十年間で、景気も若い奴らの気質も、びっくりするほど変わっちゃったよ」
Kさんは努力のかいあり、店長となる。だがほどなくして店を辞め、札幌、東京、大阪、神奈川と転々とする。そしてその各都市でKさんは性感マッサージやファッションヘルスなどの経営に関わるが、その頃のことを多くは口にしない。
「なぜいろいろ移ったかって? いろいろあったんですよ、裏切りとかね……。人って簡単に裏切るよォ。即答で裏切る。それにね、自分はどこに行ってもその土地の人間に合わせることをしないの。合わせちゃったらその土地にのみ込まれちゃって、新しいことができないからねえ。だから敵も沢山できるんだよ。仕方ないけどね……」
仲間もいるんだよ、とKさんは言うが、どうしても敵という言葉がKさんの口から頻繁に飛び出す。さぞ、幾つもの修羅場をおくぐりになってきたに違いない。
「いろいろ、あったねえ……」
――今まで、一番凄い修羅場は?
「二週間、監禁された時はさすがにきつかったね……」
――エッ……。
「ある所で性感の店をやってた時なんだけど、新参者なのに(店が)流行っちゃったんで妬まれたんだろうなあ。明け方、売り上げを持って店を出たら、いきなり車に連れ込まれてもう何がなんだかわかんない。後は、どこなのかも知らない部屋に閉じ込められて殴る蹴るだよ。ひと思いに殺してくれた方がマシだなあって思ったね。でも僕は何もうたわなかった(喋らなかった)けどね……」
――何を訊かれたんですか?
「僕の人間関係とか、そういうこと……」
――その人たちは暴力団?
「だろうね。気がついたら二週間後に山の中に捨てられてましたよ。骨がいろんなところ折られていたんで、三カ月入院したなあ……。だから今もね、暗い夜道や人気の無い所は恐いね。できるだけ明るい所を歩くようにしている」
Kさんの一日のスケジュールはこうである。
朝九時に出店。営業終了の十二時まで広報や女の子の面接など雑務の仕事。その後伝票を整理し、店の幹部ミーティングを行い、全ての業務が終了するのが午前四時。これが三百六十五日続く。家に帰るのは一年で百日あればいい方である。
Kさんは今まで三度結婚している。
最初の結婚は二十三歳の時。次が二十五歳。そして現在の奥さんと結婚したのが二十七歳の時。ちゃんと律儀に一人ずつ子供を作っている。人ごとながら、養育費だけでもさぞかし大変であろうと心配してしまう。
「やっぱり、忙しすぎるのがいけないんだろうねぇ。どこの家でも亭主が全く帰ってこなかったら、家庭は壊れちゃうよねぇ。もともと僕は家庭不適格者なんですよ。一人でいるのが一番好きだから……。今の結婚が駄目んなったら、もう僕は結婚しない。一人で生きていきますよ。三回結婚したら、もう充分でしょう」
Kさんにお願いをして、「素股参千円道場」で働いている一人の女性と話をさせて貰った。せっかく風俗店に来たのだから、女の子と喋らずに帰る手はないだろう。
彼女の名前は夕ちゃん。二十四歳の工藤静香似の美人である。夕ちゃんの性感マッサージ歴は二年。以前勤めていた店がやはりバタンと倒れたので、こちらに移って来たのだそうだ。
「この店では女の子が受け身になることは禁止なんです。だからフィニッシュの素股プレイもわたしがお客さんの上に乗ってやるんで、最初のうちはけっこう疲れました。筋肉痛になったりして(笑)。わたし、足が細いんで太モモがくっつかないんですよ。だから、お客さんはあんまり気持ちよくないんじゃないかって心配しながらお仕事してます(笑)」
夕ちゃんには半同棲状態の恋人がいる。
「つき合って四カ月なんですけど、毎日のように会っているんで、なんか三年ぐらいつき合ってる感じ。年下のサラリーマンです。わたしの仕事のことは知ってます。彼は『仕事を辞めろ』とは言いませんが、わたしももう年なんで、そろそろこの仕事は卒業かなと思ってるんです。まだ若い? そんなことないですよ。店の他の女の子って皆二十歳前後ですもん。あのピチピチした体と気持ちの若さにはかないませんよ。結婚ですか? とってもしたい。今の彼と結婚できたら、幸せだろうなあ……。
あっ、指名が入ったんで、御免なさいね。お仕事してきます」
店を出てKさんと一緒に歌舞伎町を歩いた。冬の夕暮れが迫り、ネオンがポツポツと街中に点き始めていた。
「こうやってネオンが灯り始めると、気持ちがウンザリしちゃうんですよ。また夜が始まるんだなあって……。また、店同士の戦いが始まるんだなあって……」
――歌舞伎町って、あんまりお好きじゃないんですか?
「嫌いです。迷路に入っちゃったみたいに、暴力団、警察、その他モロモロ、何が現われるかわかりませんもん。疲れますよ」
今まで渡り歩いた中で、好きになった街はあります?
「ない!! どこでもいつでも戦ってきましたからねえ……。ああ……どっか田舎に引っ越して、サラリーマンになりたい。給料が十八万円でも、今より幸せになれると思うなあ。アッ、こんな弱音を吐いちゃ駄目だ。僕はね、あの店に命をかけてるんですよ!! とことん頑張りますよ!!」
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女子高生売春[#「女子高生売春」はゴシック体]◎渋谷
[#1字下げ]1996年3月◎台湾初の総統直接選挙で李登輝が当選。TBSのオウム報道に疑惑が生じ、磯崎社長が引責辞任。[#「1996年3月◎台湾初の総統直接選挙で李登輝が当選。TBSのオウム報道に疑惑が生じ、磯崎社長が引責辞任。」はゴシック体]
「クラスの八割の女の子は売春に似たようなことしているらしい」
三月とはいえ、風がまだ肌寒い。
夕方の五時、私は本誌編集長と渋谷のハチ公前で待ち合わせた。三十九歳の編集長はせっかく渋谷なのだから洒落た喫茶店とかで待ち合わせをしたかったらしいのだが、三十六歳のフリーライターが渋谷で知っている場所はハチ公前しかなかった。
なぜ二人のオジサンが渋谷にやって来たのか?
それは、どうも最近、渋谷で女子高生たちがオジサンたちを相手に売春をしているらしいという噂を耳にしたからである。
だからといって、我々も女子高生の肉体を買おうというのではない。我々にそんな勇気は、まず無い。ただ漠然と、そんな今の女子高生たちの実態を垣間見られればなァ、と思って渋谷に来たのである。実に弱気な取材である。
ハチ公の鼻先で、編集長はおもむろにコートのポケットから一枚の紙を取り出した。それは某雑誌の記事をコピーしたものだ。タイトルは「危ない渋谷、コギャルの売春現場を目撃・追跡撮!」。女子高生が二人で公衆電話を掛けている写真があり、「電話ボックスで楽しそうに話している女子高生が、実は売春の値段交渉をしている」などという文章が書かれている。
やはり、女子高生たちは、やっているのだ。
我々はその記事に載っていた『あぶない渋谷マップ』という地図を頼りに歩くことにした。まずはゲームセンターなどが集っているセンター街へ向かう。
「もし、売春をしようとしている女の子を発見したら、どうしようか……」
あきれるほど多くの人が渡る駅前のスクランブル交差点を人にぶつかり舌打ちをされつつ歩きながら、私は編集長に言った。
「どうするって……インタビューでもする? それとも、説教する?」
編集長が私に言葉を返した。
「いや、どちらもやめましょう。恐いもん」
私は答えた。
センター街は祭りでもあるかのように、若者でごったがえしていた。制服姿の女子高生も多く見受けられる。彼女らは大抵、二人連れだ。そして制服であるにも関わらずミニスカートで、かなり濃い化粧をし、髪は茶色に変色している。だからどうなんだと問われると困るが、やはり彼女らは、そのなんだ……やっているのかもしれない。
我々は、キューン、ブヒューン、と電子音が溢れ出てくる一軒のゲームセンターに入ることにした。
店内の客の大半は十代の少年少女で占められている。だがゲームに興じているのは少年たちで、学校の制服を着た少女たちはインスタント名刺を作る機械や、プリントシールを作る機械の前で行列を作っている。
因に女子高生の間ではこの名刺とプリントシールが流行しているのである。女子高生が名刺を作って、一体何に使うのであろうか。プリントシールとは、スピード写真のようなもので、千円から二千円で自分の顔写真が二十枚ほどの小さなシールになって出てくるものである。
ゲームセンターに入った瞬間、我々は自分たちの存在が完全に浮いたことを感じた。まるで自分たちが補導係の教師に思えた。背広も着ていずネクタイもしていないのだが、気のせいか少年少女たちのチラチラとこちらを見る視線が体に痛かった。
ニューヨークで、ヤバイ所に潜入する刑事の気持ちがわかったような気がした。昨夜読んだハードボイルド小説の影響だろうか。
我々は店の隅に「ハリハリ・コーナー」という掲示板を発見した。そこには大量のプリントシールが貼ってある。ほとんどが制服姿の女の子たちのもので、彼女らは友人と二人組でピースサインなどをして写っている。そして、そのシールの下にポケットベルの番号が記されている。
なるほどね、と私は思った。
これらのシールとポケットベルの番号が売春にむすびつく可能性は、大だろう。
いってみれば、フリーランスの売春婦が個人で顔見せをして客を誘っているようなものである。
その後、三、四軒のゲームセンターを廻ったが、どの店にも名称こそ違えこのプリントシールを貼るコーナーがあった。もしかすると友人探しかもしれない。彼氏探しかもしれない。しかし、それが売春に近づく距離はいたって短いだろう。
パルコ一階の公衆電話で、二人組の女子高生がテレフォンカードで電話をしていた。私はその隣の電話で天気予報を聞きながら、彼女たちの喋る言葉を聞いた。受話器を耳にしている方の少女が相手に言う。
「ポケベル貰ったからさ、なんなのかと思って掛けたの……今? 二人でいるよ……えーっ、今日はさ、そんなに遅くなれないんだ……えー、でも……ちょっと待ってね」
そして少女は受話器を手で押さえ友人に言った。
「どうする? 九時には終わりにするって」
「いいんじゃない」
友人は答えた。
「もしもし、じゃ、いいよ……どこで待ち合わせにする……ああ、そこなら知ってる……じゃ、三十分後にね」
私には、友人や恋人への電話とは思えなかった。
我々は次に、道玄坂の銀行の前へ行った。編集長の持ってきた記事によると、そこは何やら女子高生売春のポイントらしい。
そこはラブホテル街の近所で、渋谷にしてはかなり人気のない所である。そんな所にオジサン二人がボケーッと立っていてはあまりに目立つので、我々はやや離れた所から銀行前の様子を見ることにした。
銀行前には女子高生が一人立っていた。こんな所で友人と待ち合わせをする人間はまずいまい。十分ほどすると彼女はスカートのポケットからポケットベルを取り出し、何やら確かめると銀行前の電話ボックスに入り電話をすると、どこぞへ去って行った。
十分後、二人の女子高生が銀行の前に立った。一人は白いマスクをしている。風邪だろうか。なら早く家に帰ればいいのに。
五分後、二十代後半らしいジャンパー姿の男が真っすぐに彼女らに近づき、三、四分喋ったと思うと、彼女らは男について歩き始めた。我々は慌てて後を追った。三人はカラオケボックスの中へ入って行った。どう見ても、うさんくさい光景であった。
「この後、あの男がもう一人友達を呼んで、彼女らとやっちゃうのかも知れんなぁ……」
編集長がボソッと言った。
私も、そうだろうな、と思った。
我々は再び、駅近くのセンター街に戻った。もうすっかり夜になっていたが、制服姿の少女たちはまだいる。
十字路の横に立っていると、二人の女子高生に二人の我々ぐらいの年齢の男が声をかけている。
「僕たち、女子高生――というものを作っているんだけど、ちょっと写真を撮らせてくれないかな」
女子高生たちは、「エーッ」「ヤダァ」「どうする?」などと笑って言い合っていたが、やがて男たちと共に雑踏の中へ消えて行った。
それを見て、編集長がフーッと溜息をつき、「俺、自分の子供が男でよかった……」と言った。
そう言う編集長の目の前を、自分の子供よりも年下であろう少女を二人連れた五十年配のサラリーマンらしいコートを着た男が、少女らと共にカラオケボックスのあるビルの中へ入って行った。
二時間後、我々は一人のカメラマン氏と渋谷の居酒屋で酒を飲んでいた。カメラマン氏は女子高生専門のファッション誌で仕事をしている。その日も都内のスタジオで女子高生の撮影をしていたのだが、彼の友人である編集長が無理に呼び出したのだった。
カメラマン氏は生ビールを美味しそうに半分ほど飲んで、プハーッと息をつき言った。
「モデルの女子高生に話を訊くと、まあその子らが行ってる学校が変なのかもしれないけど、クラスの八割の女の子は売春に似たようなことをしているらしいですよ。今の女子高生の特徴? まず、ボキャブラリーが驚くほど少ない。そしてそのことを恥じない。ちょっとでも真面目な話になると、『わたしって馬鹿だから』って逃げる。つまり、大人とのコミュニケートを拒否しているんですね。渋谷なんかでウロウロしている女子高生は、もう違う生物だと思った方がいいですよ」
だが、私はカメラマン氏の次の言葉の方に、いたく驚いた。
「スタジオに女子高生が来るでしょ。その時、たまにその子のボーイフレンドが一緒について来るんです。彼らは一様に礼儀正しい。けど、彼らの話を聞くとびっくりしますよ。彼らは大抵仲間で作ったグループの中にいるんですね。そういうグループの中で、どういう遊びが流行っているか知ってますか。十人ぐらいでファミリーレストランにまず集まるんです。そしてリーダー格の人間が『今日はパンチパーマ』などと指示をする。そしてパンチパーマの男がレストランの前を通りかかると全員で出て行ってボコボコに殴って、車に連れ込んで山の中に行き、そこでまたボコボコにして捨ててくるっていう、ゲーム[#「ゲーム」に傍点]が流行ってるんです。この前会った男の子なんか、『先週やった奴は死んじゃったかもしれない』なんて言ってました。恐いよね」
恐い。売春する女子高生にはやるせなさを覚えるが、多分そういう女の子らと連動して、そういうゲーム[#「ゲーム」に傍点]をする男の子たちはやるせなく恐い。
とりあえず、ファミリーレストランには近づかないようにしよう。もしそのリーダーが、「今日はメガネをかけたダサイおっさん」と言ったら、翌日には私は死体になっているかもしれない。
ところで最後に言わせて貰いますが、世のオジサンたち、十代の女の子を買うのはやめなさい。彼女らはあなたたちを心の底から馬鹿にしています。そしてあなたの行為は、彼女らの心を、いや、彼女らに限らず現在の十代の人間の心を、焼き畑農業後の土地のように砂漠化させているのですよ。
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立ち飲み屋[#「立ち飲み屋」はゴシック体]◎池袋
[#1字下げ]1996年4月日米両国政府が沖縄の米軍普天間飛行場を「5年ないし7年以内に全面返還」と発表。[#「1996年4月日米両国政府が沖縄の米軍普天間飛行場を「5年ないし7年以内に全面返還」と発表。」はゴシック体]
「あ、こんな店の常連だなんて、会社の人には言わないで下さいね」
北朝鮮の武装兵士が板門店の共同警備区域に三日連続で侵入した(四月十二日現在)。どうも朝鮮半島が非常にきな臭い。これは北朝鮮と韓国だけの問題ではない。とても心配である。これ以上、事態が悪い方向へ進展したら、日本はどのような態度を取るべきか。
深く憂えた私は、その問題を考えるべく、編集部のモリ君と池袋の韓国風マッサージ店へ日曜日に調査に行くことにした。
大局を語るためには、まずディテールから知らなくてはならない。
このマッサージ店(エステサロンというらしいが)、一時間みっちりと韓国風マッサージで女性が体をほぐしてくれた後、なんと最後にアソコもスッキリさせてくれるらしい。
体もスッキリ、アソコもスッキリ、というわけだ。
体にガタがきはじめ、かつセックスとも何かと縁遠くなっている三十男にとって、これはまさに一石二鳥ではあるまいか。
「韓国風マッサージって、どんなんですかね?」
山手線に揺られながらモリ君が言う。
「前に、抜いてくれない韓国マッサージの店の写真を週刊誌で見たことがあるけど、女の人が客の背中に乗って踏みつけていたなあ」
「痛そうですね」
「うん。でもこれから行く店は、その後に抜いてくれるらしいから……」
「気持ち良さそうですね」
「うん」
池袋に着いたのは昼の十二時半。お店との約束の時間までまだ三十分ある。
「僕の行きつけの店で時間をつぶしましょう」
モリ君が言った。モリ君は池袋で乗り換えて会社に通っているので、この街には詳しいのだ。しかし、昼間だというのに、行きつけの店とはなんだろう。よほど懇意にしている喫茶店でもあるのだろうか。
連れて行かれたのはビルの地下にある「立ち飲み屋」という名前の飲み屋だった。モリ君によると二十四時間営業らしい。
階段を降り、店の入口にある自動販売機でまず食券を買わなくてはいけない。飲み屋で食券を購入するのは初めてだ。私が千円札をズボンのポケットから出そうとすると、モリ君が不敵に笑ってそれを制し、「僕がおごりますよ」と言った。さすがコアマガジンの編集者。太っ腹である。
値段は、私のハイボールが百五十円。モリ君の生ビールが二百円。モリ君が「これでもやっつけて精をつけますか!!」と言ったホルモン焼きが三百円。
『立ち飲み屋』という名前だが店内は八人ほど座れるテーブルが八つあった。私たちが入った時は若い男が一人、ビールを飲みながら競馬新聞を読んでいた。
カウンターの中にいるワイシャツに黒いチョッキを着けた村役場の戸籍係主任みたいなメガネをかけたオジサンに食券を渡すと、オジサンは無言で受け取り、ほどなくしてカウンターの上にハイボールと生ビールと小皿にチンマリと盛られたホルモン焼きが現われた。それを持ってテーブルへ移動する。
「今日はたまたま客がいませんが、いつもは昼間もけっこう、何をしているのかわからないオジサンたちで一杯なんですよ。深夜は終電に乗り遅れたサラリーマンで一杯。友だちと一緒にくる人は少ないですね。大抵みんな一人で飲んでますね、ええ」
そうモリ君は嬉しそうに言い、ビールを美味しそうに呷った。
この店の昼の風景も深夜の風景も知っている二歳の子持ちの二十八歳のモリ君が、急に愛しく感じた。
「あ、こんな店の常連だなんて、会社の人には言わないで下さいね。ハイボール、もう一杯おごりますから」
絶対に言わない、と私はモリ君に誓った。私は約束はちゃんと守る男である。モリ君の何が迂闊だったといえば、「書くな」と言わなかったことだろうか。
時間になり、私たちはマンションの一室にある韓国風マッサージ店に向かった。
「失礼しまぁす」とドアを開けると、受け付けのカウンターに座っていたキムタクのような髪型をした男が、ギョッとしたように私たちを見、「なんですか」と言った。普通こういう場合、私たちを客と思い「いらっしゃいませ」と言うだろう。よほど私たちは異様だったに違いない。私個人としては、私にその責任はなく、一児の父親であるモリ君の片耳にへばりついている三つのピアスのせいだと思っている。
「コアマガジンのモリといいますけど、今日は取材で伺いました。店長の――さんはいらっしゃいますか?」
モリ君はキムタクにそう言った。そうそう、――さんはその御名前から推察するに在日朝鮮人である。私は――さんと三十八度線に及ぼすマッサージの影響について語り合い、その後で体もスッキリ、アソコもスッキリを体験するつもりであった。
しかし、キムタクは無情にもこう言った。
「――は夜にならないと来ません」
「あの……取材のアポを――さんに入れてあるんですけど……」
モリ君は喰い下がる。
「聞いてません」
三十八度線が今、大変だというのに、――さんは何をしているのだ!!
数分後、私たちは白昼の池袋の街の路上に虚ろな目をして立っていた。
「………どうしましょうか?」
モリ君が言う。
しかし、私の頭の中はまだ、体もスッキリ、アソコもスッキリ……。
「あの、永沢さん。来月はゴールデンウィークがあるんで、印刷所などの関係で今日中になんとか何かを取材して、明日には原稿を貰わないと……」
「……あ、そうだったよね。どうしよう……」
「あの、もう一軒、僕の行きつけの店があるんですけど……そこで相談しましょうか?」
モリ君に連れられて行った店は、ビルの二階にある「昼間から飲める店」という居酒屋だった。まがりなりにも会社員であり一児の父でもあるモリ君が、なぜこういう嬉しくなる店をやたらと知っているのだろう。
店内はやはり静かで、カウンターでウーロンハイを飲みながら串カツの盛り合わせを食べている二十代らしい二人の女性客がいるだけだった。
私たちはテーブル席に腰をおろした。モリ君は窓に背を向け、私はその向い側。私の目には窓外の池袋の街が映る。ファッションヘルス、イメージクラブ、テレクラの色とりどりの看板。
「イラッシャイマセー」と明らかに日本人ではない発音の男性従業員がオシボリを手渡してくれる。モリ君はやれやれとばかりにオシボリで顔を拭く。私もいつもならやはり同じように顔をオシボリでぬぐうのだが、どうも窓外の看板を目にすると手にしたオシボリに見も知らぬ(知っていたらよけいイヤだが)男性の精液が、付着しているような気がして(考えてみればピンサロ以外はオシボリは使わないよね)、手をおざなりに拭いた。
「モリ君は、よくもこの街でオシボリで顔を拭けるねえ」
私がそう言うと、モリ君はその意味を即座に悟ったらしくハッと顔を拭く手を止め、「拭いちゃってから言わないで下さいよう」とピアスを震わせて嘆く。
「でも、永沢さんだってこの前、新宿の飲み屋で顔を拭いてたじゃないですか」
そりゃそうだ。それが新宿ではなく、渋谷でも小松でも仙台でも熊本でも、私はオシボリが出されたら反射的に顔を拭いてしまうだろう。そこに熊本の高本理三郎さん(四十一歳)の精液が付着しているかもしれないのに。
ただ、風俗店の看板を目の前にすると、やはり躊躇してしまう。
枝豆と手羽焼きを前にして、私はレモンサワー、モリ君は生ビールを飲む。モリ君は本当にビールが好きだ。ビール好きではない私は、中ジョッキを飲み干し「次は大ジョッキね!!」とお代わりをするモリ君が、ドイツ人に思えてきた。ドイツ人なのかな……。なにせ最近の東京はインターナショナルだから、モリ君の本名が実はへルムート・ザンゲでも不思議ではない。
「どうしましょう?」
「どうしようか?」
そんなことを繰り返し言い合いながら酒を飲みつつ、聞くともなしにカウンターに座る二人の女性の話を聞いていると、彼女らは保険会社の外交員であることがわかった。
最初、その内の一人が「ウチなんてシャンプーや石けん代も自腹を切らなくちゃいけないのよ」と言うのを耳にし、私はすかさず「あの人たちはソープ嬢だぜ。早番で、さっきお仕事が終わったに違いない」と三つのピアス越しにモリ君に耳打ちすると、モリ君は「違うと思います」って言った。「なぜ?」と尋ねると、「水っぽくないですよ」とのお答え。「水っぽくない女が、なんでこんな時間から飲んでいるんだよ」と言うと、「彼氏がいないからでしょう」とやけに断定的にモリ君は答える。しかし二人とも、なかなか可愛い。あの二人に彼氏がいないとは思えないが、と言うとモリ君は、「僕と同じ二十八歳なんじゃないですかぁ。二十八って、仕事も恋愛もこれだっていう確信が持てないんですよね」とやけに悟ったように言う。そう言われれば、私が八年間一緒に暮らしていた女性と別れ、勤めていた会社をやめたのは二十九歳の時だったなぁ……。
すると女性の一人が笑いながら相手の肩を叩き、「もう二十八になっちゃったもんねえ」と言った。
パチパチパチ。
私は小さくモリ君に対して拍手をした。モリ君は、どんなもんだい、と小鼻をふくらませる。おみそれしました。
そして彼女らの話にしばし耳を傾けているうち、彼女らが保険の外交員だということがわかったのである。シャンプーや石ケンは顧客に挨拶代わりに渡すものだった。
彼女らは、今、果して幸せなのだろうか。日曜の昼から実に愉快そうにウーロンハイを飲んでいるが、一人、自分の部屋に帰った時、どうしようもない淋しさが襲ってはこないのだろうか。これから、三十歳を目前にして、どう生きていこうと思っているのだろうか。
そんなことを考えているうちに、私にピャハッとひらめくものがあった。
「モリ君。のぞき部屋に行こう!!」
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のぞき部屋[#「のぞき部屋」はゴシック体]◎歌舞伎町
[#1字下げ]1996年6月住宅金融専門会社(住専)処理に6850億円の税金を投入する住専処理法、金融4法が成立。[#「1996年6月住宅金融専門会社(住専)処理に6850億円の税金を投入する住専処理法、金融4法が成立。」はゴシック体]
「あのオッサン、池袋の風俗にはめっぽう詳しかったですわ」
目の前のレモンサワーを何者かに促されるように一気に飲み干した私とモリ君は、勘定を払うのももどかしく(払ったけど)、白昼の池袋の町へ出た。
さあ、「のぞき部屋」を探そう。
「のぞき部屋」とは私の知り得た情報によると、マジックミラーのある個室から女子大生やOLのオナニーをする姿が見られるらしい。
見てやろうじゃないの!!
私の記憶によれば、今私たちのいる所からは駅を間にして反対側の「文芸坐」という映画館のそばに「のぞき部屋」があった。
私たちは歩いた。ガードをくぐったりしてけっこうな距離であったが、一つの目的を持つ二人の男に、そんな距離なぞ天馬空を駆けるようなものである。
横道を出たり入ったりし、やっと見つけた「のぞき部屋」。だがそこには、「店内改装の為に営業を休ませて頂きます」の張り紙。
一瞬呆然となった二人だが、しかしまだ顔に失望の色はない。
なにせ、風俗の町、池袋である。「のぞき部屋」なぞいくらでもあるに違いない。目ざせ、女子大生やOLのオナニー。私の好みからいえばOLのオナニー(やはり生活感のあった方がエロっぽいもんね)。モリ君は、女子大生でもOLでも巨乳だったらなんでもいいとおっしゃる。
ちなみにモリ君は本当にオッパイ好きだ。パンティを盗む下着泥棒の気持ちが理解できないと言う。自分なら絶対にブラジャーだと力を込めて言う。そこに私は、アル中の父親とそれに泣く母親に育てられたモリ君のトラウマを見たような気がした。何の問題もない家庭に育った私は、やはりパンティを盗む。
かくて、ポリシーは違えども目的を同じくする男二人は(第二次世界大戦時のアメリカとソ連のようだと言えばわかって貰えるだろうか)、「のぞき部屋」を求めて池袋を徘徊し始めた。そして、一時間がたった。
ない!!
「のぞき部屋」がない!!
看板のある風俗店は、ほとんどがイメクラ店である。
どうしたことだ!! あれほどあった「のぞき部屋」はどこへ行ったのだ……。
こういうこと、人生のいろんな局面であったような気がする。物でも恋でもチャンスでも、欲していない時はやたらと目に入っていたのに、いざとなると手に入らない。
運動不足というか、運動皆無の足が悲鳴をあげ始めた。
「モリくーん、もう歩けないよう」
「ちょっと待ってて下さい」
モリ君が走った。彼の行く手にはテレクラの看板を手にした五十歳ぐらいのオジサンがいた。モリ君はオジサンにいきなり話しかけた。オジサンは驚いて少し後ずさる。人に話しかけられるということはあまりないのだろう。私もないけど……。だがモリ君は「逃がさんぞ」という気配を濃厚に発してオジサンににじり寄る。ピアスを三つつけた職業不明の男に詰問されているオジサンが気の毒になった。
三分程してモリ君が戻って来た。そして仕事を一つやりとげたように小鼻をふくらませて言った。
「やはり蛇の道は蛇ですな。あのオッサン、池袋の風俗にはめっぽう詳しかったですわ」
「それで……」
「池袋にはもう一軒も『のぞき部屋』はなくなったそうです。一年前までは三、四軒はあったらしいんですが。さっきの店も休業じゃなくつぶれたそうです」
パチパチパチ。初めて私はモリ君に編集者らしい行動力を見、小さく拍手をした。「いやいや、編集者として当り前のことですよ」と、ピアスを三つつけた一児の父親は頬をポッと赤らませる。よっぽど日頃、会社で褒められたことがないのだろう。
「それでですね、新宿の歌舞伎町にならまだ『のぞき部屋』は生存してるんですよ」
「新宿……」
「はい、新宿です」
三十分後、私たちは新宿駅に降り立っていた。なんか自分たちが、獲物を追い求めるジャーナリストのような感じがして、疲れてはいたが気分が良かった。モリ君の顔も心なしか上気している。
「僕、報道記者になったら才能を発揮できるかもしれませんね」
モリ君が言う。
「そうだね」
私は答えた。人間、どんな些細なことでも自信を持つということはいいことである。
あれほど池袋では苦労したのに、歌舞伎町では、あっけないほどすぐに「のぞき部屋」は見つかった。ファッションヘルスなど風俗店が集まる雑居ビルの三階にそれはあった。
料金は三千円。入口に座る、見るからにカタギではないオジサンに金を払おうとすると、ジャーナリスト・モリが「僕が払います」と言い一万円札を出した。「立ち飲み屋」で千円札を払った時からわずか数時間なのに、人間がひとまわり大きくなったようだ。
お釣を貰いながらジャーナリスト・モリがオジサンに小声で囁いた。
「領収書、貰えますか?」
「そんなもん、ないよ」
ジャーナリスト・モリの肩が急にしぼんだ。人間がふたまわり小さくなったようだ。一日のうちに大きくなったりしぼんだり、忙しい男である。
私たちは入口横の待ち合い室のソファに座らされた。「のぞき部屋」は基本的にはショーなので入れ替え制なのである。
テレビがあり、アダルトビデオが流れている。
私がテーブルの上に置かれていた『少年マガジン』をペラペラとめくっていると、ビデオを見ていたモリ君が「あっ、Iさんだ!!」と叫んだ。私も慌ててテレビに目をやった。本当だ。まごうかたなきIさんが女優を相手に、「どこが気持ちいいのかなあ?」などと言いからんでいる。
私も以前は白夜書房の社員だった。Iさんはその頃の同僚である。私が会社を辞めると、時を同じくしてIさんも辞めた。人づてにIさんはAVの監督や男優をしていると聞いていたが、画面で見るととても元気そうだ。
「Iさん、頑張ってますね」
後輩にあたるモリ君が嬉しそうに言った。(白夜書房は一九八五年に別会社「コアマガジン」を設立している。)
やがてショーが終わったらしく客が無表情でゾロゾロと出て来た。ソープランドから出てくる男たちを彷彿とさせる。その頃には待ち合い室には私たちを含め十人程の男が座っていた。そして入口に座っていたオジサンに誘導されて私たちは順番に個室に入った。モリ君は私の左隣の部屋に姿を消した。
貼り紙があり、『サービスを受けたい方は前のカゴにチップをお入れ下さい。サービス料二千円』とある。
この意味が私にはよくわからなかった。
マジックミラーのすぐ前にはステージとなる、いかにも男が夢想するピンクの小物が置かれた一人暮らしの女性の部屋があり、その向こうにはやはりマジックミラーが幾つも見える。つまり女の子の部屋を囲むようにして個室が並んでいるわけだ。
しばらくして、白い男物らしいシャツとパンティだけの二十五、六歳の女の子が部屋に入って来た。なぜか、とても不機嫌そうである。アンニュイといえば聞こえはいいが、私の目にはただ不貞腐れているとしか見えない。
そして音楽が響いた。
※[#歌記号、unicode303d]ター、タラリララー
なんと、ストリップ劇場でも今時耳にすることのない、かつてドリフターズの「ちょっとだけよ」で知れ渡った『タブー』である。いくらなんでも一人暮らしの女性の部屋を演出するのにこの選曲はないだろうと思ったら、左隣の部屋から「ガッハッハ」という笑い声が聞こえた。確かに選曲は客を馬鹿にしているが、何も笑うことはないだろう。失礼な客である。
不機嫌な女の子は『タブー』の流れに乗りオナニーみたいなことを見せた後、シャツをはだけパンティを脱ぎ、順ぐりにマジックミラーの前で腰をくねらし始めた。私の前にも来た。陰毛も実に不機嫌そうにちぢれていた。
女の子はひと回りすると、グルリとまわりを見渡し、一つの個室の上にあるカゴ(その時初めて気づいた。私の部屋の頭上にも細長い穴が開いていた)からお札を取ると、下についている小さなドアを開け(これも初めて気づいた)両手を入れ懸命にだがつまらなそうに動かす。
な、なるほどね。そういうことか。
ものの三十秒もたたないうちにその個室の方は終えられたらしく、女のコは手をティッシュでぬぐった。
どうしよう、私も二千円を入れようかと迷ったが、いくらなんでもあんな不機嫌そうな女の子にシコシコされて勃起できる自信がない。私と同じ思いの人が多かったらしく女のコは幾つかの部屋の前を素通りした(と、この原稿を書く前は思っていたが、ふと思った。二千円を惜しむ人は、あの腰クネクネの時にオナニーで済ませていたのかもしれない。ティッシュの箱もあったし)。
かわいそうに、今日は実入りが少ないね、と思っていたら、女のコは私の前を通り過ぎ左隣の個室の前でしゃがんだ。
『タブー』であれだけ笑ったくせに、モリ君はちゃんと二千円を入れていたのだ。笑いと性欲が両立するとは思わなんだ。恐るべし、モリ君。
女の子の手が動いている。ということは、あっ、今モリ君は私の隣でペニスを勃起させ不機嫌子ちゃんにしごかれているのだ。いやでもその姿を想像する。あっ、やだ。やめろ、モリ!!
二十秒ほどで女の子はティッシュで手をぬぐい始めた。
ああ……私の隣でモリ君は射精をしてしまったらしい。なんか、自分が汚されたような気がして体の力が抜けた。
個室を出るとモリ君が実にスッキリした顔をして、待ち合い室の自販機で買ったコーラを飲んでいた。
「ハハッ、いつもならやらないんですけど、今カミさんが子供を連れて福島の実家に帰ってるんで溜まってたんですよ」
なぜ実家に帰ってるのか知らないが、モリ君の奥さん、どうか早く帰ってやって下さい。
外に出ると雨が降っていた。
P・S 翌日、友情厚き私は『クラッシュ』の編集長に電話をした。
「昨日、モリ君と『のぞき部屋』の取材に行ったんですけど、領収書が貰えなかったんで編集長の裁量で必要経費で落としてやって下さい。モリ君が全部払ったんです」
「ああ、いいよ。それで幾らだったの?」
「僕が三千円でモリ君が五千円」
「なんで二人で料金が違うんだよ……」
「それはモリ君に訊いて下さい」
電話の向こうで編集長が、「モリーッ!!」と叫ぶ声がした。私は電話を切った。その後モリ君がどうなったか、私は知らない。
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韓国式エステ[#「韓国式エステ」はゴシック体]◎新宿
[#1字下げ]1996年7月◎堺市で病原性大腸菌O157による集団食中毒発生、患者は6031人に。アトランタ五輪開催。[#「1996年7月◎堺市で病原性大腸菌O157による集団食中毒発生、患者は6031人に。アトランタ五輪開催。」はゴシック体]
「日本の女の子のように手抜きをしない。情があるんですね」
『クラッシュ』の編集長から電話があった。
「新宿にも韓国マッサージの店ができたんだって。今度はちゃんと連絡をしておくから、行ってみない?」
七月某日の昼過ぎ、私は編集長と新宿で待ち合わせをした。昨日からの雨がまだ降り続いている。これで少しは水不足が解消されただろうか。
店は新宿御苑近くのビルの五階にあった。
余談だが、この新宿御苑は飲酒が禁止されている。そうとは知らずに罐ビールを飲んでいた私は、警備員のオジサンにひどく怒られたことがあった。しかし、総理大臣主催の園遊会が毎年ここで開かれるのだが、一般人立ち入り禁止のその日だけは、ビールを積んだトラックが何台も入って行くのである。釈然としないなあ。
釈然としないといえば、横浜アリーナもそう。たまにプロレスを観に行くのだが、あそこは飲食全て禁止なのである。シラフでプロレスを観ろというのである。もちろんそんなことはできず、隠し持ったウイスキーをチビチビやるのだが、規則を破っているという後ろめたさと、見つかったらどうしようという恐怖とが相まって、もうひとつ伸び伸びとプロレスを楽しめない。そんな奴は来るなといわれればそれまでだが、できるなら一考して頂きたいものである。
さて、私たちはエレベーターに乗り五階で降りた。ガラス張りの店の入口にある看板には「韓国式エステ」と書かれている。ドアを開けスタッフらしきメガネをかけた男性に編集長が「取材で来た者ですが」と言うと、事務室のような部屋に案内された。そこには広報を担当する日本人男性がいた。
どうも、どうもと名刺を交換する。
男性が店の資料を渡してくれた。
「韓国式エステとは?――
アジアによくある床屋(裏床屋)が韓国に入り、独自のシステムを確立しました。その韓国の床屋のシステムを日本風にアレンジしたものです。ここ一〜二年の間に、関東近県に何軒もの韓国式エステの店がオープンしました。これらの店はチェーン店ではありませんが、皆、韓国同胞の女性たちが独立して始めたものです。日本に根をおろした彼女たちが日本男性に放った韓国式エステは、日韓融合の性文化と言えるのではないでしょうか」
よくわからないが、なにやらスケールの大きい話なのである。
「サービス内容――
頭の先からつま先まで、特別なオイル(発汗作用をうながす漢方と、こりをほぐすオイル、それらの浸透性を助けるローションとのブレンド)と蒸しタオル(ひとりのお客様で三十枚程を使用)を使ってのフルボディマッサー(全身美容)です。(中略)女のコの手が脚の付け根に近づいたり離れたりします。こりをほぐしていた女のコの手がたま[#「たま」に傍点]の裏に触れます。その時、彼女の手が生き物のように変化します。(中略)女のコは皆、韓国のコたちです。彼女たちがしてくれるフルボディマッサーは、身体のこりも、アソコのこりも、そして心のこりさえも取ってくれる至れり尽せりの韓国式エステなのです」
そして最後にこう記されている。
「韓国式エステとは、日本人男性にとって、世紀末に出現した救世主なのです」
その救世主の一人と会った。彼女の名前はKさん。
Kさんは事務室に入ってくるなり冷蔵庫から赤マムシドリンクを取り出し、「どうぞ」と私たちにすすめてくれた。今までいろいろな人に取材をしたが、のっけから赤マムシドリンクをすすめられたのは初めてだ。有難くいただく。
「失礼ですが、おいくつですか?」と訊くと、Kさんは「二十二歳」といい舌をペロッと出し照れくさそうに笑った。細面で髪をアップにした白衣姿のKさんは、キリッとした表情に意志を感じさせる美しい人だった。
Kさんは学校を卒業すると、韓国の一流ホテルに就職した。そして働きながら日本語を勉強する。韓国のホテルに勤めていると、英語と日本語の修得は必須条件なのである。
「日本に来たのは二年前です。知り合いの女性が日本で働いていたから、その人を頼って……」
――どうして日本に行こうと思ったんですか?
「……お金のこともあるし……いろいろとあって……それにずっと日本に興味がありました。それに、韓国ではこういう仕事(風俗店ということ)はしたくなかったです。今の韓国で同じような仕事をすれば、日本とそれほど変わらないお金を貰えると思います。でも生まれた国ではしたくなかった……」
私は一昨年、初めてソウルへ行った。一応それなりの名の通ったホテルに泊まったのだが、チェックインするなりボーイが入れ替わり立ち替わりドアをノックし、日本語で「可愛い女の子を紹介するよ」というのには驚いた。いい子ぶるつもりはないが、供給があるということはそれだけの需要があるのだな、と思い切なくなった。
Kさんに、今度決定した、サッカーのワールドカップの共同開催についてどう思っているか尋ねた。Kさんは少し眉間にシワを寄せて言葉を選びながら言った。
「うーん……むずかしいと思います。反日感情が根強くありますから、大変だと思います。ましてやそれがサッカーでしょ。むずかしい……」
Kさんは首を小さく横に振った。その言葉を受けて広報の男性が言った。
「ホントですよ。たかがこんな小さな店の中でさえ、日本人と韓国人が仲良く仕事をするのはむずかしいんですから。それがワールドカップとなったら、その困難さは想像以上でしょうね」
Kさんによると、韓国では今も日本語の歌のレコードは売っていないそうだ。当然、ラジオやテレビで流れることはない。
でも、とKさんは言う。
「これからはお互いができるだけ歩み寄らないと駄目ですね。韓国も、日本にただ謝れといってるだけじゃ進展がないと思います。とにかくわたしは、韓国と日本に限らず世界中の人が仲良くなって欲しいと願ってます」
全くその通りです、と私は小さく答えた。
Kさんは忙しい。毎日、昼の十二時から夜の十二時まで働いている。その間、食事をとるのもままならない。
「でも、最近は十日に一ぺんは休みを取るようにしたの。そうじゃないと、体がもちません」
――休みの日はどうしてるんですか?
「お店の寮に住んでるんですが、ただただ一日中眠ってます(笑)」
――映画とかは観に行かないの?
「映画……去年だったか……観に行ったことがあります。『ダイ・ハード3』だった。面白かった。でも、今は部屋で眠ってる方がいいですね」
広報の男性が言う。
「この人たちは、必死になってお客さんにサービスをするんです。日本の女の子のように手抜きをしない。情があるんですね。日本人が忘れた情を、この人たちはまだ持ってるんです。だから、疲れちゃうんでしょうね。でもお客さんは感激して帰って行きますよ」
Kさんは毎月、ちゃんと韓国の実家に仕送りをしている。だが、将来、母国に帰る気はないそうだ。
「もう、日本に慣れちゃいましたから。日本の方が住み易い。そんなわたしが、ふと韓国に帰っても、なにかとかえって大変なような気がするんです」
――もしかすると、日本で好きな人でもできたんですか?
「はい!!」
――そりゃよかったですねえ。じゃ、ゆくゆくはその彼と結婚を?
「はい。できれば結婚したい。去年、韓国から母が彼に会いに来たんです」
――彼の仕事は?
「サラリーマン」
――お母さんは結婚に反対はしてないの?
「ええ。お前が幸せになれるなら、それでいいと……」
では体験取材を、と思ったがこの後、Kさんの予約は夜までビッシリとつまっている。
仕方がない。
一時間、一万円の極楽。一時間、一万円の救世主のテクニックを目前にしながら、私たちはサッカーのワールドカップ共催の成功と、これからのアジアの平和を祈り、Kさんと別れた。泣く泣く、別れた。せっかく赤マムシドリンクを飲んだというのに……。
その足で私たちは午後三時の蕎麦屋に入り蕎麦も食せず冷や酒を呷り、気がつけばもう夕暮れ。しかしまだマムシの力は体中にみなぎっており、場所を居酒屋に移し、なんの罪もないモリ君を電話で呼び出す。そして気がつくと朝を迎えていたが、まだ体にみなぎるのは、やはりマムシの力か、それともはたまた、Kさんへの恋慕であったか。
気の毒だったのは、マムシドリンクも飲まずKさんにも会わず、ただ男二人に呼び出されたモリ君である。モリ君が一人荒れたのは言うまでもない。
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グランドキャバレー[#「グランドキャバレー」はゴシック体]◎池袋
[#1字下げ]1996年8月◎軍反乱罪、内乱罪に問われた韓国全斗煥元大統領に死刑、廬泰愚前大統領に懲役22年6カ月の判決。[#「1996年8月◎軍反乱罪、内乱罪に問われた韓国全斗煥元大統領に死刑、廬泰愚前大統領に懲役22年6カ月の判決。」はゴシック体]
「オーナーは八十歳のおじいちゃんなの。店は毎日、赤字だよ」
かねてから、キャバレーというものに行きたいと本誌編集長に言っていた。
私のいうキャバレーとは、春なら桜祭り、夏なら納涼祭り、秋はマツタケ祭り、冬は、えーと冬は、雪合戦大会? と、とにかく一年中なんとか祭りをやっている店である。
店の前ではハッピ姿に長いハチマキをしたお兄さんが、「ヨッ、シャチョー、三千円ぽっきりでどうだ」とか叫び、店内ではテーブルの上にフルーツの山盛りを置き、「ソレ、ソレ、ソレーッ」とか言いながらホステスと客がなぜか盛りあがっているやつである。
そして、よく聞くでしょ。演歌の歌手なんかが「十年間、キャバレー回りをしていました」とか。そういう苦節関係の方が客の誰にも見られずにステージに立っている店である。私の知り合いにも二十数年前に、全国のキャバレーを金粉ショーをして渡り歩いた輝かしい過去を持つ男がいる。その話を聞いた時は、アングラ劇に憧れていた私はいたく彼を尊敬したものだ。その男は今、女房と小学生の息子を抱えて失業中ながら、実に明るく朝から酒を飲んで日々をうっちゃっている。やはり立派な人物である。
余談だが、それはキャバレーではなくビアガーデンだったが、私は学生時代に友人たちと酔客の前でコントをしたことがある。受けるどころか、誰もこちらを見ない。三人で、一日一万円を貰った。あの時のマゾヒスティックな快感は今も忘れられない。
ヤクザ映画にもよく出てくるでしょ、そういう店が。バンドがひっきりなしに音楽を鳴らし、店内はやたら盛り上がり、ホステスが右往左往し、ヤクザが「ビール持ってこんか!!」と叫ぶ。そして、いきなりピストルを持ったヤクザが乱入する。
そんな、切なくも楽しく危なそうな店に私は行ったことがない。
だから、私はぜひともキャバレーに行きたい!!
だが編集長の返事はつれないものだった。
「もう、そんなキャバレーは東京にはないよ。名前はキャバレーでも、みんなピンサロと同じ。北海道にでも行けば、そんなキャバレーがあるかもね」
淋しかった。時代は確実に移り変わっているのだ。
北海道か、北海道……と思い悩んでいるとヨシタケ氏から電話があった。
「会社の人間にいろいろと訊いたんだけど、どうやら永沢のいうキャバレーが池袋にあるらしいよ」
数日後、編集長と私は池袋駅に降り立った。
「たしか、この辺だって聞いたんだけど……」
そう言いながら編集長は空が暗くなりネオンが灯り始めた池袋の街を歩く。私はその後を追う。いつものことだが、シラフの時の編集長の足は早い。遅れまいと歩いていると、人にぶつかる。何度、「チッ」と舌打ちされたことか。殺気のようなものも感じた。もちろん私が悪いのだが、皆さん、やはり暑さでイライラしているようだ。最近は、駅で立っているだけで殴り殺されたり、通りすがりにナイフで刺されたりする事件が頻発している。たんに学校給食を食べただけで死んでしまうこともあるようだ。ゆめゆめ、ボンヤリするなかれ。
「あれだっ!!」
編集長が叫び指をさす方を見ると、赤く大きなネオンが煌々と光っていた。
「キャバレー 杯一」
ハイイチと読むのだろうか。それともパイイチか。とにかくその、まさに昔のヤクザ映画で見たような威風堂々たるネオンには、思わず嬉しくなり笑ってしまった。
編集長もネオンを前に満足気に頷いている。
店構えも大きい。
「これぞ、グランドキャバレーだな」
編集長が呟いた。
入口のドアは開いており、数人の男性店員が黒い背広姿で立っている。残念ながらハッピではないが、正統とか本流という言葉が頭に浮かぶ。残念ながら「――祭り」と書かれた看板もないが、正統とか本流という言葉が浮かぶ。軽い気持ちで来てしまったが、しかもサンダルをはいて来てしまったが、よかったのだろうか。
だがその心配は杞憂に終わった。「いらっしゃいませ!!」という幾つもの大声で私たちは迎えられた。
「何人様でしょうか?」
「二人です」
「それではビール二本とおつまみをお出ししますので、前金で三千円頂きます」
編集長が、郷に入らば郷に従いますよという顔で金を払った。
私たちはボーイさんにテーブルまで案内された。
ネオンも大きかったが、店内の大きさにもいささか驚いた。ちょっとした体育館なみである。嬉しいことにちゃんとステージがあり、ちゃんとした十数人の初老の男性が、ちゃんとトランペットやクラリネットを吹いている。ヤクザ映画の中でしかお会いしたことはなかったが、あなた方、ここにいらっしゃったのですか、という感じだった。「やっとお会いできましたね」と彼らに握手を求めたかったのだが、彼らは仕事中なのでそれはやめた。ステージ横には「リオのカーニバルショー」という垂れ幕が下がっている。そしてステージの前では、ホステスらしき女性と中老の男性が一組、なにやらダンスらしきものを踊っている。だが流れる音楽はどう聞いてもサンバではない。日本の歌謡曲である。
客の入りはキャパシティーの半分ほどだろうか。ほとんどが初老から中老の男性である。もしかすると、私たち二人が最年少かもしれない。そう私が言うと、編集長が「若い奴がこんな所に来るわけないだろ」と憮然とした。私は喜んでいるのに、どうも編集長は違うようだ。
ステージの左右にはテレビが備えつけられており、一台では巨人・阪神戦、もう一台では渥美清の追悼番組が流れている。
ビールが運ばれてきた。
「女の子の御指名はありますか?」
ボーイさんが尋ねる。
「ないよ。この店は初めてだから」
編集長が答える。
「承知しました」
ボーイさんが去り、ほどなくすると二人の女性がやってきて、私たちの隣に座った。編集長の隣には髪をアップにした、なかなか可愛らしい女の子。私の隣には、ロングヘアーのちょっと暗い感じの女の子。
思えば、私は今までオカマが隣に座る店には数えきれずに行ったことがあるが、女性に横に座られることは初めてだ。緊張する。三十七歳だというのに、なんとつまらない人生を送ってきたのだろう。
二人は中国人だったが、日本語がとても上手だ。二人とも上海出身だそうだ。編集長の隣の子はマキと名のり、私の隣の子はヒロミと名のった。
先日は韓国。今日は中国。この取材もグローバルになってきたものである。
私たちは二人の前にいつの間にか置いてあるグラスにビールを注いだ。
ヒロミが言った。
「チケット、どうする?」
「チケット?…」
「これ以上、飲んだり食べたりするなら、一人九千八百円のチケットを買ってください」
「九千八百円か。もう少し安くならないの?」
場馴れした編集長が言ったが、二人は念仏のように九千八百円と唱える。それさえ払えば飲み放題食べ放題だというので、編集長は財布を開いた。
マキとヒロミはビール。私たちはウイスキーを飲みながら喋った。つまみも何品かテーブルに置かれた。
マキがヒロミを指さしていった。
「この人、とっても頭がいいの」
ヒロミは上海の短期大学を卒業して新聞社の記者になったが、今は日本の大学で経済を学んでいるのだそうだ。将来は上海に帰り、商社に勤めたいと言う。全て、本人の話である。
「君は?」
とマキに訊いた。
「私は馬鹿だから、プラプラしているだけよ」
マキが大きな目をクリクリとさせてそう答えた。私はマキに好感を持った。
インテリのはずのヒロミは私に、やれ飲め、やれ食えと言って、実にうるさい。仕事熱心なのか、まだ不慣れなのか。その点、マキはいい。編集長に上半身をぐったりとゆだね退屈そうにビールを飲んでいる。編集長は迷惑そうだ。どうされれば嬉しいのだろう。
しばらくして生演奏がやむと、ステージに司会らしき男が現われた。
「お待たせいたしました。夏木まり子さんの歌をお楽しみ頂きます」
どこの誰やら知らぬが、夏木まり子さんが笑みを浮かべて現われた。年齢のほどは……わからない。レオタードみたいなのを着て、すけた白いスカートをはいている。お客さんは誰も彼女を見ない。いいぞ、これがキャバレーでの芸人に対しての正しい姿勢なのだ。
「誰も聞いていないのに、よく歌ってられるよね」
マキが煙草をふかしながらそう言う。
いいぞ、これこそキャバレーの正しいホステスのもの言いなのだ。
よくこんな店を見つけてくれた。私は感謝の念を込めて編集長の目を見つめたが、氏はとてつもなくつまらなそうだ。なぜだろう。
マキによると、このキャバレーは昔、映画館だったそうだ。キャバレーとなり三十年がたつと言う。
「オーナーは八十歳のおじいちゃんなの。店は毎日、赤字だよ。ホステスが百人ぐらいいるし、バンドの人にもお金を払わなくちゃいけないし。まあ、おじいちゃんの趣味で店をやってるようなもんね」
夏木まり子さんは、テレサ・テンとか美空ひばりとか、死んだ人の歌ばかりを三十分歌って退場した。退場する時だけはさすがに拍手があった。私も拍手をした。
香港のそして中国の将来を四人で語っていると、ヒロミが突然言った。
「チケットが切れたから、あと五千円分買ってください」
よくわからない。
私たちは帰ることにした。
ヤクザの乱入がなかったことだけが、残念である。
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雨は降るがままにせよ
ソープ嬢[#「ソープ嬢」はゴシック体]◎吉原
[#1字下げ]1997年5月◎総会屋への利益供与で野村証券・第一勧銀に捜査。神戸市で小学生の切断頭部が中学校正門前に置かれる。[#「1997年5月◎総会屋への利益供与で野村証券・第一勧銀に捜査。神戸市で小学生の切断頭部が中学校正門前に置かれる。」はゴシック体]
「一度でも風俗で働くと、そういう匂いがわかるんですよ」
『今月のナンバーワンギャル情報』という風俗情報誌がある。そこに吉原にあるTというソープランドの、池宮エリという源氏名をもつ女性が紹介されている。
「池宮エリ(|21《ママ》歳) T172B92W59H88
『超ハードの致せり[#「の致せり」に傍点]尽せり、技のデパート!』
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
◎ルックス・色白美人 性格・超エッチ 体形・スリムでグラマー 相性・すべてOK 髪形・ストレートでロング サービス・濃厚テクニシャン」
[#ここで字下げ終わり]
東京の品川で生を受け、ミヨコと名付けられた少女が、人間として自分の回りの状況を把握できるような年齢になったとき、彼女の住むアパートの部屋には、母親と五歳上の姉がいた。テレビのアニメなどで目にする父親という存在はなかった。だが、少女はそのことを不思議とは思わず、幼な心にヨソノイエハヨソノイエ、ウチハウチ、とひとり納得していた。ナゼウチニハオトウサンガイナイノ? と母親に尋ねることもしなかった。尋ねては母親を悲しませるような気がした。
「わたしが大きくなってから知ったんですが、わたしが生まれてすぐに両親は離婚したようです」
ミヨコの父親は、工場に勤務する真面目なサラリーマンだった。だが、次女であるミヨコが産まれて間もなく、工場で大きな事故が起こった。父親は事故に関与していなかったが、上層部から濡れ衣を着せられ事故の責任を問われ、解雇同然で退職する。その日から父親が変わった。人間不信に陥り、再就職をする気もなくアルコール漬けの日々。真面目なサラリーマンが酒乱と化すのに、時間はさほどいらなかった。酒瓶を片手に妻や長女を殴る蹴る。耐えられなくなった妻は、乳児である次女を抱き、着のみ着のままでアパートを飛び出し、千葉の実家へ逃げ帰った。
「後で姉に『わたしだけ置いていかれて大変だったんだからね』って恨みがましく言われました。姉の腕には今も、そのとき父に火のついた煙草を押しつけられた火傷の痕が残ってるんです」
母親の訴えで親戚の人間が間に入り離婚が成立。父親はアパートを出て行った。娘を二人抱えた母親は、働きに出ることになる。
「夕方出て行って、夜中の二時や三時に帰ってくるんです。私の想像では、飲み屋か風俗で働いていたと思うんです、絶対に。さすがに本人には訊けませんけど(笑)。
わたし、今、たまに実家へ帰ると、『あんた、水商売やってるんじゃないでしょうね』ってお母さんに言われるんです。『やってない、やってない、絶対にやってない!』って否定するんですが、どうも疑ってるみたい(笑)。一度でも風俗で働くと、そういう匂いがわかるんですよ。あ、この子、風俗やってるな、と。風俗でも、ヘルスだな、ピンサロだなって。職種によって微妙に匂いが違いますから。だから親子で匂いを嗅ぎ合って、やばいっすよ(笑)」
母親が仕事に出かけると、部屋には幼い姉妹だけが残される。夕食は母親が用意していってくれるか、そうでないときは、近所の焼き肉屋で食べた。母親が出がけに焼き肉屋に金を渡し、これで娘たちに食べさせてくれと頼むのである。焼き肉の日は週に三度はあった。
「夫婦だけでやってる焼き肉屋さんで、わたし、ちっちゃかったからか、すごくかわいがられたんです。でも、お姉ちゃんもわたしもとっても遠慮してましたね。お金払ってるのに、『御飯、食べてもいいですか?』みたいな(笑)。もじもじしながら食事してました。食事を楽しむって感じじゃなかった。
それで食べ終わると二人でおうちに帰って、部屋の掃除をして二段ベッドで寝る。わたしが下のベッド。そんな毎日。で、どんな夜中でも、お母さんが帰ってくるのが気配でわかるんです。お母さんは、わたしたちのベッドの下で布団を敷いて寝るんですが、帰ってくると、わたしは必ず起きてベッドから出て、お母さんの布団に潜り込んで寝てました」
やがてミヨコは幼稚園に入るが、半年ほどで中退する。
「あまりにも行かないから(笑)。昔から好きじゃないんです、集団行動が。朝はいちおう、制服に着替えるんですよ、黄色い帽子も被って、バッグも首から下げて。下げるんだけど、なぜか、コタツの上に座ってテレビを見ちゃうんです。『のっぽさん』とか『一、二のさんすう』とか。
そうすると、あっという間に九時とかになって、『わー、幼稚園へ行く時間だ。どうしよう』って思うと次の瞬間、眠っちゃうんです、コタツの上で(笑)。帽子もちゃんと被って、ゴンって寝てる(笑)。はっと気がつくと三時ぐらいなんですね。お母さんもその頃起きてきて、『また行かなかったの? しょうがないわねえ』って。お母さんにはあまり怒られなかった。ただ、一回だけすごく怒られたことを覚えてる。ウチで食事をしてるとき、いまだになんであんなことをしたのかわからないけど、わたし、突然お椀をガンってコタツの上にひっくり返して、御飯を食べ始めたんです。あのときは怒られたなあ……」
その頃、一人の男が頻繁にミヨコたちのアパートを訪れるようになる。
「お母さんの好きな人なんだなあって思ってました。べつに嫌だとか思いませんでしたよ。そういうもんなんだろうな、と。なんか、妙に悟りきった子どもだったんです。『人生なんかさあ』って(笑)」
だがこの男、妻子がいた。不倫である。母親は真剣に男を愛していただけに、ままならぬ恋に悩んだ。
「お母さんがね、明け方とかね、わたしを抱きしめてね、泣いてたりとかしてたんですよ。わたし、抱きしめられながら、『泣いてるなあ、悲しいんだろうなあ』ってボーッと思ってました。お母さんの涙がわたしの頬っぺたに落ちて、それが暖かかった……」
しかし、男は想い人のために頑張った。ミヨコが小学校に入学する直前、男は妻と正式に離婚をし、想い人と籍を入れ、一人息子を連れてミヨコたちのアパートへ移ってきたのである。ミヨコが生まれて初めて「お父さん」と呼ぶ人間の出現である。「お父さん」と呼ぶことにミヨコは抵抗はなかった。
「それに急に弟ができたわけです。かわいかったなあ。嬉しくって、いつも一緒に遊んでやってました。弟か妹が欲しかったからねえ……」
だが、その弟はたった三カ月で、ミヨコの前から姿を消す。いつものようにミヨコが近所の公園の砂場で弟と遊んでいると、見知らぬ女性が二人に近づいてきた。「――ちゃん」と女性は弟の名前を呼んだ。顔を上げた弟は女性を見ると、「ママ!」と叫び、女性に駆け寄る。女性は弟を抱き上げると、「ママと一緒におうちに帰りましょう」と言い、ミヨコには何も言わずに立ち去った。かわいい弟は姉のほうを振り返ることはなかった。
いったい、何が起きてしまったのか……。
ミヨコは夕暮れの砂場で、いつまでも呆然と立ちつくしていた。
薄暗くなりかけている東京の街には、朝から春雨がそぼ降っている。半蔵門にあるシティホテルのロビーで、私は、ミヨコ、現在の池宮エリと待ち合わせをした。膝までの黒いスカート、やはり黒のレースのブラウス、それに白いジャケットを羽織り池宮エリは現われた。身長が一六六センチの私は、やや顔を上向きにして彼女と挨拶を交わした。
――今日は、吉原のお店のほうは休まれたんですか?
「ええ。最近、あまり店には顔を出してないんです。わたし、仕事に気が乗らなくなると、ガーンってまとめて休んじゃうの」
そう言う池宮エリの瞼は、やや腫れぼったく眠そうだ。
「昨日は、朝まで友達と歌舞伎町で飲んじゃって、昼間はNTTに電話料金を払いに行ったり、池袋のソープに行ったりしてたから、眠ってないんですよ」
――池袋のソープ?
「ええ、そこで働いてる女の子から、『今の店を辞めて、ウチで働かないか』って誘われてたんで、店の様子を見に行ったんです」
――どうでした?
「個室が狭くて汚くてねえ……今のお店で働いてけっこう長いから、そろそろ別の店に移ってもいいかなって思ってたんですけど、中を見たらイヤんなっちゃった。あんな店にいたら、自分の人生まで暗くなりそう……」
ガラス張りのロビーの外に降る雨は、やむ気配を見せない。
仕事を終えたらしいOLたちが、色とりどりの傘を手に、地下鉄の駅に向かって急ぐ。
「銀座のファッションヘルスを辞めて、吉原のソープで働き始めたんですが、最初の店は社長と大喧嘩をして辞めたんです。わたし、風俗雑誌のグラビアには絶対に出ない、という条件でその店に入ったんですね。たしかにAVにも出たし、ヌードモデルもやってたけど、風俗嬢としては雑誌に出ませんよ、と。でも、社長が勝手にわたしの撮影を雑誌社に約束しちゃって、『約束が違います。それなら辞めさせていただきます』『ああ、辞めろ。今すぐ辞めろ!』って、もう売り言葉に買い言葉で今のお店に移ったんです。
逆に今の店ではボーイを一人、クビにさせました。そのボーイ、女の子に対等に口をきくんです。『ウチの社長は女の子の管理が甘いよな』とか、『あんたらはいいよな、楽して稼いで』とかね。ボーイがですよ。ボーイはそういうことを言っちゃいけない立場。そもそも、女の子に話しかけること自体がボーイとして間違ってるんです。女の子が話しかけたときは口を開いてもいいんですが、それも常に敬語で答えるのが基本。だからムカついたんで、そのボーイのことを社長に言ったら、その日のうちにそいつ、ボコボコに殴られて店を追い出されました。
ボーイさんたちは、女の子が働いてくれているから自分たちが給料をもらえるんだ、という考え方を持たないとねえ……客にさんざん威張られてるのに、従業員にまで威張られたらさ、やってられませんよ」
――ボーイさんは、女の子たちのストレスを吸収する立場でなければいけないんですね。
「そうですね。でもまあ、女の子も……風俗で働いている女の子って、少なくとも三分の二はルーズですね。他人のこと、言えないけど(笑)。一つの店で、キチンキチンと真面目に出勤する子が一人いればいい方。
でも、女の子が無断で休んでも、店長は怒っちゃいけないんです。怒るとその子、飛んじゃう(店を辞める)から。大変ですよ、店長。毎日、女の子に『今日も綺麗だねえ』とか機嫌を取って。しばらく休んでて、お店に『明日出勤します』って電話するじゃないですか。すると店長は必ず、『もう、池宮さん、何やってたの? すごい淋しかったよ、僕。元気だったの?』って言います。『池宮さんが来ないから、僕、死にそうだったよ』ぐらい言うんですよ」
――ホストクラブのホスト状態ですね。
「そうですね。で、それに弱いんですよ、女の子って。そうやってかわいがってもらっちゃうと、そのお店にいたくなるんです。自分を必要とし、大事にしてくれている人がいるっていう錯覚に陥って、気分が良くなるんです」
――今のお店の料金はいくらなんですか?
「フロントに三万、女の子に五万。八万円ですね」
――それはサラリーマンにとって……。
「きついと思う。だから店の女の子とよく、『月に一度、来てくれるお客さんって、すごいよね』って話すんです。サラリーマンのお給料で、たった二時間のために八万も払っちゃってね……。なかには、命かけて来るような人もいますからね。『半年、バイトして貯めたんです』とか言って、一万円札を握りしめて……。ジーンときちゃいますね」
――たぶん、その人は、池宮さんを指名することを支えとして、半年間、働いたんでしょうね。
「うん……」
――バイト先で辛いことがあっても、池宮さんに会いたいと。
「うん(笑)」
学校に入学した年の九月、ある朝、ミヨコが目を覚ますと、居間で母親がうずくまって声を殺して泣いていた。どうしたんだろう? 「お父さん、出て行っちゃった」と母親が言った。その手には、夫が残した一枚のメモ用紙が握られていた。
「そのメモ用紙、まだ残ってるんです。わたしとお姉ちゃんの幼稚園のときの健康手帳とか写真なんかが入ってる箱があるんですが、この前、実家に帰ったときに箱を開けてみたら、その中にあったんです。――幸せにできずにごめんなさい。僕は死にます――って書いてありました」
母親は泣きながら外に飛び出した。訳もわからずミヨコもその後を追う。二番目の父親はすぐに見つかった。弟が連れ去られた公園のベンチでうなだれて座っていた。母親が駆け寄る。懸命に夫に何事かを話しかける。夫は力なくうなずく。今の二人に子どもは近寄っちゃいけない。そう感じたミヨコは、二人から離れ公園の鳩を追い駆け回した。鳩と遊びながら、いっさいの事情はわからないが、これで一件落着と安心した。
だが、その一カ月後、悩める男は車にはねられ、妻とその二人の連れ子を残し、死んだ。
「わたしがいちばん悲しかったのは、なんか不思議なんですけど、もちろん二番目のお父さんが死んだことも悲しかったんですけど、もっと悲しかったことがあるんです。よくウチに、お父さんの会社の仲間のオジサンが遊びに来てたんです、飲みに。その人はいつも、シベリアっていう、|餡《あん》の入ったパンをお土産に持って来てくれるんです。それがとても嬉しかったんですね。
お父さんが死んだ日、何も知らずにそのオジサンが来たんです。お母さんが玄関先で何かを説明している。オジサン、びっくりした顔してるんです。何が起きたんだかわかんないみたいな顔して、『え?』みたいな。その目に涙が、すごい溜まってたのね。それを見て、わたしすごく悲しくなったんです。そして、シベリアのオジサンと二度と会えないんだなあって思って、悲しくなったんです」
二番目の父親の葬式は、父親の実家のある新潟で行われた。母親は呼ばれなかった。
母親は二人の娘を連れ、自分の父母の暮らす実家に引っ越すことに決めた。
「怖いのがね、後から知ったんだけど、お姉ちゃんねえ、二番目のお父さんが死んだとき、よかったあ、って思ったらしいの。『あのときね、あいつ、死んでくれて本当に嬉しかった』って言ってた。よっぽど嫌いだったのね」
――でも、お姉さんは実のお父さんのことも嫌いだったんでしょう。煙草を押しつけられたりして……。
「それがね……ある程度、大人になってから、わたし一番目のお父さんの悪口を言ったんですよ。わたしには記憶がないけど、昔から嫌なことばかり聞かされてたから、お母さんとお姉ちゃんの味方みたいなつもりで。そしたら、お姉ちゃんが『やめてよ、わたしのお父さんなんだから悪口を言うのは』って怒ったんです」
――君のお父さんでもあるのにね……。
「うん。『わたしのお父さんのこと、そんなふうに言わないで』って。そうか、一番目のお父さんは、お姉ちゃんのお父さんだったのか、と思いましたね」
実家で暮らすようになると、世間体もありさすがに夜の仕事はできない。母親はスーパーマーケットで働き始めた。だが、その給料では二人の子どもを養うのは難しい。年金で暮らす自分の父母にも、多少は金を渡さなくてはいけない。母親は親戚の勧めで見合いをする。相手は離婚経験者で、ミヨコより三歳上の娘がいる男。その男がミヨコたちの三番目の父親となった。ミヨコ、小学校二年生のときである。
「今度はお姉ちゃんが一人増えちゃった(笑)」
ところがこの三番目の父親。ひどい癇癪持ちだった。九州生まれで、ふた言目には「九州男児はなあ」と、妻や子どもたちに威張りちらす。だからスケールが大きいのかと思うと、夕食時に自分の唐揚げが一つ少ないと言っては半端じゃなく怒る。
「馬鹿馬鹿しくてつき合ってられないって感じですね。結局、二年後にお母さんは離婚しました。離婚するとき、向こうの実の娘さえ、こっちに残りたいって泣いたような男なんです。さすがにそれ以来、お母さんは男に懲りたみたい。その後、最初のお父さんから『やり直そう』って電話があったけど、うんざりした顔で断ってました」
「実はお姉ちゃんも一回、離婚してるんです。今は再婚してますけど、姉妹はどちらかが母親と同じ道を歩むそうですね。だから、わたしは離婚しないか、それとも結婚しないかのどっちか(笑)」
――お姉さんもAVに出てたんですって?
「うん。わたしが高一の頃かな。最初に結婚した男が働かないんで悩んでるとき、東京でスカウトされて単体ビデオに何本か出たみたい。お姉ちゃん自身から聞いたんです。あんたにだけ教えるって。わたしがソープで働いていることも、お姉ちゃんだけは知ってます。病気にだけは気をつけろって、心配してくれる」
母親と三人目の夫との離婚が決まったあたりから、ミヨコは原因不明の不眠症に陥った。蛍光灯の豆電球だけをつけて寝床に入るのだが、その橙色の電球を眠られぬまま見つめているうち、不意に少女の心に閃くものがあった。
わたしは絶対に社長になり金持になる!
それからは毎晩、電球に「社長になってやる」と、ミヨコは何時間もまんじりともせずに誓った。前向きな不眠症である。
「あれはいったいなんだったんでしょう。やはり家が貧乏だったからかなあ……」
大人になったら社長になる、と決意してから、ミヨコの生活が一変した。小学校に顔を出さなくなったのである。それだけではない。何日も家に帰らない日が続いた。ランドセルをコインロッカーに入れ、町をふらつく。夜は公園や歩道橋の上で眠る。腹が減るとコンビニエンスストアに入り、その場でパンの袋を破き食べる。あまりの大胆さゆえか、店員に咎められることはなかった。中学生の少年に、「君、いくら?」と訊かれ、慌てて逃げたりもした。中学生が小学生の少女のからだを買う社会が存在していたのである。そのときだけは怖かった。男性のお尻のポケットからすれ違いざま財布を盗む技術も独自に習得した。生きるための知恵だ。
「社長になるためには、学校の勉強なんか必要じゃないと思ったんです。世の中に出たら学歴なんか役に立たない。必要なのは強い心だ、と。強い心を育てるには、家にいてお母さんに甘えていてはいけない。それで家を出て、自分の居場所を探してたんです。自分が必要な、自分を必要とする、ノビノビと息のできる居場所を。それを探しさえすれば、いつか自分は社長になれると思ってました」
しかし、コンビニエンスの店員には捕まらなかったが、小さな女の子が深夜に公園で眠っていたのでは補導される。補導員は、「自分と家族について作文を書くように」と言った。ミヨコが一心不乱に書き上げた原稿用紙は十枚を越えた。一読し、補導員は「事実は小説より奇なり、だな」と呟いた。学校の担任の教師には激しく説教された。女教師はこう諭した。
「あなたはね、あなたは家に帰って御飯を食べさせてもらって、学校の宿題をやって、寝て起きて、お母さんの選んだ洋服を着て、ちゃんと学校に来ればそれでいいのよ」。こいつ、何もわかっていない。ミヨコは黙ってそれを聞いていた。ただ、怒りのあまり涙が出た。その涙が反省のそれと思われてるようで口惜しく、また涙が出た。今に見てろ、わたしは社長になってやるんだからな。
「そんなふうにずっと何かに怒って、サバイバルみたいな生活をしてたから、中学に入ったとき、なんか疲れちゃったな、という気持になった。明日、目が覚めたらまた生きなくちゃいけないんだなあ、それは面倒くさいな、かったるいな、と。ましてや学校に行って何時間も机に縛られるなんてとんでもない……」
ミヨコは毎日のように近所のビリヤード場に入り浸る。そこの退廃的な雰囲気が、人生に疲れを覚えた中学生の気分に合った。ボディコンシャツなどを購入する金は、賭けビリヤードで巻き上げた。セックスを体験した相手も、ビリヤード場で知り合った二十歳の男だった。
学校に行かないわりには試験の成績は悪くなかったので、ミヨコは、母親と教師に半ば強制的に高校に進学させられる。
「でも、同級生がもう高校生なのに、教師にあまりに従順なのにムカついて、中退するってお母さんに言ったら、お母さんが泣いちゃって、これはやばいなって思って……お母さんは中卒だから娘には高校を卒業してほしかったんでしょうね。お姉ちゃんもいちおう、高校は卒業したし……その後AV女優だけど(笑)」
高校時代、やはりビリヤード場で知り合った二十七歳のサラリーマンとミヨコはセックスの日々を重ねる。
「一度、その人に、『なんでわたしみたいな子どもとつき合ってるの?』って訊いたの。そしたら『お前はどう見たって二十や二十一にしか見えないし、俺もそうとしか思えない。ものの考え方からして、お前は十六歳じゃないよ』って言われた。男の人に、お前って呼ばれたのは初めてで、背筋がゾクゾクした。支配される快感っていうんですか?」
高校の卒業が近づき、ミヨコは担任教師に「就職はどうするんだ?」と訊かれ、「バニーガールになる」と答え頭を殴られる。
「だって、わたしたちが高三の夏にバブルが弾けて、やってられるかってくらいの安い給料の就職案内しか学校に来なかったんです。ホント、昭和四十九年生まれは、人生の節目節目でロクなことがない」
ミヨコは職安などに通い、独自に就職活動をし、東京にある通信会社の営業所に就職する。給料は手取りで二十三万円。高卒女子の初任給としては破格だった。
「錦糸町のピンサロに勤めていた頃、仕事が終わって店を出ると常連の若いお客さんが待ってて、後をついてくるのね。『どこに行くの?』って訊くと『両国』って言うから、なんだ隣の駅じゃん、とか思って一緒に電車に乗ったんです。
でも、両国に着いても降りない。わたし、代々木で一人暮らしをしてたから怖くなって、『どこまで行くの?』ってまた訊いたら『新宿』。でも、代々木でそいつ、わたしと一緒に降りちゃって、ずっとつけてくるの。そして『君と一緒に御飯を食べたい』と。そうすれば帰るって言うから、中華料理屋に引きずり込んで、わたしはチャーハンを注文してガガーッて食べて七百円をテーブルにバンと置いて(笑)、店を出たらまたつけてくる。走って逃げて、わたしのマンションの近くのビルに入って、そこの屋上で三時間ぐらいジッとしてた。冬だったけど、恐怖心で寒さなんか感じなかったなあ……」
――最近はそういう怖いことはないの?
「あった。マンションに帰ったら、お客さんからのファクス用紙が床一面に何十枚も落ちてたの。『好きだ。愛してる。結婚してくれ』ってことばかり書かれている紙がいっぱい! 一回来ただけのお客さんなのに」
――どうしてその人、君のファクス番号を知ってたの?
「自宅の電話はファクスに自動切り換えになるんです。わたし、お客さんから名刺をもらったり電話番号を教えられると、つい自分の電話番号を教えちゃうんです」
――なんでまた……(笑)。
「だって、お金をいただいたお客様だし……申し訳なくて……やめたほうがいいですかね?」
――はい(笑)。
だが、ミヨコは半年で会社を辞める。給料は良かったが、その分、仕事が過酷だった。昼は外回りで、夜は十時過ぎまで会社で残務整理。まだ千葉の実家に住んでいたので、毎晩カプセルホテルで眠る。心身共に限界を感じた。退職し、就職情報誌を眺めていると『バニーガール募集』とある。高校の教師に「バニーガールになりたい」と言ったことがまんざら嘘ではなかったミヨコは、コンパニオン派遣会社だと思い、面接に赴く。だが、そこはピンサロだった。しょうがない、これも何かの縁だ。
「ピンサロは楽しかった。今、ソープで働いてるけど、それより全然楽しかった。ピンサロって、狭いボックスでお客さんとぴったり肩寄せ合うでしょ。初めての人でも親密感が増すんです。わたし、この他人との親密感を求めてたんだな、と思った。ソープって二人きりになっても個室が広いから、あまり親近感が湧かないんです」
しかし、天職とまで思ったピンサロをミヨコは一年で辞め、ファッションヘルスへ移る。
「一日に二十本以上も抜くわりには、もらうお金が月に六、七十万円と少なかったんですよ」
ファッションヘルスに勤めながら、ミヨコは企画物のAVやSM雑誌のモデル、ストリップなどの仕事をする。だがどれも、ピンサロで満喫できた他人との親密感が得られない。それなら、手っ取り早くお金を稼げるソープで働こうか。ソープ嬢・池宮エリの誕生である。
外の雨はやむどころか、路上を叩く音をますます激しくさせている。
――失礼ですけど、現在の収入は?
「月に十日ほど店に出て、百五十ぐらいかな」
――百五十万円!! そりゃすごい。でも、それだけ大変なお仕事なんですよね。
「うーん……自分は何を目指してソープで働いてるんだろうって悩むときがありますね。もう二十二歳ですから」
――まだ二十二歳でしょう。
「もう二十二歳なんです。わたし、二十歳になったときに焦りを感じましたから。もう二十歳になっちゃった、どうしようって。ああ、どうしよう、どうしよう、どうしようと思いましたね。二十歳だよ、どうしよう、どうしよう。行く先が決まってないよ、と焦った」
――焦りというのは、人生に対する焦り?
「うん。自分が頭の中で描いていた絵が、果たして完成するのかという……」
――その絵とは?
「それはもう、社長になることで(笑)」
――それは一貫してるんですね。
「そうです」
――そのための貯金はしてるの?
「いちおうね。でも、すぐ好きなことに使っちゃうからなあ……。好きなことといえば、今度、旅行に行くんです」
――どちらに?
「すごいとこに行くんですよ。北京に行ってパキスタンに移動して翌日の便でコペンハーゲンに行って、ポーランド、チェコスロバキアとか、バルカン特急でキーって行って、トルコ、エジプト、イスラエル。最後にタイとマレーシアに行って帰ってくるんです。一カ月ぐらいかな」
――……………ツアーですか?
「個人旅行です。旅行会社の人に相談して、あっちも行きたい、こっちも行きたい、ってやってたら、そんな旅になっちゃった」
――月並みな言い方ですが、そういう旅をしたら、自分の中で何かが変わるというか、君が探し続けていた居場所が自分の中で見つかるかもしれませんね。
「一昨年、モンゴルに行ったときは、世界観というか地球観が変わりましたね。冬だったんですけど、視野がすごく広くて遮るものが何もない。あるものは、枯れ果てた大地と空だけ。天と地の間にわたし一人がいるんだなあって実感しました。天と地と自分。初めて宇宙の中の自分を認識しました」
――錦糸町や吉原にはありませんもんね。
「天と地はね(笑)。でも、今度の旅行にはそんな価値観が変わるかも、みたいなことは期待してないの。行きたいから行くだけ。社長になるって言ってるわりには、最近、なんか生への執着心が希薄なんです……だから、ワルシャワやイスラエルあたりで死んじゃってもいいかな、なんて思ったりして……それはそれでわたしの運命だし……」
――……来月ぐらいに出発するんですか?
「――今月の二十三日。あ、やばいな、あと何日? 十日ですか。ちょっと、明日からお店に出よう(笑)。怖くなってきた、帰ってきてからの生活費が(笑)」
――じゃ、明日あたり、僕も八万円を握りしめてお店に行こうかな。
「もう、絶対にいや(笑)。やめてくだっさーい(笑)、恥ずかしいよお(笑)」
雨は降るがままにせよ、と言ったのはニューヨークからモロッコに安住の地を求めて移り住み、その地で妻を亡くした作家のポール・ボウルズである。
[#改ページ]
あとがき
人間と同様、雑誌の終わりというものも呆気ないものである。
去年の晩秋、コアマガジンの雑誌『クラッシュ』の編集長から電話があった。これは毎月のことである。私が受話器を取ると、アルコール性肝炎でぶっ倒れて病院に救急車で運ばれたことのある私よりもガンマGTPの数値の高い編集長が、『ケッ、この世の中で面白いことなんかなんにもねえよ』という心中を、何もそこまで露骨に表現せんでも、と感心してしまうくらい気怠く不機嫌な声で、「今月はどうする?」と訊いてくる。「どうする?」という意味は、今月はどういう風俗店を取材いたしましょうか、ということである。私は彼の雑誌『クラッシュ』で毎月、風俗の取材文を連載しているのだ。
どうする? と訊かれ、『フンッ、どうせあんたは昨日も朝まで飲んで家に帰って日常化した奥さんの叱責を浴びヘロヘロの状態で出社し、日常化した部下のモリ君の白い視線を背に受けながら仮眠室に歩を進めて今まで眠ってたんだろ。もう夕方だぜ』という心中を、何もそこまで露骨に表現せんでもと我ながら感心してしまうくらいに気怠く不機嫌な声で、「どうしましょう?」と応ずる。「どうしましょう?」という意味は、私は何も考えていませんよ、ということである。
二人はしばし沈黙する。やがて編集長が、「明日までに考えようか……」と言う。「考えます」と私は答え電話を切る。それが常だった。大抵、アルコール浸しになっている二人の考慮は取材対象を決めるに至るまで二、三日はかかった。その間、さぞや編集長は、あんなにものを考えない積極的ではないフリーライターは他に知らん、と怒っていただろう。私も、あんなにものを考えない、仕事に対して投げ遣りな編集者は他に知らん、と思っていた。
だが、その日の電話はいつもと違っていた。
口調は同じだが、編集長の口から「今月はどうする?」という言葉が発せられない。その代わり、「あのね」という言葉が私の耳に届いた。
「あのね……」
「うん。今月はどうしようか……なんか、新しい風俗ってある?」
「いや、もう、いいんだ……」
いいんだ……あ、そうか、やっぱりさすがにあの私の連載を打ち切ることに決めたんだな……そりゃそうだ、ちゃんとしたエロ本で風俗情報と銘打ちながら、あれほど読者の方々のお役に立てないページもなかったものなあ……今まで何年も連載が続いた方が不思議だよ。
「わかりました」
「えっ、わかったって何が?」
そんなとぼけた声を出さないで下さいよ。私だって元はエロ本の編集者。私の風俗に関する文章がいかにエロ本に無用か、いや、無用どころか利益をあげなければいけない雑誌にとって、いかに邪魔な存在であったかは重々承知しておりました。それなのに今まで、いくらものを考えないとはいえ、よくエロとして実用的ではない私ごときの文章を載せ続けてくれました。本当に編集者としてものをお考えにならなかったあなたですが、ありがとうございました。
「何がって……」
「えっ、さっき決まったばっかりなのに、もうミッちゃんにまで情報が行ってるの?」
「じょ、情報ってそんな大袈裟な……僕の連載が打ち切りになったんでしょ?」
「………うん……」
「はははっ……そんな暗い声を出さないで下さいよ(いつもだけど)。また何か僕にでもできることがあったら声を掛けて下さいよ」
「違うんだよ、ミッちゃん。ミッちゃんだけじゃなく、他の人もみんな打ち切りになったの……」
「えっ……」
「『クラッシュ』の廃刊が、さっき会社の会議で決まったんだ」
さては発禁か? 『クラッシュ』は数あるエロ本の中でもかなり過激な雑誌だったから当局からそのようなお達しが出たのか?
「発禁?」
「違うよ……会議で決まったって言ったでしょ。たんなる廃刊……」
「ど、どうして?」
「売れ行きが悪いから!」
「…………やっぱり、僕の文章が原因かな……」
「そんなことないって。だって、ミッちゃんの文章なんて俺とモリとレイアウターしか読んでないもん。ミッちゃんの文章に対して、今まで葉書一枚、読者から反響が無かったからね。じゃ、そういうことで廃刊だからもう風俗の取材はしないでいいからね」
そう言って編集長は電話を切った。
私は原稿を書き上げたら、直しを入れる為に自分の文章を読む。だから最初の読者は私だ。次に読むのは編集者二人。最後はレイアウター。そんな連載をいつまでも続けていたから……やはり売れなくなったんだ……、『クラッシュ』が、クラッシュしてしまった。
秋の日は釣瓶落とし。電話を受けた時、窓外にはまだ秋の陽が漂っていたが、受話器を置き外を見ると、そこには陽の一粒もなかった。
そうか、雑誌が終わったのか……終わったんだなあ……多分、もう二度とあんな好き勝手な役に立たない風俗レポートを書かせてくれる場所はないだろうな……そう思うと、仕事が一つ減ったというより、何か、一つの楽しい季節が終わったのだと感じ、少しだけ涙が出た。
妻に言われた。
「あんた、『何があっても『クラッシュ』の仕事は続けるぞ』って言っていたのにねえ」
そうなのである。私は死ぬまで許されるならば『クラッシュ』で誰も読まない風俗レポートを書き続けたかった。本人に尋ねたことはないからわからないが、編集長も同じ思いだったのじゃないだろうか。互いに全くやる気がなかったが、同時に、互いにとても楽しい仕事だったのだ。
フリーライターというものは誰でもなれる。「今日からわたしはフリーライターなのよ」と世間に言えばその瞬間からその人間はフリーライターなのである。それは、画家でもミュージシャンでも小説家でも同じだ。あとは仕事があるかないかだけだ。仕事がなければたんなる無職である。その身で下手に犯罪でもすると、世の人々から「やっぱり無職だからなあ」と思われる立場である。その頃の私がそうだった。月に一回、アダルトビデオ女優へインタビューをしその記事を書き、あとは日がな一日、安酒をかっくらい来し方行く末を漠然と想いつつ自分を持てあましていた。そんな或る日、私がかつて勤めていた出版社の先輩である編集長から電話があった。
「ミッちゃんさ、うちでなんか書いてみない? 風俗レポートなんかどう?」
ありがたかった。プロの編集者として永沢に書かせたい、というより、貧窮の身である後輩に手を差し伸べてやろうとの温情であることがはっきりとわかった。即座に「ハイ、やらさせて頂きます!」と答えたかったが、風俗レポート……?
「あの、風俗を体験取材する勇気も体力もないんですけど……」
「大丈夫、大丈夫。そういうちゃんとしたことはカラーページでやってるから、ミッちゃんは見たり聞いたりすればいいの。それに、ミッちゃんに体験取材させるような金はないし」
かくして、『クラッシュ』でバイブレーターやダッチワイフなどの広告に挟まれ、それに埋もれるような私の風俗ルポは始まった。
それにしても、編集長の言葉は驚くほど事実だった。全く取材費が無かった。いくらエロ本とはいえ、取材に向かう道すがら、編集者がライターに「今日はお金、幾ら持ってる?」と訊く雑誌は他に無いと思う。
その後、編集長とモリ君は新しいエロ雑誌を創刊した。私にはお呼びの声は掛からなかった。本腰を入れている証拠である。だがその雑誌は五号で廃刊になってしまった。
「どうして?」
私はモリ君に尋ねた。
最近、娘が幼稚園に通うようになりやっと父親としての自覚が芽生えたのか耳のピアスを外したモリ君が、唇をとがらせて言った。
「どうしても、こうしても、返品率が百二十パーセントだったんですから仕方ないですよ」
「百二十パーセント!!」
「そう、百二十パーセント。作った数より多く返ってきたんですから、印刷所の嫌がらせですよね」
先日、コアマガジンの編集室に顔を出すと、元『クラッシュ』の編集長とモリ君だけがだだっ広い部屋にぽつねんと座っていた。
「どうしたの? 今日は他の人たちはみんな休みなの?」
私は編集長に訊いた。
「ううん。みんなは仕事で出払ってるんだ。俺とモリだけは仕事が無いから、電話番」
その時、電話がプルッと鳴った。瞬間、モリ君が受話器を取った。「はい、コアマガジンです」。その鮮やかな手の動きと決して相手に不快感を与えないであろう物言いに私は拍手を送りたくなった。
「な、上手だろ」
編集長が誇らし気に言った。するとまた電話が鳴った。今度は編集長が受話器に手をさっと伸ばした。
「はい、コアマガジンです。あ、そこの編集部は取材で全員が外出しておりまして、戻るのは夕方になると思いますが、戻りましたら電話をさせましょうか……そうですか、では念の為にそちら様の電話番号をお教え願えないでしょうか、はい、はい……」
そんな、誰も読んでいなかった文章がまとまって本になることになってしまった。
午前一時を過ぎると必ず酒乱と化し暴れ、どんなことを書いてもその寛容な心で許して頂きながら、自分の実名が原稿に出てくるとそこだけは『編集者』とか、『編集長』に改め、「ならモリ君も編集者って表記しようか」と私がお伺いを立てると、「モリはいいんだよ、モリは」とのたまっていた元『クラッシュ』の編集長・吉武政宏氏と、そんな編集長をなぜかいつも涙目をして助けているモリ君こと森学氏に、謹んで感謝の意を表します。これからも新入社員などの追随を許さぬプロの電話番の道を極めて下さい。
宝島社の井野良介さん。あなたと一緒に仕事をした文章を、この本に収録させて貰うことを了解して頂き誠にありがとうございました。
最後に、筑摩書房の松田哲夫さん。物好きにもこんな本を作ってしまった為に、編集という仕事がとてつもなくお好きなあなたが、プロの電話番になってしまわれないことを心より祈っております。
[#地付き]永沢光雄
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「テレクラ」から「グランドキャバレー」まで
『クラッシュ』(コアマガジン)一九九〇年五月号から一九九六年一一月号までに六九回連載したうち六六回を収録。
「雨は降るがままにせよ」
『別冊宝島・第三二五号(ザ・風俗嬢)』(一九九七年八月、宝島社)に掲載。
[#ここで字下げ終わり]
永沢光雄(ながさわ・みつお)
一九五九年、宮城県に生まれる。大阪芸大文芸学科中退。演劇活動の後、雑誌の編集長を五年間勤め、風俗・スポーツ分野のノンフィクション・ライターに転ずる。著書に『AV女優』、『強くて淋しい男たち』など。
本書は一九九七年九月、筑摩書房より刊行され、一九九九年一〇月、ちくま文庫に収録された。