梶井基次郎全集
全一巻
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目次
作品
檸檬
城のある町にて
泥濘
路上
橡の花
過古
雪後
ある心の風景
Kの昇天
冬の日
蒼穹
筧の話
器楽的幻覚
冬の蠅
ある崖上の感情
桜の樹の下には
愛撫
闇の絵巻
交尾
のんきな患者
習作
詩二つ
小さき良心
不幸
卑怯者
大蒜
彷徨
裸像を盗む男
カッフェー・ラーヴェン
母親
奎吉
矛盾の様な真実
瀬戸内海の夜
帰宅前後
太郎と街
瀬山の話
夕凪橋の狸
貧しい生活より
犬を売る露店
雪の日
汽車 その他
河岸 一幕
攀じ登る男 一幕
遺稿
栗鼠は籠にはいっている
闇の書
夕焼雲
奇妙な手品師
琴を持った乞食と舞踏人形
交尾
籔熊亭
温泉 梶井基次郎全集 全一巻 本書は原文を現代かなづかいに改め、原文の表現をそこなわない範囲で漢字をかなに改めた。また、難解な語句には注を付した。(編集部)
作品
檸檬
えたいの知れない不吉な塊(かたまり)が私の心を始終圧えつけていた。焦燥と云(い)おうか、嫌悪と云おうか――酒を飲んだあとに宿酔(ふつかよい)があるように、酒を毎日飲んでいると宿酔に相当した時期がやって来る。それが来たのだ。これはちょっといけなかった。結果した肺尖(はいせん)カタルや神経衰弱がいけないのではない。また背を焼くような借金などがいけないのではない。いけないのはその不吉な塊だ。以前私を喜ばせたどんな美しい音楽も、どんな美しい詩の一節も辛抱がならなくなった。蓄音器を聴かせて貰いにわざわざ出かけて行っても、最初の二三小節で不意に立ち上ってしまいたくなる。何かが私を居堪(いたたま)らずさせるのだ。それで始終私は街から街を浮浪し続けていた。
何故(なぜ)だかその頃私は見すぼらしくて美しいものに強くひきつけられたのを覚えている。風景にしても壊れかかった街だとか、その街にしてもよそよそしい表通りよりもどこか親しみのある、汚い洗濯物が干してあったりがらくたが転してあったりむさくるしい部屋が覗いていたりする裏通りが好きであった。雨や風が蝕(むしば)んでやがて土に帰ってしまう、と云ったような趣(おもむ)きのある街で、土塀が崩れていたり家並が傾きかかっていたり――勢いのいいのは植物だけで、時とすると吃驚(びつくり)させるような向日葵(ひまわり)があったりカンナが咲いていたりする。
時どき私はそんな路を歩きながら、ふと、そこが京都ではなくて京都から何百里も離れた仙台とか長崎とか――そのような市へ今自分が来ているのだ――という錯覚を起そうと努める。私は、出来ることなら京都から逃出して誰一人知らないような市へ行ってしまいたかった。第一に安静。がらんとした旅館の一室。清浄な蒲団(ふとん)。匂いのいい蚊帳(かや)と糊(のり)のよくきいた浴衣。そこで一月程(ほど)何も思わず横になりたい。希(ねが)わくはここがいつの間にかその市になっているのだったら。――錯覚がようやく成功しはじめると私はそれからそれへ想像の絵具を塗りつけてゆく。何のことはない、私の錯覚と壊れかかった街との二重写しである。そして私はその中に現実の私自身を見失うのを楽しんだ。
私はまたあの花火という奴が好きになった。花火そのものは第二段として、あの安っぽい絵具で赤や紫や黄や青や、様ざまの縞模様を持った花火の束、中山寺の星下り、花合戦、枯れすすき。それから鼠花火というのは一つずつ輪になっていて箱に詰めてある。そんなものが変に私の心を唆(そそ)った。
それからまた、びいどろと云う色硝子(ガラス)で鯛や花を打出してあるおはじきが好きになったし、南京玉(なんきんだま)が好きになった。またそれを嘗(な)めて見るのが私にとって何ともいえない享楽だったのだ。あのびいどろの味程(ほど)幽(かす)かな涼しい味があるものか。私は幼い時よくそれを口に入れては父母に叱られたものだが、その幼時のあまい記憶が大きくなって落魄(おちぶ)れた私に蘇(よみがえ)ってくる故だろうか、全くあの味には幽(かす)かな爽(さわや)かな何となく詩美と云ったような味覚が漂って来る。
察しはつくだろうが私にはまるで金がなかった。とは云えそんなものを見て少しでも心の動きかけた時の私自身を慰(なぐさ)める為には贅沢ということが必要であった。二銭や三銭のもの――と云って贅沢なもの。美しいもの――と云って無気力な私の触角にむしろ媚(こ)びて来るもの。――そう云ったものが自然私を慰めるのだ。
生活がまだ蝕(むしば)まれていなかった以前私の好きであった所は、例えば丸善であった。赤や黄のオードコロンやオードキニン。洒落(しやれ)た切子細工や典雅なロココ趣味の浮模様を持った琥珀(こはく)色や翡翠(ひすい)色の香水壜(びん)。煙管(きせる)、小刀、石鹸、煙草。私はそんなものを見るのに小一時間も費すことがあった。そして結局一等いい鉛筆を一本買うくらいの贅沢をするのだった。しかしここももうその頃の私にとっては重くるしい場所に過ぎなかった。書籍、学生、勘定台、これらはみな借金取の亡霊のように私には見えるのだった。
ある朝――その頃私は甲の友達から乙の友達へという風に友達の下宿を転々として暮していたのだが――友達が学校へ出てしまったあとの空虚な空気のなかにぽつねんと一人取残された。私はまたそこから彷徨(さまよ)い出なければならなかった。何かが私を追いたてる。そして街から街へ、先に云ったような裏通りを歩いたり、駄菓子屋の前で立留(たちどま)ったり、乾物屋(かんぶつや)の乾蝦(ほしえび)や棒鱈(ぼうだら)や湯葉(ゆば)を眺めたり、とうとう私は二条(にじよう)の方へ寺町(てらまち)を下(さが)り、そこの果物屋で足を留めた。ここでちょっとその果物屋を紹介したいのだが、その果物屋は私の知っていた範囲で最も好きな店であった。そこは決して立派な店ではなかったのだが、果物屋固有の美しさが最も露骨に感ぜられた。果物はかなり勾配の急な台の上に並べてあって、その台というのも古びた黒い漆塗(うるしぬ)りの板だったように思える。何か華やかな美しい音楽の快速調(アツレグロ)の流れが、見る人を石に化したというゴルゴンの鬼面――的なものを差しつけられて、あんな色彩やあんなヴォリウムに凝(こ)り固まったという風に果物は並んでいる。青物もやはり奥へゆけばゆく程堆高(うずたか)く積まれている。――実際あそこの人参葉(にんじんば)の美しさなどは素晴しかった。それから水に漬けてある豆だとか慈姑(くわい)だとか。
またそこの家の美しいのは夜だった。寺町通は一体に賑かな通りで――と云って感じは東京や大阪よりはずっと澄んでいるが――飾窓(かざりまど)の光がおびただしく街路へ流れ出ている。それがどうした訳かその店頭の周囲だけが妙に暗いのだ。もともと片方は暗い二条通に接している街角になっているので、暗いのは当然であったが、その隣家が寺町通にある家にもかかわらず暗かったのが瞭然(はつきり)しない。しかしその家が暗くなかったら、あんなにも私を誘惑するには至らなかったと思う。もう一つはその家の打ち出した廂(ひさし)なのだが、その廂が眼深に冠(かぶ)った帽子の廂のように――これは形容というよりも、「おや、あそこの店は帽子の廂をやけに下げているぞ」と思わせる程なので、廂の上はこれも真暗なのだ。そう周囲が真暗なため、店頭に点(つ)けられた幾つもの電燈が驟雨(しゆうう)のように浴せかける絢爛(けんらん)は、周囲の何者にも奪われることなく、肆(ほしいまま)にも美しい眺めが照し出されているのだ。裸の電燈が細長い螺旋棒(らせんぼう)をきりきり眼の中へ刺し込んで来る往来に立って、また近所にある鎰(かぎ)屋の二階の硝子窓をすかして眺めたこの果物店の眺め程、その時どきの私を興(おもしろ)がらせたものは寺町の中でも稀だった。
その日私はいつになくその店で買物をした。というのはその店には珍らしい檸檬(れもん)が出ていたのだ。檸檬など極くありふれている。がその店というのも見すぼらしくはないまでもただあたりまえの八百屋に過ぎなかったので、それまであまり見かけたことはなかった。一体私はあの檸檬が好きだ。レモンエロウの絵具をチューブから搾(しぼ)り出して固めたようなあの単純な色も、それからあの丈(たけ)の詰った紡錘形の恰好(かつこう)も。――結局私はそれを一つだけ買うことにした。それからの私はどこへどう歩いたのだろう。私は長い間街を歩いていた。始終私の心を圧(おさ)えつけていた不吉な塊がそれを握った瞬間からいくらか弛(ゆる)んで来たと見えて、私は街の上で非常に幸福であった。あんなに執拗(しつこ)かった憂鬱が、そんなものの一顆(いつか)で紛らされる――或いは不審なことが、逆説的な本当であった。それにしても心という奴は何という不可思議な奴だろう。
その檸檬の冷たさはたとえようもなくよかった。その頃私は肺尖(はいせん)を悪くしていていつも身体に熱が出た。事実友達の誰彼に私の熱を見せびらかす為に手の握り合いなどをして見るのだが、私の掌が誰のよりも熱かった。その熱い故だったのだろう、握っている掌から身内に浸み透ってゆくようなその冷たさは快いものだった。
私は何度も何度もその果実を鼻に持って行っては嗅いで見た。それの産地だというカリフォルニヤが想像に上って来る。漢文で習った「売柑者之言」の中に書いてあった「鼻を撲(う)つ」という言葉が断(き)れぎれに浮んで来る。そしてふかぶかと胸一杯に匂やかな空気を吸込めば、ついぞ胸一杯に呼吸したことのなかった私の身体や顔には温い血のほとぼりが昇って来て何だか身内に元気が目覚めて来たのだった。……
実際あんな単純な冷覚や触覚や嗅覚や視覚が、ずっと昔からこればかり探していたのだと云いたくなった程私にしっくりしたなんて私は不思議に思える――それがあの頃のことなんだから。
私はもう往来を軽やかな昂奮に弾んで、一種誇りかな気持さえ感じながら、美的装束をして街を濶歩(かつぽ)した詩人のことなど思い浮べては歩いていた。汚れた手拭(てぬぐい)の上へ載せて見たりマントの上へあてがって見たりして色の反映を量ったり、またこんなことを思ったり、
――つまりはこの重さなんだな。――
その重さこそ常づね私が尋ねあぐんでいたもので、疑いもなくこの重さは総ての善いもの総ての美しいものを重量に換算して来た重さであるとか、思いあがった諧謔(かいぎやく)心からそんな馬鹿げたことを考えて見たり――何がさて私は幸福だったのだ。
どこをどう歩いたのだろう、私が最後に立ったのは丸善の前だった。平常あんなに避けていた丸善がその時の私には易(やす)やすと入れるように思えた。
「今日は一つ入って見てやろう」そして私はずかずか入って行った。
しかしどうしたことだろう、私の心を充していた幸福な感情はだんだん逃げて行った。香水の壜にも煙管(きせる)にも私の心はのしかかってはゆかなかった。憂鬱が立て罩(こ)めて来る、私は歩き廻った疲労が出て来たのだと思った。私は画本の棚の前へ行って見た。画集の重たいのを取り出すのさえ常に増して力が要(い)るな! と思った。しかし私は一冊ずつ抜き出しては見る、そして開けては見るのだが、克明にはぐってゆく気持はさらに湧いて来ない。しかも呪われたことにはまた次の一冊を引き出して来る。それも同じことだ。それでいて一度バラバラとやって見なくては気が済まないのだ。それ以上は堪らなくなってそこへ置いてしまう。以前の位置へ戻すことさえ出来ない。私は幾度もそれを繰返した。とうとうおしまいには日頃から大好きだったアングルの橙(だいだい)色の重い本までなお一層の堪え難さのために置いてしまった。――何という呪われたことだ。手の筋肉に疲労が残っている。私は憂鬱になってしまって、自分が抜いたまま積み重ねた本の群を眺めていた。
以前にはあんなに私をひきつけた画本がどうしたことだろう。一枚一枚に眼を晒(さら)し終って後、さてあまりに尋常な周囲を見廻すときのあの変にそぐわない気持を、私は以前には好んで味っていたものであった。……
「あ、そうだそうだ」その時私は袂(たもと)の中の檸檬を憶い出した。本の色彩をゴチャゴチャに積みあげて、一度この檸檬で試して見たら。「そうだ」
私にまた先程の軽やかな昂奮が帰って来た。私は手当り次第に積みあげ、また慌(あわただ)しく潰(つぶ)し、また慌しく築きあげた。新しく引き抜いてつけ加えたり、取去ったりした。奇怪な幻想的な城が、その度(たび)に赤くなったり青くなったりした。
やっとそれは出来上った。そして軽く跳りあがる心を制しながら、その城壁の頂きに恐る恐る檸檬を据えつけた。そしてそれは上出来だった。
見わたすと、その檸檬の色彩はガチャガチャした色の諧調をひっそりと紡錘形の身体の中へ吸収してしまって、カーンと冴えかえっていた。私は埃っぽい丸善の中の空気が、その檸檬の周囲だけ変に緊張しているような気がした。私はしばらくそれを眺めていた。
不意に第二のアイディアが起った。その奇妙なたくらみはむしろ私をぎょっとさせた。
――それをそのままにしておいて私は、何喰わぬ顔をして外へ出る。――
私は変にくすぐったい気持がした。「出て行こうかなあ。そうだ出て行こう」そして私はすたすた出て行った。
変にくすぐったい気持が街の上の私を微笑(ほほえ)ませた。丸善の棚へ黄金色に輝く恐ろしい爆弾を仕掛て来た奇怪な悪漢が私で、もう十分後にはあの丸善が美術の棚を中心として大爆発をするのだったらどんなに面白いだろう。
私はこの想像を熱心に追求した。「そうしたらあの気詰りな丸善も粉葉(こつぱ)みじんだろう」
そして私は活動写真の看板画が奇体な趣きで街を彩っている京極(きようごく)を下って行った。
(大正十三年十月稿 *『青空』大正十四年一月創刊号)
城のある町にて
ある午後
「高いとこの眺めは、アアッ(と咳(せき)をして)また格段でごわすな」
片手に洋傘(こうもり)、片手に扇子(せんす)と日本手拭(てぬぐい)を持っている。頭が奇麗に禿(は)げていて、カンカン帽子を冠(かぶ)っているのが、まるで栓(せん)をはめたように見える。――そんな老人が朗らかにそう云(い)い捨てたまま峻(たかし)の脇を歩いて行った。云っておいてこっちを振り向くでもなく、眼はやはり遠い眺望へ向けたままで、さもやれやれと云った風に石垣のはなのベンチへ腰をかけた。――
町を外れてまだ二里程の間は平坦な緑。I湾の濃い藍(あい)がそれの彼方(かなた)に拡っている。裾のぼやけた、そして全体もあまりかっきりしない入道雲が水平線の上に静かに蟠(わだかま)っている。――
「ああ、そうですなあ」少し間誤(まご)つきながらそう答えた時の自分の声の後味がまだ喉(のど)や耳のあたりに残っているような気がされて、その時の自分と今の自分とが変にそぐわなかった。なんの拘(こだわ)りもしらないようなその老人に対する好意が頬に刻まれたまま、峻(たかし)はまた先程の静かな展望のなかへ吸い込まれて行った。――風がすこし吹いて、午後であった。
一つには、可愛い盛りで死なせた妹のことを落ちついて考えて見たいという若者めいた感慨から、峻はまだ五七日を出ない頃の家を出てこの地の姉の家へやって来た。
ぼんやりしていて、それが他所(よそ)の子の泣声だと気がつくまで、死んだ妹の声の気持がしていた。
「誰だ。暑いのに泣かせたりなんぞして」
そんなことまで思っている。
彼女がこと切れた時よりも、火葬場での時よりも、変った土地へ来てするこんな経験の方に「失った」という思いは強く刻まれた。
「たくさんの虫が、一匹の死にかけている虫の周囲に集って、悲しんだり泣いたりしている」と友人に書いたような、彼女の死の前後の苦しい経験がやっと薄い面紗(ヴエイル)のあちらに感ぜられるようになったのもこの土地へ来てからであった。そしてその思いにも落ちつき、新らしい周囲にも心が馴染(なじ)んで来るに随(したが)って、峻には珍らしく静かな心持がやって来るようになった。いつも都会に住み慣れ、殊(こと)に最近は心の休む隙(ひま)もなかった後で、彼はなおさらこの静けさの中で恭(うや)うやしくなった。道を歩くのにも出来るだけ疲れないように心掛ける。棘(とげ)一つ立てないようにしよう。指一本詰めないようにしよう。ほんの些細(ささい)なことがその日の幸福を左右する。――迷信に近い程そんなことが思われた。そして旱(ひでり)の多かった夏にも雨が一度来、二度来、それがあがる度毎(たびごと)にやや秋めいたものが肌に触れるように気候もなって来た。
そうした心の静けさとかすかな秋の先駆は、彼を部屋の中の書物や妄想にひきとめてはおかなかった。草や虫や雲や風景を眼の前へ据えて、秘かに抑えて来た心を燃えさせる、――ただそのことだけが仕甲斐(しがい)のあることのように峻には思えた。
「家の近所にお城跡がありまして峻の散歩にはちょうど良いと思います」姉が彼の母の許(もと)へ寄来(よこ)した手紙にこんなことが書いてあった。着いた翌日の夜。義兄と姉とその娘と四人で初めてこの城跡へ登った。旱のためうんかがたくさん田に湧いたのを除虫燈で殺している。それがもうあと二三日だからというので、それを見にあがったのだった。平野は見渡す限り除虫燈の海だった。遠くになると星のように瞬(またた)いている。山の峡間がぼうと照されて、そこから大河のように流れ出ている所もあった。彼はその異常な光景に昂奮して涙ぐんだ。風のない夜で涼(すず)みかたがた見物に来る町の人びとで城跡は賑わっていた。暗(やみ)のなかから白粉(おしろい)を厚く塗った町の娘達がはしゃいだ眼を光らせた。
今、空は悲しいまで晴れていた。そしてその下に町は甍(いらか)を並べていた。
白堊(はくあ)の小学校。土蔵作りの銀行。寺の屋根。そしてそこここ、西洋菓子の間に詰めてあるカンナ屑(くず)めいて、緑色の植物が家々の間から萌(も)え出ている。或る家の裏には芭蕉の葉が垂れている。糸杉の巻きあがった葉も見える。重ね綿のような恰好に刈られた松も見える。みな黝(くろず)んだ下葉と新らしい若葉で、いい風な緑色の容積を造っている。
遠くに赤いポストが見える。
乳母車なんとかと白くペンキで書いた屋根が見える。
日をうけて赤い切地を張った張物(はりもの)板、小さく屋根瓦の間に見える。――
夜になると火の点いた町の大通りを、自転車でやって来た村の青年達が、大勢連れで遊廓の方へ乗ってゆく。店の若い衆なども浴衣(ゆかた)がけで、昼見る時とはまるで異った風に身体をくねらせながら、白粉を塗った女をからかってゆく。――そうした町も今は屋根瓦の間へ挟まれてしまって、そのあたりに幟(のぼり)をたくさん立てて芝居小屋がそれと察しられるばかりである。
西日を除(よ)けて、一階も二階も三階も、西の窓すっかり日覆(ひおおい)をした旅館がやや近くに見えた。どこからか材木を叩く音が――もともと高くもない音らしかったが、町の空へ「カーン、カーン」と反響した。
次つぎ止(と)まるひまなしにつくつく法師が鳴いた。「文法の語尾の変化をやっているようだな」ふとそんなに思って見て、聞いていると不思議に興(きよう)が乗って来た。「チュクチュクチュク」と始めて「オーシ、チュクチュク」を繰返えす、そのうちにそれが「チュクチュク、オーシ」になったり「オーシ、チュクチュク」にもどったりして、しまいに「スットコチーヨ」「スットコチーヨ」になって「ジー」と鳴きやんでしまう。中途に横から「チュクチュク」とはじめるのが出て来る。するとまた一つのは「スットコチーヨ」を終って「ジー」に移りかけている。三重四重、五重にも六重にも重なって鳴いている。
峻はこの間、やはりこの城跡のなかにある社(やしろ)の桜の木で法師蝉(ほうしぜみ)が鳴くのを、一尺程の間近で見た。華車(きやしや)な骨に石鹸(シヤボン)玉(だま)のような薄い羽根を張った、身体の小さい昆虫に、よくあんな高い音が出せるものだと、驚きながら見ていた。その高い音と関係があると云えば、ただその腹から尻尾へかけての伸縮であった。柔毛(にこげ)の密生している、節を持った、その部分は、まるでエンジンの或る部分のような正確さで動いていた。――その時の恰好が思い出せた。腹から尻尾へかけてのブリッとした膨(ふく)らみ。隅ずみまで力ではち切ったような伸び縮み。――そしてふと蝉一匹の生物が無上に勿体(もつたい)ないものだという気持に打たれた。
時どき、先程の老人のようにやって来ては涼をいれ、景色を眺めてはまた立ってゆく人があった。
峻がここへ来る時によく見る、亭(ちん)の中で昼寝をしたり海を眺めたりする人がまた来ていて、今日は子守娘と親しそうに話をしている。
蝉取竿(せみとりざお)を持った子供があちこちする。虫籠を持たされた児は、時どき立留っては籠の中を見、また竿の方を見ては小走りに随(つ)いてゆく。物を云わないでいて変に芝居のような面白さが感じられる。
またあちらでは女の子達が米つきばったを捕えては、「ねぎさん米つけ、何とか何とか」と云いながら米をつかせている。ねぎさんというのはこの土地の言葉で神主(かんぬし)のことを云うのである。峻は善良な長い顔の先に短い二本の触角を持った、そう思えばいかにも神主めいたばったが、女の子に後脚を持たれて身動きのならないままに米をつくその恰好が呑気(のんき)なものに思い浮んだ。
女の子が追いかける草のなかを、ばったは二本の脚を伸し、日の光を羽根一ぱいに負いながら、何匹も飛び出した。
時どき烟(けむり)を吐く煙突があって、田野はその辺りから展(ひら)けていた。レムブラントの素描(デツサン)めいた風景が散ばっている。
黝(くろ)い木立。百姓家。街道。そして青田のなかに褪赭(たいしや)の煉瓦(れんが)の煙突。
小さい軽便(けいべん)が海の方からやって来る。
海からあがって来た風は軽便の煙を陸の方へ、その走る方へ吹きなびける。
見ていると煙のようではなくて、煙の形を逆に固定したまま玩具(おもちや)の汽車が走っているようである。
ササササと日が翳(かげ)る。風景の顔色が見る見る変ってゆく。
遠く海岸に沿って斜(ななめ)に入り込んだ入江が見えた。――峻はこの城跡へ登る度(たび)、幾度となくその入江を見るのが癖になっていた。
海岸にしては大きい立木が所どころ繁っている。その蔭にちょっぴり人家の屋根が覗いている。そして入江には舟が舫(もや)っている気持。
それはただそれだけの眺めであった。どこを取り立てて特別心を惹(ひ)くようなところはなかった。それでいて変に心が惹かれた。
なにかある。本当になにかがそこにある。と云ってその気持を口に出せば、もう空ぞらしいものになってしまう。
例えばそれを故(ゆえ)のない淡い憧憬(あこがれ)と云った風の気持、と名づけて見ようか。誰かが「そうじゃないか」と尋ねてくれたとすれば彼はその名づけ方に賛成したかも知れない。しかし自分では「まだなにか」という気持がする。
人種の異ったような人びとが住んでいて、この世と離れた生活を営んでいる。――そんなような所にも思える。とはいえそれはあまりお伽話めかした、ぴったりしないところがある。
なにか外国の画で、あそこに似た所が描いてあったのが思い出せないためではないかとも思って見る。それにはコンステイブルの画を一枚思い出している。やはりそれでもない。
では一体何だろうか。このパノラマ風の眺めは何に限らず一種の美しさを添えるものである。しかし入江の眺めはそれに過ぎていた。そこに限って気韻(きいん)が生動している。そんな風に思えた。――
空が秋らしく青空に澄む日には、海はその青よりやや温い深青に映った。白い雲がある時は海も白く光って見えた。今日は先程の入道雲が水平線の上へ拡ってザボンの内皮の色がして、海も入江の真近までその色に映っていた。今日も入江はいつものように謎をかくして静まっていた。
見ていると、獣のようにこの城のはなから悲しい唸声(うなりごえ)を出して見たいような気になるのも同じであった。息苦しい程(ほど)妙なものに思えた。
夢で不思議な所へ行っていて、ここは来た覚えがあると思っている。――ちょうどそれに似た気持で、えたいの知れない想い出が湧いて来る。
「ああかかる日のかかるひととき」
「ああかかる日のかかるひととき」
いつ用意したとも知れないそんな言葉が、ひらひらとひらめいた。――
「ハリケンハッチのオートバイ」
「ハリケンハッチのオートバイ」
先程の女の子らしい声が峻の足の下で次つぎに高く響いた。丸の内の街道を通ってゆくらしい自動自転車の爆音がきこえていた。
この町のある医者がそれに乗って帰って来る時刻であった。その爆音を聞くと峻の家の近所にいる女の子は我勝ちに「ハリケンハッチのオートバイ」と叫ぶ。「オートバ」と云っている児もある。
三階の旅館は日覆をいつの間にか外(はず)した。
遠い物干台の赤い張物板ももう見つからなくなった。
町の屋根からは煙。遠い山からは蜩(ひぐらし)。
手品と花火
これはまた別の日。
夕飯と風呂を済ませて峻(たかし)は城へ登った。
薄暮の空に、時どき、数里離れた市で花火をあげるのが見えた。気がつくと綿で包んだような音がかすかにしている。それが遠いので間の抜けた時に鳴った。いいものを見る、と彼は思っていた。
ところへ十七程(ほど)を頭に三人連れの男の児が来た。これも食後の涼(すず)みらしかった。峻に気を兼ねてか静かに話をしている。
口で教えるのにも気がひけたので、彼はわざと花火のあがる方を熱心なふりをして見ていた。
末遠いパノラマのなかで、花火は星(ほし)水母(くらげ)ほどのさやけさに光っては消えた。海は暮れかけていたが、その方はまだ明るみが残っていた。
しばらくすると少年達もそれに気がついた。彼は心の中で喜んだ。
「四十九」
「ああ。四十九」
そんなことを云いあいながら、一度あがって次あがるまでの時間を数えている。彼はそれらの会話をきくともなしに聞いていた。
「××ちゃん。花は」
「フロラ」一番年のいったのがそんなに答えている。――
城でのそれを憶い出しながら、彼は家へ帰って来た。家の近くまで来ると、隣家の人が峻の顔を見た。そして慌(あわ)てたように
「帰っておいでなしたぞな」と家へ云い入れた。
奇術が何とか座にかかっているのを見にゆこうかと云っていたのを、峻がぽっと出てしまったので騒いでいたのである。
「あ。どうも」と云うと、義兄は笑いながら
「はっきり云うとかんのがいかんのやさ」と姉に背負わせた。姉も笑いながら衣服を出しかけた。彼が城へ行っている間に姉も信子(義兄の妹)もこってり化粧をしていた。
姉が義兄に
「あんた、扇子(せんす)は?」
「衣嚢(かくし)にあるけど……」
「そうやな。あれも汚れてますで……」
姉が合点(がてん)合点などしてゆっくり捜しかけるのを、じゅうじゅうと音をさせて煙草(たばこ)を呑んでいた兄は
「扇子なんかどうでもええわな。早う仕度(したく)しゃんし」と云って煙管(きせる)の詰ったのを気にしていた。
奥の間で信子の仕度を手伝ってやっていた義母が
「さあ、こんなはどうやな」と云って団扇(うちわ)を二三本寄せて持って来た。砂糖屋などが配って行った団扇である。
姉が種々と衣服を着こなしているのを見ながら、彼は信子がどんな心持で、またどんな風で着附けをしているだろうなど、奥の間の気配に心をやったりした。
やがて仕度が出来たので峻はさきへ下りて下駄を穿(は)いた。
「勝子(姉夫婦の娘)がそこらにいますで、よぼってやっとくなさい」と義母が云った。
袖(そで)の長い衣服を着て、近所の子等のなかに雑(まじ)っている勝子は、呼ばれたまま、まだなにか云いあっている。
「『カ』ちゅうとこへ行くの」
「かつどうや」
「活動や、活動やあ」と二三人の女の子がはやした。
「ううん」と勝子は首をふって
「『ヨ』ちっとこへ行くの」とまたやっている。
「ようちえん?」
「いやらし。幼稚園、晩にはあれへんわ」
義兄が出て来た。
「早うお出でな。放っといてゆくぞな」
姉と信子が出て来た。白粉を濃くはいた顔が夕暗(ゆうやみ)に浮かんで見えた。さっきの団扇を一つずつ持っている。
「お待ち遠さま。勝子は。勝子、扇持ってるか」
勝子は小さい扇をちらと見せて姉に纏(まと)いつきかけた。
「そんならお母さん、行って来ますで……」
姉がそう云うと
「勝子、帰ろ帰ろ云わんのやんな」と義母は勝子に云った。
「云わんのやんな」勝子は返事のかわりに口真似をして峻の手のなかへ入って来た。そして峻は手をひいて歩き出した。
往来に涼み台を出している近所の人びとが、通りすがりに、今晩は、今晩は、と声をかけた。
「勝ちゃん。ここ何てとこ?」彼はそんなことを訊いて見た。
「しょうせんかく」
「朝鮮閣?」
「ううん、しょうせんかく」
「朝鮮閣?」
「しょう―せん―かく」
「朝―鮮―閣?」
「うん」と云って彼の手をぴしゃと叩いた。
しばらくして勝子から
「しょうせんかく」といい出した。
「朝鮮閣」
牴牾(もどか)しいのはこっちだ、と云った風に寸分違わないように似せてゆく。それが遊戯になってしまった。しまいには彼が「松仙閣」といっているのに、勝子の方では知らずに「朝鮮閣」と云っている。信子がそれに気がついて笑い出した。笑われると勝子は冠を曲げてしまった。
「勝子」今度は義兄の番だ。
「ちがいますともわらびます」
「ううん」鼻ごえをして、勝子は義兄を打つ真似をした。義兄は知らん顔で
「ちがいますともわらびます。あれ何やったな。勝子。一遍峻さんに聞かしたげなさい」
泣きそうに鼻をならし出したので信子が手をひいてやりながら歩き出した。
「これ……それから何という積(つも)りやったんや?」
「これ、蕨(わらび)とは違いますって云う積りやったんやなあ」信子がそんなに云って庇護(かば)ってやった。
「一体どこの人にそんなことを云うたんやな?」今度は半分信子に訊いている。
「吉峰さんのおじさんにやなあ」信子は笑いながら勝子の顔を覗いた。
「まだあったぞ。もう一つどえらいのがあったぞ」義兄がおどかすようにそう云うと、姉も信子も笑い出した。勝子は本式に泣きかけた。
城の石垣に大きな電燈がついていて、後ろの木々に皎々(こうこう)と照っている。その前の木々は反対に黒ぐろとした蔭になっている。その方で蝉がジッジジッジと鳴いた。
彼は一人後ろになって歩いていた。
彼がこの土地へ来てから、こうして一緒に出歩くのは今夜がはじめてであった。若い女達と出歩く。そのことも彼の経験では、極めて稀であった。彼はなんとなしに幸福であった。
少し我儘(わがまま)なところのある彼の姉と触れ合っている態度に、少しも無理がなく、――それを器用にやっているのではなく、生地(きじ)からの平和な生れ附きでやっている。信子はそんな娘であった。
義母などの信心から、天理教様に拝(おが)んで貰(もら)えと云われると、素直に拝んで貰っている。それは指の傷だったが、そのため評判の琴も弾かないでいた。
学校の植物の標本を造っている。用事に町へ行ったついでなどに、雑草をたくさん風呂敷へ入れて帰って来る。勝子が欲しがるので勝子にも頒(わ)けてやったりなどして、独りせっせとおしをかけている。
勝子が彼女の写真帖を引き出して来て、彼のところへ持って来た。それを極(きま)り悪そうにもしないで、彼の聞くことを穏かにはきはきと受け答えする。――信子はそんな好もしいところを持っていた。
今彼の前を、勝子の手を曳(ひ)いて歩いている信子は、家の中で肩縫揚(ぬいあ)げのしてある衣服を着て、足をにょきにょき出している彼女とまるで違っておとなに見えた。その隣に姉が歩いている。彼は姉が以前より少し痩(や)せて、いくらかでも歩き振りがよくなったと思った。
「さあ。あんた。先へ歩いて……」
姉が突然後ろを向いて彼に云った。
「どうして」今までの気持で訊かなくともわかっていたがわざと彼はとぼけて見せた。そして自分から笑ってしまった。こんな笑い方をしたからにはもう後から歩いてゆく訳にはゆかなくなった。
「早う。気持が悪いわ。なあ.信ちゃん」
「……」笑いながら信子も点頭(うなず)いた。
芝居小屋のなかは思ったように蒸し暑かった。
水番というのか、銀杏(いちよう)返しに結った、年の老けた婦(おんな)が、座布団(ざぶとん)を数だけ持って、先に立ってばたばた敷いてしまった。平場の一番後ろで、峻が左の端、中へ姉が来て、信子が右の端、後ろへ兄が座った。ちょうど幕間で、階下は七分通り詰っていた。
先刻の婦が煙草盆を持って来た。火が埋(うず)んであって、暑いのに気が利かなかった。立ち去らずにぐずぐずしている。何と云ったらいいか、この手の婦特有な狡猾(ずる)い顔附で、眼をきょろきょろさせている。眼顔で火鉢を指したり、そらしたり、兄の顔を盗み見たりする。こっちが見てよくわかっているのにと思い、財布の銀貨を袂(たもと)の中で出し悩みながら、彼はその無躾(ぶしつけ)に腹が立った。
義兄は落ちついてしまって、まるで無感覚である。
「へ、お火鉢」婦(おんな)はこんなことをそわそわ云ってのけて、忙しそうに揉手(もみで)をしながらまた眼をそらす。やっと銀貨が出て婦は帰って行った。
やがて幕があがった。
日本人のようでない、皮膚の色が少し黒みがかった男が不熱心に道具を運んで来て、時どきじろじろと観客の方を見た。ぞんざいで、面白く思えなかった。それが済むと怪しげな名前の印度(インド)人が不作法なフロックコートを着て出て来た。何かわからない言葉で喋(しやべ)った。唾液をとばしている様子で、褪(さ)めた唇の両端に白く唾(つば)がたまっていた。
「なんて云ったの」姉がこんなに訊いた。すると隣のよその人も彼の顔を見た。彼は閉口してしまった。
印度人は席へ下りて立会人を物色している。一人の男が腕をつかまれたまま、危(あや)う気(げ)な羞笑(はじわらい)をしていた。その男はとうとう舞台へ連れてゆかれた。
髪の毛を前へおろして、糊(のり)の寝た浴衣を着、暑いのに黒足袋(くろたび)を穿(は)いていた。にこにこして立っているのを、先程の男が椅子を持って来て坐らせた。
印度人は非道(ひど)い奴であった。
握手をしようと云って男の前へ手を出す。男はためらっていたが思い切って手を出した。すると印度人は自分の手を引き込めて、観客の方を向き、その男の手振を醜く真似て見せ、首根っ子を縮めて、嘲笑(あざわら)って見せた。毒々しいものだった。男は印度人の方を見、自分の元いた席の方を見て、危な気に笑っている。なにか訳のありそうな笑い方だった。子供か女房かがいるのじゃないか。堪(たま)らない。と峻は思った。
握手が失敬になり、印度人の悪ふざけはますます性がわるくなった。見物はその度に笑った。そして手品がはじまった。
紐(ひも)があったのは、切ってもつながっているという手品。金属の瓶があったのは、いくらでも水が出るという手品。――極く詰らない手品で、硝子(ガラス)の卓子(テーブル)の上のものは減って行った。まだ林檎(りんご)が残っていた。これは林檎を食って、食った林檎の切(きれ)が今度は火を吹いて口から出て来るというので、試しに例の男が食わされた。皮ごと食ったというので、これも笑われた。
峻はその箸(はし)にも棒にもかからないような笑い方を印度人がする度に、何故あの男は何とかしないのだろうと思っていた。そして彼自身かなり不愉快になっていた。
そのうちにふと、先程の花火が思い出されて来た。
「先程の花火はまだあがっているだろうか」そんなことを思った。
薄明りの平野のなかへ、星(ほし)水母(くらげ)ほどに光っては消える遠い市の花火。海と雲と平野のパノラマがいかにも美しいものに思えた。
「花は」
「Flora.」
たしかに「Flower.」とは云わなかった。
その子供といい、そのパノラマといい、どんな手品師も敵わないような立派な手品だったような気がした。
そんなことが彼の不愉快をだんだんと洗って行った。いつもの癖で、不愉快な場面を非人情に見る、――そうすると反対に面白く見えて来る――その気持がものになりかけて来た。
下等な道化に独りで腹を立てていた先程の自分が、ちょっと滑稽だったと彼は思った。
舞台の上では印度人が、看板画そっくりの雰囲気のなかで、口から盛んに火を吹いていた。それには怪しげな美しささえ見えた。
やっと済むと幕が下りた。
「ああ面白かった」ちょっと嘘のような、とってつけたように勝子が云った。云い方が面白かったので皆笑った。――
美人の宙釣り。
力業。
オペレット。浅草気分。
美人胴切。
そんなプログラムで、晩(おそ)く家へ帰った。
病気
姉が病気になった。脾腹(ひばら)が痛む、そして高い熱が出る。峻(たかし)は腸チブスではないかと思った。枕元で兄が
「医者さんを呼びに遣(や)ろうかな」と云っている。
「まあよろしいわな。かい虫かも知れませんで」そして峻にともつかず兄にともつかず
「昨日あないに暑かったのに、歩いて帰って来る道で汗がちっとも出なんだの」と弱よわしく云っている。
その前の日の午後、少し浮かぬ顔で遠くから帰って来るのが見え、勝子と二人で窓からふざけながら囃(はや)し立てた。
「勝子、あれどこの人?」
「あら。お母さんや。お母さんや」
「嘘いえ。よそのおばさんだよ。見ておいで。家へは這入らないから」
その時の顔を峻は思い出した。少し変だったことは少し変だった。家のなかばかりで見馴れている家族を、ふと往来でよそ目に見る――そんな珍らしい気持で見た故と峻は思っていたが、少し力がないようでもあった。
医者が来て、やはりチブスの疑いがあると云って帰った。峻は階下で困った顔を兄とつき合せた。兄の顔には苦しい微笑が凝(こ)っていた。
腎臓の故障だったことがわかった。舌の苔(こけ)がなんとかで、と云って明瞭にチブスとも云い兼(か)ねていた由(よし)を云って、医者も元気に帰って行った。
この家へ嫁いで来てから、病気で寝たのはこれで二度目だと姉が云った。
「一度は北牟婁(きたむろ)で」
「あの時は弱ったな。近所に氷がありませいでなあ、夜中の二時頃、四里程の道を自転車で走って、叩き起して買うたのはまあよかったやさ。風呂敷へ包んでサドルの後ろへ結えつけて戻って来たら、擦(す)れとりましてな、これだけ程になっとった」
兄はその手つきをして見せた。姉の熱のグラフにしても、二時間おき程の正確なものを造ろうとする兄だけあって、その話には兄らしい味が出ていて峻も笑わされた。
「その時は?」
「かい虫をわかしとりましたんじゃ」
――一つには峻自身の不(ふ)検束(しだら)な生活から、彼は一度肺を悪くしたことがあった。その時義兄は北牟婁でその病気が癒(なお)るようにと神詣(もう)でをしてくれた。病気がややよくなって、峻は一度その北牟婁の家へ行ったことがあった。そこは山のなかの寒村で、村は百姓と木樵(きこり)で、養蚕(ようさん)などもしていた。冬になると家の近くの畑まで猪(いのしし)が芋(いも)を掘りに来たりする。芋は百姓の半分常食になっていた。その時はまだ勝子も小さかった。近所のお婆さんが来て、勝子の絵本を見ながら講釈しているのに、象のことを鼻捲き象、猿のことを山の若い衆とかやえんとか呼んでいた。苗字のないという児がいるので聞いて見ると木樵(きこり)の子だからと云って村の人は当然な顔をしている。小学校には生徒から名前の呼び棄(す)てにされている、薫という村長の娘が教師をしていた。まだそれが十六七の年頃だった。――
北牟婁はそんな処であった。峻は北牟婁での兄の話には興味が持てた。
北牟婁にいた時、勝子が川へ陥(はま)ったことがある。その話が兄の口から出て来た。
――兄が心臓脚気(かつけ)で寝ていた時のことである。七十を越した、兄の祖母で、勝子の曾祖母にあたるお祖母さんが、勝子を連れて川へ茶碗を漬けに行った。その川というのが急な川で、狭かったが底はかなり深かった。お祖母さんは、いつでも兄達が捨てておけというのに、姉が留守だったりすると、勝子などを抱きたがった。その時も姉は外出していた。
はあ、出て行ったな。と寝床の中で思っていると、しばらくして変な声がしたので、あっと思ったまま、ひかれるように大病人が起きて出た。川は直ぐ近くだった。見ると、お祖母さんが変な顔をして、「勝子が」と云ったのだが、そして一生懸命に云おうとしているのだが、そのあとが云えない。
「お祖母さん。勝子が何とした!」
「……」手の先だけが激しくそれを云っている。
勝子が川を流れてゆくのが見えているのだ! 川はちょうど雨のあとで水かさが増していた。先に石の橋があって、水が板石とすれすれになっている。その先には川の曲るところがあって、そこはいつも渦が巻いている所だ。川はそこを曲って深い沼のような所へ入る。橋か曲り角で頭を打ちつけるか、流れて行って沼へ沈みでもしようものなら助からないところだった。
兄はいきなり川へ跳び込んで、あとを追った。橋までに捕えるつもりだった。
病気の身だった。それでもやっと橋の手前で捕えることは出来た。しかし流れがきつくて橋を力に上ろうと思ってもとうてい駄目だった。板石と水の隙間は、やっと勝子の頭くらいは通せる程だったので、兄は勝子を差し上げながら水を潜(くぐ)り、下手でようやくあがれたのだった。勝子はぐったりとなっていた。逆にしても水を吐かない。兄は気が気でなく、しきりに勝子の名を呼びながら、背中を叩いた。
勝子はけろりと気がついた。気がついたが早いか、立つと直ぐ踊り出したりするのだ。兄はばかされたようで何だか変だった。
「このべべ何としたんや」と云って濡れた衣服をひっぱって見ても「知らん」と云っている。足が滑った拍子に気絶しておったので、全(まつた)く溺れたのではなかったと見える。
そして、何とまあ、いつもの顔で踊っているのだ。――
兄の話のあらましはこんなものだった。ちょうど近所の百姓家が昼寝の時だったので、自分がその時起きてゆかなければどんなに危険だったかとも云った。
話している方も聞いている方も惹き入れられて、兄が口をつぐむと、静かになった。
「わたしが帰って行ったらお祖母さんと三人で門で待ってはるの」姉がそんなことを云った。
「何やら家にいてられなんだわさ。着物を着かえてお母ちゃんを待っとろと云うたりしてなあ」
「お祖母さんがぼけはったのはあれからでしたな」姉は声を少しひそませて意味の籠(こも)った眼を兄に向けた。
「それがあってからお祖母さんが一寸ぼけみたいになりましてなあ。いつまで経ってもこれに(と云って姉を指し)よしやんに済まん、よしやんに済まんと云いましてなあ」
「なんのお祖母さん、そんなことがあろうかさ、と云っているのに……」
それからのお祖母さんは目に見えてぼけて行って一年程(ほど)経ってから死んだ。
峻にはそのお祖母さんの運命がなにか惨酷な気がした。それが故郷ではなく、勝子のお守りでもする気で出かけて行った北牟婁の山の中だっただけに、もう一つその感じは深かった。
峻が北牟婁へ行ったのは、その事件の以前であった。お祖母さんは勝子の名前を、その当時もう女学校へ上っていた筈(はず)の信子の名と、よく呼び違えた。信子はその当時母などとこっちにいた。まだ信子を知らなかった峻には、お祖母さんが呼び違える度毎(たびごと)に、信子という名を持った十四五の娘が頭に親しく想像された。
勝子
峻は原っぱに面した窓に倚(よ)りかかって外を眺めていた。
灰色の雲が空一帯を罩(こ)めていた。それはずっと奥深くも見え、また地上低く垂れ下っているようにも思えた。
あたりのものはみな光を失って静まっていた。ただ遠い病院の避雷針だけが、どうしたはずみか白く光って見える。
原っぱのなかで子供が遊んでいた。見ていると勝子もまじっていた。男の児が一人いて、なにか荒い遊びをしているらしかった。
勝子が男の児に倒された。起きたところをまた倒された。今度はぎゅうぎゅう押えつけられている。
一体何をしているのだろう。なんだかひどいことをする。そう思って峻は目をとめた。
それが済むと今度は女の子連中が――それは三人だったが、改札口へ並ぶように男の児の前へ立った。変な切符切りがはじまった。女の子の差し出した手を、その男の児がやけに引っ張る。その女の子は地面へ叩きつけられる。次の子も手を出す。その手も引っ張られる。倒された子は起きあがって、また列の後ろへつく。
見ているとこうであった。男の児が手を引っ張る力加減に変化がつく。女の子の方ではその強弱をおっかなびっくりに期待するのが面白いのらしかった。
強く引くのかと思うと、身体つきだけ強そうにして軽く引っ張る。すると次はいきなり叩きつけられる。次はまた、手を持ったというくらいの軽さで通す。
男の児は小さい癖にどうかすると大人の――それも木挽(こび)きとか石工(いしく)とかの恰好そっくりに見えることのある児で、今もなにか鼻唄でも歌いながらやっているように見える。そしていかにも得意気であった。
見ているとやはり勝子だけが一番余計強くされているように思えた。彼にはそれが悪くとれた。勝子は婉曲(えんきよく)に意地悪されているのだな。――そう思うのには、一つは勝子が我儘(わがまま)で、よその子と遊ぶのにも決していい子にならないからでもあった。
それにしても勝子にはあの不公平がわからないのかな。いや、あれがわからない筈はない。むしろ勝子にとっては、わかってはいながら痩我慢(やせがまん)を張っているのが本当らしい。
そんなに思っているうちにも、勝子はまたこっぴどく叩きつけられた。痩我慢を張っているとすれば、倒された拍子に地面と睨(にら)めっこをしている時の顔附は、一体どんなだろう。――立ちあがる時には、もうほかの子と同じような顔をしているが。
よく泣き出さないものだ。
男の児がふとした拍子にこの窓を見るかも知れないからと思って彼は窓のそばを離れなかった。
奥の知れないような曇り空のなかを、きらりきらり光りながら過(よぎ)ってゆくものがあった。
鳩?
雲の色にぼやけてしまって、姿は見えなかったが、光の反射だけ、鳥にすれば三羽程、鳩一流のどこにあてがあるともない飛び方で舞っていた。
「あああ。勝子のやつ奴(め)、勝手に注文して強くして貰っているのじゃないかな」そんなことがふっと思えた。いつか峻が抱きすくめてやった時、「もっとぎゅうっと」と何度も抱きすくめさせた。その時のことが思い出せたのだった。そう思えばそれもいかにも勝子のしそうなことだった。峻は窓を離れて部屋のなかへ這入った。
夜、夕飯が済んでしばらくしてから、勝子が泣きはじめた。峻は二階でそれを聞いていた。しまいにはそれを鎮(しず)める姉の声が高くなって来て、勝子もあたりかまわず泣きたてた。あまり声が大きいので峻は下へおりて行った。信子が勝子を抱いている。勝子は片手を電燈の真下へ引き寄せられて、針を持った姉が、掌(てのひら)へ針を持ってゆこうとする。
「そとへ行って棘(とげ)を立てて来ましたんや。知らんとおったのが御飯を食べるとき醤油が染(し)みてな」義母が峻にそう云った。
「もっとぎゅうとお出し」姉は怒ってしまって、邪慳(じやけん)に掌を引っ張っている。その度(たび)に勝子は火の附くように泣声を高くする。
「もう知らん、放っといてやる」しまいに姉は掌を振り離してしまった。
「今は仕様ないで、××膏(こう)をつけてくくっとこうよ」義母が取りなすように云っている。信子が薬を出しに行った。峻は勝子の泣声に閉口してまた二階へあがった。
薬をつけるのに勝子の泣声はまだ鎮まらなかった。
「棘はどうせあの時立てたに違いない」峻は昼間のことを思い出していた。ぴしゃっと地面へうっつぶせになった時の勝子の顔はどんなだったろう、という考えがまた蘇(よみがえ)って来た。
「ひょっとしてあの時の痩我慢を破裂させているのかも知れない」そんなことを思って聞いていると、その火がつくような泣声が、なにか悲しいもののように峻には思えた。
昼と夜
彼は或る日城の傍(そば)の崖(がけ)の蔭に立派な井戸があるのを見つけた。
そこは昔の士(さむらい)の屋敷跡のように思えた。畑とも庭ともつかない地面には、梅の老木があったり南瓜(かぼちや)が植えてあったり紫蘇(しそ)があったりした。城の崖からは太い逞(たくま)しい喬木(きようぼく)や古い椿が緑の衝立(ついたて)を作っていて、井戸はその蔭に坐っていた。
大きな井桁(いげた)、堂々とした石の組み様、がっしりしていて立派であった。
若い女の人が二人、洗濯物を大盥(おおだらい)で濯(すす)いでいた。
彼のいた所からは見えなかったが、その仕掛ははね釣瓶(つるべ)になっているらしく、汲みあげられて来る水は大きい木製の釣瓶桶に溢れ、樹々の緑が瑞(みず)みずしく映っている。盥の方の女の人が待つふりをすると、釣瓶の方の女の人は水を空(あ)けた。盥の水が躍り出して水玉の虹がたつ。そこへも緑は影を映して、美しく洗われた花崗岩の畳石の上を、また女の人の素足の上を水は豊かに流れる。
羨(うらや)ましい、素晴らしく幸福そうな眺めだった。涼(すず)しそうな緑の衝立(ついたて)の蔭。確かに清冽で豊かな水。なんとなく魅せられた感じであった。
きょうは青空よい天気
まえの家でも隣でも
水汲む洗う掛ける干す。
国定教科書にあったのか小学唱歌にあったのか、少年の時に歌った歌の文句が憶い出された。その言葉には何のたくみも感ぜられなかったけれど、彼が少年だった時代、その歌によって抱いたしんに朗らかな新鮮な想像が、思いがけず彼の胸におし寄せた。
かあかあ烏が鳴いてゆく、
お寺の屋根へ、お宮の森へ、
かあかあ烏が鳴いてゆく。
それには画がついていた。
また「四方(よも)」とかいう題で、子供が朝日の方を向いて手を拡げている図などの記憶が、次つぎ憶い出されて来た。
国定教科書の肉筆めいた楷書の活字。また何という画家の手に成ったものか、角のないその字体と感じのまるで似た、子供といえば円顔の優等生のような顔をしていると云った風の、挿画(さしえ)のこと。
「何とか権所有」それをゴンショユウと、人の前では読まなかったが、心のなかで仮に極(き)めて読んでいたこと。そのなんとか権所有の、これもそう思えば国定教科書に似つかわしい、手紙の文例の宛名(あてな)のような、人の名。そんな奥附の有様(ありさま)までが憶い出された。
――少年の時にはその画の通りの所がどこかにあるような気がしていた。そうした単純に正直な児がどこかにいるような気がしていた。彼にはそんなことが思われた。
それ等はなにかその頃の憧憬の対象でもあった。単純で、平明で、健康な世界。――今その世界が彼の前にある。思いもかけず、こんな田舎の緑樹の蔭に、その世界はもっと新鮮な形を具(そな)えて存在している。
そんな国定教科書風な感傷のなかに、彼は彼の営むべき生活が指唆(しさ)されたような気がした。
――食ってしまいたくなるような風景に対する愛着と、幼い時の回顧や新らしい生活の想像とで彼の時どきの瞬間が燃えた。また時どき寝られない夜が来た。
寝られない夜のあとでは、ちょっとしたことに直ぐ底熱い昂奮(こうふん)が起きる。その昂奮がやむと道端でもかまわない直ぐ横になりたいような疲労が来る。そんな昂奮は楓(かえで)の肌を見てさえ起った。――
楓樹(ふうじゆ)の肌が冷えていた。城の本丸の彼がいつも坐るベンチの後ろでであった。
根方に松葉が落ちていた。その上を蟻が清らかに匍(は)っていた。
冷い楓の肌を見ていると、ひぜんのようについている蘚(こけ)の模様が美しく見えた。
子供の時の茣蓙(ござ)遊びの記憶――殊にその触感が蘇(よみがえ)った。
やはり楓の樹の下である。松葉が散って蟻(あり)が匍(は)っている。地面にはでこぼこがある。そんな上へ茣蓙を敷いた。
「子供というものは確かにあの土地のでこぼこを冷い茣蓙の下に感じる蹠(あしのうら)の感覚の快さを知っているものだ。そして茣蓙を敷くや否や直ぐその上へ跳び込んで、着物ぐるみじかに地面の上へ転(ころ)がれる自由を楽しんだりする」そんなことを思いながら彼は直ぐにも頬ぺたを楓の肌につけて冷して見たいような衝動を感じた。
「やはり疲れているのだな」彼は手足が軽く熱を持っているのを知った。
* * * * *
「私はお前にこんなものをやろうと思う。
一つはゼリーだ。ちょっとした人の足音にさえいくつもの波紋が起り、風が吹いて来ると漣(さざなみ)をたてる。色は海の青色で――御覧そのなかをいくつも魚が泳いでいる。
もう一つは窓掛けだ。織物ではあるが秋草が茂っている叢(くさむら)になっている。またそこには見えないが、色づきかけた銀杏(いちよう)の木がその上に生えている気持。風が来ると草がさわぐ。そして、御覧。尺取虫が枝から枝を匍(は)っている。
この二つをお前にあげる。まだ出来あがらないから待っているがいい。そして詰らない時には、ふっと思い出して見るがいい。きっと愉快になるから。」
彼は或る日葉書へそんなことを書いてしまった、勿論(もちろん)遊戯ではあったが。そしてこの日頃の昼となし夜となしに、時どきふと感じる気持のむずかゆさを幾分はかせたような気がした。夜、静かに寝られないでいると、空を五位(ごい)が啼いて通った。ふとするとその声が自分の身体のどこかでしているように思われることがある。虫の啼く声などもへんに部屋の中でのように聞える。
「はあ、来るな」と思っているとえたいの知れない気持が起って来る。――これはこの頃眠れない夜のお極まりのコースであった。
変な気持は、電燈を消し眼をつぶっている彼の眼の前へ、物が盛んに運動する気配を感じさせた。尨大(ぼうだい)なものの気配が見るうちに裏返って微塵程(ほど)になる。確かどこかで触(さわ)ったことのあるような、口へ含んだことのあるような運動である。廻転機のように絶えず廻っているようで、寝ている自分の足の先あたりを想像すれば、途方もなく遠方にあるような気持に直ぐそれが捲(ま)き込まれてしまう。本などを読んでいると時とすると字が小さく見えて来ることがあるが、その時の気持にすこし似ている。ひどくなると一種の恐怖さえ伴って来て眼を閉(ふさ)いではいられなくなる。
彼はこの頃それが妖術(ようじゆつ)が使えそうになる気持だと思うことがあった。それはこんな妖術であった。
子供の時、弟と一緒に寝たりなどすると、彼はよくうっつ伏せになって両手で墻(かき)を作りながら(それが牧場の積りであった)
「芳雄君。この中に牛が見えるぜ」と云いながら弟をだました。両手にかこまれて、顔で蓋(ふた)をされた、敷布の上の暗黒のなかに、そう云えばたくさんの牛や馬の姿が想像されるのだった。――彼は今そんなことは本当に可能だという気がした。
田園、平野、市街、市場、劇場。船着場や海。そう云った広大な、人や車馬や船や生物でちりばめられた光景が、どうかしてこの暗黒のなかへ現れてくれるといい。そしてそれが今にも見えて来そうだった。耳にもその騒音が伝わって来るように思えた。
葉書へいたずら書(がき)をした彼の気持も、その変てこなむず痒(がゆ)さから来ているのだった。
八月も終りになった。
信子は明日市の学校の寄宿舎へ帰るらしかった。指の傷が癒(なお)ったので、天理様へ御礼に行って来いと母に云われ、近所の人に連れられて、そのお礼も済ませて来た。その人がこの近所では最も熱心な信者だった。
「荷札は?」信子の大きな行李(こうり)を縛(しば)ってやっていた兄がそう云った。
「何を立って見とるのや」兄が怒ったようにからかうと、信子は笑いながら捜(さが)しに行った。
「ないわ」信子がそんなに云って帰って来た。
「カフスの古いので作ったら……」と彼が云うと、兄は
「いや、まだたくさんあった筈(はず)や。あの抽出し見たか」信子は見たと云った。
「勝子がまた蔵(しま)い込んどるんやないかいな。一遍見てみ」兄がそんなに云って笑った。勝子は自分の抽出しへ極(ご)く下らないものまで拾(ひろ)って来ては蔵い込んでいた。
「荷札ならここや」母がそう云って、それ見たかというような軽い笑顔をしながら持って来た。
「やっぱり年寄りがおらんとあかんて」兄はそんな情愛の籠ったことを云った。
晩には母が豆を煎(い)っていた。
「峻(たかし)さん。あんたにこんなのはどうですな」そんなに云って煎りあげたのを彼の方へ寄せた。
「信子が寄宿舎へ持って帰るお土産です。一升程も持って帰っても、じきにぺろっと失(な)くなるのやそうで……」
峻が話を聴きながら豆を咬(か)んでいると、裏口で音がして信子が帰って来た。
「貸してくれはったか」
「はあ。裏へおいといた」
「雨が降るかも知れんで、ずっとなかへ引き込んでおいで」
「はあ。ひき込んである」
「吉峰さんのおばさんがあしたお帰りですかて……」信子は何かおかしそうに言葉を杜断(とぎ)らせた。
「あしたお帰りですかて?」母が聞きかえした。
吉峰さんの小母さんに「いつお帰りです。あしたお帰りですか」と訊かれて、信子が間誤(まご)ついて「ええ、あしたお帰りです」と云ったという話だった。母や彼が笑うと、信子は少し顔を赧(あか)くした。
借りて来たのは乳母車だった。
「明日一番で立つのを、行李乗せて停車場まで送って行(い)てやります」母がそんなに云って訳を話した。
大変だな、と彼は思っていた。
「勝子も行くて?」信子が訊くと、
「行くのやと云うて、今夜は早うからおやすみや」と母が云った。
彼は、朝も早いのに荷物を出すなんて面倒だから、今夜のうちに切符を買って、先へ手荷物で送ってしまったらいいと思って、
「僕、今から持って行って来ましょうか」と云って見た。一つには、彼自身体裁屋なので、年頃の信子の気持を先廻りした積りであった。しかし母と信子があまり「かまわない、かまわない」と云うのであちらまかせにしてしまった。
母と娘と姪(めい)が、夏の朝の明方を三人で、一人は乳母車をおし、一人はいでたちをした一人に手を曳(ひ)かれ、停車場へ向ってゆく、その出発を彼は心に浮べて見た。美しかった。
「お互の心の中でそうした出発の楽しさをあてにしているのじゃなかろうか」そして彼は心が清く洗われるのを感じた。
夜はその夜も眠りにくかった。
十二時頃夕立がした。その続きを彼は心待ちに寝ていた。
しばらくするとそれが遠くからまた歩み寄せて来る音がした。
虫の声が雨の音に変った。ひとしきりするとそれはまた町の方へ過ぎて行った。
蚊帳(かや)をまくって起きて出、雨戸を一枚繰(く)った。
城の本丸に電燈が輝いていた。雨に光沢を得た樹の葉がその灯の下で数知れない魚鱗(うろこ)のような光を放っていた。
また夕立が来た。彼は閾(しきい)の上へ腰をかけ、雨で足を冷した。
眼の下の長屋の一軒の戸が開いて、ねまき姿の若い女が喞筒(ポンプ)へ水を汲みに来た。
雨の脚が強くなって、とゆがごくりごくり喉を鳴らし出した。
気がつくと、白い猫が一匹、よその家の軒下をわたって行った。
信子の着物が物干竿にかかったまま雨の中にあった。筒袖(つつそで)の、平常着ていたゆかたで彼の一番眼に慣れた着物だった。その故か、見ていると不思議なくらい信子の身体つきが髣髴(ほうふつ)とした。
夕立はまた町の方へ行ってしまった。遠くでその音がしている。
「チン、チン」
「チン、チン」
鳴きだしたこおろぎの声にまじって、質の緻密(ちみつ)な玉を硬度の高い金属ではじくような虫も鳴き出した。
彼はまだ熱い額を感じながら、城を越えてもう一つ夕立が来るのを待っていた。
(大正十三年十一月稿 *『青空』大正十四年二月号)
泥濘
それは或る日の事だった。――
待っていた為替《かわせ》が家から届いたので、それを金に替えかたがた本郷へ出ることにした。
雪の降ったあとで郊外に住んでいる自分にはその雪解けが億《おつ》劫《くう》なのであったが、金は待っていた金なので関《かま》わずに出かけることにした。
それより前、自分はかなり根《こん》をつめて書いたものを失敗に終らしていた。失敗は兎《と》に角《かく》として、その失敗の仕方の変に病的だったことがその後の生活にまでよくない影響を与えていた。そんな訳で自分は何かに気持の転換を求めていた。金がなくなっていたので出歩くにも出歩けなかった。そこへ家から送ってくれた為替にどうしたことか不備なところがあって、それを送り返し、自分は尚《なお》更《さら》不愉快になって、四日程待っていたのだった。その日に着いた為替はその二度目の為替であった。
書く方を放棄してから一週間余りにもなっていただろうか。その間に自分の生活はまるで気力の抜けた平《へい》衡《こう》を失したものに変っていた。先程も云ったように失敗がすでにどこか病気染みたところを持っていた。書く気持がぐらついて来たのがその最初で、そうこうするうちに頭に浮ぶことがそれを書きつけようとする瞬間に変に憶い出せなくなって来たりした。読み返しては訂正していたのが、それも出来なくなってしまった。どう直せばいいのか、書きはじめの気持そのものが自分にはどうにも思い出せなくなっていたのである。こんなことにかかりあっていてはよくないなと、薄うす自分は思いはじめた。しかし自分は執念深くやめなかった。また止まらなかった。
やめた後の状態は果してわるかった。自分はぼんやりしてしまっていた。その不活溌な状態は平常経験するそれ以上にどこか変なところのある状態だった。花が枯れて水が腐ってしまっている花《か》瓶《びん》が不愉快で堪らなくなっていても始末するのが億劫で手の出ないときがある。見る度《たび》に不愉快が増して行ってもその不愉快がどうしても始末しようという気持に転じて行かないときがある。それは億劫というよりもなにかに魅せられている気持である。自分は自分の不活溌のどこかにそんな匂いを嗅いだ。
なにかをやりはじめてもその途中で極って自分はぼんやりしてしまった。気がついてやりかけの事に手は帰っても、一度ぼんやりしたところを覗いて来た自分の気持は、もうそれに対して妙に空ぞらしくなってしまっているのだった。何をやりはじめてもそういう風に中途半端中途半端が続くようになって来た。またそれが重なってくるにつれてひとりでに生活の大勢が極ったように中途半端を並べた。そんな風で、自分は動き出すことの禁ぜられた沼のように淀んだところをどうしても出切ってしまうことが出来なかった。そこへ沼の底から湧いて来る沼気《メタン》のような奴がいる。いやな妄想がそれだ。肉親に不吉がありそうな、友達に裏切られているような妄想が不意に頭を擡《もた》げる。
ちょうどその時分は火事の多い時節であった。習慣で自分はよく近くの野原を散歩する。新らしい家の普《ふ》請《しん》が到るところにあった。自分はその辺りに転っている鉋《かん》屑《なくず》を見、そして自分があまり注意もせずに煙草の吸《すい》殻《がら》を捨てるのに気がつき、危いぞと思った。そんなことが頭に残っていたからであろう、近くに二度程火事があった、その度に漠とした、捕縛されそうな不安に襲われた。「この辺を散歩していたろう」と云われ、「お前の捨てた煙草からだ」と云われたら、何とも抗弁する余地がないような気がした。また電報配達夫の走っているのを見るとは不愉快になった。妄想は自分を弱くみじめにした。愚にもつかないことで本当に弱くみじめになってゆく。そう思うと堪らない気がした。
何をする気にもならない自分はよくぼんやり鏡や薔《ば》薇《ら》の描いてある陶器の水差しに見入っていた。心の休み場所――とは感じないまでも何か心の休まっている瞬間をそこに見出すことがあった。以前自分はよく野原などでこんな気持を経験したことがある。それは極くほのかな気持ではあったが、風に吹かれている草などを見つめているうちに、いつか自分の裡《うち》にもちょうどその草の葉のように揺れているもののあるのを感じる。それは定かなものではなかった。かすかな気配ではあったが、しかし不思議にも秋風に吹かれてさわさわ揺れている草自身の感覚というようなものを感じるのであった。酔わされたような気持で、そのあとはいつも心が清《すが》すがしいものに変っていた。
鏡や水差しに対している自分は自然そんな経験を思い出した。あんな風に気持が転換出来るといいなど思って熱心になることもあった。しかしそんなことを思う思わないにかかわらず自分はよくそんなものに見入ってぼんやりしていた。冷い白い肌に一点、電燈の像を宿している可《か》愛《わい》い水差しは、なにをする気にもならない自分にとって実際変な魅力を持っていた。二時三時が打っても自分は寝なかった。
夜晩《おそ》く鏡を覗《のぞ》くのは時によっては非常に怖ろしいものである。自分の顔がまるで知らない人の顔のように見えて来たり、眼が疲れて来る故か、じーっと見ているうちに醜悪な伎楽(ぎがく)の腫《は》れ面《めん》という面そっくりに見えて来たりする。さーっと鏡の中の顔が消えて、あぶり出しのようにまた現われたりする。片方の眼だけが出て来てしばらくの間それに睨《にら》まれていることもある。しかし恐怖というようなものも或る程度自分で出したり引込めたり出来る性質のものである。子供が浪《なみ》打《うち》際《ぎわ》で寄せたり退《ひ》いたりしている浪に追いつ追われつしながら遊ぶように、自分は鏡のなかの伎楽の面を恐れながらもそれと遊びたい興味に駆られた。
自分の動かない気持は、しかしそのままであった。鏡を見たり水差しを見たりするときに感じる、変に不思議なところへ運ばれて来たような気持は、かえって淀《よど》んだ気持と悪く絡《から》まったようであった。そんなことがなくてさえ昼頃まで夢をたくさん見ながら寝ている自分には、見た夢と現実とが時どき分明しなくなる悪く疲れた午後の日中があった。自分はいつか自分の経験している世界を怪しいと感じる瞬間を持つようになって行った。町を歩いていても自分の姿を見た人が「あんな奴が来た」と云って逃げてゆくのじゃないかなど思ってびっくりするときがあった。顔を伏せている子守娘が今度こっちを向くときにはお化けのような顔になっているのじゃないかなど思うときがあった。――しかし待っていた為替はとうとう来た。自分は雪の積った道を久し振りで省線電車の方へ向った。
お茶の水から本郷へ出るまでの間に人が三人まで雪で辷《すべ》った。銀行へ着いた時分には自分もかなり不機嫌になってしまっていた。赤く焼けている瓦斯《ガス》煖《だん》炉《ろ》の上へ濡れて重くなった下駄をやりながら自分は係りが名前を呼ぶのを待っていた。自分の前に店の小僧さんが一人差向いの位置にいた。下駄をひいてからしばらくして自分は何とはなしにその小僧さんが自分を見ているなと思った。雪と一緒に持ち込まれた泥で汚れている床を見ているこっちの目が妙にうろたえた。独り相撲だと思いながらも自分は仮想(けそう)した小僧さんの視線に縛られたようになった。自分はそんなときよく顔の赧《あか》くなる自分の癖を思い出した。もう少し赧くなっているんじゃないか。思う尻から自分は顔が熱くなって来たのを感じた。
係りは自分の名前をなかなか呼ばなかった。少しぐず過ぎた。小切手を渡した係りの前へ二度ばかりも示威運動をしに行った。とうとうしまいに自分は係りに口を利いた。小切手は中途の係りがぼんやりしていたのだった。
出て正門前の方へゆく。多分行き倒れか転んで気絶をしたかした若い女の人を二人の巡査が左右から腕を抱えて連れてゆく。往来の人が立留って見ていた。自分はその足で散髪屋へ入った。散髪屋は釜《かま》を壊していた。自分が洗ってくれと云ったので石鹸で洗っておきながら濡れた手《てぬ》拭《ぐい》で拭《ふ》くだけのことしかしない。これが新式なのでもあるまいと思ったが、口が妙に重くて云わないでいた。しかし石鹸の残っている気持悪さを思うと堪らない気になった。訊ねて見ると釜を壊したのだという。そして濡れたタオルを繰り返した。金を払って帽子をうけとるとき触って見るとやはり石鹸が残っている。何とか云ってやらないと馬鹿に思われるような気がしたが止めて外へ出る。せっかく気持よくなりかけていたものをと思うと妙に腹が立った。友人の下宿へ行って石鹸は洗いおとした。それからしばらく雑談した。
自分は話をしているうちに友人の顔が変に遠どおしく感ぜられて来た。また自分の話が自分の思う甲《かん》所《どころ》をちっとも云っていないように思えてきた。相手が何かいつもの友人ではないような気にもなる。相手は自分の少し変なことを感じているに違いないとも思う。不親切ではないがそのことを云うのが彼自身怖ろしいので云えずにいるのじゃないかなど思う。しかし、自分はどこか変じゃないか? などこちらから聞けない気がした。「そう云えば変だ」など云われる怖ろしさよりも、変じゃないかと自分から云ってしまえば自分で自分の変な所を承認したことになる。承認してしまえばなにもかもおしまいだ。そんな怖ろしさがあったのだった。そんなことを思いながらしかし自分の口は喋《しやべ》っているのだった。
「引込んでいるのがいけないんだよ。もっと出て来るようにしたらいいんだ」玄関まで送って来た友人はそんなことを云った。自分はなにかそれについても云いたいような気がしたがうなずいたままで外へ出た。苦役を果した後のような気持であった。
町にはまだ雪がちらついていた。古本屋を歩く。買いたいものがあっても金に不自由していた自分は妙に吝《け》嗇《ち》になっていて買い切れなかった。「これを買うくらいなら先刻《さつき》のを買う」次の本屋へ行っては先刻の本屋で買わなかったことを後悔した。そんなことを繰り返しているうちに自分はかなり参って来た。郵便局で葉書を買って、家へ金の礼と友達へ無沙汰の詫《わび》を書く。机の前ではどうしても書けなかったのが割合すらすら書けた。
古本屋と思って入った本屋は新らしい本ばかりの店であった。店に誰もいなかったのが自分の足音で一人奥から出て来た。仕方なしに一番安い文芸雑誌を買う。なにか買って帰らないと今夜が堪《たま》らないと思う。その堪らなさが妙に誇大されて感じられる。誇大だとは思っても、そう思って抜けられる気持ではなかった。先刻の古本屋へまた逆に歩いて行った。やはり買えなかった。吝嗇臭いぞと思って見てもどうしても買えなかった。雪がせわしく降り出したので出張(でば)りを片附けている最後の本屋へ、先刻値を聞いて止《よ》した古雑誌を今度はどうしても買おうと決心して自分は入って行った。とっつきの店のそれもとっつきに値を聞いた古雑誌、それが結局は最後の撰択になったかと思うと馬鹿気た気になった。よその小僧が雪を投げつけに来るのでその店の小僧はその方へ気をとられていた。覚えておいた筈の場所にそれが見つからないので、まさか店を間違えたのでもなかろうがと思って不安になってその小僧にきいて見た。
「お忘れ物ですか。そんなものはありませんでしたよ」云いながら小僧はよそのをやっつけに行こう行こうとしてうわの空になっている。しかしそれはどうしても見つからなかった。さすがの自分も参っていた。足《た》袋《び》を一足買ってお茶の水へ急いだ。もう夜になっていた。
お茶の水では定期を買った。これから毎日学校へ出るとして一日往復幾何《いくら》になるか電車のなかで暗算をする。何度やってもしくじった。その度たびに買うのと同じという答えが出たりする。有楽町で途中下車して銀座へ出、茶や砂糖、パン、牛酪《バター》などを買った。人通りが少い。ここでも三四人の店員が雪投げをしていた。堅そうで痛そうであった。自分は変に不愉快に思った。疲れ切ってもいた。一つには今日の失敗《しくじ》り方が余りひど過ぎたので、自分は反抗的にもなってしまっていた。八銭のパン一つ買って十銭で釣銭を取ったりなどしてしきりになにかに反抗の気を見せつけていた。聞いたものがなかったりすると妙に殺気立った。
ライオンへ入って食事をする。身体を温めて麦酒《ビール》を飲んだ。混合酒《カクテル》を作っているのを見ている。種々な酒を一つの器へ入れて蓋《ふた》をして振っている。はじめは振っているがしまいには器に振られているような恰《かつ》好《こう》をする。洋盃《コツプ》へついで果物をあしらい盆にのせる。その正確な敏《びん》捷《しよう》さは見ていて面白かった。
「お前達は並んでアラビア兵のようだ」
「そや、バグダッドの祭のようだ」
「腹が第一減っていたんだな」
ずらっと並んだ洋酒の壜《びん》を見ながら自分は少し麦酒の酔いを覚えていた。
ライオンを出てからは唐物屋(とうぶつや)で石《せつ》鹸《けん》を買った。ちぐはぐな気持はまたいつの間にか自分に帰っていた。石鹸を買ってしまって自分は、なにか今のは変だと思いはじめた。はっきりした買いたさを自分が感じていたのかどうか、自分にはどうも思い出せなかった。宙を踏んでいるようにたよりない気持であった。
「ゆめうつつで遣《や》ってるからじゃ」
過失などをしたとき母からよくそう云われた。その言葉が思いがけず自分の今したことのなかにあると思った。石鹸は自分にとって途方もなく高《た》価《か》い石鹸であった。自分は母のことを思った。
「奎《けい》吉《きち》……奎吉!」自分は自分の名を呼んで見た。悲しい顔附をした母の顔が自分の脳裡にはっきり映った。
――三年程前自分は或る夜酒に酔って家へ帰ったことがあった。自分はまるで前後のわきまえをなくしていた。友達が連れて帰ってくれたのだったが、その友達の話によると随分非《ひ》道《ど》かったと云うことで、自分はその時の母の気持を思って見る度いつも黯《あん》然《ぜん》となった。友達はあとでその時母が自分を叱った言葉だと云って母の調子を真《ま》似《ね》てその言葉を自分にきかせた。それは母の声そっくりと云いたい程上手に模《も》してあった。単なる言葉だけでも充分自分は参っているところであった。友人の再現して見せたその調子は自分を泣かすだけの力を持っていた。
模倣というものはおかしいものである。友人の模倣を今度は自分が模倣した。自分に最も近い人の口調は却ってよそから教えられた。自分はその後に続く言葉を云わないでもただ奎吉と云っただけでその時の母の気持を生いきと蘇《よみがえ》らすことが出来るようになった。どんな手段によるよりも「奎吉!」と一度声に出すことは最も直接であった。眼の前へ浮んで来る母の顔に自分は責められ励まされた。――
空は晴れて月が出ていた。尾張町から有楽町へゆく鋪道の上で自分は「奎吉!」を繰り返した。
自分はぞーっとした。「奎吉」という声に呼び出されて来る母の顔附がいつか異《ちが》うものに代っていた。不吉を司《つかさど》る者――そう云ったものが自分に呼びかけているのであった。聞きたくない声を聞いた。……
有楽町から自分の駅まではかなりの時間がかかる。駅を下りてからも十分の余はかかった。夜の更《ふ》けた切り通し坂を自分はまるで疲れ切って歩いていた。袴《はかま》の捌《さば》ける音が変に耳についた。坂の中途に反射鏡のついた照明燈が道を照している。それを背にうけて自分の影がくっきり長く地を這っていた。マントの下に買物の包みを抱えて少し膨《ふく》れた自分の影を両側の街燈が次には交互にそれを映し出した。後ろから起って来て前へ廻り、伸びて行って家の戸へ頭がひょっくり擡《もたぐ》ったりする。慌《あわただ》しい影の変化を追っているうちに自分の眼はそのなかでもちっとも変化しない影を一つ見つけた。極く丈《たけ》の詰《つま》った影で、街燈が間遠になると鮮《あざや》かさを増し、片方が幅を利かし出すとひそまってしまう。「月の影だな」と自分は思った。見上げると十六日十七日と思える月が真上を少し外れたところにかかっていた。自分は何ということなしにその影だけが親しいものに思えた。
大きな通りを外れて街燈の疎《まばら》な路へ出る。月光は始めてその深《しん》秘《び》さで雪の積った風景を照していた。美しかった。自分は自分の気持がかなりまとまっていたのを知り、それ以上まとまってゆくのを感じた。自分の影は左側から右側に移しただけでやはり自分の前にあった。そして今は乱されず、鮮かであった。先刻自分に起ったどことなく親しい気持を「どうしてなんだろう」と怪しみ慕《なつか》しみながら自分は歩いていた。型のくずれた中折(なかおれ)を冠《かぶ》り少しひよわな感じのする頸《くび》から少し厳《いか》った肩のあたり、自分は見ているうちにだんだんこちらの自分を失《うしな》って行った。
影の中に生き物らしい気配があらわれて来た。何を思っているのか確かに何かを思っている――影だと思っていたものは、それは、生なましい自分であった!
自分が歩いてゆく! そしてこちらの自分は月のような位置からその自分を眺めている。地面はなにか玻《は》璃《り》を張ったような透明で、自分は軽い眩暈《めまい》を感じる。
「あれはどこへ歩いてゆくのだろう」と漠とした不安が自分に起りはじめた。……
路に沿うた竹《たけ》藪《やぶ》の前の小《こ》溝《みぞ》へは銭湯で落す湯が流れて来ている。湯気が屏《びよ》風《うぶ》のように立《たち》騰《のぼ》っていて匂いが鼻を撲《う》った――自分はしみじみした自分に帰っていた。風呂屋の隣りの天ぷら屋はまだ起きていた。自分は自分の下宿の方へ暗い路を入って行った。
(大正十四年六月十六日稿 *『青空』大正十四年七月号)
路上
自分がその道を見つけたのは卯の花の咲く時分であった。
Eの停留所からでも帰ることが出来る。しかもM停留所からの距離とさして違わないという発見は大層自分を喜ばせた。変化を喜ぶ心と、も一つは友人の許へ行くのにMからだと大変大廻りになる電車が、Eからだと比較にならない程近かったからだった。或る日の帰途気まぐれに自分はEで電車を降り、あらましの見当と思う方角へ歩いて見た。しばらく歩いているうちに、なんだか知っているような道へ出て来たわいと思った。気がついて見ると、それはいつも自分がMの停留所へ歩いてゆく道へつながって行くところなのであった。小心翼《よく》々《よく》と云ったようなその瞬間までの自分の歩き振りが非《ひ》道《ど》く滑稽に思えた。そして自分は三度に二度と云《い》う風にその道を通るようになった。
Mも終点であったがこのEも終点であった。Eから乗るとTで乗換えをする。そのTへゆくまでがMからだとEからの二倍も三倍もの時間がかかるのであった。電車はEとTとの間を単線で往復している。閑《のどか》な線で、発車するまでの間を、車掌がその辺の子供と巫《ふ》山《ざ》戯《け》ていたり、ポールの向きを変えるのに子供達が引張らせて貰《もら》ったりなどしている。事故などは少いでしょうと訊くと、いやこれで案外多いのです。往来を走っているのは割合い少いものですが、など車掌は云っていた。汽車のように枕木の上にレールが並べてあって、踏切などをつけた、電車だけの道なのであった。
窓からは線路に沿った家々の内《な》部《か》が見えた。破《あば》屋《らや》というのではないが、とりわけて見ようというような立派な家では勿《もち》論《ろん》なかった。しかし人の家の内部というものにはなにか心惹《ひ》かれる風情といったようなものが感じられる。窓から外を眺め勝ちな自分は、或る日その沿道に二本のうつぎを見つけた。
自分は中学の時使った粗末な検索表と首っ引で、その時分家の近くの原っぱや雑木林へ卯の花を捜《さが》しに行っていた。白い花の傍へ行っては検索表と照し合せて見る。箱根うつぎ、梅花うつぎ――似たようなものはあってもなかなか本物には打《ぶ》つからなかった。それが或る日とうとう見つかった。一度見つかったとなるとあとからあとからと眼についた。そして花としての印象はむしろ平凡であった。――しかしその沿道で見た二本のうつぎには、やはり、風情と云ったものが感ぜられた。
或る日曜、訪ねて来た友人と市中へ出るのでいつもの阪《さか》を登った。
「ここを登りつめた空地ね、あすこから富士がよく見えたんだよ」と自分は云った。
富士がよく見えたのも立春までであった。午前は雪に被《おお》われ陽に輝いた姿が丹沢山の上に見えていた。夕方になって陽が彼方《かなた》へ傾くと、富士も丹沢山も一様の影絵を、茜《あかね》の空に写すのであった。
――吾《われ》々《われ》は「扇を倒《さかさま》にした形」だとか「摺《すり》鉢《ばち》を伏せたような形」だとかあまり富士の形ばかりを見過ぎている。あの広い裾野を持ち,あの高さを持った富士の容積、高まりが想像出来、その実感が持てるようになったら、どうだろう――そんなことを念じながら日に何度も富士を見たがった、冬の頃の自分の、自然に対して持った情熱の激しさを、今は振返るような気持であった。
(春先からの徴候が非《ひ》道《ど》くなり、自分はこの頃病的に不活溌な気持を持てあましていたのだった。)
「あの辺が競馬場だ。家はこの方角だ」
自分は友人と肩を並べて、起伏した丘や、その間に頭を出している赤い屋根や、眼に立ってもくもくして来た緑の群落のパノラマに向き合っていた。
「ここからあっちへ廻ってこの方向だ」と自分はEの停留所の方を指して云った。
「じゃあの崖《がけ》を登って行って見ないか」
「行けそうだな」
自分達はそこからまた一段上の丘へ向った。草の間に細く赤土が踏みならされてあって、道路では勿《もち》論《ろん》なかった。そこを登って行った。木立には遮《さえぎ》られてはいるが先程の処よりはもう少し高い眺望があった。先程の処の地続きは平にならされてテニスコートになっている。軟球を打ち合っている人があった。――路らしい路ではなかったがやはり近道だった。
「遠そうだね」
「あそこに木がこんもり茂っているだろう。あの裏に隠れているんだ」
停留所は殆ど近くへ出る間際まで隠されていて見えなかった。またその辺りの地勢や人家の工合では、その近くに電車の終点があろうなどとはちょっと思えなくもあった。どこか本当の田舎じみた道の感じであった。
――自分は変なところを歩いているようだ。どこか他国を歩いている感じだ。――街を歩いていてふとそんな気持に捕えられることがある。これからいつもの市中へ出てゆく自分だとは、ちょっと思えないような気持を、自分はかなりその道に馴れたあとまでも、またしても味わうのであった。
閑散な停留所。家々の内部の隙見える沿道。電車のなかで自分は友人に、
「旅情を感じないか」と云って見た。殻斗科(かくとか)の花や青葉の匂いに満された密度の濃い空気が、しばらく自分達を包んだ。――その日から自分はまた、その日の獲物だった崖からの近道を通うようになった。
それは或る雨あがりの日のことであった。午後で、自分は学校の帰途であった。
いつもの道から崖の近道へ這入った自分は、雨あがりで下の赤土が軟くなっていることに気がついた。人の足跡もついていないようなその路は歩く度《たび》少しずつ滑った。
高い方の見晴らしへ出た。それからが傾斜である。自分は少し危いぞと思った。
傾斜についている路はもう一層軟かであった。しかし自分は引返そうとも、立留って考えようともしなかった。危ぶみながら下りてゆく。一と足下りかけた瞬間から、すでに、自分はきっと滑って転ぶにちがいないと思った。――途端自分は足を滑らした。片手を泥についてしまった。しかしまだ本気にはなっていなかった。起きあがろうとすると、力を入れた足がまたずるずる滑って行った。今度は片《かた》肱《ひじ》をつき、尻餅をつき、背中まで地面につけて、やっとその姿勢で身体は止った。止った所はもう一つの傾斜へ続く、ちょっと階段の踊り場のようになった所であった。自分は鞄《かばん》を持った片手を、鞄のまま泥について恐る恐る立ち上った。――いつの間にか本気になっていた。
誰かがどこかで見ていやしなかったかと、自分は眼の下の人家の方を見た。それらの人家から見れば、自分は高みの舞台で一人滑稽な芸当を一生懸命やっているように見えるにちがいなかった。――誰も見ていなかった。変な気持であった。
自分の立ち上ったところはやや安全であった。しかし自分はまだ引返そうともしなかったし、立留って考えて見ようともしなかった。泥に塗れたまままた危い一歩を踏出そうとした。とっさの思いつきで、今度はスキーのようにして滑り下りて見ようと思った。身体の重心さえ失わなかったら滑り切れるだろうと思った。鋲《びよう》の打ってない靴底はずるずる赤土の上を滑りはじめた。二間《けん》余りの間である。しかしその二間余りが尽《つ》きてしまった所は高い石《いし》崖《がけ》の鼻であった。その下がテニスコートの平地になっている。崖は二間、それくらいであった。もし止まる余裕がなかったら惰力で自分は石垣から飛び下りなければならなかった。しかし飛び下りるあたりに石があるか、材木があるか、それはその石垣の出っ鼻まで行かねば知ることが出来なかった。非常な速さでその危険が頭に映じた。
石垣の鼻のザラザラした肌で靴は自然に止った。それはなにかが止めてくれたという感じであった。全《まつた》く自力を施《ほどこ》す術はどこにもなかった。いくら危険を感じていても、滑るに任せ止まるに任せる外はなかったのだった。
飛び下りる心構えをしていた脛《すね》はその緊張を弛《ゆる》めた。石垣の下にはコートのローラーが転がされてあった。自分はきょとんとした。
どこかで見ていた人はなかったかと、また自分は見廻して見た。垂れ下った曇空《くもりぞら》の下に大きな邸《やしき》の屋根が並んでいた。しかし廓寥(かくりよう)として人影はなかった。あっけない気がした。嘲《あざ》笑《わら》っていてもいい、誰かが自分の今したことを見ていてくれたらと思った。一瞬間前の鋭い心構えが悲しいものに思い返せるのであった。
どうして引返そうとはしなかったのか。魅せられたように滑って来た自分が恐ろしかった。――破滅というものの一つの姿を見たような気がした。成《な》る程《ほど》こんなにして滑って来るのだと思った。
下に降り立って、草の葉で手や洋服の泥を落しながら、自分は自分がひとりでに亢《こう》奮《ふん》しているのを感じた。
滑ったという今の出来事がなにか夢の中の出来事だったような気がした。変に覚えていなかった。傾斜へ出かかるまでの自分、不意に自分を引摺り込んだ危険、そして今の自分。それはなにか均衡のとれない不自然な連鎖であった。そんなことは起りはしなかったと否定するものがあれば自分も信じてしまいそうな気がした。
自分、自分の意識というもの、そして世界というものが、焦点を外れて泳ぎ出して行くような気持に自分は捕えられた。笑っていてもかまわない。誰か見てはいなかったかしらと二度目にあたりを見廻したときの廓寥とした淋しさを自分は思い出した。
帰途、書かないではいられないと、自分は何故か深く思った。それが、滑ったことを書かねばいられないという気持か、小説を書くことによってこの自己を語らないではいられないという気持か、自分には判《はつ》然《きり》しなかった。恐らくはその両方を思っていたのだった。
帰って鞄を開けて見たら、どこから入ったのか、入りそうにも思えない泥の固《かたま》りが一つ入っていて、本を汚していた。
(大正十四年十月七日稿 *『青空』大正十四年十月号)
橡《とち》の花
――或る私信――
この頃の陰鬱な天候に弱らされていて手紙を書く気にもなれませんでした。以前京都にいた頃は毎年のようにこの季節に肋《ろく》膜《まく》を悪くしたのですが、こちらへ来てからはそんなことはなくなりました。一つは酒類を飲まなくなったせいかも知れません。しかしやはり精神が不健康になります。感心なことを云《い》うと云ってあなたは笑うかも知れませんが、学校へ行くのが実に億《おつ》劫《くう》でした。電車に乗ります。電車は四十分かかるのです。気持が消極的になっているせいか、前に坐っている人が私の顔を見ているような気が常にします。それが私の独り相《ず》撲《もう》だとは判っているのです。と云うのは、はじめは気がつきませんでしたが、まあ云えば私自身そんな視線を捜していると云う工《ぐ》合《あい》なのです。何気ない眼附きをしようなど思うのがそもそもの苦しむもとです。
また電車のなかの人に敵意とはゆかないまでも、棘《とげ》々《とげ》しい心を持ちます。これもどうかすると変に人びとのアラを捜しているようになるのです。学生の間に流《は》行《や》っているらしい太いズボン、変にべたっとした赤靴。その他。その他。私の弱った身体にかなわないのはその悪趣味です。なにげなくやっているのだったら腹も立ちません。必要に迫られてのことだったら好意すら持てます。しかしそうだとは決して思えないのです。浅《あさ》墓《はか》な気がします。
女の髪もだんだん堪《たま》らないのが多くなりました。――あなたにお貸しした化物の本のなかに、こんな絵があったのを御存じですか。それは女のお化けです。顔はあたり前ですが、後頭部に――その部分がお化けなのです。貪《どん》婪《らん》な口を持っています。そして解《ほぐ》した髪の毛の先が触手《しよくしゆ》の恰《かつ》好《こう》に化けて、置いてある鉢から菓子をつかみ、その口へ持ってゆこうとしているのです。が、女はそれを知っているのか知らないのか、あたりまえの顔で前を向いています。――私はそれを見たときいやな気がしました。ところがこの頃の髪にはそれを思い出させるのがあります。わげがその口の形をしているのです。その絵にたいする私の嫌悪はこのわげを見てから急に強くなりました。
こんなことを一々気にしていては窮屈で仕方がありません。しかしそう思って見ても逃げられないことがあります。それは不快の一つの「型」です。反省が入れば入る程尚《なお》更《さら》その窮屈がオークワードになります。ある日こんなことがありました。やはり私の前に坐っていた婦人の服装が、私の嫌悪を誘い出しました。私は憎みました。致命的にやっつけてやりたい気がしました。そして効果的に恥を与え得る言葉を捜《さが》しました。ややあって私はそれに成功することが出来ました。しかしそれは効果的に過ぎた言葉でした。やっつけるばかりでなく、恐らくそのシャアシャアした婦人を暗く不幸にせずにはおかないように思えました。私はそんな言葉を捜し出したとき、直ぐそれを相手に投げつける場面を想像するのですが、この場合私にはそれが出来ませんでした。その婦人、その言葉。この二つの対立を考えただけでもすでに惨酷でした。私のいら立った気持はだんだん冷えてゆきました。女の人の造作をとやかく思うのは男らしくないことだと思いました。もっと温かい心で見なければいけないと思いました。しかし調和的な気持は永く続きませんでした。一人相撲が過ぎたのです。
私の眼がもう一度その婦人を掠《かす》めたとき、ふと私はその醜《みにく》さのなかに恐らく私以上の健康を感じたのです。わる達者という言葉があります。そう云った意味でわるく健康な感じです。性《しよう》におえない鉄道草という雑草があります。あの健康にも似ていましょうか。――私の一人相撲はそれとの対照でだんだん神経的な弱さを露《あら》わして来ました。
俗悪にたいしてひどい反感を抱くのは私の久しい間の癖でした。そしてそれはいつも私自身の精神が弛《ゆる》んでいるときの徴候でした。しかし私自身みじめな気持になったのはその時が最初でした。梅雨が私を弱くしているのを知りました。
電車に乗っていてもう一つ困るのは車の響きが音楽に聴えることです。(これはあなたもいつだったか同様経験をしていられることを話されました。)私はその響きを利用していい音楽を聴いてやろうと企てたことがありました。そんなことから不知不識《しらずしらず》に自分を不快にする敵を作っていた訳です。「あれをやろう」と思うと私は直ぐその曲目を車の響き、街の響きの中に発見するようになりました。しかし悪く疲れているときなどは、それが正確な音程で聞えない。――それはいいのです。困るのはそれがもうこちらの勝手では止まらなくなっていることです。そればかりではありません。それはいつの間にか私の堪らなくなる種類のものをやります。先程の婦人がそれにつれて踊るであろうような音楽です。時には嘲笑的にそしてわざと下品に。そしてそれが彼等の凱歌のように聞える――と云えば話になってしまいますが、とにかく非常に不快なのです。
電車の中で憂鬱になっているときの私の顔はきっと醜いにちがいありません。見る人が見ればきっとそれをよしとはしないだろうと私は思いました。私は自分の憂鬱の上に漠とした「悪」を感じたのです。私はその「悪」を避けたく思いました。しかし電車には乗らないなど云ってはいられません。毒も皿もそれが予《あらかじ》め命ぜられているものならひるむことはいらないことです。一人相撲もこれでおしまいです。あの海に実感を持たねばならぬと思います。
ある日私は年少の友と電車に乗っていました。この四月から私達に一年後《おく》れて東京に来た友でした。友は東京を不快がりました。そして京都のよかったことを云い云いしました。私にも少くともその気持に似た経験はありました。またやって来た匆《そう》々《そう》直ぐ東京が好きになるような人は不愉快です。しかし私は友の言葉に同意を表しかねました。東京にもまた別種のよさがあることを云いました。そんなことをいう者さえ不愉快だ。友の調子にはこう云ったところさえ感ぜられます。そして二人は押し黙ってしまいました。それは変につらい沈黙でした。友はまた京都にいた時代、電車の窓と窓がすれちがうとき「あちらの第何番目の窓にいる娘が今度自分の生活に交渉を持って来るのだ」とその番号を心のなかで極め、託《たく》宣《せん》を聴くような気持ですれちがうのを待っていた――そんなことをした時もあったとその日云っておりました。そしてその話は私にとって無感覚なのでした。そんなことにも私自身がこだわりを持っていました。
或る日Oが訪ねてくれました。Oは健康そうな顔をしていました。そして種々元気な話をしてゆきました。
Oは私の机の上においてあった紙に眼をつけました。何枚もの紙の上に waste という字が並べて書いてあるのです。
「これはなんだ。恋人でも出来たのか」と、Oはからかいました。恋人というようなあのOの口から出そうにもない言葉で、私は五六年も前の自分をふと思い出しました。それはある娘を対象とした、私の子供らしいしかも激しい情熱でした。それの非常な不結果であったことはあなたも少しは知っていられるでしょう。
――父の苦り切った声がその不面目な事件の結果を宣告しました。私は急にあたりが息苦しくなりました。自分でもわからない声を立てて寝《ね》床《どこ》からとび出しました。後からは兄がついて来ておりました。私は母の鏡台の前まで走りました。そして自分の青ざめた顔をうつしました。それは醜くひきつっていました。何故そこまで走ったのか――それは自分にも判然《はつきり》しません。その苦しさを眼で見ておこうとしたのかも知れません。鏡を見て或る場合心の激動の静まるときもあります。――両親、兄、O及びもう一人の友人がその時に手を焼いた連中です。そして家では今でもその娘の名を私の前では云わないのです。その名前を私は極くごく略した字で紙片の端などへ書いて見たことがありました。そしてそれを消した上こなごなに破らずにはいられなかったことがありました。――しかしOが私にからかった紙の上には waste という字が確実に一面に並んでいます。
「どうして、大ちがいだ」と私は云いました。そしてその訳を話しました。
その前晩私はやはり憂鬱に苦しめられていました。びしょびしょと雨が降っていました。そしてその音が例の音楽をやるのです。本を読む気もしませんでしたので私はいたずら書きをしていました。その waste という字は書き易い字であるのか――筆のいたずらに直ぐ書く字がありますね――その字の一つなのです。私はそれを無《む》暗《やみ》にたくさん書いていました。そのうちに私の耳はそのなかから機《はた》を織るような一定のリズムを聴きはじめたのです。手の調子がきまって来たためです。当然きこえる筈だったのです。なにかきこえると聴《きき》耳《みみ》をたてはじめてから、それが一つの可愛いリズムだと思い当てたまでの私の気持は、緊張と云い喜びというにはあまりささやかなものでした。しかし一時間前の倦《けん》怠《たい》ではもうありませんでした。私はその衣《きぬ》ずれのようなまた小人国の汽車のような可愛いリズムに聴き入りました。それにも倦《あ》くと今度はその音をなにかの言葉で真《ま》似《ね》て見たい欲望を起したのです。ほととぎすの声をてっぺんかけたかと聞くように。――しかし私はとうとう発見出来ませんでした。サ行の音が多いにちがいないと思ったりする、その成心に妨げられたのです。しかし私は小さいきれぎれの言葉を聴きました。そしてそれの暗示する言語が東京のそれでもなく、どこのそれでもなく、故郷のしかも私の家族固有なアクセントであることを知りました。――おそらく私は一生懸命になっていたのでしょう。そうした心の純粋さがとうとう私をしてお里を出さしめたのだろうと思います。心から遠《とお》退《の》いていた故郷と、しかも思いもかけなかったそんな深夜、ひたひたと膝をつきあわせた感じでした。私はなにの本当なのかはわかりませんでしたが、なにか本当のものをその中に感じました。私はいささか亢《こう》奮《ふん》をしていたのです。
しかしそれが芸術においてのほんとう、殊に詩においてのほんとうを暗示していはしないかなどOには話しました。Oはそんなことをもおだやかな微笑で聴いてくれました。
鉛筆の秀《ほ》をとがらして私はOにもその音をきかせました。Oは眼を細くして「きこえる、きこえる」と云いました。そして自身でも試みて字を変え紙質を変えたりしたら面白そうだと云いました。また手加減が窮屈になったりすると音が変る。それを「声がわり」だと云って笑ったりしました。家族の中でも誰の声らしいと云いますから末の弟の声だろうと云ったのに関聯してです。私は弟の変声期を想像するのがなにかむごい気がするときがあります。次の話もこの日のOとの話です。そして手紙に書いておきたいことです。
Oはその前の日曜に鶴見《つるみ》の花月園というところへ親類の子供を連れて行ったと云いました。そして面白そうにその模様を話して聞かせました。花月園というのは京都にあったパラダイスというようなところらしいです。いろいろ面白かったがその中でも愉快だったのは備えつけてある大きなすべり台だと云いました。そしてそれをすべる面白さを力説しました。ほんとうに面白かったらしいのです。今もその愉快が身体のどこかに残っていると云った話振《はなしぶ》りなのです。とうとう私も「行って見たいなあ」と云わされました。変な云い方ですがこのなあのあはOの「すべり台面白いぞお」のおと釣合っています。そしてそんな釣合いはOという人間の魅力からやって来ます。Oは嘘の云えない素直な男で彼の云うことはこちらも素直に信じられます。そのことはあまり素直ではない私にとって少くとも嬉しいことです。
そして話はその娯楽場の驢《ろ》馬《ば》の話になりました。それは子供を乗せて柵をまわる驢馬で、よく馴れていて、子供が乗るとひとりで一周して帰って来るのだといいます。私はその動物を可愛いものに思いました。
ところがそのなかの一匹が途中で立留ったと云います。Oは見ていたのだそうです。するとその立留った奴はそのまま小便をはじめたのだそうです。乗っていた子供――女の児だったそうですが――はもじもじし出し顔がだんだん赤くなって来てしまいには泣きそうになったと云います。――私達は大いに笑いました。私の眼の前にはその光景がありあり浮びました。人のいい驢馬の稚《ち》気《ぎ》に富んだ尾《び》籠《ろう》、そしてその尾籠の犠牲になった子供の可愛い困惑。それはほんとうに可愛い困惑です。しかし笑い笑いしていた私はへんに笑えなくなって来たのです。笑うべく均衡されたその情景のなかから、女の児の気持だけがにわかに押し寄せて来たのです。「こんなお行儀の悪いことをして。わたしはずかしい」
私は笑えなくなってしまいました。前晩の寝不足のため変に心が誘われ易く、物に即《そく》し易くなっていたのです。私はそれを感じました。そして少しの間不快が去りませんでした。気軽にOにそのことを云えばよかったのです。口にさえ出せば再びそれを「可愛い滑稽なこと」として笑い直せたのです。しかし私は変にそれが云えなかったのです。そして健康な感情の均整をいつも失わないOを羨《うらやま》しく思いました。
私の部屋はいい部屋です。難を云えば造りが薄手に出来ていて湿気などに敏感なことです。一つの窓は樹木とそして崖とに近く、一つの窓は奥《おく》狸《まみ》穴《あな》などの低地をへだてて飯《いい》倉《くら》の電車道に臨む展望です。その展望のなかには旧徳川邸の椎《しい》の老樹があります。その何年を経たとも知れない樹は見わたしたところ一番大きな見事なながめです。一体椎という樹は梅雨期に葉が赤くなるものなのでしょうか。最初はなにか夕焼の反射をでも受けているのじゃないかなど疑いました。そんな赤さなのです。しかし雨の日になってもそれは同じ。いつも同じでした。やはり樹自身の現象なのです。私は古人の「五月雨(さみだれ)の降り残してや光堂」の句を、日を距《へだ》ててではありましたが、思い出しました。そして椎《しい》茜《あかね》という言葉を造って下の五におきかえ嬉しい気がしました。中の七が降り残したるではなく、降り残してやだったことも新しい眼で見得た気がしました。
崖に面した窓の近くには手にとどく程の距離にかなひでという木があります。朴(ほお)の一種だそうです。この花も五《さ》月《つき》闇《やみ》のなかにふさわなくはないものだと思いました。しかしなんと云っても堪らないのは梅雨期です。雨が続くと私の部屋には湿気が充満します。窓ぎわなどが濡れてしまっているのを見たりすると全く憂鬱になりました。変に腹が立って来るのです。空はただ重苦しく垂れ下っています。
「チョッ。ぼろ船の底」
或る日も私はそんな言葉で自分の部屋をののしって見ました。そしてそのののしり方が自分がでに面白くて気は変りました。母が私にがみがみおこって来るときがあります。そしてしまいに突拍子もないののしり方をして笑ってしまうことがあります。ちょっとそう云った気持でした。私の空想はその言葉でぼろ船の底に畳を敷いて大きな川を旅している自分を空想させました。実際こんなときにこそ鬱《うつ》陶《とう》しい梅雨の響きも面白さを添えるのだと思いました。
それもやはり雨の降った或る日の午後でした。私は赤坂のAの家へ出かけました。京都時代の私達の会合――その席へはあなたも一度来られたことがありますね――憶えていらっしゃればその時いたAです。
この四月には私達の後、やはりあの会合を維持していた人びとが、三人も巣立って来ました。そしてもともと話のあったこととて、すでに東京へ来ていた五人と共に、再び東京においての会合が始まりました。そして来年の一月から同人雑誌を出すこと、その費用と原稿を月々貯めてゆくことに相談が定《きま》ったのです。私がAの家へ行ったのはその積立金を持ってゆくためでした。
最近Aは家との間に或る悶着を起していました。それは結婚問題なのです。Aが自分の欲している道をゆけば父母を捨てたことになります。少くも父母にとってはそうです。Aの問題は自ら友人である私の態度を要求しました。私は当初彼を冷《ひや》そうとさえ思いました。少くとも私が彼の心を熱しさせてゆく存在であることを避けようと努めました。問題がそういう風に大きくなればなる程そうしなければならぬと思ったのです。――しかしそれがどちらの旗色であれ、他人のたてたどんな旗色にも動かされる人間でないことを彼はだんだん証して来ております。普段にぼんやりとしかわからなかった人間の性格と云うものがこう云うときに際してこそその輪郭をはっきりあらわすものだということを私は今において知ります。彼もまたこの試練によってそれを深めてゆくのでしょう。私はそれを美しいと思います。
Aの家へ私が着いたときは偶然新らしく東京へ来た連中が来ていました。そしてAの問題でAと家との間へ入った調停者の手紙について論じ合っていました。Aはその人達をおいて買物に出ていました。その日も私は気持がまるでふさいでいました。その話をききながらひとりぼっちの気持で黙り込んでいました。するとそのうちに何かのきっかけで「Aの気持もよくわかっていると云うのならなぜこっちを骨折ろうとしないんだ」という言葉を聞きました。調子のきびしい言葉でした。それが調停者について云われている言葉であることは申すまでもありません。
私の心はなんだかびりりとしました。知るということと行うということとに何ら距《へだた》りをつけないと云った生活態度の強さが私を圧迫したのです。単にそればかりではありません。私は心のなかで暗にその調停者の態度を是認していました。さらに云えば「その人の気持もわかる」と思っていたからです。私は両方共わかっているというのは両方ともを知らないのだと反省しないではいられませんでした。便りにしていたものが崩れてゆく何とも云えないいやな気持です。Aの両親さえ私にはそっぽを向けるだろうと思いました。一方の極へおとされてゆく私の気持は、しかし、本能的な逆の力と争いはじめました。そしてAの家を出る頃ようやく調和したくつろぎに帰ることが出来ました。Aが使《つかい》から帰って来てからは皆の話も変って専《もつぱ》ら来年の計画の上に落ちました。Rのつけた雑誌の名前を繰り返し繰り返し喜び、それと定《き》まるまでの苦心を滑稽化して笑いました。私の興味深く感じるのはその名前によって表現を得た私達の精神が、今度はその名前から再び鼓舞され整理されてくるということです。
私達はAの国から送って来たもので夕飯を御馳走になりました。部屋へ帰ると窓近い樫《かし》の木の花が重い匂いを部屋中にみなぎらせていました。Aは私の知識の中で名と物とが別であった菩《ぼ》提《だい》樹《じゆ》をその窓から教えてくれました。私はまた皆に飯倉の通りにある木は七葉樹(とちのき)だったと告げました。数日前RやAや二三人でその美しい花を見、マロニエという花じゃないかなど云い合っていたのです。私はその名をその中の一本に釣られていた「街路樹は大切にいたしましょう」の札で読んで来たのです。
積立金の話をしている間に私はその中の一人がそれのための金を、全く自分で働いているのだという事を知りました。親からの金の中では出したくないと云うのです。――私は今さらながらいい伴侶と共に発足する自分であることを知りました。気持もかなり調和的になっていたのでこの友の行為から私自身を責め過ぎることはありませんでした。
しばらくして私達はAの家を出ました。外は快い雨あがりでした。まだ宵《よい》の口の町を私は友の一人と霊《れい》南《なん》坂《ざか》を通って帰って来ました。私の処へ寄って本を借りて帰るというのです。ついでに七葉樹の花を見ると云います。この友一人がそれを見はぐしていたからです。
道々私は唱いにくい音諧を大声で歌ってその友人にきかせました。それが歌えるのは私の気持のいい時に限るのです。我《が》善《ぜん》坊《ぼう》の方へ来たとき私達は一つの面白い事件に打《ぶつ》かりました。それは蛍を捕《つか》まえた一人の男です。だしぬけに「これ蛍ですか」と云って組合せた両の掌の隙を私達の鼻先に突出しました。蛍がそのなかに美しい光を灯していました。「あそこで捕ったんだ」と聞きもしないのに説明しています。私と友は顔を見合せて変な笑顔になりました。やや遠《とお》離《ざか》ってから私達はお互に笑い合ったことです。「きっと捕まえてあがってしまったんだよ」と私は云いました。なにか云わずにはいられなかったのだと思いました。
飯倉の通りは雨後の美しさで輝いていました。友と共に見上げた七葉《とちの》樹《き》には飾燈《かざりとう》のような美しい花が咲いていました。私はまた五六年前の自分を振返る気持でした。私の眼が自然の美しさに対して開き初めたのもちょうどその頃からだと思いました。電燈の光が透いて見えるその葉うらの色は、私が夜になれば誘惑を感じた娘の家の近くの小公園にもあったのです。私はその娘の家のぐるりを歩いてはその下のベンチで休むのがきまりになっていました。
(私の美に対する情熱が娘に対する情熱と胎《たい》を共にした双生児だったことが確かに信じられる今、私は窃盗に近いこと詐《さ》欺《ぎ》に等しいことをまだ年少だった自分がその末犯したことを、あなたにうちあけて、あとで困るようなことはないと思います。それ等は実に今日まで私の思い出を曇らせる雲《うん》翳《えい》だったのです。)
街を走る電車はその晩電車固有の美しさで私の眼に映りました。雨後の空気のなかに窓を明け放ち、乗客も程よい電車の内部は、暗い路を通って来た私達の前を、あたかも幸福そのものが運ばれてそこにあるのだと思わせるような光で照されていました。乗っている女の人もただ往来からの一瞥で直ちに美しい人達のように思えました。何台もの電車を私達は見送りました。そのなかには美しい西洋人の姿も見えました。友もその晩は快かったにちがいありません。
「電車のなかでは顔が見難いが往来からだとかすれちがうときだとかは、かなり長い間見ていられるものだね」と云いました。なにげなく友の云った言葉に、私は前の日に無感覚だったことを美しい実感で思い直しました。
これはあなたにこの手紙を書こうと思い立った日の出来事です。私は久し振りに手拭《てぬぐい》をさげて銭湯へ行きました。やはり雨後でした。垣根のきこくがぷんぷん快い匂いを放っていました。
銭湯のなかで私は時たま一緒になる老人とその孫らしい女の児とを見かけました。花月園へ連れて行ってやりたいような可愛い児です。その日私は湯槽《ゆぶね》の上にかかっているペンキの風景画を見ながら「温泉のつもりなんだな」という小さい発見をして微笑《ほほえ》まされました。湯は温泉でそのうえ電気浴という仕《し》掛《かけ》がしてあります。ひっそりした昼の湯槽には若い衆が二人入っていました。私がその中に混ってやや温まった頃その装置がビ…………と働きはじめました。
「おい動力来たね」と一人の若い衆が云いました。
「動力じゃねえよ」ともう一人が答えました。
湯を出た私はその女の児の近くへ座を持ってゆきました。そして身体を洗いながらときどきその女の児の顔を見ました。可愛い顔をしていました。老人は自分を洗い終ると次にはその児にかかりました。幼い手つきで使っていた石鹸のついた手拭は老人にとりあげられました。老人の顔があちら向きになりましたので私は、自分の方へその子の目を誘うのを予期して、じっと女の児の顔を見ました。やがてその子の顔がこちらを向いたので私は微笑《ほほえ》みかけました。しかし女の児は笑って来ません。しかし首を洗われる段になって、眼を向け難くなっても上眼を使って私を見ようとします。しまいには「ウ……」と云いながらも私の作り笑顔に苦しい上眼を張ろうとします。そのウ……はなかなか可愛く見えました。
「サア」突然老人の何も知らない手がその子の首を俯向かせてしまいました。
しばらくして女の子の首は楽になりました。私はそれを待っていたのです。そして今度は滑稽な作り顔をして見せました。そしてだんだんそれをひどく歪《ゆが》めてゆきました。
「おじいちゃん」女の子がとうとう物を云いました。私の顔を見ながらです。「これどこの人」
「そりゃあよそのおっちゃん」振向きもせず相変らずせっせと老人はその児を洗っていました。
珍らしく永い湯の後、私は全く伸々《のびのび》した気持で湯をあがりました。私は風呂のなかである一つの問題を考えてしまって気が軽く晴々していました。その問題というのはこうです。ある友人の腕の皮膚が不健康な皺《しわ》を持っているのを、ある腕の太さ比べをしたとき私が指摘したことがありました。すると友人は「死んでやろうと思うときがときどきあるんだ」と激しく云いました。自分のどこかに醜いところが少しでもあれば我慢出来ないというのです。それは単なる皺でした。しかし私の気がついたのはそれが一時的の皺ではないことでした。とにかく些細なことでした。しかし私はそのときも自分のなにかがつかれたような気がしたのです。私は自分にもいつかそんなことを思ったときがあると思いました。確かにあったと思うのですが思い出せないのです。そしてその時は淋しい気がしました。風呂のなかでふと思い出したのはそれです。思い出して見れば確かに私にもありました。それは何歳くらいだったか覚えませんが、自分の顔の醜いことを知った頃です。もう一つは家に南京虫(なんきんむし)が湧いた時です。家全体が焼いてしまいたくなるのです。も一つは新らしい筆記帳の使いはじめ字を書き損ねたときのことです。筆記帳を捨ててしまいたくなるのです。そんなことを思い出した末、私はその年少の友の反省のために、大切に使われよく繕《つくろ》われた古い器具の奥床しさを折があれば云って見たいと思いました。ひびへ漆《うるし》を入れた茶器を現に二人が讃めたことがあったのです。
紅潮した身体には細い血管までがうっすら膨れあがっていました。両腕を屈伸させてぐりぐりを二の腕や肩につけて見ました。鏡のなかの私は私自身よりも健康でした。私は顔を先程したようにおどけた表情で歪ませて見ました。
Hysterica Passio――そう云って私はとうとう笑い出しました。
一年中で私の最もいやな時期ももう過ぎようとしています。思い出して見れば、どうにも心の動きがつかなかったような日が多かったなかにも、南《なん》葵《き》文庫の庭で忍冬(すいかずら)の高い香を知ったようなときもあります。霊南坂で鉄道草の香から夏を越した秋がもう間近に来ているのだと思ったような晩もあります。妄想で自らを卑屈にすることなく、戦うべき相手とこそ戦いたい、そしてその後の調和にこそ安んじたいと願う私の気持をお伝えしたくこの筆をとりました。
(大正十四年十月二十六日稿 *『青空』大正十四年十一月号)
過古
母親がランプを消して出て来るのを、子供達は父親や祖母と共に、戸外で待っていた。
誰一人の見送りとてない出発であった。最後の夕《ゆう》餉《げ》をしたためた食器。最後の時間まで照していたランプ。それらは、それらを貰《もら》った八百屋が取りに来る明日の朝まで、空家の中に残されている。
灯が消えた。くらやみを背負って母親が出て来た。五人の幼い子供達。父母。祖母。――賑《にぎや》かな、しかし寂しい一行は歩み出した。その時から十余年経った。
その五人の兄弟のなかの一人であった彼は再びその大都会へ出て来た。そこで彼は学校へ通った。知らない町ばかりであった。碁会所。玉突屋。大弓所。珈琲《コーヒ》店。下宿。彼はそのせせこましい展望を逃れて郊外へ移った。そこは偶然にも以前住んだことのある町に近かった。霜解け、夕《ゆう》凍《じ》み、その匂いには憶えがあった。
ひと月ふた月経った。日光と散歩に恵まれた彼の生活は、いつの間にか怪しい不協和に陥っていた。遠くの父母や兄弟の顔が、これまでになく忌わしい陰を帯びて、彼の心を紊《みだ》した。電報配達夫が恐ろしかった。
或る朝、彼は日当《ひあたり》のいい彼の部屋で座布団を干していた。その座布団は彼の幼時からの記憶につながれていた。同じ切れ地で夜具が出来ていたのだった。――日なたの匂いを立てながら縞《しま》目《め》の古《ふ》りた座布団は膨《ふく》れはじめた。彼は眼を瞠《みは》った。どうしたのだ。まるで覚えがない。何という縞目だ。――そして何という旅情……
以前住んだ町を歩いて見る日がとうとうやって来た。彼は道々、町の名前が変ってはいないかと心配しながら、ひとに道を尋ねた。町はあった。近づくにつれて心が重くなった。一軒二軒、昔と変らない家が、新らしい家に挟まれて残っていた。はっと胸を衝《つ》かれる瞬間があった。しかしその家は違っていた。確かに町はその町に違いなかった。幼な友達の家が一軒あった。代が変って友達の名前になっていた。台所から首を出している母らしいひとの眼を彼は避けた。その家が見つかれば道は憶えていた。彼はその方へ歩き出した。
彼は往来に立ち竦《すく》んだ。十三年前の自分が往来を走っている! ――その子供は何も知らないで、町角を曲って見えなくなってしまった。彼は泪《なみだ》ぐんだ。何という旅情だ! それはもう嗚《お》咽《えつ》に近かった。
或る夜、彼は散歩に出た。そしていつの間にか知らない路を踏み迷っていた。それは道も灯もない大きな暗闇であった。探りながら歩いてゆく足が時どき凹みへ踏み落ちた。それは泣きたくなる瞬間であった。そして寒さは衣服に染み入ってしまっていた。
時刻は非常に晩《おそ》くなったようでもあり、またそんなでもないように思えた。路をどこから間違ったのかもはっきりしなかった。頭はまるで空虚であった。ただ、寒さだけを覚えた。
彼は燐寸《マツチ》の箱を袂《たもと》から取り出そうとした。腕組みしている手をそのまま、右の手を左の袂へ、左の手を右の袂へ突込んだ。燐寸はあった。手では掴んでいた。しかしどちらの手で掴んでいるのか、そしてそれをどう取出すのか分らなかった。
暗闇に点《とも》された火は、また彼の空虚な頭の中に点された火でもあった。彼は人心地を知った。
一本の燐寸の火が、焔が消えて炭火になってからでも、闇に対してどれだけの照力を持っていたか、彼ははじめて知った。火が全く消えても、少しの間は残像が彼を導いた――
突然烈しい音響が野の端から起った。
華ばなしい光の列が彼の眼の前を過《よぎ》って行った。光の波は土を匍《は》って彼の足もとまで押し寄せた。
汽《き》鑵《かん》車《しや》の烟《けむり》は火になっていた。反射をうけた火夫が赤く動いていた。
客車。食堂車。寝台車。光と熱と歓語で充たされた列車。
激しい車輪の響きが彼の身体に戦《せん》慄《りつ》を伝えた。それははじめ荒々しく彼をやっつけたが、ついには得体の知れない感情を呼び起した。涙が流れ出た。
響きはついに消えてしまった。そのままの普段着で両親の家へ、急行に乗って、と彼は涙の中に決心していた。
(大正十四年十二月稿 *『青空』大正十五年一月号)
雪後
行一が大学へ残るべきか、それとも就職すべきか迷っていたとき、彼に研究を続けてゆく願いと、生活の保証と、その二つが不充分ながら叶《かな》えられる位地を与えてくれたのは、彼の師事していた教授であった。その教授は自分の主《しゆ》裁《さい》している研究所の一隅に彼のための椅子を設けてくれた。そして彼は地味な研究の生活に入った。それと同時に信子との結婚生活が始まった。その結婚は行一の親や親族の意志が阻《はば》んでいたものだった。しかし結局、彼はそんな人びとから我《わが》儘《まま》だ剛情だと云われる以外のやり方で、物事を振舞うすべを知らなかったのだ。
彼等は東京の郊外につつましい生活をはじめた。櫟《くぬぎ》林《ばやし》や麦畠や街道や菜園や、地形の変化に富んだその郊外は静かで清すがしかった。乳牛のいる牧場は信子の好きなものだった。どっしりした百姓家を彼は愛した。
「あれに出喰わしたら、こう手綱を持っているだろう、それのこちら側へ避けないと危いよ」
行一は妻に教える。春《はる》埃《ぼこり》の路は、時どき調馬師に牽《ひ》かれた馬が閑雅な歩みを運んでいた。
彼等の借りている家の大家というのは、この土地に住みついた農夫の一人だった。夫婦はこの大家から親しまれた。時どき彼等は日向《ひなた》や土の匂いのするようなそこの子を連れて来て家で遊ばせた。彼も家の出入には、苗床が囲《かこ》ってあったりする大家の前庭を近道した。
――コツコツ、コツコツ――
「なんだい、あの音は」食事の箸《はし》を止めながら、耳に注意をあつめる科《しぐさ》で、行一は妻に《めくば》せする。クックッと含み笑いをしていたが、
「雀よ。パンの屑を屋根へ蒔《ま》いといたんですの」
その音がし始めると、信子は仕事の手を止めて二階へ上り、抜足差足で明《あかり》障子《しようじ》へ嵌《は》めた硝子《ガラス》に近づいて行った。歩くのじゃなしに、揃えた趾《あし》で跳ねながら、四五匹の雀が餌を啄《つつ》いていた。こちらが動きもしないのに、チラと信子に気づいたのか、ビュビュと飛んで仕舞った。――信子はそんな話をした。
「もう大慌てで逃げるんですもの。しとの顔も見ないで……」
しとの顔で行一は笑った。信子はよくそういった話で単調な生活を飾った。行一はそんな信子を、貧乏する資格があると思った。信子は身籠った。
青空が広く、葉は落ち尽し、鈴《すず》懸《かけ》が木に褐色の実を乾かした。冬。凩《こがらし》が吹いて、人が殺された。泥棒の噂《うわさ》や火事が起った。短い日に戸をたてる信子は舞いこむ木の葉にも慴《おび》えるのだった。
或る朝トタン屋根に足跡が印されてあった。
行一も水道や瓦斯《ガス》のない不便さに身重の妻を痛ましく思っていた矢先で、市内に家を捜《さが》し始めた。
「大家さんが交番へ行って下さったら、俺の管轄内に事故のあったことがないって。いつでもそんなことを云って、巡回しないらしいのよ」
大家の主婦に留守を頼んで信子も市中を歩いた。
ある日、空は早春を告げ知らせるような大雪を降らした。
朝、寝床のなかで行一は雪《ゆき》解《どけ》の滴《しずく》がトタン屋根を忙しくたたくのを聞いた。
窓の戸を繰《く》ると、あらたかな日の光が部屋一杯に射し込んだ。まぶしい世界だ。厚く雪を被《かぶ》った百姓家の茅《かや》屋根からは蒸気が濛々《もうもう》とあがっていた。生れたばかりの仔雲! 深い青空に鮮かに白く、それは美しい運動を起していた。彼はそれを見ていた。
「どっこいしょ、どっこいしょ」
お早うを云いにあがって来た信子は
「まあ、温かね」と云いながら、蒲《ふ》団《とん》を手《て》摺《すり》にかけた。と、それは直ぐ日向の匂いをたてはじめるのであった。
「ホーホケキョ」
「あ、鶯《うぐいす》か知ら」
雀が二羽檜葉(ひば)を揺すって、転がるように青木の蔭へかくれた。
「ホーホケキョ」
口笛だ。小鳥を飼っている近くの散髪屋の小僧だと思う。行一はそれに軽い好意を感じた。
「まあほんとに口笛だわ。憎らしいのね」
朝夕朗々とした声で祈祷をあげる、そして原っぱへ出ては号令と共に体操をする、御岳教会の老人が大きな雪達《だる》磨《ま》を作った。傍《そば》に立札が立ててある。
「御岳教会×××作之」と。
茅屋根の雪は鹿子(かのこ)斑(まだら)になった。立ちのぼる蒸気は毎日弱ってゆく。
月がいいので或る晩行一は戸外を歩いた。地形がいい工合に傾斜を作っている原っぱで、スキー装束をした男が二人、月光を浴びながらかわるがわる滑走しては跳躍した。
昼間、子供達が板を尻に当てて棒で楫《かじ》をとりながら、行列して滑る有様を信子が話していたが、その切通し坂はその傾斜の地続きになっていた。そこは滑《かつ》石《せき》を塗ったように気味悪く光っていた。
バサバサと凍った雪を踏んで、月光のなかを、彼は美しい想念に涵《ひた》りながら歩いた。その晩行一は細君にロシアの短篇作家の書いた話をしてやった。――
「乗せてあげよう」
少年が少女を橇《そり》に誘う。二人は汗を出して長い傾斜を牽《ひ》いてあがった。そこから滑り降りるのだ。――橇はだんだん速力を増す。首巻がハタハタはためきはじめる。風がビュビュと耳を過ぎる。
「ぼくはお前を愛している」
ふと少女はそんな囁《ささや》きを風のなかに聞いた。胸がドキドキした。しかし速力が緩み、風の唸りが消え、なだらかに橇が止まる頃には、それが空耳だったという疑惑が立《たち》罩《こ》める。
「どうだったい」
晴ばれとした少年の顔からは、彼女はいずれとも決めかねた。
「もう一度」
少女は確かめたいばかりに、また汗を流して傾斜をのぼる。――首巻がはためき出した。ビュビュ、風が唸って過ぎた。胸がドキドキする。
「ぼくはおまえを愛している」
少女は溜息をついた。
「どうだったい」
「もう一度! もう一度よ」と少女は悲しい声を出した。今度こそ。今度こそ。
しかし何度試みても同じことだった。泣きそうになって少女は別れた。そして永遠に。
――二人は離ればなれの町に住むようになり、離ればなれに結婚した。――年老いても二人はその日の雪滑りを忘れなかった。――
それは行一が文学をやっている友人から聞いた話だった。
「まあいいわね」
「間違ってるかも知れないぜ」
大変なことが起った。或る日信子は例の切通しの坂で顛倒した。心弱さから彼女はそれを夫に秘していた。産婆の診察日に彼女は顫《ふる》えた。しかし胎児には異状はなかったらしかった。そのあとで信子は夫に事のありようを話した。行一はまだ妻の知らなかったような怒り方をした。
「どんなに叱られてもいいわ」と云って信子は泣いた。
しかし安心は続かなかった。信子はしばらくして寝ついた。彼女の母が呼ばれた。医者は腎臓の故障だと診て帰った。
行一は不眠症になった。それが研究所での実験の一頓挫と同時に来た。未だ若く研究に劫《こう》の経ない行一は、その性質にも似ず、首尾不首尾の波に支配されるのだ。夜、寝つけない頭のなかで、信子がきっと取返しがつかなくなる思いに苦しんだ。それに屈服する。それが行一にはもう取返しのつかぬことに思えた。
「バッタバッタバッタ」鼓翼の風を感じる。「コケコッコウ」
遠くに競争者が現われる。こっちはいかにも疲れている。あちらの方がピッチが出ている。
「……」とうとう止して仕舞った。
「コケコッコウ」
一声――二声――三声――もう鳴かない。ゴールへ入ったんだ。行一はいつか競漕《レース》に結びつけてそれを聞くのに慣れてしまった。
「あの、電車の切符を置いてって下さいな」靴の紐を結び終った夫に帽子を渡しながら、信子は弱よわしい声を出した。
「今日は未だどこへも出られないよ。こっちから見ると顔がまだむくんでいる」
「でも……」
「でもじゃないよ」
「お母さん……」
「お姑《かあ》さんには行って貰うさ」
「だから……」
「だから切符は出すさ」
「はじめからその積りで云ってるんですわ」信子は窶《やつ》れの見える顔を、意味のある表情で微笑ませた。(またぼんやりしていらっしゃる)――娘むすめした着物を着ている。それが産み日に近い彼女には裾《すそ》がはだけ勝ちな位《くらい》だ。
「今日はひょっとしたら大《おお》槻《つき》の下宿へ寄るかも知れない。家捜しが手間どったら寄らずに帰る」切り取った回数券は直かに細君の手へ渡してやりながら、彼はむつかしい顔でそう云った。
「ここだった」と彼は思った。灌《かん》木《ぼく》や竹藪の根が生《なま》なました赤土から切口を覗かせている例の切通し坂だった。
――彼がそこへ来かかると、赤土から女の太《ふと》腿《もも》が出ていた。何本も何本もだった。
「何だろう」
「それは××が南洋から持って帰って、庭へ植えている○○の木の根だ」
そう云ったのはいつの間にやって来たのか友人の大槻の声だった。彼は納得がいったような気がした。と同時に切通しの上は××の屋敷だったと思った。
しばらく歩いていると今度は田舎道だった。邸宅などの気配はなかった。やはり切り崩された赤土のなかからにょきにょき女の腿《もも》が生えていた。
「○○の木などある筈がない。何なんだろう?」
いつか友人は傍にいなくなっていた。――
行一はそこに立ち、今朝の夢がまだ生《なま》なましているのを感じた。若い女の腿《もも》だった。それが植物という概念と結びついて、畸《き》形《けい》な、変に不気味な印象を強めていた。鬚《ひげ》根《ね》がぼろぼろした土をつけて下っている、壊《く》えた赤土のなかから大きな霜柱が光っていた。
××というのは、思い出せなかったが、覇《は》気《き》に富んだ開墾家で知られている或る宗門の僧侶――そんな見当だった。また○○の木というのは、気根を出す榕樹(たこのき)に聯想を持っていた。それにしてもどうしてあんな夢を見たんだろう。しかし催情的な感じはなかった。と行一は思った。
実験を早く切り上げて午後行一は貸家を捜した。こんなことも、気質の明るい彼には心の鬱《うつ》したこの頃でも割合平気なのであった。家を捜すのにほっとすると、実験装置の器具を注文に本郷へ出、大槻の下宿へ寄った。中学校も高等学校も大学も一緒だったが、その友人は文科にいた。携《たずさ》わっている方面も異《ちが》い、気質も異っていたが、彼等は昔から親しく往来し互の生活に干渉し合っていた。殊に大槻は作家を志望していて、茫洋とした研究に乗り出した行一になにか共通した刺戟を感じるのだった。
「どうだい、で、研究所の方は?」
「まあぼちぼちだ」
「落ちついているね」
「例のところで未だ引っ掛ってるんだ。今度の学会で先生が報告する筈だったんだが、今のままじゃ未だ貧弱でね」
四《よ》方《も》山《やま》の話が出た。行一は今朝の夢の話をした。
「その章《た》魚《こ》の木だとか、××が南洋から移植したと云うのは面白いね」
「そう教えたのが君なんだからね。……いかにも君らしいね。出《で》鱈《たら》目《め》をよく教える……」
「なんだ、なんだ」
「狐の剃刀とか雀の鉄砲とか、いい加減なことをよく云うぜ」
「なんだ、その植物なら本当にあるんだよ」
「顔が赤いよ」
「不愉快だよ。夢の事実で現実の人間を云々《うんぬん》するのは。そいじゃね、君の夢を一つ出してやる」
「開き直ったね」
「だいぶん前の話だよ。Oがいたし、Cも入ってるんだ。それに君と僕と。組んでトランプをやっていたんだから、四人だった。どこでやっているのかと云うと、それが君の家の庭なんだ。それでいざやろうという段になると、君が物置みたいな所から、切符売場のようになった小さい小《こ》舎《や》を引張り出して来るんだ。そしてその中へ入って、据《すわ》り込んで、切符を売る窓口から『さあここへ出せ』って云うんだ。滑稽な話だけど、何だかその窓口へ立つのが癪《しやく》で憤慨していると、Oがまたその中へ入ってもう一つの窓口を占領して仕舞った。……どうだその夢は」
「それからどうするんだ」
「いかにも君らしいね……いや、Oに占領しられるところは君らしいよ」
大槻は行一を送って本郷通へ出た。美しい夕焼雲が空を流れていた。日を失った街上には早や夕暗が迫っていた。そんななかで人びとはなにか活気づけられて見えた。歩きながら大槻は社会主義の運動やそれに携わっている若い人達のことを行一に話した。
「もう美しい夕焼も秋まで見えなくなるな。よく見とかなくちゃ。――僕はこの頃今時分になると情けなくなるんだ。空が奇麗だろう。それにこっちの気持が弾まないと来ている」
「呑《のん》気《き》なことを云ってるな。さようなら」
行一は毛糸の首巻に顎《あご》を埋めて大槻に別れた。
電車の窓からは美しい木洩れ陽が見えた。夕焼雲がだんだん死灰に変じて行った。夜、帰りの遅れた馬《ば》力《りき》が、紙で囲った蝋《ろう》燭《そく》の火を花束のように持って歩いた。行一は電車のなかで、先刻大槻に聞いた社会主義の話を思い出していた。彼は受身になった。魔《ま》誤《ご》ついた。自分の治めてゆこうとする家が、大槻の夢に出て来た切符売場のように思えた。社会の下積という言葉を聞くと、赤土のなかから生えていた女の腿《もも》を思い出した。放胆な大槻は、妻を持ち子を持とうとしている、行一の気持に察しがなかった。行一はたじろいだ。
満員の電車から終点へ下された人びとは皆《みな》働人の装いで、労働者が多かった。夕刊売りや鯉売りが暗い火を点《とも》している省線の陸橋を通り、反射燈の強い光のなかを黙々と坂を下りてゆく。どの肩もどの肩もがっしり何かを背負っているようだ。行一はいつもそう思う。坂を下りるにつれて星が雑木林の蔭へ隠れてゆく。
道で、彼はやはり帰りの 姑《しゆうとめ》に偶然追いついた。声をかける前に、しばらく行一は姑を客観しながら歩いた。家人を往来で眺める珍らしい心で。
「なんてしょんぼりしているんだろう」
肩の表情は痛いたしかった。
「お帰り」
「あ。お帰り」姑はなにか呆《ほう》けているような貌《かお》だった。
「疲れてますね。どうでした。見つかりましたか」
「気の進まない家ばかりでした。あなたの方は……」
まあ帰ってからゆっくりと思って、今日見つけた家の少し混み入った条件を行一が話し躊《ためら》っていると、姑はおっ被《かぶ》せるように
「今日は珍らしいものを見ましたよ」
それは街の上で牛が仔を産んだ話だった。その牛は荷車を牽く運送屋の牛であった。荷物を配達先へ届けると同時に産気づいて、運送屋や家の人が気を揉《も》むうちに、安やすと仔牛は産まれた。親牛は長いこと、夕方まで休息していた。が、姑がそれを見た頃には、蓆《むしろ》を敷き、その上に仔牛を載せた荷車に、もう親牛はついていた。
行一は今日の美しかった夕焼雲を思い浮べた!
「ぐるりに人が沢山集って見ていましたよ。提灯《ちようちん》を借りて男が出て来ましてね。さ、どいてくれよと云って、前の人をどかせて牛を歩せたんです――みんな見てました……」
姑の貌《かお》は強い感動を抑えていた。行一は
「よしよし、よしよし」膨《ふく》らんで来る胸をそんな思いで緊《し》めつけた。
「そいじゃ、先へ帰ります」
買物があるという姑を八百屋の店に残して、彼は暗い星の冴《さ》えた小路へ急ぎ足で入った。
(大正十五年五月十五日稿 *『青空』大正十五年六月号 *『檸檬』に収む)
ある心の風景
喬《たかし》は彼の部屋の窓から寝静まった通りに凝《み》視《い》っていた。起きている窓はなく、深夜の静けさは暈《かさ》となって街燈のぐるりに集まっていた。固い音が時どきするのは突き当って行く黄金虫《ぶんぶん》の音でもあるらしかった。
そこは入り込んだ町で、昼間でも人通りは尠《すくな》く、魚の腹綿や鼠《ねずみ》の死骸は幾日も位置を動かなかった。両側の家々はなにか荒廃していた。自然力の風化して行くあとが見えた。紅殻(べにがら)が古びてい、荒壁の塀は崩れ、人びとはそのなかで古手拭のように無気力な生活をしているように思われた。喬の部屋はそんな通りの、卓子《テーブル》で云うなら主人役の位置に窓を開いていた。
時どき柱時計の振子の音が戸の隙間から洩れてきこえて来た。遠くの樹に風が黒く渡る。と、やがて眼近い夾《きよう》竹《ちく》桃《とう》は深い夜のなかで揺れはじめるのであった。喬はただ凝《み》視《い》っている。――暗《やみ》のなかに仄《ほの》白く浮んだ家の額《ひたい》は、そうした彼の視野のなかで、消えてゆき現われて来、喬は心の裡《うち》に定かならぬ想念のまた過ぎてゆくのを感じた。蟋《こお》蟀《ろぎ》が鳴いていた。そのあたりから――と思われた――微《かす》かな植物の朽ちてゆく匂いが漂って来た。
「君の部屋は仏蘭西《フランス》の蝸牛《エスカルゴ》の匂いがするね」
喬のところへやって来たある友人はそんなことを云った。またある一人は
「君はどこに住んでも直ぐその部屋を陰鬱にして仕《し》舞《ま》うんだな」と云った。
いつも紅茶の滓《かす》が溜っているピクニック用の湯沸器。帙(ちつ)と離ればなれに転っている本の類。紙切れ。そしてそんなものを押しわけて敷かれている蒲団。喬はそんななかで青《あお》鷺《さぎ》のように昼は寝ていた。眼が覚めては遠くに学校の鐘を聞いた。そして夜、人びとが寝静まった頃この窓へ来てそとを眺めるのだった。
深い霧のなかを影法師のように過ぎてゆく想念がだんだん分明になって来る。
彼の視野のなかで消散したり凝聚(ぎようしゆう)したりしていた風景は、或る瞬間それが実に親しい風景だったかのように、また或る瞬間は全く未知の風景のように見えはじめる。そして或る瞬間が過ぎた。――喬にはもう、どこまでが彼の想念であり、どこからが深夜の町であるのか、わからなかった。暗のなかの夾竹桃はそのまま彼の憂鬱であった。物陰の電燈に写し出されている土塀、暗と一つになっているその陰影。観念もまたそこで立体的な形をとっていた。
喬は彼の心の風景をそこに指《し》呼《こ》することが出来る、と思った。
どうして喬がそんなに夜更《ふ》けて窓に起きているか、それは彼がそんな時刻まで寝られないからでもあった。寝るには余り暗い考えが彼を苦しめるからでもあった。彼は悪い病気を女から得て来ていた。
ずっと以前彼はこんな夢を見たことがあった。
――足が地《じ》脹《ば》れをしている。その上に、噛んだ歯がたのようなものが二《ふた》列《なら》びついている。脹れはだんだんひどくなって行った。それにつれてその痕《あと》はだんだん深く、まわりが大きくなって来た。
或るものはネエヴルの尻のようである。盛りあがった気味悪い肉が内部から覗いていた。また或る痕は、細長く深く切れ込み、古い本が紙《し》魚《み》に食い貫《ぬ》かれたあとのようになっている。
変な感じで、足は見ているうちにも青く脹れてゆく。痛くもなんともなかった。腫《はれ》物《もの》は紅い、サボテンの花のようである。
母がいる。
「あああ。こんなになった」
彼は母に当てつけの口調だった。
「知らないじゃないか」
「だって、あなたが爪でかたをつけたのじゃありませんか」
母が爪で圧したのだ、と彼は信じている。しかしそう云ったとき喬に、ひょっとしてあれじゃないだろうか、という考えが閃《ひらめ》いた。
でもまさか、母は知ってはいないだろう、と気強く思い返して、夢のなかの喬は
「ね! お母さん!」と母を責めた。
母は弱らされていた。が、しばらくしてとうとう
「そいじゃ、癒《なお》してあげよう」と云った。
二列の腫物はいつの間にか胸から腹へかけて移っていた。どうするのかと彼が見ていると、母は胸の皮を引張って来て(それはいつの間にか、萎《しぼ》んだ乳房のようにたるんでいた)一方の腫物を一方の腫物のなかへ、ちょうど釦《ボタン》を嵌《は》めるようにして嵌め込んでいった。夢のなかの喬はそれを不《ふ》足《そく》そうな顔で、黙って見ている。
一対ずつ一対ずつ一列の腫物は他の一列へそういう風にしてみな嵌《はま》ってしまった。
「これは××博士の法だよ」と母が云った。釦の多いフロックコートを着たようである。しかし、少し動いても直ぐ脱《はず》れそうで不安であった。――
何よりも母に、自分の方のことは包み隠して、気強く突きかかって行った。そのことが、夢のなかのことながら、彼には応えた。
女を買うということが、こんなにも暗く彼の生活へ、夢に出るまで、浸み込んで来たのかと喬は思った。現実の生活にあっても、彼が女の児の相手になっている。そしてその児が意地の悪いことをしたりする。そんなときふと邪《じや》慳《けん》な娼婦は心に浮び、喬は堪らない自己嫌《けん》厭《お》に堕ちるのだった。生活に打ち込まれた一本の楔《くさび》がどんなところにまで歪《ひずみ》を及ぼして行っているか、彼はそれに行き当る度《たび》に、内面的に汚れている自分を識ってゆくのだった。
そしてまた一本の楔、悪い病気の疑いが彼に打ち込まれた。以前見た夢の一部が本当になったのである。
彼は往来で医者の看板に気をつける自分を見出すようになった。新聞の広告をなにげなく読む自分を見出すようになった。それはこれまでの彼が一度も意識してした事のないことであった。美しいものを見る、そして愉快になる。ふと心のなかに喜ばないものがあるのを感じて、それを追ってゆき、彼の突きあたるものは、やはり病気のことであった。そんなとき喬は暗いものに到るところ待ち伏せされているような自分を感じないではいられなかった。
時どき彼は、病める部分を取出して眺めた。それはなにか一匹の悲しんでいる生き物の表情で、彼に訴えるのだった。
喬は度《たび》たびその不幸な夜のことを思い出した。――
彼は酔っ払った嫖客(ひようかく)や、嫖客を呼びとめる女の声の聞こえて来る、往来に面した部屋に一人坐っていた。勢いづいた三味線や太鼓の音が近所から、彼の一人の心に響いて来た。
「この空気!」と喬は思い、耳を欹《そばだ》てるのであった。ゾロゾロと履物の音。間を縫って利休が鳴っている。――物音はみな、或るもののために鳴っているように思えた。アイスクリーム屋の声も、歌をうたう声も、なにからなにまで。
小《こ》婢《おんな》の利休の音も、直ぐ表ての四条通ではこんな風には響かなかった。
喬は四条通を歩いていた何分か前の自分、――そこでは自由に物を考えていた自分、――と同じ自分をこの部屋のなかで感じていた。
「とうとうやって来た」と思った。
小婢が上って来て、部屋には便利炭の蝋《ろう》が匂った。喬は満足に物が云えず、小婢の降りて行ったあとで、そんな直ぐに手の裏返したようになれるかい、と思うのだった。
女はなかなか来なかった。喬は屈託した気持で、思いついたまま、勝手を知ったこの家の火の見へ上って行こうと思った。
朽ちかけた梯《はし》子《ご》をあがろうとして、眼の前の小部屋の障子が開いていた。なかには蒲団が敷いてあり、人の眼がこちらを睨《にら》んでいた。知らぬふりであがって行きながら喬は、こんな場所での気強さ、と思った。
火の見へあがると、この界隈を覆っているのは暗い甍《いらか》であった。そんな間から所どころ、電燈をつけた座敷が簾《すだれ》越しに見えていた。レストランの高い建物が、思わぬところから頭を出していた。四条通はあすこかと思った。八坂神社の赤い門。電燈の反射をうけて仄《ほの》かに姿を見せている森。そんなものが甍越しに見えた。夜の靄《もや》が遠くはぼかしていた。円《まる》山《やま》、それから東《ひがし》山《やま》。天の川がそのあたりから流れていた。
喬は自分が解放されるのを感じた。そして、
「いつもここへは登ることに極《き》めよう」と思った。
五《ご》位《い》が鳴いて通った。煤《すす》黒い猫が屋根を歩いていた。喬は足もとに闌《すが》れた秋草の鉢を見た。
女は博多から来たのだと云った。その京都言葉に変な訛《なま》りがあった。身《みだ》嗜《しな》みが奇麗で、喬は女にそう云った。そんなことから、女の口はほぐれて、自分がまだ出て匆《そう》々《そう》だのに、先月はお花を何千本売って、この廓《くるわ》で四番目なのだと云った。またそれは一番から順に検番に張り出され、何番かまではお金が出る由云った。女の小ざっぱりしているのはそんな彼女におかあはんというのが気をつけてやるのであった。
「そんな訳やでうちも一生懸命にやってるの。こないだからもな、風邪ひいとるんやけど、しんどうてな、おかあはんは休めというけど、うちは休まんのや」
「薬は飲んでるのか」
「うちでくれたけど、一服五銭でな、……あんなものなんぼ飲んでもきかせん」
喬はそんな話を聞きながら、頭ではS―という男の話にきいたある女の事を憶い浮べていた。
それは醜い女で、その女を呼んでくれと名を云うときは、いくら酔っていても羞《はずか》しい思いがすると、S―は云っていた。そして着ている寝間着の汚いこと、それは話にならないよと云った。
S―は最初、ふとした偶然からその女に当り、その時、よもやと思っていたような異様な経験をしたのであった。その後S―はひどく酔ったときなどは、気持にはどんな我慢をさせてもという気になってついその女を呼ぶ、心が荒くなってその女でないと満足出来ないようなものが、酒を飲むと起るのだと云った。
喬はその話を聞いたとき、女自身に病的な嗜好があるのなれば兎《と》に角《かく》だがと思い、畢《ひつ》竟《きよう》廓での生存競争が、醜いその女にそのような特殊なことをさせるのだと、考えは暗いそこへ落ちた。
その女は《おし》のように口をきかぬとS―は云った。もっとも話をする気にはならないよと、また云った。一体、やはりの、何人くらいの客をその女は持っているのだろうと、その時喬は思った。
喬はその醜い女とこの女とを思い比べながら、耳は女のお喋《しやべ》りに任せていた。
「あんたは温柔《おとな》しいな」と女は云った。
女の肌は熱かった。新らしいところへ触れて行く度《たび》に「これは熱い」と思われた。――
「またこれから行かんならん」と云って女は帰る仕《し》度《たく》をはじめた。
「あんたも帰るのやろ」
「うん」
喬は寝ながら、女がこっちを向いて、着物を着ておるのを見ていた。見ながら彼は「さ、どうだ。これだ」と自分で確めていた。それはこんな気持であった。――平常自分が女、女、と想っている、そしてこのような場所へ来て女を買うが、女が部屋へ入って来る、それまではまだいい、女が着物を脱ぐ、それまでもまだいい、それからそれ以上は、何が平常から想っていた女だろう。「さ、これが女の腕だ」と自分自身で確める。しかしそれはまさしく女の腕であって、それだけだ。そして女が帰り仕度をはじめた今頃、それはまた女の姿をあらわして来るのだ。
「電車はまだあるか知らん」
「さあ、どうやろ」
喬は心の中でもう電車がなくなっていてくれればいいと思った。階下のおかみは
「帰るのがお厭《いや》どしたら、朝まで寝とおいやしても、うちはかましまへん」と云うかも知れない。それより
「誰ぞをお呼びやおへんのどしたら、帰っとくれやす」と云われる方が、と喬は思うのだった。
「あんた一緒に帰らへんのか」
女は身じまいはしたが、まだぐずついていた。「まあ」と思い、彼は汗づいた浴衣だけは脱ぎにかかった。
女は帰って、直ぐ彼は「ビール」と小《こ》婢《おんな》に云いつけた。
ジュ、ジュクと雀の啼《なき》声《ごえ》が樋《とゆ》にしていた。喬は朝靄のなかに明けて行く水みずしい外面を、半分覚めた頭に描いていた。頭を挙げると朝の空気のなかに光の薄れた電燈が、睡《ねむ》っている女の顔を照していた。
花売りの声が戸口に聞こえたときも彼は眼を覚ました。新鮮な声、と思った。榊《さかき》の葉やいろいろの花にこぼれている朝陽の色が、見えるように思われた。
やがて、家々の戸が勢いよく開いて、学校へ行く子供の声が路に聞こえはじめた。女はまだ深く睡っていた。
「帰って、風呂へ行って」と女は欠伸《あくび》まじりに云い、束髪の上へ載せる丸く編んだ毛を掌に載せ、「帰らして貰いまっさ」と云って出て行った。喬はそのまままた寝入った。
喬は丸太町の橋の袂《たもと》から加《か》茂《も》磧《がわら》へ下りて行った。磧に面した家々が、そこに午後の日蔭を作っていた。
護岸工事に使う小石が積んであった。それは秋日の下で一種の強い匂いをたてていた。荒神橋の方に遠心乾燥器が草原に転っていた。そのあたりで測量の巻尺が光っていた。
川水は荒神橋の下手で簾《すだれ》のようになって落ちている。夏草の茂った中洲(なかす)の彼方《かなた》で、浅瀬は輝きながらサラサラ鳴っていた。鶺鴒(せきれい)が飛んでいた。
背を刺すような日表《ひなた》は、蔭となると流石《さすが》秋の冷たさが跼《くぐま》っていた。喬はそこに腰を下した。
「人が通る、車が通る」と思った。また
「街では自分は苦しい」と思った。
川向うの道を徒歩や車が通っていた。川《かわ》添《ぞい》の公設市場。タールの樽が積んである小屋。空地では家を建てるのか人びとが働いていた。
川上からは時どき風が吹いて来た。カサコソと彼の坐っている前を、皺《しわ》になった新聞紙が押されて行った。小石に阻まれ、一しきり風に堪えていたが、ガックリ一つ転ると、また運ばれて行った。
二人の子供に一匹の犬が川上の方へ歩いて行く。犬は戻って、ちょっとその新聞紙を嗅いで見、また子供のあとへついて行った。
川のこちら岸には高い欅《けやき》の樹が葉を茂らせている。喬は風に戦《そよ》いでいるその高い梢《こずえ》に心は惹かれた。ややしばらく凝《み》視《い》っているうちに、彼の心の裡のなにかがその梢に棲《とま》り、高い気流のなかで小さい葉と共に揺れ青い枝と共に撓《たわ》んでいるのが感じられた。
「ああこの気持」と喬は思った。「視ること、それはもうなにかなのだ。自分の魂の一部分あるいは全部がそれに乗り移ることなのだ」
喬はそんなことを思った。毎夜のように彼の坐る窓辺、その誘惑――病《びよう》鬱《うつ》や生活の苦《く》渋《じゆう》が鎮《しず》められ、ある距《へだた》りをおいて眺められるものとなる心の不思議が、ここの高い欅の梢にも感じられるのだった。
「街では自分は苦しい」
北には加茂の森が赤い鳥居を点じていた。その上に遠い山々は累《かさな》って見える。比叡山――それを背景にして、紡績工場の煙突が煙を立登らせていた。赤煉《れん》瓦《が》の建物。ポスト。荒神橋には自転車が通り、パラソルや馬力が動いていた。日蔭は磧《かわら》に伸び、物売りのラッパが鳴っていた。
喬は夜《よ》更《ふ》けまで街をほっつき歩くことがあった。
人通りの絶えた四条通は稀に酔っ払いが通るくらいのもので、夜霧はアスファルトの上までおりて来ている。両側の店はゴミ箱を鋪道に出して戸を鎖《とざ》してしまっている。所どころに嘔《へ》吐《ど》がはいてあったり、ゴミ箱が倒されていたりした。喬は自分も酒に酔ったときの経験は頭に上り、今は静かに歩くのだった。
新《しん》京《きよう》極《ごく》に折れると、たてた戸の間から金《かな》盥《だらい》を持って風呂へ出かけてゆく女の下駄が鳴り、ローラースケートを持ち出す小店員、うどんの出前を運ぶ男、往来の真中で棒押しをしている若者などが、異様な盛り場の夜更けを見せている。昼間は雑《ざつ》鬧《とう》のなかに埋れていたこの人びとはこの時刻になって存在を現わして来るのだと思えた。
新京極を抜けると町は本当の夜更けになっている。昼間は気のつかない自分の下駄の音が変に耳につく。そしてあたりの静寂は、なにか自分が変なたくらみを持って町を歩いているような感じを起させる。
喬は腰に朝鮮の小さい鈴を提《さ》げて、そんな夜更け歩いた。それは岡崎公園にあった博覧会の朝鮮館で友人が買って来たものだった。銀の地に青や赤の七宝がおいてあり、美しい枯れた音がした。人びとのなかでは聞こえなくなり、夜更けの道で鳴り出すそれは、彼の心の象徴のように思えた。
ここでも町は、窓辺から見る風景のように、歩いている彼に展《ひら》けてゆくのであった。
生れてから未だ一度も踏まなかった道。そして同時に、実に親しい思いを起させる道。――それはもう彼が限られた回数通り過ぎたことのあるいつもの道ではなかった。いつの頃から歩いているのか、喬は自分がとことわの過ぎてゆく者であるのを今は感じた。
そんな時朝鮮の鈴は、喬の心を顫《ふる》わせて鳴った。或る時は、喬の現《うつ》身《せみ》は道の上に失われ鈴の音だけが町を過《よぎ》るかと思われた。また或る時それは腰のあたりに湧き出して、彼の身体の内部へ流れ入る澄み透った渓《けい》流《りゆう》のように思えた。それは身体を流れめぐって、病気に汚れた彼の血を、洗い清めてくれるのだ。
「俺はだんだん癒《なお》ってゆくぞ」
コロコロ、コロコロ、彼の小さな希望は深夜の空気を清らかに顫わせた。
窓からの風景はいつの夜も渝《かわ》らなかった。喬にはどの夜もみな一つに思える。
しかし或る夜、喬は暗《やみ》のなかの木に、一点の蒼白い光を見出した。いずれなにかの虫には違いないと思えた。次の夜も、次の夜も、喬はその光を見た。
そして彼が窓辺を去って、寝床の上に横になるとき、彼は部屋のなかの暗にも一点の燐光を感じた。
「私の病んでいる生き物。私は暗闇のなかにやがて消えてしまう。しかしお前は睡《ねむ》らないでひとりおきているように思える。そとの虫のように……青い燐光を燃しながら……」
(大正十五年七月二十一日稿 *『青空』同年八月号)
Kの昇天
――或《あるい》はKの溺《でき》死《し》
お手紙によりますと、あなたはK君の溺《でき》死《し》について、それが過失だったろうか、自殺だったろうか、自殺ならば、それが何に原因しているのだろう、あるいは不治の病をはかなんで死んだのではなかろうかと様《さま》ざまに思い悩んでいられるようであります。そしてわずか一と月程の間に、あの療養地のN海岸で偶然にも、K君と相識ったというような、一面識もない私にお手紙を下さるようになったのだと思います。私はあなたのお手紙ではじめてK君の彼《かの》地《ち》での溺死を知ったのです。私は大層おどろきました。と同時に「K君はとうとう月世界へ行った」と思ったのです。どうして私がそんな奇異なことを思ったか、それを私は今ここでお話しようと思っています。それはあるいはK君の死の謎を解く一つの鍵であるかも知れないと思うからです。
それはいつ頃だったか、私がNへ行ってはじめての満月の晩です。私は病気の故でその頃夜がどうしても眠れないのでした。その晩もとうとう寝床を起きて仕《し》舞《ま》いまして、幸い月夜でもあり、旅館を出て、錯落(さくらく)とした松樹の影を踏みながら砂浜へ出て行きました。引きあげられた漁船や、地引網を捲《ま》く轆《ろく》轤《ろ》などが白い砂に鮮《あざや》かな影をおとしている外、浜には何の人影もありませんでした。干潮で荒い浪《なみ》が月光に砕けながらどうどうと打寄せていました。私は煙草をつけながら漁船のともに腰を下して海を眺めていました。夜はもうかなり更《ふ》けていました。
しばらくして私が眼を砂浜の方に転じましたとき、私は砂浜に私以外のもう一人の人を発見しました。それがK君だったのです。しかしその時はK君という人を私は未だ知りませんでした。その晩、それから、はじめて私達は互に名乗り合ったのですから。
私は折おりその人影を見返りました。そのうちに私はだんだん奇異の念を起してゆきました。というのは、その人影――K君――は私と三四十歩も距《へだた》っていたでしょうか、海を見るというのでもなく、全く私に背を向けて、砂浜を前に進んだり、後に退いたり、と思うと立留ったり、そんなことばかりしていたのです。私はその人がなにか落し物でも捜《さが》しているのだろうかと思いました。首は砂の上を視《み》凝《つ》めているらしく、前に傾いていたのですから。しかしそれにしては跼《かが》むこともしない、足で砂を分けて見ることもしない。満月で随分明るいのですけれど、火を点《つ》けて見る様子もない。
私は海を見ては合間合間に、その人影に注意し出しました。奇異の念は増《ます》ます募《つの》ってゆきました。そしてついには、その人影が一度もこっちを見返らず、全く私に背を向けて動作しているのを幸い、じっとそれを見続けはじめました。不思議な戦《せん》慄《りつ》が私を通り抜けました。その人影のなにか魅《ひ》かれているような様子が私に感じたのです。私は海の方に向き直って口笛を吹きはじめました。それがはじめは無意識にだったのですが、あるいは人影になにかの効果を及ぼすかも知れないと思うようになり、それは意識的になりました。私ははじめシューベルトの「海辺にて」を吹きました。御存じでしょうが、それはハイネの詩に作曲したもので、私の好きな歌の一つなのです。それからやはりハイネの詩の「ドッペルゲンゲル」。これは「二重人格」と云うのでしょうか。これも私の好きな歌なのでした。口笛を吹きながら、私の心は落ちついて来ました。やはり落し物だ、と思いました。そう思うより外、その奇異な人影の動作を、どう想像することが出来ましょう。そして私は思いました。あの人は煙草を喫《の》まないから燐寸《マツチ》がないのだ。それは私が持っている。とにかくなにか非常に大切なものを落したのだろう。私は燐寸を手に持ちました。そしてその人影の方へ歩きはじめました。その人影に私の口笛は何の効果もなかったのです。相変らず、進んだり、退いたり、立留ったり、の動作を続けているのです。近寄ってゆく私の足音にも気がつかないようでした。ふと私はビクッとしました。あの人は影を踏んでいる。もし落し物なら影を背にしてこっちを向いて捜す筈だ。
天心をややに外れた月が私の歩いて行く砂の上にも一尺程の影を作っていました。私はきっとなにかだとは思いましたが、やはり人影の方へ歩いてゆきました。そして二三間《げん》手前で、思い切って、
「何か落し物をなさったのですか」
とかなり大きい声で呼びかけて見ました。手の燐寸を示すようにして。
「落し物でしたら燐寸がありますよ」
次にはそう言う積りだったのです。しかし落し物ではなさそうだと悟った以上、この言葉はその人影に話しかける私の手段に過ぎませんでした。
最初の言葉でその人は私の方を振り向きました。「のっぺらぽー」そんなことを不知《しらず》不識《しらず》の間に思っていましたので、それは私にとって非常に怖ろしい瞬間でした。
月光がその人の高い鼻を滑りました。私はその人の深い瞳《ひとみ》を見ました。と、その顔は、なにか極《きま》り悪る気な貌《かお》に変ってゆきました。
「なんでもないんです」
澄んだ声でした。そして微笑がその口のあたりに漾《ただよ》いました。
私とK君とが口を利いたのは、こんな風な奇異な事件がそのはじまりでした。そして私達はその夜から親しい間柄になったのです。
しばらくして私達は再び私の腰かけていた漁船のともへ返りました。そして、
「本当に一体何をしていたんです」
というようなことから、K君はぼつぼつそのことを説き明かしてくれました。でも、はじめの間はなにか躊《ちゆ》躇《うちよ》していたようですけれど。
K君は自分の影を見ていた、と申しました。そしてそれは阿片(アヘン)の如きものだ、と申しました。
あなたにもそれが突飛でありましょうように、それは私にも実に突飛でした。
夜光虫が美しく光る海を前にして、K君はその不思議な謂われをぼちぼち話してくれました。
影程《ほど》不思議なものはないとK君は言いました。君もやって見れば、必ず経験するだろう。影をじーっと視《み》凝《つ》めておると、そのなかにだんだん生物の相があらわれて来る。外でもない自分自身の姿なのだが。それは電燈の光線のようなものでは駄目だ。月の光が一番いい。何故ということは云わないが、――という訳は、自分は自分の経験でそう信じるようになったので、あるいは私自身にしかそうであるのに過ぎないかも知れない。またそれが客観的に最上であるにしたところで、どんな根拠でそうなのか、それは非常に深遠なことと思います。どうして人間の頭でそんなことがわかるものですか。――これがK君の口調でしたね。何よりもK君は自分の感じに頼り、その感じの由って来たる所を説明の出来ない神秘のなかに置いていました。
ところで、月光による自分の影を視《み》凝《つ》めているとそのなかに生物の気配があらわれて来る。それは月光が平行光線であるため、砂に写った影が、自分の形と等しいということがあるが、しかしそんなことはわかり切った話だ。その影も短いのがいい。一尺二尺くらいのがいいと思う。そして静止している方が精神が統一されていいが、影は少し揺れ動く方がいいのだ。自分が行ったり戻ったり立留ったりしていたのはそのためだ。雑穀屋が小豆《あずき》の屑《くず》を盆の上で捜すように、影を揺って御覧なさい。そしてそれをじーっと視凝めていると、そのうちに自分の姿がだんだん見えて来るのです。そうです、それは「気配」の域を越えて「見えるもの」の領分へ入って来るのです。――こうK君は申しました。そして、
「先刻あなたはシューベルトの『ドッペルゲンゲル』を口笛で吹いてはいなかったですか」
「ええ。吹いていましたよ」
と私は答えました。やはり聞えてはいたのだ、と私は思いました。
「影と『ドッペルゲンゲル』。私はこの二つに、月夜になれば憑《つ》かれるんですよ。この世のものでないというような、そんなものを見たときの感じ。――その感じになじんでいると、現実の世界が全く身に合わなく思われて来るのです。だから昼間は阿片喫煙者のように倦《けん》怠《たい》です」
とK君は云いました。
自分の姿が見えて来る。不思議はそればかりではない。だんだん姿があらわれて来るに随って、影の自分は彼自身の人格を持ちはじめ、それにつれてこちらの自分はだんだん気持が杳《はる》かになって、或る瞬間から月へ向って、スースーッと昇って行く。それは気持で何物とも云えませんが、まあ魂《たましい》とでも云うのでしょう。それが月から射し下ろして来る光線を溯《さかのぼ》って、それはなんとも云えぬ気持で、昇天してゆくのです。
K君はここを話すとき、その瞳《ひとみ》はじっと私の瞳に魅《みい》り非常に緊張した様子でした。そしてそこで何かを思いついたように、微笑でもってその緊張を弛《ゆる》めました。
「シラノが月へ行く方法を並べたてるところがありますね。これはその今一つの方法ですよ。でも、ジュール・ラフォルグの詩にあるように
哀れなる哉《かな》、イカルスが幾人も来ては落っこちる。
私も何遍やってもおっこちるんですよ」
そう云ってK君は笑いました。
その奇異な初対面の夜から、私達は毎日訪ね合ったり、一緒に散歩したりするようになりました。月が欠けるに随って、K君もあんな夜更けに海へ出ることはなくなりました。
ある朝、私は日の出を見に海辺に立っていたことがありました。そのときK君も早起きしたのか、同じくやって来ました。そして、ちょうど太陽の光の反射のなかへ漕ぎ入った船を見たとき、
「あの逆光線の船は完全に影絵じゃありませんか」
と突然私に反問しました。K君の心では、その船の実体が、逆に影絵のように見えるのが、影が実体に見えることの逆説的な証明になると思ったのでしょう。
「熱心ですね」
と私が云ったら、K君は笑っていました。
K君はまた、朝海の真向から昇る太陽の光で作ったのだという、等身のシルウェットを幾枚か持っていました。
そしてこんなことを話しました。
「私が高等学校の寄宿舎にいたとき、よその部屋でしたが、一人美少年がいましてね、それが机に向っている姿を誰が描いたのか、部屋の壁へ、電燈で写したシルウェットですね。その上を墨でなすって描いてあるのです。それがとてもヴィヴィッドでしてね、私はよくその部屋へ行ったものです」
そんなことまで話すK君でした。聞きただしては見なかったのですが、あるいはそれがはじまりかも知れませんね。
私があなたの御手紙で、K君の溺死を読んだとき、最も先に私の心象に浮んだのは、あの最初の夜の、奇異なK君の後姿でした。そして私は直ぐ、
「K君は月へ登ってしまったのだ」
と感じました。そしてK君の死体が浜辺に打ちあげられてあった、その前日は、まちがいもなく満月ではありませんか。私は唯《ただ》今《いま》本暦を開いてそれを確めたのです。
私がK君と一緒にいました一と月程の間、その外にこれと云って自殺される原因になるようなものを、私は感じませんでした。でも、その一と月程の間に私がやや健康を取戻し、こちらへ帰る決心が出来るようになったのに反し、K君の病気は徐々に進んでいたように思われます。K君の瞳はだんだん深く澄んで来、頬《ほお》はだんだんこけ、あの高い鼻柱が目に立って硬く秀《ひい》でて参ったように覚えています。
K君は、影は阿片の如きものだ、と云っていました。もし私の直感が正《せい》鵠《こく》を射抜いていましたら、影がK君を奪ったのです。しかし私はその直感を固執するのでありません。私自身にとってもその直感は参考にしか過ぎないのです。本当の死因、それは私にとっても五里霧中であります。
しかし私はその直感を土台にして、その不幸な満月の夜のことを仮に組立てて見ようと思います。
その夜の月齢は十五・二であります。月の出が六時三十分。十一時四十七分が月の南中する時刻と本暦には記載されています。私はK君が海へ歩み入ったのはこの時刻の前後ではないかと思うのです。私がはじめてK君の後姿を、あの満月の夜に砂浜に見出したのもほぼ南中の時刻だったのですから。そしてもう一歩想像を進めるならば、月が少し西へ傾きはじめた頃と思います。もしそうとすればK君の所《いわ》謂《ゆる》一尺乃至《ないし》二尺の影は北側といってもやや東に偏した方向に落ちる訳で、K君はその影を追いながら海岸線を斜に海へ歩み入ったことになります。
K君は病と共に精神が鋭く尖り、その夜は影が本当に「見えるもの」になったのだと思われます。肩が現われ、頸《くび》が顕われ、微《かす》かな眩暈《めまい》の如きものを覚えると共に、「気配」のなかからついに頭が見えはじめ、そして或る瞬間が過ぎて、K君の魂は月光の流れに逆らいながら徐々に月の方へ登ってゆきます。K君の身体はだんだん意識の支配を失い、無意識な歩みは一歩一歩海へ近づいて行くのです。影の方の彼はついに一箇の人格を持ちました。K君の魂はなお高く昇天してゆきます。そしてその形骸は影の彼に導かれつつ、機械人形のように海へ歩み入ったのではないでしょうか。次いで干潮時の高い浪《なみ》がK君を海中へ仆《たお》します。もしそのとき形骸に感覚が蘇《よみがえ》ってくれば、魂はそれと共に元へ帰ったのであります。
哀れなる哉、イカルスが幾人も来ては落っこちる。
K君はそれを墜落と呼んでいました。もし今度も墜落であったなら、泳ぎの出来るK君です。溺れることはなかった筈です。
K君の身体は仆れると共に沖へ運ばれました。感覚はまだ蘇りません。次の浪が浜辺へ引摺りあげました。感覚はまだ帰りません。また沖へ引去られ、また浜辺へ叩きつけられました。しかも魂は月の方へ昇天してゆくのです。
ついに肉体は無感覚で終りました。干潮は十一時五十六分と記載されています。その時刻の激《げき》浪《ろう》に形骸の飜《ほん》弄《ろう》を委《ゆだ》ねたまま、K君の魂は月へ月へ、飛《ひし》翔《よう》し去ったのであります。
(大正十五年九月十八日稿 *『青空』同年十月号)
冬の日
季節は冬《とう》至《じ》に間もなかった。堯《たかし》の窓からは、地盤の低い家々の庭や門辺に立っている木々の葉が、一日毎剥がれてゆく様《さま》が見えた。
ごんごん胡《ご》麻《ま》は老婆の蓬《ほう》髪《はつ》のようになってしまい、霜に美しく灼《や》けた桜の最後の葉がなくなり、欅《けやき》が風にかさかさ身を震わす毎に隠れていた風景の部分が現われて来た。
もう暁刻の百舌鳥(もず)も来なくなった。そして或る日、屏《びよ》風《うぶ》のように立ち並んだ樫《かし》の木へ鉛色の椋鳥(むくどり)が何百羽と知れず下りた頃から、だんだん霜は鋭くなって来た。
冬になって堯の肺は疼《いた》んだ。落葉が降り溜っている井戸端の漆喰(しつくい)へ、洗面のとき吐く痰《たん》は、黄緑色からにぶい血の色を出すようになり、時にそれは驚く程鮮かな紅《くれない》に冴えた。堯が間借二階の四畳半で床を離れる時分には、主婦の朝の洗濯は夙《と》うに済んでいて、漆喰は乾いてしまっている。その上へ落ちた痰は水をかけても離れない。堯は金魚の仔でもつまむようにしてそれを土《ど》管《かん》の口へ持って行くのである。彼は血の痰を見てももうなんの刺戟でもなくなっていた。が、冷澄な空気の底に冴え冴えとした一塊の彩《いろど》りは、何故かいつもじっと凝《み》視《つ》めずにはいられなかった。
堯はこの頃生きる熱意をまるで感じなくなっていた。一日一日が彼を引《ひき》摺《ず》っていた。そして裡《うち》に住むべきところをなくした魂は、常に外界へ逃れよう逃れようと焦《あ》慮《せ》っていた。――昼は部屋の窓を展《ひら》いて盲人のようにそとの風景を凝視める。夜は屋の外の物音や鉄《てつ》瓶《びん》の音に聾《ろう》者《しや》のような耳を澄ます。
冬《とう》至《じ》に近づいてゆく十一月の脆《もろ》い陽ざしは、しかし、彼が床を出て一時間とは経たない窓の外で、どの日もどの日も消えかかってゆくのであった。翳《かげ》ってしまった低地には、彼の棲《す》んでいる家の投影さえ没してしまっている。それを見ると堯の心には墨《ぼく》汁《じゆう》のような悔《かい》恨《こん》やいらだたしさが拡ってゆくのだった。日向は僅かに低地を距《へだ》てた、灰色の洋風の木造家屋に駐《とま》っていて、その時刻、それはなにか悲しげに、遠い地平へ落ちてゆく入日を眺めているかのように見えた。
冬陽は郵便受のなかへまで射しこむ。路上のどんな小さな石粒も一つ一つ影を持っていて、見ていると、それがみな埃《エジ》及《プト》のピラミッドのような巨大な《コロツサール》悲しみを浮べている。――低地を距てた洋館には、その時刻、並んだ蒼《あお》桐《ぎり》の幽霊のような影が写っていた。向日性を持った、もやしのように蒼白い堯の触手は、不知《しらず》不識《しらず》その灰色した木造家屋の方へ伸びて行って、そこに滲《し》み込んだ不思議な影の痕《あと》を撫《な》でるのであった。彼は毎日それが消えてしまうまでの時間を空虚な心で窓を展《ひら》いていた。
展望の北隅を支えている樫の並《なみ》樹《き》は、或る日は、その鋼鉄のような弾性で撓《し》ない踊りながら、風を揺りおろして来た。容貌をかえた低地にはカサコソと枯葉が骸骨の踊りを鳴らした。
そんなとき蒼桐の影は今にも消されそうにも見えた。もう日向とは思えないそこに、気のせい程の影がまだ残っている。そしてそれは凩《こがらし》に追われて、砂漠のような、そこでは影の生きている世界の遠くへ、だんだん姿を掻《か》き消してゆくのであった。
堯はそれを見終ると、絶望に似た感情で窓を鎖《とざ》しにかかる。もう夜を呼ぶばかりの凩に耳を澄ましていると、或る時はまだ電気も来ないどこか遠くでガラス戸の摧《くだ》け落ちる音がしていた。
堯は母からの手紙を受け取った。
「延子をなくしてから父上はすっかり老い込んでおしまいになった。お前の身体も普通の身体ではないのだから大切にして下さい。もうこの上の苦労はわたしたちもしたくない。
わたしはこの頃夜中なにかに驚いたように眼が醒める。頭はお前のことが気懸りなのだ。いくら考えまいとしても駄目です。わたしは何時間も眠れません。」
堯はそれを読んである考えに悽《せい》然《ぜん》とした。人びとの寝静まった夜を超えて、彼と彼の母が互に互を悩み苦しんでいる。そんなとき、彼の心臓に打った不吉な搏《はく》動《どう》が、どうして母を眼覚まさないと云い切れよう。
堯の弟は脊《せき》椎《つい》カリエスで死んだ。そして妹の延子も腰《よう》椎《つい》カリエスで、意志を喪《うしな》った風景のなかを死んで行った。そこでは、たくさんの虫が一匹の死にかけている虫の周囲に集って悲しんだり泣いたりしていた。そして彼等の二人ともが、土に帰る前の一年間を横たわっていた、白い土の石《せつ》膏《こう》の床からおろされたのである。
――どうして医者は「今の一年は後の十年だ」なんて云うのだろう。
堯はそう云われたとき自分の裡《うち》に起った何故か跋《ばつ》の悪いような感情を想出しながら考えた。
――まるで自分がその十年で到達しなければならない理想でも持っているかのように。どうしてあと何年経てば死ぬとは云わないのだろう。
堯の頭には彼にしばしば現前する意志を喪《うしな》った風景が浮びあがる。
暗い冷い石造の官衙(かんが)の立並んでいる街の停留所。そこで彼は電車を待っていた。家へ帰ろうか賑やかな街へ出ようか、彼は迷っていた。どちらの決心もつかなかった。そして電車はいくら待ってもどちらからも来なかった。圧しつけるような暗い建築の陰影、裸の並樹、疎《まだ》らな街燈の透視図。――その遠くの交《こう》叉《さ》路《ろ》には時どき過《す》ぎる水族館のような電車。風景は俄《にわか》に統制を失った。そのなかで彼は激しい滅形を感じた。
穉《おさな》い堯は捕鼠器《ねずみとり》に入った鼠を川に漬けに行った。透明な水のなかで鼠は左右に金網を伝い、それは空気のなかでのように見えた。やがて鼠は網目の一つへ鼻を突込んだまま動かなくなった。白い泡が鼠の口から最後に泛《うか》んだ。……
堯は五六年前は、自分の病気が約束している死の前には、ただ甘い悲しみを撒《ま》いただけで通り過ぎていた。そしていつかそれに気がついて見ると、栄養や安静が彼に浸潤した、美食に対する嗜《し》好《こう》や安《あん》逸《いつ》や怯《きよ》懦《うだ》は、彼から生きて行こうとする意志をだんだんに持ち去っていた。しかし彼は幾度も心を取り直して生活に向って行った。が、彼の思索や行為はいつの間にか佯《いつわ》りの響《ひびき》をたてはじめ、やがてその滑らかさを失って凝固した。と、彼の前には、そういった風景が現われるのだった。
何人もの人間がある徴候をあらわしある経過を辿《たど》って死んで行った。それと同じ徴候がお前にあらわれている。
近代科学の使徒の一人が、堯にはじめてそれを告げたとき、彼の拒否する権限もないそのことは、ただ彼が漠然忌《い》み嫌っていたその名称ばかりで、頭がそれを受けつけなかった。もう彼はそれを拒否しない。白い土の石《せつ》膏《こう》の床は彼が黒い土に帰るまでの何年かのために用意されている。そこではもう転《てん》輾《てん》することさえ許されないのだ。
夜が更《ふ》けて夜番の撃柝(げきたく)の音がきこえ出すと、堯は陰鬱な心の底で呟いた。
「おやすみなさい、お母さん」
撃柝の音は坂や邸《やしき》の多い堯の家のあたりを、微妙に変ってゆく反響の工合で、それが通ってゆく先ざきを髣《ほう》髴《ふつ》させた。肺の軋《きし》む音だと思っていた杳《はる》かな犬の遠吠。――堯には夜番が見える。母の寝姿が見える。もっともっと陰鬱な心の底で彼はまた呟く。
「おやすみなさい、お母さん」
堯は掃除をすました部屋の窓を明け放ち、籐《とう》の寝椅子に休んでいた。と、ジュッジュッという啼声がしてかなむぐらの垣の蔭に笹鳴(ささなき)の鶯が見え隠れするのが見えた。
ジュツ、ジュツ、堯は鎌首をもたげて、口でその啼声を模《ま》ねながら、小鳥の様子を見ていた。――彼は自家でカナリヤを飼っていたことがある。
美しい午前の日光が葉をこぼれている。笹鳴は口の音に迷わされてはいるが、そんな場合のカナリヤなどのように、機微な感情は現わさなかった。食欲に肥えふとって、なにか堅いチョッキでも着たような恰好をしている。――堯が模《ま》ねをやめると、愛想もなく、下枝の間を渡りながら行ってしまった。
低地を距てて、谷に臨《のぞ》んだ日当りのいいある華族の庭が見えた。黄に枯れた朝鮮芝に赤い蒲《ふ》団《とん》が干してある。――堯はいつになく早起をした午前にうっとりとした。
しばらくして彼は、葉が褐色に枯れ落ちている屋根に、つるもどきの赤い実がつややかに露《あら》われているのを見ながら、家の門を出た。
風もない青空に、黄に化《かわ》りきった公孫樹《いちよう》は、静かに影を畳《たた》んで休ろうていた。白い化粧煉瓦を張った長い塀が、いかにも澄んだ冬の空気を映していた。その下を孫を負ぶった老婆が緩《ゆつく》りゆっくり歩いて来る。
堯は長い坂を下りて郵便局へ行った。日の射し込んでいる郵便局は絶えず扉が鳴り、人びとは朝の新鮮な空気を撒《ま》き散らしていた。堯は永い間こんな空気に接しなかったような気がした。
彼は細い坂を緩りゆっくり登った。山茶花《さざんか》の花ややつでの花が咲いていた。堯は十二月になっても蝶がいるのに驚ろいた。それの飛んで行った方角には日光に撒かれた虻《あぶ》の光点が忙しく行き交うていた。
「痴《ち》呆《ほう》のような幸福だ」と彼は思った。そしてうつらうつら日溜りに屈まっていた。――やはりその日溜りの少し離れたところに小さい子供達がなにかして遊んでいた。四五歳の童子や童女達であった。
「見てやしないだろうな」と思いながら堯は浅く水が流れている溝のなかへ痰を吐いた。そして彼等の方へ近づいて行った。女の子であばれているのもあった。男の子で温柔《おとな》しくしているのもあった。穉《おさな》い線が石《せき》墨《ぼく》で路に描かれていた。――堯はふと、これはどこかで見たことのある情景だと思った。不意に心が揺れた。揺り覚まされた虻が茫漠とした堯の過去へ飛び去った。その麗《うらら》かな臘月(ろうげつ)の午前へ。
堯の虻は見つけた。山茶花を。その花片のこぼれるあたりに遊んでいる童子たちを。――それはたとえば彼が半紙などを忘れて学校へ行ったとき、先生に断りを云って急いで自家へ取りに帰って来る、学校は授業中の、なにか珍らしい午前の路であった。そんなときでもなければ垣間見ることを許されなかった、聖なる時刻の有様であった。そう思って見て堯は微笑《ほほえ》んだ。
午後になって、日がいつもの角度に傾くと、この考えは堯を悲しくした。穉《おさな》いときの古ぼけた写真のなかに、残っていた日向《ひなた》のような弱陽が物象を照していた。
希望を持てないものが、どうして追憶を慈《いつくし》むことが出来よう。未来に今朝のような明るさを覚えたことが近頃の自分にあるだろうか。そして今朝の思いつきも何のことはない、ロシアの貴族のように(午後二時頃の朝《ちよ》餐《うさん》)が生活の習慣になっていたということのいい証拠ではないか。――
彼はまた長い坂を下りて郵便局へ行った。
「今朝の葉書のこと、考えが変ってやめることにしたから、お願いしたこと御中止下さい」
今朝彼は暖い海岸で冬を越すことを想い、そこに住んでいる友人に貸家を捜すことを頼んで遣《や》ったのだった。
彼は激しい疲労を感じながら坂を帰るのにあえいだ。午前の日光のなかで静かに影を畳んでいた公孫樹《いちよう》は、一日が経たないうちにもう凩が枝を疎《まば》らにしていた。その落葉が陽を喪《うしな》った路の上を明るくしている。彼はそれらの落葉にほのかな愛着を覚えた。
堯は家の横の路まで帰って来た。彼の家からはその勾配のついた路は崖上になっている。部屋から眺めているいつもの風景は、今彼の眼前で凩に吹き曝《さら》されていた。曇《くも》空《りぞら》には雲が暗《あん》澹《たん》と動いていた。そしてその下に堯は、まだ電燈も来ないある家の二階は、もう戸が鎖《とざ》されてあるのを見た。戸の木肌はあらわに外面に向って曝されていた。――ある感動で堯はそこに彳《たたず》んだ。傍《かたわ》らには彼の棲《す》んでいる部屋がある。堯はそれをこれまでついぞ眺めたことのない新らしい感情で眺めはじめた。
電燈も来ないのに早や戸じまりをした一軒の家の二階――戸のあらわな木肌は、不意に堯の心を寄《よる》辺《べ》のない旅情で染めた。
――食うものも持たない。どこに泊るあてもない。そして日は暮れかかっているが、この他国の町は早や自分を拒んでいる。――
それが現実であるかのような暗愁が彼の心を翳《かげ》って行った。またそんな記憶が嘗《かつ》ての自分にあったような、一種訝《いぶ》かしい甘美な気持が堯を切なくした。
何ゆえそんな空想が起って来るのか? 何ゆえその空想がかくも自分を悲しませ、また、かくも親しく自分を呼ぶのか? そんなことが堯には朧《おぼろ》げにわかるように思われた。
肉を炙《あぶ》る香ばしい匂が夕《ゆう》凍《じ》みの匂に混って来た。一日の仕事を終えたらしい大工のような人が、息を吐く微《かす》かな音をさせながら、堯にすれちがってすたすたと坂を登って行った。
「俺の部屋はあすこだ」
堯はそう思いながら自分の部屋に目を注いだ。薄暮に包まれているその姿は、今エーテルのように風景に拡ってゆく虚無に対しては、何の力でもないように眺められた。
「俺が愛した部屋。俺がそこに棲《す》むのをよろこんだ部屋。あのなかには俺の一切の所持品が――ふとするとその日その日の生活の感情までが内蔵されているかも知れない。ここから声をかければ、その幽霊があの窓をあけて首を差伸べそうな気さえする。がしかしそれも、脱ぎ棄てた宿屋の褞袍(どてら)がいつしか自分自身の身体をそのなかに髣髴させて来る作用と僅かもちがったことはないではないか。あの無感覚な屋根瓦や窓硝子《ガラス》をこうしてじっと見ていると、俺はだんだん通行人のような心になって来る。あの無感覚な外囲は自殺しかけている人間をそのなかに蔵しているときもやはりあの通りにちがいないのだ。――と云って、自分は先刻の空想が俺を呼ぶのに従ってこのままここを歩み去ることも出来ない。
早く電燈でも来ればよい。あの窓の磨《すり》硝子が黄色い灯を滲ませれば、与えられた生命に満足している人間を部屋のなかに、この通行人の心は想像するかも知れない。その幸福を信じる力が起って来るかも知れない」
路に彳《たたず》んでいる堯の耳に階下の柱時計の音がボンボン……と伝わって来た。変なものを聞いた、と思いながら彼の足はとぼとぼと坂を下って行った。
街路樹から次には街路から、風が枯葉を掃《はら》ってしまったあとは風の音も変って行った。夜になると街のアスファルトは鉛筆で光らせたように凍《い》てはじめた。そんな夜を堯は自分の静かな町から銀座へ出かけて行った。そこでは華ばなしいクリスマスや歳末の売出しがはじまっていた。
友達か恋人か家族か、鋪道の人はそのほとんどが連れを携《たずさ》えていた。連れのない人間の顔は友達に出会う当《あて》を持っていた。そして本当に連れがなくとも金と健康を持っている人に、この物欲の市場が悪い顔をする筈のものではないのであった。
「何をしに自分は銀座へ来るのだろう」
堯は鋪道が早くも疲労ばかりしか与えなくなりはじめるとよくそう思った。堯はそんなときいつか電車のなかで見たある少女の顔を思い浮べた。
その少女はつつましい微笑を泛《うか》べて彼の座席の前で釣《つり》革《かわ》に下がっていた。どてらのように身体に添《そ》っていない着物から「お姉さん」のような首が生えていた。その美しい顔は一と眼で彼女が何病だかを直感させた。陶器のように白い皮膚を翳《かげ》らせている多いうぶ毛。鼻孔のまわりの垢《あか》。
「彼女はきっと病床から脱け出して来たものに相違ない」
少女の面を絶えず漣《さざ》《なみ》のように起っては消える微笑を眺めながら堯はそう思った。彼女が鼻をかむようにして拭きとっているのは何か。灰を落したストーヴのように、そんなとき彼女の顔には一時鮮かな血がのぼった。
自身の疲労とともにだんだんいじらしさを増して行くその娘の像を抱きながら、銀座では堯は自分の痰《たん》を吐くのに困った。まるでものを云う度《たび》口から蛙が跳出すグリムお伽《とぎ》噺《ばなし》の娘のように。
彼はそんなとき一人の男が痰を吐いたのを見たことがある。不意に貧しい下駄が出て来てそれをすりつぶした。が、それは足が穿いている下駄ではなかった。路傍に茣《ご》蓙《ざ》を敷いてブリキの独《こ》楽《ま》を売っている老人が、さすがに怒りを浮べながら、その下駄を茣蓙の端のも一つの上へ重ねるところを彼は見たのである。
「見たか」そんな気持で堯は行き過ぎる人びとを振返った。が、誰もそれを見た人はなさそうだった。老人の坐っているところは、それが往来の目に入るにはあまりに近すぎた。それでなくても老人の売っているブリキの独楽はもう田舎の駄菓子屋ででも陳腐なものにちがいなかった。堯は一度もその玩《おも》具《ちや》が売れたのを見たことがなかった。
「何をしに自分は来たのだ」
彼はそれが自分自身への口実の、珈《コー》琲《ヒー》や牛酪《バター》やパンや筆を買ったあとで、ときには憤怒のようなものを感じながら高価な仏蘭西《フランス》香料を買ったりするのだった。またときには露店が店を畳む時刻まで街角のレストランに腰をかけていた。ストーヴに暖められ、ピアノトリオに浮き立って、グラスが鳴り、流《なが》眄《しめ》が光り、笑声が湧き立っているレストランの天井には、物憂い冬の蠅が幾匹も舞っていた。所在なくそんなものまで見ているのだった。
「何をしに自分は来たのだ」
街へ出ると吹き通る空《から》っ風《かぜ》がもう人足を疎《まば》らにしていた。宵《よい》のうち人びとが掴まされたビラの類が不思議に街の一と所に吹き溜められていたり、吐いた痰が直ぐに凍り、落ちた下駄の金具にまぎれてしまったりする夜《よ》更《ふけ》を、彼は結局は家へ帰らねばならないのだった。
「何をしに自分は来たのだ」
それは彼のなかに残っている古い生活の感興にすぎなかった。やがて自分は来なくなるだろう。堯は重い疲労とともにそれを感じた。
彼が部屋で感覚する夜は、昨夜も一昨夜も恐らくは明晩もない、病院の廊下のように長く続いた夜だった。そこでは古い生活は死のような空気のなかで停止していた。思想は書棚を埋める壁土にしか過ぎなかった。壁にかかった星座早見表は午前三時が十月二十何日に目盛をあわせたまま埃《ほこり》をかぶっていた。夜更けて彼が便所へ通うと、小窓の外の屋根瓦には月光のような霜が置いている。それを見るときにだけ彼の心はほーっと明るむのだった。
固い寝床はそれを離れると午後にはじまる一日が待っていた。傾いた冬の日が窓のそとのまのあたりを幻燈のように写し出している、その毎日であった。そしてその不思議な日射しはだんだんすべてのものが仮象にしか過ぎないということや、仮象であるゆえ精神的な美しさに染められているのだということを露骨にして来るのだった。枇《び》杷《わ》が花をつけ、遠くの日溜りからは橙《だいだい》の実が目を射った。そして初冬の時雨《しぐれ》はもう霰《あられ》となって軒をはしった。
霰はあとからあとへ黒い屋根瓦を打ってはころころ転った。トタン屋根を撲《う》つ音。やつでの葉を弾く音。枯草に消える音。やがてサアーというそれが世間に降っている音がきこえ出す。と、白い冬の面紗《ヴエイル》を破って近くの邸からは鶴の啼声が起った。堯の心もそんなときにはなにか新鮮な喜びが感じられるのだった。彼は窓際に倚《よ》って風狂というものが存在した古い時代のことを思った。しかしそれを自分の身に当《あて》嵌《は》めることは堯には出来なかった。
いつの隙《ま》にか冬至が過ぎた。そんなある日堯は長らく寄りつかなかった、以前住んでいた町の質店へ行った。金が来たので冬の外《がい》套《とう》を出しに出掛けたのだった。が、行って見るとそれはすでに流れたあとだった。
「××どんあれはいつ頃だったけ」
「へい」
しばらく見ない間にすっかり大人びた小店員が帳簿を繰った。
堯はその口上が割合すらすら出て来る番頭の顔が変に見え出した。ある瞬間には彼が非常な云《いい》憎《にく》さを押隠して云っているように見え、ある瞬間にはいかにも平気に云っているように見えた。彼は人の表情を読むのにこれ程戸惑ったことはないと思った。いつもは好意のある世間話をしてくれる番頭だった。
堯は番頭の言葉によって幾度も彼が質店から郵便を受けていたのをはじめて現実に思い出した。硫酸に侵されているような気持の底で、そんなことをこの番頭に聞かしたらというような苦笑も感じながら、彼もやはり番頭のような無関心を顔に装って一通りそれと一緒に処分されたものを聞くと、彼はその店を出た。
一匹の痩《や》せ衰えた犬が、霜解の路ばたで醜い腰附を慄《ふる》わせながら、糞をしようとしていた。堯はなにか露悪的な気持にじりじり迫られるのを感じながら、嫌悪に堪えたその犬の身体つきを、終るまで見ていた。長い帰りの電車のなかでも、彼はしじゅう崩壊に屈しようとする自分を堪えていた。そして電車を降りて見ると、家を出るとき持って出た筈の洋《こう》傘《もり》は――彼は持っていなかった。
あてもなく電車を追おうとする眼を彼は反射的にそらせた。重い疲労を引摺りながら、夕方の道を帰って来た。その日町へ出るとき赤いものを吐いた、それが路ばたの槿(むくげ)の根方にまだひっかかっていた。堯には微かな身慄いが感じられた。――吐いたときには悪いことをしたとしか思わなかったその赤い色に。――
夕方の発熱時が来ていた。冷い汗が気味悪く腋《わき》の下を伝った。彼は袴《はかま》も脱がぬ外出姿のまま凝然と部屋に坐っていた。
突然匕《あい》首《くち》のような悲しみが彼に触れた。次から次へ愛するものを失って行った母の、ときどきするとぼけたような表情を思い浮べると、彼は静かに泣きはじめた。
夕《ゆう》餉《げ》をしたために階下へ下りる頃は、彼の心はもはや冷静に帰っていた。そこへ友達の折田というのが訪ねて来た。食欲はなかった。彼は直ぐ二階へあがった。
折田は壁にかかっていた、星座表を下ろして来て頻《しき》りに目盛を動かしていた。
「よう」
折田はそれには答えず、
「どうだ。雄大じゃあないか」
それから顔をあげようとしなかった。堯はふと息を嚥《の》んだ。彼にはそれがいかに壮大な眺めであるかが信じられた。
「休暇になったから郷里へ帰ろうと思ってやって来た」
「もう休暇かね。俺はこんどは帰らないよ」
「どうして」
「帰りたくない」
「うちからは」
「うちへは帰らないと手紙出した」
「旅行でもするのか」
「いや、そうじゃない」
折田はぎろと堯の目を見返したまま、もうその先を訊かなかった。が、友達の噂《うわさ》学校の話、久濶(きゆうかつ)の話は次第に出て来た。
「この頃学校じゃあ講堂の焼跡を毀《こわ》してるんだ。それがね、労働者が鶴《つる》嘴《はし》を持って焼跡の煉瓦壁へ登って……」
その現に自分の乗っている煉瓦壁へ鶴嘴を揮《ふる》っている労働者の姿を、折田は身《み》振《ぶり》をまぜて描き出した。
「あと一と衝《つ》きというところまでは、その上にいて鶴嘴をあてている。それから安全なところへ移って一つがんとやるんだ。すると大きい奴がどどーんと落ちて来る」
「ふーん。なかなか面白い」
「面白いよ。それで大変な人気だ」
堯らは話をしているといくらでも茶を飲んだ。が、へいぜい自分の使っている茶碗で頻りに茶を飲む折田を見ると、その度《たび》彼は心が話からそれる。その拘《こだ》泥《わり》がだんだん重く堯にのしかかって来た。
「君は肺病の茶碗を使うのが平気なのかい。咳《せき》をする度にバイキンはたくさん飛んでいるし。――平気なんだったら衛生の観念が乏《とぼ》しいんだし、友達甲《が》斐《い》にこらえているんだったら子供みたいな感傷主義に過ぎないと思うな――僕はそう思う」
云ってしまって堯は、なぜこんないやなことを云ったのかと思った。折田は目を一度ぎろとさせたまま黙っていた。
「しばらく誰も来なかったかい」
「しばらく誰も来なかった」
「来ないとひがむかい」
こんどは堯が黙った。が、そんな言葉で話し合うのが堯にはなぜか快かった。
「ひがみはしない。しかし俺もこの頃は考え方が少しちがって来た」
「そうか」
堯はその日の出来事を折田に話した。
「俺はそんなときどうしても冷静になれない。冷静というものは無感動じゃなくて、俺にとっては感動だ。苦痛だ。しかし俺の生きる道は、その冷静で自分の肉体や自分の生活が滅びてゆくのを見ていることだ」
「…………」
「自分の生活が壊れてしまえば本当の冷静は来ると思う。水底の岩に落つく木の葉かな……」
「丈草(じようそう)だね。……そうか、しばらく来なかったな」
「そんなこと。……しかしこんな考えは孤独にするな」
「俺は君がそのうちに転地でもするような気になるといいと思うな。正月には帰れと云って来ても帰らない積りか」
「帰らない積りだ」
珍しく風のない静かな晩だった。そんな夜は火事もなかった。二人が話をしていると、戸外にはときどき小さい呼子(よびこ)のような声のものが鳴いた。
十一時になって折田は帰って行った。帰るきわに彼は紙入のなかから乗車割引券を二枚、
「学校へとりにゆくのも面倒だろうから」と云って堯に渡した。
母から手紙が来た。
――お前にはなにか変ったことがあるにちがいない。それで正月上京なさる津枝さんにお前を見舞って頂くことにした。その積りでいなさい。
帰らないと云うから春着を送りました。今年は胴着を作って入れておいたが、胴着は着物と襦《じゆ》袢《ばん》の間に着るものです。じかに着てはいけません。――
津枝というのは母の先生の子息で今は大学を出て医者をしていた。が、嘗《かつ》て堯にはその人に兄のような思慕を持っていた時代があった。
堯は近くへ散歩に出ると、近頃は殊に母の幻覚に出会った。母だ! と思ってそれが見も知らぬ人の顔であるとき、彼はよく変なことを思った。――すーっと変ったようだった。また母がもう彼の部屋へ来て坐りこんでいる姿が目にちらつき、家へ引返したりした。が、来たのは手紙だった。そして来るべき人は津枝だった。堯の幻覚はやんだ。
街を歩くと堯は自分が敏感な水準器になってしまったのを感じた。彼はだんだん呼吸が切迫して来る自分に気がつく。そして振返って見るとその道は彼が知らなかった程の傾斜をしているのだった。彼は立停ると激しく肩で息をした。ある切ない塊が胸を下ってゆくまでには、必ずどうすればいいのかわからない息苦しさを一度経なければならなかった。それが鎮まると堯はまた歩き出した。
何が彼を駆るのか。それは遠い地平へ落ちて行く太陽の姿だった。
彼の一日は低地を距てた灰色の洋風の木造家屋に、どの日もどの日も消えてゆく冬の日に、もう堪えきることが出来なくなった。窓の外の風景が次第に蒼《あお》ざめた空気のなかへ没してゆくとき、それがすでにただの日蔭ではなく、夜と名附けられた日蔭だという自覚に、彼の心は不思議ないらだちを覚えて来るのだった。
「あああ大きな落日が見たい」
彼は家を出て遠い展望のきく場所を捜《さが》した。歳《せい》暮《ぼ》の町には餅《もち》搗《つ》きの音が起っていた。花屋の前には梅と福寿草をあしらった植木鉢が並んでいた。そんな風俗画は、町がどこをどう帰っていいかわからなくなりはじめるにつれて、だんだん美しくなった。自分のまだ一度も踏まなかった路――そこでは米を磨《と》いでいる女も喧《けん》嘩《か》をしている子供も彼を立停まらせた。が、見晴らしはどこへ行っても、大きな屋根の影絵があり、夕焼空に澄んだ梢《こずえ》があった。その度、遠い地平へ落ちてゆく太陽の隠された姿が切ない彼の心に写った。
日の光に満ちた空気は地上を僅かも距っていなかった。彼の満たされない願望は、ときに高い屋根の上へのぼり、空へ手を伸している男を想像した。男の指の先はその空気に触れている。――また彼は水素を充した石《シヤ》鹸《ボン》玉《だま》が、蒼ざめた人と街とを昇天させながら、その空気のなかへパッと七《なな》彩《いろ》に浮び上る瞬間を想像した。
青く澄み透った空では浮雲が次から次へ美しく燃えていった。みたされない堯の心の燠(おき)にも、やがてその火は燃えうつった。
「こんなに美しいときが、なぜこんなに短いのだろう」
彼はそんなときほどはかない気のするときはなかった。燃えた雲はまたつぎつぎに死灰になりはじめた。彼の足はもう進まなかった。
「あの空を涵《ひた》してゆく影は地球のどの辺の影になるかしら。あすこの雲へゆかないかぎり今日ももう日は見られない」
にわかに重い疲れが彼に凭《よ》りかかる。知らない町の知らない町角で、堯の心はもう再び明るくはならなかった。
(大正十五年十一月及び昭和二年三月稿 *『青空』昭和二年二月号及び同年四月号)
蒼穹
ある晩春の午後、私は村の街道に沿った土堤の上で日を浴びていた。空にはながらく動かないでいる巨《おお》きな雲があった。その雲はその地球に面した側に藤紫色をした陰《いん》翳《えい》を持っていた。そしてその尨《ぼう》大《だい》な容積やその藤紫色をした陰翳はなにかしら茫漠とした悲哀をその雲に感じさせた。
私の坐っているところはこの村でも一番広いとされている平地の縁《へり》に当っていた。山と渓《たに》とがその大方の眺めであるこの村では、どこを眺めるにも勾《こう》配《ばい》のついた地勢でないものはなかった。風景は絶えず重力の法則に脅かされていた。そのうえ光と影の移り変りは渓間にいる人に始終慌《あわただ》しい感情を与えていた。そうした村のなかでは、渓間からは高く一日日の当るこの平地の眺めほど心を休めるものはなかった。私にとってはその終日日に倦《あ》いた眺めが悲しいまでノスタルジックだった。Lotus-eater の住んでいるといういつも午後ばかりの国――それが私には想像された。
雲はその平地の向うの果である雑木山の上に横たわっていた。雑木山では絶えず杜鵑《ほととぎす》が鳴いていた。その麓に水車が光っているばかりで、眼に見えて動くものはなく、うらうらと晩春の日が照り渡っている野山には静かな懶《ものう》さばかりが感じられた。そして雲はなにかそうした安逸の非運を悲しんでいるかのように思われるのだった。
私は眼を渓《たに》の方の眺めへ移した。私の眼の下ではこの半島の中心の山彙(さんい)からわけ出て来た二つの渓が落合っていた。二つの渓の間へ楔子《くさび》のように立っている山と、前方を屏《びよ》風《うぶ》のように塞《ふさ》いでいる山との間には、一つの渓をその上流へかけて十二単《ひと》衣《え》のような山《やま》褶《ひだ》が交互に重なっていた。そしてその涯には一本の巨大な枯木をその巓《いただき》に持っている、そしてそのために殊《こと》更《さら》感情を高めて見える一つの山が聳《そび》えていた。日は毎日二つの渓を渡ってその山へ落ちてゆくのだったが、午後早い日は今やっと一つの渓を渡ったばかりで、渓と渓との間に立っている山のこちら側が死のような影に安らっているのが殊更眼立っていた。三月の半ば頃私はよく山を蔽《おお》った杉林から山火事のような煙が起るのを見た。それは日のよくあたる風の吹く、ほどよい湿度と温度が幸いする日、杉林が一斉に飛ばす花粉の煙であった。しかし今すでに受精を終った杉林の上には褐色がかった落ちつきが出来ていた。瓦《ガ》斯《ス》体のような若芽に煙っていた欅《けやき》や楢《なら》の緑にももう初夏らしい落ちつきがあった。闌《た》けた若葉が各々影を持ち瓦斯体のような夢はもうなかった。ただ渓間にむくむくと茂っている椎《しい》の樹が何回目かの発芽で黄《き》な粉《こ》をまぶしたようになっていた。
そんな風景のうえを遊んでいた私の眼は、二つの渓をへだてた杉山の上から青空の透いて見えるほど淡い雲が絶えず湧いて来るのを見たとき、不知《しらず》不識《しらず》そのなかへ吸い込まれて行った。湧き出て来る雲は見る見る日に輝いた巨大な姿を空のなかへ拡げるのであった。
それは一方からの尽きない生成とともにゆっくり旋回していた。また一方では捲きあがって行った縁《へり》が絶えず青空のなかへ消え込むのだった。こうした雲の変化ほど見る人の心に云い知れぬ深い感情を喚び起すものはない。その変化を見極めようとする眼はいつもその尽きない生成と消滅のなかへ溺れ込んでしまい、ただそればかりを繰返しているうちに、不思議な恐怖に似た感情がだんだん胸へ昂《たか》まって来る。その感情は喉《のど》を詰らせるようになって来、身体からは平衡の感じがだんだん失われて来、もしそんな状態が長く続けば、そのある極点から、自分の身体は奈落のようなもののなかへ落ちてゆくのではないかと思われる。それも花火に仕掛けられた紙人形のように、身体のあらゆる部分から力を失って。――
私の眼はだんだん雲との距離を絶して、そう云った感情のなかへ巻き込まれて行った。そのとき私はふとある不思議な現象に眼をとめたのである。それは雲の湧いて出るところが、影になった杉山の直ぐ上からではなく、そこからかなりの距りを持ったところにあったことであった。そこへ来てはじめて薄《うつす》り見えはじめる。それから見る見る巨きな姿をあらわす。――
私は空のなかに見えない山のようなものがあるのではないかというような不思議な気持に捕えられた。そのとき私の心をふとかすめたものがあった。それはこの村でのある闇夜の経験であった。
その夜私は提《ちよう》灯《ちん》も持たないで闇の街道を歩いていた。それは途中にただ一軒の人家しかない、そしてその家の燈《ひ》がちょうど戸の節穴から写る戸外の風景のように見えている、大きな闇のなかであった。街道へその家の燈《ひ》が光を投げている。そのなかへ突然姿をあらわした人影があった。おそらくそれは私と同じように提灯を持たないで歩いていた村人だったのであろう。私は別にその人影を怪しいと思ったのではなかった。しかし私はなんということなく凝《じ》っと、その人影が闇のなかへ消えてゆくのを眺めていたのである。その人影は背に負った光をだんだん失いながら消えて行った。網膜だけの感じになり、闇のなかの想像になり――ついにはその想像もふっつり断ち切れてしまった。そのとき私は『どこ』というもののない闇に微《かす》かな戦慄を感じた。その闇のなかへ同じような絶望的な順序で消えてゆく私自身を想像し、云い知れぬ恐怖と情熱を覚えたのである。――
その記憶が私の心をかすめたとき、突然私は悟った。雲が湧き立っては消えてゆく空のなかにあったものは、見えない山のようなものでもなく、不思議な岬《みさき》のようなものでもなく、なんという虚無! 白日の闇が満ち充ちているのだということを。私の眼は一時に視力を弱めたかのように、私は大きな不幸を感じた。濃い藍《あい》色に煙りあがったこの季節の空は、そのとき、見れば見るほどただ闇としか私には感覚出来なかったのである。
(昭和三年一月稿 *『文芸都市』昭和三年三月号)
筧(かけひ)の話
私は散歩に出るのに二つの路を持っていた。一つは渓《たに》に沿った街道で、もう一つは街道の傍から渓に懸った吊《つり》橋《ばし》を渡って入ってゆく山《やま》径《みち》だった。街道は展望を持っていたがそんな道の性質として気が散り易かった。それに比べて山径の方は陰気ではあったが心を静かにした。どちらへ出るかはその日その日の気持が決めた。
しかし、いま私の話は静かな山径の方をえらばなければならない。
吊橋を渡ったところから径は杉林のなかへ入ってゆく。杉の梢《こずえ》が日を遮《さえぎ》り、この径にはいつも冷たい湿っぽさがあった。ゴチック建築のなかを辿ってゆくときのような、犇《ひし》ひしと迫って来る静寂と孤独とが感じられた。私の眼はひとりでに下へ落ちた。径の傍《かたわ》らには種々の実生(みしよう)や蘚苔(せんたい)、羊《し》歯《だ》の類がはえていた。この径ではそういった矮小な自然がなんとなく親しく――彼等が陰湿な会話をはじめるお伽噺のなかでのように、眺められた。また径の縁には赤土の露出が雨滴にたたかれて、ちょうど風化作用に骨立った岩石そっくりの恰《かつ》好《こう》になっているところがあった。その削り立った峰の頂にはみな一つ宛《ずつ》小石が載《の》っかっていた。ここへは、しかし、日が全く射して来ないのではなかった。梢の隙間を洩れて来る日光が、径のそこここや杉の幹へ、蝋《ろう》燭《そく》で照らしたような弱い日なたを作っていた。歩いてゆく私の頭の影や肩先の影がそんななかへ現われては消えた。なかには「まさかこれまでが」と思うほど淡いのが草の葉などに染まっていた。試しに杖をあげて見るとささくれまでがはっきりと写った。
この径を知ってから間もなくの頃、ある期待のために心を緊張させながら、私はこの静けさのなかを殊にしばしば歩いた。私が目ざしてゆくのは杉林の間からいつも氷室(ひむろ)から来るような冷気が径へ通っているところだった。一本の古びた筧《かけひ》がその奥の小暗いなかからおりて来ていた。耳を澄まして聴くと、幽《かす》かなせせらぎの音がそのなかにきこえた。私の期待はその水音だった。
どうした訳で私の心がそんなものに惹きつけられるのか。心がわけても静かだったある日、それを聞き澄ましていた私の耳がふとそのなかに不思議な魅惑がこもっているのを知ったのである。その後追《おい》おいに気づいて行ったことなのであるが、この美しい水音を聴いていると、その辺りの風景のなかに変な錯誤が感じられて来るのであった。香もなく花も貧しいのぎ蘭《らん》がそのところどころに生えているばかりで、杉の根方はどこも暗く湿っぽかった。そして筧といえばやはりあたりと一帯の古び朽ちたものをその間に横《よこた》えているに過ぎないのだった。「そのなかからだ」と私の理性が信じていても、澄み透った水音にしばらく耳を傾けていると、聴覚と視覚との統一はすぐばらばらになってしまって、変な錯誤の感じとともに、訝《いぶ》かしい魅惑が私の心を充たして来るのだった。
私はそれによく似た感情を、露草の青い花を眼にするとき経験することがある。草《くさ》叢《むら》の緑とまぎれやすいその青は不思議な惑《まど》わしを持っている。私はそれを、露草の花が青空や海と共通の色を持っているところから起る一種の錯覚だと快く信じているのであるが、見えない水音の醸《かも》し出す魅惑はそれにどこか似通っていた。
すばしこく枝移りする小鳥のような不定さは私をいらだたせた。蜃《しん》気《き》楼《ろう》のようなはかなさは私を切なくした。そして深《しん》秘《ぴ》はだんだん深まってゆくのだった。私に課せられている暗鬱な周囲のなかで、やがてそれは幻聴のように鳴りはじめた。束の間の閃《せん》光《こう》が私の生命を輝かす。そのたび私はあっあっと思った。それは、しかし、無限の生命に眩《げん》惑《わく》されるためではなかった。私は深い絶望をまのあたりに見なければならなかったのである。何という錯誤だろう! 私は物体が二つに見える酔っ払いのように、同じ現実から二つの表象を見なければならなかったのだ。しかもその一方は理想の光に輝かされ、もう一方は暗黒の絶望を背負っていた。そしてそれらは私がはっきりと見ようとする途端一つに重なって、またもとの退屈な現実に帰ってしまうのだった。
筧は雨がしばらく降らないと水が涸《か》れてしまう。また私の耳も日によってはまるっきり無感覚のことがあった。そして花の盛りが過ぎてゆくのと同じように、いつの頃からか筧にはその深秘がなくなってしまい、私ももうその傍に佇《たたず》むことをしなくなった。しかし私はこの山径を散歩しそこを通りかかる度に自分の宿命について次のようなことを考えないではいられなかった。
「課せられているのは永遠の退屈だ。生の幻影は絶望と重なっている」
(昭和三年一月稿 *『近代風景』同年四月号)
器楽的幻覚
ある秋仏蘭西《フランス》から来た年若い洋琴家《ピアニスト》がその国の伝統的な技巧で豊富な数の楽曲を冬にかけて演奏して行ったことがあった。そのなかには独逸《ドイツ》の古典的な曲目もあったが、これまで噂ばかりで稀にしか聴けなかった多くの仏蘭西系統の作品が齎《もた》らされていた。私が聴いたのは何週間にも亘《わた》る六回の連続音楽会であったが、それはホテルのホールが会場だったので聴衆も少なく、そのため静かなこんもりした感じのなかで聴くことが出来た。回数を積むにつれて私は会場にも、周囲の聴衆の頭や横顔の恰《かつ》好《こう》にも慣れて、教室へ出るような親しさを感じた。そしてそのような制度の音楽会を好もしく思った。
その終りに近いあるアーベントのことだった。その日私はいつもにない落ちつきと頭の澄明を自覚しながら会場へはいった。そして第一部の長いソナタを一小節も聴き落すまいとしながら聴き続けて行った。それが終ったとき、私は自分をそのソナタの全感情のなかに没入させることが出来たことを感じた。私はその夜床へはいってからの不眠や、不眠のなかで今の幸福に倍する苦痛をうけなければならないことを予感したが、その時私の陥っていた深い感動にはそれは何の響きも与えなかった。
休憩の時間が来たとき私は離れた席にいる友達に目《め》《くば》せをして人びとの肩の間を屋外に出た。その時間私とその友達とは音楽に何の批評をするでもなく黙り合って煙草を吸うのだったが、いつの間にか私達の間できまりになってしまった各々の孤独ということも、その晩そのときにとっては非常に似つかわしかった。そうして黙って気を鎮《しず》めていると私は自分を捕えている強い感動が一種無感動に似た気持を伴って来ていることを感じた。煙草を出す。口にくわえる。そして静かにそれを吹かすのが、いかにも「何の変ったこともない」感じなのであった。――燈火を赤く反映している夜空も、そのなかにときどき写る青いスパークも。……しかしどこかからきこえて来た軽はずみな口笛がいまのソナタに何回も繰返されるモティイフを吹いているのをきいたとき、私の心が鋭い嫌悪にかわるのを、私は見た。
休憩の時間を残しながら席に帰った私は、すいた会場のなかに残っている女の人の顔などをぼんやり見たりしながら、心がやっと少しずつ寛解して来たのを覚えていた。しかしやがてベルが鳴り、人びとが席に帰って、元のところへもとの頭が並んでしまうと、それも私にはわからなくなってしまうのだった。私の頭はなにか凍ったようで、はじまろうとしている次の曲目をへんに重苦しく感じていた。こんどは主に近代や現代の短い仏蘭西《フランス》の作品が次つぎに弾かれて行った。
演奏者の白い十本の指があるときは泡を噛んで進んでゆく波頭のように、あるときは戯《じや》れ合っている家畜のように鍵盤に挑みかかっていた。それがときどき演奏者の意志からも鳴り響いている音楽からも遊離して動いているように感じられた。そうかと思うと私の耳は不意に音楽を離れて、息を凝《こ》らして聴き入っている会場の空気に触れたりした。よくあることではじめは気にならなかったが、プログラムが終りに近づいてゆくにつれてそれはだんだん顕著になって来た。明らかに今夜は変だと私は思った。私は疲れていたのだろうか? そうではなかった。心は緊張し過ぎるほど緊張していた。一つの曲目が終って皆が拍手をするとき私は癖で大抵の場合じっとしているのだったが、この夜は殊に強いられたように凝《ぎよう》然《ぜん》としていた。するとどよめきに沸き返りまたすーっと収まってゆく場内の推移が、なにか一つの長い音楽のなかで起ることのように私の心に写りはじめた。
読者は幼時こんな悪《いた》戯《ずら》をしたことはないか。それは人びとの喧《けん》噪《そう》のなかに囲まれているとき、両方の耳に指で栓をしてそれを開けたり閉じたりするのである。するとゴウッ――ゴウッ――という喧噪の断続とともに人びとの顔がみな無意味に見えてゆく。人びとは誰もそんなことを知らず、またそんななかに陥《おちい》っている自分に気がつかない。――ちょうどそれに似た孤独感がついに突然の烈しさで私を捕えた。それは演奏者の右手が高いピッチのピアニッシモに細かく触れているときだった。人びとは一斉に息を殺してその微妙な音に絶え入っていた。ふとその完全な窒《ちつ》息《そく》に眼覚めたとき、愕《がく》然《ぜん》と私はしたのだ。
「なんという不思議だろうこの石化は? 今なら、あの白い手がたとえあの上で殺人を演じても、誰一人叫び出そうとはしないだろう」
私は寸時まえの拍手とざわめきとをあたかも夢のように思い浮べた。それは私の耳にも目にもまだはっきり残っていた。あんなにざわめいていた人びとが今のこの静けさ――私にはそれが不思議な不思議なことに思えた。そして人びとは誰一人それを疑おうともせずひたむきに音楽を追っている。云いようもないはかなさが私の胸にしみて来た。私は涯もない孤独を思い浮べていた。音楽会――音楽会を包んでいる大きな都会――世界。……小曲は終った。木枯のような音が一しきり過ぎて行った。そのあとはまたもとの静けさのなかで音楽が鳴り響いて行った。もはやすべてが私には無意味だった。幾たびとなく人びとがわっわっとなってはまたすーっとなって行ったことが何を意味していたのか夢のようだった。
最後の拍手とともに人びとが外《がい》套《とう》と帽子を持って席を立ちはじめる会の終りを、私は病気のような寂《せき》寥《りよう》感《かん》で人びとの肩に伍《ご》して出口の方へ動いて行った。出口の近くで太い首を持った背広服の肩が私の前へ立った。私はそれが音楽好きで名高い侯爵だということをすぐ知った。そしてその服地の匂いが私の寂寥を打ったとき、何事だろう、その威厳に充ちた姿はたちまち萎縮してあえなくその場に仆《たお》れてしまった。私は私の意志からでない同様の犯行を何人もの心に加えることに云いようもない憂鬱を感じながら、玄関に私を待っていた友達と一緒になるために急いだ。その夜私は私達がそれからいつも歩いて出ることにしていた銀座へは行かないで一人家へ歩いて帰った。私の予感していた不眠症が幾晩も私を苦しめたことは云うまでもない。
(昭和三年一月稿 *『近代風景』同年五月号)
冬の蠅
冬の蠅とは何か?
よぼよぼと歩いている蠅。指を近づけても逃げない蠅。そして飛べないのかと思っているとやはり飛ぶ蠅。彼等は一体どこで夏頃の不《ふ》逞《てい》さや憎々しいほどのすばしこさを失って来るのだろう。色は不鮮明に黝《くろず》んで、翅《し》体《たい》は萎縮している。汚い臓物で張切っていた腹は紙撚《こより》のように痩《や》せ細っている。そんな彼等がわれわれの気もつかないような夜具の上などを、いじけ衰えた姿で匍《は》っているのである。
冬から早春にかけて、人は一度ならずそんな蠅を見たにちがいない。それが冬の蠅である。私はいま、この冬私の部屋に棲《す》んでいた彼等から一篇の小説を書こうとしている。
冬が来て私は日光浴をやりはじめた。渓《たに》間《ま》の温泉宿なので日が翳《かげ》り易い。渓の風景は朝遅くまでは日影のなかに澄んでいる。やっと十時頃渓向うの山に堰《せ》きとめられていた日光が閃《せん》々《せん》と私の窓を射はじめる。窓を開けて仰ぐと、渓の空は虻《あぶ》や蜂の光点が忙がしく飛び交っている。白く輝いた蜘《く》蛛《も》の糸が弓形に膨《ふく》らんで幾条も幾条も流れてゆく。(その糸の上には、何という小さな天女! 蜘蛛が乗っているのである。彼等はそうして自分等の身体を渓のこちら岸からあちら岸へ運ぶものらしい。)昆虫。昆虫。初冬といっても彼等の活動は空に織るようである。日光が樫の梢に染まりはじめる。するとその梢からは白い水蒸気のようなものが立《たち》騰《のぼ》る。霜が溶けるのだろうか。溶けた霜が蒸発するのだろうか。いや、それも昆虫である。微粒子のような羽虫がそんな風に群がっている。そこへ日が当ったのである。
私は開け放った窓のなかで半裸体の身体を晒《さら》しながら、そうした内《うち》湾《うみ》のように賑やかな渓の空を眺めている。すると彼等がやって来るのである。彼等のやって来るのは私の部屋の天井からである。日蔭ではよぼよぼとしている彼等は日なたのなかへ下りて来るやよみがえったように活気づく。私の脛《すね》へひやりととまったり、両脚を挙《あ》げて腋《わき》の下を掻《か》くような模《ま》ねをしたり手を摩《す》りあわせたり、かと思うと弱よわしく飛び立っては絡《から》み合ったりするのである。そうした彼等を見ていると彼等がどんなに日光を怡《たの》しんでいるかが憐れなほど理解される。とにかく彼等が嬉《き》戯《ぎ》するような表情をするのは日なたのなかばかりである。それに彼等は窓が明いている間は日なたのなかから一歩も出ようとはしない。日が翳《かげ》るまで、移ってゆく日なたのなかで遊んでいるのである。虻や蜂があんなにも溌剌と飛び廻っている外気のなかへも決して飛び立とうとはせず、なぜか病人である私を模《ま》ねている。しかし何という「生きんとする意志」であろう! 彼等は日光のなかでは交尾することを忘れない。恐らく枯死からはそう遠くない彼等が!
日光浴をするとき私の傍らに彼等を見るのは私の日課のようになってしまっていた。私は微《ひそ》かな好奇心と一種馴染の気持から彼等を殺したりはしなかった。また夏の頃のように猛《たけ》だけしい蠅捕り蜘蛛がやって来るのでもなかった。そうした外敵からは彼等は安全であったと云えるのである。しかし毎日大抵二匹宛《ずつ》ほどの彼等がなくなって行った。それはほかでもない。牛乳の壜である。私は自分の飲みっ放しを日なたのなかへ置いておく。すると毎日決ったようにそのなかへはいって出られない奴が出来た。壜の内側を身体に附《ふち》著《やく》した牛乳を引き摺りながらのぼって来るのであるが、力のない彼等はどうしても中途で落ちてしまう。私は時どきそれを眺めていたりしたが、こちらが「もう落ちる時分だ」と思う頃、蠅も「ああ、もう落ちそうだ」という風に動かなくなる。そして案の定落ちてしまう。それは見ていて決して残酷でなくはなかった。しかしそれを助けてやるというような気持は私の倦怠《アンニユイ》からは起って来ない。彼等はそのまま女中が下げてゆく。蓋をしておいてやるという注意もなおのこと出来ない。翌日になるとまた一匹宛はいって同じことを繰返していた。
「蠅と日光浴をしている男」いま諸君の目にはそうした表象が浮んでいるにちがいない。日光浴を書いたついでに私はもう一つの表象「日光浴をしながら太陽を憎んでいる男」を書いてゆこう。
私の滞在はこの冬で二た冬目であった。私は好んでこんな山間にやって来ている訳ではなかった。私は早く都会へ帰りたい。帰りたいと思いながら二た冬もいてしまったのである。いつまで経っても私の「疲労」は私を解放しなかった。私が都会を想い浮べるごとに私の「疲労」は絶望に満ちた街々を描き出す。それはいつになっても変改されない。そしてはじめ心に決めていた都会へ帰る日取りは夙《と》うの昔に過ぎ去ったまま、いまはその影も形もなくなっていたのである。私は日を浴びていても、否、日を浴びるときは殊に、太陽を憎むことばかり考えていた。結局は私を生かさないであろう太陽。しかもうっとりとした生の幻影で私を瞞《だま》そうとする太陽。おお、私の太陽。私はだらしのない愛情のように太陽が癪《しやく》に触った。裘(けごろも)のようなものは、反対に、緊迫衣(ストレート・ジヤケツト)のように私を圧迫した。狂人のような悶《もだ》えでそれを引き裂き、私を殺すであろう酷寒のなかの自由をひたすらに私は欲した。
こうした感情は日光浴の際身体の受ける生理的な変化――旺《さか》んになって来る血行や、それに随《したが》って鈍麻してゆく頭脳や――そう云ったもののなかに確かにその原因を持っている。鋭い悲哀を和《やわ》らげ、ほかほかと心を怡《たのし》ます快感は、同時に重っ苦しい不快感である。この不快感は日光浴の済んだあとなんとも云えない虚無的な疲れで病人を打ち敗かしてしまう。恐らくそれへの嫌悪から私のそうした憎悪も胚《はい》胎《たい》したのかも知れないのである。
しかし私の憎悪はそればかりではなく、太陽が風景へ与える効果――眼からの効果――の上にも形成されていた。
私が最後に都会にいた頃――それは冬至に間もない頃であったが――私は毎日自分の窓の風景から消えてゆく日影に限りない愛惜を持っていた。私は墨汁のようにこみあげて来る悔恨といらだたしさの感情で、風景を埋めてゆく影を眺めていた。そして落日を見ようとする切なさに駆《か》られながら、見透しのつかない街を慌《あわ》てふためいてうろうろしたのである。今の私にはもうそんな愛惜はなかった。私は日の当った風景の象徴する幸福な感情を否定するのではない。その幸福は今や私を傷《きずつ》ける。私はそれを憎むのである。
渓《たに》の向う側には杉林が山腹を蔽っている。私は太陽光線の偽瞞をいつもその杉林で感じた。昼間日が当っているときそれはただ雑然とした杉の秀《ほ》の堆積としか見えなかった。それが夕方になり光が空からの反射光線に変るとはっきりした遠近にわかれて来るのだった。一本一本の木が犯し難い威厳をあらわして来、しんしんと立ち並び、立ち静まって来るのである。そして昼間は感じられなかった地域がかしこにここに杉の秀並みの間へ想像されるようになる。渓側にはまた樫《かし》や椎《しい》の常緑樹に交って一本の落葉樹が裸の枝に朱色の実を垂れて立っていた。その色は昼間は白く粉を吹いたように疲れている。それが夕方になると眼が吸いつくばかりの鮮やかさに冴える。元来一つの物に一つの色彩が固有しているという訳のものではない。だから私はそれをも偽瞞と云うのではない。しかし直射光線には偏《へん》頗《ぱ》があり、一つの物象の色をその周囲の色との正しい諧調から破ってしまうのである。そればかりではない。全反射がある。日蔭は日表との対照で闇のようになってしまう。なんという雑多な溷《こん》濁《だく》だろう。そしてすべてそうしたことが日の当った風景を作りあげているのである。そこには感情の弛《し》緩《かん》があり、神経の鈍麻があり、理性の偽瞞がある。これがその象徴する幸福の内容である。恐らく世間における幸福がそれらを条件としているように。
私は以前とは反対に渓間を冷たく沈ませてゆく夕方を――僅かの時間しか地上に駐《とど》まらない黄《たそ》昏《がれ》の厳かな掟《おきて》を――待つようになった。それは日が地上を去って行ったあと、路の上の潦《みずたまり》を白く光らせながら空から下りて来る反射光線である。たとえ人はそのなかでは幸福ではないにしても、そこには私の眼を澄ませ心を透き徹らせる風景があった。
「平俗な日なた奴! 早く消えろ。いくら貴様が風景に愛情を与え、冬の蠅を活気づけても、俺を愚《ぐ》昧《まい》化することだけは出来ぬわい。俺は貴様の弟子の外光派に唾をひっかける。俺は今度会ったら医者に抗議を申込んでやる」
日に当りながら私の憎悪はだんだんたかまってゆく。しかしなんという「生きんとする意志」であろう。日なたのなかの彼等は永久に彼等の怡《たの》しみを見棄てない。壜《びん》のなかの奴も永久に登っては落ち、登っては落ちている。
やがて日が翳りはじめる。高い椎の樹へ隠れるのである。直射光線が気《け》疎《うと》い回折光線にうつろいはじめる。彼等の影も私の脛《すね》の影も不思議な鮮やかさを帯びて来る。そして私は褞袍《どてら》をまとって硝子《ガラス》窓を閉しかかるのであった。
午後になると私は読書をすることにしていた。彼等はまたそこへやって来た。彼等は私の読んでいる本へ纏《まと》わりついて、私のはぐる頁のためにいつも身体を挟み込まれた。それほど彼等は逃げ足が遅い。逃げ足が遅いだけならまだしも、僅かな紙の重みの下で、あたかも梁《はり》に押えられたように、仰向けになったりして藻《も》掻《が》かなければならないのだった。私には彼等を殺す意志がなかった。それでそんなとき――殊に食事のときなどは、彼等の足弱が却って迷惑になった。食膳のものへとまりに来るときは追う箸《はし》をことさら緩《ゆ》っくり動かさなくてはならない。さもないと箸の先で汚ならしくも潰《つぶ》れてしまわないとも限らないのである。しかしそれでもまだそれに弾《は》ねられて汁のなかへ落ち込んだりするのがいた。
最後に彼等を見るのは夜、私が寝床へはいるときであった。彼等はみな天井に貼りついていた。凝《じ》っと、死んだように貼りついていた。――一体脾《ひ》弱《よわ》な彼等は日光のなかで戯《たわむ》れているときでさえ、死んだ蠅が生き返って来て遊んでいるような感じがあった。死んでから幾日も経ち、内臓なども乾きついてしまった蠅がよく埃《ほこり》にまみれて転っていることがあるが、そんな奴がまたのこのこと生き返って来て遊んでいる。いや、事実そんなことがあるのではなかろうか、と云った想像も彼等のみてくれからは充分に許すことが出来るほどであった。そんな彼等が今や凝っと天井にとまっている。それはほんとうに死んだようである。
そうした、錯覚に似た彼等を眠るまえ枕の上から眺めていると、私の胸へはいつも廓《かく》寥《りよう》とした深夜の気配が沁《し》みて来た。冬ざれた渓間の旅館は私のほかに宿泊人のない夜がある。そんな部屋はみな電燈が消されている。そして夜が更けるにしたがってなんとなく廃墟に宿っているような心持を誘うのである。私の眼はその荒れ寂びた空想のなかに、恐ろしいまでに鮮やかな一つの場面を思い浮べる。それは夜深く海の香をたてながら、澄み透った湯を溢《あふ》れさせている渓《たに》傍《わき》の浴槽である。そしてその情景はますます私に廃墟の気持を募《つの》らせて行く。――天井の彼等を眺めていると私の心はそうした深夜を感じる。深夜のなかへ心が拡がってゆく。そしてそのなかのただ一つの起きている部屋である私の部屋。――天井に彼等のとまっている、死んだように凝っととまっている私の部屋が、孤独な感情とともに私に帰って来る。
火鉢の火は衰えはじめて、硝子窓を潤《うる》おしていた湯気はだんだん上から消えて来る。私はそのなかから魚のはららごに似た憂鬱な紋《もん》々《もん》があらわれて来るのを見る。それは最初の冬、やはりこうして消えて行った水蒸気がいつの間にかそんな紋々を作ってしまったのである。床の間の隅には薄うく埃をかむった薬《くすり》壜《びん》が何本も空になっている。何という倦怠、なんという因《いん》循《じゆん》だろう。私の病鬱は、恐らくよその部屋には棲《す》んでいない冬の蠅をさえ棲ませているではないか。いつになったら一体こうしたことに鳧《けり》がつくのか。
心がそんなことにひっかかると私はいつも不眠を殃《わざわ》いされた。眠れなくなると私は軍艦の進水式を想い浮べる。その次には小倉百人一首を一首宛思い出してはそれの意味を考える。そして最後には考え得られる限りの残虐な自殺の方法を空想し、その積み重ねによって眠りを誘おうとする。がらんとした渓間の旅館の一室で。天井に彼等の貼りついている、死んだように凝っと貼りついている一室で。――
その日はよく晴れた温かい日であった。午後私は村の郵便局へ手紙を出しに行った。私は疲れていた。それから渓《たに》へ下りてまだ三四丁も歩かなければならない私の宿へ帰るのがいかにも億《おつ》劫《くう》であった。そこへ一台の乗合自動車が通りかかった。それを見ると私は不意に手を挙げた。そしてそれに乗り込んでしまったのである。
その自動車は村の街道を通る同族のなかでも一種目だった特徴で自分を語っていた。暗い幌《ほろ》のなかの乗客の眼がみな一様に前方を見詰めている事や、泥除けそれからステップの上へまで溢《あふ》れた荷物を麻縄が車体へ縛りつけている恰好や――そんな一種の物ものしい特徴で、彼等が今から上り三里下り三里の峠を踰《こ》えて半島の南端の港へ十一里の道をゆく自動車であることが一目で知れるのであった。私はそれへ乗ってしまったのである。それにしてはなんという不似合な客であったろう。私はただ村の郵便局まで来て疲れたというばかりの人間に過ぎないのだった。
日はもう傾いていた。私には何の感想もなかった。ただ私の疲労をまぎらしてゆく快い自動車の動揺ばかりがあった。村の人が背負い網を負って山から帰って来る頃で、見知った顔が何度も自動車を除けた。その度《たび》私はだんだん「意志の中ぶらり」に興味を覚えて来た。そして、それはまたそれで、私の疲労をなにか変った他のものに変えてゆくのだった。やがてその村人にも会わなくなった。自然林が廻った。落日があらわれた。渓《たに》の音が遠くなった。年《とし》古《ふ》りた杉の柱《ちゆう》廊《ろう》が続いた。冷い山気が沁みて来た。魔女の跨《またが》った箒《ほうき》のように、自動車は私を高い空へ運んだ。一体どこまでゆこうとするのだろう。峠の隧《ずい》道《どう》を出るともう半島の南である。私の村へ帰るにも次の温泉へゆくにも三里の下り道である。そこへ来たとき、私はやっと自動車を止めた。そして薄暮の山の中へ下りてしまったのである。何のために? それは私の疲労が知っている。私は腑《ふ》甲《が》斐《い》ない一人の私を、人里離れた山中へ遺棄してしまったことに、気味のいい嘲笑を感じていた。
樫鳥(かしどり)が何度も身近から飛び出して私を愕《おど》ろかした。道は小暗い谿《たに》襞《ひだ》を廻って、どこまで行っても展望がひらけなかった。このままで日が暮れてしまってはと、私の心は心細さで一杯であった。幾たびも飛び出す樫鳥は、そんな私を、近くで見る大きな姿で脅かしながら、葉の落ちた欅《けやき》や楢《なら》の枝を匍《は》うように渡って行った。
最後にとうとう谿《たに》が姿をあらわした。杉の秀《ほ》が細胞のように密生している遙かな谿! 何というそれは巨大な谿だったろう。遠《とお》靄《もや》のなかには音もきこえない水も動かない滝が小さく小さく懸っていた。眩暈《めまい》を感じさせるような谿底には丸太を組んだ橇《そり》道《みち》が寒ざむと白く匍っていた。日は谿向うの尾根へ沈んだところであった。水を打ったような静けさがいまこの谿を領していた。何も動かず何も聴こえないのである。その静けさはひょっと夢かと思うような谿の眺めになおさら夢のような感じを与えていた。
「ここでこのまま日の暮れるまで坐っているということは、何という豪《ごう》奢《しや》な心細さだろう」と私は思った。「宿では夕飯の用意が何も知らずに待っている。そして俺は今夜はどうなるかわからない」
私は私の置き去りにして来た憂鬱な部屋を思い浮べた。そこでは私は夕《ゆう》餉《げ》の時分極《きま》って発熱に苦しむのである。私は着物ぐるみ寝床へ這入っている。それでもまだ寒い。悪《お》寒《かん》に慄えながら私の頭は何度も浴槽を想像する。「あすこへ漬《つか》ったらどんなに気持いいことだろう」そして私は階段を下り浴槽の方へ歩いてゆく私自身になる。しかしその想像のなかでは私は決して自分の衣服を脱がない。衣服ぐるみそのなかへはいってしまうのである。私の身体には、そして、支えがない。私はぶくぶくと沈んでしまい、浴槽の底へ溺死体のように横《よこた》わってしまう。いつもきまってその想像である。そして私は寝床のなかで満潮のように悪寒が退《ひ》いてゆくのを待っている。――
あたりはだんだん暗くなって来た。日の落ちたあとの水のような光を残して、冴えざえとした星が澄んだ空にあらわれて来た。凍えた指の間の煙草の火が夕闇のなかで色づいて来た。その火の色は曠《こう》漠《ばく》とした周囲のなかでいかにも孤独であった。その火を措《お》いて一点の燈火も見えずにこの谿《たに》は暮れてしまおうとしているのである。寒さはだんだん私の身体へ匍《は》い込んで来た。平常外気の冒さない奥の方まで冷え入って、懐《ふとこ》ろ手をしてもなんの役にも立たないくらいになって来た。しかし私は暗《やみ》と寒気がようやく私を勇気づけて来たのを感じた。私はいつの間にか、これから三里の道を歩いて次の温泉までゆくことに自分を予定していた。犇《ひし》ひしと迫って来る絶望に似たものはだんだん私の心に残酷な欲望を募らせて行った。疲労または倦怠《アンニユイ》が一たんそうしたものに変ったが最後、いつも私は終りまでその犠牲になり通さなければならないのだった。あたりがとっぷり暮れ、私がやっとそこを立上ったとき、私はあたりにまだ光があったときとは全く異った感情で私自身を艤装(ぎそう)していた。
私は山の凍《い》てついた空気のなかを暗《やみ》をわけて歩き出した。身体はすこしも温かくもならなかった。ときどきそれでも私の頬を軽くなでてゆく空気が感じられた。はじめ私はそれを発熱のためか、それとも極端な寒さのなかで起る身体の変調かと思っていた。しかし歩いてゆくうちに、それは昼間の日のほとぼりがまだ斑《まだ》らに道に残っているためであるらしいことがわかって来た。すると私には凍った闇のなかに昼の日射しがありありと見えるように思えはじめた。一つの燈火も見えない暗というものも私には変な気を起させた。それは灯がついたということで、もしくは灯の光の下で、文明的な私達ははじめて夜を理解するものであるということを信ぜしめるに充分であった。真暗な闇にもかかわらず私はそれが昼間と同じであるような感じを抱いた。星の光っている空は真青であった。道を見分けてゆく方法は昼間の方法と何の変ったこともなかった。道を染めている昼間のほとぼりはなおさらその感じを強くした。
突然私の後ろから風のような音が起った。さっと流れて来る光のなかへ道の上の小石が歯のような影を立てた。一台の自動車が、それを避けている私には一顧の注意も払わずに走り過ぎて行った。しばらく私はぼんやりしていた。自動車はやがて谿《たに》襞《ひだ》を廻った向うの道へ姿をあらわした。しかしそれは自動車が走っているというより、ヘッドライトをつけた大きな闇が前へ前へ押し寄せてゆくかのように見えるのであった。それが夢のように消えてしまうとまたあたりは寒い闇に包まれ、空腹した私が暗い情熱に溢れて道を踏んでいた。
「何という苦《にが》い絶望した風景であろう。私は私の運命そのままの四囲のなかに歩いている。これは私の心そのままの姿であり、ここにいて私は日なたのなかで感じるような何等の偽瞞をも感じない。私の神経は暗い行手に向って張り切り、今や決然とした意志を感じる。なんというそれは気持のいいことだろう。定罰のような闇、膚《はだ》を劈《つんざ》く酷寒。そのなかでこそ私の疲労は快く緊張し新しい戦慄を感じることが出来る。歩け。歩け。へたばるまで歩け」
私は残酷な調子で自分を鞭《むち》打った。歩け。歩け。歩き殺してしまえ。
その夜晩《おそ》く私は半島の南端、港の船着場を前にして疲れ切った私の身体を立たせていた。私は酒を飲んでいた。しかし心は沈んだまますこしも酔っていなかった。
強い潮の香に混って、瀝青(チヤン)や油の匂が濃くそのあたりを立て罩《こ》めていた。もやい綱が船の寝息のようにきしり、それを眠りつかせるように、静かな波のぽちゃぽちゃと舷《げん》側《そく》を叩く音が、暗い水面にきこえていた。
「××さんはいないかよう!」
静かな空気を破って媚《なま》めいた女の声が先ほどから岸で呼んでいた。ぼんやりした燈《あか》りを睡むそうに提《さ》げている百噸《トン》あまりの汽船のともの方から、見えない声が不明瞭になにか答えている。それは重々しいバスである。
「いないのかよう。××さんは」
それはこの港に船の男を相手に媚《こび》を売っている女らしく思える。私はその返事のバスに人ごとながら聴耳をたてたが、相《あい》不《かわ》変《らず》曖《あい》昧《まい》な言葉が同じように鈍い調子で響くばかりで、やがて女はあきらめたようすでいなくなってしまった。
私は静かな眠った港を前にしながら転変に富んだその夜を回想していた。三里はとっくに歩いたと思っているのにいくらしてもおしまいにならなかった山道や、谿のなかに発電所が見えはじめ、しばらくすると谿の底を提灯が二つ三つ閑《のど》かな夜の挨拶を交しながらもつれて行くのが見え、私はそれが大方村の人が温泉へはいりにゆく灯で、温泉はもう真近にちがいないと思い込み、元気を出したのに見事当てがはずれたことや、やっと温泉に着いて凍え疲れた四《し》肢《し》を村人の混み合っている共同湯で温めたときの異様な安《あん》堵《ど》の感情や、――ほんとうにそれらは回想という言葉に相応《ふさわ》しいくらい一晩の経験としては豊富すぎる内容であった。しかもそれでおしまいというのではなかった。私がやっと腹を膨《ふく》らして人心つくかつかぬに、私の充されない残酷な欲望はもう一度私に夜の道へ出ることを命令したのであった。私は不安な当てで名前も初耳な次の二里ばかりも離れた温泉へ歩かなければならなかった。その道でとうとう私は迷ってしまい、途方に暮れて暗のなかへ蹲《うずく》まっていたとき、晩《おそ》い自動車が通りかかり、やっとのことでそれを呼びとめて、予定を変えてこの港の町へ来てしまったのであった。それから私はどこへ行ったか。私はそんなところには一種の嗅覚でも持っているかのように、堀割に沿った娼家の家並のなかへ出てしまった。藻草を纏《まと》ったような船夫達が何人も群れて、白く化粧した女を調戯《からか》いながら、よろよろと歩いていた。私は二度ほど同じ道を廻り、そして最後に一軒の家へ這入った。私は疲れた身体に熱い酒をそそぎ入れた。しかし私は酔わなかった。酌《しやく》に来た女は秋《さ》刀《ん》魚《ま》船の話をした。船員の腕に相応《ふさわ》しい逞《たくま》しい健康そうな女だった。その一人は私に婬(いん)をすすめた。私はその金を払ったまま、港のありかをきいて外へ出てしまったのである。
私は近くの沖にゆっくり明滅している廻転燈台の火を眺めながら、永い絵巻のような夜の終りを感じていた。舷(げん)の触れ合う音、とも綱の張る音、睡《ねむ》たげな船の灯、すべてが暗く静かにそして内輪で、柔《やわ》やかな感傷を誘った。どこかに捜して宿をとろうか、それとも今の女のところへ帰ってゆこうか、それはいずれにしても私の憎悪に充ちた荒々しい心はこの港の埠《ふ》頭《とう》で尽きていた。ながい間私はそこに立っていた。気《け》疎《だる》い睡気のようなものが私の頭を誘うまで静かな海の暗《やみ》を見入っていた。――
私はその港を中心にして三日ほどもその附近の温泉で帰る日を延した。明るい南の海の色や匂いはなにか私には荒々しく粗雑であった。その上卑俗で薄汚い平野の眺めは直ぐに私を倦《あ》かせてしまった。山や渓《たに》が鬩《せめ》ぎ合い心を休める余裕や安らかな望みのない私の村の風景がいつか私の身についてしまっていることを私は知った。そして三日の後私はまた私の心を封じるために私の村へ帰って来たのである。
私は何日も悪くなった身体を寝床につけていなければならなかった。私には別にさした後悔もなかったが、知った人びとの誰彼がそうしたことを聞けばさぞ陰気になり気を悪くするだろうとそのことばかり思っていた。
そんな或る日のこと私はふと自分の部屋に一匹も蠅がいなくなっていることに気がついた。そのことは私を充分驚ろかした。私は考えた。恐らく私の留守中誰も窓を明《あ》けて日を入れず火をたいて部屋を温めなかった間に、彼等は寒気のために死んでしまったのではなかろうか。それはありそうなことに思えた。彼等は私の静かな生活の余徳を自分等の生存の条件として生きていたのである。そして私が自分の鬱屈した部屋から逃げだしてわれとわが身を責め虐《さいな》んでいた間に、彼等はほんとうに寒気と飢えで死んでしまったのである。私はそのことにしばらく憂鬱を感じた。それは私が彼等の死を傷《いた》んだためではなく、私にもなにか私を生かしそしていつか私を殺してしまうきまぐれな条件があるような気がしたからであった。私は其《そ》奴《いつ》の幅広い背を見たように思った。それは新しいそして私の自尊心を傷ける空想だった。そして私はその空想からますます陰鬱を加えてゆく私の生活を感じたのである。
(昭和三年二月稿 *『創作月刊』同年五月号)
ある崖上の感情
ある蒸暑い夏の宵《よい》のことであった。山ノ手の町のとあるカフェで二人の青年が話をしていた。話の様子では彼等は別に友達というのではなさそうであった。銀座などとちがって、狭い山ノ手のカフェでは、孤独な客がよそのテーブルを眺めたりしながら時を費すことはそう自由ではない。そんな不自由さが――そして狭さから来る親しさが、彼等を互に近づけることが多い。彼等もどうやらそうした二人らしいのであった。
一人の青年はビールの酔いを肩先にあらわしながら、コップの尻でよごれた卓《テー》子《ブル》にかまわず肱《ひじ》を立てて、先程からほとんど一人で喋《しやべ》っていた。漆《しつ》喰《くい》の土間の隅には古ぼけたビクターの蓄音器が据えてあって、磨《す》り減ったダンスレコードが暑苦しく鳴っていた。
「元来僕はね、一度友達に図星を指されたことがあるんだが、放浪、家をなさないという質に生れついているらしいんです。その友達というのは手相を見る男で、それも西洋流の手相を見る男で、僕の手相を見たとき、君の手にはソロモンの十字架がある。それは一生家を持てない手相だと云ったんです。僕は別に手相などを信じないんだが、そのときはそう云われたことでぎくっとしましたよ。とても悲しくてね――」
その青年の顔には僅《わず》かの時間感傷の色が酔いの下にあらわれて見えた。彼はビールを一と飲みするとまた言葉をついで、
「その崖の上へ一人で立って、開いている窓を一つ一つ見ていると、僕はいつでもそのことを憶い出すんです。僕一人が世間に住みつく根を失って浮草のように流れている。そしていつもそんな崖の上に立って人の窓ばかりを眺めていなければならない。すっかりこれが僕の運命だ。そんなことが思えて来るのです。――しかし、それよりも僕はこんなことが云いたいんです。つまり窓の眺めというものには、元《がん》来《らい》人をそんな思いに駆る或るものがあるんじゃないか。誰でもふとそんな気持に誘われるんじゃないか、と云うのですが、どうです、あなたはそうしたことをお考えにはならないですか」
もう一人の青年は別に酔っているようでもなかった。彼は相手の今までの話を、そう面白がってもいないが、そうかと云って全然興味がなくもないといった穏やかな表情で耳を傾けていた。彼は相手に自分の意見を促《うなが》されてしばらく考えていたが、
「さあ……僕にはむしろ反対の気持になった経験しか憶い出せない。しかしあなたの気持は僕にはわからなくはありません。反対の気持になった経験というのは、窓のなかにいる人間を見ていてその人達がなにかはかない運命を持ってこの浮世に生きている。という風に見えたということなんです」
「そうだ。それは大いにそうだ。いや、それが本当かも知れん。僕もそんなことを感じていたような気がする」
酔った方の男はひどく相手の云ったことに感心したような語調で残っていたビールを一息に飲んでしまった。
「そうだ。それであなたもなかなか窓の大家だ。いや、僕はね、実際窓というものが好きで堪《たま》らないんですよ。自分のいるところからいつも人の窓が見られたらどんなに楽しいだろうと、いつもそう思ってるんです。そして僕の方でも窓を開けておいて、誰かの眼にいつも僕自身を曝《さ》らしているのがまたとても楽しいんです。こんなに酒を飲むにしても、どこか川っぷちのレストランみたいなところで、橋の上からだとか向う岸からだとか見ている人があって飲んでいるのならどんなに楽しいでしょう。『いかにあわれと思うらん』僕には片言のような詩しか口に出て来ないが、実際いつもそんな気持になるんです」
「なるほど、なんだかそれは楽しそうですね。しかし何という閑《のど》かな趣味だろう」
「あっはっは。いや、僕はさっきその崖の上から僕の部屋の窓が見えると云ったでしょう。僕の窓は崖の近くにあって、僕の部屋からはもう崖ばかりしか見えないんです。僕はよくそこから崖《がけ》路《みち》を通る人を注意しているんですが、元来めったに人の通らない路で、通る人があったって、全く僕みたいにそこでながい間町を見ているというような人は決してありません。実際僕みたいな男はよくよくの閑《ひま》人《じん》なんだ」
「ちょっと君。そのレコード止してくれない」聴き手の方の青年はウェイトレスがまたかけはじめた「キャラバン」の方を向いてそう云った。「僕はあのジャッズという奴が大嫌いなんだ。厭だと思い出すととても堪らない」
黙ってウェイトレスは蓄音器をとめた。彼女は断髪をして薄い夏の洋装をしていた。しかしそれには少しもフレッシュなところがなかった。むしろ南京鼠(なんきんねずみ)の匂いでもしそうな汚いエキゾティシズムが感じられた。そしてそれはそのカフェがその近所に多く住んでいる下等な西洋人のよく出入りするという噂を、少し陰気に裏書していた。
「おい。百合ちゃん。百合ちゃん。生をもう二つ」
話し手の方の青年は馴染のウェイトレスをぶっきら棒な客から救ってやるというような表情で、彼女の方を振返った。そして直ぐ、
「いや、ところがね、僕が窓を見る趣味にはあまり人に云えない欲望があるんです。それはまあ一般に云えば人の秘密を盗み見るという魅力なんですが、僕のはもう一つ進んで人のベッドシーンが見たい、結局はそういったことに帰着するんじゃないかと思われるような特殊な執着があるらしいんです。いや、そんなものをほんとうに見たことなんぞはありませんがね」
「それはそうかも知れない。高架線を通る省線電車にはよくそういったマニヤの人が乗っているということですよ」
「そうですかね。そんな一つの病型《タイプ》があるんですかね。それは驚ろいた。……あなたは窓というものにそんな興味をお持ちになったことはありませんか。一度でも」
その青年の顔は相手の顔をじっと見詰めて返答を待っていた。
「僕がそんなマニヤのことを云う以上僕にも多かれ少なかれそんな知識があると思っていいでしょう」
その青年の顔には僅《わず》かばかりの不快の影が通り過ぎたが、そう答えて彼はまた平気な顔になった。
「そうだ。いや、僕はね、崖の上からそんな興味で見る一つの窓があるんですよ。しかしほんとうに見たということは一度もないんです。でも実際よく瞞《だま》される、あれには。あっはっはは……僕が一体どんな状態でそれに耽《ふけ》っているか一度話して見ましょうか。僕はながい間じいっと眼を放さずにその窓を見ているのです。するとあんまり一生懸命になるもんだから足許が変に便《たよ》りなくなって来る。ふらふらっとして実際崖から落っこちそうな気持になる。はっは。それくらいになると僕はもう半分夢を見ているような気持です。すると変なことには、そんなとき僕の耳には崖路を歩いて来る人の足音がきまったようにして来るんです。でも僕はよし人がほんとうに通ってもそれはかまわないことにしている。しかしその足音は僕の背後へそうっと忍び寄って来て、そこでぴたりと止まってしまうんです。それが妄想というものでしょうね。僕にはその忍び寄った人間が僕の秘密を知っているように思えてならない。そして今にも襟《えり》髪《がみ》を掴むか、今にも崖から突落すか。そんな恐怖で息も止まりそうになっているんです。しかし僕はやっぱり窓から眼を離さない。そりゃそんなときはもうどうなってもいいというような気持ですね。また一方ではそれが大抵は僕の気のせいだということは百も承知で、そんな度胸もきめるんです。しかしやっぱり百に一つもしやほんとうの人間ではないかという気がいつでもする。変なものですね。あっはっはは」
話し手の男は自分の話に昂奮を持ちながらも、今度は自嘲的なそして悪魔的といえるかも知れない挑んだ表情を眼に浮べながら、相手の顔を見ていた。
「どうです。そんな話は。――僕は今はもう実際に人のベッドシーンを見るということよりも、そんな自分の状態の方がずっと魅惑的になって来ているんです。何故と云って、自分の見ている薄暗い窓のなかが、自分の思っているようなものでは多分ないことが、僕にはもう薄うすわかっているんです。それでいて心を集めてそこを見ているとありありそう思えて来る。そのときの心の状態がなんとも云えない恍《こう》惚《こつ》なんです。一体そんなことがあるものですかね。あっはっはは。どうです、今から一緒にそこへ行って見る気はありませんか」
「それはどちらでもいいが、だんだん話が佳《かき》境《よう》には入って来ましたね」
そして聴き手の青年はまたビールを呼んだ。
「いや、佳境には入って来たというのはほんとうなんですよ。僕はだんだん佳境には入って来たんだ。何故って、僕には最初窓がただなにかしら面白いものであったに過ぎないんだ。それがだんだん人の秘密を見るという気持が意識されて来た。そうでしょう。すると次は秘密のなかでもベッドシーンの秘密に興味を持ち出した。ところが、見たと思ったそれがどうやらちがうものらしくなって来た。しかしそのときの恍惚状態そのものが、結局すべてであるということがわかって来た。そうでしょう。いや、君、実際その恍惚状態がすべてなんですよ。あっはっはは。空の空なる恍惚万歳だ。この愉快な人生にプロジットしよう」
その青年には大分酔《よい》が発して来ていた。そのプロジットに応じなかった相手のコップへ荒々しく自分のコップを打ちつけて、彼は新らしいコップを一気に飲み乾《ほ》した。
彼等がそんな話をしていたとき、扉をあけて二人の西洋人がは入って来た。彼等はは入って来ると同時にウェイトレスの方へ色っぽい眼つきを送りながら青年達の横のテーブルへ坐った。彼等の眼は一度でも青年達の方を見るのでもなければ、お互に見交わすというのでもなく、絶えず笑顔を作って女の方へ向いていた。
「ポーリンさんにシマノフさん、いらっしゃい」
ウェイトレスの顔は彼等を迎える大《おお》仰《ぎよう》な表情でにわかに生き生きし出した。そしてきゃっきゃっと笑いながら何か喋《しやべ》り合っていたが、彼女の使う言葉はある自由さを持った西洋人の日本語で、それを彼女が喋るとき青年達を給仕していたときとはまるでちがった変な魅力が生じた。
「僕は一度こんな小説を読んだことがある」
聴き手であった方の青年が、新らしい客の持って来た空気から、話をまたもとへ戻した。
「それは、ある日本人が欧羅巴《ヨーロツパ》へ旅行に出かけるんです。英国、仏蘭西《フランス》、独逸《ドイツ》と随分ながいごったごたした旅行を続けておしまいにウィーンへやって来る。そして着いた夜あるホテルへ泊るんですが、夜中にふと眼をさましてそれから直ぐ寝つけないで、深夜の闇のなかに旅情を感じながら窓の外を眺めるんです。空は美しい星空で、その下にウィーンの市が眠っている。その男はしばらくその夜景に眺め耽っていたが、彼はふと闇のなかにたった一つの開け放された窓を見つける。その部屋のなかには白い布のような塊りが明るい燈火に照らし出されていて、なにか白い煙みたようなものがそこから細く真直ぐに立《たち》騰《のぼ》っている。そしてそれがだんだんはっきりして来るんですが、思いがけなくその男がそこに見出したものは、ベッドの上に肆《ほしいまま》な裸体を投げ出している男女だったのです。白いシーツのように見えていたのがそれで、静かに立騰っている煙は男がベッドで燻《くゆ》らしている葉巻の煙なんです。その男はそのときどんなことを思ったかと云うと、これはいかにも古都ウィーンだ、そしていま自分は長い旅の末にやっとその古い都へやって来たのだ――そういう気持がしみじみと湧いたというのです」
「そして?」
「そして静かに窓をしめてまた自分のベッドへ帰って寝たというのですが――これは随分まえに読んだ小説だけれど、変に忘れられないところがあって僕の記憶にひっかかっている」
「いいなあ西洋人は。僕はウィーンへ行きたくなった。あっはっは。それより今から僕と一緒に崖の方まで行かないですか。ええ」
酔った青年はある熱心さで相手を誘っていた。しかし片方はただ笑うだけでその話には乗らなかった。
生島(これは酔っていた方の青年)はその夜晩《おそ》く自分の間《ま》借《がり》している崖下の家へ帰って来た。彼は戸を開けるとき、それが習慣のなんとも云えない憂鬱を感じた。それは彼がその家の寝ている主婦を思い出すからであった。生島はその四十を過ぎた寡《か》婦《ふ》である「小母さん」と何の愛情もない身体の関係を続けていた。子もなく夫にも死別れたその女にはどことなく諦《あき》らめた静けさがあって、そんな関係が生じたあとでも別に前と変らない冷淡さもしくは親切さで彼を遇していた。生島には自分の愛情のなさを彼女に偽《いつわ》る必要など少しもなかった。彼が「小母さん」を呼んで寝床を共にする。そのあとで彼女は直ぐ自分の寝床へ帰ってゆくのである。生島はその当初自分等のそんな関係に淡々とした安易を感じていた。ところが間もなく彼はだんだん堪らない嫌悪を感じ出した。それは彼が安易を見出していると同じ原因が彼に反逆するのであった。彼が彼女の膚に触れているとき、そこにはなんの感動もなく、いつも或る白じらしい気持が消えなかった。生理的な終結はあっても、空想の満足がなかった。そのことはだんだん重苦しく彼の心にのしかかって来た。そのうちに彼は晴ばれとした往来へ出ても、自分に萎《しな》びた古手拭のような匂が沁みているような気がしてならなくなった。顔貌にもなんだかいやな線があらわれて来て、誰の目にも彼の陥っている地獄が感づかれそうな不安が絶えずつき纏《まと》った。そして女の諦めたような平気さが極端にいらいらした嫌悪を刺戟するのだった。しかしその憤《ふん》懣《まん》が「小母さん」のどこへ向けられるべきだろう。彼が今日にも出てゆくと云っても彼女が一言の不平も唱えないことはわかりきったことであった。それでは何故出てゆかないのか。生島はその年の春ある大学を出てまだ就職する口がなく、国へは奔走中と云ってその日その日を全く無気力な倦怠で送っている人間であった。彼はもう縦のものを横にするにも、魅入られたような意志のなさを感じていた。彼が何々をしようと思うことは脳細胞の意志を刺戟しない部分を通って抜けてゆくのらしかった。結局彼はいつまで経ってもそこが動けないのである。――
主婦はもう寝ていた。生島はみしみし階段をきしらせながら自分の部屋へ帰った。そして硝子《ガラス》窓をあけて、むっとするようにこもった宵《よい》の空気を涼《すず》しい夜気と換えた。彼はじっと坐ったまま崖の方を見ていた。崖の路は暗くてただ一つ電柱についている燈がそのありかを示しているに過ぎなかった。そこを眺めながら、彼は今夜カフェで話し合った青年のことを思い出していた。自分が何度誘ってもそこへ行こうとは云わなかったことや、それから自分が執《しつ》こく紙と鉛筆で崖路の地図を書いて教えたことや、その男の頑《かたく》なに拒んでいる態度にもかかわらず、彼にも自分と同じような欲望があるにちがいないとなぜか固く信じたことや――そんなことを思い出しながら彼の眼は不知《しらず》不識《しらず》、もしやという期待で白い人影をその闇のなかに探しているのであった。
彼の心はまた、彼がその崖の上から見るあの窓のことを考え耽《ふけ》った。彼がそのなかに見る半ば夢想のそして半ば現実の男女の姿態がいかに情熱的で性欲的であるか。またそれに見入っている彼自身がいかに情熱を覚え性欲を覚えるか。窓のなかの二人はまるで彼の呼吸を呼吸しているようであり、彼はまた二人の呼吸を呼吸しているようである、そのときの恍惚とした心の陶酔を思い出していた。
「それに比べて」と彼は考え続けた。
「俺が彼女に対しているときはどうであろう。俺はまるで悪い暗示にかかってしまったように白じらとなってしまう。崖の上の陶酔のたとえ十分の一でも、何故彼女に対するとき帰って来ないのか。俺は俺のそうしたものを窓のなかへ吸いとられているのではなかろうか。そういう形式でしか性欲に耽ることが出来なくなっているのではなかろうか。それとも彼女という対象がそもそも自分には間違った形式なのだろうか」
「しかし俺にはまだ一つの空想が残っている。そして残っているのはただ一つその空想があるばかりだ」
机の上の電燈のスタンドへはいつの間にかたくさん虫が集って来ていた。それを見ると生島は鎖をひいて電燈を消した。僅かそうしたことすら彼には習慣的な反射――崖からの瞰下景(かんかけい)に起ったであろう一つの変化がちらと心を掠《かす》めるのであった。部屋が暗くなると夜気が殊更涼しくなった。崖路の闇もはっきりして来た。しかしそのなかには依然として何の人影も立ってはいなかった。
彼にただ一つの残っている空想というのは、彼がその寡婦と寝床を共にしているとき、不意に起って来る、部屋の窓を明け放してしまうという空想であった。勿論彼はそのとき、誰かがそこの崖路に立っていて、彼等の窓を眺め、彼等の姿を認めて、どんなにか刺戟を感じるであろうことを想い、その刺戟を通して、何の感動もない彼等の現実にもある陶酔が起って来るだろうことを予想しているのであった。しかし彼にはただ窓を明け崖路へ彼等の姿を晒《さら》すということばかりでもすでに新鮮な魅力であった。彼はそのときの、薄い刃物で背を撫《な》でられるような戦慄を空想した。そればかりではない。それがいかに彼等の醜い現実に対する反逆であるかを想像するのであった。
「一体俺は今夜あの男をどうする積りだったんだろう」
生島は崖路の闇のなかに不知《しらず》不識《しらず》自分の眼の待っていたものがその青年の姿であったことに気がつくと、ふと醒《さ》めた自分に立ち返った。
「俺ははじめあの男に対する好意に溢《あふ》れていた。それで窓の話などを持ち出して話し合う気になったのだ。それだのに今自分にあの男を自分の欲望の傀《かい》儡《らい》にしようと思っていたような気がしてならないのは何故だろう。自分は自分の愛するものは他人も愛するにちがいないという好意に満ちた考えで話をしていたと思っていた。しかしその少し強制がましい調子のなかには、自分の持っている欲望を、云わば相手の身体にこすりつけて、自分と同じような人間を製造しようとしていたようなところが不知不識にあったらしい気がする。そして今自分の待っていたものは、そんな欲望に刺戟されて崖路へあがって来るあの男であり、自分の空想していたことは自分達の醜い現実の窓を開けて崖上の路へ曝《さら》すことだったのだ。俺の秘密な心のなかだけの空想が、俺自身には関係なく、ひとりでの意志で著《ちやく》々《ちやく》と計画を進めてゆくというような、一体そんなことがあり得ることだろうか。それともこんな反省すらもちゃんと予定の仕組で、今もしあの男の影があすこへあらわれたら、さあいよいよと舌を出す積りにしていたのではなかろうか……」
生島はだんだんもつれて来る頭を振るようにして電燈を点《とも》し、寝床を延べにかかった。
石田(これは聴き手であった方の青年)はある晩のことその崖路の方へ散歩の足を向けた。彼は平常歩いていた往来から教えられたはじめての路へ足を踏み入れたとき、一体こんなところが自分の家の近所にあったのかと不思議な気がした。元来その辺は無《む》暗《やみ》に坂の多い、丘陵と谷とに富んだ地勢であった。町の高みには皇族や華族の邸に並んで、立派な門構えの家が、夜になると古風な瓦《ガ》斯《ス》燈の点《つ》く静かな道を挟んで立ち並んでいた。深い樹《こ》立《だち》のなかには教会の尖《せん》塔《とう》が聳《そび》えていたり、外国の公使館の旗がヴィラ風な屋根の上にひるがえっていたりするのが見えた。しかしその谷に当ったところには陰気なじめじめした家が、普通の通行人のための路ではないような隘《あい》路《ろ》をかくして、朽ちてゆくばかりの存在を続けているのだった。
石田はその路を通ってゆくとき、誰かに咎《とが》められはしないかというようなうしろめたさを感じた。なぜなら、その路へは大っぴらに通りすがりの家が窓を開いているのだった。そのなかには肌脱ぎになった人がいたり、柱時計が鳴っていたり、味気ない生活が蚊遣(かや)りを燻《いぶ》したりしていた。そのうえ、軒《けん》燈《とう》にはきまったようにやもりがとまっていて彼を気味悪がらせた。彼は何度も袋路に突きあたりながら、――その度になおさら自分の足音にうしろめたさを感じながら、やっと崖に沿った路へ出た。しばらくゆくと人家が絶えて路が暗くなり、僅かに一つの電燈が足許を照らしている、それが教えられた場所であるらしいところへやって来た。
そこからはなるほど崖下の町が一と目に見渡せた。いくつもの窓が見えた。そしてそれは彼の知っている町の、思いがけない瞰《かん》下《か》景《けい》であった。彼はかすかな旅情らしいものが、濃くあたりに漂っているあれちのぎくの匂に混って、自分の心を染めているのを感じた。
ある窓では運動シャツを着た男がミシンを踏んでいた。屋根の上の闇のなかにたくさんの洗濯物らしいものが仄白く浮んでいるのを見ると、それは洗濯屋の家らしく思われるのだった。またある一つの窓ではレシーヴァを耳に当てて一心にラジオを聴いている人の姿が見えた。その一心な姿を見ていると、彼自身の耳の中でもそのラジオの小さい音がきこえて来るようにさえ思われるのだった。
彼が先の夜、酔っていた青年に向って、窓のなかに立ったり坐ったりしている人びとの姿が、みななにかはかない運命を背負って浮世に生きているように見えると云ったのは、彼が心に次のような情景を浮べていたからだった。
それは彼の田舎の家の前を通っている街道に一つの見《み》窄《すぼ》らしい商人宿があって、その二階の手《て》摺《すり》の向うに、よく朝など出立の前の朝《あさ》餉《げ》を食べていたりする旅人の姿が街道から見えるのだった。彼はなぜかそのなかである一つの情景をはっきり心にとめていた。それは一人の五十がらみの男が、顔色の悪い四つ位の男の児と向い合って、その朝餉の膳に向っているありさまだった。その男の顔には浮世の苦労が陰鬱に刻まれていた。彼はひと言も物を言わずに箸《はし》を動かしていた。そしてその顔色の悪い子供も黙って、馴れない手つきで茶碗をかきこんでいたのである。彼はそれを見ながら、落《らく》魄《はく》した男の姿を感じた。その男の子供に対する愛を感じた。そしてその子供が幼い心にも、彼等の諦めなければならない運命のことを知っているような気がしてならなかった。部屋のなかには新聞の附録のようなものが襖《ふすま》の破れの上に貼《は》ってあるのなどが見えた。
それは彼が休暇に田舎へ帰っていたある朝の記憶であった。彼はそのとき自分が危く涙を落しそうになったのを覚えていた。そして今も彼はその記憶を心の底に蘇らせながら、眼の下の町を眺めていた。
殊に彼にそう云う気持を起させたのは、一《ひと》棟《むね》の長屋の窓であった。ある窓のなかには古ぼけた蚊《か》帳《や》がかかっていた。その隣の窓では一人の男がぼんやり手摺から身体を乗出していた。そのまた隣の、一番よく見える窓のなかには、箪《たん》笥《す》などに並んで燈《とう》明《みよう》の灯った仏壇が壁ぎわに立っているのであった。石田にはそれらの部屋を区切っている壁というものがはかなく悲しく見えた。もしそこに住んでいる人の誰かがこの崖上へ来てそれらの壁を眺めたら、どんなにか自分等の安んじている家庭という観念を脆《もろ》くはかなく思うだろうと、そんなことが思われた。
一方には闇のなかに際立って明るく照らされた一つの窓が開いていた。そのなかには一人の禿《はげ》顱《あたま》の老人が煙草盆を前にして客のような男と向い合っているのが見えた。しばらくそこを見ていると、そこが階段の上り口になっているらしい部屋の隅から、日本髪に頭を結った女が飲みもののようなものを盆に載せながらあらわれて来た。するとその部屋と崖との間の空間が俄《にわ》かに一揺れ揺れた。それは女の姿がその明るい電燈の光を突然遮《さえぎ》ったためだった。女が坐って盆をすすめると客のような男がぺこぺこ頭を下げているのが見えた。
石田はなにか芝居でも見ているような気でその窓を眺めていたが、彼の心には先の夜の青年の云った言葉が不知《しらず》不識《しらず》の間に浮んでいた。――だんだん人の秘密を盗み見するという気持が意識されて来る。それから秘密のなかでもベッドシーンの秘密が捜したくなって来る。――
「あるいはそうかも知れない」と彼は思った。「しかし、今の自分の眼の前でそんな窓が開いていたら、自分はあの男のような欲情を感じるよりも、むしろもののあわれと云った感情をそのなかに感じるのではなかろうか」
そして彼は崖下に見えるとその男の云ったそれらしい窓をしばらく捜したが、どこにもそんな窓はないのであった。そして彼はまたしばらくすると路を崖下の町へ歩きはじめた。
「今晩も来ている」と生島は崖下の部屋から崖路の闇のなかに浮んだ人影を眺めてそう思った。彼は幾晩もその人影を認めた。その度《たび》に彼はそれがカフェで話し合った青年によもやちがいがないだろうと思い、自分の心に企らんでいる空想に、その度戦慄を感じた。
「あれは俺の空想が立たせた人影だ。俺と同じ欲望で崖の上へ立つようになった俺の二重人格だ。俺がこうして俺の二重人格を俺の好んで立つ場所に眺めているという空想はなんという暗い魅惑だろう。俺の欲望はとうとう俺から分離した。あとはこの部屋に戦慄と恍惚があるばかりだ」
ある晩のこと、石田はそれが幾晩目かの崖の上へ立って下の町を眺めていた。
彼の眺めていたのは一棟の産科婦人科の病院の窓であった。それは病院と云っても決して立派な建物ではなく、昼になると「妊《にん》婦《ぷ》預ります」という看板が屋根の上へ張出されている粗末な洋風家屋であった。十ほどあるその窓のあるものは明るくあるものは暗く閉されている。漏《じよ》斗《うご》型《がた》に電燈の被《おお》いが部屋のなかの明暗を区切っているような窓もあった。
石田はそのなかに一つの窓が、寝台を取囲んで数人の人が立っている情景を解放しているのに眼が惹《ひ》かれた。こんな晩に手術でもしているのだろうかと思った。しかしその人達はそれらしく動きまわる気配もなく依然として寝台のぐるりに凝《ぎよう》立《りつ》していた。
しばらく見ていた後、彼はまた眼を転じてほかの窓を眺めはじめた。洗濯屋の二階には今晩はミシンを踏んでいる男の姿が見えなかった。やはりたくさんの洗濯物が仄白く闇のなかに干されていた。大抵の窓はいつもの晩とかわらずに開いていた。カフェで会った男の云っていたような窓は相《あい》不《かわ》変《らず》見えなかった。石田はやはり心のどこかでそんな窓を見たい欲望を感じていた。それはあらわなものではなかったが、彼が幾晩も来るのにはいくらかそんな気持も混《まじ》っているのだった。
彼が何気なくある崖下に近い窓のなかを眺めたとき、彼は一つの予感でぎくっとした。そしてそれがまごう方なく自分の秘かに欲していた情景であることを知ったとき、彼の心臓は俄《にわ》かに鼓動を増した。彼はじっと見ていられないような気持で度たび眼を外《そ》らせた。そしてそんな彼の眼がふと先程の病院へ向いたとき、彼はまた異様なことに眼を瞠《みは》った。それは寝台のぐるりに立ちめぐっていた先程の人びとの姿が、ある瞬間一度に動いたことであった。それはなにか驚愕のような身《み》振《ぶり》に見えた。すると洋服を着た一人の男が人びとに頭を下げたのが見えた。石田はそこに起ったことが一人の人間の死を意味していることを直感した。彼の心は一時に鋭い衝撃をうけた。そして彼の眼が再び崖下の窓へ帰ったとき、そこにあるものはやはり元のままの姿であったが、彼の心は再び元のようではなかった。
それは人間のそうした喜びや悲しみを絶したある厳粛な感情であった。彼が感じるだろうと思っていた「もののあわれ」というような気持を超した、ある意力のある無常感であった。彼は古代の希《ギリ》臘《シヤ》の風習を心のなかに思い出していた。死者を納《い》れる石棺のおもてへ、淫《みだ》らな戯れをしている人の姿や、牝《めひ》羊《つじ》と交合している牧羊神を彫りつけたりした希臘人の風習を。――そして思った。
「彼等は知らない。病院の窓の人びとは、崖下の窓を。崖下の窓の人びとは、病院の窓を。そして崖の上にこんな感情のあることを――」
(昭和三年五月稿 *『文芸都市』同年七月号)
桜の樹の下には
桜の樹の下には屍《し》体《たい》が埋まっている!
これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ。
どうして俺が毎晩家へ帰って来る道で、俺の部屋の数ある道具のうちの、選りに選ってちっぽけな薄っぺらいもの、安全剃《かみ》刀《そり》の刃なんぞが、千里眼のように思い浮んで来るのか――お前はそれがわからないと云ったが――そして俺にもやはりそれがわからないのだが――それもこれもやっぱり同じようなことにちがいない。
一体どんな樹の花でも、所《いわ》謂《ゆる》真っ盛りという状態に達すると、あたりの空気のなかへ一種神秘な雰囲気を撒《ま》き散らすものだ。それは、よく廻った独《こ》楽《ま》が完全な静止に澄むように、また、音楽の上手な演奏がきまってなにかの幻覚を伴うように、灼熱した生殖の幻覚させる後光のようなものだ。それは人の心を撲《う》たずにはおかない、不思議な、生き生きとした、美しさだ。
しかし、昨日、一昨日、俺の心をひどく陰気にしたものもそれなのだ。俺にはその美しさがなにか信じられないもののような気がした。俺は反対に不安になり、憂鬱になり、空虚な気持になった。しかし、俺はいまやっとわかった。
お前、この爛《らん》漫《まん》と咲き乱れている桜の樹の下へ、一つ一つ屍体が埋まっていると想像して見るがいい。何が俺をそんなに不安にしていたかがお前には納得が行くだろう。
馬のような屍体、犬猫のような屍体、そして人間のような屍体、屍体はみな腐《ふ》爛《らん》して蛆《うじ》が湧き、堪らなく臭い。それでいて水晶のような液をたらたらとたらしている。桜の根は貪《どん》婪《らん》な蛸《たこ》のように、それを抱きかかえ、いそぎんちゃくの食《しよ》糸《くし》のような毛根を聚《あつ》めて、その液体を吸っている。
何があんな花《か》弁《べん》を作り、何があんな蕋《ずい》を作っているのか、俺は毛根の吸いあげる水晶のような液が、静かな行列を作って、維管束のなかを夢のようにあがってゆくのが見えるようだ。
――お前は何をそう苦しそうな顔をしているのだ。美しい透視術じゃないか。俺はいまようやく瞳を据えて桜の花が見られるようになったのだ。昨日、一昨日、俺を不安がらせた神秘から自由になったのだ。
二三日前、俺は、ここの渓《たに》へ下りて、石の上を伝い歩きしていた。水のしぶきのなかからは、あちらからもこちらからも、薄羽かげろうがアフロディットのように生れて来て、渓の空をめがけて舞い上ってゆくのが見えた。お前も知っているとおり、彼等はそこで美しい結婚をするのだ。しばらく歩いていると、俺は変なものに出喰わした。それは渓の水が乾いた磧《かわら》へ、小さい水《みず》溜《たまり》を残している、その水のなかだった。思いがけない石油を流したような光彩が、一面に浮いているのだ。お前はそれを何だったと思う。それは何万匹とも数の知れない、薄羽かげろうの屍体だったのだ。隙間なく水の面を被っている、彼等のかさなりあった翅《はね》が、光にちぢれて油のような光彩を流しているのだ。そこが、産卵を終った彼等の墓場だったのだ。
俺はそれを見たとき、胸が衝《つ》かれるような気がした。墓場を発《あば》いて屍体を嗜《たしな》む変質者のような惨忍なよろこびを俺は味わった。
この渓間ではなにも俺をよろこばすものはない。鶯《うぐいす》や四《しじ》十《ゆう》雀《から》も、白い日光をさ青に煙らせている木の若芽も、ただそれだけでは、もうろうとした心象に過ぎない。俺には惨劇が必要なんだ。その平衡があって、はじめて俺の心象は明確になって来る。俺の心は悪鬼のように憂鬱に渇いている。俺の心に憂鬱が完成するときにばかり、俺の心は和《なご》んで来る。
――お前は腋《わき》の下を拭いているね。冷汗が出るのか。それは俺も同じことだ。何もそれを不愉快がることはない。べたべたとまるで精液のようだと思ってごらん。それで俺達の憂鬱は完成するのだ。
ああ、桜の樹の下には屍体が埋まっている!
一体どこから浮んで来た空想かさっぱり見当のつかない屍体が、いまはまるで桜の樹と一つになって、どんなに頭を振っても離れてゆこうとはしない。
今こそ俺は、あの桜の樹の下で酒宴をひらいている村人たちと同じ権利で、花見の酒が呑めそうな気がする。
(昭和三年十月稿 *同年十二月厚生閣刊『詩と詩論』第二冊)
愛撫
猫の耳というものはまことに可《お》笑《か》しなものである。薄べったくて、冷たくて、竹の子の皮のように、表には絨《じゆう》毛《もう》が生えていて、裏はピカピカしている。硬《かた》いような、柔らかいような、なんともいえない一種特別の物質である。私は子供のときから、猫の耳というと、一度「切符切り」でパチンとやって見たくて堪《たま》らなかった。これは残酷な空想だろうか?
否。全く猫の耳の持っている一種不可思議な示唆力によるのである。私は、家へ来たある謹厳な客が、膝へあがって来た仔猫の耳を、話をしながら、しきりに抓《つね》っていた光景を忘れることが出来ない。
このような疑惑は思いの外に執念深いものである。「切符切り」でパチンとやるというような、児《じ》戯《ぎ》に類した空想も、思い切って行為に移さない限り、われわれのアンニュイのなかに、外観上の年齢を遙かにながく生き延びる。とっくに分別の出来た大人が、今もなお熱心に――厚紙でサンドウィッチのように挟んだうえから一と思いに切って見たら? ――こんなことを考えているのである! ところが、最近、ふとしたことから、この空想の致命的な誤算が曝露してしまった。
元来、猫は兎のように耳で吊り下げられても、そう痛がらない。引張るということに対しては、猫の耳は奇妙な構造を持っている。というのは、一度引張られて破れたような痕跡が、どの猫の耳にもあるのである。その破れた箇所には、また巧妙な補《つ》片《ぎ》が当っていて、全くそれは、創造説を信じる人にとっても進化論を信じる人にとっても、不可思議な、滑稽な耳たるを失わない。そしてその補《つ》片《ぎ》が、耳を引張られるときの緩《ゆる》めになるにちがいないのである。そんな訳で、耳を引張られることに関しては、猫は至って平気だ。それでは、圧迫に対してはどうかというと、これも指でつまむくらいでは、いくら強くしても痛がらない。さきほどの客のように抓《つね》って見たところで、極く稀にしか悲鳴を発しないのである。こんなところから、猫の耳は不死身のような疑いを受け、ひいては「切符切り」の危険にも曝《さら》されるのであるが、ある日、私は猫と遊んでいる最中に、とうとうその耳を噛んでしまったのである。これが私の発見だったのである。噛まれるや否や、その下らない奴は、直ちに悲鳴をあげた。私の古い空想はその場で壊れてしまった。猫は耳を噛まれるのが一番痛いのである。悲鳴は最も微かなところからはじまる。だんだん強くするほど、だんだん強く鳴く。Crescendo のうまく出る――なんだか木管楽器のような気がする。
私のながらくの空想は、かくの如くにして消えてしまった。しかしこういうことにはきりがないと見える。この頃、私はまた別なことを空想しはじめている。
それは、猫の爪をみんな切ってしまうのである。猫はどうなるだろう? 恐らく彼は死んでしまうのではなかろうか?
いつものように、彼は木登りをしようとする。――出来ない。人の裾《すそ》を目がけて跳びかかる。――異う。爪を研《と》ごうとする。――なんにもない。恐らく彼はこんなことを何度もやって見るにちがいない。その度《たび》にだんだん今の自分が昔の自分と異うことに気がついてゆく。彼はだんだん自信を失ってゆく。もはや自分がある「高さ」にいるということにさえブルブル慄《ふる》えずにはいられない。「落下」から常に自分を守ってくれていた爪が最早ないからである。彼はよたよたと歩く別の動物になってしまう。ついにそれさえしなくなる。絶望! そして絶え間のない恐怖の夢を見ながら、物を食べる元気さえ失せて、ついには――死んでしまう。
爪のない猫! こんな、便《たよ》りない、哀れな心持のものがあろうか! 空想を失ってしまった詩人、早発性痴呆に陥った天才にも似ている!
この空想はいつも私を悲しくする。その全き悲しみのために、この結末の妥当であるかどうかということさえ、私にとっては問題ではなくなってしまう。しかし、果して、爪を抜かれた猫はどうなるのだろう。眼を抜かれても、髭を抜かれても猫は生きているにちがいない。しかし、柔らかい蹠《あしのうら》の、鞘《さや》のなかに隠された、鉤のように曲った、匕《あい》首《くち》のように鋭い爪! これがこの動物の活力であり、智慧であり、精霊であり、一切であることを私は信じて疑わないのである。
ある日私は奇妙な夢を見た。
X――という女の人の私室である。この女の人は平常可愛い猫を飼っていて、私が行くと、抱いていた胸から、いつも其奴《そいつ》を放して寄《よ》来《こ》すのであるが、いつも私はそれに辟《へき》易《えき》するのである。抱きあげて見ると、その仔猫には、いつも微《かす》かな香料の匂いがしている。
夢のなかの彼女は、鏡の前で化粧していた。私は新聞かなにかを見ながら、ちらちらその方を眺めていたのであるが、アッと驚きの小さな声をあげた。彼女は、なんと! 猫の手で顔へ白《おし》粉《ろい》を塗っているのである。私はゾッとした。しかし、なおよく見ていると、それは一種の化粧道具で、ただそれを猫と同じように使っているんだということがわかった。しかしあまりそれが不思議なので、私はうしろから尋ねずにはいられなかった。
「それなんです? 顔をコスっているもの?」
「これ?」
夫人は微笑とともに振向いた。そしてそれを私の方へ抛《ほう》って寄来した。取りあげて見ると、やはり猫の手なのである。
「一体、これ、どうしたの?」
訊きながら私は、今日はいつもの仔猫がいないことや、その前足がどうやらその猫のものらしいことを、閃光のように了解した。
「わかっているじゃないの。これはミユルの前足よ」
彼女の答は平然としていた。そして、この頃外国でこんなのが流《は》行《や》るというので、ミユルで作って見たのだというのである。あなたが作ったのかと、内心私は彼女の残酷さに舌を巻きながら尋ねて見ると、それは大学の医科の小《こづ》使《かい》が作ってくれたというのである。私は医科の小使というものが、解剖のあとの死体の首を土に埋めて置いて髑髏《どくろ》を作り、学生と秘密の取引をするということを聞いていたので、非常に嫌な気になった。何もそんな奴に頼まなくたっていいじゃないか。そして女というものの、そんなことにかけての、無神経さや残酷さを、今更のように憎み出した。しかしそれが外国で流行っているということについては、自分もなにかそんなことを、婦人雑誌か新聞かで読んでいたような気がした。――
猫の手の化粧道具! 私は猫の前足を引張って来て、いつも独笑いをしながら、その毛並を撫《な》でてやる。彼が顔を洗う前足の横側には、毛脚の短い絨《じゆう》氈《たん》のような毛が密生していて、なるほど人間の化粧道具にもなりそうなのである。しかし私にはそれが何の役に立とう? 私はゴロッと仰向きに寝転んで、猫を顔の上へあげて来る。二本の前足を掴んで来て、柔らかいその蹠《あしのうら》を、一つずつ私の眼《ま》蓋《ぶた》にあてがう。快い猫の重量。温かいその蹠。私の疲れた眼球には、しみじみとした、この世のものでない休息が伝わって来る。
仔猫よ! 後《ごし》生《よう》だから、しばらく踏み外《はず》さないでいろよ。お前は直ぐ爪を立てるのだから。
(昭和五年五月稿 *昭和五年六月武蔵野書院刊『詩・現実』第一冊)
闇の絵巻
最近東京を騒がした有名な強盗が捕まって語ったところによると、彼は何も見えない闇の中でも、一本の棒さえあれば何里でも走ることが出来るという。その棒を身体の前へ突き出し突き出しして、畑でもなんでも盲滅法に走るのだそうである。
私はこの記事を新聞で読んだとき、そぞろに爽快な戦慄を禁じることが出来なかった。
闇! そのなかではわれわれは何を見ることも出来ない。より深い暗黒が、いつも絶えない波動で刻々と周囲に迫って来る。こんななかでは思考することさえ出来ない。何が在るかわからないところへ、どうして踏み込んでゆくことが出来よう。勿論われわれは摺《すり》足《あし》でもして進むほかはないだろう。しかしそれは苦渋《くじゆう》や不安や恐怖の感情で一ぱいになった一歩だ。その一歩を敢然と踏み出すためには、われわれは悪魔を呼ばなければならないだろう。裸足《はだし》で薊(あざみ)を踏んづける! その絶望への情熱がなくてはならないのである。
闇のなかでは、しかし、もしわれわれがそうした意志を捨ててしまうなら、なんという深い安《あん》堵《ど》がわれわれを包んでくれるだろう。この感情を思い浮べるためには、われわれが都会で経験する停電を思い出して見ればいい。停電して部屋が真暗になってしまうと、われわれは最初なんともいえない不快な気持になる。しかし一寸《ちよつと》気を変えて呑《のん》気《き》でいてやれと思うと同時に、その暗闇は電燈の下では味わうことの出来ない爽やかな安息に変化してしまう。
深い闇のなかで味わうこの安息は一体なにを意味しているのだろう。今は誰の眼からも隠れてしまった――今は巨大な闇と一如になってしまった――それがこの感情なのだろうか。
私はながい間ある山間の療養地に暮していた。私はそこで闇を愛することを覚えた。昼間は金毛の兎が遊んでいるように見える谿《たに》向うの枯《かれ》萱《がや》山《やま》が、夜になると黒ぐろとした畏怖に変った。昼間気のつかなかった樹木が異形な姿を空に現わした。夜の外出には提灯《ちようちん》を持ってゆかなければならない。――月夜というものは提灯の要らない夜ということを意味するのだ。――こうした発見は都会から不意に山間へ行ったものの闇を知る第一階《かい》梯《てい》である。
私は好んで闇のなかへ出かけた。渓ぎわの大きな椎《しい》の木の下に立って遠い街道の孤独な電燈を眺めた。深い闇のなかから遠い小さな光を眺めるほど感傷的なものはないだろう。私はその光がはるばるやって来て、闇のなかの私の着物をほのかに染めているのを知った。またあるところでは渓の闇へ向って一心に石を投げた。闇のなかには一本の柚《ゆず》の木があったのである。石が葉を分けて戞々(かつかつ)と崖へ当った。ひとしきりすると闇のなかからは芳烈な柚《ゆず》の匂いが立《たち》騰《のぼ》って来た。
こうしたことは療養地の身を噛むような孤独と切離せるものではない。あるときは岬の港町へゆく自動車に乗って、わざと薄暮の峠へ私自身を遺棄された。深い渓谷が闇のなかへ沈むのを見た。夜が更《ふ》けて来るにしたがって黒い山々の尾根が古い地球の骨のように見えて来た。彼等は私のいるのも知らないで話し出した。
「おい。いつまで俺達はこんなことをしていなきゃならないんだ」
私はその療養地の一本の闇の街道を今も新しい印象で思い出す。それは渓の下流にあった一軒の旅館から上流の私の旅館まで帰って来る道であった。渓に沿って道は少し上りになっている。三四町もあったであろうか。その間には極く稀にしか電燈がついていなかった。今でもその数が数えられるように思うくらいだ。最初の電燈は旅館から街道へ出たところにあった。夏はそれに虫がたくさん集って来ていた。一匹の青蛙がいつもそこにいた。電燈の真下の電柱にいつもぴたりと身をつけているのである。しばらく見ていると、その青蛙はきまったように後足を変な風に曲げて、背中を掻《か》く模《ま》ねをした。電燈から落ちて来る小虫がひっつくのかもしれない。いかにも五月蠅《うるさ》そうにそれをやるのである。私はよくそれを眺めて立留っていた。いつも夜更けでいかにも静かな眺めであった。
しばらく行くと橋がある。その上に立って渓の上流の方を眺めると、黒ぐろとした山が空の正面に立《たち》塞《ふさ》がっていた。その中腹に一箇の電燈がついていて、その光がなんとなしに恐怖を呼び起した。バアーンとシンバルを叩いたような感じである。私はその橋を渡るたびに私の眼がいつもなんとなくそれを見るのを避けたがるのを感じていた。
下流の方を眺めると、渓が瀬をなして轟《ごう》々《ごう》と激していた。瀬の色は闇のなかでも白い。それはまた尻っ尾のように細くなって下流の闇のなかへ消えてゆくのである。渓の岸には杉林のなかに炭焼小屋があって、白い煙が切り立った山の闇を匍《は》い登っていた。その煙は時として街道の上へ重苦しく流れて来た。だから街道は日によってはその樹脂臭い匂いや、また日によっては馬力の通った昼間の匂いを残していたりするのだった。
橋を渡ると道は渓に沿ってのぼってゆく。左は渓の崖。右は山の崖。行手に白い電燈がついている。それはある旅館の裏門で、それまでの真直ぐな道である。この闇のなかでは何も考えない。それは行手の白い電燈と道のほんの僅かの勾配のためである。これは肉体に課せられた仕事を意味している。目ざす白い電燈のところまでゆきつくと、いつも私は息切れがして往来の上で立留った。呼吸困難。これはじっとしていなければいけないのである。用事もないのに夜更けの道に立ってぼんやり畑を眺めているような風をしている。しばらくするとまた歩き出す。
街道はそこから右へ曲っている。渓沿いに大きな椎の木がある。その木の闇は至って巨大だ。その下に立って見上げると、深い大きな洞窟のように見える。梟《ふくろう》の声がその奥にしていることがある。道の傍らには小さな字《あざ》があって、そこから射して来る光が、道の上に押《おし》被《かぶ》さった竹籔を白く光らせている。竹というものは樹木のなかで最も光に感じ易い。山のなかの所どころに簇《む》れ立っている竹籔。彼等は闇のなかでもそのありかをほの白く光らせる。
そこを過ぎると道は切り立った崖を曲って、突如ひろびろとした展望のなかへ出る。眼界というものがこうも人の心を変えてしまうものだろうか。そこへ来ると私はいつも今が今まで私の心を占めていた煮え切らない考えを振るい落してしまったように感じるのだ。私の心には新しい決意が生れて来る。秘やかな情熱が静かに私を満たして来る。
この闇の風景は単純な力強い構成を持っている。左手には渓の向うを夜空を劃《くぎ》ってて爬虫(はちゆう)の背のような尾根が蜿《えん》蜒《えん》と匍《は》っている。黒ぐろとした杉林がパノラマのように廻って私の行手を深い闇で包んでしまっている。その前景のなかへ、右手からも杉山が傾きかかる。この山に沿って街道がゆく。行手は如何《いかん》ともすることの出来ない闇である。この闇へ達するまでの距離は百米《メートル》余りもあろうか。その途中にたった一軒だけ人家があって、楓《かえで》のような木が幻燈のように光を浴びている。大きな闇の風景のなかでただそこだけがこんもり明るい。街道もその前では少し明るくなっている。しかし前方の闇はそのためになお一層暗くなり街道を呑みこんでしまう。
ある夜のこと、私は私の前を私と同じように提灯なしで歩いてゆく一人の男があるのに気がついた。それは突然その家の前の明るみのなかへ姿を現わしたのだった。男は明るみを背にしてだんだん闇のなかへはいって行ってしまった。私はそれを一種異様な感動を持って眺めていた。それは、あらわに云って見れば、「自分もしばらくすればあの男のように闇のなかへ消えてゆくのだ。誰かがここに立って見ていればやはりあんな風に消えてゆくのであろう」という感動なのであったが、消えてゆく男の姿はそんなにも感情的であった。
その家の前を過ぎると、道は渓に沿った杉林にさしかかる。右手は切り立った崖である。それが闇のなかである。なんという暗い道だろう。そこは月夜でも暗い。歩くにしたがって暗さが増してゆく。不安が高まって来る。それがある極点にまで達しようとするとき、突如ごおっという音が足下から起る。それは杉林の切れ目だ。ちょうど真下に当る瀬の音がにわかにその切れ目から押寄せて来るのだ。その音は凄《すさ》まじい。気持にはある混乱が起って来る。大工とか左官とかそういった連中が渓のなかで不可思議な酒盛をしていて、その高笑いがワッハッハ、ワッハッハときこえて来るような気のすることがある。心が捩《ね》じ切れそうになる。するとその途端、道の行手にパッと一箇の電燈が見える。闇はそこで終ったのだ。
もうそこからは私の部屋は近い。電燈の見えるところが崖の曲角で、そこを曲れば直ぐ私の旅館だ。電燈を見ながらゆく道は心易い。私は最後の安《あん》堵《ど》とともにその道を歩いてゆく。しかし霧の夜がある。霧にかすんでしまって電燈が遠くに見える。行っても行ってもそこまで行きつけないような不思議な気持になるのだ。いつもの安堵が消えてしまう。遠い遠い気持になる。
闇の風景はいつ見ても変らない。私はこの道を何度ということなく歩いた。いつも同じ空想を繰返した。印象が心に刻みつけられてしまった。街道の闇、闇よりも濃い樹木の闇の姿はいまも私の眼に残っている。それを思い浮べるたびに、私は今いる都会のどこへ行っても電燈の光の流れている夜を薄っ汚なく思わないではいられないのである。
(昭和五年八月稿 *同年九月武蔵野書院刊『詩・現実』第二冊)
交尾
その一
星空を見上げると、音もしないで何匹も蝙《こう》蝠《もり》が飛んでいる。その姿は見えないが、瞬間瞬間光を消す星の工合から、気味の悪い畜類の飛んでいるのが感じられるのである。
人びとは寝静まっている。――私の立っているのは、半ば朽ちかけた、家の物干場だ。ここからは家の裏横手の露路を見通すことが出来る。近所は、港に舫《もや》った無数の廻船のように、ただぎっしりと建て詰んだ家の、同じように朽ちかけた物干ばかりである。私は嘗《かつ》て独逸《ドイツ》のペッヒシュタインという画家の「市に嘆けるクリスト」という画の刷《すり》物《もの》を見たことがあるが、それは巨大な工場地帯の裏地のようなところで跪《ひざまず》いて祈っているキリストの絵像であった。その聯想から、私は自分の今出ている物干がなんとなくそうしたゲッセマネのような気がしないでもない。しかし私はキリストではない。夜中になって来ると病気の私の身体は火《ほ》照《て》り出し、そして眼が冴《さ》える。ただ妄想という怪獣の餌《え》食《じき》となりたくないためばかりに、私はここへ逃げ出して来て、少々身体には毒な夜露に打たれるのである。
どの家も寝静まっている。時どき力のない咳《せき》の音が洩《も》れて来る。昼間の知識から、私はそれが露路に住む魚屋の咳であることを聞きわける。この男はもう商売も辛《つら》いらしい。二階に間借りをしている男が、一度医者に見て貰えというのにどうしても聴かない。この咳はそんな咳じゃないと云って隠そうとする。二階の男がそれを近所へ触れて歩く。――家賃を払う家が少なくて、医者の払いが皆目集まらないというこの町では、肺病は陰忍な戦である。突然に葬儀自動車が来る。誰もが死んだという当人のいつものように働いていた姿をまだ新しい記憶のなかに呼び起す。床についていた間というのは、だからいくらもないのである。実際こんな生活では誰でもが自ら絶望し、自ら死ななければならないのだろう。
魚屋が咳《せ》いている。可哀想だなあと思う。ついでに、私の咳がやはりこんな風に聞こえるのだろうかと、私の分として聴いて見る。
先程から露路の上には盛んに白いものが往来している。これはこの露路だけとは云わない。表通りも夜更けになるとこの通りである。これは猫だ。私は何故この町では猫がこんなに我物顔に道を歩くのか考えて見たことがある。それによると第一この町には犬がほとんどいないのである。犬を飼うのはもう少し余裕のある住宅である。その代り通りの家では商品を鼠にやられないために大《たい》抵《てい》猫を飼っている。犬がいなくて猫が多いのだから自然往来は猫が歩く。しかし、なんと云っても、これは図々しい不思議な気のする深夜の風景にはちがいない。彼等はブールヴァールを歩く貴婦人のように悠々《ゆうゆう》と歩く。また市役所の測量工夫のように辻から辻へ走ってゆくのである。
隣りの物干の暗い隅でガサガサという音が聞こえる。セキセイだ。小鳥が流行《はや》った時分にはこの町では怪我人まで出した。「一体誰がはじめにそんなものを欲しいと云い出したんだ」と人びとが思う時分には、尾羽打ち枯らしたいろいろな鳥が雀に混って餌を漁《あさ》りに来た。もうそれも来なくなった。そして隣りの物干の隅には煤《すす》で黒くなった数匹のセキセイが生き残っているのである。昼間は誰もそれに注意を払おうともしない。ただ夜中になって変てこな物音をたてる生物になってしまったのである。
この時私は不意に驚ろいた。先程から露路をあちらへ行ったりこちらへ来たり、二匹の白猫が盛んに追っかけあいをしていたのであるが、この時ちょうど私の眼の下で、不意に彼等は小さな唸り声をあげて組打ちをはじめたのである。組打ちと云ってもそれは立って組打ちをしているのではない。寝転んで組打ちをしているのである。私は猫の交尾を見たことがあるがそれはこんなものではない。また仔猫同志がよくこんなにして巫《ふ》山《ざ》戯《け》ているがそれでもないようである。なにかよくはわからないが、兎に角これは非常に艶《なま》めかしい所《しよ》作《さ》であることは事実である。私はじっとそれを眺めていた。遠くの方から夜警のつく棒の音がして来る。その音のほかには町からは何の物音もしない。静かだ。そして私の眼の下では彼等がやはりだんまりで、しかも実に余念なく組打ちをしている。
彼等は抱き合っている。柔らかく噛み合っている。前肢でお互に突張り合いをしている。見ているうちに私はだんだん彼等の所作に惹き入れられていた。私は今彼等が噛み合っている気味の悪い噛み方や、今彼等が突張っている前肢の――それで人の胸を突張るときの可愛い力やを思い出した。どこまでも指を滑り込ませる温い腹の柔《にこ》毛《げ》――今一方の奴はそれを揃えた後肢で踏んづけているのである。こんなに可愛い、不思議な、艶めかしい猫の有様を私はまだ見たことがなかった。しばらくすると彼等はお互にきつく抱き合ったまま少しも動かなくなってしまった。それを見ていると私は息が詰って来るような気がした。と、その途端露路のあちらの端から夜警の杖の音が急に露路へ響いて来た。
私はいつもこの夜警が廻って来ると家のなかへ這入ってしまうことにしていた。夜中おそく物干へ出ている姿などを私は見られたくなかった。もっとも物干の一方の方へ寄っていれば見られないで済むのであるが、雨戸が開いている、それを見て大きい声を立てて注意をされたりすると尚《なお》のこと不名誉なので、彼がやって来ると匆々《そうそう》家のなかへ這入ってしまうのである。しかし今夜は私は猫がどうするか見届けたい気持でわざと物干へ身体を突出していることにきめてしまった。夜警はだんだん近づいて来る。猫は相変らず抱き合ったまま少しも動こうとしない。この互に絡み合っている二匹の白猫は私をして肆《ほしいまま》な男女の痴態を幻想させる。それから涯《はて》しのない快楽を私は抽《ひ》き出すことが出来る。……
夜警はだんだん近づいて来た。この夜警は昼は葬儀屋をやっている、なんとも云えない陰気な感じのする男である。私は彼が近づいて来るにつれて、彼がこの猫を見てどんな態度に出るか、興味を起して来た。彼はやっともうあと二間ほどのところではじめてそれに気がついたらしく、立留った。眺めているらしい。彼がそうやって眺めているのを見ていると、どうやら私の深夜の気持にも人と一緒にものを見物しているような感じが起って来た。ところが猫はどうしたのかちっとも動かない。まだ夜警に気がつかないのだろうか。あるいはそうかも知れない。それとも多《た》寡《か》を括《くく》ってそのままにしているのだろうか。それはこういう動物の図々しいところでもある。彼等は人が危害を加える気遣いがないと落着き払って少しくらい追ってもなかなか逃げ出さない。それでいて実に抜目なく観察していて、人にその気配が兆《きざ》すと見るやたちまち逃げ足に移る。
夜警は猫が動かないと見るとまた二足三足近づいた。するとおかしいことには二つの首がくるりと振向いた。しかし彼等はまだ抱き合っている。私はむしろ夜警の方が面白くなって来た。すると夜警は彼の持っている杖をトンと猫の間近で突いて見せた。と、たちまち猫は二条の放射線となって露路の奥の方へ逃げてしまった。夜警はそれを見送ると、いつものようにつまらなそうに再び杖を鳴らしながら露路を立ち去ってしまった。物干の上の私には気づかないで。
その二
私は一度河鹿(かじか)をよく見てやろうと思っていた。
河鹿を見ようと思えば先ず大胆に河鹿の鳴いている瀬のきわまで進んでゆくことが必要である。これはそろそろ近寄って行っても河鹿の隠れてしまうのは同じだからなるべく神速に行うのがいいのである。瀬のきわまで行ってしまえば今度は身をひそめて凝《じ》っとしてしまう。「俺は石だぞ。俺は石だぞ」と念じているような気持で少しも動かないのである。ただ眼だけはらんらんとさせている。ぼんやりしていれば河鹿は渓《たに》の石と見わけ憎い色をしているから何も見えないことになってしまうのである。やっとしばらくすると水の中やら石の蔭から河鹿がそろそろと首を擡《もた》げはじめる。気をつけて見ていると実にいろんなところから――それが皆申し合せたように同じくらいずつ――恐る恐る顔を出すのである。すでに私は石である。彼等は等しく恐怖をやり過ごした体で元の所へあがって来る。今度は私の一望の下に、余儀ないところで中断されていた彼等の求愛が encore されるのである。
こんな風にして真近に河鹿を眺めていると、ときどき不思議な気持になることがある。芥川龍之介は人間が河童《かつぱ》の世界へ行く小説を書いたが、河鹿の世界というものは案外手近にあるものだ。私は一度私の眼の下にいた一匹の河鹿から忽《こつ》然《ぜん》としてそんな世界へはいってしまった。その河鹿は瀬の石と石との間に出来た小さい流れの前へ立って、あの奇怪な顔附でじっと水の流れるのを見ていたのであるが、その姿が南画の河童とも漁師ともつかぬ点景人物そっくりになって来た、と思う間に彼の前の小さい流れがサーッと広びろとした江に変じてしまった。その瞬間私もまたその天地の孤客たることを感じたのである。
これはただこれだけの話に過ぎない。だが、こんな時こそ私は最も自然な状態で河鹿を眺めていたと云い得るのかもしれない。それより前私は一度こんな経験をしていた。
私は渓へ行って鳴く河鹿を一匹捕まえて来た。桶《おけ》へ入れて観察しようと思ったのである。桶は浴場の桶だった。渓の石を入れて水を湛《たた》え、硝子《ガラス》で蓋をして座敷のなかへ持ってはいった。ところが河鹿はどうしても自然な状態になろうとしない。蠅を入れても蠅は水の上へ落ちてしまったなり河鹿とは別の生活をしている。私は退屈して湯に出かけた。そして忘れた時分になって座敷へ帰って来ると、チャブンという音が桶のなかでした。成程と思って早速桶の傍へ行って見ると、やはり先程の通り隠れてしまった切りで出て来ない。今度は散歩に出かける。帰って来ると、またチャブンという音がする。あとはやはり同じことである。その晩は、傍へ置いたまま、私は私で読書をはじめた。忘れてしまって身体を動かすとまた跳び込んだ。最も自然な状態で本を読んでいるところを見られてしまったのである。翌日、結局彼は「慌《あわ》てて跳び込む」ということを私に教えただけで、身体へ部屋中の埃《ほこり》をつけて、私が明けてやった障子から渓の水音のする方へ跳んで行ってしまった。――これ以後私は二度とこの方法を繰返さなかった。彼等を自然に眺めるにはやはり渓へ行かなくてはならなかったのである。
それはある河鹿のよく鳴く日だった。河鹿の鳴く声は街道までよく聞こえた。私は街道から杉林のなかを通っていつもの瀬のそばへ下りて行った。渓向うの木立のなかでは瑠璃(るり)が美しく囀《さえず》っていた。瑠璃は河鹿と同じくその頃の渓間をいかにも楽しいものに思わせる鳥だった。村人の話ではこの鳥は一つのホラ(山あいの木のたくさん繁ったところ)にはただ一羽しかいない。そして他の瑠璃がそのホラへはいって行くと喧《けん》嘩《か》をして追い出してしまうと云う。私は瑠璃の鳴声を聞くといつもその話を思い出しそれをもっともだと思った。それはいかにも我と我が声の反響を楽しんでいる者の声だった。その声はよく透り、一日中変ってゆく渓あいの日射しのなかでよく響いた。その頃毎日のように渓間を遊び恍《ほう》けていた私はよくこんなことを口ずさんだ。
――ニシビラへ行けばニシビラの瑠璃、セコノタキへ来ればセコノタキの瑠璃。――
そして私の下りて来た瀬の近くにも同じような瑠璃が一羽いたのである。私は果して河鹿の鳴きしきっているのを聞くとさっさと瀬のそばまで歩いて行った。すると彼等の音楽ははたと止まった。しかし私は既定の方針通りにじっと蹲《うずく》まっておればよいのである。しばらくして彼等はまた元通りに鳴き出した。この瀬には殊にたくさんの河鹿がいた。その声は瀬をどよもして響いていた。遠くの方から風の渡るように響いて来る。それは近くの瀬の波頭の間から高まって来て、眼の下の一団で高潮に達しる。その伝《でん》播《ば》は微妙で、絶えず湧き起り絶えず揺れ動く一つのまぼろしを見るようである。科学の教えるところによると、この地球にはじめて声を持つ生物が産れたのは石炭紀の両棲類だということである。だからこれがこの地球に響いた最初の生の合唱だと思うといくらか壮烈な気がしないでもない。実際それは聞く者の心を震わせ、胸をわくわくさせ、ついには涙を催《もよお》させるような種類の音楽である。
私の眼の下にはこのとき一匹の雄がいた。そして彼もやはりその合唱の波のなかに漂いながら、ある間《ま》をおいては彼の喉《のど》を震わせていたのである。私は彼の相手がどこにいるのだろうかと捜して見た。流れを距てて一尺ばかり離れた石の蔭に温柔《おとな》しく控えている一匹がいる。どうもそれらしい。しばらく見ているうちに私はそれが雄の鳴くたびに「ゲ・ゲ」と満足気な声で受答えをするのを発見した。そのうちに雄の声はだんだん冴えて来た。ひたむきに鳴くのが私の胸へも応えるほどになって来た。しばらくすると彼はまた突然に合唱のリズムを紊《みだ》しはじめた。鳴く間《ま》がだんだん迫って来たのである。勿《もち》論《ろん》雌は「ゲ・ゲ」とうなずいている。しかしこれは声の振わないせいか雄の熱情的なのに比べて少し呑気に見える。しかし今に何事かなくてはならない。私はその時の来るのを待っていた。すると、案の定、雄はその烈しい鳴き方をひたと鳴きやめたと思う間に、するすると石を下りて水を渡りはじめた。このときその可憐な風情ほど私を感動させたものはなかった。彼が水の上を雌に求め寄ってゆく、それは人間の子供が母親を見つけて甘え泣きに泣きながら駆け寄って行くときと少しも変ったことはない。「ギョ・ギョ・ギョ・ギョ」と鳴きながら泳いで行くのである。こんな一心にも可憐な求愛があるものだろうか。それには私はすっかりあてられてしまったのである。
勿論彼は幸福に雌の足下へ到り着いた。それから彼等は交尾した。爽やかな清流のなかで。――しかし少なくとも彼等の痴情の美しさは水を渡るときの可憐さに如《し》かなかった。世にも美しいものを見た気持で、しばらく私は瀬を揺がす河鹿の声のなかに没していた。
(昭和五年十二月稿 *『作品』昭和六年一月号)
のんきな患者
吉田は肺が悪い。寒《かん》になって少し寒い日が来たと思ったら、すぐその翌日から高い熱を出してひどい咳《せき》になってしまった。胸の臓器を全部押上げて出してしまおうとしているかのような咳をする。四五日経つともうすっかり痩《や》せてしまった。咳もあまりしない。しかしこれは咳が癒《なお》ったのではなくて、咳をするための腹の筋肉がすっかり疲れ切ってしまったからで、彼等が咳をするのを肯《がえ》んじなくなってしまったかららしい。それにもう一つは心臓がひどく弱ってしまって、一度咳をしてそれを乱してしまうと、それを再び鎮めるまでに非常に苦しい目を見なければならない。つまり咳をしなくなったというのは、身体が衰弱してはじめてのときのような元気がなくなってしまったからで、それが証拠には今度はだんだん呼吸困難の度《ど》を増して浅薄な呼吸を数多くしなければならなくなって来た。
病勢がこんなになるまでの間、吉田はこれを人並の流行性感冒のように思って、またしても「明朝はもう少しよくなっているかもしれない」と思ってはその期待に裏切られたり、今日こそは医者を頼もうかと思ってはむだに辛抱をしたり、いつまでもひどい息切れを冒しては便所へ通ったり、そんな本能的な受身なことばかりやっていた。そしてやっと医者を迎えた頃には、もうげっそり頬もこけてしまって、身動きも出来なくなり、二三日のうちにははや褥瘡(とこずれ)のようなものまでが出来かかって来るという弱り方であった。或る日はしきりに「こうっと」「こうっと」というようなことを殆ど一日云っている。かと思うと「不安や」「不安や」と弱々しい声を出して訴えることもある。そういうときはきまって夜で、どこから来るともしれない不安が吉田の弱り切った神経を堪《たま》らなくするのであった。
吉田はこれまで一度もそんな経験をしたことがなかったので、そんなときは第一にその不安の原因に思い悩むのだった。一体ひどく心臓でも弱って来たんだろうか、それともこんな病気にはあり勝ちな、不安ほどにはないなにかの現象なんだろうか、それとも自分の過敏になった神経がなにかの苦痛をそういう風に感じさせるんだろうか。――吉田はほとんど身動きも出来ない姿勢で身体を鯱《しや》硬《ちこ》張《ば》らせたまま辛うじて胸へ呼吸を送っていた。そして今もし突如この平衡を破るものが現われたら自分はどうなるかしれないということを思っていた。だから吉田の頭には地震とか火事とか一生に一度遭うか二度遭うかというようなものまでが真剣に写っているのだった。また吉田がこの状態を続けてゆくと云うのには絶えない努力感の緊張が必要であって、もしその綱渡りのような努力になにか不安の影が射せばたちどころに吉田は深い苦痛に陥らざるを得ないのだった。――しかしそんなことはいくら考えても決定的な知識のない吉田にはその解決がつくはずはなかった。その原因を臆測するにもまたその正否を判断するにも結局当の自分の不安の感じに由る外はないのだとすると、結局それは何をやっているのか訳のわからないことになるのは当然のことなのだったが、しかしそんな状態にいる吉田にはそんな諦《あきら》めがつくはずはなく、いくらでもそれは苦痛を増して行くことになるのだった。
第二に吉田を苦しめるのはこの不安には手段があると思うことだった。それは人に医者へ行って貰うことと誰かに寝ずの番についていて貰うことだった。しかし吉田は誰もみな一日の仕事をすましてそろそろ寝ようとする今頃になって、半《はん》里《みち》もある田舎道を医者へ行って来てくれとか、六十も越してしまった母親に寝ずについていてくれとか云うことは云い出し憎かった。またそれを思い切って頼む段になると、吉田は今のこの自分の状態をどうしてわかりの悪い母親にわからしていいか、――それよりも自分が辛うじてそれを云うことが出来ても、じっくりとした母親の平常の態度でそれを考えられたり、またその使いを頼まれた人間がその使いを行き渋《しぶ》ったりするときのことを考えると、実際それは吉田にとって泰《たい》山《ざん》を動かすような空想になってしまうのだった。しかし何故不安になって来るか――もう一つ精密に云うと――何故不安が不安になって来るかというと、これからだんだん人が寝てしまって医者へ行って貰うということも本当に出来なくなるということや、そして母親も寝てしまってあとはただ自分一人が荒涼とした夜の時間のなかへ取残されるということや、そしてもしその時間の真中でこのえたいの知れない不安の内容が実現するようなことがあれば最早自分はどうすることも出来ないではないかというようなことを考えるからで――だからこれは目をつぶって「辛抱するか、頼むか」ということを決める以外それ自身のなかには何等解決の手段も含んでいない事柄なのであるが、たとえ吉田は漠然とそれを感じることが出来ても、身体も心も抜差しのならない自分の状態であってみればなおのことその迷《めい》妄《もう》を捨て切ってしまうことも出来ず、その結果はあがきのとれない苦痛がますます増大してゆく一方となり、そのはてにはもうその苦しさだけにも堪え切れなくなって、「こんなに苦しむくらいなら一《いつ》そのこと云ってしまおう」と最後の決心をするようになるのだが、そのときはもう何故か手も足も出なくなったような感じで、その傍に坐っている自分の母親がいかにも歯《は》痒《がゆ》いのんきな存在に見え、「こことそこだのに何故これを相手にわからすことが出来ないのだろう」と胸のなかの苦痛をそのまま掴み出して相手に叩きつけたいような癇《かん》癪《しやく》が吉田には起って来るのだった。
しかし結局はそれも「不安や」「不安や」という弱々しい未練一杯の訴えとなって終ってしまうほかないので、それも考えてみれば未練とは云ってもやはり夜中なにか起ったときには相手をはっと気づかせることの役には立つという切《せつ》羽《ぱ》つまった下《した》心《ごころ》もは入《い》っているにはちがいなく、そうすることによってやっと自分一人が寝られないで取残される夜の退《のつ》引《ぴき》ならない辛抱をすることになるのだった。
吉田は何度「己が気持よく寝られさえすれば」と思ったことかしれなかった。こんな不安も吉田がその夜を睡むる当てさえあれば何の苦痛でもないので、苦しいのはただ自分が昼にも夜にも睡眠ということを勘定に入れることが出来ないということだった。吉田は胸のなかがどうにかして和《なご》んで来るまでは否でも応でもいつも身体を鯱硬張《しやちこば》らして夜昼を押し通していなければならなかった。そして睡眠は時雨(しぐれ)空(ぞら)の薄日のように、その上を時々やって来ては消えてゆくほとんど自分とは没交渉なものだった。吉田はいくら一日の看護に疲れても寝るときが来ればいつでもすやすやと寝て行く母親がいかにも楽そうにもまた薄情にも見え、しかし結局これが己の今やらなければならないことなんだと思い諦《あきら》めてまたその努力を続けてゆく外なかった。
そんなある晩のことだった。吉田の病室へ突然猫が這入って来た。その猫は平常吉田の寝床へ這入って寝るという習慣があるので吉田がこんなになってからは喧《やか》ましく云って病室へは入れない工夫をしていたのであるが、その猫がどこから這入って来たのか不意にニャアといういつもの鳴声とともに部屋へ這入って来たときには吉田は一時に不安と憤《ふん》懣《まん》の念に襲われざるを得なかった。吉田は隣室に寝ている母親を呼ぶことを考えたが、母親はやはり流行性感冒のようなものにかかって二三日前から寝ているのだった。そのことについては吉田は自分のことも考え、また母親のことも考えて看護婦を呼ぶことを提議したのだったが、母親は「自分さえ辛抱すればやって行ける」という吉田にとっては非常に苦痛な考えを固執していてそれを取上げなかった。そしてこんな場合になっては吉田はやはり一匹の猫くらいでその母親を起すということは出来難い気がするのだった。吉田はまた猫のことには「こんなことがあるかもしれないと思ってあんなにも神経質に云ってあるのに」と思って自分が神経質になることによって払った苦痛の犠牲が手応えもなくすっぽかされてしまったことに憤懣を感じないではいられなかった。しかし今自分は癇癪を立てることによって少しの得もすることはないと思うと、その訳のわからない猫をあまり身動きも出来ない状態で立ち去らせることのいかにまた根気のいる仕事であるかを思わざるを得なかった。
猫は吉田の枕のところへやって来るといつものように夜着の襟元から寝床のなかへもぐり込もうとした。吉田は猫の鼻が冷たくてその毛皮が戸外の霜で濡れているのをその頬で感じた。すなわち吉田は首を動かしてその夜着の隙間を塞いだ。すると猫は大胆にも枕の上へあがって来てまた別の隙間へ遮《しや》二《に》無《む》二《に》首を突込もうとした。吉田はそろそろあげて来てあった片手でその鼻先を押しかえした。このようにして懲罰《ちようばつ》ということ以外に何もしらない動物を、極度に感情を押し殺した僅かの身体の運動で立ち去らせるということは、訳のわからないその相手を殆ど懐疑に陥れることによって諦めさすというような切《せつ》羽《ぱ》つまった方法を意味していた。しかしそれがやっとのことで成功したと思うと、方向を変えた猫は今度はのそのそと吉田の寝床の上へあがってそこで丸くなって毛を舐《な》めはじめた。そこへ行けばもう吉田にはどうすることも出来ない場所である。薄氷を踏むような吉田の呼吸が遽《にわ》かにずしりと重くなった。吉田はいよいよ母親を起そうかどうしようかということで抑えていた癇癪を昂《たか》ぶらせはじめた。吉田にとってはそれを辛抱することは出来なくないことかもしれなかった。しかしその辛抱をしている間はたとえ寝たか寝ないかわからないような睡眠ではあったが、その可能性が全然なくなってしまうことを考えなければならなかった。そしてそれをいつまで持ち耐えなければならないかということは全く猫次第であり、いつ起きるかしれない母親次第だと思うと、どうしてもそんな馬鹿馬鹿しい辛抱は仕切れない気がするのだった。しかし母親を起すことを考えると、こんな感情を抑えて恐らく何度も呼ばなければならないだろうという気持だけでも吉田は全く大儀な気になってしまうのだった。――しばらくして吉田はこの間から自分で起したことのなかった身体をじりじり起しはじめた。そして床の上へやっと起きかえったかと思うと、寝床の上に丸くなって寝ている猫をむんずと掴まえた。吉田の身体はそれだけの運動でもう浪《なみ》のように不安が揺れはじめた。しかし吉田はもうどうすることも出来ないので、いきなりそれをそれの這入って来た部屋の隅へ「二度と手間のかからないように」叩きつけた。そして自分は寝床の上であぐらをかいてそのあとの恐ろしい呼吸困難に身を委《まか》せたのだった。
しかし吉田のそんな苦しみもだんだん耐え難いようなものではなくなって来た。吉田は自分にやっと睡眠らしい睡眠が出来るようになり、「今度はだいぶんひどい目に会った」ということを思うことが出来るようになると、やっと苦しかった二週間ほどのことが頭へのぼって来た。それは思想もなにもないただ荒々しい岩石の重畳《ちようじよう》する風景だった。しかしそのなかでも最もひどかった咳の苦しみの最中に、いつも自分の頭へ浮んで来る訳のわからない言葉があったことを吉田は思い出した。それは「ヒルカニヤの虎」という言葉だった。それは咳の喉《のど》を鳴らす音とも聯関があり、それを吉田が観念するのは「俺はヒルカニヤの虎だぞ」というようなことを念じるからなのだったが、一体その「ヒルカニヤの虎」というものがどんなものであったか吉田はいつも咳のすんだあと妙な気持がするのだった。吉田は何かきっとそれは自分の寝つく前に読んだ小説かなにかのなかにあったことにちがいないと思うのだったがそれが思い出せなかった。また吉田は「自己の残像」というようなものがあるものなんだなというようなことを思ったりした。それは吉田がもうすっかり咳をするのに疲れてしまって頭を枕へ凭《もた》らせていると、それでもやはり小さい咳が出て来る、しかし吉田はもうそんなものに一々頸を固くして応じてはいられないと思ってそれを出るままにさせておくと、どうしてもやはり頭はその度に動かざるを得ない。するとその「自己の残像」というものがいくつも出来るのである。
しかしそんなこともみな苦しかった二週間ほどの間の思い出であった。同じ寝られない晩にしても吉田の心にはもうなにかの快楽を求めるような気持の感じられるような晩もあった。
或る晩は吉田は煙草を眺めていた。床の脇にある火鉢の裾《すそ》に刻《きざみ》煙草の袋と煙管《きせる》とが見えている。それは見えているというよりも、吉田が無理をして見ているので、それを見ているということが何とも云えない楽しい気持を自分に起させていることを吉田は感じていた。そして吉田の寝られないのはその気持のためで、云わばそれはやや楽しすぎる気持なのだった。そして吉田は自分の頬がそのために少しずつ火《ほ》照《て》ったようになって来ているということさえ知っていた。しかし吉田は決してほかを向いて寝ようという気はしなかった。そうするとせっかく自分の感じている春の夜のような気持が一時に病気病気した冬のような気持になってしまうのだった。しかし寝られないということも吉田にとっては苦痛であった。吉田はいつか不眠症ということについて、それの原因は結局患者が眠ることを欲しないのだという学説があることを人に聞かされていた。吉田はその話を聞いてから自分の睡むれないときには何か自分に睡むるのを欲しない気持がありはしないかと思って一夜それを検査して見るのだったが、今自分が寝られないということについては検査してみるまでもなく吉田にはそれがわかっていた。しかし自分がその隠れた欲望を実行に移すかどうかという段になると吉田は一も二もなく否定せざるを得ないのだった。煙草を喫うも喫わないも、その道具の手の届くところへ行きつくだけでも、自分の今のこの春の夜のような気持は一時に吹き消されてしまわなければならないということは吉田も知っていた。そしてもしそれを一服喫《す》ったとする場合、この何日間か知らなかったどんな恐ろしい咳の苦しみが襲って来るかということも吉田は大《たい》概《がい》察していた。そして何よりもまず、少し自分がその人の故《せい》で苦しい目をしたというような場合直ぐに癇癪を立てておこりつける母親の寝ている隙に、それもその人の忘れて行った煙草を――と思うとやはり吉田は一も二もなくその欲望を否定せざるを得なかった。だから吉田は決してその欲望をあらわには意識しようとは思わない。そしていつまでもその方を眺めては寝られない春の夜のような心のときめきを感じているのだった。
或る日は吉田はまた鏡を持って来させてそれに枯れ枯れとした真冬の庭の風景を反射させては眺めたりした。そんな吉田にはいつも南天の赤い実が眼の覚めるような刺戟で眼についた。また鏡で反射させた風景へ望遠鏡を持って行って、望遠鏡の効果があるものかどうかということを、吉田はだいぶんながい間寝床のなかで考えたりした。大丈夫だと吉田は思ったので、望遠鏡を持って来させて鏡を重ねて覗いて見るとやはり大丈夫だった。
或る日は庭の隅に接した村の大きな櫟《くぬぎ》の木へたくさん渡り鳥がやって来ている声がした。
「あれは一体何やろ」
吉田の母親はそれを見つけて硝子《ガラス》障子《しようじ》のところへ出て行きながら、そんな独り言のような吉田に聞かすようなことを云うのだったが、癇癪を起すのに慣れ続けた吉田は、「勝手にしろ」というような気持でわざと黙り続けているのだった。しかし吉田がそう思って黙っているというのは吉田にしてみればいい方で、もしこれが気持のよくないときだったら自分のその沈黙が苦しくなって、(一体そんなことを聞くような聞かないようなことを云って自分がそれを眺めることが出来ると思っているのか)というようなことから始まって、母親が自分のそんな意志を否定すれば、(いくらそんなことを云ってもぼんやり自分がそう思って云ったということに自分が気がつかないだけの話で、いつもそんなぼんやりしたことを云ったりしたりするから無理にでも自分が鏡と望遠鏡とを持ってそれを眺めなければならないような義務を感じたりして苦しくなるのじゃないか)という風に母親を攻めたてて行くのだったが、吉田は自分の気持がそういう朝でさっぱりしているので、黙ってその声をきいていることが出来るのだった。すると母親は吉田がそんなことを考えているということには気がつかずにまたこんなことを云うのだった。
「なんやらヒヨヒヨした鳥やわ」
「そんなら鵯(ひよ)ですやろうかい」
吉田は母親がそれを鵯に極めたがってそんな形容詞を使うのだということが大抵わかるような気がするのでそんな返事をしたのだったが、しばらくすると母親はまた吉田がそんなことを思っているとは気がつかずに、
「なんやら毛がムクムクしているわ」
吉田はもう癇癪を起すよりも母親の思っていることがいかにも滑稽になって来たので、
「そんなら椋《む》鳥《く》ですやろうかい」
と云って独りで笑いたくなって来るのだった。
そんな或る日吉田は大阪でラジオ屋の店を開いている末の弟の見舞をうけた。
その弟のいる家というのはその何ケ月か前まで吉田や吉田の母や弟やの一緒に住んでいた家であった。そしてそれはその五六年も前吉田の父がその学校へ行かない吉田の末の弟に何か手に合った商売をさせるために、そして自分達もその息子を仕上げながら老後の生活をして行くために買った小間物店で、吉田の弟はその店の半分を自分の商売にする積りのラジオ屋に造り変え、小間物屋の方は吉田の母親が見ながらずっと暮して来たのであった。それは大阪の市が南へ南へ伸びて行こうとして十何年か前まではまだ草深い田舎であった土地をどんどん住宅や学校、病院などの地帯にしてしまい、その間へはまた多くはそこの地元の百姓であった地主たちの建てた小さな長屋がたくさん出来て、野原の名残りが年毎にその影を消して行きつつあるという風の町なのであった。吉田の弟の店のあるところはその間でも比較的早くから出来ていた通筋で両側はそんな町らしい、いろんなものを商《あきな》う店が立ち並んでいた。
吉田は東京から病気が悪くなってその家へ帰って来たのが二年あまり前であった。吉田の帰って来た翌年吉田の父はその家で死んで、しばらくして吉田の弟も兵隊に行っていたのから帰って来ていよいよ落着いて商売をやって行くことになり嫁を貰った。そしてそれを機会に一先ず吉田も吉田の母も弟も、それまで外で家を持っていた吉田の兄の家の世話になることになり、その兄がそれまで住んでいた町から少し離れた田舎に、病人を住ますに都合のいい離家《はなれ》のあるいい家が見つかったのでそこへ引越したのがまだ三ケ月ほど前であった。
吉田の弟は病室で母親を相手にしばらく当り触りのない自分の家の話などをしていたがやがて帰って行った。しばらくしてそれを送って行った母が部屋へ帰って来て、またしばらくしてのあとで、母は突然、
「あの荒物屋の娘が死んだと」
と云って吉田に話しかけた。
「ふうむ」
吉田はそう云ったなり弟がその話をこの部屋ではしないで送って行った母と母《おも》屋《や》の方でしたということを考えていたが、やはり弟の眼にはこの自分がそんな話も出来ない病人に見えたかと思うと、「そうかなあ」という風にも考えて、
「何であれもそんな話をあっちの部屋でしたりするんですやろなあ」
という風なことを云っていたが、
「そりゃお前がびっくりすると思うてさ」
そう云いながら母は自分がそれを云ったことは別に意に介してないらしいので吉田は直ぐにも「それじゃあんたは?」と聞きかえしたくなるのだったが、今はそんなことを云う気にもならず吉田はじっとその娘の死んだということを考えていた。
吉田は以前からその娘が肺が悪くて寝ているということは聞いて知っていた。その荒物屋というのは吉田の弟の家から辻を一つ越した二三軒先のくすんだ感じの店だった。吉田はその店にそんな娘が坐っていたことはいくら云われても思い出せなかったが、その家のお婆さんというのはいつも近所へ出歩いているのでよく見て知っていた。吉田はそのお婆さんからはいつも少し人の好過ぎるやや腹立たしい印象をうけていたのであるが、それはそのお婆さんがまたしても変な笑い顔をしながら近所のおかみさんたちとお喋りをしに出て行っては、弄《なぶ》りものにされている――そんな場面をたびたび見たからだった。しかしそれは吉田の思い過ぎで、それはそのお婆さんが聾《つんぼ》で人に手真似をして貰わないと話が通じず、しかも自分は鼻のつぶれた声で物を云うので一層人に軽蔑的な印象を与えるからで、それは多少人々には軽蔑されてはいても、面白半分にでも手真似で話してくれる人があり、鼻のつぶれた声でもその話を聞いてくれる人があってこそ、そのお婆さんも何の気兼もなしに近所仲間の仲間入りが出来るので、それが飾りもなにもないこうした町の生活の真実なんだということはいろいろなことを知って見てはじめて吉田にも会得のゆくことなのだった。
そんな風ではじめ吉田にはその娘のことよりもお婆さんのことがその荒物屋についての知識を占めていたのであるが、だんだんその娘のことが自分のことにも関聯して注意されて来たのはだいぶんその娘の容態も悪くなって来てからであった。近所の人の話ではその荒物屋の親《おや》爺《じ》さんというのが非常に吝《け》嗇《ち》で、その娘を医者にもかけてやらなければ薬も買ってやらないということであった。そしてただその娘の母親であるさっきのお婆さんだけがその娘の世話をしていて、娘は二階の一と間に寝た切り、その親爺さんも息子もそしてまだ来て間のないその息子の嫁も誰もその病人には寄りつかないようにしているということを云っていた。そして吉田はあるときその娘が毎日食後に目《め》高《だか》を五匹ずつ嚥《の》んでいるという話をきいたときは「どうしてまたそんなものを」という気持がしてにわかにその娘を心にとめるようになったのだが、しかしそれは吉田にとってまだまだ遠い他《ひ》人《と》事《ごと》の気持なのであった。
ところがその後しばらくしてそこの嫁が吉田の家へ掛取(かけと)りに来たとき、家の者と話をしているのを吉田がこちらの部屋のなかで聞いていると、その目高を嚥むようになってから病人が工合がいいと云っているということや、親爺さんが十日に一度くらいそれを野原の方へ取りに行くという話などをしてから最後に、
「うちの網はいつでも空《あ》いてますよって、お家の病人さんにもちっと取って来て飲ましてあげはったらどうです」
というような話になって来たので吉田は一時に狼《ろう》狽《ばい》してしまった。吉田は何よりも自分の病気がそんなにも大っぴらに話されるほど人々に知られているのかと思うと今《いま》更《さら》のように驚ろかないではいられないのだったが、しかし考えてみれば勿論それは無理のない話で、今更それに驚ろくというのはやはり自分が平常自分について虫のいい想像をしているんだということを吉田は思い知らなければならなかったのだった。だが吉田にとってまだ生々しかったのはその目高を自分にも飲ましたらと云われたことだった。あとでそれを家の者が笑って話したとき、吉田は家の者にもやはりそんな気があるのじゃないかと思って、もうちょっとその魚を大きくしてやる必要があると云って悪《にく》まれ口を叩いたのだが、吉田はそんなものを飲みながらだんだん死期に近づいてゆく娘のことを想像すると堪らないような憂鬱な気持になるのだった。そしてその娘のことについてはそれ切りで吉田はこちらの田舎の住居の方へ来てしまったのだったが、それからしばらくして吉田の母が弟の家へ行って来たときの話に、吉田は突然その娘の母親が死んでしまったことを聞いた。それはそのお婆さんが或る日上り框《かまち》から座敷の長火鉢の方へあがって行きかけたまま脳溢血かなにかで死んでしまったというので非常にあっけない話であったが、吉田の母親はあのお婆さんに死なれてはあの娘も一遍に気を落してしまっただろうとそのことばかりを心配した。そしてそのお婆さんが平常あんなに見えていても、その娘を親爺さんには内証で市民病院へ連れて行ったり、また娘が寝た切りになってからは単に薬を貰いに行ってやったりしたことがあるということを、あるときそのお婆さんが愚痴話に吉田の母親をつかまえて話したことがあると云って、やはり母親は母親だということを云うのだった。吉田はその話には非常にしみじみとしたものを感じて平常のお婆さんに対する考えもすっかり変ってしまったのであるが、吉田の母親はまた近所の人の話だと云って、そのお婆さんの死んだあとは例の親爺さんがお婆さんに代って娘の面倒をみてやっていること、それがどんな工合にいっているのか知らないが、その親爺さんが近所へ来ての話に「死んだ婆さんは何一つ役に立たん婆さんやったが、ようまああの二階のあがり下りを一日に三十何遍もやったもんやと思うてそれだけは感心する」と云っていたということを吉田に話して聞せたのだった。
そしてそこまでが吉田が最近までに聞いていた娘の消息だったのだが、吉田はそんなことをみな思い出しながら、その娘の死んで行った淋しい気持などを思い遣《や》っているうちに、不知《しらず》不識《しらず》の間にすっかり自分の気持が便《たよ》りない変な気持になってしまっているのを感じた。吉田は自分が明るい病室のなかにい、そこには自分の母親もいながら、何故か自分だけが深いところへ落ち込んでしまって、そこへは出て行かれないような気持になってしまった。
「やはり吃《びつ》驚《くり》しました」
それからしばらく経って吉田はやっと母親にそう云ったのであるが母親は、
「そうやろがな」
かえって吉田にそれを納得さすような口調でそう云ったなり、別に自分がそれを云ったことについては何も感じないらしく、またいろいろその娘の話をしながら最後に、
「あの娘はやっぱりあのお婆さんが生きていてやらんことには、――あのお婆さんが死んでからまだ二た月にもならんでなあ」と嘆じて見せるのだった。
吉田はその娘の話からいろいろなことを思い出していた。第一に吉田が気付くのは吉田がその町からこちらの田舎へ来てまだ何ケ月にもならないのに、その間に受けとったその町の人の誰かの死んだという便りの多いことだった。吉田の母は月に一度か二度そこへ行って来る度《たび》に必ずそんな話を持って帰った。そしてそれは大《たい》抵《てい》肺病で死んだ人の話なのだった。そしてその話をきいているとそれらの人達の病気にかかって死んで行ったまでの期間は非常に短かかった。ある学校の先生の娘は半年ほどの間に死んでしまって今はまたその息子が寝ついてしまっていた。通筋の毛糸雑貨屋の主人はこの間まで店へ据えた毛糸の織機で一日中毛糸を織っていたが、急に死んでしまって、家族が直ぐ店を畳んで国へ帰ってしまったそのあとは直きカフェーになってしまった。――
そして吉田は自分は今はこんな田舎にいてたまにそんなことをきくから、いかにもそれを顕著に感ずるが、自分がいた二年間という間もやはりそれと同じように、そんな話が実に数知れず起っては消えていたんだということを思わざるを得ないのだった。
吉田は二年ほど前病気が悪くなって東京の学生生活の延長からその町へ帰って来たのであるが、吉田にとってはそれはほとんどはじめての意識して世間というものを見る生活だった。しかしそうはいっても吉田は、いつも家の中に引込んでいて、そんな知識というものは大抵家の者の口を通じて吉田にはいって来るのだったが、吉田はさっきの荒物屋の娘の目高のように自分にすすめられた肺病の薬というものを通じて見ても、そういう世間がこの病気と戦っている戦の暗黒さを知ることが出来るのだった。
最初それはまだ吉田が学生だった頃、この家へ休暇に帰って来たときのことだった。帰って来て匆々《そうそう》吉田は自分の母親から人間の脳味噌の黒焼を飲んでみないかと云われて非常に嫌な気持になったことがあった。吉田は母親がそれをおずおずでもない一種変な口調で云い出したとき、一体それが本気なのかどうなのか、何度も母親の顔を見返すほど妙な気持になった。それは吉田が自分の母親がこれまで滅多にそんなことを云う人間ではなかったことを信じていたからで、その母親が今そんなことを云い出しているかと思うと何となく妙な頼りないような気持になって来るのだった。そして母親がそれをすすめた人間からすでに少しばかりそれを貰って持っているのだということを聞かされたとき吉田は全く嫌な気持になってしまった。
母親の話によるとそれは青物を売りに来る女があって、その女といろいろ話をしているうちにその肺病の特効薬の話をその女がはじめたというのだった。その女には肺病の弟があってそれが死んでしまった。そしてそれを村の焼場で焼いたとき、寺の和《おし》尚《よう》さんがついていて、
「人間の脳味噌の黒焼はこの病気の薬だから、あなたも人助けだからこの黒焼を持っていて、もしこの病気で悪い人に会ったら頒《わ》けてあげなさい」
そう云って自分でそれを取出してくれたというのであった。吉田はその話のなかから、もう何の手当も出来ずに死んでしまったその女の弟、それを葬《ほうむ》ろうとして焼《やき》場《ば》に立っている姉、そして和尚と云っても何だか頼りない男がそんなことを云って焼け残った骨をつついている焼場の情景を思い浮べることが出来るのだったが、その女がその言葉を信じてほかのものではない自分の弟の脳味噌の黒焼をいつまでも身近に持っていて、そしてそれをこの病気で悪い人に会えばくれてやろうという気持には、何かしら堪え難いものを吉田は感じないではいられないのだった。そしてそんなものを貰ってしまって、大抵自分が嚥《の》まないのはわかっているのに、そのあとを一体どうする積りなんだと、吉田は母親のしたことが取返しのつかないいやなことに思われるのだったが、傍にきいていた吉田の末の弟も
「お母さん、もう今度からそんなこと云うのん嫌《いや》でっせ」
と云ったので何だか事件が滑稽になって来て、それはそのままに鳧《けり》がついてしまったのだった。
この町へ帰って来てしばらくしてから吉田はまた首縊《くく》りの縄を「まあ馬鹿なことやと思うて」嚥《の》んでみないかと云われた。それをすすめた人間は大和《やまと》で塗師《ぬしや》をしている男でその縄をどうして手に入れたかという話を吉田にして聞かせた。
それはその町に一人の鰥夫(やもめ)の肺病患者があって、その男は病気が重ったままほとんど手当をする人もなく、一軒の荒《あば》ら家《や》に捨て置かれてあったのであるが、とうとう最近になって首を縊って死んでしまった。するとそんな男にでもいろんな借金があって、死んだとなるといろんな債権者がやって来たのであるが、その男に家を貸していた大家がそんな人間を集めてその場でその男の持っていたものを競売にして後仕末をつけることになった。ところがその品物のなかで最も高い値が出たのはその男が首を縊った縄で、それが一寸二寸という風にして買い手がついて、大家はその金でその男の簡単な葬式をしてやったばかりでなく自分のところの滞《とどこお》っていた家賃もみな取ってしまったという話であった。
吉田はそんな話を聞くにつけても、そういう迷信を信じる人間の無智に馬鹿馬鹿しさを感じない訳に行かなかったけれども、考えてみれば人間の無智というのはみな程度の差で、そう思って馬鹿馬鹿しさの感じを取除いてしまえば、あとに残るのはそれらの人間の感じている肺病に対する手段の絶望と、病人達の何としてでも自分のよくなりつつあるという暗示を得たいという二つの事柄なのであった。
また吉田はその前の年母親が重い病気にかかって入院したとき一緒にその病院へついて行っていたことがあった。そのとき吉田がその病舎の食堂で、何心なく食事した後ぼんやりと窓に映る風景を眺めていると、いきなりその眼の前へ顔を近付けて、非常に押殺した力強い声で、
「心臓へ来ましたか?」
と耳打をした女があった。はっとして吉田がその女の顔を見ると、それはその病舎の患者の附添に雇われている附添婦の一人で、勿論そんな附添婦の顔ぶれにも毎日のように変化はあったが、その女はその頃露悪的な冗談を云っては食堂へ集って来る他の附添婦たちを牛耳《ぎゆうじ》っていた中婆さんなのだった。
吉田はそう云われて何のことかわからずにしばらく相手の顔を見ていたが、直ぐに「ああ成程」と気のついたことがあった。それは自分がその庭の方を眺めはじめた前に、自分が咳をしたということなのだった。そしてその女は自分が咳をしてから庭の方を向いたのを勘違いして、てっきりこれは「心臓へ来た」と思ってしまったのだと吉田は悟《さと》ることが出来た。そして咳が不意に心臓の動《どう》悸《き》を高めることがあるのは吉田も自分の経験で知っていた。それで納得の行った吉田ははじめてそうではない旨《むね》を返事すると、その女はその返事には委細かまわずに、
「その病気に利くええ薬を教えたげまひょか」
と、また脅かすように力強い声でじっと吉田の顔を覗き込んだのだった。吉田は一にも二にも自分が「その病気」に見込まれているのが不愉快ではあったが、
「一体どんな薬です?」
と素直に聞き返してみることにした。するとその女はまたこんなことを云って吉田を閉口させてしまうのだった。
「それは今ここで教えてもこの病院では出来まへんで」
そしてそんな物々しい駄目をおしながらその女の話した薬というのは、素《す》焼《やき》の土《ど》瓶《びん》へ鼠の仔を捕って来て入れてそれを黒焼にしたもので、それをいくらかずつか極く少ない分量を飲んでいると、「一匹食わんうちに」癒《なお》るというのであった。そしてその「一匹食わんうちに」という表現でまたその婆さんは可《こ》怕《わ》い顔をして吉田を睨《にら》んで見せるのだった。吉田はそれですっかりその婆さんに牛耳られてしまったのであるが、その女の自分の咳に敏感であったことや、そんな薬のことなどを思い合せてみると、吉田はその女は附添婦という商売柄ではあるが、きっとその女の近い肉親にその病気のものを持っていたのにちがいないということを想像することが出来るのであった。そして吉田が病院へ来て以来最もしみじみした印象をうけていたものはこの附添婦という寂しい女達の群のことであって、それらの人達はみな単なる生活の必要というだけではなしに、夫に死《しに》別《わか》れたとか年が寄って養い手がないとか、どこかにそうした人生の不幸を烙《らく》印《いん》されている人達であることを吉田は観察していたのであるが、あるいはこの女もそうした肉親をその病気で、なくすることによって、今こんなにして附添婦などをやっているのではあるまいかということを、吉田はそのときふと感じたのだった。
吉田は病気のためにたまにこうした機会にしか直接世間に触れることがなかったのであるが、そしてその触れた世間というのはみな吉田が肺病患者だということを見破って近付いて来た世間なのであるが、病院にいる一と月ほどの間にまた別なことに打《ぶ》つかった。
それは或る日吉田が病院の近くの市場へ病人の買物に出かけたときのことだった。吉田がその市場で用事を足して帰って来ると往来に一人の女が立っていて、その女がまじまじと吉田の顔を見ながら近付いて来て、
「もしもし、あなた失礼ですが……」
と吉田に呼びかけたのだった。吉田は何事かと思って、
「?」
とその女を見返したのであるが、そのとき吉田の感じていたことは多分この女は人違いでもしているのだろうということで、そういう往来のよくある出来事が大抵好意的な印象で物分れになるように、このときも吉田はどちらかと云えば好意的な気持を用意しながらその女の云うことを待ったのだった。
「ひょっとしてあなたは肺がお悪いのじゃありませんか」
いきなりそう云われたときには吉田は少なからず驚ろいた。しかし吉田にとって別にそれは珍らしいことではなかったし、無躾《ぶしつけ》なことを聞く人間もあるものだとは思いながらも、その女の一心に吉田の顔を見つめるなんとなく知性を欠いた顔附から、その言葉の次にまだ何か人生の大事件でも飛出すのではないかという気持もあって、
「ええ、悪いことは悪いですが、何か……」
と云うと、その女はいきなりとめどもなく次のようなことを云い出すのだった。それはその病気は医者や薬では駄目なこと、やはり信心をしなければとうてい助かるものではないこと、そして自分も配《つれ》偶《あい》があったがとうとうその病気で死んでしまって、その後自分も同じように悪かったのであるが信心をはじめてそれでとうとう助かることが出来たこと、だからあなたも是非信心をして、その病気を癒《なお》せ――ということを縷々《るる》として述べたてるのであった。その間吉田は自然その話よりも話をする女の顔の方に深い注意を向けないではいられなかったのであるが、その女にはそういう吉田の顔が非常に難解に映るのかさまざまに吉田の気を測ってはしかも非常に執拗にその話を続けるのであった。そして吉田はその話が次のように変って行ったとき成程これだなと思ったのであるが、その女は自分が天理教の教会を持っているということと、そこでいろんな話をしたり祈《き》祷《とう》をしたりするから是非やって来てくれということを、帯の間から名刺とも云えない所番地をゴム版で刷ったみすぼらしい紙片を取出しながら、吉田にすすめはじめるのだった。ちょうどそのとき一台の自動車が来かかってブーブーと警笛を鳴らした。吉田は早くからそれに気がついていて、早くこの女もこの話を切り上げたらいいことにと思って道傍へ寄りかけたのであるが、女は自動車の警笛などは全然注意には入らぬらしく、却《かえ》って自分に注意の薄らいで来た吉田の顔色に躍《やつ》起《き》になりながらその話を続けるので、自動車はとうとう往来で立往生をしなければならなくなってしまった。吉田はその話相手に捕まっているのが自分なので体裁の悪さに途方に暮れながら、その女を促して道の片脇へ寄せたのであったが、女はその間も他へ注意をそらさず、さっきの「教会へ是非来てくれ」という話を急にまた、「自分は今からそこへ帰るのだから是非一緒に来てくれ」という話に進めかかっていた。そして吉田が自分に用事のあることを云ってそれを断わると、では吉田の住んでいる町をどこだと訊いて来るのだった。吉田はそれに対して「大分南の方だ」と曖昧に云って、それを相手に教える意志のないことをその女にわからそうとしたのであるが、するとその女はすかさず「南の方のどこ、××町の方かそれとも○○町の方か」という風に退《のつ》引《ぴき》のならぬように聞いて来るので、吉田は自分のところの町名、それからその何丁目というようなことまで、だんだんに云って行かなければならなくなった。吉田はそんな女にちっとも嘘を云う気持はなかったので、そこまで自分の住所を打ち明かして来たのだったが、
「ほ、その二丁目の? 何番地?」
といよいよその最後まで同じ調子で追求して来たのを聞くと、吉田はにわかにぐっと癪《しやく》にさわってしまった。それは吉田が「そこまで云ってしまってはまたどんな五《う》月《る》蠅《さ》いことになるかもしれない」ということを急に自覚したのにもよるが、それと同時にそこまで退《のつ》引《ぴき》のならぬように追求して来る執《しつ》拗《よう》な女の態度が急に重苦しい圧迫を吉田に感じさせたからだった。そして吉田はうっかりカッとなってしまって、
「もうそれ以上は云わん」
と屹《きつ》と相手を睨《にら》んだのだった。女は急にあっけにとられた顔をしていたが、吉田が慌《あわ》ててまた色を収めるのを見ると、それでは是非近々教会へ来てくれと云って、さっき吉田がやってきた市場の方へ歩いて行った。吉田は、とにかく女の云うことはみな聞いたあとで温和《おとな》しく断《ことわ》ってやろうと思っていた自分が、思わず知らず最後まで追いつめられて、急に慌ててカッとなったのに自分ながら半分は可《お》笑《か》しさを感じないではいられなかったが、まだ日の光の新らしい午前の往来で、自分がいかにも病人らしい悪い顔貌をして歩いているということを思い知らされた揚句、あんな重苦しい目をしたかと思うと半分は腹立たしくなりながら、病室へ帰ると匆々《そうそう》、
「そんなに悪い顔色かなあ」
と、いきなり鏡を取り出して顔を見ながら寝台の上の母にその顛《てん》末《まつ》を訴えたのだった。すると吉田の母親は、
「なんのお前ばっかりかいな」
と云って自分も市営の公設市場へ行く道で何度もそんな目に会ったことを話したので、吉田はやっとその訳がわかって来はじめた。それはそんな教会が信者を作るのに躍《やつ》起《き》になっていて、毎朝そんな女が市場とか病院とか人のたくさん寄って行く場所の近くの道で網を張っていて、顔色の悪いような人物を物色しては吉田にやったのと同じような手段で何とかして教会へ引張って行こうとしているのだということだった。吉田はなあんだという気がしたと同時に自分等の思っているよりは遙かに現実的なそして一生懸命な世の中というものを感じたのだった。
吉田は平常よく思い出すある統計の数字があった。それは肺結核で死んだ人間の百分率で、その統計によると肺結核で死んだ人間百人についてそのうちの九十人以上は極貧者、上流階級の人間はそのうちの一人にはまだ足りないという統計であった。勿論これは単に「肺結核によって死んだ人間」の統計で肺結核に対する極貧者の死亡率や上流階級の者の死亡率というようなものを意味していないので、また極貧者と云ったり上流階級と云ったりしているのも、それがどのくらいの程度までを指しているのかはわからないのであるが、しかしそれは吉田に次のようなことを想像せしめるには充分であった。
つまりそれは、今非常に多くの肺結核患者が死に急ぎつつある。そしてそのなかで人間の望み得る最も行き届いた手当をうけている人間は百人に一人もないくらいで、そのうちの九十何人かはほとんど薬らしい薬ものまずに死に急いでいるということであった。
吉田はこれまでこの統計からは単にそういうようなことを抽象して、それを自分の経験したそういうことにあてはめて考えていたのであるが、荒物屋の娘の死んだことを考え、また自分のこの何週間かの間うけた苦しみを考えるとき、漠然とまたこういうことを考えないではいられなかった。それはその統計のなかの九十何人という人間を考えてみれば、そのなかには女もあれば男もあり子供もあれば年寄もいるにちがいない。そして自分の不如意や病気の苦しみに力強く堪えてゆくことの出来る人間もあれば、そのいずれにも堪えることの出来ない人間も随分多いにちがいない。しかし病気というものは決して学校の行軍のように弱いそれに堪えることの出来ない人間をその行軍から除外してくれるものではなく、最後の死のゴールへ行くまではどんな豪傑でも弱虫でもみんな同列にならばして嫌応なしに引摺ってゆく――ということであった。
(昭和六年十二月稿 *『中央公論』昭和七年一月号)
習作
詩二つ
秘やかな楽しみ
一《いつ》顆《か》の檸檬《レモン》を買い来て、
そを玩《もてあそ》ぶ男あり、
電車の中にはマントの上に、
道行く時は手拭《タオル》の間に、
そを見 そを嗅げば、
嬉しさ心に充つ、
悲しくも友に離りて
ひとり 唯《ただ》独り 我が立つは丸善の洋書棚の前、
セザンヌはなく、レンブラントはもち去られ、
マチス 心をよろこばさず、
独り 唯ひとり、心に浮ぶ楽しみ、
秘やかにレモンを探り、
色のよき 本を積み重ね、
その上にレモンをのせて見る、
ひとり唯ひとり数歩へだたり
それを眺む、美しきかな、
丸善のほこりの中に、一顆のレモン澄みわたる、
ほほえまいて またそれをとる、冷さは熱ある手に快く
その匂いはやめる胸にしみ入る、
奇しきことぞ 丸善の棚に澄むはレモン
企らみてその前を去り
ほほえみて それを見ず、
秋の日の下
秋の日の下、物思いの午後、芝生の上。
取り出せるは、皺《しわ》になれる敷島の袋、
残れる一本を、くわえて、火を点ず、
残れる火を、さて敷島の袋にうつす、
秋の日の下、物思いのひるさがり、芝生の上、
めらめらと、袋は燃ゆらし 灰となりゆく、
あわれ、我が肺もこの袋の如、
日に夜に蝕まれゆくか、
秋の日の下、くゆらす煙草のいとからし。
(大正十一年)
小さき良心 断片
自分は人通りを除《よ》けて暗い路をあるいた。
耳がシーンと鳴っている。夢中にあるいている。自分はどの道をどう来たのかも知らない。つく杖の音が戞《カツ》々《カツ》とする。この太い桜の杖で今人を撲《なぐ》って来たんだ。
ここは何という町かそれもわからない。道を曲って、曲って、暗い道、暗い道をあるいて来たのである。新京極から逃げて来てからあまり時間を経たとも思わない。しかし何分程《ほど》経たということもわからない。
暗い道の辻を曲った時、うどんそば手打と書いた赤い行燈を見て、ふと「手打ちだ!」と思い出すともなく思ったあの瞬間を思い出した。それは抜打ちだった。「抜く手も見せず」というような言葉の聯想が湧いてくる。
杖をコツ・コツと突いている。あの男を撲った時はも少し高い音がしたと思う。コツ・コツ。それ程の音だ。何しろかたいものがかたいものに打《ぶ》つかる音だった。それは快く澄んだ音だった。その音はかくも無性な激しい怒りとまといつく怖れのもつれあがるのをぶち切ったのだ。
対《あい》手《て》はその途端くるっと後をむいて倒れたらしかった。自分は直ぐに逃げ出したのである。
「糞!」とも「畜生!」とも云わずに、この間の抜けた「阿呆!」という言葉は、人に手を加える時の切パ詰った気持を洩らす無意識の掛声だった。
巡査がやってくる。自分はぎくっとする。路を曲がれたら。駄目だ。何げない顔をして通る方がいい。そうだ、何にもなかったような顔をして口笛をでも吹いて。巡査はちらとゆきすぎる。
自分は自分の馬鹿を悔いる。自分はすこしも悪いことはしなかったつもりだ。撲ぐられた男こそは生きる資格もない卑劣漢だ。屠《ほふ》られるべき奴だ。
道は暗い。みな寝しずまっている。
俺は巡査が変に気味が悪い。
自分は鑑札のない自転車にのって二度巡査につかまった。そして二度警察へ行った。未丁年で煙草を喫っていて巡査に年をきかれた。それからこちら、巡査に出喰わす毎に、怪しまれるというような予感が自分を襲った。
去年奥さんと二人連れで道をあるいていた時だった。交番の前で、巡査に叱られるような気がしたといったら、花子さんは悪いことをしているつもりでいるのかときいた。
道は暗い。何町だかわからない。ごみためのにおいがするようだ。気は少し鎮まって来た。撲った時は勿論撲ってからこちら自分には策略というような気持になれなかった。かっと逆上っ《ママ》たままあるいた。耳に鳴りはためく焔のような物音をききながら無《む》暗《やみ》にあるいていた。自分はあんな木の端のような男のために、そして下らない喧嘩のためこのように気が上釣《ママ》ってしまうのが腹立たしかった。これであちらがどっしりしていては悲惨だ。せめて俺を一心に呪っていればいい。歯切りして口惜しがっていればいい。一途に悔いていればいい。その致命的な傷のために。
しかしあるく毎になにか高くに上ってしまったものが少しずつ下って来たような気がする。一体何のための昂奮なんだろう。
シャツとさるまたの若者達が道の真中で棒押しをしている。そのあちらには明るい通りがある。それは市場だった。奥さんと一緒に銀《ぎん》杏《なん》を買いに寄ったことのある市場だった。京極からは何程も離れていない市場だった。はじめて自分はどんな町をあるいているかがはっきりした。明るい街はいけない。人に面を見られちゃならない。
何だか追手がくるような気がする。追手がきたって平気なはずであるのに俺はなぜこんなことまで怖れているのかと思う。しかし自分には対手にまた出喰わすとか追手につかまるとかいう事の漠とした恐怖がある。自分は自分の方の正義の意識と独立に、そういう事柄に対する恐怖を持っているのだ。漠然としているが変に蔓《はびこ》っている。そして破っても破っても少したつと又おっかぶさって来る。
白い運動肌衣の男が二人肩を並べて走ってくる。互に途切れ途切れに話しをしている。自分にはその親和の様《さま》が尊かった。
人に怨みを買った経験に乏しい自分が二人の敵をつくってしまった。そして敵は平気で卑劣なことが出来る男だ。笑いながら復讐を謀っているその男の一味の顔さえ目に浮んだ。どんな復讐をするかわからない。いや、死んでもあんな奴等に敗けていては堪らない。しかしあんな奴等といがみあうのは堕落を意味する。断然殺してしまわねば死ぬまでまといつくような蛇にも思われる。あの男が一生俺につきまとう。そして心の平和を害する。
悪い犬に吠えられるのを、いまいましがるようなものさ。あんな男達と本気で喧嘩をするなんて問題にも何にもならないよといって誰かが鼻で嗤《わら》うような気もした。
真摯な友達などはどうしているだろう。
自分は下宿を出てから三晩目だ。毎晩酒を飲んでいた。そして今夜は一文もなかったんだ。下腹で空腹の時のような痛みがする。
先程の酒場で直ぐ来るといって別れたKの所へ行きたい。心待ちに待っているに違いない。直ぐ行くと云ったものの、直ぐには行けないようになってしまった。撲ったのはその酒場の前の石畳の上だった。Kはその気配におどろいただろう。その快くかたい音を同じように快くきいただろう。きいてどう思っただろう。あのKなら自分と同じ世界に住んでいる。自分はこんな荒んだ気持で下宿へは帰りたくない。あのKと今夜この不愉快な気持を語りたい。そして自分の心を少しでも明るい方へ向けたい。しかし直ぐあの酒場には行けない。あの怖しい男がそこで介抱をうけているかもしれない。
道は暗く、時刻も分らなかった。しめきった家並は黒く寝しずまっている。心にはややゆとりが出来たが、足は前と同じ歩調ですたすたと歩いている。
ずっと先きを電車が過《よ》ぎった。この町はどこかわからない。一軒の家の軒に某検閲官御宿泊所という貼紙が白く見える。
光と人の目をおそれる心をはげまして電車道へ出た。そこは四条通りであった。人々があるいているのが楽しそうだ。
自分は何げない顔をして玩《おも》具《ちや》屋《や》の店頭に立って玩具をめききする。三重子ちゃんと四方子ちゃんに玩具を送ってやらねばならない。
美しい娘が母らしい人と歩いて来る。俺の顔は青ざめているだろうか。こんな太い桜の杖をついて恐ろしい学生だと思うだろうか。
気持は少しくつろいだ。撲った時のあの顔を一度鏡で写して見て置くんだったと思った。もう顔のかたい線も和んだだろう。泰然としていなければいけない。
京極はすぐだ。〇〇堂の前。店員の怪しむような眼を睨みかえして油絵を見た。荒いブラッシの使いようである。片眼を半分閉じて見る。右の眼《ま》蓋《ぶた》がけいれんする。下品な絵だ。駄目だと思う。
突然自分はぎょっとした。何げなくしかも速かに横を向いてあるいた。急がないように急いで又暗い道へ入った。三人の男が立ち話をしていたんだ。近寄って見る勇気もない。あの中の二人が似ている。
蹴り上げられた心臓が喉《のど》も詰りそうに激しく悸つ。臆病だ、弱虫だという声がまた地団太を踏んでいる。
道をつきあたればE子の家になる。Dという友達の恋人の家である。男と女が通り過ぎる。
あの眼鏡屋の時計は十時前だ。活動を出たのが八時半頃で酒場へ行ったのは九時前だった。喧嘩をしてからまだ一時間程しか経たない。何時間も経ったような気がする。
E子は何というわからない女なんだろう。Dは東京で寂しがっている。俺の留守の下宿へまたセンティメンタルな手紙がきているにちがいない、早く返事をかいてやらねば可哀そうだ。
性のよくない男と喧嘩をして街をさまよった挙句E子の家の前までやって来た。君が胸を躍らせながら俺と毎晩あるいたあの眼鏡屋の通りを偶然今歩いてると書いてやったらどう思うだろう。あの事件があって以来DはE子を憎んでいる。自分がE子の家の前を通るのは、もしE子や家の人がこれを知ったら、Dに変に気をまわすかも知れない。しかし通らなければならない。俺は散歩をしているんだ。杖をついて散歩だ。真直ぐあるいているのだ。
巡査があるいてくる。これがさきの巡査だったら怪しく思うだろう。何しろ俺は散歩をしているんだ。
道は暗く空には星が一面にちらばっている。東へ曲った時東山の上に蠍《さそり》の尾が美しく見えた。道は一すじに……(空白)
俺はあるいている。燦《さん》爛《らん》とした星の下を。昂奮と怖れと苦悶に圧せられながら。ひっそりとした暗い町を今人間の形をした苦悶が火照って行き過ぎるのではないか。
だが蒼い顔をした学生が散歩しているとしか見えないのだ。
眼蓋がひくひく痙攣する。
俺には何が善だか悪だかわからない。
わかっていなくとも通常の生活では胡麻化して来ることが出来たような気がする。しかし今夜こそ駄目だ。俺は怒りにまかせて人を撲った。それからそれへと平気ではいられないものが絶えず連続してゆく。しかも自分はわからない。それが苦しい。
一つの問題に悩んでいる自分の前に、問題が次々と山のように積まれてくる。そして自分はその内の一つも解き得ないでいる。それが苦しい。
鋭利な解剖刀のような普遍的法則が、それさえあればこの拷問的の荒縄を涙が出る程《ほど》切りとばしてばらばらにしてやるのに。
ああ、それさえあれば。
思えば自分はそのエルサレムへ急ぐ巡礼だった。
ハハハ。おいその巡礼が酒をのみに行ったんだ。それから杖で人を撲ったんだ。たたなわる葡萄畠や古い町々を涙を流して過ぎるかわりに、巡査と睨みあいながらバビロンをほっつきまわってるんだ。それは外道の道だ。
馬鹿、悪魔。これは俺の巡礼だ。通らなきゃならなかった路だ。そして通って来た路だ。この路は聖地に通ずる。
しかし自分の声には力が枯れていた。
このいまわしい経験を裏返えしても自分を力付けるような温い運命の微笑がにおい出ることはなかろう。蛆《うじ》も食うまい。
これには臆病のにおいがしみ通っている。
人を撲ったということがこんなにも苦しいことなんだろうか。堪え難い面罵にも自分はたえられるだけ堪えた。
止めれば止める程喧嘩を吹きかけて来る。敵手は少し酔っていたようだった。最後に自分は河原へ敵を誘った。堪え切れなかった侮辱のため投げられたガウントレットを拾い上げたのだ。
それから敵手が少しひるんで見えた。和解しようとした。しかし自分には胡麻化されないという気があった。敵はその酒場を出るや否や自分の襟《えり》をとって離さなかった。
撲りつけたのはその手を振りもぎった刹那だった。
それはいかにも必然な喧嘩だった。原因といえば自分がその男の酒をのまないと云ったことであった。平常から自分はその男に悪感をもよおしていた。
それは一寸も心を苦しめるような喧嘩じゃない。お前の内で苦しんでいるのは臆病の虫だけなんだ。雄々しく決闘しろ。
負傷を恐れるな。その傷口からふき出す血でお前の臆病も流れ出てしまう。
気がつくとその路を自分は今夜三回も通っていた。交番がある路だった。此《ママ》度目は怪しまれる。
巡査さん。扇子屋がこの辺にあったはずですが。さっきから見つからなくって。ありました、ありました。
なにげないふりをして、自分は扇子屋の前に立止る。そして交番へ目を注ぐ。これは豊国のかいた近江八景の絵です。左様。豊国は有名な浮世絵師です。
活動写真がはねたのか、たくさんの人が通る。酒が臭ってくる、暗い静かな町を通って来た自分にはそれがよくわかる。辻待ちの車夫の溜りで車屋が手をねじ合いしている。又一人の車夫が笑いながらなんとか云っている。当人同志もげらげら笑っている。
そして今度は帽子の奪い合いをしている。
車夫は呑気なものだと思う。皺の寄った顔をして、学生帽のような帽子をかむって。
時計は十時前だ。一時間余りもおびえながら街をあるきまわっていた。何故自分は遠くへ逃げなかったんだろう。ここは京極通りの裏ではないか。自分は酒場で会う約束をしたKと一緒になろうという気が絶えず自分を引っ張っていたのを知った。Kは自分に、喧嘩を避けてどこかで脱けてやって来給え。東京以来の話をしようと云った。この荒まじい気をKは和げてくれる。
あの酒場にはいずれにしてもあの男等はいまい。撲られたままでその酒場にいるとは思えない。しかも出る時他の一人が勘定をしたのを自分はしっている。
細い道を横切って思い切って賑やかな京極へ出る。酒場はそのあちら側の裏だ。
白線を巻いた生徒を見ると誰かじゃないかと思う。誰か友達があるいていたら一緒になろうという気がある。
活動の小屋の横を通る。三味線の流しがきこえてくる。自分は桜の杖が棄ててしまいたかった。気持は最も落付いていた。夏服が冷く肌に応える。辻を曲る。酒場は二軒目だ。垣根ごしにのぞいて見る。
急に冷いものが背中を通った。それからはなんだか夢の中で活動する人間のような気がした。女の叫声を背にきいたような気がする。走れない。しかも呼吸が切れている。
杖が先きまで震えている。石畳の路上を横にそれようとする途端黒い人がつきあたった。
杖が落ちた。次に自分は捕《ほじ》縄《よう》をはめられていた。殺人罪だ。垣根越しにのぞき込んだ時の酒場の内部が鮮やかによみがえった。
俺は正しい。俺は正しい。喉《のど》にからんで声が出なかった。吐き気がついてからえづきをした。
黒い男は何とも云わずに自分をつきとばした。
(大正十一年)
不幸
第二稿
師走のある寒い夜のことである。
閉め切った戸をがたごと鳴らしながら吹き過ぎる怖ろしい風の音は母親の不安をつのらせるばかりだった。
その日は昼下りから冬の陽の衰えた薄日も射さなかった。雪こそは降り出さなかったが、その灰色をした雪雲の下に、骨を削ったような櫟《くぬぎ》や樫《かし》の木立は、寒い木《こが》枯《らし》に物凄い叫びをあげていた。
それは冬になってからの初めての寒い日で、その忍従な母親にもあてのない憤りを起させる程の寒さだった。彼女には実際その打って変ったような寒さが腹立たしく感ぜられたのである。天候に人間の意志が働き得ないことは彼女とて知っていた。そうだったらこの憤懣は欠――彼女達の一家はこの半月程前に、すみなれた大阪から、空《から》風《かぜ》と霜どけの東京の高台の町へ引越して来たばかりだった。
主人の放蕩、女狂い、酒乱がそれまでにとにかく得て来た彼の地位を崩してしまった。そして彼は東京の本店詰めにされ、おまけにその振わない位地へ移されたのだった。彼はそれがある同僚の中傷に原因しているのだと云って彼女の前では怒っていた。しかし彼女はなにもかもみなあきらめていた。唯一つ彼女にとって未練であったのは自分の生みの父親に別れることだった。
その老人はどうしても一家と一緒に東京へ来るのを肯《がえん》じなかった。それは見ず知らずの国で寂しい老後を送るよりは、知己の多い大阪で土になりたいという寂しい願いのためであった。そして強い信仰も手伝ったのだが遠い親類筋である、別懇な寺院へ住みこんでしまった。大阪駅の歩廊でその老い込んだ病身の父親に別れた時は何という寂しいことだったろう。
主人は出発というのに姿を消して、決めた時間にはやって来なかった。見送りの人々もみな苦々しい顔をしていたなかにその寂しい老人と彼女は重いため息をついていた。やって来た主人は酒に酔っていた。そして中傷をした同僚という丸く肥えた男も一緒だった。その男も酔っていた。外にまだ芸妓を連れていた。その時老人は無意味な雑《ざつ》鬧《とう》の中で、孫にあたる、尋常三年の清造と七つになる勉に絵本を買って与《や》っていた。彼女も老人も顔を合そうとはしなかった。老人が放蕩な主人やこの不幸な結婚生活を苦にしているのを彼女は知っていた。
しかし彼女はあきらめていた。彼女が初児の洋子を挙げ、次に長男の敏雄を生んでから数えて見れば十幾年にもなっていた。しかしその間彼女は忍従の生活をあくまで続けて来た。長女と長男を死なせた時には彼女の心も砕けたと思われたがそれもやり通して来た。彼女は生れながらの貞節な細心な労苦を厭わない意志の強い主婦であった。
やや年をおいて生れた清造は十歳になった。次の勉は七歳になった。兄は勝気で弟はむしろ悧しい方であった。彼女は彼等の生い立ちが何よりも待たれた。
弟の方の病身は何より彼女の心を痛めた。大阪を立つ時は勉はジフテリヤの病後であった。寒い東京へ来てからは霜やけで泣いてばかりいた。口では叱りながらも、心はやはり痛々しく思われてならなかった。――
寒さに対する彼女の腹立たしさはみな彼女のあきらめていることなのではあるが主人の放蕩や、彼の放蕩の齎《もたら》したこの不幸な移転に対する不満がこの酷《きび》しい寒さの苦痛を通して秘かにあらわれて来ているものかも知れなかった。
第三稿
明治の年号が大正に改まる二三年前。師走の下旬の話である。
その日は殊に寒い日であった。昼さがりからは冬の陽の衰えた薄日も射さず、雪こそは降り出さなかったが、その気配を見せている灰色の雲の下に、骨を削ったような榎《えのき》や樫の木立は、寒い凩に物凄い叫びをあげていた。
霜解けの深い泥濘が、行人の下駄の歯の跡を残して、たちまちに凍ってしまった。
東京の高輪の方に位《くらい》したその屋敷町の往還は常から人通りが少なかったが、風がだんだん吹き募りながら夜に入ってからは人っ子一人通らなかった。
閉め切った雨戸をがたごと鳴らしては、虚空へ舞上ってゆく、気味の悪い風の絶間に、鋭く聞き耳をたてて、昼間から出たまま帰って来ない子供達の足音を待っている母親の心は死ぬ程不安の念にさいなまれていた。――
彼女の二人の子供、十歳になった三郎と、まだ七歳の四郎は、その日昼飯が済んでから、戸外へ遊びに出たまま帰って来ないのであった。
寒い日ではあり、末の四郎がまだジフテリヤの病後なので彼女は早く帰って来るように注意したのではあったが、彼等はなかなか帰って来なかった。
子供が出て行った後、膳の後仕末をして、子供の正月の晴着に手をつけている間に、お八つの時刻が来たが、彼等は帰って来なかった。遊びに気がとられていても、お八つの時には必らず「なにか」を貰いに帰って来る子供が常になく帰って来ないのは、彼女の心に漠とした不安の錘を投げ込んだ。
彼女達の一家が主人の転勤のため、何代も住み続けた大阪から、東京へ移ってそこへ居を構えてからまだ一月も立たずであった。だから彼女は勿論、大人よりも一層社交的な子供さえ近所の馴染が浅かった。
それのみか、子供達は時々近所の子供に「大阪っぺ」とからかわれて母に訴えに来ることさえあった。
そのような彼等が、この寒い日に、一体どこで、何に遊び耽っているのかは彼女の大きな不審であった。
しかしその漠とした、かなり気紛れであった不安は、昼間の光がだんだん薄らいでゆくと共に、真面目《シリアス》なものに変じて、常住に彼女の心にのしかかって来はじめた。
甚だしい心配の度に腹に固《かた》い固まりが出来る彼女の習慣の、その兆しを下腹部に感じながら、彼女は洋燈《ランプ》を掃除した。そして風が烈《ひど》いために常よりは早く雨戸を閉め切って、戸と戸の溝に通じた穴に釘を差し込んだ。その要《よう》慎《じん》は、この寂しい町へ住むようになった彼女の盗賊に対する心配のためであった。
彼女はすっかり暗くなった家を出て、一面識もないような近所の家へ、心当りがあるという訳でもなく、しかし不安の念に閉されて、多少の気《き》不《ま》味《ず》さをも顧みずに尋ねて行ったり、子供達の話しで原っぱと云われている、近所にあるが彼女がまだ一度も行って見ない荒れた屋敷跡へ出て見たりして、不幸にも彼女の不安に一層確実な根拠を与えて帰って来た時は、その暗い、石油の臭いが微に漂っている家の中は、急に怖ろしく、寒いように彼女に感ぜられた。
彼女はその中にうろうろしながら、思案に暮れた。追われないままに鼠がその六畳の部屋の食膳の辺まで出て来た。
またしても風が烈しく唸りながら吹き過ぎて、屋根の上へ木の枯枝のようなものが落ちる音がした。
勝手元では鼠が味《み》噌《そ》濾《こし》や鍋をがたがたさせる音に雑《まじ》って、水道の水がぽたぽたと落ちる音がした。この寒さではその下が氷っているに違いないと彼女は思いながら、子供の身の上の寒さを案じた。
子供達は帽子もかぶらなければ、首巻きもせず、外套も着て出なかった。
病後の四郎がこの風に当って、折角ここまで癒《なお》って来た病気をぶりかえさなければいいが、もし道に迷ったのなら、年上の三郎がうまくここの番地が云えればいいが、とか彼女は様々な思いにかき暮れていた。
秘かな心の下で最後の「死」の怖れに触れては、それを打ち消していた。
また家の近くまで二人が帰って来るような気がして門まで出て行って、寒い空気の中に立ち尽したりした。
風の唸る中を、凍てついた路を渡る下駄の冴えかえった音が響いて来た。それははじめかすかではあったが鋭くとぎ澄された彼女の聴覚に触れた。彼女は屹《き》っとなって身ずまいを正した。火鉢の火に被《かぶ》さった白い灰が崩れおちた。
それが近付いて来ると共に彼女の心構えは皆裏切られた。第二の望み、それが主人の帰る足音であるという願いもかき消されてしまった。その冴えた響きはだんだん微かになって、一しきり強く吹きつけて来た風の音がした後は、四囲は以前のような、夜の更けてゆく音に帰ってしまった。
夫の帰りも正規よりは遅かった。しかし不検束《ふしだら》な主人はその正規の時間に帰って、正規のおしきせの晩酌で満足して寝ることは稀であった。
彼女はとにかく会社へ電話をかけて主人を尋ねて相談しなければならないと思った。
それから、彼女達の一家がこちらへ引移る前にしばらく仮泊していた品川の若木屋という旅館へ電話をかけて見ようと思って、彼女は近所の出入の酒や食糧品を売っている武蔵屋へ電話を借りに出ようとした。
外はまた一層寒くなっていた。雲の間から大きな星が強い蒼白い光を放っていた。
彼女は粗末な首巻の内に首をすくめながら、百に一つか、千に一つかと思われる、その旅館へ子供達が遊びに行ったということの蓋然性を、さまざまにはかりながら、凍てついた道を急いだ。
彼女が出て行ってまだ五分とたたない部屋の中は、細められた洋燈の光が神秘にあたりを照し出して、時計の文字板が八時十分過ぎを示していた。黒い影がそこらあたりを匍《は》うのは大方鼠が跳梁しはじめたのだろう。
彼女が出て行って十分ほど立った時は、その部屋は前のようではなかった。
五十くらいに見える、頭の禿げ上った、人のよさそうな男が、酒の臭いを部屋中に籠らせながらそこに座っていた。彼の目は普通の光を帯びていなかった。そこには思慮も、知慧もなかった。どこか空虚な、本当のものがなくなっているような眼付きであった。
彼の前には折箱の蓋があけておかれてあった。酒の二合壜が横になっていた。それは空だったが彼の前の茶椀にはその黄金色の液がなみなみと注がれたままになっていた。
洋燈の光が強くなっていた。その出し過ぎた心の右の端が高くなっていて、火《ほ》屋《や》に黒い油煙をつけていた。その燃えている様《さま》がちょうど狂人の濁ってしかも真紅な動乱した心をあらわしているようだった。
その部屋にはもう神秘な影はなかった。一種凄い殺伐な空気が、酔どれの心臓のように波打っていた。
彼は嚏《くしやみ》をした。そして傍にあった一升徳利を引き寄せると、重さでぶるぶる手を震わせながら茶椀の中へ注ぎ込んだ。
(第二稿 大正十一年)
(第三稿 大正十二年)
卑怯者 断片
(I)
眠りとは一体どうして起るんだろう。
一体なんだろう。
考えたり、見たり、聞いたりしていた人間が急にそれらの能力を奪われてしまう。――生ける《し》屍《かば》に《ね》なってしまう。――何だか変な気がする。
何という変な病的《アブノルマル》なものなんだろう。
眼が醒《さ》めている時と、寝りに陥る時と、その間にどんな事が作用するのだろう。
今、自分にはそれが何だか変な不気味なものとしか思えない。
どうして俺がこれから一時間さき、あるいは二時間さきに眠りにおちるということがありえるのだ。
しかしどうして今夜までこの眠りが俺には不思議でも何でもなかったのだろう。また世間がどうしてこの不可解に対して何の疑《うたがい》も挟まずに黙過しているのだろう。
それはそれが誰にでも同様に起っている現象である故か。それが自然である故か。しかしこれがどうして自然と考えられよう。
もしこの世の中に眠りがなかって、ほんの少数の人にばかりこれがあったら、ああそうだったら、眠りという言葉さえ存在してはいないだろう。世間は驚異の眼をみはるに相違ない。そしてこれに、喧《かまび》すしく集って来た羣《ぐん》盲《もう》がそれに不可思議という言葉を冠《かぶ》らすにちがいない。
一体不可思議というのは稀れということの異名だろうか。そして偉大な人間というのは啻《ただ》、稀な人間ということだろうか。
学校の生理の教師は それは脳の貧血によって起ると教えた。また身体の組織の中の塩素が臭素にかわると睡眠が起るとも教えてくれた。塩素の量が臭素の量より少なくなると云ったのかも知れん。しかしどちらにしてもそれは何だ。
催眠剤に臭素の化合物を用うということが明瞭になっただけで、それはこの不可思議を解いてはいないではないか。
科学というものは、この不可思議の川岸に立って、一切が明白で、必然で、朗らかな……(欠)
(U) 正義派と卑怯者
〇〇中学五年生山路太郎はもう十二時だというのにまだ寝つかれなかった。
十時頃にあまり寝むくなったので、紅茶をいれて飲んで、無理に幾何の問題を解いたのだったが、やっとのことでそれを解いて、寝《ね》床《どこ》を布いてしまってから、妙に眼が冴えて寝られなくなってしまった。
しかし明日はやはり六時の汽車で登校しなければならなかった。というのは、彼はその町から七里程離れたS市の中学へ汽車通学をしていたのであった。
家の者はみな寝静まってしまった。電燈のスイッチをひねってしまってからは、暗《やみ》の音や暗の匂いや暗の色などが彼のあたりをたてこめて、彼の寝られない神経をいたぶっていた。
「成《なる》程《ほど》紅茶は昂奮剤だ。さっきから変に俺は何だか考えている。どんなに考えまいと努力しても脳《のう》髄《ずい》の機械、思考の機関がそんな努力には無関心に運転をはじめてしまったんだ。そしてどんな些細なことでも、例えばこの些細ということをフイと思うと、その機械はそれをのせて、見る見る内に、故に、とか、次にとか、という段取りで、裏にしたり表にしたりして畳み込んでゆくのだ。どんなけちなものでも吸いとって、それから何かを造り上げようとしているのだ。はっと気がつくと考えている。まったく変だ。考えようともしていないのに、まるで何かくよくよ考えている時の気持がしている。つまり紅茶で、思考の機械《メカニズム》が空《から》廻《まわ》りをしはじめたんだ。うむ、何だか面白くなって来たぞ。
すると思考の対象がなくっても思考があるのじゃないか。そうだ。対象が生れてから思考が生じるんじゃない、思考というものが前からあったのだ、それはこの機械だ。
美しい少女を見て恋愛が生じるのではなしに恋愛がすでに心の中にあって、それを美しい少女の上にあてはめるのと同じだ。
ああ偉大な哲理だ。まだまだ掘ってゆけば、きっと何かが見付かるべきものだ。
よし、これを明日学校でデカルトの奴にきかせて凹ませてやろう。そしてあの哲学者で御座いってな高慢な顔を叩きつぶしてやろう。あいつは哲学が一番高尚な学問だと独りぎめにきめてかかっているんだ。変な虚栄心かなにかで、理由なしにそう思っているんだ。そして本ばかり読んでいる。あいつの哲学はちっとも欲求に即したものじゃない。猫が訳わからずに小判を持って金持ちで御座いと云っているのと同じことだ。猫はやはり猫に小判と云われているので本当なんだ。あいつのは気《き》障《ざ》だ。一種のセンチメンタリズムだ。
しかし彼奴のことだから、俺がこの説を持ち出すと、落付いて、『それは何世紀程前に誰々が云った説だ。古いものだが、この頃でもやはりその説に与《くみ》する人がいるんだ。』とか云うのじゃないかな。そして俺よりはもっとうまく、もっと理論的な説明を逆《さか》捩《ねじ》に俺にきかせるんじゃないかな。そうなればいまいましいな。」
太郎が気がついて見ると、ラジウムの袂《ママ》時計は十二時十五分過ぎをしめしていた。彼は明日の朝のことを思うと空怖ろしくもあった。彼は身体の向きをかえて、寝ようとあせったが、一生懸命にふさいでいる眼を恐る恐るあけて見てもちっとも重くなっていなかった。そしていつの間にか他の事を考えはじめていた。
「俺が一等嫌なことは俺が意気地なしだとみじめにも思わなくちゃならないことだ。もうこれだけは思って見てもぞっとする。ああ厭だ厭だ。
俺はまだ一度も意気地なしの卑怯者に見える行為はしたことがないと思っている。しかしその男らしい、意地っ張りな行為をしているときなどにフッとその考えが浮ぶんだ。兄《けい》弟《てい》牆《かき》にせめげども、外その侮りを禦ぐというような工合に、外目にはどうにかこうにかやって行っているようだが、中では卑怯者の内乱だ。
とにかく男らしく振舞ったと自分で思えるときはまだいいが、心が卑怯者になって弱い喧嘩犬のように尾を後足の間にはさんできゃんきゃん歯をむき出している時があるんだ、しかも外見で……(欠)
(V)
「例えば渡辺だ。渡辺が艇庫の前で俺の中学の撰手を撲ったように、往来でいきなり俺をなぐったらどうだろう。また、呉田のように町を応援歌を歌いながら通っては撲るぞと云われたらどうだろう。俺は今まで酔っ払うようになって歌っていた歌を止めてしおしおと路をあるくだろうか。俺はそんなことは出来ない。俺は抗弁しなければならない。そうしたらあいつは俺を撲るにちがいない。
おう。それから喧嘩だ。その時に俺は勇敢に喧嘩出来るだろうか。
俺は敗けるにきまっている。敗けてはみじめだ。人には馬鹿だと云われる。気の毒がられる。ああ気の毒がられるなんて。
ああ残念だ、どうして俺は腕力家に生れて来なかったんだ。どんな奴でも無礼を働くことが出来ないような巨人に。
そして逆捩に渡辺が電車に乗ろうとするのをぎっと引張り卸《おろ》して悠々と乗ってやれたらどうだろう。そしてあいつの憎い自信を雪のように消してやれたら。
どうしても彼奴等は眼ざわりだ。
短銃だ。撲らせておいてぎゅっと突付けてやる。どすん。ああ法律さえなければ殺してやりたい。法律があるために野獣を生かせておくのだ。俺が死刑になるのも高が野獣一匹のためでは馬鹿げ切っている。
射てるなら射ってみろ。こう云われたって俺は射てない。そうしたらそれまでの俺の態度は掌をかえしたように裏切られる。
また彼奴の得意の柔道で短銃を取りあげられたら。それからはどうなる。
また勇敢に組ついた時反対に、渡辺が短刀を抜いて、「どうだい」とへらへら笑いをしたらどうだろう。
俺は「切って見ろ」と云えるだろうか。
ぐさり。……彼奴が牢へ入っても俺の傷はなおらない。彼奴は牢へ入るくらい何ともない奴だ。みすみす馬鹿を見るんだ。
俺は、光ったものや、研ぎ澄まされたものを見ると、殊にそれが酔っ払った父や幼い弟が手にしているのを見ると、見ただけでそれが俺の心臓にぐさっと刺さったり、掌をすうっと切ったりするのを、肉体的に感じるような神経の尖った男だ。それを取り上げる先に、その戦《せん》慄《りつ》が俺の身体を堪え切れなくさせられるような男だ。
俺は渡辺のそんな白刃を見てどうして切れと云えよう。
どうしたらいいんだ。もし一度こちらが勝つとしても、彼等はきっと復讐せずにはおかないのだ。実力のないものが、彼等の自尊心を傷けるような大胆なことを一度すれば、蛇に見込まれたのも同じだ。どこにいても、絶えずつけねらわれているような気がする。学校へは行けない。町はあるけない。俺の貴重な時間が野獣に対する拘《こだ》泥《わり》で紊《みだ》されるなんて。思いに余って殺してしまう。その拘泥の果て一途に思いつめて、そのうるさいものを殺してしまう。ああ悲劇だ、それはどう裁判せられるだろう。一寸したことで気の小さい善良な人が一生を過《あやま》るんだ。
しかし殺してしまうのが一番さっぱりしている。野獣撲《ぼく》殺《さつ》だ。
しかし彼奴等が野犬と同じ運命におちないのは……(欠)
中学五年生山路太郎の心は和んで来た。悪夢に襲われたように、自分を卑怯者だと思ったり、喧嘩でやられる時を想像していた、その長い考えの中途で思わずに握りしめていた掌は、この終頃になって緩《ゆる》んでいた。彼は渡辺を憐《れん》愍《びん》することが出来たために揚々とした心になっていた。彼の心は愉快に汗ばんでいた。彼が彼等を憐れむことが出来たのはその夜がはじめてだったのだった。
(V)
明朝彼はやはり寝過した。
発車間際に乗ることは出来たが、朝飯も食わずに駆けつけたその空腹を彼は食堂車で補わなければならなかった。
その列車は急行ではなかったが、山路太郎の降りるS市からあちらへは直通になっていて、食堂車もついているのだった。
――彼は食堂車の大きな窓の前にだんだん白んでゆく十月終りの朝を眺めていた。
麦《むぎ》が刈入れられ、菜《な》種《たね》が成長しきった頃、その沿線の畑では、百姓達が麦がらや菜種の残骸を集めて燃やすのが見られた。
真暗な夜その平野にはその炎がいくつも見えた。近い炎の中にはそこに働いている百姓の姿が影絵のように真黒な影になって見られた。遠い火はぽうと明い煙をその暗い平野の上に棚引かせた。
次には梅雨の長雨の中を百姓等は牛を使いながらその畑を田にするのであった。柔軟な緑色が美しい花ごとその中へ踏み込まれた。
やがてその広々とした畑は直ぐ水を湛えた田に変った。そして早苗が植えつけられた。
始めはそれが緑の気体のように田の上をほのかに染めていたものが青々とした稲田に変じた。
次にK川に濁水が漲《みなぎ》る二百十日や二百二十日が来るのだった。
そんな夜汽車で鉄橋を渡る時暗い渦をまき滔々《とうとう》と漲り流れているK川の怖ろしくそして巨大な暴力。その盲目な大自然の暴力に、彼等の労作を蹂《じゆう》躙《りん》せられようとしている村々が鳴らす半《はん》鐘《しよう》や寺の梵《ぼん》鐘《しよう》のあの陰惨な響きや、堤防の上にずらっと焚《た》かれている空を焦がす真紅のかがり火。さてはその間を動く物々しい人影等の齎《もた》らす心の激動。
さらにその盲目の濁流を双《もろ》手《て》に抱きかかえて踏張り持ち耐えているその雄々しい人道的な堤防の姿は嘗《かつ》て中学生山路太郎に英雄的な泪《なみだ》を流さしめたのであった。
今彼の目の前にあるのは黄金色に実った豊作の平野であった。朝ぎりはほのぼのゆるぎつつ太陽の光輝に追われて晴れて行きつつあった。
「季節が移りかわってゆくのは、何て早いんだろう。この目まぐるしい変化はやがて俺を中学の卒業や高等学校の入学試験へ、いや応なしに引張ってゆくんだ。」
山路太郎が食事をすませて、何気なしに食堂車の料理場の横にあたる狭い通路を自分の客室の方へ帰ろうとする時、やはりその道をこちらへ入って来る学生があった。
それは山路太郎と同じ町から乗る商船学校の生徒だった。汽車で通う商船の生徒には乱暴ものはいなかった。しかしここにもやはり両校の暗い雲行きがかぶさっていた。「彼等は見えすいて軽薄であって低脳児だ」と中学側が思えば、商船側は「俺達の学校の生徒に圧迫せられている奴」という虎の威を借る狐の気を負っていた。そして彼等の中でも山路の路を扼《やく》している男がその中でも一番腕力家であった。山路はいつ頃からだったかその男に一種の圧迫を感じていた。
その姿を見た瞬間、山路はハッと思った。
彼の内なる卑怯者と、敢《かん》為《い》な勇気が一度に立ち上って引組み合った。それは瞬時に極めなければならないはげしい争闘だった。
しかし彼の足はその躊躇や思慮を現わさなかった。彼の足は歩調をゆるめずに歩んだ。
それは破れかぶれの昂奮が彼をおし出したのだった。もしその争闘の影をうつしているものがあったら、それは彼の眼であったろう。
しかし彼の眼は烈しく、彼の方に近づいて来る二個の眼をにらみつけていた。
彼が衝突を予期して、眼くるめくように感じながら道一杯に進んだ時、まるで思いがけなくも敵は片側へぺたりと身をよけた。そしてぎごちなく笑顔をしながら、
「お早う」と帽子に手をかけた。――
それは彼等が両側から顔を見合せてから、二人が半分ずつ二間に足らない路を向合って歩く極く短い時間の後に来た結果であった。
倏忽《しゆつこつ》に来り倏忽に極った勝敗の数であった。
しかしその倏忽は深刻な幾多の屈折が電光のように二人の心に過《よぎ》った倏忽であった。
席に帰った山路太郎は、彼の心が訳のわからない衝動に圧倒されているのを感じていた。肋《あばら》の下では早鐘のように心臓が躍っていた。
彼の険しい眼は窓外に向いていた。しかし彼は何をも眺めてはいなかった。――
彼の心はだんだん鎮まっていった。しかし彼の心を占めて来たものは堪え難い憂鬱であった。
「ああ、これが勝利か。」
「あれは不当な勝利だ。俺は盲滅法だったんだ。俺は一体彼奴がお早うと云った時にどうしたんだろう。俺はやはりお早うと云ったかしら。云ったような気もするけれどもはっきりはわからない。俺がこの席へ帰ったのがまるで夢中だったんだもの。形勢は俺が勝かも知れない。しかし俺の小さい胆玉は盲滅法に混乱したのだ。俺は不当な勝利者だ。
そして彼は――
彼は敗北だ。しかしそれは不当な敗北だ。
一体俺の顔が怖しかったんだろうか、眼が彼をおびやかしたんだろうか。ああ彼奴のひきつるような作り笑い。俺の勝ちが不当なだけに彼の敗北は気の毒だ。彼奴は俺にはもう頭が上らないのだ。俺が彼だったらどうだろう。俺は辛抱し切れないに違いない。平常威厳を崩さなかった彼があんなになるのは余程のことだ。彼はどんなに愧《は》じているだろう。ああ俺は気の毒なことをした。
彼に俺はあの時まるで夢中だったことや、俺の勝が不当だったことを云って慰めてやりたい。あんなんだと知ったら、俺は身体を横にして通すべきだった。
それにしても俺は何という腑甲斐なしだろう。何という弱い心臓なんだろう。心臓ががんがん鳴ったあの態《ざま》ったら。」
彼の心は後悔と自己嫌悪が蝕んで、ますます憂鬱に落ちて行った。
――汽車を降りて彼の択《えら》んだ路はいつもの大通りではなかった。彼は自分の前に歩いてゆく不当な敗北者の背に無限の親しみを感じながら、横路へ外れてしまった。彼はその湿っぽい路をとぼとぼ歩きながら考えていた。
「あれは弱小なものと弱小なものの団《どん》栗《ぐり》の背比べだったんだ。強く、叡智な人が見ればまるでとるに足りない蝸牛《かぎゆう》角上の争いに過ぎないんだ。」
彼は前夜昂奮して考えていたことや、今朝あわててポストへ投げ込んだ修三郎への手紙の内容はその事件の間ちっとも考えなかったのだった。
(大正十二年一月)
大蒜
校長の簡単な紹介が済んで、当の新任柔道師範河田三段が挨拶のために壇へ登った時、その講堂の中に恭《うやうや》しく並《なみ》いた生徒達の眼はみな好奇心に輝いていた。大《たい》抵《てい》の眼は悪《いた》戯《ずら》者《もの》らしい光を帯《お》びていた。
そしていよいよ河田師範の顔がそれらの眼の矢面に立った瞬間、生徒達はみな急に嬉《うれ》しくなった。
後の方に坐つているものの中には、わざわざ腰を伸して眺めたものもあった。そしてその眼は同じく嬉しそうになって生徒達の頭の中へまた割込んで行った。
河田師範の顔が見られたのは、本当を云えばそれが最初ではなかった。校長に導かれて、羽織袴で着席した時にも、またその朝体操の先生達のいる部屋の中で豪傑笑いをしているときにも、河田師範は生徒の視線に六尺近くの巨躯を曝《さら》していたのではあったが、いよいよ公然と生徒の前に現れる段になった時、彼等は用意をしていたように嬉しそうな眼付きをしたのである。――
生徒達は腹から嬉しさがこみ上げて来るのを感じて、「ううううう」と喉《のど》をつまらせた。それは何か非常にうまい渾《あだ》名《な》か警句が誰かから出されるのを待っているのであった。それは極くわずかなものでよかった、ほんの少しの火花のようなもの、それで結構であった。とにかく生徒達は彼等の笑いを爆発させたかったのであった。その笑いと云っても――笑わずにはいられないというよりも、むしろ笑わねばならない、全部で笑わねばならないという意識から生じて来たものなのであるが――
津田三吉もその中の一人であった。彼はその中学の最上級生の五年級の中の一人であった。
――三吉が河田師範の顔を見た時、彼も急に嬉しさがこみ上げて来た。そして講堂に漲《みなぎ》っている、何かをきっかけに爆発したいという生徒達の意識を感じると彼は一種の圧迫めいたものを感じた。「ここで何か云わなければ……。」そんな欲望が彼を襲った。
次の瞬間、三吉には心の中になにかしらない、しかし変に河田師範というものと離るべからざるあるものが思い出されて来たような気がした。それは変な気持であった。
次の瞬間には彼は自分の思い当ったことで独りでに顔が赤くなった。
「大《にん》蒜《にく》だ、大《にん》蒜《にく》だ。
にんにくをつるしたような伍《ご》子《し》胥《しよ》の眼。
これだ。」
三吉のその時の心の中には、そのどこで覚えたか知らない、しかも何の意味だか了解が出来ない川《せん》柳《りゆう》の記憶と、またどこで見たのかはっきり覚えない支那の水《すい》滸《こ》伝《でん》の絵図の記憶とがよみがえって来て、当の河田師範の風貌と三つ巴《どもえ》になって揉《もみ》合《あ》い、やがて渾《こん》然《ぜん》と融合されたのを感じたのであった。
「ほう見事なものだ。あれは蒙《もう》古《こ》だよ。水滸伝だ。大《にん》蒜《にく》を……………。」
このようにやや声《こわ》高《だか》に三吉が言った時、その近所にこもっていた、笑いの爆発の用意が堤を切ったように解放せられた。三吉の言葉は、そうなれば全部云ってしまうのを要しなかったのである。
「蒙《もう》古《こ》、はっははははは」
「水滸伝、はっははははは」
このような笑いの渦巻の中心に位して、三吉は我ながら顔が赤くなるのを覚えた。彼は、皆と一緒になって笑えなかった、我ながら自分の言葉が効果が強く反響してしまったものだから。――彼の皆を笑わせたい欲望が、我ながら感心するような警句を生み、あまり見事に当りをとってしまったものだから、彼は一種の極《きま》り悪さを感じたのであった。
彼は皆と一緒に笑えなかった。ただ「えへへへへへへ。」と笑ったのみだった。
式が済んでしまってからも鳴りどよもしているその笑い。離れ離《ばな》れに坐っていた生徒達の親しい者同志が顔を見合せた時、双《そう》方《ほう》はここでも嬉しそうな顔をした。
「変な顔だね。」言葉は省《はぶ》かれても両方の心は一致していた。
三吉は、やはりそんな一《いつ》対《つい》が出会うや否や冒頭を省いて「にんにく、はははは。」と云って笑い出すのを見て満足の頂点にいた。しかも彼等は誰がそんなうまいことを云ったのか知らなかった。
三吉は、五年級の運動家で、日頃勢力を揮《ふる》っている乱暴者が、赤ん坊のように楽しそうにしてその渾《あだ》名《な》の命名者に惜しげもなく大声で鑽《さん》仰《ぎよう》の声を放っているのを傍観した時、「ここでも認められている。」という気がして嬉しさが加わった。
その男はその命名者が三吉であるとは知らない、それを三吉自身が何《なに》喰《く》わぬ顔をしている――その気持が彼には愉快であった。また三吉にはそんな勢力家に面と向って讃《ほ》められるよりは、そのような歓《よろこ》びの方が遙かに自由なのであった。
にんにくをつるしたような伍《ご》子《し》胥《しよ》の眼《め》。
この狂句か川柳かわからないものが三吉の記憶に留《と》まったのは、いつ頃かまたどこからかわからなかった。しかしそれは彼の記憶の中にわけのわからないものとして変に蟠《わだか》まっていたのであった。
彼にはその記憶が、河田師範の顔を見た瞬間に、期せずして黴《かび》の生えているような古い記憶の堆《たい》積《せき》から浮び上って、その疑問を氷解したことが何より嬉しかった。それは彼に霊感――そういうものの存在を肯定せしめた程であった。彼にはその解釈がもう疑うべからざるものに思えたのであった。――
彼はいい気持になってその解釈が成り立った段階を分析していた。
それによると、彼が河田師範を見た瞬間に聯想したものは、これもいつ見たか、どこで見たか知れない水《すい》滸《こ》伝《でん》の絵であった。その中に活躍している豪傑の姿であった。それは殊《こと》に眥《なじり》が裂けてその端が上の方へつるし上っている所で、河田師範の容貌と一致していた。――それが彼自身の解釈では蒙古人種の特徴なのであった。
そしてその聯想にぴったりと合うべく伍《ご》子《し》胥《しよ》なる人物――それはもう水滸伝の豪傑に違いないと彼には思えた――その伍《ご》子《し》胥《しよ》の大《にん》蒜《にく》を釣るしたような眼が、その不可解のままでしかも変に忘れ難く、意識の底にこびりついていたその狂句の記憶から、ぽっかりと浮び上って来たのであった。
そしてそれらが三つ巴《どもえ》になって揉《もみ》合《あ》い、やがて渾《こん》然《ぜん》と融合されたのであった。
大《にん》蒜《にく》を釣るしたような河田の眼。
彼はこの新しい狂句を得て途《と》方《ほう》もなく有頂天になってしまった。
しかし三吉自身はその大《にん》蒜《にく》というものすらもさだかには知っていないのであった。
しかしそれが支那人の嗜《たしな》む、葱《ねぎ》のような臭気を多量にもっているもの、らっきょうのような形をしたもの、薬種屋の店先に釣るされているもの、と漠然と覚えていた。しかしその知識をどこから得たか、また彼が一度でもそれを見、それを嗅《か》いだか、また一度でも確かに薬種屋の軒でそれを見たかということにはどれにも確実な記憶を持たなかった。
そうなれば彼の解釈も曖《あい》昧《まい》なものなのであったが、彼はかえってそれが一種の霊感のように思えたのであった。
にんにくを持て囃《はや》している生徒達も、そんなことには頓《とん》着《ちやく》がなかった。
しかしそのにんにくという言葉の音《おん》、その卑しく舌に媚びるような音《おん》を彼等が舌の上で味わって見て、次にそれを河田師範の風貌の上におっ被《かぶ》せる時、彼等は突然嬉しそうに笑い出すのであった。――少くとも三吉の友達の比野という生徒の意見はそうであった。彼はやはりそのにんにくなる言葉はきいたことがあるが、博物学的の知識を欠いていた一人であった。
三吉が比野からその意見をきいた時、三吉は例の由来の委細を、その根拠の曖昧なのにも気付かずに、得意になって衒《げん》学《がく》的《てき》な口《こう》吻《ふん》で語ってきかせたのであった。
しかしそれでもにんにくには陰《いん》な力があって人々の口から口へ伝ってゆく。――この想像は三吉に気持のいいものであったし、それは事実でもあった。三吉はその証拠を新しく目撃するたびに彼が一《ひと》簾《かど》の諷《ふう》刺《し》家《か》になりすました気持であった。
群《むら》がっている鯉に一片の麩《ふ》を投げ与えた。鯉の群《むれ》にたちまち異常な喧轟《センセイシヨン》が起される。――彼はそのように想像するのが嬉しかった。そして一切が彼に味方しているように感じていた。
しかし彼のその得意にはだんだん暗い陰《かげ》が翳《さ》していった。そして彼を甘やかし、彼を煽《おだ》て、彼に与《くみ》していた一切のものが彼を裏切り、彼に敵意を持っていると思わねばならない時がだんだんやって来た。
ある日彼等の級の柔道の時間が来たとき、その河田師範は、柔道の選手の一人を相手として寝《ね》業《わざ》の教授をした。
師範がいろいろ説明してきかせたなかに生徒には何だかさっぱりわからないことがあった。それはチャンスという言葉なのであったが、師範がその撰手の首を片手で扼《やく》して、残りの手で相手の腕の逆《ぎやく》をとるという業《わざ》を示した時師範はその機会という英語を使って、「こうすればチャンスだ。」と云って皆の顔をうかがったのである。
ある者はそれが耳の聞き違いだろうとも思わず聞き流していた。またある者は機《チヤ》会《ンス》がどうしたのだと訝《いぶか》しんでいた。
しかし中にそれを意地悪く聞き咎《とが》めた者がいた。その男が近所の者に、「先生、玉突きと間違ってるぜ。」と云った。その男の話しによると玉突では両天秤の玉をチャンスと云うので、それは彼の説によるとチャンスの意味を取りちがえた玉突の通用語なのであった。
「将棋のように王手飛車とでも云えばいいのに生意気に英語を使ったりするから恥をかくんだ。」と云ってその男は嘲った。
それが口火になって級の者が「ハハハ、チャンスか。」と云って打興じていた時、三吉にはそのチャンスという渾《あだ》名《な》がやがて彼の命名した渾名を圧倒するのではないかという懸念が生じた。彼はそれが心配であった。
その気持を彼は前から経験していた。それはその柔道師範に他の誰かが新しい渾名をつけかけた時に感ずる、自分の渾名の権威に対抗しようとする者に対する憎みや嫉妬の感じであった。この時にも彼はそれを感じたのであったが、その渾名の由来を説明してきかせた男の、――その男は級の中の洒落《しやれ》者《もの》であったが――それを云う時の柔道師範に対する悪意であった。「知らない癖に、生意気に英語を使うから恥をかくんだ」その言葉がもたらす河田師範に対する毒々しい侮辱を感じた。それは彼が渾名の対抗者と彼を憎む感情と共に起って来たのかも知れなかったが、彼は明かにその男を憎むべき男だと思ったのであった。
しかし次の瞬間には、それと同様の攻撃が彼自身に加えられなければならなかった。
彼は自分の顔が独《ひと》りでに赧《あか》くなるのを覚えた。
殊《こと》に彼は彼の無意識に働いていた意志というものが、河田師範の容貌を露骨に揶《や》揄《ゆ》したものであると思った時、自分がいかに非紳士的な男であったかと思った。
次にはその報いが、――自分こそ、河田師範から憎まれねばならない人間なのだ――という考えが浮んだ。彼の心はざんげの気持では止っていなかった。さらに先生に対する恐怖に移って行ったのであった。
さらにまたそのざんげの気持は自己嫌悪の状態に――何《な》故《ぜ》自分はこんなに軽薄な男なのであるか。何故軽薄にも、あの時、自分に、我こそその渾名の命名者にならなければならないという気持になったのであるか。――
彼はその考えに責められた。殊に最も身《みぶ》慄《るい》するほど堪《たま》らなかったのは、その時の自分の衒《げん》学《がく》的《てき》な態度、――殊に救われないように思えたのは、それが衒学でも何でもない自分の軽率な早合点ではあるまいかという考えが彼を刺す時であった。
しかし一方では彼の気持とは、まるっきり無関心に彼の渾名がひろがってゆきつつあった。――と彼には思えた。彼はその考えを僻《ひが》みだと思いたかったのであったが、それが事実である証拠が意地悪く彼の目に触れた。
ある日の正午の休憩時間であった。
冬の寒さにもめげず、運動場には活気が漲《みなぎ》っていた。蹴《しゆう》球《きゆう》に使われる、円《まる》いボールや歪《ゆが》んだボールが次ぎ次ぎに蹴《け》り上げられた。そして生徒達は、運動場にはびこっているゴムマリの野球の陣を縫いながら争ってそれを取ろうと犇《ひし》めいていた。また一方には鉄弾《シヨツト》を投げている一群があった。
三吉は運動が出来ない少年であったが、やはりそんな生徒は一団を造って毎日申し合せたように風の吹かない蔭に寄合って雑談に耽《ふけ》るのであった。――
その日も三吉はその群の中にいた。そして話しに耳を傾けながらも、運動場に揉《も》み合っている生徒達を眺めていた。
その時彼は柔道の稽古着をつけた偉大な体格の男が、鉄弾《シヨツト》を投げる生徒の中に雑《まざ》っているのを見つけた。それは疑もなく河田師範であった。その近所には河田師範が投げるのを見るために人群《ひとだか》りがしていた。
雑談をしていた仲間もそれを見つけると、それを見る為に駆け出して行った。
そしてそこには三吉と、平田と、も一人絵のうまい比野という生徒の三人が残っていた。しかし彼にはそこでその三人がいるということに何か気《き》不《ま》味《ず》い思いがあった。しかし彼はそこにいた。
三吉は、だんだん師範に渾名をつけたことが苦い悔《くい》となっていた。そして多少の憚《はばか》りが師範に感ぜられていたものであるから、そこへ駆けてゆく気にはなれなかった。――
鉄弾《シヨツト》が、その近くに見物している生徒等の頭より高くあがって、おちるとその一群からは拍手や、感嘆の声がきこえた。三吉等が話しを止めてその方に目をやった時、何を思ったか、その絵の得意な比野という男が、大きな声で、「にんにく」と呶《ど》鳴《な》った。
三吉は面《めん》喰《くら》わざるを得なかった。真顔になって「おい止せよ。」と云ったが、比野はそれを呶鳴ると、三吉の影へ身をかくして、また、「にんにく。」と呶鳴った。
鉄弾《シヨツト》の方の一群の中の数人が三吉等の方を眺めた。それを見ると三吉は、はらはらした。近所にいたものも、両方を見較べて笑っていた。その視線が三吉には、彼自身の困《こん》却《きやく》しているのを興《おもしろ》がって見ているように思われた。
殊《こと》にそんなに無鉄砲に呶鳴った比野に対しては、「ここに、先生の渾名をつけた男がいますよ。」と河田師範に知らせる悪意さえ感じた。
三吉は先生に知られるのを怖れていた。またそれを怖れていることが人々にわかるのを怖れていた。それを知ったら人々は思いやりなく、意気地なしだというに極っていると思われた。彼は人々に意気地なしのように思われるのがいやであったので、殊に、その比野という男がそれを知ったら、何の容赦もなくそれを種に三吉をおどすだろうと三吉は思っていた。そして比野はそういう方では評判の悪辣性を持った男であった。
三吉はその比野が悪魔のような眼で、ちゃんと自分のその恐怖を見抜いて、こんなことをするのじゃないかと邪推する気持もあった。
三吉には「止せよ」という言葉さえ、もう自由には出なかった。彼はそれとなく師範のいる方へ背を向けた。
比野ももう満足したらしく呶鳴らなかった。しかし彼はさらに手痛い手術を三吉に試みた。
「津田もなかなか傑作を作るね。にんにく、とはうまくつけたな。」
彼が以前の彼なら、その讃辞を快く受け入れたであろうが彼にはもうそれが彼の傷口へ荒々しく触れるのであった。
(大正十二年)
彷徨 断片
彷徨
「酒が悪魔的な昂奮剤で、紅茶が道徳的昂奮剤か。なるほど、三杯も飲んだ加減か知らないが、変に俺は何だか考えている。考えざらんとしても脳髄の機械が運転しはじめたんだ。そして空中の塵《じん》埃《あい》でも何でも機械の中へ吸い込んで、それから何かを造り上げようとしている。まったく変だ。何にもまとまったことを考えてもいないのに、まるで何かくよくよ考えている時の気持がしている。機械が空《から》廻《まわ》りをしてやがるんだ。こんな時に上等の材料を、かけてやると、素敵なものが出来上るんだが。
――さて。五時半か。俺はこれから一体どうしよう。この珈琲店を出て。出る為には四十銭か。そうするといくら残るんだ。
吉太郎に借金を払ってしまおうかな。払ってあいつの宿で寝ようか。いや損だ損だ。
例の所で例の如く酔っ払う方がよさそうだ。
大体吉太郎て奴は虫が好かない。あいつの借金だけが嫌に苦になる。人に金を貸して、敵《てき》愾《がい》心《しん》を抱かれるなんて、あいつも割にあわない男だな、か哀そうに。孝行者だ。小金もためている。女などには見向きもしない。しかもあいつに借りた金だけは、叩きつけて返してしまいたいほど苦になる。催促したり、借金のかたに俺におごらせたりする仲間の奴等とは一風変っているが、俺は仲間の奴共の方が気持がいい。……(欠)
彷徨 未定稿
一体どうして俺はこんなにやくざなんだろう。俺には意志が働かないんだ。ものの善《よし》悪《あし》はわかっているんだが、善い方に押し切って進むことがどうしても出来ないんだ。強《し》いて進もうとすれば、身体の活力の燃焼を感じる。なんだか可哀そうなものを虐殺するような気がするんだ。そうだ、あの首を振る電 気 扇《モーターフアン》が、右や左へ廻転している奴を、うんと手でつかまえて首を振れないようにして、自分の襟の中へ風を入れる馬鹿な奴の所業のような気がするんだ。俺はあんなことをするのを見ると、中の電動機《モーター》がもう俺の眼の前で焼けてゆくのが見えるようで堪えられなくなる。
俺は一体、それじゃ俺の生活が俺にぴったり適応しているんだろうか。魚が水の中に生活しなければならないように、俺にはこの生活が必要なんだろうか。この淫《いん》蕩《とう》な懶《らん》惰《だ》な不健全な生活が。
いや俺はこれが堪え難いのだ。いつもこの生活が俺を殺してゆくような気がするのだ。
俺は何度もこの生活から逃げ出そうと思ったのだ。すると可哀そうなものを虐殺するような憂愁が俺をつかまえてしまう。そしてこの生活が変な魅惑でまた俺をひきずり込んでしまう。俺はそのたびに「じたばたしたってどうにもならないよ」と云う運命の嘲《ちよう》笑《しよう》を見るような気がする。また頑固に「此《こん》度《ど》こそは」と思ってやりかけて見ても、「一体お前がそんなに、不愉快な思いをして、獅噛みついている生活が一体それだけの労力を費す価値があるのかい」と叱りつけるように誰かが云うのだ。すると俺は一生懸命に考える。考えて見るとその生活が単に淫蕩な生活の反動の生活に過ぎないような気がする。一体生き甲斐のある生活てどんな生活だ。一体善しと云い悪ししと云うのは何だ。と考えるんだ。俺のことだからこの考えも続きはしない。またもとの蟻地獄の底まで落ち込んでしまうのだ。
地道の生活が俺にはどんなに慕《した》わしいだろう。しかし地道の生活に身を置くと俺は死んでしまうような気がする。考えて見れば、俺が地道な生活に憧《あこ》憬《がれ》るのは単に今の生活の嫌さの反動だけがそうさせるのかな。実際今の生活にも楽しいことがあるのだ。しかしいけないことには楽しさの次にきっと苦しさが来るんだ。
この生活の持っている魅力というのも結局その楽しさが俺をひきつけるんだ。
この生活は楽しみがさきで銭《ぜに》勘《かん》定《じよう》が後なんだ。楽しむだけではここからはぬけて出られないんだ、きっとその報酬を払わせられるんだ。その楽しさを見せびらかして俺の眼をくらますんだ。するといつもの事ながら俺はそれの償《つぐな》いを考えずにとび込んでしまう。
そうして見ると、世間の地道な生活は苦労がさきで、楽しみは後だ。つまり銭勘定がさきなんだ。
考えて見ると俺は若い時から借金さす飲屋や本屋なら、大きな気になって食ったり飲んだりした。尻の仕舞はどうにかなると思っていたんだ。親が借金済しをしてくれるとか、兄貴が金をくれるとかそんな具体的なものじゃなかったんだ。しかし仕舞はどうにかなると思っていた。いやこれもやはり酒や本がただで取れると思う考えが俺をくらませてしまったのだ。
世間の借金は俺は随分倒した。倒そうとははじめは決して思っていなかったがそんなようになってしまったんだ。今でも金さえ出来れやどこだって払ってやるし、死ぬまでにはきっと返せるような気がしている。
しかし俺の生活ではこの倒しがきかないのだ。しぶとく命のある限りつきまとって来る。
しかし俺はこの生活の魅力には無抵抗だ。
それじゃ俺はどうしたらいいんだ。
今の生活の魅力にはかなわないが、その報酬を払うのは堪えられない。先き払いの地道な生活は俺を殺してしまう。
それじゃ俺はどうしたらいいんだ。
しかし待てよ。俺はこのだらしのない生活の魅力には、まるで無抵抗なのか。まるで反抗出来ないんだろうか。
また世間の地道な生活は本当には不可能なのか。
両方ともそうじゃない。俺が本気にさえなれば、それがみな逆に出来るのだ。
しかし本気と云っても、過古の習慣が全然姿を消して、急に本気というものにはなれない。やはり腹を決めて、辛抱する気で、過古のと戦わなきゃならない。
ああその戦いが厄介なんだ。その戦の御利益が上って来るのは、戦い終えた後じゃないとやって来ない。それに毎日毎晩あの活力の内部燃焼の思いを辛抱しなければならない。
すると俺はとても堪らなくなる。終にはその内攻が爆発してしまうんだ。
俺に力が足りないのか、それとも腹のきめ方が足りないのか。俺は平常から善悪の判断で動くよりは、前の行為の反動をいつでもやるのだ。だから考えて見ると、善悪の判断なしに急に腹をきめるんだ。だから腹のきめ方が不合理で落付いて考えて見るとまるで虫のいいことを考えてやっている。
この以前にも何度となく地道な生活に戻りかけた、自分は自分がどれどれの事が出来て、それ以上は出来ないという、自分の馬力をはかって見ないのだ。
そして計画は随分立派だが一度とりかかると自分の馬力が足りないことがわかる。
そしておじゃんになってしまうんだ。
またそこでゆき悩んでいると、放《ほう》蕩《とう》の誘惑がやって来る。その時に俺の眼に見える放蕩はなんという気楽な放蕩だろう。自分はどうしてもそれが苦労をかもすってなことは考えられなくなる。そしてまたとび込むんだ。
また苦しくなって来る。地道の生活が慕わしくなる。そして地道の生活を楽しいものだと思う。帰って見るとそれが辛い辛いことなんだ。
どうして俺はこんなに忘れっぽいんだろう。また自分の能力を極めることができないんだろう。俺は虫のいい空想家だ。
ただ行く方の美しさのみが俺をひきつける。そこの気候がわるいと知っても、俺の身体が大丈夫それをもち耐えると思う。苦労、それも面白いじゃないかってな気になる。
俺は本当に楽天家で呑《のん》気《き》屋《や》なんだな。
何という下らない性格だろう。これをひっくるめて意志が弱いというんだ。
この性格は生存競争には不適当だ。
いつでも同じおとし穴にひっかかっている馬鹿な猪だ。
こんな性格を持っているくらいなら死んだ方がましじゃないか。俺はいつでも何かに苦しめられている。嫌だ嫌だと思っている。
死んだ方がずっとましじゃないか。
しかし俺は何度も死にかけた。死ぬ間際になると浮世の苦労がみな甘く見えるんだ。牢獄の中にでも花が咲いている。乞食にも春が来る。死ねばみなおじゃんとなるような気がする。
生きているということだけで、そのどんなみにくい、卑劣なことでも俺があんなに欲しがっていた価値があるように思われる。
とうとう自分はその決心を捨てるんだ。
俺には生きているそのことがいいことなんだという訳は一度ならずよくわかった。
しかし生きる段になると生きている価値などはどうでもよくなって来る。それから前と同じだ。
ああ、自分の身体が急に清朗な空気の下で、すっきりした気持になって、うんと胸を張って深呼吸する。というような境地が恋しい。
清朗な気持ち。すっきりした気持ちが恋しい。今のままではどちらを向いても頭がにごっているような気がするし、いくら洗っても落ちないけがれがあるように思えるし、手に砂糖がついているような気持がしてばかりいる。
ぶつっと突き抜けた、何のわだかまりもない生活。ああどんなにいいだろう。
ああそれが欲しい。欲しい。それを思うと泣きたくなる。ああそんな生活をして見たい。
何をするのも嬉しくって、嬉しいことをすればその報酬に何倍も嬉しいことが目の前に見えて来る。嬉しい結果をまねく原因が嬉しい行為。ああ。無《む》暗《やみ》にほしい。
(大正十二年)
裸像を盗む男 断片
初冬の事であった。
家から送って来た為替を聖護院の郵便局で金に換えると私は直ぐ三条の丸善へ出かけて行った。欲しいものが多くて予定の金額以内にそれらを選び出すことは馬鹿馬鹿しいほど神経を悩ませた。
バインディングのしっかりした西南独逸学派の哲学書が新しくならべられてあった。まだその年の春から独逸語を習いはじめた自分にも馬鹿げたことではあるがその廉《れん》価《か》や著者の有名な名前が甚《はなは》だしく自分の購買欲を刺戟した。
友達から薦められていた美術に関する本も何度となくこれまで手にとって見たものであって、買うためにはただそれを勘定場へ持ってゆきさえすれば充分であるのに自分はそれをまた棚から下して頁を繰ったりした。しかし直ぐに何を選ぼうといういらいらした悩みが支配して、ほんの二三頁繰ったまま、元へおさめた。モハメッドの経典のコーランというようなものでも開いて見ては何《なん》等《ら》のまとまった句をも読まない中《うち》に閉じてしまった。
黒板へ教授たちの書いてくれる参考書、有名な小説、自然科学に関する本、それらに何冊となくこのような無意味な仕《し》草《ぐさ》を加えてしまった頃には、常から心臓が悪くて疲れやすい性の自分はまったく参ったしまっていた。そして変な悒《ゆう》欝《うつ》が被さって来たのを感じた。しかしそのような無意味なことに運命づけられた者のように、終には聖書や辞書や「三十六の成功秘訣《メソツド・オブ・サクセス》」というような本にさえ巡礼していった。そして買うものは? それはまだ決まらなかった。しかし二度とあんな馬鹿馬鹿しいことをして見る勇気はもうなかった。この次に是非欲しいというものが来るまで待とうかと思ったが、何か買わなければ悒鬱が増すのはよくわかっていた。自分は最後にあきらめの一種悲壮な気持を感じながら、画集と小説を二三冊買ってしまった。
気持がさっぱりしたのを感じて本を抱えながら、しかし初冬の冷たい空気の中に変な熱の感じを覚え、マントの襟《えり》を立てながら、疲れて寺町通りを上り、二条寺町のかぎやへ入って行った時はもう日も暮れかけて東山が夕日に照らされて急に近く思われるような時分だった。
学校でよく見る、悪魔めいた顔をしている男がいつものように二三人の中で話していた。
「足越が酒精中毒で岩倉の癲《てん》狂《きよう》院《いん》へ入った」と云うショッキングな話をその中からきいたのは自分が熱い珈琲を啜《すす》っている時だった。発狂や自殺未遂が今年は何人目だろうと数えられるほど起る学校なのであるが、平常学校や寄宿舎で天才だとか大酒飲だとか噂せられていた足越にその順番がまわって来たのは自分にとってはまるで思いがけないことだった。しかし心の中にはとうとうという気持も湧かないではなかったが、かなり古顔である自分の部屋の室長がそれをきいたら、一体何本目の指を、これまで学校に起った発狂者や自殺者の不幸な数の上に屈するだろうかと思ったりした。
足越は三年で、自分は新《しん》参《ざん》の一年生だったが、彼が自分の室の室長と友人である為に、かなり頻《ひん》繁《ぱん》に私達の部屋へ遊びに来た。その関係で自分は少しは彼を知っていた。……(欠)……かっているあの溝の中へ飛込むなんぞは大抵のその逸話には痛快がってきいていた自分にも不快を起させた。泳ぐと云っても踝《くるぶし》ほどまでの水の中でどんなにして泳げたんだろうと自分はたずねたりした。足越のその汚い着物や袴はそのまま下宿の押入れへ投げ込まれて終にかびが生えて臭くなっていたと室長は話した。その外足越の酒癖の悪いのについて随分話があった。あちらの卓子の話では足越の狂気を酒精中毒のためだと云っていた。
酔狂が本当の狂人になったという足越のその不幸な終末は真剣な酒の恐ろしさというものの前に、否《いや》応《おう》なしに自分を連れていった。
「嚢中《のうちゆう》自ら金あり」などと酔李白を気取りながら面白がって飲んでいたものだろうが、それが終には発狂した。それは、戯《たわむ》れにかぶった鼎《かなえ》がいざ抜く時になったらどうしてもとれなかったという徒《つれ》然《づれ》艸《ぐさ》の鼎法師の話のようなものじゃなかったんだろうか。自分はその中から悪ふざけが過ぎた小供が泣き出す時の不快な気持をうけた。
その悪魔めいた男を中心とした雑談は続いていた。足越が退校したとかしないとか、足越が苦にしていた借金は兄が来て払って行ったから彼は得をしたとか、足越は一体天才だったんだろうかとか、彼は仲々うまく嘘をついたとか、彼の父はやはり酒で痴呆のようになっているとか色々のことが声高に話されていた。それは足越を気の毒がる気持ではなかった。恐らくそれは、ふとした冗談から起る悲劇を経験する時にうける運命的な感じ、その底にある空恐ろしさの不快であったのだろう。
かぎ屋の小さい給仕女も時々話を交えていた。ある晩も酔って跣足《はだし》で上って来た。そしてあそこに出してあったプディングとビスケットを袂《たもと》の中へ入れて、女の客の下駄を穿《は》いて帰った。という話をした。そして「その翌日○○さんがプディングのコップと下駄とを返しに来てくれはりました」と云った時には皆が大声で笑った。自分も笑わずにはいられなかった。何《な》故《ぜ》ならばその○○さんというのは自分の室長だったから。
私がはじめて足越を見たのは私がこの年の春選抜試験を通過した後、郷里から出て来て初めて寄宿舎へ入った日であった。
その時度の強い、黒くなった銀の眼鏡をかけて、生真面目に寄宿舎の勝手を教えてくれた人は室長であった。蹴《しゆう》球《きゆう》のユニフォームのまま、私の布団の包みを担《かつ》いで彼ががらんとした寝室へ案内してくれた時、蝋燭や食べあましの駄菓子の散乱している中に寝そべって小説かなにかを読んでいたのが足越であった。その時逆光線の中に面を伏せていた彼の顔貌は私に犯罪者型の感じを起させたのを覚えている。室長と自分が四角ばって話しをしていた間、彼は時々変な冷笑をしたり、怪しく光る眼をけわしくしながら本に眼を落していた。
自分が遠くで眺めていた高等学校の生活やその中に活動している生徒を、現実に目のあたりに見たこの最初の印象は、かなり強く自分の頭に刻まれた。その日自分は彼等に対する尊敬とまた自分の愉《ゆ》悦《えつ》を禁じ得なかった。
それから一年も経たない今までに経験したこの高等学校生活の種々の内容は私の輝かしかった幻を裏切り傷けて来たが、唯私の室長と足越に対する感じにはこの最初の印象と切りはなすことの出来ない幻がこびりついていて、今でも彼等を思うたびごとにある尊敬を感じるのである。
足越と室長は私の見る眼では、足越が一年落第した三年生だったし、室長は二年で年齢の差からも、肚《はら》をうちあけた間とは思えなかったがかなり親密なことはたしかだった。室長は生真面目な学究肌の人で足越とはむしろ反対な性格なのであるが、二人の間には、足越の他の友人との間柄とは違ったある温い緻密さがあった。
足越は室長の純潔や清濁あわせ呑むおだやかな所に安住しているように見え、室長は足越の性格に対して特殊な理解を持っているらしく、足越のすることをある意味では崇高化して、悪い方面は意に介していないように思われた。かえってこの方面で足越を庇護するような所があった。足越の授業料を内証で支払ってやったこともあるという噂もあった。
足越はそれからもよく私の部屋や寝室で見られた。しかし私も求めて彼と話することはしなかったし、その間柄はただ往来で会った時私の方から会《え》釈《しやく》する以上には進まなかった。
足越の私達の部屋へやってくるのは、むらが随分あった。忘れている内にひょっこりやって来ては二三日も時としては一週間もごろついていた。
それよりも私達の部屋へよく出入するのは室長の所へやって来る種々の生徒であった。彼等は各自多少とも足越を知っていた。そして私の描いている足越の輪廓はおもにこの人等の話から成っているのである。
実際足越はよくこの人等の話題に上った。ある人は彼を一種の天才だと云った。目かくしをして広さのわからない部屋へ連れられて行ってその部屋の広さを当てるという評判もあった。絵は随分得意らしかった。学校の中で画会を起しかけて一時は随分熱心になっていたということもきいた。しかし彼は直ぐに止してしまったらしかった。その原因をある者は気《き》障《ざ》な奴が会員の中へ入って来て彼の神経に触れたからだといった。また彼は元来あき性でそれを続けてゆく根気が涸れてしまったのだという説をなすものもあった。
そして彼自身が時々自分を天才だと云って他の人々の自信を害《そこな》うこともあったときいた。だから彼を天才だと云う者が一方にあると、〈自分等の誇りがそれを許さないため、〉変な笑いをする者もあったし、真面目に駁《ばく》論《ろん》する者も他方にはあった。しかし彼がとにかく人々の中で一種特殊な位置を占めていることは争えなかった。私自身も一種得《え》体《たい》の知れない尊敬を強いられていた。
彼は学校では随分怠けているらしかった。そして事実彼は私の部屋で「俺は今学期はまだ一日も出ない、前学期は一週間出た切りだ」などと話したこともある。そんな時には自分は何だか彼を欠席を一種の誇りとしている愚物だと思って卑しい感じがしたのを覚えている。しかし足越が学校へ入学する時は中学の四年修了の者が高等学校へ入れるようになった最初の年に当っていて、彼もその特典を蒙《こうむ》った一人で、初めの一年の間は随分教室の中で秀才として人々を驚かしたらしかったが肺病にとりつかれてから怠け出し酒を飲み放蕩し出したという話だった。
そう云えば放蕩者らしく見えることも時々はあったがそんな風は少しもしなかったし、部屋での雑談にもそんなことは口へも出さなかった。そして彼は会う時によって随分感じの異《ちが》う男だった。ある時には渋《じゆう》面《めん》ばかり作っていて厭世者のように思われた。
そうかと思うと急にはしゃいで奇妙な警句を吐いたりした。また人々の議論している中で見《み》縊《くび》ったような冷笑をするときには意地の悪い男のように思われた。しかしそれは話相手の態度が彼に反射して種々の変った感じを出させて局外者の自分にそう思われるのかも知れなかった。実際彼が私に些《さ》細《さい》なことを云いかける時には常に心の温い人の気がした。しかし寺町通りで一度金を借りられたことがあるがその時でさえ自分には悪い気持よりも親しいいい感じがしたのを覚えている。
彼が私達の部屋を訪《おとな》うのは随分むらがあったのであるが、彼が私達の部屋へ現れる時は大抵酔っていた。そして部屋の者の布団を剥《は》いでねた。そして明朝私達が学校の課業を終えて帰って来てもまだ寝室にねていることがよくあった。彼が寂しそうな顔をして目を開きながら汚い寝室で仰向いで寝ているのを私が時々見たのは、そのような日であった。
彼は友達の所をよく泊りあるくところからさまよえる猶太《ユダヤ》人だと云われていたがこんな時の眼つきには精神的に永遠のさまよえる猶太人であるようなところが浮んでいた。
その眼は時々怖ろしいほど光った。服を着かえに寝室へ行った時その二つの眼にゆき当って気味の悪い感じをしたこともあった。
実際彼が訪問者として自習室の戸を叩く時よりも酔漢として寝室を騒がす方が数にすれば多かった。枕許の大きな蝋燭が急に点《てん》ぜられて私が眠から覚めると彼が酒臭い呼吸をはきながらそこに立っていることもあった。まだ自分等が燈をつけたままトランプをしたり雑談をしたりしている時重い下駄をひきずってどさどさやって来ることもあった。袂から木炭やクレオンを出して寝室の白壁へたくみに巨大なグロテスクな男の顔をかいたのもそのような時であったと記憶している。
乱暴する時もあった。同室のもののバスケットの上へ小便をしたり、窓硝子を破って私達を寒がらしたこともあった。私の部屋の者は時々不平そうにしていたが、室長はその時々空壜へ水を入れて来て彼の枕許へ置いてやったりした。
真剣に何々の天才だと名乗りをあげることもあった。それが詩の天才であったり音楽の天才であったり区々まちまちであった。そして盛に管《くだ》を捲《ま》いて美術批評などをやった。そして平常の意見とまるで違ったことを云ったりした。しかしどちらにも私をしておそれさすような立派なところがあった。しかしその話の論理が整然としているにもかかわらず明朝になると忘れていることが多いのは酒をのまない私には不審であった。私はそれを彼のまやかしであると思ったりした。彼の言葉通りにその記憶の脱出を信じようとしてもそれには理解出来ないところがあった。
平常の足越の意識と酔った時の足越の意識とに連絡がないと云うのは随分変な感じを起させた。私は精神上の畸《き》型《けい》児《じ》である二重人格者を聯想したりした。一方の自分であった時に結婚して妊娠したのを、今一方の自分に帰った時さっぱりそれが何を意味しているのかわからなかったという外国の婦人のあの不思議な現象の一部分を、足越の中に見るように思った。
バスケットを汚された男に足越君を酔っ払わせて掃除して貰うがいいなどと冗談を云ったりした。足越に関する種々な記憶をたどっていた自分はとにかく足越が酒精中毒で癲《てん》狂《きよう》院《いん》へ入れられる前、彼にはすでにこんな変なところがあったんだ、と思いながら燈の美しく点《つ》いた寺町通りを帰って行った。
学校の生徒が寮歌を歌いながら私の来た路を二三人ずつ歩いてゆくのに会う時分だった。それらに会うたびに自分は室長がいないだろうかと気をつけた。あるいは彼はもう知っているかもわからないが今の足越発狂の噂を彼の耳に入れることを自分は考えていた。しかし自分がスティームのほとぼりが熱すぎるほどの自習室で、その晩、室長から足越の直話であるという狂気の真相をきこうとはその時の自分の思いがけないことだった。
癲狂院へ入った足越の直話というのはこうであった。室長は彼をその日見舞って来たのであった。室長はその直話にまぜて自分の意見やまた足越の容態などを話した。(断っておくがこの話の説話法はこれから室長の一人称と、足越の一人称と、この私の一人称とを、元来話しのうまくない自分には随分混雑されると思われるが、読者はよく注意して読んで頂きたい。)
「僕は自分が狂人になったとは信じない。正当なところこれはかなりひどい神経衰弱なんだろうと思っている。しかし僕は今ここへ入っているのが好都合な理由がある。この理由は後で話すが、実際この病院は気持がいい。少々汚いのは辛抱するより外はないが。この汚さは寄宿舎の汚さとは別に変りはない。」
「随分しかし奇妙な所だ。俺のまわりは軽い人ばかりでその中にもある寡婦さんなどはよく光るものを見ると直ぐ自己催眠になってしまうんだ、また首が左側へどうしてもまわらないという困った男もいる。しかし癲狂院はロシアの小説などにあるような、あんな浪漫的な所じゃない。殊に俺達などの間は飯の菜だとか洗濯だとかいやにリアリスティックだ。……(欠)
自分等は耐えられなくなると窓から外へ小便をした。小便は白い湯気を立てて暗い土の上へ落ちた。スティームと興奮にじっとほてった顔に冷たい夜気が心よく感ぜられた。南舎の上に冷たい天《てん》狼《ろう》星《せい》の光が座っていた。
(大正十二年)
俺が戯《たわむ》れに遁《にが》してやった鼠よ。可愛い鼠よ。貴様はほんとうに可愛らしかった。若い肥えた身体、それから茶色の毛。溝の鼠の毛なら靴ふきの毛のようにきたないのにお前の毛は一本一本磨いたようだった。清潔だった。そして貴様は十七の娘のような身体をしていたのだった。お前の鼻の先と趾《あし》の赤いのはほんとうに見事だった。お前の鼻の先は冷いやりとしていい気持だろうな。お前の趾で俺の顔をめちゃめちゃに踏んづけたらさぞ気持のいいことだろう。
俺がほんの気まぐれに遁してやった小鼠よ。俺の猫はあれ切りでまだ新らしい鼠をとらないよ。それにあの時は彼女の生れてはじめての獲物だったのだ。
しかし猫の快楽や猫の餌食にお前が犠牲にならねばならないということはない。お前のように可愛い奴が。猫には毎日飯をやってあるのだし。
俺がほんの気まぐれで遁してやった小鼠よ。あの時お前は怖ろしかったかい。怖ろしいにはちがいないと俺は思ったが、見たところお前はちっとも怖ろしがっているようには見えなかったよ。
それどころかお前はあの小猫とふざけているように見えたのだ。しかしお前はあの時己《おれ》の所から二尺も離れていない所にいたのだ。それを思って見れば俺にはまるで気がつかないほど怖ろしがっていたのだったろうが、しかし俺にはそうは思えないのだ。お前はほんとうに可愛げにあの小猫の奴と戯れているようだったのだ。
お前は壁の裾で猫が前足でお前を叩くとお前は前足を二つ上げてそれをつきかえしていた。幼稚園の生徒の兎ごっこのような恰好で。
お前の眼は可愛かったしお前の足の裏は赤かった。
小猫の奴はやはり戯れていた。
しかし傍《わき》見《み》をしたりしたことがあるよ。どこかでごとりと音がした時あいつはきっとその方へきき耳をたてた。まるでお前が彼女の中止の間 やはり待っていてくれるだろうというような態度で。
それからまた彼女はお前を叩きはじめた。
お前が兎の前足のような恰好でそれをつきかえしていた。
それからどうしたのかお前がのこのこ歩き出したのだったね。そしたら小猫の奴がまたのこのこ追っていった。それからまた足ではねとばしてお前に噛みついたりしていた。
それからまた叩きはじめたのだ。
あいつがお前を噛んだと云っても痛くはなかったろう。――いや俺はあまりふざけ過ぎているかも知れない。
俺が遁してやった小鼠よ。あんなに見えていてもお前は本当に怖ろしかったんだろうね。そしてあいつの牙は鋭く、爪は趾《あし》爪《づめ》のように曲ってお前の身体を引かけたんだろう。
(大正十二年)
カッフェー・ラーヴェン 断片
昨日のことだった。自分は友人のRと一緒に祇園のカッフェー・ラーヴェンにいた。二階には私達二人ぎりだった。Rはそこにおいてあった人間苦を、私はシャドウランドの挿絵を見ていた。Rは何ものまなかったが、私はいつものようにビールを飲んでいた。
――自分は二階を下りて便所へゆこうとした。その時自分は下駄をつっかけながら、便所へゆく通り路にいるある男を見た。その途端ビールで気持がふらふらしかけていた私の神経は不意に尖《とが》った。
腕力を誇りにしている男、私等高等学校の生徒を見ればなにかとその腕力を発揮しようと思っている男。――ではなくとも殺気を含んだ眼附きで威嚇を示しながら睨みつける男、私の眼とゆきあったのはその巨きな体格をしたその男の眼つきであった。そんな風な意味をもった目附きであった。
私は下駄をひっかけてその男のいる路をよけて用を足した、――それが自然な路であるのだが私の怯えやすい、しかし余計な誇りをもった神経は私を不快にさせた。
私は自分の椅子にかえっても何《な》故《ぜ》かその話しをRにすることが出来なかった。自分が今その話を、――
「今下にSがいたよ。」と云うときに私の顔にあらわれる表情が、私のそれに拘《こう》泥《でい》していることを現わすことをおそれて、私は話しをするのを止していた。
しばらくしてRがまた便所へゆくと云って下りた。
少し小用にしては遅かった。もしかすると、私よりは少しそんな男に対して平気なRが、その男のテーブルの傍もかまわずに通りがかった時その男が、例のように足でも出してそれを妨害したのじゃあるまいか。そしてRが――いやRはそこで争うというようなことの愚なのは知っている。何とか云ってあがって来るだろう。――にしても彼のことだからうんと不愉快になって直ぐ帰ろうくらいのことを云うだろう。――というようなことを私は心の一端で想像したりしていた。
しかしRは直ぐ帰って来た。
彼は読みさしの人間苦にまた目をおとしかけた。私もシャドウランドの挿絵を見ながら、もう私の気にかかったことを云い出す心の静けさと、それを云う諧《かい》謔《ぎやく》的な気持を把《とら》えたので彼に話しかけた。
「……校の関取り。まだ下にいたかい。」
「いや、そんなもの……」
「Sだよ。さっき下りて行ったらSがいたんだよ。」
「そうか。気がつかなかったのかもしれん。」
「帰ったんだろう。」
間もなく私達は帰りかけた。その時私達がやはり下駄をはこうとしてそこを見た時、彼等はやはりそこにいた。
「おい、まだいるよ。」
「あははは」
まだ外は夜になり切っていなかった初夏の清々しい夕暮がそこらあたりに漂っていて、その中に電燈の光が夜見るよりも涼しい光を薄れた陽の光の中に光らせながら街をずーと走っていた。
「あの一緒にいた奴ね。」
「うん。」
「あれSの弟子なんだよ。Aの温泉で俺見たんだがね、Sあの二人の弟子に身体を洗わせていた。変な趣味だね。」
「ははははは」
「あのSの顔を見ると、――あれでなかなか美男子なんだがね――なにか随分淫《みだ》らなものを聯想しないかね?」
「そういうところはあるね。」
「ね、随分、ね。俺はまたあの弟子を見るとなんだか卑しい性格を直ぐ思うんだ。直ぐ人の眼を盗むような眼つきをするんだ。」
「そうかね。」
私が少し熱を持ってそんなことを云っていたのに反して、Rは別に応じるというほどの語調を見せなかったので私はふと気《き》不《ま》味《ず》くなった。私は心に問うて見た。
「何《な》故《ぜ》またそんなにS達を罵《ば》倒《とう》するんだ。そんな卑しい彼等にひけ目を感じて、その口惜しさに躍《やつ》気《き》になっているのか。」
そして私は少し不愉快になって口をつぐんだ。
* * *
そのことがあってから私は私の前にかきためておいた――そしてこの頃はもう見るのも苦になっている不《ま》味《ず》い原稿が新たに生命を得たように思った。それにまた命をもたせることが出来るような気になった。その原稿は、やはり腕力――暴力で人々を窒息させようとするような種類の人間に対する私のある夜の多少狂気染みた昂奮の拘《こう》泥《でい》のデスクリプトなのであったが私はそれのおしまいにこういうことをかいている。
――なにしろ私がその種類の人間が意識の上で種々に私を苦しめることはその事件のあった頃から影をひそめました。私は……(欠)
(大正十二年)
母親 断片
母が近頃になってめっきり弱ったように思われた。――針仕事をするのにも針に糸を通すことが出来なくなった。老眼鏡をかけながら心許ない様子で、電気の方を透《すか》しながら糸を通そうとする。それが穴から余程それているのに、そこへ向けて糸の穂先をしずしず進ませている。そして何度やりそくなっても、まだ真顔でやっている。私はつい「通してあげましょう」と云って通してやろうとするのであるが、それが以前なら頑固に自分で通したものが、次には無理にそれを奪おうとする私に逆らわなくなり、近頃では眼のいい弟などに「これを二三本通しといておくれ」など云うようになった。
母はまた時々記憶が悪くなったことを云い云いした。そして若い時には××耳――何でも怖ろしいほど記憶のいいという意味をもった面白い言葉だったが私には今それが思い出せない――その××耳だと人に云われたものだがといつものようにつけ加えた。しかし私には母の記憶がそれほど減ったとは思えなかった。
実際母は怖ろしいほど記憶がよかった。私と母とが一緒にその場にいあわせた出来事を父などに話す時、自分はよくあれまで覚えていられたものだといつも思っていた。そしてその話し振りもなかなか順序が立っていてその事件を知っている私までがつい興味を感じさされるという風のものであった。しかし近頃になってその話し振りが随分私にはもどかしく思われ出した。
ゆっくり腰を据えてのろのろと同じことを繰返したり、「ああ、そうそう」だとか「いやそうじゃなかった」とか云ってその永い話がまた改められたりすると私はついいらいらして「つまりはどうなんです」とか「結局はまたおじゃんという訳ですね」とか云って直《ちよく》截《せつ》を迫ったり、予見出来ている所まで先廻りをしたりしてしまうのであった。元から母の相談をうける私であったが近頃になって急に頼りなさそうに私に相談を持ちかけるようになった母はよくそのまだるっこい話しで、そして大抵はあまり聞きたくない家のことや親戚のことで私の気をいらだたせてしまうのだった。
――そういう風に母の私に対する態度なりまた挙動なりがもう老いというものの感じを私におしつけるように思われだしたのだった。
母が幼稚園へ出ていたのを私は記憶の中にうすく覚えている。母は父にまだ嫁がない前から、今は大阪では随分有名になっているT先生などと一緒に育児の事業にたずさわっていたのであった。もっとも母は私の直ぐ下の今は亡くなってしまった弟を生む前にそれから手をひいてしまったのであるが、そんな経歴を持った母だけに随分私達のしつけがやかましかった。私は小さい時には、たまの夕《ゆう》餉《げ》に酒を飲んで機嫌をよくした父 の方を余計なつかしく思ったことが時々あるように思っている。父はどこかこわかったが平常は随分子供には甘かった。しかし母はどこまでも厳しくしつけた。――そのためか中学を卒業して両親の膝《しつ》下《か》を離れるまで、そして恐らくはこの間まで私は母をおそれていた。どこまでも母は私をおさえつける人であった。
高等学校に入るようになってから私は酒や煙草に親しむようになった。家へ帰っても酒はのまなくても辛抱出来たが――それもどちらかと云えば私の気持がどうしてもそれを許さなかったという方が本当である。母が私達に父の酒癖を見習わないようにといつも云い含めたり、私達が酒を憎むことを小さい時から教えて来たので、私は一度家へ帰るとどんなに父が酒を飲んでいてもちっとも欲しくもならなかったし、とにかく家で母を前にして酒を飲むというような考えはどんな考え方をしても私には考えられないことだったので、酒は慎《つつ》しめたが、煙草の方はどうもそういう訳にはゆかなかった。
しかし初めは――と云ってその頃はまだ私もそんなに煙草がなくてはいられないというほどでもなく、時々は禁煙の決心などをするような初めだったのだが、それでも急に吸いたくて堪らないようになって家を抜け出して近所の橋の上へ行って吸って帰ったものであったが、とうとう家へ帰る道々吸っていたのを家の前でまだ吸いかけの長い煙草を捨てたのを私の後からやはり家へ帰りがけの母に見つけられて、「あんなに長い煙草を捨てるのじゃないよ」と私はいやみを云われてどぎまぎさされたのをはじめに――私は正直な母がそのいやみを少しどもるようにして真顔で云ったのを覚えている――私が母を裏切っていたことが母にわかり出したのだった。それから私は初恋らしいもので父母に迷惑をかけた。
次に私が酒をのんでいることがどこからか母の耳に入った。次に私は肋《ろく》膜《まく》になって試験を放棄して家へ帰った。そしてその原因が酒をのむことで私の前から持っていた肋膜の傾向が助長されたのであることや、その試験の放棄の半分の理由はうけても落第だと思っておじけがさして逃げて帰ったのであることが母にわかって来た。母はそのたびに私を厳しく責めて私を困らせた。病気がなおって学校へゆくようになってからも私の生活が不検束《ふしだら》であることや、私が質屋へ出入したり、飲食店で借金をかさませたり、嘘を云って金をとったりしていたことを母は時々知った。そして私はだんだん母を裏切ることに慣れて来た。
次に私にはとうとう私の生活の内容をみな告白しなければならない時が来た。その時に母は私が女を買うようになっていることをきかねばならなかった。私は泣いて両親に詫びた。
感傷的な父は一緒に泣いた。しかし母は泣いてはいなかった。私は母の顔が青ざめて堪えられない苦悩に歪《ゆが》められていたのを覚えている。私は出来るなら母にその苦しみの最後の一滴しまではのませたくはなかった。その放《ほう》埒《らつ》の破局の後始末がつきさえすれば、そしてその理由が腑におちるようにさえ出来れば、私は何もそんな残酷なことをせずに済ませたのであるが、私はもう全部総ぐるみ一つあまさず父と母との前に曝露して永い間裏切って来た罪を許して貰いたかったのだった。永い間の糊塗の生活から逃れたい、もう一度せいせいした気持になってみたい、その上へ新らしく喜びにみちた合理的な生活を打ち立ててゆきたい――そのためにはどうしても私はそうせずにはいられなかったのだった。
* * *
私はふとこんなことを思って見る。
私があんな残酷な失望を母に与えたのは、自分の後悔を売りものにするため、その後悔の効果をあげたいという魂《こん》胆《たん》があったのではなかったかと。――
「つまりお前はうまくやったんださ。」と云って意地の悪い者がどこかで私を嗤《わら》うような気がする。そして私はどうしても虚勢なしにはその声に対抗することが出来ない。私には思い当る節々がある。
先を云えば、なんしろその夜から母の眠れない夜が続いた。母は随分苦しんだ。私は母がその苦しさに打つかって、のたうちまわっているのを冷やかには見られなかった。私は時折跪《ひざまず》きたいような衝動を感じた。重苦しい数日の後母はやっと仕事などに手を染めるようになった。
* * *
「泳ぎつくように」母が思っていた私の卒業の彼岸が また後《あと》退《ずさ》ってしまったのだった。たしかにこれは大きな失望に相違なかった。しかし単にそれだけだったら母はあんなにも苦しまなかっただろう。しかし私が学校へ出なかったり、試験を受けなかったりした理由が単に毎日のように酒に浸って遊び暮した挙句魂を荒した結果であることが母には堪えられなかったのである。私はそうして母を残酷に裏切り抜いたのだった。
母が心に生じた不意の空虚に調和するのには充分の苦しみとかなりの時がかかった。しかし母は毎日毎日の積みかさねの末とうとう私を許し、それをあきらめてくれた。
母は賢い人であった。しかし第一に正直な義理堅い人だった。そして厳格に私達を育……(欠)
(大正十二年)
奎吉
「とうとう弟にまで金を借りるようになったかなあ。」と奎吉は、一度思いついたら最後の後悔の幕まで行って見なければ得心の出来なくなる、いつもの彼の盲目的な欲望がむらむらと高まって来るのを感じながら思った。
彼にとってはもうこうなればその醜い欲望が勝を占めてしまうに違いなかった。彼は彼で秘かにそれを見越して、それを拒否する意志の働くのを断念する傾きが出来ていたのだった。
彼は今金がつかんで見たくて堪らないのであった。しかし正当の手段でそれをこしらえるめどは周囲のどこにもなかった。
彼は両親から金を持つことを許されていないのであった。どうして奎吉がそんな破目になったかと云えば、それは彼のような性格の人間には当然な経《いき》緯《さつ》の結果なのである。
――彼は二度続けて落第したため、最近まで籍をおいていた高等学校を追われた。
あらゆる徳目と両立しない欲望が、又しても又しても彼のちっぽけな意志を押し流した。彼の理想や彼の両親の願望の忠臣である彼の意志なるものはあまりに弱かったのである。彼はそのたびに後悔し誓った。しかし回を重ねるにつれて、放《ほう》埒《らつ》の度はだんだんはげしくなった。結局彼は引き摺られるところまで引き摺ってゆかれたのだ。――そして彼は学校を追われたのだった。
「お父さんも今度という今度は本当に慍《おこ》っていらっしゃる。」と奎吉は母に云いきかされた。
「お前の心が改まったとわかるまで家へ置いてお小遣をやらないと云ってるからお前もその積りでいなさい。それから将来の身の振方も考えてお置き、家ではもう学校へはやらない積りでいるから。」奎吉はしかし「はい。」とは返事が出来なかった。が、彼の自由になる金が途絶えた生活は続けられて行った。
しかし彼はそろそろ金が欲しくなって来た。彼は毎日散歩と称して、息詰るような家の空気から逃れ出た。しかし金を持たずに街を歩くのは彼の憂欝を増させるばかりであった。
そしてその生活の二十日目ほどにあたる今日という今日は金のことばかりで思いわずらっていた。売ったり質屋へ持ってゆくものは何一つ見当らなかった。あっても到底五十銭銀貨一枚つかめそうになかった。そして最後に弟の貯金のことに不《ふ》図《と》気がついた時、彼はもう矢も楯もたまらなくなった。
非常に卑しいことだと心に否定しながらもその欲望に身を委《まか》せてしまう時、人はこの奎吉のような感じを抱くのであろうか。何にせよ奎吉はそのとき変な感じを経験したのである。それは単に感じに止まっていたのであって、何らの成心も必然そこに働いていたのではないようであるが、私はそこに人間が自分の卑しさを庇《かば》おうとする意志が、感ぜられないながらも働いているのではないかと思う。事実それは(せめてこの感じがするようなら俺も真から卑しくはないのだ)と自分自身に断りを云うことが出来るその証拠になるのだから。
とにかく奎吉がその堪らなく嫌なことをやろうとした時、(いよいよ俺はやるな。)――何だかそこに第二の奎吉というものがあって本来の奎吉には何の申訳けもせずにそれをやり通す、そして本当の奎吉は傍からそれを眺めているというような想像がふと起ったのである。
彼の弟であるその荘之助は彼の父の外妾の子なのであったが、その女は荘之助の十歳ほどの時死んでしまったのを父は彼を自分の家へ置いて早く一人前にさせて、荘之助の祖母にあたる人間を養うことが出来るようにしてやろうと思って兄弟の仲間入りをさせたのである。
しかし誰も彼もが不完全であって、家の中は父が空想していたような調和がとれなかった。そして誰も彼もが自分の狭量や不完全を感じる機会が多かった。結局不幸なのは荘之助であった。
荘之助は最近に高等小学校を卒業して、極く少しの間父の知り合いの店へ見習いに行っていたのだった。しかし病弱でもあるし、当人もあまり気が進まず、父もそれを可哀そうに思ってまた家で紺《こん》飛白《がすり》を着せて遊ばせてあった。奎吉がふと思いついたのはその荘之助の金を借りることだった。
荘之助は最近見習いに行っていた店から帰る時、そこの主人から包み金を渡された。そして彼の貯金には彼や彼の祖母が、幾度も空想していた種類の荘之助自身の金が加わった訳であった。
奎吉自身としてもそんな貯金から借りるのはどうしてもいやであった。それに彼が今まで勝手気《き》儘《まま》に押えつけて来た弟にとって奎吉のその申し出が、軽蔑となって価いするだろうとは奎吉は知っていた。そして奎吉は苦しんだ。しかしこの際奎吉は手段などはどうでもいいほど金が欲しかった。その欲望はますます巨大に膨れ上って、奎吉の良心を窒息させてしまいそうになった。彼は非常に気を重くさせてしまった。何だか訳のわからないものの中にいるような気がした。が、とうとうその欲望が勝を占めた。その瞬間奎吉は第二の奎吉というようなものがその醜い行為をするのを傍観するような、そして自分の声をさえ一方から傍聴するような空想を起しながら、荘之助に呼びかけてしまった。
「おい、荘之助、ちょっと。」
そう云ってしまった時、彼はその声が非常に不機嫌に重々しく響いたと思った。
雑誌に読み耽っていた荘之助は、兄の視線の下で、身体を起しながらも、その頁から眼をはなさず、それでも兄のいらいらしている視線にゆきあたった時、機嫌をとるような作り笑いをして近づいて来た。
それが何か用事を云いつけるような時だと、そんな笑顔などは恥じて消えてしまうほど、ますます不機嫌な顔をして、ぶっきら棒に「新聞とっといで」とでも云うのであるが、奎吉は荘之助の視線に会うと危く目をそらそうとした。奎吉は何だかもやもやしているものの中に閉じ込められているように思った。しかし努めて顔を無表情に装いながら、彼の弱味を見られまいとした。
「お前の貯金から少し金を出して来てくれ。急に入用が出来たんだが、お母さんが今使いに行っていないから。」
彼がやっとそれを云い終えた時には、さきほどの変に歪められた(このような事件が今起っているのだな。)という想像の気持がまるっきり影を消していた。
荘之助は舞台の上の人物が傍《ぼう》白《はく》を云う時のように一度目を横へそらせて「ああ」と云ってうなずいた。奎吉は不幸にもその時の荘之助の顔に浮んだ微笑の影に、奎吉をなぐさめるような柔しい感情の表れがあったのを見逃せなかった。
その人間にその申し出が拒絶される時の気《き》不《ま》味《ず》さを気遣いながら、恐る恐る金を貸してくれと他人に云う時に奎吉がいつも顔面に感じたあの堪らなく嫌な顔つきが、奎吉の努力を裏切って、ここへも出たのではあるまいか、そして荘之助は俺のその顔から、俺の苦痛をヒューメインにも知って、あんなに柔しい顔つきをしたのではあるまいかと彼は疑った。しかも彼は荘之助のその顔を生意気に思い、いまいましく感じた。
「お前通帳と認印は自分で蔵《しま》ってるんだね。じゃ直ぐ行って五円出しておいで、そしてこんなこと知れると少し都合が悪いから、俺が返すまで誰にも云うんじゃないよ。いいかい。その代り返す時には六円にして返してやるからな。」
奎吉は最後の醜さを出してしまった。しかし彼はどうしても口止めをせずにはいられなかったのだった。
荘之助はそれを頷《うなず》きながらきいていたが、おしまいに云い難くさを切り抜けるようにしてこう云った。
「何も余計にして返して貰おうとは思わないけど、確かに返してくれるのだったら……。」
奎吉は本当過ぎるほど本当なそんな弟の言葉にはまったく参らされた。思いがけなくも卑しい利息のことなどを云ったのを、堪らなく恥かしく思った。金を返すにしても父がくれるようにならなければどうせ返せないのだし、金が手に入っても右左にそれを返すにはどうしても目をつぶって自分を麻痺させなければ、惜しくて堪らなくなる自分の性質を省《かえりみ》ても、荘之助の言葉は本当過ぎるくらい本当であったので。
荘之助が出て行ってから彼は堪らない場面をとうとうやり過したという気がしたが、次々に盛り上って来る嫌悪の感じにいたたまらなくなった。そして変なことに、彼は舌をべろと出して見た。そして次には「やった、やった」と小声で云いながら踊るような真似をした。彼はそれでもあきたらなかった。最後に奎吉は「うー」と云いながら顔を思い切ってしかめた。なおもなおもひどく。なにかその顔面筋肉の収縮の感覚に快感があるかのように。
(大正十二年五月)
矛盾の様な真実
「お前は弟達をちっとも可愛がってやらない。お前は愛のない男だ。」
父母は私によくそう云って戒めた。
実際私は弟達に対して随分つっけんどんであった。彼等を泣かすのはいつでも私であった。彼等に手を振り上げるのは兄弟中で事実私一人だった。だから父母のその言葉は一応はもっともなのであるが私は私のとっていた態度以外にはどうしても彼等が扱えなかった。
私はどちらかと云えば彼等には暴君であった。しかしとにかく弟達はそれのある程度までには折れ合って、私対弟等のある一定した関係の朧《おぼ》ろな輪廓が出来ていた。
しかしその標準から私は時々はみ出たことをした。――と云うよりも事実いけないと思うようなことをした記憶をもっている。
三年ほど以前のことだと思う。その勘定だと、上の方の弟が十三で、その次が十の時だつた筈である。
その下の方の弟がこんなことを云って戸《そ》外《と》から帰って来た。
「勇ちゃん――(上の方の弟の名)――今そとでよその奴に撲《なぐ》られたんだよ。」
訳をきいて見れば、勇が自転車につきあたられて、そしておまけに「この間《ま》抜《ぬ》け奴。」と云ってその乗っていた男に頭を撲られたと云うのである。
私はそれをきくとむらむらとした。年をきいて見ると四十ほどの男だと云う、私はその男を自転車からひきずり下して思い切りこらしめてやりたかった。
私は、気が弱くて恐らくは抵抗出来なかった弟がどんなに口惜しく思っているだろうと思った。そんな奴はどれだけこらしめてやってもいいと思った。そして私はいつのまにか、うんと顔を陰気にしてしまっていた。
しかし母はやはり年の功だけのことを云った。つまり勇にもいけないところがあったにちがいないと云う風なことを云い出した。
私はそれをもっともだとは思ったが、十三くらいの家の弟をよその大人が撲るというようなことはどうしても許せないと思った。
「お母さん! そう云ってあなたはそれで堪《かん》忍《にん》出来るのですか。」と私は母に喰ってかかったのを覚えている。私は不愉快で不愉快で堪らなかったのだった。
そこへその本人が帰って来た。顔を見ると悄《しよ》げかえっている。そして泣いたあとらしく頬がよごれていた。私はそのしょぼしょぼした姿を見ると可哀そうには思ったが、なおさら不愉快が増した。
私が問うと弟は話し話しまた涙をためた。――きいている中《うち》にふと私はその話に少し嘘があるのを感じた。勝手のいい胡《ご》麻《ま》化《か》しがあるように思った。
その弟は常からよく勝手のいい嘘を云った。私はそれがいやで堪らなかった。
――私はその気持には純粋に嘘を忌《い》むという気持もあるにはあったろうが、それよりももっと私に応えるのは弟に私の戯画《カリカチユア》を見せられることであった。
包まず云うが、私自身はこれでかなりの嘘言家なのである。そして虚栄家の素質も充分持っている。私は自分の卑しいところ、醜いところ、弱いところをかくすためによく嘘を云った。
私は自分のこの性格が忌《いま》々《いま》しくてならないのである。
その思い出したくない急所に、弟の浅はかな嘘が強く触れる。そこを殊《こと》更《さら》に醜く拡大した私自身のポンチ絵を見せつけられるような侮辱を感じる。
私はその気持にはそれが私の肉親であるということも大《だい》分《ぶ》手伝っているのだと思う。――つまりポンチ絵と云うよりも本当の私の姿だと思えるためではないかと思う。またもう一歩進めば――「勇さんは嘘つきだ。兄弟は争えない。あの直ぐ上の兄さんも。」という風になって、あまり明瞭ではなかった私のその嫌な性格が、弟のそれではっきり世間の人にわかってしまうという懸念が、あるいは働いているのではなかろうか。
やはりこれが肉親の故《ゆえ》でもあろうし、永く一緒に暮して来た故でもあろうが、第一は性格の相似から、私には弟の嘘が、その顔つきや語調から、手にとるように――ちょうど私自身がその嘘を云っているようにわかるように思えるのである。そして事実は十中八九それの正《せい》鵠《こく》を証明している。
そんな訳で私は弟が物を云うとその話の中途で「それは嘘だ」と云い切ったりすることがある。――こんな無礼なことは弟だからと云って許さるべきものではない。しかし私は不愉快のあまり憎悪さえ募《つの》らせて、意地悪くそれを云うのである。そして弟の話の腰を折ってしまう。
またあまり堪え切れなくなると、私はむらむらと前後を忘れて、「馬鹿! また嘘を云ってる。」などと呶鳴りつけずにはいられなくなる。――つまり私はその時、情ない気持で帰った来た弟にこれを浴《あび》せかけたのだった。
「またお前も意気地なしだ。それで黙っているってことがあるかい。何《な》故《ぜ》一つでも撲《なぐ》り返さなかったのだ。」
私は弟の苦しい胡《ご》麻《ま》化《か》しをその場合許せばよかったのだったが、その卑怯な嘘を感じると私は意地悪くなって、ついそんなつかぬことを云ってしまったのだった。一つはあまりの口惜しさから。
「……でも石を一つ投げてやった。……」
その時私は、その声の弱さに、また顔の頼りなさに、私の嫌な嫌な、真赤な嘘の証拠を見たのだった。
私の先ほどから積っていた不愉快は、それに出喰わすと新たに例の不愉快を加えて一時にはずんで来た。そして猛烈なはけ口を求めた。私はこの圧力で爆発するように「馬鹿」をやってしまった。
私はこれを思い出すと、その時の弟が可哀そうで堪らなくなる。本当にそうだ。
弟はそんなことでも云って見なければ、あまりに口惜しく、自分がみじめだったにちがいない。
私がその時それを信じてやれば幾分かは、彼の無残に傷けられた心も慰められただろうのに。
私はその時の弟が可哀相でならない。
悪いことをしたと思う。
* * *
私がその三年ほども以前のことを思い出したのは、今日往来で子供の喧嘩を見てからのことである。私はその喧嘩を見ていろんなことを思った。その思いの辿《たど》るまにまにふとその記憶にぶつかったのだった。
その喧嘩というのはこうである。
私は学校から熊野神社の方へ歩いていた。
雨模様の空の間から射し出す太陽がいやに蒸《むし》暑《あつ》くてあの単調な路が殊《こと》更《さら》長く思えた。顔や首から油汗がねっとり滲み出ていたが、手《てぬ》拭《ぐい》を忘れて来ていたので、と云っても洋服の汚れた袖で拭くのはなおのこと気味がわるく、私はやけ気味に汗まみれであるいていた。昼過ぎだった。道は小学校の生徒が四五人と中学の生徒が二三人と、そして私だけだった。埃《ほこり》にまみれたポプラの葉が動こうともしない。
はじめ自分はそれをほかの事だと思っていた。――が、それが喧嘩だった。
一人の運動シャツを着た子供が小学校帰りらしい子供とつかみあっている。中学の生徒が二人ほど、あまり熱心でもなくそれを留めようとしている。
歩きながら見ていると、どうやら運動シャツの子供の方が優勢らしく見えた。片方の子供はいかにも弱そうだった。
なんとか云ってシャツの児が相手の脛《すね》のあたりを蹴《け》った。するとも一人は横面を撲《なぐ》った。いかにもそれが頼りなさそうで撲ったとは云えない位のものだった。攻撃のためではなく自分の威厳のため止むを得ずその形をしている。――撲りながらも心では「もうこらえてくれ。」と云っている――という風に見えた。
一方は毒々しいほど積極的だった。弱い者いじめをしているにちがいなかった。
一瞬間私は、私が幼い時経験した無念さや恐怖を、やはりそんなに迫害されている私の姿を憶い浮べた。
さきの方は顔を紅潮させていて、それが変に歪《ゆが》んでいた。泣き出しそうにも見えた。しかし消極的にせよ一つ一つ報いていた。一つに一つ。私はそれがいじらしくて見ていられないような気がした。もうその上続けさせておきたくなかった。
とめてやろうと思って独りでに歩調を速めた時中学生等がやっと彼等をひき離した。
小学生の方は直ぐに、顔を少し伏せるようにして走り去った。――それを片足だけでけんけんをしつつ一種踊るような恰好を身体につけながら。
私はその瞬間そんな恰好をせずにいられないその児の気持が、私自身の気持のように、ぐんと胸へ来た。
「敗けて逃げるのんか。何や、泣いてやがる。」とそのシャツの児がその背後から叫んだ。
そしてそこに立って見ていた、その小学生の連れらしい、それもやはり学校帰りらしく鞄を下げた二三人が、独りで走り去った友達を追うともなく、その後からその方角へ歩いて行った。
――それは時間にすれば僅か二分かそこらのちょっとしたことだった。
しかし私にはそれがびんと響いた。
「男らしさ」への義理立てだけといった風に振り上げられたその児の弱々しい拳《こぶし》や、歪められた顔や、殊にけんけんで踊るようにした恰好が何度となく眼に浮んで来た。
その児がいじらしくて堪らなかった。
何だかその児の顔が私の一番末の弟に似ているようにも思えた。
「父親のない、母親だけが家に待っているという風の児なのじゃないか。」
そんなことまで空想したりした。
そして蒸暑い天候のことなど忘れてしまっていた。
(大正十二年五月二十八日)
瀬戸内海の夜 断片
船は岬から岬へ、島から島へと麗《うるわ》しい船路を進んでいた。瀬戸内海の日没――艫の一条の泡が白い路となって消えてゆく西には太陽の栄光はもう大方は濃い青に染んでしまった雲の縁を彩っていたが、船の進んでゆく東の方はもうまったく暮れてしまって、美しい星が燦き初めていた。
夏の終り、私は九州の方の旅を終えて家へ帰る途中であった。烈しい日《ひ》射《ざし》は、もう甲板に蒸暑いニスの匂いをたてなくなったし、海面のギラギラする反射もおさまり、空気も冷たくなったので、食事を済ませた船客たちがぞろぞろ上甲板を賑わせていた。
その中の一人だった私も、食事で汗になった肌衣を着かえて、学校の制服の釦《ぼたん》もルーズに快い海風を孕《はら》ませて左舷の風景から右舷の風景へと甲板を歩いていた。
愛想のいい金モールの服を着た事務長というのが子供と一緒になって輪投げをしている。それを中心に船客が取りまいて面白そうに見ていた。私はいまもその船員の快活な笑顔を覚えている。赤ら顔の、ひげを青く剃った、深い溝のような笑くぼのある そしてその眼つきには子供を馴れさすに充分な魅力があった。その事務長が可愛い服をきた女の児や男の児をきゃっきゃっ云わせな
がら上手に輪なげをやった。そして間《あい》相《まあ》間《いま》には周囲の奥さんや娘さんにその半分の笑みを送っていた。
西に下りてゆく太陽の引く最後の裳《も》裾《すそ》――その豪《ごう》奢《しや》な黄金の縁どりも細くなってゆき、濃く暮色にそめられた雲と雲との間には、ひすい色に澄み透った空気がちょうど美しい液体のように充たされてあった。
しかしもうそれも徐ろにではあるが眼に見えるような変化で夜の帳《とばり》にかくされて行った。
燈台が明滅しはじめた、島の深い暗色の蔭に青い燈を掲げた船が匍《は》うように進んでいた。どこの港の火か鏤《ちりば》められた宝石の王冠が置かれてあるように見えて来た、まだその遠くにはやはりそのようなきらめくもののかたまりが夜光虫の群れのようにうようよ蠢《うごめ》くように見えた。
白い帆の船も島の天鵞絨《びろうど》のような質をもった濃い藍《あい》の背景を幻しのように、変に明るく過ぎて行った。
空には撒《ま》き散らされた星が、美しい天《てん》蓋《がい》をもうすっかり飾っていた。
その下を船は、快い機関の震動を伝えながらはしってゆく――海面を切る舳《へさき》は二本の長いうねりを両側につけて、そのうねりに乗った船は、沈むほど揺られ、揺られながら後へ後へ消えてゆく。
人々はその漁船か、帆前船の檣《ほばしら》につけた燈が大揺れに揺れるのを興がって眺めているのである。
私は午《ひる》過《す》ぎに乗った時から涼しい喫煙室で、戦争と平和をその夕方頃まで読みふけっていた。ナターシャ達の猟にゆく所、降誕祭の夜、などの美しい叙述を読私はそんなにまでなっていいものかと疑ったりした。このような美しさは――あまりに竜宮のようである。私自身が威厳を捨てさせられるような美しさである、――そう思いながらも私は溺れてゆくものが死の恍惚に魅せられて苦しいもがきをやめてしまうように、魔術にかかったようになってしまった。
そしてあのアナトーリ・クラーギンがナターシャを捕虜《とりこ》にしようとする所に来た時、私は不安な予感に捕われて、
「ああ、いけない、いけない。」を何度も繰返したのだった。ちょうどそれが今現在目の前に起っていることかのように。そしてその都《つ》度《ど》 私は活字の上から眼を放して、救を求めるように周囲を眺めた、微《び》睡《すい》している、ボーイや絵葉書をかいている人の上を。――そして私はその都《つ》度《ど》ためいきをついた。
私がその活字を離れて食事をすませて甲板を歩いている時も、私の心は絶えず片手に持っているその本に心をひかれた。しかしその日没の美しさの瞬間ごとの変化もまた私の心を握って離さなかった。……(欠)
本のことをこんな風に忘れさえした。――海を見ている私の気持が不自然に嬉しいのでどうも変だと思う。その嬉しいのは一体何《な》故《ぜ》なんだろう。私はそれをとうとう最後に探りあてる。――美しい小説が私を待っている一方、私は美しい風景にとりまかれている。――そして私はその間でまごついてしまうほどだった。一時に積み切れない歓喜で私は心の変な揺ぎを感じた。
私は甲板を罩めている、ほの明《あかる》い暗の中に服装がどうも私の学校の生徒と思われる一人の人の影を見出した。
本当はそれに気が付いたのはその時が初めてではなく、私が昼間本に読みふけっている時二三度目の前をかすめたのを知ってたのであったが、その時の私はその人を別にどうとも考える余地がなかったのだった。
しかし今度は、その人を確めようとする気が湧いて来た。私はこんな旅先で同じ学校の生徒に会うのが懐《なつか》しかった。もしや私のよく知った友達かも知れない。――と私はその人に近よってやみの中をすかして見た。あちらでも私の顔をかなり注意して見た。その人は私の学校の人に相違なかった。しかし私は少し自分の人懐しさを直ぐあらわせるほどの率直さを持っていなかったのでしばらく躊躇《とまど》っていた。私がなにげなくその人の方へ近づくと一緒にその人がまた私の方をちらと見たので私は大胆になって問いかけて見た。
「貴方《あなた》、三高の方ですね。」
「ああ、貴君も。昼から気がついてたんですが。」
私達はそれから種々なことを話し出した。
何の科の何年。学校の話。夏休みに行った所の話。――その人は絵が好きらしくスケッチブックを持っていた。屋島は夜でしっかりわからなかったがと云って私が気がつかなかった屋島のスケッチを見せてくれた。
それから画家の話。
私はそんな話を続けてゆくうちに今までの気持のよさがなおもなおも高められてゆくのを感じた。
背のすらりとした、「巴《パ》里《リ》の少女」というロダンの彫刻に似た容貌の、その若々しい青年の心に、私の話が素直に伝えられ、朗かに反響して来るのを私は楽しいものにきいている。そればかりか私の目の前を燈台の赤や白の光の明滅や船の安全燈の揺ぎが絶えず過ぎて行き、頭の上には星を鏤《ちりば》めた壮麗な天蓋が静々と滑ってゆく。
海の風は冷くなって私達はそう云いあいながら服の釦《ぼたん》をはめた。帽子をぬぐとその気味のいい風は私の髪を一方に吹きつけた。太い煙突から出る煙はその風になびけられて斜《ななめ》後《うしろ》の海面を伝って長く長く匍《は》っていた。
何を漁《すなど》っているのか小形の漁船がたくさん火を点《とも》していた。私達の汽船は時々それの極く近くを通った。私達はしばらくの間物を云わずに汽船の伸している両腕のような舳からの高いうねりがそれらの舟をさらうのを見ていた。檣《ほばしら》の火で船の中がよく見えるほど近いのもあった。しかしうねりがゆく前に船頭は舵《かじ》を使ってうねりと舟との角度をうまくさせるので そのうねりが死ぬほど無分別に船を揺するが決して水などは入らないことがだんだん確められて来て、水が入りはしないかという好奇心も、残酷ではなくなってゆくのだったが、まだそれでもがちゃがちゃ音がしたりするのが面白くて、近いのが来るたびに、私達は声をたてて笑った。
「一体何がつれるんでしょうね。」
「さあ……」
「ね、あれ魚が泳いでるんじゃないでしょうか。それ、あのうねりの後に光ってるでしょう。」
「さあ、うねりの飛沫でもないが……」
「あれは……そうだ! 夜光虫ですよ。」
「さあ、時々、少しあちらでも光ったりしますね。波の光にしちゃ青すぎるようだし……」
「ね、また光った。ね、あの辺を見てて御らん。ああそれ!」
「ああ……。」
時々波のうねりがくだける所に燐光のように燦《きらめ》く光があった。その青い光に白っぽい波の穂や、水玉が明るく反《てり》射《かえ》されていた。
「夜光虫でもなさそうですね。」
「やはり波の色なんでしょうか」
「いつまで経っても殖えもしなけりゃへりもしない。――夜光虫という奴は奇麗ですね。」
そういう風に話はいくらでも続けられて行った。C―君の素直な心、それから美しいぐるりの情景、そして私が昼から涵《ひた》っていた美しい小説の影響は、相い互いに組みあって私の気持をいくらでも押し出してゆくのだった。
しかし私は時々私自身を冷かに省みた。
「お前はまたC―君にお前自身をいい人間であるように印象させてしまった。
強いて云えばお前は相手に与える印象の奴隷になってお前の像をC―君の中に一つ一つ建設して行ったのだ。」
そしてその反省は私のその頃の生活の所産であった。
私の一つの性質を裏切る他の様々な性質を私はどうしても見のがすことが出来なかった。私はそうして幾人もの友人を裏切り、幾つもの生活の矛盾を犯して来たのだった。――そして私は自分の多様な人格が否めなかった。
しかしその時のC―君との会話で、私がその冷かな反省に止っていたのは極く僅かの間だけだった。私は種々なものの暗示や影響から脱れ得なかった。そして私が未知の人に話しかける時、習慣の丁寧な言葉で――その語調の故に話が、私のよき印象のための話になってゆくのであったが、私は何といってもそのようによく話しをするということ 私の未知な人に私のいい印象を与える……(欠)
(大正十二年)
帰宅前後 断片
民哉の放《ほう》蕩《とう》――それは放蕩と云うよりもむしろある誇張された気持から、前後を弁《わきま》えずに、やけで選び取られた破滅の道なのであったがそれもついには行き着くところまで行ってしまった。
――初め家から民哉の下宿宛に出した手紙がそのままで、何の返事も帰って来なかった。次の手紙もそうであった。不審に思って学校宛に出された手紙も同様であった。それらは投げられた礫《つぶて》のように行ったまま、民哉からは何の音沙汰もなかった。
こうなれば民哉が学校を欠席している上、下宿にもいなくなっていることが両親にとって明瞭になった。
このような時に困るのは母親のお兼であった。
というのは民哉が現在行っているその高等学校へ彼を入学させたのについてはお兼の意志が主に働いていたからであった。中学を卒業した《そう》々《そう》に受けさせた高工の入学試験が不首尾に終った時、民哉はその年の六月の高等学校の試験を受けさせてくれと云って母親のお兼に熱心に願ったのであったが、お兼にしても、一つは民哉がいとおしくもあったし、一つはその熱心に絆《ほだ》されて、元来大学へまでもやる意志のなかった父親を無理に納得させて高等学校へ入れるようにしてやったのであった。そういう訳で民哉の身の上の心配事は母親のお兼には二重になって影響するのであった。
しかしそのような二重の苦しみがお兼を悩ましたのはこんどが初めてではなかった。お兼が多くの望みをかけていた民哉からは、ただお兼の予期に反した結果のみが次々に曝露されていったのであった。
その年の六月の入学試験に合格した民哉の得意な態度が先ず彼女の神経に触れた。お兼とても民哉の合格したことでは人一倍嬉しいにはちがいなかったが、民哉が高等学校へ入ったことを鼻にかけているらしいその態度の安っぽさにはどうしても神経をいらだたせずにはいられなかった。そしてその態度が父や長男の前で振舞われるときにそのもう一方の神経はいらだって来るのであった。また民哉が何かにつけて身分に不相応な金を両親からとることにも主人への遠慮以外に、我が子ながら民哉の考えの浅《あさ》墓《はか》なことを憂えずにはいられなかった。
しかし民哉が両親に最初の露骨な気《き》不《ま》味《ず》い思いをさせたのは、民哉が野島の娘に露骨な態度を示したことで野島から苦情を持ち込まれた時であった。
民哉が野島の娘を思っているのを、お兼が知ったのは、民哉が高等学校の試験の準備に憂き身をやつしていたその最中であった。
お兼の眼に民哉が日に日にやつれて行くのや、飯もろくに食わなくなったのがはっきりして来た頃には、彼女は唯それが試験の勉強の為だとはどうしても思えなかった。丁度その時、二日の間に三本も同じ手蹟で同じ型の封筒が民哉の所へ来たのであったが、神経が過敏になっているお兼にはそれが民哉の溜息や空洞《うつろ》な瞳の暗示する謎を解く鍵だと思われた。お兼はそれがどこかの女から来たのだと思わずにはいられなかった。そしてお兼はとうとう民哉を呼んでその手紙を彼女に見せるように云いつけたのであったが、民哉はどうしても応じなかった。そしてそれが友人からの手紙であることを主張して止まなかった。しかし民哉がそれを拒む態度がお兼の疑いを決定してしまった。とうとう民哉も我を折った。しかし彼が家の門を出切ってしまうまでそれに手を触れることを禁じて民哉はその封筒を渡したまま外出してしまった。
その手紙は民哉が云った通り家へも時々遊びにくる彼の友人から来たものではあったが、その中には野島の娘に思いを寄せている民哉を慰め、落ち付いて勉強して入学試験に合格することがそれの成就のためにも望ましいことであることを、感じ易い少年の感傷と共に繰返し繰返しかかれているのであった。
そしてその手紙を読んでいる中に気強いお兼も、いつか涙を誘われずにはいられなかった。
お兼は彼女の息子の悲しい心を知った。しかし民哉は家へ帰って来なかった。――
その民哉がとうとう入学したのであった。野島の家から苦情が持ち込まれたのはそれから○月ほどの後であった。
野島はもと民哉の父親と友達でもあり事業の仲間でもあったが、欧洲の戦争の影響は一本立ちの野島の方にあふれるほど幸《さいわい》して、会社員である民哉の父親には何も齎《もたら》さなかった。
その野島が人々の集っている中で民哉の父親に、彼の息子の数々の卑怯な行いをあばいてきかせたのであった。
お兼は憤りに憤る父親をどう慰めていいかわからなかった。そして悲しい民哉の心の中を憐れみながらも、卑怯な彼を情なく思わずにはいられなかった。それも民哉が高等学校へ入って心が慢《たか》ぶったことが災したのだと思うときお兼の胸の中はなお一層の苦しみで充たされるのであった。
それから間もなく民哉が酒を呑むという噂が野島の口から両親に齎された。それは野島の甥《おい》、千代子にとっては従兄《いとこ》の、民哉と同じ市の大学へ通っている人からの知識らしかった。
民哉が重い肋膜炎に罹《かか》って両親の家へ送り帰されて来たのはやはりそれから間もなくのことであった。そしてそれが民哉の進級試験の妨げになって民哉は落第してしまった。
そのように民哉が不首尾を重ねてゆくたびにお兼の心には民哉について心配する苦しみの外に主人に対する引け目がだんだん深く感ぜられてゆくのであった。
しかし肋膜炎から肺尖を冒された民哉のいとおしさが彼女を切なくさせた。
転地をさすにしても薬《やく》餌《じ》を求めるにしても民哉のためにかさむ出費がまた彼女の胸をしめつけた。
しかし民哉はお兼の心を知ろうとはせずに荒い金費いを改めなかった。それをお兼は口を酸《すつぱ》くして干渉せずにはいられなかった。と云っても最後ではどうしても甘いところを見せるのであったし、また主人に対しては民哉をかばい勝ちであった。反対に民哉は種々の点で寛大な父親の方になつくのであったが、父親も酒に酔っては気が大きくなって民哉に紙幣を握らせることが間々あった。しかしその後で父親は民哉に与えたことを忘れて酔が醒めてから紙入れの中に金が失《な》くなったなど云ってお兼に尋ねるのであった。またその金を民哉がどう使ったかなどと民哉の前で寛大な父がお兼にとげとげしくきくのがお兼には耐えられないことであった。
それに民哉は時々借金が背負い切れなくなって帰ってくることがあった。
民哉がおずおずとそれを切り出すとき、お兼は――ああ、またか――と、思わず、腹の工合を変にしてしまうのであった。
それはお兼にとって見れば、一家の経済の不意の支出を意味しているに過ぎないことであったけれども、しかしこの場合では単にそれだけのことが、何という不愉快な機《から》械《くり》で行われることだろう!
夥《か》多《た》の小遣の遣《つか》い路《みち》、それに対する心配だけでもお兼にとっては多すぎるくらいだのに、主人の節蔵の非難や、また出来すぎるほど倹約をして学生時代を送った兄の白い眼が、お兼の方へ向けられていることを感じるときほど、「間違ったことをしたことがない」というお兼の意識を不愉快に曇らすものはなかった。
――お兼の前へそれを持って出て来るまでには、何日間薄暗い思いをしてそれを苦に病んだかしれない、気の小さな民哉の顔
――結局はそこへおちてゆくのがわかり切ったことだのに、それがなんとも云えないいやないやな道で――その故、この道へ出るのを気の小ささから一日一日と延ばしてそれだけ一日一日と負債を重くして、終にはその重さでひとりでに落ちてしまわねばならなくなったそのたとえようのない嫌な道――母親の前にそれの尻拭いを頼むこと。――そして今やその代償として、そのたまらなく嫌なことを即ちあらん限りの憐《れん》憫《びん》をお兼の前にさらけ出している民哉の愚かな顔。
その顔を見るのがお兼にとってはどんなにいやなことだったろう。
それが一度ではなかった。二度三度、しかもそれを打ち明けるまではお兼の方で借金の有無を尋ねても、民哉はそれを否定するのであったし、しかも何とかかとか云っては金を持ち出してゆくのであるが、その口実が一度打ち明ける段になると何から何まで嘘で固めてあったことがお兼には明かになるので、殊にその前の回の打ちあけ残しを、次の回で打ち明ける、そしてその回の打ち明けがそれで全部ではないことまでお兼にはわかっているのであったが、そんな場合お兼がなしうることはともかくも民哉の申し出を本当と見做した態で取扱うよりは仕方がないのであった。
そんなことが一度二度、三度、そして今度が民哉の一切の告白――放蕩――なのであった。
民哉が学校にも出席していないことがわかり下宿からも姿を消していることが感づかれたとき、お兼と節蔵と長男の郁之助の三人は電燈の下でお互に不愉快な顔を見合わした。筆不精の郁之助は学校と下宿へ宛ての民哉の近頃の動静を問い合せる手紙をかかせられて余計に不愉快らしく装っていた。
「一体どうしたというんじゃろう、民哉の奴め、あれにはわたしも寿命が縮ってしまう。」
こう云ってお兼は心配らしい顔を郁之助の方へ向けた。
「本当にこれじゃ仕方がありませんね。」
「野島の千代さんのことをきいてたとお前さっき云うたが、それはいつのことかいな。」
「さあ、いつだったか忘れましたが……でも民哉は自分でお母さんにきいたのでしょう。わたしには、それとなしにお母さんにでもきいて探ってくれんかと云ったのですがね。」
「お前等は馬鹿じゃ。民哉は海へも山へも行かせん。帰ってくる。野たれ死にしても何じゃ。あんな野良息子。あんな野良息子。今頃どこの女郎屋でねとるかもわからせん。それに馬鹿な、大体親が馬鹿なんじゃ。甘いのじゃ。」
平常のように酒に酔っている節蔵はただわけもなしにこの不愉快な空気をかき乱すようにそうわめいたのであったが、お兼にして見れば、その言葉が一つ一つ悲しく、一つ一つ口惜しく刺すように響くのであった。
「おい、お酒をもう一本つけてくれ。」
「いやもういけません。さっきはもうそれ一本でしまいにするとお云いじゃったのに。今晩それで何本目じゃと思いなさる。」
「ええい。もう一本つけなさい。」
「郁之助。この通りじゃ。親がこの通りじゃって、子がまともに育つ道理がない。民哉が酒を飲んでもあんた意見が出来ますか。」
「ほっといてくれ。民哉は民哉、わしはわしじゃ。」
「あんたはあんたで承知が出来るかもしれません。しかしあんたが大酒のむために、このわたしに弱い子供ばかり生まして、それでことがすむと思うてなさるか。出来てくる児出来て来る児、みな郁之助や民哉のように大きゅうなってから肺病になるのでは、わたしに何で生きて来た甲斐があるのじゃ。なあ、郁之助、お父さんはそれのあまつさえが毎晩毎晩酒を飲んではここに坐り込んだまま、下らんことばっかり子供の前でしたり云うたり、ほんに夕飯の膳がいつ片付くことかわからせん。それに子供の事と云えば何一つ思うてやると云うことなぞありはせんのじゃ。民哉の前でもお酒に酔うとは甘い顔見せて、それ金をやる、旅行して来いなど云っといて、あとになったらやれ紙入に金がなくなったのなにがなくなったのとあたり散らかして、またこんどのようなことになったら自分のことは棚へ上げておいて悪いのは、一にも二にも民哉とお兼じゃとこうじゃ。」
「またそうじゃないかい。」
「ええ」と甲《かん》走《ばし》ったお兼の声が郁之助を居たたまれずさせた。
「もうお母さん何にも云わずにおやすみなさい。お父さんももうお酒をあがらずにやすんで下さい。」
「なあ郁之助、お母さんの身になって考えてお見。折角大きゅうした子が次々に体が弱くなって行くし、民哉は民哉で折角やってある学校を怠けて酒をのむようになってしまう。これでわたしの育て甲斐があるかね。児共が可哀いばっかりにここまで一所に連れ添うて来たのに、――ほんに子達さえなかったらとうの昔しに離縁してるわ――お母さんは今までから苦労の仕続けじゃ。自分ながら今までの苦労を思うと胸が悪うなってくる。民哉も来年卒業するとやれ一息じゃと思うていると、この通りじゃ。学校にもいぬ、下宿にもいぬ、行《ゆく》方《え》知れずじゃ。わたしはいつになったら楽が出来るかわけがわからんようになってしもうた。向う岸へ泳ぎ着くように思うてあと五年、あと四年と思うてるのに、賽の河原で石を積むようにそれがくずされてしまう……。」
お兼の言葉がしまいの方では涙に雑ってきいている郁之助の心までがしめつけられるようになって来るのであったが、郁之助の心の中はお兼の心の中を思う心よりも、――
郁之助にはそんな感傷の余裕などはなかった、それが一々目の前の現実で、その現実を見つめれば見つめるほど心が不愉快のどん底までおち込んでしまうのであった。
その愁嘆場へ民哉は帰るところであった。
彼にとってはその狂気染みた生活は殆ど十日ほども前にすでに燃え尽してしまっていたのであった。民哉はもう着のみ着のままであったし金になるものならわずかの額によりならない使用中の教科書までも金に代えて、彼の生活の炎に最後の薪を投じていたのであった。
そのようにして本当のところ民哉はすでに十日ほど前に家へ帰るより仕方がなくなっていた。意志というべきものが極端にまで働らかなくなっていた彼には思い切ってその堪え難い生活から離れることが出来難くなっていたので彼はその反対に窮乏の重みがだんだん加わってついには自然とおちなければならないような境遇に意識して彼自身を追い込めていたのであったので、その最後のどん底の未練までおりつくしたということは、彼を本当に未練なく厭《おん》離《り》の生活に送る曉を意味していたのであった。
頽《くず》れた生活に手あぶりをしていたような最初から、次には彼がえられるすべてを薪としてその火の中に投じて身を焼かずにはいられなくなり、次には火も消え薪もつきてしまった時(それが十日ほど以前であった。)その時からこちら、民哉はその温《ぬく》もりの灰の中に転げ込んでその最後の温みを貪《むさぼ》らずにはいられなくなっていたのであった。それがその最後の十日間の生活であった。
しかしこの夜がいよいよ彼の最後の夜、そして彼の新しい生活の最初の夜であると民哉は心積りをしていたのであったが、――その夜彼は自分の家のある市で活動写真を見ていたのであった。
その廃頽した生活の終り頃、彼の荒廃し切った心が求めた、寂しい寂しい享楽は、どこかで気《き》不《ま》味《ず》い都合をして来た金を握って活動写真館のじめじめした一隅で、スクリーンの上へけばけばしくうつされる、悪漢の追跡や、可憐な少女の恋や、馬鹿馬鹿しい道化に彼の心を委ねることであった。
その写真がどれほど下らないものであっても彼にはそれが有難かった。彼はプログラムが一通り済んでしまってもそのじめじめした席から立たなかった。そしてもう一度寸分違わずに写し出される、寸分ちがわない馬鹿馬鹿しいフィルムに魂を奪わせる――どんな少しの面白さにでも一生懸命で心を釣込ませようとのみ思っていた。――そうして見ていると以前には彼がどうしても耐えられなくなってしまうようなものにも、幾分かの、いやかなりの面白さがあるのであった。そしてつい釣込まれては微笑いを洩らすのであったが、そのはかない微笑もはっと我に帰る次の瞬間には消えた、そして次には苦笑いが寂しく顔を歪ませるのであった。
――その活動写真を彼は見ていたのである。しかしその夜は二人の連れがあった。
一人(その男を仮りに甲と呼ぶ)は民哉の学校の友達であった、彼はその日の昼間にその男と連れ立ってその市からこの市へ帰って来て、今一人の友達(その男を仮りに乙と呼ぶ)を誘い出したのであった。
民哉とその甲とその乙――この三人の顔触れは或る意味で民哉の乱離の生活の意味のある一幕の顔触れであったのだったが、それがその晩また偶然民哉のその生活の最後の幕を演ずるようなまわりあわせになったのであった。彼等三人は中学での同窓で、卒業して直ぐに現在の高等学校へ入った民哉に二年おくれて甲が入学して来たので、その甲とその乙は前からの親しい友達であったのが民哉が甲と接近するにつれて乙とも接近し、その意味のある一幕では三人が肝《かん》胆《たん》相照しあって、甲と乙とが民哉の恋愛の熱心な聴き手となっていたのであった。――ここで云われる民哉の恋愛、それは千代子に対するそれではなく、千代子に対する恋愛と一対をなしているもう一つの同じくはかない、しかも民哉にとっては同じく一生涯忘れることの出来ない恋愛なのであった。
その相手というのがその三人とまた同窓であった島村という男であった。
そしてその島村がまた乙の恋愛の相手でもあったことは民哉がそれを二人に洩らしたときにまた民哉が乙からきかされたことなのであった。
そのような事情で民哉は図らずも興味のある位置におかれた聴き手を持ったという訳なのであった。それが民哉のその生活といかなる関係を持っているかと云えば、次のようであった。
民哉は自分の身を焼き焦すようなその狂気染みた生活の炎の中に、四年前の彼の心の偶像の神々しい姿を見たのであった。――その二つの偶像を、一つは千代子、一つは島村の。
その一幕、それはある晩のことであった。民哉とその甲の男がやはりその時のようにその市へ帰って来て、その時のように乙を誘い出して酒を飲んだ時であった。
二軒三軒と飲みまわる内に、それが民哉のいつもの癖なのであるが、彼の心の中には柔々とした感傷が鎌首をもたげ初めて来た、そしてその二人が彼にとっては、たとえようもなく安らかな、夢見るような子守唄か、古く慕《なつか》しい恋愛の曲ででもあるように思われて来はじめた。そしてそれに魅せられた者の如く、彼は自分の胸の中にある秘密や悩みをみな吐き出して、涙をもってその中へとかし込みたいような誘惑が強く促して来るのであった。
民哉はその相手が誰だかあてて見ろと云った。当ったらそうだと頷くからと云った。――そして民哉は二度目に頷かされた、それと同時に泪が彼の頬を伝って流れた。そしてかれはきたない手拭で顔をおさえて嗚《お》咽《えつ》してしまったのであった。
それが民哉の黙し難い友愛の最高の表示なのであった。胸の中なる最も聖らかなもの、それを見せてしまうということは、処女が恋人に清浄な肉体を捧げることにも比して彼には思えるのであった。
そして翌日彼等が目を覚した所は、その市から数哩距った山間の温泉宿であった。
民哉は脛《すね》にかすり傷をたくさんつけていて、それがひりひり痛んだ。そして彼の着物の袂《たもと》からはたくさんの稲の穂が出て来た。
民哉は前夜の記憶が夢のように辿られた。そして島村の話を打ち明けたことを思ったとき、――失《し》敗《ま》った――というような悔《くい》が気《き》不《ま》味《ず》く心を噛んだ。
わけのわからない荒っぽいこと、喧嘩のようなことをしたような記憶、人群りの中で喚《わめ》いていたような記憶――それらはあるいは夢かも知れない、(深く酔う時にはよくそんな夢を見るものである。)しかし島村の話しはどう考えて見ても本当であった。
それを思い出すとその朝の折角麗《うら》らかな太陽が急に翳るような気持がしたのであった。
しかし温泉にひたってからまた酒をのみはじめた頃には民哉には島村のことが次から次へたとえようもなく慕《なつ》かしく、匂高い思い出としてまた蘇《よみがえ》って来た。
そしてその思い出の数々のきき手としては、やはり島村の家の近所に住っていた甲と、島村にはげしい恋慕を捧げていた乙の、その二人がどうしても語り甲斐のある人々なのであった。
そしてその終りには、民哉の今まで秘められたはげしい恋心を、民哉が卒業の二年間前から卒業してからこのかた三年の間表面はただの親しい友としてのみ交際《まじわ》っていた島村に打ちあけることが、甲と乙とによって遮二無二説かれた。
あの気のやさしい島村がそのことをきいたなら決して悪いようにはしない。必ず今までよりはもっと幸福な調和が生み出されるにちがいない。――それを甲と乙とは口を極めて保証したのであった。
そして民哉の心には、今まで一度も射したことのない新しい光がほのかに射して来たように思われた。
民哉が島村と同じ級で送った卒業前の二年間にその考えはほんの一度でも浮んだことがなかった。民哉は中学時代には自分自身をミゼラブルなものに考えていた。そして彼には島村と交際が出来る、ということがそれだけで唯一つの大きな幸福であると思っていた。彼にはそれ以上のこと、――民哉の見る眼では彼よりも優れた何十人もの求愛者がその辺に群れている輝かしい島村にそのミゼラブルな彼が心を打ちあける――そんなことは唯の一度でも頭へ浮んだことはなかったのであった。
彼にはただ島村と話が出来、島村の家へ遊びに行くことが出来、そして島村のために宿題などの手伝をすること、それ以上は何も望まなかった。しかもそれらのことでさえ病気で一年休学して前には一級下であった島村達の級へ四年級の時に新しく仲間入りをした彼には、(そしてその時が彼の恋の芽生えた時であったが)ただそれだけのことでさえ、自分をミゼラブルに考える習慣のついていた彼には様々に心を砕いた結果として与えられた幸福なのであった。
そして卒業してから後、初め島村が入るように云っていた故にそれだけ民哉が入りたい欲望に燃えたその高等学校へ民哉が入り、そして島村は志望を変えて私立の大学へ入ってしまったその卒業後も、民哉は休暇になれば留守居勝ちなのを知りつつも彼の家を訪ずにはいられなかったのであるが、その打ち明けるという考えだけは唯の一度も心に浮んだことがなかったのであった。――それがその時、まるで思いがけなかった新しい光がほのかに民哉の上に射して来たように思えたのであった。
そして民哉はその考えに夢中になってしまった。そしてそれを果すということが彼の生活を激しい力で覆さずにはいないような予感が民哉の上に感ぜられた。そして民哉にはその日から激しい昂奮が続いたのであった。
――これが彼等三人で演ぜられた、民哉の乱離の生活にとってはかなり意味のあるその一幕なのであった。
民哉が島村を一つの偶像として見出したのは彼が肋膜炎のため一年休学した後、以前には一級下であった島村の級へ入って来た時であった。その時彼等は四年級であった。
民哉は矮小な、容貌のあがらない生徒であった。運動も得意ではなかったし、操行にしても学課にしても、それが取り立てて教師に認められるほど良くも悪くもなかった。
しかし島村は運動の花形であった。――と云って身体は民哉ほど矮小なのであったがそれだけ敏《びん》捷《しよう》な動作を持っていた。美しい容貌と、その容貌に相応しい快活な、そして温順な心を持っていた。――形も心もそれは可愛らしい生徒であった。
彼はアブノルマルな心を半ば意識してそれを告白し、それの産み出す新しい調和を空想した。しかしもともとそれは彼のそれまでの心とはほとんど調和をしないことなのであった。
島村と民哉とはその五年の間、友達としての交際で終始していて、民哉の欲望もそのように終始することをおいてより外にはなにもなかったのであった。その淋しい聖らかな果実を収穫することのみが彼の欲望であり且つ民哉はその収穫の満足を今までにいくらか味わって来ているのであった。
で彼にはただその意志に従うことより外には身に合うものはなかったのであった。
しかも島村はもう二十一にもなっていた。彼の輝かしかった紅顔があせてしまって、出ばって来た顴骨が以前の魅感をなくしてしまい、そのかわりに一個の成長した男らしい風の異った美がそれにかわっていた。
しかし民哉がその頃までもしばしば夢に見る島村はあの三年前の島村であった。
二十一の青年に二十二の青年が――それは何という馬鹿げたことだ。――しかし――と民哉は思った、それを昔しのこととしてさりげなく話したらどうだろう。否! 否!
民哉の想像を致命的に破壊してしまう最後のこと、それは島村がそのことをきいて民哉を軽蔑しやしないかということであった。島村がしかめ面をして迷惑がる――そのことを考えると彼はもう一寸の先きも思えなくなるのであった。自分自身をミゼラブルに卑下して来た、民哉の陰気な中学校の生活で、築きあげた周囲に対するものの考え方、そして島村に対する自分の位置の自覚が、どこまでも彼を離れなかった、いやそれはもう民哉自身に即した、最も調和した考え方なのであった。
彼はその生活で、自分の心をただ最も深奥な所へおし込めて友人としてのみ島村と交際して来て、彼はその深奥なものを決してそのままあらわすことはただの一度もしなかった。それはただ友愛の形に、繁《しげ》き友愛の形に巧みに、無意識的に変形せられて、島村と彼の間をつないでいたのであった。その習慣 それはもう民哉とは離るべからざるものになっているのであった。
そして彼の新しい企てはまったくそれの破壊であった。その企ては彼の生活全体がまったくうけつけないものなのであった。
しかし彼のアブノルマルになっている心はそれの企てに無理に調和をしようと試みた。それを実行に移すこと、それが彼の生活の形式を覆すだろうという予感が彼を襲ったのは……(欠)
その時より一月足らず前から民哉の生活は少しずつ頽《デイ》れ《ケイ》しかけていた。
どう見積っても毎日出席するということ以外には、近道もなにもありえないと云われている学校の課業を彼は一と月足らず前からまるっきり放擲していたのであった。
それがどんなに辛いことであっても、出席することが最も賢明な最も簡易な方法であって、一日の欠席が、それに何倍もの、あるいはどんな労力でも取りかえすことが出来ないほどのロッスを与えると云われている民哉の科で、その一ケ月足らずの放擲がどれだけの辛さで報いて来るかと云うことを考える時、彼はそれが空恐ろしくなって来るのであった。が、しかも彼はその怖しい考えをなだめすかして、彼の意識の上へ現れて来ないようにして、その日その日の怠惰な生活に身を委ねていたのであったが、その強迫して来る恐ろしい真実はどうしても彼をおびやかし勝ちであった。
民哉がこんなにびくびくするのにはそれはまだ理由があったのである。その理由さえなければ彼はそうびくつくのではなかった。その理由というのは、民哉は一学期に十日間ほど出席したばかりで、その学期試験もうけたというのは名ばかりで、彼は去年友人が使った古いノートを頼りにほんの申訳けばかりの勉強をしてそれに間にあわせたので満足な点がちっともとれていないからであった。また試験をすっぽかした課目が二課目ほどあった。そんなわけで彼は絶えず不安につきまとわれていて、しかも飽《あ》くまで怠惰な生活をはねかえしてしまう力が起らなかった。
そして毎日のように酒でその不安から逃れることをしていた。
一度か二度彼はそれをはねかえそうと思って久しく坐らなかった机の前で、借りて来たノートの写しを試みるのであったが、一頁か二頁写す間にたちまち盛り上ってくる不愉快な気持に彼は直ぐ参ってしまって、そして険悪な顔附をしながら走らんばかりにして酒を飲みにゆくのであった。それもはじめは次の機会を、その不愉快を耐えおおせ、級の者と歩調をあわせるところまで努力を続ける力が勃《ぼつ》然《ぜん》と起って来るべき次の機会を待つ気持であったし、またその気持はその不安な無為の生活の各瞬間にもいつ来るかわからないその機会が来ることを信じるような気でいたのであったが、一日は一日とその負担は重くなってゆくばかりで、それに応じて彼の焦燥も一日一日と度を高めてゆき――そして彼自身の意志はますますいじけすくんでしまって、彼はただその日その日を、傷いた野獣のような恐しく荒んだ感情の導くままに生活しつづけていたのであった。で彼は、酒をどうしても離すことが出来なかったし、また一人でいることは堪えられないことであった。
――そんな日が続いた。
友達と街を歩いているとき、彼はしばしばその友達に手を固く握って歩いて貰いたがった。そしてそれを云い出す時には自分でもその変な甘え方に気を悪くして、手をつないで貰っても、思っていたようないい気持は決してえられなかったのであるが。またその友達の生《うぶ》毛《げ》が汚く生えた首すじを見ているといきなり撲《なぐ》りつけたいような欲望にとらえられることがあった。また街の中で急に途方もない野獣のような叫び声をあげることなどがあった。そして人々が彼の方を見返えると、彼はもう一度大きい声で呶鳴った。
また彼は議論などをはじめると、是が非でも相手を粉微塵にやっつけてしまいたくなった。そして友達と仲を悪くした。
そしてもう彼は自分の下宿へ帰らなかった。
彼の下宿が遠くにあったのと、それ以上の理由は一人で寝ることが嫌だったからである。
そして度《たび》々《たび》肺尖を悪くした身体が、以前に覚えのある経過を追ってだんだん悪くなって来た。――そしてもっと悪くしてやれ――という気持が起って来た。
彼は紅葉の名所へ友人と遊びに出かけて、そこの川で泳いだりした。それで半時間ばかり……(欠)
……最後の埋れ火――民哉はその男の財布で、それこそ生活の最後を飾るにふさわしい夜をすごした。
(大正十三年)
太郎と街
秋は洗いたての敷布《シーツ》のように快かった。太郎は第一の街で夏服を質に入れ、第二の街で牛肉を食った。微酔して街の上へ出ると正午のドンが鳴った。
それを振り出しに第三第四の街を歩いた。飛行機が空を飛んでいた。新鮮な八百屋があった。魚屋があった。花屋があった。菊の匂いは街へ溢れて来た。
呉服屋があった。菓子屋があった。和洋煙草屋があり、鑵詰屋があった。街は美しく、太郎の胸はわくわくした。眼は眼で楽しんだ。耳は耳で楽しんだ。鼻も敏《びん》捷《しよう》な奴で、風が送って来るものを捕えては貪り食った。
太郎は巨大な眼を願望した。街は定まらない絵画であった。幻想的なといえば幻想的な、子供だましのポンチ絵には、土瓶が鉢巻をして泳いでいたり、日の丸の扇で踊っていたりするのがあるが、ブーブー唸って走っている自働車などを見れば吹き出したくなるくらいだ。菓子屋のドロップやゼリビンズは点描派《ポアンチユリスト》の画布のようだし、洋酒瓶の並んだ棚はバグダッドの祭のようだ。
飛行機がまたやって来て、あたりは樹木に埋まった公園であった。太郎は十銭を払って動物園へ入った。ここなんぞ入場料十円也と触れ出せば、紳士淑女は雑《ざつ》鬧《とう》し、雑誌は動物園の詩で埋まるにちがいない。水族館まで見て来ると、太郎はとうとう熱い溜息を洩らした。
そこを出ると知らない街へ入った。華やかな夕暮が来て、空は緋の衣で埋まった。それを目がけて太郎は歩いた。後ろから月が昇ったらまたその方へ歩く積りだ。いよいよ夜がやって来て、先ず全市の電燈をつけた。三日月があがったと思ったら直ぐ沈んだ。星が出て来ては挨拶をし、出て来ては挨拶を交わした。太郎も帽子が振りたくなった。
洋館の三階の窓。そこからは何が見えるのだろう。若い男が思いに沈んだハモニカを吹いていた。塗料の匂いがする。医療器具屋の前だ。女の児が群れて輪になり、歌を歌っては空へ手を伸した。子守娘が並んでゆく。焼鳥屋は店を持ち出した。その下へはもう尨《むく》犬《いぬ》がやって来ている。
太郎は巨大な脚を願望した。また思った。およそこの地球ほど面白い星はあるまい。鞠《まり》をかがる青い糸や赤い糸のように、地球をぐるぐる歩いてゆきたい。廻転して朝と昼と夜を見せてくれ、航海しては春・夏・秋・冬を送ってくれる地球だ。円い台《うてな》の上になり下になり、下になっても頭へ血が寄るということなく、大地を踏めばいつも健康だ。杳《はる》かな創世の日から 労働争議の今日に至るまで 積みかさね積みかさねられたものがそこにある。偉大な精神は将星で、私はオノコロ島に産れて来た志願兵だ。オ一二、オ一二、太郎は歩いた。昂奮して。
広告塔があった。ドラッグがあった。唐物屋があった。本屋があった。賑《にぎや》かな街で 電車が通った。キャブが通った。太郎は子供の時の乗物づくしを憶い出した。あの透視法を誇張した画派を憶い出すことが、街と乗物づくしを一度に生かした。冬着新柄を見た。乾物屋を見た。玩具屋を見た。煙草屋を見た。太郎の精神は頓《とみ》に高揚して、妖術が使いたくなるほどだった。
「よう、よう。」
「よう。」
これは太郎の友達だ。太郎は一銭玉を五つ持っていたぎりだったので、友達の五十銭貨幣を、一銭で売って貰って富《とみ》を作った。それでまぐろの寿司を食うとまた歩き出した。
待合のある小路へ入った。三味線がきこえて若い女の声がはしゃいだ。双《もろ》肌《はだ》脱《ぬ》ぎで化粧をしている女があった。嬋《せん》妍《けん》に漲《みなぎ》って歩いてゆく女があった。そこを出ると暗い裏通りへ出た。柔術指南と骨つぎの看板をあげた道場から出た若い男は自動車屋へはいった。支那料理屋で蓄音器が鳴っていた。今度は静かな切り通しになってあたりは一時に秘まった。
阪《さか》を登って立ち小便をしながら街々を見おろした。虫が鳴いて街には靄《もや》がおりていた。小便が汚なかったから場所を変えて 眼を夜景のなかに吸いこませた。黒い森が寝ている。甍《いらか》が寝ている。いくつもの窓は起きていた。遠くの窓に女が立っている。電柱は紅玉の眼を持っている。太郎は感に堪えた。
続く街は静かであった。ピアノも鳴っては来なかった。あそこは宵の口でここは深夜だ。さては緯度をとび越えたのか。時計を進めねばなるまい。頭が変だ。頭が。木戸を開くと喜ばしい思想共は押すな押すなでこぼれて来る。「よし!」と木戸を閉じ太郎はまたも歩き出した。秋だ。秋だ。覚えなかった面白さだ。へたばるまで歩いて下宿へ帰り、帰ってからはこの思想共を一匹宛《ずつ》出して来て一匹宛演舌させてやろう。一晩かかってもきき切れないだろう。いゝところで揺籃歌唄いを出して来て其《そ》奴《いつ》の歌で眠むってゆこう。残りの奴は扮装して華麗な夢を見せてくれ。
(大正十三年十月四日)
瀬山の話
私はその男のことを思うといつも何ともいいようのない気持になってしまう。強いて云って見れば何となくあの気持に似てるようでもあるのだが――それは睡眠が襲って来る前の朦《もう》朧《ろう》とした意識の中の出来事で物事のなだらかな進行がふと意地の悪い邪マに会う(一体あの歯がゆい小悪魔奴はどんな奴なんだろう!)。こんなことがある――着物の端に汚ないものがついている、みんなとったはずだのにまだ破片がついている、怪しみながらまた何の気なしにとるとやはりついている、二三度やっているうちに少しあせって来る、私はその朦朧とした意識の中でそれを洗濯する、それでも駄目だ、私は幻の中で鋏《はさみ》をとり出してそこを切取る、しかし汚物の破片は私の逆上をせせら嗤《わら》いながら依然としてとれずにいる。――私はこの辺でもう小悪魔の意地悪い悪《いた》戯《ずら》を感じるようにこの頃はなっているのだ。――ああこの悪戯に業《ごう》を煮したが最後、どんなに歯がみをしてもその小悪魔のせせら笑いが叩き潰《つぶ》せるものか。要するに絶対不可能なのだ。ただほんの汚物の破片をとり去るだけのことが!
しかしそれが汚物ならまだいい。相手が人間だった時には、しかもそれが現実の人間を相手である時にはどんなにその幻はみじめだろう。こちらが二と出れば向うは三と出る、十と出れば平気で二十と出る、私はよくその呪われた幻の格闘でいまわしい夜を送るのだが。
まあこのようなことは余計なことなのだ、今も云うとおり私はその男のことを思ってゆくうちにはきっと、このような、もう一息が歯がゆいような、あきらめねば仕方がないと思っては見るもののあきらめるにはあまり口惜しいような――苦しい気持を経験するのだ。
そう云って見れば私はこうも云えるような気がする。一方はその男の澄《す》みたい気持でそしてもう一方は濁りたい気持である、と。そして小悪魔が味方しているのはこちらの方だ。私はこれまで、前者の方にあらゆる祈願をこめて味方して来た。そしてまたこれからも恐らくはそうであろうと思う。しかし私はもう単純には前者に味方するようにはなれなくなったように思う。
仮りに名をAとしておこう。
少し交際《つきあ》った人は誰でもAの顔《がん》貌《ぼう》が時によって様々に変るのに驚いている。私の叔父に一人の酒精中毒者がいたが、私が思い出す叔父の顔には略《ほぼ》三通りの型があるように思う。Aの顔貌はあらましにしても三通りではきかない。しかし叔父の顔の三つの型。――一つは厳粛な顔であって、酒の酔が醒めている時の顔である。叔父はそんな時には彼の妻に「あなた」とか「下さい」とか切口上で物を言った。皆も叔父を尊敬した、私なども冗談一つ云えなかった。というのは一つにはその顔が直ぐいらいらした刺《とげ》々《とげ》しい顔に変り易かったからでもあるのだが。それが酒を飲みはじめると掌《てのひら》をかえしたようになる。「あの顔! まあいやらしい。」よく叔母は彼がロレツがまわらなくなった舌でとりとめもないことを(それは全然虚構な話が多かった。)口走っているのを見るといいいいした。顔の相好はまるで変ってしまってしまりがなくなり、眼に光が消えて鼻から口へかけてのだらしがまるでなく――白痴の方が数等上の顔をしている、私はいつもそう思った。それにつれて皆の態度も掌をかえしたようにかわるのだ。叔父の顔があんなにも変ったのも不思議であるが皆の態度がまたあんなにも変ったのはなおさらの不思議である。
も一つは弱々しい笑顔――私はこの三つの型を瀬山の顔貌の中に数えることが出来る。彼もやはり酒飲みなのである。しかし瀬山の顔貌はあらましにしても三つではきかない。まったく彼の顔には彼の心と同じ大きな不思議がひそんでいる。
瀬山とてもこの世の中に処してゆくことがまるで出来ない男ではないのであるが、もともと彼の目安とするところがそこにあるのではないので、と云っておしまいにはその、試験で云えばぎりぎりの六十点の生活をあのようにまで渇望するのだが。まったく瀬山は夢想家と云おうか何と云おうか、彼の自分を責める時ほどひねくれて酷なことはなく――それもある時期が来なければそうではないので、またその時期が来るまでの彼のだらしなさほど底抜けのものはまたないのである。
彼は毎朝顔を洗うことをすらしなくなる。例えば徴兵検査を怠けたときいても彼にはありそうなことと思える。私は一度彼の下宿で酒壜に黄色い液体が詰められて、それが押入の中に何本もおいてあるのを見た。それは小便だったのだ。私はそれが何《な》故《ぜ》臭くなるまで捨てられずにおいてあるのだろうと思った。彼はそうする気にならないのである。気が向かないのだ。
しかし一度嫌気がさしたとなれば彼はそれを捨て去るだけでは承知しないだろう。彼は真面目になって臭気に充ちた押入を焼き払おうと思うにちがいない。彼は片方の極端にいて、その片方の極端でなければそれに代えるのを肯《がえん》じない、背後にあるのはいつも一見出来ない相談の厳格さなのだ。――いやひょっと、その極端に移る気持があればこそあんな生活も送れるのではなかろうか。それともそれは最も深く企まれた立退きを催促に来る彼の心の中の家主に対する 遁《とん》辞《じ》ではないのだろうか。もしそうにしてもそれは人間が出来る最高度の企みだ、何故ならば人間ならば誰一人それが企みであるとは見破ることは出来そうもない、唯《ただ》、もしそんなことを云うのが許されるならば神というもののみがそれを審判するだろう。
彼は後悔する、まったくなんでもないことに。
彼は一度私にこう云ったことがある。――親というものは手拭を絞《しぼ》るようなもので、力を入れて絞れば水の滴《したた》って来ないことはない。彼は金をとることを意味していたのだ。
彼に父はなかった。父はさる官吏だったのが派手な生活を送ってかなりの借財と彼を頭に数人の弟妹――それも一人は妾《めかけ》の子だったり一人は小間使の子だったり、みな産《さん》褥《じよく》から直ぐ彼の家にひきとられたその数人の子供をのこして死んだのだった。その後は彼の母の痩《やせ》腕《うで》一本が瀬山の家を支えていた。彼の話によれば彼の母ほどよく働く人はない、それも精力的なと云うよりも気の張りで働くので、それもみな一《ひと》重《え》に子供の成長を楽しみにして、物見遊山をするではなし、身にぼろを下げて機械のようになって働くというのである。
私は彼が母から煙草店をして見ようと思うがどうだという相談をうけたり、旅館の老鋪《しにせ》が売物に出たから買おうと思うのだがとかいうような手紙が来ていたのを知っている。またある手紙は母よりと書いてあるのが消してあって改めて瀬山○子と書き直してあったりした。それは彼をもう子とは思わないという彼の親不孝をたしなめた感情的な手紙だった。
私は幾度も彼がその母と一緒に一軒一軒借金なしをして歩いたという話を知っている。しかしそれは話だけで一度もその姿を見る機会はなかったのだ。瀬山の母はそれだけの金を信用して瀬山に渡したりすることは勿論、店へ直接に送ることすら危んでいたらしい。往々そこにさえ詭《き》計《けい》が張ってあったりしたのだから。しかしその頃はまだよかったと云える。七転び八起き、性もこりもなく母は瀬山の生活の破産を繕ってやっていた。
本は質屋から帰って来る。新らしい窓掛は買って貰った。洋服も帰って来た。私は冬枯れから一足飛びに春になった彼の部屋の中で、彼の深い皺が伸びて話声さえ麗らかになったのを見てとる。――けたたましい時計のアラームが登校前一時間に鳴り、彼は仏蘭西《フランス》製の桃色の煉《ねり》歯《は》磨《みがき》と狸の毛の歯《は》刷毛《ブラシ》とニッケル鍍金《メツキ》の石鹸入を、彼の言葉を借りて云えば、棚の上の音楽的効果である、意匠を凝した道具類の配置のハーモニーから取出し、四つに畳んだタオルを手拭籠の中から掴んで洗面場へ進出するのだ。彼はそのような尋常茶飯事を宗教的な儀式的な昂奮を覚えながら――しかもそれらの感情が唯一方恁然たる態度となって現れるのを許すのみで――執行するのだ。
私は瀬山についてこうも云えるように思う。彼は常に何か昂奮することを愛したのだと。彼にとっては生活がいつも魅力を持っていなければ、陶酔を意味していなければならなかったのだ。
しかしその朝起きも登校もやがては魅力を失ってゆく。そして彼はまたいつもの陥《かん》穽《せい》へおち込むのだ。
それにしても彼が最近に陥った状態は最もひどいものだった。彼にとっても私にとってもその京都の高等学校へ入って三年目、私は三年生にいたし、彼は二度目の二年生を繰返していた。――その時のことである。
私は彼が何故その時々あんなにも無茶な酒をのまなければならなかったかと考えて見る。
あるいはこうでもなかったろうか。
彼の生活はもう実行的な力に欠けた彼にとっては弥《び》縫《ほう》することも出来ないほどあまりに支離滅裂だったのだ。醒めている時にはその生活の創《きず》口《ぐち》が口を真紅にあけて彼を責めたてる。彼はその威嚇に手も足も出なくなって、どうかしてそこを逃げ出したいと思ってしまう。
私は彼が常に友達――それも彼の生活が現在どうなっているか知らないような友達と一緒になりたがっていたのを知っている。彼はそれらの群の中では、彼等同様生活に何の苦しみもないような平然とした態度を装って見たり、(こうでもあったなら!)と思っている条件をそのまま着用したり、そしてそれが信用され通用することにある気休めを感じているらしかった。他人の心の中に第二の自己を築きあげる――そのことは彼の性格でもあった。現実の自分よりはまだしも不幸でないその第二の自己を眺めたり、また第二の自己に相当な振舞を演じたりしてせめてもの心やりにしていた。――その頃はほとんど病的だったと云える。彼はまたその意味で失恋した男になり了《おお》せたり、厭世家になり了せたりした。
彼にある失恋があったことはそれより以前に私もきかされていた。しかしともかくそれはもう黴《かび》の生えたものだったのである。しかも彼はその記憶に今日の生命を吹き込んでそれに酔払おうとした。彼は過古や現在を通じて、彼の自暴自棄を人目に美しいように正当化出来るあらゆる材料を引き出して、それを鴉《ア》片《ヘン》としそれをハッシッシュとしようとしたのだ。
とうとうお終いに彼の少年時代の失恋が、しかも二つも引き出されて来た。そして彼はその引きちぎって捨てられた昨日の花の花弁で新らしい花を作る奇蹟をどうやらやって見せたのだ。そればかりか、そんなことには臆病な彼がその中の一人に、恐らくは最初の手紙を書こうと真面目に思い込むようにさえなったのだ。
その頃彼はその恋人に似ていると云うある芸者に出会った。私は彼にそのことをきいたのだ。そして本気になってその方へ打込んでいった。――私は一体いつ彼が正真正銘の本気であるのかまったく茫然としてしまう。恐らく彼自身にもわからないだろうと思う。しかし一体どんな人間がその正真正銘の本気を持っているだろうか――いや私はこんなことを云いたいのではなかった。しかし私は、恐らくはどんな人間もそれを持っていないということを彼をつくづく眺めているうちに知るようになったのだ。
彼はその本気でその芸者に通い始めた。私は覚えている。彼はその金を誰々の全集を買うとか、外国へ本を註文するとか云って、彼の卒業を泳ぎつくように待ち焦れている気の毒な母親から引き出していた。ある時はまた彼の尊敬していた先輩から借りてそれに充《あ》てていた。
彼がその芸者を偶像化していたのは勿論、三味線も弾かせなければ冗談も云わず――それでいて彼は悲しい歌を! 悲しい歌を! と云って時々歌わせていたというのだが、とにかく話としては唯《ただ》彼の思っていた女が結婚しようとする。そしてその女はお前によく似ている。というようなことを粉飾して云い云いしていたらしいのである。
私は二三の人を通してそのことをきいていた。その中にはその芸者を買い馴《な》染《じ》んでいた一人もいた。その男から私はある日こんなことをきいた。
――その女子はんがあてに似といやすのやそうどすえ。――
――わてほんまにあの人のお座敷かなわんわ――その芸者がその男に瀬山の話をしたのだそうなのだ。
その瞬間、私は何故か肉体的な憎悪がその男に対して燃えあがるのを感じた。何故か、何故か、訳のわからない昂奮が私を捕えた。
その頃から彼はますます私の視野から遠ざかって行った。その後私は彼からその後の種々な話をきかされたのを記憶している。やはりその挿話もその時には彼の語るがためのものになっていたことは間違はないのだ。
私は今その挿話を試みに一人称のナレイションにして見て彼の語り振りの幾分かを彷《ほう》彿《ふつ》させようと思う。
* * * * *
檸檬
恐ろしいことには私の心のなかの得体の知れない嫌悪といおうか、焦《しよう》燥《そう》といおうか、不吉な魂が――重くるしく私を圧していて、私にはもうどんな美しい音楽も 美しい詩の一節も辛抱出来ないのがその頃の有様だった。
まったく辛抱出来なかったのだ、――蓄音器をきかせて貰いにわざわざ出かけても――最初の二三小節で不意に立ち上ってしまいたくなる。
それで始終私は街から街へ彷《ほう》徨《こう》を続けていたのだ。何故だかその頃私は見すぼらしくて美しいものに強くひきつけられたのを覚えている。風景にしても壊れかかった街だとか、その街にしても表通りを歩くより裏通りをあるくのが好きだったのだ。裏通りの空《あき》樽《だる》が転っていたり、しだらない部屋が汚い洗濯物の間から見えていたり――田圃《たんぼ》のあるような場末だったら田圃の畔《あぜ》を伝っているとその空地裏の美が転《ころが》っているものだ。田圃の作物の中でも黒い土の中からいじこけて生えている大根葉が好きだった。
私はまたあの花火という奴が好きになった。花火そのものは第二段として、あの安っぽい絵具が紙の一端に塗ってあって、それが花火にすると螺《ら》旋《せん》状にぐるぐる巻になっているのだ。本当に安っぽい絵具で、赤や紫や青や、鼠花火と云う火をつけるとシュシュと云いながら地面を這いまわる奴などが一ぱい箱に入っているところなど変に私の心を唆《そそ》ったのだ。私はまたあのびいどろと云う色硝子《ガラス》で作ったおはじきが好きになったし、南《ナン》京《キン》玉がすきになった。それをまた私は嘗めて見るのが何とも云えない享楽だったのだ。あのびいどろの味ほど幽《かす》かな涼しい味があるものか。私は小さい時よくそれを嘗めて父や母に叱られたものだが――その幼時の記憶が蘇って来るのか知ら、それを嘗めていると幽かな爽かな詩美といったような味覚が漂って来るのだ。
察しはつくだろうが金というものがまるでなかったのだし。――私の財布から出来る贅《ぜい》沢《たく》にはちょうど持って来いのものなのだ。そうだ外でもない、それの廉《れん》価《か》ということが、それにそんなにまでもの愛著を感じる要素だったのだ、――考えて見てもそれが一円にも価するものだったら、恐らくそのような美的価値は生じて来なかっただろう。恐らく私はそれを金のかかる道具同様何等興味を感じなかったに相違ない。
私はこうきいている、金持の婦人はある衣裳が何円だときいて買わなかった。しかしそれがそれの二倍も三倍もの価に正札がつけかえられて慌《あわ》てて買った。また骨董品などと云うものも値段の上下がその品質の高下を左右する傾きがありはしまいか。私はそれを馬鹿にするのでは決してない。唯《ただ》それが私の場合と同様なしかも対《たい》蹠《しよ》的な場合として面白く思うのだ。
私はまた安《やす》線《せん》香《こう》がすきだった。
それも○○香とかいてあるあの上包みの色が私を誘惑したのだ。それに第一、線香の匂いがどんなにいいものだかは君も知っているだろう。
――それで檸檬《れもん》の話なのだが、私はその日も例の通り友人が学校へ行ってしまって私一人ぽつねんと取残された友人の下宿からさまよい出したのだ。街から街へ――さっきも云ったような裏街を歩いたり駄菓子屋の前で、極りわるいのを辛抱して悪いことでもするように廉価な美を捜したり。――しかしいつもいつも同じ物にも倦《あ》きが来る。ある時には乾物屋の乾《ほし》蝦《えび》や棒《ぼう》鱈《だら》を眺めたりして歩いていたのだ。
私が果物店を美しく思ったのは何もその頃に始まったことではなかったのだが私はその日も果物店の前で足を留めたのだ。私は果物屋にしても並べ方の上手な所と下手な所をよく知っていた。どうせ京都だしロクな果物屋などはないのだが――それでもいい店と悪い店の違いはある。しかしそれが並べ方の上手下手、正確に云えばある美しさが感ぜられる所とそうでない所と――それの区別には決してならないのだ。私は寺町二条の角にある果物店が一等好きだった。あすこの果物の積み方はかなり急な勾配の台の上に――それも古びた、黒い漆塗りの板だったと思う――こんな形容をしてもいいか知ら、何か美しい華やかな音楽のアレグレットの流れが――もしそんな想像が許されるなら、人間を石に化するゴルゴンの鬼面――的なものを差しつけられて、あんな色彩やあんなヴォリウムに凝り固まったという風に堰《せ》きとめられているのだ。も一つはあすこでは例の一山何銭の札がたててないのだ。私はあれは邪魔になるばかりだと思う。青物がやはり勾配の上におかれてあったかどうかは疑わしいが、しかし奥へゆけばゆくほど高く堆《うずたか》くなっていて、――実際あの人参葉の美しさなどは素ばらしかった。それから水につけてある豆だとかくわいだとか。
それにそこの家では――もう果物店としてはありふれた反射鏡が果物の山の背に傾き加減にたててあるのだ。――その鏡がまた粗悪極まるもので果物の形がおびただしく歪んでうつる。――それが正確な鏡面で不確な影像を映すよりどれだけ効果があるかは首肯出来るだろう。
そこの店の美しさは夜が一番だった。寺町通は一体に賑かな通りで飾窓の光がおびただしく流れ出しているがどういう訳かその店頭のぐるりだけが暗いのだ、――一体角の家のことでもあってその一方は二条の淋しい路だからもとより暗いのだが、寺町通にある方の片側はどうして暗かったのかわからない。しかしそれが暗くなかったらあんなにも私を誘惑するには至らなかっただろう。も一つはそこの家の廂《ひさし》なのだが、――その廂が眼深にかぶった鳥打帽の廂のようにかなり垂れ下っている、――そしてその廂の上側、――その家の二階に当る所からは燈が射して来ないのだ。その為にその店の果物の色彩は店頭に二つほど裸のままで点けられている五十燭光ほどの光線を浴びるようにうけて――暗い闇の中に絢《けん》爛《らん》と光っているのだ。ちょうど精巧な照明技師がここぞとばかりに照明光線をなげつけたかのように。
これもつけたりだがその果物店の景色はあの鎰《かぎ》屋《や》茶舗の二階から見るとそれもまたいい。私は鎰屋の二階の硝子戸越しにあの暗い深く下された果物店の廂《ひさし》は忘れることが出来ない。
ところで私はまた序説が過ぎたようだ。
実はその日いつものことではあるしするので別に美しくも思わなかったのだが私はなにげなく店頭を物色したのだ。そして私はそこにそこの家にはあまり見かけない檸檬《れもん》がおいてあるのを見つけた。――檸檬などはごくありふれているが、その果物屋というのも実は見すぼらしくはないまでもごくあたり前の八百屋だったのだから、そんなものを見つけることは稀だったのだ。
大体私はあの檸檬が好きだ。レモンエローの絵具をチューブから絞り出して固めたような、あの単純な色が好きだ。それからあの紡錘形の恰好も。それで結局私はその家で例の廉価な贅沢を試みたのだ。
私のその頃が例の通りの有様だったことをそこで思い出して欲しい。そして私の気持がその檸檬の一《いつ》顆《か》で思いがけなく救われた、とにかく数時間のうちはまぎらされていた。――という事実が、逆説的な本当であったことを首肯して欲しいのだ。それにしても心という奴は不可思議な奴だ!
第一そのレモンの冷たさが気に入ってしまったのだ。その頃私は例の肺尖カタルのためにいつも身体に熱があった。――事実友達の誰彼に私の熱を見せびらかす為に手の握り合いなどをしたのだが私の手が誰のよりも熱かった。その熱い故だったのだろう、握っている掌から身内に滲み透ってゆくようなその冷たさは快いものだった。
私は何度も何度もその果実を鼻に持っていった。――それの産地の加リホルニヤなどを思い浮べたり、中学校の漢文教科書で習った売柑者之言、の中に書いてあった、「鼻を撲つ」というような言葉を思い出したりしながら。ふかぶかと胸一杯に匂やかな空気を吸込んだりした。――その故か身体や顔に温い血のほとぼりが昇ったりした。そして元気が何だか身内に湧いて来たような気がした。
――実際あんな単純な冷覚や触覚や嗅覚や視覚が――ずっと昔からこればかり探していたのだと云いたくなるくらい、私にしっくりしたなんて――それがあの頃のことなんだから。
私は往来を軽やかな昂奮に弾《はず》んで、誇りかな気持さえ感じながら――大輪の向日葵《ひまわり》を胸にさして街を闊歩した昔の詩人などのことを思い出したりして歩いていた。汚れた手拭の上へのせて見たり、将校マントの上へ載せて見たりして色の反映を量って見たり、こんなことをつぶやいたり。
――つまりはこの重さなんだな。――
その重さこそ私が常々尋ねあぐんでいたものだとか、疑いもなくこの重みはすべての善いもの美しいものとなづけられたものを――重量に換算して来た重さであるとか、――思い上った諧謔心からそんな馬鹿気たようなことを思って見たり、何がさて上機嫌だったのだ。
舞台は変って丸善になる。
その頃私は以前あんなにも繁く足踏みした丸善からまるっきり遠ざかっていた。本を買ってよむ気もしないし、本を買う金がなかったのは勿論、何だか本の背皮や金文字や、その前に立っている落ちついた学生の顔が何だか私を脅かすような気がしていたのだ。
以前は金のない時でも本を見に来たし、それに私は丸善に特殊な享楽をさえ持っていたものなのだ。それは赤いオードキニンやオードコロンの壜や、洒落たカットグラスの壜《びん》や、ロココ趣味の浮し模様のある典雅な壜の中に入っている、琥珀色や薄い翡翠色の香水を見に来ることだったのだ。そんなものを硝子戸越しに眺めながら、私は時とすると小一時間も時を費した事さえある。
私は家から金がついた時など買ったことはほんの稀だったが、高価な石鹸や、マドロス煙管《パイプ》や小刀などを一気呵成に眼をつぶって買おうと身構える時の、壮烈なような悲壮なようなあの気持を味わう遊戯を試るのもそこだった。それに私には画の本を見る娯《たの》しみがあったのだ。しかし私はその日頃もう画の本に眼をさらし終って後、さてあまりに尋常な周囲をみまわす時の変にそぐわない心持をもう永い間経験せずにいたのだった。
しかし変にその日は丸善に足が向いたのだ。
しかしそれまでだった。丸善の中へ入るや否や私は変な憂鬱がだんだんたてこめて来るのを感じ出した。香水の瓶《びん》にも、煙管にも、昔のような執着は感ぜられなかった。私は画帳の重たいのを取り出すのさえ常に増して力が要るな、と思ったりした。それに新しいものと云っては何もなかった。ただ少なくなっているだけだった。しかし私は一冊ずつ抜き出しては見る、――そしてそれを開けては見るのだ――しかし克明にはぐってゆく気持はさらに湧かない。
しかも呪われたことには私は次の本をまた一冊抜かずにはいられないのだ。また呪われたことには一度バラバラとやって見なくては気がすまないのだ。それで堪らなくなってそこへ置く、以前の位置へ戻すことさえ出来ないのだ。――そうして私は日頃大好きだったアングルの橙色の背皮の重い本まで、なお一層の堪え難さのために置いてしまった。手の筋肉に疲労が残っている。――私は不愉快気にただ積み上げる為に引き抜いた本の群を眺めた。
その時私は袂の中の檸檬を思い出した。
本の色彩をゴチャゴチャと積み上げ一度この檸檬で試して見たらと自然に私は考えついた。
私にまた先程の軽やかな昂奮が帰って来た。私は手当り次第に積みあげまた慌しく潰し、また築きあげた。新らしく引き抜いてつけ加えたり、削りとったりした。奇怪な幻想的な城廓がそのたびに赤くなったり青くなったりした。
私はやっと、もういい、これで上出来だと思った。そして軽く跳り上る心を制しながら その城壁の頂きに恐る恐るすえつけた。
それも上出来だった。
見わたすと、その檸檬の単色はガチャガチャした色の諧《かい》調《ちよう》を、ひっそりと紡錘形の身体の中へ吸収してしまって、輝き渡り、冴《さ》えかえっていた。私には、埃《ほこり》っぽい丸善の内の空気がその檸檬の周囲だけ変に緊張しているような気がした。私は事《こと》畢《おわ》れりと云うような気がした。
次に起ったなお一層奇妙なアイデヤには思わずぎょっとした。私はそのアイディアに惚《ほ》れ込んでしまったのだ。
私は丸善の書棚の前に黄金色に輝く爆弾を仕掛に来た――奇怪な悪漢が目的を達して逃走するそんな役割を勝手に自分自身に振りあてて、――自分とその想像に酔いながら、後をも見ずに丸善を飛出した。あの奇怪な嵌込台《セツテング》にあの黄金色の巨大な宝石を象《ぞう》眼《がん》したのは正に俺だぞ! 私は心の裡《うち》にそう云って見て有頂天になった。道を歩く人に、
その奇怪な見世物を早く行って見ていらっしゃい。と云いたくなった。今に見ろ大爆発をするから。――
……ね、とにかくこんな次第で私は思いがけなく愉快な時間潰しが出来たのだ。
何に? 君は面白くもないと云うのか。はははは、そうだよ、あんまり面白いことでもなかったのだ。しかしあの時、秘密な歓喜に充たされて街を彷徨《うろつ》いていた私に、
――君、面白くもないじゃないか――
と不意に云った人があったとしたまえ。私は慌てて抗弁したに違いない。
――君、馬鹿を云ってくれては困る。――俺が書いた狂人芝居を俺が演じているのだ、しかし正直なところあれほど馬鹿気た気持に全然なるには俺はまだ正気過ぎるのだ。
* * * * *
そして私は思うのである。
彼は何と現世的な生活の為に恵まれていない男だろう。彼は彼の母がいなければとうに餓死しているか、何か情けない罪のために牢屋へ入れられている人間なのだ。どんなに永く生きのびても畢《ひつ》竟《きよう》彼の生活は、放《ほう》縦《じゆう》の次が焼《やけ》糞《くそ》、放縦―破綻―後悔―の循環小数に過ぎないのではないか。
彼には外の人に比べて何かが足りないのだ、いや与えられている種々のもののうちの何かが比例を破っているのだ。その為にあの男はこの世の掟が守れないのだ。
私は彼が確かにこれこれのことはしてはならないのだと知っていることを――踏みしだいてやってしまうその気持を考えて見るのだ。
一体私たちが行為をする時は、それが反射的な行為ではない限り――自分の心の中の許しを経なければ絶対にやれないものではないだろうか。
私はまた彼にこんな話もきいた。
* * * * *
友人等の下宿を転々して、布団の一枚を貸して貰ったり、飯を半分食べさせて貰ったり、――そんな日が積ると私はだんだん彼等に気《き》兼《がね》をしなければならなくなった。それでいて独りでいるのが堪らない。結局は気兼をしながらも夜晩く友達の下宿の戸を叩いたり、――この男はこん夜どうも私と一緒にいるのが苦になるらしいな! とは思いながらも、また一方どうも俺はこの頃僻《ひが》み癖《へき》が昂じているようだぞ! と思って見たり、様々に相手の気持を商《しよう》量《りよう》して、今夜の宿が頼めるかどうかを探って見る。
――私はますます気兼ねが昂じて来ると、ますます私の卑屈なことが堪らなくなり、一そさっぱり自分の下宿へ帰って見よう――とその晩(というのはある晩の事)はとうとう自分の下宿へ向けて歩いて行った。とは云うものの私の足はひどく渋《しぶ》りがちで ふとするとあの真白い白川路の真中で立留ったりした。
あの頃の私というのはこの頃考えて見ると神経衰弱だったらしい。身体も随分弱っていた。それで夜が寝つけないのだ――一つは朝、あまりおそくまで眠っている故もあった。しかし寝つく前になると極って感覚器の惑《わく》乱《らん》がやって来るのだ。それはかなり健康になったこの頃でもあるのだが、しかしその時のは時間にして見ても長時間だったし、程度にしても随分深かった。
それに思い出したくないと思っている家のこと、学校のこと、質屋のこと――別に思い出すまでもなくそれらの心労は生理的なものになって日がな一日憂鬱を逞《たくま》しゅうしていたのだが、それが夜になってさて独りになってしまうと虫歯のようにズキンズキン痛み出すのだ。私はしかしその頃私を責め立てる義務とか責任などが、その厳めしい顔を間近に寄せて来るのを追い散らすある術《すべ》を知るようになった。
何でもない。頭を振ったり、声を立てるかすれば事は済むのだ。――しかし眼近にはやって来ないまでも私はそれらの債鬼が十《と》重《え》二《は》十《た》重《え》に私を取り巻いている気配を感じる、それだけは畢《ひつ》竟《きよう》逃れることは出来なかった。それが結局は私を生理的に蝕んで来た奴等なのだ。
それが夜になって独りになる。つくづく自分自身を客観しなければならなくなる。私は横になれば直ぐ寝ついてしまう快い肉体的な疲労をどんなに欲したか。五官に訴えて来る刺戟がみな寝静まってしまう夜という大きな魔物がつくづく呪われて来る。感覚器が刺戟から解放されると、いやでも応でも私の精神は自由に奔放になって来るのだ。その精神をほかへやらずに、私は何か素晴らしい想像をさそうと努めたり、難しい形而上学の組織の中へ潜り込まそうと努めたりする。そして「ああ気持よく流れ出したな」と思う隙もなく私の心は直ぐ気味のわるい債鬼にとっ捕まっているのである。私は素早く其奴《そいつ》を振りもぎってまた「幸福とは何ぞや!」と自分自身の心に乳房を啣ませる。
しかし結局は何もかも駄目なのだ、――そのような循環小数を、永い夜の限りもなく私は喘ぎ喘ぎ読みあげてゆくに過ぎない。
そうしている中《うち》には私の心も朧《おぼ》ろ気にぼやけて来る――しかしそれが明瞭に自認出来る訳ではないが。その証拠には、仕事が閑になった感覚器共の悪《いた》戯《ずら》と云おうか、変な妖怪がこのあたりから跳《ちよう》梁《りよう》しはじめる。ポオの耳へ十三時を打ってきかせたのも恐らくはこの輩《やから》の悪戯ではなかったろうか。不思議にも私には毎晩極ったように母の声がきこえた。何を云っているのかは明瞭《はつき》りしないが、何か弟に小《こ》言《ごと》を云っているらしい。母はよくこせこせ云う性なのだが、何《な》故《ぜ》また極ったように毎晩そんな声がきこえて来たのだろう。初め私にはそれが堪らなかった。――しかしだんだん私はそれを喜ぶようになった。怪しくも慕しくもあった。何故といえば、それは睡りのやって来る確実な前《まえ》触《ぶれ》を意味していたからなのだ。時とすると私は呑《のん》気《き》にもその声が何を一体言っているのだろうと好奇心を起して追求して見るのだが、さてそれは大きな矛盾ではないか。
私の耳の神経が錯乱をおこしているのに、私の耳がそれをきこうとあせるのだ。自分の歯で自分の歯に噛みつこうとしているような矛盾。私はそれでも熱心になって聴耳を欹てる。私はその声が半分は私の推測に従って来るらしい――といってそれもはっきりしないが、つまりはいつまで経ってもはっきりしないままでそれは止んでしまうのだ。私は何と云っていいかわからないような感情と共に取残されてしまう。
そんなことから私は一つの遊戯を発見した。これもその頃の花火やびいどろの悲しい玩具ないしは様々の悲しい遊戯と同様に私の悲しい遊戯として一括されるものなのだが、これはこの頃においても私の眠むれない夜の睡眠遊戯であるのだ。
闃《げき》として声がないと云っても夜には夜の響きがある。とおい響きは集ってぼやけて、一種の響を作っている。そしてその間に近い葉擦《ず》れの音や、時計の秒を刻む音、汽車の遠い響きや汽笛も聞える。私の遊戯というのはそれらから一つの大聖歌隊を作ったり、大管絃楽団を作ることだった。
それはちょうどポンプの迎え水というような工合に夜の響のかすかな節奏《リズム》に、私の方の旋律《メロデイー》を差し向けるのだ。そうしている中に彼方の節奏《リズム》はだんだん私の方の節奏《リズム》と同じに結晶化《クリスタライズ》されて来て、旋律が徐々に乗りかかってゆく。その頃合を見はからってはっと肩をぬくと同時にそれは洋々と流れ出すのだ。それから自分もその一員となり指揮者となりだんだん勢力を集め この地上には存在しないような大合唱隊を作るのだ。
このような訳で私が出来るのは私がその旋律を諳《そら》んじているものでなければ駄目なので、その点で印象の強かった故か一高三高大野球戦の巻は怒号、叫喚、大太鼓まで入るほどの完成だった。それに比べて、合唱や管げん楽は、大部分蓄音器の貧弱な経験しか持たないのでどうもうまくはゆかなかった。しかし私はベートオーフェンの「神《エー》の《レ・》栄《ゴツ》光《テス》……」やタンノイザーの巡礼の合唱を不完全ながらきくことが出来たし、ベートオーフェンの第五交響楽は終曲《フイナーレ》が一番手がかりのいいことを知るようになった。しかしヴァイオリンやピアノは最後のものとして残されていた。
時によっては、独唱曲を低音の合唱に演《えん》繹《えき》し、次にそれの倍音を探りあて、ただそれにのみ注意を集めることに依って私はネリイ・メルバが胸を膨らまし、テトラッチニが激しく息を吸込むのが彷《ほう》彿《ふつ》とするほどの効果を収めた。おまけに私は拍手や喝《かつ》采《さい》のどよもしを作って喜んでいた。しかしまったく出《で》鱈《たら》目《め》な中途でこれが出て来たりした。出鱈目はそれどころではなかった。寮歌の合唱を遠くの方に聞いている心持の時、自分の家の間近の二階の窓に少女が現われてそれに和している、――そんな出鱈目があった。あまり突飛なので私はこの出鱈目だけを明瞭《はつき》り覚えている。
しかし出鱈目はかえって面白い。まるで思いがけない出鱈目が不意に四辻から現われ私の行進曲に参加する、また天から降ったようにきまぐれがやって来る、――それらのやって来方が実に狂想的で自在無《む》碍《げ》なので私は眩《げん》惑《わく》されてしまう。行進曲は叩き潰されてしまい、絢《けん》練《れん》とした騒《そう》擾《じよう》がそれに代るのだ。――私はその眩惑をよろこんだ。一つは眩惑そのものを、一つは真近な睡眠の予告として。
感覚器の惑乱は視覚にもあった。その頃私は昼間にさえそれを経験した。
ある昼間、私はその前晩の泥酔とそれから――いやな話だが泥酔の挙《あげ》句《く》宮川町へ行ったのだ――私はすっかり身体の調子を狂わせて白日娼家の戸から出て来た。
あの泥酔の翌日ほど頭の変な時はない。七《なな》彩《いろ》に変わる石鹸玉の色のように、倏《しゆつ》忽《こつ》に気持が変って来る。
胃腑の調子もその通りだ――なにか食べないではいられないようないらいらした食欲が起る。私はその駄々っ子のような食欲に色々な御馳走を心で擬して見る。一つ一つ、どれにも首《かぶ》りをふらないのだ。それでいて今にも堪らないように喚く。
(私にはこんな癖がある。私が酒にようと、よく、酒をのむ私に対して酒に虐《しいた》げられる私を想像する、そして私はこの犠牲者にぺこぺこお辞儀をしたり、悪いのはわかっているがまあ堪忍してくれと云って心の中で詫びたりそんなことをするのだ。)そう思って見ると私がこの括《かつ》弧《こ》のあちら側で、私の胃腑を擬人的に呼んでいるのもまんざら便宜のためばかりでもないのだ。――そこで虐げられた胃腑はもう酔の醒《さ》めた私にやけになって無理を云いはじめる。
――若葉の匂いや花の匂いに充ちている風のゼリーを持って来いとか、何か知らすかすかと歯切れのする、と云ってもそれだけではわからないが、何しろそんなものが欲しいのだとか。また急に、濁ったスープを! 濁ったスープを! といい出す。しかし私がその求めに応ずべく行動を開始し出すと、あそこのは厭だなあ! とか、もう嫌になった、反《へ》吐《ど》が出そうだ。とか――私は前夜の悪業をつくづく後悔しながら白日の街の中程に立ってまったく困却してしまうのだ。
今注文したばかりの料理が不用になったり、食いはじめても一《ひと》箸《はし》でうんざりしたり、無茶酒の翌日と云えば私は結局何も食わずに夕方まで過すか、さもなければ無理やりに食ってお茶を濁すのが関の山なのだ。
情緒が空の雲のように、カメレオンの顔のように姿をかえ色を変えるのもその時だ。
英雄的な気持に一時なったかと思うと私はふと鼻《はな》緒《お》に力が入り過ぎているのに気がつく――と思っている間にも私の心は忽《たちま》ち泣けそうになって、眼頭に涙をこらえる、お祭の行列が近所を通る気配のようなものを感じるかと思えば――鴨川の川《かわ》淀《よどみ》の匂いにさえ郷愁と云ったような気持にひきこまれる。それでいては、何か大きな失策をしているのにそれが思い当らないような気持になる。それは饐《す》えた身体から醗酵するにはあまりに美しく澄んでいて、いい音楽に誘われでもしなくてはとても感ぜられないような泪《なみだ》ぐましい気持である。
ともすればそのまま街上で横になりたいような堪らない疲労と 腋の下を気味悪く流れ伝って来る冷汗。酒臭い体臭やべとべとまつわりつく着物 それは何という呪われた白昼だ。
ちょうどその日も私はそのような状態で花見小路の方から四条大橋の方へ、ちょうど二びきの看板の下あたりまでやって来たのだ。
その時私はふと、天啓とでも云いたいような工合に、ありあり弟の顔を眼の前に浮べたのだ。しかしそれが不思議なことにはちょうど五六年前の弟の顔だ、白い首からの前だれをかけて飯を食ている、どんな訳があるのか弟はしかめっ面をして泪をポロッポロッ滾している――その涙が頬から茶碗の中へ落ち込むのだ。しかも一体どうしたと云うのか弟は強いられたもののようにまた口惜しまぎれのようにガツガツ飯を食っているのだ――今こそ私はその事実だけを覚えているだけで弟の五年前の顔など思い出せはしないのだが、その時はその五年前の顔ばかりが浮んで来るのだ、いくら今の顔を思い出そうと努めてもその顔、しかもその歪《ゆが》んだ顔が出て来るばかりなのだ。
一体何の因果だ! 私はその日一日それが何を意味するのか、ひょっとして何かの前兆なのじゃないのかななどと思って悩まされ通したのだ。(私はその顔をもう一度その夜だったか、その翌晩だったか――例の精神の大《おお》禍《まが》時《どき》の幻視にそれを見た。)
何しろその頃は変なことがちょいちょいあった。ある時は京阪電車にのっていて、私の坐っている向側の、しめ切った鎧《よろい》戸《ど》を通して、外の景色が見えて来た。一体私はその辺の風景をよく覚えていたのだが、それがまるで硝子戸越しに見ているように、窓の外の風景が後へ後へと電車の走るのにつれてすさってゆくのだ。大方私はクッションの上で寝ぼけていたのかも知れない。しかし気がついて見ておどろいた。
とは云うものの私一流にそれがまた享楽でもあったのだ。――
ちょうどその頃は百万遍の銭湯で演じた失策談が友人の間で古臭くなって来た時分だった。私は直ぐそれを友人達に吹《ふい》聴《ちよう》してまわった。
銭湯での失策というのも確か泥酔の翌朝だった。私は湯から上って何の気なしにそこに備えてあった貫《かん》々《かん》にのって目方をはかって見たのだ。私は十三貫の分銅をかけておいて、目盛の上の補助分銅を動かしていた。その頃の私は量《はか》るたびに身体の目方が減って来ていたのだが、不思議にもその補助分銅は前の日の目盛を通り過ぎて百目二百目と減じてゆくのに――それをまた私は蟻の歩みのようにほんの少しずつ少しずつ難しい顔をして動かしていたのだ、――三百匁四百匁とへらしているのに片方の分銅の方は一向あがって来ない。私のその時の悲しさと怪《け》訝《げん》の念を察して見るがいい、私は、もうこれは変だと、とうとう思い出したのだ。もう君にもわかっているだろう。私は貫々の上へ乗らずに板敷の上にいたままそれをやっていたのだ。
気がついてしまったと思うと同時に私は顔があかくなった。しかし人がそれを見ていなかったと気がついた後も、私は一切れの笑いさえ笑えなかったのだ。――私は前と同じ、これは変だぞという疑をみじめにも私自身に向けなければならなくなったのだ。私の顔の表情が固くこびりついてしまった。私はその自分自身に向けられた疑いが一落附きするまで――それには一日二日かかったのだが、友達一人にさえそのことは話せなかった。――私はやっと一落附になってから、俺は変だと皆に触れて歩いたのだが。
何しろこんな時代だ。逢魔が時の薄明りに出て来る妖怪が栄えたのに無理もないことは君もわかってくれるだろう。
夜の幻視にもいろいろあった、しかし幻視と言っても眼をあけている時に見えるようなものでは決してなかった。突飛なのだけは忘れない。
こんなのがあった。セザンヌの画集の中で見る、絵画商人かなにかのタンギイ氏の肖像がある時出て来た。その画では日本の浮世絵を張りつけた壁のようなものが背景になっていて、人物はこの頃文学青年がやっているように丸く中折の上を凹ませたのを冠り、ひげの生えた顔を真正面にしている。私はその人物が画の中から立ち上って笑い出すのを見たのだ。どうしてタンギイ氏の肖像などが出て来たのだろうか、何かの拍子で私がそれを思出すと同時に、眼前に彷彿として来て、動き出したのじゃないか、――どうもそう思うのが正当らしい。――幻視も不意に出《で》鱈《たら》目《め》をやり出すのだ。
こんなこともあった。
例のもやもやとした、気持の混乱を意識し出した最中に、「今だ 枕をつかんでうっつぶせになり深い谿《けい》谷《こく》を覗《のぞ》くような姿勢をして見ろ!」と不意に自分自身に命じたのだ。私は次の瞬間そうしていた。するとちょうど私はヨセミテの大《だい》峡《きよう》谷《こく》の切《きつ》尖《さき》に身を伏せて下を見下すときはさもあろうかと思われたほど、ただならない胸の動《どう》悸《き》と、私を下に引《ひき》摺《ず》るようにも思える高層気流と、高い所から見下す時の眩暈《めまい》を感じた。私は手品師がハッ! ハッ! と気合をかけて様々の不思議を現出せしめるように、やはりそのハッハッという気合がどっかから聞えて来るような気持で寝床の上を海《え》老《び》のように跳ねて――奈《な》落《らく》に陥《お》ちる気持やら何やら様々の気持を身内に感じたのもその頃の夜中の事だった。
君には多分こんな経験があるだろう。――私の力ではそれがどうしても口では伝えることが出来ないのだが――もし君がそれを経験しているのだったら、あるいはこのような甚だ歯がゆい言い方だがそれで、ああそれそれ! と相《あい》槌《づち》を打ってくれるだろうと思う。
経験しながら探っていると一度何かで経験したことのある気持であるにちがいないという気がする、触感からであったか、視覚からであったか、――それが思い当ればそれらを通してその気持を説明出来るのだが、しかし見す見すそれが思い浮ばないのだ。子供の時ではそれが風邪などで臥《ふ》せっている時の夢の中へ出て来た。私が覚えているのは――
涯《はて》しもない広々とした海面だ、――海面だと云うのはむしろ要《かなめ》ではない、何しろ涯しもない涯しもない、涯しもなく続いている広い広いそれこそ広い――「ずーっと」という気持、感じがそれなのだ、――それが刻々に動いているようでもあり、私が進んでるようでもあり――ついにはそのあまりの広《こう》袤《ぼう》が私の心を圧迫し、恐怖させるようにまでなる。
病気の時の夢に見た経験を私は醒《さ》めていて、もう毎晩繰りかえすようになった。
同じようなことは以前にもあった。――しかしその頃はそれが単なる気持の認識(?)では留まらないほどの性悪なものになってしまっていた。
劫《ごう》初《しよ》から末世まで吹き荒《すさ》ぶと云おうか、量《はか》りしられない宇宙の空間に捲《ま》き起る、想像も出来ないような巨大な颶《たい》風《ふう》が私を取巻いて来たのを感じはじめる。それがある流れを形作っていて、急に狭い狭い――それまた想像も出来ないような狭さに収《しゆう》斂《れん》するかと思うと再び先ほどの限りもない広さに拡《ひろ》がるのだ。その変化の頻《ひん》繁《ぱん》さは時と共にだんだん烈しくなり、収斂、開散に伴う変な気持も刻一刻強くなってくる。
もしその時に自分自身の寝ている姿が憶い浮んで来ると、その姿はその流れの中に陥ち、その流れの通りの収斂、開散をする。その大きさを思うと実に気味がわるい。ゴヤの画に出て来る、巨男が女を食っている図や大きな鶏が人間を追い散らしている図 規模は小さいが ちょっとあれを見た時の気持に似ているようにも思われる。
しかし何も憶い浮べないでもその気持は、機械の空廻りと同じで 形の見えない、形の感じというようなものの大きな空廻りをやっている。
私はそれが増大してゆくにつれて恐ろしくなって来る、気が狂いそうに、よほどしっかりしてないとさらってゆかれるぞと思う。――そしていよいよ堪え切れなくなると私は意識して ああああと声を立ててそこから逃れるのが習慣になってしまった。私は寝るまでには必ずそのアアアアをやるようになったのだ。
随分話が横にそれてしまったが、――これが今も云う精神の大禍時の話なのだ。
さて云ったように、このような妖怪共はかえって消極的な享楽にさえその頃は変えられていたのだ、――云ったようにその間だけでも私は自分の苦しい思い出から逃れられた訳だし、またそれが睡眠の約束であったからだ。
しかしこれが仲々やって来ない、真夜中過ぎて三時四時頃までも私は寝床の中で例の債鬼共の責《せめ》苦《く》にあわなければならないのだ。
そんな夜を、どうして私は自分の下宿の自分の部屋で唯一人過すようなことが出来よう。
――ここで私が私の下宿へ帰るところだったことを思い出して貰いたい、話はそこへ続いてゆく。
その当時私の下宿は白川にあった。私はほとんど下宿の払いをしなかった。それが一学期に一度になったり、正確に云えば改悛期が来るまで滞《とどこお》らせておいた。
初め私の借金はその改悛期の法定期間というようなものを勤めあげるかあげない裡《うち》にそろそろ始り出す。それが苦になる頃にはまず大きなかさになっている。
学校の欠席もその通りで、新学期のはじめ一月間は平気で欠席する。そしてまだ平気だまだ平気だと云っているうちにその声にどうやら堆《うず》高《たか》いブランクの圧迫を捩《ね》じ伏せようとするような調子を帯びて来る。私は一日一日、自分の試みようと思う飛躍の脛《あし》がへなへなとなってゆくのを――いまいましく思う。昨日が十の努力を必要としたような状態だとすると今日はまた一日遅れただけの十一の努力を必要とする。しかし私はまだ自信を持っている。しかし一日勉強にとりかかって見ると勉強というものが実に辛い面倒なことだと思う、そして私の自信が少し崩されて私は不愉快な気持でそれをやめて、次のベターコンディションの日を待つのだ。そうして私は藻《も》掻《が》きながら這い出られない深みへ陥ちてゆく。そしてだんだんやけの色彩を帯びて来る。
当時、私はもうその程度を超えていた。借金と試験の切迫――私はそれが私の回復力に余っていることを認めてはいながらしかもそれに望みをかけずにはいられなかった。何《な》故《ぜ》と云ってそれまでに私は幾度もそのような破産で母を煩《わずら》わせていて、こん度と云うこん度はいくら私が厚《あつ》顔《かま》しくてもそれが打ちあけられる義理ではなくなっていたし、もしその試験がうけられなければその学年は落第しなければならないしかも前年に一度落第したのだからそれを繰返えすようなことがあっては私は学籍から除かれなければならないのだった。
しかしその重大な理由も私のような人間にとっては飛躍の原動力とはならなかった。それが重大であればあるだけ私の陥ち込み方はひどくなり、私の苦しみはますます烈しくなって行った。
ちょうど木に実った林檎の一つで私はあった。虫が私を蝕《むしば》んでゆくので他の林檎のように真紅な実りを待つ望みはなくなってしまった。早晩私は腐っておちなければならない。しかしおちるにはまだ腐りがまわっていない、それまで私はだんだん苦しみを酷くうけながら待たなければならない。しかし私は正気でそれを被《う》けるには余りに弱い。とうとうお終《しま》いに私は腐らす力の方に加盟する、それと同時に自分自身を麻痺ささなければならない。借金がかさんで直接に債権者が母を仰天さすまで、また試験が済んで確実に試験がうけられなくなったことを得心するまで――私は自分の感情に放火《つけび》をして、自分の乗っている自暴自棄の馬車の先《さき》曳《び》きを勤め、一直線に破滅の中へ突進してそして摧《くだ》けて見よう。――始まれるものならそこから始めよう。――その頃私はそういう風な狂暴時代にいたのだ。
下宿はすでに私の為の炊事は断った。ひと先ず払いをしてくれ。そして私の前へ三ケ月ほどの間の借金の書きものが突き出された。
そして下宿は私の部屋の掃除さえしなくなったのだ。
私が最後に下宿を見棄てた時、私の部屋には古雑誌が散乱し、ざらざらする砂《すな》埃《ぼこ》りがたまり寝床は敷っ放し、煙草の吸殻と、虫の死骸が枕元に散らかされているような状態だった、そして私は二週間も友人の間を流転していたのだ。
そんな部屋へその夜どうして帰る気など起るものか。そんな夜更けに夜盗のように錠前をこじあけ、帰って見たところで義務を思い出させるものに充満し、汚れ切っている寝床の中で直ぐ寝つける訳でもない。それにいつかのように布団の間で鼠が仔を産んでいたりしたら。
私はあれやこれやと思いながら白川道をとぼとぼ下宿の方へ歩いていた。
私は病みかつ疲れていた。汚れと悔いに充されたこの私は地の上に、あらゆる壮厳と、豪華は天上に、――私はそんなことを思うともなく思いながら、真暗な路の上から、天上の戴冠式とも見える星の大群飛を眺めた。
私はその時ほどはっきり自分が独りだという感じに捕えられたことはない。――それは友達に愛《あい》想《そ》尽《づか》しをされている為の淋しさでもなかったし、深夜私一人が道を辿《たど》っているというその一人の感じでもなかった。情ないとか、淋しいとかそのような人情的なものではなく、――何と云ったらいいか、つまり条件的《コンデイシヨナル》ではない絶対的《アブソリユート》な寂《せき》寥《りよう》、孤独感――まあそのようなものだった。私はいつになったらもう一度あのような気持になるのかと思って見る。
その次に私はふと母のことを思い出したのだ。私は正気で母を憶い出すのは苦しい堪らないことだったのだ。しかも私はどういう訳かその晩は、もし母が今、この姿の、この私を見つけたならば、息子の種々な悪業など忘れて、直ぐ孩《ちの》児《みご》だった時のように私を抱きとってくれるとはっきり感じた。――そしてそんなことをしてくれる人は母が一人あるだけだと思った。――私はその光景を心の中で浮べ、浮べているうちに胸が迫って来て、涙がどっとあふれて来た。
――私は生ける屍《しかばね》のフェージャが、自分は妻に対して済まないことをするたびごとに妻に対する愛情が薄らいだと云うような意味のことを云っているのを知っている、私も友人や兄弟などにはその気持を経験した。ちょうど舟に乗った人が櫂《かい》で陸を突いたように、おされた陸は少しも動かず、自分の舟が動いて陸と距《へだ》たるという風に――自分の悪業は超えられない距りとなってしまう。しかし母との間はちょうどつないだ舟のようなもので、押せば押すほど、その綱の強いことがわかるばかりなのだ。
しかしそんな談理では勿論ない、――あとからあとから、悲しいのやら有難いのやらなんともつかない涙が眼から流れ出て来たのだ。
しかしその頂点を過ぎると涙も収り気持は浪のように退いて行った。
私は自分が歩むともなく歩んでいたのを知った。心の中は見物が帰って行った跡の劇場のように空虚で、白々していた。身体はまったく疲れ切って、胸はやくざなふいごのように、壊れていることが恐れではなく真実であることを教えるようにぜいぜい喘《あえ》いでいるのだ。
あと壱丁ほどが、早く終ってほしいような、それでいてまたそれと反対の心が私の中に再び烈しく交替した。――しかも私の足は元の通りぎくしゃくと迭《たが》いに踏み出されている。
何とまあ情ないことだ、この俺が、あのじたばた毎日やけに藻《も》掻《が》いていた苦しみの、何もかもの総決算の算《そろ》盤《ばん》玉《だま》から弾《はじ》き出されて来た俺なのか。
私は何だか母が可哀そうに思ってくれるよりもこの私自身がもう自分という者が可哀そうで堪らなくなって来た。
私はもう何にも憤りを感じなかったし悔いも感じなかったし嫌悪も感じなかった。
そして深い夜の中で私は二人になった。
「お前は可哀そうな奴だな。」と一人の私が云うのだ。も一人の私は黙って頭をうなだれている。
「一体お前のやったことがどれだけ悪いのだ。」
「あああ。可哀そうな奴。」
…………………………………
そして一人の私が大きいためいきをつくともう一人の私も微《かす》かにためいきをつく。
そして私は星と水車と地蔵堂と水の音の中を歩み秘《ひそ》めていたのだ。
私は眼をあげた、ずっと先ほどから視野の中にあったはずの私の下宿を私ははじめて見た。
学生あてこみのやくざ普しんのバラックのように細長くそして平屋の私の下宿を。
私には心が二人に分れていたことの微かな後味が残っていた。――ふとその時また私に悲しき遊戯の衝動が起った。
この夜更けに、この路の上でこの星の下で、この迷い犬のような私の声が一体どんなに響くものなんだろうか。皺《しわ》枯《が》れているだろうか、かさかさしてるのか知ら、冥《めい》府《ふ》から呼ぶというような声なのか知ら。――そう思っているうちにも私は自分自身が変な怪物のような気がして来た。私がここで物を言っても、たとえそれが言っている積りでも、その実は何か獣が悲しんで唸《うな》っている声なのじゃないか――一体何《な》故《ぜ》アと云えばあの片《かた》仮《か》名《な》のアに響くのだろう。私は口が発音する響きと文字との関係が――今までついぞ疑ったことのない関係が変てこで堪らなくなった。
一体何《な》故《ぜ》(イ)と云ったら片仮名のイなんだろう。
私は疑っているうちに私がどういう風に疑って正当なのかわからなくさえなって来た。
「(ア)、変だな、(ア)。」
それは理解すべからざるもので充たされているように思えた。そして私自身の声帯や唇や舌に自信がもてなくなった。
それにしても私が何とか云っても畜生の言葉のように響くのじゃないかしら、つんぼが狂った楽器を叩いているように外の人に通じないのじゃないか知ら。
身のまわりに立《たち》罩《こ》めて来る魔法の呪いを払い退けるようにして私の発し得た言葉は、
「悪魔よ退け!」ではなかった。
外でもない私の名前だったのだ。
「瀬山!」
私は私の声に変なものを味わった。ちょうど真夜中自分の顔を鏡の中で見るときの鬼気が、声自身よりも、声をきくということに感ぜられた。私はそれにおっ被せるように再び
「瀬山!」と云って見た、その声はやや高くフーガ(fuga)のように第一の声を追って行った。その声は行《あん》燈《どん》の火のように三尺もゆかないうちにぼやけてしまった。私は声を出すということにはこんな味があったのかとその後味をしみじみ味わった。
「瀬山」
「瀬山」
「瀬山」
「瀬山」
私は種々様々に呼んで見た。
しかし何という変てこな変曲なんだろう。
一つは恨むように、一つは叱るように、一つは嘲《あざけ》るように、一つ一つ過古を持っており、一つ一つ記憶の中のシーンを蘇らしてゆくようだ。何という奇妙な変曲だ!
「瀬山」
「瀬山」
「瀬山」
「瀬山!」今度は憐《あわれ》むように。
先ほどの第一の私と第二の私はまた私の中で分裂した。第一の私が呼びかけるその憐む声に、第二の私はひたと首をたれて泪ぐんでいた。
「瀬山!」第一の私の声もうるんで来た。
「瀬山」…………
そして第一の私は第二の私と固く固く抱擁しあった。
私はもう下宿の間近まで来ていた。
私はそこに突立った。つきものがおちたように。「帰ろうか、帰るまいか。」私はまた迷った。
しかし私は直ぐ決心した。帰るまいと決心した。そのかわり私は不意に喚《わめ》き出した。
「瀬山!」
友達の誰彼からも顧《かえりみ》られなくなった瀬山極のために、私は深夜の訪客だ。「俺はお前が心配でやって来たのだ。」
「瀬山君!」
私は耳を澄して見たが、その声が消えて行った後には何の物音もしなかった。
「瀬山!」
畜生、糞《くそ》いまいましい、今度は郵便屋だ、電報だ、書留だ、電報為替だ、家から百円送ってくれたのだ。
「沢田さん! 電報!
瀬山さんという方に電報。」
私はヒステリックになり声は上ずって来た。そして下駄で玄関の戸を蹴り飛ばした。
「へい!」マキャベリズムの狸親爺奴、おきて来やがったな。
私は逃足になって来たのを踏みこらえて、
「三五郎の大馬鹿野郎」
と喚いたまま、一生懸命に白川道をかけ下りたのだ。
* * * * *
瀬山極の話はそこで終ったのではなかったが、しかし私はその末尾を割《かつ》愛《あい》しよう。
しかし私は彼が当然の結果として今年もまた落第したことをつけ加えておかねばならない。私は学校の規則として彼が除籍される為に、彼が職業を捜す相談にも与った。
私はその中《うち》に東京へ来てしまった。
彼の最近の下宿へ問合せを出したり、京都の友人に尋ねて見たりしたが、彼の行方はわからなかった。ある者は復校したと云いある者は不可能だと云った。私は彼の夢を二度まで見た。
それで心がかりになってまた問合せを出した上、私の友達が徴《ちよう》兵《へい》で京都へ帰るのにくれぐれも言伝てた。
そして最近彼の手紙がやっと私の許に届いた。私が彼についてのことを書きかけたのはその手紙を受取ってからのやや軽い安《あん》堵《ど》の下にである。私は彼の手紙を読んでいるうちに彼の思出が絵巻物のように繰拡げられて行った。私はそれを順序もなくかき出した。しかしいつまでかいても切りがない。私は彼の手紙の抄録をすることによってこの稿を留めようと思う。
(大正十三年)
夕凪橋の狸
私という恥多い者にもこのような憶い出がある。十幾年という昔の話である。
それはまだ自分が中学の三年か四年の頃だったように思う。まだ弟達が随分小さい時のことだった。上の方の弟が小学校の二年、小さい弟がまだ小学校へ上っていなかったか、それとも一年生になっていたか、――なににせよずっと古い頃の出来事なのである。
私がそれまで経験して来たところによると、親というものは子供の安否を、まるで馬鹿げきった想像までもして、気遣うものであるということが頭に滲みていた。
私が心配される時、それから兄弟が心配される時、私はそれを正当と思うよりもある腹立たしさをいつも覚えるのが常だった。
旅行の出発の時に永々とひきとめられて注意をきかされたりすると、単にはいはいときき流していればいいとは思っていても、ついいらいらした気分になってしまうことがよくあった。また、弟等二人が海水浴へやってくれとせがんでいるのに 危いからやれないなどと云っている父母を見ると、私はつい干渉がましいことを云って見たくなった。海水浴は父母が最も嫌ったものの一つであった。海水浴へ行ったものの予定の帰宅の時間が少しでも経過すると、私は直ぐに父母の顔色から不安の色を読むのだ。そして一時間も遅れると矢も楯《たて》も堪らないように私達にさがしに行って来てくれと云い出す。私としても全然不安がないとは云えない、しかし私はそんな場合、私の感じているだけの不安をもってそれのある程度にまで同情する代りに全然反撥してしまうのが常だった。無暗に腹が立って来て、そんな馬鹿なことがあるものかと云いたくなる。第一にそんなことを心配するのがまるで馬鹿げた杞《き》憂《ゆう》で、第二にはそんな用事をいいつかるのが大嫌いだった私は、そんな杞憂のエゴイズムの為に働かされるのは真平だと考えていたからであった。それに多《た》寡《か》を括《くく》っている私に、どうしてそんな遠い所まで捜しにゆく元気が出るものか――そしてそれはいつも行きちがいになるか、何かそのようなむだになるのにきまっていたのだ。
今から思って見れば、海水浴などは、子供が家の戸を出るや否《いな》やから、父母はもうそれを許したことを後悔しているのだ。たとえ正当の時間に帰って来ても、帰って来るまでが大きな重荷だったのだ。
親たることのいかに大きい十字架であることだろう。
やはりそのようなことが起ったのだ。
冬か初冬だったと思う。寒い時候だった。二人の弟が昼飯時から姿を消したまま、夕方になっても帰って来ないのである。弟達の声がきこえない家は妙に淋しかった。どこにいても必ず帰って来るべき、お八つの時になっても帰って来ない。私と母は二人きりでひっそりとお茶をのんでいたが、その時にはもう例の不安が争えない色や線になって、彼女の顔に描き出されていた。それを見ると私はまたぷっとしてしまって、二人の行方を怪しむような言葉などおくびにも出さなかった。
豆腐屋が通ると次には夕刊が来、それから街燈という風に遠慮なく夜は迫って来ても、二人は帰らなかった。家の前の病院の電燈はいつものように赤く、さむざむと暮れてゆく冬の夕方の白っけた空気の中にその色が妙に淋しかった。
ぱっと部屋の電燈にも電気が来る、それが来たとき「いよいよ来た。」と私は思った。
勿論母は早くから不安に苛《さいな》まれていたに違いない、しかし私にはそんな早くからその不安を訴えることは出来ない。(それは私が間違いなく反撥することも事実だったが、母はある正直さから自分の時を弁《わきま》えない厄介な心配を恥じてさえいたというのも間違いのない事実なのである。)しかし今はもう電燈も来たのだ。夜になったのだ。あれも心配するのが当然である時が来たのだ。――こう思って母は捜しに行ってくれと云いに来るにちがいがなかった。
電燈が母の不安を爆発さす関所であった訳をこういう風に考えても満更妥当を欠いてはいないだろう。即ち時計の針の動きにしろ、日光が薄れてゆく加減にしろ、それは時々刻々の変化で、従ってそれに伴う母の不安も滑らかな増加を見るに過ぎないが、電燈が夜の来たことの争えない証拠であり、厳とした道程標である以上、夜が迫って来る感じはその瞬間飛躍して、ぐんと色の濃いものになり、母の不安ももう立ってもいてもいられない程度に激変する。
とにかく八千衢を暗に封じ込めてしまう夜が来たのだ。
思った通り母は私の部屋へ入って来た。
「お前この近所にはいないんだよ。○○さんの所にも、××堂にも。お前どっか心当りがありませんか。」
「心配しなくっても直ぐ帰って来ますよ。」
「でも。お前、ひょっと二人がどこかへゆくってな相談をきかな……(欠)
……土産《みやげ》がいつものようにあったのだ。)
しかし母はそれにも気付いてはいたが、まさかと思うと云い出した。
「だって、歩いてゆくのは大変だし。あの児らはお銭《あし》は持っていないはずなんだよ。」
「でもわかりませんよ。一度電話をかけて見たらどうです。」
母が立って行った後で、今頃かけても父はもう帰り路だろうなどと私は考えていた。
しかし電話も駄目だった。帰り路だと思っていた父はその晩は忙しくて会社にいて電話口へ出たが、弟達はゆかなかったこと、それから次郎に捜させろということを云って電話を切った と母は沈みながら云った。
とうとう捜して来いと云うのだな! と思うと私はまた腹が立って来た。「次郎に捜させろ!」と父が云ったというのもどうかわかるものか。
「ね、捜して来ておくれ。」
「捜しに行ったって無駄ですよ。一体どこにいるかというあてもないのに。いつもの事ですよ。直ぐ心配するんだ。この間だって。――」
と云いながら私は母の愚かなる心配なるものの例を列挙し出して、毎度の心配の捲添えになって、いつもの馬鹿げた捜索にやられるのを徹頭徹尾回避しようとした。
「帰って来ますよ。三郎だって十にもなっているんだから迷児になっても心配なんかありません。」
しかし母も負けていずに、迷児を出した不幸な家の考証をはじめた。そして最後には父の命令もあるのだし、
「強情はってゆかないのならお父さんに云いつけるよ」と厳しい眼をした。
「だって、腹も空《す》いてるし。」と私は云った。本当にそうでもあったし、また一つにはこうなれば飯に難癖をつけてすねてやれ、そのうちに帰って来るかも知れないというのが私の腹であった。
「だから御飯も用意してあるから。」
と云うので立って行って見ると、電燈の光の下の卓《ちや》袱《ぶ》台《だい》の上には私一人分だけの茶碗やその他の陶器がその冷たい肌の上に各《おの》々《おの》一つずつの電燈の小さい影像を写し出している。落ち着いて飯でも食ってやれという依怙地な計画も気が乗らなくなってしまい、こんな時には意地にでも空腹を抱えて飛び出すというあてつけの方が私の腹立ちには快かったので、私は第一、そんな寂しい食卓では食欲が起らなかったし、ちゃんと用意までしてあるんだなと思うと、誰が食ってやるものかと思った。
「お前食べないのかい。」
私は腹が立っていたので返事もせず、足音であたり散らかして、どんどん家を飛び出した。
先ず私は近所の○○さんや××堂へ行って、弟達を見なかったかとか、どこかへ行くと云っていなかったかとか云ってききただしたが、何の手懸りもえられなかったので、不平でぶーぶー膨《ふく》れ面をしながら暗い路を○○神社の方へあるき出した。私の心の中の不平は憤りとなって、その道々弟達の上に燃えた。
「捕まえたら、撲《なぐ》りつけてやる。」
しかしその報いられない捜索が別に確かなあてのあるものでもなく、そして何というつまらなく腹立たしいことを強いられているのだろうと思いながら、その賑かな通りをあるいていると、小料理屋の格子から冷い夜気の中へ白く湧き出て来る湯気や、醤油のたきつまる匂は堪らなく私の空腹を淋しがらせはじめたのだった。するとまた、こんな考えも浮んで来る。――(もう彼等は家へ帰っているかも知れない)そんな気持が湧いて来ると、一人で空腹を抑えながら不熱心にその辺りをほっつき歩いている私には、その好都合な想像がやがて本当の事実として映るようになり、無責任にいい加減歩きまわったのを機会に私はまた急いで家へ帰りはじめた。
「帰っていたら、いきなり撲ってやる。」
私はまだ不平を街上に鳴らしながら家まで帰った。
しかし私のその急き込んだ予想も、家のしきいをまたいだ瞬間にそれが裏切られていたことがわかった。弟達はまだ帰っていなかった。しかし会社からは父が帰っていた。
「どうだった。」
父は尋ねた。
「○○神社へ行ったのですがいませんでした。」
「××町は。あの・・は。」
「行きませんでした。」
「あそこを捜しておいで。」
空腹の私に飯も食わさないでもう一度近くもない××町までやろうとする父の気持が 乱暴にも、残酷にも言語道断に思えた。(飯も食わずに○○神社まで行ったんだぞ)と心の中ではぷんぷん憤っていた。父の前には温かな湯気を立てている鍋《なべ》があった。私はその匂いに力強くひきつけられた。
さっき食わずに出たものを、母が何故、飯を食ってからゆけと云わないのだろう、私にはそれがまた腹立しかった。私はまたこじれた考えを抱いた。ここで飯を食おうと云いはろう。父は私がもう飯をすませた事だと思っていただろうから私が直ぐにゆける積りでいたのだろう。それだから、飯を食おうと云うと牴牾《もどか》しがって、飯は後にしてと云うだろう。そこで口答えをしてやろう。別にそのように意地悪い論理を働かした訳ではなかったにせよ、飯を食わせろと云った私の心は不平のあまりたしかにその辺を大きく狙っていたに違いなかった。
「さきに御飯をたべさせて貰います。」
「なんだ、御飯はあとにして直ぐ行っておいで。」
「お腹がへってるんです。」
「それじゃ二《ママ》郎や三《ママ》郎はどうなんだ。あれらも腹を空かせてるじゃないか。」
「それは勝手です。」
自分ながら云い切ったなと思った。
父が見る見る目に角をたてるのを母は制しながら、さっき食ってゆけと云ったのを食わずに行ったのだからと云って飯の用意をしてくれた。
私は意地わるくそれを見ながら、うんとこさ食ってやれ、と思っていた。しかし意地もなにもない真正の空腹にその飯は意地でも張りでもなく本当にうまかった。しかし私が飯を食いかけるが早いか 私はもう捜しにゆかなくてもいいようになった。弟達が帰って来たのだった。
下駄をぬいでいる小さい足音をきいた時、私達はおやと思った、帰って来たのかな。そう思った瞬間、彼等は一体どこに今までいたのだろうという疑問やその時まで私の心の底にあった心配が自由に蘇って来た。
電燈の光の下へ、ぱたぱたと姿を現わした時彼等は二人とも、悄《しよ》げて、真面目であった。それで父や母に対するこじれた気持もその瞬間ずっと薄れてしまったように思えた。
「帰って来た。」
十になる三郎はものにおびえた表情をしていたし、七つの四郎は泣いていた。
「どこへ行ってた。」
父は先ず厳しくきいた。三郎は、築港へ軍艦を見に行ったのだと低い神妙な声で答えた。この間盛《さかん》に母にゆかせてくれるように三郎がねだっていたのを私は思い出して私は合点が行った。母はいつもの心配性でその時肯《がえん》じなかったのだった。
「築港へ。」
父も母も少し呆れていた。勿論それは無鉄砲な遠足に相違なかった。
「馬鹿、ここまでおいで。」
私は父が三郎を折檻しやしないだろうかと思った。
すでに入る時泣いていた四郎は、だんだん泣き声を大きくして喚き出した。声を大きくすればするほど、そして涙を流せば流すほど、彼がこの家へ帰りつくまでに嘗《な》めつくした、恐怖や、空腹や、頼りなさや苦痛の痛手がそれだけ早く癒るかのように。またその泣声は家へようやく帰りついた、重荷を下した喜びのあまりの泣声だったのだ。その泣声の合間合間に四郎は「−−−でさんちゃんが−−したんだよう」と云ってわけのわからない讒《ざん》訴《そ》をはじめた。
永い間の心配からの解放の気持も私にはよくわかった。それは志賀直哉の「真鶴」や芥川龍之介の「トロッコ」にかかれている児供の気持そっくりの気持であったにちがいないのだ。「しかし四郎甘えてやがるな。」と私は思わざるを得なかった。それ故、彼をただ泣かしておくだけで何ともかまってやらない母の正当な処置が私には快く思われた。
年も小さく末っ児ではあり、みなに可愛がられている故か、四郎の、大きな泣声で直ぐ父母の懐の中に飛び込んでゆくという風の叱責を予期していない、そしていじけていない、無邪気なやり方は大抵の時は気持のいいものであったが、今の場合はそうではなかった。常から四郎に比べては甘やかされていない三郎が、たとえ、その脱出について責任があるとはいえ涙一粒出さずに父の前で神妙に裁かれているのを見ると私の同情はむしろ三郎にあった。
父はまだ折檻しなかった。折檻したら、私にも云うことがあると思った。
「三郎がこの間もあんなにねだっていたのに、なぜか父や母はやってやらなかった。やってやらないから、行きたさの募《つの》ってこのようなことになるのだ。お弁当をつくってやり、電車の小遣をやれば、三郎にだって独りゆけないことはないのに。築港までの往復は五里以上あるぞ。それをあの児達は往復歩いたのだ。」
私は彼等の罰以上の罰である、往復の苦しみをいとおしく思う気持と、いつも友達との山登りだとかなんだとかに誇大な心配をするばかりで賛成してくれたことのない父母に対する憤りがかたみに燃えた。
「馬鹿」を幾度浴せられた事だろう。三郎は母に誨《おし》えられて父に詫び、そしてもう二度と黙って遠い所へゆくようなことをしないと誓わされた。
三郎が頭を下げている傍では、四郎はまだ時々思い出したように大声をあげては泣きじゃくっていた。
三郎はまた、母に誨《おし》えられて、私に心配させ捜させたのを詫びに来た。彼もそろそろ耐え切れずに泣きはじめた。
「寒かっただろう。」
とか云ってなぐさめてやればやるほど、大きな声で泣いた。
父も一通り叱れば、やはり当然すぎる同情をあらわして、泣きやんで飯を食えと云った。母も心配から解き放たれて、満足そうであった。茶碗がかちゃかちゃなって賑かな夕餉になった。
築港もこの頃は随分家も立っているがその頃の築港はずっと淋しいものだった。電車は通じていたが一里ほどの間は停留所の附近に少々人家があるだけで、あとは埋立地だとか、水たまりだとか、蘆《あし》が一面に生えていた。そこへ鴨が来るので鴨猟が出来た。それほど淋しかった。それからそんな蘆原をへだてて、港の方に高いガントリー・クレーンが見えていたり、六甲山がずっと見渡たされたりした。そんな所の暮れ方が十や七つの児供にはどれほどおそろしかっただろう。
私は飯を食いながらその沿道の淋しさを心の中に浮べていた。そしてそんなことを思うと二人とも何故もっと先ほどのように大きな声で泣いて、戻って来た喜びの興奮を端的に表わさないのだろうか不思議なような気もした。
しかし二人はかたみに問う、父母の質問に平和に返事をしていた。軍艦の話。道での話。きいていると、三郎はそれを前日から計画していたらしく、二枚もっていた電車の切符と昨日からのお八つの貯めたのを糧としてそれを見にゆく積りをしていたのだ、それを何か下手なことで四郎に嗅ぎつけられて、つれてゆかねば四郎がそれを母に云いつけるので、仕方なく、往路は電車に二人が乗って帰り道を歩いたと云うのだ。さっき、泣き喚く合間合間に四郎が三郎の讒訴をしていたのは、その三郎の貯めといたお八つの分配だとか、早く歩けと云って突いたとか云うことなのであった。
しかし三郎にしても、内証に脱け出したお陰で大空に帰った小鳥のような喜びや、末っ児でのさばっている四郎を隷属させて得々と自分の力を意識しながら、軍艦見物をした気持は、帰途のあまりにむごすぎる恐怖はあったにしろ、悪い気持ではなかっただろうなど私は思った。
とにかく夕餉はほっとした親子の安堵の中に楽しく終って、私は自分の部屋へ帰って来た。
その時私は「夕《ゆう》凪《なぎ》橋の狸、」ということを思い出した。それは父の知っている船の船長が一度私達の前で話した狸の話で、夕凪橋というのは築港へゆく路の最も淋しい場所に架《かか》っている橋なのであった。夕凪橋に狸が出て何とか何とかするというその話を弟達はよもや忘れていはしまい。夕凪橋を通るとき二人はどんな気がしただろう、と私は思った。
「おい、四郎。」
私は四郎を呼んでその話をきこうと思った。
「なに。」と云って四郎は私のいる部屋へ入って来た。夕餉の後の満足したおどけた心から、私は四郎の顔を見たとき、「此奴《こいつ》め、一つ威《おど》してやろう。」と思った。一つにはそれは三郎に与えられた不公平なと思われる叱責などに対するバランスとしてであった。その威しをその後憶い出すたびごとに私はいつも自分ながら恐怖に打たれるのが常である。
「おい。四郎。俺はな、夕凪橋の狸だぞ。」
そして私は眼をぎょろっとさせて四郎を睨んだ。
「やーい、嘘いってるよ。」
と大きな声で四郎は云った。
「確かにどきっとしたな、その恐怖を大きな声でおっ払おうとしているのだな。」
そう思った瞬間私はその仕事にほとんど病的な興味を覚えてしまった。
「なにが嘘なものか。ハッハッハ。」
私はまた眼玉をぎょろつかせて、思い切って不自然に笑って見せた。
「いやだよう。」と云いながら四郎は右手で私の顔を叩いた。
「この顔がこわいのだな。」
私は私の中に、この芝居がいかにうまくやれるか、何とかしてうまく狸に化けたいものだという欲望とそれに伴って様々な計画がますます成長して来るのを感じた。
「へへへ。お前はお家へ帰ったと思って安心してるんだな、へへへ。化かされてるんだよう。」
私は四郎の顔が少し異様な輝きを帯びて来たのを見たと思った。そして私の部屋はしめ切られていて、家の者の気配からは少し離れていた。
「へへへへへへ」私はまた眼を一寸ぎょろつかせた。そして口は滑稽にならない限りなるべく怪異な恰好になってくれと、ぎゃっと開いた。
「本当にお家へ帰ったような気がするだろう。ハハハハッ。」
私がよく見た時には、四郎の顔はまるでおびえていた。
「お母さんに云いつけてやるよ。」と大きな声をあげて四郎はきびすを返しかけた。私は彼の帯をつかまえて私の前へ引きもどした。
白々しい気持にまでつっかえされた私のおどけた気持は「あ、ひょっとしたら」と思うとたん、大きな不安の方へ馳せて行った。
「わっ。」変にゆがんだ顔が崩れたと思うと、弟は泣き喚きながら、両手で私の顔をかきむしりはじめた。まるで狂気のように、目も鼻もどこがどうの差別なしに、引っ掻いたのだ。
私はその小さい手と薄い爪が縦横にはしりまわる下で考えていた。「あんなことがうまく行ったら大変だった。大変だった。」
そして私は早く弟をなだめなければいけないと真面目に思った。
「俺は本当に兄さんだぞ、狸じゃないぞ。」
「勘弁、勘弁、嘘だよ、嘘だよ。」をかたみに火のついたように云いはじめたのだった。
(大正十三年)
貧しい生活より 断片
私はその家に半年もいたろうか。その家と云うのは京都で私の寄寓していた家のことなのであるが、その家の薄暗いうらぶれた幻はその時の生活を思い出すごとに私の眼の前をかすめる。
西から入り込んで来て私の家のすぐ傍から左へ抜けてゆくあの細い、寂しいが静かな道を私は思い出す。私のいた部屋の――それは二階であった。――西の窓から見えるその道はそのようにうら枯れていた。荒土の土塀がおちていたり、溝《みぞ》がこわれていたり、時には鼠の死骸が二三日も転っていたり、それでいてそれは変に歩くものの心を寂しい静思に導くような道であった。私はその西の窓からよくその道を見下した。目の下の家、それは道の曲り角にあたっていた。その家の小さな庭に立っている柿の木、百日紅《さるすべり》の花。それから時々ぎいぎいと鳴り出す貧しい鞦《ぶら》韆《んこ》の横木。
そのも一つ先にある家は屋根の広い斜面の上に、六畳一間ほどの二階がそっと置かれたように載っていた。その二階の私の窓にあたる方は硝子《ガラス》窓になっていて、磨硝子かなにかで中は見えなかったが夜になると、衣服や書棚らしいものの影絵が映し出されるのだった。
その私の家の前まで西から入り込んで来る道の北側、私の窓からそれは右側に見えたのだったが、その家並びは皆同じような、瓦をおいた土塀と少しその瓦《かわら》葺《ぶき》よりは大きい屋根のついた門を持っていた。その塀の中には低い松の木や楓《かえで》の樹などが植えられてあったが、私はいまでもそこに植えられてあった椿の木のあの光《つ》沢《や》やかな厚い葉の茂りを思い出す。その暗い葉の陰に、私は紅い椿の花を点じよう。
しかしその花もその道傍では決して真紅な色には咲き出ない、ぼったり地に落ちたりはしない、その町並みにあるものみなはみなすがれた淋しい色しか持っていなかったのだ、
だからその花も色のあせた蕾を暗い葉陰に宿らせているばかりで、その蕾も決して咲きはしなかっただろう、咲いても恐らくは花弁のさきを褐色に枯らしながら、その崩れた荒土の塀を飾っていたに過ぎないだろう。
私はまたその道へ午後の四時頃になるとどこからとなくやって来て、またどこへとなく曳かれてゆく驢《ろ》馬《ば》のついた荷車を忘れはしない。なんて哀れっぽい驢馬だったろう。それは半時間か一時間何を積むのか私の窓の下に立っている。老いぼれて、薄野呂で、その滑《お》稽《ど》けて可愛げであるはずの長い耳さえただ憐れな気持を起させるばかりだった。何を考えるでもなく、どんよりと空間をみつめているその動物の眼はいつでも悲しげに見えた。誰がそんな首の細い、脚の弱った驢馬が重い荷をひいて営々と歩いてゆく姿を想像し得よう。
それはとにかく私自身はその驢馬がその荷車をひいてゆくところを一度も見たことはないのだ。
その驢馬はそのように毎日私の窓の下に立つ、雨が降る日などその動物はびしょびしょに濡れながらやはり洞《うつ》ろな瞳をその道にさらしていたのだった。
その私の部屋の西向きの窓は一間であっただろう、二枚の硝子窓がはまっていた。その下の方の敷居が内側へ曲っていて、ひどく窓のあけたてが苦しかったのを覚えている。その硝子は糊《のり》のようなものが不規律に塗ってあって桟がこわれていた、それを紙ではりつけたりしてあった。決して洗ったことのないうす黒くよごれて黄色く染みの出ている木綿布の窓かけ――というよりは日除けがそれを閉していた。
その部屋は四畳半ほども敷けたろう。片側は壁、片側は押入れ、そして窓に向った側は三畳の東向きの窓を持った部屋に境していた。
壁は肌《き》理《め》の荒い土で塗ってあったが、ひどくぼろぼろしていて、凭《もた》れかかれば衣服にもつき畳の上へも落ちた。色が塗ってある節の多い柱と壁の間には狭い隙が出来ていて、薄暗い昼間は日の光がそこから射し込んで来た。そしてそんな外面と通じている隙間は窓ぎわにもそのほかの所にもあった。それは私のその時分の生活とは切り離すことの出来ない貧しさを部屋に仕立てたとでも云いたいような貧しさを持っていた部屋なのであった。
押入れと云ってもそれは下宿人への必要のためにあとから造ったもののように思えた、押入れの襖《ふすま》に張られてある色紙はいつでも私に、私が小学校にいた時分の、貧しい同級生が張紙細工の時に使っていた、色紙を思い出させた。それは古くくすんでいて、その上隅の方に大きい破れがあった。破れと云えば不器用に張られた壁の腰紙さえ、隅といえばみな剥げていた、壁紙と糊とその荒い肌理の壁とが馴染まなかったのだろう、壁土をうすく附著《つ》けたままで剥げているその紙は、その土の重みで垂れ下っていた。
古い色をしている畳はところどころ膨れていたりした。そしてその表ての薄さがよくわかった、あるいはまた薄くなっていたのかもしれない、光沢のある所などはないまで磨り切れていて、埃《ほこり》がたまっていたのだった。そして物を荒く置いたり、寝床を敷く時など眼に見えて埃が立った 古くからある青インキや赤インキの汚点がそれを汚していたし、畳と畳の間や畳と敷居との間には大きな隙があって いつからとはしれない暗いごみがたまっていた。
私はまたその上に備えるものとしては一脚のいやに角張った机、うどん屋などに敷いてあるような薄い汚れた木綿の坐布団一枚、そしてそこには四五日もあるいは一週間も敷っ放しにしてある、寝床、私の持っているものはごく僅かだった。本棚もなかったし、それに本がなかった。私は教科書といっても足りない勝ちの数しかなかったが、それと時々街で買って来る古冊子が十冊ほどと、ノートに紙切れ。それ等は机の辺に雑然と転がされていたり、寝床の下敷きになっていたりしてそのごく僅かの本がほとんど足の踏み立て所もないほど散乱していたのだった。それからまだ貧しいのはピクニック用の湯沸しだった。アルコールランプと台の小さい湯呑みから大きい湯沸しに至るまで、重ね合って大きな水容れの中へしまい込めるようになっているものだったが、それらがみな清潔に始末されていた時とては決してなかった。紅茶の茶かすが幾日もその中にたまったままになっていたり、時には煙草の灰皿になっていたりしていた。紅茶とアルコールと乳と砂糖がそろっていれば紅茶がのめたのであったが、そのどれもが完全にそろっている事は珍らしかった。そしてそれがそろっていれば私はいつも煎《せん》じ茶のように苦くなった紅茶を頭がカーンとしてしまうまで飲んで とりどめもなく浮んでは消えてゆく、はかない縦《ほしいまま》な空想に神経を酷使してしまうのが常だった。――
東向きの窓をもった三畳の部屋はやはり私の部屋なのであったが、その部屋は階段の上り口のついている所であったし、その家の家具がその広さの三分の一を占めているので私の楽しめるものとしては、その東向きの窓のみであった。その窓からは私の家に背中合せをしている家々の裏が見えた。それらの家並みは表通りへ廻れば古洋服屋やこんにゃく製造屋や薬屋などであったが私の窓から見えるそれらの家々はみな一様に裏らしい貧しさを見せていた。窓の下には私の家の猫の額ほどの地面があって、便所や柿の木や、炭俵や薪が全部を占めていた。それは直ぐ塀にへだてられて向う側のやはり同じような地面に続いていたのだったがそこにも私の家と同じくらいの高さの柿の木が立っていた。その東の窓からは夜更けてからも近くにあるカフェーからオルガンの音がきこえて来たり、昼であればミシンの音や時々は拙い三味線の音がきこえて来た。
私のいた家の家族は二人暮しの、七十余りの老婆と三十の小学校の女の教師であった。
七十二になるお婆さんの生活は表ての三畳に敷き切りになっている寝床と私の部屋からの下り口になっている三畳の小さい長火鉢の前とに限られていた。一年中喘《ぜん》息《そく》持ちでそれに心臓が悪かった。
たるんで下っている頬はいつも生気がなく、顔の上にはたくさんの斑点があったが、それも皮膚の色と皺との為めに見わけがつきかねるほどだった。それでいて眼や耳はまだ内臓ほどの衰えをみせず、歯も抜け切ってはいなかった。その後とり娘の三十になる小学校の先生は、そのお婆さんの姪かなにかに当り、未だに配偶《つれあ》う人もなくそのお婆さんの世話と、学校通いをしているのだった。顔立ちのよくないしかし健康そうな人だった。私は覚えている この二人の親子によって取り交された会話はお互の悪口の云い合いか他人の悪口の云い合いがその大部分であったのを。
――ほっといて。ひとの事は放っといて。そんなことはわたしの権利や。――その権利の権を長く引張った粗野な調子を私の耳は未だに忘れていない。発音が明確で角が立っており、力があって女らしさがなく、またその言葉は――彼奴《あいつ》とかおやじとか権利とかの連続であった。彼女等の話は大抵学校の話、――校長や学務委員や女教員や男教員の話と、親類の話とが多かったようだった。それも先生がその昼間のてんまつをお婆さんにきかせるのだった。
――云いこめてやったんや。――とか
――今度出会うたらひどいもんに云うてやるねん――とか、そう云ったとげとげしい言葉がよく私の部屋へ聞えて来るのだった。
それでいて彼女は変に若々しい調子を私に向けるのだった。しかしそれは決して非難さるべき性質のものではなかった。そしてそのお婆さんもそうなのであったが彼女は非常に親切であった。それもとやかくのものではなく、時としては煩わしいほどのおせっかいとなって私を苦しめるような性質のものだった。その独断的な親切気は時として私のその二人に対する嫌悪や不愛想の墻《かき》を造った。
私が風邪をひいたりするとお婆さんはその小さい長火鉢の抽出しからアスピリンを出して私にのめと云う。それがいつ盛られたかわからない古い包みなのである。いらないと云っても私がその理由を、古いからきかないとか買って来てあるとか明かに云わなければ決して強いることを止めない、そして直ぐ後ろの小さい棚からもう澄明でなくなった古いコップを取って、自分の指でその中をさらっと拭いて、銅壺の中から湯を汲むに極《きま》っているのだった。
また手拭を持たずに顔を洗って濡れたままで二階へ上りかけようとするとお婆さんはきっと自分か娘の手拭を指して拭けと云う。仕方がなしに鼻の呼吸を止めながらその古いタオルで顔を拭いたことが二三度もあったろうか。
また娘の方は私が寝床の中から首を出して本を読んだりしているところへなど上って来ると
「電燈をもっと下してあげましょうか、」とか
「そんなに暗くてよく本が読めますな、」とか云って勝手に電燈のコードを伸したり、横へやったりする。私は電燈の動揺や彼女の荒々しい立居振舞で折角の本を読みささなければならない不愉快とその独断や粗野に不快にされることが間々あった。
「何読んでなさるの。なんぞ面白いものがのってますか。」そして彼女は私の枕許へ坐り込む。それでも私は時々初めの間彼女のためにその小説の一つの光景を指して読ませたり、筋を話したりした。
「なんでこんなのが面白いの。」
「なんでって、面白くなけりゃそれまでですよ。」
「そうだけどね、瀬山さん。」
「ええ。」
「文士ってけったいなことをかいて喜んでるのね。またあんたもどうしてこんなのがいいの。」それにはどうしても説明が入用だった。どうにか説明をきかなければ納得が出来なかった。しかし決してそれでおしまいではなかった。私の説明に対する批評とか、抗弁とか、彼女は議論に花を咲かせたかった。
社会主義者などはみな殺してやったがいいという彼女の説に対してまるで知りもしなかった社会主義の理論を彼女に説明してきかせたのもそんな時の事であった。そして私はその結果社会主義者としての立場をいつまでも守らなければならなかった。
ある時は男は勝手で女は損だと云い出した。それが女も勝手で男も損だということでは鳧《けり》がつかなかった。私は結局女は男の快楽のための道具に過ぎないという事を彼女の愚論を防ぐ盾として頑張り通したりしたこともある。
私は彼女についてまったく無関心ではいられなかった。三十にもなって独身を通している彼女が男というものをどう思っているのだろう、また私をどう思っているのだろう。というような興味は彼女が私に親しくして来るその時々に起った。また彼女の方も同じような興味を私に感じていたらしかった。そして私の想像は時々二人が色欲地獄に陥ちてゆく姿を描き出した。
しかしそれも私が彼女の議論を悪まれ口一つで突放したり……(欠)
(大正十三年)
犬を売る露店 断片
……一体あれはみな赤犬の仔だろうか、寄せ集めの仔ではないのだろうか、そんなことも思う。私はそんなに思って見ては、自分の変な心持ちを充たそうとした。
私の盲滅法に発した疑問も疑問ではあったが、私の変な心持はその疑問が解けたとて癒《なお》るようなものではなさそうであった。それよりも、もっとぴったりする疑問が発せられたら、たとえそれが私にとけないぎもんであっても、変な気持だけは収まると思えた。
なにしろ私は変てこな露店を見たと思った。私はその不思議ともつかない、と云って滑稽とも侘《わび》しいともつかない露店を私一人のために話題にしていた。
私一人のための話題――それはこういう訳である。
その当時、私はひどくみじめな高等学校の生徒であった。私は懶《なま》けてばかりいた。程《ほど》よい懶けは生活に風味を添える。殊に血気の高等学校の生活などには。しかし私の生活は懶けそのものであり、勤学の念はそれこそ風味にしたくともなかったのだ。あまりみじめで私は孤独を余儀なくされた。初めの間こそ、他の生徒達が面白そうに生活の風味を味わうのにも伍していたけれど、moderateを越さないという、彼等の意志的な degener?(d?g?n?r?)の態度は、即興的な、そしてついには惰性的な病的な、それこそ没意志的な私の態度とは結局油と水とであった。また悲しいことには彼等の生活の風味は、あんなにも甘そうだったのだ。しかし私にとってそれはもう苦々しいものに変っている。
とにかく私は懶けていて、そして孤独であった。私はその犬を売る男の話をするにも相手がなかったのである。
その上私はその腑に落ちない露店を眺めては今云ったように、「何だか面白い、何だか!」とまでは思っては見るものの、その何だかの正体がはっきりわからなかった。少くとも私の説話欲が満足するだけの見解をまたは詩味を、言葉にまで感得するには至らなかったのである。ただそれだけのことで、しかもその重大な点で、よし話相手があったとしても、私は frank にそれを話題とするのを嫌ったかもしれない。
しかし私はいつも孤独であったのだ。そして懶け者であったのだ。そしてどの孤独な懶け者でもがそうであるように、私は自分自身を相手に倦《あ》きないお喋りをすることを覚え込んでしまったのだ。
「ほう。犬売り。ほう。」私はおしがものを云うようにこんなに云う。
「ほう。犬売り。」
愚かしく、気のいい私の話相手は、それでも、私のもどかしい言葉をのみこみ、嬉しそうに、時には人のいい顔を赤らめながらその犬売りの箱を覗き込むのであった。
このようにして犬屋はだんだん私の眼に親しく写るようになった。
落花生の主人は時には夜泣きうどんの車からうどんを運ばせたりする。古本は南京豆の袋入りを買って鼻の下の祭をする。万年筆やインキ消しは絶えず喋っているようだし、人足を止めていることも美人絵葉書に次いでいる。しかし犬屋はいつも厚司をき、膝小僧を出し、冷い甃《いしだたみ》の上に寂しく立っていた。彼が寺町の白い電気の光の中に、その赤黄い陰気な燈火の隅を作るのを見ると、そこまでは明るかった寺町も変に侘しくなる。この世ならぬ weird な色が出来る。その眼で他の露店を見れば稀薄ながらもその色を帯びている。私は彼等露店商人は多少ともそんな色を帯びているものだと思ったりした。
そのうちに私はその仔犬がしぼった手拭ほどの大きさをだんだん成育し越してゆくのを知るようになった。赤犬の親犬の乳房へ重なって吸いついている容積が、たわわに過ぎる実りを思わせるようにもなった。仔犬は五六匹いた。
それは耳の垂れた犬で、黒斑や赤斑がいた。一体いくらに売ろうと云うのだろう、そう思って私は異様な光を持つ犬屋の眼を通りすがりに盗み見る。あの人はどうかしているのではないかとも思う。彼はあたりを敵意を含んだような眼で睨んでいるのである。
人と云い犬と云い、それは私の想像をさまざまに誘った。それはなにか腑に落ちなかった。それは知らない他国の風俗ででもあるのか。
そのうちに私は、石油の空箱であった犬箱が炬《こ》燵《たつ》を入れたも少し大きな箱に変ったのに気付いた。半分は自分のためにではあろうが、半分はその犬の親子のためにであろう。私は冬の底冷えに炬燵を工夫した犬屋を微笑ましゅう思った。
「ほう。親犬がいないな。」
「ほう。」
そのうちにこう云った晩が来るようになった。
赤犬の親犬がいなくなった箱の中で、黒斑と赤斑が重なりながら、五匹隅っこで寝ていた。乏しい光の下でぼろっ切れのようにしていた。
古い毛布が敷かれたり、犬屋が甚平さんを着込んだりした。冬が厳しかったのである。
売物らしい売物のモルモットの箱が姿を消していたり、と思うとそれが甘日鼠に変っていたりする。しかし売物らしくない仔犬の箱はいつも変らなかった。私の察した通り、その数の五つは四つ半にさえならなかった。
「何だか面白い。何だか!」
初め私がそう云ったまま、その何だかの言い表わしを喉《のど》につめた日はすでに遠く去っていた。そしてそれは喉につまったままで、いつのまにかまた収まってしまっていた。そして私の興味もいつのまにか彼等の変化や生長を見守ってゆくことに移ってしまい、彼らに対する愛がその隙からこっそり忍び込んでいたのである。
ある夜、私は彼等の姿を、いつもの場所によう見当てなかった。その私に軽い失望と淡い危惧があった。私は私の危惧ゆえ 以前には知らなかった、犬屋の休み日を認識したのである。それからもそのような夜がぽつぽつ私の心に印されるようになった。ほんとうに、そんな夜、私の感じたものは物足りない寺町というよりもむしろ物足りない私であった。そんな私を、私は見出すようになった。思い直して見ると、懶け者の孤独な生活に、彼等こそ友達といえばそうも云える唯一の存在であったのだ。
「そんなことが、お前は面白いか。」……(欠)
……目に見えない魔法の縛めの強さを知り、気を滅入らせる。やがては希《ギリ》臘《シア》悲劇の主人公のような、予定された破滅が自分を待っている。それを私の身に感じることは悪夢の経験にも似ていた。この上破滅から逃れようと思うなら、ただ自らをそれに急がせるより外はない。助かるものならそこから助かるのだ。こう信じる時が次に来るだろうと思えた。いっそこう思う時の方が私の心は安まるのであった。私は破滅の不思議な魅力を知った。
はっきりした痛みも訴えもないこの倦《けん》怠《たい》はまことに毒々しかったので時々私は乱暴をした。
「せめてはこの毎日の毒々しい気持よ。」と、私はむしろ、倦怠の銹《さび》のような腐蝕力を思うことがあった。
「お前の銹のような力を一そ何層倍にもして俺を泣かせろ。その強い痛みや深い悲しみで俺を撲《う》て、手拭のようにしぼられて泣く方がどれだけ生活に張合いがあるかわからないではないか。」
しかしその願いも僣越であるように思えた、その中には一度でも展望の利く所へゆきたいと思う私の願いがあったのだから。
そのような私が犬売りを知るようになったのだ。
冬。冬。寂れた寺町の凍てる夜々。カンテラのような乏しい燈の下に売られる、売れそうもない仔犬共。その少し変てこな犬売りを思えば、私の腐水のような心も時々はそんな思わぬところからみじめにも動き出すかと思えた。
汚染の出た窓掛けに向いながら、私のしびれた頭の中を過ぎるものは下らないことばかりであった。どうしたきっかけでこんなことを考えているのだろうと遡《さかのぼ》ってゆけば、総理大臣と話をしていたりする。どれもこれも、気がついて見れば、白日へ持ち出せないほどつまらないことである。しかもひとりでに私の頭は次から次へと妄想のラビリンスを辿っている。それに混ってまだ観念の形にならない観念、輪廓のぼやけた幻は、あとからあとから意識の薄明の中を過《よぎ》ってゆく。――こうして一日が暮れ、一日はまた帰って来、そのうちけだもののように私は死んでしまうらしかった。そんな時、ふっと心に蘇《よみがえ》って来て、またしても想像を誘うのは quaint な犬屋のことであった。……(欠)
……また私は三拍子の口笛を吹き、それが歩調の四拍子に合うように練習したりする。しくじっては、しくじっては口笛は何回も三拍子をやりはじめ、やりはじめてはぎくしゃくした歩調に乱されてしまう。
「オ一 二 三」「オ一 二 三」
「さあ、オ一 二 三 四」
「オ一 二…………」
変な感覚に気がつけば、私の憂鬱な足並みはいつのまにか田舎の兵隊のように右手と右足を同時に踏み出し、左手と左足を同時に踏み出しているのである。
そんなことをしくじりつつ私は幾曲りも曲り曲って寺町へ出てゆく、その私の眼の前には燦《さん》々《さん》とした電燈が整列して、次の遊戯を待っていた。
私は眼の玉をベン タービンのようにして像を二重に映し寺町をあるいてゆく。街の火はぼやけてみな美しい菊の花になり、その数はまた二倍になり、寺町が菊花園になるのである。
しかしこのような遊戯も、街の上の私の憂鬱をどれだけ追払ってくれたというのであろう。
ともすれば問答を初めがちな私の中の「二人の私」の議論は、私をなおさら憂鬱にしてしまうのであった。
「一生懸命になって右手と右足を一緒に出したりして、いい恰好だぜ。狐憑きじゃあるまいし、笑われるぜ」
陰気な、恟《びく》々《びく》した私の、継《まま》っ子のするようなけちな遊びに、一方は毒々しく悪態を吐くのである。
「お前は寺町に赤や青の電燈があって嬉しいだろうな。」
「ああ、黄色ばかりじゃつまらないからね。」
「笑われるぜ。お前。眼の玉を両方真中へ寄せて人に突き当ったりしたらどうするんだい。どう云って詫びるんだい。いい態《ざま》だぜ。」
こうして私は、私の憂鬱にすげられた、ベン タービンの首が、貧相な私の眼の故ではなく、私の蝕まれた生活ゆえ、その継っ子のような欲望ゆえに、恥しいほど侘しいものであることを、ある時は私の中に起る悪魔の嘲罵で思い知ったのであった。
「銹は鉄を食う、毛虫は葉を食う、尾張名古屋は城を食う」
こんな言葉で私が憂鬱に食われるのをはやしたてるのは、やはりこのような悪魔等であった。此《こ》奴《いつ》らが私を尚《なお》更《さら》憂鬱にした。
そんな時にも、寺町を下れば犬屋がいると、思い、いささかでも楽しみは残った。いささかの楽しみ、――ほんの通りすがりの一瞥であるその一瞥につれて、極ったように私の口辺までやって来る一くさりの詩句ともなんともつかないものがあった。それは「この夕べ、犬を売る男ありて、」というのである。これはもう私が犬屋とおさらばをする最後の日とはあまりへだたっていない日頃であった。
街の寒さと、近づいて来た学年試験のために、寺町から京極、四条へにかけての往来には敝衣破帽の高等学校の生徒が稀であった。しかし依然として私は街をうろつかねばならなかった。……(欠)
そういう訳で、街を歩く私は、杉垣の中へ鼻を挿《さ》し込んだり往来へ立留って鼻を廻したりしなければならなかった。それもただほのかなさびれた嗅覚にひょっと心が浮いて来ないでもないと思う心からであった。……(欠)
……それと同じみじめは犬屋の五匹の仔犬の上にもあった。それはいつ見ても一匹が半匹も減ってゆかなかった。
寒い風は冷い甃《いしだたみ》へ砂埃を吹きつけ、灯の火は煙をあげて穂先をなびかせ、犬屋の敵意を含んだような顔には鬼のような陰影が動いた。
この酷《きび》しい凍《い》ての冷たさ、このアセチレンの匂い、これらはいつか、このような犬屋の印象を蘇らせ、このような私の生活を憶い起させる特殊な感覚になるのだろうなど思えた。
「いつのことか、一年先か、二年先か、その時にも私は落魄《おちぶ》れ、孤独で、その特殊な感覚に便《したが》って心を慰める不びんな男になっていないとはどうして断定出来よう。」
何を思っても展望のない私の心であった。
三条から四条へかけての寺町通りは新京極と背中あわせになっていて、寄席の高座の直ぐ裏になっておる。三味線や太鼓の音、時には「ハッこらさあ」という声が響いて居り、しかもそれには無関心な、暗い、くすんだ通りである。この通りはお醤油をたく匂がした。また電信柱の蔭には車夫が溜っていて、弱いものいじめをして遊んでいる。手を捩《ねじ》ったり、帽子を往来へ放ったり、弱い者はやっつけられて、みなあっはあっは笑っている。巾着切りが捕まったりする木賃宿が、泊り五十銭で、二三軒もあり、日を極めて荒物の夜店が並んだりする。車夫や夜店商人やそのような人を相手に安い酒を飲ませる居酒屋があって私はそのうちの一軒へ出かけてゆくのであった。
狭いたたきに空《あき》樽《だる》が椅子にしてあり、さん俵のような坐布団が載っている。その机の端には肴《さかな》の小鉢がごたごた並んでいるという風で、また畳の所もあり、二つに仕切られた奥の方には炮《ほう》烙《らく》にみだらな画をかいたのがかかっている、その部屋からは雇《や》仲《と》居《な》というものが三味線をひいて客と騒いでいたり、ここの女が酒に酔って旧式な毒舌を叩いていたりする声がきこえて来た。
ここで酒を飲んで私は堅い寝床へ帰ってゆくのであった。酒をのまねば眠れず、また酒をのめば頭は半分莫迦になり半分陽気になってゆく。――私にはそれが必要であった。
そして私には覇気のある学生や嫖客のいる四条が疎ましく、その日その日の生計に暗く彩られた、ここいらの人々に親しみが持てた、私に滲み出た色がこちらに近いのである。
私のよく見る顔に、一人の年寄りの働人があった。日に焼けた大きい掌で、この家の不恰好な盃を持つと、それが雛様の盃のように小さく見えた。黙って、盃を嘗めるようにしてのみ、のんでは一所を見ている。極って一本の下等酒を飲むこと、また大きな財布から不器用に銭を出すのを観、私はしみじみした気持にうたれるのであった。私ののむ酒は、上酒の方で、それは私が一番の最初、その方を飲み、そのためいつまでも下等の方に変えることを得うせなかったので私には気がひけるところがあったのである。
私は酒をのみ、変てこな犬屋の玩賞をする。――もしこれに身が入ればその夜は良い夜であった。……(欠)
その前夜の始末とはこうであった。
私はいつもの居酒屋でのんでいた。私はふと、あの犬屋の仔犬を買うのには私という人間が最も適していると思い当てたのである。仔犬を買って帰り、犬舎を作り、私の食い料を頒けてやればうまくゆくであろうと思い、このような考えが何故今まで浮ばなかったのかわからなかった。私は自然に興奮してゆき、犬を入れてはいけないと下宿で云えば変るまでだとも思い、「中学生の西郷隆盛」のような情熱を感じた。
それにしても私の愚昧な独り話しも、いい聞き手が出来たものだわい、名前は何にしよう――など私はそうも思いみ、犬屋に犬を頒けてくれと云い出すときの種々な情景や、言葉遣いまで、私は気にしては訂《ただ》し、気にしては訂ししたのであった。いつのまにか下宿はかわる積りをしてい、犬と私との新しい住居を想像しておれば、直ぐにも私の生活は端々まで蘇ってゆくように思えた。
私はディオというようなうまい名がつくまで小供の時家にいたミキという老いぼれ犬の名のお古をつけておいてやれなど思っていたのである。
そんなことを思いつくのに私は種々なことを思い乱り、沢山酒をのんで、その居酒屋を出る時には、もうこの家も今夜切りだな、など思っていた。……
それを次々に思い出し、しかも私の心は二度と動いては来なかった。
(大正十三年)
雪の日 断片
ある朝明り窓のそと近くで羽搏《はばた》く雀の羽音がした。「米はなかったはずだ」と床のなかで純一は思っていた。微《かす》かなものがさらさらと戸に触れる気配がした。それを聞くともなしに聞きながら彼はまた睡りの中へひき入れられて行った。
ようやく昼頃床を離れた。雪の降る、寒い日であった。歯《は》楊《よう》子《じ》を使っていると、風の収まった空から軽い雪片が、静かに、あとからあとから舞い下りて来た。手洗鉢の水面へそれが下りると、滅入りこむように消えてゆく。純一は近頃にない珍らしい気持でそれを眺めていた。
「今日は・・堂の子供に約束しておいた日だ」純一はふとそれを憶い出した。かなり以前からその小さい本屋の借が払えなかった。本屋ではその金が貰えたらマントを買ってやるとそこの十余りの女の子に云っている。と云うことを彼は・・堂の隣りに下宿している友達から聞いていた。二度三度その女の子はやって来たがいつも払えなかった。女の子はいつも同じ内気な表情で、いつも同じ文面の請求書を書いて貰って来て彼の前に立つのだった。が、そのたびにその請求書を彼に取上げられるのだった。
今日もその子が来る――彼はそう思って見て「雪の日や」という句を思い出しながらやや感傷的になった。そして今日も払えないということが直接には響いて来なかった。
食事を済ませ煙草を喫《の》むと、またしても同じ悒《ゆう》鬱《うつ》な日であった。何《な》故《ぜ》こうがつがつ食ったのだろう、そして飯のおさまらない前に煙草を喫ったりなどして、――自分の意志からではなかったように彼は残念な気がした。
「コツコツ――コツコツ」外では雀がトユへ棲《すごも》った模様であった。チュと飛立った拍子にビュッという、羽《は》交《がい》の下のぬくみがわかるような羽音がする。それを聴きながら床の中で思っていた米のことを純一は「左《そ》う、左《そ》う」と憶出した。そして打散らかした紙を踏んで袋戸棚へ行った。足の下でマッチの箱の摧《くだ》けた音がした。袋戸棚をあけると、花瓶に小便を入れたまま隠してあったのが微《かす》かに匂っていた。窓を明け、凍りついた痰壺を片脇へ除けて彼は米を蒔《ま》いた。――俺の気配がすると、人の顔も見ないで逃げてゆく、――米を啄《ついば》みに来る雀のあたふたした恰好がふと彼の頭に浮んだ。そしてなんとなく今日の悒鬱の奥深くに、毎日の凶暴とは打って変った、珍らしく清々しいものを感じている自分を意識した。それはなにか涙で心を洗い浄《きよ》めたいような、そしてそんなことが出来そうな気持であった。それに触れると、彼の心は敏感に身構えした。
黒谷、鹿ケ谷、法然院、若王寺、南禅寺。その道筋が直ぐ頭へ来た。永の間思い浮んでも肯《うべな》うまでには却《なか》々《なか》であったその道筋が、今は珍らしく親しく純一の心に蘇《よみがえ》った。
傘がないが、それはいいが、本屋の子を彼は待っていてやりたかった。しかしそんな未練は自分の馬鹿だと思った。この気持は直ぐ消えるものかも知れないと思った。彼は直ぐ立ち上った。そして用意をしながら、彼の部屋も今日は掃除が出来そうだと思った。
家の外へ一歩出ると、雪は降るままに道を泥《ぬ》濘《か》らせていた。彼の下駄は磨《す》り減った厚歯だったので、そして雪は積るものと独り極めをしていたので、やや軽い当惑があったが、先刻手洗で見たと同じような雪が、慈姑《くわい》やぜんまいの漬けてある八百屋の桶へ同じように下りているのを美しく見直した時分には自ら希望が出来ていた。
下宿に近い黒谷の山内へ入ると雪はやや積っていた。学校帰りらしい女の児がジャケツを着、一人でとぼとぼ純一の前を歩いていた。短く剪《き》った髪の上で雪の溶けるのを見ながら彼女を追越して、石段の上から見ていると、その児は石《いし》甃《だたみ》の上で鞠《まり》をついたりしながら純一の方へやって来た。その幼な心がふと純一の心に触れた。
黒谷から日枝神社への新らしい切通しに出ると、雪のなかに比叡、大文字が夢のようにとじこめられていた。雪は先刻よりも少し大きくなっていた。やや泥濘《ぬかる》むその道を下りながら彼はこの間からの絶望の谷へ封じ込められたような思いを憶出していた。
仮幻。夢。魅《ばか》し。自分を取《とり》繞《ま》く現象や観念(殊に義務 親子の約束。)が単にそう云ったものに過ぎないという想念がこの頃しきりに浮ぶ。誰が化かすのか、化される前は何であったのか、一体その憑《つ》き物がおちたらどうなるのか、そんなことは考えなかった、またわからなかった。しかしただ度数の頻《ひん》繁《ぱん》だけがそれにはあった。頻繁は当然だ。想出したくないことが浮んで来るたびそれで胡麻化そうとするんじゃないか。
――彼はただ現在が悪夢であったらという想像から、今もそれを考え、それを妨げる何の根拠をも見出さなかった。しかしそれで危く自分を瞞《まん》著《ちやく》しようと思っていた自分の虫のよさを見出した。それに一刻でも倚《よ》りかかろうと思うのは自分の馬鹿だと思った。そんなものに凭《よ》りかかってもう一度落第する気か、こん度は退学だぞと思った。
この場合たとえ真面目な情熱が起きようとも今、一切の形而上学は悪魔だと思った。前夜の不安な気持に、「コペルニクス的」とまでは名づけなかったが、転向という字を冠らせたのも明かにトルストイを摸倣しようとした自分の馬鹿だと思った。
そのトルストイを彼は一年前のこの頃読んだのであった。とうとう学校を落第するので父母に懺悔をした。その懺悔の後、貪《むさぼ》るようにトルストイに親んだ。……(欠)
……「逝者如斯不舎昼夜」そう孔子が云ったという江の速さはこんな速さだったにちがいない。そんなことを思いながら純一は水路の縁を沿っていた。
水路は一種の速さを持っている。澄んだ水の上へ落ちた雪片は瞬間流れるのが見えた。
わなにかかった鼠が水に漬けられて、あちこちの網の目へ鼻を突込む。「この頃の自分はそう云った工合だ。一体水に漬けてはあげ、あげては漬けるその者は何なのだ。今年の正月元旦厳《おごそ》かに許してくれた父か、またその時『いかばかり嬉しからまし年と共に人の心の改まりなば』という歌を読んでくれた母か、それとも俺か。」しかしそれが誰にしろ、鼻を網へ突込みながら騒いでいる自分はふと可哀想に思えた。
「学校は末、魂が第一」それも俄《にわか》仕立の一つの網目であった。「最後まで改めることをせず、白刃を抜いて俄にそう居直ろうとする自分の無類の悪性者! 発心は一年続いたか、一と月自由になれば直ぐ酒に陥った自分ではないか」思いつつ新しい力が湧かなかった。身体を壊しているうえこの寒さに出て来た自分を純一は悔んだ。一秒でもいい、早く横になりたい、そんな疲労が感ぜられた。
「やはりこんなに寒く真暗闇だった。」
彼は前年の冬のある夜を憶い出した。学校……(欠)
……身体は疲れていた。その時遠い所から響がして来た。汽車、どこを通るんだろうと思っていた、それがさほどとおくない眼の前であった。暗のなかから不意に光列があらわれた。彼はその温かそうな客車や寝台車や濛《もう》々《もう》と湯気をたてている食堂車を見て涙ぐんだ。遠い所へゆく、その心持を思って涙ぐんだ。そして暗の空気をただ無《む》暗《やみ》矢《や》鱈《たら》に震動させて過ぎてゆくその痛く快い響で涙ぐんだ。
――しかも今その憶出は色褪せ不快さえ含んで純一に来ている。あれになっては、と思う気持も直ぐ疲労の腹立しさと悪く絡んでしまうのだった。グヮラグヮラグヮラ。そしてどこで鳴るのかカランカランと軽い音がする。今もその響きは耳に残っていた。
南禅寺から隧《トン》道《ネル》になって来る水路は若王寺のプールのような所を満たし樋から落ちてまた流れてゆく。
純一はそのあたりへ来た。
いつの間にか雪は小歇《や》みになっていた。そこから、仆《たお》れて腐った椎の木や落葉や妻《つま》木《き》で被われた若王寺の谷間へ純一は入った。積った雪を除けると半ば湿《しめ》った木の葉が匂った。彼はそれや枯草を集めて火を点《つ》けた。「人には木の端のように思わるるよ」昔の人はそう云ったが、つま木、枯葉は腐っていながらも何と浮世の垢《あか》にそまない清々しいものだろう、彼はそんなことを思っていた。
乾いた枯草は直ぐにめらめらと燃えてしまって落葉にはなかなか移らなかった。濃い煙の刺戟で涙がいくらでも出た。煙が流れて木の間から逃げてゆく。やっているうちに純一は焚火を作るのが少し面白くなって来た。そこここと燃えそうなものを見つけて来て幾度もやって見た。むくむくと立《たち》騰《のぼ》る煙の間からやっと本物らしい焔《ほのお》が見えはじめた。枯葉の燻《くすぶ》る匂いが温まってゆく彼の身体にほのかな寂《さび》れた喜びを伝えて来た。
崖を被う苔の中へ鼻を埋めた。昂奮したな、と思った。
やっと谷から出て樋に近い石碑の前の階段へ帰って来た時先刻の雪は既にあがっていた。空遠く雲も切れかけていた。いくらか力も貯っていた。
しばらく石段の上へ腰を休めていると、樋の上の橋を渡って二人、人がやって来た。静に生き寂《さ》びた夫婦と云った感じであった。見ているとオーバーに身を包んだ男の人は質素な被《ひ》布《ふ》を着た女の人を残して純一の方へ近寄って来た。
「お尋ねしますが。若王寺の墓地へはどう参ります。」
落付いた感じの、ちょっと教授と云った恰好をしていた。叮《てい》嚀《ねい》に尋ねられて純一は少しかたくなった。
「そこを上って、行かれたらいいんです」指さしながら答え、答えてからなぜか立上っていた。
「いや、どうも。」そして女の人に眼《めくば》せした。女の人(やはり夫人らしかった。)は手に花束を持っている、品のいい五十がらみの人であった。二人は静かに山の方へ入って行った。
若王寺の上には基督教の墓地がある。新島襄の墓や安得烈と云った風に漢字で名をかいた外国の僧侶の墓などもある。墓参らしい、いい気持だな、と純一は思った。
またしばらくすると二三人の人が来た。一人の人が牧師らしかった。それが手振しながら橋の上でなにか云っていた。これは少し感じが悪かった。やがてその人達も山の方へ歩いて行った。
弱い日射しが雲間から洩れはじめた。先ほどから、今日の一日が幾晩をも越えたような、変な、時間の錯誤感が来ていた。薄陽はそのどこかいぶかしい気持、それと縺《もつ》れ……(欠)
……「来るべきに来た日」その思いが空怖ろしかった。
平安神宮の裏と錦林校に挟まれた落葉樹の下を空虚な疲労を覚えながら彼は歩いていた。櫛形の軒窓がその木立の奥の家の閉された窓の上に、二つ、眼のように燈りを写していた。そんなものにさえ常になくおびえた。彼は神苑の竹垣からよく枯れていそうな竹を抜いた。そして小用を足した。
冷たい廊下を通って取乱した自分の部屋へ純一は帰った。最近酒気なしでは帰ったことのない部屋の匂いが冷たく澄んで、鼻に浸みた。以前一まとめにしてあった感想や原稿を撒き散して、掃除を断ってから一週間ほどにもなっていた。ノート、古雑誌、紅茶の渣《かす》、寝床。その間に鉋《かんな》屑《くず》が散っている。洟《はな》かみが捨ててある。純一は袴も脱がず火鉢にこごんで 取って来た古竹を折った。火鉢だけ掃除してあった。灰が冷えていて、鼻を刺すような匂いがする。近ごろ痰《たん》を吐きこむがそれじゃないかと彼は思った。火をつけると古竹はプスプスと油をふいて燃えた。濃い紫色の烟《けむり》が澄んで静かな空気のなかへ立《たち》騰《のぼ》った。
それを見ながら純一はこの間からのことをあれからこれへと憶い出していた。四条のにびきの前でふと弟の顔が憶い出されたこと。その時の弟の顔は四五年も以前の顔で何《な》故《ぜ》か涙をこぼしながら飯を食っていた。そして成長したこの頃の顔がどうしても憶い浮ばずその姿だけが純一の頭をしつこく悩ませたそのこと。八坂の塔の下で後姿が母に似たみすぼらしい女が彼の前を過《よぎ》ったこと。寝る前に必ず来る母の声《こわ》音《ね》の幻聴がこの頃気になりはじめたこと。「来るべきに来た日。」――純一はそれを有難く思おうと考えた。押し流されているべきときではない。急流を溯《さかのぼ》るという巌《いわお》のように、それに逆らって、立たねばならぬ。おう、力よ、湧け。
炭に変ってゆく竹がキキキと音をたてた。純一は立上って東に向いた明り窓の外の炭俵から炭を出した。星は空に強く冷たい光を放って、真如堂にあたる杉木立の梢《こずえ》は黒々と見えた。ほっと吐いた息が直ぐに凍って冷たい夜気に溶けた。
どうしても気持が支えきれなくなる、純一は胸が掻きむしられるように思った。
「学校へ出るのはこの時期だ。出ようとさえ思えばたとえ今夜徹夜してでも。始業の間には合おう。」――「しかしその先きは?」それはとても歯が立たない気がした。「級の中でも最も有力な落第候補者が出て来たのを彼等は変に思うだろう。そして自分も変だ。」無理をしろ。気持よ、乗っかかれ。
「自分の欠席日数は疾《とつ》くに百日を超えている。報《リポ》告《ート》の期日は何度も過ぎた。そして山のような空白頁《ブランク》。」……「卒業試験にはあと三週間。」彼は大《だい》胆《たん》に勘定して見た。
純一は悪くすれば悪くなりはぐれそうな今夜の気持を寝ることで明日まで持ち越そうと思った。そして羽織を脱いで床へむぐった。
「どうにかなる、どうにかなる」で、どうにもならぬところまで出切って仕舞おうとする瞞《まん》著《ちやく》を今夜ははじめて未然に取抑えたと思った。しかし今寝てしまうということは何《な》故《ぜ》かやはりそれに敗けたような気もされた。一方今夜ぐれたら明日からは一層性が悪るくなるとも思えた。
「これでいいのだ。明日を待とう。」
少しあやふやではあったが何ケ月振りでいい睡りが出来そうに純一は思った。そこここで鶏が鳴いた。一時過《すぎ》かな? と思った。やはり眠むれなかった。
「山城さん。電報。」几帳面な配達夫の声を純一は聞いた。下宿人は彼ともで二人、身体が硬くなった。
「山城さん電報」純一は行こうとした。不安な予感が足を渋らせる。否、足が無理に進む。二三段階段を下りた処で、下宿の主婦が受取りに出かけた気配がした。
「ここから。」眠むた気にそう云っている。純一は不意に掌を合せた。「今はかなわない、いまは!」
酔いがあったな、それを感じながら、むしろそれをいいしおになお身体を硬《こわ》ばらせて「どうぞ どうぞ」とつぶやいた。
「……僕じゃないか?」
「いいえ、家《うち》のな……」そこまで大きな声で云ってあとは息子に小声で話している。
「ああよかった。」身体にはまた疲れが流れていた。電報の声で直ぐ父と母を想い浮べた自分が悲しく思われた。また軽率にも父母に不吉を投げかけた自分が口惜しかった。
(大正十四年)
汽車 その他
――瀬山の話―― 断片
私は時々堪らなくいやな状態に陥ってしまうことがある。おうおうとして楽しまない。心が明るくならない。そう云ったものに実感が起らなくなる。ものに身が入らなくなる。考えの纏《まと》まりがつかなくなる。ひとと話をしていても、自分の云っていることはみな甲《かん》処《どころ》の外れた歯がゆい空言にしかならない。懐の都合は勿論はっきりした買いたさもなしに、とんでもないものを買ってしまったりするのもその時だ。何かなしひとから悪く思われているような気のするのもそんな時だ。普段喜びを感じながらしていたことがみな浅はかなことにしか思えなくなるのもそんな時だ。私はひどくみじめになってしまう。自分がでに何が苦しいのだと訊きたくなる。たちの悪い夢を背負っているようだ。夢のように唐突な凶が不意に来そうで脅かされる。身体は自由でありながら、腐れ水のような気だけはどうにもならない。それだけ残酷な牢獄のように思える。
そんな時、手近なものの中でも最も手近な手段で、一時でも気を紛らそうとする。それの是非はともかくとして、何しろこの場合酒を用いてはいけないと思っている。――
その頃の自分は未だそれを知らなかった。酒を飲んでだんだんたちの悪いものにそれをしてしまった。高等学校二年の時であった。自分の不愉快な記憶である。――
私は酒から酒へ、救われないところへ自ら馳せ下って行った。ぐるりの事情も絶えず私を追い詰めて来た。どうしても私は大きな転回をしなければならなくなってしまった。その大きな転回のため、私は自分をむしろそのどん詰りへ急がせた。その年の冬、私は学校の方の始末も身体も神経もみな叩き壊して父母の許へ帰った。――
その帰る一週間ばかり前、私はふとした気まぐれから京都を発って阪神の方へ出掛けようとした。ふとした気まぐれと云って、その頃の私はただそうした形式でしか動くことが出来ないのであった。その小旅行は私にとって最後のしなければならなかったことなのだったから。
悪魔が加担していたような放埒三昧のあと家へ帰るには先ず素面《しらふ》にならねばならなかった。阪神の南郷山に私の友人が避寒かたがた勉強をしている寓居があった。私はそこで身の始末を落付いて考えようと思っていた……(欠)
(大正十四年)
凧 断片
……彼は最近大阪から越して来た家族の子供で、東京の凧《たこ》が珍らしく、毎日原っぱの隅へ来て小賢しい子供達のすることを見ていた。お二枚半という名前はそうして覚えてしまった。
次には自分にも一つそのお二枚半が欲しかった。しかし彼には介添をしてくれる友達もまだ出来ていなかった。そればかりではない、名前は覚えたがそのアクセントさえ飲みこめてないのだった。
「お二枚半。お二枚半」彼は執《しつ》濃《こ》く呟いて見た。やはりもどかしかった。
――しばらくして彼の兄と彼は近所の仲間と交際うようになった。
「一度相撲して見ろ。」我鬼大将が彼等兄弟に咐《いい》吩《つ》けた。二人は取組んだ。
「よし。……頑固だな。」我鬼大将はそんなことを云った。
――お二枚半を手にする日がとうとう来た。
それを持って原っぱへ出ると、我鬼大将があげてやると云った。彼は風下へ行って凧を捧げ風の来るのを待っていた。それは幸福な瞬間であった。
凧はぐんぐんあがった。我鬼大将の手許を見ながら彼は大丈夫かしらと思っていた。
「持って見ろ」
「うん」
糸の端は今手のなかにあった。大らかにたるんだ長い糸は遙か遠いお二枚半に続いていた。強い手応えがあった。少し引いてさえ先では直ぐそれに答えた。糸がたるんでいるのにと思って、彼には何だかそれが不思議に思えた。
――その日の中にお二枚半は丘の高い木へ引懸ってしまった。我鬼大将が引懸けたのであった。そしてそれはそれ切りだった。
――永い冬の間お二枚半はその姿で引懸っていた。紙が破れて骨だけになってもまだ残っていた。母は二度と買ってはくれなかったが、それを見ると彼の心はへんに心強かった。
これは真二のほとんど十五年にもなる昔話であった。彼は芝の二《にほ》本《んえ》榎《のき》に九つの冬から十一の春まで足掛三年を送った。また関西へ移ったのであった。そしてこの頃、真二はまた東京に住むようになった。一冬を二本榎にも遠くない目黒で過した。――
常緑の樫《かし》の葉が真昼の太陽の下で美しく光っている。孟宗の篁《たかむら》から雀が飛び立つ。檜葉は赤く霜に焼け、磨いたような青空の中を白い雲片が通ってゆく。そして凧の唸りが空に聞えて来る。真二は凧を眺めながら少年期の自分を想い出す。
「あのお二枚半にはどんな絵が書いてあったろう」そんなことを思う。
家の横についた台所。御用聞。昔の匂いは至る所にあった。彼の通っていた学校は二本榎に近いさる地主の建てた小学校で、その地主と同じ苗《みよ》字《うじ》の家が、目黒にもあった。昔の原っぱのなかの湿地の匂いが、やはり目黒の野原にも漂っていた。白金台町だとか清正公前だとか、車掌の呼ぶ停留所の名前にも想い出がつき纏った。省線の大崎駅のあたりは昔の大崎と似てもつかなかったが、八つ山の陸橋は昔の面影を残していた。
そんなものの陰に真二はいつも昔の生活を呼び起して見る。呼び起されて来る幼い自分や家の姿が、そのたび、どうしたことか、みな変に侘《わび》しい冬枯の匂いを持っているのであった。
三つの冬と二つの夏を送って冬に縁が近かった故か、今見る周囲がみな冬枯れている故か、ともかくそのことはいつも彼を侘しくした。
――二本榎へ移って来て、まだ間のない頃、ある日の夕方、姉が使いに行って帰って来ないことがあった。ランプの何かを買いに出たので、姉が帰らないとランプが点かなかった。
暗くなってゆく部屋の中で、彼や母等はおろおろ心配した。
兄が十銭銀貨を落して来たことがあった。母は兄に捜して来いと吩《いい》咐《つ》けた。雪の積った日で、兄が門を出ると門の前の雪の上にその銀貨が載っていた。
姉が麻糸つなぎやレースの内職を見付けて来て、それを遣《や》っている。針仕事をしていた母が、針仕事を捨てて、自分も手伝うと云って手伝いかける。しかし、慣れないのではかどらない。
「あああ、こんなことはやっていられん。」そう云ってまた慌てて針仕事にかかった母の姿。
母の留守、姉が箪《たん》笥《す》の抽出から質屋の通いを出して来て彼等に見せたことがあった。その時真二はひどく昂奮したのを覚えている。
関西へ帰るようになったのは真二が五年になった時であった。家を引払う晩のこと。彼等は先に門まで出た。
母がランプを消して最後に出て来た。家のなかは真暗になった。ランプなどは八百屋にやるんだから明日は取りに来るだろうと母が云った。誰一人送出す者はなかった。その八百屋が翌日来て、彼等一家がいなくなったあとを淋しがったかどうか。淋しがってくれたのならその八百屋だけがせめてもの送り手だったと云える。何というへんてこな出発だったことか。近所の友達にさようならさえ云わなかったのだった。
「真二、真二。」真二は時々自分の名を口に出して呼んで見ることがある。ふとするとその声が変に客観性を帯びて、誰かが……(欠)
……病気になって行くことが真二自身にもわかった。もうそれは仕事に対する根気ばかりではなかった。一寸した用事をするにも、途中でついぼんやりしてしまっていつの間にかそれを止めていたりするのであった。やりはじめの意気込みを忘れてしまう。意気込みなどと云わずに欲望と云った方がいいかも知れない。例えば物を買うにしても買った直ぐあとで何のために買ったのか訳がわからなくなったりするのであった。……(欠)
(大正十四年)
河岸 一幕
時、現代 初秋 夜七時頃
人物、学生二人
尾形宏作(二十二歳)
中野正剛(二十一歳)
他に通行人、および巡査
場所、大阪長堀河岸
場面
河岸の道路、柳の木二本、電柱一本、川に面して木柵結いある。通行人時々通る。艶めきたる三絃の音時々響き来る。
尾形および中野、河向うを見ながら右手より登場。
両人とも昂奮を圧えているように見える、一心に河向うを見つめる、急な鋭い短い語調、声は高くない。
中野 どれだ? どの家だ?
尾形 閉っているようだな。(心配らしく窺う。)
中野 三軒、軒並びになっている東の端だろう。(指して、)あれがそうじゃないか。
尾形 一つ、二つ、三つ、と。そうだ。開いている、開いている二階だ。二階に誰かいる。
中野 いる、――女だ、若い女だ。
尾形 髪は?
中野 日本髪。まだいる、男がいる、女がも一人いる。
尾形 よく見えないな、じゃ三人かい。
中野 四人だ、男二人に女二人。
尾形 もう一人の女は? 束《そく》髪《はつ》じゃないか?
中野 束髪だ、確に束髪だ。
尾形 芳子は束髪に結っているはずなんだが……
中野 型の古い束髪らしいぜ。
尾形 そうだ、じゃ芳子かも知れない。色は白いだろう。
中野 うん、そう云えばそうだな。君が見えると申し分がないんだけど少しも見えないか?
尾形 六度(一心に凝《み》視《つ》めている)左の端が女だろう、あれが日本髪か?
中野 そうだ団扇《うちわ》を持っているだろう。見えるかい?
尾形 その右が男、和服だね。
中野 うん、毛を分けているらしい。
尾形 叔父さんかも知れないぞ。やはり来ていていたんだ。その次が芳子で次が白い洋服だろう。
中野 そうだ、俺も二十度くらいの眼鏡をかけるとよく見えるんだが、これじゃはっきりしない。しかし君には見せてやりたいな。
尾形 俺が君ほど見えるといいんだが、これじゃ遠見で逢ったとも云えない。
中野 だけど、立ったりする時の姿の恰好でわかるだろう、まあ待っていろ、交番は直ぐそこだ。怪しまれちゃいけないからこの柵へ腰でもかけていよう。――さっき電話をかけた時は確かに叔父さんが出て来たんだね。
尾形 そうだ、あの声は確かに叔父さんだ。だからあちらも警戒しているに違いない。俺が大阪まで来たと知ってはあちらも安閑としちゃいまい。頭の毛を分けたのは確かに叔父さんだ。
中野 一人立って来た、おい、しゃがめ。俺達に気が付いたんじゃないか?
尾形 手《て》摺《す》りの所まで立って来たね。
中野 おい、見るな。(両人とも川に背を向ける。)日本髪じゃなかったぜ。女優髷だよ。
尾形 じゃ博士の奥さんかも知れない。君の眼も信頼出来ないね。
通行人、通る。
中野 おい、座《すわ》れ、この電柱の電燈が明るすぎる、隠れろ、帽子をとれ、柳の蔭へ行こう。(中野 柳の蔭へゆく。)
尾形 芳子だ、芳子だ。(狂えるものの如く云う。)
通行人、怪しみつつ通る。
中野 しっ、そんな大きな声で。どうしたんだ。――(柳の蔭から見る。)え、あれか? 束髪か、え、今座った? え、本当か?
尾形 俺が来たのを気が付かないのかな。(悲しき顔。)
中野 芳子さんが気が付くくらいなら叔父さんも芳子さんの夫も気が付くよ。それじゃ逢えないじゃないか、とにかく怪しまれちゃ駄目だ。おい洋服が立って手摺りの所へ来た。感づいたんじゃないか。
尾形 ひげはあるか?
中野 こちらを見てるようだ、おい座れ、座ってしまえ、もう見るな、――あるある、摘んだひげだ。
芳子さんの hus. のひげはどうなんだ。
あれは摘んだひげだよ。(煙草を取出し火をつける。)
尾形 摘んだひげだ。肥えているか、(煙草をくれと手まね。)
中野 うん、肥えている、ブルジョア然としている。(煙草を渡す。)
尾形 じゃそうだ、(煙草の火をつける。)じゃ皆来てるんだな。叔父さんと夫が帰らなきゃ今夜は逢えない。うん、たしかに芳子だ。
中野 今何時だ?
尾形 (腕時計を見つつ)七時前だ。
中野 じゃ落ち付け、まだ時間はある、二人は帰るんだろう。
尾形 二人とも妾の家があるからそこへ帰るんだろう、ともかくあの家は博士の自宅なんだから。
中野 階下は診察室らしいね。
おい、何か飲んでいる。酒じゃないのか。女優髷が酌をしている。おい、芳子さんはもう酒なんぞ飲んでもいいのか?
尾形 まだそんなに快くなっているはずはないんだ、そして酒なんぞのむ女じゃない。
中野 でも。――おい巡査が来た、静かにしていよう、挙動不審とは俺達の事だからな、もう見るのは止せよ。
二人無言、巡査通り過ぎる、二人をじろっと見る。
中野 おい巡査が何か云うと五《う》月《る》蠅《さ》いからもう見ないようにしよう。ここにいるだけがすでに怪しいと思われるだろうと思うよ。隣人の妻を貪る者の弱味さね。もう叔父さんと hus. と芳子さんは いることは十中八九間違いはないんだから いくら見たって同じことだ。
尾形 そうだ、この上は叔父さんと hus. とが帰ればいいんだ。(時計を見る。)
でも気が気じゃない。君にも苦労をかけるね。
俺はもう何だか逢える気がする。今日大阪の土を踏んだ時は、芳子と同じ空の下へ入ったような気がした。さっきあの橋の上を通った時は ちょうど一週間前に逢って二人が物も云わずに泣いてばかりいたのを思い出してまた泣きたい気持になったが。君にも今日は無理を云って……
中野 俺の苦労が何かいい事のためになれば俺は嬉しいよ。しかしね、――君には不愉快なことを云うに忍びないが――何だかあまり盲目的に一途になってやしないか? という気がしてね。俺はさっきから不安でならないんだ。俺は先ほどから考えているのだが、俺は実際こんな事にまで立ち入って行動するのは一寸差出がましいような気がしてならないんだ。(煙草を出す。)――まあ、落ち付いて話でもしようよ――君の恋にも、その当初から今日この頃のように立ち入った事は知っていなかったし、君の打ち明けて詳しい話をしたのは一月ほど前だからな。
それに、今芳子さんと君と逢うのも俺はよい事じゃなかろうと思うんだ。芳子さんの手紙にあったように、自分の研究に没頭して芳子さんをあきらめるのが一番いいと思うんだ。一旦他人の妻になれば、一歩進めば二人とも死ななけりゃならないんだからな。君がよく云うように よし芳子さんを今の苦境から救い出して誰もいない所へ隠れても 死なねばならないようになるのは当然だ、いや当然とはあるいは云えないかもわからん。しかし、芳子さんは豪家の娘だし 君もほんのお坊ちゃんだ、二人が共稼ぎをしてもやがて苦しみにたえかねる時が来るだろう、それは当然だ。それに二人は社会に背《そむ》いたものだ、君は罪名を負うんだ、姦《かん》通《つう》罪《ざい》とね。だから心中するのはまあ普通だ、それもいいとする。芳子さんの外に希望も光明もない人生なら、華々しく死んだ方が君も本望だろうし、芳子さんも夫の苛《かし》責《やく》や叔父さんへの気兼ねから逃れて君と添い遂げる事が出来る。死に勝る喜びだろう。俺はそれもいいというんだ、しかし君はそれも逡巡している、そうだろう? 君は一人息子だから お父さんも気の毒だからね、無理もない。
しかし俺だったらあくまでも生き抜いて見せるね、心中するのが生きる道だというのなら仕方がないが 俺にとっては死ぬことは悪だからね、必ず荊棘の道を光の方に切り抜ける。
この場合、君は断崖の上へ来ているんだ。一歩進めば死、死はいけない。とすると、あきらめるより仕方がないんだ。だからこれ以上関係を濃くしちゃいけないんだ。逢えばあきらめにくくなるからね。もう逢うのは止せと云いたいね。男らしくあきらめることは出来ないか。
尾形 今夜あえたら、そして心残りなく俺の心を芳子に通じたら俺はあきらめるよ。もうこの悲しみには耐えて行くつもりだ。
中野 君の心はよくわかるよ。俺はこれだけ云って あまり干渉するのは止す。しかし今日はあまり図に乗り過ぎはしないかと思うよ。
考えて見給え。さっき食事をとった家から電話をかけた時、叔父さんが出て来たと云って君が失望した時、君は京都へ帰って有り切りの金で飲みまわろうと云ったろう。それに俺が賛成したらほんの一目も逢えなかったんだよ。
それからここから河をへだててあの家が見えることも全然当てにはしていなかったんだから。そして京都から来る時は電話をかけて呼び出すだけの積りだったんだろう。云わば、一寸したはずみのそのはずみに君が今夜逢う希望を托したんだ、あまりそれに一途になるのはよくないね。
尾形 しかし俺は今日逢いに来たのだ、逢える機会を見逃して帰ろうとは思っていなかった。君は一体、今になって何故そんなことを云い出したのだ。
中野 しかしね、図に乗るなと云うのは、君にそれだけの用意が出来ていないことを心配するんだ、下手を打てば芳子さんが苦しむばかりだから。小魚をとる積りで川へ出て大きな鯉を見付けてそれをとりたいと思っても小さい竿《さお》は折れるばかりだからね。
しかし――あ、まだいるね、和服の男は帰ったらしい。看護婦がこちらを向いてるようだな。
尾形 おじさんは帰ったんだな。もう一人、hus. さえ帰りゃいいんだ、会えるような気がするよ。
中野 会うつもりか? よく考えろよ。
尾形 希望を失うまで断じて逢う。
君は逢うなと云うが、どうして逢わないでいられよう。俺は苦しむばかりだ、思っていることを彼女に徹底して云い抜くまでは俺はあきらめることは出来ない。
あああ、この川の水を見ていると死にたくなる。親父も気の毒だが、なんだか死ぬ方が自然なような気がする、その方が無理のない道のような気がする。
芳子も弱い女だけど俺も弱い。
一度は生の方が深秘だという気がしたが、叔父さんや hus. の前で死の勝利を謳いたい気がする、弱い俺達の最後の反抗だ。
中野 芳子さんは君の子をお腹に宿していてよく結婚が出来たね。時々俺は芳子さんは思ったよりも強い女じゃないかと思ったりする……
尾形 それだけ弱いんだ。
中野 何だか強そうな気がしたが。
尾形 強さを思わせるほど弱いんだよ、弱い女はあんなものだ。叔父さんは芳子の養父なんだから、叔父さんの命令はしのばなきゃならなかったんだ。
しかし俺との関係がわかってから hus. と叔父さんは死ねないように充分警戒して死ぬより以上の苦しみを毎日与えているんだからな、芳子は気が変になって流産するし、今度は二度目の大病だったんだ。
それもこの間まで俺は知らなかったんだ。どうして芳子に手紙を書いて出す隙があったか不思議だ。(悲しい身振。)モルヒネが手に入ったと云うから死ぬ気なら一緒に死んでやるぞ。
中野 おい、洋服の男が今立った、
この時分より河面に「オーイ オーイ」という陰惨なひびきが呼びかわされる。云い得べくば水死人を捜す人々の発するような不吉な声。
尾形 何だろう、いやな声。
中野 投身だ。
尾形 (ギョッとして、)何? 投身?
中野 女郎の投身がよくある。松島の女郎の投身は満潮でここの河岸へよく浮く。新町の女郎の投身を俺は子供の時からよく見た。この暗い水は見ていても死神の手が出そうだからな。女郎ばかりじゃない。
尾形 おい。俺は何だか、気味が悪い。俺達の運命が暗示されているような気がしてならない。
変に芳子が死んだような気がする。芳子だと思って見ている女は、ひょっとすると違う女のような気がする、実際俺は博士の家のどの部屋に彼女が養生しているのか知らないんだから。
中野 洋服の男は帰って来ないじゃないか、女二人きりだ。
おい注意していないと、hus. はこの道を通って帰るかも知れないぞ。
尾形 自働電話はどこだ。(決然と云う。)
中野 おい、かけるのか?
尾形 かける。芳子が投身したような気がしてならないから。
中野 よく考えて見たかい、下手を打てば芳子さんが苦しくなるばかりだから。電話もどんな邪魔が入るかも知れたものじゃないからね。
尾形 よしわかっている。
もうかけるよ。自働電話は交番の横だね。
中野 どう云ってかける?
尾形 芳子の親類だと云ってかけるんだ。それからあの橋の上で逢うようにする。
中野 策略は嫌いだが、一つ教えてやろう。芳子さんのためだから構わない。さきに、叔父さんか、hus. かがいないかときくんだ。いなけりゃ、仕方がないから芳子さんを呼んでくれという風に云うんだ。あちらからきくまで名前を云うな、いいか。
尾形 じゃ行くよ、電話をかける間 二階の二人の女に注意していてくれろ、右側が芳子だろうから。
中野 ああ、いいよ。(尾形立ち去る。)
「オーイ」「オーイ」の声。
中野腕を組みて川面を見る。よき頃に、家の女に注意する。
中野 あ、立った、尾形はどんなに嬉しいだろう。尾形、逢わしてやりたかった、あいつは苦しみ過ぎたんだ。(手にて軽く拍子を取りながら口笛を快活に吹く。)しかし、尾形が会った方がいいのか悪いのか本当はわからない。俺がこんなに世話焼きに気を揉むのも本当はこれでよかったのかどうかわからない。(口笛を吹く、)何でもいい。とうとう話が出来た。あれで尾形も気が静まる。
おれの心も逢わす事で躍気になっていたらしい、滅茶に嬉しい。(口笛を吹く。)
ああ二人の幸福を祈ってやらずにはいられない。(口笛を吹く。)
「オーイ」「オーイ」の声。
中野 投身する人もあるし、恋する男もあるし、みな一人一人の運命を背負って行く。(口笛を吹く、)
自働電話の方角より尾形の呼ぶ声きこゆ。
中野 え? そこへ行くの。
よし、行くよ。
走り去る。「オーイ」「オーイ」の声。
――幕――
(大正十二年)
攀《よ》じ登る男 一幕
人。梶山。 画家。二十四歳。
池田芳枝。画家と同棲せるモデル女。二十一歳。
黒田。 画家の友人。二十六歳。
絵具商の手代。
時。現代。秋。
場所。都会の外れ。
梶山。 (ひどく痩《や》せている。ひげはそらずにある。時々咳《せき》をする。一見して肺が悪いと思われる。眼が大きくぎらぎら光っている。パレット・ナイフでパレットの絵具をとっては反《ほ》古《ご》で拭いている。)芳枝、芳枝(この言葉のあとでまた咳入る。)
芳枝。 はい。(隣室よりきこえる。)
梶山。 洗った筆を持っといで。
芳枝。 (隣室より筆をたくさん持って出てくる。汚いエプロンをしている。全体質素な風。美しい容貌。)また描きにいらっしゃるの。(筆を渡す。)今日はいいお天気だけど寒くってよ。厚いシャツを重ねていらっしゃいな。
梶山。 いやマントを着てゆこう。シャツは肩が凝っていけない。
芳枝。 今日画箋堂が来るのよ。
梶山。 そうか。じゃ来たら、これだけ持って来さしてくれ。(絵具箱の中から書き付けを取出す、一度それを熟読し、また鉛筆でそれへ書き込む。妻の言葉はその動作の完結しないうちにはじまる。)
芳枝。 そうじゃないのよ。今日は掛取りに来るのよ。
梶山。 今日は――もう晦《みそ》日《か》かい。
芳枝。 何の晦日なものですか。今日は二十日よ。(考えて)あのね、まだお話しをしてなかったのだけど、画箋堂がこの間から二度も三度も来て、お貸しした金をどうかして下さいと……
梶山。 おい止せ。描きに出かけようとするとそれだ。
芳枝。 いいえ、まあおしまいまできいて下さいよ。貸してあるお金を下さいと云って三度ばかり……
梶山。 そんなこと俺の知ったことか。お金のことならお前が黒田と相談してやってゆく、と云ったんじゃないか。
芳枝。 だから今日まで云わずにいたのじゃないの。あのね、画箋堂はね、お金を頂戴しますか画を頂戴しますかと云って来たの。
梶山。 幾度云っても画はいけない。ぐずぐず云わなくっても、二十日なら黒田が金を持って来るじゃないか。
芳枝。 黒田さんが下さる御金で足りるのだったら何も相談しやしないわ、黒田さんが下さる御金は一時ふさぎにも足りないくらいよ。
梶山。 幾度いっても同じ事だ、断然画は駄目だ。(妻 しおれる)――画が金の代りになるか。(この頃より画を眺めては色を塗る。)
芳枝。 じゃどうするの。画箋堂はそいじゃ承知しないことよ。画を売らないと云っても差し押えられたらどうするの。
梶山。 (言なし。)
芳枝。 それにあなたが病院にいた時、私が画箋堂にお金を先き借りしてモデルに通ってたでしょう。あなたが画を手離さないなら、私またモデルに通わなくちゃならないわ。
梶山。 筆をお貸し。
芳枝。 あなた聞いていらっしゃるの。あなたが絵を売らない、展覧会にも出さないと云ってる間に、私は私の身体を人の前にさらけ出してあなたの病院代を稼いでたのよ。ね、あなたは画家じゃなくって、画家は描いた絵を人に見せるのが当然じゃないこと。妻の身体を他人に見せるよりも自分の絵を見られる方が……(泣く。)
梶山。 馬鹿。止せ。仕事の邪魔をするような奴は出てゆけ。
芳枝。 いいえ、私は出てゆきません。私は帰る家もなにもありません。私はあなた一人が頼りなのです。それにあなたは邪《じや》慳《けん》になさる。二年この方の生活費《くらしむき》は誰がやって来たのです。あなたの丸一年の病院代は誰が稼いだのです。
梶山。 また金か、卑《いや》しいことを云うな。
芳枝。 いいえお金ばかりじゃありません。永い間身も心も捧げて、あなたの画が一日も早く世に出るように世に出るように祈っていたのは誰ですか。子供が授からないからあなたの絵を私達の子供だと思って暮して来たものを、今頃ようやくその絵がみなさんに認められて来たのに。
梶山。 馬鹿、俺は俺の絵を盲目ばかりの世に出したくは思わない。それだのに俺の病院へ行っている間に、橋本のような俗物をひっぱり込んで俺の画を見せたのは誰だ。橋本輩に俺の絵がわかるか。浅《あさ》間《ま》しい奴だ。
芳枝。 あなたこそわからずやだ。人が骨を折って展覧会をして上げようと云われると怒り出すし、売ってくれと云われても売らないし、あなたは本当にわからずやだ、傲《ごう》慢《まん》だ。いくら私があなたを大切にしてもあなたは私よりも画の方が大切なのだ。私などは絵筆か絵具のようなものだ。すり切れるか、しぼりつくされるとおっぽり出される。黒田さんが仰《おつ》言《しや》るように私が絵具になってあなたの画を作るのだとは、そして、それが名誉だなどと思われないわ。それよりはあなたが私の裸体を描いていらしった時の方がよほど生き甲斐があったような気がする。ね、あなた。あなたは本当の孤児のように画を描いていたのね、人の使い残しのパンを噛《かじ》って陰気な顔をして、研究会の画室であたしを描いていたのね。
梶山。 おい止してくれ。俺が始めて汚れた日のことを云ってくれるな。あの絵が出来上るまぎわにお前はあれをめちゃめちゃにしてしまったんだ。俺は女を知ったばかりにあれが書き上げられなくなったんだ。俺はもうあの日から貴様に用事はなくなったのだ。
芳枝。 それはあんまりだ、あんまりだ。死ねと云われるよりひどい。そんなことは本気じゃないと云って下さい。今でも私を愛してると云って下さい。そう云って下されば画を売れなどと云わないから。ね、云って 云って下さい。私は喜んでモデルに通って借金をかえしますから。
梶山。 馬鹿者、そんなことを云うのを恥じないか。(はげしく咳き入る。だんだんはげしくなるにつれて芳枝はだんだん心配になってゆく。咳は止まらない。芳枝は背をさすり介抱する。梶山横《おう》臥《が》する。そして喘《あえ》いでいる。芳枝、立って水を汲みにゆく。裏で井戸を汲む音がきこえる。水を汲んで来る。飲ませる。梶山飲んで画をみつめている。その間を沈黙が領している。)
梶山。 (つと立って、急に支度をして庭へ下りる。出かけようとする。)
芳枝。 (あわててマントをとり出して庭に下りる、そして戸口のところで梶山にわたす。)疲れないように早く帰っていらっしゃいな。
梶山。 (出ぎわに)身体の為なら寝床を別にする方がいいよ。
芳枝。 (悲しき面持ちで座敷へ帰って来てそこへ泣きくずれる。)
間。(絵具商の手代。)
手代。 御免下さい。御免下さい。
芳枝。 はい。こちらへ廻って下さい。
手代。 いいお天気で御座います。梶山さんはまた御出かけですか。あのこの間の事を御話し下さいましたでしょうか。
芳枝。 主人はどうしてもお売りしないそうで御座います。
手代。 それは困りますな。それでは御金の方は御払い下さるのでしょうね。
芳枝。 え、今日出来るはずになっているのですが、それでも――
手代。 池田さん。それは困りますよ。家へ帰っても主人に話も何も出来たものじゃありません。私の方じゃ唯《ろは》で幾月もお貸ししたのじゃないのですからね。絵をお貰いしたさに梶山さんにもあなたにも御渡ししたのですから、絵もお金もとれずに家へ帰ってはまるで主人に面をあわせませんよ。それにあなたへお貸しした分もあとまだ三ケ月分も通って頂だかなけやならないのがそのままになってるんですし、それにこの頃はまるでモデルがないものですから。主人は絵か、お金か、あなたか、それを都合して帰らないといけないと云ってるんです。
芳枝。 でも絵は駄目ですわ。
手代。 そいじゃお金は。
芳枝。 お金は今日中に出来るはずなのですが、それもみなという訳にはゆかないのです。
手代。 は、それで幾らばかり。
芳枝。 二十円ほど。
手代。 そそ、そんな。まるでお話しにも何にもなりませんよ。
芳枝。 いえ、そして私が明日からモデルに参りますから。
手代。 さ、そのモデルの方ですが、梶山さんは御承知なんですか。
芳枝。 いいえ、かまわないのです。この頃だったらどこへモデルにゆくんですか。
手代。 そうですね、橋本関雪さんが、もしあなたがモデルになるんだったら是非来て貰ってくれと云ってられるんですが、橋本さんだったらアトリエも直ぐ御近所ですから。
芳枝。 橋本さんのところは御免蒙ります。
手代。 どうしてで御座います。橋本さんは梶山さんの元の先生じゃ御座いませんか。そして梶山さんの画を保証して下さった方も。――そうなんですよ、橋本さんの御口ききがなかったら私の家でもお貸ししてなかったんですからね。そして今度橋本さんが梶山さんの画を世の中に紹介なすったのも、きけばあなたがここへ先生を案内して御見せになったからじゃないのですか。
芳枝。 梶山はそのことでいくら妾《わたし》を責めるかわかりません。
手代。 へえ、橋本さんとおうちとにどんな感情の問題があるか存じませんが、橋本さんはあんなに心の広い御方でして……(欠)
手代。 あなたにお貸しした分はそれでまあモデルをしていただいたらいいのですが、梶山さんの分はどうなるんで御座います。
芳枝。 え、今日御渡しする二十円と妾がモデルに参るのとで御主人の方は何とかならないのでしょうか。
手代。 画を頂けないのなら仕方がありませんが、二十円ではあんまり非《ひ》道《ど》いです。主人も梶山さんがあまり図々しいのに業を煮やしてますから、どうしますか、ひょっとすると差押えるかも知れませんよ。
芳枝。 梶山が図々しいとはどうなんです。
手代。 橋本さんがあんなに骨を折って紹介されて 自分の画に価値が出たといってつけ上って、展覧会をしてやると云われても首を振るし……
芳枝。 そんなことを誰が云ってるんです、御主人ですか橋本さんですか、それともあなたですか。
手代。 さあ、誰がいってもいいじゃありませんか。そんな工合で主人はひょっとすると差押えるかも知れませんよ。そうすると一も二もなく画が競売になるんですがね。梶山さんも何に意地を張っていらっしゃるんでしょう。だって随分常識のない話ですね。青年画家はみな自分の絵が少しでも認められるのをどんなに待ってるか知れないのに、梶山さんは変屈ですね。
芳枝。 あまり馬鹿にするもんじゃありません、女だと思って。あなたは随分軽薄ね、そんなことをぺらぺら喋って淋しくはないこと。
次に、黒田登場する。案内も乞わずに入って来る。背広姿を着たるエレガントな紳士。この会話の末節をきく。
黒田。 芳枝さん、今日は。
芳枝。 あら黒田さん、いらっしゃいませ、どうぞ御上り下さいな。
黒田靴をぬぐ。上る。一寸、芳枝をまねく。二人蔭にてひそひそ話している。やや長き間。手代、空を眺める。
黒田。 画箋堂のお方、失礼ですが僕はこういう者です。
手代。 は。
黒田。 今聞きますと、差し押えるとかあなたの方で云っていられるそうですが、いくらほどあればあなたの御主人の方はまあ御得心になるんですか、最小限度でですね。
手代。 は、それなんですが。三分の一ほどもいただいて帰らないと、どうも主人に顔向けがなりませんので。
黒田。 じゃ三分の一持って帰って頂いたら申訳けにはなるのですね。それじゃ(懐の中から状袋を出して百円紙幣を一枚出す。)これを持って帰って下さい。(芳枝、遮ぎるような身振をする。黒田それをとどめる。)
手代。 は、それじゃ請取を。
黒田。 それで帰って、差押えにならないように云っといて下さい。それからこちらの勘定の相談はその名刺にかいてある私の家へ来て戴くことにいたしましょう。
手代。 じゃ、これを。どうも有難う御座いました。そいじゃ、いずれ。梶山さんによろしく、御免。
黒田。 はい、さようなら。
手代。 あ、それで、池田さん、モデルの方は明日からでもいらしって下さいますか。
黒田。 芳枝さん、あなた、モデルにまた行くと云ったのですか。
君、一寸待って下さい。モデルの方も二三日延ばしといて下さい。
手代。 じゃ、そう申しときましょう、さようなら。
芳枝。 黒田さん、本当に済みません。あなた、かまわないのですか。
黒田。 仕方がありません。梶山の画やあなたが売り物になるということは僕として堪え難いことです。あなたは何故また僕に云わなかったのですか。
芳枝。 でもあんまり……
黒田。 遠慮して云わない方が却って困るのですよ。何故またモデルなんぞの約束をしたのですか。
芳枝。 でもね、梶山が病院へ入ってた時の、あのモデルになるからと云って画箋堂で借りたお金がまだみんな返せてないのですもの。
あとまだ三ケ月通わなくちゃならないのです。
黒田。 そんなことをもっと明《はつ》瞭《きり》僕に云ってくれればあんな不愉快なことを堪える心配はなかったのに。
芳枝。 本当にいつも御心配をかけまして。
あら、お茶を出すことも忘れて、随分頓《とん》馬《ま》ですこと。
(茶。)
黒田。 梶山はこの頃どうですか。相変らず不機嫌ですか。
芳枝。 え、随分怒りぽいの。この頃はまた随分画がよく描けるらしいのよ。いつでも怒りぽく陰気な人が画がよく描け出すとほんとに怒りぽくなってね、それに陰気になってしまってね、今日だって画を売れと云ったと云って、わたしに筆を投げつけて怒り出したのよ。そしてぷいとまた画を描きに出かけましたわ。
黒田。 いつ。
芳枝。 え、ついさっき、だけど直ぐ帰って来ますわ。いくら気が勝ってても身体が直ぐ疲れるから、じき帰って来ますわ。
黒田。 本当にそんな時は柔いものにさわるようにいたわらなけやいけませんね。それにあなたも画を売れなんて、あまり……
芳枝。 でもね、本当に思案に余ったのですもの。でも、何を云っても取りつき葉《ママ》のないようにじっと絵を見ながら少しずつ筆を入れてるんでしょう、私ついじれったくなって云いすぎちゃったの。
黒田。 画を売れとか、展覧会に出せなんか云うのは梶山の一等嫌なことに触れるのですからね。私に一枚くれろと云っても駄目だと云ってるんですからね。梶山は世間などに認められなくっても決して淋しがりはしなかった男でしょう。梶山にはこの世の中などはまるで馬鹿が寄っているとしか見えないのですものね。
芳枝。 でも人のほめる言葉くらいはよろこんでよさそうに思えるわ。
黒田。 梶山はなにも人のほめてくれるのを待ってもいなければ望んでもいないのです。なにか神とか、完全な人とかを怖れているのです。そんな完全な人の前に出してやましくないような画をかきたいと云って唯《ただ》そればかり望んでいるのです。本当に梶山にはそれが全部ですね。
芳枝。 本当にね、ほんとうに私なんかはどうなっても画さえ出来ればいいんでしょうね。あなたどうお思いになって、梶山は私を少しでも愛してるんでしょうか。
黒田。 さあ、でも愛しているには違いないと思いますね。
芳枝。 私をモデルに出して平気でいるらしいんですの。
黒田。 まさか。
芳枝。 でも、あなたが絵を売らなければあたしがモデルに出なけやならない、と云ったら……
黒田。 それア、酷だ。そんなことを云って苦しめるなんて。
芳枝。 でも苦しんでもいなかったようですわ。少しでも苦しんでくれたら私よろこんでどんなことでもしますのに。
黒田。 でも愛しているにはちがいありません。梶山の愛は、そんなモデルに出す出さないなんかよりもっと大きいのじゃないかと思いますね。
芳枝。 でも私なんかは、あの〇号の裸体画ね、私がモデルになったのね、あれが失敗した日から用事はないんだと云ってましたよ。
黒田。 でも、それは違うでしょう。あの画に出そうとした所を梶山があなたから見失なったとしても、それはそれだけの話でなにもあなたの全存在を憎んでいる訳でも何でもないんでしょう、それは違いますね。
僕は愛してるに違いないと思いますよ。今にそれが証明せられるようなことが起ったらあなたにもおわかりでしょう。平常わからなかったことがお互いに突然なことで明瞭になることは往々ありますからね。
芳枝。 どんな事。
黒田。 さあ、例えば、梶山自身が今あなたを愛していないと思ってるとしますね、その時でも、あなたがもし突然いなくなったとしたなら梶山はきっとあなたを愛していたということをしみじみ味わされるだろうと思います。
芳枝。 却《かえ》って厄介払いをした積りになるかも知れませんわ、この頃は本当にそれはよそよそしくするんですの。だから私はこの頃本当に淋しいんですの。本当に泣きたくなって来ますわ。少しでも愛していることがわかればね。一つ芝居を打って見ようかしら。
黒田。 お止しなさいよ。よそよそしくするのは梶山に製作欲がはげしくなっているからでしょう。この頃の画は。
芳枝。 これなの。(三枚ほどならべる)右が最近のでだんだん順になっています。
黒田。 私などにはわからないけど目に見えてしっかりしたものをつかんでいるような気がしますね。始めのと終りのとは段がちがうような気がしますね。
芳枝。 あたしもそう思います。
黒田。 どうです、あなたは最後まで忍んで梶山の画を完成する元気はありませんか。私は恥しいながら生き甲斐というようなものが本当にわかりません。そんな人間はみな一つの天才が昇ってゆく階段となって死んでゆくことに生き甲斐を見つけるより仕方がないのです。私はこの画を見るとその元気が湧いて来ます。
芳枝。 あたしでも梶山がいなければ生き甲斐もない気がします。しかし、あたしは梶山が愛してくれなければ生き甲斐もなんにもないような気がします。
黒田さん、女という者はこんなものよ。
黒田。 そうですかね。
芳枝。 それも唯《ただ》一言でいいの。この頃の私はほんとうに黒闇の中を歩いてるような気がしますわ。
黒田。 僕が云ったその不意な出来事を待っていらっしゃい。
あ、それから、今日みんなで食おうと思って牛肉を買って来たのですがね、あなた支《し》度《たく》をしてくれませんか。
芳枝。 あら、どうもすみません。それじゃ今日お家で召上るんじゃないんですの。
そして黒田さん、お宅の首尾はどうなんですの。
黒田。 何の。
芳枝。 あのお金をあんなにして戴いて、お宅へ持ってお帰りになるのは。
黒田。 家って、まさか。世帯を持っているのでもなし、どうせ本屋か何かに持ってゆかれる金ですからかまいません。
芳枝。 でも画箋堂がお宅へ上ったら……
黒田。 両親に話をしたら納得するでしょう、よくわけのわかった親ですから。
芳枝。 本当にすみません。でも黒田さんはいい御両親がおありで、よろしゅう御座いますね。私や梶山は孤児といえば孤児で、ほんとうに頼りにする肉親もないのです。
黒田。 本当にね。
芳枝。 愚痴なんかまた云い始めて。では御支度をいたしましょう。(風呂敷を持って。)
あの、これをまあ見て下さいませ。(残虐に二つに破った雑誌を持って来る。)この間お借りしたのを一寸見せたら、少し読んで二つに破いちゃいましたの。この千家って方、あの一度見えた方ね、あの人のお書きになった……
黒田。 あの詩ですか、言葉をおしまずに梶山をほめちぎった詩でしょう。
芳枝。 これを見てね、これはお世辞だ、あんな詩人なんかに画がわかるものか、詩人は歌を作れ、おれは画をかくんだと云って怒って、この御本を破いちゃいましたの。……(欠)
(大正十三年)
遺稿
栗《り》鼠《す》は籠《かご》にはいっている
陽のよくあたる久し振りの朝!
人はみな職場に、子供達は学校へ、みな行ってしまったあとの街を歩くことは、日頃怠《たい》惰《だ》な芸術家にとってなんという愉しいことだろう。うららかにもひっそりしている。道で会うのは赤ん坊をおぶったお婆さんか、自転車に乗った御用聞しかない。高い土塀に咲《さき》残《のこ》ったばらの匂が路面まで降りて来ている。さざんかの花を散らして小鳥が逃げてゆく。
日光にはまだ生気がある。これが昼をすこし過ぎると、なぜあんなにも物悲しくなるのか?
そんなある朝、私は「鳥源」という小鳥屋の店先に立って、陽を浴びて騒いでいる小鳥達を眺めていた。彼等は餌《え》を貰ったところだったらしい。菜っ葉を食い裂き、粟《あわ》を蹴散らし、水をくくみ飲む有《あり》様《さま》はまことに異様な騒《そう》擾《じよう》であった。それが済んでしまうと彼等はまた横棒の上へ帰って、眼白押しに並びながら「あたしを買って頂戴」をやるのであろう。なんといううまい仕掛になっていることか。籠のなかの小鳥達!
そのうちに私は非常に興味のある一つの籠を発見した。それは黒い宝玉のような眼をした、褐色の背に白い縞の走っている猫じゃらしのような尻っ尾を持った、アクロバットの一群だった。朝鮮栗鼠!
この連中は十匹で二十匹の錯覚を与えるために活動していた。餌を食いに来ている奴のほかは、まるで姿がつかまらない。籠を垂直に駆けあがってゆく。身を飜《ひるがえ》す。もう向う側を駆け下りている。また駆けあがってゆく。もう下りて来ている。また駆けあがってゆく。もう下りて来ている。
アーチだ! いつも一定の、好もしい、飛躍の恰好の残像で構成されている。
餌を食っている彼等はほんとうに可憐に悧《り》巧《こう》そうに見える。猫じゃらしの穂のように芯《しん》の通った尻っ尾をおったてて鉢の前へ坐る。拝むような恰好に両手を揃えて、穀類を掬《すく》っては食うのである。まるで行儀のよい子が握飯を食っているようではないか? そしてまた錯覚の、群飛の、アーチのなかへ駆けあがってゆくのである。
隣りの平たい籠のなかでは、彼等はまた車を廻さされていた。
彼等の一匹が車のなかへはいると、車は猛然と廻り出す。彼は駆ける駆ける。車は廻る廻る。まるで旋風機のように。桟《さん》もなにもかも見えなくなってしまう。そのなかから、彼の永久の疾駆の恰好が商標のように浮き出して来る。ついと彼が走りやめる。と、桟がブランブランと揺いで、一走りをすませた彼の姿がそのなかから下りて来る。そしてまた代りの奴がはいる。そしてまた車が廻り出す。
彼等はその遊びに驚くべく熱心である。なぜだろう? これが天性というのだろうか? それとも別の訓練がかくも彼等を「六日競争」の選手にしてしまったのだろうか?
しかし私はさきほどの籠のアクロバット達を見較べて見ることによって、「円の逆は点なり」という難しい数学の定理を思い出しながら、それを「天性」だと帰納してしまった。まことに円の逆は点なのである。
そのうちにまた私は驚ろき出した。その点が――静止の位置にいてしかも疾駆している彼が、ほんとうに遠くへ遠くへ、走り去ってゆくように見え出したのである。五十米。百米。二百米。ああ走る走る、遠くへ遠くへ。
私は夢中になってしまった。此奴《こいつ》は恐るべき革命家だ! 車のなかにいながら、車から無限の遠さへ走っているではないか。此奴等は物理学の法則を破壊してしまった。ああなんという疾駆だろう!
私は感歎してしまった。感歎しながら見入っていた。見入りながら考えはじめた。何を? 隣りの奴等を。彼等もまた恐るべき革命家ではないか!
仰向けに飛躍する身軽さは重力の法則を消去している。おまけに「十は十に非ず」ということまで主張しようとしているではないか!
「恐ろしい革命家だ」
そうひとりごちながら最後に私はそこを立ち去った。愉しい朝の散歩の思わぬ収穫に心をときめかせながら。
しかし昼が去って、衰えた日影をはや木枯が乱しはじめる。夕方。私の考えはなにもかもが陰気になってしまう。私は朝の栗鼠のことを考え直して見る。
「革命家だなんて。たかだかが手品師かアクロバットではないか。それを革命家だなんて。栗鼠はやはり籠のなかにいるんだぜ」
(昭和二年十月)
闇の書 断片
私は村の街道を若い母と歩いていた。この弟達の母は紫色の衣服を着ているので私には種々のちがった女性に見えるのだった。第一に彼女は私の娘であるような気を起させた。それは昔彼女の父が不幸のなかでどんなに酷《ひど》く彼女を窘《いじ》めたか、母はよくその話をするのであるが、すると私は穉《おさな》い母の姿を空想しながら涙を流し、しまいには私がその昔の彼女の父であったかのような幻覚に陥ってしまうのが常だったから。母はまた私に兄のような、ときには弟のような気を起させることがあった。そして私は母が姉であり得るような空間や妹であり得るような時間を、空を見るときや海を見るときにいつも想い描くのだった。
燕《つばめ》のいなくなった街道の家の軒には藁《わら》で編んだ唐がらしが下っていた。貼りかえられた白い障子に照っている日の弱さはもう冬だった。家並をはずれたところで私達はとまった。散歩する者の本能である眺望がそこに打ち展けていたのである。
遠い山々からわけ出て来た二つの渓《たに》が私達の眼の下で落ち合っていた。渓にせまっている山々はもう傾いた陽の下で深い陰と日表にわかたれてしまっていた。日表にことさら明るんで見えるのは季節を染め出した雑木山枯《かれ》茅《かや》山であった。山のおおかたを被っている杉林はむしろ日陰を誇張していた。蔭になった渓に死のような静寂を与えていた。
「まあ柿がずいぶん赤いのね」若い母が云った。
「あの遠くの柿の木を御覧なさい。まるで柿の色をした花が咲いているようでしょう」私が云った。
「そうね」
「僕はいつでもあれくらいの遠さにあるやつを花だと思って見るのです。その方がずっと美しく見えるでしょう。すると木《もく》蓮《れん》によく似た架空的な匂までわかるような気がするんです」
「あなたはいつでもそうね。わたしは柿はやっぱり柿の方がいいわ。食べられるんですもの」と云って母は媚《なまめ》かしく笑った。
「ところがあれゃみんな渋柿だ。みな干柿にするんですよ」と私も笑った。
柿の傍には青々とした柚《ゆず》の木がもう黄色い実をのぞかせていた。それは日に熟《う》んだ柿に比べて、眼覚めるような冷たさで私の眼を射るのだった。そのあたりはすこしばかりの平地で稲の刈り乾されてある山田。それに続いた桑畑が、晩秋蚕もすんでしまったいま、もう霜に打たれるばかりの葉を残して日に照らされていた。雑木と枯茅でおおわれた大きな山腹がその桑畑へ傾斜して来ていた。山裾に沿って細い路がついていた。その路はしばらくすると暗い杉林のなかへは入ってゆくのだったが、打ち展けた平地と大らかに明るい傾斜に沿っているあいだ、それはいかにも空想の豊かな路に見えるのだった。
「ちょっとあすこを御覧なさい」私は若い母に指して見せた。背負い枠を背負った村の娘が杉林から出て来てその路にさしかかったのである。
「いまあの路へ人が出て来たでしょう。あれは誰だかわかりますか。昨夜湯へ来ていた娘ですよ」
私は若い母が感興を動かすかどうかを見ようとした。しかしその美しい眼はなんの輝きもあらわさなかった。
「僕はここへ来るといつもあの路を眺めることにしているんです。あすこを人が通ってゆくのを見ているのです。僕はあの路を不思議な路だと思うんです」
「どんな風に不思議なの」
母はややたたみかけるような私の語調に困ったような眼をした。
「どんな風にって、そうだな、譬えば遠くの人を望遠鏡で見るでしょう。すると遠くでわからなかったその人の身体つきや表情が見えて、その人がいまどんなことを考えているかどんな感情に支配されているかというようなことまでが眼鏡のなかへは入って来るでしょう。ちょうどそれと同じなんです。あの路を通っている人を見るとつい私はそんなことを考えるんです。あれは通る人の運命を曝露して見せる路だ」
背負い枠の娘はもうその路をあるききって、葉の落ち尽《つく》した胡桃《くるみ》の枝のなかを歩いていた。
「御覧なさい。人がいなくなるとあの路はどれくらいの大きさに見えて人が通っていたかもわからなくなるでしょう。あんな風にしてあの路は人を待ってるんだ」
私は不思議な情熱が私の胸を圧して来るのを感じながら、凝《じ》っとその路に見入っていた。父の妻、私の娘、美しい母、紫色の着物をきた人。苦しい種々の表象が私の心のなかを紛乱して通った。突然、私は母に向って云った。
「あの路へ歩いてゆきましょう。あの路へ歩いて出ましょう。私達はどんなに見えるでしょう」
「ええ、歩いてゆきましょう」華やかに母は云った。「でも私達がどんなにちいさく見えるかというのは誰が見るの」
腹立たしくなって私は声を荒らげた。
「ああ、そんなことはどうだっていいんです」
そして私達は街道のそこから渓の方へおりる電光形の路へ歩を移したのであったが、なんという無様な! さきの路へゆこうとする意志は、私にはもうなくなってしまっていた。
(昭和二年十二月)
夕焼雲 断片
私は日の暮方を愛した。そして幾度となくその経験を繰りかえしているうちに、私はいいようもなく陰気なことを結論してしまったのだ。
夕暮が近づいて来て、日射しが地上を去ってゆくとき、何ともいえない静かな安息が風景におりて来る。その気配は私がどんな閉じ籠った部屋にいるときにでも、どんな書物に読み耽《ふけ》っているときにでも、またどんな苦しみに捕えられているときにでも、不思議に私の胸へ忍び入って来るのだった。
今だ! よく私はそう思って身構えした。そして窓に倚《よ》って外面を眺めるのに、いつもその感じに誤りはなかった。
入り交った光と影に乱されていた窓近くの山は、いまや澄み透った遠近に浮き出していた。私が杉林を愛するのは、いつもこの時刻においてである。この時刻だ。いままでただ重なりあって見えていたその梢々は、夕暮の空気のなかでしんしんと並び立ち、立ち静っていた。この暮方の不思議な気に感じ、もし私の身が空に流れる蜘蛛のように軽くなるなら、それらの穂先穂先を飛び伝ってどっかの国へまでも歩いてゆけそうにそれは見える。
その静けさのさなかに私は再び愕然とする。今だ! それは地上を遠ざかってゆく陽がいまや空の雲へ届いた。そこで夕焼を起しているのである。
輝やかしい金色は一つの雲に起り、見ているうちに次々の雲に移って行く。何という壮麗。やがて私はその金色が焔の色に染まって来たのを感じる。しかし私が見入っていたわが眼を他の雲に転じるとき、おお隣りの方がずっと立派だったのだ。私はそれに眼を移す。しかし私がまた眼を移したとき、それよりももっともっと立派な雲はいたるところに輝いているではないか。そしてまたそれに気を呑まれていた間に、私は最初の雲がすでに死灰の色に変じていたのを知らなかった! 燃え尽きた雲のなんというはかなさ。今までは栄光に輝いた神の軍勢のように空を渡っていたそれは、いまや空を蔽って進む死の軍勢のよう。
もしその夕暮が雨上りかなにかで、空に雲の多いときには、すでに夕焼を終った雲の上にまた夕焼をはじめる雲を見るだろう。そしてほんのわずかの間に、空は幾度にも変った相を呈する。そしてそれらがみな漠々とした灰色雲に終ってしまうまで、白状する、私の心にはひとときの安静も与えられなかったのである。私はいらいらばかりしていた。夕焼を静かな観照のなかに見終ったことはない。
夕焼雲に転身してしまいたい願……(欠)
(昭和三年)
奇妙な手品師 断片
ある初夏の午後私はA公園のなかをぶらぶら歩いていた。
「芸術の革命」
「超現実主義の絵画来る」
ちょうどそういうビラが公園のここかしこの辻に貼られていて、私の足はどうやらその展覧会の会場の方へ向いているらしかった。
という訳は、明らかにその会場を目がけて急ぐらしい人々の足並のなかに、私の病み上りのようにふらふらした足並も雑《まじ》っているのだった。
……だが、自分ながら自分がいかにも感じの悪い男に思えてならない。もし私の心のなかを人々が見破って襲いかかって来ることを想像する。私は決して非を詫びて謙遜になろうとは考えない。彼等が私を殺すまでやけくそに戦ってやろうと思う。そしてそんなことを考えるとき、私の臼歯はまた噛み合わされているのである。
歩くと疲れるので悪道路を憎む。アスファルトの路と小石を敷いた路とその疲労の差は四倍や五倍ではきかない。私はなにかの機会で小石を敷いて悪い道を修理することを発明した男の名前を覚えた。それはスコットランドの土木家でJohn Laudon Macadam。という男だそうである。小石を置くだけであとは通行人に踏ませるというやり方だ。私はその上を歩きなやみながらそうしたやり方に侮辱を感じその男を憎むのだ。このマカダム式のやり方にはなにか非常にいけないところがある。
(昭和三年)
猫 断片
朝寝の主人が起きて、顔を洗って飯を食って、また蒲団の敷いてある部屋へ帰ってゆく。さあ床をあげようかと掛蒲団を剥《は》ぎにかかる。すると敷布の上でぬウウとそれは懶《ものう》く気持よげに身体を伸ばす下らない奴がある。それがこの小説の主人公――仔猫だ。名前は――これは一定していない。しかし「白」と呼ばれることが一番多い。その通り彼は毛が白いのである。しかしこの家へ毎日遊びに来る春仔の黒猫という存在さえなかったなら彼ももっとほかの名前で呼ばれてたかも知れぬ。「黒」が来るから彼は「白」なのである。そのほか「ベー」と呼ばれることもあるがこれはつまり彼の親が「ベー」だったからだ。こんな自然発生的な名前もないだろう。ここのうちの人々は「アキル」だとか「チロ」だとか「タマ」だとか、そんな文化的な愛称を、こんな下らない動物につける趣味を持っていない。誰かが自分の心のなかであれこれと考えたすえ「ジャッズ」と呼ぶことにしたとしよう。そんな「けったいな」名前なんて誰も一呼だに与えはしない。自分はその積りでもその積りが積りにならないのである。だから結局間の悪いことになってしまう。いつの間にか「白」というような名前が歴然として来る。「白」という呼び方にしても「四郎」というようには云わない。「ロ」にアクセントのある純粋に色の発音をする。――このアクセントについてはここの人々および仔猫の家が関西であることを云い添えて置かないといけないだろう。
「白」や「黒」の以前にはやはり訪問猫の「ノボ」というのがいた。この名前は今は死んだこの家の老主人がつけたのである。
「お前はノボーッとしてるよってにノボやぞ。おいノボ。こらノボ」
朝から酒を嗜《たしな》むその老主人は毎日そう云いながら人指ゆびでその猫の額を突き突き酒を飲んでいた。すると家族の誰も彼もが皆笑うのである。実際それは滑稽な猫であった。第一彼は決して鳴かないのである。だから食物をねだるなんてことはしない。人がくれたら食べるのである。くれなければ――くれなければ結局は帰るのであるが、まあ大抵はそのままで坐っている。そのうちにくれるのである。第二に彼は決してものに驚ろかない。どんなにされても平気である。何事にも無関心である。こんな物臭さな猫なんているものではない。
この猫の唯一の芸(?)というのは「された恰好そのままになっている」ということだった。仰向けに転されて四つ足を空に向けて置くとそのままでいるのである。前足の一本を膝に載せてやると、恐らくこの懶猫には似附かないそのうら恥しい恰好で凝っとしているのである。
ノボという名前はだから家族の誰も彼もが喜んで呼ぶ名前であった。
そう云った極った名前のほかにこの家の若者二三人の間には、何かにかこつけては「行き当りばったり」の名前をつける癖があった。みなはそれを楽しむのである。
「お前はどないされてもされたままになってるのやな。おいママ猫」
「こ奴はパテ(脂土)やがな。こらパテ猫」
――そんな風に。
ところでこんな名前は相手が畜生なのだから、名前とともにその感度も記載しなければならない。「ノボ」には、誰もそれ以外の呼び方はしなかったにもかかわらず感度がまるで不明瞭であった。クロはもっともよく感じる。しかし此奴は……(欠)
(昭和四年二月)
琴を持った乞食と舞踏人形 断片
大阪の堺筋にも夜《よ》店《みせ》が出るようになった。新聞はひとしきりそれの景気や不景気の記事で賑《にぎわ》った。この頃はときどき夜店に関した画家や文人の文章を載せている。銀座通《つう》の文人の書いた銀座の夜店の話をこの間も読んだが、「銀座の夜店が二百六十八軒、額縁屋や、扇子屋や、古本屋や、呼鈴屋や、玩具屋や、刃物屋や、表札屋や、……」と読んでゆくうちに、私も久し振りに銀座の夜店を思い出した。私も東京にいた時分は随分そこを歩いた。私は別に孤独を好む人間ではないが、銀座へゆくときは一人のことが多かった。勿論友人ともよく行ったが、それよりも一人のことが多かったというのは、私にとって銀座は別に友人を待ってはじめて面白いというところではなかったからである。例えば、私はカフェー・ライオンの卓《テー》子《ブル》に一人で腰をかけて、白服を着た男がカクテールを振っているのを眺めたり(その男ははじめはカクテールを振っているが、しまいにはカクテールに胸倉をとられて小突きまわされているように見えるので滑稽だった。)、卓子の間を行ったり来たりするウエトレスを眺めたり、麦酒を飲んだり、骰子をころがしている客を眺めたりしていることがなんとはなしに面白かった。こんなことは一人の方がいい。人を眺めるには自分が人々の誰からも閑却され、閑却されることによって自由に彼等が楽しめるということが必要なのであるが、銀座のようなところはちょうどその条件に適合しているのだ。私は飯倉にいて麻布十番へもよく出掛けたが、そこのある一軒の玉子屋の子供が、いつも店の次の間の、往来のよく見えるところで寝ているのがいつ見ても羨ましい気がしたことを覚えている。私にも昔、すっかりその通りそのままのことがあったような気がして、その錯覚を訝《いぶか》りながらも当時不眠症で困っていた私は、あんなところでならきっと安心して楽しい気持で眠むれるだろうなど考えたのである。私が銀座へよく行ったのはつまりはそうした楽しみがいつもそこにあったからである。しかし私はいつもその楽しみに満足して帰って来るわけではなかった。いくら食ってもいくら食っても歯の根が痒《か》ゆいような気がしてなお食わずにはいられないときがあるように、歩いても歩いても心のなかにはどうしても満たされない気持があって、ついには終電車がやって来る時分までうろついていたりすることがある。なにが情ないといってそんなときほど情ない気持のすることはない。こんなこともしょっちゅうあったのである。
私はそのような私の浮浪を思い出すたびに感傷的な気持になる。その感傷的な気持のなかにはいつも一つの人形と一人の乞食のヴィジョンが浮んで来る。ダンス人形と琴を持った乞食だ。
ダンス人形というのは、東側の松屋の前あたりの玩具屋の屋台の上に、いつも澄ました顔をして踊っていた人形である。ゴムの握りから空気を送って踊らすような仕掛だったらしい。手を腰にして、スカートを穿《は》いて、しかし顔は古い日本の人形のような表情で、いつ見ても小さな函の舞台の上で、あちらを向いたりこちらを向いたりクルリクルリと踊っているのである。この人形はその行儀のいい取り澄ました表情のせいかひどく淋しく見えた。鋪道のゆきずりにそれを見ることはなにか傷ましい気を起させた。あるいはこれがもっと玩具屋の店の中かなにかならこうも淋しくは見えないのだろうが、あとからあとからぞろぞろと人の歩いて来る鋪道で、しかもその人々が誰あってそれに眼をやろうとしない風なのだから余計淋しそうに見えたのである。とにかくその人形はいつ見ても澄ました顔をして、手を腰にして、あちらを向いたりこちらを向いたり単調なダンスをしていた。ところがあるとき、私はふとなに気ない気持から、その人形のそばへ寄って見たことがあった。するとその人形の踊るにつれて、舞台になっている小函のなかから、実に微かなチリンチリンという音がしているらしいのに気がついたのである。私は妙な発見をした気持でもっとそばへ寄って見た。チリンチリンという音は微かではあるが確かにしていた。そしてそのそばには、なるほど「ダンス人形。音楽入り」と書いたボール紙が出ていたのである。私はその人形がながいあいだ、なにか間が抜けて淋しく見えていた理由がやっとわかったような気がした。音楽入り。それが銀座の鋪道のうえでは少しもきこえないのである。これが銀座の鋪道なのだ。人びとがただぞろぞろと歩いてゆく、その無感覚な足音のなかに、きこえないダンス人形の音楽が鳴っている!
琴を持った乞食は盲人《めくら》だった。彼は銀座に限らず、人びとの雑鬧する交叉点の片隅に、いつも茣《ご》蓙《ざ》を敷いてトタンで張った琴を弾いていた。私はその男を本郷三丁目の交叉点で見たこともあるし、須田町、四谷塩町などでも見た。彼の敷いている茣蓙のうしろにはいつ見てもゴム靴が行儀よく脱いであった。琴の前にはアルミの弁当箱が開いて置いてあり、そのなかには人びとの投げる銅貨がはいっていた。
私はその曲の平凡を知っていた。また街頭の雨と埃で黒くなり風邪をひいた糸が、決して満足な音色を出していないことも知っていた。しかしそれがある一聯の旋律のところへ来るたびに、いつも私はあるきまった悲しい発作に捕えられた。それは凡《およ》そあたりの現実とは似ても似つかない古めかしい悲しい情緒であった。
彼はときどき思い出したように地の歌を歌った。これはついに私にも聴きとれなかった。歌というよりも「呼気延聴」であった。微かなゼンマイのほどけるような音しかしない、老いたこおろぎの歌であった。
私はある日その男が尾張町の角から巡査に追われているところへ行きあわした。彼はもうブリキ張の琴と茣蓙とを背中へ斜に結えつけていた。しかし彼は二三歩あゆみ出したばかりで鋪道の上へ立留ってしまった。彼の顔はいつになく悲痛な困惑の表情を浮べていた。そして立留ったままで、なにかの気配を探るようにその首を挙げていた。憐れな盲人よ。恐らく彼は鮭を落してゆく熊のようにその巡査が立ち去ってゆくのを待っていたのだろう。しかし巡査はまたその何歩か先で同じように立留って意地悪くそれを見ているのだった。彼は引返して来て盲人を罵った。盲人は歩き出した。おう、その恰好! 背中へ斜にかけた琴と茣蓙はいかにも大仰に見えた。しかもその大仰さがむつきを股《また》に挟《はさ》んだ赤ん坊のよう……(欠)
(昭和五年十月)
海 断片
………らすほどそのなかから赤や青や朽葉の色が湧いて来る。今にもその岸にある温泉や港町がメダイヨンのなかに彫り込まれた風景のように見えて来るのじゃないかと思うくらいだ。海の静かさは山から来る。町の後ろの山へ廻った陽がその影を徐々に海へ拡げてゆく。町も磯も今は休息のなかにある。その色はだんだん遠く海を染分けてゆく。沖へ出てゆく漁船がその影の領分のなかから、日向のなかへ出て行くのをじっと待っているのも楽しみなものだ。オレンジの混った弱い日光がさっと船を漁師を染める。見ている自分もほーっと染まる。
「そんな病弱な、サナトリウム臭い風景なんて、俺は大嫌いなんだ」
「雲とともに変わって行く海の色を褒めた人もある。海の上を行き来する雲を一日眺めているのもいいじゃないか。また僕は君が一度こんなことを云ったのを覚えているが、そういう空想を楽しむ気持も今の君にはないのかい。君は云った。わずか数浬《かいり》の遠さに過ぎない水平線を見て、「空と海とのたゆたいに」などと云って縹渺とした無限感を起してしまうなんぞはコロンブス以前だ。われわれが海を愛し空想を愛するというなら一切はその水平線の彼方にある。水平線を境としてそのあちら側へ滑り下りてゆく球面からほんとうに美しい海ははじまるんだ。君は云ったね。
布哇《ハワイ》が見える。印度洋が見える。月光に洗われたベンガル湾が見える。現在眼の前の海なんてものはそれに比べたらラフな素材にしか過ぎない。ただ地図を見てではこんな空想は浮ばないから、必要欠くべからざるという功績だけはあるが……多分そんな趣旨だったね。御高説だったが……
「――君は僕の気を悪くしようと思っているのか。そう云えば君の顔は僕が毎晩夢のなかで大声をあげて追払うえびす三郎に似ている。そういう俗悪な精神になるのは止し給え。
僕の思っている海はそんな海じゃないんだ。そんなすでに結核に冒されてしまったような風景でもなければ、思いあがった詩人めかした海でもない。恐らくこれは近年僕の最も真面目になった瞬間だ。よく聞いていてくれ給え。
それは実に明るい、快活な、生き生きした海なんだ。未だ嘗て疲労にも憂愁にも汚されたことのない純粋に明色の海なんだ。遊覧客や病人の眼に触れ過ぎて甘ったるいポートワインのようになってしまった海ではない。酢っぱくって渋くって泡の立つ葡萄酒のような、コクの強い、野蕃な海なんだ。波のしぶきが降って来る。腹を刔《えぐ》るような海藻の匂いがする。そのプツプツした空気、野獣のような匂い、大気へというよりも海へ射し込んで来るような明かな光線――ああ今僕はとうてい落ちついてそれらのことを語ることが出来ない。何故といって、そのヴィジョンはいつも僕を悩ましながら、極く稀な全く思いもつかない瞬間にしか顕われて来ないんだから。それは岩のような現実が突然に劈《へき》開《かい》してその劈開面をチラッと見せてくれるような瞬間だ。
そういうようなものを今の僕がどうして精密に描き出すことが出来よう。だから僕は今しばらくその海の由来を君に話すことにしよう。そこは僕達の家がほんのしばらくの間だけれども住んでいた土地なんだ。
そこは有名な暗礁や島の多いところだ。その島の小学児童は毎朝勢揃いして一艘の船を仕立てて港の小学校へやって来る。帰りにも待ち合わせてその船に乗って帰る。彼等は雨にも風にもめげずにやって来る。一番近い島でも十八町ある。一体そんな島で育ったらどんなだろう。島の人というとどこか風俗にも違ったところがあった。女の人が時々家へも来ることがあったが、その人は着物の着つぶしたのや端ぎれを持って帰るのだ。そのかわりそんなきれを鼻緒に巻いた藁草履《*》やわかめなどを置いて行ってくれる。ぐみややまももの枝なりを貰ったこともあった。しかしその女の人はなによりも色濃い島の雰囲気を持って来た。僕たちはいつも強い好奇心で、その人の謙遜な身なりを嗅ぎ、その人の謙遜な話に聞き惚れた。しかしそんなに思っていても僕達は一度も島へ行ったことがなかった。ある年の夏その島の一つに赤痢が流《は》行《や》ったことがあった。近くの島だったので病人を入れるバラックの建つのがこちらからよく見えた。いつもなにかを燃している、その火が夜は気味悪く物凄かった。海で泳ぐものは一人もない。波の間に枕などが浮いていると恐ろしいもののような気がした。その島には井戸が一つしかなかった。
暗礁については一度こんなことがあった。ある年の秋、ある晩、夜のひき明けにかけてひどい暴風雨があった。明方物凄い雨風の音のなかにけたたましい鉄工所の非常汽笛が鳴り響いた。そのときの悲壮な気持を僕は今もよく覚えている。家は騒ぎ出した。人が飛んで来た。港の入口の暗礁へ一隻の駆逐艦が打《ぶ》つかって沈んでしまったのだ。鉄工所の人は小さなランチへ波の凌《しの》ぎに長い竹竿を用意して荒天のなかを救助に向った。しかし現場へ行って見ても小さなランチは波に揉まれるばかりで結局かえって邪魔をしに行ったようなことになってしまった。働いたのは島の海女で、激浪のなかを潜っては屍体を引揚げ、大きな焚《たき》火《び》を焚《た》いてそばで冷え凍《こご》えた水兵の身体を自分等の肌で温めたのだ。大部分の水兵は溺死した。その溺死体の爪は残酷なことにはみな剥がれていたという。
* 以下に、次の別稿がある。これは下書きであろう(編者)。
履やらわかめやらを置いて行ってくれる。ぐみややまももの枝なりを貰ったこともあった。しかしその女の人は何よりも不思議な島の雰囲気を持って来た。どんなにか強い好奇心を持って、僕達はその人の身なりを嗅ぎ、その人の話に聞きほれていたろう。
ある年の秋のことだった。夜からその翌日の明方にかけてひどい暴風雨のことがあった。明方物凄い雨風の音のなかにけたたましい造船所の非常汽笛が鳴りはじめた。そのときの悲壮な気持を僕はよく覚えている。家は騒ぎ出した。人が飛んで来た。港の入口の暗礁へ一隻の駆逐艦が打つかって沈んでしまったのだ。造船所の人々は小さなランチへ波の凌ぎに長い竹竿を用意して荒天のなかを救助に向った。大部分の水兵は溺れ死してしまっていた。島の海女の引揚げる屍体はみな手の爪が剥げていた。それは岩へ掻きついては波に持ってゆかれた恐ろしい努力を語るものだった。大きなかがり火をたいたそばで、島々から集って来た海女は自分の肌で冷え凍えた水兵の身体を温めたという、それは僕たちのよく聞かされた話だった。
暗礁に乗りあげた駆逐艦の残骸は、山へあがって見ると干潮時の遠い沖合に姿を現わしていることがあった。
(昭和五年)
薬 断片
私が身体を悪くして東京から帰って来たとき、一日母がなんともつかぬ変な顔で
「またお前が怒る思うて云わなんだんやけど、お前の病気にええ云うて、人から薬が貰うたあるのやが、お前飲んで見るか」
と云い出した。母の変な顔つきや自信のなさそうな態度で、余程変なものにちがいないと思ったのであるが、きいて見ると案の如く、これはまた、人の脳味噌の黒焼であった。
それをくれたのは家へ青物や卵を売りに来る女で自分の弟が肺病で死んだ、そのとき寺の和尚がこの病気で死んだ人の脳味噌はこの病気の薬になるから、これも人助けだ、取って置いてまた人に頒けてやりなさいと云って、恐らく野良で焼いた死骸なのだろう、そのなかから取り出してくれたのだそうである。
それをくれたのは家へ青物や卵を持って来る女の八百屋で、母は決してそれをくれとは云わなかったのであるがその女がくれると云って持って来たものだから無理に断る訳にもゆかず貰ってしまったのだと云った。……(欠)
(昭和五年)
交尾
堺の水族館をよく見に行った時分がある。私は他所の水族館は知らないながらに、ここのは大変いいんだと独りぎめにして見に行っていた。実際たくさんの種類の魚族がいた。薄暗い館の中でぐるりの水槽だけが明るい。水槽のなかは水の高さが人の眼の高さよりも高くって、なかへ下ろしてある硝子《ガラス》管から出る泡が明るい水面へ浮きあがって行くのが美しく、水の中からのように見える。まあこんなことはどこの水族館でも同じだろうが美しく珍しい気がする。ただ蚊がたくさんいて足を刺すのだけにはいつも閉口した。
私は、結局どんなことというと漠然としているのだが、種々様々な魚の運動を見ていることになにか会得するもののあるのを感じていた。いろいろな鯛の泳ぎ方、赤鰾《ママ》の泳ぎ方、一尺以上はどうしても真直には泳げない、運命的に廻らずにはいられないようなかわはぎの泳ぎ方、そのほか蛸、ひめおこぜなどいつまで見ていても倦《あ》きなかった。そこを出て明るい公園へ出るといつもホッとした気持がした。
何度も行っていたのだから、そのうちに一度くらいは変ったことに打《ぶ》つかるのは当然だったのだが、ある日私は偶然すっぽんの交尾を見る機会に会った。す《*》っぽんはそれまで一つの槽に一匹しか入れてなかったのだが、その日は何故か二匹はいっていた。彼の風怪な顔付は実際滑稽だ。銀座のうまいもの屋の水族館仕掛の飾窓のなかに鮎や鯉などと一緒に入れてあっても、――「なんでも、かんでも」という風に彼が鼻先の世界を掻き分けているのを見ると
* 以下に、次の書直しがある(編者)。
すっぽんはそれまで一つの槽に一つしか入れてなかったのだが、その日は何故か二匹はいっていた。平生はあまり立留らない槽なのだがひょっと覗いて見ると二匹のすっぽんがもつれあっている。そのまま私はその前に立留ってしまった。
元来すっぽんの顔貌ほど風怪にして滑稽なものはない。銀座のうまいもの屋の飾窓のなかでも、鮎や鮒などが美しく泳いでいるのに対して、彼がもう「なんでも、かんでも」という風にやけ糞になって鼻先の世界を掻き分けている恰好は、誰をどう厭世に導かないとも限らない図である。それでどうかというと、手を突いてグーッとあたりを見廻わすときの恰好などにはまさに凡か俗かの俤《おもかげ》があって、手《てつ》甲《こう》脚《きや》絆《はん》に身を固めた甲賀者という役どころは確にあるのだから遣り切れない。その彼が今や、膝栗毛の主人公の指に噛みついた角質の歯でもって雌の頸《くび》にかじりついているのである。
私はその前に大阪ですっぽん料理を食っていた。だからすっぽんに対してはまた「うまそうだ」という感じを持つことも出来た。彼の噛りついているのはあのぶよぶよの頸である。
ところが私がそうやって見ているところへ、順を追って魚槽を廻って来た見物客がやって来た。すると私の専心な動物的関心のなかには俄然人間的関心がはいって来た。正直に云えば私はこれを人と一緒には見物したくなかった。なお正直に云えば誰も気がつかずに行ってしまって欲しかったのである。しかしそんなことは云えない。……
とうとうその客がやって来た。田舎の親爺さんである。ところがやはり不思議な気がしたらしい。しばらく硝子へ顔を寄せて見ていたが
「さ、さかっとる!」
なんとも云えない変な顔をして先客である私の顔を振り向いた。私は――私は信じるのだが――私の顔はその時意味のわからない謎のような表情を浮べていたにちがいない。私はただじっとして槽の方を眺めていた。するとその親爺さんはちょっと私の顔を見直したなり、直ぐまた目を硝子の方へ向けた。しかしもう交尾しているすっぽんはそれ以上親爺さんの興味を惹かなかったらしい。もう一度私の顔を見直しながら、隣の槽へ手摺を摺って行ってしまった。
それからやって来たのは商人風の若い男である。彼は別に魚を見るでもなく蹌々踉々と歩いていたが、私がじっと立っているので一寸覗いて見る気になったのだろう。そばへ寄って来たが、忽ち発見してしまった。その時雌のすっぽんはまともに腹を硝子へつけて踊るような恰好を物憂く繰返していた。するとその男はぐるっと後ろを見廻して盛《さかん》に手招きをはじめた。連れがいるらしい。……(欠)
(昭和五年十二月)
雲 断片
もしその名前をつけるなら、白雲郷とでも云ったところへ私は住みたいと思っているのだ。私は軽い寝椅子を持ち出してひねもす渓の空を渡ってゆく雲を眺めていよう、……(欠)
……私には見えない雲のなかの高みで、そのような脚によって捧げあげられている、なんとも云えない高貴なものの感じと、この二つの感じなのである。それが海《かい》嘯《しよう》のように押し渡って行ったあとで――私はきっとその反対の観念を思い浮べたか、音楽のことでも考えたのではないかと思うが――バラバラバラと小太鼓を鳴らすような感じとともに、実に小さな馬がたくさん行列して続いて来るのである。しかしそれらの馬は小さいとは云うものの小型の腸詰のようにとても逞《たくま》しそうにかっちりしていて、しかもそのうえにはやはり小さな騎手が揃いの服装をして乗っていたのである……(欠)
(昭和六年)
籔熊亭
私達はそこを籔熊亭と云っていたが、村の人は畑山と呼んでいた。畑山というのは多分その家の苗字だったんだろうが、村の人はそれを同じ飲屋の角屋とか世古楼とかそう云った屋号と同じに呼んでいたのである。
そこは村のなかでもなかなかいい位置にあった。天《あま》城《ぎ》へかかる街道が、村の主要部分である小学校や役場や郵便局や銀行のある人家の家並を過ぎて、パッと眼界の展けたところへ出る。そこはちょうど天城の奥から発して来た二つの渓《たに》川《がわ》が眼の下で落合う所で、その打ち展けた眺めを眺めながらしばらく行くと次に来るのが籔熊亭なのであった。籔熊亭はそんな街道の道端にあって勾配のついた地勢へ張り出してある屋台のような家であったが、店先がとてもごたごたしているにもかかわらず、店先からじかに見えている座敷の窓からの眺めがよく、いつも私の心に残っていた。いい眺めと云ってもそれは別段文字通りにいい眺めというのではない。さきほどの渓の落合っているところはもう見えなかったし、渓とももう緩い勾配の畠で距っているので、眺めは極く平凡になってしまっているのだが、その緩い勾配のついた畠を前にして風景に対している眺めがなんとはなしにいいのだった。
その気持はその畠についた道を渓の方からやって来るときに一層明瞭になったろう。私はその座敷からも見えている渓の吊橋を渡って、畠の道を街道へ登って来ることがあったが、その時籔熊亭の座敷はいくらか畠の勾配に向って反り身になり、なんとなく家全体が感傷的に見えるのだった。だからそのかわり籔熊亭の座敷から畠の道をやって来る人を見た場合、きっとその人間は幾分か前かがみに、匍《は》って来るように見えたにちがいない。そういう高みと風景の低い部分との間にはいつも感情の「コレスポンダンス」ともいうべきものが成立するのだ。高みにいるものは低い風景のなかにいる人物を面白く見るばかりではなく、自分が今あそこにおればどんなに見えるだろうということを考え、またあそこからはここがどんなに見えているだろうということを考える。また低いところにいる人間はちょうどその逆のことを考えるのである。
そしてそうした想像がひっくるまってなんとはなく風景を感傷的に思わせるのだ。
そんな訳で私はいつも通りかかるたびに籔熊亭の座敷を心に留めていた。しかしその座敷へ坐ったことはながい間に一度――それもそこを籔熊亭と名をつけた友達と二人のときで、いつも私はそこの女中達にじろじろと顔を見られながらその前を通り過ぎていた。要するに田舎の飲屋らしい大変感じの悪い家だったのである。
それは春先のある日のことだった。私はそこの店先に見なれない動物が手製の檻に入れられて置いてあるのを通りがかりに発見した。
私の散歩というのはつまりは村のそう云ったものを見て廻るのが仕事で、その日も
村の小学校の方へ鹿を見に行こうとしていたのであるが、そこでそんなものを見付けると、いつもあまり顔を向けないようにしている家でありながら、そのままそこへ跼《せぐく》まってしまった。
私《*》には一体それが何という獣であるかわからなかった。ただその獣は非常に臆病で、私がそばへ寄って行くとぶるぶる身体を震わせて、出来るだけこちらとの距離を離そうと、向うの羽目板へ身体を摩りつけてしまうのだった。身体は平たくて黒みがかった褐色の毛をしている。足は短かくて先には巌丈な爪がついている。身体はあまり大きくない。何という動物かわからない。しかしいかにもこれは野獣だなという気が強くするのである。それはその獣の眼だ。力一杯の恐怖をあらわしたその眼は、深山の湖のように深く澄み亘っていた。それはその動物がいかに人を見知らないかということをあらわしていた。私がすこしでも足
* これは第一稿、次は第二稿である(編者註)。
それは黒みがかった褐色の毛をした、身体の平たい獣だった。身体はあまり大きくなく短い足をしていて、一見してあまり敏捷な獣ではなさそうに見えた。そして非常に臆病な獣と見えて、私がそばへ寄って行くと、身体を向うの羽目板へ摩りつけたまま、ぶるぶるこちらを見て震えていた。しかしこの獣の眼《*》にはなんだか不思議な人を惹きつけるところがあった。身体全体の愚鈍な感じには似ず不思議に清らかな感じを持ったそれは眼だった。私はなんとなく純粋な青年に出会ったようないい感じがしてその場を離れた。
* この部分に次の別稿がある(編者註)。
力一杯の恐怖をあらわしたその眼は、不思議に澄んだ眼だった。それはその動物がいかに人を見知らないかということをあらわしているとともに、なんとなく清らかな感じを与えた。絶えずその眼をこちらから離さず、すこし足をいざらすのにもまるで飛び上りそうに慴《おび》えるので、こちらの方から遠慮をしながら見ていなければならないのだったが、そうしながらも私の心には、純樸な人間に出合ったような清らかな感じが起っていた。
これが私が籔熊を見た最初だったのだ。私は臆病っていいものだな……(欠)
それからよく私はその獣を見にこちらの方へ散歩に出掛けて来た。その頃私は「臆病っていいものだなあ」という言葉と「何とかを見たければ籔熊亭の前へ行け」という言葉を胸のなかで繰返していた記憶がある。これは私がその頃一人で誰とも話相手がなく暮していたためで、独言を云うというより、次に誰かと話す機会が来るまでその感動を溜めておくためのラッフな表現であったのだ。
ある日私はその檻のそばにいたそこの主人とその動物の話をした。
「これは何という獣です?」
「これは籔熊って云うんでさ。こんなに小さいけどこれでも熊ですぜ」
「はあそうですか」
「見て下さい。手だけは本熊だで……」
それまで気がつかなかったが、云われて見るとなるほど短い足の先には巌丈そうな爪がついている。私は主人のユーモラスな云い方には笑いそうになったが、それが熊の一種であることは一先ず主人の云うことを信じていた。ところがこれが違っていたのだ。もっともずっとあとになってわかったことだが。
渓に咲いた山桜がまだすっかり散り切らない頃東京から友人がやって来た。
散歩に出ると私は早速その友人を連れてこの檻の前へやって来た。ところがいつもであれば私は決してこの神々しいまでに臆病な動物の前へ出る作法を失しないのであるが、そのときは友人と一緒だったためついがさつな態度をとりとうとう慴《おび》え切った動物を爆発させてしまった。私は「足だけは本熊だ」という条《くだ》りを説明するために、ついステッキの先でその方を指したのだ。途端にグワッと耳元の空気が裂けて私の友人は飛び上った。籔熊は恐怖のため自分自身を押しつけていた最後の陣地から赤い口を一杯に開けてわれわれを威嚇していた。
日数がだんだん経つにつれて恐怖に澄んだ籔熊の眼はどんよりして来た。檻のなかには食べ荒された煮肴の骨がいつも皿に残っていて、大抵の場合籔熊はそのそばでごろりと転がって寝ていた。その寝方も、以前その動物がいい眼をしていた頃のことを考えると、妙にいぎたない
私《*》はある日また店先にいた主人にその動物がよくなれて来たことを話しかけたが、主人は自分の掌を出して私に見せて
「見て下さい。こんなに二たとこも此奴《こいつ》に噛まれた」と黒くなった傷痕を見せた。
どうして噛まれたのか聞くと一度は餌をやるとき一度は籔熊が逃げたとき捕まえに行って噛まれたのだという。逃げてよく捕まったと云うと、もうこれで二度も逃げている。どうして捕まえるのだというと、近所のどこかの穴にいるからそれを捜して捕まえるのだといかにも事もなげにいうのでそんなものかなあと私は思った。
「一つ此奴を博覧会へ出してやろうと思っ……(欠)
* これは第一稿。この部分には、次の二つの書直しがある(編者註)。
「だいぶんよく檻に馴れて来ましたな」
籔熊亭の主人は自分の家の店先をうろうろするのにもいつも鳥打帽を冠《かぶ》っている。その鳥打帽はまた非常に古風なもので、彼の絆纏着 それからやはり同じように古い眼鏡などとよく調和して……(欠)
ある日また私は店先に出ていた主人と話をした。
「だいぶんよく檻に馴れて来ましたな」
「見て下さい、こんなに二たとこも此奴に噛まれたで」
主人のさし出す掌を見るとなるほど傷痕が黒くなって残っている。聞いて見ると餌をやるときに一回噛まれ、籔熊が逃げたとき捕まえに行ってもう一度噛まれたのだという。
「逃げた奴がよく捕まりましたな」
「なに。もう二度べえ逃げとるで」
「どうして掴まえるんです」
「いやなに。近所のどこかの穴へはいっとるで、そ奴をとりに行くだで」
そんなものかなあと私は思っていた。……(欠)
(昭和六年十一月)
温泉
第一稿
夜になるとその谷間は真黒な闇に呑まれてしまう。闇の底をごうごうと渓が流れている。私の毎夜下りてゆく浴場はその渓ぎわにあった。
浴場は石とセメントで築きあげた、地下牢のような感じの共同湯であった。その巌丈な石の壁は豪雨のたびごとに汎濫する渓の水を支えとめるためで、その壁に刳《く》り抜かれた渓ぎわへの一つの出口がまた牢門そっくりなのであった。昼間その温泉に涵《ひた》りながら「牢門」のそとを眺めていると、明るい日光の下で白く白く高まっている瀬のたぎりが眼の高さに見えた。差し出ている楓《かえで》の枝が見えた。そのアーチ形の風景のなかを弾丸のように川烏が飛び抜けた。
また夕方、渓ぎわへ出ていた人があたりの暗くなったのに驚いてその門へ引返して来ようとするとき、ふと眼の前に――その牢門のなかに――楽しく電燈がともり、濛《もう》々《もう》と立《たち》罩《こ》めた湯気のなかに、賑かに男や女の肢体が浮動しているのを見る。そんなとき人は、今まで自然のなかで忘れ去っていた人間仲間の楽しさを切なく胸に染めるのである。そしてそんなこともこのアーチ形の牢門のさせるわざなのであった。
私が寝る前に入浴するのはいつも人々の寝しずまった真夜中であった。その時刻にはもう誰も来ない。ご《*》うごうと鳴り響く渓の音ばかりが耳について、おきまりの恐怖が変に私を落着かせないのである。もっとも恐怖とは云うものの、私はそれを文字通りに感じていたのではない。文字通りの気持から云えば、身体に一種の抵抗《リフラクシオン》を感じるのであった。だから夜更けて湯へゆくことはその抵抗だけのエネルギーを余分に持って行かなければならないといつも考えていた。またそう考えることは定まらない恐怖にある限界を与えることになるのであった。しかしそうやって毎夜おそく湯へ下りてゆくのが度重なるとともに、私は自分の恐怖があるきまった形を持っているのに気がつくようになった。それを云って見ればこうである。
その浴場は非常に広くて真中で二つに仕切られていた。一つは村の共同湯に、一つは旅館の客にあててあった。私がそのどちらかにはいっていると、きまってもう一つの方の湯に何かが来ている気がするのである。村の方の湯にはいっているときには、きまって客の湯の方に男女のぽそぽそ話しをする声がきこえる。私はその声のもとを知っていた。それは浴場についている水口で、絶えず清水がほとばしり出ているのである。また男女という想像の由って来るところもわかっていた。それは渓の上にだるま茶屋があって、そこの女が客と夜更けて湯へやって来ることがありうべきことだったのである。そういうことがわかっていながらやはり変に気になるのである。男女の話声が水口の水の音だとわかっていながら、不可抗的に実体を纏《まと》い出す。その実体がまた変に幽霊のような性質のものに思えて来る。いよいよそうなって来ると私はどうでも一度隣の湯を覗いて見てそれを確めないではいられなくなる。それで私はほんとうにそんな人達が来ているときには自分の顔が変な顔をしていないようにその用意をしながら、とりあいの窓のところまで行ってその硝子戸を開けて見るのである。しかし案の定なんにもいない。
次は客の湯の方へはいっているときである。例によって村の湯の方がどうも気になる。今度は男女の話声ではない。気になるのはさっきの渓への出口なのである。そこから変な奴がはいって来そうな気がしてならない。変な奴ってどんな奴なんだと人はきくにちがいない。それが実にいやな変な奴なのである。陰鬱な顔をしている。河《か》鹿《じか》のような膚をしている。其奴《そいつ》が毎夜極った時刻に渓から湯へ漬かりに来るのである。プフゥ! 何という馬鹿げた空想をしたもんだろう。しかし私は其奴が、別にあたりを見廻すというのでもなく、
いかにも毎夜のことのように陰鬱な表情で渓からはいって来る姿に、ふと私が隣の湯を覗いた瞬間、私の視線にぶつかるような気がしてならなかったのである。
あるとき一人の女の客が私に話をした。
「私も眠れなくて夜中に一度湯へはいるのですが、何だか気味が悪るござんしてね。隣の湯へ渓から何かがはいって来るような気がして――」
私は別にそれがどんなものかは聞きはしなかった。彼女の言葉に同感の意を表して、やはり自分のあれは本当なんだなと思ったのである。ときどき私はその「牢門」から渓へ出て見ることがあった。轟々たる瀬のたぎりは白蛇の尾を引いて川下の闇へ消えていた。向う岸には闇よりも濃い樹の闇、山の闇がもくもくと空へ押しのぼっていた。そのなかで一本椋《むく》の樹の幹だけがほの白く闇のなかから浮んで見えるのであった。
* 以下のようなヴァリアントがある(編者註)。
……ごうごうと鳴り響く渓の音ばかりが耳について考えも落付かないのである。その浴場は非常に大きくて真中で二つに仕切られていた。一つは村の共同湯に、一つは旅館の客にあててある。私がその客の方の湯にはいっていると、その落付かない気持が妙に隣りの湯へ惹きつけられる。怕《こわ》いのである。何が怕いのか? それで今度は村の方の湯へはいって見る。するとまた隣の湯が変……(欠)
* * *
これはすばらしい胴板画のモティイフである。黙々とした茅屋の黒い影。銀色に浮び出ている竹籔の闇。それだけ。わけもなく簡単な黒と白のイメイジである。しかし何という云いあらわし難い感情に包まれた風景か。その銅板画にはここに人が棲んでいる。戸を鎖し眠りに入っている。星空の下に、闇黒のなかに。彼等はなにも知らない。この星空も、この闇黒も。虚無から彼等を衛《まも》っているのは家である。その忍苦の表情を見よ。彼は虚無に対抗している。重圧する畏怖の下に、黙々と憐れな人間の意図を衛っている。
一番はしの家はよそから流れて来た浄瑠璃語りの家である。宵《よい》のうちはその障子に人影が写り「デデンデン」という三味線の撥音と下手な嗚咽の歌が聞こえて来る。
その次は「角屋」の婆さんと云われている年寄っただるま茶屋の女が、古くからいたその「角屋」からとび出して一人で汁粉屋をはじめている家である。客の来ているのは見たことがない。婆さんはいつでも「滝屋」という別のだるま屋の囲炉裏の傍で「角屋」の悪口を云っては、硝子戸越しに街道を通る人に媚を送っている。
その隣りは木地屋である。背の高いお人好の主人は猫背で聾である。その猫背は彼が永年盆や膳を削って来た刳物台のせいである。夜彼が細君と一緒に温泉へやって来るときの恰好を見るがいい。長い頸を斜に突出し丸く背を曲げて胸を凹ましている。まるで病人のようである。しかし刳物台に坐っているときの彼のなんとがっしりしていることよ。彼はまるで獲物を捕った虎のように刳物台を抑え込んでしまっている。人は彼が聾であって無類のお人好であることすら忘れてしまうのである。往来へ出て来た彼は、だから機械から外して来たクランクのようなものである。少しばかり恰好の滑稽なのは仕方がないのである。彼は滅多に口を利かない。その代りいつでもにこにこしている。恐らくこれが人の好い聾の態度とでもいうのだろう。だから商売は細君まかせである。細君は醜い女であるがしっかり者である。やはりお人好のお婆さんと二人でせっせと盆に生《きう》漆《るし》を塗り戸棚へしまい込む。なにも知らない温泉客が亭主の笑顔から値段の応対を強取しようとでもするときには、彼女は云うのである。
「この人はちっと眠むがってるでな……」
これはちっとも可《お》笑《か》しくない! 彼等二人は実にいい夫婦なのである。
彼等は家の間《ま》の一つを「商人宿」にしている。ここも按摩が住んでいるのである。この「宗さん」という按摩は浄瑠璃屋の常連の一人で、尺八も吹く。木地屋から聞えて来る尺八は宗さんのひまでいる証拠である。
家の入口には二軒の百姓家が向い合って立っている。家の前庭はひろく砥石のように美しい。ダリヤや薔薇が縁を飾っていて、舞台のように街道から築きあげられている。田舎には珍らしいダリヤや薔薇だと思って眺めている人は、そこへこの家の娘が顔を出せばもう一度驚くにちがいない。グレートヘンである。評判の美人である。彼女は前庭の日なたで繭を煮ながら、実際グレートヘンのように糸繰車を廻していることがある。そうかと思うと小舎ほどもある枯《かれ》萱《かや》を「背負枠」で背負って山から帰って来ることもある。夜になると弟を連れて温泉へやって来る。すこやかな裸体。まるで希《ギリ》臘《シア》の水瓶である。エマニュエル・ド・ファッリャをしてシャコンヌ舞曲を作らしめよ!
この家はこの娘のためになんとなく幸福そうに見える。一群の鶏も、数匹の白兎も、ダリアの根方で舌を出している赤犬に至るまで。
しかし向いの百姓家はそれにひきかえなんとなしに陰気臭い。それは東京へ出て苦学していたその家の二男が最近骨になって帰って来たからである。その青年は新聞配達夫をしていた。風邪で死んだというが肺結核だったらしい。こんな奇麗な前庭を持っている、そのうえ堂々とした筧《かけひ》の水溜さえある立派な家の忰が、何故また新聞の配達夫というようなひどい労働へはいって行ったのだろう。なんと楽しげな生活がこの渓間にはあるではないか。森林の伐採。杉苗の植付。夏の蔓《つる》切《きり》。枯萱を刈って山を焼く。春になると蕨《わらび》。蕗《ふき》の薹《とう》。夏になると渓を鮎がのぼって来る。彼等はいちはやく水中眼鏡と鉤針を用意する。瀬や淵へ潜り込む。あがって来るときは口のなかへ一ぴき、手に一ぴき、針に一ぴき! そんな渓の水で冷え切った身体は岩間の温泉で温める。馬にさえ「馬の温泉」というものがある。田植で泥《どろ》塗《まみ》れになった動物がピカピカに光って街道を帰ってゆく。それからまた晩秋の自《じ》然《ねん》薯《じよ》掘《ほり》。夕方山から土に塗れて帰って来る彼等を見るがよい。背に二貫三貫の自然薯を背負っている。杖にしている木の枝には赤裸に皮を剥がれた蝮《まむし》が縛りつけられている。食うのだ。彼等はまた朝早くから四里も五里も山の中の山葵《わさび》沢へ出掛けて行く。楢《なら》や櫟《くぬぎ》を切り仆《たお》して椎《しい》茸《たけ》のぼた木を作る。山葵や椎茸にはどんな水や空気や光線が必要か彼等よりよく知っているものはないのだ。
しかしこんな田園詩《イデイイル》のなかにも生活の鉄則は横わっている。彼等はなにも「白い手」の嘆賞のためにかくも見事に鎌を使っているのではない。「食えない!」それで村の二男や三男達はどこかよそへ出て行かなければならないのだ。ある者は半島の他の温泉場で板場になっている。ある者はトラックの運転手をしている。都会へ出て大工や指物師になっている者もある。杉や欅《けやき》の出る土地柄だからだ。しかしこの百姓家の二男は東京へ出て新聞配達になった。真面目な青年だったそうだ。苦学というからには募集広告の講談社的な偽瞞にひっかかったのにちがいない。それにしても死ぬまで東京にいるとは! 恐らく死に際の幻覚には目にたてて見る塵もない自分の家の前庭や、したたり集って来る苔の水が水晶のように美しい筧の水溜が彼を悲しませたであろう。
これがこの小さな字である。
(昭和五年)
第二稿
温泉は街道から幾折れかの石段で渓ぎわまで下りて行かなければならなかった。街道もそこまでは乗合自働車がやって来た。渓もそこまでは――というとすこし比較が可《お》笑《か》しくなるが――鮎が上って来た。そしてその乗合自動車のやって来る起点は、ちょうどまたこの渓の下流のK川が半町ほどの幅になって流れているこの半島の入口の温泉地なのだった。
温泉の浴場は渓ぎわから厚い石とセメントの壁で高く囲まれていた。これは豪雨のときに氾濫する虞《おそ》れの多い渓の水からこの温泉を守る防壁で、片側はその壁、片側は崖の壁で、その上に人々が衣服を脱いだり一服したりする三十畳敷くらいの木造建築がとりつけてあった。そしてこれが村の人達の共同の所有になっているセコノタキ温泉なのだった。
浴槽は中で二つに仕切られていた。それは一方が村の人の共同湯に、一方がこの温泉の旅館の客がはいりに来る客湯になっていたためで、村の人達の湯が広く何十人もはいれるのに反して、客湯は極く狭くそのかわり白いタイルが張ってあったりした。村の人達の湯にはまた渓ぎわへ出る拱《きよう》門《もん》型に刳った出口がその厚い壁の横側にあいていて、湯に漬って眺めていると、そのアーチ型の空間を眼の高さにたかまって白い瀬のたぎりが見え、渓ぎわから差出ている楓の枝が見え、ときには弾丸のように擦過して行く川烏の姿が見えた。
(昭和六年十二月)
第三稿
温泉は街道から幾折にもなった石段で渓の脇まで降りて行かなければならなかった。そこに殺風景な木造の建築がある。その階下が浴場になっていた。
浴場は渓ぎわから石とセメントで築きあげられた部厚な壁を渓に向って回らされていた。それは豪雨のために氾濫する虞れのある渓の水を防ぐためで、渓ぎわへ出る一つの出口がある切りで、その浴場に地下牢のような感じを与えるのに成功していた。
何年か前まではこの温泉もほんの茅葺屋根の吹き曝しの温泉で、桜の花も散り込んで来たし 渓の眺めも眺められたし、というのが古くからこの温泉を知っている浴客のいつもの懐旧談であったが、多少牢門じみた感じながら、その渓へ出口のアーチのなかへは 渓の楓が枝を差し伸べているのが見えたし、瀬のたぎりの白い高まりが眼の高さに見えたし、時にはそこを弾丸のように擦過してゆく川烏の姿も見えた。
また壁と壁の支えあげている天井との間の僅かの隙間からは 夜になると星も見えたし、桜の花片だって散り込んで来ないことはなかったし、ときには懸《かけ》巣《す》の美しい色の羽毛がそこから散り込んで来ることさえあった。
(昭和七年一月)
檸檬
肺尖カタル
肺の尖端部におきる結核症。
星下り、花合戦、枯れすすき
三つとも花火の名前。
びいどろ
vidro ポルトガル語。ガラスの古い呼び方。室町末期に、長崎に来たオランダ人から伝えられ、この称が用いられた。
南京玉
ガラス製で小さい穴のあいた玉。糸を通してつづり、飾りなどにする。
丸善
京都の三条通麩屋町にあった丸善。書籍・文具・洋品を売った。
オードコロン
明治から流行した香水の一種。
切子細工
カットグラスのこと。彫琢(ちようたく)または切込細工をほどこしたグラス。
ロココ
rococo フランス語。フランス、ルイ十五世時代の装飾様式。渦巻・花飾などの曲線を多く用い、淡彩と金色を併用した、華麗で女性的性格をもつ。
快速調
Allegro イタリア語。音楽用語。
ゴルゴン
Gorgon ギリシア神話に出てくる三人姉妹の怪物。頭髪は蛇、黄金の翼をもち、目は人を石に化す力をもつ。
鎰屋
京都の当時二条にあった菓子屋。二階は喫茶室。
一顆
一個に同じ。
売柑者之言
『続文章軌範』の中に収められている明(みん)の劉基が書いた諷刺文。杭州の柑売りの言に擬して、当時の文武大臣の無能を批判した。
アングル
J. A. D. Ingres(一七八〇―一八六七年)。フランス十九世紀の新古典派を代表する画家。端正な形式美を追求。
城のある町にて
五七日
人の死後、三十五日目をいう。死後の霊がまだ現世と来世の間にとどまっているとされ、この日法事をいとなむ。
張物板
洗った布地をのりづけして、ひき伸ばしてはりつける板。
眺望または休憩のために庭園に設けた建物。
レムブラント
H. V. R. Rembrandt(一六〇六ー六九年)。オランダのライデン生まれの画家。色調と明暗の配合に優れた手腕を示し、特にその光線の扱い方に独特の力を示し、“光の画家”といわれた。
褪赭
赤褐色ないし黄褐色。中国山東省から良質なものがとれる顔料がもつ色。
軽便
軽便鉄道のこと。軌間が狭く、小型の機関車・車両を使用する鉄道。
コンステイブル
John Constable(一七七六―一八三七年)。イギリスの画家。近代風景画の開拓者で、フランスの印象派に影響を与えた。
気韻
気品の高い趣き。
ザボン
zamboa ポルトガル語。ミカン科の常緑灌木。果実は大きく黄色。果皮が厚く、果肉はやや苦味がある。
ハリケンハッチ
アメリカ無声映画時代の活劇専門の人気俳優。わが国でも人気があった。
衣嚢
いのう。ポケット。
かつどう
活動写真の略。映画の旧称。
天理教
神道の一つ。一八三八年中山みきが創始、天理王尊を祀る。本部は奈良県天理市にある。
縫揚げ
子供などが大きめの着物を、肩のところにひだをとって身体に合わせて縫いとめること。
銀杏返し
江戸末期から行なわれた女性の髪型の一つ。髻(もとどり)を二分し、左右に曲げて、それぞれ輪を作り、毛先を元結で根に結んだもの。
平場
劇場にある平土間。
Flora
ラテン語で花を意味する。ローマ神話の花の女神。
オペレット
operetta イタリア語。娯楽的要素が強い軽い歌劇。軽歌劇。大正中期、浅草各座で上演され、いわゆる浅草オペラ時代といわれる。
腸チブス
腸チフス菌が腸を冒すことによって発生する伝染病。
かい虫
人体に寄生する虫の一つ。形はミミズに似、黄紅色。ハラノムシ。
井桁
井戸の上部の縁を木で四角に組んだもの。
はね釣瓶
柱の上に横木を渡し、その一端に石を、他端に釣瓶をとりつけて、石の重みを使って釣瓶をはねあげ、水を汲むようにしたもの。
国定教科書
戦争前、国が選定編集し、法令により義務教育の学校で使用させた教科書。
本丸
城の中心部にあって、天守を築いたもっとも主要な郭。
五位
五位鷺(ごいさぎ)のこと。中型のサギで、樹上に群棲、夜とびながら叫び声を発する。
体裁屋
外から見える、物の形・様子にこだわる人。みえ、世間体を気にする人。
泥濘
伎楽
古代インド・チベット地方で発生した仮面音楽劇。わが国へは六一二年に伝わり、仏寺の供養音楽となった。
仮想
ふつう「懸想」と書く。おもいをかけること。恋い慕うこと。
出張り
道路に突き出して商品を置く台。
ライオン
銀座四丁目の角にあったビヤホール。
唐物屋
江戸時代に、中国や他の外国から渡来した品物を扱った店。転じて、舶来品、洋品を扱う店をいう。
中折
中折帽子の略。頂きの中央が縦に折れくぼんだふちのあるやわらかな帽子。ソフト。
路上
卯の花
うつぎの花、また、うつぎのこと。
うつぎ
ゆきのした科の落葉灌木。高さ約二メートル。初夏に白い鐘状の五弁花をつける。
殻斗科
かし、しい、くりなど果実が殻で包まれている植物のこと。
廓寥
がらんとしていてさみしいさま。
橡の花
オークワード
awkward 英語。ぶさいくな、厄介な、などの意。
五月雨の降り残してや光堂
松尾芭蕉の『奥の細道』に収められた句。光堂は平泉中尊寺の金色堂のこと。
もくれん科の落葉喬木。山地に自生し、高さ一五〜二五メートルになる。材は細工しやすく、版木、建築、木炭に用いられる。
七葉樹
とちのき科の落葉喬木。高さは二五メートルほどになる。材は板に挽き、刳物(くりもの)に用いる。
南京虫
半翅目とこじらみ科。体長五ミリほど。円盤状で扁平。室内に棲息し、人畜から吸血し、激しい痛みとかゆみを起こさせる。
Hysterica Passio
ラテン語。ヒステリックな情念の意か。
忍冬
すいかずら科の半常緑藤本。山野に自生、初夏に芳香のあるロート状の花をさかせる。茎・葉・花それぞれ薬用に用いられる。
過古
大弓所
正式の弓で的を射て遊ぶ所。
火夫
機関車のボイラーなどの火をたく人。かまたき。ボイラーマン。
雪後
檜葉
ひのきの葉。あすなろ。ひのき。
御岳教
神道教派の一つ。明治十五年に独立の教派となった。長野県の御岳神社を信仰する。
鹿子斑
鹿の毛にある斑のように、全体茶褐色で白い斑点の散在するもの。
切通し
山・丘などを切り開いて通した通路。
ロシアの短篇作家
有名なロシアの小説家・劇作家アントン・チェホフAnton P. Chekhov(一八六〇―一九〇四年)のこと。以下の話は彼の短編「たわむれ」に基づく。
鼓翼
はばたきすること。
榕樹
たこのき科の常緑喬木。高さは九メートルぐらいになる。幹の下部から多数の気根を生じ、その状態が蛸に似ている。
ある心の風景
紅殻
Bengala オランダ語から来た当て字。インドのベンガル地方に産する帯黄赤色の顔料。ガラスなどの研磨剤に用いる。
書物の汚損を防ぐために使うおおい箱。主に和本に用いる。
凝聚
こり固まって集まること。凝集。
嫖客
遊廓にあそぶ男の客。
利休
利休下駄のこと。日和下駄の一種。木地のままで薄い二枚歯を入れたもの。
火の見
火の見櫓(やぐら)の略。常時または火災の時登って、遠近・方向を望み見るやぐら。
中洲
川の中で、水に囲まれて島のようになった所。
鶺鴒
燕雀目セキレイ科に属す。羽色は黒白・黄色などで、長い尾を上下に振る習性がある。
とことわ
「常とわ」。永久にかわらぬこと。いつも、つねにの意。
Kの昇天
錯落
入りまじること。
シューベルト
Franz Schubelt(一七九七―一八二八年)。オーストリアの作曲家。とくに「魔王」「野ばら」などリート(ドイツ歌曲)にすぐれた作品が多い。
ハイネ
Heinrich Heine(一七九七―一八五六年)。ドイツの詩人、評論家。素朴な民謡的恋愛詩「歌の本」で有名になる。
ドッペルゲンゲル
Der Doppelga¨nger シューベルトの「白鳥の歌」の第十三曲。日本では「影法師」と訳される。月の夜、かつて恋に苦しんだ自己の分身を幻に見て戦慄する一人の男の心をうたったもの。
天心
天空のまんなか。中天のこと。
阿片
ケシの未熟な果殻を傷つけた時に分泌する乳状液を乾燥して得た物質。アルカロイドを含み催眠作用をもつ。麻薬。
シラノ
Cyrano de Bergerac(一六一九―一六五五年)。フランスの詩人・劇作家。その伝説化された生涯を描いたエドモン・ロスタンの劇曲「シラノ・ド・ベルジュラック」で有名になる。その戯曲の第三幕第十三場でシラノが即興詩で月に行く方法を披露する。
ジュール・ラフォルグ
Jules Laforgue(一八六〇ー八七年)。フランスの詩人。自由詩創始者の一人。厭世的な素顔をピエロの仮面で隠したと評され、詩集「嘆きうた」をもつ。
イカルス
Ikaros ギリシア神話の人物。鳥の羽をロウで固めた翼をつけ、クレタ島から飛び立つが、太陽に近づきロウがとけて、エーゲ海に墜落した。
ヴィヴィッド
Vivid 英語。生き生きしている、鮮かな。
月齢
新月の時を零として起算する日数。
南中
ある地点から見て、天体がその地点を通る子午線を通過する現象。正中。
冬の日
百舌鳥
燕雀目の鳥。ヒバリ大で尾が長く雄の頭部は栗色、目を通る黒斑あり、背・腰は灰褐色。昆虫・蛙などを捕食。鋭い声で鳴く。
椋鳥
燕雀目の鳥。大きさはツグミぐらい。灰褐色で、嘴と脚は黄色。鳴声ははなはだ騒しい。
漆喰
消石灰にふのり・苦汁などを加え、これに糸屑、粘土などを配合して練った塗壁材料。
カリエス
Karies ドイツ語。骨の慢性炎症。ことに結核によって骨質がとけ、膿が出るようになる骨の病気。
官衙
役所・官庁。
撃柝
拍子木を打つこと。
かなむぐら
クワ科の一年草。茎は他物にからみ、茎と葉柄とに逆向きの小刺があり、葉にも刺毛がある。
笹鳴の鶯
冬に、鶯の鳴声が未だ調わず、舌鼓を打つように鳴くこと。
つるもどき
つるうめもどきのこと。ニシキギ科。落葉灌木。山地に多く、晩秋・初冬に黄赤色の実をつける。
臘月
陰暦十二月の異称。
エーテル
ether オランダ語。アルコールに濃硫酸を作用させて生じる揮発性をもつ無色の液体。麻酔剤・寒冷剤に用いる。
褞袍
着物の上に着る綿を入れた広袖の防寒用和服。
槿
アオイ科の落葉灌木。庭木・生垣に用いられる。夏から秋にかけて淡紅色・白色などの花をつける。
久闊
久しく便りをしないこと。
丈草
内藤丈草のこと。江戸前期の俳人。一六六二―一七〇四年。尾張国犬山藩士だったが、官を辞して山城深草に隠棲し芭蕉に師事。蕉門十哲の一人。
呼子
人を呼ぶ合図に鳴らす小さい笛。
水準器
ある面で水平かどうかを調べる器械。
薪が燃えてしまって炭火のようになったもの。
蒼穹
蒼穹
青空、大空のこと。
Lotus-eater
ロータスは古代ギリシア伝説で、実を食べると夢心地になって浮世の苦しみを忘れることができるという想像上の樹。その実を食べる人から転じて快楽主義者。
山彙
山系または山脈をなさず、孤立している山岳の集まり。
竹や木を地上に架設して水を通ずる樋。
ゴチック
Gotik ドイツ語。gothique フランス語。十二世紀中頃北フランスにおこりルネッサンスまで続いた美術様式。建築が主要な様式で、建物は高く垂直の線で構成され、大きな窓尖塔のアーチを特色とする。パリのノートルダム寺院が有名。
実生
種から芽を出して成長した草木。
蘚苔
こけの類をいう。
氷室
氷を夏まで貯蔵しておくため特別に作られた室、または、山陰の穴。
露草
ツユクサ科の一年草。ホタル草ともいう。
器楽的幻覚
アーベント
Abend ドイツ語。ある目的で開く夜の催し。
冬の蠅
毛皮でつくった衣服。
緊迫衣
strait jacket 狂暴な罪人などを拘束するための麻製の上着。
外光派
戸外の光の下でさまざまに変化する色彩をとらえるという立場で、おもに風景画を描く画家たち。マネ、モネら。日本では黒田清輝ら。
はららご
魚類の産卵前の卵塊。
丁は距離の単位。町とも書く。一町は六〇間、約一〇九メートル。
樫鳥
燕雀目の鳥。鳩よりやや小形。全体葡萄色で翼に白と藍の美しい斑あり。頭部は白地に黒斑、尾は黒い。他の音声や物音をまねる。カケスの別称。
艤装
本来は船体が完成してから、航海に必要な一切の装備を整えて就航にいたるまでの工事の総称。ここでは、かたく装う意味。
瀝青
chian turpentine の略という。タールからとれる黒色の有機物質。道路舗装などに用いる。
もやい綱
船と船とをつなぎとめる綱。
女を買うこと。
ふなべり。ふなばた。
とも綱
艫(とも)の方にあって船をつなぎとめる綱。
ある崖上の感情
ソロモンの十字架
西洋の手相術でいう掌紋のひとつ。てのひらの線が交叉して十字をなしているところ。
キャラバン
Caravan ジャズの古典的名曲の一つ。アメリカのデューク・エリントンとファン・ティゾールの共作による曲。
南京鼠
中国産ハツカネズミの飼養変種。極めて小形で、体長六〜七センチ。
プロジット
prosit ラテン語。乾杯の意。
瞰下景
見下ろした景色。
ヴィラ風
villa 英語。別荘風、高級住宅風。
蚊遣り
蚊を追い払うために、煙をくゆらすこと。
牧羊神
Pan の神。ローマ神話で、林野と牧畜をつかさどる神。上半身は毛深い人間、下半身は山羊。額に二本の角。足に蹄(ひずめ)という半人半獣の神。
桜の樹の下には
アフロディット
Aphrodite ギリシア神話の美と愛と豊穣の女神。ゼウスとディオネの子とも、海の泡から生まれたともいわれる。
愛撫
アンニュイ
ennui フランス語。退屈、倦怠の意。
Crescendo
イタリア語。クレッシェンド。音楽用語でだんだん強くの意。
闇の絵巻
キク科の多年草。多くの種類があり、ほぼ全国に自生する。葉は大形で刺多く、花は頭状花で紅紫色。
戞々
堅い物の触れる音。互いにうちあう音。
爬虫
へび・とかげ・わに・かめなどの爬虫類のこと。
交尾
ペッヒシュタイン
Max Pechstein(一八八一―一九五五年)。ドイツ表現派の画家。強烈な色彩で主題を提示し、主観主義的な単純化と強調を特色とする。
ゲッセマネ
Gethsemane エルサレム郊外にあるオリーブ園の名。ここでキリストが十字架にかかる前日、最後の祈りをしたので有名。
ブールヴァール
boulevard フランス語。並木路。大通り。
セキセイ
脊黄青鸚哥(せきせいいんこ)のこと。オウム目の小鳥。大きさ雀ぐらいで色彩豊かで尾が長い。オーストラリア原産。
河鹿
カジカガエルのこと。谷川の岩間にすむ。暗褐色で、雄は美声を発する。
encore
フランス語。再び、あらためての意。
瑠璃
瑠璃鳥のこと。燕雀目の鳥。全体濃い紫青色。腹部は淡色。台湾・中国に産す。
石炭紀
地質時代の一つ。古生代のデボン紀と二畳紀の中間。三・五億年前から二・七億年前の時代。この時代、シダ植物が豊富で、爬虫類、昆虫類が出現。
のんきな患者
褥瘡
長く病床に寝ていて、体の床にあたっている部分が体重の圧迫でこすれ、赤くただれて痛むこと。
時雨空
時雨は晩秋から初冬にかけて降ったりやんだりする雨。その時雨模様の空のこと。
燕雀目の鳥。日本に広く分布。ツグミぐらいの大きさ。大部分青灰色で、耳羽が栗色。鳴き声は喧ましい。
掛取り
掛売りの代金を取り立てること。
鰥夫
妻のいない男。妻を失った男。
梶井基次郎(かじい・もとじろう)
一九〇一年、大阪市に生まれる。第三高等学校を経て、東京帝国大学文学部中退。三高在学中より「いい小説といい楽譜とを」求め、デカダンスの日々を送り、小説を書き始める。一九二五年、中谷孝雄、外《との》村《むら》繁《しげる》らと同人雑誌『青空』を創刊、同誌上に「檸檬」を発表。この頃肺結核の診断を受け、伊豆湯ヶ島温泉に転地療養、川端康成と親交を結ぶ。この後病に悩まされつつ次々と小説を発表。友人達の帰阪の勧めに従い、大阪に帰る。度々の発熱と呼吸困難ののち、一九三二年三月、三二歳で永眠。 本作品は一九六六年に筑摩書房より刊行された「梶井基次郎全集」全三巻を底本に、一九八六年八月ちくま文庫として刊行された。
なお、電子化にあたり解説は割愛した。
梶井基次郎全集 全一巻
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2002年4月26日 初版発行
著者 梶井基次郎(かじい・もとじろう)
発行者 菊池明郎
発行所 株式会社 筑摩書房
〒111-8755 東京都台東区蔵前2-5-3
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