人形佐七捕物帳 巻二
[#地から2字上げ]横溝正史
目次
ほうずき大尽
鳥追い人形
稚児《ちご》地蔵
石見《いわみ》銀山
双葉《ふたば》将棋
うかれ坊主
ほうずき大尽
浅草のほうずき市
――思い出すのは木場のほうずき大尽
たなばたや秋をさだむる初めの夜――
と、いう芭蕉《ばしょう》の句でもわかるとおり、江戸時代のたなばたといえば、いまとちがって、秋の景物になっていた。
まちまちに、竹いろいろの星祭りがにぎわうと、そでふきかえす風もめっきり秋めいてきて、夜などはゆかたいちまいでは、はだ寒さをおぼえるくらい。ことしの夏は雨がすくなくて、そうでなくても水に不自由な江戸っ子は、だいぶうだらされたが、そのかわり夜ごとにながれる銀河は、空にあざやかで、牽牛《けんぎゅう》織女の二星も、一年ぶりにおうせを楽しんだろうとおもわれた。
このたなばたがすむと、七月十日は四万《しまん》六千日、浅草観世音のご結縁《けちえん》である。
この日いちにちお参りすれば、四万六千日お参りしたと同様の仏果がえられるというのだから、りちぎな江戸の老若男女は、われもわれもと、浅草をめざしておしよせる。
この日は、境内にほうずき市がたつから、お参りしたひとびとは、みんな手に手に、赤いほうずきのはちをもっている。
神田お玉が池の人形佐七も、べつに信心家というわけではないが、浅草たんぼに、ちょっとした御用があって、そのついでといっては悪いが、かえりに観世音にお参りして、やってきたのはほうずき市。
「辰、豆六、観音様へお参りしたしるしに、ほうずきを買ってかえろうか」
「親分、およしなさいよ。大の男がみっともない。ほうずき持って、道中ができるもんですか」
「いいじゃねえか。これも縁起もんだ。お粂のみやげに、買っていってやろう」
「へっへ、あいかわらずあねさん思いのこっちゃ。よろしおま。わてが買《こ》うてきてあげまっさ」
と、豆六は、辰五郎ほどみえぼうではない。
ほうずき店へよって、赤いほうずきをふたはち買ってきた。
「おやおや、こいつはまた、豪勢に仕込んできやアがった。お粂のみやげなら、そんなにゃいらねえのに」
「ご冗談を。こら、あねさんのみやげばかりやおまへん。裏のお吉坊に、ひとはちわけてやりまんねん」
「あれ、こんちくしょう、いやらしいやつだ。ほうずきでくどくというのは、あのお吉めを、鳴らせてみせようという趣向か」
「へっへっへ、まあ、なんとでもいいなはれ」
冗談をいいながら、赤いほうずきのはちをかかえて、歌仙《かせん》茶屋から雷門へぬけると、やってきたのは茶屋町。
「ねえ、親分、そのほうずきをみて、思い出しましたが、木場のほうずき大尽は、どうしたんでしょうね」
「そうよ、おれも、いまそれを考えていたところだ。気ちがいに刃物というが、どうも、あぶないもんだなあ」
「ほんまやなあ。海老屋《えびや》のほうで、ひたかくしにかくしているので、詳しいわけはわかりまへんけど、はよつかまえんことには、あぶのうてどもなりまへんな」
「そうよ、そのうちになにか、大騒動が起こらなきゃいいがと、おれもそれを心配しているんだ」
と、そんなことを話しながら、茶屋町から並み木路をとおりすぎて、駒形町《こまがたちょう》へさしかかったころには、さしもにながい日も、そろそろ暮れそめて、あすもひよりか、西の空があかね色に染まっていた。
と、そのときである。
雷門のあたりから、三人のあとを、みえがくれにつけていた男が、つかつかとそばへ寄ってくると、
「あの、もし」
と、うしろから呼びかけた。
「あなたはもしや、お玉が池の、親分さんじゃございませんか」
だしぬけに声をかけられて、おどろいて振りかえってみると、あいてはお店者《たなもの》らしい四十がっこうの、人品のよい人物だった。
「はい、あっしゃお玉が池の佐七だが、そういうおまえさんは?」
「途中お呼びとめいたしまして、失礼かとは存じましたが、わたしは木場の海老屋の手代、久七と申します。親分さんにおりいって、お願いがございまして……」
と、そういうあいての顔色をみて、佐七をはじめ辰と豆六は、おもわずぎょっと顔見合わせた。
木場の海老屋といえば、たったいま、三人がうわさをしていた、ほうずき大尽の家である。
「おお、おまえさんが海老屋さんの……そして、だんなのゆくえはまだわかりませんかえ」
「はい、それについて一同、心を痛めております。きょうも観音様へ、願掛けにお参りしたのでございますが、途中で、おまえさんのすがたをおみかけいたしましたから、ここまでお慕いしてまいりました。これも、観音様のお引き合わせでございましょう。親分さん。ちょっとそこまで、おつきあいくださいませんか」
と、思いこんだ久七の顔色に、
「ああ、ようがすとも。どうせ、これからかえったところで、寝るばかりのこちとらだ。どこへでも、お供いたしましょう」
「ありがとうございます。それではちょっと……」
と、久七が三人を案内したのは、そのころ、駒形辺でよくはやった、芝藤《しばとう》といううなぎ屋。
なじみとみえて、おくの離れ座敷を注文すると、いいぐあいにあいていた。
やがて座もきまり、ひととおり酒肴《しゅこう》も出ると、久七は女中を退けて、
「さて、親分さん」
と、あおじろんだ顔でひざをすすめた。
「おまえさんも、たなばたの夜の騒動は、すでに、お聞きおよびでございましょうねえ」
「へえ、うすうすは聞いております。さっきも、こいつらと話をしていたんですが、気ちがいに刃物、――ずいぶんあぶない話です。なにかそのうちに、大騒動がおこらなければよいが、と……」
「はい、その騒動が、親分さん、ゆうべおこったのでございます」
と、久七が声をふるわせたから、三人はおもわず、どきりと顔見合わせた。
「なに? ゆうべ騒動がおこったといいますと?」
「はい、親分さん。お聞きくださいまし、かようでございます」
海老屋《えびや》騒動
――世にもあぶない気ちがいに刃物
海老屋というのは、そのころ、深川随一の資産家といわれた、木場の材木商だった。
あるじは万助といって、わかいころは、おなじ木場の河津屋《かわづや》という材木店の手代だったというが、中年ごろに独立すると、めきめき身代をふとらせて、十年もたたぬうちに深川いちばんの、資産家になりあがってしまった。
現今とちがって、一攫《いっかく》千金というような、ボロイもうけのすくないそのころ、一代で、これだけの身代をたたきあげたのだから、当然、世間ではよくいわない。
海老屋の万助が身代をつくりあげたのは、もとの主人の河津屋を、丸のみにしたからだ。あれは海老屋ではない、カワズをのんだへび屋だと、むかしをしっている連中は、いまにいたるもよくいわない。
なにしろ、むかしのことだから、事情はよくわからないが、万助が独立して、海老屋ののれんをあげるとまもなく、それまで全盛をほこっていた河津屋が没落して、一家離散のうきめをみたのは事実である。
それからのちはとんとん拍子で、いまではお城御用の海老屋といえば、江戸じゅうで、だれしらぬものもないくらい。ところが、どう魔がさしたのか、それまで、かたいいっぽうでとおっていた万助が、二、三年まえからにわかに、遊びの味をおぼえはじめた。
ことわざにもいうとおり、未下《ひつじさ》がりの雨と四十すぎての道楽は、なかなかやまぬというが、万助はすでに、五十の坂もなかばを越している。
そのとしになって、はじめておぼえた道楽だから、これほどやっかいなものはない。親戚をはじめ、むすこや番頭の意見も馬の耳に念仏で、じぶんのもうけた金を、じぶんでつかうのに、なんの遠慮があろうとばかり、金を持ち出しては、吉原《よしわら》で湯水のごとくつかいすてる。
このまますてておけば、さしもの大身代も、たちまち、左前になるのはわかりきっていた。
そこで、親戚のものが心配して、いろいろしらべてみると、松葉屋の逢州《ほうしゅう》というのが、万助の気にいりらしい。さいわいその女は、きりょう気だても申しぶんがないので、これを根引きしてあてがうと同時に、むりやりに、万助を深川の六間堀《ろっけんぼり》へ隠居させてしまった。
それが一昨年のことで、そのとき万助は五十九歳、まだ老い朽ちたというとしでもないのに、隠居とはもってのほかと、当人は大不服だったが、なにしろ、有力な親戚はじめ番頭たちが、むすこのうしろだてとなって、しっかり土蔵のかぎをおさえてしまったので、さすがの万助も、どうすることもできない。
それからのちは六間堀の隠居所で、逢州のお国をあいてに、鬱々《うつうつ》たるあてがい扶持《ぶち》の日をかこっていたが、それがこうじたのか、ことしの春のはじめから、万助はすこし気がへんになってきた。
はじめのうちは、お国も気がつかなかったが、それとはっきりわかったのは、桃の節句の晩である。
万助はことし六十一の還暦である。
そのお祝いをもよおしたのが、三月三日のひな祭り。六間堀の隠居所には、むすこをはじめ親戚のものもあつまってきた。
万助はおさだまりの還暦衣装。赤いこそでに赤いそでなし、赤いずきんに赤いたびと、うえからしたまで赤ずくめのこしらえで、はじめのうちは、きげんよく酒を飲んでいたが、どうしたきっかけからか、急にあばれだした。
その晩は、ともかく一同の手でとりおさえたが、それからのちは、どうしても赤い衣装をぬごうとしない。むりにぬがそうとすると、すぐあばれだす。しかたがないからそのままにほうっておくと、こんどは赤い衣装のまま、ふらふらと隠居所をとび出していく。
そうでなくても、あまり評判のよくない万助のことだから、たちまちこのうわさがパッとひろがって、ちかごろでは、六間堀のほうずき大尽といえは、だれひとりしらぬものはない。
ほうずき大尽というのは、万助がうえからしたまで赤ずくめの衣装を着ているところから、ひとがつけた悪口である。
こうなると、本宅のほうでもすててはおけない。世間への外聞もあることだから、隠居所に座敷牢《ざしきろう》をつくって、ほうずきのようにまっかな万助を押しこめてしまった。
それが、五月ごろのことである。
ところが、この座敷牢がかえっていけなかった。万助の狂気はしずまるどころか、かえって、ますます激しくなった。
それまでは、気ちがいとはいえ、ごくおとなしい、陽気な気ちがいだったのに、座敷牢へ入れられてからは、だんだん気性があらくなって、座敷牢のなかであばれまわる。むすこをのろったり、親戚のものをのろったりする。お国以外のものの手からは、ぜったいに食事もとらなくなった。
それでいて、お国にはじつに従順なのである。
お国のいうことなら、どんなことでもきく。どんなにあばれているときでも、お国が涙ぐんだ目でなだめると、すぐケロリとおさまってしまう。
こうなると、海老屋のほうでも、お国を手ばなすわけにはいかない。わかい身そらで、気ちがいのおもりというのは、まことにふびんなものだが、因果をふくめてしんぼうしてもらうことにしていた。
お国はことし二十二歳、さすが吉原で全盛をうたわれた女だけに、水のたれるようなうつくしさだったが、これがまことに気だてのよい女で、
「これも、なにかの因縁でございましょう。だんなさまがおなくなりになるまでは、おそばでお世話をさせていただきます」
と、気ちがいのおもりに、いやな顔ひとつしないというのは、えらいものだという評判だった。
こうして五月から六月と、なにごともなくすぎたが、それがたなばたの晩のことである。六間堀の隠居所では、ここしばらく、万助がおとなしくしているので、よいあんばいだと安心したお国は、小女やばあやをあいてに星祭りをした。
いろとりどりの、色紙たんざくをむすびつけたたなばた竹を庭に立てて、縁側でふたつ星をながめていると、そのとき、ふいにバリバリと、座敷牢のほうでものすごい音がした。
「あれ、だんなさまが……」
小女とばあやは、それをきくと、はっと顔を見合わせたが、お国はいつものことなので、あまりおどろいた顔もせず、すっと立って座敷牢のほうへいったが、そのとたん、
「あれ、だんなさま!」
と、さけんだかと思うと、やがて、ぎゃっという悲鳴。小女とばあやはそれをきくと、ぎょっとして手を取りあったが、そこへ、おくのほうからとび出してきたのは、うえから下まで赤ずくめの万助だった。
みると、手にぎらぎらするような抜き身をひっさげているから、小女とばあやは、そのままそこへ腰をぬかしてしまった。
さいわい、気ちがいはふたりに気がつかず、風のように庭から外へとびだしたが、さあそのあとがたいへんである。
小女とばあやがこわごわ座敷牢のほうへいってみると、気ちがい力というものはおそろしい。
座敷牢の格子《こうし》をひとところ打ちこわして、そのまえに、お国があけにそまって倒れているのである。
ほおずき大尽の万助は、その晩からゆくえがわからなくなった。
作事|奉行《ぶぎょう》岩瀬式部
――たそがれの闇の中からまっかな影
「なるほど、そのへんまでは、うすうす話をきいておりましたが、お国さんというのは、いのちに、べつじょうはないそうですねえ」
「はい、おかげさまで……しかし、左の指を二本切りおとされて……」
と、海老屋の番頭久七は、いたましそうにまゆをしかめた。
「それにしても、番頭さん、いまさら、こんなことをいってもはじまらないかもしれないが、気ちがいのおもりに女ばかりとは、ちと、ぶ用心でございましたね」
「いえ、それが……いつもは又蔵というわかいものが、用心棒に泊まり込んでいるのでございますが、その晩はあいにく用事があって、ちょっと外へ出ていたそうです」
「なるほど、まの悪いときはしかたがありませんね」
「さようで。あの刀なども、どこからひっぱり出してきたものか。あぶないというので、お国さんが、押し入れのおくへかくしておいたものなんですが」
と、久七は、苦労ありげなため息だった。
「なるほど」
と、佐七はひざをすすめると、
「それで、ほうずき大尽、いや、だんながとびだした事情はよくわかりましたが、さて、ゆうべおこった騒動というのは……」
「はい、それが……」
と、久七はうじうじしながら、
「じつは、このことは、かたく口止めをされているのでございますが、どうか、そのおつもりでお聞きねがいます」
「へえへえ、しゃべっていけねえことなら、けっしてしゃべりゃしません。それで……?」
「はい、じつは海老屋のお嬢さま、お菊さまとおっしゃるのが、作事|奉行《ぶぎょう》、岩瀬式部様のご総領、弓之助《ゆみのすけ》様のところへ、おこし入れになっております。ところが、ゆうべ、そのお舅《しゅうと》の式部様が……」
「どうかなさいましたか」
「はい、おなくなりになりましたので」
「へえ、なくなったとは?」
「おもてむきは、ご病気ということになっておりますが、じつは、お切られなすったので……それも、うちのだんなさまに……」
佐七はそれをきくと、おもわずぎょっと目をみはった。
辰と豆六も杯の手をひかえて、まじまじと、久七の顔を見守っている。
その久七の話によると、こうだった。
作事奉行岩瀬式部の屋敷は、中橋の近所にある。きのう、式部がお城から退出したのは、夜の六ツ半ごろ(七時)のこと。むろん、式部はかごで、あとさきには、若党とぞうり取りがついていた。
ところが、そのかごが中橋までさしかかったときである。
だしぬけにものかげからとびだしてきたまっかな影が、なにやら叫ぶと、いきなりぐさりと、かごの外から、抜き身を突っこんだのである。
なにしろ、とっさのできごとなので、若党もぞうり取りも、あっとその場に立ちすくんでしまったが、そのあいだに気ちがいは、二、三度ぷすぷすと、かごのなかへ抜き身を突きとおすと、ひらりと身をひるがえし、おりから、逢魔《おうま》が時《どき》の薄やみへ、そのまま、溶けこんでしまったというのである。
「そのあとがたいへんで、変事をききつけてお屋敷から、若殿の弓之助様が、おっ取り刀でお駆けつけになります。ご用人やお小姓も、めいめいくせ者をさがしにとび出しましたが、ほうずきのように赤い影は、どこにも見当たりません。いっぽう、おかごはとりあえず、お屋敷へかつぎこみましたが、なにしろ、急所を三カ所もえぐられておりますので、式部様はとうとう、おなくなりになったということでございます」
なるほど、これは椿事《ちんじ》にちがいなかった。
はじめてきいた意外な話に、佐七はいっそうひざをすすめると、
「そして、その下手人が海老屋のご隠居にちがいないというんですね」
「さあ、なにしろ薄やみのことですから、顔ははっきりみえなかったそうですが、ずきんからたびまで赤ずくめの装束は、どう考えても、うちのだんなとよりほかに思えません。それに、だんなは日ごろから、式部様をとてもおうらみしていなすったから……」
「ほほう、それはまたどういうわけです」
「はい、海老屋の親戚のなかでも、岩瀬様はいちばんのご大身。それでございますから、親戚うちのご相談ごとでも、たいていは、岩瀬様のおっしゃるとおりになります。だんなを隠居させたのも、また座敷牢へ押しこめたのも、みんな岩瀬様のおことばですから、気ちがいながらだんなは、遺恨骨髄に徹していたのでございましょう」
「ふむ、気ちがいというものは、あんがいそんなことを、よく、おぼえているものかもしれませんねえ」
「さようで。それですから、これからさきが心配で。だんながうらんでいなさいましたのは、岩瀬様おひとりではございません。ほかにも二、三ございますから、もしまたまちがいがあってはと……」
と、久七はまた、おそろしそうな身ぶるいだった。
ここで久七がうちあけた海老屋の内情というのは、こうである。
ほうずき大尽の万助は、六年ほどまえにつれあいをうしなって、あとにはお菊、徳兵衛《とくべえ》という姉弟《きょうだい》がのこされた。
姉のお菊はことし二十五、これはまえにもいったとおり、作事奉行岩瀬式部の総領、弓之助のところへ嫁入っている。
弟の徳兵衛は当年とって二十二歳、これが昨年、お町という嫁をむかえて、いまでは海老屋ののれんをついでいる。
しかし、なにをいうにもまだ若年のこと、それにこの徳兵衛というのは、父とちがって気だてのやさしい、内気なうまれつきなので、とても大所帯をきりまわしていく腕はない。
そこで万助を隠居させると同時に、徳兵衛の母方の伯父《おじ》、つまり、万助のなくなったつれあいの兄で、上総屋角右衛門《かすさやかくえもん》というのが後見となって、ばんじ采配《さいはい》をふるっている。
これが徳兵衛の嫁お町の里親、茗荷屋十右衛門《みょうがやじゅうえもん》と、一番番頭の治兵衛《じへえ》というのを相談あいてに、海老屋では目下、三頭政治がしかれているというわけだった。
「だんなはもちろんこれには不服で、気がへんになってからも、このお三人が海老屋の家を横領しようとたくらんでいると、そう、お考えちがいをしていらっしゃいましたから……なにかまた変なことがありはしないかと……」
もし、これ以上、重大事件がおこったら、海老屋の没落は、火をみるよりもあきらかだと、それがこの忠義な手代、久七の苦労のたねだった。
「なるほど、それで話はよくわかりました。どちらにしても、だんなのゆくえを、さがし出すのがだいいちですね」
「さようでございます。ご乱心とはいえ、このうえ妙なことがありましては、若だんなやご新造のお町様が、おきのどくでございます」
久七の口うらから察すると、この夫婦はまことに気だてのよい好人物らしいが、それに反して、いま、後見役をつとめている上総屋角右衛門や、一番番頭の治兵衛については、久七はとかくことばをにごして、あまり語るのは好まないふうだった。
「お町様のお里親、茗荷屋のだんながにらんでいらっしゃるので、よろしゅうございますが、そうでなかったら、お店は大乱脈でございましょう」
と、そうため息をつくところを見ると、万助の猜疑《さいぎ》は、かならずしも、根のないところではないらしい。
久七はそれからなおもくどくどと、一刻もはやく、ほうずき大尽の万助を、さがし出してくれるようにと頼んだが、佐七がそれをひきうけて、芝藤を出たのは五ツごろ。
長い日も、とっぷり暮れて、空には星がうつくしく、こよいも天の川に、水のましそうなけはいはなかった。
芝藤のまえで三人は、久七とたもとをわかったが、くらい夜道をとぼとぼとかえっていく、この忠義な番頭のうしろすがたに、なんとやら、海老屋の不吉な運命がみえるようで、佐七も、おもわずため息をはきだした。
角右衛門と治兵衛
――さがみ屋の奥座敷でひそひそ話
作事奉行、岩瀬式部のお弔いは、その翌日おこなわれた。
おもてむきは、急病ということになっているが、事情はうすうす、しれわたっているので、葬式もいたって質素に、会葬者のかずもすくなかった。
このすくない会葬者のなかに、海老屋の跡取り徳兵衛や、後見の上総屋角右衛門、一番番頭の治兵衛らのすがたもみられた。
その当時の習慣として、旗本と町人との縁組みは、おもてむきにはできにくい。
海老屋の娘お菊も、おもてむきはさる旗本の養女分として岩瀬の家へこし入れしたのだから、姻戚《いんせき》関係といっても、公然と披露《ひろう》はできなかった。
そこで、お出入り商人という格で、ともかく、葬式の席につらなることができたのである。
この葬式のあとから、みえがくれについていくのが、人形佐七をはじめとして辰と豆六。
「辰、ちょっと見ねえ。あすこにいくのが上総屋角右衛門だ。なるほど、あれじゃ久七が心をいためるのもむりはねえ。いかさま、ひとくせありげなつら魂をしているじゃねえか」
その角右衛門というのは、六十前後だろう、しらが頭にあから顔の大男で、じろじろと、あたりを睥睨《へいげい》しながらいくところは、とんと矢口の頓兵衛《とんべえ》が町人に化けたというかっこうである。
「ほんに、ゆだんのならねえ目つきですね。親分、あの角右衛門とならんでいくのが、番頭の治兵衛じゃありませんか」
「ふむ、どうやらそうらしい。辰、豆六もおぼえておけ。主家の土蔵を食いやぶる頭のくろいねずみというのは、おおかた、ああいう男のことだろうぜ」
その治兵衛というのは、年ごろ四十五、六であろうか、どちらかといえばやせぎすで、色も小白く、ちょっとみるとおだやかな人体《にんてい》にみえるが、よくうごく目といい、くちびるの薄さといい、いかにも、ゆだんのならぬ人相だった。
角右衛門がなにか話しかけるたびに、両手をもんで、追従《ついしょう》笑いをうかべるのも気にくわぬ。
やがて、葬式の一行は、菩提所《ぼだいしょ》へついた。
菩提所は、谷中《やなか》の極楽寺である。
ここで型のごとく、追善の式がおこなわれると、あとは、ごくちかい親戚だけをのこして、会葬者はおもいおもいに散っていく。
海老屋の一党も、当主の徳兵衛だけをあとにのこして、角右衛門と治兵衛とはかえっていった。
「さて、親分、これからどうします」
「そうよなあ」
佐七もべつに、目当てがあったわけではないが、考えてみると、徳兵衛のほうは、岩瀬一家のなかにいるのだからだいじょうぶである。
それに、ほうずき大尽の万助がうらんでいるのは、岩瀬式部についで角右衛門、治兵衛のふたりだったという。
もしまちがいが起こるとしたら、このふたりにちがいなかった。
「よし、それじゃ、辰と豆六は、あの治兵衛のあとをつけていけ」
「へえ。そして、親分、あんたはんは?」
「おれか。おれは、あの角右衛門のあとをつけていく。ふたりともゆだんするな。いつなんどき気ちがいがとび出さねえものでもねえ。気ちがいとはいえ、あいては白刃を持っているのだから、気をつけなくちゃいけねえぜ」
「おっと、合点です」
角右衛門と治兵衛は、しばらくつれだって歩いていたが、やがてなにか立ち話をすると、そこでわかれた。角右衛門は辻《つじ》かごをひろって、池《いけ》の端《はた》の方角へ、治兵衛は徒歩《かち》で金杉《かなすぎ》のほうへいく。
佐七もそこで、辰と豆六のふたりにわかれた。
角右衛門をのせたかごは、池の端から広小路へ出て、御徒町《おかちまち》をすぎて、やってきたのは柳橋。さがみ屋と籠目行灯《かごめあんどん》のあがった小料理店へ、ズイとかごをのりつけたのは、町にちらほら灯《ひ》のはいるころだった。
「おや、野郎、こんなところで精進落としをするつもりかな」
あいにく、なじみのないうちなので、佐七はすこぶるかってが悪い。
うっかりへたをやって、あとをつけてきたことを悟られると、あいてに用心をさせるばかりである。ええい、ままよと、佐七は柳橋のたもとに立って、ぼんやり川の水をながめていたが、そこへまたもや、やってきたのは一丁のかご。
さがみ屋の門の中へ、ズイとかつぎこまれたから、はてなと、小首をかしげていると、そのかごのあとから、みえがくれにつけてきたふたつの影がある。
佐七はそれをみると、おもわずぎょっとつばをのんだ。
「辰、豆六」
声をかけると、ふたつの影は、あっとおどろいてふりかえった。
「あっ、親分、おまえさんはどうしてここに……」
「辰、それじゃ、いまさがみ屋へはいったかごは、番頭の治兵衛か」
「へえ、さいだす、さいだす。すると、親分、あの角右衛門もこの家へ……?」
こうもりのとびかう川ぶちのやみで、三人はおもわず顔を見合わせた。
そんなこととは夢にもしらぬ、こちらはさがみ屋の奥座敷だ。
「だんな、おそくなりまして……」
と、敷居ぎわに手をつかえた治兵衛は、独酌《どくしゃく》でチビリチビリとやっている角右衛門と顔見合わせると、おもわずにっこり、意味ありげな微笑だった。
「おお、治兵衛どんか。まあ、こっちへはいんねえ。しかし、だれもおまえのここへきたことを、知ってるやつはあるめえな」
「へえ、そりゃもう、そこに如才はございません。とかく、世間はうるそうございますから……。しかし、だんな、このうちはだいじょうぶですか」
「ふむ、ここなら、心配はいらねえのよ。おかみというのがおれの古いなじみでな。いわばおなじ穴のむじななのさ」
「へっへ、こいつは、おやすくない。だんな、わたしもひとつ、あやかりたいものですな」
「いいとも、いいとも。いまにきれいなのを、取りもってやるわな。治兵衛どん、まあ、ひとつ飲みなさい」
「へえ、前祝いというわけですかえ」
「まあ、そんなようなものさ」
ふたりはそこで、また顔見合わせて笑ったが、やがて治兵衛は軽薄らしくひざをすすめて、
「それにしても、だんな、気のきいた気ちがいじゃありませんか。これで茗荷屋のをバッサリやってくれると、大助かりでございますがね」
「ふふん、いずれ、そういうことになるだろうよ。しかし、治兵衛どん。気をつけなくちゃいけねえぜ。相手は気ちがいだ。より好みをしやあしない。おまえさんやおれだって、いつなんどき……」
「あれ、だんな、おどかしちゃいけません」
と、治兵衛はわざとらしく首をすくめて、
「海老屋にとっては、白ねずみのこの治兵衛、気ちがいにうらまれる筋はありません」
「はっはっは、とんだ白ねずみだ。白ねずみというのは、おおかたあの久七のことだろうよ」
「ほんに久七といえば、じゃまっけでしようがありません。だんなの力で、あいつをなんとか……」
「ふむ、それも、いまになんとかなろうが、それよりもまず、茗荷屋の十右衛門のことさ」
と、角右衛門は殺気だった目で、じっと治兵衛の顔をにらんだが、その目つきをみると、さすが黒ねずみの治兵衛も、おもわず背筋が寒くなるのだった。
茗荷屋十右衛門が、ほうずきの化け物におそわれて、深手をおうたのはそれから三日め、お盆のおむかえ火が、家々の門を、ほのあかく染めている晩のことだった。
狂刃永代橋の惨劇
――豆六はくせ者にバッサリ切られて
茗荷屋の十右衛門が、奇禍にあったてんまつというのはこうである。
その晩は、海老屋徳兵衛の母の七回忌で、海老屋では、ごくうちうちで、しめやかな法事がおこなわれた。
なにしろ、万助のゆくえがいまだにわからないおりから、法事どころではなかったが、じつは法事にかこつけて、親族があつまって、善後策を講じようというのだ。
あつまったのは、茗荷屋をはじめとして、仏の兄の上総屋角右衛門、それに、岩瀬家からは弓之助夫婦が、ひとめをしのんでやってきていた。
そこで、当主の徳兵衛を中心に、いろいろ相談してみたが、けっきょくは、万助をさがし出すのが、だいいちだということのほかに、たいしてよい思案もうかばない。
ところが、五ツ半(午後九時)ごろのことである。
茗荷屋からつかいがきて、うちに急病人ができたから、すぐかえってくれとの口上だった。
つかいのものは、海老屋ではついぞ見たことのない男だったが、十右衛門のせがれが夏のはじめごろから、病気でねていることを知っているので、だれもべつに怪しみはしなかった。
そこで、その口上を奥へつたえると、十右衛門も、徳兵衛の嫁のお町も心配して、とるものもとりあえず、いったん家へかえることになった。
つかいのものは口上を述べると、すぐどこかへ、すがたを消してしまったので、十右衛門は、お供につれてきた長松という丁稚《でっち》とふたりきりだった。
茗荷屋は川むこうの茅場町《かやばちょう》にあるので、家へかえるには、永代《えいたい》橋をわたらなければならない。丁稚の長松に足もとを照らさせながら、その永代橋のうえまできたときである。むこうから、風のようにはしってきた影が、いきなりばっさり、長松のさげているちょうちんを斬りおとした。
「わっ、人殺しイ」
長松が逃げだすのと、
「なにをする!」
十右衛門がさけんだのと同時だった。
だが、その瞬間、なにやらまっかなものが、十右衛門のうえに、のしかかってきたかとおもうと、
「わっ!」
十右衛門は、左の肩を切りさげられて、橋げたのうえにのけぞっていた。
もしこのとき、十右衛門のあとを、みえがくれにつけてきたもうひとつの影が、いきなりくせ者に組みつかなければ、十右衛門は二の太刀《たち》、三の太刀を受けて、そのまま、あえなくなっていたにちがいない。
「この、ほうずきの化け物め、御用じゃ、御用じゃ」
くせ者に組みついたのは豆六だった。御用の声に、さすがの気ちがいもおどろいたのか、
「ええい、じゃまさらすな」
「じゃませえでおくもんか。御用じゃ、御用じゃ、神妙にしくされ」
豆六はもう夢中である。
相手の腰にむしゃぶりついたまま、だにのようにはなれない。そのとき、むこうからやってきたのはかご屋のちょうちん。それをみると、くせ者も、もうこれまでと思ったのか、
「これでもくらえ」
うしろざまにはらった太刀に、
「わっ!」
と、豆六はあおむけにひっくりかえると、
「御用じゃ。御用じゃ。だれかきてくれえ」
その声がきこえたのか、かごのちょうちんがぴたりととまった。
かごは二丁で、さきのかごからとびだしたのは岩瀬弓之助、おっ取り刀でかけだそうとする。うしろのかごから、
「あれ、あなた」
と、顔を出したのはお菊だった。
「おお、そのほうはこれにて待っていよ」
さけぶとともにかけだしたが、と、そのとき、うしろから二丁のかごをかけぬけて、弓之助とほとんど同時に、橋のたもとへかけつけたふたりの男があった。
「あっ、親分、ありゃほうずきの化け物!」
弓之助夫婦をつけてきたのは、人形佐七にきんちゃくの辰。と、みれば十三夜の月あかりのなかに、すっくと立っているのは、うえからしたまでまっ赤な衣装のくせ者だった。
「おのれ、くせ者」
弓之助はそれをみると、腰の小柄《こづか》をはっしとばかりに投げつけたが、それがあたったのか、あたらないのか、くせ者は刀を口に橋の欄干をおどりこえて、ざんぶとばかり川のなかへとび込んだ。
それをみると、辰もくるくると着物をぬいで、これまたの川なかへまっさかさまに。――
「しまった」
かけつける佐七の足にぶつかったのは十右衛門、急所の深手に正体はなかった。
そのそばには豆六が、これまたかなりの深手で、
「あっ、親分、ようきとくれなはった……」
と、いきなり佐七の足にすがりつくと、
「あいつは、あいつは……」
いったかと思うと、気がゆるんだのか、そのまま気をうしなって倒れてしまった。
「これ、豆六、しっかりしねえ。傷はあさいぞ。いま、かごを呼んできてやるからな」
「いや、そのかごならわれわれが用だてようが、して、そのほうたちは?」
弓之助はけげんそうな面持ちである。
「はい、あっしは、お玉が池の佐七というもんですが、ここに切られておりますのは、みうちのもので豆六と申します」
「して、その豆六とやらが、どうしてここに……」
「へえ、話せばながいことながら、あっしらはこのあいだから、おまえさんたちのあとをつけておりますのさ。いえ、けっして悪気があったわけじゃなく、また、なにかまちがいが起こってはならねえと、こんやも海老屋さんの近所に張りこんでおりましたが、この茗荷屋のだんなが、ひと足さきにおかえりのようす、なにか途中でまちがいが起こっちゃならねえと、そこで、豆六をつけさせたのでございますが……」
話しているうちに二丁のかごが、おっかなびっくりちかづいてきた。
「佐七とやら、そのほうの名まえはかねてより聞きおよんでいる。いずれゆっくり話がしたいが、今夜のところはとりあえず、その手負いをこのかごへ……」
お菊を呼びだして二丁のかごへ、十右衛門と豆六をかつぎ込むと、
「そして、佐七、これからどこへ」
「へえ、とりあえず茗荷屋さんのところへ……」
そこへ、丁稚《でっち》の長松が注進したのだろう、茗荷屋からは、急病のはずのせがれをはじめ、番頭手代がむこうはち巻きでかけつけてきた。
佐七はそれにかごをまかせて、弓之助とふたりで、河岸《かし》ぶちへおりてみると、きんちゃくの辰がすごすごと、ぬれねずみになってはいあがってきた。
くせ者はついにとり逃がしたのである。
江戸のほうずき騒動
――こよい徳兵衛夫婦が危うくござ侯《そうろう》
十右衛門はずいぶん深手だったが、さいわい、あぶないところで急所をはずれていたので、運がよければ助かるかもしれぬという医者の診断。
豆六のほうはこれにくらべると、はるかに浅手だったが、わるいことには破傷風を起こして、このほうがかえって重態だった。
さあ、こういううわさが広がったからたいへんだ。本所深川は申すにおよばず、ご府内はいたるところ大騒ぎ。
「ほうずき大尽が、ひとを切ってまわるそうな。海老屋の親戚を、ねだやしにするもくろみだそうだが、あいては気ちがいのことだ、だれかれの見境はあるめえ。うかうかしていてそばづえくうな」
「そうとも、そうとも、気ちがいに刃物とはこのことだ。うっかり夜歩きはできねえぜ」
と、おじけをふるっているのがあるかと思うと、一方では、われこそそのほうずき大尽を捕えてくれようと、深更におよんで、わざと町を徘徊《はいかい》する豪傑もある。
八丁堀《はっちょうぼり》でもすててはおけない。
岡《おか》っ引《ぴ》き手先を督励して、やっきとなってほうずき大尽のゆくえをさがさせたが、杳《よう》として手がかりがない。
佐七はきょうも、おなじみの神崎甚五郎《かんざきじんごろう》のもとへよびつけられて、一刻もはやく下手人を捕えるようにと厳命をうけ、恐れいってお玉が池へかえってくると、家には岩瀬弓之助が待っていた。
「おや、これはよくお越しくださいました」
「おお、佐七、このあいだはご苦労だったな。きけば、豆六がわるいそうだな」
「はい、あいつもふびんなやつで、この二、三日は高熱のために、うわごとばかり申しております。ときに、茗荷屋さんのほうは、いかがでございます」
「うむ、あちらはだいぶよいようだ。きょう家内が見舞いにまいったら、このぶんなら、秋までにはよくなるだろうと、家のものが申していたそうだ。これも豆六どののおかげゆえ、くれぐれも、礼を申してくれということであった」
その豆六どのは、だれの見舞いもわからぬほどの重態で、佐七もお粂も心痛のために、ここふた晩ほど、ろくにまぶたもあわないのである。
「ときに、佐七。辰五郎と申すはいかがいたした」
「へえ、あれはちょっと、心当たりのほうをさぐらせております。あいつも弟分のかたきだというので、やっきとなっているのでございますが……」
「ふむ」
弓之助はしばらく、じっと佐七の顔をながめていたが、やがてにわかにひざをすすめると、
「佐七」
「へえ」
「そのほうは、あのくせ者をどうおもう。あれははたして、海老屋の隠居であろうか」
「なんとおっしゃいます。それはもちろん……」
と、佐七がわざとそらとぼけるのを、弓之助はおっかぶせるように、
「これこれ、佐七、拙者にまでかくすにはおよばぬ。隠居が座敷牢をやぶってから、きょうでもう十日の余になる。気ちがいの身として、そのあいだ人目につかず、かくれていることがかなうであろうか。それくらいのことに、気がつかぬそのほうとは思えぬが……」
「それじゃ、だんなは……」
「いかにも。拙者の考えるところでは、なんびとかが隠居になりすまし、おのがじゃまになる人間を、かたっぱしからとりのけようと、たくらんでいるのにちがいないと思うが、どうであろうの」
「そして、その下手人というのは……?」
「佐七、それは拙者の口からは申せない。しかしの、父上とあの茗荷屋をのぞけば、あとは若年の徳兵衛ばかり。そうなったあかつきには、あの身代はだれの自由になるであろう」
「だんなのおっしゃるのは、あの上総屋角右衛門……」
「これ……めったなことはいわれぬが、佐七、拙者の胸中も察してもらいたい。おもてむきはご病死ということになってはいるが、拙者は無念だ。父のかたきを討ちたい。そのかたきは……」
上総屋角右衛門と、口に出してはいわなかったが、弓之助、もとよりそれとにらんでいるのだ。
「だんな、それじゃ申しますが、あのくせ者はたしかにご隠居じゃありません。しかし、角右衛門さんでもありませんので」
「なに、それじゃ、角右衛門ではないと申すか。してして、それはどういうわけだ」
「なるほど、角右衛門さんもうしろで糸をひいているのかもしれませんが、直接に手をくだしたのはほかにあります。そのわけというのは……あっ、だんな、あれをおききくださいまし」
そのとき、隣室から豆六の、苦しそうなうわごとがきこえてきた。
「親分……親分、あいつは、あいつは、万助やおまへん。万助より、もっともっと、若い男だす」
「あれをおききになりましたか、豆六はくせ者の腰にむしゃぶりついたのです。そのはだざわりから、くせ者を万助さんじゃないと察したのですが、角右衛門さんなら万助さんとおなじ年ごろ、だから下手人はほかにあるんです」
「ふうむ。しかし、佐七、下手人がだれにせよ、角右衛門が背後からあやつっていると申すなら、いっそ、あいつをとりおさえて……」
だが、そのときである。
風のようにおもてから、舞い込んできたのは、きんちゃくの辰だった。
「親分、親分、たいへんだ、たいへんだ」
「これ、辰、静かにしねえか。豆六が寝ているというのに……」
「おっと、そうだっけ」
と、辰はあわてて、口をおさえると、佐七のそばへはいよって、なにやらごしゃごしゃ。
佐七はそれをきくなり、はっとばかりにぎょうてんした。
「それじゃ、角右衛門と、番頭の治兵衛が……」
「へえ、このあいだのさがみ屋の奥座敷で、バッサリやられて……」
「なに? なんと申す? 角右衛門と治兵衛が、殺されたと申すのか」
弓之助もそばから、話をきいて顔色をかえた。
「へえ。しかも、下手人はまたしても、ほうずきの化け物。女中がさけび声をきいてかけつけると、まっかなすがたが、うらの川へとびこんだと申します」
佐七と弓之助は、それをきくと、ほとんど同時に立ちあがったが、そのときだった。佐七は上がりがまちに落ちている、紙のまるめたものを拾いあげた。
なにげなくひらいてみると、
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こよい、徳兵衛ご夫婦に気をおつけなさるべく侯《そうろう》。
またしても、ほうずき大尽のえじきにならぬよう、くれぐれもご用心、ご用心。
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「辰、てめえか、これを落としたのは?」
「いいえ、あっしじゃありません。なにか変わったことが書いてありますか」
佐七はだまってそれを弓之助にみせた。
弓之助はぎょっとして、佐七の顔を穴のあくほどながめている。かさねがさねの椿《ちん》事に、石にでもなってしまいそうな顔色だった。
深讐《しんしゅう》綿々|河津屋《かわづ》一家
――意外、海老屋の万助は死んでいる
その夜の海老屋の騒動は、いまさら、ここに述べるまでもあるまい。角右衛門と治兵衛と、ふたつの死骸をかつぎ込まれ、気のよわい徳兵衛は、気も狂乱のていたらくだった。
さいわい久七がまめまめしく働いてくれるので、ご検視はぶじにすんだが、これからさきのことを考えると、わかい徳兵衛夫婦はいうにおよばず、かけつけてきた姉のお菊も、ただ胸をつかれるばかりだった。
おりからそこへ、だれが知らせたのか、六間堀の隠居所から、お国もかけつけてきたが、どういうものか、弓之助はついにすがたをみせなかった。
いや、弓之助ばかりではない。佐七もやってこなかった。
では、その佐七と弓之助は、なにをしていたかというと、意外にもこのふたりは、六間堀の隠居所へ、忍びこんでいたのである。
「佐七、どうしたものじゃ。海老屋のほうは、ほうっておいてもよいのか」
「なあに、あちらのほうは、辰をはじめ、八丁堀から手先を張り込ませておきましたから、だいじょうぶでございます。それよりも、この隠居所で、すこししらべたいことがございますので」
お国が出ていったあと、隠居所には小女とばあやのふたりきり、用心棒の又蔵もどうやらいないらしい。
隠居所とはいえ、さすが海老屋が建てたものだけに、屋敷はかなりのひろさで、庭のすみの湿地には、葭《よし》がいちめんにしげっている。どこやらで、こおろぎのなく声もさみしく、月はすでにかたむきかけている。
「はてな。たしかに、この庭のなかにちがいないと思うんだが」
白露のような月光をふんで、佐七は地面のあちこちを調べていたが、やがて、にんまり笑うと弓之助のほうをふりかえった。
「だんな、ごらんなさいまし。ほら、この葭のひと株は、ちかごろ掘り起こしたものでございますぜ」
なるほど、すこし力をいれると、ひと株の葭が根ごと、ごっそりもちあがる。
弓之助は、けげんそうにまゆをひそめながら、
「ふむ、それがどうしたというのだ」
「いまにわかります。だんな、恐れいりますが、そっちの葭も、のけてくださいまし。そうそう。さて、これからいよいよ穴掘りでございますが、だんな、けっして驚いちゃいけませんぜ」
わけはわからないなりに、弓之助もどきどき心臓がおどりだす。ひとめをしのんで深夜の穴堀り、いったい佐七はなにをさぐろうというのだろうか。
弓之助はしばらく佐七の手もとをながめていたが、やがてごくりとなまつばをのむと、
「佐七、拙者もてつだおうか」
「へえ、恐れいりますが、おねがいいたします」
ふたりは、どろだらけになって穴を掘った。土はあんがいやわらかで、あきらかに、ちかごろだれかが掘りかえしたらしいことを示している。
弓之助は、しだいに呼吸がはずんでくる。つめたい汗がたらたらとわきのしたから流れた。
やがて、三尺あまり掘ったろうか。――と、そのとき、なにやら、ぐにゃりとしたものが、弓之助の指先にさわった。おやと思って、あわてて土をかきのけた弓之助は、そのとたん、のけぞるばかりに驚いた。
むりもない。土の中からにょっきり出たのは、なんと、人間の足ではないか。
「さ、佐七、これは……?」
佐七もあわてて月の光で穴の中をすかしてみたが、すぐ一歩さがると、
「だんな、ご苦労でございました。もうこれ以上、掘るまでもございません」
「佐七、それではそのほうは、あの死体が何者だか知っているのか」
「はい、よく存じております」
「いったい、だれだ、何者だ」
「まだおわかりじゃございませんかえ。あの死体こそ、ほうずき大尽、海老屋の万助さんでございます」
そのとたん、弓之助は棒をのんだように立ちすくんだ。
「隠居どの――? それじゃ、隠居どのは死んでいたのか」
「へえ、もうよほどまえに、あの座敷牢のなかでおなくなりなすったのでございます」
「バカを申せ。その隠居どのは、たなばたの晩に、座敷牢を切りやぶって脱出したというではないか」
「だれがそんなことを申しました。小女とばあやでございましょう。ところが、あのふたりときたら、こわいこわいでろくに顔も見なかったはず、しかも、星をみるとて、座敷のなかは、行灯《あんどん》の灯《ひ》も小さくしてあったと申しますから、赤い衣装をみただけで、だんなとばかり思いこんだのでございます」
「しかし、お国は――よもや、お国が見ちがえるというわけはあるまい」
「もちろん、お国さんは知っておりました」
「知っていながら、なぜそれを……」
「いうわけがありません。だんな、お国さんこそ海老屋の一族をのろう張本人でございますもの」
「あのお国が?……いったい、お国というのは何者だ」
「ご隠居さんのためにお家没落、一家離散のうきめをみた、あの河津屋の娘でございますよ」
それをきいたとたん、弓之助の顔は、さっとまっさおになった。
河津屋と海老屋のいきさつは、弓之助もよく知っていた。知っているわけがあった。
河津屋没落の裏面には、弓之助の亡父式部も、片棒かついでいたのである。
それを話せばながくなるが、いまから二十年ほどまえ、二の丸の増築があって、河津屋から材木を納入させたことがあった。ところが、納入品のなかに、不正品がまじっていたのを、摘発したのが海老屋の万助。そして、それをさばいたのが、その当時から、作事奉行をつとめている岩瀬式部だ。
このさばきには、いろいろ疑問のふしがおおかった。不正品納入は、もちろんふとどきだが、そのために河津屋が闕所《けっしょ》を申しつけられたのは、あまり刑罰が重すぎるという評判だった。
ましてや、河津屋手持ちの材木一式、海老屋へ下げわたされて、あらためてお城御用を申しつけたのは、どうかんがえても、ふにおちぬ処分と、当時、木場でもまゆをひそめたものがおおかった。
海老屋万助と岩瀬式部の因縁は、そのじぶんから、結ばれていたらしい。
父と舅《しゅうと》の不正を、うすうす知っているだけに、弓之助は熱湯をのむような思いだった。
「お国が……あの、お国が……」
「さようでございます。おもえばあいつもふびんなやつで、れっきとした大家にうまれながら、幼いときに家は没落、それからのち、どんな苦労をしたことでしょう。苦界《くがい》に身をしずめ、つらいせつないおもいをするたび、思い出すのは万助さんのこと。ところが、どういう神のいたずらか、その万助さんが一夜、お国のところで遊んだ。さあ、それこそ、お国にとっちゃ千載一遇の機会です。腕によりをかけてもてなしたから、万助さんはころりとまいった。そして、首尾よく、この隠屠所へ乗りこんでまいったのでございます」
「ふうむ」
弓之助はいちいち、胸にくぎをうたれるおもいだ。
「お国にとっちゃ、にくいのは万助さんひとりじゃなかった。海老屋の一族ぜんぶがにくかった。自分がなめた苦しみを、親族一同になめさせたかった。万助さんの気がくるったのも、おおかた、お国がなにかのませたからでしょう。ところが、気のくるった万助さんは、赤い衣装をはなさない。それをみて、お国が思いついたのがこんどの狂言。万助さんは、たなばたの晩よりまえに、座敷牢のなかで死んだ。これもお国が、わざをしたにちがいありません。そして、死骸はこっそりここへ埋め、用心棒の又蔵を、その身替わりに立てたんです」
「なに、又蔵? それじゃ、父のかたきは……」
「そうです。あの又蔵ですよ。あいつはお国の乳兄妹《ちきょうだい》、つまりお国の乳母《うば》の子で、ふたりはむかしから深い仲だったんです」
「しかし、それじゃ、女中やばあやが気がつきそうなもの」
「どうしてですえ。万助さんはお国の給仕のほかは、けっして飯を食わなかったというじゃありませんか。ばあやや女中が、なにをこのんで、座敷牢をのぞきましょう。たとい親戚のかたが、たまにみえても、赤い衣装で、むこうむきに寝ていりゃ、だれだって万助さんだと思いまさアね」
しかも、それはそう長い期間ではなかったにちがいない。ほんの二日か三日のあいだだったであろう。
ああ、きけばきくほど恐ろしい。
身の毛がよだつ。
さむけがする。
それは悪鬼にもひとしい残酷さだった。
いや、じっさいに、お国はのろいの悪鬼につかれていたのかもしれない。
「あいつは気が狂っていたのです。のろいと憎しみのために、気が狂っていたのです。しかし、ねえ、だんな、ふしぎなものじゃありませんか。その悪鬼の胸にも、人情のやさしさはしみとおった。徳兵衛さんご夫婦のやさしい思いやりは、さすが、氷のようなあいつの胸も溶かしたのです」
「それじゃ、さきほどの投げ込み文《ぶみ》は……」
「お国のほかに、あんなことを知っているやつはありません。ふびんなやつです。鬼の目にも涙で、やさしい若夫婦だけは、どうしても殺す気になれなかったのでございましょう」
佐七はほっとため息ついたが、そのときである。
「親分、親分」
あわただしい呼び声はたしかに辰。
「おお、辰、どうした」
「親分、申しわけありません。又蔵を逃がしてしまいました」
「なに、逃がしたと? そして若夫婦は?」
「へえ、さいわいふたりには、寝所をかえさせておきましたので、無事でございましたが、又蔵のやつ、お国をつれて逃げのびました。もしやこっちへ帰っちゃいまいかと……」
むろん、ああいう投げ込み文をした以上、お国も逃亡を覚悟していたにちがいない。
こっちへかえってくるはずはなかった。
道行き秋の甲州路
――お国文蔵くされ縁の因縁話
甲州路は秋がはやい。七月も二十日《はつか》をすぎると、朝夕は、こたつに火でもほしいくらいである。
その甲州路の大月の宿。
ここは吉田《よしだ》口をひかえているので、夏場は富士講の行者たちで毎年にぎわう。その大月の桝屋《ますや》という旅籠《はたご》に、おとといの晩から、泊まりこんでいるふたりづれの男女がある。
宿帳をみると、男は新助、女はお久、江戸から甲府へいく夫婦づれとあるが、なんとなく、いわくありげな道中だった。
じつは、きのうの朝、はやく立つつもりだったが、女が癪《しゃく》をおこして、出発がのびのびになっているのである。
「お久、どうだ、まだ痛むかえ」
宿のどてらを着て、女のまくらもとにあぐらをかいているのは、宿帳にのっている新助。二十五、六の、がっちりとしたからだをしているが、よい男とはいえなかった。青んぶくれのしたような男で、鈍牛《のろうし》といったかんじだが、これがお国の乳兄弟、又蔵であることはいうまでもない。なるほど、この男ぶりでは、お国との関係を感づかれなかったのもむりはない。
「あい」
女はめっきりやつれたおもてをあげると、
「すみません」
「また、いやアがる。いまさら、すむもすまねえもねえじゃねえか。病気だけはどうにもならねえ」
「だって、こんなに出立がのびてしまって、もしや追っ手が……」
「しッ! めったなことをいうものじゃねえ。となりはからかみひとえだ」
「又……いえ、あの、新さん」
ふいに女が、思いせまったような声になって、
「あたしゃもうあきらめている。あたしのためにおまえさんに、もしものことがあっちゃすまない。どうかあたしをこのままに、おまえ、さきに立っておくれな」
「またそれをいう。せっかくここまで落ちのびながら、いまさら、そんなことができるものか。死なばもろともだ。それとも、お久」
「はい」
「おまえ、まさかあの若僧に、未練があるんじゃなかろうな」
「そ、そんなバカな」
「どうだかわからねえぜ。海老屋の一族を根だやしにするといいながら、かんじんの跡取りむすこの段になって、寝返りをうちやアがった。ヘン、おれこそいいつらの皮だ。あやうく十手風をくらうところよ」
「新さん、かんにんしておくれ。あのときは魔がさしたのさ。徳兵衛さんも徳兵衛さんだが、あのやさしいお町さんがかわいそうで……バカだねえ」
女は涙も出ない目で泣いている。
「ふん、どうだかわかるもんか。しかし、まあいいや。あんな若僧に、やきもち焼いたってはじまらねえ。お久、おらア、ふろへはいってくるぜ」
男が手ぬぐいをつかんで出ていくと、女はいまさらのように、夜具のはしをかんで泣きむせんだ。こうして、わびしい旅の空で病みつくと、お国はいまさらのように、じぶんの所業がおそろしくなってくる。
お国に関する佐七の推理は、なかば当たっていたが、なかばまちがっていた。おっとりとした気性のお国は、佐七が考えているほど悪い女ではなかったし、また、万助やその一族にたいして、それほど復讐心《ふくしゅうしん》にもえていたわけでもなかった。
そのお国に執拗《しつよう》に復讐の毒血をふきこんだのは、又蔵の母のお峰という女で、お国のむかし乳母《うば》だった。
お国はあわれな女で、幼時両親をうしなったあと、むかしの乳母の、お峰の手でそだてられた。お国には菊松という弟があったが、又蔵、お国、菊松の三人は、お峰の手によってそだてられたのである。
愚痴のおおいは年寄りのつね、お峰はことあるごとに、河津屋のむかしの栄華を語ってきかせ、不如意なことがあるたびに、これも海老屋のおかげでございます、万助とその一味のせいでござりまするぞと、お国に復讐の毒気を吹きこむことをわすれなかった。
そして、お国にもうひとつピンとこないのをみると、
「あなたはまあ、なんという親不孝なかたでございまする。おなくなりあそばしたご両親さまの無念さが、おわかりにならないのでございますか」
と、畳をたたいていきりたった。
お国が十八のとしに、弟の菊松がわずらいついた。労咳《ろうがい》……すなわち、いまのことばでいえば肺病だった。
菊松の病気をなおすには、多額の金子が入用だった。当時、又蔵はもう身をもちくずして、家をそとの放埒三昧《ほうらつざんまい》、けっきょく、お国が身売りをするより方法がなかった。
いよいよ、お国が吉原の松葉屋へひきとられるというまえの日に、又蔵がひょっこりかえってきた。小さいときから、いっしょにそだてられた又蔵は、いままでお国を、主家のお嬢さんとしてしかみていなかった。
それがちかく苦界へ身をしずめて、おおくの男におもちゃにされるのかと、そう思ってみなおすと、いままでとちがったお国がそこにあった。それは、まぶしいくらい豊麗なからだをもつ美人であった。
幸か不幸か、そのときお峰はるすだった。菊松は菊松で、熱にうかされてうとうとしていた。
又蔵はとつぜんお国の手をとり、ひざのうえに抱きあげた。満面に朱をそそいだ男の顔をみたとき、お国はハッとしたらしかったが、どうせおおくの男のおもちゃになる身と観念したのか、目をとじて、男のなすがままにまかせていた。
まもなくお国も、絶えいるように息をあえがせ、からだを開くと力いっぱい、したから男を抱きしめた。
やっと血の騒ぎがおさまったとき、又蔵はそこへ手をついてあやまった。かえってお国のほうが、はじらいながらも、あんがい平気で、おくれ毛をかきあげながら、
「いいのよ、又さん。どうせいろんなひとに、おもちゃにされるあたしだもの。気心のしれた又蔵さんに、こうして女にしてもらって、あたしゃどんなにうれしいかしれやアしない」
「お嬢さん、そんなにおっしゃられると、あっしゃいっそう申しわけなくって……」
又蔵もわるい男ではなかったが、これがふたりのくされ縁のはじまりだった。
悪因縁、お国万助
――万助は年がいもなく血気にはやって
松葉屋へひきとられたお国は、三カ月ほどげんじゅうな訓練をうけたのち、逢州《ほうしゅう》と名のって勤めにでたが、たちまち全盛をうたわれる身となった。
厚物咲《あつものざ》きをみるような、パッと目につく器量も器量だが、お国の真価はからだにあった。
おっとりした気性のお国は、からだもそれだけ健康で、客のどのような求めにも応じられるだけの力を、いつもはだのしたにたくわえていた。松葉屋でもだいじにして、むちゃに客はとらせなかったので、お国はいつまでも豊麗で、みずみずしく、一種精妙な弾力性と、吸引力をたもっていた。
お国の客がことごとく、お国に有頂天になったのは、その精妙なからだに、身も心もとろけてしまうからである。いちどお国とねた客は、その絶妙なからだを忘れかねて、のちのちまでも通ってくるのである。
環境にたいして順応性にとみ、根がすなおな気性のお国は、客のよりごのみをせず、だれにでもその精妙さをおしみなく発揮したから、逢州の人気はいよいよたかまるばかり。
客のほかに、又蔵が、昼間のお国のからだのひまなときを見計らっては、こっそり裏口からあいにきた。
身をもちくずしたといっても、むかしの人間はりちぎである。ことに主従関係について口やかましい、お峰に育てられた又蔵は、主家の娘を犯したという罪の意識がなかなかぬけず、お国と呼びすてにするにもひまがかかった。
かえって、お国のほうがこだわらなかった。
はじめのうちは、又蔵がとかく遠慮がちだったのにはんして、お国のほうが大胆だった。又蔵がしのんでくると、へやをしめきり、ひとをとおざけ、帯ひもといてもてなした。
又蔵は口かずもすくなく、みたところさえない男だが、はだかにすると、柳橋の舟宿で船頭をしていたというだけあって、どの筋肉も隆々としてたくましく、小舟をあやつっていただけに、腰のバネは抜群だった。
いかに遠慮がちとはいえ、いったんお国を抱いてしまうと、又蔵も前後をわすれて、そのバネにものをいわせた。お国はお国で、商売気をはなれて、もちまえの精妙さを発揮して、それに応じた。
こうして、女郎と間夫《まぶ》という、ありきたりの関係になっていったが、そうなっても又蔵には、まだ義理堅いところがあり、ちっとも間夫ぶらないところがよかった。
お峰もよくやってきた。
菊松の容態がはかばかしくないので、お峰はくると泣きごとだった。そして、その泣きごとのあとにはかならず、これもひとえに海老屋のせい、万助とその一族のおかげでございまするぞと、念をおすことをわすれなかった。
それでいて、お峰はまだ、お国と又蔵の仲に、気がついていなかったらしい。もし、彼女が、じぶんのせがれがお嬢さまを抱いて、好きかってなことをしていると知ったら、どんなに怒り、嘆いたことだろう。
そのお国に、さいしょに訪れた不幸は、菊松の死だった。お国が勤めに出てから半年ほどのち、菊松は薬石の効むなしく、なくなった。お峰がやってきて、これも海老屋のせいですぞ、万助のなせるわざでございまするぞと、強調したことはいうまでもない。
お国の第二の不幸は、又蔵が賭場《とば》のいさかいからひとを傷つけ、わらじをはかねばならなくなったことである。
夜ふけてこっそり又蔵が、別れをつげにきたとき、お国ははじめてかかえ主にわがままをいった。その晩、お国はほかの客をぜんぶことわり、夜っぴて又蔵の腕に抱かれて、男のすきなように身をまかせた。
明けがた男が出ていくとき、お国はできるだけのくめんをして、路銀をつつんでやったが、いつもはぜったいにお国から金をうけとらぬ又蔵も、このときばかりは押しいただいて、
「お国、礼をいうぜ。いつあえるかわからねえが、おまえも達者で暮らせよ」
「そういう又さんこそ、旅の水に気をつけて」
お国は寂しさが身にしみて、ホロリとした。
お国の第三の、そして彼女の最大の不孝は、海老屋の万助をそれとしらずに、客にとったことである。
一昨年の春もうつろう四月なかばのこと。お国は十八の秋から勤めに出て、もう一年半、夜ごとあだし男とまくらをかわしながら、彼女の容色はすこしも衰えていなかった。
いや、衰えるどころか、ふくよかなはだは、おおくの男の精気を吸って、そのつややかなことは照りかがやくばかり。厚物咲きのように華麗な美貌《びぼう》は、ますますみがきがかかり、評判の名器は、おおくの男にかなでられることによって、いよいよ精妙さをくわえていた。
よりによってそういう時期に、海老屋の万助が客として、彼女のまえへあらわれたのである。
おおくの太鼓末社をひきつれて、引き手茶屋からおくられてきたところといい、ゆったりとした口のききかたといい、極上の客とおもわれたが、まさかこれが、親のかたきの万助と、気づかなかったのが彼女の最大の不幸だった。
ほんとのことをいうと、そのまえの年の秋から、おぼえはじめただだらあそびに、万助はちかごろ、いささか飽きぎみだった。だから、その晩もなんとなく、浮かぬ顔色をしているのを、そばからつとめて気分を引き立てるようにしむけたのは、ほかならぬお国の逢州だった。
この水に染まってから、もう一年有余、それでいながら、お国はまだもちまえの、おっとりとしたあどけなさを失っていなかった。みえすいたおせじはいえないほうだが、よろずとりなしに実意がこもっていた。
ことに、その晩は、かかえ主や引き手茶屋のおかみから、よくいいふくめられていたのと、それに彼女じしん、なんとなく寂しそうなこの年寄りがきのどくになったのもてつだって、できるだけあいての気分を、引き立てるようにふるまった。
そこでけっきょく、万助はお国の逢州とへやへひけたが、お国のからだを抱くにおよんで、万助はじぶんでじぶんを疑った。
万助も逢州のうわさは、きいてきたのだ。しかし、万助はあたまから、そんなことを信用していなかった。だから、うわさにたかいこの女が、やっぱり、じぶんの思うとおりのふつうの女なら、これきり道楽をやめようと思って抱いたその女が、聞きしにまさる名器のもちぬしだったというのは、万助にとっても、お国にとっても不幸であった。
その晩のお国のからだは、とくに精妙をきわめたから、万助は年がいもなく血気にはやった。しかも、万助が血気にはやればはやるほど、お国のからだは、ますます真価を発揮するのである。真価を発揮したのみならず、お国も万助の首にしがみつき、いくたびか、力いっぱい抱きしめた。
しばらくのいこいのうちの寝物語で、はじめてあいてがだれであるかを知ったときのお国のおどろきを、いまさらここに喋々《ちょうちょう》するまでもあるまい。万助の腕のなかにいたお国が、あまりはげしく身を動かしたので、
「どうしたんだね」
と、万助がふしぎそうに尋ねた。
「いえ、あの、木場の海老屋さんのだんなさまなら、もっともっと、お年をめしたかただと思っていましたのに」
「わしももう、さらいねんは本卦《ほんけ》がえりよ」
「あら、あんなうそを……」
それはお国のおせじではなく、じっさい、万助はその年にはみえなかった。
わかいときから金もうけと、権謀術策にうき身をやつしてきた万助は、女にはわりに恬淡《てんたん》だった。成功者によくある、女色に惑溺《わくでき》するようなことは、いままでの万助にはなかった。
しぜん摂生がたもてたとみえ、膚の色つやもみずみずしく、わかいとき荷揚げ人足もやったという万助は、すべてにおいてたくましく、抱かれてねた女だけが知っている、官能のさいごの奔流の旺盛《おうせい》さからいっても、十以上はわかかった。
それがほんとの万助だとわかったとき、さすがにお国も惑乱し、身の因果ということを、考えずにはいられなかった。しかし、いまさら嘆いたところでどうなろう。お国はもうこの男に抱かれて、商売気をはなれた、女のまことをささげてしまったのだ。
お峰からさんざんふきこまれてきた海老屋万助というひとは、鬼か蛇《じゃ》か、魔王のようなひとだと思っていたのに、案に相違して、いまじぶんを抱いている男は、いかにも腹のふとそうな、ゆったりとしたよいだんなである。
お国の心は千々にみだれたが、いまさらこの男を、仇敵《きゅうてき》として憎めといってもむりだった。
「どうしたんだい。なにをそのように考えこんでいるんだえ」
耳もとでささやかれて、
「いいえ」
と、おもわず鼻声で、
「だんなさま……」
と、息をはずませながら、みずから足をからめていった。
「いいのかい」
女に誘われて、男もすぐにもえてきた。
「好きなようにして……」
「ようし」
と、男が力づよく抱きよせると、お国はさっきより、もっと大胆にからだをひらいて、みずから手をとって、男をじぶんのなかに迎えいれた。
惨劇、真昼の座敷牢
――お国はふたりの男をあやつって
その一夜を境にして、万助のだだら遊びが、またぶりかえしたことはいうまでもない。いや、それは以前にもまして、はでで、豪勢なものであった。彼女のためなら万助は、千金もおしまなかった。
すなおで、おっとりして、おおどかな性質のお国は、万助のどんな要求にたいしても応じてみせた。万助が脱がせにかかると、お国はちょっと抵抗するふりをみせながら、けっきょくは、あいての思うままになり、まっかな夜具のうえに、うつくしい裸身をおしげもなくひらいてみせて、じぶんも息をあえがせた。
万助にはお国のからだの、どの部分も気に入っていた。お国はむっちりとした肉《しし》置きの、いくらかふとりぎみだったが、からだ全体の曲線が、ふくよかな均整をたもっており、どの部分も、ゆたかな弾力にとんでいた。
しかも、はだのきれいなことは無類である。底にもえやすい血を蔵した白いはだは、絖《ぬめ》のようにつややかで、要所要所がほんのりと、桜色をおびているのが、このうえもなくいじらしかった。
お国が万助のいうがままになるのは、けっして、還暦にちかい老人を誘惑して、心身に、破滅をきたさせようという、陰険な下心からではなかった。
お国も心細かったのである。
菊松にさきだたれ、又蔵に去られ、たったひとりのこったお峰は、愚痴と、海老屋の一族にたいする復讐以外には語らなかった。
お国が万助にひかれていったのは、お峰の度をすぎた愚痴に、反発したのかもしれない。あるいは、親のかたきにもてあそばれているという被虐的な快感を、ひそかに楽しんでいたのかもしれない。
さいわい、年季証文をいれるとき、お峰は主家の名誉をおもんばかって、かくしていたので、松葉屋でも、彼女のほんとの素姓は知らなかった。
万助のあまりの放蕩《ほうとう》に、親戚一同がお国を根引きして、万助にあてがうと同時に、六間堀へ隠居させたことはまえにもいったが、このときお峰はくびれて死んだ。
お国は万助のことを、お峰にかくしていたが、身請けされるだんになって、ばれてしまった。
おどろいてかけつけてきたお峰は、泣いてお国を切諫《せっかん》した。懐剣をつきつけて、これで万助の寝首をかき、おのれも自害してはて、地下の両親におわびをせよとまでせまった。
お国がそれにとりあわなかったので、お峰は梁《はり》にひもをかけ、みずからくびれて死んだ。無筆のお峰には遺書がなかったので、彼女がなぜ死んだのか、だれにもわからなかった。
万助が発狂したのは、お国が一服盛ったからではない。親戚のしうちにたいする痛憤と、お国のからだにたいする過度の惑溺《わくでき》が、万助の心を狂わせたのである。
不平|悶々《もんもん》の情やるせない万助は、鬱《うつ》を散ずる手段を、お国のからだに求めるよりほかに、方法を知らなかった。かれは昼となく夜となくお国を抱いた。
こうして、老境にいたって、とつぜんおそった過度の刺激と悦楽が、万助の神経を狂わせたのである。
五月ごろ隠居所に、座敷牢をつくったのがいけなかった。万助の狂気はますますはげしくなるばかりだったが、そのころ、いかに従順な病人とはいえ、かりにも気の狂ったひとといるのだから、女手ばかりではこころもとない、だれか男手をせわしてほしいというお国の要請をいれて、六月のはじめごろ、上総屋角右衛門がつれてきたわかい男の顔をみて、お国は心中、のけぞるばかりにおどろいた。
まだ旅にいるとばかり思っていた又蔵だった。
お国はしかしうまれつき、思うことがすぐ顔色にあらわれない性分の女であった。又蔵のほうでははじめから、ばんじ承知できているのだから、ヘマをやるはずがなかった。
それに、照りかがやくばかりうつくしいめかけと、青んぶくれのしたような、一見、のろまにみえるこの男とのあいだに、そんなふかい関係があろうとはだれが思おう。
又蔵はなにもかも知っていた。しかし、お国を責めはしなかった。ああいう世界に、身を沈めていたからには、こういう奇妙なまわりあわせも、やむをえないことだと、お国をゆるした。
そのかわり、お国のからだをもとめ、お国もいやおうなしにかれに抱かれた。久しぶりにふれたわかい男のはだに、血をたぎらせたお国は、又蔵の首にしがみつき、なんどか力いっぱい抱きしめた。
お国も又蔵もうまく立ちまわったので、ひと月くらいはうまくいった。
お国はたくみに二匹の雄をあやつった。あしたにひとりの男と歓をつくし、ゆうべにほかの男にいどまれても、すこしもひるまず、あいてを歓喜の絶頂に導くだけの力をお国はもっていた。
それにもかかわらず、ひと月たらずで、やっぱり、破局がやってきたというのは――
気が狂ってからの万助の、お国にたいする惑溺には、抑制がなくなっていた。欲情がおこると、あたりはばからずお国を抱いた。そばにばあやや女中がいようが、見境がなかった。これにはふたりのほうが辟易《へきえき》して、座敷牢へはぜったいに、ちかよらないようにしていた。
そこの呼吸が又蔵には、まだのみこめていなかった。お国のほうでもけっこう楽しんでいるのだということが、又蔵にはわからなかった。あれではお国がかわいそうだと、義憤に似た気持ちもてつだって、又蔵はしだいにジリジリしてきた。
たなばたの日からかぞえて、なか二日おいたまえの四日の午後、ばあやと女中はるすだった。
座敷牢のほうからきこえてきたれいのけはいに、又蔵はしだいに癇《かん》をたかぶらせた。うさばらしのつもりで、一杯のんだのがいけなかった。茶わん酒で一杯、二杯、三杯とのみほしたが、座敷牢のけはいはやまなかった。
又蔵は欠け茶わんを投げ出すと、フラフラと立ちあがっていた。
座敷牢の外の庭へきてみると、障子がはんぶんあいていた。ちかごろでは、ふたりでそこへ閉じこもると、だれもちかよらないので、お国もゆだんをしたのか、それとも、障子をしめるまもなかったのか、座敷のなかがまるみえだったのが、三人にとって不幸だった。
昼日中、ふたりとも素っ裸で、それがまず又蔵を憤激させた。むせっかえるように妖艶《ようえん》なお国のからだを、万助の年にしてはたくましいからだが抱いているのだが、そのいささか風変わりな姿態が、ついに又蔵を逆上させた。
佐七の推理はここでもまちがっていた。万助は毒殺されたのではなく、絞殺されたのである。
怒り心頭に発した又蔵は、疾風のように座敷牢のなかにとびこんだ。そこにありあう細ひもをとりあげて、うつぶせになって、そのことに熱中している万助ののどに、うしろからひっかけると、力まかせにあおむけにひっくりかえした。そして、肥満体の万助の布袋腹《ほていばら》のうえに、すばやく馬乗りになると、両手ににぎった細ひもを、力いっぱい引きしぼった。
じっさい、それはあっというまのできごとだった。お国があわてて身づくろいをして、止めにかかったときには、万助は鼻から口から血を吐いて、息はもうとだえていた。
それからあとのことは、くだくだしく説明するまでもあるまい。
万助の死体を埋めて、又蔵にその身代わりをつとめさせたのは、お国の思いつきだった。たった三日のことだったので、又蔵は首尾よく一人二役をやりとげた。万助の身代わりになって、座敷牢のなかにいるとき、又蔵はだれはばからず、思うぞんぶんお国を抱いた。男も女ももう捨てばちになっていたのだ。
しかし、いつまでもそういう状態でいるわけにもいかないので、思いついたのが、ほうずき大尽の逆上、親族一同にたいする復讐という、あの一連の殺人事件である。
これを思いついたのもお国だったが、そのときになってお国は、乳母のお峰が、のろいにのろっていた海老屋の一族と、隠居をしいられて以来万助が恨みにうらんでいた親戚が、偶然一致しているのに気がついて、慄然《りつぜん》とせずにはいられなかった。
けっきょく、あの一連の殺人事件は、ほうずき大尽がまだ生きているとみせかけることによって、又蔵をかばおうとしたのだったが、同時にじぶんと万助の、恨みをともに晴らすためでもあったのだろう。お国は万助にほれていたのかもしれない。
それを思うと、お国はじぶんでじぶんがそら恐ろしかった。
お国がこうして、ここ二十日あまりの、悪夢のような、血みどろな思い出にふけりながら、ふとんのえりをかんで泣いているところへ、あわただしくかえってきたのは又蔵である。
「お国、まだ泣いているのか。それどころじゃねえぜ」
「え?」
覚悟はきめているものの、お国はやっぱりこわかった。もしや追っ手が……と、ふとんのうえに起きなおると、
「いや、追っ手じゃねえが、いまふろ場でわるいやつに会った。二、三度、賭場《とば》で会ったことのある、金助という野郎が……」
「へえ、その金助が、おじゃまにめえりやした」
と、廊下の障子をがらりとひらくと、
「兄哥《あにい》、みずくせえぜ。逃げなくてもいいじゃねえか」
と、はいってきたのは遊び人ふうの男だった。
「おお、金助か。なに、逃げるわけじゃねえが……」
金助はジロリとお国をみると、
「へっへっへ、兄哥、お楽しみで、おうらやましいこってすな。これからどちらへ」
「ふむ、甲府へでもいこうかと思うんだが」
「甲府?」
金助は顔をしかめて、
「兄哥、よしねえ。わるい了見だ。甲府まではとても、落ちのびられますめえぜ」
「なにょ!」
「まあさ、黙ってききなせえ。さっきおいらは宿《しゅく》のはずれで、三人づれの男に会いやした。ひとりは侍で、ふたりは町人、しかも、そのふたりにゃ見おぼえがある。ありゃたしかに、お玉が池の親分に、きんちゃくの辰てえ野郎だった」
とたんに、お国と又蔵は、蝋《ろう》のようにまっしろになった。
金助はジロリとそれを見ながら、
「兄哥、おまえ身におぼえがねえなら、よけいなお世話だが、心当たりがあるなら、気をつけなくちゃいけねえぜ」
「金助、ありがてえ。礼をいうぜ。お国、したくだ」
「兄哥、ちょっと待った。おまえそのままでとびだす気か。バカだなあ。そんなことをすりゃ、飛んで火に入る夏の虫だ」
「だって、どうすりゃいいんだ」
「まあ、おいらにまかせておきなせえ。ほらよ、ここに衣装があるから、これに着替えるんだ」
金助が廊下からひっぱり込んだのは、富士講行者の白衣の衣装がふたそろい。
「こんやは吉田の火祭りよ。おいらは富士講でここへきたんだが、仲間が三十人ほどある。みんなそろいのこの白衣だ。これからすぐに立つから、おふたりとも、おおいそぎでしたくをしなせえ」
「金助、なんにもいわぬ。このとおりだ」
悪党には悪党らしい情けがあった。
それからまもなく、同勢三十人あまりの富士講行者が、そろいの白衣に金剛づえで、吉田をさして立っていったが、そのなかにたずねるふたりがいようとは、さすがの佐七も気がつかなかった。
捕物《とりもの》、吉田の火祭り
――又蔵さん、あたしは先へ行くよ
佐七が甲州路へ目をつけたにはわけがある。
お国がまえに勤めをしていた松葉屋できくと、お国には甲州に親戚があって、年季があけたらそこへ引っこみたいと、つねづね朋輩《ほうばい》にかたっていたという。
さてこそ、落ちゆくさきは甲州路と、辰をひきつれ、この街道を追いこんできたわけだが、一行には岩瀬弓之助もくわわっている。
三人は一軒一軒、大月の宿をしらべてあるいたが、どこの宿でもおなじこと、じぶんの家からなわつきをだしたくないから、この取り調べはかんたんなようで、てまがとれる。
佐七の一行がさいごに桝屋《ますや》へやってきたのは、お国、又蔵が出立してから、一刻《いっとき》あまりものちだった。ここでも、亭主や番頭がことばをにごすのを、むりに宿帳を出させてしらべると、お久、新助というのがどうやらそれらしい。
「このふたりづれはまだいるか」
「へえ、そのおふたりさんなら、さっき富士講のご連中といっしょに、吉田にお立ちになりました」
きいて三人はおもわず顔を見合わせた。その富士講の連中なら、さきほど道ですれちがったのだ。
「だんな、いけません。まんまと出しぬかれました」
「よし、こうなったら、どこまでも追っていくばかりだ。あいては女の足弱づれ、いそいでいけば追っつけぬこともあるまい」
甲州街道を左へそれると、道志山脈と御坂山脈にはさまれた、せまい山峡《やまかい》である。そこをひた走りに追っていくと、谷村《やむら》をすぎるころには、日が照りながらパラパラと雨が落ちてきた。
このへんはもうすっかり秋なのだ。
東桂《ひがしかつら》でおそい昼食をしたためついでに、きいてみると、三十人あまりの富士講行者が、ついいまのさき通りすぎたという。そのなかに女がひとりいたはずだがときいてみたが、そこまでは知らなかった。
「だんな、もうひといきです。どうでも吉田でつかまえなきゃいけません。あいても死にものぐるいです、南へぬけるか北へぬけるか、吉田よりおくへ逃げこまれちゃ、さがすのにほねがおれます」
「よし、いそいでいこう」
そこでわらじをはきかえて、明見《みょうけん》から瑞穂《みずほ》へかかると、富士山がまゆのうえにせまっている。日はすでに西にかたむいて、せまい山峡は、はやすずめ色のたそがれもよう、あかね色にそまった富士のお山も、刻一刻とうすれていく。
こうして一同がようやく吉田にたどりついたのは、いままさに、火祭りの幕がきっておとされようとする暮六ツ(六時)ごろだったが、ここで三人ははたと当惑の顔を見合わせた。
そもそも、吉田の火祭りというのは、浅間《せんげん》神社のご祭神|木花咲耶姫《このはなさくやひめ》が、ご産室に火をおはなちになり、猛火のなかでぶじに三人のお子を産まさせたもうたという故事からきている。
そして、この火祭りと同時に、お山はとざされることになっているので、まいとし全国からはせさんじる富士講行者の数しれず、しかも、これがみな白衣の装束だから、このなかからお国、又蔵のふたりをさがし出そうというのは、高野山で今道心をさがすよりほねがおれる。
「親分、こいつはいけませんや」
きんちゃくの辰がまず悲鳴をあげた。
「佐七、どうしたものであろうの」
弓之助もまゆをひそめる。
「しかたがありません。こうなったら、しらみつぶしにさがしてまわるより方法はありませんや」
だが――
捨てる神あれば助ける神ありだった。三人が目をさらのようにして、うろうろきょろきょろ、白装束の潮のなかをさがしているうちに、
「おや、そこへいくのは辰じゃないか。おお、佐七もいっしょか」
と、だしぬけに、声をかけたものがある。おどろいてふりかえった佐七と辰は、あいてのすがたを見ると、おもわずあっとさけんで駆けよった。
「おお、おまえさんは音羽の親分」
いかにもあいては、音羽の親分このしろ吉兵衛、佐七にとっては親がわりの後見役、江戸の御用聞きのなかでも、頭株《かしらかぶ》の古顔だった。
みると、吉兵衛も白装束に金剛づえ、富士講行者のいでたちだった。
「佐七、こんなところへなにしにきたのだ。まさか火祭りの見物じゃあるめえな」
「親分、お察しのとおりです。おまえさんにここで会ったのは、地獄で仏だ。ひとつ、手を貸しておくんなさい」
と、手みじかにわけを話すと、吉兵衛も目をまるくして、
「ふむ、それじゃそいつらが富士講行者に化けて……よし、おれにまかせておけ」
吉兵衛が金剛づえをふると、ばらばらと四、五十人の白衣の行者があつまってきた。吉兵衛は富士講の信者でも古株だから、よく顔が売れている。
わけを話して助勢をたのむと、
「なに、人殺しの下手人が、行者に化けてはいりこんでるって? よし、お山のけがれだ。ひっとらえて袋だたきにしてしまえ」
バラバラと、くもの子をちらすように八方にとんだが、それらの口から、うわさが伝わったから、さあたいへん、吉田の町は上を下への大騒動だ。
元来、この火祭りは不浄を忌《い》む。村の住民でも、親戚うちに不幸のあったものは、祭りのあいだだけ、他村に立ちのくというくらい。そこへ人殺しの下手人がまぎれこんだというのだから、行者のみならず村人もおこった。
「ふとどきな野郎だ。ひっとらえてしおきにしろ」
こういうところへまぎれ込んだお国、又蔵こそふしあわせだった。
「兄哥、こいつはいけねえ、ひとめにつかねえうちに、どこへでも落ちのびてくれ」
「金助、すまねえ。いのちがあったら礼をするぜ」
金助にわかれたお国、又蔵は、お山の登り口のほうへひた走りに走ったが、もういけない。村の出口出口はげんじゅうに固められている。
「あっ、あいつだ。それ、人殺しの下手人をひっとらえろ」
わっという騒ぎ。
「しまった。お国、こっちへこい」
だが、騒ぎをききつけて背後からも、白衣の行者が、手に手に金剛づえを振りかぶって追ってくる。絶体絶命とはまったくこのこと、ふたりはいまや袋のねずみだ。
と、このときだ。
辻々《つじつじ》に立てられた、ふたかかえもあろうという大松明《おおたいまつ》に火がつけられたから、あたりは昼をもあざむく明るさとなった。いよいよ、吉田名物の火祭りの幕が切っておとされたのだ。
「又蔵さん、もういけない。あたしは覚悟をきめている」
「お国、弱いことをいうものじゃねえ。なんのこれしき、あいては烏合《うごう》の衆だ」
又蔵はスラリと腰のわき差しをぬいた。
「うぬら、よると死人の山だぞ」
「それ抜いたぞ。めんどうだ、やっつけろ」
バラバラと金剛づえがとんでくる。そいつが真正面から当たったからたまらない。
額がわれて血がながれる。
髻《もとどり》が切れてざんばら髪になった。
「又蔵さん」
「お国、こい!」
わき差しを振りまわすと、わっと行者が左右にわれる。そのすきをぬうて又蔵は、お国の手をひいたまま、バラバラと松明をよじのぼって、かたわらの屋根のうえへとびあがった。
そこへ、駆けつけてきたのが、佐七をはじめ、弓之助にきんちゃくの辰。このしろ吉兵衛もついている。
「お国、又蔵、神妙にしろ」
「なにょ!」
屋根のうえに仁王立《におうだ》ちになった又蔵。それをめざして四方八方から金剛づえがとんでくる。ふたりとももう数カ所の手傷だった。
「おまえさん、もういけない。あたしはさきへいくよ」
お国は目のまえに燃えさかっている大松明めがけて、さっとばかり身をおどらせた。これをみると又蔵も、もうこれまでと思ったのか、ぐさりとわき差しを腹へつっこんで……白無垢《しろむく》装束をまっかに染めた。
おりから、お山の室々《むろむろ》にも火がはいって、吉田いちめん、もえさかる大松明の炎と煙に、みるみるうちに包まれていった。
鳥追い人形
女師匠が機転の屏風《びょうぶ》
――ガックリ倒れた人形の中から
江戸の夏は、祭礼にあけて祭礼にくれる。
まず六月十五日の山王祭りをふり出しに、八月十五日が名月深川の八幡《はちまん》祭り、くだって、九月十五日の神田《かんだ》明神は神田祭りと、ここいらが横綱格だが、そのなかで、とりわけ名高いのが深川の八幡祭り。
この八幡祭りがなにゆえとくべつに有名かというと、文化四年に永代橋墜落という、前代未聞の大椿事《だいちんじ》をひきおこしたからで。
この年は、しばらく打ち絶えていたみこしの川渡御《かわとぎょ》が、ひさしぶりに、復活されるというのが人気をあおって、江戸じゅうの人間がわれもわれもと、江東めざして押し出したからたまらない。
永代橋の東のほうから十二間、メリメリと墜落して、そのとき、橋とともに、水中にふるい落とされて死んだかずが、おどろくなかれ、千五百人という、じつに古今|未曽有《みぞう》の大椿事。
だが、ここにお話しするのは、そのときのことではなく、それより十年ほどのちのこと。
この年は文化四年のような騒ぎはなかったが、なにがさて、名高い八幡祭りのこと、氏子にあたる本所、深川、京橋、日本橋の町々が、金にあかして山車《だし》、船屋台の趣向くらべのなかでも、茅場町《かやばちょう》からくりだす船屋台の生き人形というのが、まえから評判になっていて、その日は、朝からたいへんなにぎわいだ。
さて、当日は将軍家の姫君も、船でご参詣《さんけい》というお触れがあらかじめ出ているので、時刻がくると、お船手の役人が綱をはって、永代橋はぴったりとしばし通行どめ。やがて、巳《み》の上刻、いまの時間でいえば午前十時ごろともなれば、鯨幕をはったご座船が、お成り間と称する河心二間ほどの水路を、櫓拍子《ろびょうし》もいさましくこいでくる。
むろん、そのあいだほかの船は、両|河岸《かし》に目白押し、つつしんで、堵列《とれつ》していなければならないのだが、それがどういうまちがいか、ご座船が永代橋のきわまでさしかかったとき、むこうからやってきたのが船屋台の一行である。
これがまた、三味《しゃみ》太鼓の囃子《はやし》もにぎやかに、ご座船のほうへ近づいてきたから、おどろいたのはお船手の役人はじめ、警備の任にあった町奉行付きの連中だ。
「ひかえろ、将軍家姫君のお成りなるぞ」
バラバラと舟をこぎよせ、声をからして制止しようとするのを、はるかにご覧になったのがご座船の姫君で、
「たれかある。あのものどもをそのままに差しおくよう申しつたえよ。ときにとっての一興、わらわも見たいと思いまする」
とおっしゃったから、つるの一声。
よろこんだのは船屋台の一行である。
あやうくおとがめをくうところを助かったばかりか、姫君のご前で、ひごろ鍛えた遊芸のひとつもご披露《ひろう》しようというのだから、これこそ一代の面目だ。
やがて、お船手のさしずによって、船屋台の一行は、ご座船からやや離れたところを通りすぎる。
まず第一番は瀬戸物町の船屋台で、これはかわいい女の子がふたり、雄蝶雌蝶《おちょうめちょう》の踊りかなんか踊っていたが、さすがに、堅くなってふるえているのもいじらしい。
二番めは住吉町《すみよしちょう》のバカ囃子。これはまた、遠慮はかえって無礼とばかり、ドンチャン、ドンチャン、べらぼうな音をたてて通りすぎる。
姫君は御簾《みす》のうちより、ことのほか興ありげに、これらの船屋台を見ていられたが、やがてそこへ差しかかったのが、当日よびものの茅場町の生き人形だ。
この生き人形というのは、人形作りの名人といわれた茅場町の亀安《かめやす》という人形師が、腕によりをかけてつくったもので、場面は芝居の道成寺。
かつて、役者の瀬川|菊之丞《きくのじょう》が大当たりをとった、白拍子花子をそのまま写したものだが、浜村屋生き写しの顔といい、赤地に金糸銀糸で刺繍した衣装のきらびやかさといい、そのみごとなことは、筆にもことばにもつくせない。
この生き人形を中心に、町の師匠やのど自慢のだんな衆が、長唄《ながうた》の道成寺をきかせようという趣向で、これはまったく大当たり。
姫君もたいへんご満足で、このまま船屋台が、通りすぎてしまえは上首尾だったが、好事《こうず》魔多し、そのときたいへんなことが起こったのである。
茅場町のあとにもう一|艘《そう》、どこかの船屋台がつづいていたが、どうしたはずみか、これがどんとうしろから、まえの船に追突したからたまらない。
はずみをくらってぐらぐらと船がかたむいて、あの生き人形がばったり倒れた。
いや、倒れただけならまだよいのだが、あいにく、顔のところが舷《ふなべり》にぶつかったから、さあ、たいへん、うつくしい顔が、こっぱみじんに砕けたから、おどろいたのは船屋台の一行だ。
ご前も忘れてわっと総立ちになったが、そのときだ。なんともいえない、恐ろしいものが目にとまったのである。
こっぱみじんに砕けてとんだ人形の顔のうしろから、おしろいを落としたように、もうひとつの顔がのぞいているのだ。
しかも、その顔の気味悪いこと。
紫色に腐乱して、目、口、鼻、人相の見わけもつかぬまでに、くずれかかった女の顔、それがこう、おどろに髪を振りみだして、ぬうっと白日のもとにさらけ出されたから、いや、おどろいたのなんのって。
だんな衆は腰をぬかす。娘たちは気絶する。
船屋台のなかはうえをしたへの大騒ぎだが、このとき長唄の女師匠、杵屋和孝《きねやわこう》というのがとっさの機転、そこにあった二枚折りの屏風《びょうぶ》を、つと、死骸のまえに突っ立てたが、これは姫君に、忌まわしいものをお見せしてはならぬというとっさの働き。
おかげで姫はけがれも見ず、ぶじにご参詣ということになったが、さあ、そのあとがたいへんだ。
雷おやじの勘左衛門《かんざえもん》
――難儀やなあ、なんとかしてえな
「えらいこっちゃ、えらいこっちゃ。親分、いやはらしまへんか。お玉が池の佐七親分、いやはらしまへんか」
籾倉《もみくら》のそばに臨時にできた八丁堀《はっちょうぼり》の詰め所の表から、糸の切れたやっこだこのように舞いこんできたのは、おなじみのうらなりの豆六である。
「あの、もし、ちょっとお尋ねいたします。こちらにうちの親分いやはらしまへんか。もしいやはったら、豆六がきたいうておくれやす。あの、もし……みんなつんぼかいな。もしもし、あんた。のんきに将棋なんかさしてる場合やおまへんで」
なにしろ、ものに臆《おく》せぬのがこの男の特徴で、ずらりとならんだお偉方が、しきりに将棋を差しているのも委細かまわず、あたりはばからぬ大声でどなりたてたから、おどろいたのは詰め所のお役人衆。
なかでも、斧《おの》の九太夫《くだゆう》みたいながんこおやじが、めがね越しにジロリとこちらを振りかえると、
「騒々しい、なにやつだ」
と、これまたかみつきそうな声だったから、これにはさすがの豆六も、
「へえ」
と、おもわず首をすくめて目をパチクリ。
「ここをいずこと心得ておる。八丁堀の詰め所だぞ。そのほうごとき、下賤《げせん》のやからの参るところではないわ、ひかえろ」
と、苦虫をかみつぶしたような顔でどなりつけられ、豆六、一も二もなくまいるかと思いのほか、これがなかなかそうではない。
なにしろ、つらの皮の厚いのと、口の達者なことでは、さすが兄貴分の辰五郎でさえ、辟易《へきえき》するくらいの豆六だ。
「えらいすんまへん、ここは八丁堀の詰め所だすか。あ、さよか、そんならやっぱりまちがいあらへん。わてがたずねてきたんやっぱりここや。あの、もし、そっちで将棋さしてやはる、色の白いおうつくしいだんな、ちょっとあんたはんにおねがいいたします」
「ええい、やかましいわ。まだぐずぐずぬかしておるか。さっさとここを立ち去れと申すに」
このおやじ、年がいもなく、よっぽど癇癖《かんぺき》のつよいご仁とみえて、ごま塩頭の小鬢《こびん》をふるわせ、刀をとってすっくと立ちあがったが、豆六はけろりとしたもので、
「あれ、あんた、わてを切らはる気かいな。なんでやいな。難儀やなあ。そないにぶくぶくあわふいて、いったいどないしやはってん。ちょっとあんた、そないに笑わんとおしえておくれやす。このおっさん、気ちがいだすか。それとも、てんかん病みだすか」
「お、お、おのれ、いわせておけば重々無礼な。そ、そ、そのままには……」
「そのままでも、このままでもよろしいんけど、あんたそないにそっくり返らはったら、うしろにひっくりかえるがなあ。難儀やなあ。みんなそない笑わんと、なんとかしておくれやすな。それどころやおまへんがな。将軍様の姫君さんご面前で、人殺しがあったちゅうのに、このおっさんあわふくし、わてどないしたらよろしおまんね」
聞くなり、いままであわをふいていた癇癖おやじも、はたでげらげら笑っていた若い同心衆も、いっせいにはっと顔色かえ、にわかに狼狽《ろうばい》しはじめた。
「下郎、そ、そりゃほんとのことか」
「それみなはれ、やっぱりあわてるやおまへんか。あんた、年寄りちゅうもんはな、そないギクシャクするもんやおまへんで。さあ、はよいてみなはれ、お船蔵のそばの船番所や。お成り筋はえらい騒ぎやで。あんたも八丁堀のお役人なら、一刻もはよかけつけんと、あとでお目玉くらいまっせ」
「ううむ。なぜそのことをもっと早く申さぬのだ。それ、かたがた!」
目をしろくろさせながら、おっとり刀でしらがのおやじがとび出していったあとを見送りながら、
「なにいうてんねん。こっちゃははよ知らしたろ思てんのに、じぶんのほうでつべこべぬかして、わてにしゃべらせへんのやないか。あほやぜ、あいつ。それにしても、うちの親分どこへいきさらしよったんやろ。こいつもどうやらあほの口……わっ、びっくりした。あんた、そこにいなはったんかいな」
「どうもすんません、豆六|兄哥《あにい》。あほの口がここにおります」
腹をかかえて笑っているのは、いわずとしれたお玉が池の人形佐七だ。
「わっ、そんならあんた聞いてなはったんかいな。親分もおひとの悪い」
「ふふふ、聞いていなさらしよったんかいなといわねえのかえ。しかし、豆六、おまえは偉いな、たいした度胸だ。江戸に下っ引きもおおぜいいるが、あの雷おやじの藤井勘左衛門《ふじいかんざえもん》さんを、手玉にとったのはおまえひとりだろ」
「え、そんならいまのが藤井のだんなで」
と、豆六もいまさらのように、目をしろくろさせている。
藤井勘左衛門は同心首席、世間からは鬼同心ともよばれ、また色が黒いので、烏勘左衛門《からすかんざえもん》とあだ名され、八丁堀では、なかなか羽振りのきくおやじだが、どういうものか、佐七がかねがね目をかけていただいている与力の神崎甚五郎とはそりがあわない。
格からいうと、むろん甚五郎のほうが一枚うえだが、それだけにねたみもてつだって、とかく甚五郎のするところに、けちをつけようといういやなおやじだ。
むろん、坊主が憎けりゃなんとやらで、甚五郎の縁につらなる佐七にも、日ごろからはなはだ風当たりがよろしくない。
「道理で、ようがみがみいうおやじやおもうた。なに、かもうことあらへんがな。さあ、いきまほ、むこうの船には兄哥も待ってまっさかいに」
「なに、辰がむこうにいるのか、そいつは困った。また、あの雷おやじと衝突しなければよいが……」
死体の腕に銀さま命
――ふいたわ、ふいたわ、かにのあわ
こちらは烏《からす》勘左衛門、おっとり刀で船番所までかけつけてみると、なるほど、あたりは黒山のひとだかり。
船番所のそばには、茅場町の船屋台がそのままつながれ、船のうえでは、一同どうなることかという顔色だったが、そこへかけつけてきたのが、鬼同心のうわさのたかい烏勘左衛門だから、一同はやくもちぢみあがったのもむりはない。
「どこだ、どこだ。人殺しと申すことだが、何者が殺された。そして、下手人はどこにいる。これへ出ろ、下手人はこれへ出ろ」
だれがわたしが下手人でございますと、名のって出るやつがあるものか。勘左衛門、はやくもあわをふきながら、
「ええい、黙っているナ。どいつもこいつも黙っているナ。よいわ。しゃべるなよ。申すなよ。いずれ締めあげて、どろを吐かせてやるほどに、それまではその口をひらくなよ。してして、殺されたと申すのは……?」
と、めがね越しに、じろじろねめまわしていた勘左衛門、ふと人形に目をとめると、わっとばかりに飛びのいて、たちまちぶくぶくあわをふきながら、
「こ、これは……こやつが、こやつが。人殺しをしておいて、死骸を人形へ塗りこめるとは言語道断。だれだ、どいつだ――と、申してもいうまい。しゃべるまい。よいわ、よいわ。だが、この死骸はなにものだ、いずこの女だ。これ、なぜ黙っている。死体の身もとも申せぬというのか。ええい、まっすぐに申し立てぬと、そのぶんにはさしおかぬぞ」
なにしろ、いそがしいおやじもあったもので、船のなかへはいってくるなり、しゃべりつづけのどなりつづけ、気のよわいだんな衆や娘たちは、血の気を失ってちぢみあがっている。見るにみかねて一同のうしろから、すっと立って出てきたのは、さっきとっさの機転で屏風《びょうぶ》を立てたあの杵屋和孝《きねやわこう》という女師匠。
「あの、もし、だんなさま、それはごむりでございましょう」
「なに。なにがむりだ。死体の身もとを申し立てろと申したが、なにがむりだ。見ればべらべら赤いものをつけおって、そのほうはいったいなにものだ」
「はい、わたくしは茅場町で長唄《ながうた》の師匠をいたします、杵屋和孝と申すもの。ごむりと申しましたのはこの死体、このように腐乱して相好《そうごう》のみわけもつかず、されば、どこのなんぴとときかれても、ちとおこたえがいたしかねます」
道理のことばに、さすがの烏勘左衛門も、ぐっとばかりにつまったが、そのときどこかで、
「ざまア見やがれ」
低声《こごえ》でいったものがある。
勘左衛門、これを聞くなり、たちまち目を三角にして、
「だれだ、なにやつだ。ただいま拙者にむかって悪口をいたしたのはなにものだ。これへ出ろ。これへ出ろと申すに」
「はて、悪口と申しますのは、ただいま、ざまアみろと申したことでございますかえ」
もみ手をしながら一同のうしろから、のっそりと出てきたのがきんちゃくの辰だから、さあことだ。
どうでも、ひと風吹かねばおさまらない。
「ううう、おのれはなにものだ。なにゆえあって拙者に悪口いたした。そのわけを申せ。きりきりそのわけを申しおれい」
「だんな、勘違いをなすっちゃ困ります。あっしがただいま、ざまアみろ」
と、わざと勘左衛門のほうへあごを突き出しながら、
「――と申しましたのは、それ、むこうのほうでこの人出のなかを、のんきにつりをしているやつがございます。そいつがただいま、おおきなさかなをつりおとしましたので、それで、ざまアみろ」
と、またもや勘左衛門にあごをしゃくって、
「と、こう申したのでございます」
「ええい、つりのことなどきいてはおらぬわ。みればこの船のものともみえぬが、そのほう、だれの許可をえてこの船に乗りこんだ。いやさ、何用あって乗りこんだ。ううう、怪しいやつめ」
「なんでございますって、だんな、黙ってきいてりゃ、いいかげんにしてくださいまし。なんであっしが好きこのんで、こんな血なまぐさい船に乗りますものか。これも御用と思えばこそだ。お役人衆がお出向きなさるまでに、もしまちがいがあっちゃならぬと、それであっしゃ見張りをしている、これでも十手|捕縄《とりなわ》をあずかってる身だ。このあっしが怪しいやつなら、そこであわをふいているおやじこそ、怪しいも、怪しいも、大化け物だ」
「な、なに、化け物? 拙者をつかまえて化け物と申すか」
ふいたわ、ふいたわ、勘左衛門。それこそ、さるに渋がきを投げつけられたかによろしく、口のまわりにいっぱいあわをふきだしたが、さすがにあいての身分がわかってみると、おとなげないと思ったのか、肩をゆすって、
「よいわ、よいわ、きょうのところは許してつかわそう。それより、みなのもの、この死体の身もとは……?」
「あれ、ま、だんなさま、それはさっき申しましたとおり……」
「ええい、わかっているわ、女だてらに賢《さかし》ら申すな。しからば、見わけのつくようにいたしてくれよう。それ、その人形を打ちこわし、なかから死骸をひきずり出せ」
なにしろもう、八つ当たりなのである。
頭から湯気をポッポと立てながら、人形のなかからひきずりだした死体をみると、これはまた、一糸まとわぬむざんなかっこう、しかも乳のあたりにぐさりとひと突き、どうやらこれが致命傷と思われる。
殺されてから、もうよほどたっているとみえ、からだの線もくずれていたが、それでも十六、七の小娘とうなずける。
勘左衛門は容赦もなく、死体のあちこちをながめていたが、
「おお、あったぞ、ここにたしかな証拠がある。これみよ。死骸の右腕に、銀さま命とあるこの入れ墨。これがなによりの証拠だわ」
きいて和孝はおどろいたが、この船屋台のなかにもうひとり、このときはっと顔色をかえたものがある。
いずれは、囃子方《はやしかた》かなにかにかり出されたのだろう、結《ゆ》い綿《わた》のうつくしい娘が、和孝と顔を見合わせ、そのまままっさおなおもてを伏せた。
勘左衛門は気がつかず、
「さあ、だれかこの入れ墨に心当たりはないか。銀さまとは、いずれ男の名であろう。だれかその銀さまとやらを知るものはないか。ええい、いまいましい。どいつもこいつも唖《おし》になったように。これこれ、町人、そのほうの名はなんと申す」
「はい、わたしは近江屋利兵衛《おうみやりへえ》と申します」
「利兵衛か。銀さまではないな、ふふふふ。どうせそのつらじゃ、銀さまというがらではないわ。これ、つぎの男、そちの名は銀がつかぬか」
「どういたしまして、わたしの名は権六で」
「権六……まるで飯たきのような名だな。すると、ここには銀さまはおらぬのか。ええい、いまいましい。これこれ、そこの娘」
と指さされて、さっきの娘が、ぎくりと肩をふるわせたとき、みるにみかねて、よこから口を出したのは杵屋和孝。
「もし、あのお娘ごは茅場町の生薬屋、上州屋のひとり娘で、お遊さまとおっしゃいます。けっして銀さまとやらではございませぬ」
「知れたことを。女が女の名を彫ってどうするのだ。すると、だれも銀さまを知らぬと申すのか」
勘左衛門またぞろあわをふき出したから、和孝はおかしさをおさえながら、
「あの、もし、よけいな口出しをするようでございますが、人形のなかへ死体をかくすなどとは、とても常人にはおよばぬこと、これは人形師のしわざにちがいございませぬ。ひとつ、そのものをお調べなすっては……」
「あ、そうだ。いやさ、女だてらによけいなこと、それに気づかぬ拙者じゃないわ。してして、その人形師とはいずこのものだ」
「はい、茅場町の薬師新道にすまいする、亀安《かめやす》と申すひとでございます」
「よし、それでは下手人は亀安ときまった」
烏勘左衛門はおそろしく気がはやい。
聞くなり、はや、船番所からとび出したが、そのうしろかちきんちゃくの辰が、ひと声たかく浴びせるように、
「ざまアみろ」
「なにを!」
「そら、またさかなをつりおとしやアがった」
なんだか妙な死体の入れ墨
――杵屋和孝はあじな目つきで
しゃべりつづけの、どなりつづけの烏勘左衛門が、あたふたとあわをくってとび出していくと、船屋台のなかはまるで大あらしのあとのよう。一同ほっと蘇生《そせい》の思いで、ふかい吐息を漏らしたが、そこへひとごみをかきわけてやってきたのは、うらなりの豆六をひきつれた人形佐七だ。
「ええ、みなさんえ。まっぴらご免くださいまし。いま聞けば、なんだかいやな事件が起こったとのこと、さぞご心配でございましょう」
と、最初のあいさつからしてが、烏勘左衛門とはちがっている。
小腰をかがめておだやかなことばに、一同はほっと生色をうかべ、
「おお、これはお玉が池の親分さん、おまえさんがきてくださりゃ気が強い。どうぞ、一刻もはやく下手人をあげて、われわれの難儀を救ってくださいまし」
近江屋利兵衛が一同を代表してあいさつをすると、
「はい、まあ、できるだけやってみましょう。それではご免こうむって、ちょっと死骸をあらためさせていただきます」
と、さっき勘左衛門がひきずり出した死骸のそばにひざまずき、念入りにからだをあらため、さてまた問題の入れ墨を、ていねいに調べている人形佐七の、悠揚《ゆうよう》迫らぬ態度をみると、だれひとり、たのもしく思わぬものはなかったが、なかにあっても杵屋和孝、おもわずぽっとほおを赤らめ、目もはなさずに佐七のようすをながめている。
佐七はしばらく念入りに、あの入れ墨を調べていたが、やがてなにやらぎくりとした面持ちで、
「辰、ちょっとこっちへきてみねえ」
「へえへえ、親分、なんぞ変わったことがありましたかえ」
「ふむ、この入れ墨だが、辰、おめえこれをどう思う」
「ああ、その入れ墨なら、さっき勘左衛門も見ていきましたが、なるほど銀さま命と書いてありますね。銀さまというのは、おおかた情夫《おとこ》の名まえでございましょうが、こういう入れ墨をするところをみれば、どうせこいつはただの女じゃありますめえ。くろうとか、しろうとにしてもそうとうの莫連者《ばくれんもの》でございましょう」
「辰、おめえの気がついたのはただそれだけかえ」
「へえ、するとなにか、ほかにいわくがありますんで」
佐七はにっこりわらって、
「そうよ、少し妙なところがあるんだが、まあいいや、もうしばらくおあずかりにしておこう」
と、佐七がじゃぶじゃぶ川の水で手を洗って立ち上がるところへ、
「あの、親分さん」
と、近づいてきたのは杵屋和孝。ほおを薄桃色に染めながら、いやにからだをくねらせて、
「親分さんに、ちょっと申し上げたいことがございまして」
「おや、だれかとおもえは茅場町の師匠じゃねえか。いつみてもきれいだねえ」
「あれまあ、これはまあ。それじゃ親分さんは、あたしを知っていてくださいまして?」
と、和孝《わこう》はもうとび立つばかりの目の色だから、はてな、へんな風向きになってきたとばかりに、辰と豆六、しきりに怪電波をかわしている。
「はっはっは、茅場町の杵屋和孝師匠といやア、あの近所でも通りもの、知らねえでどうするもんか。おいらもいちどゆっくり会って、話をしてみえてと思っていたところだ。ほんとにいつ見てもうつくしい」
「ありゃ!」
と、そばで聞いていたうらなりの豆六、たくみな殺し文句に、心中ほとほと感服している。
佐七が和孝の名まえを知っているのは、さっき船の外から勘左衛門の取り調べのようすを聞いていたからなので。それにしても、この手でいつも、ころりと女をまいらせるのかと、豆六はいまさらのように、おおいに発明したつもり。
和孝はもとより、そんなこととは知らないから、ただわくわくと有頂天になり、
「親分さん、そ、そりゃほんとうでございますか。親分さんが会うてくださるなら、あたしゃいつでも……」
と、あたりはばからぬあじな目つきに、気をもんだのは辰と豆六。
こんなところをお粂《くめ》がみたら、それこそどんなことになるだろうと、左右からいっせいにエヘン、エヘンと警戒警報。
佐七はにが笑いをしながら、
「いや、そのことはいずれゆっくり話すとして、さて師匠、おまえの話というのはなんだえ?」
「はい、あの、それが……あの、あたし、あの死骸の身もとに心当たりがございますんで」
と、そこで和孝がささやいたところによると、茅場町に蓬莱屋《ほうらいや》という古着屋がある。
そこの娘のお篠《しの》というのは、としはもいかぬくせに、手のつけられぬはねっ返り、ときどき和孝のところへもけいこにきたが、けいことは名ばかりで、いつきても男のうわさばかり。そのお篠の腕に、たしかにああした入れ墨があったというのだ。
「ほほう。そうして、その銀さまというのはなにものだえ」
「はい、それもお篠さんから聞きましたが、鐙《よろい》の渡しのそばにある妙心寺、その妙心寺というお寺に、それはそれは絵にかいたようにきれいなお小姓がおります。そのお小姓の名が粂島銀弥《くめしまぎんや》」
「お、なるほど。それじゃお篠はそのお小姓と……いや、ありがてえ。師匠、礼をいうぜ。ところでもうひとつ、ついでにききてえのだが、そのお篠という娘は、おまえさんの弟子《でし》というからには、さぞや撥《ばち》だこができるほどけいこしたろうな」
「どういたしまして。お篠さんときたら、あたしのところへまいりましても、おしゃべりをするばかり、ろくに三味線を持ったこともありません」
佐七はそれを聞くと、おもわずぎろりと目を光らせるのである。それもそのはず、死骸の右手には大きな撥だこ。
ひときわ目だつ鳥追い人形
――そでの中からお遊の手紙が
こちらは烏勘左衛門、もう下手人を捕えたも同然と、勢いよくやってきたのは薬師新道、人形師亀安ときくとすぐわかったから、容赦なく踏み込んでみると、家のなかはもぬけのから。
しかも、大急ぎで荷物をまとめて、高飛びをしたらしいあとがあるから、ただちに家主を呼び出してたずねてみると、亀安はけさほど、あの生き人形を船屋台へおさめると、それからまもなく荷物をまとめ、どこかへ立ち去ったという話である。
勘左衛門はじだんだふんでくやしがった。
家主の話によると、亀安というのは五十前後の、実体《じってい》なひとりもので、よほどまえからこのへんに住んでいるが、いままでついぞ悪いうわさもなく、人形作りが唯一の楽しみだったとやら。
「ええい、そのようなことがわかるもんか。実体とみせかけ、ひと皮むけば腹黒い悪人もあるわ」
八つ当たりしながら勘左衛門、なにか証拠はないかと、うの目たかの目である。
亀安はよほど急いだとみえて、持ち去ったのは身のまわりのものだけで、仕事場には作りかけの人形や、でき上がった人形がごろごろしている。
そのなかにひときわ目だつのが、等身大の鳥追い娘の人形だ。
鳥追い娘というのは、この時代に、非人の女|太夫《たゆう》が編み笠《がさ》をかぶり、三味線をひき、人家の門にたって合力《ごうりき》をこうたものをいうのである。
おさだまりの松坂もめんの縞物《しまもの》に、帯は一本どっこ、妻折れ笠をかぶって、三味線を、こう、はすに抱いたところは、さすがの名人の作だけあって、いまにもにっこり笑いだしそう。
だが、勘左衛門はそんなものには用はない。
のみとり眼《まなこ》でそのへんをひっかきまわしているところへ、やってきたのが人形佐七。それとみるより勘左衛門は、たちまちあわをふきはじめた。
「おお、きさまは佐七だな、なにしにうせた。またしても、拙者の仕事にけちをつけにまいったのか。ええもう、とらの威をかるなんとやら、でしゃばるのもいいかげんにいたしておけ」
「どういたしまして。あっしがこうしてまいりましたのは、少々お耳に入れたいことがございまして」
「なに、拙者の耳に入れたいことがある? おお、申せ、はやく申せ、どうせろくなことではあるまいが、せっかくだから聞いてやろう。してして、どのようなことだ」
「はい、さっきの死骸でございますが、あれはついこのさきの、蓬莱屋の娘でお篠と申すものとやら。また、銀さまというのは、鎧の渡しのちかくにある妙心寺という寺の寺小姓、粂島銀弥と申すものだそうにございます」
「な、なに、そ、そりゃほんとうか」
「さあ、うそとおぼしめすなら、じきじきお取り調べになったらよろしゅうございましょう」
「ええい、つべこべ申すな、いちいちきさまのさしずはうけぬわ」
あたふたとして、出ていこうとする出会いがしらに、ぱったり会ったのが辰と豆六。
「へへへ、だんなさま、さきほどはおやかましゅう。きょうはずいぶんさかなをつりおとす日で……へっへっへ」
「なにを!」
「あんたはん、もう、てんかんなおらはりましたか」
「う、う、う、さてはきさまたちは佐七の手下であったのか。ええい、いまいましい。親分が親分なら子分も子分、いまにほえづらかかせてやるわ。これこれ、家主、なにをいたしおる。拙者をとっとと蓬來屋へ案内いたしてまいれ」
烏勘左衛門は腹だちまぎれに、家主に当たりちらしながらとび出したが、あと見送って人形佐七、あらためて仕事場をながめると、ふと目についたのが鳥追い人形。
佐七はしばらく目をすぼめ、じっとそれをながめていたが、やがて人形の着衣をなでまわすと、たもとからさぐり出したのが、しわくちゃになった紙一枚。
ひろげてみると、どうやら手紙の上書きらしい。水茎の跡もうるわしく、
――銀さままいる、お遊より
佐七はぎろりと目を光らせると、辰のほうを振りかえり、
「お遊といえば、さっき船屋台にいた上州屋の娘だな。あのとき和孝と、みょうな目くばせをしていると思ったが、それじゃやっぱり、銀さまという男になにか、かかりあいがあるにちがいねえ。辰、おまえにひとつ頼みがある」
「へえ、どういうことですえ」
「和孝はお遊と銀さまのわけを知っていて、しかもお遊をかばっているんだ。おまえ、これからいって口をわらせてこい」
「へえ、そりゃもう、親分からだといやア、和孝のやつ、よろこんで話をしまさア、へっへっへっ」
「いやな笑いかたをするな。それからもうひとつ、この手紙をお遊はじかに銀さまにわたしたのか、それともだれかにことづけたのか、きっとあとのほうだと思うのだが、それならそれで、お遊がだれにことづけたのか、それもついでにきいてもらってくれ」
「おっと、合点。だが、親分」
「なんだ」
「このことはあねさんに、ないしょにしておきましょうねえ」
辰がちょっと舌を出していくと、佐七はにが笑いをしながら豆六のほうへ振りかえり、
「豆六、おまえにもひとつ仕事がある」
と、そこで、なにかその耳にささやいていた。
下手人は粂島銀弥
――と思ったが、これも殺されて
南茅場町にある蓬莱屋という古着店、店のつくりはたいしたことはなかったが、内所はいたって裕福という近所の評判。婿養子だったあるじの文蔵というのは先年なくなって、いまでは家付き娘のお常という、いやらしいほど若作りの後家と、お篠というおてんば娘のふたりきり。
ところが、このお篠が半月ほどまえに姿をくらましてしまったので、後家のお常は大心配。いろいろ手をつくしてゆくえをさがしたが、まるで神隠しにあったように、かいもくゆくえがわからない。
もっとも、お篠はとしににあわぬいたずら娘で、これまでにもちょくちょく、家を外にあそび歩くこともめずらしくなかったので、こんどもひょっとするとそのでんで、いまにふらりとかえってくるかもしれぬと、お常はきょうまでそんな気休めで、みずから慰めていたが、そこへ、きこえてきたのが船屋台の一件だ。
生き人形のなかから女の死体が出た、しかも、下手人は亀安ときくと、お常はなにか思いあたるところがあるとみえ、はっとばかりに胸をいためた。
どういうわけか、お篠は日ごろから、人形師の亀安になじんで、おじさん、おじさんと、よくその仕事場へ出入りをしていたが、もしや……と、お常は不安な予感に、まっさおになっているところへ、やってきたのが烏勘左衛門。
「蓬莱屋の後家お常とはそのほうか。きけばそちの娘お篠が、このあいだよりゆくえ知れずとのこと。しかとさようか」
と、例の調子でがみがみときめつけたから、お常ははや、まっさおになった。
「は、はい、それにちがいございませんが、娘の身になにか、まちがいでも……」
「ええい、つべこべ申さず、拙者のきくことに答えれはよいのじゃ。その娘の右腕に、銀さま命という入れ墨のあったのを存じておるか」
「は、はい、たしかに……」
「ふふん、それではもうまちがいない。本日、人形のなかから出た死体は、たしかにそちの娘、篠だわ」
聞くなり、お常はのけぞって、
「えっ、そ、それじゃやっぱり……ああ、亀安が殺したんだ。むかしの意趣晴らしに、娘を殺して……」
と、お常はそこまでいったが、そのままううんと気を失ってしまったから、さあたいへん、店の者が、水をふくませるやら、薬をあたえるやら大騒動だ。
勘左衛門は苦りきって、このようすをながめていたが、お常はなかなかよくならない。業を煮やした勘左衛門、店のものをつかまえると、
「そのほうは店の者だな」
「はい、手代の与兵衛《よへえ》と申します」
「それではきくが、娘の篠は妙心寺の寺小姓、粂島銀弥と申すものと、いいかわしていたと申すが、そのほうは知っておらぬか」
与兵衛はおそるおそる、
「はい、そのことなら、かねてよりうすうす存じておりましたが、なんでも近ごろ、その銀弥と申すお小姓に、ほかに女ができたとやらで、だいぶ悶着《もんちゃく》があったようす。お篠さんはああいうひとですから、銀弥を殺してしまうのだと、それはそれは大騒ぎでございました」
「なに、お篠が銀弥を殺すとさわいだか」
勘左衛門はたちまち、毛虫のようなまゆをひそめた。
そういうことがあってみれば、銀弥もいちおう疑われてしかるべきだ。
いたずら娘と寺小姓、痴話がこうじたあげくに、もしや……だが、それにしても、お篠の死体を人形の中に封じこめたことは、やっぱり亀安でなければできぬ仕事だ。
「ふむ。そして、その銀弥と申すは、もしや亀安と心安くはなかったか」
「はい、なんでもお篠さんと銀弥があいびきするのに、いつも亀安の仕事場を使っていたようでございます」
と聞くより勘左衛門は、はたとばかりに小手をうった。
わかった、わかった。お篠は亀安の仕事場で、痴話げんかのあげくのはてに、銀弥の手にかかって殺されたのだ。そして、それを、かかりあいになるのを恐れた亀安が、人形のなかに隠したのだ。
と、こう考えればつじつまがあってくる。
「そうだ、そうだ、それにちがいない。下手人は粂島銀弥。おお、そうだ」
人形佐七に出しぬかれては一大事とばかり、勘左衛門がそれからすぐにやって来たのは妙心寺。
これが、坊主があいてだと、話がちとめんどうになるが、さいわいあいてはお小姓だ、なんとか話をつけて銀弥を引き渡してもらおうと、妙心寺の門内へ踏みこんだとたん、庫裡《くり》から出てきたのはひとりのお小姓である。
なるほど、水のたれそうな美少年が、勘左衛門の姿をみるなり、はっと顔色をかえたとおもうと、そのままくるりときびすをかえして、庫裡のなかへとかけこんだ。
いわずとしれた粂島銀弥だ。
おのれとばかり、勘左衛門はそのあとを追っかけたが、おっとどっこい、庫裡の入り口で、ひとりの坊主が大手をひろげて立ちはだかった。
「どこへまいらるる。みれば町奉行支配のご仁と見受けますが、ここは寺社奉行のかかりでございますぞ。それを心得て踏みこまれたか」
勘左衛門はそれをきくとはっと当惑したが、ぐずぐずしていてはかんじんの、銀弥を逃がしてしまうかもしれぬ。問答無益とあいてをつきのけ、なかへ駆け込もうとするのをみて、おこったのは坊主だ。
「それ、みなさん、出会いなされ、狼藉者《ろうぜきもの》が寺へ踏みこみましたぞ」
声をあげて叫んだから、それっとばかりに、とびだしてきた坊主たちのすさまじさ。いずれも坊主頭にはち巻きしめて、手に手にすりこ木だのほうきだのを持った、大小さまざまの坊さんが、
「どこじゃ、どこじゃ、狼藉者は。あ、こいつか」
おもしろいのである。日ごろ、役目をかさにいばりちらす町同心を、いじめてかかるのがおもしろいのだ。てんでにえものを振りあげて、打ってかかってくるから、驚いたのは勘左衛門。くろい顔をいよいよまっくろにして、さかんにあわをふきながら、右によけ左によけ、それでも奥へすすもうとするのを、
「ええい、しぶといやつだ」
「それ、袋だたきにしてしまいなされ」
と、まるでねずみでも追いまわすように、わいわいと打ちかかる。いや、寺のなかは大騒ぎになったが、と、このときだ、本堂のほうから、きゃっとばかりに、きこえてきたのはただならぬ叫び声。
「あ、あの声は?」
坊さんたちが、おもわず顔を見合わせて立ちすくむすきに、勘左衛門はすばやく本堂のなかへおどりこんだが、そのとたんに、おもわずあっと叫んでまっさおになった。
本堂の須弥壇《しゅみだん》のまえに、あけに染まってたおれているのは、まぎれもなく粂島銀弥。たったいま、のど笛をかき切られたところとみえ、まっかな血がどくどくと吹き出して、すでに息はたえている。
それにしても下手人はと、勘左衛門がいそがしくあたりを見まわしたとき、ふと目についたのは、須弥壇の阿弥陀《あみだ》様のひざもとに落ちていた一丁ののみ。しかも、これがべっとりと血に染まっている。
「あっ、それじゃ、人形作りの亀安が……」
と、勘左衛門があわてて本堂からとび出したころ、鎧の渡しを菅笠《すげがさ》かたむけ、顔をかくして、いっさんに走っていく道中姿の男があった。
亀安と名まえをきくと年寄りじみているが、じっさいは四十前後の男盛り、苦み走ったいい男ぶりである。
旧暦の八月十五日といえば、いまの九月の中旬か下旬、残暑のきびしいその日ざしを、どこへいくのか亀安は、菅笠かたむけ、いちもくさんに……。
女房お粂は地獄耳
――あたしゃ女師匠が大きらいだよ
「お粂。辰も、豆六も、まだかえってこないかえ」
きんちゃくの辰とうらなりの豆六を、それぞれ使いにやった人形佐七、じぶんはちょっと骨休めと、お玉が池のわが家へかえって横になっていたが、もう日が暮れかかっているというのに、辰も豆六もかえってこない。
「豆六はすこし遠っ走りだから、いたしかたがねえが、辰の野郎はなにをしてんのかな」
腹ばいになったまま、女房のキセルですっぱすっぱとやりながら、しきりにふたりのかえりを待ちわびている。
お粂はさっきからだんまりで、しきりにお裁縫かなにかしていたが、なに思ったのか、ジロリと佐七の横顔をにらみながら、
「おまえさん、さぞ首尾がききたかろうねえ」
「なにょ……」
女房の風向きがおだやかでないから、佐七はおやとかま首をもたげた。
「ほっほっほ、きょうはとんだお楽しみだったというじゃないの。あれさ、隠したって知れてますよ。茅場町の杵屋和孝という女師匠は、とんだ通りもの、おまえさんまえからいちど、ゆっくり会いたかったんだってねえ」
これだから、佐七もうっかり女と口がきけない。
地獄耳とはまったくこのこと。それにしても、お粂がどうして、そんなことを知っているのかと、佐七はなんとやらどきりとして、
「お粂、おれがかえるまえに、辰か豆六がここへ寄りゃしないかえ」
「ほっほっほ、ご安心なさいまし、辰つぁんも豆さんも、おなじ穴のむじなだもの、めったにおまえさんの弱みになるようなことは話しゃしない。あたしが聞いたのは近江屋《おうみや》さんから……」
「なんだと。近江屋のだんながここへきたのか」
「なにもそんなに、顔色かえなくてもいいじゃありませんか。親分のお計らいで、みんなぶじに家へかえることができましたから、茅場町連を代表して、お礼に参上いたしましたと、ほら、ごていねいに菓子折りまでさげて、ごあいさつにおみえになったのさ。そのとき、ちょっと近江屋さんが口をすべらしたから、あたしがかまをかけてみると、案の定――おまえさん、和孝さんとちかぢかに、ゆっくりお会いになるんですってねえ」
これだから、まったく手がつけられない。
とはいうものの、人形佐七、じつはさっきから、寝ながらに、ついぼんやりと、和孝のことを考えていたところだから、なんとなく狼狽《ろうばい》して、
「ちょっ、近江屋も近江屋だが、お粂、おまえもどうしたもんだ。御用聞きの女房とあれば、それくらいの心得はありそうなもの。女に口を割らせるにゃ、うれしがらせのひとつやふたつ、いうこともあるだろうじゃないか」
「おやまあ、それじゃおまえさんは、御用を聞くのに、いちいちいろ仕掛けでおやりなんですかえ。うれしがらせもほどによる。なんだか和孝は目の色かえて、胸をわくわくさせていたというじゃないの。ええ、もう、いやらしい。だからあたしゃ、女師匠は虫が好かないよ」
と、ほうっておいたらそろそろまた、持病のヒステリーがこうじてきそうになったところへ、おりよく辰があわをくってとび込んできた。
「親分、たいへんだ、たいへんだ、銀弥のやつが殺された」
「なに、銀弥が殺されたと?」
佐七にとっては救いの神、わざと大きくおどろいて、がばとばかりにはね起きると、
「そうですよ。下手人はまたもや亀安らしい。勘左衛門のやつが、いま血眼になって追っかけてますから、親分、ぐずぐずしていたら、あいつにせんを越されてしまいますぜ」
と、辰の話す一部始終を、だまって聞いていた人形佐七、
「なんだ、それじゃまだ、下手人は亀安とはっきりきまっているわけじゃねえ。ときに、辰や、お遊はなんといったえ」
「お遊? お遊になんの関係があるんです。下手人は亀安にきまってまさあ。銀弥のそばに落ちていたのみがなによりの証拠でさ」
「いいから、お遊はなんといったかと聞いているんだ」
「へえ、それなら抜かりはございません。和孝のやつが首尾よくやってくれました。あいつ、親分のお頼みだというと、有頂天になって喜んで……おっととととと」
辰はあわてて口をおさえたが、ときすでにおそし、お粂はきりりと柳眉《りゅうび》をさかだて、
「ほっほっほ、さっき、おなじ穴のむじなだといったが、やっぱりほんとだったね。辰つぁん、おぼえておいで。親分とぐるになって、せいぜいあたしをバカにしておくれ。ああ、いやだ、いやだ、お玉が池の人形佐七は、いろ仕掛けで女を手先につかうそうな」
「辰、いいからそのあとを話しねえ」
「へえ、それが、その、なんなんで、つまり、その、例のがいうのにゃ……」
と、辰はおっかなびっくりで、
「お遊というのは気だてのよい娘で。なんでも銀弥のやつのほうからちょっかいを出したのを、いつもはねつけていたといいます。さっき見つけたあの文《ふみ》も、二度とふたたび、いやらしいことをいってくれるなと、書いてやった手紙だそうです」
「そして、その手紙は銀弥にじかにわたしたのか」
「いえ、それが、いつも、銀弥の手紙をことづかってくる鳥追い娘にことづけたのだという話で」
おりからそこへ豆六も、汗をふきふきかえってくる。
「おお、豆六、ご苦労だったな。そして、おまえのほうはどうだったえ」
「親分、やっぱりあんたのいわはったとおりだす。このあいだからひとり、ゆくえの知れんやつがいるちゅう話だす」
「よし、それじゃこれから出かけよう。お粂、つまらないことを気に病むんじゃねえぜ。いずれ今夜かえってきたら、ゆっくり話をしてやらアな」
長びいてはことめんどうと、家とびだした人形佐七が、それからすぐにやってきたのが茅場町、杵屋和孝の住まいだから、さあ、辰と豆六が気をもみだした。
「親分、だいじょうぶですかえ。あねさんがまた、なにかいやアしませんか」
「べらぼうめ、御用をつとめるのに、いちいち女房のきげんをはかっていられるかい。豆六、いいから和孝をちょっと呼び出してくれ」
眠れる鳥追い人形
――くせ者ふたりは折り重なって
思いがけなく人形佐七がたずねてきたと聞くなり、和孝、とびたつ思いで表へ出ると、
「あれ、まあ、親分、さきほどは……」
と、息をはずませ、
「そんなところに立っていらっしゃらないで、どうぞ、こちらへ……」
「いや、せっかくだが、そんなことはしておれないんだ。師匠、またひとつ、おまえさんの力を借りたいことがあるんだが」
「まあ、うれしい。どんなことかしれませんが、親分のおっしゃることなら……」
たとい火の中、水の底という意気込みだ。
「なに、そんなにむずかしいことじゃねえ。師匠、ちょっと耳をかしてもらいたい」
「はい」
佐七がなにやらささやくたびに、和孝はおどろいたり喜んだり、しきりにうなずいているものだから、はたでみている辰と豆六は気が気でない。
やがて、佐七の話がおわると、
「よろしゅうございます。それじゃ、ちょっといって尋ねてまいりましょう。しばらくお待ちくださいまし」
と、和孝はいそいそと立ち去ったが、しばらくするとかえってきて、
「あの、よろしいそうで。すぐおいでくださるようにと申しております」
「おお、そうか、そいつはありがたい。それじゃ師匠、もうひとつのほうもよろしく頼む。こちとらが出かけると目にたつからな」
「はい、すぐあとから持ってまいります。そのかわり、親分、さっきおっしゃったことは……」
「しっ」
とおさえた人形佐七、まるでお目付けよろしくのかっこうでひかえている辰と豆六の顔をみると、
「はっはっは、さあ、辰、豆六、ついてきねえ。ひょっとすると、こんやは思いがけぬ捕物《とりもの》があるかもしれねえぜ」
と、和孝にわかれてやってきたのは上州屋の裏木戸。とんとんとかるく木戸をたたくと、娘のお遊が緊張した顔を出し、
「親分さんでございますか。いま、お師匠さんから話はききました。あたしの寝所をかせとのおことば、どういう御用か存じませぬが、さあ、どうぞおはいりくださいまし」
「これはお遊さん、さわがせて申しわけねえが、わけはいずれあとから話す。ともかく、ひと晩、おまえさんのへやをかしてくんねえ。辰、豆六、なにを妙なかおをしてやアがるんだ。さっさとこっちへはいりねえ」
「へえ」
娘の寝所をかりて、いったいどうするつもりだろうと、辰と豆六はきつねにつままれた顔色だ。
やがて三人が通されたのは、はなれ座敷のお遊の寝所。ほのぐらい行灯《あんどん》のそばに、お遊の寝床が敷いてある。
お遊も詳しいことは知らぬとみえて、不安そうにえりをかき合わせている。
やがてそこへ杵屋和孝が、裏木戸から忍びこんできたが、みるとこれが、さっきの亀安の仕事場でみた鳥追い人形をかかえているのだから、さあ、いよいよわけがわからない。
「ご苦労、ご苦労。師匠には少し荷が勝ちすぎたが、だれにも見られはしなかったろうな」
「はい、さいわい通りにも人影はございませんでしたので、だれにも見られずにまいりました」
「よし。辰、豆六、その人形を、お遊さんの寝床のなかへねかせておけ。それから、師匠、おまえさんはお遊さんといっしょに、つぎの間に待っていてくんねえ。くれぐれもお遊さんに気をつけてな。辰、豆六、てめえたちはなんにもいわずに、おれのするとおりにしていねえ」
和孝はいちいち、佐七のことばが身にしみてうれしく、お遊の手をとっていそいそと、つぎの間へかくれる。
佐七をはじめ辰と豆六、これは屏風《びょうぶ》のかげに身をしのばせた。
そのあとには、あの鳥追い人形が、ほのぐらい行灯の下で、ふっくらとしたふくらみを、寝床にみせて眠ってる。
辰と豆六は、なにがなにやらわからないが、佐七のことばがあるから口もきけない。息をこらしてようすをうかがっているうちに、時刻は刻一刻とうつって、やがて石町《こくちょう》の鐘の音、数えてみると九ツ(十二時)だ。
「はてな、もうきそうなものだが……」
佐七がおもわず小首をかしげたときである。
ギイと裏木戸のひらく音。はっと一同、胸をとどろかせたが、それきりあとはもの音もない。
はてな、それじゃいまのはそら耳だったかと、佐七がなおも耳をすましているところへ、だしぬけに縁側の障子がすべりだしたから、一同ぐっと息をつめ、屏風のかげに小さくなっている。
やがて、縁側からだれか忍びこんできたらしく、ミシリミシリと畳をふむ音。佐七がそっとのぞいてみると、黒いずきんをかぶったくせ者が、そろそろ寝床のほうへはい寄ると、ぎらりと抜きはなったのは、どきどきするような匕首《あいくち》だ。
これを右手に、左手でやんわりとふとんを押え、そっとあたりを見まわし、やにわにさっと匕首を振りおろしたが、妙な手ごたえにおどろいたか、いきなりぱっとふとんをめくって、人形の姿をみるなり、
「あれえ!」
と、たまげるような悲鳴をあげたが、なんとその声は女ではないか。じぶんはよしと人形佐七、
「それ、辰、豆六、その女を捕えてしまえ」
三人は屏風を押したおし、ばらばらと外へとび出したが、そのとき、さすがの人形佐七も、まったく計算のなかにいれてなかった、思いがけないことがそこに起こったのである。
佐七の声にくせ者が、はっとばかりに身をひるがえして、縁側から外へとび出そうとしたときだ。どこにかくれていたのか、もうひとりのくせ者が出会いがしらに、
「お篠、命はこのおやじがもらったぜ」
叫びもあえず、だいいちのくせ者の胸をえぐると、返す刀でじぶんののどをかき切ったから、おどろいたのは人形佐七だ。
「しまった!」
と、駆けつけたときには、男女ふたりのからだが、あけに染まってそこに倒れているのである。騒ぎをききつけて、駆けつけてきた和孝とお遊、おりからの仲秋名月のあかりのなかで、折りかさなって倒れているふたりの顔をみるなり、
「あれ、お篠さんに亀安さん!」
と、のけぞるばかりに驚いたが、これはまったくむりのない話で、人形師亀安の手にかかって、ただ一刀のもとに殺されているのは、意外とも意外、蓬莱屋のはすっぱ娘のお篠ではないか。
すさまじいは女の奸智《かんち》
――佐七はこれからあとがひと難場
「あそこへ亀安がとび出してこようたあ思わなかった。どれほど用心していても、やっぱり手抜かりというやつはあるもんだなあ。これじゃ、うっかり勘左衛門を笑うこともできねえ」
あとは自身番や町内の年寄りにまかせて、いったん引き揚げることになった人形佐七、月あかりのなかに、じぶんの影を踏みながら、しみじみとした述壊だった。
「それにしても、親分。船屋台の人形のなかから出てきたのが、お篠でないとすると、あれはいったいだれなんですえ」
「辰、てめえにゃアまだわからないのか。お篠がさっき鳥追い人形をみて、あんなにおどろいたのはなんのためだえ。じぶんが殺した鳥追い娘のことを思い出したからさ。人形のなかから出てきたのはな、銀弥の文使《ふみづか》いをしていた鳥追い娘。おい、豆六、名まえはなんというんだ」
「へえ、おこよというんだそうです」
「おお、そのおこよの死体よ」
と、例によって佐七の絵解きである。
「お篠はちかごろ、銀弥の心がお遊にうつったので、心はなはだおだやかでない。しかも、その文使いを、おこよがやっていることに気がついて、ある日、おこよを亀安の仕事場へひっぱりこんだんだ。そして、お遊からの手紙をよこどりしようとしたが、おっとどっこい、あいてがそれを渡さねえもんだから、ついかっとして殺してしまったんだな」
「なるほど、それを亀安がかばおうとしたんですね」
「そうさ。外からかえってきて、お篠から話をきいて亀安はおどろいた。おどろいたところで、あとの祭りだ。そこで、死体をとりあえず、人形のなかに塗りこめたんだ」
その亀安が、いまわのきわに白状したところによると、お篠というのはそのむかし、亀安と、蓬莱屋の後家、お常とのなかにできた子だという。
お常は蓬来屋の家つき娘だったが、わかいときはお篠によく似たいたずら娘で、亀安といい仲になり、そのたねまで宿していたが、それをかくしてほかから養子をとったのである。
亀安はそれとは名のらなかったけれど、そこは父と娘である、なにかとお篠をかわいがっているうちに、とうとうこんなことになったので、わが子かわいさ、つい罪をかばってやろうとしたのである。
「そやけど、親分、あの死体には銀さま命と、彫り物がしてあったやおまへんか。あれはどないしましてん。おこよもやっぱり、あないな彫り物してましたんかいな」
「豆六、あの彫り物があったればこそ、おれにゃ下手人がわかったんだ。あの彫り物はな、生きているあいだにしたんじゃアねえ、死んでから彫ったものなんだ」
「あっ、なるほど」
「それに、あの死体の指には、おそろしい撥《ばち》だこがあったろう。ところが、お篠ときちゃ、三味線などめったに持ったこともないという。だから、これはお篠じゃねえと思った。だから、だれかが殺されてから、お篠の身代わりにされたんだ、と、そこまではわかったが、さて、その死体のほんとのぬしというのがわからねえ」
「それを、亀安の仕事場へいって、鳥追い人形をみてから気がついたんですね」
「そうよ。あの人形の着ていた着物は、人形の衣装としちゃアあかじみている。ちかごろまで、だれかが着ていたらしいけはいがある。それに、鳥追いに撥だこはつきもんだ。さてこそ、さっきの裸の死体は、この着物を着ていたんじゃあるまいかと考えたんだ」
「そこで、豆六を浅草の溜《ため》へやって、非人頭《ひにんがしら》にきかせたんですね」
「そやそや。そしたら、はたして半月ほどまえから、かえってこん娘がひとりあるという……」
「それで、なにもかも平仄《ひょうそく》があったというもの。亀安はりこうなやつで、おこよの着物の処分によわったが、なまじかくしだてするより、おおっぴらに、人形の衣装にしておくほうが、ひとの注意をひかぬと考えたんだが、案の定、勘左衛門のやつ、すっかり見落としていきやアがった」
「なるほどなあ。よくわかりました。しかし、親分、寺小姓の銀弥を殺したのも、そうすると、やっぱりお篠のあまですかえ」
「そうよ。なにしろ、人間いっぴき殺した女は強いや。銀弥をおどかして、須弥壇《しゅみだん》の下へでもかくまわれていたんだろうが、銀弥が勘左衛門に追いつめられた。いずれ、とっつかまったら白状するだろう。そうなったらなにもかもおしまいとばかりに、亀安のところから持ち出したのみでひと突き。いや、どこまで恐ろしいやつかしれやアしねえ」
「ほんまだんなあ。聞いただけでもゾッとしまんな。そやけど、親分。お篠はまたなんで、おこよの腕にあんな彫り物をしよったんだっしゃろ」
「さあ、それがお篠の憎いところだ。万一死体が見つかっても、そうしておけば、世間では殺されたのはじぶんだと思うだろう。こうして世間をごまかしておいて、そのうちに恋がたきのお遊を殺そうという寸法。いや、女というやつは、かわいいところもあるが、いちどぐれるとこわいもんだなあ」
月にむかってため息ついた人形佐七、さあ、これから家へかえるとひと難場、女房のお粂をどうなだめようかと、いや、このみちでは、さすがの捕物名人の佐七も、苦労のたえるときがない。
稚児《ちご》地蔵
後ろ向きになるお地蔵様
――真夜中に石の地蔵が動くんです
神田|鎌倉河岸《かまくらがし》の横町で、伊勢《いせ》えびがいせいよく、ぴんとはねているところを、大きな表の油障子に描いてあるところから、ぞくにいうえび床。
そのえび床の腰高障子をがらりと開いて、いましも、いせいよくとびこんできたわかい男がある。
「おお、寒い、寒い。親方、まだ九月だというのに、めっぽうひえるじゃアねえか」
「おや、だれかと思えば重さん、これはおひさしぶり」
「おひさしぶりもねえもんだ。どうしてまあ、こう、めえにちめえにち、よく降りやアがるんだろう。のちの月もとっくのむかしに拝んだというのに、こうジケジケと降られちゃ、骨の髄までくさっちまわあ。それにまあ、この寒いこと……」
「あっはっは、重さん、きょうはいやに愚痴っぽいじゃアないか。なにもこちらの親方が降らせてるわけじゃアあるめえし。まあま、こっちへきておあたりよ。親方が手あぶりに、火をついでおいてくれたからさ」
「おや、だれかと思えば源さんじゃないか。あいかわらずだね」
「さようさ。からすの鳴かぬ日はあっても、この源さんの、えび床に顔のみえぬ日はありませんのさ。さあさ、こっちへきてあたっていきなせえ」
いつかもいったように、江戸時代では髪結い床というのが、町内の野郎どものよい集会所みたいになっていて、横町の隠居もくれば、表通りの若だんなもやってくる。意気な鳶頭《かしら》もくれば、やぼな大家のやかん頭もやってくるというあんばいで、どこの髪結い床もご町内の男連中の、一種のクラブみたいになっていたものだが、ことにこのえび床の亭主《ていしゅ》の清七というのが、ひとをそらさぬあいきょう者だから、いつのぞいてもふたりや三人、だれかとぐろをまいていないということはない。
ましてやちかごろみたいに、数日まえに九月十三夜の月、いわゆるのちの月を見たというのに、いっこう天気がさだまらず、いうところの秋黴雨《あきついり》、連日のごとくビショビショと降りつづく秋雨に、はだ寒さをおぼえること初冬のごとしという不順な天候。
こういうときに繁盛するのがご町内の髪結い床だが、ましてやこの源さんという男、えび床にとってはご常連中のご常連、また町内の金棒引きとしても有名な人物である。
「ときに、重さん、おまえひさしく顔を見せなかったが、どっか遠っ走りでもしていたのかえ」
「なにさ、ちょっとやぼ用で巣鴨《すがも》のほうでくすぶってたのさ。ときに、親方、早幕に顔をあたってもらいてえのだが、やってもらえるかえ」
「ええ、ようがすとも。こちらさんがすみしだい、やらせてもらいましょう。まあ、一服お吸いなさいまし」
「おお、そうかえ。それじゃ待たせてもらおうか。源さん、ご免よ。おまえさん、ご免なせえよ」
と、重さんは腰のタバコ入れをポンと抜くと、源さんの座をゆずった手あぶりのそばへにじりよったが、するとそこにもうひとり先客があり、さっきから手あぶりにしがみつくようにして、いっしょうけんめいに草双紙を読んでいる、いやに顔の長い男が、その長いつらをあげようともせず、
「へえへえ、どうぞお吸いやして」
と、頭のてっぺんから奇妙な声をしぼり出したから、重さん、おもわず目をまるくした。
「おや、おまえさんは上方のおかたですね」
「へえ、さいだす、さいだす」
「上方はどちらのほうで? 京ですか、大阪《おおさか》ですかえ」
「へえ、さいだす、さいだす」
なにを聞いても、さいだす、さいだすのいってんばりに、源さんはそばでニヤニヤ笑っているが、重さんは目をまるくした。
「あっはっは、重さん、重さん」
そのとき、そばから吹き出しそうに声をかけたのは、いましもせっせと親方に髪を結わせている男。
「その男になにをきいてもむだだよ。この野郎、草双紙を読みだしたがさいご、ひとのことばもからっきし耳にはいらねえんだから」
と、そういう客の顔をふりかえって、
「おや、だれかと思えばお玉が池の辰兄哥《たつあにい》、これはお見それいたしやしたが、ときに、こちらは兄哥のおなじみさんで?」
「そうそう、重さんは半年ばかりいなかったから知るめえが、その野郎はこの春、大阪からはるばると、御用聞き修業にくだってきた、いわばあっしの弟分で、うらなりの豆六といいますのさ」
「へへえ、このかたが……? 御用聞きに……? それはまあ物好きな……いえさ、それはまあ殊勝なお心がけで」
と、重さんは感にたえたように首をふっていたが、そんなことばが耳にはいる豆六じゃない。手あぶりのうえに背中をまるくして、鼻くそをほじりながら、いやもう、草双紙に無我夢中。
きんちゃくの辰はわらいながら、
「ほら、あのとおりだから、重さん、そいつにかかりあうのはよしなせえ。それよりおめえ、ひさしく姿を見せなかったが、どこかにいいのでもできたのかえ」
「ご冗談で。そんないきなさたじゃありませんのさ。巣鴨で一ぜんめし屋をやっている兄貴のところでコキ使われて、いやもう、いい男がさんざんでさ」
と、重さんはとんとキセルをたたいたが、そこで、ふと思い出したように、
「そうそう、それで思い出しましたが、兄哥《あにい》や源さんは、ちかごろの巣鴨のさわぎを知っていなさるかえ」
「巣鴨のさわぎ? はて、なんのことだえ」
と、ひざ乗り出したのは、町内の金棒引きでもって知られる源さん。この源さん、一名地獄耳の源さんともいわれるくらいだから、こういう情報収集については、いとも熱心にして、かつしんけんである。
「あれ、源さんも知らねえのかえ。ほら、裏向き地蔵の騒ぎでさ」
「裏向き地蔵? はて、きかねえな。巣鴨に裏向き地蔵というのがあったかえ」
「いえ、そうじゃねえんで。ふだんは子育て地蔵といって、ふつうの地蔵さんですが、こいつがちかごろ、ちょくちょく、うしろむきにおなりあそばすんで」
「うしろむきに? じぶんかってにかい」
「まさか。石の地蔵がうごくはずはありませんから、だれかのいたずらでしょうが、それがあまりたびたびだから、ちかごろじゃ、裏向き地蔵だの、お化け地蔵だのって、あのへんじゃたいへんな騒ぎでさ。源さん、知らなかったのかえ」
「重さん」
辰もにわかにそのほうへ向きなおると、
「おまえもう少しくわしく、その話をしてくれねえか。なんだか、いわくがありそうじゃないか」
「へえ、ようがすとも。あっしもどうも、ただのいたずらじゃねえような気がするんです」
と、そこで重さんの話すところによると。――
巣鴨|庚申塚《こうしんづか》のほとりに、内藤伊賀守《ないとういがのかみ》のお下屋敷がある。
そのお下屋敷のへい外に、子育て地蔵とて、むかしから有名なお地蔵様がおまつりしてあるが、先月二十七日朝のこと、このお地蔵様がうしろむきになっていたので大騒ぎになった。
いったい、だれがこんないたずらをしたのかと、詮議をしたがわからない。
ともかくもったいないというので、近所の若い衆があつまって、やっこらさともとどおりになおしたが、すると今月の五日の朝、またぞろこのお地蔵さんがうしろむきになっているのだ。若い衆はかんかんにおこったが、そのままにしておくわけにもいかないので、もいちどもとどおりにしておいたが、するとなか七日をおいたきのうの朝、またぞろお地蔵様が裏向きになっていたから、さあ騒ぎはきゅうに大きくなった。
「いたずらにしちゃ度がすぎます。それに、そのお地蔵さんというのが、ひとりやふたりの力で動かせるようなしろものじゃないので、いっそう気味が悪いのです。ひょっとすると、お地蔵さん、真夜中になると、のこのこ動きだして、じぶんかってにこうなるんじゃないかって、さてこそ裏向き地蔵だの、お化け地蔵だのって、あのへんじゃ、きのうから大騒ぎでさあ」
「へへえ、そいつは妙な話だな」
と、ようやく髪を結いあげたきんちゃくの辰も、手あぶりのそばへよって来て、
「それでなにかい、お地蔵さんがうしろ向きになるということのほかに、べつに変わったことはねえのかい」
「さあ、そんな話は聞きませんねえ」
「それでなんだっか、だれのしわざやとも、いまのところかいもくわかりまへんのんかいな」
だしぬけに豆六が声をかけたから、重さんはわっと腰を浮かして、
「おお、おどろいた。なんだ、おまえさんは草双紙を読んでいなすったんじゃねえのかい」
「へへへ、草双紙を読んでたかて、耳のほうはちゃんと御用を勤めてまっせ。はばかりながら、さっきの悪口もみんな聞いてましたさかいにな」
と、豆六がいやみをならべているところへ、がらりと腰高障子をひらいて顔を出したのは、余人ならぬ佐七の女房お粂。
「辰つぁんも豆さんも、いつまで油を売ってるんだね。御用だから早くおかえりな」
「ほい、きた。そしてあねさん、事件というのはどんなことですえ」
「さあ、くわしいことは知らないが、なんでも、巣鴨の子育て地蔵とやらのそばで、人殺しがあったそうだよ」
きいてびっくり、きんちゃくの辰も、うらなりの豆六も、さては重さんも源さんも、床屋の親方の清七も、あっとさけんで顔見合わせた。
お稚児《ちご》に化けた地蔵尊
――血でほどこした死に化粧だと
さて、その朝、巣鴨庚申塚におこった事件というのは、こうなのだ。
このあいだから、へんなことのつづく子育て地蔵というのは、内藤伊賀守様お下屋敷の地つづきにある、おおきな竹やぶのかげに立っているのだが、付近には、お下屋敷のほかに、たえて人家とてはなく、まことにさびしい場所だが、その朝早く、このやぶ蔭をとおりかかったひとりの馬子。
馬をひいて通りながら、なにげなくひょいと例の地蔵尊を見たが、いや、おどろいたのおどろかぬの。――お地蔵さんがすっかり、お稚児さんに化けていらっしゃるのだ。
頭にすっぽり、稚児輪《ちごわ》に結ったかつらをかぶり、くちびるには紅をさし、額にはちょん、ちょんとふたつ稚児まゆをいれ、いや、あっぱれな稚児さんぶり。馬子はすっかり肝をつぶした。
なにしろ、このあいだから、へんなうわさのあるお地蔵さんだ。
ましてや、夜の明けきらぬやぶの下道。馬子はにわかに気味悪くなり、あわててその場をいきすぎようとしたが、そのとき、ふと目についたのが、お地蔵さんの台座のしたに、草に埋もれてたおれている男の姿。
馬子はおっかなびっくりで、
「もしもし、どうかしなすったかえ」
と、へっぴり腰で尋ねてみたが、あいては、うんともすんともいわぬ。
馬子は小首をかたむけて、
「もしえ、おからだでも悪いのですかえ」
と、草をわけて男のほうへ、二、三歩ちかづいていきかけたが、そのとたん、わっと叫んでとびのくと、さあもう、夢中だ。
馬のしりをめちゃめちゃにひっぱたいて、いや、走ること走ること。――
むりもない、男はもののみごとに切り殺されて、あたりいちめん唐紅《からくれない》。
やがて、馬子の注進によって、村役人ややじうまが、血相かえてどやどやと駆けつけてくる。なにしろ、裏向き地蔵が化けたというのだから大騒ぎ。
おまけに、そのお化け地蔵のまえでひとが殺されているというのだから、取り入れまえの忙しい季節にもかかわらず、付近のお百姓にとっては、これほどかっこうの話題はなかった。お化け地蔵のまわりは、たちまち、押すなおすなのひとだかりである。
さて、村役人がしらべてみると、殺されている男というのは、ちかごろこのへんへよく回ってくるさる回しで、桐十郎という男。
年は四十二、三だろうが、さる回しなどにはにあわない、おっとりした人がらの男で、めくら縞《じま》のすそをはしょって、腰には竹のむちをさし、ふところには拍子木だの、でんでん太鼓だのをもっていたが、かんじんのさるはどこへいったのか、姿がみえない。
いずれにしても、ゆきずりにバッサリやられたものらしく、右の肩から左へかけて、袈裟《けさ》がけに切っておとされ、そのかえり血が、地蔵尊の蓮座《れんざ》から、おひざへかけていちめんにはねかえっている気味悪さ。
「それにしてもへんだねえ。だれがいったい、お地蔵さんにこんないたずらをしやアがったんだろう」
と、村役人は当惑したように小首をかしげたが、すると、若い衆のなかで気のきいたのが、
「だんな、お地蔵さんのこのくまどりは、みんな血でかいたもんですぜ。ごらんなさい」
「なるほど、そうらしいな」
「それに、桐十郎という男の、右手のひとさし指をごらんなすって。血がべっとりとついておりやしょう。だから、あっしゃ思うんですが、このいたずらは桐十郎のやつのしわざじゃねえかと」
「なに、それじゃこの男が、死にぎわに自分の血で、こんないたずらをしたというのかい」
「へえ、まあ、さようで。というのはほかでもありません。あっしゃ、その稚児輪《ちごわ》のかつらに見おぼえがあるんですが、そいつァたしかに、桐十郎のものにちがいありませんぜ」
「なんだ、このかつらも桐十郎のものか」
「そうなんで。あいつのつかうさるというのが、ほら、石童丸が十八番《おはこ》なんで、よくそのかつらをかぶって踊ってたもんです」
さあ、わからなくなった。
してみると、ここに殺されているさる回しの桐十郎は、下手人が立ち去ったのち、いまわのきわの苦しみのうちに、お地蔵さんに血化粧をほどこし、さるのかつらをかぶせたとみえるのだが、なぜまた、ごていねいに、そんなことをしたのか、さっぱりわからぬ。
そこで村役人はじめ一同は、きつねにつままれたようなかおをしたことだが、それからまもなく。
庚申塚のそばにある、いたち屋という飯屋へ、
「ごめんよ、とっつぁん、いるかえ」
と、のれんをわけてはいってきた男がある。
亭主の惣兵衛《そうべえ》はつり好きとみえて、いましも、しきりにつりざおの手入れをしていたが、あいての姿を見ると、ふしぎそうに顔をあげ、
「へえ、あっしが亭主の惣兵衛というもんですが」
「おお、おまえがご亭主か。あっしゃ神田お玉が池の佐七というもんだが、おまえさんの弟の重さんから聞いてきた。御用があればなんでも兄貴にきいてくれというので、それでちょっと寄ってみたのさ」
「おお、それはそれは、お玉が池の親分さんでしたか。そいつはおみそれいたしました。それで、御用というのは、あの裏向き地蔵の人殺しで? いや、遠路のところご苦労さんで」
と、惣兵衛はあわてて茶をいれながら、
「いや、どうもこのあいだから、へんなことがつづきますんで、なにかいやなことが起こるんじゃないかと思っていたら、はたしてけさのあの騒ぎで」
「そうだってねえ。お地蔵さんが、ときどき裏向きにおなりなすったとやら。いや、世のなかにゃとんだいたずらをするやつがあるものさね」
「さようで。それも一度や二度ではございません。先月の二十七日と、今月の五日と、きのうの十三日と、つごう三べんまでやりやがるんで、いたずらにしても、どうも気味がわるうございます」
「それはそうだ。ことにけさみたいなことが起こってみればなあ。ときに、とっつぁん、おまえさんとこみてえな商売をしていれば、よく世間のことがわかるもんだが、おまえさん、あの桐十郎というさる回し、あの男をよく知ってるんだろうね」
「へえへえ、知ってるというわけじゃありませんが、こちらへくるたんびに、あっしのところで飯を食っていきますんで、なじみにはなっておりました。しかし、親分、あの男が、お地蔵さんへあのようないたずらをした張本人とはおもえません。あれはさる回しこそしておりましたが、いたってものやわらかな男で、それにあのお地蔵さんですが、ああみえてもなかなか重いんで、とても桐十郎の力でうごかせようとはおもえません」
「それもそうだな。しかし、あの桐十郎というのは、いってえ、どういう男だえ。それに、根城はどこにあるんだ」
「さあ、どういう男かさっぱり知りませんが、なんでも深川のほうの旅籠《はたご》にいるとかで、もとはよく十四、五の、そうそう、お力《りき》とか申しましたな、かわいい娘といっしょでしたが、ちかごろ、その娘がわずらっているとやらで、桐十郎もだいぶ力をおとしておりました」
「ほほう。すると、あの男、娘があるのか」
「へえ、なかなかきりょうのよい娘でございましたが、それについて親分、あっしゃ少々、ふにおちないことがございますんで」
と、惣兵衛が、にわかにあたりを見まわして、声を落としたから、佐七はおもわずギクリとする。
「ふにおちねえことというのは?」
「親分、こんなこと、ひとにいってくだすっちゃ困りますが、このさきに内藤伊賀守様のお下屋敷がございます」
「ふむ、ふむ、それはおいらも知っている」
「そのお下屋敷に、ちかごろお殿様のご愛妾《あいしょう》で、お艶《つや》様といって、年はそう、二十七、八、いや、きりょうがいいから、ほんとはもっと年をとっているかもしれませんが、それはそれはきれいなおへや様が、出養生にきていらっしゃる。ところが、そのお艶様というのが――」
「お艶様というのが――?」
「さる回しの娘お力と、まったくうりふたつなんで」
聞いた佐七は、あっとばかりに息をのんだが、そのときだ、表からあわただしくとび込んできたのはうらなりの豆六で。
「親分、えらいこっちゃ、えらいこっちゃ、はよ来とくれやす」
「なんだ、豆六、騒々しい」
「騒々しいちゅうたかて、これが黙っていられますもんかいな。あのさるが見つかりましてん」
「なに、さるが?」
佐七は、はっと樽牀几《たるしょうぎ》からみこしをあげる。
「さいだす、さいだす。それがあんた、竹やぶのなかをあっちゃこっちゃ逃げまわる。それをまた、きんちゃくの兄哥や村の衆が追いまわす。いや、もう、どえらい騒ぎや。ああ、しんど」
きくより佐七は、惣兵衛のつりざおをつと手にとって、
「とっつぁん。すまねえが、しばらくこれを借りるぜ」
と、つりざお片手に、はやのれんをかきわけて、まっしぐらに外へとびだしていた。
押し絵の羽子板
――陰にこもったおへや様の目
豆六の注進にうそはなかった。
竹やぶのなかでは、いまやえらい捕物騒ぎだ。
赤いちゃんちゃんこを着たさるが、竹のてっぺんからてっぺんへと、たくみに渡って逃げるのを、村の衆が喊声《かんせい》をあげて追いまわす。騒ぎがあまり大きいものだから、さるはいよいよめんくらって、たかいところで目をパチクリ。
それをまた下のほうから、
「こんちくしょう、すばしっこい野郎だ。えて公や、おりてこいよう。甘酒進上。ちくしょう、これでもおりてきやがらねえか。ええ、じれってえ!」
と、バサバサと竹をゆすぶっているのはきんちゃくの辰。顔じゅうすりむいて、歯をむきだしたところは、どちらがさるだかわからない。
そこへ駆けつけてきたのが人形佐七だ。
「辰、てめえ、そこをのいてろ」
と、ねらいをさだめて、ツーッと手にしたつりざおを投げつければ、みごとにさおがさるの足にひっからんで、キーッと叫んだエテ公が、もんどりうって落ちたのはよかったが、なんとそれがお下屋敷のへいのなか。
これには佐七も弱った。
なにしろ、あいてはお大名の下屋敷、むやみに踏み込むことはできない。といって、さるをあのままにしておくわけにもいかないので、とにかくいちおうあいさつしてみようと、その意をつうずると、あいては案外さばけていて、中へはいってかってに捜せとのご返事。
そこで佐七が、きんちゃくの辰とうらなりの豆六をしたがえて、裏木戸からなかへはいっていくと、はるかかなたの奥御殿では、白|綸子《りんず》のこそでに、紫色の被布《かずき》をきたおへや様が、あまたの腰元をしたがえて、めずらしそうにこちらを見ている。
佐七はそのほうへあいさつして、へいのうちを捜してみたが、そこにはつりざおが落ちているばかり、さんざんあちこち捜したが、さるの姿はどこにもみえなかった。
「チョッ、親分がいらねえまねをするから、さるに逃げられちまったじゃありませんか。あっしにまかせときゃ、みんごとひっとらえてやったものを」
と、辰はつらをふくらしたが、佐七もこれには一言もない。頭をかいて引きあげてくると、そこへ近づいてきたのはひとりの腰元。
「あの、佐七どのとはおまえのことかえ」
と、だしぬけに声をかけたから、よろこんだのは佐七より、辰と豆六だ。
「へえへえ、佐七というのはそこにおります、それ、そのいい男。そしてあっしゃ一の子分で、きんちゃくの辰と申しやす。どうぞお見知りなすって」
「それから、このわてはな、うらなりの豆六ちゅうて上方育ちのやさ男。なんぞわてにご用だすかいな」
と、ふたりがまえへしゃしゃり出れば、腰元はたもとで顔をおおうて笑いながら、
「はい、ご用というのは、ほかでもございません。おへや様が佐七どのに、ちょっとお目にかかりたいとのおことばでございます」
「しめたッ、それじゃおいらもいっしょに」
「わてもいきまひょ」
と、目の色かえてふたりがいきおいこめば、腰元は腹をおさえて笑いこけながら、
「いえいえ、おへや様がご用とおっしゃるのは、佐七どのおひとり。おまえさまがたは、ここで待っていてくださいませ」
と、聞いてたちまちふたりはふくれあがった。
「なんだ、つまらねえ」
「そら殺生《せっしょう》や、あほらし」
佐七は、にが笑いしながら、
「バカ野郎、お女中が笑っていなさるじゃねえか。おまえたちはここで待っていねえ。ええ、お女中さんえ。どういうご用か存じませんが、それじゃどうぞ、ご案内をお願い申します」
「はい、ではこちらへおいでくださいまし」
と、腰元にみちびかれた人形佐七が、奥御殿のまえのつくばいに手をつかえれば、お艶様は座敷のなかから、にんまり意味ぶかい微笑を投げる。
なるほど、伊賀守の寵《ちょう》を一身にあつめているだけあって、ふるいつきたいほどいい女だ。
白魚のように光る膚、情をふくんだひとみの色、男をさそうようにぬれたくちびる、まるで熟《う》れきったくだもののようなみずみずしさ。
お艶様はいましも、腰元あいてに羽子板の押し絵をしていたところだが、右手に小さいはさみを持ったまま、佐七のほうへ艶《えん》なながしめをくれ、
「佐七とはおまえかえ」
「はい、佐七はあっしでございますが、なにかご用がございますそうで」
あいてが大名のおへや様だろうが、そんなことにおどろく佐七じゃない。まともにあいての顔を見つめれば、おへや様のほうで鼻白んで、
「うわさはかねて聞いておりました。そして、さるは見つかりましたかえ」
「へえ、おさわがせして申しわけありません。しかし、さるは残念ながら逃がしてしまいました」
「そう。それは残念なことでありましたな。そして、あのさるは、けさ殺されたさる回しのさるでありますかえ」
「へえ、おおかたそうだろうと思います」
「ほんにちかごろは物騒な」
と、お艶様はよこをむいて、小切れを切りながらまゆをひそめて、
「そなたも、裏向き地蔵のことは、聞いていやるであろうな」
「へえ、存じております」
「先月の二十七日と、今月の五日と、きのうの朝、三度までお地蔵様が裏向きになっておいでになったとやら。おまえ、そのなぞが解けますかえ」
意味ありげなおへや様のことばに、佐七は無言のまんま、あいての顔を見つめている。
おへや様はあいかわらずよこを向いたまま、
「先月の二十六日の夜、当屋敷へ押し込みがはいりました」
と、つぶやくようにポツリという。
「え?」
「それから、四日の晩にもまたやってまいりました。そして、一昨日の夜ふけにも。――押し込みはいつも三人、腰元どもをしばりあげ、屋敷じゅうをひっかきまわしてかえっていきます。女ばかりの屋敷ゆえ、ほんに物騒でなりません」
聞いて佐七はおどろいた。
「もし、おへや様、それはほんとのことでござんすかえ」
「だれがうそを申しましょう」
「そして、そのことをご公儀にお届けになりましたか」
「いいえ、お屋敷の名にかかわることゆえ、腰元どもにもかたく口止めしてあります。女ばかりの屋敷へ、押し込みがはいったとあっては、どのようなうわさがたとうもしれず、また、お殿様のおもわくもありますことゆえ」
「そして、おへや様、あの石地蔵の裏向きになっている前の晩にかぎって、押し込みがはいるとおっしゃるんでございますね」
「はい、佐七、このなぞをどうお解きやるえ」
お艶様はそこで、佐七のほうへ向きなおったが、佐七は、にわかにハタとひざをうち、
「もし、おへや様、ひょっとすると当お庭敷に、押し込みの一味の者がいるのではございますまいか」
「なんといやる」
「そして、その一味のものが、お屋敷の警固のてうすな夜をみて、あの地蔵尊を裏向きにいたします。それが合い図で、押し込みが忍びこんでくるのではございませんか」
おへや様はじっと佐七のおもてに目をそそいだが、佐七はなおもことばをつぎ、
「その一味というのは、男であれ、女であれ、きっと大力の者にちがいございません。なぜと申して、あの石地蔵を自由にうごかすことができるのでございますから」
とつぜん、お艶様の手から、チリリンと音をたててはさみが落ちたが、そのせつな、佐七はこのうつくしい女のひとみに、なんともいえぬ恐ろしい、殺気のほとばしるのを見たのである。
やぶを渡る小ざるの影
――飛んで火にいるさむらい三人
その夜ふけ――
裏向き地蔵のうしろの竹やぶで、黙々とうごめいている三つの人影があった。
時刻はすでに九ツ(十二時)過ぎ、ちぎれちぎれにとぶ雲の間を、つめたい月があわただしく走って、おりおり寒い北風がさっとやぶをならしていく。
三つの影は肩をすくめて、うずたかくつもった落ち葉のなかにうずくまっていたが、そのうちにひとりが、
「親分、親分」
と、おし殺したように声をかける。
「なんだえ、辰。あまり口をきかねえようにしろ」
「へえへえ、ですが、親分、今夜あの地蔵がうしろを向くというのは、そりゃほんとのことでござんすかえ」
いうまでもなくこのふたりは、人形佐七ときんちゃくの辰。それからもうひとりは、うらなりの豆六だ。
「そうさな、今夜とはっきりいいきることはできねえが、そのうちにきっと、うしろを向く晩があるにちがいねえんだ」
「すると、なんでっか、お地蔵さんがうしろを向かはるまで、わてら毎晩こうやって張り込んでな、なりまへんのんかいな。やれやれ」
「そうよ、これも御用だ、しんぼうしろ」
と、佐七がたしなめているおりしもあれ、お下屋敷の裏木戸がギイとひらくと、なかから出てきたのは数名の武士。
足音をしのばせて地蔵尊のまえまでくると、そこでヒソヒソなにやらささやきかわしていたが、やがて一同ちからをあわせて、やっこらさとお地蔵さんをうしろ向きにしたから、やぶのなかの三人は、かたずをのんで手に汗握った。
そんなこととは知らぬ侍たち、
「どうだ、これでよかろう」
「ふん、まさかわれわれがやったとは思うまいな」
「これでやってきたら、こっちのものさ。はっはっは。飛んで火にいる夏の虫とはこのことよ」
侍たちは、てんでに語りながら、またこそこそ下屋敷へかえっていく。
そのあとで、唖然《あぜん》と顔見合わせたのは辰と豆六だ。
「親分、地蔵がうしろ向くとはこのことですかえ」
「そうよ。しかし、しばいはこれでおわりじゃねえ。もうすこししんぼうしてろ」
あとは無言で小半刻《こはんとき》、寒いのをがまんして待っていると、やぶのむこうからやってきたのは六十六部。裏向き地蔵の前までくると、ぎょっとして足をとめたが、やがてうしろを振りむいて手をふれば、すたすたと近づいてきたのは、こじきのような浪人とひとりの虚無僧《こむそう》。
三人はしばらく、裏向き地蔵を指さして、なにやらヒソヒソとささやいていたが、やがてなかのひとりが、
「よし、やっつけよう」
と、力強くうなずけば、すぐさま三人は荷物を投げだし、黒ずきんで覆面をすると、抜き身をさげて、スルスルとお下屋敷のほうへしのびよったが、やがてひらりとへいを乗りこえ、あっというまもない、すがたはへいのむこうへ消えた。
これをみて、いよいよ肝をつぶしたのは、うらなりの豆六。目をパチクリとさせながら、
「親分、こらいったい、どういうわけだす」
「さあ、おれにもよくはわからねえが、いまにひと騒動おこるにちがいねえ。辰」
「へえ」
「てめえは身が軽いから、どこかへのぼって屋敷のなかを見ていねえ。なにか変わったことがあったら、いちいちおれに知らせるんだ。だが、けっして大きな声を出しちゃならねえぞ」
「おっと、合点だ」
スルスルと手ごろな竹によじのぼったきんちゃくの辰、小手をかざしてへいの中をうかがっている。
「なにか見えるか」
「いえ、もう、まっくらで、なにがなにやらわかりません」
だが、そのことばもおわらぬうちに、ガラガラと戸のあく音がした。と、おもうと、とつぜん、けたたましい叫び声、つづいてチャリンチャリンと剣のふれあう物音。
佐七は気をいらって、
「辰、どうしたんだ。なにも見えねえのか」
「お、親分、た、たいへんだ。いましのびこんだ三人が、おおぜいの侍にとりかこまれて大乱闘だ」
やみをつんざくおたけび、剣戟《けんげき》の音。辰はむちゅうになって竹のうえから、
「ああ、やってる、やってる。三人もなかなかの使い手だが、あいてがああおおぜいじゃ、かないっこねえ。あっ、虚無僧がやられた」
うわっとやみをひきさく断末魔の悲鳴。
「あっ、ちくしょう、おおぜいかかって、ズタズタに切りつけやアがる。ひきょうなやつらだ。あっ、こんどは浪人があぶねえ。しまった!」
辰がさけんだ拍子にまたもや悲鳴。おそらく浪人がやられたのだろう。
「ちくしょう! いまいましいな。おおぜいかかって膾《なます》にしやがる。のこるは六十六部ただひとり。ああ、これは強いな。ひとり、ふたり、三人、またたくまに五人切りふせた。えらいぞ、六部、しっかりやれ。あっ、こいつはいけねえ」
「辰や、どうした、どうした」
「おへや様め、弓を持ってきやアがった。六部の胸板をねらっている。あっ、残念!」
ううむという悲鳴がきこえてきたかとおもうと、ふいに屋敷のなかは、ピッタリと静かになった。
「辰、辰、どうした。なんとかいわねえか」
「お、親分、ざ、残念だ。六部の大将、おへや様のはなった矢に、胸板をつらぬかれて死んでしまった。ああ、ちくしょう。なんてひでえあまだろう。死んだ三人を足げにしてやアがる。外面女菩薩《げめんにょぼさつ》、内心如夜叉《ないしんにょやしゃ》とはあのあまのことだ。ちくしょう、ちくしょう!」
と、辰五郎、むちゅうになってくやしがっていたが、そのうちにどうしたのか、
「うわっ!」
と叫ぶと、竹のてっぺんからまっさかさまにおちてきたから、おどろいたのは佐七と豆六。
「こら、辰、どうしたんだ」
「なんだか知らねえが、くろい生き物がへいのなかから飛び出してきて、いきなりあっしの顔にとびつきやがったんで。ああいてえ」
「なに、くろい生き物?」
佐七はぎょっとやぶのこずえを見上げたが、そのとき、月光をあびたやぶの上を、ひらりひらりと渡っていくのは、まぎれもなく一匹のさるだ。
「ほんまや、ほんまや、昼間のさるやでえ。いままでこのお屋敷のなかに隠れていよったんやな。そやけど、親分、あのさる、なんや持ってるやおまへんか」
いかさま、さるはこわきに妙なものを持っている。
羽子板なのだ。
昼間おへや様が、押し絵をしていたとおなじ羽子板なのだ。
さるはそれをかかえたまま、やぶをわたってみるみるうちに姿をかくしたが、そのときだ。
屋敷のなかから、おへや様の絹をさくような叫び声――
「あっ、羽子板――羽子板がない!」
それをきくと、人形佐七、おもわずぎょっとひとみをすぼめたが、すぐはっとしたように、
「辰も豆六もはやく逃げろ、つかまるといのちがねえぞ」
と、そこで三人、竹やぶのなかからとび出すと、雲をかすみと逃げだした。
うしろのほうに、けたたましい追っ手の足音をききながら――。
内藤藩のお家騒動
――お三方の修羅《しゅら》の妄執《もうしゅう》晴らして
その夜、佐七はまんじりともしなかった。
あの裏向き地蔵のなぞを、おへや様に解きあかしたのはかくいうじぶん、そして、おへや様はそのなぞをぎゃくに利用して、あの三人をおびき寄せ、ずたずたに切り殺したらしい。
いずれが善、いずれが悪と知らないが、今夜の事件の責任が、おのれにあるとおもえば、佐七はなんだか寝ざめが悪い。夜じゅう、うなされつづけたが、翌日、昼近くなって起き出ると、すぐ呼びよせたのはきんちゃくの辰と豆六だ。
「ちょっと、おめえたちに頼みてえことがある」
「へえ、へえ、どういうご用で」
「じつは、深川の旅籠《はたご》をかたっぱしから洗って、お力という女の子を捜し出してもらいてえんだ」
「へえ、お力というと?」
「殺されたさる回しの娘、年のころは十三か四、顔はお艶様にいきうつしだそうだ」
「へへえ」
「それから、これはあて推量だが、ゆうべのさるがその娘のもとへ、かえってやアしねえかとおもうんだ。もしかえっていたら、さるもいっしょに、そうさ、おいらはこれから八丁堀のだんなのところへお伺いするから、そこへつれてきてくれ。わかったな」
「おっと、合点だ」
と、ふたりがとび出したあとで、衣服をあらためた人形佐七が、やってきたのはおなじみの与力、神崎甚五郎のお役宅。
甚五郎はそのとき、あたかも人品のいい若侍と密談のさいちゅうだったが、佐七がきたときくと、若侍と相談して、すぐさまその場へ呼びよせた。
「佐七か、よいところへ参ったの。みれば顔色がすぐれぬようすだが、どうかいたしたか」
「へえ、そのことについて、じつはだんなにお伺いいたしたいことがございますので」
「なんじゃ、申してみよ」
「はなはだつかぬことをお伺いいたしますが、内藤伊賀守様ご家中のことについて――」
ときくなり、若侍ははっと顔色かえたが、甚五郎もおどろいてひざをすすめると、
「佐七、どうしたのじゃ。内藤藩のご家中に、なにか不審なことでもあったのか」
「へえ、じつはこういうわけで」
と、きのうからのいきさつを、つぶさに語れば、そばにひかえた若侍は、みるみる顔色あおざめて、
「なんと申す。それでは、お三かたには非業のご最期、あの、非業のご最期とな」
と、あまりひどいけんまくに、こんどは佐七がおどろいた。
「へえ、そうですが、しかしあなたさまは?」
「佐七、よくきけ。なにを隠そうこのかたは、鵜殿《うどの》源八郎どのと申して拙者の朋友《ほうゆう》。内藤家のお国家老、鵜殿|頼母《たのも》さまのご嫡子じゃ」
「ええっ?」
「きょうここへみえられたは、いまそのほうの申したお三かたの行くえ捜索のため。しかし、きけばそのお三かたは、昨夜あえないご最期とやら」
甚五郎もしばらく暗涙をのんでいたが、やがて源八郎と相談のうえ、佐七にうちあけた内藤藩の内情とは、およそつぎのとおりである。
内藤家の当主伊賀守には、年来、子どもがいなかったので、数年まえ、舎弟大学を世嗣とさだめ、その後見を鵜殿頼母にまかせてあった。
ところが、昨年の春ご奉公にあがったお艶《つや》という、素姓もあやしい女に手がつき、そこに生まれたのが菊千代君。さあ、これが騒動の原因で、菊千代には江戸家老|斑鳩玄蕃《いかるがげんば》があとおしして、目下家中はふた派にわかれて、やっさもっさの大騒ぎ。
「われらとても、菊千代君がまこと殿のお胤《たね》とあらば、なんでいなやを申そう。しかし……」
と、源八郎も語りかねる事情というのは、菊千代の出生にはすくなからぬ疑惑がある。悪家老とご愛妾《あいしょう》、よくあるやつだ。どうやら菊千代は玄蕃の胤らしいのだが、しかも家中にはそれと知って、玄蕃に味方するものもすくなくない。
その一味徒党の連判状を、お艶の方が所持しているといううわさ。
そこで、前島、後藤、井上という三人が、わざと主家を浪人して、連判状をうばう機会をねらっていたのだが、ここにつごうのいいことに、あのお下屋敷の用心棒に、鳴神為右衛門《なるかみためえもん》という角力《すもう》くずれの男がある。
これがおへや様の味方とみせて、じつは鵜殿がたの間者だが、その手引きで、下屋敷へしのびこむことになった。
その合図が裏向き地蔵。
じつは、はじめからあんなことをするつもりではなく、さいしょはお地蔵様のよだれ掛けをうらがえしにするだけだったが、それだと、どうかすると通りがかりの村人が、もとどおりに直してしまって、うまくいかぬことがある。
そこで、だれにも手がつけられぬようにと、嗚神の大力で裏向き地蔵。なるほど、これじゃめったに動かせない。
こうして三度まで、警固の手薄なおりをねらってしのびこんだが、ことごとく失敗、連判状のありかはわからぬ。
そこへもってきて佐七の明察だ。
お艶様もはじめて、裏向き地蔵と押し込みとの因果関係をさとると、すぐさま鳴神を殺してしまい、その合い図をぎゃくに利用して、三人を誘いよせると、むざんにもなぶり殺しにしてしまったのだ。
こうして事情がはっきりわかると、佐七ははっと胸をつかれるおもい。しらぬこととはいいながら、じぶんがうっかりしゃべったばっかりに、忠義な武士が三人まで、悪人の術中におちいったのだ。
とりもなおさず、あの三人を殺したは佐七も同然。かれはしばしきッとくちびるをかんでいたが、やがて決然とおもてをあげると、
「鵜殿さま、なんとも申しわけないことをいたしました。しかし、この埋め合わせはきっとつけます。悪人ばらの連判状、かならず手にいれ、お三かたの修羅《しゅら》の妄執《もうしゅう》、きっとはらしてお目にかけます」
と、きっぱりといいきったが、そのときだ。
ぞうりもぬがずにこの座敷へ、あわをくってとびこんできたのはうらなりの豆六。
「親分、えらいこっちゃ、えらいこっちゃ」
「ひかえろ、だんなの前だぞ。なんというざまだ」
「そやかて、そやかて、兄哥とお力ちゅう娘が、おへや様の一味にかこまれ、いのちがあぶない、いのちがあぶない」
と、あとは手放しで泣きだしたから、佐七は顔色かえて、すっくとばかりに立ち上がる。
隅田川白昼の乱闘
――お玉が池の親分、やあれ、日本一
泣きじゃくる豆六をさきに立て、それからすぐさま、八丁堀をとび出したのは、佐七をはじめ、神崎甚五郎に鵜殿源八郎。
みちみち、豆六の語るところによるとこうなのだ。
ふたりはなんなくお力の居どころをつきとめて、さいわいかえっていたさるもろとも、八丁堀へかけつけようとしていたが、一歩、旅籠《はたご》を出たときだ。バラバラと三人をとりかこんだのは数名の武士。
娘とさるをこちらへわたせという。いやだという。二、三度押し問答をしているうちに、侍がいっせいに刀を抜きはなったから、おどろいたのは豆六だ。とっさの機転の砂つぶて、こいつが目にはいったからたまらない。
侍たちがまごまごしているそのすきに、
「豆六、逃げろ、逃げて親分を呼んでこい」
という辰のことば。心得たりとばかりに、宙をとんで駆けつけてきた豆六なのである。
「そいでも、もうあきまへんわ。兄哥はきっといまごろ、膾《なます》みたいに切られて死んでるにちがいおまへん。こんなことなら、わてもいっしょに死んだらよかった。ああ、兄哥、兄哥」
と、おろおろ声の豆六が、さきにたってやって来たのは永代橋。見ればそのへんいったい、黒山のひとだかりだ。
みんな川の中を指さして、あれよあれよとさわいでいるから、なにごとだろうと豆六は、ひょいと川のなかを見おろしたが、とたんにあっと佐七にしがみついた。
「親分、親分、あそこや、あそこや。兄哥があそこにおりまんが。兄哥やあい、兄哥!」
その声に、一同が橋の欄干から下をみれば、いましも上手のほうから片はだぬいで、えいや、えいや、と、死にもの狂いで舟をこいでくるのは、まぎれもなくきんちゃくの辰。
みれば髪振りみだし、小鬢《こびん》はさけ、くちびるのはしから血が流れているのは、よほどあばれまわったものらしい。その舟のなかで、小ざるを抱いてふるえているのが、お力という娘であろう。
娘がふるえるのもむりではない。すぐうしろから、抜き身をさげた侍が三|艘《そう》の舟で追ってくる。
佐七はたちまち血相かえて、永代橋をひとっとび、あとへもどるとタタタタと河岸をおり、つないであった舟にとびこんだが、むろん、神崎甚五郎も鵜殿源八郎もおくれはしなかった。
豆六もさっとあとからとび移る。
「辰、しっかりしろ。いま助けにいくぜ」
大音声《だいおんじよう》に呼ばわると、橋のうえやら河岸をうめていたやじうま連中、
「あれあれ、ありゃお玉が池の親分だぜ」
「ほんに、ちがいない。親分、たのんまっせ」
「やあれ、日本一!」
などと、いい気なもの。桟敷《さじき》にすわって芝居でも見ているつもりらしい。
きんちゃくの辰もその声に、ようやく佐七に気がついたが、なにしろ精も根もつきはてているから、心ばかりはあせっても、思うように擢《かい》があやつれない。
追っ手の舟は、みるみるうちに近づいてくる。
やがて舟と舟とがすれすれになる。
と、太刀《たち》ふりかぶったひとりの侍が、ひらりとこちらへ飛びうつったから、佐七もやじうまもあっと息をのんだが。
そのとたん、侍の顔をめがけておどりかかったくろい生き物。ふいをくらった侍は、きゃっと叫んで、あおむけざまに水のなかへひっくりかえったから、さあ、やじうまは大喜び。
「ざまア見やがれ」
「水でもくらって往生しろ」
こういう騒ぎのうちに、佐七の舟は、スルスルと三艘の舟へちかづいていったが、その舳先《へさき》に突っ立っている鵜殿源八郎の姿をみると、追っ手の侍はにわかにはっと顔色をかえた。
「おのおのがたはこの娘をなんといたさるる。お望みなれば鵜殿源八郎がおあいて申す。参られよ」
と、ズラリと長いのを抜きはなてば、言いがいもなく、三艘の舟は、たちまちくるりとあともどり、雲をかすみと逃げさったから、いよいよこれからと楽しみにしていた見物は、すっかり拍子ぬけの体。
稚児猿塚《ちござるづか》の由来記
――桐十郎はなぜ地蔵に稚児化粧を
「お力ちゃん、おまえたしかにお力ちゃんだな。おお、いい子だ。おまえの身のうえ話をききてえのだが、さあ、みんなの前で話してごらん」
ここは八丁堀のお役宅。
あれからすぐ引き返してきた一同は、お力をなかにかたずをのんでひかえている。なるほど、お力はお艶様にいきうつし。かわいい手で、しっかと小ざるを抱きしめていたが、それでも、佐七に問われるままに、ポツリポツリと語りだした。
お力の父、あのさる回しの桐十郎は、もと桑名の回船問屋、いかり屋という大店《おおだな》の主人だったが、妖婦《ようふ》お艶にひっかかったのが運のつき、すっかり身代をたたきつぶして、はてはこじきのような境涯《きょうがい》に落ちてしまったが、ひどいやつはお艶で、店がつぶれると同時に、亭主と娘をほうりだして姿をかくした。
それがいまから八年まえ。
それからのちの桐十郎こそあわれだった。
幼い娘をかかえてさる回し、津々浦々、お艶のゆくえを求めてさまよい歩いたが、はからずも江戸でであったその女は、あろうことかあるまいことか、お大名のおもいもの。
しかし、それでもまだ、お艶のことを思いきれなかった桐十郎は、ついにあの夜お下屋敷へ忍びこんで、お艶に会ったのだが、そこでどういう話があったのか、ともかくそのかえりおへや様の一味のものに、バッサリ切られて死んでしまったのである。
「なるほど、それでこの娘が、お艶の方の娘とあいわかったが、しかし、これぐらいのことで、殿の寵愛《ちょうあい》あつきあの女を、とっちめることはよもやできまい。お艶の方の容色におぼれきったわが君、過去にどのようなことがあったとて、とても手放さるることはあるまい。やはり連判状がないときは――」
と、鵜殿源八郎は期待がはずれて深いため息。
佐七もそれを聞くと、なるほどと、当惑したようにひざをなでていたが、ふと目についたのはいちまいの羽子板。佐七はそれを手にとり、
「お力ちゃん、さるがもってかえったのはこの羽子板かえ」
「はい、そうです、おじさん」
と、お力は目をうるませて、
「このさるは石童丸がとくいでしたが、石童丸はご存じのとおり稚児《ちご》姿。そこで、このさるは、稚児すがたさえみればわが影かとなつかしがって、手放さぬのでございます」
みればなるほど、その羽子板の押し絵は、この春、坂東しうかがあてた五条橋の牛若丸。さてはお艶様は、しうかがごひいきとみえる。
佐七はしばし、牛若丸のうつくしい稚児髷《ちごまげ》や、赤いくちびる、さてはかすみのようににおやかな稚児《ちご》まゆを見つめていたが、にわかにハタとひざをたたいて、
「ああ、わかった、わかった」
と叫んだから、おどろいたのは一同だ。
なにごとかと佐七の顔を見かえれば、
「わかりました。なにもかもわかりました。桐十郎が死ぬまぎわに、なぜ地蔵尊に稚児化粧をしたのか、また、お艶様がゆうべ、この羽子板を盗まれて、なぜあのように大騒ぎしたのか、さてはまた、さきほどの侍たちのすごいけんまく、白昼をもおそれぬあのふるまい、なにもかもわかりました」
と、よろこびをひとみにたたえた人形佐七、源八郎から甚五郎、さては辰五郎や豆六まで見かえりながら、
「みなさん、よくお聞きなさいまし。お艶様はあの晩、桐十郎にむかって、あいそづかしのことばのついでに、お家横領のわるだくみや、さてはまた連判状のありかまで、とくいになって、しゃべってしまったにちがいありません」
「なるほど、それで……?」
「どうせ、あとで殺すのだもの、だいじょうぶ、と思ったのが運のつき。かわいさあまって憎さが百倍の桐十郎は、死にぎわに、忠義なひとに連判状のありかを教えようとしてやったのがあの地蔵尊の稚児化粧。つまり、連判状は、牛若丸の羽子板にかくしてあるとの謎でございます」
と、ベリベリと押し絵をさけば、なかからあらわれたのは連判状のみならず、お艶と玄蕃《げんば》がとりかわした艶書《えんしょ》のかずかず。
それを読むと、菊千代がふたりの仲の子どもだということまで、一目|瞭然《りょうぜん》だったから、鵜殿源八郎、ハラハラと涙をながして、佐七のまえに手をついた。
こうまで証拠がそろってはたまらない。
さすがの伊賀守様もほんぜんと目がさめたが、ことの破れをさとったお艶と玄蕃は、討っ手のものがくるまで待ってはいなかった。
菊千代を刺し殺して、おのれらもみごとに自害してはてたという。
お力はそののち、鵜殿源八郎にやしなわれたが、のちに剃髪《ていはつ》して、ささやかな庵室《あんしつ》をいとなんだが、その庵室のうらに一基の塚《つか》あり、銘して、
稚児猿之塚《ちござるのつか》――
石見《いわみ》銀山
さげ重の女
――あ、た、た、痛ッ、痛ッ
ちかごろ、ものすごい事件といえば帝銀事件。
なにせ、十数人の銀行員が、青酸カリをのまされて、バタバタ倒れたというのだから、いや、もう、おそろしい話で、おそらくこんな事件は、世界犯罪史上にも、類例があるまいといわれているが、江戸時代にも、これとよく似た事件があった。
このとき、宮地《みやち》しばいの女役者、一座ひっくるめて十三人が、石見《いわみ》銀山のねずみ取りをのまされて、そのうち、助かったのはわずか四人、あとの九人は血ヘドを吐いて死んだというのだから、じつもっておそろしい話で、当時、前代未聞の大事件と、さわがれたのもむりはない。
「おや、かわいいさげ重さんだこと。いままでついぞ見たことのない顔だけど、与作さんはきょうはどうかしたの」
「はい、おじいさんは持病のぜんそくでねてるんです。それで、あたしがかわりにきました。お師匠さん、おすしを買ってください」
「ああ、それじゃ、おまえ与作さんの孫かえ。与作さんに、こんなかわいい孫があるとは知らなかった。あのひといつも、天にも地にもひとりぽっち、たよりのない身の上だといってたのに……」
「はい、わたしは小さいじぶんから、とおいところへ、里子にいってたものですから……」
「ああ、そうだったの。それにしてもいい器量だね。おまえ名まえは、なんというの」
「はい、あの、名まえは……」
と、娘はちょっと口ごもって、
「お里――と、申します」
「お里ちゃん? ほ、ほ、ほ、すし屋の娘にゃアにあいの名だよ。それじゃ、弥助《やすけ》といういいひとがおありだろう。ほ、ほ、ほ、かわいいよ、この子は。あんなに顔を赤くしてさ。ちょいとみんな、ごらん。これが与作さんの孫だってさ。おじいさんが病気だから、かわりにすしをさげてきたって。かわいいじゃないか。みんな食べておやりよ」
江戸時代には、公許のしばいは三座しかなかったが、ほかに神社仏閣の境内に、宮しばいと称して、小屋掛けのしばい興行が黙認されていた。
これらのしばいは、土地の繁栄策として許されているのだが、寺や神社にことがあると、取り払わねばならぬから、丸太組みにむしろ張り、見せ物小屋どうようの、まことにおそまつなものである。
しかし、それでも、見るもののすくなかった当時にあっては、そうとう繁盛したもので、わけても、ちかごろ湯島の境内にかかっている中村|梅枝《ばいし》という女役者の一座は、腕達者がそろっているのと、きれい首が多いのとで、この春から、かいわいの人気をさらっていた。
その女役者の一座へ、すしを売りにきたのは、まだ十三、四のかわいい娘。
肩につぎのあたった着物をきているところは、貧にやつれたすがただが、目鼻だちのきりりとした、色白のさかしげな面だちは、人の目をひくにじゅうぶんである。
「おや、これが、与作さんの……とびがたかを産むとはこのことだねえ。もう二、三年もすると、男がただじゃおかないよ」
「二、三年も待つものか。おまえさんなんざ、このじぶんにゃ、ちゃんと男があったろう」
「ちがいない。あたしゃいろっぱやかったからねえ。あたしが男を知ったのは……」
「おい、おい、なにをのろけてるんだい。つまらないこといわないで、すしをつまんでおやりよ。ちょっと、そっちで手なぐさみしてる連中も、こっちへきてつままないか。きょうはあたしのおごりにするよ」
「えっ、お師匠さんのおごりだって? そうきいちゃアあとへはひけない。ちょいとちょいと、そこどいておくれ。お、こはだだね。すしはなんといってもこれにかぎるね」
「あれ、花助さんのあつかましい。おごりときいたらとびついてきたよ」
「三津江さん、あんたもこっちへきておあがりな。小悔ちゃん、おまえ、なにをそんなに浮かぬ顔をしてるんだね。こっちへきて、ひとつおつまみよ」
楽屋といってもどうせ小屋掛け、座がしらも、中通《ちゅうどお》りも、大べやもない。
舞台うらの薄縁《うすべり》のうえに、はげっちょろけの鏡台をならべ、おしろいをぬたくっているもの、寝そべって、書き抜きを読んでいるもの、そうかとおもうと女だてらに、車座になって花札をめくっているやつもある。
ちょうどいま、ひと興行打ち出したところで、つぎの幕あきまでまがあった。
座がしらのおごりときくと、それらの連中、わっとさげ重のまわりにあつまって、てんでにすしをほおばりながら、
「お師匠さん、ごちそうさま。これだからお師匠さんが好きさ。気まえがいいからね」
「は、は、は、おだてちゃいけない」
「あれ、お師匠さん、ごきげんだね。きょうはなにか、うれしいことでもあるんですかえ」
「紫幸《しこう》さん、おまえ案外ボンヤリだね。お師匠さんのうれしいことというのは……」
「これ、これ、花助、殿中だぞよ。つまらないことをいうもんじゃない。さあ、食べたり、食べたり。お里ちゃん、すしはここで総じまいにしてあげるよ。三津江ちゃん、お湯《ぶう》をとっておくれ。小梅ちゃん、なんだねえ、なにをボンヤリしてんだ」
阪東三津江というのは一座の書き出し。
二十七、八の目の大きな女だが、女だてらにばくちがすきで、いまも花札をひいていた。
小梅はことし二十一、役者とは思えないおとなしやかな女だが、きょうは妙に沈んでいる。座がしらの中村梅枝は、もう四十ちかい大年増《おおどしま》。
おしろいやけのした膚は、赤黒くすさんでいるが、それでも男のように、かっきりとした目鼻だちは、さすがに座がしらの貫禄《かんろく》じゅうぶん。厚化粧をして若くつくると、まだまだ男をひきつける魅力はある。
きょうは、どういううれしいことがあるのか、大浮かれの、大陽気で、一座のものにすしをふるまい、じぶんも二つ三つつまんだが、そのうちに、
「あ、痛っ、あ、たたたたッ」
と、畳のケバをむしって苦しみだしたのが、いちばん食い意地のはった紫幸で。
「おや、紫幸さん、どうしたのさ。おまえ、あんまりあわててて、ほおばりすぎるから……あ、た、た、た、たッ、あ、痛ッ、痛ッ」
と、あちらでもこちらでも苦しみだして、はては総勢十三人、ことごとく薄縁のうえを、のたうちまわりはじめたから、おどろいたのはすし屋のお里で、
「あれ、どうなすったのですか。お師匠さん、みなさん、しっかりしてください」
と、おろおろと立ち騒いでいたが、そのうちに、あちらでも、こちらでも血を吐きはじめたから、
「あ、こ、こりゃ、毒……」
と、ひと足うしろへとびのいて、わなわなふるえながら、この場のようすをながめていたが、やがて、楽屋口からいちもくさん、さげ重片手に、あと白波と、とび出していったのである。
血を吐く犬
――獣ながら苦悶《くもん》の形相ものすごく
「たいへんおそくなりました。ちょっと、遠出をしておりましたものですから……きけばたいへんな騒ぎがもちあがりましたそうで」
事件のあった翌日のことである。
湯島の境内、騒動のあった中村梅枝の小屋へ、うつくしい片えくぼをのぞかせたのは、いわずとしれた佐七である。
うしろには、例によって辰と豆六がひかえている。
佐七は用事があって、八王子へ出むいていたのが、けさ早くかえってきて、一件をききこむと、とるものもとりあえず、駆けつけてきたのである。
いったい、神社仏閣でおこった事件は、寺社奉行のかかりで、町方には手が出せないことになっているが、それも事件によりけりで、こういう犯罪事件になると、やはり、町方の手をかりるほうが便利である。
ことに、この一件のかかりとなった寺社同心の寺尾玄蔵というひとは、日ごろから、佐七をたかく買っているところから、とくに、出馬を懇望したというわけである。
「おお、佐七か。よくきてくれた。あっはっは、あいかわらず、辰と豆六もいっしょだな」
「だんな、どうもたいへんな騒ぎでしたねえ。それで、命をとりとめたのは?」
「わずか四人よ。座がしらの中村梅枝に、書き出しの阪東三津江、それに、ちかごろ梅枝に弟子いりして、たちまち一座の人気者となった中村小梅。ほかに市川花助という三枚目が、どうやらいのちをとりとめた。花助はともかく、ほかの三人は立て者だけに、さすがにがつがつすしをほおばらなかったので、それでまあ、あやうく難をまぬかれたんだろうという見込みだ」
「へえ、すると、やっぱりすしのなかに……?」
「そうよ。食いのこしたすしをしらべたところが、そのなかの三つに、毒が仕込んであった」
「すしはいくつのこっていたんです」
「つごう八つだ」
「そのなかの三つに、毒が仕込んであったというんですね。すると、どのすしにも、毒が仕込んであったわけじゃねえんですな。そして、その毒というのは?」
「石見《いわみ》銀山よ」
「石見銀山? へえ、ひでえことをしやアがる。ひとをねずみとまちげえたわけじゃあるめえに」
石見銀山というのは、石見の国、大森町にある銀山から産する砒石《ひせき》で、当時、流行の殺鼠剤《さつそざい》であった。
「ところで、すしを売りにきた小娘ですがね、それについてなにか当たりがつきましたか」
「それがおかしいのよ。佐七、まあきけ。座がしらの中村梅枝、これがいちばん軽くて、どうやら口がきけるようになった。そこでたずねてみると、すしを売りにきたのは、いつもくる与作じいの孫で、お里とみずから名のったという。そこで与作をしらべたところ、とんでもない、お里もなにも、じぶんには、孫と名のつくものはひとりもない、と、こういうんだ。近所できいてみても、これはほんとうらしく、与作はひとりもので、身寄りと名のつくものはないようだという話だ。してみると、あやしいのはその小娘で、与作がぜんそくで寝ているのを知って、孫といつわりのりこんで、一座をみな殺しにしようとはかったんだな」
それが十三か四の小娘だったというだけに、佐七も身ぶるいせずにはいられなかった。
「そうすると、なにをおいても小娘を捜しださにゃアなりませんが。ときに、与作の住まいというのは?」
「妻恋《つまこい》稲荷のうらだそうだ」
「そうですか。それではあとで当たってみましょう。ときに、だんな、ここは事件のときのまんまでしょうね」
「うむ、死骸だけはとりかたづけたが、あとはなにひとつ、手をつけぬよう申しつけておいた」
ほのぐらいむしろ張りの楽屋は陰惨そのものである。
乱暴にぬぎすてられた衣装、楽屋着、花札がいちめんにちらかっており、さら小ばちが五、六枚、こびりついた飯粒に、残りのはえが二、三匹たかっている。
火ばちの上には、冷えきった大やかんがひとつ、薄縁の上にはどびんがひとつ、湯飲み茶わんが十いくつ、あちこちにごろごろころがっている。
そして、そのあいだには、女たちの吐いた血が、当時の凄惨《せいさん》なありさまを物語るように、いちめんにべたべたと、こびりついているのがおそろしい。
佐七はするどいまなざしで、その場のようすをながめていたが、なに思ったのか、湯飲みをひとつずつ取りあげた。
どの湯飲み茶碗も、きれいにのみほしたのか、それとも、ころがった拍子にこぼれたのか、一滴の茶ものこっていない。
どびんをみると、これまた一滴の茶はおろか、茶カスさえものこっていなかった。
佐七はチカリと目を光らせて、
「だんな、だんなはいま、だれもこの場に手をつけたものはねえとおっしゃったが……」
「うむ、手をつけてはならぬと、げんじゅうに申し渡してある」
「しかし、だんながたが駆けつけるまえに、だれか手をつけたやつがありゃアしませんか」
「いいえ、そんなことはございません」
おずおずと、うしろから口を出したのは、表の札場にいる熊吉《くまきち》という男である。
「うめき声をききつけて、いちばんに駆けつけてきたのは、あっしとこの丑松《うしまつ》ですが、ひとめみると、これは一大事と思ったので、むやみに手をつけるなと申しましたので……」
「それじゃここは、おまえさんたちが駆けつけてきたときのまんまだというんだね」
「へえ、さようで。万一のことがあっちゃならぬと、だんながたがおみえになるまで、げんじゅうに見張っておりましたんで」
「そうか、そりゃアよく気がついた。しかし、そうだとすると……あっ、ありゃアなんだ」
佐七がギクッとふりかえった。
むしろ張りの楽屋のすみに、ただひとところ、小さなあかりとりがあったが、そのあかりとりの外で、なにやら、異様なうめき声がするのである。
辰と豆六はそれをきくと、つとあかりとりのそばへ寄って、外をのぞいたが、
「あっ、親分、犬ですよ。犬めがゴミだめをあさっているんですが」
「わっ、親分、こらおかしい。犬めが赤い血を吐きよった」
「なに? 犬が血を……」
辰と豆六をおしのけて、佐七があかりとりから外をのぞくと、なるほど、すぐ目の下に、大きなゴミだめがおいてある。
そして、そのそばには一匹の赤犬が、四肢《しし》をもがいて、七転八倒していたが、やがてがっぷり、大きな血のかたまりを吐きだすと、そのまま硬直したように、動かなくなったのである。
けだものながら、苦悶《くもん》の形相ものすごく……。
佐七はふっと、辰や豆六と顔見合わせた。
勘十郎《かんじゅうろう》のしばい
――相手はかわいい女でございます
なにしろ、いちどに九人という女が、毒殺されたというのだから、江戸じゅうは鼎《かなえ》のわくような大騒動。
よるとさわるとこのうわさで、それについて、いろんな憶説が流布されたが、なかでいちばんもっともらしく語りつたえられたのは、つぎのようなひょうばん。
そのころ上野山下に、嵐《あらし》勘十郎という、これは男役者だが、小屋掛けの一座がかかっていて、以前はそうとうさかったものだが、湯島の境内に中村梅枝の一座がかかってからは、人気をすっかりそちらにさらわれ、火のきえたも同然のていたらく。
そこで、これではいけないと、嵐|芳三郎《よしさぶろう》という美貌《びぼう》の若手をひっぱってきて一座にくわえた。
この芳三郎というのは、芸はまずいが、なにせ油つぼから出てきたような男ぶり。
これがうわき娘の人気をあおって、いちじはわっとかぶってきたから、これで勘十郎のしばいももちなおすかと思われたが、すると、梅枝のほうでも黙ってはいない。
これまたどっからか、小梅というわかい美貌の女役者をつれてきて売り出したから、勘十郎のしばいはまたしても、人気を湯島へもっていかれた。
こうなると、おもしろくないのは勘十郎のしばいで、尋常では、たち打ちできぬと思ったのか、ならずものをやとって木戸をやぶらせる。場内をさわがせる。
はては、なぐり込みをかけるというひょうばんまでたつにいたって、梅枝も腹にすえかねた。
女でこそあれ中村梅枝、腹のすわった人物で、いままで、勘十郎がわのイヤがらせを、歯牙《しが》にもかけずすましてきたが、たびかさなるあいての無法に、これ以上、ひっこんではいられなかった。
あいてがあいてならこっちもこっちと、これまたならずものをおおぜいやとって、あわや血の雨、というところで仲裁がはいったのである。
この仲裁というのが、かいわいきっての顔役だから、勘十郎もたてつくわけにはいかなかった。
梅枝はもとより、このんで仕掛けたけんかじゃないから、むこうが折れてでればいうことはない。
そこで、山下の鶏《とり》料理で、仲直りの手打ちの式がおこなわれたのが七日まえだが、さて、ひとの心はわからない。
そのごも不入りつづきにつけ、勘十郎はおもしろくないにちがいない。そこでひとを使って、梅枝一座をみなごろしにしようとしたのではあるまいか……。
と、これが当時、語りつたえられたひょうばんである。
湯島のしばいで小屋のものから、こういう話をきくと、佐七は辰と豆六になにやら耳打ちして、じぶんひとり、山下の勘十郎のしばいへやってきた。
なかへはいると、不入りときいたにもかかわらず、思ったよりもかぶっていて、座がしらの勘十郎も、それほど無法な男とはみえなかった。
「いや、どうも。世間の口に戸は立てられぬと申しますが、あまりへんなうわさをたてられるには弱りきります」
薄縁《うすべり》じきの楽屋で、にが笑いをしながら、茶をすすめる勘十郎は、としごろ四十五、六の、すいも甘いもかみわけたという人がらだった。
「へんなうわさって、親方、火のないところには煙はたつめえ。おまえさんも、そうとう梅枝のしばいへ、キザなまねをしたというじゃねえか」
佐七が単刀直入につっこむと、勘十郎はほろにがく笑いながら、
「親分、それだから、世間の口は恐ろしゅうございます。どこでどう、話がまちがってくるかわからない。ええ、そりゃアうちの若いもんが、二、三度むこうのしばいへげんじゅうに談じこんだことはあるそうです。それを知らなかったのは、わたくしの不行き届き、面目しだいもございませんが、それだって、むこうの繁盛をねたんで、なんてことじゃございません。そんないやみなことをしなければならぬほど、こっちのしばいが不入りというわけでもございませんので……」
「そういえは、思いのほかの入りにおどろいたが、いつもこんなかえ」
「いえ、こんどのことで人気が落ちたか、きょうは入りがわるいようで、ふだんはもっとはいります」
佐七はふしぎそうにまゆをひそめて、
「それじゃ、なぜ若いものが……」
「さあ、それなんで。こんなことをいうと、ひとさまに傷をつけるようですが、むこうに阪東三津江という役者がおります」
「うむ、うむ、書き出しの人気役者。こんどはどうやら、命をとりとめたらしいが……」
「ええ、その女ですが、これがまことに、手に負えねえ莫連女《ばくれんおんな》で、うちの若いやつはみんなひっかかって、身ぐるみはがれておりますんで。いえ、うちのもんばかりじゃアなく、しろうとのだんな衆にも、あいつのために身上《しんじょう》をはたいた、店をしまったというのが、ままあるそうで。すご腕といえばすご腕ですが、あんまりやりくちがあくどいから、若いもんがくやしがって、二、三度、小屋へ押しかけていったんです。ところが、三津江というのが悪知恵の働くやつで、それをあたかも、こっちが不入りなもんだから、いやがらせにくるんだと、そんなふうに吹聴《ふいちょう》し、むこうの師匠も、すっかりそれにだまされていたんです」
「それがほんととすれば、三津江というやつは憎いやつだな。しかし、梅枝も梅枝じゃないか。座がしらとしてそれくらいのこと……」
「いえ、それが……」
と、勘十郎は手をふって、
「あっしも師匠とあって話をしたのは、このあいだの手打ちのときがはじめてですが、ありゃアまた、男のようにサッパリした気性で、こまかいところに気がつくような女じゃありません。だから、三津江にいいように、ひっかきまわされていたんです。役者子どもといいますが、師匠はまるで、子どものように罪のない女です」
「はてな。おまえ、いやにむこうの肩をもつが、はっはっは、なにかあったな」
佐七がニヤリと笑うと、勘十郎はつるりと顔をなであげた。
「あっはっは、恐れいりました。問うにおちず、語るにおちるとはこのことですね。じつはゆうべ、あっしは師匠とふたりっきりで会う約束になっていたんです。それが、あんな騒ぎになったものですから……」
「師匠とふたりっきりで……? どういう用で?」
「親分、おまえさんもひとが悪い。たいがい察しておくんなさい。このあいだの手打ちの式で、会って話をしてみると、つまらねえ誤解もとけるし、だんだん話をしているうちに、むこうもこっちもひとりもの。酒の酔いもありまさア。ついこっそりと手を握ったり……どっかひとめのないところで、しんみり会って話をしたいと、師匠のほうからいいだしたんです。あっしのほうでも憎かあねえ。きのうの騒動をきいたときにゃ、じぶんの命がちぢまるかと思ったくらいです。そののち、一命をとりとめたときいて、いまでも見舞いにとんでいきたいくらいなんだ。ねえ、親分、そんな仲になってる女に、なんで毒など盛りますものか」
佐七は大いにあてられぎみだったが、なるほど、これでは勘十郎のことばにも一理はあった。
小梅|芳三郎《よしざぶろう》
――小梅はあたしをうたぐってるんです
「師匠、うちかえ」
それからまもなく、勘十郎のしばいを出た佐七が、道のついでにやってきたのは、切り通しのちかくにある中村梅枝のうちだった。
みがきこんだ細め格子《ごうし》をひらくと、
「あら、親分、いらっしゃいまし」
と、笑顔《えがお》でむかえたのは弟子《でし》の花助。
たすきがけのしりはしょりで、たたきのそうじをしているところだった。
佐七は目をまるくして、
「なんだ、花助。おまえも毒にあてられたときいたが、もう起きてはたらいているのか」
「親分、あたしはきっと不死身なんですね。ゆうべはちょっと苦しかったんですが、けさはもうなんともないんです。そのくせ、すしをいちばんたくさん食べたのはあたしだのに」
花助はいかにも三枚めらしく、のんきな顔をして笑っている。
「それはよかった。なんにしても、軽いにこしたことはねえ。ときに、師匠は?」
「お師匠さんももうだいじょうぶです。寝床のうえでおきていらっしゃいます。お師匠さん、お師匠さん、お玉が池の親分さんが」
花助が声をかけると、ふすまのむこうから、
「あいよ。聞いてるよ。親分さん、むさくるしゅうしておりますが、どうぞこちらへ、おあがりくださいまし」
どうせ、しがない宮地しばいの女役者、家はいたって手狭だが、それでも、いかにもきれいずきらしく、きちんとかたづいた六畳の居間に、中村梅枝は寝床をしいて、そのうえに、はでな掻巻《かいまき》をはおって起きていた。
「親分さん、ごめんくださいまし。こんなうまいなりをして……」
「いいとも、いいとも。かげんの悪いところへ押しかけてきてすまねえ。ちょっとおまえに尋ねたいことがあるもんだから」
「はい、なんなりと……親分、どうぞお当てくださいまし。花ちゃん、お茶なりと……」
「いいんだ、いいんだ、かまわねえでくれ。ときに師匠、こんどはとんだ災難だったが、それについて、おまえなにか心当たりは……?」
「親分さん、それがあるくらいなら、あたしもこんなに心配しやアしません。恐れながらとすぐ下手人を訴えます。しかし、どう考えても、一座ひっくるめて十三人、みんながみんな毒を盛られるほど、深いうらみをうけるような覚えはございません」
「ほんに、一座ひっくるめて毒を盛られるなどとは、前代未聞《ぜんだいみもん》の大椿事《だいちんじ》だが、それにしても、おまえと花助、それに三津江と小梅の四人だけ助かったというのは、どういうわけだろう」
佐七はあいての顔色を読みとろうとするように、じっと見つめている。
梅枝はしかし、べつに狼狠《ろうばい》したいろもなく、
「それについては、あたしもゆうべから考えてますが、花ちゃんはべつとして、あたしも小梅も三津江さんも、あんまりすしを食べなかったんです。あたしゃアこれでも座がしらですから、そうがつがつ食べるわけにはまいりません。小梅はきのう、なんだか妙に沈んでいて、ほんのひとつかふたつしか、つままなかったようです。三津江さんはちかごろなんだかじれてるようで、これも、あんまりほおばらなかったんです」
「すると、師匠の見込みでは、毒の仕込んであったのは、やっぱりすしのなかだというんだね」
「だって、それよりほかに、みんなが、口へいれたものはなんにもないんですもの」
「しかし、そうすると、花助はどうなるんだえ。あの娘はじぶんで、いちばんたくさん食べたといってるが」
「ほ、ほ、ほ、あの娘はべつです。あの娘は、じぶんでもいってるとおり、きっと不死身なんでしょうよ。根がのんきなたちだから」
いかにのんきなたちとはいえ、毒は毒である。
毒の効果は、それをのんだ人間の、性質のいかんにかかわらず、のんだ量によって左右されるべきはずである。
それにもかかわらず、いちばんたくさんすしをつまんだ花助が、いちばんピンピンしているのはふしぎであった。
佐七はちょっと考えたが、すぐ気をかえるように、
「ときに、師匠、こんどのことについて、世間にいろんなうわさがとんでるのを知ってるか」
「いろんなうわさといいますと……?」
「たとえば、勘十郎のしばいとのいざこざだが、世間じゃ、勘十郎があやしい小娘をつかって、おまえさんの一座を、みな殺しにしようとはかったんだといってるぜ」
佐七が気をひくようにそういうと、梅枝の顔色がさっとかわった。夜具のはしから乗りだすようにして、
「親分さん、そ、それはちがいます。葉村屋の親方は、そんなおひとじゃありません。あのひとは、気の大きな、さばけたかたです。それに、いざこざったって、もうみんなすんでしまったことなんです。葉村屋の親方が、そんなそんな、……親分、それはちがいます」
やっきとなっていいつのる梅枝の顔を、佐七はまじろぎもしないで見つめていたが、やがてニヤッと笑うと、
「師匠、おおきにごちそうさま」
「え?」
「いまも山下で葉村屋の親方に、さんざんきかされてきたところだ。おまえさんたち、うれしいことになってるんだってねえ」
「あれまあ、葉村屋の親方が、そんなことを申しましたか」
「いったもいったも、手ばなしの大のろけさ。いまでも見舞いにとんでいきたいくらいです、そんな仲になってる女に、なんで毒など盛りましょうと、手ばなしにのろけられちゃ、御用聞きもちとつらい」
「まあ、葉村屋の親方が、そんなことをいったんですか」
梅枝は小娘のように、パッとほおにもみじをちらした。
四十にちかい大年増《おおどしま》、ましてや女役者などしていれば、男のかずもずいぶん重ねてきたであろうに、この道ばかりはかくべつとみえて、勘十郎の情のこもったことばをきかされると、梅枝は小娘のように、胸をわくわくさせているのである。
佐七はなんだかいじらしくなったが、わざとおひゃらかすように、
「師匠、いやだぜ。おまえさんの年になっても、ほれたとなると、そんなものかねえ」
「親分さん、察してください」
「あっはっは、まあいいや。おまえゆうべ葉村屋と、会うことになっていたんだってねえ。そうすると、あのすしの大盤ふるまいも、そのまえ祝いのつもりだったんだね」
「そうなんです。ところが親分、それをへんに勘違いしてるひとがあるんです」
「勘違いとは……?」
「親分さん、聞いてください。こうなんです」
と、梅枝が語るところによると、こうである。
このあいだの手打ちの晩のことである。
双方の役者ぜんぶがその席につらなったことはいうまでもないが、そのなかには、勘十郎一座の嵐芳三郎もいた。
芳三郎はまえにもいったとおり、芸はまずいが、水のたれるようなよい男だから、梅枝一座の女役者が、ほうっておくはずがなかった。
太夫《たゆう》さん、太夫さんと、よってたかって芳三郎のとりっこをする。
ほうっておいたら、なにしろ女どうしのことだから、どんな遺恨があとに残らないものでもない……。
と、そう思ったものですから、あたしが座がしらの威光をかさにきて、太夫をそばへひきつけて、わざとふざけてみせたりしたんです。それをすっかり勘違いして、あたしが太夫にほれてるんだと思いこみ、きのうあたしがうきうきして、すしをふるまったりなんかしたのも、太夫に会いにいくためだと、そうかんぐって、しょげきってるものがあるんです」
「だれだえ、それは……」
「うちの小梅なんです」
「なるほど、それじゃ小梅は芳三郎に……?」
「そうなんです。それだからこそ、手打ちの席で、小梅と太夫をいっしょにしないように、あたしゃいっそう気を使ったんです。小梅はうちの人気者、それでなくても、ほかのものから憎まれてるのに、太夫とへんなうわさがたったら、どんなに憎まれるかしれやアしません。それがかわいそうだからと、あたしが、気をつかっているのもしらないで、まるで、あたしが毒を盛りでもしたように……」
「え、それじゃ、小梅はおまえを疑ってるのか」
「そうらしいんですよ。あの娘はずっとうちにいるんですが、けさはいのちをとりとめると、伯母《おば》のうちで養生すると、まるで逃げるように出ていったんです」
梅枝はいくらか不満そうに口をとがらせた。
佐七はだまって考えていたが、思い出したように、
「ときに、きのう、すしを食ったあとだがねえ。おまえさん、湯飲みを洗やアしなかったかえ」
「湯飲みを……? いいえ、とてもそれどころじゃございません。大苦しみでございましたから」
「おまえが洗わなくても、だれかほかのものが、洗っているのに気がつかなかったかえ」
「さあ……なにしろ夢中でございましたから」
「花助はどうだろう。あの娘がなにか知ってやアしねえか」
そこで花助をよんできいてみたが、彼女も湯飲みを洗ったりなんかしなかったし、また、七転八倒していたのだから、だれかが湯飲みを洗ったとしても、気がつかなかっただろうとつけくわえた。
佐七はまた、だまって考えた。
銀山を買った娘
――黒門町のにしてやられた
その晩、佐七がひとあしさきに家へかえって待っていると、湯島でわかれた辰と豆六のうち、まず豆六がかえってきて、
「親分、わかりました。やっぱりあのゴミだめのなかには、石見銀山がおましてん」
「おお、そうか。良庵《りょうあん》先生がしらべてくだすったのか」
「へえ、親分のいやはるとおり、ゴミだめのなかのゴミを、どんぷりにいっぱいほどすくって、良庵先生のところへ持っていきましてん。良庵先生がそれを調べて、こら、たしかに石見銀山がまじったアるちゅう話だす」
「そして、そのゴミのなかに、すしの食べのこしがまじっていたか」
「ところが、それがおかしおます。すしはちっともおまへなんだが、茶カスがいっぱいおましてん。そして、その茶カスに石見銀山が、ぎょうさんまじったアるちゅう話だす」
「茶カスになあ……」
佐七はにんまり、会心のえみをもらして、
「ところで、お里という小娘のほうはどうだ。妻恋稲荷の、与作じいのところへいってきたか」
「いえ、それは兄哥の役目や。あては小屋にのこって、一座のもんの素行をきいてきましたが、三津江という女は、とてもひょうばんがわるおまんな」
「ひょうばんがわるいって、どういうんだ」
「まるで鼻つまみだす。女だてらに大のばくち好き。それに、ちょっとお面がいいので、男をだましては金をまきあげる。ところが、その金を、かたっぱしからばくちですってしまいよる。そして、一座のもんに、ちょっと貸せ、ちょっと貸せで、ちかごろでは、首もまわらんちゅう話だす」
豆六の話はどうやら、勘十郎の意見と一致している。
佐七はだまって考えていたが、そこへきんちゃくの辰もかえってきた。
「親分、いけねえ。どうもよくわからねえ」
「わからねえって、お里のこと」
「そうです、そうです。妻恋稲荷のうらの、与作のところへいってみたんですが、与作はたしかにぜんそくで寝てました。そこで、お里という小娘のことを聞いてみましたが、与作はとんでもないと打ち消すんです。じぶんには子どもというものはひとりもない、子どもがないくらいだから、孫などあろうはずがないといい張るんで。念のために、近所でもきいてみましたが、みんな与作さんのいうとおりだといやアがる。あのひとに親戚《しんせき》があるって話は聞いたことがないと、口をそろえていうんです」
佐七はちょっと考えて、
「与作はいつも、すしをどこで仕入れるんだ。まさか、じぶんのうちで握るんじゃあるめえ」
「へえ、そりゃア外神田の清ずしです。あっしも抜かりゃアありません、清ずしへもいってきいてみました。すると、きのうの朝、お里とおぼしい小娘が、与作のつかいだといって、すしを仕入れにきたというんです。そこで、そのとき小娘のさげていたさげ重のことをきいてみたんですが、与作さんのものだと思ったが、気をつけていたわけじゃねえから、よくわからねえ、あるいは、ちがっていたかもしれぬといやアがる」
「梅枝の楽屋に、さらやなんかのこっていたが……」
「親分、あれはいけません。与作のつかってたのも、たしかあれとおなじさらですが、あのさらならどこにでも売ってるしろものなんで、とても証拠にゃなりません」
佐七はしばらく考えていたが、
「辰、与作というじじいをもうすこし洗ってみろ。おりゃアそいつが、なにかかくしているように思われてならねえ。それから、豆六」
「へえ、へえ、わての役はなんだす」
「おまえは小梅をひとつ洗ってみてくれ」
「へえ、小梅がどないかしましたか」
そこで、佐七が梅枝にきいた話をすると、
「親分、それじゃ、ひょっとすると、小梅のやつがやったんじゃありますめえか」
「そや、そや、座がしらの威光をかさにきて、ひとの情人《おとこ》を横取りする……と、いちずにそう思い込んで、師匠を殺すつもりで、あんなことをやったんやおまへんやろか」
「そんなことがねえともかぎらねえ。だから、そのへんのところを洗ってみろ」
「がってんです」
こうして、二、三日はまたたくうちに過ぎ去ったが、辰と豆六の深索は、いっこうはかばかしくすすまなかった。
小梅は本所にいる伯母のところへいってから、また容態がぶりかえしたらしく、寝たっきりでひとにも会わなかった。
豆六はやっとのことで、ちょっと会って話をしたが、小梅はただ泣くばかりで、はかばかしいうけ答えはしなかった。
ただ、ことばのはしばしから、梅枝をうらんでいるらしいことはうけとれたが、さりとて、そのために、あんなだいそれたことをしでかそうとは思えなかった。
かえって、梅枝もいったとおり、彼女は師匠をうたぐっているらしかった。
辰のほうの探索も、あれっきり行きなやみになって、こうしてはやくも七日は過ぎた。
そして、非業に死んだ九人の女のお弔いが、あす下谷の竜泉寺で執り行なわれるということが、江戸じゅうの大ひょうばんになった、そのまえの日のことである。
血相かえて、とび込んできたのがきんちゃくの辰で。
「親分、いけねえ。やられた。黒門町の弥吉《やきち》親分に、まんまとしてやられました」
「なに、黒門町のにしてやられたと? 辰、そりゃアいったい、どういう話だ」
「どうもこうもありません。面目なくて、おまえさんにあわす顔もありませんが、きいてください、こうなんです。与作め、お里などという孫は、知らぬ存ぜぬとシラをきっていやアがったが、それはまっかなうそで、あいつにゃア、ちゃんと孫娘があるんです。もっとも名まえはお里じゃなく、お品というんだそうです。なんでも与作がわかいじぶん、親知らずで、里子にやった娘にできた孫だそうで。ところで、お品の両親というのが、三津江のために、メチャメチャにやられてるんです」
辰の話によると、こうである。
与作の娘のお袖《そで》というのは、幼いじぶん、親知らずで里子にやられたが、その後、養家さきの不運つづきから、柳橋の芸者屋へ下地っ子として売られた。
ところが、これが長ずるにおよんで、たいへんな美人になり、柳橋でも指折りの売れっ妓《こ》となった。
それが横山町の地紙問屋、近江屋《おうみや》の若だんな、万之助《まんのすけ》というものに見染められ、嫁になってお品をうんだ。
そこまではよかったが、ちかごろになって、この万之助に天魔がみいったのか、ばくちの味をおぼえてしまった。
そして、あちこちの賭場《とば》へ出入りをしているうちに、知りあったのが阪東三津江である。
三津江という女は、いったい、どういう手をつかうのかしらないけれど、いちど関係をつけると、その当座、男の性根を、根こそぎぬいてしまうすべを知っているらしい。
万之助もこの雌ぎつねの手管にのって、たちまちのぼせあがってしまった。
家をそとに放埓三昧《ほうらつざんまい》。
なにしろ、ばくちと女と、三道楽のうち二道楽そろったのだから、家のなかがまるくおさまるはずがない。
それを苦にして、女房のお袖が、たびたび三津江を訪れて、わかれてくれるようにたのんだが、そんなことをききいれるような三津江じゃなかった。ぎゃくにさんざん毒づかれて、お袖はちかごろ血の涙でくらしているという。
「そこで、子ども心に胸をいためたお品が、三津江さえなきものにすればと思って、じいさんのかわりにはいりこんで、だれかれの見境もなく、毒を盛ってしまったんです。ええ、黒門町の井筒屋で、石見銀山を買ったことまでわかってるそうで。親分、こんどこそは、黒門町の親分にしてやられました。あっしゃ、こんなくやしいことはありません」
辰はポロポロ涙をこぼして、男泣きに泣きながら、佐七のまえにあやまった。
尾行する薬売り
――匕首《あいくち》口に、女はざんぶと大川へ
非業の最期をとげた九人の女の弔いは、その翌日、下谷の竜泉寺で執り行なわれた。
九人のなきがらはすでにお骨《こつ》になっていたが、弔いは座がしらの回復するのをまっていたのである。
佐七も辰や豆六をひきつれて出むいていったが、なにせ、ひょうばんの事件だから、竜泉寺はたいへんな人出だ。
「ちょっとみや、むこうにいるのが座がしらの梅枝だ。もう四十ちかいとしだというが、こうみたところが三十そこそこ。あの目つきのいろっぽいこと、たまらねえなあ」
「よせやい。いかに器量がよくっても、座がしらじゃとしをくいすぎてら。おら、やっぱりいま売りだしの小梅がいい。ああして、しょんぼりすわってるところなんざ。雨になやめる海棠《かいどう》ってふぜいだ。おっ、ありがてえ。小梅がおれのほうをみて、にっこり笑ったぜ」
「バカ野郎、おめえなんかが小梅に熱をあげるがらかい。おめえに似合いの女というのは、ほら、いた、いた、あそこにいる三枚目の花助よ」
「この野郎、いわせておけば……」
「おい、よせ、よせ。それだからおまえっちは、まだくちばしが黄色いというんだ。小梅はなるほどよい器量だが、あんなのをいろにして、なにおもしれえもんか。いろごとをするならあの三津江よ。みろ、あのもみあげのなげえところを。ありゃアいろぶけえ証拠よ。あんなのといちど寝てみろ、それこそ地位も身分もいらなくならア」
「ちぇっ、地位や身分がきいてあきれる。桶屋《おけや》の下職になんの地位があるんだよ」
場所がらもわきまえず、若いものがあつまって、わいわい品定めをしているところへ、
「ああ、もし、それでは二番めにすわっているのが、三津江という女でございますか。そして、あれもやっぱり女役者で……?」
と、なんとなく思いつめた口のききかたを、ふと小耳にはさんだ佐七が、なにげなくふりかえると、二十五、六の若いもの。
日焼けした顔といい、なりから、ものごしといい、たしかに薬の行商人である。
佐七はなんとなく、はっと胸をとどろかせたが、そのまま、さりげなく耳をすましてきいていると、
「そうよ、一座の書き出し、人気役者よ。もっとも、小梅がはいってからは、人気をさらわれて、以前ほどじゃなくなったが……?」
「そして、あの女もやっぱり、石見銀山をのまされたんで……」
「そうとも。あやうく命をひろったひとりだ」
「さようで……ございますか」
男はごくりとつばをのみ、ふしぎそうに首をかしげたが、そのまま無言で、あとは食いいるようなまなざしで、三津江の横顔を見つめている。
佐七は辰や豆六と顔見合わせた。
「辰、豆六、あの男から目をはなすな」
「おっと、がってん。親分、なにかいわくがありそうですぜ」
三人はそれとなく、男のようすに気をくばっていたが、そのうちにお弔いもすみ、やじうまも散ってしまうと、まもなく梅枝をはじめ一同が、ゾロゾロと寺から出てきた。
梅枝の一行は寺のまえからかごにのったが、ただひとり三津江だけが、ほかに用事があるのか、かごにものらずに歩いていく。
それをみると、さっきの男が、見えがくれにあとをつけはじめた。佐七と辰と豆六が、さらにそのあとをつけたことはいうまでもない。
こうして追いつ追われつ、三つどもえの尾行がしばらくつづけられたが、やがてせんとうの阪東三津江が、さしかかったのは大川端《おおかわばた》。
もうそのころは日も暮れかけて、ひろい大川の上には、すずめ色の黄昏《たそがれ》がひろがっていた。
と、このとき、あたりを見まわしていた男が、きゅうに足をはやめると、三津江に追いついてよびとめた。
佐七をはじめ辰と豆六は、少しはなれたものかげにたたずんで、ふたりのようすをながめている。
はじめのうち、三津江にはあいてがわからなかったらしいが、ふたことみこと、男がなにかささやくと、のけぞるばかりにおどろいて、バタバタと、すそをみだして逃げだした。
男はすぐに追いついて、うしろから三津江のたもとをがっきととらえる。
三津江がそれを、振りはなそうと、もがくはずみに、ビリビリと、たもとがさけて、男の手にのこった。
三津江は片そでになったまま、こけつまろびつ、大川端を逃げていく。男がまたうしろから追いすがって、こんどは三津江の髷《まげ》をつかんだ。
と、そのときである。
満面に朱をそそいで、きッとふりかえった三津江の右手に、なにやらきらりと光ったかと思うと、男はわっとさけんでその場にしりもちついた。
「ひ、人殺しだア!」
「しまった! それ、辰、豆六!」
佐七の声にバラバラと、ものかげからとびだした辰と豆六が、
「御用だッ、阪東三津江、神妙にしろ!」
もうひと突き、男を刺そうとしていた三津江は、それをきくと、ひらりと身をひるがえして、匕首《あいくち》を口に、ざんぶとばかり大川のなかへとびこんだ。
「ちえっ、手間をとらせるあまだ。豆六、男のほうはたのんだぜ」
くるくると帯をとくと、ふんどしいっぽんのあかはだか。辰が女のあとをおうて、川のなかへとびこむのを見送っておいて、佐七は男のそばへかけよった。
「これ、しっかりしなせえ。傷はあさいぞ」
じっさい、傷はあさかったのである。
さて、物語もここまでくるとおしまいである。
その男は繁造《しげぞう》といって、佐七がにらんだとおり、旅の薬売りだったが、十日ほどまえに、目黒の不動様のほとりで、道連れになったのが阪東三津江である。
三津江はその日、不動様へおまいりにいったのだが、道連れになった薬売りが、石見銀山を持っているときいて、れいのいろ仕掛けで、あやしげな茶屋へつれこんだ。
そのころの目黒不動の付近には、そういう男女の出会い茶屋が、たくさんあったものである。
さて、まえにもいったとおり、三津江は男にたいして、ふしぎな手をもっていた。
繁造はまた血気の若者。
ましてや、ここしばらく女房のもとをはなれて、旅から旅をつづけている身の、女の肉に飢えていた。
秋の西日のすすけた障子にカーッと明るい、薄ぎたない三流茶屋の奥座敷で、ふたりはまるで二匹のけだもののように、からみあって、うむことを知らなかった。
しかし、さすが頑健《がんけん》な繁造も、秘術をつくした三津江の技巧のまえには、かぶとを脱がざるをえなかった。
まもなくかれは、精も根もつきはてて、ヘトヘトになって、眠ってしまった。
そして、日が暮れて目がさめたときには、胴巻から商売ものの薬箱まで、いっさいがっさい、女に持っていかれていたのである。
「あっしだって、ただで遊ぼうたア思いません。あれだけ夢中にさせてもらったんだから、胴巻きの金のほうは、まくら代としてあきらめますが、困ったことには薬箱のなかには、商売ものの鑑札がはいっております。それがなけりゃア、こののち商売をつづけることもできません。そこで、なんとかして女をさがしだし、鑑札だけでも返してもらおうと、江戸じゅうをさがしまわっているうちに、耳にはさんだのが、湯島のしばいの大騒動です」
あの大騒動で下手人がもちいた薬を石見銀山ときいて、繁造はもしやと思った。
そういえば、あのときの女にも、女役者らしいところがあったと、そう気がついた繁造は、きょうのお弔いに一同があつまるときいて、そっとようすを見にきたのだが、はたしてそのなかから、あのときの女の、阪東三津江を発見したのである。
阪東三津江はせっぱつまって、川のなかへとびこんだものの、泳ぎを知らないから、アップアップしているところを、きんちゃくの辰に救いあげられた。
さすがあばずれの三津江も、繁造とつきあわされると、恐れいって白状せずにはいられなかった。
三津江は、ヤケになっていたのである。
小梅がはいってきてから、人気もしだいに落ちめである。
一座のものには借金借金で鼻つまみ。
そこへもってきて、こういう女にかぎって面食いなもので、彼女もかねてから、嵐芳三郎にぞっこんほれていたのだが、その芳三郎も、どうやら座がしらのものらしい。
と、そうかんちがいした三津江は、なにもかもおもしろくなかった。座がしらもにくけりゃ小梅もにくい。わずかの借金をたてにとって、いやみをならべる一座の連中もしゃくにさわる。
「そこで、みんなを道連れにして、いっそ死んでしまおうと思ったのでございます」
と、三津江はお白洲《しらす》で申し立てたが、それはうそで、湯飲みやどびんの茶をすてたところをみると、じぶんだけたすかっても、疑いがかからぬように、用心していたのである。
九人の女をころした石見銀山は、すしのなかにしこまれていたのではなかった。
三津江がどびんの中へほうりこみ、そして、みんながもがきはじめると、すきをみて、てばやくどびんや湯飲みのなかをゴミだめにあけ、すしのなかへこっそりと、のこりの石見銀山を、押しこんでおいたのである。
近江屋のお品は、子どもごころのひとすじに、三津江をころしてしまおうと、石見銀山を買ったものの、さすがにそれをつかう勇気はなく、あの日はただ、三津江という女を見とどけにいったのだという話で、井筒屋で買った石見銀山は、まだ手つかずで持っていた。
九人の女をころした三津江は、むろん重罪で、引きまわしのうえ獄門。これじゃ大川へとびこんだまま死んだほうが、どれだけましだったかしれないだろう。
近江屋の万之助も、あいてがこんな恐ろしい女とわかれば、目がさめずにはいられない。
以来、ふっつり心をいれかえ、ばくちとも縁をきり、稼業《かぎょう》にはげんだということだから、かたむきかけた近江屋の身代も、もちなおしたことだろう。
いっぽう、梅枝と勘十郎、小梅と芳三郎は、思いがかなって、まもなく二組みの夫婦ができあがったが、これでいよいよ、湯島名物女役者のしばいも、むかしの夢と消えてしまった。
しかし、これはむしろ、めでたい結末だったろう。
双葉《ふたば》将棋
ヘボ将棋|兄哥賭《あにいか》け
――兄哥分になったうらなりの豆六
「待った、待った。そういう手があろうとは知らなかった。ちょ、ちょっと待ってくれ」
「そら、いかん。ここが性根ん場や。そないなんべんも待ってたまりますかいな」
「あれ、へんなことをいやがる。そういうと、いかにもたびたび待ったをしてるように聞こえるじゃないか。そんな没義道《もぎどう》なことをいわずに……」
「投義道でもなんでもよろしおます。あんたも妙なことをおっしゃいますな。たびたび待ったしてるように聞こえるやないか? あほらしい。あんた、なんべん待ったしたかおぼえてはりますか」
「たった七へんだよ」
「たった七へん――? 兄哥《あにい》、あんたもよう考えてみなはれや。たった七へんやなんてえろう心安そうにおっしゃるけれど、こんな将棋に七へんも待ったするひとがどこにおますかいな。まあ、お断わりしまっさ」
「それじゃ、これほど頼んでも」
「くどいがな、はよゆきなはれ」
「ようし、いやならよせ。もう頼まねえ。おう、豆六。てめえ、このあいだのことはおぼえているだろうな」
「このあいだのことてなんやねん」
「しらばくれるない。このあいだ浅草の並み木で、奈良|茶飯《ちゃめし》を食いたいといやがったろう。そこでおれが食わせてやった。勘定がしめて三十二文よ。豆六、忘れやしめえな」
たいへんな将棋もあったもので、神田お玉が池の佐七の家では、いましも佐七のるす中を、辰と豆六が将棋に夢中だ。なにしろ、待った待たぬの口論から、浅草の奈良茶飯までとびだそうというのだから、もって辰五郎の退勢察すべし。
さっきからむこうで繕いものをしていたお粂も、これにはプッと吹きだして、
「おやおや、とんだことになったねえ。辰つぁんも、そんなさもしいことはいわぬがいい」
「だって、あねさん。この野郎、あんまりひどいじゃありませんか。奈良茶飯ばかりじゃありませんぜ。せんにも駒形《こまがた》で、どじょうをおごってやった。いつだってこいつは、じぶんで勘定を払ったためしなんかねえんです。それだのに、たった一手が待てねえなんて、こんな不人情なやつはめったにねえ」
「うだうだいわんと、はよやりなはれ。将棋は将棋、茶飯は茶飯や。なあ、あねさん」
形勢有利の豆六は、なにをいわれてもおこらない。長い顔をいよいよながくして納まっている。
お粂はおもしろそうに笑いながら将棋盤をのぞきこんだが、たちまちプッと吹きだした。このお粂はもと吉原《よしわら》で全盛をうたわれた女だから、琴棋《きんき》、書画、なんでもひととおりは心得ている。
「辰つぁん、おまえさんの困ってるのはその金打ちかえ」
「へえ、こういうところに。金打ちがあろうとは、さすがのおれも気がつかなかった。ウーム」
「バカだね、そこはおまえさんの角筋じゃないか。その金ならただだよ」
「あっ、そうだ、しめた!」
いうよりはやく角で金を払ったから、おどろいたのは豆六だ。
「うわっ、わ、わ、わ、わ! 兄哥、ちょ、ちょ、ちょっと待っておくれやす。そこはあんたの角筋やったんかいな」
「あたりまえよ。ざまア見ろ」
「しもた。ついうっかりしてた。兄哥、とにかくその金打ちは待ってもらいまっさ」
「おや、えろう心安うおっしゃいましたね。豆六さん、こんな将棋にそうなんべんも、待ったしてたまりますかいな」
「そんなこといわんと、後生や、もういっぺんだけ」
「あきまへん。お断わりしまっさ。さあ、これでせいせいした。あねさん、すみませんが、そのタバコ入れを取ってくださいな」
辰五郎はいい気になってタバコを吹かしている。豆六はウーム、ウームとうなっていたが、やがて、うらめしそうにお粂のほうへむきなおると、
「あねさん、ちょっとここへ来ておくれやす」
「はいはい、豆六さん、なんだえ」
「あねさん、あんたこの将棋盤の足が、くちなしにかたどってあるわけを知ってはりますか。これはな、口なしちゅうて、助言の戒めになってまんねんぜ。それから、この盤の裏にくってある穴は、首穴ちゅうて長さが二寸五分、幅が二寸、深さが一寸、これは助言したやつの、首を切ってのせるところや。あねさん、それをご存じだっか」
角筋へ金を打ってすましているような腕まえでも、いうことだけは知っている。お粂はおかしさをこらえながら、
「豆さん、すまなかったねえ。だけど、あまりバカバカしいじゃないか。角筋に金を打って、待った待たぬと大騒動。ひとが見たら笑うよ」
「わろうたてかまへん。どうせあいてはヘボや。あんたがいらんこといわなんだら、勝っとったんやおまへんか」
豆六が青筋たててムキになるのもむりはない。
この一番に勝てば、むこうひとつき、兄哥になるという約束なのである。日ごろから辰にいばりちらされている豆六は、なんでもこの将棋に勝って、兄哥の株を奪おうとばかり、さてこそ血眼になっているのだ。
いまの金打ちはあきらかに失敗だったが、しかし、この将棋はだれが見ても辰に勝ちみはなかった。
それからしばらく口ぎたなくののしりながら、攻めつ攻められつしていたが、とうとう敵の王様を、雪隠詰《せっちんづ》めにとどめをさすと、豆六はおどりあがって、
「さあ、どうや、どうや。約束どおり、きょうからわてが兄哥やで」
と、有頂天になってよろこんだが、おりから、そこへかえってきたのが人形佐七だ。だれか連れがあるらしく、
「さあ、どうぞ、きたないところですがおはいりくださいまし。辰、豆六、はやくその将棋をかたづけてしまわねえか。笑われるぜ」
「へえ、親分、おかえりなさいまし」
「親分、おかえりやす。辰、親分があないおっしゃる。はよ将棋をかたづけんか。そしてお客さまやがな。さっさと座ぶとん出さんかい。気のきかんやつやな」
豆六はいい気になって、さっそく兄哥風を吹かしている。佐七は目をまるくして、
「おや、豆六、てめえ豪気に威勢がいいが、どうかしたのか」
「えへっへっへ、親分、ここ当分、わてが兄哥分や。どうぞよろしゅうお願いしまっさ。それ、辰、なにをまごまごしてけつかる。はよ、お客さまをご案内せんかい」
「ちょっ、いまいましい」
辰はつらをふくらしたが、約束だからしかたがない。そこらをざっとかたづけると、表へむかって、
「さあ、どうぞこちらへおはいりくださいまし」
御曹子《おんぞうし》誉れの手合わせ
――印哲がきのうの朝かどわかされて
はいってきたのは、としのころは三十二、三か、じみな着つけはしているが、そうとう大家のお内儀といったからだかっこう、ぜんたいに険のある顔つきだが、目鼻だちのととのった、まずはいいきりょうの女である。
「辰、豆六。こちらはな、お城将棋のお家元、大橋宗哲さんのお内儀で、お才さまとおっしゃるのだ。ええ、お才さま、遠慮のねえうちですから、なんでもおっしゃってくださいまし」
「はい、だしぬけに押しかけてまいって、失礼とは思いましたが、あまり心配でございますから……」
と、お才は苦労ありげに青いまゆねをくもらせると、ひくひくほおをふるわせて、
「おまえさんがたは、うちのせがれの印哲と、宗達《そうたつ》さんのご子息|宗銀《そうぎん》さんとの、十五番将棋のことは、ご存じでございましょうねえ」
と、かさにかかった口のききかたで、ずらりと一座を見渡したが、それをきくと三人は、おもわず顔を見合わせた。
それもそのはず、宗銀対印哲の十五番将棋は、いま江戸じゅうの評判である。
「へえ、そのことならよく存じております。うわさに聞けば印哲さんはえらいおてがらで、すでに十番のうち七番までお勝ちとやら」
「はい、あと一番勝てば、この勝負は、うちのせがれ印哲のものときまります。しかも、その十一番めの手合わせが、きのう行なわれることになっておりました」
「なるほど。そして、その結果は……?」
「いえ、それがにわかにさしつかえがあって、手合わせはお流れになりました」
「して、そのさしつかえと申しますのは?」
「はい、印哲がかどわかされたのでございます。行くえがわからなくなったのでございます」
と、お才はことばをふるわせると、いかにもくやしそうに歯ぎしりする。
「へえ、かどわかされたと申しますと……? いったいだれに……?」
「それがわかっているくらいなら、こうしてお願いにはあがりません。でも、見当はついております。この一番に負けたがさいご、宗達さんは世間に顔向けがなりません。そこで、ひきょうにもうちのせがれをかどわかして……はい、それにきまっております」
と、お才はしだいに神経をたかぶらせて、バリバリとそで口をかみさいている。
少しはしたないしわざだが、むすこを思う母としては、これぐらい心配するのが当然だろう。それにしても、いまお才の口走ったのが事実とすれば、これは容易ならぬ一大事だった。
そもそも、徳川幕府に将棋所がおかれたのは、慶長十二年のことで、初代大橋|宗桂《そうけい》がその司《つかさ》となった。
爾来《じらい》、大橋家は代々将棋の家元として、寺社奉行の支配に属し、五十石二人|扶持《ぶち》をたまわっていたが、のちにこの大橋家が宗家と分家の二派にわかれると、べつに伊藤家《いとうけ》というのがおこって、いまではこの三家が、将棋の家元として覇《は》をあらそっている。
現在の大橋宗家の当主というのは宗達といって、これは大橋分家の先代宗算の弟子《でし》だった。
宗算は棋界中興の祖とまでいわれた名人で、よい弟子もたくさん持っていたが、そのなかでもいちばんすぐれていたのがこの宗達。
宗算はかねがね、この宗達を後継者と目していたが、宗家のほうによい後継者がないところから、これを養子にやって、じぶんのほうにはそのおとうと弟子の宗哲というのをむかえて、これを娘のお才とめあわせたのである。
されば、宗達と宗哲とは、血こそつづいていないが親類筋となり、また幼いときから宗算にやしなわれた兄弟弟子でありながら、どういうものかふたりは、日ごろから仲がよくなかった。
これはふたりの体質と気風からきている。ともに現在、四十前後の男盛りだが、宗達のほうが体格もよく、風采《ふうさい》もすぐれているのにはんして、宗哲のほうはとかく病身で風采もあがらない。
棋風もそれと同様で、宗達のほうが万事|鷹揚《おうよう》で、ゆったりとしているのにはんして、宗哲のほうは白刃ひらめくような鋭さがあった。
宗達のほうではべつになんとも思っていないのだろうが、宗哲のほうでは、あいてを倒そうという意気込みがものすごく、だからふたりの手合わせとなると、盤面に殺気がみなぎるといわれている。
それでいて宗哲は、宗達にたいして三番に一番の勝ちみしかなかった。
こうして、ふたりのあいだに、血で血をあらう争いがつづけられていたが、そこへはじまったのが、むすこどうしのこんどの手合わせだ。
宗達には宗銀というせがれがあって、これがことし十五歳、宗哲には印哲という一粒だねのむすこがあって、これは当年とって十三歳、さすがに家元のせがれだけあって、ともに鬼才のほまれたかかったが、ひとつこのふたりに、手合わせをさせてみたらということになって、はじまったのがこんどの十五番将棋。
きもいりは寺社奉行|井上河内守《いのうえかわちのかみ》で、そのお屋敷でふたりがはじめて盤上に争ったのが、先々月のはじめである。
ところが、どういうものか宗銀は、印哲にむかうと歩《ぶ》がわるく、はじめ三番たてつづけに負かされた。
その後はともかく持ち直して、三番勝ちつづけたが、それからのち、また四番負けつづけで、もう一番ここで負けると、この十五番将棋におくれをとらねばならぬという、絶体絶命のところまで追いこまれた。
「きのうの一番とて、印哲の勝ちにきまっております。それですから、宗達さんがむすこをかどわかしたにちがいございません」
お才は声をふるわせた。
聞いてみると、印哲がかどわかされた前後の事情というのはこうである。
こんどの手合わせではさしかけをゆるされないから、いつも朝の六ツごろ(六時)からさしはじめて、その日のうちにさしおわる。
井上河内守様のお屋敷は丸の内にあるから、そこへ朝の六ツまでに出頭しなければならぬとすると、駿河台《するがだい》に屋敷のある印哲は、おそくとも七ツ半(五時)には家を出なけれはならなかった。
季節は十月のなかば、いまの暦でいえば十一月中旬のこと。おいおい、日の短くなってきたきょうこのごろでは、七ツ半といえばまだ薄暗い。おまけに、ときをまちがえたとみえて、印哲がかごで家をでたのは、まだまっくらなじぶんだった。
お供は、弟子の金哲と、ぞうり取りの五平のふたり。これがかごにしたがって、神田橋から常盤橋《ときわばし》までさしかかったときである。
濠端《ほりばた》のやみの中から、バラバラとあらわれた数名のくせ者が、金哲と五平をその場になぐりたおしておいて、かごのなかから印哲をひきずり出し、いずこともなくかつぎ去ってしまったというのである。
「主人は、あいにく、だいじな手合わせがあって、ほかで徹夜をしておりましたが、かごかきの注進をきくと、さっそく弟子たちがかけつけました。しかし、濠端には金哲と五平が気を失っているばかり、かごのなかはもぬけのからでございます」
興奮したお才は、まゆねをふるわせながら、
「印哲は父に似てひよわな子ども、ましてやこんどの将棋で、からだも弱っておりますし、もしあやまちでもあってはと思うと、居ても立ってもおられません」
お才が気をもむのもむりではなかった。
盤上の詰め将棋
――佐七はさらさらとそれを写した
「辰、豆六、いまの話をどう思う」
「へえ、これはやっぱりあのお内儀がうたがっているとおり、宗達のしわざにちがいありませんぜ」
「そやそや、これが印哲のほうが年上ちゅうのならともかく、あいてのほうが年下や、宗銀としても面目ないし、おやじとしてもがまんができまへんわ。そこで印哲をかどわかしよったにちがいおまへん」
佐七はしばらく考えていたが、
「よし、それじゃ、てめえたちは宗達の屋敷をさぐってみろ。宗達の屋敷を知っているか」
「へえ、たしか弓町だと思いましたが……そして、親分、おまえさんはどうなさるので」
「おれか。おれは宗哲のところへ行ってみる。お内儀の話ばかりじゃわからねえ。いちど、金哲と五平の話をきいてみようよ」
お才がかえってからまもなくのこと、こうして手はずをととのえた人形佐七は辰と、豆六を出してやると、じぶんはひとりで駿河台へ足をむけた。
扶持《ふち》は少なくともそこは将棋の家元だ。ひいきの諸侯や旗本《はたもと》からつけとどけも多く、屋敷などもかなりの構えだ。表を通ると、いかさま変事のあった家らしく、人の出入りもあわただしい。
佐七はしばらくそのへんをうろついていたが、やがて内玄関からはいっていった。案内を請うと、すぐさきほどのお才が出てきて、
「親分さん、よくおいでくださいました。主人もいろいろ心配して、さきほど出かけていきました」
「それはご心配なことで。じつは、いちど金哲さんや五平さんに会いたいと思ってまいったのですが……」
「それなればちょうどさいわい、ふたりともいるはずでございますから、どうぞお上がりくださいまし」
通されたのはりっぱな座敷。お才はちょっと用事があるからと姿をけしたが、それといれちがいにはいってきたのが金哲と五平。
金哲というのは年ごろ二十二、三の虚弱そうな若者だが、それにはんして五平というのは、ごま塩頭をしたあから顔の大男で、年は五十ぐらいだろうが、どこかゆだんのならぬ目つきをしている。
ふたりともきのうのけがで、頭や手足をぐるぐるまいて、すっかりしょげきっているようすだったが、それでも問われるままに、かわるがわる、きのうの朝の一件をかたって聞かせた。
「なるほど、常盤橋のそばまでくると、だしぬけにくせ者がとびだしたのですね。そして、その人相というのを、おぼえちゃいませんかえ」
「それがなにしろ、あいてはおもてを包んでおりましたし、いきなりちょうちんをたたきおとされて、まっくらがりで」
「そうそう、そういえば、きのうはときをまちがえて、いつもよりはやく、お屋敷を出たそうですね。いったい、どれくらいはやく出たのですかえ」
「さあ、はっきりとしたことはわかりませんが、あの暗さでは七ツ(四時)ごろではなかったかと思います」
「すると、いつもより半とき(一時間)も早かったわけですね。なんだってまた、そんなまちがいをしたものだろう」
「さあ――災難のおこるときはしようがないもので」
わかい金哲は、ほっとため息をついた。
「ほんにそうですね。ときに印哲さんだが、おまえさんたちがくせ者と争っているうち、印哲さんはどうしていたろう。かご屋はすぐに逃げだしたということだが」
「さあ――じぶんのことで夢中で、いっこう気もつきませんでしたが、印哲さんはかごのなかで、じっとしていたようでございます。おおかたこわくて、ふるえていたのでございましょう」
「いや、それはちがいます」
いままで無言のままひかえていた五平は、そのとき、にわかにひざをすすめると、
「あっしはたしかにおぼえておりますが、かごかきが逃げだしたあとで、若だんなもおどろいて、かごから首をお出しになりました。そこをふたりのやつがおどりかかって、むりやりにさるぐつわをはめてしまったので。そのとき若だんなは、五平、五平とおっしゃいましたが……」
と、五平は目をしばたたいた。
「いや、よくわかりました。それでは、きょうはこのくらいで……恐れ入りますが、おかみさんをちょっと」
金哲と五平が立ち去ると、まもなくお才がはいってきた。
「親分さん、なにかわかりましたか」
「いえ、そこまではまいりません。ときに、お才さま、印哲さんのおへやを見せてもらえませんか」
お才はけげんそうな表情をしていたが、それでも立って案内した。
印哲のへやというのは、渡り廊下でおもやとつづいた離れの六畳と四畳半。将棋界の鬼才とはいえ、そこはまだ十三の子どもだ、へやのなかには、こまだの、まりだの、子どもらしいおもちゃがほうりだしてある。
「いまにもあの子がかえってきはしないかと、出ていったときのままにしてございます」
お才はそれをみると、もう涙だった。
みればなるほど、将棋盤のうえには駒《こま》が五つ六つ、並べたままになっている。
そのそばには手文庫が開いたままになっていて、なかに巻き紙の切れはしが五、六枚、しわくちゃのまま押し込んである。いずれも詰め将棋の新題らしく、縦横にひいた罫《けい》のなかに、王だの金だのが書き込んである。
「あの子は詰め将棋の題を考えるのが好きで、ひまさえあればやっておりました」
「なるほど、それじゃこの盤のうえのも……」
と、佐七は将棋盤のうえに目をやったが、はてな、と小首をかしげると、腰から矢立てを取りだして、さらさらとそれを写しはじめたから、これにはお才もおどろいた。
「親分さん、その詰め将棋になにか……」
「いえ、そういうわけじゃありませんが、うちには将棋きちがいがふたりおりますから、みやげに持ってかえってやりますのさ」
と、お才が妙なかおをしているのもかまわず、棋譜を写しとった。
佐七はそれを写しおわると、こんどは駒台のうえにあるつげの駒を調べてみたが、どうしたものか桂《けい》がいちまい足りない。佐七ははてなと小首をかしげた。
何を祈るか宗銀
――あっ、このたずね人は命があぶない
さて、こちらは辰と豆六だ。
豆六はきょうから当分、兄哥だと思うと、うれしくてたまらない。さんざいばり散らしながら、やってきたのは弓町の宗達の屋敷。さすがに宗家だけあって、これはまた宗哲の屋敷とくらべると、いちだんとりっぱな構えである。
ふたりはしばらく、そのへんをうろついていたが、表から見ただけでは、内部のようすはわからない。
「おい、辰や」
と、豆六はそっくり返って、
「いつまで、こんなとこ、うろついてても、きりがない。さいわい、あすこに居酒屋があるさかい、あすこへちょっとはいろやないか」
「へえ、兄哥、ごちそうさま」
「あれ……?」
「だって、おごってくれるんでしょう。弟分に勘定させるような、けちな兄哥はねえからな。へっへっへ」
「わっ、しもた」
と、豆六はぎっくりしたが、しかたがない。
「ええわ、ええわ。清水の舞台からとびおりた気になっておごったろ。さあ、辰、来いや」
たいへんなことになったもので、居酒屋をおごるのに、清水の舞台から、とびおりた気になるというのだから、うなぎ屋でもねだったら、おおかたさいふをおさえて目をまわすだろう。
豆六は酒とさかなをあつらえると、
「さあ、飲みや、遠慮することあらへんぜ。わてがおごったんねんやぜ。心配せんとじゃんじゃん飲みや」
あいにく、ほかに客がいないのが残念だが、その埋め合わせをおやじでつけるつもりか、豆六はきこえよがしにいばっている。
「へっへっへ、兄哥、ごちそうさま。ひとさまのふところだと思うといっそううまい。とっつぁん、そのたこをくんねえな」
「あれ、おまえ、まだ食うのんかいな」
「食わなくってさ。とっつぁん、そこにあるのはかにかえ。ついでにそいつもくんねえな。それから、ちょうしのおかわりを頼むぜ。兄哥、うまいなあ。へっへっへ」
辰はすっかり上きげんだが、豆六はいちいちやせる思いである。こんなことなら兄哥になるんじゃなかったと、いまさらくやんでも追いつかない。ふしょうぶしょうに杯を干していたが、
「辰、もうええかげんに出ようか」
「兄哥、まだ早いよ、やっとちょうしを三本倒しただけじゃありませんか。まあ、そうけちけちしねえで、おごっておくんなさいよ」
「あほらしい、だれがけちけちするもんかいな。そやけど、あんまり酔うたら御用にさしつかえるやないか。あっ、ちょっと、辰、あれみい」
なわのれんごしに外をみると、いましも宗達の屋敷から出てきた人物。年のころは四十前後か、やせこけて目ばかりぎょろぎょろ大きいのが、なんに興奮したのか、額にあお筋立てて、すたすたと居酒屋のまえを通りすぎた。なりをみると、てっきり将棋さしである。
「おっさん、おっさん、いまここを通ったんが、将棋の家元の宗達かいな」
「いえ、あれは家元は家元でも、宗達さんではございません。駿河台の宗哲さんでございます」
それをきいて、辰と豆六は顔見合わせた。宗哲のたずねてきた理由はわかっている。おおかた印哲のことで掛け合いにきたのだろう。
「とっつぁん、聞けば、なんでもちかごろ、宗達さんと宗哲さんとは、むすこのことでもめているというじゃないか」
「へえ、宗銀さんもおきのどくで、むこうが年下のうえに病身で、さぞさしづらいことでしょう」
さすが近所だけあって、おやじは宗銀のひいきらしかった。
「うむ。しかし、その年下のからだの弱いやつに負けるというのは、宗銀もだらしがねえじゃねえか」
「そんなことはございません。病身といっても、ふつうの病身ならともかく、このあいだも手合わせのさいちゅうに、血を吐いたと申すこと。宗銀さんの気性として、そんなみじめなざまをみちゃ、痛ましくて、まじめにさせないのもむりじゃございますまい」
おやじはあくまで宗銀びいきで、このうえさからったら、水でもぶっかけそうな顔つきだ。
「へえ、印哲が血を吐いた? かわいそうに、そんな思いまでさせて、ささせえでもよさそうなもんや」
「そうですよ。それというのも宗哲がわるいので、あのひとは意地になっているんです。勝負が三番と四番で、宗銀さんが一番の負け越しになったとき、宗達さんは、むすこの負けでいいから、この将棋は七番で打ち切ろうと申し込んだのだそうです。それを宗哲はどうしてもきかないで、約束どおり、十五番ささせようとがんばっているということで」
と、おやじはまだ、印哲のかどわかし事件は知らないらしかった。
「うむ。すると、宗達さんというのは、なかなか物わかりのいいひとなんだね」
「そうですとも。それはそれはさばけただんなで、将棋のほうはべつですが、日ごろはお弟子にもずいぶんやさしいそうです。それにまた、奥さんがよくできたひとで、だから、むすこの宗銀さんというのも、それは気だてのよいお子です。おっと、うわさをすれば影とやら、あそこへ宗銀さんが出てきました。どうです。あれだから、近所のあまっ子が大騒ぎをするのもむりはありませんや」
なるほど、そのとき、宗達の屋敷から出てきたひとりの少年、みればまだ前髪の、長い振りそでを着て、とき色のはかまをはいたところは、とんと七段めの力弥《りきや》のよう、水のたれそうなうつくしさだ。
血色のいい、下ぶくれのほおは、笑えばえくぼも出るだろう。
しかし、いまはなんとなく、そのほおも憂色につつまれている。
宗銀は、三人が見ているとも知らず、うつむきがちにすたすたと、居酒屋のまえを通りすぎた。
あとを見送って辰と豆六、すばやく目と目を見かわすと、
「おっさん、おおきにごっつぉはん、勘定はここへおいとくぜ」
と、いそいでそこをとびだすと、見えがくれに宗銀のあとを追いはじめた。
そんなこととはもとより知らぬ宗銀が、足を早めてやって来たのは、そのころ木挽町《こびきちょう》でよくはやったお玉|稲荷《いなり》。宗銀はその拝殿にぬかずくと、なにやら祈念をこらしていたが、やがて境内にある易者を見ると、ふらふらと、そのほうへちかよっていった。
「あの、ちょっと見てもらいたいのでございますが……」
「はいはい、あいしょうでございますかな。それともうせ物《もの》、尋ね人で……?」
「はい、尋ね人でございます。としは十三歳の男です」
「男?」
易者はちょっと、あてがはずれた顔つきだったが、やがて、しかめつめらしく算木《さんぎ》をならべると、
「十三歳といえば、辰年《たつどし》ですなあ。あっ、これはいけない」
「いけないと申しますと?」
「この尋ね人は命があぶない。いや、ひょっとすると、すでにこの世のものでないかもしれん」
宗銀はそれを聞くとまっさおになって、みるみる涙ぐんできたから、うしろのほうでようすを見ていた辰と豆六、思わず顔を見合わせた。
むせび泣く宗哲
――なぜ七番で打ち切りにしなかった
当たるも八卦《はっけ》、当たらぬも八卦というが、お玉稲荷の易者の八卦は、あまりにもうまく的中した。
その翌朝のことである。
お玉が池の佐七の家を、あわただしくたたくものがあるから、お粂がなにごとだろうと格子《こうし》をひらくと、ころげるようにはいってきたのは金哲だった。
「親分さんはまだおやすみでございますか。た、たいへんでございます。たいへんでございます」
「おお、そういう声は金哲さんじゃないか。なにか、かわったことが起こりましたか」
佐七も声をききつけて、帯をしめなおしながら出てくると、
「おお、親分さん、はやくきてください。印哲さんが殺されて……印哲さんが殺されて……」
「なに? 印哲さんが殺されたと? 金哲さん、まあ、そうせきこんでは話がわからない。いったい、どうしたというんです」
「はい、親分さん、お聞きくださいまし。かようでございます」
けさ早くのことである。いつもいちばんに起きる五平が、そうじをしようと、門をあけると、そこに大きなつづらがおいてある。五平はおどろいて、そのつづらのふたをとったが……。
「すると、なかに印哲さんが……」
と、気のよわい金哲、思いだすのも恐ろしそうに、鬢《びん》の毛をふるわせている。二階でこの話を聞いていた辰と豆六も、おどろいて降りてきた。
「親分、たいへんなことになりましたな」
「おお、辰も豆六もきいていたか。すぐ出かけるから、したくをしろ。金哲さん、いっしょにまいりますから、少々お待ちくださいまし」
三人はおおいそぎで飯を食ってしまうと、金哲をさきにたてて家をとびだした。みちみち佐七は、なおもくわしい話を金哲から聞きとっていたが、ふと思いだしたように、
「ときに、金哲さん、お屋敷におもとさんというひとがおりますか」
と尋ねた。
金哲はふしぎそうに、
「おもとさん――? いいえ、そういうひとはおりません。女中は三人おりますが。お吉にお村にお留というんです」
「せんにいた女中かばあやに、そういう名まえの女はおりませんでしたかえ」
「さあ、わたしが師匠の家へ住み込んだのは、三年まえのことですが、そういう名まえは、いっこう聞いたことがありません」
「お屋敷ではだれがいちばん古いのです」
「お吉さんでございましょう。足掛け七年になると申しますから。それから、女中ではありませんが、あの五平というじいさんはもっと古く、なんでも、ご先代のころから奉公しているということでございます」
「ご先代といえば、お才さんのじつの親ごの、宗算さんのことですね」
「はい、さようで」
佐七はなにか胸のうちで思案をしているもようだったが、そのうちに一同は駿河台へついた。なにしろ、だいじなせがれが殺されて、つづら詰めになってかえってきたというのだから、宗哲の家は上を下への大騒動。お才は佐七の顔を見るなり、うわずった目をひきつらせ、
「親分さん。くやしゅうございます。むすこのかたきを――むすこのかたきを討ってくださいまし」
と、わっとばかりに泣きだした。
「ごもっともでございます。さぞご無念でございましょう。いずれかたきはお上でとってくださるでしょうが、ともかく、印哲さんのなきがらを見せていただきましょうか」
むせび泣くお才のあとについて、きのうの奥座敷へとおると、印哲のなきがらは北まくらにねかされて、まくらもとに線香の煙がたゆとうているのもわびしい。そばには父の宗哲が、黙然として腕組みをしている。やせて不健康なほおが、いっそうあおざめて、ひとみばかりきらきら血走っていた。
「これはだんなさまでございますか。このたびはとんだことでございました」
「おお、おまえさんがお玉が池の親分さんか。いろいろとおぞうさになります」
「どういたしまして。それでは失礼でございますが、ちょっと、おなきがらを調べさせていただきます」
死骸のそばへにじりよって、白布をとると、印哲は眠るように目を閉じていた。早熟児によく見るように、年よりはませてみえたが、なんといってもまだ十三である。におうような前髪に、色白の小さな顔だちは、触れればそのまま解けてしまいそう。ちんまりした目鼻だちのかわいさは、父にも母にも似ぬ美少年だった。
佐七はしばしうっとりと、その死に顔をながめていたが、やがて胸をくつろげて、傷口をあらためる。宗哲は見るにたえぬように、顔をそむけて立ち上がったが、母のお才はまじろぎもせずに、佐七のようすを見守っている。
なるほど、胸には鋭利なひと突き、しかし、そのわりには出血が少なかったらしく、はだにつけたものもよごれてはいなかった。
「この傷口は、お屋敷でおふきになったのでございますか」
「いいえ」
お才は涙に目をうるませながら、小声でこたえた。
「すると、下手人がふいたとみえますね。さすがに気がとがめたのでございましょう」
佐七はなお念入りに傷口をあらためていたが、やがて、胸をかくすと白布をかけ、
「いや、ありがとうございました。いずれご検視があると思いますから、これはこのままにしておいたほうがよろしゅうございましょう。そして、つづらは?」
「つづらならこちらにあります。案内しましょう」
縁側に立っていた宗哲が、みずからさきに立って案内したのは、渡り廊下のむこうの離れ座敷、いまはなき印哲のへやだった。見ると、座敷はきれいにとりかたづけられ、大きなつづらがただひとつ、ふたをとったままおいてある。
佐七は、子細にそのつづらをあらためたが、べつに変わったところも見当たらない。下手人はよほど用心したとみえて、つづらのなかには血もついていなかった。
「いや、どうもありがとうございました」
「親分、なにかあたりがつきましたか」
「さあ、ついたといえばついたような、つかぬといえばつかぬような――ともかく、もうひと詮議《せんぎ》しなければなりません」
「親分、どうか、あれのかたきを討ってください。あれはわたしにとってはひと粒だねのせがれ、ゆくすえ見込みのあるやつと、楽しみにしておりましたのに、こんなことになって、わたしははらわたをひきちぎられるような心持ちでございます」
いままでこらえていたのだろう、宗哲はそういうと、たぎりたつように涙をおとした。佐七はじっとその顔を見守りながら、
「いや、ごもっともでございます。ご心中お察し申します。あっしもおよばずながら働いてみますが、こうなったら、だんなもつつみかくしなしに、おっしゃってくださらなきゃいけません」
「それはなんでも申しますが、して、お尋ねになりたいというのは……?」
「まず、あの十五番将棋のことですがねえ」
と、佐七はひざをすすめて、
「あの将棋では、印哲さんもむりをして、ずいぶんからだをおいためになったということですね」
「はい、そのことについては、わたしも心を痛めておりました。元来がじょうぶな子でもありませんから」
「それならば、なぜ、むこうから打ち切りにしようと申し込んできたとき、ご承諾なさらなかったのでございますかえ」
「むこうから打ち切りに……?」
「はい、七番さしおわって印哲さんが、一番勝ち越したとき、むこうから打ち切りにしようと、いってきたそうじゃありませんか」
「うそです。だれがそんなことをいったかしらないけれど、まっかなうそです。こちらこそ打ち切りにしたいと思っていたけれど、なにしろ勝ち越していることゆえ、そうもいえず、なんとか印哲が負け越してくれればいいと、そればかり……むこうから打ち切りを申し込んできたなど、それこそまっかないつわり。それはきっと宗達どのが、世間を瞞着《まんちゃく》するためにいいふらしているにちがいない」
宗達――ということばを口にだすとき、宗哲のおもてにへびのように、執念深い色があらわれたのを、佐七の鋭い目は見のがさなかった。
印哲の乳母《うば》おもと
――おもとさんいるかえと宗銀が
「ところで、親分、これからどないしまんねん」
宗哲の屋敷で、昼飯を食っていけというのを、むりにふりきってそとへ出た人形佐七が、辰と豆六をひきつれて、神田川のひさご屋といううなぎ屋で、てっとりばやく飯をすましたのが九ツ半(一時)、
「そうよなあ。だいたいの当たりはついているのだが、さて、これからの段どりだ。こうっと」
と、佐七はしばらく腕をこまぬいて考えていたが、やがてハタとひざをたたくと、ふところから取り出したのは、きのう印哲のへやで写しとった詰め将棋。これを辰と豆六にわたすと、
「おまえたちはこれから弓町へいって、この詰め将棋の題を、そっと宗銀にわたしてくれ。ひとめについちゃいけねえぜ。だれも見ていないところでわたすんだ。印哲さんから頼まれたといえばいい」
「へえ」
と、辰はふしぎそうに、
「それにしても、親分、この詰め将棋はいったいなんです。これじゃ詰みっこありませんぜ」
「なんでもいいから渡せばいい。これを見ると、宗銀はきっとどこかへ出かけるにちがいねえから、そうしたらおまえたち、そのあとを見えがくれにつけていくんだ。けっして見失っちゃいけねえぜ」
「おっと、がってんや。そして、親分は?」
「おれはここで会う男がある。いずれそのあとで、おまえたちと落ち合うことになるかもしれねえが、けっしてぬかるなよ」
「おっと、承知。それじゃ豆――じゃなかった、兄哥、お供しましょう」
「よしよし、辰、ついてこい」
と、豆六をさきにたてて辰が出ていったあと、待つまほどなく、やってきたのは金哲である。
「おお、金哲さん、ご苦労、ご苦労。して、頼んだことはどうでしたん」
「はい、お吉に尋ねてみましたら、おもとさんというのは印哲さんのお乳母《んば》さんで、七年ほどまえまで、お屋敷につとめてたそうです」
「うむ、それじゃやっぱり……そして、そのおもとというのは、いまどこにいるんです」
「なんでも、本所の回向院裏に住んでいるということですが、お吉もくわしいことは知らないそうです」
「いや、ようがす。回向院裏とわかれば、なんとか捜しだせるでしょう。ときに金哲さん、おまえさんこのことは、お吉にかたく口止めをしてくれたろうね」
「はい、あの、それが……お吉には口止めをしておきましたが、ふたりが話をしているところを、どうやら五平にきかれたようすで……」
「なに、あの五平に?」
佐七は、はっとしたようすだった。
「あの、いけなかったでしょうか」
「うむ。まあいいや、きかれたものならしかたがねえ。そのかわり、金哲さん、おまえこれからお屋敷へかえったら、なんとか口実をこしらえて、五平を晩まで外へ出さねえようにしてくれ。いいかえ」
「はい、承知いたしました」
金哲はなんとなく不安そうな面持ちだった。
「それからな、金哲さん、もうひとつ、おまえさんにききたいことがある」
「はい、なんでございましょう」
「ほかでもねえが、おととい印哲さんがかどわかされたときのことだが、おまえ、屋敷を出るまえに、印哲さんの姿を見たかえ」
「さあ――」
金哲は首をかしげていたが、
「そういえは、あの日にかぎって、印哲さんはかぜっけだというので、かごを奥までかつぎいれ、それを五平さんとお家さんとで、かついで出られたので、わたしはついに印哲さんの姿は見ませんでした。でも、印哲さんがあのかごに乗っていられたことは、たしかでございます。かごの外から横顔が見えましたから」
「いや、ありがとう、いろいろ手間をとらせてすまなかった。それじゃ五平のことは頼んだぜ」
と、金哲をかえしたあとで、じぶんもひさご屋を出ると、足いそがせてやって来たのは回向院裏。おもとの家というのをたずねてみたが、これがなかなかわからない。秋の日足は短くて、ぐずぐずしていると、まもなく夜がくる。
佐七はしだいに気をいらだって、いきあたりばったりに尋ねていると、やっとさいごに、姫のりを売っている家で、おもとの消息を聞くことができた。
「そのおもとさんなら、ことしの春、蠣殻町《かきがらちょう》のほうへ引っ越しましたよ」
しまったと佐七はせきこんで、
「そして、蠣殻町のどのへんですか、おまえさんご存じじゃありませんか」
「なんでも汐留《しおどめ》の近所だということですが、詳しいことはわかりません」
佐七はそれはきくと、足を空にして蠣殻町へひきかえしてきた。思わぬことに暇どったので、日はもうすでに暮れかけて、じめじめとしたそのへんいったい、潮の香をふくんだ夕もやがたれこめている。
佐七はあちこちで、おもとというのを聞いてみたが、まだなじみが薄いとみえて、どこでも知らぬという答え。佐七はいよいよ気をいらだって、そのへんをぐるぐる歩きまわっていたが、と、そのときむこうからやって来たのは、まだ前髪の美少年。佐七はそれを見るとおもわずはっとした。まだ会ったことはないが、人相、年ごろ、たしかに辰や豆六にきいた宗銀にちがいない。
宗銀ならば辰と豆六がつけているはずだがと、むこうを見ると、はたしてふたりがやって来る。佐七はそれをみると、そしらぬ顔で宗銀をやりすごしておいて、ふたりのほうへ近づいていった。
「おお、親分」
「しっ、あれが宗銀だな」
「へえ、あの詰め将棋をわたしましたら、宗銀はその足で、ここへやってまいりましたので」
「よし、いいからつけていこう。あいてにさとられるな」
そんなこととはゆめにも知らぬこちらは宗銀、汐留のところを左へそれて、床屋と荒物屋の路地をはいると、いちばん奥の格子をひらいて、
「おもとさん、おうちかえ」
それを聞くと、こちらの三人、たがいにうなずきながら、路地の薄闇へまぎれ込んだ。
証拠は桂馬《けいま》の駒《こま》
――印哲さんはおとといの晩なくなって
「おや、これは弓町の若だんな」
おもとというのは五十かっこうの、人のよさそうなばあさんだったが、宗銀の顔を見るとひどくあわてた。
宗銀もせきこんで、
「おばさん、印哲さんはどこにいる。え、印哲さんをどこへかくしたのだえ」
「若だんな、なにをおいいだえ。わたしがそんなことを知るものか。きのうも五平さんがやって来たけれど、心当たりがないから、わたしも内々、気をもんでいるんですよ」
おもとはしらばっくれたが、そのことばには力がなかった。宗銀はじっとその顔を見守りながら、
「おばさん、なぜわたしにそんなうそをおつきだえ。印哲さんとは、兄弟の約束をしたこのわたしだ。どんなに心配しているか、おばさんだって知ってるだろう。ねえ、後生だからおしえておくれ。印哲さんはどこにいるんだえ」
宗銀の声は涙にしめっていた。
「だって、若だんな、そりゃむりだよ。わたしはなにも知らないもの」
「おばさん、まだそんなことをいってるのかえ。それじゃ、おばさんが知っているという証拠をみせよう。ほら、この詰め将棋――」
と、佐七が印哲のへやで写しとった、あの詰め将棋の題をみせながら、
「印哲さんとわたしとが、詰め将棋で手紙のやりとりをしていたことは、おまえもよく知っておいでだね。ところで、きょうきたこの詰め将棋によると、ワガユクヘハオモトニキケとある。おばさん、これでもおまえ知らないとおいいかえ」
おもとはそれを聞くと、くちびるの色までまっさおになった。
「若だんな、おまえさんその詰め将棋を、だれからもらったのだえ」
「だれからでもいい。この詰め将棋の手紙のことは、印哲さんとわたしより、ほかに知っているものはないはず。その印哲さんからのたよりに、じぶんのゆくえはおもとさんに聞いてくれとあるんだ。おばさん、どういう事情があるのか知らないけれど、後生だから印哲さんのゆくえをおしえてくださいな」
「だって、だって、わたしゃなにも知らないもの」
と、おもとがおろおろしているところへ、
「ばあさん、ばあさん、こうなったら、なにもかも器用に話してしまいねえな」
と、がらりと格子をひらいてはいってきたのは、いわずとしれた人形佐七だ。
「あれ、おまえさんは?」
「おれか。おれはお玉が池の佐七というのだが、ばあさん、印哲さんがここへかつぎこまれたときには、まだ生きていたか、それとももう、脈があがっていたかえ」
ズバリといわれておもとばあさん、はっとうつむくと、頭の白髪をふるわせながら、それでもがんこに黙っている。佐七は少し声をはげまし、
「こうこう、ばあさん。おまえ、おしになったわけじゃあるめえ。なにもかも正直に申し上げちまえ。むかしのお主《しゅ》に頼まれて、よんどころなく引き受けましたといやア、おれだって悪くはからわねえ。それでもおまえが剛情はるなら……おや、ばあさん、これはなんだえ」
と、佐七が上がりがまちのしたから、拾いあげたのはつげの駒《こま》、しかも、印哲のところから、ただひとつうしなわれていた桂馬《けいま》だった。
「ばあさん、こうなっちゃかくしたってだめだ。この水無瀬駒《みなせごま》は、印哲さんが家を出るときさしていた駒だ。これがここにあるからにゃ、うむをいわせねえぜ。ばあさん、印哲さんがここへかつぎこまれたときにゃ、すでに息はなかったろう」
たたみこむように責められて、おもとはわっと泣きだした。が、そのときだった。表にあたってどたばたとけたたましく、どぶ板を踏みならす音がしたかと思うと、
「あっ、親分、五平が――五平が――」
「なにッ、五平?」
佐七が格子からとびだすと、すっかり暮れた路地のくらやみを、ふたつの影が組んずほぐれつ走っていく。
「五平、神妙にしろ!」
佐七がかけつけたとたん、五平は辰の手をもぎはなし、小網町のほうへ逃げていったが、やがてざんぶと川のなかへとびこんだ。
その五平が、死体となって、おもとの家へかつぎこまれたのは、それから半刻《はんとき》ほどのちのことである。
「ばあさん、こうなっちゃ、もうかくしとおせねえ。なにもかもいってしまいねえな」
おもともすでに覚悟をきめていたらしく、
「親分さん、恐れ入りました。こうなればつつみかくしはいたしません。なんでもおききくださいまし」
「うむ。よくいった。じゃ、だいいちにきくが、印哲がここへかつぎこまれたときにゃ、すでに冷たくなっていたんだろうな」
「はい、夜中にたくさん血を吐いて、息を引き取られたのだそうでございます」
「えっ、それじゃ印哲さんは……」
宗銀は、目をうるませて、おもわず声をふるわせた。
「そうですよ。おまえさんの仲よしの印哲さんは、もうおとといから、この世のひとじゃねえんです。ところで、おもとさん、そのなきがらをここへかくまったのは、いったいだれのいいつけだ。だんなか、おかみさんか」
「はい、おかみさんでございます。だんなはなにもご存じないので……印哲さんが病気でなくなられたことさえ、ご存じないのだそうでございます」
「ううむ、そうか。宗哲さんはなにも知らなかったのか。なるほど、そういえば、女のやりそうなからくりだが……しかし、おもとさん」
と、佐七はひざをすすめて、
「おかみさんはなんだって、こんなあさはかなことをしたんだえ。いや、そのわけもたいがいわかっている。かどわかしと人殺しの罪を、ここにいる宗銀さんのおとっつぁんにきせようというわけだろうが、なんだってまた、それほど宗達さんを憎んだものだろう。やっぱり将棋の遺恨からかえ」
「いえ、あの、それが……」
と、おもとは宗銀のほうへ気をかねながら、
「それもございますが、おかみさんが、こちらの親ごをお恨みなさるには、もっと深いわけがございますので」
「そのわけというのは?」
「はい、おかみさんは若いころ、宗達さんにひどくご執心でございました。ところが、宗達さんはおかみさんがおきらいで、ご本家のほうからお話があると、さっさとご養子においでになりましたので……」
佐七はそれをきくと、はじめて、なにもかもわかったというようにうなずいた。そばで聞いていた宗銀のほおには、ふたすじの涙が、銀蛇《ぎんだ》のように流れている。
母の犠牲の印哲むざん
――恋と将棋の遺恨はお才を狂気に
五平が死んだので、なにもかもかれの一存ということにして、この一件はほおむられたが、宗哲だけにはことの真相が話された。
かれは佐七とおもとの口から、はじめて妻の悪巧みを聞くと、おどろいて、その足で宗達のところへかけつけた。
そこでどんな話があったのか知らないが、それ以来、おなじ家にすんでいても、お才と口もきかなかった。
お才は夫の無言の叱責《しっせき》に、日に日にやせおとろえ、それからまもなく、このあさはかな女は、印哲のあとを追って、寂しく逝《い》ったということである。だが、それはのちのお話。
「それにしても、親分、あっしにゃよくわかりませんねえ。それじゃ印哲は殺されたんじゃなくて、病気で死んだんですかえ」
「そうよ」
「しかし、そんなら親分、胸のあの傷は?」
「ありゃな、あくまで宗達に罪をきせるつもりで、死骸の胸をえぐったのだ。まあ、聞け、こうよ」
勝ち気で気位のたかいお才は、そのむかし宗達にはねつけられたことを、終生忘れなかった。
しかも、その宗達が、つねにじぶんの夫より一歩うえにいることや、夫婦仲がよくて、子どものできのよいことなどが、この執念深い女にとっては、くすぶる余燼《よじん》のように、胸のなかでいつも燃えつづけた。
いつか機会があったら、あいてをたたきつけてやりたい、むつまじい家庭をぶっこわしてやりたい。と、へびのようにねらっているところへ起こったのが、こんどの十五番将棋である。この手合わせでいちばんやっきになったのは、当の本人の印哲や、父の宗哲よりもお才だった。
ここでじぶんの子どもが、年上の宗銀を負かせることは、お才にとっては、復讐《ふくしゅう》の何分の一かをとげることだった。彼女は夢中になって印哲を鞭撻《べんたつ》した。苛酷《かこく》なまでに激励した。
それかあらぬか、印哲はひどく成績がよかった。こうなると、お才はもういっさい忘れて、とことんまで、宗銀をやっつけねば承知ができなかった。
だから、むこうが印哲の健康を心配して、七番で打ち切りを申し込んできたときも、彼女はそれを夫の耳にもいれず、じぶんの一存ではねつけてしまった。
母としての愛よりも、復讐の念のほうがつよかったのだ。こういう母の執念の犠牲となった印哲こそ哀れだった。かれは気息えんえんとして将棋をさした。いくどか血を吐きながら、母の希望にそわなければならなかった。そして、とうとう、あすがだいじな一番という真夜中に、息をひきとったのである。
お才もさすがにぼうぜんとした。むろん、むすこの死はかなしかった。だが、むすこが死んだことによって、宗達夫婦に鼻をあかせてやる機会がなくなったことのほうが、もっとくやしかった。彼女は気違いのようになった。なにもかもが宗達のしわざのように思われた。
そこで考えついたのが、あの恐ろしい一計である。さいわいその晩、宗哲は、だいじな手合わせがあって、よそで徹夜をしていたので、五平とゆっくり相談するひまがあった。彼女はむすこのまくらもとで、五平にじぶんのたくらみをうちあけた。
狂気のようになった彼女は、五平のいさめなどてんで耳にいれなかった。先代いらいご恩をうけている五平は、けっきょく彼女のいうことに従うよりほかにみちはなかった。
そこで五平が至急にひとをかたらうと、その翌朝の印哲|誘拐《ゆうかい》という一幕になったのである。
そして、いったん印哲のなきがらをおもとのもとへ運びこんだうえ、そのなきがらに傷をつけて、五平がひそかに、屋敷のまえへつれかえったのだ。
こうすれば、あの十五番将棋の成績を知っている世間のうたがいは、いやでも宗達にかかるだろうというのが、彼女のあさはかなたくらみだった。
「なるほど、それでようやく話はわかりましたが、しかし、あの宗銀はどうしたんですえ」
「そやそや、それに、あのへんてこな詰め将棋や。あれはどういうわけだんねん」
「それはこうよ」
母からあまり過重な責任をおわされた印哲は、さびしい子だった。かれには、ひとりも遊び友だちがなかった。当然、かれはおなじ年ごろの友だちを、渇したものが水を求めるようにもとめていた。そこへ現われたのが宗銀だ。
「どっちもかわいい子どもよ、おたがいに憎からず思ったにちがいねえ。そこで、おもとのところを宿にして、ときどき会っては慰めたり、なぐさめられたりしていたのだ。しかし、こんなことがお才に知れると、たいへんな騒動になる。そこで、ふたりは手紙のやりとりのかわりに、詰め将棋のなぞ文《ぶみ》を考えだしたのだ。みねえ、これを……」
と、佐七は例の紙を出して、
「この詰め将棋は五段までしか駒がねえ。そして、縦の列は九つある。おりゃてっきり、こいつはアイウエオだとにらんだ。アイウエオとするとワ行がねえが、そこは使わねえように、文をつくればすむことだ。さて、その文字の順序だが、これは王から成り飛、飛車から成り角、角というふうに、駒のつよさで読んでいけばいい。そして、おなじつよさの駒なら、王方のほうをさきに読む。そうして読んでいくと、アカユクヘハオモトニキケ……つまり、ワガユクヘハオモトニキケということになる。つまり、わがゆくえはおもとにきけ、よ」
「あっ、なるほど」
「印哲はおふくろと五平が相談しているとき、まだ死にきってはいなかったのだ。だから、ふたりが立ち去ると、必死の力でこれだけの駒をならべた。そして、桂馬を握ったままこときれたのよ。思えばかわいそうな最期だったよ」
佐七はそういうと、あさはかな母の犠牲となって、あたら花のつぼみをちらした印哲の冥福《めいふく》をいのるように、目を閉じたのである。
さて、ここにこっけいなのはうらなりの豆六で、その後、二、三日、しきりにため息をついていたが、ある日、とうとう思いきったように、きんちゃくの辰にうちむかい、
「兄哥、せっかくやけど、やっぱり兄哥はよしや、弟分のほうがよろしい」
「どうしてだい、豆――じゃなかった、兄哥。なにもそんな、遠慮することはありません。いつまでも兄哥分で、あっしをかわいがっておくんなさいよ」
と、辰がにやにやしながらいえば、豆六はあわてて手をふり、
「いや、もうごめんや、ごめんや。兄哥になっていばるのはよろしおますが、外へ出るたびに、やれ酒や、やれぼたもちやとおごらされたら、わてのふところがもちまへん」
と、ベソをかくような顔をしたから、これには一同大笑いだった。
うかれ坊主
お化け早桶《はやおけ》
――片棒をかつぐ夕べのふぐ仲間
「親分はうかれ坊主の死んだのをご存じですかえ」
と、こう切り出したのは、きんちゃくの辰の伯母《おば》さんで、お源という女である。
季節はもう十一月の声をきいて、お玉が池のせまい庭に、佐七が丹精こめた黄菊白菊も、日いちにちと、霜枯れていく朝な朝なであった。
お源は両国の小屋掛けしばいで、下座《げざ》の三味線をひいている女だが、そこは辰の伯母さんだけあって、地獄耳をもっている。
いろんな聞き込みをしては、佐七のところへ持ってくるが、佐七もこの女の情報には、信用をおいているのである。
「おや、あのうかれ坊主が死んだかい」
「はい。ところが、それがおかしいので、死んだのか、生きてるのか、はっきりしないんです」
「なにをいってるんだ、お源さん。おまえいま、死んだといったじゃないか」
「はい、死んだことは死んだんです。ところが、そのあとがおかしいんで。親分、聞いてください、こういうわけで……」
と、なんだかおもしろそうな話なので、となりのへやでなまあくびをかみころしていた辰と豆六も、のこのこ出てきて謹聴する。
「うかれ坊主は相生町《あいおいちょう》の、金兵衛《きんべえ》さんの長屋に住んでるんですが、おとといの晩、ふぐを買ってきて、長屋の衆といっぱい飲んだところが、きのうの朝、何刻《なんどき》になっても、表戸があかないんです。そこで、長屋の衆がのぞいてみると、つめたくなって死んでたそうです」
「すると、伯母さん、うかれ坊主はふぐにあたって死んだのかい」
「そうらしいんだよ、辰。いっしょに食べたほかのひとはなんともなかったのに、これもやっぱり寿命だろうね」
「あっはっは、ふぐにあたって死ぬとは、いかにもうかれ坊主らしいな」
たとえあいてが何者にもせよ、人間ひとり死ぬということは、厳粛な事実でなければならぬ。
笑ってすませることではない。
佐七もそれくらいの心得のない男ではなかったが、あいてがあいてだけに、ついおかしさがこみあげた。
うかれ坊主というのは、そのころ江戸の名物男であった。
いがぐり頭に赤いふんどし、夏でも冬でも、素はだに紺のはっぴの着流しで、帯もしめない。
そういうすがたで町から町へと、踊りながら、飴《あめ》を売ってあるくのである。
物売りというと、いかにもうろんらしいが、うかれ坊主にかぎって、そうではなかった。
うかれ坊主は大兵《だいひょう》肥満の大男で、げじげじのように太いまゆに、無精ひげこそはやしているが、いつも身ぎれいにして、ひとに不快の念を、あたえるようなことはない。
それに、だいいち、大兵肥満のそのからだにあいきょうがある。
飴が売れても売れなくても、陽気にひとさし踊ってみせる。
即興の歌に即興の振りだが、いかにもたのしそうだから、踊りのうまいまずいは、問題にならない。
買ってくれないからといって、悪態をつくようなこともなく、踊ってさえいれば、楽しいというふうだから、ひとにかわいがられた。
としは四十前後だろう。
物売りにしては人がらがいいので、もとは、由緒《ゆいしょ》あるものにちがいないというひょうばんだが、だれも前身を知るものはない。
一説によると、女犯《にょぼん》のために寺を追われた坊主だというが、あるいはそんなところかもしれぬ。
名まえは風羅坊艮斎《ふうらぼうこんさい》。
さて、お源の話をつづけると――。
「これには長屋の衆もおどろきましたが、なにしろ身よりのない、ひとりもののことですから、だれもあと始末をするものがない。けっきょく、長屋の衆があつまってお弔いを出すことになりましたが、あいつはまあ、だれにでもかわいがられるやつですから、長屋の衆もいやな顔もせず、ゆうべお通夜《つや》をして、けさはやく、さしにないで、早桶《はやおけ》をかつぎだしたんです」
その早桶をかつぐ役にあたったのが、おなじ長屋にすむかごかきの権三《ごんざ》と助十。片棒をかつぐゆうべのふぐ仲間で、しかたがないとはいうものの、ふたりはまことにおくびょう者だった。
おまけに、月番としてただひとり、付き添っていく利兵衛《りへえ》というのが、これまた、ふたりに輪をかけたようなおくびょう者。
しかも、夜明けまえに、小塚《こづか》っ原《ぱら》の焼き場へかつぎこもうというので、長屋を出たのが七ツ(四時)ごろ、まだまっくらな時刻だから、三人のおくびょう者は、はじめから、おっかなびっくりだった。
「それでもまあ、こわいのをがまんして、やっと小塚っ原のおしおき場、あの大地蔵の前までくると、早桶のなかから、おいおいという声が聞こえたというんです」
「ほほう、そいつはおもしろいな」
「いえ、もう、三人にとっては、おもしろいどころではございません。腰をぬかしそうになっているところへ、こんどははっきり、うかれ坊主の声で、おれをどこへつれていくんだい……」
「はっはっは、いよいよ出たな」
「そうなんです。そら、出たというわけで、三人はなにもかもおっぽりだして、長屋へとんでかえると、これこれこうだと話をしたが、だれもほんとにするものはありません。早桶をかつぐのがこわいから、そんなことをいうんだろうと、はじめはあいてにしなかったんですが、三人が、あまりにいうもんだから、とにかく行ってみようということになり、大家の金兵衛さんと、威勢のいいのが二、三人、いっしょになって行ってみたところが……」
「なにかあったのかい」
「いえ、べつに……さいわいだれにも拾われず、早桶はもとのところにありましたそうで」
「あたりまえやがな、伯母さん、だれが早桶なんど拾っていきますかいな」
「ほ、ほ、ほ。それでみんなして、外から早桶にむかって呼んでみたが、べつに返事もございません。それみろ、なんにもいわないじゃないか、おまえたち、きつねにからかわれたんだろうというわけで、権三と助十が、またかついでいくことになりました。ところが、しばらくいくと、ふたりがおかしいというんです」
「なにが……」
「ご存じのとおり、うかれ坊主は大兵《だいひょう》肥満の大男。権三と助十も、重くて弱っていたのに、それが急に軽くなったというんです。いくら死人だって、そんなに急に、目方がへるはずがない、どうもおかしいと、ふたりがあまりいうものだから、早桶をあけてみたところが……」
「早桶をあけてみたところが?」
「中身がかわっていたそうです」
「中身がかわっていたたア、伯母さん、いったいなににかわっていたんだい」
「それがね、死人は死人なんです。ちゃんと、経帷子《きょうかたびら》も着ているし、頭にも三角の紙をつけてるんですが、うかれ坊主とは似てもにつかぬ男だったそうで……」
佐七をはじめ辰と豆六、それを聞くと、おもわず大きく目玉をひんむいた。
下剃《したぞ》り吉奴《きちやっこ》
――死骸《しがい》のわき腹になまなましいあざが
「大家さん、妙なことがあったそうですね」
その日の昼過ぎ、佐七が辰や豆六をひきつれて、相生町の長屋へ出むいていくと、
「おや、お玉が池の親分、もうあのことが、お耳にはいりましたか」
と、金兵衛さんも目をまるくした。
「あい、ちょっとほかから聞いてきました。早桶のなかで、死骸がかわっていたということですが、うかれ坊主のほうは、どうなったかわからねえんで?」
「それがねえ、中身がかわっていると気がつくと、そこらあたりをさがしてみたんですが、どこにも落ちていないんですよ」
「あっはっは、子どもが銭を落としたんじゃアあるめえし……ねえ、大家さん、小塚っ原の大地蔵といやア、焼き場のすぐちかくだ。だれかほかの早桶と、まちがえたんじゃありませんか」
「それはわたしも考えた。しかし、早桶もこの長屋から出たもんだし、仏の着ている経帷子も、ゆうべ長屋のおかみさん連中が総がかりで縫いあげたものなんです」
「はてな。すると、うかれ坊主め、死んでからどろんと、ほかの人間に化けやアがったか」
辰は小首をかしげている。
「バカなことをいっちゃいけねえ。すると、大家さん、うかれ坊主は生きかえって、ほかの死骸を身代わりに、早桶のなかへ突っ込んでおいたってことになりますか」
「さあ、それはよくわかりませんが、ふしぎなのは身代わりの死骸で。いくら場所がおしおき場でも、むやみに死骸のころがっているはずはありませんがねえ」
「いったい、死骸というのはどんなやつです」
「その死骸なら、捨ててかえるわけにもいかず、かついでかえって、うかれ坊主のところへおいてあるんですが、親分、そいつ凶状持ちらしいんです。腕に墨がはいっているんですよ」
「なんだ、入れ墨者ですって?」
佐七はちょっと目をまるくして、
「大家さん、うかれ坊主というやつは、入れ墨者にかかりあいのあるようなやつですか」
「とんでもない。ありゃアしごく気のいいやつで、そりゃア酒も飲むし、どこかに情婦《いろ》があって、ちょくちょく会いにいくようですが、入れ墨者につきあいのあるような男じゃございません」
「それじゃとにかく、死骸というのをみせてもらいましょうか」
金兵衛の長屋というのは、どうせうかれ坊主が住むくらいだから、あまり上等の長屋ではない。
住む連中も、大道易者やつじ芸人、門づけの親子に、かごかきなどといったところだが、みんな気のいい連中ばかりで、それが、うかれ坊主のうちにあつまって、見知らぬ死骸をとりまいて、ただわいわいと騒いでいる。
「いったい、大家さんの気がしれないよ。どこの馬の骨だか、牛の骨だかわからねえ死骸をひきとって、どうしようというんだろう」
「そうだ、そうだ。入れ墨者の死骸などひきとって、どうせろくなことはありゃアしねえ。かかりあいになるとうるさいぜ」
「だからいわねえことじゃねえ。おらア小塚っ原のすみっこにでも捨ててこようといったんだ。それが大家のとうへんぼくめ、なんのかんのといやアがって、とうとうここまでかつがせやアがった。あんな知恵のねえやつはねえ」
「あいあい、その知恵のないのがやってきましたよ」
「あっ、大家さん、聞こえましたか」
「さいわいとな、わしゃ年はとっても、耳のほうだけは達者でな。よう聞こえますのさ」
「あんなことをいっているよ。つごうの悪いときにゃア、ちかごろとんと耳が遠くなって、などといってるくせに」
「そりゃアそうさ、つごうの悪いことは聞かぬが得さ。ときに、いま表で聞きゃア、この死骸をひきとったのに文句があるらしいが、そういうことをいうから、おまえたちはバカだといわれるんだ。こうして、うかれ坊主の早桶にはいっているからにゃ、どうせ、かかりあいはまぬがれぬ。それを恐れて、死骸をうっかり捨てでもしてみろ。あとでどのようなおとがめを食うかしれたものじゃねえぞ。おまえたち、それでもいいのか」
「あっ、なあるほど。すると、大家さんはやっぱり知恵者だ」
「つまらねえところで感心するな。さあ、さあ、親分、どうぞおはいりなすって。お玉が池の親分がおいでなすったんだから、おまえたちどいてろ」
お玉が池の親分ときいて、一同が顔見合わせながら、しりごみをしているところへ、はいってきたのは佐七である。
辰と豆六もついている。
「みなさん、ごめんくださいまし。ちょっと死骸をあらためますから」
北まくらに寝かされた死人をみると、それはまだ二十五、六のなまわかい男だった。
佐七はつくづくその顔をみて、
「おい、辰、豆六、ちょっとみろ。こいつどこかで見おぼえのある顔だぜ。どこのだれだっけ」
「どれどれ」
と、佐七のそばからのぞきこんだ辰と豆六、死骸の顔をしげしげとみて、
「あっ、親分、こりゃア材木町へんのお店をまわる回り床、髪結い銀次の下剃《したぞ》りで、吉奴《きちやっこ》ってえ野郎ですぜ」
「そや、そや、こら吉奴にちがいない。あいついつも、入れ墨を自慢にしてましたがな」
「あっ、そうか。それで思いだした。しかし、こいつ、いつ死んだのか」
「親分、こりゃアおかしい。吉奴なら、あっしゃきのう千鳥橋のきわで会いましたが、ぴんぴんしていて、死ぬけしきなんかみえませんでしたぜ」
「きのう会った? 何刻《なんどき》ごろだ!」
「へえ、もうかれこれ日暮れどきでした」
「ふうむ。それから死んだとしても、お弔いを出すにゃア早すぎる。おい、辰、豆六、その経帷子をぬがせてみろ」
辰と豆六が経帷子をぬがせたとたん、一同はおもわず目を見はった。
死骸の右の脾腹《ひばら》のあたりに、大きなあざがなまなましく……。
「親分、こりゃ脾腹を打って死んだんですね」
「ふむ、そうらしいな」
「親分、するとこいつ、殺されたとおっしゃるんですか」
金兵衛はいまさらのように、長屋の連中と顔見合わせる。
「そういうことになるかもしれませんね。まさか、あやまちで脾腹をうって死んだものが、じぶんで経帷子を着て、のこのこ早桶へはいるはずがありませんからね。大家さん、こりゃたしかにうかれ坊主の経帷子にちがいございませんか」
「へえ、そりゃもうまちがいございませんが、しかし、まさかうかれ坊主が、なんのゆかりもねえものを殺して身代わりにしようたあ思われません。はて、こりゃまあいったい、どうしたというんでございましょうねえ」
一同はきつねにつままれたような顔色である。
髪給い銀次
――こりゃ吉奴の野郎にちがいない
それにしても、死人の身もとがわかったのはなによりだった。髪結い銀次なら、深川の黒江町へんに住んでいるはずだという辰のことばに、すぐ長屋のものがすっとんだが、そのあとで辰と豆六は声をひそめて、
「親分、こりゃアひょっとすると、おもしろくなるかもしれませんぜ。髪結い銀次といやア、殊勝な顔してお店を回っておりますが、そうとうの悪だということですぜ」
「そや、そや、目のよるところに玉がよるちゅうて、下剃りの吉奴が入れ墨もんなら、親分の銀次のやつも、やっぱり入れ墨もんやいう話だす」
「ふむ、銀次のうわさならおれも聞いている。辰、豆六、その死人の右手をみろ」
「へえ」
みると、吉奴の右手の指には、ながい髪の毛が二本からみついている。
「いかに商売が下剃りだって、そういつもいつも髪の毛を指にからめているわけじゃあるめえ。それに、だいいち、その髪の毛は、男のものじゃねえ。ながさからいって女だな」
「親分、すると吉奴のやつ、脾腹をいかれるまえに、女ともつれあったんですかえ」
「まあ、そういうことになりそうだな」
待つまほどなく髪結い銀次が、長屋のものの案内で、あたふたと駆けつけてきた。
年ごろは三十二、三、めくら縞《じま》の筒っぽに平ぐけの帯、黒い前だれをしているところは殊勝が、どこかひとくせありげなつら魂である。
銀次はひとめ死人の顔をみると、
「あっ、こりゃ吉のやつにちがいございません。どうしてまあ、こんな姿になりゃアがったのか」
と、あきれかえった顔色に、うそいつわりがあろうとは思われなかった。
佐七はじっとその顔色をみながら、
「おい、銀次さん。おまえこれについてなにか、心当たりはねえかえ」
「とんでもございません、いや、これはお玉が池の親分、ご苦労さまでございます。いまもみちみち、こちらのかたから話を承ったのでございますが、まるで寝耳に水で、ただもう、びっくりしてしまいましたんで、心当たりなどあろうはずがございません」
「吉奴はゆうべどこにいたんだ」
「さあ」
と、銀次は小鬢《こびん》をかいて、
「くわしいことは存じませんが、早桶へ入れかわったのが小塚っ原といたしますと、こつ[#「こつ」に傍点]へでも遊びにいってたんじゃございますまいか。なんしろ、わけえもののことでございますから」
「おまえが吉奴を最後に見たのはいつごろだえ」
「ゆうべの五ツ(八時)ごろでございましたろうか。なんにもいわずに、ふらりと家を出ましたんで」
「おまえはゆうべうちにいたのか」
銀次はちょっと佐七の顔を見ると、
「いえ、あの、ちょっと用事があって、千住《せんじゅ》の知りあいのところへまいりまして、おそくなったので、そこで泊まりましたんで」
「吉奴が出かけてから家を出たのか」
「へえ、あの、さようで……急に用事を思いだしたもんですから」
「千住のなんといううちだ」
銀次はまたジロリと佐七の顔を見ると、くちびるのはしにうす笑いをうかべて、
「親分、どうしたんでございます。それじゃまるで、わたしがお調べをうけているようじゃございませんか。なんでもないうちなんで」
「なんでもないうちなら、いったらいいじゃねえか。べつにおまえを疑って、どうのこうのというんじゃねえんだ。こういうことははっきりしておかねえと、かえってあとがめんどうだからな」
「恐れ入りました。千住の掃部宿《かもんじゅく》、へっつい横町に住んでおりますお舟という女のうちでございます」
佐七は辰や豆六と顔を見合わせた。
「掃部宿のお舟といやア、からくりお舟じゃねえのか」
「ご存じですか」
銀次の顔はいくらか青白んだ。
「名まえは聞いている。なにしろ名だかい女だからな。おまえ、そこへ泊まってきたのか」
「へえ、ついおそくなりましたもんですから……それで、けさかえってまいりまして、おとくいをまわろうとしたんでございますが、吉の野郎が、いつまで待ってもかえってまいりません。下剃りがいなくちゃ商売になりませんので、途方にくれているところへ、こちらさんから使いのかたがおみえになりましたんで」
「そうか、わかった。それじゃ最後にもうひとつ聞くが、おまえ、うかれ坊主を知ってるだろうな」
「そりゃアもう、名物男ですから」
「それだけか。なにかほかに因縁はねえか」
「とんでもない。うかれ坊主が死んだことさえ知らなかったんですから、その早桶に吉の野郎がはいっていたときいて、まったく、肝をつぶしてしまいましたんで」
そういうことばに、いつわりがあろうとは思えなかった。佐七はうなずいて、
「そうか。よし、わかった。それじゃ、ご検視がすんだら死骸をひきとり、おまえのほうで、ねんごろに弔ってやれ。これじゃ、こちらのかたがたがご迷惑だ」
「へえ、承知いたしました」
「親分、ありがとうございます。これでどうやら、死骸のほうはかたづきましたが、うかれ坊主は、どうしたんでございましょうねえ」
「そうさなあ、あいつのことだから、どこかでまたうかれているんじゃねえか。あっはっは、こりゃ冗談だが……大家さん、またくる」
金兵衛の長屋を出ると、きんちゃくの辰が、
「親分、こりゃアなにかありそうですぜ。ゆうべ銀次が泊まったという、お舟というのはしたたか者だ。たしか、江戸払いをくって、よんどころなく、千住に巣くっている女ですぜ」
「そうよ、からくり賽《さい》のいかさまばくち、それに、かどわかしなどもやるという話だ。そんな女とつきあいがあるようじゃ、銀次もひと筋なわでいくやつじゃねえぜ」
「それに、親分、小塚っ原いうたら、千住大橋のすぐてまえや。吉奴もゆうべ、銀次といっしょやったんとちがいまっしゃろか」
「そうかもしれねえよ。とにかく、小塚っ原までのしてみよう」
小塚っ原では、しかし、べつになんの発見もなかった。
千住大橋をわたると、奥州街道、奥日光街道の出口になっている。
だから、そのあたり、昼間はそうとうの人通りである。
佐七はその道を、大橋までやってきたが、すると、顔見知りの舟宿から、
「あっ、親分、ちょっと、ちょっと……」
と、呼びとめたものがある。
与兵衛だんな
――川上から若い男が流れてきました
「おや、為公か、なにかおれに用かえ」
「へえ、ちょっと親分のお耳にいれておきたいことがございますんで。さいわいだれもおりません。ちょっとこっちへおはいりになりませんか」
「そうか、それじゃおじゃまをしようか」
さがみ屋――と、軒行灯《のきあんどん》のあがったその舟宿は、佐七が千住方面へくるたびに、かえりに舟を仕立てさせるので、船頭の為吉も知っているのである。
「為公、話というのはどんなことだ」
佐七が店先に腰をおろすと、為吉は茶をくんで出し、
「兄哥《あにい》たちもお掛けなさい。親分、じつはゆうべ、妙なことがございましたんで」
と、為吉の話によるとこうである。
大橋からほどとおからぬ三河島《みかわじま》村に、井筒屋|与兵衛《よへえ》という大百姓がある。
代々名主をつとめるくらいの家がらで、上野のお山ともとくべつの因縁があり、百姓とはいえ大金持ちだ。
「そのだんなの与兵衛さんとおっしゃるのが、だいのつり好きで、わたしどもよくごひいきになるんです。ゆうべも、夜づりのお供を仰せつかりまして、ここからしもの、御殿跡のあたりへ舟を出したんです。ところが、ゆうべは、おもしろいほどさかなが食いましたので、だんなもつい夢中で、とうとう夜明かしになりました。それで明けがたの七ツ半(五時)ごろになって、やっと引きあげようということになり、舟をかえしておりますと、川上からひとが流れてくるんです」
「ほほう。それでどうした?」
「だんなはいたってお慈悲ぶかいですから、見てみぬふりはできません。救いあげてみろとおっしゃるので、舟へひっぱりあげました。すんでのことで、こごえ死ぬところでございましたが、さいわいまだ息があるようすなので、水を吐かせたりなんかしておりましたが、そのうちに、だんなが顔をごらんになって、あっ、おまえは忠七じゃないかとおっしゃったんです」
「ほほう。すると、与兵衛というだんなは、その男を知ってたんだな」
「そうらしゅうございます」
「そして、忠七というのはどういう男だ」
「お店者《たなもの》でございましょう。二十《はたち》くらいの、色のなまっちろい、いい男でしたが、それが二、三カ所、からだに薄手をおうているんです。つまり、切られているんですね」
「ふむ、ふむ。それからどうした」
「それから、いったんここへ連れこんで、手当をすると、まもなく、忠七が息をふきかえしたので、だんなは人払いをして、なにか話をしていらっしゃいましたが、やがて、かごをよんでおかえりになったんで」
「忠七はどうした?」
「いえ、忠七を連れておいでになりましたんで。出がけに、このことはだれにもいうなとおっしゃいましたが、なんだか気になるもんですから……」
「いや、よく知らせてくれた。ところで、その与兵衛というだんなだが、いったい、どういうお人がらだ」
「それはもう、けっこうなだんなで。おとしは三十七、八ですが、先年お内儀さまがなくなられて、いまじゃおひとりなんです。いえ、子どもさんもございますので、それでまあ、よけいに、つりにこってらっしゃるわけですが、それでも、ちかぢかにお嫁がくるという話です」
「あいては、どこのおひとだえ」
「へえ。なんでも材木町へんの、大店《おおだな》のお嬢さんとか承っております。名まえは存じませんが、それがまだ生娘《きむすめ》なんだそうで、与兵衛のだんなも、大乗り気だそうでございます」
材木町ときいて、佐七は辰や豆六と顔見合わせた。材木町といえば、髪結い銀次のなわ張りである。うかれ坊主とこの一件と、なにかつながりがあるのではあるまいか。
「ときに、為公、おまえ、掃部宿《かもんじゅく》のお舟という女を知らないか」
「知っておりますとも。たいへんな女で」
「ちょくちょく、こっちへやってくるかい」
「とんでもない。あいつは江戸お構いですから、この橋を渡ったら御用でさあ。それにねえ、親分、あれくらいの女になると、むこうからくることはねえんです。江戸のほうからいろんなやつが、仕事を持っていくようですよ」
「どんなやつがいくんだい」
「さあ、わっしもよく存じませんが、どうせ、ろくなやつじゃありますまいよ」
「お舟にゃ男があるかい」
「いえ、それがねえ、きまったやつはねえんだそうで。いきあたりばったり、だれとでもね」
と、為公は妙なわらいかたをして、
「だから、いろと欲と、ふたみちかけて、おおかみみてえな野郎が押しかけるんです。お舟はそうとうべっぴんですからね。そうそう、お舟にゃ弟がひとりあって、江戸で髪結いの下剃りかなんかしてるって話ですよ」
佐七はまた、辰や豆六と顔見合わせた。
黒木屋お露
――手代の忠七と駆け落ちして
「親分、わかりました。銀次のやつァ、やっぱりきのう、お舟のところにいたそうですよ」
その晩のことである。
佐七がひとあしさきにかえって待っていると、まず、きんちゃくの辰がかえってきて、
「これはとなりのおかみさんの話なんですが、ふたりは夜っぴて酒を飲んでたそうです。そして、そのあいだに、ふたりがかわるがわる表へ出て、ようすを見てたところをみると、だれかがくるのを、待ってたらしいというんですね」
「ふむ、そして、その待ちびとはついにきたらずか」
「どうも、そうらしいんです。それで、銀次のやつはけさ早くかえっていったというんですが、親分、ふたりが待っていたのは、吉の野郎じゃありますまいか」
「おおかたそうだろうが、しかし、吉ひとりじゃあるめえな。ほかになにか、お目当てがあったにちがいねえ……がときに、お舟は吉奴の死んだのを、まだ知らねえのか」
「いえ、あっしがかえろうとするところへ、江戸から使いがきたんです。それであとで、となりのおかみに、ようすをみに行ってもらったんですが、お舟のやつ、とてもくやしがって、もし吉が殺されたのなら、このままじゃおかない、きっとかたきを討ってやると、そりゃものすごい形相《ぎょうそう》だったそうです。あんなやつにも、きょうだいの情愛はあるんですね」
「ふうむ、そいつは物騒なことになったな。ときに、銀次のほうはどうだ」
「へえ、それからあっしゃ引き返して、黒江町のほうへ回りましたが、ちょうど吉奴の死骸を引きあげてきたところで、なんでもこんやはお通夜《つや》で、あすお弔いを出すそうです」
「すると、こんやはまあだいじょうぶだな」
「なにが?」
「いや、まあ、こっちのことだ。ときに、豆六はおそいな」
いっているところへ豆六が、
「親分、わかりました、わかりました。これでだいたい、しばいの筋書きはわかりましたぜ」
と、あいかわらずのっそりとして、よだれのたれそうな口のききかたである。
「おお、筋書きがわかったとはたいしたもんだな。じゃ、与兵衛のところへくる嫁というのがわかったんだな」
「へえ、わかりました。新材木町の材木屋、黒木屋の娘で名はお露、まだ十七やそうだす」
「そして、そこに忠七という手代がいるんだろう」
「へえ、親分、あんさんのおっしゃるとおり」
「そのお露、忠七、ゆうべから姿がみえねえので、黒木屋じゃ大騒ぎをしてやしねえか」
「なんや、親分、みんなご存じやがなあ」
「それから、髪結い銀次が、その黒木屋の出入りだろう」
「そのとおり、そのとおり。なんや、こんなことやったら、わて、なにもほねおって調べてくることなかったがな」
「いや、そうじゃねえ。しかし、豆六、黒木屋じゃ、なんだってかわいい娘を、二十もちがう男のところへ、しかも、後妻にやろうというんだ」
「それがな、親分、表と裏はおおちがい。黒木屋も表向きはりっぱにやってるが、内所は火の車で、千両という結納に目がくれたんやいう話だす」
「結納千両……?」
佐七は目を丸くして、
「それじゃ、与兵衛はよほどご執心なんだな。ところで、お露のほうじゃ……」
「そら、もちろんいやだすがな。二十も年がちがううえに、いくら金持ちやいうたかて、あいては土くさい百姓、それにお露には、忠七ちゅうええ男がおまんねんやもん」
「なるほど、わかった」
きんちゃくの辰もひざをすすめ、
「銀次のやつがそこへつけこみ、ふたりをそそのかして駆け落ちさせ、それを途中で待ち伏せして、忠七をかたづけ、お露を掃部宿へつれこんで、お舟の手でどこかへ売りとばすつもりだったんですね」
「あっはっは、辰、豆六。おまえたち、きょうはいやにカンがさえてるじゃねえか。まあ、だいたいそんなところだろう。ところがそこへ、なにか手ちがいが起こったんだな」
「手ちがいというのが、うかれ坊主ですか」
「そうじゃねえかと思うが……豆六、お露は黒木屋へかえってるふうはねえか」
「そんなけはいはおまへんな。そんならおやじやおふくろが、あないに青い顔しているはずがおまへん。黒木屋では千両という結納のてまえ、ふたりの駆け落ちをできるだけないしょにしとこうちゅう腹らしいが、かんじんの玉がいよらへんさかい、大弱りやいう近所の評判だす」
「すると、うかれ坊主め、お露をどこへつれていきゃアがったのか」
佐七はだまって考えこんだ。
押しかけ女房
――いまいましいやおまへんか
その翌日の日暮れまえ、辰と豆六が外からかえってきて、
「親分、吉奴のお弔いはいますみました。銀次のやつは火葬寺からその足で、千住のほうへまいりましたが、どうしましょう」
「そうだな。まだなんの証拠もねえのに、つかまえるわけにゃいかねえし……ときに、黒木屋のほうはどうだ。お露のいどころは、まだわからねえようすか」
「どうもそうらしいんです。おやじもおふくろも、いっぺんに年をとったようですよ」
佐七はだまって考えていたが、
「よし、それじゃ出かけてみよう」
「へえ、どちらへ……?」
「どちらでもいい、むだになるかもしれないが、ほかに手がかりがねえからな」
それからまもなく、三人がやってきたのは相生町、大家の金兵衛さんの宅である。
「大家さん、おまえさんにぜひ、打ちあけてもらいたいことがあるんですがねえ。ほかでもねえ、うかれ坊主にゃ情婦《いろ》があって、ときどき会いにいくようだと、きのうおまえさんはおっしゃったが、その情婦というのは、どういう女で、どこに住んでいるんです」
佐七に問われて、金兵衛はちょっと顔色を変えた。
「じつはな、親分、そのことについちゃ、おまえさんにも聞いてもらおうと思っていたところなんです。うかれ坊主というのは、もと静岡のほうの、りっぱなお寺の住職だったそうだが、それがふとしたことから、門前の花屋の娘とねんごろになったんですな。それで寺を追い出され、江戸へ出てきて、ああいう商売をはじめたが、すると、その花屋の娘というのが、あと追っかけて江戸へ出てきたんです。情婦というのはその娘なんですよ」
「へへえ。すると娘のほうでも、うかれ坊主にほれてるんだな」
「そりゃアもう、首ったけなんで」
「それで、その娘の名はなんというんです」
金兵衛さんはにやりと笑って
「名まえをいやア、おまえさんたちみんな知ってる。ほら、両国の並び茶屋、銀杏《いちょう》屋の看板娘で、お光《みつ》というのがそれなんです」
「ぎょ、ぎょ、ぎょうッ!」
これには佐七もおどろいたが、辰と豆六は目をしろくろ。それもそのはず、銀杏屋のお光といえば、一枚絵にまでなった江戸の名物女。としは二十二、三、いささか薹《とう》が立っているが、水のたれそうな美人である。
「大家さん。そ、そりゃアほんとうですか」
「ほんとうですとも」
「しかし、それじゃどうして、いっしょにならないんです」
「いや、お光のほうじゃなりたがって、おまえさんひとりぐらい、りっぱに立てすごしてみせるというんです。ところが、うかれ坊主の先生は、おれはこの商売がおもしろいんだ。それに、おれが江戸の町からすがたを消したら、ぼっちゃん、嬢ちゃんがたががっかりなさる。と、いってどうしても承知しねえ。といって、うかれ坊主がいろとわかっちゃ、お光の人気にさわりますから、それでまあ、ごく内《ない》で会いつづけているんです」
「ちくしょう! うかれ坊主め、うまいことしやアがった」
いや、辰と豆六のくやしがること。
ふたりとも、だいぶお光にお賽銭《さいせん》を奉納した口らしい。
「それじゃ、もしやうかれ坊主は、お光のところにかくれているんじゃ……」
「へえ、わたしもそう思ったもんだから、ゆうべそっと、お光のところへいってみたんです。お光は知らぬといってましたが、どうもおかしいんです。あれほどほれた男が死んだと聞きゃア、もっと悲しそうな顔をしなきゃならねえはずだのに、お光のやつ、けろりとして、かえってうれしそうなんですよ。ですから、きっと、なにか知っているにちがいないんです」
「うちへかくまっているんじゃありませんか」
「そうかもしれませんが、しかし、うかれ坊主はなんだって、身をかくさねばならぬわけがあるんです。ありゃア、とてもひとのいい男ですがね。ああ、そうそう、それについて、わたしはちょっと心配なんだが、お光のところからかえりがけに、ばったり銀次のやつに会ったんですよ」
「銀次って、髪結い銀次ですか」
「ええ、そう。どうも銀次のやつ、わたしのあとをつけてきたらしいんだが、なんでそんないやなまねをするのか、わたしゃそれが気になって、おまえさんのお耳に入れておこうと思っていたんです」
佐七はおもわず辰や豆六と顔見合わせた。
「それで、お光のすまいというのはどちらなんです」
「亀沢町《かめざわちょう》の馬場わきで、銀杏屋のお光といえばすぐわかります」
「よし、それじゃさっそくいってみよう」
相生町から亀沢町といえば、すぐ目と鼻のあいだである。
三人が駆けつけたときには、もう夜もだいぶふけていたが、馬場わきで家をたずねて、教えられた路地へはいろうとすると、出会いがしらに、ばったり出会ったのはお光である。
「あっ、お光じゃねえか」
お光は佐七をすかしてみて、
「あっ、親分さん、助けてください」
と、すがりついてきたから、佐七もおどろいた。
「おお、お光、どうした、どうした」
「お預かりしていたお嬢さまを、だまされて、迎えにきたかご屋にわたしたんです。あとからうちのひとがかえってきて、かごのあとを追っかけていったんですが、いまもってかえりません。もしやふたりの身に、まちがいがあったんじゃあるまいかと……」
佐七は辰と豆六と顔見合わせた。
「お光さん、うちのひととはうかれ坊主か」
と、これは辰。
「はい……」
「お光さん、あんた、よう、わてらをだましやはったな」
豆六め、いやなところでいやみをいっている。
「あっはっは、つまらねえことをいうな。お光、心配するな。かごの行き先はわかっている。きっとふたりは助けてやるから、安心して待ってろ」
お光をのこして路地を出ると、
「親分、掃部宿《かもんじゅく》ですね」
「おう、お舟のところに決まっている。辰、豆六、急げ」
お露とうかれ坊主は、はたして、お舟のところに捕えられていた。
じっさい、それはあぶないせとぎわで、佐七がもうひと足おくれていたら、お露はかごでいなかへ送られるところであった。
うかれ坊主はだらしなく、はだじゅばんにふんどし一本、さるぐつわをはめられたまま、柱にしばりつけられて、目をしろくろさせながら、さるぐつわのなかで、
「ハ、ハ、ハックション、ハ、ハ、ハックション」
どうやらかぜをひいたらしい。
お舟と銀次は刃物をふるって抵抗したが、これはすぐに取りおさえられて、宿役人に引きわたされた。
お露とうかれ坊主の話によって、すべては明らかになった。それはだいたい、佐七の想像していたとおりであった。
お露忠七は銀次にそそのかされて、駆け落ちすることになったが、落ちゆくさきは掃部宿。銀次の知りあいで、親切なおばさんのうちと聞いていた。
そして、その道案内に立ったのが吉奴である。
こうして三人が小塚っ原へさしかかったのが七ツ半(五時)ごろ。ちかくに通称こつ[#「こつ」に傍点]とよばれる岡場所《おかばしょ》があるとはいえ、この季節にこの時刻では、人通りなどあろうはずがない。
わざとこの時刻をねらったらしい吉奴は、ここまでくると、急に毒牙《どくが》をむきだした。
どうせひとのおもちゃになるなら、そのまえに毒味をしておこうというわけで、やにわにお露にいどみかかったのである。
おどろいたのは忠七だ。
とめにかかろうとしたが、吉奴にかみそりをふりまわされ、二、三カ所かすり傷をおわされると、いくじなくもお露をすてて逃げだして、恐怖のあまり川へとびこみ、あやうく凍死するところを、与兵衛だんなに救われたというのだから、いやはや、いろ男だいなしである。
あとに残されたお露こそ哀れであった。
いかに抵抗したところで、しょせんは男と女である。逃げまわるうちにお露はいつか、帯を解かれておびひろ裸、凍《い》てつくような大地のうえに、あおむけにおしころがされ、きものも長じゅばんも腰巻きも、むざんに左右にかっさばかれた。
そのうえからのしかかってくる吉奴のからだはもえにもえて、吐く息はけだもののようである。すんでのことに、ふたりのからだは、ある一点でひとつになろうとしている。
それでもお露はまだあきらめなかった。夢中でひっかいた大地は、霜に浮いてあんがい柔らかだった。右手でつかんだひと握りの土を、下からはっしと投げつけると、これがまんまと命中して、おあつらえむきの目つぶしになった。
思いがけないこの不意討ちに、吉奴がハッとひるむところを、お露は渾身《こんしん》の力をこめてはねのけた。
一度ならず二度までのこの不意討ちに、吉奴はおもわずうしろへしりもちついた。
「おのれ、おのれ、このあま!」
吉奴は怒り心頭に発していた。立ちあがって、お露につかみかかろうとしたが目がみえない。お露はすらりとすりぬけると、うしろへまわって、ひょろつく吉奴の弱腰を、力いっぱい突きとばした。
「わっ!」
吉奴は鉄砲玉のように吹っとんだが、はずみというものは恐ろしい。石地蔵の台座のかどに、いやというほど脾腹をぶっつけ、そのまま悶絶《もんぜつ》、息が絶えてしまったというのは、いかにも小悪党の最期らしかった。
ところが、それがちょうどおき捨てられたうかれ坊主の早桶のそばでのできごとだった。
息吹きかえしたうかれ坊主は、早桶をやぶって出てきたが、お露から事情をきくと、死んでいる吉奴にじぶんの経帷子を着せて、これを早桶につっこんだのである。
「しかし、どうしてまた、そんなことをやったんだ」
「へえ、それは……」
と、うかれ坊主は頭をかきながら、
「たとえあやまちとはいえ、下手人はお露ちゃん。お露ちゃんがひどくそれを恐れますので、ええい、かまうことはねえ、いっそじぶんの身代わりとして、火葬にしてしまえば、だれもあの男の死んだことを知るものはあるまいと、思いましたんで」
ずいぶんむちゃな話だが、当時の法律では、たとえば屋根がわらがすべり落ちて、下をとおりかかった人間の頭にぶつかり、打ちどころが悪くてあいてが死んだとなると、その家の主人が下手人の罪にとわれたというから、お露がひたすら恐れたのもむりはない。
「なるほど」
佐七もそれにはすなおにうなずいたが、すぐまたひらきなおって、
「しかし、おまえはどうしてお露さんを、黒木屋へ送りとどけなかったんだ」
「親分、そりゃアむりですよ」
「むりというのは……?」
「だって、お露ちゃんがどうしても、じぶんの家をいわねえんですもの」
「あっ、なるほど」
「じぶんはもう家へはかえれぬ身と、ほうっておいたら自害でもしかねまじき顔色でしょう。それにあっしも、火葬にされたことになっちゃ、うっかりひとに会えませんや。そこで、お露ちゃんをなだめすかして、お光のところへつれてったんですが、そのあいだにあっしゃすっかりかぜをひいちまって……ハ、ハ、ハックション!」
そりゃそうだろう。あの寒空に経帷子いちまいで、半刻《はんとき》(一時間)あまりも、小塚っ原みたいなところへおっぽりだされていちゃ、うかれ坊主がいかにのんきな男でも、かぜをひくのはあたりまえ。佐七はおもわず吹きだした。
さて、こうしてみると、悪いやつは吉奴に、銀次とお舟、お露にはおかまいなしということになり、うかれ坊主にもおとがめはなかった。
その後お露は、忠七とのなかも承知のうえで嫁にもらおうという、与兵衛だんなの太っ腹にほだされて、年が明けるとそうそう、おこし入れすることになった。おそらくお露は、危急のさい、じぶんを捨てて逃げだしたいろ男に、あいそもこそもつきはてたのだろう。
「ところが、親分、ここにひとつ、いまいましい話があります」
それからまもなくのある日、憮然《ぶぜん》としていったのはきんちゃくの辰。
「なにがって、お光のあまでさあ。あの一件で、うかれ坊主とのなかが露見したのをいいことにして、相生町へ押しかけ女房、はいりこんじまったということですぜ。あの破戒坊主め、よっぽどいいとこがあるとみえますね」
と、辰が口をとんがらせば、豆六がまたすぐそのしり馬にのるやつで、
「そのいいぐさがええやおまへんか。このひとひとりでほっといたら、いつまたふぐやなんか食うて、あないなことになるやもしれへん、わてという女房がそばについとらんと、あぶのうてしようがないちゅうんやそうで。おかげで、ちかごろ長屋のもん、当てられどおしやいう話だっせ」
辰と豆六、口さきでこそいまいましがっているが、内心では喜んでいるふうである。
そのうかれ坊主と女房のお光、そのごも共かせぎで、いままでどおり商売をつづけているが、人気が落ちるどころか、かえって江戸っ子の気性にかなったのか、ますますひとに愛されて、うかれ坊主はあいかわらず、うかれうかれて、陽気にひとを笑わせている。
[#地付き](完)
◆人形佐七捕物帳◆(巻二)
横溝正史作
二〇〇五年五月十五日