TITLE : 檸檬・城のある町にて
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檸 檬
城のある町にて
雪 後
Kの昇天
冬の日
桜の樹の下には
冬の蠅
ある崖上の感情
闇の絵巻
交 尾
のんきな患者
瀬山の話
海
温 泉
檸 檬
えたいの知れない不《ふ》吉《きつ》な塊が私の心を始終おさえつけていた。焦《しよう》躁《そう》といおうか、嫌悪といおうか――酒を飲んだあとに宿《ふつか》酔《よい》があるように、酒を毎日飲んでいると宿酔に相当した時期がやって来る。それが来たのだ。これはちょっといけなかった。結果した肺《はい》尖《せん》カタルや神経衰弱がいけないのではない。また背を焼くような借金などがいけないのではない。いけないのはその不吉な塊だ。以前私を喜ばせたどんな美しい音楽も、どんな美しい詩の一節も辛抱がならなくなった。蓄音器を聴かせてもらいにわざわざ出かけて行っても、最初の二、三小節で不意に立ち上がってしまいたくなる。何かが私をいたたまらずさせるのだ。それで始終私は街から街を浮浪しつづけていた。
なぜだかそのころ私は見すぼらしくて美しいものに強くひきつけられたのを覚えている。風景にしても壊れかかった街だとか、その街にしてもよそよそしい表通りよりもどこか親しみのある、汚い洗濯物が干してあったりがらくたが転がしてあったりむさくるしい部屋がのぞいていたりする裏通りが好きであった。雨や風がむしばんでやがて土に帰ってしまう、といったような趣きのある街で、土《ど》塀《べい》が崩れていたり家並みが傾きかかっていたり――勢いのいいのは植物だけで、時とするとびっくりさせるような向日葵《ひまわり》があったりカンナが咲いていたりする。
ときどき私はそんな路を歩きながら、ふと、そこが京都ではなくて京都から何百里も離れた仙台とか長崎とか――そのような市へ今自分が来ているのだ――という錯覚を起こそうと努める。私は、できることなら京都から逃げ出して誰一人知らないような市へ行ってしまいたかった。第一に安静。がらんとした旅館の一室。清浄な蒲《ふ》団《とん》。匂《にお》いのいい蚊《か》帳《や》と糊《のり》のよくきいた浴衣《ゆかた》。そこで一月ほど何も思わず横になりたい。ねがわくはここがいつの間にかその市になっているのだったら。――錯覚がようやく成功しはじめると私はそれからそれへと想像の絵具を塗りつけてゆく。なんのことはない、私の錯覚と壊れかかった街との二重写しである。そして私はその中に現実の私自身を見失うのを楽しんだ。
私はまたあの花火というやつが好きになった。花火そのものは第二段として、あの安っぽい絵具で赤や青や、さまざまの縞《しま》模《も》様《よう》を持った花火の束、中山寺の星下り、花合戦、枯れすすき。それから鼠《ねずみ》花《はな》火《び》というのは一つずつ輪になっていて箱に詰めてある。そんなものが変に私の心をそそった。
それからまた、びいどろという色ガラスで鯛《たい》や花を打ち出してあるおはじきが好きになったし、南《なん》京《きん》玉《だま》が好きになった。またそれをなめてみるのが私にとってなんともいえない享楽だったのだ。あのびいどろの味ほど幽《かす》かな涼しい味があるものか。私は幼い時よくそれを口に入れては父母に叱《しか》られたものだが、その幼時のあまい記憶が大きくなっておちぶれた私によみがえってくるせいだろうか、全くあの味には幽《かす》かなさわやかななんとなく詩美といったような味覚が漂ってくる。
察しはつくだろうが私にはまるで金がなかった。とはいえそんなものを見て少しでも心の動きかけた時の私自身を慰めるためには贅《ぜい》沢《たく》ということが必要であった。二銭や三銭のもの――といって贅沢なもの。美しいもの――といって無気力な私の触角にむしろ媚《こ》びてくるもの。――そういったものが自然私を慰めるのだ。
生活がまだむしばまれていなかった以前私の好きであった所は、たとえば丸善であった。赤や黄のオードコロンやオードキニン。しゃれた切子細工や典雅なロココ趣味の浮模様を持った琥《こ》珀《はく》色《いろ》や翡《ひ》翠《すい》色《いろ》の香《こう》水《すい》壜《びん》。煙管、小刀、石鹸《せつけん》、煙草《たばこ》。私はそんなものを見るのに小一時間も費すことがあった。そして結局一等いい鉛筆を一本買うくらいの贅沢をするのだった。しかしここももうそのころの私にとっては重くるしい場所にすぎなかった。書籍、学生、勘定台、これらはみな借金取りの亡霊のように私には見えるのだった。
ある朝――そのころ私は甲の友達から乙の友達へというふうに友達の下宿を転々として暮らしていたのだが――友達が学校へ出てしまったあとの空虚な空気のなかにぽつねんと一人取り残された。私はまたそこからさまよい出なければならなかった。何かが私を追いたてる。そして街から街へ、先に言ったような裏通りを歩いたり、駄菓子屋の前で立ちどまったり、乾物屋の乾《ほし》蝦《えび》や棒《ぼう》鱈《だら》や湯《ゆ》葉《ば》をながめたり、とうとう私は二《に》条《じよう》の方へ寺《てら》町《まち》を下り、そこの果物屋で足をとめた。ここでちょっとその果物屋を紹介したいのだが、その果物屋は私の知っていた範囲で最も好きな店であった。そこはけっして立派な店ではなかったのだが、果物屋固有の美しさが最も露骨に感ぜられた。果物はかなり勾《こう》配《ばい》の急な台の上に並べてあって、その台というのも古びた黒い漆《うるし》塗《ぬ》りの板だったように思える。何か華やかな美しい音楽の快速調《アツレグロ》の流れが、見る人を石に化したというゴルゴンの鬼面――的なものを差しつけられて、あんな色彩やあんなヴォリウムに凝り固まったというふうに果物は並んでいる。青物はやはり奥へゆけばゆくほどうず高く積まれている。――実際あそこの人《にん》参《じん》葉《ば》の美しさなどはすばらしかった。それから水に漬《つ》けてある豆だとか慈姑《くわい》だとか。
またそこの家の美しいのは夜だった。寺町通りはいったいににぎやかな通りで――といって感じは東京や大阪よりはずっと澄んでいるが――飾り窓の光がおびただしく街路へ流れ出ている。それがどうしたわけかその店頭の周囲だけが妙に暗いのだ。もともと片方は暗い二条通りに接している街角になっているので、暗いのは当然であったが、その隣家が寺町通りにある家にもかかわらず暗かったのがはっきりしない。しかしその家が暗くなかったら、あんなにも私を誘惑するには至らなかったと思う。もう一つはその家の打ち出した廂《ひさし》なのだが、その廂が眼《ま》深《ぶか》に冠った帽子の廂のように――これは形容というよりも、「おや、あそこの店は帽子の廂をやけに下げているぞ」と思わせるほどなので、廂の上はこれも真暗なのだ。そう周囲が真暗なため、店頭につけられた幾つもの電燈が驟《しゆう》雨《う》のように浴びせかける絢《けん》爛《らん》は、周囲の何者にも奪われることなく、ほしいままにも美しいながめが照らし出されているのだ。裸の電燈が細長い螺《ら》旋《せん》棒《ぼう》をきりきり眼の中へ刺し込んで来る往来に立って、また近所にある鎰《かぎ》屋《や》の二階のガラス窓をすかしてながめたこの果物店のながめほど、そのときどきの私を興がらせたものは寺町の中でもまれだった。
その日私はいつになくその店で買物をした。というのはその店には珍しい檸《レ》檬《モン》が出ていたのだ。檸檬などごくありふれている。がその店というのも見すぼらしくはないまでもただあたりまえの八百屋にすぎなかったので、それまであまり見かけたことはなかった。いったい私はあの檸檬が好きだ。レモンエロウの絵具をチューブから搾り出して固めたようなあの単純な色も、それからあの丈《たけ》の詰まった紡錘形の恰《かつ》好《こう》も。――結局私はそれを一つだけ買うことにした。それからの私はどこへどう歩いたのだろう。私は長い間街を歩いていた。始終私の心をおさえつけていた不吉な塊がそれを握った瞬間からいくらかゆるんできたとみえて、私は街の上で非常に幸福であった。あんなにしつこかった憂《ゆう》鬱《うつ》が、そんなものの一《いつ》顆《か》で紛らされる――あるいは不審なことが、逆説的なほんとうであった。それにしても心というやつはなんという不思議なやつだろう。
その檸檬の冷たさはたとえようもなくよかった。そのころ私は肺《はい》尖《せん》を悪くしていていつも身体に熱が出た。事実友達の誰彼に私の熱を見せびらかすために手の握り合いなどをしてみるのだが、私の掌が誰のよりも熱かった。その熱いせいだったのだろう、握っている掌から身内に浸み透ってゆくようなその冷たさは快いものだった。
私は何度も何度もその果実を鼻に持っていってはかいでみた。それの産地だというカリフォルニヤが想像に上ってくる。漢文で習った「売《ばい》柑《かん》者《しや》之《の》言《げん》」の中に書いてあった「鼻を撲《う》つ」という言葉がきれぎれに浮かんでくる。そしてふかぶかと胸いっぱいに匂やかな空気を吸い込めば、ついぞ胸いっぱいに呼吸したことのなかった私の身体や顔には温い血のほとぼりが昇ってきてなんだか身内に元気が目覚めてきたのだった。……
実際あんな単純な冷覚や触覚や嗅覚や視覚が、ずっと昔からこればかり探していたのだと言いたくなったほど私にしっくりしたなんて私は不思議に思える――それがあのころのことなんだから。
私はもう往来を軽やかな昂《こう》奮《ふん》に弾んで、一種誇らかな気持さえ感じながら、美的装束をして街を闊《かつ》歩《ぽ》した詩人のことなど思い浮かべては歩いていた。汚れた手拭の上へ載せてみたりマントの上へあてがってみたりして色の反映を量ったり、またこんなことを思ったり、
――つまりはこの重さなんだな。――
その重さこそつねづね尋ねあぐんでいたもので、疑いもなくこの重さはすべての善いものすべての美しいものを重量に換算してきた重さであるとか、思いあがった諧《かい》謔《ぎやく》心《しん》からそんなばかげたことを考えてみたり――なにがさて私は幸福だったのだ。
どこをどう歩いたのだろう、私が最後に立ったのは丸善の前だった。平常あんなに避けていた丸善がその時の私にはやすやすと入れるように思えた。
「今日はひとつ入ってみてやろう」そして私はずかずか入って行った。
しかしどうしたことだろう、私の心を充たしていた幸福な感情はだんだん逃げて行った。香水の壜《びん》にも煙管にも私の心はのしかかってはゆかなかった。憂《ゆう》鬱《うつ》が立てこめてくる、私は歩き廻った疲労が出てきたのだと思った。私は画本の棚の前へ行ってみた。画集の重たいのを取り出すのさえ常に増して力がいるな! と思った。しかし私は一冊ずつ抜き出してはみる、そして開けてはみるのだが、克明にはぐってゆく気持はさらに湧《わ》いてこない。しかも呪《のろ》われたことにはまた次の一冊を引き出してくる。それも同じことだ。それでいて一度バラバラとやってみなくては気が済まないのだ。それ以上はたまらなくなってそこへ置いてしまう。以前の位置へ戻すことさえできない。私は幾度もそれを繰り返した。とうとうおしまいには日ごろから大好きだったアングルの橙《だいだい》色《いろ》の重い本までなおいっそう堪え難さのために置いてしまった。――なんという呪《のろ》われたことだ。手の筋肉に疲労が残っている。私は憂《ゆう》鬱《うつ》になってしまって、自分が抜いたまま積み重ねた本の群をながめていた。
以前にはあんなに私をひきつけた画本がどうしたことだろう。一枚一枚に眼をさらし終わって後、さてあまりに尋常な周囲を見廻すときのあの変にそぐわない気持を、私は以前には好んで味わっていたものであった。……
「あ、そうだそうだ」その時私は袂《たもと》の中の檸《レ》檬《モン》を憶い出した。本の色彩をゴチャゴチャに積みあげて、一度この檸檬で試してみたら。「そうだ」
私にまた先ほどの軽やかな昂《こう》奮《ふん》が帰って来た。私は手当たり次第に積みあげ、また慌《あわただ》しく潰《つぶ》し、また慌しく築きあげた。新しく引き抜いてつけ加えたり、取り去ったりした。奇怪な幻想的な城が、そのたびに赤くなったり青くなったりした。
やっとそれはできあがった。そして軽く跳《おど》りあがる心を制しながら、その城壁の頂きに恐る恐る檸檬を据えつけた。そしてそれは上できだった。
見わたすと、その檸檬の色彩はガチャガチャした色の諧調をひっそりと紡錘形の身体の中へ吸収してしまって、カーンとさえかえっていた。私はほこりっぽい丸善の中の空気が、その檸檬の周囲だけ変に緊張しているような気がした。私はしばらくそれをながめていた。――
不意に第二のアイディアが起こった。その奇妙なたくらみはむしろ私をぎょっとさせた。
――それをそのままにしておいて私は、なにくわぬ顔をして外へ出る。――
私は変にくすぐったい気持がした。「出て行こうかなあ。そうだ出て行こう」そして私はすたすた出て行った。
変にくすぐったい気持が街の上の私をほほえませた。丸善の棚へ黄金色に輝く恐ろしい爆弾をしかけてきた奇妙な悪漢が私で、もう十分後にはあの丸善が美術の棚を中心として大爆発をするのだったらどんなにおもしろいだろう。
私はこの想像を熱心に追求した。「そうしたらあの気詰まりな丸善もこっぱみじんだろう」
そして私は活動写真の看板画が奇体な趣きで街を彩《いろど》っている京極を下って行った。
(一九二四年十月)
城のある町にて
ある午後
「高いとこのながめは、アアッ(と咳《せき》をして)また格段でごわすな」
片手に洋傘《こうもり》、片手に扇子と日本手拭を持っている。頭がきれいに禿《は》げていて、カンカン帽子を冠っているのが、まるで栓《せん》をはめたように見える。――そんな老人が朗らかにそう言い捨てたまま峻《たかし》の脇を歩いて行った。言っておいてこちらを振り向くでもなく、眼はやはり遠い眺《ちよう》望《ぼう》へ向けたままで、さもやれやれといったふうに石垣のはなのベンチへ腰をかけた。――
町をはずれてまだ二里ほどの間は平坦な緑。I湾の濃い藍《あい》が、それのかなたに拡がっている。裾《すそ》のぼやけた、そして全体もあまりかっきりしない入道雲が水平線の上に静かにわだかまっている。――
「ああ、そうですな」少しまごつきながらそう答えた時の自分の声の後味がまだ喉《のど》や耳のあたりに残っているような気がされて、その時の自分と今の自分とが変にそぐわなかった。なんのこだわりもしらないようなその老人に対する好意が頬《ほお》に刻まれたまま、峻はまた先ほどの静かな展望のなかへ吸い込まれていった。――風がすこし吹いて、午後であった。
一つには、かわいい盛りで死なせた妹のことを落ちついて考えてみたいという若者めいた感慨から、峻はまだ五七日を出ないころの家を出てこの地の姉の家へやって来た。
ぼんやりしていて、それがよその子の泣き声だと気がつくまで、死んだ妹の声の気持がしていた。
「誰だ。暑いのに泣かせたりなんぞして」
そんなことまで思っている。
彼女がこと切れた時よりも、火葬場での時よりも、変わった土地へ来てするこんな経験の方に「失った」という思いは強く刻まれた。
「たくさんの虫が、一匹の死にかけている虫の周囲に集まって、悲しんだり泣いたりしている」と友人に書いたような、彼女の死の前後の苦しい経験がやっと薄い面紗《ヴエイル》のあちらに感ぜられるようになったのもこの土地へ来てからであった。そしてその思いにも落ちつき、新しい周囲にも心がなじんでくるにしたがって、峻には珍しく静かな心持がやって来るようになった。いつも都会に住み慣れ、ことに最近は心の休む隙《ひま》もなかった後で、彼はなおさらこの静けさの中でうやうやしくなった。道を歩くのにもできるだけ疲れないように心掛ける。棘《とげ》一つ立てないようにしよう。指一本詰めないようにしよう。ほんの些《さ》細《さい》なことがその日の幸福を左右する。――迷信に近いほどそんなことが思われた。そして旱《ひでり》の多かった夏にも雨が一度来、二度来、それがあがるたびごとに稍《や》々《や》秋めいたものが肌に触れるように気候もなってきた。
そうした心の静けさとかすかな秋の先駆は、彼を部屋の中の書物や妄《もう》想《そう》にひきとめてはおかなかった。草や虫や雲や風景を眼の前へ据えて、ひそかにおさえてきた心を燃えさせる、――ただそのことだけがしがいのあることのように峻には思えた。
「家の近所にお城跡がありまして峻の散歩にはちょうど良いと思います」姉が彼の母のもとへよこした手紙にこんなことが書いてあった。着いた翌日の夜、義兄と姉とその娘と四人ではじめてこの城跡へ登った。旱《ひでり》のためうんかがたくさん田にわいたのを除虫燈で殺している。それがもうあと二、三日だからというので、それを見にあがったのだった。平野は見渡す限り除虫燈の海だった。遠くになると星のようにまたたいている。山の峡《はざ》間《ま》がぼうと照らされて、そこから大河のように流れ出ている所もあった。彼はその異常な光景に昂《こう》奮《ふん》して涙ぐんだ。風のない夜で涼みかたがた見物に来る町の人びとで城跡はにぎわっていた。闇《やみ》のなかから白粉《おしろい》を厚く塗った町の娘たちがはしゃいだ眼を光らせた。――
今、空は悲しいまで晴れていた。そしてその下に町は甍《いらか》を並べていた。
白《はく》堊《あ》の小学校。土蔵作りの銀行。寺の屋根。そしてそこここ、西洋菓子の間に詰めてあるカンナ屑《くず》めいて、緑色の植物が家々の間から萌《も》え出ている。ある家の裏には芭《ば》蕉《しよう》の葉が垂れている。糸杉の巻きあがった葉も見える。重ね綿のような恰《かつ》好《こう》に刈られた松も見える。みな黝《くろず》んだ下葉と新しい若葉で、いいふうな緑色の容積を造っている。
遠くに赤いポストが見える。
乳母車なんとかと白くペンキで書いた屋根が見える。
日をうけて赤い切地を張った張物板が、小さく屋《や》根《ね》瓦《がわら》の間に見える。――
夜になると火のついた大通りを、自転車でやって来た村の青年たちが、大勢連れで遊《ゆう》廓《かく》の方へ乗ってゆく。店の若い衆なども浴衣がけで、昼見る時とはまるで異ったふうに身体をくねらせながら、白粉《おしろい》を塗った女をからかってゆく。――そうした町も今は屋根瓦の間へはさまれてしまって、そのあたりに幟《のぼり》をたくさん立てて芝居小屋がそれと察しられるばかりである。
西日をよけて、一階も二階も三階も、西の窓をすっかり日《ひ》覆《おい》をした旅館が稍《や》々《や》近くに見えた。どこからか材木をたたく音が――もともと高くもない音らしかったが、町の空へ「カーン、カーン」と反響した。
次々と止まるひまなしにつくつく法師が鳴いた。「文法の語尾の変化をやっているようだな」ふとそんなに思ってみて、聞いていると不思議に興が乗ってきた。「チュクチュクチュク」と始めて「オーシ、チュクチュク」を繰り返す、そのうちにそれが「チュクチュク、オーシ」となったり「オーシ、チュクチュク」にもどったりして、しまいに「スットコチーヨ」「スットコチーヨ」になって「ジー」と鳴きやんでしまう。中途に横から「チュクチュク」と始めるのが出てくる。するとまた一つのは「スットコチーヨ」を終わって「ジー」に移りかけている。三重、四重、五重にも六重にも重なって鳴いている。
峻はこの間、やはりこの城跡のなかにある社《やしろ》の桜の木で法《ほう》師《し》蝉《ぜみ》が鳴くのを、一尺ほどの間近で見た。きゃしゃな骨に石鹸《シヤボン》玉《だま》のような薄い羽根を張った、身体の小さい昆《こん》虫《ちゆう》に、よくあんな高い音が出せるものだと、驚きながら見ていた。その高い音と関係があるといえば、ただその腹からしっぽへかけての伸縮であった。柔《にこ》毛《げ》の密生している、節を持った、その部分は、まるでエンジンのある部分のような正確さで動いていた。――その時の恰《かつ》好《こう》が思い出せた。腹からしっぽへかけてのプリッとしたふくらみ。すみずみまで力ではち切ったような伸び縮み。――そしてふと蝉《せみ》一匹の生物が無上にもったいないものだという気持に打たれた。
ときどき、先ほどの老人のようにやって来ては涼をいれ、景色をながめてはまた立ってゆく人があった。
峻がここへ来る時によく見る、亭《ちん》の中で昼寝をしたり海をながめたりする人がまた来ていて、今日は子守娘と親しそうに話している。
蝉《せみ》取《とり》竿《ざお》を持った子供があちこちする。虫《むし》籠《かご》を持たされた児は、ときどき立ちどまっては籠の中を見、また竿の方を見ては小走りについてゆく。物を言わないでいて変に芝居のようなおもしろさが感じられる。
またあちらでは女の子たちが米つきばったを捕えては、「ねぎさん米つけ、何とか何とか」と言いながら米をつかせている。ねぎさんというのはこの土地の言葉で神主のことをいうのである。峻は善良な長い顔の先に短い二本の触角を持った、そう思えばいかにも神主めいたばったが、女の子に後脚を持たれて身動きのならないままに米をつくその恰好がのんきなものに思い浮かんだ。
女の子が追いかける草のなかを、ばったは二本の脚を伸ばし、日の光を羽根いっぱいに負いながら、何匹も飛び出した。
ときどき烟《けむり》を吐く煙突があって、田野はそのあたりからひらけていた。レンブラントの素描めいた風景が散らばっている。
黝《くろ》い木立。百姓家。街道。そして青田のなかに褪《たい》赭《しや》の煉《れん》瓦《が》の煙突。
小さい軽便が海の方からやって来る。
海からあがって来た風は軽便の煙を陸の方へ、その走る方へ吹きなびける。
見ていると煙のようではなくて、煙の形を逆に固定したまま玩具の汽車が走っているようである。
ササササと日がかげる。風景の顔色が見る見る変わってゆく。
遠く海岸に沿って斜に入り込んだ入江が見えた。――峻はこの城跡へ登るたび、幾度となくその入江を見るのが癖になっていた。
海岸にしては大きい立木がところどころ繁っている。その蔭《かげ》にちょっぴり人家の屋根がのぞいている。そして入江には舟が舫《もや》っている気持。
それはただそれだけのながめであった。どこを取り立てて特別心をひくようなところはなかった。それでいて変に心がひかれた。
なにかある。ほんとうになにかがそこにある。といってその気持を口に出せば、もうそらぞらしいものになってしまう。
たとえばそれをゆえのない淡い憧憬《あこがれ》といったふうの気持、と名づけてみようか。誰かが「そうじゃないか」と尋ねてくれたとすれば彼はその名づけ方に賛成したかもしれない。しかし自分では「まだなにか」という気持がする。
人種の異ったような人びとが住んでいて、この世と離れた生活を営んでいる。――そんなような所にも思える。とはいえそれはあまりお伽《とぎ》話《ばなし》めかした、ぴったりしないところがある。
なにか外国の画で、あそこに似た所が描いてあったのが思い出せないためではないかとも思ってみる。それにはコンステイブルの画を一枚思い出してみる。やはりそれでもない。
ではいったい何だろうか。このパノラマ風のながめは何に限らず一種の美しさを添えるものである。しかし入江のながめはそれに過ぎていた。そこに限って気韻が生動している。そんなふうに思えた。――
空が秋らしく青空に澄む日には、海はその青より稍《や》々《や》温い深青に映った。白い雲がある時は海も白く光って見えた。今日は先ほどの入道雲が水平線の上へ拡がってザボンの内皮の色がして、海も入江の間近までその色に映っていた。今日も入江はいつものように謎《なぞ》をかくして静まっていた。
見ていると、獣のようにこの城のはなから悲しいうなり声を出してみたいような気になるのも同じであった。息苦しいほど妙なものに思えた。
夢で不思議な所へ行っていて、ここは来た覚えがあると思っている。――ちょうどそれに似た気持で、えたいの知れない想い出がわいてくる。
「ああかかる日のかかるひととき」
「ああかかる日のかかるひととき」
いつ用意したとも知れないそんな言葉が、ひらひらとひらめいた。――
「ハリケンハッチのオートバイ」
「ハリケンハッチのオートバイ」
先ほどの女の子らしい声が峻の足の下で次々に高く響いた。丸の内の街道を通ってゆくらしい自動自転車の爆音がきこえていた。
この町のある医者がそれに乗って帰って来る時刻であった。その爆音を聞くと峻の家の近所にいる女の子はわれがちに「ハリケンハッチのオートバイ」と叫ぶ。「オートバ」と言っている児もある。
三階の旅館は日覆をいつの間にかはずした。
遠い物干台の赤い張物板はもう見つからなくなった。
町の屋根からは煙。遠い山からは蜩《ひぐらし》。
手品と花火
これはまた別の日。
夕飯と風呂を済ませて峻は城へ登った。
薄暮の空に、ときどき、数里離れた市で花火をあげるのが見えた。気がつくと綿で包んだような音がかすかにしている。それが遠いので間の抜けた時に鳴った。いいものを見る、と彼は思っていた。
ところへ十七ほどを頭《かしら》に三人連れの男の児が来た。これも食後の涼みらしかった。峻に気を兼ねてか静かに話をしている。
口で教えるのにも気がひけたので、彼はわざと花火のあがる方を熱心なふりをして見ていた。
末遠いパノラマのなかで、花火は星《ほし》水母《くらげ》ほどのさやけさに光っては消えた。海は暮れかけていたが、その方はまだ明るみが残っていた。
しばらくすると少年たちもそれに気がついた。彼は心の中で喜んだ。
「四十九」
「ああ四十九」
そんなことを言いあいながら、一度あがって次あがるまでの時間を数えている。彼はそれらの会話を聞くともなしに聞いていた。
「××ちゃん、花は」
「フロラ」一番年のいったのがそんなに答えている。――
城でのそれを憶《おも》い出しながら、彼は家へ帰って来た。家の近くまで来ると、隣家の人が峻の顔を見た。そしてあわてたように、
「帰っておいでなしたぞな」と家へ言い入れた。
奇術が何とか座にかかっているのを見にゆこうかと言っていたのを、峻がぽっと出てしまったので騒いでいたのである。
「あ。どうも」と言うと、義兄《あに》は笑いながら、
「はっきり言うとかんのがいかんのやさ」と姉に背負わせた。姉も笑いながら衣服を出しかけた。彼が城へ行っている間に姉も信子(義兄の妹)もこってり化粧をしていた。
姉が義兄に、
「あんた、扇子は?」
「衣嚢《かくし》にあるけど……」
「そうやな。あれも汚れてますで……」
姉が合点合点などしてゆっくり捜しかけるのを、じゅうじゅうと音をさせて煙草を喫《の》んでいた義兄は、
「扇子なんかとうでもええわな。早う仕《し》度《たく》しやんし」と言って煙管《きせる》の詰まったのを気にしていた。
奥の間で信子の仕度を手伝ってやっていた義母《はは》が、
「さあ、こんなはどうやな」と言って団扇《うちわ》を二、三本寄せて持って来た。砂糖屋などが配って行った団扇である。
姉が種々と衣服を着こなしているのを見ながら、彼は信子がどんな心持で、またどんなふうで着附をしているだろうなど、奥の間のけはいに心をやったりした。
やがて仕度ができたので峻はさきへ下りて下駄をはいた。
「勝子(姉夫婦の娘)がそこらにいますで、よぼってやっとくなさい」と義母が言った。
袖《そで》の長い衣服を着て、近所の子らのなかにまじっている勝子は、呼ばれたまま、まだなにか言いあっている。
「『カ』ちうとこへ行くの」
「かつどうや」
「活動や、活動やあ」と二、三人の女の子がはやした。
「ううん」と勝子は首をふって
「『ヨ』ちっとこへ行くの」とまたやっている。
「ようちえん?」
「いやらし、幼稚園、晩にはあれへんわ」
義兄が出て来た。
「早うおいでな、放っといてゆくぞな」
姉と信子が出て来た。白粉《おしろい》を濃くはいた顔が夕《ゆう》闇《やみ》に浮かんで見えた。さっきの団扇《うちわ》を一つずつ持っている。
「お待ち遠さま。勝子は。勝子、扇持ってるか」
勝子は小さい扇をちらと見せて姉にまといつきかけた。
「そんならお母さん、行って来ますで……」
姉がそう言うと、
「勝子、帰ろ帰ろ言わんのやんな」と義母は勝子に言った。
「言わんのやんな」勝子は返事のかわりに口まねをして峻の手のなかへはいって来た。そして峻は手をひいて歩き出した。
往来に涼み台を出している近所の人びとが、通りすがりに、今晩は、今晩は、と声をかけた。
「勝ちゃんここ何てとこ?」彼はそんなことをきいてみた。
「しょうせんかく」
「朝鮮閣?」
「ううん、しょうせんかく」
「朝鮮閣?」
「しょう―せん―かく」
「朝―鮮―閣?」
「うん」と言って彼の手をぴしゃとたたいた。
しばらくして勝子から、
「しょうせんかく」と言い出した。
「朝鮮閣」
もどかしいのはこっちだ。といったふうに寸分違わないように似せてゆく。それが遊戯になってしまった。しまいには彼が「松仙閣」といっているのに、勝子の方では知らずに「朝鮮閣」と言っている。信子がそれに気がついて笑い出した。笑われると勝子は冠を曲げてしまった。
「勝子」今度は義兄の番だ。
「ちがいますともわらびます」
「ううん」鼻ごえをして、勝子は義兄を打つまねをした。義兄は知らん顔で、
「ちがいますともわらびます。あれ何やったな。勝子。一遍峻さんに聞かしたげなさい」
泣きそうに鼻をならし出したので信子が手をひいてやりながら歩き出した。
「これ……それから何というつもりやったんや?」
「これ、蕨《わらび》とは違いますって言うつもりやったんやなあ」信子がそんなに言ってかばってやった。
「いったいどこの人にそんなことを言うたんやな?」今度は半分信子にきいていた。
「吉峰さんのおじさんにやなあ」信子は笑いながら勝子の顔をのぞいた。
「まだあったぞ。もう一つどえらいのがあったぞ」義兄がおどかすようにそう言うと、姉も信子も笑い出した。勝子は本式に泣きかけた。
城の石垣に大きな電燈がついていて、後ろの木々に皎《こう》々《こう》と照っている。その前の木々は反対に黒々とした蔭《かげ》になっている。その方で蝉《せみ》がジッジジッジと鳴いた。
彼は一人後ろになって歩いていた。
彼がこの土地へ来てから、こうしていっしょに出歩くのは今夜がはじめてであった。若い女たちと出歩く。そのことも彼の経験では、きわめてまれであった。彼はなんとなしに幸福であった。
少しわがままなところのある彼の姉と触れ合っている態度に、少しも無理がなく、――それを器用にやっているのではなく、生《き》地《じ》からの平和な生まれつきでやっている。信子はそんな娘であった。
義母などの信心から、天理教様に拝んでもらえと言われると、すなおに拝んでもらっている。それは指の傷だったが、そのため評判の琴も弾かないでいた。
学校の植物の標本を造っている。用事に町へ行ったついでなどに、雑草をたくさん風呂敷へ入れて帰って来る。勝子が欲しがるので勝子にもわけてやったりなどして、ひとりせっせとおしをかけている。
勝子が彼女の写《しや》真《しん》帖《ちよう》を引き出して来て、彼のところへ持って来た。それをきまり悪そうにもしないで、彼のきくことを穏やかにはきはきと受け答えする。――信子はそんな好もしいところを持っていた。
今彼の前を、勝子の手をひいて歩いている信子は、家の中で肩縫揚げのしてある衣服を着て、足をにょきにょき出している彼女とまるで違っておとなに見えた。その隣に姉が歩いている。彼は姉が以前より少しやせて、いくらかでも歩き振りがよくなったと思った。
「さあ。あんた。先へ歩いて……」
姉が突然後ろを向いて彼に言った。
「どうして」今までの気持できかなくともわかっていたがわざと彼はとぼけて見せた。そして自分から笑ってしまった。こんな笑い方をしたからにはもう後ろから歩いてゆくわけにはゆかなくなった。
「早う。気持が悪いわ。なあ。信ちゃん」
「…………」笑いながら信子もうなずいた。
芝居小屋のなかは思ったように蒸し暑かった。
水番というのか、銀杏《いちよう》返《がえ》しに結った、年の老《ふ》けた婦《おんな》が、座《ざ》蒲《ぶ》団《とん》を数だけ持って、先に立ってばたばた敷いてしまった。平《ひら》場《ば》の一番後ろで、峻が左の端、中へ姉が来て、信子が右の端、後ろへ兄がすわった。ちょうど、幕《まく》間《あい》で、階下は七分通り詰まっていた。
先刻の婦が煙草盆を持って来た。火が埋《うず》んであって、暑いのに気が利かなかった。立ち去らずにぐずぐずしている。何と言ったらいいか、この手の婦特有なずるい顔附で、眼をきょろきょろさせている。眼《め》顔《がお》で火鉢を指したり、そらしたり、兄の顔を盗み見たりする。こちらが見てよくわかっているのにと思い、財布の銀貨を袂《たもと》の中で出し悩みながら、彼はそのぶしつけに腹が立った。
義兄は落ちついてしまって、まるで無感覚でいる。
「へ、お火鉢」婦はこんなことをそわそわ言ってのけて、忙しそうにもみ手をしながらまた眼をそらす。やっと銀貨が出て婦は帰って行った。
やがて幕があがった。
日本人のようでない皮膚の色が少し黒みがかった男が不熱心に道具を運んで来て、ときどきじろじろと観客の方を見た。ぞんざいで、おもしろく思えなかった。それが済むと怪しげな名前のインド人が不作法なフロックコートを着て出て来た。何かわからない言葉でしゃべった。唾《つば》をとばしている様子で、褪《さ》めた唇の両端に白く唾がたまっていた。
「なんて言ったの」姉がこんなにきいた。すると隣のよそのひとも彼の顔を見た。彼は閉口してしまった。
インド人は席へ下りて立会人を物色している。一人の男が腕をつかまれたまま、危うげな羞《はじ》笑《わらい》をしていた。その男はとうとう舞台へ連れてゆかれた。
髪の毛を前へおろして、糊《のり》の寝た浴衣《ゆかた》を着、暑いのに黒《くろ》足袋《たび》をはいていた。にこにこして立っているのを、先ほどの男が椅《い》子《す》を持って来てすわらせた。
インド人はひどいやつであった。
握手をしようと言って男の前へ手を出す。男はためらっていたが思い切って手を出した。するとインド人は自分の手を引き込めて、観客の方を向き、その男の手振りを醜くまねて見せ、首根っ子を縮めて嘲《あざ》笑《わら》って見せた。毒々しいものだった。男はインド人の方を見、自分の元いた席の方を見て、危なげに笑っている。なにかわけのありそうな笑い方だった。子供か女房かがいるのじゃないか。たまらない、と峻は思った。
握手が失敬になり、インド人の悪ふざけはますます性がわるくなった。見物はそのたびに笑った。そして手品がはじまった。
紐《ひも》があったのは、切ってもつながっているという手品。金属の瓶《びん》があったのは、いくらでも水が出るという手品。――ごくつまらない手品で、ガラスの卓子《テーブル》の上のものは減っていった。まだ林《りん》檎《ご》が残っていた。これは林檎を食って、食った林檎の切《きれ》が今度は火を吹いて口から出て来るというので、ためしに例の男が食わされた。皮ごと食ったというので、これも笑われた。
峻はその箸《はし》にも棒にもかからないような笑い方をインド人がするたびに、なぜあの男はなんとかしないのだろうと思っていた。そして彼自身かなり不愉快になっていた。
そのうちにふと、先ほどの花火が思い出されてきた。
「先ほどの花火はまだあがっているだろうか」そんなことを思った。
薄明りの平野のなかへ、星《ほし》水母《くらげ》ほどに光っては消える遠い市の花火。海と雲と平野のパノラマがいかにも美しいものに思えた。
「花は」
「Flora」
たしかに「Flower」とは言わなかった。
その子供といい、そのパノラマといい、どんな手品師もかなわないような立派な手品だったような気がした。
そんなことが彼の不愉快をだんだんと洗っていった。いつもの癖で、不愉快な場面を非人情に見る、――そうすると反対におもしろく見えてくる――その気持がものになりかけてきた。
下等な道化にひとりで腹を立てていた先ほどの自分が、ちょっと滑《こつ》稽《けい》だったと彼は思った。
舞台の上ではインド人が、看板画そっくりの雰囲気のなかで、口から盛んに火を吹いていた。それには怪しげな美しささえ見えた。
やっと済むと幕が下りた。
「ああおもしろかった」ちょっと嘘のような、とってつけたように勝子が言った。言い方がおもしろかったので皆笑った。
美人の宙釣り。
力《ちから》業《わざ》。
オペレット。浅草気分。
美人胴切り。
そんなプログラムで、おそく家へ帰った。
病気
姉が病気になった。脾《ひ》腹《ばら》が痛む、そして高い熱が出る。峻は腸チブスではないかと思った。枕《まくら》もとで兄が、
「医者さんを呼びにやろうかな」と言っている。
「まあよろしいわな。かい虫かもしれませんで」そして峻にともつかず義兄にともつかず、
「昨日あないに暑かったのに、歩いて帰って来る道で汗がちっとも出なんだの」と弱々しく言っている。
その前の日の午後、少し浮かぬ顔で遠くから帰って来るのが見え、勝子と二人で窓からふざけながらはやし立てた。
「勝子、あれどこの人?」
「あら。お母さんや。お母さんや」
「嘘《うそ》いえ。よそのおばさんだよ。見ておいで、家へはいらないから」
その時の顔を峻は思い出した。少し変だったことは少し変だった。家のなかばかりで見慣れている家族を、ふと往来でよそ目に見る――そんな珍しい気持で見たゆえと峻は思っていたが、少し力がないようでもあった。
医者が来てやはりチブスの疑いがあると言って帰った。峻は階下で困った顔を兄とつき合わせた。兄の顔には苦しい微笑が凝《こ》っていた。
腎《じん》臓《ぞう》の故障だったことがわかった。舌の苔《こけ》がなんとかで、と言って明《めい》瞭《りよう》にチブスとも言いかねていた由を言って、医者も元気に帰って行った。
この家へ嫁いで来てから病気で寝たのはこれで二度目だと姉が言った。
「一度は北ムロで」
「あの時は弱ったな。近所に氷がありませいでなあ、夜中の二時ごろ、四里ほどの道を自転車で走って、たたき起こして買うたのはまあよかったやさ。風呂敷へ包んでサドルの後ろへゆわえつけて戻って来たら、擦《こす》れとりましてな、これだけほどになっとった」
兄はその手つきをして見せた。姉の熱のグラフにしても、二時間おきほどの正確なものを造ろうとする兄だけあって、その話には兄らしい味が出ていて峻も笑わされた。
「その時は?」
「かい虫をわかしとりましたんじゃ」
――一つには峻自身の不検束《ふしだら》な生活から、彼は一度肺を悪くしたことがあった。その時義兄は北ムロでその病気がなおるようにと神《かみ》詣《もう》でをしてくれた。病気が稍《や》々《や》よくなって、峻は一度その北ムロの家へ行ったことがあった。そこは山のなかの寒村で、村は百姓と木《き》樵《こり》で、養《よう》蚕《さん》などもしていた。冬になると家の近くの畑まで猪《いのしし》が芋を掘りに来たりする。芋は百姓の半分常食になっていた。その時はまだ勝子も小さかった。近所のお婆さんが来て、勝子の絵本を見ながら講釈しているのに、象のことを鼻巻き象、猿のことを山の若い衆とかやえんとか呼んでいた。苗《みよう》字《じ》のないという子がいるので聞いてみると木樵の子だからといって村の人は当然な顔をしている。小学校には生徒から名前の呼び棄てにされている、薫という村長の娘が教師をしていた。まだそれが十六、七の年ごろだった。――
北ムロはそんな所であった。峻は北ムロでの兄の話には興味が持てた。
北ムロにいた時、勝子が川へはまったことがある。その話が兄の口から出て来た。
――兄が心臓脚《かつ》気《け》で寝ていた時のことである。七十を越した、兄の祖母で、勝子の曾《そう》祖《そ》母《ぼ》にあたるお祖母《ばあ》さんが、勝子を連れて川へ茶《ちや》碗《わん》を漬《つ》けに行った。その川というのが急な川で、狭かったが底はかなり深かった。お祖母さんは、いつでも兄たちが捨てておけというのに、姉が留守だったりすると、勝子などを抱きたがった。その時も姉は外出していた。
はあ、出て行ったな。と寝床の中で思っていると、しばらくして変な声がしたので、あっと思ったまま、ひかれるように大病人が起きて出た。川はすぐ近くだった。見ると、お祖母さんが変な顔をして、「勝子が」と言ったのだが、そして一所懸命に言おうとしているのだが、そのあとが言えない。
「お祖母さん。勝子が何とした!」
「…………」手の先だけが激しくそれを言っている。
勝子が川を流れてゆくのが見えているのだ! 川はちょうど雨のあとで水かさが増していた。先に石の橋があって、水が板石とすれすれになっている。その先には川の曲がるところがあって、そこはいつも渦が巻いている所だ。川はそこを曲がって深い沼のような所へ入る。橋か曲がり角で頭を打ちつけるか、流れて行って沼へ沈みでもしようものなら助からないところだった。
兄はいきなり川へ跳び込んで、あとを追った。橋までに捕えるつもりだった。
病気の身だった。それでもやっと橋の手前で捕えることはできた。しかし流れがきつくて橋を力に上ろうと思ってもとうていだめだった。板石と水の隙《すき》間《ま》は、やっと勝子の頭ぐらいは通せるほどだったので、兄は勝子を差し上げながら水を潜り、下手でようやくあがれたのだった。勝子はぐったりとなっていた。逆にしても水を吐かない。兄は気が気でなくしきりに勝子の名を呼びながら、背中をたたいた。
勝子はけろりと気がついた。気がついたが早いか、立つとすぐ踊り出したりするのだ。兄はばかされたようでなんだか変だった。
「このべべ何としたんや」と言って濡《ぬ》れた衣服をひっぱってみても「知らん」と言っている。足が滑った拍子に気絶しておったので、全く溺《おぼ》れたのではなかったとみえる。
そして、なんとまあ、いつもの顔で踊っているのだ。――
兄の話のあらましはこんなものだった。ちょうど近所の百姓家が昼寝の時だったので、自分がその時起きてゆかなければどんなに危険だったかとも言った。
話している方も聞いている方もひき入れられて、兄が口をつぐむと、静かになった。
「わたしが帰って行ったらお祖母《ばあ》さんと三人で門で待ってはるの」姉がそんなことを言った。
「何やら家にいてられなんだわ。着物を着かえてお母ちゃんを待っとろと言うたりしてなあ」
「お祖母さんがぼけはったのはあれからでしたな」姉は声を少しひそませて意味のこもった眼を兄に向けた。
「それがあってからお祖母さんがちょっとぼけみたいになりましてなあ。いつまで経ってもこれに、(と言って姉を指し)よしやんに済まん、よしやんに済まんと言いましてなあ……」
「なんのお祖母さん、そんなことがあろうかさ、と言っているのに……」
それからのお祖母さんは目に見えてぼけていって一年ほど経ってから死んだ。
峻にはそのお祖母さんの運命がなにか惨酷な気がした。それが故郷ではなく、勝子のお守りでもする気で出かけて行った北ムロの山の中だっただけに、もう一つその感じは深かった。
峻が北ムロへ行ったのは、その事件の以前であった。お祖母さんは勝子の名前を、その当時もう女学校へあがっていたはずの信子の名と、よく呼び違えた。信子はその当時母などとこちらにいた。まだ信子を知らなかった峻には、お祖母さんが呼び違えるたびごとに、信子という名を持った、十四、五の娘が頭に親しく想像された。
勝子
峻は原っぱに面した窓によりかかって外をながめていた。
灰色の雲が空一帯をこめていた。それはずっと奥深くも見え、また地上低く垂れ下がっているようにも思えた。
あたりのものはみな光を失って静まっていた。ただ遠い病院の避雷針だけがどうしたはずみか白く光って見える。
原っぱのなかで子供が遊んでいた。見ていると勝子もまじっていた。男の子が一人いて、なにか荒い遊びをしているらしかった。
勝子が男の児に倒される。起きたところをまた倒された。今度はぎゅうぎゅう押えつけられている。
いったいなにをしているのだろう。なんだかひどいことをする。そう思って峻は目をとめた。
それが済むと今度は女の子連中が――それは三人だったが、改札口へ並ぶように男の児の前へ立った。変な切符切りがはじまった。女の子の差し出した手を、その男の児がやけに引っ張る。その女の子は地面へたたきつけられる。次の子も手を出す。その手も引っ張られる。倒された子は起きあがって、また列の後ろへつく。
見ているとこうであった。男の児が手を引っ張る力かげんに変化がつく。女の子の方ではその強弱をおっかなびっくりに期待するのがおもしろいのらしかった。
強く引くのかと思うと、身体つきだけ強そうにして軽く引っ張る。すると次はいきなりたたきつけられる。次はまた、手を持ったというくらいの軽さで通す。
男の児は小さいくせにどうかすると大人の、――それも木《こ》挽《び》きとか石工とかの恰《かつ》好《こう》そっくりに見えることのある児で、今もなにか鼻《はな》唄《うた》でも歌いながらやっているように見える。そしていかにも得意げであった。
見ているとやはり勝子だけが一番よけい強くされているように思えた。彼にはそれが悪くとれた。勝子は婉《えん》曲《きよく》に意地悪されているのだな。――そう思うのには、一つは勝子がわがままで、よその子と遊ぶのにもけっしていい子にならないからでもあった。
それにしても勝子にはあの不公平がわからないのかな。いや、あれがわからないはずはない。むしろ勝子にとっては、わかってはいながらやせがまんを張っているのがほんとうらしい。
そんなに思っているうちにも、勝子はまたこっぴどくたたきつけられた。やせがまんを張っているとすれば、倒された拍子に地面とにらめっこをしている時の顔つきはいったいどんなだろう。――立ちあがる時には、もうほかの子と同じような顔をしているが。
よく泣き出さないものだ。
男の児がふとした拍子にこの窓を見るかもしれないからと思って彼は窓のそばを離れなかった。
奥の知れないような曇り空のなかを、きらりきらり光りながらよぎってゆくものがあった。
鳩《はと》?
雲の色にぼやけてしまって、姿は見えなかったが、光の反射だけ、鳥にすれば三羽ほど、鳩《はと》一流のどこにあてがあるともない飛び方で舞っている。
「あああ。勝子のやつめ、かってに註《ちゆう》文《もん》して強くしてもらっているのじゃないかな」そんなことがふっと思えた。いつか峻が抱きすくめてやった時、「もっとぎゅうっと」と何度も抱きすくめさせた。その時のことが思い出せたのだった。そう思えばそれもいかにも勝子のしそうなことだった。峻は窓を離れて部屋のなかへ入った。
夜、夕飯が済んでしばらくしてから、勝子が泣きはじめた。峻は二階でそれを聞いていた。しまいにはそれをしずめる姉の声が高くなってきて、勝子もあたりかまわず泣き立てた。あまり声が大きいので峻は下へおりて行った。信子が勝子を抱いている。勝子は片手を電燈の真下へ引き寄せられて、針を持った姉が、掌《てのひら》へ針を持ってゆこうとする。
「そとへ行って棘《とげ》を立てて来ましたんや。知らんとおったのが、御飯を食べるとき醤《しよう》油《ゆ》が染みてな」義母が峻にそう言った。
「もっとぎゅうとお出し」姉は怒ってしまって、じゃけんに掌を引っ張っている。そのたびに勝子は火のつくように泣き声を高くする。
「もう知らん、放っといてやる」しまいには姉は掌を振り離してしまった。
「今はしようないで、××膏《こう》をつけてくくっとこうよ」義母が取りなすように言っている。信子が薬を出しに行った。峻は勝子の泣き声に閉口してまた二階へあがった。
薬をつけるのに勝子の泣き声はまだしずまらなかった。
「棘《とげ》はどうせあの時立てたに違いない」峻は昼間のことを思い出していた。ぴしゃっと地面へうつぶせになった時の勝子の顔はどんなだったろう、という考えがまたよみがえってきた。
「ひょっとしてあの時のやせがまんを破裂させているのかもしれない」そんなことを思って聞いていると、その火がつくような泣き声が、なにか悲しいもののように俊には思えた。
昼と夜
彼はある日城の傍の崖《がけ》の蔭《かげ》に立派な井戸があるのを見つけた。
そこは昔の士《さむらい》の屋敷跡のように思えた。畑とも庭ともつかない地面には、梅の老木があったり南瓜《かぼちや》が植えてあったり紫《し》蘇《そ》があったりした。城の崖《がけ》からは太いたくましい喬《きよう》木《ぼく》や古い椿《つばき》が緑の衝《つい》立《たて》を作っていて、井戸はその蔭にすわっていた。
大きな井《い》桁《げた》、堂々とした石の組み様、がっしりしていて立派であった。
若い女の人が二人、洗濯物を大《おお》盥《だらい》ですすいでいた。
彼のいた所からは見えなかったが、そのしかけははね釣瓶《つるべ》になっているらしく、くみあげられて来る水は大きい木製の釣瓶桶《おけ》にあふれ、樹々の緑がみずみずしく映っている。盥の方の女の人が待つふりをすると、釣瓶の方の女の人が水をあけた。盥の水が躍り出して水玉の虹《にじ》がたつ。そこへも緑は影を映して、美しく洗われた花《か》崗《こう》岩《がん》の畳石の上を、また女の人の素足の上を水は豊かに流れる。
うらやましい、すばらしく幸福そうなながめだった。涼しそうな緑の衝立の蔭。確かに清《せい》冽《れつ》で豊かな水。なんとも魅せられた感じであった。
きょうは青空よい天気
まえの家でも隣でも
水くむ洗う掛ける干す。
国定教科書にあったのか小学唱歌にあったのか、少年の時に歌った歌の文句が憶《おも》い出された。その言葉には何のたくみも感ぜられなかったけれど、彼が少年だった時代、その歌によって抱いたしんに朗らかな新鮮な想像が、思いがけず彼の胸におし寄せた。
かあかあ烏《からす》が鳴いてゆく
お寺の屋根へ、お宮の森へ、
かあかあ烏が鳴いてゆく。
それには画がついていた。
また「四方《よも》」という題で、子供が朝日の方を向いて手を拡げている図などの記憶が、次々に憶い出されてきた。
国定教科書の肉筆めいた楷《かい》書《しよ》の活字。また何という画家の手に成ったものか、角のないその字体と感じのまるで似た、子供といえば円《まる》顔《がお》の優等生のような顔をしているといったふうの、挿画のこと。
「何とか権所有」それをゴンショユウと、人の前では読まなかったが、心のなかで仮にきめて読んでいたこと。そのなんとか権所有の、これもそう思えば国定教科書に似つかわしい、手紙の文例のあて名のような、人の名。そんな奥附のありさままでが憶《おも》い出された。
――少年の時にはその画のとおりの処がどこかにあるような気がしていた。そうした単純に正直な児がどこかにいるような気がしていた。彼にはそんなことが思われた。
それらはなにかそのころの憧憬《あこがれ》の対象であった。単純で、平明で、健康な世界。――今その世界が彼の前にある。思いもかけず、こんな田舎の緑樹の蔭《かげ》に、その世界はもっと新鮮な形を具《そな》えて存在している。
そんな国定教科書風な感傷のなかに、彼は彼の営むべき生活が示《し》唆《さ》されたような気がした。
――食ってしまいたくなるような風景に対する愛着と、幼い時の回顧や新しい生活の想像とで彼のときどきの瞬間が燃えた。またときどき寝られない夜が来た。
寝られない夜のあとでは、ちょっとしたことにすぐ底熱い昂《こう》奮《ふん》が起きる。その昂奮がやむと路傍でもかまわないすぐ横になりたいような疲労が来る。そんな昂奮は楓《かえで》の肌を見てさえ起こった。――
楓《ふう》樹《じゆ》の肌が冷えていた。城の本丸の彼がいつもすわるベンチの後ろでであった。
根方に松葉が落ちていた。その上を蟻《あり》が清らかにはっていた。
冷たい楓《かえで》の肌を見ていると、ひぜんのようについている苔《こけ》の模様が美しく見えた。
子供の時のござ遊びの記憶――ことにその触感がよみがえった。
やはり楓の樹の下である。松葉が散って蟻《あり》がはっている。地面にはでこぼこがある。そんな上へござを敷いた。
「子供というものは確かにあの土地のでこぼこを冷たいござの下に感じる蹠《あしうら》の感覚の快さを知っているものだ。そしてござを敷くやいなやすぐその上へ跳び込んで、着物ぐるみじかに地面の上へ転がれる自由を楽しんだりする」そんなことを思いながら彼はすぐにも頬《ほつ》ぺたを楓の肌につけて冷やしてみたいような衝動を感じた。
「やはり疲れているのだな」彼は手足が軽く熱を持っているのを知った。
「私はおまえにこんなものをやろうと思う。
一つはゼリーだ。ちょっとした人の足音にさえいくつもの波紋が起こり、風が吹いて来るとさざなみをたてる。色は海の青色で――御覧そのなかをいくつも魚が泳いでいる。
もう一つは窓掛だ。織物ではあるが秋草が茂っている叢《くさむら》になっている。またそこには見えないが色づきかけた銀杏《いちよう》の木がその上に生えている気持。風が来ると草がさわぐ。そして、御覧。尺取虫が枝をはっている。
この二つをおまえにあげる。まだできあがらないから待っているがいい。そしてつまらない時には、ふっと思い出してみるがいい。きっと愉快になるから」
彼はある日葉書へそんなことを書いてしまった。もちろん遊戯ではあったが。そしてこの日ごろの昼となし夜となしに、ときどきふと感じる気持のむずがゆさを幾分はかせたような気がした。夜、静かに寝られないでいると、空を五位が啼《な》いて通った。ふとするとその声が自分の身体のどこかでしているように思われることがある。虫の啼く声などもへんに部屋の中でのように聞こえる。
「はあ、来るな」と思っているとえたいの知れない気持が起こってくる。――これはこのごろ眠れない夜のおきまりのコースであった。
変な気持は、電燈を消し眼をつぶっている彼の眼の前へ、物が盛んに運動する気配を感じさせた。厖《ぼう》大《だい》なものの気配が見るうちに裏返って微塵《みじん》ほどになる。確かどこかで触ったことのあるような、口へ含んだことのあるような運動である。廻転機のように絶えず廻っているようで、寝ている自分の足の先あたりを想像すれば、途方もなく遠方にあるような気持にすぐそれが捲《ま》き込まれてしまう。本などを読んでいると時とすると字が小さく見えてくることがあるが、その時の気持にすこし似ている。ひどくなると一種の恐怖さえ伴ってきて眼をふさいではいられなくなる。
彼はこのごろそれが妖《よう》術《じゆつ》が使えそうになる気持だと思うことがあった。それはこんな妖術であった。
子供のとき弟といっしょに寝たりなどすると、彼はよくうつ伏せになって両手で墻《かき》を作りながら(それが牧場のつもりであった)、
「芳雄君。この中に牛が見えるぜ」と言いながら弟をだました。両手にかこまれて、顔で蓋《ふた》をされた、敷布の上の暗黒のなかに、そういえばたくさんの牛や馬の姿が想像されるのだった。――彼は今そんなことはほんとうに可能だという気がした。
田園、平野、市街、市場、劇場。船着場や海。そういった広大な、人や車馬や船や生物でちりばめられた光景が、どうかしてこの暗黒のなかへ現われてくれるといい。そしてそれが今にも見えてきそうだった。耳にもその騒音が伝わって来るように思えた。
葉書へいたずら書きをした彼の気持も、そのへんてこなむずがゆさから来ているのだった。
雨
八月も終わりになった。
信子は明日市の学校の寄宿舎へ帰るらしかった。指の傷がなおったので、天理様へ御礼に行って来いと母に言われ、近所の人に連れられて、そのお礼も済ませて来た。その人がこの近所では最も熱心な信者だった。
「荷札は?」信子の大きな行《こう》李《り》を縛ってやっていた兄がそう言った。
「何を立って見とるのや」兄が怒ったようにからかうと、信子は笑いながら捜しに行った。
「ないわ」信子がそんなに言って帰って来た。
「カフスの古いので作ったら……」と彼が言うと、兄は、
「いや、まだたくさんあったはずや。あの抽《ひき》出《だ》し見たか」信子は見たと言った。
「勝子がまたしまいこんどるんやないかな。いっぺん見てみ」兄がそんなに言って笑った。勝子は自分の抽出しへごくくだらないものまで拾って来てはしまいこんでいた。
「荷札ならここや」母がそう言って、それ見たかというような軽い笑顔をしながら持って来た。
「やっぱり年寄がおらんとあかんて」兄はそんな情愛のこもったことを言った。
晩には母が豆を煎《い》っていた。
「唆さんあんたにこんなのはどうですな」そんなに言って煎りあげたのを彼の方へ寄せた。
「信子が寄宿舎へ持って帰るおみやげです。一升ほど持って帰っても、じきにぺろりと失くなるのやそうで……」
峻が話を聴《き》きながら豆をかんでいると、裏口で音がして信子が帰って来た。
「貸してくれはったか」
「はあ。裏へおいといた」
「雨が降るかもしれんで、ずっとなかへ引き込んでおいで」
「はあ。引き込んである」
「吉峰さんのおばさんがあしたお帰りですかて……」信子は何かおかしそうに言葉をとぎらせた。
「あしたお帰りですかて?」母が聞きかえした。
吉峰さんのおばさんに「いつお帰りです。あしたお帰りですか」ときかれて、信子がまごついて「ええあしたお帰りです」と言ったという話だった。母や彼が笑うと、信子は少し顔を赧《あか》くした。借りて来たのは乳母車だった。
「明日一番で立つのを、行《こう》李《り》乗せて停車場まで送って行《い》てやります」母がそんなに言ってわけを話した。
大変だな、と彼は思っていた。
「勝子も行くて?」信子がきくと、
「行くのやと言うて、今夜は早うからおやすみや」と母が言った。
彼は、朝が早いのに荷物を出すなんてめんどうだから、今夜のうちに切符を買って、先へ手荷物で送ってしまったらいいと思って、
「僕、今から持って行って来ましょうか」と言ってみた。一つには、彼自身体裁屋なので、年ごろの信子の気持を先廻りしたつもりであった。しかし母と信子があまり「かまわない、かまわない」と言うのであちらまかせにしてしまった。
母と娘と姪《めい》が、夏の朝の明け方を三人で、一人は乳母車をおし、一人はいでたちをした一人に手をひかれ、停車場へ向かってゆく、その出発を彼は心に浮かべてみた。美しかった。
「お互いの心の中でそうした出発の楽しさをあてにしているのじゃなかろうか」そして彼は心が清く洗われるのを感じた。
夜はその夜も眠りにくかった。
十二時ごろ夕立がした。その続きを彼は心待ちに寝ていた。
しばらくするとそれが遠くからまた歩み寄って来る音がした。
虫の声が雨の音に変わった。ひとしきりするとそれはまた町の方へ過ぎて行った。
蚊《か》帳《や》をまくって起きて出、雨戸を一枚繰った。
城の本丸に電燈が輝いていた。雨に光沢を得た樹の葉がその灯の下で数知れない魚《ぎよ》鱗《りん》のような光を放っていた。
また夕立が来た。彼は閾《しきい》の上へ腰をかけ、雨で足を冷やした。
眼の下の長屋の一軒の戸が開いて、ねまき姿の若い女が喞筒《ポンプ》へ水をくみに来た。
雨の脚が強くなって、とゆがごくりごくり喉《のど》を鳴らし出した。
気がつくと、白い猫が一匹、よその家の軒下をわたって行った。
信子の着物が物《もの》干《ほし》竿《ざお》にかかったまま雨の中にあった。筒《つつ》袖《そで》の、平常着ていたゆかたで彼の一番眼に慣れた着物だった。そのせいか、見ていると不思議なくらい信子の身体つきが髣《ほう》髴《ふつ》とした。
夕立はまた町の方へ行ってしまった。遠くでその音がしている。
「チン、チン」
「チン、チン」
鳴きだした蟋蟀《こおろぎ》の声にまじって、質の緻《ち》密《みつ》な玉を硬度の高い金属ではじくような虫もなき出した。
彼はまだ熱い額を感じながら、城を越えてもう一つ夕立が来るのを待っていた。
(一九二四年十一月)
雪 後
一
行一が大学へ残るべきか、それとも就職すべきか迷っていたとき、彼に研究を続けてゆく願いと生活の保証と、その二つが不充分ながらかなえられる位置を与えてくれたのは、彼の師事していた教授であった。その教授は自分の主宰している研究所の一隅に彼のために椅《い》子《す》を設けてくれた。そして彼は地味な研究の生活に入った。それと同時に信子との結婚生活が始まった。その結婚は行一の親や親族の意志が阻んでいたものだった。しかし結局、彼はそんな人びとからわがままだ剛情だと言われる以外のやり方で、物事をふるまうすべを知らなかったのだ。
彼らは東京の郊外につつましい生活を始めた。櫟《くぬぎ》林《ばやし》や麦畠や街道や菜園や、地形の変化に富んだその郊外は静かですがすがしかった。乳牛のいる牧場は信子の好きなものだった。どっしりした百姓家を彼は愛した。
「あれにでくわしたら、こう手綱を持っているだろう、それのこちら側へ避けないと危いよ」
行一は妻に教える。春《しゆん》埃《あい》の路は、ときどき調馬師にひかれた馬が閑雅な歩みを運んでいた。
彼らの借りている家の大家というのは、この土地に住みついた農夫の一人だった。夫婦はこの大家から親しまれた。ときどき彼らはひなたや土の匂いのするようなそこの子を連れて来て家で遊ばせた。彼も家の出入には、苗《なえ》床《どこ》が囲ってあったりする大家の前庭を近道した。
――コツコツ、コツコツ――
「なんだい、あの音は」食事の箸《はし》を止めながら、耳に注意をあつめるしぐさで、行一は妻にめくばせする。クックッと含み笑いをしていたが、
「雀《すずめ》よ。パンの屑を屋根へまいといたんですの」
その音がしはじめると、信子は仕事の手を止めて二階へ上り、抜足差足で明り障子へはめたガラスに近づいて行った。歩くのじゃなしに、そろえた趾《あし》で跳ねながら、四、五匹の雀が餌《えさ》をつついていた。こちらが動きもしないのに、チラと信子に気づいたのか、ビュビュと飛んでしまった。――信子はそんな話をした。
「もう大あわてで逃げるんですもの。しとの顔も見ないで――」
しとの顔で行一は笑った。信子はよくそういった話で単調な生活を飾った。行一はそんな信子を、貧乏する資格があると思った。信子は身ごもった。
二
青空が広く、葉は落ち尽くし、鈴《すず》懸《かけ》が木に褐《かつ》色《しよく》の実を乾かした。冬。凩《こがらし》が吹いて、人が殺された。泥棒の噂《うわさ》や火事が起こった。短い日に戸をたてる信子は舞いこむ木の葉にもおびえるのだった。
ある朝トタン屋根に足跡が印されてあった。
行一も水道やガスのない不便さに身重の妻を痛ましく思っていたやさきで、市内に家を捜し始めた。
「大家さんが交番へ行ってくださったら、俺《おれ》の管轄内に事故のあったことがないって。いつでもそんなことを言って、巡回しないらしいのよ」
大家の主婦に留守を頼んで信子も市中を歩いた。
三
ある日、空は早春を告げ知らせるような大雪を降らした。
朝、寝床のなかで行一は雪解の滴《しずく》がトタン屋根を忙しくたたくのを聞いた。
窓の戸を繰ると、あらたかな日の光が部屋いっぱいに射し込んだ。まぶしい世界だ。厚く雪を被った百姓家の茅《かや》屋《や》根《やね》からは蒸気が濛《もう》々《もう》とあがっていた。生まれたばかりの仔《こ》雲《ぐも》! 深い青空に鮮やかに白く、それは美しい運動を起こしていた。彼はそれを見ていた。
「どっこいしょ、どっこいしょ」
お早うを言いにあがって来た信子は、
「まあ温かね」と言いながら、蒲《ふ》団《とん》を手すりにかけた。と、それはすぐひなたの匂《にお》いをたて始めるのであった。
「ホーホケキョ」
「あ、鶯《うぐいす》かしら」
雀《すずめ》が二羽檜《ひ》葉《ば》を揺すって、転がるように青木の蔭《かげ》へかくれた。
「ホーホケキョ」
口笛だ。小鳥を飼っている近くの散髪屋の小僧だと思う。行一はそれに軽い好意を感じた。
「まあほんとに口笛だわ。憎らしいのね」
朝夕朗々とした声で祈《き》祷《とう》をあげる、そして原っぱへ出ては号令と共に体操をする、御《み》嶽《たけ》教会の老人が大きな雪だるまを作った。傍に立札が立ててある。
「御嶽教会××××作之」と。
茅《かや》屋《や》根《ね》の雪は鹿子《かのこ》斑《まだら》になった。立ちのぼる蒸気は毎日弱ってゆく。
月がいいのである晩行一は戸外を歩いた。地形がいいぐあいに傾斜を作っている原っぱで、スキー装束をした男が二人、月光を浴びながらかわるがわる滑走しては跳躍した。
昼間、子供たちが板を尻《しり》に当てて棒で楫《かじ》をとりながら、行列して滑るありさまを信子が話していたが、その切通し坂はその傾斜の地続きになっていた。そこは滑《かつ》石《せき》を塗ったように気味悪く光っていた。
バサバサと凍った雪を踏んで、月光のなかを、彼は美しい想念にひたりながら歩いた。その晩行一は細君にロシアの短篇作家の書いた話をしてやった。――
「乗せてあげよう」
少年が少女を橇《そり》に誘う。二人は汗を出して長い傾斜をひいてあがった。そこから滑り降りるのだ。――橇はだんだん速力を増す。首巻がハタハタはためき始める。風がビュビュと耳を過ぎる。
「ぼくはおまえを愛している」
ふと少女はそんなささやきを風のなかに聞いた。胸がドキドキした。しかし速力が緩み、風のうなりが消え、なだらかに橇が止まるころには、それが空耳だったという疑惑が立ちこめる。
「どうだったい」
はればれした少年の顔からは、彼女はいずれとも決めかねた。
「もう一度」
少女は確かめたいばかりに、また汗を流して傾斜をのぼる。――首巻がはためき出した。ビュビュ風がうなって過ぎた。胸がドキドキする。
「ぼくはおまえを愛している」
少女は溜《ため》息《いき》をついた。
「どうだったい」
「もう一度! もう一度よ」と少女は悲しい声を出した。今度こそ。今度こそ。
しかし何度試みても同じことだった。泣きそうになって少女は別れた。そして永遠に。
――二人は離れ離れの町に住むようになり、離れ離れに結婚した。――年老いても二人はその日の雪滑りを忘れなかった。――
それは行一が文学をやっている友人から聞いた話だった。
「まあいいわね」
「まちがっているかもしれないぜ」
大変なことが起こった。ある日信子は例の切通しの坂で顛《てん》倒《とう》した。心弱さから彼女はそれを夫に秘していた。産婆の診察日に彼女はふるえた。しかし胎児には異状はなかったらしかった。そのあとで信子は夫にありようを話した。行一はまだ妻の知らなかったような怒り方をした。
「どんなに叱《しか》られてもいいわ」と言って信子は泣いた。
しかし安心は続かなかった。信子はしばらくして寝ついた。彼女の母が呼ばれた。医者は腎《じん》臓《ぞう》の故障だと診《み》て帰った。
行一は不眠症になった。それが研究所での実験の一《いち》頓《とん》挫《ざ》と同じに来た。まだ若く研究に劫《こう》の経ない行一は、その性質にも似ず、首尾不首尾の波に支配されるのだ。夜、寝つけない頭のなかで、信子がきっと取返しがつかなくなる思いに苦しんだ。それに屈服する。それが行一にはもう取返しのつかぬことに思えた。
「バッタバッタバッタ」鼓翼の風を感じる。「コケコッコウ」
遠くに競争者が現われる。こちらはいかにも疲れている。あちらの方がピッチが出ている。
「…………」とうとう止してしまった。
「コケコッコウ」
一声――二声――三声――もう鳴かない。ゴールへ入ったんだ。行一はいつか競漕《レース》に結びつけてそれを聞くのに慣れてしまった。
四
「あの、電車の切符を置いていってくださいな」靴の紐を結び終わった夫に帽子を渡しながら、信子は弱々しい声を出した。
「今日はまだどこへも出られないよ。こちらから見ると顔がまだむくんでいる」
「でも……」
「でもじゃないよ」
「お母さん……」
「お姑《かあ》さんには行ってもらうさ」
「だから……」
「だから切符は出すさ」
「はじめからそのつもりで言ってるんですわ」信子はやつれの見える顔を、意味のある表情でほほえませた。(またぼんやりしていらっしゃる)――娘々した着物を着ている。それが産み日に近い彼女には裾《すそ》がはだけがちなくらいだ。
「今日はひょっとしたら大《おお》槻《つき》の下宿へ寄るかもしれない。家探しが手間どったら寄らずに帰る」
切り取った回数券はじかに細君の手へ渡してやりながら、彼はむつかしい顔でそう言った。
「ここだった」と彼は思った。灌《かん》木《ぼく》や竹《たけ》藪《やぶ》の根がなまなました赤土から切口をのぞかせている例の切通し坂だった。
――彼がそこへ来かかると、赤土から女の太《ふと》腿《もも》が出ていた。何本も何本もだった。
「何だろう」
「それは××が南洋から持って帰って、庭へ植えている○○の木の根だ」
そう言ったのはいつの間にやって来たのか友人の大槻の声だった。彼は納得がいったような気がした。と同時に切通しの上は××の屋敷だったと思った。
しばらく歩いていると今度は田舎道だった。邸宅などの気配はなかった。やはり切り崩された赤土のなかからにょきにょき女の腿《もも》が生えていた。
「○○の木などあるはずがない。何だろう?」
いつか友人は傍にいなくなっていた。――
行一はそこに立ち、今朝の夢がまだなまなましているのを感じた。若い女の腿だった。それが植物という概念と結びついて、畸《き》形《けい》な、変に不気味な印象を強めていた。鬚《ひげ》根《ね》がぼろぼろした土をつけて下がっている、壊《く》えた赤土のなかから大きな霜柱が光っていた。
××というのは、思い出せなかったが、覇《は》気《き》に富んだ開墾家で知られているある宗門の僧《そう》侶《りよ》――そんな見当だった。また○○の木というのは、気根を出す榕樹《たこのき》に聯《れん》想《そう》を持っていた。それにしてもどうしてあんな夢を見たんだろう。しかし肉情的な感じはなかった。と行一は思った。
実験を早く切り上げて午後行一は貸家を探した。こんなことも、気質の明るい彼には心の鬱《うつ》したこのごろでも割合平気なのであった。家を探すのにほっとすると、実験装置の器具を註《ちゆう》文《もん》に本《ほん》郷《ごう》へ出、大槻の下宿へ寄った。中学校も高等学校も大学もいっしょだったが、その友人は文科にいた。携わっている方面も違い、気質も違っていたが、彼らは昔から親しく往来し互いの生活に干渉し合っていた。ことに大槻は作家を志望していて、茫《ぼう》洋《よう》とした研究に乗り出した行一になにか共通した刺激を感じるのだった。
「どうだい、で、研究所の方は?」
「まあぼちぼちだ」
「落ちついているね」
「例のところでまだ引っ掛かってるんだ。今度の学会で先生が報告するはずだったんだが、今のままじゃまだ貧弱でね」
よもやまの話が出た。行一は今朝の夢の話をした。
「その章魚《たこ》の木だとか、××が南洋から移植したというのはおもしろいね」
「そう教えたのが君なんだからね。……いかにも君らしいね。でたらめをよく教える……」
「なんだ、なんだ」
「狐の剃刀とか雀の鉄砲とか、いいかげんなことをよく言うぜ」
「なんだ、その植物ならほんとうにあるんだよ」
「顔が赤いよ」
「不愉快だよ。夢の事実で現実の人間を云《うん》々《ぬん》するのは。そいじゃね、君の夢を一つ出してやる」
「開き直ったね」
「だいぶん前の話だよ。Oがいたし、Cも入ってるんだ。それに君と僕と。組んでトランプをやっていたんだから、四人だった。どこでやっているのかというと、それが君の家の庭なんだ。それでいざやろうという段になると、君が物置みたいな所から、切符売場のようになった小さい小《こ》舎《や》を引っ張り出して来るんだ。そしてその中へ入って、すわり込んで、切符を売る窓口から『さあここへ出せ』って言うんだ。滑《こつ》稽《けい》な話だけど、なんだかその窓口へ立つのが癪《しやく》で憤慨していると、Oがまたその中へ入ってもう一つの窓口を占領してしまった。……どうだその夢は」
「それからどうするんだ」
「いかにも君らしいね……いや、Oに占領しられるところは君らしいよ」
大槻は行一を送って本郷通りへ出た。美しい夕焼雲が空を流れていた。日を失った街上にははや夕《ゆう》暗《やみ》が迫っていた。そんななかで人びとはなにか活気づけられて見えた。歩きながら大槻は社会主義の運動やそれに携わっている若い人たちのことを行一に話した。
「もう美しい夕焼も秋まで見えなくなるな。よく見とかなくちゃ。――僕はこのごろ今時分になると情けなくなるんだ。空がきれいだろう。それにこっちの気持が弾まないときている」
「のんきなことを言ってるな。さよなら」
行一は毛糸の首巻に顎《あご》を埋めて大槻に別れた。
電車の窓からは美しい木《こ》洩《こも》れ陽《び》が見えた。夕焼雲がだんだん死灰に変じていった。夜、帰りの遅れた馬力が、紙で囲った蝋燭《ろうそく》の火を花束のように持って歩いた。行一は電車のなかで、先刻大槻に聞いた社会主義の話を思い出していた。彼は受身になった。まごついた。自分の治めてゆこうとする家が、大槻の夢に出て来た切符売場のように思えた。社会の下積みという言葉を聞くと、赤土のなかから生えていた女の腿《もも》を思い出した。放胆な大槻は、妻を持ち子を持とうとしている行一の気持に察しがなかった。行一はたじろいだ。
満員の電車から終点へおろされた人びとは皆な働人の装いで、労働者が多かった。夕刊売りや鯉《こい》売りが暗い火をともしている省線の陸橋を渡り、反射燈の強い光のなかを黙々と坂を下りてゆく。どの肩もどの肩もがっしりと何かを背負っているようだ。行一はいつもそう思う。坂を下りるにつれて星が雑木林の蔭《かげ》へ隠れてゆく。
道で、彼はやはり帰りの姑《しゆうとめ》と偶然追いついた。声をかける前に、しばらく行一は姑を客観しながら歩いた。家人を往来でながめる珍しい心で。
「なんてしょんぼりしているんだろう」
肩の表情は痛々しかった。
「お帰り」
「あ。お帰り」姑はなにか呆《ほう》けているような貌《かお》だった。
「疲れてますね。どうでした。見つかりましたか」
「気の進まない家ばかりでした。あなたの方は……」
まあ帰ってからゆっくりと思って、今日見つけた家の少し混み入った条件を行一が話しためらっていると、姑はおっかぶせるように、
「今日は珍しいものを見ましたよ」
それは街の上で牛が仔《こ》を産んだ話だった。その牛は荷車をひく運送屋の牛であった。荷物を配達先へ届けると同時に産気づいて、運送屋や家の人が気をもむうちに、やすやすと仔牛は産まれた。親牛は長いこと、夕方まで休息していた。が姑《しゆうとめ》がそれを見たころには、蓆《むしろ》を敷き、その上に仔牛を載せた荷車に、もう親牛はついていた。行一は今日の美しかった夕焼雲を思い浮かべた!
「ぐるりに人がたくさん集まって見ていましたよ。提灯《ちようちん》を借りて男が出て来ましてね。さ、どいてくれよと言って、前の人をどかせて牛を歩かせたんです――みんな見てました……」
姑の貌《かお》は強い感動をおさえていた。行一は、
「よしよし、よしよし」ふくらんでくる胸をそんな思いで緊めつけた。
「そいじゃ、先へ帰ります」
買物があるという姑を八百屋の店に残して、彼は暗い星のさえた小路へ急ぎ足で入った。
(一九二六年五月)
Kの昇天
――あるいはKの溺死
お手紙によりますと、あなたはK君の溺《でき》死《し》について、それが過失だったろうか、自殺だったろうか、自殺ならば、それが何に原因しているのだろう。あるいは不治の病いをはかなんで死んだのではなかろうかとさまざまに思い悩んでいられるようであります。そしてわずかひと月ほどの間に、あの療養地のN海岸で偶然にも、K君と相識ったというような、一面識もない私にお手紙をくださるようになったのだと思います。私はあなたのお手紙ではじめてK君の彼《かの》地《ち》での溺死を知ったのです。私はたいそうおどろきました。と同時に「K君はとうとう月世界へ行った」と思ったのです。どうして私がそんな奇異なことを思ったか、それを私は今ここでお話ししようと思っています。それはあるいはK君の死の謎《なぞ》を解く一つの鍵《かぎ》であるかもしれないと思うからです。
それはいつごろだったか、私がNへ行ってはじめての満月の晩です。私は病気のせいで、そのころ夜がどうしても眠れないのでした。その晩もとうとう寝床を起きてしまいまして、幸い月夜でもあり、旅館を出て、錯《さく》落《らく》とした松樹の影を踏みながら砂浜へ出て行きました。引きあげられた漁船や、地引網を捲《ま》く轆轤《ろくろ》などが白い砂に鮮やかな影をおとしているほか、浜には何の人影もありませんでした。干潮で荒い浪が月光に砕けながらどうどうと打ち寄せていました。私は煙草をつけながら漁船のともに腰をおろして海をながめていました。夜はもうかなり更けていました。
しばらくして私が眼を砂浜に転じましたとき、私は砂浜に私以外のもう一人の人を発見しました。それがK君だったのです。しかしその時はK君という人を私はまだ知りませんでした。その晩、それから、はじめて私たちは互いに名乗り合ったのですから。
私はおりおりその人影を見返りました。そのうちに私はだんだん奇異の念を起こしてゆきました。というのは、その人影――K君――は私と三、四十歩もへだたっていたでしょうか、海を見るというのでもなく、全く私に背を向けて、砂浜を前に進んだり、後に退いたり、と思うと立ちどまったり、そんなことばかりしていたのです。私はその人がなにか落し物でも捜しているのだろうかと思いました。首は砂の上をみつめているらしく、前に傾いていたのですから。しかしそれにしてはかがむこともしない、足で砂を分けて見ることもしない。満月でずいぶん明るいのですけれど、火をつけて見る様子もない。
私は海を見ては合間合間に、その人影に注意し出しました。奇異の念はますます募ってゆきました。そしてついには、その人影が一度もこちらを見返らず、全く私に背を向けて動作しているのを幸い、じっとそれを見続けはじめました。不思議な戦《せん》慄《りつ》が私を通り抜けました。その人影のなにか憑《つ》かれているような様子が私に感じられたのです。私は海の方に向き直って口笛を吹きはじめました。それがはじめは無意識にだったのですが、あるいは人影になにかの効果を及ぼすかもしれないと思うようになり、それは意識的になりました。私ははじめシューベルトの「海辺にて」を吹きました。
御存じでしょうが、それはハイネの詩に作曲したもので、私の好きな歌の一つなのです。それからやはりハイネの詩の「ドッペル・ゲンゲル」。これは「二重人格」というのでしょうか。これも私の好きな歌なのでした。口笛を吹きながら、私の心は落ちついてきました。やはり落し物だ、と思いました。そう思うよりほか、その奇異な人影の動作を、どう想像することができましょう。そして私は思いました。あの人は煙草を喫《の》まないからマッチがないのだ。それは私が持っている。とにかくなにか非常にたいせつなものを落としたのだろう。私はマッチを手に持ちました。そしてその人影の方へ歩きはじめました。その人影に私の口笛は何の効果もなかったのです。相変わらず、進んだり、退いたり、立ちどまったり、の動作を続けているのです。近寄ってゆく私の足音にも気がつかないようでした。ふと私はビクッとしました。あの人は影を踏んでいる。もし落し物なら影を背にしてこららを向いて捜すはずだ。
天心をややにはずれた月が私の歩いて行く砂の上にも一尺ほどの影を作っていました。私はきっとなにかだとは思いましたが、やはり人影の方へ歩いてゆきました。そして二、三間手前で、思い切って、
「何か落し物をなさったのですか」
とかなり大きい声で呼びかけてみました。手のマッチを示すようにして。
「落し物でしたらマッチがありますよ」
次にはそう言うつもりだったのです。しかし落し物ではなさそうだとさとった以上、この言葉はその人影に話しかける私の手段にすぎませんでした。
最初の言葉でその人は私の方を振り向きました。「のっぺらぼー」そんなことを不知《しらず》不識《しらず》の間に思っていましたので、それは私にとって非常に怖ろしい瞬間でした。
月光がその人の高い鼻を滑りました。私はその人の深い瞳《ひとみ》を見ました。と、その顔は、なにかきまり悪げな貌《かお》に変わってゆきました。
「なんでもないんです」
澄んだ声でした。そして微笑がその口のあたりにただよいました。
私とK君とが口をきいたのは、こんなふうな奇異な事件がそのはじまりでした。そして私たちはその夜から親しい間柄になったのです。
しばらくして私たちは再び私の腰かけていた漁船のともへ帰りました。そして、
「ほんとうにいったい何をしていたんです」
というようなことから、K君はぼつぼつそのことを説き明かしてくれました。でも、はじめの間はなにか躊《ちゆう》躇《ちよ》していたようですけれど。
K君は自分の影を見ていた、と申しました。そしてそれは阿《あ》片《へん》のごときものだ、と申しました。
あなたにもそれが突飛でありましょうように、それは私にも実に突飛でした。
夜光虫が美しく光る海を前にして、K君はその不思議な謂《いわれ》をぼちぼち話してくれました。
影ほど不思議なものはないとK君は言いました。君もやってみれば、必ず経験するだろう。影をじいっとみつめておると、そのなかにだんだん生物の相があらわれてくる。ほかでもない自分自身の姿なのだが。それは電燈の光線のようなものではだめだ。月の光が一番いい。なぜということは言わないが、――というわけは、自分は自分の経験でそう信じるようになったので、あるいは私自身にしかそうであるのにすぎないかもしれない。またそれが客観的に最上であるにしたところで、どんな根拠でそうなのか、それは非常に深遠なことと思います。どうして人間の頭でそんなことがわかるものですか。――これがK君の口調でしたね。何よりもK君は自分の感じに頼り、その感じの由って来たるところを説明のできない神秘のなかに置いていました。
ところで、月光による自分の影をみつめているとそのなかに生物の気配があらわれてくる。それは月光が平行光線であるため、砂に写った影が、自分の形と等しいということがあるが、しかしそんなことはわかり切った話だ。その影も短いのがいい。一尺二尺ぐらいのがいいと思う。そして静止している方が精神が統一されていいが、影は少し揺れ動く方がいいのだ。自分が行ったり戻ったり立ちどまったりしていたのはそのためだ。雑穀屋が小豆《あずき》の屑《くず》を盆の上で捜すように、影を揺ってごらんなさい。そしてそれをじいっとみつめていると、そのうちに自分の姿がだんだん見えてくるのです。そうです、それは「気配」の域を越えて「見えるもの」の領分へ入って来るのです。――こうK君は申しました。そして、
「先刻あなたはシューベルトの『ドッペル・ゲンゲル』を口笛で吹いてはいなかったですか」
「ええ吹いていましたよ」
と私は答えました。やはり聞こえてはいたのだ、と私は思いました。
「影と『ドッペル・ゲンゲル』。私はこの二つに、月夜になれば憑《つ》かれるんですよ。この世のものでないというような、そんなものを見たときの感じ。――その感じになじんでいると、現実の世界が全く身に合わなく思われてくるのです。だから昼間は阿《あ》片《へん》吸《きゆう》飲《いん》者《しや》のように倦《けん》怠《たい》です」
とK君は言いました。
自分の姿が見えてくる。不思議はそればかりではない。だんだん姿があらわれてくるにしたがって、影の自分は彼自身の人格を持ちはじめ、それにつれてこちらの自分はだんだん気持が杳《はる》かになって、ある瞬間から月へ向かって、スウスウッと昇って行く。それは気持で何物とも言えませんが、まあ魂とでもいうのでしょう。それが月から射し下ろして来る光線をさかのぼって、それはなんともいえぬ気持で、昇天してゆくのです。
K君はここを話すとき、その瞳《ひとみ》はじっと私の瞳に見入り非常に緊張した様子でした。そしてそこで何かを思いついたように、微笑でもってその緊張をゆるめました。
「シラノが月へ行く方法を並べたてるところがありますね。これはその今一つの方法ですよ。でも、ジュウル・ラフォルグの詩にあるように
哀れなるかな、イカルスが幾人も来ては落っこちる。
私も何遍やってもおっこちるんですよ」
そう言ってK君は笑いました。
その奇異な初対面の夜から、私たちは毎日訪ね合ったり、いっしょに散歩したりするようになりました。月が欠けるにしたがって、K君もあんな夜更けに海へ出ることはなくなりました。
ある朝、私は日の出を見に海辺に立っていたことがありました。そのときK君も早起きしたのか、同じくやって来ました。そして、ちょうど太陽の光の反射のなかへ漕《こ》ぎ入った船を見たとき、
「あの逆光線の船は完全に影絵じゃありませんか」
と突然私に反問しました。K君の心では、その船の実体が、逆に影絵のように見えるのが、影が実体に見えることの逆説的な証明になると思ったのでしょう。
「熱心ですね」
と私が言ったら、K君は笑っていました。
K君はまた、朝海の真《まつ》向《こう》から昇る太陽の光で作ったのだという、等身のシルウェットを幾枚か持っていました。
そしてこんなことを話しました。
「私が高等学校の寄宿舎にいたとき、よその部屋でしたが、一人美少年がいましてね、それが机に向かっている姿を誰が描いたのか、部屋の壁へ、電燈で写したシルウェットですね。その上を墨でなすって描いてあるのです。それがとてもヴィヴィッドでしてね、私はよくその部屋へ行ったものです」
そんなことまで話すK君でした。聞きただしてはみなかったのですが、あるいはそれがはじまりかもしれませんね。
私があなたのお手紙で、K君の溺《でき》死《し》を読んだとき、最も先に私の心象に浮かんだのは、あの最初の夜の、奇異なK君の後姿でした。そして私はすぐ、
「K君は月へ登ってしまったのだ」
と感じました。そしてK君の死体が浜辺に打ちあげられてあった、その前日は、まちがいもなく満月ではありませんか。私はただいま本暦を開いてそれを確かめたのです。
私がK君といっしょにいましたひと月ほどの間、そのほかにこれといって自殺される原因になるようなものを、私は感じませんでした。でも、そのひと月ほどの間に私が稍《や》々《や》健康を取り戻し、こちらへ帰る決心ができるようになったのに反し、K君の病気は徐々に進んでいたように思われます。K君の瞳《ひとみ》はだんだん深く澄んでき、頬《ほお》はだんだんこけ、あの高い鼻柱が目立って硬く秀でてまいったように覚えています。
K君は、影は阿《あ》片《へん》のごときものだ、と言っていました。もし私の直感が正《せい》鵠《こく》を射抜いていましたら、影がK君を奪ったのです。しかし私はその直感を固執するのでありません。私自身にとってもその直感は参考にしかすぎないのです。ほんとうの死因、それは私にとっても五里霧中であります。
しかし私はその直感を土台にして、その不幸な満月の夜のことを仮に組み立ててみようと思います。
その夜の月齢は十五・二であります。月の出が六時三十分。十一時四十七分が月の南中する時刻と本暦には記載されています。私はK君が海へ歩み入ったのはこの時刻の前後ではないかと思うのです。私がはじめてK君の後姿を、あの満月の夜に砂浜に見出したのもほぼ南中の時刻だったのですから。そしてもう一歩想像を進めるならば、月が少し西へ傾きはじめたころと思います。もしそうとすればK君のいわゆる一尺ないし二尺の影は北側といっても稍《や》々《や》東に偏した方向に落ちるわけで、K君はその影を追いながら海岸線を斜に海へ歩み入ったことになります。
K君は病いと共に精神が鋭くとがり、その夜は影がほんとうに「見えるもの」になったのだと思われます。肩が現われ、頸《くび》が顕《あら》われ、微《かす》かな眩暈《めまい》のごときものを覚えると共に、「気配」のなかからついに頭が見えはじめ、そしてある瞬間が過ぎて、K君の魂は月光の流れに逆らいながら、徐々に月の方へ登ってゆきます。K君の身体はだんだん意識の支配を失い、無意識な歩みは一歩一歩海へ近づいて行くのです。影の方の彼はついに一箇の人格を持ちました。K君の魂はなお高く昇天してゆきます。そしてその形《けい》骸《がい》は影の彼に導かれつつ、機械人形のように海へ歩み入ったのではないでしょうか。次いで干潮時の高い浪がK君を海中へたおします。もしそのとき形骸に感覚がよみがえってくれば、魂はそれと共に元へ帰ったのであります。
哀れなるかな、イカルスが幾人も来ては落っこちる。
K君はそれを墜落と呼んでいました。もし今度も墜落であったら、泳ぎのできるK君です、おぼれることはなかったはずです。
K君の身体はたおれると共に沖へ運ばれました。感覚はまだよみがえりません。次の浪が浜辺へ引きずりあげました。感覚はまだ帰りません。また沖へ引き去られ、また浜辺へたたきつけられました。しかも魂は月の方へ昇天してゆくのです。
ついに肉体は無感覚で終わりました。干潮は十一時五十六分と記載されています。その時刻の激浪に形骸の翻《ほん》弄《ろう》をゆだねたまま、K君の魂は月へ月へ、飛《ひ》翔《しよう》し去ったのであります。
(一九二六年九月)
冬の日
一
季節は冬《とう》至《じ》に間もなかった。尭《たかし》の窓からは、地盤の低い家々の庭や門辺に立っている木々の葉が、一日ごとはがれてゆくさまが見えた。
ごんごん胡《ご》麻《ま》は老婆の蓬《ほう》髪《はつ》のようになってしまい、霜に美しく灼《や》けた桜の最後の葉がなくなり、欅《けやき》が風にかさかさ身を震わすごとに隠れていた風景の部分が現われてきた。
もう暁刻の百舌鳥《もず》も来なくなった。そしてある日、屏《びよう》風《ぶ》のように立ち並んだ欅の木へ鉛色の椋《むく》鳥《どり》が何百羽と知れず下りたころから、だんだん霜は鋭くなってきた。
冬になって尭の肺は疼《いた》んだ。落葉が降りたまっている井戸ばたの漆《しつ》喰《くい》へ、洗面のとき吐く痰《たん》は、黄緑色からにぶい血の色を出すようになり、時にそれは驚くほど鮮やかな紅《くれない》にさえた。尭が間借り二階の四畳半で床を離れる時分には、主婦の朝の洗濯はとうに済んでいて、漆喰は乾いてしまっている。その上へ落ちた痰は水をかけても離れない。尭は金魚の仔でもつまむようにしてそれを土管の口へ持って行くのである。彼は血の痰を見てももうなんの刺《し》戟《げき》でもなくなっていた。が、冷澄な空気の底にさえざえとした一塊の彩《いろど》りは、なぜかいつもじっとみつめずにはいられなかった。
尭はこのごろ生きる熱意をまるで感じなくなっていた。一日一日が彼を引きずっていた。そして裡《うち》に住むべきところをなくした魂は、常に外界へ逃れよう逃れようとあせっていた。――昼は部屋の窓をひらいて盲人のようにそとの風景をみつめる。夜は部屋の外の物音や鉄《てつ》瓶《びん》の音に聾《ろう》者《しや》のような耳を澄ます。
冬至に近づいてゆく十一月の脆《もろ》い陽ざしは、しかし、彼が床を出て一時間とは経たない窓の外で、どの日もどの日も消えかかってゆくのであった。かげってしまった低地には、彼の棲《す》んでいる家の投影さえ没してしまっている。それを見ると尭の心には墨汁のような悔恨やいらだたしさが拡がってゆくのだった。ひなたはわずかに低地をへだてた、灰色の洋風の木造家屋に駐《とどま》っていて、その時刻、それはなにか悲しげに、遠い地平へ落ちてゆく入日をながめているかのように見えた。
冬陽は郵便受けのなかへまで射し込む。路上のどんな小さな石粒も一つ一つ影を持っていて、見ていると、それがみなエジプトのピラミッドのような巨大《コロツサール》な悲しみを浮かべている。――低地をへだてた洋館には、その時刻、並んだ蒼《あお》桐《ぎり》の幽霊のような影が写っていた。向日性を持った、もやしのように蒼白い尭の触手は、不知《しらず》不識《しらず》その灰色した木造家屋の方へ伸びて行って、そこに滲《にじ》み込んだ不思議な影の痕《あと》をなでるのであった。彼は毎日それが消えてしまうまでの時間を空虚な心で窓をひらいていた。
展望の北隅を支えている樫《かし》の並樹は、ある日は、その鋼鉄のような弾性でしない踊りながら、風を揺りおろして来た。容《よう》貌《ぼう》をかえた低地にはカサコソと枯葉が骸《がい》骨《こつ》の踊りを鳴らした。
そんなとき蒼《あお》桐《ぎり》の影は今にも消されそうにも見えた。もうひなたとは思えないそこに、気のせいほどの影がまだ残っている。そしてそれは凩《こがらし》に追われて、砂漠のような、そこでは影の生きている世界の遠くへ、だんだん姿をかき消してゆくのであった。
尭はそれを見終わると、絶望に似た感情で窓を鎖《とざ》しにかかる。もう夜を呼ぶばかりの凩《こがらし》に耳を澄ましていると、ある時はまた電気も来ないどこか遠くでガラス戸の摧《くだ》け落ちる音がしていた。
二
尭は母からの手紙を受け取った。
「延子をなくしてから父上はすっかり老い込んでおしまいになった。おまえの身体も普通の身体ではないのだからたいせつにしてください。もうこの上の苦労はわたしたちもしたくない。
わたしはこのごろ夜中なにかに驚いたように眼がさめる。頭はおまえのことが気懸りなのだ。いくら考えまいとしてもだめです。わたしは何時間も眠れません」
尭はそれを読んである考えに悽《せい》然《ぜん》とした。人びとの寝静まった夜を超えて、彼と彼の母が互いに互いを悩み苦しんでいる。そんなとき彼の心臓に打った不吉な搏《はく》動《どう》が、どうして母を眼覚まさないと言い切れよう。
尭の弟は脊《せき》椎《つい》カリエスで死んだ。そして妹の延子も腰椎カリエスで、意志を喪《うしな》った風景のなかを死んでいった。そこでは、たくさんの虫が一匹の死にかけている虫の周囲に集まって悲しんだり泣いたりしていた。そして彼らの二人ともが、土に帰る前の一年間を横たわっていた、白い土の石《せつ》膏《こう》の床からおろされたのである。
――どうして医者は「今の一年は後の十年だ」なんて言うのだろう。
尭はそう言われたとき自分の裡《うち》に起こったなぜかばつの悪いような感情を想い出しながら考えた。
――まるで自分がその十年で到達しなければならない理想でも持っているかのように。どうしてあと何年経てば死ぬとは言わないのだろう。
尭の頭には彼にしばしば現前する意志を喪った風景が浮かびあがる。
暗い冷たい石造の官《かん》衙《が》の立ち並んでいる街の停留所。そこで彼は電車を待っていた。家へ帰ろうかにぎやかな街へ出ようか、彼は迷っていた。どちらの決心もつかなかった。そして電車はいくら待ってもどちらからも来なかった。圧しつけるような暗い建築の陰影、裸の並木、まばらな街燈の透視図。――その遠くの交《こう》叉《さ》路《ろ》にはときどき過ぎる水族館のような電車。風景はにわかに統制を失った。そのなかで彼は激しい滅形を感じた。
おさない尭は捕鼠《ねずみ》器《とり》に入った鼠《ねずみ》を川に漬《つ》けに行った。透明な水のなかで鼠は左右に金網を伝い、それは空気のなかでのように見えた。やがて鼠は網目の一つへ鼻を突っこんだまま動かなくなった。白い泡が鼠の口から最後にうかんだ。……
尭は五、六年前は、自分の病気が約束している死の前には、ただ甘い悲しみを撒《ま》いただけで通り過ぎていた。そしていつかそれに気がついてみると、栄養や安静が彼に浸潤した、美食に対する嗜《し》好《こう》や安逸や怯《きよう》懦《だ》は、彼から生きていこうとする意志をだんだんに持ち去っていた。しかし彼は幾度も心を取り直して生活に向かっていった。が、彼の思索や行為はいつの間にかいつわりの響をたてはじめ、やがてその滑らかさを失って凝固した。と、彼の前に、そういった風景が現われるのだった。
何人もの人間がある徴候をあらわしある経過をたどって死んでいった。それと同じ徴候がおまえにあらわれている。
近代科学の使徒の一人が、尭にはじめてそれを告げたとき、彼の拒否する権限もないそのことは、ただ彼が漠然忌みきらっていたその名称ばかりで、頭がそれを受けつけなかった。もう彼はそれを拒否しない。白い土の石《せつ》膏《こう》の床は彼が黒い土に帰るまでの何年かのために用意されている。そこではもう転《てん》輾《てん》することさえ許されないのだ。
夜が更けて夜番の撃《げき》柝《たく》の音がきこえ出すと、尭は陰《いん》鬱《うつ》な心の底でつぶやいた。
「おやすみなさい、お母さん」
撃柝の音は坂や邸の多い尭の家のあたりを、微妙に変わってゆく反響のぐあいで、それが通ってゆく先々を髣《ほう》髴《ふつ》させた。肺のきしむ音だと思っていた杳《はる》かな犬の遠ぼえ。――尭には夜番が見える。母の寝姿が見える。もっともっと陰鬱な心の底で彼はまたつぶやく。
「おやすみなさい、お母さん」
三
尭は掃除をすました部屋の窓を明け放ち、籐《とう》の寝椅子に休んでいた。と、ジュッ、ジュッという啼《な》き声がしてかなむぐらの垣の蔭《かげ》に笹《ささ》鳴《な》きの鶯《うぐいす》が見え隠れするのが見えた。
ジュッ、ジュッ、尭は鎌《かま》首《くび》をもたげて、口でその啼き声をまねながら、小鳥の様子を見ていた。――彼は自家《うち》でカナリヤを飼っていたことがある。
美しい午前の日光が葉をこぼれている。笹鳴きは口の音に迷わされてはいるが、そんな場合のカナリヤなどのように、機微な感情は現わさなかった。食慾に肥えふとって、なにか堅いチョッキでも着たような恰《かつ》好《こう》をしている。――尭がまねをやめると、愛想もなく、下枝の間を渡りながら行ってしまった。
低地をへだてて、谷に臨んだ日当たりのいいある華族の庭が見えた。黄に枯れた朝鮮芝に赤い蒲《ふ》団《とん》が干してある。――尭はいつになく早起きをした午前にうっとりとした。
しばらくして彼は、葉が褐色に枯れ落ちている屋根に、つるもどきの赤い実がつややかにあらわれているのを見ながら、家の門を出た。
風もない青空に、黄になりきった公孫樹《いちよう》は、静かに影を畳んで休ろうていた。白い化粧煉《れん》瓦《が》を張った長い塀が、いかにも澄んだ冬の空気を映していた。その下を孫をおぶった老婆がゆっくりゆっくり歩いて来る。
尭は長い坂を下りて郵便局へ行った。日の射し込んでいる郵便局は絶えず扉が鳴り、人びとは朝の新鮮な空気を撒《ま》き散らしていた。尭は氷い間こんな空気に接しなかったような気がした。
彼は細い坂をゆっくりゆっくり登った。山茶花《さざんか》の花ややつでの花が咲いていた。尭は十二月になっても蝶《ちよう》がいるのに驚いた。それの飛んで行った方角には日光に撒かれた虻《あぶ》の光点が忙しく行き交うていた。
「痴《ち》呆《ほう》のような幸福だ」と彼は思った。そしてうつらうつら日だまりに屈《かが》まっていた。――やはりその日《ひ》溜《だ》まりの少し離れたところに小さい子供たちがなにかして遊んでいた。四、五歳の童子や童女たちであった。
「見てやしないだろうな」と思いながら尭は浅く水が流れている溝のなかへ痰《たん》を吐いた。そして彼らの方へ近づいて行った。女の子であばれているのもあった。男の子でおとなしくしているのもあった。おさない線が石墨で路に描かれていた。――尭はふと、これはどこかで見たことのある風景だと思った。不意に心が揺れた。揺り覚まされた虻が茫《ぼう》漠《ばく》とした尭の過去へ飛び去った。そのうららかな臘《ろう》月《げつ》の午前へ。
尭の虻は見つけた。山茶花を、その花片のこぼれるあたりに遊んでいる童子たちを。――それはたとえば彼が半紙などを忘れて学校へ行ったとき、先生に断わりを言って急いで自家へ取りに帰って来る、学校は授業中の、なにか珍しい午前の路であった。そんなときでもなければかいま見ることを許されなかった聖なる時刻の有様であった。そう思ってみて尭はほほえんだ。
午後になって、日がいつもの角度に傾くと、この考えは尭を悲しくした。おさないときの古ぼけた写真のなかに、残っていたひなたのような弱陽が物象を照らしていた。
希望を持てないものが、どうして追憶をいつくしむことができよう。未来に今朝のような明るさを覚えたことが近ごろの自分にあるだろうか。そして今朝の思いつきもなんのことはない、ロシアの貴族のように(午後二時ごろの朝《ちよう》餐《さん》)が生活の習慣になっていたということのいい証拠ではないか。――
彼はまた長い坂を下りて郵便局へ行った。
「今朝の葉書のこと、考えが変わってやめることにしたから、お願いしたこと御中止ください」
今朝彼は暖い海岸で冬を越すことを想い、そこに住んでいる友人に貸家を捜すことを頼んでやったのだった。
彼は激しい疲労を感じながら坂を帰るのにあえいだ。午前の日光のなかで静かに影を畳んでいた公孫樹は、一日が経たないうちにもう凩《こがらし》が枝をまばらにしていた。その落葉が陽を喪《うしな》った路の上を明るくしている。彼はそれらの落葉にほのかな愛着を覚えた。
尭は家の横の路まで帰って来た。彼の家からはその勾《こう》配《ばい》のついた路は崖《がけ》上《うえ》になっている。部屋からながめているいつもの風景は、今彼の眼前で凩に吹きさらされていた。曇空には雲が暗《あん》澹《たん》と動いていた。そしてその下に尭は、まだ電燈も来ないある家の二階は、もう戸が鎖《とざ》されてあるのを見た。戸の木肌はあらわに外面に向かってさらされていた。――ある感動で尭はそこにたたずんだ。傍らには彼のすんでいる部屋がある。尭はそれをこれまでついぞながめたことのない新しい感情でながめはじめた。
電燈も来ないのにはや戸じまりをした一軒の家の二階――戸のあらわな木肌は、不意に尭の心をよるべのない旅情で染めた。
――食うものも持たない。どこに泊まるあてもない。そして日は暮れかかっているが、この他国の町ははや自分を拒んでいる。――
それが現実であるかのような暗愁が彼の心を翳《かげ》っていった。またそんな記憶がかつての自分にあったような、一種いぶかしい甘美な気持が尭を切なくした。
何ゆえそんな空想が起こってくるのか? 何ゆえその空想がかくも自分を悲しませ、また、かくも親しく自分を呼ぶのか? そんなことが尭にはおぼろげにわかるように思われた。
肉をあぶる香ばしい匂《にお》いが夕《ゆう》凍《じ》みの匂いに混じって来た。一日の仕事を終えたらしい大工のような人が、息を吐く微《かす》かな音をさせながら、尭にすれちがってすたすたと坂を登って行った。
「俺《おれ》の部屋はあすこだ」
尭はそう思いながら自分の部屋に目を注いだ。薄暮に包まれているその姿は、今エーテルのように風景に拡がってゆく虚無に対しては、何の力でもないようにながめられた。
「俺が愛した部屋。俺がそこにすむのをよろこんだ部屋。あのなかには俺のいっさいの所持品が――ふとするとその日その日の生活の感情までが内蔵されているかもしれない。ここから声をかければ、その幽霊があの窓をあけて首を差し伸べそうな気さえする。がしかしそれも、脱ぎ棄てた宿屋の褞袍《どてら》がいつしか自分自身の身体をそのなかに髣《ほう》髴《ふつ》させてくる作用とわずかもちがったことはないではないか。あの無感覚な屋根瓦や窓ガラスをこうしてじっと見ていると、俺はだんだん通行人のような心になってくる。あの無感覚な外囲は自殺しかけている人間をそのなかに蔵しているときもやはりあのとおりにちがいないのだ。――といって、自分は先刻の空想が俺を呼ぶのに従ってこのままここを歩み去ることもできない。
早く電燈でも来ればよい。あの窓の磨《すり》ガラスが黄色い灯をにじませれば、与えられた生命に満足している人間を部屋のなかに、この通行人の心は想像するかもしれない。その幸福を信じる力が起こってくるかもしれない」
路にたたずんでいる尭の耳に階下の柱時計の音がボンボン……と伝わって来た。変なものを聞いた、と思いながら彼の足はとぼとぼと坂を下って行った。
四
街路樹から次には街路から、風が枯葉を掃いてしまったあとは風の音も変わっていった。夜になると街のアスファルトは鉛筆で光らせたように凍《い》てはじめた。そんな夜を尭は自分の静かな町から銀座へ出かけて行った。そこでは華々しいクリスマスや歳末の売り出しがはじまっていた。
友達か恋人か家族か舗《ほ》道《どう》の人はそのほとんどが連れを携えていた。連れのない人間の顔は友達に出会う当てを持っていた。そしてほんとうに連れがなくとも金と健康を持っている人に、この物慾の市場が悪い顔をするはずのものではないのであった。
「何をしに自分は銀座へ来るのだろう」
尭は舗道が早くも疲労ばかりしか与えなくなりはじめるとよくそう思った。尭はそんなときいつか電車のなかで見たある少女の顔を思い浮かべた。
その少女はつつましい微笑をうかべて彼の座席の前で釣革に下がっていた。どてらのように身体に添っていない着物から「お姉さん」のような首が生えていた。その美しい顔はひと眼で彼女が何病だかを直感させた。陶器のように白い皮膚をかげらせている多いうぶ毛。鼻孔のまわりの垢《あか》。
「彼女はきっと病床から脱け出して来たものに相違ない」
少女の面を絶えずさざなみのように起こっては消える微笑をながめながら尭はそう思った。彼女が鼻をかむようにしてふきとっているのは何か。灰を落としたストーヴのように、そんなとき彼女の顔には一時鮮やかな血がのぼった。
自身の疲労とともにだんだんいじらしさを増していくその娘の像を抱きながら、銀座では尭は自分の痰《たん》を吐くのに困った。まるでものを言うたび口から蛙《かえる》が跳び出すグリムお伽《とぎ》噺《ばなし》の娘のように。
彼はそんなとき一人の男が痰を吐いたのを見たことがある。ふいに貧しい下駄が出て来てそれをすりつぶした。が、それは足がはいている下駄ではなかった。路傍にござを敷いてブリキの独楽《こま》を売っている老人が、さすがに怒りを浮かべながら、その下駄をござの端のも一つの上へ重ねるところを彼は見たのである。
「見たか」そんな気持で尭は行き過ぎる人びとを振り返った。が、誰もそれを見た人はなさそうだった。老人のすわっているところは、それが往来の目に入るにはあまりに近すぎた。それでなくても老人の売っているブリキの独楽《こま》は、もう田舎の駄菓子屋ででも陳腐なものにちがいなかった。尭は一度もその玩具が売れたのを見たことがなかった。
「何をしに自分は来たのだ」
彼はそれが自分自身への口実の、コーヒーやバターやパンや筆を買ったあとで、ときには憤怒のようなものを感じながら高価なフランス香料を買ったりするのだった。またときには露店が店を畳む時刻まで街角のレストランに腰をかけていた。ストーヴに暖められ、ピアノトリオに浮き立って、グラスが鳴り、流眄《ながしめ》が光り、笑顔がわき立っているレストランの天井には、物憂い冬の蠅《はえ》が幾匹も舞っていた。所在なくそんなものまで見ているのだった。
「何をしに自分は来たのだ」
街へ出ると吹き通る空っ風がもう人足をまばらにしていた。宵のうち人びとがつかまされたビラの類が不思議に街のひと所に吹きためられていたり、吐いた痰《たん》がすぐに凍り、落ちた下駄の金具にまぎれてしまったりする夜更けを、彼は結局家へ帰らねばならないのだった。
「何をしに自分は来たのだ」
それは彼のなかに残っている古い生活の感興にすぎなかった。やがて自分は来なくなるだろう。尭は重い疲労とともにそれを感じた。
彼が部屋で感覚する夜は、昨夜も一昨夜もおそらくは明晩もない、病院の廊下のように長く続いた夜だった。そこでは古い生活は死のような空気のなかで停止していた。思想は書棚を埋める壁土にしかすぎなかった。壁にかかった星座早見表は午前三時が十月二十何日に目盛をあわせたままほこりをかぶっていた。夜更けて彼が便所へ通うと、小窓の外の屋《や》根《ね》瓦《がわら》には月光のような霜が置いている。それを見るときにだけ彼の心はほうっと明るむのだった。
固い寝床はそれを離れると午後にはじまる一日が待っていた。傾いた冬の日が窓のそとのまのあたりを幻燈のように写し出している。その毎日であった。そしてその不思議な日射しはだんだんすべてのものが仮象にしかすぎないということや、仮象であるゆえ精神的な美しさに染められているのだということを露骨にしてくるのだった。枇《び》杷《わ》が花をつけ、遠くの日だまりからは橙《だいだい》の実が目を射った。そして初冬の時雨《しぐれ》はもう霰《あられ》となって軒をはしった。
霰《あられ》はあとからあとへ黒い屋根瓦を打ってはころころ転がった。トタン屋根をうつ音。やつでの葉を弾く音。枯草に消える音。やがてサアーというそれが世間に降っている音がきこえ出す。と、白い冬の面紗《ヴエイル》を破って近くの邸からは鶴《つる》の蹄《な》き声が起こった。尭の心もそんなときにはなにか新鮮な喜びが感じられるのだった。彼は窓ぎわに倚《よ》って風狂というものが存在した古い時代のことを思った。しかしそれを自分の身にあてはめることは尭にはできなかった。
五
いつの隙《ひま》にか冬至が過ぎた。そんなある日尭は長らく寄りつかなかった、以前住んでいた町の質店へ行った。金が来たので冬の外《がい》套《とう》を出しに出かけたのだった。が、行ってみるとそれはすでに流れたあとだった。
「××どんあれはいつごろだったけ」
「へい」
しばらく見ない間にすっかりおとなびた小店員が帳簿を繰った。
尭はその口上が割合すらすら出て来る番頭の顔が変に見え出した。ある瞬間には彼が非常な言い憎さを押し隠して言っているように見え、ある瞬間にはいかにも平気に言っているように見えた。彼は人の表情を読むのにこれほどとまどったことはないと思った。いつもは好意のある世間話をしてくれる番頭だった。
尭は番頭の言葉によって幾度も彼が質店から郵便を受けていたのをはじめて現実に思い出した。硫酸に侵されているような気持の底で、そんなことをこの番頭に聞かしたらというような苦笑も感じながら、彼もやはり番頭のような無関心を顔に装って一通りそれといっしょに処分されたものを聞くと、彼はその店を出た。
一匹のやせ衰えた犬が、霜解けの路ばたで醜い腰つきをふるわせながら、糞をしようとしていた。尭はなにか露悪的な気持にじりじり迫られるのを感じながら、嫌悪に堪えたその犬の身体つきを終わるまで見ていた。長い帰りの電車のなかでも、彼はしじゅう崩壊に屈しようとする自分を堪えていた。そして電車を降りてみると、家を出るとき持って出たはずの洋傘《こうもり》は――彼は持っていなかった。
あてもなく電車を追おうとする眼を彼は反射的にそらせた。重い疲労を引きずりながら、夕方の道を帰って来た。その日町へ出るとき赤いものを吐いた、それが路ばたの槿《むくげ》が根方にまだひっかかっていた。尭には微《かす》かな身ぶるいが感じられた。――吐いたときには悪いことをしたとしか思わなかったその赤い色に。――
夕方の発熱時が来ていた。冷たい汗が気味悪く腋《わき》の下を伝わった。彼は袴《はかま》も脱がぬ外出姿のまま凝《ぎよう》然《ぜん》と部屋にすわっていた。
突然匕首《あいくち》のような悲しみが彼に触れた。次から次へ愛するものを失っていった母の、ときどきするとぼけたような表情を思い浮かべると、彼は静かに泣きはじめた。
夕《ゆう》餉《げ》をしたために階下へ下りるころは、彼の心はもはや冷静に帰っていた。そこへ友達の折田というのが訪ねて来た。食慾はなかった。彼はすぐ二階へあがった。
折田は壁にかかっていた、星座表をおろして来てしきりに目盛を動かしていた。
「よう」
折田はそれには答えず、
「どうだ。雄大じゃあないか」
それから顔をあげようとしなかった。尭はふと息をのんだ。彼にはそれがいかに壮大なながめであるかが信じられた。
「休暇になったから郷里へ帰ろうと思ってやって来た」
「もう休暇かね。俺はこんどは帰らないよ」
「どうして」
「帰りたくない」
「うちからは」
「うちへは帰らないと手紙出した」
「旅行でもするのか」
「いや、そうじゃない」
折田はぎろと尭の目を見返したまま、もうその先をきかなかった。が、友達の噂《うわさ》、学校の話、久《きゆう》闊《かつ》の話は次第に出て来た。
「このごろ学校じゃあ講堂の焼け跡をこわしてるんだ。それがね、労働者がつるはしを持って焼け跡の煉《れん》瓦《が》壁へ登って……」
その現に自分の乗っている煉瓦壁へつるはしをふるっている労働者の姿を、折田は身振りをまぜて描き出した。
「あとひと衝《つ》きというところまでは、その上にいてつるはしをあてている。それから安全なところへ移って一つぐゎんとやるんだ。すると大きなやつがどどうんと落ちて来る」
「ふうん。なかなかおもしろい」
「おもしろいよ。それで大変な人気だ」
尭らは話をしているといくらでも茶を飲んた。が、へいぜい自分の使っている茶《ちや》碗《わん》でしきりに茶を飲む折田を見ると、そのたび彼は心が話からそれる。その拘泥がだんだん重く尭にのしかかってきた。
「君は肺病の茶碗を使うのが平気なのかい。咳をするたびにバイキンはたくさん飛んでいるし。――平気なんだったら衛生の観念が乏しいんだし、友達がいにこらえているんだったら子供みたいな感傷主義にすぎないと思うな――僕はそう思う」
言ってしまって尭は、なぜこんないやなことを言ったのかと思った。折田は目を一度ぎろとさせたまま黙っていた。
「しばらく誰も来なかったかい」
「しばらく誰も来なかった」
「来ないとひがむかい」
こんどは尭が黙った。が、そんな言葉で話し合うのが尭にはなぜか快かった。
「ひがみはしない。しかし俺《おれ》もこのごろは考え方が少しちがってきた」
「そうか」尭はその日の出来事を折田に話した。
「俺はそんなときどうしても冷静になれない。冷静というものは無感動じゃなくて、俺にとっては感動だ。苦痛だ。しかし俺の生きる道は、その冷静で自分の肉体や自分の生活が滅びてゆくのを見ていることだ」
「…………」
「自分の生活が壊れてしまえばほんとうの冷静は来ると思う。水底の岩に落ちつく木の葉かな……」
「丈《じよう》草《そう》だね。……そうか、しばらく来なかったな」
「そんなこと。……しかしこんな考えは孤独にするな」
「俺は君がそのうちに転地でもするような気になるといいと思うな。正月には帰れと言って来ても帰らないつもりか」
「帰らないつもりだ」
珍しく風のない静かな晩だった。そんな夜は火事もなかった。二人が話をしていると、戸外にはときどき小さい呼子のような声のものが鳴いた。
十一時になって折田は帰って行った。帰るきわに彼は紙入のなかから乗車割引券を二枚、
「学校へとりにゆくのもめんどうだろうから」と言って尭に渡した。
六
母から手紙が来た。
――おまえにはなにか変わったことがあるにちがいない。それで正月上京なさる津枝さんにおまえを見舞っていただくことにした。そのつもりでいなさい。
帰らないというから春着を送りました。今年は胴着を作って入れておいたが、胴着は着物と襦《じゆ》袢《ばん》の間に着るものです。じかに着てはいけません。――
津枝というのは母の先生の子息で今は大学を出て医者をしていた。が、かつて尭にはその人に兄のような思慕を持っていた時代があった。
尭は近くへ散歩に出ると、近ごろはことに母の幻覚に出会った。母だ! と思ってそれが見も知らぬ人の顔であるとき、彼はよく変なことを思った。――すうっと変わったようだった。また母がもう彼の部屋へ来てすわりこんでいる姿が目にちらつき家へ引き返したりした。が、来たのは手紙だった。そして来るべき人は津枝だった。尭の幻覚はやんだ。
街を歩くと尭は自分が敏感な水準器になってしまったのを感じた。彼はだんだん呼吸が切迫してくる自分に気がつく。そして振り返って見るとその道は彼が知らなかったほどの傾斜をしているのだった。彼は立ち停まると激しく肩で息をした。あるせつない塊が胸を下ってゆくまでは、必ずどうすればいいのかわからない息苦しさを一度経なければならなかった。それがしずまると尭はまた歩き出した。
何が彼を駆るのか。それは遠い地平へ落ちて行く太陽の姿だった。
彼の一日は低地をへだてた灰色の洋風の木造家屋に、どの日もどの日も消えてゆく冬の日に、もう堪えきることができなくなった。窓の外の風景が次第にあおざめた空気のなかへ没してゆくとき、それがすでにただの日《ひ》蔭《かげ》ではなく、夜と名づけられた日蔭だという自覚に、彼の心は不思議ないらだちを覚えてくるのだった。
「あああ大きな落日が見たい」
彼は家を出て遠い展望のきく場所を捜した。歳暮の町にはもちつきの音が起こっていた。花屋の前には梅と福寿草をあしらった植木鉢が並んでいた。そんな風俗画は、町がどこをどう帰っていいかわからなくなりはじめるにつれて、だんだん美しくなった。自分のまだ一度も踏まなかった路――そこでは米を磨《と》いでいる女も喧《けん》嘩《か》をしている子供も彼を立ち停まらせた。が、見晴らしはどこへ行っても、大きな屋根の影絵があり、夕焼空に澄んだ梢《こずえ》があった。そのたび、遠い地平へ落ちてゆく太陽の隠された姿がせつない彼の心に写った。
日の光に満ちた空気は地上をわずかもへだたっていなかった。彼の満たされない願望は、ときに高い屋根の上へのぼり、空へ手を伸ばしている男を想像した。男の指の先はその空気に触れている。――また彼は水素をみたした石鹸《シヤボン》玉《だま》があおざめた人と街とを昇天させながら、その空気のなかへパッと七《なな》彩《いろ》に浮かび上がる瞬間を想像した。
青く澄み透った空では浮雲が次から次へ美しく燃えていった。みたされない尭の心の燠《おき》にも、やがてその火は燃えうつった。
「こんなに美しいときが、なぜこんなに短いのだろう」
彼はそんなときほどはかない気のするときはなかった。燃えた雲はまたつぎに死灰になりはじめた。彼の足はもう進まなかった。
「あの空を満たしてゆく影は地球のどの辺の影になるかしら。あすこの雲へゆかないかぎり今日ももう日は見られない」
にわかに重い疲れが彼によりかかる。知らない町の知らない町角で、尭の心はもう再び明るくはならなかった。
(一九二七年三月)
桜の樹の下には
桜の樹の下には屍《し》体《たい》が埋まっている!
これは信じていいことなんだよ。なぜって、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺《おれ》はあの美しさが信じられないので、この二、三日不安だった。しかしいまやっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ。
どうして俺が毎晩家へ帰って来る道で、俺の部屋の数ある道具のうちの、よりによってちっぽけな薄っぺらいもの、安全剃刀《かみそり》の刃なんぞが、千里眼のように思い浮かんでくるのか――おまえはそれがわからないと言ったが――そして俺にもやはりそれがわからないのだが――それもこれもやっぱり同じようなことにちがいない。
いったいどんな樹の花でも、いわゆる真盛りという状態に達すると、あたりの空気のなかへ一種神秘な雰囲気をまき散らすものだ。それは、よく廻った独楽《こま》が完全な静止に澄むように、また、音楽の上手な演奏がきまってなにかの幻覚を伴うように、灼《しやく》熱《ねつ》した生殖の幻覚させる後光のようなものだ。それは人の心をうたずにはおかない、不思議な、生き生きとした、美しさだ。
しかし、昨日、一昨日、俺の心をひどく陰気にしたものもそれなのだ。俺にはその美しさがなにか信じられないもののような気がした。俺は反対に不安になり、憂《ゆう》鬱《うつ》になり、空虚な気持になった。しかし、俺はいまやっとわかった。
おまえ、この爛《らん》漫《まん》と咲き乱れている桜の樹の下へ、一つ一つ屍《し》体《たい》が埋まっていると想像してみるがいい。何が俺をそんなに不安にしていたかがおまえには納得がいくだろう。
馬のような屍体、犬猫のような屍体、そして人間のような屍体、屍体はみな腐《ふ》爛《らん》して蛆《うじ》がわき、たまらなく臭い。それでいて水晶のような液をたらたらとたらしている。桜の根は貪《どん》婪《らん》な蛸《たこ》のように、それを抱きかかえ、いそぎんちゃくの食糸のような毛根をあつめて、その液体を吸っている。
何があんな花弁を作り、何があんな蕊《ずい》を作っているのか、俺は毛根の吸いあげる水晶のような液が、静かな列を作って、維管束のなかを夢のようにあがってゆくのが見えるのだ。
――おまえは何をそう苦しそうな顔をしているのだ。美しい透視術じゃないか。俺はいまようやく瞳《ひとみ》を据《す》えて桜の花が見られるようになったのだ。昨日、一昨日、俺を不安がらせた神秘から自由になったのだ。
二、三日前、俺は、ここの渓《たに》へ下りて、石の上を伝い歩きしていた。水のしぶきのなかからは、あちらからもこちらからも、薄羽かげろうがアフロディットのように生まれて来て、渓の空をめがけて舞い上がってゆくのが見えた。おまえも知っているとおり、彼らはそこで美しい結婚をするのだ。しばらく歩いていると、俺は変なものにでくわした。それは渓の水が乾いた磧《かわら》へ、小さい水《みず》溜《たまり》を残している、その水のなかだった。思いがけない石油を流したような光彩が、一面に浮いているのだ。おまえはそれを何だったと思う。それは何万匹とも数の知れない、薄羽かげろうの屍《し》体《たい》だったのだ。隙《すき》間《ま》なく水の面をおおっている、彼らのかさなりあった翅《はね》が、光にちぢれて油のような光彩を流しているのだ。そこが、産卵を終わった彼らの墓場だったのだ。
俺はそれを見たとき、胸が衝《つ》かれるような気がした。墓場をあばいて屍体を嗜《たしな》む変質者のような残忍なよろこびを俺は味わった。
この渓《たに》間《ま》ではなにも俺をよろこばすものはない。鶯《うぐいす》や四《し》十《じゆう》雀《から》も、白い日光をさ青に煙らせている木の若芽も、ただそれだけでは、もうろうとした心象にすぎない。俺には惨劇が必要なんだ。その平衡があって、はじめて俺の心象は明確になってくる。俺の心は悪鬼のように憂《ゆう》鬱《うつ》に渇いている。俺の心に憂鬱が完成するときにばかり、俺の心はなごんでくる。
――おまえは腋《わき》の下をふいているね。冷汗が出るのか。それは俺も同じことだ。何もそれを不愉快がることはない。べたべたとまるで精液のようだと思ってごらん。それで俺たちの憂鬱は完成するのだ。
ああ、桜の樹の下には屍体が埋まっている!
いったいどこから浮かんで来た空想かさっぱり見当のつかない屍体が、いまはまるで桜の樹と一つになって、どんなに頭を振っても離れてゆこうとはしない。
今こそ俺は、あの桜の下で酒宴をひらいている村人たちと同じ権利で、花見の酒がのめそうな気がする。
(一九二八年十月)
冬の蠅
冬の蠅《はえ》とは何か?
よぼよぼと歩いている蠅。指を近づけても逃げない蠅。そして飛べないのかと思っているとやはり飛ぶ蠅。彼らはいったいどこで夏ごろの不《ふ》逞《てい》さや憎々しいほどのすばしこさを失って来るのだろう。色は不鮮明に黝《くろず》んで、翅《し》体《たい》は萎《い》縮《しゆく》している。汚い臓物で張り切っていた腹は紙撚《こより》のようにやせ細っている。そんな彼らがわれわれの気もつかないような夜具の上などを、いじけ衰えた姿ではっているのである。
冬から早春にかけて、人は一度ならずそんな蠅を見たにちがいない。それが冬の蠅である。私はいま、この冬私の部屋にすんでいた彼らから一篇の小説を書こうとしている。
1
冬が来て私は日光浴をやりはじめた。渓《たに》間《ま》の温泉宿なので日がかげり易い。渓の風景は朝遅くまでは日影のなかに澄んでいる。やっと十時ごろ渓向こうの山にせきとめられていた日光が閃《せん》々《せん》と私の窓を射はじめる。窓を開けて仰ぐと、渓の空は虻《あぶ》や蜂《はち》の光点が忙しく飛び交っている。白く輝いた蜘蛛《くも》の糸が弓形にふくらんで幾条も幾条も流れてゆく。(その糸の上には、なんという小さな天女! 蜘蛛が乗っているのである。彼らはそうして自分らの身体を渓のこちら岸からあちら岸へ運ぶものらしい。)昆虫昆虫。初冬といっても彼らの活動は空に織るようである。日光が樫《かし》の梢《こずえ》に染まりはじめる。するとその梢からは白い水蒸気のようなものが立ちのぼる。霜が溶けるのだろうか。溶けた霜が蒸発するのだろうか。いや、それも昆虫である。微粒子のような羽虫がそんなふうに群がっている。そこへ日が当たったのである。
私は開け放った窓のなかで半裸体の身体をさらしながら、そうした内《うち》湾《うみ》のようににぎやかな渓の空をながめている。すると彼らがやって来るのである。彼らのやって来るのは私の部屋の天井からである。日《ひ》蔭《かげ》ではよぼよぼとしている彼らはひなたのなかへ下りて来るやよみがえったように活気づく。私の脛《すね》へひやりととまったり、両脚を挙げて腋《わき》の下をかくようなまねをしたり手を摩《す》りあわせたり、かと思うと弱々しく飛び立っては絡み合ったりするのである。そうした彼らを見ていると彼らがどんなに日光を怡《たの》しんでいるかがあわれなほど理解される。とにかく彼らが嬉《き》戯《ぎ》するような表情をするのはひなたのなかばかりである。それに彼らは窓が明いている間はひなたのなかから一歩も出ようとはしない。日がかげるまで、移ってゆくひなたのなかで遊んでいるのである。虻《あぶ》や蜂《はち》があんなにも溌《はつ》剌《らつ》と飛び廻っている外気のなかへもけっして飛び立とうとはせず、なぜか病人である私をまねている。しかしなんという「生きんとする意志」であろう! 彼らは日光のなかで交尾することを忘れない。おそらく枯死からはそう遠くない彼らが!
日光浴をするとき私の傍らに彼らを見るのは私の日課のようになってしまっていた。私は微《かす》かな好奇心と一種なじみの気持から彼らを殺したりはしなかった。また夏のころのようにたけだけしい蠅《はえ》捕《と》り蜘蛛《ぐも》がやって来るのでもなかった。そうした外敵からは彼らは安全であったといえるのである。しかし毎日たいてい二匹ずつほどの彼らがなくなっていった。それはほかでもない。牛乳の壜《びん》である。私は自分の飲みっぱなしをひなたのなかへ置いておく。すると毎日決まったようにそのなかへはいって出られないやつができた。壜の内側を身体に附着した牛乳を引きずりながらのぼって来るのであるが、力のない彼らはどうしても中途で落ちてしまう。私はときどきそれをながめていたりしたが、こちらが「もう落ちる時分だ」と思うころ、蠅も「ああ、もう落ちそうだ」というふうに動かなくなる。そして案の定落ちてしまう。それは見ていてけっして残酷でなくはなかった。しかしそれを助けてやるというような気持は私の倦怠《アンニユイ》からは起こってこない。彼らはそのまま女中が下げてゆく。蓋《ふた》をしておいてやるという注意もなおのことできない。翌日になると一匹ずつはいって同じことを繰り返していた。
「蠅と日光浴をしている男」いま諸君の目にはそうした表象が浮かんでいるにちがいない。日光浴を書いたついでに私はもう一つの表象「日光浴をしながら太陽を憎んでいる男」を書いてゆこう。
私の滞在はこの冬でふた冬目であった。私は好んでこんな山間にやって来ているわけではなかった。私は早く都会へ帰りたい。帰りたいと思いながらふた冬もいてしまったのである。いつまで経っても私の「疲労」は私を解放しなかった。私が都会を想い浮かべるごとに私の「疲労」は絶望に満ちた街々を描き出す。それはいつになっても変《へん》改《がい》されない。そしてはじめ心に決めていた都会へ帰る日取りはとうの昔に過ぎ去ったまま、いまはその影も形もなくなっていたのである。私は日を浴びていても、いや、日を浴びるときはことに、太陽を憎むことばかり考えていた。結局は私を生かさないであろう太陽。しかもうっとりとした生の幻影で私をだまそうとする太陽。おお、私の太陽。私はだらしのない愛情のように太陽が癪《しやく》に触った。裘《けごろも》のようなものは反対に、緊迫衣《ストレート・ジヤケツト》のように私を圧迫した。狂人のようなもだえでそれを引き裂き、私を殺すであろう酷寒のなかの自由をひたすらに私は欲した。
こうした感情は日光浴の際身体の受ける生理的な変化――さかんになってくる血行や、それに随って鈍麻してゆく頭脳や――そういったもののなかに確かにその原因を持っている。鋭い悲哀をやわらげ、ほかほかと心を怡《たの》します快感は、同時に重っ苦しい不快感である。この不快感は日光浴の済んだあとなんともいえない虚無的な疲れで病人を打ち敗かしてしまう。おそらくそれへの嫌悪から私のそうした憎悪も胚《はい》胎《たい》したのかもしれないのである。
しかし私の憎悪はそればかりではなく、太陽が風景へ与える効果――眼からの効果――の上にも形成されていた。
私が最後に都会にいたころ――それは冬至に間もないころであったが――私は毎日自分の窓の風景から消えてゆく日影に限りない愛惜を持っていた。私は墨汁のようにこみあげてくる悔恨といらだたしさの感情で、風景を埋めてゆく影をながめていた。そして落日を見ようとするせつなさに駆られながら、見透しのつかない街をあわてふためいてうろうろしたのである。今の私にはもうそんな愛惜はなかった。私は日の当たった風景の象徴する幸福な感情を否定するのではない。その幸福は今や私を傷つける。私はそれを憎むのである。
渓の向う側には杉林が山腹をおおっている。私は太陽光線の偽《ぎ》瞞《まん》をいつもその杉林で感じた。昼間日が当たっているときそれはただ雑然とした杉の秀《ほ》の堆積としか見えなかった。それが夕方になり光が空からの反射光線に変わるとはっきりした遠近にわかれてくるのだった。一本一本の木が犯しがたい威厳をあらわしてき、しんしんと立ち並び、立ち静まってくるのである。そして昼間は感じられなかった地域がかしこにここに杉の秀並みの間へ想像されるようになる。渓側にはまた樫《かし》や椎《しい》の常緑樹に交じって一本の落葉樹が裸の枝に朱色の実を垂れて立っていた。その色は昼間は白く粉を吹いたように疲れている。それが夕方になると眼が吸いつくばかりの鮮やかさにさえる。元来一つの物に一つの色彩が固有しているというわけのものではない。だから私はそれをも偽瞞というのではない。しかし直射光線には偏《へん》頗《ぱ》があり、一つの物象の色をその周囲の色との正しい諧調から破ってしまうのである。そればかりではない。全反射がある。日蔭はひなたとの対照で闇《やみ》のようになってしまう。なんという雑多な溷《こん》濁《だく》だろう。そしてすべてそうしたことが日の当たった風景を作りあげているのである。そこには感情の弛《し》緩《かん》があり、神経の鈍麻があり、理性の偽瞞がある。これがその象徴する幸福の内容である。おそらく世間における幸福がそれらを条件としているように。
私は以前とは反対に渓間を冷たく沈ませてゆく夕方を――わずかの時間しか地上にとどまらないたそがれの厳かなおきてを――待つようになった。それは日が地上を去って行ったあと、路の上のみずたまりを白く光らせながら空から下りて来る反射光線である。たとえ人はそのなかで幸福ではないにしても、そこには私の眼を澄ませ心を透き徹《とお》らせる風景があった。
「平俗なひなため! 早く消えろ。いくら貴様が風景に愛情を与え、冬の蠅を活気づけても、俺《おれ》を愚《ぐ》昧《まい》化することだけはできぬわい。俺は貴様の弟子の外光派に唾《つば》をひっかける。俺は今度会ったら医者に抗議を申し込んでやる」
日に当たりながら私の憎悪はだんだんたかまってゆく。しかしなんという「生きんとする意志」であろう。ひなたのなかの彼らは永久に彼らの怡《たの》しみを見棄てない。壜《びん》のなかのやつも永久に登っては落ち、登っては落ちている。
やがて日がかげりはじめる。高い椎の樹へ隠れるのである。直射光線がけうとい回折線にうつろいはじめる。彼らの影も私の脛《すね》の影も不思議な鮮やかさを帯びてくる。そして私は褞袍《どてら》をまとってガラス窓を閉ざしかかるのであった。
午後になると私は読書をすることにしていた。彼らはまたそこへやって来た。彼らは私の読んでいる本へまつわりついて、私のはぐるページのためにいつも身体を挟み込まれた。それほど彼らは逃げ足が遅い。逃げ足が遅いだけならまだしも、わずかな紙の重みの下で、あたかも梁《はり》に押えられたように、あおむけになったりしてもがかなければならないのだった。私には彼らを殺す意志がなかった。それでそんなとき――ことに食事のときなどに、彼らの足弱がかえって迷惑になった。食《しよく》膳《ぜん》のものへとまりに来るときは追う箸《はし》をことさらゆっくり動かさなくてはならない。さもないと箸の先で汚ならしくもつぶれてしまわないともかぎらないのである。しかしそれでもまだそれに弾《は》ねられて汁のなかへ落ち込んだりするのがいた。
最後に彼らを見るのは夜、私が寝床へはいるときであった。彼らはみな天井にはりついていた。じっと、死んだようにはりついていた。――いったい脾《ひ》弱《よわ》な彼らは日光のなかで戯れているときでさえ、死んだ蠅が生き返ってきて遊んでいるような感じがあった。死んでから幾日も経ち、内臓なども乾きついてしまった蠅がよくほこりにまみれて転がっていることがあるが、そんなやつがまたのこのこと生き返ってきて遊んでいる。いや、事実そんなことがあるのではなかろうか、といった想像も彼らのみてくれからは充分に許すことができるほどであった。そんな彼らが今やじっと天井にとまっている。それはほんとうに死んだようである。
そうした、錯覚に似た彼らを眠るまえ枕《まくら》の上からながめていると、私の胸へはいつも廓《かく》寥《りよう》とした深夜の気配がしみてきた。冬ざれた渓《たに》間《ま》の旅館は私のほかに宿泊人のない夜がある。そんな部屋はみな電燈が消されている。そして夜が更けるにしたがってなんとなく廃《はい》墟《きよ》に宿っているような心持を誘うのである。私の眼はその荒れ寂びた空想のなかに恐ろしいまでに鮮やかな一つの場面を思い浮かべる。それは夜深く海の香をたてながら、澄み透った湯をあふれさせている渓傍の浴槽である。そしてその情景はますます私に廃墟の気持を募らせてゆく。――天井の彼らをながめていると私の心はそうした深夜を感じる。深夜のなかへ心が拡がってゆく。そしてそのなかのただ一つの起きている部屋である私の部屋。――天井に彼らのとまっている、死んだようにじっととまっている私の部屋が、孤独な感情とともに私に帰って来る。
火鉢の火は衰えはじめて、ガラス窓を潤おしていた湯気はだんだん上から消えてくる。私はそのなかから魚のはららごに似た憂《ゆう》鬱《うつ》な紋々があらわれてくるのを見る。それは最初の冬、やはりこうして消えていった水蒸気がいつの間にかそんな紋々を作ってしまったのである。床の間のすみには薄うくほこりをかむった薬《くすり》壜《びん》が何本もからになっている。なんという倦《けん》怠《たい》、なんという因循だろう。私の病《びよう》鬱《うつ》は、おそらくよその部屋にはすんでいない、冬の蠅をさえすませているのではないか。いつになったらいったいこうしたことにけりがつくのか。
心がそんなことにひっかかると私はいつも不眠をわざわいされた。眠れなくなると私は軍艦の進水式を想い浮かべる。その次には小倉百人一首を一首ずつ思い出してはそれの意味を考える。そして最後には考え得られるかぎりの残虐な自殺の方法を空想し、その積み重ねによって眠りを誘おうとする。がらんとした渓《たに》間《ま》の旅館の一室で。天井に彼らのはりついている、死んだようにじっとはりついている一室で。――
2
その日はよく晴れた温かい日であった。午後私は村の郵便局へ手紙を出しに行った。私は疲れていた。それから渓へ下りてまた三、四丁も歩かなければならない私の宿へ帰るのがいかにもおっくうであった。そこへ一台の乗合自動車が通りかかった。それを見ると私はふいに手を挙げた。そしてそれに乗り込んでしまったのである。
その自動車は村の街道を通る同族のなかでも一種目だった特徴で自分を語っていた。暗い幌《ほろ》のなかの乗客の眼がみな一様に前方を見詰めていることや、泥除け、それからステップの上へまであふれた荷物を麻縄が車体へ縛りつけている恰《かつ》好《こう》や――そんな一種の物々しい特徴で、彼らが今から上り三里下り三里の峠をこえて半島の南端の港へ十一里の道をゆく自動車であることが一目で知れるのであった。私はそれへ乗ってしまったのである。それにしてはなんという不似合いな客であったろう。私はただ村の郵便局まで来て疲れたというばかりの人間にすぎないのだった。
日はもう傾いていた。私には何の感想もなかった。ただ私の疲労をまぎらしてゆく快い自動車の動揺ばかりがあった。村の人が背負網を負って山から帰って来るころで、見知った顔が何度も自動車を避《よ》けた。そのたび私はだんだん「意志の中ぶらり」に興味を覚えてきた。そして、それはまたそれで、私の疲労をなにか変わった他のものに変えてゆくのだった。やがてその村人にも会わなくなった。自然林が廻った。落日があらわれた。渓《たに》の音が遠くなった。年《とし》古《ふ》りた杉の柱廊が続いた。冷たい山気がしみてきた。魔女のまたがった箒《ほうき》のように、自動車は私を高い空へ運んだ。いったいどこまでゆこうとするのだろう。峠の隧《すい》道《どう》を出るともう半島の南である。私の村へ帰るにも次の温泉へゆくにも三里の下り道である。そこへ来たとき、私はやっと自動車を止めた。そして薄暮の山の中へ下りてしまったのである。何のために? それは私の疲労が知っている。私はふがいない一人の私を、人里離れた山中へ遺棄してしまったことに、気味のいい嘲《ちよう》笑《しよう》を感じていた。
樫鳥《かけす》が何度も身近から飛び出して私をおどろかした。道は小暗い谿襞《たにひだ》を廻って、どこまで行っても展望がひらけなかった。このままで日が暮れてしまってはと、私の心は心細さでいっぱいであった。幾たびも飛び出す樫鳥は、そんな私を、近くで見る大きな姿で脅かしながら、葉の落ちた欅《けやき》や楢《なら》の枝をはうように渡って行った。
最後にとうとう谿《たに》が姿をあらわした。杉の秀が細胞のように密生している遥かな谿! なんというそれは巨大な谿だったろう。遠《とお》靄《もや》のなかには音もきこえない、水も動かない滝が小さく小さくかかっていた。眩暈《めまい》を感じさせるような谿底には丸太を組んだ橇《そり》道《みち》がさむざむと白くはっていた。日は谿向こうの尾根へ沈んだところであった。水を打ったような静けさがいまこの谿を領していた。何も動かず何もきこえないのである。その静けさはひょっと夢かと思うような谿のながめになおさら夢のような感じを与えていた。
「ここでこのまま日の暮れるまですわっているということは、なんという豪《ごう》奢《しや》な心細さだろう」と私は思った。「宿では夕飯の用意が何も知らずに待っている。そして俺は今夜はどうなるかわからない」
私は私の置き去りにして来た憂《ゆう》鬱《うつ》な部屋を思い浮かべた。そこでは私は夕《ゆう》餉《げ》の時分きまって発熱に苦しむのである。私は着物ぐるみ寝床へはいっている。それでもまだ寒い。悪寒にふるえながら私の頭は何度も浴槽を想像する。「あすこへ漬《つか》ったらどんなに気持いいことだろう」そして私は階段を下り浴槽の方へ歩いてゆく私自身になる。しかしその想像のなかでは私はけっして自分の衣服を脱がない。衣服ぐるみそのなかへはいってしまうのである。私の身体には、そして、支えがない。私はぶくぶくと沈んでしまい、浴槽の底へ溺《でき》死《し》体《たい》のように横たわってしまう。いつもきまってその想像である。そして私は寝床のなかで満潮のように悪寒が退いてゆくのを待っている。――
あたりはだんだん暗くなってきた。日の落ちたあとの水のような光を残して、さえざえとした星が澄んだ空にあらわれてきた。凍えた指の間の煙草の火が夕《うゆ》闇《やみ》のなかで色づいてきた。その火の色は曠《こう》漠《ばく》とした周囲のなかでいかにも孤独であった。その火を措《お》いて一点の燈火も見えずにこの谿《たに》は暮れてしまおうとしているのである。寒さはだんだん私の身体へはい込んできた。平常外気の冒さない奥の方まで冷え入って、懐ろ手をしてもなんの役にも立たないくらいになってきた。しかし私は闇《やみ》と寒気がようやく私を勇気づけてきたのを感じた。私はいつの間にか、これから三里の道を歩いて次の温泉までゆくことに自分を予定していた。ひしひしと迫ってくる絶望に似たものはだんだん私の心に残酷な欲望を募らせていった。疲労または倦《けん》怠《たい》がいったんそうしたものに変わったが最後、いつも私は終わりまでその犠牲になり通さなければならないのだった。あたりがとっぷり暮れ、私がやっとそこを立ち上がったとき、私はあたりにまだ光があったときとは全く異った感情で私自身を艤《ぎ》装《そう》していた。
私は山の凍《い》てついた空気のなかを闇をわけて歩き出した。身体はすこしも温かくもならなかった。ときどきそれでも私の頬《ほお》を軽くなでてゆく空気が感じられた。はじめ私はそれを発熱のためか、それとも極端な寒さのなかで起こる身体の変調かと思っていた。しかし歩いてゆくうちに、それは昼間の日のほとぼりがまだまだらに道に残っているためであるらしいことがわかってきた。すると私には凍った闇のなかに昼の日射しがありありと見えるように思えはじめた。一つの燈火も見えない闇というものも私には変な気を起こさせた。それは灯がついたということで、もしくは灯の光の下で、文明的な私たちははじめて夜を理解するものであるということを信ぜしめるに充分であった。真暗な闇にもかかわらず私はそれが昼間と同じであるような感じを抱いた。星の光っている空は真青であった。道を見分けてゆく方法は昼間の方法と何の変わったこともなかった。道を染めている昼間のほとぼりはなおさらその感じを強くした。
突然私の後ろから風のような音が起こった。さっと流れて来る光のなかへ道の上の小石が歯のような影を立てた。一台の自動車が、それを避けている私には一顧の注意も払わずに走り過ぎて行った。しばらく私はぼんやりしていた。自動車はやがて谿襞《たにひだ》を廻った向こうの道へ姿をあらわした。しかしそれは自動車が走っているというより、ヘッドライトをつけた大きな闇《やみ》が前へ前へ押し寄せてゆくかのように見えるのであった。それが夢のように消えてしまうとまたあたりは寒い闇に包まれ、空腹した私が暗い情熱にあふれて道を踏んでいた。
「なんという苦い絶望した風景であろう。私は私の運命そのままの四囲のなかに歩いている。これは私の心そのままの姿であり、ここにいて私はひなたのなかで感じるようななんらの偽《ぎ》瞞《まん》をも感じない。私の神経は暗い行手に向かって張り切り、今や決然とした意志を感じる。なんというそれは気持のいいことだろう。定罰のような闇、膚《はだ》を劈《さ》く酷寒。そのなかでこそ私の疲労は快く緊張し新しい戦《せん》慄《りつ》を感じることができる。歩け。歩け。へたばるまで歩け」
私は残酷な調子で自分を鞭《むち》打《う》った。歩け。歩け。歩き殺してしまえ。
その夜おそく私は半島の南端、港の船着場を前にして疲れ切った私の身体を立たせていた。私は酒を飲んでいた。しかし心は沈んだまますこしも酔っていなかった。
強い潮の香に混って、瀝青《チヤン》や油の匂いが濃くそのあたりを立てこめていた。もやい綱が船の寝息のようにきしり、それを眠りつかせるように、静かな波のぽちゃぽちゃと舷側《げんそく》をたたく音が、水面にきこえていた。
「××さんはいないかよう!」
静かな空気を破って媚《なま》めいた女の声が先ほどから岸で呼んでいた。ぼんやりした燈りをねむそうに提げている百トンあまりの汽船のともの方から、見えない声が不《ふ》明《めい》瞭《りよう》になにか答えている。それは重々しいバスである。
「いないのかよう。××さんは」
それはこの港に船の男を相手に媚《こび》を売っている女らしく思える。私はその返事のバスに人ごとながら聴耳をたてたが、相《あい》不変《からず》曖《あい》昧《まい》な言葉が同じように鈍い調子で響くばかりで、やがて女はあきらめた様子でいなくなってしまった。
私は静かな眠った港を前にしながら変転に富んだその夜を回想していた。三里はとっくに歩いたと思っているのにいくらしてもおしまいにならなかった山道や、谿《たに》のなかに発電所が見えはじめ、しばらくすると谿の底を提灯《ちようちん》が二つ三つのどかな夜の挨《あい》拶《さつ》をしながらもつれて行くのが見え、私はそれがおおかた村の人が温泉へはいりにゆく灯で、温泉はもう間近にちがいないと思い込み、元気を出したのにみごと当てがはずれたことや、やっと温泉に着いて凍え疲れた四肢を村人の混み合っている共同湯で温めたときの異様な安《あん》堵《ど》の感情や、――ほんとうにそれらは回想という言葉にふさわしいくらい一晩の経験としては豊富すぎる内容であった。しかもそれでおしまいというのではなかった。私がやっと腹をふくらして人心つくかつかぬに、私の充たされない残酷な欲望はもう一度私に夜の道へ出ることを命令したのであった。私は不安な当てで名前も初耳な次の二里ばかりも離れた温泉へ歩かなければならなかった。その道でとうとう私は迷ってしまい、途方に暮れて闇《やみ》のなかへうずくまっていたとき、おそい自動車が通りかかり、やっとのことでそれを呼びとめて予定を変えてこの港の町へ来てしまったのであった、それから私はどこへ行ったか。私はそんなところには一種の嗅《きゆう》覚《かく》でも持っているかのように、掘割に沿った娼《しよう》家《か》の家並みのなかへ出てしまった。藻草をまとったような船夫たちが何人も群れて、白く化粧した女をからかいながら、よろよろと歩いていた。私は二度ほど同じ道を廻り、そして最後に一軒の家へはいった。私は疲れた身体に熱い酒をそそぎ入れた。しかし私は酔わなかった。酌に来た女は秋刀魚《さんま》船の話をした。船員の腕にふさわしいたくましい健康そうな女だった。その一人は私に婬《いん》をすすめた。私はその金を払ったまま、港のありかをきいて外へ出てしまったのである。
私は近くの沖にゆっくり明滅している廻転燈台の火をながめながら、永い絵巻のような夜の終わりを感じていた。舷《げん》の触れ合う音、とも綱の張る音、ねむたげな船の灯、すべてが暗く静かにそして内輪で、なごやかな感傷を誘った。どこかに捜して宿をとろうか、それとも今の女のところへ帰ってゆこうか、それはいずれにしても、私の憎悪に充ちた荒々しい心はこの港の埠《ふ》頭《とう》で尽きていた。ながい間私はそこに立っていた。けうとい睡気のようなものが私の頭を誘うまで静かな海の闇を見入っていた。――
私はその港を中心にして三日ほどもその附近の温泉で帰る日を延ばした。明るい南の海の色や匂《にお》いはなにか私には荒々しく粗雑であった。その上卑俗で薄汚い平野のながめはすぐに私を倦《あ》かせてしまった。山や谿《たに》がせめぎ合い心を休める余裕や安らかな望みのない私の村の風景がいつか私の身についてしまっていることを私は知った。そして三日の後私はまた私の心を封じるために私の村へ帰って来たのである。
3
私は何日も悪くなった身体を寝床につけていなければならなかった。私には別にさした後悔もなかったが知った人びとの誰彼がそうしたことを聞けばさぞ陰気になり気を悪くするだろうとそのことばかり思っていた。
そんなある日のこと私はふと自分の部屋に一匹も蠅がいなくなっていることに気がついた。そのことは私を充分驚かした。私は考えた。おそらく私の留守中誰《だれ》も窓を明けて日を入れず火をたいて部屋を温めなかった間に、彼らは寒気のために死んでしまったのではなかろうか。それはありそうなことに思えた。彼らは私の静かな生活の余徳を自分らの生存の条件として生きていたのである。そして私が自分の鬱《うつ》屈《くつ》した部屋から逃げ出してわれとわが身を責めさいなんでいた間に、彼らはほんとうに寒気と飢えで死んでしまったのである。私はそのことにしばらく憂鬱を感じた。それは私が彼らの死を傷《いた》んだためではなく、私にもなにか私を生かしそしていつか私を殺してしまうきまぐれな条件があるような気がしたからであった。私はそいつの幅広い背を見たように思った。それは新しいそして私の自尊心を傷つける空想だった。そして私はその空想からますます陰鬱を加えてゆく私の生活を感じたのである。
(一九二八年三月)
ある崖上の感情
1
ある蒸し暑い夏の宵《よい》のことであった。山の手の町のとあるカフェで二人の青年が話をしていた。話の様子では彼らは別に友達というのではなさそうであった。銀座などとちがって、狭い山の手のカフェでは、孤独な客がよそのテーブルをながめたりしながら時を費すことはそう自由ではない。そんな不自由さが――そして狭さからくる親しさが、彼らを互いに近づけることが多い。彼らもどうやらそうした二人らしいのであった。
一人の青年はビールの酔いを肩先にあらわしながら、コップの尻《しり》でよごれたテーブルにかまわず肱《ひじ》を立てて、先ほどからほとんど一人でしゃべっていた。漆《しつ》喰《くい》の土間のすみには古ぼけたビクターの蓄音機が据《す》えてあって、磨り減ったダンスレコードが暑苦しく鳴っていた。
「元来僕はね、一度友達に図星を指されたことがあるんだが、放浪、家をなさないという質《たち》に生まれついているらしいんです。その友達というのは手相を見る男で、それも西洋流の手相を見る男で、僕の手相を見たとき、君の手にはソロモンの十字架がある。それは一生家を持てない手相だと言ったんです。僕は別に手相などを信じないんだが、そのときはそう言われたことでぎくっとしましたよ。とても悲しくてね――」
その青年の顔にはわずかの時間感傷の色が酔いの下にあらわれて見えた。彼はビールをひと飲みするとまた言葉をついで、
「その崖《がけ》の上へ一人で立って、開いている窓を一つ一つ見ていると、僕はいつでもそのことを憶《おも》い出すんです。僕一人が世間に住みつく根を失って浮草のように流れている。そしていつもそんな崖の上に立って人の窓ばかりをながめていなければならない。すっかりこれが僕の運命だ。そんなことが思えてくるのです。――しかし、それよりも僕はこんなことが言いたいんです。つまり窓のながめというものには、元来人をそんな思いに駆るあるものがあるんじゃないか。誰でもふとそんな気持に誘われるんじゃないか、というのですが、どうです、あなたはそうしたことをお考えにはならないですか」
もう一人の青年は別に酔っているようでもなかった。彼は相手の今までの話を、そうおもしろがってもいないが、そうかといって全然興味がなくもないといった穏やかな表情で耳を傾けていた。彼は相手に自分の意見を促されてしばらく考えていたが、
「さあ……僕にはむしろ反対の気持になった経験しか憶い出せない。しかしあなたの気持は僕にはわからなくはありません。反対の気持になった経験というのは、窓のなかにいる人間を見ていてその人たちがなにかはかない運命を持ってこの浮世に生きている。というふうに見えたということなんです」
「そうだ。それは大いにそうだ。いや、それがほんとうかもしれん。僕もそんなことを感じていたような気がする」
酔った方の男はひどく相手の言ったことに感心したような語調で残っていたビールを一息に飲んでしまった。
「そうだ。それではあなたもなかなか窓の大家だ。いや、僕はね、実際窓というものが好きでたまらないんですよ。自分のいるところからいつも人の窓が見られたらどんなに楽しいだろうといつもそう思ってるんです。そして僕の方でも窓を開けておいて、誰かの眼にいつも僕自身をさらしているのがまたとても楽しいんです。こんなに酒を飲むにしても、どこか川っぷちのレストランみたいなところで、橋の上からだとか向う岸からだとか見ている人があって飲んでいるのならどんなに楽しいでしょう。『いかにあわれと思うらん』僕には片言のような詩しか口に出て来ないが、実際いつもそんな気持になるんです」
「なるほど、なんだかそれは楽しそうですね。しかしなんという閑《しず》かな趣味だろう」
「あっはっは。いや、僕はさっきその崖の上から僕の部屋の窓が見えると言ったでしょう。僕の窓は崖《がけ》の近くにあって、僕の部屋からはもう崖ばかりしか見えないんです。僕はよくそこから崖《がけ》路《みち》を通る人を注意しているんですが、元来めったに人の通らない路で、通る人があったって、全く僕みたいにそこでながい間町を見ているというような人はけっしてありません。実際僕みたい男はよくよくの閑人なんだ」
「ちょっと君。そのレコード止してくれない」聴き手の方の青年はウエイトレスがまたかけはじめた「キャラバン」の方を向いてそう言った。「僕はあのジャッズというやつが大きらいなんだ。いやだと思い出すととてもたまらない」
黙ってウエイトレスは蓄音機をとめた。彼女は断髪をして薄い夏の洋装をしていた。しかしそれには少しもフレッシュなところがなかった。むしろ南《なん》京《きん》鼠《ねずみ》の匂いでもしそうな汚いエキゾティシズムが感じられた。そしてそれはそのカフェがその近所に多く住んでいる下等な西洋人のよく出入りするという噂《うわさ》を、少し陰気に裏書きしていた。
「おい。百合《ゆり》ちゃん。百合ちゃん。生をもう二つ」
話し手の方の青年はなじみのウエイトレスをぶっきらぼうな客から救ってやるというような表情で、彼女の方を振り返った。そしてすぐ、
「いや、ところがね、僕が窓を見る趣味にはあまり人に言えない欲望があるんです。それはまあ一般に言えば人の秘密をぬすみ見るという魅力なんですが、僕のはもう一つ進んで人のベッドシーンが見たい、結局はそういったことに帰着するんじゃないかと思われるような特殊な執着があるらしいんです。いや、そんなものをほんとうに見たことなんぞはありませんがね」
「それはそうかもしれない。高架線を通る省線電車にはよくそういったマニヤの人が乗っているということですよ」
「そうですかね。そんな一つの病型《タイプ》があるんですかね。それは驚いた。……あなたは窓というものにそんな興味をお持ちになったことはありませんか。一度でも」
その青年の顔は相手の顔をじっと見つめて返答を待っていた。
「僕がそんなマニヤのことを言う以上僕にも多かれ少なかれそんな知識があると思っていいでしょう」
その青年の顔にはわずかばかりの不快の影が通り過ぎたが、そう答えて彼はまた平気な顔になった。
「そうだ。いや、僕はね、崖の上からそんな興味で見る一つの窓があるんですよ。しかしほんとうに見たということは一度もないんです。でも実際よくだまされる、あれには、あっはっはは……僕がいったいどんな状態でそれにふけっているか一度話してみましょうか。僕はながい間じいっと眼を放さずにその窓を見ているのです。するとあんまり一所懸命になるもんだから足もとが変に頼りなくなってくる。ふらふらっとして実際崖から落っこちそうな気持になる。はっは。それくらいになると僕はもう半分夢を見ているような気持です。すると変なことには、そんなとき僕の耳には崖《がけ》路《みち》を歩いて来る人の足音がきまったようにして来るんです。でも僕はよし人がほんとうに通っても、それはかまわないことにしている。しかしその足音は僕の背後へそうっと忍び寄って来て、そこでぴたりと止まってしまうんです。それが妄《もう》想《そう》というものでしょうね。僕にはその忍び寄った人間が僕の秘密を知っているように思えてならない。そして今にも襟《えり》髪《がみ》をつかむか、今にも崖から突き落とすとか、そんな恐怖で息も止まりそうになっているんです。しかし僕はやっぱり窓から眼を離さない。そりゃそんなときはもうどうなってもいいというような気持ですね。また一方ではそれがたいていは僕の気のせいだということは百も承知で、そんな度胸もきめるんです。しかしやっぱり百に一つもしやほんとうの人間ではないかという気がいつでもする。変なものですね。あっはっはは」
話し手の男は自分の話に昂《こう》奮《ふん》を持ちながらも、今度は自《じ》嘲《ちよう》的《てき》なそして悪魔的といえるかもしれない挑《いど》んだ表情を眼に浮かべながら、相手の顔を見ていた。
「どうです。そんな話は。――僕は今はもう実際に人のベッドシーンを見るということよりも、そんな自分の状態の方がずっと魅惑的になってきているんです。なぜといって、自分の見ている薄暗い窓のなかが、自分の思っているようなものではたぶんないことが、僕にはもううすうすわかっているんです。それでいて心を集めてそこを見ているとありありとそう思えてくる。そのときの心の状態がなんともいえない恍《こう》惚《こつ》なんです。いったいそんなことがあるものですかね。あっはっはは。どうです、今からいっしょにそこへ行ってみる気はありませんか」
「それはどちらでもいいが、だんだん話が佳境に入ってきましたね」
そして聴き手の青年はまたビールを呼んだ。
「いや、佳境に入ってきたというのはほんとうなんですよ。僕はだんだん佳境に入ってきたんだ。なぜって、僕には最初窓がただなにかしらおもしろいものであったにすぎないんだ。それがだんだん人の秘密を見るという気持が意識されてきた。そうでしょう。すると次は秘密のなかでもベッドシーンの秘密に興味を持ち出した。ところが、見たと思ったそれがどうやらちがうものらしくなってきた。しかしそのときの恍惚状態そのものが、結局すべてであるということがわかってきた。そうでしょう。いや、君、実際恍惚状態がすべてなんですよ。あっはっはは。空の空なる恍惚万歳だ。この愉快な人生にプロジットしよう」
その青年にはだいぶ酔いが発してきていた。そのプロジットに応じなかった相手のコップへ荒々しく自分のコップを打ちつけて、彼は新しいコップを一気に飲み乾した。
彼らがそんな話をしていたとき、扉をあけて二人の西洋人が入って来た。彼らは入って来ると同時にウエイトレスの方へ色っぽい眼つきを送りながら青年たちの横の椅《い》子《す》へすわった。彼らの眼は一度でも青年たちの方を見るのでもなければ、お互いに見交わすというのでもなく、絶えず笑顔を作って女の方へ向いていた。
「ポーリンさんにシマノフさんいらっしゃい」
ウエイトレスの顔は彼らを迎える大仰な表情でにわかに生き生きし出した。そしてきゃっきゃっと笑いながら何かしゃべり合っていたが、彼女の使う言葉はある自由さを持った西洋人の日本語で、それを彼女がしゃべるとき青年たちを給仕していたときとはまるでちがった変な魅力が生じた。
「僕は一度こんな小説を読んだことがある」
聴き手であった方の青年が、新しい客の持って来た空気から、話をまたもとへ戻した。
「それは、ある日本人がヨーロッパへ旅行に出かけるんです。英国、フランス、ドイツとずいぶんながいごったごたした旅行を続けておしまいにウィーンへやって来る。そして着いた夜あるホテルへ泊まるんですが、夜中にふと眼をさましてそれからすぐ寝つけないで、深夜の闇《やみ》のなかに旅情を感じながら窓の外をながめるんです。空は美しい星空で、その下にウィーンの市が眠っている。その男はしばらくその夜景にながめふけっていたが、彼はふと闇のなかにたった一つ開け放された窓を見つける。その部屋のなかには白い布のような塊が明るい燈火に照らし出されていて、なにか白い煙みたようなものがそこから細くまっすぐに立ちのぼっている。そしてそれがだんだんはっきりしてくるんですが、思いがけなくその男がそこに見出したものは、ベッドの上にほしいままな裸体を投げ出している男女だったのです。白いシーツのように見えていたのがそれで、静かに立ちのぼっている煙は男がベッドでくゆらしている葉巻の煙なんです。その男はそのときどんなことを思ったかというと、これはいかにも古都ウィーンだ、そしていま自分は長い旅の末にやっとその古い都へやって来たのだ――そういう気持がしみじみとわいたというのです」
「そして?」
「そして静かに窓をしめてまた自分のベッドへ帰って来たというのですが――これはずいぶんまえに読んだ小説だけれど、変に忘れられないところがあって僕の記憶にひっかかっている」
「いいなあ西洋人は。僕はウィーンへ行きたくなった。あっはっは。それより今から僕といっしょに崖《がけ》の方まで行かないですか。ええ」
酔った青年はある熱心さで相手を誘っていた。しかし片方はただ笑うだけでその話には乗らなかった。
2
生島(これは酔っていた方の青年)はその夜おそく自分の間借りしている崖下の家へ帰って来た。彼は戸を開けるとき、それが習慣のなんともいえない憂《ゆう》鬱《うつ》を感じた。それは彼がその家の寝ている主婦を思い出すからであった。生島はその四十を過ぎた寡《か》婦《ふ》である「小母さん」と何の愛情もない身体の関係を続けていた。子もなく夫にも死に別れたその女にはどことなくあきらめた静けさがあって、そんな関係が生じたあとでも別に前と変わらない冷淡さ、もしくは親切さで彼を遇していた。生島には自分の愛情のなさを彼女に偽る必要など少しもなかった。彼が「小母さん」を呼んで寝床を共にする。そのあとで彼女はすぐ自分の寝床へ帰ってゆくのである。生島はその当初自分らのそんな関係に淡々とした安易を感じていた。ところが間もなく彼はだんだんたまらない嫌《けん》悪《お》を感じ出した。それは彼が安易を見出していると同じ原因が彼に反逆するのであった。彼が彼女の膚に触れているとき、そこにはなんの感動もなく、いつもあるしらじらしい気持が消えなかった。生理的な終結はあっても、空想の満足がなかった。そのことはだんだん重苦しく彼の心にのしかかってきた。そのうちに彼は晴れ晴れとした往来へ出ても、自分にしなびた古《ふる》手《て》拭《ぬぐい》のような匂《にお》いがしみているような気がしてならなくなった。顔《がん》貌《ぼう》にもなんだかいやな線があらわれてきて、誰の目にも彼の陥っている地獄が感づかれそうな不安が絶えずつきまとった。そして女のあきらめたような平気さが極端にいらいらした嫌悪を刺激するのだった。しかしその憤《ふん》懣《まん》が「小母さん」のどこへ向けられるべきだろう。彼が今日にも出てゆくと言っても彼女が一言の不平も唱えないことはわかりきったことであった。それではなぜ出てゆかないのか。生島はその年の春ある大学を出てまだ就職する口がなく、国へは奔走中と言ってその日その日を全く無気力な倦《けん》怠《たい》で送っている人間であった。彼はもう縦のものを横にするにも、魅入られたような意志のなさを感じていた。彼が何々をしようと思うことは脳細胞の意志を刺激しない部分を通って抜けてゆくのらしかった。結局彼はいつまで経ってもそこが動けないのである。
主婦はもう寝ていた。生島はみしみし階段をきしらせながら自分の部屋へ帰った。そしてガラス窓をあけて、むっとするようにこもった宵の空気を涼しい夜気と換えた。彼はじっとすわったまま崖《がけ》の方を見ていた。崖の路は暗くてただ一つ電柱についている燈がそのありかを示しているにすぎなかった。そこをながめながら、彼は今夜カフェで話し合った青年のことを思い出していた。自分が何度誘ってもそこへ行こうとは言わなかったことや、それから自分がしつこく紙と鉛筆で崖路の地図を書いて教えたことや、その男のかたくなに拒んでいる態度にもかかわらず、彼にも自分と同じような欲望があるにちがいないとなぜか固く信じたことや――そんなことを思い出しながら彼の眼は不知《しらず》不識《しらず》、もしやという期待で白い人影をその闇《やみ》のなかに探しているのであった。
彼の心はまた、彼がその崖の上から見るあの窓のことを考えふけった。彼がそのなかに見る半ば夢想のそして半ば現実の男女の姿態がいかに情熱的で性慾的であるか。またそれに見入っている彼自身がいかに情熱を覚え性慾を覚えるか。窓のなかの二人はまるで彼の呼吸を呼吸しているようであり、彼はまた二人の呼吸を呼吸しているようである。そのときの恍《こう》惚《こつ》とした心の陶酔を思い出していた。
「それに比べて」と彼は考え続けた。
「俺《おれ》が彼女に対しているときはどうであろう。俺はまるで悪い暗示にかかってしまったようにしらじらとなってしまう。崖《がけ》の上の陶酔のたとえ十分の一でも、なぜ彼女に対するとき帰ってこないのか。俺は俺のそうしたものを窓のなかへ吸いとられているのではなかろうか。そういう形式でしか性慾にふけることができなくなっているのではなかろうか。それとも彼女という対象がそもそも自分にはまちがった形式なのだろうか」
「しかし俺にはまだ一つの空想が残っている。そして残っているのはただ一つその空想があるばかりだ」
机の上の電燈のスタンドへはいつの間にかたくさん虫が集まって来ていた。それを見ると生島は鎖をひいて電燈を消した。わずかそうしたことすら彼には習慣的な反対――崖からの瞰《かん》下《か》景《けい》に起こったであろう一つの変化がちらと心をかすめるのであった。部屋が暗くなると夜気がことさら涼しくなった。崖《がけ》路《みち》の闇《やみ》もはっきりしてきた。しかしそのなかには依然として何の人影も立ってはいなかった。
彼にただ一つの残っている空想というのは、彼がその寡《か》婦《ふ》と寝床を共にしているときふいに起こってくる、部屋の窓を明け放してしまうという空想であった。もちろん彼はそのとき、誰かがそこの崖路に立っていて、彼らの窓をながめ、彼らの姿を認めて、どんなにか刺激を感じるであろうことを想い、その刺激を通して、何の感動もない彼らの現実にもある陶酔が起こってくるだろうことを予想しているのであった。しかし彼にはただ窓を明け崖路へ彼らの姿をさらすということばかりでもすでに新鮮な魅力であった。彼はそのときの、薄い刃物で背をなでられるような戦《せん》慄《りつ》を空想した。そればかりではない、それがいかに彼らの醜い現実に対する反逆であるかを想像するのであった。
「いったい俺は今夜あの男をどうするつもりだったんだろう」
生島は崖《がけ》路《みち》の闇《やみ》のなかに不知不識自分の眼の待っていたものがその青年の姿であったことに気がつくと、ふとさめた自分に立ち返った。
「俺ははじめあの男に対する好意にあふれていた。それで窓の話などを持ち出して話し合う気になったのだ。それだのに今自分はあの男を自分の欲望の傀《かい》儡《らい》にしようと思っていたような気がしてならないのはなぜだろう。自分は自分の愛するものは他人も愛するにちがいないという好意に満ちた考えで話をしていたと思っていた。しかしその少し強制がましい調子のなかには、自分の持っている欲望を、いわば相手の身体にこすりつけて、自分と同じような人間を製造しようとしていたようなところが不知不識にあったらしい気がする。そして今自分の待っていたものは、そんな欲望に刺激されて崖路へあがって来るあの男であり、自分の空想していたことは自分たちの醜い現実の窓を開けて崖上の路へさらすことだったのだ。俺の秘密な心のなかだけの空想が、俺自身には関係なく、ひとりでの意志で着々と計画を進めてゆくというような、いったいそんなことがあり得ることだろうか。それともこんな反省すらもちゃんと予定のしくみで、今もしあの男の影があすこへあらわれたら、さあいよいよと舌を出すつもりにしていたのではなかろうか……」
生島はだんだんもつれてくる頭を振るようにして電燈をともし、寝床を延べにかかった。
3
石田(これは聴き手であった方の青年)はある晩のことその崖《がけ》路《みち》の方へ散歩の足を向けた。彼は平常歩いていた往来から教えられたはじめての路へ足を踏み入れたとき、いったいこんなところが自分の家の近所にあったのかと不思議な気がした。元来その辺はむやみに坂の多い、丘陵と谷とに富んだ地勢であった。町の高みには皇族や華族の邸に並んで、立派な門構えの家が、夜になると古風なガス燈のつく静かな道をはさんで立ち並んでいた。深い樹立のなかには教会の尖《せん》塔《とう》がそびえていたり、外国の公使館の旗がヴィラ風な屋根の上にひるがえっていたりするのが見えた。しかしその谷に当たったところには陰気なじめじめした家が、普通の通行人のための路ではないような隘《あい》路《いろ》をかくして、朽ちてゆくばかりの存在を続けているのだった。
石田はその路を通ってゆくとき、誰かにとがめられはしないかというようなうしろめたさを感じた。なぜなら、その路へは大っぴらに通りすがりの家が窓を開いているのだった。そのなかには肌脱ぎになった人がいたり、柱時計が鳴っていたり、味気ない生活が蚊《か》遣《や》りをいぶしたりしていた。そのうえ、軒燈にはきまったようにやもりがとまっていて彼を気味悪がらせた。彼は何度も袋路に突きあたりながら、――そのたびになおさら自分の足音にうしろめたさを感じながら、やっと崖に沿った路へ出た。しばらくゆくと人家が絶えて路が暗くなり、わずかに一つの電燈が足もとを照らしている、それが教えられた場所であるらしいところへやって来た。
そこからはなるほど崖下の町がひと目に見渡せた。いくつもの窓が見えた。そしてそれは彼の知っている町の、思いがけない瞰《かん》下《か》景《けい》であった。彼はかすかな旅情らしいものが、濃くあたりに漂っているあれちのぎくの匂いに混じって、自分の心を染めているのを感じた。
ある窓では運動シャツを着た男がミシンを踏んでいた。屋根の上の闇《やみ》のなかにたくさんの洗濯物らしいものがほの白く浮かんでいるのを見ると、それは洗濯屋の家らしく思われるのだった。またある一つの窓ではレシーヴァを耳に当てて一心にラジオを聴いている人の姿が見えた。その一心な姿を見ていると、彼自身の耳の中でもラジオの小さい音がきこえてくるようにさえ思われるのだった。
彼が先の夜酔っていた青年に向かって、窓のなかに立ったりすわったりしている人びとの姿が、みななにかはかない運命を背負って浮世に生きているように見えると言ったのは、彼が心に次のような情景を浮かべていたからだった。
それは彼の田舎の家の前を通っている街道に一つみすぼらしい商人宿があって、その二階の手すりの向こうに、よく朝など出立の前の朝《あさ》餉《げ》を食べていたりする旅人の姿が街道から見えるのだった。彼はなぜかそのなかである一つの情景をはっきり心にとめていた。それは一人の五十がらみの男が、顔色の悪い四つぐらいの男の児と向かい合って、その朝餉の膳《ぜん》に向かっているありさまだった。その顔には浮世の苦労が陰《いん》鬱《うつ》に刻まれていた。彼はひと言も物を言わずに箸《はし》を動かしていた、そしてその顔色の悪い子供も黙って、馴《な》れない手つきで茶《ちや》碗《わん》をかきこんでいたのである。彼はそれを見ながら、落《らく》魄《はく》した男の姿を感じた。その男の子供に対する愛を感じた。そしてその子供が幼い心にも、彼らのあきらめなければならない運命のことを知っているような気がしてならなかった。部屋のなかには新聞の附録のようなものが襖《ふすま》の破れの上にはってあるのなどが見えた。
それは彼が休暇に田舎へ帰っていたある朝の記憶であった。彼はそのとき自分が危く涙を落としそうになったのを覚えていた。そして今も彼はその記憶を心の底によみがえらせながら、眼の下の町をながめていた。
ことに彼にそういう気持を起こさせたのは、一《ひと》棟《むね》の長屋の窓であった。ある窓のなかには古ぼけた蚊《か》帳《や》がかかっていた。その隣の窓では一人の男がぼんやり手すりから身体を乗り出していた。そのまた隣の、一番よく見える窓のなかには、箪笥《たんす》などに並んで燈明のともった仏壇が壁ぎわに立っているのであった。石田にはそれらの部屋を区切っている壁というものがはかなく悲しく見えた。もしそこに住んでいる人の誰かがこの崖《がけ》上《うえ》へ来てそれらの壁をながめたら、どんなにか自分らの安んじている家庭という観念を脆《もろ》くはかなく思うだろうと、そんなことが思われた。
一方には闇《やみ》のなかにきわだって明るく照らされた一つの窓が開いていた。そのなかには一人の禿《はげ》顱《あたま》の老人が煙草盆を前にして客のような男と向かい合っているのが見えた。しばらくそこを見ていると、そこが階段の上り口になっているらしい部屋のすみから、日本髪に頭を結った女が飲みもののようなものを盆に載せながらあらわれて来た。するとその部屋と崖との間の空間がにわかに一揺れ揺れた。それは女の姿がその明るい電燈の光を突然さえぎったためだった。女がすわって盆をすすめると客のような男がぺこぺこ頭を下げているのが見えた。
石田はなにか芝居でも見ているような気でその窓をながめていたが、彼の心には先の夜の青年の言った言葉が不知不識の間に浮かんでいた。――だんだん人の秘密をぬすみ見するという気持が意識されてくる。それから秘密の中でもベッドシーンの秘密が捜したくなってくる。――
「あるいはそうかもしれない」と彼は思った。「しかし、今の自分の眼の前でそんな窓が開いていたら、自分はあの男のような欲情を感じるよりも、むしろもののあわれといった感情をそのなかに感じるのではなかろうか」
そして彼は崖《がけ》下《した》に見えるその男の言ったそれらしい窓をしばらく捜したが、どこにもそんな窓はないのであった。そして彼はまたしばらくすると路を崖下の町へ歩きはじめた。
4
「今晩も来ている」と生島は崖下の部屋から崖路の闇《やみ》のなかに浮かんだ人影をながめてそう思った。彼は幾晩もその人影を認めた。そのたびに彼はそれがカフェで話し合った青年によもやちがいがないだろうと思い、自分の心にたくらんでいる空想に、そのたび戦《せん》慄《りつ》を感じた。
「あれは俺《おれ》の空想が立たせた人影だ。俺と同じ欲望で崖の上へ立つようになった俺の二重人格だ。俺がこうして俺の二重人格を俺の好んで立つ場所にながめているという空想はなんという暗い魅惑だろう。俺の欲望はとうとう俺から分離した。あとはこの部屋に戦慄と恍《こう》惚《こつ》があるばかりだ」
ある晩のこと、石田はそれが幾晩目かの崖の上へ立って下の町をながめていた。
彼のながめていたのは一棟の産科婦人科の病院の窓であった。それは病院といってもけっして立派な建物ではなく、昼になると「妊婦預ります」という看板が屋根の上へ張り出されている粗末な洋風家屋であった。十ほどあるその窓のあるものは明るくあるものは暗くとざされている。漏《じよう》斗《ご》型《がた》に電燈の被いが部屋のなかの明暗を区切っているような窓もあった。
石田はそのなかに一つの窓が、寝台を取り囲んで数人の人が立っている情景を解放しているのに眼がひかれた。こんな晩に手術でもしているのだろうかと思った。しかしその人たちはそれらしく動きまわる気配もなく依然として寝台のぐるりに凝《ぎよう》立《りつ》していた。
しばらく見ていた後、彼はまた眼を転じてほかの窓をながめはじめた。洗濯屋の二階には今晩はミシンを踏んでいる男の姿が見えなかった。やはりたくさんの洗濯物がほの白く闇《やみ》のなかに干されていた。たいていの窓はいつもの晩とかわらずに開いていた。カフェで会った男の言っていたような窓は相《あい》不変《かわらず》見えなかった。石田はやはり心のどこかでそんな窓を見たい欲望を感じていた。それはあらわなものではなかったが、彼が幾晩も来るのにはいくらかそんな気持も混じっているのだった。
彼がなにげなくある崖下に近い窓のなかをながめたとき、彼は一つの予感でぎくっとした。そしてそれがまごうかたなく自分のひそかに欲していた情景であることを知ったとき、彼の心臓はにわかに鼓動を増した。彼はじっと見ていられないような気持でたびたび眼をそらせた。そしてそんな彼の眼がふと先ほどの病院へ向いたとき、彼はまた異様なことに眼をみはった。それは寝台のぐるりに立ちめぐっていた先ほどの人びとの姿が、ある瞬間一度に動いたことであった。それはなにか驚《きよう》愕《がく》のような身振りに見えた。すると洋服を着た一人の男が人びとに頭を下げたのが見えた。石田はそこに起こったことが一人の人間の死を意味していることを直感した。彼の心は一時に鋭い衝撃をうけた。そして彼の眼が再び崖《がけ》下《した》の窓へ帰ったとき、そこにあるものはやはり元のままの姿であったが、彼の心は再び元のようではなかった。
それは人間のそうしたよろこびや悲しみを絶したある厳粛な感情であった。彼が感じるだろうと思っていた「もののあわれ」というような気持を超した、ある意力のある無常感であった。彼は古代のギリシャの風習を心のなかに思い出していた。死者をいれる石《せつ》棺《かん》のおもてへ、みだらな戯れをしている人の姿や、牝《め》羊《ひつじ》と交合している牧羊神を彫りつけたりしたギリシャ人の風習を。――そして思った。
「彼らは知らない。病院の窓の人びとは、崖下の窓を。崖下の窓の人びとは、病院の窓を。そして崖の上にこんな感 情のあることを――」
(一九二八年六月)
闇の絵巻
最近東京を騒がした有名な強盗がつかまって語ったところによると、彼は何も見えない闇《やみ》の中でも、一本の棒さえあれば何里でも走ることができるという。その棒を身体の前へ突き出し突き出しして、畑でもなんでもめくらめっぽうに走るのだそうである。
私はこの記事を新聞で読んだとき、そぞろに爽《そう》快《かい》な戦《せん》慄《りつ》を禁じることができなかった。
闇《やみ》! そのなかではわれわれは何を見ることもできない。より深い暗黒が、いつも絶えない波動で刻々と周囲に迫って来る。こんななかでは思考することさえできない。何があるかわからないところへ、どうして踏み込んでゆくことができよう。もちろんわれわれはすり足でもして進むほかはないだろう。しかしそれは苦渋や不安や恐怖の感情でいっぱいになった一歩だ。その一歩を敢然と踏み出すためには、われわれは悪魔を呼ばなければならないだろう。はだしで薊《あざみ》を踏んづける! その絶望への情熱がなくてはならないのである。
闇のなかでは、しかし、もしわれわれがそうした意志を捨ててしまうなら、なんという深い安《あん》堵《ど》がわれわれを包んでくれるだろう。この感情を思い浮かべるためには、われわれが都会で経験する停電を思い出してみればいい。停電して部屋が真暗になってしまうと、われわれは最初なんともいえない不快な気持になる。しかしちょっと気を変えてのんきでいてやれと思うと同時に、その暗《くら》闇《やみ》は電燈の下では味わうことのできないさわやかな安息に変化してしまう。
深い闇のなかで味わうこの安息はいったいなにを意味しているのだろう。今は誰の眼からも隠れてしまった――今は巨大な闇と一《いち》如《によ》になってしまった――それがこの感情なのだろうか。
私はながい間ある山間の療養地に暮らしていた。私はそこで闇を愛することを覚えた。昼間は金毛の兎《うさぎ》が遊んでいるように見える渓《たに》向こうの枯《かれ》萱《かや》山《やま》が、夜になるとくろぐろした畏《い》怖《ふ》に変わった。昼間気のつかなかった樹木が異形な姿を空に現わした。夜の外出には提灯《ちようちん》を持ってゆかなければならない。――月夜というものは提灯のいらない夜ということを意味するのだ。――こうした発見は都会から不意に山間へ行ったものの闇を知る第一階《かい》梯《てい》である。
私は好んで闇のなかへ出かけた。渓ぎわの大きな椎《しい》の木の下に立って遠い街道の孤独な電燈をながめた。深い闇のなかから遠い小さな光をながめるほど感傷的なものはないだろう。私はその光がはるばるやって来て、闇のなかの私の着物をほのかに染めているのを知った。またあるところでは渓の闇へ向かって一心に石を投げた。闇のなかには一本の柚《ゆず》の木があったのである。石が葉を分けて戞《かつ》々《かつ》と崖《がけ》へあたった。ひとしきりすると闇のなかからは芳烈な柚の匂《にお》いが立ちのぼって来た。
こうしたことは療養地の身を噛《か》むような孤独と切り離せるものではない。あるときは岬の港町へゆく自動車に乗って、わざと薄暮の峠へ私自身を遺棄させた。深い渓谷が闇のなかへ沈むのを見た。夜が更けてくるにしたがって黒い山々の尾根が古い地球の骨のように見えてきた。彼らは私のいるのも知らないで話し出した。
「おい。いつまで俺《おれ》たちはこんなことをしていなきゃならないんだ」
私はその療養地の一本の闇《やみ》の街道を今も新しい印象で思い出す。それは渓《たに》の下流にあった一軒の旅館から上流の私の旅館まで帰って来る道であった。渓に沿って道は少し上りになっている。三、四町もあったであろうか。その間にはごくまれにしか電燈がついていなかった。今でもその数が数えられるように思うくらいだ。最初の電燈は旅館から街道へ出たところにあった。夏はそれに虫がたくさん集まって来ていた。一匹の青《あお》蛙《がえる》がいつもそこにいた。電燈の真下の電柱にいつもぴったりと身をつけているのである。しばらく見ていると、その青蛙はきまったように後足を変なふうに曲げて、背中をかくまねをした。電燈から落ちて来る小虫がひっつくのかもしれない。いかにもうるさそうにそれをやるのである。私はよくそれをながめて立ちどまっていた。いつも夜更けでいかにも静かなながめであった。
しばらく行くと橋がある。その上に立って渓の上流の方をながめると、くろぐろとした山が空の正面に立ちふさがっていた。その中腹に一箇の電燈がついていて、その光がなんとなしに恐怖を呼び起こした。バァーンとシンバルをたたいたような感じである。私はその橋を渡るたびに私の眼がいつもなんとなくそれを見るのを避けたがるのを感じていた。
下流の方をながめると、渓が瀬をなして轟《ごう》々《ごう》と激していた。瀬の色は闇のなかでも白い。それはまたしっぽのように細くなって下流の闇のなかへ消えてゆくのである。渓の岸には杉林のなかに炭焼小屋があって、白い煙が切り立った山の闇をはい登っていた。その煙は時として街道の上へ重苦しく流れて来た。だから街道は日によってはその樹脂臭い匂《にお》いや、また日によっては馬力の通った昼間の匂いを残していたりするのだった。
橋を渡ると道は渓《たに》に沿ってのぼってゆく。左は渓の崖《がけ》。右は山の崖。行手に白い電燈がついている。それはある旅館の裏門で、それまでのまっすぐな道である。この闇《やみ》のなかでは何も考えない。それは行手の白い電燈と道のほんのわずかの勾《こう》配《ばい》のためである。これは肉体に課せられた仕事を意味している。目ざす白い電燈のところまでゆきつくと、いつも私は息切れがして往来の上で立ちどまった。呼吸困難。これはじっとしていなければいけないのである。用事もないのに夜更けの道に立ってぼんやり畑をながめているようなふうをしている。しばらくするとまた歩き出す。
街道はそこから右へ曲がっている。渓沿いに大きな椎《しい》の木がある。その木の闇はいたって巨大だ。その下に立って見上げると、深い大きな洞《どう》窟《くつ》のように見える。梟《ふくろう》の声がその奥にしていることがある。道の傍らには小さな字《あざ》があって、そこから射して来る光が、道の上に押しかぶさった竹《たけ》藪《やぶ》を白く光らせている。竹というものは樹木のなかで最も光に感じやすい。山のなかのところどころに簇《む》れ立っている竹藪。彼らは闇のなかでもそのありかをほの白く光らせる。
そこを過ぎると道は切り立った崖を曲がって、突如ひろびろとした展望のなかへ出る。眼界というものがこうも人の心を変えてしまうものだろうか。そこへ来ると私はいつも今が今まで私の心を占めていた煮え切らない考えを振い落としてしまったように感じるのだ。私の心には新しい決意が生まれてくる。ひそやかな情熱が静かに私を満たしてくる。
この闇の風景は単純な力強い構成を持っている。左手には渓の向こうを夜空を劃《くぎ》って爬《は》虫《ちゆう》の背のような尾根が蜿《えんえん》々《えん》とはっている。くろぐろとした杉林がパノラマのようにめぐって私の行手を深い闇《やみ》で包んでしまっている。その前景のなかへ、右手からも杉山が傾きかかる。この山に沿って街道がゆく。行手は如何《いかん》ともすることのできない闇である。この闇へ達するまでの距離は百メートルあまりもあろうか。その途中にたった一軒だけ人家があって、楓《かえで》のような木が幻燈のように光を浴びている。大きな闇の風景のなかでただそこだけがこんもり明るい。街道もその前では少し明るくなっている。しかし前方の闇はそのためになおいっそう暗くなり街道をのみ込んでしまう。
ある夜のこと、私は私の前を私と同じように提《ちよう》灯《ちん》なしで歩いてゆく一人の男があるのに気がついた。それは突然その家の前の明るみのなかへ姿を現わしたのだった。男は明るみを背にしてだんだん闇のなかへはいって行ってしまった。私はそれを一種異様な感動を持ってながめていた。それは、あらわに言ってみれば、「自分もしばらくすればあの男のように闇のなかへ消えてゆくのだ。誰かがここに立って見ていればやはりあんなふうに消えてゆくのであろう」という感動なのであったが、消えてゆく男の姿はそんなにも感情的であった。
その家の前を過ぎると、道は渓《たに》に沿った杉林にさしかかる。右手は切り立った崖《がけ》である。それが闇のなかである。なんという暗い道だろう。そこは月夜でも暗い。歩くにしたがって暗さが増してゆく。不安が高まってくる。それがある極点にまで達しようとするとき、突如ごおっという音が足下から起こる。それは杉林の切れ目だ。ちょうど真下に当たる瀬の音がにわかにその切れ目から押し寄せて来るのだ。その音はすさまじい。気持にはある混乱が起こってくる。大工とか左官とかそういった連中が渓《たに》のなかで不可思議な酒盛りをしていて、その高笑いがワッハッハ、ワッハッハときこえて来るような気のすることがある。心が捩《ね》じ切れそうになる。するとそのとたん、道の行手にパッと一箇の電燈が見える。闇《やみ》はそこで終わったのだ。
もうそこからは私の部屋は近い。電燈の見えるところが崖《がけ》の曲り角で、そこを曲がればすぐ私の旅館だ。電燈を見ながらゆく道は心易い。私は最後の安《あん》堵《ど》とともにその道を歩いてゆく。しかし霧の夜がある。霧にかすんでしまって電燈が遠くに見える。行っても行ってもそこまで行きつけないような不思議な気持になるのだ。いつもの安堵が消えてしまう。遠い遠い気持になる。
闇の風景はいつ見ても変わらない。私はこの道を何度ということなく歩いた。いつも同じ空想を繰り返した。印象が心に刻みつけられてしまった。街道の闇、闇よりも濃い樹木の闇の姿はいまも私の眼に残っている。それを思い浮かべるたびに、私は今いる都会のどこへ行っても電燈の光の流れている夜を薄っ汚なく思わないではいられないのである。
(一九三〇年九月)
交 尾
その一
星空を見上げると、音もしないで何匹も蝙蝠《こうもり》が飛んでいる。その姿は見えないが、瞬間瞬間光を消す星のぐあいから、気味の悪い畜類の飛んでいるのが感じられるのである。
人びとは寝静まっている。――私の立っているのは、半ば朽ちかけた、家の物干場だ。ここからは家の裏横手の露路を見通すことができる。近所は、港に舫《もや》った無数の廻《かい》船《せん》のように、ただぎっしりと建てこんだ家の、同じように朽ちかけた物干ばかりである。私はかつてドイツのベッヒシュタインという画家の「市に嘆けるクリスト」という画の刷物を見たことがあるが、それは巨大な工場地帯の裏地のようなところでひざまずいて祈っているキリストの絵像であった。その聯《れん》想《そう》から、私は自分の今出ている物干がなんとなくそうしたゲッセマネのような気がしないでもない。しかし私はキリストではない。夜中になってくると病気の私の身体はほてりだし、そして眼がさえる。ただ妄《もう》想《そう》という怪獣の餌《え》食《じき》となりたくないためばかりに、私はここへ逃げ出して来て、少々身体には毒な夜露に打たれるのである。
どの家も寝静まっている。ときどき力のない咳《せき》の音が洩《も》れて来る。昼間の知識から、私はそれが露路に住む魚屋の咳であることを聞きわける。この男はもう商売もつらいらしい。二階に間借りをしている男が、一度医者に見てもらえというのにどうしてもきかない。この咳はそんな咳じゃないと言って隠そうとする。二階の男がそれを近所へ触れて歩く。家賃を払う家が少なくて、医者の払いが皆《かい》目《もく》集まらないというこの町では、肺病は陰忍な戦である。突然に葬儀自動車が来る。誰もが死んだという当人のいつものように働いていた姿をまだ新しい記憶のなかに呼び起こす。床についていた間というのは、だからいくらもないのである。実際こんな生活では誰でもが自ら絶望し、自ら死ななければならないのだろう。
魚屋が咳《せ》いている。かわいそうだなあと思う。ついでに、私の咳がやはりこんなふうに聞こえるのだろうかと、私の分として聴いてみる。
先ほどから露路の上には盛んに白いものが往来している。これはこの露路だけとは言わない。表通りも夜更けになるとこのとおりである。これは猫だ。私はなぜこの町では猫がこんなにわがもの顔に道を歩くのか考えてみたことがある。それによると第一この町には犬がほとんどいないのである。犬を飼うのはもう少し余裕のある住宅である。その代わり通りの家では商品を鼠《ねずみ》にやられないためにたいてい猫を飼っている。犬がいなくて猫が多いのだから自然往来は猫が歩く。しかし、なんといっても、これはずうずうしい不思議な気のする深夜の風景にはちがいない。彼らはブールヴァールを歩く貴婦人のようにゆうゆうと歩く。また市役所の測量工夫のように辻《つじ》から辻へ走ってゆくのである。
隣の物干の暗い隅でガサガサという音が聞こえる。セキセイだ。小鳥がはやった時分にはこの町ではけが人まで出した。「いったい誰がはじめにそんなものを欲しいと言い出したんだ」と人びとが思う時分には、尾羽打ち枯らしたいろいろな鳥が雀《すずめ》に混じって餌をあさりに来た。もうそれも来なくなった。そして隣の物干の隅には煤《すす》で黒くなった数匹のセキセイが生き残っているのである。昼間は誰もそれに注意を払おうともしない。ただ夜中になって変てこな物音をたてる生物になってしまったのである。
この時私は不意に驚いた。先ほどから露路をあちらへ行ったりこちらへ来たり、二匹の白猫が盛んに追っかけあいをしていたのであるが、この時ちょうど私の眼の下で、不意に彼らは小さなうなり声をあげて組打ちをはじめたのである。組打ちといってもそれは立って組打ちをしているのではない。寝転んで組打ちをしているのである。私は猫の交尾を見たことがあるがそれはこんなものではない。また仔猫同志がよくこんなにふざけているがそれでもないようである。なにかよくはわからないが、とにかくこれは非常に艶《なま》めかしい所作であることは事実である。私はじっとそれをながめていた。遠くの方から夜警のつく棒の音がして来る。その音のほかには町からは何の物音もしない。静かだ。そして私の眼の下では彼らがやはりだんまりで、しかも実に余念なく組打ちをしている。
彼らは抱き合っている。柔らかく噛《か》み合っている。前《まえ》肢《あし》でお互いに突っ張り合いをしている。見ているうちに私はだんだん彼らの所作にひき入れられていた。私は今彼らが噛《か》み合っている気味の悪い噛み方や、今彼らが突っ張っている前肢の――それで人の胸を突っ張るときのかわいい力やを思い出した。どこまでも指を滑り込ませる温《あたたか》い腹の柔《にこ》毛《げ》――今一方のやつはそれをそろえた後《あと》肢《あし》で踏んづけているのである。こんなにかわいい、不思議な、艶《なま》めかしい猫のありさまを私はまだ見たことがなかった。しばらくすると彼らはお互いにきつく抱き合ったまま少しも動かなくなってしまった。それを見ていると私は息が詰まってくるような気がした。と、そのとたん露路のあちらの端から夜警の杖《つえ》の音が急に露路へ響いて来た。
私はいつもこの夜警が廻って来ると家のなかへ入ってしまうことにしていた。夜中おそく物干へ出ている姿などを私は見られたくなかった。もっとも物干の一方の方へ寄っていれば見られないで済むのであるが、雨戸が開いている、それを見て大きい声を立てて注意をされたりするとなおのこと不名誉なので、彼がやって来ると匆《そう》々《そう》家のなかへ入ってしまうのである。しかし今夜は私は猫がどうするか見届けたい気持でわざと物干へ身体を突き出していることにきめてしまった。夜警はだんだん近づいて来る。猫は相変わらず抱き合ったまま少しも動こうとしない。この互いに絡み合っている二匹の白猫は私をしてほしいままな男女の痴態を幻想させる。それからはてしのない快楽を私はひき出すことができる。
夜警はだんだん近づいて来た。この夜警は昼は葬儀屋をやっている、なんともいえない陰気な感じのする男である。私は彼が近づいて来るにつれて、彼がこの猫を見てどんな態度に出るか、興味を起こしてきた。彼はやっともうあと二間ほどのところではじめてそれに気がついたらしく、立ちどまった。ながめているらしい。彼がそうやってながめているのを見ていると、どうやら私の深夜の気持にも人といっしょにものを見物しているような感じが起こってきた。ところが猫はどうしたのかちっとも動かない。まだ夜警に気がつかないのだろうか。あるいはそうかもしれない。それともたかをくくってそのままにしているのだろうか。それはこういう動物のずうずうしいところでもある。彼らは人が危害を加える気づかいがないと落ちつき払って少しくらい追ってもなかなか逃げ出さない。それでいて実に抜け目なく観察していて、人にその気配がきざすと見るやたちまち逃げ足に移る。
夜警は猫が動かないと見るとまた二足三足近づいた。するとおかしいことには二つの首がくるりと振り向いた。しかし彼らはまだ抱き合っている。私はむしろ夜警の方がおもしろくなってきた。すると夜警は彼の持っている杖《つえ》をトンと猫の間近で突いて見せた。と、たちまち猫は二条の放射線となって露路の奥の方へ逃げてしまった。夜警はそれを見送ると、いつものようにつまらなそうに再び杖を鳴らしながら露路を立ち去ってしまった。物干の上の私には気づかないで。
その二
私は一度河《か》鹿《じか》をよく見てやろうと思っていた。
河鹿を見ようと思えばまず大胆に河鹿の鳴いている瀬のきわまで進んでゆくことが必要である。これはそろそろ近寄って行っても河鹿の隠れてしまうのは同じだからなるべく神速に行なうのがいいのである。瀬のきわまで行ってしまえば今度は身をひそめてじっとしてしまう。「俺は石だぞ。俺は石だぞ」と念じているような気持で少しも動かないのである。ただ眼だけはらんらんとさせている。ほんやりしていれば河鹿は渓《たに》の石と見わけにくい色をしているから何も見えないことになってしまうのである。やっとしばらくすると水の中やら石の蔭《かげ》から河《か》鹿《じか》がそろそろと首をもたげはじめる。気をつけて見ていると実にいろんなところから――それが皆申し合わせたように同じくらいずつ――恐る恐る顔を出すのである。すでに私は石である。彼らは等しく恐怖をやりすごした体《てい》で元の所へあがって来る。今度は私の一望の下に、余儀ないところで中断されていた彼らの求愛が encore されるのである。
こんなふうにして間近に河鹿をながめていると、ときどき不思議な気持になることがある。芥川龍之介は人間が河童《かつぱ》の世界へ行く小説を書いたが、河鹿の世界というものは案外手近にあるものだ。私は一度私の眼の下にいた一匹の河鹿から忽《こつ》然《ぜん》としてそんな世界へはいってしまった。その河鹿は瀬の石と石との間にできた小さい流れの前へ立って、あの奇怪な顔つきでじっと水の流れるのを見ていたのであるが、その姿が南画の河童とも漁師ともつかぬ点景人物そっくりになってきた、と思う間に彼の前の小さい流れがサーッと広々とした江に変じてしまった。その瞬間私もまたその天地の孤客たることを感じたのである。
これはただこれだけの話にすぎない。だが、こんな時こそ私は最も自然な状態で河鹿をながめていたと言い得るのかもしれない。それより前私は一度こんな経験をしていた。
私は渓《たに》へ行って鳴く河鹿を一匹つかまえて来た。桶《おけ》へ入れて観察しようと思ったのである。桶は浴場の桶だった。渓の石を入れて水をたたえ、ガラスで蓋《ふた》をして座敷のなかへ持ってはいった。ところが河鹿はどうしても自然な状態になろうとしない。蠅《はえ》を入れても蠅は水の上へ落ちてしまったなり河鹿とは別の生活をしている。私は退屈して湯に出かけた。そして忘れた時分になって座敷へ帰って来ると、チャブンという音が桶のなかでした。なるほどと思って早速桶の傍へ行って見ると、やはり先ほどのとおり隠れてしまったきりで出て来ない。今度は散歩に出かける。帰って来ると、またチャブンという音がする。あとはやはり同じことである。その晩は、傍へ置いたまま、私は私で読書をはじめた。忘れてしまって身体を動かすとまた跳び込んだ。最も自然な状態で本を読んでいるところを見られてしまったのである。翌日、結局彼は「あわてて跳び込む」ということを私に教えただけで、身体へ部屋中のほこりをつけて、私が明けてやった障子から渓《たに》の水音のする方へ跳んで行ってしまった。――これ以後私は二度とこの方法を繰り返さなかった。彼らを自然にながめるにはやはり渓へ行かなくてはならなかったのである。
それはある河《か》鹿《じか》のよく鳴く日だった。河鹿の鳴く声は街道までよく聞こえた。私は街道から杉林のなかを通っていつもの瀬のそばへ下りて行った。渓向こうの木立のなかでは瑠《る》璃《り》が美しくさえずっていた。瑠璃は河鹿と同じくそのころの渓間をいかにも楽しいものに思わせる鳥だった。村人の話ではこの鳥は一つのホラ(山あいの木のたくさん繁ったところ)にはただ一羽しかいない。そして他の瑠璃がそのホラへはいって行くと喧《けん》嘩《か》をして追い出してしまうと言う。私は瑠璃の鳴き声を聞くといつもその話を思い出しそれをもっともだと思った。それはいかにもわれとわが声の反響を楽しんでいる者の声だった。その声はよく透り、一日中変わってゆく渓あいの日射しのなかでよく響いた。そのころ毎日のように渓間を遊びほうけていた私はよくこんなことを口ずさんだ。
――ニシビラへ行けばニシビラの瑠璃、セコノタキへ来ればセコノタキの瑠璃。――
そして私の下りて来た瀬の近くにも同じような瑠璃が一羽いたのである。私は果たして河《か》鹿《じか》の鳴きしきっているのを聞くとさっさと瀬のそばまで歩いて行った。すると彼らの音楽ははたと止まった。しかし私は既定の方針どおりにじっとうずくまっておればよいのである。しばらくして彼らはまた元どおりに鳴き出した。この瀬にはことにたくさんの河鹿がいた。その声は瀬をどよもして響いていた。遠くの方から風の渡るように響いて来る。それは近くの瀬の波頭の間から高まってきて、眼の下の一団で高潮に達する。その伝達は微妙で、絶えず湧《わ》き起こり絶えず揺れ動く一つのまぼろしを見るようである。科学の教えるところによると、この地球にはじめて声を持つ生物が産まれたのは石炭紀の両棲類だということである。だからこれがこの地球に響いた最初の生の合唱だと思うといくらか壮烈な気がしないでもない。実際それは聞く者の心を震わせ、胸をわくわくさせ、遂《つい》には涙を催させるような種類の音楽である。
私の眼の下にはこのとき一匹の雄がいた。そして彼もやはりその合唱の波のなかに漂いながら、ある間《ま》をおいては彼の喉《のど》を震わせていたのである。私は彼の相手がどこにいるのだろうかと捜してみた。流れをへだてて一尺ばかり離れた石の蔭《かげ》におとなしく控えている一匹がいる。どうもそれらしい。しばらく見ているうちに私はそれが雄の鳴くたびに「ゲゲゲ」と満足げな声で受答えをするのを発見した。そのうちに雄の声はだんだんさえてきた。ひたむきに鳴くのが私の胸へも応えるほどになってきた。しばらくすると彼はまた突然に合唱のリズムをみだしはじめた。鳴く間がだんだん迫ってきたのである。もちろん雌は「ゲゲゲ」とうなずいている。しかしこれは声のふるわないせいか雄の熱情的なのに比べて少しのんきに見える。しかし今に何事かなくてはならない。私はその時の来るのを待っていた。すると案の定、雄はその烈しい鳴き方をひたと鳴きやめたと思う間に、するすると石を下りて水を渡りはじめた。このときその可《か》憐《れん》な風《ふ》情《ぜい》ほど私を感動させたものはなかった。彼が水の上を雌に求め寄ってゆく、それは人間の子供が母親を見つけて甘え泣きに泣きながら駆け寄って行くときと少しも変わったことはない。「ギョ・ギョ・ギョ・ギョ」と鳴きながら泳いで行くのである。こんな一心にも可憐な求愛があるものだろうか。それには私はすっかりあてられてしまったのである。
もちろん彼は幸福に雌の足下へ到り着いた。それから彼らは交尾した。さわやかな清流のなかで。――しかし少なくとも彼らの痴情の美しさは水を渡るときの可憐さに如《し》かなかった。世にも美しいものを見た気持で、しばらく私は瀬を揺るがす河《か》鹿《じか》の声のなかに没していた。
(一九三〇年十二月)
のんきな患者
一
吉田は肺が悪い。寒になって少し寒い日が来たと思ったら、すぐその翌日から高い熱を出してひどい咳《せき》になってしまった。胸の臓器を全部押し上げて出してしまおうとしているかのような咳をする。四、五日経つともうすっかりやせてしまった。咳もあまりしない。しかしこれは咳がなおったのではなくて、咳をするための腹の筋肉がすっかり疲れ切ってしまったからで、彼らが咳をするのを肯《がえん》じなくなってしまったかららしい。それにもう一つは心臓がひどく弱ってしまって、一度咳をしてそれを乱してしまうと、それを再びしずめるまでに非常に苦しい目を見なければならない。つまり咳をしなくなったというのは、身体が衰弱してはじめてのときのような元気がなくなってしまったからで、それが証拠には今度はだんだん呼吸困難の度を増して浅薄な呼吸を数多くしなければならなくなってきた。
病勢がこんなになるまでの間、吉田はこれを人並みの流行性感冒のように思って、またしても「明朝はもう少しよくなっているかもしれない」と思ってはその期待に裏切られたり、今日こそは医者を頼もうかと思ってはむだに辛抱をしたり、いつまでもひどい息切れを冒しては便所へ通ったり、そんな本能的な受身なことばかりやっていた。そしてやっと医者を迎えたころには、もうげっそり頬《ほお》もこけてしまって、身動きもできなくなり、二、三日のうちにははや褥瘡《とこずれ》のようなものまでができかかってくるという弱り方であった。ある日はしきりに「こうっと」「こうっと」というようなことをほとんど一日言っている。かと思うと「不安や」「不安や」と弱々しい声を出して訴えることもある。そういうときはきまって夜で、どこからくるともしれない不安が吉田の弱り切った神経をたまらなくするのであった。
吉田はこれまで一度もそんな経験をしたことがなかったので、そんなときは第一にその不安の原因に思い悩むのだった。いったいひどく心臓でも弱ってきたんだろうか、それともこんな病気にはありがちな不安ほどにはないなにかの現象なんだろうか、それとも自分の過敏になった神経がなにかの苦痛をそういうふうに感じさせるんだろうか。――吉田はほとんど身動きもできない姿勢で身体をしゃちこばらせたままかろうじて胸へ呼吸を送っていた。そして今もし突如この平衡を破るものが現われたら自分はどうなるかしれないということを思っていた。だから吉田の頭には地震とか火事とか一生に一度遭うか二度遭うかというようなものまでが真剣に写っているのだった。また吉田がこの状態を続けてゆくというのには絶えない努力感の緊張が必要であって、もしその綱渡りのような努力になにか不安の影が射せば、たちどころに吉田は深い苦痛に陥らざるをえないのだった。――しかしそんなことはいくら考えても決定的な知識のない吉田にはその解決がつくはずはなかった。その原因を臆《おく》測《そく》するにもまたその正否を判断するにも結局当の自分の不安の感じによるほかはないのだとすると、結局それは何をやっているのかわけのわからないことになるのは当然のことなのだったが、しかしそんな状態にいる吉田にはそんなあきらめがつくはずはなく、いくらでもそれは苦痛を増していくことになるのだった。
第二に吉田を苦しめるのはこの不安には手段があると思うことだった。それは人に医者へ行ってもらうことと誰かに寝ずの番についていてもらうことだった。しかし吉田は誰もみな一日の仕事をすましてそろそろ寝ようとする今ごろになって、半《はん》里《みち》もある田舎道を医者へ行って来てくれとか、六十も越してしまった母親に寝ずについていてくれとかいうことは言い出しにくかった。またそれを思い切って頼む段になると、吉田は今のこの自分の状態をどうしてわかりの悪い母親にわからしていいか、――それよりも自分がかろうじてそれを言うことができても、じっくりとした母親の平常の態度でそれを考えられたり、またその使いを頼まれた人間がその使いを行きしぶったりするときのことを考えると、実際それは吉田にとって泰山を動かすような空想になってしまうのだった。しかしなぜ不安になってくるか――もう一つ精密に言うと――なぜ不安が不安になってくるかというと、これからだんだん人が寝てしまって医者へ行ってもらうということもほんとうにできなくなるということや、そして母親も寝てしまってあとはただ自分一人が荒涼とした夜の時間のなかへ取り残されるということや、そしてもしその時間の真中でこのえたいの知れない不安の内容が実現するようなことがあればもはや自分はどうすることもできないではないかというようなことを考えるからで、――だからこれは目をつぶって「辛抱するか、頼むか」ということを決める以外それ自身のなかにはなんら解決の手段も含んでいない事柄なのであるが、たとえ吉田は漠然とそれを感じることができても、身体も心も抜差しのならない自分の状態であってみればなおのことその迷妄を捨て切ってしまうこともできず、その結果はあがきのとれない苦痛がますます増大してゆく一方となり、そのはてにはもうその苦しさだけにも堪え切れなくなって「こんなに苦しむくらいならいっそのこと言ってしまおう」と最後の決心をするようになるのだが、そのときはもうなぜか手も足も出なくなったような感じで、その傍にすわっている自分の母親がいかにもはがゆいのんきな存在に見え、「こことそこだのになぜこれを相手にわからすことができないのだろう」と胸のなかの苦痛をそのままつかみ出して相手にたたきつけたいような癇《かん》癪《しやく》が吉田には起こってくるのだった。
しかし結局はそれも「不安や」「不安や」という弱々しい未練いっぱいの訴えとなって終わってしまうほかないので、それも考えてみれば未練とはいってもやはり夜中になにか起こったときには相手をはっと気づかせることの役には立つというせっぱつまった下心もはいっているにはちがいなく、そうすることによってやっと自分一人が寝られないで取り残される夜ののっぴきならない辛抱をすることになるのだった。
吉田は何度「己が気持よく寝られさえすれば」と思ったことかしれなかった。こんな不安も吉田がその夜をねむる当てさえあれば何の苦痛でもないので、苦しいのはただ自分が昼にも夜にも睡眠ということを勘定に入れることができないということだった。吉田は胸のなかがどうにかして和《やわ》らんでくるまでに否《いや》でも応でもいつも身体をしゃちこばらして夜昼を押し通していなければならなかった。そして睡眠は時雨《しぐれ》空《ぞら》の薄日のように、その上をときどきやって来ては消えてゆくほとんど自分とは没交渉なものだった。吉田はいくら一日の看護に疲れても寝るときが来ればいつでもすやすやと寝ていく母親がいかにも楽しそうにもまた薄情にも見え、しかし結局これが己の今やらなければならないことなんだと思いあきらめてまたその努力を続けてゆくほかなかった。
そんなある晩のことだった。吉田の病室へ突然猫がはいって来た。その猫は平常吉田の寝床へはいって寝るという習慣があるので吉田がこんなになってからはやかましく言って病室へは入れないくふうをしていたのであるが、その猫がどこからはいって来たのかふいにニャアといういつもの鳴き声とともに部屋へはいって来たときには吉田は一時に不安と憤《ふん》懣《まん》の念に襲われざるをえなかった。吉田は隣室に寝ている母親を呼ぶことを考えたが、母親はやはり流行性感冒のようなものにかかって二、三日前から寝ているのだった。そのことについては吉田は自分のことも考え、また母親のことも考えて看護婦を呼ぶことを提議したのだったが、母親は「自分さえ辛抱すればやっていける」という吉田にとっては非常に苦痛な考えを固執していてそれを取り上げなかった。そしてこんな場合になっては吉田はやはり一匹の猫ぐらいでその母親を起こすということはできがたい気がするのだった。吉田はまた猫のことには「こんなことがあるかもしれないと思ってあんなにも神経質に言ってあるのに」と思って自分が神経質になることによって払った苦痛の犠牲が手ごたえもなくすっぽかされてしまったことに憤懣を感じないではいられなかった。しかし今自分は癇《かん》癪《しやく》を立てることによって少しの得もすることはないと思うと、そのわけのわからない猫をあまり身動きもできない状態で立ち去らせることのいかにまた根気のいる仕事であるかを思わざるをえなかった。
猫は吉田の枕《まくら》のところへやって来るといつものように夜着の襟元から寝床のなかへもぐり込もうとした。吉田は猫の鼻が冷たくてその毛皮が戸外の霜で濡《ぬ》れているのをその頬《ほお》で感じた。すなわち吉田は首を動かしてその夜着の隙《すき》間《ま》をふさいだ。すると猫は大胆にも枕の上へあがって来てまた別の隙間へしゃにむに首を突っ込もうとした。吉田はそろそろあげて来てあった片手でその鼻先を押しかえした。このようにして懲罰ということ以外に何もしらない動物を、極度に感情を押し殺したわずかの身体の運動で立ち去らせるということは、わけのわからないその相手をほとんど懐疑に陥れることによってあきらめさすというようなせっぱつまった方法を意味していた。しかしそれがやっとのことで成功したと思うと、方向を変えた猫は今度はのそのそと吉田の寝床の上へあがってそこで丸くなって毛をなめはじめた。そこへ行けばもう吉田にはどうすることもできない場所である。薄氷を踏むような吉田の呼吸がにわかにずしりと重くなった。吉田はいよいよ母親を起こそうかどうしようかということでおさえていた癇《かん》癪《しやく》をたかぶらせはじめた。吉田にとってはそれを辛抱することはできなくないことかもしれなかった。しかしその辛抱をしている間はたとえ寝たか寝ないかわからないような睡眠ではあったが、その可能性が全然なくなってしまうことを考えなければならなかった。そしてそれをいつまで持ち耐《こた》えなければならないかということは全く猫次第であり、いつ起きるかしれない母親次第だと思うと、どうしてもそんなばかばかしい辛抱はしきれない気がするのだった。しかし母親を起こすことを考えると、こんな感情をおさえておそらく何度も呼ばなければならないだろうという気持だけでも吉田は全く大儀な気になってしまうのだった。――しばらくして吉田はこの間から自分で起こしたことのなかった身体をじりじり起こしはじめた。そして床の上へやっと起きかえったかと思うと、寝床の上に丸くなって寝ている猫をむんずとつかまえた。吉田の身体はそれだけの運動でもう浪のように不安が揺れはじめた。しかし吉田はもうどうすることもできないのでいきなり、それをそれのはいって来た部屋のすみへ「二度と手間のかからないように」たたきつけた。そして自分は寝床の上であぐらをかいてそのあとの恐ろしい呼吸困難に身をまかせたのだった。
二
しかし吉田のそんな苦しみもだんだん耐えがたいようなものではなくなってきた。吉田は自分にやっと睡眠らしい睡眠ができるようになり、「今度はだいぶんひどい目にあった」ということを思うことができるようになると、やっと苦しかった二週間ほどのことが頭へのぼって来た。それは思想もなにもないただ荒々しい岩石の重畳する風景だった。しかしそのなかでも最もひどかった咳《せき》の苦しみの最中に、いつも自分の頭へ浮かんで来るわけのわからない言葉があったことを吉田は思い出した。それは「ヒルカニヤの虎《とら》」という言葉だった。それは咳の喉《のど》を鳴らす音とも聯《れん》関《かん》があり、それを吉田が観念するのは「俺《おれ》はヒルカニヤの虎だぞ」というようなことを念じるからなのだったが、いったいその「ヒルカニヤの虎」というものがどんなものであったか吉田はいつも咳のすんだあと妙な気持がするのだった。吉田は何かきっとそれは自分の寐《ね》つく前に読んだ小説かなにかのなかにあったことにちがいないと思うのだったがそれが思い出せなかった。また吉田は「自己の残像」というようなものがあるものなんだなというようなことを思ったりした。それは吉田がもうすっかり咳をするのに疲れてしまって頭を枕《まくら》へもたらせていると、それでもやはり小さい咳《せき》が出て来る、しかし吉田はもうそんなものにいちいち頸《くび》を固くして応じてはいられないと思ってそれを出るままにさせておくと、どうしてもやはり頭はそのたびに動かざるをえない。するとその「自己の残像」というものがいくつもできるのである。
しかしそんなこともみな苦しかった二週間ほどの間の思い出であった。同じ寐《ね》られない晩にしても吉田の心にはもうなにかの快楽を求めるような気持の感じられるような晩もあった。
ある晩は吉田は煙草《たばこ》をながめていた。床の脇《わき》にある火鉢の裾《すそ》に刻《きざみ》煙草《たばこ》の袋と煙管《きせる》とが見えている。それは見えているというよりも、吉田が無理をして見ているので、それを見ているということがなんともいえない楽しい気持を自分に起こさせていることを吉田は感じていた。そして吉田の寐られないのはその気持のためで、いわばそれは稍《や》々《や》楽しすぎる気持なのだった。そして吉田は自分の頬《ほお》がそのために少しずつほてったようになってきているということさえ知っていた。しかし吉田はけっしてほかを向いて寐ようという気はしなかった。そうするとせっかく自分の感じている春の夜のような気持が一時に病気病気した冬のような気持になってしまうのだった。しかし寐られないということも吉田にとっては苦痛であった。吉田はいつか不眠症ということについて、それの原因は結局患者が眠ることを欲しないのだという学説があることを人に聞かされていた。吉田はその話を聞いてから自分のねむれないときには何か自分にねむるのを欲しない気持がありはしないかと思って一夜それを検査してみるのだったが、今自分が寐られないということについては検査してみるまでもなく吉田にはそれがわかっていた。しかし自分がその隠れた欲望を実行に移すかどうかという段になると吉田は一も二もなく否定せざるをえないのだった。煙草を喫うも喫わないも、その道具の手の届くところへ行きつくだけでも、自分の今のこの春の夜のような気持は一時に吹き消されてしまわなければならないということは吉田も知っていた。そしてもしそれを一服喫ったとする場合、この何日間か知らなかったどんな恐ろしい咳《せき》の苦しみが襲って来るかということも吉田はたいがい察していた。そして何よりもまず、少し自分がその人のせいで苦しい目をしたというような場合すぐに癇《かん》癪《しやく》を立てておこりつける母親の寐《ね》ている隙《すき》に、それもその人の忘れて行った煙草を――と思うとやはり吉田は一も二もなくその欲望を否定せざるをえなかった。だから吉田はけっしてその欲望をあらわには意識しようとは思わない。そしていつまでもその方をながめては寐られない春の夜のような心のときめきを感じているのだった。
ある日は吉田はまた鏡を持って来させてそれに枯れ枯れとした真冬の庭の風景を反射させてはながめたりした。そんな吉田にはいつも南天の赤い実が眼の覚めるような刺《し》戟《げき》で眼についた。また鏡で反射させた風景へ望遠鏡を持って行って、望遠鏡の効果があるものかどうかということを、吉田はだいぶんながい間寝床のなかで考えたりした。だいじょうぶだと吉田は思ったので、望遠鏡を持って来させて鏡を重ねてのぞいて見るとやはりだいじょうぶだった。
ある日は庭のすみに接した村の大きな櫟《くぬぎ》の木へたくさん渡り鳥がやって来ている声がした。
「あれはいったい何やろ」
吉田の母親はそれを見つけてガラス障子のところへ出て行きながら、そんなひとり言のような吉田に聞かすようなことを言うのだったが、癇癪を起こすのに慣れ続けた吉田は、「かってにしろ」というような気持でわざと黙り続けているのだった。しかし吉田がそう思って黙っているというのは吉田にしてみればいい方で、もしこれが気持のよくないときだったら自分のその沈黙が苦しくなって、(いったいそんなことを聞くような聞かないようなことを言って自分がそれをながめることができると思っているのか)というようなことから始まって、母親が自分のそんな意志を否定すれば、(いくらそんなことを言ってもぼんやり自分がそう思って言ったということに自分が気がつかないだけの話で、いつもそんなぼんやりしたことを言ったりしたりするから無理にでも自分が鏡と望遠鏡とを持ってそれをながめなければならないような義務を感じたりして苦しくなるのじゃないか)というふうに母親を攻めたてていくのだったが、吉田は自分の気持がそういう朝でさっぱりしているので、黙ってその声をきいていることができるのだった。すると母親は吉田がそんなことを考えているということには気がつかずにまたこんなことを言うのだった。
「なんやらヒヨヒヨした鳥やわ」
「そんなら鵯《ひよ》ですやろうかい」
吉田は母親がそれを鵯にきめたがってそんな形容詞を使うのだということがたいていわかるような気がするのでそんな返事をしたのだったが、しばらくすると母親はまた吉田がそんなことを思っているとは気がつかずに、
「なんやら毛がムクムクしているわ」
吉田はもう癇《かん》癪《しやく》を起こすよりも母親の思っていることがいかにも滑《こつ》稽《けい》になってきたので、
「そんなら椋鳥《むく》ですやろうかい」
と言ってひとりで笑いたくなってくるのだった。
そんなある日吉田は大阪でラジオ屋の店を開いている末の弟の見舞いをうけた。
その弟のいる家というのはその何か月か前まで吉田や吉田の母や弟やのいっしょに住んでいた家であった。そしてそれはその五、六年も前吉田の父がその学校へ行かない吉田の末の弟に何か手に合った商売をさせるために、そして自分たちもその息子をしあげながら老後の生活をしていくために買った小間物店で、吉田の弟はその店の半分を自分の商売にするつもりのラジオ屋に造り変え、小間物屋の方は吉田の母親がみながらずっと暮らしてきたのであった。それは大阪の市が南へ南へ伸びて行こうとして十何年か前まではまだ草深い田舎であった土地をどんどん住宅や学校、病院などの地帯にしてしまい、その間へはまた多くはそこの地元の百姓であった地主たちの建てた小さな長屋がたくさんできて、野原のなごりが年ごとにその影を消していきつつあるというふうの町なのであった。吉田の弟の店のあるところはその間でも比較的早くからできていた通り筋で両側はそんな町らしい、いろんなものを商う店が立ち並んでいた。
吉田は東京から病気が悪くなってその家へ帰って来たのが二年あまり前であった。吉田の帰って来た翌年吉田の父はその家で死んで、しばらくして吉田の末の弟も兵隊に行っていたのから帰って来ていよいよ落ちついて商売をやっていくことになり嫁をもらった。そしてそれを機会にひとまず吉田も吉田の母も弟も、それまで外で家を持っていた吉田の兄の家の世話になることになり、その兄がそれまで住んでいた町から少し離れた田舎に、病人を住ますに都合のいい離れ家のあるいい家が見つかったのでそこへ引っ越したのがまだ三か月ほど前であった。
吉田の弟は病室で母親を相手にしばらくあたりさわりのない自分の家の話などをしていたがやがて帰って行った。しばらくしてそれを送って行った母が部屋へ帰って来て、またしばらくしてのあとで、母は突然、
「あの荒物屋の娘が死んだと」
と言って吉田に話しかけた。
「ふうむ」
吉田はそう言ったなり弟がその話をこの部屋ではしないで送って行った母と母《おも》屋《や》の方でしたということを考えていたが、やはり弟の眼にはこの自分がそんな話もできない病人に見えたかと思うと、
「そうかなあ」というふうにも考えて、
「なんであれもそんな話をあっちの部屋でしたりするんですやろなあ」
というふうなことを言っていたが、
「そりゃおまえがびっくりすると思うてさ」
そう言いながら母は自分がそれを言ったことは別に意に介してないらしいので吉田はすぐにも「それじゃあんたは?」と聞きかえしたくなるのだったが、今はそんなことを言う気にもならず吉田はじっとその娘の死んだということを考えていた。
吉田は以前からその娘が肺が悪くて寝ているということは聞いて知っていた。その荒物屋というのは吉田の弟の家から辻《つじ》を一つ越した二、三軒先のくすんだ感じの店だった。吉田はその店にそんな娘がすわっていたことはいくら言われても思い出せなかったが、その家のお婆さんというのはいつも近所へ出歩いているのでよく見て知っていた。吉田はそのお婆さんからはいつも少し人のよすぎる稍《や》々《や》腹立たしい印象をうけていたのであるが、それはそのお婆さんがまたしても変な笑い顔をしながら近所のおかみさんたちとおしゃべりをしに出て行っては、なぶりものにされている――そんな場面をたびたび見たからだった。しかしそれは吉田の思い過ぎで、それはそのお婆さんがつんぼで人に手まねをしてもらわないと話が通じず、しかも自分は鼻のつぶれた声で物を言うのでいっそう人に軽《けい》蔑《べつ》的《てき》な印象を与えるからで、それは多少人びとには軽蔑されてはいても、おもしろ半分にでも手まねで話してくれる人があり、鼻のつぶれた声でもその話を聞いてくれる人があってこそ、そのお婆さんも何の気がねもなしに近所仲間の仲間入りができるので、それが飾りもなにもないこうした町の生活の真実なんだということはいろいろなことを知ってみてはじめて吉田にも会《え》得《とく》のゆくことなのだった。
そんなふうではじめ吉田にはその娘のことよりもお婆さんのことがその荒物屋についての知識を占めていたのであるが、だんだんその娘のことが自分のことにも関《かん》聯《れん》して注意されてきたのはだいぶんその娘の容態も悪くなってきてからであった。近所の人の話ではその荒物屋の親爺《おやじ》さんというのが非常に吝嗇《けち》で、その娘を医者にもかけてやらなければ薬も買ってやらないということであった。そしてただその娘の母親であるさっきのお婆さんだけがその娘の世話をしていて、娘は二階のひと間に寝たきり、その親爺さんも息子もそしてまだ来て間のないその息子の嫁も誰もその病人には寄りつかないようにしているということを言っていた。そして吉田はあるときその娘が毎日食後にめだかを五匹ずつのんでいるという話をきいたときは「どうしてまたそんなものを」という気持がしてにわかにその娘を心にとめるようになったのだが、しかしそれは吉田にとってまだまだ遠い他人《ひと》事《ごと》の気持なのであった。
ところがその後しばらくしてそこの嫁が吉田の家へ掛《かけ》取《と》りに来たとき家の者と話をしているのを吉田がこちらの部屋のなかで聞いていると、そのめだかをのむようになってから病人がぐあいがいいと言っているということや、親爺《おやじ》さんが十日に一度ぐらいそれを野原の方へ取りに行くという話などをしてから最後に、
「うちの網はいつでもあいてますよって、お家の病人さんにもちっと取って来てのましてあげはったらどうです」
というような話になってきたので吉田は一時に狼《ろう》狽《ばい》してしまった。吉田は何よりも自分の病気がそんなにも大っぴらに話されるほど人びとに知られているのかと思うと今さらのように驚かないではいられないのだったが、しかし考えてみればもちろんそれは無理のない話で、今さらそれに驚くというのはやはり自分が平常自分について虫のいい想像をしているんだということを吉田は思い知らなければならなかったのだった。だが吉田にとってまだなまなましかったのはそのめだかを自分にものましたらと言われたことだった。あとでそれを家の者が笑って話したとき、吉田は家の者にもやはりそんな気があるのじゃないかと思って、もうちょっとその魚を大きくしてやる必要があると言ってにくまれ口をたたいたのだったが、吉田はそんなものをのみながらだんだん死期に近づいてゆく娘のことを想像するとたまらないような憂《ゆう》鬱《うつ》な気持になるのだった。そしてその娘のことについてはそれきりで吉田はこちらの田舎の住居の方へ来てしまったのだったが、それからしばらくして吉田の母が弟の家へ行って来たときの話に、吉田は突然その娘の母親が死んでしまったことを聞いた。それはそのお婆さんがある日上がり框《がまち》から座敷の長火鉢の方へあがって行きかけたまま脳《のう》溢《いつ》血《けつ》かなにかで死んでしまったというので非常にあっけない話であったが、吉田の母親はあのお婆さんに死なれてはあの娘も一遍に気を落としてしまっただろうとそのことばかりを心配した。そしてそのお婆さんが平常あんなに見えていても、その娘を親爺《おやじ》さんには内証で市民病院へ連れて行ったり、また娘が寝たきりになってからはひそかに薬を買いに行ってやったりしたことがあるということを、あるときそのお婆さんが愚痴話に吉田の母親をつかまえて話したことがあると言って、やはり母親は母親だということを言うのだった。吉田はその話には非常にしみじみとしたものを感じて平常のお婆さんに対する考えもすっかり変わってしまったのであるが、吉田の母親はまた近所の人の話だと言って、そのお婆さんの死んだあとは例の親爺さんがお婆さんに代わって娘のめんどうをみてやっていること、それがどんなぐあいにいっているのか知らないが、その親爺さんが近所へ来ての話に「死んだ婆さんは何一つ役に立たん婆さんやったが、ようまああの二階のあがりおりを一日に三十何遍もやったもんやと思うてそれだけは感心する」と言っていたということを吉田に話して聞かせたのだった。
そしてそこまでが吉田が最近までに聞いていた娘の消息だったのだが、吉田はそんなことをみな思い出しながら、その娘の死んでいったさびしい気持などを思いやっているうちに、不知《しらず》不識《しらず》の間にすっかり自分の気持が頼りない変な気持になってしまっているのを感じた。吉田は自分が明るい病室のなかにい、そこには自分の母親もいながら、なぜか自分だけが深いところへ落ち込んでしまって、そこへは出て行かれないような気持になってしまった。
「やっぱりびっくりしました」
それからしばらく経って吉田はやっと母親にそう言ったのであるが母親は、
「そうやろがな」
かえって吉田にそれを納得さすような口調でそう言ったなり、別に自分がそれを言ったことについては何も感じないらしく、またいろいろその娘の話をしながら最後に、
「あの娘はやっぱりあのお婆さんが生きていてやらんことには、――あのお婆さんが死んでからまだ二月にもならんでなあ」と嘆じて見せるのだった。
三
吉田はその娘の話からいろいろなことを思い出していた。第一に吉田が気づくのは吉田がその町からこちらの田舎へ来てまだ何か月にもならないのに、その間に受けとったその町の人の誰かの死んだという便りの多いことだった。吉田の母は月に一度か二度そこへ行って来るたびに必ずそんな話を持って帰った。そしてそれはたいてい肺病で死んだ人の話なのだった。そしてその話をきいているとそれらの人たちの病気にかかって死んでいったまでの期間は非常に短かった。ある学校の先生の娘は半年ほどの間に死んでしまって今はまたその息子が寝ついてしまっていた。通り筋の毛糸雑貨屋の主人はこの間まで店へ据《す》えた毛糸の織機で一日中毛糸を織っていたが、急に死んでしまって、家族がすぐ店を畳んで国へ帰ってしまったそのあとはじきカフェーになってしまった。――
そして吉田は自分は今はこんな田舎にいてたまにそんなことをきくから、いかにもそれを顕著に感ずるが、自分がいた二年間という間もやはりそれと同じように、そんな話が実に数知れず起こっては消えていたんだということを思わざるをえないのだった。
吉田は二年ほど前病気が悪くなって東京の学生生活の延長からその町へ帰って来たのであるが、吉田にとってはそれはほとんどはじめての意識して世間というものを見る生活だった。しかしそうはいっても吉田はいつも家の中に引っ込んでいて、そんな知識というものはたいてい家の者の口を通じて吉田にはいって来るのだったが、吉田はさっきの荒物屋の娘のめだかのように自分にすすめられた肺病の薬というものを通じて見ても、そういう世間がこの病気と戦っている戦の暗黒さを知ることができるのだった。
最初それはまだ吉田が学生だったころ、この家へ休暇に帰って来たときのことだった。帰って来て匆《そう》々《そう》吉田は自分の母から人間の脳《のう》味《み》噌《そ》の黒焼きをのんでみないかと言われて非常にいやな気持になったことがあった。吉田は母親がそれをおずおずでもない一種変な口調で言い出したとき、いったいそれが本気なのかどうなのか、何度も母親の顔を見返すほど妙な気持になった。それは吉田が自分の母親がこれまでめったにそんなことを言う人間ではなかったことを信じていたからで、その母親が今そんなことを言い出しているかと思うとなんとなく妙な頼りないような気持になってくるのだった。そして母親がそれをすすめた人間からすでに少しばかりそれをもらって持っているのだということを聞かされたとき吉田は全くいやな気持になってしまった。
母親の話によるとそれは青物を売りに来る女があって、その女といろいろ話をしているうちにその肺病の特効薬の話をその女がはじめたというのだった。その女には肺病の弟があってそれが死んでしまった。そしてそれを村の焼き場で焼いたとき、寺の和《お》尚《しよう》さんがついていて、
「人間の脳《のう》味《み》噌《そ》の黒焼きはこの病気の薬だから、あなたも人助けだからこの黒焼きを持っていて、もしこの病気で悪い人に会ったらわけてあげなさい」
そう言って自分でそれを取り出してくれたというのであった。吉田はその話のなかから、もう何の手当てもできずに死んでしまったその女の弟、それを葬ろうとして焼き場に立っている姉、そして和尚といってもなんだか頼りない男がそんなことを言って焼け残った骨をつついている焼き場の情景を思い浮かべることができるのだったが、その女がその言葉を信じてほかのものではない自分の弟の脳味噌の黒焼きをいつでも身近に持っていて、そしてそれをこの病気で悪い人に会えばくれてやろうという気持には、何かしらたえがたいものを吉田は感じないではいられないのだった。そしてそんなものをもらってしまって、たいてい自分がのまないのはわかっているのに、そのあとをいったいどうするつもりなんだと、吉田は母親のしたことが取返しのつかないいやなことに思われるのだったが、傍にきいていた吉田の末の弟も、
「お母さん、もう今度からそんなこと言うのん嫌でっせ」
と言ったのでなんだか事件が滑《こつ》稽《けい》になってきて、それはそのままにけりがついてしまったのだった。
この町へ帰って来てしばらくしてから吉田はまた首くくりの縄を「まあばかなことやと思うて」のんでみないかと言われた。それをすすめた人間は大和《やまと》で塗師《ぬしや》をしている男でその縄をどうして手に入れたかという話を吉田にして聞かせた。
それはその町に一人の鰥夫《やもお》の肺病の患者があって、その男は病気が重ったままほとんど手当てをする人もなく、一軒のあばら家に捨て置かれてあったのであるが、とうとう最近になって首をくくって死んでしまった。するとそんな男にでもいろんな借金があって、死んだとなるといろんな債権者がやって来たのであるが、その男に家を貸していた大家がそんな人間を集めてその場でその男の持っていたものを競売にして後始末をつけることになった。ところがその品物のなかで最も高い値が出たのはその男が首をくくった縄で、それが一寸二寸というふうにして買手がついて、大家はその金でその男の簡単な葬式をしてやったばかりでなく自分のところのとどこおっていた家賃もみな取ってしまったという話であった。
吉田はそんな話を聞くにつけても、そういう迷信を信じる人間の無智《むち》にばかばかしさを感じないわけにいかなかったけれども、考えてみれば人間の無智というのはみな程度の差で、そう思ってばかばかしさの感じを取り除いてしまえば、あとに残るのはそれらの人間の感じている肺病に対する手段の絶望と、病人たちのなんとしてでも自分のよくなりつつあるという暗示を得たいという二つの事柄なのであった。
また吉田はその前の年母親が重い病気にかかって入院したときいっしょにその病室へついて行っていたことがあった。そのとき吉田がその病舎の食堂で、何心なく食事した後ぼんやりと窓に映る風景をながめていると、いきなりその眼の前へ顔を近づけて、非常に押し殺した力強い声で、
「心臓へ来ましたか?」
と耳打ちをした女があった。はっとして吉田がその女の顔を見ると、それはその病舎の患者の附添いに雇われている附添婦の一人で、もちろんそんな附添婦の顔ぶれにも毎日のように変化はあったが、その女はそのころ露悪的な冗談を言っては食堂へ集まって来る他の附添婦たちを牛《ぎゆう》耳《じ》っていた中婆さんなのだった。
吉田はそう言われて何のことかわからずにしばらく相手の顔を見ていたが、すぐに「ああなるほど」と気のついたことがあった。それは自分がその庭の方をながめはじめた前に、自分が咳《せき》をしたということなのだった。そしてその女は自分が咳をしてから庭の方を向いたのを勘違いして、てっきりこれは「心臓へ来た」と思ってしまったのだと吉田はさとることができた。そして咳が不意に心臓の動《どう》悸《き》を高めることがあるのは吉田も自分の経験で知っていた。それで納得のいった吉田ははじめてそうではない旨を返事すると、その女はその返事には委細かまわずに、
「その病気に利くええ薬を教えたげまひょか」
と、また脅かすように力強い声でじっと吉田の顔をのぞき込んだのだった。吉田は一にも二にも自分が「その病気」に見込まれているのが不愉快ではあったが、
「いったいどんな薬です?」
とすなおに聞き返してみることにした。するとその女はまたこんなことを言って吉田を閉口させてしまうのだった。
「それは今ここで教えてもこの病院ではできまへんで」
そしてそんなものものしいだめをおしながらその女の話した薬というのは、素焼きの土《ど》瓶《びん》へ鼠《ねずみ》の仔《こ》を捕って来て入れてそれを黒焼きにしたもので、それをいくらかずつかごく少ない分量をのんでいると、「一匹食わんうちに」なおるというのであった。そしてその「一匹食わんうちに」という表現でまたその婆さんはこわい顔をして吉田をにらんで見せるのだった。吉田はそれですっかりその婆さんに牛耳られてしまったのであるが、その女の自分の咳《せき》に敏感であったことや、そんな薬のことなどを思い合わせてみると、吉田はその女は附添婦という商売がらではあるが、きっとその女の近い肉親にその病気のものを持っていたのにちがいないということを想像することができるのであった。そして吉田が病院へ来て以来最もしみじみした印象をうけていたものはこの附添婦という寂しい女たちの群のことであって、それらの人たちはみんな単なる生活の必要というだけではなしに、夫に死に別れたとか年が寄って養い手がないとか、どこかにそうした人生の不幸を烙《らく》印《いん》されている人たちであることを吉田は観察していたのであるが、あるいはこの女もそうした肉親をその病気で、なくすることによって、今こんなにして附添婦などをやっているのではあるまいかということを、吉田はそのときふと感じたのだった。
吉田は病気のためにたまにこうした機会にしか直接世間に触れることがなかったのであるが、そしてその触れた世間というのはみな吉田が肺病患者だということを見破って近づいて来た世間なのであるが、病院にいるひと月ほどの間にまた別なことにぶつかった。
それはある日吉田が病院の近くの市場へ病人の買物に出かけたときのことだった。吉田がその市場で用事を足して帰って来ると往来に一人の女が立っていて、その女がまじまじと吉田の顔を見ながら近づいて来て、
「もしもし、あなた失礼ですが……」
と吉田に呼びかけたのだった。吉田は何事かと思って、
「?」
とその女を見返したのであるが、そのとき吉田の感じていたことはたぶんこの女は人違いでもしているのだろうということで、そういう往来のよくある出来事がたいてい好意的な印象で物分かれになるように、このときも吉田はどちらかといえば好意的な気持を用意しながらその女の言うことを待ったのだった。
「ひょっとしてあなたは肺がお悪いのじゃありませんか」
いきなりそう言われたときに吉田は少なからず驚いた。しかし吉田にとって別にそれは珍しいことではなかったし、ぶしつけなことを聞く人間もあるものだとは思いながらも、その女の一心に吉田の顔を見つめるなんとなく知性を欠いた顔つきから、その言葉の次にまだ何か人生の大事件でも飛び出すのではないかという気持もあって、
「ええ、悪いことは悪いですが、何か……」
と言うと、その女はいきなりとめどもなく次のようなことを言い出すのだった。それはその病気は医者や薬ではだめなこと、やはり信心をしなければとうてい助かるものではないこと、そして自分も配《つれ》偶《あい》があったがとうとうその病気で死んでしまって、その後自分も同じように悪かったのであるが信心をはじめてそれでとうとう助かることができたこと、だからあなたもぜひ信心をして、その病気をなおせ――ということを縷《る》々《る》として述べたてるのであった。その間吉田は自然その話よりも話をする女の顔の方に深い注意を向けないではいられなかったのであるが、その女にはそういう吉田の顔が非常に難解に映るのかさまざまに吉田の気を測ってはしかも非常に執拗にその話を続けるのであった。そして吉田はその話が次のように変わっていったとき、なるほどこれだなと思ったのであるが、その女は自分が天理教の教会を持っているということと、そこでいろんな話をしたり祈《き》祷《とう》をしたりするからぜひやって来てくれということを、帯の間から名刺ともいえない所在地をゴム版で刷ったみすぼらしい紙片を取り出しながら、吉田にすすめはじめるのだった。ちょうどそのとき一台の自動車が来かかってブーブーと警笛を鳴らした。吉田は早くからそれに気がついていて、早くこの女もこの話を切り上げたらいいことにと思って道傍へ寄りかけたのであるが、女は自動車の警笛などは全然注意には入らぬらしく、かえって自分に注意の薄らいできた吉田の顔色に躍起になりながらその話を続けるので、自動車はとうとう往来で立往生をしなければならなくなってしまった。吉田はその話相手につかまっているのが自分なので体裁の悪さに途方に暮れながら、その女を促して道の片脇へ寄せたのであったが、女はその間も他へ注意をそらさず、さっきの「教会へぜひ来てくれ」という話を急にまた、「自分は今からそこへ帰るのだからぜひいっしょに来てくれ」という話に進めかかっていた。そして吉田が自分に用事のあることを言ってそれを断わると、では吉田の住んでいる町をどこだときいてくるのだった。吉田はそれに対して「だいぶ南の方だ」とあいまいに言って、それを相手に教える意志のないことをその女にわからそうとしたのであるが、するとその女はすかさず「南の方のどこ、××町の方かそれとも○○町の方か」というふうにのっぴきのならぬように聞いてくるので、吉田は自分のところの町名、それからその何丁目というようなことまで、だんだんに言っていかなければならなくなった。吉田はそんな女にちっとも嘘《うそ》を言う気持はなかったので、そこまで自分の住所を打ち明かしてきたのだったが、
「ほ、その二丁目の? 何番地?」
といよいよその最後まで同じ調子で追求してきたのを聞くと、吉田はにわかにぐっと癪《しやく》にさわってしまった。それは吉田が「そこまで言ってしまってはまたどんなうるさいことになるかもしれない」ということを急に自覚したのにもよるが、それと同時にそこまでのっぴきのならぬように追求してくる執《しつ》拗《よう》な女の態度が急に重苦しい圧迫を吉田に感じさせたからだった。そして吉田はうっかりカッとなってしまって、
「もうそれ以上は言わん」
ときっと相手をにらんだのだった。女は急にあっけにとられた顔をしていたが、吉田があわててまた色を収めるのを見ると、それではぜひ近々教会へ来てくれと言って、さっき吉田がやってきた市場の方へ歩いて行った。吉田は、とにかく女の言うことはみな聞いたあとでおとなしく断わってやろうと思っていた自分が、思わず知らず最後まで追いつめられて、急にあわててカッとなったのに自分ながら半分はおかしさを感じないではいられなかったが、まだ日の光の新しい午前の往来で、自分がいかにも病人らしい悪い顔《がん》貌《ぼう》をして歩いているということを思い知らされたあげく、あんな重苦しい目をしたかと思うと半分は腹立たしくなりながら、病室へ帰ると匆《そう》々《そう》、
「そんなに悪い顔色かなあ」
と、いきなり鏡を取り出して顔を見ながら寝台の上の母にその顛《てん》末《まつ》を訴えたのだった。すると吉田の母親は、
「なんのおまえばっかりかいな」
と言って自分も市営の公設市場へ行く道で何度もそんな目に会ったことを話したので、吉田はやっとそのわけがわかってきはじめた。それはそんな教会が信者を作るのに躍起になっていて、毎朝そんな女が市場とか病院とか人のたくさん寄って行く場所の近くの道で網を張っていて、顔色の悪いような人物を物色しては吉田にやったのと同じような手段でなんとかして教会へ引っ張って行こうとしているのだということだった。吉田はなあんだという気がしたと同時に自分らの思っているよりははるかに現実的なそして一所懸命な世の中というものを感じたのだった。
吉田は平常よく思い出すある統計の数字があった。それは肺結核で死んだ人間の百分率で、その統計によると肺結核で死んだ人間百人についてそのうちの九十人以上は極貧者、上流階級の人間はそのうちの一人にはまだ足りないという統計であった。もちろんこれは単に「肺結核によって死んだ人間」の統計で肺結核に対する極貧者の死亡率や上流階級の者の死亡率というようなものを意味していないので、また極貧者といったり上流階級といったりしているのも、それがどのくらいの程度までを指しているのかはわからないのであるが、しかしそれは吉田に次のようなことを想像せしめるには充分であった。
つまりそれは、今非常に多くの肺結核患者が死に急ぎつつある。そしてそのなかで人間の望み得る最も行き届いた手当てをうけている人間は百人に一人もないくらいで、そのうちの九十何人かはほとんど薬らしい薬ものまずに死に急いでいるということであった。
吉田はこれまでこの統計からは単にそういうようなことを抽象して、それを自分の経験したそういうことにあてはめて考えていたのであるが、荒物屋の娘の死んだことを考え、また自分のこの何週間かのうけた苦しみを考えるとき漠然とまたこういうことを考えないではいられなかった。それはその統計のなかの九十何人という人間を考えてみれば、そのなかには女もあれば男もあり子供もあれば年寄もいるにちがいない。そして自分の不如意や病気の苦しみに力強く堪えてゆくことのできる人間もあれば、そのいずれにも堪えることのできない人間もずいぶん多いにちがいない。しかし病気というものはけっして学校の行軍のように弱いそれに堪えることのできない人間をその行軍から除外してくれるものではなく、最後の死のゴールへ行くまではどんな豪傑でも弱虫でもみんな同列にならばして否応なしに引きずってゆく――ということであった。
(一九三一年十二月)
瀬山の話
私はその男のことを思うといつもなんともいいようのない気持になってしまう。強いて言ってみればなんとなくあの気持に似てるようでもあるのだが――それは睡眠が襲って来る前の朦《もう》朧《ろう》とした意識の中の出来事で物事のなだらかな進行がふと意地の悪いじゃまに会う(いったいあの歯がゆい小悪魔めはどんなやつなんだろう!)。こんなことがある――着物の端に汚いものがついている、みんなとったはずだのにまだ破片がついている、怪しみながらまた何の気なしにとるとやはりついている、二、三度やっているうちに少しあせってくる、私はその朦朧とした意識の中でそれを洗濯する、それでもだめだ、私は幻の中で鋏《はさみ》をとり出してそこを切り取る、しかし汚物の破片は私の逆上をせせらわらいながら依然としてとれずにいる。――私はこの辺でもう小悪魔の意地悪いいたずらを感じるようにこのごろはなっているのだ。――ああこのいたずらに業を煮やしたが最後、どんなに歯がみをしてもその小悪魔のせせらわらいがたたき潰《つぶ》せるものか。要するに絶対不可能なのだ。ただほんの汚物の破片をとり去るだけのことが!
しかしそれが汚物ならまだいい。相手が人間だった時には、しかもそれが現実の人間を相手である時にはどんなにその幻はみじめだろう。こちらが二と出れば向こうは三と出る、十と出れば平気で二十と出る、私はよくその呪《のろ》われた幻の格闘でいまわしい夜を送るのだが。
まあこのようなことはよけいなことなのだ、今も言うとおり私はその男のことを思ってゆくうちにはきっと、このような、もう一息が歯がゆいような、あきらめねばしかたがないと思ってはみるものの、あきらめるにはあまり口惜しいような、苦しい気持を経験するのだ。
そう言ってみれば私はこうも言えるような気がする。一方はその男の澄みたい気持で、そしてもう一方は濁りたい気持である、と。そして小悪魔が味方しているのはこちらの方だ。私はこれまで、前者の方にあらゆる祈願をこめて味方してきた、そしてまたこれからもおそらくはそうであろうと思う。しかし私はもう単純には前者に味方するようにはなれなくなったように思う。
かりに名を瀬山としておこう。
少しつきあった人は誰でも瀬山の顔が時によってさまざまに変わるのに驚いている。私の叔《お》父《じ》に一人のアルコール中毒者がいたが、私の思い出す叔父の顔にはほぼ三通りの型があるように思う。瀬山の顔《がん》貌《ぼう》はあらましにしても三通りではきかない。しかし叔父の顔の三つの型。――一つは厳《げん》粛《しゆく》な顔であって、酒の酔いがさめている時の顔である。叔父はそんな時には彼の妻に「あなた」とか「ください」とか切口上で物を言った。皆も叔父を尊敬した、私なども冗談一つ言えなかった。というのは一つにはその顔がすぐいらいらしたとげとげしい顔に変わりやすかったからでもあるのだが。それが酒を飲みはじめると掌をかえしたようになる。「あの顔! まあいやらしい」よく叔《お》母《ば》が彼がロレツがまわらなくなった舌でとりとめもないこと(それは全然虚構な話が多かった)を口走っているのを見ると言い言いした。顔の相好はまるで変わってしまってしまりがなくなり、眼に光が消えて鼻から口へかけてのだらしがまるでなく――白痴の方が数等上の顔をしている、私はいつもそう思った。それにつれて皆の態度も掌をかえしたように変わるのだ。叔《お》父《じ》の顔があんなにも変わったのも不思議であるが、皆の態度がまたあんなにも変わったのはなおさらの不思議である。
も一つは弱々しい笑顔――私はこの型を瀬山の顔《がん》貌《ぼう》の中に数えることができる。彼もやはり酒飲みなのである。しかし瀬山の顔貌はあらましにしても三つではきかない。全く彼の顔には彼の心と同じ大きな不思議がひそんでいる。
瀬山とてもこの世の中に処してゆくことがまるでできない男ではないのであるが、もともと彼の目安とするところがそこにあるのではないので、といっておしまいにはその、試験でいえばぎりぎりの六十点の生活をあのようにまで渇望するのだが。全く瀬山は夢想家といおうか何といおうか、彼の自分を責める時ほどひねくれて酷なことはなく――それもある時期が来なければそうではないので、またその時期が来るまでの彼のだらしなさほど底抜けのものはまたないのである。
彼は毎朝顔を洗うことをすらしなくなる。たとえば徴兵検査を怠けたときいても彼にはありそうなことと思える。私は一度彼の下宿で酒《さか》壜《びん》に黄色い液体が詰められて、それが押入れの中に何本もおいてあるのを見た。それは小便だったのだ。私はそれがなぜ臭くなるまで捨てられずにおいてあるのだろうと思った。彼はそうする気にならないのである。気が向かないのだ。
しかし一度いやけがさしたとなれば彼はそれを捨て去るだけでは承知しないだろう。彼はまじめになって臭気に充ちた押入れを焼き払おうと思うにちがいない。彼は片方の極端にいて、その片方の極端でなければそれに代えるのを肯《がえん》じない、背後にあるのはいつも一見できない相談の厳格さなのだ――いやひょっと、その極端に移る気持があればこそあんな生活も送れるのではなかろうか。それともそれは最も深く企まれた立退きを催促に来る彼の心の中の家主に対する遁《とん》辞《じ》ではないのだろうか。もしそうにしてもそれは人間ができる最高度の企みだ、なぜならば人間ならば誰一人それが企みであるとは見破ることはできそうもない、ただ、もしそんなことを言うのが許されるならば、神というもののみがそれを審判するだろう。
彼は後悔する、全くなんでもないことに。
彼は一度私にこう言ったことがある、――親というものは手《て》拭《ぬぐい》を絞るようなもので、力を入れて絞れば水の滴《したた》って来ないことはない。彼は金をとることを意味していたのだ。
彼に父はなかった。父はさる官吏だったのが派手な生活を送ってかなりの借財と彼を頭に数人の弟妹――それも一人は妾《めかけ》の子だったり一人は小間使の子だったり、みな産《さん》褥《じよく》からすぐ彼の家にひきとられたその数人の子供をのこして死んだのだった。その後は彼の母のやせ腕一本が瀬山の家を支えていた。彼の話によれば彼の母ほどよく働く人はない、それも精力的なというよりも気の張りで働くので、それもみなひとえに子供の成長を楽しみにして、物見遊山をするではなし、身にぼろを下げて機械のようになって働くというのである。
私は彼が母から煙草店をしてみようと思うがどうだという相談をうけたり、旅館の老舗《しにせ》が売物に出たから買おうと思うのだがとかいうような手紙が来ていたのを知っている。またある手紙は母よりと書いてあるのが消してあって改めて瀬山○子と直してあったりした。それは彼をもう子とは思わないという彼の親不孝をたしなめた感情的な手紙だった。
私は幾度も彼がその母といっしょに一軒一軒借金なしをして歩いたという話を知っている。しかしそれは話だけで一度もその姿を見る機会はなかったのだ。瀬山の母はそれだけの金を信用して瀬山に渡したりすることはもちろん、店へ直接送ることすら危んでいたらしい。往々そこにさえ詭《き》計《けい》が張ってあったりしたのだから。しかしそのころはまだよかったといえる。七転び八起き、性もこりもなく母は瀬山の生活の破産を繕ってやっていた。
本は質屋から帰って来る。新しい窓掛けは買ってもらった。洋服も帰って来た。私は冬枯れから一足飛びに春になった彼の部屋の中で、彼の深い皺《しわ》が伸びて話し声さえうららかになったのを見てとる。――けたたましい時計のアラームが登校前一時間に鳴り、彼はフランス製の桃色の煉《ねり》歯《は》磨《みがき》と狸《たぬき》の毛の歯ブラシとニッケルめっきの石《せつ》鹸《けん》入《いれ》を、彼の言葉を借りて言えば、棚の上の音楽的効果である、意匠を凝らした道具類の配置のハーモニーから取り出し、四つに畳んだタオルを手《て》拭《ぬぐい》籠《かご》の中からつかんで洗面場へ進出するのだ。彼はそのような尋常茶飯事を宗教的な儀式的な昂《こう》奮《ふん》を覚えながら――しかもそれらの感情がただ一方傲《ごう》然《ぜん》たる態度となって現われるのを許すのみで――執行するのだ。
私は瀬山についてこうも言えるように思う。彼は常に何か昂奮することを愛したのだと。彼にとっては生活がいつも魅力を持っていなければ、陶酔を意味していなければならなかったのだ。
あ《*》るいはこうでもなかったろうか。
彼の生活は実行的な力に欠けた彼にとっては、弥《び》縫《ほう》することもできないほどあまりに支雛滅裂だったのだ。さめている時にはその生活の創《きず》口《ぐち》が口を真紅にあけて彼を責めたてる。彼はその威嚇に手も足も出なくなって、どうかしてそこを逃げ出したいと思ってしまう。私は彼が常に友達――それも彼の生活が現在どうなっているか知らないような友達といっしょになりたがっていたのを知っている。彼はそれらの群の中では、彼ら同様生活に何の苦しみもないような平然とした態度を装ってみたり、(こうでもあったなら!)と思っている条件をそのまま着用したり、そしてそれが信用され通用することにある気休めを感じているらしかった。他人の心の中に第二の自己を築きあげる――そのことは彼の性格でもあった。現実の自分よりはまだしも不幸でないその第二の自己をながめたり、また第二の自己に相当なふるまいを演じたりしてせめてもの心やりにしていた。――そのころはほとんど病的だったといえる。彼はまたその意味で失恋した男になりおおせたり、厭《えん》世《せい》家《か》になりおおせたりした。
彼にある失恋があったことはそれより以前に私もきかされていた。しかしともかくそれはもうかびの生えたものだったのである。しかも彼はその記憶に今日の生命を吹き込んでそれに酔っぱらおうとした。彼は過去や現在を通じて、彼の自暴自棄を人目に美しいように正当化できるあらゆる材料を引き出して、それを鴉《あ》片《へん》とし、それをハッシッシュとしようとしたのだ。
とうとうおしまいに彼の少年時代の失恋が、しかも二つも引き出されてきた。そして彼はその引きちぎって捨てられた昨日の花の花弁で新しい花を作る奇《き》蹟《せき》をどうやらやって見せたのだ。そればかりか、そんなことには臆《おく》病《びよう》な彼がその中の一人に、おそらくは最初の手紙を書こうとまじめに思い込むようにさえなったのだ。
そのころ彼はその恋人に似ているというある芸者に出会った。私は彼にそのことをきいたのだ。そして本気になってその方へ打ち込んでいった。――私はいったいいつ彼が正真正銘の本気であるのか全く茫《ぼう》然《ぜん》としてしまう。おそらく彼自身にもわからないだろうと思う。しかしいったいどんな人間がその正真正銘の本気を持っているだろうか――いや私はこんなことを言いたいのではなかった。しかし私は、おそらくはどんな人間もそれを持っていないということを彼をつくづくながめているうちに知るようになったのだ。
彼はその本気でその芸者に通い始めた。私は覚えている。彼はその金を誰々の全集を買うとか、外国へ本を註《ちゆう》文《もん》するとか言って、彼の卒業を泳ぎつくように待ち焦がれている気の毒な母親から引き出していた。ある時はまた彼の尊敬していた先輩から借りてそれにあてていた。
彼がその芸者を偶像化していたのはもちろん、三味線も弾かせなければ冗談も言わず――それでいて彼は悲しい歌を! 悲しい歌を! と言ってときどき歌わせていたというのだが、とにかく話としてはただ彼の思っていた女が結婚しようとする。そしてその女はおまえによく似ている。というようなことを粉飾して言い言いしていたらしいのである。
私は二、三の人を通してそのことをきいていた。その中にはその芸者を買いなじんでいた一人もいた。その男から私はある日こんなことをきいた。
――その女《おな》子《ご》はんがあてに似といやすのやそうどすえ。――
――あてほんまにあの人のお座敷かなわんわ――その芸者がその男に瀬山の話をしたのだそうなのだ。その瞬間、私はなぜか肉体的な憎悪がその男に対して燃えあがるのを感じた。なぜか、わけのわからない昂《こう》奮《ふん》が私を捕えた。
そのころから彼はますます私の視野から遠ざかって行った。その後私は彼からその後の種々な話をきかされたのを記憶している。やはりその挿話も彼の語るがためのものになっていたことはまちがいないのだ。
私は今その挿話を試みに一人称のナレイションにしてみて、彼の語り振りの幾分かを髣《ほう》髴《ふつ》させようと思う。
* * *
檸 檬
恐ろしいことには私の心のなかのえたいの知れない嫌悪といおうか、焦《しよう》躁《そう》といおうか、不吉な塊が――重くるしく私を圧していて、私にはもうどんな美しい音楽も、美しい詩の一節も辛抱できないのがそのころのありさまだった。
全く辛抱できなかったのだ――蓄音器をきかせてもらいにわざわざ出かけても――最初の二、三小節でふいに立ち上がってしまいたくなる。
それで始終私は街から街へ彷《ほう》徨《こう》を続けていたのだ。なぜだかそのころ私は見すぼらしくて美しいものに強くひきつけられたのを覚えている。風景にしても壊れかかった街だとか、その街にしても表通りを歩くより裏通りをあるくのが好きだったのだ。裏通りの空《あき》樽《だる》が転がっていたり、しだらない部屋が汚い洗濯物の間から見えていたり――田圃《たんぼ》のあるような場末だったら田圃の畦《あぜ》を伝っているとその空地裏の美が転がっているものだ。田圃の作物の中でも黒い土の中からいじこけて生えている大根葉が好きだった。
私はまたあの花火というやつが好きになった。花火そのものは第二段として、あの安っぽい絵具が紙の一端に塗ってあって、それが花火にすると螺《ら》旋《せん》状《じよう》にぐるぐる巻きになっているのだ。ほんとうに安っぽい絵具で、赤や紫や青や、鼠《ねずみ》花《はな》火《び》という火をつけるとシュシュといいながら地面をはいまわるやつなどがいっぱい箱に入っているところなど変に私の心をそそったのだ。私はまたあのびいどろという色ガラスで作ったおはじきが好きになったし、南京玉が好きになった。それをまた私はなめてみるのがなんともいえない享楽だったのだ。あのびいどろの味ほど幽《かす》かな涼しい味があるものか。私は小さい時よくそれをなめて父や母に叱《しか》られたものだが――その幼時の記憶がよみがえってくるのかしら、それをなめていると幽かなさわやかな詩美といったような味覚が漂ってくるのだ。
察しはつくだろうが金というものがまるでなかったのだし、――私の財布からできる贅《ぜい》沢《たく》にはちょうど持ってこいのものなのだ。そうだ、ほかでもない、それの廉《れん》価《か》ということが、それにそんなにまでもの愛着を感じる要素だったのだ、――考えてみてもそれが一円にも価するものだったら、おそらくそのような美的価値は生じてこなかっただろう。おそらく私はそれを金のかかる道具同様なんら興味を感じなかったに相違ない。
私はこうきいている。金持の婦人はある衣《い》裳《しよう》が何円だときいて買わなかった。しかしそれがそれの二倍も三倍もの価に正札がつけかえられて慌てて買った。また骨《こつ》董《とう》品《ひん》などというものも値段の上下がその品質の高下を左右する傾きがありはしまいか。私はそれをばかにするのではけっしてない。ただそれが私の場合と同様なしかも対《たい》蹠《せき》的《てき》な場合としておもしろく思うのだ。
私はまた安線香が好きだった。
それも○○香とかいてあるあの上包みの色が私を誘惑したのだ。それに第一、線香の匂《にお》いがどんなにいいものだかは君も知っているだろう。
――それで檸檬《レモン》の話なのだが、私はその日も例のとおり友人の学校へ行ってしまって私一人ぽつねんと取り残された友人の下宿からさまよい出したのだ。街から街へ――さっきも言ったような裏街を歩いたり駄菓子屋の前で、きまりのわるいのを辛抱して悪いことでもするように廉価な美を捜したり。――しかしいつもいつも同じ物にも倦《あ》きが来る。ある時には乾蝦《ほしえび》や棒鱈《ぼうだら》をながめたりして歩いていたのだ。
私が果物店を美しく思ったのは何もそのころに始まったことではなかったのだが、私はその日も果物店の前で足をとめたのだ。私は果物屋にしても並べ方の上《じよう》手《ず》な所と下《へ》手《た》な所をよく知っていた。どうせ京都だし、ロクな果物屋などはないのだが――それでもいい店とわるい店の違いはある。しかしそれが並べ方の上手下手、正確に言えばある美しさが感ぜられる所とそうでない所と――それの区別にはけっしてならないのだ。私は寺町二条の角にある果物屋が一等好きだった。あすこの果物の積み方はかなり急な勾《こう》配《ばい》の台の上に――それも古びた、黒い漆塗りの板だったと思う――こんな形容をしてもいいかしら、何か美しい華やかな音楽のアレグレットの流れが――もしそんな想像が許されるなら、人間を石に化するゴルゴンの鬼面――的なものを差しつけられて、あんな色彩やあんなヴォリウムに凝り固まったというふうにせきとめられているのだ。も一つはあすこでは例の一山何銭の札がたててないのだ。私はあれはじゃまになるばかりだと思う。青物がやはり勾《こう》配《ばい》の上におかれてあったかどうかは疑わしいが、しかし奥へゆけばゆくほど高く堆《うずたか》くなっていて、――実際あの人《にん》参《じん》葉《ば》の美しさなどはすばらしかった。それから水につけてある豆だとかくわいだとか。
それにそこの家では――もう果物店としてはありふれた反射鏡が果物の山の背に傾きかげんにたててあるのだ。――その鏡がまた粗悪きわまるもので果物の形がおびただしくゆがんでうつる。それが正確な鏡面で不確かな影像を映すよりどれだけ効果があるかは首肯できるだろう。
そこの店の美しさは夜が一番だった。寺町通りはいったいににぎやかな通りで飾り窓の光がおびただしく流れ出しているが、どういうわけかその店頭のぐるりだけが暗いのだ――いったい角の家のことでもあって、その一方は二条のさびしい路だからもとより暗いのだが、寺町通りにある方の片側はどうして暗かったのかわからない。しかしそれが暗くなかったらあんなにも私を誘惑するには至らなかっただろう。も一つはそこの家の廂《ひさし》なのだが、――その廂が眼《ま》深《ぶか》にかぶった鳥打帽の廂のようにかなり垂れ下がっている――そしてその廂の上側――その家の二階にあたる所からは燈が射して来ないのだ。そのためにその店の果物の色彩は店頭に二つほど裸のままでつけられている五十燭《しよつ》光《こう》ほどの光線を浴びるようにうけて――暗い闇《やみ》の中に絢《けん》爛《らん》と光っているのだ。ちょうど精巧な照明技師がここぞとばかりに照明光線をなげつけたかのように。
これもつけたりだが、その果物店の景色はあの鎰《かぎ》屋《や》茶《さ》鋪《ほ》の二階から見るとそれもまたいい。私は鎰屋の二階のガラス戸越しにあの暗い深くおろされた果物店の廂は忘れることができない。
ところで私はまた序説が過ぎたようだ。
実はその日いつものことではあるしするので別に美しくも思わなかったのだが、私はなにげなく店頭を物色したのだ。そして私はそこにそこの家にはあまり見かけない檸檬《レモン》がおいてあるのを見つけた。――檸檬などはごくありふれているが、その果物屋というのも実は見すぼらしくはないまでもごくあたりまえの八百屋だったのだから、そんなものを見つけることはまれだったのだ。
だいたい私はあの檸檬が好きだ。レモンエローの絵具をチューブから絞り出して固めたような、あの単純な色が好きだ。それからあの紡《ぼう》錘《すい》形《けい》の恰《かつ》好《こう》も。それで結局私はその家で例の廉価な贅《ぜい》沢《たく》を試みたのだ。
私のそのころが例のとおりのありさまだったことをそこで思い出してほしい。そして私の気持がその檸檬の一《いつ》顆《か》で思いがけなく救われた、とにかく数時間のうちはまぎらされていた、という事実が、逆説的なほんとうであったことを首肯してほしいのだ。それにしても心というやつは不可思議なやつだ!
第一その檸檬の冷たさが気に入ってしまったのだ。そのころ私は例の肺《はい》尖《せん》カタルのためにいつも身体に熱があった。――事実友達の誰彼に私の熱を見せびらかすために手の握り合いなどをしたのだが、私の手が誰のよりも熱かった。その熱いせいだったのだろう。握っている掌から身内にしみ透ってゆくようなその冷たさは快いものだった。
私は何度もその果実を鼻に持っていった。――それの産地のカルホルニヤなどを思い浮かべたり、中学校の漢文教科書で習った「売《ばい》柑《かん》者《しや》之《の》言《げん》」の中に書いてあった「鼻を撲《う》つ」というような言葉を思い出したりしながら、ふかぶかと胸いっぱいに匂《にお》やかな空気を吸い込んだりした。――そのせいか身体や顔に温い血のほとぼりが昇ったりした。そして元気がなんだか身内にわいてきたような気がした。
実際あんな単純な冷覚や触覚や嗅《きゆう》覚《かく》や視覚が――ずっと昔からこればかり探していたのだと言いたくなるぐらい、私にしっくりしたなんて――それがあのころのことなんだから。
私は往来を軽やかな昂《こう》奮《ふん》に弾んで、誇りかな気持さえ感じながら――大輪の向日葵《ひまわり》を胸にさして街を闊《かつ》歩《ぽ》した昔の詩人などのことを思い出したりして歩いていた。汚れた手《て》拭《ぬぐい》の上へのせてみたり、将校マントの上へ載せてみたりして色の反映を量ってみたり、こんなことをつぶやいたり。
――つまりはこの重さなんだな。――
その重さこそ私がつねづね尋ねあぐんでいたものだとか、疑いもなくこの重みはすべての善いもの、美しいものとなづけられたものを――重量に換算してきた重さであるとか――思い上がった諧《かい》謔《ぎやく》心《しん》からそんなばかげたようなことを思ってみたり、なにがさて上機嫌だったのだ。
舞台は変わって丸善になる。
そのころ私は以前あんなにも繁く足踏みした丸善からまるきり遠ざかっていた。本を買ってよむ気もしないし、本を買う金がなかったのはもちろん、なんだか本の背革や、金文字や、その前に立っている落ちついた学生の顔がなんだか私を脅かすような気がしていたのだ。
以前は金のない時でも本を見に来たし、それに私は丸善に特殊な享楽をさえ持っていたものなのだ。それは赤いオードキニンやオードコロンの瓶や、しゃれたカットグラスの瓶や、ロココ趣味の浮かし模様のあの典雅な瓶の中に入っている、琥《こ》珀《はく》色《いろ》や薄い翡《ひ》翠《すい》色《いろ》の香水を見に来ることだったのだ。そんなものをガラス戸越しにながめながら、私は時とすると小一時間も時を費したことさえある。
私は家から金がついた時など買ったことはほんのまれだったが、高価な石《せつ》鹸《けん》や、マドロスパイプや小刀などを一気呵《か》成《せい》に眼をつぶって買おうと身横える時の、壮烈なような悲壮なようなあの気持を味わう遊戯を試みるのもそこだった。それに私には画の本を見るたのしみがあったのだ。しかし私はその日ごろもう画の本に眼をさらし終わって後、さてあまりに尋常な周囲をみまわす時の変にそぐわない心持をもう永い間経験せずにいたのだった。
しかし変にその日は丸善に足が向いたのだ。
しかしそれまでだった。丸善の中へ入るやいなや、私は変な憂《ゆう》鬱《うつ》がだんだんたてこめてくるのを感じ出した。香水の瓶にも、煙管にも、昔のような執着は感ぜられなかった。私は画帳の重たいのを取り出すのさえ常に増して力がいるな、と思ったりした。それに新しいものといっては何もなかった。ただ少なくなっているだけだった。しかし私は一冊ずつ抜き出しては見る、――そしてそれを開けては見るのだ。――しかし克明にはぐってゆく気持はさらにわかない。
しかも呪《のろ》われたことには私は次の本をまた一冊抜かずにはいられないのだ。また呪われたことには一度バラバラとやってみなくては気がすまないのだ。それでたまらなくなってそこへ置く、以前の位置へ戻すことさえできないのだ。――そうして私は日ごろ大好きだったアングルの橙《だいだい》色《いろ》の背革の重い本まで、なおいっそうの堪えがたさのために置いてしまった。手の筋肉に疲労が残っている。――私は不愉快げにただ積み上げるために引き抜いた本の群をながめた。
その時私は袂《たもと》の中の檸檬《レモン》を思い出した。
本の色彩をゴチャゴチャと積み上げ、一度この檸檬で試してみたらと自然に私は考えついた。
私はまた先ほどの軽やかな昂《こう》奮《ふん》が帰って来た。私は手当たり次第に積みあげ、また慌しく潰し、また築きあげた。新しく引き抜いてつけ加えたり、削りとったりした。奇怪な幻想的な城《じよう》廓《かく》がそのたびに赤くなったり青くなったりした。
私はやっと、もういい、これで上できだと思った。そして軽く跳《おど》り上がる心を制しながらその城壁の頂きに恐る恐る据《す》えつけた。
それも上できだった。
見わたすと、その檸檬の単色はガチャガチャした色の諧調を、ひっそりと紡《ぼう》錘《すい》形《けい》の身体の中へ吸収してしまって、輝き渡りさえかえっていた。私には、ほこりっぽい丸善の内の空気がその檸檬の周囲だけ変に緊張しているような気がした。私は事おわれりというような気がした。
次に起こったなおいっそう奇妙なアイディアには思わずぎょっとした。私はそのアイディアに惚《ほ》れ込んでしまったのだ。
私は丸善の書棚の前に黄金色に輝く爆弾をしかけに来た、奇怪な悪漢が目的を達して逃走するそんな役割をかってに自分自身に振りあて、――自分とその想像に酔いながら、後をも見ずに丸善を飛び出した。あの奇怪な嵌込台《セツテイング》にあの黄金色の巨大な宝石を象眼したのはまさに俺だぞ! 私は心の裡《うち》にそう言ってみて有頂天になった。道を歩く人に、その奇怪な見世物を早く行って見ていらっしゃい、と言いたくなった。今に見ろ大爆発をするから。――
……ね、とにかくこんな次第で私は思いがけなく愉快な時間潰しができたのだ。
なに? 君はおもしろくもないというのか。はははは、そうだよ、あんまりおもしろいことでもなかったのだ。しかしあの時、秘密な歓喜に充たされて街をうろついていた私に、
――君、おもしろくないじゃないか――
と不意に言った人があったとしたまえ。私は慌てて抗弁したに違いない。
――君、ばかを言ってくれては困る。――俺が書いた狂人芝居を俺が演じているのだ、しかし正直なところあれほどばかげた気持に全然なるには俺はまだ正気すぎるのだ。
* * *
そして私は思うのである。
彼はなんと現世的な生活のために恵まれていない男だろう。彼は彼の母がいなければとうに餓死しているか、何か情ない罪のために牢《ろう》屋《や》へ入れられている人間なのだ。どんなに永く生きのびても畢《ひつ》竟《きよう》彼の生活は、放《ほう》縦《しよう》の次がやけくそ、放縦――破《は》綻《たん》――後悔――の循環小数にすぎないのではないか。
彼にはほかの人に比べて何かが足りないのだ。いや与えられている種々のもののうちの何かが比例を破っているのだ。そのためにあの男はこの世の掟《おきて》が守れないのだ。
私は彼が確かにこれこれのことはしてはならないのだと知っていることを――踏みしだいてやってしまうその気持を考えてみるのだ。いったい私たちが行為をする時は、それが反射的な行為ではないかぎり――自分の心の中の許しを経なければ絶対にやれないものではないだろうか。
私はまた彼にこんな話もきいた。
* * *
友人たちの下宿を転々して、蒲《ふ》団《とん》の一枚を貸してもらったり、飯を半分食べさせてもらったり、――そんな日が積もると私はだんだん彼らに気がねをしなければならなくなった。それでいてひとりでいるのがたまらない。結局は気がねをしながらも夜おそく友達の下宿の戸をたたいたり、――この男は今夜どうも私といっしょにいるのが苦になるらしいな! とは思いながらも、また一方どうも俺《おれ》はこのごろひがみ癖が昂《こう》じているようだぞ! と思ってみたり、さまざまに相手の気持を酌《しやく》量《りよう》して今夜の宿が頼めるかどうかを探ってみる。
私はますます気がねが昂じてくるとますます私の卑屈なことがたまらなくなり、いっそさっぱり自分の下宿へ帰ってみよう――とその晩は(というのはある晩のこと)とうとう自分の下宿へ向けて歩いて行った。とはいうものの私の足はひどくしぶりがちで、ふとするとあの真白い白川道の真中で立ちどまったりした。あのころの私というのはこのごろ考えてみると神経衰弱だったらしい。身体もずいぶん弱っていた。それで夜が寐《ね》つけないのだ――一つは朝、あまりおそくまで眠っているせいもあった。しかし寐つく前になるときまって感覚器の惑乱がやって来るのだ。それはかなり健康になったこのごろでもあるのだが、しかしその時のは時間にしてみても長時間だったし、程度にしてもずいぶん深かった。
それに思い出したくないと思っている家のこと、学校のこと、質屋のこと――別に思い出すまでもなくそれらの心労は生理的なものになって日がな一日憂《ゆう》鬱《うつ》をたくましゅうしていたのだが、それが夜になってさてひとりになってしまうと、虫歯のようにズキンズキン痛み出すのだ。私はしかしそのころ私を責め立てる義務とか責任などが、その厳めしい顔を間近に寄せて来るのを追い散らすある術を知るようになった。何でもない。頭を振ったり、声を立てるかすれば事は済むのだ。――しかし間近にはやって来ないまでも、私はそれらの債鬼が十《と》重《え》二十《はた》重《え》に私を取り巻いている気配を感じる、それだけは畢《ひつ》竟《きよう》逃れることはできなかった。それが結局は私を生理的にむしばんできたやつらなのだ。
それが夜になってひとりになる。つくづく自分自身を客観しなければならなくなる。私は横になればすぐ寐《ね》ついてしまう快い肉体的な疲労をどんなに欲したか。五官に訴えてくる刺激がみな寐静まってしまう夜という大きな魔物がつくづく呪《のろ》われてくる。感覚器が刺激から解放されると、いやでも応でも私の精神は自由に奔放になってくるのだ。その精神をほかへやらずに、私は何かすばらしい想像をさそうと努めたり、むずかしい形而上《けいじじよう》学《がく》の組織の中へ潜り込まそうと努めたりする。そして「ああ気持よく流れ出したな」と思う隙《すき》もなく私の心はすぐ気味のわるい債鬼にとっつかまっているのである。私はすばやくそいつを振りもぎって、また「幸福とは何ぞや!」と自分自身の心に乳房をふくませる。しかし結局は何もかもだめなのだ。――そのような循環小数を、永い夜の限りもなく私はあえぎあえぎ読みあげてゆくにすぎない。
そうしているうちには私の心もおぼろげにぼやけてくる、――しかしそれが明瞭に自認できるわけではないが。その証拠には、仕事が閑《ひま》になった感覚器どもの悪戯《いたずら》といおうか、変な妖《よう》怪《かい》がこのあたりから跳《ちよう》梁《りよう》しはじめる。ポオの耳へ十三時を打ってきかせたのもおそらくはこの輩《やから》の悪戯ではなかったろうか。不思議にも私には毎晩きまったように母の声がきこえた。何を言っているのかははっきりしないが、何か弟に小言を言っているらしい。母はよくこせこせ言う性なのだが、なぜまたきまったように毎晩そんな声がきこえてきたのだろう。はじめ私にはそれがたまらなかった。――しかしだんだん私はそれを喜ぶようになった。怪しくも慕わしくもあった。なぜといえば、それは睡りのやって来る前ぶれを意味していたからなのだ。時とすると私はのんきにもその声が何をいったい言っているのだろうと好奇心を起こして追求してみるのだが、さてそれは大きな矛盾ではないか。
私の耳の神経が錯乱をおこしているのに、私の耳がそれをきこうとあせるのだ。自分の歯で自分の歯に噛《か》みつこうとしているような矛盾。私はそれでも熱心になって聴き耳を欹《た》てる。私はその声が半分は私の推測に従って来るらしい。――といってそれもはっきりしないが、つまりはいつまで経ってもはっきりしないままでそれは止んでしまうのだ。私は何と言っていいかわからないような感情と共に取り残されてしまう。
そんなことから私は一つの遊戯を発見した。これもそのころの花火やびいどろの悲しい玩具ないしはさまざまの悲しい遊戯と同様に私の悲しい遊戯として一括されるものなのだが、これはこのごろにおいても私の眠れない夜の催眠遊戯であるのだ。
闃《げき》として声がないといっても夜には夜の響がある。遠い響は集まってぼやけて、一種の響を作っている。そしてその間に近い葉擦れの音や、時計の秒を刻む音、汽車の遠い響や、汽笛も聞こえる。私の遊戯というのはそれから一つの大聖歌隊を作ったり、大管絃楽団を作ることだった。
それはちょうどポンプの迎え水というようなぐあいに夜の響のかすかな節奏《リズム》に、私の方の旋律《メロデイ》を差し向けるのだ。そうしているうちにあららの節奏《リズム》はだんだん私の節奏《リズム》と同じに結晶化《クリスタライズ》されてきて、旋律が徐々に乗りかかってゆく。そのころあいを見はからってハッと肩をぬくと同時に、それは洋々と流れ出すのだ。それから自分もその一員となり指揮者となりだんだん勢力を集め、この地上には存在しないような大合唱隊を作るのだ。
このようなわけで私ができるのは私がその旋律をそらんじているものでなければだめなので、その点で印象の強かったせいか、一高三高大野球戦の巻は怒号、叫喚、大太鼓まで入るほどの完成だった。それに比べて、合唱や管絃楽は、大部分蓄音器の貧弱な経験しか持たないのでどうもうまくはゆかなかった。しかし私はベートオーフェンの「神の栄光《エーレ・ゴツテス》……」やタンノイザーの巡礼の合唱を不完全ながら聞くことができたし、ベートオーフェンの第五交響楽は終曲《フイナーレ》が一番手がかりのいいことを知るようになった。しかしヴァイオリンやピアノは最後のものとして残されていた。
時によっては、独唱曲を低音の合唱に演《えん》繹《えき》し、次にそれの陪《ばい》音《おん》を探りあて、ただそれにのみ注意を集めることによって私はネリイ・メルバが胸をふくらまし、テトラッチニが激しく息を吸い込むのが髣《ほう》髴《ふつ》とするほどの効果を収めた。おまけに私は拍手や喝《かつ》采《さい》のどよもしを作って喜んでいた。しかし全くでたらめな中途でこれが出て来たりした。でたらめはそれどころではなかった。寮歌の合唱を遠くの方に聞いている心持の時、自分の家の間近の二階の窓に少女が現われて、それに和している――そんなでたらめがあった。あまり突飛なので私はこのでたらめだけをはっきり覚えている。まるで思いがけないでたらめが不意に四《よつ》辻《つじ》から現われ、私の行進曲に参加する。また天から降ったような気まぐれがやって来る。――それらのやって来方が実に狂想的で自在無《む》碍《げ》なので私は眩《げん》惑《わく》されてしまう。行進曲はたたき潰されてしまい、絢《けん》練《れん》とした騒《そう》擾《じよう》がそれに代わるのだ。――私はその眩惑をよろこんだ。一つは眩惑そのものを、一つは間近な睡眠の予告として。
感覚器の惑乱は視覚にもあった。そのころ私は昼間にさえそれを経験した。
ある昼間、私はその前晩の泥酔とそれから――いやな話だが泥酔のあげく宮川町へ行ったのだ。私はすっかり身体の調子を狂わせて白日娼《しよう》家《か》の戸から出て来た。
あの泥酔の翌日ほど頭の変な時はない。七《なな》彩《いろ》に変わる石鹸《シヤボン》玉《だま》の色のように、倏《しゆう》忽《こつ》に気持が変わってくる。
胃腑《いのふ》の調子もそのとおりだ――なにか食べないではいられないようないらいらした食慾が起こる。私はそのだだっ子のような食慾にいろいろな御《ご》馳《ち》走《そう》を心で擬してみる。一つ一つ、どれにもかぶりを振らないのだ。それでいて今にもたまらないようにわめく。
(私にはこんな癖がある。私が酒に酔うと、よく、酒を飲む私に対して酒に虐げられる私を想像する。そして私はこの犠牲者にぺこぺこおじぎをしたり、悪いのはわかっているがまあ堪忍してくれと言って心の中で詫《わ》びたり、そんなことをするのだ)そう思ってみると私がこの括弧のあらら側で、私の胃腑《いのふ》を擬人的に呼んでいるのもまんざら便宜のためばかりでもないのだ。――そこで虐げられた胃腑はもう酔いのさめた私にやけになって無理を言いはじめる。
――若葉の匂《にお》いや花の匂いに充ちている風のゼリーを持って来いとか、なにかしらすかすかと歯切れのする、といってもそれだけではわからないが、なにしろそんなものが欲しいのだとか。また急に、濁ったスープを! 濁ったスープを! と言い出す。しかし私がその求めに応ずべく行動を開始し出すと、あそこのはいやだなあ! とか、もうきらいになった。へどが出そうだ、とか。――私は前夜の悪業をつくづく後悔しながら白日の街の中ほどに立って全く困却してしまうのだ。
今註《ちゆう》文《もん》したばかりの料理が不用になったり、食いはじめても一《ひと》箸《はし》でうんざりしたり、むちゃ酒の翌日といえば私は結局何も食わずに夕方まで過ごすか、さもなければむりやりに食ってお茶を濁すのが関の山なのだ。
情緒が空の雲のように、カメレオンの顔のように姿をかえ色を変えるのもその時だ。
英雄的な気持に一時なったかと思うと私はふと鼻緒に力が入り過ぎているのに気がつく――と思っている間にも私の心はたちまち泣けそうになって、眼《め》頭《がしら》に涙をこらえる。お祭の行列が近所を通るけはいのようなものを感じるかと思えば――鴨《かも》川《がわ》の川《かわ》淀《よど》の匂いにさえ郷愁といったような気持にひき込まれる。それでいては、何か大きな失策をしているのにそれが思い当たらないような気持になる。それは饐《す》えた身体から醗《はつ》酵《こう》するにはあまりに美しく澄んでいて、いい音楽に誘われでもしなくてはとても感ぜられないような涙ぐましい気持である。
ともすればそのまま街上で横になりたいようなたまらない疲労と、腋《わき》の下を気味悪く流れ伝って来る冷汗。酒臭い体臭やべとべとまつわりつく着物。それはなんという呪《のろ》われた白昼だ。
ちょうどその日も私はそのような状態で花見小路の方から四条大橋の方へちょうどにびきの看板の下あたりまでやって来たのだ。
その時私はふと、天啓とでも言いたいようなぐあいにありあり弟の顔を眼の前に浮かべたのだ。しかしそれが不思議なことにはちょうど五、六年前の弟の顔だ。白い首からの前だれをかけて飯を食っている。どんなわけがあるのか弟はしかめっ面をして涙をポロッポロッこぼしている。その涙が頬《ほお》から茶《ちや》碗《わん》の中へ落ち込むのだ。しかもいったいどうしたというのか弟は強いられたもののように、またくやしまぎれのようにガツガツ飯を食っているのだ。――今こそ私はその事実だけを覚えているだけで、弟の五年前の顔など思い出せはしないのだが、その時はその五年前の顔ばかりが浮かんで来るのだ。いくら今の顔を思い出そうと努めてもその顔、しかもそのゆがんだ顔が出て来るばかりなのだ。
いったい何の因果だ! 私はその日一日それが何を意味するのか、ひょっとして何かの前兆なのじゃないのかななどと思って悩まされ通したのだ。(私はその顔をもう一度その夜だったか、その翌晩だったか、――例の精神の大《おお》禍《まが》時《どき》の幻視に見た)
なにしろそのころは変なことがちょいちょいあった。ある時は京《けい》阪《はん》電車にのっていて、私のすわっている向かい側の、しめ切った鐙《よろい》戸《ど》を通して外の景色が見えてきた。いったい私はそのへんの風景をよく覚えていたのだが、それがまるでガラス戸越しに見ているように、窓の外の風景が後へ後へと電車の走るのにつれてすさってゆくのだ。その時は気がついて驚いたが、おおかた私はクッションの上で寝ぼけていたのかもしれない。しかし気がついてみて驚いた。とはいうものの、私一流にそれがまた享楽でもあったのだ。
ちょうどそのころは百万遍の銭湯で演じた失策談が友人の間で古臭くなってきた時分だった。私はすぐそれを友人たちに吹聴してまわった。銭湯での失策というのも確か泥酔の翌朝だった。私は湯からあがって何の気なしにそこに備えてあった貫《かん》々《かん》に乗って目方をはかってみたのだ。私は十三貫の分銅をかけておいて、目盛の上の補助分銅を動かしていた。そのころの私は量るたびに身体の目方が減ってきていたのだが、不思議にもその補助分銅は前の日の目盛を通り過ぎて百匁二百匁と減じてゆくのに――それをまた私は蟻《あり》の歩みのようにほんの少しずつ、少しずつ、むずかしい顔をして動かしていたのだ。――三百匁四百匁と減らしているのに、片方の分銅の方はいっこうあがってこない。私のその時の悲しさとけげんの念を察してみるがいい。私は、もうこれは変だと、とうとう思い出したのだ。もう君にもわかっているだろう。私は貫貫の上へ乗らずに板敷の上にいたまま、それをやっていたのだ。
気がついて、しまったと思うと同時に私は顔があかくなった。しかし人がそれを見ていなかったと気がついた後も、私は一切れの笑いさえ笑えなかったのだ。――私は前と同じ、これは変だぞという疑いをみじめにも私自身に向けなければならなくなったのだ。私の顔の表情が固くこびりついてしまった。私はその自分自身に向けられた疑いが一落ちつきするまで――それには一日二日かかったが、友達一人にさえそのことは話せなかった。私はやっと一落ちつきになってから、俺《おれ》は変だと皆に触れて歩いたのだが。
なにしろこんな時代だ。逢《おう》魔《ま》が時の薄明りに出て来る妖《よう》怪《かい》が栄えたのに無理もないことは君もわかってくれるだろう。
夜の幻視にもいろいろあった。しかし幻視といっても眼をあけている時に見えるようなものではけっしてなかった。突飛なのだけは忘れない。
こんなのがあった。セザンヌの画集の中で見る、絵画商人かなにかのタンギイ氏の肖像がある時出て来た。その画では日本の浮世絵を張りつけた壁のようなものが背景になっていて、人物はこのごろ文学青年がやっているように丸く中折れの上をへこませたのを冠り、ひげの生えた顔を真正面にしている。私はその人物が画の中から立ち上がって笑い出すのを見たのだ。どうしてタンギイ氏の肖像などが出て来たのだろうか、何かの拍子で私がそれを思い出すと同時に、眼前に髣《ほう》髴《ふつ》としてきて、動き出したのじゃないか。――どうもそう思うのが正当らしい。幻視も不意にでたらめをやり出すのだ。
こんなこともあった。
例のもやもやとした気持の混乱を意識し出した最中に、「今だ! 枕《まくら》をつかんでうつぶせになり、深い渓谷をのぞくような姿勢をしてみろ!」と不意に自分自身に命じたのだ。私は次の瞬間そうしていた。するとちょうど私はヨセミテの大峡谷の切《きつ》尖《さき》に身を伏せて見おろす時はさもあろうかと思われるほどただならない胸の動《どう》悸《き》と、私を下に引きずるようにも思える高層気流と、高い所から見おろす時の眩暈《めまい》を感じた。私は手品師がハッ! ハッ! と気合をかけてさまざまの不思議を現出せしめるようにやはりそのハッハッという気合がどっかから聞こえて来るような気持で寝床の上を海老《えび》のように跳ねて――奈落におちる気持やら何やらさまざまの気持を身内に感じたのもそのころの夜中の事だった。
君にはたぶんこんな経験があるだろう。――私の力ではそれがどうしても口では伝えることができないのだが、もし君がそれを経験しているのだったら、あるいはこのようなはなはだ歯がゆい言い方だが、それで「ああそれ、それ!」と相《あい》槌《づち》を打ってくれるだろうと思う。
経験しながら探っていると、一度何かで経験したことのある気持であるにちがいないという気がする、触感からであったか、視覚からであったか、それが思い当たれば、それらを通してその気持を説明できるのだが、しかしみすみすそれが思い浮かばないのだ。子供の時ではそれが風邪などでふせっている時の夢の中へ出て来た。私が覚えているのは――
はてしもない広々とした海面だ。海面だというのはむしろ要《かなめ》ではない。なにしろはてしもない、はてしもない、はてしもなく続いている広い広い広い、それこそ広い――「ずーっと」という気持、感じがそれなのだ、――それが刻々に動いているようでもあり、私が進んでいるようでもあり、――ついにはそのあまりの広《こう》袤《ぼう》が私の心を圧迫し、恐怖させるようにまでなる。
病気の時の夢に見た経験を私はさめていて、もう毎晩繰りかえすようになった。同じようなことは以前にもあった。しかしそのころはそれが単なる気持の認識(?)では止まらないほどの性悪なものになってしまっていた。
劫《ごう》初《しよ》から末世まで吹きすさぶといおうか、量り知られない宇宙の空間に捲《ま》き起こる、想像もできないような巨大な颶《ぐ》風《ふう》が私を取り捲いてきたのを感じはじめる。それがある流れを形作っていて、急に狭い――これまた想像もできないような狭さに収《しゆう》斂《れん》するかと思うと再び先ほどの限りもない広さに拡がるのだ。その変化の頻繁さは時と共にだんだん激しくなり、収斂、開散に伴う変な気持も刻一刻強くなってくる。もしその時に自分自身の寝ている姿が憶《おも》い浮かんでくると、その姿はその流れの中に陥ち、その流れのとおり収斂、開散をする。その大きさを思うと実に気味がわるい。ゴヤの画に出て来る、巨《おお》男《おとこ》が女を食っている図や、大きな鶏が人間を追い散らしている図、規模は小さいが、ちょっとあれを見た時の気持に似ているように思われる。
また自分自身の眼から自分の足さきまでの距離を浮かべて見る。それがまたその流れに随って伸縮すること前どおりだ。
しかし何も憶い浮かべないでもその気持は、機械の空廻りと同じで、形の見えない、形の感じというようなものの大きな空廻りをやっている。
私はそれが増大してゆくにつれて恐ろしくなってくる。気が狂いそうに、よほどしっかりしていないとさらってゆかれるぞと思う。そしていよいよ堪え切れなくなると私は意識して、ああああと声を立てて、そこから逃れるのが習慣になってしまった。私は寝るまでには必ずそのああああをやるようになったのだ。
ずいぶん話が横にそれてしまったが、これが今も言う精神の大《おお》禍《まが》時《どき》の話なのだ。
さて言ったように、このような妖《よう》怪《かい》どもはかえって消極的な享楽にさえそのころは変えられていたのだった。――言ったようにその間だけでも私は自分の苦しい思い出から逃れられたわけだし、またそれが睡眠の約束であったからだ。
しかしこれがなかなかやって来ない。真夜中過ぎて三時四時ごろまでも、私は寝床の中で例の債鬼どもの責苦にあわなければならないのだ。
そんな夜を、どうして私は自分の下宿の自分の部屋でただ一人過ごすようなことができよう。
――ここで私が私の下宿へ帰るところだったことを思い出してもらいたい。話はそこへ続いてゆく。
その当時私の下宿は白川にあった。私はほとんど下宿の払いをしなかった。それが一学期に一度になったり、正確に言えば改《かい》悛《しゆん》期《き》が来るまで滞らせておいた。はじめ私の借金はその改悛期の法定期間というようなものを勤めあげるかあげないうちにそろそろ始まり出す。それが苦になるころにはまず大きなかさになっている。学校の欠席もそのとおりで新学期の初め一月間は平気で欠席する。そしてまだ平気だ、まだ平気だと言っているうちにその声にどうやらうず高いブランクの圧迫をねじ伏せようとするような調子を帯びてくる。私は一日一日、自分の試みようと思う飛躍の脛《すね》がへなへなとなってゆくのをいまいましく思う。昨年が十の努力を必要としたような状態だとすると、今日はまた一日遅れただけの十一の努力を必要とする。しかし私はまだ自信を持っている。しかし一日勉強にとりかかってみると、勉強というものが実につらいめんどうなことだと思う。そして私の自信が少し崩されて私は不愉快な気持でそれをやめて、次のベター・コンディションの日を待つのだ。そうして私はもがきながらはい出られない深みへおちてゆく。そしてだんだんやけの色彩を帯びてくる。
当時、私はもうその程度を超えていた。借金と試験の切迫――私はそれが私の恢《かい》復《ふく》力《りよく》に余っていることを認めてはいながらしかもそれに望みをかけずにはいられなかった。なぜといって、それまでに私は幾度もそのような破産で母を煩わせていて、今度という今度はいくら私があつかましくてもそれが打ちあけられる義理ではなくなっていたし、もしその試験がうけられなければ、その学年は落第しなければならない、しかも前年に一度落第したのだから、それを繰り返すようなことがあっては、私は学籍から除かれなければならないのだった。
しかしその重大な理由も私のような人間にとっては飛躍の原動力とはならなかった。それが重大であればあるだけ私のおちこみ方はひどくなり、私の苦しみはますます烈しくなっていった。
ちょうど木に実った林《りん》檎《ご》の一つで私はあった。虫が私をむしばんでゆくので、他の林檎のように真紅な実りを待つ望みはなくなってしまった。早晩私は腐って落ちなければならない。しかし落ちるにはまだ腐りがまわっていない。それまで私はだんだん苦しみをひどくうけながら待たなければならない。しかし私は正気でそれを受けるにはあまりに弱い。とうとうおしまいに私は腐らす力の方に加盟する。それと同時に自分自身を麻《ま》痺《ひ》ささなければならない。借金がかさんで直接に債権者が母を仰天さすまで、また試験が済んで確実に試験がうけられなくなったことを得心するまで――私は自分の感情に放《つけ》火《び》をして、自分の乗っている自暴自棄の馬車の先びきを勤め、一直線に破滅の中へ突進して、そして摧《くだ》けてみよう。始められるものなら、そこから始めよう。――そのころ私はそういうふうな狂暴時代にいたのだ。
下宿はすでに私のための炊事は断った。ひとまず払いをしてくれ。そして私の前へ三か月ほどの間の借金の書きものが突き出された。
そして下宿は私の部屋の掃除さえしなくなったのだ。
私が最後に下宿を見棄てた時、私の部屋には古雑誌が散乱し、ざらざらする砂ぼこりがたまり、寝床は敷きっ放し、煙草の吸殻と、虫の死《し》骸《がい》が枕《まくら》もとに散らかされているような状態だった。そして私は二週間も友人の間を流転していたのだ。
そんな部屋へその夜どうして帰る気など起こるものか。そんな夜更けに夜盗のように錠前をこじあけ、帰ってみたところで義務を思い出させるものに充満し、汚れ切っている寝床の中ですぐ寝つけるわけでもない。それにいつかのように蒲《ふ》団《とん》の間で鼠《ねずみ》が仔《こ》を産んでいたりしたら。私はあれやこれやと思いながら白川道をとぼとぼ下宿の方へ歩いていた。
私は病みかつ疲れていた。汚れと悔いに充たされたこの私は地の上に、あらゆる荘厳と豪華は天上に、――私はそんなことを思うともなく思いながら、真暗な道の上から、天上の戴《たい》冠《かん》式《しき》とも見える星の大群飛をながめた。
私はその時ほどはっきり自分がひとりだという感じに捕えられたことはない。――それは友達に愛想尽かしをされているためのさびしさでもなかったし、深夜私一人が道をたどっているというその一人の感じでもなかった。情ないとか、さびしいとか、そのような人情的なものではなく、――なんといったらいいか、つまり条件的《コンデイシヨナル》ではない、絶対的《アプソリユート》な寂《せき》寥《りよう》、孤独感――まあそのようなものだった。私はいつになったらもう一度あのような気持になるのかと思ってみる。
その次に私はふと母のことを思い出したのだ。私は正気で母を憶《おも》い出すのは苦しいたまらないことだったのだ。しかも私はどういうわけかその晩は、もし母が今、この姿の、この私を見つけたならば、息子の種々な悪業など忘れて、すぐ孩《がい》児《じ》だった時のように私を抱きとってくれるとはっきり感じた。――そしてそんなことをしてくれる人は母が一人あるだけだと思った。――私はその光景を心の中で浮かべ浮かべているうちに胸が迫ってきて、涙がどっとあふれてきた。
――私は「生ける屍《しかばね》」のフェージャが、自分は妻に対して済まないことをするたびごとに妻に対する愛情が薄らいだというような意味のことを言っているのを知っている。私も友人や兄弟などにはその気持を経験した。ちょうど舟に乗った人が櫂《かい》で陸を突いたように、おされた陸は少しも動かず自分の舟が動いて陸とへだたるというふうに――自分の悪業は超《こ》えられないへだたりとなってしまう。しかし母との間はちょうどつないだ舟のようなもので、押せば押すほど、その綱の強いことがわかるばかりなのだ。
しかしそんな談理ではもちろんない。――あとからあとから、悲しいのやらありがたいのやらなんともつかない涙が眼から流れ出て来たのだ。
しかしその頂点を過ぎると涙も収まり、気持は浪のように退いて行った。
私は自分が歩むともなく歩んでいたのを知った。心の中は見物が帰って行ったあとの劇場のように空虚で、しらじらしていた。身体は全く疲れ切って、胸はやくざなふいごのように、壊れていることが恐れではなく真実であることを教えるようにぜいぜいあえいでいるのだ。
あと一丁ほどが、早く終わってほしいような、それでいてまたそれと反対の心が私の中に再び烈しく交替した。――しかも私の足は元のとおりぎくしゃくとたがいに踏み出されている。
なんとまあ情けないことだ、この俺《おれ》が、あのじたばた毎日やけにもがいていた苦しみの、何もかもの総決算の算盤《そろばん》玉《だま》から弾き出されて来た俺なのか。
私はなんだか母がかわいそうに思ってくれるよりもこの私自身が、もう自分という者がかわいそうでたまらなくなってきた。
私はもう何にも憤りを感じなかったし、悔いも感じなかったし、嫌悪も感じなかった。
そして深い夜の中で私は二人になった。
「おまえはかわいそうなやつだな」と一人の私が言うのだ。もう一人の私は黙って頭をうなだれている。
「いったいおまえのやったことがどれだけ悪いのだ」
「あああ。かわいそうなやつ」
そして一人の私が大きいためいきをつくと、もう一人の私もかすかにためいきをつく。
そして私は星と水車と地蔵堂と水の音の中を歩み秘《ひそ》めていたのだ。
私は眼をあげた。ずっと先ほどから視野の中にあったはずの私の下宿を私ははじめて見た。
学生あて込みのやくざ普請のバラックのように細長く、そして平屋の私の下宿を。
私には心が二人に分かれていたことのかすかな後味が残っていた。――ふとその時また私に悲しき遊戯の衝動が起こった。
この夜更けに、この路の上で、この星の下で、この迷い犬のような私の声がいったいどんなに響くものなんだろうか。しわがれているだろうか、かさかさしてるのかしら、冥《めい》府《ふ》から呼ぶというような声なのかしら。――そう思っているうちにも、私は自分自身が変な怪物のような気がしてきた。私がここで物を言っても、たとえそれが言っているつもりでも、その実は何か獣が悲しんでうなっている声なのじゃないか――いったいなぜ(ア)と言えば、あのかたかなのアに響くのだろう。私は口が発音する響と文字との関係が――今までついぞ疑ったことのない関係がへんてこでたまらなくなった。
「いったいなぜ(イ)と言ったらかたかなのイなんだろう」
私は疑っているうちに、私がどういうふうに疑って正当なのかわからなくさえなってきた。
「(ア)、変だな、(ア)」
それは理解すべからざるもので充たされているように思えた。そして私自身の声帯や唇や舌に自信が持てなくなった。
それにしても私が何とか言っても畜生の言葉のように響くのじゃないかしら、つんぼが狂った楽器をたたいているようにほかの人に通じないのじゃないかしら。
身のまわりに立ちこめてくる魔法の呪《のろ》いを払い退《の》けるようにして私の発し得た言葉は、
「悪魔よ退け!」ではなかった。
ほかでもない私の名前だったのだ。
「瀬山!」
私は私の声に変なものを味わった。ちょうど真夜中自分の顔を鏡の中で見る時の鬼気が、声自身よりも声を聞くということに感ぜられた。私はそれにおっかぶせるように再び、
「瀬山!」と言ってみた。その声はやや高く fuga《フーガ》のように第一の声を追って行った。その声は行燈《あんどん》の火のように三尺もゆかないうちにぼやけてしまった。私は声を出すということにはこんな味があったのかと、その後味をしみじみ味わった。
「瀬山」
「瀬山」
「瀬山」
「瀬山」
私は種々様々に呼んでみた。
しかしなんというへんてこな変曲なんだろう。
一つは恨むように、一つは叱《しか》るように、一つは嘲《あざける》るように、一つ一つ過去を持っており、一つ一つ記憶の中のシーンをよみがえらしてゆくようだ。なんという奇妙な変曲だ!
「瀬山」
「瀬山」
「瀬山」
「瀬山!」今度はあわれむように。
先ほどの私と第二の私はまた私の中で分裂した。第一の私が呼びかけるそのあわれむ声に、第二の私はひたと首をたれて涙ぐんでいた。
「瀬山!」第一の私の声もうるんできた。
「瀬山」…………
そして第一の私は第二の私と固く抱擁しあった。
私はもう下宿の間近まで来ていた。
私はそこに突っ立った、憑《つ》きものがおちたように。「帰ろうか、帰るまいか」私はまた迷った。
しかし私はすぐ決心した。帰るまいと決心した。そのかわり私は不意にわめき出した。
「瀬山」
友達の誰彼からも顧られなくなった瀬山極のために、私は深夜の訪客だ。「俺はおまえが心配でやって来たのだ」
「瀬山君!」
私は耳を澄ましてみたが、その声が消えて行った後には何の物音もしなかった。
「瀬山!」
畜生、くそいまいましい、今度は郵便屋だ、電報だ、書留だ、電報為替《がわせ》だ、家から百円送ってくれたのだ。
「沢田さん! 電報! 瀬山さんという方に電報」
私はヒステリックになり、声はうわずってきた。そして下駄で玄関の戸を蹴《け》り飛ばした。
「へい!」マキャベリズムの狸《たぬき》親《おや》爺《じ》め、おきて来やがったな。
私は逃げ足になってきたのを踏みこらえて、
「三五郎の大馬鹿野郎」
とわめいたまま、一所懸命に白川道を駈《か》け下りたのだ。
* * *
瀬山極の話はそこで終わったのではなかったが、しかし私はその末尾を割愛しよう。
しかし私は彼が当然の結果として今年もまた落第したことを附け加えておかねばならない。私は学校の規則として彼が除籍されるために、彼が職業を捜す相談にもあずかった。
私はそのうちに東京へ来てしまった。
彼の最近の下宿へ問合せを出したり、京都の友人に尋ねてみたりしたが、彼の行方はわからなかった。ある者は復校したと言い、ある者は不可能だと言った。私は彼の夢を二度まで見た。それで心がかりになってまた問合せを出したうえ、私の友達が徴兵で京都へ帰るのにくれぐれもことづてた。
そして最近彼の手紙がやっと私のもとに届いた。私が彼についてのことを書きかけたのは、その手紙を受け取ってからのやや軽い安《あん》堵《ど》の下にである。私は彼の手紙を読んでいるうちに彼の思い出が絵巻物のように繰り拡げられていった。私はそれを順序もなく書き出した。しかしいつまで書いても切りがない。私は彼の手紙の抄録をすることによってこの稿をとどめようと思う《**》。
(一九二四年)
<編者註>
* 自筆原稿を発見したのでこの個所へ左の文章を挿入する。
しかしその朝起きも登校もやがては魅力を失ってゆく。そして彼はまたいつもの陥《かん》穽《せい》へおち込むのだ。
それにしても彼が最近に陥った状態は最もひどいものだった。彼にとっても私にとってもその京都の高等学校へ入って三年目、私は三年生にいたし、彼は二度目の二年生を繰り返していた。――その時のことである。
私は彼がなぜその時どきあんなにもむちゃな酒をのまなければならなかったかと考えてみる。
** この手紙は書かれていない。
海 断片
……らすほどそのなかから赤や青や朽《くち》葉《ば》の色がわいてくる。今にもその岸にある温泉や港町がメダイヨンのなかに彫り込まれた風景のように見えてくるのじゃないかと思うくらいだ。海の静かさは山から来る。町の後ろの山へ廻った陽がその影を徐々に海へ拡げてゆく。町も磯《いそ》も今は休息のなかにある。その色はだんだん遠く海を染め分けてゆく。沖へ出てゆく漁船がその影の領分のなかから、ひなたのなかへ出て行くのをじっと待っているのも楽しみなものだ。オレンジの混じった弱い日光がさっと船を漁師を染める。見ている自分もほーっと染まる。
「そんな病弱な、サナトリウムくさい風景なんて、俺《おれ》は大きらいなんだ。
「雲とともに変わっていく海の色をほめた人もある。海の上を行き来する雲を一日ながめているのもいいじゃないか。また僕は君が一度こんなことを言ったのを覚えているが、そういう空想を楽しむ気持も今の君にはないのかい。君は言った。わずか数浬《かいり》の遠さにすぎない水平線を見て、『空と海とのたゆたいに』などと言って渺《びよう》茫《ぼう》とした無限感を起こしてしまうなんぞコロンブス以前だ。われわれが海を愛し空想を愛するというのならいっさいはその水平線のかなたにある。水平線を境としてそのあちら側へ滑り下りてゆく球面からほんとうに美しい海ははじまるんだ。君は言ったね。
ハワイが見える。インド洋が見える。月光に洗われたベンガル湾が見える。現在眼の前の海なんてものはそれに比べたらラフな素材にしかすぎない。ただ地図を見てではこんな空想は浮かばないから、必要欠くべからざるという功績だけはあるが……たぶんそんな趣旨だったね。御高説だったが……
「――君は僕の気を悪くしようと思っているのか。そういえば君の顔は僕が毎晩夢のなかで大声をあげて追い払うえびす三郎に似ている。そういう俗悪な精神になるのはよしたまえ。
僕の思っている海はそんな海じゃないんだ。そんなすでに結核に冒されてしまったような風景でもなければ、思いあがった詩人めかした海でもない。おそらくこれは近年僕の最もまじめになった瞬間だ。よく聞いていてくれたまえ。
それは実に明るい、快活な、生き生きした海なんだ。いまだかつて疲労にも憂愁にも汚されたことのない純粋に明色の海なんだ。遊覧客や病人の眼に触れ過ぎた甘ったるいポートワインのようになってしまった海ではない。すっぱくって渋くって、泡の立つ葡《ぶ》萄《どう》酒《しゆ》のような、コクの強い、野蛮な海なんだ。波のしぶきが降って来る。腹をえぐるような海藻の匂いがする。そのプツプツした空気、野獣のような匂い、大気へというよりも海へ射し込んで来るような明らかな光線――ああ今僕はとうてい落ちついてそれらのことを語ることができない。なぜといって、そのヴィジョンはいつも僕を悩ましながら、ごくまれな全く思いもつかない瞬間にしかあらわれてこないんだから。それは岩のような現実が突然に劈《へき》開《かい》してその劈開面をチラッと見せてくれるような瞬間だ。
そういうようなものを今の僕がどうして精密に描き出すことができよう。だから僕は今しばらくその海の由来を君に話すことにしよう。そこは僕たちの家がほんのしばらくの間だけれども住んでいた土地なんだ。
そこは有名な暗《あん》礁《しよう》や島の多いところだ。その島の小学児童は毎朝勢ぞろいして一《いつ》艘《そう》の船を仕立てて港の小学校へやって来る。帰りにも待ち合わせてその船に乗って帰る。彼らは雨にも風にもめげずにやって来る。一番近い島でも十八町ある。いったいそんな島で育ったらどんなだろう。島の人というとどこか風俗にも違ったところがあった。女の人がときどき家へも来ることがあったが、その人は着物の着つぶしたのや端ぎれを持って帰るのだ。そのかわりそんなきれを鼻緒に巻いた藁《わら》草《ぞう》履《り》やわかめなどを置いて行ってくれる。ぐみややまももの枝なりをもらったこともあった。しかしその女の人はなによりも濃い島の雰囲気を持って来た。僕たちはいつも強い好奇心で、その人の謙《けん》遜《そん》な身なりをかぎ、その人の謙遜な話に聞きほれた。しかしそんなに思っていても、僕たちは一度も島へ行ったことがなかった。ある年の夏その島の一つに赤《せき》痢《り》がはやったことがあった。近くの島だったので、病人を入れるバラックの建つのがこちらからよく見えた。いつもなにかを燃している。その火が夜は気味悪くものすごかった。海で泳ぐものは一人もない。波の間に枕《まくら》などが浮いていると恐ろしいもののような気がした。その島には井戸が一つしかなかった。
暗礁については一度こんなことがあった。ある年の秋、ある晩、夜のひき明けにかけてひどい暴風雨があった。明方ものすごい雨風の音のなかに、けたたましい鉄工所の非常汽笛が鳴り響いた。そのときの悲壮な気持を僕は今もよく覚えている。家は騒ぎ出した。人が飛んで来た。港の入口の暗礁へ一隻の駆《くち》逐《く》艦《かん》がぶつかって沈んでしまったのだ。鉄工所の人は小さなランチへ波の凌《しの》ぎに長い竿《さお》を用意して荒天のなかを救助に向かった。しかし現場へ行ってみても、小さなランチは波にもまれるばかりで結局かえってじゃまをしに行ったようなことになってしまった。働いたのは島の海女《あま》で激浪のなかを潜っては屍《し》体《たい》を引き揚げ、大きな焚《たき》火《び》を焚《た》いたそばで冷え凍えた水兵の身体を自分らの肌で温めたのだ。大部分の水兵は溺《でき》死《し》した。その溺死体の爪《つめ》は残酷なことにはみな剥《は》がれていたという。それは岩へ掻《か》きついては波に持ってゆかれた恐ろしい努力を語るものだった。暗礁に乗り上げた駆逐艦の残《ざん》骸《がい》は、山へあがって見ると、干潮時の遠い沖合に姿を現わしていることがあった。……(欠)
(一九三〇年十二月)
温 泉 断片
その一
夜になるとその谷間は真黒な闇《やみ》にのまれてしまう。闇の底をごうごうと渓《たに》が流れている。私の毎夜下りてゆく浴場はその渓ぎわにあった。
浴場は石とセメントで築きあげた、地《ち》下《か》牢《ろう》のような感じの共同湯であった。そのがんじょうな石の壁は豪雨のたびごとに氾《はん》濫《らん》する渓の水を支えとめるためで、その壁にくりぬかれた渓ぎわへの一つの出口がまた牢門そっくりなのであった。昼間その温泉にひたりながら「牢門」のそとをながめていると、明るい日光の下で白く白く高まっている瀬のたぎりが眼の高さに見えた。差し出ている楓《かえで》の枝が見えた。そのアーチ型の風景のなかを弾丸のように川《かわ》烏《がらす》が飛び抜けた。
また夕方、渓ぎわへ出ていた人があたりの暗くなったのに驚いてその門へ引き返して来ようとするとき、ふと眼の前に――その牢門のなかに――楽しく電燈がともり、濛《もう》々《もう》と立ちこめた湯気のなかに、にぎやかに男や女の肢《し》体《たい》が浮動しているのを見る。そんなとき人は、今まで自然のなかで忘れ去っていた人間仲間の楽しさを切なく胸に染めるのである。そしてそんなこともこのアーチ型の牢門のさせるわざなのであった。
私が寝る前に入浴するのはいつも人びとの寝しずまった真夜中であった。その時刻にはもう誰も来ない。ごうごうと鳴り響く渓《たに》の音ばかりが耳について、おきまりの恐怖が変に私を落ちつかせないのである。もっとも恐怖とはいうものの、私はそれを文字どおりに感じていたのではない。文字どおりの気持からいえば、身体に一種の抵抗を感じるのであった。だから夜更けて湯へゆくことはその抵抗だけのエネルギーを余分に持って行かなければならないといつも考えていた。またそう考えることは定まらない恐怖にある限界を与えることになるのであった。しかしそうやって毎夜おそく湯へ下りてゆくのがたび重なるとともに、私は自分の恐怖があるきまった形を持っているのに気がつくようになった。それを言ってみればこうである。
その浴場は非常に広くて真中で二つに仕切られていた。一つは村の共同湯に、一つは旅館の客にあててあった。私がそのどちらかにはいっていると、きまってもう一つの方の湯に何かが来ている気がするのである。村の方の湯にはいっているときには、きまって客の湯の方に男女のぼそぼそ話をする声がきこえる。私はその声のもとを知っていた。それは浴場についている水《みな》口《くち》で、絶えず清水がほとばしり出ているのである。また男女という想像の由って来るところもわかっていた。それは渓の上にだるま茶屋があって、そこの女が客と夜更けて湯へやって来ることがありうべきことだったのである。そういうことがわかっていながらやはり変に気になるのである。男女の話し声が水口の水の音だとわかっていながら、不可抗的に実体をまとい出す。その実体がまた変に幽霊のような性質のものに思えてくる。いよいよそうなってくると私はどうでも一度隣の湯をのぞいて見てそれを確かめないではいられなくなる。それで私はほんとうにそんな人たちが来ているときには自分の顔が変な顔をしていないようにその用意をしながら、とりあいの窓のところまで行ってそのガラス戸を開けて見るのである。しかし案の定なんにもいない。
次は客の湯の方へはいっているときである。例によって村の湯の方がどうも気になる。今度は男女の話し声ではない。気になるのはさっきの渓《たに》への出口なのである。そこから変なやつがはいって来そうな気がしてならない。変なやつってどんなやつなんだと人はきくにちがいない。それが実にいやな変なやつなのである。陰《いん》鬱《うつ》な顔をしている。河《か》鹿《じか》のような膚《はだ》をしている。そいつが毎夜きまった時刻に渓から湯へつかりに来るのである。プフウ! なんというばかげた空想をしたもんだろう。しかし私はそいつが、別にあたりを見廻すというのでもなく、いかにも毎夜のことのように、陰鬱な表情で渓からはいって来る姿に、ふと私が隣の湯をのぞいた瞬間、私の視線にぶつかるような気がしてならなかったのである。
あるとき一人の女の客が私に話をした。
「私も眠れなくて夜中に一度湯へはいるのですが、なんだか気味がわるござんしてね。隣の湯へ渓から何かがはいって来るような気がして――」
私は別にそれがどんなものかは聞きはしなかった。彼女の言葉に同感の意を表して、やはり自分のあれはほんとうなんだなと思ったのである。ときどき私はその「牢門」から渓へ出てみることがあった。轟《ごう》々《ごう》たる瀬のたぎりは白蛇の尾を引いて川下の闇《やみ》へ消えていた。向こう岸には闇よりも濃い樹の闇、山の闇がもくもくと空へ押しのぼっていた。そのなかで一本椋《むく》の樹の幹だけがほの白く闇のなかから浮かんで見えるのであった。
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……これはすばらしい銅版画のモティイフである。黙々とした茅《ぼう》屋《おく》の黒い影。銀色に浮かび出ている竹《たけ》藪《やぶ》の闇《やみ》。それだけである。わけもなく簡単な黒と白のイメイジである。しかしなんという言いあらわしがたい感情に包まれた風景か。ここに人がすんでいる。戸を鎖し眠りに入っている。星空の下に、暗黒のなかに。彼らはなにも知らない。この星空も、この暗黒も。虚無から彼らを衛《まも》っているのは家である。その忍苦の表情を見よ。彼らは虚無に対抗している。重圧する畏《い》怖《ふ》の下に、黙々とあわれな人間の意図を衛っている。
一番はしの家はよそから流れて来た浄《じよう》瑠《る》璃《り》語りの家である。宵のうちはその障子に人影が写り「デンデンデン」という三味線の撥《ばち》音《おと》と下手な嗚《お》咽《えつ》の歌が聞こえて来る。
その次は「角屋」の婆さんといわれている年寄っただるま茶屋の女が、古くからいたその「角屋」からとび出して一人で汁粉屋をはじめている家である。客の来ているのは見たことがない。婆さんはいつでも「滝屋」という別のだるま茶屋のいろりの傍で「角屋」の悪口を言っては、ガラス戸越しに街道を通る人に媚《こび》を送っている。
その隣は木《き》地《じ》屋《や》である。背の高いお人好しの主人は猫背で聾である。その猫背は彼が永年盆や膳《ぜん》を削ってきた刳《くり》物《もの》台《だい》のせいである。夜彼が細君といっしょに温泉へやって来るときの恰好を見るがいい。長い頸《くび》を斜に突き出し丸く背を曲げて胸を凹《へこ》ましている。まるで病人のようである。しかし刳物台にすわっているときの彼のなんとがっしりしていることよ。彼はまるで獲物を捕った虎のように刳物台をおさえ込んでしまっている。人は彼が聾であって無類のお人好しであることすら忘れてしまうのである。往来へ出て来た彼は、だから機械からはずして来たクランクのようなものである。少しばかり恰《かつ》好《こう》の滑《こつ》稽《けい》なのはしかたがないのである。彼はめったに口をきかない。その代わりいつでもにこにこしている。おそらくこれが人の好い聾の態度とでもいうのだろう。だから商売は細君まかせである。細君は醜い女であるがしっかり者である。やはりお人好しのお婆さんと二人でせっせと盆に生《き》漆《うるし》を塗り戸棚へしまい込む。なにも知らない温泉客が亭主の笑顔から値段の応対を強取しようとでもするときには、彼女は言うのである。
「この人はちっとねむがってるでな……」
これはちっともおかしくない! 彼ら二人は実にいい夫婦なのである。
彼らは家の間《ま》の一つを「商人宿」にしている。ここもあんまが住んでいるのである。この「宗さん」というあんまは浄《じよう》瑠《る》璃《り》屋《や》の常連の一人で、尺八も吹く。木地屋から聞こえて来る尺八は宗さんのひまでいる証拠である。
字《あざ》の入口には二軒の百姓家が向かい合って立っている。家の前庭はひろく砥《と》石《いし》のように美しい。ダリヤや薔《ば》薇《ら》が縁を飾っていて、舞台のように街道から築きあげられている。田舎には珍しいダリヤや薔薇だと思ってながめている人は、そこへこの家の娘が顔を出せばもう一度驚くにちがいない。グレートヘンである。評判の美人である。彼女は前庭のひなたで繭《まゆ》を煮ながら、実際グレートヘンのように糸繰車を廻していることがある。そうかと思うと小《こ》舎《や》ほどもある枯《かれ》萱《かや》を「背負枠」で背負って山から帰って来ることもある。夜になると弟を連れて温泉へやって来る。すこやかな裸体。まるでギリシャの水瓶である。エマニュエル・ド・ファッリャをしてシャコンヌ舞曲を作らしめよ!
この家はこの娘のためになんとなく幸福そうに見える。一群の鶏も、数匹の白《しろ》兎《うさぎ》も、ダリヤの根方で舌を出している赤犬に至るまで。
しかし向かいの百姓家はそれにひきかえなんとなしに陰気くさい。それは東京へ出て苦学していたその家の二男が最近骨になって帰って来たからである。その青年は新聞配達夫をしていた。風邪で死んだというが肺結核だったらしい。こんな綺《き》麗《れい》な前庭を持っている、そのうえ堂堂とした筧《かけひ》の水《みず》溜《ため》さえある立派な家の倅《せがれ》が、なぜまた新聞の配達夫というようなひどい労働へはいっていったのだろう。なんと楽しげな生活がこの渓間にはあるではないか。森林の伐採。杉苗の植附け。夏の蔓《つる》切《き》り。枯《かれ》萱《かや》を刈って山を焼く。春になると蕨《わらび》。蕗《ふき》の薹《とう》。夏になると渓を鮎《あゆ》がのぼって来る。彼らはいちはやく水中眼鏡と鉤《かぎ》針《ばり》を用意する。瀬や淵《ふち》へ潜り込む。あがって来るときは口のなかへ一ぴき、手に一ぴき、針に一ぴき! そんな渓の水で冷え切った身体は岩間の温泉で温める。馬にさえ「馬の温泉」というものがある。田植えで泥まみれになった動物がピカピカに光って街道を帰ってゆく。それからまた晩秋の自《じ》然《ねん》薯《じよ》掘り。夕方山から土にまみれて帰って来る彼らを見るがよい。背に二貫三貫の自然薯を背負っている。杖にしている木の枝には赤裸に皮をはがれた蝮《まむし》が縛りつけられている。食うのだ。彼らはまた朝早くから四里も五里も山の中の山葵《わさび》沢《ざわ》へ出掛けて行く。楢《なら》や櫟《くぬぎ》を切りたおして椎茸《しいたけ》のほた木を作る。山葵や椎茸にはどんな水や空気や光線が必要か彼らよりよく知っているものはないのだ。
しかしこんな田園詩《イデイイル》のなかにも生活の鉄則は横たわっている。彼らはなにも「白い手」の嘆賞のためにかくも見事に鎌を使っているのではない。「食えない!」それで村の二男や三男たちはどこかよそへ出て行かなければならないのだ。ある者は半島の他の温泉場で板場になっている。ある者はトラックの運転手をしている。都会へ出て大工や指物師になっている者もある。杉や欅《けやき》の出る土地柄だからだ。しかしこの百姓家の二男は東京へ出て新聞配達になった。まじめな青年だったそうだ。苦学というからには募集広告の講談社的な偽《ぎ》瞞《まん》にひっかかったのにちがいない。それにしても死ぬまで東京にいるとは! おそらく死にぎわの幻覚には目にたてて見る塵《ちり》もない自分の家の前庭や、したたり集まって来る苔《こけ》の水が、水晶のように美しい筧《かけひ》の水《みず》溜《ため》が彼を悲しませたであろう。
これがこの小さな字である。
(一九三〇年)
その二
温泉は街道から幾折れかの石段で渓《たに》ぎわまで下りて行かなければならなかった。街道もそこまでは乗合自動車がやって来た。渓もそこまでは――というとすこし比較がおかしくなるが――鮎《あゆ》が上って来た。そしてその乗合自動車のやって来る起点は、ちょうどまたこの渓《たに》の下流のK川が半町ほどの幅になって流れているこの半島の入口の温泉地なのだった。
温泉の浴場は渓ぎわから厚い石とセメントの壁で高く囲まれていた。これは豪雨のときに氾《はん》濫《らん》するおそれの多い渓の水からこの温泉を守る防壁で、片側はその壁、片側は崖《がけ》の壁で、その上に人びとが衣服を脱いだり一服したりする三十畳ぐらいの木造建築がとりつけてあった。そしてこれが村の人たちの共同の所有になっているセコノタキ温泉なのだった。
浴槽は中で二つに仕切られていた。それは一方が村の人の共同湯に、一方がこの温泉の旅館の客がはいりに来る客湯になっていたためで、村の人たちの湯が広く何十人もはいれるのに反して、客湯はごく狭くそのかわり白いタイルが張ってあったりした。村の人たちの湯にはまた渓ぎわへ出る拱門《アーチ》型に刳《く》った出口がその厚い壁の横側にあいていて、湯につかってながめていると、そのアーチ型の空間を眼の高さにたかまって白い瀬のたぎりが見え、渓ぎわから差し出ている楓《かえで》の枝が見え、ときには弾丸のように擦過して行く川《かわ》烏《がらす》の姿が見えた。……(欠)
(一九三一年十二月)
その三
温泉は街道から幾折れにもなった石段で渓の脇《わき》まで降りて行かなければならなかった。そこに殺風景な木造の建築がある。その階下が浴場になっていた。
浴場は渓ぎわから石とセメントで築きあげられた部厚な壁を渓に向かってめぐらされていた。それは豪雨のために氾《はん》濫《らん》するおそれのある渓《たに》の水を防ぐためで、渓ぎわへ出る一つの出口があるきりで、その浴場に地《ち》下《か》牢《ろう》のような感じを与えるのに成功していた。
何年か前まではこの温泉もほんの茅葺《かやぶき》屋根の吹きさらしの温泉で、桜の花も散り込んで来たし、渓のながめもながめられたし、というのが古くからこの温泉を知っている浴客のいつもの懐旧談であったが、多少牢《ろう》門《もん》じみた感じながら、その渓へ出口のアーチのなかへは渓の楓が枝を差し伸べているのが見えたし、瀬のたぎりの白い高まりが眼の高さに見えたし、時にはそこを弾丸のように擦過してゆく川《かわ》烏《がらす》の姿も見えた。
また壁と壁の支えあげている天井との間のわずかの隙《すき》間《ま》からは夜になると星も見えたし、桜の花片だって散り込んで来ないことはなかったし、ときには懸《かけ》巣《す》の美しい色の羽毛がそこから散り込んで来ることさえあった。……(欠)
(一九三二年一月)
檸檬《レモン》・城《しろ》のある町《まち》にて
梶《かじ》井《い》基《もと》次《じ》郎《ろう》
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平成12年9月1日 発行
発行者 角川歴彦
発行所 株式会社 角川書店
〒102-8177 東京都千代田区富士見2-13-3
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本電子書籍は下記にもとづいて制作しました
角川文庫『檸檬・城のある町にて』昭和26年12月20日初版刊行