わが鎮魂歌
梶山季之
目 次
第一章 放蕩の酒
第二章 遺書のある風景
第三章 破瓜のとき
第四章 絶望と鮮血と
第五章 妄想の臥床
第六章 新思潮のころ
文庫版あとがきにかえて 梶山美那江
第一章 放蕩の酒
一
……そのころ、新天地の〈加代〉と言えば、広島のジャーナリストが集まる一杯飲み屋として有名だった。
まだ区画整理もされない時分で、ごちゃごちゃとバラック建ての飲み屋が立ち並び、おでん、どて焼、焼鳥といった粗末な提灯が、うす汚い暖簾《のれん》と共にはためいている一角に、その〈加代〉はある。
立附《たてつけ》のわるい引き戸をあけると、鉤《かぎ》の手になったカウンターがあって、長い黒髪をひっつめにした女将の松井加代が、客によっては、
「あら、いらっしゃいませ」
とか、
「まあ、久し振りね。どないしとったん?」
などと挨拶の言葉を使いわけるような、そんな飲み屋であった。
早い話が、なんの変哲もない、客が七人坐ったら身動きとれなくなるような、狭い店なのである。
女将が美人だったわけではない。
雀斑《そばかす》の浮いた、卵型の顔は、庶民的な親しみの持てる顔立ちではあるが、そして印象に残る表情ではあるが、美しいとはお義理にも言えなかった。
それでいて灯点《ひとも》し頃ともなると、新聞記者や放送局員、それに画家や自称詩人、大学教授などが、〈加代〉に集まってくる。そして午前一時、二時ごろまで、わいわいがやがやと話し込んでいるのであった。
中山俊吉が、はじめて〈加代〉の暖簾をくぐったのは、たしかペンクラブの総会のあった夜で、学生の身でありながら、クラブの事務局の仕事を担当している俊吉を、ある新聞記者が慰労の意味で連れて行ったのである。
「こちら、中山君じゃ。ペンクラブの仕事を助《す》けて呉れとる」
記者が、加代にそう紹介すると、加代は俊吉をじいーっと見詰めて、
「若いのね」
と言った。それが初対面の挨拶である。
俊吉は、少し照れながら、
「ラム酎……ありますか?」
と訊いた。
ラム酎とは、焼酎をラムネで割った飲物で、当時の俊吉は、広島駅前の屋台でそればかり飲んでいたのである。
記者は苦笑して、
「きみ、きみ! ここは高級な店じゃけエ、カストリは置いとりゃアせんが!」
と、俊吉をたしなめた。
それが機縁で、俊吉は週に一度ぐらい〈加代〉へ通うようになったが、通ううちに、〈加代〉に客が集まるのは、二つばかり理由があることを知った。
一つは、女将である松井加代の、歯に衣を着せぬ毒舌である。誰かれの容赦なしに、決まって広島弁で悪態をつく。客も負けじと言い返し、加代がまたやりこめる……といった按配で、客の多くは、その客と加代との会話を愉《たの》しんでいるのであった。
もう一つは、加代の店だけは、おでんだとか、焼鳥といった看板料理を扱わず、季節に向いた小料理を、何品か用意してあって、客の好みに応じて酒の肴《さかな》に出すことだった。この上品さが、おそらくインテリ達にうけていたのであろう。
中山俊吉は、文学青年であった。
文部省直轄の、広島高等師範学校の学生であり、しかも育英資金すら毎月貰う身分でありながら、授業には全く出席せず、その意味で名物男になっている人物だった。
〈天邪鬼《あまのじやく》〉という同人雑誌を主宰し、〈小説勉強会〉〈世代〉〈文学共和国〉といった同人雑誌グループを語らって、広島文学協会をつくり、共通の機関誌〈広島文学〉を月刊で発行することに、血道をあげている奇特な男でもあった。
ペンクラブの事務局を担当するようになったのは、彼が新聞社によく出入りし、その方面で顔が売れていたからに他ならない。むろん無報酬の仕事である。
俊吉の志は、すでに文学≠ノあった。
高等師範学校は、中学や高校の教員を養成する学校であるが、教師になる気は毛頭なくて、卒業したら新聞社に入り、記者をやりながら、コツコツ小説を書こう……と考えていた俊吉である。
従って彼の頭の中には、一つの人生の図式が完成していたことになる。
新聞社の入社試験に合格―卒業―就職―結婚―昼は記者生活、夜は小説執筆……といった図式であった。そして運がよければ、その次に、文学賞受賞―記者廃業、小説家として一本立ち……という図式がつづくのである。
文学青年のつねとして、俊吉も昼間は文学書と喫茶店を愛し、夜は酒と文学論とを愛した。
彼が〈加代〉に出入りしはじめたのは、高師の卒業を一年後に控え、ひまさえあれば原稿用紙に向かっている時分だったのである。
俊吉は、〈加代〉に集まるジャーナリストや画家たちの、他愛のない会話のやりとりが好きであった。
よく顔を合わせるのは、放送局員の工藤浩三、自称詩人で家具会社を経営していた大平武也、それにある新聞の支局長である吉井冬彦の三人で、〈加代〉を覗《のぞ》くと、きまってこの三人の誰かがいた。
工藤は江戸ッ子で、いかにも都会人らしく洗練された思想と言葉をもった男であり、酔うと俊吉の頬にキスをする癖があった。
大平武也は、金使いが荒いというので、社長である兄から、重役の椅子を剥奪されたという酒豪で、
「中山さんよ。わしゃア、これでも三田ではちいとばかり名を売った詩人での、あんたらみたいな嘴《くちばし》の青い人にゃア判るまいが、三田の学生時分にゃ、たいそう女を泣かして、大平が通るあとには、捨てたラブレターが山と残っとると云われたもんでがんすよ。どうの? こういうことは、判りますまアが、ええ?」
などと言い、一杯飲んではふらりと出て行き、また何処からともなく戻ってきては、
「加代ちゃん、もう一杯!」
という愛嬌のある人物だった。
加代は、そんな大平武也を嫌っているらしく、二度三度、大平が出たり入ったりしはじめると、
「はア、酒は無いよ。他の人に売る酒はあっても、武也に売る酒はないんじゃけエ」
と強い言葉できめつけた。
「まア、そう言いんさんな。一杯だけ、な? ええじゃろうが?」
と、大平武也はねばる。
「うるさいねえ、塩をまくよ……」
と、加代。
「判らん女子《おなご》じゃのう。じゃア半分。それならよかろうが?」
「仕方のない人よね!」
といったやりとりがあって、また大平武也は腰を落ち着けて飲みだすのであった。
吉井支局長は小柄だが威勢のよい人物で、酔うと大声で笑い、いかにも笑い飛ばすという感じで、自分が笑うだけでは足りなくて、隣に坐っている誰彼の肩をどやしつけるという奇癖の持ち主であった。
俊吉は、スマートな工藤浩三や、男性的な吉井冬彦には心を惹かれたが、自称詩人の大平武也には、なにか人生の落伍者的な悲哀を感じて、あまり馴染めなかった。
もしも自分が、作家として成功できずに、新聞社の地方支局あたりで、負け犬≠ニなって若い文学青年を相手に、管《くだ》を巻いて心の憂さをはらしている、そんな姿を空想するのが嫌だったのかも知れない。
大平武也は、育ちはよい癖に、あまり身なりは構わず、酔ってくると、目ヤニを出すような老い込んだところがあった。
本人は、この地方ばかりでなく、全国に名の売れた〈大平家具〉という会社の、次男坊だという気負ったところがあったが、人々は彼が禁治産者であることをよく心得ていて、会話をしていても、心の中で小莫迦にしているような感じだった。それが、ハッキリ判るので、中山俊吉には不愉快なのである。
だから、ある面では大平武也に同情しながらも、五十近い年齢で、毎晩の如く一杯飲み屋を歩き廻り、松井加代に勝るとも劣らぬ毒舌を吐き、
「あんなの、つまるかいや! 田舎者めが」
とか、
「だから素人は恐ろしいの。金を持たぬ人間が、金の怖《こわ》さを知らんようなもんよの」
などと、決まって口癖に言う大平が、なにか敗残のうらぶれ者めいて感じられ、憂鬱だったのである。
かといって、心底から嫌っている訳ではない。
詩人を自称するだけあって、時折、大平の口をついて出る警句は、広島という中都市にあっては、なかなかに卓抜なもので、それは工藤浩三も一目おいている感じだった。
ただ俊吉には、毎晩の如く飲み歩く、大平武也の勘定がどうなっているのか、そして大平の家庭がどんな工合なのか、心配でならなかった。
もしかしたら俊吉は、文学青年のなれの果てである大平武也に、数十年後の自分を感じて、憎しみを覚えながらも、親近感を抱いていたのかも知れぬ。
二
……それは、梅雨どきの、人々がようやく出廻りはじめた蝙蝠《こうもり》傘《がさ》を、肌身離さず持ち歩いているような時期の、ある夜のことであった。
例の如く新天地の〈加代〉に集った常連たちが、どういう風の吹き廻しか、酒の肴がなくなったのを機会に、すぐ目の前にある劇場裏の洋酒酒場に、店を閉めて繰り出そうということになったのだ。
その酒場は、ある新聞記者の細君が、経営していて、俊吉もその記者とは顔見知りであった。
顔触れは、大平武也、吉井支局長、加瀬実代子という婦人記者、松井加代、それに俊吉の五人であった。
カウンターだけだが、〈加代〉とは比較にならない近代建築の、ちゃんとトイレもついている酒場で、人件費はかからないが、売り上げだけはあがっている感じの店である。
俊吉はトイレ近くの一番端に坐り、美人のマダムを相手に世間話をしていた。
ところが、どういう会話のやりとりがあったのかは知らないが、突然、大平武也が、
「おどれ! 生意気ぬかしくさって!」
と喚《わめ》くなり、隣にいた松井加代を打擲《ちようちやく》しはじめたのである。
俊吉は、唖然となった。
加代は大平を突き飛ばし、また大平が蝙蝠傘の柄《え》で撲り返す……という一場面があって加瀬実代子が仲裁に入り、
「なによ、酔っぱらい! 糞爺いめが!」
と、加代が泣きながら悪態をついて、加瀬実代子から介抱されながら、洗面所に姿を消して行った。
俊吉は、蒼白い顔をしながら、ハア、ハアと肩で息をついている大平武也の傍に寄り、
「なにがあったんです? 女の人を殴っちゃあ、いけませんよ……」
と、忠告めいた言葉を吐いた。
すると大平は、蒼い顔をした儘、奇妙な引攣《ひきつ》った笑いを示して、
「なあに、構うもんか、あんなもん! わしには殴る資格があるのよ」
と言った。
それは誇張ではなく、なにか過去の真実の匂いが感じられる言い方だった。
俊吉は、はッとなった。
松井加代には、結婚して別れた亭主と子供があるという噂であった。亭主と別れた後、加代は店を出した訳だが、その資本を出したのは大平武也かも知れぬ。資本の関係はないにしても、少くとも数回、肌と肌の関係があったのは慥《たし》かであろう。
不意に俊吉は、大平武也を憎たらしく思いだし、ついで殴られた松井加代に同情を覚えた。
俊吉は、洗面所から戻って来た加瀬実代子と入れかわって、洗面所へ行ってみた。
松井加代は、洗面所で青い痣《あざ》になった眼の縁を、水で濡らしては冷やしているところであった。
俊吉は肩に手をかけ、
「大丈夫?」
と訊いた。
その途端、加代は俊吉に狂ったように抱きついて来て、唇を吸い、
「今夜、介抱して! 帰っちゃ嫌!」
と言ったのだ。
むろん俊吉は、童貞ではなかった。
彼には、久我美那子という、心に決めた女性がいた。恋人である。
俊吉は、なぜ処女≠ノは金銭的な価値があり、童貞≠ノはそれがないのだろうかと、不審に思っていた文学青年である。
処女にも、童貞にも、あるのはただ新しさ≠ニいうことだけであった。
だが、処女のみ尊ばれて、童貞の価値は軽んじられる。
俊吉は、童貞処女同価値論を唱えて、恋人の久我美那子に、結婚するのだから肌を許せと迫った一時期がある。
美那子は気丈な女性で、
「結婚までは駄目」
と、自らも情熱に溺れそうになるのを、必死になって耐え、焦り立つ俊吉をなだめすかしては、何回もの危機を切り抜けて来ていた。
俊吉は苛立った。
結婚を誓った女性が、彼の申し出を受け容れて呉れぬ腹癒せから、俊吉は、ひところ交際していた年上の女編集者――東京の女子大を出て、教科書会社に勤めている、あまり器量のよくない、化粧の下手な女性だった――を相手に選んだ。
彼女はインテリだけに、彼の唱える童貞処女同価値論に共鳴し、
「あたし、処女だわ。だから中山さんと、交換できるわけね」
と言い、ある夜、俊吉の自宅の離れに忍び込んで来たのである。
その方面の知識だけは豊富な癖に、からきし体験のない俊吉は、はじめて接する女体の扱いに困惑し、悪戦苦闘した。体位がわるかったのである。
何回試みても失敗するので、その女性は終りには泣き声で、
「あたし達、駄目なのかしら……」
と訴えたほどである。
明け方近く、腰枕を使って、やっと交換≠ヘ終了したが、童貞を捨ててからの俊吉は、不思議と女体にめぐまれていた。
相手は、バーや飲み屋の女性たちで、時には結婚している人妻や、未亡人なども、馬に触れれば馬を斬り、人に触れれば人を斬る、といった感じで、俊吉が口説きもしないのに自ら肌を許した。
文学青年で、背だけ高く、いつも風に吹かれて飄々としている俊吉に、女性たちは母性本能を擽《くすぐ》られたのかも知れぬ。
……ところで松井加代の接吻は、俊吉が今まで味わったことがないほど巧みで、執拗なものであった。
洗面所のドアは閉っているが、いつ人が這入って来るかも知れぬ。俊吉は、大平武也が這入って来て、再び乱闘になるのではないかと懼《おそ》れ、唇を離そうと努めたが、加代は許さず、
「あとで来て! きっとよ?」
と何回も囁くのであった。
俊吉は口紅を拭い、急いで洗面所を出た。そして誰ともなしに、
「顔が腫《は》れてる。ひどいなあ、大平さんは」
と呟いた。
間もなく、タオルで顔をおさえた加代が出て来て、
「お騒がせして……」
とマダムに謝り、加瀬実代子に、
「うち、帰るわ」
と挨拶した。
大平武也はやっと平常の彼に戻っていて、
「加代ちゃん、済まなんだのう。送って行こうか……」
と言った。
加代はプンと拗《す》ねて、
「あんたとは、口をききとうもないわ」
と叩きつけ、俊吉に、
「ではね……」
と意味あり気な挨拶を残して、加瀬実代子に送られて出て行ったのであった。
そのあと大平武也は、いつになく荒れて、
「畜生め……」
とか、
「腐れ女が!」
などと呟き、酒場のバーテンが閉店を告げると、俊吉に、
「もう一軒、つきあいんさいや……」
と、未練たらしく言い、俊吉も断りかねてのこのこ跟《つ》いて行ったが、やはり訪ねた店も暖簾をしまっていた。
彼は、バタンコと称する三輪自動車を改造したタクシーを、大平のために拾ってやり、そのあとで〈加代〉に引き返した。
加代は、店の中二階の、三畳ぐらいの部屋で寝泊りしていたのである。
新天地は寝静まっていた。
野良犬が、ゴミを漁っている黒い影があるだけで、人通りもない。
戸に手をかけると、案の定、鍵はかかっておらず、俊吉は真ッ暗い店の中に入ると、内鍵を探してかけた。
カウンターを潜り、ギシギシいう、勾配の急な梯子段を昇ってゆくと、敷きっぱなしらしい蒲団がみえ、加代の寝ている、こんもりした黒い膨《ふく》らみがあった。
俊吉は洋服をぬいで、蒲団の中へ潜り込んだ。そして、加代の着ているものを、すべて剥ぎとった。
加代は、酔って寝たふりをしており、すべてに無抵抗だったが、指をすべり込ませると彼女が起きていて、なにかを期待していることが判った。
加代の湿り工合は、俊吉がこれまでに接したどの女よりも潤沢で、そして豊饒《ほうじよう》な毛根にめぐまれていたのだ。
そして行為の半ばから、応じて来た加代の激しさも、また格別であった。
中山俊吉は正直に言って、この松井加代の肉体によって、女性の躰《からだ》の味には、上下があることを教えられたことになる。
子供を産んだ三十歳の女将の体は、みずみずしくて、そして収縮がはげしく、その言いようのない快感に、俊吉は思わず眼を瞠《みは》ったのである。
明け方近くまで四交に及び、それでもまだ喰い倦きぬ感じであった。
人通りのない、朝の広島の町を、霖雨《りんう》に濡れて帰りながら、俊吉は不図、恋人の美那子に、また一つ罪を犯したと思った……。
三
中山俊吉が、久我美那子を知ったのは、彼が〈天邪鬼〉という同人雑誌をはじめて間もない頃である。
たしか二年前の春のことで、そのとき俊吉は、刷り上ったばかりの創刊号を、赤い自転車の荷台に積み、本通りの書店において貰うべく、革屋町のあたりにさしかかっていたのである。
とつぜん彼は、
「中山さあーん」
と女の声で呼ばれ、車を停めると、同人の牧左津子が、久我美那子と一緒に、広島駅行のバスを待っていたのだった。
「こちら、久我さん。いま二人で、吉島に速記を習いに行っているの」
と牧左津子は紹介した。
「はじめまして。よろしく……」
そう微笑しながら、挨拶をした美那子の顔を、一眼みたとき俊吉は、なぜか、
〈あ、俺のワイフだ……〉
と思い、
〈こんなところにいたのか〉
と、ついで思ったのである。
むろん、初対面の女性であった。
にも拘らず俊吉は、一眼で、久我美那子に宿命的な、当然、結ばれるであろう縁を感じたのである。
あまりにも文学的だと、人は言うかも知れない。だが、中山俊吉が美那子から感じた第一印象は、まるで易者のような、そんな予言めいた感情であったのだ。
別に、理想の女性という、彼の心の中で決まったタイプや、顔立ちがあった訳ではない。
ただ、もやもやした、半理想的な像が心の中にあって、久我美那子をみたとき、ピタリとそれらのもやもやが、焦点を定めて、一つの映像となって現われた……というような感じである。
美那子は、茶のスラックスに、グリーンのシャツを着ていた。そして手には、洒落た小さな鞄を持っている。
髪の毛は無造作に掻き上げ、殆んど化粧はしていない。口紅だけが、目立つ程度であった。
笑うと、左上歯にかぶせた一本の金歯が、ちらっと覗いて、奇妙に俊吉の情欲を刺戟するのだった。
彼は、牧左津子と美那子とを、強引に近くの喫茶店に連れ込んだ。
美那子は、迷惑そうな顔をしながらも、供をして来て、俊吉が荷台から取って来た〈天邪鬼〉を、ペラペラとめくりながら、彼と牧左津子との会話に、それとなく耳を傾けている風情である。
彼は牧左津子と話すというより、むしろ美那子に聞かせるために、語りかけていたような気がする。
美那子が、二人の話題に入って来ないので俊吉は、少し許《ばか》り業を煮やし、
「久我さんでしたね。我々の同人になって下さいませんか?」
と話しかけた。
すると美那子は、金歯を可愛らしく覗かせて、
「あたし、理科系のお友達が多いんです」
と言い、
「でも、雑誌は買わせて頂きますわ」
と言ったのだった。
俊吉は図々しく、
「いや、雑誌は贈呈します。私の理想の同人とはですね、同人費は、きちん、きちんと支払うが、作品は提出しない、いわば牧左津子の如きパトロン同人ですよ。そのパトロン同人になって頂いた方がいい」
と言って笑った。
「あら、失礼ね。次には、長い長い叙事詩を書いて出すわよ」
と牧左津子が抗議口調で云うと、美那子は笑って、
「あら、数行の叙事詩なんてあるかしら?」
と茶化すように言った。
これには一本とられた牧左津子は、
「叙事詩が長いこと位、知ってるわよ。だから、常識はずれに長いって意味で言ったんだわ。なにしろ、原爆の日のことを、歴史的なモニュメントとして描くんだから……」
と弁解した。
美那子は、詩や小説よりも、小林秀雄や平野謙などの評論の方を読む機会が多いと俊吉に語り、
「だから私は、理科系の人と交際《つきあ》っている方が、気楽なんでしょうね。文科系の人は、中山さんを前にして失礼ですけど、軽薄な人が多くて……」
と、ずけずけ言った。
牧左津子は大いに喜び、
「さしずめ中山さんは、軽薄才子ね」
と笑い、同人勧誘の話は、それでチョンとなった。
だが俊吉は、決して諦めた訳ではない。その証拠に、その日の夜、牛田町に住む牧左津子にあてて手紙を書き、美那子を同人に勧誘したいから住所を教えて欲しいと、さり気なく用件に触れている。
あとで考えると、同人に勧誘したいと言うのは、あくまで中山俊吉の口実であって、それは久我美那子とあくまで接触を保ちたい、自分の未来の妻たるべき女性と交際したい、という野心のあらわれであったようである。
彼は、牧左津子からの返事を待ち佗《わ》びた。しかし、返事は来なかった。
それで、同人会の通知状を出す時、
『久我さんを誘って来て下さい』
と牧左津子の葉書には書いた。
同人会の当日、牧左津子は遅れてやって来て、
「久我さん、誘ったけど、今日は先約があるんですって。同人勧誘は無理みたいよ」
と言い、未練そうな表情をした俊吉に、
「だいぶ思召《おぼしめ》しがあるみたいね。あたしだって女よ?」
と冗談を言いながら、住所を書いたメモを呉れたのだった。
『呉市西内神町十六
久我美那子』
と書いた紙片を、俊吉は頬ずりしたい心境で眺めたことである。
同人会は、元県庁跡の水主町にあった、俊吉の家でひらかれるのが常であった。
比較的に便利な位置にあったのと、俊吉の母親がハワイ生まれで、ハワイやカリフォルニアにいる母の兄妹――つまり俊吉にとっては伯父や叔母たちが、救援物資を毎月送ってくれるため、珈琲や砂糖が、ふんだんにあったからである。
同人の中には、この甘味品にありつくために、同人会を待ち佗びている者もあった位で、俊吉は、そんな仲間を〈ララ同人〉と渾名《あだな》していた。
高師の学生の中に、クリスチャンになればララ物資が優先的に貰えるという話を聞き、慌てて洗礼を受けた者があった。これをララ教徒と名づけたのに倣《なら》った渾名である。
俊吉は、その夜、小説を書くより真剣な表情で、原稿用紙に向かった。
久我美那子にあてて、手紙を書いたのである。趣旨は、牧左津子から同人になる意志はないと聞いたが、もう一度、思い直して貰いたい。文学的な雰囲気に浸るのも決して悪くないと思うし、一度、同人会に出席した上で駄目なら諦めるが……といった、くどくどしい内容のものである。そして末尾には、返事を欲しいと書き添えた。
俊吉としては、美那子を是が非でも、同人に引きずり込まねば、未来の妻を喪ってしまう……という感じであったのだ。
美那子からは返事はなく、次の月の同人会の通知を出すと、
『前略、ご免下さい。お手紙、拝見しました。同人会の件、都合がつけば参りますが、あてにしないで下さい。どうせ、冷やかし半分ですので。久我美那子拝』
と書いた、男っぽい返事が来た。
――初夏であった。
その日曜日の朝、俊吉は珍しく早起きして芝生や、庭の池の掃除などをし、同人たちが来る時刻には、門から玄関までの石畳に、水を打ったりした。
母親は、
「おや、今日はひどく張り切っとりんさるじゃないの、俊吉……」
と冷やかし、盆栽の手入れをしながら父親の方は、
「一文にもならんのに、阿呆な奴ちゃ!」
と言った。
俊吉の父は、橋梁とか隧道《トンネル》などが専門の、いわゆる土木技術者で、文学とか音楽とかには、全く理解がない人物だった。
俊吉が、
「父さんが鉄骨とセメントで橋を創造するように、言葉で創造してゆくのが文学なんだ」
と説明しても、
「橋やトンネルは人に喜ばれるが、小説なんて人間を堕落させるだけだ」
と答えて、俊吉を切歯扼腕《せつしやくわん》させた。久我美那子の言う理科系の人間が、俊吉の父親なのであった。
それでも俊吉が、アルバイトをして金を溜め、〈天邪鬼〉を創刊した時は、俊吉の〈一押し二金〉という短篇を読み、
「これはモデルはあるのか?」
とだけ訊いた。
第三日曜日にひらかれる同人会の日も、いつしか中山家では公認となって、俊吉の妹が同人のためにパンを焼いてくれたりするようになったのだ。いわば家族が、俊吉の道楽として、文学活動を認めてくれるようになっていたのである。
四
同人会が始まり、コーヒーポットが二回もお代りされても、久我美那子の姿は現われなかった。俊吉は失望した。
ところが、そろそろ散会しようか、という雰囲気になった頃、石畳を踏んでくる女靴の音がした。
彼が顔を輝かせて立ち上り、応接間から庭をみた。藤棚の下を潜って、広い鍔《つば》の白い夏帽子をかぶり、白と黒の大胆な柄のツーピースを着た美那子が、物怖じせず近寄ってくるところである。白いサンダルが印象的であった。
俊吉は、家から飛び出して、彼女を迎えたいような衝動に駈られながら、
「来た、来た」
と言った。
「え、誰だい?」
雑誌の発行人である安倍稔が、気どって煙草を咥《くわ》えながら訊いた。俊吉は牧左津子に、
「きみ! 久我さんだよ」
と弾んだ声で告げた。
「え、本当?」
牧左津子は玄関まで迎えに出て、信じられない顔つきをしながら、美那子を仲間のところに連れて来て、
「あたしのお友達の久我さん……」
と紹介し、俊吉の顔をみて、
「中山さんの執念深いのにも呆れたわ……」
と呟いた。
俊吉は、慌てて珈琲を沸しに立ち、照れながら美那子に、今月の同人会の経過について説明した。
すると安倍稔が、
「おい、中山。俺たちは初対面だぞ。みんなを久我さんに紹介するのが、淑女に対する礼儀というもんだぜ……」
と冗談めかして言った。
「済まん。忘れてた」
俊吉は赤くなりながら、
「こちら、安倍稔。高師の社会科に在学中。創刊号に〈ギャーッ〉を書いた男です。次が秋田|煕典《ひろのり》。詩を書いている。朔太郎の心酔者でいま浪人中……」
「次は浅見皓一。日大芸術科の写真科に入ったけれど、もう夏休みだと勝手に帰って来たサボリ男で、その隣が三村節子さん。創刊号をみて同人に加わった高校生の詩人でしてね……」
などという風に、いちいち注釈をつけながら説明して行った。
その俊吉の解説を聞いた秋田が、
「いつになく冴えてる」
と冷やかし、ついで安倍が、
「いや、中山の紹介には悪意がある。自分ひとりだけ、良い子になろうとしてる」
と冗談を言ったりした。
同人会は散会したあと、何人かが残って将棋をさしたり、ポーカーに打ち興じたりするのが、いつものことだったが、その日、俊吉はその儘《まま》、美那子と別れるのが嫌さに、みんなで街に出ることを提案したのである。
街に出て、本通りを歩き、喫茶店に入ったが、女同士で固まって、美那子に積極的に話しかける機会もない。そして彼女は、喫茶店を出ると、
「あたし、次の約束がありますから、これで失礼しますわ」
と言い、一礼すると、さっさと福屋百貨店の方にと歩いて行ったのであった。
牧左津子が俊吉の傍に寄って来て、
「ふられたようね。彼女、誰かと待ち合わせて、東洋座のロードショーを見るんですってさ……」
と、挑発的に告げた。
俊吉は、遠くに去ってゆく美那子の、白いサンダルを見送りながら、心の中で、
〈きっと彼女は、同人になる。いや、同人にしてみせる!〉
と呟いたのである。
俊吉の確信通り、美那子は同人となった。後に、美那子は、
「貴方と交際するために、同人になったみたいね」
と述懐したが、週二回速記塾へ通う美那子を待ち伏せたり、一緒に映画に行ったりして二人の仲は俄かに親密なものとなった。
ある夜――星のない、しかも涼しい晩であった。
俊吉は、美那子と広島の町を散歩し、人通りの途絶えた比治山橋の上で、美那子に求愛したのだ。
彼は唐突に、
「久我さん。結婚して下さい」
と言った。
美那子は、しばらく黙っていて、その儘、橋の上を歩みつづけた。
俊吉は、それを追い、
「待ってくれ。僕の言ったことが、聞えなかったのかい?」
と言った。
美那子は彼に背を向けて立ち停り、黒い川面を覗き込んだ。かつて原子爆弾の洗礼を受けた日、幾万という人々の魂を呑み込んだ太田川は、無気味なくらい静かであった。
「聞えたわ……」
美那子はポツンといい、
「本気で仰有《おつしや》ってるのね」
と呟いた。
「うん、真剣なんだ。きみは僕のことが、嫌いなのかい?」
俊吉は言った。
「嫌いじゃないの。好きだわ。でも……交際して間がないし、それに私、母ひとりに育てられたでしょう? 結婚に失敗したり、夫を喪ったりした女が、どんなに惨めかを、子供の時から、この眼で見て来たの。だから怖いのよ、結婚するっていうこと。それに二人とも、まだ若すぎるわ……」
「そう、若い。だけど、それがなんだ。僕はきみを女房にしたいんだ。はじめて会った時から、そう心に決めてたんだから……」
「私が悪かったのね。そんな積りで、中山さんと交際してたんじゃないのよ……。ただ、なんというか、貴方って私が今まで交際して来た男の人とは、全然、別なものを持ってらっしゃるのよ。だから……」
「僕はまだ学生だ。卒業したら就職して、きみと結婚する。いけないか?」
美那子は泣き笑いの表情をつくって、
「そんなこと、突然、言われたって……」
と呟いた。
不意に、俊吉は感情が激して来て、橋の石の欄干を両手でつかみ、ウウッ、と低く呻いた。いま、美那子を喪ったら、自分の人生は終りだ……という感じだったのだ。
彼は、泣いた。嗚咽した。なぜだか判らないが、美那子を喪うことが怖かったのだ。
――その夜、美那子は終列車に乗り遅れ、夜っぴて比治山公園や、二葉の里あたりを散歩する羽目になった。そして別れ際に彼女は俊吉の押しまくる情熱に負けた如く、
「待ってます、卒業まで……」
という言葉を残して、改札口へと消えて行ったのである。
その直後に、俊吉が美那子に投函した書簡がある。
『いま、文学協会の理事会から帰った処。昨夜のことは、まるで夢のようで、二時間しか眠らない僕の頭は、貴女のことで一杯だ。貴女だけだ。
冷静に昨夜のことを振り返ってみた。僕は貴女に恋すまいと、必死のポーズをつくっていた。貴女に「惚れそうだな」と思った第一印象。それは強烈で、純粋で、どうにもならない、避けられないような宿命であった。
でも何故か僕は、反抗していた。僕は自尊心の強い男だ。失恋は敗北を意味する。失恋するのが厭なのだ。だが、悲しいことに、初対面から僕は、きみを結婚の相手に考え、恋をしてしまっていたのだ。人間は所詮、正直なものなのだ。感情は偽れない。
僕は橋の上で泣いた。嗚咽した。
きみに失恋することも恐ろしく、悲しかったが、あの時、僕を嗚咽させたのは、無性な腹立たしさだった。茶化したような言辞を弄《ろう》し合っていた、数分前の僕自身が憐れで、惨めでならなかったのだ。
「好きなのよ」などと君は言った。「私が悪かったの」とも言った。それがまた悲しかったのだ。君は「待つ」と言う。本当だろうか? 本当に待っていて呉れるだろうか。
僕は正直に告白した。きみも正直に返事して欲しい。嫌いなら、嫌いでもよいのだ。今のうちなら、あきらめられるだろう。いや、あきらめ切れない。やはり久我美那子は、中山美那子になって貰いたい。
夜という雰囲気は、僕を勇気づけはしたけれど、その夜に酔って告白したのではない。決してない。裸の気持なのだ。だから本当に待っていて欲しい。
結婚を前提として、これからはお互いを知り合おう。きみは不安かも知れないが、僕は自分の妻としてしか、久我美那子を考えられないのだ。
愛しているとは言わない。キザな、この文句は、いまの僕の気持にはピタリと来ない。好きだ。たまらなく好きなのだ。
きみの返事を貰うのが、なぜか怖ろしいような気がする。人生の岐路だから。でも、やはり返事は欲しい。その返事を、僕は恐らく泣くような想いで、待ち佗びていることだろう。もう一度言う。美那子さん、僕の、中山俊吉の妻になって欲しいのだ』
――中山俊吉は、それこそ毎日のように、美那子に手紙を書いた。その手紙は、少しずつ彼女の心を動かし、返事の手紙にも、それが滲み出るようになった。
そして、最初の手紙から二十日後には、美那子も書簡の中で、『今の私は、貴方のことで一杯ですわ』とか、『貴方が私を愛して下さっているとしたら、頭で愛してらっしゃるのではないかしら』などと書き、更に十日後には、
『やはり貴方のことを考えています。もっと愛して下さい。ね? 心臓にジーンと来るように。無理ですかしら。今週の終り頃、お逢いしたいと思います。おやすみなさい』
などと書き添えるようになったのだった。
中山俊吉の恋は実ったのである。
五
そのころ、俊吉は、まだ童貞だった。
広島市内には、弥生町という遊廓があり、そこへ行けば、それを捨てられることも、ゴム製品を使えば淋病にはかからないし、娼婦に接吻したりしなければ、梅毒になることも少いことを彼は知っていた。
その方の知識は豊富だったのだ。
それに〈天邪鬼〉の同人である浅見皓一は、弥生町の中の印刷所の一人息子で、俊吉は浅見の家の二階から、屋根伝いに隣家の娼婦の部屋へ遊びに行ったりして、彼女たちの生活すら知悉《ちしつ》していたのである。
が――俊吉は、それをしなかった。
娼婦の一人は、彼が童貞であると知ると、目を輝かして、
「いま、検診から帰ったところじゃけ、病気の心配はないのんよ? ただでええけエ、私を抱いてよね……」
と言った。据え膳である。
しかし俊吉は首をふり、
「いやだな。俺が童貞をやる女は、もう決ってるんだよ……」
と答えた。
その女性――それが久我美那子であったのだ。
結婚を誓い合った二人は、週に一回は、必ず会った。美那子が広島へ来るか、そうでない時は彼が、国鉄バスで呉へ行った。
二人が、はじめて接吻したのは、呉市の二河公園である。美那子は、はじめてらしく、歯をガチガチと鳴らした。
ある夜など、彼が広島行の最終バスに乗り遅れ、公園の中で、夜っぴて抱擁しあい、接吻し合っていたこともある。そして朝みると二人の唇は、蚊に刺されたように赤く腫れ上っていた。
だが、美那子は、理性の強い女だった。彼の情熱に、滅多なことでは負けなかった。
たしか沈丁花の匂う春先の、冷雨がしとしと降る日のことであった。
俊吉は矢も楯《たて》もたまらなくなり、バスに一時間ほど揺られて、西内神町への長い坂道をのぼり、美那子の家の玄関に佇んだ。
ちょうど洋裁をしていた美那子は、吃驚《びつくり》したらしいが、すぐ笑顔になり、俊吉を家の中に招じ上げた。
俊吉は言った。
「きみが欲しい。欲しいんだ……」
と――。
抱擁された儘、美那子は頷いて、
「わかるわ。でも、結婚まで、お互いに童貞と処女でいよう、と言ったのは、俊吉さん、あなたなのよ?」
と言った。
「うん、僕だ。でも、苦しいんだ。きみが無性に欲しいんだ。もし、どちらかが突然、死んでしまったりしたら、その時、後悔するんじゃないかと……」
「あなたが死んだら、美那子も死ねばいいでしょう。お母さんには悪いけど」
美那子の母親は、彼女の弟を産み落した直後、夫を喪い、それから祖母に子供の躾《しつ》けを任せて、タイピストとして働き、その当時は、ある海運会社の経理課長代理をつとめていた。なかなか、真似のできることではない。
美那子を、東京の洋裁学校にやり、そして本人の希望で速記を習わせているのも、女が未亡人になった時、手に職があれば有利だという考え方からなのであろう。
祖母は数年前に死に、そして美那子の弟は京都の大学に在学中であった。
俊吉は、家に美那子が一人、留守番をしていることを知っていて、ある目的のために訪ねたのである。
美那子は、口惜しいほど冷静だった。
「一時の情熱に、押し流されてはいけないのよ、俊吉さん。ね、我慢しましょう……」
「きみは、僕が、欲しくはないのか?」
「それは欲しいわ。でも、これまで、辛抱したんでしょ?」
「それが、辛抱できなくなった!」
「…………」
「きみが、知りたいんだ。欲しいんだ。僕が我慢できなくなって、弥生町の淫売婦に、呉れてやってもいいのか?」
俊吉は、脅迫気味な言葉を吐いた。
「あなたは、そんなこと、しないわ」
「わからない。春だからね」
「俊吉さんって、まるで駄々ッ子ね」
美那子は笑いだし、
「さ、珈琲でも淹《い》れますわ」
と、するりと彼の膝の上から、台所へ逃げるのである。
……こんなことが、幾度となく繰り返された。美那子は、あるときには慈母の如く彼をなだめすかし、ある時には笑いや、涙で俊吉の鉾先をにぶらせたのだ。
――夏が訪れ、秋になった。
ある秋晴れの日、また俊吉は、西内神町の美那子の家にいた。
この頃には、俊吉の両親も、美那子の母も二人の、結婚を前提とした交際を認め、美那子の弟や、俊吉の妹と四人で、海水浴へ行ったりする間柄となっていた。
「なあ、美那子……」
俊吉は、考え考え言った。
「僕は、まだ女の体を知らないんだ。同人連中は、みんな知っている」
美那子は苦笑して、
「文学のために、私に犠牲になれ、と仰有《おつしや》りたいの?」
と反駁した。
「そうじゃないんだが、どうせ、僕たちは結婚するんだし……」
「その、どうせ、がいけないのよ。その、どうせ、という言葉に、今まで何百万、何千万の女が騙《だま》されて来たんだわ……」
美那子は、庭に下りて柿の実を|〓《も》ぎ、盆にそれを載せて来て、
「正直に言ってね、あたし、貴方と結婚するまで、処女でいたいの。初夜というもの、自分の夫である中山俊吉に、はじめて女にして貰うその瞬間を、はっきり印象づけておきたいの。自分の子供に話せるように……」
と言った。
俊吉はむくれ顔で、
「俺は、子供なんか要らん。きみだけあればいいんだ」
と強い口調で言った。
美那子は逆わずに、
「子供のことは、とも角として、あたし、自分を粗末にしたくないわ。あたし、俊吉さんの妻になることを、もう心に決めてるんだし、一時の感情に溺れたくないの」
「きみは……きみは……」
俊吉は、感情に激して来て口ごもり、
「きみは、躰を許して、僕にポイと捨てられるとでも思ってるのか? いや、それが怖いんだろう? 初夜を大切にしたいって、それは口実だ!」
と怒鳴りだした。
美那子は、正直に、
「そうよ。捨てられるのは、怖いわ。あたし母のように、なりたくないの。だから我慢してるの。そして貴方にも、私を愛してるんだったら、辛抱して欲しいのよ……」
と俯向いた。
「よし、わかった。俺は捨ててくる! 誰でもいい。行きずりの、乞食女だって、パンパンだっていい。捨ててくる!」
俊吉は、そう叫んで、美那子の家を飛び出し、坂道を駈け下りた。
平地にくると、彼は駈けるのを止めたが、とぼとぼ歩いているうちに昂奮が醒めて来てしまい、なんとなく莫迦らしくなった。そして俊吉は、美那子に詫びようと思い、なんとなくうんざりする長いだらだら坂を、うん、うん、言いながら登って行った。
美那子の家の玄関をあけて、案内を乞うと、いい香の匂いがする。
彼は首を傾げながら、声をかけた。
すると、
「どうぞ、お入りになって」
と奥から、彼が戻って来るのを、予期していたような美那子の声がした。
彼は何気なく、座敷の襖をあけ、「あッ」と叫んで立ち竦《すく》んだ。
白い糊の利いたシーツのかかった蒲団がのべられてあり、純白の長襦袢姿の美那子が、きちんと正座していた。
「なんの真似だい?」
俊吉は、おどおどして訊いた。
「やっぱり、戻って来て下さったのね?」
美那子は大粒の泪《なみだ》をためて、俊吉を見、
「あたし、賭けていたの。あなたが戻って来て下さったのなら、やはり私を愛して呉れているんだから、無理をきいてあげようって……。苦しかったんでしょう? ごめんなさいね……」
と言った。
そして無理して微笑《わら》いながら、
「これ、母の嫁入り衣裳なのよ。せめて、なにか、記念にと思って……。女って、莫迦《ばか》なのね」
と、泪をはらはらと膝に落すのだった。
俊吉は照れ、鼻柱がジイーンという疼痛を覚えると、美那子の躰を抱いた。
「いいんだよ、美那子。ぼくの、わが儘だったよ……」
俊吉は言った。
「愛してる?」
美那子は泣きながら訊いた。
「むろんだとも! 愛してるよ、美那子」
「俊吉さんは私の夫ね?」
「そうだ。きみは僕の妻だ……」
「いいわ。気が済んだわ。さあ、抱いて!」
美那子は、自分からシーツの上に仰臥《ぎようが》するのだった。俊吉は自分も泪を拭きながら、
「止せやい!」
と叫んだ。
「手をのばして|〓《も》げば、いつだって喰える物を、さあ、喰えと言ったって喰えるかい! 男には意地ってものがあらあ!」
美那子は目を閉じたまま、
「遠慮しないで……」
と呟く。
「止めろよ。こっちが照れちまう……」
俊吉は、人間の心理って、微妙なものだと思った。あれだけ欲しかった美那子の肉体がいま、そこにある。それなのに、先刻のような欲情は、かき消えていたのだ……。
久我美那子は、賢明な女であった。
彼女はたしか、「賭けた」と言った。一体なにに賭けたのか? 自ら許すといえば、俊吉が意地をはる方に、賭けたのではなかったろうか?
なにはともあれ、このような紆余曲折《うよきよくせつ》を経ながらも、二人の仲は清らかな形のまま、つづけられて行ったのだ。
そして中山俊吉は、美那子に内緒で、女編集者の処女と自分の童貞を交換し、幾十人となく女体を漁った末に、〈加代〉の女将、松井加代の肉体によって、セックスの面で開眼したのではあった。
六
新聞社の入社試験を俊吉は受けた。
第一次試験の学科は合格し、第二次試験に進んだ。
俊吉は、戦時中、急性肺炎から湿性肋膜を患っている。しかし、広島高師を受験した時には、血沈も正常で、レントゲンの方も異状ないということだった。
文部省の給費学生だから、毎年一回、学生たちは、レントゲン検査を義務づけられている。俊吉は、過去三回、それにパスして来ていたから、健康には自信があった。
だから新聞社から、不合格の通知が届いた時には、目を疑った。
理由を問合わせてみると、やはり体格検査に欠陥があって、第三次の面接からふり落されたのだという。
そして理由は、両肺に、直径四センチ位の空洞が、発見されたというのだった。
「えッ、両肺に、空洞?」
そんな莫迦なことがあって、たまるものかと、俊吉は日赤病院へ駈けつけ、
「レントゲンを撮って下さい」
と頼み込んだ。
誤診だと思ったのである。
だが、誤診ではなかった。医師は、むずかしい顔をして、
「相当に重症ですよ、こりゃあ……」
と言い、
「これまで発見できなかったのは、この鎖骨の下に隠れていたからでしょうて」
と呟いた。
中山俊吉は、目の前が暗くなった。
彼は、すぐ美那子のことを思った。
〈就職―結婚〉という図式が、いま、無残にも崩壊したのだ。
俊吉は、このことは誰にも、黙っていようと考えた。喋言《しやべ》ったが最後、就職も、結婚もおじゃんになると思った。
幸い近く、広島の民間放送局が、発足するという噂である。ペンクラブの事務局を担当している御蔭で、なにかとコネはあった。
俊吉は、新聞社へ行って、新発足する民放局の入社資格について、いろいろと、親しい婦人記者の加瀬実代子や、社長と親戚の学芸部次長、宝井利興あたりから聞いて貰った。
「きみなら、学科さえ通れば、あとは無条件だよ」
宝井利興はそう言い、俊吉を、社長の長男である政経部長のところへ連れて行って、
「優秀な青年だから、よろしく」
と、わざわざ言って呉れたりした。
〈なんとしても、潜り込まねばならぬ。美那子のためにも!〉
彼は、そんな悲壮なことを思う一方、煙草を吸おうとしては、
〈あ、いけない〉
と思い、〈加代〉に足を向けようとしては、〈やっぱり、止めとこう〉
と思いとどまった。
両肺上葉にある、ポカンとあいた大きな空洞。その穴があることが、彼には信じられなかった。
それは放置しておけば、やがて彼の肺を次第に大きく蝕みつづけ、そして喀血させ、一生を療養所のベッドで過さなければならなくするだろう。
俊吉は、そう考えると、美那子や両親に、一日も早く告白して、療養生活に入らねばならない、と苛立つ。
しかし反面、美那子との結婚が、永遠にお流れになるのではないか、と空怖しくてならないのだった。就職先を喪うことよりも、その時の彼には、美那子を喪うことの方が怖かった。
婚約が破棄され、就職はできず、肺の切除手術中に死亡してゆく……という、中山俊吉の姿を空想すると、気が狂いそうになるのである。
俊吉はその恐怖から逃れるため、心の中では〈行くまい、行くまい〉と思っている一杯飲み屋の暖簾をくぐり、安酒を呷《あお》った。
そして泥酔しては、〈加代〉に現われ、そして中二階の加代の寝室で、彼女の躰を虐《さいな》むのだった。
「どうしたん? 近頃のあんたは、人が変ったみたいよ?」
加代は、敏感に気づいてそう言った。
「放っといてくれよオ。俺の人生は、人生の計画は、目茶苦茶になったんだよオ……」
俊吉は、加代の思いがけず白い乳房に、顔を埋めて号泣しつづけた。
「いい子、いい子。泣かないで、私に話してごらんなさい」
加代は、俊吉の苦悩の原因がわからないので、失恋でもしたと思い込んだらしく、
「日本の人口の半分は、女じゃないの。なにさ、男らしくもない……」
と微笑ったことである。
〈しかし、久我美那子は、俺の女房になる女は、世界中に一人しかいないんだ!〉
中山俊吉は、そう叫びながら、毎夜のごとく、松井加代の胸で忍び泣いた。彼の未来は夜の静寂に似て、暗く、そしてひっそりとしていた……。
第二章 遺書のある風景
一
いまでこそ肺結核は、誰にも怖がられなくなったが、その頃は、まだまだ手術中の死亡などという事故が起きたりして、かなり危険視された時代だった。
その証拠に、広島の産んだ原爆詩人の峠三吉は、肺壊疽《はいえそ》の手術中に死亡している。
……中山俊吉は、正直に云って死≠懼《おそ》れていた。
いや、死を懼れた、という形容は、適当ではないかも知れない。
就職―結婚という、彼の描いた人生の設計図の挫折を、そして、それによって当然おこるであろう、恋人の久我美那子との別離≠、俊吉は怖がっていたのではなかったろうか?
俊吉は、密かに医学書を買い込んで、肺結核の知識を詰め込んだ。そして、知識を詰め込めば、詰め込むほど、自分の病状が、思わしくないと、認めざるを得なくなったのだ。
人には楽しい筈の正月も、俊吉には一向に愉しくなかった。
〈自分の両肺には、大きな穴がある。そして、そこでは結核菌が活動を続けている!〉
と考えただけで、俊吉は、気が滅入ってしまうのだった。
なにか、躰の中を、風がすーっと吹き抜けて行くような、そんな実感すらあったのだ……。
その風は、彼の肺の上葉の空洞に、微かなツムジ風を残しては去ってゆく。
空洞の中では、黒い衣裳をつけた、お伽話に出てくる小悪魔のような結核菌たちが暮していて、そのツムジ風が来るたびに、拍手喝采をするのだ。
彼らは、俊吉の耳に聴えるような大声で、――産めよ、ふやせよ、地に満てよ……、と歌いはやす。
〈畜生め……〉
俊吉は、そんなことを空想しては、歯軋《はぎし》りするのであった。
結核菌に蝕まれつづけている自分。健康体でない自分。就職できない自分……。
俊吉には、そんな自分が、惨めで仕方なく思えたのだ。
世の中で、一番、不幸な男に彼はなった、とすら考えたのである。
俊吉は、かつて数学で、プラスマイナスを乗じると、たちまちマイナスに転じるということを教わったことを思いだし、結核に蝕まれたがために、すべてがマイナスに転じてしまったことが口惜しくてならなかった。
結核菌はマイナス≠ノ匹敵する存在であった。彼の、輝かしかるべき人生にとって、である。
俊吉は浴室で、肉づきのよい自分の裸の胸を、鏡に写して見入りながら、自分が肺病患者であることが、信じられなかった。
〈この鎖骨の下に、空洞がある……〉
俊吉は、できることなら、自分で肉を切り裂いて、その空洞に巣喰っている病菌どもを、つまみ出してやりたいとすら思った。
結核というものは、痛みも何も感じないだけに、厄介な病気だとされている。
俊吉は、喀血もしない自分が、遠泳をしたり、柔道をしたりしても、なんともない自分が、肺病だとは合点できなかったのだ……。
彼にとって、最も望ましいことは、医者の誤診だということだった。
〈誰かのレントゲン写真と、すり替わるということだって、ある筈だ……〉
と未練たらしく考えてみたり、
〈うんと古い病巣で、すでに固まってしまっているのではないだろうか?〉
と、希望的観測を下してみたりする。
だが、レントゲン写真のみならず、血沈の数値も、痰の培養も、あきらかに俊吉が、紛れもない結核患者であることを立証しているのだった。
〈ああ、畜生!〉
彼は地団駄を踏みたい心境だった。さりながら中山俊吉は、病気そのものを恐れていたわけではない。
療養所に入り、手術を受ければ、十中八九まで快癒することは判っている。だから、結核そのものは、恐しくはなかった。
彼が懼れていたのは、久我美那子を喪うことだった。
空洞は両肺にある。
手術を受けるにしても、全治までには七、八年の歳月を要するだろう。
その長い年月を、久我美那子が彼のために待っていて呉れるか、どうかは、大いに疑問であった。
いや、待って呉れ、と頼む方が、むしろ残酷である。
彼は、美那子を喪いたくなかった。
中山俊吉は、西内神の美那子の家で、彼女が彼に躰を与えると覚悟して告げた時、それを拒んだ自分が、いまとなっては怨めしく思えた。
それは、彼が実行しておきさえすれば、彼と美那子とを結びつける、強い絆≠ニなったかも知れないのだ……。
が……彼は、それをしなかった。
春秋の筆法を藉《か》りれば、中山俊吉は絶好のチャンスを自ら退けたことになる。
〈畜生……。もしかしたら、あの時が、俺のマイナスのはじまりだったかも知れぬ!〉
彼は思い悩んだ。
就職できないということは、結婚もできない、ということである。美那子を喪うと云うことである。すべてはマイナスに働き、世の中が俊吉を置き去りにして、嘲嗤《あざわら》っているかの如くである。
しかし、病気は癒さねばならなかった。それは俊吉自身も知っているのだ。
知っていながら、俊吉は、それを人に告げるのは、憂鬱であった。
特に、美那子には――。
彼は、自分の口から病気であることを美那子に告げたとき、彼女が、
「縁がなかったのね。さようなら……」
と告げて、立ち去って行く情景を空想し、その直後の自分の反応ぶりを、いろいろと想像しては、自からを虐《さいな》む遊びを覚えた。
そのときの美那子は、どういうわけだか、和服を着ている。そして、彼に別れを告げると、くるりと背中を向け、蛇の目傘を小さくひらき、小走りに駈け去って行くのだった。
そして俊吉の方は、泥濘《でいねい》に跪《ひざ》まずいて、
――美那子ーッ。思い直してくれーッ!
と絶叫したり、矢庭に彼女の首を絞めて、
――俺と心中してくれッ!
と哀願したり、さまざまである。
彼は、そんな妄想の果てには、矢も楯もたまらなく美那子に会いたくなり、心の中で、いつ、彼女に打明けようかと、煩悶した。
彼は、両親よりも先に、美那子に肺を冒《おか》されたことを、告げる積りでいた。
そして彼女の反応によって、突如としてマイナスに変化した自分の人生の方針を、決定しようと考えていた。
〈告げなければならぬ〉
と思っても、彼女から嫌われたり、去って行かれると思うと、その決心は鈍ってゆく。
しかし現状維持では、自から墓穴を掘るようなものであった。
俊吉は懊悩《おうのう》した。
その悶えや、苦しみから逃避したいと、酒を呷《あお》りつづける。
俊吉の母親は、毎夜、泥酔して三輪タクシーで帰ってくる息子の、異常な生活ぶりに駭《おどろ》き、彼の親友である安倍稔を通じて、
〈なにか悩みごとがあるのか?〉
と訊いて来たが、俊吉は、その親友の安倍にも、病気のことは口を噤《つぐ》んだ。
酒は、逃避の唯一の救いであった。
〈加代〉へ彼が、毎夜のごとく入り浸り、中の棚の酒場で酔い潰《つぶ》れたのも、すべて逃避の姿勢であったのだ。
〈入院して、手術せねばならぬ〉
〈こんな荒《すさ》んだ生活をしていたら、病巣はひろがり、蜂の巣のように穴だらけとなってしまうぞ……〉
彼はそう思って、苛立つ。
死が刻一刻と、着実に自分に迫って来るのを感じて、怯《おび》える。
そして、それを紛わすために、酒を飲み、そして女を抱いた。
泥酔して、女と旅館へ泊りに行ったり、金がない時は、自分が暮している離れに、木戸から女を連れ込んだりした。
俊吉は、虚無的な心境に陥入りながらも、まだ自分が生きている証《あかし》が欲しかった。女体を責める時に、彼は頽廃的ながらも生≠感じていたのかも知れない。
二
二月の寒い夕刻のことであった。
俊吉は、珍しく自宅にいて、夕食の前に母屋の湯殿へ入った。入浴のためである。
湯桶に一杯の湯を酌み、それを肩から浴びようとした瞬間、俊吉は不意に、
「うッ!」
と呻いて、咳きこんだ。
息苦しく、咽喉からほとばしり出てくる、なにか生暖いものがある。
俊吉は何気なく、それを吐きだし、
「あッ!」
と大きくのけぞった。
――血である。
それも美しい、真ッ赤な血であった。
目の前が不意に昏《くら》く霞み、俊吉は目を閉じながら、何度となく咳きこんでは血を吐いた。
両手をタイルの床につき、彼はしばらく、じいーっとその儘の姿勢でいた。
肺の中の血管が、ぷつ、ぷつと切れているのが自分でも判った。いやな感じだった。
〈ああ……とうとう、来るべきものが訪れたな!〉
と俊吉は思い、次の瞬間には、
〈莫迦者めが……。早く病院へ行けば、よいものを!〉
と自嘲した。
こわごわ、目をあける。
目の前は、鮮血で塗りたくられている。赤一色のタイルの床。
〈どうしようか?〉
俊吉は思い迷い、母親が蒼ざめる顔を空想すると、矢庭に、
〈自分で処理しよう……〉
と思った。
彼は、血飛沫で汚れた湯桶に水をかけて、のろのろと洗い流すと、床のタイルに水を流した。
鮮血はみるみる洗い流されてゆき、元通りの真ッ白い姿になる。
俊吉は、口を漱《すす》ぎ、タオルに水を滲み込ませると、床の上に仰臥した。そして濡れタオルを胸の上に載せて目を閉じたのだ。
不思議に、寒さは感じなかった。
〈これが、喀血というものか……。案外、平気じゃないか……〉
彼は、そんな負け惜しみを呟いたり、
〈やっぱり正真正銘の肺病だったか!〉
と苦笑したりした。
予期はしていたものの、やはりショックだった。
貧血のせいか、すーっと後頭部から、吸い込まれて行くような、不快な感覚がある。地獄へでも、落ちていくようであった。
濡れタオルで冷やしたためか、肺の中の血管が切れる現象は、鎮まったようである。
あまり浴室へ入った儘、彼が出て来ないので、母親が心配して様子を見にくる頃には、俊吉も元気さをとり戻し、
「なんでもないよ。ちょっと貧血を起こしたんだ……」
と弱々しい声で応じられる程度になっていた。
俊吉は、夕食を断わり、離れへ引き揚げると、万年床にもぐり込んだ。
仰臥していると、実にさまざまな想いが去来した。
真ッ先に頭に泛《うか》んだのは、やはり久我美那子のことである。
ある戦後派の作家が、死の寸前、喀血して気管に血塊をつまらせたとき、その愛人である女性が、接吻して、その血の塊りを吸いとった……というゴシップを、文学青年の彼はなにかの雑誌で読んだことがあった。
俊吉はそのとき、
〈美那子なら、俺の血を啜って呉れるだろうか?〉
と考えたのだ……。
口の中に、まだ腥《なまぐさ》い血の香が、濃く漂っている。
彼は、
〈天罰だ……〉
と思った。
美那子を裏切って、いろんな女体に接し、酒に溺れた罪の酬いが、ようやく訪れたのだ……と思った。
いろいろなことが、山峡の霧のごとく湧き出て、俊吉を戸惑わせ、戦《おのの》かせたが、いつしか彼は寝入ってしまったのだ。
――翌朝。
俊吉は、不意に目覚めた。
ゆるゆると床の上に起き上ってみると、躰がどことなく熱っぽく、けだるい。額に触ると熱があった。
俊吉は、その日一日を、寝て過そうと決心し、顔を洗いに出た洗面所で、また少しばかりの血を吐いた。
彼は、その二度目の喀血で、萎縮した気持になった。
本格的な肺結核であり、それを治療することの方が大切だ……と考えだしたのである。彼は、臆病になったのであろうか?
あの美しく、ほとばしり出る鮮血に、気後れしたのであろうか?
夕方まで、俊吉は寝床の中で、小説を読んで過した。
なにも考えたくなかった。
前年十二月末に、卒業論文の提出が終了し、高師の仲間たちは、北海道だの、九州だのという就職先の選定に、憂き身をやつしはじめている時期である。
親友の安倍稔は、東京都の教員採用試験をうけて合格し、目黒区内の中学校に、採用されたと云うことだった。
しかし、結核の俊吉には、それすらも叶えられない望みであった。
俊吉は不図、自殺を思った。
就職もできず、美那子を喪い、療養所の陰気なベッドに縛りつけられている自分の姿を考えると、やり切れないのだ……。
躰の皮膚の毛穴から、ペンペン草が生えて来そうな、そんなやり切れなさである。
二日後――彼は、列車に揺られて、呉市へ行った。
美那子に告白しよう、と決意したのだ。
長い西内神の坂道を、彼は休みながら、また喀血が襲うかも知れない恐怖と戦いつつ、ゆっくり登って行った。
あいにく美那子は留守だった。
すっかり顔見知りになった、美那子の家の向かい側の、橋口という世話好きな小母さんが、
「美那子さん、広島へ行きましたよ……」
と教えて呉れた。
彼は、がっくりと頭を垂れ、泣きそうな思いで礼を云って、また坂道を下った。
本当のことを云うと、今日こそ、美那子が抗《あら》がっても、彼女の処女を奪い、赤の他人でない証を取ってから、「実は――」と彼女に打明けようという、狡《ずる》い魂胆でいたのだ。
しかし、その彼の醜い計算は、見事にはぐらかされたことになる。
俊吉は、広島へまた戻り、駅前の行きつけの飲み屋へ行った。
肥った女将が、
「珍しいわね、中山さん……」
と言い、彼の好物の海鼠《なまこ》の酢の物とか、出平鰈《でびらかれい》などを手早く並べて、ビールを奨《すす》めてくれた。
彼は、おそるおそる口をつけて、
「ああ……疲れた」
と呟く。
すると女将は、
「本当に、どうしたのよ……。暫く会わないうちに、幽霊みたいに蒼くなって……」
と何気なく言ったのだ。
俊吉は、ハッとなり、心の中で〈畜生め〉と思った。
自分では、もう何ともない……と思っているのに、他人には歴然とわかるらしいのだ。
俊吉は自虐的な気持になり、
「女将。喀血したんだ……」
と言った。
「喀血って、胃潰瘍にかかったの?」
と彼女は言う。
「莫迦な。胃の場合は、喀血じゃなくて、吐血と言うんだ。そして、コーヒー色の血が出る……」
「へえ……」
彼女はそう感心して、
「すると、肺病?」
と訊く。
「そうさ。肺病の方さ……」
俊吉は自嘲めいて呟く。
だが、その途端に、女将は、まるで涜《けがら》わしい物でも見るように、俊吉をみて、矢庭に湯を沸しはじめた。
それは恐らく、彼が帰ったあと、彼の使ったグラスなどを消毒するための下準備なのであろう。
俊吉は、またしても打ち挫《ひし》がれた気持を味わい、ビールを半分ぐらい飲んでから、蒼惶《そうこう》と飲み屋を出たのであった。
彼は、市電に乗った。
家にその儘、帰る積りであったが、車掌の「八丁堀、福屋前!」という声をきくと、なにかに誘われるかの如く、ふらふら……と電車を降りていたのだ。
行く先は〈加代〉である。
そして駭《おどろ》いたことに、その〈加代〉に久我美那子が、同人の牧左津子と並んで坐っていたのだった……。
三
「久我さんが、どうしても用事があるって云うから、新聞社の人に聞いて来たの。やっぱり、良い勘してたわね」
と牧左津子は笑い、
「じゃあ、バトン・タッチしたわよ」
と言うなり帰って行った。
中山俊吉は、
〈これは不味《まず》いことになった……〉
と思った。
松井加代と彼とは、啻《ただ》ならぬ仲である。
そして美那子は、彼の恋人だった。
加代は敏感に、それを悟っているらしく、はっきり敵意を示す視線を、不躾けに美那子に注いでいる。
美那子も、なぜか怒ったような顔つきで、俊吉が、
「呉へ行ったんだぜ……」
と言っても、
「そう!」
と答えるだけで、とりつく島もない。
俊吉は、〈加代〉から美那子を、連れ出そうと思った。
その頃では、彼と加代との仲は、半ば公然たるものとなっており、加代も駄々ッ子のような俊吉に母性本能を擽《くすぐ》られるのか、酔っぱらうと、人の前でも、
「俊ちゃん、今夜は帰さんけえね……」
などと放言したりしていたのだ。
常連の工藤は大人だから、口をすべらすようなこともあるまいが、彼と加代との仲を、うすうす勘づいている、自称詩人の大平武也とか、陽気な吉井支局長あたりは、なにか美那子に言いたそうな感じであった。
彼は、そんな予感がしたので、美那子を連れ出したかったのである。
ところが――美那子は、彼と松井加代との関係を教えられて、乗り込んで来ていたのであった。
「話って、なんだい? 僕も話があるんだけれど、外へ出ようよ……」
と俊吉が言うと、
「ここでは話せないことなんですか」
と美那子は切り口上になる。
俊吉は、加代を意識しながら、
「とにかく、出ようよ……」
と繰り返した。
何度目かの哀願で、やっと彼女は腰を上げたが、〈加代〉を出るなり、怒ったように、とっと、とっとと先に立って歩いて行く。
美那子は、黒地に朱の水玉が散った、冬物のコートを着て、和服姿である。
俊吉は、それと悟って、
「あッ!」
と叫んだ。
彼の空想したシーンに、あまりにも似通っていたからである。違うのは、彼女が蛇の目の傘を持っていないことと、雨が降っていないこと位のものである。
俊吉は息を整え、それから美那子を追いかけた。
肩を並べて、百メートル道路の方へ向かいながら俊吉は、
「きみに打明けねばならないことが起きた」
と告げた。
すると美那子は、
「わかってるわ……」
と言い、
「加代さんのことでしょう?」
と呟く。
俊吉は、〈あ、やっぱり……〉と思いつつも何か救われた感じで、
「彼女のことより、もっと、重大なことなんだ……」
と立ち停った。
「重大なことって?」
美那子は俊吉の気魄に打たれたように、自分も足を駐めて、俊吉の顔をみた。
「……一昨日の夕方、血を吐いた」
彼は、言った。
「血を!」
「うん。胃の方じゃない」
美那子は、しばらく俊吉を凝視《みつ》めていたが不意に、
「私と、別れたいと思って、そんなこと、言いだすんじゃないの?」
と微笑した。
俊吉は首をふった。
「本当なんだ……。新聞社の試験に落ちたのも、胸の所為《せい》なんだ……」
「まあ……」
美那子はポカンと口をあけて、
「出歩いてて、大丈夫?」
と訊くのだった。
「さあ……よく判らない。とに角、起き上れるようになったもんだから、きみに報告に行ったんだ……」
俊吉は淋しい笑顔をつくった。
「とにかく、出歩いてはいけないわ」
美那子は俊吉の額に手をあてて、眉をしかめ、
「熱があるわよ?」
と言い、それから拗《す》ねたように、
「女の人と、変なことをするから、血なんか吐いたりするんだわ!」
と、言葉を叩きつけた。
美那子が、激してくる感情を抑えかねて、泪ぐんでいることが、その口調から察せられた。
俊吉は黙って佇《たたず》んだ。
加代のことは、美那子は知らない筈であった。
第一、〈加代〉へ飲みに連れて行ったことすら、なかったのである。
〈どうして、知ったんだろう?〉
と、彼は疑問に思う反面、美那子が女性として鋭い勘を持っていることに、愕かざるを得なかった。
俊吉は、そんなことを思い惑いつつ、
「いままで、隠していたけど、両肺に、大きな空洞があるらしい」
とポツンと告げた。
「まあ……両肺に?」
「うん。ちょうど鎖骨の下なんだ……」
「じゃあ、入院しなければ、ならないじゃないの――」
美那子の声は、思いなしか、かすれているのだった。俊吉は何故か悲しくなって、泪ぐみ、
「そうなんだよ……」
と肯いた。
「それに、両肺だから、どんなに早くても、手術して癒るまでには、五年ぐらいはかかるだろうしね……」
俊吉がそう言うと、美那子は、
「間違いないの?」
と、おろおろ声である。
「うん、日赤でレントゲン、血沈、痰の培養をして貰ったんだ……」
俊吉は経過を述べて、
「僕……そのことよりも、きみのことが、心配なんだ……」
と美那子の肩をつかんだ。
「あたしのこと?」
「うん……」
俊吉は美那子を長いこと凝視してから、
「僕が、療養所に入ったら……きみ、どうする?」
と思いつめた声になる。
「あたし?」
「うん……。どうする?」
「そりゃア……待っているより、仕方ないじゃないの……」
「待つって?」
「ええ……」
「五年……いや、八年ぐらい、かかるかも知れないぞ?」
「まさか……。これだけ医学が進んで来ているのに!」
美那子は微笑した。
動じないのである。それには俊吉の方が苛立って、
「一生、癒らないかも知れん!」
と叫んでいた位である。
「癒るわよ……」
「しかし五年も、六年も、美那子……きみは僕を待てるのかい?」
俊吉は言った。
「多分……待てるわ」
美那子は、考え考え答えた。
「それみろ! 多分、じゃないか。きみは待つ気でも、きみの周囲の人が、待たさせないさ!」
俊吉は、美那子の両肩をつかんで、大きく揺さぶる。泪が、ポロポロと滴り落ちた。
「それは、私と貴方の問題でしょ? 私が納得して、待つというのなら、それはそれで良いじゃないの……」
「しかし……現実の問題としてだね……」
「現実の問題は、なによりも貴方が、療養することだわ。手術して、早く健康な躰になることだわ……」
「それは判ってる。だが……」
「だが、なによ?」
「手術が成功して、療養所を出て来ても、両方の肋骨がないし、肺活量が落ちているんだから、新聞社には入れないぞ?」
「小説ぐらい、書けるでしょう?」
美那子は、そんな楽観的なことを言い、
「とに角、西条へ行きましょう」
と提案したのだ。
西条とは、広島県のほぼ中央に位置する高原地帯で、賀茂鶴をはじめ、清酒の産地としても有名なところだが、この界隈に、療養所が固まって存在していたのである。
美那子は冷静に、先ず専門家に徹底的に検査して貰い、どのような治療法が一番よいかを知り、それによって対策を考えるべきであると言ったのだ……。
俊吉は、その理路整然とした美那子の考え方に、なんとなく反撥した。負けた……と思ったからである。
その夜、別れて家に帰ると、俊吉の父が、珍しく起きていて、
「俊吉。今日、保健所から人が来て、お前が肺結核だと言っていたが、本当か?」
と言った。
俊吉が肯くと、
「なぜ、自分の躰を大切にせん! 夜遊びや深酒をして、病気が癒るとでも思っているのか!」
と一喝し、次に眩《まぶ》しそうな顔をして、
「伝染病だから、そのう……久我さんにも、病院へ行って貰うように、お前の方から云わにゃアいかんぞ……」
と言った。
俊吉は思わず、
「なぜです?」
と訊いた。
すると俊吉の父は、さらに眩しそうな顔をして、
「阿呆。男と女とが、交際《つきあ》っとったら、いろんなことがあるじゃないか……」
と彼を叱りつけて、寝室へ引っ込んだのであった……。俊吉は、〈はッ!〉となり、父をやはり大人≠セと思って感動したことである。
四
……それから間もなく、中山俊吉と久我美那子とは、一緒に、西条の療養所の門を潜った。二人で診察して貰うためである。
医師は、何枚ものレントゲン写真を入念にみながら、彼に、
「重症ですね。思ったより悪い」
と冒頭に言い、美那子には、
「貴女は、大丈夫です」
と診断した。
彼は、美那子に病気を伝染《うつ》してなかったことを知り、ほっとすると共に、
〈彼女に伝染していた方がよかったのに、残念だなあ……〉
などと考えたりした。
伝染していたら、彼女と一緒に、療養所へ入れるからなのである。単純な考え方だが、俊吉は美那子から片時も傍を離れたくない心境であったのだ。
医師は、冷酷にも、
「先ず、絶対安静にして貰わねばなりません。いま、ベッドのあきはないし、申込みは殺到しているから、まあ、自宅療養で一年半か、二年を過して頂いて、病状がかたまったところで、左肺を切除しましょう。これだと肋骨はせいぜい二本で済みますからな……」
と言い、
「手術のあと、三年ぐらい様子をみて、転移しないとなったら、残りの方を切る。そのあと三年、辛抱して頂いて、それから社会復帰ですが……私の感じでは、就職までには、最低八年乃至十年はかかると、思いますなあ」
と、ずけずけ口を利いた。
俊吉は、目の前が暗くなった。
医学書を読み漁って、せいぜい五年間の空白時間――と、彼は素人見当をつけていたのに、医師はその二倍の十年間は、覚悟して貰いたい……と云うのだ。
〈十年間も!〉
彼は愕然となった。
俊吉は、療養所からの帰り道、美那子に、
「僕は、嫌だ……」
という言葉を、繰り返した。
「十年も、ベッドに縛りつけられて、肋骨を切りとられてしまうなんて、いやなこった!」
「それ位だったら、死んだ方がいい! 貴重な青春の、人間として一番いい時期を、ベッドで過すなんて、灰色の青春どころじゃないぜ……。死刑囚の方が、まだ、ましだ!」
俊吉は、美那子にそんな繰り言を、たえず訴えかけた。
美那子は、
「お医者さんの云うことが正しいと思うわね。だから、自宅療養しなければ駄目……」
と、その都度、言った。
「いやだよ。きみのいない、十年間の病床生活なんて、考えただけでも、ぞーッとする!」
「お見舞いに、行ってあげるわ」
「とか、なんとか言ってても、去る者、日々に疎《うと》し、さ。はじめは週に一回ぐらい、見舞いに来て呉れるけれど、そのうち月に一回になり、三年も経つと、せいぜい年に一、二回になるのさ……」
「そんなこと、ないわよ。大丈夫よ……」
「そのうち、誰か、好きな男性ができる。そいつの口説に負けて、どうせ中山俊吉は、あと何年も療養所の中だから、きみも諦らめの境地になって、僕に手紙を書く……」
「なんの手紙を?」
「長く待ちましたが、もう、辛抱できなくなりました。このたび、縁あって、ある人のところへ嫁に参ります。美那子のことは、お忘れ下さって、どうか、御療養専一に――という手紙さ」
「まさか!」
美那子は困ったような顔をして微笑《わら》い、
「あたしの方こそ、俊吉さんが、看護婦さんや、女性の患者と、変な仲になるんじゃないかと、今から心配だわ……」
と言い返した。
「冗談じゃない。肺病の恋人だなんて、こっちが御免|蒙《こうむ》る……」
「あら、看護婦さんは、肺病じゃないわ」
「制服の女性は、苦手でね」
……俊吉は、美那子と会話のやりとりをしながらも、そして自分の考えていた通り、彼女が彼に従ってくれるという言葉を吐いて呉れたことに、安堵を覚えながらも、やはり不安だった。
〈十年間! 十年間は、長すぎる!〉
中山俊吉は、神の悪戯を呪った。
〈十年間も、美那子は、果してこの自分を待ち続けてくれるだろうか?〉
彼は療養中の夫や恋人の病状が、思わしくないのに業を煮やして、妻が浮気したとか、別れて行っただとかいう話を耳にしているだけに、自信はなかった。
「いまの貴方は、自分の病気を、癒すことだけ考えていたら、いいのよ……。寝ていたって小説は書けるでしょう? 十年間も、好きな本を手当り次第に読めて、原稿用紙に向えるだなんて、素敵な生活じゃない? そして療養所を背景に、トーマス・マンや、堀辰雄みたいな小説を書くのよ……」
彼女は、そんな慰め方をした。
俊吉は正直に、
「僕……きみの、愛の証が欲しいんだ。つまり僕の子供を産んで貰いたいんだよ」
と言った。
美那子は苦笑し、
「子供なんか、要らないっていうのが、あなたの持論じゃないの……」
と皮肉を言った。
「きみと僕とを、離れ難くさせる、唯一の絆は子供しかない。そう思いだしたんだ……」
俊吉は、そう言い、
「今夜、帰ったら、親父に、きみと結婚するって言う積りなんだ……」
と打ち明けた。
彼女は首をふり、
「反対されるわ……」
と呟いた。
「なあに……説得するさ」
「ここだけの話だけど、私も、母に話したのよ……」
「それで?」
「母は、反対だって言ったわ。客観的にみてね……」
「なるほど?」
俊吉は、その時、ずしん! と地響きを立てるほど、大きな鉄鎚《てつつい》を、脳天にふり下されたと思った。
しかし、考えてみれば、無理からぬ話である。
両肺を病む文学青年。
全治までに、十年の歳月を要する。
そして健康体になっても、満足な就職はできない。せいぜい、ガリ版きりの仕事ぐらいであろう。
そんな、お先真っ暗な男に、一人娘を嫁にやる母親がいるだろうか? 喜んで嫁がせる者がいたら、それは母親ではない。
俊吉は、心の中でそう反省し、
「でも、きみだって、十年間も、待てはしないだろう? 結婚でも、しない限り?」
と言った。
美那子は、列車の座席で泪ぐみ、
「本当のことを云って、自信はないの。でも待つわ。待って、みるわ……」
と、ハンケチで眼頭をおさえた。
「僕を、安心させるために、そんな気休めを言ってるんだったら、御免だぞ……。手術に失敗して、死ぬかも知れないんだ……」
俊吉がそう言うと、美那子は肯いて、
「あたし達、いま真剣に、いろんなこと、考えなければならないみたいね……」
と、ひっそりと呟いたのだった。
山陽線で、広島についた二人は、駅前の喫茶店に入り、疲れたような表情で、珈琲を啜り合った。
肉体的な疲労というより、心理的な疲労感が、二人を支配していた。
美那子は不意にポツンと、
「あたし、母から、お母さんの二の舞だけはしないでねって、言われたの……。それが一番、こたえたわ……」
と言った。
美那子の母は、二児の母親となったところで夫を喪い、祖母と子供のために、犠牲となって働いて来たインテリ女性である。
母親の願いとしては、みすみす苦労して未亡人となるような道を、美那子に歩ませたくなかったのは当然である。
中山俊吉には、その美那子の述懐が、五寸釘を肺腑《はいふ》に打ち込まれたかの如く、強く、鋭く響いたのである。
美那子は、俊吉の沈黙に気づいて、話題をかえ、
「加代さんのことだけど……あたしが許さなかったのが、いけなかったのね……」
と呟き、
「あたしの代用品として、あの方を抱いているんだったら、今夜限り、止めて頂戴……。愛してるのなら、別だけれど」
と附け加えた。
俊吉は、忸怩《じくじ》たる悔恨を味わいながら、
「きみに、童貞をあげられなくなっちゃって御免よ……」
と目を瞬《しば》たたかせつづけた。
五
広島高師を卒業して、自宅療養に入った中山俊吉は、東京へ出て行った安倍稔とか、秋田|煕典《ひろのり》たちに、しきりに手紙を書いた。
〈天邪鬼〉の同人たちのうち、殆んどが東京や大阪へ出ていたのだ……。
詩を書いていた三村節子は、女子美術大学へ進み、安倍、岩淵健郎、太田勝造は就職していた。
広島に残っている仲間と云えば、美那子を含めて、わずか五名であった。これでは、同人会も出来ない。
東京の友人たちからは、威勢のよい返事が来た。
文壇で名の売れた作家や、評論家の自宅を訪ねたとか、音楽会へ行って感動したとかいった、地方では実現できない、夢のようなことばかり書いてある。
〈みんな就職し、東京で活躍しているのにこの俺だけは、取り残された……〉
中山俊吉は大いに苛立った。
来る日も、来る日も、離れの雨戸をあけ放って仰臥している自分が、情なく、佗しかった。
俊吉の父母は、美那子と結婚したい……という彼の希望をきくと、
「肺病の息子に、お宅の娘さんを下さい、とは云えないね」
と言い、
「とに角、健康体になることじゃ」
と、それは俊吉の我が儘であると叱責したのだった。
美那子は、週に一回くらい、俊吉の家を訪ねて来て呉れた。それだけを愉しみに、俊吉は寝ているようなものである。
新聞社の加瀬実代子や、学芸部の宝井利興の二人が奔走して、彼の病気を承知で、新しく設立される民間放送局員に、正式ではないが採用してやろう……と、耳寄りな話を持ち込んで呉れたのは、ちょうど自宅療養に入って間もない頃である。
俊吉は美那子に相談した。
その採用の話というのは、社員となって、半年間ほど勤めれば、病気休暇がとれるし、給料も規定通り支払って貰える上に、健康保険がきく……というのだった。
まことに、願ったり叶ったりの話ではあったが、美那子は、首をふり、
「とても有難い話だけど、私だったら、お断わりするわ」
と言下に言った。
理由は、療養のためのモグリ入社であること、それが他の社員たちに判れば、加瀬女史や、宝井氏に迷惑がかかり、また俊吉自身も居辛くなる……というのだった。
俊吉は、美那子の言葉に従った。
……その療養中の収穫と云えば、親友の安倍稔と二人で、〈買っちくんねエ〉という短篇集を発行したことであろうか。
夏休暇の初めに、広島へやって来た安倍が、刑務所で印刷すれば、安く単行本ができると主張して、俊吉を口説いたのである。
〈天邪鬼〉に掲載した作品に、三つばかり短篇を書き足して、三百五十八頁の作品集が出来上ったのは、その年の晩夏である。
安倍と俊吉は、この出版記念会を計画して的場町のビヤホールで、その会をもったが、その案内状の文句は、大平武也が〈加代〉の片隅で書いて呉れたものだ。
中山俊吉は、白いポーラの夏服をきて、その記念会に出たが、半年たらずの間に、痩せ細って、まるで幽鬼のようだと、出席者から言われた。
美那子は、とくに俊吉の母から頼まれて、二次会へ出席させぬために、妻のごとく彼に附き添ったが、その席で、〈広島文学〉を復刊しようという意見が出たのである。
提案したのは〈世代〉という同人雑誌のメンバーで、兼安進という男である。
九州男児らしい風貌と、言動をもった人物で、俊吉がかねがね、語るに足る人物として注目していた男であった。
当時、広島文学協会が結成され、とびとびに三冊の雑誌は刊行されたものの、戦前派と戦後派の対立があって、資金不足といわば内紛のために雑誌が出ない……という状態にあったのだ。
美那子に介抱されながら、処女出版の昂奮に酔いつつ帰宅した俊吉は、
〈この苛立たしい療養生活には堪えられぬ〉
と思った。
栄養のある食事をとり、苦いパスを嚥《の》み、安静にしているにも拘らず、実際には、痩せ細って行っているのだ。
常識的には、肥るのが当然なのである。
彼は、それは多分、神経的な消耗からくるものだ、と考えた。
広島にとり残された焦躁感。東京への憧憬。病状への絶望感。美那子との一進一退の仲。なにもかもが、俊吉を虐むのである。
それが、彼を苛立たせる。
肉体を蝕むのだ、その神経が――。
俊吉は、寝ていては、滅入るばかりだと考え直し、母親や美那子のとめるのもきかず、蒲団を蹴ると〈広島文学〉を復刊するために、活躍しはじめたのだった。
それは、他人の目には、無謀に近いことであった。
両肺に、直径四センチの空洞を持つ男が、なにか憑かれた如く、広島の街を、一文芸同人雑誌を出すために、飛び廻りはじめたからである。
人々は、そんな俊吉を心の底では嘲笑していたに違いない。
だがしかし、中山俊吉に云わせたら、血を吐いて死ぬ身であるならば、なにか自分の分身とも云うべき、一つの記念碑を、その広島の地に残しておきたかったのである。
俊吉は、父親を、
「広島文学が月刊で出るようになったら、必らず療養するから――」
と説得し、父親も、療養所のベッドがなかなか空かないので、あきらめたらしく、
「仕方のない奴だ」
と言いながらも、二十五万円の資金を出してくれたのであった。
美那子は献身的に、その事務を引き受けて呉れることになり、呉市から、はるばる水主町の俊吉の家まで、週に四回、通ってくれたのだった。
もしかしたら中山俊吉は、彼女と接触する目的のために、〈天邪鬼〉の同人へ勧誘したがごとく、美那子に仕事を手伝って貰えることを前提として〈広島文学〉の復刊という途方もない、一銭にもならない道楽に、身を入れはじめたのかも知れない。
そのとき俊吉は、真剣に〈広島文学〉を、自己犠牲のもとに出すのだと、悲壮な意気に燃えていた――のだが、それは矢張り彼の錯覚かも知れぬ。つまり、美那子を自分の手許に引きつけておく手段だったかも、知れないのである。
……ともあれ、俊吉の生活は、また以前のような昼夜転倒の形に戻った。
地方の一都市で、月刊で文学雑誌を出すとなると、いろいろな障害があった。
先ず作品が集まるか、どうかという問題がある。ついで、経営的な面――赤字を、どうカバーするかということも、頭が痛いことであった。
また、文学協会という団体の機関誌であるため、独裁はできぬという悩みもある。
俊吉は、協会の役員会を招集し、作品募集を同人に呼びかけ、雑誌の広告とりに歩き、編集会議をひらきして、どうにか復刊一号を発行するところまで漕ぎつけた。
そして、インクの香の新しい、編集発行人中山俊吉という奥付《おくづけ》の入った〈広島文学〉を真ッ先に手にしたとき、なんといったらよいのだろうか、ある譬《たと》えようもない虚しさ≠、彼は覚えたのだ。
――雑誌は出た。
がしかし、それはただ、それだけのことであった。
〈俺は一体、友人のために、病気の躰を酷使してまで、この雑誌に賭けたのであろうか?〉
彼は、そんな疑問に駈られたのだ。
復刊一号に、彼の作品が掲載されているわけではなかった。
ただ編集長としての俊吉の意見が通って、若干の――いわゆる戦後派の人々の作品が、掲載されただけのことである。
〈父親を欺して金を出させ、黒字になる見込みのない文学雑誌の経営に、ただ病身を鞭打つ――。それは、営利を離れた犠牲的な行為だが、俺のひとりよがり、自虐趣味ではないのか?〉
〈就職できず、肺は蝕まれる一方で、美那子と結婚できる見込みもない。そんな状況に、自暴自棄に陥入ったとは、考えられないだろうか?〉
〈いや、粗末な短篇集を出した位で、人から賞めそやされ、乃公《だいこう》出《い》でずんば……と慢心しているのではないのか?〉
俊吉は暗い表情で、自問自答し、そのやり切れない気持を救うべく、酒に走った。
そうした俊吉の苦悩を知らぬ取巻き連中は彼の散財癖を奇貨として、夜ごと彼にまつわりついて、タダ酒を飲んだ。
「あなたは、利用されすぎるわ。あなたの目的は、編集者になることなの? 小説を書く側の人間になることじゃなかったの?」
そんな手厳しい忠告をして、久我美那子が俊吉に、
「しばらく会わずに考えてみる……」
と、ばったり水主町を訪れなくなったのは第二号の割付けが終った夜のことだった。
俊吉は、愕然となった。
なるほど、彼の目的は、小説家になることであった。
地方の同人雑誌風情に、憂き身をやつすことではなかったのだ……。
俊吉は、懊悩した。
酒を、浴びるように飲み、ぽっかり心にあいた空洞≠、なにかで埋めたい……と願った。
〈俺は、美那子に甘えすぎていた!〉
中山俊吉は、乱酔のはてに、自分の許を去った美那子の気持を、やっと掴めたような気がした。
加代が彼に親切なように、久我美那子も、彼の駄々ッ子的なところに、ひっかかっていたのかも知れぬ……と悟ったのだ。
六
中山俊吉はその夜も、中の棚のバー〈V〉で飲んでいた。むろん、取巻き連中と一緒である。
俊吉は、尨大な酒場の借金をかかえながら平然と、その連中に酒を奢ってやっていたのだ……。
何時ごろだったか記憶にないが、ホステスの一人が、
「兼安さんという人が、話があるちゅうて、下で待っとってよ……」
と俊吉に知らせて来た。
彼は、兼安進に二階の店に昇ってくるように、伝えて貰ったが兼安は、どうしても彼に階下へ降りて来て欲しい……と言っているという。
仕方なく俊吉は、酔った足どりで地上へ降り立った。そして兼安進に、
「どうしたんだ? 一緒に飲もう」
と何気なく言った。
すると兼安は、額に垂れかかった髪の毛を掻きあげながら、
「貴様は病気じゃろうが! それなのに、自分で自分の命を縮める気か!」
と呶鳴った。
酔っていた俊吉は、
「きみも、酒を飲みたいんじゃろうが? 無理して忠告せんと、上がって来いよ……」
と傲慢に言った。
その途端、兼安進の鉄拳が俊吉の顎にとんだ。
俊吉は大男の方である。柔道も二段で、腕っぷしには自信がなくもない。しかし、兼安進は、どちらかというと小柄な方だった。
俊吉は、兼安をみた。
その目には泪がたまっている。
瞬間、俊吉は、
〈ああ、やっぱり、こいつだけは、良い奴だったな! 真の友情から、俺の躰のことを心配してくれてる……〉
と嬉しくなった。
兼安は泣きながら、
「貴様のは気違い酒じゃ! 阿呆めが! 罅《ひび》の入った茶碗でも、大事に使えば、なんとか使えるもんじゃい! お前の躰は、お前ひとりのもんじゃア、なかろうが!」
と言うと、ふらりと立ち去って行ったのである。
俊吉は、咄嗟に、
「ありがとう……」
と呟き、ついで、
〈これで広島を出られる!〉
と思ったのだ――。
〈ふむ! 罅の入った茶碗か! 何年もつか知らないが、欺し欺し使ってみようか〉
中山俊吉は微笑して、友人を見送った。
彼は広島文学の第三号の割付けを終え次第、家出する決心をしていた。
美那子と兼安の忠告で、目が醒めたのである。
俊吉はすでに、療養所に入り、手術を受ける気持を喪っていた。
十年間も広島で、灰色のベッド生活を送るよりも、むしろ東京で、二年でも三年でもいい、充実した生活を送りたい……と考えたのだ。
たとえ血を吐きながらでも、一篇だけ、後世に遺るような珠玉の短篇≠書き残してから死にたい。
そう思ったのである。
文学青年的な、甘い感傷といえば、感傷であろう。
しかし、広島で放蕩無頼な生活を送り、自己を結晶した作品も書き残さず死ぬよりはいい。少くとも、小説家を志した人間としては、立派な態度であろう……と、中山俊吉は真剣に考えたのであった。
彼は、上京したい旨を、東京で暮している親友の安倍稔に書き送った。
すると安倍は、彼一流のアフォリズムの利いた文体で、
『俺は、きみが羨しい。胸を蝕まれた躰。そして失恋と家出。これこそ典型的な文学青年の図式ではないか。健康で、学校教師として赴任し、女に惚れられて許りいる俺が、いい小説が書けないのも当然かも知れぬ。幸い炊事場つきの二間の家を借りたから、きみの住むところはある。上京を待っている』
という返事を呉れた。
俊吉が、上京を決意したとき、しなければならぬことが、三つあった。
一つは、自分の責任ではじめた〈広島文学〉の後事を託する人物を探すことだった。
俊吉は、その後事を託すに足る人物として兼安進を、躊躇なく選んだのだ。大男の彼を友情≠ナ殴りつけるというような人物は、その頃の広島の街には、誰ひとり見当らなかったのである。
次に、尨大な酒場の借金の始末であった。
俊吉は、これには、父親に無断で、銀行預金を引き出して、あてることを覚悟していたのである。
そして最後は、美那子への別離だった。
辛く悲しい、腸をちぎられるような別離である。
しかし俊吉は、彼女にそれを告げねばならなかった。
〈俺は、心の底から、彼女を愛した……。純粋に、愛情を捧げて来たのだ。そして美那子も、それに応えて呉れた……〉
〈二人の愛は、俺の家出という事件によって終焉《しゆうえん》を告げるだろう。美那子は、きっと良い男性をみつけ、幸福な結婚生活を送ってくれることだろう……〉
ある夜半、中山俊吉は、泪をポロポロ流しながら遺書≠フつもりで、久我美那子に手紙を書いた。
広島にいても、病気も癒らず、結婚の見通しも立たないことを告げ、広島にいたら、井戸の中の蛙よろしく、またしても自棄から放蕩するであろう自分が恐ろしく、自分の我が儘のために上京する、と書いた。
貴女のことは、死ぬまで忘れない、私の生涯のただ一人の恋人である、とも書いた。
その遺書を――美那子への別離の手紙をしたためながら、俊吉は、たえず、大粒の泪をポタポタと原稿用紙の上に落しつづけた。
青いインクの文字が紙の上に滲み、そして泪のために、俊吉は自分の書く文字すら、判読できなかったのである。でも彼は、嗚咽しながら、万年筆を走らせつづけた。
第三章 破瓜のとき
一
……中山俊吉は、上京を決意して以来、奇妙なほど爽やかな、それでいて熱っぽい気持で数日間を過した。
久我美那子に対して、遺書を書き、それを郵送した瞬間から、その不思議な爽やかさは、彼の身心に訪れたようである。
〈絶望の底には希望がある〉
俊吉は、そんな警句めいた言葉をつくって一種、自嘲めいた感情に浸ったのだった。
事実、久我美那子との結婚を諦めた時、彼は絶望のどん底にあったと言える。しかし、それをふッ切った一瞬から、ある悲壮感を伴った希望めいたものが、彼の心の隅に芽生えたのであった。
それは何故だろうか?
俊吉には、未だにその疑問は解けてない。ただ、あの奇怪としか言いようのない爽やかさ≠セけが、鮮明な記憶として残っているだけである。
ところで、美那子に訣別の手紙を書いたあと、俊吉のなすべきことは、山のようにあるようであった。
先ず〈広島文学〉の今後のことを、兼安進に託さねばならない。
地方の同人雑誌だから、むろん採算がとれる筈はない。しかし、俊吉の父親の出資金分だけは、黒字になっている筈であった。
彼は、収支に関する明細を克明に記し、広告の未収分から、会費の未納者の名簿までを添えて、長文の手紙を書いた。
そして、〈族譜〉と題する三十枚の短篇小説を書きあげ、次号の編集委員会に提出して貰いたいと、希望しておいた。
次に、上京した後での問題がある。
彼は密かに行李《こうり》と太紐とを買い求め、下着や背広などを詰め込んで荷造りをして、深夜それを広島駅まで運んだ。
送り先は、東京の大田区に住んでいる親友の安倍稔あてである。
行李をチッキで送り終えたあと、中山俊吉は、なにか大事業をなし遂げたような、それでいて、もう後には退けないという感情に包まれて、意味もなく、吻《ほ》ッとしていた。
〈あと三日で、この広島ともお別れか!〉
彼はそんな感慨に駈られ、駅から、広島の街をゆっくり歩いて流川町へ出た。広島の街をよく見ておこう、という気持であった。
遅い時刻だが、彼の足は自然と松井加代の店へと向かっていた。
俊吉は、加代にだけは、上京することを打ち明けておこう、と思ったのだ。
〈加代〉の店の戸をあける時、俊吉はなぜか、あるためらいに駈られた。
それは若しかしたら、人間の予感といったものかも知れない。
〈戸をあけてはならない!〉
と、俊吉は思ったのだった。
だが、彼はその予感を無視して、ガラリと威勢よく〈加代〉の戸をあけた。そして小さく息を嚥《の》んだ。
――久我美那子だった。
美那子が店の隅に坐って、お茶を飲んでいたのである。
中山俊吉は、加代に挨拶して、美那子と離れて坐った。
自称詩人の大平武也が、相変らず眼ヤニを浮べながら酒を食《くら》っていて、彼の顔をみるなり、
「色男さんが来たで! これからが、見ものじゃて!」
と相好を崩した。
大平武也は、その言葉の口吻では、俊吉と加代との仲を、そして美那子と恋仲であることを知っている感じであった。そして三角関係、四角関係の諍《いさか》いが、これから始まることを期待している様子なのである。
俊吉は、
〈やっぱり来るのではなかった!〉
と思ったが、もはや遅い。
彼は美那子を無視して、
「お酒! 熱燗で」
と加代に言った。
美那子は当然、彼の遺書を読んでいる筈であった。
彼が泣きながらしたためた、訣別の手紙を……。
『久我美那子様。
誕生日、おめでとう。
何時か、まだ僕が健康体(と思っていた)だった頃、二人で語り合った計画では、この日、僕は美那子に婚約指輪を贈る筈でした。
だが、それも出来なくなりました。僕という人間の存在が、貴女を苦しめているのがよく判るだけに、僕は辛いのです。ごめんなさい。僕がいちばん悪いんだ。
君がとても僕のことを、心配してくれているのが痛切に判るだけに、僕は悲しい。
君が、僕から逃げてゆくのを懼《おそ》れながら、しかし去らせようとして、夜更《よふか》しもしたし無茶苦茶に躰を酷使したりもした僕は、憐れなピエロでした。
結核なんか、僕には恐ろしくない。むしろ僕の心を蝕みつづける何か――それは焦躁感でもあり、絶望に似た感じでもある――の方が、いまの僕には怖いのです。
君の俊吉は、すっかりダメな人間になってしまった。肉体的にも、金銭的にも、そうして精神的にも、です。
君を束縛する権利のない男――中山俊吉。いま、彼は去ります。
去ってゆくことが、貴女の、いや、みんなの為なのだと、彼は悟ったらしい。
久我美那子様。
あなたは幸福になれる人です。僕のことなど、忘れて下さい。中山俊吉を憎み、そして怒り、蔑《さげす》んで忘れて下さい。
この三年間の、君のことを想えば、胸は張り裂けそうです。泣きたくなります。いや現実に、泣きながら、この手紙を書いています。
これから先の僕は、どうなるか、僕自身にも予想はできません。
世の中の片隅で、ひっそりと埃《ほこり》をかぶって暮しているかも知れないし、線香花火のように、あっけなく消えているかも知れません。しかし、それでもいいと思います。そのことに就いては考えたくありません。
絶望し切った肉体の翳《かげ》に、なにが潜んでいるのか、つきとめてみたい。そうして、それを書きたいと思います。それが僕の、生きる支えになるでしょう、多分。
君にも相談せずに、広島を去ることを許して下さい。
決して僕を、追わないで下さい。父や母に訊かれても、知らないと答えて下さって結構です。
あなたを好きでした。愛してます。しかし何時か雨の夜に言ったように、所詮、僕は君を幸福にできぬと悟ったのです。
宿命だと思って悲しまず、誰か、いい人をみつけて結婚して下さい。
久我美那子から僕が去ってゆく。
それが今のぼくに出来る、精一杯のよいことなのです。そして、君の誕生日への、心からの贈り物なのです。
美那子よ。
僕は泣いています。しかし、さようならを言わねばなりません。僕のこの悲しい贈り物を、どうか笑って受け取って下さい。
さようなら。
お母さまに宜敷《よろし》く。みんな、終わった、とお伝え下さい。さようなら。中山俊吉拝』
彼は流石に忸怩《じくじ》たる心境であった。
広島を去ることを覚悟していた。東京で血を吐きながら、珠玉の短篇を一つだけ書き上げてそして自殺しようと考えていた。
だからこそ、久我美那子にも、遺書を書いたのだ。しかし、再び俊吉は、気持が大きくぐらつくのを意識せずには居れなかった。
彼は、なぜ広島を去る時に、あの手紙を投函しなかったのだろうかと悔いた。そして美那子の顔を見ることが愧《はずか》しくて出来なかったのだ。
(だが、中山俊吉は心の片隅のどこかで、美那子がどんな反応を示すかと、ある期待を賭けていたのではないだろうか? いや、最後の一縷《いちる》の望みを、持ちつづけていたのではないだろうか?)
陽気に賑《は》しゃぐ大平武也とは逆に、中山俊吉はいくら酒を飲んでも酔えなかった。
美那子は、無言で、お茶を啜っている。
普段は毒舌家の松井加代も、その夜だけは敏感になにかを悟っているらしく、あまり口も利かないのである。
二本目の徳利が空になったとき、美那子が不意に、
「中山さん。もう、それ位でいいでしょ。お話がありますから、出ましょう」
と、鋭い口調ではじめて口を利いた。
俊吉は素直に頷いた。
新天地の盛り場を抜け、人通りのない百メートル道路まで来たとき、美那子は立ち停り、
「手紙、今日の午後、着いたわ」
と、ポキポキした口調で言った。
俊吉は俯向いて地面を見詰める。
「あれ……本気なの?」
美那子は呟くように言う。
俊吉は、
「あれって、なんだい?」
と、照れ臭く問い返した。
「広島を捨てるということ……」
「本気だよ。三日後には、広島を出る」
彼は他人事のような口を利いた。
「そう……」
美那子は低く呟いて、
「慌てて出て来たので、母の意見は聞いてないけど、あたし、俊吉さんに跟いて行きますからね」
と彼の顔を見た。
「なんだって?」
中山俊吉は耳を疑った。
だが、たしかに美那子は、彼に跟いて行くと言ったのである。
信じられない言葉であった。
「おい、美那子……」
彼は、久我美那子の両肩に手をかけ、荒々しく揺さぶると、
「おい、いま、なんと言った?」
と叫んだ。
彼女は平然と、
「あなたと一緒に、広島を出ると言ったわ」
と微笑した。
中山俊吉は、奇蹟でも目撃したような、強い強い感動と、歓喜とを同時に味わい、突如として目の前がバラ色に輝き渡るのを知ったのである……。
二
後になって、美那子は、俊吉が広島を去る≠ニ明言したとき、彼と行動を共にする決意を固めたのだ、と語った。
美那子は、俊吉が背水の陣を布《し》いて、文学に体当たりしようという、その悲愴な決心を看て取り、
〈それならば自分が一緒にいなければならない〉
と考えたのだと言う。
彼女は、広島で、井の中の蛙のように、いい気になっている中山俊吉には、なんの魅力も感じなかった。広島文学編集長という名刺の肩書きだけを、嬉しがっている中山俊吉は、彼女にとって路傍の石であったのだ。
だが――中山俊吉は思うのであるが、女性というものの度胸のよさには、ただただ驚くよりないではないか。
両肺に空洞のある文学青年。
上京したって、就職は先ず絶望である。
下手をすると、自分が働いて、一生、男の面倒をみなければならないのだ。
常識的に言って、その時点での中山俊吉は人間としてゼロというよりは、寧ろマイナスというべき存在だったのである。
その、海のものとも、山のものとも判らぬ一文学青年の未来≠ノ、久我美那子は、一瞬のうちに、自分の未来を賭けることを決意したのである。
後年――中山俊吉は、ことあるごとに、
「私の今日あるは妻のお陰です」
と語ったが、それは事実である。
おそらく、久我美那子という伴侶なしには作家中山俊吉は、生まれなかったであろう。
俊吉のように気の弱い、それでいて直ぐ誘惑に乗る男は、彼女のような船頭がいなくては、人生の航路を誤っていたと考えられる。
……ともあれ、久我美那子の決断によって再び中山俊吉の人生航路図は、大きく一変することになった。
二人はその夜、霧の降る広島の街を歩きつづけながら、憑《つ》かれた如く、自分たちの未来を語りあった。
美那子は、結婚する以上、周囲から祝福された結婚でありたいと言い、俊吉の両親の許可が欲しいと言った。
そして、飛ぶ鳥あとを濁さずの譬《たと》えの如く広島を去るに臨んで、俊吉の身の廻りを清潔にしておいて貰いたいと注文をつけた。
中山俊吉は、なにか夢でも見ているような心境であった。
しかし心のどこかでは、一抹の不安があったことを告白しておく。その不安とは、土壇場になって、美那子が母や弟から反対され、上京できなくなるのではないか……という不安である。
翌日――俊吉は父に無断で、銀行通帳をもちだし、酒場の借金と、旅費とに見合う金額を抽きだし、夜になって、酒場〈V〉だの、〈加代〉だのの借財を返済して廻った。
その翌々日は、終日、家に籠って、不用な手紙を焼いたり、両親に宛てて家出の手紙を書いたりして過した。
家出の夜、彼は駅前の小荷物預り所にボストン・バッグを預けて、〈加代〉を覗いた。
松井加代に別れを告げるためである。
どういうわけか、〈加代〉は暇《ひま》であった。客がいないのだ。
加代は、俊吉が入ってゆくと、俄かに顔をきつく痙《ひ》き吊らせて、
「ねえ、あんた!」
と言った。
「今夜は、暇なんだな」
俊吉は酒を注文した。
加代は酒の用意もせずに、なおも表情を痙き吊らせて、
「あんた、どこへ行く気?」
と訊いた。
俊吉ははッとなった。
「どこへって、別に……」
彼が口籠ると、加代は切れ長の眼を、きッと光らせて、
「嘘、言いんさんな!」
と叩きすてるように言ったのだった。
彼は沈黙した。
すると、加代は、はらはらッと大粒の泪を零《こぼ》し、
「あんた、うち一軒だけか思うとったら、〈V〉やら、〈S〉などにも、全部、支払いを済ませて廻ったそうやないの……」
と言った。
「なあに……思わぬ金が入ったから、いい機会だから勘定を済ませたのよ」
俊吉はそう答えたが、松井加代は容赦しては呉れなかった。
「嘘つきんさんな! あんたは、どこかへ行く気でしょうが! 変な考えを起してるんと違うの!」
中山俊吉は正直に言って、女性の本能というものに、ある畏怖感を抱いた。松井加代は自分の店だけではなく、他の酒場の溜った勘定を一気に支払った彼の行動から、彼が自殺するのではないか、と判断したのである。
俊吉は、泪の溢れた加代を見詰めつつ、
「ご免よ、加代さん……」
と言った。
「今夜、広島を出るんだ……」
彼が一息ついてそう言うと、彼女は俊吉に獅噛《しが》みついて来て、
「行っちゃあ厭!」
と叫んだ。
「そんなこと、言ったって……」
俊吉は当惑した。
「あんた……死ぬ気だろ? そうだろ?」
松井加代は彼の胸倉をつかんだ儘、離さないのだ。
「死なない。できるだけ生きてみるよ」
「嘘! あんたは、死ぬ気だよ。そうでなかったら、あんな……」
「違うってば! 旅に出るけど、すぐ帰って来るさ」
「……ほんとう?」
加代は、泪を拭いて、彼の顔を覗き込むようにした。
「本当だよ。なにも大袈裟に考えないで欲しいな」
彼がそう言うと、加代はやっと酒の用意をはじめたが、まだ疑っている顔つきであった。
そのうち、常連の工藤浩三が恋人連れでやって来て、二人の愁嘆場は幕となったのだが、工藤は珍しくきちんと背広をきている彼をみて、
「おや、旅行ですか」
と何気なく言った。
俊吉は苦笑まじりに肯く。すると工藤は、
「旅か。いいなあ……フランスに行きたしと思えども、フランスは余りに遠し。せめて青き背広などきて、街に出てみん……」
と、朔太郎の詩の一節を暗誦し、それから自分の額を掌で叩いて、
「キザだなあ……」
と自嘲まじりに呟くのであった。
(後に工藤浩三は、岡山支局に転勤となりそして自殺した。その訃報に接したとき、中山俊吉は自殺する時も工藤が、〈ヘッ、キザだなあ〉と呟いて死んで行ったような気がしてならなかったことである。その夜の印象が強く残っていたからであろうか)
まもなく自称詩人の大平武也も、加代の店に顔をみせた。
あと顔をみせないのは、吉井支局長だけである。
俊吉は、腕時計を気にしながら、大平武也に向かって、
「大平さん。握手して下さい」
と帰りぎわに言った。
大平は機嫌よく、
「わしと握手して、せめてわしの詩魂でも盗み取ろうという気じゃろうが、そうはいきまへんで。……しかし折角じゃけん、握らせたろうか……」
と、筋ばった右手をだした。
それが、大平武也との別れの握手になろうとは、俊吉も考えなかったのであるが、彼としては加代を奪ったことに対する、お詫びの積りだったのである。
(大平武也は、数年後、酒毒に冒されたのか、どっと床につき、そしてある朝、玄関の三和土《たたき》の上に寝巻のまま、倒れて絶命していたという。そして手は、家の外へ出たいという最後の意志を物語るが如く、玄関の戸の方へさしのべられていたということである)
〈加代〉を出たあと、俊吉は、吉井冬彦を探し求めて、数軒ばかり歩き、やっとある映画館の前でパッタリと遭遇することができた。
彼は吉井支局長に、
「さようなら。お元気で……」
と挨拶した。
吉井は怪訝そうな顔をして、
「大分、酔ってるみたいだなア。どこか、行きますか?」
と笑顔になる。
彼は首をふった。
別れを告げたい人は、沢山あった。
たとえば文学仲間の兼安進とか、〈天邪鬼〉の同人たち、そして彼の面倒をなにくれとなくみてくれた新聞社の宝井利興や、加瀬実代子たち……。あるいは広島ペンクラブで世話になった大学教授の羽黒幸男、真田三彦……と枚挙に遑《いとま》がない程だった。
しかし俊吉は、それらの人々に会うことは努めて避けたのだ。会えば、決心が鈍りそうであったし、なにかを告白したくなるような予感がしたからである。
吉井と別れて、中山俊吉は市電に乗って、広島駅に行った。市電の窓から、広島の街を見ながら、彼は泪ぐんだ。
もしかしたら、生きて再びこの広島の土を踏めないかも知れない。そんな感傷が、彼をふッと泪ぐませたのである。
三
夜行列車のなかで、俊吉は、ウイスキーの小瓶をとりだして呷りつづけた。なにかに、追われている感じであった。
久我美那子とは、翌日の夕方、京都で落合う約束であったのだ。
列車は呉線廻りであった。
一時間後、列車は呉駅のプラットホームにその長い体を横たえた。
「もしかしたら……」
と思って、俊吉は列車の窓をあけた。
すると、美那子とその母とが、ホームをきょろきょろしながら、小走りに駈けている姿がすぐ目に入った。
俊吉は、ホームに飛び降りた。
美那子の母親は、彼の顔を直視して、
「お躰だけは、気をつけて下さいね」
と言い、
「美那子は、明日十時の汽車に乗せますからね……」
と言った。
俊吉は目頭が熱くなった。
いまでも俊吉は思うのだが、自分の娘が成人して、名もない文学青年に惚れたとき、果たして美那子の母のような、立派な態度がとれるか、否かは自信がない。
ふつうだったら、娘を説得するか、その青年の行動の無謀さを詰《なじ》るであろう。それが世の親の姿であった。
にも拘らず、美那子の母は、大事な娘を奪ってゆく男の健康だけを案じ、娘がそれほど惚れ込んだ男ならばと、あきらめもあったのかも知れぬが、笑顔で俊吉の門出を見送ってくれたのであった。
俊吉は、美那子の手を握った。いや、握りしめた。
「待っている」
彼が短くそう呟くと、美那子は、
「ええ。十時の汽車よ……」
と答えた。
遽《あわただ》しく発車のベルが鳴り渡る。
俊吉は、美那子の母に目礼して、列車に飛び乗りながら、
〈俺はなんと幸福な男だろう……〉
と思った。
京都へ着いたのは、朝八時ごろである。
俊吉は、荷物を駅に預けて、京都の市内地図を買い、美那子が乗って着く夕方の列車を待ちつづけた。
彼は、あてどもなく京の街を歩きながら、もしかしたら美那子が来て呉れないのではないか、そうしたらどうしようか、などと考えつづけた。
彼には、その美那子を待ち佗びる時間が、なんとも惨めったらしく憂鬱だった。そして何故、一緒の列車にしなかったのだろうかと、悔まれてならなかったのである。
俊吉は、広島を去るにあたり、一つの家出の構図を描いていたのである。そしてそれは夜行列車≠ナなければならなかったのだ。
しかし久我美那子は、第二の人生の出発が夜汽車では悲しい、と言い、昼間の汽車に乗ると主張したのであった。
二人の乗物が喰い違ったのは、そのためであるが、美那子はその夜、俊吉の父親の突然の訪問を受けねばならなかった。
〈加代〉に吉井支局長が来て、
――中山君の様子が可怪《おか》しい。
と発言したことから、松井加代と加瀬実代子の二人が、
――もしや?
と危惧して、俊吉の水主町の自宅を訪れたからである。
離れは整然と片附いており、両親あての書置きがあった。俊吉の父は愕然となり、恋人の美那子なら俊吉の行方を知っているかも知れぬと、呉まで深夜、タクシーを飛ばしたという訳である。
俊吉は、万一を慮《おもんばか》って、美那子に、誰が訪ねてきても、行き先は絶対に言うな、と頼んであった。彼は父親から、広島へ引き戻されることが怖かったのだ。
美那子と、彼女の母親とは、俊吉の頼みに、忠実であった。俊吉の父親は失望し、そして帰って行ったらしいが、おそらく俊吉が自殺のために家出したのではないと悟って、安堵した風情がある。
――夕靄《もや》が漂いはじめた頃、久我美那子は無事に京都駅に姿を見せた。
「お父さまに問い詰められて、シラを切り通すのが辛かったわ。でも、ここで負けたら、中山俊吉の第二の人生が駄目になる……と自分で自分に言い聞かせて我慢したの……」
美那子は俊吉に会うなり、昨夜の事件の報告をしてから、そう言った。
「ありがとう。僕、来ないんじゃないかと、悲観してたんだよ……」
彼は疲れたような笑顔をつくった。
駅前の旅行案内所で、二人は、旅館の斡旋を依頼した。
そしてタクシーで着いてみると、本願寺の近くの、団体客を相手の粗末な旅館ではないか。
〈はじめての夜が、こんな佗しい夜では〉
と俊吉は思った。
しかし、美那子は、
「これから先は長いのよ。贅沢言わないで」
と逆に彼を説得したのだ。
二人が案内されたのは、十二畳の広い座敷である。
女中にきいてみると、それが一番狭い部屋だと言うことである。
二人はまた押し問答した。
もっとよい旅館へ移ろう、と言う俊吉と、贅沢を言わずに我慢しろ、と言う美那子との意見の喰い違いがあったのである。
折しも、修学旅行のシーズンだった。
そして、その宿には、二百名くらいの中学生たちが、投宿中であったのだ。
――騒がしい。サービスが悪い。こんな大広間で新婚の第一夜が送れるか。
と俊吉は言った。
すると美那子は、
――私たちに相応しいじゃないの。人生に甘ったれるなって、良い教訓だわ。
と主張するのである。
図らずも、最初の夫婦喧嘩となったわけであるが、あとになって考えてみて、中山俊吉は、美那子の意見に従ってよかったと思ったことである。
なぜなら、その一夜の記憶が、非常に強烈なものとして、俊吉の頭脳の襞《ひだ》に刻み込まれたからである。
それが平凡な旅館などであったら、その初夜の記憶が、それほどまで鮮明かつ強烈なものとなったか、否かは疑問である。
その夜、生まれて初めて、中山俊吉は、久我美那子と一緒に入浴した。
まるで温泉の大浴場のような、殺風景な風呂であった。
美那子は愧《はずか》しそうに、タオルで前を隠し、あとから浴場へ這入《はい》って来た。
「やっと、二人は結ばれるんだね」
俊吉は、深い感慨をこめて言った。
「長かったけれど、いまとなっては、短かったみたいね……」
並んで湯槽に身を沈めながら、ひっそりと美那子は呟く。
彼は、美那子を抱いて接吻した。
「だめよ、こんなところで……」
美那子は軽く抗《あら》がいながらも、優しく彼の唇を受けた。
「こんな形で、スタートしたことを、後悔しない?」
俊吉はきいた。
「後悔したって、仕方ないでしょう? 二人で選んだ道なんだもの……」
美那子は微笑した。
「それはそうだけれども……女って、やっぱり正式に結婚式をあげて、披露宴をすませて新婚旅行に出る……という初夜を、希望しているんじゃないかい?」
「それは、そうね。でも、平凡でない初夜だって、あっていいじゃないの?」
俊吉は、美那子をその時、心の底から、いとおしく思った。
彼を傷つけまいとして、心を使っているのだった。それは、妻というより、母親に近い感じの気の使い方である。
俊吉は、美那子の乳房を吸い、
「これが、きみの処女の最後なんだね」
と言った。すると美那子は、ふっと泪ぐんで、俊吉を見詰め、
「あたし、良い奥さんになれるかしら?」
と、ポツリと呟いたのである。
四
京都で一夜を明かした俊吉と美那子は、翌日、東京へ向かった。
三年越しの恋が実ったとはいうものの、それはどう考えても、祝福すべき状態ではなかった。 美那子は、
「あたし、洋裁をして、貴方ひとり位、養ってみせるわ」
と言った。
しかし、中山俊吉にとって、それは釈然としない姿である。男性として、屈辱にちかい生活の姿であった。
東京駅に、親友の安倍稔は、出迎えていて呉れた。
安倍は彼らしい言い廻し方で、
「俺は、中山は歓迎するが、瘤《こぶ》の方までは歓迎しないぜ」
と言い、美那子が目黒の叔母の家に泊るのだと知ると、吻ッとしたような表情を、演技的にしてみせ、
「そりゃア有難い。狭い家の中で、二人にあてつけられたら、俺は発狂するからなあ」
と笑った。
美那子は、俊吉の両親が、二人の結婚を認めてくれるまでは、俊吉を送って来たあと、呉の西内神の家に帰って、挙式を待つ――と主張していたのである。
大田区鵜ノ木の高台にある、安倍の借りた家というのは、かなり老朽した二階家であった。
玄関が二つあって、一方は家主と下宿人が使用している。しかし、もう一つの玄関には木の香も新しく〈安倍稔〉という標札が掲げられていた。
安倍はそれを二人にみせて、
「この若さで、戸主となったのは、〈天邪鬼〉の仲間じゃ俺一人だぞ」
と自慢したものだ。
だが、その家たるや、玄関を入ったところが二畳、右手が四畳半、それに続いて六畳があり、二畳の先が廊下となっていて、右手に土間の炊事場があると言うものだった。
池の噴水を俯瞰《みお》ろす瀟酒な離れで、ひとり暮していた俊吉の今までの生活環境からは、遠く離れた佗び住居である。
なにしろ水道はなく、井戸水を手押しポンプで汲み上げねばならないし、錆びついたトタンの流しの裏には、大きな蛞蝓《なめくじ》がのそのそと這っている。
六畳の部屋の根太はゆるみ、歩くたびに畳がペコンと凹むのであった。
そして境の襖のたてつけも、ガタピシとしてなお閉まらないのだ。
しかし、彼のために、自分の借りた家の一部を、提供して呉れる安倍の好意には、俊吉としても大いに感謝しなければならなかったのは事実だ。
安倍の家に着くと、俊吉はさっそく、蒲団を借りに走らねばならなかった。夜具のことを計算に入れていなかったのである。
遅い夕食は、安倍の手料理だった。
安倍は安い給料から、酒を奮発してくれて二人の上京を祝ってくれた。
食事のあと、美那子は、
「叔母のところへ行くわ」
と言った。
俊吉は、目蒲線の駅まで送って出たが、その道すがら美那子は、
「なにか、歩き辛いわ」
と打ち明けた。
俊吉は苦笑した。
処女を失った直後は、股間に何か夾雑物が挿入されている感じが抜けず、歩き辛いということを耳にしていたからである。
「蒲団はあるし、泊っていけば……」
と彼は未練たらしく言ったが、彼女は首をふり、
「あたし達、まだ結婚式をあげてないのよ。わかっているでしょう?」
と、悲しそうな笑顔を浮べて、電車に乗り込んで行ったのだった。
その夜、彼は安倍と久しぶりに、二人っきりで夜っぴて話をした。
他愛のない文学論議であるが、安倍が、
「……そりゃあ、中山俊吉と言えば、広島では少しは名の売れた存在かも知れんが、この大東京じゃあ、なにほどの者でもないぜ。東京で文名をあげるなんて、当分は考えないことだなあ……」
と何気なく呟いたその言葉は、中山俊吉の肺腑を突き刺した。
俊吉は、小説というものは、良い作品でさえあれば、誰でも編集者が認めてくれると過信していたのだ。
ところが、安倍稔の話だと、たとえ良い立派な作品であろうとも、多少のコネなしには文壇に足がかりをつくることは、困難であるというのだ。
安倍によれば、編集者にも、文学的な好みがあるという。
近代文学的な傾向を好む編集者に、すぐれた私小説を持ち込んでも認められず、没になることは確かだ……と言うのだ。また、その逆のケースもあり得る。
つまり、それは作家の運、不運≠ナあるとしか言えない。
しかし、それを運≠テかせるには、やはり文壇で名をなしている大作家との、コネが必要となるのだと、安倍は語った。
「太宰治をみろ。井伏鱒二、佐藤春夫の庇護がなかったら、彼はあれだけの作家になれたか、どうか。佐藤春夫という文壇のボスの推輓《すいばん》があったからこそ、小説家・太宰治は誕生したんだぜ……。まあ、焦らず、コネ探しに歩くんだなあ……」
安倍稔は、上京一年有余の、自分が体得した処世術≠俊吉に披露して、世の中はコネ次第であると力説するのであった。
だが、中山俊吉は、広島の産んだ原爆作家の原民喜から、
『小説を書こうと思ったら、生涯、師匠につかないことです』
という遺書を貰って以来、密かに、その原民喜の最後の忠告を、守り抜こうと決意していた文学青年である。
師匠につかず、自分ひとりの力で、文壇に出ようと考えていた一人であった。
その彼の希望を、親友の安倍は、無残にも踏み躙《にじ》ったのであった。
親友の安らかな寝息を聞きながら、中山俊吉は、上京後の第一夜を、まんじりともせずに送った。
自分の考え方が、甘かったとも反省した。しかし、作家として立つのは、その生き方は間違ってはいない、とも思った。
〈もしかしたら、俺は東京の片隅で、看病に窶《やつ》れ果てた美那子に、手を握られながら、惨めに死んでゆく運命にあるのかも知れぬ〉
などと思ってみたり、
〈父に詫びを入れて、広島へ帰ろうか?〉
と考えたりした。
でも、自分ひとりの人生ではないと思うと、いまさら、おめおめと広島には帰れない、と決意し直すのであった。まして俊吉には、まだ式はあげていないが、美那子という妻が、伴侶ができたのだ。
母を徹夜で説得し、敢然と彼と一緒に東京へ出てくると、その行動で示した彼女の真情に対しても、彼は裏切りは出来なかった。
〈ああ、美那子! いま、どうしてる?〉
彼は、暗闇の中に呼びかけた。
すると俊吉の脳裡には、昨夜、京都の宿でみせた美那子の、献身的な、そして情熱的な態度が、甘酸っぱく泛《うか》び上って来た。
……美那子は、全裸で仰臥して、彼のなすが儘に、すべてを委《ゆだ》ねたのだ。
俊吉は、新妻に恐怖心を起させないようにと、全身をくまなく接吻し、それから抱擁したのだ。
修学旅行の団体客が、やっと寝静まる頃、美那子は興奮の極にあった。
「あなた……どうにか、して!」
新妻は熱っぽく囁いた。
「いいんだね! 後悔しないね?」
喘ぎながら、俊吉も口走った。
「あなたの妻に、早くして!」
「妻じゃない。女房にだ……」
「いいわ。中山俊吉の女房にして!」
――数分後、破瓜《はか》はなされた。
美那子は目尻から、泪をすーっと一筋だけ流し、
「結婚って、こんなことなの?」
と呟いた。
「莫迦《ばか》。これはセックスだ。結婚というのは生活じゃないか。今夜から、きみと僕との生活がはじまる。それが結婚さ……」
俊吉は、念願叶って、自分の妻となった美那子の躰を、夜っぴて愛撫しつづけた……。
そんな、なまなましい思い出を、ゆくりなくも反芻していると、俊吉は不図、たまらなくなった。欲情したのだ。
〈ああ、美那子! 会いたい!〉
彼は暗闇に向かって呼びかける。
会いたかった。
美那子の肉体を、力一杯、抱きしめてやりたかった。
それでいて、心の中には、安倍稔の忠告の言葉が、なにか黒い不吉な翳すら帯びて、ゆっくり膨れ上ってくるのだった。それは、じわじわと、重量感すら伴って、胸の中に大きく拡がってゆく。
〈俺は、大丈夫だろうか?〉
〈美那子を、幸福に出来るだろうか?〉
中山俊吉は暗闇に問い続けた……。
五
それから一週間ばかり遽《あわただ》しかった。
美那子の叔母の家に挨拶に行ったり、新丸子に俊吉の落ち着くアパートを探しにいったり、雑事ばかりであった。
叔母の一家は、警察署の傍で薬局を経営していて、叔父は薬局の主人というよりは、研究所のエンジニア・タイプの人物だった。そして一文にもならぬのに、先輩の亀井という医師と共に、寄生虫の研究をしているということである。
「まあ、なんとか、なりますよ」
好人物らしい叔父は、俊吉をそう言って慰めるのであった。叔父は満州からの引揚者で、おなじ朝鮮からの引揚者である俊吉には、その意味で、好感を抱いて呉れたようである。
新丸子のアパートは、六畳一間で、便所と炊事は別々であった。家賃が安いのに惚れて借りたのだが、新しく蒲団を買い、石油コンロを買い、机を買い、鍋、茶碗、箸などを買うと、美那子が用意して来た金は、たちまち吹っ飛んだ。
美那子は苦笑して、
「結婚って、お金がかかるわね」
と言ったことである。
俊吉の父から、安倍あてに手紙が来て、安倍から俊吉の無事が伝えられたのは、その引越し騒ぎの頃だった。だが、間もなく俊吉が、無断で預金を抽き出したことが判り、カンカンになった父から俊吉に手紙が来た。
その手紙には、
――二人の結婚は認めない。今後は親子とは思わぬから、その積りでいて欲しい。
という趣旨の文章が書いてあった。
次男の健康を、いや生死を案じていて、それが裏切られた怒りを、そのまま便箋に叩きつけたような感じである。
無理もなかった。
俊吉の父は、彼が無断で抽き出した金が、広島の酒場の支払いにあてられたと知らず、彼と美那子との、新婚生活の資金だと誤解したらしいのである。俊吉は、その父の手紙を美那子には見せず、焼き捨てた。
親不孝な子供だとは思ったが、その時の彼には仕方なかったのである。
そんなゴタゴタの最中、安倍稔の音頭取りで、俊吉と美那子との結婚を祝う、在京〈天邪鬼〉同人の宴会が、鵜ノ木の安倍の家で持たれた。
集ったのは、郵政省へ勤めている温厚な岩淵健郎、貯金局に就職した太田勝造、女子美術大学へ進んだ三村節子、やっと念願の東大へ入った秋田|煕典《ひろのり》、日大で写真を勉強している浅見皓一、それに安倍稔の六人であった。
安倍が買い揃えた料理に、日本酒とウイスキーという、ささやかな祝宴であったが、久しぶりに顔を合わせた同人たちは、かつて安倍が名づけたサロン・ダマノジャク≠フ時代を髣髴《ほうふつ》とさせて、よく語り、よく飲んだ。
俊吉の不安は、これから先、美那子と二人がどうなるだろうか、という点にあったが、同人たちは、一向に意に介せず、目黒の叔父とおなじように、
「なんとか、なるもんだよ。我々だって、なんとか喰っている」
と言った。
だが――俊吉に言わせたら、学生の秋田や三村節子、浅見皓一をのぞいて、残りの三人は就職しているのだ。
俊吉は、その就職≠キらできない身の上なのである。両肺を病んで、まともな職につける筈がなかった。
俊吉は、内心、かつての同人たちが、彼を慰めて呉れるというよりは、無謀な上京を嘲嗤《あざわら》っているような気がしたことである。
祝宴のあと、同人たちと一緒に、美那子と俊吉は渋谷に出た。
飲み足りないので、どこかで飲み直そうという訳であるが、さて誰が金を出すかとなると、みんな尻込みする許りだった。
広島時代の俊吉なら、いたるところで顔が利いたのだが、はじめて来た東京では、ツケの利く店すらないのである。だが、同人たちの心の何処かには、酒の金は中山が出すものと決めてかかっているようなところがあったのも事実である。
俊吉は、ようやく東京へ出て来たのだ、という実感を、しみじみと味わった。井の中の蛙だったことを、つくづくと思い知らされた感じである。
俊吉は美那子に、金はないかと訊き、
「少し位ならあるわよ……」
と答えられると、なにか吻ッとした気持で酒の店の暖簾をかきわけたのであった。
……そんなことがあってから、美那子は間もなく、呉へと帰って行った。
結婚生活に入るとなると、いろいろと準備もあったし、それに彼女は、俊吉の両親からの許可も欲しがっていたのだ。
「呉で、お父さまのお許しが出るまで、待っているわ。決して短気を起さないでね。あたしからも、お手紙しますけれど……」
美那子は何度もそう念を押して、呉へと去って行った。
だが俊吉は、父の一途な性格から、この二人の結婚の許可は下りないことを、直感として知っていたのだ。
つまり美那子は、そのために無駄な辛抱をしたことになる。でもそれは、未亡人の母親を喜ばせてやりたいという、美那子の必死な孝行心だったのである。
だが、俊吉の父は、そこまで美那子の心情を読み取れなかったのであった。
新丸子の、たった一人きりの生活は、佗びしかった。
朝起きる。
石油コンロで薬缶の湯を沸かし、紅茶を淹《い》れて飲む。
牛乳とパンを買いに出て、結局は外食券食堂の厄介になることも、しばしばだった。
原稿用紙をひろげて、机に向かう。
しかし、一向にペンは捗《はかど》らないのだった。
昼すぎになると、俊吉は苛立つ。
いったい何のために、こんな生活をしているのか、と疑いだす。
原稿用紙の桝目を埋めながら、安倍稔の台詞《せりふ》を思い出すと、無性に苛立ってくる。
〈こんなことで、いいのか?〉
俊吉は煩悶し、不貞腐れて大の字に寝転がったり、多摩川べりに散歩に出て、終日、ぼんやりして過したりした。
書きたい小説のテーマは幾つもある。
だが、それが漠然と、もやもやと心の中で燻《くす》ぶりつづけるだけで、どうにもならないのであった。とっかかりがない。斬り込む隙がない。そんな感じなのである。
夜になると、人が恋しくなり、俊吉はよく東横線に乗って、多摩川園前で乗り換え、安倍稔の家に行った。
安倍は、いつも威勢よく彼を迎え、
「夕食は済んだか」
と訊くのが常であった。
美那子が、目黒の叔母から借りてくれた金で、ほそぼそと暮している俊吉が、安倍稔には憐れに思えるのだろうか。
ある夜、安倍の家へ訪ねて行くと、彼は留守で、玄関に見馴れぬ伝言のメモが、ヘア・ピンで留めてあった。
ひろげてみると、三村節子から安倍に宛てたもので、訪ねて来たが不在なので、駅前の喫茶店で時を過している、とあった。
時刻は三十分ぐらい前である。
俊吉は、鵜ノ木駅前の喫茶店を、探して歩いた。
すると三村節子は、喫茶店ではなく、マーケット近くのスタンド・バーにいた。
「やあ……どうしたい?」
彼は声をかけた。
三村節子は、独特の男っぽい笑顔で、ニコリと微笑みかけ、
「退屈なのよ……」
と言った。
俊吉は、ビール一本飲んだあと、
「よかったら、僕のアパートに来ないかい」
と言った。
手つかずの、トリス・ウイスキーがあることを思いだしたのである。
三村節子は彼に従ってやって来て、女子美の風変わりな級友たちの話をし、コップでウイスキーをお茶のように飲んだ。
なにか悩みごとでも、ある様子だった。
「どうかしたのかい?」
と聞いても、苦笑するだけで、彼女は一向に要領を得ない。
そのうち東横線がなくなって、三村節子は帰れなくなった。
「泊って行きなよ。蒲団は一組しかないけれど、柏餅で寝ればいい」
と俊吉は言った。
三村節子も、あっさりと、
「そうね、泊るわ」
と言った。
むろん俊吉には、三村節子に対する野心はなかった。
なんというか、ボーイッシュな感じで、三村節子は女ッ気を感じさせないというので、同人達に人気があった女性なのだ。
二人は別々に寝た。
敷布団に毛布と枕で、彼女は洋服姿のまま仰臥し、俊吉は掛蒲団を縦に二つ折りにして、一つしかない座布団を枕にして横になったのだ。
だが、夜半――異変が起きた。
俊吉は夢をみていた。
美那子と抱きあって、接吻している甘美な夢であったのだ。
ところが、夢うつつで、なにか異様な気配を彼は気づいたのだ。
それは、夢と現実とが、混淆《こんこう》したような感じであった。なにか、なまぐさい現実と、淡い香水のような夢とが、自分の身を虐《さいな》んでいるのである。
俊吉は、不意に、はッとなって目覚めた。
夢ではなかった。
誰かが、彼の躰の上に蔽いかぶさって、唇を吸っているのである。
むろん、三村節子より他になかった。
俊吉は本能的に、彼女の躰を抱いた。驚いたことに、三村節子は泣いていた。
「どうした?」
と訊くと、
「久我さんに悪いけれど、あたしを無茶苦茶にして!」
と三村節子は口走るのである。
「酔ってるね?」
彼は言った。
「ええ、酔ってるわ」
女子大生は鸚鵡返しにそう言い、
「とにかく、私を無茶苦茶にしてほしいの。殴っても、いいわ。蹴ったって、噛んだっていいわ」
と俊吉の肩を掴んで、荒々しく揺さぶるのである。その態度には、なにか異常なものが感じられた。
中山俊吉は当惑した。
美那子への永遠の愛を誓った彼なのだ。
それなのに、三村節子は彼に露骨にセックスを求めるのである。
「ねえ、もっと強く抱いて! 男なら、節子を可愛がって!」
彼女は、泣きじゃくりつつ、一枚、一枚、自分の衣類を剥ぎ取り出したのである。
六
だが、その夜――中山俊吉は、三村節子の肌に触れなかった。
いや、触れなかったと言ったら、それは嘘になる。
正確には、俊吉は、節子の昂奮を鎮めるために、女性を愛撫してやり、唇や乳房を吸ったのだった。
そして最後には、彼も我慢し切れなくなって、浴衣をきた儘、節子に重なり、自分の下着の中に射精したのである。
それが俊吉の、精一杯の理性――美那子に対する愛の証しであった。
三村節子は、それから直ぐ寝入ったが、翌日の夜おそく、彼が原稿用紙に向かっている時に、新丸子を訪ねて来たのだ。
酔ってはおらず、素面《しらふ》であった。
纔《わず》かに照れ臭く、俊吉が、
「やあ、来たね」
と言うと、彼女は、
「今夜、泊まるわね」
と、こともなげに言うのだった。
俊吉は面喰った。
「どうしたんだい!」
と訊くと、
「あたし、中山さんのこと、好きになっちゃった!」
と、叩きつけるように言い、
「心配しなくて、いいの。久我さんが東京に出て来たら、身を退くから……」
と平然としている。
俊吉は呆れた。
だが三村節子は、どうやら本気であるらしく、入口においたボストン・バッグから、パジャマをとり出すのである。
彼は慌てた。
だが狼狽しながらも、俊吉の心のどこかでは、美那子が上京して来るまでの相手が出来た……というような、そんな安堵めいた狡い感情が潜んでいたのは事実である。
「おい、そんなこと、出来ないよ……」
俊吉は、吃りながら言った。
三村節子はたじろがず、
「中山さん。あんた、小説家になる積りなんでしょ」
と訊く。
彼は、仕方なく肯いた。
「だったら、こんな経験も、たまにはいいじゃあないの」
三村節子は妖しく微笑した。
「すると、なにかい? 小説家になるために彼女が上京するまで、同棲して呉れると言うのかい?」
「そうよ。そう考えたら、精神的な負担にならないでしょ」
「ふーむ」
俊吉は低く捻った。
……余談だが、いまもって俊吉には、この時の三村節子の心理は合点できない。
失恋して、自棄《やけ》ッ鉢になっていたとも考えられるし、俊吉に好意をもっていたのだとも受けとれる。また、なにか俊吉に同情していたとも、思えるフシがあった。
東京というところは、俊吉のような田舎者にとっては、恰《あた》かも巨獣のような畏怖感を抱かせる都会であった。
先ず、その街に住む、夥《おびただ》しい人間の数に、彼は圧倒される。美しいビルや、会社や、華やかなショーウィンドウの飾り付けに、圧倒される。だだっぴろい住宅地や、複雑な盛り場の地理に圧倒されるのだ……。
だから俊吉は、その時、三村節子もまた、
〈寂しいのだ……〉
と思った。
秀才は東京に犇《ひし》めいている。その中で頭角をあらわそうとすれば、それは並大抵のことではなかった。
三村節子も、俊吉は、そんな人間対人間の戦いに疲労困憊して、誰か、獣のように傷ついた自分の躰を、舐《な》めて癒やしてくれる相手を探しているのだ……と考えたのであった。
そして俊吉も、東京の物量や地図に打ち挫《ひし》がれた、憐れな獣の一人だったのだ。
彼のように弱い性質の人間には、いつも凭《よ》りかかれる何者かが、彼の傍らに必要だったのであろうか?
その夜、俊吉は、
〈美那子に申し訳けない!〉
と思いながらも、小麦色の堅い肉をもった三村節子の躰を抱いたのだ。
ところが、またしても異変が起きた。
「ああ、もう駄目! 駄目よ!」
と節子が口走るので、俊吉は慌ててファルスを突き立て、たちまちにして射精を終了したのである……。
流石に、ぐったりとなって、女の躰に打ち伏したのだが、不図《ふと》、気づくと三村節子の顔面が蒼白となり、唇の色が褪せている。
俊吉は吃驚した。
「おい! どうした!」
と、胸に耳をあてがってみると、心臓の鼓動がない。
中山俊吉は、それこそ蒼くなった。
肩をつかんで、強く揺さぶってみても、頬の肉を掌で挟んで叩いてみても、まるっきり反応がないのである。
〈まさか!〉
彼は、そう思ったが、現実に、三村節子の顔面は蒼白になるばかりなのだ。
〈死んでいる?〉
俊吉には、昨夜来の三村節子の異常な言動が思い出され、彼女が自殺するために、彼のアパートに泊りに来たような気がしてならなかった。
〈彼女が自殺だったら! そして、そのことを、美那子が知ったら!〉
中山俊吉は、動顛しながら、医師を呼びに行くために、半泣きの表情で、下着を纏《まと》いはじめたのである――。
第四章 絶望と鮮血と
一
後年、中山俊吉は小説のなかで、女性がセックスのクライマックスの時に、失神する≠ニ書いて、物議を醸《かも》した。
医学的に言えば、アクメの際の失神ということは、あり得ない。しかし、その時の三村節子の状態は、やはり実感としては、失神≠サのものであったのだ。
新丸子の街を走り廻り、やっと産婦人科医をみつけ(自殺したのではないかと危惧《きぐ》しながらも、産婦人科医を捜したのは、彼の気持が動顛《どうてん》していたのか、あるいはセックス行為の果てなので、照れていたのか、そのどちらかであろう)、アパートへ引き返してみると、三村節子はパジャマの上に、俊吉のセーターを羽織って、ウイスキーを舐《な》めながら、岩波文庫か、なにかを読んでいるではないか! 彼は愕《おどろ》いた。
「きみ……なんともないの?」
と訊くと、三村節子はケロリとして、
「どこへ行ってたの?」
と答えた。
彼は老医師に、平身低頭して詫び、帰って貰ったが、三村節子はなんのために彼が、医師を連れて来たのかと怪訝《けげん》そうであった。
中山俊吉は大いに腐り、
「莫迦《ばか》……きみが気を喪《うしな》ったから、吃驚《びつくり》して連れて来たんじゃないか」
と、節子を詰《なじ》った。
すると彼女は、
「あたしが気を喪った?」
と訊き、
「そういえば、躰ごと、ふわりと浮き上ってしばらく夢をみていた感じね」
と言うのだった。
医学的には、これを浮揚性自己喪失と呼ぶらしいが、俊吉は、あとにも先にも、三村節子以外の女性で、失神したケースを味わっては居ない。
その意味で彼女は、貴重な存在であったとも言える。
しかし、中山俊吉にとって、美那子のいない隙を狙って、のそのそと新丸子の彼のアパートに入り込んで来た三村節子は、やはり不愉快な存在だった。
翌朝、三村節子は朝食をつくってくれて、
「では、いって参ります」
と、女子美術大学へ登校して行った。
俊吉は、なんとなく味気ない感じで、それを見送り、贖罪《しよくざい》の意味をこめて、呉にいる美那子に長い長い手紙を書いた。
一日も早く上京して欲しい、きみが居ないと僕は駄目になってしまいそうだ……というような文面だったと記憶している。
夕方、食事に出て、本屋を歩いてアパートに帰ると、彼の部屋には三村節子が寝転って夕刊を読んでいた。
そして見ると傍らには、ボストン・バッグがある。
「なんだい、そりゃア……」
と訊くと、平然として、
「当座の衣類よ……」
と節子は起き上り、
「夕食は?」
と世話女房のような口を利く。
俊吉は不愉快になった。
それは、食事の仕度をしてくれたり、洗濯をしてくれたりするのは有難い。しかし、夜になると、一ツ夜具の中で一緒に寝ていれば、若い男女のことだから、ついつい獣めいた欲望に襲われて抱きあってしまう。それが困るのだった。
節子は、ある時には、
「久我さんに悪いわ……」
と言い、
「久我さんが上京して来るまでの、束の間の愛の生活ね」
と呟《つぶや》く。しかし、時には、
「あたし、中山さんを、久我さんから奪っちゃおうかしら?」
と口走ったりするのだ。
俊吉は、それが不気味だった。
美那子の留守に、三村節子と理《わり》ない仲となってしまった自分の、なんというか、ずるずると肉体的な誘惑に溺れてしまっているような感じの、そんな自分の立場が、やり切れなかったのだ。
多分、三村節子は、なにかが淋しくて、彼の胸に抱かれる生活に、ある安らぎめいたものを求めていたのであろう。そして久我美那子が上京して来る前日には、彼に「さようなら」を告げて、去ってゆくであろうと思われた。
そのことを考えると、不憫でもある。節子の躰を抱きながら、泪《なみだ》がにじみ出てくるようでもある。
だが――中山俊吉には、そんな安易な生活が怖かった。美那子の留守に、節子を抱いている自分の背徳ぶりが、やり切れなかった。
いや、美那子と俊吉とが買い求めた夫婦茶碗で、平然と食事している三村節子が、そして自分が嫌であった。
もっと深刻ぶって言うならば、美那子と彼との絆《きずな》を、邪魔して断ち切ろうとしている節子の存在が、次第に不快なものと思われて来たのだ。美那子の匂いを、彼から取り上げてゆく節子が、不気味ですらあった。
〈なんとか、しなければならぬ〉
中山俊吉はそう思った。
美那子に対する自分の裏切り行為を、即座に廃止しなければならぬ。そうしないと、この儘《まま》、ずるずると節子との同棲生活に浸り込んでしまう。
そう心の中では自責しながらも、夕方、
「ただいまア。美味しそうなコロッケがあったから、買って来たわ。すぐ食事の仕度をするわね……」
と、いそいそと炊事仕事にとりかかる、節子の白いソックス姿をみていると、不意に欲情して来て、畳の上に押し倒し、
「俺と別れないでくれ……」
と口走ったりする俊吉であった。
要するに、優柔不断なのだ。
その点、三村節子の方が、しっかりしていて、そんなことを口走りながら、躰を求める彼に、
「だめ、久我さんが上京してくるまでよ。そう約束したじゃないの……」
と言い、自分自身を虐《さいな》みながら、燃えて来るのであった。
――今は亡き三村節子よ。
きみはあの頃、この中山俊吉を、愛して呉れていたのであろうか?
きみの、あの献身的な同棲ぶりが、俊吉には束の間の出来心とか、悪戯だとは、とても思えないのだ。
なぜ、きみは、あんなことをしたのだ?
久我美那子と結婚すると判っている、自分とは一緒になれないと知っている、両肺に結核菌の巣食った空洞をもち、荒《すさ》み切った生活をしている一文学青年と、なぜ暮してみる気になったのだ?
中山俊吉を揶揄《からか》っていたのか?
いや、俊吉を憐れんで呉れていたのか?
それとも、きみ自身も、淋しかったのだろうか?
……俊吉には、わからない。
でも、俊吉はいま、きみに対する感謝の念に燃えている。
きみが押しかけ同棲をして呉れなかったならば、中山俊吉は新丸子の小便臭い小料理屋の仲居あたりと、毎夜、ただれるような獣欲の生活を送っていたかも知れないし、また、広島時代のように、血痰を吐きながら、ラムネで割った焼酎を浴びるように飲み、ぶっ倒れていたかも知れない。
少くとも、きみは、そんな危険な時期の俊吉の、ブレーキになって呉れたのだ。
そのきみを、俊吉は、捨てた。
正直に言おう。
中山俊吉は、きみが怖かったのだ。
美那子を待ち佗びる自分の心の隙間に、日一日と根を張り、どっしりと成長してゆくきみの存在が、怖かったのである。
美那子の代用品として、きみを愛しはじめた俊吉自身が、情なく、悲しく、そして腹立たしかったのだ。
俊吉は、ある日、美那子から簡単な文面の端書を貰い、それがきみを捨てる直接の動機となったことを告白しておく。
『二週間もお便りがないのは、どういう訳ですか。病気でもしているのですか。広島のお父さまからも音沙汰がありません。
あきらめて、悲しいけれど、上京します。荷物は、最寄りの駅に送る積りですが、どこがいいのか、お知らせ下さい。母も、多分、一緒に上京すると思います。美那子』
――俊吉は愕然となり、そして反省した。この儘では、美那子を迎えられない、と思った。
俊吉は、親友の安倍稔に相談した。
安部はニヤニヤして、
「それだったら、うちの六畳を提供するから引っ越して来いよ。荷物は、目蒲線鵜ノ木駅どめで、送って貰ったらいい」
と言って呉れた。
その夜――中山俊吉は、三村節子に別れの時が来たことを告げた。
節子は表情を動かさずに、
「そう。では今夜で、お別れね」
と言い、黙ってパジャマを脱ぎ捨てた。そして全裸で、俊吉を求めたのだった。
二度目の失神≠ェ彼女を襲ったのは、その日の明け方である……。
二
中山俊吉は、三村節子の思い出が残るものを、すべてアパートに残して、安倍稔の借家に移った。
そして間もなく、美那子が、母と同伴で上京して来た。
結婚式の日取りは、俊吉の両親にも知らせてあったが、一向に返事はなく、美那子はあきらめ切った表情で、
「お父さまが、ご立腹になるのも、無理はないわ。常識的に考えても……」
と苦笑し、片側の親だけで、式を挙げようと俊吉に告げたのだった。
目黒の神社で式を済ませ、近くの写真館で、記念写真を撮った。
いま見ると、俊吉は紺のダブルの背広を着て、頬がこけ、なんとなく生気がない。
美那子は、純白のドレスを着て、ウェディング・ヴェールをつけ、片手に花束をもち、俊吉の腕に手をかけて、嬉しそうに微笑《ほほえ》みかけている。
俊吉は、オール・バックの頭を、少し美那子に傾けて、それは俊吉の癖であった。
こうして一組の夫婦が誕生したわけであるが、俊吉は後になって、そんな貧弱な記念写真でも、撮っておいて本当によかった、とつくづく思った。
なぜなら、生れた娘に、パパとママの結婚式の記念写真として、野合でない証拠を、みせてやることが出来たからである。
中山俊吉は、後に、家に出入りする文学青年たちに、
「披露宴などと、くだらないことは止めろ。あれは虚栄にすぎぬ。そんな披露宴にかける金があったら、冷蔵庫でも買え。しかし、記念写真だけは、撮っておけよ……」
と説教するのを常としたが、それは以上のような理由による。
美那子の親戚と、俊吉の友人たちだけの、ささやかな祝いの宴がもたれたが、俊吉は、美那子の親戚たちが、親切に暖かく二人を見戍《まも》って呉れるのに対して、自分の両親の冷たい仕打ちが情なく、泥酔して結婚の第一夜を迎えた。
鵜ノ木の安倍稔の家での生活が始まった。
朝食を遽《あわただ》しく済ませて、安倍が出勤して行ったあとは、二人の天下である。
俊吉は、原稿用紙に向かい、なにやらペンを走らせるのだが、荷物の整理に忙殺されている美那子の、爽《さわや》かな襟足をみると、たまらなくなって背後から抱きしめ、原稿どころか昼間からカーテンを閉めねばならなくなる、ていたらくであった。
俊吉は、家主の家の庭のカンナが、黄ばんだ蕾《つぼみ》をつけたことだけを、なぜかよく覚えている。
夜は、四畳半で寝る安倍への心遣いもあり、温和《おとな》しく寝《やす》む二人であった。だから、昼間が二人の愛のひとときとなるのは、止むを得なかった。
だが――その俊吉と美那子との、倖《しあわ》せな新婚生活も、数日後には破られねばならなかったのである。
なぜなら、数日後の午後、浅見皓一がとつぜん姿をみせたからだ。
浅黒い顔立ちの好青年である、俊吉のその友人は、蒼褪《あおざ》めた顔をして、彼の顔をみるなり唐突に、
「困ったことが起きたんだ。力を貸して呉れないか」
と切りだした。
俊吉は怪訝な表情で、友人を家にあげて、
「おい、顔色が悪いぞ。病気か?」
と訊いた。
「病気じゃない。日記を……日記を見られちゃったんだ」
と、浅見皓一は言った。
当時、彼は友人の姉が嫁《とつ》いでいる、土木技師の家に、下宿していた。
そして、こともあろうに、八つも年上であり、二児の母親でもある友人の姉と、道ならぬ一線を越えてしまったのである。
浅見は、仕事、仕事で妻を構いつけぬ下宿の主人に腹を立て、そして友人の姉である人妻に同情したのだという。
その女性は、心臓弁膜症という持病があって、医師は二、三年しか、命はもたないと宣告したとのことだった。
文学青年の浅見は、そんな明日をも知れぬ儚《はか》ない命と、夫から無視されている病身の人妻の立場に、同情したらしいのだが、なんと彼は、その友人の姉との関係を、克明に日記にしたためていたらしいのだ。
土木技師の夫は、子供から妻の不倫を教えられ、ある日、浅見の部屋へ無断で入って、その日記帳を発見したらしい。
帰宅した浅見は、彼の机の上に、これみよがしに自分の日記帳が引き裂かれているのを発見し、血の気を喪った。それで俊吉のところに、駈けつけて来たのである。
俊吉は苦笑し、
「それじゃア、もう下宿へ帰れないじゃアないか。どうする気だ?」
と言った。
「だから、きみのところへ、二、三日、おいてくれないか」
浅見皓一は言った。
「おい、おい!」
俊吉は呆れ顔になり、
「俺たちは、安倍の家に、居候しているんだぜ! その居候のところに、居候する奴があるか……」
と叱った。
ところが、浅見は半泣きの顔をして、
「俺はなんとかするけど……彼女だけでも、面倒みて欲しい……」
と頭を下げるのである。
「えッ、彼女って……彼女も、一緒に出て来たのか?」
「もちろんだよ。二人とも、居れないじゃないか!」
浅見は痙《ひ》き吊《つ》った顔をして、
「とに角、助けてくれ」
と必死である。
「仕方のない奴だな……。この家の、居住権を持っているのは、安倍だから、安倍に相談してみないと、何とも言えないけれど……とに角、連れて来いよ……」
と俊吉は言った。
「ありがとう! 恩に着る。実は彼女、すぐ近くで待ってるんだ……」
浅見皓一は飛び出して行き、数分たらずのうちに、眼を赤く泣き腫らした、色の白い、ぼってりした体格の女性を連れて来たものである。
一見して病身らしい、それでいて世帯やつれの翳《かげ》のない、三十過ぎの人妻で、とても夫の眼を盗んで不倫を働く女性とは、俊吉には思えなかった。
彼女は、
「私が悪いんです。死にたい……」
とか、
「子供はこれから先、どうするでしょう」
とか口走っては泣きじゃくる。
俊吉と美那子は、思わず顔を見合わせて、この突然、ふりかかって来た大きい荷物に当惑した。
夕方、帰宅した安倍稔は、俊吉から事情をきき、浅見と人妻とから、
「よろしくお願いします……」
と泣きつかれると、流石《さすが》に出て行けとも言えず、
「二、三日ならいいだろう……」
と、憮然として答えた。
四畳半の安倍の部屋を、この闖入者《ちんにゆうしや》たちに明け渡すことにしたが、着のみ着のままで飛び出して来た二人には、夜具もない。
美那子は、
「私たちの蒲団を貸して上げましょうよ」
と、一組の夜具と枕を提供したが、お蔭で俊吉と美那子は、座蒲団を枕にして、安倍と同じ六畳に臥す羽目となった。
自分で蒔《ま》いた種ながら、とつぜん身を襲った破局に、ヒステリックになった人妻は、深夜、泣きながら戸外に飛びだし、浅見と俊吉とが探しに行くやら、なだめるやらで、大変な夜となったことである。
二、三日の約束ではあったが、浅見は学生の身で銭があるわけではなく、アパートへ移る敷金を用立ててくれる裕福な友人もいない。
そのまま、ずるずると居候の俊吉夫婦のところに、居候することになったが、美那子は苦笑して、
「憐れにも短かい新婚生活だったわね」
と洩らして、
「でも、困った時は、お互い様だから、仕方ないわよ……」
と朗らかに俊吉に告げるのだった。
だが、それにしても、二組の男女が、真ッ昼間、一つ屋根の下で顔をつきあわせているのは、なんとも奇妙なものだった。
人妻は、若い新妻の美那子を相手に、はじめは愚痴めいたことをこぼしていたが、次第に同居生活に馴染むと、美那子に料理を教えたり、実家の自慢などを吹聴《ふいちよう》した。
つまり、人妻らしい図々しさが、にじみはじめたのだ。
「今夜は、野菜サラダとポークチャップにしましょう」
と自分で献立を決め、買物を指示する彼女の無神経ぶりには、俊吉も呆れたが、いつまで経っても居坐りをつづける浅見たちに、とうとう安倍稔はむくれて、
「おい。いい加減に追いだせよ! 久我さんが可哀想じゃないか……」
と俊吉に言った。
気の弱い俊吉は、
「仕方がない。僕たちが、アパートを探して出て行くよ」
と頭を掻いたのである。
三
自由ケ丘の駅を下りて、マーケットの並んだ坂道を登りつめた右手に、そのアパートはあった。
ある農家が、副業的に、自分の庭先に建てた木造の二階家で、新築だけに木の香の匂いがつよく、小さな台所が室内についているところが、俊吉の気に入っていた。
六畳一間であるが、南と東に出窓があるために、ひろびろと感じられる。
一|棹《さお》の箪笥と鏡台とが、二人の財産のすべてであった。それと美那子が鵜ノ木で拾って来た雌の三毛猫と――。
引っ越しが終ると、二人で自由ケ丘の古道具商を歩いて、食卓と座り机を買った。
座り机は、部屋の隅に据え、俊吉の原稿用紙がその上に置かれた。
しかし、その座り机は、原稿に向かうより、履歴書をしたためるのに使用されることの方が多かった。
俊吉は、就職しよう、なんとか収入を得ようと考えはじめたのだ。大の男が、妻を迎えながら、妻に養って貰うようでは、だらしがない。そう真剣に思いはじめたのである。
だが、まともな職はなかった。
映画館の宣伝部員というので応募したら、その実は、客に配るプログラムの掲載広告取りで、月給ではなく歩合給であったり、月収五万円確実――という文句に釣られて行ってみると、クズ屋であったりした。
T製薬の宣伝部の試験をうけると、筆記は一番でパスしたが、レントゲンではねられ、
「薬の会社に、肺病やみがいたら都合わるいんだよ」
と奇妙な断り方をされて、車代として五百円を貰った。
変だな……と思っていると、数日後、彼の書いた宣伝文句が、そっくりその儘、新聞広告に使われていたりした。筆記試験で、新製品のパンフレットを渡され、新聞用のキャッチ・フレーズを書かされたのである。
俊吉が、就職に焦《あせ》っていると知り、親友の安倍稔はある日、朗報をもたらして呉れた。
それは、横浜のある高校の、国語教師の口があると言うのである。
なんでも夏休みに、国語教師が女生徒に悪戯《いたずら》して、懲戒免職になったと言うのだ。その高校の校長が尚志会(広島高師の同窓会)員で、
「結婚している男は居らんか」
と安倍にきいたと言うのだ。
結婚している人物なら、女生徒に手を出さないと言うわけであろうか。
俊吉は苦笑した。
「そいつは絶望だよ……。第一、俺は病気だもの……」
と言うと、安倍はニヤリとして、
「どうせ保健所でレントゲンを撮るんだろうから、X線写真と血沈だけ、俺が身代りになってやる」
と提案したのだった。
俊吉は、
「一晩、考えさせてくれ」
と言った。
結核菌をもった男が教壇に立つ。その菌が生徒に感染したらどうなるか……と彼は、彼なりに悩んだのである。
しかし、就職はしたい。
彼は思い悩みつつ、横浜の教育委員会の試験をうけた。
学科は、難なくパスした。
あとは体格検査である。
俊吉は、鵜ノ木の中学校に電話を入れて、
「悪いけど、すぐ横浜へ来てくれないか」
と言った。
「えッ、今すぐにか! 困った奴だなあ」
と安倍は口では言いながらも、約束通り、保健所まで駈けつけて、血沈とレントゲンとを交替してくれた。
(思えば中山俊吉は、横浜の教育委員会に対して、詐欺行為を働いたことになる。しかし、俊吉としては、なんとか生計の道を得ようと必死だったのだ。借り物のミシンで、洋裁をして若干の収入でも得ようとしている美那子の姿を、見るに忍びなかったのだ……)
数日後――俊吉の就職は確定し、彼は新規採用となる二十数名を代表して、教育長に後めたい宣誓書を読みあげた。
彼が配置されたのは、横浜市のはずれの、工場地区にある高校である。
校長は、でっぷり肥えて、包容力のありそうな、茫洋とした風貌の人物で、
「わからないことがあったら、いつでも儂《わし》のところへ来給え」
とだけ言った。
国語の主任教師は、停年間近な野村という人物で、あとで数冊の詩集をもつ詩人だと教えられた。
検定試験あがりの藍田、私大を出て組合運動に血道をあげている横村、女子大出の小松原、それに主任の野村に俊吉を加えた五人が国語の担当である。
工場地区だけに、生徒の柄は、お世辞にも上品とは言えなかったが、俊吉にはその方が親しみが持てた。
はじめて教壇に立ったとき、流石に彼は緊張した。
課目は、源氏物語の一節であるが、生徒にきいてみると、前任者は朗読して、生徒に訳させ、間違いを指摘するだけであったという。
文語の文法はおろか、月の異名すら教わらないというのだから、俊吉も慌てた。
彼は、一月(睦月)、二月(如月)、三月(弥生)……と書いて、生徒に教えはじめ、〈この調子だと、恥を掻かずに済みそうだな……〉
と、やっと安堵したのだった。
俊吉は、広島の父に宛てて、就職が決定したこと、美那子と仲よく暮していることなどの近況報告を書いた。
間もなく父から、上京する旨の手紙がとどき、銀座尾張町の百貨店の前で会いたい、と言って来た。
美那子は、
「やっと勘当が許されたのね」
と俊吉のために喜び、ついで、ちょっと淋しそうな顔をして、
「私も一緒に……とは書いてないわね」
と呟いた。
土曜日の午後、早退けして、約束の場所へ行くと、俊吉の父はもはや来て佇《たたず》んでおり、俊吉が泣き笑いの顔をするのに、
「食事でもするか」
と、怒ったような表情で言い、先に立って歩きだすのであった。
俊吉の父親は、その日、結婚の祝いだと言って、電蓄のような洒落た箱型のミシンを買って呉れた。
そのミシンが百貨店から届いた時、美那子は嬉しそうに、
「これで安心して縫物ができるわ……」
と言ったことである。
その秋から翌年三月にかけての、わずか半年間が、中山俊吉にとっては、ある意味で充実したサラリーマン時代だったと言える。
朝きちんと起きて、トーストと珈琲の朝食をとり、美那子に送られて、自由ケ丘駅まで歩く。
東横線と目蒲線で蒲田へ出て、国電に乗りかえ、鶴見駅からまた私鉄に乗って高校へ行く。
職員室で熱いお茶を啜《すす》り、その日の授業の下調べをし、教壇に立つ。
俊吉は、松尾芭蕉の生い立ちに興味を抱いてから、ひまがあると図書室に引き籠って、大学ノートに年表をつくった。
昼食は店屋もので済ませ、職員会議では発言せず、組合運動にはソッポを向いて、終業時間がくると一目散に、美那子が待っている自由ケ丘へ帰る。
美那子の心尽しの夕食をとったあと、散歩に出かけることもあったし、銭湯へ行くこともある。
だが必ず俊吉は、机の前に正座して、原稿用紙に向かうことを忘れなかった。
その頃、彼を喜ばせたのは、運輸省に就職している俊吉の兄が、結婚の祝いにと、万年筆を贈って呉れたことだ。金ペンの立派な万年筆であった。
(余談だが、俊吉は後にトップ屋をやり、傍ら児童小説や、ラジオ・ドラマを書きなぐって、作家の地位を得たが、その彼の処女作までの作品は、殆んど、その贈り物のペン先から生まれたものである。その大事な、使い馴らしたペンを、タクシーの中で紛失したとき、俊吉は狂ったようになって捜し廻った。しかし、万年筆は出て来なかったのである)
美那子は、そんな俊吉の傍らで、自分のセーターを解いて、彼のソックスを編んでくれたり、頼まれ物の洋服のデザインを、あれこれと考えたりして過す。
十一時になると、お茶を淹《い》れて、
「あなた。そろそろ時間よ」
と優しく告げる。
「うん、そうだな……」
俊吉はペンを捨てて、蒲団をのべる手伝いに立つのだった。
「いつまでも、先生でいられたら、どんなにいいでしょうね」
美那子は、そんなことを言って、俊吉の胸に顔を埋める。
「本当になあ……」
俊吉も同感だった。
だが、モグリ教師の悪事は、いつか、ばれる時がくる。いつかは、辞めねばならないのだった。
俊吉は、そう思うと、暗澹《あんたん》たる気持に迫られるのであった。
平穏無事な、それでいて仲睦まじい新婚の家庭と外見はみえながらも、その実は、危い綱渡りでしかない平穏さ≠ネのだ。
俊吉は、いま二つの爆弾を抱えている、と思った。
一つは、レントゲンを誤魔化して就職したという悪事であり、他の一つは、いつ襲うとも知れぬ喀血である。
四
新婚第一回目の正月を、俊吉と美那子は、伊賀上野で迎えた。
伊賀上野は、松尾芭蕉が生れた城下町である。そして芭蕉研究家の頭山規矩男が住んでいる町でもあった。
俊吉の目的は、その頭山氏に会い、幾つかの疑義を訂《ただ》し、そして芭蕉が生れ育った城下町の地形を、その眼で見ておくことにあったのだ。
鄙《ひな》びた旅館の一室で、屠蘇《とそ》を酌みかわし、雑煮をすすったあと、俊吉は、美那子と炬燵《こたつ》に入って、ゆっくり好きな酒を酌んだ。
「ねえ、この間から考えたんだけど、あたし洋裁店をやりたいのよ」
美那子は言った。
きいてみると、近く俊吉が、学校教師を辞めさせられるだろうから、その時に備えて、俊吉を養うための準備をしたいと考えだしたのだという。
「自由ケ丘なら、インテリも多いし、お客も増えると思うんだけれどなア」
と美那子は言った。
事実、洋裁師として彼女は、一流で通る腕前であったのだ。
だから彼女は、自分の技術を生かす方法を考えたのであろう。
俊吉は感動した。
健気《けなげ》な女だ……と思った。
だが、女の美那子に働いて貰って、髪結いの亭主を極め込むことは、俊吉のプライドが許さなかった。
〈しかし、何とかしなければならぬ!〉
伊賀上野から帰京した俊吉は、父親に宛てて、手紙を書いた。
それは、結核であることが発覚した時には学校を辞めさせられるし、それは時間の問題であること、そして美那子は洋裁店をやりたいと言っているが、自分は古本屋でもやりたい心境であることを、書き綴ったものであった。
俊吉の父からは、折返し手紙が来て、手垢のついた古本を扱うのは、健康上よろしくないと思うと書いてあった。
二月のある日――俊吉は勤め先の教頭から呼ばれて、
「定期検診を受けて下さい」
と宣告された。
きいてみると、年に二回、レントゲンを撮って検査することになっており、俊吉が風邪で休んだ日に、その検診があったという。
実は俊吉は、それを知っていて、前日から三日ばかり、ズル休みしたのであった。
「どうしても受けねばなりませんか?」
俊吉は教頭にきいた。
相手は肯《うなず》いて、
「規則ですから、覚えておいて下さい」
と言った。
俊吉は、保健所へ行ったが、診察を受ける気にならず、その儘、なに喰わぬ顔をして職員室に戻り、身の廻りの整理をはじめた。
その日、俊吉は疲れ切ったような表情で、自由ケ丘のアパートに戻って行った。
坂の途中で、買物カゴを提げた美那子に出会ったが、美那子は立ち竦《すく》んで、
「あなた……どうしたの?」
と叫んだことを憶えている。
「どうもしない」
彼は答えた。
「だって顔色が――」
美那子は駈け寄ってくる。
俊吉は苦笑した。
「とうとう、来たよ……」
と言った。
「来たって、なにが?」
「検診さ……」
「まあ……やっぱり!」
「休んでも、無駄だったようだね」
俊吉は、手にしている風呂敷包みを、ちょっとあげてみせて、
「そろそろ春休みだし、いま辞めるのなら、生徒に迷惑もかからないだろうしな」
と言った。
「それもそうね」
と、美那子は気落ちした風もなく、そう呟《つぶや》いて、
「ねえ、いいお店が貸しに出てるんだけど、今から行ってみないこと?」
と、俊吉の包みをとるのである。
「ふーん?」
俊吉は、明日辞表を書いて郵送する決心をしていたから、ある悲愴感をもって美那子を見詰め、
「わずか半年の栄耀栄華《えいようえいが》か……」
と自嘲まじりに呟いて、美那子と肩を並べた。
「気を落さないで」
と美那子は彼を慰めた。
「わずか半年だって、貴方は仰有《おつしや》るけれど、その間に給料は頂いたし、貴方だって高校教師の貴重な経験をしたんだから、大きなプラスじゃない?」
美那子は、坂道を下りながら、そんな風に言うのである。
「それはそうだね……」
俊吉は肯きながら、
「野村先生が吃驚するだろうな」
と呟く。
俊吉は、職員室では殆んど口を利かなかった。校長派と教頭派にわかれていることは、皮膚で感じていたが、酒を飲みに行かないかと誘われても、用があると断り、仲間に加わらなかったのだ。
引っ込み思案ではない。
職人的な教師には、なりたくなかっただけのことである。
いつだったか、生徒に、「近頃思うこと」という題で、作文を書かせたことがある。
すると三年生の女生徒の中で、四人ばかりも、数学の、ある教師を攻撃した作文を書いた者があった。
昼間から酒臭い息を吐いて、授業中に手をにぎったりするとか、宿題を忘れたら、居残りを命じられて肩を揉《も》まされたとか、雨の日に送ってやると言って乳房に触られたとか、いろいろ具体的なことが書いてある。
その男は、昼休みに、近くのおでん屋へ行って一杯ひっかけ、おでんで茶飯を喰って、帰って来るらしいのだ。
職員室でも、よく大言壮語して、
「教えるということは、技術だよ。教え方の上手下手で給料を決めず、学歴と勤務年数で給料を決めるとはけしからん」
などと言い、その口の下から、
「川崎の芸者屋の女将が、わしに惚れよってなあ……」
などと自慢するのだった。
俊吉に言わせたら、精神分裂症の典型的なタイプであったが、そんな数学教師に似たり寄ったりの人物が、職員室に多かったのも事実である。
彼が自分から口を利くのは、主任の野村だけだった。
野村は、職員室では孤立していて、しかも毒舌家であった。そして俊吉は、この野村にしか、口を利く気はしなかったのだ。
詩人である野村の、孤高な魂が、やはり俊吉の心を擽《くすぐ》つたからであろうか。
だから俊吉は、彼の辞表を手にしたとき、野村がさぞかし驚くだろうと考えたのだ。
俊吉は、この野村から、古語を大事にすることを教わった。いや、死語になっている日本語を発掘して、それを現代的に使うという方法を教わったのである。
駅の傍のガードを潜り、二百メートルくらい歩いたところに映画館があって、そこに新しい店舗が建設されている。
美那子のいう貸店舗は、道路に面した角地にあって、間口一間半、奥行二間の店で、二階が住居になっている。
条件をきいてみると、新築の割合に毎月の家賃は安く、ただ敷金が高かった。
「だれか、お金を貸してくれないかしら? 敷金は出る時に返してくれるんだから、安心だし、借りた方には毎月、金利をこっちで払いに行けばいいわけでしょ?」
美那子は言った。
「そういう理窟になるね」
俊吉は曖昧に答えながら、いよいよ明日からまた職探しだな……と思った。
〈どこか出版社で、雇ってくれるところはないだろうか?〉
俊吉は、美那子と並んで、また坂道をのぼりながら、つくづくとそう願った。
恰《あたか》も早春である。
大出版社は、とても望めない。
だが、群小の出版社なら、ちょうどその頃に求人広告を出している筈である。
彼は、新聞広告をみては履歴書をかき、また友人や先輩のコネを求めて奔走した。
しかし、それは徒《いたず》らに、郵政省に奉仕するにとどまった。
俊吉は、履歴書を送る時、正直に、肺結核にかかっていることを申し添えたのである。そしてそれは、すべて拒絶されることを意味していたのだった。
五
俊吉には、東京に、中学時代の友人が、幾人かいた。そして、それらの友人は、それぞれ就職したり、独立した仕事をしていた。
外人の保険会社に勤める小野、進駐軍物資のブローカーをやっている木塚、ミシンの店を経営する大浜……と、活躍している分野では異なりがあったが、会えば、
「おう! 元気かい?」
「よう、一杯やるか!」
という間柄である。
そして、俊吉のアパートには、そんな友人たちがよく遊びに来た。
美那子は、乏しい財布の中から、二級酒を買いに走り、俊吉の友人をもてなしては、中学時代の俊吉のことを聞きたがった。
「変な奴だなあ……」
と彼が言うと、美那子は、
「あたし、貴方のことを、何から何まで知りたいのよ……。中山俊吉という人間をつくった、京城中学時代のことは、特に興味があるの……」
と眼を輝かせ、
「貴方って、わからない人よ……」
と言うのだった。
「わからない? どこがだ?」
と俊吉が訊くと、彼女は苦笑して、
「だって繊細な、ピリピリした神経をもっている癖に、ひどく鷹揚《おうよう》なところがあるし、泣き虫の癖に、ある面では頑固だし……」
と白状した。
中山俊吉は考え込んで、
「それは多分、大陸で育った為だろうな」
と呟いた。
俊吉には、そんなところがあった。
清濁あわせ飲む――とまでは行かずとも、実に大まかなところがある。
貧乏している癖に、気前よく飲み屋の借金は支払うし、友人に奢《おご》ったりするのも平気である。
まあ、なんとかなるさ……と図々しく構える度胸がある癖に、友人から借りた金のことが気になって寝つかれなかったりするのだ。
美那子は、いち早く俊吉のそんな性格を見抜いていたらしいのだが、口に出して言ったのは、自由ケ丘時代がはじめてであった。
俊吉には、自分のそんな性格は、大陸で戦争中を豊かに過し、戦後は百姓をしたりして苦労したこの二つの異なった環境の所為《せい》に因るものだと考えられた。
美那子は多分、そんな俊吉の鷹揚さ≠フ秘密を、知りたかったのであろう。
就職のための面接で、何軒か出版社や、広告代理店を歩き、疲れると俊吉はよく、富国ビルの小野の事務所を訪れた。
中学時代、英語の時間になると、決まって俊吉と立たされていた小野が、外人の中に伍して流暢《りゆうちよう》な英語をあやつり、英文タイプライターを敲《たた》いているのを見ると、俊吉はなんとなく怪訝《けげん》な気持になるのだが、大男の小野は彼がくるとボスに断って、近くの喫茶店に誘うのがつねであった。
また時には、新宿のハモニカ横丁に、連れ立って出かけることも少くなかった。
「お前みたいに英語が話せたら、翻訳の仕事があるんだが」
と俊吉が愚痴ると、小野は大きな手で彼の背中をどやしつけて、
「まあ、飲めや……」
というのが常であった。
そして泥酔した二人は、自由ケ丘へタクシーを飛ばして、俊吉の部屋で、飲みなおすことになる。
ミシン屋の主人である大浜|琢二《たくじ》が、
――子供雑誌に、ヨタ小説を書く気があれば、紹介するが。
と端書をくれたのは、たしか彼が履歴書かきに明け暮れていた、そんな頃である。
御茶ノ水駅で落ち合うと、大浜は照れ臭そうに笑い、
「実は俺、子供雑誌に、つまらない冒険小説を書いているんだ……」
と打ち明け、
「純文学を志しているお前には、言い出せなかったんだ……」
と頭を掻いた。
「とんでもない。なんでもやる気だよ。そうしないと、アパート代が払えない」
俊吉は深刻な顔をした。
神田周辺の、倉庫の一部を改装したような出版社を、三軒ばかり紹介して貰い、見本に冒険小説を書いて送ると、一軒だけ、
――面白いから、長篇を書いて欲しい。
と、注文が来た。
三日ばかりかかって書き上げ、持参すると編集長は、ろくろく読まずに、
「結構です。稿料は、雑誌が発売された翌月にお支払いします。来月号もよろしく」
と言った。
俊吉は、支払って貰える筈の稿料を計算しては、わくわくと胸を躍らせたが、それは無駄な糠喜《ぬかよろこ》びだった。
その出版社では、計画倒産をもくろんでおり、原稿をあつめるだけあつめて、雑誌を二号ほど出し、手をあげる肚だったのだ。
つまり俊吉の原稿は、たしかに雑誌の紙面を飾りはしたが、それは一銭の収入をも約束しない、いわば体裁用の原稿だったのである……。だから編集長は、ろくろく原稿も読まなかったのであった。
三ヵ月後、俊吉は、三本目を書いて出版社を訪れ、その倒産を知らされて、地団駄を踏んだが、同時に、東京という都会の恐ろしさをも、思い知らされた感じである。
むろん俊吉ばかりでなく、大浜琢二もその被害者であった。
俊吉は、疲れ果てた。
四、五、六月と、三ヵ月間、彼には一銭の収入もなく、わずかに美那子が洋裁をして稼ぐ金だけが、収入のすべてである。それも月に一万円にはならない。
ある時は、就職試験を受けに行くのに、電車賃もなく、蔵書を叩き売らねばならなかったし、冬の背広を質に入れて、夏の背広をうけ出さねばならなかったのだ。
お茶を買う金がなく、炊き立ての御飯に、醤油をぶっかけて三日間を過したこともあった。
「済まないな……」
と俊吉が言うと、美那子は、さばさばした口調で、
「これ位のこと、覚悟してたわ。でも、これから先、夏に向かうんで助かるわね」
と微笑《わら》うのだった。
俊吉は、
〈俺は、運命の神様から、見放されているのではないだろうか?〉
と思いはじめた。
原稿の注文があって書けば、その出版社は倒産する。まともな就職らしいところは一軒もないし、たまに彼を雇おうとするところは、インチキな会社だったり、給料が安かったりするのだ……。
〈これから先、美那子と二人で、どうやって暮したらよいのだ?〉
中山俊吉は、夜など、浮かぬ顔つきで、何度も溜め息を吐いた。
眠られなかった。
美那子は、健康そうな寝息を立て、すやすやと寝入っている。
彼女は、疲れている。だから、眠れるのだ……と考えると、俊吉は、無為に数ヵ月を過している自分が苛立たしく、そして情なくなってくるのだった。
栄養をとらない所為か、俊吉の胸の骨は目立ちはじめている。
栄養と安静とが、結核治療には必要なのに、そんな状態がつづけば、死に一歩ずつ近づいて行くことになってしまうのだった。
〈畜生め……、結核菌の奴は、しめ、しめとばかり躍り上って喜んでるだろうな!〉
俊吉は、鎖骨のあたりに掌《て》をあてがい、
「こいつさえ消えてくれたらなあ! この疫病神め!」
と、独り言を呟く。
その掌の下では、結核菌たちが、酒盛りをしながら、はしゃぎ廻っているような感覚があるのだった。気の所為である。
……間もなく鬱陶《うつとう》しい梅雨になった。
「雨が降ってるし、なにもそう焦らなくても良いじゃない?」
という美那子に、ある日俊吉は、広告代理店の面接通知を出し、
「今日の午後一時に来い、と言って来てるんだから、いかねばならん……」
と強情をはり、美那子の夏の着物を質屋へ持って行かせ、電車賃をつくり、ポーラーの夏服姿で外出をした。
いつもなら自由ケ丘から渋谷に出て、地下鉄で有楽町へ向うのだが、不図、気が変って、五反田に出て、国電を利用する気になったのは、どうしてであろうか?
俊吉には、よく判らない。
いつも地下鉄を利用して、就職に失敗しているから、趣向を変えて、ツキを狙おうとしたのであろうか?
だが、それは逆に裏目に出たのだった。
五反田で、乗り換えるとき、なにか、ひどく肩が重く、凝《こ》っているような気持がしていたことは記憶しているが、腕時計を気にしながら、長い階段を駈け昇ろうとしていた時――それは突如として襲って来た。
「ウウッ!」
と俊吉は、とつぜん立ち停って咳込《せきこ》み、息苦しさに我慢し切れなくなって、しゃがみ込むと、口の中の物を吐いた。
――血だった。
真ッ赤な、肺の血が、白のズボンに飛び散って、眼の前が真ッ暗になった。
中山俊吉は、またしても咳込み、肺の血管が、ぶツ、ぶツと切れる音を聞きながら階段に両手をついた。
なにも、見えなかった。
ズボンの裾が、重く濡れるのが判った。ただ、それだけである。俊吉は、長いこと、その儘の姿勢で、うずくまり続けた。
第五章 妄想の臥床
一
駅員が、誰か乗降客から教えられたらしく俊吉のそばへ飛んできた。
その時には、俊吉は、少し気分的に楽になっていて、助け起そうとする駅員に、
「階段を汚して済みません」
と言い、
「しばらく、この儘にさせて下さい。すぐ、鎮まりますから……」
と告げた。
「だって、あんた……そんなに血を吐いてるのに……」
五十年配の老駅員は、ハアハアと息を弾ませながら、呆れ顔になる。
喀血の、夥《おびただ》しい量に、愕《おどろ》いた感じだった。
俊吉は、蒼白な顔を痙《ひ》き吊らせながら、強《し》いて微笑し、
「ほんとに、大丈夫なんです。馴れっこですから」
と言った。
馴れっこ、と言ったのは、駅員を安心させるためと、もし病院などへ連れて行かれ、その儘、強制的に入院させられたら困る……と思ったからだった。
美那子の稼ぎ出す、僅かな収入のなかで、彼が病院へ縛りつけられたりしたら、それこそ経済的なピンチを招く。
いや、美那子が、バーの女給にでもならない限り、彼の入院費は稼ぎ出せないであろうと、考えられたのだ。
中山俊吉は、数分後、親切な老駅員の肩を借りて、洗面所へ辿《たど》りつき、唇の廻りや、顎《あご》のあたりにこびりついた血糊を、ゆっくり洗い落した。
白いポーラーの夏ズボンに散った血は、すでに褐色に色褪せていたが、駅の洗面所では、洗い落すすべもない。
「家は、どこです? 誰かに、迎えに来て貰わなくて、大丈夫ですか?」
駅員は、彼の身を案じて、何度も何度も、おなじことを繰り返して訊いた。
「ありがとう。かかりつけの病院が、ありますから……」
俊吉は、そんな嘘を吐いて安心させ、駅前のタクシーを拾って貰った。
「自由ケ丘……」
彼は、駅員の手前、タクシーの運転手にそう告げて、目を閉じた。
梅雨どきの、なんとも暗澹とした灰色の空を眺めるのが、やり切れなかったのだ。
〈畜生め!〉
中山俊吉は、骨ばった指先を、それが癖のように、鎖骨のあたりにあてがった。
そこには、病巣がある。
彼の両肺を、乾酪《かんらく》化させ、腐蝕させた憎い空洞があるのだった。
空洞の中に、木の根のような細かい血管が走り、そして、その剥《む》き出しになった血管が、ある重さに耐えられなくなったとき、破裂して迸《ほとばし》り出るのだ……。
そんな肺結核の、病症状の原理は、よく知っている。
しかし、俊吉には、鎖骨の下に、小さな悪魔たちが、巣喰っているとしか、実感としては思えなかったのだ。
その悪魔どもが、才能もなく、家出して、久我美那子という一人の女性に寄食している中山俊吉という男を、懲らしめるために、血の復讐をしているとしか、考えられない。
俊吉は、窓をあけて、上衣をぬぎ、蒼い額に浮いた膏汗《あぶらあせ》を、掌で拭って、
「メーターが……」
とだけ、苦しい声をふりしぼった。
運転手が、ふりむいて、
「なんですか?」
と訊き返す。
「メーターが……百円になったら、知らせてくれ」
俊吉は、やっとの思いで告げる。
「百円になったら?」
「ああ……金が、あまりないんだ」
俊吉は、消え入りそうな声をだす。
運転手は、バック・ミラーの中を掬《すく》い上げるようにみて、
「旦那。顔が、土気色だよ!」
と呟き、
「金がないんなら、貸しといてあげるから、自由ケ丘まで、この儘、行った方が、いいんじゃないかね?」
と親切に言ってくれた。
「ありがとう……」
俊吉は、安堵したのか、急に目の前が、すーっと暗くなって行くような気がして、それっきり気を喪った。
彼が、気をとり戻したのは、なんと自分のアパートの前である。
運転手が、彼の上衣の内ポケットにあった広告代理店からの面接通知をみて、交番でアパートの位置をたしかめ、連れて来てくれたのだった。
俊吉は、アパートの玄関まで、運転手の肩に縋《すが》って歩き、弱々しい声で、
「美那子……」
と、妻の名を叫んだ。
しかし、美那子は姿をみせない。
玄関にある共同の靴箱をあけてみると、美那子の白の雨靴と傘がなかった。
〈外出している……〉
俊吉は、運転手にお礼を言い、玄関のすぐ傍の部屋の入口に、〈中山〉と貼ってある名札を示して、
「ここですから……月末に……」
と、苦しく喘《あえ》ぎながら告げた。
「まあ、お大事に……」
運転手は、俊吉を憐れむようにみて、がっしりした背中をみせた。
俊吉は、鍵をさぐり、ドアをあけると、膝と手を使って、這いながら部屋の中へ、やっとの思いで入り込んだ。
そして、また気を喪ったのである。
……どのくらい、時間が経ったろうか。
俊吉は、不意にポッカリ目覚めた。
彼は、低く、美那子の名を呼んだ。
しかし、返事はない。
部屋のドアは、あいた儘である。
彼は、台所へ這って行き、水を飲んだ。
すると、気持がシャンとして来て、自分の勉強机まで歩いて行くことが出来た。
美那子が、不意に外出する時、彼の机の上に、メモを残してゆく癖を知っていたからであったが、案の定、そこには美那子の走り書がしてあった。
『目黒へ仕立物を届けに行きます。急用があったら、電話下さい』
俊吉は、そのメモを読み返すと、自分が今日、喀血したことを、美那子に知られずに済みそうだ、と思った。
彼は、ズボンを脱いで、洗面器に水をはった。そうして、血で汚れた部分を、力の無い手つきで、ごしごしと揉《も》み洗いをしはじめたのだ。
その頃、薬局をしている叔母の家へ行くことが、美那子の唯一の安息だったのである。もっとも、安息と言っても、仕立物を届けに行って、また注文をとってくるという、二重の仕事も兼ねていたのであるが。
血の汚れが、あらかた取れたところで、俊吉は、それを出窓につるし、押入れから布団をとりだし、やっと横になった。
疲れとも、眩暈《めまい》とも知れぬものが、俊吉を襲って来て、俊吉はその儘、寝入ったようである。
そして、夢をみた。
彼が、喀血しているのだが、その場所は、病院の中のようでもあり、牢獄の中のようでもあった。
なにか、死体置場のようなところで、俊吉は血を吐きつづけている。
美那子は、鉄の格子のはまった、小さな窓に獅噛《しが》みついて、
――吐いちゃア駄目!
――吐いたら、死んでしまうのよ、貴方!
と、絶叫しつづけている。
しかし、吐き気を抑えようとしても、一向に抑制できないのだった。
――あ、色が薄くなって来たわ! 貴方、頑張って! 吐かないで!
と、美那子は、泣きながら叫んだ。
俊吉は、我慢しようと、必死になり、吐くまいと踏んばるのだが、とうとう耐え切れなくなって、口をあけてしまう。
その途端、口の中から、二匹の黒い衣裳を纏《まと》った悪魔が飛び出して来て、
――勝った! 勝った!
――とうとう、勝った!
と踊り狂いはじめたのだ。
俊吉は、その悪魔を、ひっとらえて、口の中に押し込もうとしたが、口からは、奇怪なことに白い血≠ェ、洪水のように流れ出しつづけて、その悪魔たちを、あっという間に見喪わせてしまったのだ。
――ああ! 貴方! 死なないで!
美那子が悲痛な声で、金切り声をあげる。俊吉は、なにかを叫ぼうとし、そこで、はッとなって眠りから覚めたのだ。
「どうしたのよ、あなた……」
美那子の声がして、俊吉は、自分の額の上に、濡れたタオルが、乗せられていることを知った。
体中が、火照《ほて》っている。
「帰ってみたら、貴方は寝ているし、ズボンは洗ってあるし、ドアの鍵はかかってないでしょう? 吃驚《びつくり》しちゃった!」
美那子は、俊吉の顔を覗き込んで、
「どうか、なさったの?」
と心配そうに訊く。
「なんでもないよ……」
俊吉は、弱々しく微笑した。
「ズボンは、どうしたの?」
「うん。食堂で、ソースの瓶を、ひっくり返しちゃったんだよ……」
俊吉は、そんな言い逃れを告げて、
「なんとなく、疲れちゃった……」
と、安心したように目を閉じたのだった。
二
中山俊吉は、美那子を心配させまいとして喀血のことは知らせなかったが、広島にいる自分の父親には、正直に再び血を吐き、就職もできぬ病臥の身であることを、少しオーバーに手紙に書き綴った。
すると折り返し、父親が手紙を呉れた。
それは、俊吉の病状を案じ、手術をしない気なら、美那子が中心になって、彼がそれを手伝う商売でも考えてみたらどうか……という趣旨のものだった。
美那子は、洋裁店を主張したが、いろいろと調べてみると、固定した顧客《こきやく》を掴むには、少くとも一年以上の努力と辛抱が必要で、縫い賃だけでは利潤がうすく、布地を仕入れて売らねば駄目だという。
また、月末から月はじめに、どういうものか注文が殺到するので、この期間の注文を消化するためには、縫い子を置かねばならないことも判った。
俊吉は、
「ねえ、喫茶店をやろうよ……」
と提案した。
広島時代、彼は、昼間はもっぱら、喫茶店に入り浸《びた》っていたのだ。
俊吉の眼には、喫茶店という商売は、実にスマートで、楽な商売のように写った。
明かるい陽ざしのさし込むガラス窓。
微風にゆれるレースのカーテン。
洒落たテーブルと椅子。そして灰皿。
それだけが、舞台装置である。
――客が入ってくる。
「いらっしゃいませ」
と、冷たい水を運んで、注文をきく。
やがて、珈琲《コーヒー》を淹《い》れるプーンと鼻を撲《う》つ香ばしい匂い。
客は、目を細めて、珈琲を啜《すす》り、談笑のひとときを過し、そして去ってゆく。
俊吉は、どうやら、客の側からしか、喫茶店というものを理解していなかった模様である。
そのことを彼は、後に思い知らされるのであるが、しかし彼が、珈琲という微妙な飲み物に、愛着をもち、知識と、味わう舌とを持っていたことは、たしかである。
珈琲の豆の種類と産地。そして味の特徴。
酸味のつよい豆は、なにとなにか。
苦味のある豆と、こくのある豆。
豆の煎《い》り方の深さによって、生じてくる微妙な味と、そして碾《ひ》き方での相違。
また淹れ方によっても、サイフォン式、ドリップ式では、味が大いに違ってくる。
俊吉は、そんな自分の珈琲に対する知識を過信して、美那子を説得し、そして広島の両親を口説き、傍ら、都内の喫茶店を見学がてら、不動産屋を歩きはじめたのであった。
むろん友人たちにも相談した。
西荻窪に住んでいる小野は、
「やるんなら中央線だな。阿佐ケ谷会といって、作家の会もある位だし……」
と言い、ブローカーの木塚は、
「ビジネス街の喫茶店が一番儲かる」
と忠告した。
恰《あたか》も、朝鮮動乱ブームが去った余波で、金融引き締めが起り、世の中が不況に向かいつつある時期であった。
俊吉は、都内を歩き回り、売りに出ている店のうちから、二軒の候補にしぼり、一日、美那子を誘って、その店を見に行った。
第三者の公平な眼を期待して、俊吉は、親友の小野をも誘った。
そのうち一軒は、新宿の建築されたばかりのコマ劇場のそばにあって、敷金と家賃の店である。
店は広く、設備も立派だが、その頃の新宿歌舞伎町は、まだ客足が閑散としていて、映画の待ち合わせ客か、はねたあとのアベック客しか、その店を利用している様子もなく、経営不振で売りに出たものらしい。
そして残り一軒が、中央線阿佐ケ谷北口の商店街にある店で、間口二間、奥行三間半の広さであった。
喫茶店というよりは、学生相手のミルクホールといった感じの店で、経営者は、亀田明次という四十男である。
二階が住居になっていて、六畳、三畳、四畳半の三間があるのだった。
ただ二階は、どういうものか、荒壁のまんまだった。
この方は、借地だが、建物は買取りで、新宿の店の敷金以下の値だった。
「神田に、新しい店を出すことになって、それで阿佐ケ谷の方は安う手渡すんですわ。荒壁にしとるのは、そのためで……」
亀田はそう言い、
「喫茶店みたいに儲かる商売はないですぜ」
と俊吉をけしかけたのだ。
西荻窪の、小野が懇意な酒場で、美那子と彼と小野とは、いろいろと討論しあった。
美那子は、新宿の方が、世帯が大きいだけに発展性があると言い、俊吉は俊吉で、阿佐ケ谷に固執した。
もしかしたら、俊吉は、文学青年らしく、中央線沿線に憧れていたのかも知れない。
たしかに、中央線の沿線の住宅地には、作家や評論家、大学教授、それに画家が多く住んでいたのだ。
俊吉は、阿佐ケ谷で店を持つことによってそれらの作家、評論家たちとコネを持ち、そして文壇へ出てゆくことを、夢みていたのではなかろうか?
だからこそ、固執したのだ。
小野は、中立の立場をとり、
「商売は、水物やからなア」
と、首を傾《かし》げて、
「親父さんに、相談してみたらどうや?」
と言った。
手紙を出してみると、
――敷金に、そんな大金は出せぬ。阿佐ケ谷の方が、借地でも自分の家なのだから、有利だと思うが。
と、俊吉の父親は意見を述べて来た。
「やっぱり、僕の意見の方が正しいじゃないか……」
俊吉は、そう美那子に自慢したが、それは矢張り若気の至りというか、阿佐ケ谷という土地柄に、眼が昏《くら》んでいたというべきであったろう。
なぜなら、売り主の亀田という人物は、喫茶店ブームに眼をつけて、古い家屋を買い取っては、増築して転売するという、不動産屋崩れであったからだ。
俊吉が買わされたその店は、むかし米屋だった平家で、亀田が、それにお神楽の二階を古材をつぎ足して、堂々たる構えの店舗にみせかけた、インチキ家屋だったのである。
神田に新しい店を出す……というのは口実で、増築のために資金ぐりがうまくゆかず、そのために二階は荒壁のままで、ストップするという状態だったのである。
あとできくと、俊吉が店を見にいった折、客が次から次にと入って、繁昌していたのは、亀田が、俊吉をいいカモだと思い、駅前で自分の名刺を学生たちにバラ撒いて、
「北口に出来た新しい店です。これをみせると、珈琲はタダですから……」
と言い、ロハの客集めをしていたかららしかった。
だが、すべては、後の祭りである。
俊吉の父からは、手付金が送られて来た。
契約書をとりかわし、その手付金を支払うと、あとは一本道である。
俊吉は、有頂天になって、
「これで、なんとか生活できるようになる。頑張ろう……」
と、繰り返し美那子に、告げたことを憶えている。
「そうね。怨《うら》んでいたお父さまに、感謝しなくちゃあ……。あたし、一生懸命、働きますからね。俊吉さんは、きっと良い小説を書くのよ?」
美那子は、そう言った。
中山俊吉は、自分を見放しているとばかり思っていた両親に、たとえようもない感謝の念を覚えた。
……後年、俊吉も一児の父親となって、親というものが、子供に対して、無条件な慈しみの感情を抱くものだと知ったが、中山俊吉とて、そんな父親の経済的な援助がなかったならば、果して今日まで、生き長らえていたか、否かはわからない。
まして、作家として、糊口《ここう》をしのげるようになっていたか、否かは疑問である。
そう思うとき、中山俊吉は、ひとりの作家が生まれる時には、その人物の才能と運不運もさることながら、いかに多くの周囲の人々の善意や援助が、注がれているかを反省せずには居れない。
俊吉が、〈阿佐ケ谷時代〉と呼んでいる、その五年間という歳月は、なるほど、雌伏《しふく》に似た、鳴かず飛ばずの時代であったには相違ない。
しかし、その時代に、俊吉は、第十五次〈新思潮〉という、同人雑誌の中でも名門に属するグループの仲間に加わって、小説の書き方を教わり、田沢博巳というジャーナリストに認められていく、きっかけを掴んだのだ。
その意味では、中山俊吉は、なにか運命論者ならざるを得ないのである……。
三
前の経営者の店名を、そっくりその儘、什器《じゆうき》備品ごと引き継いで、張り切って開店したものの、あれだけ繁昌していたようにみえた店の客が、いずれもサクラであってみれば、俊吉と美那子が、いくら張り切っても、店に客が集まる道理はなかった。
いや素人《しろうと》の二人がスタートを切った時点において、先ずそれは狂っていたのだ。
商売は、むずかしい。
とくに、喫茶店のようなサービス業は一番、経営がむずかしいのである。
俊吉は、店というより、中央線の阿佐ケ谷という土地に惚れて、店をひらいた。
第一に、それが間違いの因であった。
阿佐ケ谷は、住宅地である。
昼間の客は、殆んどいないのだ。
だから、夕方から午後十時ごろまでが、勝負どきなのだった。
ところが、ミルクホールに毛の生えたような俊吉の店に集ってくるのは、懐ろの淋しい独身サラリーマンか、学生ばかりで、そんな連中だから、美那子を相手に、くだらないことを駄弁《だべ》って、長時間ねばりつづけるのである。
ということは、専門用語で言うと、客の回転率がわるい、と言うことだった。
その点、ビジネス街――特にビルの中の喫茶店を選べ、と言った、ブローカーの木塚の言葉は正しかった。
ビルの中の喫茶店の客は、仕事、つまり商談のために訪れて来る者が大半である。
だから用談がすむと、お互いに仕事中だから、さっさと引き揚げてゆく。
回転率がいい。
おまけに、回転しているのは、ビルがひらいている午前九時から午後六時ごろまでであるから、人件費が少くて済む。
しかし郊外の店では、そうはゆかない。
午前十時には少くとも開店して、午後十二時ごろまで、立ちづめである。
十四時間労働で、しかも粘る客ばかりとなると、売上げに比較して、利益率のわるいことは甚だしいのだ。
俊吉は、美那子が、
「あたしが、全部やりますから……」
と言うのに、
「珈琲の淹れ方は、僕の方が名人だから」
と主張して、開店の日は、ワイシャツにネクタイ、緑色のチョッキという扮装《いでたち》で、自分からコの字型のカウンターの中へ入った。
ところが、生まれて最初の客が、自分の店へ這入って来たというのに、彼の方も、美那子の方も、
「いらっしゃいませ!」
という簡単な言葉が、口を衝《つ》いて出て来ないのだった。
美那子は赤い顔をしながら、若い二人連れの男性客に、おずおずと近づいて、
「あのう……なにか、差し上げますか?」
とだけ、やっとの思いで呟いた。
二人の客は、お互いの顔を見合わせて、クスクスと忍び笑い、それから、
「ソーダ水を下さい」
と言った。
注文を伝えきいて、俊吉は青くなった。
彼は、珈琲党で、ソーダ水などは、一度も飲んだことはなかったのだ。
ところが、壁に貼りだした前経営者のメニューには、たしかにソーダ水と書いてある。これでは、断るわけにはゆかない。
俊吉は、美那子に、
「きみ……薬屋へ行って、紅粉《べにこ》か、なにか、色のつく物を買って来てくれないか……」
と小声で告げた。
ソーダ水は飲んだことはないが、その構造は知っている。炭酸ソーダに、色がついていて、甘いのだ。
だから俊吉は、紅粉を砂糖水で煮つめたならば、色のついた糖蜜ができる……と判断したのだった。
だが、裏の台所で、実験してみると、紅粉がうまく砂糖と融け合わないのだった。ザラザラした糖蜜となり、それに炭酸ソーダを注ぎ入れると、赤いフケが散ったような、落着かないソーダ水になる。
他の店で売っているような、朱《あか》い、澄んで均質化した色彩にならないのだ。
俊吉は、汗を掻いた。
汗を掻きながら、悪戦苦闘した挙句《あげく》、
〈これは、出来ない……〉
と、匙《さじ》を投げたとき、美那子が、裏の台所へ出て来て、
「お客さま、帰っていったわ」
と悲しそうに告げた。
みると、腕時計は、注文をきいてから、三十分ちかくの時間が経過したことを、俊吉に教えた。
俊吉は、額の汗を拭いながら、ほッとする反面、最初の客を失敗するようでは、自分たちに喫茶店の経営はできぬのではないか……という不安の念に駆られた。
美那子は、俊吉の汗をみると、
「二階へ行って、ワイシャツを着換えてらっしゃいよ……」
と優しく言い、
「ソーダ水のつくり方までは、手が回らなかったわね……。あとで、アイスクリーム屋の小父さんに、とぼけて訊いてみるわ」
と彼を慰めたのだ。
俊吉は、二階にのぼり、打ち挫《ひし》がれたような、惨めな気持で、畳の上に寝転がった。
なんとなく、不吉な予感がした。
幸先がよくない、と彼は思った。
迂闊《うかつ》な話ではあるが、中山俊吉は、喫茶店は、珈琲の味によって勝負が決まる……と信じ込んでいたのだ。
だから、店の売買契約を結んで以来、都内の珈琲を美味しく飲ませる店を歩き回り、彼独特の味≠つくろうと、必死になっていたのである。
しかし、彼の最初の客は、彼が自慢したいと考えていたブレンド珈琲ではなく、悲しいことにソーダ水を注文して呉れたのだ。
素人考えといえば、素人考えである。
また図々しいというか、無鉄砲で、大胆な開業ぶりではあった。
翌日からは、無事にソーダ水は出せるようになったが、それは美那子が、鈴江という、洋菓子とアイスクリームを売りにくる外交員から、作り方を教わったがためである。
なんのことはない、色のついた一升瓶入りの糖蜜があって、それをグラスの底に入れ、氷と炭酸ソーダを入れて、かき混ぜれば出来上りだったのである。
中山俊吉は、コロンブスの卵の逸話を思い出して、苦笑を禁じ得なかった。
開店して一週間後には、俊吉もやっと、客の耳に入る位の声で、
「いらっしゃいませ……」
という挨拶を、ぼそぼそと言えるようになったが、中山俊吉はその当時、声が出なくなるような悪夢に魘《うな》されたことを覚えている。
体験した人間でないと判るまいが、素人には、なかなか、この「いらっしゃいませ」という言葉が、口を衝いて出ないものなのだ。
羞恥心のせいである。
また、商売に対する自信のなさが、俊吉を臆病にした為でもあろう。
官吏の家に生まれて育ち、商売の経験のない中山俊吉には、「いらっしゃいませ」と客に頭を下げることが、自分でも想像に絶する位に、抵抗のある事柄だったのである。
むろん、美那子にしても、同じ思いだったに相違あるまい。
……三ヵ月ぐらい経った。
そして店は、完全な赤字続きであった。
俊吉は、ふたたび青くなった。
昼間は、俊吉と美那子とが、店に立つ。つまり俊吉がバーテンで、美那子がウエイトレスを勤めるわけだった。
夕方になると、女子学生のアルバイトがやってくる。そこで美那子は、夕食の仕度にとりかかるのだ。
夜は、俊吉の自由な時間だった。
しかし、美那子には、夜は、バーテンとして働く労働の時間である。
人件費は、アルバイト代だけであった。支出は、きわめて少い。にも拘らず、赤字なのである。
俊吉は、気が気でなく、夜など二階で、おちおちと原稿用紙に向かう気にもならないのだった。
それは、当然であろう。
二人の生活費が、捻出できるどころか、運転資金に喰い込む一方だからだ。
〈なんとかしなければならぬ!〉
中山俊吉は必死になった。
彼は夜など、阿佐ケ谷を中心に、中野、高円寺、荻窪などを歩き回り、繁昌している店と、さびれている店とを研究した。どこが違うのかを、比較したのだ。
そして毎晩、店を閉めてから、美那子と遅くまで、協議しあった。
赤字の原因はいろいろあった。
第一には、他の店に較べて、珈琲を筆頭に売り値の安いことである。
よその店は、一杯六十円の珈琲を売っているのに、俊吉と美那子の店では、前の店の値段を据え置いて、四十五円だったのだ。
「四十五円では、採算とれないわよ……」
と、美那子は言った。
「そんなことはない」
と、俊吉は、ブレンドした珈琲豆の単価を示して、採算はとれている、と主張した。
大体、一ポンドの豆から何杯とる……という基準があるのだった。それに砂糖とミルクを加えたものが、一杯あたりの珈琲の原材料費となる。
美那子は苦笑して、
「あなたの計算には、学生アルバイトの人件費や、光熱費が入ってないわ……」
と言った。
「あッ、そうか……」
俊吉は頭を掻いて、小さく唸った。
四
商売というものの、むずかしさを知ったのは、実にその時である。
かりに一杯四十五円で売る珈琲の、原材料費が、豆、砂糖、ミルクとあわせて、三十五円だったとしよう。
素人は、すぐこれで、一杯十円の利益だから、一日に百杯売れれば、千円の利益で、月三万円の利潤とみる。
だが、実際には、いろんな原材料のほかの支出や、思いがけないロスがあるのだ。
たとえば、昼間の客をあてこんで、ドリップ式で、三十杯分の珈琲をあらかじめ、朝のうち淹れておくとする。
余談だが、珈琲は碾きたての粉末を、片ネルの袋の中に入れ、熱湯で丹念に漉《こ》したものほど、香りが高くて美味なのである。
それも十杯分以上、まとめて漉したものが所謂《いわゆる》コクがあるのだった。
喫茶店では、こうして漉しておいた物を、客が来る都度、人数分を火にかけ、ついでカップを暖め、それに入れて饗《きよう》する。
いちいち淹れればよいのだが、そうすれば時間と、手間と、光熱費を食った上に、ロスが大きいのである。
早い話が、一人分の珈琲を、ドリップ式で淹れる場合、珈琲の粉末は、一・五人分ぐらい使わないと、コクのある味にならない。客から、味がうすいと言われる。
その点、十人分以上だと、十人分の材料を使わなくても、結構、コクのある珈琲がとれる。これは、一合炊くより、一升炊いた御飯の方が、味がよく、分量も増える点に、著しく類似しているのであった。
こうした淹れ方のテクニックの他に、湯を沸かしたり、カップを暖めたりする瓦斯《ガス》代、店内の装飾用の電気代、人件費、スタンドに飾る盛り花や、店内の貸植木代、さらに小さいことだが、トイレのペーパー代、汲み取り料(変な話だが、当時、阿佐ケ谷には水洗便所はなかった)のほかに、地代、遊興飲食税などが加算され、それらを売上げから差し引いた残りで、俊吉と美那子は、生活をしなければならないのだった。
文学青年の俊吉には、そんなことにまで、頭が廻らなかったのである。
――売上げをあげるためには、どうしなければならないか?
俊吉は、美那子と毎晩、そのことを話し合った。
とにかく現状維持では、どうにもならないことだけは、たしかである。
「珈琲代を、よその店みたいな値段に、値上げしたらどうだろう?」
俊吉は言った。
「それは、お客さんが納得しないと、私は思うわ。よその店は、豪華だし、美人の店員もいるし、音楽もあるわ。だから一杯六十円でも、お客さんは我慢してるのよ……」
美那子は答えた。
なるほど、彼の店には、なにもない。
つまり、客を惹きつける要素が、なに一つないのだった。あるとすれば、売れば売るほど、赤字を蓄積させる、一杯四十五円の珈琲の味だけであった。それと、美那子の、素人っぽい魅力と――。
俊吉は、親友の小野たちに相談した。
みんなが、今の儘では駄目なことを認め、借金してでも、積極政策をとることを奨めてくれた。
俊吉は、広島の父に手紙を書き、この儘では店を手放すよりないこと、ミルクホールから脱皮して、郊外地の憩いの店となるためには、改装よりないことを、ながながと書き綴った。
住居の二階が、まだ荒壁であることを知っている俊吉の父は、
――立地条件が悪いのではないか。とにかく二階の壁を塗り、三畳を台所兼キッチンとして、店を売りにだし、黒字になる店に買い換えてはどうか。
と言って来た。
……これはやはり、大人の知恵である。
もし中山俊吉が、本当に商売ッ気のある男ならば、その父親の忠告に従って、前の売り主の如く、サクラの客を使って、その阿佐ケ谷の店を売り抜けていたであろう。
だが――俊吉は、なぜか、その店を売る気にはなれなかった。
いま、冷静になって考えてみるに、彼が、阿佐ケ谷から離れたくなかったのは、いろいろな意味があったと思う。
阿佐ケ谷|界隈《かいわい》には、いろんな作家、評論家が住んでいた。
そして、夕方から夜にかけて、阿佐ケ谷を歩いていると、いろんな人物に出会うのであった。それが、いかに中山俊吉の感情を昂《たか》ぶらせ、そして嬉しがらせたことか。
蓬髪《ほうはつ》の火野葦平が、和服姿で、太鼓腹をつきだし、大勢の取り巻きに囲まれながら、バス通りを悠然と歩いている姿を、見かけたこともあった。
美しい白髪と、柔和な顔とをもった亀井勝一郎が、着流し姿の青柳瑞穂と、なにやら議論しながら、駅前の一杯飲み屋に這入ってゆく姿を目撃したこともある。
日曜のひととき、外村繁が、夫人を連れて古本屋をぶらついていたり、ぶきっちょな指で煙草をはさみ、鳥打帽にインバネス姿の井伏鱒二が、せかせかと歩いて消えてゆく後姿を見送ったこともある。
……そうした偉大な作家、評論家の姿を見かけるにつけ、中山俊吉は、ある種の羨望と共に、
〈阿佐ケ谷に来て、よかった! ここなら何か、書けそうだ……〉
という実感が湧いてくるのを、禁じ得なかったのだ。
俊吉は、その予感めいたものを、大切にしたいと思った。
彼は、環境に左右される人間なのだ。
人気作家、大評論家の住む土地で、無名作家の彼が、売れるあてもない原稿を書いたとて、別段、なにもそれは作品の質や量には関係ないことなのだが、ひどく目標が近いような錯覚があって、なんとなく心理的に励みになるような気がしたのである。
次に、彼は〈広島文学〉の経営に、失敗している。途中で、無責任にも投げだし、兼安進にすべてを押しつけている。
そして今、阿佐ケ谷の喫茶店の経営をも、数ヵ月で投げだしたら、どういうことになるだろうか。
世間の指弾はともかく、自分自身で、生涯なにも出来ないような、そんな負け犬≠ンたいな感情を、生涯もちつづけてゆくことが予想され、それが怖かったのだ。
〈負け犬には、なりたくない!〉
俊吉は、思った。
それは彼のためでもあり、愛する妻の美那子のためでもある。
中山俊吉は、正直に言って、積極政策をとって行って、果して黒字になるか、否かは自信なかった。
しかし、乗りかかった船を、難破しそうだからと、忽ち見捨てるのは、男として卑怯なような気もした。難破しそうだったら、修理して再航海に出ればよいのだ。
だが、修理には、金が要るのである。
俊吉は、美那子に言った。
「どうしよう? 親父の命令に従うか、それとも、ひと踏んばりしてみるか?」
と――。
美那子は微笑し、
「あなたは、お父さまの命令に従う積りは、ないんでしょ?」
と、ずばりと言い、それから、
「あなたの一生よ。お金は損したって、いつかはお父さまに返せるじゃないの……」
と呟いた。
その妻の一言で、俊吉の決心は定まった。
翌日から、俊吉は、菊屋橋の喫茶材料店や家具店を歩いたり、文房具屋から買って来た方眼紙にとり組みだしたのだった。
また、金策にも、歩いた。
安倍稔は、教員組合から金を借りるべく奔走してくれたし、その頃、輸出振興外貨の記録書《カ ー ド》ブローカーに転業して、景気のよかった木塚は、
「二十万ぐらいなら融通するぜ……」
と言って呉れたのだった。
父親からは、二階の修理費が送金されて来た。俊吉は、それをためらうことなく、店舗の改造費として、土建屋に払い込んだ。
たしかに、無謀であった。無茶だった。
だが――後年になって、中山俊吉の許を訪れる文学青年たちに、彼はよく、
「青春とは、無茶なものだ。法律に触れない限り、冒険をした方がいい。たとえ失敗しても、物書きの場合には、まるまる損失にはならないんだから――」
と冗談めかして言ったことである。
それは、もしかしたら、阿佐ケ谷時代のことを回想して、教訓を垂れていたのかも知れない。
五
――一ヵ月後。
白地に黒文字の、大きな電気看板を掲げた〈阿佐ケ谷茶廊〉は開店した。
かつての安っぽい、ミルクホールから面目を一新して、英国調の重厚な作りである。
大きな波ガラスを縦に使った窓。その窓の下には、三本の棕櫚が植えられ、そのあいだに草花の咲き乱れる花壇がある。
鉄平石を貼りつめた入口。
ドアには、阿佐ケ谷茶廊の金文字が浮き、目隠しのカーテンも洒落ている。
カウンターは奥に移動され、中古品ながら珈琲ミル、硝子製の洋菓子ケースが置かれ、花瓶には季節の花が活けられている。
カウンターの背後の棚には、洋酒や、各種の珈琲豆がぎっしり並べられ、最新式のグラスが幾何学模様に飾られている。
正面奥には、レコード・ケースが、どっしりと構えられ、その上には当時珍しかった英国製ガラードの、自動装置つきの電蓄がおかれている。
左右の壁には、仕切りが走り、ところどころに水色のシェードをつけた、小さな電気スタンドが配置されてある。
そして七枚のゴッホの複製画が、壁を飾っていた。
ソファーは特別注文の、濃紺のビロード貼りのゆったりしたもの。
自慢は、テーブル・クロス代りに敷きつめた、蝶とか、木の葉を漉《す》き込んだ、豪華な和紙である。(これは、現在でこそ珍しくないが、当時は、輸出用につくられた試作品で、まだ市販されていなかったものだった。友人の小野が、外人バイヤーから見せられて、探し回って手に入れて呉れたものだった)
そして、店内の雰囲気を位置によって変える、美那子の設計になる木製の衝立《ついたて》。
これは草花の鉢をおくにも使われ、本棚にも使われて、なかなかの好評だった。
珈琲は、毎日、ミックスを変え、アルコール・ランプに火を点じ、客の目の前で、サイフォンで立てる。
マッチは、電気看板と同じ書体で、赤地に白抜き文字、軸は太軸で、頭は白。
横書きの伝票は、緑色の活字で印刷され、
『阿佐ケ谷茶廊は、あなたの憩いの場でありたいと念願しております。お気づきの点はどしどし、お申し付け下さいませ』
という〈店主敬白〉の文章が、小さく刷り込んであった。
駅の上り、下りのプラットホームにも、大きな開店披露のポスターが貼られ、開店三日間は、粗品呈上と謳《うた》った。
そして開店後一週間は、サンドイッチ・マンを常雇いにするという作戦である。
新聞広告をだして、女店員を募集し、昼之部一人、夜之部三人と、四人の清楚な感じの娘を雇い入れる。
……中山俊吉としては、全知全能を傾けた積りであった。
開店の前夜――美那子は、心細そうに俊吉に言った。
「あなた……大丈夫かしら?」
と――。
「大丈夫さ!」
俊吉は、意気軒昂たるものがあった。
「あたしが心配してるのは、そんなことじゃないの。あなたの、借金のことなの……」
美那子は言った。
父からの送金の額だけで、店内改装を派手に行った上、家具、電蓄などが買い揃えられないことは、彼女にも判っていた。
だが俊吉は、美那子が不安がると思い、敢えてどこから借金したかは、教えなかったのである。
不安と期待のうちに、〈阿佐ケ谷茶廊〉は開店したが、粗品呈上という文句に釣られてか、午前十時の開店時刻には、六、七人の学生客が行列をつくるという騒ぎだった。
二日目の午後には、十二分に用意した筈の景品がなくなり、慌てて景品を買いに菊屋橋に走る……という有様で、その夜、俊吉はやっと安堵の胸を撫で下ろした。
この分なら、なんとか、借金は返済できそうだ……という、明るい見通しが立ったからだった。
その頃、サイフォンで珈琲を淹れて出す店は、都内に数軒しかなかった。バーテンの手間をとるからである。
まして、客の好み通りに、豆を配合し、目の前で碾き、サイフォンで出す……という店は、稀有《けう》に属するスタイルではなかったのだろうか。
注文の場合は、一杯七十円と高かったが、千葉から取り寄せた落花生の添え物が、また好評であった。
常連となったある大学教授など、
「この落花生の味に惹《ひ》かれて、ついねエ」
などと、美那子に洩らしたという。
音楽は美那子の趣味から、クラッシック物が多かったが、ガラードの扱い方を知らぬ女店員が、ときどき故障させてしまうのが、頭痛のタネだった。
レコードとは、一枚ずつかけるもの――と思い込んでいた彼女たちには、五枚重ねたレコードを、オートマティックにかけ進んでゆく英国製の電蓄が、薄気味わるかったらしいのである。
また、夜おそくまで粘る学生たちには、クラッシックより、ポピュラーな物がよいらしくて、ないものねだりされて困惑し、それが重なると次の日には買い整えねばならない……という問題もあった。
だが、そんな些細な点を除いては、すべて順調だった。
俊吉は、調子に乗って、中央沿線に住む文化人に、開店披露の案内状と、無料珈琲券とを送ったり、高いのを承知で、阿佐ケ谷駅の南口構内に、店名入りの電気看板広告を出したりした。
――夜は、俊吉にとっては、大切な原稿執筆の時間である。
だが、店の経営が予想以上で、有頂天になっていた俊吉は、二階で机に向かっても落着かず、敵状視察と称して、夜な夜な、中央線沿線を徘徊《はいかい》するようになる。
出れば必ず酒になった。
新宿へ出て、ハモニカ横丁を歩いたり、阿佐ケ谷に戻って、北口駅前のマーケット街にある一杯飲み屋に陣取る。
その店は、ジャーナリストと作家仲間が来るので、有名な飲み屋だった。
俊吉は、隅に腰をおろしながら、そんな有名な出版社の編集者たちや、高名な作家、評論家の言葉に耳を傾けている。
それが彼には、愉しかったのだ。
彼の癖で、決して自分の素姓を、酒場にはあかさなかったが、毎晩のように来る彼の存在は、いつしか常連客の話題となっていたとみえて、間もなく、その飲み屋の女将は、彼の素姓を知ってしまった。
おなじ北口で、似たような商売をしていれば、素姓が知れるのも無理はないが、客がいない時など、女将から、
「ちかごろ、景気の方は?」
などと改まって訊かれると、なんとなく胸が痛んだ。
中山俊吉の心の底では、
〈一介の喫茶店のマスターで、俺は一生を終らないぞ……〉
という気持があったからだろうか。
店が終ってから、美那子はひとりで、俊吉をよく駅前に探しに来た。
そして彼女は、
「大分いい御機嫌ね。さア、帰りましょう」
と言うのが常だった。
二人でラーメン屋に入ったり、時には寿司屋に入ったりして、夜食をとってから寝につく。
美那子は、一日立ちづめで疲れていた。
「済まないなあ、働かせてばかりいて!」
と彼が言うと、
「あたしは平気。それよりも、良い小説を書いてね。いまの貴方をみていると、喫茶店のマスターで満足してるみたい。そんな、あなたって、嫌いよ……」
と、きまって彼女は諫《いさ》めるのだった。
「うん、書くさ。しかし、何だか、落着かないんだ……」
俊吉は、照れ臭そうに答え、美那子の乳房に顔を埋めて寝入るのだった。
開店して三ヵ月後、他の借金は殆んど返済できて、残るのは、木塚から借りた二十万円だけとなる。
そんな矢先、二つの異変が起きた。
広島の父から、近く上京するが、まだ店は売れないのか……と催促の手紙が来たのだ。
二階は、荒壁のままである。
俊吉は、月掛返済の金を借り入れ、慌てて二階の追加工事にとりかかった。
そんな騒動のさなか、木塚の使いと称する目つきの悪い、はっきりヤクザ者とわかる人物が来て、
「木塚に金を用立てて、返済を請求したら、こちらに二十万円あると言われた。すぐ耳を揃えて返すか、そうでなかったら、この店を抵当に貰いたい……」
と凄んだのだ。
中山俊吉は愕然となった。
たしかに友人の木塚からは、金を借りているし、払わねばならぬ。
しかし、不意に言われても、返済のめどはないのだ。
当時、二十万円といえば大金だった。因《ちな》みに、それから数年後に、鷺宮の一等住宅地に、俊吉の父は、百坪の土地つきの家屋を購入したが、その代金が百万円である。そんな時代の二十万円であった。
俊吉は、苦悩した。
ヤクザ者は、毎日のように、店に三、四人連れで姿をみせる。
それも、客足のいちばん激しい時刻を狙って姿をみせ、入口近くのボックスに陣取るのだった。
そして、客が入って来ようとすると、ジロジロ睨《にら》んで凄味をきかせ、アベックだと口笛を吹いたりして冷やかしたり、卑猥《ひわい》な言葉を口にするのだ。
これが、無銭飲食だったり、店の客に乱暴を働くというのなら、警察に届けて、ヤクザ者をつまみ出せる。
しかし、ちゃーんと品物を注文し、代金は支払うのだから立派な客であり、客を睨んだり、口笛を吹いたからと言って、暴力行為にはならないのであった。
はっきり、厭がらせだとは、判っている。それでいて、文句を言えない弱味が、こっちにもあるのだった。
女店員たちは怯え、流石《さすが》に気丈な美那子もこの神経戦術には参ったらしい。
それより痛手だったのは、この妨害行為のために、客足がパッタリ途絶えたことだ。
中山俊吉は、深刻なノイローゼ症状に陥入った。夜は、ねむられず、美那子がヤクザ者たちと喧嘩して、大怪我をさせられる……といったような夢ばかりみて魘《うな》された。
一通り金策にも歩いたが、頼るのは高利貸しかないことがわかる。銀行は、取引きの浅い、しかも水商売の彼などには、融資を敬遠していたし、知人たちもそんな余裕はなかったのだ。不況のさなかだったのである。
……そんな状態がつづいたある夜、俊吉は夜半、不意に夢に魘されて飛び起きた瞬間、
「ウウッ!」
と呻《うめ》いて、前のめりに倒れた。
美那子が吃驚して飛び起きるのと、
「洗面器! 早く!」
と彼が叫ぶのが、同時だった。
それと察した美那子が、狂ったように階下に駈け下り、洗面器を持って来たとき、俊吉が受け皿代りにした両掌からは、鮮血が泡を立てつつ、零《こぼ》れ落ちていた……。
六
――気づいた時、俊吉の枕許には、心配そうな美那子の顔と、広島から駈けつけた父母の顔、そして小野の顔があった。
俊吉は物も言えず、泪ぐんで、壁の方をみた。塗り立ての白壁には、血《ち》飛沫《しぶき》が、面白い模様で附着している。
「なにも、言わんでもいい。眠れ。美那子さんから、事情は、みんな聞いたけん……」
俊吉の父は、広島弁で言った。
あとで聞くと、喀血後、俊吉は、美那子の手を握ったまま、意識不明に陥入ったのだという。
喀血の量も、回を重ねる毎に、多くなって行くものか、洗面器だけでは、足りなかったらしい。
目黒の叔母に電話して、医師に来て貰い、そのあと喀血量の多さに美那子は不安になって、広島へ俊吉が危篤の旨を知らせたのだそうである。
俊吉は、ほぼ一昼夜半、人事不省だったわけであるが、その間、美那子は店をあけ、暇をみて二階へ上っては、俊吉の胸を冷やしたりして、不眠不休の看病をつづけたのだった。
次に目覚めたとき、俊吉は、かなり意識がはっきりしていて、美那子の顔を探すと、
「あいつらは?」
と訊いた。
木塚の借金と、ヤクザ者のことが、気懸りでならなかったのだ。
美那子は、淋しい翳《かげ》のある微笑を浮べて、
「お父さまが、片附けて下さったわ」
と言った。
……俊吉が倒れた翌日も、例のヤクザ者たちは、また店にやって来た。
美那子は、その三人組に、店の裏口に回ってくれ、と言い、捨てずにとってあった、俊吉の血が入った洗面器を示して、
「あんた達が、主人を苦しめるから、こんなに血を吐いたんです! さあ、この血を飲みなさい、一滴残らず! そうしたら、あたしが、どんなことがあっても払います! 飲めないんだったら、筋違いの催促は、止めて頂戴!」
と怒鳴りつけたのだそうだ。
彼女のその権幕に、ヤクザ者たちは一驚して、
「姐御、済みません……」
と、ペコペコお辞儀をして、退散し、それっきりになったらしいが、後にその話をきいて、俊吉は微笑してしまった。
美那子は、目のあたり、俊吉の口中から迸り出る鮮血をみて逆上しており、ヤクザ者たちの姿をみた途端、
〈こいつらが、私の俊吉を、あんな目に遭わせたのだ……〉
と、一層、腹を立てたのだろう。
俊吉は今でも、その時の美那子の、喰いつきそうな表情を、ふッと空想して、
〈あいつ……いい奴だな〉
と、微笑しながら心に呟くことがある。
俊吉も扱いかねていた、あの薄気味のわるい、向こうみずな連中を、相手に廻して一歩も引かなかった許《ばか》りか、凄いタンカを切って退散させた、あの美那子の勇気は、やはり俊吉に対する愛情の変型だ……と彼は思うのである。
酔った折などに、俊吉がその話を持ち出すと、美那子は赤い顔をして照れて、
「言っちゃア嫌! 二度と言ったら、怒るわよ!」
と、拳を振り上げるのが常だった。
俊吉はニヤニヤして、そんな美那子の照れ臭そうな表情を、酒の肴にしたことである。
木塚から借りた二十万円は、俊吉の父親が返済して、無事に落着したが、この話には後日談がある。
――昭和三十年だったか、二年つづきの北海道の凶作で、小豆が暴騰し、赤いダイヤと騒がれた時期があった。
この時、通産省では、輸出振興特別割当外貨での、緊急輸入を認める方針を発表したがため、この外貨の記録書《カード》の相場が、ぐんと跳《は》ね上ったのだ。
「必ず儲かる千載一遇のチャンスなんだ。きみの店を抵当に入れ、金をつくって、それを俺に貸してくれ」
と、カードのブローカーをしていた木塚は中山俊吉に頼み込んだ。
俊吉は、昔の彼の友情に酬いるべく、巷の金融業者を歴訪して、百万ちかい金策に奔走してやったことがある。
その時、木塚のパトロン的な存在だった女性から、
「中山さん。貴方って、お人好しね。あのとき、木塚は、たった二十万円で、貴方の店を取り上げようとしていたのよ? だから、ヤクザ者を使って、店の権利書を手に入れようとしたんじゃないの」
と言われ、俊吉は、頬桁《ほおげた》を鉄|唖鈴《あれい》でガーンと殴りつけられたような、衝撃を受けた。
俊吉は、その意外な打明け話に、愕然となり、金策を中止してしまったのだが、その真相は未だに俊吉にも判っていない……。
ともあれ、俊吉は、一ヵ月ぐらいは、寝たり起きたりの生活を余儀なくされた。
ちょうど梅雨時であった。
俊吉は、前年と、その年と二回つづいた喀血のため、梅雨を憎むようになり、雨嫌いになったが、病床に臥していると、人間はくだらない妄想に駈られたり、苛々した時間を過すものだということを教えられた。
たとえば、午後十一時すぎになって、女店員たちが次から次にと、「さようなら」と言って帰って行っているのに、階下の店では、まだ音を小さくして音楽が流れつづけていたりすると、
〈客から、美那子が、口説かれているのではなかろうか?〉
などと考えたりする。
そうすると、次から次に、客の口説き文句だの、いやらしい表情、それを巧みに躱《かわ》している美那子の台詞《せりふ》などが、頭の中に湧いて来るのだ。
やがて、客の帰るドアの音がして、表の電気看板が消える。
あとは戸締りして、火を落し、店内の電灯を消せば仕事はない。
すぐ美那子は、二階へ上って来れる筈だ……と思うのに、なかなか上って来てくれぬ。
俊吉は、苛立つ。
〈もしや、好きになった客と、暗い店の中で、接吻でも……〉
などと考えると、ますます神経が苛立ち、カーッと頭に血が逆流してくる。
ふらつく足で、蒲団から抜けだし、階段を伝わって、そっとカウンターの中を覗くと、
美那子がいない。
〈さては、やはり……〉
と、逆上して、カウンターへ飛び込むと、美那子が沸かした牛乳を飲み、売れ残りのケーキをつまみながら、誰か、客の残して行った同人雑誌か何かを、カーテンを閉めた店の中で読み耽《ふけ》っていたりした……。
俊吉は安堵し、自己嫌悪の念に駈られずには居られない。
しかし、美那子に限って――と、反省しながらも、夜、二階で寝ていると、きまって、そんな妄想に襲われるのだ。
正直に言って、大喀血のあと、中山俊吉は美那子から捨てられるのではないか、とか、彼女が淋しさのあまり、客と浮気を働くのではないか、などと、くだらない妄想に駈られたのは事実だ。
これは、結核患者に特有な被害妄想なのであろうか?
その証拠に、彼が元気になって床を離れた時には、その種の妄想は、掻き消えていたのである……。
第六章 新思潮のころ
一
結核患者は、性欲が異常に昂進するとは、よく言われることである。
中山俊吉もその例外ではなかった。
とくに大喀血して、絶対安静を余儀なくされていた数ヵ月間は、妄想と、性欲とに苛《さいな》まれた苦痛の時間と言ってよいであろう。
その妄想は、はじめ夜だけ、彼を襲っていた。店が閉店になる午後十一時ごろから、黒い不吉な顔をした悪魔は、ニタニタ笑いながら、俊吉の胸の中で目覚めるのだ。
当時は、営業時間の制限はなかったので、午前二時、三時まで営業しようと、誰も文句は言わないのだが、一応、俊吉と美那子の阿佐ケ谷茶廊は、午後十一時を閉店時間に決めていたのである。
午後十時半。
この時刻には、遅番《おそばん》の女店員も帰って、店の中には美那子ひとりになる。
ところが、そんな遅い時間――美那子が一人になる時刻を狙ったかのように、店に這入ってくる大学生や、独身のサラリーマンがいるのだった。
そんな連中は、どこかで飲んで、酔いを醒ましに珈琲《コーヒー》を飲みに寄ったとか、あるいは、まだ飲み足りなくて、店においてあるウイスキーを飲みにやって来る、美那子に言わせたら、〈有難いお客〉だったのだが、病臥している俊吉には、美那子を狙いに来ている、とんでもない〈狼たち〉としか思えなかったのである。
なぜなら、俊吉に言わせれば、酔い醒ましに珈琲を飲む連中は、酔っているから、くどくどと、つまらないことを美那子に話しかけて、なかなか腰を上げないし、飲み足りない連中は、ウイスキーの値段が他の店より安くて、盛りがよいのが狙いだったのだ……。
喫茶店なので、酒場より値を安くしたのが結果として悪かったのだが、俊吉に言わせれば、喫茶店で洋酒を飲むというのは、あくまで邪道であった。ぜんざい屋で、珈琲を飲むようなものである。
しかし美那子に言わせると、酔って話しこむ若い客たちは、珈琲やウイスキーのお代りをしてくれる……つまり、売上に協力してくれる上客なのだという。
俊吉は、それが気に喰わなかった。
いくら上客かも知れぬが、自分の大切な美那子に、野卑な冗談を言ったり、誘惑めいた言葉を吐いたりするであろうことを空想すると、腹立たしいのだ。
じいーっと仰臥していると、階下から、レコードの音楽が流れてくる。それが背中の皮膚を伝わって流れてくる。
……俊吉は今でも、ムソルグスキーの〈展覧会の絵〉とか、〈禿山の一夜〉、チャイコフスキーの〈白鳥の湖〉、〈バイオリン協奏曲〉、ドボルザークの〈新世界〉、リストの〈ハンガリー狂詩曲〉、シューマンの〈謝肉祭〉、モツァルトの〈フィガロの結婚〉、〈ト短調四〇番〉〈四一番〉、シューベルトの〈未完成〉、ベートーベンの〈田園〉や〈第七番〉、ブラームスの〈ハンガリー舞曲〉、ビゼーの〈アルルの女〉……といった曲を耳にすると、阿佐ケ谷時代の、あの血腥い口臭と、妄想とが、悔恨を伴いながら甦えってくるのを、どうすることもできない。
とくにサラサーテの〈チゴイネルワイゼン〉とか、ショパンの〈雨だれ〉という曲を聴くと、なんとなく忸怩《じくじ》とするのだ。
夜おそく店に来ると、必ずこのポピュラーな曲を注文する人物がいて、美那子の説明によると、無口な弁護士の卵なのだそうであった。
その人物には、俊吉も記憶がある。
彼のように長身で、髪をオールバックにしている。眼鏡をかけ、いつも傘と、むずかしい法律書を小脇に抱え、来ると、ブルーマウンテンのストレートを、生クリーム入りで二杯飲む男であった。
年の頃は、俊吉より二つ三つ年上で、あまり口数を利かぬ、神経質そうな顔立ちの人物である。名前は知らぬ。
その弁護士の卵は、俊吉が店に出ている時には、週に一、二度しか、それも夕方ぐらいの時間にしか訪れなかったのに、彼が病臥してからは、殆んど毎晩、姿をみせて、美那子に、
「映画に行きませんか」
とか、
「新劇の切符があるんだけど――」
などと、しきりに誘いはじめるのだった。
俊吉は、美那子から逐一《ちくいち》、そんな報告を耳にしていたし、美那子がそれに応じる風情もないことはよく判っていたのだが、〈チゴイネルワイゼン〉や〈雨だれ〉で、妄想を掻き立てられて苛立っている時だけに、
「阿呆! きみが甘い顔するから、むこうはつけあがるんだ!」
とか、
「あいつに、皓《しろ》い歯をみせるな!」
と言って、彼女を叱りつけたものだ。
――そればかりではない。
病状が恢復期に向かって、起きたり寝たりのそんな頃、ビールが飲みたくなって、裏口からカウンターの中を覗くと、美那子の姿がない。
客もなく、女店員が退屈そうに、グラフ雑誌を読み耽っている。
「ワイフは?」
と訊くと、
「夕食のお買物に――」
という返事である。
冷蔵庫をあけてみると、ビールがない。
俊吉は、サンダルを突っかけて、すぐ近くの酒屋にビールを買いに出かけた。
ところが、角の肉屋の前を通り抜けようとした際、例の弁護士の卵なる人物と美那子とが肩を並べて、こちらへ歩いてくる姿を見かけたのだった。
俊吉は一瞬、カーッとなった。
精神が錯乱した。
「あら、あなた……」
美那子は笑顔で立ち停まる。
俊吉は、
「うるさいッ!」
と怒鳴りつけた積りだった。
だが彼の鼓膜を撲《う》ったものは、
「バシッ!」
という平手打ちの音である。
気づくと、美那子が右頬をおさえて、立ち竦《すく》んでいる。
そればかりか、肉屋の角に群がっていた夕方の買物客が、驚いたような顔をして、俊吉を眺めていた。
俊吉は、赤面した。
そして、くるりと踵《きびす》を返すと、大急ぎで自分の家に駈け出した。途中で、サンダルの留め革が切れ、俊吉は片足ハダシの儘、店の裏口へ走り込んで、泣きだしそうに顔を歪《ゆが》めたことを憶えている。
あのとき、中山俊吉は、なぜ美那子を殴りつけたのだったか?
第一の理由は、嫉妬であろう。
だが、冷静に反省してみると、それは嫉妬というよりは、逆上に近い、感情の昂ぶりの所為《せい》だったようだ。
まさか、と思っていた。
そのまさかと思っていた事態が、不意に、何十日かぶりに外出した阿佐ケ谷の町角で、妄想でなく、現実のものとして出現したことに、俊吉は逆上したのだ。
美那子を信じ切っていただけに、それが夢としか思えず、弁護士の卵と称する人物への肚立ちを、美那子に叩きつけたのであろう。
俊吉は、
「畜生! あんな奴……」
と呻きながら、二階へ昇って行き、その儘ごろりと横になった。
彼は、美那子を殴りつけたという、自分でも予測しなかったショックに、大きく打ち挫《ひし》がれていたのだ。
しかし俊吉は、人前でふるった自己の暴力行為を、一方では正当づけようと必死になっていたことも慥《たし》かである。
〈勤務中に、店をほったらかしにして、客と出歩いていたんだから、あいつが悪い。しかも笑顔で、楽しそうに歩いてやがった。俺が病気の留守に、目を盗みやがって……〉
俊吉は、まもなく裏口の戸があいたのを知って、耳を澄ました。
軽やかな足どりで美那子は、二階へあがって来て、三畳の台所に這入った気配である。
「おい……」
俊吉は、寝たまま声をかけた。
返事はない。
「おい、美那子!」
彼は、苛立って叫んだ。
美那子は、濡らしたタオルで頬を冷やしながら、六畳へやって来ると、枕許にぴたりと正座した。
「いつから、あいつと、デイトするようになったんだ、ええ?」
彼は、歯噛みしながら訊く。
「デイトですって?」
美那子は、呆れたように叫んだ。
「そうだよ……」
俊吉は、妻を血走った眼で睨む。美那子は苦笑して、
「莫迦《ばか》ねえ……」
と呟き、
「あなた、気でも狂ったんじゃないの?」
と笑い出すのである。
「うるさい! 誤魔化すな!」
彼は怒鳴りつけた。
「静かにして!」
美那子は制止してから、
「買物に出ていたら、あの人に会ったのよ。下宿に帰るところだと言うから、素通りですかと皮肉を言って、お店へ連れて行く途中だったんじゃないの……」
と説明した。
気負い立っていた俊吉は、拍子ぬけがしてしまい、一言もなかった。
美那子は嬉しそうに、
「あなた……ヤキモチ焼いたのね」
と言って笑い、それから、
「お客さん、駭《おどろ》いて帰ってしまったわ、珈琲二杯分、損しちゃった!」
と呟いたのである。
俊吉の妄想癖は、その日を頂点として衰退の兆しをみせはじめるのだが、彼が〈チゴイネルワイゼン〉や、〈雨だれ〉の曲に忸怩となるのは、彼が、逆上して美那子を、理由もなく人前で殴打した事件のことが、ホロ苦く甦えってくるからに他ならぬ。
二
中山俊吉が広島にいる時分には、さほど親しくはなかったが、東京へ出てから親しく往来するようになった文学青年に、河中英彦がいる。
河中は、広高から東大英文科へ進んだ秀才で、とにかく行動力のある人物だった。
彼の行動力を示す一端は、彼が中心になって発刊した〈絶望《デスポワール》〉という同人雑誌にみることが出来る。
〈近代文学〉の、佐々木基一、花田清輝といった評論家や、野間宏、木下順二といった作家を編集顧問に迎え、その創刊号はA五判三百頁という堂々たるもので、目次ですら二色刷りという豪華版であった。
その創刊号を、広島にいる頃、書店の店頭で発見したときの畏怖感を、いまだに俊吉は忘れることはできない。
それは同人雑誌というより、商業雑誌というにふさわしかった。
大会社の広告が並び、錚々《そうそう》たる文壇の新進作家、評論家たちが、エッセイを書き、座談会で論評しあい、そして編集兼発行人である河中英彦は、大河小説と銘打った、実存主義ばりの〈不吉な黙劇〉を連載しているのである……。
中山俊吉は、広島高師の〈天邪鬼〉と対抗して、広島高校から〈移動風景〉という同人雑誌が出ていたころ、河中英彦の名をすでに知っていた。
そして〈絶望〉の創刊によって、否が応でも、その河中英彦なる人物の名前を、胸に灼きつけずにはおかなかったのである。
彼が上京し、自由ケ丘で生活をはじめたころ、河中英彦は、〈絶望〉の同人である高藤久朗を通じて、五十枚ぐらいの短篇を、寄稿して呉れと言って来た。
それで俊吉は、ABCC(原爆障害調査委員会)の人種差別をテーマとした〈実験都市〉と題する短篇を、高藤に托したことがある。
それっきり忘れていたのだが、俊吉が大喀血後、ようやく元気になったその年の秋に、〈実験都市〉が活字になり、〈絶望〉が送られて来たのであった。
創刊号の頃とは異なり、頁数も九十六頁という憔悴ぶりであったが、巻頭に掲げたマニフェスト(宣言)は相変らずの高姿勢で、いかにも河中英彦らしかった。
本郷の赤門前の喫茶店でひらかれた〈絶望〉の合評会に、俊吉は作品掲載者として出席した。
東大の助教授なども顔を出し、合評会は、なかなかの盛況だったが、俊吉の書いた短篇は、
――方法論が間違っている。
――眼低手高である。
などと酷評された。
司会者の河中は、
「私小説めいた物を書いていた中山君が、ABCCに関心を抱くようになっただけでも、彼の進歩であり、今後に期待したいと思います……」
と言って、その場を取り繕ってくれたが、俊吉には、作品そのものを論ぜず、作者の思想とか、姿勢ばかりを論じようとする、その合評会の雰囲気には、どうも馴染めないものがあった。
俊吉は、小説とは、誰が書いたか、ではなくて、何が書いてあるかだと思っている。その考え方は、現在も変らない。
つまり、活字になったとき、作者の名前や姿勢は、いっさい不要なのだ。作品とは、関係がない。
読者は、その描かれた小説の中から、なにかを感じ、なにかを汲み取ればよい。
作者の意図したものが、素直に読者に伝われば、それは良い小説であり、その反対ならば失敗作である。俊吉は所詮《しよせん》、そんなものだと思うのだ。
ところが、〈絶望〉の合評会に集まった人々の大半は、学生であり、何を描いてあるかを論ずる前に、個人的なことにすぎない作者の思想を論じあい、俊吉に言わせれば、眼高手低の空論をつづけるに過ぎない。
議論そのものを愉しみ、自己の発言に注目させようと、殊更、奇を衒《てら》った発言を競っている。彼には、そう思えた。
〈自分が劣っているのか、或いは、彼等が若いのか、どちらかだ……〉
俊吉は、合評会のさなか、そう考えながら沈黙を守り通した。
……これが機縁になって、三鷹に下宿していた河中は、阿佐ケ谷の俊吉の店を訪れ、二階へあがって駄弁《だべ》って行くようになる。
河中は、貧乏ったらしい風貌にも拘《かかわ》らず、いつも女子学生を連れて颯爽としていた。
そして、彼一流の論旨明快な、歯切れのよい文学論をぶって、俊吉や美那子をケムに巻き、独特の笑い声を残して去ってゆく。
俊吉は、そんな河中英彦に、いまいましいようなものと、爽やかなものとを感じ、無性に原稿用紙に向かうのだった。
彼の書斎は、表通りに面した三尺の廊下の右端にあった。
縦二尺、横三尺の座り机の前に胡坐《あぐら》をかくと、大男の彼の躰は、身動きできなくなる。
机の前の壁には、彼の手製の本棚があって、辞書が並んでいた……。
目を瞑《つむ》ると、彼の瞼《まぶた》の裏には、のちに第十五次〈新思潮〉の同人たちが、〈世界一ちっぽけな書斎〉と呼んだ、あの廊下の一隅の風景が、まざまざと泛《うか》び上がってくる。
戦後、紙のない頃に印刷された、ザラ紙の〈広辞林〉の背表紙や、戦前に印刷された〈漢和大辞典〉の赤い表紙の色などは、昨日のことのように、くっきりと泛び上ってくるのだ。
そして壁のシミ。夜になると点灯される電気看板の、長い蛍光灯が発生する、微かな唸り声めいた音響も、鼓膜に再生されてくる。
考えれば中山俊吉は、あの小さな〈書斎〉で何百枚、いや何千枚という原稿を書き潰したことであろうか。
思い屈すれば、古本屋を歩き、天祖神社の境内に佇んで思考し、そして駅前のバラックの飲み屋で憂さを晴らした。
阿佐ケ谷という地名から、今日、彼が連想するのは、古本屋と一杯飲み屋である。不思議に古本|漁《あさ》りと二級酒とが、彼の心の中で繋《つなが》っているのだ。ということは、それほど古本を買っては読み、そして売っては酒を飲みしていた……ということになる。
河中英彦が、阿佐ケ谷の彼の家を、次号を出す〈絶望〉の発行所にしてくれないか、と言って来たのは、喀血後、半年あまり経った冬のことである。
彼には、日記をつける趣味がないので、正確なことは判らないが、もしかしたら、年が明けていたかも知れない。
なんでも、本郷に借りていた事務所の家賃も払えず、印刷屋や紙屋に借金を催促されて居堪《いたたま》らなくなったのだという。
俊吉は、しょげている河中をみると、なんとなく同情したくなり、
「ああ、いいよ」
と答えたのだった。
〈思潮社〉という看板が出され、〈絶望〉の発行所となると、阿佐ケ谷茶廊の二階は、さながら梁山泊《りようざんぱく》と化した。
次号を出版するための企画会議、掲載作品の選考会議などがひらかれ、それが終ると、ヘボ将棋や麻雀となる。
しまいには、徹夜麻雀をめあてに、集まってくるようになった。
美那子は、嫌な顔こそしなかったが、
「麻雀ばかりして! また喀血するわよ!」
と、必ず俊吉をあとで叱った。
医師から、夜更し、飲酒、女遊びの三つを禁じられていたのである。
(余談だが、中山俊吉は、医師から禁じられたこの三つの戒律を、一つ残らず破った。トップ屋時代には、徹夜でラジオの帯ドラを書き上げ、その足で地方へ出かけて取材し、夜行で帰って直ぐ原稿を書く……というような随分無茶な生活をつづけた。酒も浴びるように飲んだ。女遊びも派手だった。
それでいて数年前、俊吉は、ある奇病の原因を調べて貰うため、人間ドックに入ったところ、両肺の空洞は、すっかり石灰化して治癒していることが判った。
俊吉は、このことから、病いは気から……というのは本当だと思う。人間の躰には、自分で自分を治癒する力があって、その治癒を促進するのが、薬品の働きではないのか、と彼は考えるのである。
尤《もつと》も、医師は、大喀血後の彼の、乱暴としか言いようのない生活ぶりを聞いて、ただ呆れ顔になり、「奇蹟です」と言った。「十万人に一人あるか、ないかですよ」とも言った。そんなものかも知れない。でも俊吉は、結核を恐れず、抵抗療法をとったことが良かったような気がしている)
三
いい作品も集まらず、沈滞気味の〈絶望〉同人会に、活気を入れようとして、中山俊吉が、同人雑誌懇話会をひらこうと提案したのは、いつごろだったろうか。
中山俊吉の手許に、一葉の写真がある。
その第一回の懇話会の時の記念写真で、場所は俊吉の店の中である。
たしか、〈絶望〉の次号を出版し、その合評会もかねての集まりだったかも知れぬ。
その中で、河中英彦は美人の女子学生を両脇に従えて、中央に位置し、にこやかに笑っている。俊吉の姿はない。そして出席者の中には〈新思潮〉の村上兵衛、〈早稲田文学〉の後藤明生の若き日の顔がある。
村上兵衛は当時、すでに新進の作家であった。その前年度だったかに〈新潮〉十二月号の同人雑誌推薦作として、辻政信をモデルにした格調高い短篇を発表し、俊吉をして、
〈こんな巧い小説を書く人もあるのか〉
と、嘆息せしめた人物である。
俊吉は、頭でっかちな〈絶望〉の同人たちに、心の中では愛想を尽かし、ひそかに、村上兵衛のような新進作家と語らって、新しい文学雑誌を発行したいと考えはじめていたのだ……。
偶然の機会に、古いトランクの底から発見された、〈備忘録〉と題する大学ノートによると、当時のことが日記体で、かなり委《くわ》しく記されてあるので、引用しておく。
『五月二十三日。朝、河中来る。昨夜出来上った移転通知(註・〈絶望〉の発行所が移転した通知のことならん)を雑誌に同封し、合評会および懇話会の招待を行い、百二十七通を発送する。
遅れてお茶の水へ行く。三十分後、河中来たり、久保と三人で日販・雑誌仕入課をのぞく。断られる也。(註・〈絶望〉を日販から全国の小売店に流して貰おうと計画したのだ。いま考えると、盲、蛇に怖じずの感がある)
神田にて、ハンバーグを喰べつつ、今後の策をねる。日販へ賄賂を使おうと、久保は主張すれど、いささか徒労の気味なり。大垣のところへ雑誌を預けて帰宅。(註・久保というのは、深川の製餡所の次男坊で、商人肌の人物だった。俊吉に、小豆相場の知識を与えたのは、この久保である。日販へワイロを使えば、同人雑誌にすぎぬ〈絶望〉を、小売店に流して貰えると考えたのだろうか。笑止千万である)
夜、河中来たり、ビール飲む。日販へ出さず、直接販売に頼るより致し方なしと結論。
五月二十四日。九十部ほど発送。図書館へ沖縄のこと調べにゆく。あまり資料はない。とくに戦後は。留守中、河中、赤羽来たりし由。〈思潮社〉の看板を、郵便屋に叱られて掲ぐ。暑し。夜、沖縄ものの構想ねる。
五月二十五日。曇り。暑し。
赤羽君来り、府中刑務所へ見積書をとりに行こうと提案せしが、暑いので中止、ビールになる。将棋。
小島信夫氏より速達。明日の合評会には来れぬ由なり。赤羽と新雑誌の話に熱中し、出すのなら百二十八頁ぐらいの物を、季刊で出そういうことになる。印刷費は、刑務所で刷れば四万円ぐらいだろう。
夜、〈やよい〉にて日本酒のみ、帰宅後、エビオスを食ったら俄かに嘔吐す。考えれば朝から酒びたりなり、美那子にまた、迷惑かけるなり。
五月二十六日。曇り。のち雨。
宿酔にて起き上れず、十二時ごろ、美那子にせかされて、やっと店へ下りる。合評会、十九名の出席者なり。発言、活溌なりき。ただし、例によって例の如き空論にて、技術批評は行われず。小生の作品、長篇にすべきなりというのが一般の意見なり。
この説に、異説を唱えしは村上兵衛、後藤明生の二氏にとどまる。初対面なれど、村上氏と語りあいたく、合評会のあと、麻雀の誘いを断わりて、村上氏と寿司屋へゆく。そのあと南口虎屋にて雑談。
村上氏、新しい雑誌をやることには、消極的なり。労多く、益少しと説く。むしろ、村上氏の〈新思潮〉に来たりし方が、よからんと言う。一理あり、心動く。七時、別る。村上氏、吉行淳之介氏を訪問する由。
よる。美那子と久しぶりに語りあう。美那子は、〈新思潮〉の同人となりて、勉強したる方が賢明なりと言う。〈新思潮〉には、たしか東大在学中の秋田|煕典《ひろのり》が参加している筈なりき。午前四時、ねむる』
この備忘録によると、俊吉は〈絶望〉の編集方針や、同人会の内容には慊《あきた》りず、新しい雑誌を、村上兵衛を中心に発刊したい……と考えていたことがわかる。
当時、村上兵衛の所属する十五次〈新思潮〉には、次のような人物がいたのだった。
三浦朱門(高知高校より東大卒。日大助教授)。
曾野綾子(聖心女子大卒。三浦氏夫人)。
村上兵衛(陸士より、東大卒。小学館勤務)。
村島健一(静岡高校より東大卒。毎日新聞記者)。
阪田寛夫(高知高校より東大卒。朝日放送勤務)。
荒本孝一(高知高校より東大卒。私塾経営)。
竹島茂(静岡高校より東大卒。速記者)。
野島良治(高知高校より東大卒。小学館勤務)。
林玉樹(武蔵高校より東大卒。読売新聞勤務)。
岡谷公二(慶応医学部予科より東大卒。短大講師)。
大橋直矢(慶応大学卒。大和工業勤務)。
有吉佐和子(東京女子大卒。吾妻徳穂氏秘書)。
――以上、十二名に、大学院の在学生である秋田煕典たち五名の東大生が、十五次〈新思潮〉に加入していたのだった。
中山俊吉は、これらの同人の顔触れをみて果して、自分のような人間が、仲間に加えて貰えるだろうか、と戸惑った。
秋田たち五名の東大生たちは、その後まもなく、意見が合わないことを理由に、同人を離れて行くのだが、それにしても、女性である二人を除けば、東大を出ていないのは、大橋直矢だけである。
中山俊吉は、憐れにも、旧制の専門学校卒業という学歴しかないのだった。それも殆んど登校していない。
俊吉は、村上兵衛におそるおそる、自分の学歴を告げた。
〈絶望〉の中心人物である河中英彦をはじめ、〈思潮社〉という名の梁山泊に出入りするのは東大生が多かったから、村上兵衛がもしかしたら、彼をも東大に縁のある人物と錯覚したのではないか……と思ったのだ。
〈新思潮〉は、明治四十年、小山内薫によって発刊された同人雑誌である。この雑誌は半年で潰れたが、同じく、四十二年、小山内を中心に谷崎潤一郎、和辻哲郎、後藤末雄、木村艸太などが同人となって復刊し、第二次〈新思潮〉と題した。
この第二次と、三次、四次の〈新思潮〉が、いわば〈新思潮〉の黄金時代だといわれている。
第三次〈新思潮〉は、大正三年の創刊である。
同人には、久米正雄、草田杜太郎(菊池寛)、山本有三、松岡譲、豊島与志雄、成瀬正一、柳川隆之介(芥川龍之介)、山宮允などの名がみえる。
第四次〈新思潮〉は、大正五年二月の創刊で、この創刊号に載った芥川の〈鼻〉が、彼の出世作となったことは、あまりにも有名であった……。
つまり〈新思潮〉は、いわゆる一高―東大の系譜をもった、伝統と栄光のある同人雑誌なのである。
そんな名門の同人雑誌に、広島高師卒の学歴しかない男の加盟が、許されるか否かと、中山俊吉が危惧したのは当然だろう。
しかし村上兵衛は、俊吉の告白に、
「そう。きみ、東大じゃなかったの……」
と、なんでもないことのように言って、
「そんなこと、構いませんよ……」
と笑うのだった。
「しかし、他の人たちが……」
俊吉は、それでも、ためらった。
すると村上兵衛は、
「三浦朱門が、曾野さんを同人に加えた時、もう従来の戒律は破れている。大橋さんだって慶応だし、有吉さんだって……」
と言ってニヤリとし、
「実は、第六次〈新思潮〉にだって、東大生でない者が混ってるんですよ。今東光が、ね」
と註釈を加えたのだ。
第六次は、大正十年の創刊で、なるほど、川端康成、鈴木彦次郎、石浜金作、酒井真人たちの同人のなかに、今東光の名がみえる。
村上兵衛によれば、そのとき、今東光は川端たちと東大へ来てごろごろしていたが、レッキとしたニセ学生だったという。
村上兵衛は、学歴にこだわる彼のために、そんな例をひいて、彼を慰めてくれたらしいのだが、俊吉には嬉しかった。
そして村上兵衛は、自分の仲間たちに、彼を同人として迎えるべく、推薦の労をとってくれたのだった。
俊吉はときどき、
〈もし、あの時、≪新思潮≫の仲間に加えられずにいたら、どうなっていただろう?〉
と思うことがある。
おそらく中山俊吉の生涯は、もっと変ったものになっていたのではないだろうか?
そう考えると、彼を同人に推薦してくれた村上兵衛は、恩人と言わねばなるまい。
四
備忘録によると、中山俊吉の同人加盟は、六月末ごろに認められたものらしい。
『七月五日。曇り。
昨夜おそくまで、小説の構想をねり、暁方五時ちかくに眠ったので、十二時ごろまで目覚めず。夕刻、河中来たる。赤羽も来たり、駄弁って帰る。
村上兵衛氏来たり、具体的な話あり。〈新思潮〉の同人費は毎月五百円なれど、雑誌を印刷所へ廻したとき、同人の中で経済的な余裕のある者が拠出して、不足分を埋めている由なり。理想的な形式なれど、果して可能なりやを問うに、村上氏の曰く、
――今まで、そうして来たし、今後もそうするだろう。
と――。小生、唖然となる。
〈絶望〉においては、資金難の折柄、作品を発表せる同人に、作品の占めし頁数にて掲載費を負担させよとか、河中の如きは、一口五千円にて数名のパトロンを確保すべしなどと虫のいいことを主張しおるに、〈新思潮〉では、百枚の小説を書きたる者が、ゲルピンの理由をもって一銭も支出せず、作品を発表せざりし者が、欣喜として負担せり、と。
信じられざることなり。
小生、〈絶望〉の広告入金よりみて、名門の〈新思潮〉なれば毎号六千円ぐらいの広告収入はあって然るべし、と謂う。村上氏、おどろきて、
――信じられないなア。
と言うなり。小生、苦笑す。少し、店で話し、寿司屋でまた暫く話す。
河中たち、二階へ来ている由、美那子知らせに来る。小野も来ている。河中の恋人を混えて麻雀。徹夜となる。このところ、連日連夜マージャンなり。美那子、いっそのこと二階を麻雀屋にしたら、と皮肉を言う。漸愧《ざんき》』
あと備忘録は、それっきり空白になっているので、その後の経過は判らない。
しかし中山俊吉が、〈絶望〉の合評会を機会に、それから毎月一回、〈同人雑誌懇話会〉を自分の店でもち、しばらく続けたことだけは記憶がある。
その懇話会は、なかなかの盛況だった。
毎回、講師を招いたからである。
評論家の荒正人とか、作家の福永武彦といった人が来た時には、阿佐ケ谷茶廊の狭い店内は立錐の余地もないほどで、それでいて懇話会から出すお車代は、雀の涙ほどだった。
むろん土曜の午後の書入れ時を、懇話会場にあてるのだから、店としては利益にならなかったが、美那子も、
「あなたの道楽ね……」
と笑って済ませた。
ところで、〈絶望〉が、俊吉が〈新思潮〉入りをして間もなく、潰れたことを書いておかねばならない。
作品も同人費も集まらず、それに楽観的に強引な前進を主張する主宰者の河中と、赤羽や、久保たち早稲田派とが、対立したからであった。
それはそれでよい。主義主張をもって集まった文学青年が、結ばれ、そして離散するのは、世の常である。
困ったのは、解散後、さっぱり姿をみせぬ河中英彦を訪ねて、印刷屋だの、用紙屋などが俊吉の店にやって来ることだった。
彼の店におかれた〈思潮社〉は、彼が名義上の代表者だったから、事実上の廃刊号となった〈絶望〉の印刷費は、しかも中山俊吉あてで請求して来た。
俊吉は、その金額をみて、蒼くなった。
印刷費は、同人全員の責任であるが、解散してしまったのだから、同人たちは関係ないと逃げを打つに決まっている。
彼は、頭を抱えた。
三鷹の河中の下宿を訪ねると、数日、帰って来ないという返事である。
「美那子……どうしよう?」
俊吉は半泣きの顔であった。
「あなたって、お人好しだから、河中さんに利用されたのよ。あたしが明日でも、印刷屋さんに会って、よく話してみるわ」
美那子は、そう言った。
「済まん! 頼む……」
彼は妻に頭を下げた。
結局〈思潮社〉以前の借金は、河中英彦が責任を持ち、終刊号分だけ、俊吉が責任をもって支払い、結着をつける……ということになったらしいが、俊吉はすべて美那子まかせで、その後どうなったのか知らない。
……図らずも、名義を貸したばっかりに、不当な終戦処理を引き受けねばならなくなった俊吉は、だからこそ、十五次〈新思潮〉の同人たちの、紳士的な経済負担方法に、ある意味で危惧を抱いていたのだとも言える。
だが、村上兵衛が言っていたことは、本当だったのだ。
中山俊吉は、生まれてはじめて、〈新思潮〉の同人会に出席した時のことを、はっきり記憶している。
グループのリーダー格である三浦朱門は、微笑をたやさない好男子だった。
曾野綾子は、才色兼備とか、聡明という単語を連想させる美人で、すでに〈遠来の客たち〉で文壇に躍り出ていた。
村上兵衛は、かつて近衛師団の旗手であり陸軍中尉だったとは信じられないような、温和な紳士である。
野島良治は、これまた風変りな偉材で、炊事洗濯などというものには縁遠く、浮世のことからは超越したような風貌《ふうぼう》の徒であった。
竹島茂は、少年の含羞《はにか》みを連想させる、いかにも内気で、読書家らしい人物である。
大橋直矢は、近視の度のつよい、実直そうな、これまた紳士であった。
中山俊吉が、同人に加えられる数ヵ月前に同人となった有吉佐和子は、才気煥発というか、新参者の癖に、男を屁とも思わぬようなところがあって、俊吉を嬉しがらせた。
〈新思潮〉の同人会は、作品の提出者が自分の作品を朗読し、それを同人たちが、思い思いの姿勢で聞き入るところからはじまる。
三十枚でも、百枚でも、同人たちは、ときどき笑い声をあげたり、かるい半畳を入れる程度で、実に温順《おとな》しく静聴するのだ。
一人が作品を読み終る。
すると必ずと言ってよい位、三浦朱門が、批評の口火を切った。
貧乏ゆすりしたり、喫みつけぬ煙草を吸ってみたりして聴いている癖に、その批評は、実に適切であり、作品の構成のミスなどを、俊吉が舌を捲くほどに指摘するのだった。
その三浦朱門の発言が、きっかけとなって同人たちが、それぞれ感想を述べる。
それは〈絶望〉の同人たちのように、レトリックの遊びではなかった。
その作品のテーマを、どのようなプロットにすれば、作者のモチーフが生かされるかという、具体的なことを、同人達は語りあい、意見を述べるのだった。
作品の執筆以前に、モチーフがある。
創作しようとする意欲を、そそり立てた動機がある。
そして作者の執筆態度が定まったとき、必然的に主題は定まるのだが、素材の配置や構成に失敗すると、テーマは浮き彫りにされなくなる。
これは小説を書く人間にとっては、実に簡単明瞭な理窟なのだが、いざ書きはじめてみると、多くの支障を生じてくるものなのであった。
三浦朱門は、なぜ失敗したかを、たちまちにして看破るのである。
そして具体的に、
「この小説は、最後のシーンを冒頭にもって来て、回想的にモノローグで書いていった方が、ええんと違うかな」
などと言う。
なるほど、と俊吉は肯かされる。全く、その通りなのだ。
三浦朱門の次に、活発に意見を述べるのは野島良治で、ついで村上兵衛、有吉佐和子の順であった。
野島は、毒舌家だった。
「中山さん、あんた、こんな小説、いくら書いたかて、上手にならへんでエ」
などと、ずけずけ口を利く。
それでいて、後にしこりを残さないのは、彼の人徳であったろうか。
有吉佐和子は、俊吉より年は若い癖に、遥かに大人で、人情の機微に通じ、思いがけず博学であった。
そして言葉の選択にうるさい。
いつだったか、俊吉は、小説の中で、
『私は失笑した』
と書いて、彼女から、
「仲間から失笑された、というのなら判るけれど、主人公がひとり失笑するというのは変じゃないかしら?」
と言われたことがある。
俊吉は一言もなく、頭を掻いたが、間もなく彼女は、〈文学界〉の新人賞に〈地唄〉という作品を書いて文壇にデビューし、石原慎太郎と翌年下半期の芥川賞を争い、たちまちにして売れッ子となったのだ……。
それより先、村上兵衛は、〈戦中派の発言〉と題する評論を〈中央公論〉に発表し、紅顔の連隊旗手姿を髣髴とさせるような恰好で、ジャーナリズムに登場していた。
つまり、中山俊吉が〈新思潮〉に参加して、半年たらずのあいだに、三浦朱門、曾野綾子につづいて〈新思潮〉は、評論家・村上兵衛を産み、作家・有吉佐和子を産んだことになる。
中山俊吉は、才能ある二人が、文壇に認められたことを喜びながらも、ある種の妬みと、焦りとを感ぜずには居れなかった。
五
美那子が俊吉に、妊娠を告げたのは、有吉佐和子が新人賞を受賞して、間もない頃だったようだ。
美那子は、率直に、
「産みたいの。……駄目?」
と言った。
中山俊吉は、反対した。
彼は、生理的に、赤ん坊の泣き声が嫌いであった。泣く子と地頭には勝てない、とよく言うが、あの火がついたように泣く赤ん坊の泣き声を想像しただけで、彼はイライラしてくるのである。
それに俊吉は、未来に対する自信というのか、生まれて来る子供を養ってゆく自信は全くなかったのだ。不安の方が、なによりも先に立った。
それからもう一つ、俊吉には奇妙な考えと笑われるかも知れないが、この世の中というものは、親子でも、兄弟でも、所詮は他人なのであって、男と女――つまり夫婦のみが、社会を構成する唯一の単位なのだ、という気持があった。
久我美那子と中山俊吉とが結ばれる。
このカップルこそ、人間社会の単位なのであって、二人の親も、兄弟も、親戚も、そして生まれてくる子供も、やがては二人とは無縁の存在となるのである。
だから俊吉は、美那子と二人だけのことは考えても、子供をつくろうなどという考えは毛頭なかったのだった。
いや、正直に言うと、生まれて来る赤ん坊が、美那子の愛情を横奪りすることが、憂鬱《ゆううつ》だったのかも知れない。
俊吉は、美那子を独占したかったのだ。
論争のあげく、俊吉は、とうとう美那子を屈服させて、渋谷道玄坂のちかくにある産婦人科に連れて行った。
手術室に入る前に、美那子は、蒼い顔つきをしながら、
「そばにいてね。心細いの」
と言った。
まさか、手術室の中には入れないから、その隣りの控え室で待っていたが、麻酔がなかなか効かないらしく、看護婦が何度も薬や器具をとりに出入りした。
やがて、掻爬《そうは》がはじめられたらしく、
「あ、痛いッ!」
「あなた……痛い!」
「助けて! あなた……」
と、夢うつつで叫んでいるらしい美那子の声が、俊吉の耳に届いて来た。
本当に痛そうだった。
俊吉は、拳を握り緊め、腰を浮かせては苛立ち、しまいには椅子に坐って居れずに立ち上り、控え室を檻の中の熊のように、一喜一憂しながら歩き廻った。
わがことのように、額から汗が噴きだし、美那子の悲鳴を耳にするたびに、手術室に飛び込みたい衝動に駈られた。
〈なぜ、堕胎しろなどと言ったのだろう!〉
と後悔したり、
〈こうするより仕方ないんだ……〉
と、美那子に心の中で詫びたりした。
手術は思いのほか、長くかかった。
そして手術のあと、病室へ運ばれた美那子は、紙のように蒼白な顔で、昏々と寝入っている。
額の膏汗《あぶらあせ》に、髪の毛が貼りついていた。
医師は冷たく、
「少し後屈気味ですな。長びいたのは、出血がひどかったからで、別に異常ありません」
と言った。
俊吉は、おそらく彼以外の男には見せたこともない美那子の恥部を、覗き見たばかりか、乱暴に触れたであろう医師の指を、睨み据えずには居られなかった。
麻酔から覚めると、美那子は、力無く微笑して、彼を見詰めた。
「痛かったろう?」
ときくと、
「ううん、なんともないわ」
と美那子は答えたが、目尻から、すーっと一筋の泪が糸をひいた。
「痛かったんだろう? 痛い、助けて……なんて叫んでたぞ?」
彼は執拗にきいた。美那子は首をふり、
「麻酔がかけられてるから、なんともないんだけど……そういえば、少し痛むみたい」
と、膝をもぞりと動かして呟いた。
あとから思うと、俊吉は、その儘、美那子を数日間、入院させておくべきだったかも知れない。
しかし、一日の臨時休業だけで、美那子は責任を感じており、どうしても帰る、と言いはったのだ。
夜十時ごろ、タクシーを呼んで、俊吉は美那子をいたわりながら、阿佐ケ谷へと向かったが、車の振動のたびに、彼女は顔を歪め、
「どうしたのかしら。痛むわ……」
と、苦痛を訴えつづけた。
気丈な美那子は、一夜寝ただけで、翌日からまた店のカウンターに立った。
これが、いけなかったのである。
数日後――美那子は、原因不明の出血をして、倒れることになる。
「医者を呼んで来よう」
と彼は言ったが、美那子は、
「いや、もう、診て貰うのも嫌……」
と、恥しそうに言い張った。
俊吉とても、赤の他人に、愛する妻の恥部を診せたくはない。
それで彼も、なんとなく、
「安静にしていれば、そのうち出血もとまるでしょう……」
と言う美那子の言葉に同意したのだが、やはり彼女の羞恥心をふり切ってでも、医師に診せるべきだった。
なぜなら、美那子は、この無理が祟《たた》って、一ヵ月後に寝こむことになり、阿佐ケ谷茶廊の経営を、一時、他人に委ねなければならなくなったからである。
そして、この産婦人科に属する、さまざまな障害は、美那子の宿痾《しゆくあ》に近い存在として、彼女を悩ますようになったのだ……。
(ずーっと後にだが、ある医師が、美那子の産婦人科的な後遺症を、
――子供を産めば癒るかも知れない。
と言ったことがある。なぜだか、中山俊吉はその言葉を、長女の俊美が生まれた後に、はッと思いだした。しかし、宿痾に似たそれは、未だに好転していない。俊美が逆子で、帝王切開して取りだした子供だからだろうか?)
原因不明の出血がつづき、美那子は絶対安静を命じられた。
喫茶店経営の中心であった彼女に、寝込まれてしまった俊吉は、すっかり途方に暮れた。
女店員まかせには出来ない。
かと言って、眼鏡をかけた大男の彼が、カウンターの中へ入っていると、いったんドアをあけた客のうち二組に一組は、失望したように帰ってゆくのだった。
俊吉は、今更のように、美那子が阿佐ケ谷の若い学生たちのあいだで、いかに人気者であったかを思い知らされたわけであるが、それは彼女の陽気な性格と、面倒見のよい点にあったものと思われる。
また、美那子にはどこか、若い学生たちから、姉のような錯覚を抱かせるような、なにかがあったのだと思う。中山俊吉には、そんな気がする。
ともあれ、肝腎の美那子に寝込まれてしまった俊吉は、一週間で、すっかりへたばってしまった。
それをみて、出入りの鈴江というアイスクリーム屋が、
「旦那。いっそのこと、貸しにだしたらどうです? お宅みたいな店なら、借り手はありますぜ……」
と持ちかけて来た。
俊吉は乗り気になった。
二日後、鈴江は、借り手を連れて来てくれたが、いかにも好人物そうな四十男で、新橋の烏森で、バーを経営していると言う。
源田清という人物だった。
先方の条件は、喫茶店ではなく、バーとして営業したいこと、敷金は出せないが、浦和市の自宅を敷金代りに担保として提供し、家賃は一ヵ月三万円だすというのだった。
俊吉は、裏口から二階へ昇る階段があるので、階下を貸すと不用心だから、一階と二階とを切り離す別の階段をつくってくれるのならば、貸しても良いといった。
源田は、
「よろしゅうございます」
と言い、その翌日には、もはや大工の棟梁を伴って店に現われたのである……。
俊吉は、その手際のよさに、なんとなく不安を覚えた。クリーム屋の鈴江に、まんまと乗せられたような恰好であった。
六
美那子の記憶によると、彼女が倒れてから一年あまり、この源田清という人物に店舗を貸していたことになるが、むろん、家賃は滞りがちで、最後には、
「滞納した分を棒引きにするから、立ち退いて欲しい……」
というような有様だった。
考えてみると、敷金をとらずに、店舗を貸すなんて、非常識も甚だしいのだが、それだけ中山俊吉も、妻の美那子も、お人好しだということであろうか。
それとも世間知らずの、たわけ者と言うべきか、どちらかであろう。
だが、曲りなりにも、家賃の収入で食って行けた一年余りのあいだは、俊吉にとっても、妻の美那子にとっても、ひどく充実して幸福な一時期だったと言える。
健康さを、やや取り戻した美那子と、一緒に神田の古本屋を歩いたり、二人で図書館に通い、松尾芭蕉や、頼山陽の年譜(註・俊吉は、そのころ、中国新聞社の学芸部次長だった宝井利興から手紙を貰って、郷土の産んだ頼山陽を素材に、連載小説を書く気はないか……と奨められていたのだった。そして彼は、宝井が学芸部長となったとき、その時の約束を果している)をつくったりした。
毎月一度の〈新思潮〉の同人会には、欠かさず出た。
同人会の会場は、廻りもちで田園調布の三浦朱門の家でやったり、小金井の村上兵衛の家でひらいたり、松庵北町の竹島茂のアパートで持たれたりしたが、いつしか阿佐ケ谷の家の二階でやるのが、当り前のことのようになった。
マスコミの寵児となった有吉佐和子は、曾野綾子と共に殆んど同人会には出席しないようになり、〈新思潮〉の同人会は、男臭い、そして、次第に懶惰《らんだ》なものへと移行してゆく。
編集長格である野島良治は、人の原稿を催促するばかりで、半ば自棄気味で、競輪に溺れ(註・その数年、野島の身の上には、不幸な出来ごとが続いたのだった。あれほど気丈な豪傑が、俊吉に、「死んだろか知らん!」と洩らしたことがあるのをみても、それはわかるであろう。この好漢は、その才を世に見出されることなく、自滅としか言えないような姿で、病死して行った。その人となり、あるいは臨終記は、瀬戸内晴美、曾野綾子、阪田寛夫など、数人の作家の筆によって詳述されているが、俊吉は、これほど仲間から愛された人物をまだ知らない)、三浦朱門、村上兵衛はすでに同人誌に筆を執るまでもない。
村島健一は、忘年会同人と自嘲し、忘年会にしか姿をみせず、関西にある荒本孝一、新聞記者の林玉樹、某学園講師の岡谷公二の三人はすでに筆を絶ったかの感があった。
世にも出られず、一文にもならない原稿を、せっせと書いていたのは、大阪本社から、東京支社の製作部勤務となった阪田寛夫、ベテラン速記者の竹島茂、原保雄のペンネームをもつ大橋直矢、それに俊吉の四名だった。
そのころ、彼が愛誦していたのは、芭蕉の〈無能無芸にして、この一筋につながる〉という言葉と、座右の銘である〈初心忘るべからず〉という文句であった。
俊吉は、美那子のためにも、書かねばならぬ、と思った。
しかし、書かねばならぬと思いながらも、彼が書き上げた作品は、殆んどない。
その〈新思潮〉時代に、俊吉の作品として活字になったものは、
◇米軍進駐。
◇幻聴のある風景。
◇合わぬ貝。
◇振興外貨。
◇性欲のある風景。
の五つの作品であり、ほかに〈江古田文学〉という雑誌に、〈走馬灯〉という短篇と、〈新早稲田文学〉に、〈霓《にじ》のなか〉という朝鮮ものを掲載したにすぎぬ。
このうち〈合わぬ貝〉は、彼が〈新思潮〉の同人になって、二年目か、三年目だったかに幸い、〈新潮〉の同人雑誌推薦作品としてえらばれ、生まれてはじめて商業雑誌というものから、稿料を貰う作品となった。
俊吉は、このとき、美那子と相談して、自分たちの金の結婚指輪を買い、ついでお互いの親に、真珠の指輪とネクタイ・ピンをプレゼントするのに、原稿料の大半をさいた。
せめてもの親孝行の積りだったのだ。
しかし中山俊吉は、つねづね思うのであるが、彼にとっての幸運は、村上兵衛という人物にめぐりあったことであり、第十五次〈新思潮〉の同人として、加わったことであった。
俊吉は、三浦朱門以下、同人の適切な技術批評によって、小説とは、いかに書くべきかを少しずつ学んだのである。
彼が、作家として認められ、ストーリイ・テラーとして、あるいは職業作家として、少しでも世の中に通用したのは、この阿佐ケ谷時代――〈新思潮〉の仲間によって、鍛えられたことが、大いに与《あずか》って力がある。
少くとも、その切磋琢磨の時代なしには、作家・中山俊吉の出現は考えられない。
〈新思潮〉は、それほど大きな影響を、俊吉に与えたし、また、多くの幸運をもたらして呉れたのであった。
店舗を貸した源田清から、家賃が貰えなくなって、談判の末、立退いて貰い、俊吉は、両親の反対を押し切って、酒場〈ダベル〉を開業した。
すべり出しは好調だったが、客の殆んどは無名の文学青年、そして無名の画家たちであり、やがて金詰りのため、倒産という一途を辿る。
だれも、飲み代を支払って呉れようとしないからである。
美那子は、孤軍奮闘してくれたが、遂に力は及ばなかった。
しかし、店が潰れたとき、中山俊吉は、比較的に平静な気持でいた。
どうしてかと言うと、その倒産のとき、俊吉はすでに、〈文芸春秋〉という綜合雑誌の専属ライターとして、収入を確保して貰っていたからである。
そのきっかけとなったのが、〈新思潮〉に発表した、〈振興外貨〉という小説である。
その当時、三十代の若さで、「文芸春秋」の編集長になった田沢博巳は、自分の力で、ルポルタージュの書ける作家、つまりレポーターを養成したいという意図をもっており、ある週刊誌にそのことを発言したのだった。
調べて、書く。
それは中山俊吉が、作家として生きてゆく自分に、自から課した命題であった。
事実は小説より奇なり、というその事実を小説に仮託して描く。それが、新しい形の小説の方向ではないかと、彼は考えはじめていたのである。
彼は、田沢編集長の発言に、大いに心を動かし、田沢博巳にあてて手紙を書いた。
だが、何故か投函はためらわれた。
文学青年というものは、本来、臆病で、恥かしがり屋なのである。
だから、その田沢編集長に宛てた、売り込みの手紙は、一週間ちかく、中山俊吉の机の上で――あの世界一ちっぽけな書斎の中で眠っていたのだった。
埃をかぶった、その直訴めいた手紙を、俊吉に無断で、(いや、彼の心情を慮って)、ポストに投函したのは美那子である。
そして彼の手紙と、〈新思潮〉の作品とを一読した田沢博巳は、さっそく、至急会いたい……という速達を呉れたのだった。
俊吉に与えられたのは、ある座談会の速記録を材料にして、三十枚の読物をつくる仕事だったが、田沢編集長は俊吉のどこを見込んだのか知らぬが、
「生活は保証しますから、ルポルタージュの仕事は、うち一本でやって下さい……」
と言って呉れたのだ。
つまり俊吉には、小説家としての前途はなくとも、レポーターとしての生活保障があったわけで、だからこそ、倒産の憂き目にあっても平静で居られたわけであろう。
しかし、それしも〈新思潮〉に彼が加わっていなかったら、そして美那子が、彼の田沢博巳あての手紙を投函していなかったら、俊吉の前途がひらけていたか、どうかは判らぬ。その二つの幸運が、重ならなかったならば、おそらく暗澹たる未来しか、中山俊吉には待っていなかったのではあるまいか?
倒産後、店を売却する時の契約書の手違いとか、強欲な地主の横車とかは、そして、専属ライターとして、ルポルタージュという困難な仕事に体当りしはじめた後のこととかは、いま中山俊吉は、当分、触れたくない心境であるらしい。
ちかごろ、中山俊吉は、深夜ひそかに、過去をふり返ってみて、
〈俺は、なんと幸運だったろうか〉
と思うことがしばしばである。
妻として久我美那子を得たことは、彼の生涯の傑作だったし、阿佐ケ谷に店を構え、村上兵衛を知り、そして〈新思潮〉同人となって、三浦朱門をはじめ多くの仲間(先輩)を得たことは、彼の幸運の第一歩だったのだ……。
そして、その第一の幸運が、次から次へと、彼の幸運の扉をひらいて呉れて行ったのである。
俊吉には、いずれ、〈新思潮〉から巣立って行った後のことを、なにかに執筆する機会があるかも知れない。
しかし、今日の彼があるのは、美那子と、そして彼の仲間たちの援助と庇護の所為であることだけは、疑えない事実なのだ。
……そんなことを思う最近の或る夜、中山俊吉は、原稿用紙に向かって、例によって桝目からはみ出しそうな大きな字で、愛用のペリカン万年筆を走らせていた。
『……そのころ、新天地の〈加代〉と言えば、広島のジャーナリストが集まる一杯飲み屋として有名だった。
まだ区画整理もされない時分で、ごちゃごちゃとバラック建ての飲み屋が立ち並び、おでん、どて焼、焼鳥といった粗末な提灯が、うす汚い暖簾と共にはためいている一角に、その〈加代〉はある……』
(作中、実名の人物を、止むを得ず登場させたことについて、お詫び致します。作者)
文庫版あとがきにかえて
梶山美那江
文学青年時代の夫が魅入られていたという、織田作≠アと織田作之助が「作家とは嘘をつく才能である」と言っているそうだ。とすれば、さし詰めこの作品を書いた夫は大作家≠ニいうことになるのだろうか。
常に、夫が書き又は話すことの真偽を、嗅ぎ分ける能力開発(?)に私は勤《いそ》しんでいた。夫の死後、生前に語ったある事柄の真偽が話題になったことがある。そっくり本当のことだと信じていた人が多かったなかで、柴田錬三郎先生は「自分も物書きなので梶山の話を聞いていてここ迄は事実、その先は創作だなとすぐに判ってしまう。だからこの話は……」と言われ、全く同じ考えだった私は秘かに得意な思いを抱いたものだった。
随筆などでもそうだが、誰をも傷つけることなく面白可笑しい話≠ノしてしまう。それを皆に鵜呑みにされるので、武勇伝や伝説が氾濫することになったのだと思う。
「わが鎮魂歌」が人気作家の自伝小説と銘打たれ「月刊現代」に連載されたのは、昭和四十三年三月号から八月号までで、毎回四百字詰六十枚であった。
第一回の原稿渡しは、夫の予定表によれば一月二十二日(月曜日)となっている。果して当日編集部に渡せたかどうか。この後、昭和四十七年に結核が再発する迄は年々忙しさが増し、通常の締切りに間に合わないことが多くなっていった。しかし一旦書き始めれば、連載物など一時間五枚から八枚のスピードで進むので、担当編集者は胸撫で下ろして待つことができる、と言われるようになる。
余談になるが、一人娘が三年前から出版社に勤めるようになり、初めて当時の編集者のご苦労がほんとうに解ったような気がしている。今となっては手遅れだけれども――。
昭和四十三年の一月の仕事量は、連載が週刊三誌、新聞二紙、月刊四誌、単発三誌、それに随筆などを加えて七百枚というところである。
旅行としては十三日から十七日迄黒岩重吾先生や親しい作家の方々との台湾行が入っている。対談、パーティなど十一件、ノンフィクションものが入っているので取材のための外出が多かったと思う。当時は仕事場として平河町の都市センターホテルの和室を借り切っていた。どこへ出掛けるにも時間がかからず、少しでも空き時間があればホテルに戻り、仕事の続きができるので夫はとても気に入っていた。
ちなみに同年十一月の執筆量を調べてみたら、連載が週刊七誌、月刊三誌、単発七誌、その他を入れて約千枚である。
後に月に千三百枚書いたと、これも伝説化してしまった話があり、その幻の月≠探し出さねばと永い間思っていたところ、この年四月に夫が千五百枚という作家の月産枚数の記録を作ったらしいとの記述を、当時のスクラップブックの片隅で見付けた。早速リストと予定表を当ってみた。連載、単発ともに多く、勇んで枚数計算してみたがどうしても千二百枚を切るのである。ひょっとしてこの伝説も夫の話≠フ結果なのか……。
このような状況の中で三十八歳になっていた夫は、同人誌ではなく、総合雑誌に書くことになったのだからと、たとえそれが自伝小説ということであってもサービス精神を発揮、毎回読者に喜んで貰えるような場面を考えたに違いない。赤いリボンで結んでこそいなかったけれど、厳重保管していた、広島時代の夫と私の手紙の提出を求められたときから、私は俎上《そじよう》の鯉の心境ではあった。
初回発表後すぐに「お手柔《やわ》らかに」など登場人物になること必定《ひつじよう》の人達から電話や手紙がきたりした。美那子の動きについては、よくここ迄デフォルメできるものと回が重なるにつれ腹立ちを通り越し、おかしくなることさえあった。他の女性の登場人物たちの活躍場面についてはどうにも納得がいかないことがある。というのは夫がいつもそれだけは避けていた、関りのある人を傷つける≠アとになりはしないか。それに当時の夫はまだまだ純情だったと私は信じ込んでいたのだから。問い詰めるたび夫はきまって「バーカ、小説だよ、し・よ・う・せ・つ」とわざとむつかしい顔をしたものである。
秋には単行本になり「人気作家の青春を自身が虚飾なしに描写した云々」と宣伝され、知人や読者だけでなく、誌上に於ても書かれていることはすべて事実だとの解釈のもとに批評されることになってしまい、私は心穏《おだ》やかならぬ心境のまま、夫存命中に再び話題に上らせることもなく、今日に至った。
そして今年の五月、夫の十三回忌を迎えるに当り、真黒に見える程びっしりと書き込まれた予定表との、夫の闘いを思い、さすがの我儘《わがまま》女房も今回は文庫出版のお話を有難くお受けした次第である。
解説を、とのお話があって、私は「よーし、積年の恨み晴らしてくれよう」とばかり手ぐすね引く思いで、実に十九年ぶりに「わが鎮魂歌」の頁を繰《く》ったのだった。
最初に各章ごとに検証してみようと考え、事実と違う個所を拾い出すことを試みた。とてもチェック仕切れるものではないとすぐに気が付いた。それではと、この小説の罫線《けいせん》を引くつもりで、事実に基き時間を追って書きすすめてみた。参考資料としては手紙類と当時の同人誌などの出版物。電話など普通の家にはない時代だったので、打合せ、連絡などすべて手紙であった。内容は勿論消印などから特定できることは多い。また夫の死後に友人たちが返してくれた夫の手紙で初めて知る事実もあった。そして一番大切な私の記憶も総動員してみたけれど、いくら事実に忠実な罫線を引いたとしても所詮重なり合う訳がないとこれ又がっかり。なぜなら夫は事実を完全に換骨奪胎《かんこつだつたい》≠オ、夫にとっての真実≠創り上げているのだということに遅まきながら思い至り、何年物書きの女房をやったんだと夫の叱声を聞いたような気がしたものである。
嘘でしか語れない真実もある≠ニ夫と私は慰め合い、夫の死まで到頭重い荷を、それでも二人で背負ってきたことがひとつあった。
この小説を書くに当って夫から相談を受け、今はまだ事実を書くべきでないと二人で決めたこと、それは夫の家出の夜のことである。夫はその夜の場面を私と私の母を庇《かば》って創作してくれた。今にして思えば、なぜこの小説の中で事実を書いてもらわなかったのか。夫の父の存命中、遂に本当のことを打明ける機会がなかったからである。生き残りとして、またその夜の主役? として、それから私の母の名誉のために、この稿をお借りすることにしたい。
その日は私の二十四歳の誕生日であった。前日の午前中|訣別《けつべつ》の手紙を受けとり、広島にとんで行った。私が絶交状に近い手紙を書き送ってから半月が経っていた。家出のことが書いてなければどうだったか判らない。私は家出回避の説得に失敗した上に、君の誕生日に決行するつもりだったと汽車の時間まで聞いてしまい、揚句、ひと足遅れて上京することも決めて帰った。
私は母と二晩話し合った末、今この事を知っているのは私たちだけであること、人の親として彼の両親の心痛を思うとこのまま見逃がす訳にはいかない。駅に出て彼を掴え、広島に連れ戻すべきだという母の強い主張に私の気持もぐらついた。駅に急いで、最終列車にポツンと坐っている彼を見付け出した時のほっとした気持。明日一緒の汽車で行きましょうと上手《うま》いこと云って引きずり降ろすのに成功したものの、夜中の十二時を回っているので開けている店もなく、立ちっぱなしで一時間あまり、今ならまだ間に合うからと思い直すよう頼んでみたけれど、彼は決心を変えない。あまり夜露に濡れては体に毒と気付き、白々と蛍光灯のついた旅館が目についたのを幸い彼を送り込み、タクシーで帰宅した。待ちかねていた母とまた延々の話し合い。
彼の才能を信じるとかそんなことの前に、彼が病気だということは動かせない事実で、健康な者として見すごす訳にはいかないのだと、娘の私から脅迫、遂に親子の縁を切るなど無茶を承知で云い張った私。明日とりあえず東京に送って行くことだけを了承してもらう。母は薬局をしている妹夫婦に、手紙でよく頼むからと云ってくれた。三時過ぎだろうか、表が騒しくなり、聞き馴れた彼の父の大きな声がした。どうしてこんなことになったのか考える間もなく咄嵯に、歯痛で早くから寝ていることにして、と母を拝み倒し、私は布団の中で顫《ふる》ていた。彼の両親に会えば嘘がつけない私は、今この時間駅前旅館にいる彼のことを喋ってしまうに違いないのだ。
正直一筋、世間様に顔向けできないことなどなに一つせず生きてきた、まして嘘をつく才能など全くない母にとって、この夜の一世一代の大芝居は一生の悪夢ということになるのではあるまいか。結果として季之の家出を助け、彼が広島を捨てたからこそ私は彼と結婚した。この夜の母の決断に彼は生涯感謝しつづけた。
おかげで私は彼の両親や広島の関係者に鬼のような娘と思われたらしい。たかが歯痛≠ョらいで、自殺の心配までして駆けつけた両親に、会おうともしなかった、ということになるのだろうから。もしもあの時真相を告げていたら……運命はどう変ったか。
この夜のことを今回初めて娘に話した。彼女曰く「ママが広島の人々に恨まれるのは仕方ないでしょう。(しようと思えばできたのに)密告しなかったのだから」
そう、私は密告しなかった――。
親たちに、量り知れない苦しみを押しつけて、私たちは共犯者≠ニして、二度と引き返せない道に踏み込んでしまったのだ。
多分、これからのち、当時の親たちの思いを、私はひとりで味わうことになるのであろう。私もまたこの告白を私自身のための鎮魂歌にしたのだから、夫の鎮魂歌は夫自身のために書かれたものであるのは当然のことだったのだ。今の私は美那子≠とてもイヤな女だと思うのだけれど、俊吉の目にそう写ったのであれば残念だが仕方がない。
結局夫は生涯結核とつきあったことになる。病は気からと常に言い、結核について医者の禁じたことをすべて破るという抵抗療法によって癒《なお》したのだと自慢している。けれど気力もさることながら、上京後の最初の喀血以来、名医に恵まれ、薬剤師の叔父から新薬を次々届けてもらい、注射は私が内緒で教わって担当したというような背景があって、はじめて生き延びてこられたことを、夫は充分解っていたと思う。
家出前、せめて五十歳までは生きて頂戴と夫に頼んだ私だった。二十三歳の若さからすれば五十歳でも充分な人生を送れると思ったのだろうか。しかし夫はそこ迄も生きてはくれなかった。
中山俊吉こと梶山季之は、昭和五年一月韓国で生れ、中学四年で終戦、その年の秋父母の郷里広島に引き揚げ、七年余り住んだ後上京。昭和三十三年から文筆生活に入り、結核再発の入院生活中に書いた「黒の試走車」でどうやら作家の仲間入りができた。あれだけ多くの人々に迷惑をかけた家出から十年目、昭和三十七年のことである。次に四十七年にまた喀血、入院、その死まで治療が続く。昭和五十年五月十一日、取材先の香港で急逝。結核のせいではなく、肝硬変による食道静脈瘤破裂。四十五歳と四ヵ月。この日、香港は朝から雨だった。
本書は一九八七年四月、講談社文庫として発行されたものを底本としました。