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岡本綺堂
半七捕物帳全集
目 次
お文の魂
石燈籠
勘平《かんぺえ》の死
湯屋の二階
お化け師匠
半鐘《はんしょう》の怪
奥女中
帯《おび》取りの池
春の雪解《ゆきどけ》
広重《ひろしげ》と河獺《かわうそ》
朝顔屋敷
猫騒動《ねこそうどう》
弁天娘
山祝《やまいわ》いの夜《よ》
鷹《たか》のゆくえ
津《つ》の国屋《くにや》
三河万歳
槍突き
お照の父
向島の寮
蝶合戦
筆屋の娘
鬼娘
小女郎狐
狐と僧
女行者
化け銀杏
雪達磨
熊の死骸
あま酒売り
張子の虎
海坊主
旅絵師
雷獣と蛇
半七先生
冬の金魚
松茸
人形使い
少年少女の死
異人の首
一つ目小僧
仮面
柳原堤の女
むらさき鯉
三つの声
十五夜御用心
金の蝋燭《ろうそく》
ズウフラ怪談
大阪屋|花鳥《かちょう》
正雪《しょうせつ》の絵馬《えま》
大森の鶏
妖狐伝《ようこでん》
新カチカチ山
唐人飴《とうじんあめ》
かむろ蛇《へび》
河豚太鼓《ふぐだいこ》
幽霊の観世物《みせもの》
菊人形の昔
蟹《かに》のお角《かく》
青山の仇討《かたきうち》
吉良《きら》の脇指《わきざし》
歩兵の髪切り
川越次郎兵衛
廻《まわ》り燈籠《どうろう》
夜叉神堂《やしゃじんどう》
地蔵は踊る
薄雲《うすぐも》の碁盤《ごばん》
二人女房《ににんにょうぼう》
白蝶怪《はくちょうかい》
解説
[#改ページ]
お文の魂
一
わたしの叔父は江戸の末期に生まれたので、その時代に最も多く行なわれた化け物屋敷の不入《いらず》の間や、嫉《ねた》み深い女の生霊《いきりょう》や、執念深い男の死霊や、そうしたたぐいの陰惨な幽怪な伝説をたくさんに知っていた。しかも叔父は「武士たるものが妖怪《ようかい》などを信ずべきものでない」という武士的教育の感化から、一切これを否認しようと努めていたらしい。その気風は明治以後になっても失《う》せなかった。わたし達が子供のときに何か取り留めのない化け物話などを始めると、叔父はいつでも苦《にが》い顔をして碌々《ろくろく》相手にもなってくれなかった。
その叔父がただ一度こんなことを云《い》った。
「しかし世の中には解《わか》らないことがある。あのおふみの一件なぞは……」
おふみの一件が何であるかは誰も知らなかった。叔父も自己の主張を裏切るような、この不可解の事実を発表するのが如何にも残念であったらしく、その以上には何も秘密を洩《も》らさなかった。父に訊《き》いても話してくれなかった。併しその事件の蔭にはKのおじさんが潜んでいるらしいことは、叔父の口ぶりに因《よ》ってほぼ想像されたので、わたしの稚《おさな》い好奇心はとうとう私を促《うなが》してKのおじさんのところへ奔《はし》らせた。わたしはその時まだ十二であった。Kのおじさんは、肉縁の叔父ではない。父が明治以前から交際しているので、わたしは稚い時からこの人をおじさんと呼び慣《なら》わしていたのである。
わたしの質問に対して、Kのおじさんも満足な返答をあたえてくれなかった。
「まあ、そんなことはどうでもいい。つまらない化け物の話なんぞすると、お父さんや叔父さんに叱られる」
ふだんから話し好きのおじさんも、この問題については堅く口を結んでいるので、わたしも押し返して詮索《せんさく》する手がかりが無かった。学校で毎日のように物理学や数学をどしどし詰め込まれるのに忙がしい私の頭からは、おふみという女の名も次第に煙りのように消えてしまった。それから二年ほど経《た》って、なんでも十一月の末であったと記憶している。わたしが学校から帰る頃から寒い雨がそぼそぼと降り出して、日が暮れる頃には可なり強い降りになった。Kのおばさんは近所の人に誘われて、きょうは午前《ひるまえ》から新富座見物に出かけた筈《はず》である。
「わたしは留守番だから、あしたの晩は遊びにおいでよ」と前の日にKのおじさんが云った。わたしはその約束を守って、夕飯を済ますとすぐにKのおじさんをたずねた。Kの家はわたしの家から直径にして四町ほどしか距《はな》れていなかったが、場所は番町で、その頃には江戸時代の形見という武家屋敷の古い建物がまだ取払われずに残っていて、晴れた日にも何だか陰《かげ》ったような薄暗い町の影を作っていた。雨のゆうぐれは殊にわびしかった。Kのおじさんも或《あ》る大名屋敷の門内に住んでいたが、おそらくその昔は家老とか用人とかいう身分の人の住居であったろう。ともかくも一軒建てになっていて、小さい庭には粗《あら》い竹垣が結いまわしてあった。
Kのおじさんは役所から帰って、もう夕飯をしまって、湯から帰っていた。おじさんは私を相手にして、ランプの前で一時間ほども他愛もない話などをしていた。時々に雨戸をなでる庭の八つ手の大きい葉に、雨音がぴしゃぴしゃときこえるのも、外の暗さを想わせるような夜であった。柱にかけてある時計が七時を打つと、おじさんはふと話をやめて外の雨に耳を傾けた。
「だいぶ降って来たな」
「おばさんは帰りに困るでしょう」
「なに、人力車《くるま》を迎いにやったからいい」
こう云っておじさんは又黙って茶を喫《の》んでいたが、やがて少しまじめになった。
「おい、いつかお前が訊いたおふみの話を今夜聞かしてやろうか。化け物の話はこういう晩がいいもんだ。しかしお前は臆病だからなあ」
実際わたしは臆病であった。それでも怖《こわ》い物見たさ聞きたさに、いつも小さいからだを固くして一生懸命に怪談を聞くのが好きであった。殊に年来の疑問になっているおふみの一件を測《はか》らずもおじさんの方から切り出したので、わたしは思わず眼をかがやかした。明るいランプの下ならどんな怪談でも怖くないというふうに、わざと肩をそびやかしておじさんの顔をきっとみあげると、しいて勇気をよそおうような私の子供らしい態度が、おじさんの眼にはおかしく見えたらしい。彼はしばらく黙ってにやにや笑っていた。
「そんなら話して聞かせるが、怖くって家《うち》へ帰られなくなったから、今夜は泊めてくれなんて云うなよ」
まずこう嚇《おど》して置いて、おじさんはおふみの一件というのをしずかに話し出した。
「わたしが丁度|二十歳《はたち》の時だから、元治《げんじ》元年――京都では蛤御門《はまぐりごもん》のいくさがあった年のことだと思え」と、おじさんは先ず冒頭《まくら》を置いた。
その頃この番町に松村彦太郎という三百石の旗本が屋敷を持っていた。松村は相当に学問もあり、殊に蘭学が出来たので、外国掛《がいこくがかり》の方へ出仕《しゅっし》して、ちょっと羽振りの好い方であった。その妹のお道というのは、四年前に小石川西江戸川端の小幡《おばた》伊織という旗本の屋敷へ縁付いて、お春という今年三つの娘までもうけた。
すると、ある日のことであった。そのお道がお春を連れて兄のところへ訪ねて来て、「もう小幡の屋敷にはいられませんから、暇を貰《もら》って頂きとうございます」と、突然に飛んだことを云い出して、兄の松村をおどろかした。兄はその仔細《しさい》を聞きただしたが、お道は蒼《あお》い顔をしているばかりで何も云わなかった。
「云わないで済むわけのものでない。その仔細をはっきりと云え。女が一旦他家へ嫁入りをした以上は、むやみに離縁なぞすべきものでも無し、されるべき筈のものでもない。唯《ただ》だしぬけに暇を取ってくれでは判《わか》らない。その仔細をよく聞いた上で、兄にも成程と得心《とくしん》がまいったら、また掛け合いのしようもあろう。仔細を云え」
この場合、松村でなくても、まずこう云うよりほかはなかったが、お道は強情に仔細を明かさなかった。もう一日もあの屋敷にはいられないから暇を貰ってくれと、ことし二十一になる武家の女房が、まるで駄々っ子のように、ただ同じことばかり繰り返しているので、堪忍強い兄もしまいには焦《じ》れ出した。
「馬鹿、考えてもみろ、仔細も云わずに暇を貰いに行けると思うか。また、先方でも承知すると思うか。きのうや今日《きょう》嫁に行ったのでは無し、もう足掛け四年にもなり、お春という子までもある。舅《しうと》小姑《こじうと》の面倒があるでは無し、主人の小幡は正直で物柔らかな人物。小身ながらも無事に上《かみ》の御用も勤めている。なにが不足で暇を取りたいのか」
叱っても諭《さと》しても手応《てごた》えがないので、松村も考えた。よもやとは思うものの世間にためしが無いでもない。小幡の屋敷には若い侍がいる。近所となりの屋敷にも次三男の道楽者がいくらも遊んでいる。妹も若い身空であるから、もしや何かの心得違いでも仕出来《しでか》して、自分から身をひかなければならないような破滅に陥ったのではあるまいか。こう思うと、兄の詮議はいよいよ厳重になった。どうしてもお前が仔細を明かさなければ、おれの方にも考えがある。これから小幡の屋敷へお前を連れて行って、主人の眼の前で何もかも云わしてみせる。さあ一緒に来いと、襟髪《えりがみ》を取らぬばかりにして妹を引立てようとした。
兄の権幕《けんまく》があまり激しいので、お道もさすがに途方に暮れたらしく、そんなら申しますと泣いてあやまった。それから彼女が泣きながら訴えるのを聞くと、松村はまた驚かされた。
事件は今から七日前、娘のお春が三つの節句の雛《ひな》を片付けた晩のことであった。お道の枕もとに散らし髪の若い女が真っ蒼な顔を出した。女は水でも浴びたように、頭から着物までびしょ濡《ぬ》れになっていた。その物腰は武家の奉公でもしたものらしく、行儀よく畳に手をついてお辞儀していた。女はなんにも云わなかった。また別に人をおびやかすような挙動も見せなかった。ただ黙っておとなしく其処《そこ》にうずくまっているだけのことであったが、それが譬《たと》えようもないほどに物凄《ものすご》かった。お道はぞっとして思わず衾《よぎ》の袖にしがみ付くと、おそろしい夢は醒《さ》めた。
これと同時に、自分と添い寝をしていたお春もおなじく怖い夢にでもおそわれたらしく、急に火の付くように泣き出して、「ふみが来た。ふみが来た」と、つづけて叫んだ。濡れた女は幼い娘の夢をも驚かしたらしい。お春が夢中で叫んだ≪ふみ≫というのは、おそらく彼女の名であろうと想像された。
お道はおびえた心持で一夜を明かした。武家に育って武家に縁付いた彼女は、夢のような幽霊ばなしを人に語るのを恥じて、その夜の出来ごとは夫にも秘していたが、濡れた女は次の夜にも、又その次の夜にも彼女の枕もとに真っ蒼な顔を出した。そのたびごとに幼いお春も「ふみが来た」と同じく叫んだ。気の弱いお道はもう我慢が出来なくなったが、それでも夫に打ちあける勇気はなかった。
こういうことが四晩もつづいたので、お道も不安と不眠とに疲れ果ててしまった。恥も遠慮も考えてはいられなくなったので、とうとう思い切って夫に訴えると、小幡は笑っているばかりで取り合わなかった。しかし濡れた女はその後もお道の枕辺《まくらべ》を去らなかった。お道がなんと云っても、夫は受け付けてくれなかった。しまいには「武士の妻にもあるまじき」というような意味で、機嫌を悪くした。
「いくら武士でも、自分の妻が苦しんでいるのを、笑って観《み》ている法はあるまい」
お道は夫の冷淡な態度を恨むようになって来た。こうした苦しみがいつまでも続いたら、自分は遅かれ速《はや》かれ得体《えたい》の知れない幽霊のために責め殺されてしまうかも知れない。もうこうなったら娘をかかえて一刻《いっとき》も早くこんな化け物屋敷を逃げ出すよりほかあるまいと、お道はもう夫のことも自分のことも振り返っている余裕がなくなった。
「そういう訳でございますから、あの屋敷にはどうしてもいられません。お察し下さい」
思い出してもぞっとすると云うように、お道はこの話をする間にも時々に息を嚥《の》んで身をおののかせていた。そのおどおどしている眼の色がいかにも偽りを包んでいるようには見えないので、兄は考えさせられた。
「そんな事がまったくあるかしらん」
どう考えても、そんなことが有りそうにも思われなかった。小幡が取り合わないのも無理はないと思った。松村も「馬鹿をいえ」と、頭から叱りつけてしまおうかとも思ったが、妹がこれほどに思い詰めているいるものを、唯いちがいに叱って追いやるのも何だか可哀そうのようでもあった。殊に妹はこんなことを云うものの、この事件の底にはまだほかに何かこみいった事情がひそんでいないとも限らない。いずれにしても小幡に一度|逢《あ》った上で、よくその事情を確かめてみようと決心した。
「お前の片口《かたくち》ばかりでは判らん。ともかくも小幡に逢って、先方の料簡《りょうけん》を訊いてみよう、万事おれに任しておけ」
妹を自分の屋敷に残して置いて、松村は草履取り一人を連れて、すぐ西江戸川端に出向いた。
二
小幡の屋敷へゆく途中でも松村はいろいろに考えた。妹はいわゆる女子供のたぐいで、もとより論にも及ばぬが、自分は男一匹、しかも大小をたばさむ身の上である。武士と武士との掛け合いに、真顔になって幽霊の講釈でもあるまい。松村彦太郎、好い年をして馬鹿な奴《やつ》だと、相手に腹を見られるのも残念である。なんとか巧い掛け合いの法はあるまいかと工夫を凝らしたが、問題があまり単純であるだけに、横からも縦からも話の持って行きようがなかった。
西江戸川端の屋敷には主人の小幡伊織が居合わせて、すぐに座敷に通された。時候の挨拶《あいさつ》などを終っても、松村は自分の用向きを云い出す機会をとらえるのに苦しんだ。どうで笑われると覚悟をして来たものの、さて相手の顔をみると、どうも幽霊の話は云い出しにくかった。そのうちに小幡の方から口を切った。
「お道はきょう御屋敷へ伺いませんでしたか」
「まいりました」とは云ったが、松村はやはり後の句が継《つ》げなかった。
「では、お話し申したか知らんが、女子供は馬鹿なもので、なにかこのごろ幽霊が出るとか申して、ははははは」
小幡は笑っていた。松村も仕方がないので一緒に笑った。しかし、笑ってばかりいては済まない場合であるので、彼はこれを機《しお》に思い切っておふみの一件を話した。話してしまってから彼は汗を拭《ふ》いた。こうなると、小幡も笑えなくなった。かれは困ったような顔をしかめて、しばらく黙っていた。単に幽霊が出るというだけの話ならば、馬鹿とも臆病とも叱っても笑っても済むが、問題がこう面倒になって兄が離縁の掛け合いめいた使に来るようでは、小幡もまじめになってこの幽霊問題を取り扱わなければならないことになった。
「なにしろ一応詮議して見ましょう」と小幡は云った。彼の意見としては、もしこの屋敷に幽霊が出る――俗にいう化け物屋敷であるならば、こんにちまでに誰かその不思議に出逢ったものが他にあるべき筈である。現に自分はこの屋敷に生まれて二十八年の月日を送っているが、自分は勿論《もちろん》のこと、誰からもそんな噂《うわさ》すら聞いたことがない。自分が幼少のときに別れた祖父母も、八年前に死んだ父も、六年前に死んだ母も、かつてそんな話をしたこともなかった。それが四年前に他家から縁付いて来たお道だけに見えるというのが、第一の不思議である。たとい何かの仔細があって、特にお道にだけ見えるとしても、ここへ来てから四年の後に初めて姿をあらわすというのも不思議である。しかしこの場合、ほかに詮議のしようもないから、差し当っては先ず屋敷じゅうの者どもを集めて問いただしてみようというのであった。
「なにぶんお願い申す」と、松村も同意した。小幡は先ず用人《ようにん》の五左衛門を呼び出して調べた。かれは今年四十一歳で譜代の家来であった。
「先《せん》殿様の御代《おだい》から、かつて左様な噂を承ったことはござりませぬ。父からも何の話も聞き及びませぬ」
彼は即座に云い切った。それから若党《わかとう》や中間《ちゅうげん》どもを調べたが、かれらは新参の渡り者で、勿論なんにも知らなかった。次に女中共も調べられたが、かれらは初めてそんな話を聞かされて唯ふるえ上がるばかりであった。詮議はすべて不得要領に終った。
「そんなら池を浚《さら》ってみろ」と、小幡は命令した。お道の枕辺にあらわれる女が濡れているというのを手がかりに、或いは池の底に何かの秘密が沈んでいるのではないかと考えられたからであった。小幡の屋敷には百坪ほどの古池があった。
あくる日は大勢の人足をあつめて、その古池の掻掘《かいぼり》をはじめた。小幡も松村も立ち会って監視していたが、鮒《ふな》や鯉《こい》のほかには何の獲物もなかった。泥の底からは女の髪一と筋も見付からなかった。女の執念の残っていそうな櫛《くし》やかんざしのたぐいも拾い出されなかった。小幡の発議で更に屋敷内の井戸をさらわせたが、深い井戸の底からは赤い泥鰌《どじょう》が一匹浮び出て大勢を珍らしがらせただけで、これも骨折り損に終った。
詮議の蔓《つる》はもう切れた。
今度は松村の発議で、忌《いや》がるお道を無理にこの屋敷へ呼び戻して、お春と一緒にいつもの部屋に寝かすことにした。松村と小幡とは次の間に隠れて夜の更《ふ》けるのを待っていた。
その晩は月の陰《くも》った暖かい夜であった。神経の興奮し切っているお道は、とても安らかに眠られそうもなかったが、なんにも知らない幼い娘はやがてすやすやと寝ついたかと思うと、忽《たちま》ち針で眼球《めだま》でも突かれたようにけたたましい悲鳴をあげた。そうして「ふみが来た、ふみが来た」と、低い声で唸《うな》った。
「そら、来た」
待ち構えていた二人の侍は押っ取り刀でやにわに襖《ふすま》をあけた。閉め込んだ部屋のなかには春の夜のなまあたたかい空気が重く沈んで、陰ったような行燈《あんどん》の灯はまたたきもせずに母子《おやこ》の枕もとを見つめていた。外からは風さえ流れ込んだ気配が見えなかった。お道はわが子を犇《ひし》と抱きしめて、枕に顔を押しつけていた。
現在にこの生きた証拠を見せつけられて、松村も小幡も顔を見合わせた。それにしても自分たちの眼にも見えない闖入者《ちんにゅうしゃ》の名を、幼いお春がどうして知っているのであろう。それが第一の疑問であった。小幡はお春をすかしていろいろに問いただしたが、年弱《としよわ》の三つでは碌々《ろくろく》に口もまわらないので、ちっとも要領を得なかった。濡れた女はお春の小さい魂に乗りうつって、自分の隠れた名を人に告げるのではないかとも思われた。刀を持っていた二人もなんだか薄気味悪くなって来た。
用人の五左衛門も心配して、あくる日は市ヶ谷で有名な売卜者《うらないしゃ》をたずねた。売卜者は屋敷の西にある大きい椿の根を掘ってみろと教えた。とりあえずその椿を掘り倒してみたが、その結果はいたずらに売卜者の信用をおとすに過ぎなかった。
夜はとても眠れないというので、お道は昼間寝床にはいることにした。おふみもさすがに昼は襲って来なかった。これで少しはほっとしたものの、武家の妻が遊女かなんぞのように、夜は起きていて昼は寝る、こうした変則の生活状態をつづけてゆくのは甚だ迷惑でもあり、且《かつ》は不便でもあった。なんとかして永久にこの幽霊を追いはらってしまうのでなければ、小幡一家の平和を保つことは覚束《おぼつか》ないように思われた。併しこんなことが世間に洩れては家の外聞にもかかわるというので、松村も勿論秘密を守っていた。小幡も家来どもの口を封じて置いた。それでも誰かの口から洩れたとみえて、けしからぬ噂がこの屋敷に出入りする人々の耳にささやかれた。
「小幡の屋敷に幽霊が出る。女の幽霊が出るそうだ」
蔭では尾鰭《おひれ》をつけていろいろの噂をするものの、武士と武士との交際では、さすがに面と向って幽霊の詮議をする者もなかったが、その中に唯一人、すこぶる無遠慮な男があった。それが即《すなわ》ち小幡の屋敷の近所に住んでいるKのおじさんで、おじさんは旗本の次男であった。その噂を聴くと、すぐに小幡の屋敷に押し掛けて行って、事の実否《じっぴ》を確かめた。
おじさんとは平生《へいぜい》から特に懇意にしているので、小幡も隠さず秘密を洩らした。そうして、なんとかしてこの幽霊の真相を探りきわめる工夫はあるまいかと相談した。旗本に限らず、御家人に限らず、江戸の侍の次三男などというものは、概して無役《むやく》の閑人《ひまじん》であった。長男は無論その家を嗣《つ》ぐべく生まれたのであるが、次男三男に生まれたものは、自分に特殊の才能があって新規御召出しの特典をうけるか、あるいは他家の養子にゆくか、この二つの場合を除いては、殆《ほとん》ど世に出る見込みもないのであった。かれらの多くは兄の屋敷に厄介になって、大小を横たえた一人前の男がなんの仕事もなしに日を暮らしているという、一面から見れば頗《すこぶ》る呑気《のんき》らしい、また一面から見れば、頗る悲惨な境遇に置かれていた。
こういう余儀ない事情はかれらを駆って放縦懶惰《ほうじゅうらんだ》の高等遊民たらしめるよりほかはなかった。かれらの多くは道楽者であった。退屈しのぎに何か事あれかしと待ち構えている徒《やから》であった。Kのおじさんも不運に生まれた一人で、こんな相談相手に選ばれるには屈竟《くっきょう》の人間であった。おじさんは無論喜んで引き受けた。
そこで、おじさんは考えた。昔話の綱《つな》や金時《きんとき》のように、頼光《らいこう》の枕もとに物々しく宿直《とのい》を仕《つかまつ》るのはもう時代おくれである。まず第一にそのおふみという女の素性を洗って、その女とこの屋敷との間にどんな糸が繋《つな》がっているかということを探り出さなければいけないと思い付いた。
「御当家の縁者、又は召使などの中に、おふみという女の心当りはござるまいか」
この問いに対して、小幡は一向に心当たりがないと答えた。縁者には無論ない。召使はたびたび出代りをしているから一々に記憶していないが、近い頃にそんな名前の女を抱えたことはないと云った。更にだんだん調べてみると、小幡の屋敷では昔から二人の女を使っている。その一人は知行所の村から奉公に出て来るのが例で、ほかの一人は江戸の請宿《うけやど》から随意に雇っていることが判った。請宿は音羽《おとわ》の堺屋というのが代々の出入りであった。
お道の話から考えると、幽霊はどうしても武家奉公の女らしく思われるので、Kのおじさんは遠い知行所を後廻しにして、まず手近かの堺屋から詮索に取りかかろうと決心した。小幡が知らない遠い先代の頃に、おふみという女が奉公していたことが無いとも限らないと思ったからであった。
「では、何分よろしく、しかしくれぐれも隠密にな」と、小幡は云った。
「承知しました」
二人は約束して別れた。それは三月の末の晴れた日で、小幡の屋敷の八重桜にも青い葉がもう目立っていた。
三
Kのおじさんは音羽の堺屋へ出向いて、女の奉公人の出入り帳を調べた。代々の出入り先であるから、堺屋から小幡の屋敷へ入れた奉公人の名前はことごとく帳面にしるされている筈であった。
小幡の云った通り、最近の帳面にはおふみという名を見出すことは出来なかった。三年、五年、十年とだんだんにさかのぼって調べたが、おふゆ、おふく、おふさ、すべてふの字の付く女の名は一つも見えなかった。
「それでは知行所の方から来た女かな」
そうは思いながらも、おじさんはまだ強情《ごうじょう》に古い帳面を片っ端から繰ってみた。堺屋は今から三十年前の火事に古い帳面を焼いてしまって、その以前の分は一冊も残っていない。店にあらん限りの古い帳面を調べても、三十年前が行き止まりであった。おじさんは行き止まりに突き当たるまで調べ尽そうという意気込みで、煤《すす》けた紙に残っている薄墨の筆のあとを根《こん》好くたどって行った。
帳面はもちろん小幡家のために特に作ってあるわけではない。堺屋出入りの諸屋敷の分は一切あつめて横綴じの厚い一冊に書き止めてあるのであるから、小幡という名を一々拾い出して行くだけでも、その面倒は容易でなかった。殊に長い年代にわたっているのであるから、筆跡も同一ではない。折れ釘のような男文字のなかに糸屑のような女文字もまじっている。殆ど仮名ばかりで小児《こども》が書いたようなところもある。その折れ釘や糸屑の混雑を丁寧に見わけてゆくうちには、こっちの頭も眼もくらみそうになって来た。
おじさんもそろそろ飽きて来た。面白ずくで飛んだ事を引受けたという後悔の念も兆《きざ》して来た。
「これは江戸川の若旦那。なにをお調べになるんでございます」
笑いながら店先へ腰を掛けたのは四十二三の痩《や》せぎすの男で、縞の着物に縞の羽織を着て、だれの眼にも生地《きじ》の堅気《かたぎ》とみえる町人風であった。色のあさ黒い、鼻の高い、芸人か何ぞのように表情に富んだ眼をもっているのが、彼の細長い顔の著しい特徴であった。かれは神田の半七という岡っ引で、その妹は神田の明神下で常磐津の師匠をしている。Kのおじさんは時々その師匠のところへ遊びにゆくので、兄の半七とも自然懇意になった。
半七は岡っ引の仲間でも幅利きであった。しかし、こんな稼業の者にはめずらしい正直な淡泊《あっさり》した江戸っ子風の男で、御用をかさに着て弱い者をいじめるなどという悪い噂は、かつて聞えたことがなかった。彼は誰に対しても親切な男であった。
「相変らず忙がしいかね」と、おじさんは訊いた。
「へえ。きょうも御用でここへちょっとまいりました」
それから二つ三つ世間話をしている間に、おじさんは不図《ふと》かんがえた。この半七ならば秘密を明かしても差支えはあるまい、いっそ何もかも打明けて彼の知恵を借りることにしようかと思った。
「御用で忙がしいところを気の毒だが、少しお前に聞いて貰いたいことがあるんだが……」と、おじさんは左右を見まわすと、半七は快くうなずいた。
「なんだか存じませんが、ともかくも伺いましょう。おい、おかみさん。二階をちょいと借りるぜ。好いかい」
彼は先に立って狭い二階にあがった。二階は六畳ひと間で、うす暗い隅には葛籠《つづら》などが置いてあった。おじさんも後からつづいてあがって、小幡の屋敷の奇怪な出来事について詳しく話した。
「どうだろう。うまくその幽霊の正体を突き止める工夫はあるまいか。幽霊の身許《みもと》が判って、その法事供養でもしてやれば、それでよかろうと思うんだが……」
「まあ、そうですねえ」と、半七は首をかしげてしばらく考えていた。「ねえ、旦那。幽霊は、ほんとうに出るんでしょうか」
「さあ」と、おじさんも返事に困った。「まあ、出ると云うんだが……。私も見たわけじゃない」
半七はまた黙って煙草をすっていた。
「その幽霊というのは武家の召使らしい風をして、水だらけになっているんですね。早く云えば皿屋敷のお菊をどうかしたような形なんですね」
「まあ、そうらしい」
「あの御屋敷では草双紙のようなものを御覧になりますか」と、半七はだしぬけに、思いも付かないことを訊いた。
「主人は嫌いだが、奥では読むらしい。じきこの近所の田島屋という貸本屋が出入りのようだ」
「あのお屋敷のお寺は……」
「下谷の浄円寺だ」
「浄円寺。へえ、そうですか」と、半七はにっこり笑った。
「なにか心当りがあるかね」
「小幡の奥様はお美しいんですか」
「まあ、いい女の方だろう。年は二十一だ」
「そこで旦那。いかがでしょう」と、半七は笑いながら云った。「お屋敷方の内輪《うちわ》のことに、わたくしどもが首を突っ込んじゃあ悪うございますが、いっそこれはわたくしにお任せ下さいませんか。二、三日の内にきっと埒《らち》をあけてお目にかけます。勿論、これはあなたとわたくしだけのことで、決して他言は致しませんから」
Kのおじさんは半七を信用して万事を頼むと云った。半七も受け合った。しかし自分は飽くまでも蔭の人として働くので、表面はあなたが探索の役目を引き受けているのであるから、その結果を小幡の屋敷へ報告する都合上、御迷惑でも明日《あした》からあなたも一緒に歩いてくれとのことであった。どうで閑《ひま》の多い身体《からだ》であるから、おじさんもじきに承知した。商売人の中でも、腕利きといわれている半七がこの事件をどんなふうに扱うかと、おじさんは多大の興味を持って明日を待つことにした。その日は半七に別れて、おじさんは深川の某所に開かれる発句の運座《うんざ》に行った。
その晩は遅く帰ったので、おじさんは明くる朝早く起きるのが辛かった。それでも約束の時刻に約束の場所で半七に逢った。
「きょうは先ず何処へ行くんだね」
「貸本屋から先へ始めましょう」
二人は音羽の田島屋へ行った。おじさんの屋敷へも出入りするので、貸本屋の番頭はおじさんを能《よ》く知っていた。半七は番頭に逢って、正月以来かの小幡の屋敷へどんな本を貸し入れたかと訊いた。これは帳面に一々しるしてないので、番頭も早速の返事に困ったらしかったが、それでも記憶のなかから繰り出して二、三種の読本《よみほん》や草双紙の名をならべた。
「そのほかに薄墨草紙という草双紙を貸したことはなかったかね」と、半七は訊いた。
「ありました。たしか二月頃にお貸し申したように覚えています」
「ちょいと見せてくれないか」
番頭は棚を探して二冊つづきの草双紙を持ち出して来た。半七は手に取ってその下の巻をあけて見ていたが、やがて七、八丁あたりのところを繰り拡げてそっとおじさんに見せた。その挿絵は武家の奥方らしい女が座敷に坐っていると、その縁先に腰元風の若い女がしょんぼりと俯向《うつむ》いているのであった。腰元はまさしく幽霊であった。庭先には杜若《かきつばた》の咲いている池があって、腰元の幽霊はその池の底から浮き出したらしく、髪も着物もむごたらしく湿《ぬ》れていた。幽霊の顔や形は女こどもをおびえさせるほどに物凄く描いてあった。
おじさんはぎょっとした。その幽霊の物凄いのに驚くよりも、それが自分の頭のなかに描いているおふみの幽霊にそっくりであるのにおびやかされた。その草双紙を受取ってみると、外題《げだい》は新編うす墨草紙、為永瓢長作と記してあった。
「あなた、借りていらっしゃい。面白い作ですぜ」と、半七は例の眼で意味ありげに知らせた。
おじさんは二冊の草双紙をふところに入れて、ここを出た。
「わたくしもその草双紙を読んだことがあります。きのうあなたに幽霊のお話をうかがった時に、ふいとそれを思い出したんですよ」と、往来へ出てから半七が云った。
「して見ると、この草双紙の絵を見て、怖い怖いと思ったもんだから、とうとうそれを夢に見るようになったのかも知れない」
「いいえ、まだそればかりじゃありますまい。まあ、これから下谷に行って御覧なさい」
半七は先に立って歩いた。二人は安藤坂をのぼって、本郷から下谷の池の端へ出た。きょうは朝からちっとも風のない日で、暮春の空は碧《あお》い玉を磨いたように晴れかがやいていた。
火の見|櫓《やぐら》の上には鳶《とんび》が眠ったように止まっていた。少し汗ばんでいる馬を急がせてゆく、遠乗りらしい若侍の陣笠のひさしにも、もう夏らしい光りがきらきらと光っていた。
小幡が菩提所の浄円寺は、かなりに大きい寺であった。門をはいると、山吹が一ぱいに咲いているのが目についた。ふたりは住職に逢った。
住職は四十前後で、色の白い、髯《ひげ》のあとの青い人であった。客の一人は侍、一人は御用聞きというので、住職も疎略に扱わなかった。
ここへ来る途中で、二人は十分に打合わせをしてあるので、おじさんは先ず口を切って、小幡の屋敷にはこの頃怪しいことがあると云った。奥さんの枕もとに女の幽霊が出ると話した。そうして、その幽霊を退散させるために何か加持祈祷《かじきとう》のすべはあるまいかと相談した。
住職は黙って聴いていた。
「して、それは殿さま奥さまのお頼みでござりまするか。又あなた方の御相談でござりまするか」
と、住職は数珠《じゅず》を爪繰《つまぐ》りながら不安らしく訊いた。
「それはいずれでもよろしい。とにかくご承知下さるか、どうでしょう」
おじさんと半七とは鋭い瞳《ひとみ》のひかりを住職に投げ付けると、彼は蒼くなって少しくふるえた。
「修行《しゅぎょう》の浅い我々でござれば、果たして奇特《きどく》の有る無しはお受け合い申されぬが、ともかくも一心を凝らして得脱《とくだつ》の祈祷をつかまつると致しましょう」
「なにぶんお願い申す」
やがて時分どきだというので、念の入った精進料理が出た。酒も出た。住職は一杯も飲まなかったが、二人は鱈腹《たらふく》に飲んで食った。帰る時には住職は、「御駕籠でも申し付けるのでござるが……」と云って、紙につつんだものを半七にそっと渡したが、彼は突き戻して出て来た。
「旦那、もうこれで宜しゅうございましょう。和尚め、ふるえていたようですから」と、半七は笑っていた。住職の顔色の変ったのも、自分たちに鄭重《ていちょう》な馳走をしたのも、無言のうちに彼の降伏を十分に証明していた。それでもおじさんは、まだよく腑《ふ》に落ちないことがあった。
「それにしても小さい児がどうして、ふみが来たなんて云うんだろう。判らないね」
「それはわたくしにも判りませんよ」と、半七はやはり笑っていた。「子供が自然にそんなことを云う気遣いはないから、いずれ誰かが教えたんでしょうよ。唯、念のために申して置きますが、あの坊主は悪い奴で……延命院の二の舞で、これまでにも悪い噂が度々あったんですよ。それですから、あなたとわたくしとが押掛けて行けば、こっちで何も云わなくっても、先方は脛《すね》に疵《きず》でふるえあがるんです。こうして釘をさして置けば、もう詰まらないことはしないでしょう。わたくしのお役はこれで済みました。これから先はあなたのお考え次第で、小幡の殿様へは宜しきようにお話しなすって下さいまし。では、これで御免を蒙《こうむ》ります」
二人は池の端で別れた。
四
おじさんは帰途《かえり》に本郷の友達の家《うち》へ寄ると、友達は自分の識《し》っている踊りの師匠の大浚《おおさら》いが柳橋の或るところに開かれて、これから義理に顔出しをしなければならないから、貴公も一緒に附き合えと云った。おじさんも幾らかの目録を持って一緒に行った。綺麗な娘子供の大勢あつまっている中で、燈火《あかり》のつく頃までわいわい騒いで、おじさんは好い心持に酔って帰った。そんな訳で、その日は小幡の屋敷へ探索の結果を報告にゆくことが出来なかった。
あくる日小幡をたずねて、主人の伊織に逢った。半七のことはなんにも云わずに、おじさんは自分ひとりで調べて来たような顔をして、草双紙と坊主との一条を自慢らしく報告した。それを聴いて、小幡の顔色は見る見る陰った。
お道はすぐに夫の前に呼び出された。新編うす墨草紙を眼の前に突き付けられて、おまえの夢に見る幽霊の正体はこれかと厳重に吟味された。お道は色を失って一言もなかった。
「聞けば浄円寺の住職は破戒の堕落僧だという。貴様も彼にたぶらかされて、なにか不埒を働いているのに相違あるまい。真っ直ぐに云え」
夫にいくら責められても、お道は決して不埒を働いた覚えはないと泣いて抗弁した。しかし自分にも心得違いはある。それは重々恐れ入りますと云って、一切の秘密を夫とおじさんとの前で白状した。
「このお正月に浄円寺に御参詣にまいりますと、和尚さまは別間でいろいろお話のあった末に、わたくしの顔をつくづく御覧になりまして、しきりに溜息《ためいき》をついておいでになりましたが、やがて低い声で『ああ、御運の悪い方だ』と独り言のように仰しゃいました。その日はそれでお別れ申しましたが、二月に又お参りをいたしますと、和尚さまはわたくしの顔を見て、又同じようなことを云って溜息をついておいでになりますので、わたくしも何かと不安心になってまいりまして、『それはどうした訳でございましょう』と、こわごわ伺いますと、和尚さまは気の毒そうに、『どうもあなたは御相《ごそう》がよろしくない。御亭主を持っていられると、今にお命にもかかわるような禍《わざわ》いが来る。出来ることならば独り身におなり遊ばすとよいが、さもないとあなたばかりではない、お嬢さまにも、おそろしい災難が落ちて来るかも知れない』と諭《さと》すように仰しゃいました。こう聞いて私もぞっとしました。自分はともあれ、せめて娘だけでも災難をのがれる工夫はございますまいかと押し返して伺いますと、和尚さまは『お気の毒であるが、母子《おやこ》は一体、あなたが禍いを避ける工夫をしない限りは、お嬢さまも所詮《しょせん》のがれることはできない』と……。そう云われた時の……わたくしの心は……お察し下さいまし」と、お道は声を立てて泣いた。
「今のお前たちが聞いたら、一と口に迷信とか馬鹿々々しいとか蔑《けな》してしまうだろうが、その頃の人間、殊に女などはみんなそうしたものであったよ」と、おじさんはここで註を入れて、わたしに説明してくれた。
それを聴いてからお道には暗い影がまつわって離れなかった。どんな禍いが降りかかって来ようとも、自分だけは前世の約束とも諦《あきら》めよう。しかし可愛い娘にまでまきぞえの禍いを着せるということは、母の身として考えることさえも恐ろしかった。あまりに痛々しかった。お道にとっては、夫も大切には相違なかったが、娘はさらに可愛かった。自分の命よりもいとおしかった。第一に娘を救い、あわせて自分の身を全うするには、飽きも飽かれもしない夫の家を去るよりほかにないと思った。
それでも彼女は幾たびか躊躇《ちゅうちょ》した。そのうち二月も過ぎて、娘のお春の節句が来た。小幡の家でも雛を飾った。緋桃白桃の影をおぼろげにゆるがせる雛段の夜の灯を、お道は悲しく見つめた。来年も再来年も無事に雛祭りが出来るであろうか。娘はいつまでも無事であろうか。呪《のろ》われた母と娘とはどちらが先に禍いを受けるのであろうか。そんな恐れと悲しみとが彼女の胸一ぱいに拡がって、あわれなる母は今年の白酒に酔えなかった。
小幡の家では五日の日に雛をかたづけた。今更ではないが雛の別れは寂しかった。その日の午《ひる》すぎにお道が貸本屋から借りた草双紙を読んでいると、お春は母の膝に取りつきながらその挿絵を無心にのぞいていた。草双紙は、かの薄墨草紙で、むごい主人の手討に逢って、杜若《かきつばた》の咲く古池に沈められたお文という腰元の魂が、奥方のまえに形をあらわしてその恨みを訴えるというところで、その幽霊が物凄く描いてあった。稚いお春もこれには余ほどおびやかされたらしく、その絵を指して「これ、なに」と、こわごわ訊いた。
「それは文という女のお化けです。お前もおとなしくしないと、庭のお池からこういう怖いお化けが出ますよ」
嚇《おど》すつもりでもなかったが、お道は何心なくこう云って聞かせると、それがお春の神経を強く刺激したらしく、ひきつけたように真っ蒼になって母の膝にひしとしがみ付いてしまった。
その晩にお春はおそわれたように叫んだ。
「ふみが来た!」
明くる晩もまた叫んだ。
「ふみが来た!」
飛んだことをしたと後悔して、お道は早々にかの草双紙を返してしまった。お春は三晩つづいてお文の名を呼んだ。後悔と心配とで、お道も碌々に眠られなかった。そうして、これが彼《か》の恐ろしい禍いの来る前触れではないかとも恐れられた。彼女の眼の前にも、お文の姿がまぼろしのように現われた。
お道もとうとう決心した。自分の信じている住職の教えにしたがって、ここの屋敷を立ち退くよりほかはないと決心した。無心の幼児《おさなご》がお文の名を呼びつづけるのを利用して、かれは俄《にわか》に怪談の作者となった。その偽りの怪談を口実にして、夫の家を去ろうとしたのであった。「馬鹿な奴め」と、小幡は自分の前に泣き伏している妻を呆《あき》れるように叱った。しかし、こんな浅はかな女の企みの底にも、人の母として我が子を思う愛の泉のひそんで流れていることを、Kのおじさんも認めないわけには行かなかった。おじさんの取りなしで、お道はようように夫のゆるしを受けた。
「こんなことは義兄《あに》の松村にも聞かしたくない。しかし義兄の手前、屋敷中の者どもの手前、なんとかおさまりを付けなければなるまいが、どうしたものでござろう」
小幡から相談をうけてKのおじさんも考えた。結局、おじさんの菩提寺の僧を頼んで、表向きは得体《えたい》の知れないお文の魂のための追善供養を営むということにした。お春は医師の療治をうけて夜|啼《な》きをやめた。追善供養の功力《くりき》によって、お文の幽霊もその後は形を現わさなくなったと、まことしやかに伝えられた。
その秘密を知らない松村彦太郎は、世の中には理屈で説明のできない不思議なこともあるものだと首をかしげて、日頃自分と親しい二、三の人達にひそかに話した。わたしの叔父もそれを聴いた一人であった。
お文の幽霊を草双紙のなかから見つけ出した半七の鋭い眼力を、Kのおじさんは今更のように感服した。浄円寺の住職はなんの目的でお道に恐ろしい運命を予言したか、それに就いては半七も余り詳しい註釈を加えるのを憚《はばか》っているらしかったが、それから半年の後にその住職は女犯《にょぼん》の罪で寺社方の手に捕らわれたのを聴いて、お道は又ぞっとした。彼女は危い断崖の上に立っていたのを、幸いに半七のために救われたのであった。
「今も云う通り、この秘密は小幡夫婦と私のほかには誰も知らないことだ。小幡夫婦はまだ生きている。小幡は維新後に官吏になって今は相当の地位にのぼっている。わたしが今夜話したことは誰にも吹聴《ふいちょう》しない方がいいぞ」と、Kのおじさんは話の終りにこう付け加えた。
この話の済む頃には夜の雨もだんだん小降りになって、庭の八つ手の葉のざわめきも眠ったように鎮まった。
幼いわたしのあたまには、この話が非常に興味あるものとして刻み込まれた。併しあとで考えると、これらの探偵談は半七としては朝飯前の仕事に過ぎないので、その以上の人を衝動するような彼の冒険仕事はまだまだほかにたくさんあった。彼は江戸時代に於《お》ける隠れたシャアロック・ホームズであった。
わたしが半七によく逢うようになったのは、それから十年の後で、あたかも日清戦争が終りを告げた頃であった。Kのおじさんは、もう此の世にいなかった。半七は七十を三つ越したとか云っていたが、まだ元気の好い、不思議なくらいに水々しいお爺さんであった。養子に唐物商《とうぶつや》を開かせて、自分は楽隠居でぶらぶら遊んでいた。わたしは或る機会から、この半七老人と懇意になって、赤坂の隠居所へたびたび遊びに行くようになった。老人はなかなか贅沢《ぜいたく》で、上等の茶を淹《い》れて旨い菓子を食わせてくれた。
その茶話《ちゃばなし》のあいだに、わたしは彼の昔語りをいろいろ聴いた。一冊の手帳は殆ど彼の探偵物語でうずめられてしまった。その中から私が最も興味を感じたものをだんだんに拾い出して行こうと思う。時代の前後を問わずに――
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石燈籠
一
半七老人は或るとき彼のむかしの身分について詳しい話をしてくれた。江戸時代の探偵物語を読む人々の便宜のために、わたしも少しばかりここにその受け売りをして置きたい。
「捕物帳というのは与力や同心が岡っ引らの報告を聞いて、更にこれを町奉行所に報告すると、御用部屋に当座帳のようなものがあって、書役《かきやく》が取りあえずこれに書き留めて置くんです。その帳面を捕物帳といっていました」と、半七は先ず説明した。「それから私どものことを世間では御用聞きとか岡っ引とか手先とか勝手にいろいろの名を付けているようですが、御用聞きというのは一種の敬語で、他からこっちをあがめて云う時か、又はこっちが他を嚇《おど》かすときに用いることばで、表向きの呼び名は小者《こもの》というんです。小者じゃ幅が利かないから、御用聞きとか目明《めあか》しとかいうんですが、世間では一般に岡っ引といっていました。で、与力には同心が四、五人ぐらいずつ付いている、同心の下には岡っ引が二、三人付いている、その岡っ引の下には又四、五人の手先が付いているという順序で、岡っ引も少し好い顔になると、一人で七、八人|乃至《ないし》十人ぐらいの手先を使っていました。町奉行から小者即ち岡っ引に渡してくれる給料は一カ月に一分二朱というのが上の部で、悪いのになると一分ぐらいでした。いくら諸式の廉《やす》い時代でも一カ月に一分や一分二朱じゃあやり切れません。おまけに五人も十人も手先を抱えていて、その手先の給料はどこからも一文だって出るんじゃありませんから、親分の岡っ引が何とか面倒を見てやらなけりゃあならない。つまり初めから十露盤《そろばん》が取れないような無理な仕組みに出来あがっているんですから、自然そこにいろいろの弊害が起って来て、岡っ引とか手先とかいうと、とかく世間から蝮《まむし》扱いにされるようなことになってしまったんです。しかし大抵の岡っ引は何か別に商売をやっていました。女房の名前で湯屋をやったり小料理をやったりしていましたよ」
そういうわけで、町奉行所から公然認められているのは少数の小者即ち岡っ引だけで、多数の手先は読んで字のごとく、岡っ引の手先となって働くに過ぎない。従って岡っ引と手先とは、自然親分子分の関係をなして、手先は岡っ引の台所の飯を食っているのであった。勿論、手先の中にもなかなか立派な男があって、好い手先をもっていなければ親分の岡っ引も好い顔にはなれなかった。
半七は岡っ引の子ではなかった。日本橋の木綿店《もめんだな》の通い番頭のせがれに生まれて、彼が十三、妹のお粂《くめ》が五つのときに、父の半兵衛に死に別れた。母のお民は後家《ごけ》を立てて二人の子供を無事に育てあげ、兄の半七には父のあとを継《つ》がせて、もとのお店に奉公させようという望みであったが、道楽肌の半七は堅気の奉公を好まなかった。
「わたくしも不孝者で、若い時には阿母《おふくろ》をさんざん泣かせましたよ」
それが半七の懺悔《ざんげ》であった。肩揚げの下りないうちから道楽の味をおぼえた彼は、とうとう自分の家を飛び出して、神田の吉五郎という岡っ引の子分になった。吉五郎は酒癖のよくない男であったが、子分たちに対しては親切に面倒を見てくれた。半七は一年ばかりその手先を働いているうちに、彼の初陣《ういじん》の功名をあらわすべき時節が来た。
「忘れもしない天保|丑《うし》年の十二月で、わたくしが十九の年の暮でした」
半七老人の功名話はこうであった。
天保十二年の暦ももう終りに近づいた十二月はじめの陰《くも》った日であった。半七が日本橋の大通りをぶらぶらあるいていると、白木の横町から蒼い顔をした若い男が、苦労ありそうにとぼとぼと出て来た。男はこの横町の菊村という古い小間物屋の番頭であった。半七もこの近所で生まれたので、子供の時から彼を識《し》っていた。
「清さん、どこへ……」
声をかけられて清次郎は黙って会釈した。若い番頭の顔色はきょうの冬空よりも陰っているのがいよいよ半七の眼についた。
「かぜでも引きなすったかえ、顔色がひどく悪いようだが……」
「いえ、なに、別に」
云おうか云うまいか清次郎の心は迷っているらしかったが、やがて近寄って来てささやくように云った。
「実はお菊さんのゆくえが知れないので……」
「お菊さんが……。一体どうしたんです」
「きのうのお午《ひる》すぎに仲働きのお竹どんを連れて、浅草の観音様へお詣りに行ったんですが、途中でお菊さんにはぐれてしまって、お竹どんだけがぼんやり帰って来たんです」
「きのうの午過ぎ……」と、半七も顔をしかめた。「そうして、きょうまで姿を見せないんですね。おふくろさんもさぞ心配していなさるだろう。まるで心当りはないんですかえ。そいつはちっと変だね」
菊村の店でも無論手分けをして、ゆうべから今朝まで心当りを隈《くま》なく詮索しているが、ちっとも手がかりがないと清次郎は云った。彼はゆうべ碌々に睡《ねむ》らなかったらしく、紅《あか》くうるんだ眼の奥に疲れた瞳《ひとみ》ばかりが鋭く光っていた。
「番頭さん。冗談じゃない。おまえさんが連れ出して何処へか隠してあるんじゃないかえ」と、半七は相手の肩を叩いて笑った。
「いえ、飛んでもないことを……」と、清次郎は蒼い顔をすこし染めた。
娘と清次郎とがただの主従関係でないことは、半七も薄々|睨《にら》んでいた。しかし正直者の清次郎が娘をそそのかして家出させる程の悪法を書こうとも思われなかった。菊村の遠縁の親類が本郷にあるので、所詮無駄とは思いながらも、一応は念晴らしにこれから其処へも聞き合わせに行くつもりだと、清次郎は頼りなげに云った。彼のそそけた鬢《びん》の毛は師走の寒い風にさびしく戦慄《おのの》いていた。
「じゃあ、まあ試しに行って御覧なさい。わっしもせいぜい気をつけますから」
「なにぶん願います」
清次郎に別れて、半七はすぐに菊村の店へたずねて行った。菊村の店は四間半の間口で、一方の狭い抜け裏の左側に格子戸の出入り口があった。奥行きの深い家で、奥の八畳が主人の居間らしく、その前の十坪ばかりの北向きの小庭があることを、半七はかねて知っていた。
菊村の主人は五年ほど前に死んで、今は女あるじのお寅が一家の締めくくりをしていた。お菊は夫が形見の一粒種で今年十八の美しい娘であった。店では重蔵という大番頭のほかに、清次郎と藤吉の若い番頭が二人、まだほかに四人の小僧が奉公していた。奥はお寅親子と仲働きのお竹と、ほかに台所を働く女中が二人いることも、半七はことごとく記憶していた。
半七は女主人のお寅にも逢った。大番頭の重蔵にも逢った。仲働きのお竹にも逢った。しかしみんな薄暗いゆがんだ顔をして溜息をついているばかりで、娘のありかを探索することに就いて何の暗示をも半七に与えてくれなかった。
帰るときに半七はお竹を格子の外へ呼び出してささやいた。
「お竹どん。おめえはお菊さんのお供をして行った人間だから、今度の一件にはどうしても係り合いは逃がれねえぜ。内そとによく気をつけて、なにか心当りのことがあったら、きっとわっしに知らしてくんねえ。いいかえ。隠すと為にならねえぜ」
年の若いお竹は灰のような顔色をしてふるえていた。その嚇しが利いたとみえて、半七があくる朝ふたたび出直してゆくと、格子の前を寒そうに掃いていたお竹は待ち兼ねたように駈けて来た。
「あのね、半七さん。お菊さんがゆうべ帰って来たんですよ」
「帰って来た。そりゃあよかった」
「ところが、又すぐに何処へか姿を隠してしまったんですよ」
「そりゃあ変だね」
「変ですとも。……そうして、それきり又見えなくなってしまったんですもの」
「帰って来たのを誰も知らなかったのかね」
「いいえ、わたしも知っていますし、おかみさんも確かに見たんですけれども、それが又いつの間にか……」
聴く人よりも話す人の方が、いかにも腑に落ちないような顔をしていた。
二
「きのうの夕方、石町《こくちょう》の暮れ六ツが丁度きこえる頃でしたろう」と、お竹はなにか怖い物でも見たように声をひそめて話した。「この格子ががらりと明いたと思うと、お菊さんが黙って、すうっとはいって来たんですよ。ほかの女中達はみんな台所でお夜食の支度をしている最中でしたから、そこにいたのはわたしだけでした。わたしが『お菊さん』と思わず声をかけると、お菊さんはこっちをちょいと振り向いたばかりで、奥の居間の方へずんずん行ってしまいました。そのうちに奥で『おや、お菊かえ』というおかみさんの声がしたかと思うと、おかみさんが奥から出て来て『お菊はそこらに居ないか』と訊くんでしょう。わたしが『いいえ、存じません』と云うと、おかみさんは変な顔をして『だって、今そこへ来たじゃあないか。探して御覧』と云う。わたしも、おかみさんと一緒になって家中《うちじゅう》を探して見たんですけれども、お菊さんの影も形も見えないんです。店には番頭さん達もみんないましたし、台所には女中達もいたんですけれども、誰もお菊さんの出はいりを見た者はないと云うんでしょう。庭から出たかと思うんですけれども、木戸は内からちゃんと閉め切ってあるままで、ここから出たらしい様子もないんです。まだ不思議なことは、初めにはいって来た格子のなかに、お菊さんの下駄が脱いだままになって残っているじゃありませんか。今度は跣足《はだし》で出て行ったんでしょうか。それが第一わかりませんわ」
「お菊さんはその時にどんな服装《なり》をしていたね」と、半七はかんがえながら訊いた。
「おとといこの家を出たときの通りでした。黄八丈《きはちじょう》の着物をきて藤色の頭巾《ずきん》をかぶって……」
白子屋のお熊が引廻しの馬の上に黄八丈のあわれな姿をさらしてこのかた、若い娘の黄八丈は一時まったくすたれたが、このごろは又だんだんはやり出して、出世前のむすめも芝居で見るお駒を真似るのがちらほらと眼について来た。襟付の黄八丈に緋鹿子《ひかのこ》の帯をしめた可愛らしい下町の娘すがたを、半七は頭のなかに描き出した。
「お菊さんは家を出るときには頭巾をかぶっていたのかね」
「ええ、藤色|縮緬《ちりめん》の……」
この返事は半七を少し失望させた。それから何か紛失物でもあったのかと訊くと、お竹は別にそんなことも無いようだと云った。なにしろ、ほんの僅《わず》かの間で、おかみさんが奥の八畳の居間に坐っていると、襖が細目に明いたらしいので、何ごころなく振り向くと、かの黄八丈の綿入れに藤色の頭巾をかぶった娘の姿がちらりと見えた。驚きと喜びとで思わず声をかけると、襖はふたたび音もなしに閉じられた。娘はどこかへ消えてしまったのである。もしや何処かで非業《ひごう》の最期を遂げて、その魂が自分の生まれた家へ迷って帰ったのかとも思われるが、彼女は確かに格子をあけてはいって来た。しかも生きている者の証拠として、泥の付いた下駄を格子のなかへ遺《のこ》して行った。
「一昨日《おととい》浅草へ行った時に、娘はどこかで清さんに逢やあしなかったか」と、半七はまた訊いた。
「いいえ」
「隠しちゃあいけねえ。おめえの顔にちゃんと書いてある。娘と番頭は前から打ち合わせがしてあって、奥山の茶屋か何かで逢ったろう。どうだ」
お竹は隠し切れないでとうとう白状した。お菊は若い番頭の清次郎と疾《と》うから情交《わけ》があって、ときどき外で忍び逢っている。おとといの観音詣りも無論そのためで、待ち合わせていた清次郎と一緒にお菊は奥山の或る茶屋へはいった。取り持ち役のお竹はその場をはずして、観音の境内を半時《はんとき》ばかりも遊びあるいていた。それから再び茶屋へ帰ってくると、二人はもう見えなかった。茶屋の女の話によると、男は一と足先に帰って、娘はやがて後から出た。茶代は娘が払って行った。
「それからわたしもそこらを探して歩いたんですけれども、お菊さんはどうしても見えないんです。もしや先へ帰ったのかと思って、わたしも急いで家《うち》へ帰ってくると、家へもやっぱり帰っていないんでしょう。内所《ないしょ》で清さんに訊いて見たんですけれども、あの人も一と足先へ帰ったあとで、なんにも知らないと云うんです。でも、おかみさんにほんとうのことは云えませんから、途中ではぐれたことにしてあるんですが、清さんもわたしも、おとといから内々どんなに心配しているか知れないんです。ゆうべ帰って来て、やれ嬉しやと思うとすぐにまた消えてしまって……。一体どうしたんだか、まるで見当が付きません」
おろおろ声でお竹がささやくのを、半七は黙って聴いていた。
「なに、今に判るだろう。おかみさんにも、番頭さんにも、あまり心配しねえように云って置くがいい。きょうはこれで帰るから」
半七は神田へ帰って親分にこの話をすると、吉五郎は首をかしげて、その番頭が怪しいぜと云った。しかし半七は正直な清次郎を疑う気にはなれなかった。
「いくら正直だって、主人のむすめと不埒を働くような野郎だもの、何をするか判るもんか。あした行ったらその番頭を引っぱたいてみろ」と、吉五郎は云った。
その明くる朝の四ツ(十時)頃に半七が重ねて菊村の店へ見廻りにゆくと、店の前には大勢の人が立っていた。大勢は何かひそひそ囁《ささや》きながら好奇と不安の眼をけわしくして内を覗《のぞ》き込んでいた。近所の犬までが大勢の足の下をくぐって仔細ありげにうろついていた。裏へまわって格子をあけると、狭い沓脱《くつぬぎ》は草履や下駄で埋められていた。お竹は泣き顔をしてすぐ出て来た。
「おい。何かあったのかい」
「おかみさんが殺されて……」
お竹は声を立てて泣き出した。半七もさすがに呆気《あっけ》に取られた。
「誰に殺されたんだ」
返事もしないでお竹はまた泣き出した。賺《すか》して嚇《おど》してその仔細をきくと、女あるじのお寅はゆうべ何者にか殺されたのである。表向きは何者か判らないと云っているが、実は娘のお菊が手をくだしたのである。お竹はたしかにそれを見たと云った。お竹ばかりでなく、女中のお豊もお勝も、おなじくお菊の姿を見たとのことであった。
果たしてそれが偽りでなければ、お菊は云うまでもなく親殺しの罪人である。事件は非常に重大なものとなって半七の前にあらわれた。今まではさのみ珍らしくもない町家の娘と奉公人の色事と多寡《たか》をくくっていた半七は、この重大事件にぶつかって少し面喰らった。
「だが、こういう時に腕を見せなけりゃあいけねえ」と、年の若い彼は努めて勇気をふるい興した。
娘はさきおととい行くえ不明となった。それがおとといの晩、ふらりと帰って来て、すぐに又その姿を隠してしまった。そうしてゆうべまた帰って来たかと思うと、今度は母を殺して逃げた。これには余程こみいった事情がまつわっていなければならないと想像された。
「そうして、娘はどうした」
「どうしたか判らないんです」と、お竹はまた泣いた。
かれが泣きながら訴えるのを聞くと、ゆうべも前夜とおなじ燈《ひ》ともし頃に、お菊はわが家へおなじ形を現わした。今度はどこからはいって来たか判らなかったが、奥でおかみさんが突然に「おや、お菊……」と叫んだ。つづいておかみさんが悲鳴をあげた。お竹とほかの女中二人がおどろいて駈けつけた時に、縁側へするりと抜け出してゆくお菊のうしろ姿が見えた。お菊はやはり黄八丈を着て、藤色の頭巾をかぶっていた。
三人はお菊を取押えるよりも、まずおかみさんの方に眼を向けなければならなかった。お寅は左の乳の下を刺されて虫の息で倒れていた。畳の上には一面に紅い泉が流れていた。三人はきゃっと叫んで立ちすくんでしまった。店の人達もこの声におどろいてみんな駈け付けて来た。
「お菊が……お菊が……」
お寅は微かにこう云ったらしいが、その以上のことは誰の耳にも聴き取れなかった。彼女は大勢が唯うろたえているうちに息を引き取ってしまった。町《ちょう》役人連名で訴えて出ると、すぐに検視の役人が来た。お寅の傷口は鋭い匕首《あいくち》のようなもので深くえぐられていることが発見された。
家内の者はみな調べられた。うっかりしたことを口外して店の暖簾《のれん》に疵《きず》を付けてはならないという遠慮から、誰も下手人を知らないと答えた。しかし娘のお菊が居合わせないということが役人たちの注意をひいたらしい。お菊と情交《わけ》のあることを発見された清次郎は、その場からすぐに引っ立てられて行った。お竹にはまだ何の沙汰《さた》もないが、いずれ町内預けになるだろうと、彼女は生きている空もないように恐れおののいていた。
「飛んだことになったもんだ」と、半七は思わず溜息をついた。
「わたしはどうなるでしょう」と、お竹はまきぞえの罪がどれほどに重いかをひたすらに恐れているらしかった。そうして「わたし、もういっそ死んでしまいたい」などと狂女のように泣き悲しんでいた。
「馬鹿云っちゃあいけねえ。おめえは大事の証人じゃねえか」と、半七は叱るように云った。
「いずれ御用聞きが一緒に来たろうが、誰が来た」
「なんでも源太郎さんとかいう人だそうです」
「むむ、そうか。瀬戸物町か」
源太郎は瀬戸物町に住んでいる古顔の岡っ引で、好い子分も大勢もっている。一番こいつの鼻をあかして俺の親分に手柄をさしてやりたいと、半七の胸には強い競争の念が火のように燃え上がった。併しどこから手を着けていいのか、彼もすぐには見当が付かなかった。
「ゆうべも娘は頭巾をかぶっていたんだね」
「ええ。やっぱりいつもの藤色でした」
「さっきの話じゃあ、娘はどさくさまぎれに縁側へ抜け出して、それから行くえが知れねえんだね。おい、木戸をあけておいらを庭口へ廻らしてくれねえか」と、半七は云った。
お竹が奥へ取次いだとみえて、大番頭の重蔵が眼をくぼませて出て来た。
「どうも御苦労様でございます。どうぞ直ぐにこちらへ……」
「飛んだこってしたね。お取り込みの中へずかずかはいるのも良くねえから、すぐに庭口へ廻ろうと思ったんですが、それじゃあ御免を蒙ります」
半七は奥へ案内されて、お寅の血のあとがまだ乾かない八畳の居間へ通った。彼がかねて知っている通り、縁側は北に向っていて、前には十坪ばかりの小庭があった。庭には綺麗に手入れが行きとどいていて、雪釣りの松や霜除けの芭蕉が冬らしい庭の色を作っていた。
「縁側の雨戸は開《あ》いていたんですか」と、半七は訊いた。
「雨戸はみんな閉めてあったんですが、その手水鉢《ちょうずばち》の前だけが、いつも一枚細目にあけてありますので……」と、案内して来た重蔵は説明した。「勿論それは宵の内だけで、寝る時分にはぴったり閉めてしまいます」
半七は無言で高い松の梢《こずえ》をみあげた。闖入者はこの松を伝って来たものらしくも思われなかった。忍び返しの竹にも損所はなかった。
「ずいぶん高い塀ですね」
「はい、ゆうべもお役人衆が御覧になって、この高い塀を乗り越して来るのは容易でない。と云って、梯子《はしご》をかけた様子もなし、松を伝って来たらしくも思われない。これは庭口から忍び込んだのではあるまいと仰しゃいました。併しどこからはいったにしましても、出る時はこの庭口から出たに相違ないように思われますが、木戸の錠《じょう》は内から固くおろしたままになっていますので、何処をどうして出て行ったかさっぱり判りません」と、重蔵は陰《くも》った眼をいよいよ陰《くも》らせて、無意味にそこらを見廻していた。
「左様さ。忍び返しにも疵をつけず、松の枝にもさわらずに、この高塀を乗り越すというのは生優《なまやさ》しいことじゃあねえ」
どう考えても、これは町家の娘などに出来そうな芸ではなかった。曲者はよほど経験に富んだ奴に相違ないと半七は鑑定した。併しその場へ駈けつけた三人の女は、たしかにお菊のうしろ姿を見たという。それには何かの錯誤《あやまり》がなければならないと彼は又かんがえた。
彼は更に念のために、庭下駄を穿《は》いて狭い庭の隅々を見まわると、庭の東の隅には大きい石燈籠が立っていた。よほど時代が経っていると見えて、笠も台石も蒼黒い苔《こけ》のころもに隙き間なく包まれていた。一種の湿気《しっけ》を帯びた苔の匂いが、この老舗《しにせ》の古い歴史を語るようにも見えた。
「好い石燈籠だ。近頃にこれをいじりましたか」と、半七は何げなく訊いた。
「いいえ、昔から誰も手を着けたことはありません。こんなに見事に苔が付いているから、滅多にさわっちゃいけないと、お内儀《かみ》さんからもやかましく云われていますので……」
「そうですか」
滅多にさわることを禁じられているという古い石燈籠の笠の上に、人の足あとが微かに残っていることを、半七はふと見つけ出したのであった。あつい青苔の表は小さい爪先の跡だけ軽く踏みにじられていた。
三
苔に残っている爪先の跡はちいさかった。男ならば少年でなければならない。半七はどうも女の足跡らしいと認めた。この曲者はよほど経験に富んだ奴と想像していた半七の鑑定は外《はず》れたらしい。女とすればやはりお菊であろうか。たとい石燈籠を足がかりにしても、町育ちの若い娘がこの高塀を自由自在に昇り降りすることは、とても出来そうには思われなかった。
半七はなにを考えたか、すぐに菊村の店を出て、現代の浅草公園第六区を更に不秩序に、更に幾倍も混雑させたような両国の広小路に向った。
もうかれこれ午《ひる》頃で、広小路の芝居や寄席も、向う両国の見世物小屋も、これからそろそろ囃《はや》し立てようとする時刻であった。筵《むしろ》を垂れた小屋のまえには、弱々しい冬の日が塵埃《ほこり》にまみれた絵看板を白っぽく照らして、色のさめた幟《のぼり》が寒い川風にふるえていた。列《なら》び茶屋の門《かど》の柳が骨ばかりに痩せているのも、今年の冬が日ごとに暮れてゆく暗い霜枯れの心持を見せていた。それでも場所柄だけに、どこからか寄せて来る人の波は次第に大きくなって来るらしい。その混雑の中をくぐりぬけて、半七は列び茶屋の一軒にはいった。
「どうだい。相変らず繁昌かね」
「親分、いらっしゃい」と、色の白い娘がすぐに茶を汲《く》んで来た。
「おい、姐さん。早速だが少し聞きてえことがあるんだ。あの小屋に出ている春風|小柳《こりゅう》という女の軽業師《かるわざし》、あいつの亭主は何といったっけね」
「ほほほほほ。あの人はまだ亭主持ちじゃありませんわ」
「亭主でも情夫《いろ》でも兄弟でも構わねえ。あの女に付いている男は誰だっけね」
「金さんのこってすか」と、娘は笑いながら云った。
「そう、そう。金次といったっけ。あいつの家は向う両国だね。小柳も一緒にいるんだろう」
「ほほ、どうですか」
「金次は相変らず遊んでいるだろう」
「なんでも元は大きい呉服屋に奉公していたんだそうですが、小柳さんのところへ反物を持って行ったのが縁になって……。小柳さんよりずっと年の若い、おとなしそうな人ですよ」
「ありがてえ。それだけ判りゃあ好いんだ」
半七はそこを出て、すぐそばの見世物小屋にはいった。この小屋は軽業師の一座で、舞台では春風小柳という女が綱渡りや宙乗りのきわどい曲芸を演じていた。小柳は白い仮面《めん》をかぶったような厚化粧をして、せいぜい若々しく見せているが、ほんとうの年齢《とし》はもう三十に近いかも知れない。墨で描いたらしい濃い眉と、紅を眼縁《まぶた》にぼかしたらしい美しい眼とを絶えず働かせながら、演技中にも多数の見物にむかって頻りに卑しい媚《こび》を売っている。それがたまらなく面白いもののように、見物は口をあいてみとれていた。半七はしばらく舞台を見つめていたが、やがて又ここを出て向う両国へ渡った。
駒止《こまとめ》橋の獣肉屋《ももんじいや》に近い路地のなかに、金次の家のあることを探しあてて、半七は格子の外から二、三度声をかけたが、中では返事をする者もなかった。よんどころなしに隣りの家へ行って訊くと、金次は家を明けっ放しにして近所の銭湯へ行ったらしいとのことであった。
「わたしは山の手からわざわざ訪ねて来た者ですが、そんなら帰るまで入口に待っています」
隣りのおかみさんに一応ことわって、半七は格子の中へはいった。上がり框《かまち》に腰をかけて煙草を一服すっているうちに、かれはふと思い付いて、そっと入口の障子を細目にあけた。内は六畳と四畳半の二間で、入口の六畳には長火鉢が据えてあった。次の四畳半には炬燵《こたつ》が切ってあるらしく、掛け蒲団の紅い裾《すそ》がぞんざいに閉めた襖の間からこぼれ出していた。
半七は上がり框から少し伸びあがって窺《うかが》うと、四畳半の壁には黄八丈の女物が掛かっているらしかった。彼は草履をぬいでそっと内へ這い込んだ。四畳半の襖の間からよく視ると、壁にかかっている女の着物は確かに黄八丈で、袖のあたりがまだ湿《ぬ》れているらしいのは、おそらく血の痕を洗って此処にほしてあるものと想像された。半七はうなずいて元の入口に返った。
その途端に溝板《どぶいた》を踏むあしおとが近づいて、隣りのおかみさんに挨拶する男の声がきこえた。
「留守に誰か来ている。ああ、そうですか」
金次が帰って来たなと思ううちに、格子ががらりとあいて、半七とおなじ年頃の若い小粋な男がぬれ手拭をさげてはいって来た。金次はこのごろ小博奕《こばくち》などを打ち覚えて、ぶらぶら遊んでいる男で、半七とはまんざら識らない顔でもなかった。
「やあ、神田の大哥《あにい》ですか。お珍らしゅうございますね。まあお上がんなさい」
相手がただの人と違うので、金次は愛想よく半七を招じ入れて長火鉢の前に坐らせた。そうして、時候の挨拶などをしている間にも、なんとなく落ち着かない彼の素振りが半七の眼にはありありと読まれた。
「おい、金次。俺あ初めにおめえにあやまって置くことがあるんだ」
「なんですね、大哥。改まってそんなことを……」
「いや、そうでねえ。いくら俺が御用を勤める身の上でも、ひとの家へ留守に上がり込んで、奥を覗いたのは悪かった。どうかまあ、堪忍してくんねえ」
火鉢に炭をついでいた金次はたちまち顔色を変えて、唖《おし》のように黙ってしまった。彼の手に持っている火箸は、かちかちと鳴るほどにふるえた。
「あの黄八丈は小柳のかい。いくら芸人でもひどく派手な柄を着るじゃあねえか。もっともおめえのような若い亭主をもっていちゃあ、女はよっぽど若作りにしにゃあなるめえが……。ははははは。おい、金次、なぜ黙っているんだ。愛嬌のねえ野郎だな。受け賃に何かおごって、小柳の惚気《のろけ》でも聞かせねえか。おい、おい、なんとか返事をしろ。おめえも年上の女に可愛がられて、なにから何まで世話になっている以上は、たとい自分の気に済まねえことでも、女がこうと云やあ、よんどころなしに片棒かつぐというような苦しい破目《はめ》がねえとも限らねえ。そりゃあ俺も万々察しているから、出来るだけのお慈悲は願ってやる。どうだ、何もかも正直に云ってしまえ」
くちびるまで真っ蒼になってふるえていた金次は、圧《お》し潰《つぶ》されたように畳に手を突いた。
「大哥《あにい》、なにもかも申し上げます」
「神妙によく云った。あの黄八丈は菊村の娘のだろうな。てめえ一体あの娘をどこから連れて来た」
「わたしが連れて来たんじゃないんです」と、金次は哀れみを乞うような悲しい眼をして、相手の顔をそっと見上げた。「実はさきおとといの午《ひる》まえに、小柳と二人で浅草へ遊びに行ったんです。酔うとあいつの癖で、きょうはもう商売を休むというのを、無理になだめて帰ろうとしても、あいつがなかなか承知しないんです。もっともあんな派手な稼業はしていても、銭遣いがあらいのと、私がこのごろ景気が悪いんで、方々に無理な借金はできる。この歳の暮は大御難《おおごなん》で、あいつも少し自棄《やけ》になっているようですから、仕方なしにお守《もり》をしながら午過ぎまで奥山あたりをうろついていると、或る茶屋から若い番頭が出てくる。つづいて小綺麗な娘が出て来ました。それを小柳が見て、あれは日本橋の菊村の娘だ。おとなしいような顔をしていながら、こんなところで番頭と出会いをしていやあがる。あいつを一番食い物にしてやろうと……」
「小柳はどうして菊村の娘ということを知っていたんだ」と、半七は喙《くち》をいれた。
「そりゃあ時々に紅や白粉を買いに行くからです。菊村は古い店ですからね。そこで私はすぐに駕籠を呼びに行きました。そのあいだ何と云って誘って来たのか知りませんが、とうとう其の娘を馬道《うまみち》の方へ引っ張り出して来たんです。駕籠は二挺で、小柳と娘が駕籠に乗って先へ行って、わたしは後からあるいて帰りました。帰ってみると、娘は泣いている。近所へきこえると面倒だから、猿轡《さるぐつわ》を嵌《は》めて戸棚のなかへ押し込んでおけと小柳が云うんです。あんまり可哀そうだとは思いましたが、ええ意気地のねえ、何をぐずぐずしているんだねと、あいつが無暗《むやみ》に剣突《けんつく》を食わせるもんですから、わたしも手伝って奥の戸棚へ押し込んでしまいました」
「小柳という奴は、よくねえ女だということは、おれも前から聞いていたが、まるで一つ家のばばあだな。それからどうした」
「その晩すぐ近所の山女衒《やまぜげん》を呼んで来て、潮来《いたこ》へ年一杯四十両ということに話がきまりました。安いもんだが仕方がないというんで、あくる朝、駕籠に乗せて女衒と一緒に出してやりましたが、その女衒の帰らないうちは一文もこっちの手にはいらない。なにしろもう十二月の声を聞いてからは、毎日のようにいろいろの鬼が押し寄せてくる。苦しまぎれに小柳は又こんなことを考え出したのです。娘を潮来へやるときに、売物には花とかいうんで、着ていた黄八丈を引っぱがして、小柳のよそ行きと着換えさせてやったもんですから、娘の着物はそっくりこっちに残っている」
「むむ。その黄八丈の着物と藤色の頭巾で、小柳が娘に化けて菊村へ忍び込んだな。やっぱり金を取るつもりか」
「そうです」と、金次はうなずいた。「金は手箱に入れておふくろの居間にしまってあるということは、娘をおどして聞いて置いたんです」
「それじゃあ始めからその積りだったんだろう」
「どうだか判りませんが、小柳は苦しまぎれによんどころなく斯《こ》んなことをするんだと云っていました。だが、おとといの晩は巧く行かないで、すごすご帰って来ました。今夜こそはきっと巧くやって来ると云って、ゆうべも夕方から出て行きましたが……。やっぱり手ぶらで帰って来て、『今夜もまたやり損じた。おまけに嬶《かかあ》が大きな声を出しゃあがったから、自棄《やけ》になって土手っ腹をえぐって来た』と、こう云うんです。大哥《あにい》の前ですが、わたしはふるえて、しばらくは口が利けませんでしたよ。袖に血が付いているのを見ると嘘じゃあない。飛んでもないことをしてくれたと思っていますと、それでも当人は澄ましたもので『なあに、大丈夫さ。この頭巾と着物が証拠で、世間じゃあ娘が殺したと思っているに相違ない』と云っているんです。そうして、着物の血を洗って、あすこへほして、きょうも相変らず小屋へ出て行きました」
「いい度胸だな。おめえの情婦《いろ》にゃあ過ぎ物だ」と、半七は苦笑いをした。「だが、正直に何もかもよく云ってくれた。おめえも飛んだ女に可愛がられたのが運の尽きだ。小柳はどうで獄門だが、おめえの方は云い取り次第で、首だけは繋がるに相違ねえ。まあ、安心していろ」
「どうぞ御慈悲を願います。わたしは全く意気地のない人間なんで、ゆうべもおちおち寝られませんでした。大哥の顔を一と目見た時に、こりゃあもういけねえと往生してしまいました。あの女には義理が悪いようですけれども、私のような者はこうして何もかもすっかり白状してしまった方が、胸が軽くなって却って好うございますよ」
「じゃあ気の毒だが、すぐに神田の親分の所まで一緒に来てくれ。どの道、当分は娑婆《しゃば》は見られめえから、まあ、ゆっくり支度をして行くがいいや」
「ありがとうございます」
「真っ昼間だ。近所の手前もあるだろう。縄は勘弁してやるぜ」と、半七は優しく云った。
「ありがとうございます」
金次は重ねて礼を云った。かれの眼は意気地なくうるんでいた。
おたがいに若い身体だ。こう思うと半七は、自分のとりことなって牽《ひ》かれて行くこの弱々しい若い男がいじらしくてならなかった。
四
半七の報告を聴いて、親分の吉五郎は金杉の浜で鯨をつかまえたほどに驚いた。
「犬もあるけば棒にあたると云うが、手前もうろうろしているうちに、ど偉いことをしやがったな。まだ駈け出しだと思っていたら油断のならねえ奴だ。いい、いい、なにしろ大出来だ、てめえの骨を盗むような俺じゃあねえ。てめえの働きはみんな旦那方に申し立ててやるからそう思え。それにしても、その小柳という奴を早く引き挙げてしまわなけりゃならねえ。女でも生けっぷてえ奴だ。なにをするか知れねえから、誰か行って半七を助《す》けてやれ」
物馴れた手先ふたりが半七を先に立てて再び両国へむかったのは、短い冬の日ももう暮れかかって、見世物小屋がちょうど閉《は》ねる頃であった。二人は外に待っていて、半七だけが小屋へはいると、小柳は楽屋で着物を着替えていた。
「わたしは神田の吉五郎のところから来たが、親分がなにか用があると云うから、御苦労だがちょっと来てくんねえ」と、半七は何げなしに云った。
小柳の顔には暗い影が翳《さ》した。しかし案外おちついた態度で寂しく笑った。
「親分が……。なんだか忌《いや》ですわねえ。なんの御用でしょう」
「あんまりおめえの評判が好いもんだから、親分も乙な気になったのかも知れねえ」
「あら、冗談は措《お》いて、ほんとうに何でしょう。お前さん、大抵知っているんでしょう」
衣装|葛籠《つづら》にしなやかな身体をもたせながら、小柳は蛇のような眼をして半七の顔を窺っていた。
「いや、おいらはほんの使い奴《やっこ》だ。なんにも知らねえ。なにしろ大して手間を取らせることじゃあるめえから、世話を焼かせねえで素直に来てくんねえ」
「そりゃあ参りますとも……。御用とおっしゃりゃあ逃げ隠れは出来ませんからね」と、小柳は煙草入れを取り出してしずかに一服すった。
隣りのおででこ芝居では打出しの太鼓がきこえた。ほかの芸人たちも一種の不安に襲われたらしく、息を殺して遠くから二人の問答に耳を澄ましていた。狭い楽屋の隅々は暗くなった。
「日が短けえ。親分も気が短けえ。ぐずぐずしていると俺まで叱られるぜ。早くしてくんねえ」
と、半七は焦《じ》れったそうに催促した。
「はい、はい。すぐにお供します」
ようやく楽屋を出て来た小柳は、そこの暗いかげにも二人の手先が立っているのを見て、くやしそうに半七の方をじろりと睨《にら》んだ。
「おお、寒い。日が暮れると急に寒くなりますね」と、彼女は両袖を掻《か》きあわせた。
「だから、早く行きねえよ」
「なんの御用か存じませんが、もし直きに帰して頂けないと困りますから、家《うち》へちょいと寄らして下さるわけには参りますまいか」
「家へ帰ったって、金次はいねえぞ」と、半七は冷やかに云った。
小柳は眼を瞑《と》じて立ち止まった。やがて再び眼をあくと、長い睫毛《まつげ》には白い露が光っているらしかった。
「金さんは居りませんか。それでもあたしは女のことですから、少々支度をして参りとうございますから」
三人に囲まれて、小柳は両国橋を渡った。彼女はときどきに肩をふるわせて、遣《や》る瀬《せ》ないように啜《すす》り泣きをしていた。
「金次がそんなに恋しいか」
「あい」
「おめえのような女にも似合わねえな」
「察してください」
長い橋の中ほどまで来た頃には、河岸《かし》の家々には黄いろい灯のかげが疎《まば》らにきらめきはじめた。大川の水の上には鼠色の煙りが浮かび出して、遠い川下が水明かりで薄白いのも寒そうに見えた。橋番の小屋でも行燈に微かな蝋燭の灯を入れた。今夜の霜を予想するように、御船蔵《おふねぐら》の上を雁の群れが啼いて通った。
「もしあたしに悪いことでもあるとしたら、金さんはどうなるでしょうね」
「そりゃあ当人の云い取り次第さ」
小柳は黙って眼を拭いていた。と思うと、彼女はだしぬけに叫んだ。
「金さん、堪忍しておくれよ」
そばにいる半七を力まかせに突き退けて、小柳は燕《つばめ》のように身をひるがえして駈け出した。さすがは軽業師だけにその捷業《はやわざ》は眼にも止まらない程であった。彼女は欄干に手をかけたかと見る間もなく、身体はもうまっさかさまに大川の水底に呑まれていた。
「畜生!」と、半七は歯を噛んだ。
水の音を聞いて橋番も出て来た。御用という名で、すぐに近所の船頭から舟を出させたが、小柳は再び浮き上がらなかった。あくる日になって向う河岸の百本杭に、女の髪がその昔の浅草|海苔《のり》のように黒くからみついているのを発見した。引き揚げて見ると、その髪の持ち主は小柳であったので、凍った死体は河岸の朝霜に晒《さら》されて検視を受けた。女の軽業師はとうとう命の綱を踏み外してしまった。それが江戸中の評判となって、半七の名もまた高くなった。
菊村ではすぐ人をやって、まだ目見得《めみえ》中のお菊を無事に潮来から取り戻した。
「今考えると、あの時はまるで夢のようでございました。清次郎は一と足先に帰ってしまって、わたくしはなんだか寂しくなったものですから、お竹の帰ってくるのを待ち兼ねて、なんの気なしに表へ出ますと、大きい樹の下に前から顔を識っている軽業師の小柳が立っていて、清さんが今そこで急病で倒れたからすぐに来てくれと云うのでございます。わたくしは吃驚《びっくり》して一緒に行きますと、清さんは駕籠でお医者の家へかつぎ込まれたから、お前さんも後から駕籠で行ってくれと無理やりに駕籠に乗せられて、やがて何処だか判らない薄暗い家へ連れ込まれてしまったのでございます。そうすると、小柳の様子が急に変って、もう一人の若い男と一緒に、わたくしを散々ひどい目に逢わせまして、それから又遠いところへ送りました。わたくしはもう半分は死んだ者のように茫《ぼう》となってしまいまして、なにをどうしようという知恵も分別も出ませんでした」と、お菊は江戸へ帰ってから係り役人の取り調べに答えた。
番頭の清次郎は単に「叱り置く」というだけで赦《ゆる》された。
小柳は自滅して仕置を免かれたが、その死に首はやはり小塚ッ原に梟《か》けられた。金次は同罪ともなるべきものを格別の御慈悲を以て遠島申し付けられて、この一件は落着した。
「これがまあ私の売出す始めでした」と、半七老人は云った。「それから三、四年も経つうちに、親分の吉五郎は霍乱《かくらん》で死にました。その死にぎわに娘のお仙と跡式一切をわたくしに譲って、どうか跡《あと》を立ててくれろという遺言があったもんですから、子分たちもとうとうわたくしを担《かつ》ぎ上げて二代目の親分ということにしてしまいました。わたくしが一人前の岡っ引になったのはこの時からです。
その時にどうして小柳に目串《めぐし》を差したかと云うんですか。そりゃあ先刻《さっき》もお話し申した通り、石燈籠の足跡からです。苔に残っている爪先がどうしても女の足らしい。と云って、大抵の女があの高塀を無雑作《むぞうさ》に昇り降りすることが出来るもんじゃあない。よほど身体の軽い奴でなけりゃあならないと思っているうちに、ふいと軽業師ということを思い付いたんです。女の軽業師は江戸にもたくさんありません。そのなかでも両国の小屋に出ている春風小柳という奴はふだんから評判のよくない女で、自分よりも年の若い男に入れ揚げているということを聞いていましたから、多分こいつだろうとだんだん手繰って行くと、案外に早く埒《らち》が明いてしまったんです。金次という奴は伊豆の島へやられたんですが、その後なんでも赦《しゃ》に逢って無事に帰って来たという噂を聞きました。
菊村の店では番頭の清次郎を娘の聟にして、相変らず商売をしていましたが、いくら老舗《しにせ》でも一旦ケチが付くとどうもいけないものと見えて、それから後は商売も思わしくないようで、江戸の末に芝の方へ引っ越してしまいましたが、今はどうなったか知りません。
どっちにしても助からない人間じゃあありますけれども、小柳を大川へ飛び込ましたのは残念でしたよ。つまりこっちの油断ですね。つかまえるまでは気が張っていますけれども、もう捕まえてしまうと誰でも気がゆるむものですから、油断して縄抜けなんぞを食うことが時々あります。
まだ面白い話はないかと云うんですか。自分の手柄話ならば幾らもありますよ。はははは。その内にまた遊びにいらっしゃい」
「ぜひ又話して貰いに来ますよ」
わたしは半七老人と約束して別れた。
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勘平《かんぺえ》の死
一
歴史小説の老大家T先生を赤坂のお宅に訪問して、江戸のむかしのお話をいろいろ伺ったので、わたしは又かの半七老人にも逢いたくなった。T先生のお宅を出たのは午後三時頃で、赤坂の大通りでは仕事師が家々のまえに門松《かどまつ》を立てていた。砂糖屋の店さきには七、八人の男や女が、狭そうに押し合っていた。年末大売出しの紙ビラや立看板や、紅い提灯やむらさきの旗や、濁《にご》った楽隊の音や、甲《かん》走った蓄音機のひびきや、それらの色彩と音楽とが一つに溶け合って、師走《しわす》の都の巷《ちまた》にあわただしい気分を作っていた。
「もう数《かぞ》え日《び》だ」
こう思うと、わたしのような閑人《ひまじん》が方々のお邪魔をして歩いているのは、あまり心ない仕業《しわざ》であることを考えなければならなかった。私も、もうまっすぐに自分の家《うち》へ帰ろうと思い直した。そうして、電車の停留場の方へぶらぶら歩いてゆくと、往来なかでちょうど半七老人に出逢った。
「どうなすった。この頃しばらく見えませんでしたね」
老人はいつも元気よく笑っていた。
「実はこれから伺おうかと思ったんですが、歳の暮にお邪魔をしても悪いと思って……」
「なあに、わたくしはどうせ隠居の身分です。盆も暮も正月もあるもんですか。あなたの方さえ御用がなけりゃあ、ちょっと寄っていらっしゃい」
渡りに舟というのは全くこの事であった。わたしは遠慮なしにそのあとについて行くと、老人は先に立って格子をあけた。
「老婢《ばあや》。お客様だよ」
私はいつもの六畳に通された。それから又いつもの通りに佳《よ》いお茶が出る。旨い菓子が出る。忙がしい師走の社会と遠く懸け放れている老人と若い者とは、時計のない国に住んでいるように、日の暮れる頃までのんびりした心持で語りつづけた。
「ちょうど今頃でしたね。京橋の和泉屋で素人芝居のあったのは……」と、老人は思い出したように云った。
「なんです。しろうと芝居がどうしたんです」
「その時に一と騒動持ち上がりましてね。その時には私も少し頭を痛めましたよ。あれは確か安政|午《うま》年の十二月、歳の暮にしては暖い晩でした。和泉屋というのは大きな鉄物屋《かなものや》で、店は具足町《ぐそくちょう》にありました。家中《うちじゅう》が芝居気ちがいでしてね、とうとう大変な騒ぎをおっ始めてしまったんです。え、その話をしろと云うんですか。じゃあ、又いつもの手柄話を始めますから、まあ聴いてください」
安政五年の暮は案外にあたたかい日が四、五日つづいた。半七は朝飯を済ませて、それから八丁堀の旦那(同心)方のところへ歳暮にでも廻ろうかと思っていると、妹のお粂《くめ》が台所の方から忙がしそうにはいって来た。お粂は母のお民と明神下に世帯を持って、常磐津の師匠をしているのであった。
「姉さん、お早うございます。兄さんはもう起きていて……」
女中と一緒に台所で働いていた女房のお仙はにっこりしながら振り向いた。
「あら、お粂ちゃん、お上がんなさい。大変に早く、どうしたの」
「すこし兄さんに頼みたいことがあって……」と、お粂はうしろをちょっと見返った。「さあ、おはいんなさいよ」
お粂の蔭にはまだ一人の女がしょんぼりと立っていた。女は三十七八の粋な大年増《おおどしま》で、お粂と同じ商売の人であるらしいことはお仙にもすぐに覚《さと》られた。
「あの、お前さん、どうぞこちらへ」
たすきをはずして会釈《えしゃく》をすると、女はおずおずはいって来て丁寧に会釈した。
「これはおかみさんでございますか。わたくしは下谷に居ります文字清と申します者で、こちらの文字房さんには毎度お世話になって居ります」
「いいえ、どう致しまして。お粂こそ年が行きませんから、さぞ御厄介になりましょう」
この間にお粂は奥へはいって又出て来た。文字清という女は彼女に案内されて、神経の尖《とが》ったらしい蒼ざめた顔を半七のまえに出した。文字清はこめかみに頭痛膏を貼って、その眼もすこし血走っていた。
「兄さん。早速ですが、この文字清さんがお前さんに折り入って頼みたいことがあると云うんですがね」
お粂は仔細ありそうに、この蒼ざめた女を紹介《ひきあわ》した。
「むむ。そうか」と、半七は女の方に向き直った。「もし、おまえさん。どんな御用だか知りませんが、私に出来そうなことだかどうだか、伺って見ようじゃありませんか」
「だしぬけに伺いましてまことに恐れ入りますが、わたくしもどうしていいか思案に余って居りますもんですから、かねて御懇意にいたして居ります文字房さんにお願い申して、こちらへ押し掛けに伺いましたような訳で……」と、文字清は畳に手を突いた。「お聞き及びでございましょうが、この十九日の晩に具足町の和泉屋で年忘れの素人芝居がございました」
「そう、そう。飛んだ間違いがあったそうですね」
和泉屋の事件というのは半七も聞いて知っていた。和泉屋の家じゅうが芝居気ちがいで、歳の暮には近所の人たちや出入りの者共をあつめて、歳忘れの素人芝居を催すのが年々の例であった。今年も十九日の夕方から幕をあけた。それはすこぶる大がかりのもので、奥座敷を三|間《ま》ほど打ち抜いて、正面には間口《まぐち》三間の舞台をしつらえ、衣裳や小道具のたぐいもなかなか贅沢なものを用いていた。役者は店の者や近所の者で、チョボ語りの太夫も下座《げざ》の囃子方《はやしかた》もみな素人の道楽者を狩り集めて来たのであった。
今度の狂言は忠臣蔵の三段目、四段目、五段目、六段目、九段目の五幕《いつまく》で、和泉屋の総領息子の角太郎が早野勘平を勤めることになった。角太郎はことし十九の華奢《きゃしゃ》な男で、ふだんから近所の若い娘たちには役者のようだなどと噂されていた。若旦那の勘平は嵌《はま》り役だと、見物の人たちにも期待された。
舞台では喧嘩場から山崎街道までの三幕をとどこおりなく演じ終って、六段目の幕をあけたのは冬の夜の五ツ(午後八時)過ぎであった。幾分はお追従《ついしょう》もまじっているであろうが、若旦那の勘平をぜひ拝見したいというので、この前の幕があく頃から遅れ馳せの見物人がだんだんに詰めかけて来た。燭台や火鉢の置き所もないほどにぎっしり押し詰められた見物席には、女の白粉や油の匂いが咽《む》せるようによどんでいた。煙草のけむりも渦をまいてみなぎっていた。男や女の笑い声が外まで洩れて、師走の往来の人の足を停めさせるほど華やかにきこえた。
併しこの歓楽のさざめきは忽ち哀愁の涙に変った。角太郎の勘平が腹を切ると生々《なまなま》しい血潮が彼の衣裳を真っ赤に染めた。それは用意の糊紅《のりべに》ではなかった。苦痛の表情が凄いほどに真に迫っているのを驚嘆していた見物は、かれが台詞《せりふ》を云いきらぬうちに舞台にがっくり倒れたのを見て、更におどろいて騒いだ。勘平の刀は舞台で用いる金貝《かながい》張りと思いのほか、鞘《さや》には本身《ほんみ》の刀がはいっていたので、角太郎の切腹は芝居ではなかった。夢中で力一ぱい突き立てた刀の切っ先は、ほんとうに彼の脇腹を深く貫いたのであった。苦しんでいる役者はすぐに楽屋へ担ぎ込まれた。もう芝居どころの沙汰ではない。驚きと怖《おそ》れとのうちに今夜の年忘れの宴会はくずれてしまった。
角太郎は舞台の顔をそのままで医師の手当てをうけた。蒼白く粧《つく》った顔は更に蒼くなった。おびただしく出血した傷口はすぐに幾針も縫われたが、その経過は思わしくなかった。角太郎はそれから二日二晩苦しみ通して、二十一日の夜なかに悶《もが》き死《じに》のむごたらしい終りを遂げた。その葬式《とむらい》は二十三日の午《ひる》すぎに和泉屋の店を出た。
きょうはその翌日である。
併しこの文字清と和泉屋とのあいだに、どんな関係が結び付けられているのか、それは半七にも想像が付かなかった。
「そのことに就いて、文字清さんが大変に口惜《くや》しがっているんですよ」と、お粂がそばから口を添えた。
文字清の蒼い顔には涙が一ぱいに流れ落ちた。
「親分。どうぞ仇《かたき》を取ってください」
「かたき……。誰の仇を……」
「わたくしの伜《せがれ》の仇を……」
半七は煙《けむ》にまかれて相手の顔をじっと見つめていると、文字清はうるんだ眼を嶮《けわ》しくして彼を睨むように見あげた。その唇は癇持ちのように怪しくゆがんで、ぶるぶる顫《ふる》えていた。
「和泉屋の若旦那は、師匠、おまえさんの子かい」と、半七は不思議そうに訊いた。
「はい」
「ふうむ。そりゃあ初めて聞いた。じゃあ、あの若旦那は今のおかみさんの子じゃあないんだね」
「角太郎はわたくしの伜でございます。こう申したばかりではお判りになりますまいが、今から丁度二十年前のことでございます。わたくしが仲橋の近所でやはり常磐津の師匠をして居りますと、和泉屋の旦那が時々遊びに来まして、自然まあそのお世話になって居りますうちに、わたくしはその翌年に男の子を産みました。それが今度亡くなりました角太郎で……」
「じゃあ、その男の子を和泉屋で引き取ったんだね」
「左様でございます。和泉屋のおかみさんが其の事を聞きまして、丁度こっちに子供が無いから引き取って自分の子にしたいと……。わたくしも手放すのは忌《いや》でしたけれども、向うへ引き取られれば立派な店の跡取りにもなれる。つまり本人の出世にもなることだと思いまして、産れると間もなく和泉屋の方へ渡してしまいました。で、こういう親があると知れては、世間の手前もあり、当人の為にもならないというので、わたくしは相当の手当てを貰いまして、伜とは一生縁切りという約束をいたしました。それから下谷の方へ引っ越しまして、こんにちまで相変らずこの商売をいたして居りますが、やっぱり親子の人情で、一日でも生みの子のことを忘れたことはございません。伜がだんだん大きくなって立派な若旦那になったという噂を聴いて、わたくしも蔭ながら喜んで居りますと、飛んでもない今度の騒ぎで……。わたくしはもう気でも違いそうに……」
文字清は畳に食いつくようにして、声を立てて泣き出した。
二
「へええ。そんな内情《いきさつ》があるんですかい。わたしはちっとも知らなかった」と、半七は喫《の》みかけていた煙管《きせる》をぽんと叩いた。「それにしても、若旦那の死んだのは不時の災難で、誰を怨むというわけにも行くめえと思うが……。それとも其処にはなにか理窟がありますかえ」
「はい、判って居ります。おかみさんが殺したに相違ございません」
「おかみさんが……。まあ落ち着いて訳を聞かしておくんなせえ。若旦那を殺すほどならば、最初から自分の方へ引き取りもしめえと思うが……」
訊く人の無智を嘲《あざけ》るように、文字清は涙のあいだに凄い笑顔を見せた。
「角太郎が和泉屋へ貰われてから五年目に、今のおかみさんの腹に女の子が出来ました。お照といって今年十五になります。ねえ、親分。おかみさんの料簡《りょうけん》になったら、角太郎が可愛いでしょうか。自分の生みの娘が可愛いでしょうか。角太郎に家督を譲りたいでしょうか。お照に相続させたいでしょうか。ふだんは幾ら好い顔をしていても、人間の心は鬼です。邪魔になる角太郎をどうして亡き者にしようか位のことは考え付こうじゃありませんか。まして角太郎は旦那の隠し子ですもの、腹の底には女の嫉みもきっとまじっていましょう。そんなことをいろいろ考えると、おかみさんが自分でしたか人にやらせたか、楽屋のごたごたしている隙《すき》をみて、本物の刀と掏《す》り替えて置いたに相違ないと、わたくしが疑ぐるのが無理でしょうか。それはわたくしの邪推でしょうか。親分、お前さんは何とお思いです」
和泉屋の息子にこうした秘密のあることは、半七も今までまるで知らなかった。なるほど文字清のいう通り、角太郎は継子《ままこ》である。しかも主人の隠し子である。たとい表面は美しく自分の家へ引取っても、おかみさんの胸の奥に冷たい凝塊《しこり》の残っていることは否《いな》まれない。まして其の後に自分の実子が出来た以上は、角太郎に身代を渡したくないと思うのも女の情としては無理もない。それが嵩《こう》じて、今度のような非常手段を企《たくら》むということも必ず無いとは受け合えない。半七はこれまで種々の犯罪事件を取り扱っている経験から、人間の恐ろしいということも能く識っていた。
文字清は無論、和泉屋のおかみさんを我が子のかたきと一途《いちず》に思いつめているらしかった。
「親分、察してください。わたくしは口惜しくって、口惜しくって……。いっそ出刃庖丁でも持って和泉屋へ暴れ込んで、あん畜生をずたずたに切り殺してやろうかと思っているんですが……」
彼女は次第に神経が昂《たか》ぶって、物狂おしいほどに取りのぼせていた。ここでうっかり嗾《けしか》けるようなことを云ったら、病犬《やまいぬ》のような彼女は誰に啖《くら》い付こうも知れなかった。半七は逆らわずに、黙って煙草をすっていたが、やがてしずかに口をあいた。
「すっかり判りました。ようがす。わたしが出来るだけ調べてあげましょう。如才《じょさい》はあるめえが、当分は誰にも内証にして……」
「いくら自分の子になっているからと云って、角太郎を殺したおかみさんは無事じゃあ済みますまいね。お上《かみ》できっとかたきを取って下さるでしょうね」と、文字清は念を押した。
「そりゃあ知れたことさ。まあ、なんでもいいから私にまかせてお置きなせえ」
文字清をなだめて帰して、半七はすぐに出る支度をした。お粂はあとに残って義姉《あね》のお仙と何かしゃべっていた。
「兄さん。御苦労さまね。まったく和泉屋のおかみさんが悪いんでしょうか」と、半七の出る時にお粂はうしろからささやくように訊いた。
「そりゃあ判らねえ。なんとか手を着けてみようよ」
半七はまっすぐ京橋へ向った。いくら御用聞きでも、何の手がかりも無しにむやみに和泉屋へ乗り込んで詮議立てをするわけには行かなかった。彼は鉄物《かなもの》屋の店先を素通りして、町内の鳶頭《かしら》の家《うち》をたずねた。鳶頭はあいにく留守だというので、彼はその女房とふた言三言挨拶して別れた。
「これから何処へ行ったものだろう」
往来に立って思案しているうちに、半七はうしろから自分を追い掛けて来た人のあるのに気がついた。それは五十以上の町人風の男で、悪い生活の人ではないということは一と目にも知られた。男は半七のそばへ来て丁寧に挨拶した。
「まことに失礼でございますが、お前さんは神田の親分さんじゃあございますまいか。わたくしは芝の露月町《ろうげつちょう》に鉄物渡世をいたして居ります大和屋十右衛門と申す者でございますが、只今あの鳶頭の家へ少し相談があって訪ねてまいりますと、鳶頭は留守で、おかみさんを相手に何かの話をして居ります所へ、お前さんがお出でになりまして……。おかみさんに訊くと、あれは神田の親分さんだというので、好い折柄と存じまして、すぐにおあとを追ってまいりましたのですが、いかがでございましょうか。御迷惑でもちょいとそこらまで御一緒においで下さるわけには……」
「ようございます。お伴《とも》いたしましょう」
十右衛門に誘われて、半七は近所の鰻屋へはいった。小ぢんまりした南向きの二階の縁側にはもう春らしい日影がやわらかに流れ込んで、そこらにならべてある鉢植えの梅のおもしろい枝振りを、あかるい障子へ墨絵のように映していた。あつらえの肴《さかな》の来るあいだに二人は差し向いで猪口の献酬《やりとり》を始めた。
「親分もお役目柄でもう何もかも御承知でございましょうが、和泉屋の伜も飛んだことになりまして……。実はわたくしは和泉屋の女房の兄でございます。今度のことに就きまして、死んだ者は今さら致し方もございませんが、さて其の後の評判でございますが……。人の口はまことにうるさいもので、妹もたいへん心配して居りますので……」
十右衛門は思い余ったように云った。角太郎の変死については生みの母の文字清ばかりでなく、その秘密を薄々知っている出入りの者のうちには、やはり同じような疑いの眼の光りをおかみさんの上に投げている者もあるらしい。十右衛門はそれを苦に病んで、きょうも町内の鳶頭のところへ相談に行ったのであった。
「どうして本身の刀と掏り替っていたか、内々それを調べて貰いたいと存じまして……。万一つまらない噂などを立てられますと、妹が実に可哀そうでございます。兄の口から斯《こ》う申すもいかがでございますが、あれはまったく正直なおとなしい女でございまして、角太郎を生みの子のように大切にして居りましたのに……。それを何か世間にありふれた継母《ままはは》根性のようにでも思われますのは、いかにも心外で……。ともかくも葬式《とむらい》はきのう済みましたから、これから何とか致してその間違いの起った筋道を詮議いたしたいと存じて居るのでございます。その筋道がよく判りませんで、妹が何かの疑いでも受けますようでございますと、妹は気の小さい女ですから、あんまり心配して気違いにでもなり兼ねません。それが不憫《ふびん》でございまして……」と、十右衛門は鼻紙を出して洟《はな》をかんだ。
文字清も気違いになりかかっている。和泉屋のおかみさんも気違いになるかも知れないと云う。文字清の話がほんとうであるか、十右衛門の話がいつわりであるか。さすがの半七にも容易に判断がつかなかった。
「芝居の晩にはおまえさんも無論見物に行っておいでになったんでしょうね」と、半七は猪口《ちょこ》をおいて訊いた。
「はい。見物して居りました」
「楽屋には大勢詰めていたんでしょうね」
「なにしろ楽屋が狭うございまして、八畳に十人ばかり、離れの四畳半に二人。役者になる者はそれだけでしたが、ほかに手伝いが大勢で、おまけに衣裳やら鬘《かつら》やらがそこら一ぱいで、足の踏み立てられないような混雑でございました。しかしみんな町人ばかりでございますから、そこに大小などの置いてあろう筈はないのでございます。最初にめいめいの小道具類を渡されました時に、角太郎も一々調べて見ましたそうですから、その時には決して間違って居りませんので……。いよいよ舞台へ出るという間ぎわに多分取り違ったか、掏り替えられたか。一体誰がそんなことをしたのか、まるで見当が付きませんので困って居ります」
「なるほど」
半七は殆ど猪口をそのままにして腕を拱《く》んでいた。十右衛門も黙って自分の膝の上を眺めていた。一匹の蠅が障子の紙を忙がしそうに渡ってゆく跫音《あしおと》が微かに響いた。
「若旦那は八畳にいたんですか、四畳半の方ですか」
「四畳半の方におりました。庄八、長次郎、和吉という店の者と一緒に居りました。庄八は衣裳の手伝いをして、長次郎は湯や茶の世話をしていたようでした。和吉は役者でございまして、千崎弥五郎を勤めて居りました」
「それから、おかしなことを伺うようですが、若旦那は芝居のほかに何か道楽がありましたかえ」と、半七は訊いた。
碁将棋のたぐいの勝負事は嫌いである、女道楽の噂も聞いたことがないと、十右衛門は答えた。
「お嫁さんの噂もまだ無いんですね」
「それは内々きまって居りますので」と、十右衛門はなんだか迷惑そうに云った。「こうなれば何もかも申し上げますが、実は仲働きのお冬という女に手をつけまして……。尤もその女は容貌《きりょう》も好し、気立ても悪くない者ですから、いっそ世間に知られないうちに相当の仮親でもこしらえて、嫁の披露をしてしまった方が好いかも知れないなどと、親達も内々相談して居りましたのですが、思いもつかない斯《こ》んなことになってしまいまして、つまり両方の運が悪いのでございます」
この恋物語に半七は耳をかたむけた。
「そのお冬というのは幾つで、どこの者です」
「年は十七で、品川の者です」
「どうでしょう。そのお冬という女にちょいと逢わして貰うわけには参りますまいか」
「なにしろ年は若うございますし、角太郎が不意にあんなことになりましたので、まるで気抜けがしたようにぼんやりして居りますから、とても取り留めた御挨拶などは出来ますまいが、お望みならいつでもお逢わせ申します」
「なるたけ早いがようございますから、お差し支えがなければ、これからすぐに御案内を願えますまいか」
「承知いたしました」
二人は飯を食ってしまったら、すぐ和泉屋へ出向くことに相談をきめた。十右衛門が待ちかねて手を鳴らした時に、あつらえの鰻をようよう運んで来た。
三
十右衛門は急いで箸をとったが、半七は碌々に飯を食わなかった。彼は熱いのをもう一本持って来てくれと女中に頼んだ。
「親分はよっぽど召し上がりますか」と、十右衛門は訊いた。
「いいえ、野暮《やぼ》な人間ですからさっぱり飲《い》けないんです。だが、きょうは少し飲みましょうよ。顔でも紅《あか》くしていねえと景気が付きませんや」と、半七はにやにや笑っていた。
十右衛門は妙な顔をして黙ってしまった。
女中が持って来た一本の徳利を半七は手酌でつづけて飲み干した。南に日をうけた暖い座敷で真昼に酒をのみ過したので、半七の顔も手足も歳の市《まち》で売る飾りの海老《えび》のように真っ紅になった。
「どうです。渋っ紙は好い加減に染まりましたか」と、半七は熱い頬を撫でた。
「はい、好い色におなりでございます」と、十右衛門は仕方なしに笑っていた。
そうして、こんなに酔っている男を和泉屋へ案内するのは、なんだか心許《こころもと》ないようにも思ったらしいが、今更ことわるわけにも行かないので、かれは勘定を払って半七を表へ連れ出した。半七の足もとは少し乱れて、向うから鮭をさげて来る小僧に危く突き当りそうになった。
「親分。大丈夫ですか」
十右衛門に手を取られて半七はよろけながら歩いた。飛んだ人に飛んだことを相談したと、十右衛門はいよいよ後悔しているらしく見えた。
「旦那。どうぞ裏口からこっそり入れてください」と、半七は云った。
しかし、まさかに裏口へも廻されまいと十右衛門は少し躊躇していると、半七は店の横手の路地へはいって、ずんずん裏口の方へまわって行った。その足取りはあまり酔っているらしくも見えなかった。十右衛門は追うように其の後について行った。
「すぐにお冬どんに逢わしてください」
裏口からはいった半七は、広い台所を通りぬけて女中部屋を覗いたが、そこには三人の赭《あか》ら顔の女中がかたまっていて、お冬らしい女のすがたは見えなかった。
「お冬はどうした」と、十右衛門は障子を細目にあけると、赭ら顔は一度にこっちを振り向いて、お冬はゆうべから気分が悪いというので、おかみさんの指図で離れ座敷の四畳半に寝かしてあると答えた。その四畳半は十九日の晩、角太郎の楽屋にあてた小座敷であった。
縁伝いで奥へ通ると、狭い中庭には大きな南天が紅い玉を房々と実らせていた。ふたりは障子の前に立って、十右衛門が先ず声をかけると、障子は内から開かれた。障子をあけたのはお冬の枕辺に坐っていた若い男で、お冬は鬢も隠れるほどに衾《よぎ》を深くかぶっていた。男は小作りで色のあさ黒い、額の狭い眉の濃い顔であった。
十右衛門に挨拶して、若い男は早々に出て行ってしまった。あれが先刻《さっき》お話し申した千崎弥五郎の和吉ですと、十右衛門が云った。
衾を掻いやって蒲団の上に起き直ったお冬の顔は、半七がけさ逢った文字清の顔よりも更に蒼ざめて窶《やつ》れていた。生きた幽霊のような彼女は、なにを聞いても要領を得るほどの捗々《はかばか》しい返事をしなかった。かれは恐ろしい其の夜の悪夢を呼び起すに堪えないように、唯さめざめと泣いているばかりであった。この二、三日の春めいた陽気にだまされて、どこかで籠の鶯が啼いているのも却って寂しい思いを誘われた。
お冬の胸に燃えていた恋の火は、灰となってもう頽《くず》れてしまったのかも知れない。彼女は過去の楽しい恋の記憶については、何も話そうとしなかった。しかし惨《みじ》めな彼女の現在については、不十分ながらも半七の問いに対してきれぎれに答えた。旦那やおかみさんは自分に同情して、勿体ないほど優しくいたわってくださると彼女は語った。店の人達のうちでは和吉が一番親切で、けさから店の隙を見てもう二度も見舞に来てくれたと語った。
「じゃあ、今も見舞に来ていたんだね。そうして、どんな話をしていたんだ」と、半七は訊いた。
「あの、若旦那がああなってしまっては、このお店に奉公しているのも辛いから、わたしはもうお暇を頂こうかと思うと云いましたら、和吉さんはまあそんなことを云わないで、ともかくも来年の出代りまで辛抱するがいいとしきりに止めてくれました」
半七はうなずいた。
「いや、有難う。折角寝ているところを飛んだ邪魔をして済まなかった。まあ、からだを大事にするが好いぜ。それから大和屋の旦那、お店の方へちょいと御案内を願えますまいか」
「はい、はい」
十右衛門は先に立って店へ出て行った。半七はよろけながら付いて行った。さっきの酔いがだんだん発したと見えて、彼の頬はいよいよ熱《ほて》って来た。
「旦那。店の方はこれでみんなお揃いなんですか」と半七は帳場から店の先をずらりと見渡した。四十以上の大番頭が帳場に坐って、その傍に二人の若い番頭が十露盤《そろばん》をはじいていた。ほかにもかの和吉ともう一人の中年の男が見えた。四、五人の小僧が店の先で鉄釘《かなくぎ》の荷を解いていた。
「はい。丁度みんな揃っているようでございます」と、十右衛門は帳場の火鉢のまえに坐った。
半七は店のまん中にどっかりと胡坐《あぐら》をかいて、更に番頭や小僧の顔をじろじろ見まわした。
「ねえ、大和屋の旦那。具足町で名高けえものは、清正公《せいしょうこう》様と和泉屋だという位に、江戸中に知れ渡っている御大家《ごたいけ》だが、失礼ながら随分不取締りだと見えますね。ねえ、そうでしょう。主《しゅう》殺しをするような太てえ奴らに、飯を食わして給金をやって、こうして大切に飼って置くんだからね」
店の者はみんな顔をみあわせた。十右衛門も少し慌てた。
「もし、親分。まあ、お静かに……。この通り往来に近うございますから」
「誰に聞えたって構うもんか。どうせ引廻しの出る家《うち》だ」と、半七はせせら笑った。「やい、こいつら。よく聞け。てめえたちは揃いも揃って不埒な奴だ。主殺しを朋輩に持っていながら、知らん顔をして奉公しているという法があると思うか。ええ、嘘をつけ。このなかに主殺しの磔刑《はりつけ》野郎がいるということは、俺がちゃんと知っているんだ。多寡《たか》が守っ子見たような小女一人のいきさつから、大事の主人を殺すような、そんな心得ちげえの大それた野郎をこれまで飼って置いたのがそもそもの間ちげえで、ここの主人もよっぽどの明きめくらだ。おれが御歳暮に寒鴉《かんがらす》の五、六羽も絞めて来てやるから、黒焼きにして持薬にのめとそう云ってやれ。もし、大和屋の旦那。おめえさんの眼玉もちっと陰《くも》っているようだ。物置へ行って、灰汁《あく》で二、三度洗って来ちゃあどうだね」
何をいうにも相手が悪い、しかも酒には酔っている。手の着けようがないので、ただ黙って聴いていると、半七は調子に乗って又|呶鳴《どな》った。
「だが、おれに取っちゃあ仕合わせだ。ここで主殺しの科人《とがにん》を引っくくっていけば、八丁堀の旦那方にも好い御歳暮が出来るというもんだ。さあ、こいつ等、いけしゃあしゃあとした面《つら》をしていたって、どの鼠が白いか黒いか俺がもう睨んでいるんだ。てめえ達の主人のような明きめくらだと思うと、ちっとばかり的《あて》が違うぞ。いつ両腕がうしろへ廻っても、決しておれを怨むな。飛んだ梅川の浄瑠璃で、縄かける人が怨めしいなんぞと詰まらねえ愚痴をいうな。嘘や冗談じゃねえ、神妙に覚悟していろ」
十右衛門は堪まらなくなって、半七の傍へおずおず寄って来た。
「もし、親分。おまえさん大分酔っていなさるようだから、まあ奥へ行ってちっとお休みなすってはどうでございます。店先であんまり大きな声をして下さると、世間へ対して、まことに迷惑いたしますから。おい、和吉。親分を奥へ御案内申して……」
「はい」と、和吉はふるえながら半七の手を取ろうすると、彼は横っ面をゆがむほどに撲《なぐ》られた。
「ええ、うるせえ。何をしやがるんだ。てめえ達のような磔刑野郎のお世話になるんじゃねえ。やい、やい、なんで他《ひと》の面を睨みやがるんだ。てめえ達は主殺しだから磔刑野郎だと云ったがどうした。てめえ達も知っているだろう。磔刑になる奴は裸馬に乗せられて、江戸じゅうを引き廻しになるんだ。それから鈴ケ森か小塚ッ原で高い木の上へ縛り付けられると、突手《つきて》が両方から槍をしごいて、科人《とがにん》の眼のさきへ突き付けて、ありゃありゃと声をかける。それを見せ槍というんだ、よく覚えておけ。見せ槍が済むと、今度はほんとうに右と左の腋の下を何遍もずぶりずぶり突くんだ」
この恐ろしい刑罰の説明を聴くに堪えないように、十右衛門は顔をしかめた。和吉も真っ蒼になった。ほかの者もみな息を嚥《の》んで、云い知れぬ恐怖に身をすくめていた。どの人も、死の宣告を受けたように、眼《ま》たたきもしないで小時《しばし》は沈黙をつづけていた。
冬の空は青々と晴れて、表の往来には明るい日のひかりが満ちていた。
四
半七はとうとうそこに酔い倒れてしまった。店の真ん中に寝そべっていられては甚だ迷惑だとは思ったが、誰も迂濶《うかつ》にさわることは出来なかった。
「まあ、仕方がない。ちっとの間、そうして置くが好い」
十右衛門は奥へはいって、主人夫婦と何か話していた。店のものは思い思いに自分の受け持ちの用向きに取りかかった。やがて小半刻《こはんとき》も経ったかと思うと、今まで眠っているように見せかけていた半七は、俄かに起き上がった。
「ああ、酔った。台所へ行って水でも飲んで来よう。なに、おかまいなさるな。わっしが自分で行きます」
半七は台所へ行かずにまっすぐに奥へまわった。中庭の縁からひらりと飛び降りて、大きい南天の葉の蔭に蛙のように腹這って隠れていた。それから少し間を置いて、和吉の姿がおなじくこの縁先にあらわれた。彼は抜き足をしながら四畳半の障子の前に忍び寄って、内の様子を窺っているらしかった。やがて彼がそっと障子をあけた時、南天の蔭から半七が顔を出した。
障子の内では男のうるんだ声がきこえた。その声があまり低いので、半七にはよく聴き取れなかった。しまいには焦れったくなったので、彼はそろそろと隠れ場所から抜け出して、泥坊猫のように縁に這い上がった。
和吉の声はやはり低かった。しかも涙にふるえているらしかった。
「ねえ。今も云う通りのわけで、わたしは若旦那を殺した。それもみんなお前が恋しいからだ。わたしは一度も口に出したことはなかったが、とうからお前に惚《ほ》れていたんだ。どうしてもお前と夫婦になりたいと思い詰めていたんだ。そのうちにお前は若旦那と……。そうして、近いうちに表向き嫁になると……。わたしの心持はどんなだったろう。お冬どん、察しておくれ。それでも私はおまえを憎いとは思わない。今でも憎いとは思っていない。唯むやみに若旦那が憎くってならなかった。いくら御主人でももう堪忍ができないような気になって、わたしは気が狂ったのかも知れない……今度の年忘れの芝居をちょうど幸いに、日蔭町から出来合いの刀を買って来て、幕のあく間ぎわにそっと掏り替えておくと、それが巧く行って……。それでも若旦那が血だらけになって楽屋へかつぎ込まれた時には、わたしも総身に冷水《みず》を浴びせられたように悚然《ぞっ》とした。それから若旦那がいよいよ息を引き取るまで二日二晩の間、わたしはどんなに怖い思いをしたろう。若旦那の枕もとへ行くたびに、わたしはいつもぶるぶる震えていた。それでも若旦那がいなくなれば、遅かれ速かれおまえは私の物になると……。それを思うと、嬉しいが半分、苦しいが半分で、きょうまで斯《こ》うして生きて来たが……。ああ、もういけない。あの岡っ引はさすがに商売で、とうとう私に眼をつけてしまったらしい」
彼が死んだような顔をして身をおののかしているのが、障子の外からも想像された。和吉は鼻をつまらせながら又語りつづけた。
「岡っ引は店へ来て、酔っ払っている振りをして、主殺しがこの店にいると呶鳴った。そうして、当てつけらしく磔刑《はりつけ》の講釈までして聴かせるので、私はもうそこに居たたまれなくなった位だ。そういう訳だから私はもう覚悟を決めてしまった。ここの店から縄付きになって出て、牢へ入れられて、引き廻しになって、それから磔刑になる。そんな恐ろしい目に逢わないうちに……わたしは一と思いに死んでしまうつもりだ。くどくも云う通り、わたしは決してお前を怨んじゃあいない。けれどもお前という者のために、わたしが斯うなったと思ったら……勿論お前から云ったら、若旦那を殺した仇だとも思うだろうけれど、わたしの心持も少しは察して、どうぞ可哀そうだと思っておくれ。若旦那を殺したのはわたしが悪い。私があやまる。その代りに私が死んだあとでは、せめて御線香の一本も供えておくれ。それが一生のお願いだ。ここに給金の溜めたのが二両一分ある。これはみんなお前にあずけて行くから」
声はいよいよ陰って低くなったので、それから後はよく判らなかったが、お冬のすすり泣きをする声もおりおりに聞えた。石町《こくちょう》の八ツ(午後二時)の鐘が響いた。それに驚かされたように、障子の内では人の起ちあがる気配がしたので、半七は再び南天の繁みに隠れると、縁をふむ足音が力なくきこえて、和吉は縁づたいにしょんぼりと影のように出て行った。泥足をはたいて半七は縁に上がった。
それから再び店へ行ってみると、和吉の姿はここに見えなかった。帳場の番頭を相手にしばらく世間話をしていたが、和吉はやはり出て来なかった。
「時に和吉さんという番頭はさっきから見えませんね」と、半七は空とぼけて訊いた。
「さあ、どこへ行きましたかしら」と、大番頭も首をかしげていた。「使に出たはずもないんですが……。なんぞ御用ですか」
「いえ、なに。だが、外へでも出た様子だかどうだか、ちょいと見て来てくれませんか」
小僧は奥へはいったが、やがて又出て来て、和吉は奥にも台所にも見えないと云った。
「それから大和屋の旦那はまだおいでですか」と、半七はまた訊いた。
「へえ。大和屋の旦那はまだ奥にお話をしていらっしゃいますようで……」
「わたしがちょっとお目にかかりたいと、そう云ってくれませんか」
襖を閉め切った奥の居間には、主人夫婦と十右衛門とが長火鉢を取り巻いて、昼でも薄暗い空気のなかに何かひそひそ相談をしていた。おかみさんは四十前後の人品の好い女で、眉のあとの薄いひたいを陰らせていた。半七はその席へ案内された。
「もし、旦那。若旦那のかたきは知れました」と、半七は小声で云った。
「え」と、こっちへ向いた三人の眼は一度に輝いた。
「お店の人間ですよ」
「店の者……」と、十右衛門は一と膝乗り出して来た。「じゃあ、さっきお前さんがあんなことを云ったのはほんとうなんですか」
「酔った振りしてさんざん失礼なことを申し上げましたが、科人《とがにん》はお店の和吉ですよ」
「和吉が……」
三人は半信半疑の眼を見あわせているところへ、女中の一人があわただしく転《ころ》げ込んで来た。何かの用があって裏の物置へはいると、そこに和吉が首を縊《くく》って死んでいたというのであった。
「首を縊るか、川へはいるか、いずれそんなことだろうと思っていました」と、半七は溜息をついた。「さっき大和屋の旦那からいろいろのお話を伺っているうちに、若旦那とお冬どんのことが耳に止まりました。それから芝居のときに若旦那と同じ部屋にいたという和吉のことが気になりました。若旦那とお冬どんと和吉と、この三人を結びつけると、どうしても何か色恋のもつれがあるらしく思われましたから、まずお冬どんに逢ってそれとなく訊いて見ますと、和吉が親切にたびたび見舞に来てくれるという。いよいよおかしいと思いましたから、店へ行ってわざと聞けがしに呶鳴りました。大和屋の旦那はさぞ乱暴なやつだとも思召《おぼしめ》したでしょうが、正直のところ、わたくしは店のためを思いましたので……。私が彼奴を縛って行くのは雑作《ぞうさ》もありませんが、あいつが入牢《じゅろう》して吟味をうける。兇状が決まって江戸じゅうを引き廻しになる。吟味中もいろいろの引き合いでこちらが御迷惑をなさるでしょうし、第一ここのお店から引き廻しの科人が出たと云われちゃあ、お店の暖簾《のれん》に疵が付きましょうし、自然これからの御商売にも障るだろうからと存じましたから、どうかして彼奴を縄付きにしたくない。あいつとても引き廻しや磔刑《はりつけ》になるよりも、いっそ一と思いに自滅した方がましだろうと思いましたので、わざとああ云って嚇《おど》かしてやったんです。もう一つには、わたくしも確かに彼奴と見極めるほどの立派な証拠を握ってはいないんですから、まあ手探りながら無暗にあんなことを云って見たんで……。もし、まったく本人に何の覚えもないことならば、ほかの人達と同じように唯聞き流してしまうでしょうし、もし覚えのあることならば、とてもじっとしてはいられまいと、こう思ったのが巧く図にあたって、あいつもとうとう覚悟を決めたんです。詳しいことはお冬どんからお聴きください」
三人は唾《つば》を嚥《の》んで聴いていた。
「半七さん。いや、恐れ入りました」と、十右衛門は先ず口を切った。「科人を縛るのがお前さんのお役でありながら、自分の手柄を捨ててこの家の暖簾に疵を付けまいとして下すった。そのお礼はなんと申していいか、それに甘えてもう一つのお願いは、どうかこれを表向きにしないで、和吉は飽くまでも乱心ということにして……」
「よろしゅうございます。親御さんや御親類の身になったら、逆《さか》磔刑にしても飽き足らねえと思召すでもございましょうが、どんなむごい仕置きをしたからと云って、死んだ若旦那が返るという訳でもございませんから、これも何かの因縁と思召して、和吉の後始末はまあ好いようにしてやって下さいまし」
「重ね重ねありがとうございます」
「だが、旦那、このことは無論内分にいたしますが、江戸中にたった一人、正直に云って聞かせなけりゃあならない者がございますから、それだけは最初からお断わり申して置きます」と、半七は男らしく云った。
「江戸じゅうに一人」と、十右衛門は不思議そうな顔をした。
「この席じゃあちっと申しにくいことですが、下谷にいる文字清という常磐津の師匠です」
和泉屋の夫婦は顔をみあわせた。
「あの女も今度のことについては、いろいろ勘違いをしているようですから、得心《とくしん》の行くように私からよく云って聞かせなけりゃあなりません」と、半七は云った。「それから余計なお世話ですが、若旦那のお達者でいるあいだは又いろいろ御都合もございましたろうが、もう斯《こ》うなりました上は、あの女にもお出入りを許してやって、ちっとは御面倒を見てやって下さいまし。あの年になっても亭主を持たず、だんだん年は老《と》る、頼りのない女は可哀そうですからねえ」
半七にしみじみ云われて、おかみさんは泣き出した。
「まったくわたしが行き届きませんでした。あしたにも早速たずねて行って、これからは姉妹《きょうだい》同様に附き合います」
「すっかり暗くなりました」
半七老人は起って頭の上の電燈をひねった。
「お冬はその後も和泉屋に奉公していまして、それから大和屋の媒妁《なこうど》で、和泉屋の娘分ということにして浅草の方へ縁付かせました。文字清も和泉屋へ出入りをするようになって、二、三年の後に師匠をやめて、やはり大和屋の世話で芝の方へ縁付きました。大和屋の主人は親切な世話好きの人でした。
和泉屋は妹娘のお照に婿を取りましたが、この婿がなかなか働き者で、江戸が東京になると同時に、すばやく商売替えをして、時計屋になりまして、今でも山の手で立派に営業しています。むかしの縁で、わたくしも時々遊びに行きますよ。
八笑人でもお馴染みの通り、江戸時代には素人のお座敷狂言や茶番がはやりまして、それには忠臣蔵の五段目六段目がよく出たものでした。衣裳や道具がむずかしくない故《せい》もありましたろう。わたくしもよんどころない義理合いで、幾度も見せられたこともありましたが、この和泉屋の一件があってから、不思議に六段目が出なくなりました。やっぱり何だか心持がよくないと見えるんですね」
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湯屋の二階
一
ある年の正月に私はまた老人をたずねた。
「おめでとうございます」
「おめでとうございます。当年も相変りませず……」
半七老人に行儀正しく新年の寿を述べられて、書生流のわたしは少し面食らった。そのうちに御祝儀の屠蘇《とそ》が出た。多く飲まない老人と、まるで下戸《げこ》の私とは、忽ち春めいた顔になってしまって、話はだんだんはずんで来た。
「いつものお話で何か春らしい種はありませんか」
「そりゃあむずかしい御註文だ」と、老人は額《ひたい》を撫でながら笑った。「どうで私どもの畑にあるお話は、人殺しとか泥坊とかいうたぐいが多いんですからね。春めいた陽気なお話というのはまことに少ない。しかし私どもでも遣《や》り損じは度々ありました。われわれだって神様じゃありませんから、なにから何まで見透しというわけには行きません。したがって見込み違いもあれば、捕り損じもあります。つまり一種の喜劇ですね。いつも手柄話ばかりしていますから、きょうはわたくしが遣り損じた懺悔話をしましょう。今かんがえると実にばかばかしいお話ですがね」
文久三年正月の門松も取れて、俗に六日年越しという日の暮れ方に、熊蔵という手先が神田三河町の半七の家《うち》へ顔を出した。熊蔵は愛宕《あたご》下で湯屋を開いていたので、仲間内では湯屋熊と呼ばれていた。彼はよほど粗忽《そそっ》かしい男で、ときどきに飛んでもない間違いや出鱈目《でたらめ》を報告するので、湯屋熊のほかに、法螺熊《ほらくま》という名誉の異名を頭に戴いていた。
「今晩は……」
「どうだい、熊。春になっておもしれえ話もねえかね」
半七は長火鉢の前で訊いた。
「いや、実はそれで今夜上がったんですが……。親分、ちっと聞いてお貰い申してえことがあるんです」
「なんだ。又いつもの法螺熊じゃあねえか」
「どうして、どうして、こればかりは決して法螺《ほら》のほの字もねえんで……」と、熊蔵はまじめになって膝を揺り出した。「去年の冬、なんでも霜月の中頃からわっしの家の二階へ毎日遊びに来る男があるんです。変な奴でしてね、どう考えてもおかしな奴なんです」
三馬の浮世風呂を読んだ人は知っているであろう。江戸時代から明治の初年にかけては大抵の湯屋に二階があって、若い女が茶や菓子を売っていた。そこへ来て午睡《ひるね》をする怠け者もあった。将棋を差している閑人《ひまじん》もあった。女の笑顔が見たさに無駄な銭を遣いにくる道楽者もあった。熊蔵の湯屋にも二階があって、お吉という小綺麗な若い女が雇われていた。
「ねえ、親分。それが武士《さむれえ》なんです。変じゃありませんか」
「変でねえ、あたりまえだ」
武士が銭湯に入浴する場合には、忌《いや》でも応でも一度は二階へあがって、まず自分の大小をあずけて置いて、それから風呂場へ行かなければならなかった。湯屋の二階には刀掛けがあった。
「けれども、毎日欠かさずに来るんですぜ」
「勤番者《きんばんもの》だろう。お吉に思召《おぼしめ》しでもあるんだろう」と、半七は笑った。
「だって、おかしいじゃありませんか。まあ聴いておくんなせえ。去年の冬からかれこれもう五十日も毎日つづけて来るんですぜ。大晦日《おおみそか》でも、元日でも、二日でも……。なんぼ勤番者だって、屋敷者が元日二日に湯屋の二階にころがっている。そんな理窟がねえじゃありませんか。おまけに、それが一人でねえ、大抵二人連れでやって来て、時々どこかへ出たり這入ったりして、夕方になるときっと一緒に繋がって帰って行く。それが諄《くど》くもいう通り、暮も正月もお構いなしに、毎日続くんだから奇妙でしょう。どう考えてもこりゃあ尋常の武士じゃありませんぜ」
「そうよなあ」と、半七は少しまじめになって考えはじめた。
「どうです。親分はそいつ等をなんだと思います」
「偽者《にせもの》かな」
「えらい」と、熊蔵は手を拍《う》った。「わっしもきっとそれだと睨んでいるんです。奴らは武士の振りをして何か仕事をしているに相違ねえんです。で、昼間は私の家の二階にあつまって、何かこそこそ相談をして置いて、夜になって暴《あら》っぽいことをしやがるに相違ねえと思うんだが、どうでしょう」
「そんなことかも知れねえ。その二人はどんな奴らだ」
「どっちも若けえ奴で……。一人の野郎は二十二三で色の小白い、まんざらでもねえ男っ振りです。もう一人もおなじ年頃の、片方よりは背の高い、これもあんまり安っぽくねえ野郎です。相当に道楽もした奴らだとみえて、茶代の置きっ振りも悪く無し、女を相手に鰯や鯨の話をしているほどの国者《くにもの》でも無し、実はお吉なんぞはその色の小白い方に少し≪ぽう≫と来ているらしいんで……。呆れるじゃありませんか。それですから奴らが二階でどんな相談をしているか、お吉に訊いてもどうも正直に云わねえようです。私がきょうそっと階子《はしご》の中途まで昇って行って、奴らがどんな話をしているかと、耳を引っ立てていると、一人の奴が小さい声で、『無暗に斬ったりしてはいけない。素直に云うことを肯《き》けばよし、ぐずぐず云ったら仕方がない、嚇かして取っ捉まえるのだ』と、こう云っているんです。ねえ、どうです。これだけ聞いても碌な相談でないことは判ろうじゃありませんか」
「むむ」と、半七はまた考えた。
黒船の帆影が伊豆の海を驚かしてから、世の中は漸次《しだい》にさわがしくなった。夷狄《いてき》を征伐する軍用金を出せとか云って、富裕《ものもち》の町家を嚇してあるく一種の浪人組が近頃所々に徘徊する。しかも、その中にほんとうの浪人は少ない。大抵は質《たち》の悪い御家人どもや、お城坊主の道楽息子どもや、或いは市中の無頼漢《ならずもの》どもが、同気相求むる徒党を組んで、軍用金などという体裁の好い名目《みょうもく》のもとに、理不尽の押借りや強盗を働くのである。熊蔵の二階を策源地としているらしい彼《か》の二人の怪しい武士も、或いはその一類ではないかと半七は想像した。
「じゃあ、なにしろ明日《あした》おれが見とどけに行こうよ」
「お待ち申しています。午《ひる》ごろならば奴らも間違いなく来ていますから」と、熊蔵は約束して帰った。
あくる朝は七草|粥《がゆ》を祝って、半七は出がけに八丁堀同心の宅へ顔を出すと、世間がこのごろ物騒がしいに就いて火付盗賊改めが一層厳重になった、その積りで精々御用を勤めろという注意があった。これが半七を刺戟して、いよいよ彼の注意を熊蔵の二階に向けさせた。彼がそれからすぐに愛宕下の湯屋へ急いで行ったのは朝の四ッ半(十一時)頃で、往来には遅い回礼者がまだ歩いていた。獅子の囃子《はやし》も賑やかにきこえた。
裏口からそっとはいると、熊蔵は待っていた。
「親分、ちょうど好い処です。一人の野郎は来ています。なんでも湯にへえっているようです」
「そうか。それじゃあ俺も一ッ風呂泳いで来ようか」
半七は更に表へ廻って、普通の客のように湯銭を払ってはいると、まっ昼間の銭湯はすいていた。武者絵を描いた柘榴口《ざくろぐち》のなかで都々逸の声は陽気らしくきこえたが、客は四、五人に過ぎなかった。半七は一と風呂あたたまるとすぐに揚がって来て、着物を肌に引っ掛けたままで二階へあがると、熊蔵もあとからそっと付いて来た。
「あの、水槽《みずぶね》に近いところにいた奴だろう」と、半七は茶を飲みながら訊いた。
「そうです、あの若けえ野郎です」
「あれは偽者じゃあねえ」
「ほんとうの武士《さむれえ》でしょうか」
「足を見ろ」
武士は常に重い大小をさしているので、自然の結果として左の足が比較的に発達している。足首も右より大きい。裸でいるところを見届けたのだから間違いはないと半七は云った。
「じゃあ、御家人でしょうか」
「髪の結いようが違う。やっぱり何処かの藩中だろう」
「なるほど」と、熊蔵はうなずいた。「そこで親分。きょうは彼奴《あいつ》らが何だか風呂敷包みのようなものを重そうに抱えて来て、お吉に預けている処をちらりと見たんですが。ちょいと検《あらた》めて見ましょうか」
「そういえば、お吉は見えねえようだが、どうした」
「今時分は閑《ひま》なもんだから、子供のように表へ獅子舞を見に行ったんですよ。ちょうど誰もいねえから一応あらためて置きましょう。又どんな手がかりが見付からねえとも限りませんから」
「そりゃあそうだ」
「なんでもお吉が受け取って、貸し切りの着物棚のなかへ押し込んだようでしたが……。まあ、お待ちなせえ」と、熊蔵はそこらの戸棚を探して、一つの風呂敷包みを持ち出して来た。濃い藍染めの風呂敷をあけると、中には更に萠黄の風呂敷につつんだ二個の箱のようなものが這入っていた。
「ちょいと下を見てきますから」
熊蔵は階子《はしご》を降りて、又すぐに昇って来た。
「あいつがもし湯から揚がったら、咳払いをして知らせるように、番台の奴に云いつけて置きましたから大丈夫です」
二重につつんだ風呂敷の中からは、一種の溜め塗りのような古い箱が二個あらわれた。箱は能楽の仮面《めん》を入れるようなもので、底から薄黒い平打ちの紐《ひも》をくぐらせて、蓋《ふた》の上で十文字に固く結んであった。幾分の好奇心も手伝って、熊蔵は急いでその一つの箱の紐を解いた。
蓋をあけても中身はすぐに判らなかった。中にしまってある品は、魚の皮とも油紙とも性《しょう》の得知れない薄黄色いものに固く包まれていた。
「べらぼうに厳重だな」
包みを解いて熊蔵は思わずあっと叫んだ。ふたりの眼の前に現われたものは人間の首であった。併しそれは幾千百年を経過したか容易に想像することを許さないほどに枯れ切った古い首で、皮膚の色は腐った木の葉のように黒く黄ばんでいた。半七や熊蔵の眼には、それが男か女かすらも殆ど判断が付かなかった。
二人は息を嚥《の》んで、この奇怪な首をしばらく見つめていた。
二
「親分。こりゃあ何でしょう」
「判らねえ。なにしろ、そっちの箱を明けてみろ」
熊蔵は無気味そうに第二の箱をあけると、その中からも油紙のようなものに鄭重に包まれた一個の首が転げ出した。併しそれは人間の首でなかった。短い角《つの》と大きい口と牙とをもっていて、龍とも蛇とも判断が付かないような一種奇怪な動物の頭であった。これも肉は黒く枯れて、木か石のように固くなっていた。
奇怪な発見がこんなに続いて、二人は少なからずおびやかされた。
熊蔵は彼を香具師《やし》だろうと云った。得体のわからない人間の首を持ちあるいて、見世物の種にでもするのだろうと解釈した。しかし飽くまでも彼を武士と信じている半七は、素直にその説を受け入れることが出来なかった。それならば彼はなんの為にこんなものを抱え歩いているのだろう。しかも何故それを湯屋の二階番の女などに軽々しく預けて置くのであろう。この二品は一体なんであろう。半七の知恵でこの謎を解こうとするのは頗《すこぶ》る困難であった。
「こいつあいけねえ、ちょっとはなかなか判らねえ」
番台で咳払いをする声がきこえたので、二階の二人はあわててこの疑問の二品を箱へしまって、着物戸棚へ元のように押し込んで置いた。獅子の囃子も遠くなって、お吉は外から帰って来た。武士も濡れ手拭をさげて二階へ昇って来た。半七は素知らぬ顔をして茶を飲んでいた。
お吉は半七の顔を識っていたので、武士にそっと注意したらしい。彼は隅の方に坐ったままで何も口を利かなかった。熊蔵は半七の袖をひいて、一緒に下へ降りて来た。
「お吉が変な目付きをしたんで、野郎すっかり固くなって用心しているようだから、きょうはとても駄目だろう」と、半七は云った。
熊蔵はいまいましそうにささやいた。「なにしろ、あの二品をどうするか、私がよく気をつけています」
「もう一人の奴というのはまだ来ねえんだね」
「きょうはどうしたか遅いようですよ」
「なにしろ気をつけてくれ、頼むぜ」
半七はそれから赤坂の方へ用達《ようたし》に廻った。初春の賑やかな往来をあるきながらも、彼は絶えずこの疑問の鍵をみいだすことに頭を苦しめたが、どうも右から左に適当な判断が付かなかった。
「まさか魔法使いでもあるめえ。あんな物を持ち廻って、何か祈祷か呪《まじな》いでもするか、それとも御禁制の切支丹か」
黒船以来、宗門改めも一層厳重になっている。もしかれらが切支丹宗門の徒であるとすれば、これも見逃がすことは出来ない。どっちにしても眼を放されない奴らだと半七はかんがえていた。赤坂から家へ帰って、その晩は無事に寝る。と、あくる朝のまだ薄暗いうち、かの湯屋熊が又飛び込んで来た。
「親分、大変だ。大変だ。あいつらがとうとう遣りゃがった。こっちの手遅れで口惜しいことをしてしまった」
熊蔵の報告によると、ゆうべ同町内の伊勢屋という質屋へ浪人風の二人組の押し込みがはいって、例の軍用金を云い立てに有り金を出せと云った。こっちで素直に渡さなかったので、かれらは大刀をふり廻して主人と番頭に手を負わせた。そうして、そこらに有合わせた金を八十両ほど引っさらって行った。覆面していたから判然《はっきり》とは判らないが、かれらの人相や年頃が彼《か》の二人の怪しい武士に符合していると、熊蔵は付け加えた。
「どうしても彼奴らですよ。わっしの二階を足|溜《だま》りにして奴らはそこらを荒して歩くつもりに相違ありませんぜ。早く何とかしなけりゃあなりますめえ」
「そいつは打捨《うっちゃ》って置けねえな」と、半七も考えていた。
「打捨って置けませんとも……。そのうちに他《よそ》から手でも着けられた日にゃあ、親分ばかりじゃねえ、この湯屋熊の面《つら》が立ちませんからね」
そう云われると、半七も落ち着いていられなくなった。自分が一旦手を着けかけた仕事を、ほかの者にさらって行かれるのは如何にも口惜しい。と云って、無証拠のものを無暗に召捕るわけには行かなかった。まして相手は武士である。迂濶《うかつ》に手を出して、飛んだ逆捻《さかねじ》を食ってはならないとも思った。
「なにしろ、おめえは家へ帰って、その武士《さむれえ》がきょう来るかどうだか気をつけろ。おれも支度をしてあとから行く」
熊蔵を帰して、半七はすぐに朝飯を食った。それから身支度をして愛宕下へ出かけて行ったが、その途中に少し寄り道をする用があるので、日蔭町の方へ廻ってゆくと、会津屋という刀屋の前に一人の若い武士が腰を掛けて、なにか番頭と掛け合っているらしかった。ふと見ると、その武士はきのう湯屋の二階で初めて出逢った怪しい箱の持ち主であった。
半七は立ち停まってじっと視ていると、武士はやがて番頭から金をうけ取って、早々にこの店を出て行った。すぐにその後を尾《つ》けようかとも思ったが、なにか手がかりを探り出すこともあろうと、彼は引っ返して会津屋の店へはいった。
「お早うございます」
「神田の親分、お早うございます」
番頭は半七の顔を識っていた。
「春になってから馬鹿に冷えますね」と、半七は店に腰をかけた。「つかねえことを訊き申すようだが、今ここを出た武家はお馴染《なじみ》の人ですかえ」
「いいえ、初めて見えた方です。こんなものを持ち歩いて、そこらで二、三軒ことわられたそうですが、とうとう私の家へ押し付けて行ってしまったんですよ」と、番頭は苦笑いをしていた。その傍には何か油紙に包んだ硬《こわ》ばった物が横たえてあった。
「何ですえ、それは……」
「こんなもので……」
油紙をあけると、そのなかから薄黒い泥まぶれの魚のようなものが現われた。それは刀の柄《つか》や鞘を巻く泥鮫であると番頭が説明した。
「鮫の皮ですか。こうして見ると、随分きたないもんですね」
「まだ仕上げの済まない泥鮫ですからね」と、番頭はそのきたない鮫の皮を打返して見せた。
「御承知の通り、この鮫の皮はたいてい異国の遠い島から来るんですが、みんな泥だらけのまま送って来て、こっちで洗ったり磨いたりして初めてまっ白な綺麗なものになるんですが、その仕上げがなかなか面倒でしてね。それに迂濶《うっかり》するとひどい損をします。なにしろこの通り泥だらけで来るんですから、すっかり仕上げて見ないうちは、傷があるか血暈《ちじみ》があるか能く判りません。傷はまあ好いんですが、血暈という奴がまことに困るんです。なんでも鮫を突き殺した時に、その生血《なまち》が皮に沁み着くんだそうですが、これが幾ら洗っても磨いても脱《ぬ》けないので困るんです。まっ白な鮫の肌に薄黒い点が着いていちゃあ売物になりませんからね。勿論そういうものは漆《うるし》をかけてごまかしますが、白鮫にくらべると半分値にもなりません。十枚も束《たば》になっている中には、きっとこの血暈のある奴が三、四枚ぐらい混《まじ》っていますから、こっちもそのつもりで平均の値で引き取るんですが、どうしても仕上げて見なければ、その血暈が見付からないんだから困ります」
「成程ねえ」と半七も感心したようにうなずいてみせた。この薄ぎたない鮫の皮が玉のように白く美しい柄巻になろうとは、素人にちょっと思い付かないことであった。
「あのお武家が、これを売りに来たんですかえ」と、半七は鮫の皮を打ち返して見た。
「長崎の方で買ったんだそうで、相当の値段に引き取ってくれという掛け合いなんです。わたしの方も商売ですから引き取ってもいいんですが、いくらお武家でも素人の持って来たものは何だか不安ですし、おまけにこのとおりの泥鮫で、たった一枚というんですから、もし血暈でも付いている奴を背負い込んだ日にゃ迷惑ですからね。まあ一旦は断わったんですが、幾らでもいいからと頻りに口説かれて、とうとう廉《やす》く引き取るようなことになりまして……。あとで主人に叱られるかも知れません。へへへへへ」
余程ひどく踏み倒したと見えて、番頭はその引き取り値段を云わなかった。半七の方でも訊かなかった。それにしても彼《か》の武士が持って来るものは、どれもこれも変なものばかりである。第一に干枯《ひから》びた人間の首、奇怪な動物の頭、それからこのきたない泥鮫の皮……。どうしてもこれには仔細がありそうに思われた。
「いや、どうもお邪魔をしました」
小僧が汲んで来た番茶を一杯飲んで、半七は会津屋の店を出た。それからすぐに愛宕下の湯屋へゆくと、熊蔵は待ち兼ねたように飛び出して来た。
「親分、きのうの若けえ野郎は先刻《さっき》ちょいと来て、又すぐに出て行きましたよ」
「なにか抱えていやしなかったか」
「なんだか知らねえが、長っ細い風呂敷包みを持っていましたよ」
「そうか。おれは途中でそいつに逢った。そこでもう一人の方はどうした」
「背の高い奴はきょうも来ませんよ」
「じゃあ、熊。気の毒だがその伊勢屋とかいう質屋へ行って、金のほかに何を奪《と》られたか、よく訊いて来てくれ」
こう云い置いて二階へあがると、火鉢の前にお吉がぼんやり坐っていた。半七が二日もつづけてくるので、彼女もなんだか不安らしい眼付きをしていたが、それでも笑顔を粧《つく》って愛想よく挨拶した。
「親分、いらっしゃいまし。どうもお寒うございますこと」
茶や菓子を出して頻りにちやほやするのを、半七は好い加減にあしらいながら先ず煙草を一服すった。それから毎日邪魔をするからと云って幾らかの銀《かね》を包んでやった。
「毎度ありがとうございます」
「時におふくろも兄貴も達者かえ」
お吉の兄は左官で、阿母《おふくろ》はもう五十を越しているということを半七は識っていた。
「はい、おかげさまで、みんな達者でございます」
「兄貴はまだ若いから格別だが、阿母はもう好い年だそうだ。むかしから云う通り、孝行をしたい時には親は無しだ。今のうちに親孝行をたんとしておくがいいぜ」
「はい」と、お吉は顔を紅《あか》くして俯向いていた。
それがなんだか恥かしいような、気が咎《とが》めるような、おびえたような風にも見えたので、半七も畳みかけて冗談らしくこう云った。
「ところが、この頃はちっと浮気を始めたという噂だぜ。ほんとうかい」
「あら、親分……」と、お吉はいよいよ顔を紅くした。
「でも、去年から遊びにくる二人連れの武士《さむれえ》の一人と、おめえが大変心安くすると云って、だいぶ評判が高けえようだぜ」
「まあ」
「何がまあだ。そこでお前に訊きてえのは他《ほか》じゃねえ。あのお武士衆《さむれえしゅ》は一体どこのお屋敷だえ。西国《さいこく》の衆らしいね」
「そんな話でございますよ」と、お吉はあいまいな返事をしていた。
「それからおめえ気の毒だが、そのうちに番屋へちょいと来てもらうかも知れねえから、そのつもりでいてくんねえよ」
嚇《おど》すように云われて、お吉はまたおびえた。
「親分。なんの御用でございます」
「あの二人の武士に就いてのことだが、それとも番屋まで足を運ばねえで、ここで何もかも云ってくれるかえ」
お吉はからだを固くして黙っていた。
「え、あの二人の商売はなんだえ。いくら勤番者だって、暮も正月も毎日毎日湯屋の二階にばかり転がっている訳のものじゃあねえ。何かほかに商売があるんだろう。なに、知らねえことはねえ。おめえはきっと知っている筈だ。正直に云ってくんねえか。一体あの戸棚にあずかってある箱はなんだえ」
紅い顔を水色に染めかえて、お吉はおどおどしていた。
三
こんな商売をしていながら、割合に人|摺《ず》れのしていないお吉は、半七に嚇されてもう息も出ないくらい顫え上がっていた。しかし彼《か》の武士たちの身許《みもと》はどうしても知らないと云った。なんでも麻布辺にお屋敷があるということだけは聞いているが、そのほかにはなんにも知らないと強情を張っていた。それでも半七に嚇《おど》したり賺《すか》したりされた挙句に、お吉はようようこれだけのことを吐いた。
「なんでもあの人達は仇討《かたきうち》に出ているんだそうでございます」
「かたき討……」と半七は笑い出した。「冗談じゃあねえ。芝居じゃああるめえし、今どきふたり揃って江戸のまん中で仇討もねえもんだ。だが、まあいいや、かたき討なら仇討として置いて、あの二人の居どこはまったく知らねえんだね」
「まったく知りません」
この上に責めても素直に口を開きそうもないので、半七もしばらく考えていると、熊蔵が階子《はしご》のあがり口から首を出してあわただしく呼んだ。
「親分。ちょいと顔を貸しておくんなせえ」
「なんだ。そうぞうしい」
わざと落ち着き払って、半七は階子を降りてゆくと、熊蔵は摺り寄ってささやいた。
「伊勢屋じゃあ金のほかに、べんべら物を三枚と鮫の皮を五枚|奪《と》られたそうです」
「鮫の皮……」と、半七は胸を躍らせた。「それは泥鮫か、仕上げの皮か」
「さあ、そりゃあ訊いて来ませんでしたが……。もう一遍きいて来ましょうか」
熊蔵は又急いで出て行った。やがて引っ返して来て、それはみな磨きの白い皮で、露月町の柄巻師から質に取ったものだと報告した。泥鮫でないと聞いて、半七はすこし的《あて》がはずれた。彼はゆうべ伊勢屋へ押し込んだ浪人者と、きょう泥鮫を売りに来た武士とを、結びつけて考えることが出来なくなってしまった。
「どうも判らねえ」
なにしろもう午《ひる》に近くなったので、半七は熊蔵を連れて近所へ飯を食いに行った。
「あのお吉の奴は、よっぽどあの武士《さむれえ》の一人にござっているらしいな」と、半七は笑いながら云った。
「そうです。そうです。それですからどうも巧く行かねえんですよ。あいつ思うさま嚇かしてやりましょうか」
「いや、おれも好い加減おどかして置いたから、もうたくさんだ。あんまり嚇かすと却って碌なことはしねえもんだ。まあ、もう少し打っちゃって置け」
二人は銜《くわ》え楊枝で帰って来ると、一人の若い武士が湯屋の暖簾をくぐって出るのを遠目に見つけた。彼はさっき日蔭町へ泥鮫を売りに行った武士に相違なかった。彼は萠黄の風呂敷につつんだ一個の箱のようなものを大事そうに抱えているらしかった。
「あ、野郎が来ましたよ。あの箱を一つ抱え出したらしゅうがすぜ」と、熊蔵は眼をひからして伸び上がった。
「ちげえねえ。すぐ尾《つ》けてみろ」
「よがす」
熊蔵はすぐに彼のあとを尾けて行った。半七は引っ返して湯屋にはいって、念のために二階にあがって見ると、お吉の姿がいつの間にか消えていた。更に戸棚をあらためると、かの怪しい二つの箱も見えなかった。
「みんな持ち出してしまいやあがったな」
二階を降りて来て番台の男に訊くと、お吉はたった今階子を降りて奥へ行ったらしいと云うので、半七もつづいて奥へ行った。釜の下を焚《た》いている三助の話によると、お吉はちょいとそこまで行って来ると云って、そそくさと表へ出て行ったとのことであった。
「なにか抱えていやしなかったか」
「さあ、知りましねえ」
山出しの三助はぼんやりしていて何も気がつかなかったのである。半七は思わず舌打ちした。自分達が飯を食いに行っている間に、丁度かの武士が来たので、お吉はかれと諜《しめ》し合わせて、めいめいに秘密の箱を一つずつかかえて、裏と表から分かれ分かれに脱け出したに相違ない。一と足違いで飛んでもないどじを踏んだと、半七は自分の油断をくやんだ。
「こうと知ったら、いっそお吉の奴を引き揚げて置けばよかった」
彼はまた引っ返して、番台の男にお吉の家《うち》を訊いた。明神前の裏に住んでいると云うので、すぐにそこへ追ってゆくと、兄は仕事に出て留守であった。正直そうな母が一人で襤褸《ぼろ》をつづくっていて、お吉は今朝いつもの通りに家を出たぎりでまだ帰らないと云った。母の顔色には嘘は見えなかった。狭い家であるから何処にも隠れている様子もなかった。半七はまた失望して帰った。帰ると、やがて熊蔵も詰まらなそうな顔をして帰って来た。
「親分、いけねえ、途中で友達に出っくわして、ちょいと一と言話しているうちに、奴はどこかへか消えてしまやあがった」
「馬鹿野郎。御用の途中で友達と無駄話をしている奴があるか」
今更叱っても追っ付かないので、半七はじりじりして来た。
「泣いても笑っても今日はもう仕方がねえ。お吉の奴が家へ帰るかどうだか能く気をつけていろ。それからもう一人の武士が来たらば、今度こそしっかりと後をつけて、よくその居どこを突き留めて置け。てめえの種出しじゃあねえか、少し身を入れて働け」
その日はそのまま別れて帰ったが、なんだか疳《かん》が昂《たか》ぶって半七はその晩おちおち寝付かれなかった。明くる朝はひどく寒かった。彼はいつもの通りに冷たい水で顔を洗って家を飛び出すと、朝日のあたらない横町は鉄のように凍って、近所の子供が悪戯《いたずら》にほうり出した隣りの家の天水桶の氷が二寸ほども厚く見えた。
半七は白い息を噴きながら、愛宕下へ急いで行った。
「どうだ、熊。あれぎり変ったことはねえか」
「親分。お吉の奴は駈け落ちをしたようですよ。とうとうあれぎりで家へ帰らねえそうで、今朝おふくろが心配らしく訊きに来ましたよ」と、熊蔵は顔をしかめてささやいた。
「そうか」と、半七の額にも太い皺《しわ》が描かれた。「だが、まあ仕方がねえ。もう一日気長に網を張っていてみよう。もう一人の奴がやって来ねえとも限らねえから」
「そうですねえ」と、熊蔵は張り合い抜けがしたようにぼんやりしていた。
半七は二階にあがると、けさはお吉がいないので其処には火の気もなかった。熊蔵の女房が言い訳をしながら火鉢や茶などを運んで来た。朝のあいだは二階へあがる客もないので、半七は煙草をのみながら唯ひとりつくねんと坐っていると、春の寒さが襟にぞくぞくと沁みて来た。
「お吉の奴め、この頃は浮わついているんで、障子も碌に貼りゃあがらねえ」と、熊蔵は窓の障子の破れを見かえりながら舌打ちした。
半七は返事もしないで考えつめていた。おととい此の二階で発見した人間の首、動物の頭、きのう日蔭町で見た泥鮫の皮、それが一つに繋がって彼の頭の中を走馬燈《まわりどうろう》のようにくるくると駈け廻っていた。魔法つかいか、切支丹か、強盗か、その疑いも容易に解決しなかった。それに付けても、昨日かの武士の後を尾《つ》け損じたのが残念であった。熊蔵のようなどじを頼まずに、いっそ自分がすぐに尾けて行けばよかったなどと、今更のように悔まれた。
親分の顔色が悪いので、熊蔵も手持無沙汰で黙っていた。芝の山内の鐘がやがて四ツ(午前十時)を打った。下の格子があいたと思うと、番台の男が「いらっしゃい」と、挨拶する声につづいて、二階に合図をするような咳払いの声がきこえた。二人は顔をみあわせた。
「野郎。来たかな」と、熊蔵があわてて起って下をのぞく途端に、背の高い一人の若い武士が刀を持って階子を足早にあがって来た。
「おあがり下さいまし。毎日お寒いことでございます」と熊蔵はわざと笑顔を粧《つく》って挨拶した。
「どうぞこちらへ。けさは女が休んだものですから、二階も散らかって居ります」
「女は休んだか」と、武士は刀掛けに大小をかけながらちょっと首をひねった。そうして、
「お吉は病気かな」と、仔細ありげに訊いた。
「さあ、まだ何とも云ってまいりませんが、流行感冒《はやりかぜ》でも引いたんでございましょう」
武士は黙ってうなずいていたが、やがて着物をぬいで階子を降りて行った。
「あれが連れの奴か」と、半七が小声で訊くと、熊蔵は眼でうなずいた。
「親分、どうしましょう」
「まさか、いきなりにふん縛るわけにも行くめえ。まあ、ここへ上がって来たら、てめえがなんとか巧く云って連れの武士《さむれえ》のことを訊いてみろ。その返事次第でまた工夫もあるだろう。なにしろ相手が武士だ。無暗に振りまわされるとあぶねえから、その大小はどこへか隠してしまえ」
「そうですね。誰か加勢に呼びましょうか」
「それにも及ぶめえ。多寡が一人だ。何とかなるだろう」と、半七はふところの十手を探った。
二人は息を嚥《の》んで待ち構えた。
四
「いや、馬鹿なお話ですね」と、半七老人は笑いながらわたしに話した。
「今考えると実にばかばかしい話で、それからその武士のあがって来るのを待っていて、熊蔵がそれとなくいろいろのことを訊くと、どうもその返事が曖昧で、なにか物を隠しているらしく見えるんです。わたくしも傍から口を出してだんだん探ってみたんですが、どうも腑に落ちないことが多いんです。こっちももう焦《じ》れて来たので、とうとう十手を出しましたよ。いや、大しくじりで……。はははは。なんでも焦《あせ》っちゃいけませんね。そうすると、その武士も切羽詰まったとみえて、ようよう本音を吐いたんですが、やっぱりお吉の云った通り、その二人の武士は仇討でしたよ」
「かたき討……」と、わたしは思わず訊き返すと、半七老人はにやにや笑っていた。
「まったく仇討なんですよ。それが又おかしい。まあお聴きなさい」
半七に十手を突き付けられた武士は梶井源五郎といって、西国の某藩士であった。去年の春から江戸へ勤番に出て来て、麻布の屋敷内に住んでいたが、道楽者のかれは朋輩の高島弥七と特別に仲好くして、吉原や品川を遊びまわっていた。もうだんだんに江戸に馴れて来た彼等は、去年の十一月のはじめに同じ家中の神崎郷助と茂原市郎右衛門のふたりを誘い出して、品川のある遊女屋へ遊びに行った。その席上で神崎と茂原とが酒の上から口論をはじめたのを、梶井と高島とがともかくも仲裁してその場は無事に納まったが、神崎はやはり面白くないと見えて、すぐに帰ると云い出した。もう屋敷の門限も過ぎているのであるから、いっそ今夜は泊って帰れと、仲裁者の二人がしきりに引留めたが、どうしても帰ると強情を張った。
彼ひとりを先に帰すわけにも行かないので、結局四人が連れ立って出ることになった。高輪《たかなわ》の海岸にさしかかったのは夜の五ツ(午後八時)を過ぎた頃で、暗い海に漁船の篝火《かがりび》が二つ三つ寂しく浮かんでいた。酔いを醒ます北風が霜を吹いて、宿《しゅく》へ急ぐ荷馬の鈴の音が夜の寒さを揺り出すようにも聞えた。さっきから黙ってあるいていた神崎は、このとき一と足退がってだしぬけに刀を抜いたらしい。なにか暗いなかに光ったかと思うと、茂原はあっと云って倒れた。神崎はすぐに刀を引いて、一散走りに芝の方角へばたばたと駈けて行ってしまった。梶井と高島は呆気《あっけ》に取られて、しばらく突っ立っていた。茂原は右の肩からうしろ袈裟に斬り下げられて、ただ一刀で息が絶えていた。もうどうすることも出来ないので、二人は茂原の死骸を辻駕籠にのせ、夜ふけに麻布の屋敷までそっと運んで行った。悪場所で酔狂の口論、それが原因で朋輩を殺《あや》めるなどは重々の不埓とあって、屋敷でもすぐに神崎のゆくえを探索させたが、五日十日を過ぎても何の手がかりもなかった。茂原には市次郎という弟があって、それがすぐに兄の仇討を屋敷へ願い出た。
かたき討は許可された。しかし表向きに暇をやることはならぬ、兄の遺骨を郷里へ送る途中で仏寺に参詣し、または親戚のもとへ立ち寄ることは苦しからずというのであった。つまり仏寺に参詣とか親戚を訪問とかいう名義で、仇のゆくえを尋ねあるくことを許されたのである。弟はありがたき儀とお礼を申し上げて、兄の遺骨をたずさえて江戸を出発した。
関係者の梶井と高島とは、遊里に立入って身持よろしからずというのでお叱りを受けた。殊に当夜刃傷のみぎり、相手の神崎を取り逃がしたるは不用意の致し方とあって、厳しいお咎めを受けた。しかもその過怠として仇討の助太刀を申し付けられた。但し他国へ踏み出すことはならぬ。江戸四里四方を毎日たずねあるいて、百日のあいだに仇の在所《ありか》をさがし出せというのであった。
仇の神崎が果たして江戸に隠れているかどうかは疑問であったが、この厳命を受けた彼等は毎日|暁《あけ》六ツから屋敷を出て夕六ツまで江戸中を探し歩かなければならなかった。はじめの十日ほど正直に根好く江戸中を歩きまわっていたが、この難儀な役目には彼等もだんだんに疲れて来た。しまいには二人が相談して、毎朝いつもの時刻に屋敷の門を出ながら、そこらの水茶屋や講釈所や湯屋の二階にはいり込んで、一日をそこに遊び暮すという横着なことを考え出すようになった。きのうは浅草の盛り場へ行ったとか、きょうは本郷の屋敷町をまわったとか、屋敷の方へは好い加減の報告をして、彼等はどこかで毎日寝転んで遊んでいた。仇のありかは勿論知れよう筈はなかった。
毎日遊び歩いているのであるから、彼等もなるたけ銭《ぜに》の要らない場所を選ばなければならなかった。彼等は結局この湯屋の二階を根城《ねじろ》として、申し訳ばかりに時々そこらを出て歩いていた。そのうちに一方の高島の方は二階番のお吉と仲好くなり過ぎてしまった。仇討なんぞはあぶないからお止《よ》しなさいと、女がしきりに心配して制《と》めるようになった。
こんなことをしていた処で、仇のありかはとても知れそうもない。万一知れたところで、尋常に助太刀の務めを果たすほどのしっかりした覚悟をもっていない彼等は、時の過ぎゆくに従って自分たちの行く末を考えなければならなかった。百日の期限が過ぎて仇のゆくえが知れない暁には、自分たちの不首尾は眼に見えている。一体江戸にいるか居ないか確かに判りもしないものを、日限を切って探し出せというのが無理であるが、それも屋敷の命令であるから仕方がない。まさかに長《なが》の暇《いとま》にもなるまいとはいうものの、身持放埓とかいうような名義のもとに、国許へ追い返されるぐらいのことは覚悟しなければならない。毎日うかうかと遊んでいる間にも、この不安が重い石のように彼等の胸をおしつけていた。
「いっそおれは浪人する」と、高島は云い出した。彼のうしろにはお吉という女の影が付きまつわっていた。国へ追い返されると、もう彼女に逢えないというのを高島は恐れていた。しかし高島ほど根強い理由をもっていない梶井は、国へ返されるのを恐れながらも、さすがに思い切って浪人する気にもなれなかった。かれは独身者《ひとりもの》の高島と違って、故郷に母や兄や妹をもっていた。
「まあ、そんな短気を出すな」と、彼は高島をなだめていた。しかし今年の春になってから、高島はいよいよその決心を固めたらしく、毎朝屋敷を出るときに、自分の大事の手道具などを少しずつ抱え出して、お吉のもとへそっと運び込んでいるらしかった。そのうちに湯屋の亭主もだんだんに眼をつけ始めた。ここの亭主は岡っ引の手先であるということをお吉もささやいた。この際つまらない疑いなどを受けてはいよいよ面倒と思った彼は、もう落ち着いていられないような心持になって、女と相談してどこへか一緒に姿を隠したらしく、ゆうべは屋敷へ戻って来ないので、梶井も心配して今朝ここへ探しに来たのであった。
かたき討の理由も、駈落ちの理由も、それですっかり判った。それにしても、高島がお吉に預けて置いた疑問のふた品はなんであろう。
「あれは高島が家重代の宝物でござる」と、梶井は説明した。
豊臣秀吉が朝鮮征伐のみぎりに、高島が十代前の祖先の弥五右衛門は藩主にしたがって渡海した。その時に分捕りして持ち帰ったのが彼《か》の二品で、干枯《ひから》びた人間の首と得体の知れない動物の頭と――それは朝鮮の怪しい巫女《みこ》が、まじないや祈祷の種に使うもので、殆ど神のようにうやうやしく祀られていたものであった。余り珍らしいので持ち帰ったが、誰にもその正体は判らなかった。ともかくも一種の宝物として高島の家に伝えられていて、藩中でも誰知らぬ者もない。梶井も一度見せられたことがある。今度屋敷を立退くに就いても、まずこの奇怪な宝物をお吉にあずけて置いたものと察せられた。
泥鮫の方は梶井も知らないと云った。しかし高島の祖父という人は久しく長崎に詰めていたことがあるから、おそらくその当時に異国人からでも手に入れたものであろうとのことであった。泥鮫は金になるから売ってしまったが、他の二品は買い手もない。殊に家に伝わる宝物であるから、女と一緒にかかえて行ったものであろう。人間の首と龍の頭とを抱えて、若い男と女とは何処へさまよって行ったか。思えばおかしくもあり、哀れでもあり、実に前代未聞の道行《みちゆき》というのほかはなかった。
「今でこそ話をすれ、その時にはわたくしも引っ込みが付きませんでしたよ」と、半七老人は再び額を撫でながら云った。「なまじ十手を振り廻したり何かしただけに猶々始末が付きませんや。でも、梶井という武士も案外さばけた人で、一緒に笑ってくれましたから、まあ、まあ、どうにか納まりは付きましたよ。片方の高島という武士はそれぎり屋敷へ帰らなかったそうです。お吉も音沙汰がありませんでした。二人は道行を極めて、なんでも神奈川辺に隠れているとかいう噂もありましたが、その後どうしましたかしら。肝腎のかたき討の方は、これもどうなったか聞きませんでしたが、梶井という人は国へも追い返されないで、その後にも湯屋の二階へときどき遊びに来ました。質屋へはいった浪人はまったく別物で、それは後に吉原で御用になりました。明治になってから或る人に訊きますと、そのおかしな人間の首というのは多分|木乃伊《ミイラ》のたぐいだろうという話でしたが、どうですかねえ。なにしろ、よっぽど変なものでした」
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お化け師匠
一
二月以来、わたしは自分の仕事が忙がしいので、半七老人の家《うち》へ小半年も無沙汰をしてしまった。なんだか気になるので、五月の末に無沙汰の詫びながら手紙を出すと、すぐその返事が来て、来月は氷川《ひかわ》様のお祭りで強飯《こわめし》でも炊くから遊びに来てくれとのことであった。わたしも急に老人に逢いたくなって、そのお祭りの日に赤坂に出て行くと、途中から霧のような雨が降って来た。
「あいにく少し降って来ました」
「梅雨《つゆ》前ですからね」と、半七老人は欝陶《うっとう》しそうに空を見あげた。「今年は本祭りだというのに、困ったもんです。だがまあ、大したことはありますまいよ」
約束の通りに強飯やお煮染《にし》めの御馳走が出た。酒も出た。わたしは遠慮無しに飲んで食って、踊りの家台《やたい》の噂などをしていたが、雨はだんだん強くなるばかりで、家の老婢《ばあや》があわてて軒提灯や飾り花を引っ込めるようになって来た。町内の家台囃子の音も沈んできこえた。
「こりゃあいけない、とうとう本降りになって来た。これじゃあ踊り家台を見にも出られまい。まあ今夜はゆっくりお話しなさい。何かまた昔話でもしようじゃあありませんか」と、老人は食い荒しの皿小鉢を老婢に片付けさせながら云った。
踊り家台の見物よりも、強飯の御馳走よりも、わたしに取ってはそれが何よりも嬉しいので、すぐにその尾について又いつもの話をしてくれと甘えるように強請《せが》むと、また手柄話ですかと老人はにやにや笑っていたが、とうとう私に口説き落されて、やがてこんなことを云い出した。
「あなたは蛇や蝮《まむし》は嫌いですか。いや、誰も好きな者はありますまいが、蛇と聞くとすぐに顔の色を変えるような人もありますからね。それほど嫌いでなけりゃあ、今夜は蛇の話をしましょうよ。あれはたしか安政の大地震の前の年でした」
七月十日は浅草観音の四万六千|日《にち》で、半七は朝のうす暗いうちに参詣に行った。五重の塔は湿《しめ》っぽい暁の靄《もや》につつまれて、鳩の群れもまだ豆を拾いには降りて来なかった。朝まいりの人も少なかった。半七はゆっくり拝んで帰った。
その帰り途《みち》に下谷の御成道《おなりみち》へさしかかると、刀屋の横町に七、八人の男が仔細らしく立っていた。半七も商売柄で、ふと立ちどまってその横町をのぞくと、弁慶縞《べんけいじま》の浴衣《ゆかた》を着た小作りの男がその群れをはなれて、ばたばた駈けて来た。
「親分、どこへ」
「観音様へ朝参りに行った」
「ちょうど好いとこでした。今ここに変なことが持ち上がってね」
男は顔をしかめて小声で云った。かれは下《した》っ引《ぴき》の源次という桶職であった。
「この下っ引というのは、今でいう諜者のようなものです」と半七老人はここで註を入れてくれた。「つまり手先の下をはたらく人間で、表向きは魚やとか桶職とか、何かしら商売をもっていて、その商売のあいまに何か種をあげて来るんです。これは蔭の人間ですから決して捕物などには出ません。どこまでも堅気《かたぎ》のつもりで澄ましているんです。岡っ引の下には手先がいる。手先の下には下っ引がいる。それがおたがいに糸を引いて、巧くやって行くことになっているんです。それでなけりゃあ罪人はなかなかあがりませんよ」
源次はこの近所に長く住んでいて、下っ引の仲間でも眼はしの利く方であった。それが変な事をいうので、半七も少しまじめになった。
「何だ。なにがあった」
「人が死んだんです。お化け師匠が死んだんです」
お化け師匠――こういう奇怪な綽名《あだな》を取った本人は、水木|歌女寿《かめじゅ》と呼ばれる踊りの師匠であった。歌女寿は自分の姪を幼いときから娘分に貰って、これに芸をみっちり仕込んで、歌女代と名乗らせて自分のあとを嗣《つ》がせるつもりであったが、その歌女代は去年の秋に十八歳で死んだ。お化け師匠の綽名はそれから産み出されたのであった。
歌女寿は今年四十八だというが、年に比べると水々しい垢《あか》ぬけのした女であった。商売柄で若い時には随分浮いた噂もきこえたが、この十年以来は慾一方に凝り固まっているとかいうので、近所の評判はあまり好くなかった。姪を娘分に貰ったのも、ゆくゆく自分の食い物にしようというしたごころから出たのである。傍《はた》から見るとむごたらしいほどに手厳しく仕込んだ。そういう風に、ちいさいときから余り邪慳《じゃけん》に責められたせいか、歌女代はどうも病身であったが、仕込みが厳しいだけに芸はよく出来た。容貌《きりょう》も好かった。十六の年から母の代稽古として弟子たちを教えていたが、容貌の好いのが唯一《ゆいいち》の囮《おとり》になって、男弟子もだいぶ入り込むようになった。したがって歌女寿のふところ都合もだんだん好くなって来たが、慾の深い彼女はお定まりの月並や炭銭《すみせん》や畳銭《たたみせん》ぐらいでなかなか満足していられる女ではなかった。彼女はこの若い美しい餌《えさ》で巨大《おおき》な魚《さかな》を釣り寄せようと巧《たく》らんでいた。
その魚は去年の春の潮に乗って寄って来た。それは中国辺の或大名屋敷の留守居役で、歌女代をぜひ自分の持ち物にしたいという註文であった。跡取りの娘であるからそちらへ差し上げるわけには行かないと、歌女寿はわざと焦らすように一旦ことわると、相手はいよいよ乗り出して来て、いわゆる囲い者として毎月相当の手当てをやる。まだそのほかに話がまとまり次第、一種の支度金のような意味で当金《とうきん》百両出そうという条件まで付けて来た。金百両――この時代においては莫大の金であるから、歌女寿も二つ返事で承知した。これでお前もわたしも浮かみ上がれると、彼女は顔をくずして歌女代にささやいた。
「阿母《おっか》さん、こればかりは堪忍してください」と、歌女代は泣いてことわった。何をいうにも自分は身体が虚弱《ひよわ》い。大勢の弟子を取って毎日毎晩踊りつづけているのさえも、この頃では堪えられない位であるのに、その上に旦那取りなどさせられては、とても我慢も辛抱も出来ない。そんな卑しい辛い思いをしないでも、別に生活《くらし》に困るというわけでもない。自分は倒れるまで働いて、きっと阿母さんに不自由はさせまい。囲い者の相談だけはどうぞ断わってくれと、彼女は母にすがって頼んだ。勿論、この訴えを素直に受けるような歌女寿ではなかったが、平生はおとなしい歌女代もこの問題については飽くまで強情を張って、嚇《おど》しても賺《すか》してもどうしても得心しないので、歌女寿も持て余して唯|苛々《いらいら》しているうちに、その夏の梅雨の頃から歌女代の健康は衰えて、もはや毎日の稽古にも堪えられないで、三日に一度ぐらいは枕に親しむようになった。こっちの返事がいつまでも渋っているので、旦那の方でもさすがに根負けがしたらしく、いつとは無しにその相談も立ち消えになった。巨大な魚は逃げてしまった。
歌女寿は歯ぎしりをして口惜しがった。折角の旦那を取り逃がしたのも、歌女代のわがまま強情からであると、歌女寿は無暗にかれを憎んだ。倒れるまで働くと云った歌女代の言質《ことばじち》を取って、決してべんべんと寝そべっていることはならない、仆《たお》れるまで働いてくれと、真っ蒼な顔をして寝ている歌女代を無理に引き摺り起して、朝から晩まで弟子たちの稽古をつづけさせた。勿論、医師にも診せてやろうともしなかった。お仲という若い地弾きが歌女代に同情して、そっと買薬などしてやっていたが、その年の土用の激しい暑気がいよいよ歌女代の弱った身体をしいたげて、彼女はもう骸骨のように痩せ衰えてしまった。それでも歌女寿は意地悪く稽古を休ませなかったので、彼女は殆ど半死半生のおぼつかない足もとで稽古台の上に毎日立ちつづけていた、お仲も肚《はら》の仲ではらはらしていたが、大《おお》師匠の怖い目に睨まれて、彼女はどうすることも出来なかった。
もう二、三日で盆休みが来るという七月九日の午すぎに、歌女代はとうとう精も根も尽きはてて、山姥《やまんば》を踊りながら舞台の上にがっくり倒れた。邪慳な養母にさいなまれつづけて、若い美しい師匠は十八の初秋にこの世と別れを告げた。
その新盆《にいぼん》のゆうべには、白い切子燈籠の長い尾が、吹くともない冷たい風にゆらゆらとなびいて、この薄暗い灯のかげに若い師匠のしょんぼりと迷っている姿を、お仲はまざまざと見たと近所のものに顫《ふる》えながらささやいた。噂はそれからそれへと伝えられて、ふだんから歌女寿を快く思っていない人達は、更に尾鰭を添えていろいろのことを云い出した。歌女寿の家《うち》では夜がふけると、暗い稽古舞台の上で誰ともなしにとんとん足拍子を踏む音が微かに聞えるという薄気味の悪い噂が立った。歌女寿の家へは幽霊が出るということに決まってしまった。お化け師匠のおそろしい名が町内にひろまって、弟子たちもだんだんに寄り付かなくなった。お仲も暇を取って立ち去った。
そのお化け師匠が今死んだのである。
「どうして死んだ。あいつのこったから、悪いものでも食って中《あた》ったのか」と、半七は嘲《あざけ》るようにささやいた。
「どうして、そんなんじゃありません」と、源次は少しおびえたように眼を据えてささやいた。
「お化け師匠は蛇に巻き殺されたんで……」
「蛇に巻き殺された」と半七も驚かされた。
「女中のお村というのが今朝《けさ》になって見つけ出したんですが、師匠は黒い蛇に頸を絞められて蚊帳《かや》のなかに死んでいたんです。不思議じゃありませんか。人の執念はおそろしいもんだと、近所の者もみんなふるえていますよ」
源次も薄気味悪そうに云った。悲惨な死を遂げた歌女代の魂が黒い蛇に乗り憑《うつ》って邪慳な養母を絞め殺したのかと思われて、半七もぞっとした。お化け師匠が蛇に巻き殺された――どう考えてもそれは戦慄すべき出来事であった。
二
「まあ、なにしろ行ってみようじゃあねえか」
半七は先に立って横町へはいると、源次もなんだか落ち着かないような顔をして後から付いて来た。歌女寿の家の前にはだんだんに人立ちが多くなっていた。
「ちょうど若い師匠の一周忌ですからね」
「きっとこんなことになるだろうと思っていましたよ。恐ろしいもんですね」
どの人も恐怖に満ちたような眼をかがやかして、ひそひそと囁き合っていた。そのなかを掻き分けて、半七は源次と裏口から師匠の家へはいると、雨戸もまだすっかり明け放してないので、家のなかは薄暗かった。蚊帳《かや》もそのままに吊ってあって、次の間の四畳半には家主《いえぬし》と下女のお村が息を嚥《の》むように黙って坐っていた。半七は家主の顔を見識っているので、すぐに声をかけた。
「お家主さん。どうも飛んだことが出来ましたね」
「ああ、神田の親分でしたか。店中《たなうち》に飛んでもないことが出来《しゅったい》しまして……。番太郎に云い付けて早速お届けはして置きましたが、まだ御検視が下りないので、うっかり手を着けることもできません。近所ではいろいろのことを云っているようですが、死に様もあろうに、蛇に巻き殺されたなんて一体どうしたもんでしょうか。なにしろ困ったことが出来ましたよ」と、家主もその処置に困っているらしかった。
「ここらはふだんから蛇の出るところですか」と、半七は訊いた。
「御承知の通り、こんなに人家が建て込んでいるところですから、蛇も蛙も滅多に出るようなことはありません。おまけにここの家は庭といったところで四坪ばかりで、蛇なんぞ棲《す》んでいそうな筈はありませんし、どこから這入って来たのか一向判りません。それですから近所でまあ、いろいろのことを云うんですが……」と、家主の胸にも歌女代の亡霊を描いているらしかった。
「蚊帳のなかを見ても宜しゅうございますか」
「どうぞお検《あらた》めください」
半七の身分を知っている家主は異議なく承知した。半七は起って次の間へゆくと、ここは横六畳で、隅の壁添いに三尺の置床《おきとこ》があって、帝釈《たいしゃく》様の古びた軸がかかっていた。蚊帳は六畳いっぱいに吊られていて、きのう今日はまだ残暑が強いせいであろう。歌女寿は蒲団の上に寝蓙《ねござ》を敷いて、うすい掻巻《かいまき》は裾の方に押しやられてあった。南向きに寝ている彼女は枕を横にはずして、蒲団から少し乗り出したようになって仰向けに横たわっていたが、その結び髪は掻きむしられたようにおどろに乱れて、額をしかめて、唇をゆがめて、白ちゃけた舌を吐いて、最期の苦悶の痕がその死に顔にありありと刻まれていた。寝衣《ねまき》は半分引きめくったように、肩から胸のあたりまで露出《あらわ》になって、男かと思われるような小さい乳房が薄赤く見えた。
「蛇はどうしました」と、源次もあとから来てそっと覗いた。
半七は蚊帳をまくってはいった。
「薄暗くっていけねえ。庭の雨戸を一枚あけてくれ」と、半七は云った。
源次が起って南向きの雨戸をあけると、もう六ツ(午前六時)すぎの朝の光りは、庭から一度にさっと流れ込んで、まだ新しい蚊帳の波をまっさおに照らした、死んだ女の顔はいよいよ蒼く映って物凄くみえた。その蒼ざめた腮《あご》の下に黒くなめらかに光る鱗《うろこ》のようなものが見えたので、蚊帳の外から気味悪そうに覗いていた源次は、思わず顔をあとへ引いた。
半七は少しかがんでよく視ると、黒い蛇は余り大きくなかった。ようよう一尺ぐらいのものらしく、その尾は女の頸筋にゆるく巻きついて、その扁平《ひらた》い首は蒲団の上に死んだようにぐたりと垂れていた。生きているのかしらと、半七は指のさきで軽くその頭を弾《はじ》いてみると、蛇はぬうと鎌首を長くあげた。それを見て少しかんがえていた半七は、ふところから鼻紙の畳んだのを出して、その頭を又軽く押えると、蛇は物に恐れるように首をすくませて、蒲団の上へおとなしく首を垂れてしまった。
蚊帳をぬけ出して来て、半七は縁先の手水鉢で手を洗って、もとの四畳半へ戻った。
「判りましたか」と、家主は待ち兼ねたように訊いた。
「さあ、まだ何とも申されませんね。いずれ御検視が見えたらば又お係りのお考えもありましょう。わたくしは一と先ずこれでお暇《いとま》いたします」
取り留めた返事を受け取らないで少し失望したらしい家主の顔をあとに残して、半七は早々にここを出ると、源次もつづいて表へ出た。
「親分。どうでした」
「あの女中はまだ若いようだな。十七八か」と、半七はだしぬけに訊いた。
「十七だということです。だが、あいつが真逆《まさか》やったんじゃあありますまい」
「むむ」と、半七は考えていた。「だが、なんとも云えねえ。おめえだから云って聞かせるが、師匠は蛇が殺したんじゃあねえ。人間が絞め殺して置いて、あとから蛇を巻きつけたに相違ねえ。お前もそのつもりで、あの女中は勿論のこと、ほかの出入りの者にもよく気をつけろ」
「じゃあ、死んだ者の執念じゃありませんかね」と、源次はまだ疑うような眼をしていた。
「死んだ者の執念もかかっているか知れねえが、生きた者の執念もかかっているに相違ねえ。おれはこれからちっと心当りを突いて来るから、おめえも如才なくやってくれ。そこで、どうだろう。あの師匠はちっとは金を持っていたらしいか」
「あの慾張りですからね。小金を溜めていたでしょうよ」
「情夫《おとこ》でもあった様子はねえか」
「この頃は慾一方のようでしたね」
「そうか。じゃあ、なにしろ頼むよ」
云いかけてふと見かえると、家の前に立ってこわごわと覗いている大勢の群れから少し離れて、一人の若い男がこっちの話に聴き耳を立てているらしく、時々に偸《ぬす》むような眼をして二人の顔色を窺っているのが半七の眼についた。
「おい、あの男はなんだ。おめえ知らねえか」と、半七は小声で源次に訊いた。
「あれは町内の経師職《きょうじや》の伜で、弥三郎というんです」
「師匠の家へ出這入りすることはねえか」
「去年までは毎晩稽古に行っていたんですが、若い師匠が死んでからちっとも足踏みをしねえようです。あいつばかりじゃあねえ。若い師匠がいなくなってから、大抵の男の弟子はみんな散ってしまったようですよ。現金なもんですね」
「師匠の寺はどこだ」
「広徳寺前の妙信寺です。去年の送葬《とむれえ》のときに私も町内の附き合いで行ってやったから、よく知っています」
「むむ、妙信寺か」
源次に別れて、半七は御成道《おなりみち》の大通りへ一旦出て行ったが、また何か思いついて、急に引っ返して広徳寺前へ足をむけた。土用が明けてまだ間もない秋の朝日はきらきらと大溝《おおどぶ》の水に映って、大きい麦藁とんぼが半七の鼻さきを掠《かす》めて低い練塀のなかへ流れるようについと飛び込んだ。その練塀の寺が妙信寺であった。
門をくぐると左側に花屋があった。盆前で参詣が多いとみえて、花屋の小さい店先には足も踏み立てられないほどに樒《しきみ》の葉が青く積まれてあった。
「もし、今日《こんにち》は」
店口から声をかけると、樒に埋まっているようなお婆さんが屈《かが》んだ腰を伸ばして、眼をしょぼしょぼさせながら振り向いた。
「おや、いらっしゃい。御参詣でございますか。当年は残暑がきびしいので困ります」
「その樒を少し下さい。あの、踊りの師匠の歌女代さんのお墓はどこですね」
要《い》りもしない花を買って、半七は歌女代の墓のありかを教えて貰った。そうして、その墓には始終お詣りがあるかと訊いた。
「そうでございますね。最初の頃はお弟子さんがちょいちょい見えましたけれど、この頃ではあんまり御参詣もないようです。毎月御命日に欠かさず拝みにお出でなさるのは、あの経師職の息子さんばかりで……」
「経師職の息子さんは毎月来るかね」
「はい、お若いのに御奇特なお方で……。きのうもお詣りに見えました」
手桶に水と樒とを入れて、半七は墓場へ行った。墓は先祖代々の小さい石塔で、日蓮宗の歌女代は火葬でここに埋められているのであった。隣りの古い墓とのあいだには大きい楓が枝をかざして、秋の蝉が枯れ枯れに鳴いていた。墓のまえの花立てには、経師職の息子が涙を振りかけたらしい桔梗と女郎花《おみなえし》とが新しく生けてあった。半七も花と水を供えて拝んだ。拝んでいるうちに何かがさがさという音がひびいたので、思わず背後《うしろ》をみかえると、小さい蛇が何か追うように秋草の間をちょろちょろと走って行った。
「こいつを持って行ったかな」と、半七は少し迷ったように蛇のゆくえを見つめていたが、「いや、そうじゃあるまい」と、又すぐ打ち消した。
もとの花屋へ帰って来て、死んだ師匠は生きているうち、墓まいりに時々来たことがあるかと、半七はお婆さんに訊いた。歌女代は若いに似合わない奇特な人で、墓まいりにはたびたび来た。たまには経師職の息子とも一緒に来たことがあったと彼女は語った。これらの話を寄せあつめて考えると、悲しい終りを告げた若い師匠と、その墓へ泣きに来る若い経師職との間には、なにか糸が繋がっているらしく思われた。
「どうもお邪魔をしました」
半七は銭《ぜに》を置いて寺を出た。
三
寺を出て上野の方へ引っ返すと、半七は一人の背の高い男に出逢った。それは松吉という手先で、綽名《あだな》をひょろ松と呼ばれる男であった。
「おい、松。いい所で見つけた。実はこれからおめえの家《うち》へ寄ろうかと思っていたんだ」
「なんです、なにか御用ですか」
「お前まだ知らねえのか、お化け師匠の死んだのを……」
「知りません」と、松吉はびっくりしたような顔をしていた。「へえ、あの師匠が死にましたかい」
「ぼんやりするなよ。眼と鼻との間に巣を食っていながら」と、半七は叱るように云った。「もう少し身にしみて御用を勤めねえじゃいけねえぜ」
半七からお化け師匠の死を聞かされて、松吉は眼を丸くしていた。
「へえ、そうですかい。悪いことは出来ねえもんだね。お化け師匠とうとう憑殺《とりころ》されたんですよ」
「まあ、どうでもいいから俺の云うことをきいてくれ。お前はこれから手をまわして、この近所で池鯉鮒《ちりふ》様の御符《おふだ》売りの泊っているところを探してくれ。馬喰町《ばくろちょう》じゃああるめえ。万年町辺だろうと思うが、まあ急いで見つけて来てくれ。別にむずかしいことじゃああるめえ」
「ええ、どうにかこじつけて見ましょう」
「しっかり頼むぜ。如才はあるめえが、御符売りが幾人いて、それがどんな奴だか、よく洗って来なけりゃあいけねえぜ」
「ようがす、受け合いました」
ひょろ高い男のうしろ姿が山下の方へ遠くなるのを見送って、半七は神田の家に帰った。その日は一日暑かった。日が暮れると、源次がこっそりたずねて来て、お化け師匠の検視はけさ済んだが、人が殺したか蛇が殺したかは確かに決まらないらしかったと話した。ふだんから評判のよくない師匠だけに、所詮は蛇に祟《たた》られたということに決められてしまって、あとの面倒な詮議はないらしいと云った。半七はただ笑って聴いていた。
「師匠の送葬《とむれえ》はいつだ」
「あしたの明け六ツ半(午前七時)だそうです。別にこれという親類もないようですから、家主や近所の者が寄りあつまって何とか始末をするでしょうよ」と、源次は云った。
松吉の方からはその晩なんの消息《たより》もなかった。あくる朝、半七は師匠の送葬《とむらい》の様子を窺いながら妙信寺へ出かけてゆくと、師匠の遺骸は駕籠で送られて、町内の者や弟子たちが三四十人ほども付いて来た。その中には源次がいやに眼を光らせているのも見えた。経師職の息子の弥三郎が蒼い顔をしているのも見えた。女中のお村の小さい姿も見えた。半七は知らん顔をして隅に行儀よく坐っていた。
読経が終って、遺骸は更に焼き場へ送って行かれた。会葬者が思い思いに退散するうちに、半七はわざと後れて座を起った。そうして帰りぎわに墓場の方へそっと廻ってみると、一人の男がきのうの墓のまえに拝んでいる。それは経師職の息子に相違ないので、半七は草履の足音をぬすんで、そのうしろの大きい石塔のかげまで忍んで行って耳をすまして窺っていたが、弥三郎はなんにも云わずに唯一心に拝んでいた。やがて拝んでしまって一と足行きかけた時に、うしろの石塔のかげから顔を突き出した半七と彼は初めて眼を見合わせた。弥三郎は少し慌てたような風で、急いでここを立ち去ろうとするのを、半七は小声で呼び止めた。
「へえ。なんぞ御用で……」と、弥三郎は何だかおどおどしながら立ち停まった。
「少しお前さんに訊きたいことがある。まあ、ここへ来ておくんなさい」
半七は彼を師匠の墓の前へ連れ戻して、二人は草の上にしゃがんだ。けさは薄く陰《くも》っているので、まだ乾かない草の露が二人の草履のうらにひやびやと泌みた。
「おまえさん御奇特に毎月この墓へお詣りに来なさるそうですね」と、半七は先ず何げなしに云った。
「へえ、若い師匠のところへはちっとばかり稽古に行ったもんですから」と、弥三郎は丁寧に答えた。彼はきのうの朝以来、半七の身分を大抵察しているらしかった。
「そこで、くどいことは云わねえ、手短かに話を片付けるが、おまえさんは死んだ若い師匠とどうかしていたんだろうね」
弥三郎の顔色は変った。かれは黙って俯向いて、膝の下の青い葉をむしっていた。
「ねえ、正直に云って貰おうじゃねえか。おまえさんが若い師匠とどうかしていた。ところが、師匠はあんな惨《みじ》めな死に様をした。丁度その一周忌に大師匠が又こんなことになった。因縁といえば不思議な因縁だが、ただ不思議だとばかり云っちゃいられねえ。若い師匠のかたきを取るために、お前さんが大師匠をどうかしたんじゃねえかと、世間で専ら評判をしている。それが上《かみ》の耳にもはいっている」
「飛んでもねえこと……。わたくしがどうしてそんな……」と、弥三郎は口唇《くちびる》をふるわせながら慌てて打ち消そうとした。
「いや、おまえさんがしたんでねえことは私は知っている。わたしは神田の半七という御用聞きだ。世間の評判をあてにして罪科《つみとが》もねえ者を無暗にどうするの斯《こ》うするのと、そんな無慈悲なことはしたくねえ。その代りに何もかも正直に云ってくれなけりゃあ困る。いいかい、判ったかね。そこで今の一件だが、お前さん、まったく若い師匠とどうかしていたんだろうね。え、嘘をいっちゃあいけねえ。この墓の中には若い師匠がはいっているんだぜ。その前で嘘をつかれた義理じゃああるめえ」と、半七は墓を指して嚇《おど》すように云った。
花立ての花もきょうはもう萎《しお》れて、桔梗も女郎花も乾いた葉を垂れていた。弥三郎はじっとそれを見つめているうちに、彼の睫毛《まつげ》はいつかうるんで来た。
「親分。なにもかも正直に申し上げます、実はおととしの夏頃から師匠のところへ毎晩稽古にいくうちに、若い師匠と……。けれども、親分、正直のところ、一度も悪いことはした覚えはありません。師匠はあの通りの病身ですし、わたくしもこの通り気の弱い方ですから、大師匠の眼を忍んで唯まあ打ち解けて話をするぐらいのことで……。それでもたった一度、去年の春でした。若い師匠と一緒にここに墓参りに来たことがありました。その時に師匠は、どうしても家にいられないことがあるから、どこへか連れて行ってくれと云うんです。今思えば、いっそその時に思い切ってどうかすればよかったんですが、わたくしも両親はあり、弟や妹はあり、それを打捨《うっちゃ》って駈け落ちをするわけにも行かないので、ともかくも師匠をなだめて無事に帰したんですが、それから間もなく師匠はどっと寝付くようになって、とうとうあんなことになってしまいました。それを考えると、わたくしは何だか師匠を見殺しにしたようで、明けても暮れても気が咎めてなりませんから、毎月その詫びながら墓参りには欠かさずに来るようにしています。唯それだけのことで、今度の大師匠のことには何にもかかり合いはありません。大師匠が蛇に殺されたと訊いた時には、わたくしは思わずぞっとしました。なにしろ、それが丁度若い師匠の一周忌というんですから」
半七が想像した通り、若い師匠と若い経師職とのあいだには、こうした悲しい恋物語が潜んでいたのであった。彼の懺悔に偽りのないことは、若い男の眼から意気地なく流れる涙の色を見てもうなずかれた。
「若い師匠が死んでから、おまえさんはもう師匠の家へはちっとも出這入りをしなかったかね」
「へえ」と、弥三郎は口ごもるように云った。
「隠しちゃあいけねえ。大事な場合だ。え、ほんとうに出這入りをしなかったのか」
「それが実におかしいんです」
「どうおかしいんだ。まっすぐに云いねえ」
半七に睨まれて、弥三郎はなにか頻りにもじもじしていたが、とうとう思い切ってこんなことを白状した。若い師匠が死んでひと月ばかり経つと、歌女寿が経師職の店へぶらりと来て、店に仕事をしている弥三郎を表へ呼び出した。娘の三十五日の配り物や何かについて少し相談したいことがあるから、今夜ちょいと家《うち》へ来てくれと云うのであった。その晩出てゆくと、配り物の話は付けたりで、師匠は弥三郎にむかって自分の家の婿になってくれないかと突然云い出した。頼りにしていた娘に別れて何分寂しくてならないから、お前さんを見込んで頼む、どうぞ養子になってくれと云った。
思いも付かない話でもあり、且は自分は惣領の跡取りであるので、弥三郎は無論にことわって帰った。しかし師匠の方でなかなか諦めないらしく、その後も執念ぶかく付きまとって来て、何かと名をつけて無理に彼を呼び出そうとした。一度は途中でつかまって、否応なしに湯島辺のある茶屋へ引っ張って行かれた。下戸の弥三郎は酒を強《し》いられた。歌女寿もだんだんに酔いがまわって来て、婿になれというのか亭主になれというのか、訳の判らないようなことを媚《なまめ》かしい素振りで云い出したので、気の小さい弥三郎は顫えるほどに驚いて、一生懸命に振り切って逃げて帰った。
「その茶屋へ引っ張られて行ったのは何日《いつ》頃だね」と、半七は笑いながら訊いた。
「ことしの正月です。それから三月にも浅草で出っくわして、無理にどっかへ引っ張られようとしたのを、それもようよう振り切って逃げました。それから五月の末でしたろう。日が暮れてから近所の湯へ行くと、その帰りにわたくしが男湯から出ると、師匠もちょうど女湯から出る、そこでばったり又|出遇《であ》ったんです。すると、相談があるから是非寄ってくれというんで、今度は逃げることもできないで、とうとう師匠の家まで一緒に行きました。格子をがらりと明けてはいると、長火鉢の前に一人の男が坐っているんです。師匠よりは七八歳《ななやっつ》も若い、四十ぐらいの色のあさ黒い男でした。その男の顔をみると師匠はひどくびっくりしたように、しばらく黙って突っ立っていました。なにしろ、客の来ているのは私に取って勿怪《もっけ》の幸いで、それをしおに早々に帰って来ました」
「ふうむ。そんなことがあったのか」と、半七は腹のなかでにっこり笑った。「一体その男は何者だか、おまえさんはちっとも知らねえか」
「知りません。女中のお村の話によると、なんでも師匠と喧嘩をして帰ったそうです」
その以上のことは弥三郎もまったく知らないらしいので、半七もここで切り上げて彼と別れた。
「きょうのことは、誰にも当分沙汰なしにして置いてくんねえよ」
四
寺の門を出ると、半七は松吉に逢った。
「親分の家《うち》へ今行ったら、ここの寺へ来ていると云うから、すぐに引っ返して来ました。きのうもあれから万年町の方をすっかり猟《あさ》ってみたが、どこにもそんな御符売りらしい奴は泊っていねえんです。それからそれと探し歩いて、ようよう今朝になって本所の安泊りに一人いるのを見付けたんですが、どうしましょう」
「幾つぐらいの奴だ」
「さあ、二十七八でしょうかね。宿の亭主の話じゃあ、四、五日前から暑さにあたって、商売にも出ずにごろごろしているそうです」
弥三郎から訊いた男とは年頃もまるで違っているので、半七は失望した。殊に、四、五日前から宿に寝ていると云うのでは、どうにも詮議のしようがなかった。
「そいつ一人ぎりか、ほかに連れはねえのか」
「もう一人いるそうですが、そいつは今朝早くから山の手の方に商売に出たそうです。なんでもそいつは四十ぐらいで……」
半分聞かないうちに、半七は手を拍《う》った。
「よし。おれもあとから行くから、おめえは先へ行って、そいつの帰るのを待っていろ」
松吉を先にやって、半七はまた歌女寿の家へ急いでゆくと、下女のお村は近所の人達と一緒に焼き場へ廻ったというので、家には識《し》らない女が二人坐っていた。歌女寿と喧嘩をして帰ったという男について、お村から詳しいことを訊き出そうと思って、半七はしばらくそこにいたが、お村はなかなか帰って来なかった。待ちくたびれて源次の家へゆくと、これも送葬《とむらい》の帰りにどこへか廻ったとみえて、まだ帰って来ないと女房が気の毒そうに云った。女房を相手に二つ三つ世間話をしているうちに、やがて上野の鐘が四ツ(午前十時)を撞《つ》いた。
「御符売りも山の手へ登ったんじゃあ、どうせ午すぎでなけりゃあ帰るめえ」
半七はその間に二、三軒用達をして来ようと思って、早々に源次の家を出た。それから駈け足で二、三軒まわって途中で午飯《ひるめし》を食って、御厩《おんまや》河岸《がし》の渡《わたし》に来たのは、八ツ(午後二時)少し前であった。ここで本所へ渡る船を待っていると、一と足おくれてこの渡へ来たのは菅笠をかぶった四十恰好の色の黒い男で、手甲脚絆の草鞋《わらじ》がけ、頸に小さい箱をかけていた。それが池鯉鮒《ちりゅう》の御符売りであることは半七にもすぐに覚られたので、物に馴れている彼も思わず胸をおどらせた。松吉から先刻訊いたのは此奴に相違ない。年頃も弥三郎から訊いた男に符合している。しかし確かな証拠もないのに突然に御用の声をかけるわけにも行かない。ともかくも宿へ帰るのを突き留めた上でなんとか詮議のしようもあろうと思って、半七は何げない風をして時々に彼の笠の内に注意の眼を送っていると、御符売りの男もそれと覚ったらしく、こっちの眼を避けるように、わざと柳の下に隠れて、胸を少しひろげて扇をつかっていた。
うすく陰った空は午《ひる》から少しずつ剥げて来て、駒形《こまがた》堂の屋根も明るくなった。そよりとも風のない日で、秋の暑さは大川の水にも残っているらしく、向う河岸《がし》から漕ぎもどして来る渡し船にも、白い扇や手拭が乗合のひたいにかざされて、女の児の絵日傘が紅い影を船端の波にゆらゆらと浮かべていた。
その一と群れがこっちの岸へ着いて、ぞろぞろ上がってゆくのを待ち兼ねたように、御符売りは入れ替って乗った。半七もつづいて飛び乗った。
「おうい。出るよう」
船頭は大きい声で呼ぶと、小児《こども》の手を曳《ひ》いたおかみさんや、寺参りらしいお婆さんや、中元の砂糖袋をさげた小僧や、五、六人の男女がおくれ馳せにどやどやと駈け付けて来て、揺れる船縁《ふなべり》からだんだんに乗り込んだ。やがて漕ぎ出したときに、御符売りは艫《とも》の方に乗り込んだ一人の男を急に見付け出したらしく、ほかの乗合をかきわけて彼の胸倉を引っ掴んだ。
「やい、この泥坊。よくもおれが大事の商売道具を盗みやがったな。これ、池鯉鮒《ちりふ》さまの罰があたるぞ」
泥坊と人なかで罵《ののし》られた男も、やはり四十前後の男で、紺地の野暮な単物《ひとえもの》を着ていた。彼はほかの乗合の手前、おとなしく黙っていられなかった。
「なに、泥坊……。飛んでもねえことを云うな。おれが何を盗んだ」
「しらばっくれるな。俺はちゃんとてめえの面《つら》を覚えているんだ。いけずうずうしい野郎だ。どうするか見やあがれ」
御符売りは相手の胸倉を掴んだままで力まかせに幾たびか小突きまわした。男もその手をつかんで捻《ね》じ放そうとした。小さい船はゆれ傾いて女や子供は泣き出した。
「船の中で喧嘩をしちゃあいけねえ。喧嘩なら岸へ着いてからにしておくんなせえ」
船頭は叱るように制した。ほかの乗合の客も口々になだめたので、御符売りはよんどころなしに手をゆるめた。併しまだそのままに済ませそうもない嶮しい顔色で、相手を屹《きっ》と睨み詰めていた。
船が本所の河岸《かし》へ着くと、半七はまずひらりと飛び上がった。つづいて彼《か》の男が上がった。そのあとを追うように御符売りも上がって来て、再び彼の袖を掴もうとするのを、男はあわてて振り切って逃げ出そうとしたが、その片腕はもう半七に押えられていた。
「おまえさん、何をするんです」と、男は振り放そうと身をもがいた。
「神妙にしろ、御用だ」
半七の声は鋭くひびいた。男は不意に魂をぬき取られたように、ただ棒立ちに突っ立ったままであった。勢い込んで追おうとした御符売りも思わず立ちすくんでしまった。
「おまえはこいつになにを奪《と》られた。黒い蛇だろう」と、半七は御符売りに訊いた。
「はい。左様でございます」
「こいつと一緒に番屋まで来てくれ」
二人を引っ張って、半七は近所の自身番へ行った。浅蜊《あさり》の殻《から》を店の前の泥に敷いていた自身番の老爺《おやじ》は、かかえていた笊《ざる》をほうり出して、半七らを内へ入れた。
「おい、素直に何もかも云っちまえ」と、半七は彼の男を睨むように視た。「てめえは御成道の横町のお化け師匠の情夫《いろ》か、亭主か。なにしろ久し振りでたずねて行くと、師匠は若けえ男なんぞを引っ張って帰って来て、手前に逢っても、好い顔をしねえ。あんまり不実だとか薄情だとか云うんで、手前は師匠とやきもち喧嘩をしたろう。それがもとでとうとう師匠を殺す気になって、ここにいる御符売りの箱から蛇を一匹盗んで、狂言の種に遣ったろう。手前もなかなか芝居気がある。お化け師匠と札付きになっているのに付け込んで、師匠をそっと絞め殺して、その蛇を死骸の頸へまき付けて置いて、娘の執念だとか祟りだとか、飛んだ林屋正蔵の怪談で巧く世間を誤魔化そうとしたんだろう。それで世の中が無事息災で通って行かれりゃあ、闇夜にぶら提灯は要らねえ理窟だが、どうもそうばかりは行かねえ。さあ、恐れ入って真っ直ぐになんでも吐き出してしまえ。ええ、おちついているな。脂《やに》を嘗《な》めさせられた蛇のように往生ぎわが悪いと、もう御慈悲をかけちゃあいられねえ。さあ申し立てろ。江戸じゅうの黄蘗《きはだ》を一度にしゃぶらせられた訳ではあるめえし、口の利かれねえ筈はねえ。飯を食う時のように大きい口をあいて云え。野郎、わかったか。悪く片付けていやあがると引っぱたくぞ」
「今と違って、むかしの番屋の調べはみんなこんな調子でしたよ」と、半七老人は云った。
「町奉行は格別、番屋で調べるときには、岡っ引や手先ばかりでなく、八丁堀のお役人衆もみんなこの息で頭からぽんぽん退治《やっ》つけるんです。芝居や講釈のようなもんじゃあありませんよ。ぐずぐずしていると、まったく引っぱたくんですよ」
「それで其の男は白伏したんですか」と、わたしは訊いた。
「煙《けむ》にまかれて、みんなべらべら申し立てましたよ。そいつは元は上野の山内《さんない》の坊主で、歌女寿よりも年下なんですけれども、女に巧くまるめ込まれて、とうとう寺を開いてしまって、十年ほど前から甲州の方へ行って還俗《げんぞく》していたんですが、故郷忘じ難しで江戸が恋しくなって、今度久し振りで出て来て、早速歌女寿のところへ訪ねて行くと、女は薄情だから見向きもしない。おまけで経師職の生若《なまわけ》え伜なんぞを引っ張って来たのを見たもんだから、坊主はむやみに口惜《くや》しくなって、なんとかして意趣返しをしてやろうと、そこらの安宿を転《ころ》げあるきながら、足かけ二カ月越しも付け狙っているうちに、歌女寿の娘が去年死んで、それからお化け師匠の評判が立っているのを聞き込んで、根が坊主だけに、死霊の祟りなんていうことを考え付いて、とうとう師匠を絞め殺してしまったんですよ。蛇を種に遣ったところは巧く考えましたね」
「その蛇は御符売りのを盗んだんですか」
「本所の安宿に転がっていると、丁度そこへ池鯉鮒の御符売りが泊り合わせたもんだから、それからふと思い付いて、その蛇を一匹盗んだんです。そこで蛇を見なかったら、そんな知恵も出なかったかも知れませんが、師匠も坊主も、つまりおたがいの不運ですね。時候は盆前、娘の一周忌と、うまく道具が揃っているもんだから、夜ふけに水口《みずくち》からそっと忍び込んで、師匠を殺す、蛇をまき付ける。すべておあつらえの通りの怪談が出来あがったんです。わたくしは最初に女中のお村というのに眼をつけていたんですが、これはよく寝込んでいて全くなんにも知らなかったということが後で判りました」
「それにしても、あなたはどうして池鯉鮒の御符売りに手を着けようと考え付いたのです」
それが私には判らなかった。半七老人は又にやにや笑っていた。
「なるほど、今どきの人にゃあ判らないかも知れませんね。むかしは毎年夏場になると、蝮よけ蛇除けの御符売りというものが何処からか出て来るんです。有名な池鯉鮒様のほかにいろいろの贋《まが》いものがあって、その符売りは蛇を入れた箱を頸にかけて、人の見る前でその御符で蛇の頭を撫でると、蛇は小さくなって首を縮めてしまうんです。ほんとうの池鯉鮒様はそんな事はありませんが、贋《まが》い者になるとふだんから蛇を馴らして置く。なんでも御符に針をさして置いて、蛇の頭をちょいちょい突くと、蛇は痛いから首を縮める。それが自然の癖になって、紙で撫でられるとすぐに首を引っ込めるようになる。その蛇を箱に入れて持ち歩いて、さあ御覧なさい、御符の奇特はこの通りでございますと、生きた蛇を証拠にして御符を売って歩くんだということです。わたくしがお化け師匠の頸に巻きついている蛇を見たときに、なんだかひどく弱っている様子がどうも普通の蛇らしくないので、ふっとその蛇除けの贋いものを思い出して、試しに懐紙でちょいと押えると、蛇はすぐに頸を縮めてしまいましたから、さてはいよいよ御符売りの持っている蛇に相違ないと見きわめを付けて、それからだんだんに手繰《たぐ》って行くうちに相手にうまくぶつかったんです。え、その坊主ですか。それは無論死罪になりました」
「御符売りはどうなりました」
「池鯉鮒様の名前を騙《かた》って、そんな贋物《いかもの》を売っているんですから、今なら相当の罰を受けるでしょうが、昔は別にどうということもありませんでした。つまり欺される方が悪いというような理窟なんですね。それでもやっぱり気が咎めると見えて、御符売りはわたくしに笠の内を覗かれて、なんだか落ち着かないようなふうで遠退《とおの》いていたんでしょう。池鯉鮒様ばかりでなく、昔はこんな贋いものがたくさんありましたよ」
「一体その池鯉鮒様というのは何処にあるんです」
「東海道の三州です。今でも御信心の人がありましょう。おや、雨が止んだと見えて、表が急に賑やかになって来ました。どうです、折角お出でなすったもんですから、ともかくも一と廻りして、軒提灯に火のはいったところを見て来ようじゃありませんか。お祭りはどうしても夜のものですよ」
老人に案内されて、わたしは町内の飾り物などを観てあるいた。その晩、家へ帰って東海道名所図会を繰《く》ってみると、三州池鯉鮒の宿《しゅく》のくだりに知立《ちりゅう》の神社のことが詳しく記されて「蝮蛇除の神札《まもり》は別当松智院社人よりこれを出だす。遠近これを信じて授かる者多し。夏秋の頃山中叢林にこれを懐中すれば蝮蛇逃げ去るという、云々」と、書いてあった。
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半鐘《はんしょう》の怪
一
半七老人を久し振りでたずねたのは、十一月はじめの時雨《しぐ》れかかった日であった。老人は四谷の初酉《はつとり》へ行ったと云って、かんざしほどの小さい熊手《くまで》を持って丁度いま帰って来たところであった。
「ひと足ちがいで失礼するところでした。さあ、どうぞ」
老人はその熊手を神棚にうやうやしく飾って、それからいつもの六畳の座敷へわたしを通した。酉の市《まち》の今昔談が一と通り済んで、時節柄だけに火事のはなしが出た。自分の職業に幾らか関係があったせいであろうが、老人は江戸の火事の話をよく知っていた。放火はもちろん重罪であるが、火事場どろぼうも昔は死罪であったなどと云った。そのうちに、老人は笑いながらこんなことを語りだした。
「いや、世の中には案外なことがあるもんでしてね。これは少し差し合いがありますから、町内の名は申されませんが、やっぱり下町《したまち》のことで、いつかお話をしたお化け師匠の家《うち》のあんまり遠くないところだと思ってください。そこに変なことが出来《しゅったい》したんで、一時は大騒ぎをしましたよ」
神田明神の祭りもすんで、もう朝晩は袷《あわせ》でも薄ら寒い日がつづいた。うす暗い焼芋屋の店さきに、八里半と筆太《ふでぶと》にかいた行燈の灯がぼんやりと点《とも》されるようになると、湯屋の白い煙りが今更のように眼について、火事早い江戸に住む人々の魂をおびえさせる秋の風が秩父の方からだんだんに吹きおろして来た。その九月の末から十月の初めにかけて、町内の半鐘がときどき鳴った。
「そら、火事だ」
あわてて駈け出した人々は、どこにも煙りの見えないのに呆れた。そういうことがひと晩のうちに一度二度、時によると三、四度もつづいて、一つばんもある。二つばんもある。近火の摺りばんを滅多打ちにじゃんじゃんと打ち立てることもある。町内ばかりでなく、その半鐘の音がそれからそれへと警報を伝えて、隣り町《ちょう》でもあわてて半鐘を撞く。火消しはあてもなしに駈けあつまる。それは湯屋の煙りすらも絶えている真夜中のことで、なにを見誤ったのかちっとも要領を得ないで引き揚げることもある。しまいには人も馴れてしまって、誰かが悪戯《いたずら》をするに相違ないと決まったが、ほかの事とは違うので、そのいたずら者の詮議が厳重になった。
仔細もなしに半鐘をつき立てて公方《くぼう》様の御膝元をさわがす――その罪の重いのは云うまでもない。第一に迷惑したのは、その町内の自身番に詰めている者共であった。
「自身番というのは今の派出所を大きくしたようなものです」と、半七老人は説明してくれた。
「各町内に一個所ずつあって、屋敷町にあるのは武家持ちで辻番といい、商人町《あきんどまち》にあるのは町人持ちで自身番というんです。俗に番屋とも云います。むかしは地主が自身に詰めたので自身番と云ったんだそうですが、後にはそれが一つの株になって、自身番の親方というのがそれを預かって、ほかに店番の男が二、三人ぐらい詰めていました。大きい自身番には、五、六人も控えているのがありました。その頃の火の見梯子は、自身番の屋根の上に付いていて、火事があると店の男が半鐘を撞くか、または町内の番太郎が撞くことになっていました。それですから半鐘になにかの間違いがあれば、さしずめ自身番のものが責任を帯びなければならないのです。今お話し申すのは小さい自身番で、親方が佐兵衛、ほかに手下の定番《じょうばん》が二人詰めているだけでした」
佐兵衛はもう五十ぐらいの独身者《ひとりもの》で、冬になるといつも疝気に悩んでいる男であった。ほかの二人は伝七と長作と云って、これも四十を越した独身者であった。この三人は当の責任者であるだけに、町《ちょう》役人からも厳しく叱られて、毎晩交代で火の見梯子を見張っていることになった。彼等が夜通し厳重に見張っているあいだは別になんの変ったこともなかったが、少し油断して横着をきめると、半鐘はあたかもかれらの懶惰《らんだ》を戒めるように、おのずからじゃんじゃん鳴り出した。町役人立合いで検査したが、半鐘にはなんの異状もなかった。その自然に鳴り出すのは夜に限られていた。
不思議を信ずることの多いこの時代の人達にも、まさか半鐘が自然に鳴り出そうとは思えなかった。殊に人が見張っているあいだは決して鳴らないのに因《よ》っても、それが何者かの悪戯《いたずら》であることは誰にも想像された。おいおいに冬空に近づいて、火というものに対する恐れが強くなって来たのに付け込んで、何者かが人を嚇すつもりでこんな悪戯をするに相違ないと思った。しかもそのいたずら者が発見されないので、諸人の心は落ち着かなかった。たとい人間の悪戯にしても、こんな事が毎晩つづくのは、やがてほんとうの大火を喚び起す前兆ではないかとも危ぶまれた。気の早いものは荷ごしらえをして、いつでも立ち退くことができるように用心しているものもあった。老人を遠方の親類にあずけるものもあった。藁一本を炙《く》べた煙りもこの町内の人々の眼に鋭く泌みて、かれの尖った神経は若い蘆の葉のようにふるえ勝ちであった。もうこうなっては、自身番や番太郎の耄碌《もうろく》おやじを頼りにしていることは出来なくなったので、仕事師は勿論、町内の若いものも殆ど総出で、毎晩この火の見梯子を中心にして一町内を警戒することになった。
いたずら者もこの物々しい警戒に恐れたらしく、それから五、六日は半鐘の音を立てなかった。十月のお会式《えしき》の頃から寒い雨がびしょびしょ降りつづいた。この頃は半鐘の音がしばらく絶えたのと、雨が毎日降るのとに油断して、町内の警戒もおのずとゆるむと、あたかもそれを待っていたように、不意の禍がひとりの女の頭の上に落ちかかって来た。
女は町内の路地のなかに住んでいるお北という若い女で、以前は柳橋で芸奴を勤めていたのを、日本橋辺のある大店《おおだな》の番頭に引かされて、今ではここに小ぢんまりした妾宅を構えているのであった。その日は昼間から旦那が来て五ツ頃(午後八時)に帰ったので、お北はそれから近所の銭湯へ行った。女の長湯をすまして帰って来たのは五ツ半を廻った頃で、往来のすくない雨の夜に大抵の店では大戸を半分ぐらい閉めていた。雨には少し風もまじっていた。
路地へはいろうとすると、お北の傘が俄かに石のように重くなった。不思議に思って傘を少し傾けようとすると、その途端に傘がべりべりと裂けた。眼に見えない手がどこからかぬっと現われて、お北の三つ輪の髷《まげ》をぐいと引っ掴んだので、きゃっと云ってよろける拍子に、彼女は溝板《どぶいた》を踏みはずして倒れた。その声を聞いて近所の人達が駈け付けたときには、お北はもう正気を失っていた。跳ねあがった溝板で脾腹《ひばら》を強く突かれたのであった。
家へかつぎ込まれて、介抱を受けて、お北はようよう息をふき返した。当時のことは半分夢中でよくは記憶していなかったが、ともかくも傘が不思議に重くなって、その傘がまた自然に裂けて、何者にか頭を引っ掴まれたことだけは人に話した。町内の騒ぎはまた大きくなった。
「町内には化け物が出る」
こんな噂がひろがって、女子供は日が暮れると表へ出ないようになった。ふだん聞き慣れている上野や浅草の入相《いりあい》の鐘も、魔の通る合図であるかのように女子供をおびえさせた。その最中にまた一つの事件が起った。
それはお北が眼に見えない妖怪におびやかされてから五日ほど後のことであった。初冬の長霖《ながじけ》がようやく晴れたので、どこの井戸端でもおかみさん達が洗濯物に忙がしかった。どこの物干にも白い袖や紅い裳《すそ》のかげが、青い冬空の下にひらひらと揺れていた。それも日の暮れる頃には次第に数が減って、印判《はんこ》屋の物干にかかっている小児《こども》のあかい着物二枚だけが、正月のゆうぐれに落ち残った凧のように両袖を寒そうに拡げていた。ここのおかみさんが夜干《よぼし》にして置くつもりらしかった。その着物が自然にあるき出したのであった。
「あれ、あれ、着物が……」と、往来を通る者が見つけて騒ぎ出したので、近所の人達も表へ駈け出して仰向くと、赤い着物の一枚はさながら魂でも宿ったように物干竿を離れて、ゆう闇の中をふらふらと迷ってゆくのであった。風に吹かれたのではない、隣りの屋根から屋根へと伝わって、足があるように歩いて行くのであった。人々もおどろいて声をあげて騒いだ。ある者は石を拾って投げ付けた。着物の方でもこれに驚かされたらしく、紅い裳《すそ》をひいて飛ぶように走り出したと思ううちに、質屋の高い土蔵のかげに消えてしまった。印判屋のおかみさんは蒼くなってふるえた。
これがまた町内を騒がした後に、その着物は質屋の裏庭の高い枝にかかっているのを発見した。そこで論議は二つに分かれた。お北がおびやかされた事件からかんがえると、それは眼にみえない妖怪の仕業であるらしくも思われたが、印判屋の干物をさらって行った事件から想像すると、それは人間の仕業らしくも思われた。勿論、後の場合にも誰もその正体を見とどけた者はなかったが、何者かがその着物のかげに隠れているのではないかという判断が付かないでもなかった。妖怪か、人間か、この二つの議論は容易に一致しなかったが、ここに後者の説について有力の証拠があらわれた。町内の鍛冶屋の弟子に権太郎という悪戯《いたずら》小僧があって、彼がその日の夕方に質屋の隣りの垣根に攀《よ》じ登っているところを見付けた者があった。
「権の野郎に相違ない」
人騒がせの悪戯者は権太郎に決められてしまった。権太郎は今年十四で、町内でも評判のいたずら小僧に相違なかった。
「こいつ、途方もねえ野郎だ。御近所へ対して申し訳がねえ」
かれは親方や兄弟子に袋叩きにされて、それから自身番へ引き摺って行ってさんざん謝《あやま》らせられたが、権太郎は素直に白状しなかった。質屋の隣りの庭へ忍び込もうとしたのは、うまそうな柿の実を盗もうがためであって、半鐘をついたり干物をさらったり、そんな悪戯をした覚えはないと強情を張ったが、誰もそれを受け付ける者はなかった。かれが強情を張れば張るほど、みんなにいよいよ憎まれて、自身番では棒でなぐられた。おまけに両手を縄で縛られて、板の間になっている六畳へほうり込まれてしまった。
二
これで問題もまず解決したと安心していた町内の人たちは、その夜なかに又もや半鐘の音におどろかされた。半鐘はあたかも権太郎の冤罪《むじつ》を証明するように鮮かな音を立てて響いた。このあいだから撞木《しゅもく》は取りはずしてあるのに、誰がどうしたのか半鐘はやはりいつものように鳴った。
もうこうなると人間|業《わざ》ではないらしくなって来た。一町内の者はまたおびえて、再び総出で火の見梯子を警戒することになったが、その警戒のきびしい間は半鐘もおとなしく黙っていた。警戒が少しゆるむと、半鐘は又すぐに叫び出した。こんな不安な状態が小ひと月もつづいたので、人間の方も疲れて来た。もうこの上はどうしていいか判らなくなった。
「お寒くなりました」
「おお、半七さんか。まあこっちへ」
自身番にちょうど詰めていた家主が笑い顔をつくって半七を迎えた。それは半七老人が今この話をしている時と同じような、十一月はじめの時雨《しぐ》れかかった日で、店さきの大きい炉には炭火が紅く燃えていた。半七は店へあがって炉に手をかざした。
「なんだか騒々しいことがあると云うじゃありませんか。御心配ですね」
「おまえさんも大抵お聞き込みだろうが、実に困っているんですよ」と、家主は顔をしかめて云った。「どうでしょう。お前さんのお見込みは……」
「そうですねえ」と、半七も首をかしげていた。「実はわたくしも詳しい話は知らないんですが、その権とかいう悪戯小僧じゃないんですね」
「権を縛って置いても、半鐘はやっぱり鳴るんだから仕方がない。で、権は先ず主人の方へ帰してやりましたよ」
この間からの詳しい事情を家主から聞かされて、半七は眼をつむって考えていた。
「わたくしにもまだ見当が付きませんが、まあ何とか工夫して見ましょう。もっと早く出るとよかったんですが、ほかに急ぎの御用があったもんですから、つい遅くなりました。そこで先ずその半鐘というのを一度見せてお貰い申したいんですが、あがって見ても宜しゅうございますかえ」
「さあ、さあ、どうぞ」
家主は先に立って表へ出た。半七は火の見を仰いでちょっと考えていたが、すぐにするすると梯子を伝ってのぼった。彼は半鐘をあらためて又すぐに降りて来て、更に近所を見まわった。火の見梯子から三軒ほどゆくと、そこには狭い路地があって、化け物に出逢ったという囲い者のお北はその路地の中程に住んでいた。路地の奥には可なりに広い空地があって、片隅に古い稲荷の社《やしろ》が祀られていた。あき地には近所の男の児が独楽《こま》をまわしていた。路地を出る時にふと見ると、お北の家には貸家の札が貼ってあった。気の弱い囲い者は化け物におどされて三日目に、早々ほかへ引っ越してしまったと家主が話した。
半七はそれから鍛冶屋の前へ行った。表からそっと覗いてみると、親方らしい四十ぐらいの男が指図して、三人の職人が熱い鉄挺《かなてこ》から火花を散らしていた。その傍でぼんやりと鞴《ふいご》を吹かせている小僧は、この間ひどい目に遭った権太郎だと家主が教えてくれた。権太郎は四角張った顔をまっ黒に煤《くすぶ》らせて、大きな眼ばかりを光らせている様子が、見るからに悪戯そうな餓鬼《がき》だと半七は思った。
「いろいろ有難うございました。まだ少しほかに仕かけている御用がありますから、二、三日中にまた参ります」と、半七は家主に別れて帰った。
ほかに手放すことのできない用を抱えていたので、二、三日という約束が四、五日に延びて、半七はその町内へ足を向けることが出来なかった。すると、四、五日のあいだに又いろいろの事件が生み出されて、町内の人たちを驚かした。
まず第一におびやかされたのは、町内の煙草屋のお咲という今年十七の娘であった。お咲は本所の親類へ行って、六ッ半(午後七時)頃に帰って来ると、冬の日はとうに暮れてしまって、北風が軽い砂を転がして吹いてゆくのが夜目にも白く見えた。このごろ不思議の多い自分の町内へ近づくにしたがって、若い娘の胸は動悸を打った。もっと早く帰ればよかったと悔みながら、お咲は俯向いて両袖をしっかりと抱きあわせて、小刻みに足を早めて歩いて来ると、うしろから同じく刻み足に尾《つ》けて来るような軽いひびきが微かにきこえた。お咲は水を浴びたようにぞっとしたが、とても振り返って見る勇気はないので、すくみ勝ちの足を急がせて、ようよう自分の町内の角を曲がったかと思うと、あたかも白い砂が渦をまいてお咲の足もとから胸のあたりまで舞いあがって来たので、彼女は両袖で思わず顔をおさえたその途端に、うしろから尾けて来たらしい怪しいものは、旋風《つむじかぜ》のように駈け寄って来てお咲を突き飛ばした。
娘の悲鳴を聞きつけて、近所の者が駈け付けてみると、お咲は気を失って倒れていた。彼女の島田の髷はむごたらしくかきむしられていた。膝がしらを少し摺り剥いただけで、ほかに大した怪我もなかったが、あまりのおどろきにお咲は蘇生の後もぼんやりしていた。その晩から熱が出て、三日ばかり床に就いた。
妖怪か、人間かという議論がまた起った。鍛冶屋の権太郎が質屋の隣りの垣根へのぼったのを目撃したのはこのお咲で、それが彼女の口から世間へ洩れたのであるから、自身番でひどい目に逢わされた悪戯小僧は、その復讐のためにお咲のあとを尾けたのではないかという疑いも起ったが、それはすぐに打ち消された。権太郎はその時刻にたしかに自分の店にいたと親方が証明した。ほかにも権太郎が夜なべをしているのを見たという者もあった。いくら悪戯者でも身体が二つない以上、今度の事件を権太郎になすり付けることは出来なかった。その不思議もとうとう要領を得ずに終った。
「夜はもう外へ出るんじゃないよ」
日が暮れると、女や子供はいよいよ表へ出ないことになった。すると、今度は意外の禍いが男の上にも襲いかかって来た。第二の打撃をうけたのは自身番の親方佐兵衛であった。佐兵衛は先ず冬という敵に襲われて、先月の末頃から持病の疝気に悩まされていたが、なにぶんにも此の頃は町内が騒がしくて、毎日のように町《ちょう》役人の寄合いがあるので、彼は出来るだけ我慢して起きていた。それがどうしても堪えられなくなって、昼から温石《おんじゃく》などで凌《しの》いでいたが、日が暮れると夜の寒さが腹に泌み透って来た。かれは痙攣《さしこみ》の来る下腹をかかえて炉のそばに唸っていた。
「医者様でも呼んで来ようか」
手下の伝七と長作とが見兼ねて云った。
「まあ、もう少し我慢しようよ」
自身番のおやじや番太郎には金作りが多かった。医者の薬礼を恐れる彼は、なるべく買い薬で間にあわせて置きたかったのであるが、夜のふけるに連れて疼痛《いたみ》はいよいよ強くなって、彼はもう慾にも得《とく》にも我慢が出来なくなった。それでも医者を呼ぶのを嫌って、こっちから医者の家へ行こうと云った。
「それじゃあ私が送って行こう」
伝七がついて行くことになった。強い痙攣で、満足には歩けそうもない佐兵衛を介抱しながら、ともかくも表へ出ると、町には夜の霜が一面に降りていた。伝七は病人の手をひいて、隣り町《ちょう》の医者の門をくぐった。医者は薬をくれて、あたたかにして寝ていろと注意した。礼を云って医者の家を出たのは、もう四ツ(午後十時)に近い頃であった。
「御町内はこのごろ物騒だというから、途中もよく気をつけてな」と、帰りぎわに医者が云った。
その親切な注意が二人の胸にはまた一入《ひとしお》の寒さを呼び出した。帰り途にも佐兵衛は手を引かれて歩いた。
「木戸の締まらないうちに早く行こう。番太にあけて貰うのも面倒だから」
風もない、月もない、霜の声でもきこえてきそうな静かな夜であった。町内にももう灯のかげは疎《まば》らであった。佐兵衛は下腹をおさえながら屈《こご》み勝ちにあるいていた。二人は町内にはいって二、三軒も通り過ぎたかと思うと、質屋の天水桶のかげから何かまっ黒な影があらわれた。それが何であるかを認める間もなしに、その黒い物は地を這うように走って来て、いきなり佐兵衛の足をすくった。屈んでいた彼はすぐに滑って倒れた。ふだんからおびえていた伝七はきゃっと云って逃げ出した。
この臆病者の報告を聴いて、長作は棒を持ってこわごわ出て来た。伝七も得物《えもの》をとって再び引っ返して来たが、もうその時には黒い物の影も見えなかった。佐兵衛は転んだはずみに膝を痛めた。まだそのほかに、相手にぶたれたのか、あるいは自分で打ったのか、彼は左の額に石で打ったようなかすり傷をうけていた。
調べてみると、その晩も権太郎は外出しないという証拠が確かに挙がった。こうして、悪戯小僧にかかる疑いは漸次《しだい》に薄れて来たが、それと同時にこの不思議に対する疑いはいよいよ濃くなった。臆病の伝七の云い立てによると、どうも河童《かっぱ》らしいというのであったが、町なかに河童が出る筈はないと云って誰もそれを信用しなかった。
「どうも人間らしい」
この頃は方々の家で食い物を盗まれた。ことにお咲をおどかした遺り口といい、佐兵衛を襲った手段といい、妖怪がだんだんに人間味を帯びて来たことは誰にもうなずかれた。権太郎以外のいたずら者がこの町内へ入り込んで来るに相違ないというので、又もや町内総出で毎晩の警戒を厳重にすることになった。
三
その以来、半鐘はちっとも鳴らなくなった。半鐘はなんにも知らないような顔をして、冬の空に高くかかっていた。
お北の家へはその後に人が越して来た。しかし一と晩で早々に立ち退いてしまった。夜なかに不意に行燈が消えて、そのおかみさんが何者にか頭髷《たぶさ》をつかんで、蒲団の外へぐいぐい引き摺り出されたというのであった。しかも別に紛失物はなかった。何かこの空家に潜《ひそ》んでいるのではないかと、家主立ち合いで家探しをしたが、その正体は遂に見とどけられなかった。
「やっぱり化け物かしら」
こんな噂がまた起った。町内の人たちも、化け物か人間か得体《えたい》の解らないこの禍いを払う方法にはあぐね果てた。空で半鐘が鳴らない代りに、地の上ではやはり不思議の出来事が止まなかった。
その次に人身御供《ひとみごくう》にあがったのは、番太郎の女房のお倉であった。
「番太郎……お若い方は御存じありますまいね」と、半七老人は説明してくれた。「むかしの番太郎というのは、まあ早く云えば町内の雑用を足す人間で、毎日の役目は拍子木を打って時を知らせてあるくんです。番太郎の家は大抵自身番のとなりにあって、店では草鞋でも蝋燭でも炭団《たどん》でも渋団扇《しぶうちわ》でもなんでも売っている。つまり一種の荒物屋ですね。そのほかに夏は金魚を売る、冬は焼芋を売る。八幡太郎と番太郎の違いだなどと冗談にも云われるくらいで、あんまり幅の利いた商売じゃありませんが、そんな風に何でもするので、なかなか金を溜めている奴が多うござんしたよ」
その番太郎のとなりに小さい筆屋があって、その女房が暮れ六ツ(午後六時)過ぎに急に産気づいた。夫婦掛け合いの家で、亭主は唯うろうろするばかりであるので、お倉はすぐに取り上げ婆さんを呼びに行った。そんな使いをたのまれて幾らかの使い賃を貰うのが、番太郎の女房の役得《やくとく》であった。お倉は気丈な女で、殊にまだ宵の口といい、この頃は町内の警戒も厳重なので、かれは平気で下駄を突っかけて駈け出した。取り上げ婆さんの所は四、五町もはなれているので、お倉はむやみに急いで行った。今夜も霜陰りという空であったが、両側の灯はうす明るい影を狭い町に投げていた。すぐに来てくれるように取り上げ婆さんに頼むと、婆さんは承知して一緒に来た。
婆さんはもう六十幾つというので、足がのろかった。頭巾《ずきん》に顔をつつんでとぼとぼあるいて来た。お倉はじれったいのを我慢して、それに附き合って歩いていると、婆さんは何か詰まらないことをくどくどと話しかけた。気の急《せ》いているお倉は上《うわ》の空で返事をしながら、婆さんを引っ張るようにして急いで帰った。町内の灯はもう目の前に見えた。
隣り町との町境に土蔵が二つ列んでいるところがあって、それに続いて材木屋の大きい材木置場があった。前後の灯のかげはここまで届かないので、十間あまりの間には冬の夜の闇が漆《うるし》のように横たわっていた。自分の町内にはいるお倉は、どうしてもこの闇を突っ切って行かなければならなかった。この間の晩、煙草屋の娘が災難に逢ったのも此の辺だろうと思いながら、彼女は婆さんを急《せ》き立てて歩いてくると、積んである材木のかげから犬のようなものが這い出した。
「おや、なんだろう」
よぼよぼしている婆さんを引っ張っているので、お倉はすぐに逃げ出すわけにも行かなかったが、気丈な彼女は闇の底をじっと透かしてその正体を見定めようとする間もなく、怪しい物は背をぬすむように身を伏せて来て、いきなりお倉の腰に取り付いた。
「何をしやあがる」
一度は手ひどく突き退けたが、二度目には帯を取られた。ゆるんだ帯がずるずると解けてゆくので、お倉は少しあわてた。彼女は大きい声で人を呼んだ。婆さんも皺枯れ声をあげて救いを叫んだ。その声を聞き付けて、町内の者が駈けてくる足音に、怪しい物の方でも慌てたらしく、かれはお倉の右の頬を引っ掻いて逃げた。お倉は二、三間追っ掛けて行ったが、足の早い彼はどこへか姿を隠してしまった。
「化け物なんて嘘です。たしかに人間ですよ。暗くって判りませんでしたけれど、何でも十六七ぐらいの男でした」と、お倉は云った。気丈な彼女の証言によって、化け物の正体はいよいよ人間ときめられたが、さてそれが何者であるかは判らなかった。
併し人間ときまれば又それを取り押える方法もあると、町役人どもは自身番に集まって、その悪戯者を狩り出す相談をしていると、ここへ又新しい不思議な報告が来た。それはお倉が曲者に出会ってから半時ほどの後であった。さきに干物を攫《さら》われた印判屋の台所の上で、なにかごとごとという音がきこえたので、おおかた猫か鼠だろうと思った女房は、台所へ出てしっしっと追ったが、屋根のうえの物音はまだ止まなかった。このあいだの一件に驚かされている彼女はぞっとしたが、それも怖い物見たさの好奇心から、引窓の引き綱を解いてそろそろと明けた。その途端になにを見たか、彼女はきゃっと云って奥へころげ込んだ。
彼女がふるえながら話すところに因ると、かれが屋根の上をそっと覗こうとする時に、引窓の穴から二つの大きい光った眼が出た。彼女はそれ以上を見とどける勇気も無しに奥へ逃げ込んでしまったのであった。
この報告を受け取って、人々はまた迷った。
「番太郎の女房の云うことはあてにならない。どうも人間ではないようだ」と、今夜の評議も結局不得要領に終った。
こうして不安と混雑とを続けているうちに、半七は一方の用が片付いた。きょうはいよいよ半鐘の詮議に取りかかろうと思っていたが、午前《ひるまえ》は客が来たので出る事ができなかった。彼は八ツ(午後二時)頃に神田の家を出て、呪いの半鐘に見おろされている薄暗い町へ踏み込んだ。
「気のせいか、陰気な町だな」と、半七は思った。
風はないが、底寒い日であった。薄い日の光りがどんよりと洩れたかと思うと、又すぐに吹き消すように消えてしまった。昼でもあまり暗いので、鴉も途惑《とまど》いをしたらしい、ねぐらを急ぐように啼き連れて通った。半七はふところ手をして、まず町内の鍛冶屋のまえに立つと、そこの店からは大小の蜜柑がばらばら飛び出すのを、小児《こども》たちが群がって拾っていた。きょうは十一月八日の鞴祭《ふいごまつ》りであることを半七はすぐに覚った。小児の群れのうしろから覗いて見ると、親方が蜜柑を往来へ威勢よく撒《ま》いていた。職人も権太郎も笊《ざる》に入れた蜜柑を忙がしそうに店へ運んでいた。
半七は自身番へ寄って、家主を相手に世間話をしながら、鍛冶屋の蜜柑撒きの済むのを待っていた。半鐘一件の片付かない間は、家主はかならず交代で自身番へ詰めていることになったので、早く埒が明いてくれなければ困るなどと、家主は手前勝手な愚痴を云っていた。
「御心配にゃあ及びません。近いうちに何とか眼鼻をつけてお目にかけます」と、半七は慰めるように云った。
「どうか宜しく願います。だんだん寒空には向って来ますし、火事早い江戸で半鐘騒ぎは気が気でありませんよ」と、家主はいかにも弱り抜いているらしかった。
「お察し申します。なに、もうちっとの御辛抱ですよ。あの鍛冶屋の鞴祭りが済んだらば、小僧をちょいと此処へ呼んで下さいませんか」
「やっぱりあの小僧がおかしゅうございますか」
「と云う訳でもありませんが、少し訊きたいことがありますから、あんまり嚇《おど》かさないでそっと連れて来てください」
往来へころがる蜜柑の数もだんだん減って、子供たちの影も鍛冶屋の店さきを散ってしまうと、家主は権太郎を呼びに行った。半七は煙草をのみながら表を眺めていると、壁色の空はしだいに厚くなって来て、魔のような黒い雲がこの町の上を忙がしそうに通った。海鼠《なまこ》売りの声が寒そうにきこえた。
「これは神田の半七親分だ。おとなしく御挨拶をしろ」と、家主は権太郎を引っ張って来て半七のまえに坐らせた。きょうは鞴祭りのせいか、権太郎はいつものまっ黒な仕事着を小ざっぱりした双子《ふたこ》に着かえて、顔もあまりくすぶらしていなかった。
「おめえが権太郎というのか。親方は今なにをしている」と、半七は訊いた。
「これからお祝いの酒が始まるんだ」
「それじゃあ差当りお前に用もあるめえ。きょうは蜜柑まきで、お前は蜜柑を貰ったか」
「十個《とお》ばかり貰った」と、権太郎は袂を重そうにぶらぶら振ってみせた。
「そうか。なにしろ、ここじゃ話ができねえ。裏の空地《あきち》まで来てくれ」
表へ出ると、霰《あられ》がばらばら降って来た。
「あ、降って来た」と、半七は暗い空を見た。「まあ、大したこともあるめえ。さあ、すぐに来い」
四
権太郎はおとなしく付いて来た。半七は路地へはいって、稲荷の社のまえの空地に立った。
「おい、権太。お前はまったくあの半鐘を撞いたことはねえか」
「おいら知らねえ」と、権太郎は平気で答えた。
「印判《はんこ》屋の干物に悪戯をした覚えもねえか」
権太郎はおなじく頭《かぶり》をふった。
「この裏にいた妾を嚇かしたことがあるか」
権太郎はやはり知らないと云った。
「お前には兄弟か、仲のよい友達があるか」
「別に仲の好いというほどの友達はねえが、兄貴はある」
「兄貴は幾つだ。どこにいる」
霰がざっと降って来たので、半七も堪まらなくなった。かれは権太郎の手を引っ張って、以前お北が住んでいたという空家の軒下に来た。表の戸には錠が卸《おろ》してなかったので、引くとすぐにさらりと明いた。半七は沓脱《くつぬぎ》へはいって、揚げ板になっている踏み段を手拭で拭きながら腰をかけた。
「お前もここへ掛けろよ。そこで、おめえの兄貴というのは家《うち》にいるのか」
「年は十七で、下駄屋に奉公しているんだ」
その下駄屋はここから五、六町先にあると権太郎は説明した。おやじが死ぬと間もなく、阿母《おふくろ》はどこへか行ってしまって、兄貴と自分とは孤児《みなしご》同様に取り残されたのであると云った時には、いたずら小僧の声も少し沈んできこえた。半七もなんとなく哀れを誘われた。
「じゃあ兄弟二人ぎりか。兄貴はおめえを可愛がってくれるか」
「むむ。宿下がりの時にゃあ何日《いつ》でもお閻魔《えんま》さまへ一緒に行って、兄貴がいろんなものを食わしてくれる」と、権太郎は誇るように云った。
「そりゃあ好い兄貴だな。おめえは仕合わせだ」と、云いかけて半七は調子をかえた。彼は嚇すように権太郎の顔をじっと視た。
「その兄貴をおれが今、ふん縛ったらどうする」
権太郎は泣き出した。
「おじさん、堪忍しておくれよう」
「悪いことをすりゃあ縛られるのはあたりめえだ」
「おいらは悪いことをしねえでも縛られた。それであんまり口惜《くや》しいから」
「口惜しいからどうした。ええ、隠すな。正直にいえ。おらあ十手を持っているんだぞ。てめえは口惜しまぎれに、兄貴になんか頼んだろう。さあ、白状しろ」
「頼みゃあしねえけれども、兄貴もあんまりひどいって口惜しがって……。なんにもしねえものを無暗にそんな目にあわせる法はねえと云った」
「そりゃあ手前のふだんの行状が悪いからだ。現にてめえは柿を盗もうとしたじゃねえか」と、半七は叱った。
「そのくらいは子供だから仕方がねえ。叱って置いても済むことだ。それも親方に撲《なぐ》られるのは我慢するけれども、自身番の奴らがむやみに棒で撲ったり、縛ったりしやあがった。ひとを縛るということは重いことで、無暗に出来るもんじゃあねえと兄貴が云った」と、権太郎は泣き声をふるわせた。「おいらはもうこうなりゃあ何もかも云っちまうが、兄貴があんまり口惜しいというんで、おいらの加勢で意趣返しをしてくれたんだ。おいらが垣根を登ったなんて密告《つげぐち》をした奴は煙草屋のおちゃっぴいだ。おいらをぶん撲って縛った奴は自身番の耄碌おやじだ。こいつ等をみんなひどい目にあわしてやると、兄貴は終始《しょっちゅう》狙っていたんだ」
「すると、煙草屋のむすめと自身番の佐兵衛と番太の嚊《かかあ》と、この三人にいたずらした奴は手前の兄貴だな」
「おじさん、堪忍しておくれよう」
権太郎は声をあげて又泣き出した。
「兄貴が悪いんじゃあねえ。兄貴はおいらの加勢をしてくれたんだ。兄貴を縛るならおいらを縛ってくんねえ。兄貴は今までおいらを可愛がってくれたんだから、おいらが兄貴の代りに縛られても構わねえ。よう、おじさん。兄貴を堪忍してやって、おいらを縛ってくんねえよ」
彼は小さいからだを半七にすり付けて、泣いてすがった。
すがられた半七もほろりとした。町内で札付きのいたずら小僧も、その小さい心の底にはこうした美しい、いじらしい人情がひそんでいるのであった。
「よし、よし、そんなら兄貴は堪忍してやる」と、半七は優しく云った。「今の話はおれ一人が聴いただけにして置いて、だれにも云わねえ。その代りに俺の云うことを何でも肯《き》くか」
相手の返事は聞くまでもなかった。権太郎は無論なんでも肯くと誓うように云った。半七は彼の耳に口をよせて何事かをささやくと、権太郎はうなずいてすぐに出て行った。
霰は又ひとしきり降って止んだが、雲はいよいよ低くなって、一種の寒い影が地面へ掩《おお》いかぶさって来た。昼でもどこの家も静まりかえっていた。掃溜《はきだ》めをあさりに来る犬もきょうは姿を見せなかった。空家を忍んで出た権太郎は、ぬき足をして稲荷の社のまえに行って、袂から鞴祭りの蜜柑を五つ六つ出した。彼は木連《きつれ》格子のあいだからそれをそっと転がし込んで、自分は土のうえに平蜘蛛《ひらぐも》のように俯伏していた。彼は一生懸命に息を殺していた。
半七は空家に腰をかけてしばらく待っていたが、権太郎からは何の報告もないので、彼は待ちあぐんでそっと出て行った。
「おい、権太、なんにも当りはねえか」と、半七は小声で訊くと、権太郎は俯伏していた首をあげて、それを左右に振った。半七は失望した。
霰はまた音をたてて降って来たので、半七はあわてて手拭をかぶって、あられに打たれておとなしく俯伏している権太郎を見るに忍びないので、彼はこっちへ来いと頤《あご》で招くと、権太郎はそっと這い起きて戻って来た。
「稲荷さまのなかでなんにも音がしねえか。がたりともいわねえか」と、半七はまた訊いた。
「むむ、がたりともごそりともいわねえよ。どうもなんにも居ねえらしい」と、権太郎は失望したようにささやいた。二人は元の空家へはいった。
「お前まだ蜜柑を持っているか」
権太郎は袂から三つばかりの蜜柑を出した。半七はそれを受け取って、自分のうしろの障子を音のしないようにするりとあけた。入口は二畳で、その傍《そば》に三畳ぐらいの女中部屋が続いているらしかった。半七はその二畳に這い上がって、つき当りの襖をあけると、そこには造作の小綺麗な横六畳があって、縁側にむかった障子ばかりが骨も紙もひどく傷《いた》んでいるのが、薄暗いなかにも眼についた。骨はところどころ折れていて、紙も引きめくったように裂けていた。半七はその六畳のまん中へ蜜柑を二つばかり転がし込んだ。それから女中部屋の襖をあけて、そこへも一つ投げ込んだ。入口の障子を元のように閉め切って彼は再び沓脱《くつぬぎ》へ降りた。
「静かにしていろよ」と、彼は権太郎に注意した。
二人は息をのみ込んで控えていると、外のあられの音はまた止んだ。内では何の物音もきこえないので、権太郎は少し待ちくたびれて来たらしかった。
「ここにも居ねえのかしら」
「静かにしろと云うのに……」
この途端に、奥の方でがさりという微かなひびきが聞えたので、二人は顔をみあわせた。何者かが障子の破れをくぐって、六畳の間へ這い込んで来るらしく思われた。それは猫のような足音で、畳にざらざらと触れる爪の音がだんだんに近づいて来た。じっと耳をすまして聴いていると、その者は半七の投げこんだ蜜柑をむしゃむしゃ食っているらしかった。
「畜生め」
半七は笑いながら権太郎に眼くばせして、二人は草履を手に持って一度に障子をあけた。つづいて次の襖を蹴ひらいて、六畳の座敷へばらばら跳り込むと、うす暗いなかには一匹の獣《けもの》がひそんでいた。獣は奇怪な叫び声をあげながら、障子を破って縁側へ逃げ出そうとしたところを、半七はうしろから追い付いてその頭を草履でなぐった。権太郎もつづいて撲り付けた。獣は度を失ったらしく、白い牙をむき出して権太郎に飛びかかって来た。こういう場合には平生《へいぜい》のいたずらが役に立って、彼は物ともしないでその奇怪な獣と取っ組んだ。怪物はおそろしい声をあげて唸った。
「権太、しっかりしろ」
声をかけて励ましながら、半七は頭にかぶっていた手拭を取って、うしろからその敵の喉に巻きつけた。喉をしめられて怪物もさすがに弱ったらしく、いたずらに手足をもがきながら権太郎にとうとう組み敷かれてしまった。気の利いている権太郎は自分の帯を解いて、すぐに彼をぐるぐる巻きに縛りあげた。そのあいだに半七は縁側の雨戸をこじあけると、陰った日の薄い光りが空家のなかへ流れ込んだ。
「畜生、案の通りだ」
権太郎に生捕られた怪物は大きな猿であった。この怪物と格闘した形見《かたみ》として、彼は頬や手足に二、三カ所の爪のあとを残された。
「なに、この位、痛かあねえ」と、彼は得意らしく自分の獲物をながめていた。猿は死にもしないで、おそろしい眼を瞋《いか》らせていた。
「これが宮本|無三四《むさし》か何かだと、狒々《ひひ》退治とか云って芝居や講釈に名高くなるんですがね」と、半七老人は笑った。「それから自身番へ引き摺って行くと、みんなもびっくりして町内総出で見物に来ましたよ。なぜわたしが猿公《えてこう》と見当をつけたかと云うんですか。それは半鐘をあらために登った時に、火の見梯子に獣の爪の跡がたくさん残っていたからですよ。どうも猫でもないらしい。こいつは猿公が悪戯《いたずら》をするんじゃないかと、ふいと思い付いたんです。囲い者の傘の上に飛び付いたり、物干のあかい着物を攫って行ったり、どうしても猿公の仕業《しわざ》らしゅうござんすからね。そこで、その猿公がどこに隠れているのか、わたくしは稲荷の社《やしろ》だろうと見当を付けたんですが、それはちっとはずれました。けれども多分最初のうちは社の奥にかくれていて、お供物《くもつ》なんぞを盗み食いしていたのが、だんだん増長していろいろの悪戯を始め出して、そのうちに囲い者の家があいたもんだから、その空店《あきだな》の方へ巣替えをして、またまた悪さをしたんだろうと思います。可哀そうなのは権太郎で、ふだんの悪戯が祟りをなして飛んだひどい目に逢いましたが、兄貴のことは私のほかに誰も知りません。なにもかもみんな猿公の悪戯ということになってしまいました。権太郎もその化け物を退治してから、町内の人達にも可愛がられるようになりましてね。とうとう一人前の職人になりましたよ」
「一体その猿はどこから来たんです」と、わたしは訊いた。
「それが可笑《おか》しいんです。その猿公はね、両国の猿芝居の役者なんです。それがどうしてか逃げ出して、どこの屋根を伝ったか縁の下をくぐったか、この町内へまぐれ込んで来て、とうとうこんな騒ぎを仕出来《しでか》したんですが、だんだん調べてみると、こいつは女形《おんながた》で八百屋お七を出し物にしていたんです。ね、面白いじゃありませんか、ふだんから火の見櫓にあがって、打てば打たるる櫓の太鼓、か何かやっていたもんだから、同じいたずらをするにしても、火の見梯子へ駈けあがって、半鐘をじゃんじゃん打《ぶ》っ付けたと見えるんですね。猿公に芝居がかりで悪戯をされちゃあ堪まりませんや。はははははは。わたくしも長年の間、いろいろの捕物をしましたがね、猿公にお縄をかけたのは飛んだお笑いぐさですよ」
「その猿はどうしました」と、わたしは好奇心にそそられて又訊いた。
「その飼主は一貫文の科料、猿公は世間をさわがしたという罪で遠島、永代橋から遠島船に乗せられて八丈島へ送られました。奴は芝居小屋なんぞで窮屈な思いをしているよりも、島へ行って野放しにされた方が仕合わせだったかも知れません。畜生のことですもの、島の役人だって厳重に縛って置いたりするもんですか、どこへかおっ放してしまいますよ」
猿の遠島――こんな珍らしい話を聴かされて、わたしは今日もわざわざたずねて来た甲斐があったと思った。
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奥女中
一
半月ばかりの避暑旅行を終って、わたしが東京へ帰って来たのは八月のまだ暑い盛りであった。ちっとばかりの土産物を持って半七老人の家をたずねると、老人は湯から今帰ったところだと云って、縁側の蒲莚《がまござ》のうえに大あぐらで団扇をばさばさ遣《つか》っていた。狭い庭には夕方の風が涼しく吹き込んで、隣り家の窓にはきりぎりすの声がきこえた。
「虫の中でもきりぎりすが一番江戸らしいもんですね」と、老人は云った。「そりゃあ値段も廉《やす》いし、虫の仲間では一番下等なものかも知れませんが、松虫や鈴虫より何となく江戸らしい感じのする奴ですよ。往来をあるいていても、どこかの窓や軒できりぎりすの鳴く声をきくと、自然に江戸の夏を思い出しますね。そんなことを云うと、虫屋さんに憎まれるかも知れませんが、松虫や草雲雀《くさひばり》のたぐいは値が高いばかりで、どうも江戸らしくありませんね。当世の詞《ことば》でいうと、最も平民的で、それで江戸らしいのは、きりぎりすに限りますよ」
老人はしきりに虫の講釈をはじめて、今日《こんにち》では殆ど子供の玩具《おもちゃ》にしかならないような一匹三銭ぐらいの蟋蟀《きりぎりす》を大いに讃美していた。そうして、あなたも虫を飼うならきりぎりすを飼ってくださいと云った。虫の話がすんで風鈴の話が出た。それから今夜は新暦の八月十五夜だという話が出た。
「暦が違いますから八月でもこの通り暑うござんすよ。これが旧暦だと朝晩はぐっと冷えて来るんですがね」
老人は又むかしのお月見のはなしを始めた。そのうちにこんな話が出て、わたしの手帳に一項の記事をふやした。
文久二年八月十四日の夕方であった。半七がいつもより早く家《うち》へ帰って、これから夕飯をすませて、近所の無尽《むじん》へちょいと顔出しをしようと思っていると、小さい丸髷に結った四十ばかりの女が苦労ありそうな顔を見せた。
「親分。どうも御無沙汰をいたして居りました。いつも御機嫌よろしゅう、結構でございます」
「おお、お亀さんか。久しく見えなかったね。お蝶坊も好い新造《しんぞ》になったろう。あの子もおとなしく稼ぐようだから阿母《おっかあ》もまあ、安心だ」
「いえ、実はそのお蝶のことに就きまして、今晩お邪魔にあがりましたのでございますが、どうもわたくし共にも思案に余りましてね」
四十女のひたいの皺をみて、半七は大抵想像がついた。お亀は今年十七になるお蝶という娘を相手に、永代橋の際《きわ》に茶店を出している。お蝶は上品な美しい娘で、すこし寡言《むくち》でおとなし過ぎるのを疵にして、若い客をひき寄せるには十分の価《あたい》をもっていた。お亀もこの美しい娘を生んだことを誇りとしていた。その娘について何か苦労が出来たといえば、半七でなくても大抵の見当は付く。親孝行のお蝶が親よりも更に大事な人を見付けだしたという紛糾《いざこざ》に相違ない。稼業が稼業だけに、それをやかましく云うのも野暮《やぼ》だと半七は思った。
「じゃあ、なんだね。お蝶坊が何かこしらえて、阿母に世話を焼かせるというわけだね。まあ、ちっとぐらいのことは大目に見てやる方がいいぜ。若い者のこった、ちっとは面白いこともなけりゃあ稼ぐ張り合いがねえというもんだ。阿母だって覚えがあるだろう。あんまりやかましく云わねえがよかろうぜ」と、半七は笑っていた。
お亀は莞爾《にこり》ともしないで、相手の顔をじっと見つめていた。
「いいえ、おまえさん。なかなかそんな訳じゃございませんので……。なに、情夫《おとこ》でもこしらえたとかいうような浮いたお話なら、おっしゃる通り、わたくしも大抵のことは大目に見て居りますけれども、どうもそれがまことに困りますので……。当人もふるえて泣いて居りますような訳で……」
「おかしな話だな。一体そりゃあどうしたというんだね」
「娘がときどき影を隠しますので……」
半七はやはり笑って聴いていた。若い茶屋娘が時々に影をかくす――そんなことは殆ど問題にならないというような顔をしているので、お亀もすこし急《せ》き込んだ。
「いいえ、それが情夫や何かのこととはまるで訳が違いますので……。まあお聴きくださいまし。丁度この五月の川開きの少し前でございました。一人のお供を連れた立派なお武家がわたくしの店のまえを通りかかりまして、ふと店にいる娘を見ましてふらふらと店へはいって来たんでございます。それからお茶を飲んでしばらく休んで、お茶代を一朱置いて行きました。まことに好いお客様でございます。それから三日ほど経つと、そのお武家がまたお出でになりましたが、今度は三十五六ぐらいの品の好い御殿風の女の方《かた》と一緒でございました。どうも御夫婦ではないようでした。そうして、その女の方がお蝶の名を訊いたり、年をきいたりして、やっぱり一朱のお茶代を置いて行きました。それから又三日ばかり経ちますと、お蝶の姿が見えなくなったんでございます」
「むむ」と、半七はうなずいた。
かれらは一種のかどわかしで、身分のありそうな武士や女に化けて来て、容貌《きりょう》のいい娘をさらって行ったに相違ない、と半七は鑑定した。
「娘はそれぎり帰らねえのかえ」
「いいえ。それから十日《とおか》ほど経つと、夕方のうす暗い時分に真っ蒼な顔をして帰って来ました。わたくしもまあ、ほっとして其の仔細を訊きますと、娘が最初に姿を隠しましたのも、やっぱり夕方のうす暗い時分で、わたくしが後に残って店を片付けておりまして、娘は一と足先へ帰りますと、浜町河岸《はまちょうがし》の石置き場のかげから、二、三人の男が出て来まして、いきなりお蝶をつかまえて、猿轡《さるぐつわ》をはめて、両手をしばって、眼隠しをして、そこにあった乗物のなかへ無理に押し込んで、どこへか担いで行ってしまったんだそうでございます。娘も夢中で揺られて行きますと、それから何処をどう行ったのか判りませんが、なんでも大きな御屋敷のようなところへ連れ込まれたんだそうで……。それも遠いか近いか、ちっとも覚えていなかったそうでございます」
お蝶はそれから奥まった座敷へつれて行かれた。三、四人の女が出て来て、かれの眼隠しや猿轡をはずして、両手の縛《いまし》めをも解いてくれた。やがてこの間の女が出て来て、さぞびっくりしたろうが、決して案じることもない、怖がることもない、唯おとなしくして、わたし達の云う通りになっていれば好いと、優しくいたわってくれた。年の若いお蝶はただおびえているばかりで捗々《はかばか》しい返事もできないのを、女はなおいろいろ慰めて、まずしばらく休息するがいいと云って、茶や菓子を持って来てくれた。それから風呂へはいれと云って、ほかの女たちに案内させた。お蝶はやはり夢中で湯殿へ行った。
風呂が済むと、また別の広い座敷へ案内された。そこには厚い美しい座蒲団が敷いてあった。床の間の花瓶には撫子《なでしこ》がしおらしく生けてあって、壁には一面の琴が立ててあったが、もう眼が眩《くら》んでいるお蝶には何がなにやら能《よ》くもわからなかった。
この間の女が再び出て来て、お蝶に髪をあげろと云った。ほかの女たちが寄って彼女の髪をゆい直すと、今度は着物を着かえろと云った。女たちがまた手伝って、衣桁《いこう》にかけてある艶《あで》やかなお振袖を取って、お蝶のすくんでいる肩に着せかけた。錦のように厚い帯をしめさせた。まるで生まれ変ったような姿になって、お蝶は自分のからだの始末に困って唯うっとりと突っ立っていると、女たちは彼女の手をひいて座蒲団のうえに押し据えた。それから経脚のようになっている小さい机を持ち出して来て彼女のまえに置いた。机のうえには二、三冊の立派な本がのせてあった。女たちは更に香炉を持って来て机のそばへ置くと、うす紫の煙がゆらゆらと軽く流れて、身にしみるような匂いにお蝶はいよいよ酔わされた。秋草を画いた絹行燈がおぼろにとぼされて、その夢のような灯の下に彼女も夢のような心持でかしこまっていた。
女たちは一冊の本を机の上にひろげて、お蝶にすこし俯向いて読んでいろと云った。魂はもう半分ぬけているようなお蝶は、なにを云われても逆らう気力はなかった。かれは人形芝居の人形のように、他人の意志のままに動いているよりほかはなかった。彼女はおとなしく本に向っていると、さぞ暑かろうと云って、一人の女が絹団扇で傍から柔かにあおいでくれた。
「口を利いてはなりませんぞ」と、このあいだの女がそっと注意した。お蝶はただ窮屈そうに坐っていた。
やがて縁伝いに軽い足音が静かにきこえて、三、四人の人がここへ忍んで来るらしかったが、顔をあげてはならないと、この間の女がまた注意した。そのうちに縁側の障子が音も無しに少しあいたらしく思われた。
「見てはなりませぬぞ」と、女はおどすように小声でまた云った。
どんな恐ろしいものが窺っているのかと、お蝶はいよいよ身をすくめて、ただ一心に机を見つめていると、障子は再び音も無しにしまって、縁側の足音はしだいに遠くなってゆくらしかった。お喋はほっとすると、腋の下から冷たい汗が雨のように流れ落ちた。
「御苦労でありました」と、女はいたわるように云った。「もう当分は打ちくつろいでいてもよかろう」
今まで薄暗かった行燈の灯はかき立てられて、座敷は俄かに明るくなった。女たちが夜食の膳を運んで来た。時分をすぎてさぞ空腹《ひもじ》かったであろうと女たちが丁寧に給仕して、お蝶は蒔絵の美しい膳のまえに坐らせられたが、かれは胸が一ぱいに詰まっているようで、なんにも咽喉《のど》へ通りそうもなかった。かずかず列べられた見事な御料理にも彼女は碌々箸をつけなかった。ともかくも食事が済むと、また少し休息するがよかろうと云って、このあいだの女はしずかにその席を起った。ほかの女たちも膳を引いてどこへか消えてしまった。
たった一人そこに取り残されて、はじめて幾らかの人心地のついたお蝶は、どう考えても夢のようで何がなにやら見当が付かなかった。もしや狐に化かされているのではないかとも思った。一体ここの人達は、どういう料簡で自分をここへ連れて来て、美しい着物をきせて、旨いものを食わせて、こんな立派な座敷に住まわせて、みんなが大切そうに侍《かしず》いてくれるのであろう。芝居や浄瑠璃にあるように、わたしを誰かの身代りにして首でも打って渡すのではあるまいか、とお蝶はまた疑った。
なにしろ、こんな薄気味の悪いところは一刻《いっとき》も早く逃げ出したいと思ったが、どこからどう抜け出していいか、彼女にはとても方角が立たなかった。
「庭へ出たらどこか逃げ路が見付かるかも知れない」
お蝶は一生の勇気をふるい起して、息を殺しながらそろりそろりと滑《すべ》っこい畳の上を忍んであるいた。ふるえる手先が障子にかかると、出会いがしらに一人の女がはいって来た。お蝶ははっと立ちすくむと、便所《はばかり》ならば御案内すると云って彼女が先に立って行った。縁側へ出ると広い庭が見えた。月のない夜で、真っ暗な木立のあいだに螢のかげが二つ三つ流れていた。遠いところで梟《ふくろう》の声もさびしく聞えた。
もとの座敷へ帰ってくると、いつの間にか其処には寝床が延べられて、雁金《かりがね》を繍《ぬ》った真っ白な蚊帳《かや》が涼しそうに吊ってあった。このあいだの女がまた何処からか現われた。
「もうお休みなさるがよい。ことわって置きますが、たとい夜なかにどんなことがあっても、かならず顔をあげてはなりませぬぞ」
手を取るようにして蚊帳のなかへ押し込まれて、お蝶は雪のように白い衾《よぎ》につつまれた。どこかで四ツ(午後十時)の鐘がひびいた。幽霊のような女たちは足音もせずに再びそっと消えてしまった。
その晩がおそろしかった。
二
神経のふるえているお蝶はとても安々と寝つかれる筈はなかった。生まれてから一度も寝たことのない衾や蒲団の柔か味が、却ってかれに異様の肌障りをあたえて、ふわふわと宙に浮いているような一種の不安を感じさせた。おまけに其の晩は蒸し暑かったので、かれの額や首筋には粘《ねば》るよう気味の悪い汗がにじみ出した。お蝶は長い紅い総《ふさ》のついている枕のうえに、幾たびか重い頭の置きどこを取り替えてみた。
そのあいだに何刻《なんどき》ほど経ったか。かれは固《もと》より記憶していなかったが、唯さえ静かな家中がしんとして、夜ももう余ほど更けているらしいと思う頃に、次の間の畳を滑るような足音が微かに響いた。お喋は惣身《そうみ》の血が一度に凍るように感じられて、あわてて衾を深くかぶって枕の上に俯伏してしまうと、墨塗りの縁《ふち》をつけた大きい襖がさらりとあいたらしく思われて、着物の裾を永く曳いているような響きが枕に薄く伝わった。お蝶は息をのみ込んでいた。
はいって来たものは薄暗い行燈の傍《わき》にすうと立って、白い蚊帳越しにお蝶の寝顔を覗いているらしかった。生き血を吸いに来たのか、骨をしゃぶりに来たのかと、お蝶はもう半分死んだもののようになって、一心に衾の袖にしがみ付いていると、やがてその衣摺《きぬず》れの音は次の間へ消えて行ったらしかった。怖い夢から醒めたように、お蝶は寝衣《ねまき》の袂で額の汗をふきながらそっと眼をあいて窺うと、襖は元のように閉まっていて、蚊帳のそとには蚊の鳴き声さえも聞えなかった。
明け方になって陽気がすこし涼しくなると、宵からの気疲れでお蝶はさすがにうとうとと眠った。眼がさめると枕もとにはゆうべの女たちが行儀よく控えていて、さらにお蝶の着物を着替えさせてくれた。蒔絵の手水盥《ちょうずだらい》を持って来て顔を洗わせてくれた。あさ飯が済むと、このあいだの女がまた出て来た。
「さぞ窮屈でもあろうが、もう少しの辛抱でござりますぞ。退屈であろう、ちっとお庭でも歩いてみませぬか。わたし達が案内します」
女たちに左右を取りまかれて、お蝶は庭下駄をはいて広い庭に降りた。植込みの間をくぐってゆくと、そこには物凄いような大きい池が青い水草を一面にうかべて、みぎわには青い芒《すすき》や葦が伸びていた。この古池の底には大きい鯰《なまず》の主《ぬし》が住んでいると、一人の女が教えてくれたのでお蝶はぞっとした。
「しッ」と、例の女が急に注意をあたえた。「池の方を見ておいでなさい。傍視《わきみ》をしてはなりませぬぞ」
何者かが何処かで自分を窺っているのだと気がついて、お蝶も急に身を固くした。主のひそんでいるという恐ろしい池を覗いたままで、彼女はしばらく突っ立っていると、やがてその警戒も解けたらしく、女たちはまた打ちくつろいでしずかにあるき出した。
もとの座敷へ戻ると、お喋はまた一刻《いっとき》ばかりの休息をあたえられた。女たちは草双紙などを持って来て貸してくれた。午飯がすむと、一人の女が来て琴をひいた。六月はじめの暑い日に、決して縁側の障子をあけることは許されなかった。襖も無論に閉め切ってあった。お蝶は体《てい》の好い座敷牢のようなありさまで長い日を暮した。夕方になると、ゆうべの通りに湯殿へ案内されて、帰ってくると今夜は別の着物に着かえさせられた。あかりがつくと、机の前にまた坐らせられた。今夜は誰も忍んで来て窺っているらしい様子は見えなかったが、それでもお蝶はまだまだ油断ができなかった。
「今夜もまた何か来るかしら」
おびえた魂をかかえて、彼女は今夜も四ツ頃から蚊帳にはいると、その晩は宵から細かい雨がしとしとと降り出して池の蛙がしきりに鳴いていた。お蝶はやはり眠られなかった。夜もだんだんに更《ふ》けて来たと思われる頃になると、自然か、人の仕業《しわざ》か、枕もとの行燈がしだいにうす暗くなって来たので、お蝶は眼をかすかに明いてそっと窺うと、白い襖から抜け出して来たような一種の白い影が、白い蚊帳のそとをまぼろしのように立ち迷っていた。
「あ、幽霊……」と、お蝶は慌てて衾をかぶってしまった。そうして、ふだんから信仰する観音様や水天宮様を口のうちで一心に念じていた。小半刻も経ってから彼女は怖々のぞいて見ると、白いまぼろしはいつか消えていて、どこかで一番鶏の鳴く声がきこえた。
夜があけると、すべてきのうの通りに、顔を洗って、髪をあげて、化粧をして、あさ飯が済むと庭へ連れ出された。夜になると、机のまえに坐らせられて、蚊帳にはいると、今夜も幽霊のようなものが枕もとへ迷って来た。そうした窮屈と恐怖とに夜も昼も責められて、それが七日八日とつづくうちにお蝶は自分が幽霊のように痩せ衰えて来た。
「こんな苦しみをするくらいならば、いっそ死んだほうがましだ」
彼女はしまいにはこう覚悟して、このあいだの女にむかって是非一度は家へ帰してくれと泣いて頼んだ。女もひどく困ったらしい顔をしていたが、悪くすると古池へ身でも投げそうなお蝶の決心に動かされたらしく、十日目の夕方には、とうとう一旦は帰れという許可をあたえた。
「併しこの事は決して他言はなりませぬぞ。またそのうちに迎いに行くかも知れませぬが、その時はどうぞ来てくれるように……。今から頼んで置きますぞ」
さもなければ帰すことはならないと云うので、お喋もよんどころ無しに承知して、きっとまたまいりますと心にもない誓いを立てた。女はいろいろ心配をかけて気の毒であったと云って、奉書の紙につつんだ目録をくれた。日が暮れてあたりが薄暗くなった頃に、お蝶は目隠しをさせられた。口には猿轡を食《は》まされた。来た時とおなじような乗物に乗せられた。人通りの少ないところを選んで浜町河岸まで揺られてくると、石置き場のまえで彼女を乗物からおろして、空《から》の乗物をかついだ男達は逃げるように何処へか立ち去った。
お蝶は狐が落ちた人のようにぼんやりと突っ立っていたが、急にまた何だか怖くなって一散にかけ出して、家へ駈け込んで母の顔を見るまでは、彼女もまだ半分は夢のような心持であった。狐に化かされたのだろうとお亀は云ったが、ふところに入れて来た目録は木の葉ではなかった。迷子札《まいごふだ》のような新しい小判がまさに十枚はいっていた。
「まあ、十両あるよ」と、お亀は眼をまるくして驚いた。いくら正直でも慾のない人間はすくない。この頃の相場では、妾奉公をしても月一両の給金はむずかしいのに、別になにをするでも無しに、美しい着物を着せられて、旨いものを食わされて、一日一両の手間賃になる。こんなありがたい商売はないとお亀は喜んでいたが、お蝶は身ぶるいして忌《いや》がった。一両はさておいて、一日十両の給金を貰ってもあんな怖いところへ二度とゆくことはまっぴらだと、かれはその後半月ばかりは病人のような蒼い顔をして暮していた。小判の顔をみてお亀も一旦は喜んだものの、よくよく考えてみると彼女もなんだか不安になって来た。お蝶が忌がるのも無理はないと思われた。
「十両の金があれば店は閑《ひま》でも困らない。おまえはまあ当分は家に隠れていて、店へ顔を出さない方がよかろうよ」
いつまた連れに来るかも知れないという懸念があったので、お亀は娘を店へ出さないことにした。すると、その月の末の夕方に、お亀が店をしまってくると、留守番をしている筈のお蝶が姿をかくしていた。近所で訊いても誰も知らないと云った。かならずこの間のところに連れて行かれたことと察したが、そのゆく先はもとより判らなかった。お亀は思案ながらに其の日その日を送っていると、今度も十日目にお蝶はぼんやり帰って来た。ふところにはやはり十両の目録包みを持っていて、すべてがこの間の話をくり返すに過ぎなかった。
「なるほど、好い商法のようだが、こいつはちっと変だね。お蝶坊が忌がるのも無理はねえ」と、この不思議な話を聞いて半七はひたいに小皺をよせた。
「すると、先月の末から娘がまた見えなくなったんでございます。いつもわたくしの留守を狙って来て、否応なしに担いで行ってしまうんだそうで……。外へ出れば乗物が待っていて、眼かくしをして乗せて行くんですから、どこへ連れて行かれるのか見当が付きません」
「そこで今度も無事に帰って来たのかい」
「いいえ。それが帰って来ませんの」と、お亀は顔を陰らせた。「今度はもう十日の余になりますけれども、何のたよりもございませんので、わたくしもいろいろ心配しておりますと、けさ早くに一人の女がわたくしの家へ見えまして……。それはこの間の御殿風の女でございます。仔細あって娘を当分は音信不通の約束でこちらへ貰いたいと、こう云うんです。勿論、その代りに二百両の金を渡すというんですが、わたくしもまことに困りましてね。何んぼわたくしだって、可愛い娘を金で売るわけにはまいりません。まして娘があれほど忌がっているものを、あんまり可哀そうでもございますから、一旦は断わりましたんですけれど、相手の方はなかなか承知しないんでございます。無理でもあろうが肯《き》いてくれと、立派なお女中が手をついて頼むんでしょう。わたくしも実に当惑してしまいまして、なにしろすぐに御返事はできないから、まあ一日二日考えさせてくれと申して、ようようその人を帰したんでございますが……。ねえ、親分さん。こりゃあまあ、一体どうしたもんでございましょう」
お亀は声をふるわせて、いかにも途方に暮れているらしかった。
三
「そりゃあ心配だろうね。今の話の様子じゃあ相手はいずれ大きい御旗本か御大名だろうが、なぜそんなことをするんだろう。茶店の娘だって容貌《きりょう》のぞみで大名の御部屋様にもなれねえとも限らねえが、それなら又そのように打ち明けて召し抱えの相談もありそうなもんだが、少し理窟が呑み込めねえな」と、半七はしばらく考えていた。「それになにしろ肝腎の玉が向うに引き揚げられているんじゃあ、どうにもならねえ。おまけにその屋敷もどこだか判らねえじゃ手の着けようがねえ。困ったもんだ」
半七に腕を組まれて、お亀はいよいよ頼りのないような顔をしていた。
「娘がこれぎり帰って来ませんようだったら、どうしましょう」と、彼女は二、三度も水をくぐったらしい銚子|縮《ちぢみ》で眼を拭いていた。
「だが、その御守殿風の女とかいうのが、いずれ一日二日のうちにまた出直して来るだろうから、ともかくも俺が行って、それとなく様子を見てあげよう。その上で又なんとか好い知恵も出ようじゃねえか」と、半七は慰めるように云った。
「親分がいらしって下されば、わたくしもどんなに気丈夫だか判りません。では、まことに勝手がましゅうございますが、あしたにもちょいとお出でを願いとうございます」
お亀はしきりに念を押して頼んで帰った。あくる日は十五夜で、晴れた空には秋風が高く吹いていた。朝早くから薄《すすき》を売る声がきこえた。半七は午前《ひるまえ》にほかの用を片付けて、八ツ(午後二時)頃からお亀の家をたずねた。お亀の家は浜町河岸に近い路地の奥で、入口の八百屋にも薄や枝豆がたくさん積んであった。近所の大きい屋敷のなかでは秋の蝉が鳴いていた。
「おや、親分さん。どうも恐れ入りました」と、お亀は待ち兼ねたように半七を迎えた。「早速でございますが、娘がゆうべ戻ってまいりましてね」
ゆうべお亀が半七をたずねている留守に、お蝶はいつもの通りの乗物にのせられて、河岸の石置き場まで送りかえされていた。詳しいことは阿母《おっか》さんに話してあるから、おまえも家へ一度帰ってよく相談をして来いと、お蝶はかの女から云い聞かされて来たのであった。
こういう場合に本人を素直に帰してよこすというのは、いかにも物の判った仕方で、先方に悪意のないことは能く判っていた。気疲れで奥の三畳にうとうと眠っているお蝶を呼び起させて、半七は彼女から更に詳しい話を聴きとったが、やはり確かな見当は付かなかった。お蝶の話によって考えると、その屋敷はどうも然るべき大名の下屋敷であるらしく思われたが、その場所も方角も知れないので、それがどこの屋敷だか見当が付かなかった。
「今に誰か来るかも知れないから、まあ、待っていて見ようよ」と、半七も腰をおちつけて、そこに居坐っていることにした。
この頃の日脚《ひあし》はよほど詰まって、ゆう六ツの鐘を聴かないうちに、狭い家の隅々はもう薄暗くなった。お亀は神酒《みき》徳利や団子や薄《すすき》などを縁側に持ち出してくると、その薄の葉をわたる夕風が身にしみて、帷子《かたびら》一枚の半七は薄ら寒くなってきた。殊にもう夕飯の時分になったので、半七はお亀にたのんで近所から鰻を取って貰った。自分一人で食うわけにも行かないので、お亀とお蝶の母子《おやこ》にも食わせた。
飯を食ってしまって、半七は楊枝《ようじ》をつかいながら縁先に出ると、狭い路地のかさなり合った庇《ひさし》のあいだから、海のような碧い大空が不規則に劃《しき》られて見えた。月はその空の上にかかっていなかったが、東の方の雲の裾がうす黄色くかがやいているので、今夜の明月が思いやられた。露はいつの間にか降りているらしく、この頃ではもう邪魔物のように庭さきにほうり出されている二鉢の朝顔の枯れた葉が、薄白くきらきらと光っていた。
「みんなも出て拝みなせえ。もうじきお月様があがるぜ」と、半七は声をかけた。
この途端に溝板を踏む足音がきこえて、一人の男がここの格子のまえに立った。お亀がすぐに出てみると、それは見識らない武士《さむらい》姿であったが、かれはお蝶母子が家にいることを確かめて、唯今お女中が逢いに来られると伝えて行った。
「まあ、おれはいない積りにして置いてくんねえ」と、半七はあわてて草履をつかんで、お蝶と共に奥の三畳にかくれた。そうして襖の隙き間からそっと窺っていると、やがてはいってきたのは三十歳前後のやはり奥勤めらしい女であった。
「初めてお目にかかります」と、女はお亀にむかって丁寧に挨拶した。お亀もおどおどしながら相当の挨拶をしていた。
「早速でございますが、こちらの娘のお蝶どのの身の上について昨日《さくじつ》もほかの御女中がまいって詳しいお話をいたしました筈。親御も御得心ならば、今夜からすぐにお越し下さるように、わたくしがお迎いにまいりました」
女は切り口上で云った。お亀はすこしその威に打たれたらしく、唯もじもじしていて、はっきりした挨拶もできなかった。
「今さら御不承知と申されては、わたくしどもの役目が立ちませぬ。まげて御承知くださるように重ねておねがい申します」
「娘はゆうべ帰りまして、それからなんだか気分が悪いとか申して、きょうも一日|臥《ふせ》って居りますので、まだ碌々に相談いたす暇もございませんで……」
お亀は一寸|遁《のが》れの口上で、なんとか此の場を切り抜けるつもりらしかったが、相手はなかなか承知しなかった。女は嵩《かさ》にかかって又云った。
「いえ、それはなりませぬ。篤《とく》と御相談くださるように、昨夜わざわざ戻してあげましたのに、いま以て何の御相談もないというは、こちらの志を無にしたような致され方、それではわたくしはおめおめ引き取るわけにはまいりませぬ。娘御をここへ呼び出して、わたくしと三《み》つ鼎《がなえ》であらためて御相談いたしましょう。お蝶どのををすぐこれへ」
凛とした声できめ付けられて、お亀はいよいようろたえていると、女は袱紗《ふくさ》につつんで来た小判のつつみを出して、うす暗い行燈の前へ二つならべた。
「御約束の御手当ては二百両、封のままで唯今お渡し申します。さあ、どうぞ娘御をこれへ」
「は、はい」
「あくまでも御不承知か。お役目首尾よく相勤めませねば、わたくし此の場で自害でもいたさねば相成りませぬ」
彼女は更に帯のあいだから袋に入れた懐剣のようなものを把《と》り出して見せた。その鋭い瞳《ひとみ》のひかりに射られて、お亀は蒼くなってふるえ出した。掛け合いはもう手詰めになって来た。
「あの女はおまえ識っているか」と、半七は小声でお蝶にきくと、お蝶は無言で首を振った。半七はすこし考えていたが、やがて三畳から台所へ這い出して、水口《みずぐち》からそっと表へぬけた。
路地のそとは月が明るかった。角から四、五軒さきの質屋の土蔵のまえには、一挺の駕籠が下ろされて、そこには二人の駕籠舁《かごかき》と先刻の武士らしい男が立っていた。半七はそれを見とどけて、今度は表の格子からはいって来た。そうして、黙って女のまえに坐った。女は受けあごの細おもてに薄化粧をして、眼の涼しい、鼻のたかい、見るからに男まさりとでもいいそうな女振りで、髪は御殿風の片はずしに結っていた。
「御免くださいまし」
半七は何げなく挨拶すると、女は黙って鷹揚に会釈《えしゃく》した。
「わたくしはこのお亀の親戚《みより》の者でございますが、うけたまわりますれば、こちらの娘を御所望とか申すことで。なにぶんにも婿取りの一人娘ではございますが、それほど御所望と仰しゃるからは、御奉公に差し上げまいものでもございません」
お亀はびっくりして半七の顔を見ると、彼はつづけてこう云った。
「勿論、あなたの方にもいろいろの御都合もございましょうが、いくら音信不通のお約束でも、せめて御奉公の御屋敷様の御名前だけでも伺って置きたいと存じますのが、こりゃあ親の人情でございます。どうぞそれだけをお明かじ下さいましたら……」
「折角でありますが、御屋敷の名はここでは申されません。ただ中国筋のある御大名と申すだけのことで……」
「あなた様のお勤めは……」
「表使を勤めて居ります」
「左様でございますか」と、半七は微笑《ほほえ》んだ。「では、まことに申しにくうございますが、この御相談はお断わり申しとう存じます」
女の眼はじろりと光った。
「なぜ御不承知と云われます」
「失礼ながら御屋敷の御家風が少し気に入りませんから」
「異なことを……。御屋敷の御家風をどうしてお前は御存じか」と、女は膝をたて直した。
「奥勤めの御女中の右の小指に撥胝《ばちだこ》があるようでは、御奥も定めて紊《みだ》れて居りましょうと存じまして」
女の顔色は急に変った。
「御免くださりませ。たのみます」
格子の外で案内《あない》を頼む女の声がきこえた。
四
「お出で遊ばしませ。まあ、どうぞこちらへ」
入口へ出たお亀がうろうろしながら、新しい女客を奥へ招じ入れようとすると、案内を頼んだ女は少しためらっているらしかった。
「どうやら御来客の御様子でござりますな」
「はい」
「では、重ねてまいりましょう」
引っ返そうとするらしい女を、半七は内から呼びかえした。
「あの、恐れ入りますが、しばらくお控えくださいまし。ここにあなたの偽物がまいって居りますから、どうか御立ち会いの上で御吟味をねがいとう存じますが……」
はじめの女はいよいよ顔色を変えたが、彼女はもう度胸を据えたらしく、急ににやにや笑い出した。
「親分。お見それ申して相済みません。さっきからどうも唯の人でないらしいと思っていましたが、おまえさんは三河町の親分さんでございましたね。もういけません。頭巾をぬぎましょうよ」
「そんなことだろうと思った」と、半七も笑った。「実は表へまわって見ると、御大名の御屋敷のお迎いが辻駕籠もめずらしい。奥女中の指には撥胝がある。どうもこれじゃあ芝居にならねえ。おめえは一体どこから化けて来たんだ。偽迎いも偽上使もいいが、役者の好い割にゃあ舞台がちっとも栄《は》えねえじゃあねえか」
「どうも恐れ入りました」と、女は頭をすこし下げた。「この芝居はちっとむずかしかろうと思ったんですが、まあ度胸でやってみろという気になって、どうにかこうにか段取りだけは付けて見たんですが、親分に逢っちゃ敵《かな》いませんよ。こうなりゃあみんな白状してしまいますがね。わたくしは深川で生まれまして、おふくろは長唄の師匠をしていましたんです」
彼女の名はお俊といった。母は自分のあとを嗣《つ》がせるつもりで、子供のときから一生懸命に長唄を仕込んだが、お俊は肩揚げの下りないうちから男狂いをはじめて、母をさんざん泣かせた挙句に、深川の実家を飛び出して、上州から信州越後を旅芸者でながれ渡って、二、三年前に久し振りで江戸に帰ってくると、深川の母はもう死んでいた。それでも近所には昔の知人が残っているので、彼女はここで長唄の師匠をはじめて、少しは弟子もあつまるようになったが、道楽の強い彼女はとてもおとなしくしていられなかった。詰まらない男に引っかかって、金が欲しさに女囮《つつもたせ》もやった。湯屋の板の間もかせいだ。そのうちにお俊はこの近所の魚屋《さかなや》からふとお蝶の噂を聞き込んだ。
魚屋はお俊が懇意の家で、そこの娘はお亀とも心安くしているので、お蝶がときどきに怪しい使いに誘拐されてゆくという噂が自然にお俊の耳に伝わった。お蝶の容貌《きりょう》好しをかねて知っている彼女は、この怪しい使いを利用して、娘を更に自分の手へ誘拐しようという悪い料簡を起した。ふだんから自分の手先につかっている安蔵という奴に云いふくめて、二、三日まえからお亀の家の近所をうろついて、内の様子を窺わせているうちに、その屋敷からお蝶を一生奉公にかかえたいという掛け合いに来たことも判った。お蝶がゆうべ戻って来たことも判った。彼女は安蔵を供の武士に仕立てて、自分は奥女中に化けてお蝶を受け取りに来たのであった。彼女がお蝶の前にならべた二百両は無論に銅脈の偽物であった。
「なにしろ急仕事の偽迎いだもんですからね。ぐすぐずしていると、ほんものの方が乗り込んで来るかも知れないというので、無暗に支度を急いだもんですから、乗物までは手がまわらないで、飛んだ唯今のお笑い草となってしまいましたよ」と、お俊はさすがに悪党だけに何もかも思い切りよくしゃべってしまった。
「それでみんな判った」と、半七はうなずいた。「お前もこんなことで食らい込んじゃあ嬉しくあるめえが、半七が見た以上は、まさかに御機嫌よろしゅう、はい左様ならと云うわけには行かねえ。気の毒だが一緒にそこまで来て貰おうぜ」
「どうも仕方がありませんよ。まあ、いたわっておくんなさいまし」
併しこんな姿で引っ張って行かれるのは、乞食芝居のようで困るから、どうぞ家から浴衣《ゆかた》を取り寄せてくれとお俊は云った。半七も承知したが、ここではどうにもならないから、ともかくも番屋まで来いと云って、お俊を引っ立てて出ようとするところへ、さっきから入口に立っていた女がはいって来た。
「これが表沙汰になりましては、御屋敷の名前にもかかわります。幸いに事を仕損じて誰に迷惑がかかったというでもなし、この女の罪はわたくしに免じてどうか御勘弁を願わしゅう存じます」
女がしきりに頼むので、半七は無下《むげ》に跳ねけ付けることも出来なくなった。彼は女の苦しそうな事情を察して、とうとうお俊を赦してやることになった。
「親分さん。どうも有難うございました。いずれお礼にうかがいます」
「礼なんぞに来なくても好いから、この後あんまり手数を掛けねえようにしてくれ」
「はい、はい」
お俊は器量を悪くしてすごすご帰って行った。これで偽物の正体はあらわれたが、ほんものの正体はやはり判らなかった。併しもうこういう破目《はめ》になっては、なまじいに包み隠しても仕方があるまい、いよいよ相手の疑いを増すばかりで、まとまるべき相談も却って纏《まと》まらないかも知れないと覚ったらしく、女はお亀と半七にむかって自分の秘密を正直に打ち明けた。
彼女はお俊のような偽物でなく、たしかに或る大名の江戸屋敷につとめている奥女中であった。主人の殿様は江戸から北の方にある領地へ帰っているが、奥方は無論に江戸屋敷に残されていた。奥方には最愛の姫様《ひいさま》があって、容貌《きりょう》も気質もすぐれて美しいお方であったが、その美しい姫様は明けて十七という今年の春、疱瘡《ほうそう》神に呪われて菩提所の石の下へ送られてしまった。あまりの嘆きに取りつめて母の奥方は物狂おしくなった。祈祷や療治も効がなかった。明けても暮れても姫の名を呼んで、どうぞ一度逢わせてくれと泣き狂うので、屋敷中の者も持て余した。その痛ましさと浅ましさを見るに堪えかねて、用人と老女が相談の末に、姫様によく肖《に》た娘をどこからか借りて来て、姫様に仕立ててお目にかけたらば、奥方のお気も少しは鎮まろうかということになった。併しそんなことが世間に洩れては御屋敷の恥じである。あくまで秘密にこの役目を仕遂げなければならぬというので、二、三人の人が手わけをして心当りを探してあるいた。
その頃の人は気が長い。そうして、根《こん》よく探しているうちに、用人の一人が永代橋の茶店で図らずもお蝶を見つけ出した。年頃も顔かたちも丁度註文通りに見えたので、かれは更に奥女中の雪野というのを連れて来て眼利きをさせた。誰の眼もかわらないで、幸か不幸かお蝶は合格した。
いよいよその本人が見付かると、それをどうして連れてくるかということについて、屋敷内では議論が二つに分かれた。ひとの娘を無得心に連れて来るというのは拐引《かどわかし》同様の仕方であるから、内密にその仔細を明かしておとなしく連れてくるがよかろうと云う温和な意見もあった。しかし一方には又これに反対して、なにを云うにも相手は茶店の女どもである。いくら口止めをして置いても、果たして秘密を守るかどうか頗る不安心である。また後日《ごにち》にねだりがましい事など云いかけられても面倒である。すこしうしろ暗いやり方ではあるが、いっそ不意に引っさらってくる方が無事であろう。何事も御家の外聞にはかえられぬと云う者もあった。結局、後の方の説が勢力を占めて、その役目を云いつけられた武士どもは、身分柄にもあるまじき拐引同様の所行《しょぎょう》をくり返すことになったのである。
それほど苦心した甲斐があって、その計略は見ごとに成功した。物狂おしい奥方は、替え玉のお蝶を夜も昼もときどき覗《のぞ》きに来て、死んだ姫の魂が再びこの世に呼び戻されたものと思っているらしく、それからは忘れたようにおとなしくなった。併しそれは一時のことで、お喋の姿が幾日もみえないと、彼女は姫にあわせろと云って又狂い出した。さりとて人の娘を際限もなく拘禁して置くことはできないので、屋敷の者もまた困った。
その矢先に又一つの新しい問題が起った。それは此の年の七月から新しい布達《ふれ》があって、諸大名の妻女も帰国勝手たるべしということになったので、どこの藩でも喜んだ。一種の人質《ひとじち》となって多年江戸に住んでいることを余儀なくされた諸大名の奥方や子息たちは、われ先にと逃げるように国許《くにもと》へ引きあげた。勿論この屋敷でも奥方を領地へ送ることになったが、乱心同様の奥方が道中に狂い出したらばどうするか。それがみんなの胸に横たわる苦労の重い凝塊《かたまり》であった。そこで評議がまた開かれた。その評議の結論は、どうしてもお蝶を遠い国許まで連れて行くよりほかはないということに帰着した。
併し今度は殆ど永久的の問題で、さすがに無得心で連れ出すわけには行かないので、ともかくも本人や親許にも相談の上、一生奉公の約束で連れて行くことになった。奥女中の雪野がその使をうけたまわって、きのうも親許へたずねて来たのであった。いっそ最初からあからさまに事情を打ち明けたら、こっちもまた分別のしようがあったかも知れなかったが、ひたすらに御家の外聞という事ばかり考えていた雪野は、何事も秘密ずくめで相談をまとめようと焦《あせ》っていた為に、こっちの疑いはいよいよ深くなった。おまけに横合いからお俊のように偽迎いがあらわれた為に、事件はますます縺《もつ》れてしまった。
そのわけを聴いてみると、半七も気の毒になった。子ゆえに狂う母の心と、その母を取り鎮めようと努めている家来どもの苦心と、それに対しても余りに強いことも云われない破目になった。
三畳の隠れ家からお蝶はそろそろ這い出して来た。かれは貰い泣きの眼を拭きながら云った。
「これで何もかも判りました。阿母《おっか》さん、わたくしのような者でもお役に立つなら、どうぞそのお国へやってください」
「え。ほんとうに承知して行ってくださるか」と、雪野はお蝶の手をとって押し頂かないばかりにして礼を云った。
明月は南の空へまわって来て、庭から家のなかまで一ぱいに明るく映《さ》し込んだ。
「おふくろもとうとう承知して、娘を奉公にやることに決めましたよ」と、半七老人は云った。
「それから又話が進んで来て、いっそ阿母《おふくろ》も一緒に行ったらどうだということになりました。江戸には近しい親戚も無し、自分もだんだんに年をとって来るもんですから、お亀も娘のそばに行った方が好いという料簡《りょうけん》になって、世帯をたたんで一緒に遠いお国へ行きましたよ。なんでも御城下に一軒の家を持たせて貰って、楽隠居のようなふうで世を終ったそうです。明治になって間もなく、その奥方も亡くなったもんですから、お蝶は初めてお暇《いとま》が出て、その屋敷から立派に支度をして貰って、相当の家へ嫁《とつ》いだという噂ですが、多分まだ生きているでしょう。お俊という奴は江戸を食いつめて駿府《すんぷ》へ流れ込んで、そこでお仕置になったとか聞いています」
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帯《おび》取りの池
一
「今ではすっかり埋められてしまって跡方も残っていませんが、ここが昔の帯取りの池というんですよ。江戸の時代にはまだちゃんと残っていました。御覧なさい。これですよ」
半七老人は万延版の江戸絵図をひろげて見せてくれた。市ケ谷の月桂寺の西、尾州家の中屋敷の下におびとりの池という、かなり大きそうな池が水色に染められてあった。
「京都の近所にも同じような故蹟があるそうですが、江戸の絵図にもこの通り記《しる》してありますから嘘じゃありません。この池を帯取りというのは、昔からこういう不思議な伝説があるからです。勿論、遠い昔のことでしょうが、この池の上に美しい錦の帯が浮いているのを、通りがかりの旅人などが見付けて、それを取ろうとしてうっかり近寄ると、忽ちその帯に巻き込まれて、池の底へ沈められてしまうんです。なんでも池のぬしが錦の帯に化けて、通りがかりの人間をひき寄せるんだと云うんです」
「大きい錦蛇でも棲んでいたんでしょう」と、わたしは学者めかして云った。
「そんなことかも知れませんよ」と、半七老人は忤《さか》らわずにうなずいた。「又ある説によると、大蛇が水の底に棲んでいる筈はない。これは水練に達した盗賊が水の底にかくれていて、錦の帯を囮《おとり》に往来の旅人を引き摺り込んで、その懐中物や着物をみんな剥ぎ取るのだろうと云うんです。まあ、どっちにしても気味のよくない所で、むかしは大変に広い池であったのを、江戸時代になってだんだん狭《せば》められたのだそうで、わたくしどもの知っている時分には、岸の方はもう浅い泥沼のようになって、夏になると葦などが生えていました。それでも帯取りの池という忌《いや》な伝説が残っているもんですから、誰もそこへ行って魚《さかな》を捕る者も無し、泳ぐ者もなかったようでした。すると或る時、その帯取りの池に女の帯が浮いていたもんだから、みんな驚いて大騒ぎになったんですよ」
それは安政六年の三月はじめであった。その年は余寒が割合に長かったせいか、池の岸にも葦の青い芽がまだ見えなかった。ある時、近所のものが通りかかると、岸の浅いところに女の派手な帯が長く尾をひいて、まん中の水の方まで流れているのを発見した。これが普通の池でも相当の問題になるべき発見であるのに、まして昔から帯取りの池という奇怪な伝説をもっている此の池に女の美しい帯が浮かんでいるのであるから、その噂はそれからそれへと伝わって、勿ち近所の大評判となったが、うっかり近寄ったらどんなに恐ろしい目に遇うかも知れないという不安があるので、臆病な見物人はただ遠いほうから眺めているばかりで、たれも進んでその帯の正体を見とどける者がなかった。
そのうちに尾州家から侍が二、三人出て来た。かれらは袴の股立《ももだ》ちを取って、この泥ぶかい岸に降り立って、疑問の帯をずるずると手繰《たぐ》りあげたが、帯は別に不思議の働きをも見せないで、濡れた尾をひき摺りながら明るい春の日の下にさらされた。帯は池の主《ぬし》ではなかった。やはり普通の若い女が締める派手な帯で、青と紅とむらさきと三段に染め分けた縮緬《ちりめん》地に麻の葉模様が白く絞り出されてあった。
「誰がこんなところへ捨てて行ったんだろう」
それが第二の疑問であった。帯はまだ新しい綺麗なもので、この時代でも売れば相当の値になるものを、誰が惜し気もなく投げ込んで行ったものか、それに就いてはいろいろの想像説があらわれた。ある者は盗賊の仕業《しわざ》であろうと云った。盗賊がどこからか盗み出して来たのを、邪魔になるので捨てたのか、或いは後の証拠になるのを恐れて捨てたのか、おそらくは二つに一つであろうとのことであった。又ある者は誰かの悪戯《いたずら》であろうと云った。ここが帯取りの池ということを承知の上で、世間の人を騒がすためにわざとこんな帯を投げ込んだものであろうとのことであった。併しそんな悪戯はもう時代おくれで、天保以後の江戸の世界には、相当の物種《ものだね》をつかって世間をさわがせて、蔭で手をうって喜んでいるような悠長な人間は少なくなった。したがって、前の説の方が勢力を占めて、これはきっと盗賊の仕業に相違ないということに決められてしまった。
併しその盗賊は判らなかった。その被害者もあらわれて来なかった。疑問の帯は辻番所にひとまず保管されることになって、そのまま二日《ふつか》ばかり経つと、ここにまた思いも寄らない事実が発見された。その帯の持主は、市ケ谷|合羽坂《かっぱざか》下の酒屋の裏に住んでいるおみよという美しい娘で、おみよは何者にか絞め殺されているのであった。そう判ると、又その評判が大きくなった。
おみよは今年十八で、おちかという阿母《おふくろ》と二人で、この裏長屋にしもたや暮しをしていた。長屋といっても、寄付きをあわせて四間ほどの小綺麗な家で、ことに阿母は近所でも評判の綺麗好きというので、格子などはいつもぴかぴか光っていた。併しこの母子《おやこ》が誰の仕送りで、こうして小綺麗に暮しているのか、それは近所の人達にもよく判らなかった。おみよの兄という人が下町《したまち》のある大店《おおだな》に勤めていて、その兄の方から月々の仕送りを受けているのだと母のおちかは吹聴《ふいちょう》していたが、その兄らしい人が曾《かつ》て出入りをしたこともないので、近所ではそれを信用しなかった。おみよは内証で旦那取りをしているらしいという噂が立った。おみよの容貌《きりょう》が好いだけに、そういう疑いのかかるのも無理はなかったが、母子は別にそれを気にも止めないふうで、近所の人達とは仲よく附き合っていた。
帯取りの池におみよの帯が浮かんでいた其の前の日の朝、この母子は練馬の方の親類に不幸があって、泊りがけでその手伝いに行かなければならないと云って、近所の人達に留守を頼んで出て行った。表の戸には錠をおろして行ったので、誰も内を覗いて見る人もなかったが、それからあしかけ四日目に阿母が一人で帰って来た。両隣りの人に挨拶して、やがて格子をあけてはいったかと思うと、たちまち泣き声をあげて転《ころ》げ出して来た。
「おみよが死んでいます。皆さん、早く来てください」
近所の人達もおどろいて駈け付けると、娘のおみよは奥の六畳間に仰向けさまに倒れていた。それを聞いて家主も駈け付けた。やがて医師も来た。医師の診断によると、おみよは何者かに絞め殺されたのであった。更に不思議なことは、おみよは阿母と一緒に家を出た時と同じ服装《みなり》をしているにも拘らず、その麻の葉の帯が見えなかった。彼女をまず絞め殺して置いて、それからその死体を適当の位置に据え直して行ったことは、その死にざまのちっとも取り乱していないのを見てもさとられた。
「おみよさんがいつの間に帰って来たんだろう」
それが第一に判らなかった。おちかの説明によると、その日練馬へゆく途中で、娘のすがたが急に見えなくなった。勿論その前から練馬へゆくのをひどく忌《いや》がっていたから、途中でおふくろを撒《ま》いて逃げ帰ったのであろうと、おちかは推量した。先をいそぐ身は今更引っ返して詮議もならないので、彼女は娘をそのままにして先方へ行った。通夜やら葬式やらに三日ばかりの暇を潰して、四日目のけさ早くに練馬を発って、たった今帰りついて見ると表の錠は外《はず》れていた。案の通り、娘は先に帰っているものと思って、格子をあけてはいると内は昼でも真っ暗であった。口小言を云いながら窓をあけると、まず眼にはいったものは娘の浅ましい亡骸《なきがら》で、おちかは腰のぬけるほど驚いたのであった。
「何がなにやら一向に判りません。わたくしはまるで夢のようでございます」と、おちかは正体もなく泣き崩れていた。
近所の人達も夢のようであった。おみよがいつの間に帰って来て、いつの間に殺されたか、両隣りの者すらも気がつかなかった。それにしてもおみよの帯を誰が解いて行ったかと詮議の末に、それがおとといの朝、かの帯取りの池に浮かんでいたということが初めて判った。おちかもその帯を見て、これは娘の物に相違ないと泣きながら証明した。して見ると、何者かがおみよを絞め殺して、その帯を解いて抱え出して、わざわざ帯取りの池へ投げ込んだものであろう。しかし、なんの為に彼女の帯を解いたか、慾の為ならばこの家内にもっと金目の品は幾らもある。彼女の帯ばかりでなく、着物をも剥《は》いで行きそうなものであるのに、単に帯ばかりに眼をつけて、しかも場所をえらんで、それを帯取りの池へ沈めたというには何か深い仔細がなければならない。まさかに池の主が美しいおみよを魅《み》こんだ訳でもあるまい。どう考えても、この疑問がまだ容易に解けそうもなかった。
こうなると近所迷惑で、長屋中のものはみな自身番の取り調べをうけた。取り分けて母のおちかは、自分が娘を絞め殺して置いて、わざと家を留守にしていたのではないかという疑いをうけて、そのなかでも一番厳重に吟味されたが、おちかは全くなんにも知らないと云い張った。近所の人達も母子が二人づれで出て行くところを見とどけたと証明した。ことにこの母子はふだんから仲好しで、おふくろが娘を殺すような理由は誰の眼にも発見されなかった。帯取りの池の秘密はそのおそろしい伝説と同じように、いつまでも疑問のままで残されていた。
二
それから七日ばかりの後の夜であった。手先の松吉が神田三河町の半七の家へ威勢よく駈け込んで来た。
「親分、知れましたよ。あの帯取りの一件が……。近所の評判に嘘はねえ、おみよという女はやっぱり旦那取りをしていたんですよ。相手はなんでも旗本の隠居で、こっちから時々にそっと通っていたんです。おふくろは頻りに隠していたんですけれど、わっしがいろいろ嚇しつけて、とうとうそれだけの泥を吐かせて来たんですが、どうでしょう、それが何かの手がかりになりますまいか」
「むむ、それだけでも判ると、だいぶ見当がつく」と、半七はうなずいた。「おふくろを嚇かして来たんじゃあ、あんまり手柄にもならねえが……。ひょろ松、まあ手前にしちゃあ上出来のほうだ。おとなしそうに見えていても、旦那取りをするような女じゃあ、ほかにも又いろいろの紛糾《いざこざ》があるだろう。そこで、お前はこれからどうする」
「さあ、それが判らねえから相談に来たんです。まさかその旗本の隠居が殺したんじゃありますめえ。親分はどう思います」
「おれもまさかと思うが……」と、半七は首をひねった。「だが、世間には案外なことがあるからな。なかなか油断はできねえ。その旗本はなんという屋敷で、隠居の下屋敷はどこにあるんだ」
「屋敷は大久保式部という千石取りで、その隠居の下屋敷は雑司ケ谷にあるそうです」
「じゃあ、なにしろその雑司ケ谷というのへ行って見ようじゃあねえか。飛んでもねえものに突き当るかも知れねえ」
あくる朝、松吉の誘いに来るのを待って、半七は二人づれで神田を出た。きょうは三月なかばの花見|日和《びより》といううららかな日で、ぶらぶら歩いている二人のひたいには薄い汗がにじんだ。雑司ケ谷へゆき着いて、大久保式部の下屋敷をたずねると、さすがは千石取りの隠居所だけに屋敷はなかなか手広そうな構えで、前には小さい溝川《どぶがわ》が流れていた。
「まるで一軒家ですね」と、松吉は云った。
なるほど背中合わせに一軒の屋敷があるだけで、右も左も広い畑地であった。近所で訊くと、この下屋敷には六十ばかりの御隠居が住んでいて、ほかには用人と若党と中間《ちゅうげん》、それから女中が二人ほど奉公しているとのことであった。半七は菜の花の黄いろい畑のあいだを縫って、屋敷の横手を一と通り見まわした。
「屋敷の奴が殺《や》ったんじゃあるめえな」
「そうでしょうか」
「これだけの広い屋敷だ。おまけに近所に遠い一軒家も同様だ。妾をやっつける気があるなら、屋敷の中でやっつけるか、帰る途中をやっつけるか、何もわざわざ当人の家まで押し掛けて行くには及ばねえ。誰が考えてもそうじゃねえか」
「そうですねえ。じゃあ、きょうは無駄足でしたか」と、松吉は詰まらなそうな顔をしていた。
「だが、まあいいや、久し振りでこっちへ登って来たから、鬼子母神《きしぼじん》様へ御参詣をして、茗荷屋《みょうがや》で昼飯でも食おうじゃねえか」
二人は田圃《たんぼ》路を行きぬけて、鬼子母神前の長い往来へ出ると、ここらの気分を象徴するような大きい欅《けやき》の木肌が、あかるい春の日に光っていた。天保以来、参詣の足が少しゆるんだとはいいながら、秋の会式《えしき》についで、春の桜時はここもさすがに賑わって、団子茶屋に団扇《うちわ》の音が忙がしかった。すすきの木菟《みみずく》は旬《しゅん》はずれで、この頃はその尖ったくちばしを見せなかったが、名物の風車は春風がそよそよと渡って、これも名物の巻藁にさしてある笹の枝に、麦藁の花魁《おいらん》があかい袂を軽くなびかせて、紙細工の蝶の翅《はね》がひらひらと白くもつれ合っているのも、のどかな春らしい影を作っていた。ふたりは欅と桜の間をくぐって本堂の前に立った。
「親分、なかなか御参詣があるねえ」
「花どきだ。おれたちのような浮気参りもあるんだろう。折角来たもんだ。よく拝んでいけ」
松吉もまじめになって拝んだ。名代《なだい》の藪蕎麦《やぶそば》や向畊亭《こうこうてい》はもう跡方もなくなったので、二人は茗荷屋へ午飯を食いにはいった。松吉は酒をのむので、半七も一、二杯附き合った。二人はうす紅い顔をして茶屋を出ると、門口《かどぐち》で小粋なふうをした二十三四の女に出逢った。女は妹らしい十四五の小娘をつれて、桐屋の飴の袋をさげていた。小娘は笹の枝につけた住吉踊りの麦藁人形をかついでいた。
「あら、三河町の親分さん」と、女は立ち停まって愛想のいい笑顔をみせた。
「御信心だね」と、半七も笑って会釈《えしゃく》すると、小娘も笑って挨拶した。
「お前たちもお午飯《ひる》かえ。もう少し早いとお酌でもして貰うものを、惜しいことをしたっけな」と、半七はまた笑った。
「ほんとうに残念でございますね」と、女も笑った。「妹と二人で家をあけちゃあ困るんですけれど、きょうはよんどころない御代参を頼まれたもんですからね。一人で二つ願っちゃあ、あんまり慾張っているようで勿体《もったい》のうござんすから、自分は自分、妹は御代参と、こう役割を決めてまいりました」
「これが病気とでもいうのかえ」
松吉は親指を出してみせると、女は肩を少しそらせて笑った。
「ほほ、御冗談でしょう。可哀そうにこれでもまだお嫁入り前でさあね。御代参をたのまれたのは、町内の古着屋のおっかさんに……。と云い訳をするのも野暮ですが、そこの妹があたしのところへお稽古に来るもんですから」
「じゃあ、そのおっかさんも御信心なんだね」と、半七は何の気もつかずに云った。
「御信心も御信心ですけれど、すこし心配事がありましてね。そこの息子さんが十日ばかりも前から、どこへ行ってしまったか判らないんですよ。方々の卜者《うらない》にみて貰ったら、剣難があるの、水難があるのと云われたそうで、おっかさんはなおなお苦労しているんです。今もお堂で御神籤《おみくじ》を頂いたんですが、やっぱり凶と出たので……」と、女は苦労ありそうに細い眉を寄せた。
女は内藤新宿の北裏に住んでいる杵屋《きねや》お登久という師匠であった。かれは半七や松吉の商売を識っているので、ここで遇ったのを幸いに、もしその古着屋の息子のゆくえに就いて、なにか心当りでもあったら知らしてくれと頼んだ。半七はこころよく受け合った。
「なにしろ、おっかさんが可哀そうですからね」と、お登久は同情するように云った。「妹はまだ子供ですし、稼ぎ人にいなくなられちゃあ、どうにもしようがないんです」
「そりゃあ気の毒だね。一体その息子はなんという男で、年は幾つぐらいだね」
半七に訊かれて、お登久は詳しくその息子の身の上を話した。彼は千次郎といって九つの春から市ケ谷合羽坂下の質屋に奉公していたが、無事に年季を勤めあげて、それから三年の礼奉公をすませて、去年の春から新宿に小さい古着屋の店を出して、おふくろと妹と三人暮しで正直に稼いでいる。年は二十四だが、色白の小作りの男で、ほんとうの暦よりは二つ三つぐらいも若く見えるとのことであった。その話を聴きながら半七は師匠の顔色をじっと窺っていたが、相手に云うだけのことを云わせてしまって、しずかにこう云い出した。
「そこで、師匠。云うまでもねえこったが、その千次郎という息子は早く探し出さなけりゃあ困るんだろうね」
「ええ。一日でも早い方がいいんです。くどくも申す通り、おっかさんがひどく心配しているんですから」と、お登久はすがるように頼んだ。うす化粧をした彼女の顔に、不安の暗い影がありありと浮かんでいた。
「じゃあ、もう少し深入りして訊きてえことがあるんだが、師匠はどうせここへはいるつもりなんだろうから、おれ達も附き合ってもう一度引っ返そうじゃねえか」
「でも、それじゃあんまりお気の毒ですから」
「なに、構わねえ。さあ、おれが案内者になるぜ」
半七は先に立って、茗荷屋へ再びはいった。好い加減に酒や肴をあつらえて、お登久と妹に飯を食わせてやったが、やがて時分を見て彼はお登久を別の小座敷へ連れて行った。
「ほかじゃあねえが、今の古着屋の息子の一件だが……。おめえも俺にたのむ以上は、なにもかも打明けてくれねえじゃあ、どうも水っぽくて仕事がしにくいんだが……」
にやにや笑いながらその顔をのぞき込まれて、お登久は少し酔っている顔をいよいよ紅くした。彼女は小菊の紙でくちびるのあたりを掩いながら俯向いていた。
「おい、師匠。野暮に堅くなっているじゃあねえか。さっきからの口ぶりで大抵判っているが、おめえは行く行くその古着屋の店へ坐り込んで、一緒に物尺《ものさし》をいじくる積りでいるんだろう。ねえ、年が若くって、男が悪くなくって、正直でよく稼ぐ男を、亭主にもって不足はねえ筈だ。まあ、そうじゃあねえか。おめえは芸人、相手は町人、なにも御家の御法度《ごはっと》を破ったという訳でもねえから、そんなに怖がって隠すこともあるめえ。いよいよという時にゃあ、俺だって馴染み甲斐に魚っ子の一尾《いっぴき》も持ってお祝いに行こうと思っているんだ。惚気《のろけ》がまじっても構わねえ、万事正直に云って貰おうじゃねえか。おらあ黙って聞き手になるから」
「どうも相済みません」
「済むも済まねえもあるもんか。そりゃあそっち同士の芝居だ」と、半七は相変らず笑っていた。
「そこで、その千次郎という男は、無論に師匠ひとりを大切に守っているんだろうね。無暗に食い散らしをするような浮気者じゃあるめえね」
「それがどうも判りませんの」と、お登久は妬《ねた》ましそうに云った。「確かな手証は見とどけませんけれど、合羽坂の質屋にいた時分から何か引っ懸りがあるように思われるので、あたしは何だか好い心持がしないもんですから、時々それをむずかしく云い出しますと、いいえ決してそんなことはないと、どこまでも≪しら≫を切っているんです」
千次郎は夜泊りなどをする様子はない。商売用のほかに方々遊びあるく様子もない。合羽坂にいるときから鬼子母神様が信仰で、月に二、三度はかならず参詣に来る。その以外には何の怪しい廉《かど》もないが、たった一度、女の手紙らしいものを持っていたことがある。勿論、見付けられると同時に、千次郎はすぐ破ってしまったので、自分はその文句を読んだことはないが、その以来注意して窺っていると、彼はなんだか落ち着かないところがある。自分に対して何か隠し立てをしていることがあるらしい。それが面白くないので、半月ほど前にも自分は彼と喧嘩をした。そうして、是非ともすぐに女房にしてくれと迫ったこともある。それから間もなく、彼は姿を隠したのであった。
「そうか。そいつあいけねえな」と、半七もまじめにうなずいた。「だが、師匠。おふくろに苦労させるのが可哀そうだからなんて、うまくおれを担《かつ》ごうとしたね。おめえもずいぶん罪が深けえぜ。おぼえているが好い。はははははは」
お登久は真っ紅になって、初心《うぶ》らしく小さくなっていた。
三
お登久の姉妹《きょうだい》に土産の笹折を持たせて帰して、半七はまだ茗荷屋に残っていた。
「やい、ひょろ松。犬もあるけば棒にあたるとはこの事だ。雑司ケ谷へ来たのも無駄にゃあならねえ。合羽坂の手がかりが少し付いたようだ。女中をちょいと呼んでくれ」
松吉が手を鳴らすと、年増《としま》の女中がすぐに顔を出した。
「どうもお構い申しませんで、済みません」
「なに、少しお前に訊きたいことがある。もとは市ケ谷の質屋の番頭さんをしていた千ちゃんという人が、時々ここへ遊びに来やあしねえかね」
「はあ。お出でになります」
「月に二、三度は来るだろう」
「よく御存じでございますね」
「いつも一人で来るかえ」と、半七は笑いながら訊いた。「若い綺麗な娘と一緒にじゃあねえか」
女中は黙って笑っていた。併しだんだんに問いつめられて、彼女はこんなことをしゃべった。千次郎は三年ほど前から、毎月二、三度ずつその若い綺麗な娘と連れ立って来る。昼間来ることもあれば、夕方に来ることもある。現に十日《とおか》ほど前にも、千次郎が先に来て待っていると、午《ひる》頃になって娘が来て、日が暮れるころ一緒に帰ったとのことであった。女中たちのいる前では、二人とも恥かしそうな顔をしてちっとも口を利かないので、誰もきょうまでその娘の名を知らないと彼女は云った。
「十日ばかり前に来たときに、その娘は麻の葉絞りの紅い帯を締めていなかったかね」と、半七は訊いた。
「はあ、たしかにそうでございましたよ」
「いや、ありがとう。姐《ねえ》さん、いずれまたお礼に来るぜ」
幾らか包んだものを女中にやって、半七は茗荷屋の門《かど》を出ると、松吉もあとから付いて来てささやいた。
「親分、なるほどちっとは当りが付いて来たようですね。なにしろ、その千次郎という野郎を引き挙げなけりゃあいけますめえ」
「そうだ」と、半七もうなずいた。「だが、素人《しろうと》のことだ。いつまで何処に隠れてもいられめえ、ほとぼりの冷《さ》めた頃にゃあ、きっとぶらぶら出て来るに違げえねえ。てめえはこれから新宿へ行って、その古着屋と師匠の家の近所を毎日見張っていろ」
「ようがす。きっと受け合いました」
松吉に別れて、半七はまっすぐに神田へ帰ろうと思ったが、自分はまだ一度もその現場を見とどけたことがないので、念のために帰途《かえり》に市ケ谷へ廻ることにした。合羽坂下へ来た頃には春の日ももう暮れかかっていた。酒屋の裏へはいって、格子の外からおみよの家の様子を一応うかがって、それから家主の酒屋をたずねると、御用で来た人だと聞いて、帳場にいた家主も形をあらためた。
「御苦労さまでございます。なにか御用でございますか」
「この裏の娘の家には、その後なんにも変ったことはありませんかね」
「けさほども長五郎親分が見えましたので、ちょっとお話をいたして置きましたが……」
長五郎というのは四谷から此の辺を縄張りにしている山の手の岡っ引である。長五郎がもう手をつけているところへ割り込んではいるのも良くないと思ったが、折角来たものであるから、ともかくも聞くだけのことは聞いて行こうと思った。
「長五郎にどんな話をしなすったんだ」
「あのおみよは人に殺されたんじゃないんです」と、亭主は云った。「おふくろもその当座は気が転倒しているもんですから、なんにも気が付かなかったんですが、きのうの朝、長火鉢のまん中の抽斗《ひきだし》をあけようとすると、奥の方に何かつかえているようで素直にあかないんです。変だと思って無理にこじあけると、奥の方に何か書いた紙きれが挟まっていたので、引っ張り出して読んでみると、それが娘の書置なんです。走り書きの短い手紙で、よんどころない訳があって死にますから先立つ不孝はゆるしてくださいというようなことが書いてあったので、おふくろはまたびっくりして、すぐにその書置をつかんで私のところへ飛んで来ました。娘の字はわたくしも知っています。おふくろも娘の書いたものに相違ないと云うんです。して見ると、あのおみよは何か云うに云われない仔細があって、自分で首を縊《くく》って死んだものと見えます。そのことは取りあえず自身番の方へもお届け申して置きましたが、けさも長五郎親分が見えましたから詳しく申し上げました」
「そりゃあ案外な事になったね。そうして、長五郎はなんと云いましたえ」と、半七は訊いた。
「親分も首をかしげていましたが、自滅じゃあどうも仕方がないと……」
「そうさ。自滅じゃあ詮議にもならねえ」
それからおみよが平素《ふだん》の行状などを少しばかり訊いて、半七はここを出た。しかし彼はまだ腑《ふ》に落ちなかった。たといおみよが自分で喉を絞めたとしても、誰がその死骸を行儀よく寝かして置いたのであろう。長五郎はどう考えているか知らないが、単に自滅というだけで此の事件をこのままに葬ってしまうのは、ちっと詮議が足りないように思われた。それにしても、おみよの書置が偽筆でない以上、かれが自殺を企てたのは事実である。若い女はなぜ自分で死に急ぎをしたのか、半七はその仔細をいろいろに考えた末に、ふと思い付いたことがあった。彼はそのまま神田の家へ帰って、松吉のたよりを待っていると、それから五日目の午すぎに、松吉がきまりの悪そうな顔を出した。
「親分、どうもいけませんよ。あれから毎日張り込んでいるんですけれど、野郎は影も形も見せないんです。草鞋を穿いたんじゃありますめえか」
松吉の報告によると、その古着屋も師匠の家もみな平屋の狭い間取りで、どこにも隠れているような場所がありそうもない。古着屋の店にもおふくろが毎日坐っている。師匠の家でも毎日稽古をしている。ほかには何の変ったことはないと云った。
「師匠の家じゃあ相変わらず稽古をしているんだな。あそこの家の月浚《つきざら》いはいつだ」と、半七は訊いた。
「毎月|二十日《はつか》だそうですが、今月は師匠が風邪を引いたとかいうんで休みましたよ」
「二十日というとおとといだな」と、半七は少しかんがえた。「あの師匠、どんなものを食っている。魚屋も八百屋も出入りするんだろう。この二、三日の間、どんなものを買った」
それは松吉も一々調べていなかったが、自分の知っているだけのことを話した。そうして、おとといの午《ひる》には近所のうなぎ屋に一人前の泥鰌《どじょう》鍋をあつらえた。きのうの午には魚屋に刺身を作らせたと云った。
「それだけのことが判っていりゃあ申し分はねえじゃあねえか」と、半七は叱るように云った。「野郎は師匠の家に隠れているんだ。あたりめえよ。いくら新宿をそばに控えているからといって、今どきの場末の稽古師匠が毎日|店屋物《てんやもの》を取ったり、刺身を食ったり、そんなに贅沢ができる筈がねえ。可愛い男を忍ばしてあるから、巾着《きんちゃく》の底を掃《はた》いてせいぜいの御馳走をしているんだ。おまけに毎月の書き入れにしている月浚いさえも休んでいるというのが、何よりの証拠だ。師匠の家にはお浚いの床《ゆか》があるだろう」
師匠の家は四畳半と六畳の二間で、奥の横六畳に二間の床があると松吉は云った。床の下は戸棚になっているのが普通である。その戸棚のなかに男を隠まってあるものと半七は鑑定した。
「さあ、松。すぐ一緒に行こう。彼らは銭がなくなると、また何をしでかすか判ったもんじゃあねえ」
二人は新宿の北裏へ行った。
四
「おや、三河町の親分さん。先日はどうも御厄介になりました。その後まだお礼にも伺いませんで、なにしろ貧乏暇無しの上に、少し身体が悪かったもんでございますから。ほほほほほ」
杵屋お登久はべんべら物の半纏《はんてん》の襟を揺り直しながら笑い顔をして半七をむかえた。彼女は松吉が裏口に忍んでいるのを知らないらしかった。半七は奥へ通されて、小さい置床《おきどこ》の前に坐った。寄付《よりつき》の四畳半には長火鉢や箪笥や茶箪笥が列んでいて、奥の六畳が稽古場になっているらしく、そこには稽古用の本箱や三味線が置いてあった。八ツ(午後二時)少し前で、手習い子もまだ帰って来ない時刻のせいか、弟子は一人も待っていなかった。
「妹はどうしたね」
「あの、きょうも御参詣にまいりました」
「鬼子母神様かえ」と、半七はお登久の持って来た桜湯をのみながら苦笑いをした。「なかなか御信心だねえ。だが、鬼子母神様を拝むより俺を拝んだ方がいいかも知れねえ。千次郎のたよりはすっかり判ったぜ」
お登久は眉を少し動かしたが、やがて調子をあわせるように、華《はな》やかに笑った。
「ほんとうにそうでございますね。親分さんにお願い申して置けば、それでもう安心なんでございますけれど……」
「冗談じゃねえ。ほんとうにたよりが判ったんだ。それを教えてやろうと思って、わざわざ下町からのぼって来たんだぜ。師匠、だれもほかにいやあしめえね」
「はあ」と、お登久はからだを固くして半七の顔を見つめていた。
「師匠の前じゃあちっと云いにくいことだが、千次郎は市ケ谷合羽坂下の酒屋の裏にいるおみよという若い女と、近所の質屋に奉公している時分から引っからんでいたんだ。お前がふだんから気をまわしている相手というのはその女だ。ところで、そこにどういう因縁があったか知らねえが、千次郎とおみよは心中することになって、男はまず女を絞め殺した」
「まあ」と、お登久の顔は真っ蒼になった。「ほんとうに二人で死ぬ気だったんでしょうか」
「ほんとうも嘘もねえ。真剣に死ぬ気だったんだろう。だが、女の死ぬのを見ると、男は薄情なものさ。急に気が変って逃げ出して、それから何処かに隠れてしまったんだ。死んだ女は好い面《つら》の皮で、さぞ怨んでいるだろうよ」
「二人が心中だという確かな証拠があるんでしょうか」
「女の書置が見付かったから間違いもあるめえ」
云いかけてふと気がつくと、お登久の涼しい眼には涙がいっぱいに溜っていた。
「その女と心中までする位じゃあ、つまり私は欺されていたんですね」
「師匠にゃあ気の毒だが、煎じつめると、まあそんな理窟にもなるようだね」
「あたしはなぜこんなに馬鹿なんでしょうね」
もう堪まらなくなったらしい。お登久はじれるように身をふるわせて、襦袢の袖口を眼にあてた。裏口で犬が頻りに吠え付くのを、松吉は小声で追っているらしかったが、そんなことはお登久の耳にはちっともはいらないらしかった。彼女はやがて眼を拭きながら訊いた。
「それで、千さんの居どこが判ったらどうなるんでしょう」
「相手が死んだ以上は無事に済むわけのものでねえ」
「親分が見つけたら捉《つか》まえますか」
「いやな役だが仕方がねえ」
「じゃあ、すぐに捉まえてください」
お登久はいきなり起ちあがって、床の下の戸棚をがらりとあけると、戸棚の隅には若い男の蒼ざめた顔が見えた。案の通りここに隠れていたなと思う間もなく、お登久は男の手をつかんで戸棚からぐいぐいと引き摺り出した。
「千ちゃん。お前さん、よくもあたしをだましたね。商売上で少し筋の悪い品を買って、飛んだ引き合いを食いそうになったから、ちっとの間どこかへ姿を隠すんだと云うから、一昨々日《さきおととい》からこうして隠まって置いてやると、そりゃあ丸で嘘の皮で、市ケ谷の女と心中しそこなったんだということを今初めて聞いた。今まで人をさんざんだまして置きながら、またその上にそんな嘘をついて……。あんまり口惜《くや》しいから、あたしはお前を引っ張り出して親分さんに渡してやる。さあ、縛られるとも、牢へ入れられるとも、勝手にするが好い」
くやし涙の眼を瞋《いか》らせて、お登久は男の顔を睨みつけると、彼はその眼を避けるように顔をそむけたが、その方角にはまた半七の眼がひかっているので、彼はもういっそ消えてしまいたいように俯伏して、稜毛《のげ》の逆立った古畳に顔を埋めてしまった。
「もうこうなったら仕方がねえ」と、半七は諭《さと》すように云った。「この芝居ももうこれで大詰めだろう。おい、千次郎。正直に何もかも云ってしまえ。自身番まで引き摺って行って、わざわざ引っぱたくのも忌《いや》だから、ここでみんな聞いてやろうぜ」
「恐れ入れました」と、千次郎はもう生きているような顔色はなかった。
「お前はあのおみよという女と心中したんだろう。女はおめえが絞めたのか」
「親分、それは違います。おみよはわたくしが殺したのじゃございません」
「嘘をつけ。女をだますのとは訳が違うぞ。天下の御用聞きの前で嘘八百をならべ立てると、飛んでもねえことになるぞ。人を見て物をいえ。現におみよの書置があるじゃあねえか」
「おみよの書置には心中とは書いてございません。おみよは自分ひとりで死んだのでございます」と、千次郎はふるえながら訴えた。
半七も少しゆき詰まった。心中というのは自分だけの鑑定で、成程おみよの書置に心中ということは書いてないらしかった。併しおみよとこの千次郎とがどうしても無関係とは思われなかった。
「それじゃあ、てめえはどうしておみよの書置の文句を知っている。おみよの死んだそばにいねえで、それが判る筈がねえ。第一に、おみよが自分一人で死んだということをどうして知っている。訳を云え」と、半七は嵩《かさ》にかかって極めつけた。
「正直に申し上げます」
「むむ。早く申し立てろ」
そばにはお登久が執念深そうな眼をして睨みつけているので、千次郎も少しためらっているらしかったが、半七に催促されて彼はとうとう思い切って白状した。かれは市ケ谷の質屋に奉公している時から、近所のおみよと不図《ふと》云い交すようになったが、女は武家の持ち物になっているので、万一それが露顕したらどんな祟りを受けるかも知れないという懸念から、二人は用心して、月に二、三度位ずつ雑司ケ谷の茶屋でこっそり出逢っていた。千次郎が新宿に古着屋の店を持つようになっても、二人の関係はやはり繋がっていた。そのうちに自分の妹が長唄の稽古に通うのが縁となって、千次郎は師匠のお登久とも他人でない関係になってしまった。そうして、お登久の眼を忍んで、むかしの恋人にも逢っていた。
これだけでもやがては面倒の種となりそうなところへ、さらにおそろしい面倒が湧き出しそうになって来た。それは千次郎とおみよとが雑司ケ谷の茶屋で逢っているところを、大久保の屋敷の者に見つけられたのであった。この前の妾はなにか不埒をはたらいて主人の手討ちに逢ったとかいう噂を聞いているおみよは、根がおとなしい女だけに、もう生きている空もないようにふるえ上がってしまった。彼女は母と一緒に練馬へゆく途中から逃げて帰って、約束の茶屋で千次郎に逢って、自分の秘密が屋敷に知れた以上は、もう生きてはいられないと嘆いた。
その話を聞いて気の小さい千次郎はおびえた。おみよばかりでなく、不義の相手の自分とても或いは屋敷へ引っ立てられて、どんなわざわいに逢うかも知れないと恐れた。しかし彼は女と一緒に死ぬ気にもなれなかった。おみよから心中の話をほのめかされたのを、彼はいろいろに宥《なだ》めすかして、その日の夕方にともかくも市ケ谷の家へ帰らせたが、なんだか不安心でもあるので、彼は途中から又引っ返しておみよの家へたずねて行くと、もう遅かった。おみよは台所の梁《はり》に麻の葉の帯をかけて縊《くび》れていた。長火鉢のそばに母と自分とに宛てた二通の書置があった。急いだとみえて、どっちも封をしてなかったので、彼は二通ながら披《ひら》いて見た。
あまりの驚きと悲しみとに、千次郎は少時《しばらく》ぼんやりしていたが、やがて気がついておみよの死骸を抱きおろした。その死骸を奥へ運んで頸《くび》にからんでいる帯をといて、北枕に行儀よく横たえて、かれは泣いて拝んだ。母にあてた書置は火鉢のひきだしに入れ、自分にあてた書置は自分のふところに押し込んで、彼も女のそばですぐ縊れて死のうと覚悟したが、ここで一緒に死んではかのお登久に済まないような気がしたので、彼は半分夢中でおみよの帯をかかえながら表へそっとぬけ出した。それからどこをどう歩いたか、かれは死に場所を探しながら帯取りの池へ迷って行った。女の帯で首をくくろうか、それとも池へ身を投げようかと思案しているところへ、あいにくと幾たびか人が通るので、彼は容易に死ぬ機会を見出すことが出来なかった。陰った夜で、空には弱い星が二つ三つ輝いているばかりであった。その星の光を仰いでうっとりと突っ立っているうちに、薄ら寒い春の夜風が肌にしみて、彼は急に死ぬのが恐ろしくなった。彼はかかえていた女の帯を池へ投げ込んで、暗い夜路を一散に逃げ出した。
しかし彼は一種の不安に付きまとわれて、すぐに自分の家へ帰ることも出来なかった。たとい自分が手をおろして殺したのでないにもせよ、おみよの死について何かの連坐《まきぞえ》を受けるのが恐ろしかった。大久保の屋敷の崇りもおそろしかった。質屋に奉公していたときの故《もと》朋輩が、堀の内の近所に住んでいるのを思い出して、千次郎はその足ですぐ堀の内へたずねて行った。好い加減の嘘をついて、そこに十日ほども忍んでいたが、いつまでその厄介になっているわけにも行かないので、彼は幾らかの路銀を借りてふたたび江戸へ帰って来た。それはお登久が雑司ケ谷で半七に逢った翌《あく》る晩であった。
母に対しても、お登久に対しても、かれは正直に打ちあける勇気がないので、ここでもまた好い加減の嘘を作って、筋の悪い品物を買った為にその引き合いを受けるのが迷惑だから、当分は世間に顔を出したくないと云った。お登久は母と相談の上で、可愛い男を自分の家に隠まって置いた。その秘密は半七に看破《みやぶ》られたばかりか、あわせて千次郎の秘密までもさらけ出されたので、お登久は急に口惜《くや》しくなった。かれは押え切れない嫉妬に眼がくらんで、今まで大事に抱えていた男を半七の前に突き出したのであった。
「それからどうしました」と、わたしは半七老人に訊いた。
「どうと云ってしようがありませんや」と、老人は笑っていた。「それが心中の片相手ならば下手人《げしゅにん》にもなりますが、女は自分ひとりで死んだんですから、男は別に構ったことはありません。表向きにすれば、お叱りの上で町《ちょう》役人にでも預けられるのですが、それも可哀そうでもあり、面倒でもありますから、その場でわたくしが叱っただけで、まあ堪忍してやりましたよ。そこで可笑《おか》しいのはそれから一と月ほど経ちますとね、お登久と千次郎と仲良く二人づれで私のところへ礼に来ましたよ。男が無事に済んだから好いようなものの、一旦こっちへ引き渡した以上、もし重い科人《とがにん》になったらもう取り返しは付きませんや。それを云ってわたくしがお登久にからかいますと、お登久はまじめな顔をして、女っていうものは皆《み》んなそんなもんですって……。はははははは」
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春の雪解《ゆきどけ》
一
「あなたはお芝居が好きだから、河内山《こうちやま》の狂言を御存知でしょう。三千歳《みちとせ》の花魁《おいらん》が入谷の寮へ出養生をしていると、そこへ直侍《なおざむらい》が忍んで来る。あの清元の外題《げだい》はなんと云いましたっけね。そう、|忍逢春雪解《しのびあうはるのゆきどけ》。わたくしはあの狂言を看《み》るたんびに、いつも思い出すことがあるんですよ」と、半七老人はつづけて話した。「勿論お話の筋道はまるで違いますがね。舞台は同じ入谷《いりや》田圃《たんぼ》で、春の雪のちらちら降る夕方に、松助の丈賀《じょうが》のような按摩《あんま》が頭巾をかぶって出て来る、その場面の趣があの狂言にそっくりなんですよ。まあ、聴いてください。わたくしの方は素話《すばなし》で、浜町の太夫さんの粋な喉を聴かせるなんていうわけには行かないんですから、お話に艶《つや》はありませんがね」
慶応元年の正月の末であった。神田から下谷の竜泉寺前まで用達《ようたし》に行った半七は、七ツ半(午後五時)頃に先方の家を出ると、帰り路はもう薄暗くなっていた。春といっても此の頃の日はまだ短いのに、きょうは朝から空の色が鼠に染まって、今にも白い物がこぼれ落ちそうな暗い寒い影に掩われているので、取り分けて夕暮が早く迫って来たように思われた。先方でも傘を貸してやろうと云ってくれたが、家《うち》へ帰るまで位はどうにか持ちこたえるだろうと断わって、半七はふところ手でそこを出ると、入谷田圃へさしかかる頃には、鶴の羽をむしったような白い影がもう眼先へちらついて来たので、半七は手拭を出して頬かむりをして、田圃を吹きぬける寒い風のなかを突っ切って歩いた。
「ちょいと、徳寿さん。おまえさんも強情《ごうじょう》だね。まあ、ちょいと来ておくれと云うに……」
女の声が耳にはいったので、半七はふと見かえると、どこかの寮らしい風雅な構えの門の前で、年頃は二十五六の仲働きらしい小粋な女が、一人の按摩の袂をつかんで曳き戻そうとしているのであった。
「お時さん。いけませんよ。きょうはこれから廓《なか》にお約束があるんですから、まあ堪忍しておくんなさいよ」と、按摩は逃げるように振り切って行こうとするのを、お時という女はまた曳き戻した。
「それじゃああたしが困るんだからさ。按摩さんはほかにも大勢あるけれども、花魁はお前さんがご贔屓《ひいき》で、ほかの人じゃあいけないと云うんだから、素直に来てくれないと、あたしが全く困るんだよ」
「御贔屓にして下さるのはまことにありがたいことで、いつもお礼を申しているのでございますが、きょうは何分にも前々からのお約束がありますので……」
「嘘をおつきよ、お前さんは此の頃毎日そんなことを云っているんだもの。花魁だってあたしだって本当に思うかね。ぐずぐず云ってないで早く来ておくれよ。焦《じ》れったい人だねえ」
「でも、いけませんよ。まったくきょうばかりは堪忍して下さい」
どっちもなかなか強情で、容易に埒が明きそうにもなかった。しかし格別に面白そうな事件でもないので、半七は好い加減に聞き流して通り過ぎた。雪は景色ばかりで、家へ帰りつく頃には歇《や》んでしまったが、それから陰った日が二日ほどつづいた。三日目に半七はふたたび竜泉寺前へ行かなければならない用事が出来た。
「きょうこそはあぶねえ」
かれは雨傘を用意してゆくと、大きい雪が果たして落ちて来た。帰りはやはり七ツ過ぎになって、入谷の田圃はもう真っ白に埋められていた。重い傘をかたげて、このあいだの寮の前まで来ると、日和《ひより》下駄の前鼻緒があいにく切れた。半七は舌打ちをしながら塀ぎわに身を寄せて、間にあわせにつくろっていると、雪を踏む下駄の音がきこえて、門の中からこの間の女が飛石伝いに出て来た。
「まあ、いつの間にか積ったこと」
独り言を云いながら、彼女は人待ち顔にたたずんでいたが、傘を持っていない彼女は髪を打つ雪に堪えないと見えて、やがて内へ引っ返してしまった。
手が亀縮《かじか》んでいるので、鼻緒を立てるのに暇がかかって、半七はようように下駄を突っかけて、泥だらけの手を雪で揉んでいるころへ、このあいだの按摩が馴れた足取りですたすた歩いて来た。その下駄の音を聞き付けたとみえて、女は待ち兼ねたように内からぬけ出して来た。前に懲《こ》りたのであろう。今度は傘をすぼめて差していた。
「徳寿さん。きょうは逃がさないよ」
呼びかけられて、按摩はおびえたように立ち停まったが、きょうも何か頻《しき》りに云い訳して摺り抜けて行こうとするのを女はまた曳き戻した。こうした捫着《もんちゃく》がたびたび続くので、半七も少しおかしく思って、もうつくろってしまった泥下駄を再びいじくるような風をして横眼でそっと窺っていると、按摩はあくまでも強情に振り切って、きょうも逃げるように此処を立ち去ってしまった。
「ほんとうにしようのない人だねえ」
口小言を云いながら女は内へ引っ込んだ。そのうしろ姿の消えるのを見送って、半七はもう五、六間ゆき過ぎている按摩の傘の白い影を追った。彼はうしろから声をかけた。
「おい、按摩さん。徳寿さん」
「はい、はい」
聞き慣れない声に按摩は少し首をかしげて立ち停まると、半七は傘をならべて立った。
「徳寿さん。寒いね。べらぼうに降るじゃあねえか。おまえにゃあ廓《なか》で二、三度厄介になったことがあったっけ。それ、このあいだも近江屋の二階でよ」
「はあ、左様でございましたか。年を取りますと、だんだんに勘がわるくなりまして、御贔屓様に毎々失礼をいたして相済みません。旦那もこれから廓へお出かけでございますか。こういう晩にお通いもまたお楽しみなものでございます。わが物と思えば軽し傘の雪とか申しましてね。ははははは」
こっちの出鱈目《でたらめ》を知っているのか、知らないのか、徳寿は如才なく調子をあわせた。
「なにしろ悪く寒いね」
「この二、三日は冴え返りました」
「これから田圃を突っ切るのは楽じゃあねえ。どうだい、あすこで蕎麦の一杯も啜《すす》り込んで威勢をつけて行こうじゃねえか。おまえも附き合わねえか。廓へはいるのはまだちっと早かろう」
「はい、はい、どうも御馳走さまでございます。わたくしは下戸《げこ》でございますけれど、御酒《ごしゅ》を召しあがるお方は一杯あがらなければ、この田圃はちっと骨が折れます。はい、はい、ありがとうございます」
一町ばかりを引っ返して、半七は小さな蕎麦屋の暖簾《のれん》をくぐると、徳寿は頭巾の雪をはたきながら、古びた角火鉢へ寒そうに咬《かじ》り付いた。半七は種物《たねもの》と酒を一本あつらえた。
「これは≪あられ≫でございますね。江戸前の種物はこれに限ります。海苔の匂いも悪くございませんね」と、徳寿は顔じゅうを口にして、蕎麦のあたたかい匂いを嬉しそうに嗅《か》いでいた。
蕎麦屋の女房は門《かど》の行燈に灯を入れると、その薄暗い灯かげに照らされて、花びらのような大きい雪が重そうにぼたぼた落ちているのが暖簾《のれん》越しに見えた。一本の酒をやがて半分ほど飲んだ頃に、半七は話し出した。
「徳寿さん。おまえが今あすこで立ち話をしていたのは何処の寮だえ」
「旦那はあの辺においでなさいましたか。ちっとも存じませんで。はははは。いえ、あすこは廓の辰伊勢という家《うち》の寮でございますよ」
「先方じゃあ頻りに呼び込もうとするのを、おまえは無暗に逃げていたじゃあねえか。廓の寮ならば好いお得意様だ」
「ところが、旦那。どうもあすこは工合が悪いんでしてね。いえ、別に代をくれないの何のという訳じゃないんですが、なんですかこう、気味の悪いような家でしてね」
半七は飲みかけた猪口《ちょこ》をおいた。
「気味の悪い家……。そりゃあどういうんだね。まさかに化けものが出る訳でもあるめえ」
「へえ、別にそんな噂もないんですが、わたくしはどうも気味が悪うございまして……。あすこで呼ばれると何だがぞっとして、逃げるように断わって来るんですよ」と、徳寿は鼻の頭の汗を手の甲で拭きながら云った。
「変な話だね」と、半七は笑った。「どういうわけで気味が悪いんだろう。判らねえな」
「わたくしにも判りません。ただ何となしに襟もとから水を浴びせられたように、からだ中がぞっとするんです。眼が見えませんからなんにも判りませんけれど、なにかこう、おかしなものが傍にでも坐っているような工合で……。まったく変でございますよ」
「一体あの寮には誰が来ているんだね」
「誰袖《たがそで》さんという花魁でございます。二十一二の勤め盛りで、凄いような美《い》い女だそうでございますが、去年の霜月頃から用事をつけて、あの寮へ出養生に来ているんでございますよ」
「暮から春へかけて店を引いているようじゃあ、よっぽど悪いんだろうね」
それ程でもないらしいと徳寿は云った。勿論、盲人の彼には詳しい様子もわからないが、いわゆるぶらぶら病いで寝たり起きたりしているらしいとの事であった。それにしても、その辰伊勢の寮がなぜそれほどに気味が悪いというのか、その仔細が半七には判らなかった。徳寿がもうたくさんだと辞退するのを、無理に蕎麦の代りを取らせて、かれは酒を飲みながらおもむろにその仔細を訊き出そうとした。
「それが何と云って、お話のしようもないんですよ」と、徳寿は顔をしかめてささやいた。
「まあ、旦那。聞いてください。わたくしが奥へ通されて、花魁の肩を揉んでいますと……大抵いつも夜か夕方ですが……花魁のそばに何か来て坐っているような工合で……。いいえ、それが新造《しんぞ》衆や女中達じゃありません。そんな人達ならば何とか口を利くでしょうが、初めから終《しま》いまで一度も口を利いたこともないので、座敷のうちは気味の悪いほどにしんとしているんです。まあ、早く云えば、幽霊でも出て来て、黙っているんじゃないかと思われるようで……。わたくしは身体がぞっとして、どうにもこうにも我慢が出来ないんでございます。それですから、仲働きのお時さんには気の毒ですけれども、この頃は無理に振り放して逃げてくるので……。いえ、もう、一軒のお得意ぐらいはしくじっても仕方がございません」
なんだか理窟があるような、理窟がないような、一種奇怪な物語をこの盲人から聞かされて、半七も黙ってかんがえていた。日が暮れても雪はまだ降りやまないらしく、白い花びらが暖簾をくぐって薄暗い土間へときどき舞い込んで来た。
二
もとより盲《めくら》の云うことで、別に取り留めた証拠もないのであるが、半七はそれを一種の不思議な話として、ただ聞き流してしまうわけには行かなかった。彼はあくまでその不思議の正体を突き止めたかった。その晩は徳寿に別れて、神田の家へまっすぐ帰ったが、あくる朝、浅草の馬道《うまみち》にいる子分の庄太を呼びにやった。
「おい、庄太。廓は田町の重兵衛の縄張りだが、おれが少しちょっかいを出して見たいことがあるんだ。てめえ一つ働いてくれ。江戸|町《ちょう》に辰伊勢という女郎屋があるだろう。あすこの誰袖《たがそで》という女のことを少し洗って貰いてえんだ」
「誰袖は入谷の寮に出ていると云うじゃありませんか」と、庄太は心得顔に云った。
「それを調べてくれと云うんだ。実は少しおれの腑に落ちねえことがあるから……。つまりあの女には情夫《おとこ》でもあるか、なにか人から恨みでも受けているようなことでもあるか。それから如才《じょさい》もあるめえが、その辰伊勢という店の内幕も一と通りは調べあげてくれ」
「わかりました。二、三日中にはみんな調べあげてまいります」
庄太は受け合って帰った。二、三日という約束が四、五日を過ぎても、庄太は顔を見せなかった。あいつ何をしているのだろうと思ったが、一日を争う仕事でもないので、半七もそのまま打っちゃって置くと、二月の初めになって庄太がぶらりと訪ねて来た。
「親分。申し訳がありません。実は小せえ餓鬼が麻疹《はしか》をやったもんですから」
「そりゃあいけねえな。軽く済みそうか」
「へえ、好い塩梅《あんばい》に軽そうです」と、庄太は云った。「そこで親分、例の辰伊勢の一件ですが、まあ一と通りは洗って来ましたよ」
庄太の報告によると、辰伊勢は江戸町でも可なり売ったが、安政の大地震のときに、抱えの遊女を穴倉へ閉じ籠めて置いて、みんな焼き殺してしまったとかいうので、それから兎角にけちがついて、商売の方もあまり思わしくない。尤も吉原では暖簾の旧《ふる》い店でもあり、ほかにも地所や家作《かさく》などをもっているので、まず相当に店を張っている。当時はおまきというのが女主人で、永太郎という今年|二《は》十歳《たち》の伜の後見をしているが、死んだ亭主と違って、おまきは情けぶかい方で世間の評判も悪くない。誰袖はお職から二枚目の売れっ妓《こ》で、去年の二の酉《とり》が済んだ頃から入谷の寮に出養生をしているが、女に似合わない大酒であるから、酒毒で胸を傷めたのだろうという噂である。年は二十一で、下谷の金杉の生まれだと女衒《ぜげん》が話した。
「いや、御苦労。まずそれで一と通りは判った」と、半七はうなずいた。「そこで、その女には情夫《おとこ》とか何とかいう者はねえのか。それだけの売れっ妓なら何かあるだろう」
「それがはっきりと見当が付かねえそうで……。もちろん馴染みの客は大勢あるんですが、なかなか手取り者らしいんで、どれがほんとうの情夫なんだか、店の者にもよく判っていないということです。これには私も困りましたよ」
それだけのことでは、半七も考えの付けようがなかった。
「きょうは嬶《かかあ》が留守だから、見舞はいずれ後から届けるが、小児《こども》が病気じゃあ困るだろう。まあ、取りあえずこれだけ持って行け」
半七は庄太に幾らかの金をやって、まあ午飯でも食っていけと云うと、庄太は喜んで鰻飯の馳走になった。その間に彼は又こんなことを話した。
「こりゃあ別の話ですがね。やっぱり金杉の方から吉原へ辻占《つじうら》を毎晩売りに来る娘があるんです。十六七で、容貌《きりょう》がいいのに声がいいというので、廓でもだいぶ評判になって、素見《ひやかし》なんぞは大騒ぎをしていたんだが、それがどうしてか、去年の暮頃からちっとも姿を見せなくなってしまったので、おせっかいの奴らがいろいろ詮議したがどうもわからない。たぶん情夫《おとこ》でも出来て、駈落ちでもしたんだろうということになってしまったんですが、田町の重兵衛はそれに何か目星をつけた事でもあるのか、子分に云い付けてその娘のゆくえを捜させているそうです」
「そうか」と、半七は考えた。「そんなことがあるのか。おらあちっとも知らなかった。土地のことだけに重兵衛は眼が早えな。その辻占売りの娘というのは容貌がいいんだな。年は十六七……。むむ、間違げえのありそうな年頃だ。名はなんというんだ」
「おきんというんだそうです。親分も何かお考えがありますか」
「まだ確かなことは云えねえが、少し胸に浮かんだことがある。まあ無駄足だと思って、その金杉へ行ってみようよ。おまえも御苦労だが、一緒に来てくれ」
「ようがす」
飯を食ってしまって、二人はすぐに金杉へ行った。きょうはのどかな日で、上野の森の上には薄紅い霞が流れていた。
「誰袖の家は金杉だな」と、半七は途中で云った。「どっちを先にしようか。まあ、やっぱりその辻占売りの方から取りかかろう。おまえ、そのおきんという娘の家を知っているのか」
庄太は知らないと云った。どうで根《こん》よく探すのは覚悟の上であるから、二人はあたたかい日を背負いながら金杉の方へぶらぶら歩いて行った。そのうちに何を見付けたのか、半七は急に立ち停まった。
「おい、徳寿さん、どうしたい」
按摩の徳寿は杖にすがってちょっと考えたが、勘のいい彼はこのあいだの蕎麦屋の旦那の声を忘れなかった。彼は頻りにその時の礼を云っていた。
「よいお天気になりまして結構でございます。旦那様、今日はどちらへ……」
「丁度いい所でおまえに逢った。お前もこの近所だそうだが、ここらにおきんという辻占売りの家はねえかしら」
「へえ。おきんはわたくしの近所におりましたが、昨年の暮から何処へか行ってしまいましたよ」
「本人はいなくっても、親か兄妹《きょうだい》があるだろう。ひとり者じゃあるめえ」
「それが旦那。こういう訳なんでございますよ」と、徳寿は仔細らしく話した。
「おきんは兄貴と二人で暮していたんですが、その兄貴の寅松というのは博奕《ばくち》打ちの道楽者でしてね。おきんのゆくえが知れなくなると、それから半月ばかり経って、これも何処へか夜逃げのように姿を隠してしまいました。なんでも博奕場で喧嘩をして、人に傷をつけたとかいうので、それが面倒になって何処へか飛んで行ってしまったらしいんです。そういうわけですから、家はもう空店《あきだな》になってしまって、二、三日中にほかの人が越して来るとかいう噂でございます」
田町の重兵衛が眼をつけているのは、おきんの問題より恐らくこの寅松に関係している事件であろうと半七は想像した。かれは更に徳寿に訊いた。
「あの辰伊勢の寮にいる誰袖という女も、やっぱり金杉の近所の者だというじゃあねえか。お前、知らねえか」
「存じて居ります。誰袖さんの花魁も金杉の生まれで、やっぱりおきんの近所で育ったんだそうですが、両親《ふたおや》ともにもう死に絶えてしまいまして、これも跡方はございませんよ」
すべての手掛りが断えてしまったので、半七は失望させられた。それでも彼は強情にこの按摩から何かの手蔓《てづる》を探り出そうと試みた。今もむかしも根気が乏しくては出来ない仕事である。
「ねえ、徳寿さん、このあいだ聞いていりゃあ、その誰袖の花魁は大変おまえを贔屓にして、ほかの按摩さんじゃいけねえと云っているというじゃあねえか。おかしなことを訊くようだが、どうしてお前、そんなに花魁の気に入ったんだえ。揉み方の上手ばかりじゃあるめえ。何かほかに訳があるだろう」
「へえ」と、徳寿はにやにや笑っていた。
半七と庄太は顔を見あわせた。なんと思ったか、半七は紙入れから一歩の銀《かね》を出して徳寿の手に握らせた。そうして、ちょいと其処まで来てくれと云って、彼を左側の横町へ連れ込んだ。柳原家の抱え屋敷と安楽寺という寺の間をぬけると、正面には一面の田畑が広く開けていた。田の畔《くろ》を流れる小さい水のはたで、子供が泥鰌《どじょう》をすくっているほかに、人通りもないのを見すまして、半七はまた訊いた。
「おまえ、隠しちゃあいけねえ。こんな野暮なことを云いたくねえが、おれは実はふところに十手を持っているんだ」
徳寿は俄かに顔の色を変えて、おし潰されたように、小腰をかがめた。わたくしの知っているだけの事はなんでも申し上げますと、かれはふるえながら答えた。
「じゃあ、正直に云ってくれ。おまえ、誰袖に頼まれて、なにか内証の文《ふみ》使いでもするんじゃあねえか」
「恐れ入りました」と、徳寿は見えない眼をとじて頭を下げた。「お察しの通りでございます」
「その文使いをする相手は誰だ」
「それは辰伊勢の若旦那でございます」
半七と庄太は顔をみあわせた。
三
徳寿の話はこうであった。
誰袖はおととしの秋頃から主人の伜の永太郎と忍び逢っている。突き通しは廓《くるわ》の禁物《きんもつ》で、それが知れると面倒であるから、誰袖は病気にかこつけて入谷の寮へたびたび出養生にゆく。そこへ永太郎が忍んでゆく。普通の店と違って、女主人が情けぶかいのと、誰袖が売れっ妓であるのとで、辰伊勢の店でも余りやかましくは云わないで、誰袖を寮の方へ出してやる。万事の首尾は仲働きのお時が呑み込んでいて、ほかの者にはちっとも知らさなかった。
若主人の永太郎はまだ部屋住みも同様の身の上で、勝手に店をあけて度々出あるくわけにもゆかないので、誰袖が寮に出ているあいだも毎日かならず逢いに来ることは出来なかった。女はそれをもどかしく思って、男が二日も顔をみせないとすぐに呼び出しの手紙をやる。その文使いの役は徳寿であるので、彼が誰袖に可愛がられるのも無理はなかった。
「それほど可愛がってくれるところへ、お前はなぜ忌《いや》がって寄り付かねえんだ」と、半七はまた訊いた。「あとの係り合いが面倒だと思うのか」
「それもありますが……。それはおかみさんがいい人ですから、そうむずかしいこともあるまいと思いますが……。このあいだも申し上げました通り、あすこの寮へ行って、花魁のそばに坐っていますと、何だかぞっとしてどうしても我慢が出来ないのでございます。どういう訳ですか、自分にも一向わかりません」と、徳寿も思案に余るような顔をして見せた。
「あすこの店で此の頃に死んだ女でもあるかえ」
「そんな話は聞きません。大地震の時には大勢死んだそうですが、その後は一人も無いようです。なにしろ、先《せん》の旦那と違って、おかみさんも若旦那も善い人ですから、抱えの妓《おんな》どもをいじめたという噂も無し、心中した妓もないようです」
「よし、判った。きょうのことは誰にも云っちゃあならねえぜ」
口止めをして半七は徳寿に別れた。
「どうしても、今度はその寅松という野郎を探し出さなけりゃあならねえ」
半七は寅松|兄妹《きょうだい》が住んでいたという裏長屋をたずねて、その家主《いえぬし》に逢った。家主も兄妹のゆくえを知らなかった。しかし去年の押し詰まりに、寅松がどこからかそっと舞い戻って来て、近所の寺へ幾らかの金を納めて行ったという噂があると話した。二人はすぐに其の寺をたずねてゆくと、寺でも最初はあいまいなことを云っていたが、結局去年の暮の十五日に寅松が不意に顔を出して、五両の金を納めて行ったと打ち明けた。
「寅松の両親はこの寺に埋まっているんですが、なにしろあの通りの道楽者ですから、近所にいながら盆暮の附け届けも碌々したことはないんです。それが何と思ったか、不意にたずねて来て、なにぶん御回向《ごえこう》を頼むと云って五両という金をめずらしく置いて行きました」と、住職も不思議そうに話した。「そうして、こんなことを云っていました。妹も先頃からゆくえ知れずになってしまって、何処にどうしているか判らないから、家出の日を命日だと思って、どうか御回向を願いたい……。わたくしが承知してやったら、寅松もたいそう喜んで、礼を云って帰りました」
寺を出ると、庄太はささやいた。
「なるほど、寅松という野郎は変ですね」
「むむ。どうしても野郎を引き挙げなけりゃあいけねえ。博奕を打つというから友達もあるだろう。おめえ、なんとか工夫してそいつの居どこを突き留めてくれ」
「ええ、なんとかなりましょう」
「頼んだぜ」
二人は約束して別れた。そのあくる日、半七の女房が馬道の庄太の家へ見舞にゆくと、子供の麻疹が思いのほかに重くなって、庄太夫婦も手放すことが出来ないらしかった。その話を聴いて、寅松の一件も当分は埒があくまいと半七は思っていると、果たして庄太はその後ちっとも姿をみせなかった。二月にはいってから暖い日和《ひより》がつづいたので、もう春が来たものと欺されていると、それから四、五日たって夕方から急に寒くなって来た。夜中から降り出したと見えて、朝起きてみると真っ白になっていた。
「春の雪だ。大したことはあるめえ」
こう云っているうちに雪はやんで、四ツ(午前十時)頃には、屋根から融《と》けて落ちる音が忙がしそうにきこえた。この二、三日はさしかかった用もないので、半七は午飯をすませるとすぐに家を出た。庄太のたよりを何時までもぼんやり待っていられないと思ったので、彼は雪解け路をたどって金杉へ出かけた。徳寿の家をたずねて、彼をそっと呼び出すと、徳寿はすぐに出て来た。
「路のわるいのに気の毒だが、このあいだのところまで来てくれねえか。おれが手を引いてやるから」
「なに、大丈夫でございます」
屋敷と寺の間をぬけて、二人は雪の残っている田圃路に立った。
「早速だが、その後に辰伊勢の寮へ行ったかえ」と、半七は訊いた。
「どうしまして」と、徳寿は頭《かぶり》を振った。「それにお時さんの方でも根負けがしたと見えて、もう無理に呼び込もうともしませんから、わたくしの方でも仕合わせでございます。それに辰伊勢の店の方で聞きますと、お時さんももう暇を出されるんだとかいうことです。ところが、お時さんの方じゃあ容易に動かないというので、なんだか内輪ではごたごたしているようでございますよ」
「お時という女の家はどこだえ」
「本所だとかいうことですが、わたくしもよく存じません」
「そうか。路の悪いのにわざわざ呼び出して済まなかった。これも御用だ。堪忍してくんねえ」
徳寿を帰してやって、半七はしばらく考えた。いろいろの材料がそれからそれへとあつまって来ながら、彼はそれを取りまとめて一つの断案を下《くだ》すことが出来なかった。一体自分は何を調べているのか、それも確かな見当は付いていなかった。取り留めのない按摩の話を手がかりにして辰伊勢の寮を探ろうとしているうちに、辻占売りの娘の駈落ち事件に突きあたった。この二つが結び付いているものか、或いはまったく無関係の出来事か、それもまだ想像が付かなかった。折角調べあげたところで、それが果たしてどれほどの効果を生み出すか、それも一切判らなかった。併し一種の好奇心ばかりでなく、半七はどうも此の事件をそのままに投《ほう》り出してしまいたくなかった。なんだか此の事件には深い奥行きがありそうに思われてならなかった。
「骨折り損だと思って、もう少しほじって見ろ」
彼は上野の山下まで用達に行って、すぐに家に帰ろうとしたが、また思い返して入谷田圃へ足を向けた。雪あがりの底冷えのする日で、田圃へ出る頃にはすっかり暮れてしまった。お荷物になる傘をさげて、雪解け路を一と足ぬきに歩きながら、辰伊勢の寮のそばまで来ると、門のなかから一人の女が出て来た。顔は確かにみえないが、その格好がどうもかのお時らしいので、半七はすぐにその後を尾《つ》けてゆくと、女はこの間の蕎麦屋へはいった。
こっちの顔を識っている筈はないと多寡をくくって、半七も少しあとからその暖簾をくぐると、狭い店にはお時のほかにもう一人の男が来ていた。唐桟《とうざん》の半纒を着て平ぐけを締めたその男の風俗が、堅気の人間でないことは半七にもすぐに覚られた。男は二十五六で、色のあさ黒い立派な江戸っ子であった。彼はここでお時を待ち合わせていたらしく、女と向い合って酒を飲んでいた。半七は隅の方に坐って、好い加減な誂え物をした。
男も女も時々こっちを後目《しりめ》に視ていたが、格別に気を置いてもいないらしく、火鉢に仲よく手をかざしながら、小声でしきりに話していた。
「もうこうなっちゃあ、仕方がないやね」と、女は云った。
「おれが出なけりゃあ幕が閉まらねえかな」と、男は云った。
「ぐずぐずしていて……。心中でもされた日にゃあ玉無しだあね」と、女は小声でおどすように云った。
それから先きは聴き取れなかったが、心中という一句を聞いて、半七は胸をおどらせた。おそらく誰袖という女が心中するのであろうと思われた。
事件はいよいよこぐらかって来たらしいので、半七も息をのみ込んで耳を澄ましていたが、話はよほどこみいった相談らしく、女の声はいよいよひそめいて、眼と鼻のあいだにいる半七の耳にも其の秘密を洩らさなかった。じれったいのを我慢して、ただその成り行きを窺っていると、二人はやがて相談を決めたらしく、勘定を払ってここを出た。
二人をやり過ごして、半七も起った。かれは蕎麦の代を払いながら女に訊いた。
「おかみさん。今出て行った女は辰伊勢の寮のお時さんというんだろう」
「左様でございます」
「連れの男は誰だえ」
「あれは寅さんという人でございます」
「寅さん」と、半七の眼は光った。「寅松というんじゃねえか。辻占売りのおきん坊の兄貴の……え、そうかえ」
「よく御存じでございますね」
半七は急に面白くなって来た。かれは好い加減に挨拶して表へ出ると、一本路をならんでゆく二人のうしろ影が、消え残っている雪明かりに薄黒く見えた。半七は足もとに気をつけながら、大根卸しのように泥濘《ぬか》っている雪解け路を辿ってゆくと、二人の影は辰伊勢の寮の前で止まった。ここでも又何かささやいているようであったが、二つの影はやがて離れて、女は門のなかへ消えた。
四
男はどうするかと見ていると、彼はまた引っ返して元来た方角へ歩き出そうとして、自分のあとを尾けて来た半七とちょうど向い合った。一本路をすれ違って行こうとする彼を、半七は追うように呼び止めた。
「おい、あにい、寅|大哥《あにい》」
寅松は黙って立ち停まった。
「おめえ、久しく顔を見せねえじゃあねえか。どこに引っ込んでいたんだ」と、半七は続けて馴れ馴れしく声をかけた。
「おめえは誰だ」と、寅松は薄暗いなかで用心深そうに透かして視た。
「まあ、誰でもいいや。孔雀長屋の二階で二、三度逢ったことがあるんだ」
「嘘をつけ」と、寅松は身構えをしながら云った。「てめえは今、そこの蕎麦屋にいた野郎だろう。どうも面《つら》付きが気に食わねえと思った。田町の重兵衛の子分にてめえのような面を見たことはねえ。てめえ達の食い物になる俺じゃあねえ。おれを連れて行きたけりゃあ重兵衛を呼んで来い」
「大哥、ひどく威勢が好いな」と、半七はあざわらった。「まあ、なんでもいいから其処までおとなしく来てくれ」
「馬鹿をいえ。今度|伝馬町《てんまちょう》へ行けば仕舞い湯だ。てめえ達のような下っ引にあげられて堪まるものか。もち竿で孔雀を差そうとすると、ちっとばかり的《あて》がちがうぞ。おれを縛りたけりゃあ立派に十手と捕り縄を持って来い」
むやみに気が強いので、半七も持て余した。もうこうなれば忌でも泥仕合いをするよりほかはない。この雪あがりに厄介だとは思ったが、多寡が遊び人ひとりを手捕りするのはさのみむずかしくもない。もう腕ずくで引き摺って行こうと思った。
「やい、寅。てめえのような半端《はんぱ》人足を相手にして、泥沫《はね》をあげるのもいやだと思って、お慈悲をかけてやりゃあ際限がねえ。おれは立派に御用の十手を持っているが、てめえを縛ってから後で見せてやる。さあ、素直に来い」
一と足すすみ寄ると、寅松は一と足さがってふところに手を入れた。岡っ引を相手に刃物などを振り廻すのは素人である。こいつは口ほどでもない奴だと半七はすぐに多寡をくくってしまった。
併しその素人がかえって剣呑であるから、彼は相手の胆《きも》をおびやかすために一つ呶鳴った。
「寅松。御用だ。神妙にしろ」
この途端に、誰か半七のうしろから忍んで来て、両手でその眼隠しをする者があった。不意を喰らって彼もすこし慌てたが、その手触りでそれが女の手であることを半七はすぐに覚った。女は云うまでもなく、かのお時であろう。彼は肩を沈めて相手の腕を引っ掴むと同時に自分の爪先へ投げ出すと、その上を飛び越えて寅松が突いて来た。かれの手には匕首《あいくち》が光っていた。
「御用だ」と、半七はまた叱った。
寅松の刃は空を二、三度突いて、彼のからだが右へ左へただようとみるうちに、右の手につかんでいる刃物はもう叩き落されてしまった。左の手首には縄がかかっていた。相手がなみなみの者でないと覚って、かれは急に弱い音を吹き出した。
「親分。どうもお見それ申しました。お手数をかけてまことに申し訳がございません。まあ、勘弁して下さいまし」
「今だから行って聞かせる。おれは神田の半七だ」と、半七は名乗った。「往来なかじゃあどうにもならねえ。おい、お時。てめえもかかり合いだ。主人の家へ案内しろ」
泥まぶれになって這い起きたお時と、縄付きの寅松とを引っ立てて、半七は辰伊勢の寮へはいると、奥から小女が泣き声をあげて駈け出して来た。
「若旦那と花魁が……」
辰伊勢の息子と誰袖とは、奥の八畳の座敷に逆さ屏風を立てまわして、二人ともに剃刀《かみそり》で喉を突いていたのであった。
「その時にはわたくしも面喰らいましたよ」と、半七老人は云った。「なるほど、お時の口から心中というようなことを聞いていましたが、さすがに今すぐとは思いませんでしたからね。なにしろ、一方には縄付きが二人出る。一方には二人の死骸の検視を受ける。辰伊勢の寮は大騒ぎで。それからそれへと噂が立ったと見えて、夜の更けるまで門の前はいっぱいの人でしたよ」
「辰伊勢の息子と誰袖はどうして心中したんです。それが又なにかお時と寅松とに関係があるんですか」
私にはまだその訳がちっとも判らなかった。半七老人は更に詳しく説明してくれた。
「その誰袖という女は人殺しをしているんです。辻占売りのおきんという娘を殺したのは誰袖の仕業《しわざ》なんです。なぜそんなことをしたかと云うと、前にもお話し申した通り、誰袖は主人の伜の永太郎と深い仲になって、証文を踏み倒すの何のという魂胆でなく、男にほんとうに惚れ抜いていたんです。すると、どうしたはずみか、その永太郎が辻占売りの評判娘と関係が出来てしまったので、誰袖はそれを聞いてひどく口惜《くや》しがって……。ああいう商売の女のやきもちは人一倍で、そりゃあ実におそろしいもんですからね。ふだんから仲好しの仲働きに云い付けて、おきんが廓から夜遅く帰って来るところを、無理に寮のなかへ呼び込んで、さんざん怨みを云った上で、まあひどいことをするじゃありませんか。打《ぶ》ったり抓《つね》ったりした揚句に、自分の細紐でおきんをとうとう絞め殺してしまったんです。まさかにそんなことにはなるまいと思っていたので、仲働きのお時も一時はびっくりしたんですが、こいつがなかなかしっかり者で、しかもおきんの兄貴の寅松という遊び人と、とうから情交《わけ》があったんです」
「不思議な因縁ですね」
「そういうわけで、おきんも前からお時を識っているので、ついうかうかと辰伊勢の寮へ引っ張り込まれて飛んだ災難に逢うことになったのでしょう。そこで、お時はすぐに兄貴の寅松を呼んで来て、なにもかも打ち明けて後の始末を相談すると、寅松もびっくりしたんですが、こいつも根が悪い奴ですから、自分の情婦《おんな》の頼みといい、内分にすれば纒まった金がふところにはいると聞いて、妹のかたきを取ろうという料簡も無しに素直に承知してしまったんです。そして寮の床下を深く掘って、おきんの死骸をそっと埋めて、みんなが素知らん顔をしていたんです。何でもその口止めに差当り百両の金をお時の手から寅松に渡したということです」
「その金はどこから出たんですか」と、わたしは根掘り葉掘り詮議した。
「その金はつまり永太郎の手から出たんです」と、半七老人は云った。「誰袖はその明くる日すぐに永太郎を呼び付けて、これも正直に打ち明けて、わたしは口惜しいからあのおきんをいじめ殺した。さあ、それが悪ければどうともしてくれと膝詰めで談判したんです。永太郎は蒼くなってふるえたそうですけれども、もともと自分にも落度《おちど》はあり、そんなことが表沙汰になった日には辰伊勢の暖簾《のれん》にもかかわることですから、とうとう誰袖の云うなり次第に内済金の百両を出すことになったんですが、悪銭身に付かずの譬《たと》えで、寅松はその百両を賭場ですっかり取られてしまって、おまけに盆の上の喧嘩から相手に傷をつけて、土地にもいられないようなことになってしまいました。それでもさすがに気が咎めるのか、それとも兄妹の人情というのでしょうか、まだふところに金のある間に自分の菩提寺へ久し振りでたずねて行って、妹の回向料の積りで何となしに五両の金を納めて行ったんです。それから草加《そうか》の在の方へ行って、ひと月ばかり隠れていたんですが、江戸者が麦飯を食っちゃあいられませんから、又こっそりと江戸へ帰って来て、お時から幾らかずつの小遣いを強請《いたぶ》って、そこらをうろ付いているうちに、田町の重兵衛に眼をつけられて、お時と情交《わけ》のあることも知れてしまったんです。重兵衛は自分の縄張り内ですから辰伊勢に引き合いを付けるのも気の毒だと思って、早くお暇を出してしまえと内々で教えてやったんですが、それが却って仇となって……」
「お時は素直に出て行かなかったんですか」
「そりゃあ素直に動きませんや。永太郎と誰袖の急所を掴んでいるんですもの、ここで少なくも二百と三百と纒まった金を貰わなければ、おとなしく出て行くわけにはゆかないと云って、しきりに二人をおどかしていたんですが、永太郎も部屋住みの身の上で、とてもそんな金が出来る筈はなし、誰袖もこれまでに度々お時に強請《ゆす》られているんですから、身の皮を剥いでも工面《くめん》は付かず、二人ともに弱り抜いているうちに、なんにも知らない辰伊勢のおふくろが無暗に引き合いを怖がって、一日も早くお時に暇を出そうとする。お時は情夫の寅松を加勢に頼んで、自分たちの云い条を素直に肯《き》いてくれなければ、おきん殺しの一条を恐れながらと訴え出ると、蔭へまわって永太郎と誰袖とを脅迫している。もうどうにもこうにもしようがなくなって、誰袖は永太郎と一緒に死のうと覚悟を決めた。それをお時が薄々感付いたので、二人を心中させては玉無しになるから、その前に寅松に意地をつけて、いよいよ辰伊勢の帳場へ坐り込ませようというところを、わたくしにみんな引き揚げられてしまったんです。誰袖は所詮助からない命ですから、いっそ心中した方がましだったかも知れませんが、永太郎はまさかに死罪にもなりますまいから、もう一と足のところで可哀そうなことをしました」
これで辰伊勢の寮の秘密もすっかり判ったが、まだ一つの疑いがわたしの胸に残っていた。
「すると、その徳寿とかいう按摩はなんにも知らなかったんですね」
「徳寿という奴は正直者で、誰袖の文使いをしたほかには、全くなんにも知らなかったようです」
「その徳寿が辰伊勢の寮へ行くことを、なぜそんなにいやがったんでしょう。誰袖のそばには何か坐っているなんて、めくらの癖にどうして感付いたんでしょう」
「さあ、それは判りませんね。そういうむずかしい理窟はあなた方のほうがよくご存じでしょう。辰伊勢の寮の床下にはおきんの死骸が埋まっていたんです」
半七老人はその以上に註釈を加えてくれなかった。わたしが、この物語を「春の雪解」と題したのは単に半七老人の口真似をしただけのことで、事実はかの直侍と三千歳との単純な情話よりも、もっと深い恐ろしいもののように思われてならない。
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広重《ひろしげ》と河獺《かわうそ》
一
むかしの正本《しょうほん》風に書くと、本舞台一面の平ぶたい、正面に朱塗りの仁王門、門のなかに観音境内の遠見《とおみ》、よきところに銀杏の立木、すべて浅草公園仲見世の体《てい》よろしく、六区の観世物の鳴物にて幕あく。――と、上手《かみて》より一人の老人、惣菜《そうざい》の岡田からでも出て来たらしい様子、下手《しもて》よりも一人の青年出で来たり、門のまえにて双方生き逢い、たがいに挨拶すること宜しくある。
「やあ、これは……。お花見ですかい」
「別になんということもないので……、天気がいいから唯ぶらぶら出て来たんです」
「そうですか。わたくしは橋場《はしば》までお寺まいりに……。毎月一遍ずつは顔を見せに行ってやらないと、土の下で婆さんが寂しがります。これでも生きているうちは随分仲がよかったんですからね。はははははは。ところで、あんたはお午飯《ひる》は」
「もう済みました」
「それじゃあどうです。別に御用がなければ、これから向島の方角へぶらぶら出かけちゃあ……。わたくしは腹こなしにちっと歩こうかと思っているところなんですが……」
「結構です。お供しましょう」
ずるそうな青年は、ああ手帳を持って来ればよかったという思《おもい》入れ、すぐに老人のあとに付いてゆく。同じ鳴物にて道具まわる。――と、向島土手の場。正面は隅田川を隔てて向う河岸をみたる遠見、岸には葉桜の立木。かすめて浪の音、はやり唄にて道具止まる。――と、下手より以前の老人と青年出で来たり、いつの間にか花が散ってしまったのに少しく驚くことよろしく、その代りに混雑しないで好いなどの台詞《せりふ》あり、二人はぶらぶらと上手へゆきかかる――。
ここまで本読みをすれば、誰でも登場人物を想像するであろう。老人は例の半七老人で、青年はわたしである。老人はわたしの問うにしたがって浅草あたりの昔話を聞かせてくれた。聖天《しょうでん》様や袖摺《そですり》稲荷の話も出た。それからだんだんに花が咲いて、老人はとうとう私に釣り出された。
「いや、まったく昔はいろいろ不思議なことがありましたよ。その袖摺いなりで思い出しましたが……。まあ、あるきながら話しましょう」
これは安政五年の正月十七日の出来事である。浅草|田町《たまち》の袖摺稲荷のそばにある黒沼孫八という旗本屋敷の大屋根のうえに、当年三、四歳ぐらいの女の子の死骸がうつ伏せに横たわっていたが、屋根のうえであるから屋敷の者もすぐには発見しなかった。かえって隣り屋敷の者に早く見つけられて、黒沼家でも初めてそれを知って騒ぎ出したのは朝の五ツ(午前八時)を過ぎた頃であった。足軽と中間《ちゅうげん》が長梯子をかけて、朝霜のまだ薄白く消え残っている大屋根にのぼって見ると、それはたしかに幼い女の児で、服装《みなり》も見苦しくない。容貌《きりょう》も醜《みにく》くない。ともかく担ぎおろして身のまわりをあらためたが、彼女は腰巾着を着けていなかった。迷子札《まいごふだ》も下げていなかった。したがって、何処の何者だかを探り出す手がかりも無いので、皆もしばらく顔を身合わせていた。
彼女の身許がわからないということよりも、まず第一に諸人の頭を悩ましたのは、この幼い娘がどうして此の屋敷の大屋根の上に、小さい亡骸《なきがら》を横たえていたかという疑問であった。黒沼家は千二百石の大身《たいしん》で、屋敷のうちには用人、給人、中小姓、足軽、中間のほかに、乳母、腰元、台所働きの女中などをあわせて、上下二十幾人の男女が住んでいるが、一人もこの娘の顔を見識っている者はなかった。屋敷へふだん出入りする者の眷族《けんぞく》にも、こういう顔容《かおだち》の娘は見あたらなかった。身許不明の此の娘がどうして此の屋根のうえに登ったのか、その判断がなかなかむずかしかった。平屋《ひらや》作りではあるが、武家屋敷の大屋根は普通の町家よりも余っぽど高いのであるから、たとい長梯子を架けたとしても、三つや四つの幼い者が容易に這い上がれようとは思われない。そんなら天から降ったのか。あるいは天狗にさらわれて、宙から投げ落されたのではあるまいか。去年の夏から秋にかけて、江戸の空にはときどき大きい光り物が飛んだ。ある物は大きい牛のような異形《いぎょう》の光り物が宙を走るのを見たとさえ伝えられている。所詮はそういう怪しい物に引っ掴まれて、娘の死骸は宙から投げ落されたのではあるまいかと、賢《さか》しら立って説明する者もあったが、主人の黒沼孫八はその説明に満足しなかった。彼はふだんから天狗などというものの存在を一切否認しようとしている剛気の武士であった。
「これには何か仔細がある」
いずれにしても其のままには捨て置かれないので、彼はその次第を一応は町奉行所にも届けろと云った。武家屋敷内の出来事であるから、表向きにしないでも何とか済むのであるが、彼はその疑問を解決するために町方《まちかた》の手を借りようと思い立って、わざと公《おおやけ》にそれを発表しようとしたのであった。
「かような幼い者に親兄弟のない筈はない。娘を失い、妹をうしなって、さだめし嘆き悲しんでいる者もあろう。その身許をよくよく詮議して、せめて亡骸《なきがら》なりとも送りとどけ遣わしたい。屋敷の外聞など厭うているべき場合でない。出入りの者どもにも娘の人相|服装《みなり》などをくわしく申し聞かせて、心あたりを詮索《せんさく》させろ」
主人がこういう意見である以上、だれも強《し》いて反対するわけにも行かなかった。用人の藤倉軍右衛門はその日の午前《ひるまえ》に京橋へ出向いて、八丁堀同心の小山新兵衛を屋根屋新道の屋敷にたずねた。耳の早い新兵衛はもうその一件のあらましを何処からか聞き込んでいたらしかったが、軍右衛門は更にくわしい説明をあたえた上で、なんとかしてかの娘の身許を洗い出してくれないかと膝づめで頼んだ。そうして、正直にこういう事情も打ちあけた。主人は公にそれを発表しろと云っているけれども、自分の意見としてはやはり屋敷の外聞を考えなければならない。正月早々から屋敷の屋根に得体《えたい》の知れない人間の死体が降って来たなどということは、第一に不吉でもあり、世間に対して外聞の好いことでもない。ことに世間の口は煩《うる》さいもので、それからそれへと尾鰭を添えて、有ること無いことをいろいろに吹聴《ふいちょう》されると、結局はどんな迷惑の種をまかないとも限らない。かたがたこれは内分にして、なんとか詮議の術《すべ》はあるまいか。主人とても好んでこれを世間に吹聴したいわけではない。かの娘の身許が判って、その親類縁者に引き渡せばそれで安心するのであるから、そのつもりで内密に詮索してくだされば至極好都合であると、軍右衛門は懇願するように云った。
「よく判りました。では、なんとか然るべきようの取り計らい方を致しましょう」と、新兵衛は素直に承知した。
軍右衛門を帰したあとで、新兵衛はすぐに神田の半七を呼んで、その一件をあらまし話してきかせた。
「まずそういう訳なんだから、縄張り違いかも知れねえが、一つ踏み込んでやってみてくれ。こういう仕事はお前にかぎる。いや、おだてるんじゃねえが、屋敷の仕事はちっと面倒だから誰でも好いというわけにも行かねえ。寒いところを御苦労だが、なにぶん頼むよ」
「かしこまりました。まあ、なんとか手繰《たぐ》ってみましょう」と、半七は考えながら云った。
「天狗がさらうというのも今どきは流行らねえ」と、新兵衛は笑った。「何かこれには綾があるだろう。洗ってみたら又面白い種があるかも知れねえぜ」
「そうかも知れません。なにしろこれから田町へ行って、御用人に逢って来ましょう」
半七は八丁堀を出て、草履の爪先を浅草にむけた。黒沼の屋敷の通用門をくぐって用人をたずねると、軍右衛門は待ち兼ねていたように彼を自分の長屋へ案内した。
「なにか御迷惑な一件が出来《しゅったい》しましたそうで、お察し申し上げます」と、半七はまず挨拶した。
「まったくお察しください」と、軍右衛門は少し禿げかかった額《ひたい》ぎわに大きい皺をきざんで見せた。「なにぶんにも筋道の判らぬ一件で、手前共もまことに迷惑している。得体のわからぬ小娘の死骸をそのまま取り捨ててしまえば何の仔細もない事であるが、主人がどうしても不承知で、その身よりの者を探し出して必ず引き渡してやれという。さりとて当途《あてど》もない尋ねもの、第一にその死骸が何処をどうして屋敷の屋根の上に投げ込まれたのか、それすら一向に見当のつかぬような始末で、われわれ甚だ困却しているが、そちらは商売柄、なんとか筋道をたどって探索しては下さるまいか」
「へえ、小山の旦那からもお話がございましたから、何とか一と働きいたしたいと存じて居りますが……。そこでその死骸というのは何処にございます。寺の方へでももうお預けになりましたか」
「いや、夕刻までは手前の長屋に置いてある、一応見てください」
用人の長屋は三畳と六畳と八畳の三間に過ぎなかった。その八畳の座敷の片隅に、小さい娘の死骸が北枕に寝かされて、さすがに水と線香とが供えてあった。半七は這い寄って娘の死骸をのぞいた。念のために死骸を抱き起して身体じゅうをあらためて見た。
「すっかり拝見しました」と、半七は死骸を元のように寝かしながら云った。それから起って縁側へ出て、手水鉢《ちょうずばち》で両手を浄《きよ》めて来て、しばらく黙って考えていた。
「判りましたか」と、軍右衛門は待ち兼ねて催促した。
「いや、すぐにはどうも……。そこで、心得のために伺って置きたいのでございますが、ゆうべから今朝にかけて、別にお心当りはなんにもございませんでしたか」
無論に心当りはないと軍右衛門は躊躇せずに答えた。ゆうべは屋敷に歌留多《かるた》会の催しがあって、親類の人たちや隣り屋敷の子息や娘や、大供小供をあわせて二十人ほどが寄りあつまって、四ツ(午後十時)を過ぎる頃まで賑やかに騒ぎあかした。その疲れで屋敷じゅうの者もみんな好く寝込んでしまったので高い大屋根の上に這いのぼった者があったか、転げ落ちた者があったか、誰も一向気がつかなかった。現にけさもよそから注意されて初めてそれを発見したくらいであるから、それが宵のことか、夜半《よなか》のことか、暁け方のことか、まるでなんにも見当は付かないと云った。
「この子供の人相はまったく何人《どなた》も御存じないんですね」と、半七は念を押した。
「わたしは無論見おぼえがない。屋敷中のものも残らず詮議したが、誰も見識っている者はないと云っている。この娘の風体から見ると、どうも町人らしいが……」
「左様でございます」と、半七はうなずいた。「どうしても御屋敷方じゃございません。それから恐れ入りますが、この死骸の落ちていた大屋根のあたりを一度みせていただくわけにはまいりますまいか」
「承知いたしました」
軍右衛門は先に立って長屋を出て、玄関先へ半七を案内した。かれは二人の中間《ちゅうげん》をよんで、玄関の横手から再び長梯子をかけさせると、半七は身づくろいをしてすぐにするすると登って行って、大屋根の上に突っ立った。そうして、誰か一緒に来てくれと、上から小|手招《こてまね》ぎをすると、小作りの中間一人があとからつづいて登って来たので、その中間に教えられて、かれは死骸の横たわっていた場所は勿論、高い大屋根のうえをひと巡り見まわって降りた。
二
黒沼の屋敷を出て、半七は更に馬道《うまみち》の方へ行った。そこに住んでいる子分の庄太を呼び出して、あの屋敷に就いてふだんから何か小耳にはさんでいることはないかと詮索したが、庄太は別に聞き込んだことはないと云った。黒沼家は近所でも評判の堅い屋敷で、奉公人もみんな風儀が好い。今度の一件もおそらく屋敷内の者にかかり合いはあるまいとの判断であった。
「そうか。じゃあ、まあ仕方がねえ」と、半七は青々と晴れた正月の大空を仰いだ。「どうだ、庄太。きょうは天気も好し、あんまり空《から》っ風も吹かねえから、十万坪の方まで附き合わねえか」
「十万坪……」と庄太は妙な顔をした。「あんなところへ何しに出かけるんです」
「久しく砂村のお稲荷様へ参詣しねえから、ふいと思い立ったのよ。きょうは仕事も半ちくだから、急に御信心がきざしたんだ。迷惑でなければ一緒に来てくれ」
「ようがす。わっしもどうでひまな人足なんですから、どこへでもお供しますよ」
二人はすぐに連れ立って出た。もうかれこれ八ツ(午後二時)過ぎだというのに、これから何で深川の果てまでわざわざ出かけるのかと、庄太は内心不思議に思っているらしかったが、黙って素直について来た。吾妻《あずま》橋を渡って、本所を通り越して、深川の果ての果て、砂村|新田《しんでん》の稲荷前にゆき着いたのは八幡の鐘がもう夕七つ(午後四時)を撞き出したあとで、春といってもまだ日あしの短いこの頃の夕風は、堤《どて》下に枯れのこっている黄色い蘆の葉を寒そうにふるわせていた。
「親分。ちっと冷えて来ましたぜ」と、庄太は襟をすくめた。
「ああ、日が落ちかかると、やっぱり寒い」
稲荷のやしろに参詣して、二人はそこにある葭簀《よしず》張りの掛茶屋にはいった。もうそろそろと店を仕舞いにかかっていた女房は、客を見て急に笑顔をつくった。
「お寒いのに遠方御信心でございます。なんにもございませんが、お団子でもあっためて差上げましょうか」
「なんでも好いから熱い茶を一杯飲まして貰おう」と、庄太はよほどくたびれたらしい顔をして、床几に腰をおろした。
焼きざましの団子をもう一度あぶり直して、女房はいそがしそうに薬鑵の下を渋団扇であおいでいた。
「おかみさん。この頃はおまいりがたくさんありますかえ」と、半七は訊いた。
「なにしろお寒いもんですから」と、女房は茶を運びながら答えた。「これでも来月になるとずっとお賑やかになります」
「そうだろう。来月はもう初午《はつうま》だから」と、半七は煙草をすいながら云った。「それでも毎日二三十人はありますかえ」
「多い時はその位ございますが、きょうなぞは唯《た》った十二三人でございました。そのなかで半分ぐらいは日参の方《かた》ばかりでございます」
「やっぱりここまで日参の人がありますかえ、御信心はおそろしいものだ。わたしなんぞは一度でも好い加減にがっかりしてしまった」と、庄太は硬い焼団子を頬張りながら、いかにも感心したように云った。
「御信心もいろいろございますが、中には随分お気の毒なのもございます。けさ木場《きば》の方から見えた若いおかみさんなんぞはほんとうに惨《いじ》らしいようでございました。この寒いのに浴衣一枚で、これから毎朝|跣足《はだし》参りをするんだそうですが、見るから痩せぎすな、孱弱《ひよわ》そうな人ですから、からだを痛めなければいいがと案じています。そりゃあ御信心でございますけれど、あんまり無理をするとやっぱり長続きが致しませんからね」
「その若いおかみさんというのはどこの人で、どんな願《がん》を掛けているのかしら」と、半七も同情するように訊いた。
「それがまったくお気の毒なのでございます」と、女房は土瓶《どびん》の湯をさしながら相手の顔を覗いた。「その女の人は木場の材木問屋の通い番頭さんのおかみさんだそうで、まだようよう十九で、去年の秋ごろにお嫁に来たんだそうですが、その人は二度添いで、今年|三歳《みっつ》になる先妻の子供があるんです。きのうの夕方、その子供をつれて八郎兵衛新田にいる親類の家へたずねて行って、薄暗くなって帰ってくる途中、どうしたものか其の子供の姿が見えなくなってしまったんです。驚いて探し廻ったんですけれど、どうしても知れない。丸髷にこそ結っていますけれど、まだ十九という若いおかみさんですから、途方にくれて泣きながら自分の家に帰っていくと、御亭主が承知しないんです。そりゃあ勿論、おかみさんにも落度はあります。自分の連れている子供を迷子《まいご》にしたんですから御亭主に対して申し訳ないのはあたり前です。おまけに面倒なことは其の人が二度添いで、迷子にしたのは先妻の子供、自分にとっては継子《ままこ》ですから、なおなお義理が立ちません。義理が立たないばかりでなく、悪く疑えば継母根性でその子供をわざと何処へか捨てて来たかとも思われます。現に御亭主もそう疑っているらしく、なんでもおかみさんをきびしく叱って、おまえがそこらの川へ突き落してでも来たんだろう、というようなことを云ったらしいんです。おかみさんはひどくそれを口惜《くや》しがって、その晩すぐに家を飛び出して、自分の潔白を見せるために、近所の堀か川へでも身を投げようと思ったんですが、また急に思い直して、そのまま無事に家へ帰って、けさからこのお稲荷さまへ日参を始めたんだそうです。それにそのおかみさんの運の悪いことは、子供を外へ連れて出ようとして、着物を着換えさせてやる時に、よそゆきの帯に迷子札を着けかえるのを忘れてしまって、そのままで出てしまったもんですから、なんにも証拠が無いんです。それを悪く疑えば、わざと迷子札をつけずに置いたとも云われるんです。人の料簡はなかなかうわべから見えませんけれど、あんなに真っ蒼な顔をして、眼を泣き腫らして、どう見ても嘘やいつわりとは思われません、まったくあのお内儀さんの災難に相違なかろうと思うんですが、その子供が無事に出て来ない以上は、なんと疑われても仕方のないわけです」
この長い話を聴かされて、半七と庄太は眼を見合わせた。
「おかみさん。その子供は女の児かえ」と、庄太は待ち兼ねて訊いた。
「はい。女の児だそうでございます。名はお蝶といって、お父ッつあんは次郎八というんだとか聞きました。子供のことですから、そんなに遠いところへ迷って行きも致しますまいし、川へでも陥《はま》ったのなら死骸がもう浮き上がりそうなもんですが、どうしたもんでしょうかねえ」と、女房は溜息をつきながら云った。「お稲荷さまの御利益《ごりやく》で、どうかまあ、ちっとも早くその子供の安否が知れるようにして上げたいと、わたくし共も蔭ながらお祈り申しております」
「そりゃあ全くだ。しかし信心の徳で、今になんとか判るだろう」
半七は庄太に眼くばせして、幾らかの茶代を置いて床几を起った。茶店を出て、一間ほども行きすぎると、庄太はうしろを見かえりながらささやいた。
「親分。うまく突き当りましたね」
「犬もあるけば棒に当るとは此の事だ。もうこれで何もかもすっかり当りが付いた」と、半七はほほえんだ。
「けれども、まだ判らねえことがありますぜ」と、庄太は仔細らしく首をひねっていた。「その子供の身許はそれで判ったが、どうしてそれが黒沼の屋敷の大屋根に落ちていたんだろう。それがどうも腑におちねえ。一体、親分が今時分こんなところへ出てくるのがおかしいと思っていたんだが、十万坪へ行くの、砂村へおまいりするのと云って、なにか最初から心あたりがあったんですかえ」
「まんざらないこともなかったが、あんまり雲を掴むような話で、おめえに笑われるのも業腹《ごうはら》だから実は今まで黙っていたが、おめえをここまで引っ張り出したのは、もしやという心頼みがちっとはあったんだ」
「それにしても、こっちの方角とはどうして見当を付けなすった」
「それがおかしい。まあ、聞いてくれ」と、半七は又ほほえんだ。「黒沼の屋敷へ云って、用人の部屋で娘の死骸をみせて貰うと、からだには別に疵らしい痕もねえから、病死したものをそっと運んで来たのかとも思ったが、よく見ると娘の襟っ首に小さい爪のあとのようなものが薄く残っている。それも人間の爪じゃあねえ、どうも鳥か獣《けもの》の爪らしい。と云って、まさか天狗の仕業でもあるめえし、はて何か知らんとかんがえながら屋敷を出て、おめえの家の方角へぶらぶらやってくると、絵草紙屋の店先でふとおれの眼についた一枚絵がある。それは広重《ひろしげ》が描いた江戸名所で、十万坪の雪の景色だ。おめえ、知っているか」
「知りません。わっしはそんなものはきれえですから」と、庄太は苦笑いした。
「そうだろう。おれも別に好きというわけじゃあねえが、商売柄だから何にでも眼をつける。そこで、見るともなしにふと見ると、今もいう通り、その絵は十万坪の雪の景色で、雪が真っ白に降っていると、その大空に大きい鷲が羽をひろげて飛んでいるんだ。なるほど能く描いた、実に面白い図柄だと思っているうちに、また思いついたのが黒沼の屋敷の一件だ。まさかに天狗が掴んだのでもねえとすれば、娘を引っ掴んで来たのは鷲の仕業かもしれねえ。襟っ首に残っている爪の痕もそうだろう。しかしそれはほんの一時の出来心で、自分ながらあぶなっかしいと思ったから、ともかくもお前に逢ってだんだん訊いてみると、黒沼の屋敷に悪い評判はきこえず、お前もなんにも心当りがねえという。それじゃあ念のために十万坪の方角へ踏み出して見ようと思い立って、わざわざお前を引っ張り出したんだ。勿論、相手は鳥のことだから何も十万坪に限ったこともねえ。王子へ出るか、大久保へ出るか、とても見当の付くわけのもんじゃねえが、なにしろ十万坪の絵から考え出したんだから、ともかくも其の方角へ行って見た上で、又なんとか分別を付けようと思って、遠い砂村までわざわざ踏み出してみると、やっぱり無駄足にはならねえで、なんの苦もなしに突き当ててしまったんだ。考えてみれば拾い物よ。そのお蝶とかいう娘が、どこかでおふくろにはぐれてしまって、うす暗い処をうろうろしていると、大きな鷲が不意に降りてきて、帯か襟っ首を引っ掴んで宙へ高く舞い上がったに相違ねえ。八郎兵衛新田から十万坪のあたりは人家は少なし、隣りは細川の下屋敷と来ているんだから、誰も見つけた物がねえ。殊にうす暗い時刻ならば猶更のことで、鳥の羽音もなんにも聞いた者はあるめえ。それからどうしたか勿論わからねえが、娘は驚いて気を失ってしまって、もう泣き声も立てなかったんだろう。鷲の奴めも引っ掴んでは見たものの、どうにもしようがねえもんだから、そこら中を飛びあるいて、しまいには掴んだものを宙からほうり出すと、それが丁度に黒沼の屋敷の上に落ちたというわけだろう。早く見付けて手当てをしたらば、運よく蘇生《よみがえ》ったかも知れなかったが、明くる朝までそのまま打っちゃって置いたんだからもう助からねえ。ほんとうに飛んでもねえ災難で、先の長げえ者を可哀そうなことをしたよ。しかしまあ、死んだ者は仕方がねえから、早くその親たちに知らしてやって、諦めさせるのが肝腎だ。今の話の様子じゃあ、それから又いろいろな面倒が起って、若いおふくろまでがなんぞの間違いでも仕出来《しでか》さねえとも限らねえ。死んだ者より、生きたものを助ける工夫が大切だから、これからすぐに木場へまわって、この訳をよく云い聞かせてやらなけりゃあならねえ」
「そりゃあそうです」と、庄太もすぐに同意した。「子供はまだ三歳《みっつ》や四歳《よっつ》じゃあどうにもならねえが、そのおふくろというのはまだ十九だそうだから、間違いがあっちゃあ可哀そうだ」
「若い女房だと思って贔屓をするな」と、半七は笑った。「そんなこと云っていると、今度はてめえが鷲に引っさらわれるぞ」
「おどかしちゃいけねえ。急に薄っ暗くなって来た」
二人は薄暗い川端をたどって、筏《いかだ》の浮かんでいる木場の町へ足を早めた。
「大体の話はまずこうです」と、半七老人は云った。「その途中で、女房の身を投げるところでも抱き止めれば芝居がかりになるのですが、実録じゃあそう巧くは行きませんよ。はははははは。ともかくも木場へ行って、次郎八という男の家を探し当ててその話をして聞かせると、夫婦ともにびっくりしていました。それからすぐに次郎八をつれて行って、黒沼の屋敷の用人に引きあわせると、用人も大安心で死骸を引き渡してくれました。死骸はたしかに次郎八の娘で、もう一と足遅いと寺へ送られてしまうところでした。勿論、普通の探索物と違いますから、この一件ばかりは確かにこうと突き留めるわけには行きませんが、どうもこれよりほかには鑑定の付けようがないので、娘は鷲にさらわれたものと決まってしまいました。これは広重の絵のおかげで、なにが人間の助けになるか判りません。その広重は大コロリで、その年の秋に死にました」
三
こんな話をしているうちに、二人はいつか三囲《みめぐり》を通りすぎていた。堤《どて》はもう葉桜になって、日曜日でも雑沓していないのが、わたし達に取っては却って仕合わせであった。わたしは息つぎに巻煙草入れを袂から探り出して、そのころ流行った常磐《ときわ》という紙巻に火をつけて半七老人に一本すすめると、老人は丁寧に会釈して受け取って、なんだかきな臭いというような顔をしながら口のさきでふかしていた。
「どこかで休みましょうか」と、わたしは気の毒になって云った。
「そうですね」
一軒の掛茶屋を見つけて、二人は腰をおろした。花時をすぎているので、ほかには一人の客も見えなかった。老人は筒ざしの煙草入れをとり出して、煙管《きせる》で旨そうに一服すった。毛虫を吹き落されるのを恐れながらも、わたしは日ざかりの梢を渡ってくる川風をこころよく受けた。わたしの額はすこし汗ばんでいた。
「むかしはここらに河獺《かわうそ》が出たそうですね」
「出ましたよ」と、老人はうなずいた。「河獺も出れば、狐も狸も出る。向島というと、誰でもすぐに芝居がかりに考えて清元か常磐津の出語りで、道行《みちゆき》や心中ばかり流行っていた粋《いき》な舞台のように思うんですが、実際はなかなかそうばかり行きません。夜なんぞはずいぶん薄気味の悪いところでしたよ」
「ほんとうに河獺なんぞが出ては困りますね」
「あいつは全く悪いいたずらをしますからね」
なにを問いかけても、老人は快く相手になってくれる。一体が話し好きであるのと、もう一つには、若いものを可愛がるという柔かい心もまじっているらしい。彼がしばしば自分の過去を語るのは、あえて手柄自慢をするというわけではない。聴く人が喜べば、自分も共によろこんで、いつまでも倦《う》まずに語るのである。そこでこの場合、老人はどうしても河獺について何か語らなければならないことになった。
「つかんことを申し上げるようですが、東京になってからひどく減《へ》ったものは、狐狸や河獺ですね。狐や狸は云うまでもありませんが、河獺もこの頃では滅多《めった》に見られなくなってしまいました。この向島や千住ばかりじゃありません。以前は少し大きい溝川《どぶがわ》のようなところにはきっと河獺が棲んでいたもので、現に愛宕下の桜川、あんなところにも巣を作っていて、ときどきに人を嚇《おど》かしたりしたもんです。河童《かっぱ》がどうのこうのというのは大抵この河獺の奴のいたずらですよ。これもその河獺のお話です」
弘化四年の九月のことで、秋の雨の二、三日ふりつづいた暗い晩であった。夜ももう五ツ(午後八時)に近いと思うころに、本所|中《なか》の郷《ごう》瓦町《かわらまち》の荒物屋の店障子をあわただしく明けて、ころげ込むようにはいって来た男があった。商売物の蝋燭でも買いに来たのかと思うと、男は息をはずませて水をくれと云った。うす暗い灯の影でその顔を一と目見て、女房はきゃっと声をあげた。その男は額から頬から、頸筋まで一面になまなましい血を噴き出して、両方の鬢は掻きむしられたように乱れていた。散らし髪で血だらけの顔――それを表の暗やみから不意に突き出された時に、女房のおどろくのも無理はなかった。その声を聞いて奥から亭主も出て来た。
「まあ、どうしたんです」と、さすがは男だけに、彼はまず声をかけた。
「なんだか知りませんが、源森《げんもり》橋のそばを通ると、暗い中から飛び出して来て、傘の上からこんな目に逢いました」
それを聞いて、亭主も女房も少し落ち着いた。
「それはきっと河獺です」と、亭主は云った「ここらには悪い河獺がいて、ときどきにいたずらをするんです。こういう雨のふる晩には、よくやられます。傘の上へ飛びあがって顔を引っ掻いたんでしょうよ」
「そうかも知れません。わたしはもう夢中でなんにも判りませんでした」
親切な夫婦はすぐに水を汲んで来て、男の顔の血を洗ってやった。ありあわせた傷薬などを塗ってやった。男はもう五十を二つ三つも越しているかと思われる町人で、その服装《みなり》も卑しくなかった。
「なにしろ飛んだ御災難でした。今頃どちらへいらしったんです」と、女房は煙草の火を出しながら聞いた。
「なに、この御近所までまいったものです」
「お宅は……」
「下谷でございます」
「傘をそんなに破かれてはお困りでしょう」
「吾妻《あずま》橋を渡りましたら駕籠がありましょう。いや、これはどうもいろいろ御厄介になりました」
男は世話になった礼だと云って、女房に一朱の銀《かね》をくれた。こっちが辞退するのを無理に納めさせて、新しい蝋燭を貰って提灯をつけて、かれは傘をさして暗い雨のなかを出て行った。出たかと思うと、やがて又引っ返して来て、男は店口から小声で云った。
「どうか、今晩のことは、どなたにも御内分にねがいます」
「かしこまりました」と、亭主は答えた。
そのあくる日である。下谷|御成道《おなりみち》の道具屋の隠居十右衛門から町内の自身番へとどけ出た。昨夜、中の郷の川ばたを通行の折柄に、何者にか追いかけられて、所持の財布を取られたうえに、面部に数カ所の疵をうけたというのである。その訴えによって、町奉行所から当番の与力同心が下谷へ出張った。場所が水戸様の屋敷の近所であるというので、その詮議もひとしお厳重であった。十右衛門は自身番へ呼び出されて取り調べをうけることになった。
「半七。よく訊いてみろ」と、与力は一緒について来た半七に云った。
「かしこまりました。もし、道具屋の御隠居さん。お役人衆の前ですからね。よく間違わないように申し立ってくださいよ」と、半七はまず念を押して置いて、ゆうべの顛末《てんまつ》を十右衛門に訊いた。
「一体ゆうべは何処へなにしに行きなすったんだ」
「中の郷|元町《もとまち》の御旗本大月権太夫様のお屋敷へ伜の名代《みょうだい》として罷り出まして、先ごろ納めましたるお道具の代金五十両を頂戴いたしてまいりました」
「元町へ行った帰りなら源森橋の方へかかりそうなもんだが、どこか路寄りでもしなすったか」
「はい。まことに面目もない次第でございますが、中の郷瓦町のお元と申す女のところへ立ち寄りましてございます」
「そのお元というのはお前さんが世話でもしていなさるのかえ」
「左様でございます」
お元は三年越し世話をしているが、あまり心柄のよくない女で、たびたび無心がましいことを云う。現にゆうべもお元の家へ寄ると、かれの従弟《いとこ》だといって引きあわされた政吉という若い男がいて、自分にしきりに酒をすすめたが、こっちは飲めない口であるから堅く辞退した。おいおい寒空にむかって来るから移り替えの面倒を見てくれとお元から頻りに強請《せが》まれたが、それもふところの都合が悪いので断わって出て来た。その帰途に、かれは瓦町の川ばたで災難に逢ったものである。あの辺には河獺が出るというから自分も一旦は河獺の仕業であろうかと思っていたのであるが、家へ帰ってみると、かの五十両を入れた財布がない。して見ると、どうも河獺ではないらしい。よって一応のお届けをいたした次第であると、十右衛門はおずおず申し立てた。
「そのお元というのは幾歳《いくつ》ですね」
「十九になりまして、母と二人暮らしでございます」
「従弟の政吉というのは……」
「二十一二でございましょうか。お元の家へしげしげ出入りしているようでございますが、わたくしはゆうべ初めて逢いましたので、身許なぞもよく存じません」
一と通りの詮議は済んで十右衛門は下げられた。彼の申し立てによると、その疑いは当然お元という十九の女のうえに置かれなければならなかった。従弟の政吉というのは彼女の情夫《いろ》で、十右衛門の懐中に五十両の金をもっているのを知って、あとから尾《つ》けて来て強奪したのであろう。役人たちの鑑定は皆それに一致した。半七もそう考えるよりほかはなかった。併し金がないというだけのことで、すぐにお元を疑うわけにも行かなかった。かれは途中で取り落したかも知れない。よもやとは思っても、駕籠のなかに置き忘れて来たかも知れない。ともかくも中の郷へ行って、そのお元という女の身許を十分に洗った上のことだと半七は思った。
彼はそれからすぐに自身番を出て、十右衛門の疵の手当てをしたという医師をたずねた。そうしてその疵の痕について彼の鑑定を訊きだしたが、医師には確かなことは判らないらしかった。鋭い爪で茨掻《ばらが》きに引っ掻きまわしたのか、あるいは鈍刀《なまくら》の小さい刃物で滅多やたらに突き斬ったのか、その辺はよく判らないとのことであった。殊にこうした刑事問題に対しては後日《ごにち》の面倒を恐れて何事もはっきりとは云い切らない傾きがあるので、半七も要領を得ずに引き取った。
「今日《こんにち》ならば訳のないことなんですがね、昔はこれだから困りましたよ」と、半七老人はここで註を入れて説明した。
四
お元の情夫が十右衛門を傷つけて金を取ったのか、河獺が十右衛門を傷つけて、財布を別に取り落したのか、所詮は二つに一つでなければならない。半七は中の郷へ行って、近所の評判を聞いてみると、お元は十右衛門がいうような悪い女ではないらしかった。兄は先年死んだので、自分が下谷の隠居の世話になって老婆を養っているが、こんな身分の若い女には似合わない、至極|実体《じってい》なおとなしい女であるという噂であった。それを聞いて半七も少し迷った。
それにしても一応は本人にぶつかって見ようと思って、かれは瓦町のお元の家へゆくと、小柄な色白の娘が出て来た。それがお元であった。
「下谷の隠居さんはゆうべ来ましたか」と、半七は何気なく訊いた。
「はい」
「よっぽど長くいましたか」
「いいえ、あの門口《かどぐち》で……」と、お元は顔を少し紅くしてあいまいに答えた。
「家《うち》へあがらずに帰りましたかえ。いつもそうですか」
「いいえ」
「ゆうべは政吉さんという人が来ていましたが、あの人はおまえさんの従弟ですか」
お元は躊躇して黙っていた。これは正面から問い落した方がいいと思ったので、半七は正直に名乗った。
「御用で調べるんだから、隠しちゃあいけねえ。隠居の帰ったあとで、政吉はどこかへ出て行ったろう」
お元はやはり不安らしく黙っていた。
「隠さずに云ってくれ。こうなれば判然《はっきり》云って聞かせるが、下谷の隠居は中の郷の川端で誰かに疵をつけられて、首にさげていた財布を取られたので、おれはそれを調べに来たんだ。おめえも隠し事をして、飛んだ引き合いを食っちゃあならねえ。知っているだけのことはみんな正直に云ってしまわねえと、おめえのためにならねえぜ」
おどすように睨まれて、お元は真っ蒼になった。そうして、政吉は昨夜どこへも行かないと顫《ふる》え声で申し立てた。そのおどおどしている様子で、半七はそれが嘘であることをすぐ看破《みやぶ》った。彼は確かにそうかと念を押すと、お元はそれに相違ないと云い切った。しかし彼女の顔色がだんだん灰色に変って。もう死んだ者のようになってしまったのが半七の注意をひいた。彼はどうしても此の女の申し立てを信用することが出来なかった。
「もう一度きくが、たしかになんにも知らねえか」
「存じません」
「よし、どこまでも隠し立てをするなら仕方がねえ、ここで調べられねえから一緒に来い」
彼はお元の手をつかんで引っ立てて行こうとすると、奥から五十ばかりの女があわてて出て来て半七の袖にすがった。彼女はお元の母のお石であった。
「親分さん。どうぞお待ちくださいまし。わたくしから何もかも申し上げますから、どうぞ此女《これ》はお赦しねがいます」
「正直に云えば上《かみ》にもお慈悲はある」と、半七は云った。
「実はその政吉はわたくしの甥で、瓦職人をいたして居ります。この娘と行くゆくは一緒にするという約束もございましたが、いろいろの都合がありまして、娘も唯今では他人《ひと》さまのお世話になって居りますような訳でございます。その政吉が昨晩たずねてまいりまして、娘やわたくしと火鉢の前で話して居りまして……。実のところ、下谷の旦那はなかなか吝《しま》っていらっしゃる方で、月々の極めた物のほかには一文も余計に下さらないもんですから、この寒空にむかってほんとうに困ってしまうと、娘やわたくしが愚痴をこぼして居りますところへ、丁度に旦那がおいでになりまして、外で其の話をお聴きになったのですか、それとも政吉がいたのを妙にお取りになったものですか、門口《かどぐち》で少しばかり口を利いてすぐに出て行っておしまいなさいました。どの道、御機嫌が悪かったようでございましたから、もし万一これぎりになっては大変だと、わたくしがあとで心配して居りますと、政吉も共々に心配いたしまして、自分のことをおかしく思ってのお腹立ちならばまことに迷惑だから、無理にも旦那をよび戻して来て、よくその訳をお話し申すと云って、わたくしが止めるのを肯かずに、提灯を持って出てまいりました」
「むむ、よく判った。それからどうした」
「やがてのことに帰ってまいりまして……」と、お石は少し云いよどんだが、思い切ったように話しつづけた。
「雨は降るし、真っ暗だもんだから、もう旦那のお姿が見えなくなったと申しました。それから……途中でこんなものを拾ったと云って、小判を二枚……」
叔母とお元との愚痴話を先刻から気の毒そうに聴いていた政吉は、その小判を二人のまえに出して、これで移りかえの支度をしてくれと云ったが、正直なお石|母子《おやこ》は不安に思って、どうしてもそれを受け取らなかった。拾った物は授かりものだと云って、政吉が口を酸《すっぱ》くして勧めても、母子は強情に受け取ろうとしなかったので、彼はしまいには疳癪を起して、その小判を引っ掴んでどこへか黙って出て行ってしまった。拾ったと云えばそれまでであるが、小判二枚の出所がなんだか気にかかるので、母子がけさからその噂をしているところへ、半七が調べに来たのであった。
「そうか。よく申し立てた。そんなら娘はおふくろにあずけて置く。又どういうお調べがないとも限らないから神妙にしていろよ」と、半七は二人に云い聞かせた。
お元が政吉をかばっていた仔細も判った。二人は許嫁《いいなずけ》の約束のある仲であった。苦しい生計《くらし》の都合から、お元は許嫁の男にそむいて、他人《ひと》の世話になっていた。それでもあくまで男をかばって、自分が罪におちるのも厭わずに何も知らないと云い張っている。それを思うと、半七もなんだかいじらしくなって来た。ことに二人ながら正直そうな女であるから、このまま放して置いても差し支えはないと思ったので、かれは町《ちょう》役人のところへ行って、よそながら二人を注意するように頼んで帰った。
あくる朝、政吉は雨にぬれて吉原を出るところを大門《おおもん》口で捕えられた。前にも云った馬道の庄太が彼を召捕ったのである。半七は会所に待っていて、すぐに政吉を吟味したが、小判の出所については、きのうのお石の話と同じことを申し立てた。
「おとといの晩に下谷の御隠居のあとを追っ掛けて、源森橋の方まで河岸に付いて行きますと、下駄の先にぴかりと光る物がありましたから、提灯の火で透かしてみると、雨のふる中に小判が二枚落ちていました。お届けをすればよかったんですが、叔母のところの苦しい都合も知っていますので、何かの補足《たし》にさせようと思って、ちょうど人通りもないもんですから、それを拾って持って帰りますと、叔母もお元もああいう人間ですから、なんだか気味を悪がってどうしても受け取らないんです。わたしもしまいには自棄《やけ》になって、そんなら勝手にしろとその金をつかんで飛び出して、けさまで吉原で遊んでいました。金はまったく拾ったので、決して物取りなんぞをした覚えはございません」
お石の甥というだけに、この職人も正直そうな人間であった。その申し立てには嘘はないらしく見えた。しかしこの時代でも遺失物は拾いどくという訳ではない。一応は自身番にとどけ出るのが天下《てんが》の法である。もう一つには、彼自身の申し口だけを信用するわけも行かないので、半七は彼を下谷へひいて行って、そこの自身番で十右衛門と突き合わせの吟味をすることになった。
十右衛門は政吉を見識っていると云った。政吉も十右衛門を見識っていると云った。しかし十右衛門が何者かに襲われた時は一切夢中で、誰がどうしたのかちっとも覚えていないと云うのである。これには半七も少し弱った。そのうちふと思い出したことがあったので、かれは十右衛門に訊いた。
「わたしはお前さんの店の者に聞いて知っているが、おまえさんは顔や首にはそれほどの怪我をしながら、家《うち》へ帰って来た時には血も大抵止まっていたというが、どこで血止めの手当てをして来なっすたえ」
「浅草へまいりましてから、駕籠屋にたのんで水を汲んで来て貰いました」
「駕籠屋にも頼んだかも知らねえが、荒物屋でも水を汲んで貰やあしませんでしたか」
十右衛門はぎょっとしたらしい。かれは黙って俯向いてしまった。
「なぜそれを隠しなさる。それが私に判らねえ。あの近所で夜遅くまで起きているのは荒物屋だから、わたしはきのうあすこへ行って何か心当りのことはなかったかと訊くと、はじめはあいまいなことを云っていたが、しまいにはとうとう白状して、かみさんがお前さんに一朱もらったことまで話しましたよ。その一朱は財布に入れてあったんじゃありませんか」
「それは紙入れに入れてありましたのでございます。財布は紐をつけて頸にかけて居りました」
「そうですか。そこで今云う通り、なぜ荒物屋の夫婦に口止めをしなすったんだ」
「そんなことが世間にきこえましては外聞が悪いとも存じまして……。しかし財布まで紛失いたしましては、もう内分にも相成りませぬので、お上にお手数をかけて恐れ入ります」
云いながら、彼は政吉をじろり視た。その妬《ねた》ましげな眼のひかりを半七は見逃がさなかった。これはあくまでも此の事件を物取りのように云い立てて、政吉を罪に落そうとする彼の下心《したごころ》であるらしいと、半七は推量した。若い妾にたいする老人の嫉妬――それが根となってこの訴えを起したものだろうと、半七は鑑定した。
それにしても彼の訴えがまったくの嘘でないのは、現に政吉が二両の金を拾ったことに因ってあきらかに証拠立てられる。十右衛門の訴えは何処までがほんとうで、政吉の申し立ては何処までがほんとうか、その寸法を測る尺度《ものさし》を見つけ出すのに半七も苦しんだ。その日も確かな調べは付かないので、十右衛門は宿へ下げられ、政吉はひとまず八丁堀の大番屋へ送られた。
このままで済めば政吉は頗る不利益であった。いかに彼が冤罪《むじつ》を訴えても、小判二枚を持っていたという証拠がある以上、なかなかその疑いは晴れそうもなかった。しかも彼は幸運であった。無言の証人が源森橋の川しもにあらわれて、この事件の真相を説明してくれた。
それは河獺であった。大きい一匹の河獺が死んで浮き上がったのである。河獺の首には財布の紐が堅くまき付いていた。そうして、その財布のなかには四十両あまりの小判がはいっていた。
荒物屋の夫婦が想像した通り、暗い雨の夜に十右衛門を襲ったのは、やはりこの川にすむ河獺であった。いたずら者の彼は傘のうえに飛びあがって、人間の顔や頸筋をむやみに引っ掻いた。そのはずみに財布の紐が彼の爪に引っかかって、財布は十右衛門の首からぬけ出して更に彼の首に巻きついた。二枚の小判はその時に財布の口からころげ出したのであろう。かれは財布を頸にかけたままで元の川へ飛び込んだから、小判の重みで其の紐が強く吊れるので、かれはそれを取り除けようとして頻りに前脚を働かせるうちに、紐は意地わるくこぐらかって絡み付いて、かれは自分で自分の頸を絞めてしまった。
死んでもかれは容易に浮かばなかった。頸に財布をかけていたからである。四、五日降りつづいた雨が晴れて、川の水がだんだん痩せるに連れて、岸の浅い処にかれの尾や足があらわれて来た。そうして、政吉の冤罪を証明したのであった。政吉は単に叱り置くというだけで赦された。
十右衛門も最初は河獺であろうと思っていたらしい。しかも荒物屋の女房に一朱の礼をやった時に、財布の紛失しているのを発見すると同時に、彼は不図《ふと》あることを思い浮かんだ。それはお元と政吉とに対する嫉妬から湧き出した一種の復讐心で、たとい彼等がほんとうの罪人に落ちないまでも、一旦はその疑いをうけて番屋へ呼び出されたり、あるいは縄付きになったりして、いろいろの難儀や迷惑をするのを遠くから見物していようという、極めて残酷な陰謀であった。
証拠のあがらないうちは、半七も思い切ったことをいうわけにも行かなかったが、政吉の無罪が証拠立てられた以上、彼は十右衛門を憎んでちくちく痛め付けたので、十右衛門もさすがに恐縮して、結局、その河獺の頸にかけていた四十何両の金を手切金としてお元に渡すことになった。
お元と政吉は夫婦づれで半七の家へ礼に来た。
「相変らずおしゃべりをしてしまいました。この向島ではまだ、河童や蛇の捕物のお話もありますがね。それは又いつか申し上げましょう。いや、お茶代はわたくしに払わせてください。年寄りに恥をかかしちゃいけない」と、半七老人はふところから鬼更紗《おにさらさ》の紙入れをとり出して、幾らかの茶代を置いた。
茶屋の娘とわたしとは同時に頭を下げた。
「さあ、まいりましょう。向島もまったく変りましたね」
老人はあたりを眺めながら起ち上がるを木の頭《かしら》、どこかの工場の汽笛の音にチョンチョン、幕。むかしの芝居にこんな鳴物はない筈である。なるほど向島も変ったに相違ないと思った。
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朝顔屋敷
一
「安政三年……十一月の十六日と覚えています。朝の七ツ(午前四時)頃に神田の柳原|堤《どて》の近所に火事がありましてね。なに、四、五軒焼けで済んだのですが、その辺に知っている家《うち》があったもんですから、薄っ暗いうちに見舞に行って、ちっとばかりおしゃべりをして家へ帰って、あさ湯へ飛び込んで、それからあさ飯を食っていると、もうかれこれ五ツ(午前八時)近くになりましたろう。そこへ八丁堀の槇原という旦那(同心)から使が来て、わたくしにすぐ来いと云うんです。朝っぱらから何だろうと思って、すぐに支度をして出て行きました」
半七老人は表情に富んでいる眼眦《めじり》を少ししかめて、その当時のさまを眼に浮かべるように一と息ついた。
「旦那の家は玉子屋新道で、その屋敷の門をくぐると、顔馴染の徳蔵という中間《ちゅうげん》が玄関に立っていて、旦那がお急ぎだ、早くあがれと云うんです。すぐに奥へ通されると、旦那の槇原さんと差し向いで、四十格好の人品の好いお武家が一人坐っていました。その人は裏四番町に屋敷をもっている杉野という八百五十石取りの旗本の用人で、中島角右衛門という名札《なふだ》をわたくしの前に出しましたから、こっちも式《かた》のごとくに初対面の挨拶をしていますと、槇原の旦那は待ち兼ねたように云うんです。実はこの方から内々のお頼みをうけた筋がある。なにぶん表沙汰にしては具合が悪いので、どこまでも内密に探索して貰いたいとおっしゃるのだから、あなたから詳しい話をうかがって、節季《せっき》前に気の毒だが一つ働いてくれと……。わたくしも御用のことですから委細承知して、その角右衛門という人の話を聞くと、そのあらましはこういう訳なんです」
きょうから八日前のことであった。例年の通りに、お茶の水の聖堂で素読吟味《そどくぎんみ》が行なわれた。素読吟味というのは、旗本御家人の子弟に対する学問の試験で、身分の高下を問わず、武家の子弟が十二三歳になると、一度は必ず聖堂に出て四書五経の素読吟味を受けるのが其の当時の習慣で、この吟味をとどこおりなく通過した者でなければ一人前とは云われない。吟味の前月までに組々の支配頭へ願書を出しておくと、当日五ツ半(午前九時)までに聖堂に出頭せよという達《たっし》がある。それを受け取った何十人、年によっては何百人の男の児が、当日打ち揃って聖堂の南楼へ出て、林図書頭《はやしずしょのかみ》をはじめとして諸儒者列席の前に一人ずつ呼び出され、一間半もある大きい唐机《からづくえ》の前に坐って素読の試験を受けるのである。成績優等のものに対しては、身分に応じて反物や白銀の賞与が出た。
出頭の時刻は五ツ半というのであるが、前々からの習慣で、吟味をうける者は六ツ時(午前六時)頃までに聖堂の門にはいるのを例としていたので、屋敷の遠い者は夜のあけないうちから家を出て行かなければならない。そうして、いよいよ吟味のはじまる四ツ時(午前十時)まで待っていなければならない。たとい武家の子供だと云っても、ちょうど十二三のいたずら盛りが大勢一度に寄り合うのであるから、控え所のさわぎは一と通りでないのを、勤番支配の役人どもが叱ったり賺《すか》したりして辛くも取り鎮めているのである。子供たちは身分に応じて羽二重の黒紋付の小袖を着て、御目見《おめみえ》以上の家の子は継裃《つぎがみしも》、御目見以下の者は普通の麻裃を着けていた。
角右衛門の主人の伜杉野大三郎もことし十三で吟味の願いを出した。大三郎は組中でも評判の美少年で、黒の肩衣《かたぎぬ》に萠黄《もえぎ》の袴という継裃を着けた彼の前髪姿は、芝居でみる忠臣蔵の力弥《りきや》のように美しかった。大身《たいしん》の子息であるから、かれは山崎平助という二十七歳の中小姓《ちゅうごしょう》と、又蔵という中間とを供につれて出た。裏四番町の屋敷を出たのは当日の七ツ(午前四時)を少し過ぎた頃で、尖った寒さは眼に泌みるようであった。又蔵は定紋付きの提灯をふり照らして先に立った。三人の草履は暁の霜を踏んで行った。
水道橋を渡っても、冬の夜はまだ明けなかった。蒼ざめた星が黒い松の上に凍り着いたように寂しく光って、鼠色の靄につつまれたお茶の水の流れには水明かりすらも見えなかった。ここらは取り分けて霜が多いと見えて、高い堤《どて》の枯れ草は雪に埋められたように真っ白に伏して、どこやらで狐の啼く声がきこえた。三人は白い息を吐きながら堤に沿うてのぼってくると、平助は霜にすべる足を踏みこらえるはずみに新らしい草履の緒を切ってしまった。
「これは困った。又蔵、燈火《あかり》を見せてくれ」
中間の提灯を差し付けさせて、平助は堤の裾にしゃがんで草履の緒を立てていた。どうにかこうにかつくろってしまって、さて振り返って見ると、そばに立っているはずの大三郎の姿がどこかへか消えてしまったのである。二人はおどろいた。子供のことであるから、あるいは自分たちを置き去りにして先に行ったのかとも思ったので、二人は若さまの名を呼びながら後を追ったが、半町ほどの間にそれらしい影は見えなかった。いくら呼んでも返事はなかった。ただ時々狐の声がきこえるばかりであった。
「狐に化かされたんじゃあるまいか」と、又蔵は不安らしく云った。
「まさか」と、平助はあざ笑った。しかし彼にもその理窟が判らなかった。自分がうずくまって草履の鼻緒を立て、又蔵がうつむいて提灯をかざしているうちに、大三郎の姿はいつか消え失せたのである。わずかの間にそんな遠いところへ行ってしまう筈がない。呼んでも答えない筈がない。殊にあたりは往来のない暁方《あけがた》であるから、誰かがこの美少年をさらって行ったとも思われない。平助は実に思案に余った。
「そう云っても子供のことだ。あんまり寒いので無暗に駈け出して行ったのかも知れない」
二人はここに迷っていてもしようがないので、ともかくも聖堂まで急いで行った。係りの役人に逢って訊いてみると、杉野大三郎どのはまだ到着されないとのことであった。二人は又がっかりさせられた。よんどころなく再び引っ返して、もと来た道を探して歩いたが、どこにも大三郎の姿は見付からなかった。
「いよいよ狐に化かされたか。それとも神隠しか」と、平助もだんだんに疑いはじめた。
この時代には神隠しということが一般に信じられていた。子供ばかりではない、相当の年頃になった人間でも、突然に姿をかくして五日、十日、あるいは半月以上、長いのは半年一年ぐらいも其のゆくえの知れないことがしばしばある。そうして、ある時に何処からともなしに飄然と戻って来るのである。その戻ってくる場合も常とは違って、ある者は門前に倒れているのもある。ある者は裏口にぼんやり突っ立っているのもある。甚だしいのは屋根の上でげらげら笑っているのもある。だんだん介抱して様子を聞きただしても、本人は夢のようでなんにも記憶していないのが多い。ある者は奇怪な山伏に連れられて遠い山奥へ飛んで行ったなどと云う。その山伏はおそらく天狗であろうと云い伝えられている。仮りにも武士たるものがそんな怪異を信ずべきではないと思いながら、平助も今の場合、あるいは主人の息子もその天狗山伏に掴み去られたのではないかという幾分の不安がきざして来た。
いずれにしてもこれは一大事である。幼い主人の供をして出て、そのゆくえを見失ったとあっては、二人ともにおめおめと屋敷へは戻られない。又蔵はともあれ、仕儀に依っては平助は申し訳に腹でも切らなければならないことになる。二人は顔の色を変えてただ溜息をつくばかりであった。
「仕方がない。屋敷へ帰って有体《ありてい》に申し上げるよりほかはあるまい」
平助はもう度胸を据えて、又蔵と一緒に引っ返した。先刻から往きつ戻りつ、よほどの時を費したので、二人が力のない足を引き摺って再び水道橋を渡る頃には、又蔵の提灯の蝋はもう残り少なくなっていた。狐の声は鴉の声に変っていた。
杉野の屋敷でもこの不思議な報告を受け取って上下ともに顛倒した。併しみだりにこんなことを世間に発表してはならぬと、主人の大之進は家中の者どもの口を封じさせた。聖堂の方へは大三郎急病の届けを差し出して、当日の吟味を辞退することにした。平助と又蔵は無論にその不調法をきびしく叱られたが、主人は物の分かった人であるので、この不調法の家来どもに対して一途《いちず》にひどい成敗《せいばい》を加えようとはしなかった。二人に対しては、せいぜい心をつけて一日も早く伜のゆくえを探し出せと命令した。
これは云うまでもないことで、平助と又蔵とは当然の責任者として、是非とも若殿のゆくえを探し出さなければならなかった。彼等ばかりでなく、屋敷中の者はみんな手分けをして心当りを探索することとなった。奥様は日頃信仰する市ケ谷八幡と氏神の永田町山王へ代参を立てられた。女中のある者は名高い売卜者《うらない》のところへ走った。表面はあくまでも秘密を守っているものの、屋敷の内輪は引っくり返るような騒動であった。こうして三日を過ぎ、五日を送ったが、美少年大三郎のゆくえは容易に知れなかった。主人も家来も今は手の着けようがなくなったので、とても内輪の探索だけでは埒があかないと見た用人の角右衛門は、今朝そっと八丁堀同心の槇原の屋敷へたずねて来て、どうにか内密に調べてはくれまいかと折り入って頼んだのであった。
「なにぶんにも屋敷の名前にもかかわること。くれぐれも隠密におねがい申す」と、角右衛門は幾たびか念を押した。
「かしこまりました」
半七は参考のために大三郎の人相や風俗を訊いた。あわせてその性質や行状をたずねると、彼は五歳から手習いを始めて、七歳から大学の素読を習った。読み書きともに質《たち》のよい方で、現に今度の吟味にも四書五経いずれも無点本でお試しにあずかりたいという願書を差し出した程であると、角右衛門は自慢そうに話した。併しその口ぶりによると、大三郎はそういう質の子供に免がれがたい文弱の傾向があるらしかった。容貌も優しいとともに、その性質も優しい柔順な人間であるらしかった。
「御子息様には御兄弟がございませんか」
「ひと粒だねの相続人、それゆえに主人は勿論、われわれ一同もなおなお心配いたして居る次第、お察しください」
忠義な用人の眉はいよいよ陰った。
二
神隠し――この時代に生まれた半七はまんざらそれを嘘とも思っていなかった。世の中にはそんな不思議がないとも限らないと思っていた。そこで、それが真実の神隠しであるとすれば、とても自分たちの力には及ばないことであるが、万一ほかに仔細があるとすれば、何とかして探し当らない筈はないという自信もあるので、ともかくも出来るだけのことは致しますと、彼は角右衛門に約束して別れた。
家へ帰る途中で彼はかんがえた。由来、旗本屋敷などには、世間に洩れない、いろいろの秘密がひそんでいる。正直に何もかも話してくれたようであるが、用人とても主家の迷惑になるようなことは口外しなかったに相違ない。したがって此の事件の奥には、どんな入り組んだ事情がわだかまっていないとも限らない。用人の話だけでうっかり見込みを付けようとすると、飛んだ見当違いになるかも知れない。とりあえず裏四番町の近所へ行って、杉野の屋敷の様子を探って来た上でなければ、右へも左へも振り向くことが出来そうもないと思ったので、半七は神田の家へ一旦帰って、それから又出直して九段の坂を登った。
埋め立ての空地を横に見て、裏四番町の屋敷町へはいると、杉野の屋敷は可なり大きそうな構えで、午すぎの冬の日は南向きの長屋窓を明るく照らしていた。門から出て来た酒屋の御用聞きをつかまえて、半七はそれとなく屋敷の様子を訊いてみたが、別に取り留めた手がかりもなかった。近所の火消し屋敷に知っている者があるので、そこへ行って訊き出したら又なにかの掘り出し物があるかも知れないと、彼は酒屋の御用聞きに別れて七、八間ばかり歩き出すと、その隣りの大きい屋敷から提重《さげじゅう》を持った若い女が少し紅い顔をして出て来た。
「おい、お六じゃねえか」
半七に声をかけられて、若い女は立ち停まった。背の低い肥った女で、蝦蟆《ひきがえる》のような顔に白粉をべたべたなすって、前髪にあかい布《きれ》などをかけていた。
「あら、三河町の親分さんでしたか。どうもしばらく」と、お六はいやに嬌態《しな》をつくりながら挨拶した。
「昼間から好い御機嫌だね」
「あら」と、お六は袖口で頬を押えながら笑った。「そんなに紅くなっていますか。今ここのお部屋で無理に茶碗で一杯飲まされたもんですから」
彼は武家屋敷の中間部屋へ出入りをする物売りの女であった。かれの提げている重箱の中には鮓《すし》や駄菓子のたぐいを入れてあるが、それを売るばかりが彼等の目的ではなかった。勿論、美《い》い女などは決していない。夜鷹になるか、提重になるか、いずれにしても不器量の顔に紅《べに》や白粉を塗って、女に飢えている中間どもに媚《こび》を売るのが彼等のならわしであった。ここで提重のお六に出逢ったのは勿怪《もっけ》の幸いだと思ったので、半七は摺り寄って小声で訊いた。
「お前、この杉野様の部屋へも出入りをするんだろう」
「いいえ。あたし、あのお屋敷へは一度も行ったことはありませんよ」
「そうか……」と半七は少し失望した。
「だって、あすこは名代《なだい》の化け物屋敷ですもの」
「ふうむ。あすこは化け物屋敷か」と、半七は首をかしげた。「そうして、あの屋敷へ何が出る」
「なにが出るか知りませんけれど、いやですわ。ここらで朝顔屋敷といえば誰でも知っていますよ」
朝顔屋敷――その名を聞いて半七は思い出した。それは杉野の屋敷であるかどうかは知らなかったが、四番町辺に朝顔屋敷という怪談の伝えられていることは、彼もかねて聞いていた。皿屋敷、朝顔屋敷、とかくに番町に化け物屋敷のようなものの多いのは、この時代の名物であった。世間の噂によると、朝顔屋敷の遠い先代の主人がなにかの仔細で妾を手討ちにした。それは盛夏《まなつ》のことで、その妾は朝顔の模様を染めた浴衣を着ていたとかというので、その以来、朝顔が不思議にこの屋敷に祟《たた》るのであった。広い屋敷内に朝顔の花が咲くと、必ずその家に何かの凶事があるというので、夏から秋にかけては中間どもが屋敷の庭から裏手の空地まで毎日油断なく見まわって、朝顔夕顔のたぐい、仮りにも花の咲きそうな蔓をみると片っ端から引き抜いてしまうことになっている。朝顔の絵をかいた団扇《うちわ》を暑中見舞に持って来たために、出入りを差し止められた商人《あきんど》もあるという。そんな話は半七もとうに知っていたが、それが杉野の屋敷であることは初耳であった。
「そうか。あすこが朝顔屋敷か」
「外からはいった者にどういうこともないでしょうけれど、昔から化け物屋敷と名のついている屋敷へ出入りするのは、なんだか気味が悪うござんすからね」と、お六は顔をしかめて見せた。
「それもそうだな」
云いかけてふと見かえると、その朝顔屋敷の表門から一人の武士《さむらい》が出て来て、九段の方角へしずかにあるいて行った。武家の中小姓とでもいいそうな風俗であった。
「お前、あの人を知らねえか」と、半七は頤で示してお六に訊いた。
「口を利いたことはありませんけれど、あの人はなんでも山崎さんというんですよ」
中小姓の山崎平助に相違ないと半七はすぐに鑑定したので、彼はお六に別れてそのあとを追って行った。往来の少ない屋敷の塀の外で、彼はうしろから平助に声をかけた。
「もし、もし、失礼でございますが、あなたは杉野様のお屋敷の方じゃございませんか」
「左様」と武士は振り返って答えた。
「実はけさほどお屋敷の御用人様にお目にかかりましたが、お屋敷では御心配なことが出来《しゅったい》しましたそうで、お察し申し上げます」
相手は油断しないような顔をしてこちらを睨んでいるので、半七は用人の角右衛門に逢ったことを話した。そうして、あなたは山崎さんではないかと訊くと、彼はそうだと答えた。それでもまだ不安らしい眼の色をやわらげないで、彼は自分と向い合っている岡っ引の顔をきっと見つめていた。
「若殿様のゆくえはまだちっとも御心当りはございませんか」
「一向に手がかりがないので困っています」と、平助は詞《ことば》すくなに答えた。
「神隠しとでも云うんじゃございますまいか」
「さあ、そんなことが無いとも限らない」
「そういうことだと、とても手の着けようもありませんが、ほかにはなんにも心当りはないんでしょうか」
「なんにもありません」
半七は畳みかけて二つ三つの問いを出したが、平助はとかくに木で鼻をくくるような挨拶をして、努めて相手との問答を避けているらしい素振りが見えた。用人の角右衛門は頭を下げてくれぐれも半七に頼んだのである。まして自分は当の責任者である以上、平助は猶更にこの半七を味方と頼んで、万事の相談や打ち合わせを自分から進めそうなものであるのに、彼はいつまでも油断しないような眼付きをして、なるべく口数をきかないように努めているのは何故であろう。それが半七には判らなかった。まかり間違えば腹切り道具のこの事件に対して、彼がこんなに冷淡に構えているのを、半七は不思議に思いながら、もう一度この男の顔を見直した。
平助は二十六七の、どちらかと云えば小作りの、色の白い、眼付きの涼しい、屋敷勤めの中小姓などには有り勝ちの、いかにも小賢《こざか》しげな人物であって、自分の供をして出た主人を見失って、それで平気で済ましていられるような鈍《にぶ》い人間でないことは、多年の経験上、半七には一と目で判っていた。それだけに半七の不審はいよいよ募って来た。
「今も申し上げました通り、もし本当の神隠しならば格別、さもなければきっとわたくしが探し出して御覧に入れますから、まあ御安心くださいまし」と、半七は捜索《さぐり》を入れるようにきっぱりとこう云い切った。
「では、なにかお心当りでもありますか」と、平助は訊き返した。
「さあ、さし当りこうという目星も付きませんが、わたくしも多年御用を勤めて居りますから、まあ何とか致しましょう。生きているものならきっと何処かで見付かります」
「そうでしょうか」と、平助はまだ打ち解けないような眼をしていた。
「これからどちらへ……」
「どこという的《あて》もないが、ともかくも江戸じゅうを毎日歩いて、一日も早く探し出したいと思っているので……。お前さんにも何分たのみます」
「承知いたしました」
半七に別れてすたすた行き過ぎたが、平助は時々に立ち停まって、なんだか不安らしくこちらを見返っているらしかった。その狐のような態度がいよいよ半七の疑いを増したので、彼はすぐに平助のあとを尾《つ》けようかと思ったが、真っ昼間では工合が悪いので先ず見合わせた。
三
これからどっちへ爪先を向けようかと半七は横町の角に立ち停まって考えていると、たった今別れたばかりのお六がほかの女と二人づれで、その横町からきゃっきゃっと笑いながら出て来た。
「おや、又お目にかかりましたね」と、お六はやはり笑いながら声をかけると、連れの女も黙って会釈《えしゃく》した。
「御縁があるね」と、半七も笑った。
お六の連れは十七八のすらりとした女で、これも同じような提重を持っていた。口綿《くちわた》らしい双子《ふたこ》の着物の小ざっぱりしたのを着て、結《ゆ》い立てらしい彼女の頭にも紅い絞りの切れが見えた。鼻の低いのをきずにして、大体の目鼻立ちはお六よりも余ほどすぐれていた。
「親分さん。この安ちゃんが朝顔屋敷のお出入りなんですよ」と、お六はからかうように笑いながら、連れの女の背中をたたいた。
「あら、いやだ」と、女も肩をすくめて笑った。
「姐《ねえ》さんは何というんだね」
「安ちゃん……。お安さんというんです」と、お六はその女の手をとって、わざとらしく半七の前に突き出した。「親分さん、ちっと叱ってやってください。惚《のろ》けてばかりいて仕方がないんですから」
「あら、嘘ばっかり。ほほほほほほ」
いかに人通りの少ない屋敷町でも、往来のまん中で提重の惚気を聴かされては堪らないと、半七も怖毛《おぞけ》をふるった。しかし今の場合、かれも度胸を据えて其の相手にならなければならないと覚悟した。
「なにしろお楽しみだね。で、その惚気の相手というのはやっぱり朝顔屋敷にいるのかえ」
「いるんですとも」と、お六はすぐに引き取って答えた。「お部屋にいる又蔵さんという小粋な兄《あにい》さんなんですよ」
又蔵という名が半七の胸にひびいた。
「むむ。又蔵か」
「お前さん、御存じですかえ」と、お安は少しきまり悪そうな顔をして訊いた。
「まんざら知らねえこともねえ」と、半七は調子をあわせて云った。「だが、あの男はなかなか道楽者らしいから、欺《だま》されねえように用心しねえよ」
「ほんとうにそうですよ」と、お安は真面目《まじめ》になってうなずいた。「この暮には着物をこしらえてやるなんて、好い加減に人を欺くらかしているんですよ。お前さん。節季《せっき》はもう眼の前につかえているんじゃありませんか。春着をこしらえるなら拵えるように、せめて手付けの一両ぐらいこっちへ預けて置いてくれなけりゃあ、どこの呉服屋へ行ったって話が出来ませんよ。それをあした遣《や》るの、あさって渡すのと口から出任せのちゃらっぽこを云って、好いように人をはぐらかしているんですもの。憎らしいっちゃありません」
飛んでもない怨みを云われて、半七はいよいよ持て余したが、それでもやはり笑いながら其の相手になっていた。
「まあまあ、堪忍してやるさ。そう云っちゃあ何だけれど、一年三両の給金取りが一両、二両の工面《くめん》をすると云うのは大抵のことじゃあねえ。お前さんも可愛い男のことだ。そこを察してやらにゃあ邪慳《じゃけん》だ」
「だって、又さんの話じゃあ、なんでも近いうちに纏まったお金がふところへはいると云うんですもの、こっちだって的《あて》にしようじゃありませんか。それとも嘘ですかしら」
「そう訊かれても返事に困るが、あの男のことだから丸っきりの嘘でもあるめえ。まあ、もう少し待ってやることさ」
受け太刀に困っている半七を、お六が横合いから救い出してくれた。
「まあ、安ちゃん。もう好い加減におしよ。親分さんが御迷惑だあね。又さんのことはあたしが受け合うから安心しておいでよ」
それを機《しお》に半七は逃げ支度にかかった。相手が相手だけに、まさか無愛嬌に別れるわけにも行かないので、半七は紙入れから二朱銀を出して、紙にくるんでお六に渡した。
「少しだが、これで蕎麦でも食ってくんねえ」
「おや、済みません。どうも有難うございます」
二人が頻りに礼をいう声をうしろに聞き流して、半七は早々にそこを立ち去った。なんだか落ち着かないような平助の眼の色と、近いうちにまとまった金がはいるという又蔵の噂と、朝顔屋敷の怪談と、半七はこの三つを結びあわせていろいろに考えたが、すぐには取り留めた分別も浮かび出さなかった。彼はふところ手をしてぼんやりと九段の坂を降りた。
家へ帰って長火鉢のまえに坐って、灰を睨みながらじっと考えているうちに、冬の短い日はもう暮れかかった。半七は早く夕飯を食って、九段の長い坂をもう一度あがって、裏四番町の横へはいると、どこの屋敷の甍《いらか》もゆうぐれの寒い色に染められて、呪《のろ》いの伝説をもっている朝顔屋敷の大きな門は空屋のように閉まっていた。半七は門番のおやじにそっと声をかけて訊いた。
「お部屋の又蔵さんはいますかえ」
又蔵はたった今、門番にことわって表へ出たが、きっと近所の藤屋という酒屋へ飲みに行ったのであろうとのことであった。中小姓の山崎さんはときくと、これも昼間出たぎりでまだ帰らないと門番が教えてくれた。半七は礼を云って表へ出ると、路の上はすっかり暗くなって、遠い辻番の蝋燭の灯が薄紅くにじみ出していた。藤屋という酒屋を探しあてて、表から店口を覗いてみると、小皿の山椒《さんしょ》をつまみながら桝酒を旨そうに引っかけている一人の若い中間風の男があった。
半七は手拭を出して頬かむりをした。店の前に積んである薪《まき》のかげに隠れて、男の様子をしばらく窺っていると、彼は番頭を相手に何か笑いながらしゃべっていたが、やがて勘定を払わずにそこを出た。
「今夜は頼むよ。その代り二、三日中にこのあいだの分も一緒に利をつけて返さあ。ははははは」
彼はもう余ほど酔っているらしく、寒い夜風に吹かれながら好い気持そうに鼻唄を歌って行った。半七も草履の音を忍ばせて、そのあとを尾《つ》けてゆくと、彼は自分の屋敷へは帰らないで、九段の坂上から旗本屋敷の片側町を南へぬけて、千鳥ケ淵の淋しい堀端の空地へ出た。見ると、そこには又一人の男がたたずんでいる白い影が、向う側の高い堤の松の上にちょうど今、青白い顔を出した二十六日の冬の月にあざやかに照らされていた。眼のさとい半七はそれが彼の山崎平助である事をすぐに覚《さと》った。ここで二人が落ち合ってどんな相談をするのであろう。こういう時には、月の明るいのが便利でもあり、また不便でもあるので、半七は彼等の立っている空地と向い合った大きい屋敷の前へ忍んで行った。門前の溝《どぶ》が空溝であることを知っている彼は、狗《いぬ》のように腹這いながらそっとその溝へもぐり込んで、駒寄せの石のかげに顔をかくして、二人の立談《たちばなし》に耳を引き立てていた。
「山崎さん。たった二|歩《ぶ》じゃあしょうがねえ。なんとか助けておくんなせえ」
「それが鐙《あぶみ》踏ん張り精いっぱいというところだ。一体このあいだの五両はどうした」
「火消し屋敷へ行ってみんな取られてしまいましたよ」
「博奕は止せよ。路端《みちばた》の竹の子で、身の皮を剥《む》かれるばかりだ。馬鹿野郎」
「いやもう、一言もありません。叱られながらこんなことを云っちゃあ何ですが、お前さんも御承知のお安の阿魔、あいつにこの間から春着をねだられているんで、わっしも男だ、なんとか工面してやらなけりゃあ」
「ふふん、立派な男だ」と、平助はあざ笑った。「春着でも仕着《しきせ》でもこしらえてやるがいいじゃあねえか」
「だから、その、なんとか片棒かついでお貰い申したいので……」
「ありがたい役だな。おれはまあ御免だ。おれだって知行取りじゃあねえ。物前《ものまえ》に人の面倒を見ていられるもんか」
「お前さんにどうにかしてくれと云うんじゃあねえ。お前さんから奥様にお願い申して……」
「奥様にだってたびたび云われるものか、このあいだの一件は十両で仕切られているんだ。それを貴様と俺とが山分けにしたんだから、もう云い分はねえ筈だ」
「云い分じゃあねえ。頼むんですよ」と、又蔵はしつこく口説いた。「まあ、何とかしておくんなせえ。女に責められて全く遣り切れねえんだから。お前さんだって、まんざら覚えのねえことでもありますめえ。ちっとは思いやりがあっても好いじゃありませんか」
相手が黙って取り合わないので、又蔵も焦《じ》れ出したらしい。酔っている彼の調子は少し暴《あら》くなった。
「じゃあ、どうしてもいけねえんですかえ。もうこうなりゃ仕方がねえ。御用人がけさ八丁堀へ出かけたということだから、わっしもこれから八丁堀へ行って、若殿様はこういうところに……」
「嚇かすな」と、平助はまたあざ笑った。「両国の百日《おででこ》芝居で覚えて来やあがって、乙な啖呵を切りゃあがるな。そんな文句はほか様へ行って申し上げろ。お気の毒だが辻番が違うぞ」
まだ宵の口ではあるが、世間がひっそりと鎮まっているので、こうした押し問答が手に取るように半七の耳に伝わった。いずれこの納まりは平穏《おだやか》に済むまいと見ていると、それから二人のあいだに尖った声が交換されて、しまいには二つの影がもつれ合って動き出した。口では敵《かな》わない又蔵がとうとう腕ずくの勝負になったのである。それでも平助はさすがに武芸のたしなみがあるらしく、相手を土の上にねじ伏せて、雪駄《せった》をぬいで続け打ちになぐり付けた。
「河童野郎。八丁堀へでも、葛西《かさい》の源兵衛堀へでも勝手に行け。おれ達は渡り奉公の人間だ。万一|事《こと》が露《ば》れたところで、あとは野となれ、屋敷を追ん出ればそれで済むんだ。口惜《くや》しけりゃあどうともしろ」
着物の泥をはたいて、平助は悠々と立ち去ってしまった。なぐられて、毒突かれて、提重の色男は意気地もなく其処に倒れていた。
「大哥《あにい》、ひどく器量が悪いじゃあねえか」と、半七は溝から這いあがって声をかけた。
「なにを云やあがるんだ。うぬの知ったことじゃあねえ」と、又蔵は面を膨《ふく》らせて這い起きた。「ぐずぐず云やあがると今度は汝《うぬ》が相手だぞ」
「まあ、いいや。そんなにむきになるな」と、半七は笑った。「どうだい、縁喜《えんぎ》直しに一杯飲もうじゃねえか。火消し屋敷で一度や二度は逢ったこともある。まんざら知らねえ顔でもねえ」
手拭をとった半七の顔を、月の光りに透かしてみて又蔵はおどろいた。
「や、三河町か」
四
あくる朝、半七は八丁堀の槇原の屋敷へゆくと、けさも杉野の用人の角右衛門が来ていた。忠義一途の用人は、きのう中にすこしは何かの手がかりは付いたかと問い合わせに来たのであった。あまり性急だとは思ったが、相手がまじめであるだけに、槇原もまじめで云い訳をしているところへ、丁度に半七が顔を出した。
「御用人もしきりに心配しておいでなさる。どうだ、少しは当りが付いたか」と、槇原はすぐに訊いた。
「へえ。もうすっかり判りました。御安心なさいまし」と、半七は無造作《むぞうさ》に答えた。
「判りましたか」と、角右衛門は膝を乗り出した。「そうして、若殿はどこに……」
「お屋敷の中に……」
角右衛門は口をあいて相手の顔をながめていた。槇原も眉を寄せた。
「なに、屋敷の中にいる。それは又どういう訳だ」
「お屋敷の中小姓に山崎平助という人がございましょう。このあいだの朝、若殿様のお供をして行った人です。その人はお屋敷のお長屋に住まっている筈ですが……」
角右衛門は機械的にうなずいた。
「そのお長屋の戸棚のなかに若殿様は隠れておいでの筈です。三度の喫《あが》り物は、提重のお安という女が重箱に忍ばせて、外から毎日運んでいるそうです」と、半七は説明した。
併しその説明だけでは、二人の腑に落ちなかった。槇原は又きいた。
「なぜ又、若殿をそんなところに隠して置くんだろう。一体、誰がそんなことを考えたんだろう」
「それは奥様のお指図のように聞いています」
「奥様……」と、角右衛門はいよいよ呆れた。
すべてが余りに案外なので、いろいろの経験に富んでいる槇原も煙《けむ》にまかれたらしく、大きい眼を見はったままで木偶《でく》のように黙っていた。半七はつづいて説明した。
「まことに失礼でございますが、お屋敷は朝顔屋敷……朝顔を大層お嫌いなさるように承って居ります。その屋敷のお庭にことしの夏、白い朝顔の花が咲きましたそうで……」
角右衛門は苦《にが》い顔をして又うなずいた。
「つまりその朝顔の花が今度の事件の起りでございます」と、半七は云った。
朝顔の花が咲けば必ず家に凶事があるというので、屋敷の人達も顔を陰らせた。主人はあまりそんなことに頓着しない気質であるので、ただ笑って済ませてしまったが、奥方はひどくそれを気に病んで、なにかの禍いがなければよいと明け暮れに案じているうちに、先月の末、些細なことから奥方の神経をおびやかすような一つの事件が出来《しゅったい》した。
ある日のことである。若殿大三郎が中間の又蔵を供に連れて、赤坂の親類をたずねた。その帰りに自分の屋敷の近所まで来ると、そこに三四十俵から五六十俵取りぐらいの小さい御家人たちの組屋敷があって、十二三を頭《かしら》に四、五人の子供が往来に遊んでいた。遊びに夢中になっている一人の子供は、駈け出すはずみに大三郎に突き当って、ふたりは折り重なって路傍に倒れた。もともと悪意でないことは判っていたが、供の又蔵は主人が突き倒されたのと、相手が小身者《しょうしんもの》の子供であるという軽侮とで、その子供の襟髪を引っ掴んでいきなりぽかりぽかりなぐりつけた。これは無論に又蔵の仕損じであった。かれ等はともかくも武士の子である。理非も糺《ただ》さずにみだりに人を打擲《ちょうちゃく》するとは何事だといきまいた。もう一つには、こっちが相手を小身者と侮ると同時に、相手の方では大身に対する一種の妬みと僻《ひが》みがあった。彼等はすぐに組中の子供を呼びあつめて、めいめい木刀や竹刀《しない》を持ち出して、およそ十五六人が鬨《とき》を作って追って来た。その中には、かれらの兄らしい青年がたんぽ槍を掻い込んでいるのもあった。これには又蔵もぎょっとした。さりとて今更あやまるのも業腹《ごうはら》だと思ったので、かれは幼い主人を引き摺って一生懸命に逃げ出した。追いかけて来た子供たちは杉野の門前で口々に呶鳴った。
「おぼえていろ。素読吟味のときにきっと仕返しをするぞ」
玄関へ転《ころ》げこんだ大三郎の顔色はまっ蒼であった。それが奥方の耳にもきこえたので、彼女の尖った神経はいよいよふるえた。かの子供たちはみな来月の素読吟味に出るのである。由来聖堂の吟味に出た場合に、大身の子と小身の子はとかくに折り合いが悪い。大身の子は御目見《おめみえ》以下の以下をもじって「烏賊《いか》」と罵ると、小身の方では負けずに「章魚《たこ》」と云いかえす。この烏賊と章魚との争いが年々絶えない。ある場合には掴みあって、係りの役人や附き添いの家来どもを手古摺らせることも往々ある。双方が偶然に出逢ってもそれであるのに、ましてや相手が意趣を含んで、最初からその仕返しをする覚悟で待ち構えていられては堪まらない。いつの吟味の場合でも、大身の章魚組は少数で、小身の鳥賊組が多数であるのは判り切っている。殊にこっちの伜が気嵩《きがさ》のたくましい生まれつきならば格別、自体がおとなしい華奢《きゃしゃ》な質《たち》であるだけに、母としての不安は又ひとしおであった。ことしの朝顔は確かにこの禍いの前兆に相違ないと恐れられた。
すでに吟味の願書を差し出したものを、今更みだりに取り下げることは出来ない。たといその事情を訴えたところで、夫が日頃の気性としてとても取り合ってくれないのは判っているので、奥方は一人で胸を痛めた。そのうちに吟味の日がだんだんに迫ってくる。苦労が畳まって毎晩いやな夢を見る。神籤《みくじ》を取れば凶と出る。奥方はもう堪まらなくなって、何とかして吟味に出ない工夫はあるまいかと、家来の平助にそっと相談した。
女の浅い知恵と中小姓の小才覚とが一つになって、組み上げられたのが今度の狂言であった。又蔵もこの事件には関係があるので、否応《いやおう》なしに抱き込まれた。おとなしい大三郎にはよく因果を云い含めて、途中からそっと引っ返して来て、夜のあけないうちに平助の長屋へ連れ込んだのである。そうして好い頃を見計らって再び大三郎を引っ張り出して、例の神隠しといつわって内外の眼を晦《くら》まそうという魂胆であった。その秘密の仕事を請け負った二人に対して、奥様の手もとからは二十五両の金包みが下がったのであるが、狡猾な平助はまずそのうちから十五両を天引きにしてしまって、残りの十両を又蔵と二人で山分けにしたのであった。
「これだけの仕置《しおき》をさしておいて、二人あたまに十両はひどい」と、又蔵は不平らしく云った。
「でも仕方がねえ。大根《おおね》は貴様から起ったことだ」と、平助はなだめた。
それでも又蔵は平助の着服をうすうす察しているので、いろいろの口実を作って後ねだりをしたが、彼よりも役者が一枚上であるだけに、平助は刎《は》ねつけて取り合わなかった。又蔵は忌々《いまいま》しいのと、一方には提重の女からいじめられる苦しさとで、だんだん強面《こわもて》に平助に迫るので、こちらもうるさくなって来た。
「なにしろ長屋でがあがあ云っちゃあ面倒だ。今夜お堀端で逢うことにしよう」
二人は日の暮れるのを合図に堀端で出逢った。その結果はかの掴み合いになったのである。半七はそれから又蔵をだまして近所の小料理屋の二階へ連れ込んで、カマをかけて訊いてみると、又蔵は口惜しまぎれに何もかもべらべらとしゃべってしまった。
「まあ、こういう訳なんでございますから、どうかその思召《おぼしめ》しで……」と、半七は云った。
「なにしろ奥様も御承知のことですから、あまり荒立てると又面倒でございましょう。なんとかあなたのお取り計らいで、そこを円く済みますように……」
「いや、いろいろ有難うござった」と、角右衛門は夢の醒めたようにほっと息をついた。「それで何もかもわかりました。就いてはあとの始末でござるが、どういうふうに取り計らうのが一番|穏便《おんびん》でござろうかな」
相談をかけられて、槇原もかんがえた。
「さあ、やはり神隠しでしょうかな」
この秘密を主人の耳に入れるのは良くない。どこまでも奥方の計画を成就させて、神隠しとして万事をあいまいのうちに葬ってしまう方がむしろ御家の為であろうと、槇原は注意した。
「成程」
角右衛門は厚く礼を述べて帰った。それから三日ほど経って、かれは相当の礼物をたずさえて槇原の屋敷へたずね来て、若殿大三郎殿は無事に戻られたと報告した。
「では、杉野の主人は結局なんにも知らずにしまったのですか」と、わたしは訊いた。
「やはり神隠しということになってしまったのでしょう」と、半七老人は云った。「しかし用人や山崎に睨まれて、又蔵はどうも居ごこちが悪くなったと見えて、なにか屋敷の物を持ち出して、提重のお安という女と駈け落ちをしてしまったそうですよ」
「山崎の方は無事に勤めていたんですか」
「それがね。なんでも一年ばかり経ってから、主人に手討ちにされたということです」
「神隠しの秘密が露顕したんですか」
「そればかりじゃありますまい」と、半七老人は苦笑いをした。「旗本屋敷の渡り奉公なんぞしている者はどうも悪い奴が多うござんすからね。こいつらに弱味を掴まれて、執念ぶかく食い込まれると、飛んだことになりますよ。山崎は手討ちになって、奥様は里へ帰されたそうです。子ゆえの闇から悪い奴に魅《み》こまれて、奥様も一生日蔭の身になってしまったんです。考えてみると可哀そうじゃありませんか」
「そうすると、朝顔は息子より阿母《おっか》さんに祟《たた》った訳ですかね」
「そうかも知れません。その屋敷は維新後まで残っていましたが、いつの間にか取り毀《こわ》されてしまって、今じゃ細かい貸家がたくさん建っています」
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猫騒動《ねこそうどう》
一
半七老人の家には小さい三毛《みけ》猫が飼ってあった。二月のあたたかい日に、私がぶらりと訪ねてゆくと、老人は南向きの濡縁《ぬれえん》に出て、自分の膝の上にうずくまっている小さい動物の柔らかそうな背をなでていた。
「可愛らしい猫ですね」
「まだ子供ですから」と、老人は笑っていた。「鼠を捕る知恵もまだ出ないんです」
明るい白昼《まひる》の日が隣りの屋根の古い瓦を照らして、どこやらで猫のいがみ合う声がやかましく聞えた。老人は声のする方をみあげて笑った。
「こいつも今にああなって、猫の恋とかいう名を付けられて、あなた方の発句《ほっく》の種になるんですよ。猫もまあこの位の小さいうちが一番可愛いんですね。これが化けそうに大きくなると、もう可愛いどころか、憎らしいのを通り越して何だか薄気味が悪くなりますよ。むかしから猫が化けるということをよく云いますが、ありゃあほんとうでしょうか」
「さあ、化け猫の話は昔からたくさんありますが、嘘かほんとうか、よく判りませんね」と、わたしはあいまいな返事をして置いた。相手が半七老人であるから、どんな生きた証拠をもっていないとも限らない。迂濶にそれを否認して、飛んだ揚げ足を取られるのも口惜しいと思ったからであった。
しかし老人もさすがに猫の化けたという実例を知っていないらしかった。彼は三毛猫を膝からおろしながら云った。
「そうでしょうね。昔からいろいろの話は伝わっていますが、誰もほんとうに見たという者はないんでしょうね。けれども、わたしはたった一度、変なことに出っくわしましたよ。なに、これもわたしが直接に見たという訳じゃないんですけれど、どうも嘘じゃないらしいんです。なにしろ其の猫騒動のために人間が二人死んだんですからね。考えてみると、恐ろしいこってす」
「猫に啖《く》い殺されたのですか」
「いや、啖い殺されたというわけでもないんです。それが実に変なお話でね、まあ、聴いてください」
いつまでも膝にからみ付いている小猫を追いやりながら、老人はしずかに話し出した。
文久二年の秋ももう暮れかかって、芝神明宮の生姜市《しょうがいち》もきのうで終ったという九月二十二日の夕方の出来事である。神明の宮地から遠くない裏店《うらだな》に住んでいる≪おまき≫という婆さんが頓死した。おまきは寛政|申《さる》年生まれの今年六十六で、七之助という孝行な息子をもっていた。彼女は四十代で夫に死に別れて、それから女の手ひとつで五人の子供を育てあげたが、総領の娘は奉公先で情夫《おとこ》をこしらえて何処へか駈け落ちをしてしまった。長男は芝浦で泳いでいるうちに沈んだ。次男は麻疹《はしか》で命を奪《と》られた。三男は子供のときから手癖が悪いので、おまきの方から追い出してしまった。
「わたしはよくよく子供に運がない」
おまきはいつも愚痴をこぼしていたが、それでも末っ子の七之助だけは無事に家に残っていた。しかも彼は姉や兄たちの孝行を一人で引き受けたかのように、肩揚げのおりないうちからよく働いて、年を老《と》った母を大切にした。
「あんな孝行息子をもって、おまきさんも仕合わせ者だ」
子供運のないのを悔んでいたおまきが、今では却って近所の人達から羨まれるようになった。七之助は魚商《さかなや》で、盤台をかついで毎日方々の得意先を売りあるいていたが、今年|二十歳《はたち》になる若いものが見得も振りもかまわずに真っ黒になって稼いでいるので、棒手振《ぼてふ》りの小商いながらもひどい不自由をすることもなくて、母子《おやこ》ふたりが水いらずで仲よく暮していた。親孝行ばかりでなく、七之助は気のあらい稼業に似合わない、おとなしい素直な質《たち》で、近所の人達にも可愛がられていた。
それに引き替えて、母のおまきは近所の評判がだんだんに悪くなった。彼女は別に人から憎まれるような悪い事をしなかったが、人に嫌われるような一つの癖をもっていた。おまきは若いときから猫が好きであったが、それが年をとるにつれていよいよ烈しくなって、この頃では親猫子猫あわせて十五六匹を飼っていた。勿論、猫を飼うのは彼女の自由で、誰もあらためて苦情をいうべき理由をもたなかった。そのたくさんの猫が狭い家いっぱいに群がっているのが、見る人の目には薄気味の悪いような一種不快の感をあたえることがあっても、それだけではまだ飼主に対して苦情を持ち込む有力の理由とは認められなかった。併したくさんの動物は決して狭い家の中にばかりおとなしく竦《すく》んではいなかった。彼等はそこらへのそのそ這い出して、近所隣りの台所をあらした。おまき婆さんが幾ら十分の食い物を宛《あて》がって置いても、彼等はやはり盗み食いを止めなかった。
こうなると、苦情の理由が立派に成り立って、近所からたびたびねじ込まれた。その都度おまきも詫びた。七之助もあやまった。併しおまきの家のなかの猫の啼き声はやはり絶えないので、誰が云い出したとも無しに、彼女は近所の口の悪い人達から猫婆という綽名《あだな》を与えられてしまった。本人のおまきはともあれ、七之助は母の異名を聴くたびにいやな思いをさせられるに相違なかった。が、おとなしい彼は母を諫《いさ》めることも出来なかった。無論、近所の人と争うことも出来なかった。彼は畜生の群れと一緒に寝て起きて、黙っておとなしく稼いでいた。
この頃は七之助が商売から帰ってくる時に、その盤台にかならず幾|尾《ひき》かの魚《さかな》が残っているのを、近所の人達が不思議に思った。
「七之助さん、きょうもあぶれかい」と、ある人が訊いた。
「いいえ、これは家《うち》の猫に持って帰るんです」と、七之助はすこし極りが悪そうに答えた。河岸《かし》から仕入れて来た魚をみんな売ってしまう訳には行かない。飼い猫の餌食《えじき》として必ず幾尾かを残して帰るように、母から云い付けられていると彼は話した。
「この高い魚をみんな猫の餌食に……。あの婆さんも勿体ねえことをするな」と、聴いた人もおどろいた。その噂がまた近所に広まった。
「あの息子もおとなしいから、おふくろの云うことを何でも素直にきいているんだろうが、この頃の高い魚を毎日あれほどずつ売り残して来ちゃあ、いくら稼いでも追いつくめえ。あの婆さんは生みの息子より畜生の方が可愛いのかしら。因果なことだ」
近所の人達は孝行な七之助に同情した。そうして、その反動として誰も彼も猫婆のおまきに反感をもつようになった。近所から嫌われていたおまきが此の頃だんだんと近所から憎まれるようになって来た。猫はいよいよ其の反感を挑発するように、この頃はいたずらが烈しくなって、どこの家でも遠慮なしにはいり込んだ。障子を破られた家もあった。魚を盗まれた家もあった。その啼き声が夜昼そうぞうしいと云うので、南隣りの人はとうとう引っ越してしまった。北隣りには大工の若い夫婦が住んでいるが、その女房も隣りの猫にはあぐね果てて、どこかへ引っ越したいと口癖のように云っていた。
「何とかしてあの猫を追い払ってしまおうじゃないか。息子も可哀そうだし、近所も迷惑だ」
長屋のひとりが堪忍袋の緒を切ってこう云い出すと、長屋一同もすぐに同意した。直接に猫婆に談判しても容易に埓があくまいと思ったので、月番《つきばん》の者が家主《いえぬし》のところへ行って其の事情を訴えて、おまきが素直に猫を追いはらえばよし、さもなければ店立《たなだて》を食わしてくれと頼んだ。家主ももちろん猫婆の味方ではなかった。早速おまきを呼びつけて、長屋じゅうの者が迷惑するから、お前の家の飼い猫をみんな追い出してしまえと命令した。もし不承知ならば即刻に店を明け渡して、どこへでも勝手に立ち退けと云った。
家主の威光におされて、おまきは素直に承知した。
「いろいろの御手数をかけて恐れ入りました。猫は早速追い出します」
しかし今まで可愛がって育てていたものを、自分が手ずから捨てにゆくには忍びないから、御迷惑でも御近所の人たちにお願い申して、どこかへ捨てて来て貰いたいと彼女は嘆いた。それも無理はないと思ったので、家主はそのことを長屋の者に伝えると、おまきの隣りに住んでいる彼《か》の大工のほかに二人の男が連れ立って、おまきの家へ猫を受け取りに行った。猫は先頃子を生んだので、大小あわせて二十匹になっていた。
「どうも御苦労さまでございます。では、なにぶんお願い申します」
おまきはさのみ未練らしい顔を見せないで、家じゅうの猫を呼びあつめて三人に渡した。その猫どもを三つに分けて、ある者は炭の空き俵に押し込んだ。ある者は大風呂敷に包んだ。めいめいがそれを小脇に引っかかえて路地を出てゆくうしろ姿を、おまきは見送ってニヤリと笑った。
「わたしは見ていましたけれど、その時の笑い顔は実に凄うござんしたよ」と、大工の女房のお初があとで近所の人達にそっと話した。
猫をかかえた三人は思い思いの方角へ行って、なるべく寂しい場所を選んで捨てて来た。
「まずこれでいい」
そう云って、長屋の平和を祝していた人達は、そのあくる朝、大工の女房の報告におどろかされた。
「隣りの猫はいつの間にか帰って来たんですよ。夜なかに啼く声が聞えましたもの」
「ほんとうかしら」
おまきの家を覗きに行って、人々は又おどろいた。猫の眷族《けんぞく》はゆうべのうちに皆帰って来たらしく、さながら人間の無智を嘲るように家中いっぱいに啼いていた。おまきに訊いても要領を得なかった。自分もよく知らないが、なんでもゆうべの夜中にどこからか帰って来て、縁の下や台所の櫺子《れんじ》窓からぞろぞろと入り込んだものらしいと云った。猫は自分の家へかならず帰るという伝説があるから、今度は二度と帰られないようなところへ捨てて来ようというので、かの三人は行きがかり上、一日の商売を休んで品川のはずれや王子の果てまで再び猫をかかえ出して行った。
それから二日ばかりおまきの家に猫の声が聞えなかった。
二
神明の祭礼《まつり》の夜であった。おなじ長屋に住んでいる鋳掛《いかけ》錠前直しの職人の女房が七歳《ななつ》になる女の児をつれて、神明のお宮へ参詣に行って、四ツ(午後十時)少し前に帰って来ると、その晩は月が冴えて、明るい屋根の上に露が薄白く光っていた。
「あら、阿母《おっか》さん」
女の児はなにを見たか、母の袂をひいて急に立ちすくんだ。女房もおなじく立ち停まった。猫婆の屋根の上に小さい白い影が迷っているのであった。それは一匹の白猫で、しかも前脚二本を高くあげて、後脚二本は人間のように突っ立っているのを見た時に、女房もはっと息をのみ込んだ。かれは娘を小声で制して、しばらくそっと窺っていると、猫は長い尾を引き摺りながら、踊るような足取りで板葺《こけら》屋根の上をふらふらと立ってあるいた。女房はぞっとして鶏肌《とりはだ》になった。猫が屋根を渡り切って、その白い影がおまきの家の引窓のなかに隠れたのを見とどけると、彼女は娘の手を強く握って転げるように自分の家へかけ込んで、引窓や雨戸を厳重に閉めてしまった。
亭主は夜遅く帰って来て戸をたたいた。女房がそっと起きて来て、今夜自分が見とどけた怪しい出来事を話すと、祭礼の酒に酔っている亭主はそれを信じなかった。
「べらぼうめ、そんなことがあるもんか」
女房の制《と》めるのもきかずに、彼はおまきの台所へ忍んで行って、内の様子を窺っていると、やがておまきの嬉しそうな声がきこえた。
「おお、今夜帰って来たのかい、遅かったねえ」
これに答えるような猫の啼き声がつづいて聞えた。亭主もぎょっとして、酒の酔いが少しさめて来た。彼はぬき足をして家へ帰った。
「ほんとうに立って歩いたか」
「あたしも芳坊も確かに見たんだもの」と、女房も顔をしかめてささやいた。小さい娘のお芳もそれに相違ないとふるえながら云った。
亭主もなんだか薄気味が悪くなって来た。ことに彼は猫を捨てに行った一人であるだけに、いよいよ好い心持がしなかった。彼はまた酒を無暗に飲んで酔い倒れてしまった。女房と娘とはしっかり抱き合ったままで、夜のあけるまでおちおち睡られなかった。
おまきの家の猫はゆうべのうちにみな帰っていた。ことに鋳掛屋の女房の話を聴いて、長屋じゅうの者は眼をみあわせた。普通の猫が立ってあるく筈はない、猫婆の家の飼猫は化け猫に相違ないということに決められてしまった。その噂が家主の耳へもはいったので、彼も薄気味が悪くなった。彼は再びおまき親子にむかって立ち退きを迫ると、おまきは自分の夫の代から住み馴れている家を離れたくない。猫はいかように御処分なすっても好いから、どうか店立《たなだて》をゆるして貰いたいと涙をこぼして家主に嘆いた。そうなると、家主にも不憫が出て、たってこの親子を追い払うわけにも行かなかった。
「ただ捨てて来るから、又すぐ戻って来るのだ。今度は二度と帰られないように重量《おもし》をつけて海へ沈めてしまえ。こんな化け猫を生かして置くと、どんな禍いをするか知れない」
家主の発議で、猫は幾つかの空き俵に詰め込まれ、これに大きい石を縛りつけて芝浦の海へ沈められることになった。今度は長屋じゅうの男という男は総出になって、おまきの家へ二十匹の猫を受け取りに行った。重量をつけて海の底へ沈められては、さすがの猫ももう再び浮かび上がれないものとおまきも覚悟したらしく、人々にむかって嘆願した。
「今度こそは長《なが》の別れでございますから、猫に何か食べさしてやりとうございます。どうぞ少しお待ち下さい」
彼女は二十匹の猫を自分のまわりに呼びあつめた。きょうは七之助も商売を休んで家にいたので、おまきは彼に手伝わせて何か小魚《こざかな》を煮させた。飯と魚とを皿に盛り分けて、一匹ずつの前にならべると、猫は鼻をそろえて一度に食いはじめた。彼等は飯を食った。肉を食った。骨をしゃぶった。一匹ならば珍らしくない、しかも二十匹が一度に喉を鳴らし、牙をむき出して、めいめいの餌食を忙がしそうに啖《くら》っているありさまは、決して愉快な感じを与えるものではなかった。気の弱いものにはむしろ凄愴《ものすご》いようにも思われた。白髪《しらが》の多い、頬骨の高いおまきは、伏目にそれをじっと眺めながら、ときどきそっと眼を拭いていた。
おまきの手から引き離された猫の運命は、もう説明するまでもなかった。万事が予定の計画通りに運ばれて、かれらは生きながら芝浦の海の底へ葬られてしまった。それから五、六日を経っても猫はもう帰って来なかった。長屋じゅうの者はほっとした。
併しおまきは別にさびしそうな顔もしていなかった。七之助は相変らず盤台をかついで毎日の商売に出ていた。その猫を沈められてから丁度七日目の夕方におまきは頓死したのであった。
それを発見したのは、北隣りの大工の女房のお初で、亭主は仕事からまだ帰って来なかったが、いつもの慣習《ならい》で彼女は格子に錠をおろして近所まで用達に行った。南隣りは当時|空家《あきや》であった。したがって、おまきの死んだ当時の状況は誰にも判らなかったが、お初の云うところによると、かれが外から帰って来て、路地の奥へ行こうとする時に、おまきの家の入口に魚の盤台と天秤棒とが置いてあるのを見た。七之助が商売から戻って来たものと推量した彼女は、その軒下を通り過ぎながら声をかけたが、内には返事がなかった。秋の夕方はもう薄暗いのに、内には灯をともしていなかった。暗い家のなかは墓場のように森《しん》と沈んでいた。一種の不安に襲われて、お初はそっと内をのぞくと、入口の土間には人がころげているらしかった。怖々《こわごわ》ながら一と足ふみ込んで透かして視ると、そこに転げているのは女であった。猫婆のおまきであった。お初は声をあげて人を呼んだ。
その叫びを聞き付けて近所の人も駈けて来た。猫婆が死んだという噂が長屋じゅうから裏町まで伝わって、家主もおどろいて駈け付けた。一と口に頓死というけれど、実際は病気で死んだのか、人に殺されたのか、それがまだ判然《はっきり》しなかった。
「それにしても息子はどうしたんだろう」
盤台や天秤棒がほうり出してあるのを見ると、七之助はもう帰って来たらしいが、どこに何をしているのか、この騒ぎのなかへ影を見せないのも不思議に思われた。ともかくも医者を呼んで来て、おまきの死骸をあらためて貰うと、からだに異状はない、頭の脳天よりは少し前の方に一ヵ所の打ち傷らしいものが認められるが、それも人から打たれたのか、あるいは上がり端《はな》から転げ落ちるはずみに何かで打ったのか、医者にも確かに見極めが付かないらしく、結局おまきは卒中《そっちゅう》で倒れたということになった。病死ならば別にむずかしいこともないと、家主もまず安心したが、それにしても七之助のゆくえが判らなかった。
「息子はどうしたんだろう」
おまきの死骸を取りまいて、こうした噂が繰り返されているところへ、七之助が蒼い顔をしてぼんやり帰って来た。隣り町《ちょう》に住んでいる同商売の三吉という男もついて来た。三吉はもう三十以上で、見るからに気の利いた、威勢の好い男であった。
「いや、どうも皆さん。ありがとうございました」と、三吉も人々に挨拶した。「実は今、七之助がまっ蒼になって駈け込んで来て、商売から帰って家へはいると、おふくろが土間に転がり落ちて死んでいたが、一体どうしたらよかろうかと、こう云うんです。そりゃあ俺のところまで相談に来ることはねえ、なぜ早く大屋《おおや》さんやお長屋の人達にしらせて、なんとか始末を付けねえんだと叱言《こごと》を云ったような訳なんですが、なにしろまだ年が若けえもんですから、唯もう面喰らってしまって、夢中で私のところへ飛んで来たという。それもまあ無理はねえ、ともかくもこれから一緒に行って、皆さんに宜しくおねがい申してやろうと、こうして出てまいりましたものでございますが、一体まあどうしたんでございましょうね」
「いや、別に仔細はない。七之助のおふくろは急病で死にました。お医者の診断では卒中だということで……」と、家主はおちつき顔に答えた。
「へえ、卒中ですか。ここのおふくろは酒も飲まねえのに、やっぱり卒中なんぞになりましたかね。おっしゃる通り、急死というのじゃあどうも仕方がございません。七之助、泣いてもしようがねえ、寿命だとあきらめろよ」と、三吉は七之助を励ますように云った。
七之助は窮屈そうにかしこまって、両手を膝に突いたままで俯向いていたが、彼の眼にはいっぱいの涙を溜めていた。ふだんから彼の親孝行を知っているだけに、みんなも一入《ひとしお》のあわれを誘われた。猫婆の死を悲しむよりも、母をうしなった七之助の悲しみを思いやって、長屋じゅうの顔は陰った。女たちはすすり泣きをしていた。
その晩は長屋じゅうの者があつまって通夜をした。七之助はまるで気抜けがしたようにぼんやりとして、隅の方に小さくなっているばかりで碌々口も利かなかった。それがいよいよ諸人の同情をひいて、葬式《とむらい》一切のことは総て彼の手を煩わさずに、長屋じゅうの者がみんな始末してやることにした。七之助はおどおどしながら頻りに礼を云った。
「こうして皆さんが親切にして下さるんだから、何もくよくよすることはねえ。猫婆なんていうおふくろは生きていねえ方が却って好いかも知れねえ。お前もこれから一本立ちになってせいぜい稼いで、みなさんのお世話で好い嫁でも持つ算段をしろ」と、三吉は平気で大きな声で云った。
仏の前で掛け構い無しにこんなことを云っても、誰もそれを咎める者もないほどに、不運なおまきは近所の人達の同情をうしなっていた。さすがに口を出して露骨には云わないが、人々の胸にも三吉とおなじような考えが宿っていた。それでも一個の人間である以上、猫婆は飼猫とおなじような残酷な水葬礼には行なわれなかった。おまきの死骸を収めた早桶は長屋の人達に送られて、あくる日の夕方に麻布の小さな寺に葬られた。
それは小雨《こさめ》のような夕霧の立ち迷っている夕方であった。おまきの棺が寺へゆき着くと、そこにはほかにも貧しい葬式があって、その見送り人は徐々に帰りかかるところであった。おまきの葬式は丁度それと入れ違いに本堂に繰り込むと、前に来ていた見送り人はやはり芝辺の人達が多かったので、あとから来たおまきの見送り人と顔馴染みも少なくなかった。
「やあ、おまえさんもお見送りですか」
「御苦労さまです」
こんな挨拶が方々で交換された。そのなかに眼の大きな、背の高い男がいて、彼はおまきの隣りの大工に声をかけた。
「やあ、御苦労。おまえの葬式《とむれえ》は誰だ」
「長屋の猫婆さ」と、若い大工は答えた。
「猫婆……。おかしな名だな。猫婆というのは誰のこった」と、彼はまた訊いた。
猫婆の綽名の由来や、その死にぎわの様子などを詳しく聴き取って、彼は仔細らしく首をかしげていたが、やがて大工に別れを告げて一と足さきに寺の門を出た。かれは手先の湯屋熊であった。
三
「どうもその猫ばばあの死に様がちっと変じゃありませんかね」
湯屋熊の熊蔵はその晩すぐに神田の三河町へ行って、親分の半七のまえできょう聞き出して来た猫婆の一件を報告した。半七は黙って聴いていた。
「親分、どうです。変じゃありませんかね」
「むむ、ちっと変だな。だが、てめえの挙げて来るのに碌なことはねえ。この正月にもてめえの家の二階へ来る客の一件で飛んでもねえ汗をかかせられたからな。うっかり油断はできねえ。まあ、もうちっと掘《ほじ》くってから俺のとこへ持って来い。猫婆だって生きている人間だ。いつ頓死をしねえとも限らねえ」
「ようがす、わっしも今度は真剣になって、この正月の埋め合わせをします」
「まあ、うまくやって見てくれ」
熊蔵を帰したあとで、半七はかんがえた。熊蔵の云うことも馬鹿にならない、家主の威光と大勢の力とで、猫婆が生みの子よりも可愛がっていたたくさんの猫どもを無体にもぎ取って、それを芝浦の海の底に沈めた。それから丁度七日目に猫婆が不意に死んだ。猫の執念とか、なにかの因縁とかいえば云うものの、そこに一種の疑いがないでもない。これはそそっかしい熊蔵一人にまかせては置かれないと思った。彼はあくる朝すぐに愛宕下の熊蔵の家をたずねた。
熊蔵の家が湯屋であることは前にも云った。併し朝がまだ早いので、二階にあがっている客はなかった。熊蔵は黙って半七を二階に案内した。
「大層お早うごぜえましたね。なにか御用ですか」と、彼は小声で訊いた。
「実はゆうべの一件で来たんだが、なるほど考えてみるとちっとおかしいな」
「おかしいでしょう」
「そこで、おめえは何か睨んだことでもあるのか」
「まだ其処までは手が着いていねえんです。なにしろ、きのうの夕方聞き込んだばかりですから」と、熊蔵は頭を掻いた。
「猫婆がまったく病気で死んだのなら論はねえが、もしその脳天の傷に何か曰くがあるとすれば、おめえは誰がやったと思う」
「いずれ長屋の奴らでしょう」
「そうかしら」と、半七は考えていた。「その息子という奴がおかしくねえか」
「でも、その息子というのは近所でも評判の親孝行だそうですぜ」
評判の孝行息子が親殺しの大罪を犯そうとは思われないので、半七も少し迷った。しかし猫婆がともかくも素直に猫を渡した以上、長屋の者がかれを殺す筈もあるまいと思われた。息子の仕業でも無し、長屋の者どもの仕業でもないとすれば、猫婆の死は医者の診断の通り、やはり卒中の頓死ということに決めてしまうよりほかはなかったが、半七の疑いはまだ解けなかった。いくら年が若いといっても、息子はもう二十歳《はたち》にもなっている。母の死を近所の誰にも知らせないで、わざわざ隣り町の同商売の家まで駈けて行ったということが、どうも彼の腑に落ちなかった。と云って、それほどの孝行息子がどうして現在の母を残酷に殺したか、その理窟はなかなか考え出せなかった。
「なにしろ、もう一度頼んでおくが、おめえよく気をつけてくれ。五、六日経つと、おれが様子を訊きに来るから」
半七は念を押して帰った。九月の末には雨が毎日降りつづいた。それから五日ほど経つと、熊蔵の方からたずねて来た。
「よく降りますね。早速ですが例の猫ばばあの一件はなかなか当りが付きませんよ。息子は相変らず毎日かせぎに出ています。そうして、商売を早くしまって、帰りにはきっとおふくろの寺参りに行っているそうで、長屋の者もみんな褒めていますよ。それにね、長屋の奴らは猫婆が斃死《くたば》って好い気味だぐらいに思っているんですから、誰も詮議する者なんぞはありゃしません。家主だって自身番だって、なんとも思っていやあしませんよ。そういうわけだから、どうにもこうにも手の着けようがなくなって……」
半七は舌打ちした。
「そこを何とかするのが御用じゃあねえか。もうてめえ一人にあずけちゃあ置かれねえ。あしたはおれが直接に出張って行くから案内してくれ」
あくる日も秋らしい陰気な雨がしょぼしょぼ降っていたが、熊蔵は約束通りに迎いに来た。二人は傘をならべて片門前へ出て行った。
路地のなかは思いのほかに広かった。まっすぐにはいると、左側に大きい井戸があった。その井戸側について左へ曲がると、また鉤《かぎ》の手に幾軒かの長屋がつづいていた。しかし長屋は右側ばかりで、左側の空地は紺屋《こうや》の干場《ほしば》にでもなっているらしく、所まだらに生えている低い秋草が雨にぬれて、一匹の野良犬が寒そうな顔をして餌をあさっていた。
「此処ですよ」と、熊蔵は小声で指さした。猫婆の南隣りはまだ空家になっているらしかった。二人は北隣りの大工の家へはいった。熊蔵は大工を識っていた。
「ごめん下さい。悪いお天気です」
外から声をかけると、若い女房のお初が出て来た。熊蔵は框《かまち》に腰をかけて挨拶した。途中で打ち合わせがしてあるので、熊蔵はこの頃この近所へ引っ越して来た人だと云って半七をお初に紹介した。そうして、今度引っ越して来た家はだいぶ傷《いた》んでいるので、こっちの棟梁に手入れをして貰いたいと云った。その尾について、半七も丁寧に云った。
「何分こっちへ越してまいりましたばかりで、御近所の大工さんにだれもお馴染みがないもんですから、熊さんに頼んでこちらへお願いに出ましたので……」
「左様でございましたか。お役には立ちますまいが、この後《のち》ともに何分よろしくお願い申します」
得意場が一軒ふえることと思って、お初は笑顔をつくって如才なく挨拶した。二人を無理に内に招じ入れて、煙草盆や茶などを出した。外の雨の音はまだ止まなかった。昼でも薄暗い台所では鼠の駈けまわる音がときどきに聞えた。
「お宅も鼠が出ますねえ」と、半七は何気なく云った。
「御覧の通りの古い家だもんですから、鼠があばれて困ります」と、お初は台所を見返って云った。
「猫でもお飼いになっては……」
「ええ」と、お初はあいまいな返事をしていた。彼女の顔には暗い影がさした。
「猫といえば、隣りの婆さんの家はどうしましたえ」と、熊蔵は横合いから口を出した。「息子は相変らず精出して稼いでいるんですか」
「ええ、あの人は感心によく稼ぎますよ」
「こりゃあ此処だけの話だが……」と、熊蔵は声を低めた。「なんだか表町の方では変な噂をしているようですが……」
「へえ、そうでございますか」
お初の顔色がまた変った。
「息子が天秤棒でおふくろをなぐり殺したんだという噂で……」
「まあ」
お初は眼の色まで変えて、半七と熊蔵との顔を見くらべるように窺っていた。
「おい、おい、そんな詰まらないことをうっかり云わない方がいいぜ」と、半七は制した。「ほかの事と違って、親殺しだ。一つ間違った日にゃあ本人は勿論のこと、かかり合いの人間はみんな飛んだ目に逢わなけりゃあならない。滅多なことを云うもんじゃあないよ」
眼で知らされて、熊蔵はあわてたように口を結んだ。お初も急に黙ってしまった。一座が少し白らけたので、半七はそれを機《しお》に座を起った。
「どうもお邪魔をしました。きょうはこんな天気だから棟梁はお内かと思って来たんですが、それじゃあ又出直して伺います」
お初は半七の家を訊いて、亭主が帰ったら直ぐにこちらから伺わせますと云ったが、半七はあしたまた来るからそれには及ばないと断わって別れた。
「あの女房がはじめて猫婆の死骸を見付けたんだな」と、路地を出ると半七は熊蔵に訊いた。
「そうです。あの嬶、猫婆の話をしたら少し変な面《つら》をしていましたね」
「むむ、大抵判った。お前はもうこれで帰っていい。あとは俺が引き受けるから。なに、おれ一人で大丈夫だ」
熊蔵に別れて、半七はそれから他へ用達に行った。そうして、夕七ツ(午後四時)前に再び路地の口に立った。雨が又ひとしきり強くなって来たのを幸いに、かれは頬かむりをして傘を傾けて、猫婆の南隣りの空家へ忍び込んだ。彼は表の戸をそっと閉めて、しめっぽい畳の上にあぐらを掻いて、時々に天井裏へぽとぽとと落ちて来る雨漏《あまもり》の音を聴いていた。くずれた壁の下にこおろぎが鳴いて、火の気のない空家は薄ら寒かった。
ここの家の前を通る傘の音がきこえて、大工の女房は外から帰って来たらしかった。
四
それから又半刻も経ったと思う頃に、濡れた草鞋の音がこの前を通って、隣りの家の門口《かどぐち》に止まった。猫婆の息子が帰って来たなと思っていると、果たして籠や盤台を卸すような音がきこえた。
「七ちゃん、帰ったの」
お初が隣りからそっと出て来たらしかった。そうして、土間に立って何か息もつかずに囁《ささや》いているらしかった。それに答える七之助の声も低いので、どっちの話も半七の耳には聴き取れなかったが、それでも壁越しに耳を引き立てていると、七之助は泣いているらしく、時々は洟《はな》をすするような声が洩れた。
「そんな気の弱いことを云わないでさ。早く三ちゃんのところへ行って相談しておいでよ。いいえ、もう一と通りのことはわたしが話してあるんだから」と、お初は小声に力を籠《こ》めて、なにか切《しき》りに七之助に勧めているらしかった。
「さあ、早く行っておいでよ。じれったい人だねえ」と、お初は渋っている七之助の手を取って、曳き出すようにして表へ追いやった。
七之助は黙って出て行ったらしく、重そうな草鞋の音が路地の外へだんだんに遠くなった。それを見送って、お初は自分の家へはいろうとすると、半七は空家の中から不意に声をかけた。
「おかみさん」
お初はぎょっとして立ちすくんだ。空家の戸をあけてぬっと出て来た半七の顔を見た時に、彼女の顔はもう灰色に変っていた。
「外じゃあ話ができねえ。まあ、ちょいと此処へはいってくんねえ」と、半七は先に立って猫婆の家へはいった。お初も無言でついて来た。
「おかみさん。お前はわたしの商売を知っているのかえ」と、半七はまず訊いた。
「いいえ」と、お初は微かに答えた。
「おれの身分は知らねえでも、熊の野郎が湯屋のほかに商売をもっていることは知っているだろう。いや、知っているはずだ。お前の亭主はあの熊と昵近《ちかづき》だというじゃあねえか。まあ、それはそれとして、お前は今の魚商《さかなや》と何をこそこそ話していたんだ」
お初は俯向いて立っていた。
「いや、隠しても知っている。おめえはあの魚商に知恵をつけて、隣り町の三吉のところへ相談に行けと云っていたろう。さっきも熊蔵が云った通り、その晩にあの七之助が天秤棒でおふくろをなぐり殺した。それをおめえは知っていながら、あいつを庇《かば》って三吉のところへ逃がしてやった。三吉がまた好い加減なことを云って白らばっくれて七之助を引っ張って来た。さあ、どうだ。この占《うらな》いがはずれたら銭は取らねえ。長屋じゅうの者はそれで誤魔化されるか知らねえが、おれ達が素直にそれを承知するんじゃあねえ。七之助は勿論のことだが、一緒になって芝居を打った三吉もお前も同類だ。片っ端から数珠《じゅず》つなぎにするからそう思ってくれ」
嵩にかかって、嚇されたお初はわっと泣き出した。かれは土間に坐って、堪忍してくれと拝んだ。
「次第によったら堪忍してやるめえものでもねえが、お慈悲が願いたければ真っ直ぐに白状しろ。どうだ、おれが睨んだに相違あるめえ。おめえと三吉とが同腹《ぐる》になって、七之助の兇状を庇っているんだろう」
「恐れ入りました」と、お初はふるえながら土に手をついた。
「恐れ入ったら正直に云ってくれ」と、半七は声をやわらげた。「そこで、あの七之助はなぜおふくろを殺したんだ。親孝行だというから、最初から巧んだ仕事じゃあるめえが、なにか喧嘩でもしたのか」
「おふくろさんが猫になったんです」と、お初は思い出しても慄然《ぞっ》とするというように肩をすくめた。
半七は笑いながら眉を寄せた。
「ふむう。猫婆が猫になった……。それも何か芝居の筋書じゃあねえか」
「いいえ。これはほんとうで、嘘も詐《いつわ》りも申し上げません。ここの家のおまきさんはまったく猫になったんです。その時にはわたくしもゾッとしました」
恐怖におののいている其の声にも顔色にも、詐りを包んでいるらしくないのは、多年の経験で半七にもよく判った。かれも釣り込まれてまじめになった。
「じゃあ、おまえもここの婆さんが猫になったのを見たのか」
確かに見たとお初は云った。
「それがこういう訳なんです。おまきさんの家に猫がたくさん飼ってある時分には、その猫に喰べさせるんだと云って、七之助さんは商売物のお魚《さかな》を毎日幾|尾《ひき》ずつか残して、家へ帰っていたんです。そのうちに猫はみんな芝浦の海へほうり込まれてしまって、家には一匹もいなくなったんですけれど、おふくろさんはやっぱり今まで通りに魚を持って帰れと云うんだそうです。七之助さんはおとなしいから何でも素直にあいあいと云っていたんですけれど、良人《うちのひと》がそれを聞きまして、そんな馬鹿な話はない、家にいもしない猫に高価《たか》い魚をたくさん持って来るには及ばないから、もう止した方がいいと七之助さんに意見しました」
「おふくろはその魚をどうしたんだろう」
「それは七之助さんにも判らないんだそうです。なんでも台所の戸棚のなかへ入れて置くと、あしたの朝までにはみんな失《なく》なってしまうんだそうで……。どういうわけだか判らないと云って、七之助さんも不思議がっているので、良人が意地をつけて、物は試しだ、魚を持たずに一度帰ってみろ、おふくろがどうするかと……。七之助さんもとうとうその気になったと見えて、このあいだの夕方、神明様のお祭礼《まつり》の済んだ明くる日の夕方に、わざと盤台を空《から》にして帰って来たんです。わたくしも丁度そのときに買物に行って、帰りに路地の角で逢ったもんですから、七之助さんと一緒に路地へはいって来て、すぐに別れればよかったんですが、きょうは盤台が空になっているからおふくろさんがどうするかと思って、門口《かどぐち》に立ってそっと覗いていると、七之助さんは土間にはいって盤台を卸しました。すると、おまきさんが奥から出て来て……。すぐに盤台の方をじろりと見て……おや、きょうはなんにも持って来なかったのかいと、こう云ったときに、おまきさんの顔が……。耳が押っ立って、眼が光って、口が裂けて……。まるで猫のようになってしまったんです」
その恐ろしい猫の顔が今でも覗いているかのように、お初は薄暗い奥を透かして息をのみ込んだ。半七も少し煙《けむ》にまかれた。
「はて、変なことがあるもんだな。それからどうした」
「わたくしもびっくりしてはっと思っていますと、七之助さんはいきなり天秤棒を振りあげて、おふくろさんの脳天を一つ打ったんです。急所をひどく打ったと見えて、おまきさんは声も出さないで土間へ転げ落ちて、もうそれ限《ぎ》りになってしまったようですから、わたくしは又びっくりしました。七之助さんは怖い顔をしてしばらくおふくろさんの死骸を眺めているようでしたが、急にまたうろたえたような風で、台所から出刃庖丁を持ち出して、今度は自分の喉を突こうとするらしいんです。もう打捨《うっちゃ》っては置かれませんから、わたくしが駈け込んで止めました。そうして訳を訊きますと、七之助さんの眼にもやっぱりおふくろさんの顔が猫に見えたんだそうです。猫がいつの間にかおふくろさんを喰い殺して、おふくろさんに化けているんだろうと思って、親孝行の七之助さんは親のかたきを取るつもりで、夢中ですぐに撲《ぶ》ち殺してしまったんですが、殺して見るとやっぱりほんとうのおふくろさんで、尻尾《しっぽ》も出さなければ毛も生えないんです。そうすると、どうしても親殺しですから、七之助さんも覚悟を決めたらしいんです」
「婆さんの顔がまったく猫に見えたのか」と、半七は再び念を押すと、お初は自分の眼にも七之助の眼にも確かにそう見えたと云い切った。さもなければ、ふだんから親孝行の七之助が親の頭へ手をあげる道理がないと云った。
「それでも其のうちに正体をあらわすかと思って、死骸をしばらく見つめていましたが、おまきさんの顔はやっぱり人間の顔で、いつまで経っても猫にならないんです。どうしてあの時に猫のような怖い顔になったのか、どう考えても判りません。死んだ猫の魂がおまきさんに乗憑《のりうつ》ったんでしょうかしら。それにしても七之助さんを親殺しにするのはあんまり可哀そうですし、もともと良人が知恵をつけてこんなことになったんですから、わたくしも七之助さんを無理になだめて、あの人がふだんから仲良くしている隣り町の三吉さんのところへ一緒に相談に行ったんですが、隣りは空店《あきだな》ですし、路地を出這入りする時にも好い塩梅に誰にも見付からなかったんです。それから三吉さんがいろいろの知恵を貸してくれて、わたくしだけが一と足先へ帰って、初めて死骸を見つけたように騒ぎ出したんです」
「それでみんな判った。そこできょうおれ達が繋がって来たので、お前はなんだかおかしいぞと感づいて、さっき三吉のところへ相談に行ったんだな。そうして七之助の帰って来るのを待っていて、これも三吉のところへ相談にやったんだな。そうだろう。そこで其の相談はどう決まった。七之助をどこへか逃がすつもりか。いや、おまえに訊いているよりも、すぐに三吉の方へ行こう」
半七は雨のなかを隣り町へ急いでゆくと、七之助はけさから一度も姿を見せないと三吉は云った。隠しているかとも疑ったが、まったくそうでもないらしいので、ふと或る事が半七の胸に浮かんだ。彼はそこを出て、更に麻布の寺へ追ってゆくと、おまきの墓の前には新しい卒塔婆《そとば》が雨にぬれているばかりで、そこらに人の影も見えなかった。
あくる日の朝、七之助の死骸が芝浦に浮いていた。それはちょうど長屋の人達がおまきの猫を沈めた所であった。
七之助はもう三吉のところに行かずに、まっすぐに死に場所を探しに行ったのであろう。いくらお初が証人に立っても、母の顔が猫にみえたという奇怪な事実を楯《たて》にして、親殺しの科《とが》を逃がれることはできない。磔刑《はりつけ》に逢わないうちに自滅した方が、いっそ本人の仕合わせであったろうかと半七は思った。自分もまたこうした不運の親孝行息子に縄をかけない方が仕合わせであったと思った。
「お話はまあこういう筋なんですがね」と、半七老人はここで一と息ついた。「それからだんだん調べてみましたが、七之助はまったく孝行者で、とても正気で親殺しなんぞする筈はないんです。隣りのお初という女も正直者で、嘘なんぞ吐《つ》くような女じゃありません。そうすると、まったくこの二人の眼にはおまきの顔が猫に見えたんでしょう。猫が乗憑《のりうつ》ったのかどうしたのか不思議なこともあるもんですね。それからおまきの家をあらためて見ますと、縁の下から腐った魚の骨がたくさん出ました。猫がいなくなった後も、おまきはやっぱりその食い物を縁の下へほうり込んでいたものと見えます。なんだか気味が悪いので、家主もとうとうその家を取り毀してしまったそうですよ」
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弁天娘
一
安政と年号のあらたまった年の三月十八日であった。半七はこれから午飯《ひるめし》を食って、浅草の三社《さんじゃ》祭りを見物に出かけようかと思っているところへ、三十五六の男がたずねて来た。かれは神田の明神下の山城屋という質屋の番頭で、利兵衛という白鼠《しろねずみ》であることを半七はかねて知っていた。
「なんだかお天気がはっきりしないので困ります。折角の三社様もきのうの宵宮《よみや》はとうとう降られてしまいました。きょうもどうでございましょうか」と、利兵衛は云った。
「全くいけませんでしたね。降っても構わずにやるというから、わたしもこれからちょいと行って見ようかと思っているんですがね。少し雲切れがしているから、午過《ひるす》ぎからは明るくなるかと思いますが、なにしろ花時ですから不安心ですよ」
半分あけてある窓の間から、半七はうす明るくなった空をながめると、利兵衛は少しもじもじしていた。
「では、これから浅草へお出かけになるのでございますか」
「お祭りがことしはなかなか賑やかに出来たそうですからね。それに一軒呼ばれている家《うち》がありますから、まあちょいと顔出しをしなくっても悪かろうと思って……」と、半七は笑っていた。
「はあ、左様でございますか」
利兵衛はやはりもじもじしながら煙草をのんでいた。それがなにやら仔細ありそうにも見えたので、半七の方から切り出した。
「番頭さん。なにか御用ですかえ」
「はい」と、利兵衛はやはり躊躇していた。「実は少々おねがい申したいことがあって出ましたのでございますが、お出さきのお邪魔をいたしては悪うございますから、夜分か明朝《みょうあさ》また出直して伺うことに致しましょうかと存じます」
「なに、構いませんよ。もともとお祭り見物で、一刻《いっとき》半刻をあらそう用じゃあないんですから、なんだか知らないが伺おうじゃありませんか。おまえさんも忙がしいからだで幾たびも出て来るのは迷惑でしょうから、遠慮なく話してください」
「お差し支えございますまいか」
「ちっとも構いません。いったいどんな御用です。なにか御商売上のことですか」と、半七は催促するように訊《き》いた。
いつの時代でも、質物《しちもつ》渡世は種々の犯罪事件とのがれぬ関係をもっているので、半七は今この番頭の仔細ありげな顔色を見て、それが何かの事件に絡《から》んでいるのではないかと直覚した。しかし利兵衛はまだ躊躇しているようで、すぐには口を切らなかった。
「番頭さん。ひどくむずかしいお話らしゅうござんすね」と、半七は冗談らしく笑った。「おまえさん、なにか粋事《いきごと》ですかえ。それだと少し辻番が違うが、まあお話しなさい。なんでも聴きますから」
「どういたしまして、御冗談を……」と、利兵衛は頭をおさえながら苦《にが》笑いをした。「そういう派手なお話だと宜しいのでございますが、御承知のとおり野暮な人間でございまして……。いえ、実は親分さん。ほかのことではございませんが、少々お知恵を拝借したいと存じまして……。お忙がしいところを甚だ御迷惑とも存じますので、手前もいろいろ考えたのでございますが……」
前置きばかりがとかく長いので、半七もすこし焦《じ》れて来た。かれは再び窓の方を見かえって、わざとらしく吸いさしの煙管《きせる》をぽんぽんと強く叩くと、その音におびやかされたように、利兵衛は容《かたち》をあらためた。
「親分さん。手前はとかく口下手《くちべた》で困りますので……。まあ、お聴きください。手前自身のことではございませんので、実は主人の店に少々面倒なことが起りまして……」
「ふむ。お店でどうしました」
「御存じかどうか知りませんが、主人の店に徳次郎という小僧がございます。ことし十六で、近いうちに前髪を取ることになって居ります。それが何だか判らないような病気で、きのう亡くなりましたのでございます」
「やれ、やれ、可哀そうに……。どんな小僧さんだかよく覚えていないが、なにしろ十五や十六で死んじゃ気の毒だ。ところで、それがどうかしたんですかえ」
「徳次郎は半月ほど前から、急に口中が腫れふさがりまして口を利《き》くことが出来なくなりました。出入りの医者に手当をして貰いましたが、だんだん悪くなりますばかりで、よんどころなく駕籠に乗せまして、ひとまず宿《やど》へ下げましたのでございます。宿は本所|相生町《あいおいちょう》の徳蔵という魚屋《さかなや》で、ふだんから至極|実体《じってい》な人間でございます。ところが、宿へ帰りましてから徳次郎の模様がいよいよ悪くなりまして、とうとうきのうの八ツ頃(午後二時)に息を引き取ったそうで、まことに可哀そうなことを致しました。それもまあ寿命《じゅみょう》なら致し方ないのでございますが、当人がいよいよ息を引き取ります時、廻らない舌で何か申しましたそうで……」云いかけて、利兵衛はまた躊躇した。
「どんなことを云ったんです」と、半七は追いかけて訊《き》いた。
「それがお前さん。徳次郎が死にぎわに、わたしは店のお此《この》さんに殺されたのだと申したそうで……」と、利兵衛は小声で答えた。
お此というのは、山城屋のひとり娘で、町内でも評判の容貌《きりょう》好しであるが、どういうわけか縁遠くて、二十六七になるまで白歯《しらは》の生娘《きむすめ》であった。それがために兎角よくない噂が生み出されて、お此は弁天娘というあだ名で呼ばれていた。しかもそれが普通に用いられる善い意味ではないので、山城屋の親たちもよほどそれを苦に病んでいるらしかった。それらの事情は半七もかねて知っていたが、そのお此がどうして小僧を殺したか、彼もさすがに早速の判断を下すことが出来なかった。その思案の眼色をうかがいながら、利兵衛はつづけて語り出した。
「徳次郎が病気になりましたのは、ちょうどお雛様の宵節句の晩からでございまして、ほかの奉公人の話によりますと、夕方から何だか口中が痛むとか申して、夜食も碌々にたべなかったそうでございます。それが夜あけ頃からいよいよ激しく痛み出して、あしたの朝には口中が腫れふさがってしまいました。口をきくことは勿論、湯も粥《かゆ》も薬もなんにも通らなくなりまして、しまいには顔一面が化け物のように赤く腫れあがってしまいました。したがって、熱が出る、唸《うな》る、苦しむというわけで、医者も手の着けようがないような始末になりましたので、主人は勿論、手前共もいろいろと心配いたしまして、とうとう宿の方へ下げることに致しましたのでございます。こんな病気になるについては、なにか自分で心あたりがないかと、病中にもたびたび聞きましたが、ただ唸っているばかりで、なんにも申しませんでした。それが宿へ帰ってから、どうしてそんなことを申したのか、少し不思議にも思われますが、なにしろお此さんが殺したなぞとは実に飛んでもないことで……。けさほど宿許《やどもと》から徳蔵がまいりまして、仏の遣言というのを楯《たて》に取って、どうも面倒なことを申します」
「その徳蔵というのは親父ですかえ」
「いえ、徳次郎の兄でございます。親父もおふくろもとうに歿しまして、只今では兄の徳蔵……たしか二十五だと聞いております。それが家の方をやっているのでございます。ふだんは正直でおとなしい男ですが、きょうは人間がまるで変ったようでございまして、いくら主人の娘でも無闇《むやみ》に奉公人を殺して済むかというような、ひどい権幕《けんまく》の掛け合いに、主人方でも持て余して居ります。唯今も申し上げる通り、手前の方に居ります時には、ちっとも口の利《き》けなかった病人が、家へ帰ってからどうしてそんなことを云いましたか、どうもそこが胡乱《うろん》なのでございますが、徳蔵は確かにそう云ったと申します。いわば水かけ論で、こちちではあくまでも知らないと突き放してしまえば、まあそれまでのようなものでございますが、なにぶんにも世間の外聞もございますので、手前共が気を痛めて居ります」
「お察し申します」と、半七はうなずいた。「そりゃあお困りでしょう」
「勿論、手前方でも相当のとむらい料を遣《つか》わすつもりで居りますが、どうもその、相手方の申し条が法外でございまして、どうしても三百両よこせ、さもなければ、お此さんを下手人《げしゅにん》に訴えると申すのでございます。それもお此さんが確かに殺したものならば、百両が千両でも素直に出しますが、今申す通りの水かけ論で、こちらから疑えば……まあ強請《ゆすり》とも、云いがかりとも、思われないこともございません。主人に代って、手前が対談いたしまして、まず十五両か二十両で句切ろうと存じたのでございますが、相手がどうしても承知いたしません。とどの詰りが当座のとむらい料と申し、三両だけ受け取りまして、いずれ葬式《とむらい》のすみ次第あらためて掛け合いにくると云って帰りましたが、親分さん、これはどうしたものでございましょう」
山城屋も相当の身代《しんだい》ではあるが、三百両といえば大金である。まして因縁をつけられて、なんの仔細もなしに其の大金を絞り取られるのは迷惑であろう。利兵衛がどうしたものであろうと相談をかけるのも、所詮は半七の力をかりて、なんとか相手をおさえ付けて貰いたい下心《したごころ》であることはよく判っていた。役目の威光を嵩《かさ》にきて、金銭上の問題にかかり合うのは、自分の最も嫌うところであるので、唯それだけの相談ならば、半七はなんとか云って断わってしまいたいと思ったが、悲惨の死を遂げた徳次郎という小僧の遺言が嘘かほんとか、又その兄の徳蔵のうしろには誰か糸をあやつっている者があるかないか、それらの秘密を探り出してみたいという念もあったので、彼はしばらく考えた後に利兵衛に訊《き》いた。
「番頭さん。一体あのお此さんという子は、なぜいつまでも独りでいるんですね。いい子だけれども、惜しいことにちっと薹《とう》が立ってしまいましたね」
「そうでございますよ」
利兵衛も顔をしかめていた。
二
番頭の説明によると、世間の噂はみな根も葉もないことで、山城屋の娘は単に不運というに過ぎないのであった。
お此はひとり娘であるので、幼い時から親類の男の児を貰って、ゆくゆくは二人を一緒にする心組みであった。ところが、その男の児はある年の夏、大川へ泳ぎに行って溺死した。それはその児が十四で、お此が十一の年の出来事であったが、それが不運のはじまりで、その後お此と婚礼の約束をしたものは、まだ結納《ゆいのう》の取りかわせも済まないうちに、どれもみな変死を遂げたのである。それが最初から数えると四人で、しかも最後の男は十九の年に乱心して、自分の家の物置で首をくくって死んだ。こういう不思議な廻りあわせがお此を縁遠くしてしまったので、ほかには何の仔細もない。しかし世間の口はうるさいもので、それらの事情を知っているものはお此には一種の祟《たた》りがあると云い、事情を知らないものはお此が轆轤首《ろくろくび》であるとか、行燈《あんどん》の油をなめるとか云い触らすので、さなきだに縁遠い彼女をいよいよと廃《すた》りものにしてしまったのである。
そのなかでも最も多数の人に信じられているのは、彼女が弁天様の申し子であるという説で、弁天娘のあだ名はそれから作られたのであった。山城屋の夫婦はいつまでも子のないのを悲しんで、近所の不忍《しのばず》の弁天堂に三七日《さんしちにち》のあいだ日参《にっさん》して、初めて儲けたのがお此であった。弁天様から授けられた子であるから、やはり弁天様と同じようにいつまでも独り身でいなければならない。それが男を求めようとするために、弁天様の嫉妬の怒りに触れて、相手の男はことごとく亡ぼされてしまうのであるというので、弁天娘の美しそうな異名《いみょう》も彼女に取っては恐ろしい呪《のろ》いの名であった。
よもやとそれを打ち消す人たちも、お此が弁天様の申し子であるという事実を否認するわけには行かなかった。で、弁天堂へ日参をはじめてから、山城屋の女房が懐胎してお此をうみ落したのは事実であると、利兵衛は云った。
「なにしろ困ったものでございます」と、彼は語り終って溜息をついた。「香花《こうはな》茶の湯から琴三味線の遊芸まで、みな一と通りは心得ていますし、容貌《きりょう》はよし、生まれ付きおとなしく、まず申し分はないのでございますが、右の一件でどうにもなりません。明けてもう二十七になります。ひとり娘ではあり、そういう訳でございますから、親たちもひとしお不憫《ふびん》が加わりまして、それはそれは大切に可愛がっているのでございます。それでも当人は人出入りの多い店の方にいるのを忌《いや》がりまして、この頃では裏の隠居所の方に引っ込んで、今年八十一になります女隠居と二人で暮らしております」
「その隠居所には、隠居さんと娘のほかに誰もいないんですか」と、半七は訊いた。
「三度のたべものは店の方から運ばせますが、ほかに小女《こおんな》を一人やってございます。それはお熊と申しまして、まだ十五の山出しで、いっこうに役にも立ちません」
「隠居さんも、八十一とは随分長命ですね」
「はい。めでたい方でございます。しかし何分にも年でございますから、この頃は耳も眼もうとくなりまして、耳の方はつんぼう同様でございます」
「そうでしょうね」
役に立たない小女と、眼も耳もうとい隠居婆さんと、縁遠い容貌よしの娘と、この三人を組みあわせて、半七はなにか考えていたが、やがてしずかに云い出した。
「なにしろ困ったことだ。そのままにしても置かれますまいから、まあ何とかしてみましょう。そこで、娘は無論そのことを知っているんでしょうね」
「徳次郎の死んだことは知って居りますが、それについて兄が掛け合いにまいりましたことは、まだ当人の耳へは入れてございません。たとい嘘にもしろ、自分が殺したなぞと云われたことが当人に聞えましては、どうもよくあるまいと存じまして、まだ何も聞かさないように致して居ります」
「判りました。じゃあ、まあその積りでやってみましょう。だが、番頭さん。隠居所の方へは誰か気の利《き》いた者をもう一人やっておく方がようござんすね」
「そうでございましょうか」
「その方が無事でしょうよ」
「はい」と、利兵衛はなんだか呑み込めないような顔をしてうなずいた。「では、なにぶん宜しくねがいます」
「つまりお此さんが確かに小僧を殺したか殺さないかが判ればいいんでしょう。それさえ判れば水かけ論じゃあねえ、こっちが立派に云い開きが出来るんですから、金のことなぞはどうとも話が付くでしょう」
「さようでございます。やっぱり御相談をねがいに出てよろしゅうございました。では、くれぐれもお願い申します」
律儀《りちぎ》一方の利兵衛はくり返して頼んで帰った。こうなると、三社祭りなどは二の次にして、半七はまず山城屋の問題を研究しなければならなかった。徳次郎という小僧は果たして山城屋の娘に殺されたのか。あるいは誰かその兄貴の尻押しをして、山城屋に対して根もない云いがかりをしたのか。半七は午飯を食いながらいろいろに考えた。
「山城屋さんに面倒なことでも出来たんですか」と、女房のお仙は膳を引きながら訊いた。
「むむ。だが、大してむずかしいこともあるめえ。おれはこれから玄庵さんのところへ行ってくるから、着物を出してくれ」
箸をおくと、すぐに着物を着かえて、半七は傘を持って表へ出ると、雨はまだ未練らしく涙を降らしていたが、だんだん剥《は》げてくる雲のあいだからは薄い日のひかりが柔《やわら》かに流れ出して来た。近所の屋根では雀の鳴く声もきこえた。玄庵は町内に住んでいる町医者で、半七はかねて心安くしているので、参考のためにまずそれをたずねて、口中の病気についていろいろの容態や療治法などを聞きただした上で、さらに相生町の徳蔵の家《うち》をたずねてゆくと、柳原|堤《どて》へ差しかかる頃に空はまったく明るくなって、ぬれた柳のしずくが光りながらこぼれているのも春らしかった。
両国橋を渡って本所へはいると、徳蔵の家は相生町二丁目にあった。間口は狭いが、ともかくも表店で、きょうは勿論商売を休んでいるらしかった。近所の荒物屋できくと、徳蔵はお留という女房と二人ぐらしで、徳蔵が盤台をかついで商売に出た留守は、お留が店の商いをしているのであった。亭主もよく稼ぎ、女房もかいがいしく働くので、小金は溜めているらしい。あの人達は今に身上《しんしょう》を仕出《しいだ》すであろうと、荒物屋のおかみさんは羨ましそうに話した。
徳蔵の女房は吉原の河岸店《かしみせ》の勤めあがりで、年《ねん》あきの後に、徳蔵のところへ転《ころ》げ込んで来たのである。亭主よりも四つ年上で、今年二十九になるが、商売あがりには珍らしい位にかいがいしい女で、服装《なり》にも振りにも構わずに朝から晩までよく動く。徳さんは良いおかみさんを持って仕合わせだと、これも近所に羨まれているとのことであった。
半七は荒物屋を出て、更にほかの家で訊《き》いてみたが、近所の噂はみな一致していて、誰も魚屋の夫婦を悪くいう者はなかった。それほど評判のいい徳蔵が根もないことを云いがかりにして、弟の主人の店へねじ込んで行こうとは思われなかったが、それにしても三百両という大金をねだるのは少し法外であると半七は思った。勿論、人の命に相場はない、千両万両といわれても仕方がないのであるが、それほど正直者の徳蔵が自分の方から金高を切り出して強請《ゆすり》がましいことを云いかけるのがどうも呑み込めないように思われてならなかった。
この上は正面から魚屋へ押し掛けて、徳蔵夫婦の様子を探るよりほかは無いと思ったので、半七はそこらの紙屋へ寄って、黒い水引《みずひき》と紙とを買って香奠《こうでん》の包みをこしらえた。それをふところにして徳蔵の店へゆくと、狭い家のなかには近所の人らしいのが五、六人つめ掛けていて、線香の匂いが家じゅうにただよっていた。
「ごめんなさい」
声をかけると、一人の女が起って来た。三十に近い、色の蒼白《あおじろ》い、痩せぎすの女房で、それがお留であるらしいことを半七はすぐに看《み》て取った。
「こちらは魚屋の徳蔵さんでございますか」
「はい」と、女は丁寧に答えた。
「御亭主はお内ですか」
「やどは唯今出ましてございます」
「左様でございますか」と、半七は躊躇しながら云い出した。「実はわたくしは外神田の山城屋さんの町内にいるものでございますが、うけたまわればこちらの徳次郎さんはどうも飛んだことで……。わたくしも御近所で、徳次郎さんとはふだんから御懇意にいたして居りましたので、ちょっとお線香あげに出ました」
「それは、それは、ありがとうございます。穢《きたな》いところでございますが、どうぞこちらへ……」
女はちょっと眼をふきながら、半七を内へ招じ入れた。どこで借りて来たのか、小綺麗な枕屏風《まくらびょうぶ》が北に立てまわされて、そこには徳次郎の死骸が横たえてあった。半七は式《かた》の通りに線香をささげ、香奠を供えて、それから死骸の枕もとへ這いよった。顔にかけてある手拭を少しまくって、かれはその死に顔をちょっと覗いて、隅の方へ引きさがると、お留は茶を持って来て、ふたたび丁寧に会釈《えしゃく》した。
「おなじみ甲斐にどうもありがとうございました。仏もさぞ喜ぶでございましょう」
「失礼ですが、おまえさんはこちらのおかみさんですかえ」
「はい。徳次郎の嫂《あね》でございます」と、彼女は眼をしばたたいていた。「徳蔵もほかにこれという身寄りも無し、あれ一人をたよりにしていたのでございます」
「かえすがえすも飛んだことで、実にお察し申します」
半七は繰り返して悔みを述べて、それからだんだん訊き出すと、徳次郎は九つの春から山城屋へ奉公に出て、今年で足かけ八年になる。年の割には利巧で、児柄《こがら》もいい。ことしの正月の藪入りに出て来た時に、となりの足袋屋のおかみさんが彼を見て、徳ちゃんは芝居に出る久松《ひさまつ》のようだと云ったら、かれは黙って真っ紅な顔をしていた。そんなことも今では悲しい思い出の一つであると、お留はしみじみ云った。
何分にもほかに幾人も坐っているので、半七はその以上に斬り込んで訊くことも出来なかった。おとむらいはと訊くと、きょうの七ツ(午後四時)に深川の寺へ送るのだとお留は答えた。七ツといえばもう間もないのであるから、いっそここに居坐っていたら、そのうちに徳蔵も帰るであろうし、寺まで付いて行ったら又なにかの手がかりを見つけ出さないとも限らないと思ったので、半七は自分も見送りをすると云って、そのままそこに控えていると、やがて一人の若い男が帰って来た。小ぶとりに肥った実体《じってい》そうな男で、お留やほかの人達の挨拶ぶりを見ても、それが徳蔵であることはすぐに判った。そのあとから山城屋の番頭の利兵衛と一人の小僧が付いて来た。
利兵衛は主人の名代《みょうだい》に見送りに来たと云った。小僧の音吉は奉公人一同の名代であると云った。お留に引きあわされて、半七は徳蔵に挨拶したが、利兵衛は半七に挨拶していいか悪いか迷っているらしいので、半七の方から声をかけて、単に近所の知り合いのように跋《ばつ》をあわせてしまった。そのうちに葬式《とむらい》の時刻もだんだん近づいて、町内の人らしいのが更に七、八人も詰めかけて来たので、せまい家のなかはいよいよ押し合うように混雑して来た。
その混雑にまぎれて、徳蔵夫婦の姿がどこへか見えなくなった。
三
半七はそっと起って台所の口から覗《のぞ》くと、夫婦は裏の井戸端に立っていた。裏は案外ひろい空地になっていて、井戸のそばには夏の日よけに植えたらしく、葉のない一本の碧梧《あおぎり》が大きい枝をひろげていた。その梧の木を背中にして、お留がなにか小声で亭主と話していたが、その様子がどうも穏やかでないらしく、普通の相談事でないように見えたので、半七は半分しめ切ってある腰高の障子に身をかくして、二人の様子をしばらく窺っていると、夫婦の声は少し高くなった。
「だからおまえさんは意気地がないよ。一生に一度あることじゃないじゃないか」と、お留は罵るように云った。
「まあ、静かにしろよ」
「だってさ。あんまり口惜《くや》しいじゃあないか。こうと知ったら、わたしが行けばよかった」
「まあいいよ。人にきこえる」
徳蔵は女房をなだめながら、思わずうしろを見ると、その眼があたかも半七と出合った。そんなことに馴れている半七は、そこにある手桶の水を柄杓《ひしゃく》に汲んで飲むような振りをして、早々に元のところへ帰って来た。夫婦もやがて帰って来たが、お留の顔色は前より悪かった。ときどき嶮《けわ》しい目をして忌々《いまいま》しそうに利兵衛を睨んでいるのが半七の注意をひいた。
やがて葬式が出る時刻になって、三十人ほどの見送り人が早桶について行った。それでも天気になって徳ちゃんは後生《ごしょう》がいいなどと云うものもあった。弟の葬式ではあるが、なにかの世話を焼くために徳蔵も一緒に出て行った。お留は門送《かどおく》りだけで家に残っていた。
雨は晴れたが、本所あたりの路は悪かった。そのぬかるみを渡りながら、半七はわざと後《あと》の方に引き下がって利兵衛と並んで歩いた。
「徳蔵は又お店へ行ったんですかえ」と、半七は歩きながらそっと訊いた。
「また押し掛けて来て困りました」
徳蔵は三両のとむらい金を貰って一旦帰ったのであるが、午《ひる》すぎになって又出直して来て、どうでも葬式を出すまえにこの一件の埒《らち》をあけてくれと迫った。自分の家の宗旨《しゅうし》は火葬であるから、死骸を焼いてしまえば何も証拠が残らないことになる。どうしても死骸を寝かしている間になんとか決めてくれないでは困るというのであった。山城屋でも持て余して、半七の家へ使をやると、彼はもう出てしまったあとなので、どうすることも出来なかった。何やかやと捫着《もんちゃく》しているうちに、徳蔵の声はだんだん大きくなるので、山城屋の主人も我《が》を折って、かれの要求する三百両に対して百両を提供して、この以上はどうしても肯《き》くことはならない、これで不承知ならどうともしろと云い渡すと、徳蔵の方でも我《が》を折って、とうとうそれで納得することになった。かれは百両の金と引き換えに弟の死骸をひき取ることについて何の苦情はないという、後日《ごにち》のために一札を書かされた。
その話を聴いて、半七はうなずいた。
「ああ、そうでしたか。だが、まあ、それで無事に納まれば結構でしょう。なにしろ、こんなことの出来《しゅったい》したのがお互いの災難ですからね」
「どうも仕方がございますまい」と、利兵衛はまだあきらめ切れないように云った。
「そこで、つかんことを訊くようですが、お此さんは針仕事をしますかえ」
「はい。針仕事は上手《じょうず》でございまして、それになんにも用がないもんですから、隠居所の方で毎日なにか仕事をして居ります」
半七はかんがえながら又訊いた。
「わたしは知りませんが、裏の隠居所というのは広いんですかえ」
「いえ、それほど広くもございません。女中部屋ともで六間《むま》ばかりで、隠居はたいてい奥の四畳半の部屋に閉じ籠っております」
「娘は……針仕事をするんじゃあ明るいところにいるんでしょうね」
「南向きの横六畳で、まえが庭になっております。そこが日あたりがいいもんですから、いつもそこで仕事をしているようでございます」
「店の方から庭づたいに行けますか」
「木戸がありまして、そこから隠居所の庭へはいれるようになって居ります」
「なるほど」と、半七は思わずほほえんだ「それから其の隠居所の、お此さんのいる六畳の部屋で、近い頃に障子の切り貼《ば》りでもしたことはありませんかえ」
「さあ」と、利兵衛はすこし考えていた。「隠居所の方のことはくわしく存じませんが、そう云えば何でもこの月はじめに、隠居所の障子を猫が破いたとか云って、小僧が切り貼りに行ったことがあったようでした。併しそれはお此さんの部屋でしたか、どうでしたか。おい、おい、音吉」
二、三間も先に立ってゆく小僧を呼び戻して、利兵衛は訊いた。
「このあいだ隠居所の障子を切り貼りに行ったのは、お前じゃなかったか」
「わたくしです」と、小僧は答えた。「お此さんがいつも仕事をしている六畳の障子です。なんでも猫がいたずらをしたとかいうことで、下から三、四段目の小間《こま》が一枚やぶけていました」
「いつ頃だか、その日をたしかに覚えていないかえ」と、半七は訊いた。
「おぼえています。お節句の日でした」
半七はまたほほえんだ。それぎりで三人は黙ってあるいた。
そのうちに深川の寺へゆき着いたが、葬式は極めて簡単なものであった。山城屋から三両という送葬《とむらい》料を取って置きながら、こんな投げ込み同様のことをするとは随分ひどいやつだと半七は思った。葬列の着くまえに近所の者が二、三人先廻りをしていて、徳蔵に手伝って何かの世話をやいていたが、そのなかの一人が半七を見て丁寧に挨拶した。
「やあ、神田の親分。おまえさんも見送りに来て下すったのですかえ。路の悪いのにどうも恐れ入りました」
それは浅草に住んでいる伝介という男であった。三十二三の小作りの男で、表向きの商売は刻み煙草の荷をかついで、諸屋敷の勤番部屋や諸方の寺々などへ売りあるいているのであるが、それはほんの世間の手前で、実は小《こ》博奕《ばくち》などを打っている無頼漢《ならずもの》であることを半七は知っていた。堅気《かたぎ》に見せかけても何となくうしろ暗いところがあるので、彼は半七にむかっては特別に腰を低くして、しきりに如才なく挨拶していた。飛んだところで忌《いや》な奴に逢ったとは思いながら、半七はまずいい加減にあしらっていると、伝介は茶を汲んで来て小声で訊いた。
「親分も徳蔵の家《うち》を御存じなんですかえ」
「いや、兄貴は知らねえが、弟の方は山城屋さんにいる時から知っているので、きょうは見送りに来たのさ。なにしろ若けえのに可哀そうなことをしたよ」
「そうでございますよ」と、伝介はなんだか腑《ふ》に落ちないような顔をしていた。
「おまえもこうして働いているようじゃあ、徳蔵とよっぽど心安くしていると見えるな」
「ええ。ときどき遊びに行くもんですから」と、伝介はあいまいな返事をしていた。
葬式が済んで寺の門を出ると、この頃の春の日はもう暮れかかっていた。帰るときに会葬者は式《かた》の通りの塩釜をめいめいに貰ったが、持って帰るのも邪魔になるので、半七はその菓子を山城屋の小僧にやった。そうして、そばにいた利兵衛にささやいた。
「番頭さん。済みませんが、少しお話し申したいことがありますから、小僧さんだけを先に帰して、おまえさんはちょいと其処らまで一緒に来て下さいませんか」
「はい、はい」
云われた通りに小僧を帰して、利兵衛は素直に半七のあとに付いてくると、半七はかれを富岡門前の或る鰻屋へ連れ込んだ。ここでは半七の顔を識っているので、丁寧に案内して奥の静かな座敷へ通した。半七も利兵衛も下戸《げこ》であったが、それでもまず一と口飲むことにして、猪口《ちょこ》を二、三度やり取りした後に、酌の女中を遠ざけて、半七は小声で云い出した。
「さっきも云う通り、徳次郎の一件はまあ百両で内済になって結構でしたよ」
「そうでございましょうか」
「後日に苦情のないという一札をこっちへ取って置いて、死骸は今夜火葬になってしまえば、もう何もいざこざは残りませんからね。まあ、おお出来と云っていいでしょう。旦那にもよくそう云ってください。そうして、くどいようだが、当分は隠居所の方へ気のきいた者をやって、娘のからだに間違いのないように気をつけるんですね」
「そう致しますと……」と、利兵衛はひたいに深い皺をよせた。「やっぱり何かお此さんにかかり合いがあるんでございましょうか」
「ありそうですね」と、半七はまじめに云った。「ほかの事と違って、もう詮議のしようがありませんよ。娘をつかまえて吟味をするのはよくないでしょう」
この事件は頗るあいまいで、たしかな急所をつかむのは困難であるが、半七の鑑定はまずこういうのであった。今まで口を利くことの出来なかった徳次郎が、死にぎわにどうして話したか知らないが、かれがお此に殺されたというのはどうも事実であるらしい。芝居でする久松《ひさまつ》のような美しい小僧は、二十六七になるまで一人寂しく暮している美しい娘と、主従以外の深い親しみをもっていたのではあるまいか。そうして、ほんの詰まらないいたずらが彼を恐ろしい死に導いたのではあるまいか。お此が針仕事をしている部屋が庭にむかっているのと、その庭へは店の方から木戸をあけて出入りが出来るという事実から想像すると、徳次郎はいつもその木戸口から隠居所へ忍び込んでいたらしい。隠居は八十を越して耳も眼もうとく、小女はいっこう役に立たないので、その秘密を誰もさとらなかったのであろう。そのうちに恐るべき宵節句の日が来た。
その日、お此はいつものように六畳の部屋で針仕事をしていると、徳次郎も店の隙を見ていつものように忍んで来た。或いは使にゆく振りをして出て来たのかも知れない。かれは抜き足をして庭口から縁先へ忍び寄って、おそらく咳払いくらいの合図をしたであろうが、内には見す見すお此の坐っている気配がしていながら、わざと焦《じ》らすように返事をしなかったので、彼は縁側へ這いあがって、閉め切ってある障子の紙を舌の先で嘗《な》めて破って、その穴から内を覗《のぞ》こうとした。それは子供のよくするいたずらである。ませているようでもまだ十六の彼は、冗談半分にこうして障子の紙をやぶった時に、内からそれを見ていたお此は、これも冗談半分に、自分の持っている縫い針でその舌の先をちょいと突いた。勿論、軽く突いたのであろうが、時のはずみで針のさきが案外に深く透《とお》ったので、内でも外でもおどろいた。しかし元来が秘密の事件であるから、徳次郎は思い切って声を立てることも出来なかった。
それでも針のさきで突いたのであるから、たとい一時の痛みを感じても、それが恐ろしい大事になろうとは、本人もお此も更に思い付かなかった。なにか血止めの薬でも塗って置いて、その場はそのままに済ませたのであるが、あいにくその針のさきには人の知らない一種の悪い毒が付いていたらしく、店へ帰ってから徳次郎の傷ついた舌のさきが俄かに強く痛み出して、遂に不運な美少年を死に誘ったのであろう。これは医者の玄庵から教えられた予備知識に、半七自身の推断を加えた結論であった。その苦しみのあいだに、彼はまったく口をきくことが出来ないのでもなかったかも知れないが、そこに秘密がひそんでいるために、彼はわざと口を閉じていたのかも知れない。宿へ下がって、いよいよ最期《さいご》の日が近づいたと自覚した時、兄や嫂《あね》にいろいろ問い迫られて、彼はとうとう、その秘密を洩らしたのかも知れない。お此さんに殺されたという一句は、おそらく彼のいつわりなき告白であろう。
お此の部屋の障子を切り貼りさせたというのも、この事実を裏書きするものである。下から三、四段目の小間といえば、あたかも彼が縁側へ這いあがって首をもたげたあたりに相当する。殊にその翌日、猫のいたずらと云って貼り換えさせた障子のやぶれは、徳次郎という白猫のいたずらの跡であろう。舌のさきで濡らして破ったのを、更に大きく引き裂いて猫の罪になすり付けるぐらいのことは、二十七八の女でなくても、思いつきそうな知恵である。こう煎じつめてみると、徳次郎の兄が山城屋へ捻《ね》じ込んで来るのも、間違ったことではないらしく思われる。勿論、一方は主人、一方は家来で、しかもそれが他愛もない冗談から起ったわざわいである以上、たとい表沙汰になったところで、お此に重いお咎めの無いのは判っているが、それからひいて徳次郎との秘密も自然暴露することになるかも知れない。さなきだに種々の噂をたてられている娘が、いよいよ瑕物《きずもの》になってしまわなければならない。山城屋の暖簾《のれん》にも疵が付かないとも云えない。また人情としても、徳次郎の遺族にそのくらいの贈り物をしてやってもよい。それが半七の意見であった。
利兵衛は息をつめて聴いていたが、やがて溜息まじりに云い出した。
「親分さん。恐れ入りました。そう仰しゃられると、わたくしの方にも少し思いあたることがございます」
四
「なにか心当りがありますかえ」
半七は利兵衛の暗い顔をのぞきながら訊くと、今度は彼の語る番になった。
「実は去年の冬でございました。隠居が風邪《かぜ》をひいて半月ばかり臥せっていたことがございます。その看病に手が足りないので、店の方から小僧を一人よこしてくれと云うことでしたから、あの音吉をやりましたところが、あれは横着でいけないというので一日で帰されまして、その代りに徳次郎をやりますと、今度は大層お此さんの気に入りまして、病人の起きるまで隠居所の方に詰め切りでございました。その後もなにか隠居所の方に用があると、いつでも徳次郎をよこせと云うことでしたが、前のことがありますので別に不思議にも思っていませんでした。正月の藪入りの時にも、お此さんから別にいくらか小遣《こづか》いをやったようでした。それからこの二月の初め頃でございました。夜なかに庭口の雨戸を毎晩ゆすぶる者があるといって、小女のお熊が怖がりますので、店の方でも心配してお此さんに訊いてみますと、それはお熊がなにか寝ぼけたので、そんなことはちっとも無いと堅く云い切りましたから、こちらでも安心してその儘にいたしてしまいましたが、今となってそれやこれやを思いあわせますと、なるほどお前さんの御鑑定が間違いのないところでございましょう。まったく恐れ入りました。手前どもがそばに居りながら、商売にかまけて一向その辺のことに心づきませんで、まことに面目次第もないことでございます。そこで、親分さん。このことは主人にだけは内々で話して置く方がよろしゅうございましょうね」
「旦那にだけは打ち明けて置く方がいいでしょう。又あとのこともありますからね」
「大きに左様でございます。どうもいろいろありがとうございました」
ここの勘定《かんじょう》は利兵衛が払うというのを無理にことわって、半七は連れ立って表へ出ると、雨あがりの春の宵はあたたかい靄《もや》につつまれていた。ちっとばかりの酒の酔いに薄ら眠くなって、もうお祭りでもないと思ったが、どうしても顔出しをしなければ義理の悪いところがあるので、遅くもこれからちょっと廻って来ようと、半七はここで利兵衛と別れた。
浅草の並木で一軒、広小路で一軒、ゆくさきざきで祭りの酒をしいられて、下戸《げこ》の半七はいよいよ酔い潰れたので、広小路から駕籠を頼んで貰って、その晩の四ツ(午後十時)過ぎに神田の家へ帰った。帰ると、すぐに寝床へころげ込んで、あしたの朝まで正体も無しに寝てしまった。
眼のさめたのは五ツ頃(午前八時)で、あさ日はうららかに窓から覗いていた。まぶしい眼をこすりながら、枕もとの煙草盆を引きよせて一服すっていると、その寝込みを襲って来たのは子分の善八であった。
「親分、知っていますかえ。いや、この体《てい》たらくじゃあ、まだ知んなさるめえ。ゆうべ本所で人殺しがありました」
「本所はどこだ。吉良の屋敷じゃあるめえ」
「わるく洒落《しゃれ》ちゃあいけねえ。相生町の二丁目の魚屋だ」
「相生町の魚屋……。徳蔵か」
「よく知っていなさるね」と、善八は眼を丸くした。「夢でも見なすったかえ」
「むむ。きのう浅草のお祭りへ行って、よく拝んで来たので、三社様が夢枕に立ってお告げがあった。下手人《げしゅにん》はまだ判らねえか。嬶《かかあ》はどうしている」
「かかあは無事です。きのうの夕方、弟のとむれえを出して、家《うち》じゅうががっかりして寝込んでいるところへはいって来て、あつまっている香奠を引っさらって行こうとした奴を、徳蔵が眼をさまして取っ捉《つか》まえようとすると、そいつが店にある鰺《あじ》切りで徳蔵の額《ひたい》と胸とを突いて逃てしまったんだそうです。嬶が泣き声をあげて近所の者を呼んだんですが、もう間にあわねえ。相手は逃げる、徳蔵は死ぬという始末で大騒ぎだから、ともかくも親分の耳に入れて置こうと思ってね」
「そうか。もう検視は済んだろうな。そこで、下手人の当りはあるのか」
「どうも判らねえようです」と、善八は云った。「なにしろ嬶はとりみだして、気ちがいのように泣いているばかりだから、何がなんだかちっとも判らねえようですよ」
「泣くのは上手だろうよ。女郎上がりだからな」と、半七はあざ笑った。「ところで善ぱ。おめえはこれから鳥越《とりごえ》へ行って、煙草屋の伝介はどうしているか、見て来てくれ」
「あいつを何か調べるんですかえ」
「ただその様子を何げなしに見て来りゃあいいんだ。まご付いて気取《けど》られるなよ」
「ようがす。すぐに行って来ます」
「しっかり頼むぜ」
善八を出してやって、半七はすぐに本所へ行った。きのうは弟の葬式《とむらい》を出して、きょうはまた兄貴の死骸が横たわっているのであるから、近所の人たちは呆《あき》れた顔をして騒いでいた。表にも大勢の人が立って店をのぞいていた。その混雑をかき分けて店へはいると、女房のお留は町内の自身番へ呼び出されたままで、まだ帰されて来なかった。きのうの葬式で近所の人とも顔なじみになっているので、半七はそこらにいる人達から徳蔵の死について何か手がかりを聞き出そうとしたが、どの人もただ呆気《あっけ》にとられているばかりで、何がなにやらよく判らなかった。
一番先にこの騒動を聞きつけたのは、隣りの小さい足袋屋の亭主であった。魚屋の家でなにかどたばたするのを不思議に思って、寝衣《ねまき》のままで表へ飛び出して、となりの店の戸をひらくと、内では「泥坊、泥坊」という女房の叫び声がきこえたので、亭主はおどろいて、これも表で「泥坊、どろぼう」と呶鳴った。この騒ぎで近所の者もおいおい駈け付けたが、賊は徳蔵を殺して裏口から逃げてしまったのである。徳蔵は他人《ひと》から恨みをうけるような男でないから、これはおそらく香奠めあての物取りで、徳蔵が手向いをした為にこんな大事になったのであろうと、足袋屋の亭主は云った。ほかの人たちの意見も大抵それに一致していた。
半七は店口に腰をかけてしばらく待っていたが、お留はなかなか帰って来なかった。この間に半七は油断なくそこらを見まわすと、きのうもきょうも商売を休んでいるので、店の流しは乾いていた。盤台も片隅に積んであった。その盤台のかげの方に大きい蠑螺《さざえ》や赤貝の殻《から》が幾つもころがっているのが、彼の眼についた。なかなか大きい貝だと思いながら、彼は立ち寄ってその一つ二つを手に把ってみると、貝はいずれも殻ばかりで、その中の最も大きい蠑螺はうつ伏せになっていた。その蠑螺の尻をつかんで引っ立てようとすると、それはひどく重かった。横にころがして貝のなかを覗くと、奥にはなにか紙のようなものが押し込んであるらしいので、すぐに抽《ひ》き出してあらためると、それはたしかに百両包みであった。つつみ紙には血のついた指のあとが残っていた。
あたりの人たちに覚《さと》られないように、半七はその百両包みをふところに忍ばせた。まだほかに何か新しい発見はないかと見まわしているところへ、表から彼《か》の伝介がふらりとはいって来た。商売にまわる途中と見えて、きょうは煙草の荷を背負っていた。かれは半七の顔を見て、さらに内の様子を見て、すこし躊躇しているらしかった。
「お早うございます。きのうは御苦労さまでございます」と、彼は半七に挨拶した。「きょうもなんだか取り込んでいるようですね」
「むむ。大取り込みだ。徳蔵はゆうべ殺された」
「へええ」と、伝介は口をあいたままで突っ立っていた。
「ところで、おめえに少し訊きてえことがある。ちょいと裏へまわってくれ」
おとなしく付いて来る伝介を導いて、半七は横手の露地から裏手の井戸端へまわった。
「もうここまでお話をすれば、大抵お判りでしょう」と、半七老人は云った。「伝介はお留が吉原にいた頃からの馴染《なじみ》で、年《ねん》があけても自分の方へ引き取るほどの力もないので、相談ずくで徳蔵の家《うち》へ転げ込ませて、自分もそこへ出這入りしていたんですが、よほど上手に逢い曳きをやっていたとみえて、亭主は勿論、近所の者も気がつかなかったんです。ところで、不思議なことには、そのお留という女は勤めあがりで、おまけにそんな不埒《ふらち》を働いている奴にも似あわず、おそろしくかいがいしい女で、働くにはよく働くんです。世間体をごまかす為ばかりでなく、まったく服装《なり》にも振りにも構わずに働いて、一生懸命に金をためる。色男の伝介には何一つ貢《みつ》いでやったことは無かったそうです。つまり吝嗇《けち》なんでしょうね」
「そうすると、山城屋へ因縁《いんねん》を付けさせたのも、みんな女房の指尺《さしがね》なんですね」と、私は云った。
「無論そうです。亭主をけしかけて三百両まき上げさせようとしたのを、徳蔵が百両で折り合って来たもんですから、ひどく口惜しがって毒づいたんですが、もう仕方がありません。まあ泣き寝入りで、いよいよ葬式《とむらい》を出すことになってしまったんです」
「じゃあ、亭主を殺して、その百両を持って伝介と夫婦になるつもりだったんですね」
「と、まあ誰でも思いましょう」と、老人はほほえんだ。「わたくしも最初はそう思っていたんですが、伝介をしめ上げてとうとう白状させると、それが少し違っているんです。伝介はたしかにお留と関係していましたが、今もいう通り、何一つ貢いで貰うどころか、あべこべに何とか彼《か》とか名をつけて、幾らかずつお留に絞り取られていたんだそうです。そんなわけですから、今度の亭主殺しもお留の一存で、伝介はなんにも係り合いのないことがわかりました」
「なるほど、それは少し案外でしたね」
「案外でしたよ。それならお留がなぜ亭主を殺したかというと、山城屋から受け取った百両の金が欲しかったからです。亭主のものは女房の物で、どっちがどうでもよさそうなものですが、そこがお留の変ったところで、どうしてもその金を自分の物にしたかったんです。それでも初めからさすがに亭主を殺す料簡はなく、亭主の寝息をうかがってそっと盗み出して、台所の床下へかくして置いて、よそから泥坊がはいったように誤魔化すつもりだったのを、徳蔵に見つけられてしまったんです。それでも女房がすぐにあやまれば、又なんとか無事に納まったんでしょうが、お留は一旦自分の手につかんだ金をどうしても放したくないので、いきなり店にある鰺切り庖丁を持ち出して、半分は夢中で亭主を二カ所も斬ってしまった。いや、実におそろしい奴で、こんな女に出逢ってはたまりません」
「それでもお留は素直《すなお》に白状したんですね」
「自身番から帰って来たところをつかまえて詮議すると、初めは勿論≪しら≫を切っていましたが、蠑螺の殻と金包みとをつきつけられて、一も二もなく恐れ入りました。よそからはいった賊ならば、その金を持って逃げる筈。わざわざ貝殻なんぞへ押し込んで行くわけがありません。おまけに包み紙に残っている指のあとが、お留の指とぴったり合っているんですから、動きが取れません。亭主を殺したどたばた騒ぎで、隣りの足袋屋が起きて来たので、お留は手に持っているその金の隠し場に困って、店の貝殻へあわてて押し込んだのが運の尽きでした。当人の白状によると、徳蔵を殺したあとで一方の伝介と夫婦になる気でもなく、かねて貯えてある六、七両の金とその百両とを持って、故郷の名古屋へ帰って金貸しでもするつもりだったそうです。そうなると、色男の伝介も置き去りを食うわけで、命を取られないのが仕合わせだったかも知れませんよ。お留は無論重罪ですから、引き廻しの上、千住で磔刑《はりつけ》にかけられました」
これで魚屋の方の問題は解決したが、まだ私の気にかかっているのは山城屋の娘の一件であった。一方にこうした重罪犯を出した以上、その百両の金の出所も当然吟味されなければなるまい。ひいては山城屋の秘密も暴露されなければなるまい。それについて半七老人の説明を求めると、老人はしずかに答えた。
「山城屋は気の毒でした。折角無事に済ませたものを、この騒ぎのために何もかもバレてしまいました。お此はそれについて勿論吟味をうけることになりましたが、小僧の一件はすべてわたくしの鑑定通りで、下手人には取られずにまず事済みになりましたが、もうこうなったらいよいよ縁遠くなって、婿も嫁もあったもんじゃありません。山城屋でもあきらめて、番頭の利兵衛に因果をふくめて、無理に婿になって貰うことにしました。利兵衛もいろいろ断わったのですが、主人の方からわたくしの方へ頼んで来まして、利兵衛を或るところへ呼んで、主人は手を下げないばかりに頼み、わたくしもそばから口を添えて、どうにかまあ納得《なっとく》させたんです。娘も案外素直に承知して、とどこおりなく祝言《しゅうげん》の式もすませ、夫婦仲も至極むつまじいので、まあよかったと主人も安心し、わたくしも蔭ながら喜んでいましたが、そのあくる年に娘は死にました」
「病死ですか」と、私はすぐに訊き返した。
「いいえ、なんでも六月頃でしたろうか、ある晩そっと家《うち》をぬけ出して不忍の池へ身を投げたんです。死骸が見付からないなんていうのは嘘で、蓮《はす》のあいだに浮きあがった死骸はたしかに山城屋で引き取りました。いっそ死ぬならば、婿を取らないうちに死にそうなもんでしたが、どういうわけか判りません。弁天様の申し子はとうとう弁天様に取り返されたのだと世間では専ら噂していました。そうして、巳《み》の日の晩には池のうえで娘の姿をみたものがあるとか云っていましたが、嘘かほんとうか知りません」
[#改ページ]
山祝《やまいわ》いの夜《よ》
一
「その頃の箱根はまるで違いますよ」
半七老人は天保版の道中懐宝図鑑という小形の本をあけて見せた。
「御覧なさい。湯本でも宮の下でもみんな茅葺《かやぶき》屋根に描いてあるでしょう。それを思うと、むかしと今とはすっかり変ったもんですよ。その頃は箱根へ湯治《とうじ》に行くなんていうのは一生に一度ぐらいの仕事で、そりゃあ大変でした。いくら金のある人でも、道中がなかなか億劫《おっくう》ですからね。まあ、普通は初めの朝に品川をたって、その晩は程ケ谷か戸塚にとまって、次の日が小田原泊りというのですが、女や年寄りの足弱《あしよわ》連れだと小田原まで三日がかり。それから小田原を発《た》って箱根へのぼるというのですから、湯治もどうして楽じゃありませんでした。わたくしが二度目に箱根へ行ったのは文久二年の五月で、多吉という若い子分を一人連れて、お節句の菖蒲《しょうぶ》を軒から引いた翌《あ》くる日に江戸をたって、その晩は式《かた》の通りに戸塚に泊って、次の日の夕方に小田原の駅《しゅく》へはいりました。日の長い時分ですから、道中は楽でしたが、旧暦の五月ですから、日のうちはもう暑いのに少し弱りました。なに、こっちは湯治の何のというわけじゃないので、実は八丁堀の旦那(同心)のご新造《しんぞ》が産後ぶらぶらしていて、先月から箱根の湯本に行っているので、どうしても一度は見舞に行かなけりゃあならないような破目《はめ》になって、無けなしの路用をつかって、御用の暇をみて道中に出たわけなんです。それでも旅へ出ればのんきになって、若い奴を相手に面白くあるいて行きました。で、今も申す通り、二日目の夕方に酒匂《さかわ》の川を渡って、小田原の御城下に着いて、松屋という旅籠屋《はたごや》に草鞋《わらじ》をぬぐと、その晩に一つの事件が出来《しゅったい》したんです」
その頃の小田原と三島の駅《しゅく》は、東海道五十三次のなかでも屈指の繁昌であった。それはこの二つの駅のあいだに箱根の関を控えているからで、東から来た旅人は小田原にとまり、西から来た人は三島に泊って、あくる日に箱根八里の山越しをするというのが其の当時の習いであった。そうして、小田原を発《た》ったものは三島にとまり、三島を発った者は小田原に泊ることになるので、東海道を草鞋であるくものは、否が応でもこの二つの駅に幾らかの旅籠銭《はたごせん》を払って行かなければならなかった。関所を越える旅ではないが、半七もやはり小田原に泊って、あくる日湯本の宿《やど》をたずねて行こうと思っていた。
道草を食いながらぶらぶらあるいて来たので、二人が宿へ着いたのはもう六ツ半(午後七時)頃であった。風呂へはいって来ると、女中がすぐに膳を運び出した。半七は下戸《げこ》であるが、多吉は飲むので、二人の膳のうえには徳利が乗っていた。多吉の附き合いに二、三杯飲むと、もう半七はまっ赤になって、膳を引かせると、やがてそこへごろりと横になってしまった。
「親分、くたびれましたかえ」と、多吉は宿から借りた紅摺《べにず》りの団扇《うちわ》で、膝のあたりの蚊を追いながら云った。
「むむ。あんまり道草を食ったので、ちっとくたびれたようだ。意気地がねえ。おとどし大山《おおやま》へ登った時のような元気はねえよ」と、半七は寝ころびながら笑った。
「時に親分。わっしは先刻《さっき》ここの風呂へ行く途中で変な奴に逢いましたよ」
「誰に逢った」
「なんという奴だか知らねえんですけれど、なんでも堅気《かたぎ》の人間じゃありません。どこかで見た奴だと思うんだが、どうも思い出せないので……。なにしろ廊下で私に逢ったら、あわてて顔をそむけて行きましたから、むこうでも覚ったに相違ありません。あんな奴が泊っているようじゃあ、ちっと気をつけなけりゃあいけませんぜ」と、多吉は仔細らしくささやいた。
「まさか、胡麻《ごま》の蝿《はえ》じゃあるめえ」と、半七はまた笑った。「小博奕《こばくち》でも打つぐらいの奴なら、旅籠屋へきて別に悪いこともしねえだろう。道楽者は却って神妙なものだ」
こっちが気にも留めないので、多吉もそれぎり黙ってしまった。四ツ(午後十時)頃に床をしかせて、二人は六畳の座敷に枕をならべて寝ると、その夜なかに半七はふと目をさました。
「やい、多吉。起きろ、起きろ」
二、三度呼ばれて、多吉は寝ぼけまなこをこすった。
「親分。なんです」
「なんだか家《うち》じゅうがそうぞうしいようだ。火事か、どろぼうか、起きてみろ」
多吉は寝衣《ねまき》のままで蚊帳《かや》をくぐって出て、すぐに二階を降りて行ったが、やがて又あわただしく引っ返して来た。
「親分。やられた。人殺しだ」
半七も起き直った。多吉の話によると、裏二階に泊った駿府《すんぷ》(静岡)の商人《あきんど》の二人づれが何者にか殺されて、胴巻の金を盗まれたというのであった。一人は寝ているところを一と突きに喉を刺されたのである。そうして、その蒲団の下に入れてあった胴巻をひき出そうとする時に、となりに寝ている連れの男が眼をさましたので、これもついでに斬り付けたらしく、その男は寝床から少し這い出して、頸すじを斜めに斬られて倒れていた。
「役人が来て、もう調べています。なんでも外からはいったものじゃないらしいと云っていますから、いずれここへも調べにくるでしょう」と、多吉は云った。
「ひどいことをする奴だな」と、半七は首をかしげて考えていた。「なにしろ調べに来るまでは無暗に動いちゃあならねえ。まあ差し当ってはじっとしていろ」
「そうですね」
二人は床のうえに坐って待っていると、廊下を急いで来る足音がこの座敷のまえに止まって、だしぬけに障子をがらりとあけて這い込んで来た者があった。彼は蚊帳の外から声をかけた。
「大哥《あにい》。多吉の大哥。すまねえが助けてくれ」
「誰だ」と、多吉はうす暗い行燈《あんどう》の火で蚊帳越しに透かしてみると、それは廊下でさっき出逢った男であった。彼は二十八九で、色のあさ黒い、小じっかりとした男で、ひどくあわてたように息をはずませていた。
「わっしだ、小森の屋敷の七蔵だ。おめえにはちっと義理の悪いことがあるもんだから、さっきは知らねえ顔をして悪かった。後生《ごしょう》だ、なんとか助けてくれ」
名乗られて、多吉もようよう思い出した。かれは下谷の小森という与力の屋敷の中間で、ふだんから余り身状《みじょう》のよくない、方々の屋敷の大部屋へはいりこんで博奕《ばくち》を打つのを商売のようにしている道楽者であった。去年の暮、あるところで彼は博奕に負けて、寒空に素っ裸にされようとするところへ、ちょうど多吉が行きあわせて、可哀そうだと思って一分二朱ばかり貸してやった。七蔵はひどく喜んで、大晦日《おおみそか》までにはきっと多吉の家《うち》までとどけると固く約束して置きながら、ことしの今まで顔出しもしなかったのである。
「ちげえねえ。小森さんの屋敷の七蔵か。てめえ、渡り者のようでもねえ、あんまり世間の義理を知らねえ野郎だ」
「だから今夜はあやまっている。大哥、拝むから助けてくんねえ」
「てめえに拝み倒されるおれじゃあねえ。嫌だ、嫌だ」
多吉は強情に跳ね付けているのを聞きかねて、半七は口を出した。
「まあ、そう色気のねえことを云うなよ。そこで、七蔵さんという大哥はわたし達になんの用があるんです。わたしは神田の半七という者です」
「やあ、どうも……」と、七蔵はあらためて会釈《えしゃく》した。「親分、後生だから助けておくんなせえ」
「どうすりゃあお前さんが助かるんだ」
「実は旦那が私を手討ちにして、自分も腹を切るというんで……」
「ふむう」
これには半七もおどろかされた。どんな事情があるか知らないが、武士が家来を手討ちにして自分も腹を切る、それは容易ならないことだと思った。多吉もさすがにびっくりして、行儀の悪い膝を立て直して云った。
「まあ蚊帳《かや》へはいれ。一体そりゃあどういう理窟だ」
二
七蔵の主人の小森市之助というのは、今年まだ二十歳《はたち》の若侍であった。かれは御用の道中で、先月のはじめに江戸をたって駿府へ行った。その帰りに、ゆうべは三島の本陣へ泊ると、道楽者の七蔵は近所を見物するとか云って宿を出て、駅《しゅく》の女郎屋をさがしにゆく途中で、一人の男に声をかけられた。男は三十五六の小粋な商人風で、菅笠を手に持って小さい荷物を振り分けにかついでいた。彼は七蔵を武家の家来と知って呼び止めたのであった。
男は七蔵になれなれしく話を仕掛けた。ここの駅では何という宿がよいかなどと訊《き》いた。そのうちに男はそこらで一杯飲もうと誘った。渡り者の七蔵は大抵その意味を察したので、すぐに承知して近所の小料理屋へ一緒に行った。ずうずうしい彼は、ひとの振舞い酒を遠慮なしに鱈腹《たらふく》飲んで、もういい心持に酔った頃に、かれを誘った旅の男は小声で云った。
「時に大哥。どうでしょう。あしたはお供をさせて頂くわけには……」
男は関所の手形を持っていないのである。こういう旅人《たびびと》は小田原や三島の駅にさまよっていて、武家の家来に幾らかの賄賂《わいろ》をつかって、自分も臨時にその家来の一人に加えて貰って、無事に箱根の関を越そうというのである。勿論、手形には主人のほか家来何人としるしてあるが、荷物が多くなったので臨時に荷かつぎの人間を雇ったといえば、大抵無事に通過することを許されていた。殊に御用の道中などをする者に対しては、関所でも面倒な詮議をしなかった。この男もそれを知っていて、あしただけの供を七蔵に頼んだのであった。
大方そんなことであろうと、七蔵も最初から推量していたので、彼はその男から三分の銭《ぜに》を貰ってすぐに呑み込んで、あしたの明け六ツまでに本陣へたずねて来るように約束して、彼はその男と別れた。こういうことは武家の家来が一種の役得《やくとく》にもなっていたので、よほど厳格な主人でない限りはまず大眼《おおめ》に見逃がしておく習いになっていた。殊に七蔵の主人の市之助はまだ若年《じゃくねん》であるので、勿論そんなことは家来まかせにして置いた。
あくる朝になると、その男は約束の通りに来た。
「わたくしは喜三郎と申します。なにぶん願います」
彼は市之助のまえにも挨拶した。そうして、型ばかりの荷物をかつがせて貰って、かれは市之助主従のあとに付いて出た。彼はなかなか旅馴れているとみえて、峠へのぼる間もいろいろの道中の話などを軽口《かるくち》にしゃべって、主従の疲れを忘れさせた。市之助も彼を面白い奴だと云った。
無事に関所を越えて小田原の駅につくと、喜三郎は今夜も一緒に泊めてくれと云った。かれは主従を立場《たてば》に休ませて置いて、自分ひとりが駈けぬけて駅へはいったが、やがて又引っ返して来て、今夜は本陣にふた組の大名が泊っている。脇本陣にも一と組とまっている。そんな混雑の宿へ泊るよりも普通の旅籠屋へ泊った方が静かでよかろう。自分は松屋という宿を識っているから、そこへ御案内したいと云った。
いくら御用の道中でも、本陣に泊るのは少し窮屈である。本陣に泊っては女を呼ぶわけにもゆかない。酔って騒ぐわけにもゆかない。箱根を越せばもう江戸だと思うにつけても、窮屈な本陣の古ぼけた屋敷に押し込まれるよりも、普通の小綺麗な旅籠屋に泊って、ゆっくりと手足をのばして旨《うま》い酒でも飲みたいと七蔵は思った。すこし渋っている主人を無暗にそそり立てて、彼は喜三郎が知っているという普通の旅籠屋に泊ることに決めさせて、三人はその松屋にはいった。
「失礼でございますが、今夜はわたくしが山祝いをいたしましょう」と、喜三郎は云った。
旅人が無事に箱根を越せば、その夜の宿で山祝いをするのが当時の習いであるので、本来ならば主人の市之助から供の二人に三百文ずつの祝儀をやって、ほかに酒でも振舞うべきであった。市之助も勿論その祝儀を出した。その二人分の六百文を七蔵はみんなふところに押し込んでしまって、更に喜三郎にむかって山祝いの酒を買えと強請《いたぶ》りかけると、喜三郎は素直に承知した。
市之助はさすがに武家|気質《かたぎ》で、仮りにも供と名の付くものに酒を買わせる法はないというのを、七蔵は無理におさえつけて、万事わたくしに任せてくれと云った。主人の振舞ってくれる酒では羽目《はめ》をはずして飲むわけにはゆかないので、彼は喜三郎をいたぶって、今夜も存分に飲もうという目算《もくさん》であった。その目算通りに、喜三郎は山祝いを快く引きうけて、宿の女中に酒や肴をたくさん運ばせた。
「今夜はまずめでたいな」と、市之助は云った。
「おめでとうございます」と、供の二人も頭をさげた。
強《し》いられて市之助もすこし飲んだ。七蔵は止め度もなしに飲んだ。いい頃を見はからって、喜三郎は他愛のない七蔵を介抱して主人のまえを退がった。主人は奥の下座敷の六畳に寝て、供のふたりは次の間の四畳半の相部屋で寝た。その夜なかに喜三郎は裏二階の客二人を殺して、どこへか姿を隠したのであった。
「さては盗賊か」と、市之助はおどろいた。
七蔵も今更におどろいた。金と酒とに眼がくれて、飛んでもないものを連れて来たと、彼もさすがに顔色を変えた。
前にもいう通り、それが当時の習いとは云いながら、素姓の知れないものを供といつわって関所をぬけさせたということが、表向きの詮議になれば面倒であることは云うまでもない。煎じつめれば、これも一種の関破りである。何事もなければ仔細はないが、こういう事件が出来《しゅったい》した以上、もう隠すにも隠されない破目《はめ》になって、市之助は当然その責《せめ》を負わなければならなかった。もう一つの面倒は、御用の道中でありながら、本陣または脇本陣に泊らないで、殊更に普通の旅籠《はたご》屋にとまったということである。そうして、その旅籠屋でこんな事件を生み出したのであるから、市之助の不都合は重々であると云われても、一言の云い開きも出来ない。
年の若い市之助は、その発頭人《ほっとうにん》たる七蔵を手討ちにして、自分も腹を切ろうと覚悟を決めたのである。ゆうべの酒もすっかり醒めてしまって、七蔵はふるえあがった。
「それは御短慮でござります。まずしばらくお待ちくださりませ」
一生懸命に主人をなだめているうちに、彼は宵に廊下で出逢った多吉のことを思い出した。多吉に頼んでその盗賊を取り押えて貰ったら、又なんとか助かる工夫《くふう》もありそうなものだと、彼はすぐにこの部屋に転《ころ》げ込んで来たのであった。
その話を聴いて半七と多吉は顔をみあわせた。
「しかし旦那は立派な覚悟だ。それよりほかにしようはあるめえ。おまえさんも尋常に覚悟を決めたらどうだね」と、半七は云った。
「そんなことを云わねえで、後生《ごしょう》だから助けておくんなせえ。この通りだ」と、七蔵は両手をあわせて半七を拝んだ。根が差したる悪党でもない彼は、もうこうなると生きている顔色《がんしょく》はなかった。
「それほど命が惜しけりゃあ仕方がねえ。おめえはこれから逃げてしまえ」
「逃げてもようがすかえ」
「おめえがいなければ旦那を助ける工夫もある。すぐに逃げなせえ。これは少しだが路用の足しだ」
半七は蒲団《ふとん》の下から紙入れを出して、二分金を二枚ほうってやった。そうして、自分の座敷へは戻らずに、すぐに何処へか姿をかくせと教えると、七蔵はその金をいただいて早々に出て行った。
半七は着物を着換えて、奥の下座敷へたずねて行こうとすると、階下《した》の降り口で宿の女中のうろうろしているのに逢った。
「おい。お役人衆はもうお引き揚げになったかえ」
「いいえ」と、女中はふるえながらささやいた。「皆さんはまだ帳場にいらっしゃいます」
「そうかい。下座敷に上下三人づれのお武家が泊っているだろう。その座敷はどこだえ」
「え」と、女中はためらっていた。
その様子で、半七はたいてい覚った。役人たちも市之助主従に眼をつけたのであるが、相手が武士だけに少し遠慮しているらしい。それを女中ももう薄々知っているので、その座敷へ案内するのを躊躇しているのであろう。半七は気が急《せ》くので重ねて催促した。
「え、どの座敷だ。早く教えてくんねえ」
女中は仕方なしに指さして教えた。この縁側をまっすぐに行って、左へまがると風呂場がある。その前を通って奥へゆくと、小さい中庭を隔てたふた間の座敷がそれである、と云った。
「や、ありがとう」
教えられた通りに縁側を伝ってゆくと、その座敷の前に出た。
「ごめん下さいまし」
障子の外から声をかけても、内にはなんの返事もないので、半七は障子をそっと細目にあけて覗くと、蚊帳の釣手は二本ばかり切れて落ちていた。蚊帳のなかには血だらけの男が一人倒れているらしかった。
「もう切腹したのか」
もう遠慮はしていられないので、半七は思い切って障子をあけてはいると、座敷の隅の方に片寄せてある行燈の光りはくずれかかっている蚊帳の青い波を照らして、その波の底に横たわっているのは、かの七蔵の死骸であった。まだぐずぐずしていて、とうとう手討ちに逢ったのかと思ったが、そこらに主人らしい人の影は見えなかった。主人は彼を成敗して、どこへ姿を隠したのであろう。半七は差し当って思案に迷った。
この途端に、縁側で人の窺っているような気配がきこえたので、耳のさとい半七はすぐにからだを捻じ向けて、うす暗い障子の外を透かしてみると、彼にこの座敷のありかを教えてくれた若い女中が縁側に小膝をついて、内の様子を窺っているらしかった。半七は猶予《ゆうよ》なく飛び出して、その女中の腕をつかんで座敷へぐいぐいと引き摺り込んだ。女中は二十歳ぐらいで、色白の丸顔の女であった。
「おい、おめえはここで何をしていた。正直に云わねえと為にならねえぞ。おめえはこの座敷にいた客のうちで、誰か知っている人でもあるのか。ほかの女中はみんな小さくなって引っ固まっているのに、おめえ一人はさっきから其処《そこ》らをうろうろしているのは、なにか訳があるに相違ねえ。この男を識っているのか」と、半七は蚊帳のなかに倒れている七蔵を指さして訊いた。
女中は身をすくめながら頭《かぶり》をふった。
「それじゃあ連れの男を識っているのか」
女中はやはり識らないと云った。彼女はおどおどして始終うつむき勝ちであったが、ときどきに床の間に列んだ押入れの方へその落ち着かない瞳《ひとみ》を配っているらしいのが、半七の眼についた。その頃の旅籠屋には押入れなどを作っていないのが普通であったが、この座敷は特別の造作《ぞうさく》とみえて、式《かた》ばかりの床の間もあった。それに列んで一間の押入れも付いていた。
その押入れを横眼に見て、半七はうなずいた。
三
「おい、ねえさん。隠しちゃいけねえ。おめえはどうしてもこの座敷の三人のうちに、何か係り合いがあるに相違ねえ。正直にいえばよし、さもなければお前を引き摺って行って、役人衆に引き渡すからそう思え。そうなったら、おめえばかりじゃねえ、ほかにも迷惑する人が出来るかも知れねえぜ。おめえが素直に白状してくれれば、おれが受け合って誰にも迷惑をかけねえようにしてやる。まだ判らねえか。おれは江戸の御用聞きで、今夜丁度ここへ泊りあわせたんだ。決して悪いようにしねえから何もかも云ってくれ」
半七の素姓を聞かされて、若い女中はいよいよおびえたらしく見えたが、いろいろ嚇《おど》されて、賺《すか》されて、彼女はとうとう正直に白状した。かれはお関という女で、おとどしからここに奉公している者であった。ゆうべこの座敷で山祝いの酒が出たときに、お関はその給仕に出て皆の酌をしたが、供の二人にくらべると、さすがに主人の若い武家は水際《みずぎわ》立って立派に見えたので、こっちも年の若いお関の眼は兎角にその人の方にばかり動いた。供の二人はそれを早くも見つけて、いろいろにお関をなぶった。そうして、おれ達にたのめばきっと旦那に取り持ってやるなどと云った。
その冗談がほんとうになって七蔵が便所《はばかり》に行ったのを送って行ったお関は、廊下でそっと彼に取り持ちを頼むと、酔っている七蔵は無造作に受け合って、おれから旦那にいいように吹き込んでやるから、家《うち》じゅうが寝静まった頃に忍んで来いと云った。お関はそれを真《ま》に受けて、夜ふけにそっと自分の寝床をぬけ出して行ったが、市之助の座敷のまえまで来て彼女はまた躊躇した。障子の引手に手をかけて、かれは急に恥かしくなった。まず媒妁人《なこうど》の七蔵をよび起して、今夜の首尾を確かめようと、彼女は更に次の間の障子をあけると、酔い潰れた七蔵は蚊帳から片足を出して蟒蛇《うわばみ》のような大鼾《おおいびき》をかいていた。一つの蚊帳に枕をならべている筈の喜三郎の寝床は空《から》になっていた。
いくら揺り起しても、七蔵はなかなか眼を醒まさないので、お関もほとほと持て余していると、そこへ喜三郎が外からぬっとはいって来た。彼はお関を見てひどくびっくりしたような様子で、しばらく突っ立ったままでじっと睨んでいるので、お関はいよいよきまりが悪くなって、行燈の油をさしに来たのだと誤魔かして、早々にそこを逃げ出した。
それでも未練で、彼女はまだ立ち去らずに縁側に忍んでいると、内では七蔵が眼を醒ましたらしかった。そうして、喜三郎となにかひそひそ話し合っているらしかったが、やがて再び障子がそっとあいたので、お関は碌々にその人の姿も見きわめないで、あわてて自分の部屋に逃げて帰った。裏二階の人殺しがほんとうの油差しの男に発見されたのは、それから小半刻《こはんとき》の後であった。
自分のかかり合いになるのを恐れて、お関は役人に対して何も口外しなかったが、前後の模様からかんがえると、自分が七蔵の座敷に忍びこんだときに、喜三郎は人を殺して帰って来て、七蔵となにか相談して又そこを出て、中庭から塀越しに逃げ去ったものらしく思われた。勿論、自分はその事件に何のかかり合いもないのであるが、丁度その座敷に居あわせたという不安と、もう一つは市之助の身を案じて、先刻からそこらにうろうろしているのであった。
「そうか。判った」と、半七はその話を聴いてうなずいた。「して、その武家はどうした」
「今までここにおいででしたが……」
「隠していちゃあいけねえ。ここか」と、半七は押入れを頤《あご》で示して訊いた。
その声は低かったが、隠れている人の耳にはすぐ響いたらしい。お関が返事をする間もなく、押入れの戸をさらりとあけて、若い侍が蒼ざめた顔を出した。かれは片手に刀を持っていた。
「わたしは小森市之助だ、家来を手討ちにして切腹しようとするところへ、人の足音がきこえたので、召捕られては恥辱と存じて、ひとまず押入れに身をかくしていたが、覚られては致し方がない。どうぞ情けに切腹させてくれ」
刀を取り直そうとする臂《ひじ》のあたりを、半七はあわてて掴んだ。
「御短慮でございます。まずお待ちくださいまし。この七蔵は又引っ返して参ったのでございますか」
「切腹と覚悟いたしたれば、身を浄《きよ》めようと存じて湯殿へ顔を洗いにまいって、戻ってみれば重々不埒な奴、わたしの寝床の下に手を入れて、胴巻をぬすみ出そうと致しておった。所詮助けられぬとすぐ手討ちにいたした」
七蔵の手には果たして胴巻をつかんでいた。抱き起してみると、まだ息が通っているらしいので、半七は取りあえず気付けの薬をふくませた。お関に云いつけて、冷たい水を汲んできて飲ませた。手当ての甲斐があって、七蔵はようように正気が付いた。
「やい、しっかりしろ」と、半七は彼の耳に口をよせて云った。「てめえ、おれ達までも一杯食わせようとしたな。悪い奴だ。てめえはあの喜三郎という奴から幾ら貰った」
「なんにも貰わねえ」と、七蔵は微かに云った。
「嘘をつけ。てめえは喜三郎から幾らか分け前を貰って、承知のうえ逃がしたろう。ここにいる女中が証人だ。どうだ。まだ隠すか」
七蔵は黙って首をうなだれてしまった。
「まあ、お話はそこまでですよ」と、半七老人は云った。
「七蔵も最初から喜三郎と同腹《ぐる》ではなかったのですが、お関に起されて眼をさましかかった所へ、丁度に喜三郎が仕事をして帰って来たもんですから、喜三郎も悪いところを見られたと思って、口ふさげに十五両やってそっと逃がして貰ったんです。七蔵もそれで知らん顔をしている積りだったんでしょうが、だんだん事面倒になって来て、主人が切腹するの手討ちにするのと云い出したので、奴もおどろいて私たちのところへ駈け込んで来たんです。それですぐに逃げればいいものを、自分の座敷へ荷物を取りに引っ返して来ると、主人が丁度いなかったもんですから、急にまた慾心を起して、行き掛けの駄賃に主人の胴巻まで引っさらって行こうとしたのが運の尽きで、とうとうこんなことになってしまったんです。一旦は息を吹き返しましたけれども、なにぶんにも傷が重いので、夜の引明けにはやはり眼を瞑《つむ》ってしまいました」
「それで主人はどうしました」とわたしは訊いた。
「わたくしがいいように知恵をつけて、悪いことはみんな七蔵にかぶせてしまいました。まったく当人が悪いのだから仕方がありません。つまりその喜三郎というやつが七蔵の親類だというので、主人はそれを信用して臨時の荷かつぎに雇ったのだということにこしらえて、まずどうにか無事に済みました。ふだんの時ならば、それでも主人に相当のお咎めがあるんでしょうが、なにしろもう幕末で幕府の方でも直参《じきさん》の家来を大切にする時でしたから、何事もみんな七蔵の罪になってしまって、市之助という人にはなんにも瑕《きず》がつかずに済みました」
「それで、その喜三郎という奴のゆくえは知れないんですか」と、私は又きいた。
「いや、それが不思議な因縁で、やっぱりわたくしの手にかかったんですよ。小田原の方はまずそれで済んで、わたくしは多吉をつれて箱根へ行くと、となりの温泉宿にとまっている奴がどうもおかしいと多吉が云うので、わたくしも気をつけてだんだん探ってみると、そいつは左足を挫《くじ》いているんです。念のために小田原の宿の者をよんで透き視をさせると、このあいだの晩とまった客に相違ないというので、すぐに踏み込んで召し捕りました。宿屋の塀を乗り越して逃げるときに、踏みはずして、転げ落ちて、左の足を引っ挫いたので、遠くへ逃げることが出来なくなって、その治療ながら湯本に隠れていたんだそうです。これはわたくしの手柄でもなんでもない、不意の拾い物でした。江戸へ帰ってから、小森市之助という侍はわたくしのところへ礼ながら尋ねてくれましたから、その話をして聞かせると、大層よろこんでいました。なんでもその市之助という人は、御維新のときに、奥州の白河あたりで討死にをしたとかいうことですが、小田原の宿屋で冷たい腹を切るよりも、幾年か生きのびて花々しく討死にした方がましでしたろう」
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鷹《たか》のゆくえ
一
老人とわたしと差し向いで、五月の雨のふる日曜日を小半日も語り暮した。時節柄で亀戸《かめいど》の藤の噂が出た。藤の花から藤娘の話をよび出して、それから大津絵の話に転じて、更に鷹匠《たかじょう》のはなしに移る。その話を順々に運んでいては長くなるから、前置きはいっさい略して、単に本文だけを紹介することにした。
安政六年の十月、半七があさ湯にはいっていると、子分の一人があわただしく迎えに来た。
「親分。八丁堀の旦那から急に来てくれということですぜ」
「そうか。すぐ帰る」
八丁堀から呼ばれるのは珍らしくない。しかしそれが普通の出来事であるならば、すぐにその現場へ出張を命ぜられるのが習いで、特に八丁堀の屋敷へ呼び付けられる以上、なにか秘密の用件であることは多年の経験で半七もよく承知していた。彼は早速に湯屋から飛び出して、あさ飯を食って着物を着かえる間にも、その用件がどんなことであるかを想像した。この職業の者には、一種の暗示がある。俗に、「虫が知らせる」ということが不思議に的中するためしがしばしばある。半七も黙ってそれを考えていたが、けさはどうもその判断がつかなかった。その事件の性質がなんであるか、まるで見当が付かないで、半七はなんだか落ち着かないような気持でそわそわと神田の家を出た。
八丁堀同心山崎善兵衛は彼の来るのを待ち受けて、すぐに用談に取りかかった。
「おい、半七。早速だが、また一つ御用を勤めて貰いたいことがある。働いてくれ」
「かしこまりました。して、どんな筋でございますかえ」
「ちっとむずかしい。生き物だ」
火付けも人殺しも盗賊も生き物には相違ないが、ここで特に生き物という以上、それが鳥獣か魚のたぐいを意味するのは判り切っているので、半七はすこし意外に感じた。なるほど今朝はなんの暗示もなかった筈だとも思った。彼はすぐに小声で訊《き》き返した。
「鶴でございますかえ」
江戸時代に鶴を殺せば、死罪または磔刑《はりつけ》になる。鶴殺しは重罪犯人である。生き物と聞いて、彼はすぐに鶴殺しを思いうかべたのであるが、相手はほほえみながら頭《かぶり》をふっていた。
「鶉《うずら》ですかえ」と、半七はまた訊いた。
この時代には鶉もいろいろの問題を起し易い生き物であった。善兵衛はやはり首をふって、焦《じ》らすように半七の顔を見た。
「判らねえか」
「わかりませんね」
「はは、貴様にも似合わねえ。生き物は鷹《たか》だ。お鷹だよ」
「へえ、お鷹でございますか」と、半七はうなずいた。「そのお鷹が逃げたんですか」
「むむ、逃げた。それで、御鷹匠は蒼くなっているのだ。けさ其の叔父というのが駆け込んで来て、おれにいろいろ泣き付いて行ったが、ほかの事とも違うから、打っちゃっては置かれねえ。その当人も可哀そうだ。早くなんとかしてやりたいと思うのだが……」
お鷹といえば将軍の飼い鳥である。それを逃がした鷹匠は命にかかわる椿事《ちんじ》で、かれは切腹でもしなければならない。本人は勿論、その親類どもがうろたえて騒ぐのも無理はなかった。
「そこで、そのお鷹はどこでどうして逃がしたのですかえ」と、半七は訊《き》いた。
「それが重々悪い。遊所場《ゆうしょば》で取り逃がしたのだ」
「宿《しゅく》ですね」
「そうだ。品川の丸屋という女郎屋だ」
善兵衛の説明によると、事件の顛末《てんまつ》はこうであった。鷹匠の光井金之助が、二人の同役と連れ立って、きのうの午《ひる》すぎから目黒の方角へお鷹馴らしに出た。鷹匠はその役目として、あずかりの鷹を馴らすために、時々野外へ放しに出るのである。由来、鷹匠なるものは高百俵、見習い五十俵で、決して身分の高いものではないが、将軍家の鷹をあずかっているので、「御鷹匠」と呼ばれて、その拳《こぶし》に据えているお鷹を嵩《かさ》に被《き》て、むやみに威張り散らしたものである。かれらは絵で見るように、小紋の手甲脚絆《てっこうきゃはん》草鞋穿《わらじば》きで菅笠をかぶり、片手に鷹を据えて市中を往来する。その場合にうっかり彼等にすれ違ったりすると、大切なお鷹をおどろかしたと云って、むずかしく食ってかかる。その本人はともかくも、その拳に据えているのは将軍家の鷹であるから、それに対してはどうすることも出来ないので、お鷹をおどろかしたと云いかけられた者は、大地に手をついてあやまらなければならない。万事がこういう風で、かれらはその捧げている鷹よりも鋭い眼をひからせて、江戸の市民を睨みまわして押し歩いていた。
かれらが野外へお鷹馴らしに出る場合には、多くその付近の遊女屋に一泊するのを例としていた。よし原と違って、新宿や品川には旅籠屋《はたごや》に給仕の女をおくという名義で営業しているのであるから、かれらの宿泊を拒《こば》むわけには行かない。それが一種の弱い者いじめであって、一旦かれらを宿泊させた以上は、ほかの客を取ることを許さないのである。三味線や太鼓は勿論、迂闊《うかつ》に廊下をあるいても、お鷹をおどろかしたという廉《かど》で厳しく痛め付けられるのであるから、家中《うちじゅう》の者は息を殺して鎮まり返っていなければならない。したがって、その一夜は営業停止である。どんな馴染み客が来ても断わるほかはない。それは遊女屋に取って甚だしい苦痛であるので、せいぜい彼等を優遇した上に、ある場合には幾らかの「袖の下」をも遣《つか》って、大抵のことを見逃がして貰うのである。その厄介きわまる御鷹匠三人が品川の丸屋に泊り込んだ夜に、一つの椿事が出来《しゅったい》した。
三人の鷹匠は光井金之助、倉島伊四郎、本多又作で、いずれもまだ二十一二の若い者であるので、丸屋の方でも心得ていて給仕としてお八重、お玉、お北という三人の抱妓《かかえ》を出した。そのなかで一番|容貌《きりょう》のいいお八重が金之助のそばに付いていることになった。金之助も三人の鷹匠のなかでは一番の年下で、男振りも悪くない、おとなしやかな男であった。普通の客とは違うので、女達もせいぜい注意して勤めていたが、そのなかでもお八重は特別に気をつけて若い鷹匠を歓待した。御鷹匠といえば一概に恐ろしいもののように考えていたお八重は、案外に初心《うぶ》でおとなしい金之助を憎からず思ったらしい。こうして、仲よく一夜を明かしたが、朝になって三人が帰り支度をしている間に、お八重と金之助とが何かふざけ出したらしく、女は男を打《ぶ》ったり叩いたりしてきゃっきゃっと笑った。いつもの云いがかりとは違って、それがほんとうに大切の鷹を驚かしたらしく、俄かに羽搏《はばた》きをあらくした鷹はその緒を振り切って飛び起《た》った。丸屋は宿の山側にある家《うち》で、あいにくお八重の座敷の障子が明け放されていたので、鷹はそのまま表へ飛び去ってしまった。
不意の出来事におどろかされて、二人はあれあれと云っているうちに、鳥の姿はもう見えなくなった。その騒ぎを聞きつけて伊四郎も又作もびっくりして駈けつけたが、今更どうする術《すべ》もないので、三人は顔の色を変えて、しばらくは唯ぼんやりと突っ立っていた。まして其の本人の金之助は殆ど生きている心持はなかった。それに係り合いのお八重もどんなお咎めをうけるかとふるえ上がった。
なにしろ、これは内密にして置いて、なんとかして彼《か》のお鷹を探し出すよりほかはないと、年嵩《としかさ》の伊四郎がまず云い出した。実際それよりほかには知恵も工夫もないので、二人もそれに同意して、丸屋の者にも固く口止めをして置いて、早々に千駄木のお鷹所《たかじょ》へ帰って来た。当人の金之助は勿論であるが、連れ立っていた伊四郎、又作も何等かのお咎めは免かれないので、その親類一門も俄かにうろたえ騒いで、寄りあつまっていろいろ評議の果てが、これは内密に町方《まちかた》の手を借りて詮議するのが一番近道であるらしいということに決定して、金之助の叔父の弥左衛門が取りあえず山崎善兵衛のところへ駈けつけたのであった。
この事情をくわしく話した上、善兵衛は一と息ついた。
「まあ、そんな筋道なのだが、どうだろう、何とかなるめえか。心柄とは云いながら、本人はまず切腹、連れのものも御役御免か、謹慎申し付けられるか、なにしろ大勢の難儀にもなることだ。考えてみれば可哀そうだからな」
「そうでございますよ。御鷹匠もこの頃あんまり羽《はね》を伸ばし過ぎるからね」と、半七は云った。「併しそれはまあそれにして、出来たことは何とかしてやらざあなりますまい。まったく可哀そうですからね」
「なんとかなるだろうか」
「生き物ですからね」と、半七は首をかしげていた。
おなじ生き物のうちでも飛ぶ鳥と来ては最も始末がわるい。まして鷹のような素捷《すばや》い鳥はどこへ飛んで行ってしまったか判らない。それを探し出すというのは全く困難な仕事であると、さすがの半七も胸をかかえた。
「まあ、なんとか工夫して見ましょう」
「工夫してくれ。光井金之助の叔父も涙をこぼして頼んで行ったのだからな」
「かしこまりました」
ともかくも受け合って、半七は善兵衛の屋敷を出たが、どう考えてもこれは難儀の役目であった。雲をつかむ尋ね物というが、これは空を飛ぶ尋ねものである。神田へ帰る途中も彼はいろいろに考えた。
「家《うち》へ帰ってもしようがねえ。ともかくも品川へ行って見よう」
こう思い直して、かれは更に爪先を南に向けると、この頃の空の癖で、時雨《しぐれ》を運び出しそうな薄暗い雲が彼の頭の上にひろがって来た。
二
半七は品川の丸屋へ行って、主人にも逢った。お八重にも逢った。主人はどんな飛ばっちりを食うのかとおびえているらしかったが、取り分けてお八重は真っ蒼《さお》になっていた。なにぶんにも鳥のことであるから、別に詮議のしようもなかったが、それでも一応はお八重の座敷へ通って、鷹の飛んで行った方角などを聞き定めて帰った。
丸屋の暖簾《のれん》をくぐり出て、半七はまた考えた。鳥の飛んで行ったのは目黒の方角らしい。現に金之助らも目黒へ鷹馴らしに出かけたのである。して見ると、鷹はそこらに降りたかも知れない。なにしろ念のために一応その方角を調べてみようと思い立って、彼は更に目黒の方に足を向けると、空の色はいよいよ悪くなって来た。
「降られるかな」
半七は空をみながら急いで行った。これがほかの事件ならば、それぞれに筋道を立てて、捜索の歩をすすめるのであるが、事件が事件であるだけに、半七もいわゆる行きどころばったりに探しあるくよりほかはなかった。まことに知恵のない話だとは思ったが、半七は差し当りここらの村々の名主《なぬし》をたずねて、誰か鷹を見付けたか、あるいは鷹を捕えたかを聞き合わせようとした。
庶人が鷹を飼うことは遠い昔から禁じられている。鎌倉時代、足利時代、降《くだ》って徳川時代に至っては、その禁令がいよいよ厳重になって、ひそかに鷹を飼うものは死罪、それを訴人したものには銀五十枚を賜わるということになっていた。したがってそこらの村々で鷹を見つけ、又は鷹を捕えたものは、その村名主に届け出るにきまっている。足に緒をつけている鳥であるから、あるいは遠く飛ばないでここらの村の者に捕われまいとも限らない。こう思って、半七はまず名主の宅をたずねようとしたのである。
堤を降りた川の縁《ふち》で、二人の女が真っ白な大根を洗っていた。それを見つけて、半七は声をかけた。
「もし、名主様の家《うち》はどこですね」
ふり向いたのはいずれも若い女であった。一人は頭の手拭をはずしながら答えた。
「名主様の家はこの堤をまっすぐに行って、それから右へ曲がって、大きい竹藪のある家ですよ」
「ありがとう。それから……姐《ねえ》さん達は、けさここらへ鷹の降りたという噂を聞かなかったかね」
二人の女は黙っていた。
「知らないかえ」
「知りませんね」と、初めの女が答えた。
「いや、ありがとう」
挨拶して半七は別れた。教えられたままに名主の家をたずねて、鷹のことを聞き合わせると、村じゅうで誰も見つけたものはないらしく、現に今までも届けて来たものは無いとのことであった。鷹は前にもいう通り、普通の家で飼うべきものでない。その鷹の詮議とあれば容易ならぬことと察したらしく、名主も眉をよせて訊いた。
「そのお鷹はやはり御鷹所のでございますか」
「千駄木のですよ」と、半七は正直に答えた。「しかし、これは内密に探索しなければならないのですから、おまえさんの方でもそのつもりで……。なにか心当りがありましたら、わたしのところまでこっそり知らせてください」
「承知しました」
名主によく頼んで置いて、半七はそこを出ると、空の色はいよいよ怪しくなって来た。引っ返して名主のところで傘を借りて来ようかと思ったが、それも面倒だとその儘《まま》すたすた歩き出すと、川の縁でさっきの二人の女にまた逢った。
「や、さっきはありがとう」
女たちは無言で会釈《えしゃく》して別れた。村はずれまで来かかると、時雨《しぐれ》がとうとうざっと降って来たので、半七は手拭をかぶりながら早足に急いでくると、路ばたに小さい蕎麦《そば》屋を見つけたので、彼は当座の雨やどりのつもりで、ともかくも暖簾《のれん》をくぐると、四十ばかりの女房が雑巾《ぞうきん》のような手拭で濡れ手を拭きながら出て来た。
「いらっしゃいまし。おあつらえは……」
「そうさなあ」
云いながら半七は家のなかを見まわした。この小ぎたない店付きではどうで碌なものは出来まいと思ったので、彼は当り障りのないように花巻の蕎麦を註文すると、奥から五十ばかりの亭主が出て来て、なにか世辞を云いながら釜前へまわって行った。すすけた壁をうしろにして、半七は黙って煙草をのんでいると、外の時雨はひとしきり強くなって来たらしく、往来のさびしい街道にも二、三人の駈けてゆく足音がきこえた。と思ううちに、一人の男がこの雨に追われたように駈け込んで来た。
「やあ、降る、降る。こんな雨になろうとは思わなかった」
男の菅笠からはしずくが流れていた。かれは手甲脚絆の身軽な扮装《いでたち》で、長い竹の継竿《つぎざお》を持っていたが、その竿にたくさんの鳥黐《とりもち》が付いているのを見て、それが鳥さしであることを半七はすぐに覚った。彼は時々ここへ来ると見えて、蕎麦屋の夫婦とも懇意であるらしく、たがいに馴れなれしくなにか挨拶していた。狭い店であるから、彼は半七のすぐ前に腰をおろして、濡れた笠をぬぎながら会釈した。
「悪いお天気ですね」
「そうでございます」と、半七も会釈した。「とりわけお前さん方はお困りでしょう」
「まったくですよ。黐をぬらしてしまうのでね」と、鳥さしは腰につけていた鳥籠を見返りながら云った。
「おまえさんは千駄木ですか、それとも雑司ケ谷ですかえ」
「千駄木の方ですよ」
徳川家の御鷹所は千駄木と雑司ケ谷の二カ所にある。鳥さしはそれに付属する餌取《えと》りという役で毎日市中や市外をめぐって、鷹の餌にする小雀を捕ってあるくのである。鷹のゆくえを詮議している折柄に、あたかも鳥さしに出合って、しかもそれが千駄木であるということが何かの因縁であるように思われたが、勿論、この鳥さしはお鷹紛失のことを知らないに相違ない。うっかりしたことをしゃべって善いか悪いかと、半七はしばらく躊躇していた。鳥さしはもう五十を二つも三つも越えているらしいが、背の高い、色の黒い、見るからに丈夫そうな老人であった。
鳥さしはかけ蕎麦を註文して食った。半七も自分のまえに運ばれた膳にむかって、浅草紙のような海苔《のり》をかけた蕎麦を我慢して食った。そのいかにも不味《まず》そうな食い方を横目に視て、鳥さしの老人は笑いながら云った。
「ここらの蕎麦は江戸の人の口には合いますまいよ。わたし達は御用ですからここらへも時々廻って来るので、仕方無しにこんなところへもはいりますが、それでも朝から駈けあるいて、腹が空いている時には、不思議に旨く食えますよ。ははははは」
「そうですね。江戸者は詰まらない贅沢《ぜいたく》を云っていけませんよ」
こんなところから口がほぐれて、半七と鳥さしとは打ち解けて話し出した。外の雨はまだ止まないので、二人は雨やどりの話し相手というような訳で、煙草を喫《す》いながらいろいろの世間話などをしているうちに、半七はふと思い出したように訊いた。
「おまえさんは千駄木だと仰しゃるが、御組ちゅうに光井さんという方《かた》がありますかえ」
「光井さんというのはあります。弥左衛門さんに金之助さん、どちらも無事に勤めていますよ。おまえさんは御存じかね」
「その金之助さんというお方に一度お目にかかったことがありました。まだ若い、おとなしいお方で……」と、半七はいい加減に答えた。
「はあ、おとなしい人ですよ」と、老人はうなずいた。「組中でも評判がいいので、ゆくゆくはお役付きになるかも知れません」
その金之助がまかり間違えば切腹の大事件を仕でかしていることを、鳥さしの老人は夢にも知らないらしかった。それからだんだん話して見ると、この老人は光井金之助という若い鷹匠に対してよほどの好意をもっているらしく、しきりに彼の出世を祈るような口ぶりであった。由来、鷹匠と餌取りとは密接の関係をもっている職務でありながら、その折り合いがどうもよくないもので、餌取りに褒《ほ》められる鷹匠はあまり多くない。その餌取りの老人がしきりに金之助を褒める以上、双方のあいだに特別の親しみがあるらしく察せられたので、半七はむしろこの老人を語らって自分の味方に引き入れようかとも考え付いた。
「おまえさんはけさ早くに千駄木をお出かけになりましたかえ」
「六ツ半頃に出ました」と、鳥さしの老人は答えた。
「それじゃあ光井さんのことをなんにも御存知ないんですか」と、半七は小声で云った。
「光井さんがどうかしましたか」
「これはここだけのお話ですが、光井さんはけさお鷹を逃がしたので……」
老人の顔色は俄かに変った。
「それはどこで逃がしたのです」
「品川の丸屋という家の二階で……」
「丸屋で……」と、老人はいよいよ其の顔をしかめた。
鷹を逃がした前後の事情を聞かされて、老人は太息《といき》をついていた。かれは殆ど途方に暮れたように其の首をうなだれたまま、しばらくは何にも云わなかった。その苦労の色があまりに甚だしいので、半七も少しく意外に感じた。普通の親しみというのを通り越して、この老人と若い鷹匠とのあいだには、なにか特別の関係があるのではないかと疑った。
この時に、裏口から若い女がはいって来て、ぬれた袂《たもと》や裾を釜前で乾かしていた。半七はふと見ると、それはさっき川端で出逢った二人の女のひとりで、どこをどう廻って来たのか、たった今ここの家へ戻ったらしい。年のころは二十歳《はたち》ばかりで、色の白い、小肥りにふとった、憎気のない娘であった。かれは半七と顔を見あわせて無言で会釈した。
「たびたびお目にかかるね」と、半七は笑った。「おまえはここの家《うち》の娘さんかえ」
「はい」と、娘は初めて口をきいた。「あの、名主さんの家は知れましたか」
「知れた。知れた」
この話し声で気がついたらしく、鳥さしの老人は思わず顔をあげて娘の方を見かえると、娘は老人に向っても無言で会釈した。しかも老人と顔を見あわせて、娘の眼の色が俄かに変ったらしいのを、半七は決して見逃がさなかった。
老人は再び首を垂れてしまったが、娘はやはり嶮《けわ》しい眼をして老人をじっと眺めていた。
三
娘は仔細ありげな眼をして老人をうかがっている。老人は首を垂れて黙っている。そこにどんな事情が忍んでいるかを半七も容易に想像することは出来なかったが、とにかくに老人の苦労があまり大きそうなので、半七も黙っているわけには行かなくなって、小声で彼を励ますように云った。
「ねえ、おまえさん。もうこうなったらお互いに考えていても仕方がありません。わたしは神田三河町の半七という御用聞きで、実は八丁堀の旦那から内密にその詮議を云い付けられているんです。お前さんは光井さんと心安いようではあるし、犬も朋輩、鷹も朋輩、いわば朋輩同士のことだから、なんとかわたしに手伝って、そのお鷹を早く見つけ出す工夫をしてくれませんか。逃がした鳥さえ無事に探し出せば、そこは何とでも穏便に済むだろうじゃありませんか。ねえ、そうでしょう」
「そうです、そうです」と、老人は力を得たようにうなずいた。「それよりほかにしようはありますまい。わたしに出来ることならば何でも手伝いをいたしますから、どうぞ一刻《いっとき》も早くそのお鷹を探し出してください。わたしからもくれぐれもお願い申します」
「おまえさんが手伝ってくだされば、蛇《じゃ》の道は蛇《へび》で、わたしの方でも大変に都合がいい。いい塩梅《あんばい》に雨も大抵やんだようだから、そろそろ出かけながら相談しようじゃありませんか」
半七は鳥さしの分も一緒に勘定を払って出ると、老人はひどく気の毒そうに礼を云いながら半七のあとに付いて出て来た。鳥さしも鷹匠とおなじことで、ふだんは御用を嵩《かさ》にきて、かなり大面《おおづら》をしているものであるが、この場合、かれは半七の救いを求めるように至極おとなしく振舞っていた。二人は雨あがりの田舎道をひろいながら歩いた。
「おまえさん、あの蕎麦屋の娘を知っていなさるのかえ」と、半七はあるきながら訊いた。
「はあ、時々あすこの家《うち》へ寄りますので、夫婦や娘とも心安くして居ります。娘はお杉といって、この間まで奉公に出ていたのでございますよ」
「もう二十歳《はたち》ぐらいでしょうね」
「左様だそうです。当人はもう少し奉公していたいと云うのを無理に暇を取らせて、この春から家へ連れて来たのですが、やはり長し短しで良い婿がないそうで、いまだに一人でいるようでございます」
「どこに奉公していたんです」
「雑司ケ谷の吉見仙三郎という御鷹匠の家にいたのだそうです。そんな訳で、わたしとは特別に心安くしているのですが……」
「その吉見というのは幾つぐらいの人ですね」
「二十三四にもなりましょうか」
「独り身ですかえ」
「組が違うのでよく知りませんが、もう御新造《ごしんぞ》がある筈です。そうです、そうです。御新造様があると、あのお杉が話したことがありました。吉見さんには時々逢うこともありますが、色のあさ黒い、人柄のいい、なかなか如才《じょさい》ない人です。そのかわり随分道楽もするそうですが……」
「そうですか」と、半七は一々うなずきながら聴いていた。「あの娘は何年ぐらい吉見さんに奉公していたんですえ」
「なんでも十七の年から奉公していたとかいうことです」
「雑司ケ谷の組の人たちも目黒のほうへお鷹馴らしに出て来ますかえ」
「ときどきに出て来ます」と、老人は答えた。
半七はしばらく立ち停まって思案していたが、やがて左右を見かえってささやいた。
「おまえさん。御苦労だが、もう一度あの蕎麦屋へ引っ返してくれませんか」
「はあ」と、老人は不審そうに半七の顔を見た。「なにか、忘れ物でも……」
「さあ、どうも大きな忘れ物をして来たらしい」と、半七はほほえんだ。「おまえさんの鳥籠にはまだ三匹しかはいっていませんね」
「けさは遅く出て来たものですから、まだ一向に捕れません」
「むむ、三匹でもいいが、そうですね、もう二、三匹捕れませんかえ」
「今はここらにたくさん寄る時分ですから、二羽や三羽はすぐに捕れます」
「じゃあ、済みませんが、そこらへ行って二、三匹さして来てくれませんか。なるべく多い方がいい」
老人はその意味を解《げ》し兼ねたらしいが、云われるままに承知して、竹竿のぬれた黐《もち》を練り直していると、しぐれ雲はもう通り過ぎてしまったらしく、初冬の弱い日のひかりが路傍の藁屋根をうす明るく照らして来た。
「いい塩梅に日が出て来ました。これなら二羽や三羽は訳なしです」と、老人は空を見あげながら云った。
「なるべく多い方がいいんですね」
「と云って、二十匹も三十匹も要《い》るわけじゃありません。まあ、五、六匹か、十匹もあればたくさんだろうと思うんです。そうすると、わたしはもう一度、あの蕎麦屋へ行っていますからね。雀が捕れ次第に引っ返して来てください」
約束して二人は別れた。半七はまた引っ返して蕎麦屋の前に来ると、むすめのお杉は暖簾から首を出して、仔細らしくこっちをうかがっているらしかった。
「おい、ねえさん。ちょいと用がある。こっちへ来てくんねえ」
半七は小手招《こてまね》ぎをして娘を呼び出した。お杉は少しく躊躇しているらしかったが、とうとう思い切って外へ出て来た。二人は大きい榎《え》の木の下に立って、脚もとに遊んでいる鶏をながめながら小声で話し出した。
「姐《ねえ》さん、おまえさんの名はお杉さんというんだね」と、半七はまず訊いた。
お杉はやはり無言でうなずいた。
「わたしは神田の半七という御用聞きだ。今おまえを調べるのは御用だから、そのつもりで何でも正直に云ってくれないじゃあ困る。いいかえ」と、半七はまず嚇《おど》して置いて、それから吉見の屋敷の奉公のことを訊いた。
それに対して、お杉は正直に答えた。自分は十七の春から雑司ケ谷の吉見の屋敷に奉公して、この二月の出代りのときに暇を取って退がったと云った。吉見仙三郎は養子で、家付きの娘お千江と五年まえから夫婦になったが、お千江はとかく病身で、夫婦の仲にはまだ子供もないということも話した。
「おまえは婿を取るために家《うち》へ帰ったんだろう」と、半七は笑いながら訊いた。
「そう云って無理にお暇をいただいたのです」
「それでなぜ婿を取らねえ。気に入ったのがねえのか」
お杉はすこし顔を赧《あか》くして黙っていた。
「吉見の旦那は時々たずねてくるのかえ」
お杉は眼をひからせて半七の顔を屹《きっ》と見たが、すぐに又うつむいてしまった。
「え、そうだろう。吉見の旦那はゆうべ来やしなかったか。え、来たろうな」
お杉はやはり黙っていた。半七はその肩に手をかけて云った。
「え、ほんとうに来たろう。隠しちゃあいけねえ」
「いいえ」
「たしかに来ねえか」
「おいでになりません」と、お杉はきっぱり答えた。
「嘘をついちゃあいけねえぜ。嘘をつくと飛んだことになる。吉見さんは全く来ねえか」
「一度もおいでになりません」
半七は黙ってお杉の顔色をながめていると、足もとの鶏がだしぬけに時を作ったので、お杉は思わず顔をあげた。その顔はいつか蒼ざめていた。
おとなしそうに見えてもなかなかに強情らしいので、半七はこの上の詮議は無駄であろうと思った。もちろん彼女を引っ張って行って、表向きに吟味する術《すべ》がないでもないが、町方《まちかた》と違ってここらは郡代《ぐんだい》の支配であるから、公然彼女を吟味するとなれば、どうしても郡代の屋敷へ引っ立てて行かなければならない。そうなると、この事件は明るみへ持ち出されて、たといその鳥のゆくえは判ったとしても、光井金之助らは当然その咎めをうけなければならない。それではなんにもならないと思ったので、半七はひとまずお杉の詮議を切り上げることにした。
「いや、そう判ったらもうそれでいい。お父《と》っさんや阿母《おっか》さんにはこんなことは黙っているがいいぜ」
お杉は網を逃がれた小鳥のように、早々に会釈して立ち去った。暖簾をはいる彼女のうしろ姿を見届けて、半七は二、三軒先の荒物屋へ寄ると、まだ若い女房が火鉢のまえで継《つ》ぎ物をしていた。
「麻裏はありませんかえ」
「いらっしゃい」と、女房は針をやすめて起って出た。「どうも宜しいのが切れて居りまして……」
「なんでもいい。俄か雨でこの通り泥だらけにしてしまったのだから、何か丈夫そうなのを下さいな」
どうで気に入ったのは無いと承知の上で、半七はありあわせた麻裏草履を一足買った。かれは店口に腰をかけて、その草履を穿《は》きかえながら訊いた。
「おかみさん。そこの蕎麦屋の娘は雑司ケ谷に奉公していたんだね」
「よく御存じで……。そうでございますよ」
「わたしもあの辺の者だから知っているんだが、あの娘は御鷹匠の吉見さんの御屋敷に奉公していたんだろう」
「そうでございますよ」と、女房はうなずいた。
「だが、どうして暇を取るようになったのかなあ」と、半七はわざと首をかしげて見せた。「そんな筈じゃあないんだが……」
「お杉さんの忌《いや》がるのを、親たちが無理に下げたのだということでございますよ」
「そうだろう。御新造は病気だし、旦那が暇をくれる筈はないんだから」
女房はすこし驚いたように半七の顔を見たが、やがて又笑い出した。
「ほほ、なにもかも御存じなのでございますねえ」
「知っているよ。今もいう通り、すぐ近所に住んでいるんだから」と、半七も笑った。「その一件があるので、あの娘はまだ婿を取らないんだろう。え、そうだろう」
女房は意味ありげに笑っていた。
四
半七に≪かま≫をかけられて、荒物屋の女房はとうとうおしゃべりをしてしまった。その話によると、お杉は十七の春から吉見の屋敷へ奉公に出ているうちに、病身の妻を持っている主人と一種の関係が結ばれた。そんなことは知らないお杉の両親は、もう年頃になった娘をいつまで奉公させて置くでもない、家へ帰って相当の婿を取らせなければならないというので、忌がる娘を無理に連れて帰ったが、そういう秘密があるので、お杉は容易に婿を取ろうと云わないばかりか、店の手伝いも碌々にしないので、この頃は親子喧嘩が絶えないとのことであった。
「それでもさっきのあの川《かわ》っ縁《ぷち》で大根を洗っていたぜ」と、半七は云った。
「まあ、その位のことはするでしょうけれど……」と、女房はほほえんだ。「ここらにいれば其のくらいのことは当りまえですもの。それで何でも以前の旦那様というのが時々たずねていらっしゃるんですよ」
「あすこの家へ来るのかえ」
「いいえ、親たちは堅い人ですから、そんなことは出来ません。この先の辰さんの家で、ほほほほほ」
いくらか法界悋気《ほうかいりんき》もまじって女房はこんな秘密までもべらべらしゃべった。辰蔵というのは小料理屋の亭主であるが、身持ちのよくない人間で小|博奕《ばくち》も打つ男である。料理屋といっても、家には老母と小女《こおんな》がいるきりなので、お杉はどんなふうに頼み込んだか知らないが、その家を逢い曳《び》きの場所に借りて、ときどきに旧主人に逢っている。それを近所ではみんな知っているが、お杉の親たちは不思議に知らないらしい。知れたらきっとなにかの面倒が起るであろうと女房は仔細らしく話した。
「なるほど、そいつは粋事《いきごと》だね。不動前まで行ったら、もっといい茶屋もあるだろうに……」と、半七は笑った。多寡《たか》が百俵取りで、おまけに道楽者の吉見としては、金廻りが悪いに相違ない。ここらの小料理屋が分相当であるかも知れないと彼は思った。
これでまずお杉と吉見との関係は確かめられた。ゆうべも吉見が来たらしいかと訊いたが、荒物屋の女房もさすがにそこまでは知らないと云った。そこへ鳥さしの姿が見えたので、半七は外へ出て招くと、老人は黐竿をかかえて小走りに急いで来た。
「もし、これだけ捕って来ました」
老人は一生懸命になって猟《あさ》り歩いたらしい。運の悪い雀が十二三羽も籠の中に押込まれていた。
「たいそう捕れましたね」と、半七は笑いながら云った。「それだけあればたくさんです。ところで、どうでしょう。その雀の羽には黐が付いているが、それでも飛べますか」
「飛べるのもあり、飛べないのもあります」と、老人は云った。「しかし、どうせこの黐は洗って取るのです。黐の付いているままでお鷹にやるわけには行きませんからね」
「ここで逃がさないように巧く洗えますかえ」
「そりゃ洗えないことはありませんよ」
「そうですか。だが、まあ、その儘にして出かけましょう」
「これから何処へまいります」
「すぐそこの料理屋へ行くんです」
半七は老人に何かささやくと、彼はおとなしくうなずいた。草履の代を払って、半七は先に立って出てゆくと、やがて彼《か》の辰蔵の店のまえに来た。小料理屋といっても、やはり荒物屋兼帯のような店で、片隅には草鞋や渋団扇《しぶうちわ》などをならべて、一方の狭い土間には二、三脚の床几《しょうぎ》が据えてあった。その土間をゆきぬけた突き当りに、四畳半ぐらいの小座敷があるらしく、すすけた障子が半分明けてあるのが表からみえた。店口の柳の木には一匹の荷馬がつないであった。と思うと、店のなかでは俄かに呶鳴る声がきこえた。
「この野郎、横着な野郎だ。三日の約束がもう五日になるでねえか」
半七は表から覗《のぞ》いてみると、今しきりに呶鳴っているのは、三十五六の赭《あか》ら顔の大男で、その風俗はここらの馬子《まご》と一と目で知られた。その相手になって何か云い争っているのは、やはりおなじ年頃の色の黒い、中背の男で、おそらく亭主の辰蔵であろうと半七は想像した。
「嘘つき野郎め、ふてえ奴だ、われには何度だまされたか知れねえぞ。もうその手を食うものか、耳をそろえて直ぐに渡せ」と、馬子は嵩《かさ》にかかって哮《たけ》り立った。
「嘘をつく訳じゃねえ。今ここにねえから我慢してくれと云うのだ。近所隣りの手前もあらあ。無闇《むやみ》に大きな声をするな」と、辰蔵は着物の襟を掻き合わせながら云った。
「なんの、遠慮があるものか。貴様が横着の嘘つき野郎ということは不動様も御存じで、近所隣りでもみんな知っているんだ。それが口惜《くや》しければ銭《ぜに》を出せ」
「だから、少し待てと云うのだ」と、辰蔵はそらうそぶいていた。「多寡が盆の上の貸し借りだ。まさかに名主や代官所へ持ち出すわけにもいくめえ。いくら騒いだって始まらねえ理窟だ。まあ、おとなしくあしたまで待つがいい。きょう中にはきっと金のはいるあてがあるんだから」
「その嘘はもう聞き飽きた。貴様のような奴に一杯食わされて、べんべんと待っている俺じゃねえだ。さあ、すぐに出せ。これだけの家台骨を張っていて、一貫と二百ばかりの銭がねえとは云わせねえぞ」
馬子は辰蔵の胸ぐらを引っ掴んで小突きまわすと、辰蔵も半纒《はんてん》をぬいで起ち上がった。そばに十四五の少女がぼんやり突っ立っているが、相手の権幕が激しいので取り鎮めるすべもないらしい。老母らしい女のすがたは見えなかった。
二人の問答によって想像すると、馬子は博奕の貸しを催促に来たらしい。この行きがかりではどうでも一と騒動なくては納まるまいと、半七は黙って表から覗いていると、果たして二人の拳固が入り乱れて打ち合いをはじめた。力ずくでは馬子の方が強いらしく、辰蔵は忽ちその利き腕を捻じ曲げられて、床几の上に押し付けられると、床几はかたむいて倒れて、馬子も辰蔵に折りかさなって土間にころげた。もう見てもいられないので、半七は店へはいって声をかけた。
「おい、おい、どうしたんだ。おれ達はさっきから待っているじゃねえか。喧嘩はあとにして、お客様の方をどうかしてくれ」
哮《たけ》り狂っている二人の耳には、その声が容易に聞えないらしいので、半七は舌打ちをしながら進み寄って、まず馬子の腕を押え付けた。捕物に馴れている半七に利き腕をつかまれて、暴れ狂っている馬子もいたずらに身をもがくばかりであった。
「まあ、静かにするがいい。ここの家の商売の邪魔にもなる。今聞いていりゃあ盆の上の貸し借りだというじゃあねえか。そんな野暮に催促するにも及ばねえ。ここの亭主もきょう中には金がきっとはいるというんだから、わたしが仲人だ。まあ待ってやるがよかろうぜ」
馬子は黙って半七の顔をながめていたが、腕をつかんだ手際《てぎわ》といい、その風俗といい、その口振りといい、なんだか薄気味悪くも感じたらしく、無言のままで、のそのそと表へ出て行ってしまった。
「やい、待て。野郎」
跳ね起きてそのあとを追おうとする辰蔵を、半七はまた押えた。
「おめえも大人気《おとなげ》ねえ。まあ、落ち着くがよかろう。こうして、お客様が二人はいって来たんだ」
無頼漢《ならずもの》でも博奕打ちでも、さすがに客商売の辰蔵は客に対して苦《にが》い顔をしているわけにも行かなかった。殊に相手の馬子は繋いである馬を解いて、そのまま出て行ってしまったので、彼は眼の前の客をかき退《の》けてそれを追ってゆくことも出来ないので、着物の泥をはたきながら急に笑顔を作った。
「どうも相済みません。飛んだところをお目にかけまして……」
「おめえは苦労人らしい。あんな馬子を相手にしてどたばたしちゃあいけねえ」と、半七は笑いながら床几に腰をかけた。
「まことに恐れ入りますが……」と、辰蔵は突ん曲がった髷《まげ》の先を直しながら云った。「懇意先に急病人が出来たというので、おふくろはその手伝いに行きましてね。もう午過ぎだというのに、まだなんにも支度がしてねえのでございますが……。まあ、お茶でも上がって、どこかよそへお出でなすってください」
かれは小女に指図《さしず》して、煙草盆と茶とを運ばせると、半七は表を見かえって声をかけた。
「もし、お前さんもここへ来て、茶でもお上がんなさい。ここの家じゃ何も出来ねえそうだから」
鳥さしの老人は、軒さきに黐竿を立てかけてはいって来た。その人をみると、辰蔵の眼は急に光った。
五
「はあ、大きな銀杏《いちょう》だな」
半七は茶を飲みながら往来をながめた。今までは気がつかなかったが、この店の筋向いには何か小さな祠《ほこら》のようなものがあって、その前の空地には可なり大きい銀杏の木が突っ立っていた。時雨を浴びた冬の葉は、だんだんに明るくなって来た日の下に、その美しい金色をかがやかしていた。
「なに、葉が落ちてしようがありませんよ」と、辰蔵は云った。
「だが、銀杏は冬がいい」
新らしい草履でぬかるみを爪立ってあるきながら、半七はその銀杏の前に立った。足の下には黄いろい落葉が一面にうず高くなっているのを、半七は何げなく眺めていたが、更に眼をあげて高い梢《こずえ》を仰いだ。そうして又うつむいて、何かその落葉でも拾っているらしかったが、やがて店のなかへ引っ返して来た。
「おい、御亭主。この頃に誰かこの銀杏の木へ登りましたかえ」
「いいえ、そんなことは無いようです」と、辰蔵は答えた。
「だって、小さい小枝がみんな折れている。その折れた路がまっすぐに付いているのを見ると、どうも誰か登ったらしい。ここらに猿はいめえじゃねえか」
「そうでございます」と、辰蔵はよんどころなしに笑った。「それじゃあ近所の子供が銀杏《ぎんなん》を取りに登ったかも知れません。随分いたずら者が多うございますからね」
「そうかも知れねえ」と、半七は笑った。「それから木の下にこんな物が落ちていたが……」
それは一枚の小さい鳥の羽であった。辰蔵は思わず覗き込んだ。
「鳥の羽ですね」
「どうも鷹の羽らしい。もし、おまえさん。これは鷹でしょうね」
眼の前に突きつけられて、鳥さしの老人はその薄黒い小さい羽をじっと視た。
「そうです。たしかに、鷹の羽でございます」
「そうすると鷹があの木の上に降りて来て……」と、半七は銀杏のこずえを指さした。「足の緒《お》が枝にからんで飛べなくなったところを、誰かが登って行って捉えたと、まあ、こう判断するんですね。小枝は折れている。木の下に鷹の羽は落ちている。まあ、そう判断するのが無理のないところでしょうね」
云いながら辰蔵の顔をじろりと見かえると、彼は唖《おし》のように黙って立っていた。
「まったく鷹の羽に相違ありませんよ」と、老人はかさねて云った。
「そうですか」
半七は突然起ちあがって辰蔵の腕を強く掴んだ。
「さあ、辰蔵。正直に云え。貴様はけさあの銀杏に降りた鷹を捕ったろう」
「御冗談を……。そんなことは知りません」
「知らねえものか。もう一つ、貴様に調べることがある。貴様の家へゆうべ雑司ケ谷の鷹匠が泊ったろう」
「そ、そんなことはありません」
辰蔵は声をふるわせて云い訳をした。彼も堅気の人間でないだけに、早くも半七の身分を覚ったらしく、顔の色を変えておどおどしていた。大した悪党でもないらしいと多寡をくくって、半七は畳みかけて責め付けた。
「やい、おれを見そこなやがったか、貴様たちに眼つぶしを食うような俺じゃあねえ。雑司ケ谷の鷹匠の吉見仙三郎が蕎麦屋のお杉とここの家で逢い曳きをしていることも、俺はちゃんと知っているんだ。さあ、その鷹は貴様が捕ったか、はっきり云え」
「親分。それは御無理ですよ」と、辰蔵はいよいよ声をふるわせた。「わたくしは全くなんにも知らねえんですから」
「まだ強情を張るか。貴様も大抵知っているだろうが、鷹を取れば死罪だぞ。貴様の首が飛ぶんだぞ。しかしこっちにも訳があるから、素直にその鷹を出してわたせば、今度だけは内分に済ましてやる。それとも俺と一緒に郡代屋敷へ行くか、どっちでも貴様の好きな方にしろ」
「でも、親分。ここは一軒屋じゃありません。近所にも大勢の人が住んでいます。木の枝が折れていようと、鷹の羽が落ちていようと、何もわたくしと限ったことはございますまい。まったく私はなんにも知らないのでございます」
「理窟をいうな。貴様が手をくだして捕らねえでも、たしかに係り合いに相違ねえ。きょう中に金がきっとはいるというのは、その鷹をどこへか売るつもりだろう。さあ、云え。貴様が捕ったか、それとも吉見が捕ったか」
床几の上に引き据えられて、辰蔵はまた黙ってしまった。その時、店の入口で何か物音がきこえたらしいので、眼のはやい半七はふと見かえると、いつの間に来ていたのか、かのお杉が柳のかげから一心にこちらを覗いているらしかった。彼女は半七の顔を見ると、身をひるがえして一目散に逃げ出した。
「こん畜生、丁度いいところへ来た」
半七は辰蔵を突き飛ばして表へ飛び出すと、足の早いお杉はもう三、四間も行きすぎていた。咄嗟《とっさ》のあいだに思案した半七は軒先に立てかけてある長い黐竿をとって駈け出して、お杉のあとを追いながら、竿のさきで彼女の頭を押えた。蝉やとんぼを捕る子供の黐竿とは違って、本職の鳥さしの鳥黐であるから、お杉は右の横鬢から銀杏返しの根へかけてべっとりとねばりついた黐をどうすることも出来なかった。彼女は雀のように半七の黐竿に捕えられてしまった。それを無理に引き放そうとあせっているところへ、半七は竿を捨てて追い付いて来た。
「さあ、来い」
お杉も辰蔵の店へ引き摺《ず》り込まれた。黐竿で人間をさしたのを初めて見た老人は、眼を丸くして眺めていた。
「さあ、これで二人揃った。さあ、片っ端から白状しろ。やい、お杉。なんでここへ覗きに来た。てめえはゆうべここの家へ泊り込んで、何もかも知っているだろう。鷹は誰が捕ったんだ」
白状しなければ死罪だと嚇《おど》されて、さすがは女だけにお杉はまず問いに落ちた。辰蔵ももう包み切れなくなって白状した。半七の鑑定通り、吉見とお杉はゆうべここの家で逢った。けさになって吉見が帰ろうとするときに、一羽の鷹が降りて来て銀杏のこずえに止まったが、その足の緒が枝にからんで再び飛ぶことが出来なくなったらしい。それを見付けた吉見はすぐに梢によじのぼって、平生手馴れているだけに、無事にその鷹を捕えて来た。
それを郡代の屋敷へ届け出るか、または雑司ケ谷へ持って帰るか、二つに一つの処置を取れば別に何事もなかったのであるが、そこで彼は辰蔵から或る知恵を吹き込まれた。この村に鷹を欲しがっている者がある。ないしょで彼に売ってやれば、大金になる仕事だと勧められて、ふところの苦しい吉見はふとその気になった。買い手はこの村の大地主の当兵衛というもので、わたくしに鷹を飼えば重罪ということを承知していながら、いつの代にも絶えない金持の僭上《せんじょう》から、自分も一度は鷹が飼ってみたいと望んでいることを、辰蔵はかねて知っていたので、とうとう吉見をそそのかして、百五十両でその鷹を当兵衛に売り渡すことに相談を決めたのであった。
その約束をして吉見は帰った。金はあした受け取ることにして、辰蔵はともかくもその鷹を当兵衛の家へ送り届けた。
「よし、すっかり判った」と、半七は二人の白状を聴き終って云った。「そんなら辰蔵、すぐに当兵衛の家へ案内しろ。お杉は家へ帰って神妙にしていろ」
辰蔵は先きに立って店を出ようとした時、半七は急に思い付いたように老人を見かえった。
「まだ少し趣向がある。出る前にその雀の羽を洗ってくれませんかね」
「承知しました」
鷹のありかもまず判って、俄かに元気のついた鳥さしの老人は、辰蔵に水を汲ませて、籠のなかの雀を一羽ずつ掴み出した。毎日手馴れている仕事であるから、雀の羽にねばりついていた鳥黐もたちまち綺麗に洗い落された。
「これで飛ぶには差し支えありませんね」と、半七は念を押した。
「きっと飛びます」
「これで支度が出来た。さあ、行きましょう」
三人はすぐに当兵衛の家をたずねた。大きい冠木門《かぶきもん》の家で、生け垣の外には小さい小川が流れていた。半七は立ち停まって辰蔵に訊いた。
「貴様はさっきその鷹を持って来たときに、主人に逢ったんだろうな」
「逢いました」
「その鷹はどうした」
「入れる籠がないとかいうので、ともかくも土蔵のなかへ入れて置くと云っていました」
「むむ、いずれ何処にか隠してあるに相違ねえ。ここの家に土蔵は幾つある」
「五戸前《いつとまえ》ある筈です」
半七は門の内へはいって、すぐに主人の当兵衛を呼び出した。
「御用がある。土蔵の戸前をみんな明けて見せろ」
当兵衛はおどおどしながら何か弁解しようとするのを、半七は追い立てるようにして、奥の土蔵前へ案内させた。御用の声におしすくめられて、当兵衛は五つの土蔵の扉を一々にあけた。
「大きい土蔵だ。一々調べてもいられめえ。もし、おまえさん。願いますよ」
半七に眼配せをされ、鳥さしの老人はすすみ出た。かの籠の中から二、三羽の雀をつかみ出して、扉の間からばらばら投げ込むと、第一第二の土蔵には何のこともなく、第三の土蔵も静まり返っていた。半七は注意して、第四と第五の土蔵の扉を半分閉めさせた。
老人の手から投げられた三羽の雀が第四の土蔵へ飛び込むと、やがてその奥であらい羽搏《はばた》きの音がきこえた。半七は老人と眼を見あわせて、すぐに扉のあいだから駈け込むと、うす暗い隅には鷹の眼が鋭くひかっていた。鷹はしきりに羽搏きして、そこらを飛びまわっている小雀を掻い掴もうと睨んでいるのであった。しかもその脚の緒が厳重に縛られているので、かれは思うがままに飛びかかることが出来ないらしい。心得のある老人は静かに進み寄って、その緒を解いてやると、鷹はすぐに飛びたって一羽の獲物を掴んだ。ほかの二羽は運よく表へ飛び去ってしまった。
こうして、鷹はおとなしく老人の拳《こぶし》に戻った。鷹は一面に白斑《しらふ》のある鳥で、雪の山と名づけられた名鳥であると老人は説明した。
これを表向きにすれば、大変である。
当兵衛は無論に死罪で、辰蔵も死罪をのがれることは出来まい。お杉は女のことであり、且つ直接の罪人でないから、あるいは処払いぐらいで済むかも知れないが、一旦その鷹を捕えながら更に他へ売り渡した吉見仙三郎は、不埒重々とあってどうしても死罪である。遊女屋に夜をあかして、おあずかりの鳥を逃がした光井金之助もおそらく切腹であろう。一羽の鳥のために、四人の人間が命を捨てなければならないかと思うと、半七もあまりに恐ろしくなった。殊に初めから内密に探索するのが趣意であるから、鳥が無事に戻ったのを幸いに、彼は当兵衛と辰蔵に云い渡した。
「みんな運のいい奴らだ。きょうのことは必ず他言するな。世間に洩れたら貴様たちの首が飛ぶぞ」
ふたりは土に頭を摺りつけた。鳥さしの老人も涙をながして半七を拝んだ。
それから二日経って、鳥さしの老人は神田の半七の家をたずねて来て、くり返して礼を云った。そうして、本人の光井金之助も、叔父の弥左衛門もあらためて礼に来ると云った。
「なに、わたしはお役だから仕方がねえ。そんなに恩に被《き》せることもねえのさ」と、半七は答えた。「それにしても、おまえさんはどうしてそんなに光井さんの為に心配しなさるんだ。なにか格別に心安いのかえ」
「はい、おまえさんですから申し上げますが、実はわたくしには十八になる娘がございますので……」
「十八になる娘……。おまえさんの娘なら美しかろう。それだのに、光井さんは品川なんぞへ泊るから悪い。これもみんな娘の思いだと云ってやるがいいや。ははははは」
半七は大きい声で笑った。
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津《つ》の国屋《くにや》
一
秋の宵であった。どこかで題目太鼓の音《ね》がきこえる。この場合、月並の鳴物だとは思いながらも、じっと耳をすまして聴いていると、やはり一種のさびしさを誘い出された。
「七偏人が百物語をしたのは、こんな晩でしょうね」と、わたしは云い出した。
「そうでしょうよ」と、半七老人は笑っていた。「あれは勿論つくり話ですけれど、百物語なんていうものは、昔はほんとうにやったもんですよ。なにしろ江戸時代には馬鹿に怪談が流行《はや》りましたからね。芝居にでも草双紙にでも無暗《むやみ》にお化けが出たもんです」
「あなたの御商売の畑にもずいぶん怪談がありましょうね」
「随分ありますが、わたくし共の方の怪談にはどうもほんとうの怪談が少なくって、しまいへ行くとだんだんに種の割れるのが多くって困りますよ。あなたにはまだ津の国屋のお話はしませんでしたっけね」
「いいえ、伺いません。怪談ですか」
「怪談です」と、老人はまじめにうなずいた。「しかもこの赤坂にあったことなんです。これはわたくしが正面から掛り合った事件じゃありません。桐畑の常吉という若い奴が働いた仕事で、わたくしはその親父の幸右衛門という男の世話になったことがあった関係上、蔭へまわって若い者の片棒をかついでやったわけですから、いくらか聞き落しもあるかも知れません。なにしろ随分入り組んでいる話で、ちょいと聴くと何だか嘘らしいようですが、まがいなしの実録、そのつもりで聴いて下さい。昔と云っても、たった三四十年前ですけれども、それでも世界がまるで違っていて、今の人には思いも付かないようなことが時々ありました」
赤坂|裏伝馬町《うらてんまちょう》の常磐津の女師匠文字春が堀の内の御祖師様へ参詣に行って、くたびれ足を引き摺って四谷の大木戸まで帰りついたのは、弘化四年六月なかばの夕方であった。赤坂から堀の内へ通うには別に近道がないでもなかったが、女一人であるからなるべく繁華な本街道を選んだのと、真夏の暑い日ざかりを信楽《しがらき》の店で少し休んでいたのとで、女の足でようよう江戸へはいったのは、もう夕六ツ半(七時)をすぎた頃で、さすがに長いこの頃の日もすっかり暮れ切ってしまった。
甲州街道の砂を浴びて、気味のわるい襟元の汗をふきながら、文字春は四谷の大通りをまっすぐに急いでくる途中で、彼女は自分のあとに付いてくる十六七の娘を見かえった。
「姐《ねえ》さん。おまえさん何処へ行くの」
この娘は、さっきから文字春のあとになり先になって、影のように付きまとって来るのであった。うす暗がりでよくは判らないが、路傍《みちばた》の店の灯でちらりと見たところは、色の蒼白い、瘠《や》せ形の娘で、髪は島田に結って、白地に撫子《なでしこ》を染め出した中形《ちゅうがた》の浴衣《ゆかた》を着ていた。
唯それだけなら別に仔細もないのであるが、彼女はとかくに文字春のそばを離れないで、あたかも道連れであるかのようにこすり付いて歩いてくる。それがうるさくもあったが、おそらく若い娘の心寂しいので、ただ何がなしに人のあとを追って来るのであろうと思って、初めは格別に気にも止めなかったが、あまりしつこく付きまとって来るので、文字春もしまいには忌《いや》な心持になった。なんだか薄気味悪くもなって来た。
しかし相手は孱細《ぼそ》い娘である。まさかに物取りや巾着切《きんちゃっき》りでもあるまい。文字春は今年二十六で、女としては大柄の方であった。万一相手の娘がよくない者で、だしぬけに何かの悪さを仕掛けたとしても、やみやみ彼女に負かされる程のこともあるまいと多寡《たか》をくくっていたので、文字春はさのみ怖いとも恐ろしいとも思っていなかったのであるが、何分にも自分のあとを付け廻してくるのが気になってならなかった。彼女はだんだんに気味が悪くなって来て、物取りや巾着切りなどということを通り越して、なにか一種の魔物ではないかとも疑いはじめた。死に神か通り魔か、狐か狸か、なにかの妖怪が自分に付きまつわって来るのではないかと思うと、文字春は俄かにぞっとした。彼女はもう強がってはいられなくなって、数珠《じゅず》をかけた手をそっとあわせて、口のうちでお題目を一心に念じながら歩いて来たのであった。それでも無事に大木戸を越して、もう江戸へはいったと思うと、彼女は又すこし気が強くなった。灯ともし頃とはいいながら、賑やかな真夏のゆうがたで、両側には町屋《まちや》もある。かれはここまで来た時に、はじめて思い切ってその娘に声をかけたのである。声をかけられて、娘は低い声で遠慮勝ちに答えた。
「はい。赤坂の方へ……」
「赤坂はどこです」
「裏伝馬町というところへ……」
文字春はまたぎょっとした。本来ならば丁度いい道連れともいうべきであるが、この場合に彼女はとてもそんなことを考えてはいられなかった。彼女はどうして此の娘が自分のゆく先を知っているのであろうと怪しみ恐れた。彼女は左右を見かえりながら又訊いた。
「おまえさんは裏伝馬町のなんという家《うち》を訪ねて行くの」
「津の国屋という酒屋へ……」
「そうして、おまえさんは何処から来たの」
「八王子の方から」
「そう」
とは云ったが、文字春はいよいよおかしく思った。近いところと云っても、八王子から江戸の赤坂まで辿って来るのは、この時代では一つの旅である。しかも見たところでは、この娘はなんの旅支度もしていない。笠もなく、手荷物もなく、草鞋《わらじ》すらも穿《は》いていない。彼女は浴衣の裳《すそ》さえも引き揚げないで、麻裏の草履を穿いているらしかった。若い女がこんな悠長らしい姿で八王子から江戸へ来る――それがどうも文字春の腑に落ちなかった。しかし一旦こうして詞《ことば》をかけた以上、こっちも逃げ出すわけにもゆかず、先方でもいよいよ付きまとって離れまいと思ったので、彼女はよんどころなく度胸を据えて、この怪しい道連れの娘と話しながら歩いた。
「津の国屋に誰か知っている人でもあるの」
「はい。逢いにいく人があります」
「なんという人」
「お雪さんという娘《こ》に……」
お雪というのは津の国屋の秘蔵娘で、文字春のところへ常磐津の稽古に来るのであった。怪しい娘が自分の弟子をたずねてゆく――文字春は更に不安の種をました。お雪は今年十七で、町内でも評判の容貌好《きりょうよ》しである。津の国屋は可なりの身代《しんだい》で、しかも親達が遊芸を好むので師匠にとっては為になる弟子でもあった。文字春は自分の大切な弟子の身の上がなんとなく危ぶまれるので、根掘り葉ほりに詮索をはじめた。
「そのお雪さんを前から識っているの」
「いいえ」と、娘は微かに答えた。
「一度も逢ったことはないの」
「逢ったことはありません。姉さんには逢いましたけれど……」
文字春はなんだか忌な心持になった。お雪の姉のお清は、今から十年前に急病で死んだのである。それにしても此の娘がどうしてそのお清を識っているのかを、彼女は更に詮議しなければならなかった。
「死んだお清さんはお前さんのお友達なの」
娘は黙っていた。
「おまえさんの名は」
娘はやはり俯向《うつむ》いてなんにも云わなかった。こんなことを云っているうちに、あたりはもう夜の景色になって、そこらの店先の涼み台では賑やかな笑い声もきこえた。それでも文字春はなんだかうしろが見られて、どうしてもこの怪しい娘に対する疑いが解けなかった。彼女は黙ってあるきながら横眼に覗くと、娘の島田はむごたらしいように崩れかかって、その後《おく》れ毛が蒼白い頬の上にふるえていた。文字春は絵にかいた幽霊を思い出して、いよいよ薄気味悪くなって来た。いくら賑やかな町なかでも、こんな女と連れ立ってあるくのは、どう考えてもいい心持ではなかった。
四谷の大通りを行き尽すと、どうしても暗い寂しい御堀端を通らなければならない。文字春は云い知れない不安に襲われながら、明るい両側の灯をうしろに見て、御堀端を右に切れると、娘はやはり俯向いて彼女について来た。松平佐渡守の屋敷前をゆき過ぎて、間《あい》の馬場まで来かかった時に、娘のすがたは暗い中にふっと消えてしまった。おどろいて左右を見まわしたが、どこにも見えない。呼んでみたが返事もない。文字春はぞっとして惣身が鳥肌になった。彼女はもう前へ進む勇気はないので、転《ころ》げるように元来た方面へ引っ返して、大通りの明るいところへ逃げて来た。
「おい、師匠。どうした」
声をかけられてよく視ると、それは同町内に住んでいる大工の兼吉であった。
「あ、棟梁《とうりょう》」
「どうした。ひどく息を切って、何かいたずら者にでも出っ食わしたのかえ」
「え。そうじゃないけれど……」と、文字春は息をはずませながら云った。「おまえさん、町内へ帰るんでしょう」
「そうさ。友達のところへ行って、将棋をさしていて遅くなっちまったのさ。師匠は一体どっちの方角へ行くんだ」
「あたしも家へ帰るの。後生《ごしょう》だから一緒に行ってくださいな」
兼吉はもう五十ばかりであるが、男でもあり、職人でもあり、こういう時の道連れには屈竟《くっきょう》だと思われたので、文字春はほっとして一緒にあるきだした。それでも馬場の前を通りぬける時には襟元から水を浴びせられるように身をちぢめながら歩いた。さっきからの様子がおかしいので、兼吉はなにか仔細があるらしく思って、暗い堀端を歩きながらだんだん聞き出すと、文字春は声を忍ばせながら一切の事情を話した。
「あたしは最初からなんだか気味が悪くってしようがなかったんですよ。別にこうということもないんですけれど、唯なんだか忌な心持で……。そうすると、とうとう途中でふいと消えてしまうんですもの。あたしは夢中で四谷の方へ逃げだして、これからどうしようかと思っているところへ丁度棟梁が来てくれたので、あたしも生きかえったような心持になったんですよ」
「そりゃあ少し変だ」と、兼吉も暗いなかで声を低めた。「師匠。その娘は十六七で、島田に結《ゆ》っていたと云ったね」
「そうよ。よく判らなかったけれど、色の白い、ちょいといい娘《こ》のようでしたよ」
「なんで津の国屋へ行くんだろう」
「お雪さんに逢いに行くんだって……。お雪さんには初めて逢うんだけれど、死んだ姉さんには逢ったことがあるようなことを云っていました」
「むむう。そりゃあいけねえ」と、兼吉は溜息をついた。「又来たのか」
文字春は飛び上がって、兼吉の手をしっかりと掴んだ。彼女は唇をふるわせて訊いた。
「じゃあ、棟梁。おまえさん、あの娘を知っているのかえ」
「むむ。可哀そうに、お雪さんも長いことはあるめえ」
文字春はもう声が出なくなった。かれは兼吉の手に獅噛《しが》み付いたままで、ふるえながら引き摺られて行った。
二
自分の家《うち》の前まで無事に送り届けて貰って、文字春は初めてほんとうに自分の魂を取り戻したような心持になった。彼女は自分を送って来てくれた礼心に、兼吉を内へ呼び込んで、茶でも一杯のんで行けと勤めた。彼女は小女《こおんな》と二人暮しであるので、すぐその小女を使に出して、近所へ菓子を買いにやりなどした。兼吉もことわり兼ねてあがり込むと、文字春は団扇《うちわ》をすすめながら云った。
「ほんとうに今夜はおかげさまで助かりました。信心まいりも的《あて》にゃあならない。あたしは余っぽど罪が深いのかしら。それにしても気になってならないのは……。あの娘が津の国屋へたずねて行くというのは、一体どういう訳なんでしょうね」
彼女は兼吉を無理に呼び込んだのも、実はこの恐ろしそうな秘密を聞き出したいためであった。兼吉も初めはいい加減に詞《ことば》をにごしていたが、自分がうっかり口をすべらしてしまった以上、その詞質《ことばじち》を取って問い詰めるので、彼もとうとう白状しないわけには行かなくなった。
「出入り場の噂をするようで良くねえが、師匠はおいらから見ると半分も年が違うんだから、なんにも知らねえ筈だ。その娘《こ》は自分の名をなんとか云ったかえ」
「いいえ。こっちで訊いても黙っているんです。おかしいじゃありませんか」
「むむ。おかしい。その娘の名はお安というんだろうと思う。八王子の方で死んだ筈だ」
文字春はよいよい身を固くして、ひと膝のり出した。
「そうです、そうですよ。八王子の方から来たと云っていましたよ。じゃあ、あの娘は八王子の方で死んだんですか」
「なんでも井戸へ身を投げて死んだという噂だが、遠いところの事だから確かには判らねえ。身を投げたか首をくくったか、どっちにしても変死には違げえねえんだ」
「まあ」と、文字春は真っ蒼になった。「一体どうして死んだんでしょうね」
「こんなことは津の国屋でも隠しているし、おいら達も知らねえ顔をしているんだが、おめえは今夜その道連れになって来たというから、まんざら係り合いのねえこともねえから」
「あら、棟梁、忌《いや》ですよ。あたしなんにも係り合いなんぞありゃしませんよ」
「まあさ。ともかくも其の娘と一緒に来たんだから、まんざら因縁のねえことはねえ。それだから内所《ないしょ》でおめえにだけは話して聞かせる。だが、世間には沙汰無しだよ。おいらがこんな事をしゃべったなんていうことが津の国屋へ知れると、出入り場を一軒しくじるような事が出来るかも知れねえから。いいかえ」
文字春は黙ってうなずいた。
「おいらも遠い昔のことはよく知らねえが、親父なんぞの話を聞くと、あの津の国屋という家《うち》は三代ほど前から江戸へ出て来て、下谷の津の国屋という酒屋に奉公していたんだが、三代前の主人というのはなかなかの辛抱人で、津の国屋の暖簾《のれん》を分けて貰ってこの町内に店を出したのが始まりで、とんとん拍子に運が向いてきて、本家の津の国屋はとうに潰れてしまったが、こっちはいよいよ繁昌になるばかりで、二代目三代目と続いて来た。ところが、今度の主人夫婦になってから子供が出来ねえ。主人はもう三十を越したもんだから、早く貰い子でもせざあなるめえというので、八王子にいる遠縁のものからお安という娘を貰って、まあ可愛がって育てていたんだ。すると、そのお安が十歳《とお》になった時に、今まで子種がねえと諦めていたおかみさんの腹が大きくなって、女の子が生まれた。それがお清という娘で、貰《もら》い娘《こ》のお安と姉妹《きょうだい》のように育てていたが、そうなると人情で生みの子が可愛い、貰い娘が邪魔になる。といって、世間の手前もあり、貰い娘の親たちへの義理もあり、かたがたどうすることも出来ないので、ゆくゆくはお清に家督を嗣《つ》がせ、貰い娘の方には婿を取って分家させるというようなことを云っていたんだが、そうなると今度は又金が惜しい。分家させるには相当の金が要《い》る。こんなことから貰い娘をだんだん邪魔にし始めて……。といっても、世間の眼に立つようなことはしない。うわべは生みの娘と同じように育てているうちに、二番目の娘がまた生まれた。それが今のお雪さんだ。そうして実子が二人まで出来てみると、貰い娘の方はいよいよ邪魔になるだろうじゃねえか」
「ほんとうにねえ」と、文字春も溜息をついた。「いっそ貰い子が男だと、妻《めあ》わせるということも出来るんだけれど、みんな女じゃどうにもなりませんわね」
「それだから困る。いっそ其のわけを云って、貰い娘は八王子の里へ戻してしまったらよさそうなものだったが、そうもゆかねえ訳があると見えて、その貰い娘のお安ちゃんが十七になった時に、とうとう追い出してしまった。勿論、ただ追い出すという訳にゃゆかねえ。店へ出入りの屋根屋の職人と情交《わけ》があるというので、それを廉《かど》に追い返してしまったんだ」
「そんなことは嘘なんですか」
「どうも嘘らしい」と、兼吉は首をふった。「その職人は竹と云って、年も若し、面付《つらつ》きこそ人並だが、酒はのむ、博奕は打つ、どうにもこうにもしようのねえ野郎だ。お安ちゃんはおとなしい娘だ。よりに択《よ》ってあんな野郎とどうのこうのというわけがねえ。それでも津の国屋ではそれを云い立てにして、着のみ着のまま同様でお安ちゃんを里へ追い返してしまったんだ。世間にこそ知れねえが、それまでにも内輪《うちわ》では貰い娘を何か邪慳《じゃけん》にしたこともあるだろうし、お安という娘もなかなか利巧者だから、親たちの胸のうちも大抵さとっていたらしい。それだから、いよいよ追い出される時には大変に口惜《くや》しがって、自分は貰い子だから実子が出来た以上、離縁されるのも仕方がない。けれども、ほかの事と違って、そんな淫奔《いたずら》をしたという濡衣《ぬれぎぬ》をきせて追い出すというのはあんまりだ。里へ帰って親兄弟や親類にも顔向けが出来ない。きっとこの恨みは晴らしてやるというようなことを、仲のいい老婢《ばあや》に泣いて話したそうだ」
「まあ、可哀そうだわねえ」と、文字春も眼をうるませた。「それからどうしたの」
「それから八王子へ帰って、間もなく死んでしまったという噂だ。今もいう通り、身を投げたか首をくくったか知らねえが、なにしろ津の国屋を恨んで死んだに相違ねえ。娘はまあそれとして、その相手と決められた屋根屋の竹の野郎がおとなしく黙っているのがおかしいと思っていると、それからふた月ばかり経《た》たねえうちに、ちょうど夏の炎天に出入り場の高い屋根へあがって仕事をしている時、どうしたはずみか真《ま》っ逆《さか》さまにころげ落ちて、頭をぶち割ってそれぎりよ。そうなると世間では又いろいろのことを云って、竹の野郎は津の国屋から幾らか貰って、得心《とくしん》ずくで黙っていたに相違ねえ。あいつが変死をしたのは娘のおもいだと、まあこういうんだ」
「怖いわねえ。悪いことは出来ないわねえ」と、文字春は今更のように溜息をついた。
「どっちにしてもお安という娘は死ぬ、その相手だという竹の野郎もつづいて死ぬ。それでまあ市《いち》が栄えたいう訳なんだが、ここに一つ不思議なことは、忘れもしねえ今から丁度十年前……。これは師匠も知っているだろうが、津の国屋の実子のお清さんがぶらぶら病いで死んでしまった。そりゃあ老少不定《ろうしょうふじょう》で寿命ずくなら仕方もねえわけだが、その死んだのが丁度十七の年で、先《せん》のお安という娘と同い年だ。お安も十七で死んだ。お清も十七で死んだ。こうなるとちっとおかしい。表向きには誰もなんとも云わねえが、先の貰い娘の一件を知っているものは、蔭でいろいろのことを云っている。それにもう一つおかしいのは、あのお清さんの死ぬ前にちょうど今夜のようなことがあったんだ」
「棟梁」
「いや、おどかす訳じゃあねえ」と、兼吉はわざと笑ってみせた。「実はね、津の国屋の惣領娘がわずらいつく二、三日まえの晩に、近所の者が外へ出ると、町内の角で一人の娘に逢った。娘は撫子《なでしこ》の模様の浴衣《ゆかた》を着て……」
「もう止してください。わかりましたよ」と、文字春はもう身動きが出来なくなったらしく、片手を畳に突いたままで眼を据えていた。
「いや、もうちっとだ。その娘がどうしても津の国屋の貰い娘のお安ちゃんに相違ねえので、思わず声をかけようとすると、娘の姿は消えてしまったという話だ。おいらもその話をかねて聞いていたが、なにを云うのかと思って碌に気にも留めずにいたが、今夜の師匠の話を聴いてみると、成程それも嘘じゃなかったらしい。そのお安ちゃんが又お迎いにやって来たんだ。津の国屋のお雪ちゃんは今年十七になったからね」
台所でカタリという音がきこえたので、文字春はまたぎょっとした。菓子を買いに行った小女が今ようやく帰って来たのであった。
三
文字春はその晩おちおち眠られなかった。撫子の浴衣を着た若い女が蚊帳《かや》の外から覗いているような夢におそわれて、少しうとうとするかと思うとすぐに眼がさめた。あいにくに蒸し暑い夜で、彼女の枕紙はびっしょり濡れてしまった。あくる朝も頭が重くて胸がつかえて、あさ飯の膳にむかう気にもなれなかった。きのう遠路《とおみち》を歩いたので暑さにあたったのかも知れないと、小女の手前は誤魔かしていたが、彼女の頭のなかは云い知れない恐怖に埋められていた。仏壇には線香を供えて、彼女はよそながらお安という娘の回向《えこう》をしていた。
近所の娘たちはいつもの通りに稽古に来た。津の国屋のお雪も来た。お雪の無事な顔をみて、文字春はまずほっと安心したが、そのうしろには眼にみえないお安の影が付きまとっているのではないかと思うと、彼女はお雪と向い合うのがなんだか薄気味悪かった。稽古が済むと、お雪はこんなことを云い出した。
「お師匠《しょ》さん、ゆうべは変なことがあったんですよ」
文字春は胸をおどらせた。
「かれこれ五ツ半(午後九時)頃でしたろう」と、お雪は話した。「あたしが店の前の縁台に腰をかけて涼んでいると、白地の浴衣を着た……丁度あたしと同い年くらいの娘が家の前に立って、なんだか仔細ありそうに家の中をいつまでも覗いているんです。どうもおかしな人だと思っていると、店の長太郎も気がついて、なにか御用ですかと声をかけると、その娘は黙ってすうと行ってしまったんです。それから少し経つと、知らない駕籠屋が来て駕籠賃をくれと云いますから、それは間違いだろう、ここの家で駕籠なんかに乗った者はないと云うと、いいえ、四谷見附のそばから娘さんを乗せて来ました。その娘さんは町内の角で降りて、駕籠賃は津の国屋へ行って貰ってくれと云ったから、それでここへ受け取りに来たんだと云って、どうしても肯《き》かないんです」
「それから、どうして……」
「それでも、こっちじゃ全く覚えがないんですもの」と、お雪は不平らしく云った。「番頭も帳場から出て来て、一体その娘はどんな女だと訊くと、年ごろは十七八で撫子の模様の浴衣を着ていたと云うんです。してみると、たった今ここの店を覗いていた娘に相違ない。そんないい加減なことを云って、駕籠賃を踏み倒して逃げたんだろうと云っていると、奥からお父っさんが出て来て、たとい嘘にもしろ、津の国屋の暖簾を指《さ》されたのがこっち不祥だ。駕籠屋さんに損をさせては気の毒だと云って、むこうの云う通りに駕籠賃を払ってやったら、駕籠屋も喜んで帰りました。お父っさんはそれぎりで奥へはいってしまって、別になんにも云いませんでしたけれど、あとで店の者たちは、ほんとうに今どきの娘は油断がならない。あんな生若《なまわか》い癖に駕籠賃を踏み倒したりなんかして、あれがだんだん増長すると騙《かた》りや美人局《つつもたせ》でもやり兼ねないと……」
「そりゃ全くですわね」
なにげなく相槌《あいづち》を打っていたが、文字春はもう正面からお雪の顔を見ていられなくなった。騙りや美人局どころの話ではない。かの娘の正体がもっともっと恐ろしいものであることを、お雪は勿論、店の者たちも知らないのである。そのなかで主人一人がなんにも云わずに素直に駕籠賃を払ってやったのは、さすがに胸の奥底に思いあたることがあるからであろう。お安の魂は、御堀端で自分に別れてから、さらに駕籠屋に送られて津の国屋まで乗り込んで来たのである。なんにも知らないで其の話をしているお雪のうしろには、きっと撫子の浴衣の影が煙《けむ》のように付きまつわっているに極まった。それを思うと、文字春は恐ろしくもあり、また可哀そうでもあった。
慾得ずくばかりでなく、かれは弟子師匠の人情から考えても、久しい馴染《なじみ》の美しい弟子がやがて死霊《しりょう》に憑《と》り殺されるのかと思うと、あまりの痛ましさに堪えなかった。さりとてほかの事とは違って、迂闊《うかつ》に注意することもできない。それが親達の耳にはいって、師匠はとんでもないことを云うと掛け合い込まれた時には、表向きにはなんとも云い訳ができない。もう一つには、そんなことをうっかりお雪に注意して、自分が死霊の恨みをうけては大変である。それやこれやを考えると、文字春はこのまま口を閉じてお雪を見殺しにするよりほかはなかった。
重ねがさね忌な話ばかり聞かされるのと、ゆうべ碌々に眠らなかった疲れとで、文字春はいよいよ気分が悪くなって、午《ひる》からは稽古を休んでしまった。そうして、仏壇に燈明を絶やさないようにして、ゆうべ道連れになったお安の成仏《じょうぶつ》を祈り、あわせてお雪と自分との無事息災を日頃信心する御祖師様に祈りつづけていた。その晩も彼女はやはりおちおち眠られなかった。
あくる日も朝から暑かった。お雪は相変らず稽古に来たので、文字春はまず安心した。こうして二日も三日も無事につづいたので、彼女が恐怖の念も少し薄らいできて、夜もはじめて眠られるようになった。しかし撫子の浴衣を着たお安の亡霊がたしかに自分と道連れになって来たことを考えると、まだ滅多に油断はできないと危ぶんでいると、それから五日目になって、お雪は稽古に来た時にこんなことを又話した。
「阿母《おっか》さんがきのうの夕方、飛んでもない怪我をしましたの」
「どうしたんです」と、文字春は又ひやりとした。
「きのうの夕方もう六ツ過ぎでしたろう。阿母さんが二階へなにか取りに行くと、階子《はしご》のうえから二段目のところで足を踏みはずして、まっさかさまに転げ落ちて……。それでもいい塩梅に頭を撲《ぶ》たなかったんですけれど、左の足を少し挫《くじ》いたようで、すぐにお医者にかかってゆうべから寝ているんです」
「足を挫いたのですか」
「お医者はひどく挫いたんじゃないと云いますけれど、なんだか骨がずきずき痛むと云って、けさもやっぱり横になっているんです。いつもは女中をやるんですけれど、ゆうべに限って自分が二階へあがって行って、どうしたはずみか、そんな粗相《そそう》をしてしまったんです」
「そりゃほんとうに飛んだ御災難でしたね。いずれお見舞にうかがいますから、どうぞ宜しく」
お安の祟《たた》りがだんだん事実となって現われて来るらしいので、文字春は身もすくむようにおびやかされた。気のせいか、お雪の顔色も少し蒼ざめて、帰ってゆくうしろ姿も影が薄いように思われた。何にしてもそれを聞いた以上、彼女は知らない顔をしているわけにもゆかないので、進まないながらも其の日の午すぎに、近所で買った最中《もなか》の折《おり》を持って、津の国屋へ見舞に行った。津の国屋の女房お藤はやはり横になっていたが、けさにくらべると足の痛みは余ほど薄らいだとのことであった。
「お稽古でお忙がしい処をわざわざありがとうございました。どうも思いもよらない災難で飛んだ目に逢いました」と、お藤は眉をしかめながら云った。「なに、二階の物干へ洗濯物を取込みに上がったんです。いつも女中がするんですけれど、その女中が怪我をしましてね。井戸端で水を汲んでいるうちに、手桶をさげたまますべって転んで、これも膝っ小僧を擦り剥いたと云って跛足《びっこ》を引いているもんですから、わたしが代りに二階へあがると又この始末です。女の跛足が二人も出来てしまって、ほんとうに困ります」
それからそれへと死霊《しりょう》の祟りがひろがってくるらしいので、文字春はいよいよ恐ろしくなった。こんなところにとても長居はできないので、かれは早々に挨拶をして逃げ出して来た。明るい往来に出て、初めてほっとしながら見かえると、津の国屋の大屋根に大きな鴉《からす》が一匹じっとして止まっていた。それが又なんだか仔細ありそうにも思われたので、文字春はいよいよ急いで帰って来た。そのうしろ姿を見送って、鴉は一と声高く鳴いた。
津の国屋の女房はその後|十日《とおか》ほども寝ていたが、まだ自由に歩くことが出来なかった。そのうちに文字春は又こんな忌な話を聞かされた。津の国屋の店の若い者が、近所の武家屋敷へ御用聞きにゆくと、その屋根瓦の一枚が突然その上に落ちて来て、彼は右の眉のあたりを強く打たれて、片目がまったく腫《は》れふさがってしまった。その若い者は長太郎といって、このあいだの晩、自分の店先で撫子の浴衣を着た娘に声をかけた男であることを、文字春はお雪の話で知った。おそろしい祟りはそれからそれへと手をひろげて、津の国屋の一家|眷属《けんぞく》にわざわいするのではあるまいか。津の国屋ばかりでなく、しまいには自分の身のうえにまで振りかかって来るのではあるまいかと恐れられて、文字春は実に生きている空もなかった。
かれは程近い円通寺のお祖師様へ日参《にっさん》をはじめた。
四
津の国屋の女房お藤の怪我はどうもはかばかしく癒らなかった。何分にも足の痛みどころであるから、それを悪くこじらせて打ち身のようになっても困るという心配から、そのころ浅草の馬道《うまみち》に有名な接骨《ほねつぎ》の医者があるというので、赤坂から馬道まで駕籠に乗って毎日通うことにした。
七月の初め、むかしの暦でいえばもう秋であるが、残暑はなかなか強いのと、その医者は非常に繁昌で、少し遅く行くといつまでも玄関に待たされるおそれがあるのとで、お藤は努めて朝涼《あさすず》のうちに家を出ることにしていた。けさも明け六ツ(午前六時)を少しすぎた頃に津の国屋の店を出て、お藤は待たせてある駕籠に乗る時にふと見ると、一人の僧が自分の家にむかって何か頻りに念じているらしかった。この間じゅうからいろいろの禍いがつづいている矢先であるので、お藤はなんとなく気にかかって、そのまま見過ごしてゆくことが出来なくなった。かれは立ち停まって、じっとその僧の立ち姿を見つめていると、彼女を送って出た小僧の勇吉も、黙って不思議そうに眺めていた。
僧は四十前後で、まず普通の托鉢僧という姿であった。托鉢の僧が店のさきに立つ――それは別にめずらしいことでもなかったが、ここらでかつて見馴れない出家であるのと、気のせいか彼の様子が何となく普通とは変って見えるので、お藤は駕籠によりかかったままでしばらく眺めていると、僧はやがて店の前を立ち去って、お藤の駕籠のそばを通りすぎる時に、口のうちでつぶやくように云うのが聞えた。
「凶宅じゃ。南無阿弥陀仏、なむあみだぶつ」
「あ、もし」と、お藤は思わず彼をよび止めた。「御出家様にちょいと伺いますが、何かこの家に悪いことでもございますか」
「死霊の祟りがある。お気の毒じゃが、この家は絶えるかも知れぬ」
こう云い捨てて彼は飄然《ひょうぜん》と立ち去った。お藤は蒼くなって跛足をひきながら内へころげ込んで、夫の次郎兵衛にそれを訴えると、次郎兵衛も一旦は眉を寄せたが又思い直したように笑い出した。
「坊主なんぞは兎角そんなことを云いたがるものだ。ここの家に怪我人がつづいたということを何処からか聞き込んで来て、こっちの弱味に付け込んでなにか嚇《おど》かして祈祷料でもせしめようとするのだ。今どきそんな古い手を食ってたまるものか。きっと見ろ。あした又やって来て同じようなことを云うから」
「そうですかねえ」
夫の云うことにも成程とうなずかれる節があるので、お藤は半信半疑でそのままに駕籠に乗った。しかも其の僧の姿が眼先にちら付いて、彼女は浅草へゆく途中も頻《しき》りにその真偽を疑っていたが、往きにも復《かえ》りにも別に変った出来事もなかった。あくる朝、かの僧は津の国屋の店先に姿を見せなかった。そうなると、一種の不安がお藤の胸にまた湧いて来た。かの僧が果たして人を嚇して何分かの祈祷料をせしめる料簡であるならば、嚇したままで姿を見せない筈はあるまい。彼が再びこの店先に立たないのをみると、やはりそれは真実の予言で、彼は夫がひと口に貶《けな》してしまったような商売ずくの卑しい売僧《まいす》ではないと思われた。店の者にも注意して店先を毎日窺わせたが、かの僧はそれぎり一度も姿をあらわさなかった。
勿論、店の者どもにも固く口止めをして置いたのであるが、小僧の巳之助が町内の湯屋でうっかりそれをしゃべったので、その噂はすぐに近所にひろまった。文字春の耳にもはいった。さなきだに此の間からおびえている彼女は、その噂を聞いていよいよ恐ろしくなった。彼女は往来で大工の兼吉に逢ったときにささやいた。
「ねえ、棟梁。どうかしようはないもんでしょうかね。お安さんの祟りで、津の国屋さんは今に潰《つぶ》れるかも知れませんよ」
「どうも困ったもんだ」
出入り場の禍いをむなしく眺めているのは、いかにも不人情のようではあるが、問題が問題であるだけに、差し当りどうすることも出来ないと、兼吉も顔をしかめながら云った。彼は文字春にむかって、いっそお前が津の国屋へ行って、お安の幽霊と道連れになったことを正直に話したらどうだと勧めたが、文字春は身ぶるいをして頭《かぶり》をふった。そんなことを迂濶に口走って、自分がどんな祟りを受けるかも知れないと、彼女はひたすら恐れていた。
こんなわけで、文字春は津の国屋の運命を危ぶむばかりでなく、自分の身の上までが不安でならなかった。彼女は毎日稽古に通ってくるお雪を見るのさえ薄気味悪くて、いつも其のうしろにはお安の亡霊が影のように付きまとっているのではないかと恐れられてならなかった。そのうちにこんな噂が又もや町内の女湯から伝わった。
津の国屋の女中でお松という、ことし二十歳《はたち》の女が、夜の四ツ(十時)少し前に湯屋から帰ってくると、薄暗い横町から若い女がまぼろしのように現われて、すれ違いながらお松に声をかけた。
「早く暇をお取んなさいよ。津の国屋は潰れるから」
びっくりして見返ると、その女の姿はもう見えなかった。お松は急に怖くなって息を切って逃げて帰った。主人にむかって真逆《まさか》にそんなことを打ち明けるわけにも行かないので、彼女は朋輩のお米《よね》にそっと話すと、お米は又それを店の者どもに洩らした。店の者ばかりでなく、女湯へ行ってもお米はそれを近所の人達に話した。それがまた町内の噂の種になった。
いつの代にも、すべてのことが尾鰭《おひれ》を添えて云い触らされるのが世間の習いである。まして迷信の強いこの時代の人たちは、こうした忌な噂がたびたび続くのを決して聞き流している者はなかった。噂はそれからそれへと伝えられて、津の国屋には死霊の祟りがあるということが、単に湯屋|髪結床《かみゆいどこ》の噂話ばかりでなく、堅気《かたぎ》の商人《あきんど》の店先でもまじめにささやかれるようになって来た。
あしたが草市《くさいち》という日に、お雪はいつものように文字春のところへ稽古に来た。丁度ほかに相弟子のないのを見て、彼女は師匠に小声で話した。
「お師匠《しょ》さん。おまえさんもお聞きでしょう。あたしの家には死霊の祟りがあるとかいう噂を……」
文字春はなんと返事をしていいか、少しゆき詰まったが、どうも正直なことを云いにくいので、彼女はわざと空とぼけていた。
「へえ。そんなことを誰か云うものがあるんですか。まあ、けしからない。どういうわけでしょうかねえ」
「方々でそんなことを云うもんですから、お父っさんや阿母《おっか》さんももう知っているんです。阿母さんは忌な顔をして、あたしのこの足ももう癒らないかも知れないと云っているんですよ」
「なぜでしょうね」と、文字春は胸をどきつかせながら訊いた。
「なぜだか知りませんけれど」と、お雪も顔を曇らせていた。「お父っさんや阿母さんも其の噂をひどく気に病んで、丁度お盆前にそんな噂をされると何だか心持がよくないと云っているんですの。誰が云い出したんだか知りませんけれど、まったく気になりますわ。津の国屋の前には女の幽霊が毎晩立っているなんて、飛んでもないことを云われると、嘘だと思っても気味が悪うござんす」
文字春はお雪が可哀そうでならなかった。お雪はなんにも知らないに相違ない。知らなければこそ平気でそんなことを云っているのであろう。むしろ正直に何もかも打ち明けて、なんとか用心するように注意してやりたいとは思ったが、どうも思い切ってそれを云い出すほどの勇気がなかった。かれはいい加減の返事をして其の場を済ませてしまった。
盆休みが過ぎてから、お雪は師匠のところへ来て又こんなことを云った。
「お師匠さん。家《うち》のお父っさんは隠居して坊主となると云い出したのを、阿母さんや番頭が止めたんで、まあ思い止まることになったんですよ」
「坊主に……」と、文字春もおどろいた。「旦那が坊主になるなんて、一体どうなすったんでしょうねえ」
十二日の朝、菩提寺の住職が津の国屋へ来た。棚経《たなぎょう》を読んでしまってから、彼は近ごろ御親類中に御不幸でもござったかと訊いた。この矢先に突然そんなことを訊かれて、津の国屋の夫婦もぞっとした。併しなんにも心当りはないと答えると、住職は首をかしげて黙っていた。その素振りがなんとなく仔細ありそうにも見えたので、夫婦はだんだん問いつめると、この頃三夜ほど続いて、津の国屋の墓のまえに若い女の姿が煙《けむ》のように立っているのを、住職はたしかに見とどけたというのであった。着物の色模様ははっきりとは判らなかったが、白地に撫子を染め出してあったように見えたと、住職はさらに説明した。
それでもやはり心あたりはないと云い切って、夫婦は相当の御経料を贈って、住職を帰してやったが、その夕方からお藤の足はまた強く痛み出した。次郎兵衛も気分が悪いと云って宵から寝てしまった。夜なかに夫婦が交る交るに唸り出したので、家《うち》じゅうの者がおどろいて起きた。お藤の痛みは翌日幸いに薄らいだが、次郎兵衛はやはり気分が悪いと云って、飯も碌々に食わないで半日は寝たり起きたりしていたが、午すぎから寺まいりに出て行った。しかしその晩、迎い火を焚く時に、主人だけは門口《かどぐち》へ顔を出さなかった。
十五の送り火を焚いてしまってから、次郎兵衛は女房と番頭とを奥の間へ呼んで、自分はもう隠居すると突然云い出した。女房は勿論おどろいたが、番頭の金兵衛もびっくりして、主人にその仔細を聞き糺したが、次郎兵衛はくわしい説明をあたえなかった。しかしそれが十三日の午すぎに寺まいりに行って、住職となにか相談の結果であるらしいことは想像された。主人が突然の隠居に対して、金兵衛はあくまでも反対であった。女房のお藤もやはり不同意で、たとい隠居するにしても、娘に相当の婿をとって初孫《ういまご》の顔でも見た上でなければならないと主張した。その押し問答のあいだに、次郎兵衛は単に隠居するばかりでなく、隠居と同時に出家《しゅっけ》する決心であることが判ったので、女房も番頭も又おどろいた。二人は涙を流して一刻《いっとき》あまりも意見して、どうにかこうにか主人の決心をにぶらせた。
「お父っさんがああ云うのも無理はないけれど、今だしぬけにそんなことをされちゃあ、この津の国屋の店もどうなるか判らないからねえ」と、お藤はあくる朝、むすめのお雪にそっと話した。
この話をきかされて、文字春は肚《はら》のなかでうなずいた。津の国屋の主人が隠居して頭を刈り丸めようとする仔細も大抵さとられた。おそらく菩提寺の住職に因果を説かれて、お安の死霊の恨みを解くために、俄かに発心《ほっしん》して出家を思い立ったのであろう。女房や番頭がそれに反対したのも無理はないが、見す見す死霊に付きまとわれて津の国屋の店をかたむけるよりも、お雪に然るべき婿を取って自分は隠居してしまった方が、むしろ安全ではあるまいかとも思われた。しかし、そんなことを滅多《めった》に口にすべきものではないので、彼女は黙ってお雪の話を聴いていた。
五
それから五、六日経つと、津の国屋の女中のお米《よね》がまたおどされた。それはやはりかのお松が怪しい女に出逢ったのと同じ刻限で、かれも町内の湯屋から帰る途中であった。その晩は雨がしとしと降っていたので、お米は番傘をかたむけて急いでくると、途中で足駄《あしだ》を踏みかえして鼻緒をふっつりと切ってしまった。何分にも薄暗い路ばたでどうすることも出来ないので、かれは鼻緒の切れた足駄をさげて片足は跣足《はだし》であるき出そうとすると、傘のかげから若い女の白い顔が浮き出して、低い声で云った。
「津の国屋は今に潰《つぶ》れるよ」
お松の話を聴いているので、お米は急に怖くなった。かれは思わずきゃっと叫んで、持っていた足駄をほうり出して、片足の足駄も脱いでしまって、跣足で自分の店へ逃げて帰ったが、年のわかいかれは店へかけ込むと同時にばったり倒れて気を失った。水や薬の騒ぎでようように息を吹きかえしたが、お米はその夜なかから大熱を発して、取り留めもない讒言《うわごと》を口走るようになった。
「津の国屋は今に潰れるよ」
かれは時々にこんなことも云った。主人夫婦は勿論、店の者共も気味を悪がって、病人のお米を宿へ下げてしまった。その駕籠の出るのをみて、近所の者はまたいろいろの噂を立てた。こんなことが長く続いていれば、店は次第にさびれるに決まっているので、番頭の金兵衛もひどく心配していたが、幸いにお藤の足の痛みはだんだんに薄らいで、もう此の頃では馬道へ通わないでも済むようになった。次郎兵衛は店の商売などはどうでもいいというようなふうで、毎日かならず朝と晩とには仏壇の前に座って念仏を唱えていた。
それらの事はお雪の口からみな文字春の耳にはいるので、彼女はいよいよ暗い心持になって、津の国屋は遅かれ早かれどうしても潰れるのではあるまいかと危ぶまれた。
八月になって、津の国屋にもしばらく変ったこともなかったが、十二日の宵に奥の間の仏壇から火が出て、代々の位牌も過去帳も残らず焼けてしまった。宵の口のことであるから、大勢がすぐに消し止めて幸いに大事にはならなかったが、場所もあろうに仏壇から火が出たということが家内の人々を又おびやかした。
「お燈明の火が風にあおられたのです」と、番頭の金兵衛は云った。
この矢先に又こんなことが世間に聞えてはよくないと、金兵衛は努めてそれを秘《かく》して置こうとしたが、誰がしゃべるのか近所ではすぐに知ってしまった。女中のお松ももう居たたまれなくなったと見えて、その月の末に親が病気だというのを口実にして、無理に暇を取って行った。先月にはお米が宿へ下がって、今月はお松が立ち去り、出代り時でもないのに女中がみな居なくなってしまったので、津の国屋では台所働きをする者に差し支えた。近所の桂庵《けいあん》でも忌な噂を知っているので、容易に代りの奉公人をよこさなかった。
「この頃は阿母《おっか》さんとあたしが台所で働くんですよ」と、お雪は文字春に話した。「それでも阿母さんはまだほんとうに足が良くないんですから、あたしが成るたけ働くようにしています。今だからよござんすけれど、だんだん寒くなると困りますわ」
そういうわけであるから当分は稽古にも来られまいとお雪はしおれた。稽古はともかくも、今まで大きな店で育っているお雪が毎日の水仕事は定めて辛かろうと、文字春も涙ぐまれるような心持で、不運な若い娘の顔を眺めていると、お雪はまた云った。
「お父っさんは隠居するのも、坊さんになるのも、まあ一旦は思い止まったんですけれど、この頃になって又どうしても家には居られないと云い出して、ともかくも広徳寺前のお寺へ当分行っていることになったんです。阿母さんや番頭が今度もいろいろに止めたんですけれど、お父っさんはどうしても肯《き》かないんだから仕方がありません」
「坊さんになるんじゃないんでしょう」
「坊さんになる訳じゃないんですけれど、なにしろ当分はお寺の御厄介になっていて、ほかの坊さん達が暇な時には、御経を教えて貰うことになるんですって。なんと云っても肯かないんだから、阿母さんももうあきらめているようです」
「でも、当分はお寺へ行っていて、気が少し落ち着いたら却っていいかも知れませんね」と、文字春は慰めるように云った。「その方がお家の為かも知れませんよ。そうなると、あとは阿母さんと番頭さんとで御商売の方をやって行くことになるんですね。それでも番頭さんが帳場に坐っていなされば大丈夫ですわ」
「ほんとうに金兵衛がいなかったら、家は闇です。あとは若い者ばかりですから」
番頭の金兵衛は十一の年から津の国屋へ奉公に来て、二十五年間も無事に勤め通して今年三十五になるが、まだ独身《ひとりみ》で実直に帳場を預かっている。ほかには源蔵、長太郎、重四郎という若い者と、勇吉、巳之助、利七という小僧がいる。それに主人夫婦とお雪と、都合十人暮しの家内に対して、女中二人では今迄でも少し無理であったところへ、その女中がみな立ち去ってしまっては、これだけの人間に三度の飯を食わせるだけでも容易でない。その苦労を思いやると、文字春はいよいよお雪を可哀そうに思ったが、まさかに手伝いに行ってやるわけにもゆかないので、これからだんだんに寒空にむかって、お雪の白い柔らかい手先に痛ましいひびの切れるのをむなしく眺めているよりほかはなかった。
「それでも小僧さんが少しは手伝ってくれるでしょう」
「ええ。勇吉だけはよく働いてくれます」と、お雪は云った。「ほかの小僧はなんにも役に立ちません。暇さえあれば表へ出て、犬にからかったりなんかしているばかりで……」
「なるほど勇どんはよく働くようですね」
勇吉は金兵衛の遠縁の者で、やはり十一の年から奉公に来て、まだ六年にしかならないが、年の割にはからだも大きく人間も素捷《すばや》い方で、店の仕事の合い間には奥の用にも身を入れて働く。若い者のうちでは長太郎がよく働く。彼は十九で、さきに屋根瓦が落ちて傷つけられた時にも、頭と顔とを白布で巻いて、その日からいつもの通りに働いていたのを、文字春も知っていた。
それから二日の後に、津の国屋の主人は下谷広徳寺前の菩提寺へ引き移った。主人は寺のひと間を借りて当分はそこに引き籠っているのであると、津の国屋では世間に披露していたが、近所では又いろいろの噂をたてて、津の国屋の主人はとうとう坊主になったとか、少し気が触れたとか、思い思いの想像説を伝えていた。
九月も十日をすぎて、朝晩はもう薄ら寒くなって来た。文字春は午前《ひるまえ》の稽古をすませて、午から神明の祭りに参詣しようと思って、着物などを着かえていると、台所の口で案内を求める声がきこえた。小女が出てみると、もう五十近い女が小腰をかがめて会釈《えしゃく》した。
「あの、お師匠《しょ》さんはお家《うち》でしょうか」
狭い家でその声はすぐにこっちへも聞えたので、文字春はあわてて帯をむすびながら出た。
「おまえさんがお師匠さんでございますか」と、女は改めて会釈した。「だしぬけにこんなことを願いに出ますのも何でございますが、お師匠さんはあの津の国屋さんとお心安くしておいでなさるそうでございますね」
「はあ、津の国屋さんとは御懇意にしています」
「うけたまわりますと、あの店では女中さんが無くって困っているとか申すことですが……。わたくしは青山に居ります者で、どこへか御奉公に出たいと存じて居りますところへ、そんなお噂をうかがいましたもんですから、わたくしのような者で宜しければ、その津の国屋さんで使って頂きたいと存じまして……。けれども、桂庵の手にかかるのは忌《いや》でございますし、津の国屋さんへだしぬけに出ますのも何だか変でございますから、まことに御無理を願って相済みませんが、どうかお師匠さんのお口添えを願いたいと存じまして……」
「ああ、そうですか」
文字春も少しかんがえた。だんだんに寒空にむかって、津の国屋で奉公人に困っているのは判り切っている。年は少し老《と》っているし、あまり丈夫そうにも見えないが、この女一人が住み付いてくれれば津の国屋でもどのくらい助かるかもしれない。お雪も水仕事をしないで済むかも知れない。まことにいい都合であると思ったが、なにをいうにも相手は初対面の女である。身許《みもと》も気心もまるで知れないものを迂濶に引き合わせる訳には行かないと、彼女はしばらくその返答に躊躇していると、女もそれを察したらしく、気の毒そうに云った。
「だしぬけに出ましてこんなことを申すのですから、定めて胡乱《うろん》な奴とおぼしめすかも知れませんが、いよいよお使いくださると決まりますれば、身許もくわしく申し上げます。決しておまえさんに御迷惑はかけませんから」
「じゃあ、少しここに待っていてください。ともかくも向うへ行って訊いて来ますから」
出先でちょうど着物を着かえているのを幸いに、文字春はすぐに津の国屋へ駈けて行った。女房に逢ってその話をすると、津の国屋では困り切っている最中であるので、すぐにその奉公人を連れて来てくれと云った。
「お師匠さんのおかげで助かります」と、お雪もしきりに礼を云った。
文字春は皆から礼を云われて、善いことをしたと喜びながら家へ帰って、すぐにその女を津の国屋へ連れて行った。女はお角《かく》といって、年が年だけに応待も行儀もひと通り心得ているらしいので、津の国屋では故障なしに雇い入れることに決めた。
六
三日の目見得《めみえ》もとどこおりなく済んで、お角は津の国屋へいよいよ住み込むことになった。お雪は菓子折を持って文字春のところへ礼に来た。新参ながらお角はひどく女房の気に入っているという話を聞いて、文字春もまず安心した。
お角も礼に来た。それが縁になって、お角は使に出たついでなどに文字春のところへ顔を出した。そうして、やがて一と月ほども無事にすぎた時に、お角はいつものように訪《たず》ねて来て、文字春となにかの話の末にこんなことをささやいた。
「お師匠さんにもいろいろ御厄介になったんですが、わたくしは津の国屋に長く辛抱できればいいがと思っていますが……」
「でも、大変におかみさんの気に入っているというじゃありませんか」と、文字春は不思議そうに訊いた。
「全くおかみさんは目にかけて下さいますし、お雪さんも善い人ですから、なにも不足はないのでございますが……」
云いかけて彼女は口をつぐんだ。それを押し詰めて詮議すると、津の国屋の女房お藤は番頭の金兵衛と不義を働いているというのであった。金兵衛は男盛りの独身者《ひとりもの》であるが、お藤はもう五十を越えている。まさかにそんな不埒《ふらち》を働く筈はあるまいと、文字春も初めは容易に信用しなかったが、お角はその怪しい形跡をたびたび認めたというのである。土蔵の奥や二階のひと間へ不義者がそっと連れ立ってゆくのを、自分はたしかに見とどけたと彼女は云った。
「併しそんなことがいつまでも知れずには居りますまい」と、お角は溜息をついた。「もし何かの面倒が起りました時に、わたくしが手引きでも致したように思われましては大変でございます」
主人の女房と家来とが密通の手引きをした者は、その時代の法としては死罪である。お角が津の国屋に奉公をしているのを恐れるのも無理はなかった。お角は暇をとれば、それで済むが、済まないのは女房と番頭との問題で、万一それが本当であるとすれば、津の国屋が潰れるような大騒動が出来《しゅったい》するに相違ない。死霊の祟りよりもこの祟りの方が覿面《てきめん》に怖く思われて、文字春はまた蒼くなった。
しかし彼女はまだ一途《いちず》にお角の話を信用することも出来ないので、そんなことを迂濶に口外してはならぬと、くれぐれもお角に口止めをして帰した。
よもやとは思いながら、文字春も幾らかの疑いを懐かないわけには行かなかった。お雪は父が自分から進んで菩提寺へ出て行ったように話していたが、あるいは女房と番頭とが狎《な》れ合いでうまく勧めて追い出したのではあるまいかとも疑われた。年も五十を越して、ふだんは物堅いように見えていた女房に、そんな恐ろしい魔が魅《さ》すというのも、やはり死霊の祟りではあるまいかとも恐れられた。
お安という女の執念はいろいろの祟りをなして、結局、津の国屋をほろぼすのではあるまいかとも思われた。併しこればかりは、文字春は誰に話すことも出来なかった。お雪にかまをかけて聞き出すことも出来なかった。
「いくら願っても、お暇をくださらないので困ります」
お角はその後にも来て文字春に話した。この間からお暇を願っているが、おかみさんがどうしても肯いてくれない。お給金が不足ならば望み通りにやる。年の暮には着物も買ってやる。こっちでは十分に眼をかけてやるから、せめて来年の暖くなるまで辛抱してくれと云われるので、こっちもさすがにそれを振り切って出ることも出来ないので困っていると、お角はしきりに愚痴をこぼしていた。かれが暇を願っているのは事実であるらしく、お雪も文字春のところへ来てそんなことを話した。お角はいい奉公人であるから、なんとかして引き留めて置きたいと阿母さんもふだんから云っていると、彼女はなんの秘密も知らないように話していた。
自分が世話をした奉公人が評判がいいのは結構であるが、もし津の国屋の内輪《うちわ》にそんな秘密が忍んでいるとすれば、その奉公人を周旋した自分の身の上にどんな係り合いが起らないとも限らないと、文字春はそれがためにまた余計な苦労を増した。併しその後も別に何事もなしに過ぎて、今年ももう師走のはじめになった。底寒い日が幾日もつづいて、時々に大きい霰《あられ》が降った。
「おい、師匠。もう起きたかえ」
師走の四日の朝、もう五ツ(午前八時)を過ぎたころに、大工の兼吉が文字春の家の格子をあけた。
「あら、棟梁。なんぼあたしだって……。もうこのとおり、朝のお稽古を二人も片付けたんですよ。節季《せっき》師走《しわす》じゃありませんか」
「そんなに早起きをしているなら知っているのかえ。津の国屋の一件を……」
「津の国屋の……。どうしたんです。何かあったんですか」と、文字春は長火鉢の上へ首を伸ばした。
「とんでもねえことが出来てしまって、ほんとうに驚いたよ」と、兼吉も火鉢の前に坐って、まず一服すった。
「おかみさんと番頭さんが土蔵のなかで首をくくったんだ」
「まあ……」
「全くびっくりするじゃねえか。何ということだ。呆《あき》れてしまった」
兼吉は罵るように云いながら、火鉢の小縁《こべり》で煙管《きせる》をぽんぽんと叩くと、文字春の顔の色は灰のようになった。
「どうしたんでしょうねえ、心中でしょうか」と、彼女は小声で訊いた。
「まあ、そうらしい。別に書置らしいものも見当らねえようだが、男と女が一緒に死んでいりゃ先ずお定まりの心中だろうよ」
「だって、あんまり年が違うじゃありませんか」
「そこが思案のほかとでもいうんだろう。出入り場のことを悪く云いたかねえが、あのおかみさんも一体よくねえからね。いつかも話した通り、お安という貰い娘《こ》をむごく追い出したのも、おかみさんが旦那に吹っ込んだに相違ねえ。そんなことがやっぱり祟っているのかも知れねえよ。なにしろ津の国屋は大騒ぎさ。二人も一度に死んでいるんだから、内分にも何にもなることじゃあねえ。取りあえず主人を下谷から呼んでくるやら、御検視を受けるやら、家じゅうは引っくり返るような騒動だ。なんと云っても出入り場のことだから、おいらも今朝から手伝いに行ってはいるが、娘と奉公人ばかりじゃあどうすることも出来ねえので弱っている」
「そうでしょうねえ」
お角の話が今更のように思い合わされて、文字春は深い溜息をついた。
「それで御検視はもう済んだんですか」
「いや、御検視は今来たところだ。そんなところにうろついていると面倒だから、おいらはちょいとはずして来て、御検視の引き揚げた頃に又出かけようと思っているんだ」
「それじゃあ、あたしももう少し後に行きましょう。そんな訳じゃあお悔みというのも変だけれど、まんざら知らない顔も出来ませんからね」
「そりゃあそうさ。まして師匠はあすこの家まで幽霊を案内して来たんだもの」
「いやですよ」と、文字春は泣き声を出した。「後生《ごしょう》ですから、もうそんな話は止して下さいよ。なんの因果で、あたしはこんな係り合いになったんでしょうねえ」
半刻《はんとき》あまりも過ぎて、兼吉は再び出ていった。文字春はこわごわながら門口《かどぐち》へ出て見ると、近所の人達もみな門《かど》に出てなにか頻りにいろいろの噂をしていた。津の国屋のまえにも大勢の人があつまって内を覗いていた。きょうも朝から雲った日で、灰を凍らせたような暗い大空が町の上を低く掩っていた。
「おい、師匠。御近所がちっと騒々しいね」
声をかけられて見返ると、それはここらを縄張りにしている岡っ引の常吉であった。桐畑の幸右衛門はこのごろ隠居同様になって、伜の常吉が専ら御用を勤めている。彼はまだ二十五六の若い男で、こんな稼業には似合わないおとなしやかな色白の、人形のような顔かたちが人の眼について、人形常という綽名《あだな》をとっているのであった。
人に可愛がられない商売でも、男は男、しかも人形の常吉に声をかけられて文字春は思わず顔をうすく染めた。かれは袖口で口を掩いながら初心《うぶ》らしく挨拶した。
「親分さん。お寒うございます」
「ひどく冷えるね。冷えるのも仕方がねえが、また困ったことが出来たぜ」
「そうですってね。もう御検視は済みましたか」
「旦那方は今引き揚げるところだ。就いては師匠、おめえにちっと訊きてえことがあるんだが、後に来るよ」
「はあ、どうぞ、お待ち申しております」
常吉はそのまま津の国屋の方へ行ってしまった。文字春はあわてて内へはいって、別の着物を出して着換えた。帯も締めかえた。そうして、長火鉢へたくさんの炭をついだ。かれは津の国屋の一件について、なにかの係り合いになるのを恐れながら、一方には常吉の来るのを迷惑には思っていなかった。
七
「師匠。内かえ」
常吉が文字春の家の格子をくぐったのは、それから一刻《いっとき》ほどの後であった。文字春は待ち兼ねていたように、すぐに長火鉢のまえを起って出た。
「さきほどは失礼。きたないところですが、どうぞこちらへ……」
「じゃあ、ちっと邪魔をするぜ」
若い岡っ引が草履をぬいで内へあがると、文字春は小女に耳打ちをして、近所の仕出し屋へ走らせた。
「ところで、師匠。早速だが、少しおめえに訊きてえことがある。あの津の国屋の娘はおめえの弟子だというじゃあねえか。師匠も津の国屋へときどき出這入りすることもあるんだろう」
「はあ。時々には……」と、文字春はうなずいた。「ですから、きょうも後にちょいと顔出しをしようと思っているんです」
「ところで、素人《しろと》っぽいことを訊くようだが、今度の一件についてなんにも心当りはねえかね。おいらの考えじゃあ、おかみさんと番頭の心中はどうも呑み込めねえ。あれには何か込み入ったわけがあるだろうと思うんだが……。おいらは前から知っているが、あの金兵衛という番頭は白鼠で、そんな不埒を働く人間じゃあねえ。ましておかみさんとは母子《おやこ》ほども年が違っている。たとい一緒に死んだとしても、心中じゃあねえ。何かほかに仔細があるに相違ねえ。今の処じゃあ年の若けえ娘と奉公人ばかりで、何を調べても一向に手応《てごて》えがねえので困っているんだが、師匠、決しておめえに迷惑はかけねえ。なにか気のついたことがあるんなら教えてくんねえか」
「そうですねえ。親分も御承知でしょう。なんだか津の国屋にいやな噂のあることは……」
「いやな噂……」と、常吉もうなずいた。「なにかあの店が潰れるとかいうんじゃねえか」
「そうですよ。あたしはよく知りませんけれど、津の国屋にはお安さんとかいう娘の死霊が祟っているとかという噂ですが……」
「娘の死霊……。そりゃあおいらも初耳だ。そうして、その娘はどうしたんだ」
相手が乗り気になって耳を引き立てるので、文字春は自然に釣り出されたのと、もう一つには常吉に手柄をさせてやりたいというような下心《したこころ》をまじって、彼女はさきに兼吉から聞かされたお安の一件をくわしく話した。まだその上に自分がお祖師様へ参詣の帰り路で、お安の幽霊らしい若い娘と道連れになったことまで怖々《こわごわ》とささやくと、常吉はいよいよ熱心に耳をかたむけていた。殊に文字春が幽霊のような娘に出逢ったということが彼の興味を惹いたらしかった。彼はその娘の年ごろや人相や服装《みなり》などを一々明細に聞きただして、自分の胸のうちに畳み込んでいるように見えた。
「むむ。こりゃあいいことを聞かしてくれた。師匠、あらためて礼をいうぜ、そんなことはちっとも知らなかった」
仕出し屋から誂えの肴を持ち込んで来たので、文字春はすぐに酒の支度をした。
「こりゃあ気の毒だな。こんな厄介になっちゃあいけねえ」と、常吉はこころから気の毒そうに云った。
「いいえ、ほんの寒さしのぎにひと口、なんにもございませんけれど、あがってください」
「じゃあ、折角だから御馳走になろう」
二人は差し向いで飲みはじめた。その間に、文字春は津の国屋の一件について、自分の知っているだけのことを残らずしゃべってしまった。女中のお角は自分が世話をしたんだということも打ち明けた。これも常吉の注意を惹いたらしく、彼はときどきに猪口《ちょこ》をおいて考えていた。なんだか残り惜しそうに引き留める師匠をふり切って、彼は半刻ほどの後にここを出た。
「まだ御用がたくさんある。いい心持に酔っちゃあいられねえ。また来るよ」
彼は幾らかの金をつつんで、文字春が辞退するのを無理に押しつけるようにして置いて行った。霰はまだ時々にばらばらと降っていた。常吉はその足で再び津の国屋へ引っ返して、なにかの手伝いをしている大工の兼吉を表へ呼び出して、お安のことをもう一度訊きただした。それから女中のお角をよび出して、女房と番頭との関係についても一応詮議すると、お角は文字春にも話した通り、たしかに二人が密会しているらしい証跡を見とどけたと云った。しかし自分は新参者で、それにはなんにも関係のないということを繰り返して弁解していた。常吉はそれだけの調べを終って、更に八丁堀へ顔を出すと、同心たちの意見も心中に一致していて、もう詮議の必要を認めないような口ぶりであった。それでも此の時代に於いては、主人と奉公人との密通は重大事件であるから、なにか新しく聞き込んだことがあったならば、油断なく更に詮議しろとのことであった。常吉はお安の幽霊一件を同心らの前ではまだ発表しなかった。ただ自分には少し腑に落ちないところがあるから、もう一と足踏み込んで詮議してみたいというだけのことを断わって帰って来た。彼はそれからすぐに神田三河町の半七をたずねて、何かしばらく相談して別れた。
その次の日の午過ぎに津の国屋から女房お藤の葬式《とむらい》が出た。しかし番頭と心中したということになっている以上、無論に表向きの葬式を営むことも出来ないので、日の暮れるのを待ってこっそりと棺桶をかつぎ出した。近所の者もわざと遠慮して、大抵は見送りに行かなかった。文字春も津の国屋へ悔みに行っただけで、葬式の供には立たなかった。大工の兼吉と店の若い者二人と、親類の総代が一人、唯それだけの者が忍びやかに棺のあとについて行った。内福と評判されている津の国屋のおかみさんの葬式があの姿とは、心柄とはいいながらあんまり哀れだと近所の者もささやきあっていた。世間に対して面目ないせいもあろう、主人の次郎兵衛は奥に閉じ籠ったきりで、ほとんど誰にも顔をあわせなかったが、初七日《しょなのか》のすむのを待って再び寺へ帰るとの噂であった。
女房も番頭も同時に世を去って、あとは若い娘のお雪ひとりである。その上に主人が寺へ帰ってしまったらば、誰が店を取り締って行くであろう、と近所では専ら噂していた。文字春も不安でならなかった。死霊の祟りで津の国屋はとうとう潰れてしまうのかと、彼女はいよいよおそろしく思った。
そのうちに初七日も過ぎたが、次郎兵衛はやはり津の国屋を立ち退かなかった。彼はあまりに意外の出来事におどろかされて、葬式の出たあくる日から病気になって、どっと床に就いているのだと伝えられた。店の方は休みも同様で、二、三人の親類が来て家内の世話しているらしかった。
津の国屋の初七日が過ぎて三日の夜であった。文字春は芝のおなじ稼業の家に不幸があって、その悔みに行った帰り途に、溜池の縁《ふち》へさしかかったのはもう五ツ(午後八時)を過ぎた頃であった。津の国屋といい、今夜といい、とかくに忌なことばかり続くので、文字春もいよいよ暗い心持になった。早く帰るつもりであったのが思いのほかに時を費したので、暗い寂しい溜池のふちを通るのが薄気味が悪かった。今日《こんにち》と違って、山王山の麓をめぐる大きい溜池には河獺《かわうそ》が棲むという噂もあった。幽霊の娘と道連れになったことなどを思い出して、文字春はぞっとした。月のない、霜ぐもりとでも云いそうな空で、池の枯蘆《かれあし》のなかでは雁の鳴く声が寒そうにきこえた。文字春は両袖をしっかりとかきあわせて、自分の下駄の音にもおびやかされながら、小股に急いで来ると、暗い中から駈けて来た者があった。
避ける間もなしに両方が突き当ったので、文字春はぎょっとして立ちすくむと、相手はあわただしく声をかけた。
「早く来てください。大変です」
それは若い女、しかも津の国屋のお雪の声らしいので、文字春はまた驚かされた。
「あの、お雪さんじゃありませんか」
「あら、お師匠さん。いいところへ……。早く来てください」
「一体どうしたの」と、文字春は胸を躍らせながら訊いた。
「店の長太郎と勇吉が……」
「長どんと勇どんが……。どうかしたんですか」
「出刃庖丁で……」
「まあ、喧嘩でもしたんですか」
暗い中でよく判らないが、お雪はふるえて息をはずませているらしく、もう碌々に返事もしないで、師匠の足もとにべったりと坐ってしまった。
「しっかりおしなさいよ」と、文字春は彼女を抱き起しながら云った。「そうして、その二人はどこにいるんです」
「なんでもそこらに……」
なにしろ暗いので、文字春にはちっとも見当が付かなかった。水明かりでそこらを透かしてみたが、近いところでは二人の人間があらそっている様子も見えなかった。仕方がなしに彼女は声をあげて呼んだ。
「もし、長さん、勇さん……。そこらにいますか。長さん……、勇さん……」
どこからも返事の声はきこえなかった。暗さは暗し、不安はいよいよ募ってくるので、文字春はお雪の手を引いて、明るい灯の見える方角へ一生懸命にかけ出した。
八
半分は夢中で自分の家のまえまで駈けて来て、文字春は初めてほっと息をついた。よく見ると、お雪も真っ蒼になって、今にも再び倒れそうにも思われたので、ともかくも家の中へ連れ込んで、ありあわせの薬や水を飲ませた。すこし落ち着くのを待って今夜の出来事を聞きただすと、それは又意外のことであった。
今夜お雪が店先へ出ると、あとから若い者の長太郎がついて来て、少し話があるから表までちょいと出てくれというので、なに心なく一緒に出ると、長太郎は突然に短刀を抜いて彼女の眼の先に突きつけた。そうして、そこまで黙って一緒に来いとおどした。相手が鋭い刃物を持っているのにおびやかされて、お雪は声を立てることが出来なかった。両隣りにも人家がありながら、声を立てたら命がないとおどされているので、彼女は身をすくめたままで溜池のふちまで連れて行かれた。
長太郎はあたりに往来のないのを見て、自分の女房になってくれとお雪に迫った。おどろいて返答に躊躇していると、長太郎はいよいよ迫って、もし自分の云うことを肯かなければ、おまえを殺してこの池へ投げ込んで、自分もあとから身を投げて、世間へは心中と吹聴《ふいちょう》させると云った。お雪はいよいよおびえて、しきりに堪忍してくれと頼んだが、長太郎はどうしても肯かなかった。お雪はもう切羽《せっぱ》つまったところへ、小僧の勇吉があとから駈けて来て、これも出刃庖丁を振りかざして、やにわに長太郎に斬ってかかった。二人は短刀と出刃庖丁とで闘った。お雪は途方にくれて、誰かの救いを呼ぼうとして夢中で駈け出したが、もう気が転倒しているので反対の方角へ足を向けたらしく、あたかもこっちへ帰って来る文字春に突き当ったのであった。
そう判って見ると、いよいよ捨てては置かれないので、文字春はすぐに津の国屋へ知らせに行った。店でもその報告に驚かされたらしく、若い者二人と小僧二人とが提灯を持って其の場へ駈け付けると、果たして長太郎と勇吉とが血だらけになって枯蘆の中に倒れているのを発見した。どっちも二、三ヵ所の浅手を負った後に、刃物を捨てて組討ちになったらしく、二人は堅く引っ組んだままで池の中へころげ落ちていた。刃物の傷はみな浅手で命にかかわるようなことはなかったが、池へころげ落ちた時に、長太郎は運悪く泥深いところへ顔を突っ込んだので、そのまま息が止まってしまった。勇吉は半死半生の体《てい》であったが、これは手当ての後に正気にかえった。
お雪を無事に送りとどけて貰ったので、津の国屋では文字春にあつく礼を云った。しかし津の国屋よりもほかに礼を云ってもらいたい人があるので、文字春はさらに桐畑の常吉の家へと報《し》らせに行った。
「どうせ一人死んだことですから、そちらの耳へも無論はいりましょうが、なるべく早い方がいいかと思いまして……」
「いや、それはありがてえ」と、ちょうど居合わせた常吉がすぐに出て来た。「よく知らせてくれた。じゃあ、これから出かけるとしよう。これでこの一件もたいがい眼鼻が付いたようだ。師匠、今にお礼をするよ」
思い通りに礼を云われて、文字春は満足して帰った。かれはもう死霊の怖いことなどは忘れていた。ちっとぐらい祟られてもいいから、自分も立ち入ってこの事件のために働いて見たいような気にもなった。
常吉はすぐに津の国屋へ行ってみると、勇吉の傷は右の手に二ヵ所と、左の肩に一ヵ所であったが、どれも手重いものではなかった。それでもよほど弱っているらしいのを常吉はいたわりながら、町内の自身番へ連れて行った。
「おい、小僧。おめえはえれえことをやったな。命がけで主人の娘の難儀を救ったんだ。お上から御褒美が出るかも知れねえぞ。しかしおめえはどうして刃物を持って長太郎のあとから追っかけて行ったんだ。あいつが娘を連れ出すところを見ていたのか」
弱ってはいたが、勇吉は案外はっきりと答えた。
「はい、見ていました。長太郎が刃物でお雪さんをおどかして、無理にどこへか連れて行こうとするのを見ましたから、空手《からて》じゃあいけないと思って、すぐに台所から出刃庖丁を持ち出して行きました。そうして溜池のところで追っ付いたんです」
「よし、判った。だが、まだ一つ判らねえことがある。おめえはそれを見つけたら、なぜほかの者に知らせねえ。自分一人で刃物を持ち出して行くというのはおかしいじゃねえか」
勇吉は黙っていた。
「ここが大事のところだ」と、常吉は諭《さと》すように云った。「おめえが褒美を貰うか、下手人《げしゅにん》になるか、二つに一つの大事のところだ、よく落ち着いて返事をしろ」
勇吉はやはり黙っていた。
「じゃあ、おれの方から云うが、おめえは何か長太郎を怨んでいるな。娘を助ける料簡も無論だが、まだ其のほかに、いっそここで長太郎をやっつけてしまおうという料簡がありゃあしなかったか、どうだ。はっきり云え」
「恐れ入りました」と、勇吉は素直に手をついた。
「むむ、そうか」と、常吉はうなずいた。「よく素直に申し立てた。そこで、なぜ長太郎をやっつける気になった。長太郎になにか遺恨でもあるのか」
「どうも仇《かたき》のように思われてなりませんので……」
「かたき……。むむ、おめえは津の国屋の番頭の親類だということだな」
「はい。金兵衛の縁で津の国屋へ奉公にまいりました」
「その金兵衛の仇……。長太郎が金兵衛を殺したのか」と、常吉は念を押した。
「どうもそう思われてなりません」と、勇吉は眼をふいた。
それには何か証拠があるかと常吉が押し返してきくと、勇吉は別に確かな証拠はないと云った。併しどうもそう思われてならない。金兵衛は自分の親類であるが、決して主人と不義密通を働くような人間ではない。かれの死骸を土蔵の中で発見した時から、これは自分で首をくくったのではない、誰かが彼を絞め殺してその死骸を土蔵の中へ運び込んだのに相違ないと判断したが、何分にも確かな証拠がないので、自分はよんどころなしに今まで黙っていたのであると、勇吉は申し立てた。それにしても、数ある奉公人の中でどうして長太郎一人を下手人と疑ったのかと、常吉はかさねて詮議すると、その前日の午《ひる》すぎに長太郎が主人の娘に向って何か冗談を云った。それがあまりにしつこいのと猥《みだ》りがましいのとで、帳場にいた金兵衛が聞き兼ねて、大きい声で長太郎を叱り付けた。叱られた長太郎はすごすご起って行ったが、その時に彼は怖い眼をして金兵衛をじろりと睨んだ。その鋭い眼つきが今でも自分の眼に残っていると勇吉は云った。
併しそれだけのことでは表向きの証拠にならないので、勇吉は口惜しいのを我慢していると、今夜の事件が測らずも出来《しゅったい》した。憎らしい長太郎が主人の娘を脅迫して、どこへか連れて行こうとするのである。今年十六の勇吉はもう堪忍ができなくなって、いっそ彼を殺してお雪を救おうと、咄嗟《とっさ》のあいだに思案を決めたのであった。
「よし、よし、よく申し立てた」と、常吉は満足したようにうなずいた。「傷養生をして後日《ごにち》の御沙汰を待っていろ。かならず短気を出しちゃあならねえぞ。金兵衛の仇はまだほかにも大勢ある。それは俺がみんな仇討ちをしてやるから、おとなしく待っていろ」
「ありがとうございます」と、勇吉は再び眼を拭いた。
勇吉をいたわって、あとから津の国屋へ送ってやるようにと町《ちょう》役人に云いつけておいて、常吉はすぐに津の国屋へ引っ返して行こうとして、文字春の家の前を通りかかると、家の中では何かけたたましい女の叫び声がきこえた。それが耳について思わず立ちどまる途端に、水口《みずくち》の戸を押し倒すような物音がして、ひとりの女が露路の中から転がるように駈け出して来た。つづいて又一人の女が何か刃物をふり上げて追って来るらしかった。常吉は飛んで行って、あとの女の前に立ちふさがると、女は夜叉《やしゃ》のようになって彼に斬ってかかった。二、三度やりたがわして其の刃物をたたき落して、常吉は叫んだ。
「お角、御用だ」
御用の声を聞くと、女は掴まれた腕を一生懸命に振りはなして、もとの露路の奥へ引っ返して駈け込んだ。常吉はつづいて追ってゆくと、逃げ場を失ったものか但しは初めから覚悟の上か、かれはそこにある井戸側に手をかけたと思うと、身をひるがえして真っ逆《さか》さまに飛び込んだ。
長屋じゅうの手を借りて常吉はすぐに井戸の中から女を引き揚げさせたが、かれはもう息が絶えていた。それが文字春の世話で津の国屋へ奉公に行ったお角であることは、常吉も初めから知っていた。文字春の話によると、たった今その水口の戸をそっとたたいて師匠に逢いたいという者がある。この夜更けに誰か知らんと思いながら、文字春は寝衣《ねまき》のままで出て見ると、それはかのお角で、お前が余計なおしゃべりをしたもんだから何もかもばれてしまったと云いながら、隠していた剃刀《かみそり》でいきなりに斬ってかかったので、文字春はおどろいて表へ逃げ出したというのであった。
「大方そんなことだろうと思った。だが、まあ、怪我がなくてよかった」と、常吉は云った。
女房と番頭と二人の死人を出した津の国屋では、それから十日も経たないうちに、又もや長太郎とお角と二人の死人を出した。しかし、これで丁度差し引きが付いたのであるということが後に判った。
九
津の国屋のお藤を絞め殺したのは、女中のお角であった。金兵衛を絞め殺したのは、勇吉の想像の通りに若い者の長太郎であった。かれらは女房と番頭が熟睡しているところを絞め殺して、二つの死骸をそっと土蔵の中へ運び込んで、あたかも二人が自分で縊《くび》れ死んだようによそおったのであった。
津の国屋の親戚で、下谷に店を持っている池田屋十右衛門、浅草に店を持っている大桝屋弥平次、無宿のならず者熊吉と源助、矢場女お兼、以上の五人は神田の半七と桐畑の常吉の手であげられた。津の国屋の菩提寺の住職と無宿の托鉢僧とは寺社方の手に捕えられた。これでこの一件は落着《らくぢゃく》した。
これまで書けば、もう改めてくわしく註するまでもあるまい。池田屋十右衛門と大桝屋弥平次と菩提寺の住職と、この三人が共謀して、かねて内福の聞えのある津の国屋の身代を横領しようと巧んだのであった。津の国屋の主人次郎兵衛は貰い娘《こ》のお安をむごたらしく追い出して、とうとう変死をさせたことを内心ひそかに悔んでいた。殊に惣領娘のお清があたかもお安と同い年で死んだので、彼はいよいよそれを気に病んで、おりおりには菩提寺の住職に向って懺悔話をすることもあった。それが彼等三人に悪計を思い立たせる根源で、坊主が一人加わっているだけに、かれらはお安の死霊を種にして津の国屋の一家をおびやかそうと企てた。
今日から考えると、頗る廻り遠い手段のようではあるが、その時代の彼等としては余ほど巧妙な手段をめぐらそうとしたのかも知れない。かれらはまず死霊の祟りということを云い触らさせて、津の国屋一家に恐れを懐かせ、さらに菩提寺の住職から次郎兵衛をおどして、体《てい》よく隠居させて自分の寺内へ押し込めてしまうつもりであった。そうすれば、いやでも娘のお雪に婿を取らなければならない。その婿には池田屋十右衛門の次男を押し付けるという段取りで、だんだんにその計略を進行させることになった。しかし堅気の商人《あきんど》や寺の坊主ばかりでは、万事が不便であるので、かれらは浅草下谷をごろ付きあるいている無宿者の熊吉と源助とを味方に抱き込んだ。
お安の幽霊に化けたのは、浅草のお兼という矢場女で、見かけは十七八の初心《うぶ》な小娘らしいが、実はもう二十を二つも越しているという莫蓮者《ばくれんもの》で、熊吉の世話でこれもこの一件の徒党に加わったのであった。熊吉と源助は津の国屋の近所を徘徊して、絶えずその様子をうかがっているうちに、お雪の師匠の文字春が堀の内へ参詣に行って、その帰り路はきっと日が暮れるのを見込んで、撫子の浴衣をきたお兼を途中に待ち受けさせて、怪談がかったお芝居を演じさせたのであった。しかし文字春が迂闊《うかつ》にそれを世間に吹聴しないらしいので、かれらは的《あて》がはずれた。今度は手をかえて、怪しい托鉢僧を津の国屋の前に立たせた。お兼は女中たちの湯帰りをおどした。
それでどうにかこうにか次郎兵衛だけはこっちへ人質《ひとじち》に取ってしまったが、女房と番頭とが案外にしっかりしていて、かれらの目的も容易に成就しそうもないので、かれらは少し焦《じ》れ出して更に残酷な手段をめぐらすことになった。お兼は叔母のお角を津の国屋へ住み込ませて、隙を見て女房と番頭とを亡き者にしようと試みたが、さすがにお角一人では荷が重いので、店の若い者の長太郎を味方に引き込もうとした。長太郎はふだんから主人の娘のお雪に思いをかけているので、これが首尾よく成就すればかならずお雪と添わせてやるという条件で、とうとう悪人の仲間に入れてしまった。そうして女房と番頭とが不義を働いているらしいということをお角の口から前以って吹聴させて置いて、よい頃を見測らって二人の悪人が予定の計画通りに女房と番頭とを亡《ほろぼ》した。しかもそれを巧みに心中と見せかけて世間を欺き、あわせて検視の役人の眼を晦《くら》ました。
これまでは先ず彼等の思いのままに進行したが、その秘密を桐畑の常吉に嗅ぎ付けられたらしいのが、彼等におびただしい不安をあたえた。常吉は文字春から委《くわ》しい話を聴いて、半七と相談の上で先ずその幽霊の身許詮議に取りかかった時に、半七がふと思い付いたのは彼《か》のお兼のことであった。お兼はいつまでも初心《うぶ》らしく見えるのを種として、これまでに小娘に化けて万引や騙りを働いた兇状がある。もしや彼女ではあるまいか眼串を刺して、子分の者に云い付けてひそかに彼女が此の頃の様子を探らせると、お兼は先頃浅草の小料理屋へ行って池田屋十右衛門に逢ったことが判った。池田屋は津の国屋の親類である。もう一つには、かの熊吉が大桝屋へ忍んで行って、ときどきに博奕の資本《もとで》を借り出して来るらしいことが、彼の仲間の口から洩れた。大桝屋も津の国屋の親類である。それから疑いはいよいよ深くなって、半七は遠慮なしに熊吉を引き揚げてしまった。しかし彼もなかなかの強情者で、容易にその秘密を白状しなかった。
たとい白状しても、白状しないでも、徒党の一人が引き揚げられたと聞いて、かれらは俄かにうろたえ始めた。源助はあわてて何処へか姿をかくした。それが津の国屋の方へもきこえたので、お角も長太郎もぎょっとした。お角は文字春の家の小女をだまして、師匠の口から常吉にいろいろのことを訴えられたらしいことを探り知ったが、大胆な彼女はわざと平気で澄ましていた。しかし年の若い長太郎はなかなか落ち着いていられなかった。彼は破れかぶれの度胸を据えて、いっそお雪を脅迫して何処へか誘拐して行こうと企てたが、それを勇吉に妨げられて、自分は溜池の泥水を飲んで死んだ。
こうなると、お角もさすがに平気ではいられなくなった。そのまますぐに姿を隠してしまえば、或いはもう少し生き延びられたかも知れなかったが、こうした女の習いとして彼女は文字春をひどく憎んだ。何をしゃべったか知らないが、男のいい岡っ引を引っ張り込んで、酒を飲ませてふざけながら、自分たちの秘密を洩らしたかと思うと、お角はむやみに文字春が憎らしくなって、行きがけの駄賃に殺すつもりか、それとも顔にでも傷をつけるつもりか、ともかくも彼女の家へ押掛けて行ったのが運の尽きで、お角はわが身を井戸へ沈めることとなったのである。勿論、死人に口なしで、お角がほんとうの料簡はよく判らない。事情の成行きで唯こう想像するだけのことであった。
徒党の者はすべてその罪状を白状した。源助は一旦その姿を晦《くら》ましたが、千住の友達へ立ち廻ったところを捕えられた。主犯者の池田屋と大桝屋は死罪、菩提寺の住職とお兼は遠島、その他の者は重追放を申し渡された。
これでこの怪談は終ったが、ついでに付け加えて置きたいのは、その明くる年に桐畑と津の国屋とに二組の縁談の纒《まと》まったことであった。一方は常吉と文字春とで、一方は勇吉とお雪であった。常吉は二十六で、文字春は二十七であった。勇吉は十七で、お雪は十八であった。もっとも、津の国屋の方は約束だけで、ほんとうの祝言はもう一年繰り延べることとなったが、二組ともに一つずつの年上の嫁を持つというのは、そこに何かの因縁があったのかも知れないと、大工の兼吉は仔細ありそうに話していた。
「どうです。かなり入り組んでいるでしょう」と、半七老人は笑いながら云った。「くどくもいう通り、随分廻り遠い計略で、今日の人達から考えると、あんまり馬鹿々々しいように思われるかも知れませんが、第一には何といっても昔の人間は気が長い。もう一つには金儲けということがなかなかむずかしかったからですね。津の国屋――津国屋と書くのがほんとうだそうですが、暖簾にはやはり津の国屋と、『の』の字を入れてありました。読みいいためでしょう――は何でも地所家作を合わせて二、三千両の身代だったそうです。その頃の二、三千両と云えばこの頃の十万円ぐらいに当るでしょうから、それだけのものをただ取るには並大抵のことではむずかしい。大勢の人間が知恵をしぼって、暇をつぶしても二、三千両の身代を乗っ取れば、まず大出来だったんでしょうよ。今日のようにボロ会社を押っ立てて新聞へ大きな広告をして、ぬれ手で何十万円を掻き込むなんていう、そんな器用な芸当をむかしの人間は知りませんからね。十万円の金を儲けるにも、これほど手数がかかった芝居をしたんです。それを思うと、むかしの悪党は今の善人よりも馬鹿正直だったかも知れませんね。あははははは」
これもやはりほんとうの怪談ではなかった。わたしは何だか一杯食わされたような心持で、老人の笑い顔をうっかりと眺めていた。
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三河万歳
一
ある年の正月、門松《かどまつ》のまだ取れないうちに赤坂の家《うち》をたずねると、半七老人は格子の前に突っ立って、初春の巷《ちまた》のゆきかいを眺めているらしかった。
「やあ、いらっしゃい。まずおめでとうございます」
いつもの座敷へ通されて、年頭の挨拶が式《かた》のごとくに済むと、おなじみの老婢《ばあや》が屠蘇の膳を運び出して来た。わたしがここの家で屠蘇を祝うのは、このときが二度目であったように記憶している。今とちがって、その頃は年礼を葉書一枚で済ませる人がまだ少なかったので、表には日の暮れるまで人通りが絶えなかった。獅子の囃子《はやし》や万歳の鼓《つづみ》の音も春めいてきこえた。
「麹町辺よりこちらの方が賑やかですね」と、わたしは云った。
「そうでしょうね」と、老人はうなずいた。「以前は赤坂よりも麹町の方が繁昌だったんですが、今ではあべこべになったようです。麹町も赤坂も、昔は山の手あつかいにされていた土地で、下町《したまち》にくらべるとお正月気分はずっと薄かったものです。川柳にも『下戸《げこ》の礼、赤坂四谷麹町』などとある。つまり上戸は下町で酔いつぶれてしまうが、下戸は酔わないから正直に四谷赤坂麹町まで回礼をしてあるくわけで、春早々から麹町や赤坂などの年始廻りをしているのは野暮《やぼ》な奴だというようなことになっていたんです。しかし万歳だけは山の手の方にいいのが来ました。武家屋敷が多いので、いわゆる屋敷万歳がたくさん来ましたからね。明治以後には出入り屋敷というものが無くなってしまいましたから、万歳も一年ごとに減って行くばかりで、やがては絵で見るだけのことになるかも知れません」
「どこの屋敷にも出入り万歳というものがあったのですか」と、わたしは訊《き》いた。
「そうです。屋敷万歳はめいめいの出入り屋敷がきまっていて、ほかの屋敷や町家へは決して立ち入らないことになっていました。幾日か江戸に逗留して、自分の出入り屋敷だけをひと廻りして、そのままずっと帰ってしまうのです。町家を軒別《けんべつ》にまわる町万歳は、乞食万歳などと悪口を云ったものでした。そういう訳ですから、万歳だけは山の手の方が上等でした。いや、その万歳について、こんな話を思い出しましたよ」
「どんなお話ですか」
「いや、坐り直してお聴きなさるほどの大事件でもないので……。あれは何年でしたか、文久三年か元治元年、なんでも十二月二十七日の寒い朝、神田橋の御門外、今の鎌倉|河岸《がし》のところに一人の男が倒れていました。男は二十五六の田舎者らしい風俗で、ふところに女の赤ん坊を抱いていた。それが、このお話の発端《ほったん》です」
男は息が絶えていた。師走《しわす》の風の寒い一夜を死人のふところに抱かれていた赤児は、もう泣き嗄《か》れて声も出なかったが、これはまだ幸いに生きていた。つい眼と鼻のあいだの出来事であるから、検視のまだ下《お》りないうちに半七はすぐに其の場へ駈け付けてみると、死んだ男のからだには何も怪しい疵《きず》のあとは無かった。抱いている赤児にも別条はなかった。しかし半七をおどろかしたのは、その赤児が二本の鋭い牙《きば》をもっていることであった。赤児は生まれてからまだ二タ月か三月しか経つまいと思われるぐらいの嬰児《みずこ》であったが、その上顎の左右には一本ずつの牙が生えていた。俗にいう鬼っ児である。この鬼っ児をかかえて往来に倒れていた男――それには何かの仔細があるらしく思われた。近所の人にだんだん問い合わせると、前の晩の夜ふけに彼によく似た男が通りがかりの夜鷹蕎麦《よたかそば》を呼び止めて、燗酒《かんざけ》を飲んでいるのを見た者があるとのことであった。それらの話から考えると、かれは寒さ凌《しの》ぎに燗酒をしたたかに飲んでの前後不覚に酔い倒れて、とうとう凍《こご》え死んでしまったのではあるまいかと半七は判断した。かれは木綿の財布に小銭《こぜに》を少しばかり入れているだけで、ほかにはなんにも手掛りになりそうなものを持っていなかったが、半七はその右の手のひらの鼓胝《つづみだこ》をあらためて、彼はおそらく才蔵であろうとすぐ鑑定した。たとえ万歳であろうが、才蔵であろうが、勝手にくらい酔って凍え死んだというだけのことであれば、別にむずかしい詮議はいらない。そのまま町《ちょう》役人に引き渡してしまえばいいのであるが、彼のふところに抱えていた赤児の来歴がどうも判らなかった。他国者の才蔵が赤児をかかえて、寒い夜なかに江戸の町なかをさまよい歩いていたという、その理窟が呑み込めなかった。殊に赤児が二本の怪しい牙をもっているだけに其の疑いはいよいよ深くなった。
やがて町奉行所から当番の役人が出張して、医師も立ち会いで検視をすませたが、死人のからだには仔細なく、やはり大酔のために路傍《みちばた》に倒れて、前後不覚のうちに凍死を遂げたものと決められてしまった。しかしかれの抱えている鬼っ児の正体は係り役人にも判らなかった。半七は八丁堀同心菅谷弥兵衛の屋敷へ呼ばれた。
「どうだ、半七。けさの行き倒れは、何者だと思う。あんな因果者を抱えているのをみると、香具師《やし》の仲間かな」と、弥兵衛は云った。
「さあ、手のひらの硬い工合《ぐあい》がどうも才蔵じゃねえかと思いますが……」
「むう。おれもそう思わねえでもなかったが、香具師ならば理窟が付く。やあぽんぽんの才蔵じゃあ、どうも平仄《ひょうそく》が合わねえじゃあねえか」
「ごもっともです」と、半七も考えていた。「しかし旦那の前ですが、その平仄の合わねえところに何か旨味《うまみ》があるんじゃありますまいか。ともかくもちっと洗いあげてみましょう」
「節季《せっき》師走《しわす》に気の毒だな。あんまりいい御歳暮でも無さそうだが、鮭《しゃけ》の頭でも拾う気でやってくれ」
「かしこまりました」
半七は受け合って八丁堀を出たが、どこから手をつけていいかちょっと見当が決まらなかった。大江戸の歳の暮に万歳や才蔵を探してあるくのは、その相手のあまり多いのに堪えなかった。なんとかして手っ取り早く探し出す工夫はあるまいかと考えながら、師走の忙がしい往来を、本郷の方角へぶらぶらあるいて来ると、橋の袂で二十四五の男に出逢った。
「やあ、親分。お早うございます」
かれは亀吉という手先であった。もとは豆腐屋の伜で、道楽の果てから半七のところへ転げ込んで来たので、仲間では豆腐屋亀と呼ばれていた。
「おい、豆腐屋。いいところで面《つら》を見た。おめえにすこし助《す》けて貰いてえことがあるんだが……。おめえは鎌倉河岸の行き倒れを知っているか」
「知っています。今おまえさんの家《うち》へ行って、姐さんから詳しい話を聴きました。その行き倒れの抱えていた因果者というのが変じゃありませんか」
「それを少し洗って見てえんだ。才蔵が因果者をかかえて行き倒れになっている。どう考えても、変じゃねえか」
「変ですとも……。打っちゃって置くと、よその仲間に飛んだ鼻毛を抜かれますぜ」
「そんなことがねえとも云われねえ」
ふたりは立ち話で相談をきめた。亀吉はおなじ子分の善八と手分けをして、亀吉は因果者師の方を調べる。善八は万歳の群れをあさる。こうして両方から洗いあげて行ったら、何かそこに一つの手がかりを見つけ出すであろうとのことであった。
「じゃあ、頼むぜ」
亀吉にたのんで、半七は三河町の家へ帰った。その夜の五ツ(午後八時)過ぎになって、亀吉は寒そうな顔を三河町へ持って来た。なにぶんにも自分ひとりでは手が廻らないので、彼はほかの子分どもにも加勢をたのんで、江戸じゅうの香具師や因果者師をそれからそれへと詮議したが、この頃に鬼っ児などを取り扱った者もなかった。鬼っ児などを取られた者もなかった。香具師仲間の詮議の蔓《つる》はもう切れた、と、亀吉は落胆したように話した。
「そうすると、因果者には何もかかり合いのねえ素人《しろと》の餓鬼かな」と、半七は考えながら云った。
「まあ、そうでしょうね。香具師の仲間で猫の児をなくしたとか云って力を落している奴があるそうですが、猫の児じゃしようがありませんからね」
「そうよ、けさのは確かに人間の子だ。猫の児じゃあねえ」
云いかけて半七は又かんがえていた。行き倒れの才蔵がふところに抱えていたのは、決して猫の児ではなかった。いくら因果者の鬼っ児でもそれが確かに人間の子である以上、それを畜生の児と一緒に見なすわけには行かなかった。しかしその一緒に見なされないものを一緒に結びつけて考えるのが、自分たちの眼の着けどころであると半七は思った。人間の子と猫の児と、そこにはどういう不思議の因縁がからまっているかということを彼はいろいろに考えてみた。
「そこで、そのなくしたとかいう猫の児はなんだ。金眼《きんめ》か銀眼か、それとも尻尾《しっぽ》が二、三本あるとでもいうのか」
「それは聞きませんでした。猫の児じゃあしようがねえと思ったもんですから」と、亀吉はきまりが悪そうに頭を掻いた。「すると、その鬼っ児と猫の児と何か係り合いがあるんでしょうか」
「そりゃあまだ判らねえ。が、それがどうも気になる。御苦労だがもう一度行って、その猫の児をどうしてなくしたのか。その猫はどういう猫か詳しく訊いて来てくれ」
「ようごぜえます。善八の方からはなんにも云って来ませんかえ」
「あいつの方からは沙汰なしだ。だが、あいつの方はちっと面倒だからすぐには行くめえ。なにしろ頼むよ」
亀吉は承知して帰った。
二
あくる二十八日の朝は空《から》っ風《かぜ》が吹いた。薬研堀《やげんぼり》の歳の市《いち》は寒かろうと噂をしながら、半七は格子の外に立って、町内の仕事師が門松を立てるのを見ていると、亀吉は三十五六の男を連れて来た。
「親分。この男を連れて来ましたよ。わっしの又聞きで何か間違うといけねえから、その本人を引っ張って来ました」
「そうか。やあ、おまえさん。節季の忙がしいところを御苦労でした。まあ、どうぞ、こっちへはいってください」
「ごめん下さい」
男は恐る恐るはいって来た。かれは赭《あか》ら顔の小ぶとりに肥《ふと》った男で、左の眉のはずれに疱瘡《ほうそう》の痕が二つばかり大きく残っているのが眼についた。彼は下谷《したや》の稲荷町《いなりちょう》に住んでいる富蔵と名乗った。
「ただいま亀さんのお話をうかがいましたら、何かわたくしに御用がありますそうで……」
「なに、用というほどのむずかしいことじゃあねえので……。亀吉はどんなことを云って嚇《おど》かしたか知らねえが、実はほんの詰まらねえことで、わざわざ来て貰うほどのことでもなかった。ほかじゃあねえが、おまえさんは此の頃に猫の児をどうかしなすったかえ」
「へえ」と、富蔵は案外らしい顔をした。「それを何か御詮議になるんでございますか」
「いや、別に詮議というほどの角張《かくば》ったことじゃねえ。ただわたしの心得のために少し訊いて置きたいことがあるのだ」
「へえ」と、富蔵はまだ呑み込めないように相手の顔をながめていた。
「そんなことは嘘かえ」
「なにかのお間違いで……。わたくしは一向に存じません」
話がまるで違っているので、亀吉も黙ってはいられなくなった。
「おい、おい。なにを云うんだ。おまえが大事の猫を逃がしたと云って、さんざん愚痴《ぐち》をこぼしていたということは、仲間の者から聞いて知っているんだ。隠しちゃあいけねえ。さもねえと、おれが親分に嘘をついたことになる。よく後先《あとさき》をかんがえて返事をしてくれ」
「でも、わたくしはなんにも知りませんのでございますから」
富蔵はしゃ枯《が》れ声ですらすらと弁じながら、飽くまでも知らないと強情を張った。亀吉はとうとう腹を立てて、喧嘩腰でしきりに問い落そうと試みたが、彼はどうしても口をあかなかった。自分は商売物の猫の児をなくした覚えはないと固く云い切った。亀吉も根《こん》負けがして親分の顔色をうかがうと、半七はしずかにうなずいた。
「よし、判った、判った。こりゃあ何かの間違いに相違ねえ。おまえさん、朝っぱらから飛んだ迷惑をさせて、どうもお気の毒でした。まあ、堪忍して帰ってください」
「じゃあ、もう帰りましても宜しゅうございますか」と、富蔵はほっとしたように云った。
「ほんとうに堪忍しておくんなせえ。そのうちに何かで埋め合わせをするから」
「どう致しまして、恐れ入ります。じゃあ、これで御免を蒙ります」
怱々に出てゆく富蔵のうしろ姿を見送って、亀吉は忌々《いまいま》しそうに舌打ちをした。
「あの野郎、横着な奴だ。きょうは無事に帰してやっても、すぐに証拠をあげてもう一度引き摺って来てやるから覚えていやあがれ」
「まあ、熱くなるな」と、半七は笑いながら云った。「あの野郎、猫をなくしたに相違ねえ。さっきからの様子で大抵わかっている。だが、それをむやみに隠すというのが判らねえ。ここでいつまでも云い合っていても論は干《ひ》ねえから、今はおとなしく帰してやって、あいつの家の近所へ行ってそっと訊いて見る方がいい。御用仕舞いでおれもきょうは暇だから、午飯《ひるめし》でも食ってから一緒にぶらぶら出かけて見よう」
「おまえさんが一緒に来てくんなさりゃあ大丈夫です。あの野郎、おれに恥をかかしゃあがったから、邪が非でも証拠をあげて、ぎゅうという目に逢わしてやらにゃあならねえ」と、亀吉は激しい権幕《けんまく》で時刻の来るのを待っていた。
午飯を食って、二人がこれから出掛けようとするところへ、善八がぼんやりしてやって来た。
「どうも面白い見付け物はありません。御存知の通り、麹町の三河屋は屋敷万歳の定宿《じょうやど》で、毎年五、六人はきっと巣を作っていますから、念のために其処《そこ》へも行ってみると、案の定《じょう》そこにもう五人ばかり来ていました。そのなかで市丸太夫という男の才蔵がまだ揃わないので、太夫は心配して朝から探しに出たそうです」
以前は日本橋の四日市に才蔵市《さいぞういち》というものが開かれて、三河から出てくる万歳どもはみな其の市へあつまって、思い思いに自分の才蔵を択《えら》むことになっていたが、天保以後にはそれがもう廃《すた》れて、万歳と才蔵とは来年を約束して別れる。そうして、その年の暮に万歳が重ねて江戸へ下《くだ》ると、主《おも》に安房《あわ》上総《かずさ》下総《しもうさ》から出て来る才蔵は約束の通りその定宿へたずねて行って、再び連れ立って江戸の春を祝ってあるく。それが此の頃の例になっているので、万歳はその都度《つど》に才蔵を選ぶ必要はなかった。
遠国《おんごく》同士の約束は甚だ不安のようではあるが、義理の固い才蔵は万一自分に病気その他の差し支えがある場合には、差紙《さしがみ》を持たせて必ず代人を上《のぼ》せることになっているので、大抵は間違いも無しに済んでいた。その才蔵が約束通りにたずねて来ない、又その代人もよこさないとあっては、万歳の市丸太夫が当惑するのも無理はなかった。いくら立派な出入り屋敷をたくさん持っていても、才蔵を連れない万歳は武家屋敷の門松をくぐる訳にはゆかなかった。
「その才蔵はなんという名で、どこの奴だ」と、半七は訊いた。
「下総の古河《こが》の奴で、松若というんだそうです」
「松若……。洒落《しゃれ》た名だな」と、亀吉は笑った。「すると、親分。その松若が詮議者ですね」
「で、その市丸太夫というのには逢わねえんだな」と、半七は念を押した。
「逢いません」と、善八は答えた。「なんでも五十二三の大柄の男で、酒を飲むとむやみに陽気に騒ぎ散らすと宿の女中が話していました。ふだんはまじめな面《つら》をしているが、なかなか道楽者らしい男で、酔うと三味線なんぞをぽつんぽつん弾《や》るということです」
「そうか。それじゃもう一度その三河屋へ行って、市丸太夫の帰るのを待っていて、その才蔵というのはどんな奴か、又その鬼っ児に何か心あたりはねえか、よく調べてくれ」
善八を出してやって、ふたりは下谷の稲荷町へ足を向けた。朝からの空っ風が白い砂けむりを吹き巻いている広徳寺前をうろついて、ようように香具師の富蔵の家を探しあてた。鉤《かぎ》の手に曲がっている路地の奥で、隣りの空地《あきち》には、稲荷の社《やしろ》が祀《まつ》られていた。近所で訊いてみようと四辺《あたり》を見まわすと、三十格好の女房が真っ赤な手をしながら井戸端で大束《おおたば》の冬菜《ふゆな》を洗っていて、そのそばに七つ八つの男の児が立っていた。
「もし、おかみさんえ」と、半七は近寄って馴れなれしく声をかけた。「あすこの富蔵さんはお留守ですかえ」
「富さんはいませんよ」と、女房は素気《そっけ》なく答えた。「きょうは薬研堀《やげんぼり》の方へでも行ったかも知れません」
富蔵は独身者《ひとりもの》で、香具師とはいうものの自分が興行をしているのではない。どこかの観世物小屋に雇われて木戸番を勤めているらしいことは、亀吉の報告でわかっていた。半七は小声でまた訊いた。
「あの富さんの家《うち》に猫が飼ってありましたか」
「猫ですか。あの猫じゃあ……」
云いかけて女房は口を噤《つぐ》んでしまった。
「その猫がどうかしましたかえ」
女房は自分のうしろをちょっと見かえってやはり黙っていた。素直には云いそうもないと思って、半七はふところに手を入れた。
「ここにいるのはおかみさんの子供かえ、おとなしそうな児だ。小父さんが御歳暮に紙鳶《たこ》を買ってやろうじゃねえか。ここへ来ねえ」
紙入れから一朱銀を一つつまみ出してやると、裏店《うらだな》の男の児はおどろいたように彼の顔をみあげていた。女房は前垂れで濡れ手をふきながら礼を云った。
「どうも済みませんねえ。こんなものをいただいちゃあ……。おまえ、よくお辞儀をおしなさいよ」
「なに、お礼にゃあ及ばねえ。そこでおかみさん、しつこく訊くようだが、その猫がどうしたのかえ。その猫が逃げたんじゃあねえか」
「逃げたのならまだいいんですけど……」と、女房は小声で云った。「殺されたんですよ」
「誰に殺された」
「それがおかしいんですよ。富さんのいない留守に化け猫と間違って殺されてしまったんですが、そりゃあ無理もありません。あの猫は踊るんですもの」
「それじゃあ商売物だね」
「まあ、そうです。これからだんだん仕込もうというところを、化け猫だと思って殺されてしまったんですよ。富さんも大変に怒りましてね」
一朱銀の効き目で、女房はその日の出来事をぺらぺらとしゃべり出した。
三
富蔵の隣りにお津賀《つが》という二十五六の小粋《こいき》な女が住んでいる。よほどだらしのない女で、旦那取りをしているというのであるが、定《きま》った一人の旦那を守っているのでは無いらしく、大勢の男にかかり合って一種の淫売《じごく》同様のみだらな生活を営んでいるのだと近所ではもっぱら噂された。そのお津賀のところへ稀《まれ》にたずねてくる五十くらいの男があって、それは自分の叔父さんで、一年に一度ずつ商売用で上州から出て来るのだと彼女は云っているが、どうも上州者ではないらしく、又ほんとうの叔父さんではないらしい。それも例の旦那の一人であろうと長屋じゅうの者には認められていた。
四、五日前の夕方に、その叔父という人が久し振りにたずねて来ると、あいにくお津賀はいなかった。かれは独身者で、外へ出るときに表の戸にしっかりと錠《じょう》をおろしてゆくので、叔父ははいることが出来なかった。うす暗い門口《かどぐち》にぼんやりと立っている男の姿を気の毒そうに見て、井戸端から声をかけたのがこの女房であった。黙っていればよかったが、お津賀さんの帰るまで隣りの家へはいって待っていろと彼女は教えてやった。となりは富蔵の家で、かれは戸をあけ放したままで町内の銭湯《せんとう》へ出て行った留守であったが、奪《と》られるような物のある家では無し、殊にその男の顔も見知っているので、女房も安心してそう教えたのであった。すこし酔っているらしい男は礼を云って隣りへはいって、上がり框《がまち》に腰かけているらしかったが、そのうちに三味線をぽつんぽつんと弾《ひ》き出した音がきこえた。かれはお津賀の家へ来ても時々に三味線を弾くことがあるので、女房も別に不思議には思わないで自分の米を磨《と》いでしまって家へ帰った。
「それからが騒動なんですよ」と、女房は顔をしかめて話した。「富さんの家で何かどたんばたんという音が聞えたから、どうしたのかと思って駆けつけてみると、富さんは湯あがりの頭からぽっぽっ煙《けむ》を立てて、その叔父さんという人の胸倉を掴んで、ひどい権幕で何か掛け合いを付けているんです。だんだん訊《き》いてみると、その人が富さんの猫を撲《ぶ》ち殺してしまったという一件なんです」
「なぜ殺したんだろう。だしぬけに踊り出したのかえ」と、半七は訊いた。
「そうなんですよ。踊り出したんですよ」
女房の説明によると、富蔵は自分の飼っている白い仔猫に踊りを仕込むために、長火鉢に炭火をかんかん熾《おこ》して、その上に銅の板を置く。それは丁度かの文字焼を焼くような趣向である。その銅の板の熱くなった頃に仔猫の胴中を麻縄で縛って、天井から火鉢の上に吊りさげて、四本の足が丁度その銅の板を踏むようにすると、板は焼け切っているから、猫はその熱いのにおどろいて、思わず前後の足を代る代るにひょいひょい揚げる。それを待ち設けて、富蔵は爪弾きで三味線を弾き出すのである。勿論はじめのうちは猫の足どりを見て、こっちで巧く調子を合わせて行かなければならないのであるが、それがだんだんに馴れて来ると、猫の方から調子にあわせて前後の足をひょいひょいと揚げるようになる。更に馴れて来ると、普通の板や畳の上でも三味線の音につれて自然に足をあげるようになる。観世物小屋で囃し立てる猫の踊りは皆こうして仕込むので、富蔵もふた月ほどかかってこの白猫を馴らした。
根気よく馴らして教えて、猫もどうやら斯うやら商売物になろうとしたところを、かの男に突然撲ち殺されてしまったのである。勿論、殺した方にも相当の理窟はあった。かれは框に腰をかけてぼんやりと待っている退屈まぎれに、壁にかけてある三味線をふと見付けて、少し酔っている彼はその三味線をおろして来てぽつんぽつんと弾きはじめると、長火鉢の傍にうずくまっていた白猫が、その爪弾きの調子にあわせて俄かに踊り出した。彼は実にびっくりした。うす暗い夕方の逢魔《おうま》が時《とき》に、猫がふらふらと起って踊り出したのであるから、異常の恐怖に襲われた彼は、もう何もかんがえている余裕もなかった。かれは持っている三味線を持ち直して猫の脳天を力任せになぐり付けると、猫はそのままころりと倒れて死んだ。そこへ飼い主の富蔵が帰って来た。
誰がなんと云おうとも、ひとの留守へ無断にはいり込むという法はないと富蔵は怒った。おまけに大切な商売物をぶち殺してしまって、この始末はどうしてくれると彼は眼の色を変えて哮《たけ》った。その事情が判ってみると、男もひどく恐縮していろいろにあやまったが、富蔵は承知しなかった。自分も係り合いがあるので、かの女房も一緒に口を添えてやったが、富蔵はどうしても肯《き》かないで、殺した猫を生かして返すか、さもなくばその償《つぐな》い金を十両出せと迫った。それをいろいろにあやまって、結局半金の五両に負けて貰う事になったが、男にはその五両の持ち合わせがないので、どうか大晦日《おおみそか》まで待ってくれと頼むのを、富蔵は無理におさえ付けて、腕ずくでその紙入れを引ったくってしまった。しかし紙入れには三分ばかりしか這入っていなかったので、富蔵はまだ料簡しないで、これから俺と一緒に行ってすぐに其の金を工面《くめん》しろと責めているところへ、丁度にお津賀が帰って来て、きっと自分が受け合うから今夜のところは勘弁してくれと頻りに富蔵をなだめて、無事にその男を自分の家へ連れ込んだ。
富蔵の猫はこういう事情で失われたのであった。かれが半七に対して、飽くまで知らないと強情を張っていたのは、たとい自分に相当の理があるとは云え、物取り同様に相手を手籠《てご》めにして、その紙入れを無体に取りあげたという、うしろ暗い廉《かど》があるからであろうと想像された。
「それからどうしたね。その男は後金《あとがね》を持って来たらしいかえ」と、半七はまた訊いた。
「その晩は無事に済んで、その人はそれからお津賀さんの家で小《こ》一刻《いっとき》も話して帰ったようでしたが、その明くる晩また出直して来ると、なんだかお津賀さんと喧嘩をはじめて、両方が酔っていたらしいんですが、お津賀さんはその人をつかまえて表へ突き出してしまったんです」
「ひどい女だな」と、亀吉は眼を丸くした。
「そりゃなかなか強いんですから」と、女房は嘲るように笑っていた。「お前さんのような意気地なしはどうだとか斯うだとか云って、そりゃあもうひどい権幕で……。かりにも世間に対しては叔父さんだとか云っている人を、さんざん小突きまわして、表へ突き出してしまったんです。それでも其の人はなんにも云わないで、おとなしく悄々《しおしお》と出て行きました。もっともお津賀さんにかかっちゃあ大抵の男はかなわないかも知れませんよ」
「そのお津賀さんというのは家にいるかえ」と、半七はうしろを見返りながら訊いた。
おなじ裏長屋でもお津賀の家は小綺麗に住まっているらしく、軒には亀戸《かめいど》の雷除《らいよ》けの御札《おふだ》が貼ってあった。表の戸は相変らず錠をおろしてあるので、内の様子はわからなかった。
「ゆうべから帰って来ないようですよ」と、女房はまた笑った。
「で、どうだい。隣りの富蔵とおかしいような様子はないかね」
「そりゃあ判りませんね。あの人のことですから」
「そうだろう」と、半七も笑った。「いや、日の短けえのに手間費《てまづい》えをさせて済みません。さあ、亀。もう行こうぜ」
女房に挨拶して、ふたりは露路の外へ出た。
「親分。不思議なことがあるもんですね」
「むむ、広い世間にはいろいろのことがある」と、半七はうなずいた。「だが、まあ、ここまで足を運んだ効能はある。それでもう大抵|見当《けんとう》は付いたが、今度はその鬼っ児の出どころだ。いや、それもすぐに判るだろう。それでお前の方はもう年明《ねんあ》けらしい。おれは脇へ廻るからここで別れようぜ」
「富の野郎はどうしましょう」
「さあ、今のところじゃあしようがねえ。まあ打っちゃって置け」
「あい」と、亀吉は渋々に別れて行った。
あまり長追いをするほどの事件でもないと思ったが、かれの性分としてなんでも最後まで突き留めなければ気が済まないので、半七はその足で山の手まで登ってゆくと、冬の日はもう暮れかかって寒そうな鴉の影が御堀の松の上に迷っていた。麹町五丁目の三河屋へたずねてゆくと、筋向うの煙草屋の店さきに善八が腰かけていた。
「親分、いけねえ。市丸はまだ帰らねえそうですよ」と、かれは待ちくたびれたように云った。
「大きに御苦労。その市丸のところへ近ごろ女がたずねて来たらしい様子はねえか」
「来ました、来ました。女中に聞いたら、なんでも小粋な二十五六の女が二、三度たずねて来たそうです。お前さんよく知っていますね」
「むむ、知っている」と半七は笑っていた。「もう大抵判っているんだから、きょうはこのくらいにしておこう。おめえも数《かぞ》え日《び》にここでいつまでも納涼《すず》んでもいられめえ。家へ帰って嬶《かかあ》が熨斗餅《のしもち》を切る手伝いでもしてやれ」
「じゃあ、もうようがすかえ」
「もうよかろう」
ふたりは連れ立って神田へ帰った。寒い風は夜通し吹きつづけたので、火事早い江戸に住んでいる人達はその晩おちおち眠られなかった。とりわけて御用を持っているからだの半七は、いよいよ眼が冴えてまんじりともしなかった。あくる朝七ツ(午前四時)頃から寝床をぬけ出して、行燈の灯で煙草をのんでいると、割れるように表の戸を叩く者があった。
「誰だ。誰だ」
「わっしです。亀です」と、外であわただしく呼んだ。
「豆腐屋か。馬鹿に早えな」
家の者はまだ起きないので、半七は自分で起って戸をあけると、亀吉は息をはずませて転げ込んで来た。
「親分。富蔵が殺《や》られた」
四
見す見す猫をなくしたのを強情に知らないと云い張って、たとい一時でも親分の前で自分に恥をかかした富蔵を、亀吉は心から憎んでいた。きのう半七に別れてから彼は吉原へ遊びに行ったが、あまり好くも扱われなかったむしゃくしゃ腹で、引け前に廓《くるわ》を飛び出して、阿部川町《あべかわちょう》の友達を叩き起して泊めて貰った。彼もこの強い風に枕を揺《ゆす》られておちおち眠られずにいる耳もとに、人の立ち騒ぐような声が遠くひびいた。火事かしらとすぐに飛び起きてその騒がしい方角へ駈け付けてみると、果たして火事には相違なかったが、それは稲荷町の長屋の一軒焼けで鎮まった。
火事は先ずそれで済んだが、済まないのは、その火元に男が死んでいることである。死んだ男はかの富蔵であった。一つ長屋のお津賀の死骸も井戸から発見された。
「こういうわけだから私ひとりじゃいけねえ。お前さんも早く来ておくんなせえ」
「よし、すぐに行く。なにしろ飛んだことになったものだ」
半七は身支度をして、亀吉と一緒に出てゆくと、師走二十九日のあかつきの風は、諸刃《もろは》の大きい剣《つるぎ》で薙《な》ぎ倒そうとするように吹き払って来た。ふたりは眼口《めくち》をふさいで転げるようにあるいた。稲荷町へ行き着いてみると、富蔵の家は半焼けのままで頽《くず》れ落ちて、咽《む》せるような白い煙りは狭い露路の奥にうずまいて漲《みなぎ》っていた。町内の者も長屋の者も、その煙りのなかに群がってがやがやと騒いでいた。
「どうも騒々しいことでした」
きのうの女房を見掛けて半七が声をかけると、あわて眼《まなこ》のかれも一朱くれたきのうの人を見忘れなかった。
「きのうはどうも……。でも、まあ、この風でこのくらいで済めば小難でした」
「小難はおめでてえが、なにか変死があるというじゃありませんか。焼け死んだのですか」と、半七は何げなく訊いた。
「それが判らないんです。あの富さんが焼け死んで……。お津賀さんも……」
「そうですか」
半七はすぐに火元へ行った。もうこうなっては仮面《めん》をかぶっていられないので、かれは自分の身分を名乗って、家主《いえぬし》立ち会いで焼け跡をあらためた。近所の人達が早く駈け付けて、すぐ叩き毀してしまったので、半焼けと云っても七分通りは毀れたままで焼け残っていた。半七はその家のまわりを見廻りながら、ふとその隣りの稲荷の祠《ほこら》に眼をつけた。
「この稲荷さまは無事だったんですか」
「火の大きくならなかったのも、お稲荷様のおかげだと云って、長屋じゅうの者も喜んでいます」と、家主は云った。
「喜ぶのは間違っている」と、半七はあざ笑った。「お稲荷さまに御利益《ごりやく》があるなら、はじめからこんな騒ぎを仕出来《しでか》さねえがいい。家を焼いて、人を殺して、御利益もねえもんだ。いっそ刷毛《はけ》ついでにこの稲荷も燃《も》してしまっちゃあどうです」
無法なことを云うとは思ったらしいが、相手が相手なので、家主は苦《にが》り切って黙っていると、半七は足下《あしもと》にまだちろちろと燃えている木のきれを拾って松明《たいまつ》のように振りあげた。
「ようがすかえ。この稲荷に火をつけますぜ」
「お前さん。とんでもないことを……」
家主はあわててその腕を押えると、半七は委細かまわず又呶鳴った。
「ええ、構うものか、こんな稲荷……。さあ、焼くぞ、こんな燧石《ひうち》箱のような小っぽけな祠《ほこら》は、またたく間に灰にしてしまうぞ。野良狐《のらぎつね》が隠れているなら早く出て来い」
稲荷様もこれには驚いたのかも知れない。その声に応じて正面の扉がさっとあいた。しかも這い出して来たのは野良狐ではなかった。それは頭から煤《すす》を浴びた五十前後の男であった。
「お前は市丸太夫だろう。正直にいえ」と、半七はかれの腕をつかんだ。「どうも稲荷様の中でごそごそいうと思ったら、案の定《じょう》こんな狐が這い込んでいた。さあ、番屋へ来い」
町内の自身番へ引っ立てられて行った男は、果たして彼《か》の市丸太夫であった。かれはふところに小刀《こがたな》を呑んでいたが、その刃には血の痕がなかった。
「お前は富蔵を殺して、火をつけたのか」
「恐れ入りました」と、市丸太夫は白状した。「全くわたくしは富蔵を殺そうと存じてまいりました。しかし殺さないうちに火事が出て、富蔵は焼け死んだのでございます」
「なぜ富蔵を殺そうとした」
「わずかの金に差し支えましたのでございます」
かれは誤って富蔵の猫を殺した始末を正直に申し立てた。それは長屋の者の推察通り、彼は一昨年の春からお津賀に関係して、毎年江戸へ出るたびに彼女のところへ訪ねて来て、松の内に稼ぎためた金の大部分を絞り取られていた。今年も一年ぶりで訪ねて来ると、あいにくお津賀は留守で、測《はか》らずも隣りの猫を殺すような間違いを仕出来してしまった。
「お津賀のあつかいで、その場だけは勘弁して貰ったのですが、あと金の四両一分の工面がなかなか付きません。仲間の者も春にならなければ、まとまった金を貸してくれることは出来ませんので、わたくしも途方にくれました。差し当りお津賀の着物でも質《しち》に入れて、なんとか融通して貰おうと存じまして、その明くる晩出直して相談にまいりますと、剣もほろろの挨拶で断わられました。ふた言三言云い合っていますうちに、お津賀は気の強い女で、とうとう私をつかまえて表へ突き出してしまいました。いい年を致して若い女に係り合いまして、飛んだ恥を申し上げなければなりません。それで悄々《しおしお》帰りますと、あくる日お津賀がわたくしの宿へ押し掛けて参りまして、後金を早くどうかしてくれなければ近所へ対して面目がないと強請《せが》みます。その日はまあなんとか宥《なだ》めて帰しますと、あくる日もまた押し掛けて来てやかましく申します。宿の手前、仲間の手前、お津賀のような女に毎日押し掛けて来られましては、わたくしもどうしてよいか、実に消え入りたいくらいで……」
若い女にさいなまれている老人の懺悔《ざんげ》を、半七は嘲るような又あわれむような心持で聴いていると市丸太夫は恐る恐る語りつづけた。
「そういう次第で、わたくしも途方に暮れて居りますうちに、宿の女中から不図《ふと》こんなことを聞きましたのでございます。昨年の夏頃から宿に奉公して居りましたお北という若い女中が主《ぬし》の定まらない胤《たね》を宿して、だんだん起居《たちい》も大儀になって来たので、この七月に暇を取って新宿の宿許《やどもと》へ帰って、十月のはじめに女の児を無事に生み落しました。ところがその赤児はどうした因果か、生まれるときから上顎に二本の長い牙《きば》が生えている鬼でございまして、本人は勿論、兄弟たちも世間へ対して外聞が悪いと申して、ひどく困っているということを聞きましたので、わたくしはすぐにそのお北の家へたずねて参りました。お北とは顔馴染みでございますので、本人に逢ってその赤児をみせて貰いますと、なるほど立派な因果者でございます。正直のところわたくしはとても差し当って四両一分の工面は付きませんから、この因果者を富蔵のところへ持って行って、猫の形代《かたしろ》に受け取って貰おうと存じまして、この児をよそへやる気はないかと訊きますと、実は持て余しているところだから、片輪を承知で貰ってくれる親切な人があれば、何処へでもやりたいと申します。それでは一度相談して来ようと約束して帰りまして、その足でお津賀のところへ行って相談しますと、隣りの富蔵はあいにく居りませんでしたが、お津賀はその話を聞きまして、それがまったく商売になりそうなものならば富さんも承知してくれるかも知れないから、ともかくもその因果者を連れて来てみせろと申しました」
「それでとうとうその赤ん坊を取って来たのか。おめえも無慈悲な男だな」と、半七は苦々《にがにが》しそうに云った。
「重々恐れ入りましてございます。無慈悲は万々承知して居りましたが、なにぶんにも背に腹は換えられないと存じまして……。お北の方へはよいように話をしまして、ともかくもその鬼っ児を受け取ってまいりますと、ちょうど途中で才蔵に逢いました。松若はわたくしの宿へたずねて来る処でございましたから、これは幸いだと存じまして、あらましのわけを話して其の児をお津賀の家へとどけてくれるように松若に頼みました。松若もわたくしと一緒に行ったことがあるので、お津賀の家はよく知っている筈でございます。それは二十六日の宵の五ツ(午後八時)少し前でございましたが、松若はそれぎり帰ってまいりません。どうしたのかと案じて居りますと、そのあくる日の午過ぎにお津賀が又押し掛けてまいりまして、あの因果者はどうしたと催促いたします。ゆうべ松若にとどけさしたと云いましてもなかなか承知しませんで、いろいろ面倒なことを申しますので、わたくしもいよいよ困り果てました。そればかりでなく、だんだんその様子を見ていますと、お津賀はどうも富蔵と情交《わけ》があるのではないかと思われるような所もございますので、わたくしもなんだか忌々《いまいま》しくなりまして、今思えば実に恐ろしいことでございます。いっそ富蔵とお津賀を殺してしまえば、誰にも窘《いじ》められることは無いと存じまして、夜店で買いました小刀をふところに入れて、昨晩の夜ふけに稲荷町へそっと忍んでまいりますと、案の通りお津賀は隣りの家へはいり込んで、富蔵と差し向いで睦じそうに酒を呑んでいました。わたくしは赫《かっ》となってすぐに飛び込もうかと存じましたが、なにぶんにも相手は二人でございますから、何だか気怯《きおく》れがして、しばらく様子を窺って居りますと、ふたりはだんだんに酔いが廻って来まして、つまらないことから喧嘩をはじめましたが、お津賀もきかない気の女ですから、とうとう立ち上がって掴み合いになろうとするはずみに、そばにある行燈《あんどう》を倒しました。富蔵はもう酔っているので自由に身動きも出来ません。お津賀はあわててその火を揉み消そうとしましたが、これも酔っているので思うようには働けません。唯うろたえてまごまごしているうちに、火はだんだんに拡がってお津賀の裾や袂に燃え付きました。わたくしは呆気《あっけ》に取られて眺めていますと、お津賀はもうからだ中が一面の火になってしまいまして……」
その当時の凄惨な光景を思い出すさえ恐ろしいように、市丸太夫は身ぶるいした。
「結い立ての天神髷を振りこわして、白い顔をゆがめて、歯を食いしばって、火焙《ひあぶ》りになって家中《うちじゅう》を転げ廻って、苦しみもがいている女の姿は……。わたくしのような臆病者にはとてもふた目とは見ていられませんので、思わず眼をふさいでしまいますと、お津賀ももう堪まらなくなったのでございましょう。框《かまち》から土間へ転げ落ちたような物音がきこえました。わたくしははっと思って再び眼をあきますと、お津賀の燃えている姿は井戸の方へ……。からだの火を消す積りか、それともいっそ一と思いに死んでしまう積りか、それはわたくしにも能く判りませんでしたが、ともかくも井戸側の上で火の粉がぱっと散ったかと思うと、お津賀の姿はもう見えなくなったようでございました。富蔵は……どうしたのか存じません。もうその頃には家中いっぱいの火になっていました。その騒ぎを聞きつけて近所の人達がばたばた駈け付けて来ましたので、わたくしも度を失いまして、ここらにうっかりしていて、とんだ連坐《まきぞえ》を受けてはならないと、前後のかんがえも無しにあの稲荷の祠《ほこら》のなかに隠れましたが、もしその火が大きくなってこっちへ焼けて来たらどうしようかと、実に生きている空もございませんでした。幸いに火は一軒焼けで鎮まりましたが、大勢の人が火元を取りまいてわやわや騒いでいるので、いつまでも出るに出られず。わたくしも途方に暮れているところを、とうとうお前さんに探し当てられてしまいました。行燈を倒したときに、わたくしも早く駈け込んで、一緒に手伝って消してやればよかったのでございましょうが、わたくしは唯びっくりして居りまして……」
びっくりしていたばかりではない。そこに残酷な復讐の意味が含まれているらしいのを半七は想像しないわけには行かなかった。
「おめえが直接《じか》に手をおろさないで、お津賀も富蔵も一度に片付けてしまえば、こんな世話のねえ事はねえ」と、半七は皮肉らしく云った。「だが、おめえも罪な人間だ。才蔵の松若はおめえの使に行く途中で凍《こご》え死んでしまったぜ」
「松若が死にましたか」と、市丸太夫は更にその顔を蒼《あお》くした。
「その鬼っ児をかかえて行く途中で、あんまり酒を飲み過ぎたせいだろう。食らい酔ったままで鎌倉河岸にぶっ倒れて、可哀そうに凍え死んでしまったんだ。鬼っ児に別条はねえ。親元が判ったらこっちから渡してやる。おめえにうっかり渡して、又なにかの種に使われちゃあ堪まらねえから」
市丸太夫はもう一言もなかった。彼はゆがんだ皺面《しわづら》を灰いろにして、死んだ者のようにうずくまっていた。
長い牙を持った因果者の赤児は、生みの母のお北に引き渡された。市丸太夫は表向きに彼を罪にすべき廉《かど》もないので、ただ叱り置くというだけで免《ゆる》されたが、すぐに宿を引き払って故郷へ帰った。それから後の江戸の春に市丸太夫の万歳すがたはもう見えなくなった。
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槍突き
一
明治二十五年の春ごろの新聞をみたことのある人たちは記憶しているであろう。麹町《こうじまち》の番町《ばんちょう》をはじめ、本郷、小石川、牛込などの山の手辺で、夜中に通行の女の顔を切るのが流行《はや》った。若い婦人が鼻をそがれたり、頬を切られたりするのである。幸いにふた月三月でやんだが、その犯人は遂に捕われずに終った。
その当時のことである。わたしが半七老人をたずねると、老人も新聞の記事でこの残忍な犯罪事件を知っていた。
「犯人はまだ判りませんかね」と、老人は顔をしかめながら云った。
「警察でも随分骨を折っているようですが、なんにも手がかりが無いようです」と、わたしは答えた。「一種の色情狂だろうという説もありますが、なにしろ気ちがいでしょうね」
「まあ、気ちがいでしょうね。昔から髪切り顔切り帯切り、そんなたぐいはいろいろありました。そのなかでも名高いのは槍突きでしたよ」
「槍突き……。槍で人を突くんですか」
「そうです。むやみに突き殺すんです。御承知はありませんか」
「知りません」
「尤《もっと》もこれはわたくしが自分で手がけた事件じゃあありません。人から又聞きなんですから、いくらか間違いがあるかも知れませんが、まあ大体はこういう筋なんです」と、老人はしずかに語り出した。「文化三、丙寅《ひのえとら》年の正月の末頃から江戸では槍突きという悪いことが流行りました。くらやみから槍を持った奴が不意に飛び出して来て、往来の人間をむやみに突くんです。突かれたものこそ実に災難で、即死するものも随分ありました。その下手人《げしゅにん》は判らずじまいで、いつか沙汰やみになってしまいましたが、文政八年の夏から秋へかけて再びそれが流行り出して、初代の清元延寿太夫も堀江町《ほりえちょう》の和国橋の際《きわ》で、駕籠の外から突かれて死にました。富本をぬけて一派を樹《た》てたくらいの人ですから、誰かの妬《ねた》みだろうという噂もありましたが、実はなんにも仔細はないので、やはりその槍突きに殺《や》られてしまったんです。山の手には武家屋敷が多いせいか、そんな噂はあまりきこえませんで、主《おも》に下町《したまち》をあらして歩いたんですが、なにしろ物騒ですから暗い晩などに外をあるくのは兢々《びくびく》もので、何時《いつ》だしぬけに土手っ腹を抉《えぐ》られるか判らないというわけです。文化のころの落首《らくしゅ》にも『春の夜の闇はあぶなし槍梅の、わきこそ見えね人は突かるる』とか、又は『月よしと云えど月には突かぬなり、やみとは云えどやまぬ槍沙汰』などというのがありました。今度はもう落首どころじゃありません。うっかりすると落命に及ぶのですから、この前に懲《こ》りてみな縮み上がってしまいました。そういう始末ですから、上《かみ》でも無論に打っちゃっては置かれません。厳重にその槍突きの詮議にかかりましたが、それが容易に知れないで、夏から秋まで続いたのだから堪まりません。八丁堀同心の大淵吉十郎という人は、もし今年中にこの槍突きが召捕れなければ切腹するとか云って口惜《くや》しがったそうです。旦那方がその覚悟ですから、岡っ引もみんな血眼《ちまなこ》です。ほかの御用を打っちゃって置いても、この槍突きを挙げなければならないというので、詮議に詮議を尽していましたが、そのなかに葺屋町《ふきやちょう》の七兵衛、後に辻占《つじうら》の七兵衛といわれた岡っ引がいました。もうその頃五十八だとかいうんですが、からだの達者な眼のきいた男だったそうです。これからお話し申すのは、その七兵衛の探偵談で……」
盛夏《まなつ》のあいだは一時中絶したらしい槍突きが、涼風《すずかぜ》の立つ頃から又そろそろと始まって来て、九月の末頃には三日に一人ぐらいずつの被害者を出すようになったので、下町の人達はまたおびやかされた。よんどころなしに夜あるきする者も三人か五人が一と組になって出ることにして、ひとり歩きは一切見合わせるようになった。しかしいつの場合でも、被害者の所持品を取ったという噂はなく、単に突いて逃げるばかりで、つまり一種の辻斬りのたぐいである。なまじいに人の物に眼をかけないだけに、その手がかりを見つけ出すのが困難で、所詮はその場で召捕るよりほかには、下手人を見いだす方法がなかった。
文化の時と文政のときと、それが同じ下手人であるかどうかは判らなかった。それが一人であるか、五人六人が党を組んでいるのか、あるいはその噂を聞き伝えて面白半分に真似るものが幾人も出来たのか、そんなことも一切判らなかった。一体なんの為にそんな残酷なことをするのか、それも確かな判断が付かなかった。やはり在来の辻斬りと同じように持ち槍の穂の冴えをためすのと、自分の腕の働きを試すのと、この二つであろうとは誰でも思い付くことであるので、江戸じゅうの槍術|指南者《しなんしゃ》やその門人たちが真っ先に眼をつけられたが、その方面では取り留めた手がかりもなかった。さりとて、それが普通の物取りでないことは判っているので、どうも其の理由を発見するのに苦しめられた。なにかの心願があって、千人の人間を突くのだという説もあった。又は戌年《いぬどし》の人に限って突くのだという説もあったが、かの延寿太夫は酉年《とりどし》の生まれで戌年ではなかった。なんにしても自由自在に槍を使う以上、それが町人や百姓とも思われないので、武家や浪人どもが注意の眼を逃がれることは出来なかった。七兵衛もやはりそう見ている一人であった。
十月六日の朝は陰《くも》っていた。もう女房のない七兵衛は雇い婆のお兼に云った。
「老婢《ばあや》、どうだい、天気がおかしくなったな」
「なんだか時雨《しぐ》れそうでございます」と、お兼は縁側をふきながら薄暗い初冬の空をみあげた。「今晩からお十夜《じゅうや》でございますね」
「そうだ、お十夜だ。十手とお縄をあずかっている商売でも、年をとると後生気《ごしょうぎ》が出る。お宗旨じゃあねえが、今夜は浅草へでも御参詣に行こうかな」
「それが宜しゅうございます。御法要や御説法があるそうでございますから」
「老婢と話が合うようになっちゃあ、おれももうお仕舞いだな。はははははは」
元気よく笑っているところへ、子分のひとりが七兵衛の居間へ顔を出した。
「親分、禿岩《はげいわ》がまいりました。すぐに通してやりますか」
「むむ。なにか用があるのかしら。まあ、通せ」
小|鬢《びん》に禿のある岩蔵という手先が鼻の先を赤くしてはいって来た。
「お早うございます。なんだか急に冬らしくなりましたね」
「もうお十夜だ。冬らしくなる筈だ。寝坊の男が朝っぱらからどうしたんだ」
「早速ですが、例の槍突き……。あれで妙なことを聞き込んだので、ともかくもお前さんの耳に入れて置こうと思ってね」と、岩蔵は長火鉢の前に窮屈そうにかしこまった。「ゆうべの五ツ(午後八時)少し過ぎに蔵前《くらまえ》でまた殺《や》られた」
「むむ」と、七兵衛も顔をしかめた。「仕様がねえな。殺られたのは男か女か」
「それがおかしい。もし、親分。浅草の勘次と富松という駕籠屋が空《から》駕籠をかついで柳原の堤《どて》を通ると、河岸の柳のかげから十七八の小綺麗な娘が出て来て、雷門までのせて行けと云う。こっちも戻りだからすぐに値ができて、その娘を乗せて蔵前の方へいそいで行くと、御厩《おんまや》河岸《がし》の渡し場の方から……。まあ、そうだろうと思うんだが、ばたばたと早足に駆け出して来た奴があって、暗やみからだしぬけに駕籠の垂簾《たれ》へ突っ込んだ。駕籠屋二人はびっくりして駕籠を投げ出してわあっと逃げ出した。が、そのままにもして置かれねえので、半町ほども逃げてから、また立ち停まって、もとのところへ怖々《こわごわ》帰って来てみると、駕籠はそのまま往来のまん中に置いてあるので、試《ため》しにそっと声をかけると、中じゃあなんにも返事をしねえ。いよいよやられたに相違ねえと、駕籠屋は気味わるそうに垂簾をあげて見ると、中には人間の姿が見えねえ。ねえ、おかしいじゃありませんか。それから提灯の火でよく見ると大きい黒猫が一匹……。胴っ腹を突きぬかれて死んでいるので……」
「黒猫が……。槍に突かれていたのか」
「そうですよ」と、岩蔵も顔をしかめながらうなずいた。「何のわけだか、ちっともわからねえ。娘はどこへか消えてしまって、大きい黒猫が身がわりに死んでいるんです。どう考えても変じゃありませんか」
「すこし変だな。どうして猫と娘とが入れ換わったろう」
「そこが詮議物ですよ。駕籠屋の云うには、どうもその娘は真《ま》人間じゃあねえ、ひょっとすると猫が化けたんじゃねえかと……。成程このごろは物騒だというのに、夜鷹《よたか》じゃあるめえし、若い娘が五ツ過ぎに柳原の堤をうろうろしているというのがおかしい。化け猫が娘の姿をして駕籠屋を一杯食わそうとしたところを、不意に槍突きを食ったもんだから、てめえが正体をあらわしてしまったのかも知れませんね」
「そうよなあ」と、七兵衛は苦笑《にがわら》いした。「まあ、そうでも云わなければ理窟が合わねえが、なにしろ変な話だな。で、その娘は美《い》い女だと云ったな。面《つら》をむき出しにしていたのか」
「いいえ、頭巾《ずきん》をかぶっていたそうです」
「そうか。そうして、その娘は駕籠に乗り馴れているらしかったか」
「さあ、そこまでは聞きませんでした。なにしろ真人間じゃあねえらしいから。そこはなんとか巧《うま》く誤魔化していたでしょうよ」
「もう一遍きくが、その娘は十七八だと云ったな」
「そうです。そういう話です」
「いや、御苦労。おれもまあ考えてみようよ」
岩蔵は親分の前を退がって、ほかの子分どもの集まっている部屋へ行った。そうして大きな声で、水茶屋の娘の噂か何かをしているのを聴きながら、七兵衛は長火鉢の前でじっと考えていたが、やがて喫《す》いかけている煙管《きせる》をぽんとはたいて、ひとり言のように云った。
「わるい悪戯《いたずら》をしやあがる」
日がくれてから七兵衛は葺屋町の家を出て、浅草の念仏堂の十夜講に行った。その途中で、念のために、柳原の堤を一と廻りして見ると、槍突きの噂におびえているせいか、長い堤には宵から往来の足音も絶えて、提灯の火一つもみえなかった。昼から陰っていた大空は高い銀杏《いちょう》のこずえに真っ黒に圧《お》しかかって、稲荷の祠《ほこら》の灯が眠ったように薄黄色く光っているのも寂しかった。かた手に数珠《じゅず》をかけている七兵衛は小田原提灯を双子《ふたこ》の羽織の下にかくして、神田川に沿うて堤の縁《ふち》をたどってゆくと、枯れ柳の痩せた蔭から一人の女が幽霊のようにふらりと出て来た。
七兵衛は暗いなかでじっと透かしてみると、女の方でもこっちを窺っているらしく、やがて摺り抜けて両国の方へ行こうとするのを、七兵衛はうしろから呼び戻した。
「もし、もし、姐《ねえ》さん」
女はだまって立ち停まったが、又そのままに行き過ぎようとするのを、七兵衛は足早にそのあとを追って行った。
「おい、姐さん。このごろは物騒だ。私がそこまで送って上げようじゃねえか」
こう云いながら、かれは隠していた提灯をその眼先へ突き付けようとすると、提灯はたちまち叩き落された。こっちは内々覚悟していたので、すぐその手首を捕えようとすると、両手はしびれるほどに強く打たれて、数珠の緒は切れて飛んでしまった。さすがの七兵衛もはっと立ちひるむひまに、女のすがたは早くも闇の奥にかくれて、かれの眼のとどく所にはもう迷っていなかった。
二
「あれが化け猫か」
追ってもとても追い付きそうもないのと、また執念ぶかく追いまわす必要もないのとで、七兵衛は先ず足もとに叩き落された提灯を拾おうとして、身をかがめながら暗い地面を探っている時、どこから現われたのか、一つの黒い影がつかつかと走って来て、声もかけないで彼の屈《かが》んでいる左の脇腹を突こうとした。その足音に早くも気のついた七兵衛は、小膝をついて危く身をかわしたので、槍の穂先はがちりと土を縫った。その柄《え》をつかんで起き直ろうとすると、相手はすぐに穂をぬいて、稲妻のような速さで二の槍をついて来た。これも危く飛びこえて、七兵衛はようようまっすぐに起きあがると、槍はつづいて彼の腹か股のあたりへ突きおろして来たが、どれも幸いに空《くう》をながれて彼の身には立たなかった。
「御用だ」
もう堪まらなくなって声をかけると、相手はすぐに槍を引いて、暗いなかを一散に逃げてしまった。猫の眼をもたない七兵衛は、彼の姿をなんにも認めなかったのを残念に思ったが、自分に怪我《けが》のなかったのをせめてもの幸いにして、落ちた提灯をようように探しあてた。商売柄で夜は身を放さない燧《ひうち》袋から燧石を出して、折れた蝋燭に火をつけてそこらを照らしてみたが、なにかの手がかりになりそうなものは見付からなかった。
さっきの怪しい女と、今の槍の主《ぬし》と、それとこれとを結びつけて考えながら、七兵衛はそれから浅草へ行った。物騒な噂が後生《ごしょう》ねがいの人々をもおびやかしたとみえて、十夜詣りも毎年ほどは賑わっていなかった。切れた数珠を袂にした七兵衛も、今夜はおちつかない心持で御説法を聴いて帰った。帰り途には何事もなかった。
臆病な駕籠屋の口から洩れたのであろう。この頃は市内に化け猫があらわれるという噂が立った。槍突きの噂が静まらないうちに、更に化け猫の噂が加わったのであるから、女子供などはいよいよおびえた。それが八丁堀同心の耳にもはいって、更に町奉行所へもきこえて、奇怪の風説を取り締るようにという注意もあったが、その風説は尾鰭《おひれ》をそえて、それからそれへとますます拡がった。もう打っちゃっても置かれないので、七兵衛は自分で浅草へ出張って、馬道《うまみち》の裏長屋に住んでいる駕籠屋の勘次をたずねた。
「辻駕籠屋の勘次さんというのは、この御近所ですかえ」と、七兵衛は路地の入口の荒物屋で訊いた。
「勘次さんはこの裏の三軒目ですよ」と、店で姫糊《ひめのり》を煮ている婆さんが教えた。
「勘次さんは毎日商売に出ていますかえ」
「なんだか知りませんけれども、この十日《とおか》ばかりはちっとも商売に出ないで、おかみさんと毎日喧嘩ばかりしているようです」
「じゃあ、けさも家《うち》にいますね」
「いるでしょうよ。さっきから大きな声をしていましたから」と、婆さんは苦々《にがにが》しそうに云った。
「いや、ありがとう」
あぶない溝板を渡りながら路地の奥へはいってゆくと、甲走《かんばし》った女の声がきこえた。
「へん、意気地もないくせに威張ったことをお云いでないよ。槍突きぐらいが怖くって、夜のかせぎが出来ると思うのかえ。おまえが盆槍《ぼんやり》で、向うが槍突きなら相子《あいこ》じゃないか。槍突きが出て来たら丁度いいから、富さんと二人でそいつを取っ捉まえて御褒美でもお貰いな、嬶《かかあ》を相手に蔭弁慶をきめているばかりが能《のう》じゃないよ。しっかりおしな」
このあいだの晩、槍突きに出逢って以来、辻駕籠屋の勘次は怯気《おじけ》づいて商売を休んでいるらしかった。女房の悪態の途切れるのを待って、七兵衛はそっと声をかけた。
「ごめんなさい」
「誰ですえ」と、女房は八中《やつあた》りの尖った声で答えた。
「勘次さんはお家ですかえ」
空駕籠を片寄せてある土間に立つと、長火鉢の前にあぐらをかいていた勘次が首をのばした。彼は三十四五の、背の低い、小ぶとりに肥った男で、こんな商売に似合わない、人のよさそうな顔をしていた。
「勘次はいますよ。こっちへおはいんなせえ」
「朝っぱらからお邪魔をします」と、七兵衛は上がり框に腰をかけた。「勘次さんというのはお前だね。話は早えがいい。おれは葺屋町の七兵衛と云って、十手をあずかっている者だが、すこしお前に訊きてえことがある」
「へえ」と、勘次は女房と顔を見あわせた。「なにしろ、親分。きたねえところですが、まあこっちへお上がんなすって下せえまし」
「親分。まあどうぞこちらへ……」
女房は急にふくれっ面をやわらげて、しきりに内へ招じ入れようとするのを、七兵衛は手を振って断わった。
「まあ、いい。なにも構いなさんな。お客に来たんじゃねえ。そこで早速だが、お前はこのあいだ蔵前の通りで槍突きに出っ食わしたというじゃあねえか。いや、そりゃあまあ災難で仕方ねえが、その時にお前は変なお客を乗っけたそうだね。ほんとうかえ」
「へえ」と、勘次は不安らしくうなずいた。
「それがちっと面倒になっているんだ。気の毒だが、おれはお前を引っ張って行かなけりゃあならねえ」
七兵衛はまずこう嚇《おど》した。化け猫の風説はおまえと相棒の富松の口から出たに相違ない。奇怪の風説をきっと取り締れという町奉行所の御触れが出ている。そうして、その風説の張本人が辻駕籠の勘次と富松の二人とわかっている以上、自分はこれから二人を引っ立てて行って吟味をしなければならないから、そう思ってくれと云った。みだりに奇怪の風説を流布《るふ》したということになると、どんな御咎めを受けるか判らないので、勘次も女房も真っ蒼になった。
「でも、親分。そりゃあまったくのことなんですから」と、勘次は慄《ふる》えながら云った。
「そりゃあ俺も知っている。お前に迷惑をかけるのは気の毒だと思っている。就いてはそんな面倒は云わねえことにして、その代りに一つ御用を勤めてくれ。今夜の暮れ六ツが鳴ったら富松と一緒に駕籠をかついで俺の家まで来てくれれば、その時に万事の打合わせをする。いいか。頼んだぜ」
否応《いやおう》なしに承知させて、七兵衛は勘次にわかれて帰った。帰ると丁度かの岩蔵が来ていたので、七兵衛はこれを長火鉢の前によんで、馬道の勘次をたずねて来たことを話した。
「四の五の云うと面倒だから少し嚇かして来たから、相棒と一緒にきっと今夜来るに相違ねえ。ふたりに空駕籠をかつがせて、おれが付いて行ってみようと思う。化け猫釣りがうまく行きゃあお慰みだが……」
「そんな仕事ならほかの駕籠屋を狩り出した方がようがすぜ」と、岩蔵は云った。「あいつらは揃って臆病な奴らですから、なんの役にも立ちますめえ」
「でも、このあいだの晩の娘を乗っけたのは彼奴《あいつ》らだから、ほかの者じゃあ見識り人にならねえ。まあ、いいや。なんとかなるだろう」と、七兵衛は笑っていた。「それにしても民の野郎はどうしたろう。あいつに少し頼んで置いたことがあるんだが……」
「民の野郎はさっき来ましたよ。親分は留守だと云ったら、それじゃあ髪結床《かみいどこ》へ行ってこようと出て行きましたから、又引っ返して来るでしょうよ」
噂をしているところへ、民次郎という二十四五の子分が剃り立ての額《ひたい》をひからせて帰って来た。
「親分。お早うございます。早速だが、わっしの方はどうも大役ですぜ。寅の奴と手わけをして、毎晩方々を見まわって歩いているが、なにしろ江戸は広いんでね。とても埒が明きそうもありませんよ」
「気の長げえ仕事だが、まあ我慢してやってくれ。そのうちにゃあ巧くぶつかるかも知れねえから」と、七兵衛はやはり笑っていた。「どうでみんなが手古摺っている仕事なんだから、そう手っ取り早くは行かねえ。まあ、気長にやるよりほかはねえ」
民次郎は寅七という子分と手わけをして、江戸中で竹藪のあるところを毎晩見廻っているのであった。今とは違って、その頃の江戸には竹藪のあるような場所はたくさんあった。それを根《こん》よく見まわって歩くのは並大抵のことではないので、年のわかい彼が愚痴をこぼすのも無理はなかった。
三
日が暮れると、勘次は相棒の富松をつれて約束通りにたずねて来た。かれらに空駕籠をかつがせて、七兵衛は見え隠れにそのあとに付いて、人通りの少なそうなところを廻ってあるいたが、化け猫らしい娘には出逢わなかった。四ツ(午後十時)過ぎになっても何の変りもないので、七兵衛は幾らかの酒手を二人にやって別れた。
「今夜はいけねえ。あしたの晩もまた来てくれ」
あくる日も二人の駕籠屋は正直に夕方からたずねて来たので、七兵衛はかれらを先に立たせて、ゆうべのように寂しい場所を択《えら》んで歩いたが、今夜もそれらしい者のすがたを見付けなかった。
「又あぶれか。仕方がねえ。あしたも頼むぜ」
今夜も酒手をやって駕籠屋に別れて、七兵衛は寒い風に吹かれながら浜町河岸《はまちょうがし》をぶらぶら帰ってくると、駕籠屋のひとりが息を切ってうしろから追って来た。うすい月の光りに見かえると、それは勘次であった。
「親分。大変です。女がまた殺《や》られています」
「どこだ」
「すぐそこです」
一町ばかりも河岸に付いて駈けてゆくと、果たしてひとりの女が倒れていた。二十三四の小粋な風俗で、左の胸のあたりを突かれているらしかった。七兵衛が死骸をかかえ起して、胸をくつろげて先ずその疵口をあらためると、からだはまだ血温《ぬくもり》があった。たった今|殺《や》られたにしては、なにかの叫び声でも聞えそうなものだと思いながら、念のために女の口を割ってみると、口のなかから生々《なまなま》しい小指があらわれた。声を立てさせまいとして片手で女の口をおさえたので、女は苦しまぎれにその小指を咬み切ったのであろう。七兵衛はその指を鼻紙につつんで袂に入れた。
「気の毒だが、死骸をその駕籠に乗せてくれ」
死骸を運ばせて、型の通りに検視をうけると、女は両国の列《なら》び茶屋の女でお秋というものと判った。胸の疵はやはり槍で突かれたのであった。
「また槍突きか」と、検視の役人は云った。世間の者もそう認めて、お秋の死骸はそのまま引き渡された。併し七兵衛にはそうらしく思われなかった。これまでの手口から考えても、また自分の経験から考えても、槍突きの曲者《くせもの》は柄の長い槍で遠方から突くのである。女を抱きすくめて其の女の口をおさえて胸を突くような遣り口は一度もない。これは槍突きのはやるのを幸いに、槍の穂で女を突き殺して、これも槍突きの仕業《しわざ》であるらしく世間の眼をくらます手段に相違ないと鑑定した。
女の口にくわえていた小指に藍《あい》の色が浸みているのを証拠に、七兵衛は子分どもに云いつけて紺屋《こうや》の職人を探させた。向う両国の紺屋にいる長三郎という今年十九の職人が、すぐに召捕られた。長三郎は列び茶屋のお秋に熱くなって、この夏頃から毎晩のように入り込んでいたが、自分よりも年下で、しかもきのう今日《きょう》の年季あがりの職人を、お秋はまるで相手にもしなかったので、彼はひどく失望した。ことにお秋には浜町辺のある情夫《おとこ》が付いているのを知って、年のわかい彼は嫉妬に身を燃やした。そうして、結局お秋を殺そうと決心したが、それでも自分の命は惜しいとみえて、かれは人知れず女を殺してしまう方法をかんがえた。七兵衛の想像通り、かれは槍の穂を買って来て、それをふところにしてお秋の出入りを付け狙っているうちに、その夜は彼女が浜町の情夫のところへ逢いに行ったのを知ったので、帰る途中を待ち受けいて、うしろから不意に抱きすくめてその胸を突いた。こうしてしまえば、自分の罪を彼《か》の槍突きに塗り付けることが出来ると思ったのであるが、女にかみ切られた小指が証拠になって、左小指をまいている彼はひと言の云い解きも出来ずに縄をうけた。
「とんだお景物《けいぶつ》だ」と、七兵衛は思った。しかしそのお景物の口から七兵衛は一つの手がかりを見つけ出した。それは長三郎の近所の獣肉屋《ももんじいや》へときどきに猿や狼を売りにくる甲州辺の猟師が、この頃も江戸へ出て来て、花町《はなまち》辺の木賃宿《きちんやど》に泊まっている。かれは小博奕の好きな男で、水茶屋ばいりの資本《もとで》を稼ごうとした長三郎が、かえって彼に幾たびか巻き上げられたということであった。
「その猟師はなんという男で、てめえはどうして識っているんだ」
「名前は作さんと云っています。たしか作兵衛と云うんでしょう」と、長三郎は云った。「わたくしが作さんと懇意になったのは、この月の初めに親方の使いで、猪肉《ももんじい》を少しばかり内証で買いに行ったときに、作さんは店に腰をかけていて、おたがいに二タ言三言挨拶したのが初めです。それから二、三日経って、わたくしが宵の口に横網《よこあみ》の河岸を通ると、片側の竹藪のなかへ作さんがはいって行こうとするところで、今そこで狐を一匹見つけたから追っかけて行こうとするんだと云いました」
「狐はつかまえたのか」と、七兵衛は訊いた。
「わたくしと話しているうちに、もう遠くへ逃げてしまったから駄目だと云ってやめました」
「その猟師には博奕で幾らばかり取られた」
「わたしらの小博奕ですから多寡が四百か五百で、一貫と纏まったことはありません。それでもほかの者から幾らかずつ取っていますから、当人のふところには相当にはいっているかも知れません。不思議に上手なんですから」
「毎晩博奕をうつのか」
「わたしらは毎晩じゃありません。でも作さんは大抵毎晩どこかへ出て行くようです。山の手にも小さい賭場《とば》がたくさんあるそうですから、大方そこへ行くんでしょう」
「よし、判った。てめえもいろいろのことを教えてくれた。その御褒美に御慈悲をねがってやるぞ」
「ありがとうございます」
長三郎はすぐ伝馬町《てんまちょう》へ送られた。七兵衛は今度の事件に関係のある岩蔵、民次郎、寅七の三人を呼んで、本所の木賃宿に泊っている甲州の猟師を召捕れと云いつけた。
「だが、親分。猟師がなんだってそんな真似をするんでしょう」と、岩蔵は腑《ふ》に落ちないように眉をよせた。
「そりゃあ俺にもわからねえ」と、七兵衛も首をふってみせた。「だが、槍突きはその猟師に相違ねえと思う。俺がこの間の晩、柳原の堤《どて》で突かれそくなった時に、そいつの槍の柄をちょいと掴んだが、その手触りがほんとうの樫《かし》じゃあねえ。たしかに竹のように思った。してみると、槍突きは本身《ほんみ》の槍で無しに、竹槍を持ち出して来るんだ。十段目の光秀じゃあるめえし、侍が竹槍を持ち出す筈がねえ。こりゃあきっと町人か百姓、多分百姓の仕業だろうと睨んだが、おなじ竹槍を毎晩かついで歩いている気づけえはねえ。第一、昼間その槍の始末に困るから、槍はその時ぎりで何処へか捨ててしまって、突きに出る時には新しい竹を伐り出して来るんだろうと思ったから、民や寅に云い付けて、そこらの竹藪を見張らせていると、案の通りそいつが横網河岸の竹藪へ潜《もぐ》り込もうとするところを、紺屋の長三郎が見つけたというじゃあねえか。狐をつかまえるなんていうのは嘘の皮だ。もう一つには柳原でおれに突いて来た腕前がなかなか百姓の猪《しし》突き槍らしくねえ。穂さきが空《くう》を流れずに真面《まとも》に下へ下へと突きおろして来た工合が、百姓にしてはちっと出来過ぎるとおれも実は不思議に思っていたが、猟師とはちょいと気がつかなかった。あの野郎、熊や狼を突く料簡で人間をずぶずぶ遣りゃがるんだから恐ろしい。さあ、こう種があがったら考えることはねえ。すぐに行って引き挙げてしまえ」
「判りました。ようがす」
三人は勢い込んでばらばらと起った。
四
心無しを使うなと俚諺《ことわざ》にもいう十月の中十日《なかのとうか》の短い日はあわただしく暮れて、七兵衛がお兼ばあやの給仕で夕飯をくってしまった頃には、表はすっかり暗くなった。本所へ出て行った三人はまだ帰って来なかった。相手が留守なので張り込んでいるのだろうと思っていたが、あまり遅いので七兵衛も少し不安になった。どんな様子か見とどけに行って来ようかと身支度をして門《かど》を出るところへ、いつもの勘次が空手《からて》で来た。
「親分。申し訳がありません。富の野郎が持病の疝気で、今夜はどうしても動けねえと云うんですが……」
「それでお前ひとりで出て来たのか。正直な男だな。実はこれから本所まで御用で行くんだから、今夜はお前に用はなさそうだが、まあそこまで一緒に附き合ってくれ、途中で又どんな掘出し物がねえとも云えねえ」
「あい。お供します」
女房の尻に敷かれているらしい男だけに、意気地はないが正直で素直な彼を、七兵衛は可愛く思った。ふたりは話しながら両国の方へ歩いてゆくと、長い橋のまん中まで来かかった時に、あたまの上を雁が鳴いて通った。
「だんだんに寒くなりますね」
「むむ、これから筑波颪《つくばおろし》でこの橋は渡り切れねえ」と、七兵衛はうす明るい水の上を眺めながら云った。「もうじきに白魚の篝《かがり》が下流《しもて》の方にみえる時節だ。今年もちっとになったな」
こう云っている彼の袂を勘次はそっとひいた。七兵衛がかれの指さす方角に眼をむけると、ひとりの女がうつむき勝ちに歩いていた。
「蔵前の化け猫じゃあねえか」と、七兵衛は小声で訊いた。
「そうですよ。どうもそうらしいと思いますよ」と、勘次もささやいた。「わたくしは商売ですから、一度乗せた客はめったに忘れません。この間の晩、猫になったのはあの女ですよ」
「おれもそうらしいと思っている。少し待ってくれ。おれが行って声をかけるから」
七兵衛は引っ返して女のあとをつけた。広小路寄りの橋番小屋のまえまで行った時に、かれは先廻りをして女の前に立って、小屋の灯かげで頭巾をのぞいた。
「若先生。先夜は失礼をいたしました」
女はちょっと立ち停まったが、そのまま無言でゆき過ぎようとするのを、七兵衛は追いすがって又呼んだ。
「内田の若先生。あなたも槍突きの御詮議でございますかえ。とんだ御冗談をなさるので、世間じゃあみんな化け猫におびえていますよ」
「ほほほほほほ」
女は笑いながら頭巾をぬいで、まだ前髪のある白い顔をみせた。大柄ではあるが、ようよう十五六であろう。かれは眼の涼しい、口元の引き締った、見るから優《やさ》しげな、しかも凛々《りり》しい美少年であった。
「おまえは誰だ。どうして私を識っている」
「今牛若という若先生が両国橋を歩いていらっしゃるのは、五条の橋の間違いじゃあございませんかえ」と、七兵衛は笑った。「下谷の内田先生の御子息に俊之助様という方のあるのは盲でも知っていましょう。このあいだの晩、柳原でちょっとお目にかかりました時に、お手並はすっかり拝見いたしました。提灯の火でちらりとお見受け申したところ、身のかまえ、小手先の働き、どうも唯の方ではないと存じました。御修行かたがた槍突きを御詮索になるのは結構ですが、器用に駕籠ぬけをして身代りに猫を置いていらしったりするもんですから、世間の騒ぎはいよいよ大きくなって困ります。もうこの後はどうか悪い御冗談はお見合わせください、臆病な奴らはふるえていけませんから」
「何もかもよく知っている」と、少年は笑い出した。「そうしてお前は誰だというに……」
「御用聞きの七兵衛でございます」
「ははあ、それでは知っている筈だ。親父のところへも二、三度たずねて来たことがあるな」
「へえ。この槍突きの一件で、お父様にも少々おたずね申しに出たことがございました」
女装の少年は七兵衛に見あらわされた通り、当時下谷に大きい町道場をひらいている剣術指南内田伝十郎の息子であった。この夏以来、かの槍突きの噂がさわがしいので、血気にはやる若い弟子たちのうちには、世間のため修行のために、その槍突きの曲者を引っ捕えようとして、毎晩そこらを忍び歩いている者もあった。俊之助はそれが羨ましくなったので、今牛若の名を取っている彼は父の許しを受けて、これも先月の末頃から忍んで出た。これまでほかの弟子たちが一度も当の敵に出逢わないのは、むやみに肩肱を怒《いか》らせて大道のまん中を押し歩いているからである。自分はまだ前髪立ちの少年であるのを幸いに、女に化けて敵を釣り寄せてやろうと考えて、俊之助は姉の衣服をかりて頭巾に顔をつつんだ。そうして夜にまぎれて忍んで出ると、果たして広徳寺前で不意に突きかけられた。無論に身をかわして引っぱずしたが、相手は逃げ足が早いので、それを取り押えることが出来なかった。
年のわかい彼はそれを口惜しがって、その意趣返しに一度相手を弄《なぶ》ってやろうと思った。かれは家を出るときに黒い野良猫を絞め殺して、その死骸をふところに忍ばせていると、それがうまく図にあたって槍の穂先が駕籠を貫く途端に、身の軽い彼は早くも外へぬけ出して、身がわりの猫を残して行ったのである。
「とんだ悪戯《いたずら》をして相済まなかった。堪忍してくれ」と、俊之助は何もかも打ち明けて笑った。
「その後も毎晩お忍びでございましたか」と、七兵衛は訊いた。
「家へ帰って自慢そうにその話をすると、父からひどく叱られて、なぜそんな悪戯をする、いたずらばかり心掛けているから肝腎の相手を取り逃がすようにもなる。本気になって相手をさがせと厳しく云われたので、その後も怠らずに毎晩出あるいているが、月夜のつづくせいか、この頃はちっとも出逢わないで困っている」
「それは御苦労さまでございます。しかしもう御心配には及びません。その相手という奴は大抵知れました」
「むむ、知れたか」
この途端に足音をぬすんで近寄る者があるらしいので、油断のない二人はすぐに振り返ると、ひとりの大男が短い刃物をひらめかしていきなりに突いて来た。かれの目ざしたのは七兵衛であるらしかったが、七兵衛があわてて身をかわすと同時に、かれの利き腕はもう俊之助に掴まれていた。彼はもんどり打って大地へ叩き付けられた。這い起きようとする其の腕を、今度は七兵衛がしっかり押え付けてしまった。
「飛んで火に入るとかいうのは此の事で、実に馬鹿な奴ですよ」と、半七老人は云った。「いくらこっちが油断しているだろうと思ったにしても、剣術つかいと御用聞きとが向い合っているところへ、自分から切り込んでくる奴もないもんです。ふたりの話を立ち聴きしていて、こりゃあ自分の身の上があぶないと思ったからでしょうが、あんまり向う見ずの奴ですよ。そいつはやっぱり猟師の作兵衛という奴で、槍突きはまったくこいつの仕業だったんです。年は三十七八で、若いときに甲州の山奥で熊と闘って啖《く》い切られたというので、左の耳が無かったそうです。頬にも大きい疵のあとがあって、口のまわりにも歪《ゆが》んだ引っ吊りがあって、人相のよくない髭だらけの醜男《ぶおとこ》だったということです」
「その猟師がなぜそんなことをしたんでしょう。気ちがいですか」と、わたしは訊いた。
「まあ一種の気ちがいとでもいうんでしょうかね。しかし吟味になってからも、口の利き方なぞははきはきしていて、普通の人と変らなかったそうです。当人の白状によると、前の文化三年に槍突きをやったのは、その兄貴の作右衛門という男で、これは運好く知れずにしまったんですが、もうその時には死んでいたとはいよいよ運のいい奴です。作右衛門の兄弟は親代々の猟師で、甲州の丹波山とかいう所からもっと奥の方に住んでいて、甲府の町すらも見たことのない人間だったそうですが、なにか商売の獣物《けだもの》を売ることに就いて、兄貴の作右衛門がはじめて江戸へ出て来たのは文化二年の暮で、あくる年の春まで逗留しているうちに、ふと妙な気になったのだと云います。
それは、生まれてから初めて江戸という繁華な広い土地を見て、どの人もみんな綺麗に着飾っているのを見て、初めは唯びっくりしてぼんやりしていたんですが、そのうちにだんだん妬《ねた》ましくなって来て……。羨ましいだけならばいいんですが、それがいよいよ嵩《こう》じて来て、なんだかむやみに妬ましいような、腹が立つような苛々《いらいら》した心持になって来て、唯なんとなしに江戸の人間が憎らしくなって、誰でもかまわないから殺してやりたいような気になったんだそうです。で、根が猟師ですから鉄砲を打つことも知っている。槍を使うことも知っているので、そこらの藪から槍を伐り出して来て、くらやみで無闇に往来の人間を突いてあるいたんです。まったく猪や猿を突く料簡で、相手嫌わずに突きまくったんだから堪まりません。考えてもぞっとします。そうして、いい加減に江戸じゅうをあらし歩いたのと、さすがに故郷が恋しくなったのとで、その年の秋ごろに国へ逃げて帰って、何食わぬ顔をして暮らしていたんです。勿論、そんなことは他人《ひと》にうっかりしゃべられないんですが、それでも酒に酔った時などには、囲炉裏《いろり》のそばで弟に話したことがあるので、作兵衛はそれをよく知っていたんです。
それから二十年経つうちに、兄の作右衛門はある年の冬、雪にすべって深い谷底へころげ落ちて、その死骸も見えなくなってしまったといいます。あとは弟の作兵衛ひとりで、女房も持たずに暮らしていると、これもなにかの商売用で初めて江戸へ出て来ることになったんです。それが文政八年の五月頃で、若い時から兄貴のおそろしい話を聴かされているので、自分は勿論おとなしく帰る積りであったところが、扨《さて》いよいよ江戸へ出てみると土地が賑やかなのと、眼に見る物がみんな綺麗なのとで、なんだか酔ったような心持になって、これもむらむらと気が変になって、とうとう兄貴の二代目になってしまったんです。で、五月と六月のふた月はやはり竹槍を担《かつ》ぎ歩いていたんですが、さすがに悪いことだと気がついて、怱々に故郷へ逃げて帰りました。それでおとなしくしていれば、兄貴同様に無事だったんでしょうが、山へはいって猪や猿を突くたびに、なんだか江戸のことが思い出されて、とうとう堪え切れなくなって其の年の九月に又ぶらりと出て来ました。江戸の人間こそ飛んだ災難です。それでもいよいよ運がつきて、七兵衛に召し捕られてしまったんです。今までは誰も侍や浪人ばかりに眼をつけていたんですが、初めて竹槍ということを見付けだしたのが七兵衛の手柄でしょう。そのあいだに黒猫というお景物が付いたので、事がすこし面倒になりましたが、むかしの剣術使いなどのやりそうな悪戯《いたずら》です。はははははは。作兵衛は無論引き廻しの上で磔刑《はりつけ》になりました」
「その兄弟は猟師でしょう」と、わたしは又訊いた。「江戸にいる間はいつもどうして食っていたんです」
「それが又不思議ですよ」と、老人は説明した。「兄貴も弟も博奕がうまいんです。甲州の山奥から出て来た猿のような奴だと思って、馬鹿にしてかかると皆あべこべに巻き上げられてしまうんです。勿論、小ばくちですから幾らの物でもありますまいけれども、どっちもひどく約《つま》しい人間で、木賃宿にごろごろして、三度の飯さえとどこおりなく食っていればいいという風でしたから、江戸に暮らしていても幾らもかかりゃしません。そうして、暗い晩になると竹槍をかついであるく。実に乱暴な奴らで、兄弟揃ってそんな人間が出来たというのは、殺生《せっしょう》の報いだろうなんて、その頃の人達は専ら評判していたそうですが、どんなものですかね。何かそういう気ちがいじみた血筋を引いているのか、それともふだんから熊や狼を相手にしているので、自然にそんな殺伐な人間になったのか。さびしい山奥から急に華やかな江戸のまん中へほうり出されたもので、なんだか気がおかしくなったのか。今の世の中でしたら、いろいろの学者たちがよく説明してくれたんでしょうけれど、その時代のことですから、大抵の人は殺生の報いだとか因果だとか、すぐにきめてしまったようです」
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お照の父
一
「いつか向島でお約束をしたことがありましたっけね」
「お約束……。なんでしたっけ」と、半七老人は笑いながら首をかしげていた。
「そら、向島で河童《かっぱ》と蛇の捕物の話。あれをきょう是非うかがいたいんです」
「河童……。ああ、なるほど。あなたはどうも覚えがいい。あれはもう去年のことでしたろう。しかも去年の桜どき――とんだ保名《やすな》の物狂いですね。なにしろ、そう強情《ごうじょう》におぼえていられちゃあ、とてもかなわない。こうなれば、はい、はい、申し上げます、申し上げます。これじゃあどうも、あなたの方が十手を持っているようですね。はははははは。いや、冗談はおいて話しましょう。御承知の通り、両国の川開きは毎年五月の二十八日ときまっていたんですが、慶応の元年の五月には花火の催しがありませんでした。つまり世の中がそうぞうしくなったせいで、もうその頃から江戸も末になりましたよ」
老人は昔を偲《しの》び顔に話し出した。
「その二十八日の午《ひる》過ぎでした。いつもの年ならわたくしも子分どもを連れて、両国界隈を見廻らなければならないんですが、今年は川開きも見あわせになったというので、まあ楽ができると思って神田の家に寝ころんでいますと、一人の若い女が駈け込んで来たんです」
女は女房のお仙をつかまえて何か泣きながら話しているらしかったが、やがてお仙に連れられて半七の枕もとへいざり込んで来た。起き直って見ると、それは柳橋のお照という芸妓の妹分で、お浪という今年十八の小綺麗な女であった。
「やあ、浦島が昼寝をしているところへ、乙姫さんが舞い込んで来たね」と、半七は薄ら眠いような眼をこすりながら笑った。「ことしは花火もお廃止だというじゃあねえか。どうも不景気だね。だんだんに世の中が悪くなるんだから仕方がねえ。それでもいつもの日と違うから、茶屋や船宿《ふなやど》はちっとは忙がしかろう」
云いながらよく視ると、柳橋の若い芸妓は島田を式《かた》のごとく美しく結いあげていたが、顔には白粉のあともなかった。自体がすこし腫れ眼縁《まぶち》のまぶたをいよいよ泣き腫らしていた。花火はなくともきょうは川開きという書入れの物日《ものび》に、彼女はふだん着の浴衣のままで家を飛び出して来たらしかった。
「どうしたんだ。姉さんと何か喧嘩でもしたのか。この頃はもう何か出来たという評判だから、それで姉さんといがみ合ったんじゃあねえか。そんな尻をおれの方へ持って来たって、辻番が違うぜ」と、半七はからかうように相手の顔をのぞくと、お浪は嫣然《にこり》ともしなかった。
「いいえ、お前さん。そんなどころじゃないんですとさ」と、お仙も顔をしかめながら云った。「姉さんが今、番屋に止められたと云って、なあちゃんが泣き込んで来たんです。どうしたんでしょうねえ」
「ねえさんが番屋へあげられた」と、半七も団扇《うちわ》の手をやすめた。「なにかお客の引き合いじゃあねえか」
「じゃあ、親分さんはまだ御存じないんですか」と、お浪は眼を拭きながら云った。
「なんにも知らねえ。おめえの家《うち》に何かあったのかえ」
「お父っさんがけさ殺されたんですよ」
お浪の話によると、けさの六ツ(午前六時)前にお照の家の戸を軽くたたく者があった。朝寝坊の芸妓《げいしゃ》家では、台所に近い三畳で女中のお滝がようよう蚊帳《かや》をはずしているところであった。戸をたたく音を聞きつけて、お滝はすぐに入口へ出て行こうとすると、茶の間の六畳に寝ていたお照の父の新兵衛が蚊帳の中からあわてて呼び止めて、出てはいけない、明けてはいけないと、小声で叱るように云った。叱られてお滝も少しためらっていると、やがて表を叩く音は止んだ。と思うと、今度は裏口の方から跳り込んで来たものがあった。お滝が起きると、すぐに水口《みずくち》の戸を一枚あけて置いたので、得体《えたい》のわからない闖入者は薄暗がりの家の奥へまっしぐらに飛び込んで、新兵衛の蚊帳のなかへ鼠のようにくぐって這入った。年のわかいお滝は呆気《あっけ》に取られて眺めていると、かれは忽ち蚊帳から這い出して来て、もとの水口から駈け出してしまった。まだ起きたばかりで半分寝ぼけているお滝には、何がどうしたのか判らなかった。彼女はしばらく夢のように突っ立っていたが、なんだか少し不安にも思われるので、そっと茶の間へはいって蚊帳の中をのぞいて見ると、新兵衛の寝衣《ねまき》には紅い血が一面に泌み出していた。
腰をぬかさないばかりにびっくりして、お滝は二階へかけ上がった。二階には娘のお照と妹芸妓のお浪とが一つ蚊帳のなかに寝ているので、彼女は忙がわしく二人の女をよび起した。二人もおどろいて降りてみると、新兵衛は刃物で喉笛を切られてもう死んでいた。三人は一度に声をあげて泣き出した。朝寝の町もこの騒ぎにおどろかされて、近所の人達もだんだんに駈けあつまって来た。町《ちょう》役人から式《かた》の通りに変死の届けを出して、与力同心も検視に出張した。
新兵衛は誰にどうして殺されたか、唯一《ゆいいつ》の証人は女中のお滝であるが、彼女は十七の若い女で、寝惚けていたのと狼狽《うろた》えていたのとで、もちろん詳しいことはなんにも判らなかった。彼女が番屋で申し立てたところによると、曲者は背の低い小児《こども》のような怪物で、顔もからだも一面に黒かったのを見ると、おそらく裸体であったらしい。起《た》って歩くかと思うと、這ってあるいた。その以上にはお滝はなんにも記憶に残っていないとのことであった。併しこんな奇怪なあいまいな申し立てを、係りの役人は容易にほんとうとは受け取らなかった。お滝はそのままに番屋に止められてしまった。
お照もお浪も無論に調べられた。お浪は仔細ないと認められて一と先ず釈《ゆる》されたが、お照は申し口に少し胡乱《うろん》の廉《かど》があるというので、これも番屋に止められた。これだけのことが決まったのは、その日もやがて午に近い頃で、月番の行事や近所の人達がお照の家に寄り集まっていろいろに評定を凝《こ》らしたが、差し当りはどうするという分別も付かなかった。この上は然るべき親分の力を藉《か》りるよりほかはあるまいというので、お照もお浪もかねて半七を識っているのを幸いに、お浪は着のみ着のままで神田まで駈け付けたのであった。
「そりゃあちっとも知らなかった。十手に対しても申し訳がねえ」と、半七はすこし驚かされた。「なにしろ変なものが飛び込んだものだね。子供のような真っ黒なものかえ」
「お滝はそう云っているんです」と、お浪も腑に落ちないような顔をしていた。
「猿じゃありませんかね」と、お仙がそばから口を出した。
「やかましい。御用のことに口を出すな」
叱り付けて、半七はしばらく考えた。猿芝居の猿が火の見の半鐘を撞《つ》いて世間をさわがした実例は、彼の記憶にまだ新しく残っている。しかし猿が刃物を持って人を殺しに来るとは、作り話なら知らぬこと、実際には滅多《めった》にありそうにもないように思われた。
「それにしても、姉さんはなぜ止められたんだ。云い取り方が拙《まず》かったんだね」
「そうでしょう。止められると聞いたら、姉さんは蒼い顔をして黙っていました」
「姉さんは一体どんなことを調べられた。おめえも一緒に行ったんだから、知っているだろう」
この問いに対して、お浪は捗々《はかばか》しい返事をしなかった。彼女はお仙が出してくれた団扇を弄《いじ》くりながら、黙って俯向いていた。
「おい、何もかも正直に云ってくれねえじゃあいけねえ。姉さんが助かるのも助からねえのも、おめえの口一つにあることだ、なんでもみんな隠さずに云って貰いてえ。姉さんはこの頃なにか親父《ちゃん》と折り合いの悪いことでもあったんじゃあねえか」
「ええ。この頃は時々に喧嘩をすることがあるんです」と、お浪はよんどころなしに白状した。
「情夫《れこ》の一件かえ」
「いいえ、そうじゃないんです」
「だって、姉さんには米沢町《よねざわちょう》の古着屋の二番息子が付いているんだろう」
「それはそうですけれど、喧嘩の基《もと》はそれじゃないんです。家《うち》のお父っさんが柳橋を引き払って、沼津とか駿府とか遠いところへ引っ越してしまおうというのを、姉さんが忌《いや》だと云って……」
「そりゃあ忌だろう」と、半七はうなずいた。「なぜ又、おめえのところの親父《ちゃん》はそんなおかしなことを出しぬけに云い出したんだ。なにか訳があるだろう」
「それは判らないんですが、ただ無闇にこの土地にいるのは面白くないと云って……。それで姉さんとたびたび喧嘩をしているんです。あたしも中へはいって困ったこともありますが、なぜ引っ越すんだか、その訳が判らないんですもの。良いとも悪いとも云いようがありません」
「おかしいな。すると、その矢先に親父が殺されたんで、姉さんが……。まさかに自分が手をくだしもしめえが、何かそれに係り合いがあるだろうと見込みを付けられたんだね。まあ、無理もねえところだ。おれにしても先ずそんなことを考える。そこで古着屋の二番息子はまだ呼ばれなかったかえ」
「呼びに行ったんでしょう。ですけれど、ゆうべから何処へか行って、まだ帰らないんだそうです」
「あの息子は何とか云ったっけね」
「定さんというんです」
「違げえねえ。定次郎というんだね。その定次郎はゆうべから帰らねえか」
半七は腕を拱《く》んだ。どういう仔細があるか知らないが、おやじの新兵衛は土地を売って他国へ行こうという。娘のお照は江戸を離れるのが忌《いや》なのと、もう一つには情夫《おとこ》と別れるのが辛いのとで、どうしても行かないと駄々をこねる。親子喧嘩がたびたび続く。その挙げ句に新兵衛が何者にか寝込みを襲われて殺された。こう煎じ詰めてくると男と女とが共謀か、それとも男ひとりの料簡か、どっちにしてもその下手人はかの定次郎らしく思われるのが、誰の眼にも映る暗い影であった。それを正直に白状しないために、お照は番屋に止められたのであろう。半七もその以上には、差し当って目串のさしようがなかった。
唯ここに一つの疑問として残っているのは、なぜ彼《か》の新兵衛が住み馴れた柳橋の土地を立ち退いて、沼津とか駿府とかの遠い国へ引っ込もうというのか。半七はその仔細を知りたかった。
二
「おめえは一つ家《うち》にいるんだから、何もかも残らず知っている筈だが、お前のところの親父《ちゃん》は人から怨まれるような覚えがあるかえ」と、半七はまた訊いた。
むかしは知らないが、今は決してそんな事はないとお浪は確かに云い切った。お父っさんが正直で、情けぶかい人であることは近所の人達がみんな能く知っている。月の四日にはきっと両国の橋番の小屋へ行って、放し鰻《うなぎ》をして帰るのを例としている。神まいりにも行く。寺詣りにもゆく。それで博奕は打たず、酒は飲まず、こうした稼業には似合わないくらいの堅気《かたぎ》な結構人である。もしも家のお父っさんを怨む人があれば、それは外道《げどう》の逆恨みか、但しは物の間違いでなければならない。しかし今度の殺され方を見ると、どうしても物取りではない、意趣斬りであるらしい。それが自分にはわからないと彼女は云った。
「それほど結構な人間なら、土地にいられねえような不義理をした訳もあるめえに、折角売れ出した娘を無理に引き摺って、なぜ草深いところへ引っ込む気になったのか。どうしてもおめえ達には心当りがねえんだね」
「どうも判りません」と、お浪はやはり頭《かぶり》をふった。「ですけれども、たった一度こんな事があったそうです。あたしが見た訳じゃありませんけれども、お滝の話には何でも先月の初め頃に、もう日の暮れかかる時分に一人の六部が家の前に立って、なにか鐸《かね》を鳴らしていると、そこへ丁度お父っさんが外から帰って来て、その六部と顔見あわせて何だか大変にびっくりしたような風だったそうで、それから二人が小さい声でしばらく立ち話をして、お父っさんはその六部に幾らかやったらしいということです。その後にも日が暮れると、その六部がときどきたずねて来て、一度は草鞋をぬいで茶の間へ上がって来たこともあるそうですが、あたし達はいつも其の時はお座敷へ出ていたのでよく知りません。なんでもその六部が来るようになってから、お父っさんは田舎へ行くと云い出したらしいんですが……」
「ふむう。そんなことがあったのか」
半七の眼は動いた。結構人と評判の高い老人と、なんだか怪しげな六十六部と、この間にどういう糸が繋がっているかを、横から縦からいろいろに想像していたが、やがて彼はお浪に訊いた。
「おめえのところの親父《ちゃん》は刺青《ほりもの》をしていたっけね」
「ええ。両方の腕に少しばかり」
「なにが彫ってある」
「若い時の道楽で、こんなものは見得《みえ》にも自慢にもならないと、なるたけ隠すようにしていましたから、あたし達は能く見たこともないんですが、なんでも左の方は紅葉、右の方には桜が彫ってあったようです」
「背中にはなんにもねえか」
「背中は真っ白でした」
「ちゃんは幾つだっけね」
「たしか五十九だと思っています」
「姉さんは貰い児の筈だが、親父は江戸者じゃあるめえね」
「なんでも信州の方だとかいうことですが、姉さんもよく知らないようです。善光寺様の話を時々にしますから、信州の方にゃあ相違ないと思いますけれど……」
訊くだけのことは大抵訊き尽したので、半七はお浪を帰した。いずれ後から行くから、それまでおとなしく待っていろと云うと、お浪もくれぐれも頼んで帰った。
「お仙。ちょいと出るから着物を出してくれ、なんだか蒸し暑いと思ったら、少しくもって来たようだな」
支度をして門《かど》を出ると、半七は子分の幸次郎に逢った。
「親分。柳橋の一件がお耳にはいっていますかえ」
「やっと今聞いたんだ。申し訳がねえ。なにしろ、いい所へ面《つら》を持って来てくれた。これから柳橋のお照の家まで行ってくれ」
「ようがす」
二人はすぐに柳橋へゆくと、お照の家には近所の人達があつまって、何かごたごた騒いでいた。待ち兼ねたように出て来たお浪を蔭へ呼んで、半七はその後なんにも変ったことはないかと訊くと、別に変ったこともないが、もう少し前に古着屋の息子が来て、お照が番屋へ止められた話を聞いて、真っ蒼になって帰ったとお浪は話した。
「どうもその古着屋のせがれが面白くないじゃありませんか。かまわずに引き挙げてしまいましょうか」と、幸次郎はささやいた。
「まあ、待て。おれも一旦はそう思ったが、まあ、それは二の次だ。もう少しほかに穿索《さぐ》って見る所がありそうだから、あんまりどたばたして方々へ塵埃《ほこり》を立てねえ方がいい」
半七は内へはいった。女中のお滝はどうしたと訊くと、けさから番屋へ止められたままで、まだ下げられないとの事であった。お照も無論帰って来なかった。新兵衛の死体はもう検視が済んで、茶の間の六畳に横たえてあった。お照の下げられるのが遅いようならば、この時節柄いつまでも仏を打っちゃっては置かれないので、近くの者が寄りあつまって何とか葬式《とむらい》を済ませなければなるまいと云っていた。半七も一応死人の傷口をあらためると、それは剃刀のような刃物で喉をえぐったらしかった。
それから水口《みずぐち》の方へまわって、怪しい物のはいって来たという路すじを調べてみると、台所の柱に黒い手の痕のようなものが小さく薄く残っているのを見つけた。半七は懐ろ紙をとりだして綺麗に拭き取って、そばに立っている幸次郎にその紙をそっと見せた。
「こりゃあなんだ」
「鍋墨のようですね」
「向う両国に河童《かっぱ》は何軒ある」
「河童は……」と、幸次郎は考えた。「たしかに一軒だと思っています」
「それじゃ訳はねえ」と、半七はほほえんだ。「お前はこれからその小屋へ行って、河童を引き挙げて来い。だが、まだ少し時刻が早い。商売の邪魔をするのも可哀そうだから、もうちっと待っていると日が暮れるだろう。小屋の閉場《はね》るのを待っていて、すぐに河童をあげるようにしろ」
幸次郎は心得て出て行った。半七は茶の間へ戻って、お浪にことわって仏壇から過去帳を出して繰ってみると、月の四日のところに釈寂幽信士と戒名が見えた。新兵衛が両国の川へ毎月放し鰻をするというのは四日である。この四日の仏が新兵衛になにか特別の関係をもっていなければならないと考えたので、半七はお浪に向って、この仏はここの家の何者だと詮議したが、お浪はそれを知らないと云った。しかし、ここの家に取っては余ほど大切の仏であるらしく、その日には新兵衛が手ずから仏壇に燈明を供えて、なにか念仏を唱えていたとのことであった。
「ちゃんはこの頃どっかへ行ったことがあるかえ」
「いいえ。もとから出嫌いの人でしたが、この頃はちっとも外へ出ないで、内にばかり坐っていました。そうして、なんだか人に逢うのを忌がっているようでした」と、お浪は云った。
自分の鑑定がだんだんに中《あた》ってくると半七は思った。彼はもう一度新兵衛の死骸をあらためると、その左の二の腕には紅葉を一面に彫ってあって、その蒼黒い葉のかげに入墨《いれずみ》の痕がかくされているのが確かに判った。新兵衛はその過去の犯罪の暗い履歴をもっていて、その腕の刺青《ほりもの》は入墨を隠すためであることもすぐに覚られた。彼はその罪を悔いて情けぶかい結構人になった。その罪をほろぼすために毎月の放し鰻をした。かれの犯罪は月の四日の仏に関係をもっているらしいと半七は思った。しかし、どうしてその仏を見付け出していいか。半七はさすがに見当が付かなかった。
そのうちに浅草の七ツ(午後四時)がきこえたので、半七はともかくもここを出て、向う両国へまわって幸次郎の模様を見て来ようと、居あわせた人達に挨拶して門《かど》を出ると、陰った空のうえから紫の光がさっとほとばしって来た。おや、光ったなと思う間もなく、大粒の雨がどっと降り出したので、半七は舌打ちをしながら再び内へ引っ返した。
「とうとう降って来た」
「夕立ですからすぐに止みましょう」と、お浪は入口の戸を一枚閉めながら云った。
よんどころなしに半七は茶の間へ戻って又坐ると、稲妻がまた光って、雷の音がだんだん近くなって来た。ぶちまけるような夕立が飛沫《しぶき》を吹いて降り込んで来るので、みんなも手伝って方々の戸を閉めた。狭い家のなかには線香の煙りがうず巻いてみなぎって、息がつまるほどに蒸し暑いのを我慢して、半七も扇を使いながら其処に晴れ間を待っていると、雨はやがて小降りになったので、お浪が傘を貸そうというのを断わって出た。半七は手拭をかぶって、尻を端折《はしょ》って、ぬかるみを飛び飛びに渡りながら両国橋を越えた。
川向うの観世物小屋はもう大抵しまっていた。今の夕立が往来の人を追っ払ってしまったらしく、ぐしょ濡れになった菰《こも》張りの小屋の前には一人も立っている者はなかった。半七は向う側の心太屋《ところてんや》の婆さんに訊いて、そこだと教えられた河童の観世物小屋のまえに立って見あげると、白藤源太らしい相撲取りが柳の繁っている堤を通るところへ、川の中から河童が飛び出して、その行く先を塞ぐように両手をひろげている絵看板が懸《か》けてあった。
その頃の向う両国にはお化けや因果物のいろいろの奇怪な観世物が小屋をならべていた。河太郎もその一つで、葛西《かさい》の源兵衛堀で生け捕ったとか、筑後の柳川から連れて来たとか、子供だましのような口上を列べ立てているが、その種はもう大抵の人にも判っていた。十三四歳の男の児を河童頭に剃らせて、顔や手足を鍋墨で真っ黒に塗って、大きな口から紅い舌をべろりと出して、がらがらがあと不思議な鳴き声を聞かせる。ただそれだけの他愛もない芸であるが、それでも河童とか河太郎とかいう評判に釣り込まれて、八文の木戸銭を払う観客が少なくない。半七はお照の台所の柱に残っていた鍋墨の手形から、新兵衛殺しの下手人はこの河童小僧と鑑定したのであった。表はもう閉まっているので、裏木戸の方へ廻ってゆくと、楽屋の者もみんな帰ってしまって、楽屋番の爺さんが一人で後片付けをしているところであった。
「おい、六助さん。お前はこの頃ここへ来ているのか」
「おや、親分さんですか。どうも御無沙汰をいたしました」と、楽屋番の六助はあわてて挨拶した。
「お化けの方はなぜ止したんだ」
「へえ、どうもあの楽屋は風儀が悪うござんして、御法度《ごはっと》の慰み事が流行《はや》るもんですから……」
「爺さんもあんまり嫌いな方じゃあるめえ。時に、家《うち》の幸次郎は見えなかったかね」
「幸さんはお見えになりました。いや、それで楽屋の者も心配して居りますよ」
「河童を連れて行ったのか」
「へえ、すぐに帰すと仰しゃいましたけれど……。河童がなかなか素直に行きませんのを、無理にだまして連れておいでになりました」
「河童は幾つで、なんというんだえ」
「本名は長吉と申しまして、十五でございます」
「どこから拾って来たんだ。親はねえのか」
「なんでもこの一座が四、五年前に信州の善光寺へ乗り込んだ時に連れて来ましたので、お察しの通り両親はございません。おふくろに死なれて路頭に迷っているのを、まあ拾いあげて来ましたようなわけで……。いえ、わたくしは能《よ》くは存じませんが、なんでもそんな話でございます」
「親父もないんだね」
「へえ、親父は長吉が生まれると間もなく死にましたそうで」
「変死かえ」と、半七はすぐに訊いた。
「よく御存じで……。高い声では申されませんが、なんでも悪いことをしてお仕置になりましたそうで……」
「ふむう、そうか。そこで此の頃、河童のところへ誰かたずねて来た者はねえか」
六助は少し考えていたが、やがて思い出したようにうなずいた。
「あります、あります。廻国《かいこく》の六部のような男が……」
三
半七の商売を知っている六助は、訊かれるに従って総《すべ》てのことをしゃべった。六部は四十近い、痩せて背の高い、眼つきの少し恐ろしい男で、長吉の叔父だという話であった。顔立ちの幾らか肖《に》ているのを見ると、それは嘘ではないらしいと六助は云った。その六部がきのう普通の浴衣《ゆかた》を着て、楽屋へふらりとたずねて来て、鰻を食わしてやるからと云って長吉をどこへか連れ出した。
「その六部は何処にいるのか知らねえか」
「なんでも下谷の方にいるということですが、宿の名は存じません」
その以上のことは六助はまったく知らないらしいので、半七はここらで打ち切って小屋を出た。それにしても幸次郎はどこへ河童を連れて行ったか。大方そこらの番屋へ引き挙げたのであろうと、半七はその足で近所の自身番へ行ってみると、そこには幸次郎の姿も見えなかった。それでも念のために店へはいって訊くと、自身番の親方は面目ないような顔をして答えた。
「実はそのことで幸次郎さんに大変怒られまして……。なんとも申し訳がございません」
「どうしたんですね」
「河童に逃げられました」と、親方は額《ひたい》の汗を拭いた。そこに居あわせた番太郎も小さくなって俯向いた。
河童を取り逃がした事情はこうであった。さっき幸次郎が観世物小屋から河童を引っ張って来て、この自身番へあずけて行った。自身番には店の側に一種の留置場ともいうべき六畳ほどの板の間があって、その太い柱に罪人を縄でつないで置くのが例であった。河童もそこに繋がれていると、俄かに大夕立が降り出したので、番太郎はあわてて自分の家へ帰った。自身番の者共もおどろいて其処らを片付けた。店先の履き物を取り込む者もあった。裏口の戸を閉めにゆく者もあった。そのどさくさまぎれに河童は縄をぬけて逃げ出した。勿論、その逃げてゆくうしろ姿を見つけた者はあったが、人間の河童は陸《おか》でも身が軽いので、あれあれといううちに吾妻《あずま》橋の方へ飛んで行ってしまった。そこへ幸次郎が帰って来た。
彼は柳橋へ半七を迎えに出たのであるが、途中で夕立にふり籠《こ》められて、そこらの軒下に雨宿りをして、小降りになるのを待ってお照の家へゆくと、どこで行き違ったか半七はもう出てしまった後であったので、また引っ返して自身番へくると、この始末である。幸次郎の怒るのも無理はなかった。彼は腹立ちまぎれに居あわせた者どもを頭ごなしに叱り付けた。そうして、すぐ河童のあとを追って行った。
「そりゃあ拙《まず》いことをやったもんだ。おめえ達の不行き届きで、なんと云われても仕方がねえ」と、半七はその話を聴いて眉をよせた。
「親分さん、実に申し訳がございません」
あやまっても詫びても今更取り返しは付かない。ここでぐずぐず云っているよりも、幸次郎に加勢して河童のゆくえを早く探し出す方がましだと思ったので、半七は草履を自身番にぬいで置いて、跣足《はだし》になって駈け出した。どこという的《あて》もないが、吾妻橋の方角へ逃げたというのを手がかりに、彼は岸づたいに急いで行った。
むやみに駈け出しても仕方がないので、彼はこんな小僧を見なかったかと途中で訊きながら歩いた。すると、一軒の荒物屋へ此の夕立の最中に一人の真っ黒な小僧が飛び込んで来て、店先にかけてあった菅笠《すげがさ》を掻っさらって逃げたということが判った。その小僧は笠をかぶって小梅の方角へ行ったというのを頼りに、半七は向島の方へまた急いだ。
雨はもう止んだが、葉桜の堤《どて》は暗かった。水戸の屋敷の門前で、幸次郎のぼんやりと引っ返して来るのに出逢った。
「どうした。いけねえか」
「自身番の疝気野郎、飛んでもねえ≪どじ≫を組《く》みやがって、お話にもならねえ」と、幸次郎は忌々《いまいま》しそうに云った。「なんでもこっちの方角へ来たらしいんですが、どうしても当りが付かねえには困りました。どうしましょう」
「仕方がねえ」と、半七も溜息をついた。「だが、餓鬼のこった。まさかに草鞋を穿《は》くようなこともあるめえ。いずれ何処からか這い出して来るだろう。なにしろ、腹が空《へ》って来た。そこらで蕎麦でも手繰《たぐ》ろう」
二人は堤下へ降りて食い物屋をさがした。蜆《しじみ》の看板をかけた小料理屋を見つけて、奥の小座敷へ通されて夕飯を食っているうちに、萩を一ぱいに植え込んであるらしい庭先もすっかり暗くなって、庭も座敷も藪蚊の声に占領されてしまった。
「日が暮れたのに蚊いぶしを持って来やあがらねえ。この村で商売をしていながら、気のきかねえべらぼうだ。これだから流行らねえ筈だ」
むしゃくしゃ腹の幸次郎は無暗にぽんぽんと手を鳴らして、早く蚊いぶしをしろと呶鳴った。女中は蚊いぶしの道具を運んで来て、頻りにあやまった。
「相済みません。店でお化けの話を聴いていたもんですから、ついうっかりして居りました」
「へえ、お化けの話……。そりゃあおめえの親類の話じゃあねえか」
「よせよ」と、半七は笑った。「ねえさん、堪忍してくんねえ。この野郎少し酔っているんだから。そこで、そのお化けがどうしたんだ。ここの家へ出るわけじゃあるめえ」
「あら、御冗談を……。たった今、家《うち》の旦那が堤で見て来たんですって。嘘じゃない、ほんとうに出たんですって、河童のようなものが……」
「え、河童だ」と、幸次郎もまじめになった。
半七はその主人をちょいと呼んでくれと云った。呼ばれて出て来たのは四十五六の男で、閾越《しきいご》しで縁側に手をついた。
「御用でございますか」
「いや、ほかじゃあねえが、おまえさんはたった今、堤で何か変なものを見たそうだね。なんですえ」
「なんでございましょうか。わたくしもぞっとしました。相手がお武家ですから好うござんしたが、わたくし共のような臆病な者でしたら、すぐに眼を眩《まわ》してしまったかも知れません」
「河童だというが、そうですかえ」と、半七はまた訊いた。
「お武家は河童だろうと仰しゃいました。まあ、こうでございます。わたくしが業平《なりひら》の方までまいりまして、その帰りに水戸様前からもう少しこっちへまいりますと、堤の上は薄暗くなって居りました。わたくしの少し先を一人のお武家さんが歩いておいででございまして、その又すこし先に、十四五ぐらいかと思うような小僧が菅笠をかぶって歩いて居りました」
「その小僧は着物をきていましたかえ」
「暗いのでよく判りませんでしたが、黒っぽいような単衣《ひとえ》を着ていたようです。それが雨あがりの路悪《みちわる》の上に着物の裳《すそ》を引き摺って、跣足《はだし》でびちょびちょ歩いているので、あとから行くお武家さんが声をかけて……お武家さんは少し酔っていらっしゃるようでした……おい、おい、小僧。なぜそんなだらしのない装《なり》をしているんだ。着物の裳をぐいとまくって、威勢よく歩けと、うしろから声をかけましたが、小僧には聞えなかったのか、やはり黙ってびちょびちょ歩いているので、お武家はちっと焦《じ》れったくなったと見えまして、三足ばかりつかつかと寄って、おい小僧、こうして歩くんだと云いながら、着物の裳をまくってやりますと……。その小僧のお尻の両方に銀のような二つの眼玉がぴかりと……。わたくしはぎょっとして立ちすくみますと、お武家はすぐにその小僧の襟首を引っ掴んで堤下《どてした》へほうり出してしまいました。そうして、ははあ、河童だと笑いながらすたすたと行っておしまいなさいました。わたくしは急に怖くなって、急いで家へ逃げて帰ってまいりました」
半七は幸次郎と眼をみあわせた。
「そうして、その化け物はどっちの堤下へ投げられたんですえ」
「川寄りの方でございます」
「なるほど不思議なことがあるもんですね」
勘定を払って、二人は怱々にそこを出た。
四
「親分。そのお化けというのは河童ですね」と、幸次郎はささやいた。
「ちげえねえ。たしかに河童だ」
粗忽《そそっか》しい武士はほんとうの河童だと思ったかも知れないが、それは河童の長吉に相違ないと半七は思った。両国の河童は真っ黒に塗った尻の右と左に金紙や銀紙を丸く貼りつけて、大きい眼玉と見せかけ、その尻を無造作に観客の方へむけて、四つン這いに這いまわるのを一つの芸当としている。酔っている武士と、臆病な亭主とは、ゆう闇の薄暗がりでその尻の眼玉におどろかされたのであろうが、半七から観れば、その尻の光ったというのが却ってほんとうの化け物でない証拠であった。
「なにしろ、早く堤下へ行ってみようぜ」
亭主の教えてくれたのは此処らであろうと見当をつけて、二人は隅田川に沿うた堤下に降りると、岸と杭《くい》とのあいだに挟まって何か黒いものが横たわっているらしかった。幸次郎はすぐに引き摺りあげて見ると、果たしてそれは河童の長吉であった。かれは武士に手ひどく投げつけられたはずみに、樹の根か杭かで脾腹《ひばら》を打たれたのであろう、片足を水にひたして息が絶えていた。杭に挟まれたのがこっちに取って勿怪《もっけ》の幸いで、さもなければ下流《しもて》の方へ遠く押し流されてしまったかも知れなかった。
「ほんとうに死んだのじゃあるめえ。そこらまで負って行ってやれ」と、半七は云った。
河童を負って幸次郎は堤へあがった。半七は先へ立って元の料理屋へ引っ返すと、家《うち》じゅうの者はおどろいて騒いだ。怖いもの見たさで女中たちもそっと覗きに来た。
「おい、御亭主。気の毒だがこの河童の始末をして貰いてえ。泥だらけのこの姿じゃあ座敷へ入れることができねえ」
半七の指図で、店の者は手桶に水を汲んで来た。河童の正体は大抵わかったので、亭主も急に強くなった。彼は家内のものと一緒になって河童の顔や手足を洗ってやった。尻の銀紙を発見したときに亭主も思わず噴き出した。こうした手当てには馴れているので、半七は河童を奥の小座敷へかつぎ込んで介抱すると、長吉はやがて息を吹き返した。半七は更に用意の薬を飲ませた。水を飲ませた。
「やい、河童。しっかりしろ。もう人間らしくなったか。ここは料理屋の座敷だが、てめえを調べるのは御用聞きの半七という者だ。楽屋番を相手に微塵棒《みじんぼう》をしゃぶっている時とは訳が違うから、そのつもりで返事をしろ。てめえは今朝、柳橋の芸妓屋へ這い込んで、親父を剃刀で殺したろう。覚えがねえとは云わせねえ。台所の柱にてめえの手のあとが確かに残っていた。さあ、ありていに申し立てろ。第一、てめえにうしろ暗いことがねえならば、なぜ番屋を逃げ出した。おまけに途中で笠を盗んで逃げやがったろう。さあ、証拠はみんな揃っているんだ。これでも恐れ入らねえか」
相手は子供である。半七に鋭く睨みつけられて、河童はもろく恐れ入った。彼は叔父の長平にそそのかされて、お照の父の新兵衛を殺したに相違ないと素直に白状した。
「それにしても、なぜその新兵衛を殺す気になったんだ。てめえの叔父さんは新兵衛に遺恨があるのか」
「新兵衛という奴はおいらのお父っさんの仇なんだ。おいらあ其の仇討を立派にしたんだ」と、河童は鍋墨のまだ消え切らない顔に大きい眼をひらかせ、俄かに肩をそびやかした。
「仇討……。ほんとうか」と、半七は少し案外に思った。しかしだんだんその話を聴いてみると、これも一種の復讐には相違なかった。
長吉の父は長左衛門といって、信州善光寺の在《ざい》に住んでいた。お照の父の新兵衛はむかしは新吉といって、やはり同じ村に生まれた者であった。長左衛門も新兵衛も土地では札付きの悪党であったらしい。今から十三年前に二人は共謀して隣り村の或る大尽《だいじん》の家へ押し込みにはいって、主人夫婦と娘とをむごたらしく斬り殺した。その詮議があまり厳重になったので、新兵衛は土地の御用聞きのところへ駈け込んで、その罪人は長左衛門であると密告した。かれも共犯者であるらしいことは御用聞きも薄々察したであろうが、密告の功によって彼は自由に土地を立ち退くことが黙許された。彼はすぐに何処へか逃げてしまった。長左衛門は召捕られて磔刑《はりつけ》になった。
新兵衛は友を売って自分の身を全うしたのである。その事情が長左衛門の遺族の耳にも洩れたが、御用聞きも黙許で彼を逃がしたのであるから、今更どうすることも出来なかった。長左衛門の女房は非常にそれを口惜しがって、死ぬきわまでも不実の友を呪っていた。長左衛門には長平という弟があって、これも兄とおなじ血をわけた悪党で、兄が仕置になった当時は隣国の越後の方にさまよっていたが、これを聞き伝えて故郷へ帰って来た。新兵衛の裏切りを聞いて彼もひどく憤ったが、自分もうしろ暗い身のうえで、表向きには立派な口を利けないので、恨みを呑んで再びどこへか立ち去ってしまった。
それから十年ほど経って、長平は久し振りで故郷へ又帰ってくると、嫂《あね》はもう死んでいた。甥の長吉は両国の河童に売られたという噂も聞いた。かさねがさねの一家の悲運を見て、長平もさすがに心さびしくなった。ここらでもう料簡を入れ替えて、兄や自分の罪ほろぼしに六十六部となって廻国修行の旅に出ようと思い立った。彼は仏の像を入れた重い笈《おい》を背負って、錫杖《しゃくじょう》をついて、信州の雪を踏みわけて中仙道へ出た。それから諸国をめぐりあるいて江戸へはいって来たのは、ことしの花ももう散りかかる三月のなかばであった。彼は下谷辺のある安宿を仮《かり》の宿として、江戸市中を毎日遍歴した。
彼がふた月あまり江戸に足をとどめている間に、殆ど同時に敵と味方とにめぐりあったのであった。かたきは彼《か》のお照の父で、新吉の名を今は新兵衛と呼びかえて、柳橋に芸妓屋を開いていることが判った。甥の長吉はやはり河童になって、両国の観世物小屋に晒《さら》されていることが判った。長平は甥にも逢った。偶然の機会から新兵衛にも出逢った。
新兵衛はもう生まれ変ったような善人になっているので、むかしの友達の弟に逢ってしきりに過去の罪を謝した。自分たちが手にかけた大尽一家の菩提《ぼだい》を弔うばかりでなく、長左衛門が仕置に逢ったのは二月四日で、その命日に毎月かならず放し鰻の供養を怠らないと云った。彼はある寺から長左衛門の戒名を貰って来て、仏壇に祀《まつ》ってあることも話した。長平もむかしとは人間が違っているので、悔い改めているこの善人を執念ぶかく責めることも出来なくなった。かれは新兵衛の罪をゆるすと云った。新兵衛はよろこんで、御報捨のしるしだと云って彼に二十両の金を贈った。
その金が二人の禍いであった。久し振りで二十両の大金を受け取った六十六部は、その晩すぐに服装《みなり》をこしらえて吉原へ遊びに行った。それが口火《くちび》になって彼の殊勝らしい性根はだんだんに溶けてしまった。六十六部は再び昔の長平に立ちかえって、新兵衛のところへ度々無心に行った。しまいには金の無心ばかりでなく、彼は新兵衛の貰い娘《こ》のお照の美しいのを見て、飛んでもない無心までも云い出すようになった。相手の飽くことのない誅求《ちゅうきゅう》には、新兵衛もさすがにもう堪えられなくなって、終には手きびしくそれを拒絶すると、長平はいよいよ羊の皮裘《かわごろも》をぬいで狼の本性をあらわした。彼は甥の河童をそそのかして親のかたきを討たせたのであった。
「これは河童の長吉の白状と、長平の白状とをつきまぜたお話で、長吉は叔父の手さきに使われて、ただ一途に親父のかたき討の料簡でやった仕事なんです」と、半七老人は説明した。「つまり新兵衛の方はすっかり善人になり切っていたんですが、長平の魂はまだほんとうの善人になり切らないもんですから、すぐにあと戻りをして、とうとうこんな事件を出来《しゅったい》させてしまったんですよ」
「長平は勿論つかまったんですね」と、わたしは訊いた。
「河童の白状で大抵見当が付きましたから、それからお照の家の近所に毎晩張り込んでいますと、新兵衛の初七日《しょなのか》が済んだ明くる晩に、案の定《じょう》その長平が短刀を呑んで押し込んで来て、どうする積りかお浪を嚇かしているところを、すぐに踏み込んで召捕りました。長平は無論に死罪でしたが、長吉の方はまだ子供でもあり、どこまでも親のかたきを討つつもりでやった仕事ですから、上《かみ》にも御《ご》憐愍《れんびん》の沙汰があって、遠島《えんとう》ということで落着《らくちゃく》しました。これが作り話だと、娘や芸妓や其の情夫の定次郎の方にもいろいろの疑いがかかって、面白い探偵小説が出来上がるんでしょうが、実録ではそう巧く行きませんよ。ははははは。ただちっとばかりわたくしの味噌をあげれば、はじめから芸妓や情夫の色っぽい方には眼もくれないで、なんでも善人の親父の方に因縁があるらしいと、その方ばかり睨み詰めていたことですよ。腕に入墨がはいっているくらいですから、新兵衛はその前にも悪いことをたくさんやっていたんでしょうが、折角善人に生まれ変ったものを可哀そうなことをしました。河童をほうり出した武士ですか、それはどこの人だか判りません。その人は向島で河童を退治したなどと一生の手柄話にしていたかも知れませんよ。まったくその頃の向島は今とはまるで違っていて、いつかもお話し申した通り、狸も出れば狐も出る、河獺《かわうそ》も出る、河童だって出そうな所でしたからね」
「蛇も出たんでしょう」
「蛇……。いや、謎をかけないでもいい。ついでにみんな話しますよ。しかしこの蛇の方の話は少しあいまいなところがあるんですね。まあ、そのつもりで聴いてください。場所は向島の寮で、当世の詞《ことば》でいえば、その秘密の扉をわたくしが開いたというわけです」
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向島の寮
一
慶応二年の夏は不順の陽気で、綿ぬきという四月にも綿衣《わたいれ》をかさねてふるえている始末であったが、六月になってもとかく冷え勝ちで、五月雨《さみだれ》の降り残りが此の月にまでこぼれ出して、煙《けむ》のような細雨《こさめ》が毎日しとしとと降りつづいた。うすら寒い日も毎日つづいた。半七もすこし風邪をひいたようで、重いこめかみをおさえながら長火鉢のまえに欝陶《うっとう》しそうに坐っていると、町内の生薬屋《きぐすりや》の亭主の平兵衛がたずねて来た。
「お早うございます。毎日うっとうしいことでございます」
「どうも困りましたね。時候が不順で、どこにも病人が多いようですから、お店も忙がしいでしょう」と、半七は云った。
「わたくしどもの商売繁昌は結構と申してよいか判りません」と、平兵衛は腰から煙草入れを抜き取って、ひと膝ゆすり出た。「実は少し親分さんにお知恵を拝借したいことがございまして、その御相談に出たのでございますが……。いえ、わたくしの事ではございませんが、家で使って居りますお徳という下女のことで……」
「はあ、どんなことだか、まあ、伺って見ようじゃありませんか」
「御承知でもございましょうが、あのお徳という女は生麦《なまむぎ》の在《ざい》の生まれでございまして、十七の年からわたくしの家《うち》へ奉公にまいりまして、足かけ五年無事に勤めて居ります。至って正直なので、家でも目をかけて使って居ります」
「あの女中のことは私も聞いていますが……」と、半七はうなずいた。「家でもどうかしてああいう良い奉公人を置き当てたいものだと云って、うちの嬶《かかあ》なんぞもふだんから羨ましがっている位ですよ。そのお徳がどうかしましたかえ」
「本人には別に何事もないのでございますが、その妹のことに就きまして……。まあ、こうでございます。お徳にはお通《つう》という妹がございまして、これも今年十七になりましたので、この正月から奉公に出ました。桂庵《けいあん》は外神田の相模屋という家でございます。江戸へ出ますと、まずわたくしのところの姉を頼って来まして、その相模屋へは姉が連れて行ったのでございました。しますと、その相模屋の申しますには、丁度ここにいい奉公口がある。江戸者ではいけない、なんでも親許《おやもと》は江戸から五里七里は離れている者でなければいけない。年が若くて、寡言《むくち》で正直なものに限る。それから一つは一年の出代りで無暗《むやみ》に動くものでは困る。どうしても三年以上は長年《ちょうねん》するという約束をしてくれなければ困る。その代りに夏冬の仕着せはこっちで為《し》てやって、年に三両の給金をやる」
「ふむう」と、半七は眉をよせた。
この時代の下女奉公として、年に三両の給金は法外の相場である。三両一人|扶持《ぶち》を出せば、旗本屋敷で立派な侍が召し抱えられる世のなかに、ぽっと出の若い下女に一年三両の給金を払うというのは、なにか仔細がなければならないと彼は不思議に思っていると、平兵衛はつづけて話した。
「お徳はさすがに江戸馴れて居りますので、あんまり話の旨いのを不安に思いまして、どうしようかと二の足を踏んで居りますと、妹の方は年が若いのと、この頃の田舎者はなかなか慾張って居りますので、三両の給金というのに眼が眩《く》れて、前後のかんがえも無しに是非そこへやってくれと強請《せび》りますので、お徳もとうとう我《が》を折って、当人の云うなり次第に奉公させることになりました。その奉公先は向島の奥のさびしい所だそうでございます。お徳が帰ってきて其の話をしましたので、家では少しおかしく思いましたが、向うが寂しいところで若い奉公人などは辛抱することが出来ないので、よんどころなしに高い給金を払うのだろう位にかんがえて、まずそのままになって居りますと、お通が目見得《めみえ》に行ったぎりで其の後なんの沙汰もないので、姉も心配して相模屋へ問い合わせに行きますと、目見得もとどこおりなく済んで、主人の方でも大変気に入って、すぐに証文をすることになったということで、妹の手紙をとどけてくれました。それは確かにお通の直筆《じきひつ》で、目見得が済んで住みつく事になったから安心してくれ。奉公先はある大家の寮で、広い家に五十ぐらいの寮番の老爺《じいや》とその内儀《かみ》さんがいるぎりで、少し寂しいとは思うけれども、田舎にくらべれば何でもない。御主人が月に一度ぐらいずつ見廻ってくるから、その時に給仕でもすればいいということで、勤めもたいへんに楽だから自分も喜んでいるというようなことが書いてあったようでございます。お徳もまあそれで安心して、むこうの云う通り、三年以上長年するという証文を入れて帰って来ました」
「その時、妹には逢わなかったんですね」
「はい。本人に逢いませんけれども、たしかに本人の直筆に相違ございませんから、姉も安心して帰ったのでございます。それは正月の末のことで、それから小半年は別になんの沙汰もございませんでしたが、おととい見馴れない男がお徳をたずねてまいりまして、向島から来たと云って妹の手紙を渡して行きましたので、すぐに封を切って見ますと、あすこの家にはどうしても辛抱していられない、辛抱していたら命にかかわるかも知れない、詳しいことはとても手紙には書けないから是非一度逢いに来てくれというようなことが書いてございましたので、妹思いのお徳は半気違いのようになってすぐにも駈け出そうと致します。勿論それも本人の直筆でございますから、嘘はあるまいと存じましたけれど、なんだか不安にも思われますので、その日はもう日が暮れかかっているので止めさせまして、きのうの朝早く店の小僧の亀吉を一緒につけてやりました」
「よく気がつきました」と、半七はほほえんだ。
「まったくこういう時に、一人で出すのは不安心ですからね」
「左様でございます。それからもう八ツ(午後二時)を廻ったかと思う頃に、二人が、くたびれ切って帰ってまいりました。向島の奉公先というのがなかなか見付からなかったそうで、おまけに寮番の老爺というのがひどくむずかしい顔をして、そんな者はこっちに居ないとか云ったそうで……。まあ、いろいろ押し問答の挙げ句に、ようよう本人に会わせて貰ったのですが、お通は姉の顔をみるとわっと泣き出して、もうこんな恐ろしい家《うち》には一日も奉公していられないから、すぐに暇を取って連れて行ってくれと云います。そんなことがむやみに出来るもんでありませんから、だんだん宥《なだ》めてその様子を訊きますと、なるほど変な家でございまして、お通でなくっても大抵のものは勤まりそうもない家だということが判りました」
「化け物でも出るんですか」と、半七はほほえんだ。「それとも、油でも舐《な》める娘でもいるんですかえ」
「まあ、それに似寄った話でございます」と、平兵衛はひたいに皺をよせた。「その寮というのは寺島村の奥で、昼でも狐や河獺の出そうな寂しい所だそうでございます。近い隣りには一軒も人家はございません。そこへ行ってから小半月ほどは、お通も唯ぶらぶらしていたんだそうですが、それから寮番夫婦に云い付けられて、土蔵のなかへ三度の食事を運ぶことになりました」
「土蔵の中へ……」
「土蔵の中には大きな蛇が祀《まつ》ってあるんだそうで……。それに三度の食物を供える。それには男の肌を知らない生娘《きむすめ》でなければいけないというので、お通がその役を云い付けられたのでございます。あんまり心持のいい役ではありませんが、根が田舎育ちでございますから、わたくし共が考えるほどには蛇や蛙を怖がりもいたしません。それに神に祀られているほどだから、人に対して何も悪いことはしないと云い聞かされているもんですから、平気でその役を勤めることになりました。その土蔵というのは昼でも真っ暗なくらいで、中には何が棲んでいるかわかりません。扉の錠をはずして、入口へ食い物の膳を供えたら、あとを振り返らずにすぐに出て来いと云われているもんですから、はじめのうちは正直にその通りにしていました。三度三度その通りで、半刻《はんとき》も経って行ってみると、膳の物は綺麗にたべ尽してあるそうでございます。まあ、それで当分は何事もなかったのでございますが、四月の二十日《はつか》のことだと申します。午《ひる》の膳を運ぶのが例より少し遅くなりまして、急いで土蔵の扉をあけますと、その錠の音が奥へ響いたのでございましょう。土蔵の二階の梯子《はしご》がみしりみしりと響いて、なにか降りて来るような様子でございます」
「なるほど」と、半七は煙草をすいながら、耳を傾けていた。
「それがきっと大きい蛇だろうとお通は思いまして、膳をそこに置いたままで慌てて引っ返そうとしましたが、怖いもの見たさに、扉のかげに隠れてそっと覗いていますと、梯子を降りて来たのは……。その日はいい天気で、しかも真っ昼間でございますから、土蔵のなかは薄明るく見えましたそうで……。今、みしりみしりと降りて来たのは、一人の若い女のようで、黙って膳に手をかけたかと思うと、こっちで覗いているのを早くも覚ったとみえまして、細い声で≪もし≫と呼んだそうでございます。お通はぞっとして黙って居りますと、その女は幽霊のような痩せた手をあげてお通を招いたそうで……。もう堪まらなくなって、あわてて土蔵の扉をしめ切って一目散《いちもくさん》に逃げて帰りました。大蛇《だいじゃ》が口をきく筈がありません。きっと幽霊に相違ないとお通は急におぞ毛だって、それからはもう土蔵へ行くのが忌《いや》になりましたが、自分の役目ですから仕方がございません。その後もこわごわ三度の膳を運んで居りました。しかしだんだん考えてみると、幽霊が飯を食う筈もありません。怖いもの見たさが又手伝って、天気のいい日に又そっと覗いてみますと、うす暗い隅の方から大きい蛇――およそ一丈もあろうかと思われる薄青いような蛇が、大きい眼をひからせて蜿《のた》くって来るようです。お通はぎょっとして立ちすくんでいますと、二階の梯子が又みしりみしりという音がして、なにか降りて来るようです。よく見ると、それはこのあいだの幽霊のような女で……。お通は堪まらなくなって又逃げ出してしまいました」
「だいぶ怪談が入り組んで来ましたね」
「それでもお通はまだ辛抱している積りであったようですが、この頃たびたび土蔵のなかを覗きに行くことが寮番の夫婦に知れまして、なんでも厳しく叱られて、おまえも縛って土蔵のなかへほうり込んでしまうとか嚇《おど》かされましたそうで……。それからいよいよ怖くなって、いっそ逃げ出そうかと思っても、夫婦が厳重に見張っていて一と足も外へは出しません。それでも隙をみて、短い手紙をかいて、店の方から来た人にたのんで、姉のところへ届けて貰ったのだそうでございます。お徳もその話を聞いてびっくりしましたが、すぐにどうするという訳にも行きませんので、まあ、もう少し辛抱しろとくれぐれも云い聞かせて、怱々に帰って来ましたようなわけで……。前にも申し上げました通り、ひどく妹思いの女だもんでございますから、どうしたらよかろうと云って顔の色を変えて心配して居ります。桂庵に掛け合って貰って暇を取るのが勿論順道でございますが、三年以上という証文がはいって居りますから、きっとなにか面倒なことを云うだろうと存じます。といって、このままに打っちゃって置くのも可哀そうでございますし、わたくし共にもいい知恵が浮かびませんので、お忙がしいところを御相談に出ましたのでございますが、まあ、これはどう致したものでございましょう」
半七は眼を薄くつむって考えていたが、やがてしずかにうなずいた。
「ようございます。なんとか致しましょう。わたしから桂庵の方へ掛け合ってあげてもいいが、ともかくも証文を反古《ほご》にするというのは穏かでない行き方ですから、なんとかほかの段取りにしてみましょう。そのお通という娘のことばかりでなく、こりゃあ私の方でも少し調べて見にゃあならねえことですから、まあ、私に任せてください。桂庵は相模屋ですね」
「外神田の相模屋でございます」
「お徳には心配するなと云ってください。二、三日のうちに何とかしましょうから」
「なにぶんお願い申します」
くれぐれも頼んで、平兵衛は帰った。
二
午飯《ひるめし》を食ってから半七は三河町の家を出て、外神田の相模屋をたずねると、桂庵でも彼の商売を知っているので、素直に奉公人の出入り帳を出してみせた。この正月の末にお通を目見得にやった奉公先は向島の寺島村の寮で、この寮の主人は霊岸島の米問屋の三島であることが判った。
この頃は諸式|高直《こうじき》のために、江戸でもときどきに打毀《うちこわ》しの一揆が起った。現にこの五月にも下谷神田をあらし廻ったので、下町《したまち》の物持ちからはそれぞれに救い米の寄付を申し出た。そのときに彼《か》の三島では商売柄とはいいながら、一軒で白米二千俵の寄付を申し出て世間を驚かしたことを、半七はまだ耳新しく記憶していた。その三島の寮が向島の奥にあって、そこに何かの秘密がひそんでいるとすれば、猶更うっちゃって置くことは出来ない。半七は一旦自分の家へ帰って、子分の松吉を呼んだ。
「おい、ひょろ松。おめえ御苦労でも霊岸島へ行って、三島の様子をちょっと調べて来てくれ。あすこの家《うち》に年頃の娘はねえか」
「あすこの娘なら知っています。おきわと云って近所でも評判の小町娘《こまちむすめ》で、もう十九か二十歳《はたち》になるでしょう」
「その娘はどうした。家にいるか」
「それがなんでも三年まえの今時分でしたろう。店の若い者と駈け落ちをしてしまって、今にゆくえが知れねえそうです」と、松吉は云った。
「駈け落ちの相手はなんという野郎だ」
「そりゃあ知りません」
「そいつを調べてくれ。そればかりでなく、三島の家の様子も調べて来るんだぜ。そのおきわという娘に弟妹《きょうだい》があるかどうか。それをよく洗って来てくれ。いいか」
「ようがす」
松吉はすぐに出て行った。なにぶんにも頭が重いので、半七は湯にはいって風邪薬を飲んで、日の暮れないうちから衾《よぎ》を引っかぶって汗を取っていると、夜の五ツ(午後八時)頃に松吉が帰って来た。
「親分、ひと通りは調べて来ました。娘と駈け落ちした奴は良次郎といって、宿は浅草の今戸《いまど》だそうです。年は二十二で小面《こづら》ののっぺりした野郎で、後家さんのお気に入りだったそうです」
「で、どこへ行ったか、まったく判らねえのか」
「判らねえそうです。無論に浅草の宿にはいねえんですが、どこへ行っていますか」
「おきわには弟妹があるのか」
「ありません。一人娘だそうです」
「そうか」
少し見当がはずれたので、半七は床の上で首をかしげていたが、そのほかにも松吉が調べて来た三島の一家の事情をそれからそれへと詮議して、半七はなにか思い当ることがあったらしい。にやにや笑いながらうなずいた。
「よし、もうそれで大抵わかった」
「ようがすかえ、それだけで」
「もういい、あとは俺が自分でやる」
あくる朝早く起きると、ゆうべ汗を取ったせいか半七の頭も余ほど軽くなった。陰《かげ》ってはいるが、きょうは雨やみになっているので、半七はあさ飯の箸を措《お》くとすぐに町内の生薬屋《きぐすりや》へ行った。女中のお徳をよび出して、妹の手紙をとどけて来たという男の人相や年頃を詳しく訊いて、その足で更に今戸の裏長屋をたずねた。この頃の長霖雨《ながじけ》で気味の悪いようにじめじめしている狭い露路の奥へはいって、良次郎の家というのを探しあてると、二畳と六畳とふた間の家に五十近い女と、十四五の小娘とが向いあって、なにか他人《ひと》仕事でもしているらしかった。裏店《うらだな》の割には家のなかが小綺麗に片付いているのが半七の眼をひいた。
「あの、早速でございますが、こちらの良次郎さんは唯今どちらへおいででしょうか」
「はい」と、母らしい女は針の手をやめて見返った。「おまえさんはどちらからお出でになりました」
「霊岸島からまいりました」と、半七はすぐ答えた。
「霊岸島から……」と、女は半七の顔をじっと眺めていたが、やがて起って入口へ出て来た。「じゃあ、三島のお店からですか」
「左様でございます」
云い切らないうちに、女は框《かまち》から片足おろして、いきなり彼の袖をつかんだ。
「それはこっちで訊きたいんです、伜はどこに居ります。良次郎はどこにいます」
逆捻《さかね》じを食って少しあわてた半七は、わざと仰山《ぎょうさん》らしく驚いてみせた。
「おかみさん、飛んでもねえことを……。ここの家で知らないで、誰が知っているもんですか」
「いいえ、そうは云わせません。店で良次郎をどこへか隠しているんです。わたしはちゃんと知っています。お嬢さんと駈け落ちをしたなんて、嘘です、嘘に相違ありません。良次郎は御主人の娘をそそのかして淫奔《いたずら》をするような、そんな不心得な人間じゃありません。ここにいるお山《やま》はほんとうの妹じゃありません。もう一、二年経つと彼《あれ》と一緒にする筈になっているんです。そういう者がありながら、そんな不埒なことをするような良次郎じゃございません。第一あんな親孝行の良次郎が親を打っちゃって置いて、どこへか姿をかくす筈がありません。おまえさんの方で隠しているんです。さあ、どこにいるか教えてください」
気違いのような権幕《けんまく》で責めたてられて、半七もいよいよ持て余した。
「まあ、待ってください。成程そんなことがあるかも知れませんが、私はまったく知らないんです。店の方から云い付けられて、ただ正直に出て来ただけのことなんです。じゃあ、良次郎さんはまったくこちらには居ないんですか」
「いませんとも……」と、女は声をうるませながら云った。「自分の方でどこへか隠して置きながら、白ばっくれて探しによこすなんて、あんまり人を馬鹿にしている。いいえ、こっちには確かな証拠があります。見せてあげるからお待ちなさい」
女は奥の仏壇の抽斗《ひきだし》から一通の手紙を持ち出して来て、半七の眼さきへ突きつけた。すぐに受け取ってあけてみると、自分はよんどころない訳があって、三年のあいだは姿を隠している。三年たてばきっと帰ってくるから心配してくれるな。世間ではお嬢さんと駈け落ちしたなどと云い触らすかも知れないが、それにも訳のあることだから、お山にもよく云ってくれ。御主人の為と親の為とで斯《こ》ういうことをするのだから、かならず悪く思ってくれるなと書いてあった。
「この手紙に三十両のお金を付けて、人に頼んでそっと届けてよこしたんです」と、女は泣きながら云った。「これが確かな証拠です。御主人の為にと書いてあるじゃありませんか。親の為とも書いているのを見ると、三年の間どこにか隠れていれば、きっと五十両やるとか百両やるとかいう約束があるに相違ありません。あれは親孝行な人間ですから、そんなことを引き受けて御褒美を貰って、親に楽をさせる料簡なんでしょうが、わたしの方じゃあお金なんぞは要りません。それより一日も早くわが子の無事な顔がみたいと思っています。三十両のお金は幾らか遣いましたけれど、残った分はみんな返しますから、どうぞ伜を連れて来てください。お願いですから」
かれは再び半七の袖を掴んで、ゆすぶりながら泣いて口説いた。お山という娘も声をたてて泣き出した。
思いもよらない愁嘆場《しゅうたんば》を見せられて、半七ももう仮面《めん》をかぶっていられなくなった。
「おかみさん。もう斯うなりゃあ何もかも正直に云うが、わたしは霊岸島から来た者じゃあねえ。わたしは御用聞きの半七という者で、実は少し調べたいことがあって出て来たんだが、おまえの話でみんな判った。もう案じることはねえ。良次郎はきっと連れて来てやるから、二、三日おとなしく待っているがいい」
御用聞きと聞いて、女は急に涙を拭いた。そうして、伜のゆくえを探索してくれるようにくれぐれも頼んだ。
三
お通と良次郎のほかに、半七はおきわという娘のゆくえをも突き留めなければならなかった。おきわは向島の寮に押し籠《こ》められて、土蔵の二階に住んでいるに相違ない。お通が見たという幽霊のような女はそれである。半七は確かにそれと見きわめながらも、まさかにつかつか踏み込んで出しぬけに土蔵の戸前《とまえ》をあけるわけには行かないので、もう少し確かな証拠を握りたいと思った。かれは今戸の露路を出ると、すぐに向島の方角へ足をむけると、陰った空は又暗くなって、霧のような雨が煙《けむ》って来た。途中で番傘を買って、竹屋の渡しを渡って堤《どて》へ着くと、雨はだんだんに強くなって葉桜の堤下はいよいよ暗くなった。
もう午《ひる》に近いので、かれは堤下の小料理屋へはいって、しじみ汁とひたし物で午飯をくっていると、古ぼけた葭《よし》の衝立《ついたて》を境にして、すこし離れた隣りにも二人づれの客が向い合っていた。はじめは二人ともに黙ってちびりちびり飲んでいるらしかったが、そのうちに年上らしい一人の男が微酔《ほろよい》機嫌で云い出した。
「え、おい。あの餓鬼をどうかしてくれねえじゃあ困るじゃねえか。どうで田の草を取っていた日向《ひなた》くせえ女だ。気に入らねえのは判り切っているが、眼をつぶって往生してくれ。あいつに逃げられるとまったく困るから」
若い男は黙っていた。
「あいつの足止めをするのは慾得ばかりじゃあいけねえ。そこで色男に頼むんだ。我慢して相手になってやってくれ。恋と情けのしがらみに、とか何とかいうのはここのことだ。なにも一生の女房にするというわけじゃあねえ。ちっとの間の辛抱だよ」
「そんな罪なことはしたくないから」と、若い男は溜息まじりに云った。
「ひどく聖人になり澄ましたな」と、年上の男はあざわらった。「ええ、おい。嘘にもほんとうにもしろ、お嬢さんと駈け落ちをしたという色男じゃあねえか。どうで溷鼠《どぶねずみ》だ。今更まじめな面をしたって、毛の色は白くならねえぜ」
「わたしも今になって後悔している。ふだんから眼をかけて下さるおかみさんに口説かれて、よんどころなく引き受けてしまったが、ああ悪いことをしたと此の頃じゃあ切《しき》りに後悔している。世間からはうしろ指をさされ、親たちには苦労をかけ、こんな間違ったことはない。もう此の上は誰がなんと云っても、決してそんな相談には乗らないつもりだ。お通という女中もそれほど帰りたがるなら、すなおに帰してやったらいいじゃありませんか」
「帰してよければ苦労はない」と、年上の男は急に声を低くした。「あんな奴でも口がある。うっかり帰してやったら世間へ出て何をしゃべるか判らねえ。どうしてもここは色男にお頼み申して、足止めのおまじないをして貰うよりほかにはねえ。え、良さん。おめえ、どうしても忌《いや》か。毒くわば皿で、おめえも一度こういうことを引き受けた以上は、一寸斬られるのも二寸斬られるのも血の出るのは同じことだ。え、おい、器用にうんと云ってくれ。俺から又おかみさんの方へもいいように話してやる。おかみさんだって野暮じゃねえ。重《おも》た増《ま》しが出るのは判っているから、素直《すなお》におとなしく引き受けてくれ」
「いや、もうなんと云われても私はあやまる。誰かほかの人に頼んで……」
「ほかの人に頼めるくらいなら、口をすぼめやあしねえ。今こそ堅気の寮番でくすぶっているが、これでも左の腕にゃあ忌《いや》な刺青《ほりもの》のある六蔵だ。おれが一旦こう云い出したからにゃあ、忌も応も云わせねえ。おい、良さん、その積りで返事してくれ」
酒の酔も手伝っているらしく、彼の声はだんだんに高くなった。いやな刺青の講釈まで聞きすまして、半七はもういい頃と衝立のこっちから声をかけた。
「もし、大層お賑やかですね」
「どうもお騒々しくってお気の毒さまでございます」と、六蔵という男は答えた。「若い者は道楽をして困りますから、ちっと嚇かしているところですよ」
「お察し申します」と、半七は笑いながら云った。「だが、この頃は世の中がさかさまになって、年寄りのいう方が間違っていることが随分あります。今の一件なんぞはそっちの若い人の云う方が道理《もっとも》らしい。ねえ、良次郎さん。そうでしょう」
名を指されて二人はぎょっとしたらしい。半七はつづけて云った。
「左の腕になにかいやな刺青があるとかいう小父《おじ》さん。あんまり若けえ者をつかまえて無理を云わねえ方がいい。どうで霊岸島からは縄付きが出るんだ。その道連れを大勢こしらえるのは殺生《せっしょう》だろうぜ」
「な、なんだ」と、六蔵はこっちへ向き直った。「おめえは誰だ」
衝立を押し退けて、半七も向き直った。
「まあ、誰でもいい。おれはこれからお前のあずかっている寮へ行くんだ。案内してくれ」
その口ぶりでもう覚ったらしい、六蔵はあわててふところへ手を入れようとする途端に、半七は飛びかかって其の腕を押えた。六蔵の手は匕首《あいくち》を握ったままで早縄にかかってしまった。蒼くなってすくんでいる良次郎を見かえって、半七はしずかに立った。
「おめえには慈悲を願ってやる。おとなしくして、おれと一緒に来ねえ」
縄付きの六蔵を追い立てて、半七は雨のなかを三島の寮へ行った。良次郎は死んだような顔をして後からぼんやりと付いて来た。びっくりしてうろうろしているお通に指図して、半七は奥の土蔵の戸前をあけさせると、暗い二階から幽霊のような若い美しい女が出た。女は三島のひとり娘のおきわであった。
その明くる日、霊岸島の米問屋三島の店から後家のお糸と番頭の由兵衛が奉行所へ呼び出されて、すぐに入牢《じゅろう》を申し渡された。
三島の主人は四年前に世を去って、後家を立て切れないお糸は由兵衛と不義を働いていると、一人娘のおきわがもう十九になって、親類の手前、世間の手前、相当の婿を貰わなければならないことになった。殊に容貌《きりょう》好しに生まれているので、諸方から縁談を申し込んで来る。それが由兵衛には面白くなかった。かれは自分の甥を店の養子に直して、自分が後見人格でこの大身代を掻きまわそうという悪法を巧《たく》んでいたが、その甥はまだ十五の前髪で、おきわと妻合《めあ》わせるわけには行かない。もう一つには、おきわはなかなか利巧な娘で、自分たちの不義を薄々覚っているらしいので、由兵衛はなにかにつけて彼女を邪魔者と見て、結局お糸をそそのかして彼女を放逐してしまおうと企てたが、なんの落度もない家付きの娘をむやみに追い出すわけには行かないので、かれは更に大胆な計画を立てた。
色に溺れた四十女のお糸はもう我が子の愛を忘れてしまって、由兵衛の計画に同意することになった。由兵衛は先ず寮番の六蔵を抱き込んで、去年の夏おきわをだまして向島の寮へ誘い出して、大きい古土蔵の奥に閉じ籠めてしまったのである。しかし家付きの娘が突然に消えてなくなったと云っては、親類や世間の手前が済まないので、おきわは店の若い者と駈け落ちをしたということを吹聴《ふいちょう》させた。その相手に選み出されたのが彼《か》の良次郎であった。彼はふだんからお糸や由兵衛に眼をかけられているばかりか、年も若し、男振りも好し、おきわの相手と云い触らすには恰好の資格を具えていたので、彼はお糸からいろいろ因果をふくめられて、無理往生に承知させられた。身に覚えのない不義の濡衣《ぬれぎぬ》を被《き》て、しばらく何処にか隠れていてくれれば、三年の後にはきっと取り立ててやる。たとい店へ呼び戻すことが出来ないでも、二百両三百両の纏まった資本《もとで》を渡して、きっと身分の立つようにしてやるという条件付きで、良次郎は忌々ながらそれを引き受けることになった。
この時代の主従関係で、主人が手を下げて頼むものを無下《むげ》には断わりにくいのと、これを引き受ければ行く行くは親孝行ができるという浅はかな考えとで、良次郎はおきわが押し籠められると同時に霊岸島の店をぬけ出した。しかし実家へ帰ってはすぐに露顕するので、彼は綾瀬の方の知己《しるべ》の家に身をかくして、心にもない日蔭者になっていた。
おきわを土蔵のなかに封じ籠めてしまったものの、まさかに飢殺《ほしころ》すわけにも行かないので、三度の食物は寮番が運んでいた。いかに残酷な六蔵夫婦もこれはあまり心持がいい役目でないのと、お糸と由兵衛とがこの寮へ来て密会する場合に、何かの給仕をするものが無くては不便であるのとで、若い女中を新らしく抱えることになったが、迂濶なものを引き入れては秘密の発覚する虞《おそ》れがあるので、江戸馴れないぼんやりした女を選んだ末に、かのお通を抱える事になったのである。そうして、だんだん使っていると、お通は見掛けよりもしっかりしていて、土蔵のなかの秘密を薄々感付いたらしいので、六蔵もすこし困った。さりとて迂濶に暇を出すのは却って危険なので、その口止め足どめの手段として又もや良次郎を誘い出し、色仕掛けで若い田舎娘を手|懐《なず》けさせようと企てたのであるが、いくらおとなしい良次郎でもたびたび他人《ひと》のあやつり人形になることを承知しなかった。殊にこの頃は自分の前非をしきりに後悔しているので、彼はどうしても素直にそれを承知しないばかりか、却ってお通の味方になって、その手紙を神田の姉のところへ届けてやったので、それが大事を洩らす端緒になってしまった。
それを知らない六蔵は又ぞろ彼を近所の料理屋へ連れ込んで、半分は強面《こわもて》でおどしているところを、あたかも半七に見つけられたのであった。入墨者の彼はふところにのんでいた匕首《あいくち》をぬく間もなしに押えられた。はじめはかれこれ強情を張っていたが、土蔵のなかから本人のおきわが現われたのと、良次郎が正直に白状したので、六蔵ももう恐れ入るよりほかはなかった。
お糸は吟味中に牢死した。六蔵は入墨の前科者だけに罪が重く、悪人と共謀して主人の娘を牢獄同様のところに押し籠めて置いたというので死罪になった。張本人の由兵衛は無論に重罪であった。後家とはいいながら主人の妻と不義をかさね、あまつさえ家督相続の娘を押し籠めて其の身代を横領しようと巧んだのであるから、引き廻しの上で獄門にさらされた。良次郎も相当の処刑を受くべきであったが、主人の命でよんどろなしに引き受けたというのと、かれは日頃孝心の深い者であるというのとで、上《かみ》にも特別の憐愍《れんびん》を加えられて、単にきびしく叱り置くというだけで家主に引き渡された。
向島の寮は取り毀された。これは上《かみ》からの命令ではなかったが、こういう事件を仕出かした以上、三島に向ってその破却を勧告するのが親類の義務であった。秘密をつつんでいた土蔵も無論に取り崩されたが、お通が見たという大蛇は姿を現わさなかった。おきわもそんな蛇を見たことはないと云った。霊ある蛇はわざわいを未然に察してどこかへ立ち去ってしまったのか、あるいはお通のおびえた眼に一種のまぼろしが映ったのか、それはいつまでも疑問として残されていた。
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蝶合戦
一
江戸っ子は他国の土を踏まないのを一種の誇りとしているので、大体に旅嫌いであるが、半七老人もやはりその一人で、若い時からよんどころない場合のほかには、めったに旅をしたことが無いそうである。それがめずらしく旅行したということで、わたしが訪ねたときは留守であった。老婢《ばあや》の話によると、宇都宮の在《ざい》にいる老人の甥の娘とかが今度むこを取るについて、わざわざ呼ばれて行ったということであった。それから十日ほど経つと、老人から老婢を使によこして、先日は留守で失礼をしたが、きのう帰宅しました、これはめずらしくもない物だが御土産のおしるしでございますと云って、日光羊羹と乾瓢《かんぴょう》とを届けてくれた。
その挨拶ながら私が赤坂の家をたずねたのは、あくる日のゆう方で、六月なかばの梅雨《つゆ》らしい細雨《こさめ》がしとしとと降っていた。襟に落ちる雨だれに首をすくめながら、入口の格子をあけると、老人がすぐに顔を出した。
「はは、ばあやにしてはちっと早い。きっとあなただろうと思いました」
いつもの笑顔に迎えられて、わたしは奥の横六畳の座敷へ通った。ばあやは近所へ買物に行ったということで、老人は自身に茶を淹《い》れたり、菓子を出したりした。ひと通りの挨拶が済んで、老人は機嫌よく話し出した。
「あなたは義理が堅い。この降るのによくお出かけでしたね。あっちにいるあいだも、とかく降られ勝ちで困りましたよ」
「なにか面白いことはありませんでしたか」と、わたしは茶を飲みながら訊いた。
「いや、もう」と、老人は顔をしかめながら頭《かぶり》をふってみせた。「なにしろ、宇都宮から三里あまりも引っ込んでいる田舎ですからね。いや、それでもわたしの行っている間に、雀合戦があるというのが大評判で、わたくしも一度見物に出かけましたよ。何万|羽《びき》とかいう評判ほどではありませんでしたが、それでも五六百羽ぐらいは入りみだれて合戦をする。あれはどういう訳でしょうかね」
「東京でも曾《かつ》てそんな噂を聴いたことがありましたね」
「雀合戦、蛙合戦、江戸時代にはよくあったものです。この頃そんな噂の絶えたのは、雀や蛙がだんだんに減って来たせいでしょう。あいつらも大勢いると、自然縄張り争いか何かで仲間喧嘩をするようになるのかも知れません。人間と同じことでしょうよ。ははははは」
それから枝がさいて、江戸時代の蛙やすずめの合戦話が始まった頃に、ばあやが帰って来た。雨の音が又ひとしきり強くきこえた。
「よく降りますね」と、老人は雨の音に耳をかたむけながら又云い出した。「今もお話し申した雀合戦、蛙合戦のほかに螢合戦、蝶合戦などというのもあります。螢合戦もわたくしは一度、落合《おちあい》の方で見たことがあります。それから蝶合戦……。いや、その蝶合戦について一つのお話がありますが、まだお聴かせ申しませんでしたかね」
「まだ伺いません。聴かしてください」と、私は一と膝のり出した。「その蝶合戦が何か捕物に関係があるんですか」
「大ありで、それが妙なんですよ」
これが口切りで、わたしは今夜もひとつの新らしい話を聴き出すことが出来た。
万延元年六月の末頃から本所《ほんじょう》の竪川《たてかわ》通りを中心として、その附近にたくさんの白い蝶が群がって来た。はじめは千匹か二千匹、それでも可なりに諸人の注意をひいて、近所の子ども等は竹竿や箒などを持ち出して、面白半分に追いまわしていると、それが日ましに殖《ふ》えて来て、六月|晦日《みそか》にはその数が実に幾万の多きに達した。なにしろ雪のように白い蝶の群れが幾万となく乱れて飛ぶのであるから、まったく一種の奇観であったに相違ない。
「蝶々合戦だ」と、みな口々に云った。
むらがる蝶は狂っているのか戦っているのか能く判らなかったが、ともかくも入りみだれて追いつ追われつ、あるいは高く、あるいは低く、もつれ合って飛んでいる。疲れたのか傷ついたのか、水の上にはらはらと舞い落ちるのもある。風に吹きやられて大空にひらひらと高く舞いあがるのもある。そこらは時ならぬ花吹雪とも見られる景色であるので、屋敷の者も町屋《まちや》の者も総出になって、この不思議なありさまを見物しているうちに、誰が云い出すともなく、こんな噂がそれからそれへとささやかれた。
「やっぱり善昌さんの云うのはほんとうだ。弁天さまのお告げに嘘はない。これは何かのお知らせに相違あるまい」
気の早いのは松坂町《まつざかちょう》の弁天堂へ駈けつけて、おうかがいを立てるのもあった。松坂町はかの吉良上野介の屋敷のあった跡で、今はおおかた町屋となっている。その露路の奥に善昌という尼が住んでいる。以前は小鶴といって、そこらを托鉢の比丘尼《びくに》であったが、六、七年前から自分の家に弁財天を祭って諸人に参拝させることにした。本所には窟《いわや》の弁天、藁づと弁天、鉈《なた》作り弁天など、弁天の社《やしろ》はなかなか多いのであるが、かれが祀《まつ》っているのは光明弁天というのであった。かれ自身の云うところによれば、ある夜更けに下谷《したや》の御成道《おなりみち》を通ると、路ばたの町屋の雨戸の隙間からただならぬ光りが洩れているので、不思議に思って覗いてみると、それは古道具屋で、店先にかざってある木彫《きぼ》りの弁天の像から赫灼《かくやく》たる光明を放っていた。いよいよ不思議を感じて帰って来ると、その夜の夢にかの弁財天が小鶴の枕もとにあらわれて、我を祀って信仰すれば、諸人の災厄をはらい、諸人に福運を授けると告げたので、かれは翌朝早々に下谷へ行ってその尊像を買い求めて来たのである。その話が世間に伝わって、それを拝みに来る者がだんだんに殖えて来た。
小鶴はその名を善昌とあらためた。今までは長屋同様の小さい家であったのを建て換えて、一つの弁天堂のように作りあげた。かれは托鉢をやめて、堂守《どうもり》のような形でそこに住んでいたが、参詣者の頼みに因《よ》っては一種の祈祷のようなこともした。身の上判断もした。彼女がこうして諸人の信仰や尊敬をうけるようになったのは、弁財天の霊験あらたかなるに因《よ》ること勿論で、二、三年前にもこういう実例があった。ある日の午後、独身者《ひとりもの》の善昌が近所へ用達しに出ると、その留守へやはり近所のお国という女が参詣に来た。
ここでお国をおどろかしたのは、一人の若い男が仏前に倒れ苦しんでいることであった。男は口からおびただしい血を吐いて、虫の息で倒れている。お国はびっくりして声をあげると、近所の人たちも駈け集まって来て、一体どうしたことかと詮議したが、男はもう口を利くことが出来なかった。彼はそこにころげている餅や菓子を指さしたままで息が絶えた。それからだんだん調べてみると、かれは賽銭箱の錠をこじあけて賽銭をぬすみ出したのである。そればかりでなく、仏具のなかでも金目《かねめ》になりそうな物を手あたり次第にぬすみ取り、風呂敷につつんで背負い出そうとしたが、それでもまだ飽き足らないで、仏前にそなえてある餅や菓子を食い、水を飲んだ。そうして何かの毒にあたって死んだらしいということが判った。
取りあえずそれを善昌の出先きへ報らせてやると、かれも驚いて帰って来た。かの男はどうして死んだのか判らないが、仏前の餅や菓子に毒のはいっている筈はないと善昌は云った。かれは諸人のうたがいを解くために、かれらの見ている前でその餅や菓子を食ってみせたが、別になんにも変ったことはなかった。そんならかの男はなぜ死んだか。かれは盗人で、賽銭をぬすみ、仏具をぬすみ、あまつさえ仏前の供物《くもつ》まで盗み啖《くら》ったので、たちまちその罰を蒙って供物が毒に変じたのであろうと、諸人は判断した。かれらは今更のように弁財天の霊験あらたかなるに驚嘆して、信心いよいよ胆《きも》に銘じた。その噂がまた世間にひろまって、信者は以前に幾倍するようになった。諸方からの寄進も多分にあつまって、弁天堂は再び改築されたので、狭い露路の奥にありながらも、その赫灼たる燈明のひかりは往来からも拝まれて、まことに光明弁天の名にそむかないように尊く見られた。
その善昌が今年の三月、弁財天のお告げであると称して、一種の予言めいたことを信者たちに云い聞かせた。今年はおそるべき厄年であって、井伊大老の死ぐらいは愚かなことであり、五年前の大地震、四年前の大風雨《おおあらし》、二年前の大コロリ、それにも増したる大きいわざわいが江戸中に襲いかかって来るに相違ない。但しそれには必ず何かの前兆があるから、いずれも用心を怠ってはならぬというのであった。付近の信者はみなそれを信じた。大地震、大風雨、大コロリ、黒船騒ぎ、大老|邀撃《ようげき》、それからそれへと変災椿事が打ちつづいて、人の心が落ち着かないところへ、又もやこの恐ろしい御託宣を聴かされたのであるから、かれらの胸に動悸の高まるのも無理はなかった。
かならず何かの前兆があると善昌は云った。その警告におびえている彼等の眼のまえに、不思議の蝶合戦が起ったのである。気の早い者はあわてて弁天堂へかけ着けると、仏前の燈明はすべて消えていた。幾匹かの白い蝶がどこからか飛んで来て、燈明の火を片端から消してしまったのであると、善昌は不思議そうに話した。
二
蝶の最も出盛ったのは、朝の四ツ時(午前十時)頃から昼の八ツ時(午後二時)頃までで、八ツを過ぎるころから無数の蝶の群れもだんだんに崩れ出して、鐘撞堂のゆう七ツ(午後四時)がきこえる頃には、消えるように何処へか散り失せてしまった。水に落ちたものは流れもあえずに、夏の日の暮れ果てるまで竪川を白く埋めて、涼みがてらの見物を騒がせていたが、あくる朝は一匹もその姿をとどめなかった。
「弁天さまのお告げに嘘はない。おそろしいことでござります」
善昌は再び信者たちに云い聞かせた。信者たちももう疑う余地はないので、善昌と相談の上で、七月の朔日《ついたち》から孟蘭盆《うらぼん》の十五日まで半月の間、弁天堂で大護摩《おおごま》を焚くことになった。護摩料や燈明料は云うまでもなく、そのほかにもいろいろの奉納物が山のように積まれた。
こうして、はじめの七日は無事に済んだが、たなばた祭りもきのうと過ぎた八日の朝になって、善昌は突然に仏前の御戸帳《みとちょう》をおろした。今までは何人《なんぴと》にも拝ませていた光明弁天の尊像をむらさきの帳《とばり》の奥に隠してしまったのである。これは夢枕に立った弁財天のお告げで、今後百日のあいだは我が姿を人に見せるな、その間にわざわいの日は過ぎてしまうとのことであったと、善昌は説明した。そうして引きつづいて護摩を焚き、祈祷を行なっていたのであるが、それから三日と過ぎ、四日と経つうちに、誰が云うともなしにこんな噂がまた伝わった。
「御戸帳のなかは空《から》だ。弁天様はなくなってしまったらしい」
信者のなかでも有力の三、四人がその噂を気に病んで、諸人のうたがいを解くために、たとい一と目でもいいから御戸帳の奥を覗かせてくれと交渉したが、善昌は頑として肯《き》かなかった。本尊の秘仏を厨子《ずし》に納めて、何人にも直接に拝むことを許さない例は幾らもある。おまえ方のうちに浅草観世音の御本体を見た者があるか、それでも諸人は渇仰《かつごう》参拝するではないか。百日のあいだは我が姿を人にみせるなというお告げにそむいて、みだりに奥をうかがう時は、仏罰によって眼が潰れるか、気が狂うか、どんなわざわいを蒙らないとも限らない。おまえ方はおそろしい禍いを避けるために、護摩を焚き、祈祷を行なっていながら、却って仏罰を蒙るようなことを仕出かして、どうする積りか。尊像のあるか無いかは百日を過ぎれば自然に判ることである。それを疑うものは参拝を止めたらよかろうと、彼女はきっぱりと云い切った。
こう云われると一言もないので、誰も彼もみな黙ってしまった。そうして、日々の祈祷は今までの通りに続けられたが、尊像紛失のうたがいはまだ全く消えないで、信者のあいだにはいろいろの噂が伝えられているうちに、いよいよ孟蘭盆の十五日が来た。祈祷はこの日限りでとどこおりなく終った。
あくる十六日の朝になっても、弁天堂の扉《と》はあかなかった。日々の祈祷の疲れで、きょうは善昌さんも朝寝坊をしているのであろうと、近所の者も初めのうちは怪しまなかったが、やがて午《ひる》ごろになっても扉があかないので、不思議に思って裏口へまわって窺うと、水口《みずぐち》の戸には錠がおろしてないとみえて、自由にさらりとあいた。幾たびか声をかけても返事がないので、近所の二、三人が思い切って薄暗い奥へはいると、どこにも善昌のすがたが見えなかった。かれは六畳の小座敷に寝起きしている筈であるが、そこには蚊帳さえも釣ってなかった。
ひとり者であるから、今までにも家をあけて出ることは珍らしくなかったが、午頃までも表の扉をあけないというのは不思議である。それを聞き伝えて、信者の誰かれも集まって来て、大勢が立ち会いの上で堂内をあらためたが、どこも綺麗に片付いていて、別に怪しむべき形跡もなかった。そのうちに一人が云い出した。
「善昌さんはもしや駈け落ちをしたのではあるまいか」
弁財天の尊像紛失はやはり事実で、かれはその申し訳なさに、十五日間の祈祷料や賽銭のたぐいを掻きあつめて、どこへか駈け落ちしたのではあるまいかというのである。或いはそんなことが無いとも云えない。それでなくとも、このあいだから諸人の疑問になっているので、大勢は立ち寄って恐る恐るその帳《とばり》をあけると、かの尊像のおん姿は常のごとく拝まれたので、一同は案に相違した。善昌の云ったのは嘘でなかった。その疑いが解けると同時に、それならばなぜ善昌はその姿をかくしたかという新らしい疑いが更に深くなった。
弁天堂は信者の寄進によって善昌が作りあげたのであるが、こういう事件が起った以上、この露路のなかを差配している家主にも一応ことわって置かなければならないというので、誰かがそれを届けにゆくと、家主もとりあえず出て来た。そこで相談の上あらためて家捜《やさが》しをすることになって、念のために床下までもあらためると、台所の揚板の下には炭俵が二、三俵押し込んである。その一つのあき俵のなかに首を突っ込んで、善昌がうつむきに倒れているのを発見したときは、大勢は思わず驚きの声をあげた。善昌は手足をあら縄で厳重に縛《くく》られていた。
それだけでも諸人をおどろかすに十分であるのに、更に人々をおどろかしたのは、二、三人がそのからだを抱き起そうとすると、あき俵をかぶせられている善昌には首がなかった。かれは首を斬り落されているのであった。今度は誰も声を出す者がない、いずれも唖《おし》のように眼を見あわせているばかりであった。
「善昌さんの首がない」
その噂が隣り町《ちょう》まで伝わって、他の信者たちもおどろいて駈けつけた。見物の弥次馬も続々あつまって来た。狭い露路のなかは人を以って埋められた。おくれ馳せに来た者は往来にあふれ出して、唯いたずらにがやがやと罵《ののし》りさわいでいるのであった。
善昌の死――その仔細は誰にも容易に想像された。この十五日間、厄《やく》よけの祈祷をおこなって、護摩料や祈祷料や賽銭が多分にあつまっているので、それを知っている何者かが忍び込んで彼女を殺害したのであろう。善昌は抵抗したために殺されたのか、あるいは先ず善昌を殺して置いて、それから仕事に取りかかったのか、その順序はよく判らなかったが、いずれにしても其の首を斬り落すのは余りに残酷である。床板を引きめくって縁の下を隈《くま》なくあらためたが、その首はどうしても見付からなかった。
首のない尼の死骸は六畳の間に横たえられて、役人の検視をうけることになった。本所は朝五郎という男の縄張りであったが、朝五郎は千葉の親類に不幸があって、あいにくきのうの午すぎから旅に出ているので、半七が神田から呼び出された。半七はちょうど来あわせている子分の熊蔵を連れて駈けつけた。地獄の釜の蓋《ふた》があくという盂蘭盆の十六日は朝から晴れて、八ツ(午後二時)ごろの日ざかりは灼《や》けるように暑かった。ふたりは眼にしみる汗をふきながら両国橋をいそいで渡ると、回《え》向院《こういん》の近所には藪入りの小僧らが押し合うように群がっていた。
「ここの閻魔《えんま》さまは相変らずはやるね」と、熊蔵は云った。
「はやるのは結構だが、閻魔さまもちっと睨みを利かしてくれねえじゃあ困る。盆ちゅうにも人殺しをするような奴があるんだからな」
こんなことを云いながら二人は弁天堂にゆき着くと、露路の内そとには大勢の見物人がいっぱいに集まっている。それを掻きわけてはいってゆくと、検視の町《まち》役人ももう出張っていた。
「どうも遅くなりました。皆さん、御苦労さまでございます」
半七は一応の挨拶をして、まず善昌の死骸を丁寧にあらためた。死骸の手足はあら縄で厳重にくくられていたが、殆ど無抵抗で縄にかかったらしいことは、多年の経験ですぐに覚られた。そこらの畳には血の痕らしいものは見えなかった。もしや綺麗に拭き取ったのかと、半七は犬のように腹這って畳の上をかいでみた。
「尼さんは酒を飲みますかえ」と、半七はそこに控えていた信者の一人に訊いた。
当人は飲まないと云っていた。身分柄としてもそう云わなければならないのであろうが、内証では時々に少しぐらい飲んでいたこともあるらしいという信者の答えを聴いて、半七はうなずいた。畳には新らしい酒の香が残っていた。なにか紛失物はないかと訊くと、それはよく判らないが、尼が大切にしている革文庫がみえない。そのなかに金のしまってあるのを知って盗み出したのではあるまいかというのであった。半七は又うなずいた。
型の通りの検視が済んで、そのあと調べを半七にまかせて、役人たちは引き揚げた。町《ちょう》役人や家主も一旦帰った。あとに残されたのは町内の薪屋《まきや》の亭主五兵衛と小間物屋の亭主伊助で、この二人は信者のうちの有力者と見なされ、いわゆる講親《こうおや》とか先達《せんだつ》とかいう格で万事の胆煎《きもい》りをしていたのである。半七はこの二人を残しておいて、善昌の身もと詮議をはじめた。
「善昌は幾つですね」
「自分でもはっきり云ったことはありませんが、なんでも三十二三か、それとも五六ぐらいになっていましょうか。見かけは若々しい人でございました」と、五兵衛は答えた。
「独り者で、ほかに身寄りらしい者もないんですね」
「自分は孤児《みなしご》で、天にも地にもまったくの独り者だと、ふだんから云っていました」と、伊助は答えた。
「よそへ泊まって来たことがありますかえ」
「祈祷などを頼まれて、夜も昼も出あるくことはありましたが、遅くもきっと帰って来まして、家をあけたことは一と晩もなかったようです」と、伊助はまた答えた。
これを口切りに善昌がふだんの行状から先頃の蝶合戦のこと、それから続いて今度の祈祷のことを、半七は残らず聞きただした。それが済んでから彼《か》の問題の尊像というのを一応あらためると、木彫りの弁財天は高さ三尺ばかりで、かなりに古びたものであった。半七はその木像を撫でまわして、更に二、三ヵ所|嗅《か》いでみた。そうして、小声で熊蔵に云った。
「熊や、おめえも嗅いでみろ」
三
「尼さんには用のねえ商売だが、男か女の髪結いで、ここの家《うち》へ心安く出這入りをする者がありますかえ」と、半七は訊いた。
伊助は小間物屋であるだけに、その人をよく識っていた。それは隣り町に住んでいるお国という女髪結で、善昌とは古いなじみでもあり、もちろん信者の一人でもあるので、ふだんから近しく出入りをしている。これも独り者で、年頃は四十を一つ二つ越しているかも知れないと云った。
「それじゃあすぐに呼んでください」
「かしこまりました」
伊助は怱々出て行ったが、やがて引っ返して来て、お国はゆうべから家《うち》へ帰らないと云った。独り者であるから、いつも朝から家を閉めて商売に出歩いている。親類の家へ泊まるとか云って、夜も帰らないことがしばしばある。きのうも夕方に帰って来て、湯に入ってから何処へか出かけたぎりで帰らない。大かた親類へでも泊まりに行って、きょうは藪入りで商売は休みであるから、どこかを遊び歩いているのであろうとのことであった。
「それじゃあ、いつ帰るか判らねえ」
思案しながら半七は、再び善昌の死骸に眼をやると、首のない尼は白い麻の法衣《ころも》を着て横たわっていた。半七はその冷たい手を握ってみた。
もしもお国が帰って来たらば、そっと自分のところまで知らせてくれと頼んで置いて、半七はひと先ずここを引き揚げることになった。暑い時分のことであるから、信者たちがあつまってすぐに死骸の始末をすると五兵衛は云っていた。
「勿論このまま打っちゃっても置かれめえが、火葬にするのはお見合わせなさい。この死骸について、後日《ごにち》又どんなお調べがないとも限りませんから」と、半七は注意した。
「では、土葬にいたして置きます」
五兵衛と伊助に見送られて、半七はここを出た。
さっきから余ほどの時間が経ったようであるが、七月なかばの日はまだ沈みそうもなかった。片蔭のない竪川の通りをふたりは再び汗になって歩いた。
「蝶合戦のあったというのはここらだな」
「そうでしょう」と、熊蔵は云った。「わっしは見なかったが、なんでも大変な評判でしたよ」
「むむ。評判だけは俺も聴いている」と、半七は立ちどまって川の水をながめていたが、やがて子分にささやいた。「おい、おめえはさっきあの木像を嗅いで、どんな匂いがした」
「なんだか髪の油臭いような匂いがしましたよ」
「むむ」と、半七はうなずいた。「善昌は尼だ。髪の油に用はねえ筈だ。なんでも油いじりをする奴があの木像に手をつけたに相違ねえ」
「すると、そのお国とかいう女髪結がいじくったかも知れませんね」
「おめえはあの死骸を誰だと思う」
「え」と、熊蔵は親分の顔をながめた。
「おれの鑑定では、あれがお国という女髪結だな」
「そうでしょうか」と、熊蔵は眼を見はった。「どうしてわかりました」
「あの死骸の手にも油の匂いがしている。梳《す》き油や鬢付《びんつ》けの匂いだ。元結《もっとい》を始終あつかっていることは、その指をみても知れる。善昌は三十二三だというのに、あの肉や肌の具合が、どうも四十以上の女らしい。足の裏も随分堅いから、毎日出あるく女に相違ねえ」
「それじゃあお国の首を斬って、その胴に善昌の法衣《ころも》を着せて置いたんでしょうか」
「まずそうらしいな。お国はゆうべから帰らねえというが、おそらく来年の盆までは娑婆《しゃば》へ帰っちゃあ来ねえだろうよ」と、半七はにが笑いをした。「それにしても、なぜお国を殺したかが詮議物だ。お国を自分の替え玉にして残して置いて、本人の善昌はどこにか隠れているに相違ねえ。おめえはこれから引っ返して、お国という女の身許や、ふだんの行状をよく洗って来てくれ。そうしたら何かの手がかりが付くだろう」
「ようがす。すぐに行って来ます」
「いや、待ってくれ。おれも一緒に行こう。こんなことは早く埒をあける方がいい」
ふたりは連れ立って又引っ返した。
お国の家は弁天堂の隣り町《ちょう》で、これも狭い露路の奥の長屋であった。近所でだんだん聞きあわせると、お国の評判はどうもよくない。若いときから二、三人の亭主をかえて、今では独身《ひとりみ》で暮らしているが、絶えず一人ふたりの男にかかり合っているらしく、親類の家へ泊まりにゆくというのも嘘かほんとうか判らない。その菩提寺の住職が去年死んで、その後は若い住職に変ったが、その僧とも何かの係り合いが出来て、ときどきにそっと泊まり込みにゆくらしいという噂もある。それらの事実を探り出して、ふたりはここを立ち去った。
「さあ、もうひと息だ」
半七は先に立って歩いた。お国の菩提寺は、中の郷の普在寺であると聞いたのを頼りに訪ねてゆくと、その寺はすぐに知れた。小さい寺ではあるが、門内の掃除は綺麗に行きとどいて、白い百日紅《さるすべり》の大樹が眼についた。入口の花屋で要りもしない線香と樒《しきみ》を買って、半七はそこの小娘にそっと訊いた。
「ここのお住持はなんという人だえ」
「覚光さんといいます」
「本所からお国さんという髪結さんが時々来るかえ」
「ええ」と、娘はうなずいた。
「泊まって行くこともあるかえ」
娘はだまっていた。
「それから、やっぱり本所の方から尼さんが来やあしないかえ」
「ええ」と、娘は又うなずいた。
「なんという人だえ」
娘はなにか云おうとする時に、婆さんが手桶をさげて帰って来た。かれは娘を眼で制しながら、半七らに向ってひと通りの世辞などを云い出した。そのうちに又ひと組の参詣人が花や線香を買いに来たので、半七は思い切って店を出た。
「この線香をどうしますえ」と、熊蔵は小声で訊いた。
「捨てるわけにも行くめえ。無縁の仏にでも供えて置こう」
残暑の強い此の頃ではあるが、墓場にはもう秋らしい虫が鳴いていた。半七は何物かをたずねるように石塔のあいだを根気よく縫い歩いていると、墓場の奥の方に紫苑《しおん》が五、六本ひょろひょろ高く伸びていて、そのそばに新らしい卒堵婆《そとば》が立っているのを見つけた。卒堵婆は唯一本で、それには俗名も戒名も書いてなかったが、きのう今日に掘り返された新らしい墓であることはひと目に覚られた。
「ここに新ぼとけがある。ここらへ供えて置きましょうか」と、熊蔵は手に持っている樒と線香とを見せた。
「馬鹿。飛んでもねえことをするな」と、半七は叱った。「それほど邪魔になるなら、どこへでも打っちゃってしまえ。手前のような≪どじ≫はねえ。そんなものはこっちへよこせ」
熊蔵の手から樒と線香とを引ったくって、半七はすたすた歩き出した。
四
「これからの道行《みちゆき》を下手《へた》に長々と講釈していると、却って御退屈でしょうから、もうここらで種明かしをしましょうよ」と半七老人は云った。「今の人はみんな頭がいいから、ここまでお話をすれば、もう大抵お判りになったでしょうが、弁天堂で死んでいたのはやっぱり髪結のお国で、善昌は生きていたんです」
「善昌が殺したんですか」と、わたしは訊いた。
「そうです。善昌という尼はひどい奴で、当人は一々白状しませんでしたけれど、前にもいろいろの悪いことをしていたらしいんです。勿論、お国という女も無事には済まない身の上で、こうなるのも心柄です。初めにお話し申した通り、弁天堂のお賽銭や仏具をぬすみ出そうとして菓子や餅の毒にあたって死んだ若い男がある。あれは仏の罰でも何でもない、善昌とお国が共謀して殺したんです。誰もそれに気がつかないで、可哀そうにその男は身許不詳の明巣《あきす》ねらいにされて、近所の寺へ投げ込まれてしまったんですが、実は善昌のむかしの亭主の弟だそうです。善昌は越中富山の生まれで、早く亭主に死に別れて江戸へ出て来て、本所で托鉢の比丘尼をしているうちに、どこからか弁天様を見つけ出して来て、いい加減の出鱈目《でたらめ》を吹聴すると、その山がうまくあたって、だんだんにお有難連の信者がふえて来た。ところへ、ひょっくりと出て来たのが先《せん》の亭主の弟で与次郎という、堀川の猿廻し見たような名前の男で、これがどうして善昌の居どこを知ったのか、だしぬけに訪ねて来て何とか世話をしてくれという。よんどころなしに幾らか恵んで追っ払ったのですが、こいつもおとなしくない奴とみえて、なんとか因縁をつけて無心に来る。断われば何か忌がらせを云う。こんな者が繁々《しげしげ》入り込んでは、ほかの信者の手前もあり、もう一つには善昌の方にも何かうしろ暗いことがあって……これは当人がどうしても白状せず、なにぶん遠い国のことでよく判りませんでしたが、善昌は先《せん》の亭主を殺して江戸へ逃げて来たのを、弟の与次郎が薄々知っていて、それを種にして善昌を強請《ゆす》っていたのではないかとも思われます。……そんなわけで、この与次郎を生かして置いては為にならないと思ったので、ふだんから仲のいいお国と相談して、与次郎を殺す段取りになったんです。善昌の申し立てによると、自分は殺すほどの気はなかったが、お国がいっそ後腹《あとばら》の病めないように殺してしまえと勧めたのだということです。いずれにしても与次郎を亡き者にすることに決めたが、勿論、むやみに殺すことは出来ない。そこで、善昌は与次郎に向ってこういう相談を持ちかけたんです。
わたしも出来るだけはお前の世話をしてあげたいが、今の身分ではなかなか思うようには行かない。就いてはお前の方でこの弁天様をもっと流行らせてくれまいか。信者がふえれば賽銭もふえる。寄進もふえる。したがってお前の為にもなるというわけであるから、その積りで一つ芝居を打ってくれということになったのです。その芝居というのは、与次郎が泥坊の振りをして弁天堂へ忍び込んで、賽銭や仏具をぬすみ出そうとすると、からだが竦《すく》んで動かれなくなる。そこへお国が来て騒ぎ立てる。近所の者も集まって来る。いい頃を見計らって善昌が帰って来て、これも弁天様の御罰だと云って何かの御祈祷をすると、与次郎のからだが元の通りになる。ほかの者が縛って突き出そうと云っても善昌がなだめて免《ゆる》してやる。さあ、こうなれば諸人の信仰は愈々増して、弁天様の霊験あらたかであるという評判がいよいよ高くなる。信者が俄かにふえる。収入《みいり》も多くなる。
この相談を持ちかけられて、与次郎という奴は馬鹿か、ずうずうしいのか、それは面白いと受け合って、とうとうその芝居を実地にやってみることになったんです。そこで筋書の通りに運んで行って、賽銭を袂に入れる。金目になりそうな仏具を背負い出すという段になると、留守のはずの善昌が奥から出て来て、からだが竦むというだけではいけない、これを食って苦しむ真似をしてくれと云って、仏前に供えてある菓子と餅とをとって与次郎の口へ押し込んだので、なに心なくむしゃむしゃ食うと、さあ大変、与次郎はほんとうに苦しみ出して、口や鼻から血を吐くという騒ぎ。お国も奥で様子を窺っていて、与次郎がもう虫の息になった頃をみすまして、善昌は裏からそっと出て行く。お国は表口へ廻って来て、今初めてそれを見つけたように騒ぎ立てる。与次郎は一杯食わされて、さぞ口惜《くや》しかったでしょうが、もう口を利く元気もない。餅と菓子とを指さしただけで、苦しみ死《じに》に死んでしまったのです。遠国の者ではあり、下谷あたりの木賃宿《きちんやど》にころがっている宿無し同様の人間ですから、死ねば死に損で誰も詮議する者もない。心柄とは云いながら、ずいぶん可哀そうな終りでした。
禍いを転じて福となすとかいうのは此の事でしょう。善昌の方ではこの芝居が大あたりで、邪魔な与次郎を殺《やす》めてしまった上、案の通りに信者はますます殖えてくる。万事がとんとん拍子に行って、弁天堂を立派に再建《さいこん》するほどの景気になったんですが、与次郎の代りにお国というものが出来て、これが時々無心に来る。しかしこれは女のことでもあり、自分も与次郎毒殺の一味徒党であるから、そんなに暴っぽいことは云わない。それで二人は先ず仲よく附き合っていたんですが、さらに一つの捫著《もんちゃく》が出来《しゅったい》したんです」
ここまで話して来て、老人は息つぎの茶をひと口飲んだ。普在寺の覚光という若い住職を中心にして、尼と女髪結とのあいだに色情問題の葛藤が起ったらしいことを、私はひそかに想像していると、老人の説明も果たしてその通りであった。
「お国は勿論ですが、善昌も行儀のよくない奴で、うわべは殊勝《しゅしょう》らしく見せかけて、かげへ廻っては茶碗酒をあおるという始末。仲のいいお国は飲み友達で、夜が更けてからお国が酒や肴をこっそりと運び込んで、六畳の小座敷で飲んでいる。そればかりでなく、ふたりは花を引く。これは三人でないとどうも面白くないので、お国が善昌を誘い出して時々かの普在寺へ遊びにゆく。この寺の覚光という青坊主がまたお話にならない堕落坊主で、酒は飲む、博奕は打つ、女狂いはするという奴だから堪まらない。同気相求むる三人があつまって、酒を飲んだり、花をひいたりして遊んでいるうちに、善昌の金廻りのいいのを見て、色と慾とで覚光は係り合いを付けてしまった。覚光というのはまったく悪い奴で、尼と女髪結とを両手にあやなして、双方から絞り取った金で吉原通いをしている。このよし原通いのことはお国も善昌も知らなかったが、おたがい同士の秘密はいつか露顕したので、自然両方が角《つの》突き合いになったんですが、なにぶんにも善昌の方が、お国よりは女振りが少しいい上に、年も若い。おまけに金廻りもいいと来ているので、お国の方では妬《や》けて妬けてたまらない。善昌をつかまえて、さあ、覚光と手を切るか、さもなければお前がふだんの行状を残らず信者に触れて歩くぞと云って、うるさく責め付けるというわけです。
しかし善昌も堕落坊主を思い切ることは出来ない。お国はいよいよ躍起《やっき》となって、どうしても男と手を切らなければ与次郎殺しの一件を訴人するから覚悟しろという、おそろしい手詰めの談判になって来たので善昌もいよいよ困った。勿論、お国も与次郎殺しの徒党ですから、迂濶にそれを口走れば自分の身が危いので、ただ嚇かすばかりで思い切ったことも出来ない。それを知って、善昌もいい加減にあしらっているので、お国はますます焦れ込んで、何がなしに善昌を困らせてやろうと思って、祈祷の中日《なかび》の前夜に押し掛けて行って、大事の弁天様を無理無体にかつぎ出してしまったのです。これには善昌もまったく困って、信者にはいい加減の出たらめを云って、誤魔化しておいて、お国の方へいろいろに泣きを入れると、お国もようよう納得して、きっと覚光と手を切るならば戻してやると云って、十五日の夜ふけにかの木像を返しに来たんです。
それから先のことは、なにぶん一方のお国が死んでいるので、善昌の片口だけではよく判りませんが、ともかくも二人が酒を飲むことになって、お国が油断して酔ってしまったところを、善昌が不意に絞め殺したらしいのです。本人は一時の出来心だと云っていましたが、どうも前から巧んだことらしい。善昌はどうしても覚光のことが思い切れない、さりとて打っちゃって置けば何を云い出すか判らないという懸念があるので、とうとうこんなことになってしまったんです。お国の死骸には自分の法衣《ころも》を着せかえて、わざと手足を縛って、台所の揚板の下へ引き摺って行って、まだ少し息の通っている女の首を……。いやどうも残酷な奴です。
こうして、自分が強盗に殺されたように仕組んだ以上、うかうかしてはいられないので、有り金は勿論、目ぼしい物は一と包みにして弁天堂を逃げ出すことになりました。お国の首は滅多なところへ隠されないので、これも抱え込んで行ったのです。ゆく先は普在寺で、覚光に一切のことを打ち明けて、当分はここに隠まってくれと云われた時には、さすがの覚光も顔の色を変えて驚いたが、迂濶に善昌を突き出すと、自分の女犯《にょぼん》その他の不行跡が残らず露顕する虞《おそ》れがあるので、迷惑ながらともかくも隠まうことにして、お国の首は墓地の隅に埋めて置いたというわけです。わたくしも新らしい卒堵婆をたてた墓がどうもおかしい、そこを掘ったらばお国の首が出るだろうと思ったんですが、むかしでも墓荒しは非常にやかましいのですから、そのときは一旦無事に引き揚げて、町方《まちかた》からあらためて寺社奉行へ届けた上で、わたくし共が捕り方に出向きました」
「善昌は素直につかまりましたか」
「わたくしが先ず住職の覚光に逢って光明弁天堂の善昌という尼がこの寺内にいる筈だから引き渡してくれと云うと、坊主も最初は≪しら≫を切っていましたが、そんなら墓地の新らしい墓を掘らせてくれと云うと、坊主ももう真っ蒼になりました。善昌も覚悟したとみえて、この掛け合いのあいだに裏口からぬけ出そうとするところを、そこに張り込んでいた熊蔵に取り押えられました。こいつも強情で、最初はなんとか彼とか云い抜けようとしていました。木像に油の匂いがする、死骸の手にも油の匂いがする。墓地からはお国の首が出るというのですから、もう逃がれようはありません。とうとう恐れ入って白状しました。善昌は無論に獄門です。覚光も一旦は入牢《じゅろう》申し付けられ、日本橋に晒《さら》しの上で追放になりました。
そこで、問題の蝶合戦ですが、善昌も覚光という相手が出来て、それに入れ揚げる金が要るので、なにか金儲けの種をこしらえようと思っているところへ、井伊大老の桜田事件などが出来《しゅったい》して、世間がなんだかざわ付いているので、そこへ付け込んで今年もまた大騒動があるなどと触れ散らかし、祈祷料でも巻きあげる算段をしていると、丁度かの蝶合戦があったので、お有難連はすっかり煙《けむ》にまかれて、これはきっと何かの前兆だということになったので、善昌は万事思う壺にはまって内心大喜びでいると、それがお国には面白くない。善昌が金儲けをすれば、きっと覚光のところへ運んで行くだろうと思うと、いよいよ妬けて堪まらないので、本尊の木像をかつぎ出すやら、坊主と手を切れと責めるやら、大騒ぎをやった挙げ句の果てが、更にこんな大騒ぎを仕出かしてしまったんです」
「その弁天様はどうなりました」と、わたしは訊いた。
「善昌の仕置がきまると、弁天堂は取り毀されましたが、始末に困ったのはその木像で、かりにも弁天様と名の付くものをどうすることも出来ない。さりとて引き取る者もないので、とうとう評議の上で川へ流すことになりました。それが流れて行くときに一匹の白い蛇が巻き付いていたという評判で、それは善昌の魂だなどと云い触らす者もありましたが、なに、それはみんな嘘の皮で、むかしの人はややもすると斯ういうことを云い触らす。又すぐにそれを信用する。畢竟《ひっきょう》それだから善昌の尼などの食いものになったのでしょうね。おや、雨の音がいつの間にか止んだようです」
老人は起って縁側の雨戸をあけると、わたしがこの長い話に聴き惚れているあいだに、雨はとうに晴れたとみえて、小さい庭にはびっくりするような明るい月の光りがさし込んでいた。
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筆屋の娘
一
久し振りで半七老人に逢うと、それがまた病みつきになって、わたしはむやみに老人の話が聴きたくなった。「蝶合戦」の話を聞いたのち四、五日を経て、わたしはこの間の礼ながらに赤坂へたずねてゆくと、老人は縁側に出て金魚鉢の水を替えていた。けさも少し陰って、狭い庭の青葉は雨を待つように、頭をうなだれて、うす暗いかげを作っていた。
「あなたは≪つけ≫が悪い。きょうも降られそうですぜ」と、半七老人は笑っていた。
金魚の手がえしは梅雨《つゆ》のうちが一番むずかしいなどという話が出た。それからだんだんに糸を引いて、わたしはいつもの話の方へ引き寄せてゆくと、老人は「又ですかい」とも云わずに、けさは自分から進んですらすらと話し出した。
「あれはいつでしたっけね」と、老人は眼をつぶりながら考えていた。「そうです、そうです。あの太郎稲荷がはやり出した年ですから慶応三年の八月、まだ残暑の強い時分でした。御存知でしょう、浅草|田圃《たんぼ》の太郎様を……。あのお稲荷様は立花様の下《しも》屋敷にあって、一時ひどく廃《すた》れていたんですが、どういう訳かこの年になって俄かに繁昌して、近所へ茶店や食い物屋がたくさんに店を出して、参詣人が毎日ぞろぞろ押し掛けるという騒ぎでしたが、一年ぐらいで又ぱったりと寂しくなりました。神様にも流行《はや》り廃《すた》りがあるから不思議ですね。いや、そんなことはまあどうでもいいとして、これからお話しするのは慶応三年の八月はじめのことで、下谷の広徳寺前の筆屋の娘が頓死したんです。御承知の通り、下谷から浅草へつづいている広徳寺前の大通りは、昔からお寺の多いところでして、それに連れて法衣《ころも》屋や数珠《じゅず》屋のたぐいもたくさんありましたが、そのなかに二、三軒の筆屋がありました。その筆屋のなかでも東山堂という店が一番繁昌していました。繁昌するには訳があるので、はははははは」
「どういう訳があるんです」
「そこには姉妹《きょうだい》の娘がありましてね。姉はその頃十八で名はおまん、妹の方は十六でお年《とし》と云っていましたが、姉妹ともに色白の容貌《きりょう》好しで……。まあ、そういう看板がふたり坐っていれば、店は自然と繁昌するわけですが、まだ其のほかに秘伝があるので……。誰でもその店へ行って筆を買いますと、娘達がきっとその穂を舐《な》めて、舌の先で毛を揃えて、鞘に入れて渡してくれるんです。白い毛の筆を買えば、口紅の痕までがほんのりと残っていようという訳ですから、若い人達はみんな嬉しがります。それが評判になって、近所のお寺の坊さんや本郷から下谷浅草界隈の屋敷者などが、わざわざこの東山堂までやって来て、美しい娘の舐めてくれた筆を買って行くという訳で、誰が云い出したとも無しに『舐め筆』という名を付けられてしまって、広徳寺前の一つの名物のようになっていたんです。その姉娘が急に死んだのですから、近所では大評判でしたよ」
姉娘のおまんは急死したと披露されているけれども、どうも変死らしいという噂が立った。ここらを持ち場にしている下っ引の源次がそれを聞き込んで、だんだん探索を進めてゆくと、おまんは確かに変死であると判った。七月二十五日の夕方から彼女は気分が悪いと云い出した。最初はさしたることでもあるまいと思って、買いぐすりなどを飲ませていると、夜の五ツ(午後八時)頃になって、いよいよひどく苦しみ出して、しまいには吐血した。家内の者もびっくりして、すぐ医者を呼んで来たがもう遅かった。おまんは衾《よぎ》や蒲団を掻きむしって苦しんで、とうとう息が絶えてしまった。医者は何かの中毒であろうと診断した。
東山堂では医者にどう頼んだか知らないが、ともかくも食あたりということで、その明くる日に葬式《とむらい》を出そうとした。その報告を源次から受け取って、半七も首をかしげた。彼は念のために八丁堀同心へその次第を申し立てると、不審の筋ありというので葬式はひとまず差し止められた。町奉行所から当番の与力や同心が東山堂へ出張って、式《かた》のごとくにおまんの死体を検視すると、かれは普通の食あたりでなく、たしかに毒薬を飲んだのであることが判った。しかしその毒薬を自分で飲んだのか、人に飲まされたのか、自殺か毒殺かは容易に判らなかった。検視が済んで、おまんの埋葬はとどこおりなく許されたが、あとの詮議がすこぶるむずかしくなった。
自害にしても其の事情はよく取り調べなければならない。他人の毒害となれば勿論重罪である。いずれにしても、等閑《なおざり》には致されない事件と認められて、第一の報告者たる半七が、その探索を申し付けられた。半七はすぐ源次を近所の小料理屋へ連れて行った。
「おい、源次。ちょいと面白そうな筋だが、なにしろ娘はゆうべ死んで、もうすっかり後始末をしてしまったところへ乗り込んで来たんだから、場所にはなんにも手がかりはねえ。どうしたもんだろう。おめえ、なんにも当りはねえのか」
「そうですねえ」と、源次は首をひねった。誰のかんがえも同じことで、舐め筆の娘の変死はいずれ色恋のもつれであろうと彼は云った。
「そこで、自分で毒を食ったのか、それとも人に毒を飼われたのか」
「親分はどう睨んだか知らねえが、わっしは自分でやったんじゃあるめえと思います。なにしろ其の日の夕方までは店できゃっきゃっとふざけていたそうですからね。それに近所の噂を聞いても、別に死ぬような仔細は無いらしいんです」
「そうか」と、半七はうなずいた。「そこで娘に毒を食わしたのは内の者か、外の者か」
「さあ。そこまでは判らねえが、まあ内の者でしょうね。わっしは妹じゃあないかと思うんですが……。別に証拠もありませんが、なにか一人の男を引っ張り合ったとかいうような訳で……。それとも姉に婿を取って身上《しんしょう》を譲られるのが口惜《くや》しいとかいうので……。どうでしょう」
そんなことが無いでもないと半七は思った。東山堂の店は主人の吉兵衛と女房のお松、姉妹の娘二人のほかに二人の小僧とあわせて六人暮らしであった。小僧の豊蔵はことし十六で、一人の佐吉は十四であった。主人夫婦が現在の娘を毒害しようとは思われない。二人の小僧も真逆《まさか》にそんなことを巧もうとは思われない。もし家内のものに疑いのかかるあかつきには、まず妹娘のお年に眼串《めぐし》をさされるのが自然の順序であった。しかしまだ十六の小娘のお年がどこで毒薬を手に入れたか、その筋道を考えるのが余ほどむずかしかった。
「おれの考えじゃあどうも妹らしくねえな。ほかの奴が何か細工をしたんじゃあねえか」
「そうでしょうか」と、源次はすこし不平らしい顔をしていた。「そんなら東山堂ではなぜそれを表向きにしねえで、隠密に片付けてしまおうとしたのでしょう。それがおかしいじゃありませんか。わっしの鑑定じゃあ、親達も薄々それを気付いているが、表向きにすりゃあ妹の首に縄がつく。看板娘が一度に二人も無くなって、おまけに店から引き廻しが出ちゃあ、もうこの土地で商売をしちゃあいられねえ。そこを考えて、もう死んだものは仕方がねえと諦めて、科人《とがにん》を出さねえようにそっと片付けようとしたんだろうと思います」
「それも理窟だ。じゃあ、ともかくもおめえは妹の方を念入りに調べ上げてくれ。おれは又、別の方角へ手を入れて見るから」
「ようごぜえます」
二人は約束して別れた。その明くる朝、半七が朝飯を食って、これからもう一度下谷へ行ってみようかと思っているところへ、源次が汗を拭きながら駈け込んで来た。
「親分、あやまりました。わっしはまるで見当違いをしていました。舐め筆の娘は、自分で毒を食ったんですよ」
「どうして判った」
「こういう訳です。あの店から、五、六軒先の法衣屋《ころもや》の筋向うに徳法寺という寺があります。そこの納所《なっしょ》あがりに善周という若い坊主がいる。娘の死んだ明くる朝にやっぱり頓死したんだそうで……。それが同じように吐血して、なにか毒を食ったに相違ないということが今朝になって初めて判りました。その善周というのは色の小白い奴で、なんでもふだんから筆屋の娘たちと心安くして、毎日のように東山堂の店に腰をかけていたと云いますから、いつの間にか姉娘とおかしくなっていて、二人が云いあわせて毒を飲んだのだろうと思います。なにしろ相手が坊主じゃあ、とても一緒にはなれませんからね」
「すると、心中だな」
「つまりそういう理窟になるんですね。男と女とが舞台を変えて、別々に毒をのんで、南無阿弥陀仏を極めたんでしょう。そうなると、もう手の着けようがありませんね」と、源次はがっかりしたように云った。
若い僧と筆屋の娘とが親しくなっても、男が法衣《ころも》をまとっている身の上ではとても表向きに添い遂げられる的《あて》はない。男から云い出したか、女から勧めたか、ともかくも心中の約束が成り立って、二人が分かれ分かれの場所で毒を飲んだ。それは有りそうなことである。二人がおなじ場所で死ななかったのは、男の身分を憚《はばか》ったからであろう。僧侶の身分で女と心中したと謳《うた》われては、自分の死後の恥ばかりでなく、ひいては師の坊にも迷惑をかけ、寺の名前にも疵が付く。破戒の若僧もさすがにそれらを懸念して、ふたりは死に場所を変えたのであろう。こう煎じつめてゆくと、二人が本望通りに死んでしまった以上、ほかに詮議の蔓《つる》は残らない筈である。源次が落胆するのも無理はなかった。
「そこで、その坊主には別に書置もなかったらしいか」と、半七は訊いた。
「そんな話は別に聞きませんでした。あとが面倒だと思って、なんにも書いて置かなかったんでしょう」
「そうかも知れねえ。それから妹の方には別に変った話はねえのか」
「妹は先月頃から嫁に行く相談があるんだそうです。馬道《うまみち》の上州屋という質屋の息子がひどく妹の方に惚れ込んでしまって、三百両の支度金でぜひ嫁に貰いたいと、しきりに云い込んで来ているんです。三百両の金もほしいが看板娘を連れて行かれるのも困る。痛《いた》し痒《かゆ》しというわけで、親達もまだ迷っているうちに、婿取りの姉の方がこんなことになってしまったから、妹をよそへやるという訳には行きますめえ。どうなりますかね」
「妹には内証の情夫《おとこ》なんぞ無かったのか」と、半七は又訊いた。
「さあ、そいつは判りませんね。そこまではまだ手が達《とど》きませんでしたが……」と、源次は頭を掻いた。
「面倒でも、それをもう一度よく突き留めてくれ」
二
源次を帰したあとで、半七は帷子《かたびら》を着かえて家を出た。彼は下谷へゆく途中、明神下の妹の家をたずねた。
「おや、兄さん。相変らずお暑うござんすね」と、お粂《くめ》は愛想よく兄を迎えた。
「おふくろは……」
「御近所のかたと一緒に太郎様へ……」
「むむ、太郎様か。この頃は滅法界にはやり出したもんだ。おれもこのあいだ行って見てびっくりしたよ。まるで御開帳のような騒ぎだ」
「あたしもこのあいだ御参詣に行っておどろきました。神様もはやるとなると大変なもんですね」
「時にこんな物を加賀様のお手古《てこ》の人に貰ったから、おふくろにやってくんねえ」
半七は風呂敷をあけて落雁《らくがん》の折《おり》を出した。
「ああ、墨形《すみがた》落雁。これは加賀様のお国の名物ですってね。家《うち》でも一度貰ったことがありました。阿母《おっか》さんは歯がいいから、こんな固いものでも平気でかじるんですよ」と、お粂は笑っていた。
彼女は茶を淹《い》れながら、兄に訊いた。
「兄さん。この頃は忙がしいんですか」
「むむ、たいしてむずかしい御用もねえが、広徳寺前にちょっとしたことがあるから、これからそっちへ行って見ようかと思っている」
「広徳寺前……。舐め筆の娘じゃないの」
「おまえ知っているのか」
「あの娘は姉妹とも三味線堀のそばにいる文字春さんという人のところへお稽古に行っていたんです。妹はまだ行っているかも知れません。その姉さんの方が頓死したというんで、あたしもびっくりしました。毒を飲んだというのはほんとうですか」
「そりゃあほんとうだが、自分で飲んだのか、人に飲まされたのか、そこのところがまだはっきりとおれの腑に落ちねえ。おまえ、その文字春という師匠を識っているなら、そこへ行って妹のことを少し訊いて来てくれねえか。妹はどんな女だか、なにか情夫《おとこ》でもあるらしい様子はねえか、東山堂の親達はどんな人間か、そんなことを判るだけ調べて来てくれ」
「よござんす。お午過ぎに行って訊いて来ましょう」
「如才《じょさい》もあるめえが、半七の妹だ。うまくやってくれ」
「ほほほほほ。あたしは商売違いですもの」
「そこを頼むんだ。うまく行ったら鰻ぐらい買うよ」
妹に頼んで半七はそこを出ると、どこの店でももう日よけをおろして、残暑の強い朝の日は蕎麦屋の店さきに干してあるたくさんの蒸籠《せいろう》をあかあかと照らしていた。
徳法寺をたずねて住職に逢うと、住職はもう七十くらいの品のいい老僧で、半七の質問に対して一々あきらかに答えた。徒弟の善周は船橋在の農家の次男で、九歳《ここのつ》の秋からこの寺へ来て足かけ十二年になるが、年の割には修行が積んでいる。品行もよい。自分もその行く末を楽しみにしていたのに、なんの仔細でこんな不慮の往生を遂げたのか一向判らない。無論に書置もない、毒薬らしい物もあとに残っていない。したがって詮議のしようもないのに当惑していると、老僧は白い眉をひそめて話した。
筆屋の娘との関係については、かれは絶対に否認した。
「なるほど、近所ずからの事でもあれば、筆屋の店に立ち寄ったこともござろう。娘たちと冗談ぐらいは云ったこともござろう。しかし娘といたずら事など、かけても有ろう筈はござらぬ。それは手前が本尊阿弥陀如来の前で誓言《せいごん》立てても苦しゅうござらぬ。たとい何人《なんぴと》がなんと申そうとも、左様の儀は……」
立派に云い切られて、半七も躊躇した。住職の顔色と口振りとに何の陰影もないらしいことは、多年の経験で彼にもよく判っていた。それと同時に、心中の推定が根本からくつがえされてしまうことを覚悟しなければならなかった。彼は更に第二段の探索に取りかかった。
「いかがでございましょうか。その善周さんという人のお部屋を、ちょっと見せていただく訳にはまいりますまいか」
「はい。どうぞこちらへ」
住職は故障なく承知して、すぐに半七を善周の部屋に案内した。部屋は六畳で、そこには二十二三の若僧と十五六の納所とが経を読んでいたが、半七のはいって来たのを見て、丸い頭を一度に振り向けた。
「ごめん下さい」と、半七は会釈《えしゃく》した。ふたりの僧は黙って会釈した。
「善周さんのお机はどれでございます」
「これでございます」と、若僧は部屋の隅にある小さい経机を指さして教えた。机の上には折本の経本が二、三冊積まれて、その側には小さい硯箱が置いてあった。
「拝見いたします」
一応ことわって、半七は硯箱の蓋をあけると、箱のなかには磨り減らした墨と、二本の筆とが見いだされた。筆は二本ながら水筆《すいひつ》で、その一本はまだ新らしく、白い穂の先に墨のあとが薄黒くにじんでいるだけであった。半七はその新らしい筆をとって眺めた。
「この筆はこの頃お買いなすったんでしょうねえ。御存じありませんか」
それは善周が死んだ前日の夕方に買って来たものらしいと若僧は云った。いつも東山堂で買うのであるから、それも無論に同じ筆屋で買って来たのであろうと彼は又云った。半七は更にその筆の穂を自分の鼻の先へあてて、そっとかいでみた。
「この筆を暫時《しばらく》拝借して行くわけにはまいりますまいか」
「よろしゅうござる。お持ちください」と、住職は云った。
その筆を懐紙につつんで、半七は部屋を出た。
「善周さんのお葬式《とむらい》はもう済みましたか」と、彼は帰るときに住職に訊いた。
「きのうの午すぎに検視を受けまして、暑気の折柄でござれば夜分に寺内へ埋葬いたしました」
「左様でございますか。いや、これはどうも御邪魔をいたしました」
寺を出ると、半七はすぐに東山堂へ行った。娘の葬式はゆうべの筈であったが、俄かに検視が来たために刻限がおくれて、今朝あらためて、橋場の菩提寺へ送ることになったので、きょうは勿論に商売を休んで、店の戸は半分おろしてあった。戸のあいだから覗いて見ると、小僧の一人がぼんやりと坐っていた。
「おい、おい。小僧さん」
半七は外から声をかけると、小僧は入口へ起って来た。
「皆さんはお送葬《とむらい》からまだ帰りませんかえ」
「まだ帰りません」
「小僧さん。ちょいと表まで顔を貸してくださいな」
小僧は妙な顔をして表へ出て来たが、かれは半七の顔を思い出したらしく、急に形をあらためて行儀よく立った。
「ゆうべは騒がせて気の毒だったな」と、半七は云った。「ところで、お前に少し訊きたいことがあるんだが、一昨日《おととい》か一昨々日《さきおととい》頃、この店へ筆を取り換えに来た人はなかったかえ。この水筆《すいひつ》だ」
ふところから紙につつんだ水筆を出してみせると、小僧はすぐにうなずいた。
「ありました。おとといのお午過ぎに若い娘が取り換えに来ました」
「どこの子だか知らねえか」
「知りません。この筆を買って帰ってから、一刻《いっとき》ほど経って又引っ返して来て、穂の具合が悪いからほかのと取り換えてくれと云って、ほかのと取り換えて貰って行きました」
「ほかには取り換えに来た者はねえか」
「ほかにはありませんでした」
「その娘は幾つぐらいの子で、どんな装《なり》をしていた」
「十七八でしょう。島田髷に結って、あかい帯をしめて、白い浴衣《ゆかた》を着ていました」
「どんな顔だ」
「色の白い可愛らしい顔をしていました。どこかの娘か小間使でしょう」
「その娘は今まで一度も買いに来たことはねえか」
「さあ、どうも見たことはないようです」
「いや、ありがとう」
小僧に別れて、浅草の方角へ足をむけると、半七は往来で源次に出逢った。
「親分。舐め筆の娘はどっちも堅い方で、これまで浮いた噂はなかったようです」と、源次は摺り寄ってささやいた。
「そうか。時に丁度いいところで逢った。おめえこれから浅草へ行って、庄太にも手を貸してもらって、上州屋にいる奉公人の身許をみんな洗って来てくれ。男も女も、みんな調べるんだぜ。いいか」
「判りました」
「じゃあ、おめえに預けて俺は帰るぜ。大丈夫だろうな」
「大丈夫です」
それから二、三軒用達しをして、半七は神田の家へ帰った。近所の銭湯で汗を流して来て、これから夕飯を食おうとするところへ、お粂が来た。
「行って来ましたよ」
「やあ、御苦労。そこでどうだ」
「文字春さんのところへ行って訊きましたが、舐め筆の娘には姉妹ともに悪い噂なんぞちっとも無いそうです。親達も悪い人じゃあ無いようです」
それは源次の報告と一致していた。心中の事実は跡方もないに決まってしまった。
三
「でね、兄さん。文字春さんからいろいろの話を聴いているうちに、あたし少し変だと思うことがあるんですよ」と、お粂は団扇《うちわ》を軽く使いながら云った。
「どんなことだ」
「妹のお年ちゃんの方は今でも毎日文字春さんのところへ御稽古に来るんですが、なんでも先月頃から五、六度お年ちゃんが来て稽古をしているのを、窓のそとから首を伸ばして、じっと内を覗いている娘があるんですって」
「十七八の、色白の可愛らしい娘じゃあねえか」と、半七は喙《くち》を容れた。
「よく知っているのね」と、お粂は涼しい眼をみはった。「その娘はいつでもお年ちゃんの浚《さら》っている時に限って、外から覗いているんですって。変じゃありませんか」
「それは何処の娘だか判らねえのか」
「そりゃあ判らないんですけれど、ほかの人の時には決して立っていたことが無いんだそうです。なにか訳があるんでしょう」
「むむ。訳があるに違げえねえ。それでおれも大抵判った」と、半七はほほえんだ。
「もう一つ斯ういうことがあるんです。文字春さんの家の近所に馬道の上州屋の隠居所があるんです。あのお年ちゃんという子は、上州屋から容貌《きりょう》望みで是非お嫁にくれと云い込まれているんだというじゃありませんか。その話はなんでも先月頃から始まったんだということです。ねえ、その先月頃から文字春さんの家のまえに立って、窓からお年ちゃんを覗いている女があるというんですから、その娘はきっと上州屋の隠居所へ来る女で、そっとお年ちゃんを覗いているんだろうと思うんです。文字春さんもそんなことを云っていました。けれども、考えようによっては、それがいろいろに取れますね」
「そこでお前はどう取る」と、半七は笑いながら訊いた。
その娘は上州屋の奉公人で、三味線堀近所の隠居所へときどき使にくるに相違ないとお粂は云った。自分の邪推かは知らないが、ひょっとすると其の娘は上州屋の息子となにか情交《わけ》があって、今度の縁談について一種の嫉妬《ねたみ》の眼を以てお年を窺っているのではあるまいかと云った。
「なかなか隅へは置けねえぞ」と、半七は又笑った。「どうだい。いっそ常磐津の師匠なんぞを止めて御用聞きにならねえか」
「ほほ、随分なことを云う。なんぼあたしだって、撥《ばち》の代りに十手を持っちゃあ、あんまり色消しじゃありませんか」
「ははは、堪忍しろ。それからどうだと云うんだ」
「もういやよ。あたしなんにも云いませんよ。ほほほほほほ。あたしもう姉さんの方へ行くわ」
お粂は笑いながら女房のいる方へ起ってしまった。冗談半分に聞き流していたものの、妹の鑑定はなかなか深いところまで行き届いていると半七は思った。自分が源次に云いつけて、上州屋の奉公人どもの身許《みもと》をあらわせたのも、つまりはそれと同じ趣意であった。そして文字春の窓をたびたびのぞいていた娘と、東山堂へ筆を取り換えに来た娘と、その年頃から人相まで同一である以上、自分の判断のいよいよ誤らないことが確かめられた。半七は生簀《いけす》の魚を監視しているような心持でその晩を明かした。
あくる朝になって、源次が来た。その報告によると、上州屋の奉公人は番頭小僧をあわせて男十一人、仲働きや飯炊きをあわせて女四人である。この十五人の身許を洗うにはなかなか骨が折れたが、馬道の庄太の手をかりて、まず一と通りは調べて来たと云った。男どもの方は後廻しにして、半七は先ず女の方のしらべを訊くと、仲働きはお清、三十八歳。お丸、十七歳。台所の下女はお軽、二十二歳。お鉄、二十歳というのであった。
「このお丸というのはどんな女だ」
「芝口の下駄屋の娘で、兄貴は家の職をしていて、弟は両国の生薬屋《きぐすりや》に奉公しているそうです」と、源次は説明した。
「よし、判った。すぐにその女を引き挙げなければならねえ」
「へえ、そのお丸というのがおかしいんですかえ」
「むむ、お丸の仕業《しわざ》に相違ねえ。弟が薬種屋に奉公しているというなら猶《なお》のことだ。よく考えてみろ。舐め筆の娘の死んだ日にお丸そっくりの女が筆を買いに来て、一|刻《とき》ばかり経って又その筆を取り換えに来た。そこが手妻《てずま》だ。取り換えに来たときに、筆の穂へなにか毒薬を塗って来たに相違ねえ。そうして、ほかの筆と取り換えて、その筆を置いて行ったんだ。勿論、なめ筆の評判を知っての上で巧んだことに決まっている。娘はそれを知らねえで、その筆を売る時にいつもの通りに舐めてやった。買った奴は徳法寺の善周という坊主で、これも又その筆を舐めた。毒の廻り方が早かったので、娘はその晩に死んだ。坊主の方はあくる朝になって死んだ。心中でもなんでもねえ。一本の筆が廻り廻って二人の人間の命を取るようになったので、娘は勿論だが、坊主も飛んだ災難で、訳もわからずに死んでしまったんだ。可哀そうとも何とも云いようがねえ」
「なるほど、そんな理窟ですかえ」と、源次は溜息をついた。「それにしても何故《なぜ》そのお丸という女が途方もねえことを巧んだのでしょうかね」
「それはまだ確かに判らねえが、おれの鑑定じゃあ多分そのお丸という女は、上州屋の伜と情交《わけ》があって、つまり嫉妬から筆屋の娘を殺そうとしたんだろうと思う。だが、上州屋へ嫁に行くというのは妹の方で、殺されたのは姉の方だ。ここが少し理窟に合わねえように思われるが、お丸という女の料簡じゃあ、そこまでは深く考えねえで、なんでも売り物の筆に毒を塗っておけば、妹の娘が舐めるものと一途《いちず》に思い込んでいたのかも知れねえ。年の若けえ女なんていうものは案外に無考えだから、おまけにもう眼が眩《くら》んでいるから、それできっと仇が打てるものと思っていたんだろう。厄介なことをしやあがった。人間ふたりを殺してどうなると思っているんだか、考えると可哀そうにもなるよ」
半七も溜息をついた。
「そうなると、その生薬屋に奉公している弟というのも調べなければなりませんね」と、源次は云った。
「勿論だ。おれがすぐに行って来る」
支度をして、半七はすぐに両国へゆくと、その薬種屋は広小路に近いところにあって、間口も可なりに広い店であった。店では三人ばかりの奉公人が控えていて、帳場には二十二三の若い男が坐っていた。
「こちらに宗吉という奉公人がいますかえ」と、半七は訊いた。
「はい、居ります。唯今奥の土蔵へ行って居りますから、しばらくお待ちください」と、番頭らしい男が答えた。
店に腰をかけて待っていると、やがて奥から十四五の可愛らしい前髪が出て来た。
「おい、おめえは宗吉というのか。ちょいと番屋まで来てくれ」
「はい」と、宗吉は素直に出て来た。その様子があまり落ち着いているので、半七もすこし案外に思った。
町内の自身番へ連れて行って、半七は宗吉を詮議したが、その返事はいよいよ彼を失望させた。自分の姉は馬道の上州屋に奉公しているが、姉はちっとも自分を可愛がってくれない。したがって今までに姉から何も頼まれたことはない。姉はお洒落《しゃれ》でお転婆《てんば》だから両親にも兄にも憎まれている。上州屋の使で、自分の店へ薬を買いに来ることはあっても、自分は碌に口もきかないと、宗吉はしきりに姉の讒訴《ざんそ》をした。その申し立てはいかにも子供らしい正直なものであった。いくら嚇《おど》しても賺《すか》しても宗吉はなんにも知らないと云った。
「嘘をつくと、てめえ、獄門になるぞ」
「嘘じゃありません」
宗吉はどうしても知らないと強情を張り通していた。それがまったく嘘でもないらしいので、半七はあきらめて彼をゆるして帰した。それから馬道へ行って上州屋をたずねると、お丸は一と足ちがいで使に出たということであった。
下女を呼び出して、それとなく探ってみると、ここでもお丸の評判はよくなかった。年も若いし、虫も殺さないような可愛らしい顔をしているが、人間はよほどお転婆で身持もよろしくない。現に家《うち》の若旦那ともおかしい素振りが見える。そればかりでなく、ほかにも二、三人の情夫《おとこ》があるという噂もきこえている。そんなふしだらな奉公人が暇を出されないというのも、うまく若旦那をまるめ込んでいるからであると、彼女の評判はさんざんであった。勿論それには女同士の嫉妬もまじっているのであろうが、大体に於いて弟の申し立てと符合しているのをみると、お丸という女が顔に似合わないふしだらな人間であるのは疑いのない事実であるらしかった。
半七は下女の口から更にこういう事実を聞き出した。上州屋の女房は両国の薬種屋の媒介《なかだち》でここへ縁付いたもので、その関係上、多年親類同様に附き合っている。馬道からわざわざ薬を買いにゆくのもその為である。薬種屋には与之助という今年二十二の息子があって、上州屋へも時々遊びに来る。お丸がその与之助に連れられて、両国の観世物などを観に行ったことがあるらしいとの事であった。
毒物の出所もそれで大抵判ったので、半七は又引っ返して両国へゆくと、宗吉は店さきに水を打っていた。息子らしい男のすがたは帳場には見えなかった。
「おい、若旦那はどうした」と、半七は宗吉に訊いた。
「わたしが番屋から帰って来たら、その留守にどこへか行ってしまったんです」と宗吉は云った。
ほかの番頭に訊いても要領を得なかった。若主人の与之助はこのごろ誰にも沙汰無しに、ふらりと何処へか出てゆくことが度々ある。きょうも宗吉が番屋へ引かれて行った後で、すぐに表へ出て行ったがやがて引っ返して来た。それから又そわそわと身支度をして何処へか出て行ったが、その行くさきは判らないとのことであった。
半七は肚《はら》のなかで舌打ちした。小僧のあげられたのに怖気《おじけ》がついて、与之助はどこへか影を隠したのではあるまいかとも疑われたので、彼は馬道へ又急いで行った。そこに住んでいる子分の庄太を呼んで、上州屋のお丸の出這入りをよく見張っていろと云い付けて帰った。
「親分、しようがねえ。お丸の奴はきのう出たぎりで今朝まで帰らねえそうです。両国の薬屋の伜もやっぱり鉄砲玉だそうですよ」
それは明くる朝、庄太から受け取った報告であった。自分らのうしろに暗い影が付きまとっているのを早くも覚って、男も女も姿を晦《くら》ましたのであろう。もう打ち捨てては置かれないので、半七は両国へ出張って表向きの詮議をはじめた。与之助の親たちや番頭どもを自身番へ呼び出して、一々きびしく吟味の末に、与之助は家の金五十両を持ち出して行ったことが判った。信州に親類があるので、恐らくそこへ頼って行ったのではあるまいかという見当も付いた。
「足弱《あしよわ》連れだ。途中で追っ付くだろう」
半七は庄太を連れて、その次の日に江戸を発った。
四
八月はじめの涼しい夜であった。
上州は江戸よりも秋風が早く立って、山ふところの妙義《みょうぎ》の町には夜露がしっとりと降《お》りていた。関戸屋という女郎屋のうす暗い四畳半の座敷に、江戸者らしい若い旅びとが、行燈《あんどう》のまえに生《なま》っ白い腕をまくって、おこんという年増の妓《おんな》に二の腕の血を洗ってもらっていた。
旅人はここらに多い山蛭《やまびる》に吸い付かれたのであった。土地に馴れない旅人はとかくに山蛭の不意撃ちを食って、吸われた疵口の血がなかなか止まらないものである。妙義の妓は啣《ふく》み水でその血を洗うことを知っているので、今夜の客も相方《あいかた》の妓のふくみ水でその疵口を洗わせていた。
「おまえさんの手は白いのね。まるで女のようだよ」と、おこんは男の腕を薄い紙で拭きながら云った。
「怠け者の証拠がすぐにあらわれた」と、男は笑っていた。「今夜はなんだか急に寒くなったようだ」
「そりゃあ此の通りの山の中ですもの。それにきょうは霧が深かったから、あしたは降るかも知れない」
「山越しに降られちゃあ難儀だ。お天気になるように妙義様へ祈ってくれ」
「いやさ」と、おこんも笑った。「山越しの出来ないように、あしたは抜けるほど降るがいい。妙義の山の女に吸い付かれたら、山蛭よりも怖ろしいんだから、そのつもりで腰を据えていることさ。ねえ、そうおしなさいよ」
「いや、そうは行かねえ。少し急ぎの道中だから」
「急ぎの道中なら坂本から碓氷《うすい》へかかるのが順だのに、わざわざ裏道へかかって妙義の山越しをするお客様だもの、一日や二日はどうでもいい」と、おこんは意味ありげに又笑った。
男はもう黙ってしまって、山風にゆれる行燈の火にその蒼白い顔をそむけながら、冷えた猪口《ちょこ》をちびりちびり飲んでいた。
「なにを考えているの、おまえさん」と、おこんは膝をすり寄せた。「あたしはおまえさんが可愛いから内証で教えてあげる。さっきおまえさんがこの暖簾《のれん》をくぐると、少しあとからはいって来た二人連れがあるのを知っているかえ」
男の顔はいよいよ蒼くなった。
「その二人はどうもお前さんの為にならないお客らしいから、その積りで用心おしなさいよ」
「よく教えてくれた。ありがたい」と、男は拝むようにしてささやいた。「じゃあ、もうここにうかうかしちゃあいられねえ。夜の更けないうちにそっと発《た》たしてくれ」
「ああ、よござんす。あたしがほかの座敷へ廻っている間に、この窓からそっとぬけ出して……。今のうちに荷物をよく纒めてお置きなさいよ」
この相談が廊下に忍んでいた庄太の耳にも洩れたので、彼はすぐに自分の座敷へ引っ返して半七にささやいた。
「女が味方をしているらしいから、油断すると逃がしますぜ」
「それじゃあ俺は外へ出ている。おめえはいい頃に座敷へ踏ん込め」
打ち合わせをして置いて、半七はそっと表へ出ると、眼のさきに支《つか》えている妙義の山は星あかりの下に真っ黒にそそり立って、寝鳥をおどろかす山風がときどきに杉の梢をゆすっていた。大きい杉を小楯にして、半七は関戸屋の二階に眼を配っていると、やがて竹窓をめりめりと押し破るような音が低くきこえて、黒い人影が二階の横手にあらわれた。影は板葺きの屋根を這って、軒先に突き出ている大きい百日紅《さるすべり》を足がかりに、するすると滑り落ちて来るらしかった。
「与之助。御用だ」と、半七はその影を捕えようとして駈け寄ると、影はあと戻りをして坂路を一散に駈け降りた。半七はつづいて追って行った。
杉林に囲まれた坂路をころげるように駈けてゆく与之助は、途中から方角をかえて次の坂路を駈け上がろうとするらしかった。半七はふと気がついた。この坂の上には黒門がある。妙義の黒門は上野の輪王寺に次ぐ寺格で、いかなる罪人でもこの黒門の内へかけ込めば法衣《ころも》の袖に隠されて、外からは迂濶に手がつけられなくなる。それに気がつくと、半七も少し慌てた。中仙道をここまで追い込んで来て、ひと足のところで黒門へ駈け込まれてしまっては何にもならない。彼は一生懸命に与之助のあとを追った。
逃げる者も勿論一生懸命である。与之助は暗い坂路を呼吸《いき》もつかずに駈けあがって行った。坂の勾配《こうばい》はなかなか急で、逃げる者も追うものも浸《ひた》るような汗になった。ふたりの距離はわずかに一間ばかりしか離れていないのであるが、半七の手はどうしても彼の襟首にとどかなかった。そのうちに長い坂ももう半分以上を越えてしまって、法衣の袖を拡げたような黒い門は、星の光りでおぼろげに仰がれた。門のなかには石燈籠の灯が微かに見えた。
半七はもう気が気でなかった。この坂一つを無事に越すか越さぬかは、与之助に取っても一生の運命の岐《わか》れ道であった。黒門の影がだんだんに眼のまえに迫って来るにしたがって、与之助も急いだ。半七もあせった。しかし与之助は運がなかった。かれは黒門から二間ほどの手前で、石につまずいて倒れてしまった。
「あのときには全く汗になりましたよ」と、半七老人は云った。「なにしろ、あの長い坂を夢中で駈け上がったんですもの、その翌朝は足がすくんで困りましたよ。そこで、だんだん調べてみると斯ういう訳なんです。前にも申し上げた通りそのお丸という女は顔に似合わない、質《たち》のよくない女で、つまり今日《こんにち》でいう不良少女のお仲間なんでしょう。自分の奉公している上州屋の息子は勿論、手あたり次第に大勢の男にかかり合いを付けていて、両国の薬種屋の息子とも情交《わけ》があったんです。そのうちに上州屋の息子は東山堂の娘を見そめて、三百両の支度金で嫁に貰おうということになったので、お丸は自分のふしだらを棚にあげて、ひどくそれをくやしがって、とうとう東山堂の娘を毒殺しようとおそろしいことを巧んだのです。その毒薬は薬種屋の息子をだまして手に入れたもので、筆に塗りつけて巧く娘に舐めさせたんですが、相手が違って姉の方を殺してしまったんです。むやみに毒をつけて置いても、それを姉が舐めるか妹が舐めるか判ったものじゃあないのに、随分無考えなことをしたもんですよ。悪いことをする人間には案外そんなのがたくさんありますがね。このお丸だって、あんまり利巧な奴じゃありません」
「で、そのお丸はどうしました」と、わたしは訊いた。
「お丸は使いに行くと云って主人の家を出て、与之助のところへ逢いにゆくと、弟が丁度わたくしに引っ張られて番屋へ行ったあとで、与之助もなんだか薄気味が悪いので、店をぬけ出してうろうろしているところへ、お丸がたずねて来たという訳です。お丸もその話を聴いてさすがに不安心になって来たので、与之助をそそのかして何処へか駈け落ちすることになったのですが、こいつよくよく悪い奴で、なんでも中仙道を行く途中、熊谷の宿屋で男の胴巻をひっさらって姿を隠してしまったんです。捨てられた男は一人ぼっちになって信州へ落ちて行くところを、妙義の町でわたくし共に追い付かれて、もう一と足で黒門へ逃げ込むところを運悪く捕まったのですが、当人ももういけないと覚悟したものか、それとも転ぶはずみに我知らず咬んだのか、私が襟首をつかまえた時には、舌を咬み切って口から真っ紅な血を吐いていました。もとの女郎屋へ引き摺って来て、いろいろに手当てをしてやりましたが、もうそれぎりで息を引き取ってしまいましたよ。そういう訳ですから、死人に口無しで、お丸がなんと云って与之助から毒薬を受け取ったのか、その辺はよく判りませんでした」
「お丸のゆくえは知れなかったんですか」と、わたしは又訊いた。
「お丸はそれから何処をどうさまよい歩いたのか知りませんが、やっぱり上州の赤城の山のなかに素裸で死んでいたそうです。着物も帯も腰巻も無しで……。誰かに身ぐるみ剥《は》がれて、絞め殺されたんでしょう。死骸の二の腕に上州屋の息子の名前が彫ってあったので、お丸だということがようよう判ったのです。上州屋もそれがために飛んだ引合《ひきあい》を付けられて、ずいぶん金をつかったようでした。そんなわけで、舐め筆の娘との縁談も無論お流れになってしまいました。東山堂もそれからけちが付いて、店もだんだんにさびれて来ました。あすこの筆を舐めると死ぬなんて、云い触らす奴があるからたまりませんよ。妹娘はその後に洋妾《らしゃめん》になったとかいう噂ですが、ほんとうだかどうだか知りません。舐め筆ではやり出した店が舐め筆でつぶれたのも、なにかの因縁でしょう」
老人の予言通り、帰る頃には雨となった。
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鬼娘
一
「いつかは弁天娘のお話をしましたから、きょうは鬼むすめのお話をしましょうか」と、半七老人は云った。
馬道《うまみち》の庄太という子分が神田三河町の半七の家へ駈け込んで来たのは、文久元年七月二十日の朝であった。
「お早うございます」
「やあ、お早う」と、裏庭の縁側で朝顔の鉢をながめていた半七は見かえった。「たいへん早いな、めずらしいぜ」
「なに、この頃はいつも早いのさ」
「そうでもあるめえ。朝顔の盛りは御存じねえ方だろう。だが、朝顔ももういけねえ、この通り蔓《つる》が伸びてしまった」
「そうですねえ」と、庄太は首をのばして覗《のぞ》いた。「時に親分。すこし耳を貸して貰いてえことがあるんですよ。わっしの近所にどうも変なことが流行り出してね」
「なにが流行る、麻疹《はしか》じゃあるめえ」
「そんなことじゃあねえので……」と、庄太はまじめにささやいた。「実はわっしの隣りの家のお作という娘がゆうべ死んでね」
「どんな娘で、いくつになる」
「子供のような顔をしていたが、もう十九か二十歳《はたち》でしょうよ。まあ、ちょいと渋皮の剥《む》けたほうでね」
それが普通の死でないことは半七にもすぐに覚られた。かれはすぐに起ちあがって、茶の間へ庄太を連れ込んだ。
「そこで、その娘がどうした。殺されたか」
「殺されたには相違ねえんだが……。そいつが啖《く》い殺されたんですよ」
「化け猫にか」と、半七は笑った。「いや、冗談じゃあねえ。ほんとうに啖い殺されたのか」
「ほんとうですよ。なにしろわっしの隣りですからね。こればかりは間違い無しです」
庄太の報告はこうであった。
今から半月ほどまえの宵に、馬道《うまみち》の鼻緒屋の娘で、ことし十六になるお捨《すて》というのが近所まで買物に出ると、白地の手拭をかぶって、白地の浴衣を着た若い女が、往来で彼女とすれ違いながら、もしもしと声をかけた。なに心なく振りかえると、その女はうす暗いなかで薄気味のわるい顔をしてにやにやと笑った。年のわかいお捨は俄かにおそろしくなって、返事もしないで一生懸命に逃げ出した。勿論それぎりの話で、その若い女はまさかに幽霊や化け物でもあるまい、おそらく気ちがいであろうという噂であった。
それから又五、六日経つと、更におそろしい出来事が起った。やはり同じ町内の酒屋の下女で、今年二十一になるお伝というのが、裏手の物置へ何か取り出しにゆくと、やがてきゃっという声をあげて倒れた。その悲鳴を聞きつけて、内から大勢が駈け出してみたが、薄暗い灯ともし頃で、そこらに物の影もみえなかった。お伝は何者にか喉笛を啖《く》い切られて死んでいた。それだけでもすでに怖ろしい出来事であるのに、それにもう一つの怪しい噂が付け加えられて、更に近所の人々をおびやかしたのである。
それはこの晩、かの鼻緒屋のお捨《すて》を嚇《おど》したという怪しい娘によく似た女が、あたかもそれと同じ時刻に酒屋の裏口を覗いていたのを見た者があるというのであった。前後ともに暗い時刻であるので、よくその正体を見とどけることは出来なかったが、前の女も後の女もおなじく白地の手拭をかぶって、白地の浴衣を着ていて、どうも同じ人間であるらしいと思われた。そうして、その怪しい女とお伝の死と、そのあいだにも何かの関係があるらしく思われて来た。鼻緒屋の娘は運よく逃《のが》れたが、酒屋の下女は運わるく啖い殺されたのではあるまいか。こういう風に二つの事件をむすび付けて解釈すると、かれは一種のおそろしい鬼女であるかも知れない。鬼婆で名高い浅茅《あさじ》ケ原に近いだけに、鬼娘の噂がそれからそれへと仰々《ぎょうぎょう》しく伝えられて、残暑の強いこの頃でも、気の弱い娘子供は日が暮れると門涼《かどすず》みに出るのを恐れるようになった。
それでも鬼女の奇怪な事実はまだ一般には信じられなかった。ある人々はそれを臆病者の噂と聞き流して、いわゆる高箒《たかぼうき》を鬼と見るたぐいに過ぎないと冷笑《あざわら》っていた。しかもそれから又|十日《とおか》と経たないうちに、強い人々もいよいよ臆病者の仲間入りをしなければならないような事件が重ねて出来《しゅったい》した。鬼娘が又もや一人の女を屠《ほふ》ったのである。それは山《やま》の宿《しゅく》の小間物屋の女房で、かれは誰も知らない間に、裏の井戸端で啖い殺されていた。勿論それも同じ鬼娘の仕業《しわざ》であることに決められてしまった。
諸人の不安がだんだん募って来た時、鬼娘は更に第三の生贄《いけにえ》を求めた。それは庄太のとなりに住んでいるお作という娘であった。庄太の家はかの酒屋から遠くない露路のなかで、そこには裏店《うらだな》としてやや小綺麗な五軒の小さい格子作りがならんでいた。庄太の家は露路の口から四軒目で、隣りの長屋にお作という娘が母のお伊勢と二人で暮らしていた。その奥は空地になっていて、そこには大きい掃溜《はきだ》めがあった。昔から栽《う》えてある大きい桜が一本立っていた。お作は浅草の奥山の茶店に出ているが、そのほかに内々で旦那取りをしているとかいうので、近所の評判は余りよくなかった。そんな噂もあるだけに、母子《おやこ》はいつも身綺麗にして、不足もないらしく暮らしていた。隣り同士でもあり、殊に庄太の商売を知っているので、お作親子はふだんから愛想よく彼に附き合って、いろいろの物をくれたりした。
お作が啖い殺されたのは、ゆうべの六ツ半(午後七時)を過ぎた頃であった。いつもの通りに奥山の店から帰って来て、かれは台所で行水《ぎょうずい》を使っていた。母のお伊勢は小さい庭にむかった奥の縁側で蚊いぶしをしていると、台所で娘の声がきこえた。お作は何者かを咎めるような口ぶりで、「誰、そこから覗くのは誰」と云っているのが耳にはいったので、おそらく近所の若い者が戯《からか》ってでもいるのであろうと思いながら、お伊勢は蚊いぶしを煽いでいる団扇《うちわ》の手をやめて、台所の方を見かえると、うす暗いところに一人の女が立っている姿がぼんやりと浮かんで見えた。女は白地の手拭をかぶって、おなじ白地の浴衣を着ているらしかった。お作はまた咎めた。
「なにを覗いているのよ、おまえさんは……」
その声が終らないうちにお作はきゃっと叫んだ。おどろいてお伊勢は台所へ駈け付けてみると、赤裸《あかはだか》の彼女は大きい盥《たらい》からころげ出して倒れている。お伊勢は再び奥へ引っ返して、行燈を持ち出して来た。その灯に照らされた行水の湯は真っ紅に染まっていて、それが娘の喉からあふれ出る血であることを知った時に、お伊勢は腰をぬかすほどに驚いた。かれは表通りまで響くような声をあげて人を呼んだ。
近所の人達もすぐに駈け付けた。町内の医者もすぐに来たが、お作は何者にか喉笛を啖い破られているので、もう手当てを加える術《すべ》もなかった。お伊勢は夢のようで、なにがどうしたのかちっとも判らなかった。お作の行水をうかがっていたらしい女は、このどさくさのあいだに何処へか消え失せてしまった。しかし前後の事情から考えると、お作を殺した疑いは先ず第一にその女のうえに置かれなければならなかった。白地の浴衣を着た女、酒屋の下女を啖い殺した女、小間物屋の女房を啖い殺した女、それが又もやここにあらわれて、赤裸の若い女を啖い殺したのであろうとは、誰の胸にもすぐに浮がび出る想像であった。鬼娘が又来たという噂はたちまち拡がって、近所の人達をいよいよおびやかした。庄太の女房もゆうべはおちおち眠らなかった。
「その時におめえは家《うち》にいたのか」と、半七は訊いた。
「ところが、親分。その時わっしは表の足袋屋の店へ行って、縁台で将棋をさしていたんですよ。この騒ぎにおどろいて帰って来た時には、長屋の者が唯わあわあ云っているばかりで、ほかには誰もいませんでした。白地の浴衣を着た女なんぞは影も形も見えませんでした」
「あの露路は抜け裏か」
「以前は通りぬけが出来たんですが、もともと広い露路でもなし、第一無用心だというので、おととし頃から奥の出口へ垣根を結ってしまったんですが、もういい加減に古くなったのと、近所の子供がいたずらをするのとで、竹はばらばらに毀れていますから、通りぬけをすれば出来ますよ」
「むむ」と、半七は考えていた。「無論、検視もあったんだろうが、なんにも手がかりは無しか」
「どうも判らねえようですね。今も田町《たまち》の重兵衛の子分に逢いましたが、重兵衛はなにか色恋の遺恨じゃあねえかと、専らその方を探っているそうです。なるほど、お作はあんな女ですから、そこへ眼をつけるのも無理はありませんが、刃物で突くとか斬るとかいうなら格別、啖《く》い殺すのがどうもおかしい。それもお作一人でなし、ほかに二人も死んでいるんですからね。田町の子分共もこれにはちっと行き悩んでいるようでしたよ」
「喉笛へ啖《くら》い付くとはよくいうことだが、なかなか出来る芸じゃあねえ」と、半七はまた考えていた。「ほんとうに啖い殺したのかしら、鉄砲疵には似たれども、まさしく刀でえぐった疵、とんだ六段目じゃあねえかな」
「さあ」と、庄太も少し考えていた。「わっしも死骸をみましたがね。喉笛はたしかに啖い切られていたようでしたよ。医者もそう云い、検視でもそう決まったんですが……。お前さんには何かほかの見込みがありますかえ」
「いや、おれにもまだ見当はつかねえが、どうにも腑に落ちねえようだな。それにしても、その鬼娘というのは何者だろう」
「それも判りませんよ」
「わからねえじゃあ困る。おれも考えてみるから、おめえも考えてくれ」
云いかけて、半七はふと何事かを思い出したらしく、持っている団扇《うちわ》を下に置いた。
「だが、なにしろ一度は行ってみよう。家にばかり涼んでいちゃあ埒があかねえ。重兵衛の縄張りをあらすようだが、おめえも土地に住んでいるんだ。おれが手伝って、おめえの顔を好くしてやろうか」
「ありがたい。何分ねがいます」
親分を案内して、庄太が出ようとすると、半七の女房がうしろから声をかけた。
「庄さん。どこへ」
「親分を引っ張り出して浅草へ……」と、庄太は笑った。「方角が悪いが、朝っぱらだから大丈夫ですよ」
「朝っぱらからでも昼っぱらからでも、おまえさんじゃあ油断が出来ない。おかみさんがお盆に来て愚痴を云っていたよ」
女房に笑われて、庄太は頭をかいていた。
二
「どうも暑いな」
「ことしは残暑が強うござんすね。これで九月に袷《あわせ》が着られるでしょうか」
「ちげえねえ。九月に帷子《かたびら》を着てふるえているか」
二人は笑いながら浅草の仲見世の方へ来かかると、そこらの店から大勢の人がばらばら駈け出した。往来の人達も何かわやわや云いながら駈け出して行った。餌《えさ》を拾っている鳩もおどろいて飛び起った。
「なんだろう」と、半七は境内の方を見た。
「みんなお堂の方へ駈けて行くようですね。喧嘩か巾着切《きんちゃっき》りでしょう」
「そんなことかも知れねえ。江戸は相変らず物見高けえな」
さのみ気にも留めないで、二人はやはりぶらぶらあるいてゆくと、駈けあつまる人の群れはだんだん多くなった。それに誘われて、二人もおのずと早足に仁王門をくぐると、観音堂前の大きい銀杏《いちょう》の木に一人の男が縛《くく》りつけられていた。男は二十三四で、どこかの武家屋敷の中間《ちゅうげん》らしく、帯のうしろには木刀をさしていたが、両腕を荒縄で固く縛られて、両足を投げ出して、銀杏の木の根につながれていた。そのまえには一羽の白い鶏をかかえた男が立っていた。ほかにも七、八人の男がその中間を取りまいて、何か大きい声で罵っているらしかった。中間はくくりつけられるまでに散散の打擲《ちょうちゃく》をうけたらしく、頬にはかすり疵の血がにじんで、髪も着物もみだれたままで、意気地もなく俯向いていた。
それを遠巻きに見物している人達をかきわけて、半七と庄太は前へ出た。庄太は土地の者だけに、そのなかには顔なじみの者もあるらしく、一人の男に声をかけた。
「もし、どうしたんですえ、その中間は」
「鶏をぬすんで絞めたんですよ。しかも真っ昼間、ずうずうしい奴です」
観音の境内には鶏を奉納するものがある。それは誰も知っていることであるが、その鶏がこの頃たびたび紛失するので、土地の者も内々注意していると、今朝《けさ》この中間が紙につつんだ一と粒の米を餌にして、木のかげで遊んでいる鶏を釣り寄せようとしているらしいので、鶏の豆を売っている婆さんが見つけて、寺内に住んでいる町屋《まちや》の人達に密告したので、二、三人が駈けて来た。つづいて五、六人が駈けつけてみると、かの中間は大きい銀杏のかげに身を穏すようにして、二、三羽の鶏に米をやっていた。
その挙動が怪しいので、気の早い者はすぐに彼を引っ捕えて詮議すると、中間は奉納の鶏に餌をあたえているのだと云った。鳩に豆をやると同じわけで、勿論それだけならば仔細はない。却って奇特《きどく》というべきでもあったが、その言い訳は立たなかった。彼はそのふところに一羽の白い鶏を隠していることを発見された。かれは鶏を釣り寄せて、手早くその頸を絞めていることが判ったので、死んだ鶏は無論に取り返された。そうして、逃ぐる間もなしに引き摺り倒されて、袋叩きの仕置に遭ったのである。武家に奉公している者でも、場所が観音の境内で、しかも奉納の鶏を殺したのであるから、このくらいの仕置きはこの時代としては当然であった。まして多勢《たぜい》に無勢《ぶぜい》であるから、中間はとても反抗する力はなかった。かれは彼等のなすままにおめおめ服従して、白昼諸人のまえに生き恥を晒《さら》すほかはなかった。苦しいのか、面目ないのか、立木につながれた彼は眼を瞑《と》じたまま俯向いていた。その話を聴いて庄太はあざわらった。
「馬鹿な奴だな、若けえ者のくせに飛んだ業晒《ごうさら》しだ」
「これからどうするんですね」と、半七は訊いた。
鶏をぬすんだ罪人の仕置は、まだこれだけでは済まない。彼は斯《こ》うしてここに半日晒しものにした上で、棒しばりにして広小路は勿論、馬道から花川戸のあたりまで、引き廻してあるくのであると彼等は云った。半七は顔をしかめた。
「そりゃあちっとむご過ぎるようだね。いくら寺内でしたことでも、土地の人達がそんなに勝手の仕置をするのはよくないだろう。なぜすぐ自身番へでも連れて行かないんですえ」
かれらは半七の顔を識らなかったが、それでも庄太の連れであるので、薄々はその身分を覚ったらしく、余計な世話を焼くなというような反抗の顔色も見せなかった。鶏をかかえている男は丁寧に答えた。
「それがおまえさん。今も云う通り、けさ初めてじゃあない。これまでにも度々盗んでいるんですからね。いや、まだここばかりじゃあない、この頃この近所でも、たびたび飼い鶏を取られるんですよ」
寺内の鶏をぬすみ、人家の鶏を盗み、その悪事重々の奴であるから、そのくらいの仕置は当然であるというような彼の口ぶりであったが、それならば猶更のこと、土地の者がわたくしの刑罰を加えるのはよくないと半七は思った。それを聴くと、今まで俯向いていた中間は俄かに顔をあげた。
「やい、やい、こいつら。さっきからおとなしくしていれば、図に乗って何を云やあがるんだ」と、かれは呶鳴った。「おれが取ったのはその鶏一羽だ。これまでに一度だって取った覚えはねえ。まして手前たちの飼い鶏なんぞは誰が知るもんか。きょうはおれ一人だから、こうして手籠めに遭っているんだ。部屋へ帰ったら、みんなを狩りあつめて来て片っ端から手前たちの頸を絞めて、骨は叩きにしてやるからそう思え」
「なにを云やあがるんだ。この狐野郎め」
二、三人が又なぐりに行こうとするのを、半七は制した。
「まあ、待ちなせえ。疵でも付けると面倒だ。そこでお中間、おめえはまったくこの一羽を取っただけかえ」
「あたりめえよ。部屋へ持って帰って、みんなで鍋焼きにしようと思っただけよ」と、中間は大きい眼をひからせて云った。「一羽でよせばよかったのを、もう一羽と長追いをしたのが運の尽きだ。おれは軍鶏屋《しゃもや》の廻し者じゃあねえ、そこら中の鶏を取って歩くものか。ばかばかしい」
かれは吐き出すように罵った。
「まあ、いい」と、半七はまた制した。「たとい一羽でも取った以上はおめえが悪い。まあ我慢するがいいぜ。わたしもここへ来たのが係り合いだ。まあ、なんとかみんなと話し合いをつけてみよう」
そのなかで重立っているらしい三、四人を、すこし距《はな》れた木のかげへ連れ込んで、半七は小声で注意をあたえた。いかに観音の寺内でも土地の者がみだりに刑罰を加えるのは穏当でない。万一あの中間が口惜《くや》しまぎれに舌でも食い切ったらどうするか。あるいは自分の部屋へ引っ返して大勢で仕返しに来たらどうするか。そんな事件が出来《しゅったい》した場合には、わたくしに刑罰を加えた人々は当然何等かの御咎めをうけなければなるまい。あれだけの仕置をしたらもう十分であるから、このままに免《ゆる》してやるのが無事であろうと、彼は云い聞かせた。相手が相手であるので、かれらももう逆《さか》らわなかった。中間は縄を解いて放された。
「こいつら、おぼえていろ」
睨みまわして立ち去ろうとする中間を、半七は呼び止めた。
「おめえ、それがおとなしくねえ。悪いことをして威張る奴があるもんか。まあ、黙って引き取りなせえ」
云いながら彼は中間の手に二朱の金をそっと握らせた。
「どうも済まねえ。いろいろ御厄介になりました」と、中間は顔の色を直して立ち去った。
「はは、これでいい。ついでと云っちゃあ済まねえが、ここまで来たからお詣りをして行こうよ」
大勢の挨拶をうしろに聞きながら、半七は観音堂の段をのぼって行った。参詣も済んで、横手の随身門を出ると、庄太があとから追って来た。
「親分。つまらねえ散財をしましたね。みんなもよろしく云ってくれと云っていましたよ。だが、だんだん聞いてみると、まったく今朝ばかりじゃあねえ、この頃はたびたび鶏を取っていく奴があるそうですよ。それだもんだからみんなも余計に憎しみをかけて、あんな仕置をするようにもなったんだから、親分にもよくその訳を云ってくれと頼んでいました」
「むむ」と、半七は笑いながらうなずいた。「あの中間はとんだ人身御供《ひとみごくう》だったな」
「そうでしょうか」
「一朱や二朱は惜しくねえ。これで大抵あたりも付いたようだ」
「あたりが付きましたかえ」
「だが、もう少し考えてみよう」と、半七はまた笑った。「まだほんとうにお膳立てが出来ねえからな」
庄太に案内させて、半七はまず馬道の鼻緒屋をたずねた。娘のお捨に逢って、このあいだの晩彼女が嚇されたという若い女の年頃や風俗についていろいろ詮議したが、お捨はまだ十五六の小娘で殊に怖《こわ》い方が先に立って一生懸命に逃げ出してしまったので、その女が凄い顔をして牡丹のような真っ紅な口をあいたという以外に、その正体を確かに見とどけている余裕がなかったので、その詮議は結局不得要領に終った。しかし彼女が見たところでは、その女はどうも跣足《はだし》であったらしいというのであった。
ここの詮議はそれだけにして、半七は更に同町内の酒屋をたずねた。
三
酒屋で帳場に居あわせた亭主が庄太の顔をみて丁寧に挨拶した。ふたりは店に腰をかけて、下女のお伝が何者にか啖い殺された当夜のありさまを聞きただしたが、これも薄暗がりの時刻であり、且は不意の出来事であるので、亭主は二人が満足するような詳しい説明をあたえることは出来なかった。しかしお伝は二年越しここに奉公している正直者で、今までに浮いた噂などは勿論なかったと亭主は証明した。
二人はここを出て、山の宿の小間物屋をたずねたが、これは誰も知らないあいだの出来事であるので、そこの女房がどうして殺されたのか、まるで判らなかった。
「親分。しようがありませんねえ」と、庄太はそこの店を出て、汗をふきながら舌打ちした。
「まあ、あせるな。これでも眼鼻はだんだんに付いて行く。これからおめえの隣りへ行こう」
庄太は自分の住んでいる露路のなかへ半七を案内すると、となりのお作の家には近所の人達があつまっていた。庄太の女房も手伝いに行っていたが、半七の来たのを知ってあわただしく帰って来た。お作のとむらいは今日の夕方に出るはずだと彼女は話した。
半七は更に庄太に案内させて、露路の奥を見まわった。庄太の云った通り、ぬけ裏のゆき止りを竹垣でふさいであったが、その古い竹はもうばらばらに頽《くず》れかかっていた。そばには共同の大きい掃溜めがあって、一種の臭いが半七の鼻をついた。こういう露路の奥の習いで、そこらの土はじくじくと湿《しめ》っているのを、半七は嗅ぐように覗いてあるいた。家へ帰ると庄太はささやいた。
「お作のおふくろを呼んで来ましょうか」
「そうさなあ、こっちへ来て貰った方が静かでいいな」と、半七は云った。
お作の母はすぐに隣りから呼ばれて来た。ひとり娘をうしなったお伊勢は眼を泣き腫《はら》して半七のまえに出た。かれは五十に近い大柄の女であった。
「どうも飛んだことだったね」と、半七は一と通りの悔みを云った上で、あらためて訊いた。「そこで早速だが、ゆうべのことに就いてなんにも心あたりはねえのかえ」
お伊勢は鼻をすすりながら昨夜の顛末《てんまつ》を訴えたが、それは庄太の報告とおなじもので、別に新らしい事実を探り出すことは出来なかった。半七はまた訊いた。
「その女の人相というのはちっとも判らなかったかえ」
その女が白地の手拭をかぶって、白地の浴衣を着ていたのは、お伊勢もたしかに認めたが、そのほかのことは夜目遠目でやはりはっきりとは判らなかった。しかしそれが若い女であるらしいことは、彼女もお捨の申し立てと一致していた。
「その女は跣足《はだし》だったかえ」
「はい、どうもそうらしゅうございました」と、お伊勢は思い出したように云った。
年のわかい、白地の浴衣を着た跣足の女、それだけのことはもう疑う余地がなかった。半七はその上にもう少し何かの手がかりを得たかったが、相手はとかくに涙が先に立つので、しどろもどろのその口から何も聞き出せそうもないと諦めて、半七はそのままお伊勢を帰してやることにした。
「どうぞ娘のかたきをお取りください」
お伊勢はくり返して頼んで帰った。やがてもう午《ひる》に近くなったので、半七は庄太を誘い出して近所の小料理屋へ飯を食いに出た。
「どうですえ、親分。お調べはもうこんなものですか」と、庄太は酌をしながら小声で訊いた。
「どうも仕方がねえ。差し当りはこのくらいかな」と、半七も小声で云った。「そこで、おれの考えじゃあ、この一件は二つの筋が一つにこぐらかっているらしい。まず人を啖い殺すやつは獣物《けだもの》だな」
「そうでしょうか」
「人を啖うばかりじゃあねえ。そこらで鶏がたびたびなくなるという。勿論、鬼娘が見あたり次第に相手を取っ捉まえて、人間でも鳥でも構わずに、その生血《いきち》を吸うのだと云えばいうものの、どうもそうとは思われねえ。ちょいと、これをみてくれ」
半七は袂をさぐって、鼻紙にひねったものを出すと、庄太は大事そうにあけて見た。
「こんなものをどこで見付けたんですえ」
「それは露路の奥の垣根に引っかかっていたのよ。勿論、あすこらのことだから何がくぐるめえものでもねえが、なにしろそれは獣物《けだもの》の毛に相違ねえ」
「そうですね」と、庄太は丁寧に紙をひろげて、その上にうず巻いているような五、六本の黒い毛を透かすように眺めていた。
「まだそればかりじゃあねえ。垣根の近所には四足《よつあし》のあとが付いていた。と云ったら、犬や猫のようなものは幾らも其処らにうろついているというだろうが、おれはちっと思い当ることがあるから、こうして大事に持って来たんだ」
半七は彼の耳に口をよせてささやくと、庄太は幾たびかうなずいた。
「そうかも知れませんね。ところで、鬼娘の方はなんでしょう。やっぱり気ちがいでしょうかね」
「気ちがいかなあ」と、半七は相手をじらすように笑っていた。
「だって、おまえさん。猫じゃ猫じゃでも踊りゃあしめえし、手拭をかぶって、浴衣を着て、跣足でそこらをうろうろしているところは、どうしても正気の人間の所作《しょさ》じゃありませんぜ。ねえ、そうでしょう」と、庄太は少し口を尖らせた。
「それもそうだが、まあ聴け」
半七は再び彼にささやくと、庄太はだんだんに顔を崩して笑い出した。
「なるほど、なるほど、いや、どうも恐れ入りました。きっとそれです、それに相違ありませんよ」
「ところで、それについて何か心あたりはねえかな」
庄太は更に顔をしかめて考えていたが、やがて両手をぽんと打った。
「あります、あります」
「あるかえ」
「もし、親分。こういうお誂え向きのがありますぜ」
今度は庄太がささやくと、半七はほほえんだ。
「もう考えることはねえ。それだ、それだ」
二人は手筈をしめし合わせて一旦別れた。半七はそれから小梅の知己《しりあい》をたずねて、夕七ツ(午後四時)を過ぎた頃に再び庄太の家をたずねると、となりの葬式の時刻はもう近づいて露路のなかは混雑していた。ふだんから評判のよくない母子ではあったが、それでも近所の義理があるのと、もう一つにはお作の横死《おうし》が人々の同情をひいたとみえて、見送り人は案外に多いらしかった。庄太の家では女房が子供を連れて会葬することにして、庄太は半七の来るのを待っていた。
「もう帰ったのか」
云いながら半七は家《うち》へはいると、庄太は待ち兼ねたように出て来て、すぐに半七を招じ入れた。
「さっき帰って来て、待っていましたよ」と、庄太は誇るように云った。「まったく親分の眼は高けえ、十《とお》に九つは間違いなしですよ。大抵のことはもう判りました」
「そりゃあお手柄だ。やっぱりおれの鑑定通りだな」
「そうです、そうです」
かれが摺り寄ってささやくのを、半七は一々うなずきながら聴いていた。
「そうすると、さっきの約束通りにするかな」
「そうするよりほかにしようがありますまい」と、庄太も云った。「なにしろ確かな証拠を握らないじゃあ、あとが面倒ですからね」
「まったくだ。あとで世話を焼かされるのも困るからな。じゃあ、仕方がねえ。いよいよ一と汗かくかな」
「それほどのこともありますめえ」
「そうでねえ。むこうには怖ろしい味方が付いているからな」と、半七は笑った。「だが、まだ早い。隣りのとむらいの門《かど》送りでも済ませてから、まあ、ゆっくり出掛けるとしようぜ」
「ええ、暗くなるにはまだ間《ま》がありますからね。腹ごしらえでもして、ゆっくり出かけましょう」
「ちげえねえ。戦場だからな」
「鰻でも取りますか」
「それがよかろう」
鰻の蒲焼を註文して、二人は早い夕飯を済ませると、七月の日もかたむいて来た。露路のなかはひとしきり騒がしくなって、となりの送葬《とむらい》もとどこおりなく出てしまうと、半七ひとりを残して庄太は再びどこへか忙がしそうに出て行った。あたりはだんだんに薄暗くなって、どこからとも無しに藪蚊のうなり声が湧き出して来たので、半七は舌打ちした。
「庄太の奴め、そそくさして、蚊いぶしを忘れて出て行きゃあがった。とてもやりきれねえ。そこらに道具があるだろう」
半七は台所へ行って、土焼きの豚をさがし出して来た。更にそこらを捜しまわって、ようやく蚊いぶしの支度をしたところへ、一人の男がたずねて来た。
「庄太さん。内ですかえ」
「あい、あい」と、半七はすぐに起って出た。「おまえさんは庄太にたのまれて来なすったんじゃあねえかね。わたしは半七ですよ」
「親分さんですか」と、男は会釈《えしゃく》した。「さっき庄太さんから話があったもんですから」
「どうも御苦労さん。おまえさんに少し手を貸して貰わなけりゃあならねえことが出来たんでね。まあ、おかけなせえ」
この男にも何かささやくと、かれは笑いながらうなずいた。
「大丈夫かね」と、半七は念を押した。
「まあ、うまくやりましょう」
「ここにいて藪蚊に責められているのも知恵がねえ。おまえさんが丁度来たから、もうそろそろ出かけるとしようか」
形ばかりに戸をひき立てて、内は留守だからと隣りの人にことわって、半七はかの男と共に露路を出ると、表通りはもう夜になっていた。かねて打ち合わせがしてあるので、半七はなるべく往来の少ないところを択《えら》んで、善竜院という寺の角に立った。この寺には弁天が祀《まつ》ってあるので近所でも知られていた。ここらは一種の寺町ともいうべきところで、両側に五、六軒の寺がむかい合っていて、古い練塀《ねりべい》や生垣の内から大きい樹木の枝や葉の拡がっているのが、宵闇の夜をいよいよ暗くしていた。そこらの大|溝《どぶ》ではもう秋らしい蛙の声が寂しくきこえた。半七は頬かむりをして寺の門前に立つと、連れの男は折り曲がった練塀の横手にかくれて、蜘蛛のように塀ぎわに身をよせていた。
吉原通いらしい鼻唄の声を聴きながら、二人はここに半刻ほども待ち暮らしていると、暗いなかから人の来るような足音が低くきこえた。勿論、今までに幾人も通ったが、北の方からきこえて来るその足音がどうも待っているものであるらしく直覚されたので、半七は咳《しわぶ》きの合図をすると、塀の横手からもその返事があった。
北から来る足音はだんたん近づいて、それは素足で土を踏んでいるようで、極めて低い潜《ひそ》めいた響きであったが、耳のさとい半七にはよく聴き取れた。注意して耳をすますと、それは人の足音ばかりでなく、四つ這いに歩く獣の足音もまじっているらしかった。何分にも暗いので、半七は星あかりに透かしながら声をかけた。
「もし、姐さん」
人はなんにも答えなかったが、暗い底で俄かに獣《けもの》の唸るような声が低くきこえた。半七は再び咳《せき》払いをすると、塀の横手から彼の男が跳り出た。かれは太い棒を持っているのであった。暗いなかで獣の唸《ほ》える声がけたたましく聞えた。同時にここへ駈けてくる草履の音が聞えた。
逃げようとする女は、半七に曳き戻されて、寺の門前に捻じ伏せられた。人と獣との闘いもやがて終ったらしく、寺町の闇は元の静けさにかえった。
「どうした」と、半七は声をかけた。「石橋山《いしばしやま》の組討ちで、ちっとも判らねえ」
「大丈夫です」
それは庄太の声であった。
四
灯のあかるい往来へ引き摺ってゆかれたのは、白地の浴衣を着た二十歳《はたち》あまりの女であった。かれはさのみ醜《みにく》い容貌《きりょう》ではなかったが、白く塗った顔をわざと物凄く見せるように、その眼のふちを青くぼかしていた。口唇《くちびる》にも歯ぐきにも紅を濃く染めて、大きい口を真っ紅にみせていた。とんだ芝居をする奴だと、かれは半七に笑われた。
自身番へ引っ立てられた時、かれは狂女を粧《よそお》ってその場を逃がれる積りであるらしかったが、あとから彼《か》の男と庄太とが大きい黒犬の死骸を引き摺って来たので、かれの狂言は結局不成功に終った。
彼女はお紺という獣《けもの》つかいであった。子供のときから熊や狼をつかうことを習いおぼえて、以前は両国の観世物小屋に出ていたこともあった。方々の寺内で縁日の小屋掛け興行に出たこともあった。近在や近国の祭礼などに出稼ぎに行ったこともあった。本職の芸当はなかなか上手であったが、かれはいろいろの悪い癖をもっていた。女に似あわない大酒は、こういう商売の者として大目《おおめ》にも見られたのであるが、そのほかに誰にもゆるされないのは、かれの手癖の悪いことであった。それは殆ど天性ともいうべきで、お紺は手あたり次第に楽屋じゅうのものを何でも盗んだ。金は勿論であるが、櫛でもかんざしでも、煙草入れでも、眼に触れるものは何でも逃がさなかった。それも最初のうちはあやまって堪忍されたのであるが、あまりにそれが度重なるので、ほかの芸人がすべて彼女と一座するのを嫌うようになった。結局かれは香具師《やし》のなかまから構《かま》われて、どこの小屋へも出ることが出来なくなった。
お紺はよんどころなく商売をやめて、そこらを流れ渡っているうちに、吉原の或る女郎屋の妓夫《ぎゆう》と一緒になって、よし原の堤下《どてした》の孔雀長屋《じゃくながや》に世帯を持つことになった。亭主も元より身持のよくない男であったが、お紺は亭主を持っても大酒をやめないで、その内証はひどく苦しかった。夏が過ぎても、かれは白地一枚のほかには洗い替えの浴衣すら持たなかった。近所となりの者もお紺の家とは附き合わないようになった。
こうなると、かれの悪い癖はいよいよ増長して来た。お紺は方々の店先で手あたり次第に品物を掻っさらった。しかも或るところでそれを見つけられて、店の者に袋叩きにして追い払われたことがあったので、その苦《にが》い経験から彼女は一種の味方を作ることを考え出した。彼女はそこらにさまよっている野良犬のなかで、性質の獰猛《どうもう》らしいのを二匹も拾いあげた。暴《あら》い獣を仕込むのに馴れている彼女は、巧みに二匹の犬を教えて、自分の仕事に出る時にはかならず一匹ずつを連れてゆくことにした。昼では人目に立つので、かれは日の暮れるのを待って犬を連れ出すと、犬は教えられた通りに、主人のあとを追って行った。それも人の注意をひかないように、主人より、二、三間ぐらいは距《はな》れてゆくのを例としていた。熊や狼をあつかっていたお紺に取っては、犬を狎《な》らすのは容易であった。二匹の犬はなんでも素直に主人の命令をきいた。
彼女はこういうことに一種の興味をもっているので、更に自分の顔を怪しくみせることを考えた。それは自分が仕事をする場合に、ひとを嚇《おど》すためでもあった。万一取り押さえられた場合に狂女を粧って巧みに逃がれようとする用心のためでもあった。彼女は怪しく化粧した顔を手拭につつんで、わざと跣足であるいた。そうして、彼女のゆくところには、必ず一匹の獰猛な犬が影の形にしたがうが如くに付いて行った。
鼻緒屋のお捨はそれに嚇されたのであったが、時刻は宵で、しかも往来のまん中であったので、彼女は単にその弱い魂をおびやかされたに過ぎなかったが、酒屋のお伝は若い命をうしなったのである。お紺が酒屋の裏口をうかがって、その物置から何か持ち出そうとするところへ、あたかもお伝が来あわせて、かれを怪しんで取り押えようとしたので、忠実な犬はたちまち相手に飛びかかって主人を救った。犬がその敵に噛みつくのは、いつも喉笛の急所であるべく教えられていた。第二の生贄《いけにえ》となった小間物屋の女房も、やはり同じ運命であった。しかも第三のお作の場合は、見咎められたままにお紺がおとなしく立ち去ってしまえばよかったのであるが、彼女はお作が白い肌をあらわして素っ裸で行水をつかっている姿をみて、一種の残酷な興味を湧かせた。かれは血に飢えている犬を嗾《けし》かけて、お作を咬ませたのであった。そうして、自分の運命をも縮める端緒《たんちょ》を作り出したのであった。
そのほかにもお紺は所々で盗みを働いていたが、幸いに人にも見咎められなかったのである。そこらで鶏をぬすんだのも、やはり彼女の仕業であった。その申し立てによると、お紺も最初は鶏に眼をつけていなかったが、ある時にその犬が一羽の鶏を咬んだのをみて、なんでも盗むことに興味を持っている彼女は、その以来、犬をつかって鶏を捕らせることをも思い付いたのである。その鶏は自分も食ったが、多くは千住あたりの鳥屋へ売ったと白状した。かれは更にその犬をつかって、猫を捕らせることをも考えているうちに、自分が半七の手に捕えられてしまった。
お紺は引きまわしの上で、千住で獄門にかけられた。三人までも人の命をほろぼしているのであるが、ひとりも自分が手をおろしたのではない。いずれも犬を使ったのであるということが諸人の好奇心をそそって、それが江戸じゅうの評判になった。江戸の町奉行所が開かれて以来、こんな人殺しの記録はかつてなかった。
かれが引きまわしになる時に、一匹の犬も頑丈な口輪をはめられて、その馬のあとから牽《ひ》かれて行った。しかし侍の刀で畜生の首を斬ることはしなかった。犬は主人の首の晒されている獄門台の下に生きながら埋められて、その首だけを土の上に晒されていた。かれは勿論幾日かの後に主人のあとを追ったが、その後も刑場あたりでは夜ふけに犬の悲しい啼き声がきこえるとかいう噂が伝えられて、通行の人々を恐れさせた。お紺の亭主はなんにも知らないというので、この事件に関する重い仕置を免かれたが、平生の身持よろしからずという罪名のもとに、入牢《じゅろう》百日の上で追放を申し渡された。
「まあ、こういう訳なんです」と、半七老人は一と息ついた。「わたくしも初めは何がなんだか見当が付かなかったんですが、浅草へ出かけての鶏の一件にぶつかってから、どうもその鶏の一件と鬼娘の一件とが何かの糸を引いているらしいと思い付いたんです。それからだんだん調べて行った挙げ句に、なんでも人間が犬を使ってやる仕事だろうと睨んだので、庄太にそれを相談すると、吉原の堤下にお紺という獣物《けだもの》使いで、質《たち》のよくない女が住んでいるという。それから庄太を探索にやると、果たしてお紺の家には二匹の強そうな犬が飼ってあるという。もうそれで、種がすっかり挙がってしまって、案外に訳なく片付いたんです。捕物の方からいえば楽なんですが、唯そのお紺が犬を連れているというので少し困りました。そこで、庄太の近所にいる腕っ節の強い男を味方にたのんで、人間も犬も一緒に片付けてしまったんです。それでも其の場でぶち殺された犬は仕合わせで、生き残っていた方は飛んだむごたらしいお仕置をうけて可哀そうでした。これが江戸じゅうの評判になって、お紺は犬神使いだなどという噂もありましたが、種を割ってみれば今云ったようなわけで、唯その遣り口がめずらしいので、ちょっと世間をおどろかしただけのことですよ。でも、まあ、いい塩梅にその後再びそんな真似をする奴も出ませんでした。今日《こんにち》ならば死骸の疵口をあらためただけで、人間が咬んだのか、獣が咬んだのか、そのくらいのことはすぐ鑑定が付くでしょうが、昔はそれがよく判らなかったんですね。それだけに探索の方も余計に骨が折れたんですよ」
[#改ページ]
小女郎狐
一
なにかのことから大岡政談の話が出たときに、半七老人は云った。
「江戸時代には定まった刑法がなかったように考えている人もあるようですが、それは間違いですよ。いくら其の時代だからといって、芝居や講釈でする大岡|捌《さば》きのように、なんでも裁判官の手心《てごころ》ひとつで決められてしまっちゃあ堪まりません。勿論、多少は係りの奉行の手心もありますけれども、奉行所には一定の目安書《めやすがき》というものがあって、すべてそれに拠って裁判を下《くだ》したもので、奉行の一料簡で殺すべきものを生かすなんて自分勝手のことは、なかなか出来ないような仕組みになっていたんです。それは昔も今も同じことです。しかしその目安書というのが今日の刑法などに比べると余ほど大づかみに出来ていますから、なにか毛色の変った不思議な事件が出来《しゅったい》すると、目安書だけでは見当が付かなくなって、どんな捌きを下していいのか、係りの役人どもはみんな頭を痛めてしまうんです。そこらが名奉行とぼんくらの岐《わか》れるところで、大岡越前守や根岸肥前守はそういう難問題をうまく切り捌いたのでしょう。江戸の町奉行所さえその通りですから、まして諸国の代官所……それは諸国にある徳川の領地、俗に天領というところを支配しているので、その土地の出来事は皆この代官所で裁判することになっていたんです。……そこでは、とてもむずかしい捌きなどは出来ないし、又うっかりした捌き方をして、後日《ごにち》に譴責《けんせき》をうけるようなことがあっても困るので、少し手にあまるような事件には自分の意見書を添えて『何々の仕置可申付哉、御伺』といって、江戸の方までわざわざ問い合わせて来る。それに対して、江戸の奉行所から返事をやるのを『御指図書《おさしずがき》』といいます。つまり先方の意見に対して、その通りとか、再吟味とか、あるいは奉行所の意見を書き加えてやるとかするので、それに因って初めて代官所の裁判が落着《らくちゃく》するんです。死罪のような重い仕置は勿論のこと、多寡が追放か棒敲《ぼうたた》きぐらいの軽い仕置でも、その事件の性質に因っては江戸まで一々伺いを立てたもので、くどくも云う通り、いくらその時代だからといって、人間ひとりに裁判を下すということは決して容易に決められるものではなかったのです。
いや、飛んだ前置が長くなりましたが、その代官所からわざわざ伺いを立てて来るほどのものは、いずれも何か毛色の少し変った事件ですから、江戸の奉行所でも後日の参考のために『御仕置例書《おしおきれいがき》』という帳面に書き留めて置くことになっていました。勿論、これは係りのほかに他見を許されないことになっているんですが、わたくしを贔屓《ひいき》にしてくれる吟味与力から貸して貰って、ちょっと珍しいと思うのだけを少し書きぬいて置きました。そうそう、そのなかに小女郎狐という変った事件がありましたから、お話し申しましょう。この事件は『御仕置例書』の日付けによると寛延元年九月とありますから、今からざっと百七十何年前、かの忠臣蔵の浄瑠璃が初めて世に出た年のことですから、ずいぶん遠い昔のことですよ」
「御仕置例書」にはいずれも国名と村名とを記《しる》してあるだけで、今日のように郡名を記してないので、ちょっと調べるのに面倒であるばかりでなく、その当時とは村の名の変っているのもあるので、その方角を見定めるのはいよいよ困難であるが、ともかくも「御仕置例書」には下総国《しもうさのくに》新石下村《しんいししたむら》とある。寛延元年九月十三日夜の亥《い》の刻(午後十時)から夜明けまでのあいだに、五人の若い男が即死、二人が半死半生という事件が出来《しゅったい》したので、村中は大騒ぎになった。
場所は庄屋茂右衛門が持ちの猪番《ししばん》小屋で、そこには下男の七助というのが住んでいた。猪番小屋といえば何処でも小さい狭いものであるが、これはともかくも人の住めるだけには出来ていたらしく、番人の七助は夜も昼もそこを自分の家にして、昼は野良《のら》かせぎの手伝いに日を暮らし、夜はそこで猪の番をしていた。七助はまだ十九の若い者であるので、村の若い者たちはそこをいい遊び場所にして、毎晩のように寄りあつまって馬鹿話に夜をふかすばかりか、悪い手慰みなどもするという噂であったが、主人の茂右衛門は別に咎めもしないで捨てて置いた。
事件の起った晩にあつまったのは、佐兵衛、次郎兵衛、弥五郎、六右衛門、甚太郎、権十の六人で、今夜は後《のち》の月見というので、何処からか酒や下物《さかな》を持ち込んで来て、宵から飲んで騒いでいた。
「猪番なんぞはどうでもいい。猪の奴め、この騒ぎにおっ魂消《たまげ》て滅多に出て来るもんじゃあねえ」
こんなことを云って、番人の七助をはじめ、六人の者もさんざんにしゃべって、騒いで、いい心持に酔い倒れてしまった。畑中の一軒家ではあるが、かれらの笑い騒ぐ声が亥の刻頃まで遠くきこえたのを村の者は知っていた。しかしその夜が明けても猪番小屋の戸は明かなかった。いつも早起きの七助が今朝は起きて来ないのを怪しんで、庄屋の家の者が見まわりに来ると、表の戸は閉め切ってあって、戸の隙き間から眼にしみるような煙りが流れ出していた。いよいよおかしく思って戸をあけると、狭い小屋の中から薄黒い煙りが一度にどっと噴き出して来て、一時は眼口《めくち》もあけられない程であった。もともと狭い小屋のなかに、大の男が七人も重なり合って倒れているのであるから、殆ど足の踏みどころもない。それを一々呼び起すと、かすかに返事をしたのは甚太郎と権十の二人だけで、番人の七助と佐兵衛、次郎兵衛、弥五郎、六右衛門の五人はもう息が絶えていた。ほかの二人も半死半生であった。
小屋|主《ぬし》の茂右衛門は勿論、村じゅうの者が駈けつけていろいろ介抱したが、どうにかこうにか正気づいたのは、やはり甚太郎と権十の二人だけで、ほかの五人はどうしても生きなかった。生き返った二人の話によると、かれらは正体もなく酔い倒れてしまったので、何事も知らない。夢うつつのように何だかむやみに息苦しくなったと思いながらも、身動きすることも出来なかったというのである。始めは何か食い物の毒あたりではないかという説もあったが、だんだん調べてみると、炉のなかには松葉を焚いたらしい灰がうず高く積っている。焼け残った青い松葉もそこらに散っている。かれらは夜寒《よさむ》を凌ぐために焚き火をして、その煙りに窒息したのではないかともおもわれたが、ふたりは松葉などを燃やした覚えはないと云い張っていた。夜がふけて雨戸をしめたのは知っているが、炉のなかに木の葉など炙《く》べたことはない、第一この小屋のなかには青い松葉などを積み込んであるのを見たことがないと云った。
しかしここの炉に松葉をくべた証拠はありありと残っている。しかもおびただしい松葉を積みくべたのは、そのうず高い灰を見ても知られた。更に調べてみると、松葉ばかりでなく、青唐辛《あおとうがらし》をいぶした形跡もある。七人の男が正体もなく寝入っている隙をうかがって、何者かがこの小屋に忍び込んで、青松葉や青唐辛のたぐいを炉に積みくべて彼等をいぶし責めに責め殺したのであろう。狐つきの病人から狐を追い出そうとして、病人をむごたらしい松葉いぶしにして、とうとうそれを責め殺してしまったというような話は、江戸にも田舎にもときどきに伝えられるが、これは単に酔い倒れている男七人を松葉いぶしにしたのである。あまりの怖ろしさに人々も顔を見あわせた。
場所が猪番の小屋であるから、それが盗みの目的でないことは判り切っていた。さりとて七人が七人、揃って人の恨みを受けそうもない。勿論、そのなかには何の罪もなく傍杖《そばづえ》の災難をうけた者もあるかも知れないと、庄屋の茂右衛門が先に立っていろいろに詮議をしたが、差しあたり是れという心あたりも見いだされなかった。そのうちに誰が云い出すともなく、それは狐の仕業《しわざ》であるという噂が伝えられた。
昔からこの土地には、小女郎狐というのが棲んでいて、いろいろの不思議をみせると云い伝えられている。ある時には美しい女に化けて往来の人をたぶらかすこともある。美少年にも化ける、大入道にも化ける。あるときには立派な大名行列を見せる。源平|屋島《やしま》の合戦をみせる。こういう神通力《じんつうりき》をもっている狐であるから、土地の者も「小女郎さん」と畏《おそ》れうやまって、決して彼女に対して危害を加えようとする者もなかった。ところが、今から五、六日ほど前に、この畑で猪を捕るために掘ってある陥穽《おとしあな》のなかに小さい狐が一匹落ちて迷っているのを発見して、番人の七助とあたかもそこに来あわせた佐兵衛、次郎兵衛、弥五郎、六右衛門との五人がすぐにその狐の児を生け捕って、いたずら半分に松葉いぶしにして責め殺したことがある。おそらく彼《か》の小女郎狐の眷族《けんぞく》であって、その復讐のために彼等もまた松葉いぶしのむごたらしい死を遂げたのであろう。その証拠には直接に手をくだした五人は命をとられて、無関係の二人は幸いに助かった。それらの事情から考えると、どうしてもこれは人間の仕業でなく、たしかに狐の祟《たた》りに相違ないという説がだんだん有力になって来た。
役人の検視も一応済んで、五人の死骸は村の高巌寺に葬られた。ここらの葬式は夜であったが、その宵に無数の狐火が寺のうしろの丘の上に乱れて飛んでいるのを見た者があった。
二
「どうも朝夕はめっきり冷たくなりました」
八州廻りの目あかしの中でも古狸の名を取っている常陸《ひたち》屋の長次郎が代官屋敷の門をくぐって、代官の手付《てつき》の宮坂市五郎に逢った。長次郎はその頃もう六十に近い男で、絵にかいた高僧のように白い眉を長く伸ばしていた。
「やあ、常陸屋か。だんだんと日が詰まって来るな」と、市五郎は玄関に近い小座敷で彼と向い合った。
「なにかとお忙がしいでございましょうね」と、長次郎は会釈《えしゃく》して筒提げの煙草入れを取り出した。「早速でございますが、何か新石下の方に御検視があったそうで……。わたくしは親類に不幸がございまして、きのうまで土地を留守にして居りましたもんですから、一向に様子が判りませんのでございますが……」
「検視は八州の方で取り扱ったので、わたしもよくは知らないが、その顛末《てんまつ》だけは詳《くわ》しく知っている。新石下の百姓どもが五人死んで、ふたりは生き返った」
松葉いぶしの一件を市五郎からくわしく説明されて、長次郎は顔をしかめた。かれは煙草を一服吸ってしまって、しずかに云い出した。
「なんだか妙なお話ですね。小女郎狐ということはわたくしも前から聞いては居りますが、その狐がかたき討に五人の男を殺すなんて、今の世の中にゃあちっと受け取れませんね。それこそ眉毛に唾《つば》ですよ。あなたのお考えはいかがです」
「わたしにも別に考えはない」と、市五郎は困ったような顔をしていた。「ほかに詮議のしようもないらしいので、まずそれに決めてしまったのだが、煙《けむ》にむせて死んだには相違ない。狐の祟りはどうだか知らないが、松葉いぶしはほんとうだ。生き残った二人はそんな覚えがないというけれども、自分たちが火を焚いたのを忘れているのだろう。なにしろ正体もないほどに酔っていたというからしようがあるまい」
「下手人《げしゅにん》はあるじゃありませんか」と、長次郎は笑った。「小女郎狐という立派な下手人があるんでしょう」
市五郎は苦笑《にがわら》いをしていた。
「ねえ、宮坂さん」と、長次郎はひと膝すすめた。「及ばずながらわたくしがその小女郎狐を探索しようじゃございませんか。狐はきっとどっかにいますよ」
「むむ。こっちが古狸で、相手が狐、一つ穴だからな」
「洒落《しゃれ》ちゃあいけません。真剣ですよ。ともかくも古狸の狐狩というところで、常陸屋の働きをお目にかけようじゃありませんか。いずれ又伺いますが、御代官様にもよろしくお願い申します」
市五郎に別れて出て、長次郎はその足で高巌寺へゆくと、そこらに群がって飛ぶ赤とんぼうの羽がうららかな秋の日に光って、門の中にはゆうべの風に吹きよせられたいろいろの落葉が、玄関に通う石甃《いしだたみ》を一面にうずめていた。庫裏《くり》をのぞくと、寺男の銀蔵おやじが薄暗い土間で枯れ枝をたばねていた。
「おい、忙がしいかね」と、長次郎は声をかけた。「焚き物はたくさん仕込んで置くがいい。もう直き筑波《つくば》が吹きおろして来るからね」
「やあ、お早うございます」と、銀蔵は手拭の鉢巻を取って会釈した。「まったく朝晩は急に冬らしくなりましたよ。なにしろ十三夜を過ぎちゃあ遣り切れねえ。今朝なんぞはもう薄霜がおりたらしいからね」
「十三夜といやあ、あの晩にゃあ飛んだことがあったそうだね。私もたった今、御代官所の宮坂さんから詳しいことを聞いて来たんだが、働き盛りの若けえのが五人も一度にいぶされちゃあ堪まらねえ。刈り入れを眼のまえにひかえて、どこでも困るだろう。五人の墓はみんなこの寺内にあるんだね」
「そうですよ。先祖代々の墓がみんなこの寺内にあるんだからね。ところが、どうも困ったことが出来てね」
「なんだ。何が困るんだ」と、長次郎はそこに束《たば》ねてある枯れ枝の上に腰をおろした。
「小女郎がやっぱり悪戯《いたずら》をするらしい。毎晩のようにやって来て、五人の墓の前に立っている新らしい塔婆を片っぱしから引っこ抜いてしまうんですよ。花筒の樒《しきみ》の葉は掻きむしってしまう。どうにもこうにも手に負えねえ。初七日《しょなのか》を過ぎてまだ間もねえことだし、親類の人達だって誰が参詣に来ねえとも限らねえから、あまりこう散らかして置いてもよくねえと思って、毎朝わしが綺麗に直して置くと、毎晩|根《こん》よく掻っ散らして行く。こっちも根負けがしてしまって、きのうも佐兵衛どんの兄貴が来た時にその訳をよく話して、もうそのままに打っちゃって置くつもりですよ。けさはまだ行って見ねえが、きっとやっているに相違ねえ。小女郎もあんまり執念ぶけえ。五人の命まで奪ったら、もういい加減に堪忍してやればいいのに……。生霊《いきりょう》や死霊とは違って、あの小女郎ばかりは和尚様の回向《えこう》でも供養でも追っ付かねえ。ほんとうに困ったもんですよ」
「村の者はみんな小女郎の仕業と決めているんだね」
「まあ、そうですよ」と、銀蔵は手拭で洟《はな》をこすりながらうなずいた。「なにしろ子狐を責め殺したのが悪かったんですよ。死んだ者の親戚の人達もまあ仕方がねえと諦めていたんだが、その中でたった一人、今も云った佐兵衛どんの兄貴の善吉、あの男だけはまだそれを疑って、どうも狐の仕業じゃあるめえと云い張っているんだが、ほかにはなんにも証拠も手がかりもねえことだから、どうにもしようがねえ。どう考えても狐の仕業と決めてしまうよりほかはありますめえよ」
「そうさ。それにしても執念ぶかく墓をあらすのは良くねえな。なにしろ、その新ぼとけの墓というのを拝ましてくれねえか」
銀蔵に案内させて、長次郎は墓場の方へ行ってみると、かなりに広い墓場の入口に先ず六右衛門の墓場を見いだした。墓の前には新しい卒堵婆《そとば》が立っていた。樒の花筒がすこし傾いているのは昨夜の風の為であるらしく、何者にか掻き散らされた形跡も見えなかった。銀蔵は怪訝《けげん》な顔をして眼を見はった。
「はてね。けさは何ともなっていねえぞ」
彼はあわてて石塔のあいだを駈けまわって、更に次郎兵衛の墓の前に出ると、ここにも卒堵婆や花筒が行儀よく立っていた。それから順々に見てまわると、ほかの三人の墓の前にも今朝はなんの異状もなかった。
「こりゃあ、不思議だ。もう十日にもなるから、小女郎も堪忍してくれたかな」と、銀蔵はほっとしたように云った。
「きのうの朝はみんな倒してあったんだね」
「塔婆も花筒もみんな打《ぶ》っ倒してあったのを、わしが一々立て直したんですよ」
「むむ」と、長次郎は新らしい卒堵婆の一本に手をかけて、明るい日のひかりに透かして視た。かれは更に自分の足もとを見まわしながら云った。「お前、以前はずいぶん綺麗好きだったが、だんだんに年を取ったせいか、この頃はあんまり掃除が届かねえようだね。きのうここらを掃かねえのかね」
「きのうは葬式《とむらい》で、茶を沸かすやら、火を起すやら、わし一人でなかなかここらの掃除までは手が廻らなかったからねえ」と、銀蔵は笑っていた。
長次郎は落葉を踏みわけて、五人の墓の卒堵婆を一々見てあるいた。中にはそれを引きぬいて、打ち返してじっと眺めているのもあった。かれは草履の爪さきでうず高い落葉を蹴散らしながら、墓のまわりの湿《しめ》った土の上をいつまでも見廻した。それが済んで引っ返そうとする時に、かれは隅の方に立っている小さい墓にふと眼をつけた。その前に立っている卒堵婆もあまり古いものではないらしく、花筒には野菊の新らしい花がたくさん生けてあった。長次郎は銀蔵を見かえって訊いた。
「あれはどこの墓だね」
「あれかね」と、銀蔵は伸び上がりながら指さした。「あれはおこよ坊の墓ですよ」
「花がたくさん供えてあるじゃねえか。おこよというのは、このあいだ身を投げた娘だろう。違うかね」
「そうですよ。可哀そうなことをしましたよ」
ふたりの足はおのずとその墓の前に立った。
「おこよの死んだのはいつだっけね」
「先月……ちょうど十五夜の晩でしたよ」
「十五夜か」と、長次郎はすこし考えていた。「一体あの娘《こ》はどうして死んだんだ。いい娘だったという噂だが……」
「川のふちへ芒《すすき》を取りに行って滑り込んだというんだがね。世間じゃあいろいろのことを云いふらす者もあって、何がなんだか判らねえ」
「どんなことを云い触らすんだね」
云いながら長次郎は身をかがめて、又もやその墓のまわりを身廻していた。
「仏に疵をつけるのはいけねえことだ」と、銀蔵は溜息をついた。「まして若けえ娘っ子に……。あんまり可哀そうで滅多なことは云われねえ」
かれは固く口をつぐんで、その以上のことは何にも云わなかった。長次郎は無理に訊き出そうともしなかった。銀蔵おやじの強情なことをよく知っている彼は、ここで無益の詮議をするよりも、おこよの死についてはほかに幾らも探索の道があると思ったので、そのままに聞き流してこの寺を出た。
三
「おや、親分さん。いらっしゃいませ」
茶店の女房は愛想《あいそ》よく長次郎を迎えた。茶店といっても、この村はずれに荒物屋と駄菓子屋とを兼ねている小さい休み茶屋で、店の狭い土間には古びた床几が一脚すえてあった。女房がすぐに持ち出して来た煙草盆と駄菓子の盆とを前に置いて、長次郎は温《ぬる》い番茶を一杯のんだ。店の前には大きい榎《えのき》が目じるしのように突っ立って、おあつらえ向きの日よけになっていた。時候の挨拶や、この出来秋《できあき》の噂などが済んで、長次郎はやがてこんなことを云い出した。
「ねえ、おかみさん。御用でおれは時々こっちへも廻って来るが、もともとこの村の落穂を拾っている雀でねえから、土地の様子はあんまりよく知らねえ。なんでも先月の十五夜の晩に、おこよといういい娘《こ》が川へ陥《はま》って死んだというじゃあねえか」
「ほんとうにあの娘は可哀そうなことをしましたよ」と、女房は俄かに眼をしばたいた。「村では評判の容貌《きりょう》好しで、おとなしい孝行者でしたが、十五夜の晩に芒《すすき》を取りに出たばっかりに、あんなことになってしまって……」
「十五夜は朝から判り切っているのに、日が暮れてから芒を取りに出るということもねえじゃねえか」と、長次郎はあざわらうように云った。「あの娘は幾つだったね」
「十九の厄年です」
「十九といえばもう子供じゃあねえ。お月さまの顔を拝んでから芒を取りに行くほどうっかりしてもいねえ筈だ。親孝行でも、おとなしくても、十九といえば娘盛りだ。おまけに評判の容貌好しというんだから、傍《はた》が打っちゃって置かねえだろう。あの娘が死んだのは、なんでもほかに訳があるんだと世間じゃあ専ら噂しているが、おかみさんは知らねえのかね」
「親分さんもそんな事をお聞き込みでしたか」と、女房は相手の顔をじっと見つめた。
「世間の口に戸は閉《た》てられねえ。粗相《そそう》で死んだのか、身を投げたのか、自然に人が知っているのさ。高巌寺でもそんなことを云っていたっけ」
「高巌寺で……。和尚様ですか、銀蔵さんですか」
「まあ、誰でもいい」と、長次郎はやはり笑っていた。「ねえ、おかみさんも知っているんだろう」
相手が御用聞きである上に、高巌寺から大抵のことを聞き出して来たらしいので、女房もうっかり釣り込まれて、訳も無しに長次郎の問いに落ちた。その話によると、おこよの死は不思議なことがその原因をなしているのであった。
おこよは四十を越えた盲目の母とふたりで貧しく暮らしている娘であった。水呑み百姓の父はとうに世を去って、今年十四になる妹娘のお竹は、四里ばかり距《はな》れたところに奉公に出ている。おこよは孝行者で、昼間は庄屋の茂右衛門の家へ台所働きに行って、夜は自分の家に帰って近所の人の賃仕事などをして、どうにか斯《こ》うにか片輪者の母を養っていたが、かれが容貌がいいのはここらでも評判であった。したがって、村の若い者どもから度々なぶられたり袖を曳かれたりしたこともあったが、おとなしい彼女は振り向いても見なかった。
そのうちに、かれの身の上に思いもよらない幸運が向いて来た。かれの孝行と容貌好しとが隣り村にもきこえたので、相当の家柄の百姓の家から嫁に貰いたいという相談を運んで来て、母も一緒に引き取って不自由させまいというのであった。その媒介人《なこうど》はかの高巌寺の住職で、話はもう半分以上まで進行したときに、今度は思いもよらない不運がかれの上に落ちかかって来た。それは実に飛んでもない話で、かれは彼《か》の小女郎狐と親しくしているという噂であった。
おこよは用の都合で暮れてから庄屋の家を出ることもあった。その帰り途で、彼女はここらにめずらしい寺小姓風の美少年に出逢って、暗い鎮守の森の奥や、ひと目のない麦畑のなかへ一緒に連れ立って行ったことがある。その美少年は小女郎狐か、もしくはその眷族の化身《けしん》で、かれは畜類とまじわっているのであるという奇怪の噂はだんだんに広まって来た。それが隣り村にもきこえたので、縁談は中途で行き悩みになった。さりとは途方もないことであると、高巌寺の住職はおどろいて怒って、その噂の主《ぬし》をしきりに詮議したが、確かにそれと取り留めたこともないうちに、折角の縁談はとうとう毀れてしまった。それから三日目の十五夜の晩に、おこよの死体は村ざかいの川しもに見いだされた。
若い美しい娘の死については何かの秘密がまつわっているであろうとは、長次郎も最初から大抵想像していたが、かれの運命もまた小女郎狐に呪《のろ》われていようとはさすがに思いも寄らなかった。
「なるほど飛んでもねえ話だ」と、長次郎も溜息をついた。「しかし隣り村の家というのもあんまりはやまっているじゃねえか。ほかの事と違って、嘘かほんとうかよく詮議して見たらよかろうに、それですぐに破談にしてしまうというのは可哀そうだ。それがために容貌よしの孝行娘を殺してしまったんだね」
「ほんとうにむごたらしいことをしましたよ」と女房も鼻をつまらせた。「つまりあの娘《こ》の不運なんですよ。狐のことは嘘かほんとうか判りません。なにをいうにも相手が小女郎さんですから、どんなことをしないとも限りませんけれど……」
いずれにしても、おこよの死は悼《いた》ましいものであったと、女房はかれの不幸にひどく同情していた。そして、更にこんなことを付け加えて話した。おこよを嫁に貰おうとしたのは、となり村の平左衛門という百姓の家で、かれの夫となるべき平太郎という伜は小女郎狐の噂を絶対に否認して、是非ともおこよを自分の妻にしたいと云い張ったが、父の平左衛門は首をかしげた。むかし気質《かたぎ》の親類どもからも故障が出た。たといそれが嘘であろうとも、ほんとうであろうとも、仮りにもそんな忌《いま》わしい噂を立てられた女を迂闊《うかつ》に引き入れるということは世間の手前もある。ひいては家名にも疵がつく。嫁はあの女に限ったことではない。そういう多数の議論に圧し伏せられて、平太郎はよんどころなしに諦めてしまったが、内心はなかなか諦め切れないでいるところへ、おこよの水死の噂が伝わったので、それは芒を取りに行った為のあやまちではない、その死因はたしかに縁組の破談にあると彼は一途《いちず》に認定した。その以来、彼はなんだか物狂わしいような有様となって、ときどきには取り留めもないことを口走るので、家内の者も心配している。現に二、三日まえにも鎌を持ち出して、これから小女郎狐を退治にゆくと狂いまわるのを、大勢がようように抱き止めたというのであった。
「そうかえ」と、長次郎はまた溜息をついた。「そりゃあ困ったものだ。かさねがさねの災難だね」
「やっぱり小女郎さんが祟っているのかも知れません」と、女房は怖ろしそうにささやいた。「そればかりじゃありません。親分も御承知でしょうが、お庄屋さんの猪番小屋で五人も一緒に死ぬという、あれも唯事じゃありますまい」
云うときに店の前に餌を拾っている雀がおどろいたようにぱっと起ったので、長次郎はふとそっちに眼をやると、大きい榎のかげから一人の男が忍ぶように出て行った。長次郎はそのうしろ影を頤《あご》で指しながら小声で女房に訊いた。
「あの男は誰だえ。村の者だろう」
「善吉さんのようです」と、女房は伸びあがりながら云った。「このあいだ、猪番小屋で死んだ佐兵衛さんの兄さんですよ」
「むむ、そうか」
長次郎はうなずきながらそっと店の先に出て、再び彼のうしろ姿を見送ると、善吉はなにか思案に耽っているらしく、俯向き勝ちにぼんやりと歩いて行った。うしろ姿から想像すると、かれはまだ二十四五の若い者であるらしかった。寺男の銀蔵おやじの話によると、かれは弟の横死を狐の仕業と信じていないという。――その話を長次郎は今更のように思い出した。
「おかみさん。どうもいつまでもおしゃべりしてしまった。だが、まあ気をつけねえ。お前のような年増盛りは、いつ小女郎に魅《み》こまれるかも知れねえ」
「ほほ、忌《いや》でございますよ。毎度ありがとうございました」
茶代を置いて、長次郎はそこを出た。この村にはほかに知っている家もないので、彼はもう一度代官の屋敷へ引っ返して、宮坂のところで午飯を食わせて貰って、それから遠くもない隣り村へ出かけて行った。平左衛門の家の近所へ行って、よそながら平太郎の噂を聞くと、彼がこのごろ少し物狂わしくなったのは事実で、この月初めから二、三度も家を飛び出したことがある。世間の聞えをはばかって親達はそれを秘密にしているが、自分の妻にと思い込んだ女が突然に悲惨の死を遂げると同時に、かれも取り乱して本性を失ったのは、近所でもみな知っているとのことであった。平太郎は今年|二十歳《はたち》で、ふだんがおとなしい男であるだけに、一時に赫《かっ》と取り詰めたのであろうという者もあったが、大体に於いてはやはり彼《か》の小女郎の仕業という説が勝を占めていた。小女郎さんが魅《み》こんでいる女を横取りして自分の女房にしようとしたので、その祟りで女は執り殺された。平太郎にも狐が乗り憑《うつ》って、あんな乱心の体たらくになったのであると、顔をしかめてささやくものが多かった。
乱心して時々に家を飛び出す男――すでに乱心している以上は何事と仕出《しで》かすか判らない。長次郎は更に平左衛門の家の作男《さくおとこ》をそっと呼び出して、主人の伜はこの十三夜の夜ふけに寝床をぬけ出して村境の川縁《かわべり》にさまよっていたのを、ようように見つけ出して連れ戻ったという事実を新らしく聞き出した。その家は成程ここらでも相当の旧家であるらしく、古い門の内には広い空地《あきち》があって、大きい柿の実の一面に色づいているのも何となく富裕にみえた。作男と話しながら、長次郎はときどき門の内を覗いていると、ひとりの若い男が何処からか不意にあらわれた。かれは跳りあがって長次郎の眼の前に突っ立った。
「さあ、一緒に来い。小女郎めを退治に行くから」
それが平太郎であることを長次郎はすぐに覚った。彼はつづいて叫んだ。
「小女郎ばかりでねえ。佐兵衛も六右衛門もみな殺してやる。あいつらは狐の廻し者だ。あと方もねえことを触れて歩きゃあがって、おれの女房を狐の餌食《えじき》にしてしまやがった」
長次郎は笑いながら彼の蒼ざめた顔をじっと眺めていた。
四
その晩、新石下の村でまた一つの事件が起った。かの善吉の妹のお徳が兄の寝酒を買いに出た帰り途に、田圃路《たんぼみち》で何者にか傷つけられた。善吉と佐兵衛とお徳とは三人の兄妹《きょうだい》で、かれはまだ十五の小娘であった。近ごろ中《なか》の兄を失って心さびしい彼女は、宵闇の田圃路を急ぎ足にたどって来ると、暗いなかから何者かが獣のように飛び出して来て、だしぬけに彼女の顔を掻きむしったので、お徳はきゃっと悲鳴をあげて、手に持っていた徳利を捨てて逃げ出した。ようように家へころげ込んで母や兄に見て貰うと、かれは頬や頸筋をめちゃくちゃに引っ掻かれて、その爪あとには、生血《なまち》がにじみ出していた。
「狐の仕業《しわざ》だ。佐兵衛を殺したばかりでは気が済まねえで、今度は妹に祟ったのに相違ねえ」
こんな噂が又すぐに村じゅうにひろがった。これも寝酒を買いに出た高巌寺の銀蔵は、途中でその噂を聞いて急に薄気味悪くなって、どうしようかと路ばたに突っ立って思案していると、不意にその肩を叩く者があった。ぎょっとして透かしてみると、頬かむりをした長次郎が暗い蔭に忍んでいた。
「おお、親分。お聞きでしたか、小女郎がまた何か悪さをしたそうで……」
「そんな話だ」と、長次郎はうなずいた。「ときにお前に無心がある。今夜はお前のところへ一と晩泊めてくれねえか」
耳に口を寄せてささやくと、銀蔵も幾たびかうなずいた。
「わかりました、判りました。さあ、すぐにお出でなせえ」
「お前、どっかへ行くんじゃあねえか」
「寝酒を一合買いに行こうと思ったんだが、まあ止《よ》しだ」
「酒はおれが買う。遠慮なく行って来ねえ」
「だが、まあ止そうよ」
「じいさんも狐が怖いか」と、長次郎は笑った。
「あんまり心持がよくねえ。おまけに今夜は闇だから」
銀蔵は長次郎と一緒に引っ返した。庫裏《くり》に隣った彼の狭い部屋に案内されて、長次郎は炉の前でしばらく世間話などをしていたが、やがて四ツ(午後十時)に近いころに、彼は再び手拭に顔をつつんで暗い墓場の奥へ忍んで行った。宵闇空には細かな糠星《ぬかぼし》が一面にかがやいて、そこらの草には夜露が深くおりていた。大きい石塔のかげに這いかがんで、長次郎はしずかに夜のふけるのを待っていると、そよりとも風の吹かない夜ではあったが、秋ももう半ばに近いこの頃の夜寒が身にしみて、鳴き弱ったこおろぎの声が悲しくきこえた。
半時あまりも息を殺していると、うしろの小さい丘を越えて、湿《しめ》った落葉を踏んで来るような足音がかさこそと微かにひびいた。長次郎は耳を地につけて聞き澄ましていると、その小さい足音はだんだんにこちらへ近づいて、墓場の垣根をくぐって来るらしかった。垣根はほんの型ばかりに粗《あら》く結ってあるので、誰でも自由にくぐり込むことを長次郎は知っていた。星のひかりに透かしてみると、黒い小さい影は犬のように垣根をくぐって、一つの石塔の前に近寄ったかと思うと、その石塔の暗いかげからも又ひとつの黒い大きい影が突然あらわれた。
大きい影は飛びかかって、小さい影を捻じ伏せようとするらしかった。小さい影は振り放そうと争っているらしく、二つの影は無言で暗いなかに縺《もつ》れ合っていた。やがて小さい影が組み伏せられたらしいのを見たときに、長次郎も自分の隠れ家から飛び出して、まずその大きい影を捕えようとすると、彼はそこにある卒堵婆を引きぬいて滅多なぐりに打ち払った。その隙をうかがって小さい影は掻いくぐって逃げようとしたが、大きい影はその掴んだ手を容易にゆるめなかった。長次郎に卒堵婆を叩き落されて、大きい影がそこに引き据えられると同時に、小さい影も一緒に倒れた。袂から呼子の笛を探り出して、長次郎がふた声三声ふき立てると、それを合図に銀蔵が枯枝の大松明《おおたいまつ》をふり照らして駈け付けた。
松明の火に照らし出された二人の影の正体は、二十四五の大男と十四の小娘とであった。銀蔵は先ずおどろいて声をあげた。
「あれ、まあ、善吉どんにお竹っ子か」
男は佐兵衛の兄の善吉であった。娘はかのおこよの妹のお竹であった。自分の弟の松葉いぶしに逢ったのを小女郎狐の仕業と確信することの出来ない善吉は、その墓をあらす者をも併せて疑って、果たしてそれが狐であるか無いかを確かめるために、かれは誰にも知らさずに昨夜もこの墓場に潜んでいると、夜の明けるまで何者も忍んで来る形跡はなかった。きょうの午前《ひるまえ》に、かれが村はずれの休み茶屋を通りかかると、茶屋の女房が客を相手に小女郎狐の噂をしていた。それがふと耳にはいったので、彼は店さきの榎のかげに隠れて立ち聴きをしていると、隣り村の平太郎の噂が耳にはいった。それに就いては少し思い当ることもあるので、かれは松葉いぶしの下手人の疑いを平太郎の上に置いた。そうして弟の仇を取るために、その方面にむかって探索しようと決心していると、その宵には妹のお徳が何者にか傷つけられた。かさねがさねの禍《わざわ》いに彼はいよいよ焦燥《いらだ》って、もう一度その実否《じっぴ》をたしかめるために、今夜もこの寺内に忍び込んで、長次郎より一と足さきに墓場にかくれて、自分の弟の墓のかげに夜のふけるのを待っていたのであった。
さすがは商売人だけに、長次郎は足音をぬすむに馴れているので、善吉もそれには気がつかなかった。お竹の足音はすぐに判ったので、彼はその近寄るのを待ち受けて、とうとう彼女を取り押えた。しかしその曲者が十四の小娘であったのは、彼に取っても意外の事実であったらしく、善吉はいたずらに眼をみはって、松明の下にうずくまっているお竹の姿を見つめていた。
「お前はここへなにしに来た」と、長次郎は先ずお竹に訊いた。
「姉の墓まいりに……」
「そんならなぜ垣をくぐって来た」
「お寺の御門がもう閉まって居りましたから」と、お竹は小声ながらはっきりと答えた。
「むむ、子供のくせになかなか利口だな」と、長次郎は笑った。「よし、判った。それじゃあこっちへちょいと来い」
かれはお竹を弥五郎の墓の前に連れて行って、一本の新らしい卒堵婆をぬいて見せた。銀蔵もあとから付いて来て松明をかざした。
「おい、お竹。お前の手を出してみろ」
「はい」
何ごころなく差し出す彼女が右の手をぐっと引っ掴んで、長次郎は卒堵婆の上に押し付けた。
「さあ、悪いことは出来ねえぞ。この塔婆にうすく残っている泥のあとを見ろ。泥のついた手でこの塔婆をつかんで引き抜いたから、指のあとがちゃんと付いている。どうも子供の手の痕らしいと思ったら、案の通りだ。てめえ、毎晩この墓場へ忍んで来て、塔婆を引っこ抜いたろう。花筒を掻っ散らしたろう。さあ、白状しろ。まだそればかりでねえ、てめえは庄屋の猪番小屋へ行って何をした」
お竹はだまって俯向いていた。
「さあ、素直に云え」と、長次郎は畳かけて云った。「手前はなんの訳で墓あらしをしたんだ。いや、まだほかにも証拠がある。この五人の墓のまわりに小さい足跡が付いていることも昼間のうちにちゃんと見て置いたんだぞ。いくら強情を張っても、墓あらしはもう手前と決まっているが、猪番小屋の方はどうだ。これも確かに手前だろう。さあ、神妙に申し立てろ。さもないと盲目のおふくろを代官所へ引き摺って行って水牢へ叩き込むが、いいか」
お竹はわっと泣き出した。
「もう仕方がねえ。お前、おぼえのあることなら、親分さんの前で正直に云ってしまう方がよかろうぜ」と、銀蔵もそばからお竹に注意した。
長次郎はともかくも、善吉とお竹を庫裏の土間へ引っ立てて行った。そうして、だんだん吟味すると、善吉が墓場に忍んでいた仔細は前にもいう通りの簡単なものであったが、お竹がそこへ忍んで来たのには驚くべき事情がひそんでいた。庄屋の猪番小屋に松葉と青唐辛とを積み込んで、番人をあわせて五人の男をいぶし殺したのは彼女の仕業であった。小女郎狐の正体はことし十四の少女であった。
もう逃がれられないと覚悟したらしく、お竹は長次郎の前で何事も正直に申し立てた。かれは姉のかたきを取るために、男五人をむごたらしくいぶし殺したのであった。姉が変死の報らせを受け取って、かれは四里ほど離れている奉公先から暇を貰って帰ってくると、盲目《めくら》の母はただ悲嘆に沈んでいるばかりで、くわしい事情もよく判らなかったが、姉のおこよが縁組の破談から自殺を遂げたらしいことは、年のゆかない彼女にも想像された。そればかりでなく、かれは仏壇の奥から姉の書置を発見した。母は盲目でなんの気もつかなかったのであるが、お竹はすぐそれに眼をつけて、とりあえず開封してみると、それは姉から妹にあてたもので、おこよの死因は明白に記《しる》されてあった。
おこよが隣り村へ縁付くことになったのを妬《ねた》んで、今まで自分たちの恋のかなわなかった若い者どもが、隣り村へ行って途方もないことを云い触らした。それは彼女が小女郎狐と親しくしているという噂で、かれはもう狐の胤《たね》を宿しているとまで吹聴した。罪の深いこの流言が正直な人達をまどわして、かれらが目論《もくろ》んだ通りおこよの縁談は無残に破れてしまった。それを云い触らした発頭人《ほっとうにん》はかの七助をはじめとして、佐兵衛、次郎兵衛、六右衛門、弥五郎、甚太郎、権十の七人であった。おこよは自分の縁談の破れたのを悲しむよりも、人間の身として畜生と交わりをしたという途方もない事実を云い触らされたのを非常に恥じて怨《うら》んだ。おとなしい彼女は世間にもう顔向けができないように思って、その事実の有無《うむ》を弁解するよりも、いっそ死んだ方が優《まし》であると一途に思いつめた。彼女はその書置に七人のかたきの名を記して、姉の恨みを必ず晴らしてくれと妹に頼んで死んだ。
姉と違って勝ち気に生まれたお竹は、その書置を読まされて身も顫《ふる》うばかりに憤った。あられもない濡衣《ぬれぎぬ》をきせて、たった一人の姉を狂い死にさせた七人のかたきを唯そのままに置くまいと堅く決心したが、なにをいうにも相手はみな大の男である。ことし十四の小娘の腕ひとつで、容易にその復讐はおぼつかないので、しばらく忍んで時節を窺っているうちに、あたかもかの佐兵衛ら七人が十三夜の宵から猪番小屋にあつまったのを知って、かれは小屋の外にかくれて彼等の酔い倒れるのを待っていた。しかし自分の小腕で七人の男を刺し殺すことはむずかしいと思ったので、かれは俄かに松葉いぶしを思い立って、そこらから松葉や青唐辛をあつめて来て、七人のかたきを狐か狸のようにいぶしてしまった。
お竹はその足ですぐに代官所へ名乗って出るつもりであったが、母のことを思い出して又躊躇した。姉も自分もこの世を去っては、盲目の母を誰が養ってくれるであろう。それを思うと、かれは命が惜しくなった。一日でも生きられるだけは生き延びるのが親孝行であると思い直して、かれは人に覚られないのを幸いに自分の家に逃げて帰った。偶然に思いついた松葉いぶしが勿怪《もっけ》の仕合わせで、世間ではそれを狐の祟りと信じているらしいので、彼女はひそかに安心していたが、それでもまだなんだか不安にも思われるので、それが確かに狐の仕業であるということを裏書きするために、かれは更に高巌寺に忍んで行って、五人の墓をたびたびあらした。しかし五人の遺族のうちで、佐兵衛の兄だけは狐の仕業であるか無いかを疑っているという噂があるので、かれは飽くまで狐であることを信用させるために、暗い田圃のなかに待ち受けていて、善吉の妹をも傷つけた。相手の顔を掻きむしったのも、狐の仕業と思わせる一つの手だてであった。乱心の平太郎がこの事件になんの関係もないことは明白であった。
「わたしくが生きて居りませんと、片輪の母を養うものがございません。もう一つには仇のうちで五人は首尾よく仕留めましたが、二人は助かりました。その二人を仕留めませんでは、姉の位牌に申し訳がないと存じまして、今まで卑怯にかくれて居りました。それがためにいろいろ御手数をかけまして重々恐れ入りました」
お竹は悪びれずに申し立てた。
この捌きには、土地の役人共も頭を悩まして、例の「御伺」を江戸へ差し立てると、ひと月余りの後に「御差図書」が廻って来た。江戸の奉行所の断案によると、かの七人の者どもは重罪である。あと方もなき風説を云い触らして、それがためにおこよという女を殺したのは憎むべき所業である。殊に人間が畜生の交わりをしたなどというのは、人倫を紊《みだ》るの罪重々である。すでに死去したものは是非ないが、生き残った甚太郎と権十の二人には死罪を申し付くべしというのであった。
お竹は幼年の身として姉のかたきを討ったのは奇特《きどく》のことである。一切お咎めのない筈であるが、彼女はその罪跡を掩わんがために、墓場をあらしたのと、罪もないお徳の顔を掻きむしったのと、この二つの科《とが》によって所払いを申し付ける。しかし盲目の母を引き連れて流転《るてん》するのは難儀のことと察しられるから、村方一同はかれに代って母の一生を扶持すべしとあった。
これでこの一件も落着《らくぢゃく》した。人間の幸不幸は実にわからない。幸いにいぶし殺されるのを免かれた甚太郎と権十とは一旦入牢の上で、やがて死刑に行なわれた。
お竹は村を立ち退いて、水戸の城下へ再び奉公に出た。盲目の母は高巌寺に引き取られて村方から毎年何俵かの米を貰うことになった。その以来、この村では小女郎狐の噂も絶えてしまった。
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狐と僧
一
「これも狐の話ですよ。しかし、これはわたくしが自身に手がけた事件です」と、半七老人は笑った。
嘉永二年の秋である。江戸の谷中《やなか》の時光寺という古い寺で不思議の噂が伝えられた。それはその寺の住職の英善というのが、いつの間にか狐になっていたというのである。実に途方もない奇怪な出来事ではあるが、寺の方からその届け出があった以上、寺社奉行も単にばかばかしいといって捨てて置くわけにも行かなかった。
時光寺はあまり大きい寺ではないが、由緒のある寺で、その寺格も低くなかった。住職の英善は今年四十一歳で、七年ほど前から先住のあとを受けついで、これまでに変った噂もきこえなかった。ほかに善了という二十一歳の納所《なっしょ》と、英俊という十三歳の小坊主と、伴助という五十五歳の寺男と、あわせて三人がこの寺内に住んでいた。伴助は耳の遠い男であったが、正直者として住職に可愛がられていた。
こうして何事もなく過ぎているうちに、思いもよらない事件が出来《しゅったい》して、檀家は勿論、世間の人々をもおどろかしたのである。事件の起る前夜、住職の英善は、根岸の伊賀屋という道具屋の仏事にまねかれて、小坊主の英俊を連れて出たが、四ツ(午後十時)少し前に英俊だけが帰って来た。師匠は途中でこれからほかへ廻るから、おまえは先へ帰れといったので、小坊主はそのまま別れて来たのであった。
夜なかになっても住職は戻らないので、寺でも心配した。伴助は提灯を持って幾たびか途中まで迎いに出て行ったが、英善の姿はみえなかった。こうして不安の一夜を送った後、この寺から二町ほど距《はな》れた無総寺という寺のまえの大きい溝《どぶ》のなかに、英善によく似た者のすがたが発見された。それはあくる朝のことで、いつも早起きの無総寺の寺男が見つけ出したのであるが、溝にはまり込んで死んでいたのは、人間ではなかった。それは法衣《ころも》や袈裟《けさ》をつけている狐であった。寺男はびっくりして、ほかの人々にも報告したので、たちまちこのあたりの大騒ぎとなった。
袈裟や法衣をつけている者の正体はたしかに年|経《ふ》る狐に相違なかった。死体の傍には数珠《じゅず》も落ちていた。小さい折本の観音経も落ちていた。履物はどこにも見えなかったが、その袈裟と法衣と、数珠と経文《きょうもん》と、それらの品々がことごとく時光寺の住職の持ち物に符合するばかりか、その経文の折本のうちには時光寺と明らかに書いてあるので、誰もそれをうたがうことは出来なかった。殊にその本人の英善がゆうべから戻って来ないのであるから、諸人はいよいよこの奇怪な出来事を信ずるよりほかはなかった。唯ここに残された問題は、英善がゆうべこの狐にたぶらかされて、その衣類や持ち物を奪われたのか、或いはその以前から本人の正体はどこかへ消えてしまって、狐が住職になり澄ましていたのかということで、その疑問は容易に解決されなかった。
無総寺の寺男の話によると、夜なかに門前で頻《しき》りに犬の吠える声を聴いたというのである。英善に化けた狐は犬の群れに追いつめられて、この溝のなかへはまり込んで死んだのであろうと彼は云った。ほかの人々もそんなことであろうと思った。
「なるほど、そういえば此の頃は、うちの御住持さまは大変に犬を嫌っていなすった」と、時光寺の納所《なっしょ》も云った。
以前はそうでもなかったが、この一、二ヵ月まえから住職の英善がひどく犬を嫌うようになったことは、納所の善了も寺男の伴助も認めていた。これらの事実を綜合してかんがえると、人間の英善はこの夏の末頃から消えてなくなって、狐の英善が住職になり代っていたらしい。伯蔵主《はくぞうす》の狐や茂林寺《もりんじ》の狸のむかし話なども思いあわされて、諸人も奇異の感にうたれながら、とにもかくにも一ヵ寺の住職の身のうえにこういう椿事が出来《しゅったい》したのであるから、単に不思議がってばかりはいられなかった。時光寺からは有りのままに届け出て、寺社奉行はその詮索《せんさく》に取りかかったのであった。
時光寺の納所も小坊主も寺男も、みな厳重に吟味された。奇怪な死体をはじめて発見したという無総寺の寺男も勿論取り調べられた。しかも彼等の口から何の手がかりを聴き出すことも出来なかった。住職は近頃犬を嫌うようになったという以外には、時光寺の者共も別に思い当ることはないと申し立てた。もしや住職の死骸を発見することもあろうかと、時光寺の床下や物置や、庭の大木の根もとなどを掘り返してみたが、死骸はおろか、それかと思われるような骨一つすらも見いだされなかった。檀家の主《おも》なるものも調べられた。その当夜、自宅の仏事に時光寺の住職を招いたという根岸の伊賀屋嘉右衛門も吟味をうけたが、伊賀屋でも当夜の住職の挙動について別に怪しい点を認めなかったと答えた。
寺社奉行の方でもこの上に詮議のしようもなかった。時光寺の住職はゆくえ不明になって、いつの間にか狐がその姿になりかわっていたというほかには、なんとも判断のくだしようもないので、その詮議はひと先ずこれで打ち切ることになった。
二
九月の末には陰《くも》った日がつづいた。神田の半七は近所の葬式《とむらい》を見送って、谷中の或る寺まで行った。ゆう七ツ(午後四時)過ぎに寺を出て、ほかの会葬者よりも一と足さきにぶらぶら帰ってくると、秋の空はいよいよ暗くなった。寺の多い谷中のさびしい道には、木の葉が雨のように降っていた。まだ暮れ切らないのに、どこかの森のなかで狐の声がきこえた。半七はこのごろ世間の噂になっている時光寺の一件をふと思い出した。かれは町奉行付きで、寺社奉行の方には直接の係り合いはないのであるが、それでも自分の役目として、今度の奇怪な出来事に相当の注意を払っていた。
「無総寺というのはこの辺かしら」
そう思いながら歩いてくると、ある寺の土塀に沿うた大きい溝のふちに、ひとりの少年が腹這いになっているのを見た。少年は十三四歳の小坊主で、土のうえに俯伏《うつぶ》しながら何か溝のなかの物を拾おうとしているらしかった。半七はそのまま通り過ぎようとして、なに心なくその寺の門を見あげると、門の額《がく》に無総寺と記《しる》してあったので、かれは俄かに立ちどまった。時光寺の住職に化けていた狐の死骸は、ここの大溝から発見されたというのである。その溝のふちに小坊主が腹這いになって何か探しているらしいのを、半七は見すごすことが出来なかった。かれは立ち寄って声をかけた。
「お小僧さん。なにか落したのかえ」
それが耳にもはいらないらしく、小坊主は熱心になにか拾おうとしていた。しかしまだ十三四の子供の手では溝の底までとどかないので、かれは思い切って下駄をぬいで、石垣を伝《つた》って降りようとするらしかった。半七は再び声をかけた。
「もし、もし、お小僧さん。なにを取ろうとするんだ。なにか落したのなら、わたしが取ってあげる」
小坊主は初めて振りかえったが、返事もしないで黙っていた。半七はかがんで溝をのぞくと、底はさのみ深くもなかった。苔《こけ》の多い石垣のあいだから幾株の芒《すすき》や秋草が水の上に垂れかかって、岸の近いところには、湿《ぬ》れた泥があらわれていた。それを見まわしているうちに、ある物が半七の眼についた。
「おまえさん。あれを取ろうというのかえ」と、半七は溝のなかを指さして訊《き》いた。
小坊主は黙ってうなずいた。こんなことには馴れている半七は、草履の片足を石垣のなかほどに踏《ふ》みかけて、片手に芒の根をつかみながら、からだを落すようにして岸に近い泥のなかへ片手を突っ込んだ。彼がやがて掴み出したのは小さい仏の像であった。仏は二寸に足らないもので、なにか黒ずんだ金物で作られているらしく、小さい割合にはなかなか目方があった。
「この仏さまをお前さんは知っているのかえ」と、半七は泥だらけになっている仏像を小坊主の眼のさきへ突きつけると、かれはそれをうやうやしく受け取って、自分の法衣《ころも》の袖のうえに乗せた。
「おまえさんのお寺はどこだね」と、半七はまた訊《き》いた。
「時光寺でございます」
「むむ。時光寺か」
半七はあらためてその小坊主の顔をみた。かれは色の白い、眼の大きい、見るからに利口そうな少年であった。
「じゃあ、このあいだ和尚《おしょう》さんの一件のあったお寺だな。そこで、その仏さまはお前さんが落したのかえ」
「今ここで見つけたのです」
「じゃあ、おまえさんのじゃあ無いんだね」
小坊主はその返答に躊躇しているようであったが、結局、これは自分の寺のものであるらしいと云った。
「お寺の物がどうしてこの溝のなかに落ちていたんだろう」と、半七はかれの顔色をうかがいながら訊いたが、小坊主はやはり何か躊躇しているらしく、口唇《くちびる》をむすんだままで少しうつむいていた。
この小さい仏像について何かの秘密があるらしいと睨んだので、半七はたたみかけて訊いた。
「和尚さんはここらの溝のなかに死んでいたんだそうだね」
「はい」
「そこにその仏像が落ちていて、しかもそれがお寺の物だという。そうすると、和尚さんの落ちた時に、それも一緒に落したのかね」
「そうかも知れません」
「隠しちゃいけねえ。正直に云って貰いたい」と、半七はすこし詞《ことば》をあらためた。「実はわたしは町方《まちかた》の御用聞きだ。寺社とお係りは違うけれど、こういうところへ来あわせては、調べるだけのことは調べて置かなければならねえ。その晩、和尚さんがその仏さまを持って出たのかえ」
相手の身分を聴くと共に、小坊主の態度は俄かに変った。かれは今までとは打って変って、半七の問いに対して、何でもはきはきと答えた。
かれは時光寺の英俊であった。師匠の英善がゆくえ不明になった晩、かれは師匠の供をして根岸の伊賀屋へ行った。読経《どきょう》がすんで、一緒に連れ立って帰る途中、師匠はほかへ路寄りすると云って別れたまま再び戻って来ない。そうして、そのあくる朝、師匠の袈裟法衣をつけた狐の死骸がこの溝の中に発見されたのである。それがどう考えても判らないので、かれは絶えずそれを考えつめていると、今日この溝のふちを通るときに、測らずも泥のなかに何か薄黒く光るようなものを見つけたのであった。仏像はおそらく師匠の袂《たもと》かふところに入れてあって、ここへ転げ込むときに水のなかへ滑り落ちたのを誰も見つけ出さなかったのであろう。毎日|陰《くも》ってはいるが、この頃すこしも雨がないので、溝の水もだんだんに乾いて、泥に埋められていた仏像が自然にその形をあらわしたのであろう。自分にもよく判らないが、これは寺の秘仏として大切に保管されているものであるらしい。なんでも遠い昔に異朝から渡来したもので、その胎内には更に小さい黄金仏が孕《はら》ませてあると云いつたえられている。自分は九つの年から寺に入って、足かけ五年のあいだに三度しか拝んだことはないが、これはどうもその仏像であるらしいと彼は説明した。
それほど大切の秘仏を住職がなぜむやみに持ち出したか、それが半七にも判らなかった。英俊にも判らなかった。
「しかしこれをみると、狐がお住持に化けていたなどというのは嘘です」と、英俊は云った。「わたしも最初から疑わしいと思っていましたが、もし狐ならばこういうものを持ち出す筈がありません。狐や狸は尊い仏を恐れる筈です」
それは如何にも仏弟子らしい解釈であった。半七は又それと違った解釈で、時光寺の住職の正体が狐でないことを確かめた。
「お住持は……お師匠さまは……」と、英俊は俄かに泣き出した。
「おい。どうした、どうした」と、半七はかれの肩に手をかけた。
英俊はその肩をゆすぶって泣きつづけた。かれの涙は法衣の袖にほろほろとこぼれて、大切にさげていた異国の仏像の御首《みぐし》にも流れ落ちた。
「泣くことはねえ。おれがその仇を取ってやる」と、半七は云った。「その代り、おまえの知っているだけのことは何でも話してくれねえじゃあいけねえ。といって、いつまでもここで立ち話も出来めえ。あしたの朝、わたしの家まで来てくれ。神田の三河町で、半七と聞けばすぐ判る」
三
あくる朝、英俊は約束通りに半七をたずねて来た。そうして、師匠の英善の身のうえに就いて自分の知っているだけのことを詳《くわ》しく話して帰った。帰る時に、半七はかれに何事かを教えてやった。それからすぐに身支度をして、半七も寺社奉行の役宅へ出て行った。
寺社方の許可を得て、かれは何かの活動に取りかかるらしく、役宅から帰ると更に子分の松吉と亀八を呼びよせた。
「ひょっとすると草鞋《わらじ》を穿《は》くかも知れねえ。そのつもりで支度をして置け」
午《ひる》すぎになって英俊がふたたび来た。
「親分さん。安蔵寺の三人はきのうの朝、一挺の駕籠を吊らせて帰ったそうです」
「駕籠は一挺か」と、半七は少し考えた。「そこで、どうだろう。その頭《かしら》の坊主は……」
「昌典という人はまだ残っているらしいのです」
「よし。じゃあ、すぐに出かけよう。一日の違いなら何とかなるだろう。もう一日早ければ訳はなかったのだが、どうも仕方がねえ」
半七は二人の子分をつれて、俄かに甲州街道の方角へ旅立ちすることになった。かれは見識り人として英俊をも連れて行かなければならなかったが、まだ十三の少年が足の早い彼等と共にあるくことは出来そうもないのと、彼等もゆく手を急ぐのとで、四挺の駕籠を雇って神田を出たのは其の日の八ツ(午後二時)を過ぎた頃であった。
先をいそぐ四人は御用の旅という触れ込みで、むやみに駕籠を急がせた。新宿で駕籠をかえて其の晩のうちに府中の宿《しゅく》まで乗りつけた。あくる朝七ツ(午前四時)ごろに宿屋を立って、日野、八王子、駒木野、小仏、小原、与瀬、吉野、関野、上の原、鶴川、野田尻、犬目、下鳥沢、鳥沢の宿々あわせて十六里あまりを駕籠で急がせた。自分たちはともかくも、旅馴れない上に年のゆかない英俊がもし途中で弱るようなことがあってはならないと、立場《たてば》々々へ着くたびに半七はかれに気つけ薬を飲ませて介抱したが、英俊はちっとも弱らなかった。彼は一刻も早くお師匠さまを救ってくれと、そればかりを繰り返していた。
「お小僧さん、なかなか強いな」と、子分たちも励ますように云った。
鳥沢の宿へはいったのは夜の五ツ頃で、夕方から細かい雨がしとしとと降り出していた。今夜のうちに次の宿の猿橋まで乗り込みたいと思ったが、あいにくに雨が降るのと、駕籠屋も疲れ切っているのとで、半七はここで今日の旅を終ることにして、駕籠のなかから声をかけた。
「おい、若い衆さん。この宿《しゅく》でどこかいい家《うち》へつけてくれ」
「はい、はい」
雨はだんだん強くなって来たのと、泊まりの時刻をもう過ぎたのとで、暗い宿《しゅく》の旅籠屋《はたごや》では大戸をおろしているのもあった。四挺の駕籠が宿の中まで来かかると、左側の小さい旅籠屋のまえに一挺の駕籠のおろされているのが眼についたので、半七は自分の駕籠の垂簾《たれ》をあげて透かして視ると、その駕籠は今この旅籠屋に乗りつけたらしく、駕籠のそばには二人の男が立っていた。ひとりは内にはいって店の番頭となにか掛け合っているらしかった。その三人がいずれも旅僧であることを覚った時、半七はすぐに自分の駕籠を停めさせた。その合図を聞いて子分の松吉と亀八もつづいて駕籠を出た。英俊も出た。四人は雨のなかを滑りながら駈け出して、ばらばらとその旅籠屋の店さきへはいった。
駕籠の脇に立っている旅僧の一人は、英俊の顔をみて俄かにうろたえたらしく、あわててほかの僧を見かえる間に、松吉と亀八はもうそのうしろを取りまくように迫っていた。
「失礼でございますが、このお駕籠にはどなたがお乗りです」と、半七は丁寧に訊《き》いた。
ふたりの僧は黙っていた。
「では、御免を蒙《こうむ》って、ちょっとのぞかせて頂きます」
再び丁寧にことわって、半七は桐油紙《とうゆ》を着せてある駕籠の垂簾《たれ》を少しまくりあげると、中には白い着物を着ている僧が乗っていた。英俊は泣き声をあげてその前にひざまずいた。
「お師匠さま」
僧は眼を動かすばかりで、口を利かなかった。彼はいつまでも無言であった。英俊は彼の袖にすがって再び呼んだ。
「お師匠さま」
無言の僧は時光寺の住職英善であった。かれが無言であるのは、声を出すことの出来ないような一種の薬を飲まされていたのであった。
「もうここまで来れば、あとは詳しく云うまでもありますまい」と、半七老人は云った。「ところで、なぜこんな事件が起ったかというと、この宗旨の本山の方に何か面倒な事件があって、こんにちの詞《ことば》でいえば、本山擁護派と本山反対派の二派にわかれて暗闘を始めていたというわけなんです。それがだんだんに激しくなって、本山の方からも幾人かの坊主が出府《しゅっぷ》して、江戸の末寺を説き伏せようとする。末寺の方では思い思いに党を組んで騒ぎ立てる。その中でも時光寺の住職は有力な反対派の一人、まかり間違えば寺社奉行へまで持ち出して裁決を仰ごうという意気込みなので、本山派の方で持て余して、なんとかしてこの住職をなき者にしよう……。といって、出家同士のことですから、まさか殺すわけにも行かないので、この住職を本山へ連れて行って、当分押し込めて置こうということになったのです。そこで、住職がいつの晩には根岸の檀家へ出かけて行くというのを知って、帰る途中を待ち受けて、腕ずくで取っつかまえて下谷坂本の安蔵寺という本山派の寺へ連れ込んでしまったのです。そうして、口を利くことの出来ないように、毒薬を飲ませたのだそうです」
「そうなると、例の狐はその身代りなんですね」
「そうです、そうです」と、老人はうなずいた。「一ヵ寺の住職がただ消えてなくなったというのでは、詮議がむずかしかろうという懸念から、住職の袈裟《けさ》や法衣《ころも》をはぎ取って、それを狐に着せて……。いや、今からかんがえると子供だましのようですが、それでもよっぽど知恵を絞ったのでしょう」
「ところで、大切の仏像というのはどうしたんです。やはりその住職が持っていたんですか」
「いつの代でも、なにかの問題で騒ぎ立てれば相当の運動費がいります。時光寺は本来小さい寺である上に、住職が本山反対運動に奔走しているので、その内証は余程苦しい。まして寺社奉行へでも持ち出すとすれば、また相当の費用もかかる。それらの運動費を調達するために、住職は大切の秘仏をそっと持ち出して、それを質《かた》に伊賀屋から幾らか借り出そうとして、仏事の晩にそれを厨子《ずし》に納めて持ち込んだのですが、ほかに大勢の人がいたので云い出す機《おり》がなくって一旦は帰ったのです。しかしどうしても金の入用に迫っているので、途中から小坊主を帰して、自分ひとりで伊賀屋へまた引っ返す途中、運悪く本山派の罠《わな》にかかって、持っていた厨子は無論に取りあげられてしまったのですが、その時に住職が手早く仏像だけをぬき出して自分の袂《たもと》へ隠したのを、相手の者は気がつかなかったと見えます」
「その落着《らくぢゃく》はどうなりました」
「事件もこうなると大問題です」と、老人は眉をしかめて云った。「無論に寺社方の裁判になりました。本山から出府している坊主は十一人ありましたが、ほかの寺に宿を取っていた七人はこの事件に関係がないというので免《ゆる》されました。安蔵寺に泊まっていた四人、その三人は住職の駕籠について行き、一人は江戸に残っていましたが、いずれも召し捕って入牢《じゅろう》申し付けられ、その中で二人は牢死、二人は遠島になりました。時光寺の納所《なっしょ》の善了も本山派に内通していたという疑いをうけて、寺を逐《お》い出されたそうです。この事件も手をひろげたら随分大きくなるでしょうが、本山の方へは一切《いっさい》手を着けずに、江戸だけで片付けてしまいましたから、前にいった四人のほかには罪人も出ませんでした。時光寺の住職はその後に療治をして、すこしは声が出るようになったので、やはり元の寺に勤めていましたが、上野の戦争のときに彰義隊の落武者をかくまったというので、寺にも居にくくなって、京都の方へ行ったそうです。英俊は利口な小僧で、その時に師匠と一緒に行って、今では京都の大きい寺の住職になっていると聞きました。なにしろこの探索では小坊主が大立物《おおだてもの》で、その口から本山派と反対派の捫著《もんちゃく》を聴いたので、わたくしもそれから初めて探索の筋道をたてたようなわけですからね。今でも時々あるようですが、むかしも寺々の捫著はたびたびで、寺社奉行を手古摺《てこず》らせたものですよ」
併しそこにまだ一つの疑問が残されていた。それは時光寺の住職がかの事件の起る以前からと俄かに犬を嫌うようになったということである。私はそれを聞きただすと、老人は笑って答えた。
「それはなんにも係り合いのないことなんです。住職が犬を嫌うようになったというので、おそらく狐が化けていたのだろうなどという疑いも起って来たんですが、だんだん調べてみると斯《こ》ういうわけでした。住職は出家のことで、ふだんから畜類を可愛がっていたんですが、本山反対の運動を起してから、こんにちの詞《ことば》でいえば神経が興奮したとでもいうのでしょう。なんだか苛々《いらいら》したような気分になって、今まで可愛がっていた犬などにも眼をくれず、犬の方から尻尾《しっぽ》をふって近寄っても、怖い顔をして追っ払うという風になった。そこへ例の一件が出来《しゅったい》したもんですから、それが又何だか仔細ありげに云い触らされるようになったのです。一体この事件にかぎらず、わたくし共の方ではよくこんな事でいろいろ思い違いや見込み違いをすることがあります。無事の時ならばなんでもないことが、大仰《おおぎょう》に仔細ありげに考えられますから、よっぽど注意しないといけません。探索という上から見れば、髪の毛一本でも決して見逃がしてはなりませんが、所詮《しょせん》は大体のうえに眼をつけて、それから細かいところへ踏み込んで行かないと、前にも云ったような、飛んだ見込み違いで横道へそれてしまうことがありますよ」
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女行者
一
明治三十二年の秋とおぼえている。わたしが久松町の明治座を見物にゆくと、廊下で半七老人に出逢った。
「やあ、あなたも御見物ですか」
わたしの方から声をかけると、老人も笑って会釈《えしゃく》した。そこはほんの立ち話で別れたが、それから二、三日過ぎてわたしは赤坂の家をたずねた。半七老人の劇評を聞こうと思ったからである。そのときの狂言は「天一坊《てんいちぼう》」の通しで、初代左団次の大岡越前守、権十郎の山内伊賀之助、小団次の天一坊という役割であった。
わたしの予想通り、老人はなかなかの見巧者《みこうしゃ》であった。かれはこの狂言の書きおろしを知っていた。それは明治八年の春、はじめて守田座で上演されたもので、彦三郎の越前守、左団次の伊賀之助、菊五郎の天一坊、いずれも役者ぞろいの大出来であったなどと話した。
「御承知の通り、江戸時代には天一坊をそのままに仕組むことが出来ないので、大日坊とか何とかいって、まあいい加減に誤魔化していたんですが、明治になったのでもう遠慮はいらないということになって、講釈師の伯円が先ず第一に高座《こうざ》で読みはじめる。それが大当りに当ったので、それを種にして芝居の方でも河竹が仕組んだのですが、それが又大当りで、今日までたびたび舞台に乗っているわけですが、やっぱり書きおろしが一番よかったようですな。いや、こんなことを云うから年寄りはいつでも憎まれる。はははははは」
芝居の話がだんだん進んで、天一坊の実録話に移って来た。
「天一坊のことはどなたも御承知ですが、江戸時代には女天一坊というのも随分あったもんですよ」と、老人は云った。「尤《もっと》もそこは女だけに、将軍家の御落胤《ごらくいん》というほどの大きな触れ込みをしないで、男の天一坊ほどの評判にはなりませんでしたが、小さい女天一坊は幾らもありましたよ。そのなかで、まず有名なのは日野家のお姫様一件でしょう。あれはたしか文化四年四月の申渡《もうしわた》しとおぼえていますが、町奉行所の申渡書では品川|宿《じゅく》旅籠屋《はたごや》安右衛門|抱《かかえ》とありますから、品川の貸座敷の娼妓ですね。その娼妓のお琴《こと》という女が京都の日野《ひの》中納言家《ちゅうなごんけ》の息女だと云って、世間の評判になったことがあります。その頃、公家《くげ》のお姫様が女郎《じょろう》になったというのですから、みんな不思議がったに相違ありません。お琴は奉公中に主人の店をぬけだして、浅草源空寺門前の善兵衛というものを家来に仕立て、例の日野家息女をふりまわして、正二位|内侍局《ないじのつぼね》とかいう肩書《かたがき》で方々を押し廻してあるいていることが奉行所の耳へきこえたので、お琴も善兵衛も吟味をうけることになりました。しかし奉行所の方でも大事を取って、一応念のために京都へ問いあわせたのですが、日野家では一切知らぬという返事であったので、結局お琴は重追放、善兵衛は手錠を申し渡されて、この一件は落着《らくぢゃく》しました。なぜそんな偽りを云い触らしたのか判りませんが、おそらく品川の借金をふみ倒した上で、なにか山仕事を目論《もくろ》もうとして失敗したもので、つまりこんにちの偽《にせ》華族というたぐいでしたろう。それが江戸じゅうの噂になったので、狂言作者の名人南北がそれを清玄《せいげん》桜姫のことに仕組んで、吉田家の息女桜姫が千住《せんじゅ》の女郎になるという筋で大変当てたそうです。その劇場は木挽町《こびきちょう》の河原崎座で『桜姫東文章《さくらひめあずまぶんしょう》』というのでした。いや、余計な前置きが長くなりましたが、これからお話し申そうとするのは、その日野家息女一件から五十幾年の後のことで、文久元年の九月とおぼえています」
八丁堀同心岡崎長四郎からの迎えをうけて、半七はすぐにその屋敷へ出かけて行った。それは秋らしい雨のそぼ降る朝であった。
「悪いお天気で困ります」
「よく降るな。秋はいつもこれだ、仕方がねえ」と、岡崎は雨に濡れている庭先をながめながら欝陶《うっとう》しそうに云った。
「いや、この降るのに気の毒だが、ちっと調べて貰いたい御用がある。この頃、茅場町《かやばちょう》に変な奴があるのを知っているか」
「へえ」と、半七は首をかしげた。
「尤《もっと》も、この頃は変な奴がざらに転《ころ》がっているから、唯そればかりじゃあ判断がつくめえ」
岡崎はちょっと笑い顔をみせたが、又すぐにまじめになった。
「変な奴の正体は女の行者《ぎょうじゃ》だ。案外に年を食っているかも知れねえが、見たところは十七か十八ぐらいの美しい女で、何かいろいろの祈祷《きとう》のようなことをするのだそうだ。まあ、それだけなら見逃がしても置くが、そいつがどうも怪《け》しからねえ。女がいい上に、祈祷が上手だというので、この頃ではなかなか信者がある。この信者のなかで工面《くめん》のよさそうな奴を奥座敷へ引き摺り込んで、どう誤魔化すのか知らねえが、多分の金を寄進させるという噂だ。男だけならば色仕掛けという狂言かとも思うが、そのなかには女もいる。いい年をした爺さんも婆さんもある。それがどうも腑《ふ》に落ちねえ。いや、まだ怪しからねえのは、そいつが京都の公家《くげ》の娘だと云っているそうだ。冷泉為清《れいぜいためきよ》卿の息女で、左衛門局《さえもんのつぼね》だとか名乗って、白の小袖に緋《ひ》の袴《はかま》をはいて、下げ髪にむらさき縮緬《ちりめん》の鉢巻のようなものをして、ひどく物々しく構えているが、前にもいう通り、容貌《きりょう》は好し、人品はいいので、なかなか神々《こうごう》しくみえるということだ。どうだ、ほんものだろうか」
「そうですねえ」と、半七は再び首をかしげた。「京都へお聞きあわせになりましたか」
「勿論、念のために聞き合わせにやってある。その返事はまだ判らねえが、冷泉為清という公家はいねえという話だ。といったら、考えるまでもなく、それは偽者だというだろうが、なにぶんにも今の時節だ。ひょっとすると、ほんとうの公卿の娘が何かの都合でいい加減の名をいっているのかも知れねえからな。そこが詮議ものだ」
「ごもっともでございます」
半七もうなずいた。今の時節――勤王討幕の議論が沸騰している今の時節では、仮りにも京都の公家にゆかりがあるという者、それは厳重に詮議しなければならない。殊に祈祷にことよせて、多分の金銀をあつめるなどとは聞き捨てにならない。討幕派の軍用費調達というほどの大仕掛けではなくとも、江戸をあばれ廻る浪士どもの運動費調達ぐらいのことは無いともいわれない。岡崎が懸念するのも無理はないと思ったので、半七はすぐにその探索に取りかかることを受け合って帰った。
かれは神田の家へ帰って、子分の多吉を呼んだ。多吉はその話を聞かされて頭をかいた。
「親分、申し訳ありません。その女の行者のことは、このあいだからわっしもちらりと聞き込んでいたんですが、ついその儘にして置いて、八丁堀の旦那に先手をうたれてしまいました。こいつは大しくじり、あやまりました。だが、あの辺は瀬戸物町の持ち場じゃありませんか」
「瀬戸物町もこの頃はひどく弱ったからな」と、半七は考えながら云った。
多吉のいう通り、茅場町辺の事件ならば、そこは瀬戸物町の源太郎という古顔の岡っ引がいるので、当然彼がその探索を云い付けられる筈であるが、源太郎はもう老年のうえに近来はからだも弱って昔のような活動も出来なくなった。子分にもあまり腕利《うでき》きがなかった。それらの事情で今度のむずかしい探索は特に半七の方へ重荷をおろされたのであろう。それを思うと、彼はいよいよ責任の重いのを感じないわけには行かなかった。
「多吉。まあ、しっかりやってくれ。なにしろ其の行者という奴が一体どんなことをするのか、それを先ず詳しく詮議しなければなるめえ。なんとかして手繰《たぐ》り出してくれ」
「ようがす。一つ働きましょう」
事件の性質が重大であるのと、ひとの縄張りへ踏み込んで働くという一種の職業的興味とで、年若い多吉は勇み立って出て行ったが、普通の人殺しや物盗りなどとは違って、事件の範囲も案外に広いかも知れないという懸念があるので、半七は更に下っ引の源次をよび付けた。こういう事件には、なまじ其の顔を識られている手先よりも、秘密に働いている下っ引の方がかえって都合がいいかも知れないと思ったからである。
相手が京都の公家の娘で、問題が勤王とか討幕とかいう重大事件であるから、下っ引の源次はすこし躊躇した。これは自分の手にも負えそうもないから、誰か他人《ひと》に引き受けさせてくれと一応は断わったが、半七から説得されてとうとう受け合って帰った。きょうの雨は日の暮れるまで降りつづけて、宵から薄ら寒くなったが、多吉も源次も帰って来なかった。
「何をしていやあがるのか。いや、無理もねえ。あいつらにはちっと荷が重いからな」
こう思って、半七は気長に待っていると、その夜の四ツ(午後十時)過ぎに多吉が帰って来た。
「よく降りますね」
「やあ、御苦労。そこで早速だが、ちっとは種が挙がったか」と、半七は待ち兼ねたように訊《き》いた。
「まだ十分というわけには行きませんが、少しは種を洗い出して来ました」と、多吉は得意らしく云った。
「まあ、聴いておくんなせえ。その行者というのはまったく十七八ぐらいに見えるそうです。すてきに容貌《きりょう》のいい上品な女で、ことばも京なまりで、まあ誰がみてもお公家さまの娘という位取りはあるそうですよ。なんでも高い段のようなものを築いて、そこへ御幣《ごへい》や榊《さかき》をたてて、座敷の四方には注連《しめ》を張りまわして、自分も御幣を持っていて、それを振り立てながら何か祷《いの》りのようなことをするんだそうです」
「どんな祷りをするんだろう」
「やっぱり家運繁昌、病気平癒、失《う》せもの尋《たず》ねもの、まあ早くいえば世間一統の行者の祈祷に、うらないの判断を搗《つ》きまぜたようなもので、それがひどく効目《ききめ》があるというので、ばかに信仰する奴らがあるようです。なんでも毎日五六十人ぐらいは詰めかけるといいますから、随分|実入《みい》りがあることでしょう。祈祷料は思召《おぼしめ》しなんですけれど、ひとりで二|歩《ぶ》三歩も納める奴があるそうですから、たいしたものです」
「それはまあそれとして、その行者は工面のよさそうな信心ものを奥へ連れ込んで、なにか秘密の祈祷をして多分の金を寄進させるというじゃあねえか。それはどうだ」
「それもあるらしいんです」と、多吉はうなずいた。「だが、それはいっさいの秘密の行法《ぎょうほう》で、うっかり口外すると一年|経《た》たねえうちに命がなくなると嚇《おど》かされているので、誰もはっきりと云うものがねえそうです。それに、その秘密を行なうのはいつでも夜なかときまっていて、どこの誰が秘密の祈りをして貰ったということが他人《ひと》に知れると、その験《げん》がないというので、秘密の祈りを頼むものは世間がみんな寝静まった頃に、顔を隠したり、姿を変えたりして、そっと裏口から出入りをしているので、誰だかよく判らないということです。行者の奴め、なかなかうまく考えたもんですよ」
「むむ」と、半七は又かんがえた。「そのほかに何か浪人らしい者の出這入りする様子はねえか」
「それは聞きませんでした」
「行者の家には、当人のほかにどんな奴らがいる」と、半七は訊いた。「なにか、弟子のような者でもいるのか」
「五十ばかりの男と、十五六になる小娘と、ほかに台所働きのような女が二人いるそうですが、台所働きはこのごろ雇った山出しの奉公人で、祈祷の方のことは一切《いっさい》その男と小娘とが引き受けてやっているんだそうです」
多吉の報告はそれだけであった。
二
あくる朝になって源次が来た。
「親分。多吉さんの方で面白いことが手に入りましたかえ」
「面白いというほどのことも判らねえが、まあ少しばかり眼鼻をつけて来た。そこで、おめえの方はどうだ」と、半七はすぐに訊いた。
「わたくしの方でも取り立ててこうというほどの種は挙がりませんが、唯ひとつ、妙なことを聞き出しましたよ。葺屋町《ふきやちょう》に炭団《たどん》伊勢屋という大きい紙屋があります。何代か前の先祖は炭屋をしていたとかいうので、世間では今でも炭団伊勢屋といっているんですが、地所|家作《かさく》は持っていて、身上《しんしょう》はなかなかいいという評判です。その伊勢屋の息子が此の頃すこし乱心したようになって……。息子は久次郎といって、ことし二十歳《はたち》になるんですが、俳優《やくしゃ》の河原崎権十郎にそっくりだというので、権十郎息子というあだ名をつけられて、浮気な娘なんぞは息子の顔みたさに、わざわざ遠いところから半紙一帖ぐらいを伊勢屋まで買いに来るようなわけで、かたがた其の店も繁昌していたんですが、例の行者のところへ行って来てから、なんだか少し気が変になったというんです」
「その息子も祈祷をたのみに行ったのか」
「久次郎のおふくろというのが、その春の末頃から性《しょう》の知れない病気でぶらぶらしているので、茅場町に上手な行者があるという噂をきいて、一度見て貰いに行ったのが病みつきになってしまったんです」
久次郎も世間の噂に釣り込まれて、最初は半信半疑で母のお豊を連れてゆくと、神のように美しい行者はお豊をひと目見て、これは怪しい獣《けもの》の祟りである、自分の祈祷できっと本復させてやると云った。久次郎もそれを信用して、なにぶんお頼み申すと云うと、行者はお豊を神壇の前に坐らせて、一種のおごそかな祈祷を行なってくれた。その効験は著しいもので、お豊はそのあくる朝から神気《しんき》がさわやかになって、七日ほどの後には元の達者なからだに回復した。それだけでも、伊勢屋一家の信仰を買うには十分であって、伊勢屋からは少なからぬ奉納物を神前にささげた。取り分けて久次郎は美しい行者を尊崇した。
かれが奉納物を持参したときに、行者は久次郎の顔をつくづく眺めながら云った。
「はて因果はおそろしい。おふくろ様ばかりでなく、おまえにも同じ祟りが付きまとうています。その禍いの来たらぬうちに、早くお祓《はら》いをなされてはどうでございます」
あくまでかれを尊崇している久次郎に異存のあろう筈はなかった。かれはその日からすぐに祈祷をたのむことになったが、行者は一七日《いちしちにち》のあいだ日参《にっさん》しろと云った。久次郎は勿論その指図通りにした。初めの三日は昼のうちに通っていたが、四日目からは奥の一と間で秘密の祈祷をうけることになって、夜ふけを待って通っていた。しかし其の一七日を過ぎても、かれの祈祷は終らなかった。行者は更に一七日の参詣をつづけろというと、久次郎はやはりその指図にそむかなかった。かれは毎晩かかさず通いつづけていた。
行者を信仰している伊勢屋では、久次郎の日参を怪しまなかった。母のお豊はむしろ我が子をすすめて出してやるほどであったが、久次郎の参詣が初めの一七日が過ぎて更に二七日となり、又もや三七日となり、四七日とつづくようになったので、店の番頭どもは少し不安を感じて来た。おふくろの病気は唯一度の祈祷で平癒したのに、息子の病気、しかも差し当ってはどうということもない病気が、幾日の祈祷を頼んでも去らないのはどういうわけであろう。殊に夜更けを待って秘密の祈祷をつづけるというのも少しおかしいと、一の番頭の重兵衛が、それとなくお豊に注意したが、かの行者を固く信用しているお豊は絶対に耳を藉《か》さなかった。伊勢屋の主人は五年まえに世を去って、今では後家《ごけ》のお豊がひとり息子の後見《こうけん》役でこの大きな店を踏まえているのであるから、彼女が飽くまで行者を信仰して、わが子の祈祷になんの故障もない限りは、ほかの奉公人どもが強《し》いてそれをさえぎるわけには行かなかった。久次郎はその後も相変らず通いつづけていた。その奉納物は親子二人きりの相談で、店の者共にはよく判らないのであるが、ひと月あまりのあいだに二、三百両を運び込んだらしいと番頭どもは睨んでいた。
そうしているうちに、久次郎の様子がだんだんおかしくなって、この頃はちっとも落ち着かないようになって来た。店に坐っていたかと思うと、不意にどこへかふらふらと出て行ってしまうのである。彼はなんだか魂のぬけた人のようにみえた。権十郎息子の顔色がひどく蒼ざめて来た。
「まあ、こういうわけで、店の若い者や小僧なんぞは、若旦那は気が違ったらしいと云っているんです」と、源次は説明した。
「むむ、気が違ったかも知れねえ」と、半七はほほえんだ。「相手はすばらしく美しい行者というじゃあねえか」
「そうです、そうです。むこうが若い美しい行者で、こっちが権十郎息子というんですからね」と、源次も笑った。
しかし半七は笑ってばかりもいられなかった。単にこれだけの事件であるならば、問題は案外に単純であるが、かの怪しい行者は勤王とか討幕とか、京都の公家の娘とかいう、大きな背景を持っているらしいだけに、半七は迂闊《うかつ》に彼女に手をつけることが出来なかった。軽はずみのことをして、たとい本人だけを引き挙げたところで、ほかの徒党を取り逃がしてしまっては何もならない。うまく工夫して彼等の一類を一網に狩りあげることを考えなければならない。半七は源次に云いつけて、これから毎夜茅場町の近所に網を張って祈祷所へ出入りするものを偵察させることにした。
その日の夕方になって、多吉が再び来た。
「親分、どうも思うような種はあがりませんよ。女の行者はお局《つぼね》様とかお姫《ひい》様とかいっているだけで、ほんとうの名はわかりません。五十ばかりの家来の男は式部といっているそうで、どうも上方《かみがた》生まれに相違ないようです。十五六の小娘は藤江といって、これもなかなか容貌《きりょう》がいいんですけれど、行者のほんとうの妹か身寄りの者か、そこはよく判らないそうです。台所働きはお由とお庄というんですが、これは飯炊きや水汲みに追い使われているだけで、奥の方のことは何も知らないようです」
「ゆうべも云ったことだが、祈祷をたのむ者のほかに誰も出這入りするらしい様子はねえのか」と、半七は念を押して訊いた。
「わっしもそこが大切だと思って近所の者によく訊いてみたり、お由という女中が外へ出るところを捉《つか》まえて、それとなく探りを入れて見たんですが、まったく誰も出這入りをするらしい様子がないんです」
「夜になって祈祷をたのむ奴が幾人ぐらい来る」
「それがこの一と月ほどは一人も来ねえそうです。頼む奴が来ねえのじゃねえ、行者の方でなにか身体《からだ》がわるいとかいうので、夜の祈祷はみんな断わっているんだそうです。だが、その中でたった一人かかさずに来る奴があります」
「紙屋の息子か」
「あ、源次の奴ほじくり出しましたかえ。あいつ油断がならねえ」と、多吉は鼻毛をぬかれたような形で少してれた。「じゃあ、その方は大抵御承知ですね」
「だが、まあ話してみろ」
多吉の報告も源次とあまり違わなかった。そうして、紙屋の久次郎は色仕掛けでたくさんの祈祷料をまきあげられているに相違ないと云った。
「そうだろう。誰が考えても、落ち着くところは同じことだが、ただ困るのは徒党の奴らだ」と、半七は云った。「夜なかに祈祷をたのむ振りをして、姿をかえて入り込むのじゃねえかと思うが、これも此の頃はちっとも来ねえというのじゃあ仕方がねえ。行者の奴らをつかまえるのは何日《いつ》でも出来る。あいつ等はまあ当分は生簀《いけす》にして置いて、ほかから来る奴らに気をつけろ」
多吉は承知して帰った。
それから半月ほど経ったが、多吉も源次も思わしい成績をあげることが出来なかった。その報告はいつも同じことで、夜になっては紙屋の息子のほかに誰も出這入りするものは無いとのことであった。行者の家でも女中が買物に出るほかには、誰も外出するものはないらしかった。
「半七、どうだ。貴様にしてはちっと足が鈍《のろ》いな」
八丁堀同心の岡崎からときどきに催促されて、半七も気が気でなかった。こうなったら仕方がない。まず行者一家の者どもを引き挙げて、それをぶっ叩いて白状させるよりほかあるまいと、かれは内々でその手配りにかかっていると、あしたが池上《いけがみ》のお会式《えしき》という日の朝、多吉があわただしく駈け込んで来た。
「親分、紙屋の息子が二、三日前から姿を隠したようです」
「行者はどうした」と、半七はすぐに訊いた。「まさかに駈け落ちをしたわけでもあるめえ」
「行者はやっぱり家《うち》にいます。それについて、行者の家の式部という奴がなにか紙屋へ掛け合いに行ったらしいんです」
そう云っているところへ源次も来た。
三
今度の事件については、多吉はとかく下っ引の源次に先《せん》を越されていた。源次は多吉の報告以上に、紙屋の息子が姿をかくした事件を詳しく知っていた。
源次の話によると、きのうの午《ひる》過ぎにかの式部が炭団《たどん》伊勢屋へたずねて来て、後家のお豊に厳重な掛け合いを持ち出した。それは当家の伜久次郎どのがお姫様に対して無礼を働いたというのであった。久次郎どのには怪しい獣の悪霊《あくりょう》が付きまとっているので、それを祓《はら》うために毎夜秘密の祈祷を行なっていることは、おふくろ殿もかねて御存じの筈である。本来ならば一七日の祈祷で当然その禍いを祓い得べきであるのに、今度の祈祷に限って不思議にその験《げん》がみえない。更に二七日、三七日、四七日と祈りつづけても、やはりその験のあらわれないのは甚だ不思議に思っていたところが、今になってその仔細が初めて判った。当人の久次郎どのが汚れた心を持っていたからである。久次郎どのは毎夜かかさず通って来るのは、まことの心からの信心ではない。実はお姫様に懸想《けそう》していたのである。現にゆうべの祈祷の休息のあいだに、彼はお姫様をとらえて猥《みだ》らなことを云い出した。実に言語道断の不埒《ふらち》である。
お姫様は勿論それを取り合われる筈はなかった。持っていた幣束《へいそく》で彼の面を一つ打ったままで、無言で奥の間へはいってしまわれたが、それを知った拙者はすぐにその場へ踏み込んで、久次郎の不埒をきびしく叱って、今後決して、参ることは相成らぬと襟髪をつかんで表へ突き出してしまった。久次郎どのは何と云っているか知らないが、事実は全くこの通りであって、お姫様を涜《けが》そうとするのは神を涜そうとするも同じことである。久次郎どの如き言語道断の不埒者はもとより相手にはならない。改めておふくろ殿にお掛け合いをいたすために、こんにち罷《まか》り越した次第であると、式部は形を正しゅうしておごそかに云った。
思いもよらない掛け合いをうけて、お豊は魂が消えるほどにびっくりした。殊に自分は飽くまでもかの尊い行者を信仰しているだけに、わが子の不埒が重々面目なかった。面目ないというよりも、かれは実におそろしかった。彼女は畳に額《ひたい》をうずめて、恐れかしこんでわが子の罪を幾重《いくえ》にも詫びた。かれは当然自分ら親子のうえに落ちかかって来るべき神の御罰をのがれるために、あらためて謝罪の祈祷を嘆願した。祈祷料の二百金は式部のまえに差し出された。式部は容易にそれに手を触れなかったが、結局お姫様の思召しをうけたまわるまで、ともかくもお預かり申して置くということになって、その二百両を受け取って帰った。
式部の帰ったあとで、お豊はすぐ久次郎を奥へ呼んだ。相変らずぼんやりして店へ坐っていた久次郎は、母のまえに出てその詮議をうけたが、かれの答弁はすこぶるあいまいであった。尊い行者を涜そうとした事実について、彼はそれを絶対に否認しようともしなかったので、母はいよいよ悲しみ嘆いて、神罰のおそろしいことをくれぐれも云い聞かせた。今後その汚れた心を入れかえて、身に付きまとった禍いを祓《はら》わなければならないと、涙ながらに説き諭《さと》した。久次郎は黙っておとなしく聴いていた。
日が暮れてから久次郎はいつものようにふらりと何処へか出て行ったが、夜が更けても帰らなかった。伊勢屋でも心配して、念のために式部のところへ聞きあわせてやると、久次郎はきのうから一度もみえないという返事であった。久次郎はその晩も帰らなかった。そうして、今朝になってもまだ帰らないので、伊勢屋ではいよいよ不安を感じた。式部が掛け合いのことはお豊ひとりの胸に秘めて、店の者にはいっさい秘密にしてあったのであるが、もう斯《こ》うなっては匿《かく》しても隠されないので、お豊は番頭どもを呼びあつめて、その秘密を打ちあけた。番頭共には差し当ってどうという確かな見当も付かなかったが、おそらく自分の不埒を恥じ悔んで、面目なさの家出であろうということに諸人の意見が一致した。
家出の動機がそれであるとすると、久次郎の身のうえにかかる不安はいよいよ大きくなって来た。お豊は狂気のようになって騒ぎ出した。かれはすぐに祈祷所へ駈けて行って、久次郎のゆくえを占《うらな》って貰うことにした。番頭の重兵衛は瀬戸物町の源太郎のところへ駈けつけて、秘密にその探索方をたのんだ。親類そのほかの心当りへも使を出した。
この報告を聞いて、半七は膝を立て直した。
「それじゃあ、いよいよ思い切って手入れをしなけりゃあなるめえ。伊勢屋の番頭が瀬戸物町へ駈け込んで、そっちから何かちょっかいを出されると面倒だ」
「すぐにやりますかえ」と、多吉は訊《き》いた。
「むむ、すぐに取りかかろう。相手はその行者と、式部とかいう奴と、藤江という女だ。まずそれだけだな。いや、かかり合わねえといっても、女中ふたりも逃がしちゃあいけねえ。まだほかにどんな奴が忍んでいるかも知れねえ。源次は表向き面出しをするわけにも行かねえんだから、多吉一人じゃあちっと手不足かも知れねえよ。善八でも呼んで来い」
「善八ひとりでたくさんですかえ」
「それでよかろう。なんといっても相手は女だ。そんなに大勢でどやどや押し掛けて行くのも見っともねえ」
多吉はすぐに子分の善八を呼びに行った。源次はその後の模様を探るために、再び炭団伊勢屋の方へ出て行った。半七が身支度をして神田の家を出たのは朝の四ツ(午前十時)過ぎで、会式桜《えしきざくら》もまったく咲き出しそうな、うららかな小春|日和《びより》であった。
半七は途中で買物をして、更になにかの支度をして、日本橋茅場町の祈祷所へたずねてゆくと、以前は誰が住んでいたか知らないが、新らしく作り直したらしく門柱には神教祈祷所という大きな札がかけられて、玄関先に注連《しめ》が張りまわしてあった。六畳ばかりの玄関には十四五人の男や女が押し合うように詰めかけていて、坐り切れない人達は式台の上までこぼれ出していた。半七もおとなしくそこに坐って、自分の順番のくるのを待っていると、そのあとから又五、六人がだんだんはいって来た。そのなかには子分の善八もまじめな顔をしてまじっていた。かれは勿論半七の方を見返りもしないで、ほかの人達となにか小声で話しているらしかった。
一人ひとりの祈祷や占いが可なり長くかかるので、半七は一刻《いっとき》ほども待たされたが、それでも根《こん》よく辛抱していた。先の人が立ち去ると、入れ代りのように後の人がまた詰めかけて来るので、玄関にはいつでも十四五人が待ちあわせている。なるほど、なかなか流行ることだと半七は思っていると、やがて自分の番がまわって来て、かれは正面の祈祷所へ通された。
祈祷所は十五六畳ばかりの座敷で、その構えは先に多吉が報告した通りであった。正面には御簾《みす》を垂れて、鏡や榊や幣束《へいそく》などもみえた。信心者からの奉納物らしい目録包みの巻絹や巻紙や鳥や野菜や菓子折や紅白の餅なども其処《そこ》らにうず高く積まれてあった。若い美しい行者は藁の円座《えんざ》のようなものの上に坐って、手には幣束をささげていた。少し下がったところに、それが彼《か》の式部というのであろう、五十ばかりの如何にも京侍らしい惣髪の男が、白い袴に一本の刀をさして行儀ただしく控えていた。神前をはばかるのか、かれは絶えずうつむいているが、ときどき鋭い上目《うわめ》使いをしてあたりに注意しているらしいのが半七の眼についた。
「どうぞお進みください」と、式部は静かに云った。
「ごめんください」
半七は丁寧に会釈して進み出て、正面の行者の顔をみあげた時、そのそばに一人の若い女が控えているのを更に見いだした。女は白絹の小袖を着て、おなじく白い切袴《きりばかま》をはいていた。それが彼《か》の藤江というのだろうと半七はすぐに覚った。
藤江も美しい少女であったが、正面の座に直っている行者は更にうるわしいものであった。十七八というのは彼女の美に惑わされた報告で、どうしても二十歳《はたち》か、あるいは二十歳を一つ二つぐらいは越えているらしいが、見たところは如何にも若々しかった。彼女は白粉《おしろい》のあつい顔に眉黛《まゆずみ》を濃くして、白い小袖の上に水青の狩衣《かりぎぬ》を着ていた。緋の袴という報告であったが、きょうは白い袴をはいていた。万事の応対はすべて式部が引き受けているので、かれはひと言も口を利かなかった。
「して、御祈祷をおたのみでござるか」と、式部は訊いた。
「はい」と、半七は再び頭《かしら》をさげた。「実はわたくしの母が昨年以来、なにか付き物でも致したようで、時々に取り留めもないことを口走りますので、まことに困り果てて居ります」
何分にもそのお祓《はら》いをお願い申したいと云って、半七は白木の台付きの箱をうやうやしく捧げて出した。箱の形から見て、それは一匹の白絹であるらしかった。式部も会釈《えしゃく》して、その箱をうけ取って、まず行者のまえに押し直すと、行者は幣束を取り直してその箱のうえを一度払った。そうして、神前に供えよと頤《あご》で知らせると、式部は心得てその通りにした。
「お聴きの通りでございますが、お祷《いの》り下さりましょうか」と、式部はあらためて行者に訊くと、彼女はやはり無言でうなずいた。
「では、もっと近うお進みください。御遠慮なく……」
式部は半七を頤でまねいた。半七は会釈して又ひと膝すすみ出ると、行者の衣にはなにかの香が焚《た》き籠《こ》めてあるらしく、蘭奢《らんじゃ》とでもいいそうな一種の匂いが彼の鼻にしみた。
四
行者は半七の顔をひと目みて、さらに何事かを問いたそうに式部を見かえると、半七は声をかけた。
「いえ、一々お取り次ぎは、かえってお願いの筋が通り兼ねるかとも存じます。御用でございましたらば、わたくしから直々《じきじき》に申し上げます」
「いや、そのような失礼があってはならぬ」と、式部はさえぎった。「おたずねのこと、お答えのこと、すべて拙者がうけたまわる。して、こなたの母御は当年何歳で、なんの年の御出生でござるかな」
「母は六十で、戌《いぬ》年の生まれでございます」と、半七は答えた。
「ふだんから何かの御持病でもござるか」
「別にこれということもございませんが、二、三年前から折りおりに癪《しゃく》に悩むことがございます」
「左様でござるか。では、これから御祈祷にかかられます」
式部はうながすように行者の顔色をうかがうと、彼女は形をあらためて神前に向き直ろうとした。その時、半七は再び声をかけた。
「恐れながら申し上げます。この御祈祷におかかり下さる前に、わたくしの御奉納物を一度おあらためを願いたいと存じますが……」
「なんと云わるる」と、式部は少し眉をよせた。「こなたが奉納の品を一応あらためてみろと云われるか」
「どうぞお願い申します」
行者はなんにも云わなかった。式部はすぐに起ちあがって、神前に一旦供えたかの白木の箱を取りおろしてしずかにその蓋《ふた》をあけると、かれの顔色がにわかに変った。半七は黙ってその顔色をうかがっていると、式部は案外におちついた声で云った。
「町人、これはなんでござる」
「御覧の通りでございます」
「どういうわけで、かようなものを持ってまいられた」と、式部は箱のなかの品を睨みながら云った。
行者も横目にその箱をのぞいて、これもにわかに顔の色を変えた。傍にひかえている藤江も伸びあがって一と目みて、身をふるわせるように驚いたらしかった。半七が神前に奉納した箱のなかには、泥だらけの古草履が入れてあった。
「こなたの母には何か付き物がしているとか云うが、こなたにも付き物がしているらしい」と、式部の声はだんだんに尖って来た。「当座のいたずらか、但しは仔細あってのことか。いずれにしても怪《け》しからぬ儀、御神罰を蒙《こうむ》らぬうちに早くお起ちなさい」
「お叱りは重々恐れ入りました」と、半七はあざ笑った。「併しそこにおいでになる行者様は何もかも見透しの尊いお方だとうけたまわって居ります。それほどのお偉いお方がその箱のなかにどんな物がはいっているか、初めからお判りになりませんでしたろうか」
式部もすこし返事に詰まっていると、半七は畳みかけて云った。
「その通り、どんなものでも蓋《ふた》がしてあれば判らない。そのお手際《てぎわ》じゃあ、ここにいる人間もどんなものだか判りますまいね」
「いや、それで判った」と、式部は又にわかに声をやわらげた。「それについて、こなたに少しお話し申したいことがある。お手間は取らせぬ。奥へちょっとお出でくださらぬか」
「折角だが御免を蒙りましょう。こっちが奥へ行くよりも、そっちが表へ出て貰いましょう」
「そこがお話だ。ともかくも奥へ……。どうもここではお話が出来にくい」と、式部はしきりに誘うように云った。
「ええ、うるせえ。出ろと云ったら素直《すなお》に早く出て貰おう」と、半七は小膝を立てながら云った。「おめえばかりじゃあねえ。そこにいる行者様もその巫子《みこ》も、みんな一緒に出てくれ」
「どうしても出ろと云われるか」と、式部は少し身がまえしながら云った。
「くどいな。早く出ろ、早く立て」と、半七もふところの十手を探った。
この場の穏かならない形勢が自然に洩れて、玄関に待ちあわせている人々もざわめいた。中には起ちあがってそっとのぞく者もあった。それをかき分けて善八はつかつかと神前へ踏み込んで来た。
「親分、どうしますえ。お縄ですか」
「どうも素直に行きそうもねえ。面倒でも畳のほこりを立てろ」と、半七は云った。
その声の終らないうちに、式部は腰にさしている一刀をそこへ投げ出して起ったかと思うと、奥の襖を蹴放すようにして逃げ込んだので、半七はすぐに追って行った。こういう徒《やから》の習い、得物《えもの》をわざと投げ出したのは、こっちに油断させる為であろうと、半七は用心しながら追ってゆくと、式部は奥の八畳の間へ逃げ込んで、そこに据えてある唐櫃《からびつ》の蓋をあけようとするところを、半七はうしろからその腕を取った。取られた腕を振り払って、式部はふところに忍ばせてある匕首《あいくち》をぬいた。用心深い半七は彼が必死の切っ先に空《くう》を突かせて、刃物を十手でたたき落した。
式部が唐櫃のまえで引っ縛《くく》られたときに、行者も善八の縄にかかっていた。小娘の藤江は勿論なんの抵抗もなしに引っ立てられた。裏口から廻った多吉は二人の女中に案内させて、戸棚から床下まで穿鑿《せんさく》したが、ほかには誰もひそんでいるらしい形跡もなかった。
その日の夕方に、久次郎の死骸が品川沖に漂っているのを漁師船が発見した。
女の行者は公家の娘ではなかった。勿論、冷泉家の息女などではなかった。しかし彼女の母は公家に奉公したもので、おなじ公家侍のなにがしと夫婦になって、お万とお千という娘ふたりを生んだのだが、六年ほど前に夫婦は流行病《はやりやまい》で殆ど同時に死んだ。たよりのない娘たちは父の朋輩の式部に引き取られたが、その式部もなにかの不埒があって屋敷を放逐されることになったので、かれは二人の美しい娘を連れて、今後のたつきを求めるために関東へ下《くだ》って来た。その途中でふと思い付いたのが祈祷所の仕事であった。
式部は加茂の社《やしろ》に知己《しるべ》の者があったので、祈祷や祓《はら》いのことなどを少しは見聞きしていた。もとの主人が易学を心得ていたので、その道のことも少しは聞きかじっていた。それらを世渡りの手段として、かれは江戸のまん中に祈祷所の看板をかけたのであるが、自分では諸人の信仰を得がたいと思ったので、姉娘の美しいお万を行者に仕立てて、自分がうしろから巧みにそれを操《あやつ》ってゆくことにした。まだその上にも世間の信仰を増すことをかんがえて、かれは堂上方の消息に通じているのを幸いに、都合よく云いこしらえてお万を冷泉の息女であると吹聴《ふいちょう》した。式部自身はその家来と名乗っていた。妹は腰元の藤江に化けていた。この大胆な計画が予想以上に成功して、迷信の強い江戸の人々を見事に瞞着しているうちに、ここに一つの障碍《しょうがい》が起った。それは炭団伊勢屋の息子が母の祈祷をたのみに来たことであった。
母の祈祷だけで済めば、何事もなかったのであるが、伊勢屋が裕福であることを知っている式部は、更にお万に入れ知恵をして息子の久次郎をも釣り寄せることを巧らんだ。久次郎は果たして釣り寄せられて来たが、それが単に信仰ばかりではないらしく見えた。式部はそれを薄々承知のうえで、いろいろの口実を設けて少なからぬ奉納金を幾たびも巻きあげた。
それで済めばよかったのである。式部に取ってはむしろ思う壺にはまったのであったが、だんだん時日を経るあいだに、お万の魂もいつか権十郎息子の方へ引き寄せられてゆくらしく見られて来たので、それに気がついた式部は今更にあわてた。それにはまた二様の意味があった。第一には商売の妨げになることで、尊い行者がその信者と恋に落ちたなどということが世間に洩れた暁には、たちまちその信用を落すのは判り切っていた。もう一つは、遠い昔に妻をうしなって久しく独身《ひとりみ》の生活をつづけていた彼は、江戸へくる途中からすでにお万を自分の物にしていたのであった。冷泉家の息女と云い触らしてある美しい行者を、かれは自分の色と慾との道具に使っていたのであった。そういう秘密がひそんでいるので、この場合にはむしろ第二の理由の方が強い力を以って彼をおびやかした。手の内の玉を奪われようとする式部は、久次郎に対しておさえ切れない嫉妬と憎悪《ぞうお》を感じた。彼は鋭い眼をかがやかして、厳重にふたりの行動を監視していた。
式部の監視がきびしいので、夜なかの秘密の祈祷の場合にも、若い行者と若い男とは膝を突きよせて親しく語るような好機会をあたえられなかった。それでも二人の心と心とがいよいよ熱して、いよいよ触れ合って来るのを式部は決して見逃がさなかった。かれは一方にお万を戒《いまし》めると共に、久次郎を追い遠ざける手段を講じた。一日でも長く釣りよせて置く方が収入《みいり》の上には都合がいいのであるが、式部はもうそんなふところ勘定をしていられなくなった。彼はどんな利益を犠牲にしても、悪魔のような久次郎を追い攘《はら》ってしまわなければならないと決心した。
しかも彼はぬけ目のない一策を案じ出して、ひそかに伊勢屋へ押し掛けて行って、久次郎の母に厳重の掛け合いを申し込んだのであった。久次郎は行者に懸想《けそう》してかれを涜《けが》そうとしたというのである。飽くまでも彼を信仰している母のお豊は唯ひたすらに驚き怖れて、みごとに計画に乗せられたので、式部は思うがままに二百両の金をつかんで帰った。久次郎が母に責められて、その無実を明らかに証明し得なかったのも、やはりその内心に疚《やま》しいところがあったからであった。式部におびやかされ、母に責められても、美しい行者にまつわり付いている彼の魂は、ほかに落ち着くところを見いだし得なかった。かれは今日の掛け合いの事情を問いただすために、日が暮れてからそっと祈祷所へたずねてゆくと、式部はさえぎって内へ入れなかった。行者との面会は勿論ゆるされなかった。心の汚れているお前のような者に祈祷は無用であると、式部は行者の口上を取り次ぐようにして断わった。久次郎は行者の前で一度|懺悔《ざんげ》したいと云ったが、それも許されなかった。式部は何事も行者様のお指図であると云って、かれを表へ突き出してしまった。突き出された久次郎はそれから家へも帰らないで、どこをどうさまよい歩いていたのか判らない。かれは水死の浅ましい亡骸《なきがら》を品川の海に浮かべたのであった。
式部の白状はこの通りで、お万とお千の申し立てもそれに符合していた。八丁堀同心や半七らがうたがっていたような勤王や討幕などの陰謀はまるで跡方もないことで、一種の杞憂《きゆう》に過ぎなかった。かれはやはり初めに云ったような、偽公家《にせくげ》の山師《やまし》であった。その山師におびやかされて、すぐに疑惑と不安の眼を向けるのを見ても、幕末当局者の動揺が思いやられた。
こんなことは長くつづく筈はないので、一万両の金を儲け出したらば、京都へ帰って田地でも買って、安楽に一生を暮らすつもりであったと式部は申し立てた。かれはもう三千両ほどをたくわえて、奥の唐櫃にしまい込んであったのを一切没収された。単にこれだけのことであれば、かれらは追放ぐらいで済んだかも知れなかったのであるが、伊勢屋の伜久次郎の死がこれに関聯しているので、その罪は軽くなかった。
式部は死罪に行なわれた。
お万とお千は追放を申し渡された。美しい姉妹のその後の運命はわからない。
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化け銀杏
一
その頃、わたしはかなり忙がしい仕事を持っていたので、どうかすると三月《みつき》も四月も半七老人のところへ御無沙汰することがあった。そうして、ときどき思い出したように、ふらりと訪ねてゆくと老人はいつも同じ笑い顔でわたしを迎えてくれた。
「どうしました。しばらく見えませんね。お仕事の方が忙がしかったんですか。それは結構。若い人が年寄りばかり相手にしているようじゃあいけませんよ。だが、年寄りの身になると、若い人がなんとなく懐かしい。わたくしのところへ出這入りする人で、若い方《かた》はあなただけですからね。伜はもう四十で、ときどき孫をつれて来ますが、孫じゃあ又あんまり若過ぎるので。はははははは」
実際、半七老人のところへ出入りするのは、みな彼と同じ年配の老人であるらしかった。その故《ふる》い友達もだんだんほろびてゆくと、老人がある時さすがにさびしそうに話したこともあった。ところが、ある年の十二月十九日の宵に、わたしは詰まらない菓子折を持って、無沙汰の詫びと歳暮の礼とをかねて赤坂の家をたずねると、老人は二人連れの客を門口《かどぐち》へ送り出すところであった。客は身なりのなかなか立派な老人と若い男とで、たがいに丁寧に挨拶して別れた。
「さあ、お上がんなさい」
わたしが入れ代って座敷へ通されると、いつも元気のいい老人が今夜はいっそう元気づいているらしく、わたしの顔を見るとすぐ笑いながら云い出した。
「今そこでお逢いなすった二人連れ、あれは久しい馴染《なじみ》なんですよ。年寄りの方は水原忠三郎という人で、わかい方は息子ですが、なにしろ横浜と東京とかけ離れているもんですから、始終逢うというわけにも行かないんです。それでも向うじゃあ忘れずに、一年に三度や四たびはきっとたずねてくれます。きょうもお歳暮ながら訪ねて来て、昼間からあかりのつくまで話して行きました」
「はあ、横浜の人達ですか。道理で、なかなかしゃれた装《なり》をしていると思いましたよ」
「そうです、そうです」と、老人は誇るようにうなずいた。「今じゃあ盛大にやっているようですからね。水原のお父さんの方はわたくしより七つか八つも年下でしょうが、いつも達者で結構です。あの人もむかしは江戸にいたんですが……。いや、それについてこんな話があるんです」
こっちから誘い出すまでもなく、老人の方から口を切って、水原という横浜の商人と自分との関係を説きはじめた。
文久元年十一月二十四日の出来事である。日本橋、通旅籠町《とおりはたごちょう》の家持ちで、茶と茶道具|一切《いっさい》を商《あきな》っている河内屋十兵衛の店へ、本郷森川|宿《じゅく》の旗本稲川|伯耆《ほうき》の屋敷から使が来た。稲川は千五百石の大身《たいしん》で、その用人の石田源右衛門が自身に出向いて来たのであるから、河内屋でも疎略には扱わず、すぐ奥の座敷へ通させて、主人の重兵衛が挨拶に出ると、源右衛門は声を低めて話した。
「余の儀でござらぬが、御当家を見込んで少々御相談いたしたいことがござる」
稲川の屋敷には狩野探幽斎《かのうたんゆうさい》が描いた大幅の一軸がある。それは鬼の図で、屋敷では殆ど一種の宝物として秘蔵していたのであるが、この度《たび》よんどころない事情があって、それを金五百両に売り払いたいというのであった。河内屋は諸大家へも出入りを許されている豪商で、ことに主人の重兵衛は書画に格段の趣味をもっているので、その相談を聞いて心が動いた。しかし自分の一存では返答もできないので、いずれ番頭と相談の上で御挨拶をいたすということに取り決めて、源右衛門をひと先ず帰した。
「しかし当方ではちっと急ぎの筋であれば、なるべく今夜中に返事を聞かせて貰いたいが、どうであろうな」と、源右衛門は立ちぎわに云った。
「かしこまりました。おそくも夕刻までに御挨拶をいたします」
「たのんだぞ」
主人と約束して、源右衛門は帰った。重兵衛はすぐに番頭どもを呼びあつめて相談すると、かれらもやはり商人であるから、探幽斎の一軸に大枚五百両を投げ出すというについては、よほど反対の意見があらわれた。しかし主人は何分にも其の品に惚れているので、結局その半金二百五十両ならば買い取ってもよかろうということに相談がまとまった。先方でも急いでいるのであるから、すぐに使をやらねばなるまいというので、若い番頭の忠三郎が稲川の屋敷へ出向くことになった。忠三郎が出てゆく時に、重兵衛はよび戻してささやいた。
「大切なお品を半金に値切り倒すといっては、先様《さきさま》の思召《おぼしめ》しがどうあろうも知れない。万一それで御相談が折り合わないようであったならば、三百五十両までに買いあげていい。ほかの番頭どもには内証で、別に百両をおまえにあずけるから、臨機応変でいいように頼むよ」
内証で渡された百両と、表向きの二百五十両とを胴巻に入れて、忠三郎は森川宿へ急いで行った。用人に逢って先ず半金のかけあいに及ぶと、源右衛門は眉をよせた。
「いかに商人《あきんど》でも半金の掛合いはむごいな。しかし殿様がなんと仰しゃろうも知れない。思召しをうかがって来るからしばらく待て」
半|刻《とき》ほども待たされて、源右衛門はようよう出て来た。先刻から殿様といろいろ御相談を致したのであるが、なにぶんにも半金で折り合うわけには行かない。しかし当方にも差し迫った事情があるから、ともかくも半金で負けておく。勿論、それは半金で売り渡すのではない。つまり二百五十両の質《かた》にそちらへあずけて置くのである。それは向う五年間の約束で、五年目には二十五両一歩の利子を添えて当方で受け出すことにする。万一その時に受け出すことが出来なければ、そのまま抵当流れにしても差しつかえない。どうか其の条件で承知してくれまいかというのであった。
忠三郎もかんがえた。自分の店は質屋渡世でない。かの一軸を質に取って二百五十両の金を貸すというのは少し迷惑であると彼は思った。しかし主人があれほど懇望《こんもう》しているのを、空手《からて》で帰るのも心苦しいので、彼はいろいろ思案の末に先方の頼みをきくことに決めた。
「いや、いろいろ無理を申し掛けて気の毒であった。殿様もこれで御満足、拙者もこれで重荷をおろした」と、源右衛門もひどく喜んだ。
二百五十両の金を渡してすぐ帰ろうとする忠三郎をひきとめて、屋敷からは夜食の馳走が出た。源右衛門が主人になって酒をすすめるので、少しは飲める忠三郎はうかうかと杯をかさねて、ゆう六ツの鐘におどろかされて初めて起った。
「大切の品だ。気をつけて持ってゆけ」
源右衛門に注意されて、忠三郎はその一軸を一応あらためた上で、唐桟《とうざん》の大風呂敷につつんだ。軸は古渡《こわた》りの唐更紗《とうさらさ》につつんで桐の箱に納めてあるのを、更にその上から風呂敷に包んだのである。彼はそれを背負って屋敷から貸してくれた弓張提灯をとぼして、稲川の屋敷の門を出た。ゆう六ツといってもこの頃は日の短い十一月の末であるから、表はすっかり暗くなっていた。しかも昼間から吹きつづけてた秩父|颪《おろし》がいつの間にか雪を吹き出して、夕闇のなかに白い影がちらちらと舞っていた。
傘を持たない忠三郎は、大切な品を濡らしてはならないと思って、背中から風呂敷包みをおろして更に左の小脇にかかえ込んだ。森川宿ではどうにもならないが、本郷の町まで出れば駕籠屋がある。忠三郎はそれを的《あて》にして雪のなかを急いだ。幸いに雪は大したことでもなかったが、やがて小雨《こさめ》が降り出して来た。雪か霙《みぞれ》か雨か、冷たいものに顔を撲たれながら、彼は暗い屋敷町をたどってゆくうちに、濡れた路に雪踏《せった》を踏みすべらして仰向《あおむ》きに尻餅を搗いた。そのはずみに提灯の火は消えた。
別に怪我もしなかったが、提灯を消したのには彼は困った。町まで出なければ火を借りるところは無い。そこらに屋敷の辻番所はないかと見まわしながら、殆ど手探り同様でとぼとぼ辿《たど》ってゆくと、雨は意地悪くだんだんに強くなって来た。寒さに凍《こご》える手にかの風呂敷包みをしっかり抱えながら、忠三郎は路のまん中らしいところを歩いてくると、片側に薄く明るい灯のかげが洩れた。頭のうえで寝鳥の羽搏《はばた》きがきこえた。忠三郎はうすい灯のかげに梢を見あげてぎょっとした。それは森川宿で名高い松円寺の化け銀杏であった。銀杏は寺の土塀から殆ど往来いっぱいに高く突き出して、昼でもその下には暗い蔭を作っているのであった。
この時代にはいろいろの怪しい伝説が信じられていた。この銀杏の精もときどきに小児《こども》に化けて、往来の人の提灯の火を取るという噂があった。又ある人がこの樹の下を通ろうとすると、御殿風の大女房が樹梢《こずえ》に腰をかけて扇を使っていたとも伝えられた。ある者は暗闇で足をすくわれた。ある者は襟首を引っ掴んでほうり出された。こういう奇怪な伝説をたくさん持っている化け銀杏の下に立ったときに、忠三郎は急に薄気味悪くなった。昼間は別になんとも思わなかったのであるが、寒い雨の宵にここへ来かかって、かれの足は俄かにすくんだ。しかし今更引っ返すわけにも行かないので、彼はこわごわにその樹の下を通り過ぎようとする途端である。氷のような風が梢からどっと吹きおろして来たかと思うと、かれのすくめた襟首を引っ掴んで、塀ぎわの小さい溝《どぶ》のふちへ手ひどく投げ付けた者があった。忠三郎はそれぎりで気を失ってしまった。
風は再びどっと吹きすぎると、化け銀杏は大きい身体《からだ》をゆすって笑うようにざわざわと鳴った。
二
「もし、おまえさん。どうしなすった。もし、もし……」
呼び活《い》けられて忠三郎は初めて眼をあくと、提灯をさげた男が彼のそばに立っていた。男は下谷《したや》の峰蔵という大工で、化け銀杏の下に倒れている忠三郎を発見したのであった。
「ありがとうございます」
云いながら懐中《ふところ》へ手をやると、主人から別に渡された百両の金は胴巻ぐるみ紛失していた。驚いて見廻すと、抱えていた一軸も風呂敷と共に消えていた。自分の羽織も剥《は》がれていた。忠三郎は声をあげて泣き出した。
峰蔵は親切な男で、駒込《こまごめ》まで行かなければならない自分の用を打っちゃって置いて、泥だらけの忠三郎を介抱して、ともかくも本郷の通りまで連れて行って、自分の知っている駕籠屋にたのんで彼を河内屋まで送らせてやった。河内屋でも忠三郎の遅いのを心配して、迎いの者でも出そうかといっているところへ、半分は魂のぬけたような忠三郎が駕籠に送られて帰って来たので、その騒ぎは大きくなった。勿論捨てて置くべきことではないので、稲川の屋敷へも一応ことわった上で、その顛末《てんまつ》を町奉行所へ訴え出た。
なにぶんにも暗やみであるのと、投げられるとすぐ気を失ってしまったのとで、忠三郎はなんにも心当りがなかった。しかしそれが化け銀杏の悪戯《いたずら》でないことは判り切っていた。彼を引っ掴んだのは化け銀杏であるとしても、かれの所持品や羽織までも奪いとって立ち去った者はほかにあるに相違ない。本郷の山城屋金平という岡っ引がその探索を云い付けられたが、金平はあいにく病気で寝ているので、その役割が隣りの縄張りへまわって、神田の半七が引き受けることになった。
「稲川の屋敷の奴が怪しい」
半七は先ずこう睨《にら》んだ。忠三郎を酔わして帰して、あとから尾《つ》けて来てその一軸を取り返してゆく。悪い旗本にはそんな手段をめぐらす奴がいないともいえない。そこで手を廻してだんだん探ってみると、稲川の主人は行状のいい人で、今度大切の一軸を手放すというのも、自分の知行所がこの秋ひどい不作であったので、その村方の者どもを救ってやるためであるということが判った。それほどの人物が追剥ぎ同様の不埒を働く筈がない。半七は更にほかの方面に手をつけなければならなくなった。
「おい、仙吉。おめえに少し用がある」と、彼は子分の一人を呼んだ。「今夜からふた晩三晩、あの化け銀杏の下へ行って張り込んでいてくれ。それも黙っていちゃあいけねえ。なにか鼻唄でも歌って、木の下をぶらりぶらり行ったり来たりしているんだ。寒かろうが、まあ我慢してやってくれ。おれも一緒にいく」
日が暮れるのを待って半七と仙吉は松円寺の塀の外へ行った。半七は遠く離れて、仙吉ひとりが鼻唄を歌いながら木の下をうろ付いていたが、四ツ(午後十時)を過ぎる頃まで何も変ったことはなかった。
「百両の仕事をして、ふところがあったけえので、当分出て来ねえかな」
それでも二人は毎晩|根《こん》よく網を張っていると、十一月の晦日《みそか》の宵である。まだ五ツ(午後八時)を過ぎたばかりの頃に、低い土塀を乗り越して一つの黒い影のあらわれたのを、半七は星明かりで確かに見つけた。仙吉は相変らず鼻唄を歌って通った。黒い影は塀のきわに身をよせてじっと窺っているらしかったが、忽ちひらりと飛びかかって仙吉の襟髪をつかんだ。覚悟はしていながらも余り器用に投げられたので、仙吉は意気地なくそこへへたばってしまった。それでも物に馴れているので、かれは倒れながら相手の足を取った。
それを見て半七もすぐに駈け寄ったが、もう遅かった。黒い影は仙吉を蹴放して、もとの塀のなかへ飛鳥のように飛び込んでしまった。
「畜生。ひどい目に逢わせやがった」と、仙吉は泥をはらいながら起きた。「だが、親分。もう判りました。あんないたずらをする奴は寺の坊主に相違ありませんよ。わっしのそばへ寄って来たときに、急に線香の匂いがしました」
「おれもそうらしいと思った。今夜は先ずこれでいい」
相手が出家である以上、町方《まちかた》でむやみに手をつけるわけにも行かないので、半七はそれを町奉行所へ報告すると、町奉行所から更にそれを寺社奉行に通達した。寺社奉行の方で取り調べると、松円寺には当時住職がないので、留守居の僧が寺をあずかっていたのである。それは円養という四十ばかりの僧で、ほかに周道という十五六の小坊主と、権七という五十ばかりの寺男がいる。そのなかで最も眼をつけられたのは周道であった。かれは年の割に腕っ節が強く、自分でも武蔵坊弁慶の再来であるなどと威張っている。きっとこいつが化け銀杏の振りをして、往来の人を嚇《おど》したのであろうと見きわめを付けられた。
寺社奉行の吟味をうけて、周道は正直に白状した。この寺の銀杏が化けるという伝説のあるを幸いに、彼はときどきに忍び出て、自分の腕だめしに往来の人を取って投げたのである。現に二十四日の雨の宵にも通りがかりの男を投げ倒したことがあると申し立てた。その男は河内屋の忠三郎に相違ない。しかし周道は単にその男を投げ出しただけで、所持品などにはいっさい手をつけた覚えはないと云い張った。何さま逞ましげな悪戯《いたずら》小僧ではあるが、まだ十五六の小坊主が百両の金を奪い、あわせて羽織まで剥ぎ取ろうとは思えないので、彼は吟味の済むまで入牢《じゅろう》を申し付けられた。
周道の白状によって考えると、彼がいたずらに忠三郎を投げ出したあとへ、何者か来合わせて其の所持品を奪い取ったのであろうというので、その探索方を再び半七に云い付けられた。しかしこの探索はよほど困難であった。寺の奴等の仕業ならば格別、単に周道が忠三郎を投げ倒して気絶させたあとへ、あたかも通りかかった者がふとした出来心で奪いとって行ったとすると、差し当りなんにも手掛りがない。半七もこれには少し行き悩んでいると、ここに又一つ事件が起った。
それはこの化け銀杏の下へ女の幽霊が出るというのであった。現に本郷二丁目の鉄物屋《かなものや》の伜が友達と二人づれで松円寺の塀外を通ると、そこに若い女がまぼろしのように立ち迷っていた。さなきだにこの頃はいろいろの噂が立っている折柄であるから、二人は胆《きも》を冷やして怱々《そうそう》に駈けぬけてしまったが、鉄物屋の伜はその晩から風邪《かぜ》を引いたような心持で床に就いているというのである。これも何かの手がかりになるかも知れないと思って、半七はその鉄物屋をたずねて病中の伜に逢った。せがれは清太郎といって今年十九の若者であった。
「おまえさんが見たという幽霊はどんなものでしたえ」
「わたくしも怖いのが先に立って、たしかに見定めませんでしたが、提灯の火にぼんやり映ったところは、なんでも若い女のようでした」
「女はこっちを見て笑いでもしたのかえ」
「いいえ、別にそんなこともありませんでしたが、なにしろ怖いので忽々に逃げて来ました。もう四ツ(午後十時)に近い頃に、女がたった一人で、場所もあろうに、あの化け銀杏の下に平気で立っている筈がありません。あれはどうして唯者じゃあるまいと思われます」
「そうですねえ」と、半七も考えていた。「そこで、その女は髪の毛でも散らしていましたかえ」
「髷《まげ》はなんだか見とどけませんでしたが、髪は綺麗に結っていたようです」
もしや狂女ではないかと想像しながら、半七はいろいろ訊いてみたが、清太郎はふた目とも見ないで逃げ出してしまったので、なにぶんにも詳しい返答ができないと云った。彼は飽くまでもこれを化け銀杏の変化《へんげ》と信じているらしいので、半七も結局要領を得ないで帰った。
「化け銀杏め、いろいろに祟る奴だ」
彼は肚《はら》のなかでつぶやいた。
三
鉄物屋の清太郎が見たという若い女は、気ちがいでなければ何者であろう。おそらく寺の留守坊主に逢いに来る女ではあるまいかと半七は鑑定した。かれは子分どもに云いつけて、その坊主の行状を探らせたが、円養は大酒呑みでこそあれ、女犯《にょぼん》の関係はないらしいとのことであった。女の幽霊の正体は容易に判らなかった。
十二月十六日の朝である。半七が朝湯から帰ってくると、河内屋の番頭の忠三郎が待っていた。
「やあ、番頭さん。お早うございます」と、半七は挨拶した。「例の一件はなにぶん捗《はか》がいかねえので申し訳がありません。まあ、もう少し待ってください。年内には何とか埒《らち》をあけますから」
「実はそのことで出ましたのでございます」と、忠三郎は声をひそめた。「昨晩わたくしの主人が或るところで彼《か》の一軸《いちじく》をみましたそうで……」
「へえ、そうですか。それは不思議だ。して、それが何処にありましたえ」
忠三郎の報告によると、ゆうべ芝の源助|町《ちょう》の三島屋という質屋で茶会があった。河内屋の主人重兵衛も客によばれて行った。その席上で、三島屋の主人がこの頃こういうものを手に入れたと云って、自慢たらだらで出してみせたのが彼《か》の探幽斎の鬼の一軸であった。稲川家の品は忠三郎が途中で奪われてしまって、重兵衛はまだその実物をみないのであるが、用人の話と忠三郎の話とを綜合してかんがえると、その図柄といい、表装といい、箱書《はこがき》といい、どうもそれが稲川家の宝物であるらしく思われてならなかった。しかもそれが贋物《にせもの》でない、たしかに狩野探幽斎の筆であると重兵衛は鑑定した。よそながら其の品の出所《しゅっしょ》をたずねると、牛込|赤城下《あかぎした》のある大身《たいしん》の屋敷から内密の払いものであるが、重代の品を手放したなどということが世間にきこえては迷惑であるから、かならず出所を洩らしてくれるなと頼まれているので、その屋敷の名を明らさまに云うことは出来ないとのことであった。
その以上に詮議のしようもないので、重兵衛はそのまま帰って来たが、なにぶんにも腑に落ちないので、とりあえず半七の処へ報《し》らせてよこしたのであった。主人の話によって考えると、どうしてもそれは稲川家の品である。図柄も表装も箱書も寸分違わないと忠三郎も云った。
「いよいよ不思議ですね」と、半七も眉をよせた。「その三島屋というのはどんな家《うち》ですえ」
三島屋は古い暖簾《のれん》で、内証も裕福であるように聞いていると、忠三郎は説明した。主人又左衛門は茶の心得があるので、河内屋とも多年懇意にしているが、これまで別に悪い噂を聞いたこともない。まさか三島屋一家の者がそんな悪事を働く筈もないから、おそらく不正の品とは知らずに何処からか買い入れたものであろうと彼は云った。
「そうかも知れませんね」と、半七はしばらく考えていた。「どっちにしても、それが確かに稲川の屋敷の品だかどうだか、それをよく詮議して置かなければなりませんよ。さもないと、物が間違いますからね。おまえさんがみれば間違いもなかろうが、念のために稲川の屋敷の御用人を一緒に連れて行ったらどうです。二人がみれば間違いはありますまい。だが、最初から表向きにそんなことを云って、万一違っていた時には、おたがいに気まずい思いをしなければなりませんからね」
「ごもっともでございます。主人も、もし間違った時に困ると心配して居りました」
「それだから、おまえさんが御用人を連れて行って、うまく話し込むんですね。このお方は書画が大変にお好きで、こちらに探幽の名作があるということを手前の主人から聞きまして、ぜひ一度拝見したいと申されるので、押し掛けながら御案内しましたとか何とか云えば、向うも大自慢だから喜んで見せるでしょう。もし又なんとか理窟を云って、飽くまでも見せるのを拒《こば》むようならばちっとおかしい。ねえ、そうじゃありませんか。そうなれば、また踏ん込んで表向きに詮議も出来ます。どっちにしても、御用人を連れて行って一度見て来てください」
「承知いたしました」
忠三郎は怱々に帰った。
その晩にでも再びたずねて来るかと、半七は心待ちに待っていたが、忠三郎は姿をみせなかった。その明くる日も来なかった。おそらく用人の方に何か差し支えがあって、すぐには行かれなかったのであろうと思いながらも、半七は内心すこし苛々《いらいら》していると、その晩に子分の仙吉が顔を出した。
「親分。探幽の一件はまだ心当りが付きませんかえ」
「むむ。ちっとは心当りがねえでもないが、どうもまだしっかりと掴むわけにも行かねえので困っているよ」
「そうですか。いや、それについて飛んだお笑いぐさがありましてね。なんでも物を握って見ねえうちは、糠《ぬか》よろこびは出来ませんね」と、仙吉は笑った。
「おめえ達のお笑いぐさはあんまり珍らしくもねえが、どうした」と、半七はからかうように訊《き》いた。
「それがおかしいんですよ。わっしの町内に万助という糴《せり》呉服屋があるんです。こいつはちっとばかり書画や骨董《こっとう》の方にも眼があいているので、商売の片手間に方々の屋敷や町屋《まちや》へはいり込んで、書画や古道具なんぞを売り付けて、ときどきには旨い儲けもあるらしいんです。その万助の奴がどこからか探幽の掛物を買い込んだという噂を聞いて、だんだん調べてみると、それがおまえさん、鬼の図だというんでしょう」
「むむ」と、半七も少しまじめになって向き直った。「それからどうした」
「それからすぐに万助の家へ飛び込んで、よく調べてみると、万助の奴め、ぼんやりしている。どうしたんだと訊くと、その探幽が贋物《にせもの》だそうで……」
半七も思わず笑い出した。
「まったくお笑いぐさですよ」と、仙吉も声をあげて笑った。「なんでも二、三日まえ、あいつが御成道《おなりみち》の横町を通ると、どこかの古道具屋らしい奴と紙屑屋とが往来で立ち話をしている。なに心なく見かえると、その古道具屋が何だか古い掛物をひろげて紙屑屋にみせているので、そばへ寄って覗いてみると、それが鬼の図で狩野探幽なんです。万助の奴め、そこで急に商売気を出して、その古道具屋にかけ合って、なんでも思い切って踏み倒して買って来たんです。古道具屋の方も、探幽か何だか、碌にわからねえ奴だったと見えて、いい加減に廉《やす》く売ってしまったので、万助は大喜び、とんだ掘り出しものをして一と身代盛りあげる積りで、家へ帰って女房なんぞにも自慢らしく吹聴していたんですが、実は自分にもまだ確かに見きわめが付かねえので、ある眼利《めき》きのところへ持って行って鑑定して貰うと、なるほどよく出来ているが真物《ほんもの》じゃあない、これはたしかに贋物だと云われて、万助め、がっかりしてしまったんです。野郎、千両の富籤《とみくじ》にでも当った気でいたのを、大番狂わせになったんですからね。はははははは。いや、万助ばかりじゃあねえ、わっしも実はがっかりしましたよ」
「いや、がっかりすることはねえ」と、半七は笑いながら云った。「仙吉。おめえにしちゃあ大出来だ。これからもう一度万助のところへ行って、その贋物を売った道具屋はどんな奴だか、よく訊いて来てくれ」
「でも親分、それは贋物ですぜ」
「贋物でもいい。それを売った奴が判ったら、それからすぐにそいつの居どこを突きとめて来てくれ。なるたけ早いがいいぜ」
「承知しました」
仙吉は怱々《そうそう》に出て行った。
あくる朝になっても忠三郎は顔をみせないので、半七は日本橋辺へ用達しに行った足ついでに、通旅籠町《とおりはたごちょう》の河内屋をたずねると、忠三郎はすぐに出て来た。かれは気の毒そうに云った。
「親分さん。まことに申し訳ございません。早速うかがいたいと存じて居りますのですが、なにぶんにも稲川様のお屋敷の方が埒《らち》が明きませんので……」
「御用人が一緒に行ってくれないんですかえ」
「年末は御用繁多で、とてもそんな所へ出向いてはいられないから、来春の十五日過ぎ頃まで待っていろと仰しゃるので……。それを無理にとも申し兼ねて、わたくしの方でも困って居ります」
「そりゃあまったく困りましたね。年末と云ったってまだ二十日前だから、そんなに忙がしいこともあるまいに……」
「わたくしもそう思うのですが、なにぶんにも先方でそう仰しゃるもんですから……」と、忠三郎もひどく困ったらしい顔をしていた。
「いや、ようございます」と、半七はうなずいた。「向うでそう云うなら、こっちにも又考えがあります。まあ、御安心なさい。もう大抵の見当はつきましたから」
忠三郎に安心させて、半七は神田の家へ帰ってくると、仙吉が待っていた。
「親分、わかりました」
「判ったか」
「万助の奴をしらべて、すっかり判りました。贋物を売った古道具屋は御成道の横町で、亭主は左の小鬢《こびん》に禿《はげ》があるそうです」
四
師走の町の寒い風に吹かれながら、日の暮れかかる頃に半七は下谷へ出て行った。御成道の横町で古道具屋をたずねると、がらくたばかり列《なら》べた床店《とこみせ》同様の狭い家で、店の正面に煤《すす》けた帝釈《たいしゃく》様の大きい掛物がかかっているのが眼についた。小鬢に禿のある四十ばかりの亭主が行火《あんか》をかかえて店番をしていた。
「おお、立派な帝釈様がある。それは幾らですえ」と、半七はそらとぼけて訊いた。
それを口切りに、半七はこのあいだの探幽斎の掛物のことを話し出した。
「わたしはあれを買った万さんを識《し》っているが、安物買いの銭うしないで、とんだ食わせものを背負い込んだと、しきりに滾《こぼ》しぬいていましたよ。はははははは」
「だって、おまえさん」と、亭主は少し口を尖らせて云い訳らしく云った。「まったくお値段との相談ですよ、中身は善いか悪いか知りませんが、あの表装だけでも三歩や一両の値打ちはありますからね。して見れば、中身は反古《ほご》だって損はない筈です。わたしもあんなものは手がけたことが無いので、一旦はことわったのですけれど、近所ずからで無理にたのまれて、よんどころなく引き取ったのですが、年の暮にあんな物を寝かして置くのも迷惑ですから、二百でも三百でも口銭《こうせん》が付いたら売ってしまう積りで、通りかかった屑屋の鉄さんを呼んで、店のまえであの掛地をみせているところへ、横合いからあの人が出て来て、何でもおれに売ってくれろと、自分の方から値をつけて、引ったくるように買って行ってしまったんですから、食わせ物も何もあったもんじゃありませんよ」
「そりゃあお前さんの云う通りだ。万さんもなかなか慾張っているからね。ときどき生爪《なまづめ》を剥がすことがあるのさ。そこで、あの掛地はどこの出物《でもの》ですえ」
「さあ、生まれは何処だか知りませんが、ここへ持って来たのは、裏の大工の家《うち》のお豊さんですよ」
裏の大工は峰蔵という親方で、娘に弟子の長作を妻《めあ》わせて、近所に世帯を持たせてあるが、道楽者の長作は大工というのは表向きで、この頃は賽の目の勝負ばかりを争っている。舅《しゅうと》の峰蔵も心配して、いっそ娘を取り戻そうかと云っているが、もともと好いて夫婦になった仲なので、お豊がどうしても承知しない。峰蔵は堅気《かたぎ》な職人であるのに、とんだ婿を取って気の毒だと亭主は話した。それを聴いてしまって、半七は何げなくうなずいた。
「そりゃあまったく気の毒だね。なぜ又そんなやくざな奴に娘をやったんだろう」
「なに、長作もはじめは堅い男だったんですが、ふいと魔が魅《さ》して此の頃はすっかり道楽者になってしまったんです」
「その長作の家はどこだね」
「すぐ向う裏です。露地をはいって二軒目です」
半七はその足で向う裏の長作の家をたずねると、女房のお豊が内から出て来た。お豊はようよう十八九で、まだ娘らしい女振りであったが、さすがにもう眉を剃《そ》っていた。かれの白い顔はいたましく蒼ざめていた。
「長さんはお家《うち》ですかえ」
「今ちょいと出ましたが……。どちらから」
「わたしは松円寺の近所から来ましたが……」
「また誘い出しに来たんですか」と、お豊はひたいを皺《しわ》めた。「もう止してくださいよ」
「なぜです」
「なぜって……。おまえさんは藤代《ふじしろ》様の御屋敷へ行くんでしょう」
松円寺のそばには藤代大二郎という旗本屋敷のあることを半七は知っていた。その屋敷のうちに賭場《とば》の開かれることは、お豊が今の口ぶりで大抵推量された。
「お察しの通り、藤代の御屋敷へ行くんですが、まだ誰にも馴染《なじみ》がないもんですから、こちらの大哥《あにい》に連れて行って貰わなければ……」
「いけませんよ。なんのかのと名をつけて誘い出しに来ちゃあ……。誰がなんと云っても、内の人はもうそんなところへはやりませんよ」
「長さんはほんとうに留守なんですかえ」
「嘘だと思うなら家じゅうをあらためて御覧なさい。きょうは用達しに出たんですよ」
「そうですか」と、半七は框《かまち》に悠々と腰をおろした。「おかみさん。済みませんが煙草の火を貸しておくんなさい」
「内の人は留守なんですよ」と、お豊はじれったそうに云った。
「留守でもいいんです。実はね、わたしの知っている本郷の者が、このあいだの晩に森川宿を通ると、化け銀杏の下に女の幽霊の立っているのを見たんです。野郎、臆病なもんだから碌々に正体も見とどけずに逃げてしまったんですよ。いや、いくじのねえ野郎で……。江戸のまん中に化け物なんぞのいる筈がねえ。わたしなら直ぐに取っ捉まえてその化けの皮を剥いでやるものを、ほんとうに惜しいことをしましたよ。ははははは」
お豊は黙って聴いていた。
「勿論わたしが見た訳じゃあねえんだから、間違ったら、ごめんなさいよ」と、半七はお豊の顔をのぞきながら云った。「ねえ、おかみさん。その幽霊というのはお前さんじゃありませんでしたかえ」
「冗談ばっかり」と、お豊はさびしく笑っていた。「どうせわたしのようなものはお化けとしか見えませんからね」
「いや、冗談でねえ、ほんとうのことだ。その幽霊は藤代の屋敷へ自分の亭主を迎えに行ったんだろうと思う。惚れた亭主は博奕《ばくち》ばかり打っている。それが因《もと》で父っさんの機嫌が悪い。両方のなかに挟まって苦労するのは、可哀そうにその幽霊ばかりだ。ねえ、おかみさん。その幽霊が真っ蒼な顔をしているのも無理はねえ。かんがえると実に可哀そうだ。わたしも察していますよ」
お豊は急にうつむいて、前垂れの端《はし》をひねっていたが、濃い睫毛《まつげ》のうるんでいるらしいのが半七の眼についた。
「そりゃあほんとうに察していますよ」と、半七はしみじみ云い出した。「亭主は道楽をする。節季師走《せっきしわす》にはなる。幽霊だって気が気じゃあねえ。家のものだって質《しち》に置こうし、よそから預かっている物だって古道具屋にも売ろうじゃあねえか。眼と鼻のあいだの道具屋へ鬼の掛地を売るなんかは、あんまり浅はかのようにも思われるが、そこが女の幽霊だ。無理もねえ。それに……」
話を半分聞きかけて、お豊は衝《つ》っと起ちあがったかと思うと、彼女は格子《こうし》にならんだ台所から跣足《はだし》で飛び出して、井戸端の方へ駈けて行こうとするのを、半七は追い掛けてうしろから抱きすくめた。
「いけねえ。いけねえ。幽霊が死んだら蘇生《いきかえ》ってしまうばかりだ。まあ、騒いじゃあいけねえ。おめえの為にならねえ」
泣き狂うお豊を無理に引き摺って、半七は再び家のなかへ連れ込んだ。
「親分さん。済みません。どうぞ殺して……殺してください」と、お豊はそこに泣き伏した。彼女は半七の身分を覚ったらしかった。
「もう判ったかね」と、半七はうなずいた。「あの掛地を持って来たのは長作だろう。ほかには何も持って来なかったかえ。羽織を持って来やしなかったか」
「持ってまいりました」と、お豊は泣きながら云った。
「先月の二十四日の晩だろうね」
「左様でございます」
「もう斯《こ》うなったらしようがねえ。何もかもぶち撒《ま》けて云って貰おうじゃあねえか。長作はあの掛地と羽織を持って来て、なんと云ったえ」
「博奕に勝って、その質《かた》に取って来たと云いました。掛地や泥だらけの羽織はすこしおかしいと思いましたけれど、羽織の泥は干して揉み落して、そのままにしまっておきました」
「その羽織はまだあるかえ」
「いいえ、もう質《しち》に入れてしまいました」
「おめえのお父っさんも、その晩に森川宿の方へ行ったろう。なんの用で行ったんだ」
「内の人を迎えに行ったのでございます」と、お豊は云った。「藤代様のお屋敷の大部屋で毎日賭場が開けるもんですから、長作はその方へばかり入り浸《びた》っていて、仕事にはちっとも出ません。お父っさんも心配して、今夜はおれが行って引っ張って来ると云って、雪のふる中を出て行きますと、途中で行き違いになったと見えまして、長作は濡れて帰って来ました。それから一刻《いっとき》ほども経ってからお父っさんも帰って来ました。門口《かどぐち》から長作はもう帰ったかと声をかけましたから、もう帰りましたと返事をしますと、そのまま自分の家へ帰ってしまいました」
「それから長作はどうした」
「あくる朝は仕事に出ると云って家を出て、やっぱりいつもの博奕場へはいり込んだようでございました。それからはちっとも家に落ち着かないで……。それまではどんなに夜が更《ふ》けても、きっと家へ帰って来たんですが、その後はどこを泊まりあるいているのですか、三日も四日もまるで帰らないことがあるもんですから、わたくしも心配でたまりません。といって、お父っさんの耳へ入れますと、また余計な苦労をかけなければなりませんから、わたくしがそっと藤代様のお屋敷に迎いに行きましたが、夜は御門が厳重に閉め切ってあるので、女なんぞは入れてくれません。どうしようかと思って、松円寺の塀の外に立っていて、いっそもうあの銀杏に首でも縊《くく》ってしまおうかと考えていますと、そこへ二人連れの男が通りかかったもんですから、あわてて其処を逃げてしまいました」
「長作はそれぎり帰らねえのか」
「それから二、三度帰りました」
「掛地や羽織のほかに金を見せたことはねえか」
「掛地や羽織を持って帰ったときに、博奕に勝ったと云って、わたくしに十両くれました。けれども、その後に又そっくり取られてしまったからと云って、その十両をみんな持ち出してしまいました。だんだんに押し詰まっては来ますし、家には炭団《たどん》を買うお銭《あし》もなくなっていますし、お父っさんの方へもたびたび無心にも行かれませんし、よんどころなしにその羽織を質に入れたり、掛地を道具屋の小父さんに買って貰ったりして、どうにかこうにか繋いで居りますと、長作はけさ早くに何処からかぼんやり帰って来まして、一文無しで困るから幾らか貸してくれと云います。貸すどころか、こっちが借りたいくらいで、あの羽織も質に置き、掛地も売ってしまったと申しますと、長作は急に顔の色を悪くしまして、黙ってそれぎり出て行ってしまいました。出るときにたった一言《ひとこと》、誰が来て訊いても掛地や羽織のことはなんにも云うなと申して行きました」
「そうか。よし、それでみんな判った。いや、まだ判らねえところもあるが、そこはまあ大目《おおめ》に見て置く」と、半七は云った。「それにしても、長作の居どこの知れるまではお前をこのままにして置くわけには行かねえ。ともかくも町内預けにして置くからそう思ってくれ」
半七はすぐ家主を呼んで来てお豊を引き渡した。それから更に峰蔵を自身番へ呼び出して調べると、正直な彼は恐れ入って素直に申し立てた。
「実はあの晩、長作を迎いに行きまして、ちょうど行き違いになって松円寺のそばを通りますと、化け銀杏の下に一人の男が倒れていました。介抱して主人の家へ送りとどけてやりましたが、その男は河内屋の番頭で、胴巻に入れた金と大切の掛地と双子《ふたこ》の羽織とを奪《と》られましたそうでございます。その時はなんにも気がつきませんでしたが、あとで聞きますと長作はその晩に掛地と泥だらけの双子の羽織とを持ち帰りましたそうで、それを聞いたわたくしは慄然《ぞっ》としました。しかし、今更どうすることも出来ませんので、娘にもそのわけをそっと云い聞かせまして、係り合いにならないうちに早く長作と縁を切ってしまえと意見をしましたが、娘はまだ長作に未練があるとみえまして、どうも素直に承知いたしません。困ったものだと思って居りますうちに、娘もいよいよ手許《てもと》が詰まったのでございましょう。その羽織を質に入れたり、掛地を道具屋に売ったりしたもんですから、とうとうお目に止まったような次第で、なんとも申し訳がございません」
お豊が井戸へ飛び込もうとした仔細もそれでわかった。
半七が大抵想像していた通り、かれは亭主の悪事を知っていたのであった。
その明くる日の夕方、長作は藤代の屋敷へはいろうとするところを、かねて網を張っていた仙吉に召捕られた。忠三郎を投げ倒したのは周道のいたずらで、長作はなんにも係り合いのないことであった。彼はその晩博奕に負けてぼんやり帰ってくると、雪まじりの雨のなかに一人の男が倒れているのを見つけたので、初めは介抱してやるつもりで立ち寄ったが、かれの胴巻の重そうなのを知って、長作は急に気が変った。まず胴巻だけを奪い取って行きかけたが、毒食らわば皿までという料簡になって、彼は更に忠三郎が大事そうに抱えている風呂敷包みを奪った。羽織まで剥ぎ取った。しかも悪銭は身につかないで、百両の金も酒と女と博奕でみんなはたいてしまった。
「舅や女房はなんにも知らないことでございます。どうぞ御慈悲をねがいます」と、彼は云った。
実際なんにも知らないと云えないのであるが、さすがに上《かみ》の慈悲であった。峰蔵もお豊も叱りおくだけで赦された。しかし長作の罪科は今の人が想像する以上に重いものであった。かれは路に倒れている人を介抱しないばかりか、あまつさえ其の所持品を奪い取るなど罪科重々であるというので、引き廻しのうえ獄門ときまって、かれの首は小塚ッ原に晒《さら》された。
寺社奉行の命令で、松円寺の化け銀杏は往来に差し出ている枝をみな伐《き》り払われてしまった。
これだけの話を聴いても、わたしにはまだ判らないことがあった。
「お豊が古道具屋へ売った探幽の鬼は贋物《にせもの》だったのですね。そうすると、忠三郎という番頭は稲川の屋敷から贋物を受け取って来たのでしょうか」
「そうです、そうです」と、半七老人はうなずいた。「稲川の屋敷でも初めから贋物をつかませるほどの悪気はなかったのですが、五百両を半分に値切られたので、苦しまぎれに贋物を河内屋へ渡して、ほん物の方を又ほかへ売ろうと企《たくら》んだのです」
「どうしてそんな贋物が拵えてあったのでしょう。初めから企んだことでもないのに……」
「それはこういうわけです。探幽のほん物は昔から稲川の家に伝わっていたんですが、なんでも先代の頃にどこかでその贋物を見つけたんだそうです。贋物とはいえ、それがあんまりよく出来ているので、こんなものが世間に伝わると、どっちが真物だか判らなくなって、自分の家の宝物に瑕《きず》がつくというので、贋物を承知で買い取って、再び世間へ出さないように、屋敷の蔵のなかへしまい込んで置いたのです。昔はよくこんなことがありました。それをここで持ち出して、今もいう通り、贋物を河内屋の番頭に渡してやって、ほん物の方を芝の三島屋へ四百両に売ったんです。そういういきさつがありますから、稲川の用人は何とか理窟をつけて、三島屋へ一緒に行くことを拒《こば》んだわけなんです。そこで、この一件が表向きになると、稲川の用人は先ずわたくしのところへ飛んで来ました。勿論、河内屋の方へも泣きを入れて、万事は主人の知らないこと、すべて用人が一存で計らったのだという申し訳で、どうにかこうにか内済になりました。金は当然返さなければなりませんから、稲川の屋敷から二百五十両を河内屋へ返し、贋物の鬼を取り戻したんですが、稲川の主人もちょっと変った人で、畢竟《ひっきょう》こんなものを残して置くから心得ちがいや間違いが起るのだと云って、節分《せつぶん》の晩にその贋物の鬼を焼き捨ててしまったそうです。節分の晩が面白いじゃありませんか。
河内屋からわたくしのところへ礼に来ましたが、とりわけて番頭の忠三郎はひどくそれを恩にきて、その後もたびたびわたくしを訪ねてくれました。それが今帰って行った水原さんで、維新後に河内屋は商売換えをしてしまいましたが、水原さんは横浜へ行って売込み商をはじめて、それがとんとん拍子にあたって、すっかり盛大になったんですが、それでも昔のことを忘れないで、わたくしのような者とも相変らず附き合っていてくれます。実はきょうも、例の化け銀杏の一件を話して帰ったんですよ」
[#改ページ]
雪達磨
一
改めて云うまでもないが、ここに紹介している幾種の探偵ものがたりに、何等かの特色があるとすれば、それは普通の探偵的興味以外に、これらの物語の背景をなしている江戸のおもかげの幾分をうかがい得られるという点にあらねばならない。わたしも注意して、半七老人の談話筆記をなるべく書き誤らないように努めているつもりであるが、その説明がやはり不十分のために、往々にして読者の惑いを惹き起す場合がないとは限らない。
これらの物語について、こういう不審をいだく人のある事をしばしば聴いた。それは岡っ引の半七が自分の縄張りの神田以外に踏み出して働くことである。岡っ引にはめいめいの持ち場がある。それをむやみに踏み越えて、諸方で活動するのは嘘らしいというのである。それは確かにごもっともの理窟で、岡っ引は原則として自分だけの縄張り内を守っているべきである。仲間の義理としても、他の縄張りをあらすのは遠慮しなければならない。しかし他の縄張りを絶対に荒らしてはならないというほどの窮屈な規則も約束もない。今日でも某区内の犯罪者が他区の警察の手にあげられる場合もある。まして江戸の時代に於いて、たがいに功名をあらそう此の種の職業者に対して、絶対にその職務執行範囲を制限するなどは所詮《しょせん》できることではない。半七がどこへ出しゃばっても、それは嘘でないと思って貰いたい。
「これはわたくしの縄張り内ですから、威張って話せますよ」と、半七老人が笑いながら話し出したのは、左の昔の話である。
文久元年の冬には、江戸に一度も雪が降らなかった。冬じゅうに少しも雪を見ないというのは、殆ど前代未聞の奇蹟であるかのように、江戸の人々が不思議がって云いはやしていると、その埋め合わせというのか、あくる年の文久二年の春には、正月の元旦から大雪がふり出して、三ガ日の間ふり通した結果は、八百八町を真っ白に埋めてしまった。
故老の口碑によると、この雪は三尺も積ったと伝えられている。江戸で三尺の雪――それは余ほど割引きをして聞かなければならないが、ともかくも其の雪が正月の二十日頃まで消え残っていたというのから推し量ると、かなりの多量であったことは想像するに難くない。少なくとも江戸に於いては、近年未曾有の大雪であったに相違ない。
それほどの大雪にうずめられている間に、のん気な江戸の人達は、たとい回礼に出ることを怠っても、雪達磨をこしらえることを忘れなかった。諸方の辻々には思い思いの意匠を凝らした雪達磨が、申し合わせたように炭団《たどん》の大きい眼をむいて座禅をくんでいた。ことに今年はその材料が豊富であるので、場所によっては見あげるばかりの大達磨が、雪解け路に行き悩んでいる往来の人々を睥睨《へいげい》しながら坐り込んでいた。
しかもそれらの大小達磨は、いつまでも大江戸のまん中にのさばり返って存在することを許されなかった。七草《ななくさ》も過ぎ、蔵開きの十一日も過ぎてくると、かれらの影もだんだんに薄れて、日あたりの向きによって頭の上から融《と》けて来るのもあった。肩のあたりから頽《くず》れて来るのもあった。腰のぬけたのもあった。こうして惨《みじ》めな、みにくい姿を晒《さら》しながら、黒い眼玉ばかりを形見に残して、かれらの白いかげは大江戸の巷《ちまた》から一つ一つ消えて行った。
その消えてゆく運命を荷《にな》っている雪達磨のうちでも、日かげに陣取っていたものは比較的に長い寿命を保つことが出来た。一ツ橋門外の二番御|火除《ひよ》け地の隅に居据《すわ》っている雪だるまも、一方に曲木《まがき》家の御用屋敷を折り廻しているので、正月の十五日頃までは満足にその形骸《けいがい》を保っていたが、藪入りも過ぎた十七日には朝から寒さが俄かにゆるんだので、もう堪まらなくなって脆《もろ》くもその形をくずしはじめた。これは高さ六、七尺の大きいものであったが、それがだんだんとくずれ出すと共に、その白いかたまりの底には更にひとりの人間があたかも座禅を組んだような形をしているのが見いだされた。
「や、雪達磨のなかに人間が埋まっていた」
この噂がそれからそれへと拡がって、近所の者どもはこの雪達磨のまわりに集まった。雪のなかに坐っていたのは四十二三の男で、さのみ見苦しからぬ服装《みなり》をしていたが、江戸の人間でないことはすぐに覚《さと》られた。男の死骸は辻番から更に近所の自身番に運ばれて、町奉行所から出張した与力同心の検視をうけた。
男のからだには致命傷《ちめいしょう》とも見るべき傷のあとは認められなかった。刃物で傷つけたような跡もなかった。絞め殺したような痕《あと》も見えなかった。寒気のために凍死したのか、あるいは病気のために行き倒れとなったのかと、役人たちの意見はまちまちであったが、普通の凍死か行き倒れであるならば、雪達磨のなかに押し込まれている筈がない。これを発見した者はすぐに辻番か自身番へ届けいづべきである。これほどの大きい雪達磨をわざわざこしらえて、そのなかに死骸を忍ばせておく以上、それには何かの仔細がなければならない。彼の死因には何かの秘密がまつわっているものと、役人たちは最後の断案をくだした。
「それにしても、この雪達磨を誰が作ったのか」
役人たちは当然の順序として、まずその詮議《せんぎ》に取りかかった。町内の者もことごとく吟味をうけたが、誰もこの雪達磨を作ったと白状する者はなかった。かれらの申し立てによると、この雪達磨は三日の夜のうちに何者にか作られたのであるが、前にもいう通り、雪が降れば誰かの手に依って必ず一つや二つの雪達磨は作られるのであるから、この大きい雪達磨が一夜のうちに出現したのをみても、誰も別に怪しむものもなかった。おおかた町内の誰かが拵《こしら》えたのであろうぐらいに思って、なんの注意も払わずに幾日をすごしたのであった。殊にこの近所には武家屋敷が多いので、それは町人がこしらえたのか、武家の若い者どもが作ったのか、それすらも確かには判らなかった。
勿論これほどの雪達磨が自然に湧き出してくる筈はない。必ずその製作者はどこにか潜《ひそ》んでいるには相違ないのであるが、こうなっては誰も名乗って出るものもない。なにかの手がかりを見付け出すために、達磨は無残に突きくずされて其の形骸は滅茶苦茶に破壊されてしまったが、男の死骸以外にはなんの新らしい発見もないらしかった。くずれた雪はその証跡を堙滅《いんめつ》せんとするかのように次第々々に消え失せて、いたずらに泥水となって流れ去った。
「旦那がた、御苦労さまでございます」
ひとりの男が自身番のまえに浅黒い顔を出した。かれは三河町の半七であった。八丁堀同心の三浦真五郎は待ち兼ねたように声をかけた。
「おお、半七、遅いな。貴様の縄張り内で飛んでもないことが始まったぞ」
「それを聞くと、わたくしもびっくりしました。で、もう大抵お調べも届きましたか」
「いや、ちっとも見当が付かない。死骸はここにある。よく見てくれ」
「ごめんください」
半七はすすみ寄って、そこに横たえてある男の死骸をのぞいた。男は手織り縞の綿衣《わたいれ》をきて、鉄色木綿の石持《こくもち》の羽織をかさねていた。履物はどうしてしまったのか、彼は跣足《はだし》であった。半七は丁寧に死骸をあらためたが、やはり何処にも致命傷らしいあとを発見することが出来なかった。
「どうも判りませんね」と、彼も眉をよせた。「まあ、ともかくも其の現場を見とどけてまいりましょう」
役人たちに会釈《えしゃく》して、半七は雪達磨の融けたあとを尋《たず》ねて行った。そこらには雪どけの泥水と、さんざんに踏みあらした下駄の痕とが残っているばかりで、近所の子供や往来の人達がそれを遠巻きにして何かひそひそとささやき合っていた。その雑沓《ざっとう》をかき分けて、半七は足駄《あしだ》を吸いこまれるような泥水のなかへ踏み込んだ。そうして、油断なくその眼を働かせているうちに、彼はまだ幾らか消え残っている雪と泥との間から何物をか発見したらしく、身をかがめてじっと眺めていた。
彼はそれから少時《しばらく》そこらを猟《あさ》っていたが、ほかにはなんにも新らしい発見もなかったらしく、泥によごれた手先をふところの手拭で拭きながら、もとの自身番へ引っ返してゆくと、与力はもう引き揚げて、当番の同心三浦だけが残っていた。
「どうだ、半七。なにか掘り出したか。しっかり頼むぜ。質《たち》の悪い旗本か御家人どもの仕業《しわざ》じゃあねえかな」
「そうですね」と、半七もかんがえていた。「まあ、どうにかなるかも知れません、どうぞ明日《あした》までお待ちください」
「あしたまで……」と、真五郎は笑った。「そう安受け合いが出来るかな」
「まあ、せいぜい働いてみましょう」
「では、くれぐれも頼むぞ」
云い渡して真五郎は帰った。そのあとで、半七は再び死骸の袂《たもと》を丁寧にあらためた。
二
半七はそれから日本橋の馬喰町《ばくろちょう》へ行った。死骸の服装《みなり》からかんがえて、まず馬喰町の宿屋を一応調べてみるのが正当の順序であった。その隣り町《ちょう》に菊一という小間物屋があって、麹町の大通りの菊一と共に、下町《したまち》では有名な老舗《しにせ》として知られていた。半七は顔を識《し》っている番頭をよび出して、この三日の日に南京玉《なんきんだま》を買いに来た田舎の人はなかったかと訊いた。
繁昌の店であるから朝から晩まで客の絶え間はない。したがって南京玉を売ったぐらいのお客を一々記憶していることは困難であったが、幸いに当日が正月早々であるのと、かの大雪が降りつづいたのとで、殆ど商売は休み同様であったために、菊一の番頭はその日に買物に来たたった三人の客をよく記憶していた。その二人は近所の娘で、他のひとりは馬喰町の信濃屋という宿屋に泊まっている客であったと彼は説明した。
「名は知りませんが、去年の暮にも一度来て、村の土産《みやげ》にするのだと云って油や元結《もっとい》なぞを買って行ったことがあります。三日の朝にも雪の降るのにやって来て、どうしてもあしたは発《た》たなければならないから、近所の子供たちの土産にするのだと云って、南京玉を二百文買って行きました」
その田舎の人の人相や年頃や服装などをくわしく聞きただして、半七は更に信濃屋に足をむけた。信濃屋の番頭は宿帳をしらべて、その客は上州太田の在《ざい》の百姓甚右衛門四十二歳で、去年の暮の二十四日から逗留《とうりゅう》していた。どうしても年内には帰らなければならないと云っていたが、それがだんだんに延びてとうとうここで年を越すことになった。三ガ日がすんで、四日の日は是非たつと云っていたが、その前日の午《ひる》すぎに近所へ買物にゆくと云って出たぎり帰ってこないので、宿の方でも心配している。尤《もっと》も去年じゅうの宿賃は大晦日《おおみそか》の晩に綺麗に勘定をすませてあるので、その後の分は知れたものではあるが、ともかくも無断でどこへか形を隠してしまうのはおかしいと、帳場でも毎日その噂をしているとのことであった。
「じゃあ、気の毒だが神田まで来てくれ。なに、決して迷惑はかけねえから」
迷惑そうな顔をしている番頭を引っ張り出して、半七は彼を神田の自身番へ連れて行った。番頭はその死骸を見せられて、たしかにそれは自分の宿に三日まで泊まっていた甚右衛門という田舎客に相違ないと申し立てた。これで先ず死人の身許《みもと》は判ったが、かれが何者に連れ出されて、どうして殺されたかということは些《ち》っとも想像が付かなかった。
半七が菊一へ詮議に行ったのは、雪達磨のとけている現場で南京玉を三つ四つ発見したからであった。近所の娘子供が落としたものか、あるいは死人の所持品かと、半七は自身番へ引っ返して死人の袂を丁寧にあらためると、袂の底からたった一と粒の南京玉が発見されたので、かれが南京玉の持主であったことは確かめられた。四十以上の田舎者らしい男が南京玉などを持っている筈がないから、おそらく何処かの子供にでもやるつもりで袂のなかに入れて置いたものであろうと半七は鑑定した。
勿論その南京玉をどうして手に入れたのか、買ったのか貰ったのか、ちっとも見当は付かないのであるが、仮りに先ずそれを買ったものとして、半七はその買い先をかんがえた。もともと子供の玩具《おもちゃ》同様のものであるから、どこで買ったか殆ど雲をつかむような尋ね物であったが、田舎の人は詰まらないものを買うにも、とかく暖簾《のれん》の古い店をえらむ癖があるのを知っているので、かれは先ず馬喰町の近所で最も名高い小間物屋に眼をつけて、案外に安々とその手がかりを探り出すことが出来たのであった。
「ここまでは巧く運んだが、この先がむずかしい」と、彼は又しばらく考えていた。
「もうわたくしは引き取りましてもよろしゅうございましょうか」と、信濃屋の番頭はおずおず訊《き》いた。
「むむ、御苦労。もう用は済んだ」と、半七は云った。「いや、少し待ってくれ。まだ訊きてえことがある。一体この甚右衛門という男はなんの用で江戸へ来ていたのか、おまえ達はなんにも知らねえか」
「ふだんから寡口《むくち》な人で、わたくし共とも朝夕の挨拶をいたすほかには、なんにも口を利いたことがございませんので、どんな用のある人か一向に存じません」
「定宿《じょうやど》かえ」
「去年九月頃にも十日ほど逗留していたことがございまして、今度は二度目でございます」
「酒をのむかえ」と、半七は又訊いた。
「はい。飲むと申しても毎晩一合ずつときまって居りまして、ひどく酔っているような様子を見かけたこともございませんでした」
「誰かたずねて来ることはあったかえ」
「さあ、誰もたずねて来た人はないようです。朝は大抵五ツ(午前八時)頃に起きまして、午飯を食うといつでも何処へか出て行くようでございました」
「五ツ……」と半七は首をかしげた。「田舎の人にしては朝寝だな。そうして何時《なんどき》に帰ってくる」
「大抵夕六ツ(六時)頃には一度帰って来まして、夜食をたべると又すぐに出て行きますが、それでも四ツ(午後十時)すぎにはきっと帰りました。なんでも近所の寄席《よせ》でも聴きに行くような様子でしたが、確かなことは判りません」
「金は持っていたらしいかえ」
「宿へ初めて着きました時に、帳場に五両あずけまして、大晦日《おおみそか》には其の中から取ってくれと申しました。その残金はわたくし共の方に確かにあずかってございますが、自分のふところにはどのくらい持っていましたか、それはどうも判り兼ねます」
「外から帰ってくる時には、いつも手ぶらで帰ったかえ」
「いいえ、いつも何か風呂敷包みを重そうに提げていました。村への土産をいろいろと買いあつめているらしいと女中どもは申していましたが、どんなものを買って来るのか、ついぞ訊いて見たこともございませんでした」
「そうか。じゃあ、おめえの家《うち》へ行ってその座敷をあらためて見よう」
半七は番頭をつれて、再び信濃屋へ引っ返した。番頭に案内されて、奥二階の六畳の座敷へはいると、そこには別に眼につく物もなかった。更に戸棚をあけてみると、いろいろの風呂敷に包んだものが細紐で十文字に固く縛られて、五つ六つ積みかさねてあった。その一と包みを念のために抽《ひ》き出すと、それは可なりの目方があって、なんだか小砂利でも包んであるかのように感じられた。番頭立会いでその風呂敷を解いてみると、中からは麻袋や小切れにつつんだ南京玉がたくさんあらわれた。
「何だってこんなに南京玉を買いあつめたのでしょう」と、番頭も呆《あき》れていた。
どの風呂敷包みからも南京玉が続々あらわれて来たので、半七もさすがにおどろいた。
「なんぼ土産にするといって、こんなに南京玉を買いあつめる奴もあるめえ。商売にする気なら、どこかの問屋から纒《まと》めて仕入れる筈だ。割の高いのを承知で、店々から小買いする筈はねえ。どうも判らねえな」
うず高い南京玉を眼のまえに積んで、半七は腕をくんでいたが、やがて思わず口の中であっと云った。
三
「おい、番頭さん、まったく誰もこの男のところへ尋《たず》ねて来たことはねえかどうだか、もう一度よく考え出してくれねえか」と、半七は番頭に訊《き》いた。
「さあ、わたくしはどうも思い出せませんが、それでもわたくしの留守のあいだに誰か来たことがあるかも知れませんから、女中どもを一応調べてみましょう」
番頭は下へ降りて行ったが、やがて引っ返して来て、去年の暮の二十八日に隣り町《ちょう》の豊吉という錺《かざり》職人が一度たずねて来たのを女中の一人が知っている。但しその時は甚右衛門は留守で、豊吉はそれぎり尋ねて来ないということを報告した。
「その豊吉というのはどんな人間だえ」
「以前は小博奕《こばくち》などを打って、あまり評判のよくない男でございました」と、番頭は説明した。
「しかし去年の春頃からすっかり堅くなりまして、商売の方も身を入れますので、この頃はふところ都合もよろしいようで、十一月には品川のお政という女郎をうけ出して、仲よく暮らして居ります」
「いくら品川でも女ひとりを請《う》け出すには纒まった金がいる。多寡《たか》が錺職人が半年や一年稼いでも、それだけの金が出来そうもねえ。なにか金主があるな」
「そうでございましょうか」
「金主はきっとこの甚右衛門だ。もう大抵判っている。しかしこのことは滅多《めった》に云っちゃあならねえぞ。この南京玉はおれが少し貰って行く」
半七は一と掴みの南京玉を袂に入れて、信濃屋からすぐに隣り町の裏長屋をたずねると、錺職人の豊吉は眉のあとの青い女房と、長火鉢の前で葱鮪《ねぎま》の鍋を突っ付きながら酒をのんでいた。
「おい、錺屋の豊というのはお前か」
「そうでございます」と、豊吉はおとなしく答えた。
「少し用がある。そこまで来てくれ」
「どこへ行くんでございます」
豊吉の眼はにわかに光った。
「まあ、なんでもいいから番屋まで来てくれ。すぐに帰してやるから」
「いけませんよ。親分」と、彼は早くも半七の身分を覚《さと》ったらしかった。「わたしは決して番屋へ連れて行かれるような覚えはありませんよ。何かのお間違いでしょう」
「強情だな。まあ素直に来いというのに……。ぐずぐずしていると為にならねえぞ」
「だって、親分。むやみにそんなことを云われちゃあ困ります。わたしはこれでも堅気《かたぎ》の職人でございます。なるほど、以前は御禁制の手なぐさみなんぞをやったこともありますが、今じゃあ双六の賽《さいころ》だって、掴んだことはありません。まったく堅気になったんでございますから、どうかお目こぼしを願います」
「まあ、いいや、そんなことは出るところへ出て云うがいい。なにしろお前に用があるから呼びに来たんだ。おれが呼ぶんじゃねえ、これが呼ぶんだ」
彼の眼の前へつかみ出したのは、かの南京玉であった。それを一と目みると、豊吉はもうなんにも云わないで、すぐに長火鉢の抽斗《ひきだし》をあけた。ふだんから忍ばせてある鰹節小刀をその抽斗から取り出して、彼はそれを逆手《さかて》に持って起ちあがろうとする時、半七のつかんでいる南京玉は、青も緑も白も一度にみだれて彼の真向《まっこう》へさっと飛んで来た。
眼つぶしを食って怯《ひる》むところへ、半七は透かさず飛び込んでその刃物をたたき落とした。葱鮪の鍋の引っくり返った灰神楽《はいかぐら》のなかで豊吉はもろくも縄にかかって、町内の自身番へ引っ立てられた。
「やい、豊。てめえ、手むかいをする以上はもう覚悟しているんだろう。正直に何もかも云ってしまえ。てめえは信濃屋に泊まっている甚右衛門とどうして近付きになった」と、半七はすぐに吟味にかかった。
「別に近付きというわけじゃありません。去年の暮に一度たずねて来て、なにか手文庫の錠前がこわれているから直してくれというので、宿屋に見に行きましたが、あいにく留守で、こっちも忙がしいのでそれぎり行きませんが、その甚右衛門がどうか致しましたか」
「白らばっくれるな。さっき南京玉を見たときに、てめえはどうして顔の色を変えた。さあ、有体《ありてい》に申し立てろ。手前なんで甚右衛門を殺した。ほかにも同類があるだろう、みんな云ってしまえ」
「でも親分。無理ですよ。なんで私が甚右衛門を……。今もいう通り、たった一度しか逢ったことのない男をなんで殺す筈があるんです。察してください」と、豊吉は飽くまでも抗弁した。
「まだそんなことを云うか。おれが無理か無理でねえか、南京玉に聴いてみろ」と、半七は睨み付けた。「てめえがいつまでも強情を張るなら、おれの方から云って聞かせる。あの甚右衛門という奴は正直な田舎者のように化けているが、あいつは確かに贋金《にせがね》遣いだ」
豊吉の顔は藍のようになった。
「どうだ、図星だろう」と、半七がたたみかけて云った。「あいつが南京玉を買いあつめているのは贋金の金に使うつもりだ。あいつらのこしらえる贋金の地金は、貧乏徳利の欠片《かけら》を細かに摺《す》り潰《つぶ》して使うんだが、それがこの頃はだんだん上手になって、小さい南京玉をぶっ掻いて地金にするということを俺はかねて聴いている。それも一軒の店で一度にたくさん買い込むと人の眼につくので、田舎者の振りをして方々の店から少しずつ買いあつめていたのに相違ねえ。てめえは錺屋だ。あの甚右衛門とぐるになって、贋金をこしらえる手伝いをしたろう。どうだ、これでもまだ白《しら》を切るか」
豊吉はまだ黙っていた。
「まだ云って聞かせることがある」と、半七はあざ笑いながら云いつづけた。「てめえはいい女房を持っているな。あの女は幾らで品川から連れてきた。その金はどこで都合して来た。てめえ達が一年や半年、夜の目も寝ずに稼いだって、女郎なんぞを請け出して来るほどの金はできねえ筈だ。その金はみんな甚右衛門から出ているんだろう」
ここまで問いつめられても、豊吉はまだ強情に口をあかないので、彼をひと先ず番屋につないで置いて、半七は更にその女房をよび出して、彼の家へふだん近しく出入りするものを調べた。その結果、おなじ職人の源次と勝五郎、四谷の酒屋|播磨《はりま》屋伝兵衛、青山の下駄屋石坂屋由兵衛、神田の鉄物《かなもの》屋近江屋九郎右衛門、麻布の米屋千倉屋長十郎の六人を召し捕って、一々厳重に吟味すると、果たして彼等一同共謀の贋金つかいであることが明白になった。
雪達磨の底にうずめられていた甚右衛門は、上州太田在の生まれであるが、今は一定の住所もないのである。
かれらが南京玉を原料として作りあげた贋金は専《もっぱ》ら一分金と二分金とで、それを江戸でばかり遣っていると発覚の早いおそれがあるので、甚右衛門は田舎者に化けて、旅から旅を渡りあるいて、巧みにそれを遣っていたのであった。
それにしても甚右衛門を誰が殺したのか、それはまだ判らなかった。
四
贋金つかいは江戸時代の法として磔刑《はりつけ》の重罪である。かれら一同はどうで助からない命であるから、誰が甚右衛門を殺そうとも所詮は同じ罪であるものの、ともかくもその事情を明白にしておく必要があるので、一同は更にきびしい吟味をうけた。そうして、かれら七人のなかで雪達磨の一件に直接関係のあるのは、かの錺《かざり》職の豊吉と源次と、近江屋九郎右衛門と石坂屋由兵衛との四人であることが判った。
豊吉が品川から連れてきたお政という女は、もう年明《ねんあ》け前でもあったが、それでも何やかやで三十両ばかりの金がいるので、豊吉は抱え主にたのんで先ず半金の十五両を入れて、女を自分の方へ引き取ることにした。のこる半金の十五両は去年の大晦日までに渡す約束であったが、とてもその工面《くめん》は付かないので、彼は同類の甚右衛門にたのんだが、甚右衛門は素直に承知しなかった。
「おれのところへそんな事を云って来るのは間違っている。神田の近江屋か石坂屋へ行け」と、かれは情《すげ》なく跳ねつけた。
しかし近江屋へは今までたびたび無心に行っているので、豊吉もさすがに躊躇《ちゅうちょ》した。よんどころなく品川の方へは泣きを入れて、七草の過ぎるまで待って貰うことにしたが、豊吉自身の手では正月早々にその工面のつく筈はないので、かれは大雪の小降りになるのを待って、三日ひるすぎに再び甚右衛門の宿へ訪ねてゆくと、町内の角であたかも彼の帰ってくるのに出逢った。豊吉はよんどころない事情を訴えて、かさねて金の無心をたのむと、甚右衛門はやはり承知しなかった。それでも豊吉が執拗《しつこ》く口説くので、甚右衛門も持て余したらしく、そんなら神田の近江屋へ行っておれが一緒に頼んでやろうということになって、二人は雪のなかを神田の鉄物屋まで出向いて行った。
近江屋には同類の石坂屋由兵衛と錺職の源次とが年始に来ていた。丁度いいところだと奥へ通されて、日の暮れるまで五人が酒をのんでいるうちに、甚右衛門は豊吉にたのまれた十五両のことを云い出すと、九郎右衛門も由兵衛もいやな顔をした。そして、そのくらいの金は甚右衛門が用立てるのが当然だと云った。この仕事については甚右衛門がふだんから一番余計に儲けているという不平話も出た。なにしろみんな酔っているので、ふた言三言の云い争いからあわや腕ずくになろうとする一刹那に、どうしたのか甚右衛門はうんと唸ったままで倒れてしまった。四人もさすがにおどろいて介抱したが、もう蘇《い》きなかった。
「さあ、どうしよう」
四人は顔を見あわせた。頓死として正直にとどけて出れば論はないのであるが、彼等には何分にもうしろ暗いことがあるので、甚右衛門の死をなるべくは秘密に付してしまいたいと思った。四人は夜のふけるまで甚右衛門の死骸をそこに横たえて置いて、店の者の手前は正体なく酔っている彼を介抱して帰るように見せかけて、豊吉と源次はその死骸を肩にかけて出た。由兵衛も附き添って出た。主人の九郎右衛門もなんだか不安なので、これもそこらまで送ってゆく振りをして後から出て行った。
大雪の夜は更《ふ》けて、町には往来の絶えているのが彼等のためには仕合わせであった。四人は三、四町ほども死骸をはこび出して、堀端の火除け地に捨てようとしたが、なるべく一日でも後《おく》れて人の眼につくことを考えて、かれらは協力してそこに大きな雪達磨を作った。そうして、甚右衛門の死骸をその底へ深く埋めて置いた。いっそ往来へ投げ出して置いたらば、凍死か行き倒れで済んだかも知れなかったのであったが、かれらの浅はかな知恵が却《かえ》っておのれに禍いして、思いもよらない悪事発覚の端緒を開いたのであった。
勿論、かれらは甚右衛門のふところや袂から証拠となるような品々をことごとく取り出してしまった。菊一で買った南京玉も無論取り出したのであったが、心が慌てているので其の幾粒かをこぼしたらしい。そうして、その南京玉が彼等を当然の運命に導いたのであった。
贋金つかいの商人《あきんど》四人と共謀の錺職三人がすべて法のごとくに処刑されたのは云うまでもない。先に死んで刑戮《けいりく》をまぬかれた幸運の甚右衛門は、専ら旅先で贋金をつかっていたのであるが、他の商人四人は江戸市中で巧みに使用したことを白状した。
しかしその総高はまだ千両に上《のぼ》らなかった。
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熊の死骸
一
神信心という話の出たときに、半七老人は云った。
「むかしの岡っ引などというものは、みんな神まいりや仏まいりをしたものです。上《かみ》の御用とはいいながら、大勢の人間に縄をかけては後生《ごしょう》が思われる。それで少しでも暇があれば、神仏へ参詣する。勿論それに相違ないのですが、二つにはそれもやっぱり商売の種で、何かのことを聞き出すために、諸人の寄りあつまる所へ努めて顔出しをしていたのです。わたくしなどもそのお仲間で、年を取った今日《こんにち》よりも却《かえ》って若いときの方が信心参りをしたものです。いや、その信心に関係のあることではないのですが、弘化二年正月の二十四日、きょうは亀戸《かめいど》の鷽替《うそか》えだというので、午《ひる》少し前から神田三河町の家を出て、亀戸の天神様へおまいりに出かけました。そうすると、昼の八ツ(午後二時)過ぎに、青山の権太原《ごんだわら》……今はいつの間にか権田原という字に変っているようです……の武家屋敷から火事が始まったんです。この日は朝から強い北風で、江戸中の砂や小砂利を一度に吹き飛ばすというような物騒な日に、あいにくとまた紅い風が吹き出したのだから堪まりません。忽ちにそれからそれへと燃えひろがる始末。しかし初めのうちは亀戸の方でもよくは判らず、どこか山の手の方角に火事があるそうだくらいの噂だったのですが、ともかくもこの大風に燃え出した火はなかなか容易に鎮まる気づかいはないと思ったので、亀戸からすぐに引っ返して来たのは夕七ツ半(午後五時)を過ぎた頃でしたが、もうその頃には青山から麻布の空が一面に真紅《まっか》になっていました。三田《みた》の魚籃《ぎょらん》の近所に知り人《びと》があるので、丁度そこに居あわせた松吉という子分をつれて、すぐにまた芝の方面へ急いで行くと、ここに一つの事件が出来《しゅったい》したんです」
前にもいう通り、この火事は青山の権太原から始まって、その近所一円を焼き払った上に、更に麻布へ飛んで一本松から鳥居坂、六本木、竜土の辺を焼き尽して、芝の三田から二本榎、伊皿子、高輪《たかなわ》まで燃えぬけて、夜の戌《いぬ》の刻(午後八時)を過ぎる頃にようよう鎮まった。今日の時間にすれば僅かに六時間くらいのことであったが、何分にも火の足がはやかったので、焼亡の町数は百二十六ヵ町という大火になってしまって、半七が三田へ駈けつけた頃には、知り人の家などはもう疾《と》うに灰になっていて、その立退《たちの》き先も知れないという始末であるので、江戸の火事に馴れ切っている彼も呆気《あっけ》に取られた。
「馬鹿に火の手が早く廻ったな。やい、松。これじゃあしようがねえ。今度は高輪へ行け」
「伊豆屋へ見舞に行くんですか」と、松吉は云った。
「この分じゃあ、見舞の挨拶ぐらいじゃ済むめえ。火の粉をかぶって働かなけりゃあなるめえよ」
高輪の伊豆屋弥平はおなじ仲間であるから、半七はそこへ見舞にゆく積りで、更に高輪の方角へ駈けぬけてゆくと、日はもうすっかり暮れ切って、暗やみの空の下に真っ紅な火の海が一面にごうごうと沸きあがっていた。ふたりは濡れ手拭に顔をつつんで、尻端折《しりはしょ》りの足袋はだしで、ともかくも高輪の大通りまで出て来たが、もうその先は一と足も進むことが出来なくなった。
なにぶんにも風の勢いが強いので、飛び火はそれからそれへと燃え拡がって、うしろが焼けていたかと思ううちに、二、三町先がもういつの間にか燃えているので、前後をつつまれて逃げ場をうしなった類焼者は、風と火に追いやられて海辺の方へよんどころなく逃げあつまると、その頭の上には火の粉が容赦なく降りかかって来るので、ここでも逃げ惑って海のなかへ転げ落ちたものが幾百人と伝えられている。
こうした怖ろしい阿鼻叫喚《あびきょうかん》のまん中へ飛び込んだ二人は、いくら物馴れていてもさすがに面喰らって、あとへも先へも行かれなくなった。うっかりしていれば自分らの眉へも火が付きそうなので、ふたりは火の粉の雨をくぐりながら、互いの名を呼んだ。
「松。気をつけろよ」
「親分。とてもいけませんぜ。伊豆屋まで行き着くのは命懸けだ。第一、これから行ったって間に合いませんぜ」
「そうかも知れねえ」と、半七は云った。「間に合っても合わねえでも、折角来たもんだから、ともかくもそこまで行き着きてえと思っているんだが、どうもむずかしそうだな」
「怪我でもすると詰まらねえ。もういい加減にしましょうよ。伊豆屋の見舞なら、これから家《うち》へ引っ返して握り飯の支度でもさせた方がようござんす。どうせ消《し》めった後でなけりゃあ行かれやしません」
そういううちにも、なだれを打って逃げ迷ってくる半狂乱の人々に押されて揉《も》まれて、二人も幾たびか突き顛《こか》されそうになった。火は大通りまで燃え出して、その熱い息が二人を蒸して来たので、半七ももうあきらめるよりほかはなかった。
「じゃあ、松。もう帰ろうよ」
「帰りましょう」と、松吉もすぐに同意した。「ぐずぐずしていて煙《けむ》にまかれでもした日にゃあ助からねえ」
ふたりは方向を換えようとして本芝《ほんしば》の方へ振り向く途端に、わっという叫びがまた俄かに激しくなって、逃げ惑う人なだれが二人を押し倒すように頽《くず》れて来た。
「親分。あぶのうがすぜ」
「てめえもしっかりしろ」
群集に揉まれて、ふたりは四、五間も押し戻されたかと思うときに、大きい獣《けもの》が自分たちのそばに来ていることを発見した。昼よりも紅い火に照らされて、混雑の中でその正体がすぐに判った。それは大きい熊であった。どこから飛び出して来たのか知らないが、彼もおそらくこの火に追われて、人間と一緒に逃げ場をさがしているのであろう。しかし人間に取っては怖ろしい道連れであるので、猛火に焼かれようとして逃げ惑っている人たちは、更にこの猛獣の出現におびやかされた。むかしの合戦に火牛《かぎゅう》の計略を用いたとかいうことは軍書や軍談で知っているが、いま眼《ま》のあたりに火の粉を浴びた荒熊の哮《たけ》り狂っている姿を見せられた時には、どの人も異常の恐怖に襲われて、悲鳴をあげながら逃げ迷った。
熊もいたずらに人をおびやかすために出て来たのではない。火を恐るる彼は殆ど死に物狂いの勢いで、どこからか逃げ出して来たらしく、もちろん人間に咬《か》みつく余裕はなかったが、それでも時々起ちあがって、自分のゆく先の邪魔になる人々をその強い手で殴《はた》き倒した。殴かれた者はもう起きることは出来ないで、あとから駈けて来る者にむごたらしく踏みにじられた。火事場の混雑はこの猛獣の出現のために、更に一層の恐怖と混雑とを加えた。
「あぶねえ、あぶねえ」と、半七は誰に注意するともなしに思わず叫んだ。
「あぶねえ、あぶねえ。熊だ、熊だ」と、松吉も一緒にわめいた。
「熊だ、熊だ」と、大勢も逃げながら叫んだ。
丁度そのときに十七八の若い娘が下女らしい女に手をひかれながら、混雑のなかをくぐりぬけて来て、どううろたえたか恰《あたか》もかの熊のゆく先へ迷って出たので、怒れる熊は人のように突っ立ちあがって、邪魔になる其の娘を引っ掴《つか》もうとした。その危うい一刹那に、ひとりの若い男が横合いから転《ころ》がるように飛び出して来て、いきなり熊の胴腹へ組み付いた。かれは幾らかの心得があるとみえて、自分の頭を熊の月の輪あたりにしっかり押し付けて、両手で熊の前足を掴んでしまった。しかも熊の強い力で振り飛ばされては堪まらない。かれは大地に手ひどく叩き付けられた。
それは実に一瞬間の出来事であったが、かれが身を楯《たて》にして熊をさえぎっているひまに、娘も下女も危難を逃がれた。そればかりでなく、熊は何者かに真っ向を斬られた。つづいてその急所という月の輪を斬られた。それは二人の武士の仕業《しわざ》で、いずれも刀を抜きひらめかしていた。かれらは熊の斃《たお》れたのを見とどけて、そのまま何処へか立ち退いてしまった。
「このふたりは西国《さいこく》の或る藩中の父子《おやこ》連れだそうです」と、半七老人はここで註を入れた。「後にそのことが聞えたので、殿様から御褒美《ごほうび》が出たといいます。なんという人達だか、その名は伝わっていませんが、永代橋の落ちた時に刀を抜いて振りまわしたのと同じような手柄ですね」
二
熊は殺されてしまったが、それをさえぎろうとした彼《か》の若い男はそこに倒れたままで、なかなか起きあがりそうにも見えなかった。打っちゃって置けば、大勢に踏み殺されてしまうかも知れないので、半七はすぐに駈け寄ってかれを抱き起すと、松吉も寄って来て、ともかくも彼を混雑のなかから救い出した。
「親分。どこへ担《かつ》ぎ込みましょう」
この騒ぎの中でどうすることも出来ないので、かれを松吉に負わせて、半七はそのゆく先を払いながら、どうにかこうにか混雑の火事場からだんだんに遠ざかって、本芝から金杉《かなすぎ》へ出ると、ここらは風上であるから世間もさのみ騒がしくなかった。ここまで来れば大丈夫だと思ったので、二人はそこの自身番に怪我人をかつぎ込んで、まずほっと息をついた。
「どなたでございますか。どうも有難うございます」と、松吉の背中から卸《おろ》された男は礼を云った。
挨拶が出来るほどならば大したことはあるまいと安心して、半七は自身番の男どもと一緒に彼を介抱すると、男は熊に殴《はた》かれたために左の腕を傷《いた》めているらしかったが、そのほかにひどい怪我もなかった。自身番から近所の医者を迎えに行っている間に、かれは自分の身許《みもと》を明かした。彼は加賀生まれの勘蔵というもので、三年前から田町《たまち》の車湯という湯屋の三助をしていると云った。
「家は焼けたのかえ」と、半七は訊いた。
「さあ、たしかには判りませんが、なにしろ火の粉が一面にかぶって来たので、あわてて逃げ出してまいりました」
「熊に出っくわした娘は主人の娘かえ」
「いいえ。一軒|隔《お》いて隣りの備前屋という生薬屋《きぐすりや》の娘さんでございます」と、勘蔵は答えた。「わたくしが人込みのなかを逃げて来る途中、丁度あすこで出合ったもんですから、前後の考えもなしに飛び出して、いやどうもあぶない目に逢いましてございます」
「だが、いいことをした」と、半七は褒めるように云った。「お前だからまあその位のことで済んだが、あんな孱細《かぼそ》い娘っ子が荒熊に取っ捉《つか》まって見ねえ。どんな大怪我をするか判ったもんじゃあねえ。備前屋も定めて有難がることだろうよ。あの娘はなんという子だえ」
「お絹さんといって、備前屋のひとり娘でございます」
「備前屋は古い暖簾《のれん》だ。そこのひとり娘が熊に傷《や》られるところを助けて貰ったんだから、向うじゃあどんなに恩に被《き》てもいいわけだ」
こんなことを云っているうちに、医者が来た。医者は勘蔵の痛みどころを診察して、左の肩の骨を痛めているらしいから、なかなか手軽には癒《なお》るまいと云った。しかし命に別状のないことは医者も受け合ったので、半七はあとの始末を自身番にたのんで帰った。
あくる朝、半七は再び松吉をつれて高輪へ見舞にゆくと、伊豆屋の家は果たして焼け落ちていた。その立退《たちの》き先をたずねて、それから三田の魚籃《ぎょらん》の知り人の立退き先をも見舞って、帰り路に半七はゆうべの勘蔵のことを云い出した。あれからどうしたかと噂をしながら、ふたりは田町へ行ってみると、車湯も備前屋も本芝寄りであったので、どっちも幸いに焼け残っていた。半七は先ず車湯をたずねて、勘蔵のことを女房にきくと、彼は自身番で医者の手当てをうけて、左の腕をまいて帰って来たが、痛みはなかなか去らないので、ゆうべからそのまま寝ているとのことであった。
「備前屋から見舞にでも来たかえ」と、半七はかさねて訊いた。
「いいえ。一度もたずねて来ないんです」と、湯屋の女房は不平らしく訴えた。「ねえ、おまえさん。備前屋もあんまりじゃありませんか。あんな大きな屋台骨をしていながら、自分の家《うち》のひとり娘を助けて貰った、云わば命の親の勘蔵のところへ一度も見舞によこさないというのは、あんまり義理も人情も知らない仕方じゃありませんか」
それは勘蔵に対する不義理不人情ばかりでなく、主人の自分に対しても礼儀を知らない仕方ではあるまいかと女房は憤った。それも畢竟《ひっきょう》はこっちが女主人であると思って、備前屋ではおそらく馬鹿にしているのであろうという、女らしい偏執《ひがみ》まじりの愚痴《ぐち》も出た。その偏執や愚痴は別としても、備前屋が今まで素知らぬ顔をしているのは確かに不義理であると半七も思った。
「しかし、備前屋じゃあ、どさくさまぎれで、まだその事をよく知らねえんじゃねえか」
「なに、知らないことがあるもんですか」と、女房は鉄漿《おはぐろ》の歯をむき出した。「備前屋の小僧もちゃんとそう云っているんですもの。家のお絹さんは熊に啖《く》われようとするところを、ここの勘蔵さんに助けられたと……。奉公人もみんな知っているくらいですから、主人が知らない筈はありません。だいいち女中だって一緒にいたんじゃありませんか」
「それもそうだな」と、半七は松吉と顔を見あわせた。「なにしろ勘蔵は気の毒だ。おれが行って備前屋に話してやろう。ちょっくら癒《なお》る怪我じゃあねえというから、なんとか掛け合って療治代ぐらい貰ってやらなけりゃあ、当人も可哀そうだし、ここの家でも困るだろう」
「何分よろしく願います。ですけれども、あの備前屋は町内でも名代《なだい》の因業屋《いんごうや》なんですから」
「吝《けち》でも因業でも理窟は理窟だ」と、松吉も口を尖《とが》らした。「そんなのを打っちゃって置くと癖になる。ねえ、親分。これから押し掛けて行って因縁をつけてやろうじゃありませんか」
「無理に因縁をつけるにも及ばねえが、ひと通りの筋道を立てて掛け合ってみよう」
その足で備前屋へ行くと、家のなかはまだ一向片付いていないらしく、ゆうべ持ち出したままの家財道具が店いっぱいに積み重ねられて、ほこりと薬の匂いが眼鼻にしみた。その混雑の最中にこんな掛け合いをするのも拙《まず》いと思ったが、半七はそこらに立ち働いている店の者をよんで、主人は家にいるかと訊《き》くと、主人夫婦と娘とは橋場《はしば》の親類の方へ立ち退いているとのことであった。そんなら番頭に逢わせてくれと云うと、四十ばかりの男が片襷《かただすき》の手拭をはずしながら出て来た。
「てまえが番頭の四郎兵衛でございます」
こっちの身分をあかした上で、半七はゆうべの熊の一件を話した。ここの娘のあやういところを車湯の勘蔵が自分のからだを楯にして救ったのは事実で、自分とこの松吉が確かな証人である。命に別状はないが、勘蔵の傷は重い。多寡《たか》が湯屋の三助で、長い療治は随分難儀なことであろうと思いやられるから、主人とも相談してなんとか面倒を見てやるようにしてやってはどうであろう。勿論これは表向きの御用ごとではないが、自分もそれに係り合った関係上、まんざら知らない顔もしていられないから折り入って頼みに来たのであると、半七はおとなしく云い出すと、四郎兵衛はすこし考えていた。
「いえ、勘蔵が怪我をしたということはわたくしも聞いて居ります。見舞にでも行ってやろうと思いながら、なにしろこちらも御覧の通りの始末だもんですから、まだ其の儘になっているようなわけでございます。そのことに就きまして、勘蔵がお前さんに何かお願い申したのでございますか」
「別に頼まれたわけじゃあねえが、あんまり可哀そうだから何とかしてやって貰いたいと思うんだが、番頭さん、どうですね」
「判りました」と、四郎兵衛おとなしく答えた。「いずれ主人とも相談しまして、なんとか致しましょう。そう致しますと、勘蔵から別にお願い申した訳ではございませんのですね」
いやに念を押すとは思ったが、半七はどこまでも頼まれたのではないと云い切って別れた。
「変な奴ですね。いやに念を押すじゃありませんか。勘蔵が頼めばどうだというんでしょう」と、松吉は表へ出てからささやいた。
「むむ、どうであんなところの番頭なんていうものは、判らねえ獣物《けだもの》が多いもんだ」と、半七は笑っていた。「いや獣物といえば、あの熊はどうなったろう。侍は叩っ切ったままで行ってしまったんだが、その死骸はどうしたろう。犬や猫とは違うんだから、むやみに取り捨ててもしまわねえだろうが、誰が持って行ったかしら。品川辺の奴らかな」
「そうでしょうね」と、松吉もうなずいた。「品川とばかりは限らねえ。世間には慾の深けえ奴が多いから、何かの金にする積りで、どさくさまぎれに引っ担《かつ》いで行ったかも知れませんよ。一体あの熊はどこから出て来たのでしょうね」
「それは判らねえ。江戸のまん中にむやみに熊なんぞが棲《す》んでいる訳のものじゃあねえ。どこかの香具師《やし》の家にでも飼ってある奴が、火におどろいて飛び出したんだろう。伊豆屋でさっき聞いたんじゃあ、あの熊のために二十人からも怪我をしたそうだ。こんな噂はとかく大きくなるもんだが、話半分に聞いても十人ぐらいは飛んだ災難にあったらしい。馬鹿なことがあるもんだ」
その日はそれで帰ったが、熊の噂はだんだんに高くなった。それは麻布の古川《ふるかわ》の近所に住んでいる熊の膏薬屋が店の看板代りに飼って置いたものであることが判った。膏薬屋は親父とむすめの二人暮しで、自分の子のようにその熊を可愛がっていたが、火事の騒ぎで逃がしたのであった。店は焼かれる。看板の熊には逃げられる。おまけにその熊が大勢の人を傷つけたというので、父娘《おやこ》は後難を恐れて、どこへか影をかくしたと伝えられた。
しかしその熊の死骸はどうなったか判らなかった。
三
それから二、三日の後に、備前屋では車湯の勘蔵に十両の見舞金を贈ったということを半七は聞いた。
夫婦や娘たちは橋場の親類から戻って来たが、娘のお絹は火事の騒ぎにあまり驚かされたので、その以来はどうも気分が悪いと云って床《とこ》に就いている。そうして、ときどき熱の加減か囈言《うわごと》のように、「あれ、熊が来た」などと口走るので、家内の者も心配しているとのことであった。その時代では大金という十両の見舞金を貰って、療治がよく行き届いたせいか、勘蔵の腕の痛みどころもだんだんに快《よ》くなるという噂を聞いて、半七も蔭ながら喜んでいた。
そのうちに今年の春もあわただしく過ぎて、初鰹《はつがつお》を売る四月になった。その月の晴れた日に勘蔵が新らしい袷を着て、干菓子の折《おり》を持って、神田三河町の半七の家へ先ごろの礼を云いに来た。
「どうだね、もうすっかりいいかえ」と、半七は訊いた。
「ありがとうございます。お庇《かげ》さまで、もうすっかりと癒《なお》りました。その節はいろいろ御心配をかけまして恐れ入りました。おかみさんもくれぐれも宜しく申してくれと云って居りました」
「なにしろ、早く癒ってよかった」と、半七も嬉しそうに云った。「時に備前屋の娘はどうしたね。その後病み付いているとかいう噂だが……」
「そうでございます。一時は何だかぶらぶらしていて、ときどきに熊が出るとか云って騒ぐので、親たちも困っていたそうでございます。備前屋は店の大きい割合に奥が狭いので、もう一度、橋場の離れ座敷を借りて、そこでゆっくり養生させようかなどと云っていたそうですが、この頃は大分《だいぶ》いいとか云いますから、どうなりますか」
「なるほど、そりゃあ困ったね」と、半七は眉をよせた。「折角お前に助けて貰っても、あとがそれじゃあ何にもならねえ。しかし、そういう病気じゃあむやみに薬を飲んでもいけねえ。どこか閑静なところへ行って、ゆっくりと気を落ち着けていたら、自然に癒るだろうよ」
「そうかも知れません」
勘蔵はくり返して礼を云って帰った。最初から深くも気に留めていなかったので、備前屋の娘の噂もいつか半七の記憶から消え失せてしまった。その月末《つきずえ》に、半七は三田の方角へ行ったついでに高輪の伊豆屋へ久し振りでたずねると、焼けた家は新らしく建て直ったが、主人の弥平は風邪がもとで寝込んでいた。かれは半七の顔を見てよろこんだ。
「やあ、三河町。いいところへ来てくれた。実は少し御用ごとがあるんだが、なにしろこの始末で動きが取れねえ。といって、若けえ奴らにばかりまかせて置くのも不安心だと思っていたところだが、どうだろう。おれの代りに采配《さいはい》を振って、若けえ奴らを追い廻してくれめえか」
「そこで、その御用というのはどんな筋だね」
「田町の備前屋という生薬屋の娘が殺されたのだ」
「備前屋の娘が殺された……」と、半七もすこし驚かされた。「そこで、その相手は誰だか判らねえのか」
弥平の説明によると、備前屋のお絹の死骸は高輪の海端に横たわっていたのであった。海へ投げ込むつもりで引き摺ってゆくと、あたかもそこへ人でも通り合わせたので、あわてて其の儘に捨てて行ったらしい。かれは鋭い刃物で胸を抉《えぐ》られていた。この頃までぶらぶら病いのようなありさまで、毎日寝たり起きたりしていた彼女《かれ》が、床を揚げてからまだ幾日にもならないのに、どうして夜なかに家をぬけ出したのか。そうして、何者に殺されたのか。もちろん誰にも想像は付かなかった。
「ところが、お前に見せるものがある」と、弥平は蒲団《ふとん》の下から紙につつんだものを出した。「これを先ず鑑定してもれえてえ」
「獣物《けだもの》らしいな」と、半七はその紙包みをあけて見て云った。「犬や猫じゃ無さそうだ。なんの毛だろう」
このあいだの熊が半七の胸にふと浮かんだ。その獣の毛が五、六本、死んだ娘の右の手につかまれていたというのを聞いて、彼はしばらく考えていた。
「それは子分の彦の野郎が、何かの手がかりになるだろうというので、検視の来る前に死骸の手からそっと取って来たんだ。あいつはなかなか敏捷《すばし》っこい奴よ。どうだい、三河町。なにかのお役に立ちそうなもんじゃあねえか」
「むむ、こりゃあ大手柄だ。これを手がかりに何とか工夫《くふう》)してみよう」
彦八という若い手先は親分の枕もとへ呼び付けられて、半七の前で、備前屋の娘の死状《しにざま》をもう一度くわしく話せと云われた。弥平のいう通り、かれはなかなか敏捷っこそうな男で、その報告はすこぶる要領を得ていたが、なにぶんにも自分が現場を見とどけていないので、半七にはなんだかくすぐったく感じられた。しかし備前屋の娘の手に残っていた獣《けもの》の毛が確かに熊の毛であるらしいことが少なからぬ興味をひいた。彼はここで午飯の馳走になって、彦八をつれて伊豆屋を出た。
「親分、なにぶん御指図を願います」と、彦八は如才《じょさい》なく云った。
「いや、ここらはお前たちの縄張り内で、おれは一向のぼんくらだ。まあ、よろしく頼むぜ」
差し当りどこへ行こうかと思ったが、半七は先ず備前屋をたずねて、なにかの手がかりを探り出そうと、田町の方角へ急いでゆくと、途中で二十五六の男にすれ違った。男は彦八に挨拶して通りすぎた。
「あの野郎はどこの奴だえ」と、半七は彦八に小声で訊いた。
「六三郎といって、小博奕を打っているやくざな野郎ですよ」
「六三郎……粋《いき》な名前だな。その六三郎にお園《その》が用があると云って牽引《しょぴ》いて来てくれ。いや、冗談じゃねえ。御用だ」
御用と聞いて、彦八はすぐに駈け戻って、六三郎を引っ張って来た。四月の末になってもまだ満足に移りかえが出来ないらしく、かれは汚れた女物の袷を着ていた。けちな野郎だと多寡をくくって、半七はいきなり嚇《おど》し付けた。
「やい、六。てめえ、ふてえことをしやがったな。真っ直ぐに白状しろ」
「へえ、なんでございます」
「ええ、白らばっくれるな、てめえの襟っ首にぶらさがっているのはなんだ。千手観音の上這《うわば》いじゃあるめえ。よく見ろ」
六三郎の襟には何かの黒い毛が二本ほど引っかかっていた。彦八も初めて気がついてよく見ると、それは備前屋の娘の手に残っていたのと同じ物であった。それを発見すると、彦八は俄かに眼をひからせて彼の腕を引っ掴んだ。
「なるほど、親分の眼は捷《はえ》え。さあ、野郎、神妙に申し立てろ」
「まあ、待て」と、半七は制した。「なんぼこんな野郎でも往来で詮議《せんぎ》もなるめえ。やっぱり自身番へ連れて行け」
ふたりに引っ立てられて、六三郎は近所の自身番へゆくと、年の若い彦八はすぐに呶鳴《どな》った。
「この親分は三河町の半七さんだ。うちの親分が寝ているんで、きょうは名代《みょうだい》に出て来てくんなすったんだが、うちの親分より些《ち》っと手荒いからそう思え。てめえの襟っ首にぶら下がっているものに、親分の不審がかかっているんだ。さあ、何もかも正直に云ってしまえ。辻番の老爺《おやじ》だって、もう、むく犬を抱いて寝る時候じゃあねえのに、なんだって手前のからだに獣物《けだもの》の毛がくっ付いているのか、わけを云え」
「てめえの襟についているのは熊の毛に違げえねえ」と、半七も云った。「もう面倒だから長い台詞《せりふ》は云わねえ。てめえは備前屋のお絹という娘を殺したろう。物取りか、遺恨か、拐引《かどわかし》か、それを云え」
調べる者と調べられる者と、はじめから役者の格が違うので、六三郎は意気地もなく恐れ入ってしまった。
「こうなれば何もかもありていに申し上げますが、備前屋の娘はわたくしが殺したんじゃございませんから、どうぞ御慈悲を願います。いえ、嘘をつくと思召《おぼしめ》すかも知れませんが、まったく不思議な話なんです」
ことしの正月、かれは博奕《ばくち》にすっかり負けてしまって、表へも出られないような始末になって、狭い裏店《うらだな》に猫火鉢をかかえてくすぶっていると、かの大火事が起った。着のみ着のままの彼はそれを待っていたように表へ飛び出して、どさくさまぎれの火事場泥坊を思い立ったが、あまりに風と火とが烈《はげ》しいので、彼も思うような仕事が出来なかった。いたずらに火の粉に追われながら混雑の中をうろ付いていると、どこからか荒熊が暴れ出して来たので、かれはいよいよ面喰らった。しかもその熊がふたりの侍に退治されたのを見とどけて先ず安心したところへ、かねて顔を識《し》っている車力《しゃりき》の百助というのが来合わせたので、二人はすぐに相談して、その熊の死骸を引っかついで逃げた。熊の胆《い》と熊の皮とは高い値であるということを、彼等はふだんから聞いていたからであった。
二人はともかくも其の熊を六三郎の家へかつぎ込んだが、素人《しろうと》の彼等はそれをどう処分していいかを知らなかった。二日ばかりは縁の下に隠して置いて、百助はそれを自分の知っている皮屋に売り込もうとしたが、相手は足もとを見て無法に廉《やす》く値切り倒したので、ふたりは怒って破談にしてしまった。さりとて生物《なまもの》をいつまでも打っちゃって置くわけにも行かないので、今度は品川から伝吉という男を呼んで来て、儲けは三人が三つ割にする約束で、夜ふけに熊の死骸を高輪の裏山へ運び出した。生皮をあつかうのはむずかしい仕事であるが、伝吉は少しくその心得があるので、焚き火の前でどうにかこうにかその腹を割《さ》いて其の皮を剥《は》いだ。しかし肝腎《かんじん》の熊の胆《い》がどれであるか判らないので、三人は当惑した。腹を截《た》ち割ったら知れるだろうぐらいに多寡をくくっていた彼等は、今更のように途方にくれた。
そこで三人は相談を仕直して、更にもう一人の味方をこしらえることにした。それは彼《か》の備前屋の番頭の四郎兵衛で、かれは大きい薬種屋の番頭であるから熊の胆の鑑別が付くに相違ない。彼をこっちの味方に誘い込んで、かれの口からその主人にうまく売り込んで貰おうということになって、三人は穴を掘って一と先ず熊の死骸を埋めた。剥いだ生皮は自分の方で鞣《なめ》してやると云って、伝吉が持って帰った。二度目の相談はそれと決まったものの、馴染《なじみ》のうすい四郎兵衛を呼び出して、だしぬけにこんな相談を持ちかける訳にも行かないので、六三郎は車湯の勘蔵にその橋渡しを頼もうと思いついた。
勘蔵は四郎兵衛と同国者で、かれは四郎兵衛を頼って江戸へ出て来て、その世話で近所の車湯へ住み込んだのである。その関係から彼は今でも、何かにつけて四郎兵衛の世話になっているらしい。殊にかれは備前屋の娘を救うために大怪我までしているのであるから、熊の一件とは逃がれられない因縁もある。かたがた彼から話し込んで貰うのが便利であると考えて、六三郎はあくる日すぐに勘蔵をたずねてゆくと、かれは痛む腕をかかえて寝ていた。備前屋へ熊の胆を売り込む相談について、かれは一旦|躊躇《ちゅうちょ》したが、結局その仲間入りをすることになって、いずれ自分が起きられるようになったならば番頭に話してみようと受け合った。しかし、こっちはなま物をかかえているのであるから、なるたけ早く相談を持ち込んでくれと掛け合っているところへ、あたかもかの番頭の四郎兵衛が主人の使で勘蔵を見舞に来たので、その枕辺《まくらべ》ですぐにその相談をはじめると、相当の値段ならば引き取ってもいいと四郎兵衛は云った。
その晩、六三郎は四郎兵衛を高輪の裏山へ案内して、熊を埋めたところへ忍んでゆくと、ゆうべ新らしく掘った土は更に何者にか掘り返されたらしい跡がみえるので、かれは一種の不安に襲われた。あわてて其の土を掘ってみると、生々《なまなま》しい熊の死骸は元のまま埋められていたが、その腹のなかに肝腎の胆が無いということを四郎兵衛から云い聞かされて、六三郎も驚いた。何者かが彼等より先に死骸を掘り出して、熊の胆を盗み去ったのであろうという説明を聞かされて、彼はいよいよ驚いてがっかりした。四郎兵衛も失望したような顔をして帰った。六三郎もその盗人の疑いを品川の伝吉と車力の百助とにかけて、すぐに二人を詮議したが、彼等はなんにも知らないと云った。いくら、真紅《まっか》になって云い合っても、所詮は水掛け論で果てしが付かなかった。かれら三人の所得は伝吉の手に渡された熊の皮一枚に過ぎないことになってしまった。
四
六三郎が伝吉と百助とを疑うと同時に、ふたりの方でもまた六三郎を疑っているので、彼等のあいだには自然に仲間割れが出来た。伝吉はかの生皮を鞣《なめ》してしまったが、なんとか理窟をつけていて、素直にそれをこっちへ渡そうとしないので、六三郎は腹を立てた。熊の皮一枚が一体いくらの価をもっているものか、六三郎もよく知らなかったが、ともかくも折角の獲物を彼等ふたりに着服《ちゃくふく》されるのは、あまりに忌々《いまいま》しいと思ったので、かれは車力の百助のところへ度々催促に行って、しまいには腹立ちまぎれに喧嘩をして帰った。すると、ゆうべになって彼《か》の百助は熊の皮を持って六三郎の家へたずねて来た。
皮はこの通りに鞣したが、こっちには何分にも売り口がないから、この皮をそっちで引き取って、自分たち二人には骨折り賃として三両の金をくれと百助は云った。そんな金を持っている筈も無し、またそんな金を払う理窟もないと六三郎は剣もほろろに跳《は》ねつけた。結局ここで二度の喧嘩になると、百助も腹立ちまぎれに、そんならこの皮を証拠にして貴様の罪を訴えてやると毛皮を引っかかえて飛び出した。訴えれば彼も同罪である。よもやそんな無鉄砲な真似はしまいと思いながらも、根がそれほど大胆者でない六三郎はなんとなく不安心にもなって、彼のあとからつづいて飛び出した。高輪の海辺で追い付いて、かれは百助を引き戻そうとすると、百助はおそらく嚇し半分であろう、無理に振り切って行こうとするので、ふたりは夜の海辺で掴みあいを始めた。なにしろ証拠物の毛皮を取り戻してしまおうとあせって、六三郎はかれの手から一旦それを奪い取ると、百助がまた取り返した。取ったり取られたりして争っているうちに、二人は毛皮をそこへほうり出して死に身のむしり合いになった。
こうして、ふたりが夢中でむしり合っている最中に、うしろの方で突然に女の悲鳴がつづけて聞えたので、彼等もびっくりして見かえると、ひとりの女がそこに倒れていた。喧嘩もしばらく中止になって、ふたりはともかくもその女を引き起そうとすると、彼女はあたかも彼《か》の毛皮の上に倒れていて、おそらく苦痛のためであろう、片手は熊の毛を強くつかんでいた。更によく見ると、その女の胸のあたりには温かい生血《なまち》が流れ出しているらしいので、二人はまた驚かされた。百助は後難を恐れて先ず逃げ出した。六三郎も一緒に逃げかけたが、なにかの証拠になるのを恐れて又あわただしく引っ返して来て、女の手からその毛皮をもぎ取って逃げた。
お絹と六三郎と熊の毛との関係はこれで判ったが、お絹を殺した下手人は判らなかった。六三郎はまったく知らないと云い切った。その申し立てに詐《いつわ》りがありそうにも見えないので、六三郎は単に火事場かせぎとして大番屋《おおばんや》へ送られた。血に染《し》みた毛皮は六三郎の家の縁の下から発見された。
「さて、どいつがお絹を殺したか」と、半七もかんがえた。
ともかくも備前屋へ行って声をかけると、番頭の四郎兵衛は蒼ざめた顔をして出て来た。半七は先ず娘の悔みを云ってから、かれの家出や下手人に就いて何か心当りはないかと訊《き》くと、四郎兵衛は一向に心あたりがないと答えた。しかし彼の何だかおどおどしているような、落ちつかない眼の色が半七の注意をひいた。
「ここの店には内《うち》風呂があるんですか」と、半七はまた訊いた。
「ございます。店の者は車湯へまいりますが、奥では内風呂にはいります」
「この頃に風呂の傷《いた》んだことはありませんかえ」
「よく御存じで……」と、四郎兵衛は相手の顔をみた。「風呂が古いもんですから、ときどきに損じまして困ります。昨年の暮にも一度損じまして、それから四、五日前にもまた損じましたが、出入りの大工がまだ来てくれないので困って居ります」
「風呂が傷んでいる間は、奥の人たちも車湯へ行くんでしょうね」
「はい。よんどころなく町内の銭湯《せんとう》へまいります」
これだけのことを確かめて、半七は更に車湯へ行った。釜前に働いている勘蔵をよび出して、かれは小声で云った。
「おい、この間はありがとう。ときに少し用があるから、そこまで一緒に来てくれ」
「へえ。どちらへ……」
「どこでもいい。当分は帰られねえかも知れねえから、おかみさんに暇乞《いとまご》いでもして行け」
勘蔵の顔色はたちまち灰のようになった。半七に引っ立てられて自身番へゆく途中も、かれの足は殆ど地に付かなかった。彼はときどきに眼をあげて青空をじっと眺めていた。
「このあいだお前に貰った干菓子《ひがし》も綺麗だったが、備前屋の娘も綺麗だったな」と、半七は歩きながら云った。
勘蔵は黙っていた。
「あの娘には情夫《いろ》でもあるかえ」
「存じません」
「知らねえことがあるもんか」と、半七はあざ笑った。「橋場《はしば》の親類の家《うち》にいるじゃあねえか。熊が出るなんて詰まらねえ囈言《うわごと》を云って、娘はもう一度橋場へやって貰おうという算段だろう。火事が取り持つ縁とは、とんだ八百屋お七だ。自分の家へ火をつけねえのが見付け物よ。又その味方になる振りをして誘い出す奴も誘い出す奴だ」
勘蔵はやはり黙ってうつむいていた。
「去年の暮に、備前屋の内風呂が傷んだので、娘はおまえの湯へ来たそうだな」と、半七はまた笑った。「そのときにお前が背中を流してやったか。容貌《きりょう》は好し、年ごろの箱入り娘の肌ざわりはまた格別だからな。とんでもねえ粂《くめ》の仙人が出来上がったものだ。なるほど命賭けで荒熊にむしり付くのも無理はねえ。折角助けた娘は橋場へ行っているあいだに、向うで男が出来てしまった。家へ帰ってもやっぱり橋場が恋しいので、仮病《けびょう》をつかって熊が出るなんて騒いでいる。しかしその計略がうまく運ばないので、娘もひとりで焦《じ》れ込んでいるうちに、内風呂がまた傷んだ。ねえ、そうだろう。そこで又お前の湯へやってくると、粂の仙人が背中をこすりながら旨い相談を持ちかけた。わたくしが橋場へ御案内しましょうかとか何とか親切振って云ったもんだから、若けえ娘はあと先みずに欺されて、ゆうべそっと家をぬけ出すと、外に待っていた奴があって……。それから先はおれも知らねえ。おい、勘蔵。おれにばかりしゃべらせて、なぜ黙っているんだ。前座はこのくらいで引きさがるから、あとは真打《しんうち》に頼もうじゃあねえか」
背中をぽんと叩かれて、勘蔵はあぶなく倒れかかった。
「ここまで漕ぎ付ければ、この話も大抵おしまいです」と、半七老人はひと息ついた。「勘蔵の白状によると、前の年の暮に備前屋の娘の綺麗な肌をみたときには、まだどうしようというほどの煩悩《ぼんのう》も起らなかったのですが、火事の後片付けの済むまで娘は橋場の親類へ立ち退いているうちに、そこの店の若い者と出来合ってしまった。なんにも知らない親たちは娘の仮病を心配して、もう一度橋場へやろうかと云っていたが、やっぱり其の儘になっていると、店の者のうちに何処からどうして聞き出したのか橋場の一件を知っている者があって、それが男湯へ来た時に勘蔵にうっかりしゃべったので、勘蔵は急に気を悪くした。そこへちょうど風呂がまた毀《こわ》れて、娘が車湯へはいりに来たので、勘蔵はもうたまらなくなって、その背中を流しながらうまく誘い出したんです」
「娘はひとりで女湯へ来たんですか」と、わたしは訊《き》いた。
「いいえ、一人じゃありません。女中が一緒に付いて来たんですが、こいつが柘榴口《ざくろぐち》の中で町内の人と何かおしゃべりをしている間に、勘蔵がこっそりと娘の耳へ吹き込んでしまったんです。娘ももうちっと仮病をつかっていれば、なんにも間違いはなかったのかも知れませんが、陽気もだんだん暑くなって来るので、もう我慢が出来なくなって、うっかり車湯へ出て行ったのが運の尽きです。橋場へ案内してやると嘘をついて、夜ふけに娘を誘い出して、勘蔵は品川にいる自分の友達の家へ連れ込もうとしたんですが、橋場と品川ではまるで方角が違うので、なんぼ世間知らずの娘でも少し変に思ったらしく、途中でぐずぐず云い出したので、勘蔵もだんだんじれ込んで、無理無体に娘を引き摺って行こうとすると、娘はいよいよ怖くなって、声をあげて逃げ出すという始末。いや、こうなるとおそろしいもので、勘蔵はもう逆上《のぼ》せてしまったんです。もし云うことを聞かないときには嚇《おど》かして手籠めにする積りで、隠して持っていた小刀をいきなり抜いて、いっそひと思いにと娘の胸をえぐってしまった。勿論、自分も一緒に死ぬ気であったが、そこへ六三郎と百助が駈けて来たので、急に怖くなって逃げ出したというわけです」
「そこで、その熊の胆を盗み出したのは誰だか判らないのですか」と、わたしは又訊いた。
「この方のお話をすると長くなりますから、手っ取り早く申し上げると、熊の死骸を掘り出して熊の胆を盗んだ奴は、備前屋の番頭の四郎兵衛でした。昼間のうちに六三郎から死骸を埋めた場所を聞いて置いたので、日の暮れるのを待って忍んで行って、ひと足さきにその熊の胆を占《せし》めてしまったのです。いや、どうも悪い奴で……。それが露顕して、四郎兵衛もとうとう召し捕られましたが、品川の伝吉という奴だけはどこへか姿をかくしてしまいました。吟味の上で、勘蔵は無論に獄門、六三郎と百助と四郎兵衛は三人同罪ということになりました。今と違って、火事場どろぼうは重い処刑になるんですが、盗んだ品が箪笥《たんす》長持や夜具|蒲団《ふとん》のたぐいでなく、なにしろ熊の死骸というのですから、罪も大変に軽くなって、たしか追放ぐらいで落着《らくぢゃく》したように聞いています」
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あま酒売り
一
「また怪談ですかえ」と、半七老人は笑った。「時候は秋で、今夜は雨がふる。まったくあつらえ向きに出来ているんですが、こっちにどうもあつらえむきの種がないんですよ。なるほど、今とちがって江戸時代には怪談がたくさんありました。わたくしもいろいろの話をきいていますが、商売の方で手がけた事件に怪談というのは少ないものです。いつかお話した津の国屋だって、大詰へ行くとあれです」
「しかし、あの話は面白うござんしたよ」と、わたしは云った。「あんな話はありませんか」
「さあ」と、老人は首をかしげて考えていた。「あれとは又、すこし行き方が違いますがね。こんな変な話がありましたよ。これはわたくしにも本当のことはよく判らないんですがね」
「それはどんなことでした」と、わたしは催促するように云った。
「まあ、待ってください。あなたはどうも気がみじかい」
老人は人をじらすように悠々と茶をのみはじめた。秋の雨はびしゃびしゃというような音をたてて降っていた。
「よく降りますね」
外の雨に耳をかたむけて、あたまの上の電燈をちょっと仰いで、老人はやがて口を切った。
「安政四年の正月から三月にかけて可怪《おかし》なことを云い触らすものが出来たんです。それはどういう事件かというと、毎日暮れ六ツ――俗にいう『逢魔《おうま》が時《とき》』の刻限から、ひとりの婆さんが甘酒を売りに出る。女のことですから天秤をかつぐのじゃありません。きたない風呂敷に包んだ箱を肩に引っかけて、あま酒の固練《かたね》りと云って売りあるく。それだけならば別に不思議はないんですが、この婆さんは決して昼は出て来ない。いつでも日が暮れて、寺々のゆう六ツの鐘が鳴り出すと、丁度それを合図のようにどこからかふらふらと出て来る。いや、それだけならまだ不思議という段には至らないんですが、うっかりその婆さんのそばへ寄ると、きっと病人になって、軽いので七日や十日は寝る。ひどいのは死んでしまう。実におそろしい話です。その噂がそれからそれへと伝わって、気の弱いものは逢魔が時を過ぎると銭湯《せんとう》へも行かないという始末。今日の人達はそんな馬鹿な事があるものかと一と口に云ってしまうでしょうが、その頃の人間はみんな正直ですから、そんな噂を聞くと竦毛《おぞけ》をふるって怖がります。しかも論より証拠、その婆さんに出逢って煩《わずら》いついた者が幾人もあるんだから仕方がありません。あなた方はそれをどう思います」
私にはすぐに返事が出来ないので、ただ黙って相手の顔を見つめていると、老人はさもこそといったような顔をして、しずかにその怪談を説きはじめた。
その怪しい婆さんを見た者の説明によると、かれはもう七十を越えているらしい。麻のように白く黄いろい髪を手拭につつんで、頭のうしろでしっかりと結んでいた。筒袖かとも思われるような袂のせまい袷《あわせ》の上に、手織り縞《じま》のような綿入れの袖無し半纒《はんてん》をきて、片褄《かたづま》を端折《はしょ》って藁草履をはいているが、その草履の音がいやにびしゃびしゃと響くということであった。しかしその人相をよく見識っている者がない。かれに一度出逢った者も、うす暗いなかに浮き出している梟《ふくろう》のような大きい眼、鳶《とんび》の口嘴《くちばし》のような尖った鼻、骸骨のように白く黄いろい歯、それを別々に記憶しているばかりで、それを一つにまとめて人間らしい者の顔をかんがえ出すことは出来なかった。
かれは唯ふらふらと迷い歩いているのではない、あま酒を売っているのである。なんにも知らずにその甘酒を買った者もたくさんあったが、その甘酒に中毒したものはなかった。又その甘酒を買った者がことごとく病みついたというわけでもなかった。往来でうっかり出逢った者のうちでも、なんの祟《たた》りも無しに済んだものもあった。つまりめいめいの運次第で、ある者は祟られ、ある者は無難であった。いずれにしても婆さんの方は何事を仕向けるのでもない。ただ黙ってゆき違うばかりで、不運の者はその一刹那におそろしい災難に付きまとわれるのであった。
眼にも見えないその怪異に取り憑《つ》かれたものは、最初に一種の瘧疾《おこり》にかかったように、時々にひどい悪寒《さむけ》がして苦しみ悩むのである。それが三日四日を過ぎると更に怪しい症状を表わして来て、病人はうつむいて両足を長くのばし、両手を腰の方へ長く垂れて、さながら魚の泳ぐような、蛇の蜿《のた》くるような奇怪な形をして這いまわる。さりとて家《うち》じゅうを這いまわるのでもない。大抵は敷蒲団の上を境として、その上を前へうしろへ、右へ左へ蜿うつのである。それが魚というよりむしろ蛇に近いので、看病の人たちはうす気味悪がった。思いなしか病人の眼は蛇のように忌《いや》らしくみえて、口から時々に紅い舌をへらへらと吐く。こうした気味の悪い病症を三日五日も続けた後に、病人の熱は忘れたように冷めてけろりと本復するが、病中のことはなんにも記憶していない。なにを訊《き》いても知らないという。しかしそれらは軽い方で、重いのになるとその奇怪の症状を幾日も続けているうちに、とうとう病み疲れて藻掻《もが》き死にの浅ましい終りを遂げる者もあった。それが僅かに一人や二人であったならば、蛇を殺した祟りとでも云われそうなことであったが、なにをいうにも大勢であるために、その病人をことごとく蛇を殺した人間と認めるわけにも行かなかった。殊にそのなかには蛇を殺すどころか、絵に描いた十二支の蛇を見てさえも身をすくめるような若い娘たちもあったので、蛇の祟りと決めてしまうことは出来なかった。
「と云っても、あの蜿くる姿はどうしても蛇だ」
こっちに祟られるような覚えがなくても、向うから祟るのであろう。蛇に魅《み》こまれるという伝説は昔からたくさんある。どう考えてもあの婆さんはやはり蛇の化身《けしん》で、なにかの意味で或る男や或る女を魅こむに相違ない。この説が結局は勝を占めて、怪しい老婆の正体は蛇であると決められてしまった。それが更に尾鰭《おひれ》を添えて、ある剛胆な男がそっと彼《か》の婆さんのあとをつけて行くと、かれは不忍池《しのばずのいけ》の水を渡ってどこへか姿を隠したなどと、見て来たように吹聴《ふいちょう》する者もあらわれて来た。不忍の弁天に参詣して巳《み》の日の御まもりをうけて来た者は、その禍いを逃がれることが出来るなどと、まことしやかに説明する者もあらわれた。
それが町方《まちかた》の耳にはいると、役人たちも打っちゃって置くわけには行かなくなった。由来、かような怪しい風説を流布《るふ》して世間を騒がす者は、それぞれ処罰されるのが此の時代の掟《おきて》であったが、それが跡方もない風説とのみ認められないので、先ずその本人のあま酒売りを詮議《せんぎ》することになった。しかし、彼女の立ち廻る場所がどの方面とも限られていないので、江戸じゅうの岡っ引一同に対してかれの素姓あらためを命ぜられ、次第によっては即座に召し捕って苦しからずということであった。
八丁堀同心伊丹文五郎は半七を呼んでささやいた。
「今度の一件を貴様はどう思うか知らねえが、悪くすると磔刑《はりつけ》のお仕置ものだぞ。その積りでしっかりやってくれ」
「クルスでございますかえ」
半七は人差指で十字の形を空《くう》に書いてみせると、文五郎はうなずいた。
「さすがに貴様は眼が高い。蛇の祟りなんぞはどうも真《ま》に受けられねえ。ひょっとすると切支丹《キリシタン》だ。奴らがなにか邪法を行なうのかも知れねえから、そこへ見当をつけて詮索《せんさく》してみろ」
こっちも内々それに目星をつけたので、半七はすぐに受け合って帰った。しかし、どこから先ず手を着けていいのか、彼もさすがに方角が立たないので、家へ帰ってからも眼をとじて考えていたが、やがて台所の方にむかって声をかけた。
「おい、誰かそこにいるか」
「あい」
台所につづいた六畳の間に、大きい火鉢を取りまいていた善八と幸次郎とがばらばらと起《た》って来た。
「おめえたちはあま酒売りの婆さんを知っているか」と、半七は訊いた。
「出っくわしたことはありませんが、噂だけは聞いています」と、善八は答えた。
「伊丹の旦那からのお指図だ。どうにかしにゃあならねえ。この一件は俺ばかりじゃねえ、みんなも総がかりでやる仕事だから、なんでも早い勝ちだ。そこであんまり知恵のねえ話だが、まあお定まりの段取りで仕方がねえ。おめえ達はこれから手わけをして、甘酒の卸し売りをする問屋をみんな探してくれ。婆《ばばあ》だって自分の家であま酒を作るわけじゃあるめえ。きっとどこかで毎日仕入れて来るんだろうから、そういう変な婆が来るか来ねえか、方々の店で聞き合わせてくれ。こんなことは誰もがみんな手をつけることだろうが、こっちも心得のために一応は念をついて置かにゃあならねえ」
ふたりの子分を出してやって、半七は午飯《ひるめし》を食ってしまうと、三月末の春の日はうららかに晴れていた。家にぼんやりと坐ってもいられないので、半七はどこをあてとも無しに神田の家を出て、百本|杭《ぐい》から吾妻橋の方角へ、大川端をぶらぶらと歩いてゆくと、向島の桜はまだ青葉にはなり切らないので、遅い花見らしい男や女の群れがときどきに通った。その賑やかな群れのあいだを苦労ありそうにしょんぼりとうつむき勝ちに歩いている一人の若い男が、その蒼ざめた顔をあげて半七の姿をふと見付けると、なんだか臆病らしい眼をしながら彼のあとをそっと尾《つ》けて来るらしかった。
最初は素知らぬ顔をしていたが、こっちの横顔をぬすむように窺いながら三、四間ほども付いて来るので、半七も勃然《むっ》として立ち停まった。
「おい、大哥《あにい》。わっしになにか用でもあるのかえ。花見どきに人の腰を狙ってくると、巾着切《きんちゃっき》りと間違げえられるぜ」
睨み付けられて男はいよいよ怯《おび》えたらしい低い声で、ごめんなさいと丁寧に挨拶して、そのままそこに立ちすくんでしまった。気障《きざ》な野郎だと思いながら、半七もそのまま通り過ぎたが、よほど行き過ぎてから彼はふと考えた。あの若い男の人相や風体は巾着切りなどではないらしい。勿論こっちで見覚えのない男であるが、或いは向うではこっちの顔を見知っていて、なにか話し掛けようとしながらも、つい気怯《きおく》れがしてそのままに云いそびれてしまったのではあるまいか。もしそうならば暴《あら》い詞《ことば》をかけるのではなかったと、半七は少し気の毒になって元来た方をふり返ると、男の姿はもう見えなかった。
二
それから二日目の七ツ下がり(午後四時過ぎ)に、善八と幸次郎が半七の長火鉢のまえに鼻をそろえた。二人はほかの子分たちとも申し合わせて、江戸じゅうの問屋を片っ端から調べてあるいたが、その怪しい婆さんは毎日おなじ家へ仕入れに来ないらしい。最初のうちは本所《ほんじょう》四ツ目の大坂屋という店へ半月以上もつづけて来たが、その後ばったりと来なくなった。近頃ではやはり四ツ目の水戸屋という店へ三日ほどつづいて来たが、水戸屋ではかれの噂を知っているので、若い者のひとりが見えがくれにそのあとを尾《つ》けると、かれは浅草の方角に向って遅々《のろのろ》とたどって行った。しかしどこまで行っても際限がないので、こっちもしまいに根負《こんま》けがして、途中から空しく引っ返して来た。こういう訳で、かれの居どころはたしかに突き留められなかった。こっちに尾けられたことを彼女はおそらく覚《さと》ったのであろう、そのあくる日から彼女はその痩せた姿を水戸屋の店先に見せなくなった。それは三月初めのことで、その後はどこの問屋を立ちまわっているか、誰も知っている者はないとのことであった。
「ところで、親分。ついでに妙なことを聞き出して来たんですがね」と、善八は云った。「やっぱりその婆に係り合いのあることなんですが、なんでも五、六日まえの午過ぎだそうです。浅草の馬道《うまみち》に河内屋という質屋があります。そこの女中のお熊というのが近所へ使いに出ると、やがて真っ蒼になって内へかけ込んで来て、自分の三畳の部屋をぴっしゃり閉め切ってしまって、小さくなって竦《すく》んでいたそうです。なんだか変だと思っていると、誰が見つけたか知らねえが、河内屋の裏口に変な婆が来てそっと内をのぞいているというので、番頭や小僧が行って見ると、なるほど忌《いや》に影のうすい婆が突っ立っている。変だとは思ったが、真っ昼間のことだから大きな声で呶鳴《どな》り付けると、婆は忌な眼をしてこっちをじっと見たばかりで、素直《すなお》に何処へか行ってしまった。行ってしまったのはいいが、その晩から番頭ひとりと小僧一人が瘧疾《おこり》のように急にふるえ出して、熱が高くなる、蒲団の上をのたくる。医者にみせても容態はわからない。相手が変な婆であったもんだから、それもきっと例のあま酒婆だったということで、家《うち》じゅうのものは竦毛《おぞけ》をふるっているそうです。その時に出てみたのは、番頭ふたりと小僧一人だったんですが、ひとりの番頭だけは運よく助かったとみえて、今になんにも祟りがなく、ほかの二人が人身御供《ひとみごくう》にあがった訳なんですが、妙なこともあるじゃありませんか。してみると、その婆は夜ばかりでなく、昼間でもそこらにうろついているに相違ねえというんで、近所の者もみんな蒼くなっているんですよ」
「そうして、その熊という女はどうした。それには別条ねえのか」
「その女中にはなんにも変ったことはないそうです。なんでも使いに行って帰ってくると、その途中から変な婆がつけて来て、薄っ気味悪くて堪まらねえので、一生懸命に逃げて来たんだということです」
「おめえはその女を見たのか」
「見ません。なんでも河内屋へ出入りの小間物屋の世話で住み込んだ女で、年は十九か二十歳《はたち》ぐらいだが、台所働きにはちっと惜しいような代物《しろもの》だそうですよ」
「その小間物屋というのは何という奴だ」と半七はまた訊《き》いた。
「その小間物屋はわっしが識っています」と、幸次郎が代って答えた。「徳という野郎で、徳三郎か徳兵衛か知りませんが、まだ二十二三の生《なま》っ白《ちろ》い奴です。道楽者で江戸にもいられねえんで、小間物をかついで旅あきないをしていたんですが、去年の七、八月ごろから江戸へまた舞い戻って来て、どこかの二階借りをして相変らず小間物の荷を担《かつ》ぎあるいているようです」
「そうか。よし、判った。じゃあ、おめえはその徳という野郎の居どこをさがして引っ張って来てくれ。おれはその馬道の質屋へ行って、もう少し種を洗ってくるから」
「わっしも行きましょうか」と、善八は顔をつき出した。
「そうよ。又どんな用がねえとも限らねえ。一緒にあゆんでくれ」
「ようがす」
善八を案内者につれて、半七が馬道へゆき着いた頃には、このごろの長い日ももう暮れかかって、聖天《しょうでん》の森の影もどんよりと陰《くも》っていた。
「なんだか忌《いや》な空合いになって来ましたね」と、善八は空を仰ぎながら云った。
「むむ。まったくいやな空だ。今夜は一つ降るかも知れねえ」
旋風《つむじかぜ》のような風が俄かにどっと吹き出して、往来には真っ白な砂けむりが渦をまいて転げまわった。ふたりは片袖で顔を掩《おお》いながら、町屋《まちや》の軒下を伝って歩いていると、夕ぐれの色はいよいよ黒くなって来て、どこかで雷の声がきこえた。
「おや、雷が鳴る。妙な陽気だな」
そのうちに、ふたりは河内屋の暖簾《のれん》の前に来たので、善八はすぐに格子をくぐって、帳場にいる番頭に声をかけた。
「もし、番頭さん。親分がすこし用があるんだ。ここじゃあいけねえから、表までちょいと顔を貸してくんねえ」
「はい、はい」
四十五六の番頭が帳場から出て来て、暖簾の外に立っている半七に挨拶した。
「お前さんがここの番頭さんかえ」と、半七は手拭で顔の砂をはらいながら訊《き》いた。
「さようでございます。利八と申して、河内屋に三十四年勤めて居ります。どうぞお見識り置きを……」
「そこで利八さん。早速だがお前さんにちっと訊《き》きたいことがある。この間、こっちの裏口を変な婆さんが覗いていたとかいうじゃありませんか」
「はい。とんだ災難で、番頭ひとりと小僧一人が今にどっと寝付いて居ります」
利八の話によると、番頭と小僧はきょうまで熱が下がらないで、生殺《なまころ》しの蛇のように蜿《のた》うち廻っている。奉公人どもは気味を悪がって誰も寄り付かないので、主人と自分とが代る代るに看病しているが、なかなか三日や四日では癒《なお》りそうもない。世間の噂を綜合してかんがえると、その時の怪しい婆さんはどうも彼《か》の甘酒売りらしく思われる。実はきのうの午過ぎにも、その婆さんらしい女が店の前をうろ付いているのを近所のものが認めたとかいうので、この上にも重ねてどんな禍いがあろうかと、自分たちも内々恐れていると、かれは小声で半七に訴えた。
「それからお前さんの家《うち》にお熊という女がいるそうですね」
「はい。西国《さいこく》生まれだそうで、年は明けて十九でございます。ちょうど去年の九月、今までの奉公人が急病で暇をとりまして、出代り時でもないもんですから、差し当りその代りの女に困って居りますところへ、てまえ方へ質を置きにまいります徳三郎という小間物屋さんが、時にこんな女があるから使ってくれないかと申しますので、ちょうど幸いと存じて雇い入れましたような訳でございますが、人柄も悪くなし、人間も正直でよく働きます。で、これはよい奉公人を置きあてたと申して、主人を始めわたくし共も喜んで居ります」
「こっちに親戚でもあるんですかえ」
「なんでも芝の方の御屋敷の足軽を頼ってまいったのだそうでございます。と申しますと、まことに不念《ぶねん》のようで恐れ入りますが、なにぶん手前どもでも困っている矢先でもあり、徳さんが万事をひき受けると申しますものですから、その上にくわしくも詮議いたしませんで……」と、利八は小鬢《こびん》をかきながら答えた。
「その後、そのお熊になにも変った様子はないんですね」
「別に変ったこともございませんが、一度その婆さんにあとを尾《つ》けられてから、表へ出るのをひどく忌《いや》がるので困ります。もっともそれは無理もありませんので、大抵の使いにはほかの小僧を出して居りますが、当人も別に病気というわけでもございませんから、家の内ではいつもの通りに働いて居ります。御用があるなら唯今呼んでまいりましょうか」
「いや、呼んじゃあまずい」と、半七は首を振った。「うら口へまわって、そっとのぞくわけにゃあ行きませんか」
「よろしゅうございます。ちょうど夕方でございますから、台所ではたらいて居ります筈です。どうぞ隣りの露路からおはいりください」
利八に教えられて、半七はせまい露路の溝板《どぶいた》を踏んでゆくと、この二、三日なまあたたかい天気がつづいたので、そこらではもう早い蚊の唸《うな》る声がきこえた。半七は手拭を取って頬かむりをして、草履の足音を忍ばせながら、河内屋の水口《みずくち》に身をよせていると、ひとりの若い女が手桶をさげて来た。うす暗い夕闇のなかにも其の白い顔だけは浮き出してみえた。と思う途端に、彼女はそこに忍んでいる半七の姿を見付けてあわただしく小声で訊いた。
「徳さんかえ」
徳さんという男の地声《じごえ》を知らないので、半七は早速に作り声をするわけにも行かなかった。かれは頬かむりのままで無言にうなずくと、若い女は摺り寄って来た。
「おまえさん、この頃どうして来てくれないの。あれほど約束したのを忘れたのかえ」
こっちがやはり黙っているので、女はすこしおかしく思ったらしい、だしぬけに片手をのばして半七の頬かむりを引きめくった。うす暗いなかでもその人違いをすぐに発見したらしく、かれはあれっと叫びながら手桶をほうり出して内へ逃げ込んだ。
手拭も一緒にほうり出されたので、半七はそれを拾って泥をはたいていると、その頭の上を大きい雷ががらがらと鳴って通った。
三
表へ出ると、利八と善八が待っていた。今鳴った雷の音につれて、雹《ひょう》のような大粒の雨がばらばらと落ちて来たので、利八はしばらく雨やどりをして行けと勧めたが、半七はそれを断わって、そのかわりに番傘を一本借りて出た。
「親分、相合傘《あいあいがさ》じゃあ凌《しの》げそうもありませんぜ」と、善八は云った。
「まあ、仕方がねえ。尻でも端折《はしょ》れ」
雷はだんだん烈しくなって、傘をたたき破るかと思うような大雨が、どうどうと降りそそいで来た。ふたりの鼻のさきに青い稲妻が走った。
「親分、いけねえ、意気地がねえようだが、もう歩かれねえ」
善八がひどく雷を嫌うことを半七もかねて知っているのと、時刻も丁度暮れ六ツ頃であるのとで、かれは雨宿りながらにそこらの小料理屋へはいって、ともかくも夕飯を食うことにしたが、雷はそれから小|一刻《いっとき》も鳴りつづいたので、善八は口唇《くちびる》の色をかえて縮み上がってしまった。彼は眼の前にならんでいる膳を見ながら、好きな酒の猪口《ちょこ》をも取らなかった。話を仕掛けても碌々に返事もしなかった。
小間物屋の徳三郎とお熊との関係はもう判った。徳三郎は旅商いに出ているあいだに、どこかでお熊と馴染《なじみ》になって、かれを誘い出して江戸へ帰って来たが、差し当りは女の始末に困って、河内屋へ奉公に住み込ませたに相違ない。それと同時に、このあいだ大川端で自分に声をかけようとした若い男は、その徳三郎であったらしくも思われて来た。かれは蒼ざめた顔をして、自分に何事を訴えようとしたのか、半七はいろいろに想像を描いていると、雷の音もだんだんに遠ざかって、善八は生き返ったように元気が出た。
「親分、すまねえ。まずこれでほっとしやした。また移り換えもしねえうちから酷《ひど》い目に逢いましたよ」
「いい塩梅《あんばい》に小降りになったようだ。早く飯を食ってしまえ」
早々に飯を食ってそこを出ると、夜は五ツ(午後八時)を過ぎているらしかった。雨はもう小降りになっていたが、弱い稲妻はまだ善八をおびやかすように、時々にふたりの傘の上をすべって通った。雷門の方へ爪先を向けた半七は急に立ち停まった。
「おい、もう一度河内屋へ行って見ようじゃねえか。考えると、どうも少し気になることがある。もう雨もやんだから、この傘を返しながらお熊という女はどうしているか訊《き》いてくれ」
二人はまた引っ返して河内屋へ行った。善八だけが内へはいって、お熊はどうしているかと番頭に訊くと、利八はやはり台所にいる筈だと答えた。しかし念のために見て来ましょうと云って、かれは帳場から起《た》って行ったが、やがてあわただしく戻って来て、お熊の姿はどこにも見えないと云った。善八もおどろいて、すぐに表へ飛び出して注進《ちゅうしん》すると、半七は舌打ちした。
「まずいことをしたな。どうもあの女がおかしいと思ったんだ。いっそあの時すぐに引き挙げてしまえばよかった。畜生、どこへ行ったろう」
どっちへ行ったか其の方角が立たないので、二人はぼんやりと門口《かどぐち》に突っ立っていると、どこかで女の声がきこえた。
「甘酒や、あま酒の固練り……」
物に魘《おそ》われたように二人はぎょっとした。そうして、その声のする方角を一度透かしてみると、今の強い雨でどこの店も大戸を半分ぐらいは閉めてしまったが、そのあいだから流れ出して来る灯のひかりは往来のぬかるみを薄白く照らして、雷門の方から跣足《はだし》でびしゃびしゃあるいて来る女の黒い影がまぼろしのように浮いてみえた。世間にあま酒を売ってあるく者は幾人もある。殊にその声があまり若々しく冴えてひびくので、半七は少し躊躇《ちゅうちょ》したが、ともかくも善八を促《うなが》して路ばたの軒下に身をひそめていると、声の主はだんだんに近寄って来た。かれはあま酒の箱を肩にかけて、びしょ濡れになっているらしかった。ふたりは呼吸《いき》をのんで窺っていると、かれは河内屋のまえに来て吸い付けられたように俄かに立ち停まった。声は若々しいのに似合わず、彼女がたしかに老女であることを知ったときに半七の胸は波を打った。
かれは先ず河内屋の表をうかがって、更に露路口の方へまわった。半七もそっと軒下をぬけ出して露路の口からのぞいて見ると、彼女は河内屋の水口にたたずんで、しばらく内を窺っているらしかったが、やがて又引っ返して表へ出て来た。ここですぐに取り押さえようか、もうちっと放し飼いにして置いて其の成り行きを見とどけようかと、半七はちょっと思案したが、結局黙ってそのあとを尾《つ》けてゆくことにした。善八もつづいて歩き出した。二人はさっきから跣足になっているので、雨あがりのぬかるみを踏んでゆく足音が相手に注意をひくのを恐れて、わざと五、六間も引きさがって忍んで行った。
河内屋の露路を出てから、彼女はあま酒の固練りを呼ばなくなった。かれは往来のまん中を黙って俯向《うつむ》いてゆくらしかった。
「親分。たしかに彼女《あいつ》でしょうね」と、善八はささやいた。
「河内屋を覗いて行ったんだから、あの婆《ばばあ》に相違ねえ」
云ううちに彼女の姿は消えるように隠れてしまったので、ふたりは又おどろいた。善八は少しおじ気が付いたように立ちすくんだ。吉原へゆくらしい駕籠が二挺つづいて飛ぶようにここを駈けぬけて通ると、その提灯の火に照らされて、かれの痩せた姿は又ぼんやりと暗やみの底から浮き出した。その途端に、かれは思い出したように一と声呼んだ。
「あま酒の固練り……」
この声がしずかな夜の往来に冴えてひびくと、通りぬけた駕籠の一挺が俄かに停まった。ひとりの武士らしい男が垂簾《たれ》をはねて、彼女のそばにつかつかと進み寄った。そうして、なにか小声でふた言三言押し問答しているかと思うと、白い刃のひかりが提灯の火にきらりと映って、婆は抜き打ちに斬り倒された。かれは声も立てないで、枯れ木を倒したように泥濘《ぬかるみ》のなかに横たわった。武士は刀を納めて再び駕籠に乗ろうとするところへ、半七は駈け寄ってその棒鼻をさえぎった。
「しばらくお待ちくださいまし。わたくしは町方《まちかた》の者でございます。唯今のは試し斬りでございますか、それとも何か仔細がございますか」
たといそれが武士であろうとも、みだりに試し斬りなどをすれば立派な罪人である。次第によっては、かれも切腹の罪科《つみとが》は免かれない。相手を斬ってうまく逃げおおせればいいが、それが町方の眼にとまったりすると、甚だ面倒になる。飛んだところを見つけられて、武士はひどく迷惑したらしく、しばらく口籠って躊躇していると、まえの駕籠からも一人の武士が出て来た。どちらも若い武士であったが、新らしく出て来た一人は幾らか場慣れているらしく、半七にむかって我々は決して試し斬りではないと弁解した。しかし、その仔細を云うわけには行かない。屋敷の名を明かすわけにも行かない。どうかこのまま見逃がしてくれと彼はしきりに頼んだが、半七は素直に承知しなかった。一旦自分の眼にとまった以上、見す見す人殺しを見逃がすことは出来ないと云い張った。それは勿論正当の理窟であったが、もう一つには折角ここまで追いつめて来た大事の捕り物を、横合から不意に出て来て玉無しにされてしまったという業腹《ごうはら》がまじって、半七は飽くまでも意地悪くこの武士を窘《いじ》めにかかった。
窘められて、相手はいよいよ困ったらしく、結局は金ずくで内済にしたいようなことまで云い出したが、半七はどうしても肯《き》かないで、とうとう彼等二人を再び駕籠にのせて、無理無体に近所の自身番へ引き摺って行った。婆を斬った若い武士はもう覚悟を決めているらしかった。
「たといなんと申されても屋敷の名を明かすわけにはまいらぬ。たって役人に引き渡すとあれば、手前これにて切腹いたす」
こうなると、半七もなんだか可哀そうにもなって来て、いつまでも彼等を窘めていられなくなった。彼はほかの武士を表へ呼び出して、諭《さと》すようにささやいた。
「あなた方が辻斬りでないことは私も大抵察しています。ふたり連れで駕籠にのって、辻斬りをしてあるくのは珍らしい。それにさっき見ていると、あの婆さんの甘酒の固練りという声を聞くと、急に駕籠を停めさせてあっちのお武家が出て行った。それにはなにか訳があるらしい。あなた方はあの婆さんを御存じなんですかえ。御存じならば話してください。その訳さえわかれば、なにも無理に屋敷の名を聞くにも及びません。実を云うと、わたくしはこの間からあの婆さんを尾《つ》けているんです。それを横合いからだしぬけにばっさりとやられてしまっちゃあ、わたくしの役目が立ちません。それを察して正直に話してください。くどくも云うようだが、訳さえわかれば決して御迷惑はかけませんから」
武士はそれでもまだ渋っていたが、半七からいろいろに説きすかされて、彼もようよう納得《なっとく》したらしく、内に引っ返して一方の武士と何かしばらくささやき合っていたが、結局思い切ってその事情を打ち明けることになった。
「では、屋敷の名は申さんでも宜しゅうござるな」
「よろしゅうございます」
なんとかして、彼等に口を明かせなければならないので、その白状を聞かないまえに半七は安受け合いに受け合ってしまった。そうして、これから彼等がどんな秘密を打ち明けるかと、両方の耳を引き立てていると、あたかもそこへ足早に駈け込んで来た者があった。
「ああ、親分。いいところへ来ていてくんなすった。小間物屋の野郎、とんだことをしやあがって……女を殺しゃがった」
それは小間物屋の居どころをさがしに行った幸次郎であった。
四
幸次郎は小間物屋の徳三郎の居どころを探しあてて、田町に近い荒物屋の二階へたずねてゆくと、彼はあいにく留守であった。また出直して来ようと思って表へ出ると、あたかもかの雷雨が襲って来たので、近所の知人の家へかけ込んで雨やどりをして、小降りになるのを待って再びたずねていくと、下の婆さんはいなかった。そっと窺うと、二階には微かに人の唸るような声がきこえたので、彼は猶予なしに駈けあがると、うす暗い行燈《あんどう》のまえに若い女が血みどろになって俯向きに倒れていた。そのそばには徳三郎が血に染めた短刀を握って、喪心《そうしん》したようにぼんやりと坐っていた。どう見ても、かれが女を殺したとしか思えないので、幸次郎はその刃物をたたき落としてすぐに縄をかけた。徳三郎は別に抵抗もしなかった。
倒れている女をあらためると、まだ微かに息が通っているらしかったので、幸次郎は近所の者を呼びあつめて医者を迎いにやったが、その医者の来ないうちに女は息が絶えてしまった。その出来事を報告するために、幸次郎は縄付きの徳三郎を近所のものに張り番させて、とりあえずここへ駈け付けて来たのであった。
婆殺しと女殺しと二つの事件が同時に出来《しゅったい》して、しかもそれが何かの糸を引いているらしく思われたので、半七はすぐに徳三郎を自身番へひき出させた。真っ蒼になって牽《ひ》かれて来た徳三郎は、たしかに大川端で出逢った若い男であった。
「おい、徳三郎。おれの顔を識っているか」
徳三郎は無言で頭を下げた。
「おれはまだ見ねえが、殺した女は河内屋のお熊だろう。とんでもねえことを仕出来《しでか》しゃあがった。手前なんで女を殺した。素直に申し立てろ」
「親分さん。それはお目違いでございます」と、徳三郎は喘《あえ》ぐように云った。「わたくしは決して女を殺しは致しません。お熊は自分で乳の下を突きましたのでございます。わたくしが慌てて刃物をもぎ取りましたけれど、もう間に合いませんでございました」
「その短刀は女が持っていたのか」
「いいえ、わたくしの品……」と、徳三郎は云いよどんだ。
「はっきり云え」と、半七は叱った。「てめえの短刀をどうして女に渡したんだ。てめえもまた商売柄に似合わねえ、なんで短刀なんぞを持っているんだ」
「はい」
「何がはいだ。≪はい≫や炭団《たどん》じゃ判らねえ。しっかり物を云え。お慈悲につめてえ水を一杯のましてやるから、逆上《のぼ》せを下げた上でおちついて申し立てろ。いいか」
善八が持って来た茶碗の水を飲みほして、徳三郎は初めて一切の事情をとぎれとぎれに申し立てた。彼は浅草で相当な小間物屋の伜に生まれたが、放蕩のために身代をつぶして、一旦は江戸を立退《たちの》くこととなった。やはり小間物の荷をかついで、旅あきないに諸国を流れ渡っているうちに、彼は京大阪から中国を経て九州路まで踏み込んだ。そうして、ある城下町にしばらく足を止めているあいだに、かれはその城下から一里ばかり距《はな》れた小さい村の女と親しくなった。女はかのお熊であった。お熊はお綱という老母と二人暮しであったが、この村の習いとしてほかの土地のものとは決して婚姻を許さない掟《おきて》になっているので、お熊は母を捨てて逃げた。徳三郎もはじめは旅先のいたずらにすぎない色事《いろごと》で、その女を連れ出して逃げるほどの執心もなかったのであるが、かれに魅《み》こまれたが最後、もうどうしても逃げることの出来ない因果にまつわられていた。お熊はこの土地でいう蛇神《へびがみ》の血統であった。
ここらには蛇神という怖ろしい血統があった。その血をうけて生まれた者は一種微妙の魔力をもっていて、かれらの眼に強く睨まれると其の相手はたちまち大熱に犯される。単にそればかりでなく、熱に悶《もだ》えて苦しんで、さながら蛇のように蜿《のた》うちまわる。蛇神の名はそれから起ったのである。しかし、彼等はいかに眼を大きくして睨んだからといって、それだけでは決して相手に感応させるわけには行かない。それにはかならず、強い感情を伴わなければならない。妬《ねた》む、憎む、怨む、羨む、呪う、慕う、哀《かなし》む、喜ぶ、恐れる。そうした喜怒哀楽の強い感情がみなぎったときに、かれらの眼のひかりは怖るべき魔力を以って初めて相手を魅することが出来るのである。したがって、彼ら自身も故意にその魔力を応用することが出来ない。あいつを一つ苦しめてやろうなどと悪戯《いたずら》半分に睨んだところで、決してその効果はあらわれない。要するにそれは彼の心の奥から湧き出してくる自然の作用で、自分自身にも無理に抑《おさ》えることも出来ず、無理に働かせることも出来ず、唯その自然にまかせるほかはないのである。この村の者がほかの土地の者と結婚しないのも、この不思議な血統が主《おも》なる原因であった。
徳三郎も初めてお熊に逢ったときに、この怪しい熱病に苦しめられて、お熊の手あつい看病をうけた。病いが癒《なお》ってから其の秘密を発見したが、今更どうすることも出来なかった。捨てて逃げようとしても、お熊はどうしても離れない。それを無理にふり放そうとすれば、お熊の睨む眼が怖ろしかった。もう一つには女が蛇神の血統であることを自分から正直に打ち明けて、どうぞ見捨ててくれるなと泣いて口説《くど》かれた時に、かれの心も弱くなった。所詮はこれも因果とあきらめて、徳三郎はお熊を連れて逃げることを決心した。
かれの決心を強めたほかの動機は、かのおそろしい蛇神も箱根を越せば唯の人間になってしまって、なんの不思議を見せることも出来ないという伝説を、土地の老人から聞き知った為であった。それならばさのみ恐れることもないと幾分か安心して、かれはお熊と共に江戸へ帰った。九州の蛇神も江戸の土を踏めば唯の女になったらしく、気のせいか彼女の瞳のひかりも柔らかになった。お熊は容貌《きりょう》のよい情の深い女で、ほかに頼りのない身の上を投げかけて、かれ一人を杖とも柱とも取り縋《すが》っているのを徳三郎は惨《いじ》らしくも思った。こうして二人の愛情はいよいよ濃《こま》やかになったが、なにぶんにも小間物の担ぎ商いをしている現在の男の痩腕では、江戸のまん中で女と二人の口を養ってゆくのがむずかしいので、相談ずくの上でしばらく分かれ分かれに働くこととなって、お熊は男の口入れで河内屋に住み込んだ。幸いにその奉公先と徳三郎の宿とが遠くないので、お熊は主人の用の間をぬすんで時々に男のところをたずねていた。
それで小半年は先ず無事にすごしたが、ことしの春になって此の若い二人の魂をおびやかすような事件が突然|出来《しゅったい》した。二月のなかばの夕方に徳三郎が商売から帰る途中、浅草の広徳寺前でひとりの婆さんがあま酒の固練りを売っていたが、それはたしかにお熊の母のお綱であった。彼女は眼ざとく徳三郎を見つけて、つかつかと寄ってその袂を引っ掴《つか》んで、娘はどこにいるか直ぐに返せと叫んだ。徳三郎は死神《しにがみ》に出合ったよりも怖ろしくなって、殆ど夢中でかれを突き倒して逃げた。その晩から彼は大熱を発して、十日ばかりも蛇のように蜿うち廻って苦しんだ。
箱根を越せば蛇神の祟りはないというのも的《あて》にはならなかった。お綱はわが子のゆくえを尋ねて、九州から江戸まで遙々《はるばる》と追って来たのであろう。その強い執着心を思いやると、徳三郎はいよいよ怖ろしくなって来たので、彼はお熊に因果をふくめて娘を母の手に戻そうと覚悟したが、お熊はどうしても肯《き》かなかった。男にわかれて国へ帰るほどならば、いっそ死んでしまうと泣き狂うので、徳三郎も持て余した。そのうちに怪しい甘酒売りの噂はだんだん高くなって、それはお綱であることを徳三郎とお熊だけは知っていた。お熊は母に見付けられないように其の出入りを注意していたが、徳三郎はどうかんがえても不安に堪えなかった。世間の評判が高くなるほど彼の恐怖はいよいよ強くなって、再びお綱に見つけられたが最後、今度こそはおそらく自分の命を奪《と》られるであろうと恐れられた。かれは実に生きている空もなかった。
こうした不安の日を送るうちに、彼は大川端で偶然に半七に出逢った。半七の方では彼を識らなかったが、徳三郎の方ではその顔を見識っていたので、いっそ此の事情を何もかも打ち明けて彼の救いを求めようかと思ったが、やはり気怯《きおく》れがしてとうとう云いそびれてしまった。しかし運命はだんだんに迫って来た。お綱は根《こん》よく江戸じゅうを探しまわっているうちに、娘が河内屋に忍んでいることを此の頃いよいよ覚ったらしく、そこらに度々さまよっているばかりか、現に河内屋の番頭や小僧が蛇神の祟りを受けたという事実を見せられて、徳三郎の恐怖はもう絶頂に達した。彼は身のおそろしさの余りに、更に怖ろしい決心をかためて、今度お綱に出逢ったならば、いっそ彼女を殺してしまおうと思いつめた。徳三郎は短刀を買って、それをふところにして毎日|商《あきな》いに出あるいていた。
彼が借りている荒物屋の二階へ今夜もお熊が忍んで来て、二人にとっては重大の問題がまた繰り返された。徳三郎は短刀を女にみせて、自分の最後の決心を打ち明けた。併《しか》し自分も好んでそんなことをしたくない。人を殺したことが露顕《ろけん》すれば自分も命をとられなければならない。ここでお前がわたしのことを思い切って、すなおに母の手に戻ってくれれば三方が無事に済むのである。どうぞこれまでの縁とあきらめてくれと、彼はいろいろにお熊を説きなだめたが、女は強情に承知しなかった。彼女は泣いて泣いて、ものすごいほど狂い立って、いきなり男の短刀を奪い取って、自分の乳の下に深く突き透したのである。蛇神の血をひいた若い女は、こうして悲惨の死を遂げた。
「さりとは残念なこと。もう少し早くば、その娘だけは助けられたものを……」と、ふたりの武士はこの悲しい恋物語を聞き終って嘆息した。「この上はなにを隠そう、われわれはその蛇神の女と同国の者でござる」
彼等もやはり西国の或る藩士で、蛇神のことはかねて知っていた。このごろ江戸じゅうをさわがす怪しい甘酒売りの女は、どうしても彼《か》の蛇神に相違あるまいと、江戸屋敷の者もみな鑑定していた。ついては早晩《そうばん》その女が捕われ、なにがし藩の領分内にはそんな奇怪な人種が棲んでいるなどと云い伝えられては、結局当屋敷の外聞にもかかわることであるから、見つけ次第に討ち果たせと重役から若侍一同に対して内密に云い渡されていたので、かれら二人は今夜その使命を果たしたのであった。しかし半七に対して、あからさまにその事情を説明するときは、自然に屋敷の名を出さなければならないのと、もう一つには時と場所が悪い。かれらは吉原へ遊びにゆく途中であった。武士|気質《かたぎ》の強いかれらの屋敷では、遊里に立ち入ることは厳禁されていた。かれらは半七に意地わるく窘《いじ》められて、屋敷の名や自分たちの身分を明かすよりも、むしろ死を択《えら》ぼうと覚悟したのであった。
「これで此の一件も落着《らくぢゃく》しました」と、半七老人はひと息ついた。「こう訳が判ってみると、誰が科人《とがにん》というのでもありません。その時代の習い、武士もこういう事情で斬ったという事であれば、やかましく云うわけにも行きません。わたくしもその事情を察して内分にすることにしましたが、八丁堀の旦那にだけはひと通り報告して置きました。徳三郎はこれぞという科《とが》もないんですが、なにしろこいつが女を引っ張り出して来たのがもとで、こんな騒ぎを仕出来《しでか》したんですから、遠島にもなるべきところを江戸払いで軽く済みました。そうして、もう一度旅へ出るつもりで江戸をはなれますと、神奈川に泊まった晩からまた俄かに大熱を発して、とうとうその宿で藻掻き死にに死んでしまったそうです。とんだ因果で可哀そうなことをしました。それでも徳三郎は本人ですから仕方がないとして、ほかの人達がなぜ祟られたのか判りません。おそらく前にも云ったような理窟で、ふと摺れ違ったりした時に、向うで何か羨ましいとか小癪《こしゃく》にさわるとか思って、じっと見つめると、すぐにこっちへ感じてしまうので、向うでは別に祟るというほどの考えはなくとも、自然にこっちが祟られるような事になってしまったのでしょう。なんだか薄気味の悪い話です。一体その蛇神というのはどういうものかよく判りませんが、わたくしの懇意な者に九州の人がありまして、その人の話によりますと、四国の犬神、九州の蛇神、それは昔から名高いものだそうです。嘘のようなお話ですが、彼《か》の地にはまったくこういう不思議の家筋の者があって、ほかの家では決してその家筋のものと縁組などをしなかったといいます。それに就いてまだいろいろな不思議のお話もありますが、まあこのくらいにして置きましょう。むかしはどこの国にもこういう不思議な伝説がたくさんあったのですが、今日《こんにち》ではそんな噂もまったく絶えてしまいました。学者がたに聞かせたら、それも一種の催眠術だとでも云うかも知れませんね」
[#改ページ]
張子の虎
一
四月のはじめに、わたしは赤坂をたずねた。
「陽気も大分ぽか付いて、そろそろお花見気分になって来ましたね」と、半七老人は半分あけた障子の間からうららかに晴れた大空をみあげながら云った。「江戸時代のお花見といえば、上野、向島、飛鳥山《あすかやま》、これは今も変りがありませんが、御殿山《ごてんやま》というものはもう無くなってしまいました。昔はこの御殿山がなかなか賑わったもので、ここは上野と違って門限もない上に、三味線でも何でも弾《ひ》いて勝手に騒ぐことが出来るもんですから、去年飛鳥山へ行ったものは、今年は方角をかえて御殿山へ出かけるという風で、江戸辺の人たちは随分押し出したもんでした。それに就いてもいろいろお話がありますが、きょうはお花見が題じゃあないんですから、手っ取り早く本文に取りかかることにしましょう。しかしまんざらお花見に縁のないわけではない。その御殿山の花盛りという文久二年の三月、品川の伊勢屋……と云っても例の化《ばけ》伊勢ではありません。お化けが出るとかいうのが売り物で、むかしは妙な売り物があったもんですが、それが評判で化伊勢と云って繁昌した店がありました。そのお化けの伊勢屋とは違います。……そこの店で二枚目を張っているお駒という女が変死した。それがこのお話の発端《ほったん》です」
お駒はことし二十二の勤め盛りで、眼鼻立ちは先ず普通であったが、ほっそりとした痩形の、いかにも姿のいい女で、この伊勢屋では売れっ妓《こ》のひとりに数えられていた。かれが売れっ妓となったのは姿がいいばかりでなく、品川の河童天王《かっぱてんのう》のお祭りに自分の名を染めぬいた手拭を配ったばかりでなく、ほかにもっと大きい原因があって、宿場女郎とはいいながら、品川のお駒の名は江戸じゅうに聞えていたのであった。
彼女がそれほど高名になったのは、あたかも一場の芝居のような事件が原因をなしているのであった。万延元年の十月、きょうは池上《いけがみ》の会式《えしき》というので、八丁堀同心室積藤四郎がふたりの手先を連れて、早朝から本門寺|界隈《かいわい》を検分に出た。やがてもう五ツ(午前八時)に近いころに、高輪《たかなわ》の海辺へさしかかると、葭簀《よしず》張りの茶店に腰をかけて、麻裏草履を草鞋《わらじ》に穿《は》きかえている年頃二十七八の小粋な男があった。藤四郎はそれにふと眼をつけると、すぐ手先どもに頤《あご》で知らせた。
藤四郎の眼にとまった彼《か》の男は、石原の松蔵という家尻《やじり》切りのお尋ね者であった。かれは詮議がだんだんに厳しくなって来たのを覚って、どこへか高飛びをする積りであるらしい。飛んだところで思いも寄らない拾い物をしたのを喜んだ手先どもは、すぐにばらばらと駈けて行って、彼のうつむいている頭の上に御用の声を浴びせかけると、松蔵は今や穿こうとしていた片足の草鞋を早速の眼つぶしに投げつけて、腰をかけていた床几《しょうぎ》を蹴返して起《た》った。それと同時に、かれの利腕《ききうで》を取ろうとした一人の手先はあっと云って倒れた。松蔵はふところに呑んでいた短刀をぬいて、相手の横鬢《よこびん》を斬り払ったのであった。眼にも止まらない捷業《はやわざ》に、こっちは少しく不意を撃たれたが、もう一人の手先は猶予なしに飛び込んで、刃物を持ったその手を抱え込もうとすると、これも忽ち振り飛ばされた。そうして左の眉の上を斜めに突き破られた。
一人は倒れる。ひとりは流れる血潮が眼にしみて働けない。今度は自分が手をくだす番になって、藤四郎はふところの十手の服紗《ふくさ》を払った。御用と叫んで打ち込んで来る十手の下をくぐって、松蔵は店を駈け出した。片足は草履、片足は草鞋で、かれは品川の宿《しゅく》をさして逃げてゆくのを、藤四郎はつづいて追った。藤四郎はもう五十以上の老人であったが、若い者とおなじように駈けつづけて、品川の宿まで追い込んでゆくと、松蔵ももう逃げおおせないと覚悟したらしい、急に振り返って執念ぶかい追手《おって》に斬ってかかった。
両側の店屋では皆あれあれと立ち騒いでいたが、一方の相手が朝日にひかる刃物を真向《まっこう》にかざしているので、迂闊《うかつ》に近寄ることも出来なかった。短刀と十手がたがいに空《くう》を打って、二、三度入れ違ったときに、藤四郎の雪駄《せった》は店先の打ち水にすべって、踏みこらえる間《ひま》もなしに小膝を突いた。そこへ付け込んで一と足踏み込もうとした松蔵は、俄かによろめいて立ちすくんだ。頭の上の二階から重い草履がだしぬけに飛んで来て、かれの眼をしたたかに撲《ぶ》ったのであった。立ちすくむ途端に、かれの足は藤四郎の十手に強く打たれた。これ以上は説明するまでもない。松蔵の運命はもう決まった。
草履の主《ぬし》は伊勢屋のお駒であった。かれは朝帰りの客を送り出して、自分の部屋を片付けていると、表に捕物があるという騒ぎに、ほかの朋輩たちと一緒に表二階の欄干に出てみると、あたかもここの店さきで十手と短刀がひらめいている最中であった。かれらは息をのんで瞰下《みおろ》していると、捕手の同心が打ち水にすべって危うく倒れかかったので、お駒は思わず自分の草履を取って、一方の相手の顔に叩きつけた。その眼つぶしが効を奏して、おたずね者の石原の松蔵は両腕に縄をかけられたのである。この時代でも捕方《とりかた》に助勢して首尾よく罪人を取り押えたものにはお褒めがある。その働き方によっては御褒美も下されることになっていた。ましてお駒は男でない、賤《いや》しい勤め奉公の女として、当座の機転で罪人を撃ち悩まし、上《かみ》に御奉公を相勤めたること近ごろ奇特《きどく》の至りというので、かれは抱え主附き添いで町奉行所へ呼び出されて、銭二貫文の御褒美を下された。
遊女が上から御褒美を貰うなどという例は極めて少ない。殊にそれがいかにも芝居のような出来事であっただけに、世間の評判は猶さら大きくなった。一度は話の種にお駒という女の顔を見て置こうという若い人達も大勢あらわれて、お駒を買いに来る者と、ほかの女を買ってお駒の顔だけを見ようという者と、それやこれやで伊勢屋は俄かに繁昌するようになった。それはお駒が二十歳《はたち》の冬で、それから足かけ三年の間、かれは伊勢屋の福の神としていつも板頭《いたがしら》か二枚目を張り通していた。そのお駒が突然に冥途へ鞍替えをしたのであるから、伊勢屋の店は引っくり返るような騒ぎになった。土地の素見《ひやかし》の大哥《あにい》たちも眼を皿にした。
お駒は寝床のなかで絞め殺されていたのであった。それは中引《なかび》け過ぎの九ツ半(午前一時)頃で、その晩のお駒の客は三人あったが、本部屋へはいったのは芝源助|町《ちょう》の下総屋《しもうさや》という呉服屋の番頭吉助で、かれは店者《たなもの》の習いとして夜なかに早帰りをしなければならなかった。いつもの事であるから相方《あいかた》のお駒も心得ていて、中引け前にはきっと起して帰すことになっていたのであるが、その晩はお駒も少し酔っていた。吉助も酔って寝込んでしまった。吉助は夜なかにふと眼をさまして、喉が渇《かわ》くままに枕もとの水を飲んで、それから煙草を一服すったが、二階じゅうはしんと寝静まって夜はもう余ほど更けているらしい。これは寝すごしたと慌てて起き直ると、いつも自分を起してくれるはずのお駒は正体もなく眠っていた。
「おい、お駒。早く駕籠を呼ばせてくれ」
云いながら煙管《きせる》を煙草盆の灰吹きでぽんと叩くと、その途端に彼は枕もとに小さい物の影が忍んでいるのを発見した。うす暗い行燈《あんどう》の光りでよく視ると、それは黄いろい張子の虎で、お駒の他愛ない寝顔を見つめているように短い四足《よつあし》をそろえて行儀よく立っていた。宵にこんな物はなかった筈だがと思いながら、彼はそれを手に取ってながめると、虎は急に眼がさめたように不格好な首を左右にふらふらと揺《ゆる》がした。しかしお駒は醒めなかった。彼女はいつのまにか冷たくなって永い眠りに陥っているのであった。それを発見した吉助は張子の虎をほうり出して飛び起きた。彼はふるえ声で人を呼んだ。
大勢が駈け集まってだんだん詮議すると、お駒は何ものにか絞め殺されていることが判った。正体もなしに酔い臥《ふ》していた吉助は、そばに寝ているお駒がいつの間に死んだのかを知らないと云った。しかし一つ部屋に居合わせた以上、かれは無論にそのかかり合いを逃がれることは出来ないで、諸人がうたがいの眼は先ず彼の上に注がれた。場所といい、事件といい、主人持ちの彼に取っては迷惑重々であったが、よんどころない羽目《はめ》と覚悟をきめたらしく、かれは検視の終るまでおとなしくそこに抑留されていた。
伊勢屋の訴えによって、代官伊奈半左衛門からの役人も出張した。夜のあける頃には町与力も出張した。品川は代官の支配であったが、事件が事件だけに、町方も立ち会って式《かた》のごとくに検視を行なうと、お駒はやはり絞め殺されたものに相違なかった。
かれの首にはなんにも巻き付いていなかったが、おそらく手拭か細紐のたぐいで絞めたものであろうと認められた。本部屋にいた吉助は勿論、名代《みょうだい》部屋にいたお駒の客ふたりは高輪の番屋へ連れてゆかれた。
二
「半七。一つ骨を折ってくれ。伊勢屋のお駒にはおれも縁がある。不憫《ふびん》なものだ。早くかたきを取ってやりてえ。何分たのむ」
半七は、八丁堀同心室積藤四郎の屋敷へ呼び付けられて、膝組みで頼まれた。藤四郎はおとどしの一件があるので、お駒の変死については人一倍に気を痛めているらしい。それを察して半七も快く受け合った。
「かしこまりました。精いっぱい働いてみましょう」
半七はすぐに引っ返して品川の伊勢屋へ行った。かれは若い者の与七を店口へよび出して訊いた。
「どうも飛んだ事が出来たね。名物のお駒を玉無しにしてしまったというじゃあねえか」
「まったく驚きました」と、与七も凋《しお》れ返っていた。「御内証でもひどく力を落としまして、まあ死んだものは仕方がないが、せめて一日も早くそのかたきを取ってやりたいと云って居ります」
「そりゃあ誰でもそう思っているんだ。取り分けて上《かみ》から御褒美まで頂戴している女だから、草を分けても其の下手人を捜し出さにゃあならねえ。ところで、素人染《しろとじ》みたことを云うようだが、そっちにはなんにも心当りはないかえ」
「それで困っているんです。なんと云っても下総屋の番頭さんに目串《めぐし》をさされるんですが、あんな堅い人がよもやと思うんです。気でもちがえば格別、別にお駒さんを殺すようなわけもない筈ですから」
「そりゃあ傍《はた》からは判らねえ。一体その番頭というのはどんな奴だえ」
与七の説明によると、下総屋の番頭吉助はもう四十近い男で、酒は相当に飲むが至極おとなしい質《たち》の上に、金遣いも悪くないので、お駒も大事に勤めている馴染客であった。三月になってゆうべ初めて来たので、お駒と別に喧嘩をしたらしい様子もなく、いつもの通りおとなしく寝床にはいったのである。一緒に寝ている女の死んだのを知らないというのは、いかにもうしろ暗いようにも思われるが、酔い倒れていたとあれば無理はない。おそらく二人が正体もなく寝入っているところへ、何者かが忍び込んでそっとお駒を絞め殺したのではあるまいかと与七はささやいた。商売柄だけに彼の鑑定もまんざら素人《しろうと》でないことを半七も認めた。
「そこで、ここの家《うち》でお駒と一番仲のいいのは誰だえ」
「お駒さんは誰とも美しく附き合っていたようですが、一番仲好くしていたのはお定《さだ》という下新造《したしん》のようでした。お定はちょうど去年の今頃からここへ来た女で、お駒さんとは姉妹《きょうだい》のように仲好くしていたということです。それですからお定は今朝から飯も食わずにぼんやりしていますよ」
「じゃあ、そのお定をちょいと呼んでくれ」
眼を泣き腫《は》らしたお定が店口ヘおずおずと出て来た。お定は二十五六で、色のあさ黒い、細おもての力《りき》んだ顔で、髪の毛のすこし薄いのを瑕《きず》にして、どこへ出しても先ず十人なみ以上には踏めそうな中年増《ちゅうどしま》であった。半七からお駒の悔みを云われて、かれは涙をほろほろとこぼしながら挨拶していた。
「お前はお駒と大変仲好しだったというが、今度の一件について何か思い当ることはねえかね」
「親分さん。それがなんにもないんです。わたくしはまるで夢のようで……」と、お定はしゃくりあげて泣き出した。
「そりゃあ困ったな。お駒の枕もとに何か張子の虎のようなものが置いてあったというが、そりゃあほんとうかえ」
お定は黙って泣いていると、与七はそばから代って答えた。
「ありました。小さい玩具《おもちゃ》のようなもので、それは御内証にあずかってあります。お目にかけましょうか」
「むむ、見せて貰おう」
半七はあがり口に腰をおろすと、与七は一旦奥へ行ったが又すぐに出て来て、ともかくもこちらへ通ってくれと招じ入れた。奥へ通ると、主人夫婦は陰《くも》った顔をそろえて半七を迎えて、かの張子の虎というのを出してみせた。虎は亀戸《かめいど》みやげの浮人形のたぐいで、背中に糸の穴が残っていた。半七はその小さい虎を手のひらに乗せて、その無心にゆらぐ首をしばらくじっと眺めていたが、やがてそれを膝の前にそっと置いて、煙草を一服しずかに吸った。
「この虎はお駒の物じゃあないんですね」
「お駒の部屋にそんな物はなかったようです」と、主人は答えた。「お駒に限らず、この二階じゅうで誰もそんなものを持っていた者はないと申します。どこから誰が持って来たのか、一向にわかりません」
「ふうむ」と、半七も首をかしげた。「だが、これは大切な品だ。これがどんな手がかりにならねえとも限りませんから、どこへかしっかり預かって置いてください」
「大切におあずかり申して置きます」
それから与七に案内させて、半七は二階中をひと廻り見てあるいた。表二階から裏二階へまわって、お駒の部屋も無論にあらためた。部屋は三畳と六畳との二間《ふたま》つづきで、六畳の突き当りは型のごとく連子窓《れんじまど》になっていた。去年の暮あたりに手入れしたらしい連子はそのままになっていて、外から忍び込んだ者があるらしくも見えなかった。それでも念のために窓から表をのぞくと、伊勢屋の店は海側で、裏二階の下はすぐに石垣になっていた。品川の春の海はちょうど引き潮で、石垣の下には潮に引き残された瀬戸物の毀《こわ》れや、粗朶《そだ》の折れのようなものが乱雑にかさなり合って、うららかな日の下にきらきらと光っていた。
遠目《とおめ》の利く半七は連子に縋《すが》ってしばらく見おろしているうちに、なにを見付けたか急に与七を見かえって訊いた。
「お駒の草履は何足《なんぞく》あるね」
「二足ある筈です」
「それはみんな揃っているかえ」
「揃っている筈です」
「そうか。いろいろ気の毒だが、今度は裏口へ案内してくれ」
裏梯子を降りて裏口へまわって、半七は石垣の上に立った。かれは足の下をもう一度みおろして、それから石段を降りて行った。なにをするのかと与七は上からのぞいてみると、半七はうず高い塵芥《ごみ》のあいだを踏み分けて、大きいごろた石のかげから重ね草履の片足を拾い出した。かれは湿《しめ》った鼻緒をつまみながら与七にみせた。
「おい、よく見てくれ。こりゃあお駒のじゃあねえか」
「さあ」と、与七は覗きながら考えていた。
「親分さん」
上から呼ぶ声がするので見あげると、お定も二階の連子《れんじ》から覗いていた。
「お前もこの草履を知っているか」と、半七は下から声をかけた。
「待ってください。今そこへ行きますから」
お定は連子のあいだから姿を消したかと思うと、やがて、裏口へ廻って来て、その草履をひと目見るとすぐに又泣き出した。
「これはお駒さんのです。あの人がわたくしに一度見せたことがあります。それはお駒さんが大切にしまって置いた草履です」
「むむ、あれか」と、与七もうなずいた。「なるほど、そうです。きっと、あのときの草履でしょう」
それは室積藤四郎が石原の松蔵を召し捕ったときに、お駒が二階から投げつけた草履であると、二人は代るがわる説明した。奉行所から御褒美を賜わって稀代の面目を施したお駒は、一生の宝としてその草履を大切に保存して置いた。お定の話によると、お駒はそれを水色|縮緬《ちりめん》の服紗《ふくさ》につつんで、自分の部屋の箪笥の抽斗《ひきだし》にしまって置いたのを、去年の暮の煤掃《すすはき》の時にうやうやしく持ち出して見せたことがある。それは随分穿き古したもので、女郎の重ね草履といえばどれもこれも一つ型であるが、鼻緒の摺《す》れ工合などに確かに見おぼえがあるとお定は云った。
「だが、まあ念のためにお駒の部屋を調べてくれ」
半七は二人を連れて再び裏二階へあがって行った。お駒の部屋にはたった一つの箪笥がある。その四つ抽斗の二つ目の奥から水色縮緬の服紗だけは発見されたが、草履は果たして紛失していた。何者かがその草履をぬすみ出して、連子窓から海へ投げ込んだに相違ないとは、誰でも容易に想像されることであるが、半七が発見したのはその片足で、ほかの片足のゆくえは判らなかった。
「たびたび気の毒だが、もう少し手伝ってくれ」
与七を下へ連れ出して、半七は彼にも手伝わせて石垣の下を根《こん》よく探しまわったが、草履の片足はどうしても見付からなかった。おおかた引き潮に持って行かれたのであろうと、与七は云った。そうかも知れないと半七も思った。片足は大きい石のかげに支《つか》えていたために引き残された。そんなことがないとも云えないと思いながら、半七の胸にはまだ解け切らない一つの謎が残っていた。しかし、もうこの上には詮議のしようもないので、かれは鼻緒のゆるみかかった草履の片足を与七に渡して帰った。
「これも何かの役に立つかも知れねえ。しっかりとあずかって置いてくれ」
三
「草履の片足はとんだ鏡山《かがみやま》のお茶番だが、張子の虎が少しわからねえ」
半七は帰る途中で考えていたが、それから番屋へ行って聞きあわせると、下総屋の番頭吉助はなにを調べられても一向に知らぬ存ぜぬの一点張りで押し通しているのと、かれのふだんの行状が悪くないということが確かめられたのとで、ひと先ず主人預けとして下げられた。名代《みょうだい》部屋に寝ていた他の二人も、やはり主人あずけで無事に下げられたとのことであった。
あくる日、半七は八丁堀へ出向いて、きのう取り調べただけの結果を報告すると、藤四郎はなるべく早く調べあげてくれと催促した。半七は承知して帰って、子分の多吉をよんで何事かを耳打ちすると、多吉は心得てすぐに出て行った。
それから三日目である。花どきの癖で、長持ちのしない天気はきのうの夕方からなま暖かく陰《くも》って、夜なかから細かい雨がしとしとと降り出した。早起きの半七がまだ顔を洗っている明け六ツ(午前六時)前に、伊勢屋の与七が息を切ってたずねて来た。
「親分、又いろいろのことが出来《しゅったい》しました」
「与七さんか。早朝からどうしたんだ。まあ、こっちへあがって話しなせえ」
「いえ、落ち着いちゃあいられないんです」と、与七は上がり框《がまち》に腰をおろしながら口早にささやいた。「ゆうべの引け四ツから、けさの七ツ(午前四時)頃までのあいだに、家《うち》のお浪というのが駈け落ちをしてしまったんです」
「お浪というのはどんな女だ」
「お駒の次で、三枚目を張っている女です。ふだんから席争いでお駒とはあんまり折り合いがよくなかったようですが、お駒の方が柳に受けているので、別にこうという揉め捫著《もんちゃく》も起らなかったんです。そのお浪が急に姿をかくしたには何か訳があるんだろうから、とりあえず親分にお報らせ申せと主人が申しましたので……。それにもう一つおかしいことは、主人が確かにおあずかり申した筈の張子の虎、あれも何処へか行ってしまったんです。いや、張子の虎が自然にあるき出す筈はないんですが、誰が持ち出したものか、影も形もなくなってしまったんです」
「一体どこへしまって置いたんだろう」
「ほかの品と違って、まあ、早く云えばお駒の形見《かたみ》のようなものだというので、御仏壇に入れて置いたんだそうです」
「仏壇か。悪いところへ入れて置いたものだ」と、半七は舌打ちした。「が、まあ仕方がねえ。そこで、それはいつ頃なくなったんだ」
「それが判らないんです。なにしろきのうの夕方までは確かにあったというんですから、その後になくなったものに相違ないんです」
「なるほど」と、半七は眉を寄せた。「そこで、そのお浪という女には悪い足でもあるのかえ」
「どうも確かな見当が付かないんですが、ふだんから少し病身の女で、勤めがいやだと口癖に云っていました。けれども時が時で、おまけに張子の虎がなくなっているもんですから、なんだかそこがおかしいので……」
「まったくおかしい、なにか訳がありそうだ。ほかにはなんにも紛失物はないんだね」
「ほかには何もないようです」
「よし、判った。それもなんとか手繰《たぐ》り出してやろうから、主人によくそう云ってくれ」
「なにぶん願います」
与七は雨のなかを急いで帰った。材料はいつも三題噺《さんだいばなし》のようになる。重ね草履と張子の虎とお浪の駈け落ちと、この三つの材料を繋《つな》ぎあわせて、半七はしばらく考えていた。商売上の妬《ねた》みか、又はなにかの遺恨で、お浪がお駒を絞め殺したと仮定する。宿場《しゅくば》かせぎの女郎などは随分そのくらいのことは仕兼ねない。相手を殺して素知らぬ顔をしていたが、なにぶんにも気が咎めるので、とうとう居たたまれなくなって逃げ出した。それも随分ありそうなことである。しかし張子の虎が判らない。お浪が何のためにそれを盗み出したか。この理窟が考え出せない以上は、謎はやはりほんとうに解けないのであった。
午過ぎになって、多吉がきまりの悪そうな顔を見せた。かれの探索は半七の註文通りになかなか運ばないのであるが、その一部だけはどうにかこうにか洗い上げて来て、親分の前へ報告した。
「いや、御苦労。それで大抵あたりは付いたが、もうひと息のところだ。踏ん張ってやってくれ」と、半七は更になにかの注意を彼にあたえて帰した。
日が暮れるころに半七は伊勢屋へゆくと、お定は入口に立っていた。
「今晩は」と、かれは半七を見るとすぐに挨拶した。
「とうとう降り出したね」と、半七は傘のしずくを払いながら云った。「お浪がまた駈け出したというじゃあねえか」
「ほんとうにいろいろのことが続くので、なんだか忌《いや》な心持でなりません。家《うち》の人たちはお浪さんが殺したのだなんて云っていますけれど……」
「そりゃあ間違いだ。そんなことがあるもんじゃねえ」と、半七は笑いながら打ち消した。
「そうでしょうか」と、お定はまだ不安らしい顔をして、相手の眼色をうかがっていた。
「そうじゃあねえ。お浪がなんで人殺しなんかするもんか」
「そうでしょうね」と、お定は僅かにうなずいた。
「まあ、待っていねえ。今にかたきを取ってやるから」
「どうぞおたのみ申します」
お定は襦袢《じゅばん》の袖口で眼をふいていた。それをあとに見て半七は奥へ通ると、主人夫婦はいよいよ顔を陰《くも》らせていた。お浪の駈け落ちや張子の虎の詮議がひと通り済んだあとで、半七は主人を慰めるように云った。
「なに、もう御心配にゃあ及びません。もう見当は大抵ついています。あのお定という新造は通いですか。家《うち》はどこですえ」
「すぐ二、三軒さきの酒屋の裏で、洗濯|婆《ばあ》さんの二階を借りています」と、主人夫婦は答えた。
「じゃあ、わたしはこれからその留守宅を調べに行きますから、本人にも知らさないようにして置いてください」
「お定になにか御不審があるんですか」と、女房はびっくりしたように訊《き》いた。
「いや、まだ確かに判りません。まあ、ちょいと行って見ましょう」
半七はしずかに起《た》って出て行ったが、それから小半刻《こはんとき》も経たないうちに、手拭に巻いた片足の草履を持って来た。かれは与七を呼んで、この間あずけて置いた草履の片足を取り寄せた。それとこれとを主人の眼の前で列《なら》べてみると、一足の草履がたしかに揃った。
「その片足がお定の家《うち》にあったんですか」と、与七は眼をみはった。
「わけはあとで話す」と、半七は笑った。「それよりも先にお定に用がある。そこらにいるなら、早く呼んでくれ」
「今しがたお客があったので、二階へ行っている筈ですが……」
なんだか煙《けむ》にまかれたような顔をして、与七はあたふたと出て行った。迂闊《うかつ》に口を出すわけにも行かないので、主人夫婦は唖《おし》のように黙っていた。お駒が形見の草履を前にして深い沈黙がしばらく続いた。
「親分。お定は見えませんよ。二階じゅうをさがしても何処にもいないんです」
与七が声をひそめて訴えて来ると、半七は持っていた煙管を思わず投げ出した。
「畜生、素捷《すばや》い奴だ。よもや家へ帰りゃあしめえが、まあ念のために行ってみよう」
かれは急いで伊勢屋を出て、ふたたび酒屋の裏をたずねると、お定はさっきから一度も姿を見せないとのことであった。半七は更にあるじの婆さんにむかって、このごろお定がどこへか出たことがあるか、また彼女《かれ》をたずねて来た者があるかと詮議すると、お定は毎月一度ずつ千住の方へ寺参りにゆくほかには滅多に何処へも出かけたことはないらしい、訪ねて来る人も殆ど無い。たった一度、今から一と月ほど前にお店者《たなもの》らしい四十格好の男がたずねて来て、お定を門口《かどぐち》へ呼び出して何かしばらく立ち話をした上で、ふたりが一緒に連れ立って出て行ったことがあると、婆さんは正直に話した。半七はその男の人相や風俗をくわしく訊いて別れた。
宿《しゅく》の入口の小料理屋へはいって、半七は夕飯を食った。それから源助町の方角へ足を向けるころには、雨ももう歇《や》んでいた。尻を端折《はしょ》って番傘をさげて、半七は暗い往来をたどってゆくと、神明前の大通りで足駄の鼻緒をふみ切った。舌打ちをしながら見まわすと、五、六軒さきに大岩《おおいわ》という駕籠屋の行燈《あんどう》がぼんやりと点《とも》っていた。ふだんから顔馴染であるので、かれは片足を曳き摺りながらはいった。
「やあ。親分。いい塩梅《あんばい》にあがりそうですね」と、店口で草履の緒を結んでいる若い男が挨拶した。「どうしなすった。鼻緒が切れましたかえ」
「とんだ孫右衛門よ」と、半七は笑った。「すべって転ばねえのがお仕合わせだ。なんでもいいから、切れっ端《ぱし》か麻をすこしくんねえか」
「あい、ようがす」
店の炉のまわりに胡坐《あぐら》をかいていた若い者が奥へはいって麻緒を持って来ると、半七は框《かまち》に腰をおろした。
「親分、わたしが綰《す》げてあげましょう」
「手をよごして気の毒だな」
若い者に鼻緒をすげさせながら不図《ふと》みると、ひとりの男が傘を半分すぼめて、顔をかくすように門口《かどぐち》に立っていた。半七は傍にいる若い者に小声で訊《き》いた。
「ありゃあ何処の人だ。馴染かえ」
「源助町の下総屋の番頭さんです」
半七の眼は光った。主人預けになっている筈の彼が夜になって勝手に出あるく。それだけでも詮議ものであると思ったが、半七はわざと見逃がして置いた。
「そうして、これから何処へ行くんだ。宿《しゅく》かえ」と、かれは再び小声で訊《き》いた。
「なんだか大木戸まで送るんだそうです」
そう云っているうちに、一方の若い者の支度は出来て、門《かど》に忍んでいる番頭は駕籠に乗って出た。雨あがりの薄い月がその駕籠の上をぼんやりと照らしていた。
「おい、おれにも一挺頼む。あのあとをそっと尾《つ》けてくれ」
相手が相手であるから若い者はすぐに支度して、半七をのせた駕籠は小半町ばかりの距離を取りながら、人魂《ひとだま》のように迷ってゆく駕籠の灯を追って行った。前の駕籠が大木戸でおろされると、半七も下りた。駕籠屋を帰して、かれはぬかるみを足早に歩き出した。鼻緒をすげてしまうのを待っている間がなかったので、かれは大岩の貸し下駄を穿《は》いていた。
今夜はもう五ツ(午後八時)を過ぎているので、海辺の茶店は閉《し》まっていた。北から数えて五つ目の茶店の前で、下総屋の番頭吉助は立ちどまってそっと左右を見まわした。かれはいつの間にか頬かむりをしていた。
四
「ふだんと違って今の身分だから、店をぬけ出すのは容易じゃない。これでも神明前から駕籠で来たのだ」
「でもどんなに待ったか知れやしない。あたしはきっと欺されたのかと思っていたのよ。だましたら料簡《りょうけん》があると覚悟していたんだけれど……」
それが女の声であるので、半七は肚《はら》のなかでほほえんだ。かれは葭簀《よしず》のかげに忍んで、隣りの茶店の奥の密談を一々ぬすみ聴いていた。
「それで、これからどうしようというのだ。どうしても斯《こ》うしちゃあいられないのか」
「随分いろいろに趣向もして見たけれど、向うに荒神《こうじん》様が付いているんでね。今夜という今夜はもうどうにもしようがないと見切りをつけて、おまえさんのところへ駈け付けた訳なんですから、その積りで度胸を据えてくださいよ」
「だが、うっかり姿を隠したら猶々《なおなお》こっちに疑いがかかる訳じゃあないか」と、男はまだ躊躇しているらしく答えた。
「それがいけない。それが未練よ」と、女は焦《じ》れるように云った。「疑いがかかるどころじゃない。もうすっかりと種をあげられてしまったんだから、うろうろしちゃあ居られないんですよ。お前さん、鈴ケ森で獄門にかけられて、沖の白帆でも眺めていたいのかえ」
「よしてくれ。聞いただけでも慄然《ぞっ》とする。そりゃあ私だってこうなったら仕方がない。そうして、これからどこへ行く積りだ」
「駿府《すんぷ》の在《ざい》にちっとばかり識っている人があるから、ともかくもそこへ頼って行って、ほとぼりの冷めるまで麦飯で我慢しているのさ。お前さん、どうしても忌《いや》かえ」
「いやという訳じゃあないが、毒食わば皿で、そう度胸を据えるくらいならば、こっちにもまた路用や何かの都合もある。五両や十両の草鞋銭《わらじせん》でうかうか踏み出すのはあぶないからね」
「五両や十両……」と、女は呆れたように云った。「お前さん。たったそれぎりかえ。だから、さっきもあれほど念を押して置いたんじゃありませんか。嘘、きっと嘘に相違ない。お前さん、もっと持っているんだろう。お見せなさいよ」
「いや、まったく十両と纒まっていないのだ。じゃあ、こうしてくれないか。ここに八両と少しばかりある。これだけ持って、おまえは一と足さきへ行ってくれないか。わたしは一旦家へ帰って、後金《あとがね》を都合してから追っ掛けて行く。なに、嘘じゃあない、きっと行く」
「いけない、いけない」と、女は嘲るように又云った。「そんなことを云ってうまく誤魔化して、十両にも足りない手切れ金で、あたしを体《てい》よく追っ払おうとしても、そうは行きませんよ。あたしのような者に魅《み》こまれたのが因果で、あたしは飽くまでもお前さんを逃がしゃあしませんよ」
「いや、決してそんな訳じゃあないが、まったく五両や十両じゃあしようがない。いや、隠しているんじゃない。疑うなら出してみせる」
話し声はひとしきり途切れて、暗いなかで金をかぞえているらしい音が微かにきこえたかと思うと、だしぬけに床几《しょうぎ》の倒れるような物音が響いた。つづいて男の唸り声もきこえたので、半七は隣りの葭簀《よしず》を跳ねのけて出ると、出あいがしらに女と突き当った。女は転げるように往来へ駈けぬけてゆくのを、半七は跣足《はだし》になって追いかけた。二、三間のうちに追い付かれて、食いついたり、引っ掻いたりして必死に反抗した女は、とうとう泥だらけになって土の上に引き伏せられた。かれはいうまでもない、お定であった。
吉助は茶店のなかに縊《くび》られていた。お定は番屋へ引っ立てられると、もう尋常に覚悟を決めてしまったらしく、何もかも素直に白状した。
お定は以前|板橋《いたばし》で勤め奉公をしていた者で、かの石原の松蔵の情婦であった。土地の大尽《だいじん》を踏み台にして身請《みう》けをされて、そこから松蔵のところへ逃げ込んで、小一年も一緒に仲よく暮らしているうちに、男は詮議がだんだんむずかしくなって来たので、女にも因果をふくめて、一旦江戸を立退《たちの》こうとするところを、高輪で室積藤四郎の手に捕われた。それに加勢して草履を投げた伊勢屋のお駒は御褒美を賜わった。その評判が江戸じゅうに伝わると、お定は男の不運を悲しむと共に、伊勢屋のお駒を深く怨《うら》んだ。捕り方は役目であるから是非もないが、素人のお駒が要らざる加勢をしたために、男は遂に逃げ損じたのである。彼女は松蔵が死罪ときまった日に、お駒に対する根強い復讐の決心をかためた。男の死体をひそかに引き取って、自分の菩提寺にそっと埋葬して貰って、その命日にはかならず参詣していた。
相手が勤めの女である以上、かれに近寄るには伊勢屋へ入り込むよりほかはないので、勤めあがりのお定はすぐに下新造《したしん》に住み込むことを考えた。伝手《つて》を求めて伊勢屋の奉公人になってから、彼女は努めてお駒の気に入るように仕向けて、やがて姉妹《きょうだい》同様に親しくなった。彼女は松蔵の顔に投げ付けたという大切の重ね草履をお駒にみせて貰った。こうして仇に近寄る機会は十分に作られたのであるが、彼女は更にどういう手段を取るべきかを考えた。なにをいうにも人目の多い場所であるのと、自分の犯跡を晦《くら》ましたいという弱味があるので、彼女は容易に手をくだす機会を見いだし得ないで苛々《いらいら》しているうちに、彼女に取っては都合のいい相手があらわれた。それは下総屋の番頭の吉助であった。
吉助はお駒の馴染客であるので、無論にお定とも心安くしていた。心安いばかりでなく、≪それ≫者《しゃ》あがりのお定の年増姿がかれの浮気を誘い出して、お駒がほかの座敷へ廻っているあいだに、時々に飛んだ冗談を云い出すこともあった。胸に一物《いちもつ》あるお定は結局かれになびいて、宿《しゅく》の或る小料理屋の奥二階を逢曳きの場所と定めていた。客のひとりを自分の味方に抱き込んで置かないと、目的を達するのに不便だということを彼女はふだんから考えていたからである。こうして先ず味方が出来た。しかもその味方が三月十二日の夜、月こそ変れ松蔵が召捕られた当日に遊びに来たので、今夜こそはとお定は最後の覚悟をきめて、座敷の引けない間に努めて吉助とお駒とに酒をすすめた。
二階じゅうが大抵寝静まった時刻をうかがって、お定はそっとお駒の部屋へ忍び込んだ。正体なく眠っている仇の枕もとへ這い寄って、そこに有り合わせた細紐で力まかせに絞め殺した途端に、そばに寝ていた吉助が眼をさました。おどろいて声を立てようとするのを彼女は制して、このことは決して他言してくれるなと泣いて頼んだ。余人でないお定の頼みに、気の弱い吉助は当惑した。彼は迷惑でもあり、また恐ろしくもあった。もし他言すれば、わたしの口ひとつでお前もきっと同罪に陥《おと》してみせるとお定は泣きながら彼を嚇《おど》した。吉助はもう頭が眩《くら》んでしまって、結局お定の指尺《さしがね》通りに動くことになった。お定は箪笥のひきだしから服紗につつんだ彼《か》の草履を取り出して、その片足を連子窓から海へ投げ込んで、残る片足を袖の下にかかえて立ち去った。それから少し間を置いて、吉助はふるえ声で人を呼んだ。
こうして、復讐の目的も遂げた。犯罪の痕跡もどうやらこうやら晦ましたのであるが、お定の不安はまだ容易に去らなかった。海に投げ込んだ草履の片足を半七に発見された時に、彼女は自分の潔白を粧《よそお》うために、わざとお駒の物であることを証明したが、どうもそれでも落ち着いていられないので、さらに苦しい知恵を絞り出して、お駒とは比較的仲のよくないお浪という女をそそのかした。彼女はお浪がふだんから病身に悩んでいるのを幸いに、うまくそそのかして駈け落ちさせて、あたかもお浪がその犯人であるかのように疑わせ、事件をいよいよこぐらかそうと試みたが、その小細工も失敗に終ったらしく、半七は飽くまでも自分に眼をつけているらしいので、うしろ暗い彼女はもう居たたまれなくなった。
彼女は江戸を立ち退くについても路銀が必要であった。もう一つには、吉助があとで何をしゃべるかも知れないという不安もあるので、彼女は吉助に路銀を才覚させて、一緒に連れて逃げるつもりで、下総屋からそっと吉助をよび出して、今夜高輪で落ち合う約束をして来たのであるが、相手は思ったほどの金を持って来なかった。さりとて自分の秘密を知っているたったひとりの彼を、江戸に残して置くのはどうも不安に堪えないので、お定は不意に自分の手拭を相手の首にまきつけて、お駒とおなじように押し片付けてしまった。
「亭主のかたきを取ったら、なぜ神妙に名乗って出ない」
奉行所でこう訊問された時に、かれは涙をながして答えた。
「わたくしが此の世に居りませんと、もう誰も松蔵の墓参りをしてくれる者がございませんから」
夫のかたきを討つ……この時代に於いては大いに憐愍《れんびん》の御沙汰を受くべき性質のものであった。事情によっては或いは無罪になるかも知れなかった。しかしかれは罪人の妻で、人を恨むのは逆恨《さかうら》みである。殊に上《かみ》に対して御奉公を相勤めた伊勢屋のお駒を殺したのである。お駒ばかりでなく、吉助までも手にかけている。その罪重々であるというので、お定は引廻しの上で獄門に晒《さら》された。
「これまでにも密訴したものに仕返しをするということは時々ありましたが、それは悪党の仲間同士に限ることで、召捕りの助勢をした素人に対して仕返しをするなどというのは珍らしいことですよ」と、半七老人は云った。「殊にそれが女だから驚きます。今までの話で大抵お判りでしたろうが、わたくしは最初からお定に眼をつけていたんです。石垣の下で拾ったお駒の草履は、その鼻緒の曲がった足癖と、底の減りぐあいとで、右の足に穿き慣れたものだということがすぐに判りました。お駒が松蔵に投げたのは左の草履で、その肝腎の左の方が見えなくなって、右のだけが捨ててあるのはちっとおかしい。潮に引き残されたなら論はないが、さもなければ何か草履に縁のある……つまり松蔵に縁のある奴がお駒に仕返しをして、右の足だけをそこに打っちゃって置いて、左の方だけを持って行ったんじゃないかと、わたしはふっと考え出したんです」
「そこで、張子の虎の方はどうなんです」と、わたしは訊《き》いた。
「お駒の枕元に置いてあった張子の虎、これも松蔵になにか縁があるんじゃないかと、子分の多吉に云いつけて奉行所の申渡書を調べさせると、石原の松蔵は天保元年の庚寅《かのえとら》年の生まれということが判りました。寅年の男と、張子の虎、これもなるほど縁がある。こうなると松蔵になにか引っかかりのある奴がお駒を殺して、松蔵の位牌《いはい》代りに張子の虎を置いて行ったのじゃないかと鑑定されます。この二つの証拠が揃ったので、もっぱら松蔵にかかり合いのある奴を探索にかかりましたが、下手人はどうも外から入り込んだ形跡がない。その晩の客か、家内の者か、その判断がよほどむずかしいのですが、お定という下新造がお駒と特別に仲良くしていたというのが却《かえ》って疑いのかかる本《もと》で、もう一つには、松蔵が処刑になった後から伊勢屋に住み込んだものはお定一人しかないというのが手がかりで、だんだんその身分を洗いあげているうちに、前にお話し申したような順序で、とうとう本人を引き挙げてしまったんです。伊勢屋の仏壇にしまって置いた張子の虎は、やはりお定が盗み出したもので、ほとぼりのさめた頃にそっと松蔵の墓に埋めて来る積りであったそうです。いよいよ処刑になる時に、当人が最後の願いを聞きとどけられて、お定は紙でこしらえた数珠《じゅず》のはしに其の小さい虎をぶら下げて、自分の首にかけながら引き廻しの馬に乗せられました」
[#改ページ]
海坊主
一
「残念、残念。あなたは運がわるい。ゆうべ来ると大変に御馳走があったんですよ」と、半七老人は笑った。
それは四月なかばのうららかに晴れた日であった。
「まったく残念でした。どうしてそんなに御馳走があったんです」と、わたしも笑いながら訊《き》いた。
「と云って、おどかしただけで、実はさんざんの体《てい》で引き揚げて来たんですよ。浅蜊《あさり》ッ貝を小一升と、木葉《こっぱ》のような鰈《かれい》を三枚、それでずぶ濡れになっちゃあ魚屋《さかなや》も商売になりませんや。ははははは」
よく訊いてみると、きのうは旧暦の三月三日で大潮《おおしお》にあたるというので、老人は近所の人たちに誘われて、ひさしぶりで品川へ潮干狩りに出かけると、花どきの癖で午《ひる》頃から俄か雨がふり出して来た。船へ逃げ込んで晴れ間を待ちあわせていたが、容易に晴れるどころか、ますます強降りになって来るらしいので、とうとう諦めて帰ってくると、意地のわるい雨は夕方から晴れて、きょうはこんな好天気になった。なにしろ前に云ったような獲物だからお話にならない。浅蜊はとなりの家へやって、鰈は老婢《ばあや》とふたりで煮て食ってしまったというのであった。
きのうの不出来は例外であるが、一体に近年はお台場の獲物がひどく少なくなったらしいと老人は云った。それからだんだんと枝がさいて、次のような話が出た。
安政二年三月四日の午《ひる》過ぎに、不思議な人間が品川沖にあらわれた。
この年は三月三日の節句に小雨《こさめ》が降ったので、江戸では年中行事の一つにかぞえられているくらいの潮干狩があくる日の四日に延ばされた。きょうは朝から日本晴れという日和《ひより》であったので、品川の海には潮干狩の伝馬《てんま》や荷足船《にたりぶね》がおびただしく漕ぎ出した。なかには屋根船で乗り込んでくるのもあった。安房上総《あわかずさ》の山々を背景にして、見果てもない一大遊園地と化した海の上には、大勢の男や女や子供たちが晴れた日光にかがやく砂を踏んで、はまぐりや浅蜊の獲物をあさるのに忙がしかった。
かれらの多くは時刻の移るのを忘れていたので、午飯《ひるめし》を食いかかるのが遅かった。ある者は船に帰って、家から用意してきた弁当の重詰をひらくのもあった。ある者は獲物のはまぐりの砂を吐かせる間もなしに直ぐに吸物にして味わうのもあった。ある者は貝のほかに小さい鰈や鯒《こち》をつかんだのを誇りにして、煮たり焼いたりして賞翫《しょうがん》するのもあった。砂のうえに毛氈《もうせん》や薄縁《うすべり》をしいて、にぎり飯や海苔巻《のりまき》の鮓《すし》を頬張っているのもあった。彼等はあたたかい潮風に吹かれながら、飲む、食う、しゃべる、笑うのに余念もなかった。
その歓楽の最中であった。ひとりの奇怪な人間が影のようにあらわれて来たのであった。勿論、どこから出て来たのか知れなかったが、かれは年のころ四十前後であるらしく、髪の毛をおどろに長くのばして、その人相もよくわからない。顔のなかから鋭い眼玉ばかりが爛々と光っていた。身には破れた古袷《ふるあわせ》をきて、その上に新らしい蓑《みの》をかさねて、手には海苔ヒビのような枯枝の杖を持って素足でぶらぶらと迷い歩いている。その風体《ふうてい》がここらの漁師ともみえなかった。さりとて普通の宿無し乞食とも思われない。まずは一種の気ちがいか、絵にかいてある仙人のたぐいかとも見られるので、彼の通る路々の人はいずれも眼をみはって見送っていた。こうして、不思議そうに見かえられ見送られながら、彼は一向平気で潮干の群れのあいだをさまよい歩いているので、若い女などは気味わるそうに人のかげに隠れるのもあった。船のなかへ逃げ込むのもあった。
しかしこの奇怪な男は、別に他人に対して何事をするでもないらしかった。さりとて諸人が遊びたわむれているのを見物してあるいているのでも無いらしかった。唯その鋭い眼をひからせて、なにを見るともなしに迷いあるいているだけのことであったが、そのうちに彼は職人らしい一群に取り囲まれた。酔っている職人のひとりは彼のまえに立ちふさがって、大きい猪口《ちょこ》を突きつけた。
「おい、大将。頼む、一杯のんでくれ」
奇怪な男はにやにや笑いながら、無言でその猪口を受け取って、相手のついでくれた酒をひと息にぐっと飲みほした。
「やあ、馬鹿に飲みっぷりがいいぜ、もう一杯たのもう」と、ほかの一人が入れ代って猪口を突き出すと、かれは猶予なしにそれをも飲んでしまった。
それが一種の興をひいたらしく、ほかの群れから食いのこりの握り飯を持って来たものがあったが、彼はそれをも快くむしゃむしゃと食った。海苔巻の鮓や塩せんべいや、なんでもかでも彼のまえに突き出されたものは忽ちにみんな彼の口へはいってしまった。しかも彼は唯ときどきににやにやと笑うばかりで、かつて一と言も云わなかった。なにを話しかけても、なにを訊《き》いても、かれはつんぼうであるかのように、一切その返事をしなかった。かれは面白半分に職人から突き付けられた酒や食い物を、ただ黙って飲み食いしているだけであるので、まわりを取り巻いている人々も少しく倦《あ》きて来た。彼もさすがに満腹したらしく、勿論なんの挨拶もなしに、諸人の囲みをぬけて又ふらふらとあるき出した。
彼はそれから何処へ行ったか、別に詮議《せんぎ》するものもなかった。どこの船でも午飯をすませて、再び潮干狩をつづけていると、やがて夕七ツ(午後四時)を過ぎたかと思うころに、かの男は又ふらふらとあらわれた。かれは誰に云うとも無しに、遠い沖の方を指さして叫んだ。
「潮がくる、潮がくる」
その声におどろかされて、ある人々はかれの指さす方に眼をやったが、広い干潟《ひがた》に潮のよせてくるような景色はみえなかった。きょうの夕潮までにはまだ半刻《はんとき》あまりの間があることは誰も知っていた。かれは高い空を指さして又叫んだ。
「颶風《はやて》がくる。天狗が雲に乗ってくる」
今度かれが指さしたのは沖の方でなかった。かれは反対に陸《おか》の方角を仰いで、あたかも愛宕山《あたごやま》あたりの空を示しているのであった。この気ちがいじみた警告に対して、別に注意の耳をかたむける人も少なかったが、それでも品川の海に馴れている者は少しく不安を感じて、かれの指さす方角をみかえると、春の日のまだ暮れ切らない江戸の空は青々と晴れて鎮まっていた。
「颶風《はやて》がくる」と、かれは又叫んだ。
天気晴朗の日でも品川の海には突然颶風を吹き起すことがある。船頭たちは無論それを知っているので、この奇怪な男の警告を一概に笑って聞き流すわけにも行かなかったが、そうした恐ろしい魔風を運び出して来るらしい雲の影はどこにも見えないので、かれらはやはり油断していると、男はつづけて叫んだ。
「潮が来る。颶風が来る」
かれの声はだんだんに激して来た。かれはいよいよ物狂おしいようになって、そこらじゅうを駈けまわって叫びあるいた。
「颶風がくる。潮がくる」
颶風が襲って来るのと、潮が満ちて来るのとは、別問題でなければならなかった。それを知っている者はやはり笑っていたが、彼は諸人の危急がいま目の前に迫っているかのように、片手に空を指さし、片手に沖を指さして、跳《おど》りあがって叫びつづけた。
「颶風がくる」
跳り狂って飛びまわっているうちに、彼は砂地の窪んだところへ足をふみ込んで、引き残った潮溜りのなかに横ざまに倒れた。倒れながらも彼はやはり其の叫び声をやめなかった。
「この気ちがいめ」
気の早い者は腹を立てて、そこらに転がっている貝殻をつかんで投げつけた。ある者は砂をつかんで浴びせかけた。それでも彼は口をとじなかった。貝殻がばらばらと飛んでくるうちに、その大きい一つが彼の額にあたって左の眉の上からなま血が流れ出したので、血に染み、砂にまぶれた彼の顔は物凄かった。かれはその眼をいよいよ光らせて、颶風と潮とを叫んだ。こうなると一方に気ちがい扱いにしていながらも、かれの警告に対して諸人の胸の奥に一種の不安が微かに湧き出して来た。女子供を多く連れている組では、そろそろ帰り支度に取りかかる者もあった。そのうちに或る船の船頭……それは老人で、さっきから彼《か》の男と同じように、小手《こて》をかざして陸上の空を仰いでいたのであるが、俄かに突っ立ちあがって大音に呶鳴《どな》った。
「颶風だ、颶風だぞう。早く引きあげろよう」
海の上に生活している彼の声は大きかった。それが遠いところまでも響き渡って諸人の耳をおどろかした。愛宕山の上かと思われるあたりに、たったひと掴《つか》みほどの雲があらわれたのである。ほかの船頭共も俄かにさわぎ出した。かれらも声をそろえて、颶風だ颶風だと叫んで触れまわった。潮の退《ひ》いている海ではあるが、それでも颶風の声は人々の胸を冷やした。遠いも近いも互いに呼びつれて、あわただしく自分たちの船へ引きあげようとする時、一陣のすさまじい風が突然に天から吹きおとして来た。黒い雲はちっとも動かないで、ゆう日の沈み切らない西の空はやはり明るく晴れているのであるが、海の上には眼に見えない風がごうごうと暴れ狂って、足弱《あしよわ》な女子供はとても立ってはいられなくなった。ある者はよろめき、ある者は吹き倒されて、いずれも砂の上にうつ伏してしまった。船の軒にかけてあるほおずき提灯《ちょうちん》や、そこらに敷いてある毛氈や薄縁《うすべり》のたぐいは、何者かに引っ掴まれたように虚空《こくう》遙かに巻きあげられた。人々は悲鳴をあげてうろたえ騒いだ。
船頭どもは駈けまわって、めいめいが預かりの客をともかくも船のなかへ助け入れようと燥《あせ》っているうちに、きょうはどうしたものか、予定の時刻よりも出潮《でしお》が少し早いらしく、砂地のそこからもここからも無数の蟹が群がったように白い泡をぶくぶく噴き出して来たので、船頭どもは又あわてた。
「潮がさして来る。潮が来る」と、かれらは暴《つよ》い風と闘いながら叫びまわった。
颶風も幸いに長くなかった。しかし潮はだんだんに満ちてくるので、人々はいよいようろたえて船へ逃げあがった。死人は一人もなかったが、颶風が吹いて通るときに木の枝や何かを叩きつけられて、顔や手足に負傷した者もあった。吹き倒されて貝殻や石に傷つけられた者もあった。手拭などは吹き飛ばされて、男も女もみな散らし髪になってしまった。船にぬいで置いた上衣《うわぎ》などは大抵どこへか飛んで行った。男の紙入れ、女のかんざし、そんな紛失物はかぞえ切れなかった。
はまぐりや浅蜊の獲物も大抵捨てて帰った。命に別状のなかったのをせめてもの仕合わせにして、きょうの潮干狩の群れはさんざんの体でみな引き揚げた。
二
めいめいの宿許《やどもと》へ引き揚げて、やれよかったと初めて落ちつくと共に、どの人の口に上《のぼ》ったのもかの奇怪な人間の噂であった。その風体《ふうてい》や挙動が奇怪であるのは云うまでもない、更に奇怪を感ぜしめたのは、彼が誰よりも先に颶風や潮を予報したことであった。老練の船頭すらもまだそれを発見し得ない間に、かれがどうして逸早《いちはや》くそれを予覚したのであろうか。はじめは気ちがいの囈言《うわごと》ぐらいに聞きながしていた彼の警告が一々図星にあたっていたのである。人か神か、仙人か、諸人はその判断に迷った。
混乱の折柄で、彼がそれからどうしたか、どこへ行ってしまったか、誰もたしかに見とどけた者はなかったが、最後にここを引き揚げたのは、築地|河岸《がし》の船宿|山石《やまいし》の船で、その船頭は清次という若い者であった。乗合いは男五人と女ひとりで、船には酒肴《しゅこう》をたくさん積み込んで、潮干狩は名ばかりで、大抵は船のなかで飲み暮らしていたが、午《ひる》すぎになってから、船を出て、人真似に浅蜊などを少しばかり拾いはじめると、かの颶風に出逢って狼狽して、五人のうち二人は早々に船へ逃げ込んで来たが、ほかの三人と女とが戻って来ないので、ふたりは心配して又探しに出た。
清次も見ていられないので、一緒にそこらを探してあるいたが、何分にも風が烈しいので、叩きつけるような砂や小石を眼口《めくち》に打ち込まれて、度をうしなって暫く立ちすくんでいるうちに、ふたりの男のゆくえを見失ってしまった。やがて眼をあいて再びそこらを探しあるいていると、よほど離れた砂の上にひざまずいて、ひとりの女がひとりの男と何か話しているらしいのを遠目にみた。女はどうやら自分の船の客らしいので、清次はもしもしと呼びながら近寄ろうとする時に、又もや颶風がどっと吹きおろして来たので、清次も堪まらなくなって砂地にうつ伏した。かれが頭をあげた時には、その女も男ももう見えなかった。船へ帰ると、五人の男もかの女客もいつの間にか無事に戻っていた。
ただそれだけであれば、別に仔細もないが、その時かの女客と話していたらしい男が奇怪な人間の姿であったように清次の眼に映ったのである。混雑の場合でもあり、又そんなことを詮議すべきでもないので、清次はなんにも云わずに漕いで帰った。
そこでは何も云わなかったが、かの奇怪な男の噂が出るたびに、清次はそれを人にしゃべった。自分の船の女の客がどうも彼《か》の奇怪な男と知り合いででもあったらしいと吹聴した。その日の客のうちで男ふたりは二度ばかり山石に船をたのみに来たことがあったが、馴染が浅いのでどこの人だか知れなかった。ほかの三人と女ひとりは初めての客であった。したがって彼等のすべてが何者であるか一向判らなかったが、なんでも下町《したまち》の町人らしい風俗で、船頭の祝儀も相当にくれた。
それが半七の耳にはいった。かれはすぐ築地河岸へ出向いて、まず船頭の清次をしらべたが、清次は前にも云ったほかには何も知らないと云った。船宿では猶更《なおさら》知らなかった。
「もしその客のどれかが又来たら、きっとおれの所へ知らせてくれ。悪くすると飛んだ引き合いを食うぞ」
半七は念を押して帰った。それはもうかの潮干狩から半月ばかり後であった。神田三河町の家へ帰ると、半七はすぐに子分の幸次郎をよんで、清次という若い船頭の身許をしらべろと命令した。幸次郎は受け合って帰ったが、そのあくる日すぐに出直して来た。
「親分、大抵はわかりましたが、船頭仲間で訊《き》いてみましたら、あの清次という野郎は今年二十一か二で、これまで別に悪い噂もなかったと云います」
「なんにも道楽はねえか」
「商売が商売だから、酒も少しは飲む、小|博奕《ばくち》ぐらいは打つようだが、別に鼻をつままれるような忌《いや》なこともしねえそうですよ。品川の女に馴染《なじみ》があるそうだが、これも若い者のことでしようがありますめえ」
「身にひきくらべて贔屓《ひいき》をするな」と、半七は笑った。「だが、まあ、いいや。そこまで判れば大抵の見当は付いた。御苦労ついでに品川へ行って、あいつが此の頃の遊びっぷりをしらべて来てくれ。店の名は判っているだろうな」
「わかっています。化《ばけ》伊勢のお辰という女です。すぐに行って来ましょう」
幸次郎は又出て行ったが、その晩、かれが引っ返して来ての報告は半七を少し失望させた。
「清次は月に四、五たびは来るそうですが、まあ身分相当といったくれえの使いっぷりで、今月になって二度来たが、別に派手なこともしねえと云いますよ。どうでしょう。もう少しほかを洗ってみましょうか」
「まあ、よかろう。今になんとかなるだろう」と、半七は云った。「だが、まあ、これだけじゃあ済まねえ。これからもあの野郎に気をつけてくれ」
「ようがす」
幸次郎はかさねて受け合って帰ったが、別に取り留めたことも探し出さないとみえて、それから又半月ほど過ぎるまで、この一件に就いてはなんの新らしい報告も持って来なかった。人の噂も七十五日で、潮干狩の噂はだんだんに消えて行った。半七もほかの仕事に忙がしく追われていたが、それでも彼の頭にはまだこの一件がこびり付いていて離れなかった。
「あの船頭はどうした」と、半七はときどきに催促した。
「親分も執念ぶけえね」と、幸次郎は笑っていた。「わっしも如才《じょさい》なく気をつけてはいますが、どうもなんにも当りがねえんですよ」
「その客というのもそれぎり来ねえか」
「それぎり顔をみせねえそうです」
こうして四月も過ぎ、五月になって、梅雨《つゆ》らしい雨が毎日ふりつづいた。五月十日の朝である。半七がいつもよりも少し朝寝をして、楊枝《ようじ》をつかいながら縁側へ出ると、となりの庭の柘榴《ざくろ》の花があかく濡れていた。外では稗蒔《ひえまき》を売る声がきこえた。
「ああ、きょうも降るかな」
鬱陶《うっとう》しそうに薄暗い空をみあげていると、表の格子をがたぴしと明けて、幸次郎があわただしく飛び込んで来た。
「親分。起きましたかえ」
「いま起きたところだ。何かあったか」
潮干狩の一件以来、幸次郎は半七に催促されるのが苦しいので、築地河岸の船頭はいうまでもなく、芝浦から柳橋、神田川あたりの船宿をまわって、絶えず何かの手がかりを見つけ出そうと焦《あせ》っているうちに、けさ偶然にこんなことを聞き出したのである。しかもそれはゆうべのことで、神田川の網船屋の船頭の千八というのがおなじみの客をのせて隅田川の上《かみ》の方へ夜網に出た。客は本郷の湯島に屋敷をかまえている市瀬三四郎という旗本の隠居であった。あずま橋下からだんだんに綾瀬の方までのぼって行ったのは夜も四ツ(午後十時)をすぎた頃で、雨もひとしきり小歇《こや》みになった。もちろん濡れる覚悟であったから、客も船頭も蓑笠《みのかさ》をつけていたが、雨がやんだらしいので隠居は笠をぬいだ。笠の下には手ぬぐいで頬かむりをしていた。
「素人《しろうと》は笠をかぶっていると、思うように網が打てない」
隠居は自分でも網を打つのである。今夜はあまり獲物が多くないので、かれは少し焦《じ》れ気味でもあった。
「網を貸せ。おれが打つ」
船頭の手から網を取って、隠居は暗い水の上にさっと投げると、なにか大きな物がかかったらしい。鯉か鯰《なまず》かと云いながら、千八も手つだって引き寄せると、大きい獲物は魚でなかった。それはたしかに人の形であった。水死の亡骸《なきがら》が夜網にかかるのは珍らしくない。船頭はこれまでにもそんな経験があるので、又お客様かといやな顔をした。かがり火の光りでそれが男であることを知ると、彼はすぐに流そうとした。
「むかしの船頭仲間には一種の習慣がありましてね」と、半七老人はここでわたしに説明してくれた。「身投げのあった場合に、それが女ならば引き上げて助けるが、男ならば助けない。なぜと云うと、女は気の狭いものだから詰まらないことにも命を捨てようとする。死ぬほどのことでもないのに死のうとするのだから助けてやるが、男の方はそうでない。男が死のうと覚悟するからには、死ぬだけの理窟があるに相違ない。どうしても生きていられないような事情があるに相違ない。いっそ見殺しにしてやる方が当人の為だ、と、まあこういうわけで、男の身投げは先ず助けないことになっている。それが自然の習慣になって、ほかの水死人を見つけた時にも、女は引き上げて介抱してやるが、男は大抵突き流してしまうのが多い。男こそいい面《つら》の皮だが、どうも仕方がありませんよ」
ここの船でも船頭が男の水死人を突き流そうとするのを、隠居は制した。
「まあ、引き上げてやれ。なにかの縁でおれの網にはいったのだ」
こう云われて、千八も争うわけには行かなかった。かれは指図の通りに網を手繰《たぐ》って、ともかくもその男を船のなかへ引き上げると、かれは死んでいるのではなかった。網を出ると、彼はすぐにあぐらをかいた。
「なにか食い物はないか。腹が減《へ》った」
隠居も千八もおどろいていると、男はそこにある魚籠《びく》に手を入れて、生きた小魚をつかみ出してむしゃむしゃと食った。二人はいよいよ驚かされた。
「まだ何かあるだろう。酒はねえか」と、彼はまた云った。「ぐずぐずしていやあがると、これだぞ」
かれは腹巻からでも探り出したらしい、いきなりに匕首《あいくち》を引きぬいて二人の眼さきに突きつけたので、船頭は又びっくりした。しかし一方は武家の隠居である。すぐにその刃物をたたきおとして再び彼を水のなかへ投げ込んでしまった。
「はは、悪い河獺《かわうそ》だ」と、隠居は笑っていた。
しかし、それが河獺でないことは判り切っていた。千八はただ黙っていると、隠居はこれに興をさましたらしく、今夜はもうこれで帰ろうと云った。船頭はすなおに漕いで帰った。
この報告を終って、幸次郎は半七の顔色をうかがった。
「どうです。変な話じゃありませんか」
三
半七は黙ってその報告を聞いていたが、やがて思い出したようにうなずいた。
「むむ、そんな話が去年もあったな。おめえは知らねえか」
「知りませんね」と、幸次郎は首をかしげた。「やっぱりそんな話ですかえ」
「まあ、そうだ。なんでもそれは麻布《あざぶ》辺の奴らだ。町人が三、四人で品川へ夜網に行くと、海のなかから散らし髪の男がひょっくり浮き出したので、船の者はびっくりしていると、その男はいきなり船へ飛び込んで来て、なにか食わせろと云うんだ」
「へえ、よく似ていますね」と、幸次郎は不思議そうに眼を見はった。「それからどうしましたえ」
「こっちは呆気《あっけ》にとられているから、なんでも相手の云うなり次第さ。船に持ち込んでいる酒と弁当を出してやると、息もつかずに飲んで食って、また海のなかへはいってしまったそうだ」
「まるで河童《かっぱ》か海坊主のような奴ですね。そうすると、ゆうべの奴もやっぱりそれでしょうよ」
「きっとそれだ」と、半七は云った。「いくら広い世のなかだって、そんな変な奴が幾人もいるわけのものじゃあねえ。きっとおなじ奴に相違ねえ。このあいだの潮干狩に出て来た奴もやっぱりそれだろう。だが、妙な奴だな。人間の癖に水のなかに棲んでいて、時々に陸《おか》や船にあがってくる。まったく河童の親類のような奴だ。葛西《かさい》の源兵衛堀でも探してみるかな」
「ちげえねえ」と、幸次郎も笑った。
この頃、顔やからだを真っ黒に塗って、なまの胡瓜《きゅうり》をかじりながら、「わたしゃ葛西の源兵衛堀、かっぱの伜でござります」と、唄ってくる一種の乞食があった。したがって河童といえば生の胡瓜を食うもの、河童の棲家《すみか》といえば源兵衛堀にあるというように、一般の人から冗談半分に伝えられて、中にはほんとうにそれを信じている者もあったらしい。半七は笑いながら又|訊《き》いた。
「ゆうべの奴は匕首のようなものを出したと云ったな」
「そうです。なんでも光るものを船頭の眼のさきへ突き付けたそうですよ」
「いよいよ変な奴だな。そんな奴を打っちゃって置くと、世間の為にならねえ。しまいには何を仕出来《しでか》すか知れねえ。おれもよく考えて置こう。おめえも気をつけてくれ」
幸次郎を帰したあとで、半七はいろいろに考えた。幸次郎の報告で、ゆうべの出来事も大抵は判っているものの、念のためにもう一度、その船頭の千八に逢ってくわしい話を聴いたらば、又なにかの手がかりを探り出すことがないとも限らない。半七は起《た》って窓をあけると、一旦晴れそうになった今朝の空もまた薄暗く陰《くも》って来た。
「しようがねえな」
舌打ちしながら半七は神田の家を出ると、横町の角でわかい男に逢った。男は築地の山石の船頭清次であった。
「親分さん。お早うございます」
「やあ、清公。どこへ行く」
「おまえさんの家《うち》へ……。丁度いいところで逢いました」と、清次はすり寄って来てささやいた。「実はね、このごろは毎日天気が悪いので、商売の方もあんまり忙がしくないもんですから、きのうの午《ひる》すぎに小梅の友達のところへ遊びに出かけました。すると、その途中でひとりの女に逢ったんですよ。その女は近所の湯からでも帰って来たとみえて、七つ道具を持って蛇《じゃ》の目《め》の傘をさしてくる。どうも見おぼえのあるような女だと思って、すれちがいながら傘のなかを覗いてみると、それがね、親分さん。それ、いつかの潮干《しおひ》の時の女なんですよ」
半七は無言でうなずくと、清次は左右を見かえりながら話しつづけた。
「こいつ、見逃がしちゃあいけねえと思ったから、わっしはそっとその女のあとをつけて行くと、それから小半町ばかり行ったところに瓦屋がある。そのとなりの生垣《いけがき》のある家へはいったのを確かに見とどけたから、それとなく近所で訊いてみると、その女はおとわといって深川辺の旦那を持っているんだそうです。なるほど、庭の手入れなんぞもよく行きとどいていて、ちょいと小綺麗に暮らしているようでした」
「そうか」と、半七は笑いながら又うなずいた。「それは御苦労、よく働いてくれた。その女は三十ぐらいだと云ったっけな」
「ちょいと見ると、二十七八ぐらいには化かすんだけれど、もう三十か、ひょっとすると一つや二つは面《つら》を出しているかも知れません。小股《こまた》の切れあがった、垢ぬけのした女で、生まれは堅気《かたぎ》じゃありませんね」
「判った。わかった。路の悪いのによく知らせに来てくれた。いずれお礼をするよ」
清次に別れて、半七は往来に突っ立って少しかんがえた。清次が乗せた潮干狩の客は、かの怪しい男となにかの関係があるらしい。現にそのひとりの女は颶風の最中に彼と話していたらしいという。かたがたこの潮干狩の一と組を詮索すれば、自然に彼の正体もわかるに相違ない。これは神田川へ行って千八を詮議するよりも、まず小梅へ出張ってその方をよく突き留めるのが近道らしい。こう思案して、半七はまっすぐに小梅へゆくことにした。陰るかと思った空は又うす明るくなって、厩《うまや》橋の渡しを越えるころには濁った大川の水もひかって来た。
「傘はお荷物かな」
半七はまた舌打ちをしながら、向う河岸へ渡ってゆくと、その頃の小梅の中《なか》の郷《ごう》のあたりは、為永春水《ためながしゅんすい》の「梅暦」に描かれた世界と多く変らなかった。柾木《まさき》の生垣を取りまわした人家がまばらにつづいて、そこらの田や池では雨をよぶような蛙の声がそうぞうしく聞えた。日和《ひより》下駄の歯を吸い込まれるような泥濘《ぬかるみ》を一と足ぬきにたどりながら、半七は清次に教えられた瓦屋のまえまで行きついた。
となりと云っても、そのあいだにかなりの空地《あきち》があって、そこには古い井戸がみえた。井戸のそばには大きい紫陽花《あじさい》が咲いていた。半七はその井戸をちょっと覗いて、それから生垣越しに隣りをうかがうと、おとわという女の家はさのみ広くもないらしいが、なるほど清次の云った通り、ここらとしては小綺麗に出来ているらしい造作で、そこの庭にも紫陽花がしげっていた。
「しようがないねえ。また庭の先へ骨をほうり出して置いて……。お千代や。掃溜《はきだ》めへ持って行って捨てて来ておくれよ」
縁先で女の声がきこえたかと思うと、女中らしい若い女が箒《ほうき》と芥《ごみ》取りを持って庭へ出て来て、魚の骨らしいものをかき集めているらしかった。犬か猫が食いちらしたのかと思ったが、半七は別に思いあたることがあるので、ぬき足をして裏口へまわってゆくと、女中はその骨のようなものを掃溜めへなげ込んで、すぐに台所へはいった。
半七はそっと掃溜めをのぞいてみると、魚の骨はみな生魚《なまうお》であるらしかった。犬や猫がこんなに綺麗に生魚を食ってしまうのは珍らしい。更に注意して窺うと、掃溜めの底にはやはり生魚の骨らしいのが重なっていた。
半七は引っ返して元の井戸ばたへ来ると、瓦屋の女房らしい女が洗濯物をかかえて出て来たので、道を訊《き》くような風をして如才《じょさい》なく話しかけて、となりの家ではどこの魚屋《さかなや》から魚を買っているかということを半七は聞き出した。それは半町ほど離れた魚虎という店で、ちょっとした料理も出来ると女房は口軽に話しかけた。
魚虎へ行って、半七は更にこんなことを聞き出した。おとわの家はお千代という女中と二人暮らしで、深川の木場の番頭を旦那にしているということで、なかなか贅沢に暮らしているらしい。旦那が来た時には、いつでも三種《みしな》四種《よしな》の仕出しを取る。そのあいだにも毎日なにかの魚を買うが、三月の末頃からは生魚の買物が多い。別に人もふえた様子はないが、たしかに買物は多くなった。犬や猫は一匹も飼っていない。これだけのことが判って、半七の肚《はら》のなかには此の事件に対するひと通りの筋道が立った。
四
これだけのことが判った以上、すぐにおとわを呼び出して吟味してもいいのである。しかし彼女は三十を越して旦那取りでもしているような女であるから、ひと筋縄では素直に口を明かないかも知れない。女の強情な奴は男よりも始末がわるい。半七はたびたびそれに手懲りをしているので、彼女がいかに強情を張ろうとも、抜きさしの出来ないだけの証拠をつかんで置かなければならないと考えながら、魚虎の店を出てまた引っ返してくると、途中で若い女に逢った。それはおとわの家の女中で、小風呂敷を持って何か買物にでも出てゆくらしかった。
「お千代さん、お千代さん」
自分の名をよばれて、若い女中は不思議そうに見かえると、半七は近寄って馴れなれしく声をかけた。
「わたしは魚虎の親類の者で、二、三日前からあそこへ泊まりに来ているんですよ。きのうもお前さんが買物に来たときに、奥の方にいたのを知りませんでしたかえ。そら、お前さんが鯔《ぼら》を一尾、鱚《きす》を二尾、≪そうだ鰹≫の小さいのを一尾、取りに来たでしょう。こちらから届けますというのに、いや急ぐからと云ってお前さんがすぐに持って行ったでしょう」
お千代は黙っていた。空はいよいよ明るくなって、裂けかかった雲のあいだから日の光りが強く洩れて来たので、半七は彼女を誘うようにして、路ばたの大きい榎《えのき》の下に立った。
「ねえ、魚虎の帳面をみると、仕出しが時々にある。それは木場《きば》の旦那のだろう」
お千代は無言でうなずいた。
「それは判っているが、もうひとりのお客様だ。そのお客は四、五日ぐらい途切れて又来ることがある。きのうは来たんだね」
お千代はやはり黙っていた。
「そうして、日の暮れから出て行って、夜なかに帰って来たかえ。それとも今朝になって帰って来たかえ。なにしろ生魚をむしゃむしゃ食って、その骨を庭のさきなんぞへむやみに捨てられちゃあ困るね」
相手はまだ黙っていたが、一種の不安がさらに恐怖に変ったらしいのは、その顔の色ですぐ覚《さと》られた。
「ねえ、まったく困るだろう」と、半七は笑いながら云った。「あんな仙人だか乞食だか山男だか判らねえお客様に舞い込まれちゃあ、まったく家の者泣かせよ。あの人はなんだえ。うちの親類かえ」
「知りません」
「名はなんというんだえ」
「知りません」
「時々に来るのかえ、始終来ているのかえ」
「知りません」
「嘘をつけ」と、半七は少しく声を暴《あら》くしてお千代の腕をつかんだ。「あすこの家に奉公していながら、それを知らねえという理窟があるか。まったく来ねえものなら、初めからそんな人は来ませんとなぜ云わねえ。家の親類かと訊《き》けば、知らねえという。名はなんというと訊けば、知らねえという。それが確かに来ている証拠だ。さあ、隠さずに云え。おまえはいくつだ」
「十八です」と、お千代は小声で答えた。
「よし、少しおしらべの筋がある。おれと一緒に番屋へ来い」
お千代は真っ蒼になって泣き出した。
「番屋へ連れて行くのも可哀そうだ。魚虎まで来い」
半七はかれを引っ立てて再び魚虎の店へ引っ返すと、魚屋《さかなや》の亭主や女房も半七が唯の人でないことを覚《さと》ったらしく、奥へ案内して丁寧に茶などを出した。夫婦は泣いているお千代をなだめて、もうこの上はなんでも正直に申し上げるのがお前の為であると説得したので、年のわかい彼女はとうとう素直に白状した。
去年の冬の夜に、乞食だか仙人だか山男だか判らないような男がおとわをたずねて来た。どこから来たのか、それは知らないとお千代は云った。なんでもおとわが金をやっているらしかったが、男はそれを受け取らなかった。おとわは結局かれを物置へ連れ込んで住まわせることにした。男はときどきに抜け出して何処へかゆく。そうして、又ふらりと帰ってくる。不思議なことには、かれは好んで生魚を食う。勿論、普通の煮物や焼物も食うのであるが、そのほかに何か生物を食わせなければ承知しない。かれは生魚を頭からむしゃむしゃ食うのである。かれはふところに匕首を忍ばせていて、生魚を食わせないと直ぐにそれを振り廻すのである。それにはおとわも困っているらしい。お千代も気味を悪がって、なんとかして暇を取りたいと思っているが、主人からは余分の心付けをくれて、無理に引き留められるので困っている。どう考えても、あの男は一種の気ちがいに相違ない。しかし主人とどういう関係にあるのか、それはちっとも知らないとお千代は云った。
それにしても、そんな怪しい人間が出這入りするのを、近所で気が付かない筈はないと半七は思った。その詮議に対して、お千代はこう答えた。かれは昼のあいだは物置に寝ていて、日が暮れてから何処へか出てゆく。帰ってくる時も夜である。ここらは人家が少ない上に、大抵の家では宵から戸を閉めてしまうので、今まで誰にも覚《さと》られなかったのであろう。現にゆうべも宵からどこへか出て行って、夜の明けないうちに戻って来て、あさ飯には小さい≪そうだ鰹≫一尾を食って、その骨を庭さきへ投げ出して置いて、物置へはいって寝てしまったとのことであった。
半七はすぐにお千代を案内者にして、おとわの家へ踏み込んだが、生魚を食う男のすがたは物置のなかから見いだされなかった。あるじのおとわも見えなかった。箪笥や用箪笥の抽斗《ひきだし》が取り散らされているのを見ると、かれは目ぼしい品物を持ち出して、どこへか駈け落ちをしたらしく思われた。
木場の旦那は今夜来るはずだとお千代が云ったので、半七は幸次郎とほかに二人の子分をよびあつめて、おとわの空巣《あきす》に網を張っていると、果たして夕六ツ過ぎに、その旦那という男が三人連れでたずねて来た。
連れの二人はすぐに押えられたが、旦那という四十前後の男は匕首をぬいて激しく抵抗した。子分ふたりは薄手を負って、あやうく彼を取り逃がそうとしたが、とうとう半七と幸次郎に追いつめられて、泥田のなかで組み伏せられた。
彼等はすべて海賊の一類であった。
おとわの旦那は喜兵衛というもので、表向きは木場の材木問屋の番頭と称しているが、実は深川の八幡前に巣を組んでいる海賊であった。ほかにも六蔵、重吉、紋次、鉄蔵という同類があって、うわべは堅気の町人のように見せかけながら、手下の船頭どもを使って品川や佃《つくだ》の沖のかかり船をあらしていた。時には上総《かずさ》房州の沖まで乗り出して、渡海の船を襲うこともあった。おとわは木更津の茶屋女のあがりで、喜兵衛の商売を知っていながら其の囲い者になっていたのである。
疑問の怪しい男は、外房州の海上から拾いあげて来たのであると喜兵衛は申し立てた。去年の十月、かれらが房州の沖まで稼ぎに出て、相当の仕事をして引き揚げて来る途中、人のようなものが浪をかいて彼等の船を追ってくるのを見た。人か、海驢《あしか》か、海豚《いるか》かと、月の光りで海のうえを透かしてみると、どうもそれは人の形であるらしい。伝え聞く人魚ではあるまいかと、かれらも不思議に思って船足をゆるめると、怪しい人はやがてこちらの船へ泳ぎついて来た。喜兵衛は度胸を据えて引き上げさせると、かれは潮水に濡れたままで船端《ふなばた》に坐り込んで、だしぬけに何か食わせろと云った。云うがままに飯をあたえると、かれは平気で幾杯も食った。物も云えば、飯も食うので、それが普通の人間であることは判ったが、一体かれは何者で、どうして海のなかに浮かんでいたのか、その仔細は判らなかった。なにを訊《き》いても、かれの返事は要領を得なかった。かれは自分を江戸へ連れて行ってくれと云った。
こんな者を連れて帰ってもしようがないので、喜兵衛は残酷に彼を元の海へ投げ込ませると、かれは再び浮き出して、執念ぶかく船のあとを追って来た。それが大抵の魚よりも早いので、喜兵衛もなんだか恐ろしくなって来た。迷信の強い彼等は、この怪しい男をすてて帰って、それがために何かの禍いをまねくことを恐れたので、再び彼を引き上げさせて、とうとう江戸まで連れて帰ることになった。
金杉の浜へ着いて、ここで怪しい男と別れようとしたが、男は飽くまで付きまとって離れないので、喜兵衛らは持て余した。一つ船に乗せて来て、自分たちの秘密を薄々|覚《さと》られたらしい虞《おそ》れもあるので、いっそ彼を殺してしまおうかとも思ったが、人の腹の底を見透かしているような彼のするどい眼にじろりと睨まれると、胆《きも》の太い海賊共も思い切って手をくだすことが出来なかった。子分のひとりが品川に住んでいるので、喜兵衛はひと先ずそこに預けて彼を養わせることにしたが、かれは正覚坊《しょうがくぼう》のように大酒を飲んだ。不思議に生魚を好んで食った。そうしているうちに、どうして探し出したか、深川の喜兵衛の家へもたずねてきた。更に進んで、小梅のおとわの家へもその怪しい姿を見せるようになった。時によると、どうしても帰らないので、おとわはよんどころなく物置のなかに泊めてやることもあった。かれは品川に泊まって、今まで小半年《こはんとし》の月日を送っていたが、それが人の眼に立たなかったのは、いつでも隅田川から大川へ出て、更に沖へ出て、水のうえを往来していた為であろう。かれは魚とおなじように、どんなに冷たい水でも平気で泳いだ。ただ、水中で鮫なぞに襲われる危険を防ぐ為だと云って、常に匕首をふところに忍ばせていた。
ことしの三月四日、喜兵衛が同類四人とおとわを連れて品川の潮干狩に出てゆくと、かの怪しい男がそこらを徘徊《はいかい》しているのを見た。悪い奴が来ていると思いながら、わざと素知らぬ顔をしていると、午すぎになって彼は「颶風《はやて》が来る、潮が来る」と叫んであるいた。そうして、その警告の通りに恐ろしい颶風が吹き出して、潮干狩の人々を騒がしたので、喜兵衛はいよいよ驚かされた。その以来、かれらは仕事に出るたびに、かならずこの怪しい男を一緒に乗せてゆくことにした。彼を乗せてゆくと、いつも案外のいい仕事があるので、かれらの迷信はますます高まった。かれらは彼の名を知らないので、冗談半分に誰かが云い出したのが通り名になって、かれらの仲間では先生と呼ばれていた。
喜兵衛と同時に召し捕られたのは、重吉と鉄蔵のふたりで、その白状によって他の六蔵と紋次もつづいて縄にかかった。子分の船頭共もみな狩りあげられた。ただ、かの男とおとわのゆくえだけは当分知れなかったが、それから半月ほど経った後、羽田の沖に女の死骸が浮かびあがった。それはかのおとわで、左の乳の下を刃物でえぐられていた。
「大体のお話は先ずこれまでですが、どうです、その変な男の正体は……。お判りになりましたか」と、半七老人は云った。
「わかりませんね」と、わたしは首をかしげた。
「それはね。上総《かずさ》無宿の海坊主万吉という奴でした」
「へえ、その生魚を食う奴が……」
「そうですよ」と、半七老人はほほえんだ。「九十九里ケ浜の生まれで、子供のときから泳ぎが上手で、二里や三里は苦もなく泳ぐというので、海坊主という綽名《あだな》を取ったくらいの奴です。そいつがだんだんに身状《みじょう》が悪くなって、二十七八の年にとうとう伊豆の島へ送られた。十年ほども島に暮らしていたのですが、もう辛抱が出来なくなって、島ぬけを考えた。といって、めったに船があるわけのものではありませんから、泳ぎの出来るのを幸いに、いっそ泳いで渡ろうと大胆に工夫して月のない晩に思い切って海へ飛び込んだのです。いくら泳ぎが上手だからといって、一気に江戸や上総房州まで泳ぎ着ける筈はありませんから、その途中で荷船でも漁船でもなんでも構わない、見あたり次第に飛び込んで、食い物をねだって腹をこしらえて、あるところまで送って貰って、そうしてまた海へ飛び込んで泳ぐという遣り方をしていたんです。なにしろ変な人間が海のなかから不意に出てくるんですから、大抵の者はおどろいてしまって、まあ、云うなり次第にしてやるというわけで、廻り廻って房州の方へ……。はじめは故郷の上総へ帰る積りだったそうです」
「おそろしい奴ですね」
「まったく恐ろしい奴ですよ。ところで、房州沖で喜兵衛の船に泳ぎついて、そこで飯を食っているうちに不図かんがえ直して、故郷へうかうか帰るのは剣呑《けんのん》だ。いっそ此の船へ乗って江戸へ送って貰おうと……。それから先は喜兵衛の白状通りですが、こいつがなかなか図太い奴で、島破りのことなぞは勿論云いません。わざと気違いだか何だか得体《えたい》のわからないような風をして、ずうずうしく江戸まで付いて来たんです。しかも蛇《じゃ》の道は蛇《へび》で、この船が唯の船でないことを万吉は早くも睨んだものですから、江戸へ着いてからも離れようとしない。離れたらすぐに路頭に迷うから、執念ぶかく食いついている方が得《とく》です。こっちにも弱味があるから、どうすることもできない。結局、品川の子分のところへ預けられて、鱈腹《たらふく》飲んで食って遊んでいる。さすがの海賊もこんな奴に逢ったのが因果です。そのうちにだんだん増長して喜兵衛の家へ押し掛けて行く。おとわの家へも行く。それも飲み倒しだけならいいが、しまいには手籠《てご》め同様にしておとわを手に入れてしまったんです。おとわも勿論|素直《すなお》に云うことを肯《き》く筈はありませんが、旦那の喜兵衛も一目《いちもく》置いているような変な奴にみこまれて、怖いのが半分でまあ往生してしまったんでしょう。しかしそれを喜兵衛に打ち明けるわけにも行かないので、忌々《いやいや》ながら万吉のおもちゃになっているうちに、わたくし共がだんだんに手を入れ始めて、女中のお千代が魚虎へ引っ張られて行ったので、おとわもこれはあぶないと感付いたんでしょう。物置にかくしてある万吉をよび出して、早くここを逃げてくれと云うと、万吉はそんならおれと一緒に逃げろと云って、例の匕首をふりまわす。もう旦那と相談するひまも無しに、おとわは目ぼしい品物や有り金をかきあつめて、無理無体に万吉に引き摺られて、心にもない道行《みちゆき》をきめたんです。昼のうちは近所の藪のなかに隠れていて、夜になってから千住の方へまわって、汐入堤《しおいりつづみ》あたりの堤《どて》の下に穴を掘って棲んでいましたが、それも人の目に着きそうになったので、又そこを這い出して今度は神奈川の方へ落ちて行く途中、おとわが隙をみて逃げようとしたのが喧嘩の始まりで、とうとう例の匕首で命を取られることになってしまったんです」
「その万吉はどうしました」と、わたしは又|訊《き》いた。
「神奈川の町で金に困って、女の着物を売ろうとしたのから足がついて、ここでいよいよ召し捕られることになりましたが、その時には髭なぞを綺麗に剃って、あたまは毬栗《いがぐり》にしていたそうです。島破りの上に人殺しをしたんですから、引き廻しの上で獄門になりました。生魚を食うのは、子供のときから浜辺で育って、それから十年あまりも島に暮らしていた故《せい》ですが、だんだんに詮議してみると、なにも好んで生魚を食うというわけでもない。人を嚇かすためにわざと食って見せていたらしいんです。それがほんとうでしょう。こう煎じつめてみると別に変った人間でもないんですが、ただ不思議なのは潮干狩の日に颶風《はやて》の来るのを前以って知っていたことです。それは長い間、島に暮らしていて、海や空を毎日ながめていたので、自然に一種の天気予報をおぼえたのだということですが、それはほんとうか、それとも人騒がせのまぐれあたりか、確かなことは判りません。しかし万吉が牢内できょうは雷が鳴ると云ったら、果たしてその日の夕方に大きい雷が鳴って、十六ヵ所も落雷したと云って、明治になるまで牢内の噂に残っていました」
「じゃあ、きのうはその海坊主に天気予報を聞いて行けばよかったですね」と、わたしは云った。
「まったくですよ。ところが、きのうは生憎《あいにく》にそんな奴が出て来なかったので。あははははは」と、老人は又笑った。
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旅絵師
一
「江戸時代の隠密《おんみつ》というのはどういう役なんですね」と、ある時わたしは半七老人に訊《き》いた。
「芝居や講釈でも御存知の通り、一種の国事探偵というようなものです」と、老人は答えた。「徳川幕府で諸大名の領分へ隠密を入れるというのは、むかしから誰も知っていることですが、その隠密は誰がうけたまわって、どういう役目を勤めるかということがよく判っていないようです。この隠密の役目を勤めるのは、江戸城内にある吹上《ふきあげ》の御庭番で、一代に一度このお役を勤めればいいことになっていました。
なぜ御庭番がこのお役を勤めることになったかというと、それにはいろいろの説がありますが、三代将軍家光公がある時、吹上の御庭をあるいている時に、御庭番の水野なにがしというのを呼んで、これからすぐに薩摩へ下《くだ》って、鹿児島の城中の模様を隠密に見とどけてまいれと、将軍自身に仰せ付けられたので、水野はその隠密の洩れるのを恐れて、自分の屋敷へ帰らずにお城からまっすぐに九州へ下ったということです。水野が庭作りに化けて薩摩へ入り込んで、城内の蘇鉄《そてつ》の根方に手裏剣を刺し込んで来たというのは有名な話ですが、嘘だかほんとうだか判りません。とにかくそれが先例になって、隠密の役はいつも吹上の御庭番が勤めることになったのだと、江戸時代ではもっぱら云い伝えていました。御庭番は吹上奉行の組下で若年寄の支配をうけていましたが、隠密の役に限ってかならず将軍自身から直接に云い付けられるのが例となっているので、御庭番はさして重い役ではありませんが、隠密の役は非常に重いことになっていました。
それですから、御庭番の家に生まれた者はなんどき其の役目を云い付けられるか判らないので、その覚悟をしていなければなりません。勿論、侍の姿で入り込むわけには行きませんから、いざという時には何に化けるか、どの人もふだんから考えているんです。手さきの器用なものは何かの職人になる。遊芸の出来る者は芸人になる。勝負事の好きなものは博奕打《ばくちうち》になる。おべんちゃらの巧い奴は旅商人《たびあきんど》になる。碁打ちになる、俳諧師になる。梅川の浄瑠璃《じょうるり》じゃあないが、あるいは順礼《じゅんれい》、古手買、節季候《せきぞろ》にまで身をやつす工夫を子供の時から考えていた位です。そうして、かの水野が先例になったのでしょう。その役目を云い付かると同時に将軍から直々《じきじき》御手許金を下さる。それを路用にしてお城からまっすぐに出発するのが習いで、自分の家へ帰ることは許されないことになっていました。
幕府が諸大名の領内へ隠密を出すのは、いろいろの場合があるので一概には云えませんが、大名の代換《だいがわ》りという時には必ず隠密を出しました。それは例のお家騒動に注意するためです。前にもいう通り、隠密は一代に一度のお役で、それを首尾よく勤めさえすれば、あとは殆ど遊んでいるようなもので、まことに気楽な身分にも見えますが、この隠密という役はまったく命懸けで、どこの藩でも隠密が入り込んだことに気がつくと、かならずそれを殺してしまいます。もともと秘密にやった使ですから、見す見す殺されたことを知っていても、幕府からは表向きの掛け合いは出来ません。所詮は泣き寝入りの殺され損になるに決まっていたものです。隠密の期限は一年で、それが三年をすぎても帰って来なければ、出先で殺されたものと認めて、その子か又は弟に家督相続を仰せ付けられることになっていました。しかしひと思いに殺されたのは運のいい方で、意地の悪い大名になるとそれを召し捕って、面当てらしく江戸へ送り還《かえ》してよこすのがあります。それですから、万一召し捕られた場合には、たといどんな厳しい拷問をうけても、自分が公儀の隠密であるということを白状しないのが習いで、もし白状すれば当人は死罪、家は断絶です。そういう恐ろしいことになっていますから、隠密がもし召し捕られた場合には眼を瞑《つむ》って責め殺されるか、但しは自殺するか破牢するか、三つに一つを選むよりほかはないので、隠密はかならず着物の襟のなかにうす刃の切れ物を縫い込んでいました」
「なるほど、ずいぶん難儀な役ですね」
「それですから、隠密に出された人たちは、その出先で、いろいろのおそろしいこともあり、おかしいこともあり、悲劇喜劇さまざまだそうですが、なにしろ命懸けで入り込むんですから、当人たちに取っては一生懸命の仕事です。いや、その隠密についてこんな話があります。これは今云った悲劇喜劇のなかでは余ほど毛色の変った方ですから、自分のことじゃありませんけれど、受け売りの昔話を一席弁じましょう。このお話は、その隠密の役目を間宮鉄次郎という人がうけたまわった時のことで、間宮さんはこの時二十五の厄年《やくどし》だったと云います。それから最初におことわり申しておくのは、このお話の舞台は主《おも》に奥州筋ですから、出る役者はみんな奥州弁でなければならないんですが、とんだ白石噺《しらいしばなし》の揚屋のお茶番で、≪だだあ≫や≪があま≫を下手にやり損じると却《かえ》ってお笑いぐさですから、やっぱり江戸弁でまっすぐにお話し申します」
文政四年五月十日の朝、五ツ(午前八時)を少し過ぎた頃に、奥州街道の栗橋の関所を無事に通り過ぎた七、八人の旅人がぞろぞろ繋《つな》がって、房川《ぼうかわ》の渡《わたし》(利根川)にさしかかった。そのなかには一人の若い旅絵師がまじっていた。渡し船は幾|艘《そう》もあるので、このひと群れは皆おなじ船に乗り込んで、河原と水とをあわせて三百間という大河のまん中まで漕ぎ出したときに、向うから渡ってくる船とすれ違った。広い河ではあるが、船の行き馴れている路はいつも決まっているので、両方の船は小舷《こべり》が摺れ合うほどに近寄って通る。船頭は馴れているので平気で棹《さお》を突っ張ると、今日はふだんより流れのぐあいが悪かったとみえて、急に傾いてゆれた船はたがいにすれ違う調子をはずして、向うから来た船の舳先《へさき》がこっちの船の横舷《よこべり》へどんと突きあたった。
つき当てられた船はひどく揺れて傾いたので、乗っていた二、三人はあわてて起《た》ちかかった。船頭があぶないと注意する間《ひま》もなしに、一人の若い娘はからだの中心を失って、河のなかへうしろ向きに転げ落ちてしまった。どの人も顔色を変えて|あっ《ヽヽ》と叫ぶ間に、船頭は棹をすてて飛び込んだ。かの旅絵師もつづいて飛び込んだ。見る見る川しもへ押し流されて行った娘は、七、八間のところで旅絵師の手に掴《つか》まえられると、水練の巧みらしい彼は、娘を殆ど水のなかから差し上げるようにして、もとの船へ無事に泳いで帰ったので、大勢はおもわず喜びの声をあげた。取り分けその娘の親らしい老人と供の男とは手を合わせて彼を拝んだ。船頭は乗合一同にひどくあやまって、ともかく向う岸まで船を送り着けた。
娘はさのみに弱ってもいなかった。そのころは五月であるから凍《こご》えることもなかった。渡し小屋で濡れた単衣《ひとえ》を着かえて、彼女は父と供の男とに介抱されながらしばらく休んでいるうちに、旅絵師は娘の無事を見とどけて、自分も着物を着かえて、そのまま行こうとすると、大切な娘の命を助けられたそのお礼がまだ十分に云い足りないというので、老人はしきりに彼を抑留《ひきと》めた。娘だけを駕籠に乗せて、自分たちは近い宿《しゅく》まで一緒にあるいて行って、老人はある立場《たてば》茶屋の奥座敷へ無理にかの旅絵師を誘い込んで、ここであらためて礼を云った上で酒や肴《さかな》を彼にすすめた。
老人は奥州の或る城下の町に穀屋《こくや》の店を持っている千倉屋伝兵衛という者であった。年来の宿願《しゅくがん》であった金毘羅《こんぴら》まいりを思い立って、娘のおげんと下男の儀平をつれて、奥州から四国の琴平《ことひら》まで遠い旅を続けて、その帰りには江戸見物もして、今や帰国の途中であると話した。この時代に足弱《あしよわ》と供の者とを連れて奥州から四国路までも旅行をするというのは、よっぽど裕福の身分でなければならないことは判り切っていた。伝兵衛はもう六十と云っていたが、身の丈《たけ》も高く、頬の肉も豊かで、見るから健《すこや》かな、いかにも温和らしい福相をそなえた老人であった。
旅絵師も自分のゆく先を話した。かの芭蕉の「奥の細道」をたどって高館《たかだち》の旧跡や松島塩釜の名所を見物しながら奥州諸国を遍歴したい宿願で、三日前のゆうぐれに江戸を発足《ほっそく》して、路草を食いながらここまで来たのであると云った。
「それはよい道連れが出来ました」と、伝兵衛は喜ばしそうに云った。「唯今申す通り、わたくし共も長の道中をすませて、これから奥州の故郷へ帰るものでございます。足弱連れで御迷惑かも知れませんが、これも何かの御縁で、途中まで御一緒においでなされませんか」
「いや、御迷惑とはこちらで申すこと、実はわたくしも奥州道中は初旅で、一向に案内が知れないので、心ぼそく思っていたところでございますから、御一緒にお連れくだされば大仕合わせでございます」
相談はすぐに決まって、山崎|澹山《たんざん》とみずから名乗った若い旅絵師は、伝兵衛の一行に加わることになった。道連れといっても、これは自分の娘の命を救ってくれた恩人であるから、伝兵衛主従も決して彼を疎略には扱わなかった。
その晩は小山の宿《しゅく》に泊まったが、旅籠《はたご》賃その他はすべて伝兵衛が賄《まかな》った。これから幾日もつづく道中に、それではまことに困ると澹山はしきりにことわったが、伝兵衛はどうしても肯《き》かなかった。あくる晩は宇都宮に着いたが、その翌日も午《ひる》すぎまでここに逗留して、伝兵衛は澹山を案内して二荒《ふたら》神社などに参詣した。その後の道中も、毎晩の宿はかなりの上旅籠で、澹山はなんの不自由もなしに奥州路にはいった。
二
この年は正月から照りつづいて江戸近国は旱魃《かんばつ》に苦しんだと伝えられているが、白河から北にはその影響もなくて、五月の末には梅雨《つゆ》らしいしめり勝ちの暗い天気が毎日つづいた。この雨にふり籠められたばかりでなく、旅絵師の澹山は千倉屋の奥の離れ座敷に閉じ籠って、当分は再び草鞋《わらじ》を穿《は》きそうもなかった。
その頃の旅絵師といえば、ゆく先々で自分の絵を売って、それを路用としてそれからそれへと渡ってゆくのが習いであった。千倉屋伝兵衛もその事情を知っているので、ともかくも自分の家に当分逗留して、相当の路用を作り溜めた上で出発することにしたらよかろうと途中でも切《しき》りにすすめたので、澹山もその親切をよろこんで、云わるるままに千倉屋の厄介になることにした。千倉屋は旅絵師が想像していたよりも更に大きい店構えで、十人あまりの奉公人が忙がしそうに働いていた。伝兵衛の女房は七、八年前に世を去ったということで、家族は主人のほかに惣領息子の伝四郎と妹娘のおげん二人ぎりであった。伝四郎は今年|二十歳《はたち》の独身者《ひとりもの》で、これも父に似て骨格のたくましい寡言《むくち》の男であった。おげんは二つちがいの今年十八で、色のすぐれて白い、ここらでは先ず眼につくような美しい眼鼻立ちを具《そな》えながら、どことなく薄のろいようにも見えるおとなしい娘であることを、毎日一緒に連れ立って来た澹山は知っていた。
妹の命を救ってくれたということを聞いて、兄の伝四郎も若い旅絵師をよろこんで迎えた。彼は父と同じように、いつまでもここに逗留していてくれと無愛想な口で澹山にすすめた。こうして一家の人々から款待《かんたい》されて、澹山の方でもひどく喜んで、自分の居間として貸して貰った離れ座敷を画室として、ここでゆっくりと絵絹や画仙紙をひろげることになると、伝兵衛も自分の家の屏風や掛物は勿論、心安い人々をそれからそれへと紹介して、澹山のために毎日の仕事をあたえてくれた。それらの仕事に忙がしく追われながら、六七八の三月《みつき》はいつか過ぎて、ここらでは雪が降るという九月の中頃になった。
この三月のあいだには別に記《しる》すべき事もなかった。ただ彼《か》の澹山が諸方から少なからず画料を貰って、その胴巻がよほど膨《ふく》れて来たのと、娘のおげんと特に親しみを増したのと、この二ヵ条のほかには何事もなかった。しかし、娘の問題は若い旅絵師に取ってすこぶる迷惑の筋であるらしかった。娘は自分の恩人という以上に澹山を鄭重《ていちょう》に取り扱った。かれが朝夕の世話は奉公人どもの手を借らずに、娘が何もかも引き受けていた。その親切があまりに度を過ぎるのを澹山は内心あやぶみ恐れていながらも、むやみにここを立退《たちの》くことの出来ない事情もあるらしく、迷惑を忍んで千倉屋の奥にうずくまっていた。
「先生。お寂しゅうござりましょう」
柴栗の焼いたのを盆に盛って、おげんは行燈《あんどう》の前にその白い顔を見せた。奥州の夜寒にこおろぎもこの頃は鳴き絶えて、庭の銀杏《いちょう》の葉が闇のなかにさらさらと散る音がときどきに時雨《しぐれ》かとも疑われた。娘は棚から茶道具をとりおろして来て、すぐに茶をいれる支度にかかった。
「いや、もう毎晩のこと、決してお構いくださるな」と、澹山は書きかけていた日記の筆を措《お》いて見かえった。「お父さんはどうなさった。きょうは一日お目にかからなかったが……」
「父は午《ひる》から出ましてまだ戻りません。今夜は遅くなるでございましょう」
伝兵衛は囲碁が道楽で、ときどき夜ふかしをして帰ることは澹山も知っているので、別にそれを不思議とも思わなかった。
「兄さんは……」
「兄も父と一緒に出ました」
おげんは茶をすすめて、更に柴栗を剥《む》いてくれた。その白い指先をながめながら澹山はしずかに訊《き》いた。
「御用人の御子息はその後御催促には見えませんか」
「はい」
「どうも思うように出来ないので甚だ延引、なんとも申し訳がありません」と、澹山は小鬢《こびん》をかいた。「頼まれたお方が余人でないので、せいぜい腕を揮《ふる》おうと思っているのですが、それがため却って筆先が固くなった気味で、まことにどうも困っています。千之丞殿も定めて御立腹、ひいては御推挙くだすったお父さんにも御迷惑がかかろうと心配していますが……」
「なんの、そんなことはございません」と、おげんは相手の顔を見つめながら云った。「あんな人の頼んだ絵など、いっそいつまでも出来ない方がようござります」
この藩の用人荒木|頼母《たのも》の伜千之丞は、伝兵衛の推挙で先ごろ千倉屋へたずねて来て、澹山に西王母《せいおうぼ》の大幅を頼んで行った。その揮毫《きごう》がなかなかはかどらないので、五、六日前にも千之丞はその催促に来た。しかしその催促以外に、なにかの意味でおげんが千之丞を嫌っていることを、澹山もうすうす覚《さと》っていた。
「くどくも云う通り、頼まれたお方が余人でないので、わたくしも等閑《なおざり》には存じません」と、澹山は飽くまでもまじめに云い出した。「しかし、どうも出来ないものは仕方がないので、まあ、まあ、幾たびでも描き直して、これなればと自分でも得心《とくしん》のまいるまで根《こん》よくやってみるよりほかはありません。お前様からもよくお父さんに取りなして置いてください。頼みます」
おげんは微笑《ほほえ》みながらうなずいた。片明かりの行燈は男と女の影を障子に映して、枕の草子の作者でなくても、憎きものに数えたいような影法師が黒くゆらいでいた。庭で銀杏《いちょう》の散るおとが又きこえた。
「千之丞殿の伯父御は先殿《せんとの》様の追腹《おいばら》を切られたとかいいますが、それはほんとうのことですか」と、澹山は思い出したように訊いた。
「確かなことは存じませんが、それは嘘だとか聞きました」と、おげんは躊躇《ちゅうちょ》せずに答えた。「先殿様の御葬式《おとむらい》がすむと間もなく、源太夫様もつづいてお亡《な》くなりなすったので、世間では追腹などと申しますが、ほんとうは千之丞様の親御《おやご》たちが寄りあつまって詰腹《つめばら》を切らせたのだとかいうことでござります」
「ほう。詰腹……」と、澹山は顔をしかめた。「武家では折りおりそんな噂を聞きますが、無得心のものを大勢がとりこめて切腹させる。考えてもおそろしい。しかし、源太夫殿とても御用人格の立派な御身分であるから、いわれ無しに詰腹など切らされる筈もあるまい。何かそこには深い仔細があることと思われるが……」
「大方そうでござりましょう」
「若殿の忠作様も実は御病死でない。それにも何か仔細があるように云う者もありますが、それも嘘ですか」と、澹山はまた訊いた。
「それもよくは存じません」
彼女もまんざら愚鈍でないので、いかに打ち解けた男のまえでも、領主の家の噂を軽々しく口外することはさすがに慎しんでいるらしく見えたので、澹山も根問《ねど》いしないでその儘に口を噤《つぐ》んだ。用人の死、若殿の死、この二つの問題はそれぎりで消えてしまって、話はやがて来る冬の噂、それもおげんの重い口から途切れ途切れに語られるだけで、あんまり澹山の興味を惹かないばかりか、今夜も五ツ(午後八時)を過ぎたのに、おげんはただ黙って坐り込んだままで容易に動きそうにも見えないので、澹山は例の迷惑を感じて来た。
「おげんさん。もう五ツ半頃でしょう。そろそろおやすみになったらどうです」
「はい」と、云ったばかりで、おげんはやはり素直に起ち上がりそうもなかった。
「早く行ってお寝《やす》みなさい」と、澹山は優しい声ながらも少し改まって云った。
「はい」
彼女はやはり強情に坐り込んでいた。そうして、重い口をいよいよ渋らせながら云い出した。
「あの、わたくしのような不器用なものにも絵が習えましょうか」
「誰でも習えないということはありません」と、澹山は、ほほえみながら答えた。
「では、これからあなたの弟子にして、教えていただくことは出来ますまいか」
澹山は返事に少し躊躇した。もとより良家の娘が道楽半分に習うというのであるから、その器用不器用などは大した問題でもなかったが、澹山の別に恐れるところは、彼女が絵筆の稽古をかこつけに、今後はいっそう親しく接近して来ることであった。しかし今の場合、それをことわるに適当の口実をも見いだし得ないので、結局それを承知すると、おげんは初めて座をたった。
「では、きっとお弟子にしていただきます」
そこらの茶道具を片付けて、かれは自分で澹山の寝床をのべて、丁寧に挨拶して出て行った。そのうしろ姿を見送って澹山は深い溜息をついた。
旅絵師山崎澹山の正体が吹上御庭番の間宮鉄次郎であることは云うまでもあるまい。この土地の領主は三年あまりの長煩《ながわずら》いで去年の秋に世を去った。その臨終のふた月ほど前に、嫡子《ちゃくし》の忠作が急病で死んで、次男の忠之助を世嗣ぎに直したいということを幕府に届けて出た。嫡子が死んで、次男がその跡に直るのは別にめずらしいことでもない。むしろそれは正当の順序であるので、幕府でも無論それを聞き届けたが、それから間もなく当主が死んだ。その葬式が済むと、つづいて用人の一人貝沢源太夫が死んだ。それが禁制の殉死であるともいい、または毒害ともいい、詰腹ともいう噂があった。
こうなると、嫡子の急病というのも一種の疑いが起らないでもない。当主の余命がもう長くないのを見込んで、何者かが嫡子を毒害などして次男を相続人に押し立てようと企てた。その反対者たる用人の一人は何かの口実のもとに押し片付けられてしまった。大名の家の代換りには、こういうたぐいのいわゆる御家騒動がたびたび繰り返されるので、幕府でも一応内偵をしなければならなかった。
そうでなくても、大名の代換りには必ず隠密を放つのが其の時代の例であるのに、仮りにもこういう疑いが付きまとっている以上、今度の隠密は比較的重大な役目になって来た。それをうけたまわった鉄次郎は絵筆の嗜《たしな》みのあるのを幸いに、旅絵師に化けて奥州へ下ってくる途中で、偶然に房川《ぼうかわ》の渡しでおげんを救ったのが縁となって、千倉屋伝兵衛と親しくなった。しかも其の家は鉄次郎の澹山がこれから踏み込もうとする城下の町にあるというので、彼はこの上もない好都合をよろこんで、抑留《ひきと》められるままに千倉屋の客となった。そうして三月あまりを送るうちに、彼は伝兵衛の推挙で城の用人荒木頼母の伜千之丞から掛物の揮毫《きごう》を頼まれた。
城内の者に知己を得るという事は、澹山に取っては最も望むところであったので、彼はいよいよ喜んでそれを引き受けたが、それがどうも思うように描きあがらないので、彼の心はひどく苦しめられた。あの絵師はまずいと一旦見限られてしまうと、城内の他の人々にも接近する機会を失うことになるので、彼はこの絵を腕一ぱいにかきたいと思った。もう一つには万一自分が隠密であるということが発覚した暁に、江戸の侍はこんなまずい絵を描き残したと後日《ごにち》の笑いぐさにされるのが残念である。十分に念を入れて描きたいと、あせれば躁《あせ》るほど其の筆は妙に固くなって、彼として相当の自信のあるような作物がどうしても出来あがらなかった。おれはほんとうの絵師ではない。おれは侍で、単に一時の方便のために絵を描くのであるから、所詮は素人の眼を誤魔化し得るだけに、ただ小器用に手綺麗に塗り付けて置けばよいのである。田舎侍に何がわかるものかと時々こう思い直すこともありながら、彼はやはり自分の気が済まなかった。現在の彼は江戸の侍、間宮鉄次郎の名を忘れて、山崎澹山という一個の芸術家となって苦しみ悩んでいるのであった。
その最中に千倉屋の娘がうるさく付きまとって来て、いよいよ自分の弟子にしてくれという。それを邪慳《じゃけん》に突き放すすべもない彼は、いっそ此の家を逃げ出して、どこか静かなところに隠れて思うような絵をかいてみたいとも思ったが、その小さい目的のために他の大きい目的を犠牲にすることの出来ないのは判り切っているので、澹山はただ苦しい溜息をつくのほかはなかった。
寺の鐘が四ツ(午後十時)を撞《つ》き出したのに気がついて、彼は寝床へ入ろうとした。用心ぶかい彼は寝る前にかならず庭先を一応見まわるのを例としているので、今夜も縁先の雨戸をそっとあけて、庭下駄を突っかけて、大きい銀杏の下に降り立つと、星の光りすらも見えない暗い夜で、早寝の町はもう寝静まっていた。広い庭を囲っている槿《むくげ》の生垣《いけがき》を越して、向うには畑を隔てた小家が二、三軒つづいている筈であるが、その灯も今夜は見えなかった。まして、その又うしろに横たわっている小高い丘や森の姿などは、すべて大きい闇の奥に埋められていた。
落葉の音にも耳をすまして、澹山はやがて内へ引っ返そうとする時、向うの田圃路《たんぼみち》に狐火のような提灯の影が一つぼんやりと浮き出した。丘の上に祠《まつ》られてある弁天堂に夜まいりをした人であろうと思いながらも、彼はしばらく其の灯を見つめていると、灯はだんだんに近づいて生垣の外を通り過ぎた。灯に照らされた人のすがたは主人の伝兵衛と伜の伝四郎とであることを、澹山は垣根越しにはっきり認めた。
「碁を打ちに行ったのではない。親子連れで夜詣りかな」と、かれは小首をかしげた。
座敷へ帰って、行燈《あんどう》をふき消して、澹山は自分の寝床にもぐり込むと、やがて母屋《おもや》の方からこちらへ忍んで来るような足音がきこえた。
三
澹山は蒲団の下に隠してある匕首《あいくち》を先ず探ってみた。そうして自分の耳を蒲団に押し付けて、熟睡したような寝息をつくっていると、足音は障子の外でとまった。もしやおげんが執念ぶかく忍んで来たのかとも疑ったが、その足音はもっと力強いように思われた。
「先生」と、外の人は小声で呼んだ。「もうおやすみでござりますか」
それが伝兵衛であると知って、澹山はすぐに答えた。
「いや、まだ起きて居ります。御主人ですか」
「はい。では、ごめんください」
勝手を知っている伝兵衛は暗いなかへはいって来ると、澹山は起き直って行燈の火をともした。
「夜ふけにお邪魔をいたしまして相済みませんが、荒木様の御子息様からおあつらえの掛物はまだお出来に相成りませんか」と、伝兵衛は坐り直して訊《き》いた。
申し訳のない延引と澹山があやまるように云うのを聴きながら、伝兵衛は少し考えていたらしいが、やがてやはり小声で云い出した。
「就きましては先生、一方の御仕事のまだ出来あがらないうちに、こんなことをお願い申すのは甚だ心苦しいようではござりますが、実は別に大急ぎで願いたいものがござりまして……」
「ははあ。それはどんなお仕事で……」
「御承知くださりますか」
「承知いたしましょう。わたくしで出来そうなことならば……」と、澹山は快く答えた。
「ありがとうござります」と、伝兵衛も満足したらしくうなずいた、「では、恐れ入りますが、これからわたくしと一緒にそこまでお出でくださりませんか。なに、すぐ近いところでござります」
これからどこへ連れてゆくのかと思ったが、澹山は素直に起きて着物を着かえて、匕首をそっとふところに忍ばせた。その支度の出来るのを待って、伝兵衛は庭口の木戸から彼を表へ連れ出した。今度は提灯を持たないで、二人は暗い路をたどって行った。伝兵衛は始終無言であった。
江戸の隠密ということが露顕したのかと、澹山はあるきながら考えた。城内の者が伝兵衛に云いつけて、自分をどこへか誘い出させて闇打ちにする手筈ではあるまいかと想像されたので、暗いなかにも彼は前後に油断なく気を配ってゆくと、伝兵衛はさっき帰って来た田圃道を再び引っ返すらしく、それを行きぬけて更に向うの丘へのぼって行った。丘のうえには昼でも暗い雑木林《ぞうきばやし》が繁っていて、その奥の小さい池のほとりには古い弁天堂のあることを澹山は知っていた。
堂守《どうもり》は住んでいないのであるが、その中には燈明《とうみょう》の灯がともっていた。その灯を目あてに、伝兵衛は池のほとりまで辿って来て、そこにある捨て石に腰をおろした。澹山も切株に腰をかけた。
「御苦労でござりました。夜が更けてさぞお寒うござりましたろう」と、伝兵衛は初めて口を開いた。「そこで、早速でござりますが、わたくしが折り入って描《か》いて頂きたいのはこれでござります」
澹山をそこに待たせて置いて、伝兵衛はうす暗い堂の奥にはいって行ったが、やがて二尺ばかりの太い竹筒をうやうやしく捧げて出て来た。彼は自分の家から用意して来たらしい蝋燭に燈明の火を移して、片手にかざしながらしずかに云った。
「まずこれを御覧くださりませ」
かなりに古くなっている竹は経筒《きょうづつ》ぐらいの太さで、一方の口には唐銅《からかね》の蓋が厳重にはめ込んであった。その蓋を取り除《の》けて、筒の中にあるものを探り出すと、それは紙質も判らないような古い紙に油絵具で描かれた一種の女人像《にょにんぞう》で、異国から渡って来たものであることは誰の眼にも覚《さと》られた。伝兵衛がさしつける蝋燭の淡《あわ》い灯で、澹山はじっとこれを見つめているうちに彼の顔色は変った。
「これは何でございます」と、彼はしずかに訊《き》いた。
「弁天の御像でござります」
それは嘘であることを澹山はよく知っていた。この古びた女人像は、切支丹《きりしたん》宗徒が聖母として礼拝するマリアの像であった。四国西国ならば知らず、この奥州の果ての小さい寂しい城下町でこんなものを見いだそうとは、澹山はすこしく意外に思って、手に持っている其の油絵と伝兵衛の顔とをしばらく見くらべていると、伝兵衛の方でも彼の顔をのぞき込みながら云った。
「先生、いかがでござりましょう。それを模写して頂くわけにはまいりますまいか」
澹山は黙っていた。伝兵衛もしばらく黙ってその返事を待っていた。蝋燭の灯は夜風にちらちらとゆれて、時々にうす暗くなる光りの前に、彼の顔は神々《こうごう》しく輝いているように見られた。澹山は一種の威厳にうたれて、おのずと頭が重くなるように感じた。
「大方は御不承知と察して居りました」と、伝兵衛はやがてしずかに云い出した。「それはわたくし共に取りましては、命にも換えがたい大切の絵像《えぞう》でござります。この弁天堂もわたくしの一力で建立《こんりゅう》したのでござります。娘を連れて金毘羅《こんぴら》まいりと申したのも、実は四国西国の信者をたずねて、それと同じような有難い絵像をたくさん拝んで来たのでござります。こう何もかも打ち明けて申しましたら、御禁制の邪宗門を信仰する不届き者と、あなたはすぐにわたくしの腕をつかまえて、うしろへお廻しになるかも知れません。しかしわたくし一人をお仕置になされても、私には又ほかに幾人もの隠れた味方がござります。迂闊《うかつ》な事をなさると、却ってあなたのお為になりますまい。あなたの御身分もわたくしはよく存じて居ります。今日まで百日あまりのあいだに、わたくしが一度口をすべらしましたら、失礼ながらあなたのお命はどうなっているか判りません。娘の命を助けてくだされた御恩もあり、もう一つは斯《こ》ういう御無理をお願い申したさに、今日《こんにち》までわたくしは固く口をむすんで居りました。この後とても決して口外するような伝兵衛ではござりません。その代りに……と申しては、あまりに手前勝手かは存じませんが、どうぞ快く御承知くださりませ」
自分をここまで誘い出して、おそらく闇討ちにでもするのであろうと澹山は内々推量していたが、その想像はまったく裏切られて、彼は思いもよらない難題を眼のまえに投げ付けられた。彼は国法できびしく禁制されている切支丹宗門の絵像を描かなければならない羽目《はめ》に陥ったのである。隠密という大事の役目をかかえている彼は、手強くそれを刎《は》ねつけることが出来ない。相手が伝兵衛ひとりならばいっそ斬って捨てるという法もあるが、ほかにも彼と同じ信徒があって、その復讐のためにこっちの秘密を城内の者に密告されると、我が身が危《あぶ》ない。わが身のあぶないのは江戸を出るときからの覚悟ではあるが、大事の役目を果たさずには死にたくない。邪宗門ということが発覚すれば、伝兵衛も命はない。隠密ということが発覚すれば、澹山も命は無い。どっちも命がけの秘密をもっているのであるが、この場合には相手の方が強いので、澹山も行き詰まってしまった。
しかし斯《こ》う順序を立てて考えたのは、それから余ほど後のことで、その一刹那の澹山はただ何がなしに相手に威圧されてしまったという方が事実に近かった。
「これを模写してどうするんです」と、彼はわざと落ち着き払って訊いた。
「それはおたずね下さるな」と、伝兵衛はおごそかに云った。「わたくしの方に入用があればこそ、こうして折り入ってお願い申すのでござります」
自分の頼みを素直に引き受けてくれる上は、自分たちもかならずあなたの身の上を保護して、秘密の役目を首尾よく成就《じょうじゅ》させてやると、伝兵衛は彼の信仰する神のまえで固く誓った。
四
それから一と月ほどの間、澹山は病気と云って誰にも逢わなかった。夜も昼も一と足も外へ踏み出さなかった。かれは千倉屋の離れ座敷に閉じ籠って、朝から晩まで絵絹にむかって、ある物の製作に魂をうち込んでいた。そのあいだに荒木千之丞は絵の催促にたびたび来たが、伝兵衛がいつもいい加減にことわっていた。十月の末になって、ここらでは早い雪が降った。
「先生、ありがとうござりました。御恩は一生忘れません」
秘密の絵像が見事に出来あがって、澹山の手から伝兵衛に渡されたときに、彼は涙をながして澹山を伏し拝んだ。そうしてその報酬として、伝兵衛の手からもいろいろの秘密書類が澹山に渡された。この一ヵ月のあいだに伝兵衛はおなじ信徒を働かせて、また一方にはたくさんの金を使って、いろいろの方面から秘密の材料を蒐集して来たのであった。
この城内における小さいお家騒動の事情はこれでいっさい明白になった。嫡子忠作の死は毒害などではなく、まさしく庖瘡《ほうそう》であったことが確かめられた。しかし藩中に党派の軋轢《あつれき》のあったことは事実で、嫡子の死んだのを幸いに妾腹の長男を押し立てようと企てたものと、正腹の次男を据えようと主張するものと、二つの運動が秘密のあいだに行なわれたが、結局は正腹方が勝利を占めて、家老のひとりは隠居を申し付けられた。用人の一人は詰腹を切らされた。そのほかに閉門や御役御免などの処分をうけた者もあって、この内訌《ないこう》も無事に解決した。
これでもう澹山の役目は済んだものの、他人《ひと》のあつめてくれた材料ばかりを掴んで帰るのはあまりに無責任である。これだけの材料を土台として、自分が直接に調べあげて見なければ気が済まないので、澹山はここで年を越すことにした。千倉屋ではいよいよ鄭重に取り扱ってくれた。
十一月になって雪のふる日が多くつづいたので、澹山はこのあいだに彼《か》の千之丞から頼まれた掛物を仕上げてしまおうと思い立って、再び絵筆を執《と》りはじめると、不思議にその西王母の顔が、かのマリアの顔に肖《に》てくるので、彼は自分ながら怪しく思った。幾度かき直しても絵絹の上にはマリアの顔が、ありありと浮き出して来るので、彼は自分もいつの間にか切支丹の魔法に囚《とら》われてしまったのではないかと疑った。そうして、千之丞からいくら催促をうけても当分は絵筆を持たないことに決めて、かれは雪の晴れ間を待って城下を毎日出あるいた。伝兵衛のあつめてくれた材料が彼に非常の便利をあたえたので、探索は思いのほかに容易《たやす》くはかどって、小さいお家騒動の秘密は伝兵衛の報告と違いないことが確かめられた。澹山は一々それを薄い雁皮紙《がんぴし》に細かく書きとめて、着物の襟や帯の芯《しん》のなかに封じ込んだ。
秘密の絵像を描いているあいだは、父からも厳しく云い渡されていたのであろう。おげんも余りうるさく寄り付いて来なかったが、それがいよいよ出来あがると、彼女は先夜の約束通りにあなたのお弟子にしてくれと強請《せが》んで来た。澹山はよんどころなしに二つ三つの手本をかいてやると、彼女は熱心に稽古をつづけて、あまり器用らしくもない彼女が案外めきめきと上達するのに、師匠も少しく驚かされた。しかしその熱心の裏には何かの意味が忍んでいるらしくも想像されるので、澹山はなんだかいじらしいような暗い心持にもなった。
江戸の旅絵師は奥州の春をむかえて、今年ももう二月になったが、ここらの雪はまだちっとも解けないで、うす暗い寒い日が毎日つづいた。今夜も細かい雪がさらさらと灰のように降っていた。
「お寒うござります」
おげんは菓子鉢を持って、いつものように離れ座敷へ顔を出した。うるさい、いじらしいを通り越して、この頃の澹山は彼女の顔をみるのが何だか恐ろしいようにも思われた。小賢《こざか》しい江戸の女を見馴れた澹山の眼には、何だかぼんやりしたような薄鈍《うすのろ》い女にみえながら、邪宗門の血を引いているだけに、強情らしい執念深そうな、この田舎娘に飽くまでも魅《み》こまれたら、結局はどうしても彼女の虜《とりこ》になるのではないかと、自分ながらも一種の不安を感じて来たので、努めて彼女に接近するのを避けているのであるが、彼女にもおそらく自分の秘密を知られているのであろうという不安と、今では仮りにも師弟となっている関係とで、この頃いよいよ摺り寄ってくる彼女をどうしても払いのけることが出来なかった。
「ここらではいつ頃まで雪が降ります」と、澹山は手あぶり火鉢を彼女のまえに押しやりながら訊《き》いた。
「来月のはじめには歇《や》みましょう」と、おげんは茶をいれながら答えた。「もう十日か半月の御辛抱でござります。ここらで雪のやむ頃は、お江戸は花盛りでござりましょう」
澹山は江戸の春が恋しくなった。去年の五月に江戸を発《た》って、やがて小一年になる。雪のやむのを待って早々に出発しても、上野や向島の今年の花はもう見られまいと思った。
その心のうちを読むように、おげんはまた云った。
「雪がやむと、すぐにお発ちになるのでござりますか」
うっかりした返事は出来ないので、澹山はあいまいに答えた。
「いや、まだ確かに決めていません。もう少しこちらに御厄介になりますか、それとも松島、塩釜の方へでも見物に行きますか」
「ほんとうでござりますか」と、おげんはまだ疑うように相手の顔色をうかがっていた。「松島塩釜はわたくしも一度見物に参ったことがござります。もし先生が御見物ならば、わたくしに御案内させてくださりませ」
どこまでも附き纒おうとする彼女の執念におどろきながら、澹山はなにげなく答えた。
「自然そういうことになりましたら、ぜひ御案内をねがいます。わたくしは御承知の通り、奥州の方角は一向不案内ですから」
庭の雨戸を軽くことことと叩くような物音がきこえた。雪の音らしくないので、二人は話をやめて思わず顔を見あわせると、その物音は又きこえた。おげんは初めて起ち上がって縁側へ出ると、澹山は片手をのばして行燈をひき寄せた。
「どなた、誰です」と、おげんは障子をあけながら声をかけた。
外ではなんの返事もなかったが、雨戸をたたくような音はつづけて聞えた。おげんも根負けがして、雨戸を細目にあけながら、雪明かりの庭先をのぞいたかと思うと、忽ちあっと叫んで座敷へ転げ込んで来て、澹山の膝のうえに半分倒れかかりながら、彼を掩うように両手をひろげた。澹山はすぐに手近の行燈を吹き消した。それとこれと殆ど同時に、ひと筋の手槍が暗いなかを縫ってきて、おげんの胸を突き透した。つづいて颯《さっ》という太刀風が彼女の小鬢をななめに掠《かす》めて通った。
澹山はもうその時、おげんの背後《うしろ》にはいなかった。彼は早くも飛びさがって蝙蝠《こうもり》のように横手の壁に身をよせて息をのみ込んでじっと窺っていると、槍と刀とは空《くう》を突き、空を撃って、暗い座敷を二、三度流れたが、おげんの悲鳴を聞きつけて表の店から誰か駈けてくるらしい足音におどろかされて、槍と刀は早くも庭先に消えてしまった。澹山はそっと壁がわをはなれて、縁側に出て耳をすますと、凍《こお》っている雪を踏み散らしてゆく足音が生垣の外へ遠くきこえた。
「先生、どうなされましたか」
暗いなかで呼びかけたのは、おげんの兄の伝四郎の声であった。
「あかりを早く……」と、澹山は小声で云った。「娘御が怪我をされたらしい」
伝四郎は無言で引っ返したが、やがて店の者三、四人と共に、手燭をかざして再び駈け付けると、その火に照らされた座敷の内には、行燈が倒れていた。茶碗や土瓶がころげていた。襖の紙にも槍の痕と刀傷が残っていた。その狼藉をきわめたなかに、若い娘は血に染みて横たわっているのを一と目見て、伝四郎は思わず声をあげた。
「妹。おげん……しっかりしろ」と、かれは妹を自分の膝のうえに抱きあげて叫んだ。
「先生……」と、おげんは微かに云った。
「わたくしはここにいます」
澹山はおげんの眼のまえに顔を出した。その顔をうっとりと見つめているうちに、彼女のからだは兄の膝からぐったりと滑《すべ》り落ちた。少し風邪をひいたと云って早寝をしていた伝兵衛が、眼をさましてここへ駈け付けた頃には、おげんの息はもう絶えていた。委細の事情を澹山から聞いて、彼は娘の死に顔を悲しげに眺めていたが、やがて何を考えたか、いたずらに恐怖の眼をみはっている奉公人どもの方に振り向いた。
「先生に少しお話がある。伝四郎だけはここに残って、皆はしばらく店の方へ行っていろ」
彼等を追い遠ざけて、伝兵衛は澹山のまえに坐り直した。その顔は弁天堂の前で彼にマリアの絵像を頼んだときと同じように、なんとなく人を威圧するようなおごそかなものであった。
「先生、あなたの御身分は決して他人に洩らすまいと、神にも誓って置きながら、今夜のようなことが出来《しゅったい》いたしましては、定めてわたくしを偽り者ともお憎しみでござりましょうが、これには別に仔細がござります。今夜の闇討ちはおそらく先生の御身分を知ってのことではござりますまい。これは用人の荒木頼母がせがれ千之丞の仕業に相違あるまいと、わたくしは睨んで居ります」
千之丞はかねて千倉屋の娘に懸想《けそう》していて、町人とはいえ相当の家柄の娘であるから、仮親《かりおや》を作って自分の嫁に貰いたいというようなことを人伝《ひとづ》てに申し込んで来たが、娘も親も気がすすまないので先ずその儘になっていた。彼が澹山の絵の催促にかこつけてたびたび此の店へたずねて来るのもそれが為であった。そのうちに誰の口から洩れたのか、娘が旅絵師と特別に親しくしているという噂が千之丞の耳にはいったらしい。現に先頃も絵の催促に来たときに、彼は直接に伝兵衛にむかって、あの旅絵師を娘の婿にするのかと訊いたこともある。彼は暴気《あらき》の若侍であるから、その嫉妬から旅絵師を亡き者にしようとたくらんで、おなじ暴れ者の若侍どもを語らって今夜の狼藉に及んだに相違あるまい。かれは江戸の隠密として澹山を殺しに来たのでなく、恋のかたきとして澹山をほろぼしに来たのであろう。おげんは彼を庇《かば》おうとして、その身代りに立ったのである。この意見には伝四郎も一致して、妹のかたきは千之丞に相違ないと云い切った。
「おやじ様、この仇をどうする」と、寡言《むくち》の伝四郎は憤怒に燃える眼をかがやかして父に迫った。
「かたきはきっと取る。家老でも免《ゆる》すものか」と、伝兵衛は再びおごそかに云った。「ついては先生。こういうことになりましては、又どんな御迷惑が出来《しゅったい》して、自然あなたの御身分が露顕するようなことが無いとも限りません。御用も大抵お片付きになったようでござりますから、雪のやむのを待たずに一日も早く御|発足《ほっそく》なさるようにお勧め申します。しかしこの領分ざかいを越えましたなら、きょうから数えて二十一日、娘の三七日《さんしちにち》の済むまでは、どうぞ其処に御逗留なさるように願います。きっと何かあなたのお耳にはいることがござりましょう」
餞別の金や土産《みやげ》などをたくさん貰って、澹山はおげんの葬式のすんだ翌日に千倉屋を出発した。これがもうこの春の名残りらしい細かい雪が、けさも彼の笠の上にちらちらと降っていた。伝兵衛も伝四郎も町はずれまで送って来た。千倉屋の若い者二人は彼の警固をかねて領ざかいまで附き添って来た。
隣国の他領へはいって、千倉屋から指定された宿屋に草鞋《わらじ》をぬいで、澹山は約束の三週間をここに逗留することになった。三月も半ばになって、ここらの雪もあたたかい春の日にだんだん解けはじめた頃に、隣国の用人の若い伜が、何者かに闇討ちにされたという噂がここまで聞えたので、澹山は初めて重荷をおろしたような心持になって、そのあくる日に出発した。
江戸へ帰る途中で、彼は再び房川の渡しを越えるときに、おげんがここで自分の手に救われたのが仕合わせであったか不仕合わせであったかということを考えた。彼は北にむかって、ひそかに千倉屋の娘の冥福を祈った。
無事に使命を果たして帰った彼は、組頭《くみがしら》にも褒められ、上《かみ》のおぼえもめでたかった、しかし彼は決して切支丹のことを口にしなかった。彼は再び絵筆を執らなかった。
千倉屋からはその後何のたよりも無かったが、それから五年ほど経った後に、奥州のある城下町で切支丹宗門の者十一人が磔刑《はりつけ》にかかったという噂を聴いた時に、彼はすぐに伝兵衛|父子《おやこ》の名を思い出した。そうして、おげんはやっぱり仕合わせであったかとも思った。弁天堂の奥に秘められていたマリアの絵像も、かれが模写した同じ絵像も、どうなったか判らない。おそらく誰かの手で灰にされてしまったであろう。
[#改ページ]
雷獣と蛇
一
八月はじめの朝、わたしが赤坂へたずねてゆくと、半七老人は縁側に薄縁《うすべり》をしいて、新聞を読んでいた。
狭い庭にはゆうべの雨のあとが乾かないで、白と薄むらさきと柿色とをまぜ栽《う》えにした朝顔ふた鉢と、まだ葉の伸びない雁来紅《はげいとう》の一と鉢とが、つい鼻さきに生き生きと美しく湿《ぬ》れていた。
「ゆうべは強い雷でしたね。あなたは雷がお嫌いだというからお察し申していましたよ。小さくなっていましたかい」と半七老人は笑っていた。「しかし昔にくらべると、近来は雷が鳴らなくなりましたね。だんだんと東京近所も開けてくるせいでしょう。昔はよく雷の鳴ったもんですよ。どうかすると、毎日のように夕だちが降って、そのたんびにきっとごろごろぴかりと来るんですから、雷の嫌いな人間はまったく往生《おうじょう》でした。それに、この頃は昔のような夕立が滅多《めった》に降りません。このごろの夕立は、空の色がだんだんにおかしくなって、もう降るだろうと用心しているところへ降ってくるのが多いので、いよいよ大粒がばらばら落ちてくるまでには小一刻《こいっとき》ぐらいの猶予はあります。昔の夕立はそうでないのが多い。今まで焼けつくように日がかんかん照っているかと思うと、忽ちに何処からか黒い雲が湧き出して来て、あれという間も無しにざっと降ってくる。しかもそれが瓶《かめ》をぶちまけるように降り出して、すぐに、ごろごろぴかりと来るんだからたまりません。往来をあるいているものは不意をくらって、そこらの軒下へ駈け込む。芝居や小説でも御承知でしょう。この雨やどりという奴が又いろいろの事件の発端《ほったん》になるんですね。はははははは。しかし又、その夕立のきびきびしていることは、今云うように土砂ぶりに降ってくるかと思うと、すぐにそれが通り過ぎて、元のように日が出る、涼しい風が吹いてくる、蝉が鳴き出すというようなわけでしたが、どうも此の頃の夕立は降るまえが忌《いや》に蒸《む》して、あがり際《ぎわ》がはっきりしないから、降っても一向に涼しくなりません。やっぱり雷が鳴らないせいかも知れませんね」
老人は雷の少ないのを物足らなく感じているらしく、この頃のようではどうも夏らしくない、時々はゆうべのように威勢よく鳴って貰いたいなどと云って、わたしのような弱虫をおびやかした。それから引いて、老人は雷獣の噂をはじめた。
「日光なんぞの山のなかに棲んでいるのは当りまえでしょうが、江戸時代には町なかへも雷獣があらわれて、それをつかまえたという話はたびたびありました。明治になってからも、下谷に雷が落ちたときに、雷獣を見つけて捉まえたということを聞きました。これもその雷獣のお話ですよ」
慶応元年六月十五日の夜は、江戸に大風雨《おおあらし》があって、深川あたりは高潮《たかしお》におそわれた。近在にも出水《でみず》がみなぎって溺死《できし》人がたくさん出来た。そのおそろしい噂がまだ消えないうちに、同じ月の二十三日の夜には又もや大雨が降り出した。今度は幸いに風を伴わなかったが、その代りにすさまじい雷が鳴りひびいて、江戸市中の幾ヵ所に落ちかかった。
そのなかで、浅草|三好町《みよしちょう》の雷が尾張屋という米屋の蔵前に落ちて、お朝という今年十九の娘を殺した。重吉という若い男は一旦気絶したが、これは医師の手当てをうけて蘇生した。変死のうちでも、雷死は検視をしないことになっているので、お朝の死骸はあくる日のゆう方、今戸《いまど》の菩提寺《ぼだいじ》へ送られて式《かた》のごとく葬られた。
落雷で震死するのはさのみ珍らしいことでもないのは、それに対して検視の役人が出張しないのをみても判る。この事件も単に不幸なる娘の死にとどまって、何事もなく済んだのであるが、尾張屋の落雷に就いてこんな噂が伝えられた。
「あの雷の落ちたときには、大きい雷獣が駈けまわっていたそうだ」
落雷の時には雷獣が一緒に落ちて来て、襖障子や柱などを掻き破ってゆくということは、その時代の人々に信じられていた。その雷獣を見たのはおかんという下女であった。かれは宇都宮在の生まれで、子供のときから日光附近の大雷に馴れているので、ほかの人々ほどには雷を恐れなかったらしい。勿論、落雷の刹那には、両手で自分の耳をおさえて、女中部屋にうつ伏していたのであるが、蔵のまえが俄かに昼のようにあかるくなって、そこに落雷したことを知った時に、かれは誰よりも先にその場所へかけ付けると、まず彼女の眼にはいったのは、一匹の怪しい獣《けもの》がそこらを駈けまわっていたことであった。獣は稲妻のように忽ちその影を消してしまって、あとに残されたのは若い男と女とが正体もなく倒れている姿であった。おかんは声をあげて、家《うち》じゅうの人を呼びあつめた。
おかんのほかに誰もその正体を見とどけた者はなかったが、尾張屋の人々もその雷獣の話を信じた。近所の人々も怪しまなかった。雷獣の噂はそれからそれへと伝えられたが、町《ちょう》役人たちもそれを疑わなかった。雷獣のゆくえは勿論わからなかった。
お朝の二七日《にしちにち》は七月七日であったが、その日はあたかも七夕《たなばた》の夜にあたるというので、六日の逮夜《たいや》に尾張屋の主人喜左衛門は親類共と寺まいりに行った。重吉も一緒に行った。かれはお朝と運命を倶《とも》にすべくして無事に助かった幸運の男であった。参詣がすんで、七ツ(午後四時)過ぎに寺を出る頃から、空の色が俄かにあやしく黒ずんで来たので、この町内へはいる頃から大粒の雨がばらばらと落ちて来た。あわてて店へ逃げ込む途端に、大きい稲妻が一つ光った。つづいて雷が鳴り出した。
「早く雨戸をしめろ」
喜左衛門は指図して、家じゅうの雨戸を厳重に閉めさせた。このあいだの出来事から雷というものに対する恐怖心の一段と強くなっている尾張屋の者どもは、総がかりで、雨戸をしめた。障子をしめた。蚊帳《かや》を吊った。線香をとぼした。雷に対する防備を手落ちなく整えた頃には、雷雨がだんだんに烈しくなって来て、厳重にしめ切った雨戸の隙き間からも強い稲妻がたびたび流れ込んで、人々のおびえている魂をいよいよおびえさせた。暮れ六ツ頃から雨は土砂ぶりになった。雷はこの近所へ二、三ヵ所も落ちたらしかった。人々は自分たちの部屋に閉じ籠って、蚊帳のなかに小さくなっていずれも生きた心地もなかった。
雷雨は五ツ(午後八時)過ぎにようやく止んだ。それで人々もほっと息をついて、しめ切った雨戸などを明けはじめると、さらに又思いもよらない椿事《ちんじ》の出来《しゅったい》しているのに驚かされた。先度とおなじ蔵のまえに、かの重吉が死んでいるのであった。かれの顔や手先は所嫌わずに掻きむしられていた。
かれも雷獣に襲われたらしかった。今度は尾張屋に落雷しなかったが、近所に落ちた雷獣がここへ飛び込んで来たのかも知れないという説もあった。このあいだの事件のあった矢先であるので、重吉の死は雷獣の仕業であると決められてしまった。
神田三河町の半七は、子分の庄太からこの報告をうけて首をかしげた。
「天災といえば仕方もねえが、そう立てつづけて一軒の家《うち》に祟《たた》るのもおかしいな。その重吉というのはどんな男だ」
「主人の遠縁のもので、日光辺の生まれだそうです。年は二十一で、五、六年まえから尾張屋の厄介になってやっぱり店の仕事を手伝っているんですが、どっちかというと、か弱い方で、米屋のような力仕事には不向きなので、遊び半分にぶらぶらしているようでした」
「尾張屋には死んだ娘と主人のほかに誰がいる」と、半七は又|訊《き》いた。
庄太の説明によると、尾張屋は近所でも内福という噂を立てられているが、その家族は多くない。女房のおむつは先年世を去って、ほんとうの家族というのは主人の喜左衛門と娘のお朝の二人だけである。ほかには彼の遠縁の重吉と、下女のおかんと、米|搗《つ》きが二人と小僧が一人と、あわせて一家七人暮らしであるが、喜左衛門は手堅く商売をしているので、世間の評判も悪くない。娘のお朝も先ず十人並の娘で、これまでに悪い噂もなかった。なにしろ親ひとり子ひとりの尾張屋で、その跡取り娘をうしなった喜左衛門のかなしみはひと通りでない。ほかから養子をするか、それともかの重吉をひきあげて相続人にするか、それもまだ決まらないうちに重吉もまた死んでしまったのは、かさねがさねの不幸であった。
「そこで、尾張屋の親類のうちに誰か婿にでもなりそうな奴があるのか」と、半七はまた訊いた。
「さあ、そこまでは知りません」と、庄太は頭をかいた。
「じゃあ、すぐにそれを調べてくれ」
「ようがす」
庄太はうけ合って帰った。
それから三日ほど経って、庄太は再びたずねて来て、尾張屋の親類一門はみな子供に縁のうすい方で、どこにもよそへやるような男の子はない。ただ本所|松倉町《まつくらちょう》に商売をしている三河屋に二人の娘があるので、あるいはその妹娘を尾張屋へくれることになるかも知れないと報告した。
「そこで、その三河屋というのはどんな奴だ」と、半七は訊いた。
三河屋は夫婦ともに揃っているが、これも近所では評判のいい家《うち》であると庄太は云った。殊にこの家は尾張屋よりも身代が大きいので、妹娘には婿を取って分家させる筈になっているのであるから、果たして素直《すなお》に尾張屋へくれるかどうだか判らないとのことであった。
「そうか」と、半七はうなずいた。「じゃあ、三河屋へ手をつけるにも及ぶめえ。すぐに尾張屋のおかんという女を引き挙げろ」
「尾張屋の女中を引きあげるのですかえ」
「むむ。あの女がどうも胡乱《うろん》だ。年は幾つで、どんな女だ」
「おかんは二十三で、五年まえから奉公しているんだそうですが、ちっとも江戸の水にしみねえ女で、どうみても山出しですよ」
「おかんは日光、重吉は宇都宮、おなじ国者《くにもの》だな。女は二十三、男は二十一。よし、わかった。おれも一緒に行く。すぐにその女を番屋へ連れて来てくれ」
二
尾張屋のおかんは町内の自身番へよび出されて、半七の吟味をうけた。かれは庄太の報告の通り、見るから田舎者らしい。小太りに肥《ふと》った女であるが、容貌《きりょう》もまんざら悪くはない。殊に色白の質《たち》であるので、二十三という年よりも若くみえた。ふだんから無口の女であるということであったが、殊にこの場合、かれは極めて神妙にして、いかなる問いに対しても努めてことば寡《すく》なに答えていた。
「六月二十三日の晩、尾張屋の娘が雷火にうたれた時、おまえが一番さきに見つけたのだな」
「はい」
「その時に、雷獣のかけ廻るのを確かに見たか」
「はい」
「女の癖に、どうして一番さきに駈け付けた」
「土蔵のまえが急にぱっと明るくなりまして、かみなり様がお下《お》りになったようでしたから、なにか間違いでもないかと存じまして……」
「で、行ってみたらどうした」
「お朝さんと重吉さんが倒れていました」
「倒れているところに、なんにも落ちていなかったか」
「気がつきませんでした」
「鼠捕り粉がこぼれていなかったか」と、半七は訊いた。
「いいえ、存じません」
「おかん」と、半七は詞《ことば》をすこしやわらげた。「おまえは重吉をどう思っている」
おかんは黙っていた。
「重吉が可愛くなかったか」と、半七はほほえんだ。「おまえは給金を幾らほど溜めている」
おかんはやはり黙っていたが、半七に催促されて、小声で答えた。
「五両ばかり溜めて居ります」
「五両じゃあ、国へ帰っても夫婦になれめえな」
彼女はまた黙ってしまったが、その俯向《うつむ》いている鬢《びん》の毛の微かにそよいでいるのが、半七の眼についた。
「おい、おかん。もうこうなったら、何もかも正直に申し立ててお上《かみ》の慈悲をねがえ。おまえと重吉とはおなじ国者だ。それが一つ屋根の下に毎日一緒に暮らしていれば、おたがいに気も合い、話も合って、若い者同士がいろいろの約束をするのも無理はねえ。だが、男という奴は気の多いもので、おまえというものを袖にして、いつか尾張屋の娘とも仲よくなって、さぞ口惜《くや》しかったろう。おれも察しるよ」
おかんはやはり俯向いていた。
「ところが、おれに少し判らねえ事があるから教えてくれ」と、半七は云った。「尾張屋の娘はなぜ鼠捕り粉を買ったのだ。ひとりで死ぬつもりか、心中《しんじゅう》かえ。おい、黙っていちゃあいけねえ。それに因っておまえの罪の重い軽いも決まるのだ。はっきり云ってくれ。どの道おまえは無事に主人の家《うち》へ帰られる身の上じゃあねえ。くどいようだが、正直に申し立てて御慈悲を願うがいいぜ」
「どうしても家へは帰れないのでございましょうか」と、おかんは蒼ざめた顔をあげた。
「知れたことさ。重吉という男ひとりを殺して置いて、無事に帰される筈がねえじゃねえか」
おかんは泣き伏してしまった。
雷獣事件はこれで解決した。
万事が半七の鑑定通りであった。重吉はおかんと夫婦約束をしていながら、さらに尾張屋のお朝とも親しくなった。それを知って、おかんは火のように怒って、恋のかたきのお朝を殺してしまうとまで狂い立つのを、重吉はひそかに宥《なだ》めているうちに、お朝はいつか妊娠したらしいので、重吉はいよいよ困った。その秘密をまた知って、おかんは嫉妬の焔《ほむら》をいよいよ燃《も》した。世間しらずのお朝は、いたずらの罰が忽ち下されたのに驚いて、自分のからだの始末を泣いて重吉に相談した。おかんもかげへまわって男の薄情をはげしく責め立てた。
お朝には泣かれ、おかんには責められ、板挟みになってさんざん苦しんだ重吉は、途方にくれた自棄《やけ》半分の無分別から、お朝を説きつけて、一緒に死ぬことになった。お朝は素直に男のいうことを肯《き》いて、近所の薬屋から鼠捕り粉を買って来た。それは六月二十三日の朝であった。今夜、いよいよ死ぬという約束で、影のうすい男と女とは長い日のくれるのを待っていると、宵からの雨がやがて恐ろしい大風雨《おおあらし》になった。
死に急ぎをしている若い二人にとっては、この大風雨はむしろ仕合わせであるようにも思われた。女はまず約束の場所へ出てゆくと、男もあとから忍んで行った。折りからの風雨で、ほかの人達は気がつかなかったが、男のうしろにはおかんが影のように付きまとっていた。かれは絶えず男の行動を監視しているので、すぐそのあとをつけてゆくと、お朝と重吉とは蔵のまえで出逢った。
暗い物影にかくれて、おかんはそっと窺っていると、危うく消えかかる手燭を下に置いて、お朝はまず鼠捕り粉の半分ほどを一と息に飲んだ。そうして、ふるえる手先でその飲み残りの袋を男に渡そうとしたので、おかんはあわてて飛び出そうとする時、あたりは火のように明るい世界になった。おかんは夢中で小膝をついて、両手で自分の耳を掩いながら、しっかりと目を閉じてしまった。
毒薬をのんだお朝は雷にうたれた。これから毒薬を飲もうとした重吉は気をうしなって倒れた。もとより偶然の出来事ではあるが、雷はあたかも心中の場所に落ちて来て、しょせん死ぬべき女を殺し、まさに死のうとする男を救ったのであった。その驚きのなかにも、おかんは憎い二人の屍《しかばね》のうえに心中の浮名を立たせたくなかった。彼女はそれすらも妬《ねた》ましかったので、そこらに落ちている鼠捕り粉の袋を手早く隠してしまった。それから家内の人々を呼んで、この恐ろしい出来事を報告した。
雷に撃たれた二人がこの時どうしてそこにいたかということが、まず問題とされなければならなかったが、奥の便所へ通うには蔵の前を通らなければならないように出来ているので、お朝がここに倒れていたのは便所へ行く途中であったらしく思われた。重吉は蔵のなかへ何か取り出しに行ったのであろうと想像された。
憎い女が突然この世から消えてしまって、男ばかりが生き残ったのは、おかんに取ってはこの上もない好都合であった。かみなりは彼女に守護神ともいうべきであった。しかし彼女はやはり不運を逃がれることは出来なかった。お朝の死についで起ったのは相続人の問題で、重吉がその候補者のうちで最も有力の一人であるらしいので、おかんは又もや気を揉みはじめた。重吉が尾張屋の相続人となってしまえば、おそらく奉公人の自分をこの店の嫁にしないであろう。かりに重吉が承知したとしても、世間の手前、喜左衛門が承知しないであろう。こう思うと、かれは又新しい苦労をしなければならなかった。
そのうちに其の話はだんだん進行するらしい形跡がみえて、二七日の前日におかんが松倉町の三河屋へ使にゆくと、そこでもそんな噂を聞かされたので、彼女はもう落ち着いていられなくなった。寺まいりの当日、主人や重吉が今戸へ行った留守に、おかんはいろいろに思案した。かれはとうとう思案をきめて、重吉の帰りを待った。
重吉らが帰ってくる頃から又もや雷雨になった。この出来事におびえて、家内の者どもが縮みあがっている隙をみて、おかんは重吉を蔵のまえに連れ込んだ。かれは男にむかって、相続人のきまらないうちに自分と一緒に逃げてくれと迫ったが、重吉は肯《き》かなかった。そればかりでなく、自分はお朝の菩提のために一生|独身《ひとりみ》でいるつもりであるから、おまえも思い切ってくれと云い出したので、おかんは狂気のようになって、男の変心を責めた。そうして、もし自分のいうことを肯いてくれなければ、お朝が毒薬をのんだ秘密を主人に訴えると嚇《おど》したが、男はやはり動かなかった。訴えるならば訴えてよい。自分は心中の片相手として殺されてもいいと云った。
「それほど死にたくば殺してやる」
おかんは赫《かっ》となって男の喉をしめた。在所《ざいしょ》生まれで、ふだんから小力《こぢから》のある彼女が、半狂乱の力任せに絞めつけたので、か弱い男はそのままに息がとまってしまった。男がどうしても肯かなければ、かれを殺して自分も身をなげて死ぬと、おかんはかねて覚悟していたのであるが、その場になると彼女は俄かに気おくれがした。わが眼のまえに倒れている男の死骸をながめながら、彼女はぼんやり考えていると、雷の音は又ひとしきり凄まじくなって、今夜もここから遠くないところに落ちたらしく、大地もゆれるように震動した。その一刹那にかれは何事をか思いついて、死んでいる男の顔や手先を爪で引っかいた。
「おかんは死罪になりました」と、半七老人はわたしに話した。「今日《こんにち》でしたら情状酌量にもなったのでしょうが、その時代ではどうもそう行きませんでした。それも自訴でもしたら格別、男の顔を引っかいて雷獣の仕業らしく見せるなんていう狂言をこしらえて、自分は素知らぬ顔をしていたんですから、罪はいよいよ重くなったわけです。問題の雷獣は、おかんの白状によると、最初の時にはほんとうに見たというのです。二度目の時にはそれから思いついて、重吉の顔や手さきを掻きむしったのだといいます。勿論、善いことじゃありませんが、かんがえてみると可哀そうで、おかんがいよいよ死罪と聞いたときには、私もなんだか忌《いや》な心持がしましたよ」
「可哀そうも可哀そうですが、女というものは恐ろしいもんですね」
「まったく恐ろしい。あなたなんぞは若いから気をおつけなさい。いや、恐ろしいの何のと云っても、今のおかんという女なんぞは、そこに自然と憐れみも出ますけれど、なかには、まだ肩揚げもおりない癖に、ずいぶん生《い》けっ太《ぷと》い奴がありますからね。まあ、お聴きなさい、こんな奴もありますよ」
云いかけて老人は笑いながら私の顔を見た。
「あなたは甘酒はどうです」
「子供のときに飲んだきりですが……」と、わたしも笑った。
「あれは江戸の夏のものですよ。固練《かたね》りのいいのを貰ったのがあります。息つぎに一杯あっためさせますから、あなたもお附き合いなさい」
「久し振りで御馳走になりましょう」
三
あま酒で元気をつけて、半七老人は団扇《うちわ》の手を働かせながら又話し出した。
「あれはたしか文久三年とおぼえています。なんでも六月の末でした。新宿の新屋敷……と云っても、今の若い方々は御存知ないかも知れませんが、今日《こんにち》の千駄ケ谷の一部を俗に新屋敷と唱えまして、新屋敷六軒町、黒鍬町《くろくわちょう》、仲町通りなどという町名がありました。いつの時代にか新らしい屋敷町として開かれたので、新屋敷という名が出来たのでしょう。その辺には大名の下屋敷、旗本屋敷、そのほかにも小さい御家人の屋敷がたくさんありまして、そのあいだには町屋《まちや》もまじっていましたが、一方には田や畑が広くつづいていて、いかにも場末らしい寂しいところでした。
前にも申す通り、六月末の夕方、その仲町通りの空《あき》屋敷の塀外に人立ちがした。というのは、そこに不思議なものを見付けたからで、何十匹という蛇がからみ合ってとぐろをまいて、地面から小一尺もうず高く盛りあがっている。勿論、ここらで蛇や蛙をみるのは珍らしくないので、一匹や二匹|蜿《のた》くっているのならば、誰もそのままに見過ごしてしまうんですが、何分にもたくさんの蛇が一つにあつまって、盛りあがるようにとぐろをまいているんですから、よほど変っています。そこで、通りがかりの人が始めは一人立ち、ふたり立ち、又それを聞きつたえて近所の屋敷や町屋からもだんだん見物人が出て来たので、その蛇のまわりには忽ち二三十人も集まったんですが、ただそれを取りまいて見物しているばかり、どうする者もありませんでした。
『そのとぐろのなかには玉がある』
こんなことを云う者もありました。たくさんの蛇がうず高く盛りあがって大きい輪をつくっているのは≪蛇こしき≫とかいって、そのなかには、珍らしい玉がかくれていると、昔の人たちは云ったものです。で、今もそのとぐろを巻いているなかには、おそらく宝玉があるだろうという噂が立ったものですが、誰も思い切ってその蛇に手をつける者がない。たくさんの蛇はちっとも動かないで、眠ったように絡《から》み合っているばかりですが、誰がみても気味のいいものじゃありません。武家屋敷の中間《ちゅうげん》などのうちには、生きた蛇を食うというような乱暴者もあるんですが、なにしろ斯《こ》うたくさんの蛇がうず高く盛りあがっていては、さすがに気味を悪がって唯ながめているばかり。そのうちに夏の日も暮れかかって、天竜寺の暮れ六ツがきこえる頃、そこへ一人の若い娘が来ました。
娘は十四五で、武家育ちであるらしいことは其の風俗ですぐに判ったんですが、大勢の人をかきわけて、その蛇のそばへ寄ったかと思うと、みんなの口から思わずあっという声が出た。それは無理もありません。その若い娘は単衣《ひとえ》の右の袖をまくりあげて、真っ白な細い手を蛇のとぐろのまん中へぐっと突っ込んだとお思いなさい。まだ十四五の小娘ですから、手の先どころじゃない、二の腕のあたりまでするすると這入って……。気の弱いものは見ただけでも慄然《ぞっ》として、眼を塞いでしまいたい位ですが、娘は平気でその白い腕を蛇のとぐろのなかへ入れてしばらく探りまわしているようでしたが、やがて何か掴《つか》み出したので、息を殺して見ていた人たちは又わやわやと騒ぎ出して、娘の手に持っているものを寄りあつまって覗いてみると、それはひと束《たば》の真っ黒な切髪で、たしかに若い女の髪の毛に相違ないので、大勢は又あっと云う。それを耳にもかけないような風で、娘はその切髪を持ったままで何処へか行ってしまいました。
大勢はそれに気を呑まれた形で、ただ黙ってその娘のうしろ姿をながめているばかりでした。いくら武家の娘だと云って、まだ十四か十五の小娘が蛇のあつまっているなかへ腕を突っ込んで、平気でなにか掴み出して行く。その度胸のいいのにみんな舌を巻いて、一体あれはどこの家の娘さんだろうと云ったが、誰も確かに知っているものがない。又あの切髪は誰のだろうと云ったが、それも判らない。みんなもその評定《ひょうじょう》に気をとられている間に、たくさんの蛇はどこへか消えてしまったように影も形もみえなくなったので、みんな又おどろいたが、もうその頃はそこらも薄暗くなって来たので、よく判らない。多分そこらの溝へでも這入ってしまったか、空《あき》屋敷の庭へでも這い込んだろうということになって、見物人は次第に散ってしまったのですが、なにしろ、それが蛇と小娘と切髪と、不思議な三題|噺《ばなし》が出来あがっているので、その晩のうちにその噂が新宿から青山の方まで一面にひろまってしまいました。
『その娘は何者だろう。その娘とその切髪とどういう因縁があるのだろう』
こうした噂が繰り返されて、それに又いろいろの想像説も加わって、見て来たような作り話を吹聴《ふいちょう》する者もある。一体その空屋敷というのは、以前は内藤右之助という三百石取りの旗本が住んでいたのですが、二年ほど前から小石川の茗荷谷《みょうがだに》の方へ屋敷換えになって、今では誰も住んでいないので、門のなかは荒れ放題、玄関さきまで夏草が茫々と生いしげっているというありさま。……昔は方々にこういう空屋敷があって、化け物屋敷だなどと云われたものです。……その門前にあたかもこんな事件が出来《しゅったい》したので、猶更《なおさら》いろいろの風説が高くなって、なにかその屋敷にも関係があるように云い触らすものが出て来たので、町奉行所の方も捨てて置かれなくなって、一応その詮議をしようかと云っていると、ここに又一つの事件が出来《しゅったい》したんです。
その事件は次の日の夜のうちに起ったのでしょう。仲町通りのあき屋敷の門前、丁度かの蛇がとぐろをまいていたあたりに一人の娘が倒れているのを、暁方《あけがた》になって見つけ出したので、近所ではまた大騒ぎになりました。しかもその娘は一昨日《おととい》のゆう方、そこで蛇のとぐろのなかへ手を突っ込んだ武家娘に相違ないというので、騒ぎはいよいよ大きくなりました。娘は刃物で左の胸と右の脇腹を突かれて、血まぶれになって死んでいる。それだけでも随分大騒ぎになりそうなところへ、おまけに例の一件が絡《から》んでいるんですから、みんな不思議がるのも無理はありません。
こうなると、いよいよ捨てては置かれなくなって、町奉行所でも探索をはじめることになりました。その役目を云い付かったのはわたくしで、善八という子分をつれて、すぐに新屋敷へ出かけました。大木戸|外《そと》の事件ですけれど、事柄がすこし変っているので、特に町方《まちかた》から選み出されたようなわけで、わたくしも役目のほかに幾らかの面白味も手伝って、すぐにそこへ出張って行って、まず近所の人たちに聞きあわせると、前に云った通りの始末で、娘は何者だか判らないで、まだ誰にも引き渡すことが出来ないということでした」
あたまの上の風鈴が忙がしく鳴り出したので、半七老人は檐《のき》をみあげた。
「おや、風が出ましたね。空の色も悪くなって来た。又ゆうべの出直しかも知れませんね。はは、大丈夫。この頃は滅多にゆうべのような雷は鳴りませんよ。なに、雷獣でも出て来たら、二人で取っ捉《つか》まえて金儲けをしまさあ。はははははは。だが、まあ、こっちへ引っ越しましょう。だしぬけにざっと来るかも知れませんから」
わたしも手伝って、座蒲団や煙草盆を畳の上に運び込んだ。
四
「これでいい」と、老人は又おちついて話し出した。
「わたくしは先ず辻番へ行って、そこに引き取られている娘の死骸をみせて貰いました。それからだんだんと訊《き》いてみると、その蛇の一件の最中に、油断して紙入れや莨入《たばこい》れを掏《す》り取られた者もあるという。それで先ず大体の見当はつきましたが、蛇と切髪の方がまだよく判りません。蛇はともかくも、その切髪の理窟が呑み込めないので、わたくしは不図《ふと》かんがえて、この近所で蛇捕りを商売にしている者を探しました。蛇《じゃ》の道は蛇《へび》というのはまったく此の事かも知れませんね。ははははは。子分の善八がそこらを駈けまわって、新宿の裏に住んでいる九助という蛇捕りを探し出しました。蛇や蝮《まむし》を捕るのを商売にする男で、それを連れて来て詮議すると、九助はわけも無く白状しました。
九助は商売で、前に云った蛇の道は蛇の一件ですから、この空屋敷が草深くなっていて、この頃は蛇がたくさんに棲んでいることを知っていたんですが、たとい空家になっていても、ともかくも表門裏門を閉め切ってある武家屋敷へむやみに踏み込むわけにも行かないので、何とかして蛇を表へ釣り出す工夫《くふう》をかんがえて、ひと束の髪の毛をつかんでその屋敷へ出かけて行ったんです。嘘かほんとうか知りませんが、女の髪の毛を焼くと其の油の臭いを嗅ぎつけて蛇が寄ってくるという伝説があるので、九助は塀の外で髪の毛を焼きはじめると、塀の中から大小の蛇がぞろぞろと出て来た。それはこっちの思う壷なんですが、なにしろたくさんの蛇が塀の下を、くぐったり、塀の上を登ったりして、果てしも無しにぞろぞろと繋がって出てくるので、さすがの九助もびっくりして、いくら商売でも気味が悪くなって来て、燃えさしの髪の毛をほうり出して一目散に逃げてしまったそうです。九助の話によると、そこら一面が蛇にうずめられて、往来が川のようになってしまったといいますが、怖いと思う眼で見たんだから的《あて》にはなりません。
そういうわけで、九助もあとの事は知らないんですが、往来の人たちが見つけた時には、それほどの蛇もいなかったそうです。それでもたくさんの蛇がその髪の毛を取りまいて、うず高くなるほどに盛りあがっていたのは、みんなも見たということですから、まあ間違いはないでしょう。そこで、その娘とそれを殺した奴との探索ですが、これはすぐに判りまして、二日ほど経ってから、おもよとお大という二人の若い女を渋谷で引き挙げました。殺されたのはおとくという女で、おもよとお大がその下手人でした」
風はひとしきり吹き過ぎて、風鈴の音はまた鎮まった。老人は檐《のき》の方へ眼をやって、「又あつくなる」と、独り言のように云った。
「暑くなりそうですね」と、わたしも云った。
「ええ、降りそこなってしまいましたから……。このあとはきっと蒸《む》します。かないません」
「そこで、その女たちは何者です。まったく武家の娘なんですか」
「なに、みんな小商人《こあきんど》や職人の娘で、おとくは十四五の小娘につくっていましたが、実はかぞえ年の十七で、あとの二人も同じ年頃でした。こいつらは今日《こんにち》でいう不良少女で、肩揚げのおりないうちに自分たちの親の家を飛び出して、同気相求むる三人が一つ仲間になって、万引や巾着切《きんちゃっき》りや板の間稼ぎなどをやっていたんですが、下町《したまち》の方でだんだんに人の眼について来たので、このごろは武家の娘らしい姿に化けて、専ら山の手の方を荒しあるいていたんです。ところで、その当日、三人が連れ立って新屋敷を通りかかると、例の蛇の一件で大勢の人があつまっている。三人もそれを覗いているうちに、お大が小声でこんなことを云い出したそうです。
『どんな玉が這入っているか知らないが、あの蛇の中へ手を突っ込むことは出来まいね』
『なに、訳《わけ》はないよ』と、おとくは平気で笑っていた。
『おまえさん、きっと出来るかえ』と、お大とおもよが念を押すと、おとくはきっと出来ると強情を張ったので、いわば行きがかりの意地ずくで、もしお前がほんとうにあの蛇のなかへ手を突っ込んで見せたらば、おまえをあたし達の仲間の姐御《あねご》にすると二人が云い出すと、おとくはすぐに出て行って、平気で蛇のとぐろのなかへ手を突っ込んで、例の切髪をつかみ出したので、なんにも知らない見物人は勿論、仲間の二人は流石《さすが》にびっくりしたんですが、人に覚《さと》られないようにみんな分かれ分かれにそこを立ち去ったので、誰も三人連れとは気がつかなかったんです。しかし見物人が蛇の方に気をとられている油断を見すまして、三人ながらそれぞれに巾着切りを働いていたというんですから、抜け目のないこと驚きます。
おとくは掴み出した切髪を途中の川へ捨ててしまって、そこで自分の手を洗って、さてそれから二人にむかって、さあ約束通りにこれから自分を姐御にするかと云い出すと、おもよとお大は忌《いや》だと云う。それでは約束が違うと云う。不良少女三人はさんざん口ぎたなく云い合いながら、その晩はまず無事に帰ったんですが、あくる日も又それで喧嘩をはじめて、おとくがそんならお前も蛇を掴んでみろ、いくら口惜《くや》しがってもあたしの真似は出来まいと云うと、こっちの二人も行きがかりで、何の、あたし達だって掴んでみせると云う。なにしろお転婆《てんば》同士だから堪まりません。三人はその晩、また出直してあの空屋敷の門前へ忍んで来たんですが、きのうの蛇は勿論いる筈はないので、そんならこの屋敷の庭へ忍び込んで、見つけ次第に蛇をつかまえるということになって、三人はどこから這入ろうかと窺っているうちに、お大はおとくの隙をみて、隠して持っていた匕首《あいくち》を不意にその乳の下へ突っ込むと、いつの間にか云い合わせてあったとみえて、おもよも一緒に匕首をぬいて、これもおとくの脇腹へ突き立てたので、おとくはそのまま倒れてしまいました。その息の絶えたのを見とどけて、おもよとお大はそっと逃げ出したんですが、場末のさびしい屋敷町で、殊に夜ふけのことですから、誰もそれを知らなかったと見えます。
二人がおとくを殺したのは別に深い理窟もないんです。どう考えても蛇をつかむのはいやだ。といって、おとくを姐御として尊敬するのも口惜《くや》しい。唯それだけのことで相手を殺す気になったので、年頃の女たちですけれども別に意趣遺恨は籠っていなかったようです。
こういうわけで、この事件は別にむずかしい探索というほどのこともありませんでした。山の手の人たちは知らないでしょうけれども、わたくしは前からこのおとくという奴に目をつけていましたが、まだ年の行かない小娘だからと思って、まあ大目《おおめ》に見逃がして置いてやると、こんな飛んでもない騒ぎを仕出来《しでか》してしまったんです。それですから、辻番でその死骸をみせられた時に、わたくしは一と目でその身もとを覚って、すぐにその同類を探させたので、訳なしに埒《らち》が明きました。三人の隠れ家は渋谷のおさん婆という女の家でした。この婆がまた悪い奴で、表向きは駄菓子屋をしていながら、この娘三人を引き摺り込んで、盗んで来た品物をほかへ捌《さば》いてやって、中途でうまい汁を吸っていることが露顕したので、これも一緒に召し捕られました。一体ここらは昔から蛇なんぞの多いところでしたが、この一件以来、その空屋敷を蛇屋敷と云い出して、明治になるまで誰も住んでいなかったようです」
老人の話が済んだ頃から、空はだんだんに薄明るくなって来たが、風は死んだように吹かなくなった。風通しのいいのを自慢にしているこの六畳の座敷も息苦しいように蒸し暑くなって、遠い空では時々に雷の音も低くきこえたが、ここへは夕立を運んで来そうにも見えなかった。
「こいつあ降りません。ただ蒸《む》すばかりですよ」と、老人は顔をしかめたが、やがて又笑い出した。「これじゃあ金儲けも出来ませんね」
成程これでは雷獣も飛び込んで来そうも無かった。
[#改ページ]
半七先生
一
わたしがいつでも通される横六畳の座敷には、そこに少しく不釣合いだと思われるような大きい立派な額《がく》がかけられて、額には草書《そうしょ》で『報恩額』と筆太《ふでぶと》にしるしてあった。嘉永|庚戌《かのえいぬ》、七月、山村菱秋書という落款《らくかん》で、半七先生に贈ると書いてあるのも何だかおかしいようにも思われた。この額のいわれを一度きいて見ようと思いながら、いつもほかの話にまぎれて忘れていたが、ある時ふと気がついてそれを言い出すと、老人は持っている煙管《きせる》でその額を指しながら大きく笑った。
「はは、これですか。ははははは。どうです、半七先生が面白いじゃありませんか。これでも先生ですぜ。この額をかいてくれたのは、神田の手習い師匠の山村小左衛門という人で、菱秋《りょうしゅう》というのは其の人の号ですよ」
「それにしても、報恩額というのはどういう訳です。なにかのお礼にでも書いてくれたんですか」と、わたしは訊《き》いた。
「そうですよ。まあ、お礼の心で書いてくれたんです。それにはこういう因縁があるので……。又いつもの手柄話をして聴かせますかね」
嘉永三年七月六日の宵は、二つの星のためにあしたを祝福するように、あざやかに晴れ渡っていた。七夕《たなばた》まつりはその前日から準備をしておくのが習いであるので、糸いろいろの竹の花とむかしの俳人に詠《よ》まれた笹竹は、きょうから家々の上にたかく立てられて、五色《ごしき》にいろどられた色紙《いろがみ》や短尺《たんざく》が夜風にゆるくながれているのは、いつもの七夕の夜と変らなかったが、今年は残暑が強いので、それは姿ばかりの秋であった。とても早くは寝られないので、どこの店さきも何処の縁台も涼みながらの話し声で賑わっていた。半七も物干《ものほし》へあがって、今夜からもう流れているらしい天《あま》の河をながめていると、下から女房のお仙が声をかけた。
「ちょいと、お粂《くめ》さんが来てよ」
「そうか」と、云ったばかりで、半七はべつに気にも留めないでいると、つづいてお粂の声がきこえた。
「兄さん。ちょいと降りて来てくださいよ。すこし話があるんだから」
「なんだ」
団扇《うちわ》を持って降りてくると、お粂は待ち兼ねたように摺り寄って云った。
「あの、早速ですがね、おまえさんも知っているでしょう、甲州屋の≪なあ≫ちゃんを……」
「むむ、知っている」
半七の妹が神田の明神下に常磐津の師匠をして、母と共に暮らしていることは、前にもしばしば云った。そのすぐ近所に甲州屋という生薬屋《きぐすりや》があって、そこのお直《なお》という娘がお粂のところへ稽古に通っているのを、半七も知っていた。
「その≪なあ≫ちゃんが何処へか行ってしまったのよ」と、お粂は少し小声で云った。
かれの訴えによると、お直の≪なあ≫ちゃんは行方不明になったというのである。お直はことし十三で、手習い師匠山村小左衛門へも通っていた。山村は甲州屋から三町あまり距《はな》れているところに古く住んで、常に八九十から百人あまりの弟子を教えていて、書流は江戸時代に最も多い溝口《みぞぐち》流であった。手習い一方でなく、十露盤《そろばん》も教えていたが、人物も手堅く、教授もなかなか親切であるというので、親たちのあいだには評判がよかった。しかし弟子のしつけ方がすこぶる厳しい方で、かの寺小屋の芝居でもみる涎《よだれ》くりのように、水を持って立たされる手習い子が毎日幾人もあった。少し怠けると、すぐ大叱言《おおこごと》のかみなりが頭の上に落ちかかって来るので、いわゆる「雷師匠」として弟子たちにひどく恐れられていた。
手習い子は手ならい草紙《そうし》で習って、ときどきに清書草紙に書くのであるが、そのなかでも正月の書初《かきぞ》めと、七月の七夕祭りとが、一年に二度の大清書《おおぜいしょ》というので、正月には別に半紙にかいて、稽古場の鴨居《かもい》に貼りつける。大きい子どもは唐紙《とうし》や白紙に書くのもある。七夕には五色のいろ紙に書いて笹竹に下げる。これは普通の色紙《しきし》でなく、その時節にかぎって市中の紙屋で売っている薄い短尺《たんざく》型の廉《やす》い紙きれであるが、この時にも大きい子供はほんとうの色紙や短尺に書くのもある。七月に入ると、手習い子はみな下清書をはじめて、前日の六日にいよいよ其の大清書にかかるのである。それが一種の学年試験のようなもので、師匠は一々それを審査して、その成績の順序を定めるのであるから、子供ごころにも競争心がないでもない。上位の方に択《よ》り出されたといえば、その親たちも鼻を高くするのである。きょうはその大清書の日で、甲州屋のお直も紅い短尺に何かの歌を書かされたのであるが、それがひどく出来がわるいというので師匠の小左衛門から叱られた。
お直は手習いの成績はよい方であったが、今度はどうしたものか非常に出来が悪かったので、笹竹のずっと下の方にかけられた。ここの師匠は成績の順序で色紙《いろがみ》をかけるので、第一番のものは笹竹の頂上にひるがえっていて、それから順々に、下枝におりて来るのであった。お直は自分の短尺が同年の稽古朋輩のなかでも甚だしく下の方にかけられてあるのを見て、さっきからもう泣き声になっていたところを、更に師匠からきびしく叱られたので、彼女はとうとう声をあげて泣き出した。師匠の御新造《ごしんぞ》がさすがに気の毒がって、泣いているお直をなだめて帰してやったが、一人で帰すのはなんだか心もとないので、お力《りき》という近所の娘を一緒につけて出すと、お直は途中で不意にお力のそばを離れて横町へ駈け込んだまま姿を見うしなってしまった。それはきょうの午頃《ひるごろ》のことで、お直はそれぎり自分の店へも戻らないのであった。
お粂がそれを知ったのは夕方のことで、もしやこちらにお直は来ていないかと甲州屋から聞きあわせに来たので、だんだんその仔細を訊《き》いてみると、それが手習いの帰りにゆくえ不明となったことが初めて判った。殊に前に云ったような事情があるだけに、お粂も一種の不安を感じて、日が暮れてから甲州屋をたずねると、お直はまだ帰らないとのことであった。親たちも心配して、親類や友達などの心あたりを方々聞きあわせたが、彼女はどこへも立ち廻った形跡はなかった。
稽古帰りに無断でよそへ廻るなどは、今までかつて例のないことであると、甲州屋では云っていた。念のために師匠のところへも報《し》らせてやると、小左衛門の御新造のお貞もおどろいて駈けつけて来たが、どの人もただ心配するばかりでどうする術《すべ》も知らなかった。こうしているうちに時刻はだんだんに過ぎてゆくので、人々の不安はいよいよ募《つの》って来た。この場合、兄をたのむよりほかはないと思ったので、お粂はそのわけを人々にも話して、あまの河の大きく横たわっている空の下を神田三河町まで急いで来たのであった。
「ねえ、≪なあ≫ちゃんはどうしたんでしょう」と、お粂はこの話を終って兄の顔を見つめた。
「なにしろ、甲州屋でも心配しているだろう」
半七はこれにやや似た探索の経験をもっていた。それは前に云った「朝顔屋敷」の一件であるが、それとこれとは全く事情が違っているらしく感じられた。
「お師匠さんがあんまり叱ったから悪いんだわね」と、女房のお仙がそばから口を出した。
「そりゃあそうですともさ」と、お粂は腹立たしそうに答えた。「かみなり師匠があんまりがみがみ云うからですわ。何か悪い事でもしたというなら格別、たなばた様の短尺なんぞちっとぐらい出来が悪いからといって、そんなに叱る事はないじゃありませんか。まして男と違って女の子ですもの、むやみな叱言《こごと》を云えば何事が出来《しゅったい》するかわからない。一体、あの雷師匠が判らずやなんですからね、ただむやみに呶鳴《どな》り散らせばいいかと思って……。あんなことで子供たちを仕立てて行かれるもんですかよ」
彼女は口をきわめて雷師匠を罵《ののし》った。まえにも云う通り、小左衛門は手堅い人物であるので、ふだんから自分の手習い子が遊芸の稽古所などへ通うのをあまり懌《よろこ》ばないふうであった。それが自然とお粂の耳にもひびいているので、この場合、かみなり師匠に対する彼女の反感は一層強いらしかった。
「大勢のまえであまり激しく叱り付けられたもんだから、気の小さい≪なあ≫ちゃんは朋輩にきまりも悪し、家《うち》へ帰れば又叱られるだろうと思って、可哀そうに何処へか姿をかくしてしまったんですよ。ひょっとすると、井戸か川へでも飛び込んだかも知れない。そうなれば師匠が弟子を殺したも同然じゃありませんか。かみなり師匠の奴が下手人ですわ」と、お粂は泣き声をふるわせて又罵った。
「まあ、静かにしろ」と、半七は叱るように云った。「そんなことは今更云ったって始まらねえ。まあ、落ち着いて考えさせてくれ。甲州屋の娘もまだ十二や十三じゃあ、色気の方は大丈夫だろう」
「そりゃあ大丈夫。そんなことの無いのはあたしが受け合います」
「内輪《うちわ》になにも面倒はあるめえな」
「そんなことはない筈です」
お直には藤太郎という兄がある。両親も揃っている。店の若い衆が二人と小僧が三人、ほかにはお広という老婢《ばあや》と、おすみという若い下女がいる。店がかりは派手でないが、手堅い商売をして内証も裕《ゆたか》であるらしい。親類たちのあいだにも面倒が起ったという噂も聞かない。したがって今度のお直の家出も、内輪の事情からではないに決まっていると、お粂は保証するように云った。
「そうか」と、半七はまだ考えていた。「だが、おめえばかりの話じゃあ判らねえ。ともかくも甲州屋へ行ってみよう」
「ああ、すぐに来てください」
お粂は兄をうながして表へ出ると、暑いと云っても旧暦の七月の宵はおいおいに更《ふ》けて、夜の露らしいものが大屋根の笹竹にしっとりと降《お》りているらしかった。
二
甲州屋へ行って、お直の親たちにも逢ったが、お粂が持ってきた報告以外の新らしい事実を、半七はなんにも探り出すことが出来なかった。どの人の意見もお粂と同様で、短尺の不出来と師匠の叱言《こごと》とが気の小さい娘をどこへか追いやったのであるということに一致していた。半七も先ずそう考えるよりほかはなかった。
越《こし》ケ谷《や》の方に甲州屋の親類があって、お直は母につれられて一度行ったことがあるので、よもやとは思うものの、兄の藤太郎が店の者をつれて、あしたの早朝に越ケ谷へ訪ねてゆくことになっている。甲州屋に取っては、それがおぼつかない一縷《いちる》の望みであった。娘が家出のことは無論、町《ちょう》役人にも届けて置いた。両国や永代《えいたい》の川筋へも人をやって、その注意を橋番にもたのんで置いた。甲州屋としては、もうほかに施《ほどこ》すべき手だてもないので、半七は今更なんの助言をあたえようもなかった。しかし明日《あした》になったならば、子分の者どもに云いつけて、せいぜい心あたりを探させてみることを約束して、半七はもう四ツ(午後十時)頃、甲州屋を出ると、まだ半町も行き過ぎないうちに、あとから息を切って追ってくるものがあった。
「もし、親分さん、三河町の親分さん」
女の声らしいので、誰かと思って立ち止まると、それは甲州屋のばあやのお広で、かれはあわただしくささやいた。
「親分さんに少し内々《ないない》で申し上げて置きたいことがございますが……。旦那やおかみさんは滅多にそんなことを云っちゃあならないと云っているのですが、どうも黙って居りましては気が済みませんので……。ちょいとお前さんのお耳に入れて置きたいと存じますが……」
お広はお直の乳母として雇われたものであったが、その儘そこに長年《ちょうねん》して、お直が生長の後までも≪ばあや≫と呼ばれて奉公しているのであった。年はもう四十ぐらいの大柄な女で、ふだんから正直でよく働くと云われていた。
「そこで、どんな話ですえ」と、半七は小声できいた。
「申してもよろしゅうございましょうか」
「なんでもいいから聴かせてもらおうじゃあねえか」
「では、これはただ内々で申し上げるのでございますが……」
まえ置きをして、お広がそっと話し出すのを聴くと、お広はきょうお直と一緒に帰って来たというお力がどうも怪しいというのであった。お力の家は隣り町《ちょう》の倉田屋という瀬戸物屋で、甲州屋とはふだんから心安く交際しているのであるが、倉田屋の女房はひどく見得坊《みえぼう》で、おまけに僻《ひが》み根性《こんじょう》が強くて、お広の眼から見るとどうも面白くない質《たち》の女であるらしい。倉田屋には二人の娘があって、姉のお紋は今年十八で、妹のお力はお直と同い年の十三である。その姉娘のお紋をお直の兄の藤太郎の嫁にくれるというような話が、かつて双方の親たちのあいだに起った事もあったが、別にたしかに取り極めた約束というでもなくて、まずそのままになっているうちに、甲州屋では今度京橋の同業者の店から嫁を貰う相談がまとまって、この九月にはいよいよ婚礼をすることになった。それを洩れ聞いて、倉田屋ではひどく怒っているらしい。勿論、許嫁《いいなずけ》というわけでもないので、表向きに苦情を持ち込んでくることは出来なかったが、内心では甲州屋を怨んでいるらしい。殊にひがみ根性の強い倉田屋の女房は、平生《へいぜい》あれほど懇意にしていながら、あまりに人を踏みつけにした仕方であると云って非常にくやしがっていることは、出入りの女髪結《おんなかみゆい》の口からも聞いている。現にこのあいだ、お広が倉田屋へ買物に行った時にも、女房は口に針を含んでいるような忌味《いやみ》を云った。それらの事情から考えると、倉田屋ではそれを根に持って、藤太郎の妹のお直に対して何かの復讐を加えたのではあるまいかというのであった。
「ふうむ、それは初めて聴いた」と、半七はうなずいた。「だが、唯それだけのことで、ほかにはもう証拠らしいものはないんだね」
「それに、倉田屋ではどうも≪なあ≫ちゃんを怨んでいるらしいんです」と、お広はさらに説明した。
「≪なあ≫ちゃんはお力ちゃんのところへ始終遊びに行くので、姉さんのお紋さんともよく識《し》っています。それで、こっちでお紋さんをもらうのを見合わせたのは、≪なあ≫ちゃんが何か親たちや兄さんにいいつけ口をしたように思っているらしいんです。一体、お紋さんという子も阿母《おっか》さんに似た見得坊で、おしゃべりのお転婆《てんば》で、近所で誰も褒める者はありゃしません。甲州屋でお嫁に貰うのを見合わせたのも、つまりはそのせいなんですが、それがやっぱり身贔屓《みびいき》で、自分の娘の悪いことは棚にあげて、ふだん遊びに行く≪なあ≫ちゃんが、家へ帰って何か讒訴《ざんそ》でもしたように思い込んでいるらしいんです。ひがみ根性の強いおかみさんのことですから、それも仕方がありませんけれども、外道《げどう》の逆恨《さかうら》みでむやみに人を怨んで、おまけに罪もない≪なあ≫ちゃんを疑って、万一そんなことを仕出来《しでか》したとすれば、どうしたって打《う》っちゃって置くことが出来ません。旦那やおかみさんが何と云おうとも、わたくしが黙っていられません。ねえ、親分さん。そうじゃございませんか」
これはお広の一料簡でなく、甲州屋の親たちも内々のうたがいを懐《いだ》いていながら、迂闊《うかつ》にそんなことを口外することは出来ないので、わざと自分のあとを追わせて、お広の一料簡のつもりで密告させたのではあるまいかと半七は思った。
「それで、そのお力という娘はどんな子だえ」
「やっぱり阿母さんや姉さんにそっくりで、なかなかお転婆の、強い子なんですよ。からだも大きくって、≪なあ≫ちゃんと同い年ですけれど二つぐらいも年上にみえます」
「そうか。それじゃあともかくもその倉田屋へ行ってみよう。もう寝たかも知れねえが、まあ其の家《うち》だけでも教えてもらおう」
お広に案内させて、半七は引っ返した。その瀬戸物屋は甲州屋の隣り町角から四軒目で、間口は三間か三間半ぐらいもあるらしく、その店がまえは悪そうもなかった。表の大戸はもう卸《おろ》してあったが、軒の下に細長い床几《しょうぎ》を置いて、ひとりの若い者と小僧とが涼んでいた。となりの糸屋は店を半分あけていて、その前にもやはり二、三人の男がたたずんで何かしゃべっていた。どこかで籠の虫の声もきこえた。
途中で申し合わせてあるので、お広は近寄って倉田屋の若い者に声をかけた。
「今晩は……。どうもいつまでもお暑いことでございます」
「やあ、今晩は……」と、若い者も挨拶しながら床几を起《た》ちあがった。「ばあやさん。≪なあ≫ちゃんは帰りましたか」
甲州屋からは昼間と宵と二度も聞きあわせの使が来ているので、ここの店の者共もお直が家出のことを知っていた。まだ帰らないというお広の返事をきいて、若い者も気の毒そうに云った。
「どうしたんでしょうねえ。内のおかみさんも大変に心配しているんですよ。お力ちゃんが一緒に帰ってきて、途中でこんなことがあっちゃあ、甲州屋さんにも申し訳がないと云って……」
「皆さんはもうお寝《やす》みになりましたか」と、お広は訊《き》いた。
「ええ、おかみさんもお紋さんもよそから帰って来て、もうすこし前に寝ましたが、起しましょうか」
「いいえ、それには及びません」
「ばあやさんはまだ探して歩いているんですかえ」
「なにしろ心配でなりませんからね。この方とごいっしょに、あてども無しにそこらを探してあるいているんです」
「それは御苦労さまですね。お察し申します」
「どうぞ皆さんによろしく」
こんな挨拶をして、お広はここを立ち去った。半七もあとから黙って付いて行った。夜もおいおいに更《ふ》けて来て、とても今夜のことには行きそうもないので、半七は町内の角でお広に別れた。
家へ帰る途中で、半七はいろいろに考えた。若い娘が清書の不出来を師匠に叱られて、朋輩の手前、親の手前、面目なさに姿をかくすというようなことは、あながち世間に例のない話でもない。お粂の意見もそれであった。婚礼を破談にされた遺恨から、心のひがんだ女親がその復讐のために、相手の男の妹娘をどこへか隠したのであろうというお広の密告は、少しく穿《うが》ち過ぎた想像ではあるが、そんなことが決してないとは云えない。一途《いちず》に思いつめた女の心のおそろしいことを、半七は多年の経験でよく知っていた。お粂の判断は自然であり、お広の想像はやや不自然であるが、世のなかには普通の尺度《ものさし》で測ることの出来ない不思議の多いのをかんがえると、半七はまだ容易にどちらへも勝負をつけるわけには行かなかった。彼は賽《さい》をつかんだまま神田の家へ帰った。
三
その夜はあけて、七日の朝になった。きょうも朝から暑い日で、あまの河には水が増しそうもなかった。いろがみの林を作った町々の上に、碧《あお》い大空が光っていた。
半七は朝飯をすませて、すぐに山村小左衛門の家をたずねると、きょうは五節句で稽古は休みであった。小左衛門もお直の一条では胸を痛めているので、半七を奥へ通すと、丁寧に挨拶して、なんとか探索の方法はあるまいかと頼むように相談した。かれは四十五六の人柄のいい男で、半七の問いに対してこう答えた。
「お直もお力も九つの春から手習いに来て居ります。わたくしも自分の教え子の行状については、ふだんから相当に気をつけて居りますが、お直はおとなしいようでもなかなか強情の気質、お力は男の子のように跳ね返っている女で、人間は少し愚《おろか》らしく見えます。それでも二人は仲がよかったようで、毎日誘いあわせて通って居りました。今度のことに就いては、わたくしが何かお直をきびしく叱ったので、それで家出したように甲州屋の親たちは思っているようですが、それは大きな間違いです。尤《もっと》も、わたくしは弟子のしつけ方は随分きびしい方で、世間ではかみなり師匠とか云っているそうですが、いかにわたくしが雷でも、仔細もなしにむやみに弟子たちを叱ったり折檻《せっかん》したりする筈はありません」
かみなり師匠がお直を叱ったのは、たなばたの清書が不出来な為ばかりではなかった。きのうの朝、お直はこの稽古場でその袂《たもと》から二通の手紙を取りおとした。師匠はすぐにそれを見つけて、それはなんだと詮議すると、お直はあわててそれを自分のふところに押し込んでしまって、一言の返事もしなかった。封は切らぬから上書《うわがき》だけを見せろと云ったが、彼女は決して見せなかった。誰の手紙かと訊《き》いても、彼女はやはり強情に答えなかった。
まだ十三の小娘で、まさかに色恋の文《ふみ》ではあるまいと思うものの、彼女が強情に隠しているだけに、小左衛門は一種の疑惑と不安を感じて、どうしてもその手紙をみせなければ、今日《きょう》はいつまでも止めて置くぞと嚇《おど》しつけると、お直はわっと声をたてて泣き出した。その声が奥まできこえて、御新造のお貞も出て来た。ふだんから師匠のあまり厳しいのを苦にしているお貞は、とにかく仲裁して何事もなしに済ませたが、清書の不出来で叱られた上に、更に又こんな事件が出来《しゅったい》して、お直はいつまでも泣きやまないのを、お貞は賺《すか》し宥《なだ》めて、お力と共に帰してやったのである。甲州屋へ行って、お力はなんと告げたか知らないが、事実はまったく此の通りで、お直が強情に隠していたその文がなんであるかは判らない。甲州屋ではこの事情を知らないで、なにか自分が無理な叱言《こごと》でも云ったように誤解していられては甚だ迷惑であるから、実はこれから甲州屋へ出向いて、お直の親たちにもその訳を話して聞かせようと思っていると、小左衛門は云った。
「いや、判りました。わたくしは今まで大きに勘ちがいをして居りました」と、半七は微笑《ほほえ》みながら云った。
「就きましては、先生。どうかこの一件はわたくしにお任せ下さる訳にはまいりますまいか。きっと埒をあけてお目にかけます」
「勿論それはこちらからお願い申すので……。そうしますと、わたくしが甲州屋へ行くのはどうしましょうかな」と、小左衛門は少し考えていた。
「どうか、もうしばらくお見合わせが願いたいものですが……」
「承知しました」
新らしい獲物をつかんで、半七はかみなり師匠の門《かど》を出た。師匠は嘘をつくような人物ではない。今の話がほんとうであるとすれば、お粂の判断は間違っていた。お広の想像も少しく的《まと》をはずれているらしい。半七はそれからすぐに甲州屋へゆくと、お直のゆくえはまだ知れないので、店じゅうの者がみな暗い顔をしていた。ゆうべはまんじりともしなかったというので、お広は眼を窪《くぼ》ませていた。
「若旦那はもう立ちましたかえ」と、半七は先ず訊《き》いた。
「まだでございます」と、居あわせた店の者が答えた。
「大層おそいじゃありませんか」
「六ツ半(午前七時)頃には立つ筈だったのですが、暁方《あけがた》から急に頭痛がすると云って、まだ二階に寝て居ります。たぶん寝冷えをしたのだろうというので、今朝《けさ》ほどは立つのを止めました」
「そうですか、それはあいにくでしたね。お見舞ながら二階へちょいと通ってもよござんすかえ」
「はい、ちょいとお待ちください」
店の者は二階へあがって行ったが、やがて又引っ返して来て、取り散らしてありますが、どうぞお通りくださいと案内した。
二階は六畳と八畳のふた間で、藤太郎は表に向いた六畳に寝ていたらしいが、半七のあがって行った時には、もう起き直って蒲団《ふとん》のうえに行儀よく坐っていた。藤太郎はことし二十歳《はたち》の小柄の男で、いかにも病人らしい蒼ざめた顔をしていた。
「お早うございます」と、藤太郎は手をついた。「このたびはいろいろと御心配をかけて恐れ入ります」
「どこかお悪いそうですね」と、半七はかれの顔をのぞきながら云った。「なるほど、顔の色がよくないようだ、起きていてもいいのですかえ」
「こんな体《てい》たらくで失礼をいたします。たいした事でもございませんが、どうも暁方《あけがた》から頭が痛みまして……。あいにくの時でまことに困って居ります」
医者に診《み》て貰ったかと訊くと、それほどのことでもないらしいので、差しあたりは店の薬を飲んでいると藤太郎は云った。芝に上手な占《うらな》い者《しゃ》があるので、母は朝からそこへたずねて行った。父は日本橋の親類へ相談に行った。妹のたよりが一向判らないので、家《うち》じゅうがゆうべから碌々に寝ないで騒いでいると彼は話した。
「そうすると、おまえさんは病気のよくなり次第に、越ケ谷とかへ行くつもりですかえ」と、半七はまた訊いた。
「はい。ともかくも念晴らしに一度は行って来たいと思って居ります」
「きっと出かけますかえ」
「はい」
「およしなせえ、くたびれ儲けだ。路用をつかうだけ無駄なことだ」
「そうでございましょうか」と、藤太郎はすこし考えているらしかった。
「なにも首をひねることはねえ。出かけるくらいなら、今朝《けさ》なぜ直ぐに出て行きなさらねえ」
と、半七はあざ笑った。「仮病《けびょう》をつかって、家の二階にごろごろしていることはねえ。さっさと飛び起きて、草鞋《わらじ》をはく支度をするがいいじゃあねえか」
「いえ、決して仮病では……。唯今も申す通り、どうも寝冷えをいたしたとみえて、暁方《あけがた》から頭が痛みまして……」
「あたまの痛てえのはほかに訳があるだろう。倉田屋の姉娘を呼んで来て看病して貰っちゃあどうだね」
藤太郎の顔の色はいよいよ蒼くなった。
「おまえさんは妹を使にして、倉田屋の娘と文《ふみ》のやりとりをしているだろう」と、半七は畳みかけて云った。
「倉田屋の娘もやっぱり自分の妹を使にしている。どっちの妹も稽古朋輩だから、それはまことに都合がいいわけだ。ここの妹がきのう雷師匠に嚇かされたのは、清書が不出来のせいじゃあねえ。稽古場で手紙を落としたからだ。男のか女のか知らねえが、それを向うへ渡そうとするのか、それとも向うから受け取ったか、どっちにしてもお前さんと倉田屋の姉娘とは係り合いを逃がれられねえ。さあ、今更となっていつまでも隠し立てをしているのは、よくねえことだ。親たちに苦労をかけ、家じゅうの者をさわがして、お前さんが仮病をつかって平気で寝てもいられめえじゃあねえか。いや、仮病はわかっている。どうで越ケ谷へ行っても無駄だということを百も承知しているから、頭が痛えの、尻が痒《かゆ》いのと云って、一寸逃がれをしているのだ。おまえさんの顔の色の悪いのは病気じゃあねえ。ほかに苦労があるからだ。薄ぼんやりしている倉田屋の妹娘を引っ張り出して、あたまから嚇かして詮議すれば何もかも判ることだが、そんなことはしたくねえから、それでこうして膝組みでおまえさんに訊《き》くんだ。一体おまえさん達は今までどこで逢っていたんだ。どうで遠いところじゃあるめえ。真っ先にそれを教せえて貰おうじゃあねえか」
藤太郎は蒲団のうえに手をついたまま、しばらく顔をあげなかった。その蒼ざめた額《ひたい》からは汗のしずくが糸をひいたように流れ落ちていた。
四
半七は甲州屋を出て、池《いけ》の端《はた》へ行った。近所で女髪結のお豊の家をきくと、すぐに知れて、それは狭い露路をはいって二軒目の小さい二階家であった。
格子にならんだ台所で、三十三四の女が今夜のたなばたに供えるらしい素麺《そうめん》を冷やしていた。半七は近よって声をかけると、かれは主婦《あるじ》のお豊であった。ここに誰か倉田屋の人は来ていないかと訊くと、お豊は不安らしい眼をしてじろじろ眺めながら、誰も来ていないと冷やかに答えた。
「それでは、甲州屋さんから誰かまいって居りますまいか」
「いいえ」と、お豊はやはり無愛想に答えた。
「まったく来て居りませんでしょうか」
「来ていませんよ」と、お豊は煩《うる》さそうに云った。「一体おまえさんはどこから来たんです」
「甲州屋からまいりました」
お豊は黙って半七の顔を見つめていると、半七はにやにや笑いながら云い出した。
「いえ、御心配なさることはありません。わたしは甲州屋の藤さんに頼まれて来たんです。倉田屋のお紋さんと藤さんが始終ここの二階へ来ることもみんな知っています。御存じだかどうだか知りませんが、甲州屋の≪なあ≫ちゃんが昨日《きのう》から家出をして今にゆくえが知れないので、家《うち》では大騒ぎをしているんです。藤さんが来る筈ですが、すこし加減が悪くって、けさから寝込んでいるので、わたしがその使をたのまれて来ました。≪なあ≫ちゃんは昨日から一度もここへ来ませんかしら」
「いいえ、一度もお見えになりませんよ」
詞《ことば》づかいは余ほど丁寧になったが、彼女は見識らない使の男にたいしてやはり油断しないらしかった。
「もし、おかみさん、あの壁にかかっているのはなんですえ」と、半七は伸び上がってだしぬけに奥をゆびさした。
残暑の強い朝であるから、そこらは明け放してあった。格子のなかの上がり口には新らしい葭戸《よしど》が半分しめてあったが、台所と奥とのあいだの障子は取り払われて、六畳くらいの茶の間はひと目に見通された。助炭《じょたん》をかけた長火鉢は隅の方に押しやられて、その傍には古びた箪笥が置いてあった。それにつづいた鼠壁には、どこからかの貰いものらしい二、三本の団扇《うちわ》が袋に入れたままで逆《さか》さに懸かっていた。
「あの団扇ですかえ」と、お豊は奥を見かえった。
「いいえ、あの団扇の隣りに懸かっているのは……。あれはなんですえ。お草紙《そうし》のようですね」
「うちの子供のお草紙です」
「ちょいと持って来て、見せてくれませんか」
「お草紙をどうするんですよ」
「どうしてもいい、用があるから見せろと云うんだ」と、半七は少し声をあらくした。「強情を張っていると、おれが行って取ってくる」
草履をぬいで台所から上がろうとすると、お豊はさえぎるように起ちあがった。
「おまえさん。人の家《うち》へむやみにはいって来て、どうするんですよ」
半七はつかつかと茶の間へ踏み込んで、団扇のとなりに懸けてある一冊の清書草紙を手に取った。
「今聞いていれば、うちの子供のお草紙だと云ったな。嘘つき阿魔《あま》め。ここの家にどんな子がいる。猫の子一匹もいねえじゃあねえか。六十幾つになるつんぼの婆さんとおめえの二人っきりだということは近所で訊《き》いて知っているぞ。第一この草紙の表紙になんと書いてある。庚戌《かのえいぬ》、正月、なお……この≪なお≫というのはだれの名だ。世間におなじ名はあっても、ここでこの草紙を見つけた以上は云い抜けはさせねえ。甲州屋のむすめの手習い草紙がどうしてここに懸けてあるんだ。仔細をいえ。わけを云え」
お豊は唖《おし》のように突っ立っていると、半七は片手に草紙を持ちながら、かた手で彼女の腕をつかんだ。
「婆はどこへ行った」
「近所へ買物に出ました」と、お豊は口のなかで答えた。
「そんなら二階へ案内しろ」
彼女を引き摺るようにして、せまい掛け階子《ばしご》をのぼってゆくと、二階の四畳半には誰もいなかった。半七は念のために押入れをあけて見た。古い葛籠《つづら》をゆすってみた。
「まあ、坐れ」と、かれは再びお豊の腕をつかんで、四畳半のまんなかに引き据えた。「これ、正直に云え。さっきは甲州屋の使と云ったが、御用で調べるのだ。甲州屋のお直はきのうここへ来たか」
草紙を眼のさきに突きつけられて、お豊はもう包み切れなくなった。かれは恐れ入って白状した。甲州屋のお直はここの家へ来たのである。きのうの午《ひる》頃にお豊が得意場から帰ってくると、途中で倉田屋の娘と甲州屋のむすめが二人連れで来るのに逢った。お直はしきりに泣いているのを、お力がなだめているらしかった。どちらも自分の得意場の娘であるので、お豊は見すごし兼ねて立ち寄って、もしや喧嘩でもしたのではないかと訊《き》くと、お直が師匠さんに叱られたのであると判った。それもほかのことで叱られたとあれば、お豊もいい加減になだめて別れるのであったが、お力から渡されたお紋の手紙を稽古場で取り落して、それを雷師匠に見つけられたのであると聞いて、お豊もすこし驚いた。
甲州屋の息子と倉田屋の姉娘とのあいだには、半七が睨んだ通りの関係が結びつけられていた。親たち同士は単に口さきの軽い話ぐらいに過ぎなかったが、若いもの同士は更に深入りをして、おなじ手習い師匠にかよう双方の妹がいつも文《ふみ》づかいの役目を勤めさせられていた。女髪結のお豊は一種の慾心から時々自分の二階をお紋と藤太郎とに貸していた。こういうわけで、お豊もこの事件に係り合いがあるだけに、秘密の手紙を師匠に見つけられたと聞いて顔色をくもらせた。相手は名代《なだい》のかみなりであるから、おそらくこのままでは済ませまい。お直が怪しい手紙を隠し持っていたということを、甲州屋の親たちに一応通知するかも知れない。そうして、二人の秘密が発覚したあかつきには、その取り持ちをした自分も当然その係り合いを逃がれることは出来ない。双方の親たちからやかましい掛け合いをうけた上に、二軒の得意場をうしなうのは知れている。しかも彼女が現在住んでいる池の端の裏屋は甲州屋の家作《かさく》であるから、ここもおそらく追い立てられるであろう。そればかりでなく、そんな噂が世間にひろまれば、自分の信用はひどく傷つけられて、更に幾軒の得意場を失うかも知れない。あるいは此の土地で稼業が出来ないようになるかも知れない。それからそれへと考えてゆくと、お豊はなかなか落ち着いていられなくなった。
なにしろ往来ではどうにもならないというので、彼女はともかくもお力とお直を自分のうちへ連れて行って、二人の娘の持っている清書草紙を下の壁にかけて置いて二階へ通した。お豊は更にお紋と藤太郎をよんで来て、なんとか善後策を講ずるつもりで、すぐ甲州屋へ行ってみると、息子はあいにく留守であった。倉田屋の店には娘がいたので、お豊はそっと呼び出してささやくと、お紋もおどろいて一緒に出て来た。
女髪結の家の二階で、お紋は自分の妹とお直に逢った。かれはお直の不注意を激しく責め立てた。それが雷師匠に輪をかけたかとも思われるほど凄まじい権幕《けんまく》であるので、お豊は又びっくりした。しかしそれにはわけのある事で、お紋がこの頃すこしく取りのぼせているらしいことをお豊も内々知らないではなかった。若い同士の秘密を知らない甲州屋では、今度ある媒妁口《なこうどぐち》に乗せられて、倉田屋の話は忘れたように、よそから藤太郎の嫁をもらうことになった。気の弱い息子は正面からそれに反対する勇気もなくて、ただ内々で苦しんでいるうちに、その縁談はすべるように進行し、近々|結納《ゆいのう》を取りかわすまでに運ばれて来たので、それを知ったお紋は決して承知しなかった。かれは男の不実をはげしく責めて、一体わたしというものをどうしてくれるのだとせまったが、男の挨拶がとかくに煮え切らないので、お紋は焦《じ》れて怨んで、この頃ではなんだか半病人のようになっていた。
倉田屋の親たちも無論に怒っていた。しかし自分の娘と藤太郎との関係がそんな峠まで登りつめているとはさすがに気がつかないで、いたずらに蔭口《かげぐち》を云うくらいですごしていたが、若い娘の胸の火はこの頃の暑さ以上に燃えて熱して、かれの魂は憤怒《ふんぬ》に焼けただれていた。かれは毎日のように長い手紙をかいて、それを妹に持たせてやって、男の妹の手から憎い男に突き付けさせていた。それほどに彼女の恨みの籠った手紙を、お直が不用意に取り落したと聞いて、お紋はむやみに怒った。一種の鬼女になっているような彼女は、噛みつくようにお直に食ってかかって、こんなことでは今までの手紙もたしかに兄さんにとどけてくれたかどうだか判らないなどと云った。それでもお豊の仲裁で、その方は先ずどうにか納まったが、一方の藤太郎が出て来ないのと、一方のお紋は半気違いのようになっているのとで、お豊が心配している肝腎の善後策は一向に要領を得なかった。彼女もこれには当惑して、お紋をなだめて待たせて置いて、再び藤太郎を呼び出しにゆくと、彼はまだ戻らないとのことであった。或いは隠れているのではないかとも疑ったが、しいて詮議もならないので其の儘むなしく帰ってくると、留守のあいだに大|椿事《ちんじ》が出来《しゅったい》していた。
二階にはお紋の姉妹《きょうだい》とお豊の母とが黙って坐っていた。どの人の顔も真っ蒼になっていた。お豊は又おどろいて仔細をきくと、かれが出て行ったあとで、執念ぶかいお紋はお直にむかって、その兄に対する恨みを又さんざんに列《なら》べ立てた。それがだんだんに募って来て、わたしがこうして兄さんに捨てられたのも、おまえが蔭へまわって何か讒訴をしているからに相違ないと云い出した。それにはお直も黙っていなかった。彼女は持ち前の強情から飽くまでもそれを否認して、たがいに云い争っているうちに、お紋はいよいよ逆上して、いきなりにお直の胸倉を引っ掴んで小突きまわすと、どうしたはずみか彼女の喉を強く絞めて、十三の小娘はもろくも息が絶えてしまったのである。お豊もそれを聞いて呆気《あっけ》に取られた。よく見ると、まったく嘘ではない。お直は冷たい死骸となってそこに横たわっているので、お豊はあわてて出来るだけの介抱をした。水をのませても、水天宮様の御符《ごふ》を飲ませても、擦《さす》っても揺《ゆす》ぶっても、お直はもう正体がないので、彼女も途方にくれてしまった。
こうなっては、とても自分ひとりの知恵や分別にはあたわないので、お豊は汗を流しながら再び倉田屋へかけ付けた。かれはお紋の母を呼び出して、そっとこの始末を訴えると、母もびっくりして半分は夢中で駈けて来たが、死んでしまったお直を生かす術《すべ》はなかった。表向きにすれば、お紋は無論に下手人である。この上はなんとかして此の事件を秘密に葬らなければならないと、母はお豊と額《ひたい》を突きよせて密談の末に、ようやく案じ出したのがお直の家出という狂言の筋書で、お力には母からよく云いふくめて、お直が途中からどこへか姿を隠したように甲州屋へ報告させてあった。師匠に当日叱られたということが、かれらに取ってはおあつらえ向きの材料で、お紋の母はそれから趣向をうみ出して、一個の狂言作者となりすましたのであった。
それにしても、お直の死骸をどこへか処分しなければならないので、お豊は更にお紋の母と相談の上で、谷中《やなか》まで出て行った。そこに住んでいる石屋職人の千吉というのはお豊の叔父にあたるので、彼女は仔細をあかして死骸の始末をたのむと、千吉は慾に目がくらんで引き受けた。かれは日の暮れるのを待って、一挺の辻駕籠を吊らせて、駕籠屋の手前は病人のように取りつくろって、お直をそっと運び出して行った。
これで万事解決したと思っていたが、お豊は壁にかけてある清書草紙を忘れていた。お力は帰るときに自分の草紙だけを持って行ったが、お直の分はそのままに残っていた。あまりに慌てていたのと、ふだんから草紙などというものに注意していないのとで、お豊は今朝《けさ》になってもその草紙には気がつかなかった。そうして、動かない証拠を半七に押えられたのであった。
甲州屋の藤太郎は半七にむかって、お紋とのわけを正直に白状してしまった。二人が女髪結の家で出逢っていることも打ち明けた。しかし、そこの二階でこんな椿事が出来《しゅったい》していることを、彼は夢にも知らなかった。半七もさすがに思い付かなかった。たとい事情がどうであろうとも、人間ひとりが殺されては一大事である。なるべくはその死骸を片付けないうちに、石屋の千吉を取り押えてしまいたいと思ったので、彼はお豊を案内者として、すぐに谷中へ急いで行った。
「お話は先ずこれぎりです」と、半七老人は云った。「お直は生きていましたよ」
「生き返ったのですか」と、わたしは訊《き》いた。
「そうですよ。もとが女の手で喉《のど》を絞めたんですから、一時は息がとまっても、また生き返ったんです。駕籠にゆられて行く途中で自然に息を吹き返したのですが、駕籠屋は始めから病人だと思っているので、別に不思議にも思わなかったらしいんです。千吉はおどろいたんですが、まあともかくも自分の家まで連れ込ませて、駕籠屋を帰してしまいました。死んだ者が生きかえって、本来ならば喜ぶ筈なんですが、この千吉というのが良くない奴で、生かして帰してしまえば倉田屋からたんまりした礼金も貰えない。いっそ黙って何処へか売り飛ばして自分のふところを温めれば、一挙両得だという悪法を企《たくら》んで、お直には猿轡《さるぐつわ》をはませて戸棚のなかへ押し込んで置いたんです。そうして、倉田屋の方へは、その死骸を人の知らないところへ埋めたようなことを云って約束の礼金を貰い、その後も相手の弱味につけ込んで、時々ゆすりに行こうぐらいに考えていたんです。昔はこういう悪い奴が随分ありました。もうひと足おそいと、お直はどこかの山女衒《やまぜげん》の手に渡されて、たとい取り返すにしても面倒でしたが、いい塩梅《あんばい》にすぐに取り返してしまいました」
お直が無事に戻って来たので、甲州屋では世間の手前をはばかって万事を内分にしたいと云った。倉田屋からも甲州屋の方へしきりに泣きついて来た。ほかの関係者はともかくも、千吉だけは免《ゆる》して置かれないと思ったが、かれを表向きに突き出せば関係者一同もその係り合いを逃がれられないので、半七は我慢して彼をも見逃がすことにした。それが動機となって甲州屋にはお紋という嫁が出来た。
自分の弟子が救われたので師匠の山村小左衛門は半七のところへわざわざ挨拶に来た。かれは感謝の意を表するために、報恩額の三字を大きく書いた。甲州屋ではそれを立派な額に仕立てて半七に贈ったのであった。
「半七先生のいわれはこうですよ」
老人は再び大きい声で笑った。わたしも釣り込まれて笑い出した。
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冬の金魚
一
五月のはじめに赤坂をたずねると、半七老人は格子のまえに立って、稗蒔売《ひえまきうり》の荷をひやかしていた。わたしの顔をみると笑いながら会釈《えしゃく》して、その稗蒔のひと鉢を持って内へはいって、ばあやにいいつけて幾らかの代を払わせて、自分は先に立って私をいつもの横六畳へ案内した。
「急に夏らしくなりましたね」と、老人は青々した小さい鉢を縁側に置きながら云った。「しかし此の頃はなんでも早くなりましたね。新暦の五月のはじめにもう稗蒔を売りにくる。苗屋の声も四月の末からきこえるんだから驚きますよ。ゆうべも一ツ木の御縁日に行ったら、金魚屋が出ていました。人間の気が短くなって来たから、誰も彼も競争で早く早くとあせるんですね。わたくし共のようなむかし者の眼からみると……これでも昔は気のみじかい方だったんですがね……むやみに息ぜわしくなって、まわり燈籠の追っかけっくらを見せられているようですよ。この分では今にお正月の床の間に金魚鉢でも飾るようになるかも知れませんね。いや、今の人のことばかり云っちゃあいられません。むかしも寒中に金魚をながめていた人もあったんですよ」
「天水桶にでも飼って置いたんですか」と、わたしは訊《き》いた。
「いや、天水桶の金魚は珍らしくもありません。大きい天水桶ならば底の方に沈んで、寒いあいだでも凌いでいられますからね。こんにちでは厚い硝子《ガラス》の容れ物に飼って、日あたりのいいところに出しておけば、冬でも立派に生きています。しかし昔はそんなことをよく知らないもんですから、ビードロの容れものに金魚を飼うなんて贅沢な人も少なかったようです。たまにあったところで、それはやっぱり夏場だけのことでした。ところが、又いろいろのことを考え出す人間があって、寒い時にも金魚を売るものがある。それは湯のなかで生きている金魚だというんだから、珍らしいわけですね。文化文政のころに流行《はや》って、一旦すたれて、それが又江戸の末になってちょっと流行ったことがあります。しょせんは一時の珍らしいもの好きで長くはつづかないんですが、それでも流行るときには馬鹿に高い値段で売り買いが出来る。例の万年青《おもと》や兎とおなじわけで、理窟も何もあったものじゃありません。そう、そう、その金魚ではこんな話がありましたよ」
お玉ケ池の伝説はむかしから有名であるが、その旧跡は定かでない。地名としては神田|松枝町《まつえちょう》のあたりを総称して、俗にお玉ケ池と呼んでいたのである。その地名が人の注意をひく上に、そこには大窪詩仏や梁川星巌《やながわせいがん》のような詩人が住んでいた。鍬形寫ヨ《くわがたけいさい》や山田芳洲のような画家も住んでいた。撃剣家では俗にお玉ケ池の先生という千葉周作の道場もあった。それらの人達の名によって、お玉ケ池の名は江戸時代にいよいよ広く知られていた。
これは勿論、それらの人々と肩をならぶべくもないが、俳諧の宗匠としては相当に知られている松下庵其月《しょうかあんきげつ》というのがやはりこのお玉ケ池に住んでいた。この辺はむかしの大きい池をうずめた名残《なごり》とみえて、そこらに小さい池のようなものがたくさんあった。其月の庭には蛙も棲んでいられるくらいの小さい池があって、本人はそれがお玉ケ池の旧跡だと称していたが、どうも信用が出来ないという噂が多かった。かれはその池のほとりに小さい松をうえて、松下庵と号していたのであるが、その点を乞いに来る者も相当あって、俳諧の宗匠としては先ず人なみに暮らしていた。
弘化三年十一月のなかばである。時雨《しぐれ》という題で一句ほしいような陰《くも》った日の午《ひる》すぎに、三十四五の痩せた男が其月宗匠の机のまえに黒い顔をつき出した。
「おまえさんに少しお願いがあるんですがね」
かれは道具屋の惣八という男で、掛物や色紙短冊《しきしたんざく》も多年取りあつかっている商売上の関係から、ここの家の門《かど》を度々くぐっているのであった。其月は机の上にうずたかく積んである俳諧の巻をすこし片寄せながら微笑《ほほえ》んだ。
「惣八さんのお願いでは、また何か掘り出しものの売り込みかね。おまえさんの物はこのごろどうも筋が悪いといって、どこでも評判がよくないようだぜ」
「ところが、これは大丈夫、正銘《しょうめい》まがいなしの折紙付きという代物《しろもの》です。宗匠、まあ御覧ください」
風呂敷をあけて勿体《もったい》らしく取り出したのは、芭蕉の「枯枝に烏のとまりけり秋の暮」の短冊であった。それが真物《ほんもの》でないことは其月にもひと目で判った。もう一つは其角の筆で「十五から酒飲みそめて今日の月」の短冊で、これには其月もすこし首をかたむけたが、やはり疑わしい点が多かった。其月は無言で二枚の短冊を惣八のまえに押し戻すと、その顔つきで大抵察したらしく、惣八は失望したように云った。
「いけませんかえ」
「はは、大抵こんなことだろうと思った。承知していながら、押っかぶせようというのだから罪が深い」と、其月は取り合わないように笑っていた。
「どっかへ御世話は願えないでしょうか」
其月はだまって頭《かぶり》をふった。
「困ったな」と、惣八はあたまを掻いていた。「其角の方もいけませんかしら」
「どうもむずかしい」
「やれ、やれ」と、惣八は詰まらなそうにしまい始めた。「ところで、もう一つ御相談があるんですがね」
今度の相談は例の金魚で、寒中でも湯のなかで生きている朱錦《しゅきん》のつがいがある。それをどこへか売り込む口はあるまいか。売り手は二匹八両二歩と云っているのであるが、二歩はたしかに負ける。八両で売り込んでくれれば、宗匠にも二両のお礼をするというのであった。其月はまた笑った。
「おまえも慾がふかい男だ。商売のほかにいろいろの儲け口をあせるのだな」
「世が悪くなりましたからね。本業ばかりじゃ立ち行きませんよ」と、惣八も笑った。「ねえ、宗匠。この方はどうでしょう」
それは其月にも心あたりが無いでもなかった。その金魚がほんものならば何処へか世話をしてやってもいいと答えると、惣八は急に顔の色を直した。
「ありがたい。是非一つお骨折りをねがいます。売り主も大事にしているんですから、その買い手がきまり次第、持って来てお目にかけます。このごろの相場として雌雄二匹で八両ならば廉《やす》いものです。十両から十四五両なんていうばかばかしい飛び値がありますからね。流行物《はやりもの》というものは不思議ですよ」
「まったく不思議だね」
話が済んで、惣八が帰りかけると、出合いがしらに十七八の小綺麗な女が帰って来た。かれは女中のお葉《よう》であった。其月は今年四十六で、五年まえに妻をうしなったので、その後は女中と二人暮らしである。お葉は千住《せんじゅ》の生まれで、女中奉公をしている女としては顔や形も尋常に出来ているので、主人が独り身であるだけに、近所でもとかくの噂を立てる者もあった。惣八も時々にかれにからかうことがあるので、きょうも下駄を穿《は》きながら云った。
「やあ、お部屋さま、お帰りだね」
「若い者にからかってはいけない」と、其月はうしろからまじめに云った。
惣八は首をちぢめて怱々《そうそう》に門を出た。外にはもう雨がふり出していたが、お葉は傘を持ってゆけとも云わなかった。惣八が横町の角を曲がったかと思うころに、時雨《しぐれ》は音をたてて降って来た。
二
それから半月あまりを過ぎた十二月のはじめに、お玉ケ池に一つの事件が出来《しゅったい》して、近所の人たちをおどろかした。松下庵其月の家で、主人は何者にか斬り殺されて、女中のお葉は庭の池に沈んでいたのである。ふだんから普通の奉公人でないらしく思われているだけに、近所ではまたいろいろの噂を立てた。検視の役人は出張した。自分の縄張り内であるから、半七もすぐに駈け付けた。
俳諧師の庵《いおり》というだけに、家の作りはなかなか風雅に出来ていたが、其月の宅は広くなかった。門のなかには二十坪ほどの庭があって、その半分は水苔《みずこけ》の青い池になっていた。玄関のない家で、女中部屋の三畳、そのほかには主人が机をひかえている四畳半と、茶の間の六畳と、畳の数はそれだけに過ぎなかった。近所ではこの椿事《ちんじ》をちっとも知らなかったのであるが、かの道具屋の惣八が早朝にたずねて来て、枝折戸《しおりど》のようになっている門を推《お》すと、門はいつものように明いたので、なんの気もつかずにはいって行くと、松の木の根もとに女の帯の端《はし》がみえた。不思議に思って覗《のぞ》いてみると、その帯は紅い尾をひいたように池の薄氷のなかに沈んでいるのであった。試みにその帯の端をつかんで引くと、それは人間のからだに巻きついているらしい手応《てごた》えがしたので、惣八はびっくりした。
まえにも云う通り、玄関のない家で、すぐに四畳半の座敷へ通うようになっているので、惣八はあわててその雨戸を叩こうとすると、それまでもなく、雨戸は末の一枚が半分ほど明けてあったので、彼はそのあいだから内をのぞくと、小さい机は横さまに傾いて倒れて、筆や筆立や硯《すずり》のたぐいが散乱しているなかに、宗匠の其月はすこし斜めに仰向けに倒れていた。かれの半身はなま血に塗《まみ》れて、そこらに散っている俳諧の巻までも蘇枋《すおう》染めにしているので、惣八は腰がぬけるほどに驚いた。かれは這うように表へ逃げ出して、近所の人を呼び立てた。こういうわけで、惣八は第一の発見者である係り合いから、町内の自身番に留められていろいろの詮議をうけたが、彼はこの以外にはなんにも知らないと申し立てた。
この椿事が夜なかに起ったのでないのは、主人の部屋にも女中部屋にも寝床が敷いてないのを見ても察せられた。其月は机のまえに坐って、朱筆を持って俳諧の巻の点をしているところを、うしろからそっと忍び寄って、刃物でその喉を斬った。おどろいて振り向くところを、更にその頸筋を斬ったらしい。其月の死にざまは先ずそれで大抵わかったが、お葉はどうして死んだのか、ちょっと見当がつかなかった。自分で身を投げたのか、他人《ひと》に投げ込まれたのか、それすらも判らなかった。池から引き揚げられた彼女の死骸には傷のあとも見いだされなかった。
家内に紛失物もないらしいのを見ると、この惨劇が物取りでないこともほぼ想像された。主人の其月もまだ老い朽ちたという年でもないから、ひとり者の主人と若い奉公人とのあいだに、近所で噂するような関係があったとすれば、なにかの事情から、お葉が主人を殺害して、自分も身を投げて死んだものと認められないでもない。ほかに情夫《おとこ》でもあって、お葉が主人を殺したのならば、当人が自滅する筈はあるまい。あるいは何者かが其月を殺し、あわせてお葉を池のなかへ投げ込んだのかも知れない。下手人が手をおろさずとも、お葉がおどろいて逃げ廻るはずみに、自分で足をすべらして転《ころ》げ落ちたのかも知れない。しかし表の戸も明けてあり、寝床も敷いてないのであるから、それが宵のうちの出来事らしく思われるにも拘らず、近所隣りでこれほどの騒ぎを知らなかったというのは少し不思議であるが、大事件が人の知らない間に案外|易々《やすやす》と仕遂げられた例はこれまでにもしばしばあるので、検視の役人たちもその点にはさのみ疑いを置かなかった。ただ、其月を殺したのはお葉の仕業《しわざ》か、あるいは主人も奉公人も他人の手にかかったのか、この事件の疑問は専らその一点に置かれているので、水にぬれたお葉の死骸は念を入れて検《あらた》められたが、別に手がかりとなるようなものも見いだされなかった。しかしその死骸が水を飲んでいるのをみると、息のあるうちに沈んだことだけは確かめられた。
「どうでしょう。この池を掻掘《かいぼ》りさせるわけには行きますまいか」と、半七は云った。
池の底にどんな秘密がひそんでいないとも限らないので、役人たちもすぐに同意した。人足どもを呼びあつめて、師走《しわす》の寒い日にその池の掻掘りをはじめると、水の深さは一丈を越えていて、底の方から大小の緋鯉や真鯉が跳ね出して来たが、そのほかにはこれというような掘出し物もなかった。お葉のさしていたらしい櫛が一枚あらわれた。小半日をついやして、これだけの獲物《えもの》しかないので、役人たちも失望した。それから家内を隈なく猟《あさ》ってみたが、どこも皆きちんと片付いていて別に取り散らしたような形跡もみえなかった。差しあたりはこの以上に詮議のしようもないので、あとの探索は半七にまかせて、役人たちは一旦引き揚げた。
半七はあとに残って、其月の身許《みもと》しらべに取りかかった。かれの親類や、かれの弟子や、出入りの者や、それらの住所姓名を一々に調べることにした。子分の庄太を千住へやって、お葉の身許もしらべさせた。検視が済んでも、誰かその始末をする者がなくては、二つの死骸をどうすることも出来ないので、家主と近所の者四、五人があつまって来て、ともかくもその死骸の番をしていることになった。半七も坐っていた。みじかい冬の日がもう暮れかかる頃になって、其月の弟子たちがだんだんに寄って来たが、かれらは不慮の出来事におどろき呆れているばかりで、どの人の口からも何かの手がかりになるような新らしい材料をあたえてくれなかった。あかりの点《つ》く頃に半七はそこを出て、町内の自身番へゆくと、道具屋の惣八は飛んだ係り合いで、まだそこに留められているので、番屋の炉のそばに寒そうに竦《すく》んでいた。
「道具屋さん。お気の毒だね。節季師走《せっきしわす》のいそがしい最中に、いつまでも留められていちゃあ困るだろう。もういい加減に帰っちゃあどうだね」
「帰ってもよろしゅうございましょうか」と、惣八は生きかえったように云った。
「どうで直ぐには埓《らち》があきそうもねえから、用があったら又よび出すとして、今夜はいったん帰ったらよかろう」
「ありがとうございます。お呼び出しがあればきっと直ぐにまいります」と、惣八はあわてて帰り支度にかかった。
「だが、ちょいと待ってくんねえ」と、半七は声をかけた。「すこし訊《き》きてえことがある。こっちでも手を入れて調べさせてはあるが、あのお葉という女中、あれは唯の奉公人じゃあるめえ、主人と係り合いがあるんだろうね」
「どうもそうらしいという評判です。わたくしもよくは知りませんが……」と、惣八はあいまいに答えた。
「長年《ちょうねん》しているのかえ」
「おととし頃から来ているように思います。ことしはたしか十八になりましょう。そんなことはお弟子のうちでも其蝶《きちょう》という人がよく知っている筈です」
其蝶は本名を長次郎といって、惣八と同商売の尾張屋という家《うち》の惣領息子であるが、俳諧に凝りかたまって店の仕事は碌々見向きもしないので、おやじが去年死んだ後、おふくろは親類と相談の上で、妹娘のお花に婿をとって、其蝶の長次郎は別居させることになった。其蝶も結局それを仕合わせにして、若隠居というほどの気楽な身分でもないが、ともかくも柳原に近いところに小さい家を借りて、店の方から月々いくらかの小遣いを貰って暮らしている。しかしそれだけでは勝手向きが十分でないので、来年の春には師匠の其月をうしろ楯に、立机《りゅうき》の披露をさせて貰って、一人前の俳諧の点者として世をわたる筈になっている。かれは今年二十六で、女房も持たず、下女もおかず、六畳と四畳半とふた間の家に所謂《いわゆる》ひとり者の暢気《のんき》な生活をしているとのことであった。
「その其蝶とお葉とおかしいようなことはあるめえな」と、半七は笑いながら訊《き》いた。
「さあ」と、惣八もすこし考えていた。「そんなことは知りません。其蝶は師匠の家へ足を近く出入りはしていますが、まさかにそんなことはないでしょう。風流一方に凝りかたまっている偏人ですからね」
「あの宗匠は都合がいいかえ」
「相当に名前も売れていて、点をたのみに来るものも随分あるようですから、困るようなことはありますまい。いい弟子や、いい出入り先もありますから、内職のほうでも又相当の収入《みいり》があるようです」
「内職とはなんだえ。掛物や短冊の売り込みかえ」
「まあ、そうです」と、惣八はうなずいた。「わたくし共もときどきに持ち込みますが、筋のいい物でさえあれば大抵どこへか縁付けてくれます」
「おまえさん、この頃に何か持ち込んだかえ」
「へえ」と、惣八はなんだか詞《ことば》をにごしていた。
「隠しちゃあいけねえ。正直に云ってくれ。ほんとうに何か持ち込んだのかよ」
「芭蕉と其角の短冊を持って行きました」
「それだけかえ。そうして、それはどうした」
「どうも筋がよくないというので、取り合ってくれませんでした」と、惣八はにが笑いをした。
店さきのうす暗い行燈《あんどう》のひかりで、半七はその顔色をじっと睨んでいたが、やがて少しく形をあらためた。
「おい、惣八。おめえはなぜ隠す。短冊や色紙のほかに、あの宗匠のところへ何か持ち込んだものがあるだろう。正直に云わねえじゃあいけねえ」
「へえ」
「へえじゃあねえ。はっきり云いねえ。下手《へた》に唾《つば》を呑み込んでいると、いつまでも帰さねえよ」
ずいぶん悪摺れのしているらしい惣八も、半七に睨まれてさすがにうろたえた。なにぶんにも相手が相手であるので、なまじい隠し立てをしてはよくないと早くも観念したらしく、かれは正直に白状した。
「実はわたくしもそれに就いて少々迷惑していることがありますので……。それで今朝も宗匠のところへ出かけますと、あの一件で……。いや、どうも驚いているのでございます」
それは例の金魚の一条であった。芭蕉と其角の短冊は問題にされなかったが、金魚の方は心あたりがあるというので、四、五日経ってから惣八は再びその模様を探りに行くと、其月はその売れ口があると云ったので、惣八はよろこんで帰って、早速その売り主の元吉というのを連れて行くことになった。一番《ひとつが》いの朱錦を小さい塗桶のようなものに入れて、元吉が大切にかかえて行った。見たところ普通の金魚と変らないのであるから、まず眼のまえで試《ため》してみなければならないというので、其月の家ではありあわせの銅盥《かなだらい》に湯を入れて持ち出した。湯のなかで生きていられるといっても熱湯ではとても堪まらないのであるから、売り主はいいくらいに湯加減をして置いて、さてその金魚を放してみると、二匹ながら紅い尾を振って威勢よく泳ぎまわったので、其月も得心《とくしん》した。惣八も今更のように感心した。これでいよいよ其月の手でどこへか売り込んでくれることに決まったが、其月はその売り先を明かさなかった。わたしにあずけて置いて下されば、きっと云い値で売ってあげると云った。かれが売りさきを明かさないのは、おそらくこっちの云い値以上に売り込んで、そのあいだで幾らかの儲けを見るつもりであろうと察したので、惣八らも深く詮議しなかった。売り込みで儲けた上に、こっちからも約束の礼金を取って、其月は二重の利益を得るわけであるが、それはめずらしくもないことであるので、惣八らも怪しまなかった。ふたりは何分おねがい申すと云って、かの金魚をあずけて帰ると、それから又五、六日の後にお葉が使に来て、惣八にいつでも来てくれと云うので、かれはすぐに出かけてゆくと、其月は金魚の代金八両二分をとどこおりなく渡してくれた。惣八ははじめの約束通りに、そのうちから二両の礼金を置いて帰った。
これで片が付いたと思っていると、三日ほどの後に又もやお葉が迎えに来たので、惣八は何ごころなく行ってみると、其月がひどくむずかしい顔をして待っていた。そうして、おまえは多年わたしの家に出入りをしていながら、実に怪《け》しからん男だ。あんないかさま物を持ち込んで来て、人をぺてんにかけるとは何事だと、あたまから呶鳴《どな》りつけた。惣八は面喰らって、その仔細をだんだんに聞き糺すと、かの金魚は普通のもので、湯のなかで生きるものではないというのであった。なるほど、ここで試《ため》した時には無事であり、先方へ持って行って試した時にも無事であったが、金魚は二匹ながらその翌日死んでしまった。察するにこれは普通の金魚の肌へ何か薬をぬりつけて、一時を誤魔化したものに相違ない。その薬がだんだん剥《は》げるにしたがって、金魚は弱って死んだのであろう。そんな騙《かた》りめいたことをして済むと思うか。第一、売り先に対してわたしが面目を失うことになる。この始末はどうしてくれると、其月はひたいに青い筋をうねらせて手きびしく責めた。
「親分の前ですが、その時はまったく困りましたよ」と、惣八は今更のように溜息をついた。
三
「すると、その金魚がすぐに死んだので、宗匠は先方に申し訳がないと云うんだね」と、半七はすこし考えていた。「だが、もともと生き物のことだ。飼いようが悪くって死なねえとも限らねえ。時候の加減で斃《お》ちねえとも云われねえ。金魚だって病気もする、それを一途《いちず》にこっちのせいにされちゃあ困るじゃあねえか」
「それを云ったのでございますよ」と、惣八は訴えるように云った。「ところが、宗匠はどうしても肯《き》いてくれないで、なんでも贋物を売ったに相違ない。ふだんが不断だから、おまえの云うことは的《あて》にならないと……」
「不断よっぽどまやかし物を持ち込んでいるとみえるね」
「御冗談を……」と、惣八はあわてて打ち消した。「まったくあの宗匠は一国《いっこく》で、一旦こうと云い出したが最後、なんと云っても承知しないんですから」
「それからどうした」
「どうにもこうにもしようがありません。といって、あの宗匠の家の出入りを止められると、これからの商売にもちっと差しさわることもありますので、よんどころなしに御無理ごもっともと一旦は引きさがって来て、とりあえず売り主の元吉にその話をしますと、元吉も素直には承知しません。つまりお前さんが仰しゃったと同じような理窟を云っているので、わたくしも両方の仲に立って困ってしまいまして、実は今朝ほどもそのことで宗匠の家へ出かけて行くとあの一件で……。かさねがさね驚いているのでございます」
「一体その売り主の元吉というのは何者だえ」
「本所の金魚屋の甥でございまして、自分は千住に住んで居ります」と、惣八は説明した。
「そこも自分の叔母の家で、その二階に厄介になっていて、まあこれといって決まった商売もないのですが、叔父が金魚屋で、その方の手から出たというのですから、今度の金魚もまあ間違いはないと思っているのです。当人も決していかさま物ではないと云うのですが、わたくしも何分その方は素人《しろうと》のことで、実のところはどっちがどうとも確かには判らないので困って居ります」
「元吉というのは幾つだ」
「二十三でございましょう」
「そうか。まあ、そのくらいでよかろう。じゃあ、また呼び出したらすぐに来てくれ」
「かしこまりました」
籠から放された鳥のように、惣八は怱々に出て行った。そのうしろ姿を見送って、半七は炉のそばで煙草を二、三服つづけて吸っていると、背のたかい男がうす暗い表から覗いた。それは子分の松吉であった。
「親分、いま帰りました」
「やあ、御苦労、寒かったろう。まあ、火のそばへ来い」
「まったく冷えますねえ。風はないが、身にしみます。近いうちに雪かも知れませんよ」と、松吉は店へあがって炉のまえに坐った。
「この寒空に金魚を売ろうの、買おうのと、つまらねえ道楽をするから、いろいろの騒動が出来《しゅったい》するんだ」と、半七はにが笑いした。「そこで、どうだ。ちっとは当りが付いたか」
「まあ、こんなことですがね」
松吉が首を伸ばしてささやくのを聞くと、其月の家《うち》の女中のお葉は千住の荒物屋の娘で、家にはおまんという母と、今年十三になる源吉という弟がある。お葉は一昨年の春から初奉公《ういぼうこう》で近所の水戸屋という煙草屋の女中に住み込んだ。水戸屋は古い店で、商売のほかに田地などを持っているので、土地でも相当に幅をきかせていたが、主人は四、五年前に死んで、今はおむつという女あるじである。お葉はそこに小一年ほど奉公していたが、その年の暮に暇を取って、あくる年の三月からお玉ケ池の其月の家へ二度目の奉公をすることになった。お葉が水戸屋を立ち去ったのは、自分の方から暇を取ったのではない。主人の甥とあまり睦まじくすることが主人の眼にとまって、出代りどきを待たずに暇を出されたらしいと云う者もある。お玉ケ池へ行ってからは、去年の盆の宿さがりに千住の家へ一度帰って来ただけで、今年になっては正月にも盆にも顔をみせない。主人の家が無人で、めったに出られないというのであった。
松吉がゆき着く前に、お玉ケ池の近所の人から知らせて来たので、お葉の家ではもう娘の変死を知っていたが、あいにく母のおまんは風邪《かぜ》をひいて四、五日前から寝込んでいる。弟の源吉はまだ子供でどうすることも出来ないので、日が暮れてから近所の人たちが死骸を引き取りにくる筈になっている。松吉は病人の枕もとへ行っていろいろ詮議したが、まえにも云った通りでお葉はこの頃めったに帰って来ない。母は二度ばかりもお玉ケ池へたずねて行ったが、主人の其月はいつも留守であったので、一体どんな人であるか、その顔さえも見|識《し》らない。そういうわけであるから、主人の家の事情などはなんにも知らない。勿論、主人と娘とのあいだにどんな関係があるか、ちっとも知ろう筈はないとおまんは云った。かれは正直な田舎風の女で、嘘をつきそうにも見えないので、松吉は先ずそのくらいにして引き揚げて来た。
「その煙草屋の甥というのは、本所の金魚屋の親類で、元吉という奴じゃあねえか」と、半七は訊《き》いた。
「そうです。そうです。元吉というんです。親分はもう聞き込みましたかえ」
「道具屋の惣八から聴いた。そいつから惣八にたのんで、惣八から宗匠にたのんで、どこへか金魚を売り込んだことがあるそうだ」
冬の金魚の一件を聞かされて、松吉は幾たびかうなずいた。
「わかりやした。するとその元吉が宗匠を殺《や》ったんでしょう」
「おめえはそう思うか」
「だって親分」と、松吉は声をひそめた。「そいつの売り込んだ金魚は勿論≪いか≫物に相違ありません。それで一杯食わせようとしたところが、やり損じて化けの皮があらわれて、宗匠からはむずかしく談じ付けられる。所詮《しょせん》は売った金を返さなければならねえ羽目《はめ》になったが、もう其の金は使ってしまって一文もねえ。苦しまぎれに悪気をおこして……。ねえ、そこらでしょう。ところで、お葉という女は、その元吉と前々から出来合っているので、男の手引きをして主人を殺させたのでしょう」
「むむ」と、半七はかんがえていた。「そうすると、そのお葉はどうして死んだ。元吉が殺したのか」
「まあ、そうでしょうね。手引きをさせて宗匠を殺したものの、この女を生かして置くと露顕の基だと思って、なにか油断させて置いて、不意に池のなかへ突き落したのでしょう。違いますかえ」
「なるほどうまく筋道は立つな。じゃあ、おめえはその積りで元吉の方をしらべてくれ」
「すぐに引き挙げてようがすかえ」
「馬鹿をいえ」と、半七は笑った。「ひとりで将棋をさすように、自分でばかり決めてかかってもいけねえ。確かな証拠も無しにむやみにそんなことをすると、旦那方に叱られるぞ。まあおちついて仕事をしろ。庄太はどうした。あいつにも片棒かつがせろ」
「あい。ようがす」
十《とお》に九つはこっちの物だという顔をして、松吉は威勢よく出て行った。もう一度、宗匠の家へ行ってその後の模様を見とどけて来ようと思って、半七もつづいて表へ出ると、風のない夜ではあるが凍り付くような寒さが身にしみた。それも師走の宵だけに、往来の提灯のかげが忙がしそうに行き違っているなかを、半七は考えながらしずかに歩いて行った。
「やっぱり|ひょろ《ヽヽヽ》松の鑑定があたっているかな」
其月の家には大勢の人があつまっていた。半七が出たあとでだんだんにその門人や知人などが寄って来たらしく、茶の間の六畳と女中部屋の三畳とに押し合って坐っていた。どれもみな男の顔であった。近所の人らしい女二、三人が狭い台所でなにか立ち働いていた。四畳半には主人と女中との死骸がならべてあって、お葉の家からはまだ誰も引き取りに来ないとのことであった。雨戸はみな閉め切ってあるので、線香の煙りは家《うち》じゅうにうずまいて流れていた。
とても割り込んで坐るような席はないので、半七は台所へ廻って、流し元のあがり框《がまち》に腰をかけていると、ひとりの女房が手あぶりの火鉢を持って来てくれた。
「どうもお寒うございます。なにしろ、この通りのせまい家《うち》ですから」と、女房は気の毒そうに云った。
「もうおかまいなさるな。時にここのお弟子さんの其蝶さんは見えていませんかえ」
「来ています。呼びましょうか」
「呼ばなくってもいい。どこにいるか教えて下さい」
「あれ、あすこに……」
教えられた方を伸び上がって覗くと、狭い家だけに其の人はつい鼻のさきに見えた。彼は二つの死骸に最も近いところに行儀よく坐って、だまって俯向いていた。膝と膝とが摺れ合うように坐っている人達のあいだに、行燈や燭台が幾つも置いてあるので、其蝶の蒼ざめた横顔は明らかに照らされていた。其月の死骸のそばには文台《ぶんだい》が据えられて、誰が供えたのか知らないが、手向《たむ》けの句らしい短冊が六、七枚も乗せてあった。
更によく視ると、其蝶はその右の手の小指を紙で巻いているらしかった。半七はふと思い出した。お葉の死骸の左の小指にも小さい膏薬が貼ってあった。検視の時には誰も格別の注意を払わなかったのであるが、其蝶が右の小指を痛めているのを見ると、両方のあいだに何か関係がないとも云えない。半七はもう一度お葉の死骸をあらためて見たいと思ったが、死骸に手をつけるには自分の身分を明かさなければならないので、彼は又すこし躊躇《ちゅうちょ》した。しかしいつまで睨み合っていても際限がないので、半七は更に伸びあがって声をかけた。
「もし、其蝶さん」
呼ばれても彼は俯向いたままで返事もしなかった。
「其蝶さん。この方《かた》が呼んでいますよ」
かの女房にも声をかけられて、其蝶は初めて顔をあげた。かれは大勢のなかを掻きわけて台所へ出て来た。
「どなたでございますか。どうぞこちらへ」と、彼はうす暗いところを透かしながら丁寧に云った。
「少しおまえさんにお願い申したいことがあります。わたしは神田の半七という者だが、御用でその死骸をあらために来ました」
「左様でございますか」と、其蝶はやや慌てたらしく答えた。
「なに、ちょいと覗かして貰えばいいんですから」
一応ことわっておけば仔細はないので、半七はつかつかと奥へ入り込んだ。大勢がじろじろと視ているなかを通って、四畳半の死骸のそばへ立ち寄ったが、其月の方はもうあらためる要はない。半七はお葉の死骸の左手をとって、その小指をよく視ると、小さい膏薬が湿《ぬ》れたままで付いていた。そっと剥がしてみると、なにか刃物で切ったらしい疵《きず》のあとが薄く残っていたが、それはもう五、六日以上を経過したものらしく、疵口も大抵かわいて癒合《ゆごう》していた。この疵はゆうべの事件に関係のないことが十分に判って、半七は失望した。
かれは更に其蝶の指の疵をあらためたいと思ったが、満座のなかではどうも都合がわるいので、再びかれを眼でまねいて、半七は台所の外に出た。そこの狭い空地には井戸があった。
「どうも宗匠は飛んだことだったが、なにか心当りはありませんかえ」と、半七は車井戸の柱によりかかりながら先ず訊《き》いた。
「どうもわかりません」と、其蝶はひくい溜息をついた。
「ここの家《うち》のことはお前さんが一番よく知っているということだが、宗匠は人に遺恨をうけるようなことでもありますかえ」
「そんな心当りはございません」
「このごろに何処へか金魚を売り込んだことがありますかえ」
「そんなはなしは聞きましたが、その売り先はよく存じません」と、其蝶は云った。「なんでも道具屋の惣八がいかものを持ち込んだとか云って、ひどく立腹していました」
「お葉という女は宗匠の妾ですかえ」
「さあ」と、其蝶は少し云い渋っていた。「なんだか世間ではそんなような噂をいたす者もありますが……」
「おまえさんは千住の元吉という男を識《し》っていますかえ」
「知りません」
「その元吉が宗匠を殺したという噂だが……。おまえさん、まったく知りませんかえ」
「知りません」
「おまえさんは指を痛めているようですね」と、半七は突然に云った。
其蝶はだまっていた。半七は衝《つ》と寄ってその手首を強く掴《つか》んだ。
「どうして怪我をしたんだか、ちょいと見せてください」
半七はかれを引き摺るようにして台所の口へ戻ると、其蝶もやはり黙って曳かれて来た。そこにある蝋燭の火を借りて、半七は其蝶の右の小指を幾重にもまいてある新らしい紙を解くと、疵口にあててある白い綿にはなまなましい血がにじんでいた。半七はその手首をつかんだままで、黙ってかれの顔を睨んだ。其蝶も無言で眼を伏せていた。
「もういけねえぜ」
と、半七はあざ笑った。
「番屋まで来て貰おう」
其蝶はもう覚悟をきめたらしく、すなおに牽《ひ》かれて表へ出た。
四
「これで一廉《いっかど》の手柄をした積りでいたところが、ちっと見当《けんとう》が狂いましたよ」と、半七老人は額をなでながら笑い出した。「まあ、だんだんに話しましょう」
息つぎに茶をのんでいるのが、わたしにはもどかしかった。わたしは追いかけるように訊《き》いた。
「すると、その其蝶が殺したのじゃあないんですか」
「違いました」
「じゃあ元吉という男でしたか」
「やっぱり違いました」と、老人はまた笑っていた。
なんだか焦《じ》らされているようで、わたしは苛々《いらいら》して来た。それと反対に老人はいよいよ落ちついていた。こういう話はひとを焦らしているところが値打ちだといったような顔をしているのが、きょうは少し憎らしいようにも思われて来た。老人は茶碗を下において、しずかに又話し出した。
「其月を殺したのはお葉でしたよ」
「お葉……。その女中がどうして殺したんです」と、わたしは意外らしく訊きかえした。
「まあ、お聴きなさい。そのお葉という女は小娘のときから色《いろ》っ早《ぱや》い奴で、十六の春から千住の煙草屋に奉公しているうちに、そこの甥の元吉と出来合ったことが知れて、その年のくれに暇を出され、あくる年からお玉ヶ池の其月のとこへ奉公に出たのは、前にも云った通りですが、なにしろ主人は独り身、奉公人は色っ早い奴と来ているんですから、すぐに係り合いが付いてしまって、どうも唯の女中ではないらしいと近所でも噂されるようになったんです。そんな女ですから、前の男の元吉に未練もなく、元吉の方でもそのあとを追いまわすこともなく、その方はおたがいに忘れてしまって、なんにも面倒はなかったんですが、ただ面倒なのは今の主人の其月で、これがなかなか悋気《りんき》ぶかい男。尤《もっと》も自分はやがて五十に手のとどく年で、女の方はまだ十八、親子ほども年が違う上に、商売が宗匠ですから若い弟子たちも毎日出這入りする。お葉が浮わついた奴で誰にも彼にも色目をつかうのですから、どうもこれは円《まる》く行かないわけです。といって、お葉は暇を取って立ち去るでもなく、やはり其月の妾のような形で全《まる》二年も腰をすえているうちに、其月の焼餅がだんだん激しくなって来て、時によると随分手あらい折檻《せっかん》をすることもある。ひどい時には女を素っ裸にして、麻縄で手足を引っくくって、女中部屋に半日くらい転がして置いたこともあるそうです。しかし近所の手前もあるので、そんな折檻も至極静かにする。女の方もどんな目に逢っても、決して声をたてるようなことはなく、不思議に歯を食いしばって我慢をしていたそうです。それで主人の方でも逐い出さず、女の方でも逃げ出さず、不断はひどく睦まじく暮らしていたと云います。それは大抵の弟子たちも薄々知っていたのですが、そのなかで其蝶は一番親しく出入りをするだけに、とんだ折檻の場へ来あわせて、留め男の役をつとめたことも度々あるそうです」
「そんなに度々折檻されていたら、お葉のからだに疵あとでも残っていそうなものでしたが……」
死骸を検視のときになぜそこに眼をつけなかったかと、わたしは半七老人の不注意を嘲りたいように思った。
「ごもっともです」と、老人はまじめにうなずいた。「まったく我々の不注意と云われても一言もないわけです。しかし其月の折檻は普通の継子《ままこ》いじめなどのように、打ったり蹴ったり抓《つね》ったりするのではありません。ちょっとお話にも出来ないような、むごたらしい猥褻《わいせつ》な刑罰を加えて苦しめるのですから、死骸のからだを一応あらためたくらいでは判りません。そこはお察しを願います。そこで、其蝶がいつも仲裁役をつとめているうちに、根が浮気者のお葉ですから、そんな折檻にも懲《こ》りないで、其蝶に色目を使うようになって来たんです。其月がむごい折檻をすればするほど、女は意地になってますます気を揉むように仕向ける。こんにちの詞《ことば》でいえば、両方が残酷な興味を持って来たとでも云うのでしょうか。ところが其蝶という男は、まあ一種の偏人といったような人物で、むやみに俳諧と風流に凝り固まっているもんですから、お葉がどんな謎をかけても一向に取合わない。女もしまいに焦《じ》れて来て、鉄釘《かなくぎ》流の附文《つけぶみ》などをするようになる。こうなると、いくら偏人でも打っちゃって置くわけにも行かない。といって正直に師匠に訴えると、又どんな騒ぎを仕出来《しでか》すかも知れないので、其蝶もその処置に困ってしまったのです。そのうちにお葉の熱度はだんだん高くなって、使に出た途中、まわり途をして其蝶の家へ押しかけて行くというようになったので、偏人もいよいよ困り果てたのです。なにしろ、こういう女を師匠の家に置くのはよろしくない、ゆくゆくどんなことを惹き起すかも知れないから、何とかして放逐させてしまいたいと思ったが、師匠にむかってどうも明らさまにも云い出しにくいので、その後は句の添削《てんさく》をたのみに行くたびに、二、三句のうちにきっと一句ずつは落葉とか紅葉とかいう題で、おち葉を掃き出してしまえとか、紅葉を切って捨てろとかいうような句を入れて行ったそうです。お葉という女の名から思いついた謎で、なるほど風流人らしい知恵でした。いつもいつも同じような句を作っているので、宗匠も少し変に思っていると、一番最後に持って来たのが、『落葉して月の光のまさりけり』とかいうのだそうです。落葉は例のお葉で、月は其月の一字をよみ込んだものとみえます。お葉を逐《お》い出してしまえば、其月のひかりも増すという意味。それを読んで、其月宗匠も初めてさてはと覚《さと》ったのですが、それを又いつもの焼餅から妙にひがんで考えてしまったんです」
「其蝶とお葉とが訳があると思ったのですか」
「そうです、そうです。これは二人がいつの間にか出来合っていて、女が師匠の家にいては思うように媾曳《あいびき》も出来ない。さりとて、自分から暇を取っては感付かれると思って、なんとかしてこっちから暇を出させ、それから自由に楽しもうという下心《したごころ》だろうと、悪くひがんで考えてしまって、なにしろ、その方のことになると、まるで半気違いのようになる人なんですから、唯むやみに悪い方にばかり考えてしまって、例のごとくお葉をいじめ始めたんです。ことに今度は其蝶の発句《ほっく》という証拠物があるのだから堪まりません。お葉はもう我慢が出来なくなったと見えて、其蝶にあてた長い手紙をかきました。こんなに主人から無体に虐《いじ》められてはとても生きてはいられないから、いっそ主人を殺してしまって、お前さんのところへ駈け込んで行くというようなことを書いて、自分の小指を切った血を染めて、それをそっと其蝶にとどけたので、受け取った方ではおどろきましたが、まさか本気でそんなこともしまい、嚇しに書いてよこしたのだろう位に思って、四、五日はそのままに置いたのが手ぬかりでした。お葉が左の小指の疵はその時に切ったものとみえます。そこで、四、五日経ってから其蝶がお玉ケ池へ出かけて行くと、それが丁度かの一件の晩で、まだ宵の五ツ(午後八時)頃だったそうです。いつものように門をあけてはいると、四畳半は一面の血だらけで、師匠は机のまえに倒れているので、あっと思って立ちすくんでしまうと、三畳の女部屋で其蝶さん其蝶さんと呼ぶ声がする。それがお葉だとは知りながら、其蝶はたましいが抜けたように唯ぼんやりしていると、やがて女部屋から、お葉が出て来た。旦那様はわたしが殺してしまったと平気で云うので、其蝶はいよいよおどろきました。まったくお葉は主人を殺すつもりで、其月が俳諧の点をしている油断を見すまして、うしろから不意に剃刀《かみそり》で斬り付けたんだそうです。まだ驚くことは、そうして主人を殺して置いて、血のついた手を台所で綺麗に洗って、爪まで取って、着物も別のものに着かえて、血のはねている着物は丁寧にたたんで葛籠《つづら》の底にしまい込んで、それから髪をかきあげて外へ出る支度をしているところであったそうで、馬鹿というのか、大胆というのか、あんまり度胸がよすぎるので、其蝶も呆気《あっけ》に取られてしまったそうです」
「そうでしょう」と、わたしも思わず溜息をついた。
「いや、それからが又大変」と、老人は顔をしかめた。「あきれてぼんやりしている其蝶をつかまえて、お葉はこれからお前さんの家へ連れて行ってくれと云う。其蝶はもう呆れるというよりは、なんだかむやみに恐ろしくなって、碌々に返事もしないで突っ立っていると、お葉は急に眼の色をかえて、こういうところを見られた以上は唯は置かれない。素直にわたしを連れて行ってくれるか、さもなければここでおまえさんも殺してわたしも死ぬと云って、其月を殺した剃刀をつきつけたので、其蝶も絶体絶命、それでもさすがは男ですから無理に女の刃物を引ったくって、半分は夢中で庭さきへ逃げ出すと、お葉もつづいて飛び降りてくる。そのはずみに自分の帯が解けかかって、それに足をからまれて、お葉はよろけながら池のなかへ滑《すべ》り込んでしまった。其蝶はおそろしいのがいっぱいですから、あとがどうなったか振り向いてもみないで、転がるように表へ逃げ出して、一生懸命に自分の家へかけて帰って、入口の戸を堅く締め切って、息を殺して夜の明けるのを待っていたそうです。右の小指の疵は、お葉の手から剃刀をうばい取るときに自分で突き切ったので、その当座は夢中でしたが、あとでだんだん痛んで来たので、初めてそれと気がついたということです」
「其蝶はなぜ早くそれを訴え出なかったんでしょうね」
「わたくしも一旦はそれを疑いましたが、其蝶の申し立ての嘘でないことは、お葉の血染めの手紙をみて判りました。それまでに来た附文はみんな裂いてしまったんですが、最後の手紙だけはそのまま机のひきだしに入れてあったので、其蝶のためには大変に都合のいい証拠品となりました。其蝶がなぜそれを訴えなかったかというと、それを表向きにすれば内輪のことを何もかもさらけ出さなければならない。それでは第一に師匠の恥、第二には自分も何かのまきぞえを受けるかも知れないと、それを気づかって黙っていたのです。師匠を殺した相手がわからなければ格別、本人のお葉はもう自滅しているのだから、素知らぬ顔をして有耶無耶《うやむや》に葬ってしまう積りであったらしいのです。知っていながら黙っていたというのは悪いことですが、事情を察してみれば可哀そうなところもあるので、其蝶はまあ叱るだけで免《ゆる》してやりました」
「そうすると、金魚の方はなんにも係り合いはないんですね」
「それは確かに判りません」と、老人は云った。「なにを云うにも肝腎の其月が死んでしまったので、その売り先が知れません。だんだん探ってみると、どうも浅草の札差《ふださし》の家らしいのですが、こうなると先方でも面倒のかかるのを恐れて、一切《いっさい》知らないと云い張っていますから、どうにも調べようがありません。元吉や惣八が、人殺しにかかり合いのないことだけは明白ですが、金魚の方は、ほん物か≪いか≫物か、とうとう判らないことになりました。勿論、こんな変りものは買う方も悪いということになっていましたから、たとい≪いか≫物を売り込んだことが知れても、重い罪にはなりません。冬の金魚も変りものですが、この宗匠も女中も人間のなかでは変りものの方でしょうね。こんにちのお医者にみせたら、みんな何とかいう病名がつくのかも知れませんよ」
[#改ページ]
松茸
一
十月のなかばであった。京都から到来の松茸の籠《かご》をみやげに持って半七老人をたずねると、愛想のいい老人はひどく喜んでくれた。
「いや、いいところへお出でなすった、実は葉書でも上げようかと考えていたところでした。なに、別にこれという用があるわけでも無いんですが、実はあしたはわたくしの誕生日で……。こんな老爺《じい》さんになって、なにも誕生祝いをすることも無いんですが、年来の習わしでほんの心ばかりのことを毎年やっているというわけです。勿論、あらたまって誰を招待するのでもなく、ただ内輪同士が四、五人あつまるだけで、あなたも御存じの三浦さんと、せがれ夫婦と孫が二人。それだけがこの狭い座敷に坐って、赤い御飯にお頭付《かしらつ》きの一|尾《ぴき》も食べるというくらいのことです。この前日に京都の松茸を頂いたのは有難い。おかげで明晩の御料理が一つ殖《ふ》えました。そういう次第で、なんにも御馳走はありませんけれども、あなたも遊びに来て下さいませんか」
「ありがとうございます。是非うかがいます」
あくる日の夕方から私は約束通りに出かけてゆくと、ほかのお客様もみな揃っていた。そのうちの三浦老人は、大久保に住んでいて、むかしは下谷辺の大屋《おおや》さんを勤めていた人である。わたしは半七老人の紹介で、ことしの春頃からこの三浦老人とも懇意になって、大久保の家へもたびたび訪ねて行って「三浦老人昔話」の材料をいろいろ聴いていたので、今夜ここで其の人と逢ったのは嬉しかった。
そのほかは半七老人の息子と、その細君と娘と男の児との四人連れであった。息子はお父さんと違って堅気一方の人らしく、細君と共に始終行儀よく控えているので、席上の座談は両老人が持ち切りという姿で、わたし達は黙ってその聴き手になっていると、半七老人は膳の上の松茸を指さして、これは私から貰ったのだと説明したので、息子たちからあらためて礼を云われて、私はすこし恐縮した。その松茸が話題になって、両老人のあいだに江戸時代の松茸の話がはじまると、やがて三浦老人が云い出した。
「松茸で思い出したが、あの加賀屋の人達はどうしたかしら」
「なんでも明治になってから横浜へ引っ越して、今も繁昌しているそうですよ。お鉄の家は浅草へ引っ越して、これも繁昌しているらしい」と、半七老人は答えた。「世の中の変るというのは不思議なもので、今ならば何でもないことだが、あの時分には大騒ぎになる。十二月の寒い晩に不忍池《しのばずのいけ》へ飛び込んで、こっちも危く凍《こご》え死ぬところ。あいつは全くひどい目に逢った」
こうなると、いつもの癖で、わたしは黙って聴いてばかりいられなくなった。
「それはどういう事件なのですか。あなたが飛び込んだのですか」
「まあ、そうですよ」と、半七老人は笑っていた。「今夜はそんな話はしない積りだったが、あなたが聴き出したらどうで堪忍する筈がない。今夜の余興に、一席おしゃべりをしますかな。そうなると、三浦さんも係り合いは抜けないのだから、まず序びらきに太田《おおた》の松茸のことを話してください」
「ははは、これはひどい。わたしに前講《ぜんこう》をやらせるのか。まあ、仕方がない。話しましょう」
三浦老人も笑いながら先ず口を切った。
「お話の順序として最初に松茸献上のことをお耳に入れて置かないと、よくその筋道が呑み込めないことになるかも知れません。御承知の上州太田の呑竜《どんりゅう》様、あすこにある金山《かなやま》というところが昔は幕府へ松茸を献上する場所になっていました。それですから旧暦の八月八日からは、公儀のお止山《とめやま》ということになって、誰も金山へは登ることが出来なくなります。この山で採った松茸が将軍の口へはいるというのですから、その騒ぎは大変、太田の金山から江戸まで一昼夜でかつぎ込むのが例になっていて、山からおろして来ると、すぐに人足の肩にかけて次の宿《しゅく》へ送り込む。その宿の問屋場にも人足が待っていて、それを受け取ると又すぐに引っ担いで次の宿へ送る。こういう風にだんだん宿送りになって行くんですから、それが決してぐずぐずしていてはいけない。受け取るや否やすぐに駈け出すというんですから、宿々の問屋場は大騒ぎで、それ御松茸……決して松茸などと呼び捨てにはなりません……が見えるというと、問屋場の役人も人足も総立ちになって出迎いをする。いや、今日からかんがえると、まるで嘘のようです。松茸の籠は琉球の畳表につつんで、その上を紺の染麻で厳重に縛《くく》り、それに封印がしてあります。その荷物のまわりには手代りの人足が大勢付き添って、一番先に『御松茸御用』という木の札を押し立てて、わっしょいわっしょいと駈けて来る。まるで御神輿《おみこし》でも通るようでした。はははははは。いや、今だからこうして笑っていられますが、その時分には笑いごとじゃありません。一つ間違えばどんなことになるか判らないのですから、どうして、どうして、みんな血まなこの一生懸命だったのです。とにかくそれで松茸献上の筋道だけはお判りになりましたろうから、その本文《ほんもん》は半七老人の方から聴いてください」
「では、いよいよ本文に取りかかりますかな」
半七老人は入れ代って語り出した。
文久三年の八月十五日は深川八幡の祭礼で、外神田の加賀屋からも嫁のお元《もと》と女中のお鉄、お霜の三人が深川の親類の家《うち》へよばれて、朝から見物に出て行ったが、その午《ひる》過ぎになって誰が云い出すともなしに、永代《えいたい》橋が墜《お》ちたという噂が神田辺に伝わった。文化四年の大|椿事《ちんじ》におびえていた人々は又かとおどろいて騒ぎはじめた。加賀屋ではお元の夫の才次郎も母のお秀も眼の色を変えた。番頭の半右衛門が若い者ふたりを連れてすぐ深川へ駈け付けると、それは何者かが人さわがせに云い触らした虚報で、お元も女中たちも無事に家に遊んでいた。それが判って先ず安心して、半右衛門は主人の嫁の供をして帰ると、お秀も才次郎も死んだ者が蘇生《いきかえ》って来たように喜んだ。こうして加賀屋の一家が笑いさざめいている中で、嫁のお元の顔色はなんだか陰《くも》って、まだ青い眉のあとが顰《ひそ》んでいるようにも見えた。
お元の顔色の悪いのは、母や夫の眼にも付いたが、別に深く注意する者もなかった。加賀屋はここらでも草分け同様の旧家で、店では糸や綿を売っているが、主人の才兵衛は、八、九年前に世を去って、ことし二十三の才次郎がひとり息子で家督を相続していた。嫁のお元は夫とは三つちがいの二十歳《はたち》で、十八の冬からここへ縁付いて来て、あしかけ三年むつまじく連れ添っていた。かれは武州|熊谷在《くまがやざい》の豪農の二番娘で、千両の持参金をかかえて来たという噂であった。
加賀屋の店も相当の身代《しんだい》であるから、別にその持参金に眼がくれたわけではなかった。お元は縁談のきまった時に、その親たちの云い込みには、何分ここらの片田舎では思うような嫁入り支度をさせて送ることも出来ない。もう一つには村でも最も古い家柄であるだけに、娘をよそへ縁付けるなどというといろいろ面倒な慣例《ならわし》もある。方々からも祝い物をくれる。又その返礼をする。それも其の土地に縁付くならば、どんな面倒な失費《ついえ》もよんどころないが、遠い江戸へ縁付けてしまうのに、そんな面倒をかさねるのはお互いにつまらない事であるから、さしあたっては行儀見習いの為に江戸の親類へ預けられるという体《てい》にして、万事質素に娘を送り出してしまいたい。勿論、江戸の方ではそういう訳には行くまいから、そちらで相当の支度をさせて儀式その他はよろしきように頼むというのであった。その頃の慣習として、嫁の里が相当の家であれば、たといそれが二十里三十里の遠方であっても、いわゆる里帰りに姑や聟も一緒に出かけて行って、里の親類や近所の人達にもそれぞれの挨拶をしなければならない。旅馴れないものが打ち揃って、江戸から熊谷まで出てゆくのは、ずいぶん厄介な仕事でもあるので、加賀屋の方でも却《かえ》ってそれを幸いに思って、先方の云い込みを故障なしに承諾した。お元は下谷《したや》の媒妁人《なこうど》の家に一旦おちついて、そこで江戸風の嫁入り支度をして、とどこおりなく加賀屋へ乗り込んだ。そういう事情で、豪家の娘が殆ど空身《からみ》同様で乗り込んできたのであるから、その支度料として親許から千両の金を送ってよこしたのも、別に不思議な事でもなかった。お元にはお鉄という若い女中が付いて来たが、それも珍らしいことではなかった。
お元がここへ縁付いてから、ただ一度その親たちと姉とが江戸見物をかねて加賀屋へ訪ねて来て一と月ほども逗留して帰った。才次郎とお元との夫婦仲も至極むつまじかった。彼女はおとなしい素直な生まれ付きであるので、姑《しゅうと》のお秀にも可愛がられた。店や出入りの者のあいだにも評判がよかった。附き添って来た女中のお鉄はことし十八で、それも主人思いの正直な女であった。こういうふうであるから、若夫婦の仲にまだ初孫《ういまご》の顔を見ることの出来ないのをお秀が一つの不足にして、そのほかには加賀屋一家の平和を破るような材料は一つも見いだされなかった。店も相変らず繁昌していた。
その嫁が深川の祭礼を見物に行って、その留守に永代橋墜落の噂が伝わったのであるから、加賀屋一家が引っくり返るように騒いだのも無理はなかった。それが無事と判って、また跳《おど》りあがって喜んだのも当然であった。しかし其の翌日になっても、お元の顔色の暗く閉じられているのが家内の者に一種の不安を感じさせた。とりわけて姑のお秀が心配した。
「お鉄や。ちょいと」
かれは女中のお鉄を自分の居間へよんで、小声で訊《き》いた。
「あの、お元はきょうもなんだか悪い顔付きをしているようだが、どうかしましたかえ。お医者に診《み》て貰ったらどうだと先刻《さっき》も勧めたんだけど、別にどこも悪いんじゃないと云う。お前はきのう一緒に出て行って別になんにも思い当ることはありませんでしたかえ」
「はい。別になんにも……」と、お鉄は躊躇《ちゅうちょ》せずに答えた。「わたくしもお霜さんも始終御一緒に付いて居りましたが、なんにも変ったことは無かったように存じます。尤《もっと》も橋が墜ちて大勢の人が流されたという噂をお聞きになりました時には、真っ蒼になって震《ふる》えておいででございました」
「そりゃあ無理もありませんのさ」と、お秀もうなずいた。「それが噂とわかって、お前さん達の無事な顔を見るまでは、わたしも気が気でなかったくらいですから……。それにしても今日になってもまだ蒼い顔をしていて、けさの御膳も碌に喰べてなかったというから、わたしもなんだか不安心でね。だが、それに付いていたお前がなんにも知らないと云うようじゃあ、別に変ったことがあった訳でもあるまい。人ごみの場所へ行って、おまけにそんな噂を聴かされたので、血の道でも起ったのかも知れない。気分でも悪いようならば、二階へでも行ってちっと横になっているように、お前から勧めたらいいでしょう」
「はい、はい、かしこまりました」
お鉄は丁寧に会釈《えしゃく》をして、主人の前をさがった。おなじ奉公人でも嫁の里から附き添って来た者であるから、主人の方でも幾分の遠慮があり、奉公人の方でも特別に義理堅くしなければならなかった。したがって里方から嫁入り先へ附き添ってゆくということは、どの奉公人も先ず忌《いや》がるのが習いで、もちろん普通よりも高い給金を払わなければならなかった。お鉄はお元の里方《さとかた》の小作人のむすめで、幼いときから地主の家に奉公して、お元とは取りわけて仲よくしている関係から、かれが江戸へ縁付くに就いても一緒に附き添ってきたのであった。年のわりには大柄で、容貌《きりょう》も醜《みにく》くない。もちろん当人もせいぜい注意しているのであろうが、その風俗にも詞《ことば》づかいにも余り田舎《いなか》者らしいところは見えなかった。
お鉄はしとやかに障子をしめて縁側に出ると、小さい庭の四つ目垣の裾には、ふた株ばかりの葉鶏頭が明るい日の下にうす紅くそよいでいた。故郷の秋を思い出したのか、それともほかに物思いの種があるのか、かれは其の秋らしい葉の色をじっと眺めながら、やがて低い溜息を洩らした。
二
「おい、姐《ねえ》さん。お前、そこで何をしているんだ」
両国橋の上には今夜の霜がもう置いたらしく、長い橋板も欄干も暗いなかに薄白く光っていた。その霜の光りと水あかりとに透かして視ながら、ひとりの男が若い女に声をかけた。男は神田の半七で、本所のある無尽講へよんどころなしに顔を出して帰る途中であった。
「ねえ、姐さん。今時分そんなところにうろ付いていると、夜鷹《よたか》か引っ張りと間違えられる。この寒いのにぼんやりしていねえで、早く家《うち》へ帰って温《あった》まった方がいいぜ。悪いことは云わねえ。早く帰んなせえ」
「はい」
低い声で返事をしながら、若い女はまだ欄干を離れようともしないので、半七はつかつかと立ち寄って女の肩に手をかけた。
「おめえも強情な子だな。節季師走《せっきしわす》に両国橋のまん中に突っ立って何をしているんだ。四十七士のかたき討はもう通りゃあしねえぜ。それともお前、袂に石でも入れているのか」
半七は初めから彼女を身投げと見ていたのであった。時候は節季師走という十二月の宵、場所は両国橋、相手は若い女、おあつらえの道具は揃っているので、彼はどうしてもこの女を見捨ててゆくわけには行かなかった。
「ほんとうに悪い洒落《しゃれ》だ。この寒空につめてえ真似をするもんじゃあねえ。早く行かねえと、引き摺って行って、橋番に引き渡すぜ」
女は黙ってすすり泣きをしているらしかった。どうで死のうと覚悟するほどの女に、涙は付き物と知りながらも、半七はなんだか可哀そうになって来たので、つかまえた手をゆるめながら、優しく云い聞かせた。
「さっきから俺がこんなに口を利いているのがお前にはわからねえのか。橋番へ引き渡すなんて云ったのは俺が悪い。そんな野暮なことは止めにして、ここでお前の話を聞こうじゃあねえか。そうして、どうでも死ななけりゃあ納まらねえ筋があるなら、おれが手伝って殺してやるめえものでもねえ。また死なずとどうにか済みそうな筋合いなら、古い川柳じゃあねえが、ようごんす袂の石を捨てなせえ、と俺も相談に乗ろうじゃあねえか。おい、黙っていちゃあ困る。なんとか返事をしてくれねえか」
「ありがとうございます」と、女はやはり泣いていた。「折角でございますけれど、どうにもこればかりは申し上げられません」
「そりゃあどうで云いづれえことに相違ねえ。だが、云わずにいちゃあ果てしがつかねえ。くどいようだが決して悪くはしねえ。人に明かして悪いことなら、決して他言もしねえ。おれも男だ。こうして誓言《せいごん》を立てた以上は、かならず嘘はつかねえから、まあ安心して話して聞かせるがいいじゃあねえか」
「ありがとうございます」と、女は又すすりあげて泣いた。
「聞いたような声だな」と、半七は首をかしげた。「さっきもそう思ったが、どうも聞き覚えがあるようだ。おめえは識《し》っている人じゃあねえかえ。おれは神田の半七だよ」
半七の名を聞いて、女は俄かに驚いたらしく、あわてて彼を押しのけるようにして逃げ出そうとした。しかし其の帯ぎわは半七の手にしっかり掴《つか》まれていた。
「おい、なにをする。お前はよくよく判らねえ女だな。もう仕方がねえ。腕ずくだ。さあ、歩《あゆ》べ」
かれは女の腕を捉えて、橋詰の番小屋へぐんぐん曵き摺ってゆくと、橋番のおやじは安火《あんか》をかかえて宵から居睡りをしているらしく、蝋燭の灯《ひ》までが薄暗くぼんやりと眠っていた。半七はうつむいている女の顔をひき向けて、その灯の前に照らしてみた。
「むむ。おめえは加賀屋の奉公人だな」
女は加賀屋のお鉄であった。半七は少し聞き合わせることがあって、ゆうべ加賀屋の店に腰をかけて番頭の半右衛門と話していると、小僧たちは湯に行っている留守であったので、奥から女中のお鉄が茶を持って来た。半七は商売だけに一度でかれの声も顔も記憶していたのであった。その加賀屋の女中がなぜ今頃ここらを徘徊して身投げを企てたのであろう。容貌《きりょう》も悪くなし、かつは年頃であるから、その原因はいずれ色恋の縺《もつ》れであろうと半七はすぐに覚《さと》った。
「こうなりゃあ猶さらのことだ。まんざら識らねえ顔じゃあなし、いよいよ此のままで、はい、さようならと云うわけにゃあ行かねえ。それでお前の名はなんというんだっけね」
「鉄と申します」
「むむ。そのお鉄さんがなんで死のうとしたんだ。相手は誰だ。店の者かえ」
「いいえ。そんな訳じゃございません」と、お鉄はあわてて打ち消した。「決してそんな淫奔事《いたずらごと》じゃございません」
半七は少し的《あて》がはずれた。色恋以外になぜ死ぬ気になったのかと彼はいろいろに詮議したが、お鉄はどうしても口をあかなかった。そればかりはどうしても云われないと強情を張った。いくら嚇《おど》しても賺《すか》しても相手が飽くまでも根強いので、半七もしまいには持て余した。
「おめえ、どうしても云わねえか」
「相済みませんが、どうしても申し上げられません」と、お鉄はどんな拷問をも恐れないというようにきっぱりと云い切った。
もうこの上は半七もさすがに手の付けようがなかった。さしあたっては別に罪人の疑いがあるというわけでも無し、ことに若い女ひとりをどう処置することも出来なかった。橋番に引き渡してゆくか、それとも本人の家へ送りとどけてやるか、まずその二つより途はないので、半七はいっそ町内まで一緒に連れて行ってやろうと思った。寝ぼけ眼《まなこ》をこすっているおやじには別に委《くわ》しい話もしないで、かれはお鉄をうながして橋番小屋を出た。師走の夜の寒さが身にしみるのか、なにか深い物思いに沈んでいるのか、お鉄は両袖をしっかりとかき合わせて、肩をすくめながらおとなしく付いて来た。
小屋を出ながら不図《ふと》みかえると、頬かむりをした一人の男が往来にのっそりと突っ立って、こっちをじっと覗《のぞ》いているらしいのが半七の眼についた。かれは立ちどまってその風体を見定めようとする間《ひま》に、相手は急に身をひるがえして、逃げるように橋を渡って行った。おかしな奴だと半七はしばらく見送っていた。
「おめえ、今の男を識っているのか」と、彼はあるき出しながらお鉄に訊《き》いた。
「いいえ」
その声の少し震えているのを、半七は聞き逃がさなかった。
「おめえ、寒いのかえ」
「いいえ。別に……」
「だって、なんだか震えているじゃねえか。あの男とここで落ち合って、一緒に心中でもする約束だったんじゃねえか」と、半七はかまをかけるように訊いた。
「いいえ。そんなことは決してございません」と、お鉄は小声に力をこめて答えた。
二人はそれぎりで黙ってしまって、暗い柳原の堤《どて》をならんで行った。たとい心中は嘘にしても、かの頬かむりの男とこのお鉄とのあいだに、なにかの因縁があるらしく思われるので、半七はいろいろに考えながら歩いた。枯れ柳の暗いかげを揺りみだす夜風が霜を吹いて、半七は凍るように寒くなった。かれは柳の下に荷をおろしている夜鷹|蕎麦《そば》屋の燈火《あかり》をみて思わず足を停めた。
「おい、お鉄さん。どうだ、一杯つき合わねえか」
「わたくしはたくさんでございます」
「まあ、遠慮することはねえ。なにも附き合いというものだ。なにしろ、こう冷えちゃあ遣り切れねえ。まあいいから一杯|手繰《たぐ》って行きねえ」
辞退するお鉄を無理に誘って、半七は熱い蕎麦を二杯たのむと、蕎麦屋は六助といって、下谷から神田の方へも毎晩まわって来る男であった。
「おや、親分さんでございましたか。今晩はどちらへ……」
「おお、六助|老爺《じい》さんか。べらぼうに寒いじゃねえか。今夜はよんどころなしに本所まで行って来たんだが、おめえも毎晩よく稼ぐね」
「へえ。わたくし共は今が書き入れ時でございます」
云いながら彼は、行燈の暗い火に顔をそむけて立っているお鉄に眼をつけた。
「ああ、加賀屋のお鉄さん。今夜は親分と一緒かえ」と、かれは不思議の連れを怪しむように鍋の下をあおぐ団扇《うちわ》の手をやめた。
「なに、途中で一緒になったんで、柳原堤の道行《みちゆき》さ。ははははは」と、半七は笑った。「じいさんなんぞは夜の稼業だ。毎晩こんなものを幾組も見せ付けられるだろうね」
おやじを相手に冗談を云いながら、半七は蕎麦を二杯代えた。そのあいだにお鉄は一杯の半分ほどをようよう啜《すす》り込んだばかりで箸をおいてしまった。
三
外神田の大通りへ出ると、師走の夜の町はまだ明るかった。加賀屋の店もあいていた。自分の店へだんだん近づくに連れて、お鉄は半七に今夜の礼をあつく述べて、店まで親分さんに送って来て貰ってはまことに困るから、どうかここで別れてくれとしきりに頼んだ。主人持ちのかれとしては定めて迷惑するであろうと、半七も万々察していたので、この上かならず不料簡を起さないようにと、くれぐれも念を押してお鉄に別れた。彼はそれでも見えがくれに五、六間ついて行って、お鉄が主人の家の水口《みずくち》ヘはいるのを見とどけて、それから三河町の家へ帰った。
本人の口からは確かに白状しないが、お鉄が身投げの覚悟であったらしいことは半七にも大抵想像された。どんな事情があるか知らないが、多寡《たか》が若い女のことで、どうでも死ななければならないというほどの深い訳があるのでもあるまい。こうして人間ひとりの命を助けたと思えば、半七は決して悪い心持はしなかった。それから二日ほど経つと、半七は加賀屋の近所でお鉄に出逢った。彼女はどこへか使にでも行くらしく、かなり大きい風呂敷包みを袖の下にかかえながら足早にあるいていた。向うでは気がつかないらしく、別に挨拶もしないで行き違ってしまったが、こうして無事に勤めているのを見て、半七もいよいよ安心した。
節季師走にいろいろの忙がしい用をかかえた半七は、いつまでも加賀屋の女中のことなどに屈託《くったく》してもいられなかった。彼はもうそんなことを忘れてしまって、ほかの御用に毎日追われていると、押し詰った師走ももう十日あまりを過ぎて、いよいよ深川の歳《とし》の市《いち》というその前夜であった。半七は明神下の妹をたずねてゆくと、その町内の角でかの蕎麦屋の六助に出逢った。
「今晩は……。相変らずお寒いことでございます」
「ほんとうに寒いね。押し詰まるといよいよ寒さが身にしみるようだ」
云いかけて半七は不図このあいだの晩のことを思い出した。かれは六助をよび止めて訊いた。
「おい、じいさん。お前にすこし聞きてえことがある。お前はあの加賀屋の女中を前から識っているのかえ」
「へえ、あすこのお店の近所へも商《あきな》いにまいりますので……」
「そりゃあそうだろうが、唯それだけの馴染かえ。ほかにどうということもねえんだね」
相手が相手だけに六助も少し考えているらしかったが、耄碌頭巾《もうろくずきん》のあいだからしょぼしょぼした眼を仔細らしく皺《しわ》めながら小声で訊き返した。
「親分さん。なにかお調べの御用でもあるんでございますか」
「御用番というほどのことでもねえが、あの晩、おれと一緒にいたお鉄というおんなに情夫《おとこ》でもあるのかえ」
「情夫だかなんだか知りませんが、若い男が時々にたずねて来るようです」
六助の話によると、先頃から一人の若い男がときどきに加賀屋の近所へ来てうろうろしている。自分が荷をおろしているところへ来て、蕎麦を食ったことも二、三度ある。そうして、誰かを待っているらしい素振りであったが、やがてそこへ加賀屋の女中が出て来て、男を暗い小蔭へ連れて行って何かひそひそと囁《ささや》いていたというのである。その年ごろや風俗がこのあいだの晩、両国の橋番小屋の外にうろついていた男によく似ているらしいので、半七はいよいよ彼とお鉄とのあいだに何かの因縁の絆《まつ》わっていることを確かめた。
「その男というのは江戸者じゃございませんよ」と、六助は更に説明した。「どうも熊谷辺の者じゃないかと思われます。わたくしもあの地方の生まれですからよく知っていますが、詞《ことば》の訛《なま》りがどうもそうらしく聞えました。加賀屋の若いおかみさんも女中も熊谷の人ですから。やっぱり何かの知り合いじゃないかと思いますよ」
「そうだろう」と、半七もうなずいた。
国者《くにもの》同士が江戸で落ち合って、それから何かの関係が出来る。そんなことは一向めずらしくないと彼も思った。このあいだの晩、お鉄が両国橋の上をさまよっていたのも、身投げや心中というほどの複雑《こみい》った問題でもなく、あるいは単に逢曳《あいび》きの約束をきめて、あすこで男を待ち合わせていたのかも知れない。こう考えるといよいよ他愛のない、甚だ詰まらないことになってしまうのであるが、半七の胸にただ一つ残っている疑問は、自分に対するその当時のお鉄の態度であった。かれはどうしてもその事情を打ち明けないと云った。その一生懸命の態度がどうも普通の出会いや逢いびきぐらいのことではないらしく、なにかもう少し入り組んだ仔細が引っからんでいるらしく思われてならなかった。しかし六助もその以上のことはなんにも知らないらしいので、半七もいい加減に挨拶して別れた。
別れて一、二間あるき出して不図《ふと》みかえると、あたかも彼の立ち去るのを待っていたかのように、頬かむりをした一人の男が蕎麦屋の前に立った。そのうしろ姿が彼《か》の両国橋の男によく似ているので、半七もおもわず立ち停まった。案外無駄骨折りになるかも知れないとは思いながらも、この職業に伴う一種の好奇心も手伝って、かれはそっとあと戻りしてそこらの塀の外にある天水桶のかげに身をひそめていると、今夜も暗い宵で、膝のあたりには土から沁み出してくる霜の寒さが痛いように強く迫って来た。男は熱い蕎麦のけむりを吹きながら、時々にあたりを見まわしているのは、やはりかのお鉄を待ち合わせているのであろうと半七は想像した。
しかも其のお鉄はなかなか出て来ないので、男はすこし焦《じ》れて来たらしく、二杯の蕎麦を代えてしまって銭《ぜに》を置いて、すっと出て行った。ここは殆ど下谷と神田との境目にあるところで、南にむかった彼の足が加賀屋の方へ進むのは判り切っているので、半七もその隠れ場所から這い出して、すぐにそのかげを慕ってゆくと、男は果たして加賀屋に近い横町の暗い蔭にはいった。そこで彼は頬かむりを締め直して、両手を袖にしながら再びしばらくたたずんでいると、やがて女の下駄の音がきこえた。女は賑やかな大通りを避けて、うす暗い裏通りから廻り路をして来たらしく、あと先をうかがいながら男のそばへ忍んで行った。
二人はその後も時々に左右を見かえりながら、なにか小声で囁き合っているようであったが、あいにく其の近いところには適当の隠れ場所が見あたらないので、唯その挙動を遠目にうかがうばかりで、かれらの低い声は半七の耳にとどかなかった。そのうちに談判はどう間違ったのか知らないが、男の声は少しあらくなった。
「じゃあ、どうも仕方がねえ。俺あこれから加賀屋へ行って、おかみさんに直談《じきだん》するだ」
「馬鹿な」と、女はあわててさえぎった。「その位ならこんなに訳を云って頼みやしないじゃないか。なんぼ何でもあんまりだよ。そんな約束じゃない筈だのに……」
女はくやしそうに震えていた。男はせせら笑った。
「それはそれ、これはこれだよ。だから、おかみさんに訳を話して……。二人でどこへでも行こうじゃねえか」
「そんなことが出来るもんかね」と、女は罵るように云った。
こうした押し問答が更に二、三度つづいたかと思うと、もう堪え切れない憤怒が一度に破裂したように、女の鋭い叫び声がきこえた。
「畜生。おぼえていろ」
彼女は帯のあいだから刃物を取り出したらしい。相手の男も不意におどろいたらしいが、半七もおどろいた。彼はすぐに駈けて行って、男を追いまわしている女の利き腕を取り押さえた。女は剃刀《かみそり》を持っていた。
「おい、お鉄、つまらないことはするもんじゃあねえ」
半狂乱のうちでも、お鉄はさすがに半七の声を聞き分けたらしく、身をもがきながら息を喘《はず》ませた。
「親分さん。どうぞ放してください。あいつ、畜生、どうしても殺さなければ……」
「まあ、あぶねえ。殺すほどの悪い奴があるなら、俺がつかまえてやる」
その一句を聞くと、男はなんと思ったか俄かに引っ返して逃げ出した。もう猶予はならないので、半七は先ずお鉄の手から剃刀をもぎ取って、つづいて彼のあとを追って行った。男はやはり大通りへ出るのを避けて、うす暗い裏通りの横町を縫って池の端の方角へ逃げてゆくのを、半七も根《こん》よく追いつづけた。敵がだんだんに背後《うしろ》へ迫って来るので、逃げる男はいよいよ慌てたらしく、凍っている小石を滑《すべ》ってつまずくところへ、半七が追い付いてその帯の結び目をつかむと、帯は解けかかって、男は少しためらった。そこを付け入って更にかれの袖を引っ掴《つか》むと、男はもう絶体絶命になったらしく、着ている布子《ぬのこ》をするりと脱いで、素裸のままでまた駈け出した。半七はうしろからその布子を投げかけたが、ひと足の違いで彼は運よく摺り抜けてしまった。
こうして一生懸命に逃げたが、敵は息もつかせずに追い迫って来るので、男はもう逃げ場を失ったらしい。かれは眼の前に大きく開けている不忍池の水明りをみると、滑るようにそこに駈けて行って、裸のままで岸から飛び込んだ。これほど強情に、逃げて、逃げて、しかも最後には池に飛び込むという以上、かれは何かの重罪犯人であるらしく思われたので、半七も着物をぬいでいる間《ひま》もなしに、この寒い夜に水にはいった。
四
不忍池に沈んだ男の姿は容易に見あたらなかった。加勢の手をかりて、かれの凍った死骸を枯れた蓮の根から引き揚げたのは、それから小半刻《こはんとき》の後であった。水練をしらないらしい彼が、この霜夜に赤裸で大池へ飛び込んだのであるから、その運命は判り切っていた。しかし彼の素姓も来歴もわからないので、その死骸を係りの役人に引き渡して置いて、半七は濡れた着物を着換えるために一旦自分の家へ帰ると、お鉄が蒼い顔をして待っていた。
「やあ、お鉄。来ていたのか」
「先程からお邪魔をして居りました」
「そりゃあ、丁度いい。実はこれからお前を呼び出そうと思っていたところだ」
半七はすぐに着物を着かえて、今まで彼女の話し相手になっていた女房を遠ざけて、お鉄を長火鉢の前に坐らせた。
「早速だが、あの男は何者だえ」
「お召し捕りになりましてございましょうか」
「それが失敗《しくじ》ったよ」と、半七は額に皺をみせた。「おれに追いつめられて、とうとう池へ飛び込んでしまった。引き揚げたがもういけねえ。惜しいことをした。もうこうなると、どうしてもお前を調べるよりほかはねえ。このあいだの晩も云う通り、そりゃあいろいろ云いづれえこともあるだろうが、もう仕方がねえと覚悟して何もかも云ってくれねえじゃあ困る。それでねえと、おめえばかりでなく、加賀屋の店に迷惑になるようなことが出来ねえとも限らねえ。主人にまで迷惑をかけちゃあ済むめえが……。ねえ、そこを考えて正直に云ってくれ」
「よく判りましてございます」と、お鉄はおとなしく頭をさげた。「実はそれを申し上げようと存じまして、あれからすぐにこちらへ出まして、こうしてお待ち申して居りましたのでございますから、もう何もかも正直に申し上げます」
「むむ。それでなけりゃあいけねえ。そこで一体あの男は何者だえ。やっぱりおめえとおなじ土地の者かえ」
「はい、隣り村の安吉という百姓でございます」
「いつ頃から江戸へ出ているんだ」
「なんでもこの八月の中頃だと申して居りました。わたくしが逢いましたのは八月の十五日、若いおかみさんのお供をして八幡様のお祭りを見物にまいりました時でございます」
「それから彼奴《あいつ》はどこに何をしていたんだ」
「それはよく判りませんが、唯ぶらぶらしていたようでございます」と、お鉄は答えた。「なにしろ、土地にいた時も怠け者で、博奕《ばくち》なんぞばかりを打っていたような奴でございますから」
「その怠け者の安吉が今夜はなんの用で来たんだ」
お鉄も少し云い淀んでいるらしく、しばらくはうるんだ眼を伏せて肩をすくめていた。
「いや、これからが肝腎《かんじん》のところだ。お前もあいつを殺そうと思いつめた程ならば、それにはよくよくの訳がなけりゃあならねえ。おめえが殺そうと思ったあいつはもう死んでいる。おめえの念もとどいた以上、今さら未練らしく隠し立てをするにも及ぶめえ。あれはお前の情夫《おとこ》かえ」
「いいえ、決してそんなことは……」と、お鉄は急に興奮したように口唇《くちびる》をおののかせた。「あいつはわたくしの仇《かたき》でございます」
「その仇のわけを聞こうじゃねえか。仇なら殺しても構わねえ。一体それは親の仇か、主人の仇か、おめえの仇か」
「主人のかたきで、わたくしにも仇でございます」
かれの眼からは止め度もなしに涙が流れ落ちた。お鉄はいよいよ興奮したように云った。
「もうどうしても勘弁がならなくなって、いっそ殺してしまおうと思いました。実はこのあいだの晩も剃刀を持って両国橋の上に待っていたのでございます」
「そうか」と、半七も溜息をついた。「まさかそんなこととは気がつかなかった。そこでその主人というのは加賀屋のことかえ。それともお前が付いて来た若いおかみさんのことかえ」
お鉄はまた黙ってしまった。くずれかかった銀杏返《いちょうがえ》しの鬢の毛をかすかにふるわせていた。
「それを話す約束じゃあねえか」と、半七はほほえみながら云った。「お前もまた、それを話す積りでわざわざ来たんだろうじゃあねえか。今さら唖《おし》になってしまわれちゃあ困る。え、その仇というのは若いおかみさんの仇かえ」
「左様でございます」と、お鉄は洟《はな》をつまらせながら答えた。「いろいろの無理を云って、わたくし共を窘《いじ》めるのでございます」
「なぜ窘める。こっちにも又、なにか彼奴に窘められるような弱身があるのかえ」
「はい」と、お鉄は両方の袂で顔を押さえながら、身をふるわせて泣き出した。
「なにか内証のことでも知っているのかえ」
加賀屋の娘は熊谷の里にいた時に、何か内証の男でも拵《こしら》えていたので、その秘密を知っている隣り村の安吉が、それを枷《かせ》にかれらを苦しめているのであろうと半七は推量した。しかもそれに対するお鉄の返事は意外であった。
「はい、若いおかみさんの生まれ年を知っていますので……」
「生まれ年……」
「親分さんの前ですから申し上げますが、おかみさんは生まれた年を隠しているのでございます」
と、かれは思い切ったように云った。
加賀屋の嫁のお元は弘化二年|巳《み》年の生まれと云っているが、実は弘化三年|午《うま》年の生まれであるとお鉄は初めてその秘密を明かした。単に午年ならば仔細はないが、弘化三年は丙午《ひのえうま》であった。この時代の習慣として、丙午の年に生まれた女は男を食い殺すという伝説が一般に信じられていたので、この年に生まれた女の子は実に不幸であった。生んだ親たちも無論にその不幸を分かたなければならなかった。お元も不幸に生まれた一人で、なんの不足もない豪家の娘と云いながら、その生まれ故郷ではとても相当の嫁入り先を見いだすことが出来そうもなかった。さりとて余りに身分違いの家と縁組するわけにもいかないので、親たちから土地の庄屋にたのんで、人別帳《にんべつちょう》をうまく取りつくろって、午年の娘を巳年の生まれと書き直して貰って置いた。それで表向きは先ず巳年で通るのであるが、土地の者は皆ほんとうの生まれ年を知っているので、親たちもいろいろに心配して、結局その嫁入り先を、遠い江戸に求めたのであった。お元が質素にして故郷を出て来たのも、その嫁入先を秘密にして置かなければならない必要に迫られたからであった。お鉄は勿論その事情をよく承知していた。
これほどに苦労した甲斐があって、加賀屋の方ではなんの気もつかないらしく、お元は夫婦の仲も睦まじく、姑ともよく折り合って、一家円満に日を送っているので、本人は勿論、一緒に附き添って来たお鉄も先ずほっと息をついた。しかも足かけ三年目の秋になって、その平和を破壊すべき恐ろしい悪魔のかげが突然ふたりの女をおびやかした。それは隣り村の安吉という若い百姓であった。かれの母は取り上げ婆さんを職業にしていて、現にお元の生まれるのを取り上げた関係上、丙午の秘密をよく知っていた。勿論その当時、お元の親たちはかれに口止め料をあたえて秘密を守る約束を固めて置いたが、広い世間の口をことごとく塞《ふさ》ぐわけには行かなかった。ましてその伜の安吉がそれを知らない筈がなかった。かれは或る事情から江戸に出て来て、八幡祭りを見物に行った時に、偶然かのお元とお鉄とにめぐり逢ったのであった。
江戸と熊谷と距《はな》れているので、ふたりの女はなんにも知らなかったが、安吉が江戸へ出て来たのは、かの太田の金山の松茸献上がその因をなしていたのであった。太田を出た御用の松茸は、上州から武州の熊谷にかかって、中仙道を江戸の板橋に送り込まれるのが普通の路順で、途中の村々の若い百姓たちはみなその人足に徴発されて、宿々の問屋場に詰めるのが習いであった。安吉もやはりその一人で他の人足仲間と一緒に宿《しゅく》の問屋場に詰めていたが、横着者の彼はあとの方に引きさがって悠々と煙草をのんでいた。やがて松茸の籠がこの宿に運び込まれたので、待ちかまえていた人足どもは一度にばらばら起ち上がった。早く早くと役人たちに急《せ》き立てられて、安吉もくわえ煙管《ぎせる》のままで駈け出して、籠に通してある長い青竹を肩にかついだが、啣《くわ》えている煙管の始末に困ってかれは何ごころなくそれを松茸の籠の結縄《ゆいなわ》にちょっと挿しこんで、そのままわっしょいわっしょいと担ぎ出した。なにをいうにも大急ぎであるので、その籠を次の宿へ送り渡したとき、かれはその煙管を取ることを忘れてしまった。
それが次の問屋場で発見されたので、その詮議がむずかしくなった。献上の松茸の籠にきたない脂煙管《やにぎせる》が挟んであったというので、問屋場の役人らは勿論、立ち会いの名主や百姓共も顔の色を変えた。途中の宿々の人足どもは無論に一々吟味されることになった。安吉も今更はっと驚いたが、もうどうすることも出来なかった。問題が問題であるから、普通の疎忽《そこつ》や過失ではとても済む筈がない。どんな重い仕置きをうけるかも知れないと恐れられて、彼はその場からすぐに逐電《ちくでん》してしまった。なまじい土地の狭い田舎などに身を隠しては却って人の目につく虞《おそ》れがあるのと、もう一つにはふだんから江戸へ出て見たいという望みがあったのとで、かれは大胆に江戸へむかって逃げて来た。諸国の人間のあつまる江戸に隠れていた方が、却って詮議が緩《ゆる》かろうとも考えたのであった。しかし彼は路銀の用意もなかったので、殆ど乞食同様のありさまで、どうやらこうやら江戸まで辿りついた。江戸には別に知己《しるべ》もないので、かれはやはり乞食のようになって江戸じゅうをうろついていた。
しかし彼はすぐにその乞食の境界から救われるようになった。江戸に入り込んでから三日目の朝に、かれは測《はか》らずも加賀屋の嫁と女中に出逢ったのである。評判の八幡祭りを見物したいのと、その祭礼で何かの貰いがあるかも知れないと思ったのとで、かれは朝から深川の町々をさまよっていると、混雑の中でお元とお鉄の姿を見つけたので、彼はよろこんで声をかけた。それが隣り村の、しかも取り上げ婆さんの伜であることを知った時に、ふたりの女は白昼に幽霊を見たよりも驚いた。お鉄は連れの女中に覚《さと》られないように、安吉をそっと物蔭へ連れていって、なんにも云わずに幾らかの金をやって別れた。
その場はまずそれで済ませたが、安吉は執念ぶかく彼等のあとを尾《つ》けて行って、この女連れが親類の家へ入るのを見とどけた。そうして、お元が外神田の加賀屋の嫁になっていることを探り出したので、その後もたびたび加賀屋をたずねて、お鉄を呼び出して金の無心を云った。その無心を肯《き》かなければ、かの丙午の秘密をお元の夫や姑に訴えると嚇した。それは死ぬよりも恐ろしいことであるので、お元は弱い心をおびただしく悩まされた。お鉄も共々に心配して、しきりに口止めの方法を講じていたが、安吉の無心は際限がなかった。かれは本所の木賃宿《きちんやど》に転がっていて、お元から強請《ゆす》る金を酒と女に遣い果たすと、すぐに又お鉄をよび出して来た。お元も嫁の身の上で、店の金銭を自分の自由にするわけにはゆかなかった。熊谷の里へ頼んでやるにも適当の使がなかった。彼女はよんどころなくお鉄と相談して、自分の持ち物などをそっと質入れして、彼の飽くなき誅求《ちゅうきゅう》を充たしていたが、それも長くは続きそうもなかった。人の知らない苦労に、主人も家来も痩せてしまった。
十一月の末に、安吉は又もや五両の無心を云って来た。しかし其れだけの都合が出来なかったので、お鉄は三両の金を本所の木賃宿までとどけにゆくと、安吉はひどく不平らしい顔をした。しかも彼は酔っている勢いでお鉄に猥《みだ》りがましいことを云い出した。お鉄は振り切って逃げて帰ろうとするのを、かれは腕ずくで引き留めたので、何事も主人のためと観念して、お鉄はなぶり殺しよりも辛い思いをしなければならない破目《はめ》に陥った。その安吉は自分もお尋ね者であることを初めて明かして、もうこうなった以上、お元からまとまった金を貰って、どこか遠いところへ行って、一緒に暮らそうとお鉄をそそのかした。
その以来、お鉄はかれに対する今までの恐怖が俄かにおさえ切れない憎悪と変じた。主人の為、いっそ憎い仇をほろぼしてしまおうと決心して、お鉄は巧みに詞《ことば》をかまえて、彼を両国橋の上によび出した。彼女は帯のあいだに剃刀を忍ばせて、宵から橋の上に安吉を待ちうけていた。半七が彼女を身投げと見あやまったのはその時で、その後のことはあらためて説明するまでもあるまい。安吉はさらにお元から百両の金をゆすり取って、一度手籠めにしたお鉄を無理に連れ出して、どこへか立退《たちの》こうと企てたが、それが最後の破滅を早める動機となって、かれはお鉄の刃物におびやかされ、更に半七に追いつめられた。丙午《ひのえうま》の問題だけならともかくも、彼にはそれよりも重大な松茸の問題があるので、一生懸命に逃げまわった末に、とうとう不忍の池の底へ自分の命を投げ込んでしまったのであった。
ここまで話して来た時には、お鉄の涙ももう乾いていた。かれが更に半七を屹《きっ》と見あげたひとみには一種の強い決心が閃《ひら》めいていた。
「そういう訳でございますから、たとい相手に傷は付けませんでも、御法通りにお仕置を願います。唯わたくしの一生のお願いは、若いおかみさんの事でございます。どうでわたくしは、あんな奴に滅茶滅茶にされた身体でございますから、どうなってもかまいませんけれど、丙午のことが世間に知れまして、もしも御離縁にでもなりますようですと、おかみさんもきっと生きてはおいでになるまいと存じますから」
「よし、判った」と、半七は大きくうなずいた。「おまえの料簡はよく判っている。おれが受け合った。決しておめえの主人に迷惑はかけねえから、安心しているがいいぜ」
「ありがとうございます」と、お鉄はまた泣き出した。
お鉄の忠義に免じて、半七は加賀屋に関する事件をいっさい発表しなかった。お鉄には勿論なんの咎めもなかった。安吉の死は単に松茸の問題だけで解決してしまった。お鉄は二十一の年まで加賀屋に奉公して、若夫婦のあいだに男の児が出来たのを見とどけて、近所の酒屋の嫁に貰われた。その媒妁人《なこうど》はかの三浦老人夫婦であった。
その嫁入りのときに加賀屋でも相当の支度をしてくれたが、お元の里方からはお鉄の附金《つけがね》として二百両の金を送って来た。半七のところへも百両とどけて来た。
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人形使い
一
「年代はたしかに覚えていませんが、あやつり芝居が猿若町《さるわかまち》から神田の筋違外《すじかいそと》の加賀ツ原へ引き移る少し前だと思っていますから、なんでも安政の末年でしたろう」と、半七老人は云った。「座元は結城《ゆうき》だか薩摩《さつま》だか忘れてしまいましたが、湯島天神の境内《けいだい》で、あやつり人形芝居を興行したことがありました。なに、その座元には別に関係のないことなんですが、その一座の人形使いのあいだに少し変なことが出来《しゅったい》したんです。今時《いまどき》こんなことをまじめで申し上げると、なんだか嘘らしいように思召《おぼしめ》すかも知れませんが、まったく実録なんですからその積りで聴いてください。その人形使いのうちに若竹紋作と吉田冠蔵というのがありました。紋作はその頃二十三、冠蔵は二十八で、どっちも同じ江戸者でした。ああいう稼業には上方《かみがた》者が多いなかで、どっちも生粋《きっすい》の江戸っ子でしたから、自然おたがいの気が合って、兄弟も同様に仲がよかったんですが、それが妙なことから仇同士のような不仲になってしまって、一つ楽屋にいても碌々に口も利かないほどになったんです」
二人が不仲になった原因はこうであった。あやつり芝居が夏休みのあいだに、二人が一座を組んで信州路へ旅興行に出て、中仙道の諏訪から松本の城下へまわって、その土地の或る芝居小屋の初日をあけたのは、盂蘭盆《うらぼん》の二日前であった。狂言は二日《ふつか》がわりで、はじめの二日は盆前のために景気もあまり思わしくなかったが、二の替りからは盆やすみで木戸止めという大入りを占めた。その替りの外題《げだい》は「優曇華浮木亀山《うどんげうききのかめやま》」の通しで、切《きり》に「本朝廿四孝」の十種香から狐火《きつねび》をつけた。通し狂言の「浮木亀山」は、いうまでもなく石井兄弟の仇討で、紋作は石井兵助をつかい、冠蔵はかたきの赤堀水右衛門を使っていた。
その初日の夜である。芝居の閉《は》ねたのはもう九ツ(夜の十二時)をすぎた頃で、一座のものは楽屋に枕をならべて寝た。田舎の小屋の楽屋ではあるが、座頭《ざがしら》格の役者を入れる四畳半の部屋があって、仲のいい紋作と冠蔵とはその部屋を占領して一つ蚊帳《かや》のなかに眠った。疲れ切っている二人は木枕に頭を乗せるとすぐに高いびきで寝付いてしまったが、およそ一刻《いっとき》も経つかと思うころに紋作はふと眼をさました。建て付けの悪い肱掛《ひじか》け窓の戸を洩れて、冷たい夜風が枕もとの破れた行燈《あんどう》の灯をちろちろと揺らめかせている。信州の秋は早いので、壁にはこおろぎの声が切れぎれにきこえる。紋作は云いしれない旅のあわれを誘い出されて、遠い江戸のことなどを懐かしく思い出した。自分たちを置き去りにして土地の廓《くるわ》へ浮かれ込んだ一座の或る者を羨ましくも思った。
木枕に押しつけていた耳が痛むので、かれは頭をあげて匍匐《はらば》いながら、枕もとの煙草入れを引きよせて先ず一服すおうとするときに、部屋の外の廊下で微かにかちりかちりという音がきこえた。紋作は鼠であろうと思って、はじめはそのまま聞き流していたが、やがて俄かに気がついた。せまい廊下には衣裳|葛籠《つづら》や人形のたぐいが押し合うようにごたごたと積みならべてある。疲れている一座のものは禄々にそれを片付けないでほうり出しているに相違ない。その何かを鼠に咬《かじ》られでもしてはならないと思い付いて、かれは煙管《きせる》を手に持ったままで蚊帳の外へくぐって出ると、物の触れ合うような小さい響きはまだ歇《や》まなかった。
そのひびきを耳に澄ましながら、紋作はそっと出入り口の障子をあけると、かなり広い楽屋のうちにたった一つ微かにともっている掛け行燈のうす暗い光りで、あたりは陰《くも》ったようにぼんやりと見えた。そのうす暗いなかに更にうす暗い二つの影が、まぼろしのように浮き出しているのを見つけた時に、紋作は急に寝ぼけ眼《まなこ》をこすった。ふたつの影は石井兵助と赤堀水右衛門との人形で、それが小道具の刀を持って今や必死に斬り結んでいるのであった。その闘いは金谷宿《かなやじゅく》佗住居の段で、兵助が返り討ちに逢うところであるらしくみえた。非情の人形にも仇同士の魂がおのずと籠《こも》ったのであろうか。余りの不思議に気を奪われながらも、紋作は夢のように浄瑠璃を低く唄い出した。
♪ さしもに猛《たけ》き兵助が、切れども突けどもひるまぬ悪党、前後左右に斬りむすぶ、数《す》カ所の疵にながるる血潮、やいばを杖によろぼいながら、ええ口惜しや――。
兵助の人形は文句通りに斬り立てられて、勝ち誇った敵は嵩《かさ》にかかって斬り込んできた。舞台の上の約束はともかくも、ここでは自分の人形を返り討ちにさせたくないので、紋作はわれを忘れて廊下へ駈け出して、手に持っている煙管をふり上げて仇の人形を力まかせに打ち据えると、水右衛門は額《ひたい》の真向《まっこう》をゆがませてばったり倒れた。兵助の人形も疲れたように同じく倒れてしまった。
この物音に眼をさました冠蔵は、自分のとなりに紋作の寝ていないのを怪しんで、これも蚊帳をくぐって出てみると、紋作は煙管をにぎって果《はた》し眼《まなこ》で突っ立っていた。その足もとには水右衛門の人形がころげていた。
「おい、紋作。どうした」
紋作は夢から醒めたように、自分の今みた人形の不思議な話をしたが、冠蔵は信用しなかった。いくら仇同士であろうとも、操《あやつ》りの人形に魂がはいって、敵と味方とが夜なかに斬り結ぶなぞという、そんな不思議が世にあろう筈がない。大方お前の寝ぼけ眼でなにかを見ちがえたのであろうと、冠蔵も始めのうちは唯わらっていたが、水右衛門の人形の額にゆがんだ打ち疵のあとを見つけると、彼は顔の色を変えた。自分の使っている人形の顔へ、なんの遺恨でこんな大疵をつけたのかと彼は紋作にはげしく食ってかかった。自分の人形が可愛さに、思わずその仇を手にかけたと紋作はしきりに云い訳をしたが、冠蔵はなかなか得心《とくしん》しなかった。
人形同士が斬り合ったという。いや、そんな筈がないという。所詮《しょせん》は双方が水掛け論で、ほかに証人がない以上、とても決着が付きそうもなかった。この捫著《もんちゃく》におどろかされて、ほかの者もだんだんに起きてきたが、この奇怪な出来事について正当の判断をくだし得るものは一人もなかった。ある者はそんな不思議がないとも限らないと云った。ある者は頭から馬鹿にしてその不思議を絶対に否認した。しかも紋作が水右衛門を打ったのは事実で、人形の額にたしかな証拠が残っていた。
冠蔵はそれを自分に対する紋作の嫉妬であると解釈した。初日以来、自分の人形の評判がよい。まるで生きているように働くと観客がみな褒めそやしている。紋作はそれを妬《ねた》んで、夜なかにそっと自分の人形を傷つけて、それを誤魔化すために途方もない怪談を作り出したに相違ないと認めた。しかし此れも取り留めた証拠はないので、彼もその場は胸をさすって人々の仲裁にまかせた。なにぶんにも旅先のことで直ぐに付けかえる首がないので、冠蔵は額のゆがんだ水右衛門の人形を今夜も舞台へ持ち出すよりほかなかった。うす暗い蝋燭の火で観客はそれを覚《さと》ったかどうだか知らないが、向う疵を負った人形を使っているということは何分にも気が咎めて、冠蔵はどうも気乗りがしなかった。それでも金谷宿佗住居の段に進んで来ると、云いしれない敵愾心《てきがいしん》が胸いっぱいに漲《みなぎ》って来て、かれの眼には残忍の殺気を帯びた。
赤堀水右衛門は石井兵助をあざむいて、だまし討ちにするのである。冠蔵はその仇になりすましてしまって、出来るかぎり憎々しく、出来る限り残酷に、相手の兵助をなぶり殺しにしてやろうと思って、その人形を手いっぱいに働かせた。相手の気込みがいつもと違っているのは、紋作の方にも悟られた。もともと旅興行で、さのみ熱心に勤めている筈でない冠蔵の人形が、今夜はたましいが籠ったように生きて働いている。しかもその人形を使っている冠蔵の眼には殺気を帯びている。紋作はなんだか油断が出来なくなって、自分の人形をなぶり殺しにしようと立ちむかって来る敵に対して、十分の身がまえをしなければならなくなった。人形と人形との刀は折れそうに激しく打ち合った。人形つかいの額には汗がにじみ出した。二人の眼はおのずと血走って来た。それに釣り込まれて、床《ゆか》の太夫も今夜は一生懸命に語った。観客は呼吸《いき》をのんで、その勝負の成り行きをうかがっていた。
いかにあせっても狂っても、当然の約束として、石井兵助は、敵に斬り伏せられなければならなかった。水右衛門の方には助太刀の敵役《かたきやく》があらわれて来た。これらの人形も三方から兵助を取り囲んで斬り込んでくるので、それを使っている紋作は自分が敵に囲まれているように焦躁《いらだ》ってきた。神経の興奮している彼は、浄瑠璃の文句にもかまわずに前後左右を滅多やたら斬りまくった。兵助の刀は又もや水右衛門の真向《まっこう》を打った。冠蔵の方でも約束が違うのを咎めているような余裕はなかった。なんでも相手の人形を残酷に斬り伏せてしまわなければならないという一心で、無二無三に兵助を斬った。敵も味方も滅茶苦茶な立ち廻りのうちに、浄瑠璃の文句は終りを告げた。
「今夜のは、ありゃあなんだ」
楽屋へはいると、冠蔵はすぐに紋作を責めた。紋作の方でも冠蔵の使い方がいつもとは違っていると云って、さかねじに食ってかかった。ゆうべの喧嘩が再びここで繰り返されそうになったのを、ほかのものどもが仲裁して今夜も無事に納めたが、その次の幕の済むあいだに兵助の人形の首は何者にか引き抜かれて、楽屋の廊下に投げ出されていた。無論に冠蔵の仕業であろうとは思ったが、その手証《てしょう》を見とどけたわけでもないので、紋作はじっと堪《こら》えてなんにも云わなかった。勿論、どの人形も自分のものではない。冠蔵も紋作も自分の人形をもっているほどの立派な人形使いではなかった。しかし自分がそれを扱っている以上、その人形の首をひき抜いて廊下に投げ出されたということは、自分の首を引き抜かれたように紋作はくやしく感じた。彼はその以来、殆ど冠蔵と口をきかなくなった。冠蔵の方でも彼を相手にしなくなった。かれらは実際に於いても、赤堀水右衛門と石井兵助とになってしまった。
江戸へ帰った後も、彼等はむかしの親しい友達にはなれなかった。同じ商売でおなじ楽屋の飯を食っていながらも、水右衛門と兵助とは所詮かたき同士たるを免かれなかった。
二
「紋作さん。なんだかいやに時雨《しぐ》れて来ましたね」
十七八の色白の娘が結い立ての島田を見てくれというように、若い人形使いのまえに突き出した。紋作はまだ独身者《ひとりもの》で、下谷の五条天神から遠くない横町の、小さい小間物屋の二階に住んでいるのであった。
その小間物屋から四、五軒さきに、踊りや茶番の衣裳の損料貸しをする家があって、そこで操《あやつ》りの衣裳の仕立てや縫い直しなどを請《う》け負《お》っていた。小間物屋の娘お浜も手内職にそこの仕事を手伝いに行っているので、そんな係り合いから紋作とも自然に心安くなって、お浜の母も承知のうえで自分の二階を彼に貸すことになったのであった。お浜の家では四年ほど前に主人をうしなって、今では後家のお直《なお》と娘との二人暮らしである。そこへ転がり込んだ紋作は年も若い、芸人だけに垢抜けもしている。したがって近所では彼とお浜とのあいだに、いろいろの噂を立てる者もあったが、母のお直がなんにも聞かない振りをしているのを見ると、ゆくゆくは娘の婿にする料簡であろうなどと、早合点にきめている者もあった。いずれにしても、お浜と紋作とは仲がよかった。
紋作はすこし風邪《かぜ》をひいたというので、小さい長火鉢をまえにして、お浜にこの冬新らしく仕立てて貰った柔らかい広袖を羽織って坐っていた。かれは痩形のすこし疳持ちらしい、見るからに弱々しい男で、うす化粧でもしているかと思われるように、その若い顔を綺麗に光らせていた。お浜はその長火鉢の向うから彼の少し皺《しわ》めている眉のあたりを不安らしくながめた。
「ほんとうに気分が悪いの。振出しでも買って来てあげましょうか」
「なに、それ程でもないのさ」と、紋作は軽く笑った。
「でも、きょうもまた稽古を休むんでしょう。阿母《おっか》さんがさっきそんなことを云っていました」
「なにしろ、頭が重いから」と、紋作は気のないように云った。
「だからお薬をおのみなさいよ。初日前にどっと悪くなると大変だわ」
「悪くなれば休む分《ぶん》のことさ。今度の芝居はあまり気が進まないんだから、どうでもいい。いっそ休む方がいいかも知れない」
十一月の末の時雨《しぐ》れかかった空はまた俄かに薄明るくなって、二階の窓の障子に鳥のかげが映った。お浜は長火鉢に炭をつぎながら呟いた。
「おや、鳥影が……。誰か来るかしら」
「誰か来るといえば、芝居の方から誰も来なかったかしら」
「いいえ、きょうはまだ誰も……」と、お浜は丁寧に炭をつみながら答えた。「定《さだ》さんの話に、おまえさんは今度は役不足だというじゃありませんか」
「役不足という訳じゃあない」と、紋作は膝の前の煙管《きせる》をひき寄せた。「旅へ出てならともかくも、江戸の芝居で、わたしに判官と弥五郎を使わせてくれる。役不足どころか、有難い位のものさ。だが、どうも気が乗らない。今もいう通り、今度の芝居はいっそ休もうかとも思っているんだ」
「なぜ」と、お浜は火箸を灰につき刺しながら向き直った。「あたし、おまえさんの判官がみたいわ。出使いでしょう」
「無論さ。だが、師直《もろのお》が気にくわない。こっちが判官で、あいつに窘《いじ》められるかと思うと忌《いや》になる」
今度の狂言は「忠臣蔵」の通しで、師直と本蔵を使うのはかの吉田冠蔵であった。かたき同士の冠蔵を相手にして、三段目の喧嘩場をつかうのは紋作として面白くなかった。いっそ病気を云い立てにして今度の芝居を休んでしまおうと思っていた。
「でも、休んじゃ困るでしょう、この暮にさしかかって……」
「なに、どうにかなるさ」と、紋作は誇るように笑った。「芝居を一度や二度休んだって、まさかに雑煮が祝えないほどのこともあるまい」
「そりゃあそうかも知れないわ。根岸の叔母さんが付いているから」と、お浜は口唇《くちびる》をそらして皮肉らしく云った。
紋作が根岸の叔母をたずねて、ときどきに小遣いを貰ってくることをお浜は知っていた。しかしその叔母というのがなんだか怪しいものであった。お浜がいくら詮議しても、紋作が正直にその叔母の住所も身分も明かさないのをみると、どんな叔母さんだか判ったものではないと彼女はふだんから疑っていた。きょうもふと云い出したその忌味《いやみ》を、相手は一向通じないように聞きながしているので、若いお浜の嫉妬心はむらむらと渦巻いておこった。
「ねえ、紋作さん。そうでしょう。おまえさんには根岸のいい叔母さんが付いているからでしょう。芝居に行かなくっても、ここの家《うち》にいなくっても、ちっとも困らないんでしょう」
「そういう気楽な身分と見えるかしら。まあ、それでもいいのさ」と、紋作はやはり相手にしようとはしなかった。
なんだか馬鹿扱いにされているようで、お浜はいよいよ口惜《くや》しくなった。かれは膝を突っかけて又何か云い出そうとする時に、下から母のお直の呼ぶ声がきこえた。
「お浜や。紋作さんのところへお客様」
来客と聞いて、お浜もよんどころなく立ち上がって、階子《はしご》をあがって来る三十四五歳の芸人を迎えた。かれは紋作の兄弟子《あにでし》の紋七という男であった。
「お浜さん。いつも化粧《やつ》していやはるな。初日まえで忙がしいやろ」
笑いながら挨拶して、紋七は長火鉢のまえに坐った。お浜が遠慮して起《た》ったあとで、彼はにこやかに云い出した。
「気分はどうや。えろう悪いか」
かれは病気見舞に来たのであった。冠蔵と紋作との不和を知っている彼は、紋作がきのうから病気を云い立てにして稽古にはいらないのを疑って、よそながらその様子を見とどけに来たのであった。来てみると、果たしてさのみの容態でもないらしいので、彼は紋作に意見した。たとい冠蔵と不和であろうとも、それがために芝居を怠っては座元にも済まない。自分のためにもならない。信州の旅興行には自分は一座していなかったから、どっちが理か非かよくは判らないが、ともかくも仲間同士が背中合わせになっているのはどっちのためにも悪い。冠蔵とは仲直りさせるように私がうまく扱ってやるから、きょうは我慢をして稽古にはいれ。まあ、なんにも云わずにこれから一緒に行けと、苦労人の紋七は噛んでふくめるように云い聞かせた。
ふだんからいろいろの世話になっている兄弟子が、こうしてわざわざ足を運んで来て、親切に意見をしてくれるのである。その厚意に対しても、紋作は強情を張っているわけには行かなくなった。もともとさしたる病気でもないので、結局かれは紋七の意見にしたがって、すぐに支度をして稽古にはいることになった。ふたりはお浜親子に見送られて小間物屋の店を出た。
楽屋へはいって、紋作はみんなと一緒に稽古にかかった。兄弟子が横眼でじろじろ視ているので、彼は気色《きしょく》のわるいのを我慢して冠蔵の師直と無事に打ち合わせをすませた。六段目までの稽古が済んで、もう討ち入りまでは用がないと、あとへ引きさがって煙草をすっていると、うしろから自分の腰を強く蹴って通るものがあった。楽屋がせまいので、大勢の人のうしろを通るのは窮屈に相違ないが、あまりに強く蹴られて紋作は勃然《むっ》とした。
「誰だい」
振り返ってみると、それは衣裳をあつかっている定吉という者で、年はもう四十五六の、顔に薄あばたのある兎欠脣《みつくち》の男であった。かれはお浜の通っている衣裳屋の職人で、きょうも衣裳の聞き合わせのために楽屋へ来ているのであった。
「どうも済まねえ。なにしろ、この通り繍眼児《めじろ》のおしくらだからね」と、定吉は鼻で笑いながら云った。
この挨拶の仕方が面白くないのと、故意に自分を強く蹴ったように思われたのと、冠蔵に対する不快を今までこらえていた八つあたりとで、紋作は素直に承知しなかった。
「こみ合っているならこみ合っているように、気をつけて通れ、むやみに人を蹴飛ばす奴があるものか。楽屋に馬を飼って置きゃあしねえ」
「馬とはなんだ。手前こそ馬と鹿とがつるみ合っていることを知らねえか」
相手も喧嘩腰であるので、紋作はいよいよ堪忍がならなかった。ふた言三言いい合って、かれは煙管をとって起ち上がろうとするのを、そばにいる者どもに押えられた。
「ほんまの三段目や」
ひとりが云ったので、みんなも笑った。定吉は兎欠脣を食いしめながら、紋作を憎さげに睨んで出て行った。
稽古の終った頃には冬の日はもう暮れ切っていた。紋七は冠蔵になんと話したか知らないが、稽古が済んでから紋作を誘って、三人づれで池の端の小料理屋へゆくことになった。紋七はここで二人を和解させようという下ごころであった。酒のあいだに彼はうまく二人を扱ったので、冠蔵もしまいには機嫌よく笑い出した。紋作も渋い顔をしてはいられなくなった。赤堀水右衛門と石井兵助とをめでたく和解させて、紋七も先ず安心した間もなく、なにかの話から糸を引いて、いつかの人形の噂がまた繰り出された。
「おい、紋作。あの人形はほんとうに斬り合ったのか」と、冠蔵は笑いながら訊《き》いた。
「嘘じゃあない。たしかに見た」
「じゃあ、まあ、ほんとうにして置くかな」と、冠蔵はまた笑った。
それが又、紋作には面白くなかった。今の冠蔵の口ぶりによると、かれは飽くまでも人形の不思議を信用しないのである。彼は飽くまでもこっちが故意に彼の人形を傷つけたように認めているらしい。紋作は嘲るように云った。
「ほんとうにして置くも置かないもない。おれが確かに見とどけたんだから」
「見とどけた。むむ、寝ぼけ眼《まなこ》でか」
「寝惚け眼でも猿まなこでも、おれが見たと云ったら確かに見たんだ。人形にたましいのはいるというのは無いことじゃない」と、紋作はいきまいた。
「そりゃあ人間が上手に使えばこそだ。なんの、木偶《でく》の坊がひとりで動くものか」
「ええ、そういう貴様こそ木偶の坊だ」
双方がだんだんに云い募ってくるので、紋七も持て余した。
「また三段目か、もうええ、もうええ、今更そんなことを云うてもあかんこっちゃ。木偶に魂があっても無《の》うてもかまわん。 魂かえす反魂香《はんごんこう》、名画の力もあるならば……」
大きな声で唄いながら、彼はあはははははと高く笑い出した。喧嘩の出ばなを挫《くじ》かれて、二人もだまって苦笑《にがわら》いをした。それで人形問題は立ち消えになったが、席はおのずと白らけて来て、談話《はなし》も今までのように弾《はず》まなかった。紋七が折角の心づくしも仇《あだ》になって、三人はなんだか気まずいような顔をして別れることになった。
四ツ(午後十時)すこし前に紋作と冠蔵の二人はここを出た。ふたりともに可なりに酔っていた。紋七はあとに残って今夜の勘定をして、それから店の帳場へ寄って、稼業柄だけに愛嬌ばなしを二つ三つして、おかみさんや女中たちを笑わせているところへ、頬かむりをした一人の男が店口へついとはいって来た。
「紋作はこっちに来ていますかえ」
「たった今お帰りになりましたよ」と、女中のひとりが答えた。
それを十分聞かないで、男は消えるように出て行った。それから又すこししゃべって、店では提灯を貸してやろうと云うのを断わって、紋七もほろよい機嫌でここを出ると、上野の山に圧《お》し懸かっている暗い空には星一つみえなかった。不忍《しのばず》の大きな池は水あかりにぼんやりと薄く光って、弁天堂の微かな灯が見果てもない広い闇のなかに黄いろく浮かんでいた。寒そうな雁《かり》の声も何処かできこえた。
「えろう寒うなった」
酔いも急にさめたように、紋七は首をすくめながら池の端の闇をたどってゆくと、向うから足早に駈けて来て彼に突きあたった者があった。あぶなく倒れそうになったのを踏みこらえて、また二、三間歩いてゆくと、今度はかれの足がつまずいたものがあった。それがどうも人間らしいので、紋七も不思議に思って、五段目の勘平のような身ぶりで暗がりを探ってみると、かれの手に触れたのは確かに人間であった。しかもぬるぬるとした生《なま》あたたかい血のようなものを掴《つか》んだので、かれは思わずきゃっと声をあげた。
三
紋七が発見したのは男二人の死体であった。ひとりは紋作で、左の脇腹を刃物でえぐられていた。他のひとりは冠蔵で、左の耳の下を斬られ、左の胸を突かれ、まだそのほかにも幾ヵ所の疵《きず》を負っていた。
式《かた》の通りに検視がすんで、死体はそれぞれに引き渡されたが、その下手人については二様の意見があらわれた。紋七や一座の者どもの申し立てによって考えると、和解の酒盛りが却《かえ》って喧嘩のまき直しになって、酔っている二人は帰り途で格闘を演じ、結局相討ちになったのであろうというのが、まず正当の判断であるらしく思われた。しかし死人の手にはいずれも刃物らしい物を掴んでいなかった。それかと思うようなものも其の場には落ちていなかった。それが疑いの種となって、二人はやはり他人に殺害されたのであろうという説がおこった。喧嘩の相討ちならば仔細はないが、ほかに下手人があるとすれば、人間ふたりを殺したという重罪人の詮議は厳重でなければならない。半七はすぐにその探索にかかった。
その晩、料理屋の門口《かどぐち》へ来て、紋作はいるかと訊《き》いた男が先ず第一の嫌疑者であったが、頬かむりをしていたので人相も年頃もわからない。すぐに出て行ってしまったので、夜目では風俗も判らない。殆どなんの手がかりも無いので、さすがの半七も眼のつけどころに困った。しかし冠蔵はもう三十に近い男で、家には女房もある、子供もある。紋作は若い独身者《ひとりもの》で、のんきに飛びあるいている。芸人ふたりが殺されたといえば、その原因はおそらく色恋であろう。どの道、これは年のわかい独身者の紋作の方から調べ出すのが近道であるらしく思われたので、半七はその明くる日の午過ぎに先ず紋作の家をたずねた。
小間物屋の二階には紋七を始めとして一座のものが五、六人あつまっていた。紋作と冠蔵との葬式が一度に落ち合うので、こっちの葬式を先ずあしたの朝にして、更に冠蔵の葬式をその日の夕方に出すとのことであった。
ほかにも近所の人たちが四、五人来ていた。娘のお浜は眼を泣き腫《は》らしながら茶や菓子の世話などをしていた。半七はお浜を二階から呼びおろして小声で訊《き》いた。
「おい。あの二階の隅のほうに坐っている薄あばたの兎欠脣《みつくち》の男は衣裳屋の職人だろう。名はなんとかいったね」
「定さん、定吉というんです」と、お浜は答えた。
紋作と定吉とが楽屋で喧嘩したことを知っている半七は、また訊いた。
「あの定という奴は、年甲斐もなしにお前になにか戯《から》かったことでもありゃあしねえか」
蒼ざめた顔を少し紅くしてお浜はだまっていた。
「え、そうだろう。おまえに小遣いでもくれたことがあるだろう」
「ええ。白粉でも買えと云って、一朱くれたことが二度あります」
「紋作のところへ女でもたずねて来るようなことはねえか」
男はいろいろの人が来るので、一々かぞえ尽くされないが、女でここの家へたずねて来たものは一人もないとお浜は云った。
それでも半七に釣り出されて、かれは根岸の叔母さんのことを話した。紋作は自分の叔母だと云っているが、それがどうも胡乱《うろん》である。そこからも時々に男の使がくると、お浜は妬《ねた》ましそうに話した。
「よし。あの定という野郎をここへ呼んでくれ」
お浜に呼ばれて降りて来た兎欠脣の定吉は、すぐに近所の自身番へ連れてゆかれた。半七は頭ごなしに叱り付けた。
「馬鹿野郎。いい年をしやあがって何だ。孫のような小阿魔《こあま》に眼じりを下げて、あげくの果てに飛んでもねえ刃物三昧をしやあがって……。途方もねえ色気ちげえだ。人間の胴っ腹へ庖丁を突っ込んだ以上は、鮪を料理《りょう》ったのとはちっとわけが違うぞ。さあ、恐れ入って白状しろ」
「親分。違います、違います」と、定吉はあわてて叫んだ。「憚りながらお眼違いです。わたくしが紋作を殺したなんて飛んでもねえことです」
「嘘をつけ。池の端の料理屋の門口《かどぐち》から、紋作はいるかと声をかけたのは手前だろう」
「違います、違います」と、彼はまた叫んだ。「そりゃあ私じゃあありません。十露盤《そろばん》絞りの手拭をかぶった若い野郎です」
「てめえはそれをどうして知っている」
定吉は少しゆき詰まった。かれは自分の寃罪《むじつ》を叫ぶために、飛んでもない事をうっかり口走ってしまったので、今さら後悔しても追っ付かなかった。かれは半七にその尻っぽを捉まえられて、とうとう恐れ入って白状した。
半七の想像通り、かれは自分の店へ手伝いにくるお浜のあどけない姿に眼をつけて、ときどきに小遣いなどをやって手なずけようとしていたが、お浜には紋作というものが付いているので、かれは兎欠脣の男などに眼もくれなかった。定吉はそれを忌々《いまいま》しく思っているうちに、その日は楽屋で紋作と衝突した。ふだんから彼に対する憎悪《にくしみ》が一度に発して、定吉はまさかに彼を殺すほどの料簡もなかったが、せめてその顔に疵でも付けてやろうと思って、料理屋の門口《かどぐち》に忍んで、その帰るのを待っていると、十露盤絞りの手拭をかぶった若い男がおなじくその門口にうろうろしていた。こっちでじろじろ視れば、向うでもじろじろ視る。なんだか具合が悪いので、定吉は一旦そこを立ち去って、山下の屋台店で燗酒《かんざけ》をのんで、いい加減の刻限を見はからって又引っ返してくると、たった今そこで人殺しがあったという騒ぎであった。脛《すね》に疵もつ彼はなんだか急に怖くなって、とんだ連坐《まきぞえ》を食ってはならないと怱々《そうそう》に逃げて帰った。
「親分。まったくその通りで、嘘も詐《いつわ》りもございません。お察しください」
かれの白状は嘘でもないらしかった。
「十露盤絞りをかぶっていたのは若い野郎だな。どんな装《なり》をしていた」
「双子《ふたこ》の半纏を着ていました」
唯それだけのことでは、怪しい男の身もとを探り出すのはむずかしかった。双子の半纏をきて十露盤しぼりの手拭をかぶった男は、そのころ江戸じゅうに眼につく程にたくさんあった。半七はいろいろに定吉を詮議したが、どうしてもその以上の特徴を発見することは出来なかった。
工夫に詰まって、半七は更に紋七をよび出して調べた。紋作には叔母があるかと訊《き》くと、紋七は有ると答えた。ほかの者には隠していたが、兄弟子の自分には曾《かつ》て話したことがある。それは紋作が末の叔母で、十六の年から或る旗本の大家《たいけ》へ妾奉公に上がっていたが、今から七年ほど前にその主人が死んだので、根岸の下《しも》屋敷の方へ隠居することになった。本来ならば主人の死去と同時に永《なが》の暇《いとま》ともなるべき筈であるが、かれの腹から跡取りの若殿を生んでいるので、妾とはいえ当主の生母である以上、屋敷の方でも、かれを疎略に扱うことは出来なかった。かれは下屋敷に移されて何不足なく暮らしていた。
物堅い武家に多年奉公していた叔母は、自分の甥に芸人のあることを秘《かく》していた。ことに自分の生みの子が当主となったので、猶更それを世間に知られることを憚《はばか》って、表向きは音信不通にすごしていたが、さすがは叔母甥の人情で、時々にそっと紋作をよび寄せて、幾らかの小遣いなどを恵んでくれた。紋作もいい叔母をもったのを喜んで、ときどきには自分の方からも押し付けの無心に行った。しかし叔母から堅く口止めをされているので、かれは叔母の身分も居どころも決して人には洩らさなかった。
これで紋作と叔母との関係はわかったが、その下屋敷は根岸の方角とばかりで、屋敷の名は紋七も知らないと云った。その上には詮議のしようもないので、半七はひと先ず紋七を帰してやった。定吉も叱られただけで、主人の家へ帰された。
紋作の葬式は、あくる朝の五ツ半(午前九時)に小間物屋の店を出た。ともかくも芸人であるだけに、相当の会葬者がその時刻の前から店先へあつまっていると、大きい霰《あられ》がその頭の上にはらはらと降った。半七も子分の庄太を連れて、その群れにまじっていた。
「ごめんなさい」
霰のなかをくぐって一人の若い男が急いで来た。かれはお浜の母を呼び出して何かささやくと、お直は更に紋七を呼んで来た。男はやはり小声で紋七と何か応対して、袱紗《ふくさ》につつんだ目録包みらしいものを渡すと、紋七はしきりに辞儀をして、かれを奥へ連れて行った。
「親分」
袂をひかれて半七はふり返ると、兎欠脣《みつくち》の定吉がうしろに立っていた。
「今来た男、あれがどうも十露盤絞りらしゅうござんすよ。顔にどこか見覚えがあります」
「そうか」
半七はすぐに紋七をよび出して訊くと、いま来た男はかの根岸の叔母の使で、紋作の香奠《こうでん》として金五両をとどけて来たのだと云った。紋七が彼に逢うのはきょうが初めてであるが、これまでにも叔母の使で時々にここへ来たことがあるらしいとの事であった。
「あの男も見送りに行くのかえ」
「いや、ここで御焼香だけして帰ると云うていました」
云ううちにかの男は出て来た。彼はあたりの人に気を置くようにきょろきょろと見廻しながら、紋七やお浜親子に挨拶して怱々《そうそう》に出て行った。半七はすぐに子分を呼んだ。
「やい、庄太。あの男のあとをつけろ」
葬式の出る頃に霰はやんだ。紋作の寺は小梅の奥で、半七も会葬者と一緒にそこまで送ってゆくと、寺の門内には笠を深くした一人の若い侍が忍びやかにたたずんでいて、この葬列の到着するのを待ち受けているらしかった。
四
紋作の初七日の逮夜《たいや》が来た。今夜は小間物屋の二階で型ばかりの法事を営むことになって、兄弟子の紋七は昼間からその世話焼きに来ていた。涙のまだ乾かないお浜は、母と共に襷《たすき》がけで働いていると、その店さきへ半七がぶらりと来た。
「おれは御法事に呼ばれて来たわけじゃあねえが、これはまあ御仏前に供えてくれ」と、かれは菓子の折を出した。「そこで、今夜は紋七も来るんだろうね」
「はい。もうさっきから来ています」と、お浜は云った。
「そりゃあ都合がいい」
案内されて二階へあがると、小さい机の上には位牌が飾られて、線香のうすい煙りのなかに燈明の灯がまたたきもせずに小さくともっていた。紋七は数珠《じゅず》を手にかけて其の前に坐っていたが、半七を見てすぐに立って来た。
「親分さん。この間はいろいろお世話になりました。今夜は仏の逮夜でござりますに因って、まあ型ばかりの仏事を営んでやろうかと存じて居ります」
「後々のことまでよく気をつけてやりなさる。御奇特《ごきどく》のことだ、仏もさぞ喜んでいるだろう。さて其の仏のまえでお前さんに少し話したいことがある。ここの娘もつながる縁らしいから、おふくろと一緒にここへ呼んでもいいかね」
「はい。どうぞ」
お直とお浜とは襷をはずして二階へあがって来た。半七は三人を自分のまえに列べてしずかに云い出した。
「もう済んでしまったことで、今更どうにもしようがねえようなもんだが、紋作がどうして死んだか、冠蔵が誰に殺されたか、その仔細がわからねえじゃあ、おめえ達もいつまでも心持がよくあるめえと思う。そこできょうはそれを話しに来たんだから、そのつもりで聴いてくれ。ねえ、紋七さん。あの紋作は誰が殺したと思いなさる」
「そりゃあ判りまへん、ちっとも知りまへん」
「おれも最初は見当が付かなかったが、この頃になってようよう判った。紋作は誰に殺されたのでもねえ。自分で死んだのだ」
「まあ」と、お浜とお直は顔を見あわせた。紋七も呆気《あっけ》にとられたように眼をみはった。
「しかし冠蔵を殺して、自分も死んだのだ」と、半七は説明した。「誰のかんがえも同じことで、仲の悪い紋作と冠蔵とが喧嘩の果てにあんなことになったんだろうとは推量したが、二人ともに刃物を持っていねえ。そこらにも刃物は落ちていねえ。そこで他人に疑いがかかって、おれも最初は衣裳屋の定吉に眼をつけたが、その見当は狂ってしまった。その晩、料理屋の門口《かどぐち》から紋作を訊《き》いた男、それが怪しいと思ったが、これもやっぱり外《はず》れてしまった。しかし手がかりはそれから付いた。その男は植木屋で、紋作の叔母さんの下屋敷へ親の代から出入りをしている。その因縁で、叔母さんから頼まれて時々紋作のところへ使に来ていたんだ。あの晩も叔母さんの使で、年の暮の小づかいを幾らかここへ届けに来ると、紋作は稽古に行った留守だという。その足で楽屋をたずねて行くと、紋作はここにももういないで、三人づれで池の端の料理屋へ行ったらしいという。それからまた引っ返して池の端へ行ったが、御屋敷の内証の使ということが腹にあるので、なるべく当人の出て来るのを待ってこっそり手渡しをしようと思っていたが、相手はなかなか出て来そうもないので、待ちくたびれて近所の蕎麦屋へ行って、寒さ凌ぎに熱い蕎麦をすすり込んでまた引っ返して来ると、もう夜はよほど更《ふ》けている。思い切って念のために帳場へ声をかけると、紋作は帰ったという。もう一度ここの家まで引っ返して来ると、やっぱりまだ帰らないという。使も根《こん》が尽きてそのまま帰ってしまったという訳だ」
「そうです、そうです。あの晩は紋作さんを訪ねてお使が二度来ました」と、お直はうなずいた。
「それはまあそれでいいんだが、当人の紋作は冠蔵と一緒に料理屋を出て、どっちも酔っている勢いで途中でまた喧嘩を押っ始めた。今度は誰も止める者がないので、喧嘩はいよいよ大きくなって、あわや腕ずくになろうとするところへ、提灯をさげた一人の侍が通った。くらやみで何か大きな声をして云い合っている者があるので、侍も思わず提灯をさし付けると、喧嘩の片相手は紋作だ。その侍は紋作の叔母さんの屋敷に奉公している黒崎半次郎という男で、下屋敷へもたびたび使に行くことがあるので、紋作とも顔を識《し》っている。それが丁度そこへ来合わせたのがいよいよ間違いを大きくする基《もと》で、もう逆上《のぼ》せている紋作はその侍の顔をみると、黒崎さんどうぞ拝借と云いながら、だしぬけにその腰にさしていた脇差を引っこ抜いて、相手の冠蔵に斬ってかかった。その黒崎という侍も吉原帰りで酔っている上に、あんまりだしぬけで呆気に取られていると、紋作は滅茶苦茶に相手を斬って突いて殺してしまった。黒崎はいよいよ驚いて止めようとすると、紋作ももう覚悟したのだろう。相手がよろけながら捉える手を振り払って、今度は自分の脇腹へ突っ込んでしまったので、黒崎も途方にくれた。これが相当の年配の者ならば又なんとか分別もあったろうが、年は若いし、おまけに吉原帰りであるから、武士たる者が自分の腰の物を人に奪われたとあっては申し訳が立たないので、あわててその脇差をひったくって、提灯を吹き消して一目散に逃げ出した。しかしそのままにはしておかれないので、あくる日すぐに下屋敷へ行って、紋作の叔母さんに内証でそのことを打ち明けると、叔母さんも驚いたがどうもしようがない。だんだん様子を探らせると、冠蔵も死んでいる、紋作も死んでいる。喧嘩の相手が両成敗になった以上は、猶更しようがないと諦めて、いつもの植木屋に云い付けて、そっと香奠を持たせてよこした。黒崎は自分にも落度があるので、蔭ながらその葬式を見送りに来た。というわけで、何もかもすっかり判ったろう。おれがこれだけのことを突き留めたのは、送葬《とむらい》の日に子分の庄太の奴が植木屋のあとを尾《つ》けて行って、その居どころを確かに見きわめて来たので、おれがあとから乗り込んで行って、奴を嚇かしてひと通りのことを吐かせた上で、また出直して行ってその黒崎という侍にも逢った。侍は正直にみんな打ち明けて、屋敷の恥、自分の恥、何事も口外してくれるなと手をさげて頼むから、おれも承知して帰って来たんだ。さあ、こう判って見りゃあ誰も怨むこともあるめえ。こうして仏の位牌のまえで俺が云うんだから嘘はねえ」
この長い話をしてしまって、半七は新らしい位牌のまえに線香を供えた。
「お話はまあこれぎりなんですがね」と、半七老人はひと息ついて云った。「もう一つ不思議なことは、紋作と冠蔵が一度に居なくなったので、芝居の方では急に代り役をこしらえて、いよいよ十二月の初めから初日を出すと、三段目の幕が今明くという時に、師直と判官の首が一度にころりと落ちたそうです。冠蔵と紋作の執念が残っているのか、人形にも魂があるのか、みんなも思わず慄然《ぞっ》としたそうですが、興行中は別に変ったことも無くて、大入りのうちにめでたく千秋楽になりました。兎欠脣の定吉という奴も、そのあくる年の正月にやっぱり酒の上で喧嘩をして、相手に傷を付けたので、吟味中に牢死しました。これも何かの因縁かも知れません」
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少年少女の死
一
「きのうは家《うち》のまえで大騒ぎがありましたよ」と、半七老人は云った。
「どうしたんです。何があったんです」
「なにね、五つばかりの子供が自転車に轢《ひ》かれたんですよ。この横町の煙草屋の娘で、可愛らしい子でしたっけが、どこかの会社の若い人の乗っている自転車に突きあたって……。いえ、死にゃあしませんでしたけれど、顔へ疵《きず》をこしらえて……。女の子ですから、あれがひどい引っ吊りにならなければようござんすがね。一体この頃のように下手な素人《しろうと》がむやみに自転車を乗りまわすのは、まったく不用心ですよ」
その頃は自転車の流行《はや》り出した始めで、半七老人のいう通り、下手な素人がそこでも此処でも人を轢《ひ》いたり、塀を突き破ったりした。今かんがえると少しおかしいようであるが、その頃の東京市中では自転車を甚だ危険なものと認めないわけには行かなかった。わたしも口をあわせて、下手なサイクリストを罵倒すると、老人はやがて又云い出した。
「それでも大人《おとな》ならば、こっちの不注意ということもありますが、まったく子供は可哀そうですよ」
「子供は勿論ですが、大人だって困りますよ。こっちが避《よ》ければ、その避ける方へ向うが廻って来るんですもの。下手な奴に逢っちゃあ敵《かな》いませんよ」
「災難はいくら避けても追っかけて来るんでしょうね」と、老人は嘆息するように云った。
「自転車が怖いの何のと云ったところで、一番怖いのはやっぱり人間です。いくら自転車を取締っても、それで災難が根絶やしになるというわけに行きますまいよ。昔は自転車なんてものはありませんでしたけれど、それでも飛んでもない災難に逢った子供が幾らもありましたからね」
これが口切りで、老人は語り出した。
「今の方は御存知ありますまいが、外神田に田原屋という貸席がありました。やはり今日《こんにち》の貸席とおなじように、そこでいろいろの寄り合いをしたり、無尽をしたり、遊芸のお浚《さら》いをしたり、まあそんなことで相当に繁昌している家でした」
元治元年三月の末であった。その田原屋の二階で藤間光奴《ふじまみつやっこ》という踊りの師匠の大浚いが催された。光奴はもう四十くらいの師匠盛りで、ここらではなかなか顔が売れているので、いい弟子もたくさんに持っていた。ふだんの交際も広いので、義理で顔を出す人たちも多かった。おまけに師匠の運のいいことは、前日まで三日も四日も降りつづいたのに、当日は朝から拭《ぬぐ》ったような快晴になって、田原屋の庭に咲き残っている八重桜はうららかな暮春の日かげに白く光っていた。
浚いは朝の四ツ時(午前十時)から始まったが、自分にも弟子が多く、したがって番組が多いので、とても昼のうちには踊り尽くせまいと思われた。師匠も無論その覚悟でたくさんの蝋燭を用意させて置いた。踊り子の親兄弟や見物の人たちで広い二階は押し合うように埋められて、余った人間は縁側までこぼれ出していたが、楽屋の混雑は更におびただしいものであった。楽屋は下座敷の八畳と六畳をぶちぬいて、踊り子全体をともかくもそこへ割り込ませることにしたのであるが、何をいうにも子供が多いのに、又その世話をする女や子供が大勢詰めかけているので、ここは二階以上の混雑で殆ど足の踏み場もないくらいであった。そこへ衣裳や鬘《かつら》や小道具のたぐいを持ち込んで来るので、それを踏む、つまずく。泣く者がある。そのなかを駈け廻っていろいろの世話を焼く師匠は、気の毒なくらいに忙がしかった。午過ぎには師匠の声はもう嗄《か》れてしまった。
俄か天気の三月末の暖気は急にのぼって、若い踊り子たちの顔を美しく塗った白粉は、滲み出る汗のしずくで斑《まだ》らになった。その後見《こうけん》を勤める師匠の額にも玉の汗がころげていた。その混雑のうちに番数もだんだん進んで、夕の七ツ時(午後四時)を少し過ぎた頃に常磐津の「靭猿《うつぼざる》」の幕が明くことになった。踊り子はむろん猿曳と女大名と奴《やっこ》と猿との四人である。内弟子のおこよと手伝いに来た女師匠とが手分けをして、早くから四人の顔を拵《こしら》えてやった。衣裳も着せてしまった。もう鬘さえかぶればよいということにして置いて、二人はほっと息をつく間もなく、いよいよこの幕が明くことになった。忙がしい師匠は舞台を一応見まわって、それから楽屋へ降りて来た。
「もし、みんな支度は出来ましたか。舞台の方はいつでもようござんすよ」
「はい。こっちもよろしゅうございます」
おこよは四人を呼んで鬘をかぶせようとすると、そのなかで奴を勤めるおていという子が見えなかった。
「あら、おていちゃんはどうしたんでしょう」
みんなもばらばら起《た》っておていの姿を見付けに行った。おていは今年九つで、佐久間町の大和屋という質屋の秘蔵娘であった。踊りの筋も悪くないのと、その親許が金持なのとで、師匠はこんな小さい子供の番組を最初に置かずに、わざわざ深いところへ廻したのであった。おていは下膨《しもぶく》れの、眼の大きい、まるで人形のような可愛らしい顔の娘で、繻子奴《しゅすやっこ》に扮装《いでた》ったかれの姿は、ふだんの見馴れているおこよすらも思わずしげしげと見惚《みと》れるくらいであった。そのおていちゃんが行方不明になったのである。
勿論、楽屋にはおてい一人でない。姉のおけいという今年十六の娘と、女中のお千代とおきぬと、この三人が附き添って何かの世話をしていたのである。母のおくまは正月からの煩《わずら》いで、どっと床に就いているので、きょうの大浚いを見物することの出来ないのをひどく残念がっていた。父の徳兵衛は親類の者四、五人を誘って来て二階の正面に陣取っていた。姉も女中たちも、さっきからおていのそばに付いていたのであるが、前の幕があいた時にそれを見物するために楽屋を出て、階子《はしご》のあがり口から首を伸ばしてしばらく覗いていた。その留守の間におていは姿を隠したのであった。しかし此の三人の女のほかに、楽屋には他の踊り子たちもいた。手つだいや世話焼きの者共も大勢押し合っていた。そのなかでおていは何処へ隠されたのであろう。三人もあわてて二階の見物席を探した。便所をさがした。庭をさがした。徳兵衛もおどろいて楽屋へ駈け降りて来た。
繻子奴の姿が見えなくては幕をあけることが出来ない。そればかりでなく、楽屋で踊り子の姿が突然消えてしまっては大変である。師匠の光奴も顔の色をかえて立ち騒いだ。内弟子もほかの人達も一度に起って家《うち》じゅうを探し始めたが、繻子奴の可愛らしい姿はどこにも見付からなかった。なにをいうにも狭いところに大勢ごたごたしているのと、他の人達はみな自分たちが係り合いの踊り子にばかり気を配《くば》っていたのとで、おていがいつの間にどうしたのか誰も知っている者はなかった。姉と二人の女中とが当然その責任者であるので、かれらは徳兵衛から噛み付くように叱られた。叱られた三人は泣き顔になって其処らをあさり歩いたが、おていは何処からも出て来なかった。
「どうしたんだろう」と、徳兵衛も思案に能《あた》わないように溜息をついた。
「ほんとうにどうしたんでしょうねえ」と、光奴も泣きそうになった。
もうこうなっては、叱るよりも怒るよりも唯その不思議におどろかされて、徳兵衛もぼんやりしてしまった。いかに九つの子供でも、すでに顔をこしらえて、衣裳を着けてしまってから、表へふらふら出てゆく筈もあるまい。帳場にいる人達も繻子奴が表へ出るのを見れば、無論に遮り止める筈である。外へも出ず、内にもいないとすれば、おていは消えてなくなったのである。
「神隠しかな」と、徳兵衛は溜息まじりにつぶやいた。
この時代の人たちは神隠しということを信じていた。実際そんなことでも考えなければ、この不思議を解釈する術《すべ》がなかった。神か天狗の仕業《しわざ》でなければ、こんな不思議を見せられる道理がない。師匠もしまいには泣き出した。ほかの子供も一緒に泣き出した。この騒ぎが二階にもひろがって、見物席の人達もめいめいの子供を案じて、どやどやと降りて来た。華やかな踊りの楽屋は恐怖と混乱の巷《ちまた》となった。
「きょうのお浚いはあんまり景気が好過ぎたから、こんな悪戯《いたずら》をされたのかも知れない」と、天狗を恐れるようにささやく者もあった。
そこへ来合わせたのは半七であった。彼も師匠から手拭を貰った義理があるので、幾らかの目録づつみを持って帳場へ顔を出すと、丁度その騒動のまん中へ飛び込んだのであった。半七はその話を聞かされ眉を寄せた。
「ふうむ。そりゃあおかしいな。まあ、なにしろ師匠に逢ってよく訊《き》いてみよう」
奥へ通ると、かれは光奴と徳兵衛とに左右から取り巻かれた。
「親分さん。どうかして下さいませんか。あたしはほんとうに大和屋の旦那に申し訳ないんですから」と、光奴は泣きながら訴えた。
「さあ、どうも飛んだことになったねえ」
半七も腕をくんで考えていた。彼はおていの可愛らしい娘であることを知っているので、おそらくこの混雑にまぎれて彼女を引っ攫《さら》って行った者があるに相違ないと鑑定した。神隠しばかりでなく、人攫いということも此の時代には多かった。半七は先ずこの人攫いに眼をつけたが、そうなると手がかりが余ほどむずかしい。初めからおていを狙っていたものならば格別、万一この混雑にまぎれて衣裳でも何でも手あたり次第に盗み出すつもりで、庭口からひそかに忍び込んだ人間が、偶然そこにいる美しい少女を見つけて、ふとした出来心で彼女を拐引《かどわか》して行ったものとすると、その探索は面倒である。しかし子供とはいいながら、おていはもう九つである以上、なんとか声でも立てそうなものである。声を立てれば其処らには大勢の人がいる。声も立てさせずに不意に引っ攫ってゆくというのは、余ほど仕事に馴れた者でなければ出来ない。半七は心あたりの兇状持ちをそれからそれへと数えてみた。
彼はそれから念のために庭へ降りた。庭と云っても二十坪ばかりの細長い地面で、そこには桜や梅などが植えてあった。垣根の際《きわ》には一本の高い松がひょろひょろと立っていた。彼は飛石伝いに庭の隅々を調べてあるいたが、外からはいって来たらしい足跡は見えなかった。横手の木戸は内から錠をおろしてあった。おていを攫った人間は表からはいって来た気配はない。どうしても横手の木戸口から庭づたいに忍び込んだらしく思われるのに、木戸は内から閉めてある。庭にも怪しい足跡の無いのを見ると、彼の鑑定は外《はず》れたらしい。半七は石燈籠のそばに突っ立って再び考えたが、やがて何心なく身をかがめて縁の下を覗いてみると、そこに奴すがたの少女が横たわっていた。
「おい、師匠、大和屋の旦那。ちょいと来てください」と、彼は庭から呼んだ。
呼ばれて縁さきへ出て来た二人は、半七が指さす方をのぞいて、思わずあっと声をあげた。これに驚かされて大勢もあわてて縁先へ出て来た。おていの冷たい亡骸《なきがら》は縁の下から引き出された。
女や子供たちは一度に泣き出した。
何者がむごたらしくおていを殺して縁の下へ投げ込んだのか。おていの細い喉首《のどくび》には白い手拭がまき付けてあって、何者にか絞め殺されたことは疑いもなかった。その手拭は今度のお浚いについて師匠の光奴が方々へくばったもので、白地に藤の花を大きく染め出した藍《あい》の匂いがまだ新らしかった。
神隠しや人攫いはもう問題ではなくなった。これから舞台へ出ようとする少女を絞め殺したのは普通の物取りなどでないことも判り切っていた。大和屋一家に怨みをふくんでいる者の復讐か、さもなければこの少女に対する一種の妬《ねた》みか。おそらく二つに一つであろうと半七は解釈した。大和屋は質屋という商売であるだけに、ひとから怨みを受けそうな心あたりはたくさんあるかも知れない。親たちが金にあかして立派な衣裳をきせて、娘をお浚いに出したについて、ほかの子供の親兄弟から妬みをうけて、罪もない少女が禍いをうけたのかも知れない。どっちにも相当の理窟が付くので、半七も少し迷った。
なんと云ってもたった一つの手がかりは、おていの頸にまき付いている白い手拭である。半七はその手拭をほどいて丁寧に打ちかえして調べてみた。
「師匠。これはお前の配り手拭だが、きょうのお客さまは大抵持っているだろうね」
「めいめいというわけにも行きますまいが、ひと組に二、三本ずつは行き渡っているだろうかと思います」と、光奴は答えた。
「ここの家《うち》の人達にもみんな配ったかえ」
「はあ。女中さん達にもみんな配りました」
「そうか。じゃあ、師匠、すこし頼みてえことがある。まさかに俺が行って一々調べるわけにも行かねえから、お前これから二階へ行って、おまえが手拭を配った覚えのあるおかみさん達を一巡訊いて来てくれ」
「なにを訊いて来るんです」
「手拭をお持ちですかと云って……。娘や子供には用はねえ。鉄漿《かね》をつけている人だけでいいんだ。もし手拭を持っていねえと云う人があったら、すぐに俺に知らせてくれ」
光奴はすぐに二階へ行った。
「お話が長くなりますから、ここらで一足飛びに種明かしをしてしまいましょう」と、半七老人は云った。
「師匠はそれから二階へ行って、見物を一々調べたが、どうも判らないんです。尤《もっと》も師匠だって遠慮しながら調べているんだから埒《らち》は明きません。二階をしらべ、楽屋を調べても、どうも当りが付かないもんですから、今度はわたくしが自分で田原屋の女中を調べることになったんです。田原屋には四人の女中がありまして、その女中|頭《がしら》を勤めているのはおはまという女で、三十一二で、丸髷に結って鉄漿《かね》をつけていました。これはここのうちの親類で、手伝いながら去年から来ていたんです。これを厳しく調べると、とうとう白状しました」
「その女が殺したんですか」と、私は訊いた。
「尤も幽霊のように真っ蒼な顔をして、初めから様子が変だったのですが、調べられて意外にもすらすら白状しました。この女は以前両国辺のある町人の大家に奉公しているうちに、そこの主人の手が付いて、身重《みおも》になって宿へ下がって、そこで女の子を生んだのです。すると、主人の家には子供がないので、本妻も承知のうえで其の子を引き取るということになったが、おはまは親子の情でどうしても其の子を先方へ渡したくない、どんなに苦労しても自分の手で育てたいと強情を張るのを、仲に立った人達がいろいろになだめて、子供は主人の方へ引き渡し、自分は相当の手当てを貰って一生の縁切りということに決められてしまったんです。けれども、おはまはどうしても我が子のことが思い切れないで、それから気病みのようになって二、三年ぶらぶらしているうちに、主人から貰った金も大抵遣ってしまって、まことに詰まらないことになりました。それでも身体は少し丈夫になったので、それから三、四ヵ所に奉公しましたが、子供のある家へいくとむやみに其の子をひどい目に逢わせるので一つ所に長くは勤まらず、自分も子供のある家《うち》は忌《いや》だというので、遠縁の親類にあたるこの田原屋へ手伝いに来ていたんです。これだけ申し上げたら大抵お判りでしょう。その日もおていが美しい繻子奴になったのを見て、ああ可愛らしい子だとつくづくと見惚《みと》れているうちに、ちょうど自分の子も同じ年頃だということを思い出すと、なんだか急にむらむらとなって、おていをそっと庭さきへ呼び出して、不意に絞め殺してしまったんです。昼間のことではあり、楽屋では大勢の人間がごたごたしていたんですが、どうして気がつかなかったもんですか。いや、誰か一人でも気がつけばこんな騒ぎにならなかったんですが、間違いの出来る時というものは不思議なものですよ」
「で、その手拭の問題はどうしたんです。手拭に何か証拠でもあったんですか」
「手拭には薄い歯のあとが残っていたんです。うすい鉄漿《おはぐろ》の痕《あと》が……。で、たぶん鉄漿《かね》をつけている女が袂から手拭を出したときに、ちょいと口に啣《くわ》えたものと鑑定して、おはぐろの女ばかり詮議したわけです。おはまは其の日に鉄漿をつけたばかりで、まだよく乾いていなかったと見えます」
「それから其の女はどうなりました」
「無論に死罪の筈ですが、上《かみ》でも幾分の憐れみがあったとみえて、吟味相済まずというので、二年も三年も牢内につながれていましたが、そのうちにとうとう牢死しました。大和屋も気の毒でしたが、おはまもまったく可哀そうでしたよ」
二
「全くですね」と、わたしも溜息をついた。「こうなると、自転車や荷馬車ばかり取り締っても無駄ですね」
「そうですよ。なんと云っても、うわべに見えるものは避けられますが、もう一つ奥にはいっているものはどうにもしようがありますまい。今お話をしたほかに、まだこんなこともありましたよ」
半七老人は更にこんな話をはじめた。
慶応三年の出来事である。
芝、田町《たまち》の大工の子が急病で死んだ。大工は町内の裏長屋に住む由五郎という男で、その伜の由松はかぞえ年の六つであった。由松は七月三日のゆうがたから俄かに顔色が変って苦しみ出したので、母のお花はおどろいて町内の医者をよんで来たが、医者にもその容体が確かには判らなかった。なにかの物あたりであろうというので、まず型《かた》のごとき手当てを施したが、由松は手足が痙攣《けいれん》して、それから半刻《はんとき》ばかりの後に息を引き取った。父の由五郎が仕事場から戻って来たときには、可愛いひとり息子はもう冷たい亡骸《なきがら》になっていた。
あまりの驚愕に涙も出ない由五郎は、いきなり女房の横っ面を殴り飛ばした。
「この引き摺り阿魔め。亭主の留守に近所隣りへ鉄棒《かなぼう》を曳いてあるいていて、大事の子供を玉無しにしてしまやあがった。さあ、生かして返せ」
由五郎はふだんから人並はずれた子煩悩で、ひと粒種の由松を眼のなかへ入れたいほどに可愛がっていた。その可愛い子が留守の間に頓死同様に死んだのであるから、気の早い職人の彼は、一途《いちず》にそれを女房の不注意と決めてしまって、半気違いのようなありさまで彼女に食ってかかったのも無理はなかった。
「さあ、亭主の留守に子供を殺して、どうして云い訳をするんだ。はっきりと返事をしろ」
彼はそこに居あわせた人達が止めるのも肯《き》かずに、又もや女房をつづけ打ちにした。さなきだに可愛い子の命を不意に奪われて、これも半狂乱のようになっている女房は、亭主に激しく責められて、いよいよ赫《かっ》と逆上したらしい。彼女は蒼ざめた顔にふりかかる散らし髪をかきあげながら、亭主の前へ手をついた。
「まことに申し訳ありません。きっとお詫びをいたします」
切り口上にこう云ったかと思うと、かれは跣足《はだし》で表へとび出した。その血相《けっそう》が唯ならないと見て、居あわせた人達もあとから追って出たが、もう遅かった。大通りの向うは高輪《たかなわ》の海である。あれあれといううちに、女房のうしろ姿は岸から消えてしまった。
由五郎は今さら自分の気早を悔んだが、これも遅かった。やがて引き揚げられた女房の死体は、わが子の死体と枕をならべて、狭い六畳に横たえられた。妻と子を一度にうしなった由五郎は、自分も魂のない人のように唯黙って坐っていた。相長屋の八、九人があつまって来て、残暑のまだ強い七月の夜に二つの新らしい仏を守っていた。
その通夜《つや》の席で、一軒置いた隣りの紙屑屋の女房がこんなことを云い出した。この女房は四、五日まえに七つになる男の児を亡《うしな》ったのであった。
「ほんとうに判らないもんだわねえ。うちの子供が歿《なくな》りました時には、ここのおかみさんが来て、いろいろお世話をして下すったのに、そのおかみさんが幾日も経たないうちにこんなことになってしまって……。おまけに由ちゃんまで……。まあ、なんということでしょう。家《うち》の子供も由ちゃんと丁度おなじように、だしぬけに顔の色が変って、それから一刻《いっとき》の間も無しに死んでしまったんですが、お医者にもやっぱりその病気がたしかに判らないということでした。この頃は子供にこんな悪い病気が流行《はや》るんでしょうか。まったく忌《いや》ですね。いや、それに就いて、わたしは何だか忌な心持のすることがあるんですよ。実はね、家の子供が玩具《おもちゃ》にしていた水出しをね、今考えると、ほんとうに止せばよかったんですけれど、ここの家の由ちゃんに上げたんですよ。死んだ子供の物なんかを上げるのは悪いと思ったんですけれど、ここの由ちゃんがけさ遊びに来て、おばさん、あの水出しをどうしたと云うから、家にありますよと云って出して見せると、わたしにくれないかと云って持って帰ったんです。そうすると、その由ちゃんが又こんなことになって……。死んだ子供の物なんか決して人にやるものじゃありませんね。わたしは何だか悪いことをしたような心持がして、気が咎めてならないんですよ」
紙屑屋の女房はしきりに自分の不注意を悔んでいるらしかった。不運な母と子の死体はあくる日の夕方、品川の或る寺へ送られて無事に葬式《とむらい》をすませた。由五郎は自棄《やけ》酒を飲んでその後は仕事にも出なかった。
「この話がふとわたくしの耳にはいったもんですからね。いわゆる地獄耳で聞き逃がすわけには行きません」と、半七老人は云った。「その大工の子供や、紙屑屋の子供が、はやり病いで死んだのならば仕方がありません。門並《かどなみ》に葬礼が出ても不思議がないんですが、そこに少し気になることがあったもんですから、八丁堀の旦那方に申し上げて、手をつけてみることになりました」
「じゃあ、二人の子供はやっぱり何かの災難だったんですね」と、わたしは訊《き》いた。
「そうですよ。まったく可哀そうなことでした」
それから四、五日の後に、由五郎は勿論、紙屑屋の亭主五兵衛とその女房お作とが家主附き添いで、月番の南町奉行所へ呼び出された。死んだ由松が紙屑屋の女房から貰って来たという玩具《おもちゃ》の水出しが、証拠品として彼等のまえに置かれた。今日《こんにち》ではめったに見られないが、その頃には子供が夏場の玩具として、水鉄砲や水出しが最も喜ばれたものであった。水出しは煙管《きせる》の羅宇《らお》のような竹を管《くだ》として、それを屈折させるために、二箇所又は三箇所に四角の木を取り付けてある。そうして一方の端を手桶とか手水鉢《ちょうずばち》とかいうものに挿し込んで置くと、水は管を伝って一方の末端から噴き出すのである。しかしただ噴き出すのでは面白くないので、そこには陶器《せと》の蛙が取り付けてあって、その蛙の口から水を噴くようになっている。巧みに出来ているのは、蛙の口から可なりに高く噴きあげるので、子供たちはみな喜んでこの水出しをもてあそんだのである。その水出しが奉行所の白洲《しらす》へ持ち出されて厳重な吟味の種になろうとは何人《なんぴと》も思い設けぬことであった。
紙屑屋の夫婦は先ずその水出しの出所を糺《ただ》された。その玩具はどこで買ったかという訊問に対して、亭主の五兵衛は恐る恐る申し立てた。
「実はこの水出しは買いましたのではございません。よそから貰いましたのでございます」
「どこで貰った。正直に云え」と、吟味方の与力はかさねて訊《き》いた。
「芝、露月町《ろうげつちょう》の山城屋から貰いました」
山城屋というのは其処でも有名の刀屋である。先月の末に、五兵衛がいつもの通り商売に出て、山城屋の裏口へゆくと、かねて顔を識《し》っている女中が紙屑を売ってくれた末に、おまえの家の子供にこれを持って行ってやらないかと云って、かの蛙の水出しをくれた。五兵衛はよろこんで貰って帰って、それを自分の子供の玩具にさせると、二日ばかりで其の子は急病で死んだ。それが更に大工の子供の手に渡って、その子はその日におなじく急病で死んだのであった。
それらの事情が判明して、引合いの者一同はひと先ず自宅へ戻された。しかし水出しのことは決して口外してはならぬと堅く申し渡された。その後|十日《とおか》ばかりは何事もなかったが、孟蘭盆《うらぼん》が過ぎると、山城屋の女房お菊と、女中のお咲が奉行所へ呼び出された。この二人は再び帰宅を許されないので、世間ではいろいろの噂をしていると、九月の中頃にその裁判が落着《らくぢゃく》して、女中のお咲は遠島、女房のお菊は死罪という恐ろしい申し渡しを受けたので、当の山城屋は勿論、世間ではびっくりした。
したがって、それに就いていろいろの風説が伝えられたが、その真相はこうであった。お菊は後妻で、ことし八つになる惣領息子をふだんから邪魔物にしていた。世間によくある習いで、彼女はおそろしい継母《ままはは》根性からその惣領息子を亡きものにしようとたくらんで、子供の玩具として蛙の水出しを買って来た。水出しの一端を水の中へ挿し込んで置いても、なかなか自然に水をふき出すものではない。俗に吸い出しをかけると云って、最初に一方の蛙の口へ人間の口をあてて水を吸い出してやらなければならない。一度そうすると、それからは自然に水を噴き出すようになる。それであるから、この水出しをもてあそぶものは必ず一度は自分の口で蛙の口を吸わなければならない。水の出ようの悪いときには、二度も三度も蛙の口を吸うことがある。これまで説明すれば、もう委《くわ》しく云う必要はあるまい。お菊は陶器の蛙に一種の毒薬を塗りつけて置いたのであった。
しかし彼女はそれを継子《ままこ》に与えようとしてさすがに躊躇《ちゅうちょ》した。彼女はその陰謀のおそろしいのにおびやかされて、結局それを中止することにしたが、さてその水出しの処分に困って、女中のお咲に命じて芝浦の海へそっと捨てて来いと云った。勿論、お咲がそのまま海へ投げ込んでしまえば何事もなかったのであるが、その秘密を知らない彼女はわざわざ捨てにゆくのも面倒だと思って、それを恰《あたか》も来あわせた紙屑屋の五兵衛にやったので、その蛙の口を吸った五兵衛の子供が先ず死んだ。つづいて由五郎の子供が死んだ。一つの水出しが二人の子供を殺すような惨事が出来《しゅったい》した。
たとい半途で中止したとしても、継子を毒殺しようと企てただけでもお菊は何等かの罪を受けなければならなかった。殊にそれがために、紙屑屋の子を殺し、大工の子を殺し、あわせてその母を殺すような事件を仕出来《しでか》したのであるから、その時代の法として普通の死罪はむしろ軽いくらいであった。お咲はなんにも知らないとはいえ、主命にそむいて其の水出しを他人《ひと》にやった為に、こういう結果を生み出したのであるから、これも重い刑罪を免かれることは出来なかった。
奉行所の記録に残っているのは、ただこれだけの事実であって、お菊がどこからこんな恐ろしい毒薬を手に入れたかをしるしていない。お菊がそれを白状したらば、その毒薬をあたえた者は当然処刑を受くべき筈であるが、申渡書には単にお菊とお咲をしるしてあるばかりで、ほかの関係者のことはなんにも見えない。したがって、単に毒薬というばかりで、その薬の種類などは今から想像することは出来ない。
「いや、実はその毒薬をやった医者も判っているんですがね」と、半七老人はここで註を入れた。
「そいつはなかなか素捷《すばや》い奴で、山城屋の女房と女中が奉行所へ呼ばれたと聞くと、すぐに夜逃げをして、どこへ行ったか判らなくなったんです。そのうち例の瓦解《がかい》で、江戸も東京となってしまいましたから、詮議もそれぎりで消えました。運のいい奴ですね」
「そうすると、その水出しのことはあなたの種出しなんですね」
「お通夜の晩に、紙屑屋の女房がふと水出しのことをしゃべったのが手がかりで、こんな大事件をほじくり出してしまいました。いつかあなたに『筆屋の娘』のお話をしたことがありましょう。あれはこの翌月のことで、世間に似たようなことは幾らもあるもんです」
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異人の首
一
文久元年三月十七日の夕六ツ頃であった。半七が用達《ようたし》から帰って来て、女房のお仙と差し向いで夕飯をくっていると、妹のお粂がたずねて来た。お粂は文字房という常磐津の師匠で、母と共に外神田の明神下に暮らしていることはすでに紹介した。
「いい陽気になりました」と、お粂はまだ白い歯をみせて笑いながら会釈《えしゃく》した。「姉さん。今年はもうお花見に行って……」
「いいえ、どこへも……」と、お仙も笑いながら答えた。「なにしろ、内の人が忙がしいもんだから、あたしもやっぱり出る暇がなくってね」
「兄さんもまだ……」
「この御時節に、のんきなお花見なんぞしていられるものか。からだが二つあっても足りねえくらいだ」と、半七は云った。「お花見の手拭きや日傘をかつぎ込んで来ても、ことしは御免だよ」
「あら、気が早い。そんなことで来たんじゃないのよ」と、お粂は少しまじめになった。「兄さん、ゆうべの末広町《すえひろちょう》の一件をもう知っているの」
「末広町……。なんだ、ぼやか」
「冗談じゃあない。ぼやぐらいをわざわざ御注進に駈けつけて来るもんですか。じゃあ、やっぱり知らないのね。燈台|下《もと》暗しとか云って自分の縄張り内のことを……」
「ゆうべのことなら、もうおれの耳にはいっている筈だが……。ほんとうに何だ」と、半七も少しまじめになって向き直った。
「それを話す前に、実はね、兄さん。この二十一日に飛鳥山《あすかやま》へお花見に行こうと思っているんです。なんだか世間がそうぞうしいから、いっそ今年はお見あわせにしようかと云っていたんですけれど、やっぱり若い衆《しゅ》たちが納まらないので、いつもの通り押し出すことになったんです。向島はこのごろ酔っ払いの浪人の素破《すっぱ》抜きが多いというから、すこし遠くっても飛鳥山の方がよかろうというので、子供たちや何かで三十人ばかりは揃ったんですが、なるたけ一人でも多い方が景気がいいから、なんとか都合がつくなら姉さんにも……」
「なんだ、なんだ。お花見はいけねえと初めっから云っているじゃあねえか。それよりも、その末広町の一件というのは何だよ」
「だから、兄さん」と、お粂は甘えるように云った。
「お粂さんも如才《じょさい》がない」と、お仙は笑い出した。「お花見のお供と取っけえべえか」
「姉さんばかりでなく、誰か五、六人ぐらい誘って来て……。ね、よござんすか」
芸人には見得《みえ》がある。とりわけて女の師匠は自分の花見の景気をつけるために、弟子以外の団体を狩り出さんとして、しきりに運動中であるらしい。彼女はその交換条件として、ある材料を兄さんのまえに提出しようというのであった。半七も笑ってうなずいた。
「よし、よし、そりゃあ種次第だ。ほんとうに種がよければ、十人でも二十人でも、五十人でも百人でもきっと狩り集めてやる。まず種あかしをしろ」
「きっとですね」
念を押して置いて、お粂はこういう出来事を報告した。ゆうべ未広町の丸井という質屋へ恐ろしい押借《おしが》りが来たというのである。丸井はそこらでも旧い暖簾《のれん》の店で、ゆうべ四ツ半(午後十一時)頃に表の戸をたたく者があった。もう四ツを過ぎているので、丸井では戸をあけなかった。御用があるならばあしたの朝出直してくださいと内から答えると、外ではやはり叩きつづけていた。銀座の山口屋から急用で来たと云った。山口屋は嫁の里方《さとかた》であるので、もしや急病人でも出来たのかと、店の者も思わず戸をあけると、黒い覆面の男ふたりが無提灯でずっと這入って来て、だしぬけに主人に逢わせろと云った。かれらは黒木綿の羽織に小倉の袴をはいて、長い刀をさしていた。この頃はやる押借りと見たので、番頭の長左衛門は度胸を据えてそれへ出て、主人は病気で宵から臥せって居りますから、御用がございますならば番頭の手前に仰せつけくださいと挨拶すると、ふたりの侍は顔を見あわせて、きっと貴様に返事が出来るかと念を押した。その形勢がいよいよ穏かでないので、店の若い者や小僧は皆ふるえているなかで、長左衛門は主人に代ってなんでも御返答つかまつりますと立派に答えた。
度胸のいい返事に、侍どもは再び顔を見あわせていたが、やがて、その一人が重そうにかかえている白木綿の風呂敷包みを取り出して、長左衛門の眼先に置いて、これを形代《かたしろ》として金三百両を貸してくれ、利分は望み次第であると云った。いよいよ押借りであると見きわめた番頭は、彼等が何を取り出すかと見ていると、その風呂敷からは血に染《し》みた油紙が現われた。更に油紙を取りのけると、その中から一つの生首《なまくび》が出たので、番頭もぎょっとした。ほかの者共はもう息も出なかった。
それが彼等をおどろかしたのは、単に人間の首であるというばかりではなかった。それは日本人の首とはみえなかった。髪の毛の紅い、鬚《ひげ》のあかい、異国人の首であるらしいことを知った時に、かれらは一倍に強くおびやかされたのであった。侍どもはその生首を番頭のまえに突きつけて、これを見せたらば諄《くど》く説明するにも及ぶまい、われわれは攘夷の旗揚げをするもので、その血祭りに今夜この異人の首を刎《は》ねたのである。迷惑でもあろうが、これを形代《かたしろ》として軍用金を調達してくれと云った。相手が普通の押借りであるならば、一人|頭《あたま》五両ずつも呉れてやって、体《てい》よく追い返す目算であった番頭も、人間の首、殊に異人の首を眼のさきへ突きつけられて、俄かに料簡を変えなければならなくなった。
攘夷の軍用金を口実にして、物持ちの町家をあらし廻るのは此の頃の流行で、麻疹《はしか》と浪士は江戸の禁物《きんもつ》であった。勿論、そのなかにはほんとうの浪士もあったであろうが、その大多数は偽《にせ》浪人の偽攘夷家で、質《たち》のわるい安御家人の次三男や、町人職人のならず者どもが、俄か作りの攘夷家に化けて、江戸市中を嚇《おど》しあるくのであった。おなじ押借りのたぐいでも、攘夷のためとか御国の為とか云えば、これに勿体《もったい》らしい口実が出来るので、小利口な五右衛門も定九郎もみんな攘夷家に早変りしてしまった。しかし相手の方もだんだんその事情を知って来たので、この頃では以前のように此の攘夷家をあまり恐れないようになった。いわゆる攘夷家も蝙蝠安《こうもりやす》や与三郎と同格に認められるようになって来た。丸井の番頭長左衛門が割合いにおちつき払っていたのも、やはり彼等を見くびっていたからであった。
しかしそれが勘ちがいであったことを、番頭も初めて発見した。かれらはいわゆる攘夷家の群れではなくて、ほんとうの攘夷家であるらしかった。彼等は口のさきで紋切り型の台詞《せりふ》をならべるのでは無くて、生きた証拠をたずさえて飛び込んで来たのであった。その血祭りという異人の首は、鮮血に染《し》みたままで油紙のうえに据えられているのであった。度胸のいいのを自慢にしていた長左衛門も、だんだんに顔の色をかえて、何者にか押し付けられるように、その頭をおのずと下げた。もうこうなっては七分の弱味である。そのあいだ二、三度の押し問答はあったものの、所詮《しょせん》かれは攘夷家の請求する三百両の半額を謹んで差し出すのほかはなかった。侍共は渋々納得して帰った。帰るときに、形代であるから此の首を置いてゆくと云ったが、番頭は平《ひら》にあやまって頼んで、この恐ろしい質物《しちもつ》を持って帰ることにして貰った。
この報告をうけ取って、半七は溜息をついた。
「ふうむ。そりゃあ初耳だ。おれはちっとも知らなかった。だが、丸井ではなぜそれを黙っているのかな。そういうことがあったら、この時節柄、きっと届け出ろということになっているんだが……。わからねえ奴らだな」
「それがね、兄さん」と、お粂は更に説明を加えた。「その浪人たちが引き揚げるときに、おれ達の企ては中途で洩れては一大事だから、今夜のことは決して他言するな。万一これを洩らしたら同志の者どもが押し寄せて来て、主人をはじめ一家内をみなごろしにするから然《そ》う思えと、さんざん嚇かして行ったんですとさ。それだから丸井の家《うち》では店じゅうのものに口止めをして、誰にも話さないことにしていたんですよ」
「それをおまえが又どうして知った」
「そりゃあ神田の半七の血を分けた妹ですもの」
「ふざけるな。まじめに云え。御用のことだ」
丸井の秘密をお粂が知っているにはこういうわけがあった。丸井の店の初蔵という若い者がお粂のところへ時々に遊びにくるので、お粂は飛鳥山の花見に加入のことを頼むと、初蔵は一旦承知して帰ったが、きょうの午過ぎになって急に断わりに来た。かれは師匠に怨まれるのを恐れて、ゆうべの出来事をいっさい打ちあけた。何分にもこの矢先きでは店を出にくいから、かならず悪く思ってくれるなと、彼はしきりに云い訳をして帰った。単に違約の云い訳のためならば、まさかそんな大袈裟《おおげさ》な嘘はつくまい。これはきっとほんとうのことに相違ないとお粂は云った。半七もそう思った。
しかしこのことが自分の口から洩れたと知れては、自分も迷惑、初蔵も迷惑するであろうから、兄さんに如才《じょさい》もあるまいが、それはかならず内証にして置いてくれと、お粂は念を押して帰った。帰るときに、かれは更に念を押した。
「姉さん。二十一日にはきっとですよ。ぜひ五、六人さそってね」
二
半七は夕飯を早々にすませて、すぐに末広町の丸井の店をたずねた。丸のなかに井の字の暖簾《のれん》を染め出してあるので、普通に丸井と呼び慣わしているが、ほんとうは井沢屋というのである。表向きに乗り込んで詮議をしては却《かえ》って要領を得まいと思ったので、半七は番頭の長左衛門を表へよび出して小声で訊《き》いた。
「どうもゆうべは飛んだことだったね」
むかしから質屋はとかくに犯罪事件にかかり合いの多い商売であるから、丸井の番頭は半七の顔をよく識《し》っていた。
「もうお耳にはいりましたか」と、彼はすこし眉をよせながら云った。
「むむ、すこし聞き込んだことがある。そこで、番頭さん。あいつらのきまり文句で、これを他言すると仕返しに来るの、火をつけて焼き払うのというが、そんな心配は決してねえから、何もかも正直に云ってくれねえじゃあ困る。なまじい隠し立てをして、あとで飛んだ引き合いを食うようなことがあると、却って店の為にもならねえ」
「はい、はい、ごもっともでございます」
相手が相手であるから長左衛門も正直に申し立てるよりほかはないと覚悟したらしく、半七に対して一々明確に答えたが、事件の道筋はお粂の報告とおなじことであった。浪士は覆面をしていたので、その人相はよく判らなかったが、どちらも三十格好の男であるらしかった。いくらか作り声をしているらしいので、これもよくは判らなかったが、その声音《こわね》に著しい国訛りはきこえないようであったと長左衛門は云った。かれは持参の生首というのは確かに異人の首に相違なかったと答えた。それは自分ばかりでなく、現にその場には手代格の若い者が三人、小僧が二人居あわせて、誰もかれも皆それを異人の首と認めたのであるから、おそらく間違いはあるまいと云った。
「このごろ流行物《はやりもの》の押借りかと思って、初めは多寡《たか》をくくっていたのでございますが、なにしろ異人の生首《なまくび》をだしぬけに出されましたので、わたくしはびっくりしてしまいました」と、長左衛門はその恐ろしいものが今でも眼のさきに浮かんでいるように顔をしかめてささやいた。
半七は黙って聴いていた。もう此の上に詮議もないらしいので、今夜はこれだけにして長左衛門に別れた。勿論、二度と押しかけて来るようなこともあるまいが、彼等が今夜にも万一出直して来たら、すぐに自分のところへ知らせてくれ。決して隠して置いてはならないと、くれぐれも云い聞かせて帰った。
家へ帰ると、子分の松吉が待っていて、ゆうべ深川富岡門前の近江屋《おうみや》という質屋へ二人づれの浪人が押借りに来て、異人の首を突きつけて攘夷の軍用金をまきあげて行ったと報告した。
「しようのねえ奴らだ」と、半七は舌打ちした。「実は今もそれで末広町まで足を運んで来たんだ」
「じゃあ、末広町にもそんなことがあったんですかえ」
「そっくり同じ筋書だ」
その説明を聴かされて、松吉も舌打ちした。
「まったくしようがねえ。そんなことをして方々を押し歩いていやあがる。だが、親分。生首を持って歩いているようじゃあ、そいつらは本物でしょうか」
「そうかも知れねえ」
半七はかんがえていると、松吉は紙入れから小さい紙に包んだものを大切そうに出してみせた。それは紅《あか》い毛であった。
「これは近江屋の入口の土間に落ちていたのを拾って来たんですよ」と、松吉は得意らしく説明した。「なにか手がかりになるものはねえかと、わっしも蚤取眼《のみとりまなこ》でそこらを詮議すると、土間の隅にこんなものが一本落ちていたんです。店の掃除をするとき掃き落したんでしょう」
「むむ」と、半七はその紙を手の上に拡げて見た。「異人の首の髪の毛らしいな」
「そうです。そうです、奴らが首を持ち出して拈《ひね》くりまわしているうちに、一本か二本ぬけて落ちたのを誰も気がつかずにいて、けさになって小僧どもが掃き出してしまったんでしょう。どうです、何かのお役に立ちませんかね」
「いや、悪くねえ。いい見付け物だ。おめえにしちゃあ大出来だ。そこで、深川へ押し込んだのはゆうべの何どきだ」
「五ツ頃だそうですよ」
「まだ宵だな。それから末広町へまわったのか。ひと晩のうちによく稼ぎゃあがる」と、半七は再び舌打ちした。「なにしろ、これはおれが預かっておく」
「ほかに御用はありませんかえ」
「そうだな、まずこの髪の毛をしらべて見なけりゃあならねえ。すべての段取りはそれからのことだ。あしたの午《ひる》ごろに出直して来てくれ」
松吉を帰したあとで、半七は一本のあかい毛をいつまでも眺めていた。それがほんとうの異人の髪の毛であるか、あるいは何かの薬か絵の具で染めたものであるか、それを確かめた上でなければ、どうにも見当のつけようがなかった。
半七はあくる朝、八丁堀同心の屋敷をたずねて、神田と深川の出来事を報告した。世の中のみだれている江戸の末であるから、それがほん者の攘夷家か偽浪士か、八丁堀の役人たちにも容易に判断をくだすことが出来なかった。いずれにしても半七の意見に付いて、まずその髪の毛を鑑定させることになって、ある蘭法医のところへ送って検査させると、それは日本人の毛髪を薬剤や顔料で染めたものではないらしい。さりとて獣《けもの》の毛でもない。おそらく異人の毛であろうという鑑定であった。
例の偽浪士がどこかの墓をあばいて、死人の首を取り出して、その髪の毛を塗りかえるか、あるいは一種の鬘《かつら》をかぶせて、顔もいい加減に化粧して、異人の首らしく巧みにこしらえて、それを抱えてあるいているのではないかと半七も初めは疑っていたのであるが、果たしてほんとうの異人の毛であるとすれば、かれも更にかんがえ直さなければならなかった。しかしこの当時、江戸に在住の異人は甚だ少数である。公使領事のほかには二、三の書記官や通辞《つうじ》があるばかりで、アメリカは麻布の善福寺、フランスは三田の済海寺、オランダは伊皿子の長応寺、プロシャは赤羽の接遇所、ロシアは三田の大中寺に、公使館または領事館を置いてあるが、これらは幕府に届け出でのあるもので、そこに住む者の姓名もみな判っている。そのなかの一人が首を取られたとすれば、すぐにも知れる筈である。かれらの方でも黙っている筈がない。かのヒュースケンの暗討《やみう》ち一件をみても判ったことで、彼等からは幕府にむかって厳重の掛け合いを持ち込んでくるに相違ない。それが今に至るまでなんの音沙汰もないのをみれば、その首の持ち主が江戸在住のものでないことは容易に想像された。
「それじゃあ横浜《はま》かな」
半七は自分の意見をのべて、奉行所の許可をうけて、その月の二十一日に江戸を出発することになったので、お粂は兄嫁を花見に誘い出すどころではなかった。却《かえ》って自分が神田三河町の兄の家へ見送りに来なければならなくなった。横浜までわずかに七里と云っても、その頃ではやはり一種の旅であった。
「兄さん。御機嫌よろしゅう。途中も気をつけてね」
その声をうしろに聞きながら、半七は子分の松吉をつれて朝の六ツ半(午前七時)頃に神田三河町の家を出た。ほかの子分たちも高輪《たかなわ》まで送って来た。この頃は毎日の晴天つづきで、綿入れの旅はもう暖か過ぎるくらいであった。品川の海の空はうららかに晴れ渡って、御殿山のおそい桜も散りかかっていた。
「親分。今頃の旅はようがすね」と、松吉はのんきそうに云った。
「まったくだ。これで御用がなけりゃあ猶更いいんだが、そうもいかねえ。まあ、浜見物をするつもりで出かけるんだな」
「そうですよ。わっしは是非一度行って見たいと思っていたんですよ」
一昨年(安政六年)の六月二日に横浜の港が開かれると、すぐに海岸通り、北仲通り、本町通り、弁天通りが開かれる。野毛《のげ》の橋が架《か》けられる。あくる万延元年の四月には、太田屋新田の沼地をうずめて港崎《みよざき》町の遊廓が開かれる。外国の商人館が出来る。それからそれへと目ざましく発展するので、この頃では横浜見物も一つの流行《はやり》ものになって、江戸から一夜泊まりで見物に出かける者もなかなか多かった。
年の若い松吉は御用の旅で横浜見物が出来るのをよろこんで、江戸をたつ時から威勢がよかった。半七は去年も一度行ったことがあるので、まず大抵の見当はついていたが、日増しに開けてゆく新らしい港の町が一年のあいだにどう変ったかと、これも少なからぬ興味をそそられて、暮春の東海道を愉快にあるいて行った。
その頃は高島町の埋立てもなかったので、ふたりは先ず神奈川の宿《しゅく》にゆき着いて、宮の渡しから十六文の渡し船に乗って、平野間(今の平沼)の西をまわって、初めて横浜の土を踏んだのは、その日の夕七ツ半(午後五時)頃であった。すぐに戸部の奉行所へ行って、御用の探索で来たことを一応とどけて置いて、半七はそれから何処かの宿屋を探しに出ると、往来でひとりのわかい男に逢った。
「三河町の親分じゃありませんか」と、彼はうす暗いなかで透かしながら声をかけた。
三
半七と松吉も立ちどまった。
「やあ、三五郎か、いいところで逢った。実はどっかへ宿を取って、それからおめえのところへ行こうと思っていたんだ」と、半七は云った。
「そりゃあ丁度ようござんした。松さんもいつも達者で結構だ。まあ、なにしろ往来で話も出来ねえ。そこらまで御案内しましょう」
三五郎は先に立って行った。かれは高輪の弥平という岡っ引の子分で、江戸から出役《しゅつやく》の与力に付いて、去年から横浜に来ているのであった。江戸にいるときに半七の世話になったこともあるので、かれは今夜久しぶりで出逢った親分と子分を、疎略には扱わなかった。近所の料理屋へ案内して、三五郎はなつかしそうに話し出した。
「どうも皆さんに御無沙汰をして相済みません。ところで、おまえさん達は唯の御見物ですかえ。それとも何かの御用ですかえ」
「まあ、御用半分、遊び半分よ」と、半七は何げなく云った。「なにしろ、ここもむやみに開けてくるらしいね。江戸より面白いことがあるだろう」
「まったく急に開けて来たのと万国の人間があつまって来るのとで、随分いろいろの変った話がありますよ」
この間もロシアの水兵が二人づれで、神奈川の近在へ散歩に出て、ある百姓家で葱《ねぎ》を見つけて十本ほど買うことになったが、買い手も売り手も詞《ことば》が通じないので、手真似で対談をはじめた。売り手の方では相手が異人であるから、思うさま高く売ってやれという腹で、指を一本出してみせた。それは一分というのであった。それに対して買い手は一両の金を出した。指一本一両と思ったのである。売り手もさすがにびっくりして、それでは違うと首をふってみせると、買い手の方ではまだ不承知だと思ったらしい。その一両をなげ出して、十本の葱を引っかかえて逃げ出した。売り手はいよいよおどろいて、違う違うと叫びながら追ってゆくと、近所の者がそれを聞きつけて駈けあつまって来たので、買い手はいよいよ狼狽して、一生懸命に逃げ出した。水兵のひとりは浅い溝川《どぶかわ》へ滑り落ちて、泥だらけになって這いまわって逃げた。葱十本を一両に売って、しかも買い手が命からがら逃げてゆくなどということは、ここらでも前代未聞の椿事《ちんじ》と噂された。
こんな話をそれからそれへと聴かされて、半七も松吉もこみ上げて来る笑いを止めることが出来なかった。話す人も聴く人もしきりに笑いながら猪口《ちょこ》の遣り取りをしていると、三五郎はやがて少しまじめになって云い出した。
「だが、そんなおかしい話ばかりでなく、いろいろのうるさいこともありますよ。なにしろ異人ばかりでなく、日本でも諸国からいろいろの人間が寄りあつまって来ていますからね。どうも人気《じんき》が殺伐で、喧嘩をする奴がある、悪いことをする奴がある。それにね」と、かれは更に顔をしかめた。「例の浪士という奴が異人を狙ってはいり込んでくる。尤も神奈川の関門《かんもん》で大抵くいとめている筈なんですが、どこをどうくぐるのか、やっぱり時々にまぐれ込んでくる。ほん者ばかりでなく偽者もまじってくる。こいつらが一番厄介物ですよ。このあいだ中も攘夷の軍用金を出せなんて云って、押借りしてあるく奴がありましてね」
「そいつらはどうした。みんな引き挙げたか」と、半七は訊《き》いた。
「それがいけねえ」と、三五郎は頭《かぶり》をふった。「みんな同じ奴らしいんですがね」
かれの話によると、横浜でも去年の暮ごろから軍用金押借りの一と組が横行する。勿論、それがほん者か偽者かよくわからないが、いつでも二人づれで異人の生首《なまくび》を抱えてくる。それを形代《かたしろ》に軍用金を貸せと嚇して、小さい家では三十両か五十両、大きい家では百両二百両を巻き上げて行く。被害者のうちには後の祟りを恐れてそれを秘密にしている者もあるので、委《くわ》しいことは知れないが、少なくも十五六軒はその災難に逢っているらしい。こんな奴らはこの上になにを仕出来《しでか》すか知れないというので、戸部の奉行所でも厳重に探索をはじめた。三五郎も一生懸命に駈けまわっているが、どうしても彼等の足跡を見つけ出すことが出来ない。それにはどうも弱っていると彼も溜息まじりで云った。
半七と松吉は顔を見あわせた。
「それで、おめえはその生首というのをどう思う。そこらの異人で、そんなに首を取られた奴があるのか」と、半七は又|訊《き》いた。
「あればすぐに知れる筈ですが……」
「それじゃあ近い頃に病気で死んだ者があるか」
「それも無いそうです」と、三五郎は首をかしげていた。「それだからどうも判らねえ。わたしの鑑定じゃあ、きっとどこかの墓場あらしをして、日本の死人の首をなんとか巧くこしらえて来るんだろうと思うんですよ。嚇かされる方はふるえ上がっているから、それが異人か日本人か、碌な首実験が出来るもんですか。ねえ、そうじゃありませんか」
かれも半七の最初の鑑定とおなじ見込みを付けているのであった。しかし今の半七はそれに耳を貸すことは出来なかった。おなじ墓場あらしでも、或いは異国人の死に首を掘り出してくるのではないかという疑いはあったが、近ごろ病死した者がないとすれば、その疑いもすぐに煙りのように消えてしまわなければならなかった。半七は薄く眼をとじてただ黙っていると、三五郎の方から云い出した。
「そこで親分。おまえさんはほんとうに遊びですかえ。ひょっとすると今の一件が江戸の方へも響いて、その様子を見とどけに来たんじゃありませんか」
「はは、さすがに眼が高けえ。実はそれだ」と、半七も正直に云った。
「いや、ありがてえ。おまえさんが来てくれりゃあ千人力だ」と、三五郎は急に威勢が付いたらしかった。
「実はわたしも手古摺っているんだ。親分、後生《ごしょう》だからいい智恵を授けておくんなせえ」
「いい智恵と云ってもねえが、見込みをつけて江戸から乗り込んで来た以上、ただ手ぶらでも引き揚げられねえ。そこで、三五郎。近い頃にどこかの異人館で物をとられたことはねえか」
「そうですね」と、三五郎は又もや首をかしげた。「物を取られた奴は幾らもあるが、どれもみんなこっちの人間ばかりで、異人館へ押し込んだ泥坊はないようですね」
「ほかに異人館から何か訴えて来たようなことはねえか」
「別にこうというほどの事もありませんが、たしか先月だとおぼえています。イギリスのトムソンという商館から奉行所の方へこんなことを内々で頼んで来ましたよ。自分のところで使っているロイドという若い番頭が、去年の夏頃から港崎町の岩亀《がんき》へむやみに遊びに行って、ずいぶん荒っぽい金を使うらしいが、商館の方で渡す給金だけじゃあとても足りる筈がない。といって、当人はほかにたくさんの金を持っているとも思えないから、その金の出所がどうも不審だ。なにか商館の方の帳面づらを誤魔化して、抜け商《あきな》いでもしているんじゃないかと、主人の方でもいろいろに調べているが、いずれ日本人を相手の仕事に相違ないから、そっちの奉行所の方でも内々で調べてくれと、こう云うんです。そこでわたしも探索してみると、まったくそのロイドという奴は岩亀の夕顔という女に熱くなって、むやみに金をふり撒《ま》いているらしいんです」
「そのロイドというのはどんな奴だ」
「なんでもイギリスのロンドンの生まれで、年は二十七だそうですが、日本語もちょいと器用に出来て、遊びっぷりも悪くないので、岩亀では評判がいいそうですよ」
三五郎は笑っていた。かれはこの問題に就いてあまり深い注意を払ってもいないらしかったが、半七は決してそれを聞き逃がさなかった。
「そのロイドという奴はいつも一人で出かけるのか」
「勝蔵というボーイがいつも一緒に出かけていたようです。それが主人に知れたもんですから、勝蔵の方は二月の末に暇を出されたそうです。どうで異人館奉公するような奴ですから、なんでも江戸の食いつめ者で、こいつがロイドを案内して行って、面白い味を教えたらしいんですよ。いくら異人だってこういう奴らにおだてられちゃあ、自然に泳ぎ出す気にもなりましょうよ。罪な奴ですね」と、三五郎はやはり笑っていた。
「その勝蔵という奴はそれからどうした。やっぱりここらにうろ付いているのか」
「さあ、どうですかね」
「それを早く調べてくれ。そいつにも誰か友達があるだろう。異人館をお払い箱になって、それからどうしたか。江戸へ帰ったか、こっちにいるか、よく突きとめて来てくれ。たいしてむずかしいこともあるめえ」
「あい。ようがす。なるたけ早く聞き出して来ましょう」
「しっかり頼むぜ」
ここの勘定は半七が払って、三人は料理屋の門《かど》を出ると、宵闇ながら夜の色は春めいて、なまあたたかい風がほろよいの顔をなでた。半七は去年泊まった上州屋へゆくことにして、ここで三五郎に別れた。
「親分。その勝蔵という奴がおかしいんですかえ」と、松吉は四、五間あるき出してから小声で訊いた。
「むむ。もうこれで大抵判った。ロイドという奴を引き挙げりゃあ世話はねえんだが、異人じゃあどうも面倒だからな。まあ、いい。折角乗り込んで来た甲斐があった」と、半七は星あかりの空を仰いで笑った。
四
あくる朝、二人がまだ起きないうちに、三五郎が上州屋へたずねて来た。
「ばかに早えな。横浜《はま》の人間は違ったものだ」と、半七は寝床のうえに起き直った。
「久しぶりで逢った親分に叱言《こごと》を聞いちゃあ詰まらねえから、大急きでゆうべのうちに調べあげて来ましたよ」と、三五郎は自慢らしく云った。「その勝蔵という奴は、今月の初め頃まではこっちにぶら付いていましたが、なんでも小半月ばかり前に江戸へ帰ったそうです」
半七は胸算で日数《ひかず》をかぞえた。そして、江戸には勝蔵の身寄りか友達でもあるのかと訊くと、かれは江戸の深川に寅吉という友達がある。さしあたりはそれを頼って行ったらしいと、三五郎は答えた。
「寅吉なんていうのは幾らもあるが、その商売は判らねえかしら」
「そうですね。ただ寅吉とばかりで、その商売までは知っている者がねえので困りました」と、三五郎は小鬢をかいた。
「ロイドと一緒に岩亀に入りびたっていたようじゃあ、勝蔵にも馴染《なじみ》の女があるだろうな」と、半七は云った。
「あります、あります。小秀という女で、勝蔵の野郎も大分《だいぶ》のぼせていたらしいんです。じゃあ、これから岩亀へ出張って行って、その女を調べてみましょうか。ひょっとすると、あいつの行く先を知っているかも知れません」
「いや、待て。むやみに騒いじゃあいけねえ」と、半七はさえぎった。「そういうわけなら女を調べるまでもねえ。ひょっとすると、当人がまた舞い戻っているかも知れねえ。迂闊《うかつ》に手をつけて感付かれちゃあ玉なしだ。まっ昼間おれ達がどやどや押し掛けて行くのはまずい。まあ、日の暮れるまで気長に待っていて、客の振りをして岩亀へ行って見ようじゃあねえか」
「それがようがすな。ここまで漕ぎ付けりゃあ、そんなに急ぐことはねえ」と、松吉も云った。
「きょうはゆっくり浜見物でもして、日が暮れてから仕事にかかるんですね」
そこらをひとわたり見物して、三人は夕方に帰って来た。
「どうします。真っ直ぐにあがりますか」と、案内者の三五郎は云った。「岩亀は遊ばなくってもいいんです。ただ見物だけでもさせるんですから、ともかくも見物のつもりであがってみて、それからの都合にしたらどうです」
「それもよかろう。ここへ来たら土地っ子のお指図次第だ」と、半七は笑った。
大門《おおもん》のなかには柳と桜が栽《う》えてあって、その青い影は家々のあかるい灯のまえに緩《ゆる》くなびいていた。その白い花は家々の騒がしい絃歌に追い立てられるようにあわただしく散っていた。三人は青い影を縫い、白い花を浴びてゆくと、まだ宵ではあるが遊蕩《あそび》の客と見物人とが入りみだれて、押し合うような混雑であった。
「よし原の花どきより賑やかだな」
そういう半七の袂をひいて、三五郎は俄かにささやいた。
「あ、あれ、あすこにいる奴がロイドです」
教えられてよく見ると、大きな柳の下にひとりの異人が立っていた。痩形《やせがた》の彼は派手な縞柄の洋服をきて、帽子を深くかぶって、手には細いステッキを持っていた。さし当りどうするというわけにも行かなかったが、ここで幸いにロイドを見つけた以上、半七はその監視を怠ることは出来なかった。かれは三五郎と松吉に眼でしらせて、少しく混雑の群れから離れた。三人は桜のかげにたたずんで、若い異人の挙動をうかがっていた。
「そこが岩亀ですよ」と、三五郎はまた教えた。
ロイドは岩亀の店さきから二、三間|距《はな》れたところに立ち暮らして、誰かを待ち合わせているらしかった。果たして岩亀の店口から二人づれの男が出てきた。そのあとから引手茶屋の女が付いて来た。それをみると、ロイドは柳の蔭からつかつかと出て行って、立ち塞がるように二人のまえにその痩せた姿をあらわすと、彼等はそこに立ちどまって何か小声で話し合っているらしかったが、やがて二人は茶屋の女に別れて、ロイドと一緒にあるき出した。
「あの一人が勝蔵ですよ」
三五郎に教えられて、半七はうなずいた。かれは三五郎と松吉にささやいて、異人と二人の男とのあとを追ってゆくと、廓内《かくない》はいろいろ人の出盛る時刻となって、ややもすると其の混雑のなかで相手を見うしないそうになったが、丈《たけ》のたかい異人を道連れにしているので、勝蔵らはその尾行者の眼から逃がれることが出来なかった。大門を出ると、路はだんだんに暗くなった。駕籠屋や煮売り酒屋の灯の影がまばらにつづいて、埋立て地を出はずれる頃からは更に暗い田圃路《たんぼみち》になった。そこらでは早い蛙が一面に鳴いていた。
先に立ってゆく三人はしきりに小声で話していたが、やがてその声が高くなって、ロイドは片言《かたこと》で云った。
「日本の人、嘘云うあります、わたくし堪忍しません」
「なにが嘘だ。さっきからあれほど云って聞かせるのが判らねえのか」
「判りません、判りません。あなたの云うことみな嘘です」と、ロイドは激昂したように云った。
「あの品、わたくし大切です。すぐ返してください」
「返せと云っても、ここに持っていねえのは判り切っているじゃあねえか」
こういう押し問答が繰り返された後に、勝蔵はロイドを突きのけて行こうとするのを、かれは追いかけて引き戻した。ひとりの異人と二人の日本人とは狭い田圃路で格闘をはじめた。それをみて、半七は子分らに声をかけた。
「異人は打っちゃって置いて、勝蔵ともう一人の奴を取っ捉まえろ」
三五郎と松吉はすぐに駈け出して行って、有無《うむ》を云わせずに二人の日本人を取り押えた。ロイドはおどろいて一目散《いちもくさん》に逃げ去った。
これで問題は解決した。
異人の生首を引っさげて攘夷の軍用金をまきあげていた浪人組は、果たして勝蔵とその友達の寅吉であった。食いつめ者の勝蔵は江戸から横浜へ流れ込んで、トムソンの商館のボーイに雇われているうちに、日本の事情によく通じない外国人を誤魔化して、彼は少しくふところを温《あった》めたので、すぐに港崎町の廓通《くるわがよ》いをはじめて、岩亀楼の小秀という女を相方《あいかた》に、身分不相応の大尽風《だいじんかぜ》を吹かせていたが、所詮はボーイの身の上でそんな贅沢遊びが長くつづく筈はないので、かれは年の若い番頭のロイドを誘い出して、自分の遊び友達にすることを考えた。勿論、かれはその案内役で、いっさいの勘定はいつでもロイドに負担させていた。
ロイドが馴染んだのは夕顔という若いおとなしい女であった。彼はこの日本のムスメに若い魂をかきみだされて、去年の夏頃から毎晩のように通いつめたので、商館から受け取る月々の給料は勿論、本国から幾らか用意して来た金も残らず港崎町へ運んでしまった。横浜に来ている同国人のあいだにも義理のわるい負債が嵩《かさ》んだ。それでも日本のムスメを忘れることが出来ないので、かれは悶々の胸をかかえて苦しみ悩んでいるうちに、悪魔が彼の魂に巣くった。
彼が先ず発議したのか、あるいは勝蔵が思い付いたのか、その辺の事情は確かでないが、勝蔵はロイドの発案であると主張している。いずれにしても二人がひそかに相談の末に、この頃はやる偽攘夷家の押借りをたくらんだのである。しかし偽者の多いことは世間でも大抵知って来たので、単に口さきで嚇したばかりでは睨みが利かないと思って、かれらは真の攘夷家であることを証明するためと、あわせて相手を威嚇するために、異国人の生首をたずさえてゆくことを案出した。勿論、ほんとうの生首などがむやみに手に入るわけでもないのであるが、それに究竟《くっきょう》の道具があった。ロイドは蝋細工の大きい人形を故郷から持って来ていた。それは上半身の胸像のようなもので、大きさは普通の人間とおなじく、髪の毛も長く植えてあった。その蝋細工はすこぶる精巧に造られていて、ほんとうの人間のようだと勝蔵もふだんから驚嘆していたのであるが、それを今度役に立てることになって、ロイドはその首を打ち砕いた。喉《のど》の切り口や頬のあたりには糊紅《のりべに》をしたたかに塗った。
こうして出来あがった異人の首を、勝蔵がいよいよ持ち出すことになったが、自分ひとりでは工合がわるい。さりとてロイドを連れてゆくことが出来ないので、かれは江戸へ行って友達の寅吉をよんで来た。寅吉は深川に住んで、おもて向きは鋳掛《いか》け錠前《じょうまえ》直しと市中を呼びあるいているが、博奕《ばくち》も打つ、空巣《あきす》狙いもやる。こういう仕事には適当の道連れと見たので、勝蔵はひそかにその相談を持ちかけると、それは面白かろうと寅吉もすぐに同意した。かれらは覆面の偽浪士となって、去年の夏頃から横浜市中で二十余軒をあらしあるいた。その金高は千五百両を越えているのを、ロイドと三人で分配していた。トムソンの商館では勿論そんな秘密は知らなかったが、勝蔵の品行がよくないのと、彼がロイドの遊び仲間であることをさとったので、二月の末にとうとう彼を放逐することになった。
トムソンを放逐されたことはさのみ驚きはしなかったが、自分たちの仕事が度重なって、奉行所の詮議がだんだん厳重になって来たのを勝蔵は恐れた。商館を放逐されたのも或いは奉行所から何かの注意があったのではないかと危ぶまれた。かれは寅吉と相談して、四月のはじめにひと先ず横浜を立ち退くことにしたが、その時ロイドには無断で商売道具の蝋人形を持って行ってしまったのである。江戸ではまだこの新手《あらて》を知るまいと思ったので、かれらはその首をかかえ出して神田や深川で例の軍用金を徴収した。そうして、ひと晩のうちに首尾よく二百五十両を稼いだので、二人はすぐに吉原へ繰り込んだが、そこの遊びがどうも面白くなかった。やっぱり神奈川がいいと勝蔵が云い出すと、寅吉も同感であった。神奈川の遊びの味をわすれられない彼等は、からだのあやういのを知りながら又もや港崎町へ引っ返してくると、岩亀楼でロイドに出逢った。
ロイドはかれらの顔をみると、すぐに蝋人形をかえしてくれと迫った。ここには持っていないと云っても、ロイドは承知しなかった。人出入りの多いところでそんなことを云い合っていて、万一他人の耳にはいったらお互いの身の破減であるから、ともかくも表へ出てくれと勝蔵が云うと、ロイドは一と足先に出て往来に待っていた。勝蔵と寅吉もつづいて出た。三人は一緒に大門を出て暗い路をたどりながら話した。勝蔵はもう少し人形をこちらへ貸して置いてくれ、そうすれば、二、三百両の金をつけて戻すと云ったが、ロイドはそれを信用しなかった。無断で人のものを持ち出してゆくようなお前たちがその約束を実行する筈がないと彼は云った。しかしロイドの方にも同類の弱味があるので、勝蔵は多寡をくくって取り合わなかった。三人のあいだに遂に同士討ちの格闘が起った。かれらは自分たちのうしろに黒い影の付きまとっているのを知らなかった。
半七の縄にかかって、勝蔵と寅吉は白状した。かれらも最初は強情を張っていたのであるが、舶来の人形の首――この一句に肝《きも》をひしがれて、もろくも一切の秘密を吐き出してしまったのであった。
それについて、半七老人はわたしにこう語った。
「まえにも申す通り、異人の首がむやみに手に入るわけのものじゃあるまい。もしほんとうに首を取ったとすれば一大事で、とうに奉行所の耳にもはいっている筈です。だが、偽首となると髪の毛がわからない。その紅い毛は日本人の毛じゃあない。といって、獣《けもの》の毛でもない。もちろん唐蜀黍《とうもろこし》でもないと云う。そこでわたくしは舶来の人形ではないかとふと考えたんです。その前の年に横浜に行って、実によく出来ている舶来の人形を見せられたことがありますから、この種はどうも横浜から出ているらしいと思って、乗り出してみると案の通りでした。勝蔵と寅吉はなかなか強情を張っていましたが、わたくしが唯一言『貴様たちが商売道具につかっている舶来の人形はどこから持ち出した。あのロイドから借りて来たか』と、云いますと、奴らは蒼くなってふるえ出して、みんなべらべらとしゃべってしまいましたよ。ふたりは死罪になりました。ロイドは外国人ですから、うっかり手をつけるわけにも行かなかったんですが、同類ふたりが挙げられたのを聞いて、ピストルで自殺したそうです。人形の首は深川の寅吉の家の床下に隠してあったのを探し出して、丸井と近江屋の番頭をよび出して見せますと、まったくそれに相違ないと申し立てました。その首は参考のために保存して置こうという意見もあったんですが、とうとう叩き毀してしまったということです」
[#改ページ]
一つ目小僧
一
嘉永五年八月のなかばである。四谷《よつや》伝馬町《てんまちょう》の大通りに小鳥を売っている野島屋の店さきに、草履取りをつれた一人の侍が立った。あしたの晩は十五夜だというので、芒売《すすきう》りを呼び込んで値をつけていた亭主の喜右衛門は、相手が武家とみて丁寧に会釈《えしゃく》した。野島屋はここらでも古い店で、いろいろの美しい小鳥が籠のなかで頻りに囀《さえず》っているのを、侍は眼にもかけないような風で、ずっと店の奥へはいって来た。
「亭主。よい鶉《うずら》はないか」
「ござります」と、喜右衛門は誇るように答えた。かれは半月ほど前に金十五両の鶉を手に入れていたのであった。
「見せてくれぬか」
「はい、穢《きたな》いところでございますが、どうぞおあがり下さい」
侍は年のころ四十前後で、生平《きびら》の帷子《かたびら》に、同じ麻を鼠に染めた打《ぶ》っ裂き羽織をきて、夏袴をつけて雪駄《せった》をはいている。その人品も卑しくない。まず相当の旗本の主人であろうと推量して、喜右衛門も疎略には扱わなかった。かれはこの主従に茶を出して、それから奥へはいって一つの鶉籠をうやうやしくささげ出して来た。その価は十五両と聞いて、侍はすこし首をかしげていたが、とうとうそれを買うことになって、手付けの一両を置いて行った。
「明朝さるところへ持参しなければならぬのだから、気の毒だが今晩中に屋敷までとどけてくれ」
その屋敷は新宿の新屋敷で、細井といえばすぐに判るとのことであった。どこへか持参するというからは、なにかの事情で権門へ遣い物にするのであろうと喜右衛門は推量した。立ちぎわに侍はまた念を押した。
「かならず間違い無しにとどけてくれ、あと金は引きかえに遣わすぞ」
しかし自分はこれから他《よそ》へ寄り道をして帰るから、日が暮れてから持参してくれといった。喜右衛門はすべて承知して別れた。前に「雷獣と蛇」の中にも説明してある通り、新宿の新屋敷というのは今の千駄ケ谷の一部で、そこには大名の下屋敷や、旗本屋敷や、小さい御家人などの住居もあるが、うしろは一面の田畑で、路ばたに大きい竹藪や草原などもあって、昼でも随分さびしいところとして知られていた。そこへ日が暮れてから出向くのは少し難儀だとも思ったが、これも商売である。まして十五両という大きい商いをするのであるから、喜右衛門も忌応《いやおう》は云っていられなかった。勿論、ほかに奉公人もあるが、高値《こうじき》の売り物をかかえて武家屋敷へ出向くのであるから、主人自身がゆくことにして、喜右衛門は日の暮れるのを待っていた。
きょうは朝から薄く陰《くも》って、あしたの名月をあやぶませるような空模様であったが、午後からの雲は色がいよいよ暗くなって、今にも小雨がほろほろと落ちて来そうにもみえた。旧暦の八月なかばで、朝夕はめっきりと涼しくなったが、きょうは袂涼しいのを通り越して、単衣《ひとえ》の襟が薄ら寒いほど冷たい風がながれて来た。天竜寺の暮れ六ツをきいて喜右衛門は夕飯をくっていると、昼間の草履取りが再び野島屋の店さきに立った。
「あの辺はさびしいところではあり、路が暗い。屋敷をさがすのに難儀であろうから、おまえが行って案内してやれと殿様が仰しゃった。支度がよければすぐに来てください」
「それは御苦労でござります」
案内者が来てくれたので、喜右衛門はよろこんだ。早々に飯をくってしまって、かのうずら籠をかかえて店を出ると、表はもう暗かった。草履取りの中間《ちゅうげん》と話しながら新宿の方へ急いでゆくうちに、細かい雨がふたりの額のうえに冷たく落ちて来た。
「とうとう降って来た」と、中間は舌打ちした。
「あしたもどうでしょうかな」
こんな話をしながら、ふたりは足を早めてゆくと、やがて新屋敷にたどり着いた。小雨の降る秋の宵で、さびしい屋敷町は灯のひかりも見えない闇の底に沈んでいた。中間は或る屋敷のくぐり門から喜右衛門を案内してはいった。屋敷のなかも薄暗いのでよくは判らなかったが、内玄関のあたりは随分荒れているらしかった。中の口の次に八畳の座敷がある。喜右衛門をここに控えさせて、中間はどこへか立ち去った。
座敷には暗い灯が一つともっている。その光りであたりを見まわすと、もう手入れ前の古屋敷とみえて、天井や畳の上にも雨漏りの痕《あと》がところどころ黴《か》びていて、襖や障子もよほど破れているのが眼についた。昼間来た主人の侍のすがたとは打って変って、勝手都合の頗《すこぶ》るよくないらしい屋敷のありさまに、喜右衛門は少し顔をしかめた。このあばら家の体たらくでは、あと金の十四両をとどこおりなく払い渡してくれればいいがと、一種の不安を感じながら控えていると、奥からは容易に人の出てくる気配もなかった。雨はしとしとと降りつづけて、暗い庭さきでは虫の声がさびしくきこえた。喜右衛門はだんだんに待ちくたびれて、それとなく催促するように、わざとらしい咳《しわぶき》を一つすると、それを合図のように縁側に小さい足音がひびいて、明けたてのきしむ障子をあけて来る音があった。
それは十三四歳の茶坊主で、待たせてある喜右衛門に茶でも運んで来たのかと思うと、かれは一向に見向きもしないで、床の間にかけてある紙表具の山水《さんすい》の掛物に手をかけた。それを掛けかえるのかと見ていると、そうでもないらしかった。かれはその掛物を上の方まで巻きあげるかと思うと、手を放してばらばらと落とした。また巻きあげてまた落とした。こうしたことを幾たびも繰り返しているので、喜右衛門も終《しま》いには見かねて声をかけた。
「これ、これ、いつまでもそんなことをしていると、お掛物が損じます。はずすならば、わたくしが手伝ってあげましょう」
「黙っていろ」と、かれは振り返って睨んだ。
喜右衛門はこの時初めてかれの顔を正面から見たのである。茶坊主は左の眼ひとつであった。口は両方の耳のあたりまで裂けて、大きい二本の牙《きば》が白くあらわれていた。薄暗い灯のひかりでこの異形《いぎょう》のものを見せられたときに、五十を越えている喜右衛門も一途《いちず》にあっとおびえて、半分は夢中でそこに倒れてしまった。
暫くして、ようやく人心地がつくと、その枕元には三十五六の用人らしい男が坐っていた。かれは小声で訊《き》いた。
「なにか見たか」
喜右衛門はあまりの恐ろしさに、すぐには返事が出来なかった。用人はそれを察したようにうなずいた。
「また出たか。なにを隠そう、この屋敷には時々に不思議のことがある。われわれは馴れているのでさのみとも思わぬが、はじめて見た者はおどろくのも道理《もっとも》だ。かならず此の事は世間に沙汰してくれるな。こういうことのある為か、殿さま俄かに御不快で休んでいられるから、鶉の一件も今夜のことには行くまい。気の毒だが、一旦持ち帰ってくれ」
かれはまったく気の毒そうに云った。こんな化け物屋敷に長居はできない、帰ってくれと云われたのを幸いに、喜右衛門はうずら籠をかかえて怱々《そうそう》に表へ逃げ出した。雨はまだ降っている。自分のうしろからは何者かが追ってくるように思われるので、喜右衛門は暗いなかを一生懸命にかけぬけて、新宿の町の灯を見たときに初めてほっと息をついた。
妖怪におびやかされたせいか、冷たい雨に濡《ぬ》れたせいか喜右衛門はその晩から大熱を発して、半月ばかりは床についていた。八月の末になって彼はだんだんに気力を回復すると、鶉の鳴き声が少し気にかかった。かの鶉は自分の命よりも大切にかかえて戻って、別条なく店の奥に飼ってあるが、その鳴き声が今までとは変っているようにきこえるので、喜右衛門は不思議に思った。自分の病中、奉公人どもの飼い方が悪かったので、あたら名鳥も声変りしたのではないかと、念のためにその鶉籠を枕もとへ取り寄せてみると、鳥はいつの間にか変っているのであった。喜右衛門はびっくりした。かれは一つ目の妖怪にもおびやかされたが、十五両の鶉が二足三文《にそくさんもん》の駄鶉に変っているにも又おびやかされた。病中に奉公人どもが掏り替えたのか。それとも細井の化け物屋敷で殆ど気を失ったように倒れているあいだに、素早く掏りかえられたのか。二つに一つに相違ないと喜右衛門は判断した。
万一それが奉公人の仕業《しわざ》であるとすると、迂闊に口外することが出来ないと思って、喜右衛門はそのままに黙っていた。九月になって、かれはもう床払いをするようになったので、早速新屋敷へたずねて行って見ると、見おぼえのある古屋敷はそこにあった。しかし其処には住んでいる人がなかった。近所で訊くと、そこには細井という旗本が住んでいたが、なにかの都合で雑司ケ谷の方へ屋敷換えをして、この夏から空《あき》屋敷になっていることが判った。もう疑うまでもない。悪者どもが徒党して、喜右衛門をこの空屋敷へ誘い込んで、不思議な化け物をみせて嚇しておいて、持参のうずらを奪い取ったのである。一両の手付けを差し引いても、かれは十四両の損をさせられたのであった。この時代に十両以上の損は大きい。喜右衛門は蒼くなった。
「訴え出れば、引き合いが面倒だ。泣き寝入りするのもくやしい」
かれは帰る途中でいろいろに思案したが、どちらとも確かに分別がつかないので、家へ帰って町内の家主《いえぬし》に相談すると、家主は眉をよせた。
「いや、それはちっとも知らなかった。実はこの五、六日前にも、やっぱり同じ空屋敷で五十両の茶道具をかたられた者があるという噂だ。そういうことを打っちゃって置いて、その悪者がお召し捕りになったときには、おまえもお叱りをうけなければならない。ちっとも早くお訴えをして置くことだ」
家主に注意されて、喜右衛門はすぐにその次第を訴え出た。
二
大木戸の出来事ではあるが、神田の半七がその探索をうけたまわって、子分の松吉を連れて山の手へのぼって行った。その途中で松吉はささやいた。
「親分。みんな同じ奴らですね」
「それに相違ねえ、方々のあき屋敷を仕事場にして、いろいろの悪さをしやがる。世話のやける奴らだ」
このごろ山の手のあき屋敷へ商人《あきんど》をつれ込んで、いろいろの手段でその品物をまきあげるのが流行する。本郷の森川|宿《しゅく》や、小石川の音羽《おとわ》や、そのほかにも大塚や巣鴨や雑司ケ谷や、寂しい場所のあき屋敷をえらんで商人をつれ込み、相手を玄関口に待たせて置いて、その品物をうけ取ったまま奥へはいって、どこへか姿を隠してしまうものもある。あるいは座敷へ通して置いて、腕ずくで嚇して奪い取るものもある。近所の者ならばそれが空屋敷であることを大抵承知しているが、遠方の者はそれを知らないで、うっかり連れ込まれるのである。それであるから、白昼《まひる》のあかるい時には決してその被害はない。かれらはなんとか口実を設けて、いつでも暗い夜に相手をおびき出すのである。おなじ場所で幾たびも同一の手段を繰り返せば、たちまちに足のつく虞《おそ》れがあるので、一つ場所ではせいぜい二度か三度ぐらいにとどめて、更にほかの場所を選ぶのを例としている。したがって、今度の鶉の一件もおなじ奴らの仕業であることは判り切っていた。
「だが、今度のは今までと違って、すこし新手《あらて》だな」と、半七は笑いながら云った。
「奴らもいろいろに工夫するんですね」と、松吉も笑った。「それにしても、一つ目小僧とは考えたね。悪くふざけた奴らだ」
「まったくふざけた奴らだ、あんまり人を馬鹿にしていやがる。今度こそは何とかして退治《やっ》つけてやりてえもんだ」
ふたりは伝馬町の野島屋へ行って、主人の喜右衛門に逢ってその晩の様子を訊《き》いた。化け物の正体も詳しく聞きただした。喜右衛門は年甲斐もなく物におびえて、その化け物の正体をたしかには見とどけなかったのであるが、一つ目といっても、絵にかいてあるいわゆる一つ目小僧のように、顔のまん中に一つの目があるのではなかった。単に左の目が一つ光って見えたらしかった。
二つの目を満足にもっている者が、なにかで片目を塞いでいたのであろうと半七は想像した。口が裂けているように見えたのも、何かの絵の具で塗りこしらえたに相違ない。牙なども何かで作ったものであろう。こう煎じつめてくると、一つ目小僧の正体も大抵わかった。所詮は喜右衛門の臆病から、こんな拵《こしら》えものにおびやかされたのである。しかし臆病が却《かえ》ってかれの仕合わせであったかも知れない。彼がもし気丈の人間で、なまじいにその化け物を取り押えようなどとしたら、奥にかくれている同類があらわれて来て、彼のからだにどんな危害を加えたかも知れない。一つ目小僧におどされて、十五両の鶉をまきあげられた方が、かれに取ってはむしろ小難であったらしく思われた。
「御苦労だが、その屋敷まで案内してくれ」
半七は喜右衛門を案内者として、すぐに新屋敷まで出向いた。なるほど古い屋敷ではあるが、夜目に門がまえを見ただけでは、それが無住の家であるかどうかを覚《さと》られそうにもなかった。門内も玄関先のあたりだけは、草が刈ってあった。あき屋敷と覚られまいために、おそらくその前夜か昼のあいだに草刈りをして置いたのであろう。半七は彼等のなかなか注意ぶかいことを知った。
「どうします。踏み込みますか」と、松吉はきいた。
「ともかくも一応はあらためなければいけねえ」
かれらがもう巣を変えてしまったことは判っているが、それでも何かの手がかりを発見しないとも限らないので、半七は先に立って内玄関からはいり込むと、松吉と喜右衛門もあとから続いた。喜右衛門が通されたという八畳の座敷へはいって、縁側の大きい雨戸をあけ放すと、秋の日のひかりが一面に流れ込んで来た。
「なるほど、内はずいぶん荒れているな」と、半七はそこらを見まわしながら云った。
「わたくしもひどい荒れ屋敷だと思っていましたが、まさかに空屋敷とは……」と、喜右衛門も今更のように溜息をついていた。
壁のすこし崩れている床の間には、山水の掛物もかかっていなかった。三人はその座敷を出て、更に屋敷じゅうを見まわると、ほこりのうずたかく積っている縁側には大小の足あとが薄く残っていた。鼠の足跡もみえた。そのほこりの上を爪立ってゆくと、どの座敷も畳をあげてあったが、台所につづく六畳の暗い一と間だけには破れた琉球畳が敷かれていて、湿《しめ》っぽいような黴《かび》臭いような匂いが鼻にしみついた。半七は腹這いになって古畳の匂いをかいだ。
「松。おめえも嗅いでみろ。酒の匂いがするな」
松吉もおなじく嗅いでみて、うなずいた。
「酒の匂いはまだ新らしいようですね」
「むむ。おめえは鼻利きだ。酒の匂いは新らしい。第一、これは女中部屋だ。ここで酒をのむ者はあるめえ。このあいだの奴らがここに集まっていたに相違ねえ。まあ、引窓《ひきまど》をあけてみろ」
松吉に引窓をあけさせて、その明かりで半七は部屋じゅうを見まわした。押入れのなかも調べた。障子をあけて台所へも出た。沓《くつ》ぬぎの土間へも降りて見まわしているうちに、かれは何か小さいものを拾った。それを袂に入れて、半七はもとの座敷へ戻った。
「さあ、もう帰ろうか」
「もう引き揚げますかえ」と、松吉はなんだか物足らなそうに云った。
「いつまで化け物屋敷の番をしていてもしようがねえ。日が暮れると、また一つ目小僧が出るかも知れねえ」
半七は笑いながらここを出た。途中で喜右衛門にわかれて、半七と松吉は裏路づたいにしずかに歩いた。
「おい、松。これはなんだか知っているか」と、半七は袂から出してみせた。
「へえ。こんなものを……。こりゃあ按摩の笛じゃありませんかえ」
「むむ。台所の土間に米のあき俵が一つ転がっていた。その下から出たのよ。痩せても枯れても旗本の屋敷で、流しの按摩を呼び込みゃあしめえ。あんなところに、どうして按摩の笛が落ちていたのか。おめえ、考えてみろ」
「なるほどね」
松吉は首をひねっていた。
「これで一つ目小僧の正体はわかりましたよ」と、半七老人はわたしに話した。「初めは片目をなにかで隠しているのかと思いましたが、この笛を拾ったので又かんがえが変りました。松吉やほかの子分どもに云いつけて、江戸じゅうに片目の小按摩が幾人いるかを調べさせると、さすがは江戸で片目の按摩が七人いましたよ。そのなかで肩あげのある者四人の身許を探索すると、入谷《いりや》の長屋にいる周悦という今年十四歳の小按摩がおかしい。こいつは子供の時にいたずらをして、竹きれで眼を突き潰したので、片目あいていながら按摩になって、二十四文と流して歩いているうちに、馬道《うまみち》の下駄屋へたびたび呼び込まれて懇意になると、そこの亭主が悪い奴で、この小按摩を巧くだまし込んで、療治に行った家の物を手あたり次第にぬすませて、自分が廉《やす》く買っていたんです。そのうちに、この亭主が悪御家人と共謀して、あき屋敷を仕事場にすることになったんですが、自分の近所は感付かれる懸念があるので、いつも遠い山の手へ行って仕事をしていました」
「その按摩も同類なんですね」
「しかし今までは、相手を玄関に待たせて置いて、その品物を裏門から持ち逃げしたり、相手がなかなか油断しないとみると、奥へ通して腕ずくで脅迫したりしていたんですが、人間というものは奇体なもので、いくら悪党でも同じ手段をくりかえしていると、自然に飽きて来るとみえて、相談の上で更に新手《あらて》をかんがえ出したのが怪談がかりの一件です。下駄屋の発案で、それにはこういう一つ目小僧の按摩がいるというと、それは妙だとみんなも喜んで、小按摩の周悦には下駄屋から巧く説得して、自分たちの味方にすることになったんですが、その周悦という奴は今では立派な不良少年になっているので、これも面白がってすぐ同意したというわけです。自体口が少し大きい奴なので、それから思いついて、絵の具で口を割ったり、象牙の箸を牙《きば》にこしらえたりしたんですが、周悦の家にはおふくろがあります。そのおふくろの手前、世間の手前、化け物のこしらえで家を出るわけには行きませんから、やはり商売に出るようなふうをして、杖をついて、笛をふいて、いつもの通りに家を出て、かの空屋敷の台所の六畳を楽屋にして、そこですっかり化けおおせた次第です。その時に周悦はふところに入れていた笛をおとしたのを、あとになって気がついたんですが、どこで落としたか判らないので、ついそのままにして置いたのを、運悪くわたくしに見つけられたんです。それからだんだん調べてみると、この小按摩は年に似合わず銭使いがあらい。近所の評判もよくない。そこで引き挙げて吟味すると、なんと云ってもそこは子供で、一つ責めると、みんな正直に白状してしまいました」
「そうすると、その下駄屋と御家人と、小按摩の周悦と……。まだほかにも仲間がありましたか」
と、わたしは又|訊《き》いた。
「下駄屋は藤助という奴で、これは用人に化けていました。主人になったのは糠目《ぬかめ》三五郎という御家人、草履取りは渡り中間の権平という奴で、これだけは本物です。そのほかに馬淵金八という浪人が加わっていました。周悦はあとにも先にもたった一度、その一つ目小僧を勤めただけですが、当人はひどく面白がって、又なにかの役に使ってくれと、しきりに下駄屋をせびっていたそうです。なにしろ、一つ目小僧をさがしあてたので、それから口があいて、ほかの奴らも片っ端からみんな御用になってしまいました。つまらない怪談をやらなければ、もうちっと寿命があったかも知れないんですが、そいつらに取っては不仕合わせ、世間に取っては仕合わせでした」
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仮面
ある冬の日、わたしが老人を赤坂の家にたずねると、老人は日あたりのいい庭にむかって新聞をよんでいた。その新聞には書画を種の大詐欺の記事がかかげてあって、京浜は勿論、関西九州方面にわたってその被害高は数万円にのぼったと書いてあった。老人は嘆息しながら云った。
「だんだん世の中が進むにつれて、万事が大仕掛けになりますね。それを思うとまったく昔の悪党は小さなもので、今とは較べものになりません。なにしろ十両以上の金高になれば首が飛ぶという時代ですから、悪い奴も自然こそこそが多かったんですね。それでも又、その時代相応に悪知恵をめぐらす奴があるので、やっぱり油断は出来ないことになっていました。それがまた勘違いの種にもなって、あとでおやおやというようなこともありました」
元治元年九月の末であった。秋晴れのうららかな日の朝、四ツ(午前十時)をすこし過ぎたころに、ひとりの男が京橋東仲通りの伊藤という道具屋の店さきに立った。ここは道具屋といっても、二足三文《にそくさんもん》のがらくたを列《なら》べているのではない。大名旗本や大町人のところに出入り場を持っていて、箱書付きや折紙付きというような高価な代物をたくさんにたくわえているのであった。
男はひとりの若い供をつれていた。かれは三十五六の人品のよい男で、町人でもなく、さりとて普通の武家でもないらしい。寺侍にしては上品すぎる。あるいは観世《かんぜ》とか金剛《こんごう》とかいうような能役者ではないかと、店の主人の孫十郎は鑑定していると、男は果たして店の片隅にかけてある生成《なまなり》の古い仮面《めん》に眼をつけた。それは一種の般若《はんにゃ》のような仮面である。かれは眼も放さずにその仮面を見つめていたが、やがて店のなかへ一と足ふみ込んで、そこにいる小僧の豊吉に声をかけた。
「あの面をちょいと見せて貰いたい」
「はい、はい」と、豊吉はすぐに起ってその仮面をおろして来た。
客の筋がわるくないとみて、孫十郎も起って出た。
「どうぞおかけ下さい。豊吉、お茶をあげろ」
男は仮面を手にとって、又しばらく眺めていた。よほど感に入ったらしい顔色である。ことし五十を二つ三つ越えて商売馴れている孫十郎は早くもそれを看《み》て取った。
「それはなかなか古いものでございます。作は判りませんが、やはり出目《でめ》あたりの筋でございましょうかと存じます」
「出目ではない」と、男はひとり言のように云った。「しかし同じ時代のものらしい。して、この価《あたい》はどれほどかな」
「どうもちっとお高いのでございますが、お懸け引きのないところが二十五両で……」
男は別におどろいたような顔もしなかった。たとえそれが越前国の住人大野出目の名作でなくとも、これほどの仮面が二十五両というのは決して高くない。むしろ廉《やす》過ぎるくらいであるので、かれは少し疑うような眼をして、更にその仮面をうちかえして眺めていたが、やがてそれを下に置いて、小僧が汲んで来た茶をのみながら云った。
「では、二十五両でいいな」
「はい」と、孫十郎はかしらを下げた。
「ところで、御亭主。わたしは通りがかりでそれだけの金を持っていないから、手付けに三両の金をおいて行く。どうだろうな」
それは珍らしいことではないので、孫十郎はすぐに承知した。約束がきまって、男は三両の金を渡したので、孫十郎は仮請取《かりうけとり》をかいて渡した。帰るときに、男は念を押して云った。
「それでは明日の今時分にくる。云うまでもないことだが、余人に売ってくれるなよ」
売り買いの約束が出来て、すでに手付けの金を受け取った以上、もちろん他に売ろう筈はないので、孫十郎はその客のうしろ姿を見送ると、すぐに豊吉に云いつけて、その仮面を取りはずさせた。それから一刻《いっとき》あまりを過ぎて、孫十郎が奥で午飯《ひるめし》をくっていると、小僧が店からはいって来た。
「旦那に逢いたいと云って、立派なお武家がみえました」
「どなただ」
「初めてのお方のようでございます」
「店へお上げ申して、お茶をあげて置け」
早々に飯をくってしまって、孫十郎は店へ出てゆくと、今度の客は羽織袴、大小のこしらえで、二十二三の立派な武士であった。かれは店へあがって、客火鉢のまえに坐っていた。
「わたくしが亭主の孫十郎でございます。お待たせ申しました」
挨拶のすむのを待ち兼ねたように、武士は店の隅へ眼をやりながら訊《き》いた。
「早速だが、きのうまであすこにかかっていた生成《なまなり》の仮面、あれはどうしたな」
「あれはけさほど御約束が出来ました」
武士の顔色は俄かに陰った。
「あ、それは残念。して、その買い手は何処のなんという人だ」
孫十郎から詳しい話をきかされて、若い武士はいよいよ顔色を暗くした。かれはひどく困ったようにしばらく考えていたが、やがて小声で云い出した。
「近ごろ無理な相談ではあるが、どうであろう、その買い手の方をなんとか破談にしてくれるわけには行くまいか」
「そうでございますな」と、孫十郎も当惑の額《ひたい》をなでた。「なにぶんにも、もう手金《てきん》まで頂戴して居りますので……」
「それは判っている。当方の無理も万々承知しているが、そこをなんとか取り計らってはくれまいか」
いくら相手が侍でも、無理はどこまでも無理に相違ないので、孫十郎も容易に承知しかねて、いつまでも渋っていると、武士は更に声をひそめて云い出した。自分がこういう無理を頼むのは、まことによんどころない事情がある。屋敷の名は明らかに云うわけには行かないが、自分は西国《さいこく》の或る藩中に勤めている者で、あの生成の仮面は主人の屋敷で当夏|虫干《むしぼし》のみぎりに紛失したものである。それを表向きに詮議する事の出来ないというのは、その仮面は屋敷の御先祖が権現様から直々《じきじき》に拝領の品で、それを迂濶に紛失させたなどとあっては、公儀へのきこえも宜しくない。そういうわけで、屋敷の方でも他聞を憚《はばか》って、飽くまでも秘密に穿鑿《せんさく》しているのである。それを自分がきのう測《はか》らずもここの店で見つけた。見つけてすぐに掛け合えばよかったのであるが、ほかに用向きをかかえていたので、そのままに見過ごしてしまった。それが自分の重々不覚で、今さら後悔のほかはない。ゆうべは遅く帰ったので、けさ改めて重役方にそのことを申し立てると、自分はひどく叱られた。
大切な御品を発見した以上、何事を差しおいても其れを取り戻す工夫をしなければならないのに、うかうか見過ごしてしまうとは余りの手ぬかりである。寸善尺魔《すんぜんしゃくま》の譬《たと》えで、万一きのうのうちに他人の手に渡ってしまったらどうするか。持ち合わせの金がなければ、相当の手付けを置いてくるか、万やむを得なければ屋敷の名をあかしても店の者に持たせてくるか、なんとか臨機の処置を取るべき筈であるのに、そのままに見過ごすとは何事であるかと、自分は重役方からさんざんに叱られた。そう云われると、まったく一言もない。それでもきのうのきょうである。殊に余の品とも違って、めったに売れそうもないものであるから、おそらく無事であることと多寡をくくって、唯今かさねて来てみると、間《ま》の悪いときは悪いもので、その仮面はひと足ちがいで他人《ひと》に買われてしまった。さてこうなると、どうしていいか判らない。今さら歯咬みをしても、地団太《じだんだ》をふんでも、取り返しの付かないことになった。
「手前が重々の不調法《ぶちょうほう》、その申し訳には腹を切るよりほかはござらぬ」と、武士は蒼ざめたひたいに太い皺を織り込ませて、唸るように溜息をついた。
孫十郎もいよいよ当惑した。理窟をいえば、勿論この若侍の不念《ぶねん》に相違ない。重役たちの云う通り、それほど大切な詮議の宝を見つけたならば、なにを措《お》いても買い戻しの手だてをめぐらすべきであった。それを怠って、今さら悔むのは不覚である。しかしその不覚は不覚として、この侍の身になってかんがえると、まったく途方にくれることであろう。申し訳の切腹もあるいは是非ないかも知れない。まさかにこの店さきを借用するとも云うまいが、老い先のながい侍ひとりが、腹を切るというのを唯眺めているわけにも行かない、どうも困ったことが起ったと思うと同時に、一種の商売気が彼の胸にうかんだ。
「そういう仔細をうかがいますると、まことにお気の毒に存じられますが、くどくも申す通り、もはや先約がござりますので……。手金まで頂戴いたして置きながら、今さら破談と申すのは商売冥利、はなはだ難儀でござりますが、ともかくも明日|先様《さきさま》がおいでになりましたら、一応は御相談いたしてみましょうか」
「そうしてくれれば何よりだが……」と、武士は縋《すが》るように云った。「手金を戻しただけで、先方が素直に納得してくれればよし、万一不得心のようであったならば、手金の二倍増し、三倍増しでも……。掛け合いの模様によっては、十倍増しでも苦しくない。なんとか纏まるように相談してくれ。唯今も申す通りの仔細であれば、当方では金銭に糸目はつけぬ。なるべくは屋敷の名を出したくないと存ずるが、どうでも貴公の手にあまって、手前の直談《じきだん》でなければ埒《らち》があかぬようならば、手前がその人に会ってもよい。いずれにしても、なにぶん一つ働いて貰いたい」
「かしこまりました。せいぜい働いてみましょう」
武士はすこし顔の色を直して、ふところから五十両の金を出した。
「ともかくもこれだけ預けて置いて、あとは明日持参いたすが、あの仮面は手前の方へ譲ってくれるな」
「足もとを見てお高いことを申し上げるわけにもまいりませぬ。けさほどのお客様には百五十両にねがいましたのでございますから、やはりそのお値段でお願い申しとう存じます」
「承知いたした。では、くれぐれも頼む」
かたく約束して、武士は帰った。伊藤の店には二人の手代がいるが、どちらも得意先へ出廻った留守であったので、この掛け合いは主人ひとりの胸に納めて、誰にもそれを洩らさなかった。
日の暮れる頃に、けさの客がまた出直して来た。
「あしたという約束であったが、金春新道《こんぱるじんみち》の方まで来る用が出来たので、足ついでに廻って来た。残金二十二両、あらためて受け取ってくれ」
と、かれは孫十郎の前に金をならべた。
「就きましては、少々御相談いたしたいことが出来たのでございますが、店さきでお話もなりませぬ。お手間は取らせませんから、ちょっと二階までお通りをねがいます」
不思議そうな顔をしている客を、無理に二階へひきあげて、もう時分どきであるというので、孫十郎は近所の料理屋から酒肴を取り寄せてすすめた。そうして、かの仮面の一条をうちあけると、客はなかなか承知しなかった。これが唯の道楽であるならば、他にゆずり渡しても仔細ないが、自分は金春のお能役者で、芸道の上からかの仮面を手に入れたいと思うのであるから、折角ではあるが今さら手放すことは出来ないと云い切った。
それにも一応の理窟はあるので、孫十郎も当惑した。いろいろに押し返して口説《くど》いてみたが、客はかれの云うことを十分に信用しないらしく、屋敷の宝が紛失したの、侍が腹を切るのというのは、体《てい》のいいこしらえ事で、ほかに良い客をみつけた為に、そんな口実を作って自分の方を破談にする積りであろうと疑っているらしくみえた。彼はその武家に一度逢わせてくれとも云った。
逢わせてもいいのであるが、一方へ二十五両で売る筈であった仮面を、今度は百五十両に売り込もうとするのであるから、前後の買い手に対談させて、万一その秘密が発覚しては妙でないと思うので、孫十郎はなるべく両方を突きあわせたくなかった。かれは強《し》いてその客に酒をすすめて、だんだんに酔いのまわるのを待って、更にいろいろ口説き落して、とうとう手金の幾倍増しで破談というところまで漕ぎつけた。
それは孫十郎も最初から覚悟していたのであるが、客は手付け金三両の二倍や三倍では肯《き》かなかった。これを破談にする以上は、どうしても百両よこせと云い出した。酔っての上の冗談ではなく、彼は真剣にそう云うらしいので、孫十郎も面喰らった。勿論、その云うがままに百両の違約金を出しても、かの武士からは五十両の金をうけとっている。その上にかの仮面を百五十両に売り込めば、差引き百両の儲けは見られる。この能役者に売ったのでは、丸取りにしても二十五両にしかならない。そこらの胸算用をしてかかると、たとい法外の違約金を取られても、破談にした方が大きな得《とく》であると、例の商売気が勝を占めて、孫十郎は更に根気よく押し問答の末に七十五両というところで相談がようやく折り合った。武士から受け取った五十両と、能役者から受け取った三両と、それに孫十郎のふところから出た二十二両の金を加えて、相手の眼のまえに並べると、かれはまだ不承知を云った。このなかの三両はもともと自分のものであるから、それを除いて別に七十五両の金を貰いたいというのである。この場合、二両や三両の金を惜しんでもいられないので、孫十郎は先《ま》ず三両の手付け金を返して、更にかの五十両に二十五両をそえて出すと、相手は初めて納得した。かれは振舞い酒をしたたかに飲んで、いい心持そうに帰った。
「忌々《いまいま》しい奴だ。能役者の道楽者には質《たち》のよくないのがあって困る」と、孫十郎は肚《はら》のなかで罵った。
そうは云っても、悪くない商《あきな》いである。一旦は損をしたようでも、差引き百二十五両の儲けをみることになるので、孫十郎はやはり俺の運が向いて来たのだと窃《ひそ》かにほほえんでいると、そのあくる日になっても、かの武士は姿をみせなかった。二日、三日、四日と待ち暮らしても、彼からは何のたよりもなかった。まさかに腹を切った訳でもあるまい。かれが切腹したとしても、かの仮面がここの店にあることを知っている以上、誰かが代って受け取りにくる筈である。孫十郎は首を長くして毎日待ちわびていたが、どこからもそれらしい人は来なかった。もしや店の名を忘れたのではあるまいかと、孫十郎は再びかの仮面をとり出して、店さきの最も見易いところに懸けて置かせたが、それに引き寄せられて来る者はなかった。十日をすぎ、半月を過ぎて、孫十郎はまた罵った。
「畜生……。一杯食わせやがった」
前の能役者と武士とは同類で、あらかじめ申し合わせてこの狂言をかいたのであろう。なまじいに商売気を出したのと、かの武士の愁嘆に同情したのとで、自分は二十五両という金をやみやみ騙《かた》り取られたのである。こう気がつくと、孫十郎は白髪《しらが》が一本ずつ逆立つように口惜しがって憤ったが、今更どうすることもできなかった。殊にこの事件は最初から自分ひとりで応待したのであるから、誰を責めるわけにも行かなかった。
商売のわずらいと一旦はあきらめても、彼はやはり諦め切れなかった。かれはその後幾日か考えつめた末に、神田の半七のところへ駈け込んだ。
「なに、その罪人はすぐに知れましたよ」と、半七老人は云った。「しかし少々勘違いであったのは、前の能役者と後の若侍と、なんにも係り合いのないことでした。誰が考えてもこのふたりは狎《な》れ合いだと思われましょう。現に伊藤の亭主も一途《いちず》にそう思い込んでいましたし、わたくしも先ずそうだろうと鑑定していました。ところが大違いだからおかしい。能役者の方は金春《こんぱる》の弟の繁二郎という男で始末におえない道楽者ではあるが、商売柄だけにさすがに眼がきいているので、上作の仮面を見つけ出して、ある大名屋敷へ売り込んで大金儲けをしようと思った。ところがその目算《もくさん》がはずれて売り主の方から破談を云い出された。その事情を聴いてみると、どうしても忌だとも云えない。さりとて、折角の金儲けを水にしてしまうのも口惜しい。そこで伊藤の亭主の足もとへ付け込んで、百両よこせなどと大きく吹っかけて、とうとう七十五両をまきあげて行ったというわけで、別にゆすりとか騙《かた》りとかいう悪名《あくみょう》をきせることも出来ないのです。それから一方の侍は何者かというと、これも偽名ではなく、まったく西国の藩中の根井浅五郎という人で、正直に仮面をさがしに来たのです。しかし前にも云った通り、年のわかい手ぬかりから重役達に先ず叱られ、それからすぐに出てくると、仮面はもう人手に渡っているという始末。ともかくも一方の破談をたのんで置いて、屋敷へ帰って報告をすると、それだから云わぬことか、お手前重々の不念《ぶねん》であるといって、重役たちから又もや手ひどく叱られたので、浅五郎もいよいよ恐縮してしまったのです。そこで、その翌日、百五十両の金を受け取って、屋敷から伊藤の店へ行く途中で、そこが若い人間、ふっと気が変った。というのは、たといその仮面を無事に取り戻して来たとしても、一度ならず二度までも重役たちに厳しく叱られている以上、なにかの咎めを受けるかも知れない。あるいは国詰めを云い付けられて藩地へ追い返されるかも知れない。そんなわけで藩地へ帰れば、親類には面目ない、友だちには笑われる。いっそ此の百五十両を持って逐電《ちくてん》してしまった方がましかも知れないと途中でいろいろ考えた挙げ句に、とうとう伊藤へも行かず、もちろん屋敷へもかえらず、そのまま姿をかくしてしまったのです。若いとは云いながら無分別、自分から求めて日かげ者になって、その足で京へのぼって、しるべの人をたよって何とか身の振り方をつける積りであったそうですが、やっぱり江戸に未練があって、神奈川からまた引っ返して来て、目黒の在にかくれていたところを訳も無しに召し捕りました」
「どうして、その目黒に忍んでいることが知れたんです」と、わたしは訊《き》いた。
「なにしろ若い人間ですし、いくらか自棄《やけ》が手伝ったんでしょう。目黒から毎晩のように品川へ遊びに行って、金づかいの暴《あら》っぽいところから足が付きました。屋敷者なんぞがちっと暴い銭をつかえば、すぐに眼をつけられますよ」
それにしても、まだ判らないのは、かれが逐電の後、その屋敷ではなぜ彼《か》の仮面の詮議をそのままにして置いたのか、なぜ代理の者を出して伊藤の店から買い戻さなかったのか。それに就いて、老人はこう説明した。
「それがおかしいんです。その屋敷では浅五郎の云うことを一途に信じて、あわててその仮面を取り戻そうとしたんですが、浅五郎の逐電から疑いを起して、今度は眼のきいている者を掛け合いによこすと、伊藤の店さきには麗々しくその仮面がかけてある。よく視ると、それはなるほど上作には相違ないが、屋敷にあった由緒付きの仮面とは違うので、この上は掛け合いも無用と、そのまま帰ってしまったのだそうです。まったく馬鹿な話で、伊藤がひとり貧乏くじをひいたわけです」
「すると、ほんとうの仮面というのは知れずじまいですか」と、わたしは又|訊《き》いた。
「知れなかったようです」と、老人は答えた。「それとも其の後どこかで見付けたかも知れませんが、万事が秘密主義の時代ですから、それに係り合った者でなければ判りませんよ」
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柳原堤の女
一
なにかの話から、神田の柳原の噂が出たときに、老人はこう語った。
「やなぎ原の堤《どて》が切りくずされたのは明治七、八年の頃だと思います。今でも柳原河岸の名は残っていて、神田川の岸には型ばかりの柳が植えてあるようですが、江戸時代には筋違《すじかい》橋から浅草橋までおよそ十町のあいだに高い堤が続いていて、それには大きい柳が植え付けてありましたから、春さきの眺めはなかなかよかったものです。柳原の柳はなくなる、向島の桜はだんだん影がうすくなる、文明開化の東京はどうも殺風景になり過ぎたようですね。いや、むかし者の愚痴ばかりでなく、これはまったくのことですよ。今のお若い方はおそらく御承知ないでしょうが、あの堤に清水山《しみずやま》という小さい岡のようなものがありました。場所は筋違橋と柳の森神社とのあいだで、神田川の方にむかった岡の裾に一つの洞穴《ほらあな》があって、その穴から絶えず清水をふき出すので、清水山という名が出来たのだそうです。それだけのことならば別に仔細はないのですが、むかしからの云いならわしで、この清水山にはいろいろの怪異《かいい》があって、迂濶にはいると禍いがあるということになっているので、長い堤のあいだでも、ここだけは誰も近寄るものがない。一体この堤の草は近所の大名屋敷や旗本屋敷で飼馬《かいば》の料に刈り取ることになっていまして、筋違から和泉橋《いずみばし》のあたりは市橋|壱岐守《いきのかみ》と富田|帯刀《たてわき》の屋敷の者が刈りに来ていたんですが、そのあいだには例の清水山があるので、どっちも恐れて鎌を入れない。つまり筋違橋と和泉橋と両方の端から刈り込んで来て、まん中の清水山だけを残しておくので、わずか三間か四間のところですけれども、それだけは上から下まで、いつも高い草が茫々と生いしげっていて、気のせいか何だか物すごいように見える。そこに一つの事件が出来《しゅったい》したんです」
慶応初年の八月初めである。ここらで怪しい噂が立った。誰が云い出したのか知らないが、日がくれてから一人の女が、この柳原堤の清水山のあたりにあらわれるというのである。正面《まとも》にその女の顔をみた者もないが、どうも若い女であるらしい。旧暦のこの頃では夜はもう薄ら寒そうな白地の浴衣《ゆかた》をきて、手ぬぐいをかぶって、まぼろしのように姿をあらわすというだけのことで、その以上のことは何もわからないのであるが、場所が場所だけに、それだけの噂でも近所の女子供の弱い魂をおびやかすには十分であった。
「なに、夜鷹《よたか》だろう」
気の強いものは笑っていた。柳原通りの筋違から和泉橋にむかった南側には、むかしは武家屋敷が続いていたのであるが、その後に取り払われて町屋《まちや》となった。しかもその多くは床店《とこみせ》のようなもので、それらは日が暮れると店をしまって帰るので、あとは俄かにさびしくなって、人家の灯のかげもまばらになる。そのさびしいのを付け目にして、かの夜鷹という一種の淫売婦があらわれて来る。かれは手ぬぐいに顔をつつんで、あたかも幽霊のように柳の下蔭にたたずんでいるのである。それを見なれているここらの人達が、清水山付近に立ち迷う怪しい女のかげを、おそらく例の夜鷹であろうと判断するのも無理はなかった。
しかしそれがほんとうの夜鷹でないことは、夜鷹自身が其の女におびやかされたという事実によって証明された。本所《ほんじょう》の方から出て来るおたきという若い夜鷹は、ふた晩ほど其の女にすれ違ったが、なんとも云えない一種の物すごさを感じて、その以来は自分のかせぎ場所を換《か》える事にしたというのである。その女は決して自分たちの仲間ではないと、おたきは云った。また飯田町辺のある旗本屋敷の中間《ちゅうげん》は一杯機嫌でそこを通りかかって、白い手ぬぐいをかぶった女にゆき逢ったので、これも例の夜鷹であろうと早合点して、もし姐さんと戯《からか》い半分に声をかけると、女はだまって行き過ぎようとしたので、あとを追いかけて又呼びながら、しつこくその袂を捉えようすると、女はやはり黙って振り返った。白い手ぬぐいの下からあらわれた女の顔は青い鬼であったので、酔っている中間はぎょっとした。さすがにその場で気絶するほどでもなかったが、小半町ばかり夢中で逃げ出して、道ばたの小石につまずいて倒れたまま暫くは起きることも出来なかった。かれはその晩から大熱を発して苦しんだ。
こういう噂がそれからそれへと伝えられて、このごろ清水山のあたりにあらわれる女は夜鷹のたぐいではない、まったく何かの怪異に相違ないということになった。前にもいう通り、元来が一種の魔所のように恐れられている場所だけに、それが容易に諸人にも信じられて、近所の湯屋や髪結床では毎日その噂がくり返された。それに又いろいろの作り話も加わって、かの女は清水山の洞穴に年ひさしく棲む大蛇《だいじゃ》の精であるなどと、云いふらす者も出て来た。いや、大蛇ではない。堤に年ふる柳の精であるなどと、三十三間堂の浄瑠璃からでも思いついたようなことを、まざまざしく説明する者もあらわれて来た。
こんにちと違って、江戸時代に妖怪の探索などということはなかった。その妖怪がよほど特別の禍いをなさない限りは、いっさい不問に付しておくのが習いで、そのころの江戸市中には化け物が出ると云い伝えられている場所はたくさんあった。現に牛込矢来下の酒井の屋敷の横手には樅《もみ》の大樹の並木があって、そこには種々の化け物が出る。化け物がみたければ矢来の樅並木へゆけと云われたくらいであるが、誰もそれを探索に行ったという話もきこえない。町奉行所でも人間の取締りはするが、化け物の取締りは自分たちの責任でないというのであろう、ただの一度も妖怪退治や妖怪探索に着手したことはないらしく、かれらの跋扈跳梁《ばっこちょうりょう》に任かしておいた形がある。したがって、今度の柳原一件に対しても、町奉行所では何ら取締りの方法を取ろうとはしなかったので、その噂は日ましに広がって行くばかりであった。
神田岩井|町《ちょう》の山卯《やまう》という材木屋の雇い人に喜平という若者があった。両国の野天講釈や祭文《さいもん》で聞きおぼえた宮本|無三四《むさし》や岩見重太郎や、それらの武勇譚が彼の若い血を燃やして、清水山の妖怪探索を思い立たせた。しかし自分ひとりではさすがに不安でもあるので、喜平は自分の店へ出入りの銀蔵という木挽《こびき》の職人を味方にひき込もうとすると、銀蔵も年が若いので面白半分に同意した。二人の勇士は九月なかばの陰《くも》った日に、石町《こくちょう》の暮れ六ツの鐘を聞きながら、岩井町から遠くもない柳原堤へ出かけて行った。
「旗本屋敷の中間《ちゅうげん》は臆病だからよ。青鬼なんぞがあるものか。その女はきっと仮面《めん》をかぶっているんだぜ」と、銀蔵はあるきながら云った。
「そうかも知れねえ」と、喜平も笑った。
これは誰でも考えそうなことで、現にその時もそんな説を唱える者もあったのである。しかしそれが中ごろから青い鬼ではなく実は青い蛇であったように伝えられて、それから大蛇の精などという噂も生み出されたのであった。そういうわけで、銀蔵は清水山の怪異が果たして真の妖怪であるや否やを疑っている一人であった。おなじように調子をあわせていながらも、喜平はあくまでもそれを一種の怪物であると信じていた。
二人はめいめいに違った心持をいだいて、同じ目的地に到着した頃には、秋の日はすっかり暮れ切っていた。その怪しい女があらわれるという時刻は一定していないのである。ある者は宵の口に見たといい、ある者は夜ふけに出逢ったというのであるから、その探索に出向いて来た以上、どうでも宵から夜なかまでここらに見張っていなければならないので、二人は堤の下を根《こん》よく往きつ戻りつして、かの女のあらわれて来るのを今か今かと待ちうけていた。
宵を過ぎると、柳原の通りにも往来の人影はだんだん薄くなった。例の夜鷹の群れも妖怪のうわさに恐れて、この頃は和泉橋よりも東の堤寄りに巣を換えてしまったので、二人はからかっている相手もなかった。喜平ほどの熱心家でもない銀蔵はすこし退屈して来たところへ、五ツ(午後八時)を過ぎる頃から細かい雨がほろほろと落ちて来た。
「あ、降って来た。こりゃあいけねえ」と、銀蔵は空をあおいだ。
この企ては今夜に限ったことでもない。近所のことであるから、あしたの晩また出直そうではないかと、かれは丁度幸いのように云い出した。
「なに、たいしたこともあるまい。折角出かけて来たもんだから、もう少し我慢してみようじゃあないか。強く降って来たら、駈け出して帰る分《ぶん》のことだ」
喜平は強情に主張するので、銀蔵は渋々ながら附き合っていると、雨はさのみ強く降らないで、やがて大銀杏《おおいちょう》のこずえに月がぼんやりと顔を出した。
「それ見ねえ。すぐ止んだ」
「だが、いやに薄ら寒くなって来たな」と、銀蔵は肩をすくめた。「夜が更《ふ》けると往来なかはやりきれねえ。そこらの軒下に行こうじゃねえか」
ふたりは大通りを横切って、戸をおろしてある床店の暗い軒下にはいろうとすると、店と店とのあいだから一つの黒い影があらわれた。不意をくらって、ふたりは思わずためらっていると、その黒い影は静かに動き出した。それが彼《か》の女であるか、あるいは他人であるかと、喜平も銀蔵も息を殺してうかがっていた。
二
銀蔵は勿論、発頭人《ほっとうにん》の喜平とても、妖怪の正体を見とどけに出かけて来たものの、さてその妖怪に出逢ったらばどうするか。単にそのゆくえを突きとめるに止《とど》めてて置くのか、あるいはその正体を見あらわす必要上、腕ずくでもそれを取り押えるつもりか、それらについては最初からきまった覚悟をもっているのではなかった。勿論、その妖怪と闘うような武器も用意して来なかったのである。かれらはやはりほんとうの岩見重太郎や宮本無三四ではなかった。それでも一種の好奇心に駆られて、ふたりは今ここに突然あらわれた黒い影のあとをそっと尾《つ》けてゆくと、その影は往来のまん中でしばらく立ちどまった。
「白い浴衣《ゆかた》を着ていねえじゃねえか」と、銀蔵は小声でささやいた。
「そりゃあ九月だもの」と、喜平は云った。
「化け物なら時候によって着物を着換えやしめえ。こりゃあ違うだろう」と、銀蔵はまた云った。
「なにしろ、もうちっと正体を見とどけよう」
ふたりは薄月のひかりを頼りに、その黒い影のいかに動くかをうかがっていると、それは頬かむりをしている男であるらしいので、銀蔵はまた失望した。
「おい、男だぜ」
「まあ、いいから黙っていろ」
喜平は飽くまでも熱心にうかがっていると、その影は往来のまん中に立ちどまったかと思うと、又しずかに歩き出して、かの清水山の堤の裾に近寄った。それ見ろと、喜平は銀蔵にささやいて、猶《なお》もぬき足をしてそのあとを尾《つ》けようとする時、突然にどこからか大きな手のようなものが現われて、ふたりの横っ面を眼がくらむほどに強く引っぱたいたので、あっと叫んで銀蔵は倒れた。喜平は顔をかかえて立ちすくんだ。やがて気がついて見まわすと、かの黒い影はどこへか消えていた。大きな手の持ち主は勿論わからなかった。
「畜生」と、ふたりは同時に罵《ののし》った。
しかしこれで妖怪の正体は大抵わかったように思われた。黒い影は妖怪ではない。普通の人間であるらしい。なにかの秘密があって、その一人が清水山へ忍んで行くところを、喜平らが見つけてそのあとをつけたので、ほかの仲間がどこからか現われて来て、不意に彼らふたりを撲《なぐ》りつけたのであろう。こう考えて来ると喜平らは急に腹立たしくもなった。
「奴らはきっと泥つくだぜ」と、銀蔵は着物の泥をはたきながら云った。「さもなけりゃあ博奕《ばくち》打ちだ」
清水山が魔所と恐れられているのを幸いに、一団の賊がそこを隠れ家にしているのか。あるいは博奕打ちの仲間がそこに入り込んで、ひそかに賭場を開いているのか。二つに一つであろうと彼らが判断したのも無理はなかった。
「そう判ったら構うことはねえ。押し掛けて行ってやろうじゃねえか」と、喜平はなぐられた頬を撫でながらいきまいた。
「むむ、だが、向うが大勢だと剣呑《けんのん》だぜ」
銀蔵はまた二の足を踏んだ。かれらの仲間が二人いることは確かである。まだそのほかにも幾人かの仲間が潜んでいるかも知れない。そこへ自分たちふたりが空手《からて》でうかうかと踏み込むのは危険であるまいかと、かれは云った。それを聞いて、喜平もすこし不安になって来た。こうなると化け物よりも人間の方が却っておそろしくなる。泥坊にしろ、博奕打ちにしろ、相手が大勢で袋叩きにでもされるか、あるい後日《ごにち》の難儀を恐れて、その口をふさぐために息の根を止められるようなことが無いとも限らない。なぐられ損で忌々《いまいま》しいとは思いながらも、かれは銀蔵にうながされて、すごすごと此処を引き揚げることになった。
店へ帰って、その晩は無事に寝たが、喜平はくやしくてならなかった。化け物ならば格別、どうも人間らしい奴の大きい手で、眼から火の出るほどに撲り付けられたことが忌々《いまいま》しくて堪まらなかった。かれは明くる日の午過ぎに、裏手の材木置場に出てゆくと、そこには切組みをしている五、六人の大工が食やすみの煙草を吸っていた。おなじ店の若い者や、河岸《かし》の荷あげの軽子《かるこ》なども四、五人打ちまじって、何か賑やかにしゃべっていた。喜平もその群れにはいって、ゆうべの失敗《しくじり》ばなしをはじめた。
「おらあくやしくってならなかったが、銀の奴が弱いもんだからとうとう詰まらなく引き揚げて来てしまった。なんとか意趣がえしのしようはあるめえかしら」
大勢は好奇の眼をかがやかして、息もつかずにその話を聞きすましていたが、そのなかでも勝次郎という若い大工はそれに特別の興味をもったらしく、ひたいの鉢巻をしめ直しながら云った。
「おい、喜平さん。まったくそのままで済ませるのは詰まらねえ。今夜わたしが一緒に行こう」
「おまえが行ってくれるか」
「むむ、行こう。中途で引っ返して来ちゃあいけねえ。なんでも強情に正体を見とどけて来るんだ」
新らしい味方をみつけ出して、喜平は新らしい勇気が出た。
「じゃあ。勝さん。ほんとうに行くかえ」
「きっと行くよ。嘘は云わねえ」
その詞のまだ終らないうちに、二人のうしろに立てかけてあった大きい材木が不意にかれらの上に倒れて来た。それに頭を撃たれれば勿論、背中や腰を撃たれても定めて大怪我をするのであったが、さすがに商売であるだけに、喜平も勝次郎もあやういところで身をかわした。ほかの者もおどろいて一度に飛び退《の》いた。
「どうしてこの丸太が倒れたろう」
人々は顔を見あわせた。しかもその材木が偶然かも知れないが、あたかも今夜ふたたび清水山へ探索にゆこうと相談している二人の上に倒れかかって来たということが、大勢の胸に云い知れない恐怖を感じさせた。今まで強がっていた勝次郎の顔は俄かに蒼くなった。喜平もしばらく黙っていた。
「さあ、そろそろ仕事に取りかかろうか」と、そのなかで一番年上の大工は煙管《きせる》をしまい始めた。
「喜平さんも勝公も、まあ、詰まらねえ相談は止した方がいいぜ」
どの人もそれぎり黙って、めいめいの仕事にとりかかった。夕方に仕事をしまって大工たちがみな帰ったときに、勝次郎も消えるように姿を隠した。また出直して来るのかと、喜平はいつまでも待っていたが、勝次郎は夜のふけるまで姿をみせなかった。材木の倒れて来たのにおびやかされたか、または他の大工に意見されたか、それらのことで彼は俄かに変心したらしく思われた。あいつもやっぱり弱い奴だと、喜平はひそかに舌打ちしたが、さりとて自分もひとりで踏み出すほどの勇気はないので、その晩は残念ながらおとなしく寝てしまった。
あくる日、仕事場で勝次郎に逢うと、かれは喜平にむかって頻りに違約の云い訳をしていた。家へ帰って夕飯を食って、それから出直して来ようと思っていると、あいにく相長屋に急病人が出来たので、その方にかかり合っていて、いつか夜が明けてしまったと、彼はきまり悪そうに説明していたが、喜平はそれを信用しなかった。
「そこで、お前は今夜も行くのかえ」と、勝次郎は訊《き》いた。
「いや、もう止そうよ。また丸太が倒れて来ると怖いからな」と、喜平は皮肉らしく云った。
勝次郎は黙っていた。
喜平はもう彼を見かぎっていた。一時の付け元気で一緒に行こうなどと云ったものの、かれは確かに中途で変心したに相違ない。そんな弱虫はこっちでも頼まないと、喜平は腹の底でかれの臆病をあざけり笑っていた。その日のひる過ぎにかの木挽の銀蔵が来たので、喜平はもう一度かれを道連れにしようと誘いかけてみたが、銀蔵もなんだかあいまいな返事をしているばかりで、いつの間にかふいと立ち去ってしまった。
銀蔵といい、勝次郎といい、所詮《しょせん》自分の道連れにはなりそうもないので、喜平も一旦はあきらめたが、まだどうもほんとうに思い切れなかった。しかし自分ひとりで踏み込むのは何分にも不安であるのと、もう一つには、なにかの場合に自分ひとりの云うことでは他人《ひと》が信用してくれない虞《おそ》れがあるのとで、どうしても証人として誰かを連れてゆかねばならない。その味方を見つけ出すのに喜平は苦しんだ。
「誰かないかな」
かれは強情にかんがえた末に、同町内の和泉という建具屋の若い職人を誘い出すことにした。職人は茂八といって、ことしの夏は根津神社の境内まで素人相撲をとりに行った男である。かれは喜平の相談をうけて、一も二もなく承知した。
「そういうことなら早くおれに相談してくれればいいのに……。実はおれもやってみようかと思っていたところだ」
案外に話が早く纏まって、二人が柳原へ出かけたのは、最初の晩から四日目の暮れ六ツ過ぎであったが、このごろの日足《ひあし》はめっきり詰まったので、あたりはもう真っ暗な夜の景色になっていた。今夜は二人とも武器を用意して、茂八は商売用の小さい鑿《のみ》をふところに呑んでいた。喜平も小刀をかくし持っていた。
宵闇ではあったが、今夜の大空には無数の星がきらめいていた。その星あかりの下に、この頃はもう散りはじめた堤の柳が夜風に乱れなびいているのも、素袷《すあわせ》のふたりを肌寒くさせた。五ツ(午後八時)を過ぎ、四ツ(午後十時)を過ぎても、今夜はそこに何の不思議も見いださないので、かれらは少し退屈して来た。
「どうだい、いっそ山のなかへ這入ってみようか」と、茂八は云い出した。
「はいろうか」
ふたりは思い切って、この暗い夜の清水山へ踏み込むことになった。もとより深い山ではないが、前にも云ったような事情で久しく鎌を入れたことがないので、ここには灌木や秋草が一面に生い茂って、闇の底から白い薄《すすき》の穂が浮き出したように揺らめいているのも、場所が場所だけになんとなく薄気味悪くも思われた。二人は着物の裾をからげて、用意の武器をとり出して、息を殺してその薄のなかを掻きわけて行くと、その響きにおどろかされたのか、忽ちがさがさという音がして、一匹の獣《けもの》のようなものが草の奥から飛び出して来たので、喜平も茂八もぎょっとして立ちすくんだ。
三
「おい、何か出たぜ」
ふたりは小声でたがいに注意した。
なにぶんにも草が深いので、今だしぬけにあらわれて来た獣《けもの》の正体を、星明かりぐらいではとてもはっきりと見定めることは出来なかったが、それは何だか狐の大きいようなものであるらしかった。その動作は非常に活溌で、ふたりに向ってまっしぐらに飛びかかって来たので、喜平も茂八も狼狽した。
ふたりは手に武器を持っていたが、鑿や小刀のような小さい刃物では、足もとへ低く飛び込んで来る敵を撃ちはらうには甚だ不便であった。殊に相手の正体がわからないので、ふたりは一種の恐怖に襲われて、茂八はふだんの力自慢にも似あわずに、まず引っ返して逃げ出した。その臆病風に誘われて、喜平もつづいて逃げた。堤をころげ降りて往来へ出ると、敵はそこまでは追って来ないらしいので、ふたりは立ちどまって顔をみあわせた。
「狐だろうか」と、茂八はあとを見かえりながら一と息ついた。
「狐にしちゃあ大き過ぎるようだ」と、喜平は首をひねった。
「それじゃあ鼬《いたち》かしら」
「それとも河岸の方から河獺《かわうそ》でもまぎれ込んで来たんじゃないかな」
狐か鼬か河獺か。ふたりは往来に立ってその評定《ひょうじょう》にしばらく時を移したが、なにぶんにも暗い中の出来事で相手のすがたを見とどけていないのであるから、いつまで論じあっていても決着のつく筈がなかった。喜平はもう一度引っ返して、その正体を見とどけようかとも云ったが、茂八は少し躊躇した。それが果たして狐か鼬ならば、さのみ恐れるほどのこともないが、万一それが清水山に年ひさしく住む一種の怪獣であるとすると、迂濶に立ち向ってどんなおそろしい禍いを受けるようなことがないとも限らない。なにしろ今夜のような暗やみではどうすることも出来ないから、明るい時にまた出直して来ようというのである。そう云われると、喜平も勇気をくじかれて、とうとう今夜も空しく引き揚げることになった。
銀蔵といい、茂八といい、味方は揃いも揃って口ほどにもない弱虫であるのが、喜平には腹立たしく思われてならなかった。さりとて自分ひとりで実行するほどの勇気もないので、更に頼もしい味方を新らしく見つけ出そうと考えているうちに、かの茂八が尾鰭《おひれ》をそえて大袈裟に吹聴《ふいちょう》したとみえて、柳原の清水山には怪獣が棲んでいるという噂がたちまち近所にひろまった。銀蔵も何かしゃべったらしい。仕事場で喜平の話をきいた大工や軽子どもも世間に吹聴したらしい。それやこれやが八方に伝わって、初めの夜には喜平と銀蔵が大入道に襟首をつかんで投げ出され、その後の夜には喜平と銀蔵が九尾《きゅうび》の狐に食われかかったなどと、途方もないことを見て来たように云い触らす者も出来た。
それが主人の耳にはいって、茂八は和泉屋の主人から叱られた。とりわけて喜平はその発頭人《ほっとうにん》であるというので、山卯の主人や番頭からきびしく叱られた。何かのことにかかりあって、詰まらない噂を立てられるのを、その時代の人はひどく嫌っていたので、喜平は銭湯《せんとう》へゆくほかには、日が暮れてから外出することを当分さし止められてしまった。かれらに代って、大入道や九尾の狐の正体を見とどけに出かけてゆく勇士もあらわれなかった。
問題の白い浴衣も寒空にむかっては姿をあらわさないとみえて、その方の噂はだんだんに消えて行ったが、喜平らによって新らしく生み出された大入道と九尾の狐の噂は容易に消滅しないばかりか、それを瓦版にして売りあるく者さえ出来たので、八丁堀同心らももう棄てておかれなくなった。前にも云ったようなわけで、町奉行所では大入道や九尾の狐を問題にはしなかったが、八丁堀の人々はともかくも一応は念のために、その噂の実否を取り調べておく必要をみとめた。場所が神田にあるので、三河町の半七が八丁堀の猪上《いがみ》金太夫の屋敷へ呼ばれた。
「半七。お前の縄張り内に大入道と九尾の狐が巣をつくっているそうだ。どうも大変なことだな」と、金太夫は笑った。「あんまりばかばかしいと思うものの、世間を騒がせることはよくねえことだ。わざわざおまえが汗をかくほどの仕事でもあるめえが、縄張り内に起ったのがお前の不祥だ。誰か若い奴らでもやって、ひと通りは詮議させてくれ」
半七ほどの御用聞きに対して、いかに役目でもこんな仕事を直接に働けとは云いにくいので、子分の若い者どもに勤めさせろと云いつけたのである。それは半七も呑み込んでいるので、こころよく承知した。
「自分の鼻の先のことを御指図で恐れ入りました。実は若い奴らからそんな話を聞かないでもなかったのですが、ほかの御用に取りまぎれて居りまして……」
「いや、忙がしくなくっても、こんなべらぼうな仕事は立派な男の勤める役じゃあねえ」と、金太夫はまた笑った。「清水山というと大層らしいが、堤の幅にしてみたら多寡が三、四間、おそらく五間とはあるめえ。高さだって知れたもので足長島の人間ならば一とまたぎというくらいだ。そんなところに鬼が棲むか、蛇《じゃ》が棲むか、大抵はわかり切っているわけだが、昔から忌《いや》な噂のあるところだけに、世間の騒ぎは大きいのだろう。尤も江戸というところは油断は出来ねえ。灰吹《はいふき》からも大蛇《だいじゃ》が出るからな」
「ごもっともでございます」と、半七も笑った。「まったく油断は出来ません。では、早速に調べあげてまいります」
半七は家へ帰って、すぐ子分の幸次郎と善八を呼んだ。
「ほかじゃあねえが、清水山の一件だ。おれは馬鹿にしてかかっていたので、旦那の方から声をかけられてしまった。もう打っちゃっては置かれねえ。ひと通り調べてきてくれ。だが、おれの指図するまでは現場の方へはむやみに手をつけるなよ」
「あい。ようがす」
二人はすぐに出て行った。今までは初めから馬鹿にし切って、ほとんど問題にもしていなかったのであるが、さてそれが一つの仕事となると、半七の神経はだんだんに鋭くなって来て、なんだか子分共ばかりには任せておかれないような気にもなったので、かれも午過ぎから家を出た。それは喜平らが最後の探検から一と月あまりを過ぎた頃で、十月ももう末に近い薄陰りの日であった。
「なんだか時雨《しぐ》れて来そうだな」と、半七は低い大空を見あげながら歩き出した。
どこという的《あて》もないが、ともかくもその場所をよく見とどけて置く必要があるので、半七はまず柳原の堤の方へ足をむけた。
神田に多年住んでいて、ここらは眼をつぶっても歩かれるくらいによく知っているのではあるが、こういう問題が新らしく湧き出して来ると、やはり一応は念入りに調べてみなければならないので、半七は筋違《すじかい》から和泉橋の方をさして堤づたいにぶらぶらたどってゆくと、長い堤の果てから果てまでが二百何十本とかいう一列の柳は、このごろの霜や風にその葉をふるい尽くして、骨ばかりに痩せた姿をさびしく晒《さら》していた。清水山に近い大きい本には、一羽の烏《からす》が寒そうに鳴いているのを、半七は立ちどまって見あげた。
金太夫も云う通り、山というのは名ばかりで、足の長いものならばまたぎ越えられるぐらいの小さい高地で、全体の地坪から見ても三四十坪を過ぎまいと思われるのであるが、昔から奇怪な伝説の付き纏っているところだけに、生い茂った灌木のあいだには高い枯れ草がおおいかかって、どこから吹き寄せたとも知れない落葉がまたその上をうずめていた。気のせいか何となく物凄い場所ではあるが、これが山の手の奥とか、下町《したまち》でも場末のさびしい場所ともあることか、神田の柳原の大通りにむかっていて、うしろには神田川の流れを控えている。夜はともあれ、昼は往来の人影は絶えず、水にも上《のぼ》り下《くだ》りの船の浮かんでいない時はない。その繁華な土地のまん中に小さく盛り上がっているこの山が、一体どんな秘密をつつんでいるのか。この山にふみ込むと一種の怪異に出逢うなどと、一体誰が云い出したのか。まったくそんな例があるのか。半七は立ちどまったままで暫く考えていると、うしろから不意に声をかける者があった。
「親分さん。どちらへ」
気がついて見返ると、それは此の堤下に髪結床《かみゆいどこ》の店を出している甚五郎という男であった。甚五郎はもう四十を二つ三つも越えたらしい、顔に薄あばたのある男で、誰に対しても遠慮なしに冗談をいう愛嬌者として知られていた。その冗談が売り物になって、かれの店はいつも繁昌していた。
「やあ、親方。寒いね」と、半七も挨拶した。
「寒いにも何にも……。わたしはこの冬になって、もう三度も風邪《かぜ》をひきました。この分じゃあ今年は江戸から越後へ出かせぎに行くようになるかも知れませんぜ。おそろしい」
「世のなかは逆になったからな。やがてそうなるかも知れねえ」と、半七も笑った。「いや、恐ろしいといえば、この頃この山が物騒だというじゃあねえか」
「まったくおお物騒。馬鹿に世間がそうぞうしいので驚きますよ。山卯の若い衆が大宅太郎《おおやのたろう》を気どって出かけると、蝦蟆《がま》の妖術よりも恐ろしいのに出逢って、命からがら逃げて帰るという始末。御存知かも知れませんが、瓦版まで出ましたからね」
諸人が毎日寄りあつまる髪結床の亭主だけに、甚五郎は清水山の出来事については何から何までくわしく知っていた。勿論、例の冗談も幾らかまじっているらしかったが、その関係者の喜平、銀蔵、茂八のことから、大入道や九尾の狐の怪談まで、かれは半七に問われるままに一々説明した。
「主人や番頭に膏《あぶら》をとられたので、山卯の組はみんな引っ込んでしまったんですが、世間は広いもので、また新手が出て来ましたよ」
「今度は誰が出て来たんだ」と、半七はきいた。
「今度のは飯田|町《まち》の池崎さまの中間たちです」
池崎弥五郎は麹町の飯田町に屋敷をかまえている千二百石の旗本である。その中間のひとりがこの八月に清水山の下を通っている白い浴衣の女にからかって、青鬼のような顔をみせられて、気が遠くなって倒れた。その当時にも大部屋の中間どもが清水山探検に押し出そうとしたのであるが、余り騒ぎ立てるのもよくあるまいという部屋頭の意見で、一旦はそのままに鎮まったが、大入道や九尾の狐の噂がだんだんに高くなったので、彼等はもうたまらなくなった。かれらは五人連れで、きょうの午前《ひるまえ》にここへ押し出して来た。
「そりゃあちっとも知らなかった」と、半七はその話に耳を傾けた。「そうして、どうしたえ」
「なにしろ大部屋の連中ですからね、大きな犬を一匹連れて来たんです。人を化かす古狐がこの山に棲んでいるに相違ないから、犬を入れて狐狩をするというわけで……」
「そこで狐が出たかえ」
「狐は出ませんが、妙なものが出ましたよ」
甚五郎は顔をしかめてみせた。
四
自分がこれから手を着けようとするところへ、素人がむやみに踏み込んで荒らされては困ると、半七は肚《はら》のなかで舌打ちしながら聞いていたのであるが、池崎の屋敷の中間どもが何か妙なものを発見したという甚五郎の報告は、俄かにかれの興味をそそった。
「妙なものとはなんだえ。まさか人間の首でもあるめえ」
「首じゃあありませんが、まんざら首に縁のねえこともねえんで……」と、甚五郎は笑いながら答えた。「わたしは見たわけじゃありませんが、なんでも白木の箱が出たそうですよ。その犬がくわえ出して来たんです。箱は雨露《あめつゆ》にさらされているが、そんな古いものじゃ無さそうだということでした」
「犬が啣《くわ》えて来るくらいじゃあ大きなものではあるめえね」と、半七はきいた。
「それでも長さは小一尺ほどもある細長い箱で、はて何だろうとすぐに打ち毀《こわ》してみると、なかには藁人形……。それはまあ有りそうなことですが、ねえ、親分、凄いじゃあありませんか。藁人形には小さい蛇をまきつけて、その蛇のからだを太い竹釘で人形に打ちつけてある。蛇はまだ死なねえとみえて、びくびく動いている。さすがの中間共もわあっと云って、おもわずその箱をほうり出したそうですよ。それでも気の強い奴があって、よくよくあらためて見ると、また驚いた。というのは、蛇ばかりでなく、人形の腹には壁虎《やもり》が一匹やっぱり釘づけになって生きている。よっぽど執念ぶかい奴の仕業《しわざ》に相違ありませんね」
「それから、その箱をどうした」
「中間たちも薄気味悪くなったんでしょう。こんなものはしょうがねえというんで、川へほうり込んでしまったそうですよ」
半七はまた舌打ちした。その怪しい箱が何かの手がかりになろうものを、神田川へほうり込んでしまわれてはどうにもならない。それだから素人には困ると思いながら、それからどうしたと更にたずねると、中間どもはその上にまだ何かの獲物があるかと思って、再び犬を追い込んでみたが、犬は空しく引っ返して来たので、もう仕方がないとあきらめたらしく、そのまま引き揚げてしまったとのことであった。
「じゃあ、誰もはいっては見なかったんだな」と、半七は念を押した。
「誰もはいった者はなかったようです。なんのかのと云っても、やっぱり気味がよくねえんでしょう」と、甚五郎はまた笑った。
かれらに踏み荒らされないのが、せめてもの仕合わせであったと半七は思った。甚五郎にわかれて、半七はこれからともかくも山卯の材木店へ行ってみようかと、岩井町の方へふみ出すと、ちょうど幸次郎の来るのに出逢った。かれは親分の顔を見て駈けて来た。
「とりあえず山卯へ行って、発頭人の喜平を調べて来ました。それから建具屋の茂八も一と通りは調べましたが、どうもこれという手がかりもねえので困りました。木挽の方は善八が出かけて行きましたから、なにかいい種をあげて来るかも知れません」
大入道や九尾のきつねは嘘であるが、不意に大きい手があらわれて喜平と銀蔵をなぐり倒したのは事実である。喜平と茂八が得体《えたい》の知れない獣に追われたのも事実であると、幸次郎は詳しくその事情を報告した。山卯の仕事場に大きい丸太が突然倒れて来て大勢をおびやかしたことや、大工の勝次郎がそれに恐れをなして変心した事も話した。半七はだまって聞いていた。
「親分。これからどうしましょう」と、幸次郎は相談するように訊《き》いた。
「そうさなあ」と、半七はかんがえていた。
「やっぱり張り込みましょうか」
「むむ。知恵のねえやり方だが、そうするかな」
幸次郎の耳に口をよせて何か云い聞かせると、かれはうなずいて怱々《そうそう》に別れて行った。半七はその足で山卯の店へ行って、番頭にことわって喜平を表へ呼び出した。
たった今幸次郎に調べられて、又もやその親分の半七が来たというので、喜平は少しおちつかないような顔をして出て来たのを、半七は眼で招いて、店の横手に立てかけてある材木のかげへ連れ込んだ。
「今しがた家《うち》の若い者が来て、ひと通りお前さんを調べて行ったそうだから、同じ口を幾度も利かせねえ。そこで、わたしの訊きたいのは、番頭さんの話じゃあ、ここの家に小僧がふたり居るそうだが、なんというんですえ」
「利助に藤次郎と申します」と、喜平は答えた。「御用なら呼んでまいりましょうか」
「まあ、待ってくれ。その利助に藤次郎は幾つだね」
「どっちも同い年で十六でございます」
「どっちがおとなしいね」
「藤次郎の方が素直でおとなしゅうございます。利助の奴はいたずら者で、この夏にも一旦暇を出されたのですが、親元からあやまって来まして、また使っているようなわけでございます」
「それから大工の勝次郎というのはどんな奴だね。おまえさんと一緒に清水山へ出かける筈で、途中で臆病風に吹かれたとかいう話だが、そいつは博奕でも打つかね」
「小博奕ぐらいは打つようです。家は竜閑町《りゅうかんちょう》の駄菓子屋の裏ですが、なんでも近所の師匠のむすめに熱くなって、毎晩のように張りに行くとかいうことです。そんな奴ですから、わたしの方でも初めから味方にしようとも思っていなかったんですが、向うから頻りに乗り気になって是非一緒に出かけようというもんだから、わたしもその積りで約束すると、やっぱりいざ「意気地のない奴だな」
「まったく意気地のない奴ですよ」
勝次郎の寝がえりを余ほど忌々《いまいま》しく思っていたとみえて、喜平は彼をこきおろすように云った。
「その勝次郎はきょうも来ているかえ」と、半七は訊《き》いた。
「いいえ、来ていません。このごろは石町《こくちょう》の油屋へ仕事に行っているそうです」
「そうか。じゃあ、その利助という小僧を呼んで貰おう。ただ黙って連れて来てくれ」
「はい、はい」
喜平は引っ返して行こうとして、にわかに声を尖《とが》らせた。
「やい、この野郎」
その声におどろいて、半七も見かえると、喜平はうしろの材木のかげから一人の小僧をひきずり出して来た。それはかのいたずら小僧であることを半七もすぐ覚った。
「親分さん。こいつが利助です。やい、手前はさっきからそこに隠れていて、なにを立ち聴きしていやあがったんだ」と、喜平はかれの胸を小突きながら半七の前に突き出した。
「まあ、小さい者をそう叱るな。喜平どん、一緒にいちゃあ調べるのに都合がわるい。ちっとあっちへ行っていてくれ」
まだ不安らしい眼をして睨んでいる喜平を追いやって、半七はしずかに云い出した。
「だが、利助。おまえはどうも評判がよくないようだぞ。子供だといっても、もう十六だ。物事の善い悪いはわかっている筈だのに、なぜあんな悪いことをした」
だしぬけに睨みつけられて、利助は呆気《あっけ》にとられたように相手の顔を見あげていると、半七はたたみかけて云った。
「おれは三河町の半七だ。嘘をつくと縛ってしまうぞ。おまえは先月、あの喜平と大工の勝次郎とが清水山へ行く相談をしている時に、誰にたのまれて仕事場の材木を倒した」
さすがのいたずら小僧も俄かに顔の色かえて、唖《おし》のように黙ってしまった。
「なぜ黙っている。なぜ返事をしねえ。さあ、誰にたのまれて丸太を倒した。大きい丸太が倒れて来て、人の脳天でもぶち割ったらどうする。貴様はまぎれなしの下手人だぞ。そんな悪い事をなぜしたのだ。なんぼ貴様がいたずらでも、自分ひとりの料簡でそんなことをしたのじゃあるめえ。だれに頼まれて、そんなことをした。その頼みを白状しろ」
利助はうつむいたままで、やはり黙っていた。
「論より証拠、自分にうしろ暗いことがないのなら、なぜそんなところに隠れて立ち聴きをしていたのだ。いくら貴様が強情を張っても、おれはちゃんと知っているぞ」と、半七は笑った。「そんなに隠すならおれの方から云って聞かせる。あの丸太を倒せと教えたのは、大工の勝次郎だろう。どうだ、まだ隠すか」
如何にいたずらでも強情でも、ことし十六の小僧は半七の敵ではなかった。一々図星をさされて、利助はとうとう降参した。かれは半七の問いに落ちて、このあいだ仕事場で材木を倒したのは、自分の仕業に相違ないと白状した。それを頼んだのは確かに大工の勝次郎で、かれから百文の銭《ぜに》をもらって、そっとかの材木を倒したのであると云った。しかし勝次郎は身銭《みぜに》を切って、なぜそんな悪い知恵を授けたのか、それは利助も知らないらしかった。かれは生来のいたずらから、面白半分の人騒がせになんの考えもなく引き受けて、小さい身体を材木のかげに潜ませ、不意にその一本を倒しかけたに過ぎないのであった。
その白状を残らず聞いた上で、半七は利助を番頭のところへ連れて行った。そうして、あらためてこの小僧を番屋へ呼び出すまでは、決して表へ出してはならないと堅く戒めて帰った。
五
半七は山卯の材木店を出て、ふたたび柳原の通りへ引っ返してくると、あとから子分の善八が追って来た
「親分。山卯の店へたずねて行ったら、親分はたった今帰ったというので、すぐに追っかけて来ました。番頭の話では、利助という小僧がなにか眼をつけられたそうですね」
「むむ、まあ、大抵は見当がついたようだ」と、半七は笑った。「ところで、木挽《こびき》の方はどうした」
「銀蔵の奴は駄目でした。別に手がかりになりそうなこともありませんよ」
善八は自分が調べて来ただけのことを話した。それは幸次郎の報告と大差ないもので、かれ自身も失望している通り、別に新らしい手がかりになりそうな材料を含んでいなかった。
「まあ、銀蔵も喜平も別に係り合いはなさそうだ。それより大工の勝次郎という若い野郎を引き挙げてくれ。こいつは石町の油屋に仕事に行っているそうだから」
「ようがす。すぐに番屋へ引っ張って来ますかえ」
「むむ。おれは先に行って待っている」と、半七は云った。「相手は若けえ奴だ。おまけに大工だというから、なにか切れ物でも持っているかも知れねえ。気をつけて行け」
善八にわかれて、半七はすぐに町内の自身番へ行こうとしたが、かれが日本橋の石町へ行って本人を引っぱって来るまでには、まだ相当の間《ひま》がかかるだろうと思ったので、更に向きをかえて髪結床へはいると、ちょうど客がなくて、甚五郎は表をながめながら長い煙管で煙草をのんでいた。
「やあ、親分。先ほどは……」と、かれは起って挨拶した。「きたないところですが、まあお掛けなさい」
自分の店へ髪を結いに来たのでないことは甚五郎も初めから承知しているので、かれは粉炭《こなずみ》を火鉢にすくい込んで、半七の前に押し出しながら話しかけた。
「親分も清水山の一件をお調べになるんですかえ」
「世間がそうぞうしいので、まんざら打っちゃっても置かれねえ」と、半七も煙草入れを出しながら云った。
「実はさっきお話をしませんでしたが、池崎の屋敷の中間のほかに、こんなことがありましたよ。これはわたしだけが知っていることなんですがね。なんでも八月の中頃からでしょうか、変な男がときどき髪を束《たば》ねに来るんです。ひとりで来る時もあり、二人づれで来る時もありましたが、まあ大抵はひとりで来ました。年頃は三十五六でしょうか、色の黒い、骨太の、なんだか眼付きのよくない男で、めったに口をきいたこともなく、いつも黙って頭をいじらせて、黙って銭をおいて行くんです」
「それがどう変なのだ」
「どうということもありませんが……。わたしも客商売で、毎日いろいろの人に逢っていますが、どうもその男の様子がなんだか変でしたよ」
「その男は今でも来るかえ」と、半七は煙草を吸いながらしずかにきいた。
「いや、それがまたおかしいんです。九月のなかば過ぎ、山卯の若い衆が清水山へ見とどけに出かけてから二、三日あとのことでした。その男がいつもの通りふらりとはいって来て、わたしに髭を当らせていると、そこへまたほかの客がはいって来て、山卯の若い衆の噂をはじめると、その男は黙って聞いていたが、やがてと忌《いや》な笑い顔をして、半分はひとり言のように、そんな詰まらないことをするものじゃあない。しまいには身を損《そこ》ねるようなことが出来《しゅったい》する……と。わたしはそれに相槌を打って、まったくそうですねと云いましたが、その男はなんにも返事をしませんでした。そうして、それっきり来なくなってしまったんです」
「それっきり来ねえか」
「それっきり一度も顔をみせません。ねえ。親分。なんだか変じゃありませんか。そいつは今も云う通り、色の黒い、骨太の、頑丈な奴でしたよ」
喜平と銀蔵をなぐり倒した大きい手の持ち主はかの男ではないかと、甚五郎は疑っているらしかった。半七もそう思った。
「そいつは二人連れで来たこともあるんだね」
「ありますよ」と、甚五郎はうなずいた。「もう一人の男は少し若い三十二三ぐらいの、これはずっと小作りの男でした」
「商売の見当はつかないかね」
「さあ」と、甚五郎は首をかしげた。「どうも江戸じゃありませんね。まあ近在のお百姓でしょうかね」
「いや、ありがとう。いいことを教えてくれた。うまく行けば一杯買うぜ」
「どうも恐れ入りました。こんな話が何かのお役に立てば結構です」
半七はここの店を出て、山卯の町内の自身番へ行ってみると、善八はまだ来ていなかった。定番《じょうばん》を相手に、囲炉裏《いろり》のそばでしばらく話していると、やがて善八は大工の勝次郎をつれて来た。勝次郎はまだ二十一か二で、色の青白い痩形の男で、見たところ、小機転の利いているらしい江戸っ子肌の職人ではあるが、度胸のすわった悪党でもないらしいことは、半七は多年の経験ですぐ察しられた。
「おい、御苦労」と、半七は勝次郎に声をかけた。「よくすぐに来てくれたな」
「親分さんの御用だということですから」と、勝次郎はおとなしく答えた。
よく見ると、かれの顔はどことなく窶《やつ》れて、眼のうちも陰っていた。
「そこで早速だが、お前は柳原の清水山へ何しに行くんだ」
「いいえ、行ったことはございません。山卯の喜平どんに誘われましたが、どうも気が進まないのでことわりました」
「気が進まないなら、なぜ初めに自分の方から行こうと云い出したんだ。いやなものなら黙っていたらよさそうなもんだ。一旦行こうとしながら、中途で寝返りを打つばかりか、山卯の小僧に百の銭をくれて、仕事場の丸太をなぜ倒さした。そのわけが訊《き》きてえ。正直に云ってくれ」
「へえ」
それに対して何か云い訳をかんがえているらしい勝次郎の頭の上へ、半七はつづけて浴びせかけた。
「一体おめえは妙な知りびとを持っているな。あの三十五六の色の黒い、骨太の男はなんだ」
勝次郎は黙ってうつむいていた。
「それから三十二三の小作りの男……あんな奴らとなぜ附き合っているんだ」
勝次郎は真っ蒼になってふるえ出した。
「もう何事もお上《かみ》の耳にはいっているんだ。じたばたするな、往生ぎわの悪い野郎だ」
半七に睨まれて、若い大工は骨をぬかれたようにへたばってしまった。
「さあ、なんとか返事をしろ。黙っているなら、おれの方からもっと云って聞かしてやろうか。だが、おれに口をきかせれば利かせるほど、貴様の罪が重くなるのだから、その積りでいろ。それともここらで素直に云うか」
再び睨みつけられて、勝次郎はあわてて叫んだ。
「親分、堪忍してください。申し上げます、申し上げます」
半七は善八に云いつけて、茶碗に水を入れて来て勝次郎の前に置かせた。
「さあ、水をやる。一杯のんで、気をおちつけて、はっきりと申し立てろ」
「ありがとうございます」と、勝次郎はふるえながらその水をひと口飲んだ。そうして、板の間に手をついた。
「こうなれば何もかも有体《ありてい》に申し上げますが、わたくしは決して悪事を働いた覚えはございません」
「うそをつけ」と、半七はまた睨んだ。「どうも強情な奴だな。じゃあ、おれの方からよく云って聞かせる。貴様が初手《しょて》から清水山へ行く料簡もなし、またなんにもうしろ暗いことがねえなら、初めから黙っている筈だ。脛《すね》に疵《きず》もつ奴の癖で、自分の方からわざと清水山へ行こうなぞと云い出したものの、もともとほんとうに行く気はねえんだから、喜平たちをおどかすために、小僧に頼んで丸太を倒させた。それでも喜平が強情に行くと云うので、今度は長屋に急病人が出来たなどといい加減な嘘をついて逃げてしまった……。やい、勝次郎。まだおれにしゃべらせるのか。世話を焼かせるにも程があるぞ」
「恐れ入りました」と、勝次郎は声をふるわせた。「親分のおっしゃることは一々図星でございます。しかし親分、わたくしは清水山の一件に係り合いがあるには相違ありませんが、決して悪いことをした覚えはないのでございます。まあ、お聞きください。ことしの七月の末でございました。日が暮れてもなかなか残暑が強いので、涼みながら鼻唄で柳原の堤下を通りました。もうかれこれ五ツ半(午後九時)頃でしたろう。ふいと見ると、うす暗いなかに白地の浴衣を着ているらしい女がぼんやりと突っ立っているんです。しけを食った夜鷹だろうと思って、からかい半分にそばへ寄って、何か冗談を云いかけると、その女はいきなりわたくしの腕をつかまえて、堤の上へ引っ張って行く。こっちも若いもんですから、いよいよ面白くなって付いて行きました。ところが、相手は夜鷹どころか、別れる時に、向うから一分の金をわたくしの手に握らせてくれました。そうして、あしたの晩もきっと来てくれと云うんです。いよいよ嬉しくなって、そのあしたの晩も約束通りに出かけて行くと、女はやっぱり待っていました。出逢う所はいつでも清水山で、逢うたびにきっと一分ずつくれるんですから、こんな面白いことはないと思っていると、忘れもしない八月八日の晩でした。その晩はいい月で、女の顔が……。女はいつも手拭を深くかぶっているので、一体どんな女だかよくわからなかったんですが、今夜こそはよく見とどけてやろうと思って、月明かりで手拭のなかを覗いてみると、いやどうもおどろきました。その女は両方の眼のまわりから鼻の下あたりまで、まるで仮面《めん》でもかぶったような一面の青黒い痣《あざ》で、絵にかいた鬼女とでも云いそうな人相でしたから、わたくしは気が遠くなる程にびっくりして、あわてて突き放して逃げようとすると、女は袖にしがみついて放しません。まあ、話すことがあるから一緒に来てくれと云って、無理にわたくしを清水山の奥へ引き摺って行きました。今まで一分ずつくれていたのですから、ほんとうの化け物でないことは判っていますが、なにしろ化け物のような女の正体がわかってみると、なんだか薄気味が悪くなって、お岩か累《かさね》にでも執着《とりつ》かれたような心持で、わたくしは怖々《こわごわ》ながら付いて行くと、女はすすり泣きをしながら、どうで一度は知れるに決まっていると覚悟はしていたが、さてこうなると悲しい、情けない。わたしのような者でも不憫と思って、今まで通りに逢ってくれるか、それとも愛想を尽かしてこれぎりにするか、その返事次第でわたしにも料簡があると、こう云うんです。嫌だと云ったら、いきなり喉笛にでも啖《くら》いつくか、帯のあいだから剃刀でも持ち出すか、どの道、唯はおかないという権幕ですから、どうにもこうにもしようがなくなって、わたくしも一時逃がれの気やすめに、きっと今まで通りに逢うという約束をしてしまいました」
かれは茶碗の水を又ひと口のんで、しばらく息を休めていた。
六
その後の成り行きについて勝次郎はこう訴えた。
かれは一時逃がれの気やすめを云って、その晩はともかくも化け物のような女から放たれたが、色も慾も消えうせて、もう二度とかの女に逢う気にもならないので、あくる晩は約束にそむいて清水山へ出かけて行かなかった。しかもなんだか自分の家にはおちついていられないので、かれは近所の女師匠のところへ遊びに行って、四ツ(午後十時)を合図に帰ってくると、家のまえにはかの女が幽霊のように立っていた。勝次郎はひとり者で、表の戸をしめて出たので、女はその軒下にたたずんで彼の帰るのを待ちうけていたのである。それをみて、勝次郎は又おどろかされた。こういうことになると知っていたら、迂濶に自分の居どころを明かすのではなかったと今さら悔んでも追っ付かないので、彼はよんどころなくその化け物を内へ連れ込むことになったが、女は内へはいらずに帰った。
女は帰るときに堅く念を押して、もし約束を違《たが》えて清水山へ出て来なければ、自分はいつでもここへ押し掛けてくると云ったので、勝次郎はいよいよ困った。いっそ宿替えをしようかと思ったが、こんな執念ぶかい女はどこまでも追って来て、どんな祟りをするかも知れないと思うと、それもまた躊躇した。そして、そのあくる晩からやはり清水山へ通いつづけていたが、あの以来、かれの心はすっかり変ってしまって、唯むやみにかの女がおそろしくなって来た。逢いはじめてから今日まで、女は自分の身もとをはっきりと明かさないで、単に小石川の音羽《おとわ》に住むお勝という者だと話しただけであるが、それがどうも疑わしいので、勝次郎は念のために音羽へ探しに行ってみたが、音羽もなかなか広いので、顔に痣《あざ》のあるお勝という女ぐらいのことでは容易にわからなかった。考えてみると、その居どころは勿論、その名さえもほんとうか嘘かわかったものではない。こっちの名が勝次郎というので、それに合わせてお勝などと出たらめのことを云っているのかも知れない。そうなると、勝次郎の不安はいよいよ大きく広がって、そんな女にかかりあっているのは、どうしても我が身の為にならないように思われてならなかった。
そのうちに、柳原堤に怪しい女が出るという世間の噂がだんだん高くなって来るので、勝次郎はそれに対してもまた一種の不安を感じはじめて、逢いびきの場所をどこへか換えようと云い出したが、女はなぜか承知しなかった。年の若い勝次郎は清水山が魔所であるという伝説については、今まで余り多くの注意を払っていなかったが、化け物のような女がこの清水山に執着しているのを考えると、今更のように又いろいろのことが思いあわされて、かれの恐怖は日ましに募るばかりであった。さりとて、宿がえをすることも出来ない、まさか他国へ逃げてゆく訳にも行かない。いっそ思い切って誰かに打ち明けて、その知恵を借りようかと思いながら、それもやはり躊躇して日を送るあいだに、かの山卯の喜平の探検がはじまった。
半七が鑑定した通り、脛に疵もつ彼はわざと強そうなことを云って、喜平と一緒に清水山へゆくことを約束したが、勿論そんな気はないので、山卯のいたずら小僧に百文の銭をやって、仕事場の材木を不意に倒しかけて喜平を嚇《おど》そうと企てたのであるが、その計略は成就《じょうじゅ》しそうもなかったので、かれは更に他の口実をかまえて、喜平の仲間にはいることを避けたのであった。それにしても、万一かの喜平らのために怪しい女の正体を見あらわされはしまいかと、勝次郎は内心ひやひやしていたが、不思議なことには、かの探検がはじまってから、お勝という女はそこに姿をみせなくなった。勝次郎の家へも尋ねて来なくなった。
喜平らの探検を恐れて、かの女が姿をかくしてしまったのは、勝次郎にとっては勿怪《もっけ》の幸いというべきで、かれは先ずほっとした。近所の清元の師匠におみよという若い娘があるので、彼はこのごろ毎晩そこへ入り込んで、稽古をかこつけに騒ぎ散らして、つとめて清水山の女のことを忘れようとしていた。かれの申し立ては以上の事実にとどまって、何者が喜平らをなぐり倒したのか、どんな獣《けもの》が喜平らをおびやかしたのか、そんなことは一切知らないと彼は云った。
その申し立てに、少しく疑わしい点がないでもなかったが、半七はその以上に彼を吟味しなかった。それでも念のためにまた訊《き》いた。
「そのお勝とかいう女は、それっきりちっとも音沙汰がないんだな」
「その当時はなんどきまた押し掛けて来るかと、内々心配していましたが、もうひと月の余になりますけれども、それっきり影も形もみませんから、もう大丈夫だろうと安心しているのでございます」
「そうか」と、半七はうなずいた。「そこで、おまえはこの六月から七月頃にかけて、何処とどこへ仕事に行った」
勝次郎はこの頃ようよう一人前の職人になったのであるから、自分の得意場などは持っていない。いつも親方に引き廻されているのであるが、六月から七月にかけては、日本橋で二軒、神田で一軒、深川で一軒、雑司ケ谷で一軒、都合五カ所の仕事に出たが、いずれも三日か四日の繕《つくろ》い普請《ぶしん》で、そのなかで少し長かったのは深川の十日と雑司ケ谷の二十五日であると云った。かれは半七の問いに対して、更にその仕事さきの町名や家号などをも一々くわしく答えた。
「よし、わかった。これで今日は帰してやる。御用があって又なんどき呼び出すかも知れねえから、仕事場の出さきを大屋《おおや》へ一々ことわって行け」と、半七は云った。
「かしこまりました」
「それからお前に云っておくが、まあ当分は夜あるきをしねえがいいぜ。なるたけ自分の家《うち》におとなしくしていろ」と、半七はまた注意した。
委細承知しましたと云って、勝次郎は早々に立ち去った。
「親分、どうです」と、善八はかれの姿を見送りながら小声で訊《き》いた。
「幸の奴は清水山に張り込ませることになっているから、おめえ御苦労でも誰かと手分けをして、あいつの仕事さきを一々洗って来てくれ」
「どんなことを洗ってくるんです」
「一から十までくわしいほどいいんだが、大体の目安はこうだ」と、半七は子分の耳に口をよせた。
何をささやかれたのか、善八は一々うなずいて、これも早々に出て行った。たとい手分けをしたにしても、日本橋と神田と深川を調べて来るのは、右から左というわけには行かない。殊に雑司ケ谷などという遠いところもある。所詮《しょせん》きょう一日の仕事には行かないと見て、半七はやがて暮れかかる冬の空を仰ぎながら三河町の家へ帰った。
あくる朝、菰《こも》をかぶった一人の乞食が半七の家の裏口から顔を出した。かれは子分の幸次郎であった。
「どうもいけません。この姿で清水山に夜通し寝ていましたが、犬ころ一匹出て来ませんでした」と、かれは朝の寒さにふるえながら云った。
「御苦労、御苦労。さあ、朝湯へでも飛び込んでおよいで来い」と、半七は幾らかの銭をやった。
「今夜も張り込みますかえ」
「まあ、それはもう少し考えてみよう」
幸次郎が着物を着かえて出てゆくと、半七もすぐに朝飯を食って出た。そうして、きのうの通りに清水山の下をひとまわりして、それから山卯の店へ立ち寄ると、ちょうど店さきに立っていた喜平があわただしく駈けて来た。
「親分さん。大工の勝次郎がゆうべから帰らないそうです」
「勝次郎が……。ゆうべから……」
「そうです。ゆうべも町内の師匠のところへ行って、四ツ(午後十時)頃まで呶鳴って帰ったそうですが、けさになっても家へ帰らないんです。どこへか泊まりに行ったのかと思うんですが、長屋の人たちの話では、この頃めったに家《うち》をあけたことはないそうです」と、喜平は仔細らしくささやいた。
「それでも若い者のことだ。どこへ転げ込まねえとも限らねえ。まだ夜が明けたばかりだ。今にどこからか出て来るだろう」
「でも、親分。師匠のうちから半町ばかり離れたところに、勝次郎の煙草入れと草履が片足落ちていたそうです」
「そうか」と、半七は眉をよせた。「そいつは打っちゃっては置かれねえ」
半七はとりあえず竜閑町の裏長屋へ行って、家主立ち会いで勝次郎の家を調べると、表の錠はおろしたままであった。その錠をこじあけてはいってみると、狭い家のなかは別に取り散らした様子もみえなかった。夜逃げをするならば何か持ち出しそうなものである。どこへか泊まりに行ったならば、往来に煙草入れや草履かた足を落してゆくのもおかしい。更に清元の師匠の家へ行ってきくと、勝次郎はゆうべ酔っていなかったということが判った。こうなると不審は重々である。半七は更に勝次郎の親方の大五郎という棟梁をたずねた。大五郎の家は山卯の店から遠くないところで、格子のまえには若い職人二人と小僧一人が突っ立って、事ありげに何かひそひそと話していた。
大五郎はもう五十近い男で、半七を奥へ通して丁寧に挨拶した。
「おたずねの勝次郎のことに付きましては、わたくしも心配して、これから若い者どもを手分けして、心あたりを探させようと思っているところでございます。前夜の様子から考えると、なにか人と喧嘩でもしたのか。男のことですから、まさかに拐引《かどわかし》に逢ったわけでもないだろうと思うんですが……。職人にしてはふだんからおとなしい奴ですから、人から恨みを受けるようなこともない筈ですし、どうもわかりません」
「きのう当人から聴いたのじゃあ、この六月から七月にかけて、日本橋に二軒、神田に一軒、深川に一軒、雑司ケ谷に一軒、仕事に行ったそうですが、そのなかで顔に痣《あざ》のある娘か女中のいる家《うち》はありませんでしたかえ」
「さあ」と、大五郎は首をひねった。「みんなわたくしの出入り場ですが、どうもそんな女のいる家はなかったようですね。尤《もっと》も、雑司ケ谷だけは今度はじめて仕事に行ったんですが、顔に痣のある女……。そんな女は一度も見なかったと思います。それでも、まあ念のために若い者にきいてみましょう」
かれは門口《かどぐち》にあつまっている職人や小僧を呼んで、痣の女を詮議したが、だれもそんな女を知らないと云うので、半七は少し失望した。それでも雑司ケ谷の仕事先について、棟梁や職人たちの知っているだけのことを残らず聞き取って帰った。帰る途中で、半七はきのうから今日にかけて探りあつめた種々の材料を、胸のなかでいろいろに組みあわせて考えた。そうして、それがどうにか順序よく組み立てられたように思われたので、かれの胸もだんだんに軽くなった。袋の物をつかむというまでには行かないでも、かれは爪先にころがっている物を見つけたぐらいの心持になった。
七
半七は家へ帰っていると、正午すぎになって子分の多吉が先ず帰って来た。かれは善八と手わけをして、ゆうべから日本橋二軒と深川一軒とを調べあげて来たのである。しかしその報告には半七の注意をひくほどの材料はなかった。
「いよいよ雑司ケ谷だな」
こう思って待ちかまえていると、日の暮れる頃に善八が大いそぎで引き揚げて来た。かれは神田から雑司ケ谷へまわったのである。神田の方は訳もなく埒があいたが、雑司ケ谷の方は足場が悪いのと、少し面倒であったのとで、思いのほかに暇どれたと彼は云い訳らしく云った。
「そうだろうと思っていた」と、半七は待ち兼ねたように訊いた。「そこで早速だが、神田の方はあと廻しとして、まずその雑司ケ谷の方から聞かしてくれ。その家《うち》は穀屋《こくや》で、桝屋とか云ったな」
「家号は桝屋ですが、苗字は庄司というんだそうで、土地の者はみんな庄司と云っています。土地では旧家だそうで、店の商売は穀屋ですが、田地《でんじ》をたくさん持っている大百姓で、店の右の方には大きい門があって、家の構えもなかなか手広いようです。店の方と畑の方とを合わせると、奉公人が四五十人も居るということです」
「奉公人のほかに家内は幾人いる」
「大家内の割合いに、家の者は極く少ないんです」と、善八は答えた。「主人は藤左衛門といって、もう六十ぐらいになる。女房は十年ほど前に死ぬ。子供は男二人と女ふたりで、惣領は奥州の方へ行って店を出している。次男は中国の方へ養子にやる。惣領娘は越後の方へ嫁にやる。家に残っているのはお早という妹娘だけで、これが二十六になるそうですが、なんだか身体が悪いとかいうので、去年あたりから内に閉じこもっていて、誰にも顔をみせないということです」
「そうすると、親子二人ぎりだな。その庄司の家には何か悪い筋でもあるという噂は聞かねえか」
「さあ、そんな噂は聞きませんでした。主人は慈悲ぶかい人だそうで、土地では庄司の旦那様といえば、仏さまのように敬っているようです。なにを訊《き》いてもいいことばかりで、悪い噂なんぞする者は一人もありませんよ。どれもこれも無駄らしゅうござんすね」
「いや、無駄でねえ」と、半七はほほえんだ。「もうこれでいよいよ極まった。勝次郎に逢いに来る女は、そのお早という二十六の娘に相違ねえ」
「そうでしょうか」と、善八は疑うように親分の顔をみつめた。
「だって、考えてみろ。それほどの大家《たいけ》でありながら、惣領息子を遠い奥州へ出してやるというのがわからねえ。次男も遠い中国へやる。惣領むすめも遠い北国へやる。大勢の子供をみんな遠国《おんごく》へ出してしまうというのは、なにか仔細がなければならねえ。その家《うち》には悪い病気の筋がある。おそらく癩病か何かの血筋を引いているのだろう。おやじは幸いに無事でいても、その子供たちは年頃になると悪い病いが出る。そこで、奥州へやったの、北国へやったのと云って、どこか知らねえ田舎に隠しているに相違ねえ。家にのこっているお早という娘が去年から悪いというのも、やっぱりそれだ。唯の病気ならば誰にも顔を見せねえという筋はねえ。人に見られねえように、どっかに隠れて養生しているんだろう。考えてみれば可哀そうなものだ」
「それにしても、そのお早という女が勝次郎に逢いに来たんでしょうか。それがまだわからねえ」
「わからねえことがあるものか」と、半七はまた笑った。「その女は顔に青い痣《あざ》があるというじゃあねえか。それはもう病気の発しているのを何かの絵具で塗りかくして、痣のように誤魔化しているんだ。それだから相手の男をいつも清水山の薄暗いところへ連れ込んでいるんだろう。勝次郎は往来のまん中で不意にその女に出っくわしたように云っているが、どうもそうじゃあねえらしい。この六月から七月にかけて小ひと月ほども仕事に行っているあいだに、何かのはずみでお早という娘と出来あったに相違ねえ。女は男が恋しい一心で雑司ケ谷からわざわざ逢いに来る。それを自分の家へ引き摺り込んでは近所となりの手前もある。女の方も例の一件だから、なるたけ薄暗いところがいい。そこでふたりが話しあって、むかしから人のはいらねえ清水山を出逢い場所にきめたんだろう」
「勝次郎は一件を知っているんでしょうか」と、善八は顔をしかめた。
「よもや知るめえ」と、半七も溜息をついた。「痣のあることは知っていたろうが、相手は大家の娘だ。あいつも慾に転んで引っかかったんだろう。悪いことは出来ねえもんだ。喜平や銀蔵をなぐった奴も雑司ケ谷の奉公人だろう。大勢の奉公人のうちには忠義者があって、よそながら主人のむすめの警固に来ているらしい。甚五郎の床店へ髪を束《たば》ねに来たという二人連れの男が確かにそれだ。こう煎じつめて来ると、ゆうべ勝次郎を引っかついで行った奴も大抵わかる筈だ。お早と勝次郎の逢いびきは当人同士の勝手だが、世間を騒がすのはよくねえから、一応は叱って置かなけりゃあならねえ。殊に雑司ケ谷の奴らが勝次郎をさらって行くなどとはよくねえことだ。科人《とがにん》をこしらえるほどの事でなくっても、これも叱って勝次郎を助けてやらなけりゃあ可哀そうだ」
「じゃあ、すぐに繰り出しましょうか」
「これから出かけると、夜がふけて何かの都合が悪かろう。まあ、あしたにしようぜ。世間のうわさがあんまり騒々しくなったのと、勝次郎の奴がこの頃だんだんぐらつき出したので、向うでも引っかついで行ってしまったんだろうから、なにも命を取るようなこともあるめえ。種さえあがれば、そんなに慌てなくてもいい」
あくる朝、半七は善八をつれて雑司ケ谷へ出向いた。よもやと思うものの、相手は大家で大勢の奉公人がいるといい、近所の者もみな彼を尊敬しているようでは、どんな邪魔がはいらないとも限らないので、幸次郎と多吉も見え隠れにそのあとを追って行った。庄司の家はなるほど由緒ありげな大きい古屋敷で、門の前にはここらの名物の大きい欅《けやき》が幾本もつづいて高く立っていた。
主人に逢いたいと申し込むと、しばらくして二人は門内へ通された。庭には大きい池があって、そこには鴨の降りているのが見えた。池の岸には芒《すすき》の穂が白くそよいでいた。その池をめぐって、更に植え込みのあいだを縫ってゆくと、ふたりは離れ家のようになっているひと棟のなかへ案内された。座敷は十畳と八畳ぐらいの二た間つづきになっているらしかった。
ここで半七をおどろかしたのは、かの勝次郎の親方の大五郎が暗い顔をして、線香の煙りのなかに坐っていることであった。自分たちよりも先《せん》を越して、大五郎がここに来ていようとは、さすがに思いもよらなかった。それと向いあっているのが主人の藤左衛門で、服装《みなり》は質素であるが如何にも大家のあるじらしい上品な人柄で、これも打ち沈んでうつむいていたが、半七らをみて鄭重《ていちょう》に挨拶した。その挨拶が済むと、半七は先ず大五郎に声をかけた。
「一体、親方はどうしてここへ来なすった。わたし達も鼻を明かされてしまいましたよ」
「どう致しまして……」と、大五郎は小声で答えた。「けさ暗いうちに、こちらから迎いの駕籠がまいりましたので、何がなにやら判らずに参ったのでございます」
それにしても、線香の匂いがどこからか流れて来るのが半七の気になった。
「なんだか忌《いや》な匂いがしますね」
「それでございます。神田の親分さん、どうぞこれを御覧くださいまし」
藤左衛門が起って次の間の襖をあけると、そこには血みどろになった若い男と女の死骸がならべて横たえてあった。
「御免ください」
半七も起って行って、まずふたりの死骸をあらためた。男は左の頸筋から喉《のど》へかけて斜めに斬られていた。女も左の喉を突き破られていた。その枕もとには血に染みた一挺の剃刀《かみそり》が置かれてあった。
これで一切は解決した。
半七が想象していた通り、勝次郎の申し立てにはよほどの嘘がまじっていた。かれはこの夏、親方と一緒にこの家の仕事に通って来て、母屋《おもや》と台所の繕《つくろ》いをしていた。繕い普請といっても大家の仕事であるから、二十日あまりも毎日通いつづけているあいだに、彼は家の女中たちとも心安くなった。若い職人は若い女中と冗談などを云いあうほどに打ちとけた時、ある日の午《ひる》休みにお兼という女中が勝次郎を物かげによんで何事をかささやいた。勝次郎はいつの間にか家の娘のお早に見染められたのである。お早は顔や手足に青い痣があるので、今に縁談がきまらないでいる。それを承知で逢ってくれれば、娘から十両の金をくれるというのであった。年のわかい無分別と、もう一つには慾にころんで、勝次郎はとうとうそれを承知した。かれはお兼の手びきで、はじめてお早という娘に逢った。それは古い土蔵の奥で、昼でも薄暗いところであった。
そのうちに仕事が済んで、勝次郎はもう雑司ケ谷へ通わなくなると、お早の方から追って来た。しかし長屋住居の男の家へ入り込むことを嫌って、いつもかの清水山で逢うことにしていた。それを父の藤左衛門に覚られて、きびしく意見を加えられたが、恋に狂っているお早はどうしても肯《き》かなかった。普通の娘の我がままや放埓《ほうらつ》とは訳が違うので、父には一種の不憫が出て、結局はそのなすがままにまかせていたが、娘ひとりを出してやることは何分不安であるので、児飼いからの奉公人ふたりを毎晩見えがくれに付けてやって、よそながらお早の身の上を警固させていた。喜平らをなぐり倒してその探検を妨げたのは、勿論かれらの仕業であった。
しかしこういう探検者があらわれて来るからには、迂濶に清水山へ通うのは危険であると、かれらは主人に注意した。お早にも注意した。それで一旦はその通い路を断《た》ったのであるが、お早の執着は容易に断ち切れなかった。かれは男恋しさに物狂おしくなって、あるときは庭の池へ身を沈めようとした。あるときは剃刀で喉を突こうとした。これには父も持て余したばかりか、片輪の子ほど可愛さも不憫さも弥増《いやま》して、かの奉公人ふたりと相談の上で、娘の恋しがる男を引っかついで来ることにした。土地の者からは仏さまのように敬われている藤左衛門も、わが子の愛には眼がくらんで悪魔の奴《やっこ》となり果てたらしい。忠義の奉公人どもは主人の心を汲み、娘の恋にも同情して、勝次郎が夜ふけて師匠の家から帰る途中を不意に取っておさえて猿轡《さるぐつわ》をはませ、用意して来た駕籠にぶち込んで、とどこおりなく雑司ケ谷まで生け捕りにして来たのであった。半分は夢中でぼんやりしている勝次郎は、お早の居間と定められているこの離れ家へかつぎ込まれて、薄暗い行灯の下で青い痣にいろどられている女と差し向いになった。
それから後は、どうしたのか誰も知っている者はない。それでも虫が知らしたとでもいうのか、藤左衛門はなんだか一種の不安をいだいて、夜のあけないうちにそっとその様子をうかがいにゆくと、かれの眼に映ったのは生々《なまなま》しい血潮と若い二人の亡骸《なきがら》とであった。
ふたりはどうして死んだのか判らないが、前後の事情から考えて、又その模様から判断して、それが普通の心中でないことは半七にも想像された。勝次郎は痣娘にその若い命をちぢめられたらしい。それについて藤左衛門は眼をふきながら云った。
「お役目の方が御覧になりましたなら、何もかもお判りでござりましょうから、なまじいに隠し立てはいたしません。娘は思いあまって、こんな事になったのであろうと存じます。これが人なみの娘でござりましたなら、たといどんな片輪者でござりましょうとも、勝次郎さんにもよく頼んで、なんとか添い遂げる御相談のしようもあるのでござりますが、どうもそれがなりませんので……」
云いさして彼は声を呑んだ。その白い鬢《びん》の毛のかすかにふるえているのも痛ましく見えて、半七も思わず眼をしばたたいた。
「いや、判りました。もう仰しゃるには及びません。何もかもお察し申して居ります。ついては棟梁」と、かれは大五郎を見かえった。「おまえさんも弟子ひとりを取られて、さぞ残念には思うだろうが、これも因縁ずくで仕方がねえ。なんにも云わずに、この二人は心中ということにして、こららの家《うち》の菩提所へ合葬してやったらどうだね」
「何分よろしくねがいます」と、大五郎も素直に承知した。
藤左衛門の眼からは新らしい涙が流れた。半七と大五郎は二つの亡骸のまえに改めて線香をそなえた。
雑司ケ谷心中と世間にうたわれて、庄司の家から程遠くない寺内にお早と勝次郎とが葬られた後、しぐれ雲のゆきかいする寒い日が幾日もつづいた。十一月のなかばになって、清水山で一匹の獣が生け捕られた。それは山卯の喜平と建具屋の茂八の罠《わな》にかかったのである。
喜平は番頭に叱られ、茂八は主人に叱られたのであるが、それが近所にも知れ渡って、自分たちが弱虫であるように云いはやされるのが、如何にも残念でならないので、どうかして自分たちをおびやかした獣の正体を見あらわしてくれようと、二人は相談の上でまた懲《こ》りずまに清水山探検を試みた。今度は獣を捕らえるのが目的であるので、かれらは魚と鼠を餌《えさ》にして、灌木と枯れすすきのあいだへ罠をかけておくと、三日目の夜に果たして四尺あまりの獣がその罠にかかった。獣は鼬《いたち》によく似たもので、黄いろい毛と長い尾を持っていた。おそらくは貂《てん》であろうと判断されたが、それほどの大きい貂は滅多《めった》にあるものではないというので、所詮は得体《えたい》のわからない一種の怪獣と見なされてしまった。そうして、清水山に怪異があるというのは、こんな怪獣が棲んでいる為であろうということになった。その正体を見とどけた喜平らは岩見重太郎の二代目とまでは行かなかったが、ともかくも弱虫の汚名《おめい》をすすぐことが出来たので、大手を振って町内を押しあるいた。怪獣のゆく末は説明するまでもない。かれは両国の見世物小屋に晒され、柳原の清水山に年を経たる九尾の怪獣の正体はこれでございとはやし立てられて、興行師のふところを余程ふくらませた。
唯ここに一つの疑問として残されているのは、池崎の中間どもが清水山に犬を入れて啣《くわ》え出させたという、かの怪しい箱の出所《しゅっしょ》である。これも恐らくは、かのお早の仕業であろうかと察しられるが、何分にもその実物をみないので何とも云えないと、半七老人はわたしに話した。かの貂に似た獣は昔からここに棲んでいたのか、それとも他《よそ》から入り込んで来たのか、それも判らない。中間どもの放した犬がこの怪しい獣を狩り出さないで、ほかの怪しい箱を啣え出して来たのも、不思議といえば不思議であった。
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むらさき鯉
一
「むかし者のお話はとかく前置きが長いので、今の若い方たちには小焦《こじ》れったいかも知れませんが、話す方の身になると、やはり詳しく説明してかからないと何だか自分の気が済まないというわけですから、何も因果、まあ我慢してお聴きください」
半七老人は例の調子で笑いながら話し出した。それは明治三十一年の十月、秋の雨が昼間からさびしく降りつづいて、かつてこの老人から聴かされた「津の国屋」の怪談が思い出されるような宵のことであった。今夜のような晩には又なにか怪談を聴かしてくれませんかと、私がいつもの通りに無遠慮に強請《ねだ》りはじめると、老人はすこしく首をひねって考えた後に、面白いか面白くないか知りませんけれども、まあ、こんな話はどうでしょうね、とおもむろに口を切った。
その前置きが初めの通りである。
「いや、焦れったいどころじゃあありません。なるたけ詳しく説明を加えていただきたいのです」と、わたしは答えた。「それでないと、まったく私たちにはよく判らないことがありますから」
「お世辞にもそう云ってくだされば、わたくしの方でも話が仕よいというものです。まったく今と昔とは万事が違いますから、そこらの事情を先ず呑み込んで置いて下さらないと、お話が出来ませんよ」と、老人は云った。「そこで、このお話の舞台は江戸川です。遠い葛飾《かつしか》の江戸川じゃあない、江戸の小石川と牛込のあいだを流れている江戸川で……。このごろは堤《どて》に桜を植え付けて、行灯をかけたり、雪洞《ぼんぼり》をつけたりして、新小金井などという一つの名所になってしまいました。わたくしも今年の春はじめて、その夜桜を見物に行きましたが、川には船が出る、岸には大勢の人が押し合って歩いている。なるほど賑やかいので驚きました。しかし江戸時代には、あの辺はみな武家屋敷で、夜桜どころの話じゃあない、日が落ちると女一人などでは通れないくらいに寂しい所でした。それに昔はあの川が今よりもずっと深かった。というのは、船河原橋の下で堰《せ》き止めてあったからです。なぜ堰き止めたかというと、むかしは御留川《おとめがわ》となっていて、ここでは殺生《せっしょう》禁断、網を入れることも釣りをすることもできないので、鯉のたぐいがたくさんに棲んでいる。その魚類を保護するために水をたくわえてあったのです。勿論、すっかり堰いてしまっては、上から落ちて来る水が両方の岸へ溢れ出しますから、堰《せき》は低く出来ていて、水はそれを越して神田川へ落ち込むようになっているが、なにしろあれだけの長い川が一旦ここで堰かれて落ちるのですから、水の音は夜も昼もはげしいので、あの辺を俗にどんどんと云っていました。水の音がどんどんと響くからどんどんというので、江戸の絵図には船河原橋と書かずにどんど橋と書いてあるのもある位です。今でもそうですが、むかしは猶さら流れが急で、どんどんのあたりを蚊帳《かや》ケ淵《ふち》とも云いました。いつの頃か知りませんが、ある家の嫁さんが堤を降りて蚊帳を洗っていると、急流にその蚊帳を攫《さら》って行かれるはずみに、嫁も一緒にころげ落ちて、蚊帳にまき込まれて死んでしまったというので、そのあたりを蚊帳ケ淵と云って恐れていたんです」
「そんなことは知りませんが、わたし達が子どもの時分にもまだあの辺をどんどんと云っていて、山の手の者はよく釣りに行ったものです。しかし滅多《めった》に鯉なんぞは釣れませんでした」
「そりゃあ失礼ながら、あなたが下手だからでしょう」と、老人はまた笑った。「近年まではなかなか大きいのが釣れましたよ。まして江戸時代は前にも申したような次第で、殺生禁断の御留川になっていたんですから、魚《さかな》は大きいのがたくさんいる。殊にこの川に棲んでいる鯉は紫鯉というので、頭から尾鰭までが濃い紫の色をしているというのが評判でした。わたくしも通りがかりにその泳いでいるのを二、三度見たことがありますが、普通の鯉のように黒くありませんでした。そういう鯉のたくさん泳いでいるのを見ていながら、御留川だから誰もどうすることも出来ない。しかしいつの代にも横着者は絶えないもので、その禁断を承知しながら時々に阿漕《あこぎ》の平次をきめる奴がある。この話もそれから起ったのです」
文久三年の五月なかばである。毎日降りつづく五月雨《さみだれ》もきょうは夕方からめずらしく小歇《こや》みになったが、星ひとつ見えない暗い夜に、牛込無量寺門前の小さい草履屋の門《かど》をたたく者があった。無量寺門前というのは今日の築土八幡町である。このごろは雨つづきで草履屋《ぞうりや》の商売も休みも同様であるばかりか、亭主の藤吉は宵から出ているので、女房のお徳は店を早く閉めて、奥の長火鉢の前で浴衣《ゆかた》の縫い直しをしている時、表の戸をそっと叩く音がきこえたので、お徳は針の手をやめて顔をあげた。今夜ももう四ツ(午後十時)に近い。この夜ふけに買物でもあるまい。おそらく道をきく人ででもあろうかと思ったので、かれは坐ったままで声をかけた。
「はい。なんでございます」
外では又そっと叩いた。
「どなたですえ。お買物ですか」と、お徳はまた訊《き》いた。
「ごめん下さい」と、外では低い声で云った。
なんだか判らないので、お徳もよんどころなしに起ちあがった。狭い店さきへ出て、再び何の用かと訊くと、外では女の細い声で、御亭主にちょっとお目にかかりたいという。内の人は唯今留守ですと答えると、それではおかみさんに逢わせてくれというので、お徳はともかくも表の戸をあけると、ひとりの痩形の女が夜目にも白い顔をそむけて、物思わしげに悄然とたたずんでいるのが薄暗い行灯《あんどう》の火にぼんやりと照らし出された。
「なにか御用でございますか」
「はい。あの、失礼でございますが、お店へあがりましてもよろしゅうございましょうか」と、女は忍びやかに云った。
見ず識らずの女が夜ちゅうに人の店へあがり込もうというのは、なんだか胡散《うさん》らしいとも思ったが、お徳はもう三十を越している。相手は弱々しい女ひとり、別に恐れるほどのこともあるまいと多寡をくくって、そのまま店へあがらせると、女はうしろを見かえりながらそっと表の戸を閉め切ってはいった。そうして、なにを云い出すかと、お徳は相手の俯向き勝ちの顔をのぞくように見ていると、女はやがて低い声で云い出した。
「夜ふけに伺いまして、だしぬけにこんなことを申し上げるのも異《い》なものでございますが、わたくしはこの御近所に居りますもので、昨晩不思議な夢を見ましたのでございます」
「はあ」と、お徳も不思議そうに相手をいよいよ見つめた。思いも付かないことを云い出されて、かれは少しく煙《けむ》にまかれたのであった。
「ひとりの男……むらさきの着物を被《き》て、冠《かんむり》をかぶった上品な人でございました。それがわたくしの枕もとへ参りまして、自分の命はきょう翌日《あす》に迫っている。どうぞあなたの力で救っていただきたいと、こう申すのでございます。そこで、一体あなたは何処のお方ですかと訊きますと、わたくしは無量寺門前の草履屋の藤吉という人の家《うち》にいる。そこへお出でになれば自然にわかると、云うかと思うと夢が醒めました。なにぶんにも夢のことでございますから、そのままにして置きましたのですが、夜になって考えますと、なんだか気にもなりますので、とうとう思い切って今時分に伺いましたようなわけでございますが……」
いよいよ判らないことを云い出すので、お徳はただ黙って聴いていると、女はひと息ついて又語り出した。
「それも夢だけのことでございましたら、わたくしもそれほどには気にかけないのでございますが、実はけさになってみますと、枕もとに魚の鱗《こけ》のようなものが一枚落ちていましたので……。それは紫がかった金色《こんじき》に光っているのでございます」
お徳の顔色は俄かに動いて、おもわず台所の方をみかえると、そこでは大きい魚の跳ねるような音がきこえた。女客も俄かに耳を引っ立てた。
「あ、奥で何か跳ねるような……」
お徳はやはり黙っていた。
「唯今申し上げたことで、何かお心あたりのようなことはございますまいか」と、女はしずかに云った。
「別にどうも……」と、お徳はあいまいに答えたが、その声は少しふるえていた。
「まったくお心あたりはないでしょうか」
台所ではまた魚の眺ねる音がきこえた。女はその物音のする方を伸びあがるようにして覗《のぞ》きながら、また云い出した。かれの声も少しふるえていた。
「お願いでございます。お心あたりがございますならば、どうぞ教えていただきたいのでございますが……」
その訴えるような声音《こわね》が一種の恨みを含んでいるらしくも聞えたので、お徳はまた俄かにぞっとした。さっきからの話を聴いて、お徳も内々は思いあたることが無いでもなかったのである。実を云うと、夫の藤吉はこのあいだから彼《か》の江戸川のどんど橋のあたりへ忍んで行って、禁断のむらさき鯉の夜釣りをして、現にゆうべも一|尾《ぴき》の大きい鯉を釣りあげて来た。それに味を占めて、かれは今夜も宵から釣道具を持ち出して行ったのである。ゆうべの鯉は盥《たらい》に入れたままで台所の揚げ板の下に隠してある。それを知っているらしい彼の女は、いったい何者であろうかと、お徳は不安に思った。
女の話がほんとうであるとすれば、鯉がその夢に入って救いを求めたものであろう。もし又それが嘘であるとすれば、夫が殺生禁断を犯しているのを知って、ひそかにその様子を探りに来たのかも知れない。どちらにしても薄気味のわるい女客を、お徳はどうあしらってよいか判らなかったが、この女が入り込むと同時に、今までおとなしかった台所の鯉が俄かにたびたび跳ねあがるのも不思議であるばかりか、女の顔に愁いを帯び、女の声に恨みを含んでいるらしいのが、お徳をいよいよ恐れさせた。あるいはその夢ばなしは作り事で、この女はかのむらさき鯉に何かの因縁のあるものではあるまいかという疑いも湧き出して、かれは更に薄暗い行灯の灯《ひ》かげで女の姿をよく視ると、女の髪は水を出て来たように湿《ぬ》れていた。今は雨も止んでいるのに、かれはどうして湿れて来たのかと、お徳のうたがいは一層強くなった。この女は水から出て来たのではあるまいかと思うと、気の強い女房も俄かにぞっとしたのである。
「あの、奥の方で何か跳ねているのは、なんでございましょう」と、女は訊《き》いた。
「そんな音がきこえましたか」と、お徳は白らばっくれてこたえた。「雨だれの音じゃありませんかしら」
その苦しい云い訳を打ち消すように、台所の鯉はまた跳ねた。
「おかみさん、どうぞお隠しなさらないでください」と、女はいよいよ恨めしそうに云った。「唯今も申す通り、わたくしの枕もとに紫の鱗が落ちていました。奥で今跳ねているのは確かに魚でございます。魚の跳ねる音でございます。一生のおねがいでございますから、どうぞその魚を一度みせてください。その魚はきっとむらさきに相違ございません」
お徳ももう返事に困って、唯おどおどしていると、女の様子がだんだんと物凄く変って来た。
「ごめんください。ちょっと奥へ行って拝見してまいります」
女は起って奥へゆきかけるのを、お徳はさえぎる力もなかった。女の起ったあとを見ると、そこの畳の上は陰《くも》ったように湿《ぬ》れているので、かれは又ぞっとした。
二
むらさきの鯉は怪しい女の手によって、台所のあげ板の下から持ち出された。鯉はかれの両袖にかかえられて、おとなしく運び去られるのを、女房は唯うっかりと眺めていると、女は帰るときにお徳に云った。
「どうもありがとうございました。今のわたくしとしては別にお礼の致しようもございませんが、これからは蔭ながらおまえさん方夫婦の身の上を守ります」
かれは足音もしないように表へ出て、その姿は五月《さつき》の闇に隠されてしまった。それを見送って、お徳はほっとした。かれは夢をみているのではないかとも疑ったが、だんだんに落ち着いてかんがえると、怪しい女はどうも江戸川の水の底から抜け出して来たらしく思われてならなかった。それが普通の人間ならば、いかに夢の告げがあったからといって、人の家の魚をただ取ってゆくという法はない。それに対して相当の償《つぐな》いをしてゆくべき筈であるのに、今のわたくしとしては別にお礼のしようもないと彼女は云った。その代りに、蔭ながらお前たち夫婦の身の上を守るとも云った。そんなことは普通の人間の云うべき詞《ことば》ではない。かれはおそらく一種の霊あるものであろうと、お徳は想像した。そうして、かれが再び引っ返して来るのを恐れるように、お徳は表の戸に栓をおろした。
「それでもすなおに鯉をわたしてやってよかった。うっかり逆《さか》らったらどんな祟りを受けたかも知れない」
禁断の魚を捕るということがすでに逃がれがたい罪である。その不安に絶えずおびやかされている矢さきへ、測《はか》らずも今夜のような怪しい女に襲われて、お徳はいよいよその魂をおののかせた。夫が帰ったならばすぐにこの話をして聞かせて、今夜かぎりに夜釣りを止めさせなければならないと思いながら、再び長火鉢の前に坐りかけると、檐《のき》の雨だれの音がときどきに聞え始めた。又ふり出したのかと耳をかたむけると、雨の音はだんだんに強くなるらしい。それが今夜のお徳に取り分けて侘《わび》しくきこえて、洗いざらしの単衣《ひとえ》の襟がなんだか薄ら寒く感じられた。かぜでも引いたのかと、肩をすくめて身ぶるいする時、表の戸を軽くたたく音がきこえた。亭主が帰って来たのだろうと思いながら、さっきの女客におびえているお徳はすぐに起つのを躊躇していると、外では焦《じ》れるように小声で呼んだ。
「おい。もう寝たのか」
それが夫の声であると知って、お徳は先ず安心した。
「おまえさんかえ」
「むむ、おれだ、おれだ。早くあけてくれ」と、外では小声で口早に云った。
お徳は急いで表の戸をあけると、竹の子笠をかぶった藤吉がずぶ濡れになってはいって来た。かれは手になんにも持っていなかった。
「釣り道具は……」と、お徳は訊いた。
「それどころか、飛んだことになってしまった」
手足の泥を洗って、湿《ぬ》れた着物を着かえて、藤吉はさも疲れ果てたように長火鉢の前にぐったりと坐った。かれは好きな煙草ものまないで、まず火鉢のひきだしから大きい湯呑みを取り出して、冷《さ》めかかっている薬罐《やかん》の湯をひと息に三杯ほども続けて飲んだ。ふだんから蒼白い彼の顔が更に蒼ざめているのを見て、女房の胸には又もや動悸が高くなった。
「おまえさん。どうしたのよ」
気づかわしそうにのぞき込む女房の眼のひかりを避けるように、藤吉はうつむきながら溜息をついた。
「悪いことは出来ねえ。どうも飛んだことになった」
「だからさ、その飛んだ事というのは……。焦れったい人だねえ。早く、はっきりとお云いなさいよ」
「実は……。為さんが川へ引き込まれた」
為さんというのは、町内のちいさい紙屋の亭主で、草履屋とはまったく縁のない商売でありながら、藤吉とは子供のときの手習い朋輩といい、両方がおなじ釣り道楽の仲間であるので、ふだんから親しく往きかいして、岡釣りに沖釣りに誘いあわせて行くことも珍らしくなかった。その道楽が遂に二人を禁断の釣り場所へ導くようにもなったので、お徳は自分の亭主の罪を棚にあげて、その相棒の為さんを悪い友達としてひそかに怨んでいた。しかも、その為さんが川へ引き込まれたと聞いては、かれも驚かずにはいられなかった。
「為さんが引き込まれた……。河童《かっぱ》にかえ」
「河童や河獺《かわうそ》じゃあねえ。魚《さかな》にやられたんだ。おれも驚いたよ」と、藤吉は顔をしかめてささやいた。「いつもの通りに堤《どて》を降りて、ふたりが列《なら》んで釣っていると、やがて為さんが小声で占めたと云ったが、なかなか引き寄せられねえ。よっぽど大きいらしいから跳ねられねえように気をつけねえよと、おれも傍から声をかけたが、なにしろ真っ暗だから見当が付かねえ。それでもどうにかこうにか綾なして、だんだんに手元へひき寄せたらしく、為さんは手網《たも》を持って掬いあげようとする。その途端に、今まで暗かった水の上が急に明るくなって、なんだか知らねえが金のようにぴかぴかと光ったものがあるかと思うと、大きい魚が跳ねかえる音がして、為さんはあっという間もなしにすべり込んでしまったので、おれもびっくりして押えようとしたが、もういけねえ。暗さは暗し、このごろの雨つづきで水嵩は増している。しょせん手の着けようもねえので、おれも途方に暮れてしまったが、それでも川下《かわしも》の方へ流されて行くうちには、どこかの岸へ泳ぎ付くことがあるかも知れねえと、暗い堤下を探るようにして、どんどんの堰《せき》の落ち口まで行ってみたが、真っ暗な中で水の音がどんどときこえるばかりで、為さんの上がって来る様子はねえ。為さんもひと通りは泳げるんだが、なにしろ馬鹿に瀬が早いからどうにもならなかったらしい」
「おまえさん、呼んでみればいいのに……」と、お徳は喙《くち》を容れた。
「それが出来ねえ」と、藤吉は首をふってみせた。「これがほかの所なら、為さんを呼ぶばかりじゃあねえ。大きい声で近所の人を呼んで、なんとか又、工夫のしようもあるんだが、なにをいうにも場所が悪い、うっかり大きな声を出してみろ、こっちの身の上にもかかわることだ。もうこうなったら仕方がねえ、これもまあ為さんの運の悪いのだと諦めて、おれもそのまま帰って来たが、どうも心持がよくねえ。ああ、忌《いや》だ、忌《いや》だ」
「ほんとうに忌だねえ」と、お徳も溜息をついた。「だから、あたしがお止しと云うのに、お前さん達が肯《き》かないで出て行くからさ。為さんのことばかりじゃあない、内にも忌なことがあったんだよ」
「どんな事があったんだ」と、藤吉は不安らしく慌てて訊いた。「まさか為さんが来た訳じゃあるめえ」
「為さんが来るものかね。ほかに何だかおかしい女が来たんだよ」
怪しい女に鯉を抱え出された一件を女房の口から聴かされて、藤吉はいよいよ顔の色を変えた。
「そりゃあどうもおかしいな。その女はいってえ何者だろう」
「ねえ、もしや川から出て来たんじゃ無いかしら」と、お徳は摺り寄ってささやいた。
「むむ。おれも何だかそんな気がする。ゆうべ釣って来たのは雄《おす》の鯉で、その雌《めす》が取り返しに来たんじゃあるめえかな」
「返してやったからいいようなものだが、なんだか気味が悪いね」
「どうも変だな」
と、藤吉は今更のように表をみかえった。
「外では為さんがあんなことになる。内ではそんな女が押し掛けて来る。どう考えても、むらさきが俺たちに祟っているらしい。まったく悪いことは出来ねえ。もう、もう、これに懲《こ》りて釣りは止めだ」
「それにしても、越前屋の方はどうするの。まさかに知らん顔をしてもいられまいじゃないか」
「それをおれも考えているんだ。おれと一緒に行くことは、おかみさんも知っているんだからな」
「それだから知らん顔はしていられないと云うのさ。おまえさん、これから行って早く知らしておいでなさいよ」
「これから行くのか」と、藤吉は再び顔をしかめた。
「だって、打っちゃっては置かれまいじゃないか。夜が更《ふ》けても直ぐそこだから、早く行っておいでなさいよ」
追い出すように急《せ》き立てられて、藤吉は渋々ながら出て行った。
三
「あの人はなにをしているんだろう」
それから二刻《ふたとき》あまりを過ぎても亭主の藤吉は帰らないので、お徳はまた新らしい不安を感じ出した。そのころの二刻といえば今の四時間である。藤吉が出て行ったのは四ツを少し過ぎたころで、市ヶ谷八幡の鐘が夜《よる》の八ツ(午前二時)を撞《つ》いてからもう小半刻も経ったかと思うのに、かれはまだ帰って来なかった。あるいは越前屋の女房にたのまれて、為さんの死骸を探しにでも行ったのかとも思ったが、何分にもいろいろの奇怪な事件がそれからそれへと続出するのにおびやかされている彼女は、どうも落ち着いてはいられないような気がするので、更けてますます降りしきる雨の中を越前屋へたずねて行った。
越前屋は小半町しか距《はな》れていないので、すぐに行き着くと、紙屋の店は表の戸をおろしてひっそりしている。常の時ならばそれが当然であるが、今夜こんなに寝鎮まっているのをお徳はすこし不思議に思いながら、ともかくもそっと戸を叩くと、内では容易に返事がなかった。焦《じ》れて幾たびか強く叩くと、小僧の寅次が寝ぼけ眼《まなこ》をこすりながら起きて来た。
「あの、内の人は来ていますかえ」と、お徳は待ちかねて訊《き》いた。
「いいえ」
「来ていませんか」
「今時分藤さんが来ているものか」と、寅次は腹立たしそうに云った。
「おかみさんは……」と、お徳はまた訊《き》いた。
「奥に寝ていますよ」
「旦那は……」
「旦那も寝ていますよ」
お徳はびっくりした。鯉を釣りあげ損じて、川流れになった筈の為さんが無事に寝ているというのは案外であった。ほんとうに寝ているのかと念を押すと、寅次は確かに寝ていると云った。ゆうべ何処へ行って、何刻《なんどき》に帰って来たかと詮議すると、旦那は五ツ(午後八時)頃に出て行って、四ツ少し過ぎに帰って来たらしい。自分は四ツを合図に店を閉めて寝てしまったから、よくは知らないと寅次は云った。それでもお徳の不審はまだ晴れないので、旦那かおかみさんを起こしてくれと又頼むと、寅次は不承不承《ふしょうぶしょう》に奥へはいったが、やがて女房のお新を連れ出して来た。
「あら、お徳さん。今時分どうしたの。藤さんが急病人にでもなったんですか」と、お新は不思議そうに云った。
「実はこちらへ来ると云って、ふた刻も前に出たんですが、まだ帰って来ないので、なにをしているのかと様子を見に来たんですよ」と、お徳は正直に答えた。
「藤さんが……」と、お新は眉をよせた。「今夜は一度も見えませんよ」
「あら、そうですか」
お徳は煙《けむ》にまかれてぼんやりと突っ立っていた。ゆうべからの事をかんがえると、かれはやはり夢でも見ているのか、それとも八幡の森の狐にでも化かされているのかと、自分で自分を疑うようにもなった。
「為さんはお内ですね」
再び念を押すと、お新は内にいるとはっきり答えた。その上に詮議のしようもないので、お徳は気が済まないながらも一旦は空《むな》しく引き揚げるのほかはなかった。
「藤さんは浮気者だから、ここの家《うち》へ来るなんて旨いことを云って、どっかへしけ込んでいるんじゃありませんかえ」と、お新は笑っていた。
年下の女にからかわれて、この場合、お徳も少しむっとしたが、そんなことを云い争っている時でもないので、かれはそれを聞き流して怱々《そうそう》に帰った。それにしても亭主はどこへ行ったのであろう、もしや留守のあいだに帰っているかも知れないと、急いで内へはいってみると、内は行灯を消したままで藤吉はまだ帰っていなかった。
死んだはずの為さんは生きていて、生きていたはずの亭主がゆくえを晦《くら》ましたのである。為さんは無事に泳ぎついて助かったのかも知れないが、亭主のゆくえ不明がどうしても判らなかった。それともお新の云うように、いい加減のこしらえ事をして何処かの色女のところに隠れ遊びをしているのかと、お徳は半信半疑のうちにその夜をあかした。
雨は暁方《あけがた》から又ひとしきり止んで、梅雨とは云っても夏の夜は早く白《しら》んだ。ゆうべは碌々に眠らなかったお徳は、早朝から店をあけて亭主の帰るのを待っていたが、藤吉はやはりその姿をみせなかった。もう一度、越前屋へ行って、亭主の為さんに逢って、くわしいことを詮議して来ようと思っているところへ、飛んでもない噂がここらまで伝わってお徳をおどろかした。藤吉の死骸が江戸川のどんど橋の下に浮かんでいたというのである。自分が追い立てるようにして越前屋へ出してやった亭主の藤吉が、どうして再び江戸川の方角へ迷って行って、そこに身を沈めるようになったのか。ゆうべ死んだというのは、為さんでなくて藤吉であったのか。ゆうべ帰って来たのは幽霊か。なにが何やら、お徳にはちっとも判らなくなってしまった。
なにしろ其の儘にしては置かれないので、お徳はとりあえずその実否《じっぴ》を確かめに行こうとすると、家主《いえぬし》もその噂を聴いて出て来た。家主と両隣りの人々に附き添われて、お徳はこころも空に江戸川堤へ駈けつけると、死骸はもう引き揚げられていた。あら菰《ごも》をきせて河岸の柳の下に横たえてある男の水死人はたしかに藤吉に相違ないので、附き添いの人々も今更におどろいた。お徳は声をあげて泣き出した。
死骸は検視の上でひと先ずお徳に引き渡されたが、その場所が御留川であるので、詮議は厳重になった。藤吉の死骸には少しも疵のあとが無いので、おそらく覚悟して身を投げたものであろうとは想像されたが、たとい自殺にしても一応はその仔細を吟味しなければならないというので、女房のお徳はきびしく取り調べられた。それに対して、お徳も最初は曖昧の申し立てをしていたが、しまいには包み切れなくなって、ゆうべの出来事を逐一に申し立てたので、草履屋の藤吉が越前屋の亭主と御留川へ夜釣りに行ったことや、その留守のあいだに怪しい女のたずねて来たことや、藤吉が一旦帰って来て更に越前屋へゆくと云って出たことや、それらの事実がすべて係り役人の耳にはいった。
越前屋の亭主はすぐに召し捕られて吟味を受けた。かれはその名を為次郎と云って、当年三十五歳である。女房のお新は二十七歳、小僧の寅次は十五歳で、一家はこの夫婦と小僧との三人暮らしであるが、親ゆずりの家作三軒を持っていて、店は小さいが内証は苦しくない。世間の附き合いも人並にして、近所の評判も悪くなかった。為次郎は役人の吟味に対して、自分はこれまでに草履屋の藤吉と誘いあわせて岡釣りや沖釣りに出たことはあるが、御留川の江戸川などへ夜釣りに行ったことは一度もないと申し立てた。それではお徳の申し口とまったく相違するので、役人はいろいろに吟味したが、かれはどうしても覚えがないと云い張った。ゆうべは神田の上州屋という同商売の店に不幸があったので、その悔みに行って四ツ過ぎに帰って来たのであると彼は云った。念のために神田の上州屋を調べると、果たして為次郎は宵から悔みに来て、四ツ少し前に帰ったということが確かめられた。
こうなると、役人の方でも何が何やら判らなくなって来た。お徳は自分の亭主の云うことを一途《いちず》に信じて、為さんも夜釣りの仲間であると申し立てているものの、実はふたりが連れ立って出るところを一度も見たことはないのであった。禁断を犯す仕事であるから、二人は忍び忍びに家を出て、どんど橋のわきで落ち合うことになっていたように聴いていると彼女は云った。してみると、藤吉は何かの都合で女房をあざむいて、自分ひとりで夜釣りに出ていたものかとも思われる。それにしても越前屋の亭主が鯉を釣り損じて川に落ちたなどという出たらめをなぜ云ったのか。そうして、自分がなぜ入水《じゅすい》したのか。又かの怪しい女は何者か、その女と藤吉とのあいだに何かの関係があるのか無いのか、役人たちもその判断に苦しんだ。
「どうだ、半七。あらましの本読みはこの通りだが、これだけじゃあ芝居も幕にならねえ。なんとか工夫して、めでたく打ち出しまで漕ぎ付けてくれ」と、八丁堀同心の村田良助が半七を呼んで云った。
「かしこまりました。まあ、なんとかこじつけてみましょう。しかし御寺社《おじしゃ》の方はよろしいのでございましょうな」
寺の門前地は寺社奉行の支配で、町方《まちかた》の係りではない。そこへみだりに踏み込むことは出来ないので、半七が一応の念を押すと、良助はうなずいた。
「それは寺社の方から云って来たのだから、仔細はねえ。どこまでも踏み込んで片付けてくれ」
四
「さあ、これからの筋道を順々に講釈していては長くなる。いつまでも聴き手を焦らしているのが能《のう》でもありませんから、ちっと尻切り蜻蛉《とんぼ》のようですが、おしまいの方は手っ取り早くお話し申しましょう」と、半七老人は云った。「それから五日ばかりののちに、この一件もみんな埒があきましたよ」
「はあ、どういうふうに解決がつきました」と、わたしは熱心に訊《き》いた。「一体その怪談がかった女は何者ですか」
「いま時の方はまさか鯉の雌が女に化けて、自分の雄を取り返しに来たとも思わないでしょうが、昔の人間はみんなそう思ったんですよ」と、老人はまた笑った。「そこで、その怪談の主人公の女というのは、以前は西川|伊登次《いとじ》という看板をかけていた踊りの師匠で、今では高山という銀座役人の囲いものになって、牛込の赤城下《あかぎした》にしゃれた家を持って贅沢に暮らしている。銀座役人は申すまでもなく、銀座に勤める役人ですが、天下通用の銀を吹く役所にいるだけに何か旨いことがあるとみえて、こういう勤め向きの者はみんな素晴らしい贅沢をしていました。そのお気に入りの囲い者ですから、伊登次も今は本名のお糸になって、表がまえはともかくも、内へはいってみると実にびっくりするような立派な家に住んでいるという訳で、旦那の高山は三日にあげずに通って来る。ときどきには同役や御用達《ごようたし》町人なども連れて来る。そこで、かの事件のあった晩にも、高山は五人の同役をつれて来て、宵からお糸の家の奥座敷で飲んでいるうちに、いろいろの食道楽の話が出て、おれは江戸川のむらさき鯉を一度食ってみたいと云い出した者がある。いやなに、普通の真《ま》鯉でも紫鯉でも別段に変りはあるまいという者もある。それが昂じて高山も、物はためしだ、おれも一度は是非その鯉を食いたいと云うと、酌をしていたお糸はなんと思ったか、旦那がそれほどに喫《た》べたいと仰しゃるなら、わたくしがすぐに取ってまいりますと云う。これにはみんなも驚いて、さすがは高山の奥方だ。ほんとうにその鯉を取って来て下さるなら、我々もその御相伴《おしょうばん》にあずかりたいものだと冗談半分にがやがや云うと、お糸はどうぞ暫くお待ちくださいと云って座を起った。こっちは酔っているので別段気にも留めないで飲んでいると、お糸はいつまでも座敷へ戻って来ない。どうしたのだと女中に訊《き》くと、さっき表へ出たぎりで帰らないという。それではほんとうに取りに行ったのかとは云ったが、よもやと思って笑っていると、やがてお糸がお待ち遠さまでございましたと持ち出して来た皿の上には、眼の下一尺あまりもあろうという大きな鯉が生きていて、しかもその鱗《こけ》が燭台の灯《ひ》にも紫に映ったので、みんなもあっと驚く。高山は上機嫌で、なるほどお糸でなければ出来ない芸だ。方々《かたがた》も褒めておやりなされ、この高山も褒めてやるぞと、飛んだ陣屋の盛綱を気取って、扇をあげて褒めそやすと、ほかの連中も偉い偉いと扇をひらいて煽ぎ立てる。いや、実にばかばかしい話ですが、昔はこんな連中がいくらもあったものです。天下の役人がこの始末、まったく江戸も末でしたよ」
「すると、そのお糸という女が草履屋の店へ化け込んだのですね。それにしても、どうしてその鯉のあることを知っていたのでしょうね」
これは私でなくとも当然に起るべき疑問であろう。半七老人はご尤もとうなずいて、又しずかに語り出した。
「それは自然にわかります。まあ、おちついてお聴きください。この探索をはじめる時に、わたくしはきっとこの事件には魚屋《さかなや》が係り合っていると睨みました。草履屋の亭主はどんなに鯉が好きか知りませんけれども、自分が食うばかりでなく、どこへか売り込むに相違ない。それには魚屋の味方があると思いましたから、女房のお徳をだんだんに詮議すると、案のじょう、近所の川春《かわはる》という仕出し屋の手でどこへか持ち込むことが判りました。川春はなかなか大きい店で、旗本屋敷や大町人の得意場を持っている。前に云ったような人間の多い時代ですから、旗本の隠居や大町人の贅沢な奴らが川春の宇三郎にたのんで、御留川のむらさき鯉を食うのがある。魚の味は格別に変りはないのですが、そこが贅沢で、食えないものを食うという一種の道楽です。宇三郎はそこを附け込んで、うまい儲けをする。しかし自分たちが迂濶に釣ったり、網を入れたりすると、商売柄だけにすぐに眼につくという懸念から、ふだんから心安い藤吉を抱き込んで、こいつにそっと釣らせていたんです。
お徳の白伏でこれだけのことは判りましたが、鯉を取りに来たという女の正体がまだわからない。そこで更に手をまわして探索すると、この仕出し屋の料理番をしている富蔵という小粋な若い奴が、高山の囲い者のお糸と出来合っていることを探り出しました。富蔵はお糸が師匠をしている時からの馴染《なじみ》で、今も内所で逢い曳きをしている。それがわかったので、わたくしは子分の松吉に云いつけて、富蔵が近所の朝湯に行って帰る途中を引き挙げさせてしまいました。お徳の白状もあるのですから、すぐに宇三郎を召し捕ってもいいんですが、宇三郎という奴はなかなか食えない老爺《おやじ》らしいので、下手に当人を引き挙げて強情にシラを切っていられると面倒ですから、まず料理番の富蔵をおさえて、こいつの口から動かない証拠を挙げてしまおうと思ったんです。富蔵は案外に意気地のない奴で、ちょっと嚇かしたらすぐに何もかもしゃべってしまったばかりか、ほかに案外のことまで吐き出しました。それが即ちお糸の一件です。
草履屋に鯉のあることをお糸がどうして知っていたかと云うと、この富蔵の口から聴いたんです。その前の晩、近所の女髪結の家《うち》の二階でお糸と富蔵とが逢った時、富蔵はいろいろの話のうちに、草履屋の藤吉が江戸川のむらさき鯉を内証で持ち込んで来ることを話しました。まだそればかりでなく、藤吉がだんだんに増長して、なにしろ御法度《ごはっと》破りの仕事だから、今までのように一|尾《ぴき》二分では売られない、これからは一尾一両ずつに買ってくれと云い出したが、宇三郎は承知しない。現にきょうもその捫著《もんちゃく》で、藤吉は一尾を売らずに帰ったという話をしたので、草履屋の家に一尾の鯉のあることをお糸は知っていたのです。お糸もその時は何の気無しに聴いていたんですが、その明くる晩に旦那の高山が同役を連れて来て、前に云ったようなわけで紫鯉の話が出ると、お糸は不図《ふと》ゆうべの富蔵の話をおもい出した。ここで一番自分の腕を見せてやろうという料簡になって、その鯉をすぐに取って来ようと安請け合いに受け合った。当人の腹では、色男の富蔵にたのんで、藤吉から売って貰うつもりであったんですが、あいにくに富蔵はどこへか出て行った留守で、川春の店にいない。と云って、立派に受け合って来た以上、今さら素手《すで》では帰れない。見ず識らずの草履屋へ行って、だしぬけに鯉を売ってくれと云ったところで相手が取りあう筈もない。思案に暮れた挙げ句の果てに、思いついたのが怪談がかりの狂言で、そこらの井戸の水か何かで髪をぬらしたり着物を湿《ぬ》らしたりして、草履屋の店へたずねてゆくと、丁度に亭主は留守で女房ひとりのところ。こっちは踊りの師匠ですから、身振りや仮声《こわいろ》も巧かったんでしょう、なんだか仔細らしく物すごく持ち掛けて、まんまと首尾よくその鯉をまきあげて行ったのには、芝居ならばこのところ大出来大出来というところかも知れません」
「いや、わかりました。なるほどお糸という女はなかなかの芝居師ですね。そこで、藤吉の方はどうしたのです」と、わたくしは追いかけて訊《き》いた。
「ここまでお話をすれば、あなた方にも大抵鑑定が付くでしょう。こうなれば、もう訳はありませんよ」と、老人はまだ判らないかと云うようにわたしの顔を眺めながら、息つぎの煙草を一服吸った。
「わたくしは富蔵の顔を睨んで、やい、てめえの頸のまわりや手の甲に引っかき疵のあるのはどうしたんだ。まさかに囲い者と痴話喧嘩をしたわけでもあるめえ。てめえ達はあの藤吉をどうしたと、頭から呶鳴り付けると、野郎め、蒼くなって縮み上がってしまいました。
川春の亭主の宇三郎という奴は、ぼてえ振りの魚屋から一代でそれだけの店に仕上げたくらいの人間ですから、年はもう六十に近いのですが、からだも頑丈で気も強い。藤吉が足もとを見てねだり掛けても、相手はびくともする奴じゃありません。藤吉はあべこべに云いまくられて、そのくやしまぎれに、お前が禁断のむらさき鯉を売り込んで、荒っぽい銭儲けをしているということを俺が一と言しゃべったら、ここの家《うち》にぺんぺん草が生えるだろうとか何とか嚇し文句をならべて立ち去っても、宇三郎はおどろかない。そんなことを迂濶に口外すれば宇三郎ばかりでなく、第一にわが身の上が危ういから、藤吉は忌々《いまいま》しいながらも我慢するよりほかはない。それで泣き寝入りにしていれば何事も無かったんですが、藤吉にも金の要ることがある。その訳はあとで話しますが、その晩も夜釣りに行くと云って家を出て、実は宇三郎の家へ行って、もう一遍かけ合ってみる積りで、川春の店さきまで行きかかると、丁度に料理番の富蔵が表に立っていたので、それを物蔭へよび出して、きのうの喧嘩はわたしが悪かったからおまえから親方によく話して、一尾一両の相談をきめてくれと頼んだが、富蔵は取りあわない。おれはほかに行くところがあるからと振り切って行こうとするのを、藤吉がひき留める。それがまた喧嘩のはじまりで、気の早い富蔵は相手の横っ面をぽかりとなぐりつけると、藤吉はかっとなって富蔵の胸倉を引っ掴むと、そのはずみに喉を強く絞めたとみえて、富蔵はそのままぱったり倒れてしまったので、藤吉はびっくりして逃げ出した。
藤吉だって悪い人間じゃあない、根は正直者なんですから、たとい粗相とは云いながら相手を殺した以上は、自分も下手人に取られなければならない。それが恐ろしさに、半分は夢中でそれからそれへと逃げ廻って、夜ふけを待って自分の家《うち》へこっそりと帰って来たらしい。しかしなんだか気が咎めるので、女房にむかって越前屋の為さんが川へ落ちて流されたなどと出たらめを云った。なぜそんな嘘ばなしをしたかというと、今も申す通り、なんだか気が咎めてならないからでしょう。犯罪人というものは妙なもので、自分の悪事を他人事《ひとごと》のように話して、それで幾らか自分の胸が軽くなるというような場合がある。藤吉もやはり其の例で、その時に何かそんなことを云わなければ気が済まなかったらしいんです。女房はそれを真《ま》に受けて、早く越前屋へ知らしてやれ、と云う。今更それは嘘だとも云えない破目《はめ》になって、よんどころなしに表へ出たが、もとより越前屋へ行くわけには行かない。そこでその後の様子を窺うために、川春の店さきへ忍んで行って戸の隙間から覗いていた。勿論、死人に口無しで確かなことは判りませんが、前後の事情から推して行くと、そう判断するよりほかはないんです。
富蔵は一旦気絶したが、川春の店の者が見つけて内へ連れ込んで、水や薬を飲ませると、すぐに息をふき返して、何事もなく済んでしまったのです。そうと知ったら藤吉も安心したんでしょうが、間違いの起るときは仕方がないもので、一生懸命に内の様子をうかがっていると、そこへまた丁度に帰って来たのが亭主の宇三郎です。近所の二階に花合わせや小博奕の寄り合いがあって、いい旦那衆も集まって来る。これを内会《ないかい》と云います。宇三郎もその内会に顔を出して、夜なかに家へ帰ってくると、表には変な奴が覗いている。提灯の灯《ひ》で透かしてみるとかの藤吉なので、この野郎、今度はおれを殺しにでも来たのかと、襟首をつかんで内へ引き摺り込む。藤吉はうろたえて逃げ出そうとする。宇三郎は追いまわす。御承知の通り、仕出し屋のことですから店には洗い場があって、そこには大きい内井戸がある。普通の井戸とは違いますから、井戸側が低く出来ている。藤吉は逃げ廻るはずみに井戸端で足をすべらせて、井戸側へよろけかかったかと思うと、さかさまに転げ込んでしまった。その騒ぎに店の者も起きて来て、すぐと引き揚げたが藤吉はもう息が絶えている。富蔵と違って生き返りそうもない。といって、迂濶に医者を呼んでは、あとが面倒です。宇三郎は家内のものに口止めをして、夜ふけを幸いに藤吉の死骸をおもてへ運んで、そっと江戸川へ捨てさせました。死骸は大きい御膳籠《ごぜんかご》に入れて、富蔵と出前持ちふたりが持ち出して行ったのです」
「では、紙屋の亭主はなんにも係り合わなかったのですか」
「まったくなんにも知らないんです。ふだんから藤吉と釣り仲間ではありましたが、鯉の一件には係り合いの無いことが判りました。御承知かも知れませんが、赤城下はその以前に隠し売女《ばいた》のあったところで、今もその名残《なごり》で一種の曖昧茶屋のようなものがある。そこの白首《しろくび》に藤吉は馴染が出来て、余計な金が要る。御留川の夜釣りも畢竟《ひっきょう》はそういう金の要《い》り途《みち》があるからで、女房の手前は毎晩夜釣りに行くように見せかけて、三度に二度はその女のところへ飛んだ夜釣りに出かけていたんです。そういう時には今夜はあぶれたと誤魔化していたんですが、それでも自分ひとりでは何だか疑われそうに思われるので、釣り仲間の為さんも一緒だなどといい加減なことを云っていたらしい。紙屋の亭主こそ実に迷惑で、それがために思いもよらない災難をうけて、一旦は召し捕られたり、その後もたびたび番所へ呼び出されたり、どうもひどい目に逢いましたが、右の事情が判って無事に済みました。川春の宇三郎は死罪、富蔵は吟味中に牢死、出前持ちふたりは追放だとおぼえています。宇三郎の白状で、鯉を食った者はみんな判っているんですが、身分のある人は迂濶に詮議も出来ず、大町人は金を使って内々に運動したのでしょう、その方の詮議はすべて有耶無耶《うやむや》になってしまいました。高山もお糸も無事でしたが、この一件から富蔵との秘密がばれたらしく、お糸は旦那の手が切れて何処へか立ち去ったようでした」
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三つの声
一
芝、田町《たまち》の鋳掛屋《いかけや》庄五郎が川崎の厄除《やくよけ》大師へ参詣すると云って家を出たのは、元治元年三月二十一日の暁方《あけがた》であった。もちろん日帰りの予定であったから、かれは七ツ(午前四時)頃から飛び起きて身支度をして、春の朝のまだ明け切らないうちに出て行ったのである。
庄五郎の家は女房のお国と小僧の次八との三人暮らしで、主人が川崎まいりに出た以上、きょうは商売も休み同様である。ことに七ツを少し過ぎたばかりであるから、表もまだ暗い。これからすぐに起きては早いと思ったのと、主人の留守に幾らか楽寝《らくね》する積りであったのとで、庄五郎が草鞋《わらじ》をはいて出るのを見送って、女房は表の戸を閉めた。女房は茶の間の六畳に、小僧は台所のわきの三畳に寝ることになっているので、二人は再びめいめいの寝床にもぐり込んで、あたたかい春のあかつきの眠りをむさぼっていると、やがて表の戸を軽くたたく者があった。
「庄さん、庄さん」
これに夢を破られて、お国は寝床のなかから寝ぼけた声で答えた。
「内の人はもう出ましたよ」
外ではそれぎり何も云わなかった。かれを怪しむらしい町内の犬の声もだんだんに遠くなって、表はひっそりと鎮まった。お国はまた眠ってしまったので、それからどのくらいの時間が過ぎたか知らないが、再び表の戸をたたく音がきこえた。
「おい、おい」
今度はお国は眼をさまさなかった。二、三度もつづけて叩く音に、小僧の次八がようやく起きたが、かれも夢と現《うつつ》の境にあるような寝ぼけ声で寝床の中から訊《き》いた。
「誰ですえ」
「おれだ、おれだ。平公は来なかったか」
それが親方の庄五郎の声であると知って、次八はすぐに答えた。
「平さんは来ませんよ」
外では、そうかと小声で云ったらしかったが、それぎりで黙ってしまった。眠り盛りの次八は勿論すぐに又眠ったかと思うと間もなく、又もや戸をたたく音がきこえた。今度は叩き方がやや強かったので、お国も次八も同時に眼を醒ました。
「おかみさん。おかみさん」と、外では呼んだ。
「誰……。藤さんですかえ」と、お国は訊《き》いた。
「庄さんはどうしました」
「もうさっき出ましたよ」
「はてね」
「逢いませんかえ」
「さっき出たのなら逢いそうなものだが……」と、外では考えているらしかった。
「大木戸で待ちあわせる約束でしょう」と、お国は云った。
「それが逢わねえ。不思議だな」
「平さんに逢いましたか」
「平公にも逢わねえ。あいつもどうしたのかな」
床の中で挨拶もしていられなくなって、お国は寝衣《ねまき》のまま起きて出た。お国はことし二十三の若い女房で、子どもがないだけに年よりも更に若くみえた。表の戸をあけて彼女がその仇《あだ》めいた寝乱れ姿をあらわした時、往来はもう薄明るくなっていたので、表に立っている男の顔は朝の光りに照らされていた。かれは隣り町《ちょう》に住んでいる建具屋の藤次郎で、脚絆《きゃはん》に麻裏草履という足ごしらえをしていた。
「平さんにも逢わず、内の人にも逢わず、みんなは一体どうしたんでしょうねえ」と、お国はすこし不安らしく云った。
「まさかおいら一人を置き去りにして、行ってしまった訳でもあるめえが……」と、藤次郎も首をかしげていた。
鋳掛屋の庄五郎は隣り町の藤次郎と露月町《ろうげつちょう》の平七と三人連れで、きょうは川崎の大師河原へ日がえりで参詣にゆく約束をして、たがいに誘い歩いているのは面倒であるから、七ツ半までに高輪《たかなわ》の大木戸へ行って待ちあわせるということになっていたのである。その三人のうちで藤次郎が一番さきに出て行ったらしく、大木戸のあたりに他の二人の姿がまだ見えないので、しばらくそこらに待ちあわせていたが、海端《うみばた》の朝は早く明けて、東海道の入口に往来の人影もだんだんに繁くなる頃まで、庄五郎も来ない、平七もみえないので、藤次郎も不思議に思った。病気その他の故障が起ったとしても、ふたり揃って違約するのはおかしい。二十一日は大師の縁日であるから、その日を間違える筈もない。ともかくも引っ返して本人たちの家をたずねてみようと思って、まず手近の庄五郎の門《かど》をたたいたのであった。
それを聞いて、お国はいよいよ不安を感じた。亭主の庄五郎はとうに身支度をして出て行ったのである。高輪の海辺は真っ直ぐのひと筋道であるから、迷う筈もなければ行き違いになる筈もない。殊に庄五郎ばかりでなく、平七までが姿を見せないというのは不思議である。亭主が出て行ったあとで、表の戸をたたいた男の声は平七であるらしく思われたのに、それも約束の場所へは行き着かないらしい。ひと筋道で三人出逢わないのは不思議である。
「どうしたんでしょうねえ」と、お国は眉のあとの青いひたいを皺《しわ》めた。「なんぼ何でもおまえさん一人を置き去りにして行くようなことはないでしょう」
「と思うのだが……」と、藤次郎は又かんがえていた。「平公は確かに来たんだね」
「わたしも奥に寝ていたので、顔を見たのじゃありませんけれど、どうも平さんの声のようでしたよ」
「それから親方も一度帰って来ましたよ」と、次八が口を出した。
「あら、親方も帰って来たの」
それはお国にも初耳であった。
「わたしも出て見やあしませんけれど、親方の声で平さんは来なかったかと訊《き》きましたから、来ませんと云ったら、それっきりで行ってしまいました」と、次八は説明した。
「そうすると、平さんと内の人とは何処かで行き違いになったんだろうね」と、お国は云った。
「それが又どこかで出逢って、いっそ二人で行ってしまおうということになったのかな」と、藤次郎はやや不満らしく云った。
「そんな義理の悪いことをする筈はないんですがねえ」と、お国は藤次郎に対して気の毒そうに云った。「平さんだって内の人だって、あれほど約束して置きながら、おまえさんを置き去りにして行くなんて……」
いつまでも同じことを繰り返していても果てしがないので、藤次郎は念のためにもう一度、大木戸まで引っ返してみることになった。この押し問答のうちに、近所の家でもだんだんに店をあけ始めたので、お国はもう寝てはいられなくなって、次八と一緒に店の戸をあけ放した。お国は寝道具を片付ける。次八は表を掃く。そのあいだにも一種の不安がお国の胸を陰らせた。平七はともあれ、ふだんから義理堅い質《たち》の庄五郎が約束の道連れを置き去りにして行く筈がない。これには何かの仔細がなければならないと彼女は思った。
「庄さんはどうしましたえ」と、平七がぼんやりした顔で尋ねて来た。
「あら、平さん。おまえさん、今までどこにいたの」と、お国はすぐに訊《き》いた。「内の人に逢いましたかえ」
「いや、庄さんにも藤さんにも逢わねえ」
「さっきこの戸を叩いて、内の人を呼んだのはお前さんでしょう」
「むむ」と、平七はうなずいた。「出がけにここの門《かど》を叩いたら、庄さんはもう出たというから、すぐに大木戸へ行ってみると、まだ誰も来ていねえのさ。夜は明けねえし、犬は吠えやがる。往来なかに突っ立っているのも気がきかねえから、海端のあき茶屋の葭簀《よしず》の中へはいって、積んである床几《しょうぎ》をおろして腰をかけているうちに、けさはめずらしく早起きをしたせいか、なんだかうとうとと薄ら眠くなってきたので、床几《しょうぎ》の上へ横になってついとろとろと寝込んでしまった。そのうちに世間がそうぞうしくなって来たので、眼をさますと、もう夜は明けている。となり近所の茶屋では店をあけはじめる。驚いて怱々《そうそう》に飛び出したが、庄さんも藤さんも見えねえ。こいつは寝ているあいだに置き去りを食ったのかと、ともかくもこっちへ聞きあわせに来たわけさ。いや、飛んだ大しくじりをやってしまった」
藤次郎とは違って、かれはもう置き去りを覚悟しているらしかった。
「それが大違い、藤さんも今ここへ尋ねて来たんですよ」
お国から委細の話を聞かされて、平七は狐に化かされたような顔をしていた。そこへ藤次郎がまた引っ返して来て、庄五郎の姿はどうしても見付からないと云った。
「今までは二人に置き去りを食ったかと内々は恨んでいたが、平さんがこうしているのを見ると、そうでもないらしい。まさかに庄さん一人で行きゃあしめえ」と、藤次郎も不思議そうに、溜息をついた。
「そうですとも……。内の人ひとりで出かけて行く道理がありませんわ。ほんとうにどうしたんでしょうねえ」
不安がいよいよ募って、お国は泣き声になった。
二
その日の夕方に、鋳掛屋庄五郎の死体が芝浦の沖に浮きあがった。検死の役人が出張って型のごとく取り調べると、庄五郎のからだには何の疵あとも見いだされなかった。死体を投げ込んだのでないことは、彼がしたたかに潮水を飲んでいるのを見ても容易に察せられた。大師まいりに行くのであるから、もとより大金を所持している筈もなかったが、一朱銀五つと小銭少しばかりを入れてある紙入れは恙《つつが》なくそのふところに残っていて、ほかには何も紛失物はないと女房のお国は申し立てた。
前後の事情によって判断すると、三人のうちでも庄五郎が真っ先に約束の場所へ行き着いたらしい。ほかの道連れを待つあいだ、かれは海岸の石垣にでも腰をかけていて、あやまって転げ落ちたのか、あるいは石段を降りて行って、うす暗い水の上で寝ぼけた顔でも洗い直しているときに、あやまって滑《すべ》りこんだのか、おそらく二つに一つであろう。そのあとへ平七が来て、誰もまだ来ていないのを見て、あき茶屋の葭簀のなかへはいって寝込んでしまった。又そのあとへ藤次郎が来て、自分は置き去りを食ったのかと疑って、庄五郎の家へ聞き合わせに行った――係り役人は先ずこういう意見で、庄五郎の死骸はとどこおりなく女房に引き渡された。その死骸に何の疵もなく、なんの紛失物もないのをみれば、お国もそう考えるよりほかはなかった。
それから二日《ふつか》目の八ツ(午後二時)頃に、庄五郎の葬式は三田の菩提寺で営まれた。藤次郎はふだんからの懇意でもあるので、通夜は勿論、きょうの葬式にも施主《せしゅ》側と一緒になっていろいろの手伝いをした。平七は庄五郎と同職で、しかも従弟《いとこ》同士であるので、無論に昼夜詰め切りで働いた。
庄五郎は二十八歳を一期《いちご》として世を去ったが、従弟の平七のほかに是《これ》ぞという親戚はなかった。お国も浅草にひとりの叔母をもっているだけで、その叔母が来て何かの世話を焼いていた。年も若し、子供も無し、殊に女には出来ない商売であるから、小僧の次八は平七の方にたのんで、お国は夫の三十五日の済むのを待って、世帯《しょたい》を畳んでひと先ず浅草の叔母の家へ引き取られるということになっていた。お国さんは容貌《きりょう》も好し、人間も馬鹿でないから、どこへでも立派に再縁が出来ると近所でも噂していた。
四月十日の小雨《こさめ》のふる宵であった。同町の往来で二人の男が喧嘩をはじめた。最初は番傘で叩き合っていたが、しまいには得物《えもの》を投げすてて組打ちになった。まだ宵の口のことであるので、近所の者もそれを見つけて、二、三人がその仲裁にかけ出すと、その男は平七と藤次郎であった。
「おれは庄五郎の親類だ。死んだあとの世話をするのに不思議があるか」と、平七は云った。「てめえこそ他人のくせに余計な世話を焼くな」
「おれは他人でも、庄五郎とはふだんから兄弟同様にしていたんだから、そのあとの世話をしてやるのが義理人情というものだ。本来ならば手前もお国さんと一緒になって、どうも御親切にありがとうございますと、おれに礼をいうのが本当だ」と、藤次郎は云った。
「べらぼうめ。誰がうぬらに礼をいう奴があるか」と、平七はまた呶鳴った。
この捫著《もんちゃく》はお国という若後家を中心として渦巻き起ったらしい。平七はお国と同い年の二十三歳で、まだ独り者である。藤次郎は二十七歳で、これも女房におとどし死に別れて今は男やもめである。一方は先夫と従弟《いとこ》同士、一方は先夫の親しい友達というのであるから、その亡きあとの面倒をみてやるのはむしろ当然の義理ではあるが、容貌のよい若後家に対して、ふたりの若い男があまり立ち入って世話を焼き過ぎるというのが、この頃は近所の噂にものぼっていた。その二人が今夜もお国の家で落ち合って、その帰り路に往来なかで掴み合いを始めたのであるから、喧嘩の仔細の大かたは想像されるので、仲裁に出る人たちも先ずいい加減になだめていると、暗いなかから不意に一人の男が出て来た。
「おい。二人ともそこまで来てくれ」
「どこへ行くんです」と、藤次郎は訊《き》いた。
「番屋までちょいと来てくれ」
番屋と聞いて二人はすこし驚いたが、相手が唯の人らしくないと覚ったので、そのまま素直に町内の自身番へ引っ立てられて行った。高輪《たかなわ》には伊豆屋弥平といういい顔の岡っ引があって、今はその伜が二代目を継いでいる。平七と藤次郎を引っ立てて行ったのは、その子分の妻吉という男であった。
「ひとりは鋳掛職の平七、ひとりは建具屋の藤次郎、それに相違あるめえな」と、妻吉はまず念を押した。
「てめえ達は雨のふる最中に、泥だらけになって何を騒いでいるんだ」
「へえ。おたがいに気が早いもんですから、つまらないことで喧嘩を始めました。お手数《てかず》をかけまして相済みません」と、年上だけに藤次郎が先に答えた。
「いや、喧嘩の筋も大抵わかっている。これ、平七。貴様は三月二十一日の朝、鋳掛屋の庄五郎と一緒に川崎へ行く約束をしたそうだな」
「へえ」
「この藤次郎と三人で行く約束をしたのだそうだが、その朝は貴様が一番さきに行っていたな」
「いえ。出がけに庄五郎の家《うち》へ声をかけましたら、もう出て行ったということでございました」
「嘘をつけ」と、妻吉は行灯のまえで睨みつけた。「貴様は先に行っていて、それから引っ返して家へ行ったのだろう。真っ直ぐに云え」
「いえ、出がけに寄ったのでございます」
妻吉は舌打ちした。
「やい、やい。つまらねえ手数をかけるな。なんでも話は早いがいい。貴様は庄五郎の女房のお国という女に惚れているのだろう」
平七は勿論、藤次郎も一緒にうつむいてしまった。ふたりの腋《わき》の下に冷たい汗が流れているらしかった。
「おれはまだ知っている」と、妻吉は畳みかけて云った。「貴様はこの正月ごろ、町内の湯屋の番頭とお国の噂をして、あの女に亭主が無ければなあと云ったそうだが、ほんとうか」
身におぼえがあると見えて、平七はやはり俯向いたままで黙っていると、妻吉は勝ち誇ったように笑った。
「もう、いい。あとは親分や旦那が来て調べる」
平七は六畳の板の間へ投げ込まれて、まん中の太い柱にくくり付けられた。藤次郎は御用があったらば又よびだすというので、一旦無事に帰された。
三
それから三日《みっか》ほど後に、芝の愛宕下で湯屋《ゆうや》をしている熊蔵が神田三河町の半七の家へ顔を出した。熊蔵が半七の子分であることは読者も知っている筈である。
「湯屋熊。久しく見えなかったな。嬶《かかあ》でも又寝込んだのか」と、丁度ひる飯を食っていた半七は云った。
「なに、わっしが飲み過ぎて少し腹をこわしてね」と、熊蔵は頭を掻いていた。「時に、あの高輪の一件、あいつは惜しいことをしました。わっしもちっと聞き込んでいたんですが、今も云う通り、からだを悪くしてぐずぐずしているあいだに、伊豆屋の妻吉に引き挙げられてしまいました」
「むむ、鋳掛屋の一件か。おれもその話は聞いたが、なんと云っても伊豆屋の縄張り内だから、先《せん》を越されるのは当りめえだ」と、云いかけて半七は少しかんがえていた。「だが、実はまだおれの腑に落ちねえところがある。おめえはあの一件をよく知っているのか」
「ひと通りは知っていますよ」
「露月町の鋳掛屋の平七、そいつが下手人として挙げられたようだが、白状したのか」
「強情な奴で、なかなか素直に口をあかねえそうですが、伊豆屋も旦那方もおなじ見込みで、もう大番屋《おおばんや》へ送り込んだということです」
熊蔵の説明によると、平七が如何に強情を張っても、かれは無垢《むく》の白地でもどされて来そうもないというのである。かれが庄五郎の女房お国に惚れていて、あの女に亭主がなければと口走ったのは事実で、それには証人もあり、当人自身も認めている。庄五郎が死んだ後に、従弟同士とはいいながら、彼がなにから何まで身に引き受けて世話をしているばかりか、まだ三十五日も済まないうちにお国の叔母をたずねて行って、お国も今から後家を立て通すわけにも行くまいと云った。そうして、どうせ再縁するならば、気ごころの知れないところへ行くよりも、いっそ親類か同商売の家へ行った方がよかろうなどと云った。それから考えても、かれが飽くまでもお国に思いをかけていることは明白である。
当日の朝、庄五郎が出て行ったあとで、かれがその門《かど》を叩いたのは、その犯跡を晦《くら》まそうが為である。実は庄五郎よりも一と足さきに行っていて、あとから来た庄五郎を何かの機会で海へ突き落として置いて、更に引っ返して来てその門を叩いて、これから出かけて行くように粧《よそお》ったものであろうと認められた。その人殺しの目的はいうまでもなく、亭主を葬ってその女房を奪おうとするにあることは、あの女に亭主がなければと彼が曾《かつ》て口走った事実によって、明らかに証拠立てられている。殊にその朝、かれは約束の場所に待ちあわせていないで、あき茶屋の葭簀《よしず》の中に寝込んでしまったなどと曖昧なことを申し立てているのも、ますます彼のうたがいを強める材料となった。
元来この事件はさのみ重大にも認められず、最初の検視では単に庄五郎自身の過失《あやまち》で海中に転げ込んだものとして、至極手軽く済んでしまったのであるが、ここを縄張りとする伊豆屋の一家ではそのままに見過ごさないで、一の子分の妻吉が主として探索の末に、かの平七がお国に恋慕していて、亭主がなければと冗談のように云ったことを探り出したのが手がかりに、だんだんに探索を進めて遂に平七を引き挙げるまでに至ったのは、さすがに伊豆屋の腕前であると熊蔵は云った。
その話をきいて、半七は又かんがえていた。
「なるほど、それで大抵わかった。そこで、平七が先ず庄五郎を殺して置いて、それから引っ返して来て庄五郎の家《うち》の戸をたたいて、自分はこれから行くように見せかけた……その段取りは判っているが、聞けば平七が戸をたたいて行ったあとで、亭主の庄五郎が帰って来て声をかけたというじゃあねえか。平七が殺してしまったものならば、そのあとへ庄五郎が帰って来そうもねえものだ。まさか幽霊でもあるめえ」
「いや、わっしも初めはそう思ったが、あとで聞いてみると詰まらねえ話さ」と、熊蔵は笑いながら、説明した。
「だんだん調べると、それは藤次郎という奴の冗談だそうですよ」
「冗談だ……」
「ええ。三人のなかでは建具職の藤次郎という奴が一番あとから出て来たんです。そいつが冗談半分に庄五郎の声色《こわいろ》を使って、鋳掛屋の門をたたくと、女房は寝入っていて小僧が返事をした。女房だったならば、何か戯《からか》うつもりだったかも知れねえが、小僧じゃ仕方がねえので、藤次郎もそのまま行ってしまったんだそうですよ。それは当人の白状だから間違いはありますめえ。こんなつまらねえ冗談をする奴があるので、ときどきに探索もこじれるんですね」
「むむ。そこで、熊。面倒でもその高輪の一件をもう一度、初めからすっかり委《くわ》しく話してくれ」と、半七は云った。
「まだ腑に落ちねえことがありますかえ」
気乗りのしないような顔をして、熊蔵がぽつりぽつり話し出すのを、半七は薄く眼をとじて黙って聴いてしまった。
「いや、御苦労。おれはこれから少し用があるから、きょうはもう帰ってくれ。ひょっとすると、あしたはお前の家へ尋ねて行くかも知れねえから、家をあけねえで待っていてくれ」
「あい。ようがす」
熊蔵を帰したあとで、半七は長火鉢の前に唯ひとり坐っていた。最初に鋳掛屋の戸をたたいて、「庄さん、庄さん」と呼んだのは、今度の下手人と目指されている平七の声である。次に鋳かけ屋の戸をたたいて「平さんは来なかったか」と呼んだのは、亭主の庄五郎の声で、実は藤次郎の声色だというのである。最後に戸を叩いて「おかみさん、おかみさん」と、呼んだのは、藤次郎の声である――この三つの声について、半七はいろいろ考えさせられた。
「おい、お仙」と、彼はやがて女房を呼んだ。「ちょいと出てくるから着物を出してくれ」
「これから何処へ出かけるの」
「熊のところまで行ってくる。あしたと約束したのだが、思いついたら早い方がいい。このごろは日が長げえから」
まったくこの頃の日は長い。半七が神田の家を出たのはもう七ツ(午後四時)に近いころであったが、初夏の大空はまだ青々と明るく光っていた。表には金魚を売る声がきこえた。愛宕下へ行って熊蔵の湯屋をたずねたが、店はもう客の忙がしい刻限であったので、半七は裏口へまわってそっと呼び出すと、熊蔵はきょろきょろしながら出て来た。
「親分。早うござんしたね」
「むむ。急に思いついたことが出来たので、すぐに出て来た。これから田町《たまち》へ案内してくれ」
「庄五郎の家《うち》ですかえ」と、熊蔵はいよいよ其の眼をひからせた。「親分。なにか当りがあるんですかえ」
「まあ、行ってみなけりゃあ判らねえ」
熊蔵に案内させて田町の鋳掛屋へ出かけてゆくと、隣りは小さい下駄屋で、その店との境に一本の柳が繁って垂れているのも、思いなしか何となく寂しくみえた。三十五日が過ぎれば世帯をたたむ筈になっているので、店こそ明けてあるが商売は休みで、小僧の次八がぼんやりと往来をながめていた。
「おかみさんはいるかえ」と、熊蔵は訊《き》いた。
「奥にいますよ。呼んできましょうか」
「呼んでくれ」
手拭で着物の裾をはたきながら、二人が店さきに腰をおろすと、奥では針仕事でもしていたらしく、鈴の付いた鋏を置く音がして、むすび髪の若い女房がすこしく窶《やつ》れた青白い顔を出した。
「この親分は御用で来なすったのだから、そのつもりで返事をしねえじゃあいけねえぜ」
お国は熊蔵を識らなかった。勿論、半七を識ろう筈はなかった。しかも御用という声をきいて、かれは神妙に店さきにうずくまった。いたずら小僧らしい次八もおとなしく小膝をついた。
「いや、別にむずかしい詮議をするんじゃあねえ」と、半七はしずかに云い出した。「早速だが、おかみさん、あの朝、一番さきに戸を叩いたのは確かに平七の声だったな」
「はい。庄さん、庄さんと呼んだだけでしたが、たしかに平さんの声でございました」と、お国は淀みなく答えた。
「二度目の声はお前は聞かなかったんだね」
「つい眠ってしまいまして……」と、お国はすこし極まり悪そうに答えた。「この次八が返事をいたしたのでございます」
「たしかに親方の声だったか」と、半七は小僧を見かえって訊《き》いた。
「わたしも半分夢中でよく判らなかったんですが、どうも親方のようでした」と、次八は云った。
「三度目のは藤次郎だね」
「はい。この時にはわたくしが起きていたのでございます」と、お国は答えた。
「藤次郎は外から、おかみさん、おかみさんと呼んだのかえ」
「はい」
「御亭主がいなくなってから、平七と藤次郎は大層親切に世話をしてくれるそうだね」
お国はすこし顔を紅《あか》くして黙っていた。
「こんなことを訊くのも何だが」と、半七は笑いながら云い出した。「お前はどっちかの男のところへ再縁する気があるのかえ」
「いえ、まだ三十五日も済みませんのですから、そんなことを考えたこともございません」と、お国は低い声で云った。
「それもそうだが……」と、云いかけて半七も俄かに声を低めた。「おい、あの柳のかげに立っているのは藤次郎じゃあねえか」
お国は伸びあがって表を覗いたが、やがて無言でうなずいた。それと同時に、藤次郎は柳のかげからそっと立ち去ろうとしたので、半七は急に声をかけた。
「やい、藤次郎、待て。熊、早くあの野郎をしょびいて来い、逃がすな」
熊蔵はすぐに店から飛び出して、藤次郎の腕を引っ掴むと、かれは案外におとなしく引き摺られて来た。半七はしばらくその顔をじっと睨んでいたが、やがて又にやりと笑った。
「藤次郎。貴様は運のいい奴だな。はは、とぼけた面《つら》をするな。平七を身代りにやって、てめえは涼しい顔をして澄ましていちゃあ、第一に天とう様に済むめえ。伊豆屋の妻吉はどんな調べをしたか知らねえが、おれの吟味はちっと暴《あら》っぽいからそう思え。と、こう云って聞かせたら、大抵は胸にこたえる筈だ。野郎、恐れ入ったか」
「それはどういう御詮議でございますか」と、藤次郎はしずかに答えた。「平七の一件ならば、この間から二度も三度も番屋へ呼ばれまして、何もかも申し上げたのでございますが……」
「伊豆屋は伊豆屋、おれは俺だ。三河町の半七は別に調べることがあるんだ。やい、藤次郎。貴様は三月二十一日の朝、なんでここの家《うち》の戸を叩いた」
「大木戸で待ちあわせる約束をいたしましたので、そこへ行ってみますと誰もまだ来て居りません。しばらく待って居りましたが、庄五郎も平七も見えませんので、どうしたのかと思って念のために引っ返してまいったのでございます」
「その時にここの家の戸は締まっていたな」
「はい。締まっているので叩きました」
「そうして、おかみさん、おかみさんと呼んだな」
「はい」
「それ、見ろ。馬鹿野郎」と、半七は叱るように云った。「問うに落ちず、語るに落ちるとはそのことだぞ」
「なぜでございます」と、藤次郎は不思議そうに相手の顔を見あげた。
「まだ判らねえか。よく考えてみろ。約束の庄五郎が見えねえというので、ここの家へ尋ねに来たのなら、なぜ庄五郎の名を呼ばねえ。まず庄五郎の名を呼んで、それで返事がなかったら女房の名を呼ぶのが当りめえだ。初めからおかみさん、おかみさんと呼ぶ以上は、亭主のいねえのを承知に相違ねえ」
藤次郎の顔色はにわかに変った。かれは吃《ども》りながら何か云おうとするのを、押さえ付けるように半七は又云った。
「亭主は貴様が押し片付けてしまったのだから、ここの家にいる筈がねえ。そこで、貴様は女房を呼んだのだ。はは、これだから悪いことは出来ねえ。いや、まだ云って聞かせることがある。二度目にここの家の戸をたたいたのは、貴様が冗談に庄五郎の声色を使ったのだということだが、そりゃあ嘘の皮で、やっぱり本物の庄五郎が引っ返して来たに相違ねえ」
「いえ、それは……」と、藤次郎もあわてて打ち消そうとした。
「まあ、黙って聞け。三人のうち庄五郎が一番先に出て行って、その次に平七がここの家へ誘いに来たのだ。いくら待っても誰も出て来ねえので、庄五郎は引っ返して尋ねに来たのだが、まだ薄っ暗いので平七と途中で行き違いになったらしい。それがそもそも間違いのもとで、平七は待ちくたびれて茶店の葭簀《よしず》のなかで寝込んでしまった。そこへ貴様が来たか、庄五郎が来たか、なにしろ二人が落ち合って……。それから先は、おれよりも貴様の方がよく知っている筈だぞ。そうして、白ばっくれてここの家へたずねて来た……。どうだ、おれの天眼鏡に陰《くも》りはあるめえ。来年から大道うらないを始めるから贔屓にしてくれ。そこで貴様もまさかに最初から庄五郎を葬ってしまう気でもなかったろうが、眼と鼻のあいだの葭簀のなかに平七が寝込んでいるとも知らねえで、その来るのを待っているうちに、場所は海端、あたりは暗し、まだ人通りも少ねえので、ふっと悪い料簡をおこしたのだろう。可哀そうなのは平七の野郎だ。あの女に亭主が無けりゃなんて、つまらねえことを云ったのが引っかかりになって、伊豆屋の手に引き挙げられたので、貴様はまた悪知恵を出した。庄五郎が一旦引っ返して来たなんて云うと、その詮議がまた面倒になると思って、実は自分が庄五郎の声色を使ったのだといい加減の出たらめを云って、なるべくこの一件の埒を早くあけて、罪もねえ平七を人身御供《ひよみごくう》にあげてしまう積りだったのだろう。はは、悪い奴だ、横着な奴だ。だが、考えてみると貴様も正直者かも知れねえ。一体、そんなことは知らねえ顔をしていても済むことだ。なまじいに余計な小刀細工《こがたなざいく》をするから、却って貴様にうたがいが懸かるとは知らねえか。さあ、ありがたい和尚様がこれほどの長い引導を渡してやったのだから、もういい加減に往生しろ。どうだ」
藤次郎は蟇《がま》がえるのように店さきの土に手を突いたまま身動きもしなかった。その顔色は藍《あい》のように染めかえられて、ひたいからは膏汗《あぶらあせ》がにじみ出していた。
「素人《しろうと》だ。きっかけを付けてやらなけりゃあ口があけめえ」と、半七は熊蔵をみかえった。
「野郎、しっかりしろ」
熊蔵はいきなり平手で藤次郎の横っ面を引っぱたくと、かれは眼がさめたように叫んだ。
「恐れ入りました」
かれが縄つきで鋳掛屋の店さきから引っ立てられる頃には、四月の日もさすがに暮れかかって、うす暗い柳のかげから蝙蝠《こうもり》が飛び出しそうな時刻になっていた。
これに就いて、半七老人はわたしに話したことがある。
「奉行所の白洲《しらす》の調べもそうですが、わたくし共の調べでも、ぽつりぽつりとしずかに調べて行くのは禁物《きんもつ》です。しずかに云っていると、相手がそのあいだにいろいろの云い抜けをかんがえ出したりして、吟味が延びていけません。初めはしずかに調べていて、さあという急所になって来たら、一気にべらべらとまくし掛けて、相手にちっとも息をつかせないようにしなければいけません。息をつかせたらこっちが負けです。それですから吟味与力や岡っ引は口の重い人では勤まりません。与力は口だけだからまだいいが、岡っ引は手も働かせなければならない。口も八丁、手も八丁とはまったくこのことでしょう。
ところで、相手がこの藤次郎なぞのように素人ならば仕事は仕易いのですが、相手が場数《ばかず》を踏んでいる玄人《くろうと》、今日《こんにち》のことばで云う常習犯のような奴になると、向うでもその呼吸を呑み込んでいるので、こっちの詞《ことば》が少したるむとすぐに、その隙をみて、『恐れながら恐れながら』と打ちかえして来て、なにか云い訳らしいことを云う。それを一々云わせると、吟味が長びくばかりでなく、しまいには変な横道の方へ引き摺り込まれて、ひどく面倒なことになってしまう虞《おそ》れがありますから、相手がなんと云おうとも委細かまわずに冠《かぶ》せかけて、こっちの云うだけのことを真っ直ぐに云ってしまわなければならない。その呼吸がなかなかむずかしいもので、年のわかい不馴れの同心などが番屋で罪人をしらべる時、相手が玄人だとあべこべに云い負かされて、そばで見ていてはらはらすることがあります。
それから罪人の横っ面をなぐったりする。今からみれば乱暴かも知れませんが、玄人は度胸が据《すわ》っているから、いよいよいけないと思えば素直に恐れ入りますが、素人にはそれがなかなか出来ない。いえ、強情で云わないのではない。云うことが出来ないのです。それも軽い罪ならば格別、ひとつ間違えば自分の首が飛ぶというような重罪が発覚したかと思うと、大抵の素人はぼうっとなってしまって、早くいえば酒に酔ったようになって、なんにも云えなくなってしまうのです。といって、いつまでも黙らせて置いては埒《らち》があきませんから、そういう時には気つけの水を飲ませてやるか、さもなければ横っ面を引っぱたいてやるのです。そうすると、はっと眼が醒めたようになって、初めて恐れ入るというわけです。たとい悪いことをしても、むかしの人間はみな正直だから、調べる方でもこんなことをしたのですが、今の人間は度胸がいいから、こんな世話を焼かせる者もありますまいよ」
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十五夜御用心
一
私はかつて「虚無僧《こむそう》」という二幕の戯曲をかいて、歌舞伎座で上演されたことがある。その虚無僧の宗規や生活については、わたし自身も多少は調べたが、大体はそのむかし半七老人から話して聞かされたことが土台になっているのであった。
虚無僧の話をするついでに、半七老人は虚無僧と普通の僧とに絡《から》んだ一場の探偵物語を聞かせてくれたことがある。老人は先ず本所|押上《おしあげ》村について説明した。
「この頃は押上町とか向島押上町とかいろいろに分かれたようですが、江戸時代はすべて押上村で、柳島と小梅のあいだに広がって、なかなか大きい村でした。押上の大雲寺といえば、江戸でも有名な浄土宗の寺で、猿若《さるわか》の中村勘三郎代々の墓があるせいか、ここには市村羽左衛門とか瀬川菊之丞とかいったような名優の墓がたくさんありました。その隣りの最教寺は日蓮宗で、ここの宝物には蒙古退治の曼荼羅《まんだら》があるというので有名でした。これからお話をするのは、そんな有名な寺ではなく、竜濤寺《りゅうとうじ》……名前はひどく勿体らしいのですが、いやもう荒れ果てた小さい古寺で、一時は無住になっていたというくらいですから、大抵お察しが付くでしょう。その古寺へ四、五年前から二人の出家がはいり込んで来て、住職は全達、納所《なっしょ》は全真、この二人が先ず居すわることになりました。勿論、貧乏寺で碌々に檀家もないのですから、住職も納所もそこらを托鉢《たくはつ》に出歩いたりして、どうにか寺を持っていたらしい。ところが、ここに一つの不思議な事件が出来《しゅったい》したのです」
嘉永六年七月には徳川|家慶《いえよし》が薨去《こうきょ》したので、七月二十二日から五十日間の鳴物停止《なりものちょうじ》を命ぜられた。鳴物停止は歌舞音曲のたぐいを禁ずるに過ぎないのであるが、それに伴って多人数の集合すること、遊楽めいたこと等は、すべて遠慮するのが其の時代の習慣であったので、さし当り七月二十六夜の月待ちには高台や海岸に群集する者もなかった。翌月の十五夜も月見の宴などは一切遠慮で、江戸の町に芒《すすき》を売る声もきこえなかった。
「いい月だなあ」
ひとり言を云いながら、路ばたに立って今夜の明月を仰いでいたのは、押上村の農家のせがれ元八であった。元八はことし二十一で、小博奕なども打つという噂のある道楽者だけに、今夜の月を自分の家でおとなしく眺めていることも出来ず、これから何処へ遊びに行こうかなどと考えながら、ほろよい機嫌でここらの田圃路《たんぼみち》をうろ付いていると、浅黄の手拭に顔をつつんだ一人の女に出逢った。
「あの、ちょいと何いますが、神明様はこの辺でございましょうか」と、女は訊《き》いた。
「神明様……。徳住寺のかえ」と、元八は月あかりに女の顔をのぞきながら答えた。「徳住寺へ行くなら、あと戻りだ」
「行き過ぎましたか」
「むむ、行き過ぎたね」と、元八はまた答えた。「これから半町ほどもあと戻りをして、往来へ出たら右へ曲がるのだ」
「ありがとうございます」
女は会釈《えしゃく》して引っ返して行った。手ぬぐいに顔を包んでいながらも、それが年の若い色白の女であることを元八は認めたので、暫くたたずんで彼女のうしろ姿を見送っていた。
「ここらで見馴れねえ女だ。狐が化かしにでも来たのじゃあねえかな」
化かす積りならば、そのまま無事に立ち去る筈もあるまいと思うに付けて、ほろよい機嫌の道楽者は俄かに一種のいたずらっ気を兆《きざ》した。彼は藁草履《わらぞうり》の足音をぬすみながら、小走り女のあとを追ってゆくと、女はそんなことには気が付かないらしく、これも夜露を踏む草履の音を忍ばせるように、俯向き勝ちに辿って行った。月が明るいので見失う虞《おそ》れはないと、元八も最初はわざと遠く距《はな》れていたが、往来へ近づくに従って彼は足を早めた。もう三、四間というところまで追い着くと、女もさすがに気がついて振り返った。
覚られたと知って、元八はすぐに声をかけた。
「姐さん、姐さん。神明さまへ行く途中には、暗い森があって物騒だ。おれがそこまで一緒に行ってやろう」
なんと返事をしたらいいかと、女は少し躊躇している間《ひま》に、元八は駈け足で近寄った。彼は若い女にこすり付いて云った。
「さあ、おれが送ってやろう。ここらには悪い奴もいる、悪い狐もいる。土地の者が付いていねえとどんな間違いが起るかも知れねえ」
まずこう嚇して置いて、彼は無理に送り狼になろうとすると、女は別に拒《こば》みもしないで、黙って彼に送られて行った。その途中、元八が何か馴れ馴れしく話しかけても、殆んど唖のように黙りつづけているのを見ると、彼女がこの不安な親切者を悦んでいないのは明白であった。それでも元八は執拗《しつこ》く絡み付いて行くうちに、やがて田圃路を通りぬけて、二人はやや広い往来へ出た。それを右へ切れて更に半町ほども行くと、元八の云った通り、路端に小さい雑木《ぞうき》の森が見いだされた。
「姐さん。この森を抜けた方が近道だ」
彼は女の手をつかんで、薄暗い木立《こだち》の奥へ引き摺り込もうとすると、女は無言で振り払った。元八はひき戻して、再びその手を掴んだ。
「おい、姐さん。そんなに強情を張るもんじゃあねえ。まあ、素直におれの云うことを……」
その言葉が終らないうちに、彼の襟髪は何者にか掴まれていた。はっと驚いて見かえる間もなく、彼は冷たい土の上に手ひどく投げ付けられた。いよいよ驚いた彼は、顔をしかめて這い起きながら見あげると、その眼の前には虚無僧すがたの男が突っ立っていた。自分を投げた男ばかりでなく、ほかにも猶ひとりの虚無僧が女を囲うように附き添っていた。
相手は二人で、しかもそれが虚無僧である以上、相当に武芸の心得があるかも知れないと思うと、元八は俄に気怯《きおく》れがして、彼らに敵対する気力もなかった。虚無僧は無言で立っていたが、天蓋の笠越しに屹《きっ》とこちらを睨んでいるらしいので、元八はいよいよおびえた。彼はからだの泥を払いながら、これも無言ですごすごと立ち去るのほかはなかった。
七、八間ほども引っ返して、元八はそっと見かえると、虚無僧らの姿も女のすがたも、もうそこらに見えなかった。彼らは森のなかへ入り込んだらしかった。
「あいつらは道連れかな」と、元八は立ちどまって考えた。折角つけて行った女を横合いから奪われて、おまけに手ひどく投げ付けられて、彼はくやしくてならなかった。勿論、正面から手出しは出来ないのであるが、さりとて此の儘おめおめと別れてしまうのも何だか残念である。あの女は一体何者であるのか、彼女と虚無僧らとどういう関係があるのか、それを探り知りたいような一種の好奇心も手伝って、元八は又そっとあと戻りをした。森と云っても、木立に過ぎないような浅い森である。土地の勝手をよく知っている元八は、続いてその森のなかへ踏み込んで行くと、三人はもう出ぬけていた。
「足の早い奴らだ」
元八も足を早めて、うす暗い森を出ぬけると、その行く手に男二人と女ひとりのうしろ影が明るい月に照らされて見えた。彼らは神明の社《やしろ》のある徳住寺の方角へむかって行くらしい。若い女と虚無僧とが今頃どうして神明の社へ詣るのかと、元八の好奇心はますます募ったが、何分にも月のひかりに妨げられて、彼は三人に近寄ることが出来なかった。もし覚られたら、又どんな目を逢うかも知れないという恐れがあるので、彼は半町ほどの距離を置いて、見え隠れに慕ってゆくと、三人は途中から更に爪先《つまさき》をかえて、徳住寺から少し距《はな》れた古寺の門前に止めた。
寺はかの竜濤寺であった。
二
その翌日から竜濤寺の住職と納所が托鉢《たくはつ》に出る姿を見るものが無かった。しかも碌々に檀家もない寺であるから、村の者らもさのみに気にも留めずにいたが、あれから四日目の朝、近所のお鎌という婆さんが墓まいりに行って、寺内の古井戸の水を汲もうとする時、彼女は恐ろしいものを発見した。
お鎌は蒼くなって表へ逃げ出した。そうして、近所へ触れて歩いたので、村の者らも早速に駈け着けると、竜濤寺の古井戸から人間の死屍《しかばね》が続々と発見された。住職の全達と納所の全真、そのほかに虚無僧すがたの男二人、あわせて四人の亡骸《なきがら》が引き揚げられて、秋の日に晒されたのを見た時には、どの人もみな顔色を変えた。
この急報におどろかされて、村役人も駈けつけた。他の村人も集まって来た。四人の死骸を一度に発見したなどというのは、この村は勿論、江戸の市内にもめったに聞いたことのない椿事であるから、人々はいたずらに慌て騒ぐばかりであったが、それでも型の如く届け出て、型のごとくに検視を受けた。
僧ふたりの亡骸は住職と納所に相違なかったが、ほかの二人の虚無僧は何者であるか判らなかった。虚無僧である以上、普化宗《ふけしゅう》本寺の取名印《しゅめいいん》、すなわち竹名《ちくめい》を許されたという証印の書き物を所持している筈であるが、彼らは、尺八、天蓋、袈裟などの宗具のほかには、何物も所持していなかった。懐剣や紙入れのたぐいも身に着けていなかった。したがって、彼らがまことの虚無僧であるか、偽虚無僧であるか、それすらも判然《はっきり》しなかった。一人は四十前後で、左の肩のはずれに小さい疵の痕があった。他の一人は二十七八歳で、色の白い、人品のよい男であった。その面《おも》ざしの何処やら似ているのを見ると、あるいは兄弟か叔父甥などでは無いかという説もあったが、これとても一部の人々の想像に過ぎなかった。
更に不思議というべきは、この四人の死骸に一カ所の疵の痕も見いだされないことであった。縊《くび》られたような形跡もなかった。さりとて水を嚥《の》んでいるようにも見えなかった。他人が殺して古井戸に投げ込んだのか、何かの仔細で四人が同時に身を投げて自殺したのか、それは誰にも容易に解けない謎であった。
「なにか騒々しいことが出来《しゅったい》したそうで……。御迷惑でございましょう」
神田三河町の半七が子分の松吉をつれて、押上村の甚右衛門の店さきに立った。甚右衛門はその昔、御法度《ごはっと》の賽ころを掴んで二十人あまりの若い者を頤《あご》で追い廻していた男であるが、取る年と共にすっかりと堅気《かたぎ》になって、女房の名前で営んでいた緑屋という小料理屋を本業に、まず不自由もなく暮らしているのであった。
白髪頭《しらがあたま》の甚右衛門は帳場から顔を出して、笑いながら挨拶した。
「やあ、三河町、めずらしいな。まあ、あがんなせえ。松さんも一緒だね。御苦労、御苦労。おまえさん達が繋がって来た筋は大抵わかっている。まったく騒々しくって、どうもいけねえ」
そのうちに愛想《あいそ》のいい女房も出て来て、二人は二階の小座敷へ案内された。
「どうです、相変らず御繁昌のようですね」と、半七も笑いながら訊《き》いた。
「お蔭でどうにか店を張っているが、なにしろ御停止《ごちょうじ》の五十日が明けねえうちは、まあ商売休みも同然だ。そこで、早速だが、おまえさん達は竜濤寺の一件で出張って来なすったんだろうが、あいつはちっと難物だね」と、甚右衛門は顔をしかめた。
「わたし達の縄張りの内の仕事じゃあありませんが、なにしろ事件が大きいから、ひと通りは調べて来いと、御寺社の方から声がかかったものですから、何がなんだか夢中で飛び出して来ました。いずれ名主さんのところへ顔出しをする積りですが、それよりもまあ緑屋さんへ早く挨拶に行って、なにかの指図を受けた方がよかろうというので、取りあえずお邪魔に来たようなわけで……」
まだ何か云おうとする半七を、甚右衛門は大きい手をあげて制した。
「いけねえ、いけねえ。相変わらず如才《じょさい》ねえことを云って、ひとを煽《おだ》てちゃあいけねえ。堅気になってもう十年、めっきり老い込んでしまった甚右衛門が、売り出しのお前さん達に何の指図が出来るもんか。だが、よく尋ねて来てくんなすった。まあ、ゆっくりおしなせえ。一|杯《ぺえ》やりながら何かの相談をしようじゃあねえか」
今は堅気になっていても押上の甚右衛門、ここらでは相当に顔の売れている男である。その顔を立てて真っ先に尋ねて来た半七に対して、彼も大いに厚意を示さなければならなかった。江戸のお客の口には合うまいがと云い訳をしながら、彼は女房や女中たちに指図して、すぐに酒肴を運び出させた。
「竜濤寺の一件は大抵知っていなさるだろうね」と、甚右衛門は猪口《ちょこ》をさしながら訊《き》いた。
「よく知りません。なんでも出家が二人、虚無僧が二人、古井戸のなかで死んでいたそうで……」と、半七は答えた。
「そうだ、そうだ」と、甚右衛門はうなずいた。「詰まりはそれだけのことで、ほかにはなんにも手がかりはねえ。からだに疵のねえのを見ると、自分たちで身を投げたようにも思われるが、坊主と虚無僧の心中でもあるめえ。ここらじゃあ専《もっぱ》ら仇討という噂を立てているが、それもどうだかな」
「かたき討……」
「相手が虚無僧だけに、芝居や講釈から割り出して、かたき討なぞという噂も出るのだ。仇ふたりが出家に姿をかえて、あの古寺に忍んでいるところへ、虚無僧ふたりが尋ねて来て、親か兄弟のかたき討、いざ尋常に勝負勝負の果てが、双方相討ちになったのだろうというのだが……。それにしても、四人の死骸がどうして井戸から出て来たのか、その理窟が呑み込めねえ、第一、どの死骸にも疵のねえのが不思議だ」
「その寺には金《かね》でもありますかえ」
「ここらでも名代《なだい》の貧乏寺さ。いくら近眼《ちかめ》の泥坊だって、あの寺へ物取りにはいるような間抜けはあるめえ。万一物取りにはいったにしても、坊主も虚無僧もみんな屈竟《くっきょう》の男揃いだ。たとい寝込みを狙われたにしても、揃いも揃ってぶち殺されて、片っ端から井戸へ抛《ほう》り込まれてしまうというのは、ちっと受け取りかねる話じゃあねえか」
「その虚無僧は、前から寺に泊まっていたんですかえ」
「今までは住職と納所《なっしょ》ばかりだ。そこへ何処からか虚無僧二人が舞い込んで来て、一緒に死んでいたんだから、何がどうしたのか判らねえ」
「ふうむ」と半七は、猪口をおいて考えていた。松吉も眼をひからせながら、黙って聴いていた。
「それに就いて少し話がある」
云いかけて甚右衛門は眼で知らせると、酌に出ていた女中はこころえて、早々に座を起って行った。その足音が梯子段の下に消えるのを聞きすまして、彼はひと膝ゆすり出た。
「死骸の見付けられたのはきのうの朝のことだが、虚無僧はその四日前の十五夜の晩から泊まり込んでいたらしい。それを知っている者は、ここらにたった一人あるんだが、うっかりした事をしゃべって飛んだ係り合いになっちゃいけねえと思って、黙って口を拭《ぬぐ》っているのだ。そいつの話によると、ほかに一人の若けえ女が付いていたそうだ」
「若けえ女……」と、半七と松吉は思わず顔をみあわせた。
「むむ、若けえ女だ」と、甚右衛門はほほえんだ。「ところが、その若けえ女だけは死んでいねえ。おもしれえじゃねえか」
なるほど面白いと半七も思った。その女の身許を突き留めれば、もつれた糸はだんだんに解けるに相違ない。それを知っているたった一人の男というのは、この村の元八であると甚右衛門は話した。
「元八というのは、ここの家《うち》へも始終遊びに来る奴で、ゆうべも私のところへ来て、実は十五夜の晩にこうこういうことがあったと、内証で話して聞かせたのだ」
三
気の毒なほどの馳走になって、女中たちに幾らかの祝儀をやって、半七と松吉が緑屋を出たのは昼の八ツ(午後二時)を少し過ぎた頃であった。
「緑屋の爺さんのお扱いがいいので、思いのほかに油を売ってしまった。これから本気になって稼がなけりゃあならねえ」と、半七はあるきながら云った。
「真っ直ぐにその竜濤寺というのへ行ってみますかえ」と、松吉は訊《き》いた。
「いや、まあ、名主のところへ顔を出して置こう。それでねえと、なにかの時に都合の悪いことがある」
二人は名主の家をたずねて、寺社方の御用で来たことを一応とどけて置いた。ここでも事件のひと通りを聞かされたが、別にこれぞという手がかりも見いだされなかった。
「これから現場へ踏み込んでみたいのですが、誰か案内して貰えますまいか」
名主の家では承知して、作男《さくおとこ》の友吉という若い男を貸してくれた。ここから竜濤寺までは少し距《はな》れているので、その途中でも半七はいろいろのことを案内者に訊《き》いた。
「一番はじめに死骸を見付けたというお鎌婆さんは、どんな人間だね。正直かえ」
「正直者という程でもねえかも知れねえが、これまで別に悪い噂も聞かねえようですよ」と、友吉は答えた。
「若いときには品川辺に住んでいたそうですが、十五六年も前からここへ引っ込んで来て、小さい荒物屋をやっています。三年前に亭主が死んだ時、自分の寺は遠くて困るというので、あの竜濤寺に埋めて貰って、墓まいりに始終行っていたのですよ」
「婆さんは幾つだね」
「五十七八か、まあ六十ぐらいだろうね。子供はねえので、亭主に別れてからは、孀婦《やもめ》で暮らしていたのです」
「家《うち》はどこだね」
「徳住寺……。神明様のあるお寺だが……。その寺のすぐそばですよ」
「その婆さんは本当に子供はねえのかね」と、半七は念を押した。
「よそにいるかも知れねえが、家にはいねえ。自分は子供も親類もねえと云っていますよ」
十五夜の月の下にさまよっていた若い女は、元八にむかって神明様のありかを尋ねたということを、半七は甚右衛門の話で知っていた。その女とお鎌婆さんとの間に、何か因縁があるのでは無いかと、半七はふと思い付いた。たとい実の子はなくとも、親類の娘か、知り合いの女か、それがお鎌をたずねて来るようなことが無いとも限らないと、彼は思った。それにしても、他人《ひと》に道を尋ねるようでは、初めてお鎌の家をさがしに来たのかも知れないと、彼は又かんがえた。そのうちに、三人は竜濤寺の門前に行き着いた。
「成程、ひどい荒れ寺だな」と、松吉は傾きかかった門を見あげながら云った。「これじゃあ何かの怪談もありそうだ」
門内にはそのむかし雷火に打たれたという松の大木がそのままに横たわって、古い石甃《いしだたみ》は秋草に埋められていた。昼でも虫の声がみだれて聞えた。いかに貧乏寺といいながら、ともかくも住僧がある以上、よくもこんなに住み荒らしたものだと思いながら、半七は草を踏みわけて進んでゆくと、死骸の見いだされた古井戸はそれであると、友吉は庫裏《くり》の前を指さして教えた。大きい百日紅《さるすべり》の下にある石の井筒には、一面に湿《しめ》っぽい苔がむしていた。今度の騒ぎで荒らされたと見えて、そこらの草はさんざんに踏み散らされていた。
半七も松吉も井戸をのぞいた。日をさえぎる百日紅の影に掩われて、暗い古井戸の底は更に薄暗かった。井戸はなかなか大きいので、四人の死骸を沈めるのに仔細はないと思われた。友吉に案内させて、半七らは更に墓場を見まわると、そこらの大樹の下に二、三カ所、新らしく掘り返したような跡が見いだされた。半七は身をかがめて窺うと、本堂の縁の下にも同じような跡が見えた。
「むやみに掘りゃあがったな」
「そうですね」と、松吉も仔細らしく首をかしげていた。
三人はそれから本堂にのぼると、狭いながらも正面には型のごとくに須弥壇《しゅみだん》が設けられて、ひと通りの仏具は整っていた。しかもそこらは埃《ほこり》だらけで、大きい鼠が人の足音におどろいて逃げ去った。
「仏さま、御免ください。少々お邪魔をいたします」
こう云って、半七は仏前の香炉、花瓶、そのほかの仏具を一々|検《あらた》めたが、やがて小声で松吉に云った。
「おい。見ろ。埃だらけの仏具に新らしい指のあとが残っている。ゆうべか今朝あたり、ここらを掻きまわした奴があるに相違ねえ」
半七はそこにある木魚《もくぎょ》を叩いてみた。
「この寺じゃあ木魚を叩きますかえ」と、彼は友吉に訊《き》いた。
木魚を叩くか叩かないか、それはよく知らないと友吉は答えた。半七は再び木魚をたたいた。
「和尚の居間はどこだね」
「こっちですよ」
友吉は先に立って行きかかると、半七もふた足三足ゆき掛けたが、また小戻りして松吉にささやいた。
「おい、松。その木魚には仕掛けがある。あっちへ行っている間《ひま》に調べて置け」
無言でうなずく松吉をそこに残して、半七は友吉のあとを追ってゆくと、破れ襖は明け放されたままで、住職の居間という六畳敷のひと間が眼の前にあらわれた。半七は先ず押入れをあけると、内には寝道具と一つの古葛籠《ふるつづら》があった。葛籠には錠が卸してなかった。
「ちょいと手を借してくんねえ」
友吉に手伝わさせて、半七は押入れから寝道具をひき出してみると、枕は坊主枕一つと木枕二つ、掛蒲団と敷蒲団も三、四人分を貯えてあるらしかった。大きい古蚊帳も引んまるめたように畳んであった。
松吉はそっと来て声をかけた。
「親分……」
なにかの発見をしたらしい眼色を覚って、半七は友吉を見かえった。
「おめえはちょっとの間、玄関の方へでも行って待っていてくれねえか。邪魔にするわけでもねえが、御用で調べ物をする時に、他人《ひと》が傍にいちゃあ困ることがある」
友吉はおとなしく立ち去った。それを見送って、二人はもとの本堂へ引っ返すと、松吉はかの木魚を指さした。
「親分はさすがに眼が利いているね」
「眼が利いているのじゃあねえ、耳が利いているのだ。あの木魚の音がどうも唯でねえと思った。それで、どうした」
「この通り……」と、松吉は笑いながら木魚に手をかけてもたげると、木魚には底蓋《そこぶた》があった。
「なるほど。考えやがったな」と、半七も笑った。
木魚の内が空になっているのは普通であるが、これは別に底蓋を作って、その上に被《かぶ》せるように仕掛けてあった。ただ見れば有り触れた木魚であるが、その口から何物かを挿《さ》し込めば、底蓋の上に落ちて自由に取り出すことが出来るようになっている。現に小さい結び文《ぶみ》が落ちていた。
半七はその結び文をあけて見ると、女文字で「十五や御ようじん」と書いてあった。十五夜御用心――それは十五夜に於ける異変を予告するようにも見られた。
「なんの為にこんな仕掛けをして置いたのかな」と、松吉は木魚をながめた。「密書を投げ込む為かね」
「まあ、そうだろう。今も寝道具を調べたら、白粉や油の匂いがする。ここには女文字の文《ふみ》がある。なにしろ、この一件には女の詮議が肝腎だ。案内の男に云いつけて、まず荒物屋のお鎌という女を呼んでみよう。いや、あの男がぼんやりしていて、相手を逃がしてしまうと詰まらねえ。おめえも一緒に行って、女をここへ連れて来てくれ。おい、それからな……」と、半七は何事かをささやいた。
「あい、ようがす。だが、お前さん一人ぼっちでこんな所にいて……。なにが出て来るか判りませんぜ」
「はは、大丈夫だ。いくら古寺でも、まっ昼間から化け猫が出ても来ねえだろう。出てくるのは鼠か藪っ蚊か。まあ、そんなものだろうよ」
「ちげえねえ。じゃあ、行って来ます」
松吉は縁さきから庭に降りて、表の玄関口へまわったかと思うと、やがて聞き慣れない男の声がきこえるので、半七は暫く耳を澄ましていたが、ふと思い当ることがあったので、続いて表へ出て見ると、そこには松吉と案内者の友吉のほかに、小作りの若い男が立っていた。
「おめえは元八じゃねえか」と、半七はだしぬけに声をかけた。
「へえ」と、男は恐れるように答えた。
「そうか。実はおめえにも逢いてえと思っていたのだ。おい、松。ここには構わずに、おめえ達は早く行って来てくれ」
二人を表へ追いやって、半七はおどおどしている元八を住職の居間へ連れ込んだ。元八はもう相手の身分を承知しているらしく、なんとなく落ち着かないような顔をして、半七の眼色をうかがっていた。
「おめえはここへ何しに来たのだ」と、半七は先ず訊《き》いた。
元八は黙っていた。
「おれ達のあとを尾《つ》けて来たのか。緑屋の爺さんから何か聞いたので、あとを尾けて来たのだろう。それともこの寺に何か探し物でもあるのか。おめえも小博奕の一つも打つ男だそうだから、人の前で物が云えねえ程のおとなしい人間でもあるめえ。はっきりと返事をしてくれ」
元八はやはり黙っていた。
「じゃあ、まあ、その詮議はあと廻しにして、これから俺の訊くことに応えてくれ」半七は重ねて云った。「緑屋の爺さんの話を聞くと、おめえは十五夜の晩に田圃《たんぼ》をあるいていると、頬かむりをした若い女に逢って、それを神明さまの近所まで送って行く途中で、おめえがその女に悪ふざけをした。そこへ二人の虚無僧が出て来て、おめえはひどい目に逢わされた。話の筋はまあそうだね。それからおめえは三人のあとを付けて行くと、三人はこの寺へはいった……。そこで、おめえはどうした」
「帰りました」と、元八は低い声で答えた。
「寺へはいるのを見届けただけで、すぐに帰ったのかえ」
「帰りました」と、元八は又答えた。
「真っ直ぐに帰ったかえ。確かに帰ったかえ」と、半七は相手の顔を睨むように見た。「緑屋の爺さんは欺されても、おれは欺されねえ。おめえは何処までも三人のあとを尾《つ》けて、この寺のなかまではいり込んだろう。隠すと、おめえの為にならねえぜ。正直に云え。それから何か立ち聴きでもしたか」
「まったく直ぐに帰りましたので……。あとの事は知りません」
「こいつ、道楽者のくせにあっさりしねえ野郎だな。やい、元八。てめえはあのお鎌という婆さんから鼻薬を貰って、口を拭《ぬぐ》っているのだろう。くどくも云うようだが、緑屋の爺さんと此の半七とは相手が違うぞ。その積りで返事をしろ」
頭から嚇されて、元八は蒼くなった。半七は衝《つ》っと寄って、その片腕をつかんだ。
「さあ、野郎。この腕に縄が掛かるか、掛からねえかの分かれ道だ。返事をしろよ。返事をしねえかよ」
掴んだ腕をゆすぶられて、元八はいよいよふるえた。
「親分の仰しゃる通り、実は三人のあとを尾けて……」
「寺のなかまではいり込んだな。それからどうした」
「三人は案内も無しに上がり込みました」
「坊主はいたのか」
「住職、納所もいました。三人は住職の居間へ通って……」
「この六畳だな」
「そうです。住職も納所も虚無僧も女も、みんな一緒に寄り集まって、ここで酒を飲み始めました」
「おめえはそれを何処で覗いていた」
「庭から廻って、あの大きい芭蕉の蔭で……。すると、だしぬけに袂を掴んで引っ張る奴があるので、驚いて振り返ると……」
「お鎌婆さんか」と、半七は笑った。
「お鎌はわたしをむやみに引き摺って、表の玄関の方まで連れ出して、わたしの手に一|歩《ぶ》の金を握らせて、さあ早く出て行け、ぐずぐずしているとお前の命が無いというので……。わたしも何だか気味がわるくなって、忽々《そうそう》に逃げて帰りました」
「おめえはお鎌と心安くしているのか」
「別に心安いというわけでもありませんが、あの婆さんは小金を持っているので、時々ちっとぐれえの小遣いを借りることもあるのです。いえ、なに、借り倒すなんていう事は出来ません。あの婆さん、なかなか厳重ですから……」
云いかけて、元八は眼口《めくち》を撲つ藪蚊を袖で払った。一生懸命の場合でも、ここらの名物の藪蚊には彼も辟易《へきえき》したらしい。半七も群がって来る藪蚊を防ぐ術《すべ》がなかった。
四
「そこで、話はあと戻りをするが、おめえは何でおれ達のあとを尾けて来たのだ」と、半七は訊《き》いた。
それに就いて、元八はこう答えた。彼はさっき、緑屋の近所を通りかかると、店の女中たちに送られて出る二人の客のすがたを見た。元八も道楽者であるだけに、この二人を唯の客ではないらしいと鑑定して、女中にそっとたずねると、彼らは三河町の半七とその子分であるという。それを聞くと、彼は俄かに一種の不安に襲われて、亭主の甚右衛門に相談するひまも無く、すぐに半七らのあとを追って、影のように付け廻していたのである。但し、自分はお鎌から一歩の金を貰っただけで、ほかには何の係り合いも無いと弁解した。
「おめえは其の後にお鎌に逢ったか」と、半七は又|訊《き》いた。
「ここの井戸から四人の死骸が揚がったという評判を聞いて、わたしもすぐに駈け着けてみると、お鎌も来ていました。なにしろ最初に死骸を見付けた本人ですから、名主さん達からいろいろのことを訊かれていましたが、わたしは何だか気が咎めるので、なるたけ後の方へ引きさがって、遠くから覗いていました。その時ぎりでお鎌に逢ったことはありません」
「死骸を見つけたのは、十五夜から四日目だというじゃあねえか。そのあいだに、一度もお鎌に逢わなかったのか」
「逢いませんでした」
この時、庭口から松吉が大急ぎで帰って来た。八月の秋の日はまだ暑いので、彼は襟もとの汗をふきながら云った。
「親分、お鎌はいませんよ」
「家《うち》にいねえのか」
「荒物屋の店は空明《がらあ》きで、何処へ出て行ったのか近所の者も知らねえと云うのです。なにしろ、こっちの方も気になるので、案内の男だけを見張りに残して置いて、わっしは一旦引っ返して来たのですが、どうしましょう」
「どうにも仕方があるめえ」と、半七は舌打ちした。「下司《げす》の知恵はあとから出る。こうと知ったら早くあの婆を引き挙げればよかった。そこで、頼んだ物を持って来たか」
「店へはいって探してみたら、毎日の売り揚げを付けて置く小さい帳面がありました。これじゃあ役に立ちませんか」と、松吉はふところから藁半紙の帳面を出してみせた。
「むむ。なんでもいい」
半七はその帳面を受け取って、かの結び文の「十五や御ようじん」と引き合わせると、松吉も縁へ這いあがって覗き込んだ。
「成程、似ているようですね」
「似ているじゃねえ。確かに同筆だ。この寺へはいろいろの奴らが寄り集まって来て、その置手紙を木魚の口へ投げ込んで置いて、なにかの打ち合わせをすることになっているらしい、そこまでは先ず判ったが、さてこの十五夜御用心……。誰に用心しろと云うのかな」
云いかけて、又なにか思い出したように、半七は向き直った。
「おい、元八。おめえはその芭蕉のかげで立ち聴きをしていて、なんにも話し声は聞えなかったか」
「声が低いので、よく聴き取れませんでした。ただ一度、全真という納所坊主がこの縁側から月をながめて、ああいい月だ、諏訪《すわ》神社の祭礼《まつり》ももう直ぐだなと云うと、住職の全達が笑いながら、諏訪の祭りが見たければ直ぐ出て行け、十月までには間に合うだろうと云って、みんなが大きい声で笑っていました」
「諏訪の祭り……信州かな」と、松吉は口を出した。
「いや、信州の諏訪は十月じゃあるめえ」と、半七は打ち消した。「十月の祭りならば、長崎の諏訪だろう。九州一の祭りで、たいそう立派だそうだ。そんな話を誰かに聞いたことがあるようだ。むむ、長崎か……長崎か……」
長崎を口のうちで繰り返した後に、半七は証拠の結び文と売揚げ帳をふところへ押し込んだ。
「いつまでここに罠《わな》をかけていても、化け猫や狐が安々と掛かって来そうもねえ。ともかくも一旦引き揚げて緑屋へ行くとしよう」
「荒物屋の方はどうしますね」と、松吉は訊《き》いた。
「あの男にばかり任かしちゃあ置かれねえ。おめえも行って気長に張り込んでいろ。俺もいずれ後から行く。元八はいつまた呼ぶかも知れねえから、家《うち》へ帰っておとなしくしていろよ。決して外へ出ちゃならねえぞ」
元八は幾たびか頭を下げて、逃げるように出て行った。半七も松吉もつづいて出た。
「あの野郎はどうでした。妙におこ付いているじゃありませんか」と、松吉は小声で云った。
「道楽者と云ったところで、安い野郎だ。あいつ案外の正直者だから、なにかの囮《おとり》になるかも知れねえ。まあ、当分は放し飼いだ」
途中で松吉に別れて、半七は再び緑屋の門《かど》に立った。
「又お邪魔に出ました。日の暮れるまで往来に突っ立ってもいられねえから、軒下を借りに来ました。どうぞ構わねえで置いて下さい」
勿論それはひと通りの挨拶で、緑屋でも構わずに捨てて置く筈はなかった。半七は愛想よく迎えられて再び二階の小座敷へ通されると、甚右衛門もあとから上がって来た。
「どうだね。お前さんの眼利きは……。たいてい見当は付いたかね」
「おさき真っ暗で眼も鼻も利きません」と、半七は笑った。「なにしろ日が暮れてから、もう一度出直して見たいと思います」
「じゃあ、ゆっくり休んで行きなせえ。古寺へ化け物の詮議に行くのは、やっぱり夜の仕事だろうな」と、甚右衛門も笑った。「そこで、どうだね。元八の奴を呼びにやろうか」
「元八は来ましたよ」
「寺へか。お前さん達のあとを尾けて……。はは、馬鹿野郎め、定めし嚇かされたろうな」
「嚇かしもしねえが、ちっとばかり口を取って置きましたよ。そこで、ちょいと伺いたいのですが、ここらに長崎者はいませんかね」
「長崎者……。そんな遠国《おんごく》の者は住んでいねえようだが……。いや、ある、ある。この近所で荒物屋をしているお鎌という女……。それ、さっきも話した通り、古井戸の死骸を最初に見つけ出した女だ。長崎だかどうだか確かには知らねえが、なんでも遠い九州の生まれだと聞いたようだ。それがどうかしたのかえ」
「いや、どうということもねえのですが、そのお鎌というのが影を隠したらしいので……。お前さんも知っていなさるか知らねえが、元八は十五夜の晩に、あの寺でお鎌から一歩貰ったそうですよ」
「へええ」と、甚右衛門は眼を丸くした。「あの野郎、おれには隠していやあがったが、そんな事があったのかえ。してみると、あいつもいよいよ係り合いは抜けねえ。お鎌という女も唯は置かれねえ奴らしいな」
「そうでしょうね」と、半七は煙草を吸いながら考えていた。
秋の日もやがて暮れかかって、再び酒と肴が持ち出されたが、半七は酒を辞退して夕飯を食った。その箸をおいて茶を飲んでいる処へ、松吉が詰まらなそうな顔をして帰って来て、お鎌はいまだに姿をみせないと云った。恐らく再び帰らないのであろうと、半七は想像した。
「おれもそうだろうと思った。おめえもここで夕飯の御馳走になれ。仕事はこれからだ」
裏の田圃に秋の蛙《かわず》が啼き出して、夜風が冷々《ひえびえ》と身にしみて来た頃に、半七と松吉は身支度をして緑屋を出た。
「松、しっかりしろよ。さっきも云う通り、今夜の怪物は化け猫に古狐だ。引っ掻かれねえように用心しろ」と、半七は笑いながら先に立った。
竜濤寺に行き着いて、二人は暗い本堂のまん中に坐り込んだ。あいにくに宵闇の頃であるのが、二人に取っても都合がいいようでもあり、悪いようでもあった。半刻《はんとき》ほども黙って坐っていると、藪蚊が四方から物凄いほどに唸って来た。
「ひどい蚊だね」と、松吉は左右の袖を払いながら云った。「これじゃあ遣り切れねえ」
「ひる間でさえもあの通りだ。夜は蚊責めと覚悟しなけりゃあならねえ」と、半七は云った。「まあ、我慢しろ。蚊ばかりじゃあねえ、今に化け物が出るだろう」
蚊の声、虫の声、古寺の闇はいよいよ深くなって屋根の上を五位鷺《ごいさぎ》が鳴いて通った。二人は根気よく坐り込んで、夜のふけるのを待っていたが、やがて四ツ(午後十時)に近い頃までも彼らを驚かすような化け物は出なかった。松吉は少し待ちくたびれたようにささやいた。
「親分。化け物はまだ来ねえかね」
「秋の夜は長《な》げえ。化け物の来るのは丑満《うしみつ》と決まっていらあ」
「まったく秋の夜は長げえ。ここらで一服吸ってもいいかね」
「いけねえ。燧石《ひうち》の火は禁物《きんもつ》だ」
「いやに暗い晩だね」
「暗いから火は禁物だというのだ」
その暗い夜を照らすような稲妻《いなづま》が、軒さきを掠《かす》めて弱く光った。稲妻は秋の癖である。それは不思議でもなかったが、別に半七らをおどろかしたのは、二人が控えている本堂の庭さきに一人の女がたたずんでいる事であった。女は縁に近寄って、首をのばして内を窺っているらしく、稲妻に照らされた顔は蒼白く見られた。
いつの間に忍んで来たのか知らないが、自分らの眼のさきに怪しい女の顔がだしぬけに浮き出したので、二人とも思わずぎょっとする間《ひま》もなく、稲妻は消えて元の闇となった。化け物はいよいよ現われたのである。半七はすぐに起って、暗い庭さきに飛び降りた。
これと同時に、かの古井戸あたりでも何か飛び込んだような水の音がきこえた。半七は暗い中で声をかけた。
「松。井戸の方へ廻ってみろ」
稲妻はまた光った。怪しい大きい人は芭蕉の蔭にかくれて、手には匕首《あいくち》のような物を持っているらしかった。
五
「お話は先ずこのくらいにして置きましょう」と、半七老人は云った。「どうです。大抵はお判りになりましたか」
「まだ判りません」と、私は自分の神経の鈍《にぶ》いのを恥じるように答えた。「その女は無論つかまえたんでしょうね」
「女ですか。ひとりは捉まえたが、一人は逃がしてしまいましたよ」
「じゃあ二人ですか」
「ひとりは匕首を持っていた女……。そいつは刃物を振りまわして、私に斬ってかかって来ましたが、こっちも商売ですから、空手でどうにか捻じ伏せてしまいました。もう一人の女……例の古井戸の方へ忍んで来た奴は、松吉を突き退けて逃げたんです。なにしろ真っ暗闇ですからね」
「井戸へ飛び込んだのは誰なんです」
「飛び込んだのじゃあない、投げ込んだのですよ。男の死骸を……」
「男の死骸……」
「元八という奴の死骸です」
「元八も殺されたんですか」
「可哀そうに殺されました」
「一体その女たちは何者です」と、わたしは訊《き》いた。
「ひとりはおまんという女で、若いように見えても二十六でした。もう一人は例のお鎌という女で、こいつは年に似合わない頑丈な婆さんでした」と、老人は説明した。「そこで、あなたも大抵お察しでしょうが、竜濤寺という古寺は悪い奴らの隠れ家で……。芝居や草双紙にもよくありますが、とかく古寺なんていうものは、山賊なんぞの棲家《すみか》になるもので、この寺も暫く無住のあき寺になっているうちに、悪い奴らが巣を作ってしまったんです。しかしいつまでも空寺にして置くと、何時《いつ》ほかの住僧がはいり込まないとも限らないから、いっそ自分たちが占領してしまう方がいいというので、全達と全真、この二人が住職と納所に化けて住み込むことになったんです。どっちも田舎の坊主あがりで、お経の読み方や木魚の叩き方ぐらいは知っていたそうですが、なにしろ二人とも喰わせ者で、世間を誤魔化すために殊勝らしく鉦《かね》なんぞをちんちん鳴らして、近所を托鉢に歩いていたというわけです」
「じゃあ、虚無僧ふたりも偽物ですね」
「勿論これも偽虚無僧、芝居ならば忠臣蔵の本蔵とか毛谷《けや》村のお園《その》とかいう所です。御承知でもありましょうが、坊主や虚無僧は寺社奉行の支配で、町方《まちかた》では迂濶に手を着けることが出来ないのですから、そこを見込んで思い思いに化けたんでしょう。こいつらは徒党を組んで、大きい町人や旗本屋敷をあらし廻って、相当に纏まった仕事をしていたらしいんです。この一件の一と月ほど前に東両国の質屋へ押込みにはいった二人組がありましたが、その晩は蒸し暑いので、ひとりの奴が覆面を取って顔の汗を拭くと、それが坊主頭であったので、店の者は又おどろいたということです。私はその話を聞いて、この頃ここらに坊主あたまの悪い奴らが立ち廻っていることを知っていたので、竜濤寺の坊主共も或いはそんな仲間じゃあないかと、まず第一に思い付いたんです。
そこで、古井戸の死骸ですが、出家二人と虚無僧二人が、一度に身投げをするのもおかしい。おまけに、その死骸が水を嚥《の》んでいなかったと云いますから、身投げでは無いように思われます。しかし他人が殺して投げ込んだのならば、からだに何かの疵あとが残っていなければならない。たとい毒殺にしても、やっぱり何かの痕が残って、検視の役人たちにも知れる筈です。他人が殺して、なんにも跡方が残らないのは、睡り薬のほかは無いということを、私はかねて医者から聞いていました。睡り薬というのはモルヒネです。今日ではどうだか知りませんが、江戸時代の検視では睡り薬で死んだのを鑑定することは出来なかったようです。しかしその睡り薬というものが其の時代には容易に手に入らない。かの四人は、何者にか睡り薬を飲まされて、古井戸へ投げ込まれたのじゃあ無いかと、私も最初から疑っていたんですが、さてその薬の出所がわからない。そのうちに、元八の口からこんなことを聞きました。さっきもお話し申した通り、納所坊主が諏訪の祭りの噂をしたというんです。それが信州の諏訪でなく、長崎の諏訪らしいので、私は気が付きました。さてはこいつらの仲間のうちに、長崎に関係のある奴がまじっている。長崎ならば、異国の商船が絶えず出入りをしている土地ですから、モルヒネの睡り薬を手に入れることが出来る。そこで、緑屋の爺さんに訊いてみると、荒物屋のお鎌は九州の生まれだというので、いよいよ長崎に縁のあることが判りました」
「そこで、そのお鎌というのはどういう人間なんですか」と、私もいよいよ興味をそそられて訊いた。
「お鎌は果たして長崎の人間でした。死んだ亭主の名は徳之助と云って、二十年ほども前から夫婦連れで国を出て、何かの縁を頼って、初めは江戸の品川に草鞋《わらじ》をぬぎ、それから山の手辺を流れ渡って最後にこの押上村におちついて、十五六年も無事に暮らしていたんです。生まれ故郷を遠く離れて、なぜ江戸三界へ出て来たのか、それはよく判らないんですが、なにか良くない事をして、江戸へ逃げて来たんだろうと思われます。こう云えば、まず大抵は想像が付くでしょうが、長崎の祭りを恋しがった全真という納所は、お鎌の夫婦に由縁《ゆかり》のある者で、実はお鎌の甥にあたるんです。全真は子どもの時から長崎在の小さい寺へ小僧にやられていたんですが、これも何かのしくじりがあったんでしょう、五、六年前から国を飛び出して、叔母のお鎌をたずねて来る途中、東海道の三島の宿から全達と道連れになって、一緒に江戸へ出て来たんです。その道中のことはよく判りませんが、江戸へ着いた頃には二人とも、もう相当の悪者になっていたようです。この二人が竜濤寺の空寺に巣を作るようになったのも、お鎌に教えられたんでしょう。そのうちに、お鎌の亭主の徳之助が死んだので、死骸を竜濤寺へ葬って、その墓参りにかこつけてお鎌は始終出這入りをしていたんです。そんなわけですから、お鎌はみんなの悪事を承知しているどころか、そいつらが盗んで来た品物を択り分けて、賍品《けいず》買いや湯灌場《ゆかんば》買いなぞに売り捌いていたんですが、近所の者は誰も気がつかなかったと見えます」
「虚無僧は何者です。やっぱり長崎の生まれですか」
「いや、これは長崎じゃありません。二人とも北国筋の浪人だと云っていたそうですが、本当の身許はわかりません。ひと通りの武芸は出来たようですから、ともかくも大小をさした人間の果てには相違ありますまい。二人は兄弟でもなく、叔父甥でもなく、ひとりは石田、ひとりは水野と云っていたそうですが、もちろん偽名でしょう。どこでどう知り合いになったのかも知りませんが、石田と水野も竜濤寺の仲間入りをして、前にも云ったように、大きい町人や旗本屋敷を荒らし廻っていたんです。そうして幾年のあいだは、うまく世間の眼を晦ましているうちに、ここに一つの捫著《もんちゃく》が起りました」
「おまんという女の一件ですか」
「あなたも若いだけに、そういう方へはすぐに神経が働きますね」と、老人は笑った。「お察しのごとく、そのおまんが捫著の種で……。こいつは長崎の女郎あがりで、十九の年に大阪の商人に請け出されて行ったそうですが、間もなく店の若い者と一緒に駈け落ちをして、途中で捨てたのか捨てられたのか、ともかくも自分ひとりで江戸へ出て来て、それから妾奉公や、いろいろのことをやっていたんです。何でも雪のふる日に、本所の番場辺へ行く途中、多田の薬師の前で俄かに癪が起って悩んでいるところへ、虚無僧の石田が通りかかって介抱して、自分の隠れ家の竜濤寺へ連れ込んだと云うんですが、いずれ女の方から持ち掛けたか、男の方から誘いかけたか、何かの理窟があるんでしょう。ところが、このおまんという奴は女郎あがりの腕の凄い女で、石田と水野と全達と全真の四人をみんな巧く丸め込んで、自分がこの四人組の大将分のようになってしまったんです。こうなると、男は意気地がありませんね。ははははは。しかしおまんは竜濤寺に同居しないで、深川の方に妾宅風のしゃれた暮らしをして、うわべは囲い者かなんぞのように見せかけて、時々に寺へ通って来ていたんです。
それだけなら未だよかったんですが、四人のなかでは全真が一番若い。ことし二十五で、おまんよりも一つ年下です。殊に双方が同国の長崎というんですから、おまんは誰よりも全真を余計に可愛がるような素振りが見える。それが他の三人には面白くない。その嫉妬《やきもち》喧嘩から仲間割れが出来て、おまんは全真を連れて何処へか立ち去るという。それを全達が仲裁して、一旦は無事に納まったんですが、全達とても内心は面白くない一人ですから、結局は石田や水野と心をあわせて、十五夜の晩に月見の小酒盛を催し、酔った振りをして喧嘩を吹っかけて、その場で全真を殺してしまう。おまんが飽くまでも全真を庇うようならば、これも一緒に殺すよりほかは無いということに相談を決めたんです。こういう奴らでも色恋の恨みは恐ろしい、三人は我が身の破滅になるとも知らずに十五夜の来るのを待っていると、どうしてかお鎌の婆さんがその秘密を覚ったんです。
お鎌も人情で、自分の甥は可愛いのですから、そのことをそっと知らせてやろうと思って、十五夜の昼に竜濤寺へ来てみると、おまんもいない、男四人もいない、そこで、かの十五夜御用心を書いて木魚の口へ押し込んで置いたというわけです。今日《こんにち》で云えば、この木魚は郵便ポストのようなもので、誰もいない時は此のポストへ結び文を押し込んで置いて、なにかの打ち合わせをする約束になっていたんです。なかなか用心深く考えたもんですよ。
しかしその木魚のポストを誰が明けるか判らない。全真かおまんが明ければいいが、他の三人が明けることになって、折角の結び文が他人の手に渡ってしまっては、御用心が御用心にならない。お鎌も内々それを心配していると、その日が暮れてから、おまんが深川から通って来て、なにかの用でお鎌の店へも寄ったので、お鎌はこれ幸いと思って、十五夜御用心の一件をおまんにささやくと、おまんも薄々それを察していたので、万事はあたしに任かせて置きなさいと云って帰った。その帰り途《みち》で元八に出逢ったので、おまんはわざと白らばっくれて、神明様はどこですなどと訊いたんです」
「元八はおまんを知らなかったんですね」
「坊主たちは格別、おまんと虚無僧二人はよほど出這入りに気をつけていたと見えて……尤も今と違って人家はまばらで、あたりには田や畑が多いんですから……近所の者もよくは知らなかったそうです。元八も知らないで化かされた。まったく悪い狐です。その狐に執拗《しつこ》く絡み付いて来るので、おまんも内心持て余しているところへ、丁度に石田と水野の虚無僧が来あわせて、元八は忽ちずでんどうという始末。それから、おまんと虚無僧の三人連れは、元八にあとを尾《つ》けられたとも知らず竜濤寺へ帰って、全達、全真と五人一座でいよいよ月見の酒宴をはじめると、どの人にも酔いが廻って、喧嘩を仕掛ける筈の石田が先ず倒れる、つづいて全達が倒れる、次に全真が倒れる、最後に水野が倒れる、小栗判官の芝居じゃあないが、将棋倒しにばたばたという事になってしまったんです。
これにはおまんも驚いた。というのは、例の睡り薬の一件で……。おまんは喧嘩の先手を打って、全達と石田と水野の三人に睡り薬を飲ませる積りで、その計略は成就したんですが、どうした間違いか全真にも飲ませてしまって、これも将棋倒しのお仲間入りをしたので、おまんもはっと思ったが今更どうにもならない。そこへお鎌も様子をうかがいに来たので、二人は相談の上で四人の死骸を順々に抱え出して古井戸へ沈めることにした。しかし、いつまでも其の儘にしても置かれないので、それから四日目にお鎌が偶然見付け出したような振りをして、俄かに騒ぎ始めたというわけです」
「木魚のポストは誰も明けなかったんですね」
「誰も明けなかったと見えます、御用心がなんの役にも立たないで、こんな騒ぎになってしまったので、おまんもお鎌ももう忘れていたんでしょう。私が乗り込んだ五日目まで、結び文はちゃんと残っていました」
これで事件の真相は明白になったが、まだ判らないのは二人の女が其の後も古寺へ出入りして、かの元八をも同じ井戸に葬ったことである。それに就いて、半七老人は更に説明を付け加えた。
「睡り薬の手違いで、こんなことになった以上、おまんもお鎌も思い切りよく別れてしまえばよかったんですが、二人にはまだ未練がある。四人がこれまでに盗んだ金や、右から左に処分することの出来ないような金目の品々が、寺の何処にか隠してあるに相違ないというので、二人は人目に付かないように忍び込んで、墓場や床下を掘ってみたり、須弥壇《しゅみだん》を掻き廻してみたり、心あたりの場所を一々探していたが、それがどうも見付からない。そこへ私たちが乗り込んで来たので、眼の捷《はや》いお鎌はすぐに自分の店をぬけ出して、事の成り行きをうかがっていると、元八がドジを組んで私たちに調べられることになった。一旦は無事に帰されたものの、油断していると元八のような奴は何をしゃべるか判らない。殊に十五夜の晩に、一歩の金をつかませたという秘密もあるので、お鎌はおまんと相談して、元八を何処へか呼び出して、例の睡り薬を一服盛ってしまったんです。大方おまんが色仕掛けか何かで、凄い腕を揮ったんでしょう。決して外へ出ちゃあならないと、私が元八に堅く云い聞かせて置いたのに、うっかり誘い出されたと見えます。その死骸を近所の川へでも投げ込んでしまえばいいのに、同じ寺の古井戸へ運んで来たのが二人の女の運の尽きで、忽ちわたし達の網に引っかかったんです。こいつらに限らず、犯罪者というものはとかく同じことを繰り返す癖があるので、それがいつでも露顕の端緒になる。まったく不思議なものです」
「元八の死骸は誰が運んで来たんです。女たちの手には負えないでしょう」
「元八は小柄の男で、お鎌は頑丈な女ですから、自分が負って行ったということになっているんですが、実際はどうでしょうかね。緑屋の甚右衛門は堅気になっていますが、昔の子分のうちには今でもぶらぶらしているやくざがいる。そんな奴が幾らかの鼻楽を貰って、お鎌に手を貸してたんじゃあないかとも思われますが、甚右衛門の顔に免じて、そこはまあ有耶無耶《うやむや》にしてしまいました」
「おまんはあなたに捉まって……。それから、お鎌はどうしました」
「一旦は逃げましたが、五、六日の後に深川の木賃宿《きちんやど》で挙げられました。お鎌は竜濤寺に隠してある金に未練が残っていて、ほとぼりの冷めた頃に又さがしに行く積りであったそうです。悪党のくせに、よくよく思い切りの悪い奴で、そこがやっぱり女ですね」
「問題の睡り薬は、どっちの女が持っていたんです」
と、私は最後に訊《き》いた。
「いや、それがおかしいので……」
と、老人は笑った。
「おまんはお鎌から受け取ったと云い、お鎌はおまんから受け取ったと云い、両方で押し合いをしているんです。もうこうなった以上は、誰が持って居ようとも、罪科に重い軽いは無いわけですが、それでもお互いに強情を張って、しまいまで素直に白状しませんでした。しかし私の鑑定では、おまんが持っていたんでしょうね」
[#改ページ]
金の蝋燭《ろうそく》
一
秋の夜の長い頃であった。わたしが例のごとく半七老人をたずねて、面白い昔話を聴かされていると、六畳の座敷の電灯がふっと消えた。
「あ、停電か」
老人は老婢《ばあや》を呼んで、すぐに蝋燭を持って来させた。
「行灯《あんどん》やランプと違って、電灯は便利に相違ないが、時々に停電するのが難儀ですね」
「それでもお宅には、いつでも蝋燭の用意があるのには感心しますね」と、わたしは云った。
「なに、感心するほどのことでも無い。わたくしなぞは昔者ですから、ランプが流行《はや》っても、電灯が出来ても、なんだか人間の家に蝋燭は絶やされないような気がして、いつでも貯えて置くんですよ。それが今夜のような時にはお役に立つので……」
ふた口目にはむかし者というが、明治三十年前後の此の時代に、普通の住宅で電灯を使用しているのはむしろ新らしい方であった。現にわたしの家などでは、この頃もまだランプをとぼしていたのである。新らしい電灯を用いて、旧《ふる》い蝋燭を捨てず、そこに半七老人の性格があらわれているように思われた。
こんにちと違って、そのころの停電は長かった。時には三十分も一時間も東京の一部を闇にして、諸人を困らせることがあった。今夜の停電も長い方で、主人も客も夜風にまたたく蝋燭の暗い火を前にして、暫く話し続けているうちに、その蝋燭から縁を引いて、老人は「金の蝋燭」という昔の探偵物語をはじめた。
「御承知の通り、安政二年二月六日の晩に、藤岡藤十郎、野州無宿の富蔵、この二人が共謀して、江戸城本丸の御金蔵を破って、小判四千両をぬすみ出しました。この御金蔵破りの一件は、東京になってから芝居に仕組まれて、明治十八年の十一月、浜町《はまちょう》の千歳座《ちとせざ》で九蔵の藤十郎、菊五郎の富蔵という役割でしたが、その評判が大層いいので、わたくしも見物に行って、今更のように昔を思い出したことがありました。その安政二年はわたくしが三十三の年で、云わば男の働き盛りでしたから、この一件が耳にはいると、さあ大変だというので、すぐに活動を始めたんです。勿論、わたくしばかりじゃあない、江戸じゅうの御用聞きは総がかりです。八丁堀の旦那衆もわたくし共を呼びつけて、みんなも一生懸命に働けという命令です。その時代のことですから、御金蔵破りなどということは決して口外してはならぬ、一切秘密で探索しろというのですが、人の口に戸は立てられぬの譬えの通りで、誰の口からどう洩れるものか、その噂はもう世間にぱっと広まっていました」
その年の四月二日の夜も、やがて四ツ(午後十時)に近い頃である。両国橋の西寄りに当って、人の飛び込んだような水音が響いたので、西両国の橋番小屋から橋番のおやじが提灯をつけて出た。両国橋は天保十年四月に架け換えたのであるが、何分にも九十六間の長い橋で、昼夜の往来も繁《はげ》しい所であるから、十七年目の安政二年には所々におびただしい破損が出来て、人馬の通行に危険を感じるようになったので、ことしの三月から修繕工事に取りかかることになって、橋の南寄り即ち大川の下流《しもて》に仮橋が作られていた。その仮橋から何者かが飛び込んだらしいのである。
夜は暗く、殊に細雨《こさめ》が降っている。一方には橋の修繕工事用の足場が高く組まれている。それに列んで仮橋が架けられている、木材や石のたぐいを積み込んだ幾艘かの舟も繋がれている。その混雑のなかで、橋の上から提灯を振り照らしたぐらいの事ではどうなるものでも無い。結局はなんの発見も無しに終った。
橋番は多年の経験で、その水音が何であるかを知っていた。それは重い物を投げ込んだのではなく、人間が飛び込んだか、或いは投げ込まれたに相違ないと云った。但し暗夜のことであるから、不完全の仮橋から何か粗相で墜落したのかも知れない。いずれにしても、男か女か、その人間のゆくえは判らなかった。
それから六日目の朝である。神田三河町の半七の家の裏口から、子分の幸次郎が眼をひからせながらはいって来た。
「お早うございます。早速ですが、親分、両国の一件を聴きましたかえ」
「両国の一件……。四、五日前の晩に誰か落ちたというじゃあねえか。あの長げえ仮橋のまん中に、提灯一つぶら下げて置くだけじゃあ不用心だ」と、半七は顔をしかめた。「そこで、その死骸でも揚がったのか」
「まあ、揚がったようなわけで……。実はきのうの午《ひる》すぎに、何かの仕事の都合で上《かみ》の方の流れを少し堰《せ》いたので、西寄りの仮橋の裾の方が浅くなって干上《ひあ》がった。そうすると、女の死骸が沈んでいるというので人足どもは大騒ぎ……。まあ、お聴きなせえ。それがおかしい」と、幸次郎はいよいよその眼を光らせた。「その女は風呂敷包みを大事そうにしっかり抱えている……。その包みをあけて見ると、大きい蝋燭が五、六本……いや、確かに五本あったそうです。ところが、その蝋燭が馬鹿に重いので、こいつは変だなと云って、人足のひとりがその一本をそこらの杭《くい》に叩き付けてみると、なるほど重い筈だ。芯《しん》は金無垢の伸べ棒で、その上に蝋を薄く流しかけて、蝋燭のように見せかけてある。これにはみんなも驚いて、早速に係りの役人衆に訴え出る。それからだんだんに調べてみると、どの蝋燭も芯は金無垢の拵え物……。どうです、まったくおかしいじゃありませんか」
「むむ、おかしいな。そこで、その死骸はどんな女だ」
「わっしは見ませんが、なんでも三十二三の小粋な女房で、その風呂敷包みのほかにはなんにも持っていなかったそうです。からだに疵は無し、水を嚥《の》んでいる。たしかに身投げに相違ねえというのですが、さてその蝋燭がわからねえ。芯が金無垢でこしらえた蝋燭なんていう物が、この世の中にある筈がねえ。一体その女がどうしてそんな物を抱えていたのか、ひと詮議しなけりゃあなるめえと思うのですが、どうでしょう」
「おめえの云う通り、こりゃあ打っちゃって置かれねえな」と、半七は膝を立て直した。「おい、幸。しっかりしなけりゃあいけねえ。魚《さかな》は案外に大きいかも知れねえぞ」
「どうも唯事じゃあ無さそうですね」
「なにしろ、いいことを嗅ぎ出して来てくれた。さあ、帯を絞め直して取りかかるかな」
金の蝋燭について、半七が俄かに緊張の色を見せたのは、それが彼《か》の御金蔵破りに関係があるらしいと認めたからである。犯人が何者であるか判然《はっきり》したのは、その翌々年、即ち安政四年のことであって、その当時は全く目星が付かない。江戸城内の勝手を知っている番士またはその家来どもの仕業《しわざ》であるか、或いは町人どもの仕業であるか、その判断にも苦しんでいた矢さきであるから、少しの手がかりでも見逃がすことは出来ないのである。いずれにしても、江戸城内に忍び入って金蔵を破るほどの大胆者である以上、彼らにも相当の覚悟がある筈で、右から左にその大金を湯水のように使い捨てるような、浅はかな愚かなことはしないであろう。恐らく何処にか埋め隠して置いて、詮議のゆるんだ頃にそっと持ち出すという方法を取るであろうとは、何人《なんぴと》も想像するところであった。
さてその金をかくす方法は、まず自宅の床下に埋めて置くのが普通である。次は他人《ひと》の眼に付かないような場所を選んで、なにかの眼じるしを立てて埋めて置くのである。これは誰でも考えることで、今度の犯人もその一つを択《えら》んだであろうと察せられるが、そのほかの方法はその小判を鋳潰《いつぶ》して地金《じがね》に変えてしまうことである。通貨をみだりに地金に変えることは、国宝鋳潰しの重罪に相当するのであるが、すでに金蔵を破るほどの重罪犯人であれば、そのくらいの事は憚《はばか》る筈もない。たといその小判の全部でなくとも、その一部を鋳潰して、何かの形に変えて置くようなことが無いとも限らない。純金の伸べ棒を芯《しん》に入れて、それを大きい蝋燭に作って置くなども、確かに一つの方法であると半七は思った。
金蔵やぶりの盗賊が一人の仕業でないのは、容易に想像されることである。少なくも二人または三人の同類が無ければならない。殊に鋳潰しなど企てたとすれば、まだほかにも同類がありそうである。半七はすぐに子分らを呼びあつめて、江戸じゅうの蝋燭屋と、金銀細工の職人を片っぱしから調べてみろと云い付けた。
「さあ、これからどうするかな」
なにしろ一応は現場を見ておく必要があるので、半七は幸次郎を連れて出た。四月はじめの大空は蒼々と晴れて、町には初袷《はつあわせ》の男や女が賑わしく往来していた。昔ほどの景気はないが、それでも初鰹を売る声が威勢よくきこえた。
「すっかり夏になりましたね」と、幸次郎は云った。
「寒い時も困るが、おれ達の商売も暑くなると楽じゃあねえ。一体、両国橋の繕《つくろ》いというのは、いつ頃までに出来上がるのだ」
「五月の末……川開きまでにゃあ済むのでしょう。それでなけりゃあ土地の者が浮かばれませんよ」
「そうだろうな」
柳原|堤《どて》の夏柳を横に見ながら、二人は西両国へ行き着くと、橋の修繕はなかなかの大工事であるらしく、その混雑のために広小路の興行物はすべて休業で、職人や人足を目あての食い物屋ばかりが繁昌していた。
「おい、鯡《にしん》の蒲焼はどうだ」と、半七は幸次郎をみかえって笑った。
「やあ、御免だ」
「あんまりそうでもあるめえ」
作事場の役人にことわって、半七は仮橋のあたりを一応見まわった後に、西の橋番をたずねた。両国橋は東西に橋番の小屋があるが、金の蝋燭の一件は橋の西寄りであったので、すべて西の橋番の係り合いとなったのである。橋番の久八というおやじは半七の顔を見識っているので、丁寧に挨拶した。
「親分さん、御苦労でございます。まあ、おかけ下さい」
「きのうはこの川で大変な掘り出し物をしたというじゃあねえか」と、半七は腰をかけながら云った。「おれも一生に一度はそんな掘り出し物をしてえものだ」
「いえ、お前さん。あの女が散らし髪になって、恐ろしい顔をして、死んでも放すまいというように、風呂敷包みをしっかり抱えていたのを見ると、慾も得もありません。金の蝋燭でも、金の伸べ棒でも、あんな物を貰ったら、きっと執念が残って祟られますよ」
「三十二三で、小粋な女だそうだね」
「今は堅気《かたぎ》のおかみさんでも、若い時にゃあ泥水を飲んだ女じゃあないかと思われました。木綿物じゃあありますが、小ざっぱりした装《なり》をして……。まあ、見たところ、困る人じゃあ無さそうでしたね」
「困る筈はねえ。金の棒をかかえている位だ」と、幸次郎は笑った。「まあ、その晩のことを親分にひと通り話してくれ」
二
「一体、その女は自分で飛び込んだのか、粗相で落ちたのか、誰かに突き落されたのか、おめえに心当りはねえのかね」と、半七は訊《き》いた。
「それはきのうも検視のお役人から御詮議がありましたが、まったく何も心当りが無いのです。わたくしは唯、ざぶんという水の音を聞いただけで、すぐに提灯を持って出ましたが、男か女か判らないので……」
久八は少し曖昧に答えた。身投げを見付けたらば直ぐに救うのが橋番の役であるが、今や欄干に手をかけた者を留めることはあっても、すでに飛び込んでしまった者を救い揚げることは滅多《めった》に無い。久八も水音におどろかされて一旦は出て行ったものの、もう遅いと諦めて、いい加減に引っ返したらしいのである。しかもそれが女であると判って、彼もいささか気が咎めないでも無かった。その時代の習慣として、男を見殺しにしたよりも、女や子供の弱い者を見殺しにしたということが、余計に不人情と認められたからである。
しかし今の半七に取っては、そんな詮議はどうでもよかった。彼は重ねて訊《き》いた。
「その晩はまあそれとして、その後にも別に気の付いたことは無かったかね」
「それがねえ、親分」と、久八は声を低めた。「実はすこし変だと思うことが無いでもないので……。その明くる日の朝、ようよう夜が明けた頃に、ひとりの男が仮橋の上に突っ立って、暫く水の上を眺めていたのです。その時はさのみ気にも留めませんでしたが、御承知の通り、その日は朝の四ツ頃から雨があがっていい天気になりました。そうすると、午過ぎになって又その男が橋の上に来て、今朝とおなじように水を眺めているのです、それが二日も三日も続いたので、いよいよ変だと思っていると……。ねえ、お前さん。きのう女の死体が揚がってみると、死体は丁度その男の立っていた橋の下あたりに沈んでいたわけで……。してみると、その男は何かの係り合いがあって、女がそこらに沈んでいることを知っていて、幾度も川を覗きに来たのじゃあないかと思われるのですが……」
「ふうむ。そんなことがあったのか。そこで、その男はどんな奴だ」
「もう四十近い、色の浅黒い、がっしりした男で、まんざら野暮《やぼ》な人でも無いようなふうをしていました。勿論、別に証拠があるわけじゃあありませんが、ひょっとすると死骸の女の亭主で……」
「爺さん、偉《え》れえ」と、幸次郎は啄《くち》を容《い》れた。「おれも其の話を聴いて、すぐにそう思った。世間によくある奴で、女は夫婦喧嘩でもして飛び込んだのかも知れねえ。それにしても、やっぱり判らねえのは金の蝋燭……。どうしてそんな物を抱えていたかな」
「それが判りゃあ仔細はねえ」と、半七はにが笑いした。「いや、判らねえところが面白いのかも知れねえ。その男はきょうも来たかえ」
「きょうはまだ見えないようです」と、久八は答えた。「死骸が揚がってしまったので、もう来ないのかも知れませんよ」
「むむ」と、半七は薄く眼を瞑《と》じて考えていた。「その男は西からか東からか、早く云えば日本橋の方から来たのか、本所の方から来たのか、それも判らねえかね」
「いつでも柳橋の方から来るようですから、あの辺の人か、それとも神田か浅草でしょうね」
「いや、ありがとう。御用とはいいながら、飛んだ邪魔をした。おい、爺さん。こりゃあ少しだが、煙草でも買いねえ。放し鰻の代りだ」
久八に幾らかの銭《ぜに》をやって、半七はここを出ると、幸次郎もつづいて出た。
「親分、女の亭主という奴はもう来ねえでしょうか」
「来ねえだろうな。困ったことには、人足どもが見付け出したのだから、方々へ行ってしゃべるだろう。そんな噂が立つと、奴らもきっと用心して証拠物を隠してしまうに相違ねえ。気の早い奴はどこへか飛んでしまうかも知れねえ。ぐずぐずしていると折角の魚に網を破られてしまう。何とか早く埒を明けてえものだな」
「橋番のおやじがもう少し気が利《き》いていりゃあ何とかなるのだが……」
「あんな耄碌《もうろく》おやじを頼りにしていて、上《かみ》の御用が勤まるものか」と、半七は笑った。「まあ、柳橋の方へ行ってみよう」
女の亭主らしい男が柳橋の方角から来たというだけのことで、その方角へ向ってゆくのは甚だ知恵のない話のようであるが、柳橋の方角から来たというのに対して、本所深川の方角へ向うわけには行かない。たとい何の当てが無くとも、ともかくもその方角へむかって探索を進めてゆくのが、その時代の探索の定石《じょうせき》であると、半七老人は説明した。
前にもいう通り、橋の工事で広小路はふだんよりもさびれていたが、それでも食物屋《くいものや》のほかに、大道商人《だいどうあきんど》や大道易者の店も相当にならんでいた。易者は筮竹《ぜいちく》を襟にさし、手に天眼鏡を持ってなにか勿体らしい講釈をしていると、その前にうつむいて熱心に耳を傾けているのは、十八九ぐらいの小綺麗な女であった。半七は幸次郎をみかえって訊いた。
「おい、おめえはあの女を知っているかえ」
「冗談じゃあねえ。いくらわっしだって、江戸じゅうの女をみんな知っているものか」
云いながら、幸次郎は女の横顔をのぞいて、笑い出した。
「いや、知っています、知っています。あれは奥山《おくやま》のお光ですよ」
「むむ、宮戸川のお光か。道理で、見たような女だと思った。あいつ、いい亡者《もうじゃ》になって大道占いに絞られている。はは、色男でも出来たかな」
「色男でも出来たか、おふくろと喧嘩でもしたか。まあ、そんなところでしょうね」
自分の噂をされているとも知らずに、お光は見料《けんりょう》の銭《ぜに》を置いて易者の店を出た。本来ならば唯そのままに行き過ぎてしまうのであるが、虫が知らせるというのか、半七は立ちどまって彼女のうしろ姿を暫く眺めていると、お光は更に両国橋に向って辿って行った。彼女は島田髷の頭を重そうに垂れて、なにかの苦労ありげに悄然としているのが半七の注意をひいたので、彼は幸次郎に眼配《めくば》せしながら、小戻りして其のあとを追った。
お光はそれにも気がつかないらしく、狭い仮橋の中程を行きつ戻りつしていたが、やがて立ち停まって四辺《あたり》を見まわしながら、川にむかってそっと手をあわせた。口の中でもなにか念じているらしかった。半七は幸次郎にささやいて、再び橋番の小屋へはいった。
「爺さん、又来たよ、おれはちょいと奥を貸して貰うぜ」
半七は障子をあけて小屋の奥に身を忍ばせると、やがてお光が帰って来た。それを待ち受けていた幸次郎は声をかけた。
「おい、お光ちゃん。どこへ行った」
呼ばれてお光は驚いたように振り返った。その顔は陰って蒼ざめていた。
「どうしたえ。ひどく顔の色が悪いじゃあねえか。麻疹《はしか》かえ。はは、そりゃあ冗談だ。なにしろまあここへ掛けねえ」と、幸次郎は笑いながら呼び込んだ。
お光は奥山の宮戸川という茶店の女で、幸次郎の職業もかねて知っているのであるから、呼びかけられて素通りも出来なかった。彼女は努めて笑顔を粧《つく》って、愛想よく挨拶した。
「おや、幸さん。急にお暑くなったようでございますね。きょうはこちらで何かのお見張りですか」
「なに、見張りというわけでもねえ。あんまりからだが閑《ひま》だから、野幇間《のだいこ》とおなじように、ここらへ出て来て岡釣りよ。そういう俺よりも、お光ちゃんこそ忙がしいからだで、ここらへ何しに出て来たのだ。おめえも色男の岡釣りかえ」
「ほほ、御冗談でしょう。両国橋が御普請《ごふしん》だというので、どんな様子か拝見に出て来たんですよ」
「と云うのは、世を忍ぶ仮の名で、占い者にお手の筋を見て貰って……。それから両国の川へ行ってお念仏を唱えて……。これから何処へかお寺参りにでも行くのかね。はは、お若けえのに御奇特《ごきどく》なことだ」
お光は顔の色を変えて、暫く無言で相手の顔を見つめていた。客商売に馴れている彼女も、当座の返事に困ったらしい。そこへ附け込んで、幸次郎は嚇すように云った。
「おい、お光。正直に云えよ。おめえは何でこの川へ来て拝んでいたのだ。後生《ごしょう》願いに放し鰻をするほどの皺くちゃ婆さんでもあるめえ。それとも男を散々だました罪亡ぼしかえ。おい、唯の人が訊くのじゃあねえ。おれが訊くのだ。正直に云えよ」
彼女はやはり黙って俯向いていたが、その顔色はいよいよ蒼ざめて来たので、幸次郎は嵩《かさ》にかかって嚇し付けた。
「こいつ、わる強情な女だな。おい、爺さん、縄を持って来い。この阿魔《あま》をふん縛ってしまうから……」
如何にこの時代でも、単にこれだけのことで無闇に人を縛ることの出来ないのは判り切っているのであるが、若い女はその嚇しに乗せられたのか、但しはほかに仔細があるのか、縄をかけると聞いて彼女はひどくおびえた。口を利くにも利かれず、逃げるにも逃げられず、彼女は身を固くして立ちすくんでいた。
ここらで好かろうと、半七は奥からふらりと出て来た。
「何だか嚇かされているじゃあねえか。宮戸川のお光が縄付きになったら、泣く人がたくさんあるだろう。なんとか助けてやりてえものだな」
幸次郎一人でさえも受け切れないところへ、又その親分が不意にあらわれて来たので、お光の顔は蒼いのを通り越して、土のような色になってしまった。
三
「おい、お光。おれは幸次郎のように嚇かしゃあしねえ」と、半七は賺《すか》すように云い出した。「若い女をおどしにかけて白状させたと云われちゃあ、御用聞きの名折れになる。おれはおとなしくおめえに云って聞かせるのだ。その積りで、まあ聴け。宮戸川のお光には此の頃いい旦那が出来て、当人も仕合わせ、おふくろも喜んでいる。ところが、その旦那には女房がある。これがお定まりのやきもちで、いろいろのごたごたが起る。その挙げ句の果てに、女房は二日の晩にこの大川へ飛び込んだ。亭主もいい心持はしねえから、毎日この川へ覗きに来る。お光も寝覚めが悪いから、ひょっとすると、その枕もとへ女房の幽霊でも出るのかも知れねえ。そこで自分も大川へ来て、人に知れねえように南無阿弥陀仏か南無妙法蓮華経を唱えている。話の筋はまあこうだ。大道占いはどんな卦《け》を置いたか知らねえが、おれの天眼鏡の方が見透しの筈だ。おい、どうだ。おれにも幾らか見料を出してもよかろう」
「恐れ入りました」と、お光はふるえながら微かに答えた。
「おい、幸」と、半七は笑った。「恐れ入りましたと云う以上は、弱い者いじめをしちゃあいけねえ。これからはお互いに仲良くするのだ。そこで、お光。その旦那というのは何処の人だ」
「田町《たまち》でございます」
「浅草の田町だな」
「はい。袖摺《そですり》稲荷《いなり》の近所で……」
「なんという男で、何商売をしている」
「宗兵衛と申しまして、金貸しを商売にして居ります。おもに吉原へ出入りをする人達に貸し付けているのだそうで……」
「じゃあ、小金《こがね》を貸しているのだな、身上《しんしょう》はいいのか」
「よくは知りませんが、不自由は無いようでございます」
「おめえは宗兵衛の女房を知っているのか」
「知って居ります」と、お光は云い淀みながら答えた。「あたしの家《うち》へ幾度も来たことがありますので……」
「おめえの家はどこだ」
「馬道《うまみち》の露路の中でございます」
「女房が何しに来た。暴れ込んで来たのか」
「旦那を迎えに……。初めのうちは旦那も素直に帰ったんですが、しまいには喧嘩を始めて……。おっ母さんも、あたしも困ったことがあります。この二日の晩にも、旦那がよっぽど酔っているところへ、おかみさんが押し掛けて来て、とうとう大喧嘩になってしまって……。旦那はおかみさんを引き摺り倒して、乱暴に踏んだり蹴ったりするので、あたし達もみかねて仲へはいって、ともかくもおかみさんを宥《なだ》めて表へ連れ出そうとすると、おかみさんはもう半気違いのようになっていて、鬼のような顔をして旦那を睨んで、この野郎め、おぼえていろ、あたしが死んでも、蝋燭が物を云うぞ……」
「蝋燭が物を云うぞ……。女房がそんなことを云ったのか」と、半七は訊き返した。
「云いました」と、お光はうなずいた。「そうして、あたし達を突きのけて、跣足《はだし》で表へ駈け出してしまいました。旦那は平気で冷《せせ》ら笑って、あいつは陽気のせいでちっと取りのぼせているのだ。あんな気違いに構うな、構うなと云って、相変らずお酒を飲んでいましたが、そのうちにふいと気がついたように、急ぎの用を思い出したから直ぐに帰ると云い出して、雨の降るなかを帰って行きました」
「そりゃあ何刻《なんどき》だ」
「弁天山の四ツがきこえる前でした」
「その後に宗兵衛はおめえの家《うち》へ顔を見せたか」
「一度も来ません」
「その仮橋から身を投げたのは宗兵衛の女房だということを、おめえはどうして知っているのだ」
「今も申す通り、あの晩おかみさんが出て行く時に、あたしが死んでも蝋燭が物を云う……。それが耳に残っているところへ、きのうこの川で揚がった女の死骸は、金の蝋燭をかかえていたという評判で、その年ごろも丁度おなじようですから、きっと旦那のおかみさんに相違ないと、おっ母さんは大変に心配しているんです。あたしも気になって堪まりませんから、その様子を聞きながらここへ来て、占い者に見て貰いますと、おまえさんには死霊が祟っていると云われたので、いよいよぞっととしてしまいました」
「宗兵衛は江戸者かえ」
「いいえ、なんでも東海道の方に長くいたそうで、大井川の話なんぞをした事があります。江戸へは一昨年《おととし》の春頃から出て来たということです」
お光は更に半七の問いに対して、宗兵衛はことし四十歳、女房のお竹は三十三歳、夫婦のあいだに子供は無く、田町の家はお由という山出しの女中と三人暮らしである。他所者《よそもの》だけに、江戸には身寄りも無いらしく、かつて親類の噂などを聞いたことも無いと云った。
「そこで、その蝋燭の一件だが……」と、半七はまた訊いた。「それに就いて何か聞いたことがあるかえ」
「二日の晩に初めて聞いたので……。それまでに誰もそんな話をしたことはありませんでした」
「そうか。じゃあ、きょうはまあこの位でよかろう。おっ母《かあ》にもあんまり心配するなと云って置け」
「ありがとうございます」
「宗兵衛という旦那が来ても、きょうのことは決してしゃべっちゃあならねえ。詰まらねえおしゃべりをすると飛んだ係り合いになるぞ」
半七はよく云い含めてお光を帰した。
「ねえ、親分。あの女は旦那という奴に内通しやあしませんかね」と、幸次郎は云った。
「なに、奥山の茶屋女が慾得ずくで世話になっている旦那だ。心から惚れているわけでもあるめえ。それにしても、宗兵衛という奴を早く引き挙げなけりゃあならねえ。野郎め、女房にひどい意趣返しをされたな」
「意趣返しだろうか」
「意趣返しよ」と、半七は笑った。「亭主の悪事が露顕するように、女房は金の蝋燭を抱いて身を投げたのだ」
「そんならむしろ訴えて出ればいいのに……」
「それにゃあ訳があるのだろう。訴えて出れば自分もお仕置にならなけりゃあならねえ。自分はひと思いに死んでしまって、あとに残った亭主を磔刑《はりつけ》か獄門にでもしてやろうという料簡だろう。女に怨まれちゃあ助からねえ。おめえも用心しろよ」
「はは、わっしは大丈夫だ」
二人は両国を出て浅草の方角にむかった。
「都合によっちゃあ、それからそれへと追っ掛けにならねえとも限らねえ」と、半七は云った。
「刻限はちっと早えが、腹をこしらえて置こう」
茶屋町辺の小料理屋で午飯《ひるめし》を済ませて、二人は馬道から田町一丁目にさしかかった。表通りは吉原の日本|堤《づつみ》につづく一と筋道で、町屋《まちや》も相当に整っているが、裏通りは家並《やなみ》もまばらになって、袖摺稲荷のあるあたりは二、三の旗本屋敷を除くのほか、うしろは一面の田地になっているので、昼でも蛙の声が乱れてきこえた。稲荷の近所というのを心当てに、二人は探しあるいていると、往来で酒屋の小僧に出逢った。
「おい、ここらに金貸しの宗兵衛さんという家《うち》はねえかね」と、幸次郎は小僧を呼びとめて訊《き》いた。
「宗兵衛さんはいないよ」
「どこへ行った」
「どこへ行ったか知らないが、ゆうべから帰らないと女中が云ったんだ」
「まあ、留守でもいいや。その家を教えてくれ」
小僧に教えられて、宗兵衛の家をたずねて行くと、柾木《まさき》の生垣《いけがき》に小さい木戸の入口があって、それには昼でも鍵が掛けてあるので、二人は更に横手へまわると、ここにも裏木戸があって、その戸を押すとすぐに明いた。
「御免なさい」
女中は居睡りでもしていたらしく、二、三度呼ばせて漸く出て来た。彼女は水口《みずぐち》の障子をあけて、不審そうに半七らをながめていた。
「おまえさんは女中かえ。お由さんというのだね」と、半七は先ず訊いた。
お由は無言でうなずいた。
「旦那はお留守ですかえ」
「ゆうべから帰りませんよ」
「馬道のお光さんのところへ泊まり込みかね」
何でもよく知っていると云うように、お由は無言で半七らの顔をふたたび眺めた。
「実はそのお光さんの家《うち》へ行ってみたのですが、ゆうべから旦那は来ないというので……。それでお宅の方へ参ったのですが、旦那はどこへ行くとも、いつ帰るとも、云い置いて行きませんでしたかえ」
「なんにも云って行きませんよ」と、お由は素気《そっけ》なく答えた。
「おかみさんは……」
「おかみさんも留守ですよ」
「二日の晩から居ないのかえ」
お由は無言であった。
「隠しちゃあいけねえ。おかみさんは本当に二日の晩から帰らねえのだろう」
お由はやはり無言であった。半七は舌打ちしながら幸次郎を見かえった。
「また両国と同じ芝居を打たにゃあならねえ。女を嚇かすのはおめえに限る。まあ、頼むよ」
四
お由は下総《しもうさ》の松戸の生まれで、去年の三月からこの家に奉公して、今まで長年《ちょうねん》しているのであった。ことし十八で、いわゆる山出しの世間見ずではあるが、正直一方に働くのを取得《とりえ》に、主人夫婦にも目をかけられていた。そういう女であるから、宗兵衛夫婦のあいだにどんな秘密がひそんでいるかを勿論知っている筈はなかった。彼女は幸次郎に嚇されて、ただふるえているばかりであったが、それでも途切れ途切れにこれだけの事を語り出した。
「旦那とおかみさんとは去年の夏頃からたびたび喧嘩をしていました。去年の暮に一旦別れるような話もありましたが、まあ其の儘になっていたのです。今月の二日の晩に、おかみさんは宵から出て行きましたが、出先でまた旦那と喧嘩をしたと見えて、散らし髪になって真っ蒼な顔をして帰って来て、癪が起ったと云って暫く横になっていました。それから奥へはいって何か探し物でもしている様子でしたが、やがてわたくしを呼んで、本所まで駕籠を一挺頼んで来てくれというので、すぐに表通りの辻倉へ呼びに行きました。おかみさんがその駕籠に乗って出たあとへ、ひと足違いで旦那が帰って来ましたから、おかみさんはこうこうですと話しますと、旦那はすぐに奥へはいって、これも何か探し物をしているようでしたが、わたくしには何も云わずに、あわてて表へ出て行きました。その晩の四ツ過ぎに、旦那はひとりで帰って来ましたが、おかみさんはそれぎり帰りません。旦那の話では、おかみさんは体が悪いので箱根へ湯治にやったということでした」
「それは二日の晩のことで、旦那はそれから毎日どうしていた」と、半七は訊いた。
「それから毎日どっかへ出て行きました。ゆうべも日が暮れてから帰って来て、わたくしにお湯へ行って来いと云いますから、近所のお湯屋へ行って来ますと、その留守のあいだに旦那は着物を着かえて、小さい包みを持って、旅へ出るような支度をしていて、おれもこれから箱根まで行って、十日ばかりすると帰って来ると云い置いて出ました」
きのうの今日であるから、お由はまだ両国の噂を聞いていないのであった。正直者の彼女は旦那のいうことを一途《いちず》に信じて、おかみさんの帰らないのをさのみ怪しんでもいなかったらしい。半七は更に訊いた。
「おかみさんは駕籠に乗って、本所のどこへ行ったか知らねえか」
「本所と聞いたばかりで、どこへ行ったか存じません」
「本所に親類か知人《しるべ》でもあるのか」
「本所からは増さんという人が時々に見えますが、家《うち》はどこにあるのか存じません」
「おかみさんの駕籠は辻倉だね」
「そうでございます」
「じゃあ、表の辻倉まで行って来てくれ」と、半七は幸次郎に云いつけた。「二日の晩にここのおかみさんを担《かつ》いで行った駕籠屋を調べて、本所のどこまで送ったか訊きただして来るのだ」
幸次郎はすぐに出て行った。その帰るのを待っている間《ひま》に、半七は家内を見まわると、寄付き、茶の間、座敷、納戸《なんど》、女中部屋の五間《いつま》で、さすがは小金でも貸して暮らしているだけに、家内はきちんと片付いて、小綺麗に住んでいるらしく見えた。台所へ出ると、柱には細長い竹の紙屑籠が掛けてあった。
「おい。この紙屑はこのごろ売ったかえ」
「屑屋さんは先月の晦日《みそか》に来て、それぎり参りません」と、お由は答えた。
半七は紙屑籠をおろして、念のために紙屑をつかみ出した。それを一々ひろげて丹念に調べているうちに、底の方から半紙の屑を発見した。半紙は幾きれにも引き裂いて丸めてあるので、その皺を伸ばして継ぎ合わせてみると、女の筆の走り書きで、書いては消し、消しては書き、どうも思うように書けないので、中途で引き裂いて紙屑籠へ押し込んでしまったらしい。したがって、文意はよく判らないが、ともかくも、「五年前のことを忘れたか――不人情な男――死んで恨みを晴らしてやる――蝋燭が物を云う――」と、これだけの事はおぼろげに推察された。
蝋燭が物を云うは、お光の口からも洩らされているので、別に新らしい発見でもなかったが、五年前のことを忘れたか――この一句は半七の胸に強く響いた。それによると、金の蝋燭に絡《から》んだ一種の秘密は五年以前の出来事であるらしい。江戸城本丸の金蔵破りは先々月の六日であるから、五年以前の出来事と無関係であるのは判り切っている。金蔵やぶりの盗賊が証拠|湮滅《いんめつ》のために、小判を地金に鋳潰して蝋燭に作り換えたものではないかと、今までひそかに見込みを付けていたのであるが、その推定は土台から引っくり返されることになった。五年以前の秘密、それが何であるかを改めて詮索しなければならないと、半七は思った。
勿論、一つの犯罪を探索しているうちに、その見込み違いから、更に犯罪を発見するような例は、これまでにもしばしば経験があるので、半七は今さら驚くという程でもなかったが、見込み違いは確かに見込み違いである。彼は一種の失望を感じた。
そこへ幸次郎が威勢よく飛び込んで来た。彼は半七を座敷へひき戻して口早にささやいた。
「親分、魚《さかな》はやっぱり大きいようです。辻倉の若い者に訊いたら、ここのおかみさんを乗せて行った先は、本所のももんじい屋の近所の錺屋《かざりや》だそうですよ」
ゆく先が錺屋というので、彼は大いに意気込んでいるらしいが、今の半七の考えはもう違っていた。然し金の蝋燭をかかえて身を投げた女――それが、古今に例のない不思議の出来事であるだけに、彼の職業的興味は再び湧き起った。それが五年前の出来事であるにもせよ、金蔵やぶりと無関係であるにもせよ、進んでその秘密を発《あば》かなければならないと思うにつけて、金の蝋燭と錺屋、そこに離るべからざる連絡を見いだしたのを喜んだ。彼はお由を座敷へ呼んで訊いた。
「おい、本所から来る増さんというのは、錺屋かえ」
「はい。錺屋さんだそうでございます」
「なんの用で来るのか知らねえか」
「やっぱりお金を借りに来るようです」
「この女じゃあ埒《らち》が明きますめえ」と、幸次郎は催促するように云った。「なにしろ早いが勝だから、すぐ本所へ廻りましょう」
「むむ。出かけよう」
お由には当分おとなしくしているように云い聞かせて置いて、半七と幸次郎は更に本所へむかった。駒止《こまどめ》橋の近所で錺屋の増さんと訊くと、すぐに知れた。
「あの店におしゃべりらしい嬶《かかあ》がいる。あすこへ寄って内聞《ないぎ》をしてみろ」
半七に指図されて、幸次郎は路ばたの魚屋へ立ち寄った。店さきで盤台を洗っている女房に話しかけて、錺屋の噂を聞き出すと、果たして彼女は口軽にいろいろのことをしゃべった。錺屋の増蔵は三十二三で、去年の春に女房に死に別れ、今では小僧と二人暮らしの男世帯である。腕はなかなかにいい職人であるが、女房をなくしてから道楽を始めて、諸方に義理の悪い借金が出来たらしいという。それで大抵の見当も付いたので、二人は錺屋へたずねて行くと、小僧がぼんやりと店に坐っていて、親方は二階に寝ていると答えた。
呼びおろされて出て来た増蔵はほろよい機嫌であったが、これは山出しのお由とちがって、江戸生え抜きの職人であるだけに、半七らが唯の人でないことに早くも気がついたらしく、俄かに形をあらためて丁寧に挨拶した。
「わたくしは増蔵でございますが、なんぞ御用でございますか」
「おれは三河町の半七だが、内の者はまだ誰も来ねえかね」
「いえ、どなたも……」と、増蔵は不安らしく相手の顔をみあげた。
「まだここらまでは廻って来ねえか。遅い奴らだな。じゃあ、すぐに御用に取りかかろう。本来ならば番屋へ引っ張って行くのだが、近所の手前もあるだろうから、ここで訊くことにするよ」
小僧を奥へ追いやって、半七は店にあがり込んだ。よもやとは思うものの野暮《やぼ》に立ち騒いだらば直ぐに押える積りで、幸次郎は店さきに腰をかけていた。
しかし相手は案外におとなしく、半七の調べに対して正直に答えた。
「まことに恐れ入りました。実はきのう両国の仮橋の下から女の死骸が揚がって、それが金の蝋燭をかかえていたという噂を聞きまして、すぐに訊きに行きますと、確かに見おぼえのある人でしたから、そこで正直にお係りのお方に申し上げようかと思ったのですが、なんだか気が咎めて其のままそっと帰って来てしまいました。それがためにいろいろお手数《てかず》をかけまして相済みません」
「おめえは以前から田町の宗兵衛を識っているのか」
「いえ、去年の九月頃からでございます。実は去年の正月に女房をなくしまして、それからちっとばかり道楽を始めたので、ふところがだんだん苦しくなりまして……。そのうちに、吉原の若い者の喜助という者と懇意になりまして、その喜助が袖摺稲荷の近所にいる宗兵衛という金貸しを識っているというので、喜助の世話でそこから小金を借りることになって、それからまあ足を近く出這入りをするようになりました」
「宗兵衛からよっぽど借りたか」
「一度にたんと借りたことはございません。せいぜい二|歩《ぶ》か三歩でしたが、それでもだんだんに元利が溜まってしまいまして、今では七、八両になって居ります」
「七、八両……。職人にしては大金だ。それを宗兵衛は催促しねえのか」
「ちっとも催促しないで、いつもいい顔をして貸してくれました。あとで考えると、それには少し思惑《おもわく》のあることで……。先月のはじめに田町の家へたずねて参りますと、宗兵衛は一本の大きい蝋燭を出して見せまして、おまえは商売だから金銀細工の地金屋《じがねや》を知っているだろう。これを一度に持って行くとおかしく思われるから、幾つかに分けて方々の地金屋へ持って行って、相当の相場で売って来てくれ。その働き賃には今までの借金を帳消しにするばかりでなく、相場によっては又幾らかの手数料をやるというのです。わたくしも慾が手伝って、無分別に請け合って、一本の蝋燭をあずかって帰って、念のために蝋燭の横っ腹へ小さい穴をあけて見ると、なるほど金がはいっているのです。金無垢《きんむく》の伸べ棒を芯にした蝋燭……不思議な物もあるものだと思うに付けて、わたくしは又急に気味が悪くなりました。宗兵衛という人はどうしてこんな物を持っているのだろうと、翌日また出直して仔細を訊きに行きました」
「宗兵衛はなんと云った」
「おまえは知るまいが、京大阪の金持は泥坊の用心に、こういう物をこしらえて置く。どんな泥坊が徒党を組んで押し込んで来ても、蝋燭なんぞには眼をかけないから、こうして隠して置くのが一番確かだ。もう一つには、それが通用の小判であると、自分もとかくに手を付けて使い勝だから、地金のままで仕舞って置くのが無事だということになっている。町屋《まちや》ばかりでなく、諸大名の屋敷でも軍用金はこうして貯えて置くのだと、そう云うのです」
そんなことが本当にあるか無いかを、半七もよく知らなかった。幸次郎は勿論知らなかった。二人は唯だまっていると、増蔵は猶も語りつづけた。
「それでまあ不審は晴れたのですが、わたくしのような貧乏人が金のかたまりを持ち歩いても、どこでも滅多に取り合ってくれそうもありませんから、どうしたものかと考えているうちに、つい花どきだものですから田町へ行って又一両借りてしまいました。そんなわけで、いよいよ退引《のっぴき》ならない羽目《はめ》になって、わたくしも困っているところへ、この二日の晩に宗兵衛のおかみさんが駕籠で乗り付けて来て、ここの家にあずけてある蝋燭をかえしてくれというのです。その様子が何だかおかしい。おかみさんは散らし髪で眼の色が変っていて、どうも唯事ではないらしく、夫婦喧嘩でもして来たらしいので、大事の品をうっかり渡していいかどうだかと、わたくしは又困っていると、おかみさんは凄いような顔をして是非渡せと云う。そうなると、猶さら不安になって来て、旦那が来なければ渡されないと云う。いや、渡せと云う。しまいには喧嘩腰になって争っているところへ、いい塩梅《あんばい》に宗兵衛も駕籠に乗って来てくれました。その顔をみても、おかみさんは黙っていて口を利きません。それを宗兵衛が無理に二階へ連れて行って、どういう風になだめたか知りませんが、まあ仲直りをしたような様子で、夫婦は無事に二階を降りて来ました。もう四ツ時分だから駕籠を呼ばせようかと云いましたが、そこらへ出て辻駕籠を拾うからと云って、二人は細雨《こさめ》のふる中を出て行きました」
「その蝋燭はどうした」
「女房がやかましいから一旦返してくれと宗兵衛が云うので、わたくしも厄介払いをしたような心持で、すぐに返してやりました。その時におかみさんは、まだ何本かの蝋燭を重そうに抱えているようでした」
「それからどうした」
「それから先のことはなんにも知りません。夫婦は無事に田町へ婦ったものだと思っていると、実に案外の始末でびっくりしました。たぶん帰り路で二度の喧嘩をはじめて、おかみさんは両国の仮橋から飛び込んだのだろうと思います。宗兵衛はどうしたのか、田町へ様子を見に行こうと思いながら、うっかり出て行って飛んだ係り合いになっても詰まらない。といって、知らん顔をしているのも義理が悪いようで、なんだか心持が好くないもんですから、昼間から湯にはいって一杯飲んで、二階で横になっていたところです」
気の弱い職人の申し立てはこれで終った。
五
「そうすると、その宗兵衛という男は、何処からか金の蝋燭を盗んでいたんですね」と、私は訊いた。
「そうです」と、半七老人はうなずいた。「しかし宗兵衛が増蔵に話して聞かせたのは出たらめで、上方《かみがた》の金持が泥坊よけに金の蝋燭をこしらえるの、大名が軍用金に貯えて置くのというのは、みんないい加減の誤魔化しである事が、あとですっかり判りました。金の蝋燭はそんなわけの物ではなかったんです。そこで、かの宗兵衛夫婦がどうしてそんな不思議な物を持っていたかと云うと、ここに小説のようなお話があるんです。まあ、お聴き下さい。
どなたも御承知でしょうが、東海道の大井川、あの川は江戸から行けば島田の宿、上方から来れば金谷《かなや》の宿、この二つの宿《しゅく》のあいだを流れています。その金谷の宿から少し距《はな》れたところに、日坂峠というのがあって、それから例の小夜《さよ》の中山《なかやま》に続いているんですが、峠の麓《ふもと》に一軒の休み茶屋がありました。立場《たてば》というほどでは無いんですが、休んだ旅人《たびびと》には番茶を出して駄菓子を食わせる。有り合いの肴で酒ぐらいは飲ませるという家で、その茶屋の亭主が宗兵衛、女房がお竹、夫婦二人で商売をしていたんです。宗兵衛は三州岡崎の生まれですが、道楽のために家を潰して金谷の宿へ流れ込んで来た者で、女房のお竹は岡崎女郎衆の果てだそうです。それでも夫婦が無事に暮らしていると、ある日の午過ぎに、武家の中間《ちゅうげん》ふうの男が一人通りかかって、この店に休んで酒なぞを飲んでいたんですが、そのうちに急に気分が悪くなったから、少しのあいだ寝かしてくれと云うので、夫婦の寝所《ねどこ》になっている奥の間へ通して、ともかくも寝かして置くと、男は日の暮れる頃まで起きることが出来ない。だんだんに容態が悪くなって来るらしい。その頃のことですから、近所に医者もないので、夫婦は有り合わせの薬なぞを飲ませて介抱した。そこは人情で、夫婦も見識らない旅の男を親切に看病してやったらしいんです。
その看病の効《かい》があったのか、一時はむずかしそうに見えた病人も、明くる朝からだんだんに落ちついて、その日の午飯には粥を食うようになったので、まあ好かったと喜んでいると、七ツ下がり(午後四時過ぎ)になってから、旅の男はもうすっかり快《よ》くなったから発《た》つと云い出した。秋の日は短い、やがて暮れるという時刻になって峠を越すよりも、もうひと晩泊まって養生して、あしたの朝早く発っことにしたら好かろうと勧めたが、男はさきを急ぐとみえて無理に振り切って出て行った。その別れぎわに、男はきのうから世話になったお礼をしたいが、路用は手薄《てうす》であるし、ほかには持ち合わせも無いから、これを置いて行く。しかし今すぐに使ってはいけない。まあ半年ぐらいは仏壇の抽斗《ひきだし》へ仕舞って置くがいいと、謎のようなことを云い残して、一本の大きい蝋燭をくれて行きました」
「それが例の蝋燭なんですね」
わたしは待ち兼ねて、思わず口を出した。話の腰を折られても、老人は別にいやな顔を見せなかった。
「その男の云った通りにしたならば、夫婦も余計な罪を作らずに済んだのかも知れませんが、折角くれた蝋燭を今すぐに使ってはいけないと云う。それが何だかおかしいばかりでなく、その蝋燭があんまり重いので、夫婦が不思議がって眺めているうちに、どっちの粗相だか土間に落として、そこにある石にかちりとあたると、蝋は砕けて芯が出た。それが金色に光ったので、夫婦は又おどろきました。それが即ち金の蝋燭の由来……」
「その旅の男というのは何者ですか」
「まあ、お待ちなさい。まだお話がある。その蝋燭を見て、夫婦は考えたんです。中間ふうの旅の男がこんな物を持っている筈がない。殊に病い挙げ句のからだで、今ごろから怱々《そうそう》に出て行ったのは、なにかうしろ暗い身の上であるに相違ない。亭主の宗兵衛は急に思案して、こんな物を貰って何かの係り合いになっては大変だから追っかけて行って返して来ると、その蝋燭を風呂敷につつんで、男のあとを追って出たが、それっきり暫く帰って来ない。そのうちに日が暮れて暗くなる。どうしたのかと女房が案じていると、亭主は風呂敷包みを重そうに抱えて帰って来た……。と云ったら大抵お察しも付くでしょうが、一本の蝋燭が六本になっていたんです。本当に返す積りであったのか、それとも他に思惑《おもわく》があったのか、その辺はよく判りませんが、なにしろ追っかけて行ってみると、男は峠の中途に倒れて苦しんでいる。病気が再発したらしいので、木の蔭へ引っ張り込んで介抱しているうちに、宗兵衛は腰にさげている手拭をとって男を不意に絞め殺した上に、残りの蝋燭をみんな引っさらって来たというわけです。これには女房も驚いたが今さら仕方がない。夫婦はその晩のうちに旅支度をして、六本の蝋燭をかかえて夜逃げをしてしまったんです。
それからひと先ず京都へ行って、どういうふうに誤魔化したか、ともかくも一本の蝋燭の芯を売って通用の金に換え、それを元手にして二年ほど何か商売をやっていたんですが、その商売が思うように行かなかったのか、何かのことで足が付きそうになったのか、京都を立ちのいて江戸へ出て来て、浅草の田町で金貸しを始めることになったんです。吉原に近いところですから、小金を借りに来る者もあって、商売は相当に繁昌したんですが、相手が相手だから貸し倒れも多い。おまけに宗兵衛は江戸の水に浸みて、奥山の茶屋女に熱くなるという始末だから、夫婦喧嘩の絶え間が無いばかりか、宗兵衛のふところも次第にさびしくなる。そこで錺屋の増蔵をうまく手なずけて、例の蝋燭をなんとか処分しようとしているうちに、女房のやきもちから椿事出来《ちんじしゅったい》して、只今お話し申したような手続きになったんです」
「宗兵衛はどうしました」
「宗兵衛は女房をなだめて、一緒に増蔵の家を出て、両国まで帰って来ると、お竹はかねて覚悟をしていたものか、仮橋の中ほどを過ぎた頃に、亭主の隙《すき》をみて不意に川のなかへ飛び込んでしまった。もちろん、蝋燭は自分がしっかりと抱えたままで飛び込んだのですから、宗兵衛も呆気《あっけ》に取られた。そのうちに橋番のおやじが出て来たので、あわてて東両国の方へ引っ返して、河岸《かし》伝いに吾妻橋へ出て、無事に田町の家へ逃げ帰ったんですが、さてどうも気にかかるので、その後も両国へ毎日通って、橋の上から大川を眺めているうちに、とうとうお竹の死骸が引き揚げられて、金の蝋燭の一件が露顕しそうになったので、もううかうかしてはいられないと思って、その晩すぐに支度をして、なんにも知らない女中のお由を置き去りにして、駈け落ちを極めてしまったんです。
わたくしが本所の錺屋へ出張ったのは七日の午過ぎで、宗兵衛はその前夜に飛んでしまったんですから、その間に一日の差があります。どっちの方角へ逃げたかは知らないが、逃げる方は一生懸命だから、一日おくれては容易に追い着かれそうもない。どうしたものかと思案しながら、幸次郎と一緒に錺屋を出て、両国の方へぶらぶら引っ返して来ると、仮橋の中ほどに一人の男が突っ立って、ぼんやりと水をながめている。その年頃や人相風俗が彼《か》の宗兵衛によく似ているので、つかつかと寄って『おい、宗兵衛』と声をかけると、男は二人を見て慌てた様子で、一旦は川へ飛び込もうとしたらしいんですが、夜と違って昼間のことですから、川には石や材木を槙んだ船が幾艘も出ている。人足や船頭も働いている。そこへ飛び込むことも出来なかったと見えて、引っ返して西両国の方へ逃げて行く。二人は追っかけて行く……。逃げる奴は何分にも素人《しろうと》の悲しさ、気ばかり焦《あせ》って体が前へ泳いでいるので、ちょいと蹉《つまず》くとすぐに突んのめる。男が何かにつまずいてばったり倒れたところを、二人がすぐに取り押えました。
それが丁度、橋番の小屋の前でしたから、おやじの久八を呼んで首実検をさせると、毎日この橋の上へ来て大川を眺めていた男は、たしかにこいつに相違ないというので、もう一言もなく恐れ入ってしまいました。そこで、だんだんに調べてみると、宗兵衛は前の晩に田町の家《うち》を出て、東海道を行っては足が付くと思ったので、中仙道を行くことにして、その晩は板橋の女郎屋に泊まったんです。明くる朝、そこからすぐに発《た》てばいいのに、例の宮戸川のお光に未練があるので、もう一度逢って行きたいような気になって、そこから又引っ返して馬道へ来たが、なんだか近所の人達が自分をじろじろ見ているような気がするので、思い切って露路のなかへはいることも出来ず、いっそ日が暮れてから尋ねて行こうと思って、あても無しに其処らをうろ付いているうちに、又なんだか両国の方へ行って見たくなった。多分お竹の魂に引き寄せられたのでしょうと、本人は怪談めいたことを云っていましたが、犯罪者はとかくにそうしたもので、自分に係り合いのある所へわざわざ近寄って、結局破滅を招くことになるのが習いです。宗兵衛もやはり其のたぐいでしょう」
これでこの事件の顛末は判ったが、最後に残っているのは金の蝋燭の問題である。それについて、半七老人はこう説明した。
「旅の男は宗兵衛に縊《くび》り殺されてしまったので、その身許も蝋燭の出所《でどこ》もいっさい判らないんですが、宗兵衛の申し立てに因《よ》って判断すると、その蝋燭は何処かの大名から江戸の役人たちへ贈る品で、その当時は『権門』なぞと云いましたが、つまりは一種の賄賂です。表向きは金をやるわけにも行かないので、菓子折の底へ小判を入れたり、金銀の置物をこしらえたり、いろいろの工夫をするのが習いでしたから、この蝋燭も一つの新工夫で、おそらく九州辺の大名が国産の蝋燭を進上するなぞと云って、金の伸べ棒入りの蝋燭を持ち込む積りであったのだろうと思われます。そこで、その進物《しんもつ》を国許から江戸へ送って来るには、もちろん相当の侍も付いているに相違ありませんが、その供の者、すなわち中間どもの中に良くない奴があって、事情を知って一と箱ぐらいを盗み出し、それを抱えて途中から逐電《ちくてん》したらしい。ほかに同類があったかどうだか知りませんが、その男は江戸へむかって逃げるのは危険だと思って、上方へむかって引っ返す途中、金谷の宿《しゅく》で急病が起った為に、とうとう宗兵衛の手にかかって、日坂峠の秋の露、消えて果敢《はか》なくなりにけりという事になったんでしょう。今更ではないが、悪いことは出来ません。
それがなぜ世間へ知れずにいたかというに、その大名も元来秘密の仕事ですから、たとい途中でどんな事があろうとも、表向きの詮議は出来ません。江戸の幕府の役人たちに蝋燭を贈ったなぞということが世間へ知れては、その屋敷の大迷惑になりますから、何事も泣き寝入りにして、闇から闇へ葬るのほかはない。それを承知で、持ち逃げをした奴もあるわけです。昔はそういうたぐいの秘密がいろいろありました。いや、今日でも『珍物』なぞという贈り物があるとか聞いていますが……。はははははは。
ついでに申し上げますが、御金蔵やぶりの藤十郎と富蔵は、安政四年二月二十六日に召し捕られ、五月十三日に千住の小塚ッ原で磔刑《はりつけ》になりました。わたくしも随分これには頭を痛めたんですが、運がないのか、知恵がないのか、他人《ひと》に巧を奪われて、この捕物にはいっさい係り合いがなかったのを今でも残念に思っています」
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ズウフラ怪談
一
まず劈頭《へきとう》にズウフラの説明をしなければならない。江戸時代に遠方の人を呼ぶ機械があって、俗にズウフラという。それに就いて、わたしが曖昧《あいまい》の説明を試みるよりも、大槻《おおつき》博士の『言海《げんかい》』の註釈をそのまま引用した方が、簡にして要を得ていると思う。言海の「る」の部に、こう書いてある。――ルウフル(蘭語Rofleの訛)遠き人を呼ぶに、声を通わする器、蘭人の製と伝う。銅製、形ラッパの如く、長さ三尺余、口に当てて呼ぶ。訛して、ズウフル。呼筒。――
「江戸時代にも、ズウフルというのが本当だと云っている人もありました」と、半七老人は云った。「しかし普通にはズウフラと云っていました。博士のお説によると、ルウフルが訛《なま》ってズウフル。それがまた訛ってズウフラとなったわけですが、これだから昔の人間は馬鹿にされる筈ですね。はははははは。われわれズウフラ仲間は今さら物識り振っても仕方がない。やはり云い馴れた通りのズウフラでお話しますから、その積りでお聴きください。
あなた方は無論御承知でしょうが、江戸時代の滑稽本に『八笑人』『和合人』『七偏人』などというのがあります。そのなかの『和合人』……滝亭鯉丈《りゅうていりじょう》の作です。……第三篇に、能楽仲間の土場六、矢場七という二人が、自分らの友達を嚇《おど》かすために、ズウフラという機械を借りて来て、秋雨の降るさびしい晩に、遠方から友達の名を呼ぶので、雨戸を明けてみると誰もいない。戸を閉めて内へはいると、外から又呼ぶ。これは大かた狸の仕業《しわざ》であろうというので、臆病の連中は大騒ぎになるという筋が面白おかしく書いてあります。その『和合人』第三篇は、たしか天保十二年の作だと覚えていますから、これからお話をする人たちも『和合人』のズウフラを知っていて、それから思い付いた仕事か、それとも誰の考えも同じことで、自然に一致したのか、ともかくもズウフラがお話の種になるわけで、ズウフラ怪談とでも申しましょうか」
安政四年九月のことである。駒込富士前|町《ちょう》の裏手、俗に富士裏というあたりから、鷹匠《たかじょう》屋敷の附近にかけて、一種の怪しい噂が立った。
ここら一円はすべて百姓地で、田畑のあいだに農家が散在していた。植木屋の多いのもここの特色であった。そればかりでなく、ここらは寺の多いところで、お富士様を祀った真光寺を始めとして、例の駒込吉祥寺、目赤の不動、大観音の光源寺、そのほか大小の寺々が隣りから隣りへと続いていて、表通りの町々も大抵は寺門前であるから、怪談などを流行《はや》らせるにはお誂え向きと云ってよいのであった。
舞台は富士裏附近、時候は旧暦の秋の末、そこに伝えられた怪談は、闇夜にそこらを往来する者があると、誰とも知らず「おうい、おうい」と呼ぶのである。時には其の人の名を呼ぶこともある。その声が哀れにさびしく、この世の人とは思われないので、気の弱い者は耳をふさいで怱々《そうそう》に逃げ去るのである。たまに気丈の者が「おれを呼ぶのは誰だ」と大きい声で訊き返すこともあるが、それに対して何んの答えもないので、そのままにして行き過ぎると、又もや悲しい声で呼びかける。それが遠いような、近いような、地の底からでも聞えるような、一種異様のひびきを伝えるので、大抵の者はしまいには鳥肌になって、敵にうしろを見せることになるのであった。
「貴公たちはこの噂をなんと思う」
こう云って一座の若者らを見渡したのは、鰻縄手《うなぎなわて》に住む奥州浪人の岩下左内であった。追分《おいわけ》から浅嘉町《あさかちょう》へ通ずる奥州街道の一部を、俗に鰻縄手という。その地名の起りに就いてはいろいろの説もあるが、そんな考証はこの物語には必要がないから省略することにする。岩下左内という奥州浪人は、四、五年前からここに稽古所を開いて、昼は近所の子供たちに読み書きを教え、夜はまた若い者共をあつめて柔術《やわら》や剣術を指南していた。
江戸末期の世はだんだんに鬧《さわ》がしくなって、異国の黒船とひと合戦あろうも知れないという、気味の悪いうわさの伝えられる時節である。太平の夢を破られた江戸市中には、武芸をこころざす者が俄かに殖えた。武士は勿論であるが、町人のあいだにも遊芸よりも武芸の稽古に通う若者があらわれて来たので、岩下左内の町道場も相当に繁昌して、武家の次三男と町人とをあわせて二、三十人の門弟が毎晩詰めかけていた。師匠の左内は四十前後で、色の黒い、眼の鋭い、筋骨の逞ましい、見るから一廉《いっかど》の武芸者らしい人物であった。
御新造《ごしんぞ》のお常は、この時代の夫婦としては不釣合いと云ってもいいほどに年の若い、二十七、八の上品な婦人で、ことばに幾分の奥州訛りを残していながらも、身装《みなり》も態度も江戸馴れしていた。その上に、誰に対しても愛想《あいそ》がいいので、門弟らのあいだにも評判がよかった。
「先生はちっと困るが、御新造がいいので助かる」
これが門弟らの輿論《よろん》であった。左丙も決して悪い人ではなかったが、誰に対しても厳格であった。殊に門弟らに対しては厳格を通り越して厳酷ともいうべき程であった。それでも昼の稽古に通う子供たちには、さすがに多少の勘弁もあったが、夜の道場に立った時には、すこしの過失も決して仮借《かしゃく》しないで、声を激しくして叱り付けた。武芸の稽古は命賭けでなければならぬというので、彼は息が止まるほどに門弟らを手ひどく絞め付け投げ付けた。眼が眩《くら》むほどに門弟らのお面やお胴をなぐり付けた。時には気が遠くなってぐったりしてしまうと、そんな弱いことで武芸の練磨が出来るかと、引き摺り起して又殴られるのである。
いかに師匠とはいいながら、あまりに稽古が暴《あら》いというので、門弟のうちには窃《ひそ》かに左内を恨む者も出て来たが、その当時の駒込あたりには他に然るべき師匠もいないので、不満ながらも痛い目を忍んでいるのであった。もう一つには前にもいう通り、師匠の御新造が愛想のいい人で、蔭へまわって優しく労《いた》わってくれるので、それを力に我慢しているのもあった。
今夜その道場で、かの富士裏の怪談の噂が出たのである。左内もその噂はかねて聴いていたので、一座の門弟らにむかって「貴公たちはこの噂をなんと思う」という質問を提出したが、その席にある十七、八人のうちに確かに答える者がなかった。あいまいな返事をすると、師匠に叱り付けられる。それが恐ろしいので、一同はただ顔を見合わせているばかりであった。
「怪談などと仔細らしく云うが、世に妖怪|変化《へんげ》などのあろう筈がない。所詮《しょせん》は臆病者が風の音か、狐狸か、あるいは鳥の声にでも驚かされて、あらぬ風説を唱えるに相違ない。貴公らのうちで誰かその正体を見とどけて来る者はないか」
一同はやはり顔を見合わせているばかりで、進んでその役目を引き受けるという者もなかった。左内は例の気性で、堪えかねたように呶鳴った。
「さりとは無念な。わしが不断から武芸を指南するのも、こういう時の用心ではないか。よしよし、貴公らが臆病に後込《しりご》みしているなら、この左内が自身で行く」
彼は帯を締め直して立ち上がった。これに励まされてばらばらと立ち上がったのは、旗本の次男池田喜平次、酒屋のせがれ伊太郎の二人であった。
「先生。わたくし共もお供いたします」
「むむ、誰でも勝手に来い」
左内はあとをも見返らずに、大刀を腰にさして出て行った。こういう場合、留めても留まらないのを知っているので、御新造のお常は黙って見送った。喜平次と伊太郎も袴の紐をむすび直しながら続いて出た。
九月末の暗い夜で、雨気《あまけ》を含んだ低い大空には影の薄い星が三つ四つ、あるか無きかのように光っていた。
二
綱が立って綱が噂の雨夜かな――其角《きかく》の句である。渡辺綱が羅生門《らしょうもん》の鬼退治に出て行ったあとを見送って、平井ノ保昌《やすまさ》や坂田ノ金時《きんとき》らが「綱の奴め、首尾よく鬼を退治して来るだろうか」などと噂をしているというのである。古今変らぬ人情で、今夜も師匠や喜平次らの出て行ったあとで、他の十五、六人の門弟はその噂に時を移した。御新造のお常も出て来て、その噂の仲間入りをした。縁の下にはこおろぎが鳴いて、この頃の夜寒《よさむ》が人々の襟にしみた。
「先生は遅いな」と、一人が云い出したのは、今夜ももう四ツ(午後十時)に近い頃であった。
「そうですねえ」と、お常もやや不安そうに云った。
鰻縄手から富士裏まではさのみの道程《みちのり》でもないから、往復の時間は知れたものであるが、まだ夜が更《ふ》けたというほどでも無いので、例の怪しい声が聞えないのではないか。師匠らはそれを待っているために、むなしく時を費しているのであろう。そんな意見が多きを占めて、さらに半刻ほどを過ごしたが、左内らはまだ帰らなかった。
「どうしたのでしょうねえ。まさか間違いはあるまいと思いますけれど……」と、お常は又もや不安らしく云った。
こうなると、御新造の手前、人々も落ち着いてはいられなくなったので、念のために様子を見て来ようと、七、八人がつながって出た。表は暗いので、お常は提灯を貸してやった。
御新造の手前ばかりでなく、人々もなんだか一種の不安を感じて来たので、提灯持ちの一人を先に立てて、足早にあるき出した。どこという目あても無いが、ともかくも富士裏のあたりを探してみる事にして、高林寺門前から吉祥寺門前にさしかかると、細道から出て来た二人連れが提灯の灯《ひ》を見て声をかけた。
「道場から来たのか」
それは池田喜平次と伊太郎の声であった。こちらでも声を揃えて答えた。
「そうだ、そうだ。先生はどうした」
「先生は……。途中で失《はぐ》れてしまった」
「先生にはぐれた……」
「どこを探しても見えないのだ」
喜平次らの報告によると、彼らは師匠の左内にしたがって、まず富士裏のあたりを一巡したが、怪しい声は聞えなかった。まだ時刻が早いせいかも知れないと云いながら田畑のあいだを歩き廻って、鷹匠《たかじょう》屋敷から吉祥寺の裏手まで戻って来たが、聞えるものは草むらに鳴き弱っている虫の声と、そこらの森のこずえに啼く梟《ふくろう》の声ばかりで、それらしい声は耳に入らなかった。やはり自分の推量の通り、臆病者が風の音か、狐の声か、梟の声などを聞き誤っているに相違あるまいと、左内は笑った。
しかしここまで踏み出して来た以上、詮議に詮議を重ねなければならないというので、左内はふたたび富士裏の方角へ向って引っ返すことにした。暗い田圃《たんぼ》路を縫って、大泉院の神明宮の前を抜けて、さらに人家の無い畑地へ来かかると、路ばたには三百坪あまりの草原があって、その片隅には杉や欅《けやき》の大樹が木立《こだち》を作っていた。その木立のあたりで「おうい、おうい」と微かに呼ぶ声がきこえたので、三人は俄かに立ちどまって耳を澄ますと、呼ぶ声はつづけて聞えた。もう猶予すべきでないので、左内はその声をたずねて進んだ。喜平次と伊太郎も続いて行った。しかも今夜はあいにくに暗い夜である。三人はもちろん無提灯である。唯その声をたよりに尋《たず》ねて行くのほかは無いので、彼らは秋草を踏み分けながら手探りで歩いた。
どうやら木立のあたりへたどり着いた頃には、怪しい声も止んでしまった。こうなると、見当《けんとう》が付かないので、三人は暗いなかに突っ立って暫く耳を傾けていると、やがて違った方角で再び呼ぶ声がきこえた。しかも今度は「岩下左内、待て、待て」というのである。自分の名をはっきりと呼ぶからには、風の音や梟の声の聞き誤りではない。左内は「おれを呼ぶのは誰だ、何者だ。ここへ出て来い」と呶鳴り返したが、声はそれには答えないで、左内の名を呼びつづけるのである。左内は焦《じ》れて、その声を追ってゆくと、さらにまた違ったが方角で「岩下左内やあい」と呼ぶのである。
喜平次と伊太郎は気味が悪くなって来た。世間で噂する通り、その声が普通の人間とは違っているばかりか、近いような、遠いような、悲しんで泣くような、嘲《あざけ》って笑うような、判断に苦しむ此の声の主は何物であろう。もし人間ならば足音がきこえる筈であるのに、それが或いは前に、あるいは右に、音も無しに移動するのも不思議である。そう思うと、二人は何となく怯気《おじけ》が付いて、足の進みもおのずと鈍《にぶ》って来たが、左内は頓着なしにその声を追って行った。怪しい声は嘲るように斯《こ》う云った。
「貴様たちに正体を見とどけられるような俺だと思うか。おれはここらに年|経《ふ》る白狐《びゃっこ》だぞ」
「畜生、よく名乗った。この古狐め」
左内は刀をぬいてまっしぐらに追ってゆくと、声はそれっきりで絶えた。左内の足音もやがて聞えなくなった。師匠を見失っては申し訳がないと、喜平次と伊太郎はふたたび勇気を振い起して、つづいて其のあとを追って行ったが、左内の姿は闇に埋められてしまった。二人は先生先生と呼びつづけながら、木立のあいだは勿論、草原や畑道をむやみに駈けまわったが、どこからも左内の返事は聞かれなかった。あてども無しに駈けつづけて、二人は疲れ果てた。
「もう仕方が無い。道場へ帰って提灯を持って来て、手分けをして探そう」
よんどころなく引っ返して来る途中、あたかも吉祥寺門前で迎えの人々に出逢ったのである。その報告を聞いて、人々は俄かに騒ぎ立った。提灯ひとつでは不足だというので、家の近い者は引っ返して自分の家から提灯を持って来た。その一人は道場へも知らせに行ったので、残っている者もみんな駈け出した。喜平次と伊太郎を案内者にして、都合十七、八人が五つ六つの提灯を振り照らしながら、ふた組に分かれて捜索にむかった。
江戸の絵図を見ても判るが、ここらの百姓地はなかなか広い、しかも人家は少ない。その大部分は田畑と森と草原である。二組の捜索隊は先生を呼びながら、闇の夜道をたずねて歩いているうちに、伊太郎を先立ちのひと組が路ばたに倒れている師匠の死骸を発見した。そこには一本の大きい榛《はん》の木が立っていて、その下を細い田川が流れている。左内はその身に数カ所の傷を受けて、木の根を枕に倒れていたのである。
それから五日の後である。この頃は朝夕が肌寒くなって、きょうも秋時雨《あきしぐれ》と云いそうな薄|陰《ぐも》りの日の八ツ半(午後三時)頃に、ふたりの男が富士裏の田圃路をさまよっていた。半七とその子分の亀吉である。
「ねえ、親分。わっしにゃあまだ判らねえ。後生《ごしょう》だから焦《じ》らさずに教せえておくんなせえ。その変な声というのがどうして聞えるのか、いくら考えても見当が付かねえ」と、亀吉はあるきながら云った。
「神田から駒込まで登って来るあいだに、まだ考え付かねえのか」と、半七は笑った。「おれにゃあちゃんと判っている。それはズウフラだ」
「ズウフラ……。ああ、判った、判った」と、亀吉も笑い出した。「和蘭《オランダ》渡りで遠くの人を呼ぶ道具……。吹矢《ふきや》の筒のようなもの……。成程それに違げえねえ。わっしも一度見たことがある」
「おれも或る屋敷でたった一度見せて貰っただけだが、今度の一件を聞いてすぐにそれだろうと鑑定した。だが、判らねえのは、なぜ其のズウフラで往来の人間を嚇《おど》かすのか。唯のいたずらか、それとも何か仔細があるのか。なにしろ、そのズウフラから剣術の師匠が殺されたというのだから、ひと詮議しなけりゃあならねえ。早く聞き込むと好かったのだが、ちっと日数《ひかず》が経っているので面倒だ。まあ、やれるだけやってみよう。ここらは寺門前が多いから、町方《まちかた》の手が届かねえ。それをいいことにして、悪い奴らが巣を食っているのだろう」
そこらをひと廻りした後、半七はある植木屋の門口《かどぐち》に立った。ここらに植木屋の多いのは前に云った通りである。半七は形ばかりの木戸をあけて声をかけた。
「おい。じいさんはいるかえ」
「やあ、親分……。唯今まいります」
柿の木の上で返事をして、五十四五の男が笊《ざる》をかかえながら降りて来た。彼は植木屋の嘉兵衛である。
「柿はよく生《な》ったね」と、半七は赤いこずえを見あげた。
「いえ、もう遅いので……。ことしは二百十日の風雨《あらし》で散々にやられてしまいました」
嘉兵衛は先に立って二人を内へ案内すると、女房は煙草盆などを持ち出して来たので、半七らは縁に腰をかけて煙草を吸いはじめた。
「どうだね。この頃はここらで変な声が聞えるというじゃあねえか。狐か狸のいたずらだろう」と、半七は何げなく云った。
「そうですよ」と、嘉兵衛はうなずいた。「なんでもここらに棲んでいる古狐の仕業《しわざ》だそうです」
「ここらに悪い狐が棲んでいるのかえ」
「今までそんな噂を聞いたこともありませんが、このあいだの晩、自分から名乗ったそうで……。おれはここらに年経る狐だとか云ったそうで、それは確かに聞いた人が二人もあるのですから、まあ本当でしょう」
その二人は池田の次男喜平次と、岡崎屋という酒屋のせがれ伊太郎であると、嘉兵衛は説明した。
「だが、狐が人を斬り殺す筈はあるめえ、狐ならば喰い殺すだろう」と、亀吉はあざけるように云った。「世間にゃあいろいろの狐や狸がいるからな」
「まあ、余計なことを云うなよ」と、半七はたしなめるように云った。「そこで、爺さん、その池田の次男と岡崎屋の伜というのは、どんな男だか知らねえかえ」
それに就いて、嘉兵衛はこう答えた。池田の屋敷は小石川|原町《はらまち》にあって、二百五十石の小普請組《こぶしんぐみ》である。自分はその隣り屋敷へ出入りしているが、池田の屋敷は当主のほかに大勢の厄介《やっかい》があって、その内証はよほど逼迫《ひっぱく》しているらしい。次男の喜平次という人を一度も見たことは無いが、二十四五になるまで他家へ養子にも行かないで、実家の厄介になって剣術を修業しているという噂である。岡崎屋のせがれ伊太郎もやはり喜平次と同年配で、父の伊右衛門は五、六年前に世を去って、母のお国が残っている。伊太郎にはおそよという嫁があったが、ことしの三月に離縁になって実家へ帰った。岡崎屋は小石川の白山前町《はくさんまえまち》にある。嫁のおそよの実家もやはり酒屋で、小石川|指《さす》ケ谷町《やちょう》にある。双方が同商売で、しかも近所であるために、互いに得意先を奪い合ったのが喧嘩の基で、おそよは遂に不縁になったらしいという。その余のことは嘉兵衛も詳しく知らなかった。
「いや、有難う。それで大抵は判った」と、半七はうなずいた。「爺さん。おめえはその声を聞いたことがあるかえ」
「ありませんよ。話のたねに一度聞いて置きたいと思うのですが、運が無いのか、まだ聞いたことがありませんよ」
「聞いたところで、運がいいと云うわけでもあるめえ」と、半七は笑った。「そこで、その声はまだ聞えるのかえ」
「道場の先生が殺された晩から、ぱったり聞えなくなりましたが、ゆうべは又きこえたという噂です。いや、噂どころじゃあない、現に怪我をしたという者があるのです」
「怪我をした者……。そりゃあ誰だね」と、亀吉は顔を突き出した。
「わたくしと同商売で、吉祥寺裏に六蔵というのがあります。そこの若い者の長助という奴が、ゆうべ血だらけになって帰って来たので、大かた喧嘩でもしたのだろうと思って、だんだんに訊きただしてみると、やっぱり何かにやられたので……。なんでも暗い道を通って来ると、うしろから哀れな声で呼ぶ奴がある。こいつ、例の一件だなと思ったので、こっちも若い勢いで誰だ誰だと云いながら、声のする方へむやみに向って行くと、いきなり真向《まっこう》をなぐられたので、額《ひたい》ぎわの左からこめかみへかけて随分ひどく打ち割られて、顔じゅうが血だらけになってしまったのです。長助も一旦眼が眩《くら》んで、そばにある立ち木に寄りかかったまま暫くは夢のようだったが、やがて漸く正気になって、どうにか無事に親方の家《うち》まで帰って来たのだそうです。道場の先生の殺されたのは別として、これなんぞはどうも狐の悪戯《いたずら》らしく思われますね。長助の傷は石か何かで打たれたらしいということです」
剣術の師匠は殺され、植木屋の職人はなぐられ、とかくに気味の悪いことが続くので困ると、嘉兵衛は顔をしかめて話した。
三
植木屋を出ると、空はいよいよ陰って来た。
「親分、これからどっちへ廻ります」と、亀吉は空を仰ぎながら訊《き》いた。
「おめえは吉祥寺裏の植木屋へ行って、長助という若い奴に逢って、ゆうべ確かにその声を聞いたかどうだか突き留めて来てくれ。如才《じょさい》もあるめえが、本当になぐられたのか、出たらめの事を云うのか、よく念を押して訊きただしてくれ」と、半七は云った。
「あい、ようがす」
「おれは白山前から指ケ谷町へまわって来る」
「どこで逢いますね」
「白山町に笹屋という小料理屋がある。そこで待ち合わせることにしよう」
吉祥寺門前で亀吉に別れて、半七は土物店《つちぶつだな》から鰻縄手にさしかかった。岩下の道場の前を通りながら、門内をそっと覗いてみると、町道場といっても表には遠い家作りで、ここらに多く見る杉の生垣《いけがき》のうちに小さい畑などもあるらしかった。師匠が死んで稽古は無いはずであるのに、家内は何かごたごたしていた。半七は指を折って、あしたは初七日《しょなのか》、今夜はその逮夜《たいや》であることを知った。
それから五、六間ゆき過ぎると、若い町人ふうの男が半七に摺れちがって通った。振り返って見送ると、男は道場の門をあけてはいった。半七の眼に映った若い男は、年のころ二十三四で、色の小白い、忌味《いやみ》のない男振りであった。それが岡崎屋の伊太郎ではないかと思ったが、呼びかえして詮議する場合でないと思い直し、半七はそのまま白山前町へ足を向けた。
岡崎屋は相当の店がまえで、店には三人の若い者と二人の小僧が何か忙がしそうに働いていた。八丁味噌の古い看板なども見えた。帳場には四十四五の女房が坐っていた。それが伊太郎の母のお国であろうと、半七は想像した。さらに引っ返して指ケ谷町へゆくと、そこには伊丹屋という酒屋の暖簾《のれん》が眼についた。ここが伊太郎の嫁の実家である。半七はずっと店へはいった。
「もし、お前さんは旦那ですかえ、番頭さんですかえ」と、半七は帳場にいる四十前後の男に声をかけた。
「はい。わたしは番頭でございます」と、男は帳面の筆をおいて答えた。
「旦那はお内ですかえ」
「いえ、こちらは女あるじで……」
「じゃあ、岡崎屋と同じことだね」
「左様で……」と、番頭はやや不審らしく半七の顔をみつめた。
「息子さんは無いのかね」
「息子はございますが、まだ肩揚げが取れませんので……」
「娘さんは幾人《いくたり》いるね」
「二人でございます」
「いや、こりゃあわたしが悪かった」と、半七は笑いながら云った。「だしぬけに押し掛けて来て、よその家の人別《にんべつ》を調べるから、お前さんにも変な顔をされるのだ。実はわたしはお上の御用を聞く者で、すこし調べる筋があって来たのだから、迷惑でもおかみさんに逢わしておくんなせえ」
御用聞きと名乗られて、番頭も俄かに態度をあらためた。すぐに立って奥へ行ったが、やがて又出て来て、丁寧に半七を案内した。中庭にむかった八畳の座敷で、先代の主人の好みであろう、床の間や違い棚の造作もなかなか念入りに出来ていた。屋台骨のしっかりしている家らしいと、半七はひそかに思った。
やがて女あるじというお勝が出て来て、これも丁寧に挨拶した。番頭もそばに控えていた。
「いや、別むずかしいことを訊くのじゃあありません。立ち話でも済むことですが、店さきではちっと工合《ぐあい》が悪いので、奥へ通して貰ったのです」と、半七はすぐに口を切った。「実はほかの事じゃあありませんが、こちらには娘さんが二人あるそうですね」
「はい。姉は下谷の方に縁付いて居ります」と、お勝は答えた。「妹は近所へ一旦片付きましたが……」
「じゃあ、それがおそよさんといって、白山前町の岡崎屋へ片付いたのですね。そこで、そのおそよさんが岡崎屋を不縁になったのは、同商売の競合《せりあ》いからだというような噂もありますが、そりゃあ本当ですか」
なんと返事をしていいかと云うように、お勝はそっと番頭をみかえると、番頭は引き取って答えた。
「まあまあ、そんなような訳でございまして……。御承知の通り、商売|忌敵《いみがたき》とか申しまして……。いえ、別に喧嘩をいたしたと云うのではございませんが……。つまり縁が無いと申すのでしょうか……」
その口ぶりと、女房の顔色とを見くらべながら、半七はしずかに云った。
「ねえ、番頭さん。わたしも御用で来たのだから、隠し立てをされちゃあ困る。決してお前さん達に迷惑は掛けねえから、みんな正直に云って貰おうじゃあありませんか。岡崎屋を不縁になったのは、何かほかに訳があるだろう。わたしはそれを訊きに来たのだ」
「お前さんのお言葉ですが、まったく同商売の顧客《とくい》争いというようなことから、双方の親たちのあいだが面白く参りませんので……」と、番頭は押し返して云った。
「親たちばかりでなく、当人同士の夫婦仲もなにぶん丸く参りませんので……」と、お勝もその尾に付いて云った。
おそよは去年の五月、十八で岡崎屋へ嫁に行って、その当座はまず無事であったが、半年ほど過ぎると、とかくに折り合いが悪く、とうとう此の三月に別れることになったので、ほかに仔細も無いと、母は説明した。
同商売の顧客争いから、親たちが不和になるというのは、随分ありそうなことである。当人同士の夫婦仲が悪いというのも珍らしくない。それで一応は離縁の理窟が立っているようであったが、半七はまだ不得心であった。
「どうもお前さん達じゃあ判らねえ。そのおそよという娘をここへ呼んでおくんなせえ。本人に逢って訊くとしましょう」
「いえ、その娘は唯今留守でございまして……」と、番頭はあわてて断わった。
「嘘をついちゃあいけねえ」と、半七は叱り付けるように云った。「それじゃあ仕方がねえから、わたしの方から口を切ろう。岡崎屋の息子には別に女がある。それが捫著《もんちゃく》のたねで不縁になった。早く云えばそうだろうね」
お勝と番頭はぎょっとしたように顔を見あわせた。半七は黙ってその返事を待っていると、うしろの襖の外で何かの声がきこえた。それは女のすすり泣きの声であるらしいので、半七は衝《つ》と立ってその襖をあけると、果たしてそこには若い女が蒼白い顔を袖にうずめて泣き伏していた。
四
半七が伊丹屋を出て白山前へ引っ返したのは、その日ももう暮れかかる頃で、途中から秋時雨がさらさらと降り出して来た。
傘を買う程でもないと思ったので、半七は手拭をかぶって笹屋という小料理屋へ駈け込むと、亀吉はひと足さきに来て門口《かどぐち》に待っていた。
「とうとうぱら付いて来ましたね」
「この頃の癖で仕方がねえ」と、半七は先に立って二階へあがった。
座敷は狭い四畳半である。註文の酒肴が来るあいだに、亀吉は小声で話し出した。
「あれから吉祥寺裏へ行くと、親方は留守でしたが、長助という若い奴が鉢巻をしていましたよ。取っ捉まえて訊いてみると、どっかへ小博奕か何かに行って、ゆうべの四ツ過ぎころに富士裏を帰って来ると、例の声で呼ばれたそうです。おうい、おういじゃあねえ。女のような声で、もしもしと呼んだと云うのです。確かに女の声かと念を押すと、どうも女のようだったと云うのですが……。野郎、何だかおどおどしていて、どうもはっきりした事を云わねえのです。なにしろ、誰だと云いながら向って行くと、石のようなもので額をがんとやられて、暫くは気が遠くなってしまったと云うだけで、詳しいことは自分でも覚えていねえと云うのです。小焦《こじ》れってえから、ちっと嚇かしてやったんですが、案外意気地のねえ野郎で、まったく嘘いつわりは云いませんからどうか勘弁してくれと、真っ蒼な顔をして泣かねえばかりに云うので、まあいい加減にして引き揚げて来ました」
「そうか」と、半七はうなずいた。「その長助という野郎も、唯は置かれねえ奴らしいが、そんな意気地なしならあと廻しでよかろう。おれは岡崎屋の嫁の里へ行って調べて来たが、岡崎屋の伊太郎は師匠の女房と不義を働いていて、それがために嫁のおそよは離縁になったのだ。おそよは亭主に未練があると見えて、可哀そうに泣いていたよ」
「すると、伊太郎が師匠を殺《や》ったのかね」
「そうだろうな。だが、伊太郎一人の仕業じゃああるめえ。その晩一緒に出て行ったという池田の次男……喜平次という奴も手伝ったのだろう」
「そいつも伊太郎に抱き込まれたのかね」
「池田の屋敷はひどく逼迫《ひっぱく》していると云うじゃあねえか。おまけに厄介者の次男坊だ。二十四や五になるまで実家の冷飯《ひやめし》を食っているようじゃあ、小遣いだって楽じゃあねえ。おそらく慾に眼が眩《くら》んで師匠殺しの手伝いをしたのだろうな」
「ひどい奴らだ」と、亀吉は溜息をついた。「どうも世が悪くなったな」
「人殺しもいろいろあるが、親殺しは勿論、主殺しや師匠殺しと来ちゃあ重罪だ。だんだんに事が大きくなって来た。それにしても、ズウフラの一件はどういうのかな」
「ズウフラで師匠を誘い出したのじゃあねえかね」
「そうすると、もう一人の同類が無けりゃあならねえ」と、半七は薄く眼を瞑《と》じた。「もっとも大勢の中にゃあ抱き込まれる奴が無いとも限らねえが……。いかに世が悪くなったと云っても、師匠殺しの味方をする奴がそんなに幾人もあるだろうか。こりゃあ少し考げえものだ。一体この江戸じゅうにズウフラなんぞを持っている奴がたくさんある筈がねえから、その持ち主さえ判ればいいのだか……」
「ズウフラの方はまあ別として、ともかくもこれだけのことを寺社の方へ届けて、岡崎屋の伊太郎を引き挙げてしまおうじゃありませんか」
「だが、まだ確かな証拠はねえ。ほかの事と違って重罪だ。むやみなことが出来るものか。まあ、もうちっと考えよう」
註文の酒肴を運んで来たので、二人は黙って飲みはじめた。時雨《しぐれ》はひとしきりで通り過ぎたが、秋の日はまったく暮れ切って、女中が燭台を持って来た。その蝋燭の揺れる灯を見つめながら、半七は暫く考えていたが、やがて思い出したように云った。
「今夜は殺された師匠の逮夜で、岩下の道場は昼間からごたごたしていたようだ。弟子たちも相当に集まるだろう。あの辺へ行って網を張っていたら、なにか引っかかる鴨があるかも知れねえ」
「そうしましょう」
二人は怱々《そうそう》に飯を食ってここを出た。鰻縄手へゆく途中で、半七はまた云い出した。
「おい、亀。おれもだんだん考えたが、あのズウフラというものは筒にどんな仕掛けがあるか知らねえが、遠くの人を呼ぶ以上、相当に大きな声を出さなけりゃあならねえ筈だ。いくら人通りの少ねえ畑や田圃路だといって、道のまん中に突っ立って呶鳴っていちゃあ、すぐに種が知れてしまうから、少し距《はな》れた所から低い声で呼ぶに相違ねえ。つまり其の人のすぐうしろにいねえと云うだけのことで、そんなに遠いところから呼ぶのじゃああるめえと思う。こっちが気を鎮めて窺っていれば、大抵の見当は付く筈だのに、みんなびくびくして慌てるからいけねえのだ」
「まったくお前さんの云う通り、そんなに遠いところから呼ぶのじゃああるめえ。今夜ひとつ張り込んで見ましょうか」
「むむ。道場の模様次第で、張り込んでみてもいいな」
そんなことを云いながら、二人は岩下の道場の近所まで引っ返して来た。縁の無い者がむやみに表門からはいるわけにも行かないので、杉の生垣のあいだから覗いてみると、座敷には障子が閉めてあるので好くは判らないが、その障子に映る影を見ても、相当に大勢の人々が集まっているらしく、僧侶の読経《どきょう》の声や鉦の音も洩れてきこえた。
「成程ごたごた押し合っているようですね」と、亀吉はささやいた。
「むむ。押し合っているだけじゃあ仕様がねえが、今になにか始まらねえとも限らねえ。まあ、もう少し我慢しよう」
半七の言葉が終らないうちに、果たして一つの不思議が始まったのである。どこからとも知れず、怪しい低い声が座敷の障子にむかって呼びかけた。
「御新造さん……。岩下の御新造さん……。お経なんぞを上げるのはお止しなさい」
その声に、おどろかされて、二人は俄かにあたりを見まわしたが、夜は暗いので見当が付かなかった。内でもそれに驚かされたらしく、二、三人の男が障子をあけて縁側に出て来たが、やはり正体を見とどけ得ないで、何かこそこそ云いながら引っ込んでしまった。半七らは耳をすましていると、闇の中で怪しい声が又きこえた。
「御新造さん……。御新造さん……。仏さまは浮かびませんよ。今に幽霊になって出ますよ」
座敷の障子をあけて、今度は七、八人がどやどやと出て来た。彼らは暗い庭さきを透かし視て、怪しい声の方角を聞き定めようとするらしく、その二、三人は庭へ出て、そこらの隅々を探し歩いた。
「なんだろう」
「どこだろう」
彼らは口々に罵り騒いでいた。内から仏前の蝋燭を持ち出して、庭さきを照らしているのもあった。しかも怪しい物の姿はみえず、怪しい声もそれぎりで止んでしまったので、彼らも根《こん》負けがして再び内へ戻ると、それを窺っていたように怪しい声はまた呼んだ。
「御新造さん……。御新造さん……」
さっきから耳を澄ましていた半七は、小声で亀吉に教えた。
「判った。あの屋根へ石を叩きつけろ」
東どなりには少しばかり空地《あきち》があって、その隣りは法衣屋《ころもや》であった。往来の人を相手にする商売でないので、宵から早く大戸をおろして、店のくぐり障子に灯の影がぼんやりと映っていた。怪しい声はその屋根から送られて来るものと、半七は鑑定したのである。
二人は探りながらに足もとの小石を拾って、隣りの屋根を目がけて投げ付けた。いわゆる闇夜の礫《つぶて》で、もちろん確かな的《まと》は見えないのであるが、当てずっぽうに投げ付ける小石がぱらぱらと飛んで、怪しい声の主《ぬし》をおびやかしたらしく、屋根の上を逃げて行くらしい足音がきこえた。ここらは板葺屋根が多いのであるが、隣りは平家《ひらや》ながら瓦葺であるために、夕方のひと時雨に瓦がぬれていたらしく、それに足をすべらせて何者かころげ落ちた。
「それ、逃がすな」
半七と亀吉は駈け寄った。
五
「まず怪談はここら迄でしょうね」と、半七老人は笑った。
「屋根から落ちた奴は何者です」と、わたしはすぐに訊《き》いた。
「それは近所の質屋のせがれで辰次郎という奴です。年は十九ですが、一人前には通用しない薄馬鹿で……。こいつがどうしてズウフラなんぞを持っていたかと云うと、自分の店で質《しち》に取った品です。御承知でもありましょうが、江戸時代にはオランダ人が五年に一度ずつ参府して、将軍にお目通りを許される事になっていました。大抵二月の二十五日ごろに江戸に着いて、三月上旬に登城するのが習いで、オランダ人は日本橋|石町《こくちょう》三丁目の長崎屋源右衛門方に宿を取ることに決まっていました。その時には将軍家に種々の献上物をするのは勿論ですが、係りの諸役人にもそれぞれに土産物をくれます。かのズウフラも通辞役《つうじやく》の人にくれたのを、その人が何かの都合で質に入れたというわけです。質物《しちもつ》は預かり物ですから、庫《くら》にしまって大切にして置くべきですが、物が珍らしいので薄馬鹿の辰公がそっと持ち出した。いや、辰公ばかりでなく、それをおだてた奴がほかにあるんです。それは吉祥寺裏の植木屋の若い者の長助という奴で、こいつ白らばっくれていながら、実は辰公をおだてて悪いたずらをさせていたんですよ」
「じゃあ、その辰公はおもしろ半分にやっていたんですね」
「まあ、そうです。辰公も長助も別に深い料簡もなく、ただ面白半分に往来の人を嚇かしていただけの事だったのですが、そのいたずらから枝が咲いて、師匠殺しという大事件が出来《しゅったい》したんです。さっきからお話し申した通り、岩下左内は武骨一辺の人物、女房のお常は年が十二三も違う上に江戸向きに出来ている女、そこでお常はいつか弟子の伊太郎と関係するようになってしまった。それでも世間の手前、伊太郎は伊丹屋の娘を嫁に貰ったんですが、一方にお常という女があるのですから、どうで丸く治まる筈がありません。嫁の里方《さとかた》でも伊太郎が師匠の御新造と怪しいということを薄々感付いたので、とうとう別れ話になったんです。
嫁の方はそれで片付いたにしても、済まないのはお常と伊太郎との関係で、こんな事がいつまで隠しおおせるものじゃあありません。弟子のうちで真っ先にそれを覚ったのが池田喜平次で、ひそかに伊太郎を嚇し付けて小遣い銭をいたぶっていたんです。この喜平次は貧乏旗本の次男で、二十四五になるまで実家の厄介になっていたんですが、武芸はなかなかよく出来るので、行く行くは自分も道場でも開く積りで勉強していた……。ここまでは好かったんですが、ふいと魔がさした。と云うのは、辰公のズウフラ一件です。
岩下左内も悪い弟子を二人持ったのでした。一方の伊太郎は、万一自分たちの不義が露顕したら、日ごろの師匠の気質として捨て置く筈がない。即座に成敗《せいばい》されるに決まっている。いっそ師匠を亡きものにして、お常と末長く添い通そうと考えた。また一方の喜平次は、武芸にかけては此の道場でおれに及ぶ者はない。いっそ師匠を亡き者にして、自分がこの道場を乗っ取ろうと考えた。つまり一方は色、一方は慾、どちらも目ざす相手は師匠の左内で、なんとかして師匠をほろぼす工夫はないかと、お互いに悪事を考えている矢さきに、富士裏の怪談のうわさが立ったのが勿怪《もっけ》の幸い、師匠の左内に取っては飛んだ災難でした」
「そうすると、喜平次と伊太郎はその怪談を利用したわけなんですね」
「うまく師匠をバラしてしまえば、道場を乗っ取った上に、伊太郎からも相当の礼金が貰えるというわけで、喜平次はすっかり悪人になってしまったんです。そこで、二人は打ち合わせをして置いて、師匠の前で富士裏の怪談をはじめると、左内は例の気質ですから其の正体を見とどけに行くという。二人はそれに付いて出る。すべてが思う壺にはまって、左内は闇討ち……。手をおろしたのは喜平次でした。ほかの弟子たちの手前はいい加減に誤魔化して、検視も済み、葬式も済み、あしたは初七日の墓参り、今夜は逮夜というところまで漕ぎ着けると、その逮夜の晩に怪しい声が又きこえたんです。
なぜ辰公がそんないたずらをしたかと云うと、辰公は左内の殺された晩も、例のズウフラを持って富士裏のあたりを徘徊していて、喜平次らの闇討ちを木の蔭か何かで窺っていたんです。暗い中だから誰だか判りそうも無いもんですが、やっぱり悪いことは出来ないもので、左内を仕留めてから喜平次と伊太郎とが何か話していた。おまけに、用意の袂提灯を出して喜平次は血の付いた手を田川の水で洗った。そんなことで、下手人《げしゅにん》はこの二人だということを辰公に覚られてしまったんです。そこで辰公はその翌日、植木屋の長助にその話をすると、長助も一旦は驚いたが、そんなことを滅多に云ってはならないと、辰公に堅く口止めをしたんです。闇討ちが発覚すると、ズウフラの一件も発覚して、辰公は勿論、それを煽動した自分までが飛んだ係り合いになるのを恐れたからです。今でもそうですが、昔の人間はひどく引き合いということを忌《いや》がりましたからね」
「長助をなぐったのは誰ですか。辰公じゃあないんですか」
「お察しの通りですよ。長助は係り合いになるのを怖がって、闇討ち以来もうズウフラを持ち出すなと辰公に云い聞かせたので、その当座は止めていたんですが、根が薄馬鹿の辰公ですから、三日四日経つと又持ち出した。そこへ丁度に長助が通り合わせて、この馬鹿野郎めと散々叱り付けた上に、そのズウフラを取り上げようとすると、辰公も承知しない。いきなりズウフラを振り上げて、相手の額を力まかせに殴り付けたんです。なにしろ長さは三尺あまりで、銅でこしらえた喇叭《らっぱ》のような物ですから、それで手ひどく殴られては堪まらない。馬鹿とあなどって不意討ちを食った長助は、まったく眼が眩《くら》んで暫くぼんやりしているうちに、辰公は逃げて行ってしまった。と云って、表向きに辰公の家へ捻じ込むわけにも行かないので、長助はなぐられ損の泣き寝入り……。そこへ亀吉が調べに行ったので、長助はいよいよ閉口して、なにか出たらめを云って誤魔化していたというわけです。それがみんな露顕して、長助は所払いになりました。
そこで、一方の辰公、いかに薄馬鹿の人間でも、見す見す闇討ちの一件を知っていながら、口を結んでいるということは、さすがに気が咎めてならない。そこで逮夜の晩、岩下の道場に大勢が集まっているのを知って、隣りの屋根からズウフラで呼びかけた。悪戯《いたずら》といえば悪戯ですが、本人としては御新造にそれとなく注意をあたえようとしたので、馬鹿相当の知恵を出したわけでしょう。勿論、岩下の女房と岡崎屋の伜との関係なぞは知らないんです。しかし馬鹿も馬鹿にはなりません。辰公が屋根から転げ落ちて、わたくし共に取り押えられた為に、それから口が明いて闇討ちの秘密もはっきりと判る事になったんです」
「喜平次も伊太郎もお常も、みんな挙げられたんですね」
「岡崎屋は白山前町にあるので、寺社の方へもことわって伊太郎を召し捕りました。お常も召し捕られました。お常は伊太郎との不義を白状しただけで、闇討ちのことは知らないと強情を張っていましたが、相手の伊太郎がべらべらしゃべってしまったので、どちらも引き廻しの上で磔刑《はりつけ》という重い仕置を受けました。喜平次はゆくえが知れません。何でもこの一件が親兄弟にも知れたので、表沙汰にならない先に、屋敷内で詰腹《つめばら》を切らされたという噂です。気の毒なのは通辞役の深沢さんという人で、ズウフラを質入れした事が露顕して、別に表向きの咎めはありませんでしたが、世間に対して頗る面目を失ったということです。辰公の親たちは不取締りのために質物を馬鹿息子に持ち出され、それからこんな騒動をひき起したというので、きびしいお咎めを受けました。馬鹿息子が質物を持ち出して毎晩あるき廻っているのを、親たちも店の者も気がつかなかったというのは、あんまり迂濶な話ですから、どんなお咎めを蒙っても仕方がありません。片輪の子ほど可愛いとかいって、親たちが甘やかし過ぎたのが悪かったんです。辰公も吟味中、町内預けになっていたんですが、いつか抜け出して行って、富士裏の森で首を縊《くく》って死んでしまいました。そうなると、又その幽霊が出るとかいうのでひと騒ぎ、世の中に怪談の種は尽きないものです」
[#改ページ]
大阪屋|花鳥《かちょう》
一
明治三十年三月十五日の暁方《あけがた》に、吉原|仲《なか》の町《ちょう》の引手茶屋桐半の裏手から出火して、廓内《かくない》百六十戸ほどを焼いたことがある。無論に引手茶屋ばかりでなく、貸座敷も大半は煙りとなって、吉原近来の大火と云われた。それから四、五日の後に半七老人を訪問すると、老人は火事の噂をはじめた。
「吉原がたいそう焼けたそうですね。あなたにお係り合いはありませんか」
「御冗談でしょう。しかし六、七年前に焼けて、今度また焼けて、吉原も気の毒ですね」と、わたしは云った。
「まったく気の毒です」と、老人は顔をしかめた。「どうも吉原の廓《くるわ》は昔から火に祟られるところで、江戸時代にもたびたび火事を出して、廓内全焼という記録がたくさん残っています。なにしろ狭い場所に大きい建物が続いている上に、こんにちと違って江戸時代の吉原は、どんなに立派な大店でも屋根だけは板葺にする事になっていたんですから、火事の場合なぞはたまりません。片っぱしから火の粉を浴びて、それからそれへと燃えてしまうんです。したがって、怪我人なぞも多《おお》ござんしたよ。大勢の客が入り込んで、ほとんど夜あかしの商売ですから、自然に火の用心もおろそかになって、火事を起し易いことにもなるんですが、時には放火《つけび》もありました。娼妓のうちにも放火をする奴がある。大阪屋花鳥というのも其の一人ですが、こいつはひどい女でしたよ」
「大阪屋花鳥……。聞いたような名ですね。そう、そう、柳亭燕枝《りゅうていえんし》の話にありました」
「そうです。燕枝の人情話で、名題は『島千鳥沖津白浪《しまちどりおきつしらなみ》』といった筈です。燕枝も高座でたびたび話し、芝居にも仕組まれました。花鳥の一件は天保年中のことです。天保年中には吉原に大火が二度ありまして、一度は天保六年の正月二十四日で廓内全焼、次は天保八年の十月十九日で、これも廓内全焼でした。花鳥の放火を二度目の時のように云いますが、花鳥は自分の勤めている大阪屋を焼いただけで、そんな大火を起したのじゃあありません。梅津|長門《ながと》という浪人者を逃がすために、自分の部屋へ火を付けたとかいう噂もありますが、それはまあ一種の小説でしょう。花鳥はどうも手癖が悪くって、客の枕探しをする。その上に我儘者で、抱え主と折り合いがよくない。容貌《きりょう》も好し、見かけは立派な女なんですが、枕さがしの噂などがある為に、だんだんに客は落ちる、借金は殖える、抱え主にも睨まれる、朋輩には嫌われるというようなわけで、つまりは自棄《やけ》半分で自分の部屋に火をつけ、どさくさまぎれに駈け落ちをきめて、一旦は廓を抜け出したんですが、やがて召し捕られました。それは天保十年のことで、本来ならば放火は火烙《ひあぶ》りですが、花鳥はなかなか弁の好い女で、抱え主の虐待に堪えられないので放火したという風に巧く云い取りをしたと見えて、こんにちでいえば情状酌量、罪一等を減じられて八丈島へ流されることになりました。それを有難いと思っていればいいんですが、女のくせに大胆な奴で、二年目の天保十一年に島抜けをして、こっそりと江戸へ逃げ帰ったんです。こんな奴が江戸へ帰って来て、碌なことをする筈はありません。いよいよ罪に罪を重ねることになりました」
「どんな悪いことをしたんですか」
「まあ、すぐに手帳を出さないで下さい。これはわたくしの若い時分のことで、後にわたくしの養父となった神田の吉五郎が指図をして、わたくしは唯その手伝いに駈け廻っただけの事なんですから、いちいち手に取るようにおしゃべりは出来ません。まあ、考え出しながら、ぽつぽつお話をしましょう」
天保十二年の三月二十八日から浅草観音の開帳が始まった。いわゆる居開帳《いかいちょう》であるが、名に負う浅草の観世音であるから、日々の参詣者はおびただしく群集した。奥山の驢馬《ろば》の見世物などが大評判であった。
その参詣のうちに、日本橋北新堀の鍋久という鉄物屋《かなものや》の母子《おやこ》連れがあった。鍋久は鉄物屋といっても主《おも》に鍋釜類をあきなう問屋で、土地の旧家の釜浅に次ぐ身代《しんだい》であると云われていた。先代の久兵衛は先年世を去って、当主の久兵衛はまだ二十歳《はたち》の若者である。久兵衛のほかに、母のおきぬ、女中のお直、小僧の宇吉、あわせて四人が浅草の開帳を拝みに出たのは、三月二十九日の陰《くも》った日で、家を出るときから、空模様が少しく覚束《おぼつか》ないように思われたが、あしたは晦日《みそか》で店を出にくいというので、女中と小僧に傘を用意させて、母子は思い切って出て来たのであった。
来てみると、境内《けいだい》は予想以上の混雑で、雷門をはいるともう身動きもならない程に押し合っていた。こんな陰った日であるから、定めて混雑しないであろうと多寡《たか》をくくっていた鍋久の一行は、今更のように信心者の多いのに驚かされながら、ともかくも仲見世から仁王門をくぐると、ここは又一層の混雑で、鳩が餌《えさ》を拾う余地もなかった。
それでも、どうにかこうにか本堂へあがって、型《かた》のごとくに参詣をすませたが、ちょうど今が人の出潮《でしお》とみえて、仁王門と二天門の両方から潮《うしお》のように押し込んで来るので、帰り路はいよいよ難儀であった。鍋久の一行はその群衆に押されて揉まれて、往来の石甃《いしだたみ》の上を真っ直ぐに歩いてはいられなくなった。
「まあ、少し休んで行こう」と、母のおきぬは云い出した。彼女は少しく人ごみに酔ったらしいのである。
混雑のなかを潜《くぐ》って、四人はひとまず淡島《あわしま》の社《やしろ》あたりへ出た。こことても相当に混雑しているが、それでも押し合う程のことは無いので、人々はほっとひと息ついて額の汗を拭いている時、突然に女の声がきこえた。
「あ、もし……」
さわがしい中でも、若い女の声が冴えているので、四人の耳をおどろかした。それが何かの注意をあたえるように思われたので、はっと気がついて見返ると、ひとりの男の手が久兵衛のふところから紙入れを引き出そうとしているのであった。こういう場合には珍らしくない巾着切《きんちゃっき》りである。
「ええ、なにをする」
久兵衛はあわてて其の手を捉えようとすると、男はそれを振り払って、掴んでいる紙入れを地面に叩きつけた。
「畜生、おぼえていろ」
彼はそれを注意した女の顔を憎さげに睨んで、そのまま群衆のなかへ姿を隠してしまった。睨まれたのは十七八の若い娘で、別に華やかに化粧をしているのでもないが、その容貌《きりょう》の美しいのが四人の眼をひいた。
「どうも有難うございました」と、久兵衛は彼女に礼を云った。
「おかげ様で災難を逃がれました。伜は勿論、わたくし共もみんなうっかりして居りまして、あなたが教えて下さらなければ、飛んだ目に逢うところでございました」と、おきぬも丁寧に礼を云った。
「いえ、御挨拶では痛み入ります」と、娘も淑《しと》やかに会釈《えしゃく》した。「余計な口出しをするでもないと存じましたが、見す見すあの巾着切りが悪いことをするのを知っていながら、黙っているわけにも参りませんので……」
「ほんとうに有難うございました。あなたはお一人でございますか」と、おきぬは又|訊《き》いた。
「はい、父が病気で臥《ふ》せって居りますので……」
髪容《かみかたち》もつくろわず、身なりも木綿物ずくめで、こういう繁華の場所へ出て来るのであるから、裕福の家の娘でないことは判り切っていたが、それが町人や職人の子でないこともすぐに覚られた。おそらく浪人者の子か、貧しい手習い師匠の娘などであろうと、おきぬ等は想像した。娘は父の病気平癒のために観音さまへ日参《にっさん》しているというだけのことを話して、自分の住所も姓名も名乗らずに別れて行った。おきぬは小僧の宇吉に耳打ちして、娘のあとを見えがくれに尾《つ》けさせた。
巾着切りの災難を救ってくれた礼心ばかりでなく、年ごろの伜を持っているおきぬは、かの娘の身許《みもと》を知って置きたいと思ったのである。その身なりは粗末であっても、その容貌の美しいのと、その物腰のしとやかなのが彼女のこころを強く惹きつけたらしい。娘は別れるときに、二度ばかり久兵衛の顔を見かえった。それが又、若い男の心をも惹きつけたのであった。
奥山にはかの驢馬《ろば》のほかに、菊川国丸の蹴鞠《けまり》、淀川富五郎の貝細工などが評判であるので、それらも話の種に見物する予定であったが、巾着切りの一件から何だか心が落ち着かなくなったので、母子はこれから直ぐに帰ろうかなどと話し合っているところへ、小僧の宇吉があわただしく引っ返して来た。
「大変です。早く来てください」
今の娘が人丸堂《ひとまるどう》のそばで何者にか突き倒されて、気を失ったように倒れているというのである。母子はすぐに巾着切りの復讐を思い出した。巾着切りなどが仕事をする場合に、他人が被害者に注意をあたえると、仕事の邪魔をしたというので何かの意趣返しをすることがしばしばある。かの娘も自分たちに注意をあたえてくれた為に、巾着切りの恨みを買ったのであろう。そう思うと、人々は気が気でなかった。宇吉を先に立てて、久兵衛はあわてて駈け出した。おきぬも女中のあとからつづいた。
「顔でも斬られたら大変だ」と、おきぬは思った。
二
それからふた月あまりの後である。
日本橋北新堀町の鍋久の店に美しい嫁が来た。嫁の名はお節といい、浅草の山谷《さんや》の露路の奥に十人ばかりの子供をあつめて、細々ながら手習い師匠として世を送っている磯野小左衛門という浪人の娘であった。
こう云えば、詳しい説明を加える必要もあるまい。鍋久の一行が人丸堂のほとりへ駈けつけて、ともかくも娘を近所の茶店へ連れ込んで介抱すると、幸いにさしたることも無くて正気に復《かえ》った。人丸堂の前まで来かかった時に、さっきの男が何処からか現われて、突然に娘の脾腹《ひばら》を突いたのであるという。刃物でなく、拳固で突いただけであるから、いわば当て身を食わされたようなわけで、一旦は気が遠くなったが他《ほか》に別条もなかったのである。刃物で顔でも斬られないのが勿怪《もっけ》の仕合わせであったと人々は喜んだ。こうなると、娘ひとりで帰らせるのは何分にも不安であるので、久兵衛ら四人はその自宅まで送って行くことにした。
娘はしきりに辞退したが、ほかに思惑《おもわく》のあるおきぬ母子は無理に一緒に付いて行って、娘の親にも逢った。母は先年世を去って、当時は父の小左衛門と娘お節の二人暮らしであることも判った。おきぬはその翌日、女中のお直をつれて再び馬道の家へきのうの礼にゆくと、お節はきょうも参詣に出たというので留守であった。父の小左衛門は病中で、この頃は碌々に子供たちの稽古も出来ないが、娘がよく世話をしてくれるのでどうにか無事に日を送っている。親の口から申すも如何《いかが》ながらと、小左衛門はわが子の孝行を褒《ほ》めるように云った。
浪人ながらも武士の子で、容貌《きりょう》が美しくて、行儀が好くて、親孝行であるという以上、嫁として申し分のない娘である。浪人の貧乏はめずらしくない。系図さえ正しければ町人の嫁として不足はない。本人の久兵衛よりも、母のおきぬがこの娘に惚れてしまったのである。彼女はその後も山谷の家を二、三度たずねて、ついに縁談を持ち出すと、折角ながら独り娘であるからというので、一旦は断わられた。それを押し返して幾たびか口説《くど》いた末に、父の小左衛門には毎月相当の隠居料を贈ること、お節には嫁入りの支度として二百両を贈ることで、まず相談が纏まった。六月はじめの吉日に、お節は鍋久の店へめでたく輿入れを済ませて、若夫婦の仲もむつまじく見えた。
それから更にふた月ほど経て、その年の七月も末になった。旧暦の盂蘭盆《うらぼん》過ぎで、ことしの秋は取り分けて早かった。この二、三日は薄ら寒いような雨が降りつづいて、水嵩の増した新堀川はひえびえと流れていた。鍋久の嫁のお節は十日ほど前から風邪《かぜ》を引いたような気味で、すこし頭痛がするなどと云っていたが、医者に診て貰うほどの事でもないので、買い薬の振り出しなどを飲んでいるうちに、二十九日の朝から何だか様子が変って来た。彼女は怖い眼をして人を睨んだ。これまで暴《あら》い声などを出したことの無い彼女が、激しい声で女中を叱ったりした。病気で癇《かん》が昂《たか》ぶったのであろうから、なるべく逆らわないがいいと、おきぬは久兵衛に注意していた。
鍋久の店では四ツ(午後十時)を合図に大戸をおろそうとした。その時、奥の若夫婦の居問で、ただならぬ久兵衛の叫び声がきこえた。
「これ、お節……。どこへ行く……。これ、お節……」
その声を聞きつけて、母のおきぬは茶の間を出てゆくと、長い縁側の途中でお節に出逢った。若い嫁は顔も隠れるほどに黒髪を長く振り乱して、物に狂ったように駈け出して来たので、おきぬは驚きながら、ともかくもそれを支えようとすると、お節は力まかせに彼女を突きのけた。その勢いが余りに激しかったので、おきぬはひとたまりもなく突き倒されて、まばらに閉めてある雨戸に転げかかると、雨戸ははずれた。その雨戸と共に、おきぬは暗い庭さきへころげ落ちた。
この物音は表の方まで響いたので、店の者もみな驚いて奥へ駈け込もうとする時、出逢いがしらにお節が飛び出して来たので、彼らは又おどろいた。しかも相手が主人であるので、さすがに手あらく取り押えかねたのと、あまりの意外に少しく呆気《あっけ》に取られて、唯うっかりと眺めているうちに、お節は彼らを突きのけて、今や卸しかけている大戸をくぐって表の往来へぬけ出した。
「早く押えろ」と、番頭の勘兵衛は呶鳴った。
それに励まされて、若い者や小僧は追って出た。そのなかでも新次郎という若い者が一番さきへ駈け出して、お節の右の袂を捉えようとすると、彼女は身を捻じ向けて振り払った上に、なにか刃物のようなものを叩きつけて又駈け出した。暗い夜で、雨は降りしきっている。その闇のなかをお節は駈けた。店の者共も追った。しかもお節は遠くも行かずに、眼の前の新堀川へ身を跳らせて飛び込んでしまった。
「身投げだ、身投げだ。若いおかみさんが身を投げた」
騒ぎはいよいよ大きくなって、店からは幾張《いくはり》の提灯をとぼして出た。近所の店の者も提灯を振って加勢に出た。大勢の人々が雨夜の河岸《かし》を奔走して、そこか此処かと探し廻ったが、二、三日降りつづいて水嵩の増している川の面《おも》に、お節の姿は浮かびあがらなかった。河岸につないである小舟を出して、無益にそこらを尋ね明かしているうちに、その夜はむなしく更《ふ》けて行った。
「これが昼間ならばなあ」
何分にもこの時代の夜は不便であった。岸の上に、水の上に、無数にひらめく提灯の火も、遂に若い女ひとりの姿を見出し得ずに終った。この川下《かわしも》は永代橋である。死体はそこまで押し流されて、広い海へ送り出されてしまったのかも知れない。人々は唯いたずらに溜息をつくばかりであった。
お節の身投げも意外の椿事に相違なかったが、鍋久の家内には更におそろしい椿事が出来《しゅったい》していた。主人の久兵衛は何者にか頸《くび》すじを斬られて、半身を朱《あけ》に染めて倒れていたのである。おきぬがそれを発見した時、彼はもう息の絶えた亡骸《なきがら》となっていた。
久兵衛を殺したのは何者か。若い者の新次郎がお節を追い捉えようとした時に、投げ付けられたのは剃刀《かみそり》であって、それは店さきの往来で発見された。新次郎は別に怪我もなかったが、お節が刃物をたずさえて狂い出したのを見れば、彼女が夫の久兵衛を殺害して、自分も入水《じゅすい》したものと認めるのほかは無い。
検視の役人らもそう鑑定した。立ち会いの医者の意見も同様で、おそらくお節が突然に乱心して、夫を殺し、自分も自滅したのであろうというのであった。その日の朝から彼女の様子が常に変って見えたというのも、それを証拠立てる一つの材料となった。
いつの世にも乱心者はある。乱心者が何事を仕出来《しでか》そうとも致し方がないというので、役人らも深い詮議をしなかった。鍋久でも世間の手前、この一件を余り公《おおや》け沙汰にしたくないので、役人らにもよろしく頼んで、いっさいを内分に納めることにした。主人久兵衛は急病頓死と披露して、ともかくも型の如くに葬式を済ませた。お節の死骸は遂に発見されなかった。
こうして一旦は納まったものの、お節の入水も久兵衛の変死も近所ではみな知っているのであるから、人の口に戸は立てられぬという譬《たと》えの通りで、その噂はそれからそれへと伝わって、神田の吉五郎の耳にもはいった。
「鍋久の嫁が剃刀で亭主を殺した……。気ちがいに刃物とは全くこの事だから、どうも仕方がねえ。だが、旦那方の詮議もちっと足りねえようだな」
「すこし洗ってみましょうか」と、子分の徳次が云った。
「権兵衛のあとへ廻って、鴉《からす》がほじくるのも好くねえが、まあちっとほじってみろ。どうも気が済まねえことがあるようだ。おい、半七、おめえも徳次に付いて行って、御用を見習え」
「その時わたくしはまだ十九の駈け出しで……」と、半七老人はここで註を入れた。「後には吉五郎の養子になって、まあ二代目の親分株になったんですが、その頃は一向に意気地がありません。いわば見習いの格で、古参《こさん》の人たちのあとに付いて、ああしろこうしろのお指図次第に、尻ッ端折《ぱしょり》で駈けずり廻っていたんですから、時には泣くような事もありましたよ」
三
徳次に連れられて、半七が日本橋へ出て行ったのは、八月八日の朝であった。北新堀の鍋久をたずねて、番頭さんに逢いたいと云い込むと、勘兵衛はすぐに出て来た。岡っ引と知って、彼はちょっとその顔を陰らせたが、また俄《にわ》かに思い返したようにこころよく二人を奥へ案内した。ここは地方から出て来た商売用の客を接待する座敷であるらしく、床の間、ちがい棚の造作《ぞうさく》もなかなか整っていた。
「おかみさんは少し体を悪くいたして、あちらに臥《ふ》せって居りますので、御用はわたくしに承われと申すことでございます」と、番頭は丁寧に頭を下げた。
「ごもっともです」と、徳次も挨拶した。「いろいろと心配事が重なって、おかみさんも弱りなさる筈だ。そこで番頭さん。若いおかみさんの行方《ゆくえ》はまだ知れませんかえ」
「知れたと申しましょうか、知れないと申しましょうか。実はおとといの夕方、品川の弥平さんというお人が見えまして……」と、番頭は云った。「その人が前の晩に舟を出して、品川の海で海鰻《あなご》の夜釣りをしていたそうでございます。そこへ一人の女の死骸が流れてまいりましたので、気味が悪いと思いながらも舟を寄せて、その袂をつかんで引き寄せようとすると、袂は切れて……。片袖だけが其の人の手に残って、死骸はまた流れて行ってしまったそうです。これも何かの因縁だろうから、その片袖を自分の寺に納めて、御回向《ごえこう》でもして貰おうと思っていると、その晩の夢にその女が枕もとへ来て、その片袖は北新堀の鍋久へおとどけ下さい、きっとお礼を致しますからと、こう云って消えてしまった。お礼などはどうでもいいが、余りに不思議だからお問い合わせに来ましたと云って、出して見せたのは確かに若いおかみさんの品で……」
「その晩に着ていた物だね」
「そうでございまいます。四《よつ》入り青梅《おうめ》の片袖で、潮水にぬれては居りますが、色合いも縞柄も確かに相違ございません。おかみさんもそれに相違ないと申しまして、品川の人には相当の礼を致して、その片袖をこちらへ受け取りました」
「その礼は幾らやりましたね」
「このことは内分にしてくれと申しまして、金十両をつつんで差し出しますと、その人は辞退して容易に受け取りません。それではこちらの気も済まず、仏の心にも背《そむ》くわけですから、無理に頼んで持たせて帰しました」
徳次と半七は肚《はら》の中で舌打ちしながら聴いていると、勘兵衛は更に話しつづけた。
「そうしてみると、若いおかみさんはいよいよ遠い海へ流れて行ったに相違ないのでございます。おかみさんの申しますには、わが子を殺した憎い嫁だと一旦は思ったが、乱心であれば仕方がない。こうして形見の片袖をとどけてよこすからは、やっぱりここを自分の家《うち》と思って、わたし達の回向《えこう》を受けたいのであろうから、お寺へ納めてやるが好かろうというので、きのうすぐに菩提寺へ持ってまいりました」
「そりゃあ飛んだ怪談だね」と、徳次はあざ笑うように云った。「そこで、ここの主人を殺したという剃刀はどうしました」
「それは往来に落ちているのを拾いまして、検視のお役人にもお目にかけましたが、そんな物を家へ置くことも出来ませんので、お寺へ持参して何処へか埋めていただきました」
「その剃刀は若いおかみさんがふだん使っていたのですかえ」
「いえ、あとで調べてみますと、ふだん使っていた剃刀は鏡台のひきだしにはいって居りました」
「この騒動のおこる前に、なにか変った事はありませんか」
「その朝から若いおかみさんの様子がすこし変でしたが……」
「それは私も聴いているが、ほかに何かありませんでしたか」
「実は二度ばかり盗難がございまして……」と、勘兵衛は小声で云った。「これは店の者にも知らさないようにして居るのでございますが、今月になりまして二度……。何分にも盆前で店の方も取り込んで居りますので……」
「どのくらい取られましたえ」
「一度は二百両、二度目は百八十両……。御承知の通り、ひる間は土蔵の扉《と》があけてありますので、店が取り込んでいる隙《すき》をみて、何者かが忍び込んだものと見えます」
「いくら取り込んでいるといっても、こちらの店で真っ昼間、土蔵へはいって金を持ち出すのを、知らずにいるとは油断過ぎるな。番頭さん、しっかりしねえじゃあいけねえ」と、徳次はまた笑った。「よもや外からはいったのじゃああるめえ。出入りの者か店の者か、ちっとも心当りはねえのかね」
「主人もおかみさんも不思議だと申して居りますが、どうも心当りございません」
「その晩に失《う》せ物はありませんでしたかえ」
「無いようでございます。主人の手箱に幾らかの金が入れてあったかとも思いますが、奉公人のわたくし共にも確かに判りません。ほかに目立った品がなくなった様子もございませんので、まあ紛失物は無いということになって居ります」
「じゃあ、まあ、それはそれとして、家のなかを少し見せて貰いましょう」
勘兵衛に案内させて、徳次と半七は家内をひと通り見まわった。久兵衛が殺されたという居間のあたりも調べてみた。土蔵は三棟で、その二棟は商売物の鍋釜類が積み込んであり、ほかの一棟に家財が納めてあることも判った。
お節の父はどうしたかという徳次の問いに対して、番頭はこう答えた。父の小左衛門は知らせを聞いて直ぐに駈けつけたが、ただ申し訳がないと云うのほかは無かった。嫁入り後の出来事ではあり、殊に乱心というのでは、その父を責めるわけにも行かない。彼は御親類たちに合わせる顔も無いと云って、久兵衛が葬式の日にも、初七日《しょなのか》の墓参の日にも、自分から遠慮して参列しなかった。ひとり娘を失った上に、今度は鍋久からの仕送りも絶えるのであるから、彼も定めて難儀であろう。所詮《しょせん》は一種の因縁で、すべての人の不幸であると、勘兵衛は凋《しお》れながら話した。
「今日はこれで帰りましょう。おかみさんを大事におしなさい」と、徳次は帰り支度にかかった。
「ありがとうございます。就きましては、もう時分《じぶん》どきでございますから、ほんのお口よごしでございますが召し上がって頂きとう存じます」
いつの間にか云い付けてあったと見えて、料理の膳がそこへ運び出されたので、徳次も半七も箸をとった。そのあいだにも、お節のことに就いて徳次はいろいろのことを訊《き》いていた。品川から来たという男の人相や年頃なども訊きただした。
「食べ立ちで失礼だが、御用が忙がしいからお暇《いとま》をします」
飯を食ってしまうと、二人は怱々《そうそう》にここを出て、新堀の川伝いに、豊海橋から永代僑の方角へぶらぶら歩いて行った。こんにちの永代橋は明治三十年に架け換えられたもので、昔とは位置が変っている。江戸時代の永代橋は、日本橋の北新堀から深川の佐賀町へ架けられていたのである。
「おい、半七、おめえは何か見付け出したか。この一件をどう鑑定する」と、徳次はあるきながら訊いた。
「さあ、駈け出しのわたし等にゃあよく判りませんが、お節という嫁は生きているのでしょうね」
「そうだ、生きているに違げえねえ」と、徳次はうなずいた。
「鍋久の土蔵から金を持ち出したのも、お節が自分で盗んだのか、同類の手引きをして盗ませたのか、二つに一つでしょうね。それが露顕《ばれ》そうになって来たので、気ちがいの真似をして飛び出したのだろうと思います。品川の奴が怪談がかりで片袖をとどけて来たのも、お節がほんとうに死んだと思わせる狂言で、きっとお礼をすると云ったなぞと巧《うま》い謎をかけて、行きがけの駄賃に十両せしめて行ったのでしょうね」
「むむ。そこで、久兵衛を殺したのは誰だと思う」と、徳次はまた訊いた。
「それがむずかしいので、私もさっきから考えているのですが、なにしろ下手人《げしゅにん》はお節じゃあありますまいね。お節ならば自分の剃刀を使いそうなものだが……。それとも自分の剃刀は切れが悪いので、人殺しをするために新らしい刃物を買ったのでしょうか。第一、お節が亭主を殺すほどの事はねえ、ただ気ちがいの真似をして川へ飛び込んでしまえば好さそうに思うが……。わたしの考えじゃあ、久兵衛を殺して川へ飛び込んだのは、本人のお節じゃあねえ。泳ぎの上手な奴が替玉《かえだま》になって、水をくぐって逃げたのだろうと思いますね。みんなの眼にはお節と見えたかも知れねえが、暗い夜の事じゃああるし、お節の着物をそっくり着込んで、散らし髪を顔一面に打《ぶ》っかぶっていりゃあ、誰にもちょいと判りますめえ。殊にみんなが慌てている時だから、猶さら本物か贋物かの見分けが付かなかろうと思います」
「おめえもなかなか素人じゃあねえ」と、徳次は笑った。「実はおれも替玉と睨んでいたのだ。こうなると、お節は勿論だが、その親父の浪人者や、替玉の女や、品川から来たという奴や、大勢の奴らが徒党を組んで、鍋久の家《うち》を荒らそうと企《たくら》んだに相違ねえ。この探索はよっぽど手を拡げなけりゃあならねえ事になった。半七、おめえも働いてくれ。おれ一人じゃあ手が廻らねえ」
四
「そうすると、わたしはこれからどっちへ廻りましょう」と、半七は訊《き》いた。
「さしあたりは浅草のお節の実家だ。おやじの小左衛門という浪人者も唯の鼠じゃああるめえ。だが、そこへは俺が行く」と、徳次は云った。「おめえは品川へまわってくれ。怪談の片袖を持って来た奴の身もとを探るのだ。弥平とかいったそうだが、どうせ本名じゃああるめえと思う。鍋久の番頭から聞いた人相や年頃をかんがえると、少しは心当りがねえでもねえ。鍋久へは堅気の風をして来たそうだが、そいつは高輪《たかなわ》の北町《きたまち》で草履屋をしている半介という奴らしい。表向きには草履屋だが、ほんとうの商売は山女衒《やまぜげん》で、ふだんから評判のよくねえ野郎だ。おれも二、三度逢ったことがあるから、神田三河町の徳次の兄弟分だと云やあ、まさか逃げも隠れもしめえ。もし逃げるようならば、いよいよ怪しいに決まっているから、容赦なしに挙げてしまえ。相手は半介で、こっちは半七だ。どっちの半が勝つか、腕くらべだ」
「承知しました」
ここで徳次に別れて、半七ひとりは芝の方角へ足を向けた。高輪北町は泉岳寺の近所である。そこへ行き着いたのは八ツ(午後二時)に近い頃で、日盛りはまだ暑かった。徳次に教えられた通りに、海辺の大通りを右へ切れると、庚申堂《こうしんどう》のそばに小さい草履屋が見いだされた。一人の男が店に腰をかけて、亭主と将棋をさしていた。
亭主は年のころ三十五六で、色の浅黒い、鼻の高い男であった。半七が店さきへ立ち寄ると、彼は将棋の手をやすめてすぐに見返った。
「いらっしゃい」
「いや、わたしは履き物を買いに来たのじゃあねえ。神田三河町の徳次兄いに頼まれて来たのだが……。おまえさんは半介さんかえ」
「へえ、半介でございます」と、彼は半七の顔をじっと視た。
「おもしろい勝負事の邪魔をして、済まなかったな」と、半七も店に腰をおろした。
「はは、勝負事……。こんな勝負事なら、店の先でも立派にやれますよ」と、半介は笑いながら、手に持っている駒を投げ出した。「まあ、勝負はあしたまでお預かりだ」
眼で知らされて、相手の男は早々に立ち去った。そのうしろ姿を見送って、半七は云った。
「女郎屋の若い衆《しゅ》らしいが、いくら昼間でもここらへ来て将棋をさしているようじゃあ、宿《しゅく》もこの頃は閑《ひま》だと見えるね」
「ひどい閑ですよ。なにしろ倹約の御趣意がよく行き届きますからね」と、半介はすこし顔をしかめた。「先月の二十六日なんぞも寂しいもんでした」
こんな話をしているあいだも、彼は油断なく相手の眼色を窺っているらしかった。
「実はきょう来たのはほかでもねえが、今も云う通り、徳次兄いに頼まれて来たのだ。おめえは兄いを識《し》っているのだろうね」と、半七は先ず念を押した。
「二、三度お目にかかった事があります。そこで兄いの御用というのは何んでございますね」
「少しおめえに訊きてえことがある。……おめえはおとといの晩、北新堀の鍋久へ何しに行ったのだね」
半介はぎょっとしたように眼を光らせたが、やがてにやにやと笑い出した。
「まったく悪い事は出来ねえ。徳次兄いはもう知っていなさるのかえ。こりゃあ恐れ入りました。まことに相済みません」
定めてシラを切るのだろうと思いのほか、余りあっさりと砕けて出たので、半七も少しく当てがはずれた。それと同時に、こいつなかなか図太い奴だと思った。
「徳次兄いに睨まれちゃあ助からねえから、何もかも正直に云いますがね。実はおとといの晩鍋久へ行って、ちっとばかり小遺いを貰って来ましたよ」と、半介はまた笑った。「だが、あの片袖は贋物でも拵え物でもねえ、全くわっしが品川へ夜釣りに行って引き揚げたんです。死骸を引き揚げるといろいろ面倒になるから、不人情のようだが突き流してしまって、片袖だけを取って来たんですよ」
「鍋久の一件を知っているのかえ」
「そりゃあ早いからね」と、彼は又笑いながら自分の耳を指さした。
「それにしても、その死骸が鍋久の嫁だということがどうして判ったね」
「そりゃあ確かには判らねえ。そこは推量さ」
「向うへ行って、もし間違っていたら引っ込みが付くめえ」
「そりゃあ段取りがありまさあね」と、彼は半七の無経験をあざけるように答えた。「いきなり証拠物を出しゃあしねえ。まず番頭に逢って、こちらのお嫁さんの死骸は見付かったかと訊くと、まだ見付からねえという。家を飛び出した時にはどんな物を着ていたかと訊《き》くと、四入り青梅の単衣《ひとえ》でこうこういう縞柄だという。それがぴったり符合《ふごう》していりゃあ、もう占めたものだ。そこで初めて怪談がかりになって、証拠の片袖を御覧に入れるんだから十《とお》に一つも仕損じはありゃあしねえ。ねえ、そうじゃあありませんか」
後学のために覚えて置けと云わないばかりに、彼はそらうそぶいていた。こうなると普通の騙《かたり》りや強請《ゆすり》ではない。ともかくも其の片袖は本物である。十両の礼金は鍋久が勝手にくれたのである。それらの事情をうまく云いまわせば、彼は単に叱り置くぐらいのことで、ほんとうの科人《とがにん》にはならないかも知れない。彼が多寡をくくって平気な顔をしているのも、それが為であろうと半七は思った。
しかもお節はほんとうに死んだのか、或いはどこかに潜《ひそ》んでいるのか、まずその生死を確かめなければならない。自分たちの鑑定通りに、川へ飛び込んだのはお節の替玉であるとすれば、半介の話は全然うそである。自分を青二才とあなどって、いい加減に誤魔化すのである。嘘か、本当か、年の若い半七はしばらく思案に迷ったが、いかにも人を食っているような半介の態度が、正直に物をいう人間であるらしく思われなかった。半七は重ねて訊《き》いた。
「きょうは八日だ。鍋久へ行ったのはおとといの夕方だから、その前の晩といえば五日だな。おめえは何処から舟を借りて出た」
「銭もねえのに釣り舟なんぞ借りるもんですか。品川の浪打ちぎわへ行って釣ったのさ」
「その釣り道具を見せてくれ」
半介はすぐに立って、奥の台所から釣り竿と魚籠《びく》を持ち出して来た。
「おまえさん、まだわっしを疑っているね」と、彼は笑った。「徳次兄いは何と云ったか知らねえが、わっしはそんなに悪い人間じゃありませんよ。あはははは」
ここでいつまで争っても水掛け論であると諦めて、半七は怱々《そうそう》にここを出た。鍋久へ片袖を持参したのは、半介に相違ないということを突き留めただけをみやげにして、彼はむなしく引き揚げるのほかは無かった。半七は半介に負かされたように感じた。
その明くる朝、徳次もぼんやりして神田の親分の家へ帰って来た。彼は浅草の山谷《さんや》へ行って、近所で磯野小左衛門のうわさを聞いたが、別にこれぞという手がかりも探り出せなかった。更にその近所に張り込んで、夜の明けるまで出入りを窺っていたが、怪しい影ひとつ見いだし得なかった。彼はむなしく疲れて引き揚げたのでる。
徳次と半七の報告を聴いて、親分の吉五郎は云った。
「高輪の半介はまあ打っちゃって置け。お節が真者《ほんもの》か替玉か判らねえ以上は、野郎をいくら責めたところで埒は明くめえ。まさか草鞋《わらじ》もはくめえから、当分は生簀《いけす》に入れて置くのだ。なにしろこの騒動のおこる前に、鍋久で二度も金を取られたというのがどうも可怪《おか》しい。だが、ここにもう一つ考えようがある。お節という女がよくねえ奴で、気違いの振りをして亭主を殺して、自分は川へ飛び込んだ振りをして、うまく泳いで逃げようとしたところが、案外に水が増しているか、流れが早いか、それがために心ならずも押し流されて、狂言が本当になってしまったというようなことがねえとも限らねえ。どっちにしても、親父の小左衛門という奴から何かの手がかりを絞り出すよりほかはあるめえ。その積りで根《こん》よく見張っていろ」
「ようがす」と、徳次は答えた。「じゃあ、半七。おめえは山谷へ出張って、当分は網を張っていてくれ。あすこに砂場《すなば》という蕎麦屋があるから、そこを足休めにして、小左衛門の出入りを見張っていろ。おれの名をいえば、蕎麦屋でも何かの手伝いをしてくれるかも知れねえ」
なんの商売でもそうであるが、この商売は根気が好くなければならない。殊に科学捜査の発達しない此の時代には、眼の捷《はや》いのと根《こん》の好いのが探索の宝である。半七はその日から山谷の蕎麦屋を足溜りにして、油断なく小左衛門の出入りを窺っていたが、彼は近所の銭湯《せんとう》へ行くか、小買い物に出るほかには、何処へ出かけることも無かった。たずねて来る人もなかった。
こうして三、四日を送るあいだに、徳次はどこから聞き出したのか、小左衛門の身もとを洗って来た。彼は藩中《はんちゅう》の浪人ではなく、旗本の渡り用人である。二、三の旗本屋敷を渡りあるいて、今は浪人しているが、その奉公中に格別の悪いうわさも無かったらしく、お節はその娘に相違なかった。しかもそれだけの事では、どうにも手の着けようが無かった。
八月十三日の夕七ツ(午後四時)頃である。半七は砂場の店に腰をかけて煙草を吸っていると、一人の小僧が暖簾《のれん》をくぐってはいってきた。彼は天ぷら蕎麦をあつらえて、同じく腰をかけた。どうも見たような小僧だと、半七は顔をそむけながら、横眼で睨むと、彼は鍋久の店の小僧であった。彼はやがて運んで来た天ぷら蕎麦を食ってしまって、更にあられ蕎麦を註文した。それを又食ってしまうまで半七は気長に待っていると、小僧は銭《ぜに》を払って出た。
半七もつづいて暖簾《のれん》を出て、うしろから声をかけた。
「おい、小僧さん。鍋久の小僧さん」
不意に呼ばれて、小僧はびっくりしたように立ちどまると、半七はすぐに其の手を据えた。
「おい、おれの顔を忘れたか。この間おれたちに茶を持って来たのはお前だろう」
小僧も思い出したように、無言で半七の顔を見あげていた。
「おまえの名はなんというのだ」
「宇吉といいます」
「むむ、宇吉か。お前はなかなか景気がいいな。お店者《たなもの》の小僧のくせに、蕎麦屋へ来て天ぷらに霰《あられ》とは、ばかに贅沢をきめるじゃあねえか。その銭はだれに貰った。それとも盗んだのか、くすねたのか。はっきり云え」
宇吉は黙っていた。
「さあ、正直に云え。ぐずぐずしていると、番屋へ引き摺って行って引っぱたくぞ」と、半七はその腕を一つ小突いて嚇し付けた。
「店の新どんに貰ったんです」と、宇吉は吃《ども》りながら云った。
「新どんとは誰だ」
「店の若い衆で、新次郎というんです」
「新次郎……。このあいだの晩、若いおかみさんを捉まえようとして、剃刀をぶつけられた奴だな。お前はふだんから新次郎に銭を貰うのか」
宇吉はだまっていた。
「こいつ、強情な奴だ。さあ、来い。番屋の柱へ縛《くく》りつけて、絞めあげるから……。ええ、泣いたって勘弁するものか。この河童野郎め」
半七は容赦なしに小僧を引き摺って行った。
五
近所の自身番へ連れ込まれて、宇吉は素直に申し立てた。彼はお節や新次郎から幾らかの小遣い銭を貰って、六月以来、山谷の里方《さとかた》へ五、六たび使いに行ったことがある。いつも手紙を届けるだけであるから、その用向きは知らないと云った。おかみさんと新次郎とは何か訳があるのかと訊かれて、宇吉はそれも知らないと答えた。
「きょうも手紙を届けに行ったのか」
「新どんの手紙を持って行ったんです」
「向うから返事をくれたか」
「返事は無いというので、そのまま帰って来ました」
半七は舌打ちした。届けにゆく途中で取り押さえて、その密書を手に入れれば、なにかの秘密をさぐることが出来たのであるが、空手《からて》で帰る途中ではどうにもならない。彼は少しく思案して、自身番の男に云った。
「もし、定番《じょうばん》さん。わたしが引っ返して来るまで、この小僧を奥へほうり込んで置いてください。縛って置くにゃあ及ばねえが、逃がさねえように気をつけて……」
宇吉をそこに預けて、半七は自身番を出た。それから蕎麦屋へ帰ってくると、日の暮れる頃に徳次が顔を見せた。
「どうだ。なんにも当りはねえか」
小僧の一件を聞かされて、徳次はうなずいた。
「そうして、その小僧はどうした」
「番屋へ預けて置きました」と、半七は云った。「日が暮れても小僧が帰らなけりゃあ、新次郎という奴は不安心に思って、ここへ様子を見に来るかも知れません。そこを何とかしようじゃあありませんか」
「そうだ、そうだ。いいところへ気がついた。小僧がいつまでも帰らなけりゃあ、新次郎は心配して出て来るに相違ねえ。だが、相手は店者《たなもの》だから、そう早くは出られめえ。今夜は夜ふかしと覚悟して、今のうちに腹をこしらえて置くのだな」
二人は近所の小料理屋へ行って夕飯を済ませた。半七を蕎麦屋に待たせて置いて、徳次は自身番へ出て行ったが、やがて帰って来て笑いながら云った。
「半七。おめえの調べはまだ足りねえぜ。おれは鍋久の小僧を調べて、こんな事を聞き出した。鍋久の女中のお直という女は、きのう出しぬけに暇を出されたそうだ。もっとも今月は八月で、半季の出代り月じゃああるが、晦日《みそか》にもならねえうちに暇を出されるのはちっと可怪《おか》しい。これにゃあ何か訳がありそうだ。お直の宿は下谷《したや》の稲荷町《いなりちょう》だというから、ともかくも尋ねて行ってみろよ」
「してみると、お直という奴も何か係り合いがありそうですね。今夜すぐに行きましょうか」
「相手は女だ。まあ、あしたでも好かろう」
弁天山の五ツ(午後八時)の鐘を聞いて、二人は再びここを出た。小左衛門の露路の近所を遠巻きにして、そこらをうろ付いている筈であるが、半七は念のために露路の奥へ覗きにゆくと、井戸を前にした小左衛門の家の奥から女の泣き声が洩れてきこえた。
女はお直かお節かと、半七は胸をおどらせながら耳を澄ましていると、低いながらも鋭いような男の声が更にきこえた。
「お前のいうのはみんな云いがかりだ。あまりにばかばかしくって、相手になっていられない。もういい加減にして、帰れ、帰れ」
「いいえ、若いおかみさんは生きているに相違ありません。きっと、どっかに隠れているんです」と、女は泣き声をふるわせて、相手に食ってかかるように叫んだ。
「まだそんなことを……。近所へきこえても迷惑だ。さあ、帰れ。浪人しても、おれは侍だ。不法の云いがかりをすると、容赦しないぞ」
この時、露路の口から忍ぶようにはいって来る足音がきこえたので、半七はあわてて井戸側のかげに身をかくすと、一人の男があたりを見まわしながら、小左衛門の家の格子《こうし》をそっとあけた。そのあとから徳次も抜き足をして追って来た。
「おい。野郎が来たぞ」と、彼は半七を見付けてささやいた。
予定の通りに、新次郎が忍んで来たのである。しかも彼がはいって来てから、三人の話し声が俄かに低くなって、外へはちっとも洩れなくなったので、二人は苛々《いらいら》しながら猶も窺っていると、忽ちに女の悲鳴が起った。
「あれ、人殺し」
もう猶予は出来ないので、二人は格子を蹴開いて跳り込むと、小左衛門は早くも行灯を吹き消した。狭い家内《やうち》の闇試合で、どうにか男ひとりを取り押えたが、ほかはどこにいるのか見当が付かなかった。徳次は大きい声で呼んだ。
「長屋の者は早くあかりを持って来い。御用だぞ」
御用の声を聞いて、長屋の者どもは提灯や蝋燭を照らして来た。ふたたび明るくなった家内には若い女が半死半生で倒れていた。お店者ふうの若いものが徳次に押えられている。あるじの小左衛門のすがたは見えなかった。
「畜生……」
押えている男を半七に渡して、徳次は露路の外へ追って出たが、暫くしてむなしく帰って来た。表は月の明るい夜でありながら、逃げ足の早い小左衛門は、巧みにゆくえを晦ましてしまったというのである。
女は鍋久のお直で、小左衛門のために咽喉《のど》を絞められかかったのであるが、人々に介抱されて息をふき返した。男はかの新次郎であった。彼等ふたりは自身番へ引っ立てられて、徳次の下調べを受けたが、まず新次郎の申し立てによると、お節の縁談について鍋久のおきぬが山谷へしばしば尋ねて来る時、彼は幾たびかその供をして来て、お節の美貌にこころを奪われた。しかも彼女は若主人の嫁になる女であるから、新次郎はどうでも諦めるのほかはなかった。その素振りがお節の眼に付いたものか、嫁入り早々から、彼女は新次郎に親しく物などを云いつけた。勿論、新次郎は総身《そうみ》がとろけるほどに嬉しかった。こうしてひと月ほど過ぎた後、新次郎が土蔵へ何かを取り出しに行ったところへ、お節もあとから忍んで来て、こんなことを彼にささやいた。自分の父はある旗本の屋敷に用人を勤めているあいだに、千両ほどの金を使い込んで、すでに切腹にも及ぶべきところを、その金を年賦にして三年間に返納するということで、まずは無事に長《なが》の暇《いとま》となったのである。しかも今は浪人の身で、その大金の調達は容易に出来ない。現に自分の支度料として受け取った二百両も、半分以上はその方へ繰り廻したのであるが、それでも不足であることは判り切っている。さりとて嫁入り早々に、姑や夫にそれを打ち明けることも出来ない。就いてはわたしを助けると思って、土蔵に仕舞ってある金をぬすみ出してはくれまいか。万一それが露顕した暁には、わが身にかえても決してお前に難儀はかけまいと、彼女は泣いて口説《くど》いたのである。
奉公人として主人の金をぬすみ出すのは罪が深い。殊に十両以上の金であれば、死罪に処せられるのが定法《じょうほう》である。それを承知しながら新次郎がやすやすと承知したのは、お節のことばに一種の謎が含まれていたからであろう。彼はもうなんの分別も無しに、手近の金箱から二百両と百八十両を二度ぬすみ出して、お節の指図通りに山谷の実家へとどけたのである。
お節がなぜ夫を殺したのか、それに就いてはなんにも知らない。自分も不意の出来事におどろいたと、新次郎は申し立てた。
表へ飛び出すお節を追っかけて行った時、店の灯が薄暗いのでよくは判らなかったが、散らし髪を振りかぶっているお節の顔が、どうも其の人らしく見えなかったので、自分は今でもそれを疑っていると、彼は云った。
徳次は更にお直を調べた。
「お直。おまえは幾つだ」
「二十歳《はたち》でございます」
「鍋久には何年奉公している」
「三年でございます」
「新次郎と出来合っているのだな。そうだろう、正直に云え」
「恐れ入りました」と、お直は蒼ざめた顔を紅《あか》くした。
「今夜は小左衛門の家《うち》へ何しに行ったのだ」
「若いおかみさんが居るか居ないか、訊きに行ったのでございます」
「生きていたらどうするのだ」
「お上《かみ》へ訴えてやります」と、彼女はだんだん興奮して来た。「若いおかみさんが来てから、新どんは何んだかそわそわしていて、わたくしを見向きもしません。何を話しかけても碌々に返事もしません。新どんは若いおかみさんに惚れているのでございます。それはわたくしがよく知っています。おかみさんは身を投げて死んだということになっているのに、新どんはどうも生きているように思われると、内証でわたくしに云いました。新どんはきっと何か知っているに相違ありません」
「おまえはどうして鍋久から暇《ひま》を出されたのだ」
「やっぱりその事からでございます。若いおかみさんは生きているかも知れないと、わたくしがふいと口をすべらせたのが、おかみさんや番頭さんの耳にはいって、飛んでもないことを云う奴だと、さんざん叱られました。それがもとで、とうとうお暇が出たのでございます」
「新次郎。おまえは今夜どうして出て来た」
「昼間のうちに小僧を使によこしましたが、それがいつまでも帰って参りませんので、なんだか不安心になりまして……」
「小僧に持たせてよこした手紙には、どんなことが書いてあるのだ」
「どう考えましても、若いおかみさんは何処《どっ》かに生きているように思われてなりませんので……」と新次郎は恐るるように小声で答えた。「どっかに隠れているならば、ぜひ一度逢わせてくれと……」
「逢ってどうする積りだ」
新次郎は俯向いたままで黙っていると、それを妬《ねた》ましそうに睨んでいたお直は、横合いから鋭く叫んだ。
「申し上げます。新どんは若いおかみさんと一緒に駈け落ちでもする積りに相違ございません。それでわたくしを殺そうとしたのでございます」
「わたしが何んでお前を……」と、新次郎はあわてて打ち消した。
「手をおろしたのはお前でなくっても、あの浪人とグルになって、わたしを殺そうとした。そうだ、そうだ、それに相違ない。わたしを誤魔化して追い返そうとしても、わたしがどうしても動かないので、浪人が両手でわたしの咽喉《のど》を絞めようとした……。その時お前さんはわたしを助けようともしないで、平気で眺めていたじゃあないか」
「いや、助ける間《ひま》がなかったのだ」
「いいえ、嘘だ、嘘だ」
「嘘じゃあない」
「さんざん人を欺《だま》して置いて、邪魔になったら殺そうとする……。おまえは鬼のような人だ」
「そうぞうしい。静かにしろ」と、徳次は二人を叱り付けた。「いつまでも噛み合っているにゃあ及ばねえ。おれの方にも眼があるから、白い黒いはちゃんと睨んでいるのだ」
六
大番屋《おおばんや》へ送られて三人は更に役人の吟味を受けた後に、新次郎は重罪であるからすぐに伝馬町《てんまちょう》の牢屋へ送られた。お直は宿許《やどもと》へあずけられ、宇吉は主人方へ預けられた。これで一方の埒は明いたが、磯野小左衛門のゆくえは判らなかった。お節の生死《しょうし》も知れなかった。
徳次と半七は親分吉五郎の指図にしたがって、その後も油断なく探索に苦労していたが、どうしても小左衛門親子の影を追い捕えることが出来なかった。
今も昔も同じことで、探索の役目の者も一つの仕事にばかり取り付いているわけには行かない。新らしい事件があとから出て来れば、又その探索に取りかからなければならない。現に半七はその年の十二月に、小柳という女軽業師の犯罪を探索して、初陣《ういじん》の功名をあらわしている。小柳という女の手口が鍋久の人殺しにやや類似の点があるので、半七はそれに比較して、鍋久の人殺しもお節の替玉であることをいよいよ確信するようになったが、ほかの仕事の忙がしいのに追われて、心ならずも投げやりにしていた。
水野閣老の天保度改革は今ここに説くまでもない。その倹約の趣意がますます徹底的になって、贅沢物の禁止、色茶屋の取り払い、劇場の移転など、それからそれへと励行されたが、その一つとして江戸の娘義太夫三十六人は風俗を紊《みだ》すものと認められ、十一月二十七日の夜に自宅または寄席の楽屋から召し捕られて、いずれも伝馬町の牢屋へ送られた。
「可哀そうだが、お上の指図だ」と、吉五郎は云った。半七もその召し捕りにむかった一人であった。
娘義太夫はその名のごとくに若い女が多かったが、大抵は十五六歳から二十二三歳に至る色盛りで、風俗をみだすと認められたのも、それが為であった。かれらは女牢でその年を送って、明くる天保十三年の三月、今後は正業に就くことを誓って釈放された。去年の冬から百日あまりの入牢《じゅろう》が一種の懲戒処分であった。
その三十六人のうちに竹本染之助というのがあって、年は若いが容貌《きりょう》はあまり好くなかった。彼女は半七に召し捕られたのであるが、最初から可哀そうだという吉五郎の言葉もあるので、半七は彼女が入牢するまで親切にいたわってやった。それを恩に着て、染之助は出牢早々に吉五郎のところへ挨拶に来た。半七にも逢って先日の礼を云った。
「どうだ、御牢内は……。面白かったかえ」と、吉五郎は笑いながら訊《き》いた。
「御冗談を……」と、染之助は真顔になって答えた。「わたくしは初めてですから、まったく驚いてしまいました」
「誰だって初めてだろう」と、吉五郎はまた笑った。「だが、男牢と違って女牢だ。そんなに驚くほどの事もなかったろうが……」
「いいえ、それが大変で……。わたくし共はみんな一つところに入れられて居りましたが、牢名主《ろうなぬし》は大阪屋花鳥という人で……」
「大阪屋……。島破りの花鳥か」
「そうでございます」
大阪屋花鳥は初めに云った通り、八丈島を破って江戸へ帰って来て、日本橋の松島町辺に暫く隠れていたが、去年の八月末に、木挽町《こびきちょう》の河原崎座で団十郎の芝居を見物しているところを召し捕られ、それから引き続いて入牢中であることを、吉五郎も知っていた。牢内の習慣として、罪の重い者が名主《なぬし》または隠居と称して、一同の取締り役を勤めるのである。その取締り役の威勢を笠に着て、新入りの囚人を苦しめるのが、かれらの悪風であった。
「成程、花鳥が名主じゃあ新入りは泣かされたろう」と、吉五郎は同情するように云った。「そうして、あいつが何をしたえ」
「とてもお話になりません」と、染之助は泣き出した。
入牢を命ぜられた娘義太夫三十六人は、いずれも年の若い女芸人であるから、暗い牢内へ投げ込まれて殆ど生きている心地はなかった。かれらの多数は碌々に飯も食えなかった。牢名主の花鳥はかれらに対して、最初の十日ほどは優しくいたわってくれたが、かれらが少しく牢内の生活に馴れて、心もだんだんに落ちついて来ると共に、花鳥の態度は、だんだん暴《あら》くなって来た。彼女は若い女たちに向って自分の夜伽《よとぎ》をしろと命じたが、その方法の淫猥、醜虐、残忍は、筆にも口にも説明することが出来ないばかりか、普通の人間には殆ど想像することも出来ない程の忌《いま》わしいものであった。夜もすがらに泣いて惨苦を忍んだ者に対して、花鳥はその翌日必ず一杯のうなぎ飯をおごってくれた。
三十六人のうちで、その惨苦を繰り返したものは二十五人で、余の十一人は不思議に助かった。それは比較的に容貌《きりょう》のよくない者と、二十歳《はたち》を越えている者とであった。染之助も容貌の好くないのが意外の仕合わせとなって、一度も花鳥の凌辱を蒙らなかったが、他人《ひと》が惨苦を目前に見せ付けられて、夜も昼も恐れおののいていた。
「お慈悲に早く出牢が出来たので助かりましたが、あれが長くつづいたら、人身御供《ひとみごくう》にあがった二十五人の人たちは、みんな責め殺されてしまったかも知れません。鰻めし一杯ぐらい食べさせてくれたって、あんなひどい目に逢わされてたまるものですか」と、染之助はくやし涙にむせびながら云った。
鰻めし一杯ぐらいというが、その鰻めしが詮議物であると吉五郎は思った。彼は押し返して訊《き》いた。
「そうすると、花鳥の夜伽をした者には、そのあしたきっと鰻めしを食わせてくれるのだね」
「御牢内で鰻めしなんか食べるには、たいそうお金がかかるのだそうですが、毎日きっと誰かに食べさせてくれました」
「むむ、まったくたいそうな金持だな。それで若い女の子をおもちゃにしていりゃあ、娑婆《しゃば》にいるよりも楽だろう」
「本人はどうで重いお仕置になるのだと思って、したい三昧の事をしているのでしょうが、ほかの者が助かりません。この世の地獄とは本当にこの事です」
思い出しても恐ろしいように、彼女は身ぶるいして話した。染之助が帰ったあとで、吉五郎はなにか考えていた。
「おい、半七。花鳥という奴はひどい女だな」
「色気違いでしょうか」
「色気違いばかりじゃあねえ、なんでも酷《むご》たらしいことをして楽しんでいるのだろう。そこで、今の鰻の一件だが、娑婆で六百文くれえの鰻飯だって、それが牢内へはいるとなりゃあ、牢番たちによろしく頼まなけりゃあならねえから、べらぼうに高けえ物になって、まず一杯が一両ぐれえの相場だろう。女義太夫は百日以上も入牢していたのだから、毎日うなぎ飯を一杯ずつ食わせても百両だ。島破りの女が一年ぐれえの間に、何を稼いだか知らねえが、そんなに大きいツルを持っているというのは不思議だな。江戸へ帰って来てから、どうで善い事をしていやあしめえと思っていたが、あいつも相当の仕事をしていたに相違ねえ」
「そうでしょうね」
云いながら二人は眼をみあわせた。云い合わせたように、ある疑いが二人の胸に湧き出したのであった。
七
「ずいぶん長くなりました。ここまでお話をすれば、もう大抵はおわかりでしょう」と、半七老人は云った。
「さあ……」と、わたしは考えながら云った。「そうすると、鍋久の主人を殺したのは、その花鳥という女ですか」
「そうです、そうです。花鳥がお節の替玉になって、久兵衛を殺したんですよ」
「その二人はどういう関係があるんですか」
「お節の親父の磯野小左衛門という奴は、前にもお話し申したとおり、旗本屋敷の渡り用人で……。しかし奉公中に悪いうわさが無かったと云うのは、徳次が探索の疎漏《そろう》で、早く女房に死に別れたせいもありましょうが、年に似合わない道楽者で、方々の屋敷をしくじったのも皆それがためです。そこで、吉原へも遊びに行って、花鳥が大阪屋に勤めている頃の馴染《なじみ》であったんです。娘のお節は容貌《きりょう》も好し、見たところは如何にもしとやかな女ですが、どういうものか手癖が悪くって、肩揚げの取れない頃から万引きなどを働いていたんですが、見掛けがおとなしいから誰も気がつかない。おやじの小左衛門もそれを知っていながら叱ろうともしない。つまり親子揃って良くない奴らであったんです。その小左衛門があるとき途中で花鳥に出逢って、女は島破りの兇状持ちであることを承知の上で附き合っていたんですから、お互いに碌なことは考え出しません。花鳥もなかなかいい女でしたが、何分にも日陰《ひかげ》の身の上ですから、自分が表立って働くことは出来ないので、お節を玉に使ってひと仕事することに相談を決めたんです。
花鳥は江戸へ帰って来てから、松島|町《ちょう》の糊売り婆の家に隠れていて、女のくせに小博奕を商売にしていたので、巾着切りの竹蔵という若い奴と懇意にしていたんです。普通の懇意だけじゃ無かったかも知れませんが、なにしろ竹蔵という奴は花鳥の云うことを肯《き》いて働く。そういうわけで、花鳥と竹蔵と小左衛門親子と、この四人が腹をあわせて浅草のお開帳に網を張っていたんです」
「それじゃあ、初めから鍋久を狙ったわけじゃあ無かったんですか」と、私は訊いた。
「誰でも構わない、いい鴨が懸かればいいという料簡で、お開帳の盛り場へ網を張っていると、運悪くそこへ来かかったのが鍋久の連中で……。竹蔵は久兵衛の顔を見識っていて、あれは北新堀の鍋久の若主人だと教えたので、かねての手筈の通り、竹蔵が久兵衛の紙入れを掏《す》る、お節が声をかける、万事が筋書をそのままに運んで、首尾よくお節の嫁入りまで漕ぎ着けました。こう云うと、だまされた方がひどく迂濶のようにも思われますが、いつの世でも、欺されるというのは皆こんなものです。
しかし欺した方にも少し手ぬかりがある。お節が鍋久へ入り込んで、まず当分はおとなしくしていれば好かったんですが、お互いにその辛抱が出来なかったんでしょう。ひと月も経つとすぐに仕事に取りかかって、新次郎という若い者を色仕掛けで味方に抱き込んで、鍋久の土蔵から金を持ち出させたんです。いっぺんに大金をぬすんで逃げ出した方が好かったんでしょうが、大番頭ならば格別、小僧あがりの若い者では、大金のありかが判らなかったんだろうと思います。それでも二百両と百八十両、江戸時代では大金です。それが続いて紛失したんですから、鍋久でも捨て置かれず、内々で詮議を始めた。亭主の久兵衛は女房に眼をつける。お節もなんだか足もとがあぶなくなって来たので、小僧の宇吉に手紙を持たせて山谷の親父のところへ知らせてやる。そこで、花鳥は小左衛門と相談して、いわゆる最後の手段ということになったんです。
惚れた女房ではあるが、この頃の久兵衛はお節を疑っている。そこで、お節をためすために、わざと自分の居間の手箱のなかに二百両の金を入れて置いた。それを取れば自分の仕業だということがすぐに露顕するから、お節も迂濶に手が出せない。結局久兵衛を殺して、行きがけの駄賃にその二百両をさらって行くことにしたが、年の若いお節の手で人殺しはむずかしい。もう一つには後日《ごにち》の詮議を逃がれるために、亭主を殺した上で自分も身投げをしたように見せかける。これは花鳥が考え出したのだそうです」
「そこで花鳥がお節の替玉になったんですね」
「花鳥はお節の手引きで庭木戸から忍び込んで、人の見ないところで二人の着物を取り換えたんです。お節は花鳥の着物を着て、雨のふる中を表へぬけ出る。花鳥はお節の着物に着かえて、ちらし髪に顔をかくして久兵衛の居間へ入り込む。相手を殺して、金を取って、本来ならば庭口から逃げ出すはずですが、わざと大勢の眼に付くように、表の店口から飛び出して北新堀の川へ身を投げる……。花鳥は島にいるあいだに泳ぎを稽古したのだそうです。島を破るときにも海の上を半里ほども泳いで、それから漁船に乗せて貰ったのだと云いますから、新堀の川を泳ぐくらいは大丈夫だったんでしょう。
乱心のために亭主を殺して自殺したということになれば、別に詮議の仕様もないわけです。それでもお節の死骸が見付からないうちは、詮議の手のゆるまない虞《おそ》れがあるので、山女衒《やまざげん》の半介、これも花鳥の識っている奴ですから、その半介を語らって、例の品川の夜釣りの怪談をこしらえて、形見の片袖を鍋久に持ち込ませました。こうして置けば、お節はいよいよ死んだものと思うだろうという計略です。それでもやっぱり手ぬかりがあって、花鳥は自分の剃刀《かみそり》で久兵衛を殺したので、お節の剃刀は鏡台のひきだしに残っていた。それがどうもおかしいと、徳次もわたくしも睨んだのでした。
新次郎を取り押えて、大体の見当は付いたんですが、替玉か真者《ほんもの》か、それが確かに判らない。たとい替玉にしても、それが何者だか判らないので、そのまま翌年まで持ち越しになっていた処が、かの娘義太夫の一件で、牢名主の花鳥の噂が出た。花鳥が若い女たちをおもちゃにして、毎日うなぎ飯を食わせるというのが不審の種で、地獄の沙汰も金次第といいながら、牢内で鰻めしを食えば一杯一両にもあたる。島破りの女が百両も二百両も持っているのは、何かの仔細が無くてはならない。おまけに花鳥は泳ぎが出来る。花鳥が木挽町の芝居で召し捕られたのは八月の末で、七月二十九日にはまだ娑婆にいた筈です。してみると、もしや鍋久の替玉は花鳥ではなかったかという疑いが、吉五郎の胸にもわたくしの胸にもふいと浮かんで来たんです。
さあ、そうなると高輪の半介という奴、これも商売は女衒ですから、花鳥を識っていないとは限らない。おそらく識っているだろうという鑑定で、徳次とわたくしが北町の草履屋へ乗り込みました。今まで助けて置いたのはお上のお慈悲だと云って、すぐに近所の自身番へ連れて行って、徳次がきびしく責めました。わたくしも先度《せんど》の腹癒せに引っぱたいてやりました。いや、乱暴なわけで……。さすがの半介もぎゅうと参って、とうとう素直に白状しました。半介は花鳥から頼まれて、例の怪談がかりでお節の片袖を鍋久にとどけ、鍋久から十両、花鳥から十両、あわせて二十両の礼金を貰って、澄ました顔をしていたんです。これから口が明いて、吉五郎から八丁堀へ申し立て、花鳥は牢内から白洲へ呼び出されて再吟味となりました。
なにしろ相棒の半介が綺麗に泥を吐いているんですから、花鳥ももう云い抜けは出来ません。覚悟をきめて恐れ入ってしまいました。あとで考える、お節の替玉は見付からない筈です。それからひと月も立たないうちに、花鳥はほかの科《とが》で召し捕られて、すでに牢内に送られていたんですからね。花鳥も娘義太夫なんかを窘《いじ》めたりしなければ、まだ容易に露顕しなかったかも知れません。巾着切りの竹蔵もつづいて挙《あ》げられました。そのなかでも花鳥と新次郎の罪が重く、花鳥は引き廻しの上で獄門、新次郎は死罪となりました。
その時にこんな話があります。
花鳥の引き廻しが銀座の大通りにさしかかると、大勢の見物が立っている。そのなかに娘義太夫の小勝というのもまじっていました。これも牢内で花鳥のおもちゃになった女ですが、花鳥は馬の上からすぐに眼をつけて、小勝、小勝と声をかけたそうです。そうして、あたしはお前をさんざん可愛がって上げたんだからね、きょうを命日に線香の一本も供えておくれよと、にっこり笑ったので、小勝は蒼くなって怱々《そうそう》に逃げ出したと云います。花鳥は悪い奴だけに、なかなか度胸のすわった女と見えます」
「小左衛門とお節はどうなりました」
「これにもお話があります」と、老人は云った。
「徳次は今の言葉でいえば職務に熱心、早く云えば根《こん》のいい男で、三年のうちにはきっと小左衛門を引き挙げてみせると云っていましたが、とうとう見つけ出しましたよ。尤もまぐれあたりのようなものですが……。
花鳥が仕置になったのは天保十三年の五月で、その翌年の五月、ちょうど満一年の後に、徳次は世田ケ谷の北沢村へ出かけました。そこには森厳寺という寺があって、その寺中に淡島《あわしま》明神の社《やしろ》があります。その寺で淡島さま御夢想の名灸をすえるというので、江戸辺からもわざわざ灸を据えてもらいに行く者があって、一時はずいぶん繁昌しました。
徳次も脚気の気味だったので、重い足を引き摺りながら北沢まで出て行って、門前の茶屋に持ち合わせていると、大勢のなかに年ごろ四十三四の浪人ふうの男がいる。それが彼《か》の小左衛門らしいので、徳次はそっと眼をつけていると、やがて自分の番が来て浪人は寺内へはいったので、徳次は茶屋の者に訊《き》いてみると、あれは平田孫六という人で、以前はここらで売卜者《うらない》などをしていたが、ひとり娘が容貌《きりょう》望みで砧《きぬた》村の豪家の嫁に貰われたので、今では楽隠居のように暮らしているというのです。こいつ又、鍋久の二番目を出したなと思いながら、徳次もその日は何げなく帰って来て、あらためて手続きをした上で、召し捕りました。
果たして平田孫六は偽名、実は磯野小左衛門で、お節は鍋久をぬけ出してから、北沢村の百姓清左衛門という者の家に隠れていたんです。清左衛門は小左衛門が勤めていた旗本屋敷に出這入りしていた者で、その縁故で隠まわれていたということです。小左衛門も山谷《さんや》を逃げ出して来て、暫く一緒に忍んでいるうちに、お節の容貌《きりょう》が眼について豪家の嫁に貰われることになって、まず当分は都合よく暮らしていたんですが、こんにちで云えばリョウマチスか何かでしょう、両方の腕がこのごろ痛むので、森厳寺へ灸を据えに来たのが運の尽きでした。お節も勿論、嫁入り先から引き挙げられる筈でしたが、捕り手が向うと、すぐに覚ったと見えて、裏口の古井戸へ飛び込んでしまいました。今度は替玉でなく、確かに本人の身投げでした。よくよく水に縁のある女で、これも何かの因縁でしょう。
小左衛門の申し立てによると、お節を鍋久へ縁付けて毎月相当の仕送りを受け、自分はそれで満足している積りであったが、それでは第一に花鳥が承知しない。本人のお節も承知しない。それに引き摺られて、だんだんに悪事を重ねるようになったのだと云っていたそうですが、果たしてどんなものでしょうか」
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正雪《しょうせつ》の絵馬《えま》
一
これも明治三十年の秋と記憶している。十月はじめの日曜日の朝、わたしが例によって半七老人を訪問すると、老人は六畳の座敷の縁側に近いところに坐って、東京日日新聞を読んでいた。老人は歴史小説が好きで、先月から連載中の塚原|渋柿園《じゅうしえん》氏作『由井正雪』を愛読しているというのである。半七老人のような人物が歴史小説の愛読者であるというのは、なんだか不似合いのようにも思われるが、その説明はこうであった。
「わたくしは妙な人間で、江戸時代の若いときから寄席の落語や人情話よりも講釈の修羅場《しゅらば》の方がおもしろいという質《たち》で、商売柄にも似合わないとみんなに笑われたもんですよ。それですから、明治の此の頃流行の恋愛小説なんていうものは、何分わたくし共のお歯に合わないので、なるべく歴史小説をさがして読むことにしています。渋柿園先生の書き方はなかなかむずかしいんですが、読みつづけているとどうにか判ります。殊に今度の小説は『由井正雪』で、わたくし共にもお馴染《なじみ》の深いものですから、毎朝の楽しみにして読んでいます」
それが口切りで、けさは由井正雪のうわさが出た。老人は商売柄だけに、丸橋忠弥の捕物の話などもよく知っていた。それから縁をひいて、老人は更にこんなことを云い出した。
「あの正雪の絵馬はどうなりましたかね」
「正雪の絵馬……。どこにあるんですか」
「堀ノ内のそばです」と、老人は説明した。「堀ノ内のお祖師様から西南に当りますかね。半里《はんみち》あまりも行ったところに和田村、そこに大宮八幡というのがあります。今はどうなっているか知りませんが、総門から中門までのあいだ一丁あまりは大きい松並木が続いていて、すこぶる神《かん》さびたお社《やしろ》でした。社内にも松杉がおい茂っていて、夏なんぞは蝉の声がそうぞうしい位です。場所が少し偏寄《かたよ》っているので、ふだんはあまり参詣もないようですが、九月十九日の大祭のときには近郷近在から参詣人が群集して、なかなか繁昌したそうです。その社殿に一つの古い絵馬が懸けてありまして、絵馬は横幅が二尺四五寸、丈《たけ》が一尺三四寸で、一羽の白い鷹をかき、そのそばに慶安二二と書いてあります。慶安二二は即ち慶安四年で、由井正雪、丸橋忠弥らが謀叛《むほん》の年です。あからさまに四年と書かずに、わざと二二と書いたのは、二二が四という洒落《しゃれ》に過ぎないのか、それとも何かの意味があるのか、それはよく判りません。
第一この絵馬には奉納|主《ぬし》の名が書いてないので、誰が納めたものか昔から判らなかったんですが、その慶安四年から六七十年の後、享保年間に八代将軍が当社へ参詣なされたことがあるそうで、その時にこの絵馬を仰いで、これは正雪の自筆であるぞと云われた。将軍はどうして正雪の書画を知っていられたか知りませんが、その以来、この絵馬は由井正雪の奉納であるという事になったんだそうです。そう判ったらば、正雪は徳川家の謀叛人ですから、その奉納の絵馬なぞは早速取り捨ててしまいそうな筈ですが、その後もやはり其の儘に懸けられてあったのを見ると、将軍が果たしてそんなことを云ったかどうだか、ちっと怪しいようにも思われますが、ともかくも江戸時代には正雪の絵馬として名高いものでした。わたくしが見たのは江戸の末で、慶安当時から二百年も経っていましたから、自然に板の木目《もくめ》が高く出て、すこぶる古雅に見えました。さてその絵馬について、こんなお話があるんですよ。
こんにちでも諸方の神社に絵馬が懸けてありますが、むかしは絵馬というものがたいへんに流行したもので、江戸じゅうに絵馬専門の絵馬屋という商売が幾軒もありまして、浅草|茅町《かやちょう》の日高屋なぞは最も旧家として知られていました。これからお話をいたすのは、四谷|塩町《しおちょう》の大津屋という絵馬屋の一件で、これも相当に古い店だということでした」
安政元年の春はとかくに不順の陽気で、正月が例外に暖かであったと思うと、三月には雷鳴がしばしば続いた。取り分けて三月二十六日の夜は大雷、その翌日の昼もまた大雷雨で、江戸市中の所々に落雷した。
「これじゃあ何処へも出られねえ」
きょう一日を降り籠められて、半七も唯ぼんやりと夕飯を食ってしまうと、暮れ六ツ半(午後七時)頃には雷雨も晴れて、月のない空に無数の星の光りがきらめき出した。これから何処へ出るというあてもないので、今夜は早寝かなどと云っていると、表の格子をあける音がきこえて、子分の亀吉が茶の間へ顔を出した。
「今晩は……」
「ひどく鳴ったな……」
「時候はずれでちっと嚇《おど》かされました」
「表からはいって来て、誰か連れでもあるのか」と、半七は訊《き》いた。
「実はよんどころない人に頼まれて案内して来たんですが、親分、逢ってくれますかえ」
「ここまで連れ込んでしまった以上は、逢うも逢わねえも云っちゃあいられねえ。まあ、通してみろ」
亀吉に案内されて遠慮勝ちにはいって来たのは、四谷の大木戸ぎわの油屋で、これも旧家として知られている丸多という店の番頭である。番頭といっても、まだ二十五六の痩せぎすの男で、わたしは幸八と申します、なにぶんお見識り置きくださいと丁寧に名乗った。丸多の名は半七もかねて知っているので、これも丁寧に挨拶した。
「掛け違ってお初にお目にかかりますが、おまえさんが丸多の番頭さんですかえ」
「番頭と申すのは名ばかりで、まだ昨日《きのう》きょうの不束者《ふつつかもの》でございます。この後も何分よろしく願います」と、幸八は繰り返して云った。
その暗い顔色をみて、半七は何を頼みに来たのかと考えながら挨拶していると、亀吉が横合いから引き取って啄《くち》を出した。
「番頭さんは口が重くって話しにくいと云いますから、わっしから取り次いでも好《よ》うがすかえ」
「誰からでもいい。用談の筋道を早く聞かして貰おうじゃあねえか」と、半七は云った。
「実はね、親分。こういうわけですよ」と、亀吉はひと膝ゆすり出て説明した。「丸多の主人がちっと道楽をやり過ぎましてね」
「主人は幾つだ」
「主人は多左衛門といって、ことし四十六だそうです」
「四十六……」と、半七は笑った。「それじゃあ真逆《まさか》に近所の新宿へ熱くなったというわけでもあるめえ。一体どんな道楽が過ぎたのだ」
亀吉の説明によると、その道楽は絵馬の蒐集《しゅうしゅう》であった。前にも云う通り、江戸時代には絵馬が流行《はや》った。したがって、古い絵馬や珍らしい絵馬をあつめることを一種の趣味とする人々も少なくなかった。時には同好者が会合して、めいめいの所蔵品を見せ合うこともあった。そうなると、そのあいだに競争を生ずるのも自然の道理で、なにか珍奇の品を持ち出して他人《ひと》を驚かせようと企てるようにもなる。結局は普通の絵馬屋で売っているような絵馬のたぐいでは満足できない事になって、近郷近在の神社などを巡拝しながら珍らしい絵馬をあさって歩くようにもなる。元来この絵馬はそれぞれの願主《がんぬし》が奉納したものだから、他人《ひと》がみだりに持ち去ることを許されないのであるが、なんとか頼んで内証で貰って来るものもある。貰って来るのはまだしもであるが、甚しきは無断で引っぱずして来るのもある。いわゆる蒐集狂で、それがために理非の分別《ふんべつ》を失うようにもなるのであった。
丸多の主人多左衛門もやはり其の一人で、今では普通の趣味や道楽を通り越して、絵馬蒐集に熱狂する人間となってしまった。彼は山の手の同好者をあつめて「絵馬の会」というのを組織し、自分がその胆煎《きもいり》となって毎年の春秋二季に大会を催すことにした。大会は山の手の貸席か又は料理茶屋を会場として、会員一同が半季のあいだに蒐集した新奇の絵馬を持ち寄るのである。
ことしの大会は今月の五日、四谷見附そとの或る茶屋で催されたが、そのときに丸多の主人は大きい古い絵馬を持ち出して、同好の人々をおどろかした。それが彼《か》の正雪の絵馬であった。この会に集まるほどの者は、いずれも多左衛門に劣らぬ数寄者《すきしゃ》であるから、勿論その絵馬を知っていた。そうして、丸多の主人がどうしてそれを手に入れたかを驚き怪しんで、みんな口々にその事情を訊《き》きただしたが、得意満面の多左衛門は唯にやにやと笑っているばかりで、詳しい説明をあたえなかった。
そうなると一種の好奇心も手伝って、会員の幾人かはその後大宮八幡へ見とどけに行くと、かの絵馬は依然として懸かっているので、人々はまた不思議に思った。丸多は自分の物のように云っているが、実は神官になんとか頼んで、大会の当日だけひそかに借り出して来たのであろうと想像して、ある者は丸多の宅へ押し掛けて詰問すると、多左衛門は笑いながら彼の絵馬を出して見せたので、その人は又おどろかされた。同じ絵馬が世に二つと無い以上、その一つは偽物《にせもの》でなければならない。どう考えても、由井正雪の絵馬、殊にその画面も寸分違わないような同一の絵馬がほかにあろうとは思われないので、更にその出所を根掘り葉掘り詮議すると、多左衛門は声をひそめて話した。
「これはお前さんだけに極内《ごくない》でお話し申すが、実は八幡様から盗み出して来たのです。しかし由緒ある絵馬が紛失したとあっては、その詮議がやかましいから、偽物をこしらえて掏り換えて置いたのです。高いところに懸けてある絵馬だから、下からうっかり見上げただけでは誰も偽物とは気が付かない。このくらいの苦労をしなければ、良い物や珍らしい物は容易に手に入らない世の中ですよ」
かれは得意の鼻をうごめかしていた。それを聞かされた人も相当の蒐集狂で、神社の絵馬を無断で引っぱずして来るくらいのことは随分やりかねない男であったので、普通の人ほどには驚きもしなかったが、それでも偽物をこしらえて掏り換えて来るほどの知恵はなかったらしく、今さらのように多左衛門の熱心を感嘆して帰った。
二
いつの世にも秘密は漏れ易い。お前さんだけにと云った丸多の話は、それからそれへと同好者のあいだに広がって、正雪の絵馬は盗み物であるという噂が立った。
それを早くも聞き込んだのは、四谷|坂町《さかまち》に住むお城坊主牧野逸斎の次男万次郎であった。万次郎も「絵馬の会」に加入している一人で、丸多の主人とはかねて懇意の仲であったが、十日ほど前の夜に尋《たず》ねて来て奥の間で多左衛門と何かの密談に時を移して帰った。その以後も殆ど毎日のように尋ねて来る。なんの為にそんなに足近く出入りをするのか、主人は口をつぐんで何事をも語らないのであるが、それが普通の用件や雑談でないことは、多左衛門の暗い顔色を見ても大抵想像されるので、女房や番頭らも心配した。女房のお才は大番頭の与兵衛と相談して、ある夜かの万次郎が帰るあとを尾《つ》けさせた。与兵衛は途中の小料理屋へ万次郎を誘い込んで、この頃の密談の内容を訊きただすと、万次郎は眉をひそめてささやいた。
「おまえの店の主人は飛んでもねえことをしてしまった。わたしも絵馬をあつめるのが道楽で、ずいぶん無駄な銭《ぜに》を使ったり、無駄な暇《ひま》を潰したりしているが、お前の主人は道楽が強過ぎるぜ。いかに熱心だからといって、和田の八幡から正雪の絵馬を持ち出すとは呆れたものだ。わざわざ偽物《にせもの》をこしらえて、本物と掏り換えて来るなんぞは、あんまり罪が深過ぎるじゃあねえか。いや、それも普通の絵馬ならば、なんとか内済にする法があるかも知れねえが、正雪の絵馬じゃあ何分にも事が面倒になる。由井正雪が天下の謀叛人だということは、三つ児でも知っている筈だ。あんな物をそのままにして置くお上《かみ》の思召《おぼしめ》しは知らねえが、それに眼をかけて、内証で盗み出して、自分の家《うち》に仕舞い込んで置くというのは、上を恐れぬ致し方だと云われても一言もあるめえ。おまえを嚇かすようだが、由井正雪は徳川のお家を亡ぼそうとした謀叛人だ。その謀叛人に心を寄せて、その奉納の絵馬を大事に仕舞って置くなぞとは飛んでもねえ話だ。万一それが露顕したら、公儀に対して不届きな奴だというので、重ければ死罪か遠島、軽くとも追放で家財は没収、何代か続いた丸多の家もお取り潰しになるのは知れたことだ」
それを聞かされて、与兵衛も蒼くなった。まったく万次郎の云う通り、謀叛人の絵馬などを盗み出して、大事に仕舞って置くことが露顕したあかつきには、どんなお咎めを受けるかも知れない。盗むということがすでに悪いのに、それを盗んだ品が更に悪いのであるから、どうでも無事に済む筈がないと、彼はふるえ上がるほどに驚いたのである。それについて、万次郎は又云った。
「悪いことは知れ易いもので、この絵馬の一件がもう人の口の端《は》にのぼっている。このまま打っちゃって置いたら、どんなことが出来《しゅったい》するか判らねえ。私もおまえの主人とは懇意にしているのだから、なんとか無事に納めてやりてえと、このあいだから心配しているのだ。おまえの主人も今じゃあ後悔して、万事よろしく頼むというのだが、なにしろ莫大の金のいる仕事だ。こういうことは一人や二人に金轡《かなぐつわ》を嵌《は》めても、ほかの口から発《あば》き立てられちゃあ仕方がねえ。お奉行は別としても、南北の両奉行所に付いている与力同心は三百人もある。一人に十両と廉《やす》く積もっても、三千両はすぐに消えてしまう。岡っ引だって顔のいい奴には何とか挨拶をして置かなけりゃあならねえ。そんなこんなを併《あわ》せると、まず四、五千両は要るだろう。勿論、大金には相違ねえが、主人の命も助かり、丸多の店も無事に助かるということを考えれば、高いようで廉いものだ」
この事件を揉み消すには、まず岡っ引の口を塞がなければならないというので、万次郎は多左衛門から百両ずつの金を二度うけ取った。しかしそんな事で済むわけは無いので、あとの金を早く工面《くめん》するように迫っているが、多左衛門はなぜか渋っているので、とかくに埒が明かないと、彼はやや不満らしく話した。自分も好んでこんな事に係り合いたくは無いのであるから、お前の主人がいつまでも渋っているようならば、自分はもう手を引くのほかは無いと、彼は云った。
それが一種の嚇しのように聞かれないでも無かったが、今この場合、万次郎にすがって何とか無事を図ってもらうのが近道であると考えたので、与兵衛は自分が責任を帯びて、その金を調達すると請け合った。但し旧家といい、老舗《しにせ》といっても、丸多の店の有金《ありがね》を全部をかき集めても二、三千両に過ぎない。そのほかの財産はみな地所や家作《かさく》であるから、右から左に金には換えられない。それを抵当にして他《よそ》から金を借り出すか、あるいは親類に相談して一時の立て換えを頼むか、二つに一つの都合を付けるまで猶予してくれと、彼は万次郎に嘆願した。
「それなら先ず有金を吐き出して置いて、地所や家作の抵当はあとの事にすればいいじゃあねえか。こっちは急ぎだ。ぐずぐずしていると、六日の菖蒲《あやめ》になるぜ」と、万次郎は催促するように云った。
「しかし、有金を残らず差し出してしまいましては、店の商売が出来ません」と、与兵衛はいろいろに云い訳をした。
かれこれ押し問答の末に、ともかくもあしたの晩までに二千両の金を渡すことに約束して、二人は別れた。与兵衛は急いで大木戸の店へ帰って、まず女房のお才にその一条を訴えると、お才も死人のような顔になった。すぐに主人の多左衛門を奥へ呼んで、女房と番頭が右ひだりから詰問すると、多左衛門もいっさいを正直に白状した。自分の道楽からみんなに心配をかけて申し訳がない。諸事は万次郎の云う通りであるから、何分よろしく取り計らってくれと、彼は面目なげに云った。万次郎に二百両を渡しただけで、なぜあと金を出し渋っていたかという問いに対しては、余りに大金であるからだと答えた。
それはおとといの夜のことで、この上は何をおいても金の工面を急がなければならないと、女房は再び番頭と打ち合わせの上で、お才は明くる日の早朝から下町《したまち》の親類へ相談に行った。与兵衛は淀橋辺にある丸多の地所と家作を抵当にして金を借り出す掛け合いに出かけた。親類の方は相談が纏まらないで午《ひる》過ぎにお才は悄々《すごすご》と帰って来ると、店にも奥にも多左衛門の姿は見えなかった。裏口からこっそりと出て行ったらしく、店の者も今まで気が付かなかったというのである。時が時だけに、お才は一種の不安を感じて、居間のそこらを取り調べると、果たして一通の書置が発見された。それはお才に宛てたもので、自分の不心得を詫びた上に、与兵衛と相談して後の事はよろしく頼むと簡単に書いてあった。
やがて与兵衛も帰って来て、この書置を見せられて驚いた。取りあえず店の者を諸方へ走らせて心あたりを探させたが、多左衛門の消息は判らなかった。多左衛門は一体なんのために家出したのか。一家の主人たるものが女房や番頭に申し訳なさの家出は、あまり気が狭過ぎるように思われるので、更に家内を取り調べると、かねて貯えてあるたくさんの絵馬のうちで、かの正雪の絵馬一枚が紛失していた。彼がその絵馬をかかえて家出したらしいのは、裏口の井戸ばたに洗濯物をしていた女中の証言によって推定された。長さ二、三尺の額《がく》のような物を風呂敷につつんで、小脇にかかえて出てゆく旦那様のうしろ姿を見ましたと、女中は云った。
女中や番頭らに対して面目ないという意味も多少はまじっていたかも知れないが、多左衛門が家出の真意は、かの絵馬に対する根強い愛惜であることが想像された。万次郎の運動によって、たとい此の事件が無事に納まるとしても、絵馬を掏り換えたままにして置くことは出来ない。こうなった以上は、どうしても本物を元へ戻さなければならない。それが彼に取っては忍び難い苦痛であるので、結局かれは家を捨て、妻を捨て、さらに我が身をほろぼすをも顧《かえり》みないで、かの絵馬を抱いて姿を隠したのであろう。つまり一種のマニアである。この時代でも、余り物に凝り過ぎると馬鹿か気違いになると云ったのであるが、多左衛門も絵馬の道楽に凝り過ぎて、殆ど気違いのようになってしまったらしい。余りのあさましさに云うべき言葉もなく、お才も与兵衛も顔をみあわせて溜め息のほかは無かった。
その日が暮れると、約束の通りに万次郎が来た。与兵衛は主人の家出の事情を打ち明けて、そのありかの知れるまでは運動費の二千両を渡しかねるから、暫く猶予してくれと懇願すると、万次郎はそれを信じなかった。家内の者が共謀して、主人をどこへか隠したのであろうと彼は邪推した。
「ゆうべも番頭に云った通り、おれは親切ずくで働いているのだ。それ無《む》にして、変な小細工をするなら、おれはもう手を引くからそう思ってくれ。後日《ごにち》に何事が起っても、主人の首に縄が付いても、ここの店が引っくり返っても、決しておれを恨みなさんなよ。こんなことに係り合うのは真っ平御免だ」
さんざんに機嫌を損じたらしい彼は、あらあらしく畳を蹴って立ち去った。多左衛門はもちろん帰って来なかった。丸多の一家は不安のうちに雷雨の一夜を明かした。
「さて、これからどうしたらいいか」
途方に暮れたお才と与兵衛は更に額《ひたい》をあつめて相談の末、若い番頭の幸八を奥へ呼んだ。番頭といっても赤の他人ではなく、幸八はお才の遠縁にあたる者で、丸多の夫婦には実子が無いために、行く行くは彼を養子にすることに内定していたのであった。そういう関係から、幸八も今度の事件については一生懸命に働かなければならない立ち場に置かれていた。
この場合、何をどうするにしても、まず主人多左衛門のありかを探し出さなければならないので、知り合いの手先に頼んで内々で探索することになった。去年の暮れ、丸多の手代が懸け金の持ち逃げをした時に、手先の亀吉が調べに来て、与兵衛や幸八らとも顔馴染になっているので、幸八がその使を云い付かったのである。彼はその日の午後の雷雨を冒して、駕籠を飛ばせて亀吉の家へ頼みに行くと、亀吉も降りこめられて家にいた。しかも幸八から委細の話を聞いて、彼は首をかしげた。
「こりゃあなかなか面倒な仕事で、わっし一人の手に負えそうもねえ。主人のありかを探し出したところで、あとの始末がむずかしい。やっぱり親分の知恵を借りなけりゃあなるめえ」
彼が幸八を連れて来たのは、こういう訳であった。亀吉の話の足らないところを、幸八が重い口ながら付け加えて、なにぶんお願い申しますと折り入って頼んだ。
二人の説明を聞いてしまって、半七もおなじく首をかしげた。
「成程こりゃあ亀吉の云う通り、なかなか面倒な仕事らしい。お城坊主の伜という悪い者が引っからんでいるので、いよいよ面倒だ。しかしまあ折角のお頼みだから、なんとか考えてみましょう。おかみさんにもあんまり心配しねえように云って置くが好うござんすよ」
「なにぶんお願い申します」
幸八は繰り返して頼んで帰った。
「親分。忙がしいところを済みません。飛んだ厄介物を担《かつ》ぎ込んで……」と、亀吉は云った。彼は勿論、幸八から相当の働き賃を貰っているに相違なかった。
「そこで、その偽物の絵馬をこしらえたという家《うち》は何処だ」と、半七は訊いた。
「塩町の大津屋だそうです」
「一体その絵馬を掏り換えて来たのは誰だ。丸多の主人が自分でやったのか」
「それがよく判らねえのですが……。おそらく自分が手を下《くだ》したのじゃあありますめえ。ほかに頼まれた奴があるのだろうと思われますがね」
「むむ。いくら道楽が強くっても、大家《たいけ》の主人が自分で手を出しゃあしめえ。絵馬屋の奴らが頼まれたのか、それともほかに手伝いがあるのか、それもよく詮議しなけりゃあならねえ。神社の絵馬をどうしたの、こうしたのというのは、寺社の支配内のことで、おれたちの係り合いじゃあねえ。殊に堀ノ内の先だと云うのだから、江戸の町方《まちかた》の出る幕じゃあねえ。おれ達は頼まれただけの仕事をして、丸多の主人の居所《いどこ》さえ突き当てりゃあいいようなものだが、唯それだけじゃあ納まるめえ。仏《ほとけ》作って魂《たましい》入れずになるのも残念だから、引き受けた以上はひと通りの事をしてやりてえと思うのだが……。なにしろその現場を見なけりゃあどうにもならねえ。この分じゃあ明日《あした》は天気だろう。ともかくも一緒に和田へ踏み出してみようじゃあねえか。朝の五ツ半(午前九時)までに大木戸へ行って待ち合わせていてくれ」
「承知しました」
亀吉は表へ出て、空を仰ぎながら云った。
「親分。あしたは確かに上天気……。星が降るように出ましたよ」
三
亀吉の予報は狂わないで、明くる二十八日の朝の空はぬぐうように晴れていた。三月末の俄か天気で、やがて衣更《ころもが》えという綿入れが重いようにも感じられたが、昔の人は行儀がいい、きょうから袷《あわせ》を着るわけにも行くまいというので、半七は暖か過ぎるのを我慢して出ると、神田から山の手へのぼる途中でもう汗ばんで来た。羽織をぬいで肩にかけて大木戸まで行き着くと、亀吉は約束通り待っていた。
「すこし天気が好過ぎるな。だが、まあ、降られるより優《ま》しだろう」
「そうですよ。きのうのようじゃあどうすることも出来ません」と、亀吉も羽織を袖畳《そでだた》みにしながら云った。
内藤新宿の追分《おいわけ》から角筈《つのはず》、淀橋を経て、堀ノ内の妙法寺を横に見ながら、二人は和田へ差しかかると、路ばたの遅い桜もきのうの雷雨に残りなく散っていた。
もう青葉だなどと話しながら、畑道のあいだを縫って大宮八幡の門前へ辿り着くまでに、二人は途中の百姓家で幾たびか道を訊いた。
「初めて来たせいか、ずいぶん遠いな」と、半七は立ちどまって云った。
「ちっとくたびれましたね。まあ、一服しましょう」
二人は路ばたの石に腰をかけて、煙草入れを取り出した。空はいよいようららかに晴れて、そこらの麦畑で雲雀《ひばり》の声もきこえた。風の無い日で、煙草のけむりの真っ直ぐにあがるのを眺めながら、半七はしずかに云い出した。
「なあ、亀。おれは途中で考えながら来たのだが、ここの絵馬は無事だろうと思うぜ」
「そうでしょうか」
「おそらく無事だろうと思う。偽物をこしらえて掏り換えたというが、それは丸多の亭主が欺されているので、実は自分が偽物を掴まされているのだろう」
「成程ね」
「そうなりゃあ論はねえ。丸多の亭主は誰にかだまされて、偽物を高く買い込んだというだけのことだ。おれはどうもそうらしく思う。念のためによく調べてみよう」
二人は松並木のあいだを縫って本社の前に出ると、境内は思ったよりも広かった。東にむかった社殿に幾種の絵馬が懸けつらねてあって、そのうちにかの白鷹の絵馬も見えたので、二人は近寄って暫く無言で見あげていたが、やがて半七は自分の予覚が適中したようにほほえんだ。
「おれは素人《しろうと》で、こんな物の眼利きは出来ねえが、彩色《いろどり》といい、木目《もくめ》といい、どう見ても拵え物じゃあねえらしい。こりゃあ確かに本物だ」
神仏|混淆《こんこう》の時代であるから、この八幡の別当所は大宮寺という寺であった。半七は別当所へ行って、自分たちの身分を明かして、かの絵馬について聞き合わせると、寺僧らもおどろいて出て来た。彼らは半七の眼の前で、かの絵馬を取りおろして裏表を丁寧にあらためたが、絵馬にはなんの異変もなく、当社伝来の物に相違ないと云った。
「いや、よく判りました。わたしも大方そうだろうと思って居りました」と、半七は云った。「就いてはもう一つ伺いたいことがありますが、近頃ここへ来てこの絵馬の図取りでもしていた者をお見掛けになりませんでしたろうか」
「成程そう云えば、去年の十月か十一月頃のことでした」と、若い僧の一人が答えた。「四十前後の町人風の男が二十三四の女と二人連れで参詣に来て、この絵馬の下に暫く立って眺めていましたが、女は矢立《やたて》と紙を取り出して何か模写しているようでした。その後に又来ましたが、今度は女ひとりで、やはり一心に写しているように見受けました」
その女の人相や風俗を訊きただして、半七と亀吉は寺僧らに別れた。
「その女というのは絵かきでしょうね」と、亀吉は云った。
「むむ。どうで偽物をこしらえるのだから、絵かきも味方に入れなけりゃあならねえ。男というのは絵馬屋の亭主で、女は出入りの絵かきだろう。これから帰ったら、その女を探ってみろ」
「ようがす。女の絵かきで、年ごろも人相も判っているのだから、すぐに知れましょう。そこで、大津屋はどうします。もう少し打っちゃって置きますか」
「どうで一度は挙げる奴らしいが、まあ、もう少し助けて置け。いよいよおれの鑑定通り、ここの絵馬が無事であるとすれば、大津屋の亭主は丸多をだまして、偽物を押し付けたに相違ねえ。それを知らずに偽物を後生《ごしょう》大事にかかえて、丸多の亭主は何処をうろ付いているのだろう。考えてみると可哀そうでもある。なんとかして早くそのありかを探し出してやりてえものだ」
「帰りに堀ノ内へ廻りますかえ」
「ついでと云っちゃあ済まねえが、ここらまでは滅多《めった》に来られねえ。午飯《ひるめし》を食ってお詣りをして行こう」
二人は堀ノ内へまわって、遅い午飯を信楽《しがらき》で食って、妙法寺の祖師に参詣した。その帰り路で、半七は又云い出した。
「おれは又、途中で考え付いたが、そのお城坊主の次男……万次郎とかいう奴は、大津屋の亭主とグルになっているのじゃあるめえかな。丸多が絵馬で半気違いになっているのに付け込んで、大津屋が先ず偽物でいい加減に儲けた上に、今度は万次郎が入れ代って、謀叛人の絵馬を云いがかりに、丸多を嚇しつけて何千両という大仕事を企《たくら》んだのじゃあねえかと思うが……。もしそうならば、重々|太《ふて》え奴らだ。しかしお城坊主の伜なんぞには随分悪い奴がある。下手《へた》をやると逆捻《さかね》じを喰うから、気をつけて取りかからなけりゃあならねえ」
元来た道を四谷へ引っ返して、大木戸ぎわの丸多の店へ立ち寄ると、主人多左衛門のゆくえは未だ知れないと番頭らは嘆いていた。
幸八を表へ呼び出して、半七はきょうの結果をささやいた。
「まあ、そういうわけだから、絵馬の一件は心配するほどの事はありません。だまされた人間もよくねえが、欺した奴はなお悪いという事になる。そこで、お城坊主の伜というのは、その後に尋ねて来ませんかえ」
「おとといの晩、怒って帰ったきりで、きのうも今日も見えません」
「又来て嚇《おど》し文句をならべても、肝腎の絵馬は無事なのだから、別に恐れることはありません。まあいい加減にあしらって置くがようござんすよ」
「ありがとうございます」と、幸八はやや安心したように云った。
大木戸から更に塩町へ引っ返して、大津屋の店さきへ来かかった頃には、三月末の長い日ももう暮れかかっていた。うす暗い店には商売物の絵馬が大小取りまぜてたくさんに懸けてあって、若い職人ひとりと小僧二人が何かの仕事をしているらしかった。半七はその店へはいって、要《い》りもしない絵馬を一枚買った。
「親方は内かえ」
「きょうは昼間から出ました」と、職人は答えた。
「いつ頃帰るか、判らないかね」
「この頃はちょいちょい出るので、いつ帰るか判りませんが……。なにか御用ですか」
「むむ、奉納の大きい物を頼みてえのだが、親方が留守じゃあ仕方がねえ。また出直して来よう。おかみさんもいねえかね」
「おかみさんは……。四、五年前になくなりました」
「じゃあ、親方は一人かえ。子供は……」
「娘があります」
「娘は幾つだ」
「十八です」
「いい女かえ。おめえは様子がいいから、もう出来ているのじゃあねえか」
「冗談でしょう」と、職人は大きい声で笑い出した。
半七も笑ってそこを出たが、五、六間ほど行き過ぎて大津屋をみかえった。
「おい、亀。少し忙がしくなって来たが、大津屋の亭主と娘について出来るだけのことを洗ってくれ。万次郎の方は松に云いつけて調べさせろ。丸多の亭主は半気違げえだから、何処にどうしているか、差しあたりは手の着けようがねえ。それから如才《じょさい》もあるめえが、大津屋を調べるついでに、女の絵かきの探索も頼むぜ」と、云いかけて半七は急に又笑い出した。「やあ、いけねえ、いけねえ。おれもよっぽど焼きがまわったな。今あの店で、ここの絵馬をかく人は誰だと訊いてみりゃあ好かったに……。こいつは大しくじりだ」
「なに、そんなことはすぐに判りますよ」
店屋の灯がちらほら紅くなった往来で、親分と子分は別れた。
四
あくる日は又陰って、夕方から細かい雨がしとしとと降り出した。どうも続かない天気だと云っていると、その夜の五ツ(午後八時)過ぎに、亀吉と松吉が顔をそろえて来た。
「丁度そこで逢いました」
「そりゃあ都合が好かった。そこで、早速だが、めいめいの受け持ちはどうだった」と、半七は訊《き》いた。
「じゃあ、わっしから口を切りましょう」と、亀吉は云い出した。
「大津屋の亭主は重兵衛といって、ことし四十一になるそうです。五年前に女房に死なれて、お絹という娘と二人っきりですが、どっかに内証の女があると見えて、この頃は家を明けることが度々ある。それから、親分。その娘のお絹というのは、お城坊主の次男とどうも可怪《おか》しいという噂で……。してみると、親分の鑑定通り、万次郎と大津屋とはグルだろうと思いますね。それから大津屋へ出入りの女絵かきは、孤芳《こほう》という号を付けている女で、年は二十三四、容貌《きりょう》もまんざらで無く、まだ独身《ひとりみ》で、新宿の閻魔《えんま》さまのそばに世帯《しょたい》を持っているそうです。そこで、まだはっきりとは判りませんが、この女は大津屋の亭主か万次郎か、どっちかの男に係り合いがあると、わっしは睨んでいるのですが……」
「そうかも知れねえ」と、半七はうなずいた。「そこで、松。おめえの調べはどうだ」
「わっしの方はすらすらと判りました」と、松吉は事もなげに答えた。「親分も知っていなさる通り、四谷坂町に住んでいるお城坊主の牧野逸斎、その長男が由太郎、次男が万次郎で……。万次郎はことし二十一ですが、まだ養子さきも見付からねえで、自分の家《うち》の厄介になっている。こいつも絵馬道楽のお仲間で、大津屋へも出這入りをしているうちに、今も亀が云う通り、大津屋の娘と出来合ったらしいという噂です。だが、近所の評判を聞くと、万次郎という奴はもちろん褒められてもいねえが、取り立てて悪くも云われねえ、世間に有りふれた次三男の紋切り型で、道楽肌の若い者というだけの事らしいのです」
「大津屋の重兵衛はどうだ。こいつにも悪い評判はねえか」と、半七は又訊いた。
「そうですね」と、亀吉はすこし考えていた。「これも近所町内の評判は別に悪くもねえようです。万次郎と同じことで、まあ善くも無し、悪くも無しでしょうね。だが、旧《ふる》い店だけに身上《しんしょう》は悪くも無いらしく、淀橋の方に二、三軒の家作も持っているそうです」
「娘はどんな女だ」
「きのう親分がいい女かと云ったら、職人が笑っていたでしょう。まったく笑うはずで、わっしもきょう初めて覗いてみたが、いやもう、ふた目と見られねえ位で、近所のお岩さまの株を取りそうな女ですよ。可哀そうに、よっぽど重い疱瘡《ほうそう》に祟られたらしい。それでもまあ年頃だから、万次郎と出来合った……。と云っても、おそらく万次郎の方じゃあ次男坊の厄介者だから、大津屋の婿にでもはいり込むつもりで、まあ我慢して係り合っているのでしょうよ」
「それで先ずひと通りは判った」と、半七は薄く瞑《と》じていた眼をあいた。「娘と万次郎と出来ていることは父親の重兵衛も知っていて、行く行くは婿にでもするつもりだろう。それはまあどうでも構わねえが、丸多の亭主の絵馬きちがいに付け込んで、偽物の絵馬をこしらえて、孤芳という女に絵をかかせて、その偽物を丸多に押しつけて……。それから入れ代って万次郎が押し掛ける。やっぱり俺の鑑定通りだ……。今の話じゃあ、万次郎という奴はあんまり度胸のある人間でも無さそうだから、おそらく重兵衛の入れ知恵だろう。自分が蔭で糸を引いて、万次郎をうまく操《あやつ》って、大きい仕事をしようとする……。こいつもなかなかの謀叛人だ。由井正雪が褒めているかも知れねえ。だが、こいつらがおとなしく手を引いて、これっきり丸多へ因縁を付けねえということになれば、まあ大目《おおめ》に見て置くほかはあるめえ。何事もこの後の成り行き次第だ」
「まあ、そうですね」と、亀吉も答えた。
「それにしても、丸多の亭主にも困ったものだ。店の者にゃあ気の毒だが、何処をどう探すという的《あて》がねえ」と、半七は溜め息をついていた。
それから世間話に移って、やがて四ツ(午後十時)に近い頃に、亀吉らは一旦挨拶して表へ出たかと思うと、又あわただしく引っ返して来た。
「親分、飛んだ事になってしまった。丸多が死んだそうですよ」
つづいて番頭の幸八が駈け込んだ。
「いろいろ御心配をかけましたが、主人の死骸が見付かりました」
「どこで見付かりました」と、半七も忙がわしく訊《き》いた。
「追分《おいわけ》の高札場《こうさつば》のそばの土手下で……」
「それじゃあ近所ですね」
「はい。店から遠くない所でございます」
「どうして死んでいたのです」
「松の木に首をくくって」
「例の絵馬は……」
「死骸のそばには見あたりませんでした。御承知の通り、あすこには玉川の上水が流れて居りまして、土手のむこうは天竜寺でございます。その土手下に一本の古い松の木がありますが、主人は自分の帯を大きい枝にかけて……。死骸のそばに紙入れ、煙草入れ、鼻紙なぞは一つに纏めてありましたが、絵馬は見あたらなかったと申します。あの辺は往来の少ない所でございますので、通りがかりの人がそれを見付けましたのは、けさの六ツ半頃だそうでございますが、近所とは申しながら丸多の店とは少し距《はな》れて居りますので、すぐにそれとは判りかねたと見えまして、御検視なども済みまして、その身許《みもと》もようようはっきりして、わたくし共へお呼び出しの参りましたのは、やがて七ツ頃(午後四時)でございます。それに驚いて駈け付けまして、だんだんお調べを受けまして、ひと先ず死骸を引き取ってまいりましたのは、日が暮れてからの事で……。早速おしらせに出る筈でございましたが、何しろごたごた致して居りましたので……」
「そりゃあ定めてお取り込みでしょう。どうも飛んだことになりましたね」と、半七は気の毒そうに云った。
「そこで、御検視はどういうことで済みました」
「乱心と申すことで……。人に殺されたというわけでも無し、自分で首を縊《くく》ったのでございますから、検視のお役人方も別にむずかしい御詮議もなさいませんでした」
「御検視が無事に済めば結構、わたし達が差し出るにゃあ及びませんが、ともかくもお悔みながらお店まで参りましょう。おい、亀も松も一緒に行ってくれ」
幸八は駕籠を待たせてあるので、お先へ御免を蒙りますとことわって帰った。半七は途中で箱入りの線香を買って、三人連れで大木戸へむかった。雨は幸いにやんだが、暗い夜であった。
「ひょっとすると、丸多の亭主は首くくりじゃあねえ。誰かに縊《くび》られたのかも知れねえな」と、半七はあるきながら云った。
「やっぱり大津屋の奴らでしょうか」と、亀吉は小声で訊いた。
「絞め殺して置いて、木の枝へぶら下げて置くというのは、よくある手だ」と、松吉も云った。
「まあ、行ってみたらなんとか見当が付くだろう」と、半七は云った。「もしそうならば、大目に見て置くどころか、あいつらを数珠《じゅず》つなぎにしなけりゃあならねえ。又ひと騒ぎだ」
三人が大木戸の近所まで行き着くと、幸八は店の者に提灯を持たせて迎えに出ていた。丸多の店にはいって、半七は持参の線香をそなえて、家内の人たちに悔みの挨拶をした。今夜は親類に知らせただけで、夜が明けてから世間へ披露《ひろう》するとの事であったが、それでも旧《ふる》い店だけに、出入りの者などが早くも詰めかけて、広い家内は混雑していた。
「御検視の済んだものを、わたくし共がいじくるのもいかがですが……」と、半七は親類や番頭にことわって、座敷に横たえてある多左衛門の死に顔の覆いを取りのけた。片手に蝋燭をかざしながら、まずその死に顔を覗いて、次にその咽喉《のど》のあたりを検《あらた》めた。更にその手の指を一々に検めた。
それが済んで、半七は縁側の手水《ちょうず》鉢で手を洗っていると、幸八が付いて来てささやくように訊いた。
「別に御不審はございませんか」
「少し御相談がありますから、大番頭さんを呼んでください」
与兵衛と幸八を別間へ呼び込んで、半七は自分の意見を述べた。自分はこれまで縊死者《いししゃ》の検視にもしばしば立ち会っているが、わが手で縊《くび》れて死んだ者があんなに苦悶の表情を留めている例がない。咽喉《のど》のあたりに微かに掻き傷の痕がある。左の中指と右の人さし指の爪が少し欠けけている。それらを綜合して考えると、主人は他人《ひと》に絞められて、その絞め縄を取りのけようとして藻掻《もが》きながら死んだのである。自分の帯で縊れていたと云うが、頸のまわりに残っている痕をみると、細い縄のような物で強く絞めたらしい。就いては乱心の自殺として、このまま無事に済ませてしまうか、あるいは他殺として其の下手人《げしゅにん》を探索するか。皆さんの思召《おぼしめ》しをうかがいたいと、半七は云った。
それを聞いて、与兵衛らはひどく驚いたらしく、いまは後家《ごけ》となった女房のお才をはじめ、親類一同を奥の間へ呼びあつめて、俄かに評議を開いた。今さら他殺などと騒ぎ立てるのは外聞にもかかわる事であるから、この儘おだやかに済ませたが好かろうという軟派と、他殺ならば其の下手人を探し出して、相当の仕置を受けさせるが順道であるという硬派と、議論は二派に分かれたが、お才はどうしても主人のかたきを取って貰いたいと強硬に主張するので、軟派の人々も争いかねて、結局その下手人の探索を半七に頼むことになった。
それから二日目に、丸多の店では主人の葬式を出した。表向きは乱心の縊死ということになっているので、世間の手前、あまり華やかな葬式を営むことを遠慮したのであるが、それでも会葬者はなかなかに多かった。大津屋の重兵衛も会葬者の一人に加わっていた。
葬式が果てた後、亀吉は重兵衛のあとを尾《つ》けてゆくと、彼は太宗寺の方角へ足を向けた。それは新宿の閻魔として有名の寺である。その寺に近いところに、小さい二階家があって、重兵衛はその入口の木戸をあけてはいった。庭には白い辛夷《こぶし》の花が咲いていた。
近所で訊くと、それが彼《か》の女絵師の孤芳の住み家であった。これで重兵衛と孤芳との関係が、自分の鑑定通りであるらしいことを亀吉は確かめたが、更に近所の者の話を聞くと、孤芳の家には重兵衛のほかに、二十歳《はたち》前後の色白の男が時々に出入りをする。又そのほかに十七八の不器量な娘も忍んで来るというのであった。男はおそらく牧野万次郎で、娘は大津屋のお絹であろう。孤芳が重兵衛の囲い者のようになっている関係上、万次郎とお絹はここの二階を逢いびきの場所に借りている。それもありそうな事だと、亀吉は思った。
その報告を聴いて、半七は云った。
「それだけの事が判ったら、それを手がかりに、もうひと足踏ん込まなけりゃあいけねえ。丸多の亭主の下手人は大津屋の重兵衛と睨んでいるものの、確かな証拠も無しに手を着けるわけにゃあ行かねえから、まあ気を長く見張っていろ」
亀吉は承知して帰ったが、それから十日ほど後に、かの孤芳は太宗寺のそばを立ち退いてしまったと報告した。女絵師は突然に世帯《しょたい》をたたんで、夜逃げ同様に姿をかくしたので、近所でもその引っ越し先を知らないと云うのであった。
それから更に十日ほどの後に、亀吉は新らしい報告を持って来た。大津屋の娘お絹が家出してゆくえ不明になったが、万次郎と一緒に駈け落ちなどをした様子はない。万次郎は相変らず四谷坂町の実家に住んでいる。大津屋では娘の家出を秘密にして、病気保養のために房州の親類に預けたとか云っているが、それが突然の家出であることは近所でもみな知っているというのである。女絵師の夜逃げ、娘の家出、そのあいだに何かの糸が繋がっているらしいのは、何人《なんぴと》にも容易に想像されることで、半七もそれに就いていろいろの判断を試みたが、確かにこうという断定をくだし得ないうちに、四月もいつか過ぎてしまった。
五
「あの時は実におどろきましたよ。胆《きも》を冷やしたというのは、全くこの事です」
半七老人はその当時の光景を思い泛《う》かべたように、大きい溜め息をついた。それに釣り込まれて、わたしも思わず身を固くした。
「何事がおこったんです」
「まあ、お聴きください。毎度お話をする通り、嘉永六年の黒船渡来から、世の中はだんだんに騒がしくなって、幕府でも海防ということに注意する。なんどき外国と戦争を始めるかも知れないというので、江戸近在の目黒、淀橋、板橋、そのほか数カ所に火薬製造所をこしらえて、盛んに大筒小筒の鉄砲玉を製造したんです。それには水車《すいしゃ》が要るということで、大抵は大きい水車のある所を択《えら》んだようですが、今から考えれば火薬の取り扱い方に馴れていなかったんでしょう、それが時々に爆発して大騒ぎをする事がありました」
「あなたもその爆発に出逢ったんですか」
「そうですよ。わたくしの出逢ったのは淀橋でした。御承知の通り、ここは青梅《おうめ》街道の入口で、新宿の追分から角筈、柏木、成子、淀橋という道順になるんですが、昔もなかなか賑やかな土地で、近在の江戸と云われた位でした。淀橋は長さ十間ほどの橋で、橋のそばに大きい穀物問屋がありまして、主人は代々久兵衛と名乗っていたそうですが、その久兵衛の店に精米用の大きい水車が仕掛けてありました。この水車を山城《やましろ》の淀川の水車にたとえて、淀橋という名が出来たのだという説もありますが、嘘か本当か存じません。ともかくも大きい水車があるために、ここの家も火薬製造所に宛《あ》てられていました処が、このお話の安政元年、六月十一日の明け六ツ過ぎに突然爆発しました。炎天つづきで焔硝が乾き過ぎたせいだとも云い、何かの粗相で火薬に火が移ったのだとも云い、その原因ははっきり判りませんでしたが、なにしろ凄まじい音をさせて、三度もつづいて爆発したんです。さながら天地震動という勢いで、久兵衛の家は勿論、その近所二丁四方は家屋も土蔵も物置も、みんな吹き飛ばされて滅茶滅茶になってしまいましたが、全体では四丁四方の損害でした。いくら賑やかだと云っても、それは表通りだけのことで、裏へまわれば田や畑が多いんですから、その割合いに人家の被害は少なかったんですが、死人や怪我人は随分ありました。それが為に虫をおこして死んだ子供や、流産した女もあったそうです。いや、実に大変な騒ぎで……。誰だって不意をくらったんですが、わたくし共は捕物の最中というのだから猶更おどろきましたよ」
「なんの捕物に出ていたんですか」
「それが今お話をしている絵馬の一件で、大津屋の重兵衛を追い廻している時なんです」と、老人は説明した。
「いや、まあ、捕物の前にこの一件の種明かしをしてしまいましょう。それで無いと、お話がどうも捗取《はかど》りませんから……。大抵はもうお判りでしょうが、丸多の主人多左衛門が絵馬道楽で、半気ちがいになっているのを付け込んで、大津屋の重兵衛は正雪の絵馬の偽物《にせもの》をこしらえました。そうして、本物と掏り換える役目まで引き受けたんですが、掏り換えたというのは嘘で、実は偽物をそのまま丸多へ渡したんです。鷹の絵は女絵かきの孤芳にかかせましたが、その絵といい、絵馬の木地《きじ》といい、よっぽど上手に出来ていたと見えて、丸多も見ごとに一杯食わされてしまったんです。早くいえば、骨董好きの金持が書画屋や道具屋に偽物を売り付けられたようなわけで、それで済んでいればまあ無事なんですが、重兵衛はその骨折り賃に三十両という金を取っていながら、まだ其の上に大きい慾をかいて、謀叛人の絵馬をぬすみ出したとか、謀叛人の絵馬を大事にしているとかいうのを種に、丸多を嚇かして何千両をゆすり取ろうという大望《たいもう》をおこして、その手先に万次郎を使うことになりました」
「万次郎は大津屋の娘と本当に関係があったんですか」
「確かに関係がありました。いわゆる悪女の深なさけで、女の方はもう夢中になっていたんです。親父の重兵衛も勿論承知で、ゆくゆくは夫婦《めおと》にすると云っていたくらいですから、万次郎も今度の役を引き受けなければなりませんでした。万次郎は年も若いし、腹のしっかりした悪党というのでもありませんが、つまりは慾に引っかかって、重兵衛の指尺《さしがね》通りに働くことになったんです。そこで、丸多の主人をうまく嚇し付けて、最初に百両ずつ二度も引き出したんですが、重兵衛はそのくらいの事で満足するのじゃあない、どうしても何千両の夢が醒めないので、いろいろに万次郎をけしかけて、ますます丸多いじめにかかっていると、相手の多左衛門は絵馬をかかえて家出をしてしまったので、この計画は腰折れの形になりました。それでも丸多の女房や番頭を嚇かせば、まだ幾らかになると思っているうちに、重兵衛は心にもない人殺しをする事になったんです」
「重兵衛が丸多の主人を殺したんですね」
「多左衛門が家出をしてから三日目、即ち三月二十八日の晩に、重兵衛は淀橋にある自分の家作を見まわりに行って、それから千駄ケ谷の又助という建具屋へ寄って、雨戸一枚と障子二枚をあつらえて、夜もやがて四ツ(午後十時)という頃に、提灯をぶら下げて、例の高札場に近い土手へさしかかると、大きい松の木の下にぼんやり突っ立っている人影が見える。もしや首でも縊《くく》るのかと、提灯を袖に隠しながら抜き足をして近寄ると、それが丸多の主人であったので、おどろいて声をかけました。
なにしろ相手の多左衛門が姿を隠してしまっては、万事の掛け合いが巧く行かないと思っている矢さきへ、丁度にここでその姿を見付けたので、重兵衛はこれ幸いと喜んで、いろいろに宥《なだ》めすかして丸多の店へ連れて帰ろうとしたが、多左衛門はどうしても承知しない。家へ帰ると、これを取り返されるから否《いや》だと云って後生《ごしょう》大事に例の絵馬を抱えている始末。まったく、本人は半気違いになっていたらしく、いかに説得しても肯《き》かないので、重兵衛もしまいには焦《じ》れ込んで、腕ずくで引き摺って行こうとする、相手は行くまいとする。そのうちに、多左衛門の気色がだんだんに暴《あら》くなって来て、重兵衛をなぐり付けて立ち去ろうとする。それを又ひき留めて、二人はとうとう組討ちになって……。土手下に転がって争ううちに、そこに細い藁縄が落ちていたので、重兵衛は半分夢中でその縄を拾って、相手の頸にまき付けて……。と、本人はこう白状しているんですが、恐らく嘘じゃあなかろうと思います。多左衛門を殺しては金の蔓が切れてしまう道理ですから、重兵衛も好んで相手を殺すはずはなく、ほんの一時の出来心に相違ありますまい。
しかし相手を殺した以上、なんとか後始末をしなければなりませんから、重兵衛は死人の帯を解いて松の木にかけて、自分で縊《くび》れたようにこしらえて、早々にそこを立ち去ったんです。偽物の絵馬を残して置いて、なにかの詮議の種になると面倒だと思ったので、風呂敷包みのまま引っ抱えて帰って、叩き毀《こわ》して焼き捨てたそうです。その風呂敷も一緒に焼いてしまえば好かったんですが、そこが人情の吝《けち》なところで、風呂敷まで焼くにも及ぶまいと、そのまま残して置いたのが運の尽きでした」
「そうすると、その風呂敷から露顕したんですか」
「まあ、お聴きなさい。だんだんにお話し申します」
老人はひと息ついて、また話し出した。
「それから孤芳という女絵かきのお話ですが、これは親兄弟もない独り者で、絵筆を持てば相当の腕もあるんですが、どこの師匠に就いて修業したというでもなく、まあ独学のような訳であるので、自然世間に認められる機会がなく、絵馬の絵などを書いて世渡りをしているうちに、いつか重兵衛の世話になるようになって、新宿の太宗寺のそばに世帯を持って、まあ囲い者といったような形になっていたんです。その縁故で、大津屋の娘のお絹と万次郎も、孤芳の家の二階を逢いびきの場所に借りていた……。と、そこ迄は好かったんですが、そのうちに孤芳と万次郎が妙な関係になってしまいました。孤芳は二十四、万次郎は二十一、男の方が年下であるだけに、女の熱度はだんだんに高くなる。それがお絹の眼についたから堪まりません。すぐに親父に訴えると、重兵衛もおどろいて眼を光らせる。重兵衛と万次郎と、孤芳とお絹と、この四人が引っからんで、ひどく面倒なことになりました。
万次郎が丸多を嚇かして取った二百両は、あとで総勘定をするという約束で、ひと先ず重兵衛が預かっていたんですが、丸多の主人が死んだ後にも、四の五の云って一文も出しません。万次郎も業《ごう》を煮やして、たびたびうるさく催促しても、重兵衛は鼻であしらっていて相手にしません。そればかりでなく、万次郎を婿にするなどという話も立ち消えになってしまいました。重兵衛として見れば、自分の妾を盗むような奴に、娘をやったり金をやったりする気にはなれなかったんでしょう。まだ其の上に、万次郎を遠ざける為に、だしぬけに孤芳をせき立てて、夜逃げ同様に新宿を立ち退かせて、淀橋の街はずれに引っ越させました。そこには大津屋の家作が二軒あって、その一軒は空家《あきや》になっていたんです。重兵衛が千駄ケ谷の建具屋に雨戸や障子を頼んだのも、孤芳をここへ引っ越させる下拵えであったと見えます。
勿論、孤芳の引っ越し先は、万次郎にもお絹にも秘《かく》していたんですが、いつまで知れずに済むはずがありません。それから十日も経たないうちに、二人ともにもう探り出してしまいました。それが又、一つの事件を惹き起こすもとで……」
六
半七老人の話は終らない。わたしも最後まで聴きはずすまいと耳を澄ましていると、老人は床の間の置時計をふと見かえって、女中部屋の老婢《ばあや》を呼んだ。老婢が顔を出すと、老人はなにか眼で知らせた。すぐに呑み込んでゆく老婢のうしろ姿を見送って、これは悪かったと私は俄かに気がついた。老人は午飯《ひるめし》の用意を命じたに相違ない。早朝から長座《ちょうざ》して、午飯まで御馳走になっては相済まないと、わたしは慌てて巻煙草の袋を袂へ押し込んで、帰り支度に取りかかろうとするのを、老人は手をあげて制した。
「まあ、お待ちなさい。お話はもう少しですよ」
云ううちに、老婢はもう裏口から足ばやに出て行ったらしい。追えども及ばずと観念して、私はずうずうしく坐り直すと、老人は又話しつづけた。
「四月二十一日の宵に、お絹は近所の湯屋へ行く振りをして、塩町の大津屋をぬけ出して、淀橋の孤芳の家へ尋ねて行きました。孤芳が万次郎を引っ張り込んでいるだろうと疑って、その様子を窺いに行ったんです。自分の家作ですから勝手はよく知っているので、裏口から廻って窺うと、案の通り、男と女は縁側に近いところへ出て、早い蚊いぶしを焚きながら、睦まじそうに話している。それを見ると、お絹は嚇《かっ》とのぼせて、悪女が更に鬼女のようになって、そこの台所にあり合わせた出刃庖丁をとって、孤芳を殺そうとして暴れ込んだので、孤芳はおどろいて庭へ飛び降りる。それを追おうとするお絹を万次郎が抱きとめる。お絹は死に物狂いになって暴れ廻る。その刃物をもぎ取ろうとするうちに、思わずも手がまわって……。と、いうことになっているんですが、これは重兵衛の場合と違ってどうだか判りません。金は貰えず、婿にはなれず、こんな悪女に付きまとわれては遣り切れないと思って、万次郎が思い切ってずぶりとやったのかも知れません。いずれにしても、お絹は乳の下を突かれて即死。惚れた男の手にかかって果敢《はか》なくなりました。その死骸は万次郎と孤芳が始末して、縁の下へ埋めているところへ、又そのあとから重兵衛がたずねて来たんです。
もう隠すことは出来ないので、万次郎も度胸を据えて、正直にその事情を打ち明けた上で、おれを下手人として突き出してくれと云うと、重兵衛も考えたらしいんです。わが子を殺されて驚いたには相違ないが、自分にも絵馬の秘密があるので、それを万次郎にしゃべられても困る。もう一つには、丸多の主人を殺した一件を万次郎も孤芳もうすうす覚っているかも知れないという弱味があるので、お絹殺しを表沙汰にするのは危《あぶな》い。そこで、三人が相談の末に、お絹は房州の親類へ預けたとか、あるいは家出したとか云い触らして、この一件は闇に葬ってしまうことにする。その代りに、万次郎は二百両の割りまえを一文も貰わず、孤芳とも今夜かぎりに手を切るということになりました。万次郎に取っては割の悪い約束ですが、仮りにも女ひとりを殺して、それを内分にして貰うというのですから、そのくらいの事は仕方がありません。そんなわけで、お絹の死骸を寺へ送ることは出来ないので、親父の重兵衛も手伝って、やはり床下に埋めることになりましたが、幸いに近所の者には覚られずに済んだのです」
「お絹は可哀そうでしたね」
「刃物などを振り廻したのは悪いに相違ないが、こうなると可哀そうなもので、それでまあ一旦は納まったんですが、五月の末頃になると、重兵衛が下谷の方から古着屋を呼んで来て、娘の夏冬の着物を相当に取りまとめて売ったということを、亀吉がふと聞き出して、その日の暮らしに困るというでも無いのに、年ごろの娘の着物をむやみに売り放すのはおかしい。してみると、房州の親類に預けたなどというのは嘘で、娘は死んだか、家出して帰らないか、二つに一つに相違ないと鑑定したんです。
そのほかに又こういうことがありました。丸多の店の菩提寺は中野にあるので、五月二十八日の命日に、女房のお才が番頭の幸八と小僧を連れて、多左衛門の墓まいりに行った帰り道に、淀橋の町はずれを通ると、その頃のここらには茅葺きの家がたくさんありました。その茅葺きの一軒の家で、庭の梅の実を落としている。垣根は低い四目《よつめ》垣でしたから、通りがかりながら見るとも無しに覗いてみると、梅の実を取っているのは二十三四の女で、それに不思議はないのですが、その時お才と幸八の眼についたのは、梅の木から木へ竹竿をわたして洗濯物を干してある。その洗濯物のなかに一枚の大きい風呂敷が懸かっていて、それが見おぼえのある丸多の店の風呂敷で、主人が家出のときに例の絵馬を包んで持ち出したものらしい。丸多の暖簾《のれん》は丸の中に多の字を出してあるんですが、これには丸多の店のしるしが無く、家の定紋《じょうもん》の下《さが》り藤が小さく染め出してある。その風呂敷がどうしてここの家に干してあるのかと、二人は不思議に思いながら帰って来て、幸八はすぐに亀吉のところへ知らせに行きました。その家は大津屋の家作で、この頃は女絵かきの孤芳が引っ越して来ていることを、亀吉ももう承知していましたから、さてこそ案の通りというので、これもすぐにわたくしの所へ注進に来ました。
ところが、あいにく私も幸次郎も、ほかの事件にかかり合っていて、ちょいと手放すことが出来ない。殊にこの一件は重兵衛と万次郎と孤芳とが絡んでいますから、迂濶に一人を引き挙げると、ほかの関係者が散ってしまう虞《おそ》れがあるので、亀吉ひとりに任せるわけにも行かず、ただ油断なく見張らせて置いて、十日ほども空《くう》に過ごしてしまいましたが、そのあいだに亀吉は又こんなことを聞き出しました。千駄ケ谷の建具屋の又助が重兵衛の註文をうけて、淀橋の家作に雨戸を入れたところ、その建て付けが悪いというので、五月のはじめに直しに行ったが、なんだか畳や縁側に血の痕のようなものが薄く残っていたという。そこで亀吉は、ひょっとするとお絹がここで殺されたのでは無いかと鑑定しました。わたくしもそう思いました。
そのうちに、一方の事件も片付きましたので、いよいよこっちへ手を着けることになりました。六月十日の夜、重兵衛が淀橋へ泊まりに行ったのを突きとめて、わたくしと亀吉が出かけました。幸次郎も行こうというので、それほどの大捕物でもないが、まあ一緒に連れて行くと、前にお話し申したように大騒動に出っくわして……。いや、もう、ひどい目に逢ったんです」
「火薬の爆発は朝でしょう」
「それが十一日の朝まで引っかかったので……。わたくし共が淀橋へ行き着いたのは十日の夜四ツ半(午後十一時)頃、寝込みへ踏ん込んで一度に押え付けようと思ったんです。ところが、いざ踏ん込んでみると、蚊帳の一方の釣り手をはずして、孤芳ひとりが寝床の上にしょんぼりと坐っているんです。重兵衛はどうしたと詮議すると、最初は来ていないとシラを切っていましたが、しょせんは女ですからとうとう正直に云いました。そこで、だんだんに取り調べると、孤芳は万次郎と手を切ると約束して置きながら、その後もやはり内証で男を引き入れていると、重兵衛もそれを感付いたのでしょう、今夜わたくし共よりひと足さきへ踏ん込んで来て、一つ蚊帳のなかに寝ていた孤芳と万次郎を取り押えました。重兵衛は定めて烈火のごとくに怒るかと思いのほか、うわべは静かに落ち着いて、ここでは話が出来ないから兎も角もそこまで一緒に来てくれと云って、万次郎を表へ連れ出した。それはたった今のことだと云うので、孤芳の番人を亀吉に云いつけて、わたくしと幸次郎は近所へ見まわりに出ましたが、今夜は雨催《あまもよ》いの暗い晩で、そこらに二人のすがたは見付からない。よんどころ無しに又引っ返して来て、再び孤芳を調べると、下《さが》り藤の紋の風呂敷は引っ越しのときに重兵衛が持って来たもので、そのまま自分の家で使っていたと云って、現物を出して見せましたが、縁側や畳に血のあとが残っていることは、なんにも知らない、自分は血の痕とは気が付かず、なにかの汚れだと思っていたと、強情に云い張っているんです。
まさかに引っぱたくわけにも行かないので、孤芳の詮議はそのままにして、亀吉と幸次郎を裏と表に張り込ませて、重兵衛や万次郎の帰るのを気長に待っていました。夏の夜は短いから早く明ける。夜が明ければ、二人は何処からか帰って来るだろう。万次郎を表へ連れ出したのは、孤芳の前では話しにくい事があるからで、まさか殺すほどの事もあるまいと多寡をくくって、まあ頑張っていたわけです。そういうことには馴れているので、さのみ待ちくたびれるという程でもありませんでしたが、藪蚊の多いには恐れいりました。今と違って、むかしは蚊が多いので、こういう時にはいつでも難儀します。
そのうちに、そこらの家の鶏が啼いて、夜もだんだんに白らんで来ました。暁け方から空模様がよくなったので、七ツ半(午前五時)には、すっかり明るくなりましたが、二人はまだ帰って来ません。亀吉は焦れて、もう一度探しに出ようかと云っているところへ、重兵衛がぼんやり帰って来たので、亀吉と幸次郎が取り囲んですぐに家内へ引っ張り込みました。万次郎はどうしたかと訊《き》くと、途中で喧嘩をして別れたと云う。おまえは今まで何処にどうしていたかと訊くと、狐に化かされて夜通し迷い歩いていたと云う。さてはこいつ、万次郎を殺して空呆《そらとぼ》けているのだろうと思いましたから、わたくしも厳重に詮議を始めましたが、やはり同じようなことを繰り返していて埒が明かない。そこで、万次郎のことは二の次にして、丸多の絵馬の一件の詮議にとりかかると、丸多の主人に頼まれて偽物をこしらえたに相違ないが、本物と掏り換える約束をした覚えはないと云うんです。それから証拠の風呂敷を突きつけて、だしぬけにお前は丸多の主人をころしたなと云うと、重兵衛は俄かに顔の色を変えました。さあ、その途端に凄まじい響きと共に、大地がぐらぐらと激しく揺れて、この茅葺きの屋根の家が忽ち傾いたには驚きました。
逃げるという考えもありません。ただ跳ね飛ばされたように庭先へ転げ落ちると、なんだか知らないが砂けむりのような物が一面に舞って来て、近所の家は大抵倒れたり、傾いたりしている。一体どうしたのだろう、大地震か旋風《つむじ》かと、みんなが顔を見合わせていると、その隙をみて重兵衛は表へ飛び出しました。表の垣根は倒れてしまったんですから、自由に往来へ出られます。こいつを逃がしてはならないと思って、わたくしも続いて追って出る、亀吉も幸次郎も追って出る。その途端に、激しい揺れが再びドンと来て、わたくし共は投げ出されたように倒れました。つづいてガラガラという音がする。火の粉が飛ぶ……。さては火薬が破裂したのだろうと気がついて、半分這い起きながら窺うと、ここらは火元から距《はな》れているので、まだ小難の方らしく、水車に近いところの人家はみんな何処へか吹き飛ばされてしまったにはぞっとしました。
重兵衛はどうしたかと見ると、これも一旦は倒れながら、また這い起きて逃げようとする。この野郎と云って追いかけたんですが、二度の爆発で何処から飛んで来たのか、往来のまん中に屋根が落ちているやら、大木が倒れているやら、いろいろの邪魔物が道を塞いでいるので、なかなか思うようには駈け出せません。重兵衛は裏手の田圃の方へ逃げるので、わたくしも根《こん》かぎりに追って行くと、そのあいだに重兵衛はいろいろの物につまずいて転びました。わたくしも幾たびか転びました。いや、もう、お話になりません。それでもどうにか追い着いて、うしろから重兵衛の左の腕をつかむと、その途端に三度目の爆発……。その時はいっさい夢中でしたが、あとで聞くと三度目が一番ひどかったのだと云います。こうなると敵も味方もありません。二人は抱き合ったままで田のなかに転げ込んでしまいました。これでまあ重兵衛を取り押えたわけですが、こんな危険な捕物は初めてで、時間から云えば僅かの間ですが、馬鹿に疲れたような気がしましたよ」
「そうでしょうね」と、わたしもうなずいた。「そこで亀吉や幸次郎という人達はどうしました」
「わたくしは運よく無事でしたが、二人は怪我をしましたよ。何か飛んで来て撃たれたんですね。亀吉は軽い疵でしたが、幸次郎は右の肩を強く撃たれて、それからひと月あまり寝込みました。ほかにも死人や怪我人がたくさんあったんですから、まあ命拾いをしたと云ってもいいでしょう。孤芳の家も三度目の爆発で吹き倒されました」
「孤芳は無事でしたか」
「さあ、それが不思議で……。孤芳は無事に逃げたのか、どこへか吹き飛ばされたのか、ゆくえが知れなくなりました。万次郎の死骸は川のなかで発見されました。それも重兵衛に突き落とされたのか、夜が明けてぼんやり帰って来たところを吹き飛ばされたのか、確かなことは判りません。ほかにも死骸が浮いていましたから、あるいは爆発のために吹き落とされたのかも知れません。お絹の死骸は床下に埋めてありました。まあ、お話は大抵ここらで切り上げましょう。いや、どうも御退屈で……」
その話の終るのを待っていたように、老婢は膳を運び出して来て、わたしの前に鰻めしが置かれた。
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大森の鶏
一
ある年の正月下旬である。寒い風のふく宵に半七老人を訪問すると、老人は近所の銭湯《せんとう》から帰って来たところであった。その頃はまだ朝湯《あさゆ》の流行っている時代で、半七老人は毎朝六時を合図に手拭をさげて出ると聞いていたのに、日が暮れてから湯に行ったのは珍らしいと思った。それについて、老人の方から先に云い出した。
「今夜は久しぶりで夜の湯へ行きました。日が暮れてから帰って来たもんですから……」
「どこへお出かけになりました」
「川崎へ……。きょうは初大師の御縁日で」
「正月二十一日……。成程きょうは初大師でしたね」
「わたくしのような昔者《むかしもの》は少ないかと思ったら、いや、どう致しまして……。昔よりも何層倍という人出で、その賑やかいには驚きました。尤も江戸時代と違って、今日《こんにち》では汽車の便利がありますからね。昔は江戸から川崎の大師河原まで五里半とかいうので、日帰りにすれば十里以上、女は勿論、足の弱い人たちは途中を幾らか駕籠に助《す》けて貰わなければなりません。足の達者な人間でも随分くたびれましたよ」
「それでも相当に繁昌したんでしょうね」
「今程じゃありませんが、御縁日にはなかなか繁昌しました」と、老人はうなずいた。「なんでも文化の初め頃に、十一代将軍の川崎御参詣があったそうで……。御承知の通り、川崎は厄除《やくよけ》大師と云われるのですから、将軍は四十二の厄年で参詣になったのだと云うことでした。それが世間に知れ渡ると、公方《くぼう》様でさえも御参詣なさるのだからと云うので、また俄かに信心者が増して来て、わたくし共の若いときにも随分参詣人がありました。明治の今日《こんにち》はそんなことも無いでしょうが、昔はわたくし共のような稼業の者には信心者が多うござんして、罪ほろぼしの積りか、災難よけの積りか、忙がしい暇をぬすんで神社仏閣に足を運ぶ者がたくさんありました。わたくし共も川崎大師へは大抵一年に二、三度は参詣していましたが、どうも人間は現金なもので、明治になって稼業をやめると、とかく御無沙汰勝ちになりまして……。それでも正月の初大師だけは、まあ欠かさず御参詣をして、大師さまに平生《へいぜい》の御無沙汰のお詫びをしているんですよ。くどくも云う通り、こんにちは便利でありがたい。きょうも午頃から出て行って、ゆっくり御参詣をして、あかりの付く頃には帰って来られるんですからね。むかしは薄っ暗い時分から家を出て、高輪《たかなわ》の海辺の茶店でひと休み、その頃にちょうど夜が明けるという始末だから大変です。それだから正月の初大師などと来たら、寒いこと、寒いこと……。それもまあ、信心の力で我慢したんですが、大勢のなかには横着な奴があって、草鞋《わらじ》をはいて江戸を出ながら、品川で昼遊びをしている。昔はそういう連中のために、大師河原のお札《ふだ》が品川にあったり、堀ノ内のお洗米《せんまい》が新宿に取り寄せてあったりして、それをいただいて済ました顔で帰る……。はははは、いや、わたくしなぞはそんな悪いことをしないから、大師さまの罰《ばち》もあたらないで、まあこうして無事に生きているんですよ。その大師詣りに就いてこんな話があります。又いつもの手柄話をするようですが、まあ、お聴き下さい」
嘉永四年は春寒く、正月十四日から十七日まで四日つづきの大雪が降ったので、江戸じゅうは雪どけの泥濘《ぬかるみ》になってしまった。こんにちと違って、これほどの雪が降れば、その後の半月ぐらいは往来に悩むものと覚悟しなければならない。半七は足ごしらえをして、子分の庄太と一緒に、二十一日の初大師に参詣した。
明け六ツ頃に神田の家《うち》を出て、品川から先は殊にひどい雪どけ道をたどって行って、大師堂の参拝を型のごとくに済ませたのは、その日も午を過ぎた頃であった。
「さあ、午飯《ひるめし》だ。どこにしよう」
繁昌と云っても今日《こんにち》のようではないので、門前の休み茶屋の数《かず》も知れている。毎月の縁日とは違って、きょうは初大師というので、どこの店もいっぱいの客である。いっそ川崎の宿《しゅく》まで引っ返して、万年屋で飯を食おうと云って、二人は空腹《すきばら》をかかえて、寒い風に吹きさらされながら戻って来ると、ここらもやはり混雑していて、万年屋も新田屋も客留めの姿である。二人は隅のほうに小さくなって、怱々《そうそう》に飯をくってしまった。
「まあ、仕方がねえ。江戸へ帰るまで我慢するのだ」
ここで草鞋を穿《は》きかえて、六郷の川端まで来かかると、十人ほどが渡しを待っていた。いずれも旅の人か江戸へ帰る人たちで、土地の者は少ない。そのなかで半七の眼についたのは三十二三の中年増《ちゅうどしま》で、藍鼠《あいねずみ》の頭巾《ぅきん》に顔をつつんでいるが、浅黒い顔に薄化粧をして、ひと口にいえば婀娜《あだ》っぽい女であった。女は沙原《すなはら》にしゃがんで、細いきせるで煙草を吸っていた。庄太はその傍へ寄って煙草の火を借りた。
「天気はいいが、お寒うござんすね」と、庄太は云った。
「雪のあとのせいか、風がなかなか冷えます」と、女は云った。
そのうちに船が出たので、人々は思い思いに乗り込んだ。女は船のまん中に乗った。半七と庄太は舳先《へさき》に乗った。やがて向うの堤《どて》に着いて、江戸の方角へむかって歩きながら、半七は小声で云った。
「おい、庄太。あの女はなんだか見たような顔だな」
「わっしもそう思っているのだが、どうも思い出せねえ。堅気《かたぎ》じゃありませんね」
「今はどうだか知れねえが、前から堅気で通して来た女じゃあねえらしい」
「小股の切れ上がった粋な女ですね」
「それだから火を借りに行ったのじゃあねえかえ」と、半七は笑った。
「まあ、まあ、そんなものさ」
庄太も笑いながら後《あと》を見かえると、女は雪どけ道に悩みながら、おなじく江戸へむかって来るらしかった。町屋から蒲田へさしかかって、梅屋敷の前を通り過ぎたが、あまり風流気のない二人はそのまま素通りにして、大森に行き着くと、名物の麦わら細工を売る店のあいだに、休み茶屋を兼ねた小料理屋を見つけた。
「親分。少し休ませて貰えねえかね。寒くってどうにもこうにも遣り切れねえ」と、庄太は泣くように云った。
「一杯飲みてえのか。まあ、附き合ってやろう」と、半七は先に立って茶屋へはいった。
奥には庭伝いで行けるような小座敷もあったが、坐り込むと又長くなるというので、二人は店口の床几《しょうぎ》に腰をおろして、有り合いの肴《さかな》で飲みはじめた。半七は多く飲まないが、庄太は元来飲める口であるので、寒さ凌《しの》ぎと称してむやみに飲んだ。
「いいかえ、庄太。あんまり酔っ払うと置き去りにして行くぜ」
「そんな邪慳《じゃけん》なことを云わねえで、まあ、もう少し飲ませておくんなせえ。信心まいりに来て、風邪《かぜ》なんぞ引いて帰っちゃあ、先祖の助六に申し訳がねえ」と、庄太はもういい加減に酔っていた。
このときに一挺の駕籠がここの店さきに卸されて、垂簾《たれ》をあげて出たのは、かの中年増の女であった。女は金を払って駕籠屋を帰して、これも店口の床几に腰をかけたが、半七らと顔をみあわせて黙礼した。
「お駕籠でしたかえ」と、庄太は声をかけた。
「あるくつもりでしたが、なにしろ道が悪いので……」と、女は顔をしかめながら云った。彼女はほんの足休めに寄ったものと見えて、梅干で茶を飲んでいた。
ここらの店の習いで、庭と云っても型ばかりに出来ていて、その横手には大きい井戸があった。井戸のそばの空地《あきち》には、五、六羽の鶏《とり》が午後の日を浴びながら遊んでいたが、その雄鶏《おんどり》の一羽はどうしたのか俄かに全身の毛をさか立てて、店口の土間へ飛び込んで来たかと見る間もなく、かれはそこに休んでいる中年増の女を目がけて飛びかかった。女はアッと驚いて立ちあがると、鶏は口嘴《くちばし》を働かせ、蹴爪《けづめ》を働かせて、突くやら蹴るやら散々にさいなんだ。女は悲鳴をあげて逃げまわるのを、かれは執念ぶかく追いまわした。
それを見て、店の男や女もおどろいて、彼らは鶏を叱って追いやろうとしたが、かれは狂えるように暴《あ》れまわって、あくまでも女を追い搏《う》とうとするのである。半七も庄太も見かねて立ちあがると、女は逃げ場を失ったように庄太のうしろに隠れた。鶏は五、六尺も飛びあがって、又もや女を搏とうとするので、半七は持っている煙管《きせる》で一つ撃った。撃たれて一旦は土間に落ちたが、かれはすぐに跳ね起きて又飛びかかって来た。その燃えるような眼のひかりが鷹よりも鋭いのを見て、半七もぎょっとしたが、この場合、なんとかして女を救うのほかは無いので、手早く羽織をぬいで鶏にかぶせると、店の者も駈け寄った。男のひとりは伏せ籠を持って来て、暴れ狂う鶏をどうにか斯うにか押し込んだが、かれはその籠を破ろうとするように、激しく羽搏《はばた》きして暴れ狂っていた。
不意の敵におそわれて、女は真っ蒼になっていた。くちばしに刺されたのか、蹴爪に撃たれたのか、彼女は左右の脚を傷つけられて、白い脛《はぎ》からなま血が流れ出していた。飛びあがって来たときに、その顔をも蹴られたと見えて、左の小鬢にも血がしたたっていた。銀杏返《いちょうがえ》しの鬢の毛は羽風にあおられて、掻きむしられたように酷《むご》たらしく乱れていた。
わが屋の飼い鶏が客に対して、思いもよらない椿事を仕いだしたので、店の者共も蒼くなった。殊に相手が女であるだけに、その気の毒さは又一倍である。店の女房は平あやまりに謝まって、ともかくも女を介抱しながら奥の座敷へ連れ込んだ。女中のひとりは近所の医者を呼びに行くらしく、襷《たすき》がけのままで表へ駈け出した。
庄太もさすがに呆気《あっけ》に取られていた。半七も無言で眺めていると、鶏は伏せ籠のなかで暴れ狂いながら、無理にあき地の方へ押しやられて行った。
二
「あの鶏《とり》はどうしたのでしょうね」と、庄太は云い出した。「犬にゃあ病犬《やまいいぬ》というものがあるが、鶏にゃあ珍らしい」
半七はやはり無言で考えていると、女房はやがて奥から出て来て、半七らにむかって頻《しき》りに詫びていた。
「おかみさん」と、半七は訊いた。「ここらじゃあ鶏が何か病気にでもなって、あんな騒ぎをすることが時々にあるのかね」
「それがまことに不思議でございます」と、女房は眉をよせた。「鶏が人にかかるというのは、まんざら無いことでもございませんが、わたくし共では初めてでございます。この通りのお客商売でございますから、一度でもそんな事があれば、決して鶏なぞを飼いは致しませんが、どうしてあの鶏が……あんな様子のいい女のかたに……。まったく訳が判りません。これからも何をするか知れませんから、いっそ男どもに云いつけて、絞めさせてしまおうかと思って居ります」
「あの鶏は前から飼ってあるのかえ」と、半七は又訊いた。
「はい。昨年の五月頃だと覚えて居ります。十羽ほどの鶏を籠に入れて、売りに来た者がありまして、雌鶏《めんどり》と雄鶏《おんどり》のひと番《つが》いを買いましたが、雌鶏の方は夏の末に斃《お》ちてしまいまして、雄《おす》の方だけが残りました。それでもほかの鶏と仲良く遊んで居りまして、ふだんは喧嘩なぞをした事もありませんでしたが、不意に気でも違ったように暴れ出して、人にこそよれ、女のお客さまに飛びかかって、あんな怪我をさせまして……。なんとも申し訳がございません」
「その鶏を売りに来た男というのは、始終ここらへ廻って来るのかね」
「時々に参ります。なんでも百姓の片手間に鶏を買ったり売ったりしているのだそうで……」
「名はなんといって、どこから来るのだね」
「名は……八さんといっていますが、八蔵か八助か判りません。なんでも矢口《やぐち》の方から来るのだそうで……」
「矢口か。矢口の渡しなら六蔵でありそうなものだが……」と、庄太は笑った。
「まぜっ返すなよ」と、半七は横目で睨んだ。「そこで、その八蔵とか八助とかいう男は幾つぐらいだね」
「二十五六だろうと思いますが……。なにしろ一年に一度か二度しか廻って参りませんので……」と、女房は言葉をにごした。
こちらが余りに詮索するので、相手は一種の不安を感じて来たらしい。こうなっては詮議も無駄だと諦めて、半七は帰り支度にかかった。
「奥の怪我人には挨拶をせずに帰るから、あとで宜しく云っておくんなさい」
「かしこまりました」
勘定を払って、二人はここを出た。
「親分は頻りに鶏の売り主を詮議していなすったが、なにか眼を着けた事でもあるんですかえ」と、庄太はあるきながら訊いた。
「別にどうということもねえが……。今の一件で、おれがふいと考えたのは、あの鶏と、あの女と……なにか因縁があるのじゃあねえかしら……」
「ふむう。そんな事もねえとも云えねえが……」と、庄太は首をかしげた。「しかし相手が畜生ですからねえ」
「畜生だからたれかれの見さかいなしに飛びかかった……。そう云ってしまえば仔細はねえが、畜生だって相当の料簡がねえとは云えねえ。主人を救った犬もある。恨みのある奴を突き殺した牛もある。あの鶏もあの女に何かの恨みがあるのかと、考えられねえ事もねえと思うが……」
「成程、そう云えばそうだが……。あの女の風体《ふうてい》が……」と、庄太は又かんがえた。「鶏に縁がありそうにも見えねえが……。鳥屋の女房かね」
「まあ、そんなことかも知れねえ。なにしろ、あの女は堅気の人間じゃあなさそうだ。どうも何処かで見たことがあるように思われるのだが……。きょうは仕方がねえから此のまま引き揚げることにして、おめえ御苦労でもあしたか明後日《あさって》、もう一度出直して来て、あの女はそれからどうしたかと訊きただしてくれ。もちろんドッと倒れてしまうほどの怪我じゃあねえから、医者にひと通りの手当てをして貰って、駕籠で江戸へ帰るに相違あるめえ。ああして厄介になった以上、自分の家《うち》は本所だとか浅草だとか話して行くだろうから、それもよく調べて来てくれ。恨みや因縁にもいろいろある。あの女があの鶏をひどい目に逢わせて、それを鳥屋へ売り飛ばしたのが、測《はか》らずここでめぐり合って、鶏がむかしの恨みを返したというような事ででもあれば、飛んだ猿蟹合戦か舌切り雀で、どうにも仕様のねえことだが、何かもう少し入り組んだ仔細がありそうにも思われる。まあ、無駄と思って洗ってみようぜ」
「承知しました」
「それから、あの女房は鶏を絞めると云っていたが、もしまだ無事でいるようだったら、もう少し助けて置くように云ってくれ」
この頃の春の日はまだ短いので、二人は暗くなってから江戸へはいった。途中で庄太に別れて、半七は三河町の家へ帰ると、すぐに手拭をさげて出た。
「信心まいりに行って、愚痴を云っちゃあ済まねえが、きょうは全く寒かった」
近所の銭湯へゆくと、五ツ(午後八時)過ぎの夜の湯は混雑していた。半七は柘榴口《ざくろぐち》へはいって体を湿《しめ》していると、湯気にとざされていた風呂のなかで、男同士の話し声がきこえた。
その一人もきょうの初大師に参詣したと見えて、寒さと雪どけ道の難儀を頻りに話していたが、やがて彼はこんなことを云い出した。
「おまえさんも御承知でしょう、軍鶏屋《しゃもや》の鳥亀のかみさん……。あの人に逢いましたよ」
「ああ、あのお六さん……」と、相手は答えた。「今はどこにいますね」
「なんでも品川の方にいるそうで……。わたし達が川崎の新田屋で午飯《ひるめし》を食って、表へ出ようとするところへ、出逢いがしらにはいって来たので、ちっとばかり立ち話をして別れたのですが……。都合が悪くも無さそうな様子で、まあ無事にやっているようですよ」
それが半七の注意をひいた。薄暗いなかでよくは判らないが、その話し声が近所の下駄屋の亭主であるらしいので、流し場へ出たときに窺うと、果たして彼は下駄屋の善吉であった。
あくる朝、半七は下駄屋の店さきに立った。
「おまえさんも大師さまへ参詣しなすったそうだね。ひと足おくれで逢わなかったが……」
「親分も御参詣でしたか」と、善吉は店の火鉢を半七の前へ押しやりながら云った。「ずいぶんお寒うござんしたね」
「そこで、早速だが少し訊《き》きたいことがある」と、半七は店に腰をかけた。「ゆうべはお前さんは、鳥亀とかいう軍鶏屋の話をしなすっていたね」
「じゃあ、お前さんも聴いておいでなすったのですか」
「柘榴口のなかで聴いていましたよ。一体その軍鶏屋は何処ですえ」
「以前は浅草の吾妻橋ぎわにあったのですが、亭主が死んだので店を仕舞って、おかみさんは品川の方へ引っ込んで、もう小一年も逢わなかったのですが、きのう思いがけなく川崎で逢いました」
「おかみさんはお六というのだね。亭主は……」
「安蔵といいました。御承知の通り、わたくしは釣り道楽で、鳥亀の亭主とはおなじ釣り師仲間で、ふだんから懇意にしていたのですが、どうも可哀そうな事をしまして……」
善吉の話によると、安蔵は去年の春の彼岸ちゅうに鮒《ふな》釣りに出た。近所の釣り場所は大抵あさり尽くしているので、柴又《しばまた》の帝釈堂《たいしゃくどう》から二町ほど離れた下矢切《しもやぎり》の渡し場の近所まで出かけたのである。ここらは利根川べりで風景もよい。安蔵は夜の明け切らないうちに浅草の家を出て、吾妻橋を渡って行った。それまでは家内の者も知っているが、その後の消息は判らない。それから二日ほど過ぎて、安蔵の死体は川しもで発見された。かれが片手に釣り竿を持っていたのを見ると、なにかの過失《あやまち》で足を踏みすべらせて、草堤《くさどて》から転げ落ちたのであろう。釣り好きではあるが、彼は泳ぎを知らなかった。
鳥亀の女房お六は上野辺で茶屋奉公をしていた女で、夫婦のあいだに子はなかった。その頃、軍鶏屋へ来て鳥鍋や軍鶏鍋を食うのは、あまり上等の客でない。女や子供はもちろん来ない。従って女あるじで此の商売をつづけて行くのはむずかしいというので、お六は思い切って店を閉めた。品川の南番場《みなみばんば》の辺に身寄りの者が住んでいるので、そこへ引っ越して小さい世帯《しょたい》を持つことにした。
「きのう逢ったときの話では、まあ無事に暮らしているということでした」と、善吉は云った。
「釣りに行って死んだ時には、誰も一緒じゃあなかったのだね」
「その時はあいにく安さん一人で出かけたので、どうして死んだのか、よく判らないのです。渡し場の船頭の話では、そんな釣り師の姿を見かけなかったということですから、行くと間もなくすべり落ちたのかも知れません。ほんとうに夜が明け切らないので足もとが暗かったのでしょう。なにしろまだ三十五か六で、可哀そうな事をしました。おかみさんは三十二三の小粋な女ですが、まだ独り者で暮らしているそうです」
善吉がきのう久し振りで出逢ったというお六の人相や服装《みなり》を聞いて、それが彼《か》の中年増の女に相違ないことを半七は確かめた。彼女は果たして鳥屋の女房であった。彼女は店を畳むときに、飼い残りの鶏をどこへか売ったのであろうと察せられた。
それにしても、かの鶏がなぜ旧主人のお六に襲いかかったのか。そのむかし彼女に虐待されたのを恨んだのか、雌鶏が殺されたのを恨んだのか。鶏はどれほど記憶がよいか知らないが、小一年の後までも其の人の顔や姿を見忘れないものであろうかと、半七は又かんがえた。しかもここに一つの疑いは、お六の亭主の変死一件である。その一件と鶏とを結び付けて考えれば、なにかの謎が解けないでもなかった。
「いや、朝っぱらからお邪魔をしました」
半七は下駄屋の店を出た。
三
その次の日の午頃に庄太が顔を見せると、彼はすぐに半七にひやかされた。
「おい、庄太。おれもぼんやりだが、おめえもよっぽどうっかり者だぜ。例の一件の中年増はおめえの縄張り内の浅草で、しかも眼のさきの吾妻橋に住んでいたのじゃあねえか」
「いや、閉口。すっかり度忘《どわす》れをしてしまって……」と、庄太はあたまを掻いた。「家《うち》へ帰ってから思い出しましたよ。鳥亀、鳥亀……。いつか一度、親分を案内して行ったことがありましたよ」
「むむ。雪駄《せった》の皮のような軍鶏を食わせた家《うち》だ。そこで、きのうはどうした。大森へ出かけたか」
「行きましたよ。相変らず道が悪くって……。あの茶屋へ行って訊《き》いてみると、あれから医者が来て手当てをして、女は駕籠に乗って帰ったそうです。駕籠屋の話を聞くと、送り着けた先は品川の南番場で、海保寺という寺の門前……。それから帰りに覗いて見ましたら、女の家は桂庵《けいあん》で、主《おも》にあの辺の女郎屋や引手茶屋や料理屋の女の奉公人を出したり入れたりしているようです。女は去年の三月頃から引っ越して来て、二十五六の番頭と二人暮らしだが、その番頭というのが亭主か情夫《いろ》だろうという近所の評判ですよ。そこで、番頭というのはどんな奴だか、面《つら》をあらためてやろうと思ったが、あいにく留守で首実検は出来ませんでした。それからね、親分。鶏は助からねえ。その日の夕方に絞められてしまったそうですよ」
「鳥亀の亭主というのは、矢切の渡し場の近所へ釣りに行って、沈んでしまったというじゃあねえか」
「よく知っていなさるね」と、庄太は眼を丸くした。「実はわっしも今朝《けさ》調べて来たのですが、鳥亀の亭主の安蔵というのは、去年の春の彼岸に下矢切で土左衛門になったそうで……。こうなると親分のいう通り、ちっと変な事になりそうですね。これから矢切へ行って見たところで、去年のことじゃあ仕様がねえから、いっそ矢口へ行ってみましょうか。大森のかみさんは曖昧なことを云っていましたが、ほかの女中にカマをかけて、鶏を売りに来た奴の居所《いどこ》をちゃんと突き留めて来ました。そいつは矢口の新田《にった》神社の近所にいる八蔵という奴だそうです」
「矢切で死んだ奴の詮議に矢口へ行く……。矢の字|尽《づく》しも何かの因縁かも知れねえ。おまけにどっちも渡し場だ」と、半七は笑った。「じゃあ気の毒だが矢口へ行って、あの鶏はどこで買ったのか、調べてくれ。こうなったら、ちっとぐらい手足を働かせても無駄にゃあなるめえ」
「そうです、そうです。こいつは何か引っかかりそうですよ。だが、これから矢口までは行かれねえから、あしたにしましょう」
なにかの期待をいだいて、庄太は威勢よく帰った。明くる日も寒い風が吹いたので、庄太も定めて弱っているだろうと思っていると、果たしてその日の灯《ひ》ともし頃に、彼はふるえながら引き上げて来た。
「矢口へ行って、八蔵という奴の家《うち》をさがし当てました。あの鶏はやっぱり海保寺門前の桂庵の家で買ったということですから、鳥亀の女房が売ったに相違ありません」
八蔵は農家の伜であるが、家には兄弟が多いので、彼は農業の片手間に飼い鶏《どり》や家鴨《あひる》などを売り歩いていた。大きい笊に麻縄の網を張ったような鳥籠を天秤棒に担《かつ》いで、矢口の村から余り遠くない池上《いけがみ》、大森、品川のあたりを廻っていたのである。去年の五月ごろ、彼は品川方面へ商売に出て、南番場の海保寺門前を通りかかると、桂庵の家から呼びかけられて、ひと番《つが》いの飼い鶏を買ってくれと云われた。八蔵は売るばかりが商売ではない。買って売って其のあいだに利益を見るのであるから、承知して売り値を訊《き》くと、幾らでもいいから持って行ってくれと云う。その売りぬしは三十二三の婀娜《あだ》っぽい女であった。
ともかくも其の鶏を見せてくれと云うと、女は裏へまわれと云う。そこには空地同様の小さい庭があって、二羽の鶏が籠に伏せてあった。女はもう姿を見せないで、二十五六の男が薪《まき》ざっぽうを持って出て来た。彼は八蔵にむかって、この鶏はいっそ打《ぶ》ち殺してしまおうと思うのだが、おかみさんがぐずぐず云うから持って行ってくれと暴々《あらあら》しく云った。いい加減な値をつけて引き取ることにすると、二羽の鶏はしきりに暴《あ》れ狂って、八蔵の籠に移されるのを拒《こば》むので、男も手伝って無理に押し込んだ。男は薪ざっぽうを放さずに掴んで、絶えず何事をか警戒しているように見えた。
八蔵はその足で大森へまわって、かの茶屋へ二羽の鶏を売ったが、その時には皆おとなしく翼《つばさ》を収めて、前のように暴れ狂うことは無かった。右から左に鶏を処分して、八蔵は相当の利益を得て帰った。雌鶏はその時から少し弱っているようであったが、ふた月ほどの後に死んだという話を聞いた。
「まあ、そういうわけなんです」と、庄太はひと通りの報告を終った。「八蔵の話の様子じゃあ、あの鶏はお六の家にいる時から、なにか暴《あ》れていたらしいようですから、大森の時も恐らくお六と知って飛びかかったのでしょう。そこでお六の家《うち》の番頭という奴を、きょうは確かに見とどけて来ましたが、小作りの苦味走った男で、顔に見覚えはありませんが、これも唯の町人らしくない奴です。と云って、遊び人にしちゃあ野暮に出来ているし、まあ、屋敷の大部屋にでも転がっていたような奴ですね」
「折助《おりすけ》か」と、半七はうなずいた。「折助なんぞは軍鶏屋のお客だ。まんざら縁のねえこともねえ。これでどうにか白と黒の石が揃ったようだ。まあ、おめえの五目《ごもく》ならべをやってみろ」
「わっしの列べ方じゃあ、鳥亀の女房が店の客の折助と出来合って、亭主の釣り好きを幸いに、暗いうちから下矢切へ鮒釣りに出してやる。折助は先廻りをして、芦の間か柳の蔭にでも隠れていて、不意に亭主を突き落とす……。と、まあ、云ったような段取りでしょうね。土地にいちゃあ面倒だから、浅草の店をしめて品川へ引っ越して、桂庵に商売換えをして、その折助が番頭実は亭主になって一緒に暮らしている。そこで、例の鶏の一件だが……。店を仕舞うときにみんな売ってしまいそうなものだが、何かの都合でひと番《つが》いだけ品川まで持って行くと、こいつが変に暴れたりする。二人はなんだか気が咎めて、薄っ気味が悪いような気もするので、ぶち殺すか売り飛ばすか二つに一つということになって、それが八蔵の手を渡って、大森の茶屋に売られて行った。どうでしょう。違いますか」
「誰の眼も違わねえ。まずそこらだろうな。いくら商売でも忌《いや》になるぜ」と、半七は溜め息をついた。「その通りであって見ろ、女も男も重罪で、引き廻しの上に磔刑《はりつけ》だ。それを知りながら科人《とがにん》の種は尽きねえ。どうも困ったものだ。といって、こうなったら打っちゃっても置かれねえ。松吉と手分けをして詮議にかかれ。おめえは浅草の方を受け持って、鳥亀の亭主はどんな人間だったか、女房はどんな事をしていたか、昔のことを洗ってみろ。鳥亀にも何か親類があるだろう。店の奉公人もあった筈だ。そんなのを詮議したら、大抵の見当は付くだろう。松には品川の方を受け持たせて、男の身許《みもと》を洗わせて見よう」
「ようござんす。浅草の方は引き受けました」
「毎日の遠出《とおで》でくたびれただろうが、これも御用で仕方がねえ。早く家《うち》へ帰って、かみさんを相手に寝酒の一杯も飲め」
幾らかの小遣いを貰って、庄太はにこにこして帰った。
それから三日の後、正月二十七日の午後である。品川の方を受け持ちの子分松吉が帰って来て、こんなことを半七に報告した。
「鈴ケ森の仕置き場のそばで死骸が見付かりました」
「男か、女か」
「二十一二の若い男で、色白の小綺麗な、旗本屋敷の若侍とでも云いそうな風体《ふうてい》で、匕首《あいくち》か何かで突かれたらしい疵《きず》が四カ所……。首に手拭が巻き付けてあるのを見ると、初めに咽喉《のど》を絞めようとして、それを仕損じて今度は刃物でやったらしいのです。大小は誰か持って行ったらしく、本人は丸腰で、そこらにも落ちていませんでした。死骸は海へでも投げ込むつもりで、浪打ちぎわまで引き摺って行ったらしいが、人が来たのでそのままにして逃げたと見えます。懐中物はなんにも無いので、ちっとも手がかりになりそうな物はありません」
「その死骸はけさ見つけたのか」
「そうです。多分ゆうべのうちにやったのでしょうね。検視の済むのを見とどけて、わっしは急いで帰って来たのですが、どうしましょう」
「鈴ケ森じゃあ町方《まちかた》の係り合いじゃあねえが、いずれ頼んで来るだろう。殊に屋敷者だから、まあひと通りは調べて置くがいいな」と、云いかけて半七は思い出したように云った。「それから、品川の桂庵の一件だが、亭主の身許《みもと》はまだ判らねえか」
「なんでも湯島《ゆしま》か池《いけ》の端《はた》あたりに中間奉公をしていたらしいのですが、どこの屋敷かまだ突き留められません。なにしろあの辺には屋敷が多いので……。まあ、そのうちに何とかしますから、もう少し待って下さい」
「鈴ケ森の人殺しは、ひょっとすると鳥亀の一件にからんでいるかも知れねえな」
「なぜです」と、松吉は不思議そうに訊《き》いた。
「なぜと訊かれちゃあ返事に困るが、多年この商売をしていると、自然に胸に浮かぶことがある。まあ、虫が知らせるとでもいうのかも知れねえが、それが又、奇妙にあたることがあるものだ。今度の一件も何だかそんな気がしてならねえ」
「もしそうならば、いよいよ事が大きくなりますね。なにしろ鈴ケ森の方を調べてみましょう。案外の手がかりがあるかも知れません」
四
あくる日の朝、半七は八丁堀同心坂部治助の屋敷へ呼ばれた。すぐに行ってみると、それは彼《か》の鈴ケ森の一件で、変死人は市内の屋敷者らしいから、町方の方でその身もとを詮議して貰いたいと郡代《ぐんだい》からの依頼があった。下手人も分明次第に召し捕ってくれというのである。
「そういう訳だから、なんとか埒を明けてくれ」と、坂部は云った。
「かしこまりました。わたくしにも少し心あたりがありますから、早速取りかかります」
こうなると子分任せにもして置かれないので、半七はその足で品川へ出向いた。
このあいだの大雪以来、もう十日あまりの天気がつづいたので、大通りのぬかるみも大かたは踏み固められた。この頃の寒い風もきょうは忘れたように吹きやんで、いわゆる梅見|日和《びより》の空はうららかに晴れていた。高輪の海辺《うみべ》をぶらぶらあるいて行くと、摺れ違う牛の角《つの》にも春の日がきらきらと光って、客を呼ぶ茶屋女の声もひとしお春めいてきこえた。品川の北から南へ通りぬけて、宿《しゅく》のはずれへ来かかると、ここらには寺が多い。その門内には梅でも咲いているのであろう、ところどころで鶯の声がきこえて、無風流の半七もときどきに足を止めた。
目あての桂庵は海保寺の門前にあって、入口にむさし屋という暖簾《のれん》が懸かっていた。近所で訊くと、おかみさんは三十三の厄年で川崎の初大師へ参詣に行って、その帰り道で暴れ馬に蹴られて、駕籠に乗って帰って来たが、それから熱が出たので今も寝ているという噂であった。お六は鶏に襲われたことを秘《かく》して、馬に蹴られたと云っているらしい。鶏というのを憚っているのは、そこに何かの仔細が無ければならないと、半七の疑いはいよいよ深められた。彼は思い切って、むさし屋の暖簾をくぐってはいると、手引きらしい四十前後の女が店さきに腰をかけていた。
「ごめんなさい」と、半七は会釈《えしゃく》した。「おかみさんは内ですかえ」
「おかみさんは二階に寝ていますよ」と、女も会釈しながら答えた。「七日ほど前に怪我をしましてね」
「番頭さんは……」
「番頭さん……。勇さんですか」
「ええ、勇さんです」
「勇さんは二、三日留守ですよ」
「どこへ行ったのです」
「さあ、わたしもよく知りませんが、金さんのところへでも行っているのじゃありませんか」
「金さんの家《うち》はどこでしたね」
「金さんの家は……。なんでも鮫洲《さめず》を出はずれて右の方へはいった畑のなかに、古い家が二軒ある。一軒は空家《あきや》で、その隣りが金さんの家だそうですよ」
「いや、ありがとう。おかみさんをお大事に……」
半七はそこを出て、更に近所で訊いてみると、むさし屋に出入りする金さんは金造といって、この品川の宿をごろ付き歩いて、女郎屋の妓夫《ぎゆう》などを相手に、小博奕などを打っている男であることが判った。それを友達にしている勇さんの正体も大抵想像された。
「ともかくも鮫洲へ行ってみよう」
半七は浜川の方にむかって、東海道をたどって行くと、涙橋のたもとで松吉に逢った。
「やあ、お出かけでしたか」と、松吉は寄って来てささやいた。「実は少し聞き込んだことがあるのですがね。品川の宿の入口に駕籠屋がある。あすこの奴らの話じゃあ、おとといの晩ひとりの若い侍が来て、桂庵のむさし屋はどこだと聞いて行ったそうで……。その侍の年頃や人相が鈴ケ森の死骸にそっくりですから、やっぱり親分の鑑定通り、鈴ケ森の一件は鳥亀の奴らに何かの引っかかりがあるに相違ありません。むさし屋の番頭だか亭主だか知らねえが、お六と一緒に暮らしている奴は勇二といって、土地の遊び人なんぞとも附き合っているそうですから、何をするか判りませんよ」
「その勇二は二、三日前から帰らねえと云うじゃあねえか」
「二十六日の晩から家《うち》へ帰らねえそうです」
「鮫洲の金造という奴の家へ行っているという話だから、これからともかくも行ってみようと思っているのだ」
「鮫洲の金造……。あいつならわっしも知っています。現にきのうも品川で逢いましたよ。生薬屋《きぐすりや》の店で何か買っていました」
「金造はどんな奴だ」
「なに、けちな野郎ですよ」
半七は立ちどまって考えていた。
「おい、松。御苦労だが、品川へ引っ返して、その生薬屋で金造が何を買ったか調べて来てくれ。風薬《かざぐすり》の葛根湯《かっこんとう》ぐらいならいいが、疵《きず》薬でも買やあしねえか」
「ようがす。すぐに調べて来ます」
「往来に立ってもいられねえ。そこの団子茶屋に休んでいるぜ」
橋のたもとの茶店にはいって暫く待っていると、やがて松吉が急ぎ足で帰って来た。
「親分。案の通り、金造は切疵《きりきず》のくすりを買って行きました。金創《きんそう》いっさいの妙薬という煉薬《ねりぐすり》だそうで……」
勇二は金造の家にかくれて疵養生をしているのであろうと、半七は推量した。鈴ケ森で侍を殺した時に、彼も手疵を負ったらしい。自分の家へ帰って療治をすると、秘密露顕の虞れがあるので、金造に頼んで薬を買わせにやったのであろう。どんな様子か実地を見とどけて、怪しい節《ふし》があればすぐに引き挙げてもいいと決心して、松吉にもそっとささやくと、彼も同意して親分のあとに続いた。
街道から右へ切れると、そこらには田畑が多かった。細い田川も流れていた。その田川で小鮒でもあさっているらしい子供に教えられて、金造の家はすぐに知れた。むさし屋の女の云った通り、近所に遠い畑のなかに二軒の藁葺き屋根が隣り合っていて、外には型ばかりの低い垣根が結いまわしてあった。軒は朽ち、柱は傾いて、どっちが空家か判らないほどに荒れているので、二人は垣根の外に忍び寄って、右と左の家をうかがっていると、左の家のなかで忽ちにワッという男の悲鳴がきこえた。
二人はハッと顔を見あわせると、破れ障子を蹴倒して一人の男がころげ出した。彼は左の脇腹をかかえながら、庭の空地《あきち》に転げ落ちたかと思うと、また這い起きて駈け出して、竹の朽ちている垣根を押し破って、表へくぐり出ると直ぐにのめって倒れた。その腰から下は溢れるばかりの生血《なまち》にひたされていた。
「や、金造か」と、松吉は叫んだ。「おい、どうした、どうした」
金造は倒れたままで声も出さなかった。その間《ひま》に半七は垣を破って内へ駈け込むと、破れ畳にもなまなましい血が流れて、うす暗い家のなかに幽霊のような若い女が、さながら喪神《そうしん》したようにべったりと坐っていた。坐るというよりも半分は倒れたようなしどけない姿で、手には匕首《あいくち》を握っていた。しかもそれが相当の武家の奥方とでも云いそうな人柄であるので、半七も少し躊躇した。
「あなたはどなたでございます」
女は黙っていた。
「あの男はあなたがお手討ちになったのですか」
女はやはり黙っていたが、やがて気がついたように匕首をとり直して、自分の咽喉《のど》に突き立てようとしたので、半七は飛びあがって其の手を押さえたが、もう間に合わなかった。彼女の蒼白い頸筋からくれないの血が流れ出した。
五
半七老人はここまで話して来て、例によって「これでお仕舞」というような顔をした。
「その女は何者ですか」と、私は追いすがるように訊《き》いた。
「その女は湯島の化物稲荷《ばけものいなり》……と云っても、この頃の人にはお判りにならないでしょうが、今の天神|町《ちょう》の一丁目、その頃は松平|采女《うねめ》という武家屋敷の向う角で、そこに化物稲荷というのがありました。なぜ化け物と云ったのか知りませんが、江戸時代には化物稲荷という名になっていて、江戸の絵図にも化物稲荷と出ている位ですから、嘘じゃありません。その稲荷さまの近所に屋敷を持っている塚田弥之助という六百石の旗本の奥さまで、お千恵さんという人でした」
「そんな身分の人がどうして鮫洲の金造という奴の家に来ていたんですか」
「それには仔細があります。その塚田弥之助というのは、今年《ことし》二十二の若い人で、正月いっぱいに江戸を引き払って甲府勤番ということになりました。仕様のない道楽者であるために、いわゆる山流しで甲州へ追いやられたんです。就いては自分の屋敷を他人《ひと》に譲り、そのほかの家財なども売り払って百両ほどの金をこしらえ、いよいよ二十八日には江戸を立つという間際《まぎわ》になって、奥様のお千恵さんはお名残《なご》りに湯島の天神さまへ御参詣して来ると云って、二十五日のひる過ぎに屋敷を出て、途中で女中を撒《ま》いてしまって、ゆくえ知れずになりました。奥様も奥様だが、殿様も殿様で、これも江戸のお名残りだというので吉原へ昼遊びに行っている。その留守中に奥様は家出というのですから、屋敷は乱脈でお話になりません。お千恵さんというのは十六の秋にこの屋敷へ縁付いて来て、あしかけ四年目の十九で、夫婦のあいだには子供はない。亭主は道楽者で、内を外に遊び歩くためでもありましょうが、お千恵さんはいつか自分の屋敷の若侍の安達文次郎という者と密通していて、今度の甲府詰めを機会にかの百両をぬすみ出して、二人は駈け落ちをするという相談を決めたんです。そこへ現われて来たのが品川のむさし屋の勇二という奴で……」
「勇二は塚田の屋敷に何か関係があったんですか」
「勇二は去年の春まで塚田の屋敷に中間奉公をしていたんです。その時から奥様と文次郎の関係を薄々覚っていたのかも知れませんが、当人の白状では、正月の初めに下谷《したや》の往来で文次郎に出逢って、そこらの小料理屋へ連れ込まれて、初めて相談を掛けられたのだということです。いずれにしても、胸に一物《いちもつ》ある勇二はすぐにその相談に乗って、ひとまず奥様を鮫洲の金造の家に隠まうことにして、約束の二十五日の午《ひる》過ぎに湯島の天神の近所に忍んでいて、お千恵さんを駕籠に乗せて鮫洲に送り込みました。一緒に出ては忽ちに覚られるというので、文次郎は素知らぬ顔で騒いでいて、翌日の二十六日の夕方から奥様のゆくえを探すという体《てい》にして、かの百両を懐中にして、これも屋敷を飛び出してしまいました。行くさきは品川ですが、文次郎は勇二の家を知らないので、宿《しゅく》の入口の駕籠屋で訊いて、桂庵のむさし屋へたずねて行くと、勇二は待っていて表へ連れ出しました。
文次郎はまだ夜食を食わないというので、勇二はそこらの料理屋へ案内して、二人は飲んで食って、文次郎をいい加減に酔わせて置いて、さあこれから鮫洲の金造の家へ行こうと云って出たんですが、もう其の頃は五ツ(午後八時)過ぎで夜は真っ暗、文次郎はここらの案内を知らないので、黙って勇二のあとに付いて行くと、鮫洲を通り越して鈴ケ森の縄手にさしかかる。勇二は草履の鼻緒が切れたと云って、提灯を路ばたに置いて何時までもぐずぐずしているので、文次郎もどうしたのかと覗きに来ると、勇二は不意に手拭を文次郎の首にまき付けて絞め殺そうとしたのが巧く行かない。そこで、今度は隠していた匕首《あいくち》をぬき出して、滅茶苦茶に突いた。それでも相手は侍ですから倒れながらも抜き撃ちの太刀さきが勇二の右の膝にあたったので、勇二も倒れる。文次郎も倒れる。文次郎はそのまま息が絶えてしまったので、勇二は這い起きてその懐中の金を奪い、その上に大小は勿論、煙草入れから鼻紙まで残らず奪い取って、死骸は海へ突き流そうと浪打ちぎわまで引き摺って行くときに、誰かそこへ通りかかったので、勇二はあわてて提灯を吹き消して、怱々《そうそう》に逃げ出しました。
鮫洲のあたりまで引っ返して来て気がつくと、右の膝がしらから血が流れる、疵が痛む。跛足《びっこ》をひきながら金造の家へ転げ込んで、疵を洗って手当てをして、その晩はともかくも寝てしまったが、明くる朝になると疵口がいよいよ痛む。刀の先が少しあたっただけで、さのみに深い疵でも無いんですが、ひどく痛む。金造に頼んで傷薬を買って来て貰って、内証で療治をしていると、その翌日の午過ぎに、わたくし共に踏み込まれたというわけです。それですから勇二は逃げるも、どうするもありません、なんの苦もなく召し捕られました」
「金造はなぜ殺されたんですか」
「金造の殺されたのは自業自得で……。勇二は先ず塚田の奥様を金造の家《うち》へ連れ込み、その明くる晩に文次郎をさそい出して鈴ケ森で殺してしまい、文次郎から百両の金を奪い取った上に、奥様を東海道筋の宿場女郎に売り飛ばすという、重々の悪事を企《たくら》んでいたんです。そこで二十五日の晩は無事だったんですが、二十六日の晩になっても約束の文次郎が来ないので、お千恵さんも気を揉み出した。おまけに勇二ひとりが帰って来て、ひそかに疵の手当てなどをしているので、お千恵さんはいよいよ疑って何かと詮議を始めたので、文次郎殺しを覚られては面倒、お千恵を逃がしてはいよいよ面倒と、勇二と金造は相談の上で、二人はここで正体をあらわし、奥様の手足を荒縄で縛って、手拭を口に噛ませて、隣りの空家へ押し籠めて置いたんです。いや、それだけならまだいいんですが、二十七日の晩には金造が隣りの空家へ忍んで行って、手足の利かないお千恵さんを匕首で嚇し付けて、どうで女郎に売られる体だから、置土産におれの云うことを肯《き》けなどと迫ったそうです。こんにちの言葉でいえば監禁暴行、昔はこんな悪い奴が往々ありました。
勇二はそれを知っていたが、自分も足が不自由なので、奥様を救うことが出来なかったと云っていましたが、こいつも体が達者ならば何をしたか判りません。金造はそれに味を占めて、その翌日の午過ぎにも再び隣りへ押し掛けて行って、又もや匕首を突きつけると、お千恵さんはもう観念したらしく、なんでもお前の云う通りになるから、この縄を解いてくれと云うと、金造も甘い野郎で、むむそうかと縄を解く。その途端にお千恵さんは相手の匕首を引ったくって、横ッ腹へずぶり……。金造め、ワッと叫んで表まで逃げ出したが、急所のひと突きで脆《もろ》くも往生という始末、まったく自業自得と云うのほかはありません。奥様もつづいて自害と覚悟しましたが、わたくしが早く押さえたので、幸いに疵は浅手で済みました。いや、こうと知ったら留めずに殺した方がよかったかと思いますが、その時にはなんにも知らないで、あわてて留めてしまいました」
「お六という女も召し捕られたんですね」
「これもすぐに召し捕りましたが、例の鶏《とり》に突かれたり蹴られたりした幾カ所の疵が膿《う》んで熱を持って、こんにちで云えば何か悪い黴菌《ばいきん》でもはいったんでしょう、ようよう這って歩くような始末なので、駕籠に乗せて連れて行きました。この方はもう大抵お察しでしょうが、勇二は塚田の屋敷に中間奉公している頃から、浅草の鳥亀へ軍鶏《しゃも》や鶏を食いに行って、女房のお六と関係が出来て、結局ふたりが相談の上で邪魔になる亭主を殺すことになったんです。安蔵が釣りに行くのを知って、勇二が先廻りをしていて不意に川へ突き落とす……。すべてが思う通りに運んで、お六は鳥屋の店を畳む、勇二は屋敷から暇を取る。そうして、品川へ引っ越して桂庵を始める。それで先ず小一年は無事に済んだのですが、旧い罪と新らしい罪とが一度にあらわれて、もう助からない事になりました。
そこで例の鶏ですが、お六の申し立てによると、その一番《ひとつが》いは亭主の安蔵の死ぬ五、六日前に、千住の問屋から仕入れた鶏で、店を仕舞う時にこの一|番《つが》いだけが潰《つぶ》されずに残ったので、ともかくも品川まで持って行って、自分の家に飼って置くと、鶏の様子がだんだんに可怪《おか》しくなって、お六らをみると飛びかかりそうになるので、腹が立つやら気味が悪いやらで、かの八蔵に売ってしまったのです。いっそ殺したらよかったかも知れませんが、それを食うのも心持が悪し、殺して捨てるのも惜しいというわけで、捨て売りに売ったのが因果、大森の茶屋で不思議にめぐり逢って、飛んだ事になりました。お六もその鶏に見覚えがあるので、自分に飛びかかって来た時には、はっと思ったと云っていました。それにしても、安蔵の死ぬ五、六日前に買った鶏がどうして旧主人のかたきを討とうとしたのか。世間の人の知らないお六と勇二の秘密を、どうしてこの鶏が知っていたのか。唯なんとなくお六と勇二が憎いように思われたのか。それとも別に仔細があるのか。鶏の料簡《りょうけん》は誰にも判りませんから思い思いに判断するのほかはありませんが、恐らく死んだ亭主の魂が鶏に乗憑《のりうつ》ったのでしょうと、お六は恐ろしそうに云っていました。お六ばかりでなく、昔の人はとかくにそんなことを云いたがりますが、実際はどんなものでしょうか。なにしろ不思議といえば不思議です。
塚田の屋敷では奥さまの家出、家来の逐電《ちくてん》、おまけに路用の百両が紛失しては、甲州へ出発することも出来ず、さすがの殿様も途方にくれ、屋敷の者共はただ茫然としているところへ、町奉行所からの沙汰があって、金は無事に戻ったので、まずほっとしたわけです。殺された文次郎は仕方もありませんが、生き残った奥様の始末には困ったのでしょう。結局離縁になって里方《さとかた》へ帰されたようです。
お六と勇二は前にも申す通り、どっちも疵の経過が悪く、吟味が済まないのに、二人ともに大熱を発して牢死してしまいましたので、その死骸は塩詰めにして日本橋に三日晒しの上、千住《せんじゅ》で磔刑《はりつけ》に行なわれました」
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妖狐伝《ようこでん》
一
大森の鶏の話が終っても、半七老人の話はやまない。今夜は特に調子が付いたとみえて、つづいて又話し出した。
「唯今お話をした大森の鶏、鈴ケ森の人殺し……。それと同じ舞台で、また違った事件があるんですよ。まあ、ついでにお聴きください。御承知の通り、江戸時代の鈴ケ森は仕置場で、磔刑《はりつけ》や獄門の名所です。それですから江戸の悪党なんかは『おれの死ぬときは畳の上じゃあ死なねえ。三尺高い木の空《そら》で、安房上総《あわかずさ》をひと目に見晴らしながら死ぬんだ』なんて大きなことを云ったもんです。鈴ケ森で仕置になった人間もたくさんありますが、その中でも有名なのは、丸橋忠弥、八百屋お七、平井権八なぞでしょう。みんな芝居でおなじみの顔触れです。
その当時の東海道は品川から浜川、鮫洲《さめず》で、鮫洲から八幡さまのあたりまでは、農家や漁師町が続いていますが、それから大森までは人家が途切れて、一方は海、いわゆる安房上総をひと目に見晴らすことになる訳で、仕置場までの間を鈴ケ森の縄手と呼んでいました。その縄手を越えて、仕置場の前を通りぬけて、大森の入口へ差しかかるのですから、昼は格別、夜はどうも心持のよくない所です。芝居で見ると、幡随院長兵衛と権八の出合いになって『江戸で噂の花川戸』なんて云うから、観客《けんぶつ》も嬉しがって喝采するんですが、ほんとうの鈴ケ森は決して嬉しい所じゃありませんでした。
なにしろ場所が場所ですから、日が暮れると縄手に追剥ぎが出るとか、仕置場の前を通ったら獄門の首が笑ったとか、とかくによくない噂が立つ。しかしこれが東海道の本道なんですから、忌《いや》でも応でもここを通らなければならない。この頃は汽車で通ってしまうので、今はどうなっているか知りませんが、その縄手の中ほどに一本の古い松がありまして、誰が云い出したものか、これを八百屋お七の睨《にら》みの松と云い伝えていました。お七が鈴ケ森で火あぶりの仕置を受けるときに、引き廻しの馬に乗せられてここを通りかかって、その松を睨んだとか云うんです。なぜ睨んだのか判りませんが、まあ、そういうことになっているので、俗に睨みの松と呼ばれていました。
くどくも申す通り、場所が場所である上に、そういう因縁付きの松が突っ立っているんですから、その松の近所がとかくに物騒で、追剥ぎや人殺しや首|縊《くく》りの舞台に使われ易いんです。
わたくしの話はいつも前口上が長いので恐れ入りますが、これだけの事をお話し申して置かないと、今どきのお方には呑み込みにくいだろうと思いますので……。いや、もうこのくらいにして、本文《ほんもん》に取りかかりましょう」
安政六年の春から夏にかけて、鈴ケ森の縄手に悪い狐が出るという噂が立った。品川に碇泊している異国の黒船から狐を放したのだなどと、まことしやかに伝える者もあった。いずれにしても、その狐はいろいろの悪戯《いたずら》をして、往来の人々をたぶらかすというのである。さなきだに物騒の場所に、悪い噂が又ひとつ殖えて、気の弱い通行人をおびやかした。
四月二十八日の夜の五ツ(午後八時)を過ぎる頃に、巳之助《みのすけ》という今年二十二の若い男がこの物騒な場所を通りかかった。芝の田町《たまち》に小伊勢という小料理屋がある。巳之助はそこの総領息子で、大森の親類をたずねた帰り道であった。この頃はいろいろの忌《いや》な噂があるから、今夜は泊まってゆけと勧められたのであるが、巳之助は若い元気と一杯機嫌とで、振り切って出て来た。
月は無いが、星の明るい夜であった。巳之助は提灯をふり照らしながら、今やこの縄手まで来かかると、睨みの松のあたりに人影がぼんやりと見えた。|はっ《ヽヽ》と思って提灯をさしつけると、それは白い手拭に顔をつつんだ女であった。今頃こんな処にうろついている女――さては例の狐かと、彼は更に進み寄って正体を見届けようとする途端に、女はするすると寄って来た。
「あら、巳之さんじゃないの」
「え、誰だ、誰だ」
「やつぱり巳之さんだ。あたしよ」
提灯のひかりに照らされながら、手拭を取った女の白い顔をみて、巳之助はおどろいた。
「おや、お糸か。どうしてこんな処にぼんやりしているのだ」
「まあ、御迷惑でも一緒に連れて行って下さいよ。あるきながら話しますから……」
女は巳之助が買いなじみの女郎で、品川の若狭《わかさ》屋のお糸というのであった。勤めの女が店をぬけ出して、今頃こんな処にさまよっているには、何かの仔細がなければならない。巳之助は一緒にあるきながら訊《き》いた。
「駈け落ちかえ。相手は誰だ」
「本当にあたしは馬鹿なのよ。あんな人にだまされて……」と、お糸はくやしそうに云った。「巳之さん、済みません。堪忍してください」
巳之助とお糸はまんざらの仲でもなかった。その巳之助を出し抜いて、ほかの男と駈け落ちをする。女が何とあやまっても、男の方では腹が立った。
「何もあやまるにゃあ及ばねえ。そんな約束の男があるなら、おれのような者と道連れは迷惑だろう。おめえはここで其の人を待っているがよかろう。おれは先へ行くよ」
女を振り捨てて、巳之助はすたすたと行きかかると、お糸は追って来て男の袖をとらえた。
「だから、あやまっているじゃあないか。巳之さん、まあ訳を訊いておくれというのに……」
「知らねえ、知らねえ。そんな狐にいつまで化かされているものか」
自分の口から狐と云い出して、巳之助はふと気がついた。この女はほんとうの狐であるかも知れない。悪い狐がお糸に化けておれをだますのかも知れない。これは油断がならない、と彼は俄かに警戒するようになった。
「ねえ、巳之さん。わたしはどんなにでも謝《あやま》るから、まあひと通りの話を聴いて下さいよ。ねえ、もし、巳之さん……」
口説きながら摺り寄って来た女の顔、それが気のせいか、眼も鼻も無い真っ白なのっぺらぼうの顔にみえたので、巳之助はぎょっとした。彼は夢中で提灯を投げ出して、両手で女の咽喉《のど》を絞めようとした。
「おまえさん、何をするの。あれ、人殺し……」
突き退けようとする女を押さえ付けて、巳之助は力まかせにその咽喉を絞めると、女はそのままぐったりと倒れた。
「こいつ、見そこなやあがって、ざまあ見ろ。憚りながら江戸っ子だ。狐や狸に馬鹿にされるような兄《にい》さんじゃあねえ」
投げ出すはずみに蝋燭は消えたので、提灯は無事であった。潮あかりに拾いあげたが、再び火をつける術《すべ》もないので、巳之助はそのまま手に持って歩き出そうとする時、彼はどうしたのか忽ちすくんで声をも立てずに倒れてしまった。
さびしいと云っても東海道であるから、狐のうわさを知らない旅びとは日暮れてここを通る者もあったが、あいにくに今夜は往来が絶えていた。巳之助が正気にかえったのは、それから二刻《ふたとき》ほどの後で、彼は何者にか真向《まっこう》を撃たれて昏倒したのである。ようよう這い起きて、闇のなかを探りまわると、提灯はそこに落ちていた。ふところをあらためると、紙入れも無事であった。
「お糸はどうしたか」
星あかりと潮あかりで其処らを透かして視ると、女の形はもう残っていないらしかった。自分をなぐった奴が女を運んで行ったのか、それとも消えてなくなったのか、巳之助にもその判断が付かなかった。第一、自分を殴り倒した奴は何者であろう。物取りならば懐中物を奪って立ち去りそうなものであるが、身に着けた物はすべて無事である。お糸はやはり狐の変化《へんげ》で、その同類が自分に復讐を試みたのかと思うと、巳之助は急に怯気《おじけ》が出て、惣身《そうみ》が鳥肌になった。口では強そうなことを云っていても、彼は決して肚《はら》からの勇者でない。こうなると怖い方が先に立って、彼は怱々《そうそう》にそこを逃げ出した。
鈴ケ森の縄手を通りぬけて、鮫洲から浜川のあたりまで来ると、巳之助は再び眼が眩《くら》んで歩かれなくなった。そこには丸子という同商売の店があるので、夜ふけの戸を叩いて転げ込んで、その晩は泊めて貰うことにした。ゆうべは余ほど強く撃たれたと見えて、夜が明けても頭が痛んだ。おまけに熱が出て起きられなかった。
丸子の店でも心配して医者を呼んだ。芝の家へも知らせてやった。巳之助は熱に浮かされて、囈語《うわごと》のように叫んだ。
「狐が来た……。狐が来た」
事情をよく知らない周囲の人々は薄気味悪くなった。これは夜ふけに鈴ケ森を通って、このごろ評判の狐に取りつかれたに相違ないと思った。同商売の店に迷惑を掛けてはならないというので、小伊勢の店からは迎えの駕籠をよこして、病人の巳之助を引き取って行ったが、実家へ帰っても彼は「狐」を口走っていた。この場合、まず品川へ行ってお糸という女が無事に勤めているかどうかを確かめるべきであるが、それに就いて巳之助はなんにも云わないので、小伊勢の店の人々もそんなことには気がつかなかった。
それでも五、六日の後に、巳之助は次第に熱が下がって粥などをすするようになった。彼はここに初めて当夜の事情を打ち明けたので、両親は取りあえず品川の若狭屋に問い合わせると、巳之助が馴染のお糸という女は何事もなく勤めていて、駈け落ちなどは跡方もない事であると判った。
「では、やっぱり狐か」
これで鈴ケ森の怪談がまた一つ殖えたのであった。
二
巳之助の一件から十日ほどの後である。京の織物|商人《あきんど》の逢坂屋伝兵衛が手代と下男の三人づれで、鈴ケ森を通りかかった。本来ならば川崎あたりで泊まって、あしたの朝のうちに江戸入りというのであるが、江戸を前に見て宿を取るには及ぶまい。急いで行けば四ツ(午後十時)過ぎには江戸へはいられると、一行三人は夜道をいとわずに進んで来た。彼らは例の狐の噂などを知らないのと、男三人という強味があるのとで、平気でこの縄手へさしかかると、今夜は陰って暗い宵で、波の音が常よりも物凄くきこえた。
伝兵衛は四十一歳で、これまで二度も京と江戸とのあいだを往復しているので、道中の勝手を知っていた。鈴ケ森がさびしい所であることも承知していた。ここらに仕置場があるなどと話しながら歩いて来ると、暗いなかに一本の大きい松が見えた。それが彼《か》の睨みの松であることは伝兵衛もさすがに知らなかったが、そこに大きい松があるのを見て、何ごころなく提灯をさし付けた途端に、三人はぎょっとした。そこに奇怪な物のすがたを発見したのである。
「わあ、天狗……」
それでも三人はあとへ引っ返さずに前にむかって逃げた。彼らは顔の赤い、鼻の高い大天狗を見たのである。天狗は往来を睨みながら、口には火焔を吐いていた。彼らは京に育って、子供のときから鞍馬や愛宕《あたご》の天狗の話を聞かされているので、それに対する恐怖はまた一層であった。気も魂も身に添わずというのは全くこの事で、三人は文字通りに転《こ》けつ転《まろ》びつ、息のつづく限り駈け通すうちに、伝兵衛は石につまずいて倒れて、脾腹《ひばら》を強く打って気絶した。手代と下男はいよいよ驚いて、正体のない主人を肩にかけて、どうにかこうにか鮫洲の町まで逃げ延びた。
こうなっては江戸入りどころで無い。そこの旅籠屋《はたごや》へ主人をかつぎ込んで介抱すると、伝兵衛は幸いに蘇生した。その話を聞いて、宿の者どもは云った。
「あの辺に天狗などの出る筈がない。例の狐が天狗に化けて、おまえさん達を嚇かしたのだ」
こちらは大の男三人であるから、狐と知ったら叩きのめして、その正体をあらわしてやったものをと、今さら力《りき》んでも後《あと》の祭りで、又もや怪談の種を殖やすに過ぎなかった。女に化け、天狗に化け、この上は何に化けるであろうと、気の弱い者をいよいよおびえさせた。
鈴ケ森の狐の噂はそれからそれへと伝えられて、江戸市中にも広まった。五月のなかばに、半七が八丁堀同心|熊谷八十八《くまがいやそはち》の屋敷へ顔を出すと、熊谷は笑いながら云った。
「おい、半七、聞いたか。鈴ケ森に狐が出るとよ」
「そんな噂です」
「一度行って化かされて来ねえか。品川の白い狐に化かされたと云うなら、話は判っているが、鈴ケ森の狐はちっと判らねえな」
「あの辺には畑もあり、森や岡もたくさんありますから、狐や狸が棲んでいるに不思議はありませんが、そんな悪さをするということは今まで聞かないようです」と、半七は首をかしげた。「ともかくも化かされに行ってみますか」
「いずれ郡代《ぐんだい》の方からなんとか云って来るだろうから、今のうちに手廻しをして置く方がいいな。噂を聞くと、狐はいろいろの物に化けるらしい。今に忠信《ただのぶ》や葛《くず》の葉《は》にも化けるだろう。どうも人騒がせでいけねえ。それも辺鄙《へんぴ》な田舎なら、狐が化けようが狸が腹鼓《はらつづみ》を打とうがいっさいお構いなしだが、東海道の入口でそんな噂が立つのはおだやかでねえ。早く狐狩りをしてしまった方がよかろう」
「かしこまりました」
熊谷は勿論この怪談を信じないで、何者かのいたずらと認めているらしかった。半七の見込みもほぼ同様であったが、普通のいたずらにしては少しく念入りのようにも思われた。
三河町の家へ帰って、半七は直ぐ子分の松吉を呼んだ。
「おい、松。おめえと庄太に手伝って貰って、大森の鶏や鈴ケ森の人殺し一件を片付けたのは、もう七、八年前のことだな」
「そうですね。たぶん嘉永の頃でしょう」と、松吉は答えた。
半七は自分の控え帳を繰ってみた。
「成程、おめえは覚えがいい。嘉永四年の春のことだ。その鈴ケ森で、また少し働いて貰いてえことが出来たのだが……」
「狐じゃあありませんか」と、松吉が笑った。「わっしも何だか変だと思っていたのですがね」
「その狐よ。熊谷の旦那から声がかかった以上は、笑ってもいられねえ。なんとか正体を見届けなけりゃあなるめえが、おめえ達に心あたりはねえか」
「今のところ、心あたりもありませんが、早速やって見ましょう」
松吉は受け合って帰ったが、その翌日の夕がたに顔を出して、自分が鈴ケ森方面で聞き出して来た材料をそれからそれへと列《なら》べて報告した。
「この一件の始まりは、なんでも三月の始めだそうです。漁師町の若い者が酒に酔って鈴ケ森を通ると、暗いなかで変な女に逢った。こっちは酔ったまぎれに何か戯《からか》ったらしい。そうすると、赤い火の玉がばらばら飛んで来て、若い者の顔や手足に降りかかったので、きゃっと驚いて逃げ出した。その噂が序開きで、それからいろいろの怪談が流行り出したのです」
田町の料理屋小伊勢のせがれ巳之助が何者にか殴り倒されたこと、京の逢坂屋伝兵衛一行が天狗に嚇された事、まだそのほかに浜川の漁師が魚《さかな》を取られた事、大森の茶屋の女が髪の毛を切られた事、誰が化かされて田のなかへ引っ込まれた事、誰が幽霊に出逢って気絶したこと、誰が顔を引っ掻かれた事、およそ十箇条をかぞえ立てた後に、彼はひと息ついた。
「一々洗い立てをしたら、まだ何かあるでしょうが、どれも大抵は同じような事ばかりで、そのなかには嘘で固めた作り話もありそうですから、まあいい加減に切り上げて来ました。まず一番骨っぽいのは、小伊勢のせがれの件で、なにしろそのお糸という女は駈け落ちなんぞをしないで、平気で若狭屋に勤めているのが面白いじゃあありませんか」
「むむ」と、半七は考えていた。「そりゃあ人違いだな」
「だって、巳之助と口を利《き》いたのですよ。口をきいて一緒にあるいて……」
「いや、それでも人違いだ。女は若狭屋のお糸じゃあねえ」
「そうでしょうか」と、松吉は不得心らしい顔をしていた。
「といって、まさかに狐でもあるめえ。それにしても、巳之助をなぐった奴は何者だろうな」と、半七は又かんがえた。「それから京の奴らをおどかしたのは、天狗だと云ったな。まさかに仮面《めん》をかぶっていたのじゃああるめえ」
「いくら臆病でも、大の男が三人揃って、みんな提灯を持っていたというんですから、仮面をかぶっていたらさすがに気がつく筈ですが……」
「理窟はそうだが、世の中には理窟に合わねえことが幾らもあるからな。まあ、おれも一度踏み出してみよう。あしたの朝、一緒に行ってくれ」
あくる朝はいわゆる皐月《さつき》晴れで、江戸の空は蒼々と晴れ渡っていた。朝の六ツ半(午前七時)頃に松吉が誘いに来たので、半七は連れ立って出た。
「出がけに小伊勢に寄りますか」と、松吉は訊《き》いた。
「狐に化かされた野郎の詮議はまあ後廻しだ。真っ直ぐに浜川まで行こう」
品川を通り過ぎて浜川へかかると、丸子という小料理屋がある。ここは先夜、小伊勢の巳之助が転げ込んだ家である。半七はここへ寄って、当夜の模様などを詳しく訊いた。これから鈴ケ森をひと廻りして来ると云い置いて、二人は又そこを出ると、五月なかばの真昼の日は暑かった。
「東海道は砂が立たなくっていいが、風が吹かねえと随分暑いな」と、半七は眩《まぶ》しそうに空をみあげた。
海辺づたいに鈴ケ森の縄手へ行き着いて、二人はかの睨みの松あたりに、ひと先ず立ちどまった。きょうは海の上もおだやかに光って、水鳥の白い群れが低く飛んでいた。
「ここらだな」
半七はひたいの汗をふきながら其処らを見まわした。松吉も見まわした。二人は又しゃがんで煙草をすいはじめた。やがて半七が煙管《きせる》をぽんと掃《はた》くと、吸い殻の火玉は転げて松のうしろに落ちたので、その火玉を追って二度目の煙草をすい付けようとする時、草のあいだに何物をか見付けた。すぐに拾いあげて透かして視て、半七は忽ち笑い出した。
「今まで誰か気が付きそうなものだが、ここらの人間もうっかりしているぜ。それだから狐に化かされるのだ。おい、松。これを見ろよ」
「なんですね、煙草のような物だが……」と、松吉は覗き込んだ。
「ような物じゃあねえ。煙草だよ。これは異人のすう巻煙草というものの吸い殻だ。おれも天狗の話を聴いた時に、ふっと胸に浮かんだのだが……。おい、松。もう一度あすこを見ろよ」
きせるの先で指さす品川の沖には、先月からイギリスとアメリカの黒船《くろふね》が一艘ずつ碇泊しているのが、大きい鯨のように見えた。巻煙草のぬしがその船の乗組員であることを、松吉はすぐに覚った。
「成程、こりゃあ親分の云う通りだ。そうすると、異人の奴らがあがって来て、悪戯《いたずら》をするのかね」
「そうかも知れねえ」
「だれが云い出したのか知らねえが、品川の黒船から狐を放したのだという噂も、こうなると嘘でもねえ」と、松吉は海をながめながら云った。「異人め、悪いたずらをしやがる。だが、まったく異人の仕業だと、むやみに手を着けるわけにも行かねえので、ちっと面倒ですね」
「いくら異人でも、そんな悪戯を根よくやっている筈がねえ。これには何か訳があるだろう」
巻煙草の吸い殻を手のひらに乗せて、半七は又しばらく考えていた。
三
半七と松吉は鈴ケ森を一旦引き揚げて、浜川の丸子へ戻って来ると、店では待ち受けていてすぐに二階座敷へ通された。前から頼んであったので、酒肴の膳も運び出された。
「なあ、松。ここの家《うち》できいても判るめえが、小伊勢の巳之という伜が睨みの松の下でお糸という女に逢った時に、その女はどんな装《なり》をしていたのかな。まさか芝居でするお女郎の道行《みちゆき》のように、部屋着をきて、重ね草履をはいて、手拭を吹き流しに被《かぶ》っていたわけでもあるめえが……」
「さあ」と、松吉は猪口《ちょこ》を下におきながら云った。「そりゃあ本人の巳之助に訊いてみなけりゃあ判りますめえ。だが、親分。どうしても人違いでしょうか」
「論より証拠、そのお糸という女は無事に若狭屋に勤めていると云うじゃあねえか」
「そりゃあそうですが……」
云う時に、女中が二階へあがって来たので、半七は酌をさせながら訊《き》いた。
「品川にかかっている黒船から、マドロスがここらへあがって来ることがあるかえ」
「ええ、時々に二、三人連れでここらを見物して歩いていることがあります」
「ここらの家《うち》へ飲みに来るかえ」
「ここへは来ませんが、鮫洲の坂井屋へはちょいちょい遊びに来るそうです。川崎屋なんぞでは異人は断わっていますが、坂井屋では構わずに上げて飲ませるんです。異人はみんなお金を持っているそうで、どこで両替えして来るのか知りませんが、二歩金や一歩銀をざくざく掴み出してくれるという話で、馬鹿に景気がいいんです」と、女中は嫉《ねた》むような嘲るような口吻《くちぶり》で話した。
「なんでも慾の世の中だ。異人でもマドロスでも構わねえ、銭のある奴は相手にして、ふところを肥やすのが当世かも知れねえ」と、松吉は笑った。
「まあ、そうかも知れませんね」と、女中も笑っていた。
「その坂井屋さんにお糸という女はいねえかえ」と、半七は突然に訊いた。
「お糸さん……。居りましたよ」
「もういねえかえ」
「ええ、先月の末から見えなくなって……。どっかへ駈け落ちでもしたような噂ですが……」
半七と松吉は顔をみあわせた。
「坂井屋じゃあ異人を泊めるのかえ」と、半七はまた訊いた。
「泊めやあしません。坂井屋は宿屋じゃありませんから……。それに異人は船へ帰る刻限がやかましいので、その刻限になるとみんな早々に帰ってしまうそうで……。どんなに酔っていても、感心にさっさと引き揚げて行くそうです」
「そんなに金放れがよくっちゃあ、今も云う慾の世の中だ。その異人に係り合いでも出来た女があるかえ」
「さあ、それはどうですか。いくら金放れがよくっても、まさかに異人じゃあ……」と、女中はまた笑った。「誰だって相手になる者はありますまい」
「手を握らせるぐらいが関の山かな」と、松吉も笑った。「それで一歩も二歩も貰えりゃあいい商法だ」
「ほほほほほほ」
女中は銚子をかえに立った。そのうしろ姿を見送って、松吉はささやいた。
「成程、親分の眼は高けえ。人ちがいの相手は坂井屋のお糸ですね」
「まあ、そうだろう。そのお糸が黒船のマドロスと出来合って逃げたらしいな」
「それを自分の馴染の女と間違えるというのは、巳之助という奴もよっぽどそそっかしい野郎だ」
「野郎もそそっかしいが、女も女だ。まあ、待て。それには何か訳があるだろう」
女中が再びあがって来たので、半七はまた訊き始めた。
「おい、姐さん。駈け落ちをしたお糸には、なにか色男でもあったのかえ」
「それはよく知りませんが、近所の伊之さんと……」
「伊之さん……。伊之助というのか」
「そうです。建具屋の息子で……。その伊之さんと可怪《おか》しいような噂もありましたが、伊之さんは相変らず自分の家《うち》で仕事をしていますから、一緒に逃げたわけでも無いでしょう」
「お糸の宿はどこだ」
「知りません」
まったく知らないのか、知っていても云わないのか、女中はその以上のことを口外しないので、半七も先ずそれだけで詮議を打ち切った。しかもここへ来て判ったことは、若狭屋のお糸は坂井屋のお糸の間違いである。小伊勢の巳之助は建具屋の伊之助の間違いで、伊之さんを巳之さんと聞き違えたのである。勿論、両方ともにそそっかしいには相違ないが、薄暗いところで見違えたのが始まりで、両方の名が同じであるために、いよいよ念入りの間違いを生じたらしい。女の顔がのっぺらぼうに見えたなどは、巳之助の錯覚であろう。
京の商人《あきんど》が睨みの松で天狗にあったというのは、黒船のマドロスを見たに相違ない。口から火を噴いていたというのも、恐らく巻煙草のけむりであろう。それを思うと、半七も松吉も肚《はら》の中でおかしくなった。
二人はいい加減に酒を切り上げて、遅い午飯《ひるめし》の箸を取っていると、町家の夫婦らしい男女と、若い男ひとりの三人連れが二階へあがって来た。ここの二階は広い座敷の入れ込みで、ところどころに小さい衝立《ついたて》が置いてあるだけであるから、あとから来た客の顔も見え、話し声もよくきこえた。三人は女中にあつらえ物をして、煙草をのみながら話していた。
「どうも驚いてしまった。あれだから油断が出来ないね」と、女房らしい女が云った。
「まったく驚いた。世間にはああいう事があるから恐ろしい」と、亭主らしい男も云った。
「藤さんなんぞは若いから、よく気をつけなけりゃあいけない」と、女はまた云った。
それから此の三人が、だんだん話しているのを聴くと、芝の両替屋の店さきで何事か起こったらしい。半七に眼配《めくば》せされて、松吉は衝立越しに声をかけた。
「あの、だしぬけに失礼ですが、芝の方に何事があったのですかえ」
「ええ」と、若い男は答えた。「わたし達は別に係り合いがあるわけじゃあない、通りがかって見ただけなんですが、どうも悪い奴がありますね」
「悪い奴……。一体どうしたのです」と、松吉は訊いた。
「それがお前さん」と、男は衝立を少し片寄せて向き直った。「芝の田町《たまち》に三島という両替屋があります。そこへ二十歳《はたち》ばかりの若い男が来て、小判一両を小粒と小銭に取り換えてくれと云うので、店の者が銭勘定をしていると、そこへ又ひとりの女が来て、いきなりに其の若い男をつかまえて、この野郎め、家の金を又持ち出してどうするのだ。親泣かせ兄弟泣かせもいい加減にしろ。それほど道楽がしたければ、自分の腕で稼ぐがいい。親兄弟の金を一文でも持ち出すことはならないぞ。さあ、その金をかえせと若い男を引き摺り倒して、手に持っている小判を取り上げて、さっさと立ち去ってしまいました。それを見ている両替屋の店の者も、通りがかりの人達も、これは世間によくあることで、道楽息子が家の金を持ち出したのを、おふくろか叔母さんが追っかけて来て、取り返して行ったのだろうと思って、誰もそのままに眺めていると、倒れた男はいつまでも起きないので、不思議に思って引き起こすと、男は気を失っているらしい。さあ、大騒ぎになって介抱すると、男はようよう息を吹き返したのですが、よくよく訊いてみると、自分をつかまえて文句を云った女は、まるで知らない人間で、そんなことを云って一両の小判を掻っさらって逃げたのだそうです。何か道楽息子を叱り付けるようなことを云って、そこらの人たちに油断させて、平気でまっ昼間、大通りの店さきで掻っ攫いを働くとは、女のくせに実に大胆な奴じゃあありませんか」
「成程ひどい奴ですね」と、松吉はうなずいた。「それにしても、相手は女だというのに、その若い男がどうして素直に金を渡したのでしょうね」
「それが又不思議なことには、その女が男をひき摺り倒すときに、なんでも頸筋のあたりの脈所《みゃくどこ》を強く掴んだらしいので、男は痛くって口が利けない。おまけに脾腹《ひばら》へ当て身を食わされて、気が遠くなってしまったのだそうです。それがなかなかの早業《はやわざ》で、見ている人たちも気が付かなかったと云いますから、女も唯者ではあるまいとみんなが噂をしていましたよ」
「そうですか。そんな女に出逢っちゃあ、大抵の男は敵《かな》いませんね」
松吉はわざとらしく顔をしかめて見せた。
「その騒ぎで、両替屋の前は黒山のような人立ちで……」と、女房は入れ代って話した。「その店でも後で気が付いたのですが、十日ほど前の夕がたに外国のドルを両替えに来た女がある。それがきょうの女らしくも思われるが、前に来たときは夕方で薄暗かったので、その顔をはっきりと見覚えていないと云うのです」
半七と松吉は顔をみあわせた。二人の眼は光っていた。
四
丸子の店を出て、半七は松吉に別れた。
「じゃあ頼むよ」と、半七は小声で云った。「おめえはこれから坂井屋へ行って、お糸という女のことを調べてくれ。それから伊之助という建具屋のことも宜しく頼むぜ。おれは芝の両替屋へ行って、その女の詮議をしなけりゃあならねえ。外国のドルを持っているというのが気になるからな」
鮫洲方面探索を松吉にあずけて、半七は品川から芝の方角へ真っ直ぐに引っ返した。田町の三島という両替屋へ行って訊《き》きただすと、事件は聞いた通りであった。一両の金を取られた若い男は、おなじ芝ではあるが神明前の絵草紙屋の道楽息子で、自身番でいろいろと詮議の末に、実は自分の家の金を内証で持ち出したのであることを白状した。してみると、かの女の云ったのも満更の嘘ではない。こんな災難に出逢ったのも所詮《しょせん》は親の罰であろうと、彼は自身番でさんざんに膏《あぶら》をしぼられて帰った。
それを聞いて、半七はおかしくもあり、可哀そうでもあった。
「それから、ここの店へドルを両替えに来た女があったと云うが、本当かえ」
「十日ほど前の夕がたに来ました。しかし手前どもでは外国のドルの両替えは致さないからと云って断わりました」と、店の者は答えた。
「それがきょうの女とおなじ奴かえ」
「さあ、それがよく判りませんので……。前に来たときは夕方で、断わるとすぐに帰ってしまったもんですから、その顔をよく見覚えて居りません。きょうの女は三十七八で、色のあさ黒い、眼の強《きつ》い女でした。どこか似ているようにも思うのですが、確かな証拠もございませんので、なんとも申し上げかねます」
「おなじ店へ二度とは来めえと思うが、その女がもし立ちまわったらば、すぐに自身番へ届けてくれ」
店の者に云い置いて、半七は更に愛宕下《あたごした》の藪の湯をたずねた。藪の湯は女房が商売をしていて、その亭主の熊蔵は半七の子分である。そこで熊蔵の通称を湯屋熊といい、一名を法螺熊ということはかつて紹介した。その湯屋熊をたずねると、彼はあたかも居合わせて表二階へ案内した。
「丁度だれも来ていねえようです」
二階番の女を下へ追いやって、二人は差しむかいになった。
「そこで、親分。なにか御用ですか」
「お此《この》はこのごろどうしている」
「お此……。入墨者ですか」
「そうだ。片門前《かたもんぜん》に巣を食っていた奴だ」
「女のくせに草鞋《わらじ》をはきゃあがって、甲府から郡内の方をうろ付いて、それから相州の厚木の方へ流れ込んで、去年の秋頃から江戸辺へ舞い戻っていますよ」
「馬鹿にくわしいな。例の法螺熊じゃあねえか」
「いや、大丈夫ですよ。わっしだって商売だから、入墨者の出入りぐれえは心得ています。あいつ、又なにかやりましたか」
「どうもお此らしい。実はきょう午前《ひるまえ》に、田町の両替屋で悪さをしやあがった」
三島屋の一件を聞かされて、熊蔵は眼を丸くした。
「ちげえねえ。あいつだ、あいつだ。お此という奴は、前にも一度その手を用いた事があります。あいつは此の頃、鮫洲の茶屋に出這入りしているとかいう噂だったが、田町の方へ乗り込んで来やあがったかな。おれの縄張り近所へ羽《はね》を伸《の》して来やあがると、只は置かねえぞ。ねえ、親分。松の野郎を出し抜くわけじゃあねえが、この一件はどうぞわっしに任せておくんなせえ。わっしがきっと埒をあけて見せます」
「お此は鮫洲の茶屋にいるのか」と、半七は少し考えていた。「その茶屋は坂井屋というのじゃあねえか」
「そこまでは突き留めていませんが……。なに、そりゃあすぐに判りますよ」
「出し抜くも出し抜かねえもねえ。松はもう鮫洲へ出張っているのだ」
「そりゃあいけねえ。下手に荒らされると、こっちの仕事がしにくくなる。じゃあ御免なせえ。わっしもすぐに出かけます」
気の早い熊蔵は早々に身支度をして飛び出した。女房に茶を出されて、世間話を二つ三つして、半七もつづいて出た。もうこの上は松吉と熊蔵の報告を待つほかは無いので、彼はそれから八丁堀へまわって、熊谷八十八の屋敷へ再び顔を出すと、熊谷はもう奉行所から帰っていた。
「やあ、御苦労。何かちっとは星が付いたか」と、熊谷は待ちかねたように訊いた。
「まだ御返事をする段には行きませんが、ちっとばかり手がかりは出来たようです」
きょうの探索の結果を聞かされて、熊谷は一々うなずいていたが、かの三島屋の話を聞くと、彼はいよいよ熱心に耳を傾けていた。
「じゃあ、三島屋へも外国のドルを両替えに行った奴があるのか。実は半七、奉行所の方へもこういう訴えが出たのだ」
おとといから昨日《きのう》へかけて、日本橋で二軒、京橋で一軒の大きい両替屋へ外国のドルを両替えに来た者がある。全体の金高は十二三両であるが、あとで調べてみると其の三分の二は贋金《にせがね》である。最初の見せ金には本物を見せて油断させ、それから贋金をまぜて出すのである。つまりは本物と贋物とをまぜて使うのであるが、しょせんは一種の贋金使いであることは云うまでもない。贋金づかいは磔刑《はりつけ》の重罪であるから、その詮議は厳重である。その両替えに行った者はいずれも三十七八の女であると云えば、三島屋へ云ったのも同じ者であるに相違ない。こうなると、狐の探索などは二の次で、贋金づかいの探索が大事であると、熊谷は云った。
「その女は黒船の異人に頼まれて両替えに来たのだと云ったそうだ」と、熊谷は付け加えた。「異人の奴が贋金づかいで、女は知らずに持って来たのか。それとも女が贋金づかいか。おれにもはっきりとした判断は付かなかったが、三島屋でそんな掻っ攫いをやるようじゃあ、女はなかなかの曲物で、何もかも承知の上でやった仕事に相違ねえ。お此という入墨者はどんな奴だか忘れてしまったが、そいつに心あたりがあるなら早く挙げてしまえ」
「承知しました」
半七は請け合って帰った。事件はいよいよ複雑になって来たのである。しかもそれらの事件はすべて同一の系統であるらしいと、半七は鑑定した。次から次へと湧いて来る事件も、そのみなもとを探り当てれば自然にすらすらと解決するように思われたので、彼は専ら熊蔵と松吉の報告を待っていた。
あくる日の早朝に、熊蔵が先ず来た。松吉もつづいて来た。二人の報告を綜合すると、入墨者のお此は江戸へ舞い戻って、浜川の塩煎餅屋の二階に住んでいる。彼女は小間物類の箱をさげて、品川の女郎屋へ出商《であきな》いに廻っている。浜川や鮫洲の茶屋へも廻って、そこらの女中たちにも商いをしている。店の忙がしいときには、女中の手伝いに頼まれて行くこともある。そんなことで女ひとりの暮らしには不自由も無いらしく、身なりも小綺麗にしていると云うのであった。
「お此は商売の小間物を日本橋の問屋へ仕入れに行くと云って、ときどき江戸辺へ出かけるそうです」と、熊蔵は云った。
「現にきのうも朝から出て行ったと云いますから、三島屋の一件は彼女《あれ》に相違ありませんよ」
「それから坂井屋のお糸の一件ですがねえ」と、松吉が入れ代って話し出した。「お糸は先月の二十八日の宵から何処《どっ》かへ影を隠してしまったそうです。建具屋のせがれの伊之助を詮議すると、職人のくせに意気地のねえ野郎で、無闇におどおどしていて埒が明かねえのを、さんざん嚇し付けて白状させましたが、やっぱりお糸にかかり合いがあったのです。そこで、当人はいい色男ぶっていると、お糸は伊之助にだんまりで姿をかくしたので、色男も器量を下げてぼんやりしている……。いや、大笑いです。お糸の相手は誰か判らねえが、黒船のマドロスにだまされて、船へでも引っ張り込まれたのじゃあねえかという噂です。小伊勢の巳之助が狐と間違えてお糸の咽喉を絞めたときに、暗やみから出て来て巳之助をなぐり付けた奴は、そのマドロスかも知れませんよ。こうなると、わっしの方はもう種切れで、この上にどうにも仕様が無いようですが……。親分、どうしますかね」
「お此は鮫洲の茶屋へも手伝いに行くそうだが、坂井屋へも出這入りをするのだろうな」と、半七は熊蔵に訊《き》いた。
「出這入りをする処か、坂井屋へは黒船の異人が大勢あつまって来て金《かね》ビラを切るので、お此は商売をそっちのけにして、この頃は毎日のように這入り込んでいるそうです」と、熊蔵は答えた。
「そうすると、お糸とも懇意だろう」と、半七は云った。「お糸の駈け落ちにもお此が係り合っているのじゃあねえか」
「そうかも知れません。ともかくもお此を挙げてしまいましょうか」
「熊谷の旦那からもお指図があったのだ。女ひとりに大勢が出張るほどの事もあるめえが、もし仕損じて高飛びでもされると、旦那のお目玉だ。おれも一緒に行くとしよう」
きょうも幸いに晴れていた。三人は揃って神田の家を出た。
五
三人が品川の宿《しゅく》へはいると、往来で三十前後の男に逢った。それが女郎屋の妓夫《ぎゆう》であることは一見して知られた。彼は熊蔵に挨拶した。
「きょうもお出かけですか」
「むむ。親分も一緒だ」と、熊蔵は云った。
親分と聞いて、彼は俄かに形をあらためて半七に会釈《えしゃく》した。熊蔵の紹介によると、彼はここの不二屋に勤めている権七というもので、お此が浜川に住んでいることは彼の口から洩らされたのである。半七も会釈した。
「おめえはいいことを教えてくれたそうだ。まあ、何分たのむぜ」
「いっこうお役に立ちませんで……」と、権七は再び頭を下げた。「お此はさっきここを通りましたよ。江戸辺へ行ったのでしょう」
「そうか」
半七は少し失望した。お此はきょうも江戸辺へ仕事に行ったのかも知れない。さりとて、今更むなしく引っ返すわけにも行かないので、権七に別れて三人は浜川へむかった。
「お此が留守じゃあ困りましたね」と、熊蔵はあるきながら云った。
「まあ、いい。おれに考えがある」と、半七は答えた。「建具屋の伊之助というのは何処だ。案内してくれ」
「ようがす」
松吉は先に立ってゆくと、かの丸子の店から遠くないところに小さい建具屋が見いだされた。松吉の説明によると、親父の和助は中気のような工合《ぐあい》でぶらぶらしているので、店の仕事は伜の伊之助と小僧ひとりが引き受けているというのである。勿論、貸家|普請《ぶしん》の建具ぐらいの仕事が精々と思われるような店付きであった。表から覗くと、伊之助は小僧を相手に、安物の格子戸を削っていた。松吉は声をかけた。
「おい、伊之。親分がおめえに用がある。三河町の半七親分だ。すぐ出て来てくれ」
「はい、はい」と、伊之助は鉋屑《かんなくず》をかき分けながら出て来た。彼はきのうも松吉に嚇されているので、きょうはその親分が直々《じきじき》の出張にいよいよおびえているらしかった。
「ここじゃあ話が出来ねえ。ちょいと其処らまで足を運んでくれ」
松吉と熊蔵を店に待たせて置いて、半七は伊之助ひとりを連れて出た。五、六軒行くと細い横町がある。その横町を右に切れるとすぐに畑地で、路ばたに石の庚申像《こうしんぞう》が立っている。それを掩うような楓《かえで》の大樹が恰好の日かげを作っているので、半七はそこに立ちどまった。
「早速だが、おめえはまったく坂井屋のお糸のゆくえを知らねえのか」
「知りません」と、伊之助はうつむきながら答えた。
「お糸は坂井屋へ遊びに来る異人に馴染でもあった様子か」
「坂井屋へは異人が大勢来ますが、お糸に馴染があるかどうだか、それは存じません」
「おめえは異人に自分の女を取られたのじゃあねえか」
伊之助は黙っていた。
「おめえは坂井屋へ手伝いに来るお此という女を知っているだろうな」
「知っています」
伊之助の声が少しふるえているのを、半七は聞き逃がさなかった。
「あの女も異人を知っているのだろうな」
「さあ、それはどうですか」
「お此はお糸と心安くしていたか」
「どうですか」
「お糸はお此が誘い出したのじゃあねえか」
「そんな事はあるまいと思いますが……」
「おい、伊之。顔を見せろ」
「え」
「まあ、明るいところで正面を向いて見せろよ。おれが人相を見てやるから……」
伊之助はやはりうつむいたままで、すぐには顔をあげなかった。半七はその頤《あご》に手をかけて、無理にあおむかせた。
「これ、隠すな。おめえはお此と訳があるだろう。お此は年上の女で入墨者だ。あんな者に可愛がられていると、碌なことはねえぞ。お糸はお此に誘い出されて、売り飛ばされたか、殺されたか。はっきり云え」
伊之助は身をすくめたままで、唖《おし》のように黙っていた。
「さあ、云え。正直に云えばお慈悲を願ってやる。お此は贋金づかいで召し捕られて、もう何もかも白状しているのだ。それを知らずに隠し立てをしていると、おめえも飛んだ係り合いになるぞ。贋金づかいの同類と見なされて、この鈴ケ森で磔刑《はりつけ》になりてえのか。女にばかり義理を立てて、病人の親に泣きを見せるな。この親不孝野郎め」
伊之助は真っ蒼になって、その眼から白い涙が糸を引いて流れ出した。
「さあ、どうだ」と、半七は畳みかけて云った。「お此の白状ばかりじゃあねえ。四相《しそう》を覚《さと》るこの重忠《しげただ》が貴様の人相を見抜いてしまったのだ。これ、よく聞け。貴様は前から坂井屋のお糸と出来ていた。そこへ横合いからお此という女が出て来て、貴様は又そいつに生け捕られてしまった。お此は年上で、おまけに質《たち》のよくねえ奴だから、邪魔者のお糸を遠ざけようとして悪法をたくらんだ。さあ、それに相違あるめえ」
腕をつかんで一つ小突かれて、伊之助は危く倒れそうになった。半七は暫く黙ってその顔を睨んでいた。
この時、横町の入口から一人の女が駈け込んで来た。そのあとから熊蔵と松吉が追って来た。女がお此であることをすぐに察して、半七はその前にひらりと飛んで出ると、前後を挟まれて彼女は帯のあいだから剃刀《かみそり》をとり出して、死に物狂いに振りまわした。しかもそれを叩き落とされて、更に麦畑のなかへ逃げ込もうとする処を、半七は帯をとらえて曳き戻した。熊蔵と松吉が追い付いて取り押さえた。
「ここじゃ仕様がねえ。品川まで連れて行け」と、半七は先に立って歩き出した。
男と女は子分ふたりに追い立てられて行った。お此の顔には汗が流れていた。伊之助の顔には涙が流れていた。
「芝居ならば、ここでチョンと柝《き》がはいる幕切れです」と、半七老人は云った。「お此という奴はわる強情で、ずいぶん手古摺らせましたが、伊之助が意気地がないので、その方からだんだんに口が明いて、古狐もとうとう尻尾《しっぽ》を出しましたよ」
「古狐……。その狐の騒ぎはみんなお此の仕業《しわざ》なんですか」と、私は訊いた。
「そこが判じ物で……。まずお此という女についてお話をしましょう。こいつの家《うち》は芝の片門前で、若い時から明神の矢場の矢取り女をしたり、旦那取りをしたりしていたんですが、元来が身持ちのよくない奴で、板の間稼ぎやちょっくら持ちや万引きや、いろいろの悪いことをして、女のくせに入墨者、甲州から相州を股にかけて、流れ渡った揚げ句に、再び江戸へ舞い戻って、前にも申す通り、小間物の荷をさげて歩いたり、近所の茶屋の手伝いをしたりして、まあ無事に暮らしていたんですが、それでおとなしくしているような女じゃあありません。お此はことし三十八、相当の亭主でも持って堅気《かたぎ》に世を送ればいいんですが、いつか近所の建具屋のせがれの伊之助に係り合いを付けて……。伊之助は二十一で、親子ほども年が違うのですが、お此のような女に限ってとかくに若い男を玩具《おもちゃ》にしたがるものです。ところが伊之助には坂井屋のお糸という女が付いている。お糸は年も若し、渋皮のむけた女ですから、お此は何とかしてこれを遠ざけて、男を自分ひとりの物にしようと内心ひそかに牙《きば》をみがいているうちに、外国の軍艦が品川へ乗り込んで来て、イギリスが一艘、アメリカが一艘、いずれも錨をおろしました。
幕府はもう開港の運びになっているんですから、戦争になるような心配はありません。軍艦の水兵らは上陸して方々を見物する。しかし、江戸市中にむやみにはいることを許されませんでしたから、高輪の大木戸を境にして、品川、鮫洲、大森のあたりを遊び歩いていました。品川の貸座敷などを素見《ひやか》すのもありましたが、その頃はどこでも外国人を客にしません。料理屋でも大抵のうちでは断わる。ところが、鮫洲の坂井屋では構わずに外国人をあげて、酒を飲ませたり料理を食わせたりするので、世間の評判はよくないが、店は繁昌する。相手は船の人間で、遠い日本まで渡って来たんですから、金放れはいい。坂井屋はこれらの外国人を相手にして、いい金儲けをしたに相違ありません。その給仕に出る女中たちも相当の金になったわけです。
坂井屋では決してそんな事はないと云い張っていましたが、女中のなかには船の連中と関係の出来たものもあったらしいんです。現にお糸という女は、ジョージという男と関係が出来てしまった。それは手伝いに来ているお此の取り持ちで、最初はもちろん慾から出たことですが、どういう縁かお糸もジョージも互いに離れにくいような仲になりました。お此はうまく両方を焚きつけて、お糸にむかってはジョージさんの家《うち》は大金持だなどと吹き込んだので、お糸はいよいよ本気になってしまったんです。その頃は外国の事情も判らず、外国人はみんな金持だと思っているような人間が多かったんですから、お糸が一途《いちず》に信用するのも無理はありません。
しかしジョージは軍艦の乗組員ですから、勝手に上陸することは出来ません。結局お糸が恋しさに上陸してしまいました。わたくしは其の当時のことをよく知りませんが、恐らく脱艦したのだろうと思います。そこで、船が品川を立ち去るまでは隠れていなければいけないというので、お此が手引きをして、ひと先ずジョージを大森在の九兵衛という百姓の家へ忍ばせて置きました。
さあ、ここまではお話が出来るんですが、それから先は少しお茶番じみていて、いつぞやお話をした『ズウフラ怪談』の型にはいるんです。お此の申し立てによると、三月はじめの晩に、なにかの用があって鈴ケ森の縄手を通りかかると、漁師らしい若い男の二人連れに摺れ違った。二人は一杯機嫌でお此にからかって、その袂などを引っ張るので、お此はうるさいのと癪に障るのとで、一つ嚇かしてやろうと思って、袂から西洋マッチをとり出して、手早く摺りつけて二、三本飛ばせると、二人は火が飛んで来るのにびっくりして、忽々に逃げ出した。そのマッチは黒船のお客から貰って、お此が袂に入れていたんです。今から考えると、実に子供だましのような話ですが、マッチというものを知らない時代には、火の玉がばらばら飛んで来るのに胆《きも》を潰したわけです」
「成程、ズウフラ怪談ですね」
「探偵話にほんとうの凄い怪談は少ないもので、種を洗えばみんなズウフラ式ですよ」と、老人は笑った。「さてその噂が忽ちぱっと拡がって、鈴ケ森の縄手に狐が出るという評判になりました。その狐は黒船の異人が放したのだなぞと云う者もある。現にその前年、即ち安政五年の大コロリの時にも、異人が狐を放したのだという噂がありました。そこで、今度の狐も品川の黒船から出て来たというような噂が立つ。それを聞くと、お此はおかしくってたまらない。一体、犯罪者には一種の茶目気分のある奴が多いもので、お此も世間をさわがすのが面白さに、それを手始めにマッチの悪戯をちょいちょいやる。時には靴を磨くブラッシに靴墨を塗って置いて、暗やみで摺れ違いながら人の顔を撫でたりしたそうです。いつの代もそうですが、そんな噂が拡がると、いろいろに尾鰭を添えて云い触らす者が出て来るので、狐の怪談が大問題になってしまったんですが、お此がほんとうに悪戯をしたのは七、八回に過ぎないと自分では云っていました」
わたしも狐に化かされたような心持で聴いていた。
六
それにしても、私にはまだ判らないことがあった。
「小伊勢という料理屋の息子が出逢ったのは、ほんとうのお糸ですか。それとも例の狐ですか」と、私は顔を撫でながら訊いた。
「はは、眉毛を湿《ぬ》らすほどの事はありません。それは狐でも何でもない、本当のお糸なんですよ」と、老人は又笑った。「しかし、それが不思議と云えば不思議でないことも無い。むかしは不思議のように云われたんですが、こんにちで云えば何かの精神作用でしょう。四月二十八日の宵に、お糸が坂井屋の店さきに立っていると、どこからか自分の名を呼ぶ者がある。それが彼《か》のジョージの声らしく聞えたので、呼ばれるままにふらふら歩き出して、半分は夢のように鈴ケ森まで行ってしまったんだそうです。そうして、睨みの松あたりをうろついているところへ、小伊勢の巳之助が通りかかった。さあ、そこで間違いが出来《しゅったい》したので……。
坂井屋のお糸と若狭屋のお糸とは、その名が同じばかりでなく、格好も年頃も似ているので、薄暗いなかで巳之助はその女を若狭屋のお糸と間違えた。お糸の方では巳之助を建具屋の伊之助と間違えた。巳之助は少し酔っていたので、伊之さんと呼ばれたのを巳之さんと早合点してしまったらしい。人違いとは気がつかずにお糸が巳之助にあやまっていたのは、かのジョージの一件があるからでしょう。お糸の顔が眼鼻もないのっぺらぼうに見えたなぞというのは、巳之助の眼の迷いで、もしや狐じゃあないかという疑いから、そんな顔に見えたのだろうと思われます」
「巳之助を殴ったのは誰ですか」
「ジョージです。前に云ったようなわけですから、昼間は表へ出ることが出来ないので、暗くなると散歩に出る。今夜も丁度にそこへ来合わせて、巳之助をなぐり倒してお糸を救ったんです。それから自分の隠れ家へお糸をかかえて行って介抱すると、お糸は息を吹き返しました。そこで、どういう相談が出来たのか、お糸は坂井屋へ帰らずに、ジョージのところへ一緒に隠れることになりました。
ジョージを隠まった九兵衛という百姓は、別に悪い奴ではありませんが、ひどく慾張っている。その慾からお此に抱き込まれて、ジョージを隠まったのが身の禍《わざわい》となったのです。お糸が転げ込んで来たことを九兵衛から知らされて、お此は思う壷だと喜びました。こうなれば、お糸も伊之助とは確かに手切れで、男は自分の独り占めだと喜んだのですが、唯それだけでは済ませません。その隠れ家へ時々に押し掛けて行って、云わば一種の強請《ゆすり》のように、なんとか彼とか名を付けてジョージから金を引き出していました。
しかしジョージも日本の金をたくさん持っている筈はありませんから、渡してくれるのは外国のドルです。そこでお此の申し立てによると、外国のお金であるから本物か贋物か自分にも判らない、ジョージから受け取った物をそのまま両替屋へ持って行っただけの事で、贋金を使う料簡なぞは毛頭もなかったと云うんです。又ジョージがどうして贋金を持っていたのか判りません。恐らく支那へ奇港した時に、向うの奴に贋金を掴ませられ、本人も気がつかずにいたんだろうという話でした。そんなわけで、贋金づかいの方は証拠不十分でしたが、三島の店で絵草紙屋のせがれから小判一枚を掻っさらったことは、お此も恐れ入って白状に及びました。入墨者ですから罪が重く、今度は遠島になったように聞きました」
「ジョージとお糸はどうなりました」
「それについて、又ひとつのお話があります。お此の白状で二人のかくれ家は判ったんですが、ジョージは外国人ですから迂濶に手が着けられません。町奉行所から外国奉行の方へ申達して、外国係から更に外国公使へ通知するというような手続きがなかなか面倒です。それやこれやで小半月もそのままに過ぎていると、どこでどう聞き込んだものか、浪士ふうの侍ふたりが九兵衛の家へ突然に押し込んで来て、ここの家に外国人が隠まってある筈だから逢わせてくれと云うんです。そのころ流行の攘夷家と見ましたから、九兵衛は飽くまでも知らないと云う。いや、隠してあるに相違ないと云う。その押し問答の末に、九兵衛と伜の九十郎は斬られました。九十郎は浅手でしたが、九兵衛は死んでしまいました。ジョージはピストルを続け撃ちにして、あぶないところを逃がれましたが、それっきり姿を晦まして何処へ行ったのか判りません。あとで聞くと、羽田あたりの漁船を頼んで、品川沖の元船《もとぶね》へ戻ったらしいんです。九兵衛親子を斬った浪士は何者だか判りません。
お糸は構い無しというので坂井屋へ戻されました。建具屋の伊之助はわたくし共にひどく嚇かされた上に、お此が贋金づかいであると聞いて一時は真っ蒼になったんですが、これも無事に還されました。熊蔵の話によると、お糸と伊之助は再び撚りを戻して、結局|夫婦《めおと》になったということです。狐の正体は先ずこの通り、あなたも化かされましたか。あはははははは」
老人は又笑った。狐が人を化かすのでない、人が人を化かすのであるとは、昔から誰も云うことであるが、まったく其の通りで、わたしも半七老人に化かされたらしい。帰るときに老人は云った。
「御安心なさい。山王下《さんのうした》に狐は出ませんから……」
思えばそれも三十余年の昔である。その欝憤《うっぷん》を今ここで晴らさんが為に、わたしが再び読者諸君を化かしたわけではない。
[#改ページ]
新カチカチ山
一
明治二十六年の十一月なかばの宵である。わたしは例によって半七老人を訪問すると、老人はきのう歌舞伎座を見物したと云った。
「木挽町《こびきちょう》はなかなか景気がようござんしたよ。御承知でしょうが、中幕は光秀の馬盥《ばだらい》から愛宕《あたご》までで、団十郎の光秀はいつもの渋いところを抜きにして大芝居でした。愛宕の幕切れに三宝を踏み砕いて、網襦袢の肌脱ぎになって、刀をかついで大見得を切った時には、小屋いっぱいの見物がわっと唸りました。取り分けてわたくしなぞは昔者《むかしもの》ですから、ああいう芝居を見せられると、総身《そうみ》がぞくぞくして来て、思わず成田屋ァと呶鳴りましたよ。あはははは」
「まったく評判がいいようですね」
「あれで評判が悪くちゃあ仕方がありません。今度の光秀だけは是非一度見て置くことですよ」
老人の芝居好きは今始まったことではない。わたしのような若い者がこの老人に嫌われないのも、こいつは芝居好きで少しは話せるというのが一つの原因になっているらしい。したがって老人と向かい合った場合、芝居話のお相手をするのは覚悟の上であるから、わたしも一緒になって頻りに歌舞伎座の噂をしていると、老人は又こんなことを云い出した。
「今度の木挽町には訥升《とつしょう》が出ますよ。助高屋高助のせがれで以前は源平と云っていましたが、大阪から帰って来て、光秀の妹と矢口渡《やぐちのわたし》のお舟を勤めています。三、四年見ないうちに、すっかり大人びて、矢口のお舟なぞはなかなかよくしていました。いや、矢口と云えば、あの神霊矢口渡という芝居にあるようなことは勿論嘘でしょうが、矢口渡の船頭が足利方にたのまれて、渡し舟の底をくり抜いて、新田義興《にったよしおき》の主従を川へ沈めたというのは本当なんでしょうね」
「そりゃあ本当でしょう。太平記にも出ていますから……」
「子供の話にある、カチカチ山の狸の土舟《つちぶね》というわけですね。その矢口渡に似たような事件があるんですが……。恐らく太平記か芝居から思い付いたんじゃないでしょうか」
「矢口渡に似たような事件……。それにはあなたもお係り合いになったんですか」
「かかり合いましたよ」
こうなると、芝居の方は二の次になって、わたしは袂に忍ばせている手帳をさぐり出すことになった。狡《ずる》いと云えば狡いが、なんでも斯ういう機会を狙って、老人のむかし話を手繰《たぐ》り出さなければならないのである。それは相手の方でも万々察しているらしい。
「はは、いつもの閻魔帳が出ましたね。これだからあなたの前じゃあうっかりした話は出来ない」
老人は笑いながら話し始めた。
「文久元年一月末のことと御承知下さい。ほんとうを云うと、この年は二月二十八日に文久と改元のお触れが出たのですから、一月はまだ万延二年のわけですが……。その頃、京橋の築地、かの本願寺のそばに浅井|因幡守《いなばのかみ》という旗本屋敷がありました。三千石の寄合《よりあい》で、まず歴々の身分です。深川の砂村に抱え屋敷、即ち下《しも》屋敷がありまして、主人をはじめ家族の者が折りおりに遊びに行くことになっていました。そこで一月の末、なんでも二十六七日頃だと覚えています。この年は正月早々からとかくに雨の多い春でしたが、二十二三日からからりと晴れて、暖い梅見日和がつづいたので、浅井の屋敷では主人の因幡守が妾のお早と娘のお春を連れて、砂村の下屋敷へ梅見に出かけることになりました。因幡守は四十一歳、お早は二十四歳、お春は十五……ちょっとお断わり申して置きますが、このお春というお嬢さまはお早の妾腹ではなく、お蘭という奥さまの子で、奥さまはそれほどの容貌《きりょう》よしでもなかったが、その腹に生まれたお春は京人形のように可愛らしい、おとなしやかなお嬢さまであったそうです。
そこで主人側は因幡守、お早、お春の三人、それにお付きの女中が三人、供の侍が三人、中間が四人でしたが、船が狭いので侍や中間は陸《おか》を廻り、主人側三人と女中三人は船で行きました。船宿《ふなやど》は築地南小田原|町《ちょう》の三河屋で、屋根船の船頭は千太という者でした。無事に砂村へ行き着いて、一日を梅見に暮らして、ゆう七ツ(午後四時)頃に下屋敷を出て、もとの船に乗って帰る途中、ここに一場の椿事出来《ちんじしゅったい》に及びました」
「矢口渡ですか」
「そうです、そうです。矢口渡か、カチカチ山です」と、老人はうなずいた。「わたくしは現場に居合わせたわけでもありませんから、見て来たようなお話は出来ませんが、帰る時も前と同様に、供の男たちは徒歩《かち》で陸を帰り、主人側三人と女中三人は船で帰ることになって、船頭の千太が船を漕いで、小名木《おなぎ》川をのぼって行きました。御承知の通り、深川は川の多いところですが、この時は小名木川の川筋から高橋、万年橋を越えて、大川筋へ出ました。ここは新大橋と永代橋のあいだで、大川の末は海につづいている。その川中まで漕ぎ出した頃に、どうしたものか、屋根船の底から水が沁み込んで来ました。女中たちが見つけて騒ぎ出す、主人もおどろく、船頭も驚いてあらためると、船底の穴から水が湧き込んで来るんです。慌てて有り合わせた物を栓にさしたが、どうも巧く行かない。ふだんならば此の辺に何かの船が通る筈ですが、あいにく夕方でほかの船も見えない。そのうちに水はだんだんに増して来て、大きくもない屋根船は沈みかかる。船頭は大きい声で助け船を呼ぶ。女中たちも必死になって呼び立てる。それを聞きつけて、佐賀|町《ちょう》の河岸《かし》から米屋の船が二艘ばかり救いに出て来ましたが、もう間に合わない。あれあれと云ううちに、船はとうとう沈んでしまいました」
文久元年といえば、今から三十余年の昔話であるが、その惨事を聞かされて、わたしは思わず顔をしかめた。
「誰も助からなかったんですか」
「船頭は泳ぎを知っているから、いざというときに川へ飛び込んで助かりましたが、因幡守という人は水心《みずごころ》がなかったと見えて沈みました。ほかは女ばかりですから、妾のお早、娘のお春を始めとして、三人の女中もみんな流されてしまいました。さあ大騒ぎになって、すぐに築地の屋敷へ知らせてやる。屋敷からも大勢が駈けつけて、幾艘の船を出して死骸の引き揚げにかかりましたが、もう日が暮れて、水の上が暗いので、捜索もなかなか思うように行かない。それでも因幡守とお早と女中二人、あわせて四人の死骸を探り当てましたが、娘のお春と女中のお信《のぶ》、この二人のゆくえは知れませんでした。
浅井の屋敷ではもちろん相当の金を使ったのでしょう。関係者一同に固く口止めをして、その船に乗っていたのは妾と娘と女中ばかりで、主人の因幡守は駕籠で帰った為に無事であったと云い触らしました。それから四、五日後に因幡守は急病頓死の届けを出して、当年十七歳の嫡子小太郎がとどこおりなく家督を相続しました。こういうことは、屋敷の方で何かのぼろを出さない限り、上《かみ》では知らぬ振りをしているのが其の当時の習いでしたから、すべてが無事に済みました。しかし済まないのは、その船の詮議です。たとい主人の因幡守が乗っていないとしても、三千石の旗本の娘と妾と三人の女中を沈めた一件ですから、災難だとばかりは云っていられません。どうして船底から水が漏ったのか、一応の詮議をしなければならないのですが、船頭の千太は後難を恐れたとみえて、船宿の三河屋へ一旦帰りながら、その晩のうちに何処へか姿を隠してしまいました。
こういう場合に逃げ隠れをすると、かえって本人の不為《ふため》になるばかりか、主人の三河屋にも迷惑をかける事になる。千太が姿を晦《くら》ました為に、三河屋はいろいろの吟味をうけて、大迷惑をしました。考えようによっては、主人が知恵をつけて千太を逃がしたようにも疑われますから、猶更むずかしい事になりました。というのが、だんだん調べてみると、この一件が唯の災難でなく、そこには何か入り組んだ秘密があるらしく思われたからです。
たくさんの旗本屋敷のうちには随分いろいろのごたごたがあります。しかし身分が身分ですから、まあ大抵のことは大目《おおめ》に見ているんですが、今度の一件は三千石の大家《たいけ》の当主が死んでいるんですから、上《かみ》でも捨て置かれません。家督相続の問題はひとまず無事に聞き届けて置いて、それから内密に事件の真相を探索することになりました。まかり間違えば、三千石の浅井の家は家督相続が取り消されて、さらに取り潰しにならないとも限らないのですから、その時代としては容易ならない事件とも云えるのです。
そのお荷物をわたくしが背負わされました。役目だから仕方が無いようなものの、町方《まちかた》と違って屋敷方の詮議は面倒で困ります、町屋《まちや》ならば遠慮なしに踏み込んで詮議も出来ますが、武家屋敷の門内へは迂闊《うかつ》にひと足も踏み込むことは出来ません。殊にわれわれのような商売の者は、剣もほろろに追い払われるに決まっていますから、いわゆる盲の垣のぞきで、外から覗くだけで内輪の様子はちっとも判りません。これには全く閉口です」
「今でも華族の家庭の事なぞは調べにくいのですから、昔は猶更そうでしたろうね」
「見す見す武家の屋敷内に大きい賭場が開けているのを知っていても、町方の者が踏み込むことの出来ない時代ですから、大きい旗本屋敷に関係の事件なぞは、自由に手も足も出ません。それでも何とかしなけりゃあならないから、出来るだけは働きましたよ。まあ、お聴き下さい」
二
文久元年二月なかばの曇った朝である。浅井一家の人々がこの世の名残《なごり》に眺めた砂村の下屋敷の梅も、きのうきょうは大かた散り尽くしたであろう、春の彼岸を眼のまえに控えて、なま暖い風が吹き出した。
八丁堀同心、拝郷弥兵衛の屋敷の小座敷で、主人の拝郷と半七とが額《ひたい》をあつめるように摺り寄ってささやいていた。
「いいか、牛込水道|町《ちょう》の堀田庄五郎、二千三百石、これは浅井因幡守の叔父だ。それから京橋南飯田|町《まち》の須藤民之助、八百石、これは因幡の弟で、須藤の屋敷へ養子に貰われて行ったのだ。ほかに親類縁者も相当にあるが、堀田と須藤、この二軒が近しい親類になっているので、それから町方へ内密の探索を頼んで来ている。深川浄心寺脇の菅野大八郎、二千八百石、これは因幡の奥方お蘭の里方《さとかた》で、ここからも内密に頼んで来ている。殊に菅野の申し込みは手きびしい。万一それがために浅井の屋敷に瑕《きず》が付いても構わない。是非ともその実証を突き留めて、いよいよ不慮の災難と決まればよし、もし又なにかの機関《からくり》でもあったようならば、係り合いの者一同を容赦なく召捕ってくれと云うのだ。まかり間違えば浅井の屋敷は潰れる。それを承知でどしどしやってくれと云うのだから大変だ。どうもいい加減に打っちゃっては置かれねえ事になった。半七、しっかりやってくれ」
「まったく打っちゃっては置かれません」と、半七も云った。「武家屋敷の奥のことは判りませんが、この一件以来、浅井の奥さまは半気違いのようになっているそうです」
「無理もねえ。妾はともあれ、亭主と娘を一度になくしてしまったのだから、大抵の女はぼっとする筈だ」と、拝郷も同情するように云った。「里方の菅野からは用人を使によこしたのだが、その用人の話によると、浅井の奥方のお蘭というのは今年三十七で、小太郎とお春のおふくろだ。亭主の因幡は若い時から評判の美男で、お蘭はどこかで因幡を見染めて、いろいろに手をまわして縁談を纒めたのだと云うから、惚れた亭主だ。それも病気ならば格別、こんな災難で殺しちゃあ容易に諦めが付くめえ。屋敷に瑕が付いてもいいから、その実証を突き留めてくれというのも、お蘭が云い出した事らしい。それを取り次いで、里方からこっちへ頼んで来たものと察しられる。なにしろ斯《こ》ういう仕事は、相手が屋敷だから困るな」
「大困りです」と、半七は溜息《ためいき》をついた。「まさかに奥さまに逢うわけにも行かず、しかし向うから頼んで来たくらいですから、堀田と須藤と菅野、この三軒の屋敷の用人は逢ってくれるでしょう」
「そりゃあ逢ってくれるに相違ねえ。だが、浅井の屋敷へは迂濶に顔を見せるなよ。その屋敷内に係り合いの奴があって、おれ達が探索していることを覚られると拙《まず》いからな」
「そうです。まあ、遠廻しにそろそろやりましょう」
「といって、あんまり気長でも困る」と、拝郷は笑った。「そこは程よくやってくれ」
「その船はお調べになりましたか」
「おれが立ち合ったのじゃあねえが、同役の井上が調べに行って、船は三河屋の前の河岸《かし》に繋がせてある筈だ。大事の証拠物だから、この一件の落着《らくぢゃく》するまでは、めったに手を着けさせることは出来ねえ。どうせ縁起の悪い船だ。まさかに手入れをして使うわけにも行くめえから、片が付いたら焼き捨ててしまうのだろうが、まあ、それまでは大事に囲って置かなければならねえ」
「じゃあ、まあ、三河屋へ行って、その船を見てまいりましょう。又なにかいい知恵が出るかも知れません」
「三河屋へ行っても、あんまり嚇《おど》かすなよ」と、拝郷はまた笑った。「この間からいろいろの調べを受けて、亭主も蒼くなってふるえているようだからな」
「はい、決して暴っぽいことは致しません」
半七も笑いながら別れた。表へ出ると、なま暖い風がやはり吹いている。どうも雨になりそうだと思いながら、半七はすぐに築地の三河屋へ足をむけた。三河屋はここらでも旧い船宿で、亭主の清吉とはまんざら知らない顔でもないので、半七は気軽に表から声をかけた。
「おい、親方はいるかえ」
船宿といっても、ここは網船や釣舟も出す家《うち》であるから、余りにしゃれた構えでもなかった。若い船頭が軒さきの柳の下に突っ立って、ぼんやりと空をながめていたが、半七を見て慌てて会釈《えしゃく》した。
「やあ、親分。いらっしゃい」
それは船頭の金八であった。
「おい、金八」と、半七は笑いながら云った。「今度は飛んだ時化《しけ》を食ったな」
「まったく飛んだ時化を食いました。あの日はわっしの出番でしたが、千太がおれに代らせてくれと云って、自分が出て行くと、あの始末。お蔭でわっしは災難を逃がれましたが、千太を身代りにしたようで何だか気が済みませんよ」
「それじゃあ、おめえの出番を千太が買って出たのか。そうして千太のゆくえは知れねえのか」
「あいつは泳ぎますから、無事に揚がって来て、一旦は家《うち》に帰ったのですが、あとが面倒だと思ったのでしょう、いつの間にか姿をかくしてしまったので、親方も困っていますよ」
「千太の家《うち》はどこだ」
「深川の大島|町《ちょう》、石置場の近所ですが、おやじが去年死んだので、世帯《しょたい》を畳んでしまいました」
「浅井の屋敷で死んだ者は、殿さまと……」
「いいえ、殿さまは……」
「まあ隠すな。おれはみんな知っている。お妾とお嬢さまと女中三人、そのなかでお嬢さまと女中ひとりが揚がらねえのだね」
「そうです。お嬢さまとお信という女中が見付かりません。もうあげ汐《しお》という時刻だのに、やっぱり沖の方へ持って行かれたと見えます。そのお信というのは家《うち》の親方の姪ですから、家でも気をつけて探しているのですが……」
「じゃあ、お信という女中はここの家の姪か」と、半七はすこし考えさせられた。
金八の話によると、お信は親方の妹の娘で、早く両親に死に別れて、七つの年からここの家に引き取られていたが、浅井の屋敷は永年の旦那筋である関係から、行儀見習いのために其の屋敷へ奉公に上げることになった。それはお信が十五の春で、あしかけ七年を無事に勤めて、彼女も今年は二十一になる。去年あたりから暇を取らせようという話もあったが、お信はもう少し長年《ちょうねん》したいと云い張って、今年まで奉公をつづけているうちに、こんな事件が出来《しゅったい》したのである。こうと知ったら、無理にも暇を取らせるのであったと、親方夫婦は悔んでいる。きょうまでゆくえの知れない以上はもう死んだものに決まっているのだが、それでも死骸を見ない以上はまだなんだか未練があるので、おかみさんは今日も浅草の観音さまへ御神籤《おみくじ》を取りに行った。親方はかぜを引いたと云って奥に寝ているとのことであった。
「お信というのはどんな女だ、容貌《きりょう》はいいのか。馬鹿か、怜悧《りこう》か」と、半七は訊《き》いた。
「容貌は悪い方じゃありません。十人並よりちっといい方でしょうね。人間もなかなかしっかりしているようです」と、金八は答えた。「ここの家にゃあ子供がないので、お信さんに婿でも取らせるつもりらしかったのですが、こうなっちゃあ仕様がありません。親方もおかみさんもがっかりしていますよ」
「そりゃあ気の毒だな。そこで、お信はなぜ暇を取るのを忌《いや》だと云うのだ」
「よくは知りませんが、屋敷の奥さまが大そう眼をかけて下さるそうで、あんないいお屋敷は無いと始終云っていましたから、そんなことで暇を取る気になれなかったのでしょう。まったくあの屋敷の方々《かたがた》はみんないい人で、若殿さまは優しいかたですし、お嬢さまもおとなしいかたですからね」
「そんなにいい人揃いか」
「みんないい人ですよ。それに若殿さまはここらでも評判の綺麗なかたで、去年元服をなさいましたが、前髪の時分にゃあ忠臣蔵の力弥《りきや》か二十四孝の勝頼《かつより》を見るようで、ここから船にお乗りなさる時は、往来の女が立ちどまって眺めているくらいでした」
「そういう若殿さまがいるので、お信も暇が取れなかったのだろう」と、半七は笑った。「そこで、金八、きょうは御用で来たのだ。一件の船というのを見せてくれ」
「船はそこに繋いであります」
金八は先に立って河岸に出ると、かの屋根船も杭《くい》につながれていた。折りからの引き汐で、海に近いここらの川水は低く、岸のあたりは乾いていた。小さい桟橋を降りて、二人は船のそばに立った。
「おれは素人《しろうと》でわからねえが、どうして水が漏ったのだろう。やっぱり底が傷《いた》んでいたのかな」と、半七は云った。
「さあ」と、金八は首をかしげた。「船が古くなって、底が傷んだのだろうというのですがね。成程、古くはなっているが、水が漏るほどの事はありませんよ。親方はうっかりした事をしゃべるなと云うので、わっしは黙っていますがね。どうもこりゃあ誰かが仕事をしたのだろうと思うのですが……」
「どんな仕事をしたのだ」
「誰かが抉《えぐ》ったのですよ。醤油樽の呑口のようにはなっていねえが、船底の少し腐れかかっている所を、むしったように毀《こわ》して置いて、いい加減に埋め木でもして置いたのでしょう」
「そんなことは素人に出来る筈がねえ。千太の野郎がやったのかな。浅井の人たちを砂村へ送りつけて、その帰るのを待っているあいだに、千太が何か仕事をしたのだろう。それで野郎、逃亡《ふけ》たのだな」
気のせいか、船は亡骸《なきがら》のように横たわっている。その船の中へ潜《もぐ》り込んで、半七は隅々までひと通りあらためると、果たして金八の云う通りであった。調べの役人らが出張った以上、これが判らない筈はない。おそらく事件を内分に済ませるために、浅井の屋敷から手をまわして、役人らをうまく抱き込んで、船底の破損ということに片付けてしまったのであろうと、半七は想像した。それは此の時代にしばしばある習いで、さのみ珍らしいとも思われなかったが、ここに一つの不審がある。事件を秘密に葬るつもりならば、浅井の奥さまや親類たちが町方へ手をまわして、事件の真相を突き留めてくれと云うのが理窟に合わない。一方に秘密主義を取りながら、一方には藪を叩いて蛇を出すようなことをするのはどういうわけかと、半七は又かんがえた。
或いは屋敷内や親類じゅうの議論が二つに分かれているのではないか。一方は家名を傷つけるのを憚《はばか》って、何事も秘密に葬るがよいと云い、一方は飽くまでも其の正体を確かめて、その罪人を探し出すがよいと云う。要するに、何事もお家《いえ》には換えられぬという弱気筋と、たとい家をほろぼしても屹《きっ》と善悪邪正を糺《ただ》せという強気筋とが二派に分かれて、こういう結果を生み出したのでは無いか。いずれにもせよ、自分は役目として、探るだけのことは探らなければならないと、半七は思った。
「おかみさんは留守、親方は寝ているというのを無理に引き摺り起こすのもよくねえ。きょうはこれで帰るとしよう」
半七は岸へあがって金八に別れた。
「親分。傘を持って行きませんか。なんだかボロ付いてきましたぜ」
「おめえのうちの傘には印《しるし》が付いているだろうから、何かの邪魔だ。まあ、たいしたこともあるめえ。このまま行こう」
なま暖い風は湿《しめ》りを帯びて、軒の柳に細かい雨がはらはらと降っかけて来た。半七は手拭をかぶって歩き出した。
三
浅井因幡守の屋敷は本願寺のわきで、南小田原町から眼と鼻の間にあるので、半七はすぐにその屋敷へゆき着いた。雨はだんだんに強くなって来たので、彼は雨宿りをするようなふうをして、隣り屋敷の門前に立った。
船底の機関《からくり》は千太の仕業らしいが、千太自身がそんなことを企らむ筈がない、恐らく誰かに頼まれたのであろう。千太を探し出して引っぱたけば、泥を吐かせてしまうのであるが、どこに隠れているか容易に判りそうもない。妾のお早に子供でもあればお家騒動とも思われるが、お早に子供は無い。本妻には男と女の子がある。しかもみんないい人であると云う。それではお家騒動が芽をふきそうもない。
そんな事をいろいろ考えながら、半七は半時ほども其処に立ち暮らしたが、浅井の屋敷からは犬の児一匹も出て来なかった。そのうちに雨はますます降りしきるので、半七もさすがに根負《こんま》けがして、丁度通りかかった空《から》駕籠をよび留めて、ひとまず神田の家へ帰った。
日が暮れると、子分の幸次郎が来た。
「とうとう降り出しました」
「ことしはどうも降り年らしい。きょうも降られて、中途で帰って来た」
「どこへ行きました」
「築地へ廻った」
きょうの一件を聞かされて、幸次郎は熱心に耳を傾けていた。
「親分。その一件なら、わっしも少し聞き込んだことがあります。御承知の通り、あの辺には屋敷が多いので、わっしも大部屋の奴らを相当に知っていますが、この間からいろいろの噂を聞いていますが、噂という奴はどうも取り留めのないもので……。だが、親分。ここに一つ面白いことがあります。こりゃあ聞き捨てにならねえと思うのですが……」
「聞き捨てにならねえ……。どんなことだ」
「あの一件の当日、主人の因幡という人は陸《おか》を帰る筈だったそうです。こういうことになるせいか、因幡という人は船が嫌いで、いつも砂村へ行く時には、片道は船、片道は陸と決まっているので、当日も船で行って、陸を帰るという筈だったのを、どういう都合か、帰りも船ということになって、あんな災難に出逢った……。運が悪いと云えば、まあそれ迄のことですが、何か又そこに理窟がないとも云えませんね。陸を帰れば無事に済んだものを、その日にかぎって船に乗って、その日に限って船が沈む……」
「むむ。運が悪いというほかに、なにかの仔細が無いとも云えねえな」
「それだから、わっしの鑑定はまあこうですね」と、幸次郎は少しく声を低めた。「だれが細工をしたのか知らねえが、恐らく主人を殺すつもりはなかった……。主人はいつもの通りに陸を帰ると思っていたところが、どうしてか船で帰ることになったので、云わば飛ばっちりの災難を受けたような形かと思われますね。女中三人は勿論そば杖でしょうから、そうなると妾のお早か、お嬢さまのお春か、その一人が目指されることになります。年の行かねえお嬢さまが殺されそうにも思われねえから、目指す相手はまあお早でしょうね」
「そうすると、細工人は奥さまか」と、半七は半信半疑の眉をよせた。
「まあ、そんなことらしいようですね。お早というのも評判の悪くない女ですが、なんと云っても本妻と妾、そこには人の知らない角《つの》突き合いもあろうと云うものです。奥さまが半気違いのようになって自分の屋敷に瑕が付いても構わないから、本当のことを調べあげてくれなぞと云うのも、自分のうしろ暗いのを隠そうとする為かも知れませんからね」
「心にもない亭主殺し……。それはまあそれとして、娘殺しはどうする。いくら妾が憎いと云っても、我が生みの娘まで道連れにさせることはあるめえ。なんとかして妾ひとりを殺す法もあろうじゃあねえか」
「いや、そこには又相当の理窟があります。お嬢さまのお春というのはお人形のように可愛らしい娘で、気立ても大変おとなしいのですが、どういうわけか子供のときから妾のお早によく狎《なつ》いて、お早も我が子のように可愛がっていたと云うことです。ねえ、親分。これはわっしの推量だが、奥さまの眼から見たら、お早は自分に子供が無いので、お春を手なずけて我が子のようにして、奥さまに張り合おうという料簡だろうと思われるじゃあありませんか。そうなると、我が子でもお春は可愛くない。いっそお早と一緒に沈めてしまえと、むごい料簡にならないとも限りますまい」
「いろいろ理窟をつけて考えたな」と、半七はほほえんだ。「それもまんざら無理じゃあねえ。女は案外におそろしい料簡を起こすものだ。そこで先ず奥さまの細工とすると、奥さまが直々《じきじき》に船頭に頼みゃあしめえ。誰か橋渡しをする奴がある筈だが……」
「それは女中のお信でしょう」
「むむ、船宿の姪か。そうするとお信は生きているな」
「船宿にいて、小田原町の河岸に育った女ですから、ちっとは水ごころがあるのでしょう。陸へ這いあがって、どっかに隠れているのだろうと思います」
「そんなことが無いとも云えねえ」
大阪屋花鳥の二代目かと、半七は口のうちでつぶやいた。しかも花鳥の一件とは違って、これはなかなか面倒の仕事である。たとい万事が幸次郎の鑑定通りとしても、それは当て推量に過ぎないのであるから、動かぬ証拠を押さえなければならない。
「こうなると、どうしてもお信と千太のゆくえを探し出さなけりゃあならねえ。おめえ一人じゃあ手が廻るめえから、亀か庄太に手伝って貰え。おれは妾の宿《やど》へ行ってみようと思うが、お早はどこの生まれだ」
「浅井の屋敷へ出入りの植木屋の娘だとかいうことですが、宿はどこだか知りません。なに、そりゃあすぐに判りますから、あしたにでも調べて来ます」
幸次郎は請け合って帰った。雨はひと晩降りつづけて、明くる朝はうららかに晴れた。
「こりゃあ拾い物だ」と、半七は窓から表の往来をながめた。気の早い彼岸《ひがん》桜はもう咲き出しそうな日和《ひより》である。御用でなくても、こういう朝には何処へか出て見たいように思われたが、お早の宿が判らないので無闇に踏み出すことも出来ない。半七は落ち着かない心持で半日を無駄に暮らして、幸次郎の報告を待ちわびていると、午頃になって彼は駈けつけた。
「どうも遅くなって済みません。近所の屋敷の奴を二、三人たずねたのですが、あいにくどいつも留守で手間取りました。だが、すっかり判りました。浅井の妾の親許は小梅の植木屋の長五郎、家《うち》は業平《なりひら》橋の少し先だそうです」
「よし、判った。それじゃあ俺はすぐに小梅へ行って来る。ゆうべも云う通り、おめえは誰かの加勢を頼んで、お信と千太のゆくえを探してくれ。ひょっとすると、築地の三河屋へ忍んで来ねえとも限らねえから、あすこへも眼を放すな」
云い聞かせて、半七は早々に家を出た。吾妻橋を渡って中の郷へさしかかると、その当時のここらは田舎である。町屋《まちや》というのは名ばかりで百姓家が多い。時にしもた家があるかと思えば、それは「梅暦」の丹次郎の佗び住居のような家ばかりである。ふだんから往来の少ない土地であるから、雨あがりのぬかるみは深い。半七も覚悟して日和下駄を穿《は》いて来たが、その下駄も泥に埋められて自由に歩かれないくらいである。
それをどうにか通り越して、南蔵院という寺の前から、森川|伊豆守《いずのかみ》の屋敷の辻番所を横に見て、業平橋を渡ってゆくと、そこらは一面の田畑で、そのあいだに百姓家と植木屋がある。長五郎の家をたずねるとすぐに知れた。
大きい旗本屋敷に出入り場もあり、娘を浅井の屋敷に勤めさせて相当の手当てを貰っている為であろう、長五郎の家はここらでも目立つほど大きい構えで、広い植木溜めにはたくさんの樹木が青々とおい茂っていた。門口《かどぐち》には目じるしのような柳の大木が栽《う》えてあって、まばらな四目垣《よつめがき》の外には小さい溝川《どぶがわ》が流れていた。その土橋を渡って内へはいると、鶏がのどかそうに時を作っているばかりで、家内はしんかんと鎮まっていた。
不幸後まだ間もないのであるから、それも無理はないと思いながら、半七は入口らしい方を探してゆくと、南向きの縁さきへ出た。ここにも見上げるような椿の大木が、紅いつぼみをおびただしく孕《はら》ませていた。
「御免なさい」
二、三度呼ばせて、奥からようよう出て来たのは、四十五六の女房であった。これがお早の母であろうと想像しながら、半七は丁寧に会釈《えしゃく》した。
「実はわたくしは築地の浅井さまへ多年お出入りを致して居ります建具屋でございますが……。このたびは何とも申し上げようもない次第で……。早速お悔《くや》みに出る筈でございましたが、かぜを引いて小半月も寝込んでしまいまして、ついつい延引いたしました」
用意して来た線香の箱に香奠《こうでん》の紙包みを添えて出すと、女房は嬉しそうに、気の毒そうに受け取って、これも丁寧に礼を述べた。いかに多年の出入りでも、特別の関係がない限りは、妾の親許まで悔みに来る者はない。正直らしい女房は、建具屋と名乗って来た男の厚意をよろこんで、早速に内へ招じ入れた。半七は奥へ通って仏壇に焼香して、ふたたび元の縁さきへ戻って来ると、女房は茶や煙草盆の用意をしていた。彼女は果たしてお早の母のお富であった。
「悪いときには悪いもので、親類うちに又不幸がありまして、親父はゆうべから戻りません」
遠方を来たのであるから、まあゆっくり休んで行けと、お富は云った。どう見ても、悪意の無さそうな女である。引き留められたのを幸いに、半七は坐り込んで煙草を吸いはじめると、浅草寺《せんそうじ》の八ツ(午後二時)の鐘がきこえた。
四
半七とお富と、初対面の二人のあいだに変った話題はない。殊に今の場合であるから、話は当然かの一件をくり返すことになって、娘をうしなった母の眼からは、また今さらに新らしい涙が湧いた。お富の話によると、亭主の長五郎も正直な職人|気質《かたぎ》の人物であるらしく、娘は多年御恩を受けた殿さまのお供をしたのであるから、死んでも悔むことは無いと云っている。又、それに就いて、お屋敷の御迷惑になるような事は決して口外してはならないと、女房らをも堅く戒めているとのことであった。
「親方の御料簡はよく判っています」と、半七も同情するように云った。「しかし世間の口はうるさいもので、今度の一件に就いてもいろいろの噂を立てる者がありますよ」
「どんなことを云って居ります」と、お富は眼をふきながら訊《き》いた。
「実は……。お前さん達の前じゃあ云いにくい事ですが……」と、半七は渋りながら答えた。「誰かが船底へ細工をして……」
「やっぱりそんなことを云って居りますか」
「お部屋さまを沈めようとした……」
云いかけて相手の顔色を窺うと、お富は黙って考えていた。
「そんなことを云っちゃあなんですが……。どこのお屋敷でも、奥さまとお部屋さまとは折り合いのよくないもので……」
「あれ、お前さん。飛んでもない」と、お富はたしなめるように云った。「それじゃあ奥さまが何か細工をして、内の娘を沈めたとでも云うのですかえ。そりゃあ違います、大違いです。お屋敷の奥さまに限って決して決して、そんな事をなさるような方《かた》じゃありません。奥さまはまことに結構なお方で、それはわたしが請け合います。一体お前さんはそんなことを誰に聞いたのです」
激しい権幕で詰問されて、半七も少しく返事に困った。
「いや、奥さまに限ったわけじゃあありませんが、お屋敷には大勢《おおぜい》の男もいる、女もいる。その大勢のうちには自然こちらの娘さんと仲の悪い者も無いとは云えません。何かのことで娘さんを恨んでいる者も無いとは限りませんから……」
「そりゃあ恨まれているかも知れませんが……」
何か思いあたることでもあるらしい口ぶりに、半七は透かさず訊き返した。
「世の中には外道《げどう》の逆《さか》恨みと云って、自分の悪いのを棚にあげて、人を恨む者もありますからね。何かそんな心あたりでもありますかえ」
お富はまた黙ってしまった。この夫婦は自分でも云う通り、屋敷の迷惑になることは決して口外しまいと決めているらしい。その堅い口を明かせるには、自分も頭巾《ずきん》をぬいで正体を現わすのほかはないと半七は思った。
そこで、彼は自分の身もとを明かした。しかもこれは町方から進んで詮議するのではない。奥さまや親類の諸屋敷から頼まれたのであることを詳しく説明して聞かせると、お富の態度も少し変って来た。
「そういうわけだから、なんでも正直に云ってくれねえじゃあ困る」と、半七は諭《さと》すように云った。「おめえは奥さまは結構な方だと云うが、今のところ、その奥さまが一番疑われているのだ。奥さまの為を思うならば、知っているだけの事をみんな云うがいいじゃあねえか。おれも男だ。屋敷の迷惑になるような事は決して他言しねえから、おれだけに云うと思って話してくれ」
「でも、確かな証拠もないことは……」と、お富はまだ躊躇しているらしかった。
「いや、おめえの云ったことをすぐに証拠にするわけじゃあねえ。ただ心得のために聞いて置くだけのことだ。おめえの娘は此の頃ここへ訪ねて来たかえ」
「去年の暮れにまいりました」
「ひとりで来たのか」
「お信という女中を連れて来ました」
「お信はどんな女だ」
「容貌《きりょう》の悪くない、なかなかしっかり者のようです」
それは船頭の金八の話と符合していたが、お富がお信という女に好意を持っていないらしいのは、その口ぶりで察せられた。
「自分の供に連れて来るようじゃあ、おめえの娘の気に入りなんだね」
「別に気に入りというわけでもございません。お屋敷内では話すことの出来ない内証話があるので、きょうの供に連れて来たのだと申しまして、奥で暫く差し向かいで話して居りました」
「どんな話をしていたか判らなかったかね」
「わたくし共はあちらへ遠慮して居りましたので、二人とも小さな声でひそひそと話し合って居りましたので、どんな話をしていたのか一向に判りませんでした」
「帰る時はどんな様子だった」
「二人とも顔色がよくないようで……。取り分けてお信は真蒼《まっさお》な顔をして居りました」
「娘はそれっきり来ねえのだね」
「春になっては一度も参りません。去年の暮れに顔を見せましたのが一生の別れでございます」と、お富はまた泣き出した。
お早とお信が、ここでどんな密談を遂げたのか。この二人はそもそも敵か味方か。帰るときに二人の顔色が悪かったのはどういうわけか。それは容易に解き難い謎であるので、半七もさすがに思案に悩んだ。
「その日はまあそれとして、その前に娘から何か聞き込んだことは無かったかえ」と、半七はまた訊いた。
「いえ、お屋敷内のことに就きましては、娘は別になんにも申しませんでした」
この時、突然、奥の襖をあけて、五十前後の男が姿をあらわした。
「いらっしゃいまし。わたくしは植木屋の長五郎でございます」と、彼は半七の前に手をついて丁寧に会釈した。「親類に不幸がございまして、昨晩から手伝いに参って居りまして、只今ちょいと帰って参りました」
彼はさっきから戻って来て、女房と半七との問答を偸《ぬす》み聴いていたらしかった。それを察して、半七は向き直った。
「今もおかみさんと話していたところだが、今度の一件について何か入り組んだ訳がありそうだが……」
「それに就きまして、親分さん。もう斯《こ》うなれば正直に申し上げますが……」
あちらへ行けと眼で知らされて、お富は不安そうに立ち去ると、そのうしろ姿を見送って、長五郎はささやくように云い出した。
「こんなことを女房に云って聞かせますと、余計な心配も致しますし、女は口の軽いもので又どんなおしゃべりをしないとも限りませんから、実は女房にも隠して居りましたが、去年の十月、娘が寺参りながらここへ参りました時に、女房はちょうど留守でございまして、わたくしと差し向かいで暫く話して帰りましたが、その時に娘の口からちらりと聞いたことがございますので……」
「むむ」と、半七も思わずひと膝乗り出した。「どんなことを聞かされたね」
「別に取り留めた事でもないのですが……」と、長五郎はまた躊躇した。
「ここでおめえが何を云おうとも、おれはみんな聞き流しにする。おめえは勿論、屋敷へも決して迷惑はかけねえ。遠慮無しに話してくれ」と、半七は催促するように云った。
「はい」
「いつまでも焦《じ》らしていちゃあいけねえ。おれだって洒落《しゃれ》や冗談に訊《き》いているのじゃあねえから、そのつもりで返事をしてくれ」
半七もやや焦れて来た。
云おうとして云い得ないように、長五郎はいつまでも渋っていた。
五
その明くる日の朝、幸次郎が半七の家《うち》へ忙がしそうにはいって来た。
「お早うございます。早速ですが、ゆうべちっと変なことがありましてね」
「なんだ。馬鹿に早えな」
顔を洗ったばかりの半七が茶の間の長火鉢の前に坐り直すと、幸次郎は直ぐに話し始めた。
「実は庄太と手分けをして、わっしは築地の三河屋の近所に張り込んでいると、ゆうべのかれこれ四ツ(午後十時)頃でしたろう。あの船宿から頬かむりをして出て行く奴がある。小半町ばかり尾《つ》けて行って、本願寺橋の袂でだしぬけに『おい、兄《あに》い』と声をかけると、そいつはびっくりしたように振り返る。よく見ると、まんざら知らねえ奴でもねえ、深川の寅という野郎で……」
「深川の寅……。どんな奴だ」
「やっぱり船頭で、大島|町《ちょう》の石置場の傍にいる寅吉という奴です。船頭といっても、博奕が半商売で、一つ間違えば伝馬町《てんまちょう》へくらい込むような奴で……。そいつが三河屋から出て来たから、こりゃあ詮議物だと思って、いろいろに膏《あぶら》を絞ってみたのですが、友達の千太をたずねて来たと云うばかりで、ほかにはなんにも云わねえのです。千太は居たかと訊くと、このあいだから姿を隠しているので、三河屋でも探していると云うのです。なんの用で千太をたずねて来たと云うと、例の一件以来、大島町の方へも顔も見せねえので、どうしているのかと案じて来たと云うのです。いつまで押し問答をしていても果てしがねえから、一旦はそのまま放してやりましたが、あとでよくよく考えると、千太をたずねて来たと云うのは嘘で、実は千太の使に来たのじゃあねえかとも思うのですが……」
「そうすると、寅という奴は千太の居所《いどこ》を知っているわけだな」
「そうです。いっそ挙げてしまいましょうか」
「まあ、急《せ》くな」と、半七は制した。「迂濶に寅の野郎を引き挙げると、肝腎の千太が風をくらって、どこかへ飛ばねえとも限らねえ。まあ、当分はそのままにして置いて、出這入りを見張っていろ」
「ようがす」
幸次郎は引き受けて帰った。半七はそれから牛込の堀田、京橋の須藤、深川の菅野の屋敷をまわって用人らに内密の面会を求めたが、或いは用人が留守だといい、或いは面会は出来ぬといい、この事は八丁堀役人の方へ申し入れてあるから、訊きたい事があるならばそれに訊いてくれ、当屋敷で直接の対談は断わると云い、いずれも申し合わせたように門前払いである。それでは取り付く島がない。自分の方から頼んで置きながら何のことだと、半七は肚《はら》のうちで舌打ちしたが、武家屋敷の仕事は大抵こんなものだと覚悟しているので、小梅の長五郎から聞き出した一種の秘密を唯一《ゆいいつ》の材料にして、ひそかに探索を進めて行くのほかは無かった。
こんなわけで、とかくに仕事が捗取《はかど》らず、半七らを苛々《いらいら》させていると、それから十日ばかりの間に、二つの事件が出来《しゅったい》して、更に彼等を苛立たせた。その一つは二月二十三日の朝、かの深川の寅吉という船頭が何者にか殺害されたことである。浄心寺のうしろは山本町で、その山本町から三好町の材木置場へ通うところに小さな橋がある。寅吉の死骸はその橋の下に浮かんでいたが、右の肩先からうしろ袈裟《げさ》に斬られているのを見ると、その相手は恐らく武士《さむらい》で、うしろから一刀に斬り倒して、死骸を河へ投げ落としたのであろうと察せられた。
検視の上、このごろ流行る辻斬りの仕業《しわざ》であろうということになったが、辻斬りをする者がその死骸をわざわざ河のなかへ投げ込んでゆく筈がない。幸次郎の報告によって、その下手人が誰であるかを半七は大かた推量していた。寅吉の出入りを尾けていた幸次郎は、彼が何処をどう歩いて、何者に斬られたかを窃《ひそ》かに見とどけたのであった。下手人は物蔭に窺っている幸次郎のすがたを見て、一目散に逃げてしまった。
次は二月二十八日の朝、築地南小田原町の河岸《かし》に心中の男女の死骸が発見された。それは彼《か》の三河屋の前の河岸につないである屋根船のなかの出来事で、その船は浅井の屋敷の人々を沈めたという因縁つきの物である。浅井の一件が落着《らくぢゃく》次第、当然焼き捨てらるべき船のなかで、更に第二の悲劇が演ぜられたのは、いわゆる呪いの船とでも云うべきであろうか。
しかもこの心中は噂ばかりで、その実際を見とどけた者は少なかった。その噂を聞き伝えて見物人が寄り集まって来る頃には、二つの死骸はすでに取り片付けられて、形見の船が春雨《はるさめ》に濡れているばかりであった。
「心中は綺麗な若いお武家と、若い女だ」
それを見た者は云い触らした。男は十七八の美しい武士で、女は二十歳《はたち》前後の、武家奉公でもしていたらしい風俗である。二人は船のなかに座を占めて、男は脇差で先ず女を刺し殺し、自分も咽喉《のど》を掻き切って死んでいた。
そのうちに、又こんな噂をする者もあらわれた。
「男は近所の浅井さまの御子息らしい。女は三河屋のお信だ」
前にも云う通り、二つの死骸は早くも取り片付けられてしまったので、それらの事も結局は噂ばかりに留まったが、その噂の嘘でないことを半七は知っていた。
「おい、幸。飛んでもねえ事になってしまったな」
「まったく驚きました。お信を早く探し出せば、こんな事にゃあならなかったのですが……」と、幸次郎も残念そうに云った。
「それに浅井の屋敷もよくねえ。今じゃあ家督を相続している小太郎という人が、二、三日前から家出しているのを黙っていることはねえ。八丁堀の旦那衆の方へ内々で沙汰をして置いてくれりゃあ、なんとか用心の仕様もあったものを……。そうは云うものの、それからそれへと悪い事つづきで、屋敷の方でも面目ねえから、旦那方へは沙汰無しで、内々そのゆくえを探していたのだろうが……。もうこの上は仕方がねえ。三千石の屋敷も潰《つぶ》れる」
「潰れるでしょうね」
「先代の主人の水死は不時の災難としても、又ぞろこの始末だ。所詮《しょせん》助かる見込みはあるめえよ」と、半七は嘆息した。「考えてみると、おれも悪かった。このあいだ小梅の長五郎の話を聴いた時に、すぐに旦那に知らせて置けばよかった。そうしたら、旦那の方から浅井の屋敷へ内通して、若主人の出入りを厳重に見張らせたかも知れねえ。お屋敷のお名前にもかかわる事だから、決して他言してくれるなと長五郎に泣いて頼まれたので、おれもなんだか可哀そうになって、今まで口を結んでいたのが却っていけなかったようだ。この商売は涙もろくちゃあいけねえな」
「近頃こんなドジを組んだことはありません。そこで、親分。これからどうします」
「まだこれで幕にゃあならねえ。お信が生きていた以上は、千太もどこから這い出して来るか判らねえ」
「それじゃあ、やっぱり深川を見張っていますか」
「まあ、そうだ。寅吉の家《うち》の近所を見張っているほかはあるめえ」
寅吉は独り者であるから、家族について調べるという術《すべ》もない。近所の者が集まって投げ込み同様の葬式を済ませたので、その家は空店《あきだな》になったままである。それを知らずに、千太が忍んで来ることが無いとも云えない。それを目あてに張り込んでいるのである。
「おめえと庄太は気長に深川の番をしていてくれ」と、半七は云った。「あいつも亦ばっさりやられてしまった日にゃあ玉無しだ」
幸次郎を出してやった後、半七は又しばらく考えていた。武家屋敷に係り合いの仕事は元来面倒であるとは云いながら、今度の一件は万事が喰い違いの形で、とかくに後手《ごて》になったのは残念でならない。浅井の屋敷に瑕が付いても構わないから、事件の正体を突きとめてくれと、奥さまは半気ちがいになって頼んだそうであるが、その屋敷も所詮潰れるのであろう。思えば奥さまは気の毒である。せめてはその望み通りに、この事件の顛末を明らかにして、奥さまに一種の満足をあたえるのが自分の役目であると、半七は思った。
そのうちに、彼は何事かを思いついて、ふらりと神田の家を出た。二十八日の宵である。きょうの春雨も其の頃には晴れたが、紗《しゃ》のような薄い靄《もや》が朦朧《もうろう》と立ち籠めて、行く先は暗かった。大通りの店の灯《ひ》も水のなかに沈んでいるように見えた。半七はその靄に包まれながら、築地の方角にむかった。
南小田原町へ辿り着いて、船宿の三河屋を表から覗くと、今夜は軒の行燈をおろして、商売を休んでいるらしかった。隣りの竹倉という船宿で訊くと、お信の死骸は検視が済むや否や、すぐに下谷|稲荷町《いなりちょう》の女房の里方へ運んで、今夜はそこで内々の通夜《つや》をするらしく、三河屋の家内はみな下谷へ出て行って、亭主の清吉ひとりが留守番をしているとの事であった。
半七は再び三河屋の店さきに立って声をかけると、奥から亭主が出て来た。清吉はもう四十以上の頑丈そうな男で、半七を見て、仔細らしく顔をしかめたが、又すぐに打ち解けて挨拶した。
「親分でございましたか。まあ、どうぞこちらへ……」
「どうも悪いことが続いて、お気の毒だね」と、半七は店さきに腰をおろした。「そこで清吉。今夜は御用で来たのだから、そのつもりで返事をしてくれ」
清吉は形をあらためて、無言でうなずいた。
「早速だが、おめえに訊きてえことがある。姪のお信は先月の一件以来、小ひと月のあいだ何処に忍んでいたのだね」
「存じません」と、清吉ははっきりと答えた。「実は何処から出て来たのかと、わたくしも不思議に思っている位でございます。小ひと月も便りがありませんので、死骸は遠い沖へ流されてしまって、もう此の世にはいないものと諦めて居りましたのに、それが不意に出て来まして、しかもここの河岸であんな事を仕出来《しでか》しまして……。なんだか夢のようでございます」
「まったく悪い夢だ。実はおれも可怪《おか》しな夢を見たよ」と、半七は笑った。
「へえ」
「その夢を話して聞かそうか」
「へえ」
なにを云うのかと、清吉は相手の顔をながめていると、半七はやはり笑いながら話しつづけた。
「なにしろ夢の話だから、辻褄《つじつま》は合わねえかも知れねえ。まあ、聴いてくれ。ここに大きい屋敷があって、本妻の奥さまとお部屋のお妾がある。奥さまも良い人で、お妾も良い人だ。これじゃあ御家騒動のおこりそうな筈がねえ。ところが、ここに一つ困ったことは、その奥さまの腹に生まれた嫡子の若殿さまというのが素晴らしい美男だ。どこでもいい男には女難がある。奥さまにお付きの女中がその若殿さまに惚れてしまった。昔から云う通り、恋に上下の隔てはねえ。女は夢中になって若殿さまにこすり付いて、とうとう出来合ってしまったという訳だ。どうで本妻になれる筈はねえが、こうなった以上、せめてはお部屋さまにでもなって、若殿さまのそばを一生離れまいという……。こりゃあ無理もねえことだが、さてそれがむずかしい。勿論お妾だから、身分の詮議は要らねえようなものだが、女は男よりも年上で、おまけになかなかのしっかり者で、まかり間違えば御家騒動でも起こしそうな代物《しろもの》だ。そんな女を若殿さまに押し付けて善いか悪いか。こうなると、ちっと事面倒になるじゃあねえか。ねえ、そうだろう」
云いかけて清吉の眼色を窺うと、彼はそれを避けるように眼を伏せた。年の割には白髪《しらが》の多い小鬢のおくれ毛が、薄暗い行燈のひかりの前にふるえていた。
「燈台|下《もと》暗しという譬えもある。まして大きい屋敷内だから、若殿さまと女中との一件を誰もまだ感付いた者がねえ。殿さまも奥さまも御存じ無しだ。ところが、悪いことは出来ねえもので、それをどうしてか若けえお嬢さまに見付けられた。すると、このお嬢さまが又、生みの親の奥さまよりも不思議にお妾の方に狎《なつ》いていたので、それをそっとお妾に教えたのだ。お妾もすぐにそれを奥さまか用人にでも耳打ちして、なんとか取り計らえばよかったのだが、自分ひとりの胸に納めて置いて、誰にも知らさずに穏便に済まそうと考えた。お妾はもちろん悪意じゃあねえ、若殿さまに瑕を付けめえという忠義の料簡から出たことだが、その忠義が仇《あだ》となって飛んだことになってしまった。というのが、去年の暮れに、お妾は自分の親もとへ歳暮《せいぼ》の礼に行った。その時にかの女中を供に連れて出て、こっそりと意見をした。若殿さまのことは思い切って、来年の三月の出代りには無事にお暇を頂いて宿へ下がってくれ、と因果を含めて頼むように云い聞かせた。それも屋敷の為、当人たちの為を思ったことだが、女中の方はもう眼が眩《くら》んでいるから、そんな意見は耳にはいらねえばかりか、却って其の人を恨むようにもなった。お妾が余計な忠義立てをして、無理に自分たちの仲を裂くのだと一途《いちず》に思い込んで……。おい、清吉。おれの夢はここらで醒めたのだが、その先はおめえがよく知っている筈だ。今度はおめえの夢の話を聞かせて貰おうじゃあねえか。おめえの話も長そうだ。おれは一服吸いながら聞くぜ」
半七は腰から筒ざしの煙草入れを取り出して、しずかに煙草を吸いつけると、清吉はやがて崩れるように両手をついて平伏した。
「親分、恐れ入りました。ひとりの姪が可愛いばっかりに……。お察しください」
「それはおれも察している。おめえが悪い人間でねえことは世間の評判で知っている。それにしても、仕事があんまり暴《あら》っぽいぜ。いくらおめえ達の商売でも、カチカチ山の狸の土舟のようなことをして、殿さまを始め大勢の人を沈めて……」
「仰しゃられるまでも無く、わたくしも今では後悔して居ります。どうしてあんな大胆なことをしたかと、我れながら恐ろしい位でございます。たった一人の姪が泣いて頼みますので……。ふいと魔がさして飛んでもない心得違いを致しまして……。なんとも申し訳がございません」
汗か涙か、清吉の蒼い顔は一面に湿《ぬ》れていた。
六
「なかなか入り組んだ話ですね」と、私はここまで聞かされてひと息ついた。
「さあ、入り組んでいるようですが、筋は真っ直ぐです」と、半七老人は笑った。「ここまでお話しすれば、あなた方にも大抵お判りでしょう」
「まだ判らないことがたくさんありますよ。これまでのお話によると、そのお信という女が自分の恋の邪魔になるお早という妾を殺そうとして、叔父の清吉を口説《くど》いて船底に機関《からくり》を仕掛けたというわけですね。かたきの片割れだから、お嬢さまも一緒に沈めてしまう……」
「殿さまを殺す気はなかったが、あいにく其の日に限って、殿さまも船で帰ったので、云わば傍杖《そばづえ》の災難に出逢ったのですよ。運の悪いときは仕方のないものです」
「お信は大阪屋花鳥の二代目ですね」
「そうです。子供のときから築地の河岸《かし》に育ったので、相当に水心《みずごころ》があったと見えます。こんにちでは海水浴が流行《はや》って、綺麗な女がみんなぼちゃぼちゃやりますが、江戸時代には漁師の娘ならば知らず、普通の女で泳ぎの出来るのは少なかったのです。花鳥もお信も泳ぎを知らなかったら、悪いことを思い付かなかったかも知れません」
「そこで千太という船頭はどうしました」
「それには又お話があります」と、老人は説明した。「千太は親方の指図だから忌《いや》とは云われません。もちろん相当の金轡《かねぐつわ》を喰《は》まされたんでしょう。ともかくもこの役目を引き受けて、浅井の人たちを砂村の下屋敷へ送り付けて、その帰りを待っているあいだに船底をくり抜いて置いたんです。いざというときに自分は泳いで逃げ、一旦は三河屋へ帰ったんですが、いろいろの詮議を受けると面倒だというので、親方の指図で姿を隠してしまったんです」
「そうして、どこに隠れていたんです」
「友達の寅吉の家へ逃げ込んで、戸棚のなかに隠れていたそうです。寅吉も悪い奴で、万事を承知で千太をかくまい、千太の使だと云って時々に三河屋へ無心に出かけていたんですが、この寅吉を斬った者がよく判りません。寅吉の出入りを尾《つ》けていた幸次郎の話によると、寅吉が山本町の橋の袂へ来かかった時に覆面の侍が足早に追って来て、一刀に斬り倒したのだそうで、恐らく菅野の屋敷の者だろうと云うんです。菅野は前にも申した通り、浅井の奥さまの里方で深川の浄心寺わきに屋敷を持っている。そこへ今度の一件を種にして、寅吉は何か強請《ゆすり》がましい事でも云いに行ったらしい。屋敷の方でも面倒だと思って、一旦は幾らか握らせて帰して、あとから尾《つ》けて行ってばっさり……。わたくしは門前払いを喰っただけでしたが、寅吉は命を取られてしまいました。なにしろ寅吉が殺《や》られてしまったので、千太はどうすることも出来ない。よんどころなく其処を逃げ出して、それからそれへと友達のところを転げ歩いていたんですが、どこでも係り合いを恐れて長くは泊めてくれない。そのうちに親方の清吉がわたくしの手に挙げられたという噂を聞いて、もう逃げ負《おお》せられないと覚悟したのでしょう。自分で尋常に名乗って出ましたが、吟味中に牢死しました」
「お信は清吉の女房の里に隠れていたんですか」
「お信は岸へ泳ぎ着いて、濡れた着物の始末をして、自分だけ助かったつもりにして屋敷へ帰る筈だったんですが……。それが俄かに気が変ったのは、船がいよいよ沈むという時に、お妾のお早がただ一言《ひとこと》『信』と云って、怖い眼をして睨んだそうです。さては覚られたかと思うと、お信は急におそろしくなって、夢中で岸までは泳ぎ着きながらも、もう再び屋敷へ戻る気になれなくなったということです。暫く何処にか隠れていて、暗くなるのを待って下谷の稲荷町、すなわち清吉の女房の里へ尋ねて行って、そこに五、六日隠まって貰って、それから又こっそりと築地の三河屋へ戻って来て、その二階に忍んでいたんです。わたくしが最初に三河屋へ出張って、船頭の金八を詮議していた時、お信は二階に隠れていたわけです、が、その儘うっかり帰って来たのはわたくしの油断でした。
そこで、お信がどうして浅井の若殿さまを誘い出したのか、それは清吉も知らない。若殿さまは唯だしぬけに尋ねて来たのだと云っていましたが、何かの手だてを用いて呼び出したに相違ないと思われます。若殿さまは三河屋の二階に泊まって、その夜のうちにお信と一緒にぬけ出して、例の屋根船のなかで心中したんですが、清吉はそれをちっとも知らなかったと云う。これも甚だ怪しいと思われます。第一、若殿さまを自分の家に泊めるという法はない。その屋敷はすぐ近所にあるんですから、夜が更《ふ》けても送り帰すのが当然であるのに、平気で自分の二階に泊まらせて、こんな事を仕出来《しでか》したのは、重々申し訳のない次第です。浅井の屋敷では二日前に家出したと云い、清吉はその晩に来たと云い、その申し口が符合しないんですが、或いは二日前から三河屋に忍ばせて置いたのかも知れません。
それらのことを考えると、お信はしょせん自分の望みは叶わないと覚悟して、叔父の清吉と相談の上で、若殿さまを冥途《めいど》の道連れにしたらしい。清吉も姪が可愛さに、若殿さまを二階に忍ばせて、十分に名残《なごり》を惜しませた上で、二人を心中に出してやったんだろうと思われます。船の一件が露顕すれば、清吉もお信もどうで無い命、殊にお信はしっかり者だけに執念深い。それに魅《み》こまれた若殿さまはお気の毒のようですが、この人は女に惚れられるような美男に生まれ付いただけに、体も弱く、気も弱い質《たち》で、年もまだ十七、無事に家督を相続したものの、親や妹には不意に死に別れ、お信はゆくえ知れず、唯ぼんやりとしているところへ、死んだと思ったお信が突然にあらわれて来て、それにいろいろ口説かれたので、ついふらふらと死ぬ気になったんでしょう。今更のことじゃあないが、女に惚れられると恐ろしい。若殿さまがお信という女に惚れられた為に、これほどの大事件が出来《しゅったい》して、三千石の家は見ごとに潰れてしまいました」
「お嬢さまの死骸はとうとう揚がらなかったんですか」と、わたしは最後に訊《き》いた。
「いや、そのお春というお嬢さまは……」と、老人は悼《いた》ましそうに顔をしかめた。「何処をどう流れて行ったのか知れませんが、房州の沖で見付かりました。これは後に聞いたことですが、房州の漁師が沖へ出て、大きな鮫を生け捕って来て、その腹を裂いてみると、若い女の死骸がころげ出た。その時には何者か判らなかったんですが、着物や持ち物が証拠になって、その女は浅井のお嬢さまだということが知れたそうです。揃いも揃って何という運の悪いことか、まったくお話になりません。浅井の奥さまのお蘭という人は里方の菅野家へ戻りましたが、亭主は水死、息子は心中、娘は右の始末ですから、いよいよ半気違いのようになってしまって、それから間もなく死んだということです。三河屋の清吉も千太と同様、吟味中に牢死しました」
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唐人飴《とうじんあめ》
一
こんにちでも全く跡を絶ったというのではないが、東京市中に飴売りのすがたを見ることが少なくなった。明治時代までは鉦《かね》をたたいて売りに来る飴売りがすこぶる多く、そこらの辻に屋台の荷をおろして、子どもを相手にいろいろの飴細工を売る。この飴細工と≪しん粉≫細工とが江戸時代の形見といったような大道商人《だいどうあきんど》であったが、キャラメルやドロップをしゃぶる現代の子ども達からだんだんに見捨てられて、東京市のまん中からは昔の姿を消して行くらしく、場末の町などで折りおりに見かける飴売りにも若い人は殆ど無い。おおかたは水洟《みずっぱな》をすすっているような老人であるのも、そこに移り行く世のすがたが思われて、一種の哀愁を誘い出さぬでもない。
その飴売りのまだ相当に繁昌している明治時代の三月の末、麹町の山王山《さんのうさん》の桜がやがて咲き出しそうな、うららかに晴れた日の朝である。わたしは例のごとく半七老人をたずねようとして、赤坂の通りをぶらぶら歩いてゆくと、路ばたには飴屋の屋台を取りまいて二、三人の子どもが立っている。
それは其の頃の往来にしばしば見る風景の一つで、別に珍らしいことでも無かったが、近づくにしたがって私に少しく不思議を感じさせたのは、ひとりの老人がその店の前に突っ立って、飴売りの男と頻りに話し込んでいることであった。彼は半七老人で、あさ湯帰りらしい濡れ手拭をぶら下げながら、暖い朝日のひかりに半面を照らさせていた。
半七老人と飴細工、それが不調和の対照とも見えなかったが、平生《へいぜい》から相当に他人《ひと》のアラを云うこの老人としては、朝っぱらから飴屋の店を覗いているなどは、いささか年甲斐のないようにも思われた。この老人を嚇《おど》すというほどの悪意でもなかったが、わたしは幾らか足音を忍ばせるように近寄って、老人のうしろから不意に声をかけた。
「お早うございます」
「やあ、これは……」と、老人は急に振り返って笑った。
「又お邪魔に出ようと思いまして……」
「さあ、いらっしゃい」
老人は飴売りに別れて、わたしと一緒にあるき出した。
「あの飴屋は芝居茶屋の若い衆《しゅ》でね」と、老人は話した。「飴細工が器用に出来るので、芝居の休みのあいだは飴屋になって稼いでいるんです」
成程その飴売りは三十前後の小粋《こいき》な男で、役者の紋を染めた手拭を肩にかけていた。その頃の各劇場は毎月開場すること無く、一年に五、六回か四、五回の開場であるから、劇場の出方《でかた》や茶屋の若い者などは、休場中に思い思いの内職を稼ぐのが習いで、焼鳥屋、おでん屋、飴屋、≪しん粉≫屋のたぐいに化けるのもあった。したがって、それらの商人の中にはなかなか粋《いき》な男が忍んでいる。芝居の話、花柳界の話、なんでも来いというような者もあって、大道商人といえども迂闊《うかつ》に侮りがたい時代であった。かの飴屋もその一人で、半七老人とは芝居でのお馴染であることが判った。
家へゆき着いて、例の横六畳の座敷へ通されたが、飴の話はまだ終らなかった。
「今の人たちは飴細工とばかり云うようですが、むかしは飴の鳥とも云いました」と、老人は説明した。「後にはいろいろの細工をするようになりましたが、最初は鳥の形をこしらえたものだそうです。そこで、飴細工を飴の鳥と云います。ひと口に飴屋と云っても、むかしはいろいろの飴屋がありました。そのなかで変っているのは唐人《とうじん》飴で、唐人のような風俗をして売りに来るんです。これは飴細工をするのでなく、ぶつ切りの飴ん棒を一本二本ずつ売るんです」
「じゃあ、和国橋《わこくばし》の髪結い藤次の芝居に出る唐人市兵衛、あのたぐいでしょう」
「そうです、そうです。更紗《さらさ》でこしらえた唐人服を着て、鳥毛の付いた唐人笠をかぶって、沓《くつ》をはいて、鉦《かね》をたたいて来るのもある、チャルメラを吹いて来るのもある。子供が飴を買うと、お愛嬌に何か訳のわからない唄を歌って、カンカンノウといったような節廻しで、変な手付きで踊って見せる。まったく子供だましに相違ないのですが、なにしろ形が変っているのと、変な踊りを見せるのとで、子供たちのあいだには人気がありました。いや、その唐人飴のなかにもいろいろの奴がありまして……」
そら来たと、わたしは思わず居住《いずま》いを直すと、老人はにやにやと笑い出した。
「うっかりと口をすべらせた以上、どうであなたの地獄耳が聞き逃す筈はありません。話しますよ。まあ、ゆっくりとお聴きください」
有名の和蘭《おらんだ》医師高野長英が姓名を変じて青山百人|町《まち》(現今の南町六丁目)にひそみ、捕吏《とりかた》にかこまれて自殺したのは、嘉永三年十月の晦日《みそか》である。その翌年の四月、この「半七捕物帳」で云えば、かの『大森の鶏』の一件から三月の後、青山百人町を中心として、さらに新しい事件が出来《しゅったい》した。
江戸の地図を見れば判るが、青山には久保|町《ちょう》という町があった。明治以後は青山北町四丁目に編入されてしまったが、江戸時代には緑町、山尻町などに接続して、武家屋敷のあいだに町屋《まちや》の一郭をなしていたのである。久保町には高徳寺という浄土宗の寺があって、そこには芝居や講談でおなじみの河内山宗春《こうちやまそうしゅん》の墓がある。その高徳寺にならんで熊野|権現《ごんげん》の社《やしろ》があるので、それに通ずる横町を俗に御熊野横町と呼んでいた。
御熊野横町の名は昔から呼び習わしていたのであるが、近年は更に羅生門横町という綽《あだ》名が出来た。よし原に羅生門河岸《らしょうもんがし》の名はあるが、青山にも羅生門が出来たのである。その由来を説明すると長くなるが、要するに嘉永二年と三年との二年間に、毎年一度ずつここに刃傷沙汰《にんじょうざた》があって、二度ながら其の被害者は片腕を斬り落とされたのである。江戸時代でも腕を斬り落とされるのは珍らしい。それが不思議にも二年つづいたので、渡辺綱が鬼の腕を斬ったのから思い寄せて、誰が云い出したとも無しに羅生門横町の名が生まれたのである。
この久保町、緑町、百人町のあたりへ、去年の夏の末頃から彼《か》の唐人飴を売る男が来た。ここらには珍らしいので相当の商売になっているらしかったが、これを誰が云い出したか知らず、あの飴屋は唯の飴屋でなく、実は公儀の隠密であるという噂が立った。そのうちに高野長英の捕物一件が出来《しゅったい》して、長英は短刀を以って捕手《とりて》の一人を刺し殺し、更に一人に傷を負わせ、自分も咽喉《のど》を突いて自殺するという大活劇を演じたので、近所の者は胆《きも》を冷やした。そうして、かの唐人飴は公儀の隠密か、町方《まちかた》の手先が変装して、長英の探索に立ち廻っていたに相違ないということになった。
ところが、その唐人飴は長英一件の後も相変らず商売に廻って来た。飴売りは年ごろ二十二三の、色の小白い、人柄の悪くない男で、誰に対しても愛嬌を振り撒いているので、内心はなんだか薄気味悪いと思いながらも、特に彼を忌《い》み嫌う者もなかった。彼も平気で長英の噂などをしていた。そのうちに、その年の冬から翌年の春にかけて、ここらで盗難がしばしば続いた。
「あの唐人飴は泥坊かも知れない」
人の噂は不思議なもので、最初は捕吏かと疑われていた彼が、今度は反対に盗賊かと疑われるようになった。昼間は飴を売りあるいて家々の様子をうかがい、夜は盗賊に変じて仕事をするのであろうという。実際そんなことが無いとも云えないので、その噂を信ずる者も相当にあったが、さりとて確かな証拠も無いのでどうすることも出来なかった。
「あの飴屋が来ても買うのじゃあないよ」
土地の人たちは子供らを戒めて、飴を買わせないようにした。商売がなければ、自然に来なくなるであろうと思ったのである。こうして土地の人たちから遠ざけられているにも拘らず、彼はやはり商売に廻って来た。子供が買っても買わなくても、かれは鉦《かね》をたたいて、おかしな唄を歌って、唐人のカンカン踊りを見せていた。この頃は碌々に商売もないのに、根《こん》よく廻って来るのは怪しいと、人々はいよいよ白い眼を以って彼を見るようになったが、彼は一向に平気であるらしかった。或る人がその名を訊《き》いたらば、虎吉と答えた。家は四谷の法善寺門前であると云った。
四月十一日の朝である。久保町の豆腐屋定助が商売柄だけに早起きをして、豆腐の碓《うす》を挽《ひ》いていると、まだ薄暗い店先から一人の女が転げるように駈け込んで来た。
「ちょいと、大変……。あたし、本当にびっくりしてしまった」
女は、この町内の実相寺門前に住む常磐津の師匠文字吉で、なんの願《がん》があるか知らないが、早朝に熊野さまへ参詣に出てゆくと、御熊野横町、即ち彼《か》の羅生門横町で人間の片腕を見付けたと云うのである。
「あの羅生門横町で……。又、人間の腕が……」
定助も顔の色を変えた。しかも彼は自分ひとりで見届けに行くのを恐れて、文字吉同道で先ず町《ちょう》役人の門《かど》を叩いた。それから近所へも触れて歩いた。
人間の腕が往来に落ちていたというのは、勿論一つの椿事|出来《しゅったい》に相違ないが、それが彼の羅生門横町であるだけに、一層ここらの人々を騒がせた。これで腕斬りが三年つづく事になるのであるから、御幣《ごへい》かつぎの者でなくても、又かと顔をしかめるのが人情である。近所近辺の人々は寝ぼけ眼《まなこ》をこすりながら、われ先にと羅生門横町へ駈けつけると、彼等をおどろかす種がまた殖えた。
「あの腕は……。唐人飴屋だ」
往来に落ちていたのは男の左の腕で、着物の上から斬られたと見えて、その腕には筒袖が残っていた。筒袖は誰も見識っている唐人飴の衣裳である。疑問の唐人飴屋がここで何者にか腕を斬られたに相違ない。それに就いて又いろいろの噂が立った。
「あいつはいよいよ泥坊で、お武家の物でも剥ぎ取ろうとして斬られたのだ」
「いや、泥坊には相違ないが、仲間同士の喧嘩で腕を斬られたのだ」
いずれにしても、尋常の唐人飴屋が夜更《よふ》けにここらを徘徊している筈がない。斬られた事情はどうであろうとも、彼が盗賊であることは疑うべくもない。たとい腕一本でも、それが人間のものである以上、犬や猫の死骸と同一には取り扱われないので、町でも訴え出での手続きをしている処へ、ひとりの男がふらりとはいって来た。
男は半七の子分の庄太であった。庄太は浅草の馬道《うまみち》に住んでいながら、その菩提寺は遠い百人町の海光寺であるので、きょうは親父の命日で朝から墓参に来ると、ここらには唐人飴の噂がいっぱいに拡がっていた。彼も商売柄、それを聞き流しには出来ないので、町役人の玄関へ顔を出したのである。
彼は先ずその腕を見せて貰った。その腕に残っていた筒袖をあらためた。その飴屋の年頃や人相や、ふだんのあきない振りなどに就いても聞きあわせた。それから熊野権現の近所へまわって、羅生門横町の現場をも取り調べた。ここは山尻町との境で、片側には小さい御家人《ごけにん》と小商人《こあきんど》の店とが繋がっているが、昼でも往来の少ない薄暗い横町で、権現のやしろの大榎《おおえのき》が狭い路をいよいよ暗くするように掩《おお》っていた。
庄太が帰ったあとで、又もやここらの人々をおどろかしたのは、かの唐人飴の虎吉が、相変らず鉦《かね》を叩いて来たことである。腕斬りの一件を聴いて、かれは眼を丸くして云った。
「それは驚きましたね。だが、わたしはこの通りだから御安心ください」
彼は両手をひろげて、いつものカンカン踊りをやって見せた。その両腕はたしかに満足に揃っていた。こうなると、ここらの人々は唯ぽかんと口を明いているのほかは無かった。
二
神田三河町の半七の家では、親分と庄太が向かい合っていた。
「だが、土地の奴らも愚昧《ぼんくら》ですよ」と、庄太は笑った。「土地の奴らはまあ仕方がないとしても、町役人でも勤める奴らはもう少し眼が明いていそうなものだが……。その腕は現場で斬られたものじゃあねえ、何処からか捨てに来たのか、犬がくわえて来たのか、二つに一つですよ。人間の腕一本を斬ったら、生血《なまち》がずいぶん出る筈だが、そこらに血の痕なんか碌々残っていやあしません」
「初めにそれを見付けたという常磐津の師匠はどんな女だ」と、半七は訊《き》いた。
「実相寺門前にいる文字吉という女で、わっしがたずねて行ったときには、湯に行ったとか云うので留守でしたが、近所の話じゃあ何でも年は三十四五で、色のあさ黒い、力《りき》んだ顔の、容貌《きりょう》は悪くない女だそうで……。浄瑠璃は別にうまいという程でもねえが、なかなか良い弟子があって、ずいぶん遠い所から通って来るのがあるので、場末の師匠にしては内福らしいという噂です」
「文字吉には旦那も亭主もねえのか」と、半七はまた訊いた。
「旦那はあります」と、庄太は答えた。「原宿|町《まち》の倉田屋という酒屋の亭主だそうですが、文字吉は感心にその旦那ひとりを守っていて、ちっとも浮気らしい事をしねえばかりか、その旦那に遠慮して男の弟子をいっさい取らねえと云うのです。今どきの師匠にゃあ珍らしいじゃありませんか」
「めずらしい方だな。奉行所へ呼び出して、鳥目《ちょうもく》五貫文の御褒美でもやるか」と、半七は笑った。
「師匠はまあそれとして、さてその腕の一件だが……。その唐人飴屋というのは何奴かな。家《うち》はどこだ」
「四谷の法善寺門前の虎吉という奴だと聞きましたから、実は帰り路に四谷へまわって、北|町《まち》の法善寺門前を軒別《のきなみ》に洗ってみましたが、虎も熊も居やあしません。野郎、きっと出たらめですよ」
「そうかも知れねえ。だが、この広い江戸にも唐人飴が五十人も百人もいる筈はねえ。それからそれへと仲間を洗って行ったら、大抵わかるだろう」
「じゃあ、すぐに取りかかりますか」
「ともかくもそうしなけりゃあなるめえ」と、半七は云った。「丁度いいことには、下っ引の源次の友達に飴屋がある筈だ。あいつと相談してやってくれ。おれも青山へ一度行ってみよう」
云いかけて、半七は又かんがえた。
「なあ、庄太。土地の者はその飴屋を隠密だとか捕方《とりかた》だとか云っているそうだが、よもやそんなことはあるめえな」
隠密や捕吏が何かの恨みを受けた為に、或いは何かの犯罪露顕をふせぐ為に、闇討ちに逢うようなことが無いとは云えない。もしそうならば、その片腕を人目に触れるような場所へ捨てる筈はあるまい。殊に証拠となるべき唐人服の片袖をそのままに添えて置くなどは余りに用心が足らないように思われる。しかし又、世間には大胆な奴があって、わざと面当てらしくそんな事をしないとも限らない。もしそうならば、あの辺に住む悪旗本か悪御家人などの仕業《しわざ》である。相手が屋敷者であると、その詮議がむずかしいと半七は思った。
そのうちに庄太は俄かに叫んだ。
「あ、いけねえ。飛んだことを忘れていた。親分、堪忍しておくんなせえ。実はその腕はね、切れ味のいい物ですっぱりとやったのじゃあありません。短刀か庖丁でごりごりやったらしい。その傷口がどうもそうらしく見えましたよ」
「そうか」と、半七は更にかんがえた。そうすると、その下手人《げしゅにん》は屋敷者では無いらしい。なんにしても、ここで考えていても果てしが無い。現場を一応調べた上で、臨機応変の処置を取るのほかは無いので、やはり最初の予定通りに、まず飴屋の仲間を洗わせることにした。下っ引の源次は下谷で飴屋をしている。それと相談して万事いいようにしろと、庄太に重ねて云い含めた。
「ようがす。親分はあした青山へ出かけますかえ」
「日暮れにさしかかって場末へ踏み出しても埓が明くめえ。あしたゆっくり出かける事にしよう」
「それじゃあ、その積りでやります」
庄太は約束して帰った。帰る時に、彼はきょうの掘り出し物を自慢して、これも青山へ墓まいりに行ったお蔭であるから、死んだ親父の引き合わせかも知れないなどと云って、半七を笑わせた。まったく親は有難い、お前のような不孝者にも掘り出し物をさせてくれるとからかわれて、庄太はあたまを掻いて帰った。
あくる朝は晴れていた。半七は八丁堀の屋敷へ行って、唐人飴の探索に取りかかることを一応報告した上で、山の手へぶらぶら上《のぼ》ってゆくと、時候は旧暦の四月であるから、青山あたりは其の名のように青葉に包まれていた。
ここらの土地の姿は明治以後著しく変ってしまって、殆ど昔の跡をたずぬべきようも無いが、こんにち繁昌する青山の大通りは、すべて武家屋敷であったと思えばよい。町屋《まちや》は善光寺門前と、この物語にあらわれている久保町の一部に過ぎない。青山五丁目六丁目は百人町の武家屋敷で、かの瞽女節《ごぜぶし》でおなじみの「ところ青山百人町に、鈴木|主水《もんど》という侍」はここに住んでいたらしい。
その寂しい場末の屋敷町にさしかかって、半七は思わず足を停めた。芝居の鳴り物が耳に入ったからである。江戸辺から行けば、右側が久保町で、その筋むかいの左側に梅窓院の観音がある。観音のとなりにも鳳閣寺という真言宗の寺があって、芝居の鳴り物はその寺の境内《けいだい》からきこえて来るのであった。
「むむ、小三《こさん》の芝居か」
江戸の劇場は由緒ある三座に限られていたが、神社仏閣の境内には宮芝居または宮地芝居と称して、小屋掛けの芝居興行を許されていた。勿論、丸太に筵張《むしろば》りの観世物小屋同様のものであるが、その土地相応に繁昌していたのである。鳳閣寺の宮芝居は坂東小三という女役者の一座で、ここらではなかなかの人気者であることを半七は知っていた。
小三の名は知っていたが、半七は曾てその芝居を覗いたことはないので、一体どんな様子かと、鳴り物に誘われて境内へはいると、型ばかりの小屋の前には、古い幟《のぼり》や新しい幟が七、八本も立ちならんで、女や子供が表看板をながめているのが、葉桜のあいだに見いだされた。小屋のなかでは鉦や太鼓をさわがしく叩き立てていた。和藤内《わとうない》の虎狩が今や始まっているのである。看板にも国姓爺《こくせんや》合戦と筆太《ふでぶと》にしるしてあった。
「国姓爺か。大物をやるな」
半七はふと何事かを考え付いたので、十六文の木戸銭を払ってはいった。虎狩の場に出るのは、和藤内の母と和藤内と、唐人と虎だけである。座頭《ざがしら》の小三が和藤内に扮して、お粗末な縫いぐるみの虎を相手に大立ち廻りを演じていた。それだけを見物して、半七はもう帰ろうとしたが、また思い直して次の一幕を見物した。次は楼門の場である。
この場には和藤内の父母と、和藤内と錦祥女《きんしょうじょ》と、唐人と唐女が出る。錦祥女は小三の弟子の小三津《こみつ》というのが勤めていた。舞台顔で本当の年を測《はか》るのはむずかしいが、小三津はせいぜい二十四五であるらしく、眼鼻立ちの整った細面《ほそおもて》で、ここらの芝居の錦祥女には好過ぎるくらいの容貌《きりょう》であった。木戸銭十六文の宮芝居であるから、鬘《かつら》も衣裳も惨《みじ》めなほどに粗末であるのを、半七は可哀そうに思った。
虎狩の場に出る虎もなかなかよく動いた。虎にしては胴体が小さく、なんだか犬のようにも見えたが、身軽に飛び廻って、二、三度も宙返りを打ったりして、大いに観客を喜ばせていた。女役者にこんな芸の出来る筈はない。虎は男が縫いぐるみを被《かぶ》っているに相違ないと、半七は鑑定した。
三
鳳閣寺の境内を出て、半七は更に久保町へむかった。ここらにも町名主《ちょうなぬし》の玄関はある。半七はその玄関をおとずれて町《ちょう》役人に逢い、かの片腕の一件についてひと通りのことを訊《き》きただしたが、庄太の報告以外に新らしい発見もなかった。唯ここで少しく意外に感じたのは、疑問の唐人飴屋がきのうも平気でここへ姿をあらわしたという事であった。しかも其の両手は満足に揃っているというのである。
「あの飴屋は毎日いつごろ廻って来ます」と、半七は訊いた。
「大抵八ツ(午後二時)頃です」
八ツまではまだ半ときほどの間《ひま》がある。そのあいだに遅い午飯《ひるめし》を食うことにしたが、ここらの勝手をよく知らない半七は、迂闊《うかつ》なところへ飛び込むのは気味が悪いと思って、当座の腹ふさぎに近所の蕎麦屋へはいると、ほかに一人の客もなかった、注文の蕎麦の出来るのを待つあいだ、煙草を吸いながら見まわすと、くすぶった壁には彼《か》の坂東小三の芝居のビラが掛けてあった。
店は狭いので、釜前に立ち働いている亭主はすぐ眼のさきにいる。半七はビラを見返りながら亭主に声をかけた。
「小三の芝居はなかなか景気がいいね」
「ご見物になりましたか」と、亭主は云った。
「実は今、二幕ばかり覗いて来たのだが、宮芝居でも馬鹿にゃあ出来ねえ。みんな相当に腕達者だ」
土地の芝居を褒められて、亭主も悪い心持はしないらしく、にこにこしながら答えた。
「どうでお江戸の方々の御覧になるような物じゃあござんすまいが、相当によくすると皆さんが云っておいでですよ。あれでも此処らじゃあなかなかの評判です」
「そうだろうな。錦祥女をしている小三津というのは綺麗だね」
「ええ、小三津は年も若いし、容貌《きりょう》もいいので、人気者ですよ」
蕎麦を食いながら亭主の話を聞くと、座頭の小三はもう三十七八である。小三津はその弟子で、まだ二十二三である。小三津は今度の錦祥女も評判がいいが、この前の「鎌倉三代記」の時姫もよかった。そんなわけで、小三津はこの一座の花形であるが、なぜか此の頃は師匠の機嫌を悪くして、このあいだも楽屋でひどく叱られた。小三津は泣いて退座すると云い出したが、花形役者に退《の》かれては興行にさわるので、ほかの人々が仲裁して無事に納めた。
「なんと云っても女同士の寄合いですから、いろいろうるさいと見えますよ」と、亭主は云った。
「小三津はなんで師匠に叱られた。舞台の出来が悪かったのか、それとも色男でもこしらえたか」と、半七は笑いながら訊いた。
「小三津は堅い女で、これまで浮いた噂も無し、今でもそんなことは無いらしいというのですが……」と、亭主は首をかしげながら云った。「それですから幾らか給金も溜めているし、着物なぞも相当に拵《こしら》えていたのだそうですが、それをどうしてかみんな無くしてしまったのを、師匠に見付けられて叱られたのだとかいう噂です。どうしたのですかね」
「博奕《ばくち》でも打つかな」
「まあ、そんなことかも知れません。その連中には女でも手慰《てなぐさ》みをする者がありますからね。地道《じみち》なことで無くしたのなら、師匠もそんなに叱る筈はありません。なにか悪いことをしたのでしょうね」
「むむ」と、半七は蕎麦の代りをあつらえながら又訊いた。
「今見たら、木戸前に小三津の新しい幟が立っている。呉れた人は常磐津文字吉とある。小三津は文字吉に何か係り合いがあるのかね」
「文字吉は実相寺門前の師匠ですが、小三津をたいへん贔屓《ひいき》にして、楽屋へ遣《つか》い物をしたり幟をやったり、近くの料理屋へ呼んだりしたので、小三津の方でも喜んで、このごろでは師匠の家《うち》へもちょいちょい出這入りをしているようです」
「それで叱られたわけでもあるめえ」
「勿論それは別の話で……」と、亭主は笑っていた。「芸人同士、女同士で、贔屓にしてくれる所へ顔出しをするのを、師匠がやかましく云う筈はありません」
「まったくだ。そんな野暮を云っちゃあ、役者稼業は出来ねえ」
それから糸を引いて、今度は文字吉の噂に移ったが、亭主は彼女を悪く云わなかった。やはり庄太の報告通り、酒屋の旦那に遠慮して男の弟子は取らない。弟子は近所の娘たちか、遠方から通って来る女たちである。旦那から月々の手当てを貰う上に、いい弟子が相当にあるので、師匠はなかなか内福であるらしいと云った。
「遠くからどんな弟子が来るのだね」と、半七は訊いた。
「遠方から来るのですから、若い人はありません、大抵は二十代か三十代の年増《としま》です。日本橋や神田の下町《したまち》からも来ますし、四谷牛込の山の手辺からも来るそうです。まあ、囲い者のような女か、後家さんらしい人たちですね」
この上に深い詮議をするのもよくないと思って、半七は勘定を払って蕎麦屋を出た。文字吉という師匠はそれほど上手でもないと云うのに、なぜ遠方から年増の女弟子がわざわざ通って来るのか、それには何かの仔細がありそうに思われた。半七はそれを考えながら、熊野権現の社のあたりをひと廻りして、実相寺門前の文字吉の家をたずねると、五十六七の雇い婆らしい女が出て来て、三角な眼をひからせながら無愛想に答えた。
「お師匠《ししょ》さんは風邪を引いて寝ていますよ。お前さんはどなたで……」
「お弟子入りの子供をたのまれて、赤坂の方から参りましたが……」と、半七はおだやかに云った。
「そうですか」と、彼女は相手の顔をながめながら又答えた。「それにしてもお師匠さんはゆうべから寝ていますからね、又出直して来てください」
「世間の噂じゃあ、お師匠さんはきのうの朝、熊野さまの近所で、往来に落ちている片腕を見付けたそうで……。それから熱でも出たのですかえ」
「そんなことは知りませんよ」
彼女の眼はいよいよ光った。ここで自分の正体をあらわすのも面白くないので、半七はいい加減に挨拶して早々にここを出た。出て見ると、いつの間に来たか知らず、塩煎餅屋の前に子供をあつめて、唐人飴の男が往来でカンカンノウを踊っていた。彼は型のごとく唐人笠をかぶって、怪しげな更紗の唐人服を着て、飴の箱を地面におろして、両手をあげて踊っていたが、色の小白い、眼つきのやさしい、いかにも憎気《にくげ》のない男であった。半七はしばらく立ちどまって眺めていた。
子供たちは笑って踊りを見ているばかりで、一人も飴を買う者はなかった。親たちから飴を買う銭《ぜに》を与えられない為であろう。それでも飴売りはちっとも忌《いや》な顔をしないで、何か子供たちに冗談などを云っていた。
なにぶんにも天気はいい。日はまだ高い。その真っ昼間の往来で、いつまでも飴売りのあとを付け廻しているわけにも行かないので、半七はその人相を篤《とく》と見定めただけで、ひと先ずそこを立ち去るのほかは無かった。行きかけて見ると、文字吉の家の雇い婆は裏口から表へ出て、半七の挙動をそっと窺っているらしかった。
この婆も唯者でないと、半七は肚《はら》の中で睨んだ。さてそれからどうしようかと考えながら、ともかくも久保町の通りを行き過ぎると、荒物屋の前に道具をおろして手桶の箍《たが》をかけ換えている職人の姿が眼についた。それは往来を流してあるく桶屋である。もしやと思って覗いてみると、職人は下っ引の源次であるので、半七は行き過ぎながら合図の咳払いをすると、源次は仕事の手をやすめて顔をあげた。二人は眼を見合わせたまま無言で別れた。
源次が来ている以上、庄太も来ているかも知れないと、半七は気をつけて見まわしたが、其処らにそれらしい人影も見えなかった。大通りへ出ると、百人町の武家屋敷は青葉の下に沈んで、初夏の昼は眠ったように静かである。渋谷から青山の空へかけて時鳥《ほととぎす》が啼いて通った。
半七は時々うしろを見かえりながら善光寺門前へさしかかると、源次は怱々《そうそう》に仕事を片付けたと見えて、やがて後《あと》から追って来た。半七は彼を頤《あご》で招いて、善光寺の仁王門をくぐろうとしたが、また俄かに立ちどまった。青山善光寺の仁王尊は昔から有名で、その前には大きい草鞋や下駄がたくさんに供えてある。奉納の大きい石の香炉もある。その香炉に線香をそなえて、一心に拝んでいる若い男の姿に、半七は眼をつけた。
彼はまだ十八九の色白の男で、髪の結い方といい、それが役者であることは一見して知られた。彼はしゃがんで俯向いて拝んでいた。その格好が彼《か》の和藤内の虎狩に働いていた虎によく似ているのを、半七は見逃がさなかった。あたかもそこへ十三四の小娘が二人連れで通りかかった。
「あら、あすこに照之助が拝んでいてよ」
娘たちは若い役者を幾たびか見返りながら行き過ぎるのを、半七は追いかけて小声で訊いた。
「あの役者はなんというのです」
「市川照之助……。浅川の小屋に出ているのです」と、娘のひとりが教えた。
「浅川の芝居……」と、半七はかんがえていた。「あの、小三の芝居に出ているのじゃありませんか」
「そんな噂もありますけれど、男の役者ですから今までは浅川の芝居に出ていたのですが……」と、他の娘が云った。
「いや、ありがとう」
娘をやりすごして、半七はしばらく市川照之助のすがたを眺めていた。若い役者はなんにも知らないように、いつまでも仁王尊に何事かを祈っていた。
四
善光寺境内は広い。半七は人目の少ないところへ源次を連れ込んで、その報告を聞くと、彼は庄太の指図にしたがって、ゆうべから今朝にかけて懇意の飴屋仲間を問い合わせたが、唐人飴屋で青山の方角へ立ち廻る者はないらしいというのであった。
「して見ると、あの飴屋はほんとうの商人《あきんど》じゃあねえ。やっぱり喰わせ者ですよ」と、源次は云った。「お前さんはあの若い役者もしきりに睨んでいなすったが、あれにも何か仔細がありますかえ」
「むむ、あいつも唯者じゃあねえな」と、半七は云った。「あいつの拝み方が気に入らねえ。そりゃあ芸人のことだから、不動さまを信心しようと、仁王さまを拝もうと、それに不思議はねえようなものだが、唯ひと通りの拝み方じゃあねえ。あいつは真剣に何事か祈っているのだ」
「そりゃあ役者だから、自然にからだの格好が付いて、真剣らしく見えるのでしょう」
「いや、そうでねえ。舞台の芸とは違っている。あいつは本気で一生懸命に祈っているのだ。あいつは浅川の芝居の役者だというが、どうもそうで無いらしい。さっき見た小三の芝居にあんな奴が出ていた。第一、おれの腑に落ちねえのは、小三の芝居は女役者だ。その一座に男がまじっているという法はねえ。宮地の芝居だから、大目に見ているのかも知れねえが、男と女と入りまじりの芝居は御法度《ごはっと》だ。恐らく虎になる役者に困って、男芝居の役者を内証で借りて来たのだろうと思うが、その役者が眼の色を変えて仁王さまを拝んでいる……。それがどうも判らねえ。なにか仔細がありそうだ」
「そこで、わっしはどうしましょう」
「そうだな」と、半七は又かんがえながら云った。「まあ仕方がねえ。おめえはもう少しここらを流しあるいて、何かの手がかりを見つけてくれ。常磐津の師匠と雇い婆、あいつらもなんだか胡散《うさん》だから、出這入りに気をつけろ」
なにを云うにも人通りの少ない場末の町である。そこをいつまでも徘徊しているのは、人の目に立つ虞《おそ》れがあるので、半七はここで源次に別れて、ひとまず引き揚げることにした。
帰るときに半七は、念のために浅川の芝居の前へ行った。その頃の青山には、今の人たちの知らない町の名が多い。久保町から権田原の方角へ真っ直ぐにゆくと、左側に浅川町、若松町などという小さい町が続いている。それは現今の青山北町二丁目辺である。その浅川町の空地《あきち》にも小屋掛けの芝居があって、これは男役者の一座である。半七は小屋の前に立って眺めると、庵看板《いおりかんばん》の端《はし》に市川照之助の名が見えた。
この時、半七の袖をそっと引く者があるので、見返れば庄太が摺りよっていた。
「源次に逢いましたか」と、彼はささやくように訊《き》いた。
「むむ、逢った。善光寺前にうろ付いている筈だ。あいつと打ち合わせて宜しく頼むぜ」
「ようがす」
半七はあとを頼んで神田へ帰った。彼が鳳閣寺内の宮芝居をのぞいたのは、単に芝居好きであるが為ではない。そこで「国姓爺合戦」を上演していたからである。そうして、案の如くに一つの手がかりを掴んだ。まだそれだけでは此の事件を完全に解決することは出来なかった。彼は文字吉に就いても考えなければならなかった。小三津や照之助についても考えなければならなかった。
あくる日の午前《ひるまえ》に、庄太が汗をふきながら駈け込んで来た。
「親分、済みません。おおしくじりだ。まあ、堪忍しておくんなせえ」
きのうの日暮れ方に源次を帰して、彼は百人町の菩提寺にひと晩泊めて貰った。しかもその夜のうちに、眼と鼻のあいだで、又もや一つの椿事が出来《しゅったい》したと云うのである。
「どうした」と、半七は訊いた。「また斬られた奴があるのか」
「その通り……。場所も同じ羅生門横町に、唐人飴の片腕がまた落ちていました」
「そうか」と、半七はにやりと笑った。「それからどうした」
「やっぱり唐人の筒袖のままです。なんぼ羅生門横町でも、三日と経《た》たねえうちに二度も腕を斬られたのだから、近所は大騒ぎ、わっしも面くらいましたよ」
「腕は前のと同じようか」
「違います。前のは生《なま》っ白《ちろ》い腕でしたが、今度のは色の黒い、頑丈な腕です。前のは若い奴でしたが、今度のはどうしても三十以上、四十ぐらいの奴じゃあねえかと思われます。なにしろ泊まり込みで網を張っていながら、こんな事になってしまって、なんと叱られても一言《いちごん》もありません。庄太が一生の不覚、あやまりました」
彼はしきりに恐縮していた。
「今さら叱っても後《あと》の祭りだ。その罪ほろぼしに身を入れて働け」と、半七は苦笑《にがわら》いした。「おめえは早く青山へ引っ返して、そこらの外科医者を調べてみろ。今度斬られたのは近所の奴だ。ゆうべのうちに手当てを頼みに行ったに相違ねえ。斬った奴も大抵心あたりがある。おれは誰かを連れて行って、その下手人を見つけてやる」
「下手人はあたりが付いていますか」
「大抵は判っている。やっぱり眼のさきにいる奴だ。浅川の芝居にいる市川照之助だろう。あいつは力を授かるために仁王さまを拝んでいたらしい。どうもあいつの眼の色が唯でねえと、おれはきのうから睨んでいたのだ」
「でも、唐人飴とどういう係り合いがあるのでしょう。斬られた腕は二度とも唐人飴の筒袖を着ていたのですが……」
「おめえは知るめえが、鳳閣寺の女芝居で国姓爺の狂言をしている。十六文の宮芝居だから、衣裳なんぞは惨めなほどにお粗末な代物《しろもの》で、虎狩や楼門に出る唐人共も満足な衣裳を着ちゃあいねえ。みんな安更紗の染め物で、唐人飴とそっくりの拵えだ。それを見ると、今度の腕斬りの一件は、この女芝居の楽屋に係り合いがあるらしいと思っていたが、いよいよそれに相違ねえ。照之助という奴が誰かの腕を斬って、それに唐人の衣裳の袖をまき付けて、わざと羅生門横町へ捨てて置いたのだろう。その訳も大抵察しているが、それを云っていると長くなる。これだけのことを肚《はら》に入れて、おめえは早く青山へ行け」
この説明を聞かされて、庄太は幾たびかうなずいた。
「わかりました。すぐに行きます」
庄太が出ていった後、半七も身支度をして待っていると、やがて亀吉が顔を出した。
「おい、亀、御苦労だが、青山まで一緒に行ってくれ」と、半七はすぐに立ち上がった。「筋は途中で話して聞かせる」
こんなことには馴れているので、亀吉は黙って付いて来た。
大体の筋を話しながら、青山まで行き着くあいだに、きょうの空は怪しく曇って来たが、どうにか今夜ぐらいは持つだろうと半七は云った。ここらの宮芝居は明るいうちに閉場《はね》ることになっている。殊に照之助は虎狩に出るだけの役らしいので、ぐずくずしていると帰ってしまうかも知れないと、二人は鳳閣寺へ急いで行くと、桶屋の源次が門前に待っていた。
二人を見ると、源次は駈けて来て、顔をしかめながら訊いた。
「さっき庄太さんに逢いましたが、又ほかに変なことがあるので……」
「又ほかに……。何が始まった」と、半七は催促するように訊《き》いた。
「ここの小屋の様子を探ってみると、虎を勤める奴は確かに市川照之助ですが、きょうは楽屋に来ていません。呼び物の虎が出て来ない上に、錦祥女を勤める坂東小三津という女役者も急病だというので、きょうは舞台を休んでいるのです。表向きは急病と云っているが、実は其のゆくえが知れないので、芝居の方じゃあ大騒ぎをしているそうです。時が時だけに、少し変じゃあありませんかね」
「むむ。それも面白くねえな」と、半七は舌打ちした。「そこで小三津の家《うち》はどこだ」
「小三津は師匠の小三の家にいるのです。小三の家は善光寺門前です」
「照之助の家は……」
「照之助は兄きの岩蔵と一緒に、若松町の裏店《うらだな》に住んでいます。兄きも役者で市川岩蔵というのですが、芝居が半分、博奕が半分のごろつき肌で、近所の評判はよくねえ奴です。おふくろはお金といって、常磐津の師匠の文字吉の家《うち》へ雇い婆さんのように手伝いに行っていますが、こいつもなかなかしっかり者のようです。実は照之助の家を覗きに行ったのですが、兄きも弟も留守で、家は空《から》ッぽでした」
「岩蔵はどこの小屋に出ているのだ」
「弟と一緒に、ここの芝居へ出ていたのですが、それに就いて何か面倒が起こって、この二、三日は休んでいるようです」
これで唐人飴の謎も半分は解けたように、半七は思った。最初に発見されたのは、市川岩蔵の腕である。二度目の腕は誰か判らないが、それを斬ったのは市川照之助である。照之助は兄のかたき討ちに、相手の腕を斬ったらしい。そうして、同じ唐人の衣裳の袖につつんで、同じ場所へ捨てたらしい。二度目の腕の主《ぬし》は、庄太が外科医を調べて来れば、大抵は知れる筈である。
唯わからないのは、最初からここらに立ち廻っている疑問の唐人飴屋の正体である。もう一つは、坂東小三津のゆくえ不明である。師匠の小三と折り合いが悪くて、結局無断で飛びだしたのか。或いは別に仔細があるのか。常磐津の文字吉はいっさい無関係であるのか。雇い婆のお金は照之助兄弟の母である以上、この事件に無関係であるとは思われない。それらの秘密がはっきりしたあかつきでなければ、半七も迂濶に手を入れることが出来なかった。
「なにぶん場所が悪い」と、半七はつぶやいた。
町方の半七らに取っては、まったく場所が悪いのである。この事件の関係者は多く寺門前に住んでいる。現にこの芝居小屋も寺内にある。寺内は勿論、寺門前の町屋《まちや》はすべて寺社方の支配に属しているのであるから、町奉行所付きの者が、むやみに手を入れると支配違いの面倒がおこる。十分の証拠を挙げて、町奉行所から寺社奉行に報告し、その諒解を得た上でなければ、町方の者が自由に活動することを許されない。それを付け目にして、寺門前には法網をくぐる者が往々ある。その欠陥を承知していながら、先例を重んずる幕府の習慣として、江戸を終るまであらためられなかった。
庄太の戻って来るのを待つあいだ、三人が寺門前に突っ立ってもいられないので、源次だけをそこに残して、半七と亀吉は百人町の表通りをぶらぶらと歩き出した。ほかに行く所もないので、二人はきのうの蕎麦屋へはいった。
五
きのうの今日であるから、蕎麦屋の亭主も半七に余計なお世辞などを云っていた。きょうは亀吉が一緒であるので、半七も酒を一本注文した。
「ここらにゃあ顔役とか親分とかいうものはいねえかね」と、半七は訊いた。
「ここらのことですから大していい顔の人もいませんが、原宿の弥兵衛という人があります」と、亭主は答えた。「子分といったところで五、六人ですが、ここらでは相当に幅を利かせているようです」
「浅川の芝居に出ている岩蔵は、弥兵衛の子分かえ」
「岩蔵さんは役者ですから、子分というわけでもないでしょうが、あの人もちっと悪い道楽があるので、弥兵衛さんのところへも出這入りをしているようです」
「やかん平というのは違うのかえ」と、亀吉は口を出した。
「違います。やかん平さんは一昨年《おととし》なくなりました。あの人は町内の鳶頭《かしら》で、本名は平五郎、あたまが禿げているので薬罐平《やかんべえ》という綽名を付けられたのですが、あの人はまことに良い人で、町内の為にもよく働いてくれました。原宿の弥兵衛は別な人で、これは薬罐平さんのようには行きません。それに、親分よりも子分の角兵衛というのが幅を利かして……。本名は角蔵とか角次郎とかいうのでしょうが、ここらではみんなが角兵衛と云っています。その角兵衛さんがあんまり評判のよくない人で……」
亭主がここまで話して来た時に、暖簾《のれん》の外から覗き込んだのは庄太であった。亭主が眼のさきにいるのを見て、彼は半七を表へ呼び出した。
「どうだ、判ったか」と、半七は小声で訊いた。
「わかりました」と、庄太も小声で云った。「この近所に外科医はねえので、だんだん探して宮益《みやます》坂まで行きました。岡部向斎という医者で、何か口留めされていると見えて、最初はシラを切っていましたが、こっちが御用の風を匂わせたので、とうとう正直に云いました。どこで斬られたのか知らねえが、ゆうべの四ツ過ぎに、原宿の弥兵衛の子分が怪我人をかつぎ込んで来た。怪我人は弥兵衛の一の子分の角兵衛という奴で、左の腕を斬り落とされていたそうです。多分喧嘩でもしたのだろうが、まあ死ぬような事はあるまいと云っていました」
二度目の腕の主《ぬし》は、今や亭主の噂にのぼった角兵衛であった。斬られた角兵衛は秘密にしているにしても、人の腕を斬って往来へ投げ捨てて、世間を騒がした照之助を不問に付《ふ》して置くわけには行かない。この上はいよいよ照之助のありかを詮議しなければならないが、何をするにも寺社方の諒解を得て置かなければ不便であるので、その後の仕事を庄太と亀吉にたのんで、半七は再びここを引き揚げることにした。
彼はその足で八丁堀同心の屋敷へまわって、いっさいの経過を報告して、町奉行所から寺社方へ通達の手続きを頼んだ。それから神田の家へ帰ると、その夜更けに亀吉と源次も帰って来た。
かれらの報告によると、角兵衛は親分の弥兵衛の家で傷養生をしている。岩蔵はどうしているか判らないが、常磐津の師匠の家に寝込んでいるのではないかと思われるのは、おふくろのお金が赤坂まで金創の塗り薬を買いに行ったことである。師匠の文字吉は風邪を引いたと云って稽古を断わり、湯にも行かず引き籠っていると云うのである。
「そこで、飴屋はどうした」
「飴屋は一日来ませんでした」と、亀吉は云った。「近所の者は、きょうに限ってあの飴屋の来ないのは不思議だ。今度こそはあの飴屋の腕だろうなぞと噂をしていますよ」
「きょうは来ねえか。二度あることは三度ある。今度はおれの番だと思ったわけでもあるめえが、なにしろ変な奴だな」と、半七も首をかしげていた。「それはまあそれとして、さしあたりは照之助の片を付けてしまおう。寺社の方へも断わって置いたから、もう遠慮はいらねえ。どこへでも踏ん込んで引き挙げるのだ」
そうなると、源次は下っ引で、蔭で働く人間であるから、表向きの捕物に顔は出せない。半七は亀吉だけを連れて行くことにして、その晩は別れた。夜半《よなか》から雨がふり出した。
青山には庄太が出張っている。こちらからは半七と亀吉が出てゆく。三人がかりで立ち騒ぐほどの大捕物でもないと思ったが、それからそれへと糸を引いて、また何事が起こらないとも限らないので、ともかくも三人が手分けをして働くことになった。
明くれば四月十四日、ゆうべの雨も今朝はうららかに晴れたので、半七と亀吉は早朝から青山へ出向いた。ここらの青葉の色も日ましに濃くなって、けさも時鳥《ほととぎす》が幾たびか啼いて通った。
鳳閣寺の門前には庄太が待っていた。
「お早うございます」と、彼は半七に挨拶して、寺の奥を指さした。「きょうは休みです。小三津のゆくえがまだ知れねえ。ほかにも休みの役者がある。座頭の小三も気を腐らして、血の道が起こったとか云って、これも楽屋入りをしねえ。そんなわけで芝居は≪わや≫になってしまって、ともかくもきょうは休みの札《ふだ》を出しました。折角評判のいい芝居がめちゃめちゃになって、小屋の連中はおおこぼしですよ」
「そうか」と、半七はうなずいた。「なにしろ常磐津の師匠という奴が気になってならねえ。まずあすこを調べることにしよう」
三人は連れ立って、久保町の実相寺門前へゆくと、文字吉の家では何か女の罵るような声がきこえた。近寄って覗くと、四十近い女役者が弟子らしい若い女二人を連れて、格子のなかで押し問答をしている。その相手になっているのは雇い婆のお金である。双方ともに気が強いらしく、負けず劣らずに云い合っていた。
「あの年増が小三ですよ」と、庄太は小声で教えた。
「さあ、隠さずに小三津を出して下さい」と、小三は云った。「師匠が弟子を連れに来たのに不思議は無いじゃありませんか」
「不思議があっても無くっても、当人はいませんよ。大かた師匠を見限って、ほかの小屋へでも行ったのでしょう。ここの家《うち》へばかり因縁を付けに来たって仕様がない。おまえさんも国姓爺を勤める役者だ。唐天竺《からてんじく》まで渡って探して歩いたらいいでしょう」と、お金はせせら笑っていた。
喧嘩の火の手はいよいよ強くなるばかりである。小三は舞台の和藤内をそのままに、大きい眼を剥《む》いて又呶鳴った。
「シラを切っても、いけないいけない。あたしはちゃんと証拠を握っているのだ。ここの師匠は化けもんだ、女のくせに女をだまして、金も着物もみんな捲きあげて、仕舞いには本人の体《からだ》まで隠して……。並大抵のことじゃあ埓があかないから、きょうは芝居を休んで掛け合いに来たのだ。もうこうなりゃあ出るところへ出て、拐引《かどわかし》の訴えをするから、そう思うがいい」
「どうとも勝手にするがいいのさ。白い黒いはお上《かみ》で決めて下さるだろう」
「知れたことさ。そのときに泣きっ面をしないがいい。さあ、もう行こうよ」
小三は弟子たちをみかえって表へ出ると、半七はふた足三足追いかけて呼び留めた。
「おい、師匠。待ってくんねえ」
六
「長くなるから、ここらでお仕舞いにしましょうかね」と、半七老人は云った。
これが老人のいつもの手で、聴く者を焦《じ》らすかのように、折角の話を中途で打ち切ってしまうのである。その手に乗ってはたまらないと、わたしは続けて訊いた。
「まだ半分で、なにも判りませんよ」
「判りませんか」
「判りませんよ。一体それからどうなったんです」
「小三は自分の弟子を隠された口惜《くや》しまぎれに、何もかも話しました。それを聞くと、常磐津文字吉という師匠は不思議な女で、酒屋の亭主を旦那にしているが、ほかに男の弟子は取らないで、女の弟子ばかり取る、それには訳のあることで、本人は女のくせに女をだますのが上手。ただ口先でだますのでは無く、相手の女に関係をつけて本当の情婦《いろ》にしてしまうのです。こんにちではなんと云うか知りませんが、昔はそういう女を『男女《おめ》』とか『男女さん』とか云っていました。もちろん、滅多にあるものじゃあありませんが、たまにはそういう変り者があって、時々に問題を起こすことがあります。文字吉は浄瑠璃が上手というのでも無いのに、女の弟子ばかり来る。殊に囲い者や後家さん達がわざわざ遠方から来るというのを聞いて、わたくしは少し変に思って、もしやと疑っていたら案の通りでした。つまりは色と慾との二筋道《ふたすじみち》で、女が女を蕩《たら》して金を絞り取る。これだから油断がなりませんよ」
「そうすると、小三津という女役者もそれに引っ懸かったんですね」
「そうですよ」と、老人はうなずいた。「小三津は人気役者で、容貌《きりょう》もよし、小金も持っている。それに眼をつけて、最初は贔屓《ひいき》のように見せかけて、うまく丸め込んでしまったんです。どういう手があるのか知りませんが、この『男女』に引っかかると、女はみんな夢中になること不思議で、小三津も文字吉に魂を奪われてしまって、持っている金も着物も片っ端から入れ揚げる。それを師匠の小三に覚られて、幾たびか意見されても小三津は肯《き》かない。これだけでも無事には済みそうもないところへ、又ひとつの事件が出来《しゅったい》しました。それは国姓爺の芝居です」
「鳳閣寺の芝居ですね」
「さっきもお話し申した通り、ここの芝居は女役者の一座ですから、男と女と入りまじりの芝居は出来ない。そこで、今度の国姓爺を上演するに就いては、虎狩の虎を勤める役者に困ったので、浅川町の男芝居から市川岩蔵と照之助の兄弟を引っこ抜いて来ました。岩蔵はごろつきのような奴ですから、金にさえなれば何でも引き受けるというわけで、弟の照之助にすすめて虎を勤めさせ、自分も一緒に出て唐人の役を勤めることになりました。芝居の方じゃあ岩蔵に用はないが、照之助を借りる都合上、兄きも一緒に買ったのです」
「浅川の芝居では黙って承知したんですか」
「承知しません」と、老人は頭《かぶり》をふった。「おまけに、その国姓爺の評判がよくって、自分の芝居が圧《お》され勝になったから、猶さら承知しません。第一、男と女と入りまじりの芝居をするのは不都合だというので、浅川の方から鳳閣寺の芝居小屋へ掛け合いを持ち込んだが、四の五の云って埓が明かない。それを聞き込んだのが原宿の弥兵衛で、それなら俺の方から掛け合ってやる……。こういうときに口を利けば、両方から金がはいると思ったから、弥兵衛はそれを買い込んで、子分のひとりを女芝居へやって、少し話したいことがあるから、誰か来てくれと云わせました。
弥兵衛がはいると、どうも事面倒になると思って、芝居の方でもいろいろ相談の末に、岩蔵をたのんで原宿へやりました。岩蔵は博奕も打つ奴で、弥兵衛の家《うち》へも出這入りをしているから、こいつをやるがよかろうと云うことになったんです。岩蔵もよろしいと引き受けました。これも少し変った奴で、楽屋で一杯飲んだ勢いで、舞台の唐人衣裳を着たままで原宿の弥兵衛の家《うち》へ出かけると、弥兵衛はなにか急用があって表へ出たあとで、子分の角兵衛という奴が親分気取りで掛け合いを始めました。
ここで親分が掛け合ったら、なんとかおだやかに納まったかも知れませんが、唐人のままで押し掛けて来た岩蔵をみて、人を馬鹿にしやあがると角兵衛はむっとした。岩蔵は又、角兵衛の奴めが親分顔をして威張りゃがると思って、これもむっとした。そんなわけですから、この掛け合いも所詮《しょせん》無事には済みません。双方が次第に云い募って、角兵衛が『貴様も小屋の代人で出て来たからは、どうして俺たちの顔を立てるか、その覚悟はあるだろう』と云うと、岩蔵の方でも『知れたことだ、おれの首でもやる』と売り言葉に買い言葉、根が乱暴な連中だから堪まりません。角兵衛は『手めえの首なんぞ貰っても仕様がねえ。これから稼業が出来ねえように腕をよこせ』と云って、ほかの子分に出刃庖丁を持って来させました」
「腕を斬ったんですか」と、わたしもその乱暴におどろかされた。
「さあ、野郎、斬るぞと云って、角兵衛の方じゃあ少しは嚇かしの気味もあったのでしょうが、岩蔵はびくともしない。さあ、すっぱりやってくれと、左の腕をまくって出した。もう行きがかりで後へは引かれず、とうとう岩蔵の腕を斬ってしまったんです。そこへ親分の弥兵衛が帰って来て、さすがに驚いたが、今さら仕方がない。腕の喜三郎の芝居をそのままという始末。取りあえず近所の心やすい医者を呼んで手当てをしたが、これは外科でないから本当の療治は出来ない。まあいい加減なことをして、おふくろのお金を呼んで引き渡すと、お金はそれを自分の奉公さきへ連れ込んで養生させることにしました。
そんな物を担《かつ》ぎ込まれては、文字吉の家《うち》でも迷惑ですが、それを忌《いや》とも云われないのは、例の男女さんの秘密をお金に握られている為です。そこで怪我人を引き取ったのはいいが、斬られた腕も一緒に送って来たので、その始末に困った。羅生門の鬼の腕とは違って、もとの通りに継《つ》ぐわけには行かない。いっそ庭の隅へでも埋めてしまえばいいのに、なんだか気味が悪いと云うので、文字吉は明くる朝、それを羅生門横町へ捨てに行ったのです。女の浅はかと云うのでしょうか、実に詰まらない事をしたもので……。捨てたは捨てたが、又なんだか気が咎《とが》めるので、自分がそこで初めて見付けたように騒ぎ立てて、豆腐屋へ駈け込んだと云うわけです。自分が見付けたように騒ぎ立てるのは、世間によくあることで、誰の知恵も同じものだと見えます」
「そのかたき討ちに、照之助が角兵衛の腕を斬ったんですね」
「照之助は兄思いの人間で、それを知るとたいへんに口惜しがって、その意趣返しに角兵衛の腕を斬ってやろうと思い込んで、どこからか刀を買って来ました。自分は年が若い、相手は頑丈の大男ですから、善光寺の仁王さまを拝んで、十人力を授かるように祈って、角兵衛の出入りを付け狙っていると、そんな事とは夢にも知らずに、角兵衛は十二日の夜の五ツ頃(午後八時)に権田原の方へ出かけた。そこを待ち受けて斬り付けたんですが、人間の一心は恐ろしいもので、兄きと丁度同じように、角兵衛の片腕を斬り落としてしまいました。
角兵衛は倒れる。照之助は落ちている片腕を拾って逃げました。万事が兄きの通りにしなければ気が済まないので、照之助はかねて用意の唐人の筒袖……楽屋の衣裳の袖を切って来たんです。それを角兵衛の腕に着せて、例の羅生門横町へ捨てて置いて、これで先ず立派にかたき討ちを仕遂げたつもりで立ち去りました。
これは後に判ったことで、坂東小三もそんなことまでは知りません。自分の弟子の小三津を文字吉が隠したと思って、その掛け合いに行っているところへ、丁度わたくし達が行き合わせたんです。小三の話を聞いて、文字吉の正体も判りましたから、小三を連れて引っ返して、無理に文字吉の家へ踏み込むと、奥の四畳半に岩蔵が寝ていました」
「文字吉はどうしました」
「文字吉は二階にいました」と、老人はその光景を思い泛かべるように顔をしかめた。「ちらし髪で、真っ蒼な顔をして、まるで幽霊のような姿で、だらし無く坐っていました。なにを訊《き》いても碌に返事をしない。戸棚の中がおかしいので、念のために明けてみると、そこに若い女役者の死骸がある。小三津が絞め殺されているんです」
「文字吉が殺したんですか」
「勿論、文字吉の仕業《しわざ》です。前にも云う通り、文字吉には女の関係者がたくさんあるんですが、こういう女に限って不思議に嫉妬深い。それで、このごろ小三の楽屋へはいって来た照之助と、小三津が人一倍に仲よくするというのがもとで、小三津を自分の二階へ呼び付けて、やかましく責め立てる。云わば女同士の痴話喧嘩、それが嵩《こう》じて文字吉は半狂乱、そこにあった手拭をとって小三津を絞め殺してしまったが、さてどうするという分別もなく、死骸を戸棚へ押し込んだままで、自分はその張り番をするように、唯ぼんやりと坐っていたんです。それも十二日、照之助が角兵衛の腕を斬ったのと同じ晩のことで、狭い土地にいろいろの事件が湧いたものです。その翌日も、又その次の日も、文字吉は碌々に飲まず食わず、自分も半分は死んだようになって、その戸棚の前に坐り込んでいるところへ、わたくし共が踏み込んだのでした。
だんだん調べてみると、文字吉は小三津のほかに、囲い者やら後家さんやら併《あわ》せて八人の女に関係していることが判りました。それがみんな色と慾で、女を蕩《たら》して自分のふところを肥やしているという、まったく凄い女でした。こんな奴とはちっとも知らずに、酒屋の亭主は世話をしていたので、それを聞いて真っ蒼になって驚いていました。文字吉のような女をそのままにして置くことは出来ません。殊に小三津を殺した罪がありますから、後に死罪になりました」
「照之助は……」
「それにもお話があります。小三津の死骸は師匠の小三が引き取って、海光寺に葬りました。これは庄太の菩提寺です。その葬式の済んだ晩、照之助がそっと忍んで来て、小三津の新らしい墓の前で腹を切ろうとする処を、庄太に召し捕られました。もしやと思って張り込んでいたら、まんまと罠《わな》にかかったんです。文字吉が嫉妬をおこしたのも無理ではなく、小三津と照之助は関係があったのでした。照之助は年も若いし、兄のかたき討ちというところに情状酌量の点もあるので、遠島になりました。
腕を斬られた二人、そのうちで岩蔵は癒りましたが、角兵衛はとうとう死にました。碌々に手当てをしなかった岩蔵が助かり、外科医の手当てを受けた角兵衛が死ぬ。人間の命は判らないものです。角兵衛が死んだ以上、照之助の命もない筈ですが、前に云ったようなわけで、一等を減じられたのでした」
これで先ず一服と、老人はしずかに煙草を吸いはじめたが、私としてはまだ聞き逃がすことの出来ない大事の問題が残っている。それはかの唐人飴屋の正体で、この謎が解けなければ、この話は終ったとは云えない。老人が煙管《きせる》をぽんと掃《はた》くのを待ち兼ねるように、私は重ねて訊《き》いた。
「そこで飴屋はどうなりました」
「はははははは」と、老人は笑い出した。「これはお話をしない方がいいくらいで……。飴屋は四、五日ほど姿を見せないで、又あらわれて来ました。もう打っちゃっては置けないので、庄太が取《と》っ捉《つか》まえて詮議すると、いや、もう、意気地のない奴で、小さくなって恐縮している。だんだん調べると、こいつは外神田の藤屋という相当の小間物屋のせがれで、名はたしか全次郎といいました。稽古所ばいりをする、吉原通いをする。型のごとくの道楽者で、お定まりの勘当、多年出入りの左官屋に引き取られて、その二階に転がっていたんですが、ただ遊んでいても仕方がない、勘当の赦《ゆ》りるまで何か商売をしろと勧められた。といっても根が道楽者だから肩に棒を当てるようなまじめな商売も出来ない。そこで考えたのが唐人飴、ちっとは踊りが出来るので、これがよかろうと云うことになったが、さすがに江戸のまんなかでは困るので、遠い場末の青山辺へ出かけることになったんです。
相当の店の若旦那が飴屋になって、鉦をたたいて踊り歩く。他人《ひと》から見れば随分気の毒なわけですが、当人頗るのん気で、往来でカンカンノウを踊っているのが面白いという始末。どうも困ったもので、これでは勘当はなかなか赦りません。おまけに女親が甘いので、勘当とはいいながら内証で小遣いぐらいは届けてくれるので、飴は売れても売れないでも構わない。道楽半分に歌ったり踊ったりしている。正体を洗えばこういう奴で、隠密も泥坊もあったもんじゃない。実に大笑いでした。それでも唐人の腕が二度も斬られたと云うので、自分もなんだか気味が悪くなって、四、五日ばかり場所をかえて、青山辺へは寄り付かなかったんですが、馴染《なじみ》のない場末は面白くないと見えて、又もや青山辺へ立ち廻って来たところを庄太に押さえられたんです。
青山辺を荒らした賊は別にあるので、これは又あらためてお話をする時がありましょう。全次郎はその正体が判ったので、俄かに信用を回復して、飴もよく売れるようになったそうです。何が仕合わせになるか判りません」
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かむろ蛇《へび》
一
ある年の夏、わたしが房州の旅から帰って、形《かた》ばかりの土産物《みやげもの》をたずさえて半七老人を訪問すると、若いときから避暑旅行などをしたことの無いという老人は、喜んで海水浴場の話などを聴いた。
そのうちに、わたしが鋸山《のこぎりやま》へ登って、おびただしい蛇に出逢った話をすると、半七は顔をしかめながら笑った。
「わたしの識っている人で、鋸山の羅漢《らかん》さまへお参りに行ったのもありましたが、蛇の話は聴きませんでした。別にどうするということも無いでしょうが、それでも気味がよくありませんね。蛇と云えば、いつぞやお化け師匠のお話をしたことがあるでしょう。師匠を絞め殺して、その頸《くび》に蛇をまき付けて置いた一件です。あれとは又違って、わたくしの方に蛇のお話がありますが、蛇にはもう懲《こ》りましたか」
「かまいません。聴かせて下さい」
「では、お話をしますが、例のわたくしの癖で、前置きを少し云わせてください。それでないと、今の人達にはどうも判り兼ねますからね。御承知の通り、小石川に小日向《こびなた》という所があります。小日向はなかなか区域が広く、そのうちにいろいろの小名《こな》がありますが、これから申し上げるのは小日向の水道|端《ばた》、明治以後は水道端町一丁目二丁目に分かれましたが、江戸時代には併《あわ》せて水道端と呼んでいました。その水道端、こんにちの二丁目に日輪寺という曹洞宗の寺があります。その本堂の左手から登ってゆくと、うしろの山に氷川《ひかわ》明神の社《やしろ》がありました。むかしは日輪寺も氷川神社も一緒でありましたが、明治の初年に神仏混淆を禁じられたので、氷川神社は服部《はっとり》坂の小日向神社に合祀《ごうし》されることになって、社殿のあとは暫く空地《あきち》のままに残っていましたが、今では立ち木を伐《き》り払って東京府の用地になっているようです。
そういうわけで、今日そこに明神の社はありませんが、江戸時代には立派な社殿があって、江戸名所図会にもその図が出ています。ところが、その明神の山に一種の伝説があって、そこには『かむろ蛇』という怪物が棲んでいるという。それに就いてはいろいろの説がありまして、胴の青い、頭の黒い蛇、それが昔の子どもの切禿《きりかむろ》に似ているのでかむろ蛇と云うのだと、見て来たように講釈する者もあります。また一説によると、天気の曇った暗い日には、森のあたりに切禿の可愛らしい女の児が遊んでいる。その禿は蛇の化身《けしん》で、それを見たものは三日のうちに死ぬという。勿論めったに出逢った者も無いんですが、安永年間、水道端の荒木坂に店を開いている呉服屋渡世、松本屋忠左衛門のせがれは、二、三日|煩《わずら》い付いて急に死んだ。その死にぎわに、実は明神山でかむろ蛇を見たと話したそうです。
そのほかにも二、三人、そういう例があると云い伝えられて、夜は勿論、暁方《あけがた》や夕方や、天気の曇った日には、みな用心して明神山へ登らない事にしていました。そんなところへ近寄らないのが一番無事なんですが、この氷川さまは小日向一円の総鎮守《そうちんじゅ》というのですから、御参詣をしないわけには行かない。祭礼は正五九《しょうご》の十七日、この日にはかむろ蛇も隠れて姿を見せなかったようです。一体そんな云い伝えは嘘か本当かと、こんにちのあなた方から議論をされては困りますが、昔の人は正直にそれを信じていたんですから、まあ、そのつもりでお聴きください」
安政五年の七月から八、九月にかけて、江戸には恐るべき虎列剌《コレラ》病が流行した。いわゆる午年《うまどし》の大コロリである。凄まじい勢いを以って蔓延《まんえん》する伝染病に対して、防疫の術《すべ》を知らない其の時代の人々は、ひたすら神仏の救いを祈るのほかは無いので、いずこの神社も仏寺も参詣人が群集して、ふだんは比較的にさびしい小日向の氷川神社にも、この頃は時をえらばぬ参詣人のすがたを見た。伝説のかむろ蛇よりも、目前のコロリが恐ろしかったのであろう。
悪疫の大流行を来たした年だけに、秋とは名ばかりで残暑が強かった。その八月の末である。小日向水道|町《ちょう》の煙草屋、関口屋の娘お袖が母のお琴と女中のお由と、三人連れで氷川神社に参詣した。関口屋はここらの老舗《しにせ》で、ほかに地所|家作《かさく》も持っていて、小僧二人のほかに若い者三人、女中三人の暮らしである。家族は主人の次兵衛が四十一歳、女房のお琴が三十七歳、娘のお袖が十八歳で、隠居夫婦は二十年前に相前後して世を去った。
もとより近所のことであるから、お袖らの三人は午《ひる》過ぎに店を出た。朝は晴れていたが、四ツ(午前十時)頃からときどきに薄く曇って、いくらか涼しい風が吹いていた。町を通りぬけて上水堀《じょうすいぼり》に沿って行くあいだにも、二つの葬式に出逢った。いずれもコロリに取り憑《つ》かれた人々であろうと推し量《はか》られて、女たちは忌《いや》な心持になった。
日輪寺へ行き着いて、うしろの明神山へ登ると、きょうは珍らしく一人の参詣者も見えないで、大きな杉の森のなかに秋の蝉《せみ》が啼いているばかりであった。明神の社前に額《ぬか》ずいて、型のごとく一家の息災を祈っているうちに、空はいよいよ曇って来て、さらでも薄暗い木の下蔭が夕暮れのように暗くなった。
「なんだかお天気が可怪《おか》しくなって来ましたね」と、お琴は参詣を終って空をみあげた。
「降らないうちに早く帰りましょう」と、お由も急《せ》き立てるように云った。
蝉の声もいつか止んで、あたりは気味の悪いようにひっそりと鎮まった。冷たいような重い空気が三人の肌に迫って来た。ここで降り出されては困ると思って、三人はすこし足を早めて下山《げざん》の路にさしかかると、何を見たかお袖は俄かに立ちどまった。彼女は無言で母の袖をひくと、お琴も立ちどまった。お由もつづいて足をとめた。かれらは路ばたの杉の大樹のあいだに、ひとりの少女の立ち姿を見いだしたのである。
少女は十二三歳ぐらいで、色の蒼白い清らかな顔容《かおかたち》であった。白地に鱗《うろこ》を染め出した新らしい単衣《ひとえ》を着て、水色のような帯を結んでいた。それらの事はともかくも、今この三人の注意をひいたのは、少女の黒髪である。彼女の髪は切禿であった。
前にも云う通り、この頃のコロリ騒ぎのために、明神参詣の人々も俄かに増して、かむろ蛇のおそろしい伝説も暫く忘れられたような姿であったが、その伝説がまったく掻き消されたのではない。きょうの曇った暗い日に、ここで切禿の少女のすがたを目前に見いだした三人が、異常の恐怖に襲われたのも無理はなかった。かれらの顔は少女の帯とおなじような水色になって、一旦はそこに立ちすくんでしまった。
お由はお袖よりも年上の十九歳である。殊にふだんから勝気の女であるので、この場合、さすがにふるえてばかりもいなかった。彼女は小声で主人に注意した。
「見付かると大変です。逃げましょう」
幸い少女は正面を向いていないので、三人はその横顔を見ただけである。抜き足をして駈け抜けたらば、或いは覚られずに逃げおおせることが出来るかも知れない。しかも駈け出しては足音を聴かれる虞《おそ》れがあるので、お琴はまた二人にささやいて、息の声さえも洩れないように、両袖で口を掩った。
三人は足音を忍ばせて、この杉木立の前を通り抜けようとする時、お袖が最も恐怖を感じていたのかも知れない、すくみ勝の足をひき摺って行くうちに、木の根か石につまずいて、踏み留める間もなしにばったりと倒れたので、お琴もお由もはっとした。もうこうなっては、足音などを偸《ぬす》んではいられない。半分は夢中でお袖をひき起こして、お琴とお由が左右の手をとって、むやみに引き摺りながら駈け出した。山の降り口は石逕《いしだたみ》になっている。その坂路を転げるように逃げ降りて、寺の本堂前まで帰り着いて、三人はまずほっとした。お袖は顔の色を失って、口も利かれなかった。
お琴は寺男に水を貰って、お袖に飲ませた。自分たちも飲んだ。山を降りると、急に暑くなったように思われたので、お琴は手拭を絞って顔や襟の汗を拭いた。しかも山のなかで怪しい少女に出逢ったことは、寺男にも話さなかった。
「家《うち》へ帰っても黙っておいでなさいよ。誰にも決して云うのじゃありませんよ」と、お琴はお由に固く口留めをした。
三人は不安な心持で関口屋の店へ帰った。取り分けてお袖はぼんやりして、その晩は夕飯も碌々に食わなかった。
お琴はきょうの一条を夫の次兵衛にも打ち明けなかった。夫に余計な心配をかけるのを恐れたばかりでなく、自分もそれを口にするのが何だか恐ろしいように思われたからである。翌日も再びお由に注意して、かならず他言《たごん》するなと戒めた。三人は後をも見ずして逃げて来たのであるから、かの少女が自分たちを見つけたかどうだか一向に判らなかった。覚られなければ幸いであると、お琴は心ひそかに祈っていた。
その頃、誰が云い出したのか知らないが、コロリの疫病神を攘《はら》うには、軒に八つ手の葉を吊《つる》して置くがいいと云い伝えられた。八つ手の葉は天狗の羽団扇《はねうちわ》に似ているからであると云う。関口屋でも本当にそれを信じていたわけでも無かったが、ともかくもこの時節だから、いいと云うことは真似るがいいと思って、自分の庭に大きい八つ手の木があるのを幸いに、その葉を折って店の軒さきに吊しておいた。
翌日の午後、お琴が店へ出てみると、軒の八つ手の大きい葉がもう枯れかかって、秋風にがさがさと鳴っていた。枯れてしまっては呪《まじな》いの効目《ききめ》もあるまいと思ったので、お琴は庭から新らしい葉を折って来て、人に頼むまでもなく、自分がその葉を吊り換えようとする時、ふと見ると古い枯葉には虫の蝕《く》ったような跡があった。更によく見ると、その虫蝕いの跡は仮名文字の走り書きのように読まれた。おそでしぬ――こう読まれたのである。お袖死ぬ――お琴はぎょっとした。
彼女はお由をそっと呼んで、八つ手の古い葉を見せると、お由もその虫蝕いのような仮名文字を「おそでしぬ」と読んだ。八つ手に虫の付くことは少ない。しかもその枯れかかった葉のおもてに、「お袖死ぬ」という虫のあとを残したのである。
きのうの今日であるから、お琴は総身《そうみ》の血が一度に凍ったように感じた。
二
関口屋の裏には四軒の貸長屋があった。いずれも関口屋の所有で、その奥の一軒には年造という若い大工の独り者が住んでいたが、若い職人であるから、この時節に酒も飲む、夜歩きもする、その不養生《ふようじょう》の祟りで疫病神に見舞われた。かれは夜半《よなか》から吐瀉《としゃ》をはじめて、明くる日の午後に死んだ。
独り者であるから、仲間の友達や近所の者があつまって葬式《とむらい》を出すことになった。関口屋でも自分の家作内《かさくない》であるから、店の者に香奠《こうでん》を持たせて悔みにやった。
「うちの地面うちへも、とうとうコロリが来た」と、主人の次兵衛も顔をしかめた。
コロリの伝染することを知っていても、それを予防することを知らないのであるから、近所の人々はいたずらに恐怖するばかりであった。この頃は伝染を恐れて、コロリの死人の家へは悔みや通夜《つや》に行く者が少なくなったが、それでも年造の家には近所の者をあわせて五、六人が集まって、型ばかりの通夜を営んだ。年造のとなりに住んでいるのは、大吉という煙草屋であった。これも若い独り者で、煙草屋といっても店売りをするのではなく、刻み煙草の荷をかついで、諸藩邸の勤番小屋や中間部屋、あるいは所々の寺々などへ売りに行くのである。彼は関口屋の長屋に住んでいるばかりでなく、商売物の煙草を関口屋から元値で卸《おろ》して貰っているので、朝に晩に親しく出入りをしていた。
大吉と年造とは壁ひとえの相長屋で、ひとり者同士の仲よく附き合っていたので、年造がゆうべから病気に罹《かか》ると、彼は商売を休んで看病した程であるから、今夜の通夜には勿論詰めかけていた。残暑の強い時節といい、閉め込んで置いては疫病の邪気が籠《こも》るというので、狭い家内は残らず明け放してあった。
その夜の五ツ半(午後九時)頃である。露路のなかに犬の吠える声がきこえるので、大吉は家内から伸びあがって表を覗くと、井戸のそばに白い影が見えた。家内の灯《ひ》のひかりが表まで流れ出ているので、その影の正体もおおかたは判った。それは白地の単衣《ひとえ》を着た少女である。少女は関口屋の裏口に立って、木戸のあいだから内を窺っているらしかった。大吉は自分の隣りに坐っている相長屋の甚蔵の袖をひいてささやいた。
「あの子はどこの子だろう」
甚蔵も伸びあがって表をのぞくと、犬はつづけて吠えた。少女は犬を恐れるように木戸のそばを離れて、しずかに露路の外に立ち去ったが、草履を穿《は》いていたと見えて、その足音はきこえなかった。
「見馴れない子ですねえ」と、大吉は又ささやいた。
「むむ、ここらの子じゃあ無いようだ」
とは云ったが、甚蔵は深く気にも留めなかった。大吉はなんだか気になると見えて、そこにある下駄を突っかけて露路の外まで追って出たが、少女の姿はもう見えなかった。
「あの子はどこの子だろう」
大吉はまだ頻りに考えていたが、他の人々は甚蔵と同様、それに格別の興味も注意もひかなかったので、話はそのままに消えてしまった。流行病《はやりやま》いであるから、あしたは早朝に死体を焼き場へ送る筈であったが、この頃は葬式《とむらい》が多いので棺桶が間に合わない。よんどころなく夕方まで延ばすことにして、係り合いの人々は怖るべきコロリの死体を守りつつ一日を暮らした。
この日の午後である。三十前後の男が関口屋の店さきに立った。
「ここの裏に年造という大工がいますかえ」
「その年造さんはコロリで死にました」と、店の者が答えた。
「コロリで死んだ」と、その男はすこし慌てたように云った。「そりゃあ飛んでもねえ。そうしていつ死んだね」
「きのうの午過ぎに……」
「やれ、やれ」と、男は舌打ちした。
葬式はまだ済まないというのを聞いて、男は急いで露路のなかへ駈け込んだ。彼は線香の煙りのただよう門口《かどぐち》から声をかけた。
「もし、年造は死んだのかえ」
「きのう亡くなりました」と、入口にいた大吉が答えた。「どうぞこちらへ……」
悔みに来たと思いのほか、男はつかつかと内へはいって、六畳の隅に横たえてある若い大工の死体をながめた。彼は忌々《いまいま》しそうに舌打ちした。
「畜生、運のいい野郎だ」
コロリで死んで運がいいとは何事かと、一座の人々はおどろいた。いずれも呆気《あっけ》に取られたように男の顔を見つめていると、その疑いを解くように彼は説明した。
今から四日前の晩に、湯島天神下の早桶屋伊太郎が何者にか殺された。前にも云う通り、このごろはコロリの死人が多いので、どこの早桶屋も棺を作るのに忙がしく、自分たちの手では間に合わないので、大工や桶屋などを臨時に雇い入れて手伝わせた。一人前の職人は棺桶などを作ることを嫌ったが、腕のにぶい者や若い者は手間賃《てまちん》の高いのを喜んで、方々の早桶屋へ手伝いに行った。ここの家《うち》の年造もその一人で、先日から彼《か》の伊太郎の店に働いていたのである。
伊太郎が何者にか殺されたのは、その金に眼をつけたものと認められた。早桶屋に取っては、疫病神は福の神で、商売繁昌のために伊太郎は意外の金儲けをした。それが禍《わざわ》いとなって、伊太郎は殺され、女房は傷を負った。詮議の末に、その盗賊の疑いは雇い大工の年造にかかって、召し捕りに来て見ると此の始末である。召し捕られて重罪に処せられるよりも、コロリで死んだが優《ま》しであろう。運のいい野郎だ、と云われたものも無理はなかった。
召し捕りに来て失望した男は、神田の半七の子分の善八であった。こうなっては空《むな》しく引き揚げるのほかはなかったが、それでも年造の平素の行状や、死亡前の模様などを一応取り調べて置く必要があるので、年造と最も親しくしていたと云う隣家の大吉が表へ呼び出された。善八は井戸端の柳の下に立って、暫く大吉を調べて帰った。
「おどろいたねえ」
「人は見かけに因らねえものだ」
「年公もちっとは道楽をするが、まさかにそんな恐ろしい事をしようとは思わなかった」
コロリで死んだ年造に対して、人々の同情が俄かにさめた。まったく運のいい野郎だと云うことになってしまった。さりとて今更その死骸を捨てて帰るわけにも行かないので、人々は迷惑ながら日の暮れるのを待っていると、暮れ六ツ頃に棺桶をとどけて来たので、すぐに死体を押し込んで担《かつ》ぎ出した。
店子《たなこ》が死んだのであるから、家主《いえぬし》も見ていることは出来ない。関口屋でも主人の名代《みょうだい》として店の者に送らせる筈であったが、それがコロリの葬式《とむらい》であるばかりでなく、本人は恐ろしい罪人であるという噂を聞いて、店の者らは送って行くことを嫌った。それを無理にとは云いかねて、関口屋でも少し困っていると、女中のお由が行こうと云い出した。
「お前は女だからお止しなさいよ」と、お琴は一応止めた。しかし誰か行かなければ悪いから私が行きますと云って、お由がとうとう行くことになった。
「お由さんはコロリが怖くないのかしら」
「なに、大さんと一緒に行きたいんだよ」
ほかの女中たちはささやいていた。煙草屋の大吉は二十三四で、色白の華奢《きゃしゃ》な男であった。
秋の宵の暗い露路から提灯の火が五つ六つ寂しくゆらめいて、年造の棺桶は送り出された。五ツを過ぎたころにお由は帰って来て、千住《せんじゅ》の焼き場には棺桶が五十も六十も積んであるので、とてもすぐに焼くことは出来ない。今夜はそのままに預けて置いて、七日か八日の後に骨揚《こつあ》げに行く筈であると云った。コロリのために焼き場や寺が混雑することはかねて聞いていたが、いま又そんな報告を聞かされて、関口屋の一家も暗い心持になった。
そのなかでも、更にお琴の心を暗くする事があった。お由はおかみさんにそっと話した。
「ゆうべお通夜をしている時に、白地の着物を着た女の子が裏の木戸から覗いていたそうです」
「うちの裏口を覗いていたのかえ」と、お琴は顔の色を変えた。
「煙草屋の大さんが見たそうです。甚さんも見たと云います」
かむろ蛇、八つ手の葉、それにおびえ切っている矢さきへ、又もやこの話を聞かされて、お琴は眼がくらみそうになった。白地の着物を着た女の子は、明神山から降りて来たらしい。お袖死ぬという、その呪われた運命がいよいよ迫って来たように思われた。
今まではお袖にもお由にも口留めをして、自分ひとりの胸におさめていたが、お琴ももう堪まらなくなって、夫の次兵衛に一切《いっさい》を打ち明けた。次兵衛は決して愚かな人物ではなく、商売の道にも相当に長《た》けていて、関口屋の古い暖簾《のれん》を傷つけないだけの器量を具えていたが、彼は非常に神仏を信仰した。その信仰が嵩《こう》じて一種の迷信者に似ていた。お琴が明神山の一条を秘《かく》していたのも、迂濶にそれを口外すれば夫をおどろかすに相違ないと懸念《けねん》したからであった。
果たして次兵衛はおどろいた。彼は涙をうかべて嘆息するのほかはなかった。かむろ蛇に呪われた娘の生命《いのち》は、しょせん救われぬものと諦めているらしかった。
三
八月の晦日《みそか》から俄かに秋風が立って、明くる九月の朔日《ついたち》も涼しかった。
「さすがに暦《こよみ》は争われねえ。これでコロリも下火《したび》になるだろう」
女房のお仙と話しながら、半七が単衣《ひとえ》を袷《あわせ》に着かえていると、早朝から善八が来た。
「急に涼しくなりました」
「今も云っているところだが、善さん、コロリはどうだね」と、お仙は云った。
「まだ流行《はや》っていますよ」と、善八は答えた。「涼風《すずかぜ》が立ってもすぐには止みますめえ。七月から八月にかけて随分殺されましたね」
「悪い人の殺されるのは仕方がないが、善い人も殺されるから困るよ」
「わっしらの商売から云うと、悪い人の殺されるのも困る。折角お尋ね者を追いつめて、さあという時に相手がコロリと参ってしまわれちゃあ、洒落《しゃれ》にもならねえ。現にこのあいだの湯島の一件……。ようやく突きとめて小石川まで出張って行くと、大工の奴はコロリ。実にがっかりしてしまいますよ」
云いかけて、善八はまた声を低めた。
「もし、親分。今の小石川ですがね。そこで又すこし変な噂を聞き込みました」
「変な噂とはなんだ」
お仙が立って行ったあとで、半七は善八と差し向かいになった。
「御承知の通り、人殺しの大工は水道町の煙草屋の裏に住んでいました」と、善八は話しつづけた。「その家主の煙草屋は関口屋という古い店で、身上《しんしょう》もよし、近所の評判も悪くない家《うち》です。そこの女中のお由という若い女が二、三日前に死にました」
「それもコロリか」と、半七は訊《き》いた。
「いや、コロリじゃあねえ、まあ、頓死のようなわけで……。関口屋でもすぐに医者を呼んだが、もう間に合わなかったそうです。その死に方がなんだか可怪《おか》しいというのですが、関口屋じゃあ店の者や女中に口留めをして、なんにも云わせねえ。それだけに猶更いろいろの噂が立つわけです。世間でかれこれ云うばかりでなく、お由の親許《おやもと》でも不承知で、娘の死骸を素直に引き取らない。コロリの流行《はや》る時節に、死骸をいつまでも転がして置くわけには行かねえので、名主や五人組が仲へはいって、ともかく死骸だけは引き取らせることにしたが、その後始末が付かねえで、いまだにごたごたしているそうですよ」
「お由という女の親許では、なぜ不承知をいうのだ。死骸に何か怪しいことでもあるのか」
「どうもそうらしい。それが又、変な話で……。近所の噂じゃあ、氷川の明神山のかむろ蛇に祟られたのだそうで……。そんな事が本当にありますかね」
「氷川のかむろ蛇……」と、半七も考えた。「昔からそんな話を聞いてはいるが、噂か本当か請け合われねえ。そうすると、そのお由という女は明神山の蛇に出逢ったのか」
「関口屋の女房と娘とお由と三人連れで、氷川へ参詣に行って、その帰り路で出逢ったそうで……。蛇じゃあねえ、切禿《きりかむろ》の女の子だそうですが……」
「女の子か」と、半七は又かんがえた。「お由は蛇に祟られて頓死したというのだな。頓死にもいろいろあるが、どんな死に方をしたのだ」
「それにもいろいろの噂があるのですが、わっしがお千代という女中をだまして聞いたところじゃあ、まあ、こんな話です」
関口屋ではお由、お千代、お熊という三人の女を使っているが、お由は仲働きで、他の二人は台所働きである。その晩はまだ残暑が強いので、裏口の空地にむかって雨戸を少し明けて、四畳半の女部屋に一つの蚊帳《かや》を吊って、三人が床をならべて寝た。いずれも若い同士であるから、正体もなく眠っていると、夜なかになってお由が急に騒ぎ出した。両側に寝ているお千代とお熊もおどろいて眼をさますと、お由は小声で「蛇……」と叫んだらしくきこえたので、二人はいよいよ驚いた。
お千代もお熊も夢中で蚊帳をころげ出して、台所から行燈《あんどん》をつけて来ると、お由は寝床の上に蜿打《のたう》って苦しんでいる。二人はあわてて店の男たちを呼び起こすと、その騒ぎを聞きつけて、主人夫婦も起きて来た。小僧は出入りの医者を呼びに行った。
何分にも夜なかの事であるから、医者もすぐには来なかった。お由は医者の来る前に死んでしまった。その死因は医者にもはっきり判らないのであるが、お由が「蛇……」と云ったのから想像して、恐らく蝮《まむし》か何かの毒蛇に咬まれたのであろうと云った。その当時はここらは森や岡も多く、武家屋敷の空地や草原も多いのであるから、蝮や蛇もめずらしくない。明けてある雨戸のあいだから這い込んで来て、運の悪いお由がその生贄《いけにえ》になったのであろう。なにしろ其の正体を見とどけなければ安心が出来ないので、若い者も小僧も総掛かりで毒蛇のゆくえを詮策したが、家内は勿論、庭にもそれらしい姿は見いだされなかった。
こうして奉公人らが立ち騒いでいるあいだに、主人側は比較的冷静であった。主人の次兵衛も女房のお琴も殆ど無言であった。娘のお袖は奥に隠れたままで顔も出さなかった。毒蛇狩りが一旦片付いた後、次兵衛は医者を奥へ呼び入れて、女房と一緒にかむろ蛇の一条を話した。それが店の者にも洩れて、自然にうわさの種を播《ま》くことになったのである。
これによって考えると、主人らの冷静は不人情というのでなく、余儀なき運命と諦めている為であったらしい。お由ばかりでなく、お琴もお袖も同じ運命に陥らないとは限らない。お由ひとりが人身御供《ひとみごくう》になって、それでかむろ蛇の祟りが消えるのか、三人ながら同じ祟りを受けるのか、そんなことは誰にも判らない秘密である。主人らは冷静というよりも、強い恐怖にとらわれて、一時は碌々に口も利かれなかったのであろう。しかもお由の親許では、その態度を不人情と難じた。
「いくら不人情にしたところで、親許で娘の死骸を引き取らねえというのは判らねえ」と、半七は云った。
「関口屋で殺したとでも云うのか」
「まさかに殺したとも云いませんが、寝床で蝮に咬まれたなんぞと云うのは、どうもまじめに聞かれねえ。ましてかむろ蛇なんぞは作り話だか何だか判らねえ。大事の娘が死んだ以上、どうして死んだのか確かに判らねえでは、迂闊《うかつ》に死骸を引き取ることは出来ねえと、こう云うのだそうで……。関口屋でも相当の弔い金は出す気でいるのだが、親の方じゃあ五百両か千両も取るつもりでいるらしいので……」
「五百両か千両……」と、半七もすこし驚かされた。「人間の命に相場はねえと云っても、奉公人が死んだ為に五百両も千両も取られちゃあ堪まらねえ。一体その親というのは何者だ」
「五百両千両は別として、親許でぐずるにも仔細があるのです」と、善八は説明した。「だんだん聞いてみると、お由という女は仲働きのように勤めてはいるが、実は主人の姪だそうで……」
「唯の奉公人じゃあねえのか」
「主人の兄きの娘です。兄きは次右衛門といって、本来ならば総領の跡取りですが、若い時から道楽者で、先代の主人に勘当されてしまって、弟の次兵衛が関口屋の家督を相続することになったのです。先代が死ぬときに勘当の詫びをする者もあったが、先代はどうしても承知しないで、あんな奴は決して関口屋の暖簾《のれん》をくぐらせてはならないと遺言《ゆいごん》したそうです。それは二十年も昔のことですが、それがために次右衛門は今でも表向きに関口屋の店へ顔出しは出来ない。裏口からそっとはいって来ると云うわけです」
「次右衛門は何をしているのだ」
「下谷の坂本で小さい煙草屋をしているそうです。表向きは勘当でも、関口屋の総領で、今の主人の兄きには相違ないのですから、関口屋でもいくらか面倒を見てやって、商売物の煙草なぞも廻してやっているようです。その娘がお由で、これも表向きに親類というわけには行かないので、まあ奉公人同様に引き取られて、関口屋の厄介になっていたのです。詳しいことは判りませんが、関口屋へお由を引き取るに就いては、行くゆくは相当の婿を見付けて、それに幾らかの元手でも分けてやって、兄きの家を相続させると云うような約束になっていたらしい。そのお由がだしぬけに死んでしまったので、一番困るのは兄きの次右衛門です」
「その兄きは堅気《かたぎ》になっているのか」
「次右衛門はもう五十で、今は堅気になっているようですが、昔の道楽者の肌は抜けない。自分に落度があるにしても、関口屋の身代を弟に取られたのだから、内心は面白くない。その上に、世話をするという約束で引き取られた娘が得体《えたい》の知れない死に方をする。こうなると、何とか因縁を付けたくなるのが人情で、死骸を引き取るとか、引き取らねえとか、駄々を捏《こ》ねているのでしょう。次右衛門に云わせると、表向きはともかくも、肉親の姪を預かって置きながら、なんだか訳の判らない死に方をさせて、死んだものは仕方が無いというような顔をしているのは、あんまり不人情だ、不都合だ……。それも畢竟《ひっきょう》お由の死に方がはっきりしねえからの事で、確かに蝮に咬まれたのかどうだか、医者にもよく見立てが付かねえようですよ」
「やっぱり蝮だろうな」と、半七は云った。
「蝮でしょうか」と、善八もうなずいた。「そうすると、喧嘩にもならねえ。いくら次右衛門がじたばたしても、追っ付かねえ訳ですね」
「いや、喧嘩にならねえとも限らねえ。そのお由というのはどんな女だ」
「お由は十九で、家《うち》の娘とは一つ違いです。家の娘はお袖と云って、ことし十八。表向きは主人と奉公人のようになっていますが、つまり従妹《いとこ》同士で、どっちも容貌《きりょう》は良くも無し、悪くも無し、まあ十人並というところでしょうが、お由の方が年上だけにませていて、男好きのする風でした」
「関口屋の裏の四軒長屋には誰と誰が巣を食っている……」
「コロリで死んだ大工の年造、それから煙草屋の大吉、そのほかに仕立屋職人の甚蔵、笊《ざる》屋の六兵衛……。甚蔵と六兵衛には女房子《にょうぼこ》があります」
「大吉というのは年造の隣りにいる奴だな。そりゃあどんな奴だ」
「二十三四の、色の生《なま》っ白《ちろ》い、華奢《きゃしゃ》な奴です。生まれは上方《かみがた》で、以前は湯島の茶屋にいたとか云うことですよ」
「湯島の茶屋にいた……。男娼《かげま》のあがりか」
「そんな噂です」
「そうか」
半七は薄く眼を瞑《と》じて、又かんがえていた。
四
関口屋の娘お袖は煩い付いた。
医者にもその病症がよく判らないのであったが、お由の変死につづいて、娘が煩い付いたのであるから、関口屋の夫婦には大抵その病いの原因が想像されないでも無かった。今度は自分の番であると思えば、女房も生きた心地はなく、これも食事が進まないようになって、やがては半病人の体《てい》になってしまった。いかに秘密を守っても、何かの事が口《くち》さがない奉公人らから洩れ伝わって、かむろ蛇のうわさが近所近辺に拡がった。コロリも恐ろしいが、かむろ蛇も恐ろしい。関口屋の一家は今にみんな執《と》り殺されてしまうであろうなど、途方もないことを云い触らす者もあった。
その最中に、又もやその長屋うちに一つの怪談が伝えられた。仕立屋職人甚蔵の女房が夜の四ツ(午後十時)近い頃に、近所の湯屋から帰って来ると、薄暗い露路のなかで一人の男に摺れ違った。それが彼《か》の大工の年造の姿に相違ないように思われたので、彼女は真っ蒼になってわが家に逃げ込んだ。
「今そこを年さんが通った……」
「ばかを云え」と、亭主の甚蔵は叱った。
コロリで死んだ年造は焼き場へ送られて、幾日かの後に骨揚《こつあ》げをして、近所の寺へ納めて来たのである。それがここらを歩いている筈がない。しかも女房は確かにその姿を見たと云うのである。それを聞いて、隣りの笊屋の女房も顔色を変えた。
「それじゃあ年さんの幽霊に違いない」
悪疫が流行して、そこにも此処にも死人の多い時節には、とかくに種々の怪談が生み出されるものである。笊屋では女房ばかりでなく、亭主の六兵衛もそれを信じて、コロリで死んだ年造の魂がそこらに迷っているのであろうと云った。その噂が表町まで伝わった時、年造とは壁ひとえの隣りに住んでいる煙草屋の大吉もこんなことを云い出した。
「実はわたしも年さんの姿を見た」
こうなると、幽霊の噂はいよいよ大きくなって、関口屋の長屋には年造の幽霊が毎晩あらわれるなどと、尾鰭《おひれ》を添えて吹聴《ふいちょう》する者もあった。さなきだに、コロリの噂におびえ切っている折柄、かむろ蛇や幽霊や、忌《いや》な噂がそれからそれへと続くので、ここらの町は一種の暗い空気に包まれてしまった。
取り分けて暗い空気のうちに閉じられているのは、関口屋の一家であった。娘は煩い付き、女房は半病人となっている上に、お由の後始末がまだ完全に解決しなかった。町内の五人組が関口屋と次右衛門との仲に立って、いろいろに和解を試みているのであるが、次右衛門は容易に折れない。それが普通の奉公人の親許であれば、こちらから相当の弔い金を投げ出して、これで不承知ならば勝手にしろと突き放すことも出来るのであるが、たとい勘当とは云いながら、次右衛門は関口屋の惣領息子で、当主次兵衛の兄である。次兵衛は兄と闘うことは好まない。仲裁人らも兄を手ひどく遣り込めるに忍びない。そこへ附け込んで次右衛門は飽くまで横ぐるまを押すのである。こんにちの言葉でいえば一種の扶助料として、金千両を出せと彼は主張した。
云うまでもなく、この時代の千両は大金であるが、ひとり娘のお由をうしなっては、自分の老後を養ってくれる者がないから、一年五十両の割合で二十年分、すなわち千両の扶助料をよこせと云うのである。しかも一年五十両ずつの年賦は不承知で、金千両の耳をそろえて一度に渡せと、次右衛門は迫った。理窟のようでもあり、不理窟のようでもあり、仲裁人らもその処置に困って、結局三百両というところまで交渉を進めたが、次右衛門は断じて譲らなかった。
仲裁者もあぐねて手をひこうとする時、次右衛門は白髪《しらが》まじりの鬢《びん》の毛をふるわせて云った。
「次兵衛は現在の兄を追い出して、家督を乗っ取った奴だ。その上に、兄の娘を十五の春から十九の秋まで無給金同様に追い使って、挙げ句の果てに殺してしまって、老後の兄を路頭に迷わせる。おれももう堪忍袋の緒が切れた。おととしは女房に死なれ、ことしは娘に死なれ、自分ひとり生き残ったところでなんの楽しみもねえ。命はいつでも投げ出す覚悟だ」
次兵衛を殺して自分も死ぬといったような、一種の威嚇《おどかし》である。よもやとは思うものの、仲裁人らもなんだか薄気味悪くなって、そのままに手を引くことも出来なくなった。こうして、同じ押し問答を幾日も送るうちに、九月も十日を過ぎて、ここに又一つの騒ぎがおこった。関口屋の裏長屋に住む笊屋六兵衛の女房が頓死したのである。
まだ宵のことで、亭主の六兵衛は不在であった。女房が突然にきゃっと悲鳴をあげたので、隣りの甚蔵夫婦が駈けつけると、かれは台所に倒れていた。早速に医者を呼んで来たが、これも病症がよく判らない。やはり蝮にでも咬まれたのであろうと云うのである。笊屋の女房は手当ての効《かい》もなくて、明くる朝死んでしまった。それに就いて又いろいろの噂が立った。
「関口屋の蛇が長屋へ這い込んだのだ」
「いや、年さんの幽霊が出たのだ」
蛇と幽霊とに執念ぶかく悩まされている人々のあいだに、第二のコロリ騒ぎが又おこった。
この頃はだんだんに涼風《すずかぜ》が立って、コロリの噂も少しく下火になったという時、関口屋の小僧の石松がコロリに罹《かか》って、二日目に死んだ。それが伝染したと見えて、半病人の女房お琴もつづいて同じ病いに取り憑かれて、これもひと晩のうちに死んだ。関口屋はまったくの暗黒《くらやみ》である。近所の人たちの心も暗黒になった。
病気が病気であるから、関口屋でも女房の葬式《とむらい》を質素に行なった。その葬式が済んだ後に、次兵衛は思い切ったように云い出した。
「こうなっては、娘もやがて死ぬかも知れない。わたしもどうなるか判らない。関口屋の潰れる時節が来たのでしょう。兄の望み通りに、五百両でも千両でも出してやります」
さりとて千両は法外であると云うので、仲裁人らは再び交渉をすすめて、六百両までに相場をせり上げると、次右衛門もここらが見切り時と思ったらしく、渋々ながら承諾した。しかも大金であるから迂濶に渡すことは出来ない。後日《ごにち》のために、次右衛門から今後異論がないという一札《いっさつ》を入れさせて、町役人も立ち会いの上で引き渡しを済ませた。
これらの事件の蔭には、善八の眼が絶えず光っていた。半七も一々その報告を聞いていた。さしあたりは何処へむかって手を着けることも出来なかったが、事件の筋道はだんだんに明るくなって来るように思われた。
五
九月二十日の夜なかに、下谷坂本の煙草屋次右衛門は何者にか殺された。その怪しい物音を聞きつけて、近所の者共が駈け付けた頃には、相手はもう姿を隠していた。次右衛門は刃物で喉《のど》と胸を刺されていたが、微かな息の下で云った。
「大……年……年造……」
まだ何か云いたそうであったが、それぎりで息は絶えた。勿論、早速に訴え出て検視を受けたが、下手人は遺恨か喧嘩か物奪《ものと》りか、すぐには判らなかった。善八がそれを聞き込んだのは明くる日の朝で、半七を案内して下谷へ乗り込んだのは四ツ(午前十時)頃であった。二人は自身番へ寄って、ひと通りの報告を聞いて、更に家主の案内で次右衛門の煙草屋へ踏み込んだ。二間|間口《まぐち》の小さい店で、奥は六畳と二畳のふた間、二階は四畳半のひと間である。
女房には死なれ、娘は奉公に出ているので、次右衛門は当時ひとり者である。その裏に下駄の歯入れが住んでいて、その婆さんのお酉《とり》というのが朝晩の手伝いに来ていたと、家主は説明した。
「じゃあ、そのお酉というのを、ともかくも呼んで貰いましょう」
呼ばれて、半七の前に出て来たのは、五十四五の正直そうな老婆であった。それと一緒に隣りの荒物屋の亭主も呼ばれた。亭主は喜兵衛といって、ゆうべ一番さきに駈け付けた男である。お酉と喜兵衛の申し立てによると、次右衛門は道楽者の揚がりだけに、近所の人達にも愛想がよく、これまで別に悪い噂もなかった。場所も悪し、店も小さいので、碌々の商売もないのに、毎日かなりの酒を飲むので、暮らし向きは楽でなかったらしい。それでも娘に婿を取れば、自分は左団扇《ひだりうちわ》で暮らせるなどと大きなことを云っていた。殊に先ごろお酉にむかって、酔ったまぎれに、こんなことを云った。
「おれは今、大金儲けが眼の先にぶらさがっているのだ。ここでコロリなんぞになっちゃあ堪まらねえ」
娘が不意に死んだので、彼はひどく力を落としたらしく、毎日やけ酒を飲んでいた。そうして、関口屋から弔い金をうんと取ってやると云っていた。その掛け合いもどうにか旨くまとまったらしく、この二、三日は機嫌がよかった。
「ここの家《うち》へふだん近しく来る者はねえかね」と、半七は訊《き》いた。
「煙草屋の大さんです」と、お酉は答えた。「色の白い、華奢《きゃしゃ》な人で……。次右衛門さんの口ぶりじゃあ、行くゆくはお由ちゃんの婿にでもするような様子でした。そのほかには大工の年さんという人がときどき来ましたが、この人はコロリで死んだそうです」
「そうかね」と、喜兵衛が口を入れた。「その年さんという人は、二、三日前の晩にたずねて来たようだが……。わたしの店の前を通ったのは、どうもあの人のように思ったが……。それとも人違いかな」
「大さんという煙草屋は、この頃に来なかったかね」と、半七は又訊いた。
「きのうお午過ぎに見えました」と、お酉は云った。「わたしに少し店を頼むと云って、次右衛門さんと大さんと一緒に二階へあがって、暫く話していました」
半七は二階へあがって見ると、狭い四畳半は案外に綺麗に片付いていた。念のために戸棚をあけてあらためたが、そこにはちっとばかりのがらくたを押し込んであるばかりでなく、これぞというほどの物も見あたらなかった。更に台所へ降りて来て、揚げ板などを払ってあらためたが、ここにも変ったことは無かった。
「次右衛門は、死にぎわに何か云ったそうだね」
「はい」と、喜兵衛は答えた。「それが微かな声でよく聴き取れなかったのですが……。なんでも『大……年……年造』と云ったように聞こえましたが……」
「そうすると大工の年造だね」と、善八は云った。
「ですが、その年造という人は、コロリで死んだそうですから……」
「おめえは二、三日前の晩に見たと云うじゃあねえか」と、善八は又云った。
「それは人違いかも知れませんので、どうもはっきりした事は申し上げられません」
これで先ずひと通りの調べを終って、半七と善八はここを出た。
「大工の年造という奴は生きているんでしょうか」と、善八はあるきながら訊いた。
「コロリで死んで、焼き場へ運んで、骨揚げをして来た奴が、生きていると云うのも不思議だが、関口屋の長屋へも年造の幽霊が出たと云うから、どうかして生きているのかも知れねえ」と、半七は云った。「次右衛門が死にぎわに、年造と云った以上、どうも年造が殺したとしか思われねえ。そこで『大』と云ったのは大工の『大』か、煙草屋の大吉の『大』か、それを考えなけりゃあならねえ。おそらく大吉だろうな」
「そうでしょうか」
「なにしろ此の一件には大吉が係り合っているに相違ねえ。おれにはもう大抵見当がついた。早く大吉を挙げてしまえ。人間はずうずうしくっても、男娼《かげま》あがりのひょろひょろした野郎だ。おめえ一人でたくさんだろう。いや、待て。下手に逃がして何処かの寺へでも逃げ込まれると面倒だ。おれも一緒に行こう」
二人は連れ立って小石川の水道町へゆくと、関口屋の長屋に大吉のすがたは見えなかった。隣りの甚蔵の女房の話によると、大吉は年造の幽霊を怖がっている処へ、又もや家主の関口屋にコロリ患者が二人もつづいて出来たので、いよいよ顫え上がってしまい、とてもこんな処にはいられないと云って、五、六日前から殆ど我が家へは寄りつかない。昼間一、二度帰って来たことがあるが、夜は毎晩どこをか泊まりあるいているとの事であった。半七は肚《はら》のなかで笑いながら聴いていた。
「そこで、年造の幽霊はまだ出るかえ」
「あたしは一度見たきりですが……」と、女房は声をひそめて云った。「その後にも出ると云う人もあり、出ないと云う人もあり、どっちが本当だか知りませんが、笊屋のおかみさんもあんな事になって、なんだか気味が悪くって堪まらないので、あたし達は日が暮れると滅多《めった》に表へ出ないようにしています」
「年造の寺はどこだね」
「改代町《かいだいまち》の万養寺です」
「年造の菩提所かえ」
「いいえ。年さんのお寺は無いとかいうことで、大さんが自分の知っているお寺へ納めて貰ったのです」
「いや、ありがとう。わたし達が訊きに来たことは、誰にも内証にして置いてくんねえ」
表へ出てみると、関口屋は女房の初七日《しょなのか》も過ぎたのであるが、コロリ患者を続いて出したので、近所へ遠慮の意味もあるのか、大戸を半分おろして商売を休んでいるらしかった。半七は気の毒に思った。
改代町は牛込であるが、ここから遠くない。二人は江戸川の石切橋を渡って、改代町へ行き着くと、ここらは俗に四軒寺町と呼ばれて、四軒の寺のほかに、古着屋の多い町である。寺々のうしろは草原で、又そのうしろには一面の田畑が広がっている。草原には丈《たけ》の高い芒《すすき》がおい茂って、その白い穂が青空の下に遠くなびいていた。どこかで鵙《もず》の啼く声もきこえた。
二人は万養寺の前に立った。あまり大きい寺ではないが、内福であるという噂を近所で聞いた。「寺は困るな」と、半七はつぶやいた。「年造は幽霊じゃあねえ、確かにほんものらしい。大吉と一緒にここに潜《もぐ》り込んでいるのだろうと思うが、迂濶に踏み込むわけにも行かねえ。又ぞろ寺社へ渡りを付けるか。うるせえな」
この時、うしろの草原で犬の吠える声が頻りにきこえるので、二人は顔を見あわせた。半七は先に立って裏手へまわると、草原はなかなか広く、その芒の奥で幾匹かの野良犬が吠えたけっている。二人は犬の声をしるべに、高い芒をかき分けて行くと、その行く手からも芒をがさがさと潜《くぐ》って来る者がある。たがいに先が見えないので、殆ど出合いがしらに眼と眼が向かい合ったとき、善八は俄かに半七の袂《たもと》をひいた。
「大吉ですよ」
相手も不意の出合いに慌てたらしく、身をひるがえして逃げようとするのを、善八はすぐに追いかけると、彼は持っている鍬《くわ》をふり上げて、真向《まっこう》へ撃ち込んで来た。善八はあやうく身をかわすと、芒の中から又一人、鋤《すき》を持って撃って来る者があった。
「幾人もいるぞ、気をつけろ」
半七も善八に注意しながら、鋤を持つ男に飛びかかった。あとの敵の方が手剛《てごわ》いと見たからである。何分にも芒が深いので、それが眼口《めくち》を打ち、手足に絡んで、思うように働くことが出来ない。善八も同様で、どうにかこうにか大吉の腕をつかんだが、芒の葉に妨げられて眼を明いていることも出来なかった。その不便は敵も同様であったが、この場合には弱い者の方に都合がよい。芒の邪魔を利用して、大吉らは必死に抵抗した。
四、五匹の野良犬も駈け寄った。かれらは半七らの味方をするように、大吉らを取り巻いて、吠え付き、飛び付いた。鋤を持つ男は半七を突き放して、一間ほども逃げ延びたかと思うと、芒の根につまずいて倒れた。半七は折り重なって組み伏せた。
大吉は案外に激しく抵抗したが、これもやがて善八の膝の下に倒れた。芒の葉に切られて、敵も味方も、頬や手足に幾ヵ所の擦《かす》り疵を負った。二人が早縄をかけて立ち上がる時、犬は半七らを導くように吠えて走るので、芒のあいだを付いてゆくと、そこには芒が倒れて乱れているひと坪ほどの空地が見いだされた。新らしく掘り返された土は柔らかく、そこに何物をか埋めてあるように見られたので、大吉の鍬をとって掘り起こすと、土の下には若い大工の死骸が横たわっていた。
六
「これで捕物は終りました」と、半七老人は云った。「捕物で怪我をしたことは度々ありますが、その時のように芒のお見舞を受けたことはありません。当分は顔や手足がひりひりして、湯に入るにも困りましたよ」
「わたしも曾て石橋山組打の図に俳句を書いてくれと頼まれて『真田股野くらがりの芒つかみけり』という句を作ってやったことがありますが、まったく芒のなかの組打ちは難儀でしょうね」と、わたしは云った。
「うっかりすると眼を突かれますからね」と、老人は笑った。「そこで例の種明かしですが、何からお話し申しましょうかね」
「鋤を持って出た男は何者です」
「それは万養寺の寺男で、名は忠兵衛……梅川と道行《みちゆき》でもしそうな名前ですが、年は五十ばかりで、なかなか頑丈な奴でした。生まれは上方《かみがた》で、大吉の親父です。こいつも昔は道楽者で、せがれの大吉が小綺麗に生まれたのを幸いに、子どもの時から陰間《かげま》茶屋へ売りました。江戸の陰間茶屋は天保度の改革で一旦廃止になったのですが、その後も給仕男という名義《めいぎ》で営業していました。男娼《かげま》のことは余談にわたりますから、詳しくは申し上げませんが、なにしろ女と違って、子供時代が売り物ですから、十七八にもなればもうお仕舞いです。男娼の揚がりは馴染の客……多くはお寺さんですが、それに幾らかの元手を出して貰って小商いでも始めるか、寺侍の株でも買ってもらうか、又は小間物や煙草の行商になる。お寺にむかし馴染があるので、煙草を売って歩くのが多かったようです。大吉もその一人で、関口屋の長屋に住んで煙草屋になっていたんです。万養寺の住職も大吉のむかしの馴染で、その関係から親父の忠兵衛を引き取って、自分の寺男に使っていたと云うわけです」
「そこで、問題のかむろ蛇の一件ですが、それは大吉や次右衛門の狂言ですか」
「そうです、そうです。御承知の通り、次右衛門は総領でありながら、関口屋の身代《しんだい》を弟の次兵衛に取られてしまったので、内心甚だ面白くない。しかし次兵衛は元来いい人ですから、兄きはこれに娘を預けて置いて、万事よろしく頼んでいればいいのですが、それではどうも気が済まない。又その娘のお由というのが気の勝った女で、関口屋の娘とは従妹《いとこ》同士でありながら、表向きは奉公人同様に働かされているのが口惜《くや》しくてならない。そんなわけで、関口屋の方ではやがて相当の婿をさがして、行く末の面倒を見てやろうと思っているのに、次右衛門親子は内心|修羅《しゅら》を燃やして、なにか事あれかしと狙っているという始末、それでは無事に納まる筈がありません。どうしてもひと捫著《もんちゃく》おこるのは知れています。そこへかの大吉が煙草を仕入れるために、関口屋へ毎日出入りをする。男娼あがりで、男振りも優しく、口前もいいので、お由はいつか大吉と出来合ってしまったんです。うわべは柔らかでも肚《はら》のよくない大吉、これが次右衛門親子と共謀して、ひと芝居打つことになったんです」
「その芝居の筋立ては……」
「芝居の筋立ては、関口屋のひとり娘を殺してしまって、従妹同士のお由をその相続人に直そうという策略です。ひとり娘のお袖がコロリで死んでくれれば申し分はないが、お誂え向きにも行かない。さりとて毒殺などをすれば、あとが面倒。そこで考えたのがかむろ蛇です。お袖親子がこのごろ水道端の氷川明神へ参詣に行くのを幸いに、まずかむろ蛇で嚇かして置いて、それからお袖を殺すことにする。殺す方法は毒蛇に咬ませる。かむろ蛇のことは世間でも知っているから、その祟りで蛇に殺されたと云えば疑う者もあるまい。親の次兵衛は迷信者だから、勿論うたがう筋はない。今の人から思えばちっと拵え過ぎた芝居のようですが、なにしろかむろ蛇の信じられていた時代ですから、それを利用してこんな芝居も考えられたんです。
その頃、湯島天神の境内《けいだい》にも芝居小屋がありました。その芝居に出ている力三郎という子役を大吉が借りて来て、明神山にかむろ蛇の姿をあらわすという趣向……。なんと云っても芝居の子役ですから、こういう役には都合がよかったでしょう。殊にお袖親子が参詣の時には、一味徒党のお由も一緒に付いて行ったのですから、怪談がかりの芝居をうまく運んだと見えます。その芝居が図にあたって、娘は気病《きやみ》になる。おふくろも半病人になる。おまけに長屋の大工がコロリで死ぬ。そこを狙って、いよいよお袖を殺す段取りになる。その蛇は大吉が捕って来て、お由に渡しました。今とちがって、その頃の小石川あたりには蛇や蝮は幾らでも棲んでいましたから、近所の藪《やぶ》からでも捕って来たんでしょう。それを小さい箱に入れて、それをお由に渡したんです」
「蝮ですか」
「蝮です。お由は夜なかにそれを持ち出して、お袖の蚊帳《かや》の中に放そうとしたんですが、やっぱり悪いことは出来ないもので、その蝮をとり出すときに誤って自分が咬まれてしまって……。どこを咬まれたのか知りませんが、忽ちに毒がまわって死んだという訳です。人を呪わば穴二つとか云うのは、まったくこの事でしょう。思いもよらない仕損じに、大吉も次右衛門もびっくりしたが、今更どうにもならない。そこで今度は法を変えて、怪しい死に方をした娘の死骸は引き取れないと、親の次右衛門から因縁をつけて、とうとう関口屋から六百両をまき上げました」
「その六百両のために、次右衛門は殺されることになったんですね」
「お察しの通り」と、老人はうなずいた。「それに就いては、大工の年造のお話をしなければなりません」
「私もそれが気になっていました。年造はどうして生きていたんです」
「まあ、お聴きなさい。年造は湯島の早桶屋へ手伝いに行っていて、亭主の伊太郎がコロリで金儲けをしたのを知って、夜なかに忍び込んで亭主を殺し、女房に疵をつけて、十両ばかり金を取りました。その時に、隣りの大吉も一緒に行って、表で見張り番を勤めていたんです。ところが、天罰と云うのか、運がいいと云うのか、年造はコロリに罹《かか》って、善八が召し捕りにむかった時には、もう死んでいました。そのときに善八がもう少し上手に大吉を調べれば、こいつも同類という見あらわしが出来たんですが、そこまでは行かないで一旦は見逃がしました。
それから年造の死骸を千住の焼き場へ持って行くと、コロリ騒ぎで焼き場は大繁昌、五十も六十も棺桶が積んであって、とても右から左には焼けないというので、棺桶をそのまま預けて帰りました。その頃の焼き場は乱暴なもので、殊に大混雑の際だから滅茶苦茶です。そこで、近所の者が棺桶を置いて帰った後、どうしたものか年造は息を吹きかえして、棺桶を毀して這い出しました。夜は更けて、あたりは真っ暗、もちろん誰にも断わらずに、年造はそこを立ち去ってしまいました。
こんにちならば、それで済むわけは無いんですが、前にもいう通りの混雑ですから、誰も構わない。幾日かの後に骨揚《こつあ》げに行って、年造の灰を拾って来たんですが、勿論それは人違いで、誰の骨を拾ったのか判りません。大コロリの時には、こんな間違いが幾らでもありました」
「それで年造は生き返ったんですね」
「一旦コロリで死にながら、また生き返りました。不思議といえば不思議です。或いは真症のコロリでは無かったのかも知れません。年造は焼き場を立ち退いて、それから何処にどうしていたのか、死人に口無しでよく判りませんが、なにしろ骨揚げが済んだ後で、或る晩ふらりと帰って来ました。そうして、隣りの大吉の家へ顔を出すと、大吉も一旦は驚いたが、生き返ったわけを聞いて先ず安心した。しかし安心できないのは、湯島の人殺しが露顕して、善八が召し捕りに来たことです。死んでしまえばそれっきりだが、生きて帰ると剣呑《けんのん》だから、大吉は年造に注意して、ひとまず万養寺の親父のところへ忍ばせました。
相長屋の甚蔵の女房が幽霊を見たというのは其の時のことです。幽霊でないと云っては面倒だと思って、大吉も一緒になって幽霊の噂をひろめていると、又その最中に笊屋の女房が変死をする。これはお由を殺した蝮が関口屋の裏手へ逃げ出して、そこらを這い廻っていたのか、それとも別に訳があるのか、その頃の医者にはよく判らないので、いろいろの噂も立つことになるんです。そこへ又、関口屋のコロリ騒ぎ、それからそれへとよくも変事の続いたものですが、女房と小僧のコロリは誰の仕業でもなく、これは自然の災難で仕方がありません。
大吉は煙草屋であり、殊に関口屋へも出入りをしているので、次右衛門とも心安くしている。その関係から年造も大吉に連れられて行って、次右衛門と知り合いになっていました。しかし湯島の人殺しと関口屋の一件とは全く別問題で、湯島の方は年造と大吉の二人、関口屋の方は、次右衛門とお由と大吉の三人、それぞれに役割りが違っているわけで、双方掛け持ちは大吉だけです。上方生まれの男娼揚がりなどというものは、忌《いや》にねちねちしていて、肚《はら》のよくないのが往々ありました」
「大吉と年造と共謀で、次右衛門を殺したんですか」
「お由が死んでしまって、かむろ蛇の一件は失敗しましたが、次右衛門が因縁をつけて関口屋から金を取る。それを大吉も目当てにしていたんですが、さてその談判がまとまって、いよいよ六百両の金を受け取ると、次右衛門はみんな自分のふところへ入れて、大吉には一文もやらない。お由が死んだ以上、大吉なぞにはもう用が無いという顔をしている。それでは大吉も不承知です。おれに相当の分け前をくれなければ、関口屋へ行っていっさいの種明かしをすると嚇かしたが、次右衛門は鼻であしらって、どうとも勝手にしろと空うそぶいている。せめて百両くれろと掛け合ったが、それも肯《き》かない。とうとう十両で追っ払われてしまったので、大吉は残念でならない。万養寺に隠れている年造と相談して、いわゆる最後の手段を取ることになりました。
尤もそれまでには、年造も下谷へこっそりとたずねて行って、大吉のために口を利いてやったんですが、次右衛門はどうしても承知しない。その上に、湯島の一件を薄々気取っているような様子も見えるので、いよいよ助けては置かれないということになったんです。そこで九月二十日の夜なかに、年造が裏口から忍び込む。その露路は抜け裏になっているので、こういう時には都合がいい。安普請《やすぶしん》の古家ですから、年造は何の苦もなしに台所の雨戸をこじ明けてはいる。例のごとく、大吉は外で見張り番を勤めていました。
大吉は現場を見ていないというので、詳しいことは判りませんが、年造は小刀のような物を持って、次右衛門の寝込みを襲って、思い通りに相手を仕留めて、さてその金のありかを探すと、仏壇の抽斗《ひきだし》に百両、ボロ葛籠《つづら》の底から百両、あわせて二百両だけは見付け出しましたが、残りの四百両の隠し場所がわからない。そのうちに近所の者が起きて来るらしいので、怱々《そうそう》にそこを逃げ出して、二人は無事に牛込へ帰りました。
目あての六百両は残念ながら二百両しか手に入らない。それでも年造は正直に山分けにして、大吉も先ず納得したんですが、その親父の忠兵衛も悪い奴、その山分けの百両を年造に取られるのが惜しくなって、せがれの大吉をそそのかし、年造が疲れて寝ているところを絞め殺して、百両を取り上げてしまいました。死骸は寺の裏手の草原に埋め、ほとぼりの少し冷めた頃に、親子は二百両を持って、故郷の大阪へ帰るつもりでした。
死骸は夜の明けないうちに埋めたんですが、この辺には野良犬が多い。それが何か嗅ぎ出したとみえて、明くる日になると野原にあつまって、頻りに吠える。初めは打っちゃって置いたんですが、あまり吠えるので大吉親子も不安心になった。もしや死骸の埋めてある所を掘り返されたりしては困る。犬がむやみに吠えると人に怪しまれるかも知れない。二人は鋤《すき》と鍬《くわ》を持って現場を見届けに出て行くと、死骸に別条はない。集まっている犬を追い散らして、芒をかき分けながら帰って来ると、丁度わたくし共と顔をあわせた。それが二人の運の尽きで、さっきお話し申したような事になってしまいました。どう考えても悪いことは出来ませんね」
「四百両のゆくえは知れないんですか」
「次右衛門の店の床下に埋めてありました。その金はどう処分されたか確かには知りませんが、都合よく関口屋の手へ渡ったように聞いています。関口屋の娘のお袖は、かむろ蛇の正体が判ったので、急に気が強くなったのでしょう、やがて全快して元のからだになりました。この娘が大吉らに狙われた御本尊でありながら、とうとう無事に助かりました。人間の運は判りません」
「八つ手の葉にお袖死ぬと書いたのは、お由の仕業ですか」
「お由の小細工です。わたくしはその実物を見ませんが、なにかの焼き薬か腐れ薬で虫蝕《むしく》いのように書いたんでしょう。気をつけて見たらば、お由の筆蹟だと云うことも判ったんでしょうが、そこが素人の不注意で仕方がありません。いや、わたくし共の商売人でも時々に飛んだ不注意の失敗をやりますから、素人を咎めるわけには行きませんよ。八丁堀の役人だって、岡っ引だって、みんな神様じゃあない。時には案外の見込み違いをして、あとで大笑いになることがありました」
云いかけて、老人は笑い出した。
「大笑いと云えば、こんな事があります。明治以後、氷川明神が服部《はっとり》坂へ移されてからのお話ですが、小石川の縁日にかむろ蛇の観世物《みせもの》が出ました。これは昔から氷川の明神山に棲んでいた大評判のかむろ蛇でございと云うんですが、よくよく聞いて見ると、どこからか大きい青大将を生け捕って来て、その頭へコールターを塗って、頭の黒いかむろ蛇と囃し立てていたのだそうで……。明治の初年には、こんないかさまの観世物がまだ幾らも残っていました。ははははは」
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河豚太鼓《ふぐだいこ》
一
種痘の話が出たときに、半七老人はこんなことをいった。
「今じゃあ種痘《しゅとう》と云いますが、江戸時代から明治の初年まではみんな植疱瘡《うえぼうそう》と云っていました。その癖が付いていて、わたくしのような昔者《むかしもの》は今でも植疱瘡と云っていますよ。こんな事はあなた方がよく御存じでしょうから、詳しくは申し上げませんが、日本の植疱瘡はなんでも文政頃から始まったとか云うことで、弘化四年に佐賀の鍋島侯がその御子息に植疱瘡をしたというのが大評判でした。それからだんだんに広まって、たしか嘉永三年頃だと覚えていますが、絵草紙屋の店に植疱瘡の錦絵が出ました。それは小児《こども》が牛の背中に跨《またが》って、長い槍を振りまわして疱瘡神を退治している図で、みんな絵草紙屋の前に突っ立って、めずらしそうに口をあいて其の絵を眺めていたものです。いや、笑っちゃいけない。実はわたくしも口をあいていた一人で、今からかんがえると実に夢のようです。
なにしろ植疱瘡ということが追いおいに認められて来て、大阪の方が江戸よりも早く植疱瘡を始めることになりました。江戸では安政六年の九月、神田のお玉ケ池(松枝町《まつえちょう》)に種痘所というものが官許の看板をかけました。そういうわけで、その頃から種痘という言葉はあったんですが、一般には種痘と云わないで、植疱瘡と云っていました。さてその植疱瘡をする者がまことに少ない。牛の疱瘡を植えると牛になるという。これもあなた方のお笑いぐさですが、その頃にはまじめにそう云い触らす者が幾らもある。素人《しろうと》ばかりでなく、在来の漢方医のうちにも植疱瘡を信じないで、かれこれと難癖をつける者がある。それですから植疱瘡を嫌う者が多かったんです。外国でも最初のあいだは植疱瘡を信用しなかったと云いますから、どこの国でも同じことだと見えます。
そんなことを云っているうちに、例によってお話が自然と自分の畑へはいって行くんですが、それに就いてこんな事件がありましたよ。これなぞは江戸時代でなければ滅多に起こりそうもないことで、ほんとうのむかし話というのでしょうが、当世の方々にはかえってお珍らしいかも知れません。
文久二年正月の事と御承知ください。この年は春早々から風が吹きつづいて、とかくに火事沙汰の多いのに困りましたが、本郷湯島の天神の社殿改築が落成して、正月二十五日の御縁日から十六日間お開帳というので、参詣人がなかなか多い。奉納の生《いき》人形や細工物もいろいろありましたが、その中でも漆喰《しっくい》細工の牛や兎の作り物が評判になって、女子供は争って見物に行きました。
日は忘れましたが、なんでも二月の初めです。神田明神下の菊園という葉茶屋の家族が湯島へ参詣に出かけました。この葉茶屋は諸大名の屋敷へもお出入りをしている大きい店で、菊ゾノと読むのが本当だなどと云う人もありましたが、普通には菊エンと呼んでいました。店の者も菊エンと云っていたようです。葉茶屋ですからエンという方が本当かも知れません。その菊園の嫁のお雛、ひとり息子の玉太郎、乳母のお福、この三人のほかに隣りのあずま屋という菓子屋の女房と娘、あずま屋の親類の娘、あわせて六人連れで、近所のことですから午過ぎから出かけると、前にも云う通りの評判で、湯島の近辺は押し返されないような混雑、そのなかを潜《くぐ》って社前に参詣して、例の作り物などをひと通り見物している間に、息子の玉太郎のすがたが見えなくなったので、みんなも騒ぎ出しました。
お雛は十八の年に菊園の嫁に来て、二十歳《はたち》の暮に玉太郎を生みましたが、乳の出がどうもよくないので、お福という乳母を置いて育てて来て、玉太郎はことし七つになっていました。ひとり息子ですから、家《うち》じゅうで可愛がっている。乳母のお福も気立てのいい女で、わが子のように玉太郎を可愛がっている。その玉太郎の姿を見失ったので、大騒ぎになったのも無理はありません。
こういう混雑の場所で、子供が親にはぐれて迷児《まいご》になるのは珍らしくないことですが、親たちの身になれば騒ぐのも当然で、お雛もお福も気ちがいのようになって騒ぐ。連れのあずま屋の女たちも黙って見ちゃあいられないから、これも一緒になって探し廻る。遠くもないところであるから、自分ひとりで帰ったのかも知れないと、お福が明神下の店へ引っ返してみると、家へも帰っていないという。店の方でも騒ぎ出して、若い者二人と小僧ひとりがすぐに駈け付けたが、玉太郎の姿はどうしても見えない。番頭の要助もあとから駈け出して、それからそれへと心あたりを訊《き》いて歩いたが、誰も知らないと云う。春といっても此の頃の日はまだ短いので、そんな騒ぎのうちに日が暮れてしまいました。
それほど遠くもない所で、迷児になってしまうと云うのは少しおかしい。子供といってももう七つにもなっているのだから、誰かに道を訊《き》いても帰られそうなものだと云う者もある。誰かが見つけて連れて来てくれそうなものだと云う者もある。そうなると、もしや人攫《ひとさら》いにでも拐引《かどわか》されたのじゃあないかと云う疑いも起こる。あるいは神隠しかも知れないと云う者もあります。
今でも時々そんな噂を聞きますが、昔は人攫いだの、神隠しだのということがしばしば云い伝えられました。人攫いは小綺麗な女の児を攫って行くんですが、男の児も攫われることがある。これは遠方へ連れて行って、幾らかに売り飛ばすのですが、神隠しの方はなぜだか判らない。普通は天狗に攫われるのだと云っていましたが、嘘か本当か請け合われません。尤も半年か一年の後にふらりと帰って来て、今まで山の中に暮らしていたなどと云う者もある。そんなわけですから、子供のすがたが見えなくなれば、第一は迷児、次は人攫いか神隠しかと云うことになるのが普通で、玉太郎も迷児を通り越して人攫いか神隠しかという説が多くなりました。
神隠しはどうにもならないが、人攫いならば早く手を廻して、そのありかを探し出す工夫が無いでもあるまいというので、その夜ふけに番頭要助がわたくしの家へたずねて来ました。さてこれからがお話です」
二
小座敷の行燈の下で、客と主人が向かい合った。もう寝ようとしたところを叩き起こされて、春の夜寒《よさむ》が半七の襟にしみた。
「あの玉ちゃんという児《こ》は七つになりますかえ。わたしも店の前に遊んでいるのを見たことがある。色白の綺麗な坊やでしたね」
「はい、主人の子を褒めるのもいかがですが、仰しゃる通り、色白の可愛らしい子供でございまして……」と、要助は答えた。「それだけに親たちも心配いたしまして、もしや拐引《かどわかし》にでも逢ったのじゃあないかと申して居ります。御近所の人たちもみんな同じような考えで、これは早く三河|町《ちょう》の親分さんにお願い申した方がよかろうと申しますので、こんな夜更《よふ》けにお邪魔に出まして相済みません」
「そこで、わたしの心得のために、訊《き》くだけのことを正直に話してください」と、半七は云った。
「お店には大《おお》旦那夫婦がありましたね」
「はい、大主人は半右衛門、五十三歳。おかみさんはおとせ、五十歳でございます」
「若主人夫婦は……」
「若主人は金兵衛、三十歳。若いおかみさんはお雛、二十六歳。若いおかみさんの里は、岩井町の田原という材木屋でございます」
「お乳母《んば》さんは」
「お福と申しまして、若いおかみさんと同い年でございます。お福の宿は根岸の魚八という魚屋《さかなや》で、おやじは代々の八兵衛、おふくろはお政、ほかに佐吉という弟がございます」と、要助は一々明瞭に答えた。
「乳母に出るのだから、一旦は亭主を持ったのだろうが、その亭主とは死に別れですかえ」
「なんでも浅草の方へ縁付きましたのですが、その亭主が道楽者で……。生まれた子が死んだのを幸いに、縁切りということに致しまして、乳母奉公に出たのだそうでございますが、まことに実体《じってい》な忠義者で、主人の子どもを大切に致してくれますので、内外《うちと》の評判も宜しゅうございます」
それから店の若い者、小僧、奥の女中たちまで、一々身もと調べをした上で、半七はかんがえながら云った。「なにしろ御心配ですね。これがお店にかかり合いのある者の仕業《しわざ》なら、案外に手っ取り早く埓《らち》が明くかも知れませんが、通りがかりの出来ごころで、ああ綺麗な児だと思って引っ攫って行かれたのじゃあ、その詮議がちっと面倒になる。しかしまあ折角のお頼みですから、なんとか出来るだけの事をしてみましょう。御主人にもよろしく仰しゃって下さい」
「なにぶん宜しく願います」と、要助は繰り返して頼んで帰った。
それを見送って、寄り付きの二畳へ出て来た半七は、誰か表に忍んでいるような気配《けはい》を覚った。要助が格子を閉めて出たあとから、半七もつづいて草履を突っかけて沓脱《くつぬぎ》へ降りて、そっと格子をあけて表を窺うと、今夜はあいにく闇であったが、何者かが足音をぬすんで立ち去るらしかった。
「おい、そこにいるのは誰だ」
声をかければ逃げるのは判っていたが、無言で他人《ひと》を取り押さえるわけには行かないので、半七は先ず声をかけると、相手は果たして一目散に逃げ出した。その草履の足音が女や子供でなく、若い男であるらしいことを、半七はすぐに覚った。そうして、闇のなかでひそかに笑った。この事件は案外容易に解決すると思ったからである。前にも云う通り、往来の者の出来心では、その手がかりを見付け出すのが面倒であるが、これは菊園にかかり合いのある者に相違ない。番頭がここへ探索を頼みに来たのを知って、その様子を窺いに来たのであろう。よせばいいのに、そんな事をするから足が付くのだと、半七はおかしく思った。
その明くる朝である。半七が茶の間で朝飯を食っていると、入口の格子のあいだから何か投げ込んだような音がきこえた。半七に眼配《めくば》せをされて、女房のお仙が出てみると、沓脱《くつぬぎ》の土間に一通の封じ文が落ちていた。これもゆうべの一件のかかり合いであろうと想像しながら、半七はすぐに封を切ってみると、果たして次の文言が見いだされた。
菊園の子息玉太郎は仔細あって拙者が当分預り置き候、本人身の上に別状なきことは武士の誓言《せいごん》相違あるまじく候、菊園一家の者に心配無用と御伝え被下度《くだされたく》、貴殿にも御探索御見合せ被下度候、先《まず》は右申入度、早々。
それを読み終って、半七はまた笑った。成程その筆蹟は町人らしくないが、「武士の誓言」などと云って、いかにも武士の仕業らしく思わせようとするのは、浅はかな巧みである。ゆうべ忍んでいた奴も、今朝《けさ》この手紙を投げ込んだ奴も同じ筋の者に相違ない。こんな小細工をする以上、猶さら踏み込んで首根っこを押さえ付けてやらなければならないと思いながら、怱々に朝飯を食ってしまうと、子分の弥助が裏口からはいって来た。弥助という名が「千本桜」の維盛《これもり》に縁があるので、彼は仲間内から鮓屋《すしや》という綽名《あだな》を付けられていた。
「どうも御無沙汰をして、申し訳がありません」
「何をぶらぶら遊んでいるのだ。おい、鮓屋。早速だが、用がある。ここへ来い」
弥助を呼び込んで、半七は菊園の一件を話して聞かせた。
「こりゃあ人攫いや神隠しじゃあねえ。なにかの仔細があって、玉太郎を隠した奴があるのだ。菊園に恨みのある奴か、それとも菊園を嚇かして金にする料簡か、二つに一つだろう。おめえはこれから根岸へ行って、乳母のお福の宿をしらべて来てくれ。お福の先《せん》の亭主は道楽者で、浅草に住んでいると云うから、これもついでに洗って来てくれ」
「乳母が怪しいのですかえ」
「怪しいどころか、番頭の話じゃあ正直な忠義者だそうだが、この頃の忠義者は当てにならねえ。ともかくもひと通りは手を着けて置くことだ」
「ようがす。すぐに行って来ます」
「浅草の方は庄太の手を借りてもいい。なるべく早くやってくれ」
弥助を出してやった後に、半七はかんがえた。これから菊園へ出向いて、一度主人たちにも逢い、家内の者の様子を見とどけるのが、まず正当の順序であるが、もし家内にかかり合いの者があるとすれば、かえって用心させるような事になって妙でない。遠方から遠巻きにして、最後に乗り込む方がよかろうと思った。もう一つには、きょうは九ツ(正午)からどうしても見送りに行かなければならない葬式《とむらい》がある。それを済ませてからでなければ、どこへも手を着けることは出来ない。又その出前には八丁堀の旦那のところへも顔出しをしなければならない。半七は忙がしい体《からだ》であった。
八丁堀から葬式へまわると、寺は橋場であった。八ツ(午後二時)過ぎに寺を出て、ほかの会葬者とあとさきになって帰る途中で、半七はふと思いついた。子分の庄太の家は馬道《うまみち》である。弥助をけさ出してやったものの、自分も道順であるからちょっと立ち寄ってみようと、馬道の方角へぶらぶら辿ってゆくと、庄太は懐ろ手をして露路の入口に立っていた。
「やあ、親分。どこへ……」
「橋場の寺まで行って来た」
「弔《とむれ》えですか」
「むむ。弥助は来たか」
「まだ来ません。何かあったのですか」
「すこし頼んだことがあるのだが……。あいつは気が長げえから埓が明かねえ」
「まあ、おはいんなせえ。だが、きょうはあいにくの日で、大変ですよ。隣りの長屋二軒が根継《ねつ》ぎをするという騒ぎで、露路のなかはほこりだらけ……。わっしも家《うち》にいられねえから、表へ逃げ出して来たような始末で……」
庄太は笑いながら先に立って引っ返すと、なるほど狭い露路のなかは混雑して、二軒の古い長屋は根太板《ねだいた》を剥がしている最中であった。そのほこりを袖で払いながら、その長屋の前を足早に通り過ぎようとする時、なにか半七の眼についた物があった。
「おい、庄太。あれを拾って来てくれ」
「なんです」
「あの橙《だいだい》よ」
根太板を剥がれた床下《ゆかした》は、芥溜《ごみた》めのように取り散らしてあった。そのなかに一つの大きい橙の実が転げているのを拾わせて、半七は手に取って眺めた。橙には龍という字があらわれていた。近い頃に書いたと見えて、墨の色もまだはっきりと読まれた。
それが火伏せの呪禁《まじない》であることを半七は知っていた。橙に龍という字をかいて、大晦日《おおみそか》の晩に縁の下へ投げ込んで置くと、その翌年は自火は勿論、類焼の難にも逢わないと伝えられて、今でもその呪禁をする者がある。おそらく龍が水を吐くとか、雨を呼ぶとかという意味であろう。この橙のまだ新らしいのを見ると、去年の大晦日に投げ込んだものらしい。その「龍」という字に見覚えがあると、半七は思った。
「ここの家《うち》は誰だ」
「夜蕎麦売りの仁助で、その隣りが明樽《あきだる》買いの久八です」と、庄太は答えた。
「隣りにも橙があるか無いか、探してくれ」
庄太は芥をかき分けて詮索したが、隣りの床下には獲物がなかった。内へはいると、庄太の女房も出て来た。ひと通りの挨拶の済んだあとで、半七はかの橙を手の上に転がしながら訊《き》いた。
「この龍という字は、なかなかしっかり書いてある。仁助とかいう奴が自分で書いたのじゃああるめえ。誰に頼んだのか、知らねえか」
「表の白雲堂ですよ」と、女房が口を出した。
表通りに幸斎という売卜者《はっけみ》が小さい店を開いていて、白雲堂の看板をかけている。夜蕎麦売りの仁助はその白雲堂にたのんで、橙に龍の字をかいて貰ったのであると、彼女は説明した。
「白雲堂……。そりゃあどんな奴だ」と、半七はまた訊いた。
今度は庄太が代って説明した。白雲堂の幸斎は五十二三の男で、ここに十年あまりも住んでいる。自分はよくも知らないが、うらないは下手《へた》でもないという噂である。幸斎は独り者で、女房子《にょうぼこ》は勿論、親類なども無いらしい。酒を少し飲むが、別に悪い評判もない。近所の者にたのまれて、手紙の代筆などをするが、これも売卜者のような職業としては珍らしいことでもない。要するに白雲堂は世間にありふれた売卜者という以外に、変ったことも無いらしかった。
「そこで、その龍の字に何か引っかかりがあるのですかえ」と、庄太は訊いた。
「むむ。すこし忌《いや》なことがある」と、半七は又かんがえていた。「だが、庄太。やっぱり人頼みじゃあいけねえ。自分が足を運んで来たお蔭で、飛んだ掘り出し物をしたらしい」
「へえ、そうですかね」
訳を知らない庄太は、ただ感心したように首をかしげていると、隣りでは壁を崩すような音ががらがらと聞こえて、それと同時に弥助が転《ころ》げるように駈け込んで来た。
「やあ、ひどい、ひどい。飛んだところへほこりを浴びに来た」
彼は手拭で顔や着物を払いながら、半七を見て驚いたように会釈《えしゃく》した。
「親分、もう先き廻りをしたのですか」
「江戸っ子は気が早え」と、半七は笑った。「そこで、どうだ。根岸の方は……」
「わっしのことを気が長げえと云うが、その代りに仕事は念入りだ。まあ、聴いておくんなせえ」
「一軒家じゃあねえ、大きな声をするな」
半七に注意されて、彼は小声で話し出した。
三
根岸が下谷区に編入されたのは明治以後のことで、その以前は豊島郡金杉村の一部である。根岸といえば鶯の名所のようにも思われ、いわゆる「同じ垣根の幾曲り」の別荘地を忍ばせるのであるが、根岸が風雅の里として栄えたのは、文化文政時代から天保初年が尤も盛りで、水野閣老の天保改革の際に、奢侈《しゃし》を矯正する趣意から武家町人らの百姓地に住むことが禁止された。自宅のほかに「寮」すなわち別荘、控え家のたぐいをみだりに設けるのは贅沢であるというのであった。
それがために、くれ竹の根岸の里も俄かにさびれた。春来れば、鶯は昔ながらにさえずりながら、それに耳を傾ける風流人が遠ざかってしまった。後にはその禁令も次第にゆるんで、江戸末期には再び昔の根岸のすがたを見るようになったが、それでも文化文政の春を再現することは出来なかった。
魚八は根岸繁昌の時代からここに住んでいる魚屋《さかなや》で、一時は相当に店を張っていたが、土地がさびれると共に店もさびれた。それでも代々の土地を動かずに、小さいながらも商売をつづけていた。前にも云う通り、亭主は八兵衛、女房はお政、せがれは佐吉、この親子三人が先ず無事に暮らしている。佐吉はことし十九で、利口な若い者である。娘のお福は十八の年に浅草|田町《たまち》の美濃屋という玩具屋《おもちゃや》へ縁付いたが、亭主の次郎吉が道楽者であるために、当人よりも親の八兵衛夫婦が見切りをつけて、二十歳《はたち》の春に離縁ばなしが持ち出された。お福は一旦実家へ戻ったが、乳の出るのを幸いに、外神田の菊園へ乳母奉公に出て、あしかけ七年も勤めている。
弥助の報告は大体こんなことであった。
「それから美濃屋の方を調べたか」と、半七は訊《き》いた。
「調べました。ところが、亭主の次郎吉という奴は、女房に逃げられるような道楽者だけに、玩具屋の店は三年ほど前に潰してしまって、今じゃあ田町を立ち退いて、聖天下《しょうでんした》の裏店《うらだな》にもぐり込んで、風車《かざぐるま》や蝶々売りをやっているそうです。年は二十九で、見かけは色の小白い、痩形の、小粋な野郎だということですが、わっしがたずねて行った時にゃあ、商売に出ていて留守でした」
「その後に女房は持たねえのか」
「ひとり者です」と、弥助は答えた。「だが、近所の者の噂を聞くと、ふた月に一度ぐらい、年増《としま》の女がこっそりたずねて来る。それが先《せん》の女房のお福じゃあねえかと云うのです。なにしろ、その女が来ると、そのあと当分は次郎吉の野郎、酒なんぞ飲んでぶらぶらしていると云いますから、その女が小遣い銭でも運んで来るに相違ありませんよ」
「いい株だな。おめえ達も羨ましいだろう」と、半七は笑った。「その女は恐らく先の女房だろうな。親たちが不承知で無理に引き分けられた。女にゃあまだ未練があるので、奉公さきから抜け出して時々逢いに来る。しかしふた月に一度ぐらいはなかなか辛抱強い。お福という女も馬鹿じゃあねえと見えるな」
「そうでしょうね」
「そこで、その次郎吉という奴だが……。近所の評判はどうだ」
「褒められてもいねえが、悪くも云われねえ。まあ中途半端のところらしいようですね」
「中途半端じゃあ困るな。白雲堂にでもうらなって貰わねえじゃあ判らねえ」
半七は暫く思案していた。自分の膝の前に置いてある橙の「龍」の字が白雲堂の筆であるとすれば、けさ何者かが投げ込んで行った「武士の誓言」の一通も、同じ人の筆であるらしい。果たして同筆であれば、白雲堂はこの事件に係り合いがあるものと見做《みな》さなければならない。白雲堂の近所には次郎吉が住んでいる。その次郎吉の処へは菊園の乳母が通って来る。この三人のあいだには何かの糸が繋がっていて、菊園の子供のゆくえ不明事件が作り出されたのではあるまいか。他人《ひと》の秘蔵っ子をかどわかして、その親をゆすって金を取るという手は往々ある。乳母のお福は正直者であると云っても、以前の亭主に未練がある以上、それにそそのかされて何かの手伝いをしないとも限らない。
それにしてもその玉太郎という子供をどこへ隠したか。裏店住居の次郎吉や、床店《とこみせ》同様の白雲堂が、自分の家に隠しておくことはむずかしい。彼等のほかに共謀者が無ければならない。迂濶に騒ぎ立てては、その共謀者を取り逃がすばかりか、玉太郎の身に禍いするような事が出来《しゅったい》しないとも限らない。もう少し探索の歩みを進めて、かれらが犯罪の筋道を明らかにする必要があると半七は思った。
「じゃあ差しあたりは二人に頼んでおく。庄太は近所の次郎吉と白雲堂に気をつけてくれ。弥助の受け持ちは根岸の魚八だ。その魚屋にどんな奴らが出這入りをするか油断なく見張ってくれ」
めいめいの役割を決めて、半七は一旦ここを引き揚げた。帰り途に外神田へさしかかって、菊園の前を通り過ぎながら、横眼に店をちらりと覗くと、番頭の姿はそこには見えなかった。あずま屋の暖簾《のれん》をかけた隣りの菓子屋には、ひとりの女が腰をかけて、店の者と話している。それが菊園の乳母のお福らしいので、半七は立ち止まって遠目に窺っていると、女はやがて店を出て、足早に隣りの露路にはいった。その顔の色は蒼ざめていた。
それと入れかわって、半七はあずま屋へはいった。要りもしない菓子を少しばかり買って、彼は店の者に訊いた。
「今ここにいたのは菊園のお乳母《んば》さんかえ」
「そうです」
「菊園の子供はさらわれたと云うじゃあねえか」
この時、三十五六の女房が奥から出て来た。彼女は半七に会釈しながらすぐに話した。
「おまえさん、お隣りのことをもう御存じなのですか」
「そんな噂をちょいと聞きましたよ」と、半七は店に腰をおろした。「その子供はまだ帰って来ないのかね」
「いまもお乳母さんが来ましたが、まだ知れないそうで……。わたくし共も一緒だけに、なんだか係り合いで……」
「じゃあ、おかみさんも一緒だったのかえ」と、半七は空とぼけて訊いた。
「ええ。それだけに余計お気の毒で……。いまだに帰って来ないのを見ると、大かた攫われたのでしょうね。玉ちゃんは色の白い、女の子のような綺麗な子ですから、悪い奴に魅《み》こまれたのかも知れません」
「それで、ちっとも手がかりは無いのかね」
「それに就いて、こんな話を聞いたのですが……」と、女房は往来を窺いながら声を低めた。「きのうの八ツ半(午後三時)頃に、玉ちゃんが池《いけ》の端《はた》を歩いているのを見た人があるそうで……。一人じゃあない、カンカラ太鼓を売る人と一緒に歩いていたのが、どうも菊園の玉ちゃんらしかったと云うのです。八ツ半頃というと、天神さまの御境内でみんなが玉ちゃんを探していた頃ですから、それがやっぱり玉ちゃんだろうと思うのですが……」
「お乳母さんにそれを話したのかえ……」
「話しました。それでもお乳母さんはまだ疑うような顔をして、首をかしげていました。家《うち》の玉ちゃんは識らない大道商人《だいどうあきんど》のあとへ付いて行くような筈は無いと云うのです。そう云っても、子供のことですからねえ」
自分の報告を菊園の乳母が信用しないと云って、不平らしく話した。
「あの乳母さん、小粋な人だが、色男でもあるのかね」と、半七は冗談らしく訊いた。
「そんなことは無いでしょう。堅い人ですから……」と、女房は打ち消すように云った。「玉ちゃんが見えなくなったので、御飯も食べないくらいに心配しているのです。あの人はまったく忠義者ですからねえ」
誰に訊いてもお福の評判がいいので、半七はすこし迷った。それにしても玉太郎らしい男の児が太鼓売りと一緒に歩いていたと云うのは、一つの手がかりである。半七はいい加減に挨拶して、菓子屋の店を出た。
十年ほど前から、誰が考え出したか知らないが、江戸には河豚《ふぐ》太鼓がはやった。素焼の茶碗のような泥鉢の一方に河豚の皮を張った物で、竹を割った細い撥《ばち》で叩くと、カンカラというような音がするので、俗にカンカラ太鼓とも云った。もとより子供の手遊びに過ぎないもので、普通の太鼓よりも遙かに値が廉《やす》いので流行り出したのである。誘拐者はこの河豚太鼓を餌《えさ》にして、七つの子供を釣り出したのであろうと、半七は想像した。
お福の亭主の次郎吉は風車売りになっていると云うから、あるいは河豚太鼓なども売っているかも知れない。自分が売らなくとも、それを売る大道商人などと懇意にしているかも知れない。そんなことを考えながら、半七は三河町の我が家へ帰った。帰るとすぐに、かの橙を袂から取り出して、けさの落とし文と照らし合わせてみると、龍の字はたしかに同筆であった。
「はは、馬鹿な奴め。自分で陥し穽《あな》を掘っていやあがる」
四
そのあくる朝は晴れていたが、二月とは思われないような寒い風が吹いた。
「どうも悪い陽気だ。この春は雨が降らねえからいけねえ」
そんなことを云いながら、半七は顔を洗っていると、菊園の番頭要助が早朝からたずねて来た。
「毎度お邪魔をいたして相済みませんが、実は親分さんのお耳に入れて置きたい事がございまして……」
「なにか又、出来《しゅったい》しましたかえ」
「乳母のお福がゆうべから戻りません。日暮れから姿が見えなくなりまして、どこへ行ったか判りませんので……」
「これまでに家《うち》を明けたことはありますかえ」
「いえ、あしかけ七年のあいだに、唯の一度も夜泊まりなどを致したことはございません。時が時でございますから、主人も心配いたしまして、もしや申し訳が無いなどと短気を起こしたのではあるまいかと……。お福ひとりではなく、若いおかみさんや近所の人達も一緒にいたのですから、たとい子供が見えなくなりましても、自分ばかりの落度《おちど》というのでも無いのですが、当人はひどく苦に病んで、きのうは碌々に飯も食わないような始末でしたから、もしや思い詰めて何かの間違いでも……。実は若いおかみさんも少し取りのぼせたような気味で、お福に万一の事があれば、お福ひとりは殺さない、自分も申し訳のために一緒に死ぬなどと申して居りますので、いよいよ心配が重なりまして……。何分お察しを願います」
溜め息まじりに訴える番頭の顔を、半七は気の毒そうに眺めた。
「まったくお察し申します。そこで、わたしの調べたところじゃあ、お福の先《せん》の亭主は次郎吉という男で、今は浅草の聖天下《しょうでんした》にくすぶっているのだが、お福は時々そこへたずねて行くようなことはありませんかえ」
それに対して、要助はこう答えた。お福は正直に勤める女といい、その宿も遠くない根岸にあるので、月に一度くらいは実家へ立ち寄ることを許してある。もちろん半日ぐらいで帰って来る。玉太郎はお福によく馴染んでいるので、宿へ行くときにも必ず一緒に連れて出る。そのほかには殆ど外出したことは無いから、恐らく浅草の先夫をたずねたことはあるまいと云うのである。
「坊やはお福によく馴染んでいるのですね」と、半七はまた訊《き》いた。
「生みの親よりも乳母を慕って居ります。お福の方でも我が子のように可愛がって居りました。それがこんな事になりましたので、お福もやっぱり取りのぼせたのかと思われます」
「根岸の宿へも聞き合わせましたか」
「夜が明けないうちに使を出しましたが、ゆうべから根岸へは一度も姿をみせないと申しますので、なおさら心配いたして居りますような訳でございます」
「このごろ子供のおもちゃに河豚の太鼓がはやりますね。カンカラ太鼓とか云うようだが……。お店の坊やはそんな物を玩具《おもちゃ》にしますかえ」と、半七は何げなく訊いた。
玉太郎も河豚太鼓を持っていると、要助は答えた。先月お福と一緒に根岸へ行った時に、その太鼓を持って帰った。買ったのではない、貰って来たのである。お福の宿の魚八では、近ごろ店の商売が思わしくないので、女房と息子は商売の片手間《かたてま》に河豚の皮を干している。最初はその皮を売るだけであったが、それでは儲けが薄いというので、この頃は泥鉢の胴を仕入れて来て、自分の家で太鼓を張っている。もとより子供の玩具であるから、河豚の皮さえあれば誰にでも出来るらしい。玉太郎はそれを土産に貰って来たのである。
「魚八ではその太鼓を商売《あきんど》に卸《おろ》すのですかえ。それとも息子が売りに出るのですかえ」
「さあ、それはどうでしょうか」と、要助も首をかしげていた。
「いや、大抵はわかりました。お乳母さんの事もまあ心配することは無いでしょう。それからもう一つ訊きたいのは、そのお福は占《うらな》いに見て貰うとか、お神籤《みくじ》を頂くとか、そんな事をしますかえ」
「はい。子どもには死に別れ、亭主には生き別れ、とかくに運の悪い女でございますので、自然と占いやお神籤を信仰するようになりましたようで、時々にそんな話をして居ります」
河豚太鼓、白雲堂、それらの糸の繋がりがだんだんに判って来たように思われたが、まだ迂濶なことは云われないので、半七はいい加減に挨拶して番頭を帰した。あずま屋の女房の話は本当で、その太鼓売りは魚八のせがれの佐吉か、或いはその友達であろう。又はかの次郎吉であるかも知れない。いずれにしても、佐吉らは乳母のお福と云い合わせて、玉太郎をかどわかしたものと認められる。お福はなぜ家出をしたか、その仔細はちょっとわかり兼ねるが、この一件に係り合っている以上、主人や番頭が心配しているような事はあるまい。彼女は恐らく無事で、どこにか身をかくしているに相違ない。
こうなると、根岸の方も弥助ひとりには任せて置かれないように思われたので、半七もすぐに家を出た。寒い風はいよいよ吹き募《つの》って、江戸の町の砂はひどい。北へむかってゆく半七は、上野の広小路あたりで幾たびか顔をおおって立ちすくんだ。
根岸も此の頃はだんだんに繁昌して来たという噂であるが、来て見るとやはりさびれていた。むかしの寮を取り毀したあとは、今も空地《あきち》になっているのが多かった。これでは居付きの商人《あきんど》もやりきれまいと思いながら、魚八の店をさがして行くと、不動堂に近い百姓家の前で弥助に出逢った。彼は半七を見て急ぎ足に寄って来た。
「ひどい風ですね」
「どうも仕様がねえ」
二人は風をよけながら、路ばたの大きな榎のかげにはいった。その木の下には細い溝川《どぶがわ》が流れていた。
「早速だが、魚八じゃあ河豚太鼓をこしらえているか」
「拵えています」と、弥助は答えた。「商売が閑《ひま》なものだから、せがれの佐吉は片商売に叩いて歩いているそうです」
「ともかくも魚八へ行ってみよう」
「魚八には誰もいませんよ。親父も伜も出払って、店にいるのは女房ばかりです」
「女房はどんな女だ」
「お政という四十五六の女で、見たところは悪気のなさそうな人間です。親父も伜も近所の評判は悪くないようです」
そんなことを話しながら、二人は流れに沿うて小半町ほども歩いて行くと、その流れを前にして三、四軒の小あきんど店がならんでいた。その二軒目が魚八で、さびれながらも相当に広い店さきには竹の簀子《すのこ》のようなものをならべて、河豚の皮が寒そうにさらしてあった。店には誰もいないので、弥助は奥をのぞきながら声をかけた。
「もし、誰かいねえかね」
「はい、はい」
よごれた鯉口《こいぐち》を着た四十五六の女が奥から出て来たので、半七はずっとはいって直ぐに話しかけた。
「お前さんはここのおかみさんですね。わたしは明神下の菊園へ出入りの者で、番頭さんから頼まれて来たのだが、けさも店の方から使が来たでしょう」
「はい」と、女房は不安らしく答えた。
「お福さんはまったくここへ来なかったのかえ」と、半七は訊いた。「お前さんも知っているだろうが、菊園の店にもいろいろの取り込みがある。その最中にお乳母さんがまた見えなくなっちゃあ実に困る。それで、わたし達も方々を探しているのだが、お前さんの方にはなんにも心あたりはありませんかね」
「御心配をかけまして相済みません。けさもお店からお使がございましたので、親父も伜もびっくり致しまして、取りあえず手分けをして探しに出ましたが、まだ帰って参りません」
言葉少なに挨拶しながらも、困惑の色が女房の顔にありありと浮かんでいた。何事も承知の上でシラを切っているのか、まったく何事も知らないのか、半七にも容易にその判断が付かなかった。
「どうも困ったな」と、半七はわざとらしく溜め息をついた。
「ほんとうに困ったことでございます」と、女房も溜め息をついた。「娘は気の小さな正直者でございますから、玉ちゃんが見えなくなったのを苦に病んで、皆さんに申し訳がないと思って、どこへか姿を隠したのか、それとも淵川《ふちがわ》へでも身を投げたのかと、親父も心配して居ります」
「じゃあ、仕方がない。また出直して来ましょう」
「御苦労さまでございます」
「河豚がたいそう干してありますね」と、半七は店を出ながら云った。
「はい。太鼓の皮に張りますので……」
「ここの息子も太鼓を売りに出るのかえ」
「はい。店の方が思わしくございませんので、まあ小遣い取りに出て居ります」
「菊園の子供は河豚の太鼓を売る奴にさらわれたという噂だが……」
「まあ、本当でございますか」と、女房は眼をみはった。
「ここの息子が連れて行ったのじゃあねえかえ」と、半七は冗談らしく云った。
「飛んでもない……。うちの佐吉がどうしてそんな事を……。佐吉が万一そんな事をしましたら、親父が承知しません。わたくしも承知しません。あいつの首へ縄をつけて、菊園のお店へ引き摺って行きます。おまえさんは一体どこの人からそんな噂を聞いたのです」
激しい権幕《けんまく》で食ってかかられて、半七も少し困った。
「いや、噂も何もない。冗談だ、冗談だ。本気になって怒っちゃあいけねえ」
笑いにまぎらせて、半七はそこを出ると、弥助もつづいて出た。
「あの嬶《かかあ》、むやみに怒りましたね」
「むむ。あの嬶、まったく正直で怒るのかどうだか。そこがまだ判らねえ」と、半七はかんがえながら云った。
「これからどうします」
「浅草へ行こう」
二人は寒い風のなかを又あるき出した。根岸から坂本の通りへ出ると、急ぎ足の庄太に出逢った。庄太は神田の家《うち》へゆくと、半七はもう根岸へ出向いたというので、更にそのあとを追って来たのであった。
「親分。ひと騒動始まりましたよ」
「どうした。なにが始まった」
「白雲堂が死にました」
「どうして死んだ」
「河豚を食って」
「河豚……」
半七と弥助は顔をみあわせた。魚八の店に干してあった河豚の皮が二人の眼さきに浮かんだ。
五
太鼓に張るのは河豚の皮だけで、その肉はどうするか判らなかったが、むなしく捨ててしまうばかりでもあるまい、命がけで食う者に廉《やす》く売るのかも知れない。玉太郎の一件に係り合いのある白雲堂が河豚で死んだとあれば、その河豚は魚八の店から出たのではあるまいか。廉く買ったか、貰ったか、その河豚に祟られて彼は身を滅ぼしたのではあるまいか。
そうなると、白雲堂と魚八とは何かの関係が無ければならない。正直そうに見えた魚八の女房も当てにはならないで、やはりこの一件に係り合いがあるのか。そんなことを考えながら、半七は二人と共に浅草へ急いだ。
馬道の白雲堂の店は、けさに限っていつまでも戸を明けないので、両隣りの者が不審をいだいて表の戸を叩いたが、内にはなんの返事もないので、いよいよ不審が重なって、裏口の雨戸をこじ明けてはいると、売卜者《はっけみ》の白雲堂幸斎は台所に倒れて死んでいた。彼は水を飲もうとして台所まで這い出して、そこで息が絶えてしまったらしく、その肌の色は赤味を帯びた紫にかわっている。それが明らかに変死の姿であると判って、近所の人々はおどろいた。家主《いえぬし》や町《ちょう》役人も立ち会いの上で型のごとくに訴え出た。
やがて検視の役人も出張ったが、医者の診断や家内の状況によって、幸斎の死は河豚の中毒と判った。河豚で死ぬのは珍らしくない。それが他殺でない以上、検視は至極簡単に片付いた。半七らが行き着いた頃には、役人らはもう引き揚げて、白雲堂には近所の人達がごたごたしているばかりであった。幸斎はひとり者であるから、近所の者が寄り合って葬式《とむらい》を営むのほかは無かった。
半七は家主に逢って、売卜者のふだんの行状などに就いて問い合わせたが、庄太からきのう聞いた通りで、別に怪しいような節《ふし》もなかった。隣りの古道具屋の亭主の話によると、幸斎はきのうの午《ひる》過ぎから店をしめて出たとの事であった。
「そうして、いつごろ帰って来た」と、半七は訊いた。「どこへ行ったとも云わなかったか」
「出るときには、ちょいと出て来るから頼むと云いましたが、別にどこへ行くという話もありませんでした」と、亭主は答えた。「日が暮れてから帰って来て、それから一時《いっとき》ほども経つと、ひとりの女が来たようでした」
「どんな女が来た……」
「頭巾《ずきん》をかぶって居りましたので……」
商売が商売であるから、白雲堂へは占いを頼みに来る男や女が毎日出入りをする。殊に女の客が多い。したがって、隣りの古道具屋でも出入りの客について一々注意していないのであった。暗い宵ではあり、女は頭巾を深くかぶっていたので、その人相も年頃もまったく知らないと、亭主は云った。それも無理のない事だとは思ったが、ゆうべたずねて来た女があると云うのが半七の気にかかったので、彼はかさねて訊《き》いた。
「それから、その女はどうした」
「さあ、なにぶん気をつけて居りませんので、確かには申し上げられませんが、小さい声で何か暫く話して居りまして、それから帰ったようでございました」
「どっちの方角へ帰った……」
「それはどうも判りませんので……」
「白雲堂はどうした」
「幸斎さんはそれから間もなく出たようでしたが、それっきり帰って参りません。そのうちに四ツ(午後十時)になりましたので、わたくしの店では戸を閉めましたが、それから少し経って帰って来たようで、戸をあける音がきこえました。わたくし共でもみんな寝てしまいましたので、それから先のことは一向に存じません」
「その女と一緒に帰って来た様子はねえか」
「さあ、それも判りませんので……」
まったく知らないのか、或いはなにかの係り合いを恐れるのか、亭主はとかく曖昧に言葉を濁しているので、それ以上の詮議も出来なかった。この時、だしぬけに頭の上で猫の啼き声がきこえたので、半七は思わず見あげると、猫は普通の三毛猫で、北から吹く風にさからいながら、白雲堂の屋根の庇《ひさし》を渡って通り過ぎた。
その猫のゆくえを見送っているうちに、ふと眼についたのは白雲堂の二階である。床店同様ではあるが、ともかくも小さい二階があるので、万一そこに玉太郎を隠してあるかも知れないと思い付いて、半七はすぐに家主に訊いた。
「お家主に伺いますが、検視のお役人衆は二階をあらためましたか」
「いえ、別に……」
河豚の中毒と判っては、家探しなどをする筈もない。検視の役人らは早々に立ち去ったのであろう。家主に一応ことわった上で、半七は庄太を先に立てて二階へあがろうとすると、そこには梯子《はしご》がなかった。ここらの小さい家では梯子段を取り付けてあるのではなく、普通の梯子をかけて昇り降りをするのであるが、その梯子をはずしてあるので、上と下との通路が絶えている。二人はそこらを見まわしたが、どこにも梯子らしい物は見付からなかった。
「おかしいな」と、半七は訊いた。「なんで梯子を引いたのだろう」
「変ですね。なんとかして登りましょう」
庄太は二階の下にある押入れの棚を足がかりにして、柱を伝《つた》って登って行った。半七もつづいて登ってゆくと、二階は狭い三畳ひと間で、殆ど物置も同様であったが、それでも唐紙《からかみ》のぼろぼろに破れた一間の押入れが付いていた。隠れ家はこの押入れのほかに無い。半七に眼配《めくば》せをされて、庄太はその唐紙を明けようとすると、建て付けが悪いので軋《きし》んでいる。力任せにこじ明けると、唐紙は溝をはずれてばたりと倒れた。それと同時に、二人は口のうちであっと叫んだ。
押入れの上の棚には、古びた湿《しめ》っぽい寝道具が押し込んであったが、棚の下には一人の女がころげていた。女は二十五六の年増で、引窓の綱らしい古い麻縄で手足を厳重に縛《くく》られて、口には古手拭を固く捻じ込まれていた。帯は解かれて、そのそばに引ん丸められ、肌もあらわに横たわっている姿は、死んでいるか生きているか判らなかった。彼女は丸髷を掻きむしったように振り乱して、真っ蒼な顔の両眼を瞑じていた。
半七はこの鼻に手を当ててみた。
「息はある。早く解いてやれ」
庄太は手足の縄を解き、口の手拭をはずしてやったが、女はやはり半死半生で身動きもしなかった。
二階から半七に声をかけられて、下にあつまっている人達も俄かに騒ぎ立った。なにしろ梯子がなくては困ると、あわてて家内を探しまわると、台所の隅に立てかけてあるのが見付け出された。
梯子をかけて、女をかかえおろして、ひと先ずそれを自身番へ送り込ませた後に、半七は更に二階の押入れをあらためると、丸められた帯のそばに小さい風呂敷包みがある。あけて見ると、菓子の袋と小さい河豚太鼓があらわれた。
二階の庇《ひさし》では猫の啼く声が又きこえた。
「お話も先ずここらでしょうかね」と、半七老人はひと息ついた。
白雲堂の二階で発見された女が菊園の乳母であることは私にも想像されたが、そのほかの事はなんにも判らなかった。誰が善か、誰が悪か、それさえもまだ見当が付かないので、わたしは黙って相手の顔をながめていると、老人は又しずかに話し出した。
「これが初めにお話し申した疱瘡の一件ですよ」
「疱瘡……。植疱瘡ですか」
「そうです。前にも云う通り、江戸では安政六年から種痘所というものが出来て、植疱瘡を始めました。このお話の文久二年はそれから足掛け四年目で、最初は不安心に思っていた人達も、それからそれへと聞き伝えて、物は試《ため》しだから植えてみようと云うのがぽつぽつ出て来ました。その頃にはまだ文明開化なんて言葉はありませんでしたが、まあ早く開化したような人間が種痘所に通うようになったんです。菊園の若主人夫婦は別に開化の人間でもなかったようですが、なんにしても子供が可愛い。玉太郎という児がその名の通り、玉のような綺麗な児で、七つになるまで本当の疱瘡をしない。そこへ植疱瘡の噂を聞いたので、用心のために植えさせようと云うことになりました。
老人夫婦は最初不承知であったらしいんですが、もし本当の疱瘡をすれば、玉のような顔が鬼瓦のように化けるかも知れない。それを思うと、あくまでも反対するわけにも行かないので、つまりは孫が可愛さから、まあ渋々ながら同意することになったんです。若主人夫婦も植疱瘡をたしかに信用しているわけでも無いんですが、いけないにしても元々だぐらいの料簡で、半信半疑ながらもともかくも植えさせることにして、近いうちに玉太郎を種痘所へ連れて行く……。さあ、それが事件の発端《ほったん》です。と云うのは、この植疱瘡については、乳母のお福が大反対で、牛の疱瘡を植えれば牛になると信じている。大事の坊ちゃんに牛の疱瘡などを植えられては大変だというので、ずいぶん手強く反対したらしいんですが、しょせん主人には勝てない。といって、どうしても坊ちゃんに植疱瘡をさせる気にはなれない。そこで、まず相談に行ったのが浅草馬道の白雲堂です。相談じゃあない、占いを見て貰いに行ったんです」
「白雲堂は前から識っていたんですか」
「お福はお神籤《みくじ》とか占いとかいうものを信じる質《たち》で、田町の次郎吉の家《うち》へ縁付いている間にも、観音さまへ行ってお神籤を取ったり、白雲堂へ寄って占ったりしていたので、前々からお馴染であったんです。今度もその白雲堂へ駈けつけて、植疱瘡の一件を占ってもらうと、幸斎という奴が仔細らしく筮竹《ぜいちく》をひねって、これは正《まさ》にいけない。この植疱瘡をすれば、牛になるの、ならないの論ではない。主人の子供は七日のうちに命を失うに決まっていると云う。そうでなくても不安心でいるところへ、こんな判断を聞かされて、お福は真っ蒼になってしまいました。
それではどうしたらよかろうと相談すると、差しあたりは本人の玉太郎をどこへか隠すよりほかは無い。そのうちには自然の邪魔がはいって、植疱瘡もお流れ……。無期延期になるに相違ないと教えられたので、お福もとうとう其の気になったんです。女の浅はかとひと口に云ってしまえばそれ迄ですが、お福としては一生懸命、先代萩の政岡といったような料簡で、忠義|一途《いちず》に坊ちゃんを守護しようと決心したんですから、今の人が笑うようなものじゃあありません。考えてみれば、可哀そうでもあります」
「根岸の親たちも味方なんですか」
「白雲堂に知恵をつけられて、その後で根岸へまわって、その一件を打ち明けると、魚八の夫婦も無論にむかし者で、やはり植疱瘡なぞには反対の組です。おまけに白雲堂から嚇かされたので、この夫婦も娘に同意して、大事の坊ちゃんを隠すことになりました。そこで、万事打ち合わせの上で、湯島の天神参詣の時を待って、玉太郎を連れ出すという段取りになったので……。その役目は弟の佐吉が勤めたんですが、都合のいいことには玉太郎はお福によく懐《なつ》いていて、乳母の云うことは何でも肯《き》くので、素直に佐吉に連れられて行ったんです。
しかし根岸の家に隠して置くのは剣呑《けんのん》で、菊園の追っ手に探し出される虞《おそ》れがあるので、すぐに玉太郎を白雲堂へ連れ込みました。当分はその二階に預けて置く約束になっていたからです。佐吉はその役目を無事に勤めおおせて、夜ふけにそっと姉のところへ知らせに行くと、菊園の番頭がわたくしの家へ探索を頼みに出たという話を聞かされて、なんだか不安心にもなったので、あとから様子を窺いに来たんです。佐吉も小利口ではあるが、年も若いし、これも悪い人間じゃあないんですから、岡っ引なぞに探索されては気味が悪い。あくる朝の早天に白雲堂へ駈け込んで、どうしたらよかろうと相談すると、幸斎の奴が又もや知恵を授けて、かの『武士の誓言』の手紙をかいて渡したのが仕損じで、さもなければ橙の龍の字もわたくしの眼には付かなかったんですが……」
玉太郎誘拐の筋道はこれで判ったが、それから先の事情はいっさい不明である。それに就いて老人は更に説明した。
「魚八の一家はみんな悪い人間じゃあないが、白雲堂の売卜者《はっけみ》はよくない奴です。なにしろ当人が死んでしまったので、はっきりした事は判りませんが、菊園の子供を誘い出させたのは、何かの企らみがあったに相違ありません。心柄とは云いながら、可哀そうなのは乳母のお福で、可愛い坊ちゃんを連れ出させたものの、どうも気になってたまらない。今頃はどうしているかと案じられてならない。明くる日は一日ぼんやりしていたんですが、とうとう我慢が出来なくなって、日の暮れるのを待って根岸の家へ出て行くと、白雲堂がたった今帰ったというところでした。
白雲堂は玉太郎を自分の家へ隠まって置くのはあぶないから、更に又ほかの家へ預けようかと云っていたという話を聞かされて、お福はいよいよ不安心になって、すぐに浅草へ廻ったんですが、その時に根岸の家で河豚太鼓を貰い、雷門で菓子を買って、坊ちゃんのおみやげに持って行った……。よくよく坊ちゃんが可愛かったと見えます。
さてそれからが災難で、お福が白雲堂へたずねて行くと、実はもう玉太郎はほかへ預けたというんです。それじゃあ其処へ連れて行ってくれと云うと、一緒に出ては近所の眼に付くからと、ひと足さきへお福を出して置いて、自分もあとから出て来た。そうして、連れ込んだ先は山家《さんや》の勝次郎という奴の家です。勝次郎はよし原の妓夫《ぎゆう》で、夜は家にいない。六十幾つになる半聾のおふくろ一人が留守番をしている。その二階へ引っ張りあげて、白雲堂はそろそろ嚇し文句をならべ始めました。
誘拐は重罪であるが、主人の子供をかどわかすのは、その罪がいよいよ重い。おまえは勿論だが、グルになって悪事を働いた親達も弟も死罪を免かれないから覚悟しろと、まあこう云って嚇し文句をならべ立てて、お福の持っている巾着銭《きんちゃくぜに》をまき上げたばかりか、無理無体にお福を手籠めにしてしまったんです。それから又、お福を引き摺るようにして馬道の家へ帰ったんですが、お福は驚いたのか恐ろしいのか、もう半分は死んだようになって、逃げることも出来ず、声を出すことも出来ず、そのままぼんやりと連れられて来ると、幸斎はその手足を縛って、口へは手拭を捻じ込んで、二階の押入れのなかへ抛《ほう》り込んで置いて、下から梯子を引いてしまった。五十を越していながら、ひどい奴です。
幸斎はそれから茶の間に坐り込んで、ふぐ鍋で一杯飲み始めました。その河豚は魚八から貰って来たもので、これから一杯飲もうとする処へお福がたずねて来たので、その儘になっていたんです。これで幸斎が無事ならば、お福は又どんな目に逢ったか知れなかったんですが、幸斎は一旦酔って寝てしまったらしい。それが夜なかに眼を醒ますと、いわゆる鉄砲の中毒、ふぐの祟りで苦しみ死にをしたのは、天罰|贖面《てきめん》とでも云うのでしょう」
「玉太郎はどこに隠してあったんです」
「白雲堂が死んでしまったので、手がかりがありません。山谷の勝次郎は、白雲堂と知り合いではあるが、この一件に就いてはなんにも知らないと云う。そうなると、次郎吉を調べるのほかは無いので、庄太に案内させて聖天下《しょうでんした》へ出かけて行く途中、二十七八の垢抜けのした女に逢いました。丁度にそこへ河豚太鼓を売る商人《あきんど》が通りかかると、女は呼びとめて小さい太鼓を一つ買ったんです。唯それだけなら不思議もないんですが、時が時だけに、その太鼓がなんだか気になるので、尾《つ》けるとも無しに其のあとに付いて行くと、女もおなじ方角にむかって聖天下の裏長屋へはいる。はてなと思って見ていると、それがまた次郎吉の家へはいる。いよいよおかしいと、露路の外から窺っていると、次郎吉は留守で、女はそのまま引っ返して行く。近所の者に訊《き》くと、あれが時々に次郎吉をたずねて来る女だということが判りました。
今まではお福だとばかり思っていたんですが、それが別の女だと知れて、わたくしも少し案外に思ったんです。そこで、見え隠れに又その後を尾けて行くと、女は今戸橋を渡って、八幡さまの先を曲がって、称福寺という寺の近所の小じんまりした二階家へはいる。隣りの家で訊いてみると、元はよし原に勤めていたお京という女で、年明《ねんあ》きの後に槌屋という質屋の隠居の世話になって、囲い者のように暮らしているんです。それからはいって行って調べました。
お京が奥から出て来ると、わたくしはその顔を見るや否や、いきなりに『菊園の玉太郎を連れに来たから、すぐに出せ』と云うと、女は顔の色をちょっと変えましたが、そんな者は居りませんと云う。わたくしは畳みかけて『なに、居ないことがあるものか、誰にやるつもりでカンカラ太鼓を買ったのだ』と一本参ると、さすがは女で、もう行き詰まってぐうの音《ね》も出ません、こっちは透かさず高飛車に出て『さあ、さあ、案内しろ』と、お京を追い立てて二階へあがると、果たして玉太郎が見付かりました」
「では、そのお京という女も共謀なんですか」
「まあ、共謀といえば共謀です。お京と次郎吉はよし原にいた時からの馴染で、槌屋の隠居の世話になっていながらも、内証で次郎吉を引っ張り込んでいたんです。次郎吉の家は裏長屋で、近所の口がうるさいので、お京の方からは滅多にたずねて行かない、いつも自分の方へ呼んでいる。次郎吉はだらしのない怠け者ですが、人間が小粋に出来ているので、まあ色男になっていたわけです。勿論、白雲堂とも前から識っていました。
白雲堂も一旦は玉太郎を自分の家へ引き取ったが、何分にも家は狭い、隣りは近い。自分はひとり者で子供の世話にも困る。おまけに菊園では岡っ引に探索を頼んだという話を聞いて、なおさら自分の家に置くのは不安だと思って、次郎吉に相談してひと先ず玉太郎をお京の二階に預けることにしました。次郎吉は自分とお京との秘密を白雲堂に知られている弱味があるのと、元来が考え無しの人間ですから、うかうかと引き受けてしまったので、お京と次郎吉には別に悪い料簡もなかったようです。
お京も男にたのまれて、玉太郎をあずかっては見たものの、子供のことですから家《うち》を恋しがって泣きはじめる。その始末に困って次郎吉のところへ相談に行く途中、泣く児をあやす為に河豚太鼓を買った。それが私たちの眼について、あとを尾《つ》けられることになったんです。お京が太鼓を買わなければ、私たちもうっかり見逃がしてしまうところでした」
「お福と次郎吉とは無関係なんですか」
「相変らず縁が繋がっているように思ったのは、わたくしの見込み違いで、お福とお京とを間違っていたんです。こういう勘違いでやり損じることがしばしばありますから、早呑み込みは出来ません。しかしこの一件に次郎吉が絡《から》んでいたというのも、自然の因縁でしょう。いや、自然といえば、白雲堂の屋根で猫が啼かなければ、二階を見上げない。二階を見なければ、あがって見る気にもならない。勿論、猫になんの料簡があったわけでも無いでしょうが、そういうことから自然に手がかりを得る例もたびたびあります。探索も自分の頭の働きばかりでなく、自然に何かに導かれて、思いもよらない掘り出し物をしないとも限りません。考えると、不思議なものですよ」
「お福はどうなりました」
「お福は手当てをして主人に預けられました。こんな騒ぎを仕出来《しでか》したんですが、何分にも女のことであり、もともと悪気では無し、つまりは忠義から起こったような事ですから、主人からの嘆願もあり、かたがた叱り置くというだけで無事に済みました。しかし世間や近所の手前、そのまま菊園に奉公しているわけにも行かないので、暇を取って根岸の実家へ帰りました。
白雲堂が河豚で死ななかったら、お福はどんなことになったか判りません。魚八でも白雲堂を殺すつもりで河豚をやったのでは無いんですが、それが自然に相手を殺して、娘の難儀を救うようになったというのは、なんだか小説にでもありそうな話です。
菊園の玉太郎はその後に植疱瘡することになったそうです。お福は根岸へ帰ってから何処へも再縁せずに、家の手伝いなぞをしていましたが、上野の彰義隊の戦争のときに、流れ弾《だま》にあたって死んだそうで、どこまでも運の悪い女でした」
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幽霊の観世物《みせもの》
一
七月七日、梅雨《つゆ》あがりの暑い宵であったと記憶している。そのころ私は銀座の新聞社に勤めていたので、社から帰る途中、銀座の地蔵の縁日をひやかして歩いた。電車のまだ開通しない時代であるから、尾張町の横町から三十間堀の河岸《かし》へかけて、いろいろの露店がならんでいた。河岸の方には観世物小屋と植木屋が多かった。
観世物は剣舞、大蛇《だいじゃ》、ろくろ首のたぐいである。私はおびただしい人出のなかを揉まれながら、今や河岸通りの観世物小屋の前へ出て、ろくろ首の娘の看板をうっとりと眺めていると、黙って私の肩をたたく人がある、振り返ると、半七老人がにやにや笑いながら立っていた。洋服を着た若い者が、口をあいてろくろ首の看板をながめているなどは、余りいい図ではないに相違ない。飛んだところを老人に見つけられて、私は少々赤面したような気味で、あわてて挨拶した。老人は京橋辺の知人のところへ中元の礼に行った帰り路だとか云うことで、ふた言三言立ち話をして別れた。
それから四、五日の後、わたしも老人を赤坂の宅へ中元の礼ながらにたずねてゆくと、銀座の縁日の話から観世物の噂が出た。ろくろ首の話も出た。
「世の中がひらけて来たと云っても、観世物の種はあんまり変らないようですね」と、老人は云った。「ろくろ首の観世物なんぞは、江戸時代からの残り物ですが、今に廃《すた》らないのも不思議です。いつかもお話し申したことがありますが、氷川《ひかわ》のかむろ蛇の観世物、その正体を洗えば大抵そんな物なんですが、つまりは人間の好奇心とか云うのでしょうか、だまされると知りながら木戸銭を払うことになる。そこが香具師《やし》や因果物師の付け目でしょうね。観世物の種類もいろいろありますが、江戸時代にはお化けの観世物、幽霊の観世物なぞというのが時々に流行りました。
お化けと云っても、幽霊と云っても、まあ似たようなものですが、ほかの観世物のようにお化けや幽霊の人形がそこに飾ってあるという訳ではなく、まず木戸銭を払って小屋へはいると、暗い狭い入口がある。それをはいると、やはり薄暗い狭い路があって、その路を右へ左へ廻って裏木戸の出口へ行き着くことになるんですが、その間にいろいろの凄い仕掛けが出来ている。柳の下に血だらけの女の幽霊が立っているかと思うと、竹藪の中から男の幽霊が半身を現わしている。小さい川を渡ろうとすると、川の中には蛇がいっぱいにうようよと這っている。そこらに鬼火のような焼酎火が燃えている。なにしろ路が狭く出来ているので、その幽霊と摺れ合って通らなければならない。路のまん中にも大きい蝦蟇《がま》が這い出していたり、人間の生首《なまくび》がころげていたりして、忌《いや》でもそれを跨いで通らなければならない。拵え物と知っていても、あんまり心持のいい物ではありません。
ところが、前にも申す通り、好奇心と云うのか、怖いもの見たさと云うのか、こういうたぐいの観世物はなかなか繁昌したものです。もう一つには、こういう観世物は大抵景品付きです。無事に裏木戸まで通り抜けたものには、景品として浴衣地《ゆかたじ》一反をくれるとか、手拭二本をくれるとか云うことになっているので、慾が手伝ってはいる者も少なくないんです」
「通り抜ければ、ほんとうに浴衣や手拭を呉れるんですか」と、わたしは訊《き》いた。
「そりゃあ呉れるには呉れます」と、老人は笑いながらうなずいた。「いくら江戸時代の観世物だって、遣ると云った以上はやらないわけには行きません。そんな与太を飛ばせば、小屋を打ち毀されます。しかし大抵の者は無事に裏木戸まで通り抜けることが出来ないで、途中から引っ返してしまうようになっているのです。と云うのは、初めのうちはさほどでもないが、いよいよ出口へ近いところへ行くと、ひどく気味の悪いのに出っくわすので、もう堪まらなくなって逃げ出すことになる。おれは無事に通って反物を貰ったなぞと云い触らすのは、興行師の方の廻し者が多かったようです。そのうわさに釣られて、おれこそはという意気込みで押し掛けて行くと、やっぱり途中でキャアと叫んで逃げて来る。つまりは馬鹿にされながら金を取られるような訳ですが、前にも云う通り、怖い物見たさと慾とが手伝うのだから仕方がない。
その幽霊の観世物について、こんなお話があります。一体こういう観世物は夏から秋にかけて興行するのが習いで、冬の寒いときに幽霊の観世物なぞは無かったようです。芝居でも怪談の狂言は夏か秋に決まっていました。そこでこのお話も安政元年の七月末――いつぞや『正雪の絵馬』というお話をしたでしょう。淀橋の水車小屋が爆発した一件。あれは安政元年の六月十一日の出来事ですが、これは翌月の下旬、たしか二十六七日頃のことと覚えています。
その頃、浅草、仁王門のそばに、例の幽霊の観世物小屋が出来ました。これは利口なやりかたで、出口が二ヵ所にある。途中から路がふた筋に分かれていて、右へ出ればさのみに怖くないが、その代りに景品を呉れない。左へ出るといろいろな怖い目に逢うが、それを無事に通れば景物を呉れる。つまりは弱い者にも強い者にも見物が出来るような仕組みになっているので、女子供もはいりました。その女のなかで、幽霊におびえて死んでしまったのがある。それからひと騒動、まあ、お聴きください」
死んだ女は日本橋材木|町《ちょう》、俗に杉の森|新道《じんみち》というところに住んでいるお半という者であった。お半といえば若そうにきこえるが、これは長右衛門に近い四十四五歳の大年増《おおどしま》で、照降町《てりふりちょう》の駿河屋という下駄屋の女隠居である。照降町は下駄や雪踏《せった》を売る店が多いので知られていたが、その中でも駿河屋は旧家で、手広く商売を営んでいた。
駿河屋の主人仁兵衛は八年以前に世を去ったが、跡取りの子供がない。但しその以前から主人の甥の信次郎というのを養子に貰ってあったので、当座は後家のお半が後見をしていたが、三年前から養子に店を譲ってお半は近所の杉の森新道に隠居したのである。
お半は変死の当日、浅草観音へ参詣すると云って、朝の四ツ(午前十時)頃に家を出た。女中も連れずに出たのであるから、出先のことはよく判らないが、まず観音に参詣して、そこらで午飯《ひるめし》でも食って、奥山のあたりでも遊びあるいて、それから仁王門そばの観世物小屋へ入り込んだのであろう。その死体の発見されたのは、夕七ツ(午後四時)に近い頃であった。
下谷|通新町《とおりしんまち》の長助という若い大工が例の景品をせしめる料簡《りょうけん》で、勇気を振るって木戸をはいって、獄門首のさらされている藪のきわや、骸骨の踊っている木の下や、三途《さんず》の川や血の池や、それらの難所をともかくも通り越して二筋道の角《かど》に出た。
最初からその覚悟であるから、長助は猶予せずに左の路を取って進むと、さなきだに薄暗い路はいよいよ暗くなった。どこかで燃えている鬼火の光りをたよりに、長助は二、三間ほども辿ってゆくと、不意に其のたもとを引くものがある。見ると、路ばたに小さい蒲鉾《かまぼこ》小屋のような物があって、その筵《むしろ》のあいだから細い血だらけの手が出たのである。ぜんまい仕掛けか何かであろうと思いながら、長助は取られた袂を振り払ってゆく途端に、なにか人のような物を踏んだ。透かして見ると、路のまん中に姙《はら》み女が横たわっているのであった。女は半裸体の白い肌を見せながら、仰向けに倒れていて、その首や腹には大きい蛇がまき付いていた。
「へん、こんなことに驚くものか。江戸っ子だぞ」と、長助は付け元気で呶鳴った。
この時、なにか其の顔をひやりと撫《な》でたものがある。|はっ《ヽヽ》と思って見あげると、一匹の大きい蝙蝠《こうもり》が羽《はね》をひろげて宙にぶらさがっていた。又行くと、今度はその頭の髷節《まげぶし》をつかんだような物がある。ええ、何をしやあがると見かえると、立ち木の枝の上に猿のような怪物が歯をむき出しながら、爪の長い手をのばしていた。
「さあ、鬼でも蛇《じゃ》でも来い。死んでも後へ引っ返すような長さんじゃあねえぞ」
彼はもう捨て身になって進んでゆくと、眼のさきに柳の立ち木があって、その下には流れ灌頂《かんじょう》がぼんやりと見えた。このあたりは取り分けて薄暗い。その暗いなかに女の幽霊があらわれた。幽霊は髪をふり乱して、胸には赤児を抱いていた。どんな仕掛けがあるのか知らないが、幽霊は片手をあげて長助を招いた。
「な、なんだ。てめえ達に呼ばれるような用はねえのだ」と、長助は少しく声をふるわせながら又呶鳴った。
路は狭い、幽霊は路のまん中に出しゃばっている。忌《いや》でもこの幽霊を押し退けて行かなければならないので、さすがの長助もすこし困ったが、それでも向う見ずにつかつかと突き進むと、幽霊はそれを避けるようにふわりと動いた。ざまを見ろと、彼は勝ち誇って進んでゆくと、その足はまた何物にかつまずいた。それは人であった。女であった。
その女につまずいて、長助は思わず小膝を突くと、女は低い声で何か云ったらしかった。そうして突然に長助にむしり付いた。驚いて振り放そうとしたが、女はなかなか放さない。長助も一生懸命で、滅茶苦茶に女をなぐり付けて、どうやらこうやら突き倒して逃げた。こうなると、もう前へむかって逃げる元気はない。彼はあとへ引っ返して逃げたのである。
表の木戸口まで逃げ出して、彼は木戸番に食ってかかった。
「ふてえ奴だ。こんないかさまをしやあがる。生きた人間を入れて置いて、人を嚇かすということがあるものか。さあ、木戸銭を返せ」
木戸銭をかえすのはさしたることでも無いが、いかさまをすると云われては商売にかかわるというので、木戸番も承知しなかった。論より証拠、まずその実地を見とどけることになって、長助と木戸番は小屋の奥へはいると、果たして柳の木の下にひとりの女が倒れていた。それは人形でもなく、拵え物でもなく、確かに正真《しょうしん》の人間であるので、木戸番もびっくりした。
こういう興行物に変死人などを出しては、それこそ商売に障るのであるが、所詮《しょせん》そのままで済むべきことではないので、事件は表向きになった。
二
長助に踏まれた時には、女はまだ生きていたらしいが、それを表へ運び出して近所の医者を呼んで来た時には、まったく息は絶えていた。医者にもその死因は判然《はっきり》しなかった。恐らくかの幽霊におどろきの余り、心《しん》の臓を破ったのであろうと診断した。検視の役人も出張ったが、女の死体に怪しむべき形跡もなかった。からだに疵の跡もなく、毒なども飲んだ様子もなかった。
ほかの観世物と違って、大勢が一度にどやどやと押し込んでは凄味が薄い。木戸口でもいい加減に人数を測って、だんだんに入れるようにしているのであるが、かの女は長助のはいる前に木戸を通った者である。女のあとから一人の若い男がはいった。それから男と女の二人連れがはいった。その三人はいずれも右の路を取って、無事に出てしまった。その次へ来たのが長助である。して見ると、かの女は大胆に左の路を行って、赤子を抱いた幽霊におどかされたらしい。
これは浅草寺内の出来事であるから、寺社奉行の係りである。それが他殺でなく、幽霊を見て恐怖のあまりに心臓を破って死んだというのでは、別に詮議の仕様もないので、事件は手軽に片付けられた。
さてその女の身許《みもと》であるが、それも案外に早く判った。その当日、駿河屋の養子の信次郎も、商売用で浅草の花川戸まで出向いた。その帰り路で、幽霊の観世物小屋で見物の女が死んだという噂を聞いたが、自分の義母《はは》の身の上とは知らないで、そのままに照降町の店へ帰ると、日が暮れてから隠居所の女中が来て、御隠居さんがまだ帰らないという。朝から観音参詣に出て、夜に入るまで帰らないのは不思議であるというので、ともかくも店の若い者一人が小僧を連れて、あても無しに浅草観音の方角へ探しに出た。
それが出たあとで、若主人の信次郎はふとかの観世物小屋の噂を思い出した。もしやと思って、更に番頭と若い者を出してやると、その死人は果たして義母のお半であったので、早速に死体を引き取って帰った。それから三日ほどの後に、駿河屋では立派な葬式《とむらい》を営んだ。
今年の夏は残暑が軽くて、八月に入ると朝夕は涼風《すずかぜ》が吹いた。その八日の朝である。三河町の半七の家へ子分の松吉が顔を出した。
「親分、なにか変ったことはありませんかね」
「ここのところは不漁《しけ》だな」と、半七は笑った。「ちっとは骨休めもいいだろう。このあいだの淀橋のようなガラガラを食っちゃあ堪まらねえ。幸次郎はどんな塩梅《あんばい》だ」
「おかげで怪我の方は日ましにいいようです。もうちっと涼しくなったら起きられましょう。実はきのう千住の掃部宿《かもんじゅく》の質屋に用があって出かけて行くと、そこでちっとばかり家作《かさく》の手入れをするので、下谷通新町の長助という大工が来ていました。だんだん訊いてみると、その大工は浅草の幽霊の観世物小屋で、照降町の駿河屋の女隠居が死んでいるのを見付けたのだそうで、その時の話をして聞かせやしたよ。長助はまだ若けえ野郎で、口では強そうなことを云っていましたが、こいつも内心はブルブルもので、まかり間違えば気絶するお仲間だったのかも知れません」と、松吉も笑っていた。
「むむ、そんな話をおれも聞いた」と、半七はうなずいた。「そこで、観世物の方はお差し止めか」
「いいえ、相変らず木戸をあけています。まあ、なんとか宜しく頼んだのでしょう。世の中はまた不思議なもので、幽霊におどろいて死んだ者があったなんて云ったら、客の足がばったり止まるかと思いのほか、却ってそれが評判になって毎日大繁昌、なにが仕合わせになるか判りませんね」
「そこで、長助という奴はどんな話をした」
「ちっとはお負けも付いているかも知れませんが、まあ、こんな事でした」
松吉の報告は前にも云った通りであった。
それを聴き終って、半七はすこし考えた。
「その女隠居はどんな女か知らねえが、観音まいりに出かけたのじゃあ、幾らも金を持っていやあしめえな」
「そうでしょうね。女ひとりで参詣に出たのじゃあ、いくらも巾着銭《きんちゃくぜに》を持っていやあしますめえ」
「女ひとりと云えば、その隠居は女のくせに、たった一人で左の方へ行ったのは、どういう訳だろう。まさかに景物が欲しかったのでもあるめえが、よっぽど気の強い女とみえるな」
「もちろん大家《たいけ》の隠居だから、景物が欲しかったわけじゃあありますめえ。小屋のなかは暗いのと、怖い怖いで度を失ったのとで、右と左を間違えて、あべこべに歩いて行ったのだろうという噂です。怖い物見たさではいったら、案外に怖いので気が遠くなったのかも知れません」
「そう云ってしまえばそれまでだが……」と、半七はまだ不得心らしく考えていた。「おい、松。無駄骨かも知れねえが、まず取りあえず駿河屋をしらべてくれ」
半七の注文を一々うけたまわって、松吉は早々に出て行ったが、その日の灯《ひ》ともしごろに帰って来た。
「親分、すっかり洗って来ました」
「やあ、御苦労。早速だが、その女隠居は幾つで、どんな女だ」
「名はお半と云って、四十五です。八年前に亭主に死に別れて、三年前から杉の森新道に隠居して、お嶋という女中と二人暮らしですが、店の方から相当の仕送りがあるので、なかなか贅沢《ぜいたく》に暮らしていたようです。四十を越してもまだ水々しい大柄の女で、ふだんから小綺麗にしていたと云います」
「駿河屋の養子はなんというのだ」
「信次郎といって、ことし二十一です。先代の主人の妹のせがれで、先代夫婦の甥にあたるわけです。先代には子供がないので、十一の年から養子に貰われて来て、十三のときに先代が死んだ。何分にも年が行かねえので、当分は義母のお半が後見をしていて、信次郎が十八の秋に店を譲ったのです。十八でもまだ若けえが、店には吉兵衛という番頭がいるので、それが半分は後見のような形で、商売の方は差支え無しにやっているそうです。若主人の信次郎は色白のおとなしい男で、近所の若けえ女なんぞには評判がいいそうです」
「信次郎はまだ独り身か」
「そんなわけで、男はよし、身上《しんしょう》はよし、年頃ではあり、これまでに二、三度も縁談の申し込みがあったそうですが、やっぱり縁遠いというのか、いつも中途で毀れてしまって、いまだに独り身です。と云って、別に道楽をするという噂も無いようです」
「お半は四十を越しても水々しい女だというが、それにも浮いた噂はねえのか」
「それがね、親分」と、松吉は小膝をすすめた。「わっしも、そこへ見当をつけて、女中のお嶋という奴をだまして訊《き》いたのですが、この女中は三月の出代りから住み込んだ新参で、内外《うちと》の事をあんまり詳しくは知らねえらしいのです。だが、女中の話によると、隠居のお半は毎月かならず先代の墓まいりに出て行く。浅草の観音へも参詣に行く。深川の八幡へもお参りをする。それはまあ信心だから仕方がねえとして、そのほかにも親類へ行くとか何とか云って、ずいぶん出歩くことがあるそうです。後家さんがあんまり出歩くのはどうもよくねえ。この方には何か綾があるかも知れませんね」
「そうだろうな」と、半七はうなずいた。「三年前といえば四十二だ。養子だって十八だ。それに店を譲って隠居してしまうのは、ちっと早過ぎる。店にいちゃあ何かの自由が利かねえので、隠居ということにして、別居したのだろう。そうして、勝手に出あるいている。いずれ何かの相手があるに相違ねえ。そこで、もう一度訊くが、お半が観世物小屋へはいると、そのあとから一人の若けえ男がはいった。それから男と女の二人連れがはいった。その次に大工の長助がはいった……と、こういう順になるのだな」
「そうです、そうです」
「お半の前にはどんな奴がはいったのだ」
「さあ。それは長助も知らねえようでしたが……。調べましょうか」
「お半のあと先にはいった奴をみんな調べてくれ。如才《じょさい》もあるめえが、年頃から人相風俗、なるたけ詳しい方がいいぜ」
「承知しました。木戸番の奴らを少し嚇かしゃあ、みんなべらべらしゃべりますよ」
松吉は請け合って帰ると、入れちがいに善八が来た。
「おお、いいところへ来た。おめえにも少し用がある」
「今そこで松に逢いましたら、これから浅草のお化けへ出かけるそうで……」
「そうだ。お化けの方は松に頼んだが、おめえは照降町へまわってくれ」
半七から探索の方針を授けられて、善八も怱々《そうそう》に出て行った。
三
観世物小屋の一件は寺社方の支配内であるから、半七は翌あさ八丁堀同心の屋敷へ行って、今度の一件に対する自分の見込みを報告し、あわせて寺社方への通達を頼んで帰った。寺社方に捕り手は無いのであるから、その承諾を得れば町方《まちかた》が手をくだしても差し支えはない。まずその手続きを済ませた上で、半七は更に北千住の掃部宿《かもんじゅく》へむかった。
きょうは朝から曇って、この二、三日のうちでも取り分けて涼しい日であった。千住の宿《しゅく》を通りぬけて、長い大橋を渡ってゆくと、荒川の秋の水が冷やかに流れていた。掃部宿へゆき着いて、丸屋という質屋をたずねると、すぐに知れた。質屋と云っても半分は農家で、相当の身上《しんしょう》であるらしい。その裏手に二軒の家作《かさく》があって、大工や左官などがはいっていた。
「もし、長さんは来ていますかえ」と、半七はそこにいる大工の小僧に訊《き》いた。
「ええ、長さんはそこにいますよ」
小僧はあたりを見まわして、一人の若い男を指さして教えた。彼は二十三四の職人であるが、しるし半纒の仕事着も着ないで、唯の浴衣《ゆかた》を着たままで、猫柳の下にぼんやりと突っ立って、他人《ひと》の仕事を眺めていた。よく見ると、かれは右の手を白布で巻いていた。顔にも二三ヵ所カスリ疵があった。彼は何か喧嘩でもして、右の手を痛めた為に、きょうは仕事を休んでいるのであろうと察せられた。
「おまえさんは大工の長さんだね」と、半七は近よって声をかけた。
「ええ、そうです」と、長助は答えた。
「おととい私の内の松吉がおまえさんに逢って、浅草の話を聴いたそうだが……」
長助は俄かに顔の色をかえて、恐れるように半七をじっと見つめた。彼は松吉の商売を知っている。したがって、半七の身分も大抵想像したのであろう。それにしても、人を恐れるような彼の挙動が半七の注意をひいた。
「済まねえが、そこまで顔を貸してくれ」
半七は彼を誘って、七、八間ほども距《はな》れた茗荷《みょうが》畑のそばへ出た。
「おめえ、きょうは仕事を休んでいるのか」
「へえ」と、長助はあいまいに答えた。
「怪我をしているようだな。喧嘩でもしたのかえ」
「へえ、詰まらねえことで友達と……」
職人が友達と喧嘩をするのは珍らしくない。唯それだけの事で、彼が顔の色を変えたり、人を恐れたりする筈がない。半七は俄かに覚った。
「おい、長助。おめえは友達と喧嘩したのじゃああるめえ。きのうも仕事を休んだな」
長助の顔色はいよいよ変った。
「きのうも仕事を休んで浅草へ行ったろう」と、半七は畳みかけて云った。「そうして幽霊の小屋へ行って、何かゴタ付いたろう。はは、相手が悪い。おまけに多勢《たぜい》に無勢《ぶぜい》だ。なぐられて突き出されて、ちっと器量が悪かったな」
図星をさされたと見えて、長助は唖のように黙っていた。
「だが、相手はこんな事に馴れている。唯なぐって突き出したばかりじゃああるめえ。そこには又、仲裁するような奴が出て来て、兄い、まあ我慢してくれとか何とか云って、一朱銀《いっしゅぎん》の一つも握らせてくれたか」と、半七は笑った。
長助はやはり黙っていた。
「もうこうなったら隠すことはあるめえ。おめえは一体なんと云って、あの小屋へ因縁を付けに行ったのだ」
「あの時、飛んだところへ行き合わせて、わたしもいろいろ迷惑しました」と、長助は低い声で云った。「観世物の方はあの一件が評判になって、毎日大入りです。なんとか因縁を付けてやれと、友達どもが勧めますので、わたしもついその気になりまして……」
「だが、そりゃあちっと無理だな。そんな所へ行き合わせたのは、おめえの災難というもので、誰が悪いのでもねえ。それで因縁を付けるのは、強請《ゆすり》がましいじゃあねえか」
半七の口から強請と云われて、長助はいよいようろたえたらしく、再び口を閉じて眼を伏せた。
「まあ、いい。おめえはどうで仕事を休んでいるのだろう。丁度もう午《ひる》だ。そこらへ行って、飯でも食いながらゆっくり話そうじゃあねえか」
長助はおとなしく付いて来たので、半七は彼を大橋ぎわの小料理屋へ連れ込んだ。川を見晴らした中二階で、鯉こくと鯰《なまず》のすっぽん煮か何かを喰わされて、根が悪党でもない長助は、何もかも正直に話してしまった。
「きょうのことは当分誰にも云わねえがいいぜ」と、半七は口留めをして彼と別れた。
その足で更に浅草へ廻ろうかと思ったが、ともかくも松吉や善八の報告を待つことにして、半七はそのまま神田へ帰った。
秋といっても、八月の日はまだ長い。途中で二軒ほど用達《ようたし》をして、家へ帰って夕食を食って、それから近所の湯へ行くと、その留守に善八が来ていた。
「どうだ。判ったか」
「大抵はわかりました」と、善八は心得顔に答えた。「駿河屋の女隠居には男があります。松の云う通り、女中は新参でなんにも知らねえようですが、わっしは近所の駕籠屋の若い者から聞き出しました」
「その男はどこの奴だ」
「葺屋町《ふきやちょう》の裏に住んでいる音造という奴で、小博奕なんぞを打って、ごろ付いているケチな野郎ですよ」
「違うだろう」と、半七はひとり言のように云った。
「違いますかえ」
「いや、違うとも限らねえが……」と、半七は首をかしげていた。「そこで、その音造という奴は杉の森新道へ出這入りするのか」
「そんな奴が出這入りをしちゃあ、すぐに近所の眼に付くから、深川の八幡前の音造の叔母というのが小さい荒物屋をしている。そこの二階を出逢い所としていたようです。音造は二十七八で、いやにぎすぎすした気障《きざ》な野郎ですよ。あんまり相手が掛け離れているので、わっしも最初はおかしく思ったのですが、だんだん調べてみると、どうも本当らしいのです」
「駿河屋の若主人はまったく色気なしか」
「いや、これにも女の係り合いがあるようです。両国の列《なら》び茶屋にいるお米《よね》という女、これがおかしいという噂で、時々に駿河屋の店をのぞきに来たりするそうです。わっしも念のために両国へまわって、飲みたくもねえ茶を飲んで来ましたが、そのお米という女は若《わか》づくりにしているが、もう二十三四でしょう。たしか若主人よりも年上ですよ。ねえ、親分。照降町の駿河屋といえば、世間に名の通っている店だのに、その隠居の相手はごろつき、主人の相手は列び茶屋の女、揃いも揃って相手が悪いじゃあありませんか」
「それだからいろいろの間違いも起こるのだ」と、半七は苦笑《にがわら》いした。「そこで、その音造という奴はどうした」
「どうで慾得でかかった色事でしょうから、相手の隠居があんな事になってしまっちゃあ、金の蔓《つる》も切れたというものです。それでもまだ金に未練があると見えて、隠居の通夜《つや》の晩に、線香の箱かなんか持って来て、裏口から番頭の吉兵衛をよび出して、これを仏前に供えてくれと云う。番頭もそのわけを薄々知っているので、そんなものを貰ってはあとが面倒だと思って、折角だが受け取れないと云う。その押し問答が若主人の耳にはいると、信次郎は奥から出て来て、おまえからそんな物を貰う覚えはないと、激しい権幕で呶鳴り付けたそうです」
「激しい権幕で呶鳴り付けたか」と、半七はうなずいた。
「主人の勢いがあんまり激しいので、音造の野郎もさすがに気を呑まれたのか、それとも大勢がゴタゴタしている所で喧嘩をしちゃあ自分の損だと思ったのか、主人にあたまから呶鳴り付けられて、尻尾《しっぽ》をまいてこそこそと逃げて帰ったそうです。どっちにしても、意気地のある奴じゃありませんね」
善八は軽蔑するように笑っていた。
四
やがて松吉も帰って来た。
その報告によると、浅草の観世物小屋では、当日お半の来る前は客足がしばらく途切れていた。お半の少しあとから若い男がはいった。それから男と女の二人連れ、その次に長助、すべて前に云った通りである。長助はもう判っているが、他の男女三人の人相、年頃、風俗、その説明を松吉から聞かされて、半七は肚《はら》のなかでほほえんだ。
「じゃあ、いよいよ仕事に取りかからなければならねえが、松は木戸番に顔を識られているから拙《まず》い。善八、おめえは亀を誘って浅草へ行って、観世物小屋の裏手へ廻って、右と左の出口を見張っていてくれ。おれは客の振りをして、素知らぬ顔で表からはいる。あとは臨機応変だ。あしたの午頃までに間違いなく行ってくれ」
「承知しました」
約束を決めて、その晩は別れた。あくる日はからりと晴れて、又すこし暑くなったが、顔をかくすには都合がいい。半七は日除《ひよ》けのように白地の手拭をかぶって、観世物小屋の前へ来かかると、善八と亀吉はひと足さきに来て、なにげなく小屋の看板をながめていた。勿論たがいに挨拶もしない。半七は眼で知らせると、二人はこころ得て裏手へ廻った。
半七は十六文の木戸銭を払って、唯の客のような顔をして木戸口をはいった。狭い薄暗い路を通って、例の獄門首や骸骨を見ながら、二筋道の曲がり角を左に取ってゆくと、どこかで青白い鬼火が燃えているらしかった。半七も血だらけの細い手に袖をひかれた。姙《はら》み女の死骸をまたがせられた。大きい蝙蝠《こうもり》に顔をなでられた。もうここらだろうと思うときに、半七の頬かむりの手拭をつかむ者があった。
髷節《まげぶし》を取られない用心のために、半七は髷と手拭のあいだに小さい針金を入れて置いたので、手拭は地頭《じあたま》よりも高く盛り上がっていた。それを知らない怪物は、いたずらに手拭を掴んだに過ぎなかった。爪の長い手が手拭をずるりと引いた時、半七はすぐに其の手を取って、あべこべにぐいと引くと、不意をくらって怪物は立ち木の枝からころげ落ちた。透かして見ると、それは猿のような姿である。
「馬鹿野郎」
半七はその横っ面をぽかりと殴りつけると、怪物はあっと悲鳴をあげた。半七はつづけて二つ三つ殴った。
「なんだ、てめえは……。変な物に化けやあがって、ふてえ奴だ。そっちの幽霊もここへ出て来い。おれは御用聞きの半七だ。どいつも逃げると承知しねえぞ」
御用聞きの声におどろいて、猿のような怪物はそこに小さくなった。柳の下に立っていた女の幽霊も、思わずそこに膝をついた。行く先の藪のかげでも、何かがさがさいう音がきこえて、幽霊の仲間が姿を隠すらしく思われた。
無事に左の路を通り抜けたものには、景品の浴衣地《ゆかたじ》をやるといい、それを餌《えさ》にして見物を釣るのであるが、十六文の木戸銭で反物をむやみに取られては堪まらない。そこで、左の路には作り物のほかに、本当の幽霊がまじっている。或る者が幽霊その他の怪物に姿を変じて、いろいろの手段を用いて人を嚇《おど》すのである。この時代にはこんな観世物のあることは半七はかねてから知っていた。
「てめえは猿か。名はなんというのだ」
「源吉と申します」と、十三四の小僧が恐れ入って答えた。
「そっちの幽霊は何者だ」
「岩井三之助と申します」と、幽霊は細い声で答えた。彼は両国の百日芝居の女形《おんながた》であった。
「こんないかさまをしやがって、不埓な奴らだ」と、半七は先ず叱った。「これから俺の訊《き》くことを何でも正直に云え。さもねえと、貴様たちの為にならねえぞ」
「へい」
猿も幽霊も頭をかかえて縮みあがった。半七はそこにころげている捨石《すていし》に腰をおろした。
「先月の末に、照降町の駿河屋の女隠居がここで頓死した。貴様たちが何か悪い事をしたのだな。質《たち》のよくねえ嚇《おど》かし方をしたのだろう。隠さずに云え」
「違います。違います」と、二人は声をそろえて云った。
「それじゃあ誰が殺したのだ」
二人は顔を見合わせていた。
「さあ、正直に云え。云わなけりゃあ貴様たちが殺したのだぞ。人を殺して無事に済むと思うか。どいつも一緒に来い」
半七は両手に猿と幽霊をつかんで引っ立てようとすると、源吉も三之助も泣き出した。
「親分、勘弁してください。申し上げます。申し上げます」
「きっと云うか」と、半七は掴んだ手をゆるめた。「貴様たちの云う前に、おれの方から云って聞かせる。女隠居と一緒に、若い男がここへ来たろう」
「まいりました」と、三之助は答えた。「隠居さんは怖いから忌《いや》だというのを、男が無理に連れて来たようでした」
「そうか。そのあとから男と女の二人連れが来たろう。前の男と、あとの二人……。この三人のうちで、誰が隠居を殺した。おそらく前の男じゃあるめえ。あとから来た男が殺したか」
「へい」と、三之助は恐るおそる答えた。
「貴様たちは、ここにいて何もかも見ていたろう。あとから来た奴がどうして隠居を殺した」
「わたくしが女の髷をつかむと、女はぎゃっと云って、男に抱き付きました」と、源吉は説明した。「男は、なに大丈夫だと云って、女を抱えるようにして三之助さんの方へ歩いて来ました」
「わたくしが手をあげて招くようにすると、女は又きゃっと云って男にしがみ付きました」と、三之助が代って話した。「その時に、あとから来た男が駈け寄って、なにか鉄槌《かなづち》のような物で女の髷のあたりを叩きました。薄暗くって、よくは判りませんでしたが、女はそれぎりでぐったり倒れたようでした。それを見て、男同士はなにか小声で云いながら、怱々《そうそう》に引っ返してしまいました」
「連れの女はどうした」
「連れの女はあとの方から眺めているだけで、これも黙って立ち去りました」
この事実を眼のまえに見ていながら、彼等はそれを口外しなかったのは、自分たちの秘密露顕を恐れたからである。あの観世物小屋には人間が忍ばせてあるなどという噂が立っては、商売は丸潰れになるばかりか、どんな咎めを受けないとも限らないので、かれらは素知らぬ顔をしていたのである。
「よし、それで大抵わかった。いずれ又よび出すかも知れねえが、そのときにも今の通り、正直に申し立てるのだぞ」
半七は二人に云い聞かせて、左の裏口から出ると、そこには亀吉が待っていた。
「親分、どうでした」
「もういい。これから八丁堀へ行って、きょうの顛末を旦那に話して、それぞれに手配りをしなけりゃあならねえ」
そこへ善八も廻って来た。
「駿河屋の女隠居を殺した奴らは三人だ」と、半七はあるきながらささやいた。「若けえ男というのは駿河屋の養子の信次郎だ。年頃から人相がそれに相違ねえ。女は列《なら》び茶屋のお米だ。もう一人の男が判らねえ」
「音造じゃありませんか」と、善八は訊いた。
「そうじゃあねえらしい。年頃は四十ぐれえで、堅気らしい風体《ふうてい》だったと云うから、お米の兄きとか叔父とかいう奴じゃあねえかと思う。なにしろ其奴《そいつ》が手をおろした本人だから、下手なことをやって、そいつを逃がしてしまうと物にならねえ。信次郎やお米はいつでも挙げられる。まず其の下手人を突き留めにゃあならねえ」
「じゃあ、すぐに洗って見ましょう」
「むむ。お米の親類か何かに大工のような商売の者はねえか、気をつけてくれ。下谷の長助も大工だが、あいつじゃねえ」
「ようがす。今夜じゅうに調べます」と、善八は請け合った。
子分ふたりに途中で別れて、半七は八丁堀へむかった。
日が暮れて、涼しい風が又吹き出した。油断すると寝冷えするなどと云いながら、四ツの鐘を聞いて寝床にはいると、その夜なかに半七の戸を叩いて、松吉が飛び込んだ。
「親分、たいへんな事が出来やした。駿河屋の信次郎が殺された」
「駿河屋が殺された……」と、半七もおどろいて飛び起きた。
「まだ死にゃあしねえが、もうむずかしいと云うのです」と、松吉は説明した。「なんでも今夜の四ツ過ぎに、清五郎という男と一緒に……。どこかで酒を飲んだ帰りらしい、ほろ酔い機嫌で親父《おやじ》橋まで来かかると、橋のたもとの柳のかげから一人の男が飛び出して、不意に信次郎の横っ腹を突いたので……」
「相手は誰だ。音造という奴か」
「そうです。突いてすぐに逃げかかると、連れの清五郎が追っかけて押さえようとする。相手は一生懸命で匕首《あいくち》をふり廻す。そのはずみに清五郎は右の手を少し切られた。それでも大きい声で人殺し人殺しと呶鳴ったので、近所の者も駈けつけて来て、音造はとうとう押さえられてしまいました。信次郎は駿河屋へ送り込まれて、医者の手当てを受けているのですが、急所を深くやられたので、多分むずかしいだろうという噂です」
「連れの清五郎というのは何者だ」
「向う両国の大工だそうです。本人が番屋で申し立てたのじゃあ、駿河屋で何か建て増しをするので、その相談ながら両国辺でいっしょに飲んで、駿河屋の主人を照降町まで送って帰る途中だということです」
半七は忌々《いまいま》しそうに舌打ちをした。
「やれやれ、飛んだ番狂わせをさせやあがる。その清五郎はまだ番屋にいるのか」
「清五郎の疵はたいした事でもねえので、そこで手当てをした上で、まだ番屋に残っています。なにしろ人殺しというのですから、八丁堀の旦那も出て来る筈です。住吉|町《ちょう》の親分も来ていました」
ここらは住吉町の竜蔵の縄張り内である。その竜蔵が顔を出した上は、半七がむやみに踏み込んで荒らし廻るわけにも行かなくなった。仲間の義理としても、この手柄の半分を彼に分配するのほかはなかった。
「じゃあ、もう一度おやじ橋へ行って、竜蔵にそう云ってくれ。その清五郎という奴は大事の科人《とがにん》だから逃がしちゃあいけねえ。あしたの朝おれが行くまで厳重に番をしていてくれと……。音造も人殺しだが、それを押さえた清五郎も人殺しだ。うっかり逃がすと事こわしだ。いいか、よく其の訳を云ってくれ」
五
「これでお判りになりましたろう」と、半七老人は云った。「さっきからお話し申した通り、観世物小屋へは最初に女隠居のお半がはいる。つづいて養子の信次郎がはいる。そのあとから大工の清五郎とお米がはいる。お半を抱えていたのが信次郎で、うしろから鉄槌《かなづち》で叩いたのが清五郎です」
「それにしても、なぜお半を殺すことになったんですか」と、わたしは訊《き》いた。
「つまりはお定まりの色と慾です。お半と信次郎とは叔母甥とはいいながら、しょせんは他人、殊に三十代で亭主に別れたお半は、信次郎が十七八の頃から、おかしい仲になってしまったんです。そこで、一つ家にいては人目がうるさいので、お半は信次郎に店を譲って杉の森新道に隠居することにして、信次郎が時々にたずねて行ったり、誘い合わせて何処へか一緒に出かけたりしていた。それで済んでいればまだ無事だったんですが、そのうちにお半には音造、信次郎にはお米という別別の相手が出来た。それがこの一件の原因です」
「お半はどうしてそんなごろ付きのような男に関係したんですか」
「それはよんどころなく……。というのは、お半と信次郎が深川の八幡さまへ参詣に行って、そこらの小料理屋へはいり込むと、丁度にそこへ音造が来ていて、二人の秘密を覚られてしまったんです。照降町の駿河屋といえば、世間に知られた店です。その女隠居が養子と不義密通、それを悪い奴に見付けられたんですから、もう動きが取れません。しかし駿河屋には大勢の人間が控えているから、音造も店の方へは近寄らないで、杉の森新道の隠居所へ押し掛けて行く。最初は金をいたぶっていたんですが、度重なるうちに色気にころんで来る。それが斯ういう奴らの手で、色気の方に関係を付けてしまえば、何事も自分の自由になる。お半も我が身に弱身があるから仕方がない、忌忌《いやいや》ながら音造の云うことを肯《き》いていたというわけです。
それを又、信次郎に覚られた。勿論、信次郎にも弱身があるから、表向きに音造を責めることも出来ず、お半を怨むわけにも行かない。しかし内心は面白くないから、幾らかお半に面《つら》当てのような気味で、両国の列び茶屋などへ遊びに行って、お米という女と関係が出来てしまった。それがお半に知れると、自分のことを棚にあげて信次郎を責める。信次郎も音造の一件を楯《たて》に取ってお半を責める。こういう風にこぐらかって来ると、ひと騒動おこるは必定《ひつじょう》。おまけにお米の叔父の清五郎というのが良くない奴で、相手が駿河屋の若主人というのを付け目に、お米をけしかけて駿河屋に乗り込ませる魂胆、これではいよいよ無事に済まない事になります。
お半は隠居したと云うものの、信次郎は養子の身分であるので、家付きの地所家作なぞはまだ自分の物になっていない。お米を自分の店へ引っ張り込むなぞということは、とてもお半の承知する筈がない。かたがたお半を亡き者にしてしまわなければ、何事も自分の自由にはならない。以前の信次郎ならば、まさかそんな料簡も起こさなかったでしょうが、かの音造の一件からお半に対して強い嫉妬を感じている。そこへ付け込んで、清五郎がうまく焚き付けたので、とうとう叔母殺しという大罪を犯すことになったんです。年が若いとは云いながら、人間の迷いは恐ろしいものです。
そこで、どうしてお半を片付けようかと狙っていると、かの浅草の観世物の評判が高い。そこへ引っ張り込んで殺すという計略、それは清五郎が知恵を授けたんです。当日お半と約束して、信次郎は花川戸の同商売の家へ行くと云い、お半は観音へ参詣すると云い、途中で落ち合って一緒に浅草へ出かけました。二人の出逢い場所はふだんから決まっているので、浅草辺の小料理屋の二階で午過ぎまで遊び暮らして、それから仁王門前の観世物小屋へ見物に行く。幽霊の観世物なぞは忌だとお半が云うのを、信次郎が無理に誘って連れ込んだ。しかし二人が一緒にはいっては人の目に付くというので、ひと足先にお半をはいらせて、信次郎はあとからはいる。かねて打ち合わせてあるので、又そのあとから清五郎とお米もはいる。お米に手伝いをさせる訳ではないが、木戸の者に油断させるために、わざと女連れで出かけたんです。
お半は幽霊を怖がって、中途から右の路へ出ようというのを、胸に一物《いちもつ》ある信次郎は、無理に左の方へ連れ込むと、お半はいよいよ怖がって信次郎にすがり付く。そこを窺って、清五郎が鉄槌《かなづち》で頭をひと撃ち……」
「お半を殺した三人は、幽霊が生きていることを知らなかったんですね」
「そこが運の尽きです」と、老人はほほえんだ。「なんと云っても、みんな素人《しろうと》の集まりですから、こういう観世物の秘密を知らない。木の上の猿も、柳の下の幽霊も、それが生きた人間とは夢にも知らないで、平気で人殺しをやってしまったんです。しかし前にも申す通り、猿や幽霊の方にも秘密があるので、自分たちの眼の前に人殺しを見ていながら、それを迂闊《うかつ》に口外することが出来ない。そこで一旦は計略成就して、お半は幽霊におびえて死んだことになって、無事に死骸を引き取って、葬式までも済ませたんです。定めてあっぱれの知恵者と自慢していたんでしょうが、そうは問屋で卸《おろ》しませんよ」
「さっきからのお話では、あなたは最初から駿河屋の信次郎に眼を着けて居られたようですが、それには何か心あたりがあったんですか」
「心あたりと云う程でもありませんが、なんだか気になったのは、お半の帰りが遅いと云うので、店の若い者を浅草へ出してやる。そのあとで信次郎は、観世物小屋で女の見物人が死んだという噂をふと思い出して、更に番頭を出してやると、果たしてそうであったという。勿論、そういうことが無いとは限りません。しかしその話を聞いた時に、わたくしは何だか信次郎を怪しく思ったんです。義母の帰りが遅いからといって、幽霊の観世物を見て死んだんだろうと考えるのは、あんまり頭が働き過ぎるようです。本人は当日花川戸へ行って、その噂を聞いて来たと云うんですが、噂を聞いただけでなく、何もかも承知しているんじゃあないかという疑いが起こったんです。
もう一つには、お半という女隠居が、自分ひとりで左の路を行ったことです。連れでもあれば格別、女のくせに右へは出ないで、左へ行ったのが少し不思議です。路に迷ったといっても、右と左を間違えそうにも思われません。おそらく誰かに連れて行かれたのじゃあ無いかと思われます。そうなると、信次郎も当日浅草へ行ったというのが、いよいよ怪しく思われないでもありません。だんだん調べてみると、お半のあとから木戸をはいった若い男の年頃や人相が信次郎らしいので、まず大体の見当が付きました」
「お半を殺したのは大工らしいというのは、鉄槌《かなづち》からですか」
「そうです。喧嘩でもして人を殺すならば、手あたり次第に何でも持ちますが、前から用意して行く以上、手頃な物を持って行くのが当然です。疵のあとを残さない用心といっても、わざわざ鉄槌を持ち出して行くのは、ふだんから手馴れている為だろうと思ったんです。本人の清五郎の白状によると、まだ驚いた事がありました。お半のあたまを鉄槌でガンとくらわしたばかりで無く、長い鉄釘《かなくぎ》を用意して行って、頭へ深く打ち込んだのです。こんにちならば検視のときに発見されるでしょうが、むかしの検視はそんな所まで眼がとどきません。男と違って、女は髪の毛が多いので、釘を深く打ち込んでしまうと、毛に隠されて容易に判りません。これなぞも大工の考えそうなことで、長い釘を一本打ち込むのでも、素人では手際《てぎわ》よく行かないものです。
頭へ釘を打ち込まれたら即死の筈です。そのお半が長助に武者振り付いたというのは、ちっと理窟に合わないようですが、長助は確かにむしり付かれたと云っていました。この長助は職人のくせに、案外に気の弱い奴ですから、内心怖いと思っていたので、死骸が自分の方へでも倒れかかって来たのを、むしり付かれたと思ったのかも知れません。
わたくしが掃部宿《かもんじゅく》へたずねて行った時に、長助がなんだかびくびくしているのは変だと思いましたら、案の通り、浅草の観世物小屋へ因縁を付けに行って、幾らか貰って来たんです。お半にむしり付かれた時には、長助は半分夢中だったのですが、それでも幾らかは周囲の様子をおぼえている。その話によると、お半の倒れていたあたりには、人間の化け物が忍んでいたらしい。考えようによっては、その化け物がお半を殺したかとも疑われるんですが、わたくしは最初の見込み通り、どこまでも信次郎に眼をつけて、とうとう最後まで漕ぎ着けました。わたくし共の商売の道から云えば、これらはまぐれあたりかも知れませんよ。しかし幽霊の観世物を利用して人殺しを思いつくなぞは、江戸時代ではまあ新手《あらて》の方でしょうね」
「信次郎は死にましたか」
「あくる日の夕方に死にました。その朝、わたくしは駿河屋へ乗り込んで、まわりの者を遠ざけて、信次郎の枕もとに坐って、どうでお前は助からない命だ。正直に懺悔《ざんげ》をしろと云い聞かせますと、当人ももう覚悟したとみえて、何もかも素直に白状しました。その死にぎわには、おっかさんの幽霊が来たなぞと、囈語《うわごと》のように云っていたそうです。それでも信次郎は運がいいのです。もし生きていたら義母殺しの大罪人、引き廻しの上で磔刑《はりつけ》になるのが定法《じょうほう》であるのを、畳の上で死ぬことが出来たのは仕合わせでした。
音造が信次郎を闇撃ちにしたのは、大抵お察しでもありましょうが、お半との関係を云い立てて、駿河屋から幾らかの涙金を取ろうとする。番頭の吉兵衛も世間体をかんがえて、結局幾らかやろうと云い出したんですが、信次郎がどうしても承知しない。金が惜しいのじゃあなくて、お半との関係について強く嫉妬心を持っていたからです。それがために話がいつまでも纒まらない。音造も表向きに持ち出せる問題じゃあないから、所詮は泣き寝入りにするのほかはない。その口惜しまぎれに刃物三昧に及んだわけですが、その音造を取り押さえた為に、清五郎もすぐに其の場から縄付きになるとは、天の配剤とでも云うのでしょうか、まことに都合よく行ったものです。
音造も清五郎も無論死罪ですが、お米だけは早くも姿を隠しました。それから七、八年の後に、両国辺の人たちが大山《おおやま》参りに出かけると、その途中の達磨《だるま》茶屋のような店で、お米によく似た女を見かけたと云うのですが、江戸末期のごたごたの際ですから、そんなところまでは詮議の手がとどかず、とうとう其の儘になってしまいました」
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菊人形の昔
一
「幽霊の観世物」の話が終ると、半七老人は更にこんな話を始めた。
「観世物ではまだこんなお話があります。こんにちでも繁昌している団子坂の菊人形、あれは江戸でも旧《ふる》いものじゃあありません。いったい江戸の菊細工は――などと、あなた方の前で物識りぶるわけではありませんが、文化九年の秋、巣鴨の染井の植木屋で菊人形を作り出したのが始まりで、それが大当りを取ったので、それを真似《まね》て方々で菊細工が出来ました。明治以後は殆ど団子坂の一手専売のようになって、菊細工といえば団子坂に決められてしまいましたが、団子坂の植木屋で菊細工を始めたのは、染井よりも四十余年後の安政三年だと覚えています。あの坂の名は汐見坂《しおみざか》というのだそうですが、坂の中途に団子屋があるので、いつか団子坂と云い慣わして、江戸末期の絵図にもダンゴ坂と書いてあります。
そこで、このお話は文久元年の九月、ことしの団子坂は忠臣蔵の菊人形が大評判で繁昌しました。その人形をこしらえたのは、たしか植梅という植木屋であったと思います。ほかの植木屋でも思い思いの人形をこしらえました。その頃の団子坂付近は、坂の両側にこそ町屋《まちや》がならんでいましたが、裏通りは武家屋敷や寺や畑ばかりで、ふだんは田舎のように寂しい所でしたが、菊人形の繁昌する時節だけは江戸じゅうの人が押し掛けて来るので、たいへんな混雑でした。それを当て込みに、臨時の休み茶屋や食い物店なども出来る。柿や栗や芒《すすき》の木兎《みみずく》などの土産物を売る店も出る。まったく平日と大違いの繁昌でした。
ところが、その繁昌の最中に一つの事件が出来《しゅったい》しました。というのは、九月二十四日昼八ツ(午後二時)頃に、三人づれの外国人がこの菊人形を見物に来たんです。その頃はみんな異人と云っていましたが、これは横浜の居留地に来ている英国の商人で、男ふたりはいずれも三十七八、女は二十五六、なにかの用向きをかねて江戸見物に出て来て、その前夜は高輪《たかなわ》東禅寺の英国仮領事館に一泊して、きょうは上野から団子坂へ廻って来たというわけで……。勿論、その頃のことですから、異人たちの独り歩きは出来ません。東禅寺に詰めている幕府の別手組《べってぐみ》の侍ふたりが警固と案内をかねて、一緒に付いて来ました。異人三人も別手組ふたりも、みんな騎馬でした。
前にも申す通り、根津から団子坂へかかって来ると、ここらは大へんな混雑、殊にこんにちと違って道幅も狭いのですから、とても騎馬では通られない。そこで、五人は馬から降りて、坂下の空地《あきち》をさがして五匹の馬を立ち木につないで置きました。馬丁《ばてい》を連れていないので、別手組のひとりはここに馬の番をしていることになって、他のひとりが異人たちを案内して坂を昇って行きました。異人のめずらしい時代ですから、往来の人達はみんな立ちどまって眺めている。又そのあとへぞろぞろと付いて来るのもある。そのうちに一人の女が男の異人に摺れ違ったかと思うと、素早くそのポケットの紙入れを抜き取った。しかし異人の方でも油断していなかったと見えて、すぐにその女を取り押さえました。
付いていた別手組もおどろいて、その女を押さえると、女は何も取った覚えはないと云う。袂や内ぶところや帯のあいだを探しても、紙入れは見付からない。異人はどうしても取ったと云う。女は取らないと云う。なにしろその品物を持っていないんだから、女の方が強味です。女は仕舞いには大きな声を出して、この異人はあたしに云いがかりをする。取りもしないものを取ったと云って、あたしに泥坊の濡衣《ぬれぎぬ》を着せる。皆さんどうぞ加勢をして下さいと、泣き声で呶鳴るという始末。
異人嫌いの時代ですから、こうなると堪まりません。この毛唐人め、ふてえ奴だ。取りもしねえものを取ったと云って、日本人を泥坊扱いにしやあがる。こいつ勘弁が出来ねえというので、気の早い二、三人が飛びかかって、その異人をなぐり付ける。さあ、大変です。忽ちに弥次馬が大勢あつまって来て、三人の異人を袋叩きにするという騒ぎになりました。附き添いの別手組もたった一人ではどうすることも出来ない。まさかに刀をぬいて斬り払うわけにも行かないので、騒ぐなとか、静かにしろとか云って、しきりに制しているけれども、弥次馬連はなかなか鎮まらない。そのうちには石を投げ付ける者もあるのでいよいよあぶない。現に異人の男ひとりは、左の頬を石に撃たれて血が流れ出した。
なにをいうにも多勢《たぜい》に無勢《ぶぜい》ですから、こうなったら逃げるよりほかはない。異人たちは真っ蒼になって坂下の方へ逃げました。別手組も一緒に逃げました。弥次馬は閧《とき》の声をあげて追って来る。事の仔細をよくも知らないで、相手が異人だから遣《や》っ付けてしまえと、無我夢中で加勢に出て来る者もある。敵はだんだんに殖えて来るばかりで、中には屋根に昇って瓦を投げる者がある。石ころでも竹切れでも、薪《まき》ざっぽうでも、手あたり次第に投げつけるのだから防ぎ切れない。異人たち三人も別手組もみな大小の疵を負って、血だらけになって逃げる。いや、飛んだ災難で気の毒でした。
この騒ぎを聞きつけて、もう一人の別手組が駈けて来たが、これもどうすることも出来ない。早く馬に乗って逃げろと注意したんですが、大勢の敵に隔てられて、馬をつないである空地の方角へ行くことが出来ない。結局、馬は置き捨てにして、命からがら池《いけ》の端《はた》の辺まで逃げました。異人たちはここへ来る途中で何か買物なぞをして来たんですが、それもみんな抛《ほう》り出してしまい、帽子もステッキもなくなって、散らし髪の血だらけという姿、実に眼も当てられません。
追って来る連中ももう倦《あ》きたと見えて、途中からだんだんに減ってしまって、池の端まで来る頃には誰も付いて来ない。これで先ずホッとしたんですが、さて困ったのは馬の一件で、そのままに捨てて帰るわけには行かない。といって、迂濶に引っ返すと又どんな目に逢うかも知れないので、異人たちは怖がって帰らない。女の異人などは顔の色をかえてふるえている。別手組二人で五匹の馬の始末はちっと困ると思ったが、ともかくも牽《ひ》いて来ることにして、二人の侍は元の空地へ戻ってみると、五匹のうちで二匹はゆくえ知れずになっている。この騒ぎにまぎれて、誰かが盗んで行ったに相違ない。一匹は女異人の乗っていた馬で、一匹は別手組の市川又太郎という人の馬でした。
今更ここで詮議をしていることも出来ないので、異人たちを三匹の馬に乗せて、ひと足先へ帰すことにして、別手組の二人はあとから徒歩《かち》で帰りました。これでまあ済んだようなものですが、相手が異人ですから事が面倒になりました。殊に三人ながらみんな顔や手に負傷しているので、東禅寺の方からむずかしい掛け合いを持ち込んで来ました。まさかに償金を出せとも云いませんが、その乱暴者を処分して、今後を戒めるようにしてくれと云うのです。乱暴者の処分と云ったところで、大勢の弥次馬ですから誰が何をしたのか判る筈はありません。ただ、捨て置かれないのは、どさくさまぎれの馬泥坊です。異人の馬ばかりでなく、日本の侍の馬まで盗んで行ったんですから、こいつは何とかして探し出さなければなりません。
八丁堀同心丹沢五郎治という人の屋敷へ呼ばれて、半七御苦労だが働いてくれという命令です。まあ、仕方がない。かしこまりましたと請け合って帰りました。かんがえて見ると、世の中にはいろいろの事件が絶えないものですね」
二
半七は主《おも》な子分らをあつめて評議の末に、皆それぞれの役割を決めた。九月二十六日の朝、自分は子分の幸次郎を連れて、ともかくも団子坂へ出てゆくと、菊人形は相変らず繁昌していた。別手組の一人が一緒に来てくれると、万事の調べに都合がいいと思ったのであるが、東禅寺警固の役目をおろそかには出来ないというので、現場へ同道することを断わられた。
しかし、別手組の人達から詳しい話を聞いて来たので、まず大抵の見当は付いていた。半七は歩きながら云った。
「馬どろぼうとは別物だろうが、異人の紙入れを取ったとか取らねえとかいう女、それもついでに調べて置く方がよさそうだな」
「そうですね」と、幸次郎もうなずいた。「いずれ女の巾着切《きんちゃっき》りでしょう。異人の紙入れを掏り取って、手早く相棒に渡してしまったに相違ありませんよ。江戸の巾着切りは手妻《てづま》があざやかだから、薄のろい毛唐人なんぞに判るものですか」
二人はそこらの休み茶屋へはいって、茶を飲みながらおとといの噂を訊くと、ここらの人達は皆よく知っていた。茶屋の女の話によると、その女は年ごろ二十八九の小粋な風俗で、ほかに連れも無いらしかった。彼女は騒動にまぎれて何処へか立ち去ったので、何者であるかを知る者はなかった。
女の人相などを詳しく訊きただして、二人はそこを出ると、幸次郎はすぐにささやいた。
「今の話で大抵わかりました。その女は蟹《かに》のお角《かく》と云って、両腕に蟹を一匹ずつ彫っている奴ですよ」
「そいつの巣はどこだ」
「どこと云って、巣を決めちゃあいねえようですが、お角と判れば調べようもあります」
二人は更に坂下の空地へまわると、秋草の乱れている中に五、六本の榛《はん》の木が立っていた。うしろは小笠原家の下屋敷で、一方には古い寺の生垣《いけがき》が見えた。一方には百姓の片手間に小商《こあきな》いをしているような小さい店が二、三軒つづいていた。それに囲まれた空地は五六百坪の草原に過ぎないで、芒のあいだに野菊などが白く咲いていた。五匹の馬をつないだのはかの榛の木に相違なく、そのあたりの草むらは随分踏み荒らされていた。
「馬を盗んで行った奴は素人《しろうと》でしょうね」と、幸次郎は云った。「商売人ならば日本馬か西洋馬か判る筈です。西洋馬なんぞ売りに行けばすぐに足が付くから、どうで盗むならば日本馬を二匹|牽《ひ》き出しそうなものだが、そこに気がつかねえのは素人で、手あたり次第に引っ張って行ったのでしょう」
「そうかな」と、半七は首をかしげた。
こんにちと違って、その時代における日本馬と西洋馬との相違は、誰が眼にも容易に鑑別される筈であった。第一に鞍《くら》といい、鐙《あぶみ》といい、手綱《たづな》といい、いっさいの馬具が相違しているのであるから、いかなる素人でも西洋馬と知らずに牽き去るはずがないと、彼は思った。
なにか手がかりになるような拾い物はないかと、一応はそこらを見まわしたが、何分にも草深いので探すことは出来なかった。ともかくも地つづきの百姓家へたずねて行って、その日の様子を訊いてみようと、二人は引っ返して歩き出そうとする時、幸次郎は小声で|あっ《ヽヽ》と云った。半七も振り向いた。
江戸は繁昌と云っても、その頃の江戸市内に空地はめずらしくなかった。三百坪や四百坪の草原は到る所にある。まして半分は田舎のような根津のあたりに、このくらいの草原を見るのは不思議でもなかったが、ここの空地は取り分けて草が深い。その草のあいだに、古い小さい祠《ほこら》のようなものが沈んで見えるのを、二人は最初から知っていたが、今や彼等を少しく驚かしたのは、祠のうしろから一人の女の姿があらわれ出でたことであった。
女は五十以上であるらしく、片手に小さい風呂敷包みと梓《あずさ》の弓を持ち、片手に市女笠《いちめがさ》を持っているのを見て、それが市子《いちこ》であることを半七らはすぐに覚った。市子は梓の弓を鳴らして、生霊《いきりょう》や死霊《しりょう》の口寄せをするもので、江戸時代の下流の人々には頗る信仰されていたのである。その市子が草にうもれた古祠のかげから突然にあらわれたのは、白昼でも何だか気味のいいものでは無かった。二人は黙って見ていると、女の方から声をかけた。
「もし、おまえさん方は何か探し物でもしていなさるのか」
「ええ、落とし物をしたので……」と、幸次郎はあいまいに答えた。
「おまえさん方の探す物は、ここらでは見付からないはずだ」と、老女は笑いながら云った。「もっと西の方角へ行かなければ……」
市子は占《うらな》い者や人相見ではない。その口から探し物の方角などを教えられても、恐らく信用する者はあるまい。まして半七らがその忠告をまじめに聴くはずはなかった。
「いや、ありがとう」と、幸次郎も笑いながら答えた。
それぎりで、二人は往来の方へあるき出すと、老女はそのあとを慕うように続いて来た。二人も無言、彼女も無言である。草をかき分けて往来へ出て、二人は左へむかって行くと、彼女もおなじく左へむかって来た。彼女はなかなか達者であるらしく、わずかに一間ほどの距離を置いて、男のようにすたすたと歩いて来る。それが自分たちのあとを尾《つ》けて来るようにも思われるので、幸次郎は振り返って訊いた。
「おめえはあすこに何をしていたのだ。あの祠《ほこら》を拝んでいたのかえ」
老女は黙っていた。
「あの祠には何が祭ってあるのだ」
「神様です」と、老女は答えた。
「神さまは判っているが、なんの神様だ」
「知りません」
「毎日拝みに来るのかえ」
「あの祠を拝みに行けというお告げがあったので、毎日拝みに来ます」
「おめえの家《うち》はどこだ」
「谷中《やなか》です」
「谷中はどの辺だ」
「三崎《さんさき》です」
「おめえは市子さんかえ」
「そうです」
「商売は繁昌するかえ」と、幸次郎は冗談のように訊いた。
「繁昌します」と、彼女はまじめに答えた。
そんなことを云っているうちに、半七らは百姓家の前に出た。それは片商売に荒物を売っている店で、十歳《とお》ばかりの男の児が店の前に立っていたが、半七らを見ると慌てて内へ逃げ込んだ。それに構わずに、二人は店へずっとはいると、三十二三の女房が奥の障子をあけて出た。彼女は先ず子供を叱った。
「なんだねえ、お前は……。お客さまが来たのに、逃げることがあるものか」
「狐使いだよ」と、男の児は表を指さすと、女房も表をちょっと覗いて、ふたたび小声で子供をたしなめるように叱った。
男の児は半七らを恐れたのではなく、そのあとから付いて来た市子を恐れているのであろう。その口から洩れた「狐使い」の一句が半七らの注意をひいて、二人は一度に表をみかえると、市子の老女は、彼等にうしろを見せて谷中の方角へたどって行った。
「あの市子は狐を使うのかえ」と、半七は訊いた。
「よくは知りませんが、そんな噂があります」と、女房は答えた。
「ここらへも始終来るのかえ」
「この頃は毎日のようにここへ来て、あの祠を拝んでいるので、ここらの者は気味悪がっています」
「あの空地の祠はなんだね」
「わたくしも子供の時のことですから、詳しい話は知りませんが、あの空地のところは臼井様とかいう小さいお旗本のお屋敷があったそうです」と、女房は説明した。「なにかの訳で殿様は切腹、お屋敷はお取り潰しになりまして、その以来二十年余もあの通りの空地になっています。その当座は祟りがあるとか云って、誰も空地へはいる者もなかったのですが、この頃は子供たちが平気で蜻蛉《とんぼ》やバッタなぞを捕りに行くようになりました。祠はその臼井様のお屋敷内にあったもので、お屋敷がお取り払いになる時にもそのままに残ったのですから、一体なにを祭ってあるのか誰も知っている者もありません。御覧の通りに荒れ果ててしまって、自然に立ち腐れになるのでしょう。仮りにも神様と名のつくものを打っちゃって置くのも良くないから、なんとか手入れをしようかと云う人もあるのですが、障らぬ神に祟り無しで、うっかりした事をして何かの祟りでもあるといけないというので、まあ其の儘にしてあります。そこへ此の頃あの市子さんが毎日御参詣に来るのですが、狐を使うなぞという噂のある人だけに、なんだか気味が悪いと近所の者も云っています。子供たちまでその姿をみると、狐使いが来たと云って逃げるのです」
「市子の名は何というのだね」
「おころさんと云うそうです」
「おころ……。めずらしい名だな」
半七らの詮議は市子や狐使いでない。そんなことは出さきの拾い物に過ぎないのであるから、その詮索はこのくらいに打ち切って、二人はかの異人の一件について話し出した。
「おとといは大騒ぎだったと云うじゃあねえか」と、半七は何げなく訊いた。
「ええ、たいへんな騒ぎでした」と、女房はうなずいた。「異人を殺してしまえと云って、大勢が追っかけて来るので、どうなる事かと思いました。それでもまあみんな無事に逃げたそうです」
「五人の馬はそこの空地につないであったのかえ」
「そうです。そのうちの二匹がなくなったというのですが、どうしたのでしょうかね」
異人の騒ぎで、ここらの者はいずれも家を空明《がらあ》きにして駈け出した。その留守のあいだに、二匹の馬が紛失したのであるから、誰が牽《ひ》き出したのか知っている者もない。別手組の侍が来ていろいろ詮議したが、誰も答えることが出来なかったと、女房は話した。
「年増のおんなが引っ張って行ったなんて云いますけれど、それもどうだか判りません」と、彼女は更に付け加えた。
「女が引っ張って行った……」と、半七は訊きかえした。「それを誰か見た者があるのかえ」
「いいえ、おれが確かに見たという者もないので……。誰が云い出すと無しに、そんな噂を聞きますが……。まさか女が……。ねえ、お前さん」
女房はその噂を信じないように云った。
三
半七と幸次郎は荒物屋の店を出て、再びかの空地のまん中に立った。五六百坪のところに屋敷を構えていたのであるから、昔ここに住んでいたという臼井なにがしはよほどの小旗本であろう。武家屋敷のうちに祭られているのは、まず稲荷の祠が普通である。二人はその祠の正体を見とどけることにして、草の奥へ踏み込んで行った。
「ねえ、親分」と、幸次郎はあるきながら云った。「荒物屋のかみさんは気のねえように云っていましたが、おんなが馬を引っ張って行ったというのも、聞き流しにゃあ出来ねえようですね。もしやお角じゃあありますめえか」
「おれも何だかそんな気がしねえでもねえ。勿論、最初から企らんだことでもあるめえが、どさくさまぎれの出来ごころで馬を引っ張り出したかも知れねえ。しかし女ひとりで二匹の馬を牽《ひ》き出すのは、ちっと手際《てぎわ》がよ過ぎるようだ。相棒の巾着切りが手伝ったのだろう」
「そうでしょうね。なに、お角のありかが判れば、その相棒も自然に知れましょう」
云ううちに、二人は古祠の前に行き着いた。祠は間口《まぐち》九尺に足りない小さい建物であるが、普請《ふしん》は相当に堅固に出来ていると見えて、二十年以上の雨風に晒されているにも拘らず、柱や扉などは案外にしっかりしているらしかった。扉をあけて覗くと、神体はすでに他へ移されたのであろう、古びた八束《やつか》台の上に一本の白い幣束《へいそく》が乗せてあるだけであった。その幣束の紙はまだ新らしかった。
「御幣は市子が納めたのだな」
半七は更に隅々を見まわしたが、煤《すす》びた古祠のうちには何物も見いだされなかった。二人は祠のうしろへ廻って、草のあいだを暫くあさりあるいたが、そこにも別に掘り出し物はなかった。
「まあ、仕方がねえ。ここはこの位にして、一旦引き揚げよう。おめえはそのお角という女の居どころを突き留めてくれ、おれはこれから足ついでに谷中《やなか》なか)へ廻って、三崎をうろ付いてみよう」
幸次郎に別れて、半七は谷中の方角へ足を向けた。千駄木の坂下から藍染《あいそめ》川を渡って、笠森稲荷を横に見ながら、新幡随院のあたりへ来かかると、ここらも寺の多いところで、町屋《まちや》は門前町に過ぎなかった。その寺門前で市子のおころの家を訊くと、彼女は蕎麦屋と草履屋のあいだの狭い露路のなかに住んでいることが判った。
おころは孀婦《やもめ》ぐらしの独り者で、七、八年前からここへ来て、市子を商売にしている。別に悪い噂もないが、一種の変り者で殆ど近所の附き合いをしない。彼女が狐を使うという噂は五、六年前にも一度伝えられたが、その噂もいつか止んだ。それがこの春頃から再び伝えられて、彼女は尾先《おさき》狐を使うとか、管《くだ》狐を使うとかいう噂が立った。しかし彼女はいわゆる狐使いのように、自分の狐を放して他人に憑《つ》かせるなどということはしないらしく、唯その狐の教えに依って、他人《ひと》の吉凶禍福や失せ物、または尋ね人のありかを占うに過ぎないのである。したがって、別に他人に害をなすというのではないが、ともかくも狐使いの名が其の時代の人々を恐れさせて、彼女が附き合いを好まないのを幸いに、近所の者も彼女と親しむことを避けていた。
そんなわけであるから、近所の者も彼女が出這入りの姿を見るだけのことで、そのふだんの行状などについては多くを知らないと云うのである。半七は露路へはいっておころの家を窺うと、江戸のまん中と違ってここらの露路の奥は案外に広かった。入口の狭いにも似ず、そこはかなりの空地があって、近所の人たちの物干場になっていた。おころの家には格子がなく、入口は明け放しの土間になっていたが、それでもふた間くらいの小じんまりした住居で、家内も綺麗に片付いているらしかった。おころはさっき一度帰って来て、すぐ又出て行ったと、隣りの女房が話した。
半七はその女房をつかまえて、おころのことを何か聞き出そうとしたが、壁ひとえの隣りに住みながら彼女はなんにも知らないと云った。唯その女房の口からこんなことが洩らされた。
「よくは知りませんが、おころさんには息子があって、どこかの屋敷奉公をしているそうです」
「その息子は時々たずねて来ますかえ」
「めったに来たことはありませんが、一年に二、三度くらいはたずねて来るようです」
「屋敷奉公といっても侍じゃああるめえ。足軽か中間だろうね」
「まあ、そうでしょうね」
「ここの家《うち》へ占いを頼みに来る人がありますかえ」と、半七は訊《き》いた。
「ここへ頼みに来る人は少ないようです。大抵は自分の方から出て行くのです」
「それじゃあ狐を連れて行くのだね」
「そうかも知れません」
余り多くを語るをはばかるように、女房は口をつぐんだ。半七もいい加減に打ち切ってそこを出た。おころという女がたとい狐を使うとしても、他人《ひと》に格別の害をあたえない限りは、そのままに見逃がして置くのが其の時代の習いであるから、これだけの材料ではどうする事も出来ないのである。きょうは取り留めた獲物も無しに、半七は神田の家へ帰った。
取り留めた獲物は無いと云っても、どこかの女が彼《か》の馬を牽《ひ》き出したらしいという噂と、おころの息子が屋敷奉公をしているという噂と、この二つを結びつけて半七は何事かを考えさせられたのであった。
その晩に亀吉が来た。その報告によると、けさから方々の博労《ばくろう》を問い合わせてみたが、どこへも馬を売りに来た者は無いらしいと云うのである。馬を盗む以上は、どこへか売りに行くのが普通であるが、あるいは詮議を恐れて当分は隠して置くのかも知れないと思われた。
あくる日の午過ぎに幸次郎が来た。
「お角の居どころは知れました。浅草の茅町《かやちょう》一丁目、第六天の門前に小さい駄菓子屋があります。おそよという婆さんと、お花という十三四の孫娘の二人暮らしで、その二階の三畳にお角はくすぶっているのです」
「商売は巾着切りか」と、半七は訊いた。
「若い時から矢場女をしたり、旦那取りをしたり、いろいろのことをやって来たようですが、この頃は決まった亭主も無し、商売も無し、まあ巾着切りが本職でしょうね。女のくせに酒を飲む、博奕を打つ、殊に博奕が道楽と来ているのだから、他人《ひと》の巾着を稼いだくらいじゃあ、あんまり旨い酒も飲めねえようですよ。それでもこの七月頃にゃあ、近所の近江屋という呉服屋の通い番頭を引っかけて、蟹の彫り物の凄いところを見せて、三十両とか五十両とか捲き上げたそうです。駄菓子屋の婆さんも近所の手前、お角の評判の悪いのに困り切って、なんとかして追い出そうとしているが、お角がなかなか動かねえので持て余しているらしく、わっしにも頻りに愚痴を云っていましたよ」
「人の目につかねえ為でもあろうが、駄菓子屋の三畳にくすぶっているようじゃあ、お角という女もあんまり景気がよくねえと見えるな」と、半七は笑った。「だが、異人の紙入れに幾らあったかな。勿論こっちの金に両替えしてあったろうが、外国の金だったら使い道はあるめえ。うっかり両替屋へ持って行ったら藪蛇《やぶへび》だ。巾着切りの方は現場を見たわけでもねえから仕様がねえが、例の馬の一件、それが確かにお角の仕業だかどうだか、今のところじゃあ一向に手がかりがねえ。そこで、お角の相棒はどんな奴だ」
「駄菓子屋の婆さんの話じゃあ、色男だか相摺りだか知らねえが、いろいろの男が四、五人たずねて来るそうで……。時によると、その狭い三畳で賽《さい》ころを振ったりするので、婆さんもひどく弱っているようでしたよ。来る奴らの居どころも名前も、婆さんはよく知らねえのですが、そのなかで一番近しく出入りをするのは、長さんと平さん……。平さんというのがお角の男らしいと云うのですが……」
「そいつの居どころもわからねえのか」
「確かにはわからねえが、その平公は何でも本郷|片町《かたまち》辺の屋敷にいる奴だそうで……」
「本郷の屋敷にいる……」
半七は偶然の掘り出し物をしたように感じた。市子のおころの息子は屋敷奉公をしていると云う、それがもしやこの平さんなる者ではないかと思い浮かんだのである。たとい取り留めた証拠はなくとも、探索はこんな頼りないようなことを頼りにして、根《こん》よくあさって行くのが成功の秘訣であることを、半七は多年の経験によってよく知っていた。
しかし本郷片町というだけでは、どこの屋敷であるか判らない。平さんというだけでは、その人間を探し当てることも困難である。お角を調べたところで、それを素直に云う筈はない。さしあたりは駄菓子屋の近所に網を張って、平さんなる者の出入りを窺うのほかは無い、気の長い仕事のようであるが、まあ我慢して張り込んでくれと、半七は幸次郎に云い含めた。
「如才《じょさい》もあるめえが、そいつの帰るときに尾《つ》けて行って、なんという屋敷の何者だか突き留めるのだぜ」
「承知しました」
幸次郎は請け合って帰ったが、それから二日ばかりは音沙汰もなかった。亀吉と善八は手を分けて近在までを詮議していたが、どこへも馬を売りに来たという噂は聞かなかった。ほかの物と違って、生馬《いきうま》を戸棚や縁の下に隠して置けるはずもないのであるから、近在の大きい農家か武家屋敷のうちにつないであるに相違ないと半七は鑑定して、亀吉らにもその注意をあたえて置いた。
十月|朔日《ついたち》の朝である。けさは急に冬らしい風が吹き出したと云っているところへ、松吉が息を切って駈け込んで来た。
「親分。おころという市子が殺されました」
四
松吉の報告によると、おころの死体はけさの六ツ半(午前七時)頃に、近所の人々に発見された。但し谷中の自宅に死んでいたのではなく、かの団子坂下の空地に倒れていたのである。
その死体は古祠の前に横たわっていたが、よほど激しい格闘を演じたらしく、彼女は髪をふり乱し、着物の胸をはだけて、かた手に白い幣束《へいそく》を持ちながら、仰向けに倒れていた。彼女はその顔をめちゃめちゃに掻きむしられた上に、喉《のど》を絞められていたのであるが、その死因が頗る怪しかった。喉を紋められたというよりも、三枚の長い鋭い爪で頸の左右を強く刺されたような形で、爪のあとが皮肉《ひにく》のなかに深く喰い込んでいた。鋭い爪に脈を破られたと見えて、頸《くび》のあたりから流れ出した血汐が枯草を紅《あか》く染めていた。
死に場所といい、その死にざまの怪しいのを見て、狐使いの彼女が狐に殺されたのであろうと、近所の者はおどろき恐れた。彼女は狐を夫にしていたが、近ごろほかに情夫《おとこ》をこしらえた為に、狐が怒って彼女を殺したのであると、まことしやかに云い触らす者もあった。彼女は自分の商売の種に狐を使いながら、碌々に毎日の食い物もあたえないので、狐が怨んで彼女を殺したのであると伝える者もあった。いずれにしても、怪しい市子の怪しい死について、いろいろの怪奇な浮説がそれからそれへと伝えられているのは事実であった。
「なにしろ、すぐに行ってみよう」
松吉を連れて、半七は早々に団子坂へ駈けつけると、おころの死体は今や検視を終ったところであった。検視に出張ったのは、あたかもかの丹沢五郎治で、彼は半七の顔を見るとすぐに声をかけた。
「半七、早えな。又ここで変なことが始まったよ。この草ッ原はどうも鬼門だ」
「まったく困りました」
半七は挨拶して、草のあいだに横たわっているおころの死体を一応あらためた。おころは大きい眼をむき出しにして死んでいた。
「狐に殺されたという噂だが、まさかにそんなこともあるめえ」と、丹沢は云った。「だが、爪のあとがちっとおかしい。まあ、よく調べてくれ。頼むぜ」
検視の役人はやがて引き揚げて、市子の死体は長屋の者に引き渡された。おころには息子があるらしいが、どこに住んでいるか判らないので、知らせてやることも出来なかった。相長屋の人達があつまって通夜《つや》をして、翌日近所の寺へ葬ることになった。
その通夜の晩に、亀吉はおころの露路の近所をうろ付いていた。半七と松吉は荒物屋の店を足溜まりにして、かの空地のあたりを見張っていた。
夜も九ツ(午後十二時)を過ぎた頃であろう。昼からの風は宵に止んだが、夜ふけの寒さは身に泌みるので、半七と松吉は小さい火鉢に炭団《たどん》を入れてもらって、荒物屋の店の隅にすくんでいると、縁の下には鳴き弱ったこおろぎの声が切れ切れにきこえた。やがて表の暗いなかで犬の吠える声がきこえた。つづいて二匹三匹の吠える声がきこえた。
「忌《いや》ですね。ゆうべも夜なかに犬が吠えました」と、店の女房がささやいた。
それを聞きながら、二人は立ち上がった。月のない夜ではあるが、星の光りはきらめいている。それをたよりに足音をぬすんで忍び出ると、犬の声は次第に近づいて、その犬の群れに追われながら、一つの黒い影が忍んで来るらしかった。注意して窺うと、犬の声はかの草原の方角にむかって行くのである。枯草を踏む犬の足音ががさがさと聞こえるので、人の足おとは確かに聞きわけかねたが、何者かが草原の奥へ忍んでゆくに相違ない。二人は息を殺して尾《つ》けてゆくと、犬の声はかの古祠のあたりに止まった。
ここまで来ると、犬はみな吠えなかった。かれらはただ低く唸るばかりであった。黒い影は祠の前で何事をしているのか、半七らの眼には見えなかった。この上はもう猶予すべきでない。半七は突然に声をかけた。
「もし、おまえさんは誰だね」
相手は返事をしなかった。
「わしらは御用でここに張り込んでいるのだ。返事をしねえと、つかまえるよ」と、半七は再び云った。
相手はやはり返事をしなかった。
二度までも念を押して、相手が黙っている以上、手捕りにするのほかはないので、松吉は探り寄って取り押さえようとすると、相手はいつの間にか摺り抜けてしまったらしく、そこらに人らしい物はいなかった。
「いねえか」と、半七は小声で訊いた。
「はてな」と、松吉はそこらを探し廻っていた。
この時、犬の群れはまた吠え出して、何者かが草の上を這って行くらしいので、半七は走りかかって押さえ付けた。暗いなかで、その腰のあたりへ手をかけたかと思うと、相手は急に跳ね起きて両手で半七の喉を絞めようとした。半七はその手を取って、再び草の上に捻じ伏せた。
「つかめえましたか」と、松吉は声をかけた。
「仕様がねえ。石橋山の組討ちだ」と、半七は笑った。「だが、もう大丈夫。女だ、女だ」
半七と松吉に引き摺られて、荒物屋の店の灯の前に照らし出された曲者は、六十前後の老女であった。その人柄や身装《みなり》によって察すれば、彼女もおころと同様に市子か巫子《みこ》のたぐいであるらしかった。
店の框《かまち》に腰をかけながら、半七は訊いた。
「おめえは何処の者だ」
「信州から来ました」と、老女は案外におとなしく答えた。
信州といえば、戸隠山《とがくしやま》の鬼女を想像させるが、彼女はそのやつれた顔に一種の気品を具えていた。その物云いや行儀も正しかった。
「名は何といって、いつから江戸へ来ているのだ」
「お千といいます。江戸へはこの六月に出て来ました」
「それまで国にいたのか」
「いいえ。江戸へ一度出て来まして、それから出羽奥州、東海道、中仙道、京、大坂、伊勢路から北国筋をまわって、十一年目に江戸へ来ました」
「なんでそんなに諸国を廻っていたのだ」
「尋ねる人がありまして……」
「たずねる人というのは……。市子のおころか」
「はい」
老女の眼は怪しく輝いた。
「ゆうべおころを殺したのはお前だな」
「はい」と、彼女は素直に白状した。
「今夜はここへ何しに来た」
「狐を取りに来ました」
膝の上に置いた彼女の両手の爪は、天狗のように長く伸びていた。取り分けて人差指と中指と無名指の爪が一寸以上も長く鋭く伸びているのを見ると、おころの死因も容易に想像された。半七も危くその恐ろしい爪にかかるところであった。
「おまえも狐を使うのか」
「使います。おころはわたくしの狐をぬすんで逃げたのです」
お千は若いときから信州のある神社の巫子《みこ》であったが、二十歳《はたち》を越えてから巫子をやめて、市子を自分の職業としていた。彼女は一生独り身であった。彼女自身の申し立てによると、彼女は一匹の管狐《くだぎつね》を養っていた。管狐は決してその姿を見せず、細い管のなかに身をひそめているのである。彼女は市子を本業としながら、その管狐の教えによって他人《ひと》の吉凶を占っていた。
あしかけ十一年の昔である。彼女は江戸へ出ようとして、信州から甲州へさしかかって石和《いさわ》の宿《しゅく》まで来た時に、風邪をこじらせて高熱に仆《たお》れた。それは木賃《きちん》同様の貧しい宿屋に泊まった時のことで、相宿《あいやど》の女が親切に看病してくれた。女はかのおころで、同商売といい、女同士といい、その親切に油断して、管狐の秘密をおころに話した。それから半月ほどの後、お千がどうやら起きられるようになった頃に、おころはかの管狐をぬすんで逃げた。
それを知って、お千は狂気の如くに怒った。彼女は病み揚げ句の不自由な身をおこして、すぐにおころの後を追いかけたが、そのゆくえは知れなかった。ともかくも江戸へ出て半年あまりも探しあるいたが、おころのありかは遂に判らなかった。しかも彼女の決心は固かった。命のあらん限りは尋ねあるいて、どうしても管狐を取り戻さなければ置かないと、それから足かけ十一年、殆ど日本の半分以上をさまよい歩いて、ことしの六月、再び江戸の土を踏んだのである。
かたきを尋ねる者は結局何処かでめぐり逢うと、昔から云い伝えている通り、彼女は九月のはじめに、上野の広小路でおころの姿を見つけた。ひそかにそのあとを尾《つ》けて行って、彼女が谷中の三崎に住んでいることを突き留めた。おころも最初はシラを切って、それは人違いであると云い抜けようとしたが、お千に激しく責められて、彼女もとうとう白状した。彼女は其の後二、三年のあいだ、伊豆相模のあたりを徘徊して、それから江戸へ戻って来たのである。しかし管狐を自分の家へ置くことは何だか気味が悪いばかりでなく、狐も人家の近いところに住むのを嫌うので、なるべく人家に遠いところを択《えら》んで養っていた。それも同じ場所では人の目につく虞《おそ》れがあるので、時々に場所を変えることにして、この頃は道灌山の辺に隠してあるから、いずれ持ち帰ってお前に戻すと誓ったので、お千も一旦は得心《とくしん》して帰った。
「おころは狐を返したか」と、半七は訊いた。
「返しません」と、お千の窪んだ眼はいよいよ異様にかがやいた。「わたくしも油断なく気をつけていますと、道灌山に隠してあるというのは嘘で、ほかに隠してあるらしいのです。その上に、わたくしが幾たび催促しても返しません。きのうの夕方、池の端で逢いましたから、きょうこそは勘弁ならないと厳しく催促しますと、実は団子坂の空地の古祠のなかに隠してあるから、夜更《よふ》けに行って取り出すと云うのです。それでは九ツ過ぎに逢おうと約束しまして、その時刻にこの空地へ来てみますと、おころは、ひと足先に来ていました。そこで祠の扉をあけると狐はいません。いつの間にか逃げたらしいと云うのですが、わたくしは本当にしません。わたくしをだまして、又どこへか隠したに相違ないとおころを激しく責めましたが、おころはどうしても知らないと云う。もういよいよ勘弁が出来なくなりましたから、その場で殺してしまいました」
「そこで、今夜は何しにここへ来たのだ」
「おころを殺しましたが、狐のありかは判りません。やっぱりここに隠してあるのかと思って、念の為にもう一度さがしに来たのです」
「まずこれで埓《らち》があきました」と、半七老人は笑った。
「そこで、馬の一件はどうなりました」と、わたしは訊いた。
「五、六日の後に幸次郎が平吉という奴を挙げて来ました。それが即ち平さんというので、本郷片町の神原|内蔵之助《くらのすけ》という三千石取りの旗本屋敷の馬丁でした。こいつはちょっと苦《にが》み走った小粋な男で、どこかの賭場でお角と懇意になって、それから関係が出来てしまったんです。お角のところへたずねて来たのを、張り込んでいる幸次郎に見付けられて、あとを尾《つ》けられたのが運の尽きです。それからだんだん探ってみると、異人の馬は神原の屋敷の厩《うまや》につないであることが判りました」
「じゃあ、主人も承知なんですか」
「承知なんです。と云うと、主人の神原も馬泥坊のお仲間のようですが、それには訳があります。神原という人は馬術の達人で、近授流の免許を受けていました。近授流というのは一場藤兵衛が師範で、文政の末に一場家滅亡と共に一旦断絶したのですが、天保以後に再興して、その流儀を学ぶ者が出来ました。御承知でもありましょうが、武家が馬術を学ぶのは自分の嗜《たしな》みにすることで、師範の家は格別、普通の者は馬術がよく出来るからといって立身出世することは出来ません。それですから、ひと通り以上に馬術を稽古するのは、馬に乗ることが好きだという人で、云わば本人の道楽です。神原は三千石の大身《たいしん》で、馬に乗るのが大好きでした。同じ道楽でも、武士としては誠に結構な道楽で、広い屋敷内に馬場をこしらえて毎日乗りまわし、時には方々へ遠乗りに出る。厩には三匹の馬を飼って、二人の馬丁を置いていました。そのなかでも平吉がお気に入りで、遠乗りの時なぞには大抵この平吉がお供をしていました。
いつぞやお話をした『正雪の絵馬』と同じように、道楽が昂《こう》じると、とかくに何かの間違いが起こり易いものです。神原という人も決して馬鹿な人物ではなかったんですが、好きなことには眼がくらむ。このごろ異人が日本へ渡って来て、西洋馬に乗り歩くのを見ると、馬も立派であり、馬具のたぐいも珍らしい。といって、その当時にはいくら金を出しても、西洋馬や西洋馬具を手に入れることは出来ない。おれもああいう馬に西洋鞍を置いて一度乗り廻してみたいと、よだれを垂らしながら眺めているのほかはありません。
そのうちに、かの団子坂の騒動が起こって、そこへちょうどに馬丁の平吉が通り合わせました。見ると、空地には西洋馬三匹と日本馬二匹がつないである。どさくさまぎれにこれを盗んで行けば、殿様もよろこぶに相違ない。こう云うと、たいへん忠義者のようですが、実は殿様から御褒美をたんまり頂戴しようという慾心が先に立って、一匹の西洋馬をこっそりと牽《ひ》き出しました。西洋馬にしましても、こっちは本職の馬丁ですから馬の扱い方には馴れているので、難なく牽いて出かけるところへ、お角が来かかったのです」
「異人の紙入れを掏ったのは、やっぱりお角でしたか」
「われわれの想像通り、蟹のお角でした。お角もあんな騒ぎになろうとは思わなかったんでしょうが、なにしろ、それが勿怪《もっけ》の仕合わせで、これもどさくさ騒ぎにまぎれて其の場を立ち去る途中、西洋馬を牽いて来る平吉に出逢ったのです。おや、平さん、その馬はとお角が声をかけると、平吉は眼で制して、おめえも一匹引っ張って来いと、冗談半分に云って行き過ぎると、お角もひどい奴、女のくせに平吉の真似をして、これも日本馬を一匹牽き出して行ったというわけです。誰が云い出したのか知りませんが、年増の女が馬を牽いて行ったという噂は、決して嘘ではなかったのです。
それから本郷の屋敷へ牽いてゆくと、主人の神原も少しおどろきました。異人の馬を盗んで来るなぞは、もちろん良くないに決まっている。そこで平吉を叱って、元へ返すように指図すればいいんですが、さてそこが道楽の禍いで、平生から欲しい欲しいと思っていた西洋馬や西洋馬具を眼の前に見せられると、たまらなく欲しいような気もする。平吉もそばから勧める。結局その気になって、神原は西洋馬を自分の厩につないで置くことにしました。屋敷内の馬場を乗り廻っているだけならば大丈夫、表へ乗り出さなければ露顕する気遣いはないと多寡をくくっていた。平吉はその褒美に十五両貰ったそうです。しかし日本馬の方は主人の気に入らない。むやみに売りに行けば、それから足が付く虞れがあるので、平吉は浅草あたりの皮剥《かわは》ぎ屋へ牽いて行って、捨て値に売ってしまいました。殺して太鼓の皮に張るのです。
こうして日本馬は処分してしまい、西洋馬は旗本屋敷の厩にはいってしまえば、容易に知れそうも無い理窟ですが、やっぱり悪いことは出来ないもので、その秘密もたちまち露顕することになりました。
さっきもお話し申した通り、お角の借りている駄菓子屋の二階へは、長さんと平さんが一番近しく来るという。その長さんは長蔵という奴で、お角が巾着切りの相棒です。こいつもお角に気があるんですが、お角は平吉ばかりを可愛がって、長蔵の相手にならない。幸次郎はこの長蔵を取っ捉まえて詮議すると、こいつは馬の一件は大抵知っている。そこで平吉に対するやきもちから、自分の知っているだけの事をべらべら喋《しゃべ》ってしまいました。昔から色恋の恨みはおそろしい。こいつが喋ったので何もかも露顕しました。
しかし相手が大身《たいしん》の旗本ですから、町方が迂濶に手を出すことは出来ません。そこで、町奉行所から神原家の用人をよび出して、その屋敷の馬丁平吉は行状よろしからざる者であるから、長《なが》の暇《いとま》を出したらよかろうと内々で注意しました。こう云われれば胸に釘で、用人もぎっくり堪《こた》えます。承知の上で屋敷へ帰って、平吉には因果をふくめて暇を出すと、門の外には幸次郎が待っていて、すぐ御用……」
「主人はどうなりました」
「本来ならば主人にも何かの咎めもある筈ですが、もともと悪気でした事でも無し、殊に幕末多事の際で、幕府も譜代の旗本を大事にする折柄ですから、馬を取り返されただけのことで、そのまま無事に済んでしまいました。神原内蔵之助という人は、維新の際に用人堀河十兵衛と一緒に函館へ脱走して、五稜郭《ごりょうかく》で戦死したそうですから、本人としては馬泥坊の罪を償《つぐな》ったと思っていたでしょう」
「平吉はおころという女の息子ですか」
「おころのせがれでした。しかし馬の一件と、狐の一件とは、別になんの係り合いも無かったのです」
「狐に馬を乗せたというわけですね」
「はは、しゃれちゃいけない。いや、その馬を取り返すのが面白い。神原の屋敷から表向きに牽き出しては、事が面倒です。そこで、夕がたの薄暗い時分に、本郷の屋敷の裏門からそっと牽き出して、かの団子坂の空地に放して置くと、町方の者が待っていて牽いて帰る。つまりは、馬が何処からか戻って来て、元の空地に迷っているのを取り押さえたということにして、外国側へ引き渡したのです。気の毒なのは別手組の侍で、この人の馬はもう皮を剥がれてしまったので、どうにも取り返しが付きませんでした」
「お角はどうなりました」
「蟹のお角、これに就いてはまだいろいろのお話がありますが、この一件だけを申せば、幸次郎が平吉を召し捕ると同時に、善八が茅町の駄菓子屋へむかった処、お角は早くも風をくらって、どこへか姿を隠しました」
最後に残ったのは、狐使いの問題である。それについて半七老人は斯《こ》う説明した。
「今どきの方々にお話し申しても、とても本当にはなさるまいが、江戸時代には狐使いという者がありました。それにも種類があるんですが、まず管狐というのを飼っているのが多い。細い管のなかに潜《ひそ》んでいて、滅多にその姿を見せないが、その狐がいろいろのことを教えてくれるので、狐使いは占いのようなことをやる。時にはその狐を他人《ひと》に憑《つ》けることもあるというので、恐れられたり忌がられたりするのです。しかしその狐にはいろいろの供え物をしなければならないので、狐使いは一生貧乏すると云い伝えられました。
おころが死んでしまったので、問題の管狐はどうなったか判りません。どこにか隠してあるか、逃げてしまったのか、そんなものが本当にあるのか無いのか、それらのことも判りません。お千はきっと何処にか隠してあるに相違ないと云っていました。人殺しですから、当然死罪になりそうなものでしたが、遠島で落着《らくぢゃく》しました。女牢にいるあいだも、今に狐が迎えに来てくれるなぞと云って、相牢の女どもを怖がらせていたそうですが、島へ行ってからどうしたか、あとの話は聞きません。
わたくしも暫く団子坂へ行きませんが、新聞なぞを見ると、菊細工はますます繁昌して、人形も昔にくらべるとたいへん上手に出来ているようです。しかし団子坂の菊人形を見物に行く明治時代の人達は、三十余年前にここで異人を殺してしまえと騒いだり、狐使いが殺されたりした事を夢にも知りますまい。世の中はまったく変りました。異人だの狐使いだのという言葉さえも消えてしまいました。菊人形の噂を聞くたびに、わたくしはその昔のことが思い出されます」
古歌に「月やあらぬ、春やむかしの春ならぬ、わが身ひとつは本《もと》の身にして」とある。半七老人の感慨もそれに似たものがあるらしい。私もさびしい心持で、この筆記の筆をおいた。
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蟹《かに》のお角《かく》
一
団子坂の菊人形の話につづいて、半七老人は更に「蟹のお角」について語り出した。団子坂で外国人らの馬をぬすんだ一件は、馬丁平吉の召し捕りによってひと先ず落着《らくぢゃく》したが、その関係者の一人たる蟹のお角は早くも姿をくらまして、ゆくえ不明となった。したがって、この物語は前者の姉妹篇とでも云うべきものである。
「蟹のお角という女は、だんだん調べてみると札付《ふだつ》きの莫連《ばくれん》もので、蟹の彫りものは両腕ばかりでなく、両方の胸にも彫ってあるのです。つまり二匹の蟹の鋏が右と左の乳首を挟んでいるという図で、面白いといえば面白いが、これはなかなかの大仕事です。大体ほりものというものは背中へ彫るのが普通で、胸の方まで彫らないことになっている。背中に彫るのは我慢が出来るが、胸に彫るのは非常に痛いので、大抵の者には我慢が出来ない。大の男でも、胸の方は筋彫りだけで止めてしまうのが随分あります。その痛いのを辛抱して、女のくせに両方の乳のあたりに蟹の彫りものを仕上げたんですから、それを見ただけでも大抵の者はぎょっとする。そこへ付け込んで相手を嚇しにかかるというわけで、こんな莫連おんなは男よりも始末がわるい。今はどうだか知りませんが、昔はこんな悪い女が幾らもいたもので、こんな奴は奉行所の白洲《しらす》へ出ても、さんざん不貞腐《ふてくさ》って係り役人を手古摺らせる。どうにも斯うにも仕様がないのでした。
前にも申した通り、団子坂の一件は文久元年九月の出来事で、それは間もなく片付きましたが、お角だけが姿をかくしてしまいました。しかしお角は馬を盗んだ本人ではなく、唯その手伝いをして、一匹の馬をひき出したと云うだけですから、この一件だけで云えば罪の軽い方で、どこまでも其の跡を追って詮議するというほどの事もなかったのです。ほかにも巾着切りや強請《ゆすり》がありますが、これとても昔はあまり厳しく詮議しなかったのですから、そのまま無事に過ごしていれば、暗いところへ行かずに済んだかも知れませんが、こんな女は無事に世を送ることは出来ない。結局は何事かしでかして、いわゆる『お上《かみ》のお手数《てかず》をかける』と云うことになるのです。
さてこれからがお話です。その翌年、即ち文久二年の夏から秋にかけて、麻疹《はしか》がたいへんに流行しました。いつぞや『かむろ蛇』のお話のときに、安政五年のコロリのことを申し上げましたが、それから四年目には麻疹の流行です。安政の大コロリ、文久の大麻疹、この二つが江戸末期における流行病の両大関で、実に江戸じゅうの人間をおびえさせました。これもその年の二月、長崎へ来た外国船からはやり出したもので、三月頃には京大坂に伝わり、それが東海道を越えて五、六月頃には江戸にはいって来ると、さあ大変、四年前の大コロリと負けず劣らずの大流行で、門《かど》並みにばたばた仆《たお》れるという始末、いや、まったく驚きました。
コロリはもちろん外国船のお土産です。麻疹は昔からあったんですが、今度の大流行はやはり外国船のおみやげです。そんなわけで、黒船《くろふね》は悪い病いをはやらせるという噂が立って、江戸の人間はいよいよ異人を嫌うようになりました。中には異人が魔法を使うの、狐を使うの、鼠を放すのと、まことしやかに云い觸らす者もある。麻疹は六月の末からますます激しくなって、七月の七夕《たなばた》も盂蘭盆《うらぼん》もめちゃめちゃでした。なにしろ日本橋の上を通る葬礼《とむらい》の早桶が毎日二百も続いたというのですから、お察しください。
それでも達者で生きている者は、中元の礼を見合わせるわけにも行きません。わたくしの子分の多吉という奴が、七月十一日のゆう方に、本所の番場まで中元の砂糖袋をさげて行って、その帰りに両国の方へむかって大川端をぶらぶら歩いて来る。こんにちとは違って、片側は大川、片側は武家屋敷ばかりで、日が暮れると往来の少ないところです。しかし日が暮れたといっても、まだ薄明るい、殊に多吉は商売柄、夜道をあるくのは馴れているので、平気で横網の河岸《かし》のあたりまで来かかると、向うから二人の男が来るのに逢いました。
見ると、二人は早桶を差荷《さしにな》いでかついでいる。このごろの弔いは珍らしくもないのですが、たれも提灯も持っていない。まだ薄明るいとはいいながら、日暮れがたに早桶をかつぎ出すのに無提灯はおかしいと、多吉は摺れちがいながらに、その二人の顔を透かして視ると、なんと思ったか二人は俄かにうろたえて、かついでいる早桶を大川へざんぶりと投げ込んで、一目散《いちもくさん》に引っ返して逃げ出したのです。多吉もいささか面くらって、そのあとを追っかける元気もなく、唯ぼんやりと見送っていましたが、なにしろ早桶をほうり込んだのを、其のままにして置くわけには行かないので、取りあえず東両国の橋番小屋へ駈け着けて、舟を出してもらいました。
おおかた此の辺であったかと思った所を探してみると、果たして新らしい早桶が引き揚げられました。その早桶の蓋をあけると、三十前後の男の死骸があらわれました。死骸は素っ裸で、どこにも疵の痕はありません。まず普通の病死らしく見えるのですが、唯ひとつ不思議なのは、そのひたいのまん中に『犬』という字が筆太《ふでぶと》に書いてあるのでした。いかに貧乏人でも古浴衣《ふるゆかた》ぐらいは着せてやるのが当然であるのに、この死骸は素っ裸にされて、額《ひたい》には犬と書かれている。これには何かの仔細がありそうだと、多吉もかんがえました。
第一、それが普通の病死で、どこかの寺へ送って行くならば、多吉の顔を見ておどろいて、早桶を大川へほうり込んで逃げ出すはずがありません。これには何かの秘密があるのは判り切っています。おそらく彼《か》の二人は多吉の顔を見識っていて、飛んだ奴に出逢ったと周章狼狽して、早桶を抛《ほう》り込んで逃げたのでしょう。平気で摺れ違ってしまえば、多吉の方では気が付かずに通り過ぎたかも知れなかったのですが、あんまり慌てたので却ってボロを出したのです。
しかし多吉の方では、その二人の顔に見覚えが有るような、無いような、どうもはっきりした見当が付かないので困りました。どこの誰ということを思い出せば、すぐに探索に取りかかるのですが、それが思い出せないので手の着けようが無い。これにはわたくしも困りました。この死骸は型のごとく検視を受けて、近所の寺へ仮り埋めされたことは云うまでもありません。
死人の額へ三角の紙をあてて、それに『シ』の字をかくのは珍らしくないが、額に『犬』という字をかくのは珍らしい。まあ、犬畜生のような奴だと云うのでは無いかと思われます。江戸時代のよし原では、心中した娼婦の死骸は裸にして葬ると云い伝えていますが、そのほかには死骸を裸にして葬るという話を聞きません。どう考えても、この死骸は因縁つきに相違ないのです。
こう申せば、いずれこの事件に、蟹のお角が係り合っていると云うことは大抵お察しが付くでしょうが、どういうふうに係り合っているかと云うのがお話です。まあ、お聴きください」
二
それから二日目の七月十三日の夕方である。神田の半七の家では盂蘭盆の迎い火を焚いて、半七とお仙の夫婦が門口《かどぐち》へ出て拝んでいると、旅すがたで草履をはいた一人の男が、その迎い火の煙りのまえに立った。
「親分、御無沙汰を致しました」
「あら、三ちゃんかえ」と、お仙が先ず声をかけた。
「ええ、三五郎ですよ。お迎い火を焚いているところへ、飛んだお精霊《しょうりょう》さまが来ましたよ」と、彼は笑いながら会釈《えしゃく》した。
彼は高輪の弥平という岡っ引の子分の三五郎で、江戸から出役《しゅつやく》の与力に付いて、二、三年前から横浜へ行っているのであった。それと見て、半七も笑った。
「やあ、三五郎か。久しぶりだ。まあ、はいれ」
内へ通されて、客と主人は向かい合った。
「江戸じゃあ悪い麻疹がはやるそうですが、どなたもお変りが無くって結構です」と、三五郎は云った。
「まったく悪いものがはやるので、世間が不景気でいけねえ。横浜はどうだ」
「横浜でもちっとははやるそうですが、まあ大した事もないようですよ」
「そこで、今度は何しに出て来た。盆が来るので、お墓まいりか」と、半七は訊いた。
「そうでございます、と云いてえのですが、どうも札付きの親不孝で……」と、三五郎はあたまを掻きながら又笑った。「実は親分に無理を願いに出たのですが、どうでしょう、横浜まで伸《の》して下さいますめえか」
「横浜に何かあったのか」
「わっしらだけじゃ纒まりそうもねえ事が出来《しゅったい》したので……」
彼は弥平の子分であるから、本来ならば高輪の親分のところへ荷を卸しそうなものであるが、江戸にいたときに半七の世話になった事もあり、現に去年の三月、半七が『異人の首』の捕物で横浜へ出張った時に、その手伝いをした関係もあるので、彼は高輪を通りぬけて神田までたずねて来たらしい。半七は団扇《うちわ》を使いながら訊いた。
「事によっちゃあ踏み出してもいいが、一体どんな筋だ」
「居留地の異人館の一件ですがね、去年の九月、男異人ふたりと女異人ひとりが江戸見物に出て来て、団子坂で殴られたり石をぶつけられたり、ひどい目に逢った事があるそうですね」
「むむ。おれもそれに係り合ったのだ。その異人がどうかしたのか」
「男異人のひとりはハリソン、ひとりはヘンリー、女はアグネスといって、ハリソンとアグネスは夫婦なんです」と、三五郎は説明した。「ところが、この八日の晩に、ハリソン夫婦が変死したので……。亭主のハリソンは自分の部屋の寝台の上に、喉《のど》を突かれて死んでいる。女房のアグネスは庭の木の蔭に倒れているというわけで、もちろん下手人は判りません。そこで、その探索を戸部の奉行所へ頼んで来たのですが、相手が異人だけに手を着けるのがむずかしい。異人の方じゃあ日本人が殺したことに決めているようですが、異人同士だって人殺しをしねえとは限らねえから、この探索はなかなか面倒ですよ」
「アグネスとかいう女房も殺されたのだな」
「そうです。だが、こいつは少しおかしい。なにかの獣《けもの》に喉と足を啖《く》われたらしい。最初に右の足を咬まれて倒れたところへ、また飛びついて喉を咬んだらしいと云うのですが……」
「おめえは、その死骸を見たのか」
「見ません。異人らは死骸を見せるのを嫌がって、誰にも見せねえ。ただ口の先で訴えるだけだから、どうも始末が悪い。ハリソンは近所に商館の店を持っていて、自分の家《うち》には女房のアグネスと富太郎というコックと、お歌という雇い女と、上下あわせて四人暮らしです。富太郎は江戸の本所生まれで、ことし二十六、お歌は程ケ谷生まれで、ことし二十一、それだから誰の考えも同じことで、富太郎とお歌が予《かね》て出来合っていて、主人夫婦を殺して金を取ろうとしたのだろうと云うことになるのですが……」
「二人は駈け落ちでもしたのか」
「いいえ、ただ呆気《あっけ》に取られてまごまごしている処を、すぐに引き挙げられてしまいました。二人が果たして出来合っていたことは白状しましたが、そのほかの事はいっさい知らないと云い張っていて、いくら責められても落ちねえので、役人たちもこの二人には見切りを付けて、ほかを探ってみる事になったのです。そこで、わっしの考えるにゃあ、ハリソン夫婦を殺した奴はどうも異人仲間じゃあねえかと思うのですが、どんなものでしょう」
「女房の方は獣に啖い殺されたらしいと云ったな」と、半七は少しかんがえていた。「いくら異人だって虎や獅子を日本まで連れて来ていやあしめえ、犬だろうな」
「洋犬《カメ》ですよ」と、三五郎はうなずいた。「ハリソンの家にゃあ大きい赤い洋犬を飼っていたそうですから、多分その洋犬の仕業《しわざ》だろうと云うのですが……」
「そうすると、亭主は人に殺されて、女房は犬に殺されたと云うことになるのだが、その犬はどうした」
「どこへ行ったか、その晩から犬のゆくえは知れねえそうです。そこで又、こんなことを云う者もあるのです。なにかの仔細があって、女房が亭主を殺して庭さきへ逃げ出すと、飼犬が主人の仇とばかりに飛びかかってその女房を啖い殺したのかも知れないと……。成程それもひと理窟あるようですが、それならばその洋犬がそこらにうろついていそうなものだが、どこへ行ったか姿を見せないのはおかしい。わっしの鑑定じゃあ、女房を啖い殺したのはハリソンの家《うち》の洋犬じゃあなく、恐らくほかの犬だろうと思うのです。ハリソンの飼い犬は邪魔になるので、仕事にかかる前に毒でも喰わせるか、ぶち殺すか、なんとかして押し片付けてしまって、ほかの犬を連れ込んだのじゃあねえかと……。それにしても判らねえのは、亭主を刃物で殺すくれえなら、女房も同じ刃物で殺してしまいそうなものだのに、なぜ犬なんぞを使って啖い殺させたのか、それとも自然にそうなったのか。そこらの謎が解けねえので、どうも確かなところを掴むことが出来ませんよ」
「夫婦が殺された時に、なにか紛失物はねえのか」と、半七はまた訊いた。
「知り合いの異人たちが立ち会って調べたそうですが、これぞという紛失物もないようだと云うことです」
「亭主を殺した刃物はなんだ」
「多分、大きいナイフ……西洋の小刀だろうと云うのですが、現場にはそんなものは残っていなかったそうです」
「ハリソンはいつから渡って来たのだ」
「去年の二月です。店の方にゃあ二人の異人と三人の日本人を使っています。日本人は徳助、大助、義兵衛といって、みんな若けえ奴らです。商売は異人館ですから、やっぱり糸と茶を主《おも》に仕入れているようですが、異人仲間の噂じゃあ相当に金を持っているらしいと云うことです。そこで、親分、いよいよ踏み出してくれますかえ」
「行って見てもいいが、おれの一存で返事は出来ねえ。たとい七里の道中でも、横浜となれば旅だ。八丁堀の旦那に相談して、そのお許しを受けにゃあならねえ。あしたの午過ぎに、もう一度来てくれ」
「ようがす、久しぶりで江戸へ帰って来たついでに、四、五軒顔出しをする所がありますから、あした又出直してまいります」
三五郎はなにか横浜のみやげを置いて帰った。それと入れちがいに多吉が来た。
「たった今、横浜から三五郎が来たよ」
「そりゃあ惜しいことをした」と、多吉は舌打ちした。「あいつ此の頃は景気がいいと云うから、見つけ次第に貸しを取り返してやろうと思っていたのだが……」
「いくらの貸しだ」
「三歩さ」
「三歩の貸しを執念ぶかく付け狙うほどの事もあるめえ」と、半七は笑った。「実は、あいつも商売用で出て来て、おれに加勢を頼むのだ。都合によったら旅へ出なけりゃあならねえ」
「横浜へ伸《の》すのですか」
半七からひと通りの話を聞かされて、多吉は仔細らしくうなずいた。
「そいつは何とか早く埓を明けてやらなけりゃあいけますめえ。日本の役人ペケありますなんて、毛唐人どもに笑われちゃあ癪ですからねえ」
「大きく云やあ、そんなものだ。あした八丁堀へ行って相談したら、旦那がたも多分承知して下さるだろう。ところで、例の大川の一件だが……。三五郎の話を聞いているうちに、ふいと胸に浮かんだことがある。というのは、大川へほうり込まれた死骸のひたいには、犬という字が書いてあったとか云うのだが、横浜で死んだ女異人は洋犬《カメ》に啖い殺されたのだそうだ。江戸と横浜じゃあちっと懸け離れ過ぎているようだが、世の中の事は何処にどういう糸を引いていねえとも限らねえ。どっちも犬に縁があるのを考えると、そこに何かの係り合いがあるのじゃああるめえか」
「そう云えば、そんなものかも知れねえが……」と、多吉は疑うように首をかしげた。「なんぼ何でも横浜で殺したものを江戸までわざわざ運んで来やあしますめえ。あっちにも捨て場所は幾らもある筈だ」
「理窟はそうだが、理窟でばかり押せねえことがある」と、半七も首をかしげながら云った。「なにしろ留守をたのむから、おめえは大川の一件を根《こん》よく調べてみてくれ。おれは横浜へ行って、ひと働きしてみよう」
「三五郎は別として、ほかに誰か連れて行きますかえ」
「松吉を連れて行こう。あいつは去年も一緒に行って、少しは土地の勝手を知っている筈だ。もっとも横浜も去年の十月にだいぶ焼けたと云うから、また様子が変っているかも知れねえ」
「横浜は焼けましたかえ」
「十月の九日から十日の昼にかけて、町屋《まちや》はずいぶん焼けたそうだ。異人館は無事だったと云うから、ハリソンの家《うち》なんぞは元のままだろう。火事を逃がれても、夫婦が殺されちゃあなんにもならねえ」
「浪士が斬り込んだのじゃあありますめえね」
「おれも一旦はそう思ったが、侍ならば刀でばっさりやるだろう。小刀のようなもので喉を突いたり犬を使ったり、そんな小面倒なことをしやあしめえ」
「そうでしょうね。じゃあ、あした又、様子を聞きに来ます」
多吉の帰ったあとで、半七は旅支度にかかった。横浜までは一日の道中に過ぎないが、その時代には一種の旅である。半七は女房に云いつけて、新らしい草履や笠を買わせた。
三
あくる朝、半七は八丁堀同心の屋敷へ行って、丹沢五郎治をたずねた。丹沢は去年の団子坂一件に立ち会った関係があるので、その異人夫婦の死を聞かされて眉をよせた。
「よくよく運の悪い連中だな。そういう訳なら行って見てやれ」
彼も多吉とおなじように、こんな事がいつまでも捗取《はかど》らないと、外国人に対して上《かみ》の御威光が自然に薄らぐ道理であるから、せいぜい働いて早く埓を明けろと云った。
半七は承知して神田の家へ帰ると、松吉は朝から待っていた。やがて三五郎も来た。三人が午飯《ひるめし》を食いながら相談の末に、あしたを待つまでもなく、これからすぐに発足《ほっそく》することになった。秋といっても七月の日はまだ長い。途中で駕籠を雇って、暮れないうちに六郷の渡しを越えてしまえば、今夜は神奈川に泊まることが出来るというので、三人は急いで出た。
見送りに来た多吉と幸次郎に品川で別れて、半七らは鮫洲《さめず》から駕籠に乗った。予定の通りに神奈川の宿《しゅく》に泊まって、あくる十五日に横浜にはいると、きょうは朝から晴れて残暑が強かった。戸部の奉行所へ行って、係りの役人らにも逢って、諸事の打ち合わせをした上で、半七らは三五郎に案内されて、居留地の異人館を一応見とどけに行った。ハリソンの自宅には錠がおろしてあるので、三五郎はその隣りに住む同国人のヘンリーをたずねた。ヘンリーは団子坂の道連れで、ハリソンの空家の監理人となっているのである。
かの事件以来、ヘンリーは奉行所へも再三出頭して、三五郎の顔を見識っているので、すぐに鍵を持って出た。彼は三人を案内して、ハリソンの家内を見せてくれたので、半七と松吉はめずらしそうに見てあるいた。ヘンリーは片言《かたこと》ながらも日本語を話すので、半七は参考のためにいろいろの質問を提出したが、双方の言葉がよく通じないので、要領を得ないことが多かった。
「奉行所から通辞《つうじ》を頼んで来ればよかったな」と、半七は自分の不注意を悔んだ。
ハリソンの部屋で、半七は三脚のある機械を見つけた。彼はそれを指さして訊いた。
「これ、何ですか」
「それ、フォト……。おお、シャシンあります」と、ヘンリーは答えた。
「ははあ、写真か」と、半七はうなずいた。
わが国における写真の歴史を今ここに詳しく説いている暇はないが、安政元年の春頃から我が国にも写真術の伝わっていた事をことわって置きたい。アメリカの船員が我が役人らを撮影し、あわせてその技術を教えたのが嚆矢《こうし》であると云う。その以来、写真術は横浜に広まって、江戸から修業にゆく者もあった。ことし文久二年は、それから八年の後であるから、横浜は勿論、江戸にも写真術をこころ得ている者が相当にあったことを知らなければならない。但しその時代の写真師は、特別の依頼に応じて撮影するか、或いは風景の写真を販売するかに留まって、明治以後の写真店のように一般の来客を相手に開業する者はなかったらしい。しかも世に写真というものがあり、江戸にも横浜にも写真師という者があることを、半七はかねて知っていたので、一種の好奇心を以って、その三脚の機械をしばらく眺めていると、ヘンリーは更に説明した。
「ハリソンさん、シャシン上手ありました。日本人、習いに来ました」
「その日本人はなんといいますか」と、半七は訊いた。
「シマダさん……。長崎の人あります」
「年は幾つですか」
「年、知りません。わかい人です。二十七……二十八……三十……」
だんだん訊いてみると、そのシマダという男は長崎から横浜へ来て、写真術を研究しているが、日本人に習ったのでは十分の練習が出来ないというので、何かの伝手《つて》を求めてハリソンの家へ出入りするようになった。ハリソンは商人で、もとより専門家ではないが、写真道楽の腕自慢から、喜んでシマダにいろいろの技術を教えた。シマダも器用でよくおぼえた。その以上のことは、ヘンリーの日本語が不完全のために詳しく判らなかった。
シマダは横浜に住んでいたが、去年の十一月の火事に焼けて、ひと月あまりはハリソンの家の厄介になっていたことがある。それから神奈川に引き移って、今もそこに住んでいる筈であるが、ヘンリーはその居どころを知らないと云った。
「ハリソンが死んでから、シマダという人はここへ来ましたか」と、半七は訊いた。
「ハリソンさん、八日の晩に死にました。その後、シマダさん一度もまいりません。知らせてやりたいと思いますが、シマダさんの家《うち》、知りません」
「犬はどうしました」と、半七はまた訊《き》いた。
「犬……犬……」と、ヘンリーは顔をしかめながら云った。「死にました、殺されました。犬の死骸、川に沈んでいました」
彼はその事実を完全に云い現わせないらしく、しきりに手真似をして説明するところによると、ハリソンの飼い犬はよほど残虐な殺され方をしたらしい。眼玉をくり抜き、舌を切り、喉を刺し、腹を裂き、あらん限りの残虐な手段を用いた上で、その死体を川へ投げ捨てたらしく、きのうの朝、即ち三五郎が江戸へ出ている留守中に発見されたのである。なぜそんな残酷な殺し方をしたのか、ヘンリーにも想像が付かないと云うのであった。
「あなた、シマダという人の写真、持っていませんか」と、半七は重ねて訊いた。
「わたくし、ありません」と、ヘンリーは答えた。
しかしハリソンはシマダを撮影したことがあるに相違ないから、何かの必要があるならば調べてみようと云うので、ヘンリーはハリソンの机のひき出しや手文庫などを捜索して、四五十枚の写真を見つけ出して来た。さすがは写真道楽だけあって、人物や風景や、みな鮮明に写し出されているのを、半七らは感心しながら覗いていると、ヘンリーはやがて一枚の写真をとりあげた。
「ありました、ありました。これシマダさんあります」
半七はその写真を受け取って眺めると、成程それは二十七八から三十ぐらいの細おもての男で、その人品も卑しくなかった。
「おめえはこれを知らねえか」と、半七はその写真を三五郎に見せた。
「知りませんね」
「多吉を連れて来ればよかったな」
云ううちに、ヘンリーは更に他の写真をテーブルの上にならべた。それは本牧《ほんもく》あたりの風景の写真であった。次に列べられた一枚の写真――それをひと目見ると、半七も松吉も思わず身を動かした。それは女の裸体写真であった。女は肌に一糸を着けない赤裸で、その右ひだりの胸と右ひだりの腕に蟹を彫っていた。
「おい、松。不思議なところで不思議な人に逢ったな」と、半七は小声で云った。
「むむう」と、松吉はうなるように溜め息をついていた。
四五十枚の写真全部をあらためたなかで、獲物《えもの》はシマダの写真と、女の裸体写真の二枚に過ぎなかったが、これは意外な獲物であると半七は思った。彼はヘンリーに頼んで、その二枚の写真を借りて来ることにした。
「その女、シマダさんの親類あります」と、ヘンリーは教えた。「わたくし、この人、ドロボウと間違えました。わたくし、悪いことしました」
「団子坂でこの女に逢いましたか」と、半七は訊いた。
「そうです、そうです。ダンゴ坂……。わたくし、その女、ドロボウと間違えました。日本の人、みな怒りました。ハリソンさん、アグネスさん、わたくし……みな殺されそうになりました」
ヘンリーの説明によれば、その女はシマダの紹介で、ハリソン方へ出入りすることになったのである。女のからだに珍らしい彫り物があるので、ハリソンは無理に頼んで撮影させて貰って、その報酬としてたくさんの金を彼女にあたえた。彼女もシマダと同じく神奈川に住んでいるとのことであるが、やはり其の居どころを知らないとヘンリーは云った。
もうこの上に探索の仕様もないので、半七はヘンリーに別れてここを出た。出るとき庭を一巡すると、アグネスの死体はここに横たわっていたとヘンリーが指さして教えた。そこは庭の片隅で、大きい椿が緑の蔭を作っていた。半七はそこらを隈なく見まわしたが、別に眼につくような物もなかった。
「親分、妙な写真を見つけましたね」と、三五郎はあるきながら云った。
「これは蟹のお角という女だ」と、半七はふところから写真を出して見せた。「こいつがハリソンの家《うち》へ出入りしていようとは思わなかった。こんな奴が出這入りをして、素っ裸の写真なんぞを撮《と》らせるようじゃあ、まだほかに何をしているか判らねえ。この一件にはお角が係り合っているらしい。それからシマダという奴……。多分、島に田を書くのだろう。こいつも何かの係り合いがありそうだ。おれは死骸を見ねえから、確かなことは云えねえが、ひたいに犬という字を書かれて大川へほうり込まれたのは、この島田という奴かも知れねえ」
「ハリソンの犬をむごく殺した奴は誰でしょうね」
「相手は犬だ、何もそんなにむごたらしく殺すにゃ当らねえ。何かその犬によっぽどの恨みがあると見える」と、半七は云った。「犬をなぶり殺しにした上に、島田の額には犬と書く……。この一件には犬が絡《から》んでいるに相違ねえが……」
「去年の団子坂は狐使いでしたが、今度は犬ですね」と、松吉は口を出した。「四国にゃあ犬神使いというのがあるそうだが、そんな者が横浜まで出て来やあしますめえ」
「まあ、黙って、少し考えさせてくれ」
もう午後に近い初秋の暑い日に照りつけられながら、半七は港の町をぶらぶらと歩いて帰った。
四
「さあ、これからだ」と、半七はやがて途中で立ちどまった。「島田もお角も神奈川とばかりで、その居どころが判らねえじゃあ少し困る。横浜には島田のほかにも、写真を始めている奴があるだろう。それに訊いたら判りそうなものだが……」
「そうです、そうです」と、三五郎はうなずいた。「横浜にも此の頃は写真を撮る奴が二、三人いる筈です。誰かに訊けば判るでしょう。この暑いのに大勢が駈けまわる事はありません。これは土地っ子のわっしに任せて、おまえさん達はいつもの上州屋で涼んでいて下さい」
上州屋は去年もおととしも泊まったことがあるので、半七と松吉はここの二階で休息することにして、三五郎と一緒に午飯を食った。
「まあ、横になって昼寝でもしておいでなせえ。夕方までには帰って来ます」
三五郎は箸をおくとすぐに出て行ったが、ゆう七ツ半(午後五時)頃に、汗をふきながら戻って来た。彼は威勢よく階子《はしご》を駈けあがって、半七らの座敷に顔を出した。
「いま帰りました」
「やあ、御苦労」と、半七は団扇《うちわ》の手をやすめた。「どうだ、判ったか」
「わかりました。最初に大泉という奴をたずねると、こいつは近ごろ来た人間で、島田のことはよく知らねえと云うのです。それから橋本という奴のところへ行くと、これは大抵のことを知っていました。橋本の話によると、島田は長崎の生まれで、年頃は二十八九、江戸にも二、三年いたことがあるそうですが、おととし頃から横浜へ来て写真を始めたのです。去年の火事に焼けてから神奈川の本宿《ほんじゅく》へ引っ込んで、西の町に住んでいるそうですが、女房子《にょうぼこ》のない独り者で、吾八という若けえ弟子と二人っきりで男世帯を張っていると云うことです」
「島田の名はなんというのだ」
「庄吉です。酒はすこし飲むが、別に道楽もない様子で、世間の評判も悪くないそうです。写真の修業のためにハリソンの家《うち》へ出入りをしていることは、仲間内でもみんな知っていて、本人もおれは西洋人について修業しているのだなどと自慢していると云うことです。そこで、親分、どうします。あしたは早々に神奈川へ行ってみますか」
「むむ。コックと雇い女を調べてえのだが、引き挙げられていちゃあちっと面倒だ。ともかくもあしたは神奈川へ行ってみよう。本人は留守でも弟子が残っているだろう」
「じゃあ、あした又出直してまいります」
それから世間話などをして、三五郎は帰った。あしたは早いからと云うので、今夜は五ツ半(午後九時)頃から蚊帳《かや》にはいったが、あいにくと上州|商人《あきんど》の三人づれが隣り座敷に泊まり合わせて、夜の更けるまで生糸の売り込みの話などを声高《こわだか》にしゃべっているので、半七らは容易に眠られなかった。横浜は江戸よりも涼しいと聞いていたが、残暑の夜はやはり寝苦しかった。
きょうは盆の十六日、横浜にも藪入りはあると見えて、朝から往来は賑わっていた。三五郎の来るのを待ちかねて、半七と松吉は早々に宿を出ると、きょうも晴れて暑かった。
「藪入りにはおあつれえ向きだが、おれたちには難儀だな」と、松吉は真っ青な空を仰ぎながら云った。
宮の渡しを越えて、神奈川の宿《しゅく》にゆき着いて、西の町の島田の家をたずねると、思いのほかに早く知れた。東海道から小半町も山手へはいった横町の右側で、畑のなかの一軒家のような茅葺《かやぶき》屋根の小さい家がそれであった。表には型ばかりのあらい垣根を結《ゆ》って、まだ青い鶏頭《けいとう》が五、六本ひょろひょろと伸びているのが眼についた。門の柱には「西洋写真」という大きい看板が掛けてあった。
門と云っても木戸のような作りで、それを押せばすぐにあいた。
「ごめんなさい」
三五郎が先ず声をかけると、二十歳《はたち》ばかりの若い男が内から出て来た。
「島田先生はお内ですか」
男は暫く無言で三五郎の顔をながめていたが、やがて低い声で答えた。
「先生は留守です」
「どちらへお出かけですか」
「江戸へ……」
入れかわって半七がずっとはいった。
「少しお前さんに訊きたいことがある。わたしらは戸部のお奉行所から来た者です。まあ、縁さきを貸しておくんなさい」
半七と三五郎は、庭を通って縁さきへ腰をかけた。松吉は裏手へまわって、人の出入りを見張っていた。奉行所から来たと聞いて、男も形をあらためて挨拶した。
「なにか御用でございますか」
「おまえさんは先生のお弟子さんかえ」と、半七は訊《き》いた。
「はい。吾八と申します」
見たところ、彼は正直そうな、おとなしやかな若者であった。
「先生は江戸へ何しに行ったのですね」
「商売のことで時々江戸へまいります。今度も大方そうだろうと思います」
「ここの家《うち》へお角さんという人が来ますかえ」
吾八は少し躊躇したが、それでも隠さずに答えた。
「はい」
「先生の親類ですかえ」
吾八は黙っていた。
「それとも色女かえ」
半七は笑いながら訊いた。吾八はやはり黙っていた。
「お角は始終ここの家に寝泊まりしているのですか」
「いいえ、時によると半月ぐらい泊まっていることもありますが……」
「先生は異人館のハリソンのところへ、始終出這入りをしているそうですね」
「はい。毎月五、六度ぐらいは参ります」
「お角もハリソンの家《うち》に行ったことがありますかえ」
吾八はまた黙ってしまった。
「おまえさん、正直そうな顔をしていながら、お角のことを訊くと、はっきり云わねえのはどういうわけだね」と、半七は又笑った。「先生はお角を異人館へ連れて行って、蟹のほり物を裸で写させたろう。わたしはその写真を見て来たのだ」
吾八はやはり黙っていた。
「おまえさんは知らねえかえ」
「知りません」と、吾八は小声で答えた。
「お角は今どこにいるね」
「知りません」
「先生と一緒に江戸へ行ったのじゃあねえかね」
「知りません」
「おまえさんは先生が江戸で殺されたのを知っているかえ」
「え」と、吾八は驚いたように相手の顔をみあげた。「それは本当ですか」
「むむ。早桶へ入れたままで大川へほうり込まれた。その額には犬という字が書いてあったよ」
「犬……」と、彼は更に顔の色を変えた。
半七は手をのばして、吾八の腕をつかんだ。
「さあ、正直にいえ。犬がどうした。犬と聞いて、貴様の顔色の変ったのがおかしいぞ。ハリソンの洋犬《カメ》は貴様たちが殺したのか」
それには答えずに、吾八は声をふるわせて叫んだ。
「お願いでございます。先生のかたきを取ってください」
「そのかたきをとってやろうと思って、わざわざ江戸から出て来たのだ」と、半七は声をやわらげて諭《さと》すように云った。「おまえの先生はお角が殺したのだろう」
「お角です。きっとお角に相違ありません」
「おれもそうだろうと思っていた。こうなったら何もかも正直に云ってくれねえじゃあ困る。一体、先生とお角とはどうして心安くなったのだ。前からの知り合いかえ」
「前からの知り合いだと云っていますが、どうもそうじゃあ無いらしいのです」と、吾八は答えた。「去年の冬、わたくし共がここへ引っ越して来て間もなくの事です。先生は江戸へ写真を売りに行って、その帰り道でお角に逢って、一緒に連れ立って帰って来ました。それから当分は夫婦のように暮らしていて、正月になってからお角は又どこへか出て行きました。その後はどうしているのか知りませんが、十日目か半月目ぐらいに帰って来て、暫くいるかと思うと又どこへか出て行って、家《うち》の人のような、よその人のような工合いで、出たり這入ったりしていました。そのうちに、この四月の初めでした。ハリソンさんが本牧の写真を撮りに来て、そのついでにこの家へたずねて来ますと、丁度その時にお角も来ていて、ハリソンさんと顔を見合わせてお互いにびっくりした様子でした。ハリソンさんは去年の九月、江戸の団子坂で菊人形を見物しているときに、女の巾着切りに逢いました。それが間違いのもとで、ハリソンさん夫婦も連れのヘンリーさんも、大勢に追っかけられてひどい目に逢いました。そのときの巾着切りがお角であったそうで、思いがけない再会に、ハリソンさんも一旦はおどろきましたが、お角はどこまでも自分が取ったのではないと云い張ります。わたしの先生もハリソンさんを宥《なだ》めて、この女は自分の親類で、決して悪いことをする者ではないと、いろいろに弁解しましたので、ハリソンさんもようよう納得《なっとく》しました。尤も団子坂でお角をつかまえた時に、お角はなんにも持っていなかったと云いますから、確かに巾着切りだという証拠も無いわけです。それが縁になって、お角も先生と一緒に、ハリソンさんの家《うち》へ時々たずねて行くようになりました」
「先生は金儲けのためにお角を連れて行ったのか」
「さあ、それはどうだか判りませんが、その後お角はひとりで、ハリソンさんの家へ行ったこともあります。ハリソンさんと二人づれで、神奈川の台の料理茶屋へ遊びに行ったこともあるそうです」
お角の腕は半七の想像以上に凄いものであるらしかった。
五
「お角が蟹の写真を撮らせたのは、いつ頃のことだね」と、半七は訊いた。
「六月の初め……五、六日頃の事とおぼえています」と、吾八は説明した。「これは先生もお角もわたくしには隠しているので、詳しいことは判りませんが、なんでも二人が夕がたに酔って帰って来て、奥で話しているのを聞きますと、お角はそのとき裸の写真を撮らせたらしいのです。お角は酔ったまぎれに大きな声でこんなことを云っていました……。いくらあたしのような女でも、あんな恥かしい事をしたのは生まれて初めてだ。それもみんなお前さんの為じゃあないか。だが、あとになって考えてみると、あんな真似をして二十ドルは廉《やす》かった。五十ドルも取ってやればよかった……。それを宥《なだ》めているような先生の声は低いので、よく聴き取れませんでした。その晩はそれで済んで、その明くる日からはいつもの通りに仲好くしていましたが、お角はその二十ドルを先生に渡さないらしいのです。口ではお前さんの為だなぞと云いながら、先生には一文もやらないようでした」
「お角はほかに情夫《おとこ》でもあるのか」
「そんな疑いがある様子で、先生とお角とは仲がいいように見えながら、また時々には喧嘩なぞをする事もありました。お角は六月の十日《とおか》過ぎに家を出て、二十日《はつか》頃まで姿を見せませんでしたが、又ふらりと帰って来て、別に変ったこともなしに暮らしていましたが、その晦日《みそか》の朝です。先生とお角は二人連れで出かけましたから、多分ハリソンの家へ行ったのだろうと思っていますと、やはり夕がたに帰って来ましたが、その時にはわたくしも驚きました」
「何をおどろいたのだ」
「先生もすこし蒼い顔をしていましたが、お角は真っ蒼な顔をして、眼は血走って、髪をふり乱して、まるで、絵にかいた鬼女《きじょ》のような顔をして、黙ってはいって来たかと思うと、だしぬけに台所へかけ込んで、出刃庖丁を持ち出して来て、先生に切ってかかりました。先生は庭から表へ飛び出して、畑の方へ逃げて行くと、お角もつづいて追っかけて行きました。何がなんだか判りませんが、わたくしも驚いて駈け出しました。御承知の通り、近所に人家もなく、もう日暮れがたで往来もありません。わたくしは一生懸命に追い着いて、うしろからお角を抱きとめると、先生も引っ返して、ようようのことで刃物をうばい取って、無理に家へ連れ込むと、お角は先生のふところから紙入れを引き摺り出して、それを持ったままで何処へか出て行ってしまいました。お角は始めから仕舞いまでひと言も口を利かないで、ただ先生を睨んでいるばかりでした。お角が出て行ったあとでも、先生はなんにも云いません。これも黙っているばかりですから、お角がなんで腹を立てたのか、どうして先生を殺そうとしたのか、その仔細はちっとも判りません。わたくしは煙《けむ》に巻かれてただぼんやりしていました」
意外の舞台面がだんだんに展開されるので、半七も三五郎も一種の興味を誘われた。
「お角はそれっきり姿を見せねえのか」と、半七は追いかけるように訊いた。
「それから五、六日は姿を見せません。先生も外へ出ませんでした」と、吾八は語り続けた。「この八日の夕がたに、わたくしが宿《しゅく》の銭湯へ行って帰って来ますと、門のなかに女の櫛が落ちていました。わたくしはそれを拾って、お角さんが来ましたかと訊きますと、先生は来ないと云いました。こんな櫛が落ちていましたと云って見せましたが、先生はやはり知らないと云うのです。どうもお角さんが来たらしいと思いましたが、わたくしは押して詮議もしませんでした。ところで、その翌日の九日のことです。わたくしは先生の使やら自分の買物やらで、朝から横浜へ出て行きました。ついでに友だちの家へ寄って、ひる飯の馳走などになりまして、七ツ(午後四時)頃に帰って来ましたが、そのときに異人館の人殺しの噂を聞きました。ハリソンさんの夫婦が誰かに殺されたと云うのです。それを先生に知らせようと思って、急いで帰って来ると、先生は見えません。先生も人殺しの噂を聞いて、わたくしと行き違いに出て行ったのかも知れないと思っていましたが、先生はそれっきり帰りません。念のために異人館へ聞き合わせに行きましたが、先生は九日以来一度も来たことは無いと云うのです。きょうでもう七日になりますが、先生のたよりは判りません。わたくしが横浜へ行った留守にお角さんが来て、一緒に江戸へ行ったのかと思いますが、それも確かには判りません」
「さっき江戸へ行ったと云ったのは嘘だね。確かな事じゃあねえのだね」
「恐れ入りました」
大川へ投げ込まれた早桶のぬしは確かに島田庄吉で、お角に誘い出されて何処かで殺されたに相違ないと半七は鑑定した。
「先生とお角が飲みに行くところは何処だ」
それは神奈川の台の江戸屋であると、吾八は答えた。三五郎を番人に残して、半七は松吉を連れてすぐに江戸屋へ行った。そこの帳場で聞きあわせると、島田とお角は九日の四ツ半(午前十一時)頃からここの二階へ来て、八ツ半(午後三時)頃まで差し向いで飲んでいたが、島田は正体もなく酔い潰れてしまったので、お角は駕籠を呼んで貰って、彼を扶《たす》け乗せて帰った。
いかに酔い潰れていると云っても、眼と鼻のあいだの近いところを駕籠に乗せて帰るのは少しおかしいと、半七はその駕籠屋を呼んで詮議すると、かれらはお角に頼まれて、正体のない島田を生麦《なまむぎ》の立場《たてば》まで送ったと云うのである。お角も駕籠に付いて行って、そこの立場茶屋へ島田を扶け入れ、相当の酒手をやって駕籠を戻した。駕籠屋の話によると、島田は前後不覚に酔っていたが、決して死んではいなかった。
死んでしまっては六郷の渡しを越えるのが面倒であるから、島田はまだ生きていたに相違ない。正体もなく酔わせて置いて、お角は自分の注文通りの場所へ運んで行ったのであろう。女の手ひとつで、それを仕遂げたか、途中から手伝いの者が加わったか、いずれにしても其の後の成り行きは想像するに難くない。しかも島田の額に犬という字をなぜ書いたか、それは依然として解き難い謎であった。
ハリソン夫婦を殺した下手人も、お角であることは大かた想像されたが、彼女がなぜ異人夫婦を殺すに至ったか、その仔細はやはり判らなかった。お角は八日の夜のうちにハリソン夫婦を殺し、併《あわ》せてその犬を殺し、その翌日は島田を誘い出して殺した。この筋道に間違いはあるまいと思われるのであるが、なぜ殺したか、どういう方法で殺したか、半七はその判断に苦しんだ。
「おい、松。ここでいつまで悩んでいても仕方がねえ、ともかくも写真屋へ帰ろう」
江戸屋を出て、本宿へさしかかると、半七は往来のまんなかで二匹の犬のたわむれているのを見た。
六
「調子に乗っておしゃべりをしていると、あんまり長くなりますから、もうここらで打ち留めにしましょう」と、半七老人は笑った。
「お角はどうなりました」と、私は訊いた。
「無論、召し捕りましたよ。お角は本所一つ目のお留という女髪結の二階に隠れていました。早桶をかつぎ出したのは、お留のせがれの国蔵と相長屋の甚八という奴で、国蔵はお角と関係があったのです。前にお話し申した通り、お角は神原の屋敷の馬丁と出来合っていたのですが、その馬丁の平吉が挙げられると、すぐに国蔵という後釜《あとがま》をこしらえる。そのほかに写真屋の島田と関係する。外国人のハリソンにもお膳を据える。いやもう乱脈でお話になりません。国蔵は小博奕《こばくち》なぞを打つ奴で、甚八もおなじ仲間です。この二人がお角に頼まれて、島田の死骸を入れた早桶をかついで、押上《おしあげ》辺の寺へ送り込むつもりで、日の暮れがたに出て行くと、あいにくに横網の河岸で多吉に出逢った。多吉の方じゃあよくも覚えていなかったんですが、国蔵の方じゃあ多吉の顔を識《し》っていて、ここで手先に見咎《みとが》められちゃあ大変だと思って……。根がそれほどの悪党じゃあありませんから、慌てて早桶を大川へほうり込んで逃げだした。そんな事をすれば猶さら怪しまれるのですが、度胸のない奴がうろたえると、とかくにそんな仕損じをするものです。どっちも気の小さい奴ですから、多吉に睨まれたと思うと、なんだか気味が悪くって自分の家《うち》へは寄り付かれず、その後は深川辺の友達のところを泊まり歩いていましたが、お角は女でもずうずうしい奴、平気でお留の二階にころがっている処を、とうとう多吉に探し出されました」
「お角はおとなしく召し捕られましたか」
「いや、それが面白い。その捕物には多吉と松吉がむかったのですが、女でも油断がならねえから不意撃ちを食わせろと云うので、時刻は灯《ひ》ともし頃、お角が裏の空地で行水《ぎょうずい》を使っているところへ飛び込んで御用……。いくらお角でも裸で逃げ出すわけには行きません。お手向いは致しませんから御猶予をねがいますと云って、からだを拭いて、浴衣を着て、素直に牽《ひ》かれて来ましたが、お角は奉行所の白洲へ出た時にそれを云いまして、いかにお上《かみ》の御用でも、女が裸でいるところへ踏み込むのは無法だと訴えました。すると、吟味与力の藤沼という人が、おまえはそれほど女の恥を知っているならば、素っ裸の写真を異人になぜ撮らせた。これを見ろと云って、例の写真を投げてやると、お角もさすがに赤面して一言《いちごん》もなかったそうです」
「そこで、人殺しを白状しましたか」
「白状しました。ハリソン夫婦を殺したのも、島田を殺したのも、みんな自分の仕業だと白状しました。島田のことはともかくも、異人殺しの方は確かな証拠がないのですから、飽くまでも知らないと強情を張り通せないことも無いのですが、お角が挙げられると、あとから続いて国蔵も甚八も挙げられる。こいつらがべらべら喋《しゃべ》ってしまいましたから、島田の死骸を捨てさせた事はもう隠しおおせません。こうなれば、一寸斬られるも二寸斬られるも同じことで、しょせん人殺しの罪科は逃がれないのですから、当人も覚悟を決めたのでしょう。もう一つには、わたくしの工夫で、一つの責め道具を見せてやりました」
「どんな責め道具です」
「島田の弟子の吾八に云いつけて、川から引き揚げた犬の死骸を写真に撮らせて、お角の眼の前に突き付けさせました。この洋犬《カメ》をむごたらしく殺したのはお前の仕業だろう。お前がなぜこの洋犬を殺したか、上《かみ》ではもう調べ済みになっているぞと云いますと、お角はその写真をひと目見て、いよいよ赤面して恐れ入ったそうです。そんな責め道具をどうして思い付いたかと云いますと、わたくしが神奈川の料理茶屋を出て写真屋へ帰る途中、往来のまん中で二匹の犬がふざけているのを見たのが始まりで、それからふっと考え付いたのです」
「どんなことを考え付いたのです」
「さあ、それは少しお話ししにくい事で……」と、老人は顔をしかめながら微笑《ほほえ》んだ。「お角の白状をお聴きになれば自然にわかりますよ。その白状によると、先ずこうです。ヘンリーはわたくしに隠していましたが、ハリソンとお角との関係について、女房のアグネスは嫉妬をおこして、家内はかなりに揉めていたらしいのです。そこで、六月|晦日《みそか》の朝……朝と云っても、やがて午《ひる》に近い頃だそうですが、お角は島田と一緒に異人館へ出かけて行くと、きょうは晦日の勘定日でハリソンは店の方へ出ていました。その留守に、アグネスと島田とお角と三人で暫く話していると、そのうちに島田がお角にむかって、細君もおまえの彫物《ほりもの》を写真に撮りたい。今度は、まる裸になるに及ばない、ただ両肌を脱いで蟹のほりものを見せればいいのだと云うのです。それで、十五ドル呉れるというのでお角も承知しました。
それから奥のひと間へはいって、暑い時分ですから帯を解いて、お角は帷子《かたびら》の両肌をぬいで、椅子に腰をかけて待っていると、やがて一匹の大きな洋犬《カメ》がのそのそはいって来て、低く唸りながらお角に迫って来るのです。これにはお角もおどろきましたが、窓の扉が堅く閉《しま》っていて、どうして明けるのか判らない。入口の扉にもいつの間にか錠がおろしてある。あわててお角は両肌を入れて、部屋じゅうぐるぐると逃げ廻っていましたが、なにしろここへ閉じこめられて逃げ出すことが出来ない。
こうして一時《いっとき》ほども過ぎた後に、誰があけたか知らないが、入口の扉が自然にあきました。お角は真っ蒼になって出て来ました。犬もおとなしく付いて来ました。
お角は黙って帰ろうとすると、島田も出て来ました。二人はやはり黙ったままで神奈川の家《うち》へ帰りました。これはお角ひとりの申し立てで、アグネスも島田も死んでしまったのですから、たしかなことは判りません。一体なんの為にこんな事をしたのか、犬を使ってお角を咬み殺させるつもりか、それとも何かほかに目的があったのか、それらのことも判り兼ねます。アグネスもお角に嫉妬を懐《いだ》いている。島田もほかに情夫《おとこ》があると云うのでお角に嫉妬を感じている。その二人が共謀して、何かお角を苦しめるつもりで、こんな事を企てたらしいと想像するのほかはありません。お角が無事に出て来たので、二人は当てがはずれたかも知れません。いずれにしても、お角は真っ蒼になって怒って、家へ帰るとすぐに島田を殺そうとしたくらいですから、よくよく口惜《くや》しかったに相違ありません。
三人を殺そうと決心して、お角は一旦江戸へ帰って、国蔵や甚八と打ち合わせをした上で、七月八日に横浜へ引っ返して来ました。勝手を知っているハリソンの家《うち》へ宵から忍び込んで、寝台の下に隠れていて、夜の更けるのを待って先ずハリソンを刺し殺しました。アグネスがおどろいて跳ね起きて、窓をあけて庭へ飛び降りると、お角もつづいて飛び降りた。そのとき例の洋犬が出て来て、本来ならば主人に加勢してお角に吠え付くか咬み付くかしそうなものですが、却ってお角に嗾《けしか》けられて、主人のアグネスに飛びかかって、とうとう咬み殺してしまったというわけです。飼い犬に手を咬まれるとは此のことで、犬はよっぽど、お角になついていたものと見えます。その御褒美に、犬はお角の手から番木鼈《マチン》を貰いました。その毒にあたって斃《たお》れるところを、前に申す通り、眼玉をくり抜いたり、腹を裂いたり、さんざんに斬り刻んで川へ投げ込んだ。犬はお角になついていたが、お角はよっぽど犬を憎んでいたのでしょう。大きい犬の死骸を運ぶのは女の手一つではむずかしい。表に国蔵か甚八が待っていたのだろうと思いますが、二人は知らないと云います。お角も自分ひとりでやったと云っていました。
さてその翌日は写真屋殺し……。これはもう大抵お判りになっている事と思います。生麦の立場茶屋には国蔵と甚八が待っていて、島田を別の駕籠に乗せて江戸へ送り込みました。島田はモルヒネを飲まされて死んだのです。こんな手数をかけてわざわざ江戸まで運んで来たのは、迂闊《うかつ》なところへ死骸を捨てられないのと、ハリソン夫婦を殺した下手人を島田に塗りつけようとする企らみであったのですが、もう一つには、島田の額に犬という字を書いて、犬のようにして埋めてやりたいと思ったからだと云います。アグネスと島田はともあれ、ハリソンまでも殺したのはちっと判りかねますが、一つ部屋に寝ているハリソンを先に殺してしまわなければ、思うようにアグネスを殺すことが出来ないからだと、お角は云っていました。そうなると飛んだ巻き添えですが、こんな女に係り合ったのが災難と諦めるのほかはありますまい。
この以上のことはお角もあらわに申し立てません。役人たちも深く立ち入って詮議をしませんでした。吾八も薄々はその秘密を知っていたらしいのですが、これも知らないと云って押し通してしまいました。わたくしにもお話は出来ません」
「それで、お角はどうなりました」
「もちろん命が二つあっても足りない位ですが、女牢に入れられて吟味中、流行の麻疹《はしか》に取りつかれて三日ばかりで死にました。お角にとっては、麻疹の流行が勿怪《もっけ》の幸いであったかも知れません。例の彫り物の写真はヘンリーの方でも要らないというので、町奉行所にそのまま保管されていましたが、江戸が東京とあらたまって、町奉行所の書類いっさいが東京府庁へ引き渡された時に、写真なぞはどう処分されましたか、恐らく焼き捨てられてしまったでしょう。
コックの富太郎と雇い女のお歌が、主人夫婦の変死について少しも知らないのは可怪《おか》しいと云う者もありましたが、まったく知らないと判って釈《ゆる》されました。二人は夫婦になって、後に西洋料理屋をはじめました。吾八は後に宇都宮吾陽という威《いか》めしい名乗りをあげて、横浜では売り出しの写真師になりました。わたくしもこの人に写真を撮って貰ったことがあります」
老人は手文庫の底を探って、明治初年の古い写真を出して見せた。
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青山の仇討《かたきうち》
一
読者もすでに御承知の通り、半七老人の話はとかくに芝居がかりである。尤も昔の探索は、幾らか芝居気が無くては出来なかったのかも知れない。したがって、この老人が芝居好きであることもしばしば紹介した。
日清戦争が突発するふた月ほど前、明治二十七年五月の二十日過ぎである。例のごとく日曜日の朝から赤坂の宅へ推参すると、老人はきのう新富座を見物したと云った。
「新富は佐倉宗吾でしたね」
「そうです、そうです。九蔵の宗吾が評判がいいので見に行きましたよ。九蔵の宗吾と光然、訥子《とっし》の甚兵衛と幻《まぼろし》長吉、みんな好うござんしたよ。芝鶴《しかく》が加役《かやく》で宗吾の女房を勤めていましたが、これも案外の出来で、なるほど達者な役者だと思いました。中幕に嵯峨や御室の浄瑠璃がありましたが、九蔵の光国《みつくに》はほんのお附き合いという料簡で出ている。多賀之丞の滝夜叉《たきやしゃ》は不出来、これは散散でしたよ。なにしろ光国が肝腎の物語りをしないで、喜猿の鷲沼太郎とかいうのが名代《みょうだい》を勤めるという始末ですから、まじめに見てはいられません」
老人が得意の劇評は滔々《とうとう》として容易に尽くるところを知らざる勢いであったが、それがひとしきり済むと、老人は更に話し出した。
「あの佐倉宗吾の芝居は三代目瀬川|如皐《じょこう》の作で、嘉永四年、猿若町《さるわかまち》の中村座の八月興行で、外題《げだい》は『東山桜荘子《ひがしやまさくらそうし》』といいました。その時代のことですから、本当の佐倉の事件として上演するわけには行きません。世界をかえて足利時代の芝居にしてあるのですが、渡し守甚兵衛と幻長吉が彦三郎、宗吾が小団次、宗吾の女房おみねが菊次郎、いずれも嵌《はま》り役で大評判、八月から九月、十月と三月も続いて打ち通しました。そこで、表向きは足利時代の事になっていますが、下総《しもうさ》の佐倉の一件を仕組んだのは誰でも知っているので、佐倉領のお百姓たちも見物のために江戸へ続々出て来るというわけで、芝居はいよいよ繁昌しました。もちろん芝居の方でも抜け目がなく、今度の宗吾を上演するに就いては、座方《ざかた》の者がわざわざ佐倉まで参詣に出かけ、大いに芝居の広告をして来たのでした。こんなことは昔も今も変りはありません。
その佐倉領のうちで、村の名は忘れましたが、金右衛門、為吉という二人の百姓が江戸へ出て来ました。これも中村座見物の連中で、十五人づれで馬喰町《ばくろちょう》の下総屋に宿を取っていたのです。金右衛門は娘のおさん、為吉は妹のお種を連れていましたが、江戸へ着いた翌日は先ず中村座見物、あとの二日は思い思いに江戸見物をして、それからみんな一緒に帰国するという約束。そこで、第一日の中村座では、宗吾の子別れで泣かされ、宗吾の幽霊で嚇《おど》かされ、無事に見物を済ませたので、二日目からは勝手に出あるく事になる。金右衛門と為吉は四谷と青山に親類があるので、江戸へ出た以上、そこを尋《たず》ねなければならないと、二人は他の一行に別れて馬喰町の宿を出ました。九月末の晴れた日で、おさんとお種の女たちも勿論連れ立って行きました。
お話の判り易いように、ここで少し戸籍調べを致して置きますが、金右衛門も為吉も土地では相当の農家で、金右衛門は三十八、娘のおさんは十六、為吉は二十一で、妹のお種は十七、双方は何かの遠縁にあたっていて、来年はおさんを為吉の嫁にやるという約束も出来ていたのですから、云わば一家も同然の間柄で、金右衛門が自分の親類をたずねると云えば、為吉|兄妹《きょうだい》も付いて行くという事になったのです。
金右衛門の一行四人は先ず四谷|塩町《しおちょう》の親類をたずねて、ここで午飯《ひるめし》を馳走などになって、それから千駄ケ谷|谷町《たにまち》に住んでいる親類をたずねることになりました。その親類もやはり下総屋といって、米屋をしているのです。その頃は何処へ行くも徒歩《かちある》きですから埓は明きません。おまけに江戸の勝手をよく知らない人たちが道を訊きながら歩くのですから、いよいよ捗取《はかど》らない。その日の八ツ半(午後三時)頃に青山六道の辻にさしかかりました。
六道の辻なぞと云うと、なんだか幽霊でも出そうな、凄い所のようにも思われますが、道の都合で四辻が二つある。それが続いているので、東から来る道がふた筋、西から来る道がふた筋、それに南北の大通りを加えると、道が六筋になる勘定で、誰が云い出したのか知りませんが、六道の辻という名になってしまったのです。ここらは小役人や御先手《おさきて》の組屋敷のあるところで、辻の片側には少しばかりの店屋があります。その荒物屋の前に荷をおろして、近在の百姓らしい男が柿を売っていました。
そこへ大小、袴、武家の若党風の男が来かかって、その柿の実を買うつもりらしく、売り手の百姓をつかまえて何か値段の掛け引きをしていました。すると、そこへ又ひとりの浪人風の男が来かかって、前の侍をひと眼見ると、たちまちに気色《けしき》をかえて大音に叫びました。
「おのれ盗賊、見付けたぞ」
見付けられた若党もおどろいた様子で、なにか返答をしたようでしたが、それはよく聞こえませんでした。一方の浪人は腰刀をぬいて飛びかかる。若党はいよいよ慌てて逃げかかる。そのうしろから右の肩先へ斬りつける。倒れるところを又斬るという騒ぎ。斬られた若党はその場で息が絶えてしまいました。
金右衛門の一行は丁度そこへ通り合わせて、自分たちの眼の前でこの活劇が突然に始まったのですから、きのう見物した中村座の芝居どころではない、四人は蒼くなって立ちすくんでいると、浪人は血刀《ちがたな》を鞘に納めて四人を見かえりました。
「おまえ達には気の毒だが、ここへ来合わせたが時の不祥だ。この場の証人になってくれ」
忌《いや》も応も云われないので、四人はその侍のあとに付いて行くことになりました。柿を売っていた男、荒物屋の女房、これも一緒に連れて行かれました。元来が往来の少ない片側《かたがわ》町、ほかの店の者はあわてて奥へ逃げ込んでしまったので、これだけの人間が係り合いになったわけです。以上六人を連れて浪人はその近所にある水野|和泉守《いずみのかみ》屋敷の辻番所へ出頭しました。
その浪人の申し立てによると、自分は中国なにがし藩の伊沢千右衛門という者で、父の兵太夫は御金蔵番を勤めていた。然るに或る夜、その金蔵を破って金箱をかかえ出した者がある。兵太夫が取り押さえてみると、それは相役の山路郡蔵であった。郡蔵は自分の不心得を深く詫びて、どうぞ内分にしてくれと頻りに頼むので、兵太夫も承知して、そんならその金箱を元のところへ戻して置けと、二人が金蔵の方へ引っ返そうとする時、郡蔵は不意に兵太夫を斬り倒して、金箱をかかえて逃げてしまった。兵太夫は深手ながら息があったので、その始末を云い残して死にました。こうなると、山路郡蔵は重々の悪人で、お家に取っては金蔵破りの盗賊、千右衛門に取っては親のかたきと云うことになります。そこで千右衛門は上《かみ》に願って暇《いとま》を貰い、仇のゆくえを探しに出ました。
千右衛門は先ず京大坂を探索しましたが、更に手がかりが無いので、東海道の宿々を探しながら江戸へ下《くだ》って来て、去年の夏から一年あまりも江戸市中を徘徊しているうちに、こんにち測らずも此の六道の辻で郡蔵のすがたを見つけたので、すぐに名乗りかけて討ち果たしたと云うのです。普通の喧嘩口論とは違って、千右衛門の申し立ては立派に筋道が立っています。主家の盗賊を仕留め、あわせて自分の親のかたきを討ったのですから、辻番所でも疎略には取り扱いません。それはお手柄でござったと云うので、湯などを飲ませてくれる。金右衛門の一行四人と、荒物屋の女房と柿売りと、みなひと通りの取り調べを受けただけで帰されました。
これで先ずほっとして、金右衛門の一行は千駄ケ谷谷町の下総屋へ尋《たず》ねて行って、今の話などをしていると、やがてこんな噂が耳にはいりました。六道の辻で仇討をした伊沢千右衛門という浪人者は、水野家の辻番所から姿をかくしたと云うのです。この時代の法として、こういう事件のあった場合には、ひと先ずその本人を辻番所又は自身番に留め置いて、その主人の屋敷へ通知すると、主人の方から衣服の裃《かみしも》を持たせて迎えの者をよこす事になっている。そうして、辻番の者にむかって、これは自分の屋敷の者に相違ないことを証明した上で、本人を受け取って行くのです。そこで、千右衛門の申し立てによると、自分は備中松山五万石板倉|周防守《すおうのかみ》の藩中であると云うので、辻番所からはすぐに外桜田の板倉家へ使を出しました。
その使の帰るのを待つあいだに、千右衛門は失礼ながら便所を拝借したいと云う。油断して出してやると、それぎり帰らない。いずれ屋敷内に忍んでいるに相違ないと、そこらを隈なく詮議したが、遂にその姿は見あたらない。なにしろ場末の屋敷で、その横手は大きな竹藪になっているから、それを潜《くぐ》って逃げ去ったのではないかと云う。そのうちに使が帰って来て、板倉家ではそんな者を知らないという返事です。さては偽者かと云うことになったのですが、偽物ならば随分ずうずうしい奴、白昼人殺しをして置いて、かたき討ちだなぞといつわって、自分から辻番所へ届けて出るとは、あまりに人を喰った仕方です。
しかし、それが通りがかりの喧嘩でなく、いきなりに声をかけて斬り付けたのを見ると、斬った者と斬られた者と、両方が見識り合いであるに相違ない。検視の役人が出張って、斬られた若党をあらためると、年の頃は三十四五で、どこの屋敷の者か、別に手がかりになるような物もありません。ふところの紙入れには二両ばかりの金がはいっていました。その当時、二両という金はなかなか馬鹿になりません。軽輩の若党らにしては、懐中《ふところ》が重過ぎると思われたのですが、ほかに詮議の仕様もないので、先ずそのままに済みました。
この噂を聴いて、金右衛門の一行もおどろいて、成程お江戸は恐ろしい所だと舌を巻きました。いや、これだけで済めばよいのですが、まだ恐ろしいことが続々|出来《しゅったい》したのです。まあ、お聴きください」
二
金右衛門らの一行は下総屋で夕食の馳走になって、土産物をもらったりして、暮れ六ツ過ぎた頃にここを出た。
今夜は一泊しろとしきりに勧められたのであるが、あしたは他の一行と共に浅草辺を見物する約束になっているので、今夜のうちに馬喰町の宿へ帰らなければならないと云って、四人は暇乞いをして出た。この頃の秋の日は短いので、もうすっかり暮れ切った。ここらは場末のさびしい土地で、途中には人家の絶えたところもあり、竹藪などの生い茂っているところもある。下総屋では小僧に提灯を持たせて、青山の大通りまで送って行かせた。
江戸の人達はさびしいと云うが、佐倉の在所《ざいしょ》に住み馴れた金右衛門らは、このくらいの所をさのみ珍らしいとも思わなかった。しかしきょうの昼間の出来事におびやかされているので、なんとなく薄気味の悪い四人は、小僧のあとに付いて黙って歩いた。谷町を出て、例の六道の辻を通りぬけて、やがて青山の大通りへ出ようとすると、そこらは道幅が一間半に足らない狭い往来で、片側は畑地、片側は竹藪になっている。その竹藪ががさりと云うかと思うと、何者か突然あらわれて小僧の持っている提灯をばっさりと切り落とした。
あっと云う間に、金右衛門も一太刀斬られて倒れた。おさんもお種も思わず悲鳴をあげた。なにを云うにも真っ暗であるから見当が付かない。大通りへ出る方が近いと思ったので、土地の勝手を知っている小僧は真っ直ぐに逃げた。ほかの者も夢中で続いて逃げた。
相手は追って来ないらしいので、大通りまで逃げ伸びて先ずほっとしたが、無事に逃げおおせたのは下総屋の小僧と、為吉とお種の三人で、金右衛門とおさんが見えない。金右衛門は斬り倒されたらしいが、娘はどうしたか分からないので、三人は心配した。小僧はすぐに青山|下野守《しもつけのかみ》屋敷の辻番所へ訴えると、辻番の者もふだんから小僧の顔を識っているので、現場まで一緒に来てくれた。その提灯によって照らして見ると、金右衛門は右の肩を斬られて、朱《あけ》に染《し》みて倒れていたが、おさんの姿はそこらに見いだされなかった。
曲者は藪から出て来たらしいと云うのであるが、その竹藪は間口《まぐち》四、五間の浅いもので、うしろは畑地になっているのであるから、曲者は再び藪をくぐって畑を越えて逃げ去ったものであろう。金右衛門はまだ息が通っていたが、その懐中《ふところ》の財布は紛失していた。大事の路用は胴巻に入れて肌に着けていたので、これは無難であった。財布には小出しの銭を入れて置いたに過ぎないので、その損害は知れたものであったが、娘ひとりの紛失が大問題である。未来の女房をうしなった為吉は蒼くなって騒いだが、どこを探すという的《あて》もなかった。取りあえず金右衛門を辻番所へ担ぎ込んで、近所の医者を呼んで手当てを加えると、傷は案外の浅手で一命にかかわるような事はあるまいと云うので、これはまず少しく安心した。
小僧は更に主人方へ注進したので、下総屋からは主人の茂兵衛と若い者二人が駈け付けて来て、手負いの金右衛門をひき取って帰ったが、おさんのゆくえは遂に知れなかった。おさんはことし十六で、色の小白い、いわゆる渋皮の剥《む》けた娘であるから、昼間から付け狙っていて拐引《かどわか》したのであろうという説が多数を占めたが、しょせんは一種の想像にとどまって、その真相はわからなかった。
「半七。青山辺が又なんだか騒々しいそうだ。この前の唐人飴の係り合いもある。おまえが行って、なんとか埓を明けてくれ」と、八丁堀同心の坂部治助が云った。
「かしこまりました」
半七はすぐに子分の庄太を連れて青山へ出張った。云うまでもなく、この事件は六道の辻の若党殺しと、金右衛門親子の一件とが、殆ど同時におこったのである。勿論それが同じ者の仕業《しわざ》か、あるいは別人か、まったく見当が付かないのであった。
二人は赤坂の方から行きむかったので、まず道順として青山下野守屋敷の辻番所に就いて、金右衛門一件の顛末を訊きただした。それから六道の辻にさしかかって、かの荒物屋の前に立った。ここの店さきで、真偽不明の怪しい仇討が行なわれたのである。
「おかみさん。きのうは飛んだ騒ぎだったね。さぞ驚いたろう」と、半七は云った。
「おどろきましたよ」と、店にいた三十前後の女房が答えた。「お侍さんが柿を買っていなさる処へ、又ひとりのお侍が来て、いきなりに斬ってしまったのです。かたき討だということでしたが、それが嘘だともいう噂で、どっちが本当ですかねえ」
「斬る方は何と声をかけたね」
「おのれ盗賊、見付けたぞと、大きい声で云いました」
「斬られた方はどんな返事をしたね」
「それがはっきり聞こえなかったのです。なんでも野口とか舌口とか云ったようでしたが……」
「野口とか舌口とか……」と、半七は口のうちで繰り返した。「それで、逃げるところを斬られたのだね」
「そうですよ」
斬った侍は、三十四五の浪人らしい男で、斬られた男も同じ年配の屋敷者らしい風俗であったと、女房は話した。半七は更にその人相や身なりを詳《くわ》しく訊きただして、ここを出た。それから水野和泉守屋敷の辻番所へ行って、やはりこの一件について前後の模様を聞き合わせたが、かたき討と称する浪人者は屋敷の大竹藪をくぐって逃げたに相違ないと云うのである。半七も恐らくそうであろうと鑑定した。
それから千駄ケ谷の谷町へ引っ返して、米屋の下総屋をたずねると、手負いの金右衛門は奥の間に寝かされていた。為吉とお種の兄妹《きょうだい》も暗い顔をして控えていた。下総屋は五年ほど前からここに開業したもので、土地では新店の方であるが、商売の仕方が手堅いというので、近所の評判は悪くなかった。主人の茂兵衛は金右衛門と同年配の三十九で、おととしの暮れに女房に死に別れ、その後はまだ独り身である。店には米|搗《つ》きの安兵衛、藤助のほかに、銀八、熊吉という若い者二人と、利太郎という小僧ひとりを使っている。台所働きの女中はお捨と云って、金右衛門らと同村の生まれである。
これだけのことを調べた上で、半七は店さきで茂兵衛と立ち話をはじめた。
「金右衛門は別に他人《ひと》から恨みを受けるような心あたりはねえかね」
「ございません」と、茂兵衛ははっきり答えた。「八年ほど前に一度、江戸へ出て来たことがありまして、今度が二度目でございます。そんなわけで、江戸には碌々に知りびともない位でございますから、恨みを受けるなぞという事がある筈がございません」
「そこで、お前さんはどう思うね」と、半七は探るように訊いた。
「それですから、何が何だか一向に見当が付きません」と、茂兵衛は眉をよせた。
「じゃあ、その金右衛門に逢わせて貰おう」
店の次に茶の間があって、そこから縁側伝いで六畳の奥座敷へ通うようになっている。そこへ案内されて、半七は怪我人の枕もとに坐った。
金右衛門は見るからに頑丈そうな男で、傷が案外に浅かった為でもあろう、顔の色は蒼ざめているが、気は確かであった。彼も茂兵衛と同様、江戸には殆ど知りびともない位であるから、恨みをうける覚えなどは更に無いと答えた。枕もとに控えている為吉兄妹もおなじ返事であった。殊に為吉らは生まれて初めて江戸へ出たと云うのであるから、何が何やら殆ど夢中で、この不意の出来事についてはただ茫然としているばかりであった。
ここで詮議しても埓が明かないと見て、半七はいい加減に切り上げて店を出ると、表に待っていた庄太が小声で訊いた。
「なにか当たりがありましたかえ」
「いけねえ、みんなぼんやりしているばかりだ」と、半七は苦《にが》笑いしながら云った。「おめえも知っている通り、この春はここらで唐人飴屋の一件があった。あいつは飛んだお茶番で済んでしまって、本当の奴はまだ挙がらねえ。今度の一件も何かそれに係り合いがあるのじゃあねえかと思う。ここらにゃあ安御家人がいくらも巣を組んでいるから、その次男三男の厄介者なんぞが悪い事をするのじゃあねえかな」
「そうかも知れませんね」と、庄太もうなずいた。「そうすると、その娘を引っさらって宿場《しゅくば》へでも売るのでしょうか」
「まあ、そんなことだろうな」
二人は話しながら六道の辻へ引っ返して来ると、三人連れの男に出逢った。かれらは庄太にむかって、ここらに下総屋という米屋はないかと訊いた。その風俗をみて、庄太はすぐに覚った。
「おまえさん達は馬喰町の下総屋に泊まっている佐倉の人達じゃあねえかね」
「そうでございますよ」
かれらは果たして金右衛門らの一行で、その遭難の通知におどろいて、これから様子を見とどけに行く途中であった。丁度いい人達に逢ったと喜んで、半七は三人を路ばたの大榎《おおえのき》の下へ呼び込んだ。
「わたしはお上の御用聞きで、この一件を調べに来たのだ。米屋の下総屋の亭主は金右衛門と従弟《いとこ》同士だというが、全くそうかね」
「いえ、亭主ではございません。女房が従妹同士なのでございます」と、三人のうちで年長《としかさ》の益蔵という男が答えた。
「米屋の茂兵衛はいつ頃から江戸へ出て来たのだね」
「十年ほど前に江戸へ出まして、最初は深川で米屋をして居りました。それから唯今の千駄ケ谷へ引っ越したのでございます」
「茂兵衛の女房はおととしの暮れに死んだそうだが、名はなんと云うね」
「お稲と申しました」
「子供は無いのだね」
「無いように聞いております」
「金右衛門は八年ほど前に江戸へ出たことがあるそうだね」
「はい。茂兵衛がまだ深川にいる時でございまして」
「金右衛門は茂兵衛に金の貸しでもあるかえ」
「そんなことは一向に聞いて居りません」
半七は更に為吉兄妹について訊きただしたが、いずれも年の若い正直者であると云うだけで、別に注意をひくような聞き込みもなかった。金右衛門の娘おさんが来年は為吉の嫁になることを、益蔵も知っていた。
三
六道の辻で斬られた男の身もとは遂に判らなかった。誰もたずねて来る者もなかった。金右衛門を斬ったのは土地の悪御家人の仕業《しわざ》であるとしても、かの若党と浪人は土地の者で無い。土地の者ならば、誰かが彼等の顔を見て識っている筈である。そうなると、この二つの事件はまったく別種のものと認めるのが正しいように思われて、半七もその分別に迷った。
宗吾の芝居見物に出て来た佐倉の人びとは、為吉兄妹を金右衛門の看護に残して、いずれも本国の下総へ帰った。
それから二日目の朝である。青山へ見張りに出してある庄太が神田の家へ駈け込んで来た。
「親分。またひと騒ぎだ」
「なんだ。なにが出来《しゅったい》した」
「米屋に逗留している娘が見えなくなった」
「為吉の妹か」
「そうです。お種という女です。きのうの夕方、と云ってもまだ七ツ半(午後五時)頃、近所の銭湯《せんとう》へ行ったが、その帰りに姿が見えなくなったと云うのです。湯屋は一町ほど距《はな》れている山の湯という家《うち》で、番台のかみさんの話では確かに帰って行ったと云うのですが、それぎり米屋へは帰らない。そこで又、大騒ぎになっているのです」
「仕様がねえな」と、半七は舌打ちした。「土地馴れねえ者が独りで出歩くからいけねえ。だが、庄太。同じことを二度するものじゃあねえな。自然に人に感付かれるようになる」
「お前さんは感付きましたかえ」
「少し胸に浮かんだことがある。このあいだ米屋へ行った時に、おれの眼についたのは藤助という奴だ。越後か信州者だろうが、米搗きにしちゃあ垢抜けのした野郎だ。あいつの身許や行状を洗ってみろ」
「あいつが曲者《くせもの》ですか」
「曲者とも決まらないが、なんだか気に喰わねえ野郎だ。あいつは道楽者に違げえねえ。まあ、調べてみろ」
「かしこまりました」
「もう一人、あの米屋の若い者に銀八という奴がいる。あいつも変だから気をつけろ。それから如才《じょさい》もあるめえが、亀吉とでも相談して、新宿あたりの山女衒《やまぜげん》をあさってみろ。このごろ宿場の玉を売り込みに行った奴があるかも知れねえ」
「成程、わかりました」
庄太は忽々《そうそう》に出て行った。その日はほかによんどころない義理があって、半七は午頃から日本橋辺へ出かけたが、例の一件が気になるので、その帰り道に青山へ足を向けた。なんと云っても此の事件は、六道の辻のあたりが中心であるので、半七はそこらを一巡うろ付いた後に、烏茶屋に腰をかけた。
江戸時代の人は口が悪い。この茶店の女房の色が黒く、まるで烏のようであるというので、烏茶屋という綽名《あだな》を付けてしまったのである。色は黒いが世辞のいい女房は、半七を笑顔で迎えた。
「いらっしゃいまし。朝晩は急に冬らしくなりました」
「もう店を片付けるのじゃあねえか」
「いえ、まだでございます。どうぞ御ゆっくりお休み下さい」
女房の云う通り、秋と冬との変り目の十月にはいって、朝夕は急に寒くなった。殊に権田原《ごんだわら》の広い野原を近所に控えている此処らは、木枯らしと云いそうな西北の風が身にしみた。
「寒いのは時候で仕方もねえが、この頃はなんだか物騒だと云うじゃあねえか」と、半七は茶を飲みながら云った。
「本当でございます。なんだか忌《いや》な噂ばかり続くので、気味が悪くってなりません。ゆうべも化け物屋敷に何かありましたそうで……」
「化け物屋敷……。そりゃあ何処だね」
「すぐそこのあき屋敷でございます」
「化け物でも出るのかえ」
女房の話によると、その屋敷には小池という御家人が住んでいた。屋敷は小さいが、地所は四五百坪ある。その主人は道楽者で、歳の暮れの金に困った結果、懸け取りに来た呉服屋の手代を絞め殺して、懸けさきから取りあつめた十両ほどの金をうばい取った。そうして、その死骸を裏手の畑に埋めて置いたことが露顕して、本人は死罪となったが、屋敷はそのまま残っている。こういう空屋敷には怪談が付き物で、殺された手代の幽霊が出るとか、鬼火が燃えるとかいう噂がある。その化け物屋敷の前を、ゆうべ近所の者が通りかかると、屋敷の奥で女の泣き声が微《かす》かにきこえたので、それを聞いた者は蒼くなって逃げ出したと云うのであった。
「ゆうべの何どきだね」
「まだ五ツ(午後八時)を少し過ぎた頃だそうですが、ここらは何分にも寂しゅうございますので……」
「いくら日が詰まっても、幽霊の出ようがちっと早いね」と、半七は笑った。「その屋敷はよっぽど前から空《あ》いているのかね」
「もう三年ぐらいになりましょう」
「屋敷のなかは荒れているだろう」
「ええ、もう、荒れ放題で、家は毀《こわ》れる。庭には草が蓬々と生えている。あんな無気味な屋敷は早く立ち腐れになってしまえばいいと、近所でもうわさをして居ります」
「そうだ。幽霊に貸して置いたのじゃあ店賃《たなちん》も取れず、早く毀れてしまった方がいいな」
半七は茶代を置いて烏茶屋を出ると、この頃の日はもう傾きかかって、何処からか飛んで来る落葉がばらばらと顔を撲《う》った。半七は肩をすくめながら歩いた。女房に教えられた化け物屋敷の前に立つと、もとより小さい御家人の住居であるから、屋敷といっても恐らく五間《いつま》か六間《むま》ぐらいであろうと思われる古家で、表の門はもう傾いていた。生け垣の杉も枯れていた。
裏口へ廻って木戸を押すと、錠も卸されていないと見えて、すぐに明いた。成程そこらは一面の草叢《くさむら》であったが、注意して見ると、その草のあいだには人の踏んだ跡がある。この化け物屋敷には幽霊のほかに出入りする者があるらしいと、半七は肚《はら》のなかで笑った。閾《しきい》のきしむ雨戸をこじ明けて、水口《みずくち》から踏み込むと、半七は先ず第一の獲物《えもの》を発見した。それは野暮な赤い櫛で、土間に落ちていた。
それを拾って袂《たもと》に入れて、半七は台所にあがった。家内はもう薄暗いので、雨戸を明け払って更に引き窓をあけた。久しく掃除をしないので、板の間《ま》は一面のほこりに埋められている。そのほこりに幾つもの足跡が乱れて残っているのを透かして視ると、それは男と女の足跡であるらしかった。何者かが忍んでいるかも知れないと、用心しながら奥へ入り込んだが、ただ一度、大きい鼠に驚かされただけで、鎮まり返った空家《あきや》のうちには人の気配《けはい》もなかった。
奥には茶の間《ま》らしい六畳の間がある。つづいて八畳の座敷である。茶の間へはいって、押入れの破れ襖《ぶすま》をあけると、押入れのなかも埃《ほこり》だらけになっていたが、下の板の間には隅々だけを残して、他に埃のあとが見えない。誰かが掃き出したのではなく、そこに人間が這い込んでいたのではないかと想像された。
半七は湿《しめ》っぽい畳の上に俯伏して、犬のように嗅《か》ぎまわると、そこには微かに糠《ぬか》の匂いがあった。糠がこぼれているらしいと、半七はひとりでうなずいた。米屋の奴らが、おさんかお種をここへ連れ込んで、押入れの中に監禁して、その泣き声が表へ洩れたのであろう。土間に落ちていた赤い櫛といい、その証拠は明白である。彼は更に家内を見まわったが、ほかにはこれぞという獲物はなかった。そのうちに日はだんだんに暮れて来たので、あかりを持たない半七は思い切ってここを出ると、表はもう暗くなっていた。
谷町の下総屋を目ざして行くと、途中で二人連れの男に逢った。店屋の灯のあかりに透かしてみると、それは彼《か》の為吉と米搗《こめつ》きの藤助であるらしい。この二人が連れ立って湯屋へでも行くのかと見送っていると、不意に自分の袂をひく者がある。見かえると、それは庄太であった。
「親分」と、庄太はささやいた。「為吉と藤助がどこかへ出かけます。尾《つ》けて見ましょうか」
「むむ。おれも行こう。悪くすると、為吉を誘い出して殺《ば》らすのかも知れねえ」
「そりゃあ油断が出来ねえ」
四
半七と庄太は見えがくれに、かの二人のあとを慕ってゆくと、二人は権田原の方へむかった。風が寒いせいでもあろう、二人は黙って俯向いて歩いていた。藤助は提灯を持っていた。米屋商売であるから下総屋としるした提灯を持つべきであるのに、今夜の藤助は無じるしの提灯を持っている。それが半七の注意をひいて、彼は庄太に何事をかささやくと、庄太はうなずいた。
「成程、こりゃあいよいよ油断が出来ねえ」
その頃の権田原は広い野原で、まだ枯れ切らない冬草が、武蔵野の名残りをとどめたように生い茂って、そのあいだには細い溝川《どぶがわ》が流れていた。月は無いが、空は高く晴れた宵で、無数の星が青白く光っていた。時々に吹きおろして来る寒い風におどろかされて、広い原一面の草や芒《すすき》が波を打つようにざあざあと鳴った。それが足音をぬすむには都合がいいので、半七と庄太は相当の距離を取って二人のあとに続いた。
原のまん中には何百年の歴史を知っているような大きい榛《はん》の木が突っ立っている。それは夜目にも窺われるので、為吉と藤助はその大樹を目あてに細い道を急いで行くらしかったが、やがてそれも眼の前に近づいた時に、忽ちに帛《きぬ》を裂くような女の悲鳴がきこえた。
「あれ、人殺し……」
つづいて男の叫ぶ声もきこえて、男と女が暗い草原をころげるように逃げて来るらしい。こうなると、半七も庄太も聞き捨てにはならないので、ともかくも声のする方角へ駈けてゆくと、ひとりの男が庄太に突きあたった。ひとりの女は半七に突きあたって倒れた。榛の木の下では男の笑う声がきこえた。
この不意の出来事におどろかされて、藤助と為吉は暫く其処に立ち停まっているらしいので、半七は見かえって声をかけた。
「おい、おい。その提灯を貸してくれ」
藤助はまだ躊躇しているので、庄太はじれて又呼んだ。
「おい、下総屋の奉公人。早く提灯を持って来い」
下総屋の名を呼ばれて、藤助ももう逃げることも出来なくなったらしく、提灯を持って近寄って来た。その灯に照らし出されたのは、二十一二の町人風の男と、新宿あたりの女郎らしい二十歳《はたち》前後の仇めいた女であった。
「駈け落ち者だな」と、庄太は云った。「それにしても、人殺しとはどうしたのだ」
「あすこに……」と、男は榛の木のあたりを指した。「不意に出て来て……斬るぞと云いまして……」
半七は、藤助の提灯を取って、すぐに木の下へ駈けて行ったが、そこにはもう人の影も見えなかった。事面倒と見て、早くも姿を隠したらしい。面倒は彼ばかりでなく、半七も同様であった。折角|尾《つ》けて来た為吉と藤助の二人を差し置いて、差しあたりはこの新らしい二人を詮議しなければならない事になったのである。彼は男と女をまねいて、榛の木の下まで連れてゆくと、庄太も他の二人も付いて来た。
「おめえ達はまったく駈け落ち者か」と、半七は二人に訊いた。「おれは御用聞きの半七だ。正直に云え」
御用聞きと名乗られて、二人はふるえた。抱えの遊女や芸妓を連れ出した場合、悪く間違えば拐引《かどわかし》ということになる。かどわかしは重罪である。それが御用聞きに出逢ったのであるから、かれらが恐怖にとらわれたのも無理はなかった。それを察して、半七はしずかに云い聞かせた。
「いくら商売でも、おれも邪慳《じゃけん》な事をしたくねえ。なんとか穏便に内済の法もあろうと云うものだ。なにしろ、おめえ達はどこの何という者だ」
かれらが恐るおそる申し立てるところによると、男は代々木の多聞院門前に住む経師屋《きょうじや》のせがれ徳次郎、女は内藤新宿甲州屋の抱え女お若で、ままならぬ恋の果ては死神《しにがみ》に誘われて、お若は勤め先をぬけ出した。二人はこの権田原の榛の木の下を死に場所と定めて、闇にまぎれて忍んで来ると、かれらよりもひと足先に来ている人があった。その人は突然に彼等をおびやかして、斬るぞと呶鳴った。死にに行く身にも恐ろしい犬の声――突然斬ると云われて、彼等はやはり恐ろしくなった。その一刹那、死ぬ覚悟などは忘れてしまって、二人は思わず人殺しの悲鳴をあげて逃げた。
その話を聴き終って、半七はうなずいた。
「むむ、判った、判った。だがまあ、死んじゃあいけねえ。おれもここへ来合わせたのが係り合いだ、なんとか話を付けてやるから、今夜はおとなしく帰れ。といって、無分別者をこのまま追っ放すわけにゃあ行かねえ。庄太、御苦労でも此の二人を甲州屋まで送ってくれ」
「だが、こっちは好うござんすかえ」と、庄太は不安らしく云った。
「まあ、こっちは何とかする。なにしろ此の二人を無事に帰さなけりゃあならねえ」
「ようがす。じゃあ、行って来ます。さあ、親分がああ仰しゃるのだから、二人共ぐずぐず云わねえで早く来ねえ。世話を焼かせると縛っちまうぞ」
嚇されて、二人も争う術《すべ》がなかった。かれらは権田原心中の浮き名を流す機会を失って、おめおめと庄太に追い立てられて行った。
これで先ず一方の埓は明いたので、半七は更に為吉と藤助の詮議に取りかかろうとして、持っている提灯をこちらへ振り向ける途端に、今度は為吉が悲鳴をあげて倒れた。はっと思って透かして視ると、抜き身を引っさげた一人の男が芒《すすき》をかき分けて一散に逃げ去った。それを追っても間に合わないと見て、半七はそこに突っ立っている藤助の腕をつかんだ。
「親分、わたしをどうするのです」と、藤助は慌てたように云った。
「どうするものか。さあ、白状しろ」
「わたしはなんにも知りません」
「空《そら》っとぼけるな。この野郎……」と、半七は叱り付けた。「貴様は今夜この為吉を殺《ば》らすつもりでここへ連れ出したのだろう」
「飛んでもねえことを……。わたしはただ、旦那の指図でこの為さんをここまで案内して来たのです」
「なんのために案内して来た」
「この大きい木の下に待っている人があるから、その人に逢わせてやれと云うのです」
「待っている人と云うのは誰だ」
「知りません。逢えば判ると云いました」
「子供のようなことを云うな。狐にでも化かされやしめえし、大の男二人が鼻をそろえて、訳もわからずに野原のまん中へうろうろ出て来る奴があるものか。出たらめもいい加減にしろ」
腕を捻じあげられて、藤助は意気地も無しに泣き叫んだ。
「堪忍して下さい、堪忍してください」
相手が案外に弱いので、半七はすこし躊躇した。こいつは本当に弱いのか、それとも油断をさせるのか、その正体を見定めかねて、思わず掴んだ手をゆるめると、藤助は草の上にぐたぐたと坐った。
「親分。わたしは全くなんにも知らないのです。御承知かも知れませんが、この為さんの妹がゆうべ見えなくなってしまいました。家《うち》の旦那も心配して、けさから方々を探し歩いていましたが、午過ぎになって帰って来まして、お種さんの居どころは知れたと云うのです。だが、相手が悪い奴で唯では渡さない。拐引《かどわかし》で訴えれば、一文もいらずに取り戻すことが出来るかも知れないが、そんなことに暇取っているうちに、お種さんのからだに何かの間違いがあっては取り返しが付かない。これも災難と諦めて、いくらかのお金を渡して無事に取り戻した方がよかろう。そこで向うでは十両出せと云う。わたしは五両に負けてくれと云う。押し問答の末に六両に負けさせて来たから、それを持って早く取り戻して来たら好かろうと云うことでした。そこで、為さんは金右衛門さんと相談して、ともかくもお種さんを取り戻しに行くことになりましたが、二人の路銀をあわせても六両の金がありません。胴巻の金まで振るい出しても、四両二分ばかりしか無いので、不足の一両二分は旦那が足してやることにして、今夜ここへ出て来たのです」
「主人がなぜ一緒に来ねえのだ」
「主人が一緒に来る筈でしたが、夕方から持病の疝癪《せんき》の差し込みがおこって、身動きが出来なくなりました。朝早くから出歩いて、冷えたのだろうと云うのです。そこで、主人の代りにわたしが出て来ることになりました。権田原のまん中に大きい榛の木がある。そこへ行けば、相手がお種さんを連れて来ているから、六両の金と引っ換えに、お種さんを受け取って来いと云われたので、為さんを案内して出て来ると、途中でこんな騒ぎが出来《しゅったい》したのです」
「それにしても、無じるしの提灯をなぜ持って来た」
「旦那の云うには、こんなことが世間へ知れると、おたがいに迷惑する。下総屋のしるしのない提灯を持って行けと云うので……」
「むむ。まあ、大抵は判った。じゃあ、おれに手伝って、この怪我人を運んで行け」
さっきから手負いのことが気にかかっているので、半七は藤助に指図して、そこに倒れている為吉を扶《たす》け起こそうとする時、うしろの枯れ芒ががさがさと響いた。
それが風の音ばかりでないと早くも覚って、半七が屹《きっ》と見かえる途端に、何者かが又斬ってかかった。油断のない半七はあやうく身をかわして、すぐにその手もとへ飛び込んだ。提灯は投げ出されて消えてしまった。素早く手もとへ飛び込まれて、刀を振りまわす余地がないので、相手も得物《えもの》をすてて引っ組んだ。こうなると双方が五分々々である。殊に岡っ引や手先は手捕りに馴れているので、相手もやや怯《ひる》んだ。
こういう野原の習いとして、誰が掘ったというでも無しに、自然に崩れ落ちた穴のようなものがある。暗がりで組打ちの二人は、足をすべらせて二、三尺の穴に落ちた。
五
「取り押さえましたか」と、私は中途から口をいれた。それを話す半七老人が眼の前にいる以上、仕損じの無かったことは知れているのであるが、それでも人情、なんだか一種の不安を感じたからであった。
「捕り損じちゃあ事こわしです」と、半七老人は笑った。「まあ、御安心ください」
「そいつはいったい何者です」
「こいつが六道の辻で仇討をした奴ですよ。かたき討をした時に、水野家の辻番へ行って、自分は備中松山五万石板倉周防守の藩中と名乗りましたが、それは出たらめで、実はその近所の一万石ばかりの小さい大名の家来です。自分は伊沢千右衛門、かたきは山路郡蔵、この姓名も出たらめで、本人は野口武助、相手は森山郡兵衛というのが実名でした」
「じゃあ、かたき討も嘘ですか」
「まあ、こういうわけです。野口武助の親父は武右衛門といって、屋敷の金蔵番であったのは本当です。せがれの武助は放蕩者、同藩中の森山郡兵衛と共謀して、自分のおやじが鍵預かりをしている金蔵へ忍び込み、五百両の金をぬすみ出して出奔した。こんな事をすれば親父に難儀のかかるのは知れ切っているのに、実に呆れた不忠不孝の曲者です。果たしてそれが為に、親父の武右衛門は切腹したそうです。ところで、本街道を行くと追っ手のかかる虞《おそ》れがあるので、武助と郡兵衛は廻り道をして丹波路へ落ちて来ると、郡兵衛は武助を途中で撒《ま》いて、どこへか逃げてしまいました。勿論、例の五百両は郡兵衛が持ち逃げをしたわけです。
これには武助もおどろいたが、表向きに訴えることも出来ません。なにしろ江戸へ出る約束になっていたのですから、郡兵衛も大かた江戸へ行ったろうという想像で、武助はそのあとを追って江戸へ出て来ましたが、一万石の故郷とは違って江戸は広い。いかに根《こん》よく探し歩いたところで、容易に知れる筈はありません。そのうちに懐中《ふところ》は乏しくなる。根が悪い奴ですから、お定まりの浪人ごろつきとなって、強請《ゆすり》や追剥ぎを商売にするようになりました。
そうしているうちに、国を出てから足かけ五年目、測《はか》らずも青山六道の辻で、かたきの森山郡兵衛にめぐり逢いました。主人のかたきでも無く、親のかたきでも無いが、自分に取っては年ごろ尋ねる仇《あだ》がたきです。そこで、おのれ盗賊……。実を云えば、自分も盗賊の同類ですが、まあ相手だけを盗賊にして、ここでかたき討ちをしてしました。しかし往来なかで人殺しをした以上、そのままに済ませることは出来ませんから、ずうずうしく度胸を据えて、自分の方から辻番へ名乗って出て、真実《まこと》空事《そらごと》取りまぜて、かたき討ちの講釈をならべ立てた次第です。
かたき討ちも嘘、姓名も身許も嘘ですから、板倉家へ問い合わされれば、すぐに露顕するのは判っています。そこで、辻番をうまくごまかして、横手の大竹藪へもぐり込んで、首尾よく逃げおおせたのです。殺された郡兵衛は悪銭身に着かずで、持ち逃げの金はみんな道楽に使ってしまい、今では本郷辺の旗本屋敷の若党に住み込んでいて、その日は千駄ケ谷辺の知りびとのところへ尋ねて行く途中、子供のみやげに柿を買っている処を、おのれ盗賊とばっさりやられたのですが、全く盗賊に相違ないのですから仕方がありません。一年三両二分の給金を取る若党が、ふところに二両足らずの金を持っていたのは少し不審で、こいつも相変らず悪い事をしていたのじゃないかと思われますが、死人に口無しで判りませんでした」
これで六道の辻の一件は説明されたが、佐倉の一行に関する秘密は不明である。しかも半七老人の話を聴いているうちに、誰でも疑いを懐《いだ》くのは下総屋という米屋の主人であろう。彼がこの事件に重大の関係を有するのは、どんな素人にも容易に想像されることである。私がそれを云い出すと、老人はうなずいた。
「そうです、そうです。金右衛門を斬って、娘のおさんをかどわかしたのは、下総屋の茂兵衛の仕業です。この茂兵衛という奴はなかなかの悪党で、店の若い者銀八というのを手先に使って、方々で盗みを働いていたのですが、商売は手堅く、うわべは飽くまでもまじめに取り澄ましていたので、近所は勿論、家内の者にも覚られなかったと云いますから、よっぽど抜け目なく立ち廻っていたに相違ありません。いつぞやお話をした唐人飴の一件、あの唐人飴屋が泥坊のぬれぎぬを着せられたのですが、あの辺を荒らした賊の正体を洗ってみると、実はこの茂兵衛の仕業だということが判って、青山辺ではみんな案外に思ったそうです。人は見掛けに因らないと云いますが、この米屋の奴らなぞは頗る上手にごまかしていたと見えます」
「金右衛門を斬ったのは、娘をかどわかす為ですか」
「こんな奴らですから、慾心も無論に手伝っていたでしょうが、これこそ本当のかたき討ちのつもりなんですよ」
「これもかたき討ちですか」と、私はすこし意外に感じた。
「まあ、かたき討ちですね。さっきもお話し申した通り、八年前に金右衛門は江戸見物に出て来たことがあります。そのころ茂兵衛は深川に住んでいて、やはり米屋をしていました。金右衛門は一人で出て来たので、馬喰町に宿を取らず、茂兵衛の家に小半月ほども泊まって、ゆっくり江戸見物をして帰りましたが、ここに一つの面倒がおこった。と云うのは、茂兵衛の女房のお稲と金右衛門とは従妹《いとこ》同士で、子供のときから仲がいい。今度も金右衛門が逗留している間、お稲が親切に世話をしてやった。それが亭主の茂兵衛の眼には怪しく見えたと云うわけで、金右衛門が帰国した後に夫婦喧嘩がおこりました。
従妹同士の金右衛門とお稲とのあいだに、本当に不義密通の事実があったのか、但しは茂兵衛ひとりの邪推か、そこははっきり判り兼ねますが、その以来、夫婦仲がとかくにまるく納まらないで、何かにつけて茂兵衛は女房につらく当たったそうです。そのためか、お稲はだんだんに体が弱くなって、おととしの暮れに三十三で死にました。死ぬ三日ほど前にも激しい夫婦喧嘩をしたと云いますから、お稲の死因も少し怪しいと思われないこともありません。
江戸と佐倉と距《はな》れていますから、そんな捫著《もんちゃく》のおこったことを金右衛門はちっとも知らないで、今度の芝居見物に出て来たついでに、八年振りで下総屋へ尋ねて来ました。その金右衛門の顔をみると、茂兵衛はむかしの恨みがむらむらと湧き出して……。昔はこういうのを女仇討《めがたきうち》と云いましたが、何分にも無証拠ですから、表立ってかれこれ云うことは出来ません。しかし相手の顔をみると、茂兵衛は口惜しくって堪まらない。こういう奴に限って、嫉妬心も深い、復讐心も強い。無理に金右衛門らを一泊させて、なにかひと趣向しようと思ったのですが、どうしても馬喰町の宿へ帰ると云うので、急に思い付いたのが前の一件です。
金右衛門ら四人を小僧に送らせて、自分は近道を先廻りして、藪のなかに待っていて、金右衛門に斬り付ける。若い者の銀八はおさんを引っ担いで逃げる。銀八は重い米をかついで毎日得意先へ配っているのですから、十六の小娘を引っ担いで逃げるのは骨は折れません。勿論、手拭をおさんの口へ捻じ込んで、例の化け物屋敷へ連れ込んで、茶の間の押入れへ投げ込んでしまいました。
これで万事思い通りに運んだのですが、茂兵衛の刄物は脇指で、おまけに腕が利かない。一方の野口武助はともかくも侍ですから、かたきの森山郡兵衛を首尾よく仕留めましたが、こっちは町人の悲しさにどうもうまく行かないで、斬るには斬ったが案外の浅手でした。まあ、こう云ったわけで、茂兵衛としては女仇討の積りだったのですよ」
これで金右衛門一件の輪郭は判った。
六
理窟の善悪はしばらく置いて、武助もかたき討ちであると云い、茂兵衛もかたき討ちであると云う。この二様のかたき討ちが同じ日の昼と夜とに起こったと云うだけで、双方のあいだに何の連絡も無いのであろうか。私はそれを訊きただすと、半七老人はにやにや笑った。
「あなたには判りませんかな。権田原で取り押さえたのが野口武助だと云ったじゃあありませんか。武助だって酔狂に抜き身を振り廻したのじゃあない。下総屋の茂兵衛と糸を引いているのですよ」
「そうすると、この二人は前から懇意なんですね」
「茂兵衛も女房に死に別れて、当時は独り身ですから、新宿なぞへ遊びに行く。しかし多くは昼遊びで、決して家を明けたことが無いので、誰も気がつかなかったそうです。その遊び先で武助と知り合いになって、悪い奴同士が仲好くなってしまったのです。茂兵衛の方が役者は一枚上なので総大将格、内では若い者の銀八、外では浪人の武助、この二人を両手のように働かせて、いろいろの悪事を重ねていたので、その兇状がだんだん明白になるに付けて、近所の者はいよいよ驚いたそうです」
「為吉の妹をかどわかしたのは誰です」
「お種をかどわかしたのも、やっぱり銀八です」と、老人は説明した。「わたくしは米搗きの藤助に眼を着けていたんですが、これは案外の善人で、銀八の方が案外の曲者でした。銀八は、茂兵衛の指図を受けて、化け物屋敷の空家に監禁してあるおさんの処へ、食い物をそっと運んでいたのですが、こんな奴が唯それだけで帰る筈がありません。定めて好き勝手な真似をして、年の行かない娘をいじめたのでしょう。おさんがどうぞ家《うち》へ帰してくれと泣いて頼むと、それじゃあ明日《あした》の夕がたに連れて行ってやると約束して帰りました。
そこで、あしたの午後、お種が近所の湯屋へ出て行ったのを見とどけて、化け物屋敷へおさんを迎えに行きました。おさんは喜んで出て来ると、途中で往来のないのを窺って、銀八は不意に匕首《あいくち》をおさんに突き付けて、これからお種に逢っても、おれの許すまで決して口を利いてはならないと嚇かして連れて行きました。そうして、湯屋の近所に待っていて、お種の出て来るのをそっと呼びました。
おさんの姿をみて、お種はおどろいて駈け寄ると、銀八がここでは話が出来ないから、ちょいと其処まで来てくれと云う。つまりはおさんを囮《おとり》にして、お種を誘い出したのです。おさんは嚇かされているので、迂濶に口を利くことが出来ない。お種はおさんに引かれて、うかうか付いて行く。なにしろ十六と十七の田舎娘ですから、こんな悪い奴に出逢っては赤児も同然、どうにも仕様がありません。こうして、おさんは化け物屋敷へ逆戻り、お種も一緒に生け捕られてしまいました」
「成程ひどい奴ですね」と、わたしも思わず溜め息をついた。
「ひどい奴ですよ。茂兵衛や銀八の肚《はら》では、こうして生け捕って置いて、二人の女を宿場女郎に売り飛ばす目算でしたが、金右衛門と為吉がいては何かの邪魔になる。殊に為吉は血気ざかりの若い者で、自分の女房と思っているおさんが行方不明になったので、気が気でない。たとい金右衛門の傷どころが癒っても、おさんやお種のゆくえの知れないうちは決して国へ帰らないなどと云っているので、これも何とか押し片付けてしまわなければならない。そこで、茂兵衛と銀八は相談して、為吉を権田原へ誘い出すことになったのです。こう云えば大抵お察しが付くでしょうが、榛の木の下に待っていたのはかの野口武助で、ここで為吉をばっさりという段取りでした」
「案内者の藤助は全くなんにも知らなかったんですか」
「米搗きの藤助、見かけは商売柄に似合わない小粋な奴で、ちっとは道楽もするのですが、案外にぼんやりした人間で、なんにも知らずに茂兵衛の手先に使われていたのです。いや、それでも運の好かったのは、自分の命の助かったことで……。茂兵衛や武助の料簡じゃあ、為吉ひとりを殺すと世間の疑いを受けるので、刷毛《はけ》ついでに藤助も冥途へ送るつもりだったそうです。どう考えてもひどい奴らです。
そこで、おかしいのは武助という奴で、なんぼ何でも人間ふたりを殺すのですから心持がよくない。酒の勢いを借りて威勢よくやる積りで、新宿あたりで一杯のんで来て、榛の木の下の暗やみに待っていると、そこへかのお若と徳次郎のひと組が来ました。道行《みちゆき》の二人連れ、さしずめ清元か常磐津の出語りで『落人《おちうど》の為かや今は冬枯れて』とか云いそうな場面です。誰の考えも同じことで、この榛の木を目当てに『辿り辿りて来たりけり』という次第。何しろここで心中をするのだから、それだけじゃあ済みますまい。お芝居の紋切り型で『抑《そも》や初会《しょかい》の其の日より』なぞと、口説き文句も十分にあった事と察せられます。
お若と徳次郎はそこらに人が忍んでいようとは夢にも知らないで、色模様よろしくあったのですが、暗やみで其の口説き文句を聴かされている武助はやりきれません。すっかり気を悪くして癪にさわった。おまけに一杯機嫌ですからなお堪まりません。もう一つには、ここで二人にごたごたされていては、自分の仕事の邪魔になる。かたがた不意に飛び出して、斬るぞと嚇かしたので、二人は驚いて逃げる。そこへ為吉と藤助が来る、庄太とわたくしが来る。いや、もう、大騒ぎで、何もかもめちゃくちゃになってしまいました。
武助は事面倒と見て、一旦は姿を隠したのですが、なんだか不安心でもあるので、そっと引っ返して来て窺っていると、お若と徳次郎は送り還されて、これから為吉と藤助の詮議が始まりそうになったので、為吉の口から詰まらないことを喋《しゃべ》られては大事露顕の基《もと》と、だしぬけに斬って逃げたのです。それで逃げてしまえばいいのに、また引っ返して来て今度はわたくしを斬ろうとした。本人は藤助を斬るつもりだったと云っていましたが、どっちにしても又出直して来たのが不覚で、とうとう運の尽きになりました」
「茂兵衛と銀八はすぐに召し捕られましたか」
「召し捕りました。庄太はまだ帰って来ず、わたくし一人では手に余るかと思ったのですが、うかうかしていて高飛びをされると困るので、まあどうにかなるだろうと、多寡をくくって、わたくし一人でむかいました。夜の商売でありませんから、下総屋はもう大戸をおろして、潜《くぐ》り戸の障子に灯のかげが映《さ》しているので、わたくしは藤助を指図して、外から唯今と声をかけさせました。冥途の道連れにされた筈の藤助が、無事に帰って来たので、内でもおどろいたのでしょう。銀八がすぐに潜り戸をあけて表を覗く。そこへわたくしが飛び込んで、有無《うむ》を云わさずに縄をかけてしまいました。
その物音を聞きつけて、奥から亭主の茂兵衛が出て来ましたから、これもすぐに押さえました。相手が二人ですから、一度に召し捕るのはむずかしいと思っていましたら、都合好く順々に出て来たので、案外にばたばたと片付きました。案じるよりは産むが易いとは此の事です」
最後に残ったのは女二人の始末である。それについて、老人は少しく顔をしかめた。
「おさんとお種が銀八に引き摺られて、例の化け物屋敷へ封じ込められたのは、御承知の通りです。もちろん手足をくくって押入れに投げ込んで置いたのですが、今度は二人になったので、その翌日の夕方、ひとりの縄の結び目をほかの一人が噛んで解《ほど》いて、どうにか斯うにか二人とも自由のからだになって、そこを抜け出しました。時刻を測ると、わたくしが踏《ふ》ん込んだ少し前のようです。ひと足ちがいで残念でした」
「それにしても無事に逃げたんですね」
「ところが、無事でない。ともかくもそこを抜け出したのですが、夕方ではあり、土地の勝手を知らないので、何処をどう歩いたのか、迷い迷って品川から大森の海岸へ出てしまったのです。もう夜は更けて、眼のまえに暗い大きい海がある。そこらの漁師町へでも行って、なんとか相談すればいいのですが、年の若い娘二人、いろいろのひどい目に逢って、少しは気も変になっていたのでしょう。こんな難儀をする位なら、いっそ死んだ方がましだと云うので、二人は一緒に海に飛び込みました。幸いに夜網の船が出ていたので、二人とも引き揚げられましたが、息を吹き返したのはお種だけで、おさんは可哀そうに助かりませんでした。佐倉宗吾の芝居が飛んだ災難の基で、江戸へ死にに来たようなものでした。
しかし金右衛門は浅手のために早く癒りました。これは茂兵衛のかたきですから、うかうかしていたら二度のかたき討ちをされて、おそらく無事には済まなかったでしょうが、茂兵衛や銀八が早く召し捕られたので命拾いをしました。為吉の傷は重いので一時はどうだかと危ぶまれましたが、これもふた月あまりで全快、国許から迎えの者が来て、金右衛門と為吉兄妹を引き取って帰りました」
「それから、道行の方はどうなりました」
わたしが笑いながら訊くと、老人も笑った。
「この方はなんと云っても芝居がかりの粋事《いきごと》です。男も女も借金と云ったところで知れたものですから、わたくしが口を利いて、甲州屋の方は親許身請けと云うことにして、お若のからだを抜いてやりましたよ」
「めでたく徳次郎と夫婦になったのですね。そこで、その親許身請けの金は……」
「乗りかかった船で仕方がありません。半七の腹切りです。しかし、わたくしの顔を立てて、甲州屋でも思い切って負けてくれましたから、さしたる痛みでもありませんでした。そりゃあ貴方《あなた》、わたくしだって、人を縛るばかりが能じゃあない。時にはこういう立役《たちやく》にもなりますよ。はははははは」
恐らく其の当時、半七老人は幡随院長兵衛の二代目にでもなったような涼しい顔をして、いい心持そうに反《そ》り返ったのであろうと察せられた。
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吉良《きら》の脇指《わきざし》
一
極月《ごくげつ》の十三日――極月などという言葉はこのごろ流行らないが、この話は極月十三日と大時代《おおじだい》に云った方が何だか釣り合いがいいようである。その十三日の午後四時頃に、赤坂の半七老人宅を訪問すると、わたしよりもひと足先に立って、蕎麦《そば》屋の出前持ちがもりそばの膳をかついで行く。それが老人宅の裏口へはいったので、悪いところへ来たと私はすこし躊躇した。
今の私ならば、そこらをひと廻りして、いい加減の時刻を見測らって行くのであるが、年の若い者はやはり無遠慮である。一旦は躊躇したものの、思い切って格子をあけると、おなじみの老婢《ばあや》が出て来て、すぐに奥へ通された。
「やあ、いいところへお出でなすった」と、老人は笑いながら云った。「まあ、蕎麦をたべて下さい。なに、婆やの分は追い足《た》しをさせます。まあ、御祝儀に一杯」
「なんの御祝儀ですか」
「煤掃《すすは》きですよ」
大掃除などの無い時代であるから、歳の暮れの煤掃きは何処でも思い思いであったが、半七老人は極月十三日と決めていると云った。
「わたくしなぞは昔者《むかしもの》ですから、新暦になっても煤掃きは十三日、それが江戸以来の習わしでしてね」
「江戸時代の煤掃きは十三日と決まっていたんですか」
「まあ、そうでしたね。たまには例外もありましたが、大抵の家《うち》では十三日に煤掃きをする事になっていました。それと云うのが、江戸城の煤掃きは十二月十三日、それに習って江戸の者は其の日に煤掃きをする。したがって、十二日、十三日には、煤掃き用の笹竹を売りに来る。赤穂義士の芝居や講談でおなじみの大高源吾の笹売りが即ちそれです。そのほかに荒神《こうじん》さまの絵馬を売りに来ました。それは台所の煤を払って、旧い絵馬を新らしい絵馬にかえるのです。笹売りと絵馬売り、どっちも節季らしい気分を誘い出すものでしたが、明治以来すっかり絶えてしまいました。どうも文明開化にはかないませんよ。はははははは。そんなわけですから、わたくしのような旧弊人《きゅうへいじん》はやはり昔の例を追って、十三日には煤掃きをして家内じゅう、と云ったところで婆やと二人ぎりですが、めでたく蕎麦を祝うことにしています。いや、年寄りの話はとかく長くなっていけません。さあ、伸びないうちに喰べてください」
「では、お祝い申します」
わたしは蕎麦の御馳走になった。夏は井戸換え、冬は煤掃き、このくらい心持のいいことはないと、老人はひどく愉快そうであった。きょうは雪もよいの、なんだか忌《いや》に底びえのする日であったが、老人はさのみに恐れないような顔をしていた。やはり昔の人は強いと、私は思った。
そばを喰ってしまって、茶を飲んで、それから例のむかし話に移ったが、かの大高源吾の笹売りから縁を引いて、頃は元禄十五年極月の十四日、即ち江戸の煤掃きの翌晩に、大石の一党が本所松坂町の吉良の屋敷へ討ち入りの話になった。老人お得意の芝居がかりで、定めて忠臣蔵のお講釈でも出ることと、私はひそかに覚悟していると、きょうの話はすこし案外の方角へそれた。
「どなたも御承知の通り、義士の持ち物は泉岳寺の宝物になって残っています。そのほかにも大石をはじめ、他の人々の手紙や短冊のたぐい、世間にいろいろ伝わっているようですが、どれもみんな仇討をした方の物ばかりで、討たれた方の形見《かたみ》は見当たらないようです。上杉家には何か残っているかも知れませんが、世間に伝わっているという噂を聞きません。ところが、江戸に唯一軒、こういう家がありました。今も相変らず繁昌かどうか知りませんが、日本橋の伊勢|町《ちょう》に河辺昌伯という医者がありまして、先祖以来ここに六代とか七代とか住んでいるという高名の家でしたが、その何代目ですか、元禄時代の河辺という人は外科が大そう上手であったそうで、かの赤穂の一党が討ち入りの時に吉良|上野《こうずけ》の屋敷から早駕籠で迎えが来まして、手負いの療治をしました。勿論、主人の上野は首を取られたのですから、療治も手当てもなかったでしょうが、吉良の息子や家来たちの疵を縫ったのでしょう。そのときにどういうわけか、吉良上野が着用の小袖というのを貰って帰って、代々持ち伝えていました。小袖は二枚で、一枚は白綾《しろあや》、一枚は八端《はったん》、それに血のあとが残っていると云いますから、恐らく吉良が最期《さいご》のときに身につけていたものでしょう。何分にも吉良の形見では人気が付かないのですが、河辺の家では吉良の形見というよりも先祖の形見という意味で大切に保存していたそうで、これは擬《まが》い無しの本物だと云うことでした」
「たとい吉良にしても、元禄時代のそういう物が残っているのは珍らしいことですね」
「まったく珍らしいという噂でした。わたくしは縁が無くて、その河辺さんの小袖は見ませんでしたが、別のところで吉良の脇指というのを見たことがありました」
「いろいろの物が残っているものですね」
「それが又おもしろい。吉良の脇指がかたき討ちに使われたんですからね。物事はさかさまになるもので、かたきを討たれた吉良の脇指が、今度はかたき討ちのお役に立つ。どうも不思議の因縁ですね。しかしこのかたき討ちは、いつぞやお話し申した『青山の仇討』一件のような、怪しげなものじゃあありません」
わたしの手がそろそろ懐ろへはいるのを横眼に見ながら、半七老人は息つぎに煙草を一服すった。
「はは、あなたの閻魔帳がもう出る頃だと思っていましたよ」
老人は婆やを呼んでランプをつけさせた。雪は降り出さないが、表を通る鮒《ふな》売りの声が師走《しわす》の寒さを呼び出すような夕暮れである。
「しかし、きょうは煤掃きでお疲れじゃありませんか」と、わたしはまた躊躇した。
「なに、あなた、煤掃きと云ったところで、こんな猫のひたいのような家《うち》ですもの、疲れる程の事はありゃあしません。煤掃きを仕舞って、湯にはいって、そばを食って、もう用はありませんよ。まあ、例のお話でも始めましょう」
老人は元気よく話し出した。
「相変らずわたくしのお話は前置きが長くって御退屈かも知れませんが、いつもの癖だと思ってお聞き流しを願います。嘉永六年十二月はじめの寒い日でした。わたくしは四谷の知りびとをたずねる途中、麹町三丁目へまわって、例の助惣焼《すけそうやき》の店で手土産を買っていると、そこへ瓦版の読売《よみうり》が来ました。浅草天王橋のかたき討ちというのです。
この仇討は十一月の二十八日、常陸国《ひたちのくに》上根本村の百姓、幸七の妹おたかというのが叔父の助太刀で、兄のかたき与右衛門を天王橋で仕留めた一件です。与右衛門は村の名主で、年貢《ねんぐ》金を横領したとか云う捫著《もんちゃく》から、その支配内の百姓十七人が代官所へ訴え出ましたが、これは百姓方の負け公事《くじ》になりました。その以来、名主と百姓とのあいだの折り合いが悪く、百姓方の組頭の幸七が急病で死んだのは、名主が毒殺したのだと云うのです。そこで、妹のおたかは兄のかたき討ちを思い立って、女ひとりで江戸へ出て、かのお玉ケ池の千葉周作の家《うち》へ下女奉公に住み込んで、奉公のあいだに剣術の修行をしていました。その叔父の名は忘れましたが、これは国許で医者をしていたそうです。その叔父が十一月なかばに江戸へ出て来て、かたきの与右衛門が年貢納めに江戸へ来ると云うことを教えたので、おたかは主人から暇を取り、与右衛門が天王橋を通るところを待ち受けて、叔父の手引きで本意を遂げました。
しかし相手の与右衛門が確かに幸七を毒殺したという証拠が薄いので、このかたき討ちの後始末はなかなか面倒になりました。それにしても、女が往来で兄のかたきを討ったと云うので、その当座は大評判、瓦版の読売にもなったのです。こんにちの号外と同じことで、瓦版はずいぶん売れました。
今もその瓦版の読売が面白そうに呼びながら、助惣の店の前を通りかかると、ひとりの若い男が駈けて来て、引ったくるように一枚の瓦版を買って、往来のまん中に突っ立ったままで、一心不乱に読んでいる。それは年ごろ十八九の小粋《こいき》な男で、襟のかかった半纏《はんてん》を着ていましたが、こんなことが好きなのか、よっぽど面白いのか、我れを忘れたように一心に読んでいるのです。わたくしも商売柄、こんな事にも眼がつきますから、これには何か仔細がありそうだと思いましたが、別にどうすると云うわけにも行きません。買い物の助惣焼を小風呂敷につつんで店を出ると、そこへ通りかかって、やあ、親分と声をかける者がありました。
見ると、それはこの近所に住んでいる馬秣屋《まぐさや》の亭主です。この時代には普通に飼葉屋《かいばや》とか藁屋《わらや》とか云っていましたが、その飼葉屋の亭主の直七、年は四十ぐらいの面白い男でした。御承知の通り、飼葉屋というのは方々の武家屋敷へ出入りして、馬秣を納めるのが商売です。わたくしは前からこの男を識っているので、二つ三つ世間話なぞをして別れました。それから四谷の方へ行こうと思って、麹町四丁目の辺まで行きかかると、あとから直七が追って来ました。直七には連れがある、それは熱心に瓦版を読んでいた若い男でした。
直七はわたくしを呼びとめて、まことに相済みませんが、そこまでお顔を拝借したいと云うのです。わたくしも連れの男に眼をつけていたところですから、二人に誘われて近所のうなぎ屋の二階へ連れ込まれました。これがこのお話の発端《ほったん》です」
二
飼葉屋の直七の紹介によると、麹町の平河天神前に笹川という魚屋《さかなや》がある。魚屋といっても、仕出し屋を兼ねている相当の店で、若い男はその伜の鶴吉というのである。親父の源兵衛は五年前に世を去って、母のお秋が帳場を切り廻している。鶴吉はことし十九であるが、父のない後は若主人として働いている。お秋は女でこそあれ、なかなかのしっかり者で、亭主の存生《ぞんしょう》当時よりも商売を手広くして、料理番と若い者をあわせて五、六人を使っている。
これだけならば、まことに無事でめでたいのであるが、ここに一つの事件が起こった。笹川には鶴吉の姉にあたるお関という娘があった。お関は容貌《きりょう》も好し、遊芸ひと通りも出来るので、番町の御厩谷《おうまやだに》に屋敷をかまえている五百石取りの旗本福田左京の妾に所望された。左京の本妻は間もなく病死したので、妾のお関が自然に本妻同様の位置を占めて、屋敷内でも羽振りが好くなった。笹川の店が大きくなったのも娘のお蔭であるという世間の噂も、まんざらの嘘では無かったらしい。これもそのままで済んでいれば無事であったが、ことしの十月六日の夜に、主人の左京と妾のお関が他人に殺害された。下手人は中間の伝蔵であった。伝蔵は武州秩父の生まれで、あしかけ六年この屋敷に奉公していたが、この四月頃から女中のお熊と密通しているのを、お関が発見した。武家の習い、こういう者を捨てて置くわけには行かないので、主人と相談して、この八月かぎりでお熊を宿へ下げた。伝蔵も長《なが》の暇《いとま》となるべきであったが、六年も勤め通した者でもあり、小才覚もあって何かの役にも立つので、これはそのままに残して置いた。
その伝蔵が十月六日の夜ふけに、主人の寝室へ忍び込んで、手箱の金をぬすみ出そうとするところを、眼をさました左京に咎《とが》められたので、彼は枕もとの脇指をぬいて主人を斬った。つづいてお関を斬った。その物音を聞いて、家来の誰かが駈けつけて来るらしいので、彼は縁側の雨戸をあけて、庭口から表へ逃げ出した。
伝蔵は主人と妾を斬っただけで、なんの獲物もなかったのである。それでは何のために重罪を犯したのか判らなくなる。彼は度胸を据えて、隣り屋敷の高木道之助の門を叩いた。高木は主人左京の本家で、次男の左京が福田家の養子となったのである。伝蔵は高木家の用人に逢って、主殺しの顛末をつつまず訴えた。
「これが表向きになりましては、五百石のお屋敷が潰れましょう。わたくしに三百両の金を下されば、黙って故郷へ帰ります」
主人を殺した上に、その本家へ押し掛けて行って、三百両の金をゆすろうとするのである。その図太いのに用人も呆れた。
しかしこの時代としては、これも強請《ゆすり》の材料になる。主人が家来に殺された上に、その家に相続人が無いとすれば、福田の屋数は当然滅亡である。この一件を秘《かく》して置いて、どこからか急養子を迎えて、その上で主人の左京は死去したように披露すれば、なんとか無事に済まされない事もない。そこへ付け込んで、伝蔵は本家から口留め金をまき上げようと企らんだのであった。
自分が人殺しをして置いて、その口留め金をゆするなどは、あまりに法外である。憎さも憎しと思いながら、前に云うような事情もあるので、用人も迂闊《うかつ》にそれを刎ねつけることが出来なかった。
「これは自分一存で返事のなることで無い。しばらく待っていろ」
伝蔵をひと間に待たせて置いて、用人はそれを主人に報告すると、道之助もおどろいた。ともかくも左京と妾はどうしたか、その生死を見届けて来いと、家来を庭口の木戸から隣り屋敷へ出してやると、主人も妾も絶命したと云うのである。道之助は憤然として用人に云い渡した。
「その伝蔵という奴、主人を殺した上に大金をゆするなどとは言語道断である。この上は福田の家の存亡などを考えているには及ばぬ。左様な不忠不義の曲者は世の見せしめに、召し捕って町奉行所へ引き渡せ」
家来どもは心得て、伝蔵召し捕りに立ちむかうと、その姿はもう見えなかった。彼もなかなか抜け目が無い。用人の返事を待つあいだも、絶えず屋敷内の様子に気を配っていて、形勢不利となったのを早くも覚ったらしく、隙を窺って怱々《そうそう》に逃げ去ったのである。高木の屋敷の人々は自分たちの不注意を悔んだが、もう遅かった。
高木と福田の両家から其の次第を届け出て、型のごとくに検視を受けたが、福田の家は予想の通りに取りつぶされた。福田の家には子供がなく、家内は用人のほかに家来二人、中間三人、下女二人であったが、屋敷の滅亡と共に、皆それぞれに離散した。
正式の届け出があった以上、町奉行所でも罪人伝蔵のゆくえ探索に着手したのは勿論であるが、それは半七の係り合いで無かったので、今まで別に手を着けようともしなかった。しかし彼も大体の話は聞いていた。それを今あらためて直七と鶴吉の口から詳しく説明されたのである。
「まあ、親分。そういうわけでございます」と、直七は鶴吉をみかえりながら云った。「それをこの鶴さんと阿母《おっか》さんがたいへんに残念がっているのです。殊におっかさんはしっかり者ですから、どうしても此のままには済まされないと云っています。娘のかたきばかりじゃあない、御主人のかたきだ。福田の殿さまには長年お世話になっている。今度お屋敷が潰れたについて、御用人も御家来衆もみんな勝手に何処へか立ち去ってしまって、主人のかたきを探そうとする者もないのは、あんまり口惜《くや》しい。百姓でも町人でも、かたき討ちは天下御免だ。お前がその伝蔵をさがし出して、殿さまと姉さんのかたき討ちを立派にしろと、鶴さんに云い聞かせたのです」
勝気の母に激励されて、魚屋の若い息子は主人と姉のかたき討ちを思い立った。その以来、鶴吉は麹町八丁目の町道場へかよって、剣術の稽古をしていると云う。彼が瓦版を熱心に眺めていたのは、自分にもかたき討ちの下心《したごころ》がある為であったことを半七は初めて覚った。
「そこで、親分さんにお願いでございますが……」と、直七は云いつづけた。
「おっかさんも鶴さんも一生懸命に思い詰めているのですから、まあ助太刀をしてやると思召《おぼしめ》して、子分の衆にでも云いつけて、その伝蔵のありかを探してやっていただくわけには参りますまいか」
「何分お願い申します」と、鶴吉も畳に手をついた。
「いや、判りました」と、半七はうなずいた。「成程。おっかさんの云う通り、一季半季の渡り中間なんぞは格別、かりにも侍と名の付いている用人や家来たちが、あと構わずに退転してしまうというのは、どうも面白くねえようだ。だが、おまえさんが自分でかたき討ちをすると云うのも、ちっと考えものだ」
鶴吉は福田の屋敷の家来でない。主人の妾の弟に過ぎないのであるから、表立って主人のかたきと名乗り掛けるのは無理であろう。姉のかたきと云えば云われるが、伝蔵のような罪人は公儀の手に召し捕らせて、天下の大法に服させるのが当然であって、私のかたき討ちをすべきでは無いと、半七は云い聞かせた。
「親分のお諭《さと》しはご尤もでございますが、あの伝蔵を自分の手で仕留めなければ、わたくしの気が済みません。母の胸も晴れません。首尾よく本望を遂げました上は、自分はどんなお仕置になっても厭いません」と、鶴吉は飽くまでも強情《ごうじょう》を張った。
一途《いちず》に思いつめた若い者に対して、半七はいろいろに理解を加えたが、彼はどうしても肯《き》かないのである。しかも半七はその強情を憎むことも出来なかった。
「それほど思い詰めたら仕方がねえ。まあ、思い通りにかたき討ちをおしなせえ」
「有難うございます。ありがとうございます」と、鶴吉は涙をながして喜んだ。
「そこで、その伝蔵のありかを突き留めて、わたしらの手で押さえるならば仔細はねえが、おまえさんの手で討つとなると、仕事がちっと面倒だ。伝蔵という奴は腕が出来るのかえ」と、半七は訊いた。
「なに、たいして出来る奴でも無さそうですが……」と、直七が引き取って答えた。「それが主人を一刀で斬って、つづいてお関さんも斬ってしまうと云うのは、あんまり手ぎわが好過ぎるようにも思われます。それには何だか因縁がありそうで……。ねえ、鶴さん」
「母は因縁だと申していますが……」
「どんな因縁だね」と、半七は又訊いた。
「今時《いまどき》こんなお話をいたしますと、他人《ひと》さまはお笑いになるかも知れませんが……」と、鶴吉は躊躇しながら云った。「伝蔵は主人の枕元にある脇指《わきざし》で斬ったのですが、その脇指が吉良|上野《こうずけ》殿の指料《さしりょう》であったと云うことです。その由来は存じませんが、先祖代々伝わっているのだそうです」
「先祖伝来はともかくも、好んでそんな物をさすと云うのは、よっぽどの物好きだね」
「物好きといえば物好きです。吉良の脇指というので、代々の殿さまは差したこともなく、土蔵のなかに仕舞い込んであったのを、先年虫ぼしの節に、今の殿さまが御覧になって、どこが気に入ったのか、自分の指料にすると仰しゃいました。そんな物はお止めになったが好かろうと云った者もありましたが、殿さまはお肯《き》きになりません。それは刀が悪いのではなく、差し手が悪いのだ。吉良が悪いから討たれたのだ。おれは吉良のような悪い事はしない、吉良の良い所にあやかって四位の少将にでも昇進するのだなぞと仰しゃって、とうとうその脇指を自分の指料になさいました。それから四、五年のあいだは何事もなかったのですが、図《はか》らずも今度のようなことが出来《しゅったい》しまして、殿さまも姉もその脇指で殺されました。姉はふだんから其の脇指のことを気にしていまして、吉良の脇指なんぞは縁起が悪いと云っていましたが、やっぱり虫が知らせたのかも知れません」
「刀の祟りということは、昔からよく云いますが、吉良の脇指なども良くないのでしょうね」と、直七は仔細らしく云った。
「吉良の脇指も村正《むらまさ》と同じことかな」と、半七はほほえんだ。「そこで、その脇指はどうなったね。伝蔵が持ち逃げかえ」
「いえ、庭さきに捨ててありました」と、鶴吉は云った。「お屋敷の後始末をする時に、こんな物はいよいよ縁起が悪いから、折ってしまうとか云うことでしたから、わたくしがお形見に頂戴いたして参りました。わたくしはそれで伝蔵を討ちたいと思いますが、いかがでしょう」
「それもよかろう。吉良の脇指でかたき討ちをしたら、世の中も変ったものだと、泉岳寺にいる連中が驚くかも知れねえ」
冗談は冗談として、半七は年の若い鶴吉に同情した。おなじ刀で相手を仕留めれば、それは本当のかたき討ちである。刀屋に渡してせいぜい研《と》がせておけと、半七は彼に注意して別れた。
三
麹町から四谷へまわって、半七が神田の家へ帰ったのは、冬の日の暮れかかる頃であった。湯に行って、ゆう飯を食ってしまうと、善八が来た。
「季節になったせいか、寒さがこたえますね」
「御同様に歳の暮れというものは暖くねえものだ」と、半七は笑った。「その節季に気の毒だが、一つ働いて貰いてえ事がある。急ぎと云うものでもねえが、急がねえでもねえ。まあ、せいぜいやってくれ」
「なんですね」
「かたき討ちの助太刀と云ったような筋だ」
「芝居がかりですね」と、善八も笑った。
「こういうことになると、おれもちっと芝居気を出したくなる。本当ならば虚無僧《こむそう》にでも姿をやつして出るところだが、真逆《まさか》にそうも行かねえ。まあ、聴いてくれ」
吉良の脇指の一件を聴かされて、善八はうなずいた。
「成程、こりゃあいよいよお芝居だ。そこで、先ずどこから手を着けますね」
「この一件は四谷の常陸屋の係りだ。如才《じょさい》なく、ひと通りの探索はしているだろうが、こっちはこっちで新規に手を伸ばさなけりゃあならねえ。直七と鶴吉の話によると、その伝蔵という奴は秩父の生まれだそうだが、一文無しで故郷へ帰ることも出来めえ。といって、江戸にいるのもあぶねえと云うので、どっかへ草鞋《わらじ》を穿《は》いたかも知れねえ。なにしろ三月も前のことだから、その足あとを尾《つ》けるのがちっと面倒だ」
「伝蔵と係り合いの女はどこにいるでしょう」
「それはお熊という女で、年は十九、宿は堀江だそうだ」
「堀江とは何処ですね」
「下総《しもうさ》の分だが、東葛飾《ひがしかつしか》だから江戸からは遠くねえ。まあ、行徳《ぎょうとく》の近所だと思えばいいのだ。そこに浦安《うらやす》という村がある。その村のうちに堀江や猫実《ねこざね》……」
「判りました。堀江、猫実……。江戸から遠出の釣りや、汐干狩に行く人があります」
「そうだ、そうだ。つまり江戸川の末の方で、片っ方《ぽ》は海にむかっている所だ。むかしは堀江千軒と云われてたいそう繁昌した土地だそうだが、今は行徳や船橋に繁昌を取られて、よっぽど寂《さび》れたということだ。漁師町だが、百姓も住んでいる。お熊はその宇兵衛という百姓の妹だそうだ。そこで、おれの鑑定じゃあ、お熊が八月に屋敷を出された時、いずれ伝蔵がたずねて行くという約束でもあって、伝蔵は主人の金をぬすんで逃げ出そうとしたのだろう」
「そうすると、伝蔵はお熊の宿に隠れているのでしょうか」
「さあ、そこだ」と、半七は首をかしげた。「望み通りに金を盗めば、堀江までたずねて行ったろうが、これも一文無しじゃあどうだろうか。第一、お熊がすぐに国へ帰ったか、それとも江戸のどっかに奉公して伝蔵のたよりを待っているか、それも判らねえ」
「堀江まで踏み出しても無駄でしょうか」
「無駄かも知れねえ。だが、無駄と知りつつ無駄をするのも、商売の一つの道だ。さしあたって急用もねえから、念晴らしに明後日《あさって》あたり踏み出してみるかな」
「おまえさんも行きなさるかえ」
「道連れのある方が、おめえもさびしくなくて好かろう。行くなれば、深川から行徳まで船で行くほうが便利だ。ちっと寒いが仕方がねえ。朝は七ツ起きだ」
「じゃあ、そうしましょう」
約束をきめて、善八は帰った。
その翌々日の朝は、江戸の町にも白い霜を一面においていた。半七と善八は予定の通りに、行徳がよいの船に乗り込んで、まず行徳の町に行き着いた。ここらの川筋はよい釣り場所とされているので、釣り道具などを宿屋へあずけて置いて、江戸からわざわざ釣りに行く者も少なくないので、宿屋でも心得ていて、釣り舟や弁当の世話などをする。そのなかでも、伊勢屋というのが知られているので、半七らも此処へはいることにした。
宿屋へはいると、ひと足さきへ来て脚絆《きゃはん》をぬいでいる男があった。
「やあ、三河町の親分、不思議な所で……」と、男は見かえって声をかけた。
彼は下谷の御成道《おなりみち》に店を持っている遠州屋才兵衛という道具屋である。もっぱら茶道具をあきなって、諸屋敷へも出入りしているだけに、人柄も好く、行儀もよかった。
「まったく不思議な御対面だ」と、半七も笑った。「お前さんはこんな所へ何しに来なすった。寒釣りかえ」
「なに、そんな道楽じゃあありません。これでも信心参りで……。五、六人の連れがありましたので、成田《なりた》へ参詣して来ました」
「それにしても、途中から連れに別れて、ひとりでここへ来なすったのか」
「まあ、そんなわけで。へへへへへ」
才兵衛は何か独りで笑っていた。おなじ二階ではあるが、裏と表と別々の座敷へ通されて、半七らが先ずくつろいで茶を飲んでいると、如才《じょさい》のない才兵衛はすぐに挨拶に来て、おめずらしくはありませんがお茶菓子にと、成田みやげの羊羹などを出した。
「そこで、お前さん方は……」と、才兵衛は声をひくめた。「なにか御用で……」
「まあ、用のような、遊びのような……」と、半七はあいまいに答えた。「ここらは大そう釣れると云うから……」
「じゃあ、やっぱり釣りですか。わたくしも一度、近所の人に誘われて、ここへ釣りに来たことがありました。しかし何処へ行っても、下手は下手で……」
釣りの失敗話などをして、才兵衛は自分の座敷へ帰った。そのうしろ姿を見送って、善八はささやいた。
「あいつ、成田から帰る途中、ひとりでここへ廻って来たのは、なにか堀り出し物のあてがあるんですぜ」
「まあ、そうだろう。あいつも商売にゃあ抜け目がねえからな」
女中に訊くと、才兵衛はすぐに又どこかへ出て行ったとの事であったが、善八はすこし風邪を引いていると云い、海辺の風は殊に寒いというので、半七らはどこへも出ずに一泊した。
あくる日は風も凪《な》いで、十二月にはめずらしい程のうららかな日和《ひより》となった。ここから一里あまりの堀江までは、陸《おか》でも舟でも行かれるのであるが、半七らは陸を行くことにして、あさ飯の箸を置くとすぐに宿を出た。出るときに又もや才兵衛に逢った。彼も堀江へ行くと云うので、三人は一緒にぶらぶらあるき出した。
才兵衛は例の通りに、如才なく話しながら歩いていたが、なんだか半七らの道連れになるのを厭うような様子が見えた。結局、彼は途中に寄り道があると云って、狭い横道へ切れてしまった。それに頓着せずに、二人は真っ直ぐに進んでゆくと、一方の海は遠い干潟《ひがた》になっていて、汐干狩にはおあつらえ向きであるらしく眺められた。そこには白い鳥の群れがたくさんに降りていた。土地の人に訊くと、それは白い雁であると教えてくれた。
「なるほど白雁《はくがん》と云うが、白い雁はめずらしい」と、善八は干潟を眺めているうちに、俄かに叫んだ。「親分、ご覧なせえ。遠州屋の奴め、いつの間には先廻りをして、あんな所をうろ付いていますよ」
指さす方角には彼《か》の才兵衛がうろうろして、砂の上で何か探し物でもしているらしかった。
「まさかに貝を拾っているのでもあるめえ、海端《うみばた》へ出て何をしてやあがるかな」
半七は気にも留めずに行き過ぎた。
堀江へ行き着いて、宇兵衛の家をたずねて、先ずその近所で訊き合わせると、宇兵衛の妹は九月のはじめに江戸から一度帰って来たが、半月ほどの後に再び出て行った。宇兵衛はなぜか其の行く先をはっきり云わないが、今度は江戸ではないらしく、船橋の方へ奉公に行ったという噂もあり、八幡《やわた》の方へ行ったという噂もある。以前の武家奉公と違って、今度は茶屋奉公に出たので、兄がその行く先を明かさないのだという噂もある。いずれにしても、お熊が実家に留まっていないのは確かであると近所の人たちは話した。
江戸から誰かたずねて来た者はなかったかと訊きただすと、お熊がどこへか行った後、十月の初めに江戸から二人連れの男がたずねて来た。つづいてその月のなかば頃に一人の男がたずねて来て、宇兵衛の家にひと晩泊まって帰ったと云うのである。魚釣りや汐干狩のほかには、他国の人があまり交通をしない場所だけに、見馴れない人の姿はすぐに眼について、宇兵衛方へたずねて来た二度の旅びとを近所の人達はみな知っていた。
その人相や風俗を詮議すると、初めの二人づれは四谷の常陸屋の子分らが伝蔵とお熊のありかを探りに来たらしく、後の一人は伝蔵自身であるらしかった。
「ともかくも宇兵衛の家《うち》へ行ってみよう」
半七は先に立って歩き出すと、冬がれの田のあいだに小さい農家が見いだされた。門口《かどぐち》には大きい枯れすすきの一叢《ひとむら》が刈り取られずに残っていた。
四
すすきの蔭から覗くと、家の構えは小さいが、さのみに貧しい世帯《しょたい》とも見えないで、型ばかりの垣のなかにはかなりに広い空地《あきち》を取っていた。葉のない猫柳の下に井戸があって、女房らしい二十四五の女が何か洗い物をしていた。
案内を求めて、半七と善八が内へはいると、女房は湿《ぬ》れ手をふきながら出て来た。
「宇兵衛さんはお内でしょうか」と、半七は丁寧に挨拶した。「わたし達は江戸の者で、成田さまへ御参詣に行った帰りでございます。これはほんのお土産のおしるしで……」
善八に風呂敷をあけさせて、取り出した羊羹二本はきのうの貰い物であった。見識らぬ人のみやげ物を迂濶に受け取っていいか悪いかと、その判断に迷ったように、女房は手を出しかねて、二人の顔を眺めていた。
「宇兵衛さんはお内ですか」と、半七は重ねて訊いた。
「居りますよ」と、女房はやはり不安そうに答えた。
この時、裏の畑からでも引き抜いて来たらしい土大根二、三本をさげて、二十八九の男が井戸端に姿をあらわした。女房は駈け寄って何かささやくと、男も不安らしい眼を据えて半七らをじっと窺っていたが、やがて大根を井戸ばたに置いて、門口に出て来た。
「宇兵衛は私ですが、おまえさん方はお江戸から来なすったのかね」
「ええ、今もおかみさんに云った通り、成田さまへ御参詣に行った帰り道に、ちょいとおたずね申しました。以前番町のお屋敷に御奉公していたお辰さんに頼まれまして……」
お辰というのはお熊の故《もと》朋輩で、福田の屋敷が滅亡の後、四谷のお城坊主の家へ奉公換えをした者である。その名は宇兵衛も聞き知っていたと見えて、俄かに打ち解けたように会釈《えしゃく》した。
「ああ、そうでしたか。番町のお屋敷に御奉公中は、妹めがいろいろ御厄介になりましたそうで……。まあ、どうぞこちらへ……」
正直者らしい宇兵衛は、うたがう様子もなしに半七らを内へ招じ入れた。
「いや、構わないで下さい。わたし達は急ぎますから」と、半七は入口に腰をかけた。「早速ですが、お熊さんはどうしました。お辰さんもそれを心配して、わたし達に訊いて来てくれと頼まれましたが……」
「御親切にありがとうございます」と、宇兵衛も丁寧に頭を下げた。「それではお前さんも大抵のことは御承知でございましょうが、お熊の奴め、飛んでもねえ心得違いを致しまして、なんとも申し訳ございません」
「若けえ者だから仕方がないようなものだが、それからいろいろのことが出来《しゅったい》したらしいね」
「わたしも実にびっくりしました。九月のはじめにお熊が戻って来まして、始めは隠していましたが、どうも様子がおかしいので、だんだん詮議いたしますと、実はこうこう云うわけでお暇になったと白状いたしました。相手はどんな人か知らないが、お中間なんぞと係り合ったところで行く末の見込みは無いと、女房からも私からもよくよく意見を致しましたら、当人も眼が醒めた様子で、その男のことは思い切ると申していました。しかし田舎に帰っていても仕様がないから、もう一度お江戸へ奉公に出してくれと云いますので、わたし達はなんだか不安心に思いましたが、当人がしきりに頼みますので、とうとう又出してやることになりました。お熊はまったく思い切ったようで、万一その伝蔵という男がたずねて来ても、わたしの行く先を教えてくれるなと頼んで出ました」
「今度は江戸へ出て、どこへ奉公しているのだね」
「下谷の遠州屋という道具屋さんで……」
「遠州屋……」と、半七は善八と顔をみあわせた。そこらをうろ付いている道具屋才兵衛の店に、お熊が奉公していようとは、まことに不思議な廻り合わせであった。
「それから小ひと月も立ちまして、十月の十日《とおか》とおぼえています」と、宇兵衛は話しつづけた。「お江戸から御用聞きの方が二人づれでお出でになりまして、お熊はどうした、伝蔵は来ているかという御詮議で……。だんだんのお話をうかがいまして、実におどろきました。伝蔵という男は、まあ何という奴か。妹にも早く思い切らせて好かったと、その時つくづく思いました。ところが、お前さん。それから五、六日の後に、その伝蔵がたずねて来ましたので、わたし達はぎょっとしました」
「そこで、どうしたね」
「伝蔵はもう近所で探って来たと見えまして、お熊のいない事を知っていました。どこへ行ったと頻りに訊きましたが、わたし達は知らないと云い切ってしまいました。お熊は断わりなしに家出をして、今どこにいるか判らないと、飽くまでも強情を張り通しました。それでは今夜だけ泊めてくれと云いまして、ここの家《うち》にひと晩泊まりまして、あくる朝出るときに路用の金を貸してくれと云いましたが、わたし達の家に金なぞのある筈はありません。それでも幾らか貸せとゆすりますので、銭三百をかき集めてやりました」
「それで、おとなしく立ち去ったのか」
「お尋《たず》ねの身の上だから、うかうかしてはいられないと、自分でも云っていました」
本来ならば、伝蔵が一泊したのを幸いに、宇兵衛から村役人に訴え出るべきである。それをそのままにして、しかも幾らかの銭を貸してやったのは、自分の重々の落度であるが、何分にも伝蔵が恐ろしくて、どうすることも出来なかったと、宇兵衛夫婦は云った。
「伝蔵はどこへ行くとも云わなかったかえ」
「別に何とも云いませんでした。度胸がいいのか、その晩は高鼾《たかいびき》で寝ていました」
ここまで話して来た時に、門口《かどぐち》の枯れすすきの蔭から内を覗く者がある。それが彼《か》の遠州屋才兵衛であった。半七らと顔をあわせて、才兵衛は困ったらしかったが、半七らも少し困った。お辰の使だなどと云って来た、その化けの皮が忽ち剥げてしまうからである。勿論、いよいよとなれば、正体をあらわすまでの事であるが、これまで聞けば用はないと思ったので、半七は立ち上がった。
「誰かお客があるようだ。わたしはこれでお暇《いとま》としましょう」
「どうもお構い申しませんで……。お辰さんに宜しく仰しゃって下さい」
宇兵衛夫婦に送られて門口へ出ると、今さら逃げる訳にも行かない才兵衛がそこに突っ立っていた。
「やあ、お前さんもここへ来たのかえ」
云い捨てて半七はすたすたと行き過ぎた。善八も無言でつづいて来た。やがて七、八間も田圃道《たんぼみち》を通り抜けた時、善八はあとを見かえりながら云った。
「親分。あの遠州屋はなんだか変な奴ですね」
「自分のくれた成田の羊羹が、あすこに置いてあるので驚いたろう」と、半七は笑った。
「何しに来たのでしょう」
「お熊は遠州屋に奉公していると云うから、まんざら縁のねえ事もねえが、なんでわざわざ寄り道をしやあがったかな」
「今の話を聞くと、常陸屋の奴らがここへ詮議に来たと云うじゃあありませんか」と、善八は考えながら云った。「そうすれば一応は遠州屋の奉公さきへも行って、お熊を調べたろうと思います。主殺しの伝蔵に係り合いのあると知れたらば、遠州屋でもすぐに暇を出しそうなものだが、相変らず平気で使っているのでしょうか」
「遠州屋は四十ぐらいだろうな」
「そうでしょう。四十|面《づら》をさげて、女房もあり、娘もあるくせに詰まらねえ女なんぞに引っかかって、たびたびぼろを出すという評判ですよ。あいつ、お熊にも手を出しているのじゃありませんかね」
「むむ、笹川の息子の話じゃあ、お熊というのは汐風に吹かれて育ったにも似合わねえ、色の小白い、眼鼻立ちの満足な女だそうだ」
「それだ、それだ」と、善八は肩をゆすって笑った。「親分、きっとそうですよ。女房子《にょうぼこ》の手前があるから、どっかの二階へでもお熊を預けて置くつもりで、兄きの所へその相談に来たのかも知れませんぜ。節季師走《せっきしわす》に暢気《のんき》な野郎だ」
「だが、羊羹を持っているところを見ると、成田へは行ったのだろう」
「そう云わなけりゃあ家《うち》を出られねえから、柄にもねえ信心参りなぞに出かけたに違げえねえ。あの狢《むじな》野郎、途中で連れに別れたなんて云うのは嘘の皮で、始めから自分ひとりですよ」
「まあ、そう妬《や》くなよ」
「妬くわけじゃあねえが、あいつは方々の屋敷へいい加減な≪いか≫物をかつぎ込んで、あこぎな銭《ぜに》もうけをするという噂で、道具屋仲間でも泥棒のように云われている奴ですからね」
善八にさんざん罵倒されているのも知らずに、才兵衛は宇兵衛夫婦を相手に、今ごろ何を掛け合っているかと半七は考えた。
五
嘉永六年の冬は暮れて、明くる年の七年の春が来た。歴史の上では安政元年と云うが、その年号が安政と改まったのは十二月五日のことであるから、その当時の人はやはり嘉永七年と云っていた。この正月は晴天がつづいて、例年よりも暖かであった。
福田の屋敷には伝蔵のほかに、乙吉、鎌吉、幸作という三人の中間があったが、滅亡の後は思い思いに立ち退《の》いて、諸方の武家屋敷に奉公している。その奉公先へ伝蔵が立ち廻るようなことは無いかと、半七は子分に云いつけて絶えず警戒させていたが、彼はどこへも姿を見せなかった。遠州屋のお熊のところへ尋ねて来たような形跡もなかった。
一月の末になって、子分の幸次郎がこんなことを報告した。
「伝蔵はやっぱり江戸にいますよ。福田の屋敷にいた曽根鹿次郎という若侍が、当時は牛込神楽坂辺の坂井金吾という旗本屋敷に住み込んでいます。その曽根が二、三日前に小梅の光隆寺へ墓参に行きました。光隆寺は福田の屋敷の菩提寺ですから、命日というわけじゃあねえが、曽根も勤めの暇をみて、旧主人の墓参りに行ったのです。参詣を済ませて寺を出ると、どこから尾《つ》けて来たのか伝蔵が門の前に待っていて、自分はお尋ね者で商売に取り付くことも出来ず、その日にも困っているから、幾らか恵んでくれと云ったそうです。そのずうずうしいには、曽根も呆れました。たとい昔の知りびとに出逢っても、顔を隠して逃げるのが当然だのに、自分の方から声をかけて、いくらか貸せとゆするとは、まったく思い切ってずうずうしい奴です。曽根も腹立ちまぎれに斬ってしまおうかと思ったのですが、自分も今は主人持ちですから、旧主人のかたきを討つというのは少し面倒です。取り押さえて番所へ突き出そうと思って、不意にその利き腕をとって捻じあげると、伝蔵もなかなか腕っ節の強い奴で、振り払って掴み合いになりましたが、あの辺は路が悪い、霜どけ道に雪駄《せった》をすべらせて、曽根が小膝を突いたところを、伝蔵は突き放して一目散に逃げてしまったそうです」
「成程、主殺しでもするだけに、思い切ってずうずうしい奴だな」と、半七も呆れたように云った。「馬鹿か、図太いのか、なにしろそんな奴じゃあ、何処へのそのそ這い出して来るかも知れぬえ。江戸にいると決まったら、尚さら気をつけてくれ」
それから十日ほどの後に、善八がこんなことを聞き出して来た。
「麹町四丁目の太田屋という酒屋は、福田の屋敷へ長年の出入りだったそうです。その女房が娘と小僧を連れて、王子稲荷の初午《はつうま》へ参詣に行くと、王子道のさびしい所で、伝蔵に出逢ったそうです。これも同じような文句をならべて、お尋ね者で喰うに困るから幾らか恵んでくれと云う。こっちは女子供だから、怖いのが先に立って、巾着銭をはたいて二朱と幾らかを捲き上げられたそうですよ。いよいよ図太い奴ですね」
主殺しのお尋ね者が世間を憚らず、この江戸市中を徘徊して昔馴染《むかしなじみ》をゆすって廻るなどは、重々不埓な奴であると半七は思った。
「そんな奴をのさばらせて置くと、上《かみ》の威光にかかわるばかりか、おれ達の顔にもかかわる。本気になって早く狩り出してしまえ」
それから又四、五日の後に、亀吉から新しい報告があった。
「福田の屋敷に勤めていたお辰という女は、このごろ四谷坂|町《まち》の奥平宗悦というお城坊主の家に奉公しています。そのお辰が二、三日前の晩に、主人の使で塩|町《ちょう》まで出て行く途中、例の伝蔵に取っ捉まって、主人の買い物をする金を取りあげられた上に、そこらの空地へ引き摺り込まれて、お熊の居どころを教えろと責められたそうですよ。お辰は知らないと云っても、伝蔵は承知しねえ。しまいにはお辰の喉《のど》を強く絞めて、さあ隠さずに云えと責め立てているところへ、近所の若侍が二、三人通りかかったので、伝蔵もあわてて逃げて行ったが、お辰は半死半生になって倒れてしまったそうです。ここらは常陸屋の縄張りだから、それを聞いてすぐに網を張ったが、伝蔵の姿はもう見えなかったそうで、常陸屋でも口惜《くや》しがっていると云うことですよ」
「仕様がねえな」と、半七は舌打ちした。「そこで、そのお熊はどうした。相変らず遠州屋にいるのか」
「相変らず道具屋に勤めています」
「それじゃあ何処からか嗅《か》ぎつけて、伝蔵は遠州屋へたずねて来るかも知れねえ。善八と相談して、その近所を見張っていろ。だが、伝蔵を召し捕っても、すぐに番屋へ引き摺って行っちゃあいけねえ。おれに一応知らせてくれ」
「承知しました」
こうして油断なく網を張っていたのであるが、禍いは意外のところに起こった。二月二十一日の夜の五ツ半(午後九時)頃に、遠州屋の主人才兵衛は浅草の聖天下《しょうでんした》で何者にか殺害された。短刀か匕首《あいくち》で脇腹を刺されたのである。所持の財布の紛失しているのを見ると、おそらく物取りの仕業であろうという噂であった。
浅草の今戸《いまど》には、日本橋の古河という大きい鉄物屋《かなものや》の寮がある。才兵衛はそこへ茶道具類を見せに行って、その帰り途で災難に逢ったのである。聖天へ夜参りをしたのでもあるまいに、なぜ待乳山《まっちやま》の下まで踏み込んだのか、その仔細は判らなかったが、才兵衛に似たような人物が一人の男と何か云い争いながら通るのを見た者があると云うので、かれらは何かの話でここへ踏み込んだらしく、したがって普通の物取りではあるまいという噂も生まれた。
才兵衛の検視に半七は立ち会わなかったが、その下手人は大抵想像された。その噂を聞いて、彼は善八と一緒に御成道の遠州屋へ乗り込むと、才兵衛の死骸はまだ引き渡されていないと見えて、店の番頭らは帰って来なかった。
家内の者を遠ざけて、半七は女中のお熊を店さきへ呼び出した。お熊は明けて二十歳《はたち》で、色の白い大柄の女であった。
「おまえはお熊か。なんでも正直に云え。この頃に伝蔵は来なかったか」と、半七はだしぬけに訊いた。
「参りました」と、お熊は素直にはきはきと答えた。「おとといの晩、町内のお湯屋へ参りますと、その帰りに伝蔵に逢いました」
「伝蔵はなんと云った」
「おれと一緒に逃げろと云いました」
「どこへ逃げるのだ」
「それは申しません。これから一緒に逃げるから、自分の金や着物を持ち出して来いと云っただけでございます」
「おまえは何という返事をした」
「いやだと断わりました。お前のような恐ろしい人と一緒には行かれないと申しました」
「それで伝蔵は承知したか」
「その恐ろしい事をしたのもお前の為だ。どうしても肯かなければ、主人もお前も唯は置かないぞと、怖い顔をして嚇かしました」
「なぜ主人を恨むのだ」
お熊は少しく返答に躊躇した。
「お前の主人は伝蔵に恨まれるような筋があるのか」と、半七はすかさず訊いた。
「あの人は思い違いをしているのでございます」と、お熊は低い声で答えた。
「思い違いじゃああるめえ」と、半七は笑った。「恨まれるだけの因縁があるのだろう。さもなければ、主殺しの兇状持ちに係り合いのあった女を、そのまま奉公させて置く筈があるめえ」
「昔のことは構わないから、ここの家《うち》に勤めていろと主人が申しました」
「そう云うには訳があるだろう。おれはみんな知っている。ここの主人は去年の暮れ、なんで堀江まで出かけたのだ」
よく知っていると云うように、お熊は半七の顔をみあげた。しかも彼女は案外に平気であった。
「旦那は商売のことで……」
「商売の事とは何だ」
「雁《がん》の羽《はね》を取りに……」
「雁の羽……」
半七は訊き返した。勝手ちがいの返事をされて、彼もやや戸惑いの形であった。雁の羽がなんの役に立つのか、彼もさすがに知らなかった。
「はい。お茶の湯に使います」と、お熊は説明した。
世間のことはなんでも心得ているように思ったが、残念ながら半七は茶事に暗かった。彼は我《が》を折って又訊いた。
「雁の羽をどうするのだ」
「三つ羽箒《ばぼうき》にいたします」
堀江に育って、今は茶道具商売の店に奉公しているだけに、お熊は雁の羽について説明をして聞かせた。堀江の洲《す》にはたくさんの雁が降りる、そのなかに白い雁のむらがっているのは珍らしくないが、稀には斑《ふ》入りの雁がまじっている。茶事に用いる三つ羽箒には野雁《やがん》の尾羽を好しとするが、その中でも黒に白斑のあるのを第一とし、白に黒斑のあるのを第二とし、数寄者《すきしゃ》は非常に珍重するので、その価も高い。ひと口に羽と云っても、翼の羽ではいけない、必ず尾羽でなければならないと云うのであるから、それを拾うのは容易でない。お熊の兄の宇兵衛は堀江の浜で偶然に拾って、白斑と黒斑の尾羽をたくわえていた。
なにかの時に、お熊がその話をすると、主人の才兵衛は眼を丸くして喜んだ。いずれそのうちに堀江をたずねて、お前の兄からその尾羽を譲って貰うと云っていたが、その年の暮れ、才兵衛は来年が四十一の前厄《まえやく》に当たると云うので成田の不動へ参詣に行って、その帰り道に堀江の宇兵衛をたずね、お熊の主人という縁をたどって、首尾よく雁の羽を手に入れて来たのである。そればかりでなく、今後も注意してその尾羽を拾い集めてくれと、才兵衛はくれぐれも頼んで帰った。
才兵衛が堀江をうろ付いていた仔細は、これで判った。兇状持ちに係り合いのある女を、彼がそのままに雇っていたのは、色恋の為ではなくて慾の為であった。商売に抜け目のない彼は、お熊の縁をつないで置いて、その兄から高価の尾羽を仕入れようと目論《もくろ》んでいたのであった。彼が半七らと道連れになるのを避けたのも、商売上の秘密を知られたくない為であったらしい。しかし半七らばかりでなく、伝蔵もまた同様の感違いをして、お熊と才兵衛とのあいだには主従以上の関係があるように疑ったのである。
「お前は伝蔵にその云い訳をしたのか」と、半七は訊いた。
「なにしろ宵の口で、人通りの多い往来ですから、詳しい話は出来ません。わたくしは飽くまでも忌だと云って、振り切って逃げて来ました」
「伝蔵は追っかけて来なかったか」
「今も申す通り、往来の絶え間がないので、それっきり付いても来ませんでした」
「そのことを主人に話したか」
「きまりが悪いので黙っていました」
感違いをしている伝蔵は、一途に才兵衛を恋のかたきと睨んで、その出入りを付け狙っていたらしい。彼は才兵衛が今戸の寮から帰る途中を待ち受けて、無理に聖天下のさびしい場所へ連れ込んで、かれこれ押し問答の末に、その兇暴性を発揮したものと認められた。福田の屋敷に関係のある者のうちに、お熊が現在の奉公先を知っているものは無い筈であるから、伝蔵は誰の口から聞き出したのでもなく、偶然の通りすがりにお熊のすがたを発見したらしかった。
「わたくしから、こんな事が出来《しゅったい》しまして、御主人さまに申し訳がございません」と、お熊は泣いていた。
六
遠州屋才兵衛を殺した下手人は伝蔵と認定されたが、そのゆくえは判らなかった。才兵衛がその夜今戸の寮へ出向いたのは、斑入りの雁の羽を売り込みに行ったのであるという事が判って、半七らは一種不思議の因縁が付きまとっているようにも思った。
江戸の花が散り、ほととぎすが啼き渡る頃になっても、伝蔵という悪魚は網に入らなかった。春の末から半七らはかの「正雪の絵馬」の一件に係り合うことになって、六月十一日に犯人重兵衛を取り押さえたが、同時に淀橋の火薬製造所が爆発した為に、子分の亀吉と幸次郎は負傷した。半七は幸いに無事であったが、その後二、三日は疲れて休んだ。その顛末は今ここに繰り返すまでもない。
亀吉の傷は軽かったが、幸次郎の痛みどころはかなりに手重いので、六月二十八日の朝、半七は幸次郎の家へ見舞いにゆくと、その帰り道で又もや瓦版の読売に出逢った。それは二十六日の夜、日本橋住吉|町《ちょう》の往来で、常陸国《ひたちのくに》中志築村の太田六助が父のかたき山田金兵衛を討ち取った一件である。
「又かたき討ちか」と、半七はつぶやいた。
笹川の鶴吉はこの瓦版を買って、又もや一心に読んでいるであろう。それを思いやると、半七の胸は鉛のように重くなった。鶴吉は勿論、飼葉屋の直七も定めて頼み甲斐のない奴と、自分を恨んでいるかも知れない。半七は暗い心持で、夏の日盛りの町をあるいて帰った。
七月になって、鶴吉が中元の礼に来た。半七はその顔を見るのが辛かった。
「まったくお前さんにゃあ申し訳がねえ」と、半七は詫びるように云った。「わたしも決して油断しているわけじゃあねえが、なんにも手がかりが無いので困り抜いています。まあ、もう少し辛抱しておくんなせえ」
「その御挨拶では恐れ入ります。先月の住吉町のかたき討ちなぞは、九つの時に親を殺されて、二十年もかたきを狙っていたのだと申します。それを思えば、私などはまだ一年にもなりませんのですから……」
鶴吉は果たして瓦版を読んでいたのである。ことしは新盆《にいぼん》であるから、殿さまと姉の墓まいりに行くなどと、彼は話して帰った。折りから表を通る燈籠売りの声も、きょうの半七には取り分けてさびしくきこえた。
「畜生、どこに隠れていやあがるか」
いたずらに苛々《いらいら》するばかりで、半七も手の着けようが無かった。この春ごろは折々に姿をあらわして、昔の知りびとをゆすり歩いていたが、かの才兵衛の一件以来、伝蔵の消息はまったく絶えてしまった。或いは才兵衛のふところから相当のまとまった金をうばって、それを路用に高飛びをしたのでは無いかとも思われた。
七月九日、きょうは浅草観音の四万六千|日《にち》である。苦しい時の神頼みと云ったような心持もまじって、半七は朝から参詣の支度をした。
「おい、お仙、すこし小遣いを出してくれ」
「あいよ」
女房のお仙は用箪笥のひき出しから、一歩銀に一朱銀を取りまぜて掴んで来た。
「このくらいでいいかえ」
「むむ。よかろう。お台場が大分まじっているな」
「お台場は性《しょう》が悪いと云うから、なるたけ取らない事にしているのだけれど……」
「おれ達の家《うち》の金は、きょう有って明日《あした》ねえのだ。性が良くっても悪くっても構うものか」
半七は笑いながら一朱銀を受け取って、今更のように手の上で眺めた。改めて註するまでもなく、異国の黒船防禦のために、幕府では去年の九月から品川沖にお台場を築くことになった。空前の大工事であるから、その費用もおびただしい。その財政の窮乏を補うために、ことしの一月から新吹きの一朱銀を発行したので、俗にこれをお台場と呼んだ。もちろん急場凌ぎに発行したものであるから、銀の質はすこぶる悪い。台場築造はなかなかの難工事であるので、人足の手間賃も普通より高く、一日一朱という定めで、かのお台場銀を払い渡された。
そのころの流行唄《はやりうた》に「死んでしまおか、お台場へ行こか。死ぬにゃ優《ま》しだよ、土かつぎ」とある。お台場人足はいい金にもなるが、まかり間違えば海に沈んで命が無い。実に命がけの仕事であると、世間一般に伝えられていた。そのお台場銀を眺めているうちに、半七はふと何事をか思いついた。
「おれは早く帰るから、留守に誰か来たら待たせて置いてくれ」
云い置いて、彼は早々に出て行った。観音堂に参詣して、例の唐蜀黍《とうもろこし》や青ほおずきの中を通りぬけて、午飯《ひるめし》も食わずに急いで帰ると、善八が待っていた。
「早速だが、善八。これからすぐにお台場へ行って、人入れの人足部屋を洗ってくれ。おれも今まで気がつかなかったが、例の伝蔵の奴め、お台場人足のなかにまぎれ込んでいるかも知れねえ。どうで長げえ命はねえ奴だ。このごろ流行る唄じゃあねえが、死ぬにゃ優しだよ土かつぎと度胸を据えて、命がけで荒れえ銭を取って、うめえ酒の一杯も飲んでいるような事がねえとも云えねえ」
「成程そんなことかも知れません。じゃあ、早速行って来ます」
善八はすぐに飛び出した。
「お話は先ずここらで打ち留めでしょう」と、半七老人は云った。「なぜ早くに気がつかなかったかと、今でも不思議に思うくらいです。お台場の一朱銀なぞは始終見ているくせに、なんにも気がつかずに過ごしていて、ふいと思い付くと、それからとんとんと順序好く運んで行くのも妙です。こうなると、自分の知恵じゃあない、神か仏が知恵を貸してくれたようにも思われますよ」
「伝蔵は人足になっていたんですか」と、わたしは訊いた。
「何百人の人足がはいっているのですが、それを監督する人入れの組々がありますから、それについて調べれば判るわけです。伝蔵は芝の人入れの清吉の組にもぐり込んでいました。なにしろ大勢の人足を使うのですから、どこの人入れでも一々その身許詮議などをしちゃあ居られません。手足の満足な人間が使ってくれと云って来れば、構わずにどしどし働かせるのですから、伝蔵のような奴の隠れ家にはお誂え向きで、そこに早く気がつかなかったのは半七が重々の手ぬかり、まことに申し訳がありません。
清吉の組にそれらしい奴のいることを調べ出したが、善八は伝蔵の顔を知りませんから、麹町の飼葉屋の直七を連れて行って、そっと首実検をさせると、確かに伝蔵に相違ないと云うのです。そこで、わたくしから清吉に掛け合いまして、伝蔵を逃がさないように用心させて置きました。もうこうなれば、生洲《いけす》の魚《うお》です」
「そこで、かたき討ちの様子は……」
「かたき討ちの様子……。物語らんと座を構えると、事が大仰《おおぎょう》になりますが、まあ掻いつまんで申し上げれば、その日は七月十二日、朝の五ツ時(午前八時)に笹川の鶴吉は直七附き添いで高輪へ出て来る。鶴吉は吉良の脇指を風呂敷につつんでいました。かねて打ち合わせがしてありますから、二人は海辺の茶屋に休んで待っている。わたくしは善八と松吉を連れて、清吉の小屋へ出て行きますと、これも打ち合わせがありますから、小屋からは伝蔵を叩き出す。そうして表へ出たところを、わたくし共が寄って取り押さえまして、しかしすぐには縄をかけないで、善八と松吉が伝蔵の両腕を取って、鶴吉の待っている茶屋の前まで引き摺って行きました。わたくしもあとから付いて行って、さあ、伝蔵、覚悟しろ。笹川の鶴吉さんが主人と姉のかたき討ちをするのだと云うと、善八と松吉は捉えていた両手を放してやりました。
こうなったら仕方がない。尋常に覚悟をきめて立派に討たれてやればいいのに、伝蔵は両手をゆるめられたのを幸いに、忽ち摺り抜けて逃げ出そうとする。そこへ鶴吉が飛びかかって、例の脇指で背中から突き透しました。芝居ならば、わたくしが座頭役《ざがしらやく》で、白扇でも開いて見事見事と褒め立てようと云うところです。わたくしもまあ、これで重荷をおろしたような気になりました。
かたき討ちを首尾よく済ませた上で、鶴吉は直七附き添いで番屋へ訴え出ました。わたくし共が付いて行くと事面倒ですから、あくまでも鶴吉ひとりの仇討ということにして、わたくし共は茶屋にひと休みして引き揚げました。前にも申す通り、このかたき討ちには少し無理がありますから、あとの始末がどうなるかと案じていましたが、なにしろ伝蔵の罪科明白なので、上《かみ》にも相当の手心があったのでしょう。案外無事に済みました」
「その脇指はどうなりました」
「なんでも笹川の家から福田の屋敷の菩提所、光隆寺へ納めたとか聞きましたが、それからどうなったか知りません。考えてみると、かたき討ちの場所は高輪で、例の泉岳寺の近所、脇指は吉良の物、どこまでも縁を引いているのも不思議で、訳を知らない人が聞いたら、こしらえ話のように思うかも知れません」と、老人は笑っていた。
わたしが暇乞いをして帰る頃には、細かい雪がちらちら降り出した。
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歩兵の髪切り
一
前回には極月《ごくげつ》十三日の訪問記をかいたが、十二月十四日についても、一つの思い出がある。江戸以来、歳《とし》の市《いち》の始まりは深川八幡で、それが十四、十五の両日であることは、わたしも子どもの時から知っていたが、一度もその実況を観たことが無いので、天気のいいのを幸いに、俄かに思い立って深川へ足を向けた。
今と違って、明治時代の富岡門前町の往来はあまり広くない。その両側に露店が列《なら》んでいるので、車止めになりそうな混雑である。市商人《いちあきんど》は大かた境内《けいだい》に店を出しているのであるが、それでも往来にまでこぼれ出して、そこにも此処にも縁起物を売っている。それをうかうか眺めながら行きかかると、路ばたの理髪店から老人が出て来た。
「やあ」
それは半七老人であった。赤坂に住んでいる老人が深川まで髪を刈りに来るのかと、わたしも少し驚いていると、それを察したように、彼は笑った。
「山の手の者が川向うまで頭を刈りに来る。わたくしのように閑人《ひまじん》でなければ出来ない芸ですね。いや、わたくしだって始終ここらまで来る訳じゃあありません。ついでがある時に寄るんですよ」
ここの理髪店の主人は、そのむかし神田に床《とこ》を持っていて、半七老人とは江戸以来の馴染《なじみ》であるので、ここらへ来たときには立ち寄って、鋏《はさみ》の音を聴きながら昔話をする。それも一つの楽しみであると、老人は説明した。
「きょうも八幡様の市《いち》へ来たので、その足ついでに寄ったのですが……。あなたは何処へ……」
「わたしも市を観に来たんですが……」
「はは、今の若い方にしちゃあお珍らしい。帰りは洲崎《すざき》へでもお廻りですか」と、老人は笑いながら云った。
「いや、そんな元気はありません」と、わたしも笑った。
二人は話しながら連れ立って境内にはいった。老人は八幡の神前でうやうやしく礼拝していた。そこらを一巡して再び往来へ出ると、老人はどこかで午飯《ひるめし》を食おうと云い出した。宮川《みやがわ》の鰻もきょうは混雑しているであろうから、冬木《ふゆき》の蕎麦にしようと、誘われるままにゆくと、わたしは冬木弁天の境内に連れ込まれた。
名月や池をめぐりて夜もすがら
例の芭蕉の句碑の立っている所である。蕎麦屋と云っても、池にむかった座敷へ通されて、老人が注文の椀盛や刺身や蝦の鬼がら焼などが運ばれた。池のみぎわには蘆《あし》か芒《すすき》が枯れ残っていて、どこやらで雁《かり》の声がきこえた。
「静かですね」と、わたしは云った。
「ここらもだいぶ変ったのですが、それでも赤坂やなんぞのようなものじゃあありません。さすがに江戸らしい気分が残っていますね」と、老人も云った。「今もあの髪結床《かみいどこ》の爺さんと話して来たんですが、髪結床だって昔とは違いましたね。それでもまだチョン髷を結いに来る客があるそうです。今は爺さんが引き受けているからいいが、その爺さんがいなくなってからチョン髷が来たらどうしますかな。尤もその頃には、そんなお客も根絶やしになりましょうが……。はははははは」
老人の口から江戸の髪結床のむかし話を聴かされたのは、三馬の浮世床を読まされるよりも面白かった。それからそれへと質問を提出して、わたしは興に入って聴いていると、老人はこんなことを云い出した。
「今日《こんにち》ではザンギリになっても坊主になっても問題はありませんが、昔は髪を切るというのは大変なことで、髪を切って謝《あやま》るといえば大抵のことは勘弁してくれたものです。それだけに又、なにかの腹癒せに、あいつの髪を切ってやろうなぞと云って、女や男の髷《まげ》を切ることもある。つまりは顔でも切る代りに髷を切るのだから、大難が小難で済むようなものですが、昔の人間はそうは思わない。髷を切られるのを首を切られるほどに恐れたものです」
「女の髪切りなぞということが流行った事があるそうですね」
「髪切りは時々に流行りました。あれは何かのいたずらか、こんにちの言葉でいえば一種の色情狂でしょうね。そういうたぐいの髪切りは、暗いときに往来で切られるので、被害は先ず女に決まっていましたが、それとは違って、家のなかで自然に切られる事がある。寝ているうちに切られる事がある。これは別に流行ということも無いので、誰の仕業《しわざ》だか判りません。なにかの魔物の仕業だろうと云うことになっていました」
「これも女が多いんですか」
「やっぱり女が多かったようです。若い女が眼をさまして見ると、島田髷が枕元にころりと落ちている。これは泣き出すのが当たりまえでしょう。しかし女には限りません。男だって切られることがありました。歩兵|屯所《とんじょ》の一件なぞがそうです。なにしろ十一人も次から次へと切られたのですからね」
こうなると、鬼がら焼などはどうでもいい。わたしはくずしかけている膝を直した。
「歩兵屯所……。幕府の歩兵ですか」
「そうです」と、老人はうなずいた。「なにしろ幕末は内も外もそうぞうしくなったので、幕府では旗本や御家人の次三男を新規に召し出して、別手組というものを作りましたが、また別に歩兵隊を作ることになりました。これは一種の徴兵のようなもので、関東諸国の百姓の次三男をあつめて、これに兵式の教練をさせたのですが、元治元年の正月から募集をはじめて、その年の七月までには一万人ほどになりました。最初の趣意では、前にも申す通り、なるべく正直|律儀《りちぎ》の百姓ばかりを集めて、真剣に教練するつもりであったのです。こんにちと違いまして、その頃に一万人の兵があれば心丈夫です。ところが、その募集が思うように行かないで、しまいには誰でも構わずに採用することになって、江戸近在のやくざ者までが紺木綿の筒袖を着て、だん袋のようなものを穿いて、鉄砲をかついで歩くことになったので、世間の評判が余り好くありませんでした。勿論、みんながみんな悪い人間じゃあない、維新の際に命をすてて働いたのもあるのですが、何分にもごろつきのような奴がまじっていて、これが歩兵を笠に着て乱暴を働く、三人か五人固まって歩いて、芝居|町《まち》で暴れる、よし原で喧嘩をする、往来で女にからかったりする。これじゃあ市中の評判もよくない筈ですよ」
「その一万人はどこに屯《たむろ》していたんです」
「四組に分かれて屯していたのですが、髪切りの一件がおこったのは神田|小川町《おがわまち》の屯所で、第三番隊というのでした。なにしろ一個所に二千人以上の歩兵が屯しているのですから、幾棟もの大きい長屋が続いていまして、そこにみんな寝起きをしている。その中に広い練兵所があって、毎日調練の稽古をするという仕組みです。今から考えれば外国風の軍隊組織で、四十人が一小隊、三小隊が一中隊、五中隊が一大隊ということになっていたように聞いています。そんなわけですから、一小隊ごとに長屋を区別して別々に住んでいました。その小隊四十人のうちで、十一人も髪切りに出逢ったので大騒ぎになりました」
「寝ているところを切られたんですか」
「それがいろいろで、起きてみると髷が落ちているのもある。歩いているうちに髷が飛ばされるのもある。ひと晩に十一人が切られたのではなく、二十日《はつか》ばかりの間に切られたのですから、まあ二日《ふつか》に一度ぐらいの割合いですが、それにしても大騒ぎ、幕府の歩兵たるものが何者にか髷っ節をぽんぽん切られたとあっては、寝首を掻かれたも同然、歩兵隊の面目にもかかわるという騒ぎです」
「そりゃあ騒いだでしょう」
「騒ぐのも無理はありません。そこで、切られた人たちの話を聞きますと、二度目に切られた鮎川丈次郎というのは、夜なかに起きて便所へ行くと、その帰り道の暗い廊下で何か不意に飛びついた者がある。おどろいて払いのけると、その手ざわりで天鵞絨《びろうど》か獣《けもの》の毛のように思われたそうで、部屋へ帰ってみると髷が無い。五度目に切られた増田太平というのは、外から帰って来て長屋へはいろうとすると、暗いなかに何かうずくまっているような物がある。犬でもはいったのかと思って、足のさきで軽く蹴ると、それが飛び起きて増田に突きあたった。その勢いに増田はよろけて倒れそうになったが、そのまま内へはいってみると、これも髷が飛んでしまったと云うわけです。増田に突き当たったのも鮎川と同様、天鵞絨か毛皮のような肌ざわりで、暗いなかで確《しか》とは判らなかったが、犬よりも大きい物らしかったと云うのです。ほかの九人は寝ているうちに切られたのもあり、いつ切られたか知らないのもあり、ともかくも心あたりのあるのは鮎川と増田の二人だけで、その話も大抵一致しているのでした」
「じゃあ、獣らしいんですね」
「まあ、そうです」と、老人は又うなずいた。
「誰が云いだしたのか知りませんが、江戸時代では斯《こ》ういうたぐいの髪切りを、一種の魔物の仕業と云い、又は猿か狐の仕業だと云い慣わしていました。そこで、前の鮎川に飛び付いたのは、猿の仕業らしくもある。後の増田に飛びかかったのは、狐らしくもある。まあ、なんにしても獣の仕業らしいと云うことになりました。屯所の方でも、こんな事はなるべく秘密にして置きたかったのでしょうが、人の口に戸は立てられません。殊にこんな噂は猶さら広がり易いもので、忽ち世間の評判になってしまいました。ところが、おかしいことには、今度の髪切りは狐でもなく、猿でもなく、豹《ひょう》の仕業だという噂でした」
髪切りを猿や狐の仕業というのは、昔の人としてさもありそうな事であるが、豹というのは余りに奇抜であった。
「豹の仕業……」とわたしは首をかしげた。「それはどういう訳ですか」
「はは、今の人にはお判りのないことで……」と、半七老人は笑った。「幕府の歩兵には、豹だの、茶袋だのという綽名《あだな》が付いていました。将棋の駒の歩《ふ》は歩兵《ふひょう》で、つまりは歩兵《ほへい》の意味です。そこで幕府の歩兵を将棋の歩になぞらえて歩《ひょう》といい、それが転じて豹になったのです。歩兵は紺木綿の服を着ていましたが、夏の暑いあいだは茶色の麻を着ていたので、茶袋という名を付けられたわけで……。豹にしても、茶袋にしても、あんまり有難い名前じゃありません。これを見ても、その不人気が思いやられます。その豹の髪を切ったのだから、やっぱりお仲間の豹だろうという、いや、どうも悪い洒落《しゃれ》です。
もう一つ、豹と云い出したわけは、二年ほど前に西両国で豹の観世物を興行した事がありました。珍らしいので、一旦は流行りましたが、そう長くは続かないので、後には両国を引き払って、諸方の宮地や寺内で興行したり、近在の秋祭りなぞへ持ち廻ったりしていました。その豹が逃げたと云うので、いろいろの噂が立っている。王子辺では子供が三人|啖《く》い殺されたなぞと云う。もちろん取り留めもない事なのですが、そんな噂のある矢さきへ今度の髪切り騒ぎが出来《しゅったい》したので、歩兵の豹から思いついて、恐らくその豹の仕業だろうと云うことになったのです。今から考えれば、ばかばかしいことですが、その当時にはまことしやかに吹聴《ふいちょう》する者がある、又それを信用する者がある。まったく面白い世の中でした」
二
読者を焦《じ》らすようであるが、ここで私もすこし困った。と云うのは、半七老人も余り多くの酒を飲まないで、女中がもう飯を運んで来た。二人はだまって飯を食ってしまった。そうなると、ここに長居も出来ない。おまけに老人はこれから本所《ほんじょう》の知人を尋ねると云うので、一緒に付いてゆくことも出来ない。残念ながら髪切りの話はここでひと先ず中止のほかは無かった。わたしは元の富岡門前で老人に別れた。
しかし、半分聞きかけの話をそのままにして置くのは、わたしの性質として何分にも気が済まないので、その明くる晩、寒い風を衝《つ》いて赤坂へ出かけると、老人はすこし感冒の気味だと云うので、宵から早く床にはいっていた。その枕もとで手帳を取り出すわけにも行かないので、わたしは怱々《そうそう》に帰って来た。
それから二日ほど過ぎて、見舞いながら又たずねて行くと、老人はもう起きていたが、今度はあいにく来客である。わたしは又もやむなしく帰った。わたしも歳末は忙がしいので、冬至《とうじ》の朝、門口《かどぐち》から歳暮の品を差し置いて来ただけで、年内は遂にこの話のつづきを聞くべき機会に恵まれなかった。
あくる年の正月五日の午後、赤坂へ年始まわりに行くと、老いてますます健《すこや》かな老人は、元気よく新年の挨拶を述べた。それからいつもの雑談に移ると、早くも老人の方から口を切った。
「旧冬、冬木でお話をした歩兵の髪切りの一件……。そのあとをお話し申しましょうかね」
「どうぞお願いします」
私はそれを待ち構えていたのである。老人は例の明快な江戸弁で、殊に今夜は流暢に語り出した。
この一件は慶応元年の二月から三月にかけての出来事で、半七が小川町の歩兵屯所へ呼び出されたのは三月二十五日の朝であった。小隊長の根井善七郎は半七を面会所へ通した。
「世間の噂でおまえも大抵承知しているだろうが、どうも困ったことが出来た。一人や二人ならばともかくも、それからそれへと二十日ばかりの間に十一人も髷を切られた。こういう事は人騒がせで甚だ宜しくない。第一に世間の手前もある。猿だの、狐だの、豹だのと、いろいろの風説が伝えられているので、当方でも見付け次第に撃ち殺すつもりで、銃を持った者が毎晩交代で見廻っているが、獣《けもの》らしい物の姿も見あたらない。罠《わな》をかけたが、それにも罹《かか》らない。こうなると、どうも獣の仕業でないらしく思われるので、きょうはお前を呼び出したのだが、なんとか一つ働いてみてくれまいか」
歩兵隊の者が片端《かたはし》から髷を切られたなどと云うことは、当人たちの不面目ばかりでなく、ひいては歩兵隊全部の面目にも関し、さらに公儀の御威光にもかかわる事であると、根井は云った。さなきだに余り評判のよくない歩兵隊であるから、こんな事が出来《しゅったい》すると世間では尾鰭《おひれ》をつけていろいろの悪い噂を立てる。小隊長の根井も心配して、なんとか早くその正体を見あらわしたいと焦《あせ》っているのも無理はなかった。
「まったく困ったことでございます」と、半七も云った。「わたくし共の手に負えることだかどうだか判りませんが、まあ精々働いて見ましょう」
「では、長屋の内部をひと通り見てくれ」
根井は半七を案内して、第二小隊の長屋へ連れて行くと、今は調練の時刻であるので、小隊全部は練兵所へ出ていて、広い長屋に人の影は見えなかった。長屋には台所が付いていて、台所の外には新らしく掘られたらしい井戸があった。大きい炊事場は別の所にあって、歩兵が当番で炊事を受け持ち、それを各隊の長屋へ分配するので、ここの小さい台所はめいめいが水を飲んだり、顔を洗ったりする場所に過ぎないと、根井は説明した。
長屋の内は一棟を二つに仕切って、ふち無しの琉球畳を敷きつめ、板戸の戸棚にはめいめいの荷物が入れてあるらしかった。元来が一種の道場のような伽藍洞《がらんどう》の建物であるから、別に半七の注意をひくようなものも見いだされなかった。彼はここを出て、さらに長屋の周囲を一巡した。
その当時の内神田はこんにちの姿とまったく相違して、神保町《じんぼうちょう》、猿楽町《さるがくちょう》、小川町のあたりはすべて大小の武家屋敷で、町屋《まちや》は一軒もなかったのである。小川町の歩兵屯所も土屋|采女正《うねめのしょう》と稲葉|長門守《ながとのかみ》の屋敷の建物はみな取り払われて、ここに新らしい長屋と練兵の広場を作ったのであるが、ある一部には昔の庭の形が幾分か残されている所もあった。第二小隊の井戸のそばには築山があった。この築山も昔は相当の手入れをして、定めて風致あるものと察せられたが、一年あまりの後には荒れに荒れて、六、七本の立ち木がおい茂っているばかりであった。そのなかに八重桜の大樹が今を盛りに咲き乱れているのを、風流気の乏しい半七も思わず見あげた。
「よく咲きましたね」
「むむ、よく咲いた」と、根井も見あげた。「伐るのも惜しいのでこうして置くが、桜もこんなところで咲いては張り合いがあるまい。なにしろ殺風景の世界だからな」
二人は笑いながら元の面会所へ帰った。ここで何かの打ち合わせをして、半七は屯所の門を出ると、ひとりの若い女の姿が眼の前に見えた。女は門番と何か立ち話をして立ち去るらしい。よく見ると、それは湯島天神下の藤屋という小料理屋の女中であった。
「おい、おい、お房。どこへ行くのだ」
「あら、親分さん」と、お房は会釈《えしゃく》した。「よいお天気で結構でございます」
「おめえは今そこの番人となんの内証ばなしをしていたのだ。お馴染かえ」
「ええ、少し用があって……。これで三度も足を運ぶんですけれど……」
「そんなに逢いてえ人があるのか」と、半七は笑った。「もっともひと口に茶袋とも云えねえ。あの中にもなかなか粋な兄《あに》いがまじっているからな」
「あら、御冗談を……。そんなのじゃあ無いんですよ。おかみさんにゃあ叱られるし、ほんとうに困ってしまうんですよ」と、お房は顔をしかめた。
「ははあ、勘定取りかえ。あんまりいい役じゃあねえな」
「いい役にも、悪い役にも、まったく困るんですよ」と、お房は繰り返して愚痴らしく云った。
この正月のはじめに、馴染の歩兵が四人連れで藤屋へ飲みに来たが、帰る時になって勘定を貸してくれと云う。そのときに座敷を受け持っていたのは女中のお房で、何分にも相手は歩兵であり、春早々から乱暴などを働かれても困る。殊にいずれも馴染の顔であるから、お房も無下《むげ》にことわり兼ねた。その勘定をあしかけ三月《みつき》の今になっても払ってくれないと云うのである。
「おめえの一存で貸したのかえ」と、半七は訊《き》いた。
「帳場へ行っておかみさんに話すと、おまえ大丈夫かえと云うんです。ええ大丈夫でしょうと、あたしが云ったので、おかみさんも承知して貸すことになったんです。それが今まで埓《らち》が明かないので、おかみさんはあたしを叱って、おまえが請け合ったんだから、催促して取って来いと云う。そこで、このあいだから催促に来るんですけれど、今は調練の最中だから面会は出来ないの、きょうはドンタクで外出したのと云って、いつでも逢わせてくれないんです」
「そりゃあ困るな」
歩兵の連中は門番にたのんで、藤屋の女が来たならば追い返してくれと云ってあるに相違ない。お房が幾たび足を運んでも、おそらく埓は明くまいと思った。
「第二小隊の人達は割合いにおとなしいようですけれど、やっぱりいけないんですねえ」と、お房は又云った。
「第二小隊……。その四人はなんという人だえ」
「鮎川さん、三沢さん、野村さん、伊丹さんです」
「鮎川さん……。丈次郎というのか」
「ええ、丈次郎というのです」
鮎川丈次郎は二度目に髷を切られた男である。半七は笑った。
「ほかの人は知らねえが、その鮎川さんはおめえの所へ顔出しは出来ねえ筈だ。≪えて≫ものにちょん切られたのだからな」と、半七は自分の髷を指さした。
「あら、それじゃあ鮎川さんも……。まあ」
お房も髪切りの噂を知っているらしく、ひどく驚いたように半七の顔を見あげた。
三
その当時の半七は神田三河|町《ちょう》に住んでいたのであるから、小川|町《まち》から遠くない。お房に別れてひと先ず自分の家へ帰ると、亀吉と弥助が待っていた。
「屯所へ呼ばれたそうですね。髪切りの一件ですかえ」と、亀吉はすぐに訊いた。
「そうだ、猿や狐じゃあ無さそうだと云うのだ」
半七からひと通りの話を聞かされて、二人はかんがえていた。
「しかし、その築山というのがおかしい。そこに何か巣食っているのじゃあありませんかね」と、弥助は云い出した。「去年の長州屋敷の一件もありますからね」
蛤御門《はまぐりごもん》の事変から江戸にある長州藩邸はみな取り壊しになったが、去年の八月、麻布|竜土町《りゅうどちょう》の中屋敷を取り壊した時には、俄かに大風が吹き出したとか、奥殿から大きい蝙蝠《こうもり》が飛び出して諸人をおどろかしたとか、種々の雑説が世間に伝えられた。古い大名屋敷には往々そんな怪談が付きまとうので、屋敷跡の屯所の築山にも古狐か古猫のたぐいが棲んでいないとは限らない。蠣殻町《かきがらちょう》の有馬の屋敷の火の見|櫓《やぐら》には、一種の怪物が棲んでいたのを火の番の者に生け捕られ、それが瓦版の読売の材料となって、結局は有馬の猫騒動などという飛んでもない怪談を作りあげてしまった。そんな例はほかにもある。したがって、亀吉や弥助はこの一件について、まだ幾分の疑いを懐《いだ》いているらしかった。
「世間じゃあ豹だなぞと云うが、まさかに豹が町なかへまぐれ込みもしめえが……」と、亀吉も云った。「何かやっぱり狐か狸がいたずらをするのじゃありませんかね。現にその二人は、獣のようなものに出逢ったと云うじゃあありませんか」
「そんな事がねえとも云えねえが、小隊長の云う通り、どうも人間らしい匂いがするな」と、半七は笑った。
「だが、なぜそんないたずらをするのか、そのわけが判らねえので、どこから手を着けていいか見当が付かねえ。こうなると、なんでも手掛かりのある所から手繰《たぐ》って行くよりほかはねえ。弥助、おめえは、天神下に行って、藤屋のお房という女をしらべてくれ。なるべく当人に覚《さと》られねえようにするがいいぜ。亀、おめえは鮎川という歩兵の出這入りに気をつけてくれ。きょうの様子じゃあ、お房と鮎川とは訳があるかも知れねえからな」
「茶袋め、しゃれた事をしやあがる」と、亀吉も笑った。「ようがす。よく気を付けましょう」
「お房には兄貴がある筈で、そいつは何か小博奕なんぞを打つ奴らしいですよ」と、弥助は云った。「ひょっとすると、その茶袋もやくざ者で、隊へはいらねえ前からお房を識っているのかも知れませんね」
「じゃあ、色の遺恨で誰かがちょん切ったかな」と、亀吉はすこし考えていた。「だが、切られたのは十一人だと云うから、まさかみんなが色の遺恨を受ける覚えもあるめえ。そんなに色男が揃っているなら、茶袋だって世間から可愛がられる筈だ。まあ、なにしろ行って来ます」
二人は怱々に出て行った。髪切りが人間の仕業であるとすれば、普通のいたずらとしては余りに念入りである。何者がなんの為にそんないたずらをするのかと、半七は午飯《ひるめし》をくいながら考えた。そうして、おぼろげながら一つの推測をくだした時、子分の幸次郎が忙がしそうにはいって来た。
「親分。早速ですが、いい話を聴いて来ました」
「いい話……。金でも降ったというのか」
「まぜっ返しちゃあいけねえ。実はゆうべ、浅草の代地河岸《だいちがし》のお園《その》という女の家《うち》へ押込みがはいって、おふくろと女中の物には眼もくれず、お園の着物をいっさい担ぎ出してしまいました。それだけなら珍らしくもねえが、出ぎわにお園の髷を根元からふっつりと切って、持って行ったそうです」
「お園というのは何者だ」
「以前は深川で芸者をしていたのを、ある旦那に引かされて、おふくろと女中の三人暮らしで、代地に囲われているのです。年は二十三で、ちょいと蹈める女です。商売あがりの女だから、昔の色のいきさつで髷を切られる位のことはありそうですが、それにしちゃあ着物をみんな担ぎ出すのは暴《あら》っぽい。といって、唯の押込みなら髷まで持って行くにゃあ及ぶめえ。その押込みは二人連れだと云うことです」
「悪いはやり物だな」と、半七は舌打ちした。
「屯所の一件が評判になっているので、何が無しに髪切りの真似をしてみたのか、それとも何か仔細があるのか、どっちでしょうね」と、幸次郎も判断に迷っているらしかった。
おそらく無意味の真似であろうと、半七は思った。それでも彼は念のために訊いた。
「お園の旦那は誰だ」
「内証にしているので判らねえが、なにしろ町人じゃあありません。近所の噂じゃあ、旗本の殿さまか、大名屋敷の留守居か、そんな人らしいと云うのですが……」
「旦那は屋敷者か」
「着物なんぞを取られたのは仕方もないが、髷を切られちゃあ旦那に申し訳がないと云って、お園は半気ちがいのように泣いて騒いで、あぶなく代地の河岸から飛び込みそうになったのを、おふくろと女中が泣いて留める。近所の者も留めに出る。いや、もう、大騒ぎだったそうですよ」
「旦那が屋敷者となると、この髪切りも人真似とばかり云っていられねえ。その旦那は何者だか、突き留める工夫《くふう》はねえか」
「そりゃあ訳はありません。おふくろや女中にカマを掛けて訊いても判ります。その旦那は近所の小岩という駕籠屋から乗って帰ることもあるそうですから、駕籠屋に訊いても、屋敷の見当は大抵付くというものです。すぐに調べて来ましょう」
「その旦那が歩兵隊に係り合いのある人間なら、この一件が又おもしろくなって来るからな」と、半七はまったく面白そうに云った。
幸次郎が出て行ったあとで、半七は又しばらく眼を瞑《と》じて考えていた。この一件について、自分は最初から一つの推測を持っているのであるが、それが適中するかどうか。代地の髪切り事件も、解釈のしようによっては、いよいよ自信を強める材料とならないでも無い。半七は少なからざる興味をもって、子分らの報告を待っていた。
この春はめずらしく火事沙汰が少なかったが、夕方から大南風《おおみなみ》が吹き出して、陽気も俄かに暖くなった。歩兵屯所の八重桜も定めてさんざんに吹き散らされるであろうと、半七は想像した。行く春のならいで、花の散るのは、是非もないが、この大風で火事でも起こってくれなければいいと案じていると、やがて五ツ(午後八時)に近い頃に、弥助が眼をこすりながら帰って来た。
「ひどい風、ひどい砂、眼を明いちゃあ歩かれません」
「やあ、御苦労。ひどい風だな」
「御注文の一件は調べて来ました。藤屋のかみさんに訊いてみると、お房の云ったことは少し嘘がまじっています。成程この正月には歩兵の四人連れが来て、借りて行ったには相違ねえが、その勘定はもう済んでいるそうです。お房はやっぱり鮎川という歩兵と訳があって、なんとか彼《か》とか名をつけて、屯所へ呼び出しに行くらしい。そこをお前さんに見付けられたので、いい加減のことを云って誤魔化したのです。お房はことし二十歳《はたち》ですが、その兄貴の米吉というのは商売無しの遊び人で、大名屋敷や旗本屋敷の大部屋へはいり込んで日を暮らしている。勿論、妹のところへも無心に来る。お定まりの厄介兄貴だそうです」
「お房の相手の鮎川というのは、どんな奴だ」
「こりゃあ江戸者じゃあありません。武州大宮在の百姓の次男で、実家もまあ相当にやっている。本人は江戸へ出て若党奉公でもしたいと望んでいるところへ、江戸で歩兵を募集する事になったので、早速に願い出て、三番隊の第二小隊にはいることになったそうです。年は二十三で、色の白い、おとなしやかな男で、茶袋の仲間じゃあ花形だという評判です」
「江戸に親類はねえのか」
「さあ、そこまでは判りませんが……」
「そりゃあ亀の方の受持ちだから、なんとか判るだろう。今夜はまあこれで帰って、あした又早く来てくれ」
弥助の帰る頃から、風には雨がまじって来て暴《あ》れ模様になった。雨と風と、その音を聞きながら半七は寝床のなかで又考えていると、表の戸を叩いて亀吉がぐしょ湿《ぬ》れの姿ではいって来た。風が強いので、傘は挿せないと云うのである。彼は鬢《びん》のしずくをふきながら、親分の枕もとに坐った。
「歩兵の一件だけなら、あしたでもいいのですが、ほかに少し聞き込んだ事があるので、夜ふけに飛び込んで来ました」
「どんな聞き込みだ」と、半七は起き直った。
「この頃はどうも物騒でいけません。ゆうべ下谷金杉の高崎屋という小さい質屋へ押込みがはいりました」
この頃の江戸はまったく物騒で、辻斬りや押込みの噂は絶えない。単にそれだけならば、さのみ珍らしいとも思えなかったが、亀吉の報告は確かに半七の注意を惹くものがあった。
「ゆうべの四ツ(午後十時)過ぎです。その高崎屋へ二人組の押込みがはいって、五十両ばかり取って行きました。番頭はなかなか落ち着いた男で、黙ってじっと見ていると、ゆうべも陽気がぽかぽかしたので、ひとりの奴が黒の覆面をぬいで、額《ひたい》の汗を拭いたり、頭を掻いたりした。すると、そいつの頭には髷が無かったと、こう云うのです」
「髷がなかった……」
「自分で切ったか、人に切られたか知らねえが、ともかくも髷が無かったと云うのです。髪切りのはやる時期でも、髪を切った押込みはめずらしい。それを眼じるしに御詮議を願いますと、番頭は訴えたそうです」
「実は午《ひる》過ぎに幸次郎が来て、ゆうべ浅草の代地のお園という囲い者の家へ、二人組の押込みがはいって、そいつらはお園の髷を切って行ったというのだ」
「やっぱり二人組ですかえ」と、亀吉は眼をひからせた。
「そうだ」と、半七はうなずいた。「だが、代地の二人組は女の髪を切って行った。金杉の二人組は自分の髪を切っている。時刻から考えると、浅草の奴が下谷へ廻ったと思われねえこともねえが、代地で盗んだ代物《しろもの》をどう始末したか。ほかにも同類があるのか、それとも別の奴らか。その鑑定はむずかしい」
「ちっとこんぐらかって来ましたね」
「そこで、おめえの受持ちはどうした」
「ひと通りは洗って来ました」
亀吉が探索の結果も、弥助の報告とほぼ同様であった。第二小隊の鮎川丈次郎は武州大宮在の農家の次男で、年は二十三歳で、歩兵仲間にはめずらしい色白の柔和《にゅうわ》な人間であるが、同じ隊中の者に誘われて此の頃は随分そこらを飲み歩くらしい。天神下の藤屋へもたびたび出かけて、お房になじんでいるのも事実である。深川海辺河岸の万華寺というのが遠縁の親類にあたるので、そこの住職が身許になって入隊したのであると云う。鮎川ばかりでなく、髪切りに出逢ったほかの十人も相変らず調練に出ている。そのほかには別に変ったことも無いらしいと、亀吉は云った。
四
明くれば三月二十六日である。ゆうべの雨かぜも暁《あ》け方からからりと晴れて、きょうは拭《ぬぐ》ったような青空を見せていた。
このごろの騒がしい世の中では、葉ざくら見物という風流人も少ないと見えて、花の散ったあとの隅田堤はさびしかった。堤下《どてした》の田圃では昼でも蛙がそうぞうしくきこえた。その堤下の小料理屋から二人づれの男が出て来た。
ひとりは筒袖だん袋に韮山笠《にらやまがさ》をかぶった歩兵である。他のひとりは羽織袴の侍風で、これも笠をかぶっていた。かれらは相当酔っているらしく、殊に往来の絶えているのを見て、かなりの声高で話しながら歩いて来たが、やがて堤へ上がって一軒の掛茶屋にはいった。茶屋も此の頃は休んでいるらしく、外囲いの葭簀《よしず》はゆうべの雨に濡れたままで、内には人の影もなかった。それが丁度仕合わせであるというように、ふたりは片寄せてある長床几を持ち出して、向かい合って腰をかけた。
「暑いな。すっかり夏になった」と、侍は扇を使いながら云った。
「もう日なかは夏です」と、歩兵も云った。「殊にゆうべの雨風から急に暑くなりました」
「では、今の一件を増田君にもよく話して下さい。このくらいで止《や》めては困る……」
「はあ」と、歩兵の返事はすこし渋っていた。
「きょうは増田君も一緒に来てくれると好かったのだが……」
「増田君は二、三人づれで吉原へ昼遊びに行ったようです」
「はは、みんな遊ぶのが好きだな」
歩兵隊はドンタクと称して、一、六の日を休日と定め、その日は明け六ツから夕七ツまでの外出を許されている。この歩兵もきょうドンタクに外出したものと察せられた。二人はそれから二つ三つ話して床几を起《た》った。
「では、きっと頼みますぞ」と、侍は云った。
「はあ」と、歩兵の返事はやはり渋っていた。
「米吉が不安心なら、今度は手前から直々《じきじき》にお渡し申しても宜しい」
「はあ」
かれらは一緒に連れ立って行くことを厭うらしく、侍はひと足さきに別れて出て、吾妻橋の方角へ真っ直ぐに立ち去った。歩兵は後に残って、暫くぼんやりと考えていたが、やがて立ち上がって表へ出た。桜の青葉を洩れて来る真昼の日のひかりを、彼はまぶしそうに仰ぎながら、堤のむこうへ下りて竹屋の渡しへむかった。
侍も歩兵も笠を脱がなかった。知らない人が聴いたならば、これだけの対話にさしたる秘密を含んでいるとも思われなかったであろうが、その秘密をぬすみ聴く四つの耳があった。頬かむりをした二人の男が掛茶屋のうしろからそっと姿をあらわした。それは半七と亀吉であった。
「あの侍を知らねえか」と、半七は小声で訊《き》いた。
「知りませんね」と、亀吉は答えた。「歩兵は確かに鮎川ですよ」
「米吉が不安心なら、直々に渡してもいいと云っていたな」
「米吉というのはお房の兄貴ですよ」
「そうだ」
「もう少し歩兵を尾《つ》けてみましょうか」
「まず昼間で具合が悪いが、もう少し追ってみろ」
渡しが出るよう、と呼ぶ声におどろかされて、亀吉は怱々に堤下へ駈けて行くと、半七はあき茶屋へはいって煙草を一服吸った。もうこっちの物だと云うような軽い心持になって、彼は堤のまんなかを飛んでゆく燕《つばめ》の影を見送りながら、ひとりで涼しそうにほほえんだ。
歩兵隊の髪切りは、猿でなく、狐でなく、豹でなく、人間の仕業であろうと、半七は推測した。もし人間であるとすれば、第一に疑うべきは鮎川丈次郎と増田太平の二人である。ほかの九人はなんにも心あたりが無いと云うにも拘らず、この二人は獣のようなものに襲われたと云っている、或いはこの二人がほかの九人の髪を切って、その疑いを避けるために自分自身の髪をも切って、まことしやかにいろいろのことを云い触らしているのかも知れないと、彼は思った。
そこで鮎川や増田がなぜそんなことをしたか。それは単なるいたずらでない、自分たちの意趣遺恨でもない、恐らく何者にか頼まれたのであろう。彼等は何者にか買収されて、歩兵隊の威光と信用とを傷つけるために、こんな悪戯《いたずら》めいた事を続行したらしい。騒動があまり大きくなったので、この頃はしばらく中止しているが、あわ好くば小隊全部の髪を切ってしまうつもりかもしれない。
藤屋のお房との関係から、半七は先ず鮎川に疑いをかけた。茶屋女などに関係すれば、金につまる。金につまれば何をするか判らない。その推測が適中して、きょうのドンタクに外出を許された彼は、この向島の小料理屋でどこかの侍と密会している。お房の兄の米吉もその間に立って、金銭取引の中継ぎをしているらしい。ここまで判れば、この一件の解決は時間の問題に過ぎないと、半七は多寡をくくってしまったのである。
まだ残っているのは、代地と金杉の押込み一件で、髪を切られた者と、髪を切っている者と、それに何かの関係があるか無いか、その解決は幸次郎の報告を待つのほかはなかった。
それからそれへと考えながら、半七はあき茶屋を出て吾妻橋の方角へ引っ返すと、日ざかりの暑さはいよいよ夏らしくなったので、彼は葉桜の下を択《よ》って歩いた。水戸の屋敷の大きい椎《しい》の木がもう眼の前に近づいた頃に、堤下の田圃で泥鰌《どじょう》か小鮒をすくっている子供らの声がきこえた。
「やあ、ここに人が死んでいる」
「死んでいるんじゃあない。寝ているんだ」
その声が耳にひびいて、半七は堤の上から覗いてみると、堤の裾《すそ》の切株に倚《よ》りかかって、一人の男が寝ているらしかった。
「生酔《なまよい》だな」と、半七は思った。
それでも念のために、彼は堤を降りて、その男の枕もとへ近よると、男は堅気《かたぎ》の町人とも遊び人とも見分けの付かないような風体で、いが栗頭が蓬々《ぼうぼう》と伸びているように見えた。彼はたしかに酒に酔って倒れていたのである。
「もし、おまえさん。まっ昼間から何でこんな所に寝ているのだ」と、半七は近寄って揺りおこした。
他愛なく眠っているようでも、どこか油断が無かったらしく、揺り起こされて男はすぐにはっと眼をあいた。彼は自分の前に立っている半七を見て、俄かに起き直って衣紋《えもん》をつくろった。そうして、無意識のように両方の袖口を引っ張った。それが法衣《ころも》の袖をあつかうような手つきであると、半七は思った。
「おまえさんは坊さんかえ」と、半七は訊いた。
「なに、そうじゃあねえ」と、彼は少し慌てたように答えた。「おらあ職人だ」
「めずらしい職人だな。そんな頭で出入り場の仕事に行くのか」
「喧嘩のもつれで、髷を切ったのだ。毛の伸びるまでは、仕事にも出られねえので、よんどころなしにぶらぶらしているのよ」
彼は三十前後の蒼黒い男で、どうも破戒の還俗僧《げんぞくそう》らしいと半七は鑑定した。彼は半七の相手になるのを避けるようにわざとらしく欠伸《あくび》をして、眼をこすりながら歩き出そうとすると、ふところから重い財布がずしりと地に落ちた。彼はあわてて拾おうとすると、半七はその手をおさえた。
「おい、待ってくれ。落とし物はよっぽど重そうだな。おれに見せてくれ」
「見せてくれ……」と、男は眼をひからせて半七を睨んだ。「ひとの懐中物をあらためてどうするのだ。おめえは巾着切りか、追剥ぎか」
「追剥ぎはそっちかも知れねえ」と、半七は笑った。「まあ、見せろよ」
「てめえたちに見せるいわれはねえ」と、男は半七の手を振り切って、財布を自分のふところへ捻じ込んだ。
「ぬすびとの昼寝ということもある。そんなに重そうな財布をかかえながら、往来に寝込んでいるから調べるのだ。おれが調べるのじゃあねえ。この十手が調べるのだ」
半七はふところから十手を出した。
五
その翌日、半七は歩兵屯所へ出頭して、小隊長の根井善七郎に面会を求めた。
「あなたは二十四日の晩、浅草代地河岸のお園という女の家《うち》へ押込みがはいったのを御存知でしょうか」
「知らない」と、根井は答えた。「そのお園という女は何者だ」
「実は……」と、半七は声を低めた。「大隊長の囲い者でございます」
大隊長|箕輪《みのわ》主計《かずえ》之助は六百石の旗本である。それが代地河岸に妾宅を持っていようとは、根井も今まで知らなかったのである。箕輪も勿論、秘密にしていたに相違ない。それを半七にあばかれて、根井は他人事《ひとごと》ながらも少しく極まりが悪そうに顔をしかめた。
「して、それがどうかしたのか」
「子分の幸次郎に調べさせましたら、お園の旦那は箕輪の殿様だということがわかりました。お園は二人組の押込みに髪を切られたのでございます。」
「髪を切られた……」と、根井はいよいよ顔を曇らせた。「箕輪|氏《うじ》の囲い者と知っての業《わざ》かな」
「そうだろうと思います」
「その髪切りは歩兵の一件と何か係り合いがあるのだろうか」
それはこの場合、誰の胸にも浮かぶ疑問である。半七は更に声をひくめた。
「係り合いがあるように思われます。まさか大隊長の髪を切るわけにも行かないので、お妾さんの髪を切ったらしいのでございます。油断をしていると、この屯所の中でもまだまだ切られる者があるかも知れません」
根井もおおかた覚《さと》ったらしく、これも声を忍ばせた。
「では髪切りは……。屯所内の者の仕業だな」
「鮎川丈次郎、増田太平の二人だろうと思います」
「鮎川と増田……。確かな証拠があるかな」と、根井は形をあらためた。
「きのうの午《ひる》過ぎに、向島の水戸さま前の堤下で、怪しい者を召し捕りました」と半七は説明した。
「坊主あがりで、懐中には二十両ほどの金を所持して居りました。手向かいするのをおさえて、だんだん詮議いたしますと、深川海辺河岸の万華寺の納所《なっしょ》あがりで、良住という者でございました。御承知の通り、万華寺の住職は鮎川丈次郎の親類でございます。良住は身持ちが悪いので寺を逐《お》い出され、今では居どころも定めずごろ付いて居りますが、万華寺にいた縁故から鮎川とも知合いでございます。まだお話を致しませんでしたが、同じ二十四日の晩に、下谷金杉の高崎屋という質屋へも二人組の押込みがはいりました。その一人は髪を切っていたと云うことでしたが、この良住は還俗するつもりとみえて、いが栗頭を長く伸ばしていて、髷を切ったような形にも見えます。その上、懐中には身分不相当の大金を持っているので、こいつが下谷の押込みではないかと睨みまして、きびしく吟味すると案の通りでございました」
「もう一人の同類は誰だ。鮎川か」と、根井は待ち兼ねたように訊いた。
「いえ、これもあなたが御存知のない者で……。湯島天神の藤屋という小料理屋に女中奉公をしているお房という女がございます。その兄の米吉というならず者でございます」
「では、この二人は屯所に関係はないな」
「左様でございます」
しかし、まったく関係がないとは云えない。鮎川丈次郎はお房の関係から彼《か》の米吉と知合いになった。そうして、米吉の手から金銭をうけ取って髪切りの役目を引き受ける事になったらしい。増田太平も遊蕩の金に困って、鮎川と米吉に誘い込まれたのであろうと、半七は説明した。
燈台もと暗しと云うか、足もとから鳥が立つと云うか、自分の部下からこの犯人を見いだして、小隊長も頗る意外に感じたらしい。それにつけても第一の問題は、かれらを買収して髪切りのいたずらを実行させた本家本元である。根井は暫く考えながら云った。
「こんにちの世の中だから、誰が何をするか判らないが、それについてはどうも心あたりが無い。お前にはもう探索が届いているのか」
「還俗坊主を取りおさえただけで、その相棒の米吉の居どころがまだ判りません」と、半七は答えた。「良住は髪切り一件には係り合いがないと云って居ります。そんなわけで、誰が金を出して、誰が頼んだのか、そこまでは探索が行き届いて居りませんのでございます」
「むむ。鮎川と増田を詮議すれば判る筈だ」
「それで今朝うかがいましたのでございます」
「よく知らせてくれた」と、根井はすぐに立ちかけた。「そこで、代地の一件だが……。お園という女の髪を切ったのは誰だ。やはり鮎川と増田かな」
「まあ、そうだろうと思いますが……」
屯所は夕七ツが門限で、その以後の外出は許されない筈である。それにも拘らず、歩兵らは往々夜遊びに出る。今後はその取締りを厳重にしなければならないと、根井は云った。鮎川も増田も夜なかに脱《ぬ》けだしてお園の宅を襲ったのであろう。こういう無規律であるために、歩兵の評判が悪いのである。根井もそれを知っていながら、自分一個の力ではどうにもならないらしかった。
それでも彼は半七の手前、今後はきっと取締まると繰り返して云った。
「これから鮎川らを即刻吟味する。おまえは暫く待ってくれ」
云い残して根井は怱々に出て行ったが、やがて又引っ返して来た。
「増田は練兵所に出ていたので、すぐに吟味する事にしたが、鮎川は昨夜から帰隊しないそうだ。あるいは覚って逃亡したのかも知れない」
「子分の亀吉に云いつけて、鮎川のあとを尾《つ》けさせてありますから、その居どころは判る筈でございます」と、半七は云った。
「あいつ、又ほかにも悪い事をして、市中取締りの手に召し捕られたりすると、歩兵隊の不面目だ。おまえに頼む。見つけ次第に取りおさえてくれ」
その当時の市中取締役は庄内藩の酒井|左衛門尉《さえもんのじょう》である。その巡邏隊と歩兵隊とは、とかくに折り合いが悪く、途中で往々に衝突を演ずることがある。市中取締りの立場からいえば、乱暴をはたらく歩兵隊を取締まるのは当然であるが、それが歩兵隊の癪にさわるので、両者は常に睨み合いの姿になっている。鮎川の召し捕りを半七に依頼したのも、彼を巡邏隊の手に渡すまいという根井の用心であるらしい。それを察して半七も請け合って帰った。
三河町の家へ帰ると、亀吉が待っていた。
「あれから鮎川のあとを追って行くと、竹屋の渡しを渡って今戸へ越して、それから花川戸の方角へぶらぶらやって来ると、むこうから米吉の野郎が来て、両方がばったりと出逢いました。こりゃあ面白くなったと思うと、往来のまん中で立ち話、これにゃあどうも困りました。真っ昼間の往来だから近寄ることが出来ねえ。ただ遠くから様子を窺っているだけのことでしたが、二人の様子が唯でねえ。なにか捫著《もんちゃく》でもしているらしい風に見えましたが、なにしろ人通りの多い所だから、二人もいつまで捫著してもいられねえので、まあいい加減に別れてしまったようです。鮎川はそれから天神下へ行って、例の藤屋へはいり込みました」
「その鮎川はゆうべから屯所へ帰らねえそうだ」
「野郎、泊まり込んでいやがるのか。それともお房を引っ張り出して、駈け落ちでもしやあがったかな」と、亀吉は半七の顔色をうかがった。「どうしましょう。すぐに藤屋へ行ってみますか」
「そうだ、駈け落ちなんぞをされると困る。構わねえから、見つけ次第に押さえてしまえ。小隊長から頼まれているのだ。早く行ってくれ」
亀吉を追い出してやると、入れちがいに弥助が来た。
「親分。藤屋のお房はゆうべから帰らねえそうです」
「鮎川と一緒か」
「そうです。明るいうちから鮎川は飲みに来ていて、日が暮れて屯所へ帰る。お房はそれを送りながら一緒に出て行って、それっきり帰らねえそうですよ」
「困ったな」
半七は歎息した。亀吉が根気よく藤屋に張り込んでいたならば、鮎川とお房の消息を探ることが出来たかも知れなかったのであるが、藤屋へはいるまでを見届けて、これから先は例の通りと、見切りをつけて引き揚げてしまったのが、今更おもえば不覚であった。その不覚のために、この事件の一半を不得要領に終らせることになった。
六
「なんでも油断をしちゃあいけません。亀吉がうっかり油断した為に、折角の探索をめちゃめちゃにしてしまって、当人も後々まで悔んでいましたよ」と、半七老人は云った。
「二人のゆくえはとうとう知れないんですか」と、わたしは訊《き》いた。
「知れません。幸次郎をやって、鮎川の故郷の大宮在を探索させましたが、そこへも立ち廻った形跡がありません。勿論、江戸市中や近在には姿をみせず、そのうちに御一新の大騒ぎですから、そんな詮議をしてもいられません。明治になったのは二人の仕合わせで、どこにか天下晴れて暮らしているでしょう。世の中が変ると、思いも寄らない得《とく》をするものも出来ます」
「増田の方は捉《つか》まったんですな」
「これは前に申した通りで、髪切りは全く鮎川と自分の仕業に相違ないと白状しました。代地河岸のお園の家へ押込んだのも、二人の仕業でした。ところが、これも困ったことには吟味中に押込み所を破って逃げてしまいました。歩兵隊も重々不取締りで致し方がありません」
「一体、誰に頼まれたんですか」
「それが肝腎の問題ですが、増田は鮎川と米吉に誘い込まれて、最初に十五両、二度目に十両貰っただけで、その頼み手は知らないと強情を張っていました。何分にも一方の鮎川が見付からないので、詮議も思うように捗取《はかど》らない。そのうちに増田は逃亡してしまって、これもゆくえ不明ですから、詮議の手蔓も切れたわけで……。こんにちの言葉で申せば五里霧中です」
「しかし、まだほかに米吉がいる筈ですが……」
「その米吉が又いけないのです」
「どうしました」
「王子辺の川のなかで浮いていました」
「殺されたんですか」
「豹に啖《く》われて……」
「本当に啖われたんですか」
「と、まあ、云っているのですが……」と、老人は笑った。「わたくしはその死骸を見ませんでしたが、なにかの獣《けもの》に体を啖われていたそうです。野良犬に咬まれたのでしょうね。坊主あがりの良住と一緒に押込みを働いて、ふところは相当に重い筈ですから、どこかの大部屋へでも遊びに行って打ち殺されたか、ごろつき仲間にでも狙われたか、それとも別に仔細があるのか、ともかくも誰かに打ち殺されて、死骸を王子辺のさびしい所へ捨てられた。それを野良犬どもが咬み散らして、川のなかへでも転がし込んだのでしょう。しかしその当時は豹に啖い殺されたという評判でした」
「観世物の豹は本当に逃げたんですか」
「逃げたというのは例の噂で、上州から野州の方を持ち廻っていたのだそうです。しかし、米吉の死んだのは本当です」
「そうすると、詮議の種も尽きたわけですな」と、わたしも失望したように云った。
「まあ、そういうことになります。良住という奴は髪切り一件に関係が無いとすれば、あとは鮎川と増田ですが、この二人はいずれも行方不明、お房も同様、残る米吉は豹に啖われたと云うようなわけですから、関係者は種切れです。そこで、屯所側の鑑定では、この事件のうしろには大名屋敷の黒幕が付いていて、鮎川らを操《あやつ》って歩兵隊にケチを付ける計画だろうと云うのでした。幕府反対の大名たちが……と云っても主人が知ったことじゃあありますまいが、その家来たちがいろいろの策動をして、幕府困らせをやる。今度の一件も薩州屋敷あたりの者が内々で運動費を使って、こんな悪戯《いたずら》をして、幕府の歩兵の信用を墜《おと》させようと企てたのであろうと云うのです。今から考えると、子供のような悪戯とも思われますが、その時代にはこんな悪戯もなかなか有効であったのですから、誰かが考え付いたのかも知れません。
果たしてそうだとすれば、米吉という奴は博奕を打つので大名屋敷の大部屋へはいり込む関係から、こいつが先ず誰かに買収されたものと想像されます。米吉はお房の縁で鮎川を抱き込む、つづいて増田を味方に引き入れる。狂言の筋立ては大方こんなことでしょう。昔から悪い事をする人間はみんなそうですが、鮎川も増田も自分の髪を切られたことにして、唯黙っていればいいのに、この二人だけが何か髪切りの正体を見たようなことを云って、天鵞絨《びろうど》のような手ざわりがしたとか、獣のような物に出逢ったとか云い触らしたのが失敗のもとで、かえってわたくし共に眼を着けられる事にもなったのです。
増田の申し立てによると、自分も鮎川も歩兵隊にはいったものの、毎日の調練が忙がしく、なかなか辛抱がつづかない。その上にいつか道楽の味をおぼえたので、猶さら屯所の生活が窮屈でならない。いっそ脱走でもしようかと云っているところへ、髪切りの一件をたのまれたので、金がほしさに引き受けたが、その詮議がだんだん厳重になったので、なんだか薄気味悪くなって来た。その矢先きへ、ある所から米吉を通じて、大隊長の妾宅を襲えという秘密の命令が来ました。そこで、二人は相談して、いっそここらで強盗を働いて、纒まった金をこしらえて脱走しようと云うことになったのです。妾の髪を切れば二人に十五両ずつ呉れるという約束でしたが、そのお金を米吉が中途で着服して、二人に渡さない。その捫著のあいだに、気の弱い鮎川は思い切ってお房と駈け落ちをしてしまう。思い切りの悪い増田はぐずぐずしているうちに取り押さえられたのです。妾宅で盗んだ品々は米吉の家へ持ち込んだままで、まだ処分されずに残っていたので、みんな無事にお園の手へ戻りました」
「米吉というのは随分悪い奴ですね」
「元来は大した悪党でもないのですが、急に悪度胸が据わったと見えて、鮎川や増田をあやつって旨い汁を吸っていながら、一方には自分も良住と一緒に押込みを働く。何やかやでかなりにふところを肥やした筈ですが、悪運尽きて忽ち滅亡、殺した者は大部屋の仲間でもなく、ごろつき仲間でもなく、ひょっとすると例の屋敷の連中が秘密露顕の口を塞ぐために、急所の当身《あてみ》でも喰わせたかも知れません。まあ、大体のお話はこんなことで、その以上はわたくしにも判り兼ねます」
「結局、その陰謀の策源地は判然《はっきり》しないのですね」
「薩州だろうの、長州だろうのと云っても、所詮は当て推量で、確かな証拠もないのですから、表向きの掛け合いも出来ず、この一件はうやむやに済んでしまいました。三田の薩摩屋敷には大勢の浪人が潜伏していて、とかくに市中を鬧《さわ》がすので、とうとう市中取締りの酒井侯の討手がむかって、薩摩屋敷砲撃と相成ったのは、どなたも御存じのことでしょう。あの砲撃のために、芝の金杉、本芝、田町《たまち》の辺はみんな焼けました」
「良住という坊主は、本当になんにも知らないんでしょうか」
「万華寺の関係から考えると、良住は鮎川の秘密を知っていそうに思われるのですが、本人はどうしても知らないと云い張っていました。これも吟味中に牢死という始末で、何もかもうやむや……。こんな事件もめずらしいのです」
云い終って、老人はまた思い出したように溜め息をついた。
「めずらしいと云えば、ここに少し不思議なお話があります。慶応三年十二月十三日、歩兵隊が吉原で喧嘩をはじめて、廓内の者や弥次馬に取り囲まれ、十幾人が半死半生の袋叩きに逢いました。そのなかには重傷で死んだものもありました。死んだのはみんな髪切りに出逢った連中だという噂で……。わたくしも何だか変な心持になりました」
[#改ページ]
川越次郎兵衛
一
四月の日曜と祭日、二日つづきの休暇を利用して、わたしは友達と二人連れで川越の喜多院の桜を見物して来た。それから一週間ほどの後に半七老人を訪問すると、老人は昔なつかしそうに云った。
「はあ、川越へお出ででしたか。わたくしも江戸時代に二度行ったことがあります。今はどんなに変りましたかね。御承知でもありましょうが、川越という土地は松平|大和守《やまとのかみ》十七万石の城下で、昔からなかなか繁昌の町でした。おなじ武州の内でも江戸からは相当に離れていて、たしか十三里と覚えていますが、薩摩芋でお馴染があるばかりでなく、江戸との交通は頗る頻繁の土地で、武州川越といえば女子供でも其の名を知っている位でした。あなたはどういう道順でお出でになりました……。ははあ、四谷から甲武鉄道に乗って、国分寺で乗り換えて、所沢や入間川《いるまがわ》を通って……。成程、陸《おか》を行くとそういう事になりましょうね。江戸時代に川越へ行くには、大抵は船路でした。浅草の花川戸から船に乗って、墨田川から荒川をのぼって川越の新河岸へ着く。それが一昼夜とはかかりませんから、陸を行くよりは遙かに便利で、足弱の女や子供でも殆ど寝ながら行かれるというわけです。そんな関係からでしょうか、江戸の人で川越に親類があるとかいうのはたくさんありました。例の黒船一件で、今にも江戸で軍《いくさ》が始まるように騒いだ時にも、江戸の町家で年寄りや女子供を川越へ立退《たちの》かせたのが随分ありました。わたくしが世話になっている家でも隠居の年寄りと子供を川越へ預けるというので、その荷物の宰領や何かで一緒に行ったことがあります。花の頃ではありませんでしたが、喜多院や三芳野天神へも参詣して来ました。今はどうなったか知りませんが、その頃は石原町というところに宿屋がならんでいて、江戸の馬喰町《ばくろうちょう》のような姿でした」
老人の昔話はそれからそれへと続いて、わたし達のようにうっかりと通り過ぎて来た者は、却って老人に教えられることが多かった。そのうちに、老人はまた話し出した。
「いや、この川越に就いては一つのお話があります。あなた方はむかし一書き物を調べておいでになるから、定めて御承知でしょうが、江戸城大玄関先きの一件……。川越次郎兵衛の騒ぎです。あれもいろいろの評判になったものでした」
「川越次郎兵衛……何者です」
「御承知ありませんか。普通は次郎兵衛と云い伝えていましが、ほんとうは粂《くめ》次郎という人間で……」
どちらにしても、私はそんな人物を知らなかった。それに関する記録を読んだこともなかった。
「御存じありませんか」と、老人は笑った。「なにしろ幕府の秘密主義で、見す見す世間に知れていることでも、成るべく伏せて置くという習慣がありましたから、表向きの書き物には残っていないのかも知れませんな。いつぞや『金の蝋燭』というお話をしたことがありましょう。その時に申し上げたと思いますが、江戸の御金蔵破り……。あの一件は安政二年三月六日の夜のことで、藤岡藤十郎と野州無宿の富蔵が共謀して、江戸城内へ忍び込み、御金蔵を破って小判四千両をぬすみ出したので、城内は大騒ぎ、専ら秘密にその罪人を詮議している最中、その翌日、則ち三月七日の昼八ツ(午後二時)頃に、何処をどうはいって来たのか、ひとりの男が本丸の表玄関前に飄然と現われて、詰めている番の役人たちにむかって『今日じゅうに天下を拙者に引き渡すべし。渡さざるに於いては天下の大変|出来《しゅったい》いたすべしと、昨夜の夢に東照宮のお告げあり、拙者はそのお使にまいった』と、まじめな顔をして、大きい声で呶鳴ったから、役人たちもおどろきました。
その男は手織縞の綿入れを着て、脚絆、草鞋という扮装《いでたち》で、手には菅笠を持っている。年のころは三十前後、どこかの国者《くにもの》であることはひと目に判ります。こんな人間が江戸城の玄関へ来て、天下を渡せなぞという以上、誰が考えても乱心者としか思われません。この時代でも、相手が気違いとなれば役人たちの扱いも違います。本気の者ならばすぐに取り押さえて縄をかけるのですが、気違いである上に、仮りにも東照宮のお使と名乗る者を、あまり手荒くすることも出来ない。ともかくも一応はなだめて連れて行って、それから身許その他の詮議をしようとすると、男はなかなか動かない。東照宮を笠に着て、なんでも天下を渡せと強情に云い張っているので、役人たちも持て余しました。
場所が場所ですから、こんな人間をいつまで捨てて置くわけには行きません。宥《なだ》めても賺《すか》しても肯《き》かない以上、いくら気違いでも、東照宮のお使でも、穏便に取り扱っていては果てしが無い。二人の役人が両手を取って引き立てようとすると、そいつは力が強くて自由にならない。とうとう大勢が駈け集まって暴《あば》れる奴を押さえ付けて縄をかけてしまいました。まったく斯うするよりほかはありません。本人は口を結んでなんにも云いませんが、その笠の裏に武州川越次郎兵衛と書いてありました。
してみると、川越藩の領分内の百姓に相違あるまいというので、早速にその屋敷へ通知して、次郎兵衛を引き取らせる事になりました。昔はどうだったか知りませんが、幕末になっては相手が乱心者と判っていれば、余りむずかしい詮議もありませんでした。川越の屋敷でも迷惑に思ったでしょうが、武州川越と笠に書いてあるのが証拠で、自分の領内の者を引き取らないと云うわけには行きません。殊にそれが御城内を騒がしたのですから、恐縮して連れ帰ることになりました。
そこで、第二の問題は、その次郎兵衛がどうして御玄関先きまで安々と通りぬけて来たかということで、途中の番人も当然その責任を免かれない筈です。そうなると、ここに大勢の怪我人ができる。それも宜しくないと云うので、かの次郎兵衛は天から落ちて来たという事になりました。いや、笑っちゃあいけない。昔の人はなかなか巧いことを考えたものです。つまり彼《か》の次郎兵衛は天狗に攫《さら》われて、川越から江戸まで宙を飛んで来て、お城のなかへ落とされたと云うわけです。こうなれば、誰にも落ち度は無い。天狗を相手に詮議も出来ないから、所詮はうやむやに済んでしまいました。
そうすると、今度は川越の屋敷から本人を突き戻すと云って来ました。成程その笠には武州川越次郎兵衛と書いてあるが、屋敷へ連れ帰って調べてみると、彼が所持する臍緒書《ほぞのおがき》には野州宇都宮在、粂蔵の長男粂次郎とある。それが本当だと思われるから、当屋敷には係り合いの無い者であると云うのです。そう云えば其の通りで、手に持っていた笠を証拠にするか、肌に着けている臍緒書を証拠にするかと云うことになれば、まず臍緒書を確かなものと認めるよりほかはありません。笠は他人の笠を借りることが無いとは云えない。また粗相で取り違えることもある。しかし他人《ひと》の臍緒書を身に着けているなぞは滅多に無いことです。なにしろ川越の屋敷の云うことも一応の理窟が立っているので、こちらでも押し返しては云えません。天狗の本元争いをすれば、宇都宮の人間が日光の天狗に攫われたと云う方が本当らしいようにも思われます。いずれにしても、本人の身許判然とするまでは、一時当方に預かり置くと云うことになりました。
その日の夕六ツ頃に、町奉行所の指図で八丁堀同心坂部治助、これは『大森の鶏』でおなじみの人です。この坂部という人が、丁度そこに来合わせていた住吉町の竜蔵の子分二人を連れて、川越藩の中《なか》屋敷へ受け取りにゆくと、その帰り途で次郎兵衛が暴れ出した。それを取り鎮めようとしていると、俄かに旋風《つむじ》がどっと吹いて来て、あたりは真っ暗、そのあいだに次郎兵衛のすがたが見えなくなってしまったと云うのです。これも前の天狗から思い付いたことで、恐らく油断をして縄抜けをされたのでしょう。縄抜けでは自分たちの落ち度になるから、これも旋風にこじつけたものと察せられます。前が天狗で、後が旋風、こういうことで何とか申し訳が立つのですから、今から思えば面白い世の中でした。
これで済んでしまえば、何が何やら判らずじまいです。それにしても江戸城表玄関に立ちはだかって、天下を即刻拙者に引き渡すべしと呶鳴ったなぞは、権現さま以来ただの一度もない椿事ですから、その噂は自然に洩れて、忽ちぱっと世間に広がりました。そいつも御金蔵破りの同類で、白昼大胆にも御玄関先きから忍び込もうとしたのだなぞと、尾鰭《おひれ》を添えて云い触らす者もある。川越の屋敷から受け取った以上、取り逃がしたのはこちらの責任で、表向きは旋風で済んでも、坂部さんは不首尾です。そこで内所《ないしょ》でわたくしを呼んで、その次郎兵衛のゆくえを探し出してくれ、それで無いと、自分の顔が立たないと云うのです。
しかし、坂部さんは縄ぬけを正直に云いません。どこまでも旋風に巻いて行かれたように話しているのです。わたくしの方でも大抵は察していますから、野暮な詮議もしませんが、さてどこから手を着けていいか見当が付きません。笠に書いてある川越次郎兵衛、臍緒書の粂次郎、この二人の身許を探るのが先ず一番の近道ですが、今と違って汽車は無し、十里以上も離れた土地になると、その探索がなかなか不便です。
そんな事でぐずぐずしているうちに、それからそれへと御用が湧いて来るので、旅へ出るような暇がありません。もう一つには、その次郎兵衛という奴は気違いらしい。折角苦労して探し当てたところで、やっぱり気違いであったと云うのでは、どうも張り合いがない。坂部さんには気の毒ですが、思い切って働いてみようという気も出ないので、かたがた一日延ばしにもなってしまったのです。ところがあなた……。世の中というものは不思議なもので、その次郎兵衛とわたくしとは、どこまでも縁が離れないのでした」
二
『金の蝋燭』の一件も片付き、ほかの仕事も片付いたのは、四月の二十日《はつか》過ぎである。少しくからだに暇が出来たので、宇都宮か川越へ踏み出してみようかと、半七は思った。
外神田に万屋《よろずや》という蝋燭問屋がある。そこは養父の代から何かの世話になって、今でも出入りをしている店であるので、半七はその前を通ったついでに、無沙汰ほどきの顔を出すと、番頭の正兵衛が帳場に坐っていた。半七も店に腰をかけて、世間話を二つ三つしているうちに、正兵衛は声をひそめて云った。
「ねえ、親分。この頃はお城のなかにいろいろの事があるそうですね」
金蔵破りは勿論、東照宮のお使一件も、皆ここらまで知れ渡っているのである。半七も先ずいい加減に挨拶していると、正兵衛は又云った。
「お城のお玄関に突っ立った男は、川越の次郎兵衛というのだそうですね」
恐らくお城坊主などが面白半分に吹聴《ふいちょう》するのであろうが、世間ではもう次郎兵衛の名まで知っているのかと、半七もいささか驚いていると、正兵衛は続けてささやいた。
「御承知でもありましょうが、この町内の番太郎に要作というのが居ります。女房はお霜といいまして、夫婦ともに武州川越在の者で、八年ほど前からここの番太郎を勤めて居りますが、二人ながら正直者で町内の評判も宜しゅうございます。その要作に次郎兵衛という弟がありまして……」
川越の次郎兵衛、その名を聞かされて半七も俄かに眼をひからせた。
「それじゃあ何ですかえ。町内の番太郎は川越の者で、弟は次郎兵衛というのですかえ」
「実はその次郎兵衛が江戸へ奉公したいと云って、川越から三月の節句に出て来ましたそうで……。それが五日の日から行方《ゆくえ》が知れなくなりました」
「番太郎の兄貴の家にいたのですね」
「そうでございます。兄を頼って来ましたので、要作から手前どもに話がありまして、こちらのお店で使ってくれないかという事でしたから、ともかくも主人に相談してみようと返事をして置きますと、その本人がすぐに姿を隠してしまいましたので、兄の要作もひどく心配して居ります」
「お前さんはその次郎兵衛という男に逢いましたかえ」と、半七は訊《き》いた。
「表向きに名乗り合いは致しませんが、番太郎の店にいるのをちらりと見たことがございます。年は十九だそうですが、色のあさ黒い、眼鼻立ちのきりりとした、田舎者らしくない男で、あれなら役に立ちそうだと思って居りましたが……」
「国へ帰ったという知らせも無いのですか」
「知らせも無いそうです。尤も要作夫婦も忙がしい体ですから、ただ心配するばかりで、別に聞き合わせてやると云うこともしないようですが……」
その以上のことは番頭も知らないらしかった。しかしそれだけの事を偶然に聞き出したのは、意外の掘出し物である。江戸城へはいりこんだ本人は川越の次郎兵衛でなく、宇都宮の粂次郎であるらしいが、いずれにしても笠の持ち主を見つけ出せば、それからひいて其の本人を突き留めることも出来る。半七はよろこんで万屋の店を出た。
四月になって、番太郎の店でも焼芋を売らなくなった。駄菓子とちっとばかりの荒物をならべている店のまえに立つと、要作は町内の使で何処へか出たらしく、女房のお霜が店番をしていた。それを横目に見ながら、半七は隣りの自身番へはいると、定番《じょうばん》の五平があわてて挨拶した。
「早速だが、ここの番太の夫婦はどんな人間ですね。川越の生まれだそうですが……」
「へえ」と、五平は俄かに顔を曇らせた。「なにかのお調べですか」
「御用だ。正直に云ってくれ」
「要作は三十一で、女房のお霜はたしか二十八だと思います。川越の者に相違ございません」
「要作には次郎兵衛という弟があるそうだね」
「要作の弟ではございません。女房の弟だと聞いていますが……」と、五平はいよいよ迷惑そうな顔をしていた。
自身番の者も城中の一件を知っているのである。川越の次郎兵衛のことも知っているらしい。しかもそれが番太郎の親類縁者であるということが発覚すると、その時代の習いとして一町内が種々の迷惑を蒙《こうむ》るおそれがあるので、努めてそれを秘密にしているのであろうと、半七は推量した。
「いや、心配する事はあるめえ」と、半七は笑いながら云った。「お城の一件は次郎兵衛じゃあねえらしい」
「でも、笠に書いてあったという噂で……」と、五平は釣り込まれて口をすべらせた。
「笠は次郎兵衛の物だろうが、その本人じゃあねえようだ。第一に年頃が違っている。誰かが次郎兵衛の笠を持っていたらしい。そうと決まれば別に心配することはねえ、せいぜい叱られるぐらいの事で済むわけだ」
「そうでしょうね」と、五平もやや安心したようにうなずいた。「しかし親分、その次郎兵衛のゆくえが知れないので心配しているのです」
「むむ、そうだ」と、半七もうなずいた。「ここへ次郎兵衛が出て来て、その笠は誰に貸したとか、どこで取られたとか、はっきり云ってくれれば論はねえのだが、ゆくえが知れねえには困ったな。なんにも心あたりはねえのかえ」
「番太の夫婦も心あたりがないと云っています。なにしろ八年も逢わずにいた者が不意に出て来て、また不意に消えてしまったのですから、まったく天狗にでも攫われたようなもんで、なにが何だか判らないそうです。成程そうかも知れません」
「十九といえば、もう立派な若けえ者だ。いくら江戸馴れねえからと云って、まさかに迷子になりもしめえ。たとい迷子になっても、今まで帰らねえという理窟はねえ。なにか姉夫婦と喧嘩でもして、飛び出したのじゃあねえか」
「いや、それですよ。要作は隠していますが、女房がちょいと話したところでは、次郎兵衛は義理の兄とすこし折りが合わない事があったようです。本人は江戸へ出て、武家奉公でもするつもりであったらしいのを、要作が承知しない。おまえ達が武家に奉公すると云えば先ず中間《ちゅうげん》だが、あんな折助《おりすけ》の仲間にはいってどうする。奉公をするならば、堅気の商人《あきんど》の店へはいって辛抱しろと云う。それが又、次郎兵衛の気に入らないので、そこに何かの捫著《もんちゃく》があったようですから、若い者の向う見ずに何処へか立ち去ってしまったのかも知れません。しかし江戸にはこれぞという知りびとも無し、本人も初めて出て来たのですから、ほかに頼って行くさきも無い筈だと云います。そのうちにお城の一件が知れたので、要作夫婦は蒼《あお》くなって、どうぞ自分たちに難儀のかからないようにと、神信心や仏参りをして、可哀そうなくらいに心配しています。あの夫婦はこの町内に八年も勤め通して、何ひとつ不始末を働いたこともないのに、飛んだ弟がだしぬけに出て来て、まかり間違えばどんな巻き添えを受けないとも限らないので、わたし達も共々心配しているのですが……」
五平は同情するように云った。
「そりゃあ本当に可哀そうだ」と、半七も顔をしかめた。「だが、今も云う通り、次郎兵衛は笠だけの事らしいから、あんまり心配しねえがいいと、番太の夫婦にも云い聞かせて置くがよかろう」
「そうすると、次郎兵衛には係り合いが無くって、唯その笠を誰かに持って行かれたと云うだけの事なのでしょうか。それが本当なら、要作も女房もどんなに喜ぶかも知れません。そこで親分。実はまだこんな事もあるのですが……」と、五平は表を窺いながらささやいた。「日は忘れましたが、なんでも先月末だと思います。わたしがこの店の先きに出ていると、年頃は三十四五の小粋な年増が来かかって、隣りの店を指さして、あれが番太の要作さんの家《うち》かと訊きますから、わたしはそうだと教えてやると、女は外から様子を窺っていて、やがて店へはいって行きました、あんな女が番太をたずねて来るのも珍らしいと思って、わたしもそっとの覗《のぞ》いていると、女房が何か応答しているようでしたが、それがだんだんに喧嘩腰のようになって、なにを云っているのか好く判りませんでしたが、まあ、叩き出すようなふうで、その女を追い帰してしまいました。あとで女房に訊きますと、あれは門《かど》違いで尋ねて来たのだから、そのわけを云って帰したと云っていましたが、どうもそうじゃあ無いようで……。今まであんな女を見たことはありませんから、もしや次郎兵衛の係り合いじゃあ無いかとも思うのですが……。はっきり聞こえませんでしたが、その女も女房も次郎兵衛という名を云っていたように思います」
「その女は、江戸者かえ、他国者かえ」と、半七は訊いた。
「江戸ですね。いや、それに就いてまだお話があります。その晩、もうすっかり暮れ切ってしまってから、十七八の娘がまた隣りへ尋ねて来ました。私はそのとき奥で夕飯を食っていましたが、手伝いの三吉の話では、これも女房に叱られて追い出されたそうです。容貌《きりょう》は悪くないが、丸出しの田舎娘で、泣きそうな顔をして出て行ったそうで……。これも隣りの女房はわたし達に隠しているので、詳しいことは判りません」
こうなると、どうしても隣りの女房を一応詮議するのが当然の順序である。
「じゃあ、番太の女房を呼んでくれ」と、半七は云った。
三
五平に連れられて、番太郎の女房が来た。お霜は二十七八で、眼鼻立ちも醜《みにく》くなく、見るからかいがいしそうな女であった。彼女は半七を御用聞きと知って、あがり口の板の間にかしこまった。
「いや、そんなに行儀好くするにゃあ及ばねえ」と、半七は頤《あご》で招いた。「まあ、ここへ掛けて、仲好く話そうじゃあねえか」
「親分に訊かれたことは、なんでも正直に云うのだぜ」と、五平もそばから注意した。
「次郎兵衛はおめえの弟で、川越から江戸へ奉公に出て来たのだね」と、半七は訊いた。「それが三月の三日に来て、五日からゆくえが知れなくなったと云うのは本当かえ」
「はい。五日の夕方にどこへかふらりと出て行きました、それぎり音も沙汰もございません」と、お霜は答えた。
五平の話したとおり、本人は屋敷奉公をしたいと云い、要作は町奉公をしろと云い、その衝突から飛び出したのであろうと、彼女は云った。しかし弟は年も若し、初めて江戸へ出て来たのであるから、むやみに家を飛び出しても、ほかに頼るさきはない筈である。さりとて故郷へ帰ったとも思われず、どうしているか案じられてならないと、彼女は苦労ありそうに云った。
番太郎へたずねて来た二人の女に就いて、彼女はこう説明した。
「三月二十八日のお午《ひる》過ぎでございました。浅草の者だと云って、粋な風体《ふうてい》の年増の人が見えまして、次郎兵衛に逢いたいと云うのでございます。まさかに家出をしましたとも云えませんので、まあいい加減に断わりますと、むこうではわたくしが隠しているとでも疑っているらしく、強情に何のかのと云って立ち去りませんので、わたくしもしまいは腹が立って来まして、つい大きい声を出すようにもなりました」
「女はとうとう素直に帰ったのだな」と、半七は訊《き》いた。
「はい。帰るには帰りましたが、帰りぎわに何だか怖いことを云って行きました」
「どんなことを云った」
「あの人にそう云ってくれ。あたしは決しておまえを唯では置かない。それが怖ければ浅草へたずねて来いと……」
「その女は江戸者だな」
「着物から口の利き方まで確かに下町《したまち》の人で、なにか水商売でもしている人じゃあないかと思います。初めて江戸へ出て来た弟がどうしてあんな人を識っているのかと、まったく不思議でなりません」
「おめえの弟は田舎者でも≪きりり≫としていると云うから、素早く江戸の女に魅《み》こまれたのかも知れねえ」と、半七は笑った。「女は浅草とばかりで、居どころを云わねえのだな」
「云いませんでした。次郎兵衛は知っているのでございましょう」
「それから、また別に若けえ女が来たと云うじゃあねえか。それはどうした」
「それは、あの……」と、お霜は云い淀んだように眼を伏せた。
「それはおめえも識っている女だな。おなじ村の者か」
お霜はやはり俯向いていた。
「なぜ黙っているのだ。その女は弟のあとを追っかけて来たのか」と、半七は畳みかけて訊いた。
「いえ、そういうわけでは……」と、お霜はあわてて打ち消した。
「それにしても、おめえも識っている女だろう。名はなんというのだ」
「お磯と申しまして、おなじ村の者ではございますが、家が離れて居りますのと、わたくしどもは久しい以前に村を出ましたのでよくは存じません。親の名を云われて、初めて気がついたくらいでございます。これも江戸へ奉公に出て来て、浅草の方にいるとばかりで、くわしいことを申しませんでした」
「これも浅草か」
「これもやはり弟に逢わせてくれと申しまして、なかなか素直に帰りませんのを、わたくしが叱って追い帰しました」
「おめえの弟はよっぽど色男らしいな」と、半七はまた笑った。「年増に魅こまれ、娘に追っかけられ、あんまり豊年過ぎるじゃあねえか。それだから天狗に攫われるのだ。そうして、女二人はそれっきり来ねえのか」
「まいりません」と、お霜ははっきり答えた。「それぎりで再び姿を見せません」
「お磯の親はなんというのだ」
「駒八と申します」
駒八は相当の農家であったが、いろいろの不幸つづきで今は衰微しているという噂であると、お霜は付け加えて云った。
「じゃあ、まあ、きょうはこの位にしよう」と、半七は云った。「おめえは今度のことに就いて、亭主と夫婦喧嘩でもしやあしねえか」
お霜は黙っていた。
「弟の肩を持って、亭主と喧嘩でもしやあしねえか。ふだんもそうだが、こういう時に夫婦喧嘩は猶さら禁物《きんもつ》だ。仲好くしねえじゃあいけねえぜ」
「はい」と、お霜は口のうちで答えた。
次郎兵衛は勿論、ほかの女たちが立ち廻ったならば、すぐにここの自身番へとどけろと云い聞かせて、半七はここを出た。それから半丁ほども行くと、八丁堀の坂部治助に出逢った。坂部は市中見廻りの途中であった。
「半七。天狗はどうしてくれるのだ。不人情な事をするなよ」と、坂部は笑いながら行き過ぎた。
冗談のように云ってはいたが、坂部は半七の怠慢を責めたのである。不人情と責められては、いよいよ捨て置かれなくなったので、彼はその晩、子分の亀吉を自宅へ呼び付けた。
「おい。御苦労だが、二、三日の旅だ。船に乗ってくれ」
「船へ乗って何処へ行きます」
「花川戸から乗るのだ」
「川越ですか」と、亀吉はうなずいた。「なにか見当が付きましたかえ」
半七から今日の話を聞かされて、亀吉は又うなずいた。
「ようがす。そんな事なら訳はありません。わっし一人で行って来ましょう」
「二人で道行《みちゆき》をするほどの事でもあるめえ。よろしく頼むぜ」
相当の路用を渡されて亀吉は帰った。あくる日の午過ぎに、半七は再び外神田の自身番を見まわると、五平は待ち兼ねたように訴えた。
「どうも困ったものです。きのうもお前さんにあれほど云い聞かされたのに、番太の女房はゆうべも夫婦喧嘩をはじめて、女房はどこへか出て行ってしまったそうで……」
「きょうになっても帰らねえのか」
「帰りません。亭主の要作も心配して、もしや身でも投げたのじゃあ無いかと、町内の用を打っちゃって置いて、朝から探して歩いているのです」
「仕様がねえな」と、半七は舌打ちした。
五平の話によると、お霜は八年振りで尋ねて来た弟をひどく可愛がっているらしく、その肩を持って亭主と衝突することがしばしばある。次郎兵衛の家出も、要作が無理押しに我意《がい》を押し通そうとしたからである。若い者をあたまから叱り付けて、なんでもおれの云う通りになれと云えば、若い者は承知しない。結局ここを飛び出して、天狗騒ぎなどを惹き起こす事にもなったのであると、お霜は亭主に食ってかかると、要作も黙っていない。本人の為にならない事は飽くまでも叱るのが兄の役目で、むやみに家出などをするのは本人の心得違いである。それが為に、おれ達もどんな巻き添えの憂き目を見るかも知れない。飛んだ弟を持って災難であると、要作は云う。この喧曄がたびたび繰り返された末に、ゆうべは最後の大衝突となったらしい。
「となりの喧嘩はわたし達も薄々知っていましたが、また始まったのかといい加減に聞き流していましたら、飛んだ事になってしまって、親分にも申し訳がありません」と、五平は恐縮していた。
まさかに死ぬほどの事もあるまいと思うものの、気の狭い女は何を仕でかすか判らない。困ったものだと半七も眉をひそめた。
四
それから足掛け四日目の夕がたに、亀吉が帰って来た。
「親分。大抵のことは判りました」
「やあ、御苦労。まあ、ひと息ついて話してくれ」と、半七は云った。
「まず本人の次郎兵衛の方から片付けましょう」と、亀吉はすぐに話し出した。「次郎兵衛の家《うち》にはおふくろと兄貴がありまして、まあ、ひと通りの百姓家です。本人は江戸へ出て屋敷奉公をしたいと云うので、二月の晦日《みそか》に家を出て、午《ひる》の八ツ半(午後三時)の船に乗ったそうです。兄貴が河岸《かし》の船場まで送ったと云うから、間違いは無いでしょう」
「二月の晦日に船に乗ったら、明くる日の午頃には着く筈だ。ところが、次郎兵衛は三日に姉のところへ尋ねて来たと云う。そのあいだに二日の狂いがある。その二日のあいだに、どこで何をしていたかな。それからお磯の方はどうだ」
「お磯の家は相当の百姓だったそうですが、親父の駒八の代になってから、だんだんに左前《ひだりまえ》になって総領娘のお熊に婿を取ると、乳呑児《ちのみご》ひとりを残して、その婿が死ぬ。重ねがさねの不仕合わせで、とうとう妹娘のお磯を吉原へ売ることになったそうです」
「お磯は売られて来たのか」と、半七はすこし意外に感じた。「そこで、そのお磯は次郎兵衛と訳があったのか」
「そうじゃあねえと云う者もあり、そうらしいと云う者もあり、そこははっきりしねえのですが、なにしろ仲好く附き合っていて、次郎兵衛が江戸へ出るときは、お磯も河岸《かし》まで送って来て、何かじめじめしていたと云いますから、恐らく訳があったのでしょうね」
「川越辺では今度の一件を知っているのか」
「城下では知っている者もありましたが、在方《ざいかた》の者は知りません。どっちにしても、お城にこんな事があったそうだ位の噂で、川越の次郎兵衛ということは誰も知らないようです。本人の親や兄貴もまだ知らないと見えて、みんな平気でいました。近いようでも田舎ですね」
「お磯の勤め先は吉原のどこだ」
「それがよく判らねえので……」と、亀吉は首をかしげながら云った。「江戸の女衒《ぜげん》が玉を見に来て、二月の晦日にいったん帰って、三月の二十七日にまた出直して来て、金を渡して本人を連れて行ったそうですが、その勤めさきを駒八の家では秘し隠しにしているので、どうも確かに判りません。御用の声でおどかせば云わせる術《すべ》もありますが、なにかの邪魔になるといけねえと思って、今度は猫をかぶって帰って来ました。なに、近いところだから造作《ぞうさ》はねえ、用があったら又出掛けますよ」
「その女衒はなんという奴だ」
「戸沢長屋のお葉《よう》です」
「女か」
「亭主は化け地蔵の松五郎といって、女衒仲間でも幅を利かしていた奴ですが、二、三年前から中気《ちゅうき》で身動きが出来なくなりました。女房のお葉は品川の勤めあがりで、なかなかしっかりした奴、こいつが表向きは亭主の名前で、自分が商売をしているのですが、女の方が却って話がうまく運ぶと見えて、いい玉を掘り出して来るという噂です。年は三十五で、垢抜けのした女ですよ」
「番太郎へ次郎兵衛をたずねて来たのは、そのお葉だな」
「それに相違ありません。あしたすぐに行ってみましょう」
「むむ。今度はおれも一緒に行こう」
あくる朝の四ツ(午前十時)頃、半七と亀吉は小雨の降るなかを浅草へむかった。戸沢長屋は花川戸から馬道の通りへ出る横町で、以前は戸沢家の抱え屋敷であったのを、享保年中にひらいて町屋《まちや》としたのである。そこへ来る途中、馬道《うまみち》の庄太に逢った。
「いい所で逢った。おめえは土地っ子だ。手をかしてくれ」と、半七は云った。
「なんです」と、庄太も摺り寄って来た。
あらましの話を聞かされて、庄太は笑った。
「戸沢長屋のお葉……。あいつなら好く識っています。雨の降るのに大勢がつながって出かけることはねえ。わっしが行って調べて来ますよ」
「だが、折角踏み出して来たものだ。どんなところに巣を食っているか、見てやろう」
三人は傘をならべて歩き出すと、やがてお葉の家の前に出た。小綺麗な仕舞家《しもたや》暮らしで、十五、六の小女がしきりに格子を拭いていた。この天気に格子を磨かせるようでは、お葉は綺麗好きの、口やかましい女であるらしく思われた。半七と亀吉を二、三軒手前に待たせて置いて、庄太はその小女に声をかけようとする処へ、お店《たな》の番頭らしい四十五、六の男が来かかった。彼は庄太を識っていると見えて、挨拶しながら近寄って何か小声で話していた。
「馬鹿に長げえなあ。雨のふる中にいつまで立たせて置くのだ。親分、どうしましょう」
「まあ、待ってやれ。なにか大事の用があるのだろう」
やがて庄太は引っ返して来て、かの男は馬道の増村という大きな菓子屋の番頭宗助であるが、親分たちにちょっとお目にかかりたいから、御迷惑でもそこまでお出でを願いたいと云う。それには仔細があるらしいから、ともかくも来てくれまいかと云った。
余計な道草を食うことになると思ったが、半七らもよんどころなしに付いてゆくと、宗助は三人を近所の小料理屋の二階へ案内した。庄太に紹介されて、宗助は丁寧に挨拶した上に、飛んだ御迷惑をかけて相済みませんと繰り返して云った。
「実はね、親分」と、庄太は取りなし顔に云い出した。「今この番頭さんから頼まれた事があるのですが、お前さん、まあ聴いてやってくれませんか」
その尾について、宗助も云い出した。
「御迷惑でございましょうが、まあお聴きを願いたいのでございます。手前の主人のせがれ民次郎は当年二十二になりまして、若い者の事でございますから、少しは道楽もいたします。ところが、先月以来戸沢長屋のお葉という女が時々に店へ参りまして、若主人を呼び出して何か話して帰ります。それがどうも金の無心らしいので、手前もおかしく思って居りますと、おとといは見識らない男を連れて参りまして、相変らず若主人を表へ呼び出して、なにか強面《こわもて》に嚇かしていたようで、二人が帰ったあとで若主人は蒼い顔をして居りました。あまり不安心でございますから、手前は人のいない所へ若主人をそっと呼びまして、これは一体どういう事かといろいろに訊きましたが、若主人はその訳を打ち明けてくれませんで、唯ため息をついているばかりでございます。御承知でもございましょうが、お葉は松五郎という女衒の女房で、手前どものような堅気な町人に係り合いのあろう筈はございません。それが毎度たずねて来て、なにか無心がましいことを云うらしいのは、どうも手前どもの腑に落ちません。年上ではありますが、お葉もちょいと垢抜けのした女ですから、もしや若主人とどうかしているのではないかと思いまして、それもいろいろ詮議したのでございますが、決してそんな覚えはないと若主人は申します。そうなるといよいよ理窟がわかりません。実を申しますと、若主人にはこの頃、京橋辺の同商売の店から縁談がございまして、目出たく纏まりかかっております。その矢先きへお葉のような女がたびたび押しかけて参りまして、その縁談の邪魔にでもなりましては甚だ迷惑いたします。主人夫婦も若主人を詮議いたしましたが、やはり黙っているばかりで仔細を明かしません。あまり心配でございますので、主人とも相談いたしまして、いっそお葉の家《うち》へ行って聞きただした方がよかろう。仔細によっては金をやって、はっきりと埒を明けた方がよかろう。こういうつもりで唯今出てまいりますと、丁度そこで庄太さんに逢いまして……。庄太さんの仰しゃるには、お葉もなかなか食えない女だから、お前さんたちが迂闊《うかつ》に掛け合いに行くと、足もとを見て何を云い出すか判らない。これは親分に一応相談して、いいお知恵を拝借した方がよかろうと申されましたので、お忙がしいところをお引き留め申しまして、まことに恐れ入りました」
「そこで、どうでしょう、親分」と、庄太は引き取って云った。「なまじい番頭さんなぞが顔を出すよりも、わっしが名代《みょうだい》に出かけて行って、ざっくばらんにお葉に当たってみた方が無事かと思いますが……」
「そこで、よもやとは思うが、若旦那とお葉とはまったく色恋のいきさつは無いのですね。相手は亭主持ちだから、そこをよく決めて置かないと、事が面倒ですからね」と、半七は宗助に訊いた。
「さあ、わたくしには確かなことは判りませんが……」と、宗助は考えながら答えた。「唯今も申す通り、本人は決してそんな覚えはないと申しております」
女中が酒肴を運び出して来たので、話はひと先ず途切れた。式《かた》のごとくに猪口《ちょこ》の遣り取りをしているうちに、雨はますます強くなった。
「お店《たな》の若旦那の遊び友達はどんな人達です」と、半七は猪口をおいて訊いた。
「そうでございます……米屋の息子さん、呉服屋の息子さん、小間物屋の息子さん、ほかに三、四人、どの人もここらでは旧い暖簾《のれん》の家の息子株で、あんまり人柄の悪いのはございません」と、宗助は指を折りながら答えた。
「お葉はおまえさんの店ばかりで、ほかのお友達の家へは行きませんか」
「さあ、どうでございましょうか」
「若旦那はどんな遊び方をします」
「それはよく存じませんが、なんでも太鼓持や落語家《はなしか》の芸人なぞを取巻きに連れて、吉原そのほかを遊び歩いているように聞いて居りますが……」
「大店《おおだな》の若旦那だから、大方そんなことでしょうね」と、云いながら半七は少し考えていたが、やがて又しずかに云い出した。「じゃあ、番頭さん、ともかくもこの一件はわたくしに任せて下さい。庄太の云う通り、おまえさんが顔を出すと、相手は足もとを見て、大きなことを吹っかけるかも知れねえ、そうなると、事が面倒ですから、わたくしの一手で何とか埒を明けましょう。しかし番頭さん、こりゃあどうしても唯じゃあ済みそうもねえ。五十両や百両は痛むものと覚悟していておくんなさい」
「はい、はい。それは承知して居ります」
勿論そのくらいの事は覚悟の上であるから、いつまでもあと腐れのないように宜しくお願い申すと、宗助は云った。
五
増村の番頭に別れて料理屋を出ると、門《かど》の葉柳は雨にぬれてなびいていた。
「まだ降っていやあがる。親分、これからどうします」と、庄太は訊《き》いた。
「お葉の家《うち》はあと廻しにして、おれが急に思い付いたことがある」と、半七は歩きながら小声で話した。「増村の息子に訊いても口を結んでいるかも知れねえから、その友達を詮議してみろ。近所に呉服屋や小間物屋の遊び仲間があると云うから、それを訊いて廻ったら大抵は判るだろう。その連中が取巻きに連れ歩いている太鼓持や落語家のうちに、素姓の変っている奴があるか無いか、それを洗ってくれ。お葉に掛け合いを付けるのは、それから後のことだ」
「ようがす。受け合いました」
庄太は二人に別れて立ち去った。
「じゃあ、これで引き揚げですかえ」と、亀吉は少し詰まらなそうに云った。「これじゃあ浅草まで酒を飲みに来たようなものだ」
「その酒も飲み足りねえだろうが、まあ我慢しろ。これでお城の一件もどうにか当たりが付きそうに思うのだが……」
「そうですかねえ」
「まだ判らねえか」
「判りませんねえ」
「じゃあ、まあ、ぶらぶら歩きながら話そうか」
ふたりは吾妻橋の袂から、往来の少ない大川端へ出て、傘をならべて歩いた。
「実は今、あの番頭の話を聴いているうちに、おれはふいと胸に泛かんだことがある。おめえ達が聴いたら、あんまり夢のような当て推量だと思うかも知れねえが、その当て推量が見事にぽんと当たる例がたびたびあるから面白い」
「そこで、今度の当て推量は……」
「まあ、こうだ」と、半七はうしろを見かえりながら云い出した。「お城の一件は、あの息子たちの趣向だな」
「悪い趣向だ。途方もねえ。なんぼ何だってそんな事を……」と、亀吉は問題にならないと云うように笑っていた。
「それだから夢のようだと云っているのだ。おれの当て推量はまあ斯うだ。おめえも知っているだろうが、この頃は世の中がだんだんに変わって来て、道楽もひと通りのことじゃあ面白くねえと云う連中が殖えて来た。三、四年前の田舎源氏《いなかげんじ》の一件なんぞがいい手本だ。みんなひどい目に逢いながら、やっぱり懲りねえらしい。増村の息子をはじめ、その遊び仲間は工面《くめん》のいい家の息子株だ。大抵の遊びはもう面白くねえ、なにか変った趣向はねえかと云ううちに、誰が云い出したか、たぶん増村の息子だろう、お城の玄関前で踊った奴には五十両やるとか、歌った奴には百両やるとか、冗談半分に云い出したのが始まりで、おれがやるという剽軽者《ひょうきんもの》があらわれたらしい」
「違げえねえ」と、亀吉は思わず叫んだ。「わっしはすっかり忘れていた。そうだ、そうだ。石屋の安の野郎の二代目だ。親分は覚えがいいな」
今から七、八年以前のことである。神田川の河岸《かし》にある石屋のせがれ安太郎が、友達五、六人と清元の師匠の家に寄り集まったとき、その一人が云い出して、桜田門の見附《みつけ》の桝形のまん中に坐って、握り飯三つと酒一合を飲み食いした者には、五両の賞金を賭けると云うことになった。よろしい、おれがやって見せると引き受けたのが安太郎で、ひそかに準備をしているうちに、それが早くも両親の耳にはいって、飛んでもない野郎だと大目玉を食わされた。勿論その計画は中止されたばかりでなく、そんな奴は何を仕でかすかも知れないと云うので、安太郎はとうとう勘当された。
江戸末期の頽廃期には、こんな洒落をして喜ぶ者が往々ある。今度の一件もその二代目ではないかと、半七は想像したのであった。それを聞いて、亀吉も俄かに共鳴した。
「親分、夢じゃあねえ、確かにそれですよ。安のような職人とは違って、みんな大店の若旦那だから、さすがに自分が出て行くと云う者はねえ。取巻きの太鼓持か落語家のうちで、褒美の金に眼が眩《く》れて、その役を買って出た奴があるに相違ねえ。洒落にしろ、悪戯《いたずら》にしろ、飛んだ人騒がせをしやあがるな」
「だが、その太鼓持か落語家は、相当に度胸がなけりゃあ出来ねえ芸だ。まじめじゃあ助からねえと思って、気ちがいの振りをしたのだろうが、川越の屋敷から町奉行所へ引き渡される途中で縄抜けをしている。これが又、誰にでも出来る芸じゃあねえから、なにかの素姓のある奴に相違ねえ。庄太に調べさせたら、大抵わかるだろう」
「お葉も係り合いがあるのでしょうね」
「川越次郎兵衛の笠がある以上、お葉もなにかの係り合いがありそうだ。ともかくもお葉はその一件を知っていて、増村の息子を嚇かしているのだろう。それが、表向きになりゃあ、唯じゃあ済まねえ。本人は勿論、親たちだって飛んだ巻き添えを食うのは知れたことだ。息子も今じゃあ後悔して、蒼くなっているに相違ねえ。そこへ附け込んで、お葉は口留め料をゆすっている。それも相手を見て、大きく吹っかけているのだろう。よくねえ奴だ」
「お葉と一緒に増村へ行ったという奴は何者でしょう」と、亀吉は訊いた。
「それは判らねえが、あの辺をごろ付いている奴か、女衒仲間の悪い奴だろう。亭主が中気で寝ていると云うから、お葉も男の一人ぐらいは拵えているかも知れねえ」
こういう時に、路ばたの露路から不意に飛び出した女がある。彼女は傘もささずに、跣足《はだし》で雨のなかを横切って行くのを、半七は眼早く見つけた。
「あ、いけねえ」
半七は傘をなげ捨てて、これも跣足になって駈け出した。今や大川へ飛び込もうとする女の帯は、うしろから半七の手につかまれた。亀吉もつづいて駈け寄ると、露路の中から男と女が駈け出して来た。
「おめえは番太の女房だな。まあ、おちついておれの顔をよく見ろ」と、半七は云った。
半気違いのようになっている女房も、半七と知って急におとなしくなった。あとから追って来たのは、お霜の亭主の要作と、この露路の奥に住んでいるお高という女であった。
雨のなかではどうにもならないので、人々はお霜を取り囲んで露路の奥へはいった。ここらには囲い者の隠れ家が多い。お高もその一人で、以前は外神田の番太郎の近所に住んでいて、お霜に洗濯物などを頼んだこともある。お霜は夫婦喧嘩の末に、あても無しに我が家を飛び出して、柳原のあたりをうろ付いていると、あたかもむかし馴染のお高に出逢った。
お高はもとより詳しい仔細を知らない。お霜も正直には云わないで、唯ひと通りの夫婦喧嘩のように話していた。それにしても一応の意見を加えて自宅へ戻らせるのが当然であるが、お高はお霜に味方して、当分はわたしの家に隠れていろと云った。
心あたりを探し尽くして、もしやとここへ尋ねて来た要作は、女房のすがたを見いだして呶鳴りつけた。お霜も負けずに云いかえした。お高もお霜の加勢をした。女ふたりに云い込められて、逆上《のぼ》せあがった要作は、女房の髪をつかんで滅茶苦茶になぐった。お霜も嚇《かっ》とのぼせて、いっそ死んでしまおうと川端へ飛び出したのである。その頃の大川は身投げの本場であった。
その留め男が半七であると判って、要作もお高も恐縮した。濡れた着物を拭くやら、汚れた足を洗わせるやらして、彼等はしきりに半七にあやまった。
「いや、あやまる事はねえ。そこで、番太のかみさん。おめえにもう一度訊きてえことがある」
半七はお霜を二階へ連れてあがると、そこは三畳と横六畳のふた間で、座敷の床の間には杜若《かきつばた》が生けてあった。東向きの縁側の欄干を越えて、雨の大川が煙《けむ》って見えた。その六畳に坐って、彼はお霜と差し向かいになった。
「もうひと足の所でおめえはどぶんを極めるところだった。それを助けた半七はまあ命の親というものだろう」と、半七は笑いながら云った。「命の親に嘘を云うのは良くねえことだ。これからは正直に返事をしてくれねえじゃあいけねえよ」
「はい」と、お霜は散らし髪の頭を下げた。
「いいかえ。嘘を云わねえ約束だよ」と、半七は念を押した。「おめえはこの間、おれに嘘をついたね」
「いいえ、そんな」
「下に来ているのは子分の亀吉という奴で、実はきのう川越から帰って来たのだ。おれの方でもひと通りは調べてある。おめえはおれに隠しているが、弟のゆくえを知っているのだろうな。きょうは花川戸のお葉のところへも廻って来て、その帰り道で丁度におめえに逢ったのだ。さあ、正直に云ってくれ。おれの方から云って聞かせてもいいが、それじゃあおめえの為にならねえ。おめえの口から正直に種を明かして、このあいだ嘘をついた罪ほろぼしをした方がよかろうぜ。それとも何処までも強情を張って、嘘を云い通すのか」
気嵩《きがさ》のようでも根が正直者のお霜である。≪かま≫をかけられて恐れ入ったらしく、さっきから下げている頭を畳に摺りつけた。
「恐れ入りましてございます」
「次郎兵衛はその後におめえの家《うち》へ立ち廻ったな」
「はい。二十七日の宵に忍んで参りました」
「そうして、どこへ行った」
「どうしても江戸にはいられない。といって、村へ帰ることも出来ない。相州大磯の在に知り人があるから、一時そこに身を隠していると申しますので、亭主には内証で少々の路用を持たせてやりました」
それを亭主の要作に覚《さと》られたのが夫婦喧嘩のもとであり、家出のもとであると、お霜は白状した。
「次郎兵衛はどうしてお葉と懇意になったのだ」と、半七はまた訊いた。
「船のなかで……」と、お霜は答えた。「御承知でもございましょうが、川越から江戸へ出ますには、新河岸川から夜船に乗ります。その船のなかで懇意になったのだそうでございます」
お磯の身売りについて、お葉は玉の下見《したみ》に行った。その帰りの船が次郎兵衛と一緒であったので、互いに心安くなった。乗合いは田舎道者《いなかどうじゃ》や旅商人《たびあきんど》、そのなかで年も若く、在郷者には不似合いの≪きりり≫とした次郎兵衛の男ぶりがお葉の眼に付いたらしく、船場で買った鮨や饅頭などを分けてくれて、しきりに馴れなれしく話しかけた。むかしの夜船はとかくにいろいろの挿話を生み易いものである。
その一夜をいかに過ごしたか、お霜もよくは知らないのであるが、晦日《みそか》に川越を立って三月の朔日《ついたち》に花川戸へ着いたお葉は、すぐに次郎兵衛と手を分かつことを好まなかった。自分の家は眼の先きにあると云って、ひと先ず彼を我が家に連れ込んで、中気で寝ている亭主の手前はなんと云いつくろったか、ともかくも二日のあいだは次郎兵衛を二階に引き留めて置いた。三日の午過ぎに、彼はようよう放たれて出たが、そのときにかの川越次郎兵衛の笠を置き忘れて来たのであった。
奉公先きに対する意見の相違で、彼は義兄《あに》の要作と衝突した。もう一つには、二、三日後には必ず尋ねて来てくれと、お葉から堅く念を押されているので、次郎兵衛はふらふらと飛び出して戸沢長屋へたずねて行くと、お葉はよろこんで迎えた。しかも自分の家に長く泊めて置くのは亭主の手前もあるので、お葉は近所のおきつという女|髪結《かみゆい》の二階に次郎兵衛を預けた。自分がいい仕事を見つけてやるから、武家奉公などは止めにしろとお葉も云った。
こんなことで幾日かを夢のように送っているうちに、主婦《あるじ》のおきつが何処からか聞いて来て、江戸城の天狗の一件を話した。証拠の笠に川越次郎兵衛と書いてあったという噂を聞いて、本人の次郎兵衛は顔色を変えた。早速それをお葉に話して、自分の笠を誰が持ち出したのかと詮議したが、お葉は一向知らないと空呆《そらとぼ》けていた。そんなことはちっとも心配するに及ばないと、彼女は平気で澄ましているのであった。
しかし次郎兵衛は安心していられなかった。たとい誰が持ち出したにせよ、その笠に自分の名がしるされてある以上、自分も係り合いを逃《の》がれることは出来ない。事件が重大であるだけに、どんな重い仕置を受けるかも知れないと、年の若い彼は一途《いちず》に恐れおののいた。近所の湯屋や髪結床でその噂を聞くたびに、彼は身がすくむほどにおびえた。
そのうちに、一方のお磯の身売りの相談がまとまって、お葉は本人を引き取るために再び川越へ出て行ったので、その留守のあいだに次郎兵衛は逃げ出した。恐怖に堪えない彼は、どうしても江戸に落ち着いていられないのであった。さりとて故郷へも戻られないので、彼はお霜から幾らかの路用を貰って大磯へ逃げた。
これだけの事を知っていながら、お霜は弟が可愛さに、今まで秘密を守っていたのであった。
「先日のお調べにいろいろ嘘を申し上げまして、まことに申し訳がございません」と、お霜は再び頭を下げた。
「そこで、そのお磯という娘は次郎兵衛と訳があったのか」と、半七は訊いた。
「それは弟もはっきり申しませんでしたが……」と、彼女は答えた。「お磯はお葉という女に連れられて江戸へ出て来ますと、次郎兵衛は姿を隠してしまって、女髪結の二階にはいないので、お葉はおどろいて真っ先きにわたしの家へたずねて参りましたが、先日も申し上げました通り、どこまでも知らないと云い切って帰しました。その晩にお磯が又、お葉の家をぬけ出して尋ねて来まして、自分は今度吉原へ勤めをすることになった。その訳は次郎さんもよく承知しているが、吉原へ行ってしまえば又逢うことは出来ないから、もう一度逢わせてくれと申します。これもはっきりとは云いませんでしたが、どうも弟と訳があるらしいので、わたくしも可哀そうだと思いましたが、弟のゆく先を話して聞かせるわけには参りません。話したところで、大磯まで逢いに行かれるものでもありませんから、わたくしは心を鬼にして、知らない知らないと云い切って、邪慳《じゃけん》に追い帰してしまいました。お磯は泣いて帰りました」
その夜の悲しい情景を今更おもい起こしたのであろう、お霜はしくしくと泣き出した。
六
「お話が長くなりました」と、半七老人は云った。「これで大抵はお判りでしょう」
「そうすると、江戸城の一件は菓子屋の息子たちの悪戯《いたずら》なんですか」と、私は笑いながら訊いた。
「そうです。悪戯というよりも、こんな悪い洒落をして喜んでいたのですね。さっきもちょっと申し上げました田舎源氏の一件というのは、堀田原の池田屋の主人が友達や芸者太鼓持を連れて、柳亭種彦の田舎源氏のこしらえで向島へ乗り出したのです。田舎源氏は大奥のことを書いたとかいうので、非常に事が面倒になって、作者の種彦は切腹したという噂もあるくらいです。それを平気で、みんな真似をしたのですから、無事に済む筈はありません。関係者二十六人はみんなお咎めに逢いました。それでも懲りないで、とかくに変った事をやって見たがる。江戸の人気《じんき》がそんなふうになったのも、つまりは江戸のほろびる前兆かも知れません。増村の息子たちもやはりそのお仲間で、向島の大七という料理屋で飲んでいる時に、お城の玄関に立って天下を渡せと云う者があれば、五十両の褒美をやると冗談半分に云い出したのが始まりで、それを引き受けるという者があらわれたのです」
「それは何者です。太鼓持か落語家《はなしか》ですか」
「堀の太鼓持、つまり山谷堀《さんやぼり》の太鼓持で、三八という奴です。なにしろ縄抜けをするくらいですから、唯の芸人じゃあないと睨んで、庄太にだんだん調べさせると、この三八というのは以前は上州の長脇指《ながわきざし》、国定忠治の子分であったが、親分の忠治が嘉永三年にお仕置になったので、江戸へ出て来て太鼓持になったという奴。これも向島の大七に集まった一人であることが知れましたから、恐らくこいつだろうと見込みを付けて、引き挙げてみると案の通りでした。こいつは不断からお葉の家《うち》へ出這入りしているので、次郎兵衛の笠を見つけて、これ幸い、詮議の眼をくらますのに丁度いいと思って、そっと持ち出したというわけで、次郎兵衛こそ飛んだ災難でした」
「じゃあ、その三八が野州の粂次郎なんですね」
「三八というのは芸名、生まれは野州宇都宮在で、粂蔵のせがれ粂次郎。こんな奴でもやはり昔の人間で、臍緒書《ほぞのおがき》はちゃんと持っていたのです。もちろん太鼓持の姿で入り込んでは、すぐに正体があらわれますから、田舎者に化けてお城へ乗り込み、いざというときには偽《にせ》気違いで誤魔化す計略。その芝居が万事とどこおりなく運んで、みんなからも大出来と褒められて、約束の五十両を貰って、三八はいい心持で引き退《さが》ったのですが、ここに又一つの面倒が起こりました。と云うのは彼《か》のお葉、こいつなかなか食えない奴で、この一件を知ったから黙っていない。相手は大店《おおだな》の若旦那株だから、嚇《おど》かせば金になると思って啖《くら》い付きました」
「その相摺りは三八ですか」
「三八は五十両でおとなしく黙っていたのですが、お葉の亭主の松五郎には銀六という子分がある。そいつを連れて、お葉は増村へ嚇かしに行く。それも二十両や三十両なら、増村の息子も器用に出すでしょうが、お葉は三百両くれろと大きく吹っかける。いくら大店でも、その時代の三百両は大金で、部屋住みの息子の自由にはならない。といって、例の一件を親や番頭にも打ち明けられないので、自業自得とはいいながら、増村の息子は弱り切っていたのです。ほかに同じ遊び友達があるのに、お葉がなぜ増村ばかりを責めていたのかと云うと、増村の身代が一番大きいのと、最初にお城の一件を云い出したのは増村の息子だというので、専らここばかりへ押して行って、口留め金をくれなければ其の秘密を訴えると云う。これは強請《ゆすり》の紋切形ですが、ゆすられる身になると、それが世間へ知れては大変、わが身ばかりか店の暖簾《のれん》にもかかわる大事ですから、今さら後悔しても追っ付かない。その最中に事が露《ば》れて、まあ大難が小難で済みました」
「三八は高見《たかみ》の見物ですか」
「いや、それだから大難が小難と云うので……」と、老人は顔をしかめて云った。「三八は自分も係り合いだから、仲へはいって三十両か五十両でまとめようと骨を折ったのですが、お葉は容易に承知しない。三八も素姓が素姓だから気があらい。もう一つには、万一お葉の口からその秘密を洩らされたら自分の首にも縄が付く一件ですから、油断は出来ない。これがもう少しごた付いていると、三八は度胸を据えて、お葉と銀六を殺してしまう覚悟であったそうです。恐ろしい太鼓持もあったもので……。そんな事にでもなったら何もかもめちゃくちゃで、結局は万事露顕になるのでしたが、そこまで行かずに食い止めたのは仕合わせでした。
しかしここに困った事は、三八を表向きに突き出すと、増村の店に迷惑がかかる。見逃がしてしまうと、わたくしが八丁堀の旦那に済まない。板挟みになって困ったのですが、増村の番頭と相談の上で、お葉の方は三十両で形《かた》を付け、八丁堀の坂部さんの方へは番頭同道で相当の物を持参、それでまあ勘弁して貰いました。つまりは一人も怪我人を出さずに済んだわけです。
いや、怪我人といえば彼の次郎兵衛、姉から知らせてやったのでしょう、この一件が無事に済んだ事を知って怱々に江戸へ戻って来ましたが、江戸はおそろしい所だと云ってすぐに故郷へ帰ろうとするのを、姉夫婦にひき留められて、例の蝋燭問屋の万屋へ奉公することになりました。そうすると、その年の十二月二日は安政の大地震、店の土蔵が崩れたので、その下敷きになって死んでしまいました。どうしてもこの男には江戸が祟《たた》っていたと見えます。
この地震で、花川戸のお葉も死にました。お磯は吉原へ行って、逢染《あいそめ》とかいう源氏名で勤めていたそうですが、これも地震で潰されたと云うことでした」
「みんな運の悪い人たちでしたね」と、わたしは溜め息をついた。
「増村の家に地震の怪我人は無かったそうですが、店は丸焼けになったので、その後は商売も寂れたようでした。今になって考えると、江戸三百年のあいだに、どんな悪戯をしても、どんな悪洒落をしても、江戸城の大玄関前へ行って天下を渡せと呶鳴ったものはない。全くこれが天下を渡す前触れだったのか知れませんね」
老人も嘆息した。
[#改ページ]
廻《まわ》り燈籠《どうろう》
一
「いつも云うことですが、わたくし共の方には陽気なお話や面白いお話は少ない」と、半七老人は笑った。
「なにかお正月らしい話をしろと云われても、サアそれはと行き詰まってしまいます。それでも時時におかしいような話はあります。もちろん寄席の落語を聴くように、頭から仕舞いまでげらげら笑っているようなものはありません。まあ、その話に可笑味《おかしみ》があるという程度のものですが、それでもおかしいと云えば確かにおかしい」
いわゆる思い出し笑いと云うのであろう。まだ話し出さない前から、老人は自分ひとりでくすくすと笑い出した。なんだか判らないが、それに釣り込まれて私も笑った。正月はじめの寒い宵で、表には寒詣《かんまい》りの鈴の音《ね》がきこえた。この頃は殆ど絶えたようであるが、明治時代には寒詣りがまだ盛んに行なわれて、新聞の号外売りのように鈴を鳴らしながら、夜の町を駈けてゆく者にしばしば出逢うのであった。
その鈴の音を聴きながら、老人はまだ笑っていた。すこし焦《じ》れったくなって、わたしの方から催促するように訊いた。
「そこで、そのおかしい話というのは、どんな一件ですか」
「つまり、物が逆《さか》さまになったので……」と、老人は又笑った。「石が流れりゃ木《こ》の葉が沈むと云うが、まあ、そんなお話ですよ。泥坊をつかまえる岡っ引が泥坊に追っかけられたのだからおかしい。泥坊が追っかける、岡っ引が逃げまわる。どう考えても、物が逆さまでしょう。そうなると、すべてのことが又いろいろに間違って来るものです。
その起こりは安政元年四月二十三日、夜の五ツ(午後八時)少し前の出来事で、日本橋|伝馬町《てんまちょう》の牢内で科人《とがにん》同士が喧嘩をはじめて、大きい声で呶鳴るやら、殴り合いをするやら大騒ぎ。牢屋の鍵番の役人二人が駈けつけて、牢の外から鎮まれ鎮まれと声をかけたが、内ではなかなか鎮まらない。喧嘩はいよいよ大きくなって、この野郎生かしちゃあ置かねえぞと呶鳴る。もう捨てては置かれないので、牢内へはいって取り鎮めるために、役人たちが入口の大戸の錠をあけると、その途端に五、六人がばらばらと飛び出して来て、役人たちを不意に突き倒して逃げ去りました。
これは最初から仕組んだことで、破牢をするための馴れ合い喧嘩でした。さてはと気が付いて、役人たちが追っかけたが、もう遅い。どれも身の軽い奴らで、牢屋の塀を乗り越して、首尾よく逃げおおせてしまいました。旧暦の二十三日の闇の晩を狙ってやった仕事ですから、おあつらえ向きに行ったわけです。
逃げた奴はみんな無宿者《むしゅくもの》で、京都無宿の藤吉、二本松無宿の惣吉、丹後村無宿の兼吉、川下村無宿の松之助、本石町《ほんごくちょう》無宿の金蔵、矢場村無宿の勝五郎の六人で、そのなかで藤吉、兼吉、松之助は入墨者《いれずみもの》です。地方は京都と二本松だけで、そのほかは江戸近在の者でしたが、たった一人、チャキチャキの江戸っ子がある。本石町無宿の金蔵、これは日本橋の本石町生まれで、牢屋とは眼と鼻のあいだで産湯《うぶゆ》を使った奴です。なにしろ破牢は重罪ですから、すぐに人相書をまわして詮議になりました。前に申した通り、石が流れて木の葉が沈む一件はこれから始まるのです。
その頃、芝口に三河屋甚五郎、俗に三甚と呼ばれた御用聞きがありました。親父の甚五郎はなかなか親切気のある男で、わたくしなぞも何かに付けて世話になったことがありましたが、甚五郎は三年前に死にまして、今は伜が二代目の甚五郎を継いでいる。この二代目はまだ二十一で、年も若し、腕も未熟、つまりは先代の看板で三甚の株を譲り受けていると云うだけのことですから、八丁堀の旦那衆のあいだにも信用が薄い。親の代から出入りの子分は相当にあるのですが、その子分にも余り腕利きがいない。尤も大抵の子分は親分次第のもので、親分がしっかりしていないと、子分も働きにくいものです。
そんなわけで、御用聞き仲間でも三甚はもう廃《すた》ったと云っていると、ことしの正月、その三甚の手で本石町無宿の金蔵を挙げたので、みんなもいささか意外に思いました。金蔵は本石町の鐘撞堂の近所の裏店《うらだな》に住んでいた屋根屋職人で、酒と女の道楽からとうとう無宿者になってしまって、江戸の隅々をころげ廻っているうちに、人殺しこそしませんが、大抵の悪い事は仕尽くして、今度挙げられたら先ず遠島ぐらいを申し渡されそうな兇状持ちになりました。その金蔵がどうして三甚の手にかかったかと云うと、ここにちょっと艶《つや》っぽいお話があるのです。
前にも申す通り、二代目の甚五郎、年も若く腕も未熟ですが、小粋な柄行きで男っ振りも悪くない。岡っ引なんていうものは、とかくいやな眼付きをして、なんだかぎすぎすした人間が多いのですが、この甚五郎は商売柄に似合わず、人柄がおとなしやかに出来ている。親父の株があるので、小銭《こぜに》も廻る。そこで、いつの間にか神明前の≪さつき≫という小料理屋のお浜という娘と出来てしまって、始終そこへ出這入りをしている。お浜のおふくろも勿論それは承知していたのです。
すると、或る日のこと、この神明のあたりを地廻りのようにごろ付いている千次という奴がさつきの帳場へ来て、幾らか強請《ゆす》りました。毎度のことですから、おふくろのお力《りき》が頭から刎《は》ね付けると、千次が云うには、きょうは唯来たのじゃあねえ、大事の魚《さかな》を売り込みに来たのだから、お前さんから三甚さんに話して、いい値に買って貰いたいと云う。そこで、だんだん訊いてみると、本石町無宿の金蔵がここらに立ち廻っていると云うのです。こうなると、娘の色男に手柄をさせたいのは人情ですから、お力は甚五郎を呼んで来て、千次と三人で打ち合わせた上で、千次は金蔵を誘ってさつきへ連れ込む。しかしここですぐに召捕っては、店にも迷惑がかかりますから、金蔵が酔って表へ出るのを待っていて、半丁ほど行き過ぎたところで、甚五郎とその子分二人が御用の声をかけました。こうすれば、行き合い捕りと云うことになって、誰にも迷惑はかかりません。密告者の千次も知らん顔をしていられるわけです。
金蔵もなかなか手強《てごわ》い奴でしたが、酔っているところを不意に押さえられたので、どうすることも出来ない。ここで脆《もろ》くも縄にかかってしまいました。これで三甚は思いも寄らない手柄をしたのですが、自身番へひかれて行った時に、金蔵はたいそう口惜《くや》しがって、どうでおれは遠島船を腰に着けている人間だから、遅かれ早かれ御用の声を聞くのは覚悟の上だが、いざお縄にかかるという時には、江戸で一、二といういい顔の御用聞きの手に渡る筈だ。こんな駈け出しの青二才の手柄にされちゃあ、おれは死んでも浮かばれねえ。こん畜生、おぼえていろ。おれが生きていればきっと仕返しをする、死ねば化けて出る、どっちにしても唯は置かねえから覚悟しろと、おそろしい顔をして散々に呶鳴ったそうです。
いわゆる外道《げどう》の逆恨《さかうら》みと、もう一つには自棄《やけ》が手伝って、口から出放題の啖呵《たんか》を切るのは、こんな奴らにめずらしくない事で、物馴れた岡っ引は平気でせせら笑っていますが、なにを云うにも甚五郎は年が若い、その上に人間がおとなしく出来ているので、そんな事を聴くと余りいい心持はしない。といって、勿論こいつを免《ゆる》すことは出来ませんから、形《かた》のごとく下調べをして、大番屋へ送り込んでしまいました。
そんなわけで、三甚は本石町の金蔵を召捕って、自分の器量をあげた代りに、なんと無くその一件が気にかかって、死罪か遠島か、早く埒が明いてくれればいいと、心ひそかに祈っている。ましてさつきのおふくろや娘は、ひどくそれを気にかけて、万一かの金蔵が仕返しにでも来たら大変だと心配している。そのうちに伝馬町の牢破り一件が起こって、その六人のなかに本石町無宿の金蔵もまじっていると云うのを聞いて、甚五郎もひやりとしました。牢をぬけて何処へ行ったか知らないが、なんどき仕返しに来ないとも限らない。それを思うと、いよいよ忌《いや》な心持になりました。
こっちは役目で罪人を召捕るのですから、それを一々恨まれてはたまらない。罪人の方でもそれを承知していますから、こっちが特別に無理な事でもしない限り、どんな悪党でも捕り手を怨むということはありません。したがって、捕り手に対して仕返しをするなどという例は滅多にない。それは三甚も承知している筈ですが、気の弱い男だけに、なんだか寝ざめが好くない。しかし仮りにも二代目の三甚と名乗っている以上、子分の手前に対しても弱い顔は出来ませんから、自分ひとりの肚《はら》のなかでひやひやしている。こうなると、まったく困ったものです。勿論、この甚五郎がしっかりしていて、もう一度その金蔵を召捕りさえすれば何のこともないのですが、そうは行かないので此のお話が始まるのです。まあ、そのつもりでお聴きください」
二
この「捕物帳」を読みつづけている人々は定めて記憶しているであろう。この年の四月、半七はかの『正雪の絵馬』の探索に取りかかっていたのである。そのあいだに、この牢破りの一件が出来《しゅったい》して、人相書までが廻って来たので、これも打ち捨てては置かれなくなった。
「親分。どうしますね」と、子分の亀吉が訊いた。
「重い軽いを云えば、こっちは牢抜けの重罪で、絵馬の一件とは一つにならねえ」と、半七は云った。「しかし、伝馬町の方はおれ一人に云い付けられた御用じゃあねえ。江戸じゅうの御用聞きがみんなで働く仕事だ。絵馬の方はおれ一人が受け合った仕事だから、この方を先ず片付けなけりゃあなるめえと思う。就いては、おめえと幸次郎は相変らず絵馬の方を働いてくれ。伝馬町の方は松吉や善八に頼むとしよう」
二つの事件が同時に起こるのは珍らしくないので、半七はそれぞれに受け持ちを決めて働かせることになった。半七は双方掛け持ちであるが、一方の『正雪の絵馬』の一件は已に紹介したのであるから、話の筋の混雑するのをおそれて、ここにはいっさい省略し、専ら牢破りの一件に就いて語ることにする。
五月はじめの朝である。半七は町内の湯屋へ行って、暁《あ》け方からの小雨《こさめ》のなかを帰って来ると、格子の内に女の傘と足駄《あしだ》が見いだされた。人出入りの多い家であるから、別に気にも留めずはいって見ると、四十前後の見識らない女が女房のお仙を相手に話していた。
「おまえさん。この方がさっきから待っておいでなすったんですよ」と、お仙は彼女を半七に紹介した。そうして、その土産だという交肴《こうこう》の籠を見せた。
「初めましてお目にかかります」と、女は丁寧に挨拶した。「わたくしは神明前のさつきでございます」
その名を聞いて、半七はすぐに思い当たった。彼女はさつきのお力《りき》で、なにか三甚に係り合いのことで尋ねて来たのであろうと察したので、ひと通りの挨拶を済ませた後に、半七は訊いた。
「おかみさんも忙がしいだろうに、朝から何か急用でも出来《しゅったい》しましたかえ」
「早朝からお邪魔に出ましたのは、ほかでもございません。親分も定めて御承知でございましょうが、先月の二十三日に伝馬町の牢抜けがございましたそうで……。それに付きまして、少々お知恵を拝借に出ましたのでございますが……」
「牢抜けは知っていますが、それがどうかしましたかえ」
「実は……」と、お力は少しく渋りながら云い出した。「その牢抜けのなかに石町《こくちょう》の金蔵というのが居りますそうで……」
その金蔵の仕返しをお力親子は恐れているのであった。召捕りの手引きをした千次も、金蔵が娑婆《しゃば》へ出たというのを聞いて、どこへか姿を隠してしまった。生きていればきっと仕返しをすると云ったのであるから、金蔵はきっと三甚を附け狙っているに相違ないと、かれらは頻りに恐れているのであった。それを聞いて、半七は笑った。
「金蔵というのはどんな奴だか知らねえが、牢抜けをした以上は我が身が大事だ。いつまでも江戸にうかうかしちゃあいられめえ。きっと草鞋《わらじ》を穿《は》いたろうと思うから、まあ当分は仕返しなんぞに来る筈はねえ、みんなも安心したらいいだろう」
「ところがお前さん」と、お力は顔をしかめながらささやいた。「千次さんのお友達が西の久保の切通しで、金蔵に似た奴の姿をちらりと見たそうで……。あいつが近所をうろ付いているようじゃあ大変だと云うので、千次さんも早々にどこへか隠れてしまったのでございます」
「それにしても、おまえさんの家にまで仕返しに来ることはあるめえ。金蔵は行き合い捕りになっているのだから、お前さんの家に係り合いはねえ筈だ」
「わたくしの家へは来ないかもしれませんが、もしや三甚さんの方へでも来るようなことがあると大変だと申して、娘は泣いて騒いで居りますので……」
娘に泣いて騒がれて、お力は三甚の保護を頼みに来たのである。その親心を察しながらも、半七はいったん断わった。
「これが堅気の素人なら、なんとか相談に乗ることもあるが、たとい年は若いにしろ、三甚も一人前の御用聞きだ。科人《とがにん》の仕返しが怖くって、仲間の知恵を借りたなぞと云われちゃあ、世間に対して顔向けが出来ねえ。勿論おまえさんの一料簡で出て来たのだろうが、そんな事をするのは三甚の男を潰すようなものだ。娘の可愛い男に恥を掻かせちゃあいけねえ。第一、三甚にも相当の子分がある筈だ。その子分たちが楯になって、親分のからだを庇《かば》ってやるがいいじゃあねえか。他人《ひと》に頼むことがあるものか」
「それはもう仰しゃる通りでございますが……」と、お力は云いにくそうに答えた。「その子分衆も此の頃は頼りにならないような人が多いので……」
先代の歿後三年のあいだに、古顔の子分が二人もつづけて死んだ。腕利きの子分二、三人は若い親分を見捨ててほかの親分の手に移ってしまった。残っている子分に余り頼もしい者は少ない。さきごろ金蔵を召捕ったのも、彼がしたたかに酔っていたからで、もしも白面《しらふ》であったらば或いは取り逃がしたかも知れないと、お力は云った。それは半七も薄々察していた。こんな奴らの縄にかかったのは残念だと、金蔵が自身番で呶鳴ったのも無理はないように思われた。
それにしても本人の甚五郎が頼みに来たのならば格別、表向きは他人のさつきの女房に頼まれて迂闊に差し出たことは出来ないので、半七は飽くまでも断わった。そんな事をすれば三甚の顔を汚《よご》すようになるという訳を、かれは繰り返して説明すると、お力もこの上に押し返して云う術《すべ》もなかったらしく、それでは又あらためてお願いに出ましょうと云って帰った。
それを見送って、お仙は気の毒そうに云った。
「三甚さんも困ったものですね」
「色男、金と力はなかりけりと、昔から相場は決まっているが、岡っ引の色男なんぞはどうもいけねえ。おれ達の商売はやっぱりかたき役に限るな」と、半七は笑った。
「三甚のお父さんには世話になった事もありますからねえ」
「むむ、三甚の先代にゃあ世話になったこともある。ただ笑って見物してばかりもいられねえが、そうかといって無闇に差し出たことも出来ねえ。まったく困ったものだ」
何のかのと云うものの、誰かの手で金蔵らを挙げてしまえば論は無いのである。人相書が廻っている以上、遅かれ早かれ網にかかるものとは察しているが、それまでの間に何事もなければいいと、半七は思った。しかし前にも云う通り、科人が捕り手に対して仕返しをするなどということは滅多に無いのであるから、恐らく今度も無事に済むであろうと、彼も多寡《たか》をくくっていた。
雨は二、三日降りつづいた。一方の『正雪の絵馬』の一件はとかくに縺《もつ》れて埒が明かない。半七も少しくじりじりしていると、日が暮れてから松吉が来た。
「よく降りますね」
「いくら商売でも、降ると出這入りが不便でいけねえ」と、半七はうっとうしそうに云った。
「大木戸の方はどうなりました」
「どうも眼鼻が付かねえで困っている。そこで、どうだ、こっちの一件は……」
「伝馬町の牢抜けは二人挙げられました」
「誰と誰だ」
「二本松の惣吉と川下村の松之助です」
金蔵の名がないので、半七は失望した。
「この二人は中仙道を落ちるつもりで板橋まで踏み出したが、路用がねえ。そこらを四、五日うろ付いた揚げ句に、宗慶寺という寺へはいって、住職と納所《なっしょ》に疵を負わせて十五両ばかりの金を取ったのから足が付いて、ゆうべ板橋の女郎屋で挙げられたそうです。路用が出来たらすぐに伸《の》してしまえばいいものを、娑婆《しゃば》へ出ると遊びたくなる。やっぱり運の尽きですね」と、松吉は笑っていた。
「ほかの奴らのゆくえは知れねえのか」
「二人の申し立てによると、六人は牢屋敷の外へ出ると、すぐにばらばらになってしまったので、誰がどっちへ行ったか知らねえと云うのです。惣吉と松之助だけがひと組になって、本郷から板橋の方向へ行ったのだそうで……。旦那方もずいぶん厳重に調べたようですが、二人はまったく知らねえらしいのです」
「それじゃあ、ちっとも手がかり無しか」と、半七は溜め息をついた。
「そうですよ」と、松吉はうなずいた。「残る四人のうちで、兼吉と勝五郎はどうしたか判らねえが、藤吉と金蔵は牢内にいる時から仲が好かったから、この二人は繋がっているかも知れねえと云うことです。松之助の申し立てによると、金蔵はこんなことを云っていたそうです。おれは江戸に恨みのある奴があるから、そいつに意趣返しをした上でなけりゃあ高飛びは出来ねえと……」
「意趣返しをする」
「それがね、親分」と、松吉はささやいた。「どうも三甚を狙っているらしいのです。金蔵は妙なところへ見得《みえ》を張る奴で、三甚のような小僧ッ子に召捕られたのは、おれの顔にかかわるとか、おれの名折れになるとか云って、むやみに口惜《くや》しがっているのだそうで……。牢抜けをする以上、どうで命はねえに決まっているから、恨みのある三甚を殺《ば》らして置いて、それから高飛びをする料簡じゃあねえかと思うのですが……。そうなると、三甚もいい面《つら》の皮です」
「悪党らしくもねえ、未練な奴だな」と、半七は舌打ちした。「そう聞くと、さつきの女房の話も嘘じゃああるめえ。金蔵に似た奴が西の久保の切通し辺をうろ付いているのを見た者があるそうだ」
「藤吉も一緒でしょうか」
「それは判らねえが、ひょっとすると藤吉に助太刀をたのんで、何をするか判らねえ。三甚も如才《じょさい》なく用心しているだろうが、飛んだ奴に魅《み》こまれたものだ」
半七も多寡《たか》をくくっていられなくなった。捕り手に逆恨《さかうら》みをするなどは悪党らしくない奴だとは思ったが、相手が恨むと云う以上、それをどうすることも出来ない。しかしそれを逆に利用して金蔵を手元へおびき寄せ、藤吉ぐるめに召捕るという手だてが無いでもない。
「おれが出しゃばるのも好くねえが、年の若けえ三甚だけじゃあ何だか不安心だ。あしたは芝口へ出かけて行って、なんとか知恵を貸してやろう。ここでうまく金蔵を召捕りゃあ三甚も二度の手柄になるというものだ」
三
その明くる朝は雨も止んだが、まだ降り足らないような空模様であるので、半七は邪魔になる雨傘を持って芝口へ出向いた。
三甚の家は江戸屋という絵草紙屋の横町の左側で、前には井戸がある。その格子をあけて案内を乞うと、内から若い子分が出て来た。こちらではその子分の顔を識らなかったが、相手は半七を見識っていて丁寧に挨拶した。
「三河町さんでございますか。まあ、どうぞこちらへ」
「親分は内かえ」
「へえ」と、子分はあいまいに答えた。
その応対の声を聞いて、またひとりの子分が出て来た。それは石松といって、半七の家へも二、三度は顔を見せた男であった。
「親分にちょいと逢いてえのだが……」と、半七はかさねて云った。
「へえ」と、石松もなんだかあいまいな返事をして、若い子分と顔をみあわせていた。
「留守かえ」
「へえ」
「どこへ出かけた。御用かえ」
「いいえ」
なにを訊いてもぬらりくらりとしているので、半七は入口に腰をおろした。
「おめえ達も知っているだろうが、先月の二十三日に牢抜けをした奴がある。その事について少し話してえのだが、親分が留守じゃあ仕様がねえ。いつごろ帰るか判らねえかね」
「へえ。実は町内の人に誘われまして……」と、石松はもじもじしながら云った。「講中《こうちゅう》と一緒に身延《みのぶ》へ御参詣にまいりました」
「成程ここは法華《ほっけ》だね。身延まいりは御信心だ。そうして、いつ立ったのだね」
「きのうの朝、立ちました」
「それじゃあすぐには帰るめえ」
「帰りは富士川下りだと云っていました」
「ことしの正月に、石町の金蔵を捕りに行ったのは、誰だね」と、半七は訊いた。
「あのときに親分と一緒に行ったのは、駒吉とわたくしです」と、石松は答えた。
「金蔵というのはどんな奴だ」
「三十二、三で色のあさ黒い、痩せぎすな奴です。屋根の上の商売をしていただけに、身の軽い奴だそうで、番屋に連れて行かれた時にも、おれは酔っていたから手めえ達につかまったのだ。屋根の上へ一度飛びあがりゃあ、それからそれへと屋根づたいに江戸じゅうを逃げて見せるなんて、大きなことを云っていました」
その捕物の前後の話などを聞いて、半七は一旦ここを出ると、傘はいよいよお荷物になって、薄い月影が洩れて来た。ここまで来たついでに神明前をたずねてみようと、彼は雨あがりのぬかるみを踏んで、さつきの門口《かどぐち》へ行き着くと、小さい暖簾をかけた店の右側に帳場がある。その前に腰をかけていた男が立ち上がった。
「じゃあ、どうしてもいけねえと云うのかえ」
内の返事はきこえなかったが、男は嚇《おど》すように云った。
「じゃあ仕方がねえ、この先き、何事が起こっても俺あ知らねえ。その時になって恨みなさんな」
暖簾をくぐって出る男の前に、半七は立ち塞がった。
「兄い。ちょいと待ってくれ」
「誰だ、おめえは……」と、男は眼を三角にして半七を睨んだ。
「おめえは千次さんじゃあねえか」
「ひとの名を訊く前に、自分の名を云え。それが礼儀だ」
「礼儀咎めをされちゃあ名乗らねえわけにも行かねえ。わっしは三河町の半七だ」
半七と聞いて、男は俄かに顔の色をやわらげた。彼は衣紋《えもん》を直しながらおとなしく挨拶した。
「やあ、三河町の親分でしたか。お見それ申して、飛んだ失礼をいたしました。わっしは神明の千次でごぜえます」
「そうらしいと思った。まあ、こっちへ来てくれ」
半七は彼を引っ張って、五、六間さきの質屋の土蔵の前へ連れ出した。千次はなんだか落ち着かないような顔をしていたが、それでも素直に付いて来た。
「今聞いていりゃあ、おめえはさつきの帳場で何だか大きな声をしていたじゃあねえか。喧嘩でもしたのかえ」
「おまえさんに聞かれるとは知らねえで……」と、千次は頭をかいた。「どうかまあお聞き流しを願います」
彼がどんなことを云っていたのか、半七は実は知らないのであるが、いい加減に≪ばつ≫をあわせて云った。
「むむ、どうもおめえの方がよくねえようだな」
「相済みません。どうぞ御勘弁を願います」と、千次は又あやまった。
見たところ彼はそれほど悪党でもなく、所詮《しょせん》は地廻りの遊び人に過ぎないらしい。半七は笑いながら云った。
「ただ御勘弁と云っても、むむ、そうかとばかりも云っていられねえ。どうも此の頃はおめえの評判がよくねえからな。ともかくもそこらの番屋まで来て貰おうか」
嚇されて、千次はいよいよ慌てた。
「親分、いけねえ。番屋へ連れて行って、どうするのです」
「どうするものか。都合によっちゃあ帰さねえかも知れねえ」
「わっしは悪い事をしやあしません。これでもお上の御用を勤めたこともあるので……」
「御用を勤めたというのは、石町の金蔵を指したことを云うのか」と、半七はまた笑った。「それはおれも知っているが、今あのさつきへ行って何を云ったのだ。おれはみんな知っているぞ」
「恐れ入りました」
「恐れ入ったら、もう一度ここで正直に云え。さもなけりゃ番屋へ連れて行って云わせるぞ」
多寡が近所の矢場や小料理屋を忌《いや》がらせて、幾らかの飲代《のみしろ》をせびっているに過ぎない千次は、もとより度胸のある奴ではなかった。半七に嚇されて、彼は素直に白状した。彼も金蔵の破牢におびやかされた一人で、万一金蔵が自分の密告をさとって、その仕返しに来られては大変であると思って、ひとまず品川辺の友人のところへ身を隠したが、忽ち煙草銭にも困るような始末になったので、きょうはこっそりと神明へ帰って来て、馴染の家へ無心に廻ることにした。そのなかでも、このさつきは金蔵の一件に関係があるので、第一にここを目ざして来ると、帳場の女房に手強《てごわ》くことわられた。彼も癪にさわって、そんなら俺にも料簡がある、なにもかも金蔵にぶちまけて、ここの家へ仕返しによこすからそう思えと、嚇し文句を残して出て来た。
おそらく女房もおどろいて、あとから呼び戻すだろうと思いのほか、相手は平気ですましているらしく、自分が却って半七に捉まったのである。よくよく運の悪い彼は、ただ恐れ入って謝《あやま》るのほかはなかった。
「そこで、おめえは金蔵の居どころを知っているのか」と、半七は疑うように訊いた。
「実は、その……」と、千次は再び頭をかいた。金蔵を仕返しによこすなどと云ったのは当座のでたらめで、彼も実は金蔵のありかを知らないと云った。
「三甚が身延まいりに行ったというのは、本当か」と、半七はまた訊いた。
「いや、嘘だと思います」と、千次はすぐに答えた。「わっしも今朝から訊いて歩いたのですが、ここらの講中で身延へ行った者はありません。三甚も身延へ行ったなんて、どっかに隠れているのだろうと思います」
「なぜ隠れているのだ」
「親分の前ですが、二代目の三甚は気の弱い方ですから、金蔵が出て来たのを聞いて、まあ差しあたりは姿を隠したのだろうと思います。さつきの女房がひどく気を揉んでいたそうですから、その入れ知恵でどっかに隠れたのでしょう。その証拠には、さつきの娘も此の頃は家《うち》にいねえと云うことです」
「馬鹿を云え」と、半七はわざと叱り付けた。「いくら年が若くっても、三甚はお上の御用聞きだ。牢ぬけを怖がって、逃げ隠れをする奴があるものか」
「へえ」と、千次はよんどころなしに口をつぐんだ。
「世間へ行って、そんなでたらめを吹聴《ふいちょう》すると承知しねえぞ。おれたちの顔にもかかわることだ」
「へえ」と、千次はいよいよ恐れ入った。
「だが、千次」と、半七は声をやわらげた。「三甚のことはともかくも、牢抜けの金蔵は人相書のまわったお尋ね者だ。おれもこれから踏み込んで探索をしなけりゃあならねえ。何か聞き込んだら教えてくれ。そこらで一杯飲ませるのだが、おれは急ぎの用があるから、まあこれで勘弁して貰おう。骨折り賃は別に出すよ」
さしあたり二|歩《ぶ》の金を貰って、千次はよろこんだ。彼は「済みません、済みません」を繰り返して、これからひと働きすると約束して別れた。骨折り賃を貰うばかりでなく、半七らの用を勤めて置けば、後日《ごにち》に何かの便利がある。千次はこれを御縁に、何分お引き立てを願いますなどと云っていた。
千次に別れて、半七はさつきの門口《かどぐち》へ引っ返すと、女房のお力は暖簾のあいだから不安らしく表を覗いていた。
四
表向きは千次を叱ったものの、三甚の身延まいりは少し怪しいと半七も思った。さつきへ行ってお力を詮議すると、果たして彼女の指尺《さしがね》で、甚五郎は姿を隠したのである。役目の手前、そんなことは出来ないと、甚五郎も一旦は断わったが、おふくろには勧められ、娘には口説かれて、気の弱い彼は金蔵一件の片付くまで姿を隠すことになったのである。それを聞いて、半七は舌打ちをした。
「困る事をさせるじゃあねえか。そんなことが八丁堀の旦那衆に知れてみろ。三甚は株を摺ってしまうぜ。子分たちも揃っていながら、何のことだ。そうして、どこへ行っているのだ」
「実は、高田馬場の近所へ……」と、お力は答えた。「白井屋という小料理屋にわたくしの妹が縁付いて居りますので、一時そこへ頼んで置きました」
「娘も一緒かえ」
「はい」
「御用聞きが女をつれて逃げ隠れをしている。飛んだ色男だ」と、半七はまた舌打ちした。「そんなことが長引いていると、三甚の為にならねえ。早く埒を明けてしまいてえものだ」
「何分よろしく願います」
ここで女房を叱ったところで、どうにもならないので、半七は怱々にここを出た。それから京橋へ用達しに廻って、七ツ(午後四時)頃に神田の家へ帰ると、やがて善八が来て、牢抜けが又ひとり挙げられたと報告した。それは矢場村無宿の勝五郎で、小石川蓮華坂の裏長屋に忍んでいたのである。これで惣吉、松之助、勝五郎の三人は召捕られ、残るは兼吉、藤吉、金蔵の三人である。兼吉と藤吉はともあれ、金蔵のありかが知れない限りは、半七も肩抜けにならないように思われた。『正雪の絵馬』も埒が明かない。『吉良の脇指』も片付かない。そこへ又この一件が湧いて来たので、物に馴れている半七も少しうっとうしくなって来た。他人《ひと》と手柄を争って金蔵を召捕るにも及ばないが、それが長引いて三甚の迷惑をかもすのも可哀そうである。科人の仕返しを恐れて、女と一緒に逃げ隠れるとは、江戸の御用聞きの面汚《つらよご》しであると、頭から叱ってしまえばそれ迄であるが、先代の世話になった義理を思えば、なんとか彼を救ってやらなければならない。まず甚五郎に理解を加えて、芝口の自宅へ戻るように勧めなければならない。
こう思って、半七はその翌日、高田馬場へ出向いた。きょうは朝から晴れて暑くなったが、ここらに多い植木屋の庭が見渡すかぎり青葉に埋められているのを、半七はこころよく眺めた。馬場に近いところには、小料理屋や掛茶屋がある。流れの早い小川を前にして、入口に小さい藤棚を吊ってあるのが白井屋と知られたので、半七は構わずに店にはいると、若い女中が奥の小座敷へ案内した。
「おかみさんはいるかえ」
「おかみさんは鬼子母神《きしもじん》さまへお詣りに行きました」
それでは御亭主を呼んでくれと云うと、三十七、八の男が出て来た。
「いらっしゃいまし。俄か天気でお暑くなりました」と、彼は丁寧に挨拶した。
「早速だが、わたしは神明前のさつきから教えられて来たのだが……」
「はい」と、亭主は半七の顔をじっと視た。
「こっちにさつきの娘のお浜さんが来ているだろうね」
「いいえ」
「芝口の三甚の若親分が来ているだろうね」
「いいえ」
「隠しちゃあいけねえ。神明前のお力さんから頼まれて、確かにここの家《うち》にあずかってある筈だが……。隠さねえで、教えておくんなせえ」
「おまえさんのお名前は……」
「わたしは神田三河町の半七という者だ」
「折角でございますが、手前方には誰も預かって居りませんので」
「ここは白井屋だろう」
「左様でございます」
「さつきの親類だろう」
「左様でございます」
「娘も三甚もここへは来ていねえと云うのだね」
「はい」
「いけねえな」と、半七も焦《じ》れ出した。「わたしも三甚と同商売で、お上の御用を聞いている者だ。三甚に少し話したい事があって来たのだから、早く逢わせてくんねえ」
亭主はまだ躊躇しているらしいので、半七は畳みかけて云った。
「おれが斯うして身分を明かしても、おめえは飽くまでも隠し立てをするのか。おれもここまでわざわざ踏み出して来た以上、おめえ達に化かされて素直に帰るのじゃねえ。家探しをしても三甚に逢って行くから、そう思ってくれ」
半七の声が少し高くなった時、女中のひとりが来て、亭主を縁側へ呼び出した。ちょっと御免くださいと会釈《えしゃく》して、亭主は怱々に出て行ったが、やがて女中と一緒に帳場の方へ立ち去った。
それと入れ違いに、ほかの女中が酒肴の膳を運んで来た。
「旦那は唯今すぐに参ります」
彼女も逃げるように立ち去った。亭主も一旦はシラを切ったものの、やがて三甚を連れて来るのであろうと想像しながら、手酌でぼんやり飲んでいると、そこらの森では早い蝉の声がきこえた。
それから小半時を過ぎたかと思われるのに、亭主は再び顔を見せなかった。女中も寄り付かなかった。一本の徳利はとうに空《から》になってしまったが、誰も換えに来る者もなかった。半七はたまりかねて手を鳴らしたが、誰も返事をしなかった。人質《ひとじち》に取られたような形で、半七はただ詰まらなく坐っていた。
出入りの多い客商売であるから、人目《ひとめ》に付くのをおそれて、娘と三甚をほかの家にかくまってあるのかも知れないと、半七は考えた。それを呼び出して来るので、少し暇取るのであろうから、野暮《やぼ》に催促するのも好くないと諦めて、彼は根《こん》よく待っているうちに、庭の池で鯉の跳ねる音がきこえた。ここらの習いで、かなりに広い庭には池を掘って、汀《みぎわ》には菖蒲《あやめ》などが栽《う》えてあった。青い芒《すすき》も相当に伸びていた。
退屈凌ぎに庭下駄を突っかけて、半七は池のほとりに降り立った。大きい柳に倚《よ》りかかって、何心なく水の上をながめている時、誰か抜き足をして忍んで来るような気配を感じたので、油断のない彼はすぐに見かえると、人の背ほどに高い躑躅《つつじ》のかげから、一人の男が不意に飛んで出て半七の腕を捉えた。
「御用だ。神妙にしろ」
半七はおどろいた。
「おい、いけねえ。人違げえだ」
云ううちに又ひとりが現われて、これも半七に組み付いた。
「違うよ、違うよ」と、半七はまた呶鳴った。
「なにを云やあがる。御用だ、御用だ」
二人は無二無三に半七を捩《ね》じ伏せようとするのである。もう云い訳をしている暇もないので、半七は迷惑ながら相手になるのほかはなかった。それでも続けてまた呶鳴った。
「おい、違うよ、違うよ。おれは半七だ、三河町の半七だ」
「ふざけるな。人相書がちゃんと廻っているのだ」と、二人は承知しなかった。
ひとりに頭髻《たぶさ》をつかまれ、一人に袖をつかまれて、半七もさんざんの体《てい》になった。おとなしく縛られた方が無事であると知りながら、一杯機嫌の半七は癪にさわって相手をなぐり付けた。手向いをする以上は、相手はいよいよ容赦しない。一人は半七のふところへはいって、うしろの柳の木へぐいぐいと押し付けた。一人は早縄を半七の手首にかけた。
「馬鹿野郎、明きめくら……。人違げえを知らねえか」
いくら呶鳴っても、相手は肯《き》かない。店の方からも加勢として、亭主や料理番や、近所の男らしいのが五、六人駈け集まって来た。こうなっては所詮かなわない。三河町の半七、多勢に押さえ付けられて、とうとうお縄を頂戴した。
「ざまあ見やがれ」と、男のひとりは勝ち誇るように云った。
「おれたちに汗を掻かせやがって……。この野郎、引っぱたくから、そう思え」と、他のひとりも罵った。
引っぱたかれては堪らないので、半七も素直にあやまった。
「まあ、堪忍してくれ。神妙にするよ」
「そんなら、なぜ始めから神妙にしねえ。どうで首のねえ奴だ。生きているうちに、ちっと痛てえ思いをして置け」と、一人がまた罵った。
「首のねえ奴……。一体おれを誰だと思っているのだ」
「知れたことだ。石町無宿の金蔵よ」
半七は呆気《あっけ》に取られたが、やがてにやにやと笑い出した。
五
半七を縛ったのは、ここらを縄張りにしている戸塚の市蔵の子分らであった。神田と戸塚と距《はな》れていても、古参の子分ならば半七の顔を見識っているのであったが、あいにく古参の連中は居合わさず、駈け出しの若い者ばかりが飛んで来たので、こんな間違いが出来《しゅったい》したのであった。
さつきの女房の云った通り、この白井屋ではお浜と甚五郎を預かっていたのであるが、きのうの夕方、戸塚の市蔵の子分が来て、牢抜けの金蔵が此の頃ここらに立ち廻っているという噂がある。ここの家は客商売であるから、金蔵のような奴がはいり込まないとは限らない。それらしい奴を見たらばすぐに内通しろと云って、彼の人相書を見せて行った。それを聞いて、白井屋では心配した。
金蔵はなんの為にここらを徘徊しているのか。もし三甚のあとを尾《つ》けて来たのならば、大いに警戒しなければならないと云うので、さらに甚五郎らを近所の植木屋に忍ばせると、その翌日、あたかも半七がたずねて来たのである。こんにちと違って、その頃の高田あたりは江戸の田舎であるから、半七の名も知らず、顔も識らない。その半七が頻りに三甚らの詮議をするので、白井屋の亭主は一種のうたがいを起こした。殊に金蔵がここらに立ち廻るという噂を聞いている矢先きであるだけに、金蔵がいい加減の名を騙《かた》ってここへ押し掛けて来たのではないかと疑ったのである。
もう一つ、間違いの種となったのは、半七と金蔵とが年頃といい、人相や格好までが可なりに似通っていることであった。その時代の人相書などは極めて不完全なものであるから、疑いの眼をもって見れば、鷺を烏と見誤るようなことが無いとは云えなかった。雑司ケ谷から帰って来た白井屋の女房は、遠目《とおめ》に半七をうかがって一途《いちず》にそう信じた。亭主も同じ疑いを懐《いだ》いていたので、夫婦は相談の上で戸塚の市蔵に密告した。
市蔵がすぐに出て来れば、もちろん何の間違いも起こらなかったのであるが、市蔵も留守、古参の子分も留守、そこに居合わせた若い子分二人があっぱれの功名手柄をあらわすつもりで、すぐに駈けつけて来た。相手は牢抜けの大物であると云うので、場馴れない彼等は少しく逆上《のぼ》せ気味で、なんの詮議もなしに召捕ろうとしたのである。科人が人違いと誤魔化すのは珍らしくないので、いかに半七が人違いと呶鳴っても、彼等は耳にもかけずに押さえ付けたのである。
数ある捕物のうちには、人違いの仕損じもしばしばある。しかも同商売の岡っ引を縛って勝鬨《かちどき》を揚げていたのは、戸塚の子分らの大失敗であった。やがて駈けつけて来た市蔵は、半七の顔を見てびっくりした。
「馬鹿野郎」と、彼は子分を叱りつけた。「飛んだ事をしやがる。早く縄を解け」
半七の縄はすぐに解かれた。事の仔細が判明して、子分らは閉口した。白井屋の夫婦も縮みあがった。
「三河町にゃあ何とあやまっていいか判らねえ」と、市蔵もひどく恐縮していた。「こんなぼんくら野郎を叱ってみても追っ付かねえ。まあ、高田馬場の狐につままれたと思って料簡《りょうけん》しておくんなせえ」
「それもこれも商売に身を入れるからの事だ。あんまり叱らねえがいい」
ばかばかしいとは思いながら、半七も仲間同士の義理として、先ずそう云うのほかはなかった。市蔵は子分らを散々あやまらせて、それから近所の髪結いを呼んで、半七の髪を結い直させた。白井屋も恐れ入って、あらん限りの肴を運び出して来た。一座は打ち解けて、笑い声が高くなった。そのうちに、市蔵は少しくまじめになって云い出した。
「この野郎共がのぼせるのも、まんざら理窟がねえ訳でもねえので……。石町の金蔵はどうもこの辺に立ち廻っているらしい。と云うのは、ここらに遊んでいる本助という奴が早稲田の下馬地蔵の前を通りかかると、摺れ違った男がある。むこうは顔をそむけて怱々に行き過ぎてしまったが、確かに金蔵に相違ねえと云う。なにぶん聞き捨てにもならねえので、きのうから手配りをしていると、その最中にお前さんが出て来たので、飛んでもねえ大しくじりをやったわけだが……。金蔵の奴、なんでここらをうろ付いているのか、それが判らねえ。今まで調べたところじゃあ、ここらに身寄りもねえらしい」
「成程、わからねえな」
半七はいい加減に調子を合わせていたが、この話の様子では、金蔵は執念ぶかく三甚を付け狙っているらしくも思われた。市蔵はその事情を知らないようであるから、何かの心得のために話して聞かそうと思ったが、それを云えば三甚の器量を下げることになる。若い者に恥をかかせるのも可哀そうだと思って、半七は黙っていた。
たんとも飲まない半七は、好い頃に座を起とうと思ったが、市蔵が如才なく引き留めて帰さないので、とうとうここに小半日も居据わってしまった。市蔵は子分に送らせると云ったが、まだ明るいので半七は断わって出た。
出るときに、白井屋の亭主を呼んで、半七は小声で三甚の隠れ家を訊くと、今度は亭主も安心して正直に教えた。お浜と甚五郎はここから一丁ほども距れた植木屋新兵衛という者の家に忍んでいるのであった。
馬場に近いところには町屋《まちや》も続いているが、それが切れると一面の田畑である。そこらには蛙の声がみだれてきこえた。夏の日が落ちても、あたりはまだ薄明るい。半七は迷うことも無しに、植新の門口《かどぐち》へ行き着いた。
門に大きい柳が立っている。それを目じるしに立ち寄ろうとして、半七は俄かに立ちどまった。どこから出て来たか知らないが、自分と同じ年頃らしい一人の男がひと足さきに来て、その門口に突っ立っているのであった。ここらの植木屋は厳重に垣を結わないで、表が植木溜めになっているのが多い。半七はその植木溜めの八つ手の葉かげに隠れて、男の挙動をうかがっていると、彼はしばらく内を覗いていたが、やがて柳の下をくぐってはいった。半七も抜き足をして其のあとを尾《つ》けた。
唯の家と違って、こういう時には植木屋は都合がいい。半七はそこらに雑然と植えてある立ち木のかげに隠れながら、男のあとに付いてゆくと、彼は入口の土間に立って声をかけた。
「ごめんなさい」
「はい、はい」
内からは女房らしい女が出て来た。
「こっちに芝口の三甚が来ているね」と、男は馴れなれしく云った。
「いいえ」
「隠しちゃあいけねえ」と、男は笑った。「ちょいと三甚に逢わせてくれ。おれは三河町の半七だ」
半七はおどろいた。それと同時に、この偽者《にせもの》の正体も大かたは判った。半七は息を殺して窺っていると、偽の半七は又云った。
「三甚は神明前のさつきの娘と一緒にここに来ているだろう。それまで知っているのだから、胡乱《うろん》の者じゃあねえ。三河町の半七といえば、三甚もよく知っている筈だ、ちょいと呼んでくれ」
女房がまだ躊躇しているので、男は焦れ出した。
「まだ判らねえのか。おれは半七だよ。三河町の半七だよ」
「うるせえな。半七はここにいるよ」と、半七は男の前にずっと出た。
男はぎょっとして半七を見かえったが、彼もさすがに眼がはやい。たちまちに身をひるがえして、そこらの植木溜めの中へ飛び込んだかと思うと、枝をくぐり、葉をかき分けて、飛鳥のごとく表へ逃げ出した。半七もつづいて追って出たが、もう其の頃は往来もだんだんに薄暗くなっていた。
こういう場合、ただ黙って追うよりも、声をかける方が相手の胆《きも》をひしぐことになる。半七はうしろから呶鳴った。
「石町の金蔵、待て。半七の眼にはいった以上は逃がさねえぞ」
日が暮れると、ここらに往来は少ない。逃げる者は路をえらばず、田や畑のあいだをぐるぐると逃げまわって、穴八幡の近所へ来た頃には、あたりは全く暮れ切った。男は暗い女坂を逃げのぼるので、半七も根《こん》よく追って行ったが、坂上の手水鉢《ちょうずばち》のあたりで遂にその姿を見失った。
こうと知ったら、市蔵の子分に送らせて来ればよかったと、今さら悔んでももう遅い。きょうは半七に取って、暦《こよみ》の善い日ではなかった。そこらの大樹の上で、彼を笑うような梟《ふくろう》の声がきこえた。
六
「器量の悪い話をいつまで続けても仕方がありますまい。もうここらで御免を蒙りましょうか」と、半七老人は笑った。
「でも、ここまでじゃあ話が判りません」と、わたしは云った。「そこで、その金蔵はどうなりました」
「わたくしは穴八幡からすぐに戸塚の市蔵のところへ行って、植新へ立ち廻った奴は金蔵に相違ないと知らせると、それと云うので市蔵をはじめ、子分総出で探索にかかったのですが、金蔵のゆくえはどうしても知れないので、みんなむなしく引き揚げました。わたくしも係り合いですから、その晩は市蔵の家の厄介になって明くる朝ふたたび植新へたずねて行くと、三甚もお浜ももう居ないのです」
「どこへ行ったんです」
「一旦は白井屋から植新へ預けられたのですが、そこへ金蔵が押し掛けて行ったので、植新でも驚く、白井屋でも心配する、お浜は泣いて騒ぐ。そこで又、三甚とお浜を四つ家町の伊丹屋という酒屋へ預けることになりました。ここも白井屋の親類だそうです。三甚も気が弱いに相違ありませんが、なにしろお浜が心配して、気違いのように騒ぐので、それに引き摺られて逃げ廻ることにもなったのです。わたくしも忙がしい体で、三甚のあとを追い廻してばかりもいられませんから、もう思い切って神田へ帰りましたが、あとで聞くと、いや、どうも大変で……」
「なにが大変で……」
「なにがと云って……」と、老人は笑い出した。「その伊丹屋の近所へも金蔵らしい奴が立ち廻ったと云うので、三甚とお浜は四つ家町を立ち退いて、今度は板橋へ行く。その板橋へも金蔵が来たと云うので、今度はまた練馬へ行く。そこが又いけないと云って、今度は三河嶋へ行く。まるで大根か漬菜《つけな》でも仕入れて歩いているような始末で、まったく大笑いです。つまり疑心暗鬼《ぎしんあんき》とかいう譬えの通りで、怖いと思っているから、少し怪しい奴が立ち廻ると、それが金蔵らしく思われるのです。なにしろ小ひと月のあいだに、高田馬場から四つ家町、板橋、練馬、三河嶋を逃げまわって、松戸の宿《しゅく》まで行ったときに、金蔵が召捕られて先ず安心ということになりました。あははは。科人の逃げ廻るのは珍らしくないが、岡っ引がこれだけ逃げ廻るのは前代未聞で、二代目の三甚、いいお笑いぐさになってしまいました」
「そうでしょうね」と、わたしも笑った。「その金蔵はどこで挙げられたんです」
「いや、それに就いては三甚ばかりを笑ってもいられません。わたくしもお笑いぐさのお仲間入りで……。今もお話し申す通り、植新へ押し掛けて行った奴を一途に金蔵と思い込んで、わたくしは一生懸命に追っかけましたが、実はそれも人違いでした」
「金蔵じゃあ無かったんですか」
「金蔵じゃあありませんでした」と、老人はまた笑った。「まあ、お聴きなさい。五月の末になって、例の神明の千次がわたくしの所へ来まして、金蔵は王子稲荷のそばの門蔵という古鉄買《ふるかねかい》の家に隠れていると注進しました。そこで、念のために善八を見せにやると、門蔵というのは古鉄買は表向きで、実は賍品買《けいずかい》と判りました。唯ここに不思議なことは、金蔵は右の足に踏み抜きをして、それがだんだんに膿《う》んで来て、ひと足も外へ出られないと云うのです。その金蔵がわたくしの名を騙《かた》って、植新へ押し掛けて行ったばかりか、びっこも引かずに逃げ廻っていたのは、どういうわけだか判らないが、ともかくも召捕れというので、わたくしが善八と松吉を連れて行くと、金蔵はまったく動かれないで寝ていたので、難なく引き挙げられました。こいつは伝馬町の牢屋をぬけ出して、まだ一丁も行かないうちに、折れ釘を踏んで右の足の裏を痛めたので、遠いところへ行くことが出来ない。ほかの者とは分かれわかれになって、京都無宿の藤吉に介抱されながら、ひとまず王子の門蔵の家へころげ込むと、その晩から踏み抜きの傷がひどく痛み出した。といって、表向きに医者を頼むわけにも行かないので、買い薬などをして塗っていたが、だんだんに膿んで来て身動きも出来なくなってしまったのです。したがって、金蔵は牢ぬけ以来、一度も表へ出たことは無いのです」
「それじゃあ高田へ行ったのは……。藤吉ですか」
「そうです、そうです。藤吉は牢内にいる時から金蔵と仲が良かったのです。一人は上方者《かみがたもの》、ひとりは江戸っ子ですが、不思議に二人の気が合って、これから一緒に京大阪へ行ってひと稼ぎしようと約束していたので、藤吉は金蔵を捨てても行かれず、そばに付いて看病していたのです。そのあいだに、金蔵が例の三甚の事を云い出して、あんな青二才に縄をかけられたのが残念でならない、行きがけの駄賃にあの野郎を眠らせてやろうと思っていたのに、こうなっちゃあ思いが達《とど》かねえと愚痴をこぼした。藤吉はそれを聞いて、兄弟分のよしみに、おれが名代《みょうだい》を勤めてやろうと云うので、こいつが金蔵に代って、三甚を付け狙うことになったのです。
そういうわけで、どっちにしても三甚は狙われていたのですが、その相手は金蔵でなかったのです。前にも申す通り、むかしの人相書などはいい加減なもので、顔に痣《あざ》があるとか、傷があるとか云うような、いちじるしい特徴があれば格別、その年頃が同様であれば大抵の悪党には当てはまるようなのが多いのです。殊に今度の牢ぬけは一度に六人と云うのですから、牢屋の方でも一々詳しくは書き分けられません。そのなかで丹後村無宿の兼吉が一番の年上で四十三、惣吉と松之助と勝五郎はみんな二十四、五、藤吉が三十二というので、藤吉と金蔵は年頃も似ている上に、人相書もあまり違わないので、とかくに間違いが出来たのです。
もう一つ、誰の考えも同じことで、藤吉は上方の奴だから京大阪へ高飛びしたものと見て、その方へ手をまわして詮議する。金蔵は江戸の奴だから江戸に隠れているだろうと思って詮議するのが普通で、誰も彼も金蔵にばかり眼をつけて、藤吉の方を忘れている。そんなわけで、人相書も当てにはならない。間違えば間違うもので、金蔵が藤吉となり、藤吉が半七となって、わたくしが先ず第一にお縄頂戴……。いくら昔でもこんな間違いはまあ珍らしい方で、わたくしの人相が悪かったと諦めるのほかはありません。
金蔵は強情にシラを切って、藤吉のありかを白状しませんでした。門蔵もなかなか口を割らない。最初は金蔵と一緒に隠れていたが、この頃はどこへか巣を変えたらしいので、わたくし共も手をわけて探索していると、藤吉は千住の深光寺へ押込みにはいりました。寺の納所《なっしょ》たちが銅鑼《どら》をたたいて騒ぎ立てたので、近所の者も駈けつけて来る。藤吉もあわてて逃げ出したが、暗いので見当が付かず、寺内の大きい池へころげ落ちたところを、大勢に取り押さえられました。惣吉と松之助も板橋の寺をあらして召捕られ、藤吉も千住の寺で押さえられる。これも何かの因縁でしょう。
牢ぬけをしたばかりで、みんな一文無しですから、ただ遊んでもいられないのでしょうが、藤吉は四月末から五月にかけて、近在を六カ所も荒らしていたそうです。その申し立てによると、藤吉は三甚を付け狙って、芝のあたりに立ち廻ったが、どうも機会がない。そのうちに、三甚は身延まいりと称して姿をかくしたので、そのあとを追って高田へ行ったと云うのです」
「三甚が高田へ行ったことを、藤吉がどうして知ったのでしょう」
「本人は自分で探し当てたと云うが、どうも怪しい。まさかに三甚の子分が洩らしたのでもあるまいが、さつきの奉公人か、さもなければ千次の奴がしゃべったに相違ないと見込みを付けて、まず千次を取っ捉まえて調べると、果たしてそうでした。いわゆる内股膏薬で、敵にも付けば味方にも付く。義理人情は構わない、銭になれば何でもする。こういう安っぽい奴に逢っちゃあ堪まりません。藤吉から幾らか貰って、三甚の隠れ家を教えながら、又わたくしの方へ来て金蔵の隠れ家を教える。どうにもこうにも仕様のない野郎で、藤吉と一緒に暗いところへ抛り込んでやろうかと思ったのですが、なにしろ金蔵のありかを密告した功があるので、まあ助けて置いてやりました。
藤吉は高田馬場まで三甚を追って行ったが、そこでわたくしに出逢ったので、これはあぶないと思って、もうそれぎりで止《や》めたそうですから、その後の三甚は何かの思い違いで、むやみに逃げ廻っていたのでしょう。藤吉が植新へ押し掛けて行って、半七の名を騙《かた》ったのは、千次の奴からわたくしの事を聞いていたからです。藤吉はふところに短刀を呑んでいて、見つけ次第に三甚を突き殺すつもりだったと云いますから、まあ逃げていた方が無事だったかも知れません」
「三甚はその後どうしました」
「こうなっちゃあ旦那方の信用をうしない、仲間の者に顔向けも出来ず、とうとう二代目の株を捨てて、さつきの婿のようになってしまいました。可哀そうに三甚だって、そんなにひどい意気地なしでも無いのですが、そばに女が付いていて、これがむやみに心配して騒ぐので、とうとうこんな事になったのです。女に惚れられるのは恐ろしい。あなた方も気をおつけなさい。あははは」
「そうすると、五人だけは挙げられたわけですが、もう一人はどうしました」
「もう一人は丹後村の兼吉、こいつは年上だけに巧く逃げたと見えて、容易に見付かりませんでしたが、その年の秋に上総《かずさ》の方で挙げられました。昔でも悪い奴が無事に逃げおおせたと云うのは少ないものです。
そこで、このお話ですが……。岡っ引が逃げて、泥坊が追っかける。まことにおかしいようですが、あの廻り燈籠を御覧なさい。いろいろの人間の影がぐるぐる廻っている。あとの人間が前の人間を追っかけているように見えますが、それが絶えず廻っていると、見ようによっては前の人間があとの人間を追っているようにも思われます。人間万事廻り燈籠というのは、こんな理窟かも知れませんね」
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夜叉神堂《やしゃじんどう》
一
これも例の半七老人の話である。但し自分はこの一件に直接の関係はなく、いわば請け売りのお話であるから、多少の聞き違いがあるかも知れませんと、前提をして老人は語る。
「今でも無いことはありませんが、昔は祭礼や開帳には造り物が出来たものです。殊にお開帳には必ず種々の造り物が出来て、それが一つの呼び物になったのですから、皆それぞれに工夫を凝らしたものです。その造り物は奉納で、無料見物の出来るように、諸人の眼に付くような場所に飾ってあるのもあり、又は普通の観世物のように木戸銭を取って見せるのもありました。いずれにしてもお開帳に造り物はお定まりで、今度のお開帳にはどんな造り物が出来たとか云って、参詣半分、見物半分で、みんなぞろぞろ押し掛けたのです。まじめな信心者だけでは、どこのお開帳もうまく行かなかったと見えます。
文化九|申《さる》年の三月三日から渋谷の長谷寺《ちょうこくじ》に、京都の清水《きよみず》観音の出開帳がありました。今のお若い方々からお叱言《こごと》が出るといけませんから、ちょっとおことわり申して置きますが、長谷寺は有名なお寺で、今日ではその所在地が麻布区|笄町《こうがいちょう》百番地ということになっていますが、笄町という町名は明治以後に出来たもので、江戸時代にはこの辺一帯を笄《こうがい》と呼び慣わして、江戸の切絵図にも渋谷の部に編入してあります。そんなわけですから、ここでは渋谷としてお話をいたします。長谷寺が麻布にあることを知らねえかなぞと、どうぞお叱りのないように願います。
このお開帳は大そう繁昌しました。なにしろ京の清水といえば昔から有名であり、長谷寺も江戸では有名であり、しかも時候は三月の桜どきで、郊外散歩ながらの御参詣にはお誂え向きというわけですから、繁昌したのも無理はありません。例によって奉納の造り物がいろいろ出来ました。そのなかでも評判になったのは五尺あまりの大|兜《かぶと》で、鉢も錣《しころ》もすべて小銭《こぜに》を細かく組みあわせて作ったのでした。これは珍らしいと云うので大変な評判。これだけの兜をこしらえるには、何貫文の銭が要るだろうなぞと、余計な算当をしながら見とれているのもある。
もちろん銭ばかりでは全体が黒ずんでしまって、兜の色の取り合わせが悪いので、前立てや吹き返しには金銀の金物をまぜてありました。金物と云ってもやはり本物で、金は慶長小判、銀は二朱銀を用いていましたから、あの小判が一枚あればなぞと涎《よだれ》を流して覗いているのもある。なにしろ金銀を取りまぜた大兜が、春の日にきらきらと光っているのですから、参詣人の眼をおどろかしたに相違ありません。
この評判があまり高くなったので、寺社方の役人も検分に来ました。たとい小銭にしても、天下通用の貨幣をほかの事に用いるのは、その時代には頗るやかましかったのです。下手な細工をすると、国宝|鋳潰《いつぶ》しという重罪に問われます。今度の兜はただ組み合わせてあるだけで、別にお咎めを受けるほどの事でもなく、折角これだけに出来ているものを取りのけさせるのも如何《いかが》であるから、このまま飾り置くのは仔細ないが、金銀をまぜてあるのは穏かでない。小判と二朱銀だけは早々に取りのけろと申し渡されました。
世話役の者共も恐れ入って、委細承知のお請けをしましたが、元来この造り物は、江戸の講中《こうちゅう》からの奉納ではなく、京都の講中の供え物でした。その前年、即ち文化八年の春、大阪西の宮で四十八年目の開帳があった時に、境内に小屋を建てて種々の造り物を飾りましたが、そのなかには金銀又は銭を用いたものがあって、それが評判になったので、今度の兜もそれを真似たのです。西の宮の時には別にお差し止めの沙汰もなかったので、今度も大丈夫だろうと多寡をくくって持ち出して来たところが、右の次第で金銀だけは取りのけろと云うことになった。金銀を外してしまっては、兜も光りを失うわけですが、どうも致し方がありません。それはまあそれとして、差しあたり困るのはその修繕です。前立てや吹き返しの金銀を取りのけて、小銭でその穴埋めをするというのがむずかしい。京都の職人の細工ですから、その土地ならば早速に何とかなるのでしょうが、江戸にそんな職人があるかどうかが問題です。
兜をこしらえるのは兜師の職ですが、普通の兜師のところへ持ち込んでも、そんな細工を引き受ける筈はありません。金銀細工は錺屋《かざりや》の職ですが、これも普通の錺屋には出来ない芸です。といって、折角評判になったものをただ引っ込めるのは残念でもあり、人気にもさわるので、講中の人達も頭を悩ました末に、役人に対しては三日間の猶予を願いまして、そのあいだに何とか工夫することになりました。その猶予は幸いに聴き届けられましたので、まずほっとしたのは三月十一日の夕方でした。
三日の猶予では京都から職人を呼び寄せることは出来ない。江戸にそんな細工をするような職人が無いとすれば、金銀の穴は銅か真鍮の延べ板で埋めてしまうのほかはないと、まずあらましの相談を決めて、講中の世話役の人達は寺内に泊まるもあり、近所の宿へ帰るもあり、昼間の混雑に引きかえて、春の宵は静かに更《ふ》けて行きました。さあ、これからがお話で、夜が明けて見ると、その兜の前立てにならんでいる小判五枚と二朱銀五枚が紛失しているので、みんなも胆《きも》を潰しました。二朱銀は知れたものですが、一方は慶長小判ですから、その頃の相場でも五枚で五十両ぐらいになります。十両以上の品を盗めば首の飛ぶ時代に五十両の盗賊、さあ大変と騒ぎ立てるのも無理はありません。
こう云うと、今の人はなぜ番人を付けて置かないのだ、さも無くば夜中は寺内に仕舞い込んで置けばいいと仰しゃるに相違ない。そこが昔と今とは人情の違うところで、いくら悪い奴でもお開帳の奉納物を盗むなぞという事はあるまいと油断している。現に西の宮の時には盗難もなかったそうです。それでも江戸は生馬《いきうま》の眼をさえ抜く所だからと云うので、寺男がひと晩のうちに三度は見廻ることになっていて、寺男の弥兵衛が九ツと八ツと七ツ、即ちこんにちの十二時と午前二時、四時の三度は、そこらの小屋を一巡して、奉納物に別条はないかと見まわる。その晩も暁《あ》け七ツに見まわった時まで無事であったと云うのですが、弥兵衛ももう年寄りですから、寝ごころのいい春の夜にうっかり寝込んでしまったか、それとも初めから横着を極めて、ひと晩に一度ぐらいしか起きて行かなかったか、その辺はどうも判り兼ねます。
寺社方の指図で、忌《いや》でも取り外さなければならない小判ではあるが、さてそれが紛失したとなっては大問題で、係りの者一同も顔の色を変えて騒ぎ出しました。ともかくもその次第を寺社方へ訴え出ますと、役人の方では、それ見たことか、一体そんな不用心な物を飾って置くから悪いのだと叱り付ける。盗まれた上に叱られて、いや散々の始末。ひと先ずその兜を取り片付けて修繕に取りかかりました。
しかし寺社方の方でも叱ったばかりで済まされません。取りあえず町方《まちかた》に通知して、その盗難詮議を依頼することになりました。八丁堀同心の矢上十郎兵衛は麻布の御用聞き竜土《りゅうど》の兼松を呼んで、その探索を命じる。兼松はもう五十二、三で麻布の竜土に住んでいるので仲間内では竜土と呼ばれていました。場末ではあるが、若い時から腕利きで知られた男です。渋谷といえば、もうお江戸の部ではないのですが、こういう場合には江戸の町方が踏み込んで活動するほか無い。兼松は委細承知して帰りました」
二
兼松が竜土の家へ帰った頃には、三月十二日ももう暮れかかっていた。旧暦の三月であるから、きょうは朝から生暖かい風が吹いて、近所の武家屋敷の早い桜はもう散り始めていた。汗ばんだ襟のほこりを手拭でふきながら、兼松は格子をあけてはいると、子分の勘太が待っていた。
「親分、御苦労でした。八丁堀の御用は長谷寺の一件じゃあありませんかえ」
「むむ。ここらでももう評判になっているか。察しの通り、銭《ぜに》の兜だ」と、兼松は長火鉢の前で一服吸いながら云った。「今も八丁堀の旦那と話して来たのだが、おめえはあの兜を見たか」
「見ましたよ。奉納場に飾ってあるのだから、手を着けてみる訳にゃあいかねえが、なにしろなかなか念入りの細工で……。江戸にあんな職人はありますめえ」
「おれは此の頃出不精になったのと、年寄りのくせに後生気《ごしょうぎ》が薄いので、まだお開帳へ参詣をしなかったが、それほど念入りに出来ている兜から小判五枚を引っぺがすのは容易じゃあねえ。恐らく素人の芸じゃああるめえ。金銀細工をする奴らだろう。かねてから付け狙っているうちに、きのう寺社方からのお指図で、急にその小判を取り外すことになったので、奴らも慌ててゆうべのうちに引っぺがしに来たのだろう。こっちの油断は勿論だが、奴らもなかなか抜け目がねえ。だが、勘太。こりゃあ案外早く知れるぜ」
「そうでしょうか」
「今も云う通り、寺社方からのお指図が出て、三日の猶予で落着《らくぢゃく》したのはきのうの夕方だと云うじゃあねえか。世間ではまだ知る筈がねえ。それをすぐに覚って仕事に来た以上、なにか内輪に係り合いのある奴に相違ねえ。そのつもりで探《さぐ》りを入れたら、手がかりが付きそうなものだと思うが……」
「そうですね」と、勘太はうなずいた。「成程こりゃあ内輪の機密を知っている奴らに相違ありません。好うござんす。そのつもりで探ってみましょう」
「まあ、おれも一緒に行ってみよう。どうでもう開帳は仕舞った時刻だ。ゆう飯でも食って、それから出かけよう」
二人は夕飯を食って、暮れ六ツを過ぎた頃から竜土の家を出た。その頃の麻布は大かた武家屋敷で、場末には百姓地もまじっていた。笄橋を渡って、いわゆる渋谷へ踏み込むと、普陀山《ふださん》長谷寺の表門が眼の前にそびえていた。寺は曹洞派の名刹《めいさつ》で、明治以後は大いに寺域を縮少されたが、江戸時代には境内二万坪にも近く、松、杉、桜の大樹が枝をかわして、見るから宏壮な古寺であった。
大きい寺には門前町があるが、ここにも門前の町屋《まちや》が店をならべて、ふだんも相当に賑わっているところへ、今度の開帳を当て込んで急拵えの休み茶屋や、何かの土産物を売る店なども出来たので、ここらは場末と思われない程に繁昌していた。開帳は夕七ツ限りであるから、参詣人はみな散ってしまって、境内はもうひっそりとしているが、門前町はまだ何かごたごたして、灯の明るい店では女の笑い声もきこえた。
兼松は桐屋という花暖簾をかけた茶店へはいった。
「まだ店はあるのかえ」
「どうぞお休み下さい」と、若い女が愛想《あいそ》よく迎えた。
勘太もつづいてはいった。二人は床几に腰をかけて、茶をのみながら開帳の噂をはじめた。
「今度は大当たりだそうだな」と、兼松は笑いながら云った。
「時候がいいのに、お天気がよいので、たいそうな御参詣でございます」と、女も笑いながら答えた。「本所深川や浅草の遠方からも随分お詣りがあるようです」
「奉納物のなかで、銭の兜というのが評判だそうだが……」
「ええ。あの兜はほんとうに好く出来ていると云って、どなたも感心しておいでです」
「毎日飾ってあるのかえ」
「どういう訳だか知りませんが、それがきょうは飾ってなかったそうで……。わざわざお出でになって、力を落としてお帰りになった方《かた》もございます」
「なぜ引っ込ませたのだろう」と、勘太は空とぼけて訊いた。
「さあ、なぜでしょうか」と、女も首をかしげていた。「そのことでいろいろの噂もありますが……。何かお寺社の方からお指図があったのだそうで……」
二人はいろいろにカマをかけて訊いてみたが、兜の金銀紛失のことは飽くまでも秘密にしてあるらしく、茶屋の者らも知らないようであった。店もそろそろ仕舞いにかかる時刻に、いつまで邪魔をしてもいられないので、兼松は茶代を置いて表へ出ると、ひとりの女が摺れ違って通りかかったが、また何か思い直したように引っ返して、寺の門をくぐって行った。
「あの女を知らねえか」と、兼松は訊いた。
「知りませんな」と、勘太は見送りながら答えた。「年ごろは二十五、六、小股の切れあがった、野暮でねえ女だが……。ここらの人間じゃあありませんね」
「開帳だからいろいろの奴も来るだろうが、今頃あんな女が寺へはいるのはおかしい。まさかに坊主をたずねて来たわけでもあるめえ」
兼松に頤《あご》で指図されて、勘太はすぐに女のあとを尾《つ》けて行くと、女は普陀山の額《がく》をかけた大きい門をはいって、並木を横に見ながら急ぎ足にたどって行った。物に馴れた勘太は並木のあいだを縫って、覚られないように忍んでゆくと、右側に夜叉神堂がある。女はその石燈籠の前に立って、おぼろ月にあたりを見まわした。
長谷寺参詣の人は知っているであろうが、夜叉神堂はこの寺の名物である。夜叉神は石の立像《りつぞう》で、そのむかし渋谷の長者《ちょうじゃ》の井戸の底から現われたと伝えられている。腫れものに効験ありと云うのであるが、その他の祈願をこめる者もある。いずれにしても、ここに参詣する者は張子《はりこ》の鬼の面を奉納することになっているので、古い面が神前の箱に充満している。何かの願《がん》掛けをする者は、まずその古い面をいただいて帰って、願望成就か腫物平癒のあかつきには、そのお礼として門番所から新らしい面を買って奉納し、あわせて香華《こうげ》を供えるのを例としている。その古い面は一年に二回焼き捨てるのであるが、それでも多数の参拝者があるために、鬼の面はいつでもうず高く積まれていた。
女は幾たびか左右に眼をくばって、堂の前に進み寄ったかと思うと、やがて神前の大きい箱に手をさし入れて、古い鬼の面をかきのけているらしい。どうするのかと勘太は桜の木蔭《こかげ》から窺っていたが、あいにく向きが悪いので、女の手もとは判らない。勘太は焦《じ》れて木かげから少しく忍び出ると、女は勘が早かった。人の気息のあるらしいことをすぐに覚ったと見えて、一枚の古い面を押し頂いて堂の縁に置いた。そうして、殊勝らしくひざまずいて礼拝した後、その面をささげて立ち去ろうとした。
「おい、姐さん」
勘太は姿をあらわして声をかけた。
「はい」
女は立ちどまった。その落ち着かない態度が勘太の注意を惹いた。
「おまえさん、何か探していたのかえ」
「夜叉神さまのお面をいただきに参りました」
「でも、なんだか箱のなかを引っかき廻していたじゃあねえか」
「同じお面を頂きますにしても、あんまり古くないのを頂きたいと思いまして……」
「おまえの家《うち》はどこだえ」
「麻布六本木でございます」
「商売は」
「明石《あかし》という鮨屋で……」
「じゃあ、おまえは鮨屋のおかみさんだね」
「はい」
なんという証拠もないので、勘太もその上に詮議の仕様もなかった。さりとてこのまま放してしまうのも残り惜しいように思われるので、どうしたものかと思案していると、あとから来た兼松がずっと進み出た。
「おれはこの女の番をしているから、勘太、おめえはその箱のなかを調べてみろ」
それを聞いて、女の様子が俄かに変った。彼女は二人の間を摺りぬけて逃げ出そうとした。
「ええ、馬鹿をするな」と、兼松はうしろから女の帯をつかんだ。「こっちは男が二人だ。逃げられるなら逃げてみろ」
それでも逃げてみようとするらしく、女は身をもがいて駈けだそうとした。そのはずみに掴まれた帯はゆるんで、帯に挟《はさ》んでいたらしい何物かが≪かちり≫と地に落ちた。勘太が手早く拾ってみると、それは月に光る二朱銀であった。
三
鮨屋の女房おぎんは、夜叉神堂を背景にして、吟味のひと幕を開かれた。彼女は品川の女郎あがりで、年明《ねんあ》きの後に六本木の明石鮨へ身を落ちつけたのである。
「亭主の清蔵とは勤めの時からの馴染《なじみ》で、昨年から引き取られて夫婦になりました」と、おぎんは申し立てた。
「その清蔵が先月から左の足に悪い腫物を噴き出しまして、いまだに立ち働きが出来ません。職人任せでは店の方も思うように参りませんので、わたくしも心配して居りますと、それには長谷寺の夜叉神さまにお願い申すに限ると教えてくれた人がありましたので、昼間は店を明けるわけには参りませんから、夕方から御参詣にまいったのでございます」
「この二朱銀はどうしたのだ」と、兼松は訊いた。「女のくせに、二朱銀一つを裸で帯のあいだに挟んでいる筈はねえ。あの面箱の中から探し出したのか」
「恐れ入りました。あの箱のなかの古いお面をさがして居りますうちに、二朱銀ひとつ見つけ出しました。大かた御信心の方が納めたのだろうと思いまして、そのままにして一旦は帰りかけましたが、唯今も申す通り、亭主の病気で手元の都合も悪いものですから、これも夜叉神さまがお授け下さるのかも知れないと、手前勝手の理窟をつけまして……。御門前からまた引っ返してまいりまして、亭主の病気が癒りましたら、きっと倍にしてお返し申しますと、心のうちでお詫びを申しながら……。まことに済まないことを致しました」
おぎんは泣き出した。亭主の病気平癒の祈願に来ながら、勝手な理窟をつけて、奉納の金をぬすみ去ろうとは、飛んでもない奴だと兼松も呆れた。しかしそれも浅はかな女の出来心とあれば、深く咎めるにも及ばないが、一体この女の申し立てが嘘か本当か、それさえも好くは判らないのであるから、兼松は油断しなかった。
「勘太。なにしろその箱をぶちまけて検《あらた》めてみろ。銀のほかに小判が出るかも知れねえ」
勘太は箱のなかの古い面を片端から掴み出すと、果たして箱の底から五枚の小判があらわれた。
「親分、ありましたよ」と、勘太は叫んだ。「猫に小判ということは聞いているが、これは鬼に小判ですぜ」
「おれもそんな事だろうと思った」
兜の金銀をぬすんだ奴は、自分のふところに納めて置くことを避けて、ひと先ずこの面箱のなかに押し隠したらしい。おぎんもその同類で、参詣をよそおってそっと取り出しに来たのか、あるいは偶然に二朱銀を見つけ出したのか。その申し立ての真偽がまだ判然《はっきり》しないので、ひと先ずおぎんを門番所へ連れて行って、取り逃がさないように監視を申し付けて置いた。
「仕方がねえ。こうなったらここで見張りだ。今夜じゅうには来るだろう」
「親分の夜明かしは御苦労ですね。家《うち》へ帰って誰か呼んで来ましょうか」と、勘太は云った。
「まあいいや。この頃は暑くなし、寒くなし、月はよし、まだ藪ッ蚊も出ず、張り番も大して苦にゃならねえ。おめえと一蓮托生《いちれんたくしょう》だ」
兼松は笑いながら、勘太と共に夜叉神堂のうしろに隠れた。人目《ひとめ》を忍ぶ身には煙草の火も禁物《きんもつ》である。まして迂闊にしゃべることも出来ないので、二人は無言の行《ぎょう》に入ったように、桜の蔭にしゃがんで黙っていた。
夜明かしを覚悟していた彼等は、幸いに早く救われた。その夜もまだ四ツ(午後十時)を過ぎないうち、一つの黒い影が夜叉神堂の前にあらわれた。自分の顔を見られぬ用心であろう。その曲者は奉納の鬼の面をかぶっていた。まだ其の上にも用心して、彼は手拭を頬かむりにして其の頭を包んでいたが、それが坊主頭であるらしいことは、兼松らに早くも覚られた。
曲者は面の箱をひき寄せて、なにか一心にさぐっているらしい。その隙をみて、二人は不意に飛びかかると、彼はもろくも其の場に捻じ伏せられた。手拭を取られ、鬼の面を剥《は》がれて、その正体をあらわした彼は、二十五、六歳の青白い僧であった。
「この坊主め、生けッぷてえ奴だ」と、兼松は先ず叱りつけた。「内心如夜叉《ないしんにょやしゃ》どころか、夜叉神の面をかぶって悪事を働きやがる。貴様は一体どこの納所《なっしょ》坊主だ。素直に云え」
普通の出家の姿であったならば、なんとか云い訳もあったかも知れないが、頬かむりをして、鬼の面をかぶっていたのでは、どうにも弁解の法がない。彼も一も二もなく恐れ入ってしまった。
彼はこの近所の万隆寺の役僧教重であった。諸仏開帳の例として、開帳中は数十人の僧侶が、日々参列して読経鉦鼓《どきょうしょうこ》を勤めなければならない。しかも本寺から多勢《たぜい》の僧侶を送って来ることは、道中の経費その他に多額の物入りを要するので、本寺の僧はその一部に過ぎず、他は近所の同派の寺々から臨時に雇い入れることになっている。万隆寺の僧も今度の開帳に日々参列していたが、教重もその一人で、破戒僧の彼は奉納の兜に眼を着けたのである。
彼も別に悪僧というのでは無かったが、いわゆる女犯《にょぼん》の破戒僧で、長袖《ながそで》の医者に化けて品川通いに現《うつつ》をぬかしていた。誰も考えることであるが、あの兜の小判があれば当分は豪遊をつづけられる。その妄念が増長して、彼は明け暮れにかの兜を睨んでいるうちに、寺社方の指図として兜の金銀は取りのけられることになった。それが彼の悪心をあおる結果となって、この機を失っては再び手に入る時節がないと、教重はゆうべ思い切って悪事を断行したのであった。
他寺の僧ではあるが、日々この寺に詰めているので、彼は寺男の弥兵衛が奉納小屋を見まわる時刻を知っていた。弥兵衛が暁《あ》け七ツの見まわりを済ませた後、彼は鑿《のみ》と槌《つち》とをたずさえて小屋の内へ忍び込んだ。金や銀は巧みに組み合わせてあるので、定めて面倒であろうと思いのほか、一枚をこじ放すと他はそれからそれへと容易に剥がれた。元来は小判を盗むのが目的であったが、仕事が案外に楽であったので、彼は更に二朱銀五、六個を剥ぎ取った。
そのときにも彼は自分の顔を隠すために、夜叉神堂の古い面をかぶっていた。
四
「どうです、親分。これだけ判ったら面倒はねえ。あとは門番所へ連れて入って、ゆっくり調べようじゃあありませんか」と、勘太は云った。
彼は宵からの張り番に少しく疲れたらしかった。
「じゃあ、ひと休みして調べるか」
二人は教重を引っ立てて門番所へ行った。門番の老爺《おやじ》が汲んで出す番茶に喉を湿《しめ》らせて、兼松は再び詮議にかかった。
「お前はゆうべ此の寺中《じちゅう》に泊まったのか」
「いいえ、自分の寺へ帰りました」と、教重は答えた。「けさの七ツ過ぎに寺をぬけ出して、ここへ忍んで来ました。夜なかに往来をあるいていると、人に怪しまれる、暁け方ならば何とか云いわけが出来ると思ったからです」
「盗んだ小判をなぜすぐに持って帰らなかったのだ」
「小判と二朱銀を袂に忍ばせて、奉納小屋を出ますと、まだ誰も起きていないので、あたりはひっそりしていました。わたくしは安心して夜叉神堂の前まで来まして、かぶっている鬼の面を取ろうとしますと、この頃の生暖かい陽気で顔も首筋も汗びっしょりになっています。その汗が張子の面に滲《にじ》んで、わたくしの顔にべったりと貼り着いたようになって、容易に取れないのでございます。わたくしは昔の肉付き面を思い出して、俄かにぞっとしました。嫁を嚇かしてさえも、面が離れない例もある。まして仏前の奉納物を毀して金銀を奪い取っては、神仏の咎めも恐ろしい。あるいは夜叉神のお怒りで、この鬼の面がとれなくなるのでは無いかと思うと、わたくしはいよいよ総身《そうみ》にひや汗が流れました」
腹からの悪僧でもない彼は、その当時の恐怖を思い泛かべたように声をふるわせた。
「多寡が胡粉《ごふん》を塗った張子の面ですから、力まかせに引きめくれば造作《ぞうさ》もなしに取れそうなものですが、それがわたくしには出来ませんでした。そこで夜叉神の前に頭をさげて、わたくしは心から懺悔をいたしました。そして、盗んだ金銀を元のところへ戻しに参ろうと存じまして、暫く祈念いたして居りますと、不思議にその面が取れました。やれ有難やと喜んで、再び奉納小屋の方へ引っ返そうと致しますと、この頃は夜の明けるのが早くなったのと、開帳中は特に早起きをいたしますので、寺中ではもう雨戸を繰るような音がきこえます。わたくしは急に気おくれがして、もし見付けられたら大変だと思いまして、小屋へは引っ返すのをやめましたが、袂の金の始末に困りました。むやみに其処らへ捨てて行くわけにも行かず、当座の思案で小判五枚を面の箱へ押し込みました。こうして置けば、夜叉神の功力《くりき》で何とか元へかえる術《すべ》もあろうかと思ったからでございます。一旦かぶった面は、自分が一生の戒めにするつもりで、袂に入れて帰りました」
このときの教重は確かに懺悔滅罪の人であった。小判と共に二朱銀も戻した積りであったが、寺へ帰ってみると、五個の銀が袂に残っていた。彼は慌ててそれだけを持ち帰ったのである。飛んだ事をしたと悔んだが、今さら引っ返すわけにも行かないので、彼は素知らぬ顔をして朝飯を食って、ほかの役僧らと共に長谷寺へ参列した。
兜の一件は、世間にこそ秘していたが、寺中にはもう知れ渡っていたので、その噂を聴くたびに教重はひやひやした。慈悲柔和な観音の尊像も、きょうは自分を睨んでおわすかのように思われて、彼が読経の声はみだれ勝ちであった。それに付けても、心にかかるのは彼《か》の二朱銀五個の始末である。小判だけを戻したのでは罪は消えない。小判でも二朱銀でも一文銭でも、仏の眼から観れば同様で、たとい二朱銀一個でも、それを着服している以上、自分の罪は永劫に消えないのである。彼は今夜にもそれを戻そうと決心した。
仏の前に懺悔をしても、自分の罪を人間の前にさらすことを恐れた教重は、前夜と同じように、手拭をかぶり、鬼の面をかぶって、再び夜叉神堂へ忍び寄ったのである。すでに懺悔をしている以上は、鬼の面の貼り付くおそれはないと彼は信じていた。
この告白を聞かされて、兼松も勘太も少しく的《あて》がはずれた。
「それじゃあ、おめえはその二朱銀を返しに来たのかえ」と、兼松は念を押した。
「はい。この通りでございます」と、教重は袂から二朱銀を出して見せた。
隠した金を取り出しに来たならば、わざわざ二朱銀五個を袂に入れて来るはずもない。まったく彼は盗んだ金を返しに来たのであった。そう判ると、兼松らもこの若い僧を憎めないような気にもなった。
夜叉神の咎めか、あるいは彼の良心の咎めか、肉付きの面のむかし話にも似たような、一種の不思議を見た為に、彼は今も張子の鬼の面の前に悔悟の涙を流しているのであった。更に不思議と云えば云われるのは、彼が小判と共に二朱銀一個を面箱のなかに押し込んで去ったことである。彼は何分にも慌てていたので、小判五枚は確かにおぼえていたが、二朱銀は五個か六個かはっきりとも記憶していなかった。したがって、二朱銀は全部持ち帰ったものと思っていたのであるが、その一個は面箱のなかに落ちていて、偶然にもおぎんに発見されたのである。
おぎんもこの二朱銀を発見しなければ、単に古い面を持ち帰るに過ぎなかったであろう。二朱銀を発見した為に、おぎんは兼松らに捕えられ、更に箱の底から小判五枚を発見され、又それがために教重も捕えられることになったのである。老練の兼松もここへ来るまでは、別にこれという成案もなかった。おぎんに眼を着けたのが彼の手柄でもあるが、それとても実はまぐれあたりに過ぎない。所詮は面箱のうちに忍んでいた二朱銀一個が、手引きをしてくれたのであった。
「まったく神の業《わざ》です」と、教重がいよいよ恐れたのも無理はなかった。
この時、奥の障子をあけて、女の白い顔があらわれた。それは先刻から門番所に預けられていたおぎんであった。彼女は薄暗い行燈のひかりに教重の顔をのぞきながら云った。
「あら、やっぱりお前さんだったの。どうも聞き覚えのある声だと思ったら……。お前さん、まだ道楽をやめないで、とうとう大変な事を仕出来《しでか》したのねえ」
教重は蒼い顔を俄かに赤くした。
彼はおぎんが品川に勤めている頃の馴染であった。
「この坊さんは斯う見えても、なかなか口がうまいので、あたしばかりじゃあ無い、大勢の女が欺されたんですよ」
なにか昔の恨みがあると見えて、おぎんは遠慮なしに畳みかけるので、教重はいよいよ赤面した。兼松も勘太も笑い出した。
「そんなに弱い者いじめをするなよ」と、兼松は云った。「二朱銀一つだって、ちょろまかせば罪人だが、今夜のところは眼こぼしにしてやる。早くうちへ帰って、亭主の看病でもしろ」
「はい、はい。ありがとうございます」
おぎんは喜んで帰った。
悔悟している教重を寺社方へ引き渡すのも可哀そうだと思って、兼松は寺の役僧や開帳の世話人らに内分の計らいを云い聞かせると、彼等も異議なく承知した。こんなことが世間に知れ渡ると、寺の迷惑にもなり、開帳の人気にもさわるからである。小判と二朱銀は夜叉神堂から発見されたが、その盗賊は知れないと云うことに発表された。
それに尾鰭《おひれ》を添えて、こんな噂をするものが出て来た。
「兜の小判や二朱銀をぬすんだ泥坊は、夜叉神堂の前まで来ると、急に体がすくんで動けなくなったので、盗んだ金をお堂の縁に置くと、再び歩かれるようになったそうだ」
奇を好む江戸人は眼を丸くして、その噂に耳をかたむけた。それが一種の宣伝になって、長谷寺の開帳はますます繁昌した。夜叉神堂には線香のけむりが充満して、鬼の面は大勢の手に押しいただかれた。
万隆寺の教重は無事に開帳六十日間を勤めたが、その後に下総《しもうさ》の末寺に送られたと云う。
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地蔵は踊る
一
ある時、半七老人をたずねると、老人は私に訊いた。
「あなたに伺ったら判るだろうと思うのですが、几董《きとう》という俳諧師はどんな人ですね」
時は日清戦争後で、ホトトギス一派その他の新俳句勃興の時代であたから、わたしもいささかその心得はある。几董を訊かれて、わたしはすぐに答えた。彼は蕪村《ぶそん》の高弟で、三代目夜半亭を継いだ知名の俳人であると説明すると、老人はうなずいた。
「そうですか。実はこのあいだ或る所へ行きましたら、そこへ書画屋が来ていて、几董の短冊というのを見せていました。わたくしは俳諧の事なぞはぼんくらで、いっさい判らないのですが、その短冊の句だけは覚えています」
「なんという句でした」
「ええと……、誰《た》が願《がん》ぞ地蔵縛りし藤の花……。そんな句がありますかえ」
「あります。たしかに几董の句で、井華《せいか》集にも出ています。おもしろい句ですね」
「わたくしのような素人にも面白いと思われました」と、老人はほほえんだ。「縛られ地蔵を詠んだ句でしょうが、俳諧だから風流に藤の花と云ったので、藤蔓で縛るなぞはめったに無い。みんな荒縄で幾重にも厳重に引っくくるのだから、地蔵さまも遣り切れません。なにかの願掛けをするものは、その地蔵さまを縛って置いて、願が叶えば縄を解くというわけですから、繁昌する地蔵さまは年百年じゅう縛られていなければなりません。それが仏の利生方便《りしょうほうべん》、まことに有難いところだと申します」
「どの地蔵さまを縛ってもいいんですか」
「いや、そうは行かない。むやみに地蔵さまを縛ったりしては罰《ばち》があたる。縛られる地蔵さまは『縛られ地蔵』に限っているのです。縛られ地蔵は諸国にあるようですが、江戸にも二、三カ所ありました。中でも、世間に知られていたのは小石川|茗荷谷《みょうがたに》の林泉寺で、林泉寺、深光寺、良念寺、徳雲寺と四軒の寺々が門をならべて小高い丘の上にありましたが、その林泉寺の門の外に地蔵堂がある。それを茗荷谷の縛られ地蔵といって、江戸時代には随分信仰する者がありました。地蔵さまの尊像は高さ三尺ばかりで、三間四方ぐらいのお堂のなかに納まっていましたから、雨かぜに晒されるようなことは無かったのですが、荒縄で年中ぐいぐいと引っくくられるせいでしょう、石像も自然に摺れ損じて、江戸末期の頃には地蔵さまのお顔もはっきりとは拝めないくらいに磨滅していました。林泉寺には門前|町《ちょう》もあって、ここらではちょっと繁昌の所でしたが……」
何事をか思い泛かべるように、半七老人は薄く眼を瞑《と》じた。それが老人の癖であると共に、なにかの追憶でもあることを私はよく知っていた。わたしは懐中の手帳をさぐり出して膝の上に置くと、その途端に老人は眼をあいた。
「あなたも気が早い。もう閻魔帳を取り出しましたな。あなたに出逢うと、こっちが縛られ地蔵になってしまいそうで。あはははは」
地蔵縛りし藤の花――几董の句のおかげで、きょうも私は一つの話を聞き出した。
「そのお話というのは、まあ斯《こ》うです」と、老人は語り始めた。「林泉寺は茗荷谷ですが、それから遠くない第六天|町《ちょう》に高源寺という浄土の寺がありました。高源寺か高厳寺か、ちょっと忘れてしまいましたが、まあ高源寺としてお話を致しましょう。これも可なりの寺でしたが、この寺の門前にも縛られ地蔵というものが出現しました。林泉寺に比べると、ずっと新らしいもので、なんでも安政の大地震後に出来たものだそうです」
「そういう地蔵を新規に拵えたんですか」
「まあ、拵えたと云えば云うのですが……。高源寺の住職の夢に地蔵尊があらわれて、我れは寺内の墓地の隅にあって、土中に埋めらるること二百余年、今や結縁《けちえん》の時節到来して人間に出現することとなった。我れを縛って祈願するものは、諸願成就うたがい無からん。夜が明ければ、墓地の北の隅にある大銀杏の根を掘ってみよ、云々《うんぬん》というお告げがあったので、その翌朝すぐに掘ってみると、果たして大銀杏の下から三尺あまりの石地蔵があらわれ出たというわけで……。嘘か本当か、昔はしばしばこんな話がありました。そこで、高源寺でもその地蔵さまを門前に祀《まつ》って、やはり小さいお堂をこしらえて、林泉寺同様の縛られ地蔵を拝ませる事になりました。場所が近いだけに、なんとなく競争の形です。
いつの代でもそうかも知れませんが、昔は神仏に流行《はや》り廃《すた》りがありまして、はやり神はたいへんに繁昌するが、やがて廃れる。そこで、流行らず廃らずが本当の神仏だなぞと云ったものですが、新らしきを好むが人情とみえて、新らしく出来た神さまや仏さまは一時繁昌するのが習いで、高源寺の縛られ地蔵も当座はたいそう繁昌、お線香やお賽銭がおびただしいものであったと云います。どうで縛るならば、繁昌の地蔵さまを縛った方が御利益《ごりやく》があるだろうと云うわけでしょう。
その御利益があったか無かったか知りませんが、前にも申す通り、流行りものはすたれる道理で、一時繁昌の縛られ地蔵も三、四年の後にはだんだんに寂れて、参詣の足はふたたび本家の林泉寺にむかうようになりました。これからのお話は安政六年七月以後の事と御承知ください。去年の安政五年は例の大《おお》コロリで、江戸じゅうは火の消えたような有様でしたから、ことしの夏は再びそんな事の無いようにと、誰も彼もびくびくしていると、六月の末頃からコロリのような病人が、又ぼつぼつとあらわれて来ました。もちろん去年ほどの大流行ではありませんが、吐くやら瀉《もど》すやらで死ぬ者が相当にあるので、世間がおだやかではありません。なにしろ去年の大コロリにおびえ切っているので、寄ればさわればその噂でした。又その最中に不思議な噂が立ちました。高源寺の縛られ地蔵が踊るという……」
「地蔵が踊る……」
「笑っちゃいけない。そこが古今の人情の相違です。地蔵が踊るといえば、あなたはすぐに笑うけれども、昔の人はまじめに不思議がったものです。たとい昔でも、料簡《りょうけん》のある人達はあなたと同様に笑ったでしょうが、世間一般の町人職人はまじめに不思議がって、その噂がそれからそれへと広がりました。もとより石の地蔵さまですから、普通の人間のように、コリャコリャと手を叩いて踊り出すのじゃあない。右へ寄ったり、左へ寄ったり、前へ屈《かが》んだり、後へ反《そ》ったり、前後左右にがたがた揺れるのが、踊っているように見えると云うわけです。昼間から踊るのではなく、日が暮れる頃から踊りはじめる。いくら七月でも、地蔵さままでが盆踊りじゃああるまいと思っていると、誰が云い出したのか、又こんな噂が立ちました。この踊りを見たものは、今年のコロリに執り着かれないと云うのです」
「地蔵は始終踊っているんですか」と、わたしは訊いた。
「日が暮れてから踊り出すのですが、夜なかまで休み無しに踊っているのじゃあない。時々に踊って又やめる。それを拝もうとするには、どうしても気長に半刻《はんとき》ぐらいは待っていなければならない。それには丁度いい時候ですから、夕涼みながらに山の手は勿論、下町からも続々参詣に来る。そのなかには面白半分の弥次馬もありましたろうが、コロリ除《よ》けのおまじないのように心得て、わざわざ拝みに来る者も多い。そんなわけで、高源寺の縛られ地蔵はまた繁昌しました。
それが寺社方の耳にはいって、役人が念のため出張すると、なるほど跡方の無いことでもなく、地蔵は時々に踊るのです。そこで役人も一旦は無事に引き揚げたのですが、妖言妄説の取締りを厳重にする時節柄、こういうことを黙許していて善いか悪いか、次第によっては地蔵堂の扉を閉じさせて、参詣を一時さし止めなければなるまいという意見も出ましたが、それがいずれとも決着しないうちに、七月も過ぎて八月になると、その十二日から十三日にかけて大風雨《おおあらし》、七月の二十五日にも風雨がありましたが、今度の風雨はいっそう強い方で、屋根をめくられたのも、塀を倒されたのもあり、近在には水の出た所もありました。
その風雨も十三日の夕方から止んで、十四日はからりとした快晴、陽気もめっきりと涼しくなりました。日が暮れると例の如く、高源寺には大勢の参詣人が詰めかけて、お線香を供えるのもあり、お賽銭をあげるのもあり、いずれも念仏合掌して、今か今かと待ち受けていましたが、どういうわけか、今夜に限って地蔵さまは身動きもしない。待てど暮らせど、いっこうに踊り出さないのです」
「不思議ですね」
「不思議です。みんなも不思議だと云いながら、四ツ(午後十時)頃までは待っていたのですが、地蔵さまは冷たい顔をしてびくとも身動きもしないので、とうとう根負けがしてぞろぞろと引き揚げました。八月十四日で、今夜はいい月でした。明くる晩は月見ですから、参詣人も少ない。それから、十六、十七、十八、十九の四日間、地蔵さまはちっとも踊らないので、みんな的《あて》がはずれました。
陽気も涼しくなって、コロリもおいおい下火《したび》になったので、地蔵さまも踊らなくなったのだと云い触らす者もありましたが、ともかくも地蔵さまはもう踊らないという噂が立ったので、参詣人もぱったりと絶えてしまいました。すると、ここに又ひとつの事件が出来《しゅったい》しました」
「どんな事件が……。やはり高源寺に起こったんですか」
「そうですよ」と、老人はうなずいた。「八月二十四日の朝、小石川|御箪笥町《おたんすまち》に屋敷を持っている、今井善吉郎という小旗本の中間《ちゅうげん》武助が何かの用で七ツ半(午後五時)頃に、この高源寺門前を通りながら、何心なく地蔵堂をのぞくと、薄暗いなかに人らしい姿が見える。近寄ってよく見ると、ひとりの女が縛られている。女は荒縄で厳重に縛られているのです」
「縛られ地蔵に女が縛られている……。面白いですね」
「面白いどころじゃない。女はもう死んでいるらしいので、武助もおどろきました。しかし自分は先きを急ぐので、そんな事にかかり合ってはいられない。丁度に表の戸を明けかかった近所の酒屋の若い者にそれを教えて、自分はそこを立ち去りました。さあ大騒ぎになって、近所の人達が駈けあつまると、女は十九か二十歳《はたち》ぐらい、色白の小綺麗な娘ですが、見るからに野暮な田舎娘のこしらえで、引っ詰めに結った銀杏返《いちょうがえ》しがむごたらしく頽《くず》れかかっていました。まったくあなたの云う通り、縛られ地蔵に女が縛られていて、しかもそれが死んでいると云うのですから、普通の変死以上にみんなが騒ぎ立てるのも無理はありませんでした」
二
寺門前の出来事であるから、高源寺から寺社方へ訴え出て、係り役人の検視を受けたのは云うまでもない。女は縊《くび》られて死んだのである。その死体は石地蔵をうしろにして、両足を前に投げ出し、あたかも地蔵を背負ったような形で、荒縄を幾重にも捲き付けてあった。その縄が彼女の首にもかかっていたが、それで絞め殺されたのではなく、すでに絞め殺した死体を運んで来て、縛られ地蔵に縛り付けたものであることは、検視の役人にも推定された。
この場合、女の身もと詮議が第一であるが、高源寺ではそんな女をいっさい知らないと答えた。近所の者もそれらしい女の姿を見かけた事はないと申し立てた。その風俗をみても、江戸の者でないらしい事は判っていた。女は木綿の巾着《きんちゃく》にちっとばかり小銭《こぜに》を入れているだけで、ほかに証拠となるような品物を身に着けていなかった。死体はひとまず高源寺に預けられて、心あたりの者の申し出を待つほかは無かった。
しかしそれが他殺である以上、唯そのままに捨て置くわけには行かない。八丁堀同心の高見源四郎は半七を呼び付けた。
「高源寺の一件はおめえも薄々聞いているだろうが、寺社の頼みだ。一つ働いてくれ」
「女が殺されたそうですね」と、半七は眉をよせた。
「うむ。寺社がそもそも手ぬるいからよ。地蔵が踊るなんてばかばかしい。早く差し止めてしまえばいいのだ」
「わたしは見ませんが、子分の亀吉は話の種に、地蔵の踊るのを見に行ったそうですから、あいつと相談して何とか致しましょう」
半七は請け合って帰った。彼はすぐに亀吉を呼んで相談にかかった。
「その地蔵の踊りをおめえは見たのだな」
「見ましたよ」と、亀吉は笑いながら云った。「世間にゃあどうして盲《めくら》が多いのかと、わっしも実に呆れましたね。地蔵が踊るのじゃあねえ、踊らせるのですよ」
「そうだろうな」
「あの寺はね、林泉寺の向うを張って、縛られ地蔵を流行らせたが、長いことは続かねえ。そこで今度はその地蔵を踊らせて、それを拝んだ者はコロリに執り着かれねえなんて、いい加減なことを云い触らして、つまりはお賽銭かせぎの山仕事ですよ。なにしろ寺でやる仕事で、町方《まちかた》が迂闊に立ち入るわけにも行かねえから、わっしも指をくわえて見物していましたが、今に何事か出来《しゅったい》するだろうと内々睨んでいると、案の通り、こんな事になりました。こうなったら遠慮はねえ、山師坊主を片っぱしから引き挙げて泥を吐かせましょうか」
「そう手っ取り早くも行かねえ」と、半七はすこし考えていた。「まあひと通りは順序を踏んで、こっちでも調べるだけの事は調べて置かなけりゃあならねえ。相手に悪強情を張られると面倒だ。そこで、その地蔵が十四日から踊らなくなったと云う……。おめえは其の訳を知っているか」
「コロリもだんだん下火《したび》になったのと、寺社の方から何だか忌《いや》なことを云われそうにもなって来たので、ここらがもう見切り時だと諦めて、踊らせないことにしたのでしょう」
「そうかな」と、半七は又かんがえた。「それにしても、殺された女が高源寺に係り合いがあるかどうだか、そこはまだ確かに判らねえ。地蔵を踊らせたのは坊主どもの機関《からくり》にしても、女の死体は誰が運んで来たのか判らねえ。寺の坊主が殺したのなら、わざわざ人の眼に付くように、地蔵に縛り付けて置く筈はあるめえと思うが……」
「山師坊主め、それを種にして又なにか云い触らすつもりじゃあありませんかね」
「そんな事がねえとも云えず、あるとも云えねえ。ともかくも念のために、小石川へ踏み出してみよう。現場を見届けてからの分別だ」
半七が子分と二人づれで、神田三河町の家を出たのは、二十四日の七ツ(午後四時)過ぎであったが、日が詰まったと云っても八月である。足の早い二人が江戸川端をつたって小石川へ登った頃にも、秋の夕日はまだ紅く残っていた。高源寺は相当に広い寺で、花盛りの頃には定めし見事であったろうと思われる百日紅《さるすべり》の大樹が門を掩《おお》っていた。
往来の人や近所の者が五、六人たたずんで内を覗いていたが、寺中はひっそりと鎮まっていた。門前の左手にある地蔵堂は、寺社方の注意か、寺の遠慮か、板戸や葭簀《よしず》のような物を入口に立て廻して、堂内に立ち入ること無用の札を立ててあった。二人は立ち寄って戸の隙間《すきま》から覗くと、石の地蔵はやはり薄暗いなかに立っていて、その足もとにはこおろぎの声が切れ切れにきこえた。
「はいって見ましょうか」と、亀吉は云った。
「ことわらねえでも構わねえ。はいってみよう。おめえは外に見張っていろ」
亀吉に張り番させて、半七はそこらを見まわすと、形《かた》ばかりに立て廻してある葭簀のあいだには、くぐり込むだけの隙間が容易に見いだされたので、彼は体を小さくして堂内に忍び込むと、こおろぎは俄かに啼き止んだ。試みに石像を揺すってみると、像は三尺あまりの高さではあるが、それには石の台座も付いているので、手軽にぐらぐら動きそうもなかった。半七は更に身をかがめて足もとの土を見まわした。
「おい、亀、手を貸してくれ」
「あい、あい」
亀吉も這い込んで来た。
「この地蔵を動かすのだ。これでも台石が付いているから、一人じゃあ自由にならねえ」と、半七は云った。
二人は力をあわせて石像を揺り動かした。それから少しくもたげて、その位置を右へ移すと、その下は穴になっていた。周囲の土の崩れ落ちないように、穴の壁には大きい石ころや古い石塔が横たえてあった。
「そんなことだろうと思った」
半七はその穴へ降りてみると、深さは五、六尺、それが奥にむかって横穴の抜け道を作っている。その抜け道は幅も高さも三尺に過ぎないので、大の男は這って行くのほかは無かった。半七は土竜《もぐら》のように這い込むと、まだ三間とは進まないうちに、道は塞がって行く手をさえぎられた。彼はよんどころなく後退《あとずさ》りをして戻った。
「行かれませんかえ」と、亀吉は訊いた。
「抜け裏じゃあねえ」と、半七は体の泥を払いながら笑った。「途中で行き止まりだ。だが、もう判った。あいつ等は抜け道から土台下へ這い込んで、地蔵をぐらぐら踊らせていたに相違ねえ。へん、子供だましのような事をしやあがる。これで手妻《てづま》の種は判ったが、さてその女がこの一件に係り合いがあるかねえか、その判断がむずかしいな」
小声で云いながら、二人は葭簀をかき分けて出ると、そこには一人の女が窺うように立っていたので、物に慣れている彼等も少しくぎょっとした。女は十六、七で、顔に薄い疱瘡《ほうそう》の痕をぱらぱらと残しているのを瑕《きず》にして、色の小白い、容貌《きりょう》の悪くない娘であった。
「お前はどこの子だえ」と、半七は訊いた。
「はい。そこの……」と、娘は門内を指さした。
門をはいると左側に花屋がある。彼女はその花屋の娘であるらしい。半七はかさねて訊いた。
「今朝《けさ》はここに女が死んでいたと云うじゃあねえか」
「ええ」と、娘はあいまいに答えた。
「その後に誰か死骸をたずねに来たかえ」
「いいえ」
「死骸は奥に置いてあるのかえ」
「ええ」と、彼女は再びあいまいに答えた。
とかくにあいまいの返事をつづけているのが、半七らの注意をひいた。亀吉はやや嚇すように訊いた。
「おめえに両親はあるのか。おめえの名はなんと云うのだ」
母のお金は先年病死した。父の定吉は花屋を商売にしている他《ほか》に、この寺内が広いので、寺男の手伝いをして草取りや水撒きなどもしている。自分の名はお住《すみ》、年は十七であると彼女は答えた。
「おめえ達は門のそばに住んでいながら、ゆうべから今朝にかけて、ここへ死骸を持ち込んだことをなんにも知らなかったのかえ」と、半七は入れ代って訊いた。
「なんにも知りませんでした」
この時、ひとりの若い僧が門内から出て来た。まだ灯を入れていないが、手には高源寺としるした提灯を持って、彼は足早に通りかかったが、半七らのすがたを見て俄かに立ちどまった。彼は仔細らしく二人を眺めていた。
半七もすぐに眼をつけた。
「もし、お前さんはこのお寺さんですかえ」
「そうです」と、若い僧はしずかに答えた。
「実はこれからお寺へ行こうと思っているのですが、今朝このお堂で死んでいた女は、まだ其のままですかえ」
「いや、それに就いて唯今お訴えに参るところで……。女の死骸が見えなくなりました」
「死骸が見えなくなった……」と、半七と亀吉は顔をみあわせた。「誰かが持って行ったのですか。それとも生き返って逃げたのですか」
「さあ。何者にか盗み出されたのか、本人が蘇生して逃げ去ったのか。それは一向にわかりません」
「夜でもあることか、真っ昼間お預かりの死骸を紛失させるとは、飛んだことですね」と、半七は詰問するように云った。
「納所《なっしょ》の了哲に番をさせて置いたのですが……」と、僧も面目ないように云った。「その了哲がちょっとほかへ行った隙に……。どうも不思議でなりません」
死骸のことに就いて、お住がとかくにあいまいの返事をしていたのも、死骸紛失の為であると察せられた。女の死骸紛失を発見したのは八ツ(午後二時)過ぎのことで、一応は墓地その他を詮索するやら、寺僧が集まって評議をするやら、うろたえ騒いで時刻を移した末に、所詮《しょせん》どうにも仕様がないから、何かのお咎めを受ける覚悟で寺社方へ訴え出ることに決着した。若い僧はその難儀な使に出て行くところで、眼鼻立ちの清らかな顔を蒼白くしていた。彼は二十一歳で、名は俊乗であると云った。
三
俊乗に別れて、半七らは寺にはいった。高源寺住職の祥慶は六十余歳で、見るから気品の高そうな白髪《しらが》まじりの眉の長い老僧であった。祥慶は二人を書院に案内させて、丁寧に挨拶した。
「どなたもお役目御苦労に存じます。思いもよらぬ椿事|出来《しゅったい》、その上に寺中の者共の不調法、なんとも申し訳がござりません」
地蔵を踊らせて賽銭稼ぎをするような山師坊主と、多寡をくくっていた半七らは、すこしく予想がはずれた。年配といい、態度といい、なんだか有難そうな老僧の前に、二人は丁寧に頭を下げた。
「こちらのお寺はお幾人《いくたり》でございます」と、半七は訊いた。
「わたしのほかに俊乗、まだ若年《じゃくねん》でござりますが、これに役僧を勤めさせて居ります」と、祥慶は答えた。「ほかは納所の了哲と小坊主の智心、寺男の源右衛門、あわせて五人でござります」
「寺男の源右衛門というのは幾つで、どこの生まれですか」
「源右衛門は二十五歳、秩父の大宮在の生まれでござります」
「これも若いのですね」
「源右衛門は門内の花屋定吉の甥で、叔父をたよって出府《しゅっぷ》いたした者でござりますが、そのころ丁度寺男に不自由して居りましたので、定吉の口入れで一昨年から勤めさせて居りました」
「その源右衛門は無事に勤めて居りますか」
「それが……」と、老僧はその長い眉をひそめた。「十日《とおか》以前から戻りませんので……」
「駈け落ちをしたのですか」
「御承知の通り、十二、十三の両日は強い風雨《あらし》で、十四日は境内の掃除がなかなか忙がしゅうござりました。花屋の定吉、納所の了哲も手伝いまして、朝から掃除にかかって居りましたが、その日の夕方、ちょっとそこまで行って来ると云って出ましたままで、再び姿を見せません。叔父の定吉も心配して、心あたりを探して居りますが、いまだに在所が知れないそうで……。本人所持の品々はみな残って居りまして、着がえ一枚持ち出した様子もないのを見ますと、駈け落ちとも思われず、また駈け落ちをするような仔細も無し、いずれも不思議がって居るのでござります」
「御門前の地蔵さまが踊ったと云うのは、ほんとうでございますか」
「踊ったと云うのかどうか知りませんが、地蔵尊の動いたのは本当で、わたくしも眼のあたりに拝みました」
「それを拝めばコロリよけのお呪《まじな》いになると云うことでしたね」
「いや、それは世間の人が勝手に云い触らしたことで、仏の御心《みこころ》はわかりません。果たしてコロリ除けのお呪いになるかどうか、わたくし共にも判りません」
この場合、住職としては斯う答えるのほかはあるまいと、半七も推量した。更に二、三の問答を終って二人は庫裏《くり》の方へまわって見ると、納所の了哲と小坊主の智心があき地へ出て、焚き物にするらしい枯れ枝をたばねていた。
「女の死骸はどこへ置いたのですか」と、半七は訊いた。
「日にさらしても置かれませんので、庫裏の土間に寝かして置きました」と、了哲は指さした。そこの土間には荒筵《あらむしろ》が敷かれてあった。
俊乗の云った通り、死骸の紛失は八ツ過ぎで、自分が便所へ立った留守の間であると、了哲は更に説明した。わずかの間に女が蘇生して逃げ去ったとは思われない。恐らく何者かがうしろの山伝いに忍び込んで、自分の立った隙をみて死骸を担ぎ去ったのであろうと云うのである。
成程この寺のうしろには山がある。土地では山と呼んでいるが、実は小高い丘に過ぎない。それでも古木や雑草がおい茂って、人を化かすような古狢《ふるむじな》が棲んでいるなどという噂もある。その山を越えると、大きな旗本屋敷が三、四軒つづいている横町へ出る。平生《へいぜい》は往来も少なく、昼でも寂しい場所であるから、この方面から忍び込んで死骸をかつぎ出すようなことが無いとは云えない。
それにしても、その死骸を担ぎ去るほどならば、縛られ地蔵に縛り付けて置く必要もあるまい。一旦その死骸をさらして見せて、再びそれを奪って行ったのは、何かの仔細が無ければなるまい。暮れかかる森のこずえを仰ぎながら、半七はしばらく思案に耽っていると、その知恵の無いのを嘲《あざけ》るように、ゆう鴉が一羽啼いて通った。
引っ返して庫裏へはいって、半七らは土間をひと通り見まわしたが、何かの手がかりになるような物も見いだされなかった。いつの間にか日も落ちて、あたりはだんだんに薄暗くなって来たので、きょうの詮索はこれまでとして、二人は寺を出た。門を出るときに見かえると、花屋の前にはかのお住が立っていた。奥の暗い行燈の下で夕飯を食っている五十前後の男が、お住の父の定吉であるらしかった。
「親分。どうですね」と、小半丁もあるき出した時に亀吉は訊いた。
「あの住職め、いやに殊勝《しゅしょう》らしく構えているので、なんだか番狂わせのような気もしたが、あいつはやっぱり狸坊主だな」と、半七は笑った。「源右衛門という寺男は駈け落ちをしたと云うが、可哀そうに、もう此の世にはいねえだろう」
「坊主共が殺《や》ったのかね」
「手をおろした訳でもあるめえが、どうも生きちゃあいねえらしい。そこで、亀。おれはこれから真っ直ぐに帰るから、おめえは門前町をうろ付いて、あの寺の奴らについて何か聞き込みはねえかどうだか探ってくれ。それから、小坊主、智心とか云ったな。あいつの事を調べてくれ」
「小坊主……。初めから仕舞いまで黙って突っ立っていた奴でしょう」
「そうだ。どうもあいつの眼つきが気に入らねえ。黙ってぼんやり突っ立っているように見せかけて、あいつの眼はなかなか働いていた。あいつ、まだ十六、七らしいが、唯者じゃあねえ。そのつもりで、あいつの身許や行状を洗ってくれ」
幾らかの小遣いを亀吉に握らせて、半七は別れた。神田へ帰る途中で、半七は地蔵堂の抜け道について考えた。寺男の源右衛門はこの抜け道のなかで命を果たしたのであろうと想像された。女は蘇生して身を隠したのか、死骸を運び去られたのか、その謎は容易に解かれなかった。
暁《あ》け方に大雨が降って、あくる朝は綺麗に晴れた。やがて亀吉は顔を出したが、彼はあまり元気が好くなかった。
「あれから引っ返して寺門前へ行って、食いたくもねえ蕎麦屋へはいったり、飲みたくもねえ小料理屋へはいったりして、出来るだけ手を伸ばして見ましたが、思わしい掘出し物もありませんでした」
「そこで、大体どんなことだ」と、半七は訊いた。「あいつらも利口だから、近所へは尻尾《しっぽ》を出さねえかも知れねえ」
「まあ、聞き出したのはこれだけの事です」と、亀吉は話し出した。「住職の祥慶というのは京都の大きい寺で修行したこともあって、なかなか学問も出来るし、字なんぞも能く書くそうです。檀家の気受けも好し、別に悪い評判も無いと云います。俊乗という坊主は男がいいので、門前町の若い女なんぞに騒がれているそうですが、これも今までに悪い噂を立てられた事はないと云います。これじゃあみんな好い事ずくめで、どうにもなりません。近所じゃあ山師坊主だなんて云うものは一人もありませんよ」
「小坊主はどうだ」
「小坊主は十六で年の割には体も大きく、見かけは頑丈そうですが、ふだんから薄ぼんやりした奴で、別にこうと云うほどのこともないそうです。それから了哲という納所坊主、こいつも少し足りねえ奴で、悪いこともしねえが酒を飲む。まあ、こんな事ですね」
「花屋の親子は……」
「花屋の定吉、これも近所で評判の正直者ですが、可哀そうにひどい吃で、満足に口が利けねえ位だそうです。娘のお住はなかなか親孝行で、人間も馬鹿じゃあねえと云います」
こう列べてみると、正直か薄馬鹿か、揃いも揃った好人物で、一人も怪しい者はない。亀吉が詰まらなそうに報告するのも無理はなかった。それでも半七は根よく詮議した。
「そこで、寺男はどうだ」
「源右衛門ですか。こいつは善いか悪いか、どんな人間だか能くわからねえ。なにしろ恐ろしい偏人で、あしかけ三年、丸二年もあの寺の飯を食っていながら、近所の者と碌々に口を利いた事がねえという位で……」
「ふうむ」と、半七も首をかしげた。「仕様のねえ奴だな」
「まったく仕様のねえ奴らで、どうにも斯うにも手の着けようがありませんよ」と、云いかけて亀吉は思い出したように声を低めた。「唯ひとつ、こんな事を小耳に挟《はさ》んだのですが……。なんでもひと月ほど前の事だそうで、門前町のはずれに住んでいる塩煎餅屋のおかみさんが、茗荷谷の方へ用達しに出ると、その途中で花星のお住を見かけたのですが、お住は二十歳《はたち》ぐらいの小綺麗な田舎娘と一緒に歩いていたそうです」
「その田舎娘というのは縛られていた女か」と、半七はあわただしく訊き返した。
「さあ、それが確かに判らねえので……」と、亀吉は小鬢《こびん》をかいた。「煎餅屋のかみさんは例の一件を聞いた時、そんなものを見るのも忌《いや》だと云って、近所でありながら覗きにも行かなかったので、同じ女かどうだか判らねえと云うのですよ。もし同じ人間なら面白いのですが……」
「同じ人間だろう。いや、同じ人間に相違ねえ」
「そうでしょうか。かみさんの話じゃあ、お住は薄あばたこそあれ、容貌《きりょう》は悪くねえ。連れの娘はあばたも無し、容貌もいい、顔立ちが肖《に》ているので、ちょいと見た時には姉妹《きょうだい》かと思った……」
「おい、亀。しっかりしてくれ」と、半七は笑い出した。「おめえにも似合わねえ。それだけ種が挙がっているなら、なぜもうひと息踏ん張らねえ。よし、よし。おれがもう一度出かけよう」
「出かけますかえ」
「むむ。一緒に来てくれ」
五ツ半(午前九時)頃に二人は再び小石川へ出向いた。その途中で何かの打ち合わせをして、高源寺の門前に行き着くと、地蔵堂はきのうの通りに鎖《とざ》されていた、門内にはいると、花屋の定吉と納所の了哲が鋤《すき》や鍬《くわ》を持って何か働いていた。
「なにを働いているのです」と、半七は近寄って声をかけた。
二人は不意に驚かされたように顔を見合わせていた。殊に定吉は吃であるから、こういう場合、すぐに返事は出ないらしい。了哲も渋りながら答えた。
「けさの雨で、ここらの土が窪《くぼ》みましたので……」
「ははあ、土が窪んだので、埋めていなさるのか」
云いながら眼を着けると、土はところどころ落ちくぼんで、それがひと筋の道をなしているように見られた。更に眼をやると、その道は墓場につづいて、ある墓の前に止まっているらしい。古い墓の石塔は倒れていた。
「もし、この墓は無縁ですかえ」
「そうです」と、了哲はうなずいた。
半七は引っ返して花屋の前に来ると、お住は奥から不安らしい眼をして覗いていた。
「おい、姐《ねえ》さん。ちょいと顔を貸してくれ」
お住を誘い出して、半七は墓場のまん中へ行った。そこには大きい桐の木が立っていた。
四
「おい、お住。おめえの姉さんは何処にいる」と、半七はだしぬけに訊いた。
お住は黙っていた。
「隠しちゃあいけねえ。ひと月ほど前に、おめえが姉さんと一緒に茗荷谷を歩いていたのを、おれはちゃんと見ていたのだ。その姉さんは何処にいるよ」
お住はやはり黙っていた。
「姉さんは殺されて、地蔵さまに縛り付けられていたのだろう」
お住ははっとしたように相手の顔を見上げたが、また俄に眼を伏せた。
「その下手人をおめえは知っているのだろう。おれが仇を取ってやるから正直に云え」
お住は強情に黙っていた。
「あの無縁の石塔を引っくり返して、その下から抜け道をこしらえて、地蔵を踊らせたのは誰だ。おめえの姉さんも係り合いがあるだろう。姉さんの色男は誰だ。あの俊乗という坊主か」
お住はまだ俯向いていた。
「俊乗が姉さんを絞めたのか。一体おめえの姉さんは生きているのか、死んだのか」と、半七は畳みかけて訊いた。「おめえはふだんから親孝行だそうだが、正直に云わねえとお父《とっ》さんを縛るぞ」
お住は泣きそうになったが、それでも口をあかなかった。
「おめえと従兄弟《いとこ》同士の源右衛門はどうした。駈け落ちをしたと云うのは嘘で、あの抜け道のなかに埋《うま》って死んだのだろう。その死骸はどこへ隠した」
お住は飽くまで黙っていたが、嘘だとも云わず、知らないとも云わない以上、無言のうちに、それらの事実を認めているように思われたので、半七は肚《はら》のなかで笑った。
「これほど云っても黙っているなら仕方がねえ。ここでいつまで調べちゃあいられねえ。親父もおめえも連れて行って、調べる所で厳重に調べるからそう思え。さあ、来い」
幾らかの嚇しもまじって、半七はお住を手あらく引っ立てようとする時、ふと気がついて見かえると、うしろの大きい石塔の蔭から小坊主の智心が不意にあらわれた。彼は薪割《まきわ》り用の鉈《なた》をふるって、半七に撃ってかかった。半七は油断なく身をかわして、その利き腕を引っとらえ、まずその得物《えもの》を奪い取ろうとすると、年の割に力の強い彼は必死に争った。
そればかりでなく、今までおとなしかったお住も猛然として半七にむかって来た。彼女はそこらに落ちている枯れ枝を拾って叩き付けた。苔《こけ》まじりの土をつかんで投げつけた。眼つぶしを食って半七も少しく持て余しているところへ、それを遠目に見た亀吉が駈けて来た。彼は先ずお住を突き倒して、さらに智心の襟首をつかんだ。御用聞き二人に押さえられて、智心は大きい眼をむき出しながら捻じ伏せられた。
「飛んでもねえ奴だ。縛りましょうか」と、亀吉は云った。
「そんな奴は何をするか判らねえ。一旦は縄をかけて置け」
智心は捕縄をかけられた。二人はお住と智心を追い立てて、もとの所へ戻って来たが、もう猶予は出来ないので、さらに了哲を追い立てて本堂へむかうと、本堂の仏前には住職の祥慶が経を読んでいた。半七らの踏み込んで来たのを見て、彼はしずかに向き直った。
「昨日《さくじつ》といい、今日《こんにち》といい、御役の方々、御苦労に存じます。大かた斯うであろうと察しまして、今朝《こんちょう》は読経して、皆さま方のお出でをお待ち申して居りました」
案外に覚悟がいいので、半七らも形をあらためた。
「詳しいことは後にして、ここでざっと調べますが、まず第一に地蔵さまの一件、それはお住持も勿論御承知のことでしょうね」と、半七は先ず訊いた。
「承知して居ります」と、祥慶は悪びれずに答えた。「わたくしは十四年前から当寺の住職に直りました。この高源寺は慶安年中の開基で、相当の由緒もある寺でござりますが、先代からの借財がよほど残って居ります上に、大きい檀家がだんだん絶えてしまいました。火災にも一度|罹《かか》りまして、その再建《さいこん》にもずいぶん苦労いたしました。左様の次第で、寺の維持にも困難して居ります折り柄、役僧の延光から縛られ地蔵を勧められました。林泉寺の縛られ地蔵は昔から繁昌している。当寺でもそれに倣《なら》って、縛られ地蔵を始めてはどうかと云うのでござります。こころよからぬ事とは存じながら、何分にも手もと不如意《ふにょい》の苦しさに、万事を延光に任せました。さりとて今まで有りもしなかった地蔵尊を俄かに据え置くのも異《い》なものであり、且は世間の信仰もあるまいという延光の意見で、深川寺の石屋松兵衛という者に頼みまして、一体の地蔵尊を作らせ、二年あまりも墓地の大銀杏《おおいちょう》の根もとに埋めて置きまして、夢枕|云々《うんぬん》と申し触らして掘り出すことに致しました。それが幸いに図にあたりまして、三、四年のあいだはなかなかの繁昌で、賽銭そのほか収入《みいり》もござりました」
「その延光という役僧はどうしました」
「あるいは仏罰でもござりましょうか。昨年の二月、延光は流行《はやり》かぜから傷寒《しょうかん》になりまして、三日ばかりで世を去りました。延光が歿しましたので、唯今の俊乗がそのあとを継いで役僧を勤め居ります」
「縛られ地蔵もだんだんに流行らなくなったので、今度は地蔵を踊らせる事にしたのですね。それはお前さんの工夫ですかえ」
「いえ、わたくしではありません」
「俊乗ですか」
「俊乗でもありません。石屋の松蔵……松兵衛のせがれでござります。松兵衛は悪い者ではありませんが、伜の松蔵は博奕に耽って、いわばごろつき風の良くない人間でござります。それが縛られ地蔵の噂を聞き込みまして、当寺へ強請《ゆすり》がましい事を云いかけて参りました。あの地蔵は自分の家《うち》で新らしく作ったもので、墓地の土中から掘り出したなどというのは拵え事である。自分の口からその秘密を洩らせば、世間の信仰が一時にすたるばかりか、当寺でも定めし迷惑するであろうと云うのでござります。飛んだ奴に頼んだと今さら後悔しても致し方がありません。何分こちらにも弱味がありますので、延光の取り計らいで幾らかずつの金をやって居りました。松蔵のような悪い奴に魅《み》こまれましたのも、やはり仏罰であろうかと思われます」
祥慶は数珠《じゅず》を爪繰りながら暫く瞑目した。うしろの山では鵙《もず》の声が高くきこえた。
「そのうちに延光は歿しました。そのあとに俊乗が直りますと、今度は俊乗を相手にして、松蔵は時々に押し掛けてまいります。俊乗は年も若し、根が正直者でござりますから、松蔵のような奴に責められて、ひどく難儀して居るようでござります。わたくしも可哀そうに思いましたが、どうすることも出来ません。そこへ又ひとり、悪い奴があらわれまして、いよいよ困り果てました」
「その悪い奴は女ですかえ」と、半七は、喙《くち》を容れた。
「はい。お歌と申す女で……」と、老僧はうなずいた。
お歌は花屋の定吉の姉娘であった。父の定吉も妹娘のお住も正直者であるのに引き換えて、お歌は肩揚げのおりないうちから親のもとを飛び出して、武州、上州、上総《かずさ》、下総《しもうさ》の近国を流れ渡っていた。彼女は若粧《わかづく》りを得意として、実際はもう二十四、五であるにも拘らず、十八、九か精々|二十歳《はたち》ぐらいの若い女に見せかけて、殊更に野暮らしい田舎娘に扮していた。男に油断させる手段であることは云うまでも無い。
彼女は、去年の暮ごろに江戸へ帰って、十余年ぶりで高源寺をたずねて来たが、物堅い定吉は寄せ付けないで、すぐに門端《かどばた》から逐い出そうとすると、お歌は門前の地蔵を指さした。わたしの口一つで、多年御恩になったお住持さまは勿論、お前にも迷惑がかからないとは云えまいと、彼女は笑った。それを聞いて、定吉はぎょっとした。
どうしてお歌が地蔵の秘密を知っているのかと、定吉は驚きかつ恐れて、だんだんその仔細を詮議すると、お歌はこの頃かの松蔵と心安くしていると云うのであった。定吉はいよいよ驚いたが、こうなっては強いことも云えない。よんどころなくお歌を呼び入れて、その望みのままに俊乗に引き合わせると、彼もまた驚いた。迷惑ながら幾らかの口留め料をやって、無事に彼女を追い返そうとすると、お歌は案外に金は要らないと言った。お寺の迷惑にもなり、親たちの迷惑にもなることであるから自分は決して口外しない。その代りに、時々のお出入りを許してくれと云った。
おとなしいような云い分ではあるが、こんな女にしばしば出入りされては困るので、祥慶は直きじきにお歌に面会して、寺へたずねて来るのは月に一度、それも近所の人に目立たないように、なるべく夜分に忍び込んで来てくれということに相談を決めた。月に一度でも親や妹の顔が見られれば結構でござりますと、お歌は殊勝《しゅしょう》らしく答えた。
「それがやはり思惑のあることで……」と、祥慶は溜め息まじりに語りつづけた。「金は一文も要らない、決して無心がましいことは云わないと申して居りましたが、お歌は慾心でなく、色情で……。お歌はどうしてか俊乗に恋慕して居ったのでござります」
「お歌は松蔵とも係り合いがあったのでしょうね」
「さあ、本人は唯の知り合いだと申して居りましたが、あんな人間同士のことですから、どういう因縁になっているか判りません」
「松蔵は相変らず出入りをしているのですか」
「はい、時々に参ります」
お歌は色、松蔵は慾、双方から責め立てられる俊乗の難儀は思いやられた。
五
「月に一度という約束でありながら、お歌は二度も三度もまいりました」と、祥慶は又云った。「俊乗がやがて堕落することは眼にみえて居りましたが、わたくしにはそれを遮《さえ》ぎる力がありません。お歌もさすがに昼間はまいりませんので、幸いに近所の眼には立ちませんでしたが、仕舞いには俊乗をどこへか連れ出すようになりました。可哀そうなのは俊乗で、縛られ地蔵のことも本人の発意《ほつい》では無し、いわば師匠のわたくしを救うが為に、こんな難儀をして居るのでござります。ある時、本人がわたくしの前に手をついて、涙を流して自分の堕落を白状いたしました時には、わたくしも思わず泣かされました。お歌のような悪魔に付きまとわれて、それを振り払うことの出来なかったのは、俊乗の罪ではなく、師匠のわたくしの罪でござります。
その罪の恐ろしさを知りながら、いやが上にも罪をかさねましたのは、地蔵の踊りでござります。松蔵が執念深く、無心にまいりますので、俊乗も断わりました。地蔵尊の参詣人もこの頃はだんだんに遠ざかって、賽銭その他も昔とは大きな相違であるから、毎々の無心は肯《き》かれないと申し聞かせますと、それならばいい工夫がある……と云うのが地蔵の踊りで、コロリ除《よ》けと云い触らせば、きっと繁昌すると云うのでござります。忌《いや》だと云えば、縛られ地蔵の秘密をあばくと云う。俊乗も気が弱く、わたくしも気が弱く、どうで地獄へ堕《お》ちる以上、毒食わば皿と云ったような、出家にあるまじき度胸を据えて……。いや、よんどころなく度胸を据えることになりまして……」
松蔵は石屋であるから、地蔵を動かす仕掛けは彼が引き受けた。墓地にある無縁の石塔を倒して、その下から門前の地蔵堂へかよう横穴の抜け道を作った。その穴掘り役は寺男の源右衛門と納所の了哲に云い付けられたが、寺男も納所も愚直一方の人間であるので、師匠と俊乗の指図を素直に引き受けた。その設計はとどこおりなく成就して、地面の下の抜け道を松蔵が最初にくぐって見た。
「穴熊がうまく行ったと、本人は申して居りました」と、祥慶は云った。
「むむ。穴熊か」と、半七は思わずほほえんだ。
穴熊というのは、いかさま博突などをする場合、その同類が床下に忍んで、細い針を畳越しに突きあげ、むしろの上に投げられた賽を自由に踊らせるのである。松蔵は穴熊の手だてを応用して、土の下から地蔵を踊らせようとしたのてある。
最初の試みに成功したので、地蔵を踊らせるのは源右衛門の役になった。小坊主の智心も時時は面白半分に手伝った。それが又、図にあたって、一旦は繁昌したが、地蔵が踊るなどは奇怪であるというので、寺社方から何かの沙汰がありそうな噂もきこえた。その詮議がむずかしくなっては面倒であるから、もうそろそろ見切りを付けようかと云っている時、八月十二日から十三日にかけて大風雨《おおあらし》がつづいた。
十四日はぬぐったような快晴であったので、月の昇る頃から源右衛門はいつものように抜け道へくぐり込んだ。しかも地蔵は踊らないで、今夜の参詣人を失望させた。源右衛門も再び出て来なかった。不思議に思って、智心をくぐらせてやると、抜け道は途中で行き止まりになっていた。二日つづきの風雨に地面の土がゆるんで、あたかも源右衛門の上に落ちかかったらしく、彼はそのまま生き埋めの最期《さいご》を遂げたのであった。
その報告におどろかされて、寺中の者共は駈け付けた。了哲と定吉が手伝って、ともかくも源右衛門を穴から引き出したが、彼はもう窒息していた。もちろん表向きにすべき事ではないので、世間へは駈け落ちと披露して、その死骸は墓地の奥に埋葬した。さなきだに見切り時と思っているところへ、こんな椿事が出来《しゅったい》したのであるから、地蔵は再び踊らなくなった。
抜け道は何とか始末しなければならないと思いながら、まだそのままになっていると、けさの大雨で地面の土がまたもや崩れ落ちた。今度はその道筋のところどころに窪みを生じて、あたかも抜け道の通路を示すように見えて来たので、もう打ち捨てて置かれなくなった。他人に覚られては大事であると、了哲らがその穴埋めに取りかかっている処へ、半七と亀吉が再び乗り込んで来たのであった。
これで地蔵の問題はひと通り解決したが、お歌の一件がまだ残っている。半七は更に訊いた。
「地蔵さまに縛られていた女はお歌で、その下手人をお前さんは御承知なのでしょうね」
「こうなれば何もかも包まずに申し上げます。お歌を絞め殺したのは智心でござります」と、祥慶は説明した。「智心は孤児《みなしご》で十歳《とお》のときから当寺に養われて居りますが、生まれつきの鈍根で、経文なども能く覚えません。それでも正直に働きます。殊に俊乗によく懐《なつ》いて居りました。そこで智心は平生からかのお歌を憎んで居りまして、あの女は悪魔だ。俊乗さんを堕落させる夜叉羅刹《やしゃらせつ》だなどと申して居りました」
「お歌を殺したのはいつの事です」
「二十三日の晩でござります。お歌が俊乗を裏山へ誘い出して行く。その様子がいつもと違っているので、智心もそっと後を尾けて行きますと、お歌は俊乗を森のなかへ連れ込みまして、お前がこの寺にいては思うように逢うことが出来ないから、いっそ還俗《げんぞく》するつもりで私と一緒に逃げてくれと云う。勿論、俊乗は得心《とくしん》いたしません。かれこれと云い争っているうちに、お歌はだんだんに言葉があらくなりまして、お前がどうしても云うことを肯かなければ、わたしにも料簡がある。縛られ地蔵の一件を口外すれば、おまえ達は死罪か遠島だなどと云って嚇かすのでござります。毎度のことながら、この嚇かしには俊乗も困って居りますと、お歌はいよいよ図に乗って、これからすぐに訴えにでも行くような気色を見せます。それを先刻から窺っていた智心はもう我慢が出来なくなって、不意に飛びかかって、お歌の喉《のど》を絞めました。智心は年の割に力のある奴、それが一生懸命に両手で絞め付けたので、お歌はそのままがっくり倒れてしまいました」
「成程、そんなわけでしたか」
智心の眼つきの穏かでない仔細はそれで判った。しかもお歌の死骸をなぜ地蔵堂へ運び込んだのか、その仔細はまだ判らなかった。祥慶は重ねて説明した。
「俊乗はお歌に迫られて、余儀なく関係をつづけて居ったので……。現に今夜もお歌に苦しめられて居ったのですが、元来は気の弱い、心の優しい人間ですから、眼の前にお歌が倒れたのを見ますと、急に悲しくなって泣き出しました。といって、医者を呼ぶわけにも行きません。俊乗は女の死骸をかかえて、暫くは泣いていました。智心は唯ぼんやりと眺めていました。やがて俊乗は叱るように智心にむかって、お前はなぜこんな事をしたのだ、この女を殺してはならない、これから私と一緒に地蔵堂へ運んで行けと云ったそうです」
「それはどういう訳ですね」
「あとで俊乗自身の申すところによりますと、その時は少しくのぼせていたのかも知れません。地蔵を縛って祈っても、自分の願《がん》が叶うのであるから、まして本人を縛って祈れば、きっと叶うに相違ないと、こう一途《いちず》に思いつめて、智心と二人でお歌の死骸を門前の地蔵堂へ運び込んで、地蔵尊にしっかりと縛り付けて、どうぞ再び蘇生するようにと、ふた刻《とき》あまりも一心不乱に祈っていたと申します」
「それで生き返りましたか」と、半七は一種の好奇心に駆られて訊いた。
「生き返りました」と、祥慶はやや厳《おごそ》かに云った。「すぐには生きませんでしたが、とうとう蘇生しました。俊乗は夜明け前にいったん自分の部屋に帰りましたが、宵からの疲れで、ついうとうとしているうちに、武家の中間が早朝に門前を通りかかりまして、お歌の死該を見付けられてしまいました。こうなっては隠すことも出来ませんから形《かた》のごとく訴え出て、当寺ではいっさい知らない女だと云うことにして、ひと先ず死骸を預かりました。
そこで、検視も済み、役人衆も引き揚げて、死骸を庫裏《くり》の土間へ運び込みますと、それから半刻も経たないうちに、お歌は自然に息を吹き返しましたので、わたくし共もおどろきました。俊乗は又もや泣いて喜びました。有り合わせの薬を飲ませて介抱して、ともかくも奥へ連れ込みまして、表向きは死骸紛失ということにお届けを致させました」
「お歌はそれからどうしました」
「日が暮れてから気分も快《よ》くなったと申しますので、裏山づたいに帰してやりました。本人は素直に帰ろうと申しませんでしたが、わたくしからいろいろに説得しまして、今度は俊乗にも自由に逢わせてやると約束して、無理になだめてともかくも帰しましたが、所詮このままに済もうとは思われません。また出直して何かの面倒を云い込んで来ることと覚悟して居りました。そこへお前さん方が再びお乗り込みになりましたので万事の破滅と、わたくしもいよいよ覚悟を決めました。智心がお手向いを致しましたのは、お歌を殺した一件で、我が身にうしろ暗いところがある為でござりましょう。しかしお歌は確かに生きて居ります」
ここまで話して来た時に、了哲が顔の色をかえて駈け込んだ。
「俊乗さんが死にました」
「どうして死んだ」と、半七は膝を浮かせながら訊いた。
「裏山の桜の木に首をくくって……」
縊《くび》られたお歌は生きて、さらに俊乗が縊れたのであった。
六
「お話は先ずここらでお仕舞いでしょう」と、半七老人はひと息ついた。「事件はちょいと面白いのですが、わたくし共の捕物の方から云えば、たいして面倒な事もありませんでした」
「これに幾らかの潤色を加えると、まったく面白い小説になりそうですね」と、私は云った。
「なにぶん実録は、小説のように都合よく行きませんからね。こうすれば面白くなるだろうと云って、まさかに嘘をまぜる訳にも行かず、まあ其のつもりで聴いて頂くよりほかありません」と、老人は笑った。「いや、まだ少し云い残したことがあります。かのお歌の一件について……」
「わたしもそれを訊《き》こうと思っていたんです。お歌はそれからどうしました」
「さあ、お歌がそれからひと働きしてくれると、小説にも芝居にもなるのですが、そこが今申す通りの実録で……。お歌はその後しばらく姿を見せませんでしたが、その翌年の五月、詰まらない小ゆすりで挙げられて、それからいろいろの旧悪があらわれて遠島になりました。わたくしが捕ったので無いので詳しいことは知りませんが、お歌はふところに俊乗の数珠を持っていたと云いますから、よっぽど俊乗のことを思っていたに相違ありません。
遠島といえば、高源寺の住職も遠島、他は追放、これでこの一件も落着《らくぢゃく》しました。住職も弟子たちもみんな悪い人間ではなかったのですが、いったん悪い方へ踏み込むと、もう抜き差しが出来なくなって、だんだん深淵《ふかみ》に落ちて行く。取り分けて俊乗などは、いい寺にいたらば相当の出世が出来たのかも知れません。それを思うと可哀そうでもあります」
「石屋の松蔵はどうなりました」
「高源寺の噂を聞くと、こいつはすぐに影を隠しました。草鞋を穿いて追っかけるほどの兇状でもないので、まあ其のままに捨て置きましたが、あとで聞くと木更津《きさらづ》の方で変死したそうです。同職の石屋を頼って行って、そこで働いているうちに、その石屋で大きい石地蔵をこしらえる時、どうしたわけか其の地蔵が不意に倒れて、松蔵は頭を打たれて死んだと云うのです。なんだか因縁話のようで、嘘か本当かよく判りませんが、まあそんな噂でした。
高源寺はその後、廃寺になってしまって、今では跡方もなくなりましたが、一方の林泉寺の縛られ地蔵は昔のままに残っています。明治以後は堂を取り払って、雨曝《あまざら》しのようになっていますが、相変らずお花やお線香は絶えないようです」
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薄雲《うすぐも》の碁盤《ごばん》
一
ある日、例のごとく半七老人を赤坂の家にたずねると、老人はあたかも近所の碁会所から帰って来た所であった。
「あなたは碁がお好きですか」と、わたしは訊いた。
「いいえ、別に好きという程でもなく、いわゆる髪結床《かみゆいどこ》将棋のお仲間ですがね」と、半七老人は笑った。「御承知の通りの閑人《ひまじん》で、からだの始末に困っている。といって、毎日あても無しにぶらぶら出歩いてもいられないので、まあ、暇潰しに出かけると云うだけの事ですよ」
それから糸を引いて、碁や将棋のうわさが出ると、話のうちに老人はこんなことを云い出した。
「あなたは御存じですか。下谷坂本の養玉院という寺を……」
「養玉院……」と、わたしは考えた。「ああ、誰かの葬式で一度行ったことがあります。下谷の豊住|町《ちょう》でしょう」
「そうです、そうです。豊住町というのは明治以後に出来た町名で、江戸時代には御切手町《ごぎってちょう》と云ったのですが、普通には下谷坂本と呼んでいました。本当の名は金光山大覚寺というのですが、宗対馬守《そうつしまのかみ》の息女養玉院の法名を取って養玉院と云うことになりました。この寺に高尾の碁盤と将棋盤が残っているのを御存じですか」
「知りません」
「吉原の三浦屋はこの寺の檀家であったそうで、その縁故で高尾の碁盤と将棋盤を納めたと云うことになっています。高尾は初代といい、二代目といい、確かなことは判りませんが、ともかくも古い物で、わたくしも一度見たことがあります。今でも寺の什器になっている筈ですから、あなたなぞは一度御覧になってもいいと思います。いや、その碁盤で思い出しましたが、ここに又、薄雲の碁盤というのがありました」
「それも養玉院にあるんですか」
「違います。その碁盤は深川六間堀の柘榴《ざくろ》伊勢屋という質屋から出たのです」と、老人は説明した。「ところで、その碁盤については怪談めいた由来話が付きまとっているのです。御承知の通り、高尾と薄雲、これが昔から吉原の遊女の代表のように云われていますが、どちらも京町《きょうまち》の三浦屋の抱妓《かかえ》で、その薄雲は玉という一匹の猫を飼っていました。すると、ある時その猫が何かにじゃれて、床の間に飛びあがったはずみに、そこに置いてある碁盤に爪を引っかけて、横手の金蒔絵に疵を付けました。もちろん大きな疵でもなく、薄雲もふだんからその猫を可愛がっているので、別に叱りもしないで其のままにして置きました」
「碁盤は金蒔絵ですか」
「なにしろ其の頃の花魁《おいらん》ですからね。その碁盤もわたくしは見ましたが、頗る立派なものでした。木地《きじ》は榧《かや》だそうですが、四方は黒の蝋色で、それに桜と紅葉を金蒔絵にしてある。その蒔絵と木地へかけて小さい爪の跡が残っている。それが玉という猫の爪の痕だそうで……。爪のあとが無かったら猶よかろうと思うと、そうで無い。前にも申す通り、ここに一場の物語ありという訳です。
ある日のこと、薄雲が二階を降りて風呂場へゆくと、かの猫があとから付いて来て離れない。主人と一緒に風呂場へはいろうとするのです。いくら可愛がっている猫でも、猫を連れて風呂へはいるわけにはいかないので、薄雲は叱って追い返そうとしても、猫はなかなか立ち去らない。ふだんと違って、すさまじい形相《ぎょうそう》で唸りながら、薄雲のあとを追おうとする。これには持て余して人を呼ぶと、三浦屋の主人も奉公人も駈けて来て、無理に猫を引き放そうとしたが、猫はどうしても離れない。
こうなると、猫は気が狂ったのか、さもなければ薄雲を魅込《みこ》んだのだろうと云うことになって、主人は脇差を持って来て、猫の細首を打ち落とすと、その首は風呂場へ飛び込みました。見ると、風呂場の竹窓のあいだから一匹の大きい蛇が這い降りようとしている。猫の首はその蛇の喉《のど》に啖《くら》い付いたので、蛇も堪まらずどさりと落ちる。その頃の吉原は今と違って、周囲に田圃《たんぼ》や草原が多いので、そんな大きな蛇が何処からか這い込んで来たとみえます。猫はそれを知って主人を守ろうとしたのかと、人々も初めて覚ったがもう遅い。薄雲は勿論、ほかの人々も猫の忠義をあわれんで、その死骸を近所の寺へ送って厚く弔ってやりました。
その時に例の碁盤も一緒に添えて、その寺へ納めたのだそうですが、それから百年ほど経って、明和五年四月六日の大火で、よし原廓内は全焼、その近所もだいぶ焼けました。猫を葬った寺もその火事で焼けて、それっきり再建《さいこん》しないので、寺の名はよく判りません。しかし、どうして持ち出されたのか、その碁盤だけは無事に残っていて、それからそれへと好事家《こうずか》の手に渡ったのちに、深川六間堀の柘榴伊勢屋という質屋の庫《くら》に納まっていました。この伊勢屋は旧い店で、暖簾に柘榴を染め出してあるので、普通に柘榴伊勢屋。これにも由来があるのですが、あまり長くなりますから略すことにして、ともかくもこの伊勢屋では先代の頃から薄雲の碁盤というのを持っていました。物好きに買ったのではなく、商売の質流れで自然に引き取ることになったのです。
そこで、養玉院にある高尾の碁盤と将棋盤、これは今日《こんにち》まで別条無しに保存されているのですが、一方の薄雲の方は大いに別条ありで、それが為にわたくし共もひと汗かくような事件が出来《しゅったい》しました」
ここまで話して来た以上、どうで聞き流しにする相手でないと覚悟しているらしく、老人はひと息ついて又話しつづけた。
「質屋の庫に鼠は禁物です。質に取った品は預かり物ですから、衣類にしろ、諸道具にしろ、鼠にかじられたりすると面倒ですから、どこの店でも鼠の用心を怠りません。ところが、不思議なことには、例の碁盤を預かって以来、伊勢屋の庫に鼠というものがちっとも出なくなりました。碁盤には猫の爪のあとが残っているばかりでなく、恐らく猫の魂も残っているので、鼠の眷族《けんぞく》も畏《おそ》れて近寄らないのだろうという噂でした。昔はとかくにこんな怪談めいた噂が伝わったものです。又、そういう因縁付きの品には、不思議に何かの事件が付きまとうものです。
お話は文久三年十一月、あらためて申すまでもありませんが、その頃は幕末の騒がしい最中で、押込みは流行る、辻斬りは流行する。放火《つけび》は流行る。将軍家は二月に上洛、六月に帰府、十二月には再び上洛の噂がある。猿若町《さるわかまち》の三芝居も遠慮の意味で、吉例の顔見世狂言を出さない。十一月十五日、きょうは七五三の祝い日だと云うのに、江戸城の本丸から火事が出て、本丸と二の丸が焼ける。こんな始末で世間の人気《じんき》は甚だ穏かでありません。それに付けても、わたくし共の仕事は忙がしくなるばかりで、今になって考えると、よくもあんなに働けたと思う位です。
その二十三日の朝のことでした。本所|竪川《たてかわ》通り、二つ目の橋のそばに屋敷を構えている六百五十石取りの旗本、小栗昌之助の表門前に、若い女の生首《なまくび》が晒《さら》してありました。女は年ごろ二十二、三で、顔にうす痘痕《あばた》はあるが垢抜けのしたいい女。どう見ても素人らしくない人相、髪は散らしているので、どんな髷《まげ》に結っていたか判りません。その首は碁盤の上に乗せてありました」
「碁盤……。薄雲の碁盤ですか」と、わたしはすぐに訊き返した。
「そうです。例の薄雲の碁盤です」と、老人はうなずいた。「勿論それと知れたのは後のことで、そのときは何だか判らず、ただ立派な古い碁盤だと思っただけでしたが、なんにしても女の生首を碁盤に乗せて、武家の門前に晒して置くなどは未曾有《みぞう》の椿事で、世間でおどろくのも無理はありません。それに就いて又いろいろの噂が立ちました。
前にも申す通り、なにぶん血なまぐさい世の中ですから、人間の首も今ほどには珍らしく思われない。現にこの六月頃にも、浪人の首二つが両国橋の際《きわ》に晒されていた事があります。しかし女の首は珍らしい。そこで、この女も何か隠密のような役目を勤めていた為に、幕府方の者に殺されたか、攘夷組に斬られたか、二つに一つだろうという噂が一番有力でしたが、さてどこの者か一向に判りません。
迷惑したのは小栗家で、自分の屋敷の門前に据えてあったのですから、係り合いは逃《の》がれられません。橋の上にでも晒してあったのならば格別、この屋敷の前に据えてあった以上、なにかの因縁がありそうに思われても仕方がありません。小栗家でもひどく迷惑して、用人の淵辺新八という人がわたくしの所へ駈けて来て、一日も早くこの事件の正体を突き留めてくれという頼みです。用人が来たのは検視その他が済んだ後で、二十三日の夕方でした。
用人の話によると、小栗の屋敷はどこまでも係り合いで、女の首と碁盤とはひとまず其の屋敷の菩提寺、亀戸《かめいど》の慈作寺に預けることになったと云うのです。まったく関係の無いものなら、飛んだ災難です」
「むかしは武家に首はめでたいと云ったそうですが……」
「ふるい云い伝えに、元禄十四年の正月元旦、永代橋ぎわの大河内という屋敷の玄関に女の生首を置いて行った者がある。屋敷じゅうの者はみんなびっくりすると、主人はおどろかず、たとい女にせよ、歳《とし》の始めに人の首を得たと云うのは、武家の吉兆であると祝って、その首の祠《ほこら》を建てたという話があります。昔の武家はそんなことを云ったかも知れませんが、後世になってはそうはいきません。縁もない人間の首なぞを押し付けられては、ただただ迷惑に思うばかりです。わたくしもそれを察していたので、自分の縄張り内ではありませんが、なんとかしてやることになりました」
云いかけて、老人は笑った。
「こう云うと、たいそう侠気《おとこぎ》があるようですが、これをうまく片付けてやれば、屋敷からは相当の礼をくれるに決まっている。時々こういう仕事も無ければ、大勢の子分どもを抱えちゃあいられませんよ」
二
この年の冬は雨が少ないので、乾き切った江戸の町には寒い風が吹きつづけた。その寒い風に吹きさらされながら、二十四日の朝から半七は子分の松吉を連れて、亀戸の慈作寺をたずねた。小栗の屋敷の用人から頼まれて来たことを打ち明けると、寺でも疎略には扱わなかった。それは御苦労でござると早速に奥へ通して、茶菓などをすすめた。
問題の首は小さい白木の箱に納めて、本堂の仏前に置かれてあった。碁盤も共に据えてあった。但しその碁盤が名妓の遺物であるか無いか、又それが深川の柘榴伊勢屋から出たものであるか無いか、その当時の半七はまだなんにも知らなかったのである。二人は線香の煙りのなかから彼《か》のふた品を持ち出して、縁側の明るいところで一々にあらためた。
用人は飽くまでも無関係のように云っているが、そこに何かの秘密がないとは限らない。半七は住職に逢っていろいろの質問を試みた後に、いずれ又まいりますと挨拶して、門前町の霜どけ路へ出た。
「いい塩梅《あんばい》に風がちっと凪《な》ぎましたね」と、松吉は云った。
「もう午《ひる》だ。そこらで飯でも食おう」
半七は先きに立って、近所の小料理屋の二階にあがった。誂え物の来るあいだに、松吉は小声で訊いた。
「親分。どうです、見込みは……」
「まだ見当が付かねえ」と、半七は煙管《きせる》を下に置いた。「首だけでも大抵見当は付く。あの女は確かに堅気《かたぎ》の素人じゃあねえ。どこかで見たような顔だが、どうも思い出せねえ」
「いや、それですよ」と、松吉もひと膝乗り出した。「実はわっしも見たことがあるように思うんですがね。親分もそう思いますか」
二人の意見は一致したが、さてそれが何者であるかは容易に思い出せなかった。やがて女中が運んで来た膳を前にして、二人は寒さ凌ぎに一杯飲みはじめた。話の邪魔になる女中を遠ざけて、松吉はまた云い出した。
「一体この一件は、まったく小栗の屋敷に係り合いがないんでしょうか」
「用人はなんにも心当たりがないと云っている。首になっている女の顔も曾《かつ》て見たことが無いという。しかしそれが本当だかどうだか判らねえ。そこで此の一件は、まず第一に小栗の屋敷に係り合いがあるか無いかを突き留める事と、もう一つは、なぜあんな碁盤に首を乗せて置いたかと云うことを詮索しなけりゃあならねえ」
「小栗の主人は碁を打つのでしょうか」
「おれもそれを考えたが、用人の話を聞いても、住職の話を聞いても、小栗の主人は碁も将棋も嫌いで、そんな勝負をした例《ためし》は無いと云うのだ」
小栗家の主人昌之助は三十一歳で、妻のお道とのあいだに、昌太郎お梅の子供がある。昌之助の弟銀之助はことし二十二歳で、深川|籾蔵前《もみくらまえ》の大瀬喜十郎という二百石取りの旗本屋敷へ養子に貰われている。昌之助と銀之助は兄弟仲も悪くない。現に五、六日前にもたずねて来て、夕飯を食って帰ったと、用人は話した。銀之助は碁を打つらしいが、それとても道楽という程ではないとの事であった。
「こうなると、碁盤の方の手がかりはねえようだ」と、半七は云った。「もし小栗の屋敷に係り合いが無いとすれば、どこへか持って行く途中、なにかの故障で小栗の屋敷の前に置き捨てて行ったと鑑定するのほかはねえ。碁盤は重い、その上に人間の首を乗せたのじゃあ、恐らく一人で持ち運びは出来めえ。ひとりは碁盤、ひとりは首、二人がかりで運んで行くにゃあ、余ほどの仔細がなけりゃあならねえが……」
「そうですねえ」と、松吉も首をかしげた。
「なにしろ昼間から錨《いかり》を卸しちゃあいられねえ。早く出かけよう」
早々に飯を食って、二人はここを出た。風の止んだのを幸いに、亀戸の通りをぶらぶら来かかると、天神橋の袂で、二人づれの女に出逢った。女は柳橋芸者のお蝶と小三である。芸者たちは半七らをみて会釈《えしゃく》した。
「どこへ行く。天神様かえ」と、半七は笑いながら訊いた。
「あしたはお約束で出られないもんですから、繰り上げて今日ご参詣にまいりました」と、お蝶も笑いながら答えた。
半七は何か思い出したように、お蝶のそばへ摺り寄った。
「だしぬけに変なことを訊くようだが、お俊《しゅん》は相変らず達者かえ」
「あら、御存じないんですか。お俊ちゃんはこの六月に引きましたよ」
「ちっとも知らなかった。誰に引かされて、どこへ行った」
「深川の柘榴伊勢屋の旦那に引かされて、相生町《あいおいちょう》一丁目に家を持っていますよ」
「相生町一丁目……。回向院《えこういん》の近所だね」
「そうです」
「お俊は薄あばたがあったかね」
「いいえ」
お蝶は小三をかえりみると、彼女もうなずいた。
「お俊ちゃんは評判の容貌《きりょう》好しで、あばたなんかありませんわ」
「そうだな」と、半七もうなずいた。
芸者たちに別れて歩き出すと、松吉はあとを見かえりながら云った。
「だれの眼も違わねえもので、あの女たちに逢った時に、わっしもふっと思い出しました。例の女は柳橋のお俊に似ていると……。だが、今の話じゃあお俊に薄あばたはねえと云う。おなじ仲間が云うのだから間違いはありますめえ。それを聞いてがっかりしましたよ」
「むむ、おれも当てがはずれてしまった」と、半七は溜め息をついた。「あいつらの顔をみると、急にお俊を思い出して、こりゃあ占めたと思ったが、他人の空似《そらに》でやっぱりいけねえ。柳橋を引いてから疱瘡をしたと云えば云うのだが、例の女の顔はきのう今日の疱瘡の痕じゃあねえ。だが、おれ達の商売に諦めは禁物だ。どうだ、帰り道だから回向院前へ廻って、お俊の様子をよそながら見届けようぜ」
お俊は相生町一丁目に住んでいるとすれば、小栗の屋敷から三、四丁を隔てているに過ぎない。何ものかがお俊の首をそこまで運んで行くと云うことがないとは云えない。あばたがあろうが無かろうが、ともかくも一度は探索の必要があると半七は思った。松吉は気のないような顔をして、親分のあとに付いて来た。
「回向院前……。回向院前……」と、半七はひとり言のように繰り返した。
吉良《きら》の屋敷跡の松坂町を横に見て、一つ目の橋ぎわへ行き着いて、相生町一丁目のお俊の家をたずねると、それは竹本駒吉という義太夫の女師匠の隣りであると教えてくれた者があった。
「お俊だけに義太夫の師匠の隣りに住んでいるのか。それじゃあ竪川でなくって、堀川だ」と、半七は笑った。
しかも二人は笑っていられなかった。たずねるお俊の家はいつか空家《あきや》になって、かし家の札が斜めに貼られてあった。
「やあ、空店《あきだな》だ」と、松吉は眼を丸くした。
「隣りで訊いてみろ」
松吉は義太夫の師匠の格子をあけて、何か暫く話していたようであったが、やがて忙がしそうに出て来た。
「親分。お俊の家はきのう急に世帯を畳んで、どこへか引っ越してしまったそうです。知らねえ人が来て、諸道具をどしどし片付けて、近所へ挨拶もしねえで立ち去ったので、近所でも不思議に思っていると云うことです。ちっと変ですね」
「引っ越しの時に、お俊は顔を見せねえのか」と、半七は訊いた。
「だしぬけにばたばた片付けに来たので、近所隣りでもよく判らねえのですが、どうもお俊の姿は見えなかったらしいと云うことです。ここらで例の首を見た者はないかと、念のために訊いてみると、その噂を聞いて五、六人駈け着けたが、気味が悪いので誰もはっきりとは見とどけずに帰って来た。なにしろ薄あばたがあると云うのじゃあ、お俊とは違っていると云うのです」
「近所へ挨拶はしねえでも、家主《いえぬし》には断わって行ったろう。家主はどこだ」
「二丁目の角屋《すみや》という酒屋だそうですから、そこへ行って訊きましょう」
二人は更に相生町二丁目の酒屋をたずねると、帳場にいる番頭は答えた。
「お俊さんの家では二、三日前から引っ越すという話はありました。そこで、きのうの朝、知らない男の人が来て、これから引っ越すとことわって、家賃や酒の代もみんな綺麗に払って行きましたから、わたしの方でも別に詮議もしませんでした。引っ越し先は浅草の駒形《こまがた》だということでした」
「お俊は柳ばしの芸者だったと云うが……」と、半七は訊いた。「その店請人《たなうけにん》は誰ですね」
「お俊さんの旦那は深川の柘榴伊勢屋だそうで、店請はその番頭の金兵衛という人でした」
「お俊さんというのはどんな女でした」
「商売人揚がりだけに、誰にも愛嬌をふりまいて、近所の評判も悪くなかったようです。わたし共の店へ寄って、時々に話して行くこともありましたが、ひどく鼠が嫌いな人で、あの家には悪い鼠が出て困るなぞと云っていました」
お俊と鼠と、それを結び付けて考えても、差しあたりいい知恵が出そうもないので、ほかに二、三のうわさ話を聞いた後、半七らは角屋の小僧に案内させて、お俊のあき家を一応あらためたが、ここにはなんの獲物もなかった。
三
「柘榴伊勢屋の亭主は船遊びが好きで、お俊が柳橋にいる頃から、一緒に大川へ出たことがあるそうだと、角屋の番頭が何ごころなくしゃべったのは、天の与えだ」と、半七は歩きながら云った。「これから柳橋へ行って船宿《ふなやど》を調べてみよう。案外の掘出し物があるかも知れねえ」
「だが、親分。例の首はお俊じゃあ無さそうですぜ。誰に聞いても、お俊にあばたはねえと云いますから」
「そりゃあそうだが、まあ、もう少しおれに附き合ってくれ」
無理に松吉を引き摺って、半七は更に柳橋の船宿をたずねた。
ここらの船宿は大抵知っているので、その一軒について聞き合わせると、柘榴伊勢屋が馴染の船宿は三州屋であるとすぐに判った。三州屋の店の前には、長半纏を着た若い船頭が犬にからかっていた。
「おい、よしねえよ」と、半七は笑いながら声をかけた。「いい若けえ者が酒屋の御用じゃああるめえし、犬っころを相手に日向《ひなた》ぼっこは面白くねえぜ」
半七の顔をみて、徳次という船頭は笑いながら挨拶した。
「いいお天気だが寒うござんす。まあ、親分。お上がんなさい」
「いや、上がるまでもねえ。ちょいと店さきで訊きてえことがある」と、半七は店に腰をかけた。「おかみさんは留守かえ」
「ええ、ちょっと出まして」
徳次は女中に指図して、火鉢や茶を運ばせた。托鉢僧が来かかって、ここの店さきで鉦《かね》をたたいて去るあいだ、半七らは黙って茶を飲んでいた。隣りの二階では昼間から端唄の声がきこえた。
「そこで早速だが、六間堀の伊勢屋はこの頃も出かけて来るかえ」と、半七は訊いた。
「お俊さんと時々に見えます。このあいだも、枯野見《かれのみ》だと云って上手《うわて》までお供をしましたが、いやどうも寒いことで……。枯野見なんて云うのは、今どき流行りませんね。雪見だって、だんだんに少なくなりましたよ」と、徳次は笑った。
「通人《つうじん》が少なくなったのだろう」と、半七も笑った。「おめえなら知っているだろうが、伊勢屋に贔屓《ひいき》の相撲があるかえ」
「ありますよ。万力《まんりき》甚五郎で……」
「万力甚五郎……。二段目だな。たいそう力があるそうだが……」
「力がありますね。まったくの万力で……。近いうちに幕へはいるでしょう」と、徳次は自分の贔屓相撲のように褒め立てた。「伊勢屋の旦那は万力にたいへん力を入れて、本場所は勿論ですが、深川で花相撲のある時なんぞも、毎日見物に出かけて大騒ぎ。万力もいい旦那を持って仕合わせだと、みんなに羨まれていますよ」
「伊勢屋のほかに抱え屋敷はねえのか」
「十万石の抱え屋敷があったのですが、可哀そうにお出入りを止められてしまって、今じゃあ伊勢屋が第一の旦那場です。万力が抱え屋敷をしくじったのも、まあ伊勢屋の為ですから、伊勢屋も猶さら万力の世話をしてやらなけりゃあならない義理もあると云うわけで……」
ことしの三月、伊勢屋の亭主由兵衛は万力を連れて三州屋へ来たが、花見どきではあり、天気はいいので、大抵の芸者はみな出払って、お馴染のお俊も家にいなかった。しかし前からの約束でもないので、由兵衛はそれをかれこれ云うほどの野暮《やぼ》でもなかった。ほかの芸者二人と万力とを連れて、屋根船を徳次に漕がせて大川をのぼった。向島から堤《どて》へあがって、今が花盛りの桜を一日見物して、日の暮れる頃に漕ぎ戻って来ると、あいにくに桟橋のきわには二、三艘の船が落ち合って、伊勢屋の船を着けることが出来ない。船頭同士が声を掛け合って、伊勢屋の一行は前の船の舳《とも》を渡って行くことになった。
由兵衛と芸者ふたりは挨拶して先きに渡ったが、最後に出た万力甚五郎は、船のなかを横眼で視ただけで、なんの挨拶もせずに渡り過ぎようとした。その船には二人の侍と一人の芸者が乗っていたが、花見帰りであるから皆酔っていたらしく、侍のひとりは声をかけて、挨拶をして行けと云った。それでも万力は知らぬ顔をして行き過ぎて、今や桟橋へと足を踏みかけた途端に、ひとりの侍は衝《つ》と寄ってきて、万力の腰の刀を鞘ぐるみ引き抜いた。そうして、自分の船の船頭にむかって、早く出せと呶鳴った。
呶鳴られて船頭は棹《さお》をとった。混み合っている中であるから、思うように棹を張ることは出来なかったが、それでも一間ほどは横に開いたので、桟橋に取り残された万力はあっと驚いた。腰の物を取られたからである。
武士は勿論、力士が腰の物を取られるのも、決して名誉のことではなかったが、更に万力をおどろかしたのは、その刀は十万石の抱え屋敷から拝領の品であった。それを失っては、屋敷へ出入りすることが出来なくなる。それを思うと、万力は顔の色を変えてうろたえた。あっと云っても、もう及ばない。相手の船は一間あまりも開いてしまったので、大兵肥満の彼は身を跳らせて飛び込むことは出来ない。彼は実に途方に暮れた。
その騒ぎに由兵衛も後戻りをして来たが、これもどうすることも出来ない。こうなったら謝《あやま》るのほかはないので、由兵衛は早くあやまれと万力に注意して、自分も口を添えて詫びた。万力も幾たびか頭を下げて平謝りにあやまった。こっちの弱味に付け込んで、相手はこの刀を大川に投げ込むぞとおどした。投げ込まれては大変であるから、万力は殆ど泣かぬばかりに弱り切って、結局は桟橋に両手をついて謝った。
仮りにも天下の力士たるものに、両手をついて謝らせて、相手も胸が晴れたであろう。刀は船頭の手から無事に戻された。由兵衛はその船頭に相当の祝儀をやって別れた。
「まあ、そう云うわけで……」と、徳次は話しつづけた。「わたしも傍《そば》に見ていたのですが、相手がお武家だからどうすることも出来ません。相撲取りの腰に差しているのだから、おおかた屋敷の拝領物だろうと見当を付けて、手っ取り早く引ったくってしまうなんて、なかなか喧嘩馴れているのだから敵《かな》いません」
「だが、万力という奴も愛嬌がねえ。なぜ最初に挨拶をしなかったのだ。それじゃあ怒られても仕方があるめえ」と、松吉が喙《くち》を容れた。
「それがねえ。松さん」と、徳次は更に説明した。「万力も礼儀も知らねえ男じゃあねえのだが、ちょいと面白くねえ事があって……。と云うのは、伊勢屋の旦那のお馴染のお俊がその客の船に乗り合わせていたので……。そりゃあ芸者稼業をしている以上は、どんな客と一緒に乗っていようと、別に不思議はねえ理窟ですが、万力にしてみると、自分の旦那のなじみの女がほかの客の船に乗っている。それがなんだか癪にさわったので……。勿論、癪にさわる方が悪いのだが、根が正直で一本気の男だから、つい癪にさわって無愛想になったようなわけで、当人だって真逆《まさか》にこんな事になろうとは思わなかったのでしょう。なにしろ相手の素早いには驚きましたよ」
「小ッ旗本の道楽者にゃあ摺れっからしが多いから、うっかり油断は出来ねえ」と、半七は笑った。「それでも、まあ無事に済んでよかった」
「ところが、無事に済まねえんで……」と、徳次は顔をしかめた。「そこはまあ、それで納まったのですが、その一件がいつか屋敷の耳にはいって、天下の力士が拝領の刀を取られて、桟橋に両手をついて謝ったなぞとは、抱え屋敷の面目にかかわると云うので、万力はとうとう出入りを止められてしまいました。そうなると伊勢屋の旦那も、自分が花見に連れ出してこんなことが出来《しゅったい》したというので、今までよりも余計に万力の世話をしてやるようになったのです。伊勢屋は旧い店で、身上《しんしょう》もなかなかいいそうですから、その後楯《うしろだて》が付いていりゃあ万力も困ることは無いでしょうが、抱え屋敷をしくじっちゃあ仲間に対して幅が利かねえ。それを思うと、一概に羨ましいとばかりも云われません。当人は肚《はら》で泣いているかも知れませんよ」
「そうだろうな」と、半七も溜め息をついた。「そうして、その相手の二人侍《ににんざむれえ》は、何者だか判らねえのか」
「ひとりは本所の御旅所《おたびしょ》の近所に屋敷を持っている平井善九郎というお旗本ですが、連れの一人は判りません。刀を引ったくったのは平井さんでなく、連れのお武家の方でしたが、年頃は二十一、二で小粋な人柄でした。まあ、次三男の道楽者でしょうね」
「お俊はその平井という侍とも馴染なのか」
「別に深い馴染というでもありませんが、まんざら知らないお客でも無いそうです。なにしろ、そんな船に乗り合わせていたお俊も災難で、本人のした事じゃあありませんが、自然に伊勢屋の旦那の御機嫌を損じるような破目《はめ》になって、その当座はちっと縺《もつ》れたようでしたが、芸者をさせて置けばこそこんな事にもなるのだと云うので、この六月、急にお俊を引かせる話になりました。お俊としてみれば、災難が却って仕合わせになったかも知れません。今じゃあ川向うの一つ目に囲われて気楽に暮らしているようです」
「お俊に薄あばたは無かったかね」
「あの人は土地でも容貌《きりょう》好しの方で、あばたなんぞはありませんよ」と、徳次は打ち消すように答えた。
松吉はふたたび失望したように半七の顔を見た。
四
「親分、どうしますね」と、三州屋を出ると松吉は訊いた。きょうももう八ツ(午後二時)過ぎで、寒い風が又吹き出して来た。
「強情なようだが、おれはまだ思い切れねえ」と、半七は考えながら云った。「殺されたのはお俊で、殺したのは万力だ」
「碁盤はお俊の家《うち》にあったのでしょうか」
「まあ、そうだろうね。伊勢屋は旧い質屋だから、流れ物か何かで、好い品を持っていて、それをお俊の家へ持ち込んでいたのだろう。寒いのに御苦労だが、これから六間堀へ行って、伊勢屋の様子を探って来てくれ」
「ようがす」
橋の上で松吉に別れて、半七はひとまず神田の家へ帰った。いつの世でも探索に従事する者は皆そうであるが、情況証拠と物的証拠のほかに自分の判断力を働かせなければならない。茶の間の長火鉢の前に坐って、半七はきょうの獲物を胸のうちに列べてみた。あばたの有無などに拘泥《こうでい》するのは素人である。加害者は万力、被害者はお俊、この推定はどうしても動かないと彼は思った。
木枯しは夜通し吹きつづけて、明くる朝は下町《したまち》も一面に凍っていた。その五ツ(午前八時)頃に松吉は寒そうな顔をみせた。
「なるほど親分の眼は高けえ。やっぱりお俊らしゅうござんすよ。なにしろ、あの碁盤は伊勢屋から出たものに相違ありません。近所の同商売の者に訊いてみると、柘榴伊勢屋には先代から薄雲の碁盤という物があるそうです。その碁盤には、猫の魂が宿っていて、それを置くと鼠が出ないと云うので……」
「そうか。判った」と、半七はうなずいた。「酒屋の番頭の話じゃあ、お俊は鼠が大嫌いで、あの貸家に鼠が出て困ると云っていたそうだ。その鼠よけのまじないに、伊勢屋から薄雲の碁盤を持ち込んだのだろう。そこで、伊勢屋の主人と云うのはどういう奴だ」
「伊勢屋の由兵衛は四十ぐらいで、女房のおかめは三十五、夫婦のあいだに子供はありません。あんまり万力を可愛がっているので、今に万力を養子にするのじゃあねえかと、近所じゃあ云っていますが、真逆《まさか》にそうもなりますめえ。万力は二十一で、男も好し、力もあり、人間も正直でおとなしいから、今に出世をするだろうと、世間じゃあ専ら噂をしています。その万力がどうして旦那の妾を殺したのでしょうかね」
「それに就いて、ゆうべもいろいろ考えたのだが、この一件は、小栗の屋敷の次男坊に係り合いがあるらしい」と、半七は自信があるように微笑《ほほえ》んだ。「小栗の次男は銀之助、ことし二十二で、深川籾蔵前の大瀬喜十郎という旗本屋敷へ養子に行っていると云う。これが平井という旗本の遊び友達で、例の花見の一件のときに、万力の刀をひったくったのは其の仕業《しわざ》だろうと思う。これが多分お俊に係り合いがあって、万力は旦那への忠義と、自分の遺恨とで、お俊の首を碁盤に乗せて、わざと本家の小栗の屋敷の前にさらして置いたのだろう」
「そんなら銀之助も一緒に殺《ば》らしそうなものですがね」
「殺《ば》らすつもりであったのを仕損じたのか、何かほかに仔細があったのか、どっちにしても万力の仕業に相違あるめえ。しかし相手は天下の力士だ。確かな証拠を挙げた上でなけりゃあ、むやみに御用の声は掛けられねえ。おめえはもう一つ働いて、銀之助の方を調べてくれ。万力の脇差を取ったのは確かに銀之助か、又その銀之助がお俊の家へ出這入りしていたかどうだか、それをよく洗い上げるのだ」
「わかりました。じゃあすぐに行って来ます」
松吉は受け合って出て行った。ひと足おくれて半七も家を出て、本所の小栗の屋敷に用人の淵辺新八をたずねた。そうして、大瀬の屋敷へ養子に行っている銀之助の行状をふたたび詮議すると、相手が主人の弟であるから、用人も最初は何かと取りつくろっていたが、半七が相当にくわしい事を探っているらしい口振りにおどされて、迷惑そうにだんだん打ち明けた。それによると、銀之助はかなりの放蕩者で、養家の両親と折り合わず、あるいは不縁になりはしまいかと内々心配しているとの事であった。但しお俊という女と関係があるか無いか、そんなことは一切知らないと用人は云った。
「深川のお屋敷へは、いつから御養子にお出でになったのです」と、半七は訊いた。
「去年の秋からです」と、用人は答えた。「まあ、一年は客分のような形で、それから表向きの披露をすることになっていました。そこで無事に行けば、この十月にはいよいよ披露をする筈だったのですが、どうも養子親との折り合いが好くないので、まだ其の儘になっているような次第で……。したがって亦、世間では大瀬の屋敷へ行ったことを知らないで、いまだにこの屋敷にいるものと思っている人もあるそうです」
万力もその一人かも知れないと、半七は思った。しかし迂闊なことを云い出して、ここで用人らを騒がせるのは好くないので、半七はなんにも云わずに帰った。
その帰り道に、半七はふと思い付いて、相生町一丁目の竹本駒吉をたずねた。お俊の家のとなりである。格子をあけると、二十五、六の女師匠が出て来た。相手は女であるから、いっそ正直に調べた方が面倒でないと思って、半七は御用で来たことを云い聞かせると、駒吉は丁寧に内へ招じ入れた。
「お稽古の邪魔じゃあねえか」
「いいえ、誰も来ていやあしません」と、駒吉は急いで茶をいれる支度にかかった。
「もう構わねえがいい。遊びに来たのじゃあねえ」と、半七は直ぐに用談に取りかかった。「実は隣りのお俊の一件だが、あの女の旦那は深川の柘榴伊勢屋だね」
「そうです」
「伊勢屋は始終来るのかえ」
「ちょいちょい見えるようでした」
「旦那のほかに誰か来やあしねえか。若い男でも……」
駒吉はすこし躊躇したが、半七の前で隠すことも出来ないらしく、正直に話した。
「ええ、時々に若い男の人が……。お武家さんのようでした」
「泊まって行くような事もあったかえ」
「泊まることは無かったようですが、いつも一人で来て、四ツ過ぎまで遊んでいたようです。女中の話では、なんでも深川の方の人だと云うことでした」
「女中はなんと云うのだね」
「女中はお直さんと云って、十七、八のおとなしい人でした。家《うち》はやっぱり深川で、大島|町《ちょう》だとか云っていました」
「きのう引っ越しをする時に、お直もいたかえ」
「お直さんは見えなかったようです。あとで聞くと、もう前の日あたりに暇を取って、出て行ってしまったらしいと云うことでした」
「そうすると、おとといの晩はお俊ひとりで寝ていたわけだね」
「そうかも知れません。日の暮れる頃にどこへか出て行って、夜の更けた頃に帰って来たようです。わたくしはもう寝ていましたから、よくは存じませんが、格子をあける音がしましたから、その時に帰って来たのだろうと思っていました」
「格子をあけて帰って来て、また出て行ったような様子はなかったかね」
「さあ」と、駒吉はかんがえていた。「今も申す通り、わたくしはもう寝ていましたので、半分は夢うつつで、帰って来たらしい様子は知っていましたが、また出て行ったかどうだか、そこまでは覚えて居りません」
時々に遊びに来るという若い武家について、半七は更に詮議をはじめた。
「その武家というのはお俊の情人《いろ》だろうね」
「そうかも知れません」と、駒吉は笑っていた。「見たところ、粋な道楽肌の人でしたから……」
「相撲取りで出這入りをする者はなかったかね」
「伊勢屋の旦那がたいそう御贔屓だそうで、万力というお相撲さんが来ることがありました」
「万力はひとりで来る事もあったかえ」
「ひとりで来たことは無いようです。大抵は旦那と一緒のようでした」
「いや、有難う。判らねえことがあったら、また訊きに来るとして、きょうはこれで帰るとしよう。御用とは云いながら、稽古所へ来て邪魔をして済まなかった。こりゃあ少しだが、白粉でも買ってくんねえ」
辞退する駒吉に幾らかの白粉代を渡して、半七はここを出た。相変らずの寒い風に吹かれながら回向院前へ来かかると、半七は呼び出しの三太に逢った。
云うまでなく、この当時の大相撲すなわち勧進相撲は春場所と冬場所の二回で、冬場所は十月の末頃から十一月にかけて晴天十日の興行と決まっていた。その冬場所が終った後で、呼び出しの三太は江戸に遊んでいるらしかった。彼は半七を見て挨拶した。
「親分、お寒うございます」
「冬場所はたいそう景気が好かったそうだね」
「世間がそうぞうしいのでどうだかと案じていましたが、お蔭でまあ繁昌でした」
「いいところでおめえに逢った。少し訊きてえことがある」
回向院の境内へ三太を連れ込んで、半七は万力甚五郎の詮議をはじめた。
五
日の暮れる頃に松吉は帰って来たが、その報告は小栗の用人の話に符合していた。大瀬の屋敷の養子銀之助は、その当時の旗本の次三男にあり勝ちの放蕩者で、近所の評判もよくない。平井善九郎そのほか五、六人の遊び友達と連れ立って諸方を押し廻している。万力の刀を取り上げたのも銀之助の仕業で、天下の力士に両手をついて謝らせたと、彼は自慢そうに吹聴《ふいちょう》していた。
その一件の当時、その船に乗り合わせていたのは確かにお俊であったが、彼女が伊勢屋に引かされた後、銀之助がその妾宅へ出入りしていたかどうかはよく判らないと云うのであった。
しかも以上の探索で半七の肚は決まったので、その翌朝、八丁堀同心熊谷八十八の屋敷に行って、委細の事情を申し立てた。その許可を得て、彼は直ぐに深川の北六間堀へ出向いて、柘榴伊勢屋の主人由兵衛を番屋へ呼び出した。
それと同時に、本所回向院門前に住む二段目相撲万力甚五郎の宅をあらためると、家財をそのままにして、万力は駈け落ちしたと云うのである。その台所の床下から首のない女の死骸があらわれた。
「先ずこんなわけで、これだけお話をすれば、もう大抵お判りでしょう」と半七老人は云った。「女の生首を碁盤に乗せて、武家屋敷の門前にさらして置く。……事件は頗る珍らしいのですが、その事情は案外に単純で、別に講釈をする程のことはありません」
「それでも私たちには判らない事がいろいろあります」と、わたしはまだ手帳をひろげていた。「そこで、伊勢屋の主人を調べたら、どんなことを申し立てたんです」
「さすがは大家《たいけ》の主人だけに、何もかも正直にはきはきと答えました。万力は抱え屋敷に申し訳ないと云って、腹を切ろうとまで覚悟したのを、由兵衛がいろいろになだめて、まあ無事に済ませたのだそうです。それからお俊を引いて本所に世帯を持たせ、いわゆる囲い者にして、由兵衛が世話をしていました。前にも申す通り、お俊は鼠が大嫌い、その本所の家に鼠が出て困るというので、例の碁盤を持ち込んだのですが、由兵衛の話では不思議に鼠が出なくなったと云うことです。
それで小半年は何事もなかったのですが、十一月頃になって、お俊は頻りに何処へか引っ越したいと云う。そこで、浅草の駒形《こまがた》の方に借家をさがして、十一月二十三日には引っ越す筈になったので、例の碁盤はいったん伊勢屋へ返すことになりました。その前日の二十二日の朝、万力が伊勢屋へ来た時にその話を聞いて、それじゃあ私が取って来ましょうと云って気軽に出て行きました。
万力はそれぎり帰って来なかったが、明くる二十三日は引っ越しの当日なので、伊勢屋から手伝いの人を出してやると、一つ目の橋のきわに万力が待っていて、お俊さんはもう駒形へ行っているから、構わずに道具を搬《はこ》び出してくれと云って、自分はどこへか立ち去ってしまいました。なんにも知らない手伝いの連中は家主の酒屋にことわって、お俊の家財をどしどし積み出して、駒形の引っ越しさきへ送り込むと、ここにもお俊は来ていない。まるで狐に化かされたような始末です。
午《ひる》過ぎになってもお俊の姿は見えないので、手伝いの連中も待ちくたびれて、深川の伊勢屋へ知らせに行きました。それは二十三日の七ツ(午後四時)近い頃で、もう其の頃には小栗の屋敷の噂が深川へも響いていました。そこで、由兵衛ははっと思ったが、もう遅い。万力はやはり姿を見せないので、何が何やら判らない。迂闊に立ち騒いでは外聞にも拘わるので、ひそかに胸を痛めながら由兵衛はぼんやりと二、三日を暮らしていた。そのほかの事はなんにも知らないと云うのです。
こう云うと、ひどく手鈍《てぬる》いようですが、相当の大家では世間の外聞というものを気にかけます。殊にそれが妾の一件だなぞと云うと、猶さら世間体を気遣うので、伊勢屋の主人もどうしていいか途方に暮れて、まあ黙って成り行きを窺っていたのでしょう。こうなると、主人の由兵衛に科《とが》はないわけで、ひとまず自分の家《うち》へ下げてやりました」
「下手人はやはり万力ですね」
「万力は野州鹿沼在の者で、それから江戸を立ちのいて、故郷の叔父や兄に暇乞いをした上で、蓮行寺という菩提寺に参詣し、家代々の墓の前で切腹しました。人殺しの罪は逃《の》がれられないとは云いながら、年は若し、出世の見込みのある相撲を、こんなことで殺すのは可哀そうでした。
万力の叔父の甚右衛門は本人の遺言だと云うので、その書置を持って江戸へ出て、深川の伊勢屋へたずねて来ました。万力が甚右衛門に打ち明けたところによると、二十二日に本所の家へ碁盤を受け取りにゆくと、お俊はもう引っ越しの荷作りをしていたが、女中のお直の姿は見えない。お直さんはどうしたと訊くと、もう暇を出したと云う。お直さんがいては邪魔になるからだろうと、万力は皮肉らしく云うと、お俊はなんにも返事をしなかったそうです。その場は無事に碁盤を受け取って帰ったのですが、それから自分の家へいったん帰って、その碁盤を床の間に置いて、暫くじっと眺めているうちに、急にむらむらと殺気を生じて、お俊の首を碁盤の上へ乗せて見たくなったそうです」
「碁盤の猫が崇ったんですかね」
「崇ったのかどうか知りませんが、急に殺す気になったのだそうです。勿論、万力がお俊を狙っていたのはきょうに始まったことではないのです」と、老人は説明した。「お俊が旦那の眼を偸《ぬす》んで、小栗の次男銀之助を引き摺り込んでいることを、近所に住んでいるだけに万力はもう知っていました。お俊が駒形へ引っ越すと云い出したのも、万力に睨まれているのがうるさいからでした。万力は正直者ですから、お俊が旦那の眼を掠めて不埒を働いているのを、怪《け》しからぬ奴だと睨んでいました。殊にその不埒の相手が小栗の銀之助で、こいつの為に抱え屋敷をしくじっているのですから、万力に取っては仇《かたき》も同様、いよいよ我慢が出来ないのは無理もありません。
そこで、旦那の由兵衛にむかって、万力は内々注意したのですが、あくまでもお俊に迷っている由兵衛は取り合わない。そればかりでなく、この頃は万力を少しくうとんじるような気色《けしき》も見える。それも恐らくお俊の讒言《ざんげん》に相違ないと、万力はますますお俊を憎むようになりました。
もう一つ、由兵衛は子供のないのを云い立てに、女房のおかめを里へ戻して、お俊を深川の本宅へ引き入れるような噂がある。そんなことになれば、女房の里方《さとかた》の不承知は勿論、親類たちからも故障が出て、伊勢屋の店にお家騒動が起こるのは見え透いている。忠義の万力としては、これも我慢の出来ないことです。それやこれやを考えると、万力はどうしてもお俊をそのままにして置くことは出来ないと、ひそかに覚悟を決めていました。
どうせお俊を殺すならば、かたきの銀之助も一緒に殺したいと思って、万力はその出入りを窺っていたのですが、あいにくいい機会がない。そんな屈托《くったく》があるためか、この冬場所の万力は白星四つ、黒星六つという負け越しで、大いに器量を下げました。そんなことで気を腐らしているところへ、お俊の引っ越し一件が出来《しゅったい》したので……。駒形へ引っ越すのは、自分の近所を離れて、自由に銀之助を引き入れる料簡だろう。お直に暇を出したのも、伊勢屋の方から廻して来た女中では、なにかに付けて気が置ける為だろう。そう思うと、万力はますます腹が立ちました。
その矢さきに例の碁盤を見て、万力は急に殺気を帯びて……。猫のたましいが乗り移ったと云うわけでも無いでしょうが、もう銀之助などはどうでもいい、今夜のうちにお俊を殺してしまおうと断然決心して、日の暮れる頃から相生町一丁目へ出かけて、お俊の家《うち》のあたりを徘徊していると、どこへ行くつもりかお俊は頭巾をかぶって出て来ました。これ幸いと声をかけて、旦那は深川の平清《ひらせい》に来ているので、私がおまえさんを迎いに来たと云う。お俊も万力に対しては内々用心していたのでしょうが、そこが運の尽きと云うのでしょう。うっかり瞞《だま》されて一つ目の橋の上まで来ると、人通りのないのを見すまして、万力は不意にお俊の喉を絞めました。相撲の力で絞められちゃあ堪まりません。お俊は半死半生でぐったりとなったのを、万力は背中に負って、回向院前の自宅へ帰りました。
万力は男世帯で、家には黒松という取的《とりてき》がいるだけです。その黒松に手伝わせてお俊の首を斬り落とし、死骸は床下に埋めました。これで先ずお俊は片付けてしまいましたが、もしや銀之助が泊まりにでも来ているかと、万力は夜更けにお俊の家へ忍び込みましたが、誰もいないので空しく引っ返しました。隣りの駒吉が格子の音を聞いたのは此の時でしょう。それからお俊の切り首を風呂敷につつんで万力が引っかかえ、碁盤を黒松に持たせて、ふたたび自分の家を忍んで出ました。
最初は銀之助の屋敷の前へ置いて来るつもりで、深川の籾蔵前まで行ったのですが、その屋敷はたった一度見ただけで、しかも闇の晩なので、同じような屋敷が幾軒も列んでいると、どれが大瀬の屋敷だか判らなくなってしまいました。迂闊に門《かど》違いをしては、他人の迷惑になると思ったので、万力は又引っ返して本所へ行って、小栗の屋敷の前に置いて来たという訳で……。まあ、次男の恨みを本家に報いた形です。悪い弟を持った為に、本家は飛んだ迷惑、思えば気の毒でした」
「そうすると、黒松という弟子も共犯ですね」
「師匠の指図で忌《いや》とも云えなかったのでしょう。万力は幾らかの金を持たせて、夜の明けないうちに黒松を逃がしてやりました。黒松の故郷は遠州掛川在ですから、念のために問い合わせましたが、そこにも姿を見せない。多分|上方《かみがた》へでも行ったのだろうと云うことで、とうとうゆくえ知れずになってしまいました。黒松なんぞは名も知れない取的ですから、別に問題にもなりませんが、万力は二段目の売出しですから、この噂が伝わると世間では驚きました。
銀之助に対する恨みがまじっているとは云いながら、万力がお俊を殺したのは我が身の慾でもなく、色恋でもなく、旦那に対する忠義の心から出たことですから、自然に世間の同情も集まるというわけでした。この前年、即ち文久二年の四月にも相撲の人殺しがありました。これは不動山と殿《しんがり》の二人が同じ力士の小柳平助を斬り殺して自首した一件で、その噂の消えないうちに、又もや万力の事件が出来《しゅったい》したので、いよいよその噂が高くなったのでした」
「そこで、問題のあばたはどういうことになりました」
「前にも申す通り、わたくし共の商売には感が働きます」と、老人は笑った。「そのなかには飛んだ感違いもあるのですが、このときは巧く働きました。あばたが無かろうが有ろうが、女はどうしてもお俊らしいと、わたくしは最初から睨んでいましたが、やっぱりそうでした。お俊には薄あばたがあったのですが、それを白粉で上手に塗り隠していたのです。あとで聞くと、お俊は身嗜《みだしな》みのいい女で、朝は暗いうちにお化粧を済ませて、自分の素顔を人に見せたことが無かったと云いますから、そのあばたを隠すためには本人もよほど苦心していたと見えます。
殺された晩にも、勿論お化粧をしていたのでしょうが、万力が顔の血でも洗った為に、初めて生地《きじ》があらわれたのでは無いかと察せられます。折角隠していたあばたの顔を、死んだ後に晒されては、お俊も残念であったかも知れません。お家騒動を起こすつもりであったかどうだか、万力の片口ばかりでは判りません。しかしその位のことは仕兼ねない女だという評判もありました」
最後に残ったのは、例の碁盤の一条である。それに就いて半七老人は斯う語った。
「碁盤は伊勢屋へ戻されましたが、いくら薄雲の由来付きでも、もうこうなってはどうにもなりません。伊勢屋ではそれを菩提寺へ送って、大勢の坊さんにお経を読ませて、寺の庭で焼き捨ててしまったそうです。その煙りの中から女の首をくわえた猫があらわれたなぞと、本当らしく吹聴する者もありましたが、これはヨタに決まっています。
銀之助は、その歳の暮に本家へ帰りました。そうしてぶらぶらしているうちに、慶応四年の上野の戦争、下谷の辺で死にました。と云っても、彰義隊に加わったわけじゃあない。町人の風をして、手拭をかぶって、戦争見物に出かけると、流れ玉にあたって路傍《みちばた》で往生、いかにもこの男らしい最期でした」
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二人女房《ににんにょうぼう》
一
四月なかばの土曜日の宵である。
「どうです。あしたのお天気は……」と、半七老人は訊《き》いた。
「ちっと曇っているようです」と、わたしは答えた。
「花どきはどうも困ります」と、老人は眉をよせた。「それでもあなた方はお花見にお出かけでしょう」
「降りさえしなければ出かけようかと思っています」
「どちらへ……」
「小金井です」
「はあ、小金井……。汽車はずいぶん込むそうですね」
「殊にあしたは日曜ですから、思いやられます」
「それでも当節は汽車の便利があるから、楽に日帰りが出来ます。むかしは新宿から淀橋、中野、高円寺、馬橋、荻窪、遅野井、ぼくや横町、石橋、吉祥寺、関前……これが江戸から小金井へゆく近道ということになっていましたが、歩いてみるとなかなか遠い。ここで一日ゆっくりお花見をすると、どうしても一泊しなければならない。小金井橋のあたりに二、三軒の料理屋があって、それが旅籠《はたご》を兼業ですから、大抵はそこに泊めてもらうことになるのですが、料理屋といっても田舎茶屋で、江戸から行った者にはずいぶん難儀でした」
「あなたもお出でになった事があるんですね」
「ありますよ」と、老人は笑った。「小金井の桜のいいことは、かねて聞いていましたが、今も申す通り、なにぶん道中が長いので、つい出おくれていましたが、忘れもしない嘉永二年、浅草の源空寺で幡随院長兵衛の二百回忌の法事があった年でした。長兵衛の法事は四月の十三日でしたが、この三月の十九日に子分の幸次郎と善八をつれて、初めて小金井へ遠出《とおで》を試みたと云う訳です。武家ならば陣笠でもかぶって、馬上の遠乗りというところですが、われわれ町人はそうは行かない。脚絆《きゃはん》をはいて、草履を穿《は》いて、こんにちでいう遠足のこしらえで、三人は早朝から山の手へのぼって、新宿、淀橋、中野と道順をおって徒《かち》あるきです。旧暦の三月ですから、日中は少し暖か過ぎる位でした。今から思うと、むかしの人間は万事が悠長だったのですね。途中の茶店などに幾たびか休んで、のん気に又ぶらぶら歩いて行く。それを保養と心得ていたのですよ。はははははは」
「しかしそれが本当の保養でしょう。今日のように、汽車に乗るにも気違いのような騒ぎじゃあ、遊びに行くのか、苦しみに行くのか判りません。どう考えても、ほんとうの花見は昔のことでしょうね。そこで、その時には別に変ったお話もありませんでしたか」
「ありましたよ」と、老人は又笑った。「犬もあるけば棒にあたると云いますが、わたくし共が出あるくと不思議に何かにぶつかるのですね。その時も小金井までは道中無事、小金井橋の近所で午飯《ひるめし》を食ってそこらの花をゆっくり見物して、ここでお泊まりにしてしまえば、まあ無事だったわけですが、どうせ泊まるなら府中の宿《しゅく》まで伸《の》そうと云うことになって、いずれも足の達者な奴らが揃っているので、畑のあいだの道を縫って甲州街道へ出て、小金井からおよそ一里半、府中の宿へ行き着いて、宿の中ほどの柏屋という宿屋にはいりましたが、まだ日が高いので、六所《ろくしょ》明神へ参詣ということになりました。闇祭りで有名の六所明神、ここへ来た以上は、一度参詣をしなければならないというわけです。あなたはお参りをなすった事がありますか」
「いいえ、小金井には学校時代に一度遠足に行った事があるだけで、府中は知りません」
「それでは少し説明をして置かなければならない。と云うのは、社《やしろ》の入口から随身門までおよそ一丁半、路の左右は松と杉の森で、四抱えも五抱えもあるような大木が天を凌《しの》いで生い茂っています。その森の梢にはたくさんの鷺《さぎ》や鵜《う》が棲んでいるが、寒《かん》三十日のあいだは皆んな何処へか立ち去って、寒が明けると又帰って来る。それが年々一日も違わないので、ここでは七不思議の一つと云われています。そこで、その鷺や鵜は品川の海や多摩川のあたりまで飛んで行って、いろいろの魚《さかな》をくわえて来るが、時にはあやまって其の魚を木の上から落とすことがある。土地の女子供はそれを見つけて拾って来る。ここらは海の遠い所ですが、鳥のおかげで、案外に海魚《うみうお》の新らしいのを拾うことが出来ると云うのは、何が仕合わせになるか判りません。早く云えば天から魚が降って来るようなわけで……」
「おもしろい話ですね。今でもそうでしょうか」
「さあ、今はどうだか知りませんが、昔はそうでした。現にわたくしも見たのだから嘘じゃありません」と、老人はつづけて笑った。「その時にも魚が降って来ましたよ。わたくしと幸次郎と善八、この三人が宿屋を出て、六所明神の社をさして行きかかると、今も申す通り、随身門までは右も左も松杉の大きい森、その森を横に見ながら辿《たど》って行くと、幸次郎がだしぬけにあっと云う。何かと思ってその指さす方角を見ると、一羽の大きい白鷺が大空から舞いさがって、森のこずえに降りようとする途端に、どうしたはずみか、銜《くわ》えている黒い魚を振り落としたので、魚は天から降って来たという形。……すると、そこらに遊んでいた二人の子供がわっと云って駈けて行く。ひとりは赤ん坊を負っている十四、五の女の児、ひとりは十一、二の男の児で、どっちも慌ててその魚を拾おうとする。こうなっちゃあ鷺も降りて来ることは出来ない。人間同士の取りっこです。
年上だけに女の児が素早く拾ったのを、男の児がまた取ろうとする。女の児はやるまいとする。両方が泣き顔になって一生懸命です。しょせんは子供同士の獲物《えもの》争い、笑って見て通ればそれ迄ですが、ただ見過ごせないのが私の性分で、怪我でもするといけないから留めてやれと幸次郎に云いますと、幸次郎は駈けて行って二人を引き分けました。いくら相手が子供でも、留男《とめおとこ》に出た以上は唯は済みません。女の児が先に拾ったのだから、魚は女の児にやらなけりゃいけない。その代りにお前にはこれをやると云って、幸次郎が三文か四文の銭《ぜに》を渡すと、男の児は大よろこびで承知しました。
しかし、この子供たちはふだんから仲が悪いのか、それとも魚を取られたのが口惜《くや》しいのか、男の児は相手の女の児を指さして、こいつの家《うち》へはお化けが出るんだよ。やあお化けだ、お化けだと呶鳴りながら、一目散に逃げて行きました。すると、こっちの女の児は手に掴んでいる魚を抛《ほう》り出して、わあっと泣き出しました。何が何だか判らないが、いつまでも子供を相手にしてもいられないので、三人はそのまま其処を立ち去って、随身門をはいって御社《おやしろ》に参詣、もとの宿屋へ帰って来ました。
唯これだけならば別にお話の種にもならないのですが、その晩は宿屋も閑《ひま》だったと見えて、女中ふたりが座敷へ来て酒の酌をする。そのときに例の魚の降って来た話が出ると、女中はその女の児を知っていました。男の児は誰だか判らないが、女の児はお三ちゃんに違いないと云うのです。お三の父親の友蔵は、四年ほど前までは布田《ふだ》の宿《しゅく》で多摩川の漁師をしていました。布田は府中よりも一里二十三丁の手前で、こんにちでは調布《ちょうふ》という方が一般に知られているようです。なにしろ府中と布田とは直ぐ近所で、土地の者は毎日往来していると云うことでした。
友蔵はどうも質《たち》の良くない人間で、博奕を打つ、喧嘩をする。そのほかにも何か悪いことをしたので、土地の漁師仲間からも追いのけられて、今では府中の宿へ流れ込んで、これという商売も無しにぶらぶらしている。女房には先年死に別れて、お国とお三という二人の娘がある。そんな奴だから年頃の娘を唯は置かない。姉のお国は調布の女郎屋へ売ってしまい、妹のお三は府中の喜多屋という穀屋《こくや》へ子守奉公に出しているのだそうです」
「その喜多屋へお化けが出るんですか」と、わたしは話の腰を折るように訊いた。
「いや、喜多屋に係り合いはないのですが、友蔵の家《うち》に出るという噂があるのです」
「なにが出るんですね」
「友蔵は宿のはずれに、小さな世帯を持っているが、家《うち》を明けっ放して毎日遊びあるいている。そこへ女と男の幽霊がでるという噂で……。女は調布の女郎屋に売られた娘のお国、男は江戸の若い男だというのです」
「二人は心中でもしたんですか」
「そうです。二人が心中をして、その幽霊が友蔵の家へ現われる。夜は勿論、雨のふる暗い日なぞには昼間でも出ると云うのだから恐ろしい。しかし友蔵は平気でいるところをみると、本当に出るのか出ないのか、それとも友蔵の度胸がいいのか、そこは好く判らないが、ともかくも其の家にお化けが出ると云うのは宿《しゅく》じゅうの評判で、誰でも知らない者はないと、宿屋の女中たちはまじめになって話しました」
「化けて出ると云うからには、その男と娘が何か友蔵を恨む訳があるんですね」
「恨むというのは……。まあ、こういう訳です」
二
おととしの五月、六所明神の闇祭りを見物に来た江戸の二人連れがあった。それは四谷の和泉屋という呉服屋の息子|清七《せいしち》と、その手代の幾次郎で、この柏屋に泊まったのであるが、祭りは殆ど夜明かしで朝まで碌々眠られなかったので、夜が明けてから寝床にはいって午《ひる》過ぎに起きた。これでは明るいうちに江戸へはいれまいと云うので、八ツ(午後二時)過ぎにここを出て、二人は調布に泊まることになった。いずれも二十二、三の若い同士であるので、唯の宿屋には泊まらないで、甲州屋という女郎屋にはいり込んだ。
ここは友蔵の娘が奉公している店で、そのお国が清七の相方《あいかた》に出た。お浅という女が幾次郎に買われた。お国はそのとき二十歳《はたち》で、この店の売れっ妓《こ》であったが、見すみす一夜泊まりと判っている江戸の若い客を特別に取り扱ったらしく、その明くる朝は互いに名残りを惜しんで別れた。
江戸には遊び場所もたくさんある。殊に眼のさきには、新宿をも控えていながら、清七はお国のことを忘れ兼ねて、店の方をどう云い拵えたか知らないが、その後もふた月に一度ぐらいは甲州屋へ通《かよ》って来た。その当時の甲州街道でいえば、新宿から下高井戸まで二里三丁、上高井戸まで十一丁、調布まで一里二十四丁、あわせて四里の道を通って来るのであるから、相手のお国はいよいよ嬉しく感じたらしい。こうして一年あまりを過ごしたが、何分にも江戸の四谷と甲州街道の調布ではその通い路が隔たり過ぎているので、二人のあいだに身請けの相談が始まった。
こうなると親にも打ち明けなければならないので、お国は父の友蔵を呼んで相談すると、友蔵はよろこんで承知した。しかし江戸の客が身請けをするなぞと云えば、主人も足もとを見て高いことを云うに相違ないから、おれが直々《じきじき》に掛け合って、親許身請けと云うことにして、十五両か二十両に値切ってやる。ともかくもその清七という男に二十両ばかりの金を持たせて来いと教えた。
その教えに従って、清七は二十五両ほどの金を持って、府中の友蔵をたずねて行くと、友蔵はおとなしい清七をだまして、その金をまき上げてしまった。そうして、十五両や二十両の端下金《はしたがね》で大事の娘をおめえ達に渡されるものか、娘がほしければ別に百両の養育料を持って来いとそらうそぶいた。それでは約束が違うと争ったが、清七は友蔵の敵でない。果てはさんざんに撲《なぐ》られて表へ突き出された。
くやし涙に暮れながら甲州屋へもどった清七は、お国とどういう相談を遂げたのか知らないが、その夜のうちに甲州屋をぬけ出して多摩川の河原に出た。水が浅いので死ねないと思ったのであろう。お国が持ち出した剃刀《かみそり》で、男は女の喉《のど》を突いた。さらに自分の喉を突いた。それでも直ぐには死に切れなかったらしく、血みどろの二人は抱き合ったままで、浅瀬にすべり込んで倒れているのを、明くる朝になって発見された。別に書置らしい物は残されていなかったが、二人が合意の心中であることは疑うまでもなかった。
それは去年の八月、河原の蘆《あし》の花が白らんだ頃の出来ごとで、若い男女をむごたらしい死の淵《ふち》に追いやったのは、友蔵の悪法に因ることが自然に世間にも知れ渡ったが、相手が悪いので甲州屋でも表向きの掛け合いをしなかった。それをいいことにして、友蔵は平気で遊び暮らしていたが、その以来、さなきだに評判の悪い友蔵はいよいよ土地の憎まれ者になった。お国と清七の幽霊が恨みを云いに出るという噂も立てられた。友蔵は昼間こそ平気な顔をしているが、夜は血だらけの幽霊ふたりに責められて、唸って苦しむなどと誠しやかに云い触らす者もあった。
宿屋の女中らの話は先ずこうである。成程ひどい奴だと半七らも云ったが、お国と清七が合意の心中である以上、表向きには友蔵をどうすることもできないのは判っているので、その上の詮索もしなかった。明くる朝、宿屋を立って、宿《しゅく》のはずれへ来かかると、きのうの男の児が二、三人の友達と往来に遊んでいるのを見付けたので、幸次郎は声をかけた。
「おい、おい。お化けの出る家《うち》と云うのは何処だえ」
「あすこだよ」と、男の児は指さして教えて。それは七、八軒さきの小さい茅葺《かやぶき》屋根の田舎家で、強い風には吹き倒されそうに傾きかかっていた。その軒さきには大きい槐《えんじゅ》の樹が立っていた。
どうで通り路であるから、その家の前を行き過ぎながら、三人は横眼に覗いてみると、槐の樹の股に一羽の大きい鵜がつないであって、その足に「うりもの」としるした紙片《かみきれ》が結び付けられていた。それを幸いと、善八は立ち寄って呼んだ。
「もし、この鳥は売り物ですかえ」
うす暗い奥にはひとりの男が衾《よぎ》をかぶって転がっていたが、それでも眼を醒ましていたと見えて、直ぐに半身《はんみ》を起こして答えた。
「むむ、売り物だよ」
「幾らですね」
「三|歩《ぶ》だよ」
「高《た》けえね」
「なに、高けえことがあるものか」
云いながら起きて来たのは、年ごろ四十二、三の、色の赭《あか》黒い、頬ひげの濃い、見るからに人相のよくない大男であった。彼は三人をじろじろ睨んで、俄かに声をあらくした。
「え、ひやかしちゃあいけねえ。おめえ達はその鳥を知っているのか。それは鵜だよ。荒鵜だよ。おめえ達のような人間の買う物じゃあねえぜ」
「鵜は知っているが、値を訊いてみたのよ」と、善八は答えた。
「それだからひやかしだと云うのだ。江戸の人間が鵜を買って行って、どうするのだ。それとも此の頃の江戸じゃあ、鵜を煮て喰うのが流行るのか。朝っぱらからばかばかしい。帰れ、帰れ」と、彼は眼をひからせて呶鳴った。
「まあ、堪忍してくんねえ」と、半七は喙《くち》をいれた。「まったくおめえの云う通り、鵜を買って行っても土産にゃあならねえ。話のたねに値段を訊いただけのことだから、ひやかしと云われりゃあ一言もねえ。だが、この鵜は何処で捕ったのだね」
「四、五日前に何処からか飛び込んで来たのよ。おおかた明神の森へ帰る奴が戸惑いをしたのだろう。森にいる奴を捕るのはやかましいが、おれの家へ舞い込んで来たのを捕るのは、おれの勝手だ。そいつは荒鵜のなかでも荒い奴だから、うっかり傍へ寄って喰い付かれても知らねえぞ。馴れている俺でさえも怪我をした」
云い捨てて彼は奥へはいってしまった。もう相手にならないと見て、半七は挨拶をしてそこを立ち去った。
「あいつが友蔵か。成程、可愛くねえ奴らしい」と、幸次郎はあるきながら云った。
「善ぱが詰まらねえひやかしをするので、あんな奴にあやまる事になった」と、半七は笑った。
「本当に幽霊が出るか出ねえか知らねえが、あんな奴のところへ出たら災難だ。幽霊に肩を揉ませるか、飯を炊《た》かせるか、判ったものじゃあねえ」
三人はその日の午過ぎに江戸へ帰り着いた。新宿で遅い午飯《ひるめし》を食って一と休みして、大木戸を越して四谷通りへさしかかると、塩|町《ちょう》の中ほどで幸次郎は急に半七の袖をひいた。
「もし、親分。和泉屋というのはそこですよ」
そこには和泉屋という暖簾《のれん》をかけた呉服屋が見えた。悪い奴に引っかかって、大事の息子を心中させて、気の毒なことをしたと思いながら、半七はそっと覗くと、四間|間口《まぐち》で、幾人かの奉公人を使って、ここらでは相当の旧家であるらしく思われた。これだけの店の息子が二十両や三十両のことで命を捨てるにも及ぶまいにと、半七はいよいよ気の毒になった。
「ほかにも何か仔細があるかな」と、半七は又かんがえた。
三
この年の花どきは珍らしく好い天気の日がつづいて、花にあらしの祟りもなかったが、四月に入ってから陰《くも》った日が多かった。そのあいだには卯の花ぐたしの雨が三日も四日も降りつづいて、時候はずれに冷える日もあった。それでも五月の節句前から晴れて、三、四、五、六、七の五日間は初夏らしい日の光りが、江戸の濡れた町をきらきらと照らした。
ほかの仕事が忙がしいので、半七も忘れていたが、五月はじめは府中の祭りである。六所明神の例祭は三日に始まって、六日の朝に終る。そのあいだすべて晴天であったのは仕合わせで、諸方から集まる参詣人の混雑も思いやられた。
その八日の午後である。半七は下谷まで用達しに行って帰ると、幸次郎が一人の客を連れて来て、親分の帰るのを待っていた。
「親分、天気がまた怪しくなって来ましたね」
「むむ。どうも長持ちがしねえので困ったものだ。また泣き出しそうになって来た」
云いながら不図《ふと》見ると、眼の前にも泣き出しそうな顔をした人が坐っていた。それは四十前後の痩形の男で、お店《たな》の番頭ふうであることは一と目に知られた。幸次郎はすぐに紹介した。
「この人は四谷坂|町《まち》の伊豆屋という酒屋さんの番頭さんですが、少し親分にお願い申してえことがあるので、わっしが一緒に連れて来ました」
その尾について、男も伊豆屋の番頭治兵衛であると名乗った。半七も初対面の挨拶をして、さてその用件を聞きただすと、治兵衛は重い口からこんなことを語り出した。
「ひと通りのことはさっき幸次郎さんにもお話し申したのでございますが、手前どもの店に少々困ったことが出来《しゅったい》いたしまして……」
自分を目ざして頼みに来る以上、いずれ何かの事件が出来したのは判り切っているので、半七は相手の話を引き出すように気軽く答えた。
「はあ、そうですか。そこで、その一件というのは何か面倒なことですかえ」
「実はこの五日のことでございますが、御承知の通り、府中の六所明神の御祭礼、その名物の闇祭りを一度見物いたしたいと申しまして、おかみさんと総領息子、それにわたくしと若い者の孫太郎と、都合四人づれで六ツ半(午前七時)頃から店を出ました。勿論おかみさんだけは駕籠で、男共は歩いて参りました。日の長い時節ではございますが、途中で休み休み参りましたので、府中の宿《しゅく》へ着きました頃には、もう薄暗くなって居りました。さてこのお祭りには初めて参ったのでございますが、噂に聞いたよりも大層な繁昌で、土地馴れない者はまごつく位、それでもどうやら釜屋という宿屋に泊めて貰うことになりましたが、その宿屋がまた大変な混雑で、これでは困ると思ったのですが、どこの宿屋も今夜はみんなこの通りだと聞かされて、まあ我慢することになりました」
「わたしもこの三月、府中に泊まりましたが、ふだんの時だから至ってひっそりしていました」と、半七は笑った。「しかしお祭りの時は大変だと、女中たちも云っていましたよ」
「まったく案外でございました」と、治兵衛は溜め息をついた。「それほど大きくもない宿屋に百何十人という泊まりですから、一つの部屋に十五人も二十人も押し込まれて、坐る所もないような始末。お夜食の膳もめいめいが台所へ行って、自分が貰って来なければならない。まるで火事場のような騒ぎでございます。こんな事と知ったら来るのじゃあなかったと、おかみさんも後悔していましたが、今さら帰るにも帰られず、まあ小さくなって辛抱して居りますと、やがて四ツ(午後十時)過ぎでもございましょうか、唯今お神輿《みこし》のお通りでございます。灯を消しますと触れて廻る声がきこえたかと思うと、内も外も一度に灯を消して真っ暗になってしまいました。
それ、お通りだというので、我れも我れもと店さきへ手探りながら駈け出しましたが、なんにも見えません。暗いなかでお神輿の金物《かなもの》がからりからりと鳴る音と、それを担いで行く白丁《はくちょう》の足音がしとしとと聞こえるばかり。お神輿は上の町のお旅所《たびしょ》へ送られて、暗闇のなかで配膳の式があるのだそうで……。そのあいだは内も外も真っ暗でございます。夜なかの八ツ(午前二時)頃に式を終りますと、一度にぱっと灯をつけて、町じゅうは急に明るくなりました。くどくど申す通り、それまでは真の闇で、どこに誰がいるか、さっぱり判りませんでしたが、さて明るくなって見ると、おかみさんの姿が見付かりません。若旦那も孫太郎も、わたくしも心配して、混雑のなかを抜けつ潜《くぐ》りつ、そこらを頻りに探して歩きましたが、どうしても姿が見えません。
なにしろ夜なかではあり、大変な混雑ですから、どうすることも出来ません。夜が明けたら何処からか出て来るだろうと、三人は一睡も致さずに、夜の白らむのを待って居りましたが、おかみさんの姿はどうしても見えません。そのうちに日が高くなって、ほかの客はだんだんに引き揚げてしまいましたが、わたくし共は帰ることが出来ません。宿屋の者にも頼みまして、心あたりを隈なく探させましたが、なんにも手がかりがございません。その晩はとうとう府中に泊まりましたが、おかみさんは帰って参りません。店の方でも心配しているだろうと存じまして、三人相談の上で、孫太郎だけが府中に残り、若旦那とわたくしは早駕籠で江戸へ戻りました。
主人もおどろきまして、親類などを呼びあつめて、ゆうべは夜の更けるまでいろいろ相談を致しましたが、みんなも心配するばかりで、さてどうという知恵もございません。町内の下駄屋さんがこの幸次郎さんとお心安くしていると云うことを聞きまして……」
「そういうわけで、わっしの所へ頼みに来なすったのですが……」と、幸次郎は取りなすように云った。「わっし一人で請け合うわけにゃあ行かねえ。まして江戸から五里七里と踏み出す仕事だから、親分にすがって何とかして貰おうと云うので、こうして一緒に出て来たのですが、どうでしょう、なんとかなりますめえか。番頭さんもひどく心配していなさるんですが……」
「若い者では無し、いい年をしたわたくしが供をして参りまして、おかみさんの姿を見失ったと申しては、主人は勿論、世間に対しても申し訳がございません。これがお武家ならば、腹でも切らなければならない処でございます。親分さん。お察しください」
四十男の治兵衛が涙をうかべて頼むのである。殊に幸次郎の口添えもある以上、半七も断わるわけにも行かなくなった。
「まあ、ようござんす。出来ることか出来ないことか知りませんが、折角のお頼みですから、なんとかやってみましょう」と、半七は請け合った。「おい、幸。この春、初めて府中へ行ったのも、何かの因縁かも知れねえ」
「そうですねえ」と、幸次郎もうなずいた。「そこで、親分。この番頭さんに何か訊いて置くことはありませんかえ」
「大有りだ。早速だが、そのおかみさんというのは幾つで、どんな人ですね」
「おかみさんはお八重と申しまして、十八の年に伊豆屋へ縁付いてまいりまして、翌年に総領息子の長三郎を生みました。その長三郎が当年|二十歳《はたち》になりますから、おかみさんは三十八で、容貌《きりょう》も悪くなく、年よりも若く見える方でございます」
治兵衛は半七の問いに対して、伊豆屋は四谷坂町に五代も暖簾《のれん》をかけている旧い店で、屋敷方の得意さきも多く、地所家作も相当に持っていて身上《しんしょう》も悪くない。主人の長四郎は四十三歳で、子供は長三郎のほかに、十七歳の四万吉《よもきち》、十四歳のお初がある。奉公人は自分のほかに、若い者が三人、小僧が二人、女中二人、あわせて十三人の家内であると答えた。
「おまえさんの家《うち》では塩町の和泉屋という呉服屋を御存じですかえ」と、半七は突然に訊いた。
「和泉屋さんは存じて居ります。別に親類というのではございませんが、先代からお附き合いをいたして居ります」
「和泉屋の息子は飛んだ事でしたね」
「まったく飛んだ事で……。あの一件につきましては、和泉屋さんでも、息子の死骸を引き取るやら何やかやで、随分の物入りであったそうで、なんとも申しようがございません。そんな一件がありますので、今度の府中行きも、主人は少し考えて居りました。わたくしも何だか気が進まなかったのでございますが、おかみさんが是非一度見物したいと申しますので、とうとう思い切って出かける事になりますと、又ぞろこんな事が起こりまして……。やっぱり止せばよかったと、今さら後悔して居りますような訳でございます」
「和泉屋の奉公人で、息子と一緒に府中へ行った者がありましたね」と、半七はまた訊いた。
「はい。幾次郎と申す者でございます」と、治兵衛は答えた。「これがちっと道楽者で、主人の息子を調布の女郎屋へ誘い込みましたのが間違いのもとで、それからあんな事になりましたので、主人に対しても申し訳のない次第でございますが、幾次郎は唯の奉公人でなく、主人の遠縁にあたる者でございますので、まあ、そのままに勤めて居ります」
「幾次郎は幾つでしたね」
「たしか、二十三かと思います。唯今も申す通り、堅気の呉服屋の手代にはちっと不似合いの道楽者で、近所の常盤津の師匠のところへ稽古に行くなぞという噂もございます」
「その幾次郎はお店へも来ることがありますか」
「ときどきには参ります」
それからまだ二つ三つの話をして、治兵衛は帰った。帰る時にも彼は何分お願い申しますと、幾たびか繰り返して頼んで行った。
四
「親分、どうですかね。大抵見当は付きましたか」と、幸次郎は訊いた。
「そう手軽にも行かねえ」と、半七は笑った。「去年の心中一件と、今度の一件と、まるで縁のねえ事か、それとも何かの糸が繋がっているのか、まずそれを考えなけりゃならねえ」
「友蔵の奴が又なにかやったかね」
「おれもそんな事をかんがえたが、若い娘ならばともかくも、やがて四十に手のとどく女房をかどわかすということもあるめえ。いくら暗闇だって、まわりに大勢の人がいるのだから、きゃあとか何とか声を立てるぐらいのことは出来そうなものだ。まさかに友蔵に引っ担いで行かれたのでもあるめえ。おれももう少し考えるから、おめえは善ぱと手分けをして、伊豆屋と和泉屋の内幕を探ってくれ」
「こうなると此の春、府中へ行って来て好うござんしたね」
「むむ。なにが仕合わせになるか判らねえ。だしぬけにこんな事を持ち込まれたのじゃあ見当が付かねえ」
幸次郎を出してやって、半七は又しばらく考えた。伊豆屋の番頭の話だけでは詳しいことは判らない。番頭もまた一家の秘密を洩らすまい。したがって、その話のほかに、伊豆屋と和泉屋にからんで如何なる秘密がひそんでいないとも限らない。所詮《しょせん》は幸次郎と善八の報告を待って、それから正確の判断をくだすのほかはなかったが、半七は平生の癖として、ともかくも今までに与えられた材料によって一応の推測を試みようとした。中《あた》っても外《はず》れても、考えるだけは考えなければ気が済まないのであった。
表には苗売りの声がきこえた。けさから催していた雨がしずかに降って来た。その雨の音を聞きながら、半七は居眠りでもしたように目を瞑《と》じていたが、やがて手拭いと傘を持って町内の銭湯へ出て行った。
雨はだんだんに強くなって、夕暮れに近い空の色はますます暗くなった。湯から帰って来た半七の顔色も暗かった。子分ら二人が何かの報告を持って来るまでは、自分の肚《はら》をはっきりと決め兼ねたのである。
雨は明くる日も降りつづいて、本式の梅雨空《つゆぞら》となった。その日の暮れかかる頃に、善八が先ず顔をみせた。
「いよいよ梅雨になりました。ゆうべ幸次郎の話を聞いたので、けさから早速取りかかりました」
「おめえはどっちへ廻ったのだ」と、半七は待ち兼ねたように訊いた。
「わっしは塩町の呉服屋の方です。そこで先ず聞き込んだだけのことをお話し申しましょう」と、善八は云い出した。「和泉屋という家は店構えを見ても知られる通り、土地でも旧い店で、身代もしっかりしているという噂です。主人の久兵衛は五十ぐらい、女房のお大は後妻で三十四、五、先妻にも後妻にも子がないので、主人の甥の清七を養子に貰って、二十二の年まで育てて来ると、その清七は調布のお国と心中してしまったという訳です」
「清七は養子か」
「本来はおとなしい、手堅い人間だったそうですが、府中へ行った帰りに一と晩遊んだのが病み付きで、飛んだ事になったものだと、近所でも気の毒がっています。それから手代の幾次郎ですが、主人の遠縁の者だという事になっているが、実は番頭の息子だそうです。それにはちっと訳があるので……」
今から二十年ほど前に、和泉屋の番頭勇蔵が入牢《じゅろう》した。それは紀州家か尾張家かへ納めた品々に、何か不正のことがあったと云うのである。その吟味中に勇蔵は牢死した。しかも世間の噂では、主人の罪を番頭がいっさい引き受けて、主人はなんにも知らない事に取りつくろったのであると云う。その忠義の番頭勇蔵のせがれが幾次郎で、当時はまだ二、三歳の子供であったのを、母のおみのが引き連れて、甲州の身寄りの方へ立ちのいた。もちろん和泉屋では相当の扶助をしてやったに相違ない。
その幾次郎が八つか九つに成人した時に、恐らく前々からの約束があったのであろう。江戸へ出て来て旧主人の和泉屋に奉公することになった。表向きは遠縁の者だと云うことにして、主人も特別に眼をかけて使っていた。和泉屋に子が無いので、番頭の忠義に報いるために、或いはこの幾次郎を養子にするのでは無いかと云う者もあったが、その想像は外れて、主人の甥の清七が十三の年から貰われて来た。幾次郎はやはり奉公人として働いていて、彼が堅気の店の者に似合わず、稽古所ばいりをしたり、折りおりには新宿の遊女屋遊びをしたりするのを主人が大目《おおめ》に見ているのも、亡父の忠義を忘れない為であろう。たとい養子には据わらずとも、ゆくゆくは暖簾でも分けて貰って、一軒の店の主人になるであろう、と、昔を知るものは噂している。
「成程、幾次郎という奴には、そういう因縁があるのか」と、半七はうなずいた。「そこで、その幾次郎は相変らず店に働いているのか」
「きょうも店に坐っていました」と、云いかけて、善八は少しく声を低めた。「近所の噂だけで、確かなことは判らねえのですが、和泉屋の女房は節句の晩あたりから家《うち》にいねえらしいと云うのです。もちろん和泉屋じゃあ内証にしていますが、店の小僧が使に出たとき、誰かにしゃべったそうで……」
「和泉屋の女房もいねえのか」と、半七も眼をひからせた。「節句の晩といえば府中の闇祭りの晩だ。その同じ晩に、伊豆屋の女房は府中で姿をかくし、和泉屋の女房は江戸で姿を隠す。いかに両方が知合いの仲だと云っても、まさかに女同士が誘い合わせて駈け落ちをしたわけでもあるめえ。妙な事になったものだな」
女房二人のあいだに何かの係り合いがあるのか、但しは偶然の一致か、半七もその鑑定に苦しんだ。善八も黙って考えていた。
「ああ、降る、降る」
ひとり言のように云いながら、幸次郎がはいって来た。
「どうだ。何かおもしれえ掘出し物があったか」と、彼は善八に訊いた。
「むむ、まず一と通りは判った」と、半七は引き取って答えた。「第一の聞き込みは、和泉屋の女房も闇祭りの晩に姿をかくしたと云うことだ」
「ふむう」と、幸次郎も眼を丸くした。「そりゃあおもしれえ。そこで親分。善ぱと違って、わっしの方にゃいい見付け物もありません。伊豆屋のことは大抵あの番頭の云った通りですが、近所で訊くと、伊豆屋の主人はお人好しの方で、お八重という女房が内外《うちと》のことを一人で切って廻している、いわば嚊天下《かかあでんか》の家だそうで、もう年頃の息子や娘がありながら、お八重は派手なこしらえで神詣りにもたびたび出て歩くという評判です」
「別に浮気をしているような噂もねえのか」と、半七は訊いた。
「そんな女だから何か不埒を働いていやあしねえかと思って、わっしもいろいろ探ってみましたが、そんな噂もねえようです。よっぽど上手にやっているんでしょうか」
「和泉屋の手代の幾次郎とおかしいと云う噂は聞かねえか」
「聞きませんね。よそでそんな噂があるんですか」
「そうでもねえが、まあ訊いてみたのだ」
こう云って、半七はまた考えている処へ、女房のお仙が女中に鮨の大皿を運ばせて来た。どこからか届けて来たと云うのである。商売柄でこんな遣い物を貰うのは珍らしくない。すぐに茶をいれさせて、半七ら三人は鮨を喰いはじめると、そのそばで女房がこんなことを話し出した。
「わたしが今、お湯の帰りに自身番の前を通ると、雨が降るのに人立ちがしているから、なんだろうと思って覗いてみると、隣り町《ちょう》のしん吉のおっかさんが自身番へ駈け込んで、おいおい泣いているのよ」
しん吉というのは落語家《はなしか》しん生の弟子で、となり町の裏に住んでいる。年は二十四、五で、男前は悪くないが芸が未熟であるために、江戸のまん中の良い席へは顔を出されず、場末や近在廻りなどをして、母の≪おさが≫と二人で暮らしている。それでも芸人の端《はし》くれであり、且は近所でもあるので、半七はしん吉親子の顔を識っていた。
「しん吉のおふくろは何を泣いているのだ」
「それがね。なんだか取り留めのない話のようだけれども、おっかさんは一生懸命に泣いて騒いでいる。と云うのは、しん吉は先月から甲州街道の方角へ稼ぎに行って、月ずえには江戸へ帰る筈のところが、今月になっても便りがない。おっかさんも毎日心配していると、おとといの晩、おっかさんが変な夢を見たんだとさ」
「どんな夢を見た……」
「おっかさんが火鉢のまえに坐っていると、しん吉が外からぼんやりはいって来て、だまって手をついている。おや、お帰りかえと声をかけても返事をしない。なぜ黙って俯向いているんだよと云うと、しん吉は小さな声で、顔を見せると阿母《おっか》さんがびっくりするからと云う。おまえの顔を見てびっくりする奴があるものか、旅から帰って来たら先ず無事な顔を親に見せるものだ、早く顔をお見せよと云うと、しん吉がひょいと顔をあげた……」
ここまで話して来て、お仙は思わず息をのみ込むと、幸次郎は笑いながら口を出した。
「なんだか怪談がかって来たようだね」
「まったく怪談さ」と、お仙は顔をしかめた。「しん吉が顔をあげると、顔は血だらけ……。なんでも砂利のような物で引っこすったように、顔一面に摺《す》りむけている。おっかさんも驚いてきゃっと云うと、夢が醒めた……。もしやこれが正夢《まさゆめ》で、せがれの身の上に何か変事でもあったのじゃあ無いかと、おっかさんも頻りに案じていると、ゆうべも同じ夢をみて、せがれの顔はやっぱり血だらけ……。いよいよ心配していると、きょうの宵の口、おっかさんが銭湯から帰って来ると、暗い家のなかにしん吉がしょんぼりと坐っている。それが振り向くと、やっぱり血だらけの顔をしていたので、おっかさんはもう声が出なかったそうで……。これはどうしても唯事でない。せがれは何処でか非業《ひごう》の最期を遂げたに相違ないと、おっかさんは半気違いのようになって自身番へ泣き込んで来たと云うわけさ。自身番だってどうすることも出来ない。お前があんまり心配するから、そんな夢を見たのだろうとか、夢は逆夢《さかゆめ》だとか云って、まあいい加減になだめているのだが、親ひとり子ひとりの伜にもしもの事があったら、あたしも生きちゃあいられないとか云って、おっかさんは泣いて騒いでいる。そのうちに大屋《おおや》さんが来て、無理になだめて引っ張って帰ったが、考えてみれば可哀そうでもあり、しん吉は一体どうしたのかねえ」
聴いている三人は顔を見あわせた。外には暗い雨が小歇《こや》みなく降っていた。
「なるほど怪談だ」と、善八は冷えた茶を飲みながら云った。「だが、自身番で云う通り、お袋があんまり心配しているので、せがれの夢を見たり、せがれの姿を見たりしたのだろう。そんな事とは知らねえで、しん吉の野郎、近在をまわってちっとふところが暖《あった》まったので、今頃どこかの宿場《しゅくば》でおもしろく浮かれているかも知れねえ。親不孝な野郎だ」
「おい、お仙。傘を出してくれ」
半七は立ちあがって帯を締め直した。
「どこへ行くの」
「しん吉のおふくろに逢って来る」
「親分。怪談を真《ま》に受けて行くのかえ」と、幸次郎は半七の顔をみあげた。
「真に受けても受けねえでも、ちっと思いあたることがある。おれの帰るまで、おめえ達は待っていてくれ」
降りしきる雨の中を、半七は隣り町へ出て行った。
五
その明くる朝、半七は八丁堀同心の屋敷へ顔を出して、かくかくの次第で四、五日は江戸を明けると云うことを届けた上で、朝の四ツ(午前十時)頃に府中をさして出発した。幸次郎も善八も一緒に出た。
幸いに強い雨ではなかったが、きょうもしとしと降りつづいている。先度《せんど》の小金井行きとは違って、三人は雨支度の旅すがたで、菅笠、道中合羽、脚絆、草鞋に身を固め、半七はふところに十手を忍ばせていた。道順も先度とは少し違って、上高井戸から烏山、金子、下布田、上布田、下石原、上石原、車返し、染屋と甲州街道を真っ直ぐにたどって、府中の宿に行き着いたのは、七ツ半(午後五時)を過ぎる頃であった。
宿屋は先度の柏屋で、三人はここに濡れ草鞋をぬぐと、顔を見おぼえている宿の者は丁寧に案内して二階座敷へ通した。祭りの済んだ後といい、この天気に道中の旅びとも少ないとみえて、ここの二階はがら明きであった。
このあいだの遊山旅《ゆさんたび》とは違うので、風呂にはいって夕飯を済ませた後に、半七は宿の亭主を二階へ呼びあげて、自分たちの身の上を明かした。
「この宿《しゅく》に釜屋という同商売があるね」
「はい。手前共から五、六軒さきでございます」
「すこし訊きたいことがあるから、釜屋の亭主を呼んで来てくれ」
「はい、はい」
亭主はかしこまって、早々に釜屋の亭主文右衛門を呼んできた。文右衛門は四十五、六の篤実らしい男であった。江戸の御用聞きに呼び付けられて、彼は恐るおそる挨拶した。
「手前は釜屋文右衛門でございます。なにか御用でございましょうか」
「早速だが、この五日の闇祭りの晩に、おめえの店の女客が一人消えてなくなったそうだね。きょうでもう五日になる。まだなんにも手がかりはねえのかね」
「四谷坂町の伊豆屋のおかみさんが見えなくなりまして、手前共でも心配して居るのでございますが、まだなんにも手がかりがございませんので、実に困って居ります。なにぶんにも当夜は百四五十人の泊まり客で、二階も下もいっぱいの混雑、殊に火を消した暗闇の最中で、何がどうしたのか一向に判りません」と、文右衛門は云い訳らしく云った。
「そこで、その祭りの前の頃から、おめえの家《うち》に若い芸人が泊まっていなかったかね」
「はい。泊まって居りました。しん吉という江戸の落語家《はなしか》でございます」「いつ頃から泊まったね」
「しん吉さんは先月からこの近辺をまわって居りまして、ここでも東屋《あずまや》という茶屋旅籠屋の表二階で三晩ほど打ちました。一座の五人はそれから八王子の方へ行きましたが、しん吉さんは体が少し悪いと云うので、自分だけはあとに残って、先月の晦日《みそか》から手前共の二階に泊まって居りまして、闇祭りの日の午《ひる》すぎに、これから一座のあとを追って行くと云って立ちました」
「この宿《しゅく》はずれに友蔵という厄介者がいる筈だが、あれはどうしたな」と、半七はまた訊いた。
「友蔵は無事で居ります。これも先月の晦日ごろでございましょうか、江戸の方へ二、三日遊びに行ったとか申して居りましたが、唯今は帰って居りまして、現にきのうも手前どもの店の前を通りました。博奕にでも勝ったと見えまして、それから女郎屋へまいって景気よく飲んで騒いでいたとか申します」
「鵜でも売れたのだろう」と、半七は笑った。
「いえ、鵜はまだ売れません。家の前に売り物の札《ふだ》が付いて居ります」と、文右衛門はまじめに答えた。
「伊豆屋の若い者はどうしたね」
「きのうまで手前共に逗留《とうりゅう》でしたが、いつまでも手がかりが無いので、いったん江戸へ帰ると云って、今朝ほどお立ちになりました」
「それじゃ行き違いになったか」
釜屋の亭主を帰したあとで、半七は善八にささやいた。
「おめえは友蔵の家《うち》を知っているだろう。あいつは今夜、家にいるかどうだか、そっと覗いて来てくれ」
「ようがす」
善八はすぐに出て行った。
「友蔵の奴を挙げますかえ」と、幸次郎は訊いた。
「あいつ、どうも見逃がせねえ奴だ。不意に踏み込んで調べてやろう。先月の晦日ごろに江戸へ出たといい、景気よく銭を遣っているといい、なにか曰《いわ》くがあるに相違ねえ」
やがて善八は帰ってきた。
「友蔵は家《うち》で酒を喰らっていますよ」
「友達でも来ているのか」
「それがね。髪も形《なり》も取り乱しているが、ちょいと踏めるような中年増に酌をさせて、上機嫌に何か歌っていましたよ」
「それが例の幽霊かな」と、幸次郎は云った。
「なるほど蒼い顔をしていたが、確かに幽霊じゃねえ。第一、友蔵の娘という年頃じゃあなかった」
「よし」と、半七はうなずいた。「野郎ひとりに三人がかりも仰山《ぎょうさん》だが、折角来たものだから、総出としよう。おれは此のままで宿屋の貸下駄をはいて行く。野郎、あばれるといけねえから、おめえ達は支度をして行ってくれ」
三人は宿《やど》を出ると、今夜ももう五ツ(午後八時)過ぎで、まばらに暗い町の灯は雨のなかに沈んでいた。この宿《しゅく》には三、四軒の女郎屋がある。その一軒の吉野屋という暖簾をかけた店から、ひとりの若い男が傘もささずに出て来ると、又あとから其の相方《あいかた》らしい若い女が跣足《はだし》で追って来た。
「しんさん、お待ちよ」
「知らねえ。知らねえ」
男は振り切って行こうとするのを、女は無理にひき戻そうとして、たがいに濡れながら争っている。宿場の夜の風景、別にめずらしいとも思われなかったが、しんさんと云う声が耳について、半七は不図みかえると、男はかのしん吉であった。
「おい、しん吉、いくら江戸を離れていると云って、往来なかで見っともねえぜ」
だしぬけに声をかけられて、しん吉は降り返った。格子さきの灯のひかり、彼は半七の顔をすかして視ると、俄かにおどろいて逃げ出そうとしたが、その利き腕はもう半七の片手につかまれていた。こうなっては逃げるすべもない。彼は無言の半七に引き摺られて、二、三軒さきのうす暗いところへ連れて行かれた。
「やい、しん吉、てめえは太てえ奴だ。坂町の伊豆屋の女房をかどわかして何処へやった。さあ、云え。てめえは伊豆屋の女房と諜《しめ》し合わせて、自分は前から釜屋に待っていて、闇祭りのくらやみに女房を連れて逃げたろう。おれはみんな知っているぞ、どうだ」
しん吉は黙っていた。
「それにしても、伊豆屋の女房をどこへやった。もう三十八の大年増だ。まさかに宿場女郎にも売りゃあしめえ。あの女房をどこへ葬ったよ」
しん吉はやはり答えなかった。彼は一生懸命に半七を突きのけて又逃げ出そうとするのを、背後《うしろ》からどんと突かれて、往来のまん中へ比目魚《ひらめ》のように俯伏して倒れた。
「縄にしますか」と、幸次郎はしん吉の襟首を捉えながら訊いた。
「むむ。柏屋へ連れて行け。逃がすな」
縄つきのしん吉を幸次郎に預けて、半七と善八は友蔵の家へむかった。暗いなかにも目じるしの槐《えんじゅ》の大樹のかげに隠れて、二人は内の様子をうかがうと、内には女の忍び泣きの声がきこえた。毀《こわ》れかかった雨戸の隙間《すきま》から覗くと、うす暗い行燈の下に赤裸の女が細引のような物にくくられて転がされていた。女は破れ畳に白い顔を摺りつけて泣いているのを、友蔵はおもしろそうに眺めながら茶碗酒を呷《あお》っていた。
「あの女ですよ。さっき酌をしていたのは……。よもや幽霊じゃあありますめえ」と、善八は小声で云った。
「むむ。戸を叩け」と、半七は指図した。
「ごめんなさい。今晩は……」
善八が戸をたたくと、友蔵は茶碗を下に置いて、表を睨みながら答えた。
「だれだ。今ごろ来たのは……」
「おれだよ。このあいだの鵜を買いに来たのだ」と、半七は云った。
「なに、鵜を買いに来た……」
「あの鵜を百両に買いに来たのだ」
「冗談云うな」
とは云いながら、幾分の不安を感じたらしく、友蔵は身がまえしながら雨戸をあけに出た。その雨戸は内そとから同時にがらりと明けられて、善八はすぐに飛び込んだが、相手も用心していたので、もろくは押さえられなかった。殊にしん吉とは違って、頑丈の大男である。二人は入口の土間を転げまわって揉み合ううちに、友蔵は善八を突きのけて表へ跳り出ようとする、その横っ面に半七の強い張り手を喰らわされて、思わずあっと立ちすくむところを、再び胸を強く突かれて、彼はあと戻りして土間に倒れた。善八は折り重なって縄をかけた。
「なんでおれを縛りゃあがるのだ」と、友蔵は吽《ほ》えるように呶鳴った。
「ええ、静かにしろ。おれは江戸から御用で来たのだ」と、半七は云った。
眼のさきに十手を突き付けられて、友蔵もさすがに鎮まった。
六
「お話はもうお仕舞いです」と、半七老人は笑った。「あとはあなたの御想像に任せますよ」
「いや、事件がなかなかこぐらかっているので、容易に想像が付きません」と、わたしも笑った。
「じゃあ、この友蔵の家《うち》に転がされていた女は、伊豆屋の女房か、和泉屋の女房か、あなたはどっちだと思います」
さかねじの質問を受けて、わたしは返事に困った。黙っているのも口惜《くや》しいので、わたしは出たらめに答えた。
「和泉屋の女房のようですね」
「ふむう」と、老人はわたしの顔を眺めた。「どうして判りました」
そう訊かれて、わたしはまた困った。
「どうと云うこともないので……。唯なんだか和泉屋のようだと思っただけですよ」
「その≪よう≫だと云うことが大切です」と、老人はまじめに云った。「明治のこんにちは警察のやりかたもすっかり変って、探偵の方法も新らしくなりましたが、昔の探索には何々の≪よう≫だとか、誰誰の≪よう≫だとか、まずわれわれの胸に泛かぶ。それがなかなかの役に立って、≪よう≫だと睨んだことが不思議にあたった例がしばしばあるので……。そうです、わたしが家に坐って、眼をつぶって、腕を拱《く》んで、どうもそうらしいようだと考えていた事が、まず大抵は壷に嵌《はま》りましたからね。あなたの鑑定通り、その女は呉服屋の女房のお大でした」
「お大は家出をして、府中へ行ったんですか」
「そうです。わたくしは最初から和泉屋の手代の幾次郎という奴を、なんだか怪しいと睨んでいたのですが、やっぱりこいつが曲者でした。前にも申す通り、おやじの勇蔵が主人の罪をかぶって牢死した。その忠義に免じて、和泉屋でも眼をかけて使っていた。和泉屋には子がないので、行くゆくは養子にしてくれるかと内々楽しみにしていると、主人の親類から清七という養子が来てしまったので、幾次郎は的《あて》がはずれた。それが、そもそもの始まりで、自棄《やけ》も手伝って道楽をする。それでも主人が大目《おおめ》に見ているので、だんだんに増長して和泉屋乗っ取りを企てる事になりました。その場合、あなたならどうします」
「さあ、まず養子の清七を遠ざけるんですね」
「だれの考えも同じことで、まあそうするのほかはありません。和泉屋の女房は後妻で、亭主の久兵衛とは年がよほど違っている。そこで何日《いつ》かそのお大と不義を働くようになった。幾次郎に取っては勿怪《もっけ》の幸い、せいぜい女房の御機嫌を取って清七放逐の計略をめぐらしたが、あいにく清七がおとなしい男で、難癖をつけるような科《とが》が無い。そのうちに一昨年《おととし》の五月、幾次郎は清七を府中の闇祭りに連れ出して、その帰りに調布の甲州屋へ誘い込んだ。こうして道楽の味をおぼえさせて、だんだんに清七を堕落させ、それを落ち度にして和泉屋から放逐するという魂胆でしたが、その薬が利き過ぎて、相方のお国は清七に初会《しょかい》惚れ、清七の方でも夢中になる。さあ占めたと、幾次郎とお大は肚《はら》をあわせて主人の久兵衛にいろいろの讒言をする。久兵衛も馬鹿な男ではないのですが、自然それに巻き込まれて、清七の信用は次第に薄くなる。それでも清七の迷いは醒めないで、二十五両の金を持ち出してお国を身請けという事になったのです。勿論、幾次郎も蔭へ廻ってそそのかしたに相違ありません。
ところが、お国には友蔵という悪い親父が付いているので、いい鴨がかかったとばかりで、二十五両を横取り、喧嘩仕掛けで清七を逐い出してしまった。根がおとなしい人間ですから、清七はくやしさが胸いっぱい、もう一つには近ごろ養父や養母の機嫌を損じて、まかり間違えば離縁になるかも知れないと云うようなことも薄々感じている。二十五両の金とても帳合いをごまかした金だから、それが露顕すればいよいよ自分の身があやうい。お国もそれに同情して、又二つには邪慳《じゃけん》な親父への面当てもあったのでしょう、二人はとうとう心中という事になる。大願成就と幾次郎は手を拍《う》って喜んだのです」
「それじゃあ二人は幾次郎のところへも化けて出ていいわけですね」
「友蔵も悪いが、幾次郎は一倍悪い。まったく幾次郎の方へ幽霊が出そうなものですが、二人ともに幾次郎の巧みを知らなかったのでしょう。そこで内からは女房のお大が糸を引いて、清七の後釜《あとがま》に幾次郎を据える段取りになったのですが、主人も直ぐには承知しない。ふだんから大目に見ているものの、幾次郎が道楽者ということは主人もよく知っているので、それを相続人にして清七の二の舞をやられては困る。その懸念があるので主人も渋っている。
そうして半年ばかり過ごすうちに、お大は此のごろ幾次郎にむかって、二人が仲を主人に薄々感付かれたらしいから、いっそ連れて逃げてくれと云い出しました。そんな筈は無いから、まあ我慢しろと幾次郎がなだめても、お大は肯《き》かない。しかし幾次郎にしてみると、主人の女房と不義を働いているのも、和泉屋の養子に直って、その身代を手に入れたいからで、もう一と息というところまで漕《こ》ぎ付けながら、その大望を水の泡にして、年上の女と駈け落ちなどをする気はありません。しかしお大の方では頻りに迫って来る。もう忌《いや》とは云われない破目になって、幾次郎はまた悪巧みを考えました。その片棒をかついだのが彼《か》の友蔵です」
「幾次郎は友蔵を識っていたのですか」
「去年の心中一件のときに、友蔵は和泉屋へ押し掛けて来て、自分が二十五両を横取りした事などはいっさい云わず、ここの息子のために大事の娘を殺されてしまったから、どうかしてくれと因縁を付ける。その時に幾次郎が仲に立って、三十両の金を渡して追い返した。それが縁になって、幾次郎は友蔵を識っている。あいつは悪い奴で、金にさえなれば何でも引き受ける奴だと云うことも知っているので、今度の味方に抱き込んだのです。
そこで四月の末に友蔵を呼び寄せて相談の上、お大にむかってもいよいよ駈け落ちの相談を始めました。自分の育った甲府には、おふくろがまだ達者でいる。ひとまず其処へ身を隠そうと云うことにして、お大に二百両の金をぬすみ出させ、その一割の二十両だけをお大に持たせて、残りの百八十両は自分が預かりました。二人が一緒に出ては直ぐに覚られるから、おまえは一と足さきに出て、府中宿の友蔵の家に待ち合わせていてくれ。私はあとから尋ねて行くと、うまく瞞《だま》してお大を出してやる。闇祭りの日には江戸や近在の参詣人が大勢集まって来るから、却っていいと云うので、五月五日にお大をこっそり落としてやりました。
お大は男にだまされて府中へ行き、友蔵の家で待ち合わせていたが、幾次郎は来ない。その翌日になっても姿を見せない。それも道理で、幾次郎は最初から一緒に駈け落ちをする気はない。女のふところには二十両の金を持たせてあるから、それを巻きあげた上でどうとも勝手に始末してくれと、友蔵に頼んである。実にひどい奴もあるものです。
それを知らずに持っているお大にむかって、友蔵はいよいよ本性をあらわしましたが、自分に駈け落ちの弱味があるから、お大はじたばたすることも出来ない。ふところの二十両は早速にまきあげられて、その上に友蔵の慰み物です。逃げ出されては面倒だと思って、友蔵はお大を細引で縛って、用のない時は戸棚へ抛り込んで置く。お大は三十四、五ですが、容貌《きりょう》もまんざらで無いので、さんざん玩具《おもちゃ》にした上で何処かの田舎茶屋へでも売り飛ばそうという友蔵の下心《したごころ》。お大はひどい目に逢いながらも、今に幾次郎が来るものと思って、泣く泣く我慢していたと云いますから、よっぽどうまく男に瞞《だま》されていたものと見えます。
どう考えても幾次郎はひどい奴で、体《てい》よくお大を追い払って、百八十両の金を着服《ちゃくふく》して、自分はなんにも知らない顔をして和泉屋に残っている。忠義者の親父に引きかえて、こいつはよくよくの悪者です」
「怖ろしい奴ですね」と、わたしは嘆息した。「そこで、一方のしん吉はどうしたんです」
「こいつも亦ひどい奴で、幾次郎といい取組ですよ」と、老人もまた嘆息した。「伊豆屋という酒屋の女房お八重は、前にも云う通り、大きい子供の三人もありながら、派手づくりで出歩くような女ですから、どうで碌な事はしていまいと思っていると、案のとおり落語家のしん吉に浮かれて方方で逢い引きをしている。それでも上手にやっていたと見えて、近所へは知られなかったのですが、これも女が年上であるだけに熱度がだんだんに高くなる。いくらお人好しでも亭主がある以上、しん吉と思うように逢うことが出来ないので、これも駈け落ちの相談、ちょうど和泉屋の女房とおなじ行き方です。
この方は大抵お判りでしょうが、府中の方角へしん吉が稼ぎに廻っている時、かねて諜《しめ》し合わせてあるお八重は闇祭り見物ということにして、息子や番頭や若い者を連れて、大びらで家を出て行く。そうして、しん吉の泊まっている釜屋へ乗り込んで、祭りの暗まぎれに手を取って道行《みちゆき》、すべてが思い通りに運んで、その夜のうちに次の宿《しゅく》の日野まで落ち延びました。しん吉は世間の人に覚られないように、その日の午《ひる》過ぎに釜屋をいったん出立して、暗くなってから又引っ返して来たのです。府中から日野まで一里二十七丁という事になっていますが、女の足弱をつれて夜道の旅だから捗取《はかど》らない。八ツ(午前二時)過ぎにようよう日野の宿に行き着いて、寝ている宿屋を叩き起こして泊まりました。
きのうは昼も歩き、夜も歩き、その疲れで、お八重は日の高くなる頃に眼をさますと、しん吉のすがたが見えない。お八重は家から百五十両の金を持ち出して、それをしん吉に預けると、男はその金を持って影をかくしてしまったのです」
「なるほど幾次郎とおなじような手ですね」
「そうです、そうです。さては置き去りを喰ったのかと、お八重も初めて気が付いたが、どうする事も出来ない。巾着《きんちゃく》に残っている小遣い銭で、どうにか宿屋の払いをして出たが、今さら江戸へも帰られず、男にだまされたくやしさと、身の振り方に困った悲しさとで、いっそ死のうと思い詰めたのでしょう。それから二、三日は何処をうろついていたか知りませんが、その死骸が、調布の河原へ流れ着きました」
「身を投げたんですね」
「多摩川の深そうな所をさがして、身を投げたのでしょう。一方のしん吉はお八重を置き去りにして、又もや府中に引っ返して来て、吉野屋という女郎屋に隠れていた。と云うのは、その店のお鶴という女に熱くなっていたからです。お八重から巻き上げた金はあり、惚れた女のそばに居て、しん吉はいい心持に浮かれていたのですが、お定まりの痴話喧嘩で、もう帰るとか何とか云って、雨の降るなかへ飛び出したのが因果、丁度わたくしの眼にかかって、忽ち首根っこを押さえられました。やっぱり悪いことは出来ませんね。
悪いことは出来ないと云えば、伊豆屋のお大といい、和泉屋のお八重といい、どっちも同じような不埒を働いて、同じようなひどい目に逢っている。しかもその場所が同じ府中の宿で、おなじ闇祭りの晩だと云うのも、何かの因縁がありそうで、不思議に思われない事もありません」
「そうすると、しん吉のおっかさんが夢を見た……しん吉が血だらけの顔をしていた夢を見たと云うのは、なんでもない事だったんですね」
「さあ、それに就いて少し不思議なことが無いでもありません」と、老人は考えながら云った。「今も申す通り、しん吉は死ぬどころか、平気で酒を飲んで浮かれていたのですが、お八重の顔が疵だらけになっていました。どこから身を投げたのか知りませんが、その後の雨に水瀬が早くなって、お八重の死骸が流されて来る途中、川の砂利にでも擦られたのでしょう。顔一面が疵だらけで、丁度しん吉のおふくろが夢に見たような姿でした。してみると、おふくろの夢もまんざら取り留めのない事でも無いようで、お八重の魂がしん吉の姿を仮りて現われたのかも知れません。それとも偶然の暗合とでも云うのでしょうか。そういうことは学者先生に伺わなければ判りません。もう一つの不思議は、例の友蔵が売り物にしていた荒鵜がその晩から見えなくなってしまいました。しかしこれは不思議がるほどの事でもなく、どさくさ紛れに綱を切って、もとの明神の森へ飛んで行ったのかも知れません」
「関係者一同はどんな処分をうけました」
「今日の刑法では、誰も重い罪にはならない筈ですが、昔はみんな重罪です。まず伊豆屋の方から云いますと、お八重はもう死んでいますが、しん吉は死罪、しかしお仕置にならないうちに牢死しました。和泉屋の幾次郎は主人の女房と密通した上に、いろいろの悪事をたくらんだので獄門、女房のお大も死罪になりました。友蔵はほかにも悪い事をしているので、これも死罪。いくら江戸時代でも、これだけ一度に死罪を出すのは大事《おおごと》です。
和泉屋は前の清七の一件があり、又もや死罪が二人も出たので、女房の幽霊が出るの、手代の幽霊が出るのという評判、とうとう店を張り切れなくなって、さすがの旧家もどこへか退転してしまいました。伊豆屋の方は無事に商売していましたが、これも維新後にどこへか立ち去ったようです」
云いかけて、老人は耳を傾けた。
「おや、雨の音が……。あしたの小金井行きはあぶのうござんすよ」
雨はあしたの日曜まで降りつづいて、わたしの小金井行きはとうとうお流れになった。その翌年の五月なかばに、半七老人の去年の話を思い出して、晴れた日曜日の朝から小金井へ出てゆくと、堤《どて》の桜はもう青葉になっていた。その帰り道に府中へまわると、町のはずれに鵜を売っている男を見た。かの友蔵もこんな男ではなかったろうかと思いながら、立ち寄ってその値段を訊くと、男は素気《そっけ》なく答えた。
「十五円……。お前さんはひやかしだろう」
いよいよ友蔵に似て来たので、わたしは早々に逃げ出した。
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白蝶怪《はくちょうかい》
一
文化九年――申《さる》年の正月十八日の夜である。その夜も四ツ半(午後十一時)を過ぎた頃に、ふたりの娘が江戸小石川の目白不動堂を右に見て、目白坂から関口駒井|町《ちょう》の方角へ足早にさしかかった。
駒井町をゆき抜ければ、音羽《おとわ》の大通りへ出る。その七丁目と八丁目の裏手には江戸城の御賄《おまかない》組の組屋敷がある。かれらは身分こそ低いが、みな相当に内福であったらしい。今ここへ来かかった二人の娘は、その賄組の瓜生《うりゅう》長八の娘お北と、黒沼伝兵衛の娘お勝で、いずれも明けて十八の同い年である。
今夜は関口台町の鈴木という屋敷に歌留多《かるた》の会があったので、二人は宵からそこへ招かれて行った。いつの世にも歌留多には夜の更《ふ》けるのが習いで、男たちはまだ容易にやめそうもなかったが、若い女たちは目白不動の鐘が四ツを撞《つ》くのを合図に帰り支度に取りかかって、その屋敷で手ごしらえの五目鮨《ごもくずし》の馳走になって、今や帰って来たのである。屋敷を出る時には、ほかにも四、五人の女連れがあったのであるが、途中でだんだんに別れてしまって、駒井町へ来る頃には、お北とお勝の二人になった。
夜更けではあるが、ふだんから歩き馴れている路である。自分たちの組屋敷まではもう二、三丁に過ぎないので、ふたりは別に不安を感じることも無しに、片手に提灯《ちょうちん》を持ち、片袖は胸にあてて、少し俯向《うつむ》いて、足を早めて来た。
坂を降りると、右側は二、三軒の屋敷と町屋で、そのあいだには寺もある。左側は殆どみな寺である。屋敷は勿論、町屋も四ツ過ぎには表の戸を閉めているので、寺町ともいうべき此の大通りは取り分けて寂しかった。春とは云っても正月なかばの暗い夜で、雪でも降り出しそうな寒い風がひゅうひゅう吹く。二人はいよいよ俯向き勝ちに急いで来ると、お北は何を見たか、俄かに立ち停まった。
「あら、なんでしょう」
お勝も提灯をあげて透かして見ると、ふたりの行くさきに一つの白い影が舞っているのである。更によく見ると、それは白い蝶である。普通に見る物よりやや大きいが、たしかに蝶に相違なかった。蝶は白い翅《はね》をひるがえして、寒い風のなかを低く舞って行くのであった。二人は顔を見あわせた。
「蝶々でしょう」と、お勝はささやいた。
「それだからおかしいと思うの」と、お北も小声で云った。「今頃どうして蝶々が飛んでいるのでしょう」
時は正月、殊にこの暗い夜ふけに蝶の白い形を見たのであるから、娘たちが怪しむのも無理はなかった。二人はそのまま無言で蝶のゆくえを見つめていると、蝶は寒い風に圧《お》されるためか、余り高くは飛ばなかった。むしろ地面を掠《かす》めるように低く舞いながら、往来のまん中から左へ左へ迷って行って左側の或る寺の垣に近寄った。それは杉の低い生垣《いけがき》で、往来からも墓場はよく見えるばかりか、野良犬などが毎日くぐり込むので、生垣の根のあたりは疎《まば》らになっていた。蝶はその生垣の隙間《すきま》から流れ込んで、墓場の暗い方へ影をかくした。
それを不思議そうに見送っていると、二人のうしろから草履の音がきこえて、五十ばかりの男が提灯をさげて来た。彼は通り過ぎようとして見返った。
「御組屋敷のお嬢さん達じゃあございませんか」
声をかけられて、二人も見かえると、男は音羽の市川屋という水引屋《みずひきや》の職人であった。ここらは江戸城に勤めている音羽という奥女中の拝領地で、音羽の地名はそれから起こったのであると云う。その関係から昔は江戸城の大奥で用いる紙や元結《もっとい》や水引のたぐいは、この音羽の町でもっぱら作られたと云い伝えられ、明治以後までここらには紙屋や水引屋が多かった。この男もその水引屋の職人で、源蔵という男である。多年近所に住んでいるので、お北もお勝も子供のときから彼を識っていた。
「今時分どこからお帰りです」と、源蔵はかさねて訊《き》いた。
「鈴木さんへ歌留多《かるた》を取りに行って……」と、お北は答えた。
「ああ、そうでしたか」と、源蔵はうなずいた。「そうして、ここで何か御覧になったんですか」
「白い蝶々が飛んでいるので……」
「白い蝶々……。ご覧になりましたか」
「こんな寒い晩にどうして蝶々が飛んでいるのでしょう」と、お勝が訊いた。
「わたくしももう三度見ましたが……」と、源蔵も不思議そうに云った。「まったく不思議ですよ。去年の暮頃から、時々に見た者があると云いますがね。この寒い時節に蝶々が生きている筈がありませんや、おまけに暗い晩に限って飛ぶというのは、どうもおかしいんですよ」
武家の子とはいいながら、若い娘たちはなんとなく薄気味悪くなって、夜風がひとしお身にしみるように感じられた。
「蝶々はどっちの方へ飛んで行きました」と、源蔵はまた訊いた。
「お寺のなかへ……」
「ふうむ」と、源蔵は窺うように墓地の方を覗いたが、そこには何かの枯れ葉が風にそよぐ音ばかりで、新らしい墓も古い墓も闇の底に鎮まり返っていた。
提灯の火が又ひとつあらわれた。拍子木《ひょうしぎ》の音もきこえた。火の番の藤助という男がここへ廻って来たのである。三人がここに立ち停まっているのを見て、藤助も近寄って来た。
「なにか落とし物でもしなすったかね」
彼も三人を識っているのである。源蔵から白い蝶の話を聞かされて、藤助も眉をよせた。
「その蝶々はわたしも時々に見るがな。なんだか気味がよくない。今夜はこの寺の墓場へ飛び込んだかね」
「誰かの魂《たましい》が蝶々になって、墓の中から抜け出して来るんじゃないかね」と、源蔵は云った。
「なに、墓から出るんじゃない、ほかから飛んで来るんだよ。墓場へはいるのは今夜が初めてらしい」と、藤助は云った。
「だが、蝶々が何処から飛んで来て、どこへ行ってしまうか、誰も見とどけた者は無い。第一、あの蝶々はどうも本物ではないらしいよ」
「生きているんじゃ無いのか」
「飛んでいるところを見ると、生きているようにも思われるが……。わたしの考えでは、あの蝶々は紙でこしらえてあるらしいね。どうも本物とは思われないよ」
聴いている三人は又もや顔を見あわせた。
「わたしもそこまでは気が付かなかったが……」と、源蔵はいよいよ不思議そうに云った。「紙で拵《こしら》えてあるのかな。だって、あの蝶々売が売りに来るのとは、違うようだぜ」
「蝶々売が売りに来るのは、子供の玩具《おもちゃ》だ。勿論、あんな安っぽい物じゃあないが、どうも生きている蝶々とは思われない。白い紙か……それとも白い絹のような物か……どっちにしても、拵え物らしいよ。だが、その拵え物がどうして生きているように飛んで歩くのか、それが判らない。なにしろ不思議だ。あんな物は見たくない。あんなものを見ると、なにか悪いことがありそうに思われるからね。といって、わたしは商売だから、毎晩こうして廻っているうちに、忌《いや》でも時々見ることがある。気のせいか、あの蝶々をみた明くる日は、なんだか心持が悪くって……」
こんな話を聴かされて、三人はますます肌寒くなって来た。お勝はお北の袂《たもと》をそっと曳いた。
「もう行きましょうよ」
「ええ、行きましょう」と、お北もすぐ同意した。
「そうだ。だんだんに夜が更《ふ》けて来る。お嬢さんたちはお屋敷の前まで送ってあげましょうよ」と、源蔵が云った。
藤助に別れて、三人はまた足早にあるき出したが、音羽の通りへ出るまでに、蝶は再びその白い影をみせなかった。娘たちの組屋敷は音羽七丁目の裏手にあるので、源蔵はそこまで送りとどけて帰った。
お北の父の瓜生長八は、城中へ夜詰《よづめ》の番にあたっていたので、その夜は自宅にいなかった。瓜生の一家は長八と、妻のお由と、長女のお北と、次女のお年と、長男の長三郎と、下女のお秋の六人暮らしで、男の奉公人は使っていない。長三郎は十五歳で、お年は十三歳である。お北の帰りが少し遅いので、長三郎を迎えにやろうかと云っているところへ、お北は隣家のお勝と一緒に帰って来た。水引屋の職人に送って貰ったと云うのである。
「唯今……。どうも遅くなりました」
茶の間へ来て、母のまえに手をついた娘の顔は蒼かった。
「お前、どうしたのかえ」と、母のお由は怪しむように訊《き》いた。
「いいえ、別に……」
「顔の色が悪いよ」
「そうですか」
白い蝶が若い娘たちを気味悪がらせたには相違なかったが、お北自身は顔の色を変えるほどに脅《おびや》かされてもいなかった。彼女は却って母に怪しまれたのを怪しむくらいであった。しかし、まんざら覚えのないわけでも無いので、白い蝶の一件を母や妹に打ち明けようと思いながら、なぜかそれを口に出すのを憚《はばか》るような心持になって、お北は結局黙っていた。
「この春は風邪が流行《はや》ると云うから、気をお付けなさいよ」と、なんにも知らない母は云った。
夜も更《ふ》けているので、妹のお年は姉の帰りを待たずに、さっきから次の間の四畳半に寝ていたのであるが、このとき突然に魘《うな》されるような叫び声をあげた。なにか怖い夢でも見たのであろうと、お由は襖《ふすま》をあけて次の間へ行った。
唸っているお年を呼び起こして介抱すると、少女のひたいには汗の珠《たま》がはじき出されるように流れていた。
お年の夢はこうであった。彼女が姉と一緒に広い草原をあるいていると、姉の姿がいつか白い蝶に化《か》して飛んでゆく。おどろいて追おうとしたが、とても追いつかない。焦《じ》れて、燥《あせ》って、呼び止めようとするところを、母に揺り起こされたのである。
その夢の話を聴かされて、お北ははっと思った。今度こそは本当に顔色を変えたのである。しかもそうなると、白い蝶の一件を洩らすことがいよいよ憚られるように思われて、彼女はやはり口を閉じていた。母も少女の夢ばなしに格別の注意を払わないらしかった。
「子供のうちはいろいろの夢をみるものだ。姉さんはここにいるから、安心しておやすみなさい」
お年は再び眠った。他の人々も皆それぞれ寝床にはいったが、その後にはなんの出来事もなく、瓜生の一家は安らかに一夜を過ごした。宵からの疲れで、お北も他愛なく眠った。
風は夜のうちに止んでいたが、明くる朝は寒かった。こんにちと違って、その当時の音羽あたりは江戸の場末であるから、庭にも往来にも春の霜が深かった。早起きを習いとする瓜生の家では、うす暗いうちから寝床を離れて、お由は下女に指図して台所に立ち働いていた。お北は表へ出て門前を掃いていると、隣家の黒沼でももう起きているらしく、お勝も箒《ほうき》を持って門前へ出てきた。ふたりの娘はゆうべの挨拶を終ると、お勝は摺り寄ってささやくように云った。
「あなた、ゆうべの事を誰かに話しましたか」
「いいえ。まだ誰にも……」
「わたしはお母さまに話したのですよ」と、お勝はいよいよ声をひくめた。「そうしたら、お母さまはもう白い蝶々のことを知っているのです」
「お母さまも見たのですか」
「自分は見ないけれども、その話は聞いているのだそうです。お父さまに話したらば、そんな馬鹿なことを云うなと叱られたので、それぎり誰にも云わなかったのだそうです」
御賄組などはその職務の性質上、どちらかと云えば武士気質《さむらいかたぎ》の薄い人々が多いのであるが、お勝の父の黒沼伝兵衛は生まれつき武士気質の強い男で、組じゅうでも義理の堅い、意地の強い人物として畏敬されていた。その伝兵衛に対してお勝の母が何か怪談めいた事など話した場合、あたまから叱り飛ばされるのは知れ切っていた。
お勝の母の話によると、このごろ夜が更けると怪しい蝶が飛びあるく。それはお勝らが見たのと同じように、普通の物よりやや大きい白い蝶で、それが舞い込んだ家には必ず何かのわざわいがある。多くは死人を出すと云うのである。
「お母さまがどうしてそんな事を御存じなのでしょう」と、お北は又|訊《き》いた。
「それはね」と、お勝は更に説明した。「四、五日前に白魚河岸《しらうおがし》のおじさんが御年始にきた時に、お母さまに話したので……。八丁堀でも内々|探索《たんさく》しているのだそうです」
白魚河岸のおじさんと云うのは黒沼の親類で、姓を吉田といい、白魚の御納屋《おなや》に勤めている。吉田は土地の近い関係から、八丁堀同心らとも知合いが多いので、その同心の或る者から白い蝶の秘密を洩れ聞いたらしい。してみると、まんざら無根の流言《りゅうげん》とも云えないのであるが、伝兵衛は飽くまでもそれを否認していた。彼はこんなことまで云った。
「白魚河岸がそんな出たらめを云うのか。さもなければ、この頃はお膝元が太平で、八丁堀の奴らも閑《ひま》で困るもんだから、そんな、詰まらない事を云い触らして、忙がしそうな顔をしているのだ。ばかばかしい」
こう一と口に云ってしまえばそれ迄であるが、白魚河岸のおじさんは嘘を云うような人ではない。八丁堀の人たちが幾ら閑《ひま》だからといって、根も葉もないことに騒ぎ立てるはずもあるまいと、お勝の母は夫に叱られながらも、内心はそれを信じていた。
その矢さきに、お勝が現在その白い蝶の飛ぶ姿を見たと云うのであるから、母はいよいよそれを信じないわけには行かなくなった。
「それですから当分は夜歩きをしない方がいいと、お母さまは云っているのですよ」と、お勝はさらに付け加えた。
二
門前の掃除を仕舞ってお北はわが家へはいったが、今のお勝の話がなんとなく気にかかって、彼女は暗い心持になった。
お勝の父がいかにそれを否認しても、白い蝶の怪異はまんざら跡方のないことでも無いように思われた。
ことに妹のお年がゆうべの夢にうなされて、姉が白い蝶に化して飛び去ろうとしたと云う話が、また今更のように思い合わされて、お北は一種の恐怖を感じないわけには行かなかった。白い蝶と自分とのあいだに、何かの因縁が結び付けられているのではないかとも恐れられた。しかもそれを母や弟に打ちあけるのを憚《はばか》って、彼女はやはり黙って朝飯の膳にむかった。
「お前はゆうべからどうも顔の色が悪いようだが、まったく風邪《かぜ》でも引いたのじゃあないか」と、母のお由は再び訊いた。
「いいえ、別に……」と、お北はゆうべと同じような返事をしていたが、自分でも少し悪寒《さむけ》がするように感じられてきた。気のせいか、蟀谷《こめかみ》もだんだん痛み出した。
弟の長三郎は朝飯の箸をおくと、すぐに剣術の稽古に出て行った。四ツ(午前十時)頃に、父の長八は交代で帰ってきたが、これも娘の顔をみて眉をよせた。
「お北、おまえは顔色がよくないようだぞ。風邪でも引いたか」
父からも母からも風邪引きに決められてしまった。お北はとうとう寝床にはいることになった。下女のお秋は音羽の通りまで風邪薬を買いに出た。
お北は実際すこし熱があるとみえて、床にはいると直ぐにうとうとと眠ったが、やがて又眼がさめると、茶の間でお秋が何事をか話している声がきこえた。お秋が小声で母と語っているのであるが、襖ひとえの隣りであるから、寝ているお北の耳にも大抵のことは洩れきこえた。
「わたくしが薬屋へまいりますと、丁度お隣りのお安さんもお薬を買いに来ていまして、お隣りのお勝さんもやはり寝ておいでなさるそうで……」
「じゃあ、どっちも夜ふかしをして風邪を引いたのだね」と、お由は云った。
「いいえ、それがおかしいので……」
お秋は更に声を低めたが、とぎれとぎれに聞こえる話の様子では、かの白い蝶の一件について訴えているらしい。いずれにしても、お勝も床に就いたのである。
「まあ、そんなことがあったのかえ。お北はなんにも云わないので、わたしはちっとも知らなかったが……」と、お由は不安らしく云った。「そうすると、お勝さんもお北も唯の風邪じゃあ無いのかしら」
それから後は又もや声が低くなったが、やがてお秋が台所へさがり、お由は立って父の居間へ行ったらしかった。そのうちに、お北は又うとうとと眠ってしまったので、その後のことは知らなかったが、ふたたび眼をさますと、もう日が暮れていた。
このごろの癖で、夕方から又もや寒い風が吹き出したらしく、どこかの隙間から洩れて来る夜の風が枕もとの行燈《あんどう》の火を時々に揺らめかしていた。
お北が枕から顔をあげると、行燈の下には母のお由がやはり不安らしい眼色をして、娘の寝顔を窺うように坐っていた。
「どうだえ、心持は……」と、お由はすぐに訊いた。「少しは汗が取れましたかえ」
云われて気がつくと、お北の寝巻は汗でぐっしょりと濡れていた。母は手伝って寝巻を着かえさせて、娘をふたたび枕に就かせたが、十分に汗を取ったせいか、お北の頭は軽くなったように思われた。それを聴いて、お由はやや安心したようにうなずいたが、やがて又ささやくように話し出した。
「それはまあ好かった。実はわたしも内々心配していたんだよ。どうも唯の風邪でも無いらしいからね。おまえの寝ているあいだに、お隣りの黒沼の小父さんが来て……」
「お勝さんも悪いんですってね」と、お北も低い声で云った。
「けさまでは何ともなかったのだが、お午《ひる》ごろから悪くなって、やっぱりお前と同じように、風邪でも引いたような工合《ぐあい》で寝込んでしまったのだが、それには仔細《しさい》があるらしいと云うので、黒沼の小父さんが家《うち》へ聞き合わせに来なすったのだよ。ゆうべの歌留多の帰りに、目白下のお寺の前で、白い蝶々を見たと云うが、それは本当かと云うことだったが、お前も病気で寝ているから、あとで好く訊いておくと返事をして置いたのさ。そうすると黒沼の小父さんは、それでは又来ると云って出て行ったが、その足で音羽の通りへ出て、あの水引屋の……市川屋の店へ行って、職人の源蔵に逢って、何かいろいろ詮議をした末に、源蔵を案内者にして、お寺の方まで行ったのだとさ」
黒沼伝兵衛は娘の病気から白い蝶の一件を聞き出したが、元来そういうたぐいの怪談を信じない彼は、一応その虚実を詮議するために、そのとき一緒に道連れになったと云う市川屋の源蔵をたずねたのである。その結果を早く知りたいので、お北は忙がわしく訊いた。
「それからどうして……」
「あの小父《おじ》さんのことだからね」とお由は少しく笑顔を見せた。「なんでも源蔵を叱るように追いまわして、その蝶々を見たのはどの辺かということを厳重に調べたらしい。蝶々は生垣をくぐってお寺の墓場へ飛んで行ったと云うので、今度はお寺へはいって墓場を一々見てあるいたが、別にこれぞという手がかりも無く、蝶々の死骸らしい物も見付からなかったそうだよ。それでもまだ気が済まないと見えて、黒沼の小父さんはお寺の玄関へまわって、坊さんにも逢って、白い蝶々について何か心あたりはないかと聞き合わせてみたが、お寺の方ではなんにも知らないと云うので、とうとう思い切って引き揚げてきたそうだが……。なにしろ不思議なこともあるものさね。おまえも本当にその蝶々を見たのかえ」
もう隠してもいられなくなって、お北はゆうべの一件を母に打ち明けると、お由の顔はまた陰《くも》った。若い娘たちが夜ふかしをして、夜道をあるいて、ふたりが同時に風邪を引いた。――そんなことは一向にめずらしく無いのであるが、それに怪しい蝶の一件が絡《から》んでいるだけに、二人の病気には何かの因縁があるように思われないでもなかった。
「家《うち》のお父さまはね」と、お由は又云った。「ああいう人だから、今度のことについて別に嘘だとも本当だとも云わないけれど、わたしはなんだか気になって……。もしやお前が悪くでもなっては大変だと、内々案じていたのだが、この分じゃ仔細も無さそうだ。それにしても、お勝さんの見舞ながらお隣りへ行って、おまえも確かにその蝶々を見たと云うことを、小父さんに話して来なければなるまい。わたしはこれからちょっと行って来ますよ」
お由は有り合わせの菓子折か何かを持って、直ぐに隣りへ出て行った。その留守に、お北は妹を枕もとへ呼んで、ゆうべの夢のことに就いて更に詮議すると、お年は確かに姉さんが白い蝶々になった夢をみたと云った。子供の夢ばなしなど、ふだんは殆ど問題にもならないのであるが、今のお北に取っては何かの意味ありげにも考えられた。彼女はなんだか薄気味悪くなって、この部屋のどこかに蝶の白い影が迷っているのでは無いかと、寝ながらに部屋の隅々を見まわした。
半刻ばかりの後に、お由は帰って来て、娘の枕もとで又こんな事をささやいた。
「おまえとは違って、お勝さんはどうも容態《ようだい》がよくないようで、丁度お医者を呼んで来たところさ。お医者は質《たち》の悪い風邪だと云ったそうだけれど、小父さんはよっぽど心配しているようだったよ」
「小父さんは何と云っているのです」
「黒沼の小父さんはまだ本当にはしていないらしいのだがね。それでも自分の娘が悪くなったし、お前も確かにその蝶々を見たと云うのだから、少し不思議そうに考えているようだったが……。黒沼の小父さんの話では、それがもう町方《まちかた》の耳にもはいって、内々で探索をしていると云うことだから、嘘か本当かは自然に判るだろうけれど……。まあ当分は日が暮れてから外へ出ないに限りますよ。姉さんばかりじゃない、お年も気をおつけなさい」
娘たちを戒《いまし》めて、その晩は早く寝床に就いたが、表に風の音がきこえるばかりで、ここの家には何事もなかった。明くる朝はお北の気分もいよいよ好くなったが、それでも用心してもう一日寝ていることにしたので、弟の長三郎が代って門前を掃きに出ると、となりの黒沼には男の子がないので、下女のお安が門前を掃いていた。
ここで長三郎は、お安の口から更に不思議なことを聞かされた。
ゆうべの夜なかに、病人のお勝が苦しそうに唸《うな》り声をあげたので、父の伝兵衛が起きて行ってうかがうと、お勝の部屋には燈火《あかり》を消してあって、一面に暗いなかに小さい白い影が浮いて見えた。それは白い蝶である。蝶は羽《はね》をやすめてお勝の衾《よぎ》の上に止まっている。伝兵衛は床の間の刀を取って引っ返して来て、まずその蝶を逐《お》おうとしたが、蝶はやはり動かない。伝兵衛は刀の鞘のままで横に払うと、蝶はひらひらと飛んで自分の寝巻の胸にはいった。
伝兵衛は妻のお富をよびおこして手燭をともさせ、寝巻を払ってあらためたが、どこにも蝶の影は見えなかった。あなたの眼のせいでしょうとは云ったが、お富も一種の不安を感じないでもなかった。お勝をゆりおこして訊《き》いてみたが、お勝は別におそろしい夢に魘《うな》されたのでも無く、唯うとうとと眠っていて何事も知らないと云った。
話は単にそれだけのことで、しょせんは伝兵衛の眼の迷いと云うことに帰着してしまったのであるが、場合が場合であるだけに、どの人の胸にも消えやらない疑いが残っていた。臆病なお安は頭から衾《よぎ》を引っかぶって夜の明けるまでおちおちとは眠られなかった。
「黒沼の小父さんも年を取ったな」と、長三郎はその話を聴きながら、肚《はら》のなかで笑った。
ふだんはそんな怪談をあたまから蹴散らしていながら、いざとなれば心の迷いからそんな怪しみを見るのである。年を取ったと云っても、四十を越してまだ間もないのに、人間はそんなにも弱くなるものかなどとも考えた。
「そんなことは誰にも話さない方がいい。わたしも黙っているから」と、長三郎はお安に注意するように云った。
「ええ。誰にも云っちゃあならないと、御新造《ごしんぞう》さまからも口止めされているんです」と、お安も云った。
口止めされながら、直ぐに他人にしゃべってしまうのである。長三郎は若い下女の口善悪《くちさが》ないのを憎みながらいい加減にあしらって家へはいった。そうして、朝飯を食ってしまってから、素知らぬ顔で隣りの家へ見舞にゆくと、お勝の容態はやはり好くないらしかった。
「姉さんは……」と、母のお富が訊いた。
「姉はもう好くなりまして、きょう一日も寝ていたらば起きられるでしょう」
「それは仕合わせでしたな。家《うち》の娘はまだこの通りで……」
「御心配ですね」
そんな挨拶をしているうちに、主人の黒沼伝兵衛が奥から出て来た。
「長さん。こっちへ来てくれ」
長三郎を自分の居間へよび入れて、伝兵衛はしずかに云い出した。
「若い者の手前、まことに面目のないことだが、ゆうべは少し失策《しくじり》をやったよ」
「どんなことですか」
長三郎はやはり素知らぬ顔をしていると、伝兵衛は自分の口から白い蝶の話をはじめた。それはさっきお安が長三郎に洩らしたと同じ出来事であった。伝兵衛は正直にゆうべの失策を打ちあけた後に、みずから嘲るように苦笑《にがわら》いをした。
「わたしも小身ながら武士の端《はし》くれだ。世に不思議だの、妖怪だのと云うものがあろうとは思っていない。怪力乱神を語らずとは、孔子も説いている。かの白い蝶の一件は、先日も白魚河岸の親類が来て、何か家内に話して行ったそうだが、わたしは別に気にも掛けずにいた。いや、まったくばかばかしい話だと思っていたのだ。ところが、おとといの晩は家《うち》のお勝も見た。お前の姉さんも見たと云う。まだそればかりでなく、あの水引屋の……職人の源蔵も見たと云う。源蔵は正直者で、むやみに嘘を云うような男でもない。してみると、これには何か仔細があるらしく思われる。就いては、物は試《ため》しだ。わたしは今夜、目白坂の辺へ行って、果たしてその白い蝶が飛ぶかどうかを探索してみようと思うのだが、どうだ、お前も一緒に行ってみないか」
その頃の若侍のあいだには「胆《きも》だめし」と唱えて、あるいは百物語を催し、あるいは夜ふけに墓場へ踏み込み、あるいは獄門首の晒《さら》されている場所をたずねる、などの冒険めいた事がしばしば行なわれていた。伝兵衛が長三郎を誘ったのも、その意味である。長三郎のかよっている剣術の道場でも、これまで往々にそんな催しがあったが、彼はまだ十五歳の前髪であるので、とかくにその仲間から省《はぶ》かれ勝ちであるのを、彼はふだんから残念に思っていた。その矢さきへ、この相談を持ち掛けられたのであるから、長三郎はよろこんで即座に承諾した。彼はぜひ一緒に連れて行ってくれと答えると、伝兵衛は然《さ》もこそと云うようにうなずいた。
「むむ。お前ならばきっと承知するだろうと思った。では、今夜の五ツ頃(午後八時)から出かける事にしよう。だが親父やおふくろが承知するかな」
「夜学に行くことにして出ます」
長三郎は護国寺門前まで漢籍の夜学に通うのであるから、両親の手前はその夜学にゆくことにして怪しい蝶の探索に出ようと云うのである。その相談が決まって、彼は威勢よく我が家へ帰った。
「あなたはともかくも、年の若い長さんなぞを連れ出して、なにかの間違いがあると困りますよ」と、妻のお富は不安そうに云った。
「なに、あいつは年が行かないでも、なかなかしっかりしているから、大丈夫だよ」
伝兵衛は笑っていた。
三
廿日正月《はつかしょうがつ》という其の日も暮れて、宵闇《よいやみ》の空に弱い星のひかりが二つ三つただよっていた。今夜も例のごとく寒い風が吹き出して、音羽の大通りに渦巻く砂をころがしていた。
「寒い、寒い。この正月は悪く吹きゃあがるな。ほんとうに人泣かせだ」
この北風にさからって江戸川橋の方角から、押し合うように身を摺り付けて歩いて来たのは、二人の中間《ちゅうげん》である。どちらも少しく酔っているらしく、その足もとが定まらなかった。
「いくら寒くっても、ふところさえ温《あった》かけりゃあ驚くこともねえが、陽気は寒い。ふところは寒い。内そとから責められちゃあやり切れねえ」と、ひとりが云った。
「まったくやり切れねえ」と、他のひとりも相槌《あいづち》を打った。
「仕方がねえ。叱られるのを承知で、また御用人を口説《くど》くかな」
「いけねえ、いけねえ。うちの用人と来た日にゃあとてもお話にならねえ。それよりもお近《ちか》に頼んだ方がいい。たんとの事は出来ねえが、一朱や二朱ぐれえの事はどうにかしてくれらあ」
「お近に……。おめえ、あの女に借りたことがあるのか」
「ほかの者にゃあどうだか知らねえが、おれには貸してくれるよ」
「まさか情夫《いろ》になった訳じゃあるめえな」
「情婦《いろ》になってくれりゃあいいが、まだそこまでは運びが付かねえ」
「それにしても、不思議だな。あの女がおめえに金を貸してくれると云うのは……。どうして貸してくれるんだよ」
「はは、それは云えねえ。なにしろ、おれには貸してくれるよ。おれが口説けば、お近さんは貸してくれるんだ」
「それじゃあ、おれも頼んでみようかな」
「馬鹿をいえ。おめえなんぞが頼んだって、四文も貸してくれるもんか。はははははは」
こんなことを話しながら、押し合ってゆく二人のうしろには、又ひとつ黒い影が付きまとっていた。音羽の七丁目から西へ切れると、そこに少しばかりの畑地がある。そこへ来かかった時に、むこうから拍子木《ひょうしぎ》の音が近づいて、火の番の藤助の提灯がみえた。
「今晩は」と、藤助が先ず声をかけた。
「やあ、御苦労だな」と、中間のひとりが答えた。「べらぼうに寒いじゃあねえか」
「お寒うございますな」
「いくら廻り場所だって、こんなところを正直に廻ることもあるめえ。ここらにゃあ悪い狐がいるぜ」と、他のひとりが笑いながら云った。
「なに、狐の方でもお馴染《なじみ》だから大丈夫ですよ」と、藤助も笑いながら云った。「おまえさん方は今夜も御機嫌ですね」
「あんまり御機嫌でもねえ。無けなしの銭でちっとばかりの酒を飲んで、これから帰ると門番に文句を云われて、御用人に叱られて、どうで碌なことじゃあねえのさ」
「そう云っても、こいつにはお近さんと云ういい年増が付いているのだから仕合わせだよ」
「ええ、つまらねえことを云うな」
「お近さん……」と、藤助の眼は暗いなかで梟《ふくろう》のように光った。「お近さんと云うのは、お屋敷のお近さんですかえ」
「むむ、そうだ」
中間はなま返事をして、そのまま歩き出した。
他のひとりも続いて行った。藤助はまだ何か訊《き》きたそうな様子で、ふた足ばかり行きかけたが、又思い直したらしく、中間どものうしろ姿を見送ったばかりで引っ返して大通りへ出ようとするとき、彼は何かに驚かされたように、俄かに畑のかたを見返ると、そこには小さくうずくまっている物があった。それは狐ではない。人であるらしかった。
人は這うように身をかがめて、畑から往来へ忍び出たかと思うと、草履の音をぬすんで、かの中間共のあとを追って行くらしかった。それと同時に、藤助の提灯の火は風に吹き消されたのか、わざと吹き消したのか、たちまちに暗くなった。彼もまた抜き足をして、その黒い影のあとを追って行った。
一方にこういう事のあるあいだに、又一方には目白坂下の暗い寺門前に、二つの暗い影がさまよっていた。それは黒沼伝兵衛と瓜生長三郎で、かれらは昼間の約束通りに、白い蝶の正体を見とどけに来たのである。長三郎は小声で云った。
「小父さん。この辺ですね」
「この辺だ。きのう源蔵に案内させて、よく調べて置いた。蝶々はあの生垣をくぐって、墓場へ舞い込んだと云うことだ」と、伝兵衛は暗いなかを指さした。
「毎晩ここらへ出るのでしょうか」
「それは判らない。だが、まあ、ここらに網を張っているよりほかはあるまい。風を避《よ》けるために、この門の下にはいっていろ」
「なに、構いません。わたしはそこらへ行って見て来ましょうか」
「むむ、犬もあるけば棒にあたると云うこともある。ただ突っ立っているよりも、少し歩いてみるかな」
「小父さんはここに待ち合わせていて下さい。わたしがそこらを見廻って来ます」
云うかと思うと、長三郎は坂の上へむかって足早に歩き出した。風はなかなか吹き止まないで、寺内の大きい欅《けやき》の梢をひゅうひゅうと揺すって通ると、その高い枝にかかっている破れ紙鳶《だこ》が怪しい音を立ててがさがさと鳴った。
強い風をよけながら、暗いなかに眼を配って、長三郎は坂の上まで登り切ると、とある屋敷の横町から提灯の火がゆらめいて来た。どこをどう廻って来たのか知らないが、火の番の藤助はここへ出て来たのである。彼は拍子木を鳴らしていなかったが、その提灯のひかりで長三郎は早くも彼を知った。
「おい、火の番。今夜はここらで蝶々の飛ぶのを見なかったかね」と、長三郎は近寄って声をかけた。
「おお、瓜生の若旦那ですか」と、藤助は少しく提灯をかざして、長三郎のすがたを透かし視た。「あなたは蝶々を探しておいでなさるんですか」
「おとといの晩、うちの姉さんがここらで白い蝶々を見たと云うから、わたしも今夜さがしに来たのだ。おまえも見たことがあるそうだね」
藤助はそれに答えないで、また訊《き》いた。
「その蝶々をさがして、どうなさるんです」
「どうと云うことも無いが、その蝶々が何だかおかしいから、つかまえて見ようと思うのだ」
「つかまえて……どうなさるんです」
「唯、つかまえるだけの事だ」と、長三郎はその以上のことを洩らさなかった。
「それならばお止めなさい」と、藤助は諭《さと》すように云った。「白い蝶々の飛ぶことはあります。寒い時に蝶々が飛ぶ。……考えてみれば不思議ですが、それには又なにか仔細があるのでしょう。お武家のあなた方がそんなことにお係り合いなさらぬ方がよろしいんです」
「いや、少し訳があるので係り合うのだ。それで、おまえは今夜も見たのか」
藤助は首を振った。
「その蝶々の飛ぶのは、ここらに限ったことじゃありません。毎晩|屹度《きっと》ここらへ出ると決まっているんじゃありませんから、探してお歩きなすっても無駄なことですよ。今夜はあなたお一人ですか。それともお連れがあるんですか」
なんと答えてよいかと、長三郎はやや躊躇したが、やがて正直に云った。
「実は黒沼の小父さんと一緒に来たのだ」
「黒沼の旦那……」と、藤助は冷やかに云った。「その旦那はどこにおいでです」
「坂下の門前に待っているのだ」
「はあ、そうですか」
藤助の声はいよいよ冷やかに聞こえたばかりでなく、提灯の火に照らされた其の顔には冷やかな笑いさえ浮かんだ。
「今も申す通り、ここらを探しておいでになっても、白い蝶々はめったに姿を見せやあしませんよ。かぜでも引かないうちに、早くお引き揚げになった方が、よろしゅうございましょう」
彼はこう云い捨てて、軽く会釈《えしゃく》したままで立ち去ったが、長三郎はまだ其処にたたずんでいた。
拍子木の音は坂を横ぎって、向う横町の方へだんだんに遠くなるのを聞きながら、長三郎は考えた。藤助の話によると、白い蝶は毎晩ここらに出ると限ったわけでも無いと云う。それは自分も覚悟して来たのであるが、ここらを毎晩廻っている火の番がそう云う以上、めったに姿を見せない蝶をたずねて、いつまでも寒い風のなかに徘徊しているのは、なんだかばかばかしいように思われて来た。
「いっそ小父さんに相談して来ようか」
彼は引っ返そうとして、また躊躇した。折角ここまで踏み出して来ながら、まだ碌々の探索もしないで引っ返しては気怯《きおく》れがしたようにでも思われるかも知れない。長三郎は意気地なしであると、黒沼の小父さんに笑われるのも残念である。ともかく、もう少し歩いてみた上の事だと、長三郎は思い直して又あるき出したが、闇のなかには彼の眼をさえぎる物もなかった。
まだ五ツ半(午後九時)を過ぎまいと思われるのに、ここらの屋敷町はみな眠ってしまったように鎮まっていた。唯きこえるのは風の音ばかりである。
長三郎はあても無しに其処らを一巡して、坂の上まで戻って来ると、だんだんに更《ふ》けてゆく夜の寒さが身に沁み渡った。
「小父さんも待っているだろう」
もうこのくらいで引っ返してもよかろうと思って、長三郎は坂を降りた。もとの寺門前へ来かかった時に、彼は俄かに立ちどまって、口のうちであっと叫んだ。大きい白い蝶が闇のなかにひらひらと飛んでゆくのを見たのである。彼は眼を据えて、その行くえを見定めようとする間に、怪しい蝶の影は忽ち消えるように隠れてしまった。
早くそれを小父さんに報告しようと、彼は足早に門前へ進み寄ったが、そこに伝兵衛のすがたは見いだされなかった。わたしの帰りの遅いのを待ちかねて、小父さんもどこへか出て行ったのかと、長三郎は暗い門前を見まわしているうちに、その足は何物にかつまずいた。それが人であるようにも思われたので、彼はひざまずいて探ってみると、それは確かに人であった。しかも大小をさしていた。
長三郎ははっと思って慌てて其の人をかかえ起こした。
「小父さんですか。黒沼の小父さん。……小父さん」
人はなんとも答えなかった。しかもそれが伝兵衛であるらしいことは、暗いなかにも大抵は推察されたので、長三郎はあわてて又呼びつづけた。
「小父さん……小父さん……。黒沼の小父さん」
その声を聞き付けたらしく、どこからか提灯の火があらわれた。それは火の番の藤助である。彼は提灯をかざして近寄った。
「どうかなすったんですか」
「あかりを見せてくれ」と、長三郎は忙がわしく云った。
その火に照らされた人は、まさしく黒沼伝兵衛であった。彼は刀の柄《つか》に手をかけたままで、息が絶えていた。慌てながらもさすがは武家の子である。長三郎は直ぐにその死骸をひきおこして身内《みうち》をあらためたが、どこにも斬り傷または打ち傷らしい痕も見いだされなかった。
「早く水を持って来てくれ」と、長三郎は藤助を見かえった。
藤助は提灯をかざした儘で、唯だまって突っ立っているので、長三郎は焦《じ》れるように又云った。
「おい。この寺へ行って、早く水を貰って来てくれ」
「寺はもう寝てしまいましたよ」と、藤助はしずかに云った。
「それじゃあ井戸の水を汲んで来てくれ」
「水を飲ませたぐらいで、生き返るでしょうか」
「なんでもいいから、早く水を汲んで来い」と、長三郎は叱り付けるように叫んだ。
藤助は無言で寺の門内にはいった。提灯は彼と共に去ってしまったので、門前はもとの闇にかえった。その暗いなかで、長三郎は黒沼の小父さんの死骸をかかえながら、半分は夢のような心持で、氷った土の上に小膝をついていた。
その夢のような心持のなかでも、彼はかんがえた。小父さんが急病で仆《たお》れたので無いことは、刀の柄《つか》に手をかけているのを見ても判っている。小父さんは何物にか出会って、刀をぬく間もなしに仆《たお》れたのであろう。長三郎はかの白い蝶を思い出した。自分はたった今、こちらで怪しい蝶の影をみたのである。小父さんはかの蝶のために仆《たお》されたのではあるまいか。長三郎は一種の恐怖を感ずると共に、又一方にはおさえがたい憤怒《ふんぬ》が胸をついた。
「畜生、おぼえていろ」
彼は肚《はら》のなかで叫びながらあたりの闇を睨んでいるとき、藤助の提灯の火が鬼火《おにび》のように又あらわれた。彼は片手に小さい手桶をさげている。
血のめぐりが悪いのか、あるいは意地が悪いのか、こういう場合にも彼はさのみに慌てている様子もみせず、いつもの足取りで徐《しず》かに歩いて来るらしいのが、又もや長三郎を焦燥《いらだ》たせた。
「おい。早く……早く……」
呶鳴り付けられても、彼はやはり騒ぎもせず、無言で門へ出て来ると、長三郎は引ったくるようにその手桶を受け取った。手桶に柄杓《ひしゃく》が添えてあるので、長三郎はその柄杓に水を汲んで、伝兵衛の口にそそぎ入れた。
「小父さん……小父さん……。しっかりして下さい」
伝兵衛は答えなかった。柄杓の水も喉へは通らないらしかった。それが当然であると思っているかのように、藤助は黙って眺めていた。
「仕方がない。寺へ連れ込んで、医者を呼ぼう」と、長三郎は柄杓を投げ捨てながら云った。
藤助はやはり無言で立っていた。どこかで梟《ふくろう》の声がきこえた。
四
黒沼伝兵衛の死骸は寺内へ運び込まれた。とかくに落ち着き顔をしている火の番の藤助を追い立てるように指図《さしず》して、長三郎は近所の医者を迎えにやった。近所といっても四、五丁|距《はな》れているので、藤助は直ぐに帰って来ない。そのあいだに、寺僧も手伝って種々介抱に努めたが、伝兵衛の死骸は氷のように冷えて行くばかりであった。
「お気の毒なことでござるな」と、住職ももう諦めたように云った。
長三郎は無言で溜め息をついた。飛んだことになってしまったと、今夜の企《くわだ》てを今さら悔むような心持になった。しかもそんな愚痴を云っている場合ではない。しょせん蘇生《そせい》の望みがないと諦めた以上、医者の来るのを待っているまでもなく、一刻も早く黒沼の家へ駈け付けて、この出来事を報告して来なければなるまいと思ったので、彼は死骸の番を寺僧に頼んで表へ出た。
寺では提灯を貸してくれたので、長三郎はそれを振り照らして出たが、風が強いのと、あまりに慌てて駈け出した為に、寺の門を出てまだ三、四間も行き過ぎないうちに、提灯の火はふっと消えてしまった。また引っ返すのも面倒であるので、さきを急ぐ長三郎は暗いなかを足早に辿《たど》って行くと、どこから出て来たのか、突き当たらんばかりに、ひとりの男が小声で呼びかけた。
「あ、もし、もし……」
不意に声をかけられて、長三郎はぎょっとして立ち停まったが、相手のすがたは闇につつまれて見えなかった。
「あのお侍さんは死にましたか」と、男は訊《き》いた。
なんと答えていいかと、長三郎はすこし躊躇していると、男は重ねて云った。
「あのかたは何と仰しゃるんです」
長三郎はこれにも答えることは出来なかった。黒沼伝兵衛が往来なかで訳のわからない横死《おうし》を遂げたなどと云うことが世間に洩れきこえると、あるいは家断絶というような大事になるかも知れないのであるから、迂闊《うかつ》な返事をすることは出来ない。殊に心の急《せ》いている折柄、こんな男に係り合っているのは迷惑でもあるので、彼は無愛想に答えた。
「そんなことは知らない」
「お若いかたですか」
「知らない、知らない」
云い捨てて長三郎は又すたすたと歩き出すと、男は執念深く付いて来た。
「それから、あの……」
まだ何か訊こうとするらしいので、長三郎は腹立たしくなった。それには云い知れない一種の不安も伴って、彼は無言で逃げるように駈け出した。暗闇を駈けて、音羽の大通りの角まで来ると、彼はまた何者にか突き当たった。
「瓜生さんの若旦那ですか」と、相手は声をかけた。
それは藤助である。彼の持っている提灯も消えているらしい。
「医者は……」と、長三郎はすぐに訊いた。
「もう寝ているのを叩き起こしました。あとから参ります」
「じゃあ。頼むよ」
長三郎はそのまま駈けつづけて、自分の組屋敷へ帰った。もうこうなっては親たちに隠して置くことは出来ない。あとでどんなに叱られるにしても、万事を正直に報告して置かなければならないと思ったので、彼は先ず自分の家へ立ち寄ると、父も母も意外の報告におどろかされた。父の長八は慌てて身支度をして伜と一緒に表へ飛び出した。
二人はとなりの黒沼の門を叩くと、妻のお富も娘のお勝も玄関に出て来た。かれらも意外の報告におどろかされて、直ぐに其の場へ駈け付けることになった。主人のほかには男のない家《うち》であるから、お富とお勝が出て来た。
男ふたりと女ふたり、四つの提灯の火は夜風にゆらめきながら、凍った道を急いで目白坂下へゆき着くと、彼等よりも先きに医者が来ていた。医者はもう蘇生の見込みはないと云った。
しかし伝兵衛の死因は不明であった。身内になんの疵らしいものも見いだされず、さりとて急病ともおもわれず、まことに不思議の最期《さいご》であると、医者も首を傾《かし》げていた。刀に手をかけていたのを見ると、なにか怪しい物にでも出会って、異常の驚愕か恐怖のために心《しん》の臓を破ったのではあるまいかと、医者は覚束《おぼつか》なげに診断した。寺の住職も先ずそんなことであろうと云った。長八親子は途方に暮れたように歎息した。お富は泣き出した。
「さて、これからだ」
長八は膝に手を置いて、その太眉を陰《くも》らせた。長三郎も薄々あやぶんでいた通り、これが表向きになると黒沼の家に疵が付かないとも限らない。死んだ者は余儀ないとしても、その家の跡目が立たないようでは困る。長八は差しあたりその善後策を考えなければならなかった。
この時代の習いとして、こういう場合には本人の死を秘《かく》して、娘に急養子をする。そうして、まず養子縁組の届けをして置いて、それから更に本人急死の届けを出すことになる。一面から云えば、まことに見え透いた機関《からくり》ではあるが、組頭もその情を察して大抵はその養子に跡目相続を許可することになっている。今度の事件もその方法によって黒沼家の無事を図《はか》るのほかは無い。
「あとあとのこともいろいろござるに因って、今夜のことは何分御内分に……」
と、長八は住職と医者に頼んだ。彼等もその事情を察しているので、異議なく承知した。
医者は承知、寺の方も住職が承知した以上、他の僧らも口外する筈はあるまい。残るは火の番の藤助である。彼にも口留めをして置く必要があるので、長八は伜に云いつけて藤助を探させたが、その姿は見えなかった。
寺の話によると、彼は医者を迎えに行ったままで帰らないと云う。彼は医者の門を叩いて急病人のあることを知らせ、その帰り途《みち》で長三郎に出逢ったことまでは判っているが、それから寺へも帰らずに何処へ行ってしまったのかと人々も少しく不審をいだいたが、この場合、その詮議に時を移してもいられないので、長八は住職と相談の上で近所の駕籠を呼ばせ、急病人の体《てい》にして伝兵衛の死骸を運び出すことにした。そうした秘密の処置を取るには、暗い夜更けが勿怪《もっけ》の仕合わせであった。
これで先ず死骸の始末は付いたが、長八の一存で万事を取り計らうわけにも行かないので、彼は組じゅうでも特別に親しくしている四、五人に事情を打ち明けて、とりあえず急養子の手続きを取ることになった。
前にも云う通り、黒沼の親戚の吉田幸右衛門というのは京橋の白魚河岸に住んで、白魚の御納屋に勤めている。その次男の幸之助はことし廿歳《はたち》で、行くゆくは黒沼の娘お勝の婿になるという内相談も出来ていたのであるから、この際早速にその縁組を取り結ぶことにした。勿論それについてお富にもお勝にも異存はなかった。吉田の家でも不慮の出来事におどろくと共に、当然の処置として幸之助の養子縁組をこころよく承諾した。
すべての手続きはとどこおりなく運ばれて、黒沼の家には何のさわりもなく幸之助がその跡目を相続することになったので、関係者一同も先ずほっとした。伝兵衛の死も表向きは急死という届け出になっているのであるから、死骸の検視のことも無くて、そのまま菩提寺へ送られた。
こうして、この奇怪なる事件も闇から闇へ葬られてしまったが、解けやらない疑いの雲は関係者の胸を鎖《とざ》していた。長三郎は飛んだことに係り合った為に、勿論その両親から厳しく叱られたが、今さら取り返しの付かないことである。それよりも気にかかるのはかの藤助の身の上で、万一その口から当夜の秘密を世間に拡められては面倒である。長八はその翌朝、長三郎を遣わして藤助の在否をさぐらせたが、彼はゆうべから戻らないと云うので、むなしく引っ返して来た。
「どうもおかしいな」
長八はきょうもそれを云い出した。伝兵衛の葬式《とむらい》を済ませた翌日の朝である。かの一件以来、寒い風が意地悪く毎日吹きつづけていたのであるが、けさはその風も吹きやんで俄かに春めいた空となった。長八が自慢で飼っている鶯も、朝から籠のなかで啼いていた。
「もう一度、行ってみましょうか」と、長三郎は父の顔色をうかがいながら云った。
「むむ。あの晩ぎりで、藤助のゆくえが知れないと云うのは、どう考えてもおかしい。あいつも殺されたのかな」
「さあ」と、長三郎もかんがえた。「殺されたのでしょうか」
「殺されたかも知れないぞ」
「それならば、どこからか死骸が出そうなものですが……」
「それもそうだな……。といって、仔細もなしに姿を隠す筈もあるまい。係り合いを恐れたかな」
黒沼伝兵衛の横死について、自分もその場に居合わせた関係上、なにかの係り合いになることを恐れて逃げ去ったかとも思われるが、自分ひとりでなく、その場には長三郎も立ち会っていたのであるから、我が身に曇りのない申し開きは出来る筈である。女子供では無し、分別《ふんべつ》盛りの四十男がそれだけの事で姿を隠そうとも思われないが、案外の小胆者で唯|一途《いちず》に恐怖を感じたのかも知れない。いずれにしても、もう一度詮議して置く必要があると、長八は思った。
「では、行って見て来い。やはり帰っていないようであったら、近所の者にも訊《き》いてみろ。だが、よく気をつけてこちらの秘密を覚られるなよ」
「承知しました」
長三郎はすぐに表へ出てゆくと、一月末の空はいよいようららかに晴れて、護国寺の森のこずえは薄紅《うすあか》く霞んでいた。音羽の通りへ出ると、市川屋の職人源蔵に逢った。
「黒沼の旦那様は飛んだことでございましたね」と、源蔵は挨拶をした。
「丁度いい所でおまえに逢った。火の番の藤助はこの頃どうしているね」と、長三郎は何げなく訊いた。
「いや、それが不思議で、この廿日正月の晩から行くえが知れなくなってしまったのです。近所でも心配しているんですが、まだ判りません」
火の番はいわゆる番太郎で、普通は自身番の隣りに住んで荒物屋などを開いているのであるが、この町の火の番は露路《ろじ》のなかに住んでいた。藤助も以前は表通りに小さい店を持っていたのであるが、三年前に女房に死に別れて、店のあきないをする者がなくなったので、町内の人々の諒解を得て、店は他人にゆずり自分は露路の奥に引っ込んで、やはり町内の雑用《ぞうよう》を勤めているのであった。
「藤助には娘があったね」と、長三郎は又訊いた。
「お冬という娘がございます」と、源蔵はうなずいた。「明けて十五で、人間もおとなしく、容貌《きりょう》もまんざらでないんですが、可哀そうに、子供の時に疱瘡《ほうそう》が眼に入ったもんですから、右の片眼が見えなくなってしまいました」
「その娘も心配しているだろうね」
「もちろん心配して、お神籤《みくじ》を引いたり、占《うらな》いに見て貰ったりしているんですが、どうもはっきりした事は判らないようです」
これだけ聞けば、その上に詮議の仕様もないように思われたが、ともかくも藤助の家の様子を一応は見とどけて帰ろうと思い直して、長三郎はその案内をたのむと、源蔵は先きに立って自身番に近い露路のなかへはいった。長三郎もあとに付いて、昼でも薄暗いような露路の溝板《どぶいた》を踏んで行った。
露路の入口は狭いが、奥には可なりに広いあき地があって、ここら特有の紙漉場《かみすきば》なども見えた。藤助の家にも小さい庭があって、桃の木が一本立っていた。
「ふうちゃん、居るかえ」
源蔵は表から声をかけたが、内には返事が無かった。三度つづけて呼ぶうちに、その声を聞きつけて、裏の井戸端からお冬が濡れ手を前垂れで拭きながら出て来た。
お冬は十五にしては大柄の方で、源蔵の云った通り、容貌はまず十人並み以上の色白の娘であった。右の眼に故障があるか無いかは、長三郎にはよく判らなかった。
「お父《とっ》さんのたよりはまだ知れないかえ」と、源蔵は縁に腰をかけて訊いた。
お冬は無言で悲しそうにうなずいたが、源蔵のうしろに立っている前髪の侍をちらりと視たときに、彼女は慌てたように眼を伏せた。
「この若旦那は瓜生さんと仰しゃって、このあいだ亡《な》くなった黒沼さんのお屋敷の隣りにいらっしゃるのだ」と、源蔵はあらためて長三郎を紹介した。「お前のお父さんに逢って、なにか訊きたいことがあると云うので、ここへ御案内して来たんだが、お父さんがまだ帰らねえじゃあ仕様がねえな」
お冬はやはり俯向《うつむ》いて黙っていた。藪うぐいすか籠の鶯か、ここでも遠く啼く声がきこえた。江戸といっても、ここらの春はのどかである。紙漉場の空土《あきち》には、子どもの小さい凧が一つあがっていた。それを見かえりながら、源蔵は又云い出した。
「だが、まあ、そのうちにはなんとか判るだろう。神隠しに逢ったにしても、大抵は十日か半月で帰って来るものだ。あんまり苦《く》にしねえがいい」
こんなひと通りの気休めで満足したかどうだか知らないが、お冬はやはり黙っていた。そうして時々、若い侍の顔をぬすみ視ているらしいのが源蔵の注意をひいた。
「ふうちゃん。煙草の火はねえかえ」
お冬は気がついたように立ち上がって、煙草盆に消し炭の火を入れて来ると、源蔵は腰から筒ざしの煙草入れを取り出して、一服|喫《す》いはじめた。
五
ともかく藤助一家の様子を見届けて、もう此の上に詮議の仕様もないと思い切った長三郎は、源蔵を眼でうながして行きかかると、源蔵も早々に煙草入れをしまって立ち上がった。
「じゃあ、ふうちゃん、又来るからな」
お冬はやはり無言で会釈《えしゃく》した。唖でも無いのになぜ終始黙っているのかと、長三郎はすこし不審に思ったが、深くも気に留めずに表へ出ると、源蔵もつづいて出て来た。
「まったくあの娘も可哀そうですよ」
「そうだな」と、長三郎も同情するように云った。
「なにかまだほかに御用は……」と、源蔵は訊いた。
「いや、わたしももう帰る。忙がしいところを気の毒だったな」
「いえ、なに……。わたくし共の店も此の頃は閑《ひま》ですから、毎日ぶらぶら遊んでいます。忙がしいのは暮の内で、正月になると仕事はありません」
「そうだろうな」
云いかけて、ふと見かえると、露路の入口にはお冬が立っていた。
彼女は濡れた前垂れの端《はし》を口にくわえながら、その片眼に何かの意味を含んでいるように、こちらをじっと窺っているらしかった。源蔵も気がついて見返ったが、別になんにも云わなかった。二人が道のまん中で別れるのを、お冬は暫く見送っていたが、やがて足早に引っ返して露路へはいった。
長三郎は家《うち》へ帰って、ありのままに報告すると、父の長八は唯だまってうなずいていた。この上は藤助が果たして何者かに殺されたのか、あるいは無事に何処からか現われて来るか、自然にその消息の知れるのを待つほかは無かった。長八は伜に注意して、今後も油断なく藤助の安否を探れと云い聞かせて置いた。
ことし十五歳で、まだ部屋住みの長三郎は、玄関に近い三畳の狭い部屋に机を控えていた。父の前をさがって、自分の部屋に帰って、彼は再び藤助の身の上について考えた。
藤助は生きているか、死んでしまったか。それにつけて思い出されるのは、当夜の彼の行動である。自分の近所に住んでいる御賄組の武士《さむらい》が怪しい変死を遂げたのを見て、火の番の彼は当然おどろき騒ぐべき筈であるのに、案外に彼は落ち着いていた。落ち着いていたと云うよりも、むしろ冷淡であるようにも見えた。長三郎が焦《じ》れて指図するので、彼はよんどころ無しに働いているようにも見えた。これには何かの仔細があるのではないかと、長三郎は考えた。
彼は長三郎に追い立てられて、渋々ながら医者を呼びに行った。その帰り路にゆくえ不明となったのである。そのほかにも、暗いなかで長三郎に突き当たって、声をかけた者がある。彼は何者であろうか。心が急《せ》くので碌々に返事もせずに別れてしまったが、彼もこの事件に何かの関係のある者ではあるまいか。あるいは彼が藤助を捕えて行ったのか、あるいは藤助を殺して、その死骸をどこへか隠したのかと、長三郎はまた考えた。しかも暗がりの出来事であるから、その相手の人相や風俗はちっとも判らなかった。
黒沼伝兵衛の死――藤助のゆくえ不明――暗がりの怪しい男――この三つを一つに結びつけていろいろ考えたが、何分にも世故《せこ》の経験に乏しい長三郎の頭脳《あたま》では、その謎を解くべき端緒《たんちょ》を見いだし得なかった。
ひる過ぎになって、となり屋敷の黒沼幸之助が来た。
「このたびは一方《ひとかた》ならぬ御厄介に相成りまして、なんともお礼の申し上げようもございません」と、彼は長八に対して丁寧に挨拶した。
同じ組の者は他に幾人もあるが、瓜生家とは隣り同士でもあり、多年特別に懇意にしていた関係上、今度の一件について長八が最も尽力したのは事実であった。
「いや、あなたこそ何かとお疲れでしたろう」と、長八も会釈した。
どこの家でも葬式などは面倒なものである。まして急養子の身の上で、家内の勝手もわからず、組内の人々の顔さえも碌々に知らない幸之助が、一倍の気苦労をしたことはよく察せられるので、長八もその点には同情していた。お疲れでしたと云う言葉も、形式一遍の挨拶ではなかった。
「ありがとうございます。おかげさまで、どうにかとどこおりなく片付きました」と、幸之助はふたたび挨拶をした。
「そこで、御新造は……」
「まだ臥《ふ》せって居ります」
お勝は病中であるにも拘らず、父の急変におどろかされて、母と共に現場へ駈け着けたばかりか、その翌日も無理に起きていたので、病気はいよいよ重くなった。彼女は母のお富と、新らしい婿の幸之助とに看病されて、その後も床に就いているのである。彼女は父の葬式に列《つら》なることも出来なかった。葬式やら、病人やら、黒沼家の混雑は思いやられて、長八はますます同情に堪えなかった。
「就きましては、明日は初七日《しょなのか》の逮夜《たいや》に相当いたしますので、心ばかりの仏事を営みたいと存じます。御迷惑でもございましょうが、御夫婦と御子息に御列席を願いたいのでございますが……」
「いや、それは御丁寧に恐れ入ります。一同かならず御焼香《ごしょうこう》に罷《まか》り出でます」と、長八は答えた。
これで正式の挨拶も終ったところへ、娘のお北が茶を運んで来た。まだ馴染《なじみ》の浅い仲とはいいながら、客と主人はやや打ち解けて話し出した。
「御承知でございますか。護国寺前の一件を……」と、幸之助はお北のうしろ姿を見送りながら少しく声を低めた。
「護国寺前……。何事か、一向に知りません」と、長八は茶を喫《の》みながら云った。「白い蝶でも又出ましたか」
「そうでございます」と、幸之助はうなずいた。
「え、ほんとうに出ましたか、白い蝶が……」
「護国寺前……東|青柳町《あおやぎちょう》に野上佐太夫というお旗本がありますそうで……。わたくしは昨今こちらへ参りましたのでよくは存じませんが、三百石取りのお屋敷だとか承わりました。昨夜の五ツ過ぎに、大塚|仲町《なかまち》辺の町家の者が二人連れで、その御門前を通りかかりますと、例の白い蝶に出逢いましたそうで……」
「ふうむ」
長八は唸るような溜め息をつきながら、相手の顔をながめていると、幸之助は更に説明した。
その二人連れは大塚仲町の越後屋という米屋の女房と小僧で、かの野上の屋敷の門前を通り過ぎようとする時に、暗闇のなかから一羽の蝶が飛び出した。そうしてひらひらと女房の眼のさきへ舞って来ると、女房は声も立てずに其の場に悶絶《もんぜつ》した。小僧は途方に暮れてうろうろしている処へ、幸いに通り合わせた人があったので、共々に介抱して近所の辻番所へ連れて行くと、女房は幸いに正気に復《かえ》ったが、自分にもどうしたのかよくは判らない。ただ眼のさきへ大きい白い蝶が飛んで来たかと思うと、たちまち夢のような心持になってしまって、その後のことは何も知らないと云うのであった。
以上は世間の噂話を聴いたに過ぎないので、幸之助もくわしい事実を知らないのであるが、ともかくも奇怪な白い蝶が闇夜にあらわれて、往来の人をおびやかしたという噂が彼の注意をひいたのである。その話を終った後に、彼は又云った。
「白い蝶の噂は京橋の実家に居るときから聴いて居りまして、八丁堀の役人たちも内々探索しているとか云うことでございましたが、こうしてみるとやはり本当かと思われます」
「本当でしょう」と、長八もうなずいた。「現にわたしの家《うち》の娘も見たと云います。あなたのお父さまの亡《な》くなられた晩にも、伜の長三郎がそれらしい物を見たとか云います。市川屋の職人も見たことがあると云う。一人ならず、幾人もの眼にかかった以上、それが跡方もないこととは云われますまい」
とは云ったが、さてそれがどういう訳であるか、長八にも説明することは出来なかった。幸之助にも判らなかった。いわゆる理外の理で、広い世界にはこうした不思議もあり得ると信じていた此の時代の人々としては、強《し》いてその説明を試みようとはしなかったのである。なまじいに其の正体を見とどけようなどと企てると、黒沼伝兵衛のような奇禍に出逢わないとも限らない。触《さわ》らぬ神に祟《たた》り無しで、好んでそんな事件にかかり合うには及ばないと云うのが、長八の意見であった。
彼はその意見に基づいて伜の長三郎を戒《いまし》めたが、今や幸之助に対しても同様の意見をほのめかして、若い侍の冒険めいた行動を暗に戒めると、幸之助もおとなしく聴いていた。
幸之助が帰ったあとで、お北は父にささやいた。
「東青柳町にまた白い蝶々が出たそうですね」
「お前は立ち聴きをしていたのか」と、長八はすこしく機嫌を損じた。「立ち聴きなぞするのは良くないぞ」
お北は顔を赤くして黙ってしまった。
その翌夜は黒沼の逮夜《たいや》で、長八夫婦と長三郎は列席した。他にも十五、六人の客があったが、大抵の人は東青柳町の噂を聞き知っていた。そうして、それは切支丹《きりしたん》の魔法ではないかなどと説く者もあった。今夜の仏の死が奇怪な蝶に何かの関係を持っているらしくも思われるので、遺族の手前、その噂をするのを憚《はばか》りながらも、奇を好む人情から何かとその話が繰り返された。父からきびしく叱られているのと、また二つには若年者《じゃくねんもの》の遠慮があるので、長三郎は終始だまっていたが、諸人のうわさ話を一々聞き洩らすまいとするように、彼は絶えずその耳を働かせていた。
それから半月余りは何事もなくて過ぎた。二月に入っていよいよ暖かい日がつづいて、ほんとうの蝶もやがて飛び出しそうな陽気になった。その十二日の午《ひる》過ぎに、長三郎は父の使で牛込まで出て行ったが、先方で少しく暇取って、帰る頃には此の頃の春の日ももう暮れかかっていた。江戸川橋の袂まで来かかると、彼は草履の緒を踏み切った。
自分の家まではさして遠くもないのであるが、そのままで歩くのは不便であるので、長三郎は橋の欄干《らんかん》に身を寄せながら、懐紙《かいし》を小撚《こよ》りにして鼻緒をすげ換えていると、耳の端《はた》で人の声がきこえた。それが何だか聞き覚えのあるように思われたので、長三郎は俯向いている顔をあげると、二人の男が音羽の方向へむかって、なにか話しながら通り過ぎるのであった。ひとりは屋敷の中間《ちゅうげん》である。他のひとりは町人ふうの痩形《やせがた》の男であった。どちらもうしろ姿を見ただけでは、それが何者であるかを知ることは出来なかった。その一刹那に長三郎はふと思い出した。
「あ、あの時の声だ」
黒沼伝兵衛の死を報告するために、暗やみを駈けてゆく途中で突きあたった男――その疑問の男の声が確かにそれであったことを思い出して、長三郎の胸は怪しく跳《おど》った。
二人はもう行き過ぎた後であるので、それが中間の声か、町人の声か、その判断は出来なかったが、ともかくも彼等のひとりが其の夜の男に相違ないと、彼は思った。しかも彼はあいにくに草履の鼻緒をすげているので、直ぐにその跡を尾《つ》けて行くことも出来なかった。長三郎が焦《じ》れて舌打ちしている間《ひま》に、二人は見返りもせずに橋を渡り過ぎた。
急いで鼻緒をすげてしまった頃には、二人のうしろ影はもう小半丁も遠くなっているのを、見失うまいと眼を配《くば》りながら、長三郎は足早に追って行った。音羽の大通りへ出て、九丁目の角へ来かかると、ひとりの女が人待ち顔にたたずんでいた。彼女は長三郎を待っていたらしく、その姿をみると小走りに寄って来たので、長三郎は思わず立ちどまった。女は火の番の娘お冬であった。
「先日は失礼をいたしました」と、お冬は小声で挨拶した。
そうして、うしろの横町を無言で指さした。その意味がわからないので、長三郎も無言でその指さす方角をながめると、横町の寺の門に立っている男と女のすがたが見えた。
まだ暮れ切らないので、ふたりの姿は遠目にも大かたは認められたが、男はかの黒沼幸之助で、女は自分の姉のお北であることを知った時に、長三郎は一種の不安を感じて無意識にふた足三足あるき出しながら、更に横町の二人を透かし視た。
幸之助と姉とは今頃どうして其処らに徘徊しているのであろう。途中で偶然に行きあって何かの立ち話をしているのか。あるいは約束の上でそこに待ち合わせていたのか。前者ならば別に仔細もないが、後者ならば容易ならぬ事である。幸之助は黒沼家の婿養子となって、いまだ祝言《しゅうげん》の式さえ挙げないが、お勝という定まった妻のある身の上である。その幸之助と自分の姉とが密会《みっかい》する――万一それが事実であって、その噂が世間にきこえたならば、二人は一体どうなることだろう。いずれにしても一と騒動はまぬがれまい。
それを考えながら、長三郎は暫く遠目に眺めていると、お冬は訴えるように又ささやいた。
「あのおふたりは、このごろ時々に……」
「きょうばかりでは無いのか」と、長三郎はいよいよ不安らしく訊《き》いた。
お冬はうなずいた。ゆうぐれの寒さが身にしみたように、長三郎はぞっとした。自分は中間と町人のあとを尾《つ》けて来たのであるが、長三郎はもうそんな事は忘れてしまったように猶も横町をながめていると、その思案の顔に鬢《びん》のおくれ毛のほつれかかって、ゆう風に軽くそよいでいるのを、お冬は心ありげに見つめていた。
目白の不動堂で暮れ六ツの鐘を撞《つ》き出したので、それに驚かされたように、幸之助とお北の影は離れた。男を残してお北ひとりは足早に引っ返して来るらしいので、姉に見付けられるのを恐れるように、長三郎もおなじく足早にここを立ち去った。
六
「考えると、不審のことが無いでもない」
長三郎は家《うち》へかえってから又かんがえた。黒沼の娘お勝はまだ全快しないで、その後も引きつづいて枕に就《つ》いている。その見舞ながらに、姉のお北は殆ど毎日たずねて行く。勿論、隣家でもあり、ふだんから特別に懇意にしているのであるから、父も母も長三郎も別に不思議とも思わなかったのであるが、こうなると、お北が毎日の見舞もほかに意味があるらしく推量されないことも無い。
婿に来たとは云うものの、お勝が病気のために、幸之助はまだ祝言の式を挙げていない。そこへ姉が毎日入り込んで、幸之助と親しくする。しかもお冬の訴えによれば、ふたりは時々に目白坂下の寺門前で会合すると云う。それらの事情をあわせて考えると、一種の疑いがいよいよ色濃くなる。姉に限って、まさかにそんな事はと打ち消しながらも、長三郎は全然それを否定するわけには行かなくなった。
さりとて、父や母にむかって迂闊《うかつ》にそれを口外することは出来ない。いずれにしても更に真偽を確かめる必要があると思ったので、長三郎はきょうの発見についていっさい沈黙を守ることにした。お北もやがてあとから帰って来た。その話によると、音羽の大通りまで買物に出たのだと云うことであった。
音羽の通りへ買物に出たものが、横町の寺門前までわざわざ廻って行く筈がない。そんな嘘をつく以上は、姉の行動はいよいよ怪しいと、長三郎は思った。
それから二、三日の後である。長三郎が夕飯をすませてから、いつもの如くに夜学に出ると、四、五間さきをゆく男のうしろ姿が隣家の黒沼幸之助であることを、薄月のひかりで認めた。彼はどこへ行くのであろう。又もや姉を誘い出して、かの寺門前で密会《みっかい》するのではあるまいかと思うと、長三郎はそのあとを尾《つ》けてゆく気になった。彼は草履の音を忍ばせて、ひそかに幸之助の影を追ってゆくと、その影はかの横町の方角へはむかわずに、路ばたの狭い露路にはいった。
露路の奥には火の番の藤助の家がある。彼はその家をたずねるのか、それとも他の家をたずねるのか、長三郎は更に又新らしい興味に駆られて、つづいて露路のなかへ踏み込んだ。先日一度たずねた事があるので、長三郎は先ず藤助の家のまえに忍び寄って内の様子を窺うと、故意か偶然か、行燈《あんどう》の火は消えて一面の闇である。その暗いなかで女の声がきこえた。
それがお冬の声でないことを知った時に、長三郎はまた不思議に思った。女の声は低かったが、それでも力がこもっているので、外で聴いている者の耳にも切れぎれに響いた。
「あなたのような不人情な人はない、覚えておいでなさいよ」
幸之助は何かなだめているらしかったが、その声はあまりに低いので聴き取れなかった。暫くして女の声がまた聞こえた。
「忌《いや》です、いやです。……もういつまでも瞞《だま》されちゃあいません。いいえ、いけません。あなたのような人は……。いいえ、忌です。唯は置かないから、覚悟しておいでなさい。……わたしは死んでも構わない。……あなたもきっと殺してやるから……」
長三郎はおどろいた。その女はいったい何者で、幸之助になんの恨みを云っているのか。彼は息をつめて聴いていると女は嚇《おど》すように又云った。
「わたしの口ひとつで、あなたの命は無いと云う事は、かねて承知の筈じゃあありませんか。……黒沼家へ養子に行ったのは、まあ仕方がないとしても……。隣りの娘とまで仲よくして……。いいえ、知っています」
幸之助は又もや何か云い訳をしているらしかったが、やはり表までは洩れきこえなかった。長三郎はすこしく焦《じ》れて、縁に近いところまでひと足ふた足進み寄ろうとする時に、うす暗い蔭からその袂をひく者があった。ぎょっとして見かえると、それはお冬であるらしかった。
「およしなさい」と、女は小声で云った。
それは果たしてお冬であった。
不意に声をかけられて長三郎もやや躊躇していると、暗い家のなかでは人の動くような音がきこえた。お冬は再び長三郎の袖をつかんで、無理に引き戻すように桃の木のかげへ連れ込むと、何者かが縁さきへ出て来た。暗いなかでも見当が付いているらしく、直ぐに下駄を穿《は》いて表へ出てゆく姿を薄月に透かして視ると、それはすっきりとした痩形の女であった。この女が幸之助を恨み、幸之助を嚇《おど》していたのかと思ううちに、その姿は露路の外へ幽霊のように消えてしまった。
長三郎もお冬も無言でそれを見送っているうちに、やがて又静かに縁を降りて来る者があった。それは幸之助で、なにか思案《しあん》しているような足取りで、力なげに表へ出て行くのを、長三郎は殆ど無意識に尾《つ》けて行こうとすると、お冬は又ひきとめた。
「およしなさい」
なぜ止めるのか、長三郎には判らなかった。それを諭《さと》すように、お冬はささやいた。
「あの人たちは怖い人です」
なぜ怖いのか、長三郎にはやはり判らなかった。しかし、かの女が「わたしの口ひとつで、あなたの命は無い」などと云ったのを考えると、それには恐ろしい秘密がひそんでいるらしくも想像された。
「なぜ怖いのだ」と、長三郎は訊いた。
「なんだか怖い人です。わたしのお父《とっ》さんもあの人たちに殺されたのかも知れません」と、お冬は声を忍ばせて、若い侍にすがり付いた。
その一刹那に、又もや一つの影が突然にあらわれた。暗いなかでよくは判らなかったが、猫のように縁の下から這い出して来たらしく、頬かむりをした町人ふうの男が足早に表へぬけ出して行った。彼は、まったく猫のように素捷《すばや》かった。
長三郎も意外であったが、お冬も意外であったらしく、身をすくめて長三郎にしがみ付いていた。家のなかは暗闇《くらやみ》であるが、外には薄月がさしている。それに照らし出された男のうしろ姿は、このあいだ江戸川橋で出逢った町人であるらしく思われたので、長三郎は又もや意外に感じた。と同時に、彼は殆ど無意識にお冬を突きのけて、その男のあとを追って出た。
薄月のひかりにうかがうと、女は大通りを北にむかって行く。幸之助はそのあとを追ってゆく。町人ふうの男は又そのあとを追って行くらしい。まだ宵であるから、両側の町屋も店をあけていて人通りもまばらにある。それを憚《はばか》って幸之助も直ぐに女に追いすがろうとはしない。男も相当の距離を取って尾《つ》けて行くので、長三郎もその真似をするように、おなじく相当の距離を置いて尾行することにした。
女は途中から左に切れて、灯の無い横町へはいってゆくと、左右は農家の畑地である。そこまで来ると、幸之助は俄かに足を早めて女のうしろから追い付いた。その足音をもちろん知っていたのだろうが、女は別に逃げようとする様子もなく、しずかに振り向いて相手と何か話しているらしかった。
町人はそれを見て、身をかくすように畑のなかに俯伏したので、長三郎もまた其の真似をして畑のなかに俯伏していると、やがて女は幸之助を突き放してふた足三足あるき出した。幸之助は追いかけて、女の襟に手をかけた。引き倒そうとするのか、喉《のど》でも絞めようとするのか、男と女は無言で挑《いど》み合っていた。
俯伏していた町人は畑のなかから飛び出して、飛鳥のごとくに駈け寄ると、それに驚かされて二つの影はたちまち離れた。女はあわてて逃げ去ろうとするのを、町人は駈け寄って押さえようとすると、幸之助は又それをさえぎるように立ち塞がった。男ふたりが互いに争っているあいだに、女は一目散に逃げ出した。
女はともあれ、眼のまえに争っている男ふたりをどう処置していいのか、長三郎も当座の分別《ふんべつ》に迷った。本来ならば幸之助に加勢するのが当然であるが、今の場合、幸之助を助けるか町人を助けるか、どちらにするのが正しいか、長三郎にも見当が付かなかった。彼はいったん立ち上がりながらも、いたずらに息を呑んでその成り行きを眺めているうちに、町人は草履《ぞうり》をすべらせて小膝を突いた。幸之助はそれを突き倒して逃げ出した。男はすぐに跳ね起きて、そのあとを追ってゆくと、幸之助は畑のなかへ飛び込んで、路を択《えら》ばずに逃げてゆく。追う者、追われる者、その姿は欅《けやき》の木立《こだち》のかげに隠れてしまった。
何がどうしたのか、長三郎にはちっとも判らなかった。彼はもうその跡を尾けてゆく元気もなくて唯ぼんやりと突っ立っていたが、さっきからの行動をみると、かの町人は唯者ではない。おそらく八丁堀同心の手に付いている岡っ引のたぐいであろうと想像された。かの女と幸之助とのあいだに何かの秘密がひそんでいることも、さっきの対話でうすうす想像された。それらを結び付けて考えると、彼等は一種の重罪を犯していて、岡っ引に付け狙われているのではあるまいか。
相手の女は何者であるか知らないが、幸之助は隣家に住んでいて、朝夕に顔を見あわせている仲である。それが重罪人であろうとは意外であるばかりか、自分の姉がその重罪人と親しくしているらしい事を考えると、長三郎はあたりが俄かに暗くなったように感じられた。彼はもう夜学に行く気にもなれなくなって、その儘わが家へ引っ返した。
彼は今夜の出来事を父にも母にも話さなかった。父には内々で話して置きたいと思ったのであるが、何分にも広くない家であるので、万一それを姉にでも立ち聴きされては困ると思ったので、その晩は黙って寝てしまった。
夜のあけるのを待ちかねて、彼は黒沼家の門前を掃いている下女のお安に聞きただすと、幸之助はゆうべ帰宅しないと云うのである。彼はついに岡っ引の手に捕われたのか、それとも逃げ延びて何処へか身を隠したのか、いずれにしても其の儘では済むまいと思われた。
父の長八は当番で登城した。長三郎はいつもの通りに剣術の稽古に行って、ひる頃に帰って来ると、母のお由は午飯《ひるめし》を食いながら話した。
「おとなりの幸之助さんはゆうべから帰らないそうだね」
「どうしたのでしょう」と、長三郎はそらとぼけて訊《き》いた。
「お友達と一緒に遊びにでも行ったのかも知れない」と、お由は笑いながら云った。「こっちへ来てはまだ昨今だけれど、京橋の方にはお友達が随分あるようだからね。なにしろ御納屋《おなや》の人たちには道楽者が多いと云うから」
「お婿《むこ》に来て、まだ一と月にもならないのに、夜遊びなんぞしては悪いでしょう」
「悪いとも……」と、お由はうなずいた。「けれども、お婿と云っても相手のお勝さんがあの通りだからね。きっとお友達にでも誘われて、どこへか行ったのだろうよ」
姉のお北も、妹のお年も、そばで一緒に箸をとっているので、長三郎はこの対話のあいだに姉の顔をぬすみ視ると、気のせいか、お北の顔色はやや蒼白く見られた。
その日の夕方に、お北もゆくえ不明になった。
七
「きょうはお天気で好うござんしたね」と、二十四、五の小粋《こいき》な女房が云った。
「むむ。初午《はつうま》も二の午も大あたりだ。おれも朝湯の帰りに覗いて来たが、朝からお稲荷さまは大繁昌だ」と、三十二、三の亭主が答えた。
「それじゃあ、わたしも早くお参りをして、お神酒《みき》とお供え物をあげて来ましょう」
女房は帯をしめ直して、表へ出る支度に取りかかった。この夫婦は神田の三河町に住む岡っ引の吉五郎と、その女房のお国である。女中に神酒と供え物を持たせて、お国が表へ出てゆくと、それと入れちがいに、裏口から一人の男が顔を出した。
「親分。内ですかえ」
取次ぎの子分が居合わせないで、吉五郎は長火鉢の前から声をかけた。
「留《とめ》じゃあねえか。まあ、あがれ」
「お早ようございます」
手先の留吉はあがって来た。
「誰もいねえから火鉢は出せねえ。ずっとこっちへ来てくれ」と、吉五郎は相手を長火鉢の向うに坐らせて、直ぐに小声で話し出した。「どうだ。例の件は……」
「面目がありません、このあいだの晩は≪どじ≫を組《く》んでしまって……」と、留吉は小鬢《こびん》をかいた。「だが、親分。もう大抵のところは見当が付きましたよ。お尋《たず》ね者のお亀はお近と名を変えて、音羽の佐藤孫四郎という旗本屋敷に巣を作っているんです」
「佐藤孫四郎……。小ッ旗本だろうな」
「と云っても、四百石取りで……。三年ばかり長崎へお役に出ていて、去年の秋に帰って来たんです。お亀のお近はそのあとから付いて来て、その屋敷へはいり込んだと云うことです」
「だれから訊いた」
「屋敷の中間に≪かま≫をかけて聞き出したんです。自分にうしろ暗いことがあるからでしょうが、中間なんぞには時々に小遣いぐらい呉れるらしいので、みんなの評判は悪くないようです」と、留吉はいったん笑いながら、又俄かに眉をよせた。「そこまでは判っているんだが、それから先きがまだどうも判らねえ。お近には内証《ないしょ》の男がある。それが音羽の御賄屋敷の黒沼という家へ、このごろ婿に来た幸之助という若い奴らしいんですがね」
「幸之助の実家はどこだ」
「白魚河岸《しらうおがし》の吉田という御納屋《おなや》の次男です」
「そこで、そのお近や幸之助と、例の蝶々と、なにか係り合があると云うのか」と、吉五郎はまた訊いた。
「さあ、そこが難題でね」と、留吉は再び小鬢をかいた。「わっしの本役は蝶々の一件で、お近や幸之助の方はまあ枝葉《えだは》のような物なんですが、不意にこんな掘出し物をすると、ついそっちが面白くなって……。今のところじゃあ、あのふたりと蝶々の一件とが結び付いているような、離れているような……。親分はどう鑑定しますね」
「おれにもまだ判断が付かねえ」と、吉五郎はしずかに煙草をくゆらせた。「それから火の番の藤助というのはどうした。これも帰らねえか」
「帰って来ません。こいつは確かに蝶々に係り合いがあると睨んでいるんですが……。なにしろ忌《いや》にこぐらかっているんでね」
「どうで探索物はこぐらかっているに決まっているから、まあ落ちついて考えて見なけりゃあいけねえ」
吉五郎はつづけて煙草を喫《す》った。留吉も煙管筒《きせるづつ》を取り出した。親分と子分は暫く無言で睨み合っていると、その考えごとの邪魔をするように、町内の午祭りの太鼓の音が賑やかにきこえた。
「幸之助はその晩から自分の家《うち》へ帰らねえのか」と、吉五郎は煙管をはたきながら訊いた。
「これも帰って来ないようです」と、留吉は答えた。「わっしに捕まりそうになったので、どこへか姿を隠したと見えますよ」
「だが、幸之助はともかくも侍だ。火の番の親爺とは身分が違うのだから、姿を隠したままで済む訳のものじゃあねえ。そんな事をすれば家断絶だ。黒沼という家《うち》でも飛んだ婿を貰ったものだな。ひょっとすると、白魚河岸の実家に忍んでいるんじゃあねえか」
「わっしもそう思ったので、けさも出がけにそっと覗いて来たんですが、どうもそんな様子も見えないようでしたが……。しかしまあ、よく気を付けましょう」
「しっかり頼むぞ」
「ようがす」
「手が足りなければ、誰か貸してやろうか」
「さあ」と、留吉はかんがえた。「大勢であらすと却っていけねえかも知れません。もう少し一騎討ちでやってみましょう」
他人《ひと》に功名を奪われたくないような口振りで、留吉は早々に出て行った。吉五郎は又もや煙管を取り上げて、しずかに煙りを吹いていたが、やがて何をかんがえたか、忙がしそうに煙管をはたいて立ちあがると、あたかも表の格子《こうし》のあく音がして、お国と女中が帰って来た。
「おい。着物を出してくれ」
「どっかへ行くの」と、お国は訊いた。
「むむ。留が今来たが、あいつ一人には任せて置かれねえ事が出来た。おれもちょいと出て来る」
吉五郎も早々に着物を着かえて、表へ出て行った。商売で出ると云うのであるから、女房ももう其の行く先きを訊こうとはしなかった。
その日の午後である。
旧暦二月のなかばの春の空は薄むらさきに霞んで、駿河町《するがちょう》からも富士のすがたは見えなかった。その日本橋の魚河岸から向う鉢巻の若い男が足早に威勢よく出て来た。男は問屋の若い衆《しゅ》であるらしく、大きい鯛を青籠《あおかご》に入れて、あたまの上に載せていた。彼は人ごみの間をくぐり抜けて、日本橋を南へむかって急いで来たが、長い橋のまん中ごろまで渡ったかと思うときに、彼はどうしたのか俄かに足を停めた。と見る間もなく、彼は頭の魚籠《びく》を小脇に引っかかえて、欄干から川のなかへざんぶと飛び込んだので、往来の人々はおどろいた。
威勢のいい魚河岸の若い衆が、なんで突然日本橋から身を投げたのか。仔細を知らない人々は唯あれあれと騒いでいたが、そのなかで唯ひとり、その仔細を大抵推量したのは神田三河町の吉五郎であった。彼は何処をどう歩いていたのか知らないが、あたかもここへ来かかって此の椿事《ちんじ》を目撃したのである。
若い衆が川へ飛び込んだのは、鯛を持っていたが為であろうと、吉五郎は思った。徳川家には御納屋という役人がある。それは将軍の食膳に上《のぼ》せるべき魚類、野菜類を取り扱う役で、魚類だけでも鯛の御納屋、白魚の御納屋、鮎の御納屋などと、皆それぞれの専門がある。この御納屋の特権は、良い魚類とみれば勝手に徴発《ちょうはつ》を許されていることである。御納屋の役人が或る魚を指さして、「これは御用だぞ」と云ったが最後、忌《いや》でも応でもその魚を納めなければならない。その代金も呉れるか呉れないか判らない。唯取りにされてしまう場合も往々ある。そんなわけであるから、河岸《かし》の人間は御納屋を恐れて大いに警戒しているのである。
かの若い衆は、どこかの註文で大きい鯛を持ち出した途中、あいにく日本橋のまん中で鯛の御納屋に出逢ったのである。これを取られては大変だと思ったのか、あるいは権力を笠《かさ》に被《き》て強奪されるのを口惜《くや》しいと思ったのか、いずれにしても血気の若い衆は一尾の鯛を御納屋の手へ渡すまいとして、魚籠《びく》と共に川中へ飛び込んだのであろう。河岸の育ちであるから泳ぎも知っているであろう。殊に白昼のことであるから、溺死する気づかいもあるまいと、吉五郎は多寡をくくってさほどに驚きもしなかった。
彼は身を投げた若い衆よりも、身を投げさせた相手に眼をつけると、それは四十前後の人柄のいい侍で、これも身投げの仔細をおおかたは察したらしく、微笑を含みながら見返りもせずに行き過ぎた。
吉五郎は引っ返して、その侍のあとを追った。橋を渡り越えて室町《むろまち》のあたりまで来た時に、彼は小声で呼びかけた。
「もし、もし、今井の旦那……」
呼ばれて立ち停まった侍の前に、吉五郎は小腰をかがめて丁寧に会釈《えしゃく》した。
「旦那さま。御無沙汰をいたして居ります」
「三河町の吉五郎か」と、侍は又微笑した。「今のを見たか。おれ達はどうも憎まれ役で困るよ」
侍は鯛の御納屋に勤めている今井理右衛門であった。自分が何をしたという訳でもないが、自分のために若い衆が身を投げたのを、岡っ引の吉五郎に見付けられたかと思うと、彼はやや当惑に感じたのであろう、憎まれ役などと云い訳がましく云っているのを、吉五郎は軽く受け流してすぐに本題に入った。
「途中でこんなことをお尋《たず》ね申すのも失礼でございますが、あなたは吉田の旦那と御懇意でございましたね」
「吉田……。白魚河岸か」
「左様でございます。それで少々伺いたいのでございますが、この吉田さんは音羽の佐藤さんという旗本を御存じでございましょうか」
「音羽の佐藤……」
「昨年の秋ごろ、長崎からお帰りになりましたかたで……」
「むむ。佐藤孫四郎どのか。わたしもちょっと識っているが、吉田はよほど懇意にしているらしい。吉田の家内はなんでも佐藤の親類だとか云うことだから……」
「はあ、御親類でございますか。それでは御懇意の筈で……」
「なんだ。その佐藤に何か用でもあるのか」と、理右衛門は相手の顔をながめながら訊いた。
吉五郎が唯の人間でないことを知っているだけに、彼は幾分の好奇心をそそのかされたらしくも見えた。
「いえ、別に用というほどの事でもございませんが……」と、吉五郎はあいまいに答えた。「先日あのお屋敷の前を通りましたら、吉田さんの御子息をお見かけ申しましたので……」
「次男の方だろう。あれは御賄組の黒沼という家へ急養子に行ったそうだから……」
「わたくしもそんなお噂を伺いました。いや、どうもお急ぎのところをお引き留め申しまして相済みませんでした。では、これで御免ください」
ふたたび丁寧に会釈《えしゃく》して立ち去る吉五郎のうしろ姿を、理右衛門は不審そうに見送っていた。往来なかで人を呼びとめて、単にそれだけのことを訊《き》いて行くのは少しくおかしいと思ったからであろう。しかも吉五郎に取っては、吉田の家と佐藤の屋敷との関係を聞き出しただけでも、一つの手がかりであった。佐藤の屋敷の前で吉田の伜のすがたを見たなどと云うのは、もとより当座の出たらめに過ぎないのである。
吉田と佐藤とが親戚の間柄である以上、吉田の次男幸之助がその屋敷へ出入りするに不思議はない。そうして、その屋敷にいるお近という女と親しくなったと云うのも、世にありそうなことである。唯その幸之助が留吉の虜《とりこ》とならずに、どこへ姿を隠したか、それを詮議しなければならないと吉五郎は思った。
彼はそれから京橋へ足を向けて、白魚河岸の吉田の家をたずねた。勿論、玄関から正面に案内を求めるわけには行かないので、彼は気長にそこらを徘徊して、その家から出て来る中間や女中らを待ち受けて、いろいろに≪かま≫を掛けて探索したが、幸之助は実家にひそんでいないらしかった。
「燈台|下暗《もとくら》しで、やっぱり佐藤の屋敷に忍んでいるかも知れねえ」
吉五郎はいったん神田の家へ帰って、ゆう飯を食って更に出直そうとするところへ、留吉が忙がしそうにはいって来た。
「親分、出かけるんですかえ」
「むむ。今夜はおれが音羽へ出かけて、張り込んでみようと思うのだ」
「それじゃあ行き違いにならねえで好かった。実は又ひとつ事件が出来《しゅったい》してね」と、留吉は眉をひそめた。
「黒沼の家《うち》の娘が死んだそうで……」
「家付き娘だな」
「そうです。お勝といって、ことし十八になります。親父が死んで、幸之助を急養子にしたんですが、お勝は病気で寝ているので、祝言も延びのびになっているうちに、幸之助は家出をして帰らない。それがもとで、お勝は自害したそうです」
「自害したのか」と、吉五郎も少しく驚いた。
「短刀だか懐剣だか知らねえが、なにしろ寝床の上に起き直って、喉《のど》を突いたんだと云うことです」と、云いかけて留吉は声を低めた。「それからまだおかしいことは、黒沼のとなりの瓜生という家《うち》では、お北という娘が家出をしたそうです」
「幸之助が家出をする。女房になる筈のお勝という女が自害する。又その隣りの娘が家出をする。それからそれへと悪くごたつくな。それで、その女たちは、なぜ自害したのか、なぜ家出をしたのか。その訳はわからねえのか」
「なにぶん武家の組屋敷のなかで出来た騒動だから、くわしい事はとても判らねえ。これだけのことを探り出すのでも容易じゃあありませんでしたよ」
「そうだろうな」と、吉五郎もうなずいた。「そう聞いちゃあ猶さら打っちゃっては置かれねえ。御苦労だが、もう一度行ってくれ」
ふたりが神田を出る頃には、ようやく長くなったという此の頃の日も暮れていた。しかも夕方から俄かに陰《くも》って、雨を含んだようななま暖かい南風《みなみ》が吹き出した。
「忌《いや》な晩ですな」
「忌な空だな。降られるかも知れねえ」
暗い空を仰ぎながら、ふたりは音羽の方角へ急いでゆくと、途中から風はいよいよ強くなった。
「黒沼伝兵衛という侍が死んでいたと云うのは、どの辺だ」
「そこの寺の前ですよ」
留吉が指さす方に或る物を見いだして、吉五郎は口のうちで叫んだ。
「あ、蝶々だ」
「むむ。蝶々だ」
ふたりは白い影を追うようにあわてて駈け出した。
八
闇にひらめく蝶のかげを追いながら、吉五郎と留吉は先きを争って駈け出したが、吉五郎の方が一と足早かった。彼はふところから四つ折りの鼻紙を取り出して、蝶を目がけてはたと打つと、白い影はそのまま消え失せてしまった。
「たしかに手応《てごた》えはあったのだが……」と、吉五郎はそこらを透かして見まわしたが、提灯を持たない彼は、暗い地上に何物をも見いだすことが出来なかった。
「そこらへ行って蝋燭を買って来ましょう」と、留吉は土地の勝手を知っていると見えて、すぐにまた駈け出した。
寺門前には小さい商人店《あきんどみせ》が五、六軒ならんでいる。表の戸はもう卸《おろ》してあったが、戸のあいだから灯のひかりが洩れているので、留吉はその一軒の荒物屋の戸を叩いて蝋燭を買った。裸蝋燭では風に吹き消される虞《おそ》れがあるので、小さい提灯を借りて来た。
その提灯のひかりを頼りに、ふたりはそこらの地面を照らして見たが、蝶らしい物の白い影はどこにも見あたらなかった。吉五郎は舌打ちした。
「仕様がねえ。風が強いので吹き飛ばされたかな。まさかに消えてなくなった訳でもあるめえ」
と云う時に、留吉は声をあげた。
「や、飛んでいる。あすこに……」
白い蝶は、三、四間|距《はな》れた所に飛んでいるのである。それを見て、吉五郎はまた舌打ちした。
「畜生。ひとを玩具《おもちゃ》にしやあがる」
ふたりは直ぐに駈け寄ると、蝶の影は消えるように見えなくなった。
留吉は提灯をふりまわして、しきりにそこらを照らして見たが、それらしい物の影もないので、彼は焦《じ》れて無闇に駈け廻った。吉五郎も梟《ふくろう》のように眼を見張って、暗いなかを覗いて歩いたが、それもやはり無効であった。
往来の絶えた寺門前の闇のなかに、大の男ふたりが一生懸命駈け廻って蝶を追っているのは、どうしても狐に化かされたような図である。しかも今の彼等はそんなことを考えている暇はなかった。
「ほんとうに人を馬鹿にしていやあがる。忌々《いまいま》しい奴だな」と、留吉は息をつきながら云った。
吉五郎も立ち停まって溜め息をついた。
いかに焦《じ》れても、燥《あせ》っても、怪しい蝶はもうその影を見せないのである。ふたりはあきらめて顔を見合わせた。
「親分。どうしましょう」
「仕方がねえ。又どっかで見付かるだろう」
「これからどうします」
「むむ。おれの考えじゃあ……」と、云いかけて、吉五郎は俄かに見返った。「留。あれを取っ捉まえろ」
見ると、うしろの寺の生垣《いけがき》の下に、犬か猫のようにうずくまっている小さい影がある。留吉は持っている提灯を親分に渡して、直ぐにその影を捕えに行った。影は飛び起きて、暗い坂の上へ逃げて行こうとするのを、留吉は飛びかかって押さえ付けた。吉五郎がさしつける提灯のひかりに覗いて見て、留吉はうなずいた。
「むむ。てめえか。このあいだからどうもおかしい奴だと思っていたのだ」
「おめえはその女を識っているのか」
「こいつは火の番の藤助のむすめで、お冬というんですよ」
「火の番の娘か」と、吉五郎もうなずいた。「おれもそいつを調べてみようと思っていたのだ」
「自身番へ連れて行きましょうか」
「いや、自身番なんぞへ連れて行くと、人の目に立っていけねえ。ここでおれが調べるから、おめえは提灯を持って往来を見張っていろ」
吉五郎はお冬の腕をつかんで、寺の門前へ引き摺って行ったが、正面は風があたるので、横手の生垣をうしろにしてしゃがんだ。
「おまえは今頃なんでこんな所に忍んでいたのだ」
お冬は黙っていた。
「おれ達は十手《じって》を持っている人間だ。おれ達の前で物を隠すと為にならねえぞ」と、吉五郎は嚇すように云い聞かせた。「そこでお前の親父はどうした。まだ帰らねえのか」
「はい」と、お冬は微《かす》かに答えた。
「ほんとうに帰らねえか。あすこの佐藤という旗本屋敷に隠されているんじゃあねえか」
お冬はやはり黙っていた。
「お前はそれを知っている筈だ。おまえの親父は訳があって、当分は佐藤の屋敷に隠れているから心配するなと、お近という女から云い聞かされている筈だが……。それでも知らねえと強情《ごうじょう》を張るか。又そのお近という女は、ときどきにお前の家へ忍んで来て、黒沼の婿の幸之助と逢曳《あいびき》をしている筈だが……。それでもお前は強情を張るか」
お冬はまだなんにも云わないので、吉五郎はほほえみながらその肩を軽く叩いた。
「おまえは年の割に、なかなかしっかり者だな。と云って、褒めてばかりはいられねえ。あんまり強情を張っていると、おれも少しは嚇かさなけりゃあならねえ。おまえは一体、なんでここへ来ていたんだよ。おまえにも色男でもあって、今夜ここへ逢いに来ていたのか」
お冬はあくまでも強情に口を閉じていた。
「それとも俺たちの後を尾《つ》けて来て、何かの立ち聴きでもしようとしたのか。え、おい。なぜいつまでも黙っているんだよ」と、吉五郎は再びその肩を軽く叩いた。
前にも云う通り、門の正面には南風が強く吹き付けるので、吉五郎は横手の生垣をうしろにしてならんでいたのであるが、その時、その生垣の杉のあいだから一つの手があらわれて、暗いなかで吉五郎の襟髪を掴んだかと思うと、力任せに強く引いた。不意に掴まれたのと、その引く力が可なりに強かったのとで、吉五郎は思わず尻餅をついて仰向けに倒れると、その隙をみて忽ち立ちあがったお冬は、いわゆる脱兎《だっと》の勢いで駈け出した。
それに気がついて、留吉があわてて駈け寄ると、お冬は手早くその提灯を叩き落とした。かれは灯の見える大通りへ出るのを避けて、暗い目白坂を駈けのぼって行くのである。
それを追うよりも、まず親分を救わなければならないと思ったので、留吉はそのまま門前へ駈けつけると、吉五郎は倒れながら相手の腕を掴んでいた。
「留、早くそいつを取っつかまえろ」
留吉はこころえて、これも生垣越しに相手の腕をつかんで引き出そうとすると、相手は出まいと争ううちに、生垣の細い杉は二、三本ばらばらと折れて、内の人間は表へころげ出した。彼は必死にいどみ合ったが、捕り方ふたりの為に組み敷かれて、更に早縄をかけられて、門前に引き据えられた。
「なにしろ暗くっちゃあ、面《つら》が見えねえ」
今度は寺の門を叩いて、提灯の火を借りることにした。その火に照らされた男の顔を覗いて、留吉はうなずいた。
「俺もそんな事じゃあねえかと思った。親分。こいつは火の番の藤助ですよ」
「そうか」と、吉五郎もうなずいた。「こんな所で調べていると、又どんな邪魔がはいらねえとも限らねえ。やっぱり自身番へ連れて行こう」
云いも終らないうちに、果たして邪魔がはいった。おそらく門内にひそんでいたのであろう。ひとりの覆面の男が突然に跳り出て、まず留吉の提灯をばさりと斬り落とした。
「光る物を持っているぞ。気をつけろ」
留吉に注意しながら、吉五郎はふところから十手を出すと、留吉も十手を取って身構えした。覆面の男は無言で斬ってかかった。それが侍であると覚ったので、ふたりも油断は出来ない。縄付きの藤助をその儘にして、激しく斬って来る相手の刀の下を抜けつくぐりつ闘っていると、男はなんと思ったか、俄かに刃《やいば》を引いて暗い坂の方角へ一散《いっさん》に逃げ去った。
ふたりはつづいて追おうとしたが、逃げてしまった相手を追うよりも、既に捕えた相手を逃がさない工夫が肝腎《かんじん》であると思ったので、ふたりは云い合わせたように足を停めた。彼等は再び門前へ引っ返して来ると、暗いなかに藤助の姿は見えないらしかった。留吉は寺内へ駈け込んで更に提灯を借りて来ると、果たしてそこらに藤助の姿は見えなかった。
覆面の男は藤助を救うがために斬って出たのであろう。その闘いのあいだに彼は姿を隠したのであろう。しかも藤助は縄付きであるから、自由に遠く走ることは出来ない筈である。あるいは墓場に忍んでいるかも知れないと云うので、留吉が先きに立って石塔のあいだを縫ってゆくと、白い蝶が又ひらひらとその眼さきを掠《かす》めて飛んだ。
「又来やあがった」
ふたりは怪しい蝶の行くえを追って行くとき、留吉は足許《あしもと》に倒れている石塔につまずいて横倒しにどっと倒れた。
「あぶねえぞ」と、吉五郎は声をかけたが、留吉は直ぐに返事をしなかった。
留吉は倒れるはずみに、石塔の台石などで脾腹《ひばら》を打ったらしい。さすがに気を失うほどでも無かったが、彼は低い息をついているばかりで容易に起き上がられそうもないので、吉五郎は手を貸して扶《たす》け起こすと、留吉はぐたりとしていた。
「留。どうした。しっかりしろ」
こうなると、蝶の詮議は二の次にして、子分を介抱しなければならないので、吉五郎は留吉を抱くようにして墓場を出た。寺の玄関へ廻って案内を乞うと、奥から納所《なっしょ》が出て来た。留吉はさっき提灯を借りに行ったので、納所もその顔を識っていた。
「その人がどうかしたのですか」
「そこで転んで怪我をしたらしいんです。済みませんが、燈火《あかり》を拝借したいので……」
留吉を玄関に横たえて、納所が持って来た灯のひかりに照らして見ると、留吉は脾腹を打ったほかに、左の手も痛めているらしかった。吉五郎は自分の身許を明かして、直ぐに医者を呼んで貰いたいと頼むと、納所は異議なく承知して、寺男を表へ出してやった。
吉五郎らの身許を知ったので、寺でも疎略《そりゃく》には扱わなかった。住職もやがて奥から出て来た。彼は納所らに指図して、書院めいた座敷へ怪我人を運び込ませた。
「夜中お騒がせ申して、相済みません」と、吉五郎はあらためて住職に挨拶した。
「いや、どう致しまして……」と、住職は留吉の方を見返りながら、これも丁寧に会釈《えしゃく》した。「それにしても、夜中どうしてこの墓地へおはいりなされた。なにか御用でござるか」
住職の物云いは穏かであるが、その眼の怪しく光っているのを、吉五郎は見逃がさなかった。
初対面の住職はもう四十五、六歳であろう。色の蒼白い痩形の一種の威厳を具えたように見える人柄であった。彼は何事も知らないのであろうか、あるいは何かの秘密を知っているのであろうか。それを確かめない以上は、迂闊《うかつ》な返事も出来ないので、吉五郎は用心しながら答えた。
「実はここの火の番の藤助という者の行くえを探して居りますと、今夜こちらの御門前でその姿を見付けましたので、取り押さえて一旦は縄をかけたのですが、又どこへか逃がしてしまいましたので、それを探しにお墓場の方へまいります途中、なにぶんにも暗いので、足許に倒れている石塔につまずきまして……」
「左様でござりましたか。火の番の藤助はわたくしも識って居りますが、あなた方のお縄にかかりながら又それを抜けて逃げるとは、見掛けによらない大胆者でござるな。して、藤助に何か御詮議の筋があるのでござりますか」
「藤助は先月以来、行くえが知れないのでございます」
「それはわたくしも聴いて居りますが……。では、藤助は何かうしろ暗いことでもあって、すがたを隠しているのでござりますな」
そらとぼけてそんなことを云うのか、或いはまったく知らないのか。吉五郎はその判断に苦しみながらあいまいに答えた。
「うしろ暗いことがあるか無いか、それは調べてみなければ判りませんが、いずれにしても駈落者《かけおちもの》は一応の詮議を致さなければなりませんので……。まして世間へは駈け落ちと見せかけて、我が家の近所にうろ付いているなぞは、潔白な人間のおこないでは無いように思われますので、ともかくも取り押さえようと致しますと、案外に手向いを致しますので、よんどころなくお縄をかけたのでございます」
「ごもっともで……。そこで、その藤助がこの寺の墓地へ逃げ隠れたと仰しゃるのですか」と、住職はまた訊《き》いた。
「今も申す通り、なにぶん暗いので確かなことは判りませんが、もしやと思いまして……」
「では、確かにこの寺内へ逃げ込んだというお見込みが付いたわけでも無いのですな」
このとき納所が茶と菓子を運んで来たので、それを機《しお》に住職は又あらためて会釈した。
「甚だ勝手でござりますが、実は二、三日前から風邪で引き籠って居りますので、わたくしはこれで御免を蒙ります。どうぞゆるゆると御休息を……」
「御病ちゅう御迷惑をかけて恐れ入ります、御遠慮なくお休みください」
たがいに挨拶して、住職は納所と共に立ちあがった。そのうしろ姿を見送りながら、吉五郎は何か思案していると、今まで無言でころがっていた留吉は自由にならない体を少しく起こして、小声で話しかけた。
「親分、あの和尚《おしょう》は怪しゅうござんすね」
「おめえも見たか」
「さっきから寝ころびながら、あいつの顔色をうかがっていたんですが、あの和尚、なにか因縁《いんねん》がありそうですぜ」
「おれの思う壺にだんだん嵌《はま》って来る」と、吉五郎はほほえんだ。「全くあの和尚は唯の鼠じゃあねえ」
足音がきこえたので、ふたりは急に口をつぐむと、納所が医者を案内して来た。
九
岡っ引の吉五郎と、その子分の留吉は着々失敗して先ず第一に目的の白い蝶を見うしない、次にお冬を取り逃がし、次に火の番の藤助を取り逃がし、更に覆面の曲者を取り逃がし、最後に留吉は墓場でころんで負傷した。一夜のうちにこれほどの失敗が重なったのは、彼等に取ってよくよくの悪日《あくび》とも云うべきであった。
しかも不幸は彼等の上ばかりでなく、この事件に重大の関係を有する御賄組の人々の上にも、種々の不幸が打ち続いたのであった。黒沼の婿の幸之助がゆくえ不明になったかと思うと、つづいて瓜生の家でも娘のお北が姿をかくした。幸之助の家出、お北の家出、両家ともに努《つと》めて秘密にしていたのであるが、女中らの口からでも洩れたと見えて、早くも組じゅうに知れ渡ってしまった。
取り分けて、人々をおどろかしたのは、黒沼の娘お勝の死であった。前にも云う通り、お勝は先月以来引きつづいて病床に横たわっていて、急養子の幸之助とは名ばかりの夫婦であったが、その幸之助が家出すると又その跡を追うように隣家のお北が家出したことを知った時に、お勝は枕をつかんで泣いた。
「口惜《くや》しい」
そのひと言に深い意味のこもっていることは、母のお富にもよく察せられたが、まだ確かな証拠を握ったわけでもないので、表立って瓜生へ掛け合いにも行かれず、さしあたりいい加減に娘をなだめて置くと、お勝は母や女中の隙をみて、床の上に起き直って剃刀《かみそり》で喉《のど》を突き切った。お富がそれを発見した時には、娘はもう此の世の人ではなかった。別に書置らしい物も残していなかったが、その自害の原因が「口惜しい」の一句に尽くされているのは疑うまでもないので、お富も身をふるわせて口惜しがった。
まだ正式の祝言は済ませないでも、幸之助がお勝の婿であることは、組じゅうでも認めている。世間でも認めている。その幸之助と駈け落ちをしたとあれば、お北は明らかに不義密通《ふぎみっつう》である。確かな証拠を握り次第、お富は瓜生の親たちにも掛け合い、組頭にも訴えて、娘のかたき討ちをしなければならないと決心した。
お富が決心するまでもなく、瓜生の家でもそれに対して相当の覚悟をしなければならなかった。長八は妻のお由と伜の長三郎を自分の居間に呼びあつめてささやいた。
「どうも飛んだ事になってしまった。幸之助の家出、お北の家出、それだけならば又なんとか内済にする法もあるが、それがためにお勝までが自害したとあっては、事が面倒になる。黒沼の方ではどういう処置を取るか知らないが、どうも無事には済むまいと思われる。おれ達もその覚悟をしなければなるまいぞ」
「その覚悟と申しますと……」と、お由は不安らしく訊いた。
「おれも侍の端《はし》くれだ。こうなったら仕方がない、一日も早くお北のありかを探し出して、手打ちにして……。その首を持って黒沼の家へ詫びに行かなければ……。さもないと家事不取締りの廉《かど》で、おれの身分にも拘わるからな」と、長八は溜め息まじりで云った。
比較的に武士気質《さむらいかたぎ》の薄い御賄組に籍を置いていても、瓜生長八、ともかくも大小をたばさむ以上、こういう場合にはやはり武士らしい覚悟を決めなければならなかった。
「それで、黒沼の家はどうなるでしょう」と、お由は又|訊《き》いた。
「今度こそは断絶だろうな」と、長八は再び溜め息をついた。「先月の時にも表向きにすればむずかしかったのだが、伝兵衛急病ということにして先ず繋ぎ留めたのだ。それは組頭も知っている。その矢さきへ又今度の一件だ。養子は家出する、家付きの娘は自害する。それではどうにも仕様があるまい」
「いっそ先月の時に、おとなりの家が潰れてしまったら、こんな事にもならなかったのでしょうに……」と、お由は愚痴らしく云った。
「今更そんなことを云っても仕方がない。なにしろ娘が悪いのだ。幸之助も悪いが、お北も悪い。つまりは両成敗《りょうせいばい》で型を付けるよりほかないのだ。おれはもう覚悟している。おまえ達もそのつもりでいろ」
お由は無言で眼を拭いた。長三郎も黙って聴いていると、父はやがて伜の方へ向き直った。
「今も云い聞かせた通りの次第だが、おれは勤めのある身の上だ。御用をよそにして娘のゆくえを尋ね歩いてはいられない。おまえは部屋住みだ。これから江戸じゅうを毎日探し歩いて、姉の隠れ場所を見つけて来い。途中で出逢ったらば、無理に連れて帰って来い」
いかにこの時代でも、十五歳の小伜に対してこんな役目を云いつけるのは、少しく無理なようにも思われたが、これは迂闊《うかつ》に他人にも頼まれない用向きであるから、長八もわが子に頼むよりほかはなかったのである。その事情を察しているので、長三郎も断わることは出来なかった。
「承知しました」
「けれども、おまえ……」と、お由は我が子に注意するように云った。「家《うち》の姉さんの家出したのはほかに仔細のあることで、おとなりの幸之助さんとは係り合いが無いのかも知れないからね。そのつもりで、むやみに手暴《てあら》な事をしちゃあいけませんよ」
「いや、それは未練だ」と、長八は叱るように云った。「お北が幸之助と裏口で立ち話をしているのを、妹も二、三度見たことがあると云うのだ。お秋も今まで隠していたが、これも二人の立ち話を時々に見たと云う。してみれば、証拠は十分だ。長三郎、決して容赦《ようしゃ》するなよ。おまえは年の割合には剣術も上達している。万一、幸之助が邪魔をして、刀でも抜いて嚇《おど》かすようなことがあったらば、お前も抜いて斬ってしまえ」
内心はどうだか知らないが、父としては斯う命令するよりほかは無かったのであろう。
長八は更に我が子にむかって、探索《たんさく》の心あたり四、五カ所を云い聞かせると、長三郎は委細《いさい》こころえて、父の前を退いた。そうして、直ぐに表へ出る支度をしていると、母は幾らかの小遣い銭を呉れて、その出ぎわに又ささやいた。
「お父さまはああ云っているけれども、なにしろ総領むすめなんだからね。おまえに取っても姉さんなのだから……」
長三郎は無言でうなずいて出たが、なにぶんにも困った役目を云い付かったと、彼は悲しく思った。
姉を庇《かば》う母の心はよく判っているが、この場合、一刻も早く姉をさがし出して、なんとかその処分をしなければ、父の身分にも関《かか》わる、家名にも関わる。たとい母には恨まれても、姉を見逃がすようなことは出来ない。もし幸之助が一緒にいて、なにかの邪魔をするときは、父の指図通りにしなければならない。白い蝶の探索については、彼も一種の興味を持っていたが、今度の探索はなんの興味どころか、単に辛《つら》い、苦しい役目というに過ぎなかった。
それでも彼は奮発して出た。勿論、どこという確かな目当てもないのであるが、さしあたりは父に教えられた心あたりの四、五カ所をたずねることにした。それは母方の縁者や、多年出入りをしている商人《あきんど》などの家で、あるいは青山、あるいは高輪《たかなわ》、更に本所深川などであるから、いかに若い元気で無茶苦茶に駈けまわっても、それからそれへと尋ね歩くのは容易ではなかった。
しかも行く先きざきで何の手がかりをも探り出し得ないので、彼はがっかりしてしまった。姉はどこへも立ち廻った形跡がないのである。
疲れた上に、日も暮れかかったので、長三郎はきょうの探索を本所で打ち切ることにした。本所の家は母方の叔母にあたるので、そこで夜食の馳走になって、六ツ半(午後七時)を過ぎた頃に出て来たが、本所の奥から音羽まで登るには可なりの時間を費した。江戸市中の地理に明るくない彼は、正直に両国橋を渡って、神田川に沿って飯田橋に出て、更に江戸川の堤《どて》に沿うて大曲《おおまがり》から江戸川橋にさしかかったのは、もう五ツ(午後八時)を過ぎていた。
雨催いの空は低く垂れて、生《なま》あたたかい風が吹く。本所で借りて来た提灯をたよりに、暗い夜道を足早にたどって、今や橋の中ほどまで渡り越えたとき、長三郎は俄かに立ち停まった。自分のゆく先きに白い蝶が飛んでいるように見えたからである。はっと思って再び見定めようとすると、その白い影はもう消え失せていた。
「心の迷いか」と、長三郎は独りで笑った。
蝶の影は彼の迷いであったかも知れないが、さらに一つの黒い影が彼の眼のさきにあらわれた。水明かりに透かして視ると、それは確かに人の影で、音羽の方角からふらふらと迷って来るのであった。
長三郎は油断なく提灯をさし付けて窺うと、それは火の番の娘お冬で、さも疲れたように草履をひき摺りながら歩いて来た。
「お冬か」
長三郎は思わず声をかけると、お冬はこちらを屹《きっ》と見たが、忽ちに身をひるがえして元来た方へ逃げ去ろうとした。その挙動が怪しいので、長三郎は直ぐに追いかけた。追い捕えてどうするという考えもなかったが、自分を見て慌てて逃げようとする彼女の挙動が、いかにも胡乱《うろん》に思われたからであった。
疲れているらしいお冬は遠く逃げ去るひまも無しに、追って来る長三郎に帯ぎわをつかんで引き戻された。そのはずみに、彼女はよろめいて倒れた。
「なぜ逃げる。わたしを見て、なぜ逃げるのだ」と、長三郎は声を鋭くして訊いた。
お冬は黙っていた。
「お前はこれから何処へ行くのだ」
長三郎はかさねて詰問しながら提灯の火に照らして見ると、お冬は右の足に草履を穿《は》いて、左足は素足であった。片眼の女、片足の草履、それが何かの因縁でもあるように、長三郎の注意をひいた。
「おまえは片足が跣足《はだし》だな。草履をどうした」
お冬は黙っていた。
先日、水引屋の職人と一緒に藤助の家をたずねた時にも、お冬は始終無言であったが、今夜もやはり無言をつづけているので、長三郎はすこしく焦《じ》れた。
「え、なぜ返事をしないのだ。おまえは何か悪いことでもしたのか」
長三郎はその腕をつかんで軽く揺り動かすと、お冬は地に坐ったままで男の手さきをしっかりと握った。
前髪立ちとはいいながら、長三郎も十五歳である。殊に今の人間とは違って、その時代の人はすべて早熟である。若い女に、自分の手を強く握られて、長三郎の頬はおのずと熱《ほて》るように感じられた。
彼はその手を振り払いもせずに暫く躊躇していると、お冬はいよいよ摺り寄ってささやいた。
「若旦那……。あなたこそ何処へお出ででした」
今度は長三郎の方が黙ってしまった。
「あなたは誰かを探して歩いているんじゃございませんか」
星をさされて、長三郎はなんだか薄気味悪くもなった。
この女はどうして自分の秘密の役目を知っているのであろう。もう一つには、今頃こんな取り乱したような姿をして、どうしてここらを徘徊しているのであろう。彼は謎のような女に手を握られたままで、やはり暫くは黙っていた。
一〇
お冬は長三郎の手を固く握ったままで、更にささやいた。
「あなたの探している人は見付かりましたか」
なんと答えようかと長三郎はまた躊躇したが、結局思い切って正直に云った。
「見付からない」
「教えてあげましょうか」
「おまえは知っているのか」
「知っています」
「ほんとうに知っているのか……。教えてくれ」と、長三郎は疑うように訊いた。
「あなたの探している人は……。御近所にかくれています」
「近所とは……。どこだ」
「佐藤さまのお屋敷に……」と、お冬は左右を見かえりながら声を低めた。
「佐藤……孫四郎殿か」と、長三郎は意外らしく訊き返した。「どうして知っている」
それにはお冬も答えないので、長三郎は摺り寄って又訊いた。
「そこには幸之助と……。まだほかにも隠れているのか」
自分の姉の名をあらわに云い出し兼ねて、長三郎は探るようにこう訊くと、お冬は頭《かぶり》をふった。
「いいえ、黒沼のお婿さんだけです」
長三郎は失望した。勿論、幸之助の詮議も必要であるが、さしあたりは姉のゆくえを探しあてるのが自分の役目である。その姉は佐藤の屋敷にいないと聞いて、彼は折角の手がかりを失ったようにおもった。それでも再び念を押した。
「黒沼幸之助だけは確かに佐藤の屋敷に忍んでいるな」
「はい」
長三郎は焦《じ》れて来たので、とうとう姉の名を口にした。
「わたしの姉のお北は一緒にいないのか」
「おあねえさんは御一緒じゃありません」
「姉の居どころをおまえは知らないか」
お冬は又だまってしまった。あくまでも焦らされているように思われて、年の若い長三郎は苛々《いらいら》した。
「これ、正直に教えてくれ。頼む」
「お頼みですか」
「頼む、頼む」と、長三郎は口早に云った。
「わたくしもお頼み申したいことがありますが……」と、お冬は自分の顔を男の頬へ摺り付けるようにして、訴えるようにささやいた。
もうこうなっては前後を省《かえり》みる暇もないので、長三郎は素直に答えた。
「おまえの頼むこと……。なんでも肯《き》いてやる。早く教えてくれ」
「では、一緒においでなさい」と、お冬は立ち上がった。
彼女はやはり男の手を掴んで放さなかった。
この上は彼女の心のままに引き摺られて行くのほかは無いので、長三郎も無言で歩み出した時、宵からの生《なま》あたたかい風が往来の砂をまいてどっと吹き付けた。その砂を顔に浴びて、男も女もあわてて両袖を掩《おお》ったので、繋がっている手と手が自然に離れた。長三郎の持っている提灯の火もあやうく吹き消されそうになった。
その風のうちに、お冬はなんの音を聞いたのか、俄かにうしろを見返ったかと思うと、長三郎のそばを颯《さっ》と離れて、橋を南へむかって飛鳥のごとくに駈け去った。取り残された長三郎は呆気《あっけ》に取られて、再びそれを追い捕える気力もなく、唯ぼんやりと其のゆくえを眺めていると、やがて草履の音が北の方から近づいて、頬かむりをした男がうしろから彼に声をかけた。
「あなたはあの女とお知合いでございますか」
相手が何者か判らないので、長三郎は突っ立ったまま睨んでいると、男は頬かむりの手拭を取って丁寧に会釈《えしゃく》した。
「わたくしは神田の三河町に居りまして、お上《かみ》の御用を勤めている吉五郎という者でございます。失礼ながらあなたは……」
長三郎も黙っていられなくなった。
「わたしは音羽の御賄屋敷にいる瓜生長三郎……」
「はあ、瓜生さんの御子息でございましたか」
丁度いい人に出逢ったと云うように、吉五郎は馴れなれしく摺り寄って来た。
「あの女は音羽の火の番の娘じゃございませんか」
長三郎はうなずいた。
「御近所ですから、前から御存じなんでしょうな」と、吉五郎はまた訊いた。
「知っています」
「そこで、くどくおたずね申すようですが、今ここでどんなお話をなすったんでしょう。いや、こんなことを申し上げてはたいへん失礼でございますが、これも御用とおぼしめして御勘弁をねがいます。実は先刻あの女を取り押さえて、少々取り調べて居ります処へ、思いもよらない邪魔がはいりまして……」
云いかけた時に、強い南風《みなみ》が又もやどっと吹き寄せて来て、二人の顔をそむけさせたが、その風のなかで何を見付けたのか、吉五郎はあわててふた足三足かけ出した。一羽の白い蝶が風に吹き揚げられたように、地を離れてひらひらと空を舞って行くのである。長三郎もそれを見つけて、思わずあっと声をあげた。
「若旦那。つかまえて下さい」
吉五郎はすぐに蝶を追った。長三郎も一緒に追った。しかも、あいにくに強い風が又吹き付けたので、蝶は橋の上から斜めに飛んで、川の上に吹きやられてしまった。
「水に落ちたかな」と、長三郎は提灯をかざしながら、残念そうに云った。
「そうでしょう。川の方へ吹き飛ばされちゃあ仕様がありません」と、吉五郎も残念そうに水の上を覗いていた。「しかし若旦那。あなたは何か御覧になりませんでしたか」
「なにを見たかと云うのだ」
「あの蝶々の飛んで行くときに、何か御覧になりませんでしたか」
「いや、別に……」
「そうでしたか」と、吉五郎は微笑みながらうなずいた。
その一刹那に、長三郎はふと心付いた。怪しい蝶はよそから飛んで来たのでなく、そこらの地面から吹き揚げられたらしい。暗いなかで不意に起こったことであるから、もちろん確かには判らないが、地に落ちていた蝶が強い風のために空中へ吹き揚げられたのではあるまいか。生きた蝶か死んだ蝶か。あるいはお冬が怪しい蝶を袂にでも忍ばせていて、故意か偶然に落として行ったのではあるまいか。その疑いを解こうとして、彼は更に訊き返した。
「おまえは何か見たのか」
「いや、別に……」と、吉五郎は笑っていた。
自分の返事を鸚鵡《おうむ》返しにして、冷やかに笑っているような岡っ引の態度を、長三郎は小面《こづら》が憎いようにも思った。彼は何をか見付けたに相違ない。そうして、意地わるく秘《かく》しているのである。秘されるほど聞きたがるのが人情であるのに、まして今の場合、長三郎はあくまでもその秘密を探り知りたいので、忌々《いまいま》しいのを堪《こら》えながらおとなしく訊《き》いた。
「おまえは何か見たらしい。見たなら見たと云って正直に教えてくれ。わたしもあの蝶々について詮議をしているのだから……」
「そうですか」と、吉五郎はすこし考えながら答えた。「折角ですが、それは申し上げられません。あなたも御覧になったのなら格別、わたくしの口からは申されません。こう申したら、定めて意地のわるい奴だとおぼしめすかも知れませんが、御用を勤めている者はみんなそうです。そこで、あなたはどういうわけで、あの蝶々を御詮議なさるんです」
「別にどうと云うこともないが、このごろ世間で評判が高いから……」
「唯それだけの事でございますか」と、吉五郎は相手の顔色をうかがいながら云った。「まだほかに、何か仔細があるのじゃあございませんか」
「ほかに仔細はない」と、長三郎は強く云い切った。
「仔細がなければよろしいのですが……」と、吉五郎は又もや意味ありげに云った。「時におあねえ様はもうお屋敷へお帰りになりましたか」
長三郎はぎょっとした。さすがは商売だけに、岡っ引は早くも姉の家出を知っているのである。さてその返答をどうしたものかと、彼も即座の思案に迷っていると、吉五郎は諭《さと》すように云った。
「若旦那。わたくしは大抵のことを知っています。蝶々のことも大抵は見当が付きました。やっぱりわたくしの鑑定通りでした。近いうちにきっと埒《らち》をあけてお目にかけます。おあねえ様の御安否もやがて判りましょう。御姉弟《ごきょうだい》のことですから、おあねえ様のゆくえをお探しなさるのはあなたの御料簡次第ですが、蝶々の一件はあなた方がお手出しをなさらずに、どうぞわたくし共にお任せください。素人《しろうと》がたに荒らされると、かえって仕事が面倒になりますから……。お父《とう》さまにもよくそう仰しゃって下さい」
こうなると、多年の功を積んだ岡っ引と、前髪のある若侍とは、まったく相撲にならないのは判り切っているので、長三郎も意地を張るわけには行かなくなった。
「おまえは姉のありかを知っているのか」
「それは存じません。しかし探索の糸を手繰《たぐ》って行けば、自然に判ることだと思います。もし知れましたらば早速におしらせ申します。自分の手柄をするばかりが能じゃあありません。お屋敷の御迷惑にならないようにきっと取り計らいますから、御安心ください。もうおいおいに夜が更《ふ》けます。今晩はこれでお別れ申しましょう」
行きかけて、吉五郎はまた立ち戻った。
「唯今も申した通りですから、あなた方は決して蝶々の一件におかかわり合いなさるな。悪くすると、あなた方のおからだに何かの間違いが無いとも限りませんから……」
嚇《おど》すように云い聞かせて立ち去るうしろ姿を、長三郎は無言で見送っていた。
吉五郎が最後の一言はあながちに嚇しばかりでは無い、現に黒沼伝兵衛は目白の寺門前で怪しい横死《おうし》を遂げたのである。それを思うと、長三郎も今更のように一種の不安を感じて、どこにどんな奴が自分を付け狙っているかも知れないと、俄かに警戒するような心持にもなった。そうして、風の音にも油断なく耳と眼とを働かせながら、暗い夜道を提灯に照らして帰る途中、彼はいろいろに考えた。
今夜のことはすべて謎である。お冬の云うことも、吉五郎の云うことも、半分は判っているようで半分は判らない。お冬は自分をどこへ誘って行くつもりであったのか、吉五郎はなにを見付けたのか、長三郎にはよく判らないのである。彼は怪しい娘と岡っ引とに焦《じ》らされているようにも感じた。
予想以上に帰りが遅かったので、瓜生の父も母もやや心配していたが、無事に戻って来た我が子の顔をみて、まず安心した。長三郎はきょうの探索の結果を報告して、どこにも姉の立ち廻ったらしい形跡のないことを説明すると、父の顔色は陰《くも》った。
「不孝者め。困った奴だ。あしたは非番《ひばん》だから、おれも探しに出よう。まだほかにも心あたりはある」
長三郎はお冬に出逢ったことを報告すると、長八の眉はまた皺《しわ》められた。
「してみると、お冬という女はお北のゆくえを知っているのか。おれも最初から火の番のことが気にかかっていたのだが、やはり何かの係り合いがあると見えるな。それにしても黒沼幸之助が佐藤孫四郎殿の屋敷に忍んでいるとはいいことを聞き出した。どういう訳があるか知らないが、本人をいったん隠まった以上、ひと通りの掛け合いでは素直に本人を渡すまい。存ぜぬ知らぬとシラを切るに相違ないから、なんとか手だてをめぐらして、無事に幸之助を受け取る工夫をしなければなるまい。それまでは誰にも他言するなよ」
吉五郎に関する報告を聞いて、長八はまた云った。
「三河町の吉五郎の名はおれも聞いている。岡っ引仲間でもなかなかの腕利きだそうだ。それがもう大抵は見当を付けたと云う以上、蝶々の方はどうにか埒《らち》が明くのだろう。こうなると、蝶々はどうでもいい、一日も早くお北と幸之助をさがし出して、こっちの埒を明けなければならない」
父としてはこう云うのが当然であると、長三郎も思った。蝶の詮議などはしょせん一種の物好きに過ぎない。それよりも姉のゆくえ詮議が大事であると考えたので、彼は父とあしたの探索の打ち合わせをして寝床にはいった。しかも彼は眼が冴えて眠られなかった。どうでもいいとは思いながらも、やはり彼は蝶のことが気にかかってならない。お冬と白い蝶と、その二つを結び付けて、彼はなんとかしてその謎を解こうと試みたが、結局は無駄な努力に終った。
長三郎が眠られないあいだに、おなじく眠らない人があった。それは吉五郎の子分の留吉で、彼は寺のひと間に衾《よぎ》をかぶって、そら寝入りをしながら寺内の様子を窺っていた。
一一
医者の診察によると、留吉の怪我は幸いに差したることでも無かった。しかし吉五郎は寺の納所《なっしょ》にたのんで、あしたの朝は駕籠を迎いに遣《よこ》すから、今夜だけはここへ寝かして置いてくれと云った。寺では少しく迷惑らしいようであったが、相手が相手であるから情《すげ》なく断わるわけにも行かないので、結局承知して吉五郎を帰した。
さっきからよほどの時を費したので、今さら墓場の探索をするのも無駄だと諦めて、吉五郎はそのまま表へ出た。それから神田へ帰る途中、江戸川橋でお冬のすがたを認め、更に長三郎にも出逢ったことは、前に記《しる》した通りである。そこで吉五郎がどんな発見をしたかは、留吉はもちろん知らなかったが、親分が自分ひとりをここに残して行った料簡《りょうけん》はよく判っていた。
「あの医者は手軽そうなことを云ったが、なかなかそうは行かねえらしい。腕も足もずきずきと骨が痛んで、自由に身動きもならねえ。あしたは駕籠に乗って骨つぎの医者へ行って、よく診《み》て貰わなけりゃあならねえ」
寺の納所《なっしょ》たちへ聞こえよがしに、彼はこんなことを云って、わざと苦しそうに顔をしかめていた。
そこに寝床を敷いてもらって、彼は頭から衾《よぎ》を引っかぶってしまったが、自分には大事の役目のあることを承知しているので、今夜は眠らない覚悟をきめて、しずかに夜の更《ふ》けるのを待っていると、目白不動の四ツ(午後十時)の鐘を聞いて、寺内もひっそりと鎮まった。
留吉はこのあいだからこのあたりを徘徊して、附近の様子を探っていたので、この寺の相当に大きいことを知っていた。建物は古いが手入れもよく行き届いていて、寺内には住職のほかに納所坊主が二人、小坊主が一人、若い寺男が一人、都合五人が住んでいる。寝床を敷きに来た小坊主に訊くと、住職の名は祐道《ゆうどう》、納所は善達と信念、寺男は弥七と云うのである。
「ほかの坊主はともかくも、和尚の面《つら》つきがどうも気に入らねえ」と、留吉は寝ながらに考えた。
外の風の音はまだ止まないで、枕もとの雨戸も時々に揺れるように響く。その庭さきで何やら人の争うような物音がきこえた。猫や犬が狂っているのではない。確かに人と人とが挑《いど》み争っているのである。
留吉は寝床から這い出して、なおも聴き耳を立てていると、そとの人は息をはずませて争っている。さらに障子をそっとあけて、縁側まで這い出して雨戸越しに窺うと、外の人は二人であるらしく、一人は男、一人は女であることも、その息づかいで大かたは想像された。かれらは得物《えもの》を取って闘っているのでなく、空手《からて》の掴み合いであるらしかった。
夜ふけの寺の庭さきで、男と女が息を切って掴み合い、むしり合っている。それだけでも唯事ではない。留吉は雨戸の隙間《すきま》から覗いてみようと燥《あせ》ったが、何分にも戸締まりが厳重に出来ている上に、長い縁側の戸袋《とぶくろ》は遠いところにあるので、そこまで這って行って雨戸を繰り明けるのは容易ではなかった。よんどころなく雨戸の隙間に耳を押し付けて、一心に外の物音を聴き澄ましていると、その物音は吹き消されたように忽ち鎮まって、風の音のほかには何んにも聞こえなくなった。
留吉は不思議に思った。なんだか気味が悪いようにも感じた。今まで聞こえていた物音は自分の空耳《そらみみ》であったのか、あれほどの格闘《かくとう》が俄かにひっそりと鎮まる筈がない。一方が倒れたならば、尚更その物音がきこえる筈であるのに、何事も無しに忽ち鎮まってしまうのは可怪《おか》しい。しかも自分の耳にきこえたのは、風音でもなく、木の葉の摺れ合う音でもなく、たしかに人と人とが挑み合う音であった。
「変だぞ」
暫く縁側に這い屈《かが》んで、留吉は外の様子を窺っていたが、怪しい物音は再び聞こえなかった。根負けがして寝床へ戻ったが、彼はいよいよ眼が冴えて眠られなかった。
どうで夜明かしと度胸を決めているのであるから、眠られぬのは平気であったが、今夜の出来事について彼はいろいろに考えさせられた。男は誰か、女は何者か、なんのわけで夜更けに庭さきで、掴み合っていたのか。自分もその物音を聞いたばかりで、その正体を見とどけないのであるから、物に馴れている留吉にも見当《けんとう》が付かなかった。
張り詰めている気もゆるんで、彼は暁け方から思わずうとうとと眠った。再び眼をあくと、いつの間にか雨戸は開け放されて、縁さきには朝の光りが流れ込んでいた。手足のまだ痛むのを堪《こら》えながら、留吉は寝床の上に起き直ると、枕もとの煙草盆には新らしい火が入れてあった。自分の寝ているうちに、小坊主が覗きに来たものと見える。彼は自分の油断を後悔しながら、不自由の手で煙草を一服すった。
「寝首を掻かれねえのが仕合わせだった」と、彼は独りで苦笑《にがわら》いした。
寺では寝巻を貸してやろうと云ったのを断わって、彼はゆうべからごろ寝をしていたので、そのまま這い起きて羽織をかさねた。例の物音が気になるので、彼はそっと縁側へ出てみると、庭さきはもう綺麗に掃いてあって、そこで掴み合いのあったらしい形跡は残されていなかった。それでも彼は庭下駄を突っかけて、覚束《おぼつか》ない足どりで庭に降りた。
ゆうべの風はいつか吹きやんで、今朝はうららかに晴れていた。庭のまん中にある桜の大樹も、もうひと雨でほころびそうに紅《あか》らんで、春をよろこぶ小鳥の声が賑やかに聞こえた。よく見ると、その木の下には古い苔《こけ》を踏み荒らした足跡が残っている。怪しい物音は自分の空耳《そらみみ》でなかったことを確かめて、留吉は又もや独りで笑いながら、身を屈《かが》めてそこらあたりを見まわしたが、別にこれぞという物も見いだされなかった。
痛むからだを我慢して、さらに墓場の方へ行きかかる時、ふと見かえると住職の祐道が法衣《ころも》すがたで自分のうしろに突っ立っていたので、留吉はすこし慌てながら挨拶すると、祐道はその蒼ざめた顔に笑みを含みながら云った。
「お痛み所はいかがですな」
「おかげさまで、よほど楽になりました」
「それは結構でござる。まあ、ご大切になさい。昨夜も申し上げた通り、わたしも風邪《かぜ》で引き籠って居りましたが、今朝はよんどころない法用で唯今から外出いたします。吉五郎どのが見えましたらば、宜しくお伝えください」
「行ってらっしゃい」と、留吉も丁寧に会釈した。
「では、御免」
祐道はそのまま立ち去った。そのうしろ姿が植え込みの八つ手の大きな葉かげに隠れるのを見送っているうちに、八つ手の葉が二、三枚新らしく折れているらしいのが留吉の眼についた。近寄って見ると、下葉は果たして折れていた。しかも何者かが無理に掴んで引き折ったらしく見えた。おそらく昨夜の格闘の際に、一方の相手が何かのはずみに下葉を掴んだのであろう。そう思いながら更に見まわすと、その折れかかった下葉の裏に白い糸屑が引っかかっていた。早朝に掃除をした者も、さすがにそこまでは気がつかなかったらしい。留吉はその糸屑をとって、朝のひかりに透かしてみると、糸の長さは四、五寸で、俗に菅糸《すがいと》という極めて細いものであった。
女の住んでいない寺中《じちゅう》では、僧侶が針や鋏を持つことが無いとも云えない。その糸屑が庭さきに散っていたとて、さのみ怪しむにも足らないかも知れないが、留吉はゆうべの一件を思い合わせて、この糸屑にも何かの仔細があるらしく疑われたので、あたりを窺いながらそっと自分の袂に忍ばせた。
庭さきに余り長く徘徊《はいかい》していて、他の僧らに怪しまれては何かの邪魔であると思ったので、留吉は縁側に這いあがって、再び元の寝床の上に坐っていると、やがて小坊主が朝飯を運んで来て、きょうは起きられるかと訊いたので、どうにか起きられるようにはなったが、まだ手足の自由が利かないから、迎いの駕籠の来るまでは斯《こ》うして置いてくれと、留吉は頼んだ。小坊主はこころよく承知して、どうぞごゆっくりと答えて去った。
午《ひる》に近い頃に、吉五郎は迎いの駕籠を吊らせて来て、納所坊主や寺男に礼を云って、留吉を受け取って出た。出るときに、吉五郎は寺男の弥七に幾らかの銀《かね》をつつんでやった。
「親分。不動さまの境内《けいだい》まで駕籠をやってください」と、留吉は小声で云った。
駕籠は音羽の大通りへ出ないで反対の方角にむかって目白坂をのぼった。不動の門前に駕籠をおろさせて、駕籠屋をそこに待たせて置いて、留吉は親分に扶《たす》けられながら門内にはいったが、人目を憚《はばか》る彼等は、客をよぶ掛茶屋をよそに見て、鐘撞堂の石垣のかげに立った。
「どうだ、留。早速だが、なにか種は挙がったか」と、吉五郎は頬かむりの顔をすり寄せて訊いた。
「別に面白いこともありませんでしたが……。でも、一つ二つ……」
留吉は先ず夜なかの格闘の一件を話した。それから彼《か》の糸屑を出してみせると、吉五郎は一と目見て笑い出した。
「はは、これだ、これだ。実はこの菅糸をおれも見たよ」
「どこで見ました」
「江戸川橋の上で……。ゆうべおめえに別れてから、風の吹くなかを帰って行くと、橋の上で火の番の娘を見つけたんだ」
「お冬があんな所をうろついていましたか」
「一旦ここを逃げてから、どこをどう迂路《うろ》ついていたのか知らねえが、橋の上で若い侍と話していて、おれの足音を聞きつけると直ぐにまた逃げてしまった」
「その侍は何者です」
「その侍は御賄組の瓜生長三郎……。このごろ家出をしたお北という娘の弟だ。いや、それはまあ後《あと》のことにして、おれがその侍と話しているうちに、一つの白い蝶々がひらひらと舞いあがった」
「ふうむ。白い蝶々が又出ましたかえ」と、留吉も眼をみはった。
「おれの鑑定《かんてい》では、お冬の袂から地面に一旦落ちたのを、強い風に吹きあげられて……。まあ、そう思うより仕方がねえ」と、吉五郎は説明した。「侍の持っている提灯の火で透かして視ると、その蝶々には細い糸が付いている……。細くって、光っているのを見ると、これだ、この菅糸だ。中途で切れたと見えて、やっぱり七、八寸ぐらいしか付いていなかったが、おれの眼には確かに菅糸と見えたんだ」
「その蝶々はどうしました」
「つかまえようと思ううちに、風の吹きまわしで川のなかへ落ちてしまったが、蝶々も生き物じゃあねえ、薄い紙か絹のような物で上手に拵《こしら》えたんだろうと思う。暗いなかで光るのは、羽《はね》に何かの薬が塗ってあるんだな。早く云えばお化けのような物だ」
この時代には、子供の玩具《おもちゃ》に「お化け」と云うものがあった。燐のたぐいを用いたもので、それを水に溶かして人家の板塀または土蔵の白壁などに幽霊や大入道のすがたを書いて置くと、昼ははっきりと見えないが、暗い夜にはその姿が浮いたように光って見えるのである。もちろん、子供の幼稚な悪戯《いたずら》に過ぎないので、それに驚かされる者は少ないのであるが、気の弱い娘子供などは、やはりこの「お化け」を恐れ嫌った。怪しい蝶が闇夜に光るのは、それに類似の手段を用いたのであろうと、吉五郎はひそかに想像していたのであった。
「そうかも知れませんね」と、留吉もうなずいた。「さもなけりゃあ、寒い時節に蝶々の飛び出す筈がありませんからね」
「そこで、その蝶々がどうして飛ぶか……。拵え物を飛ばせる以上、誰か糸を引く奴がなけりゃあならねえ。おれがだんだん調べてみると、その蝶々が飛び出すのは風の吹く晩に限っているらしい。そうなると、いよいよ怪しい。といって、小さい蝶々を飛ばせるには、どんな糸を使うのか、それとも何かの機関《からくり》仕掛けにでもなっているのか。おれは上野の烏凧《からすだこ》から考えて、多分この菅糸を使うんだろうと鑑定していた。おめえも知っているだろう。花どきになると、上野じゃあ菅糸の凧を売っている。薄黒いから烏凧というのだ。あの凧は紙が薄い上に、糸が極細《ごくぼそ》の菅糸だから風のない日でもよくあがる。今度の蝶々にも菅糸をつけて、風の吹く晩に飛ばせるんだろう。そうして、暗い晩を狙ってやりゃあ自分の姿はみえねえ、蝶々だけが光る……。まあ、こんな手妻《てづま》だろうと思っていた。ところが案の通り、ゆうべの蝶々には菅糸が付いていた。おめえも寺の庭で菅糸を拾った。万事が符合する以上は、もう間違いはあるめえ。蝶々の正体は大抵判ったと云うものだ」
「そうです、そうです」と、留吉は又うなずいた。「成程、親分の云う通り、お化けと烏凧で、手妻の種はすっかり判った。ところで、それを使う奴は……」
「お冬という奴だろう」
「なぜそんな事をするんでしょう。唯の悪戯《いたずら》でもあるめえが……」
「唯のいたずらじゃあねえに決まっている。それにはお冬を使って、何かの仕事を目論《もくろ》んでいる奴があるに相違ねえ。誰かがお冬の糸を引いて、お冬がまた蝶々の糸をひくと云うわけだから、順々に手繰《たぐ》って行かなけりゃあ本家本元は判らねえ。それにしても、ここまで漕ぎ付けりゃあ大抵の山は見えているよ」と、吉五郎は笑っていた。
「そうすると、お冬はゆうべ又あの寺へ舞い戻って来たんでしょうか」と、留吉はまた訊いた。
「そうのようにも思われる。そうでねえようにも思われる。おれもそれを考えているんだが……」
「でも、その菅糸が落ちていたんですよ」
「この一件はお冬ばかりじゃあねえ。大勢の奴らが係り合っているらしいから、糸屑だけでお冬とも一途《いちず》に決められねえ」と、吉五郎はまだ考えていた。「だが、まあ、今の話はこれだけにしよう。来たついでと云っちゃあ済まねえが、不動さまにお詣りをして別れようぜ」
二人は本堂の方へ足を向けた。
一二
親分と子分は不動堂の門前で別れて、留吉を乗せた駕籠は神田へ帰った。吉五郎は頬かむりをして音羽の大通りへ出ると、水引屋の市川屋の店さきに、子分の兼松が人待ち顔に腰をかけていた。彼は親分のすがたを見つけて、小走りに寄って来た。
「もし、面白いことがありそうですよ」
「むむ、どんなことだ」
兼松は振り返って小手招ぎをすると、店から職人の源蔵が出て来た。吉五郎に引き合わされて、彼は丁寧に会釈《えしゃく》した。
「わたくしは市川屋の職人で源蔵と申します。なにぶんお見識り置きを……」
「わたしも今後よろしく願います。そこで、兼。この源蔵さんという人に何か手伝って貰うことでもあるのかえ」と、吉五郎は訊いた。
「実はね」と、兼松は声をひくめた。「この源蔵がゆうべ変なことを見たと云うんです」
「なにを見たね」
吉五郎は職人の方へ向き直ると、源蔵も小声で話し出した。
「実は昨晩、高田の四家町《よつやまち》まで参りまして、その帰り途に目白坂の下まで参りますと、寺の生垣《いけがき》の前に男と女が立ち話をして居りましたが、わたくしの提灯の火を見ると、二人ともに慌てて寺のなかへ隠れてしまいました。夜目遠目《よめとおめ》で確かなことは申されませんが、男は火の番の藤助で、女はむすめのお冬のように思われたのでございます。お冬はともあれ、このあいだから行くえ知れずになっている藤助がこの辺にうろ付いていて、往来なかで娘と立ち話をしているのは何だか変だと思いましたが、その時はそれぎりにして帰ってまいりました。そこで、念のために今朝ほどお冬の家《うち》へ行ってみますと、お冬は留守でございました。もちろん、藤助のすがたも見えず、家はがら明きになって居りました」
「それは宵のことかえ」
「左様でございます。まだ五ツ(午後八時)にはならない頃でございました」
「それから、もう一つのことも話してしまいねえ」と、兼松は催促した。
「へえ」と、源蔵はやや当惑らしい顔色をみせたが、やがて思い切って又云い出した。
「わたくしももう五十で、年のせいでございましょうか、若い人たちのようにはどうも眠られません。昨晩も風の音が耳につきましておちおちと眠られずに居りますと、なんでも夜なかの事でございました。表で頻りに犬の吠える声がきこえるのでございます」
「むむ」と、吉五郎もそのあとを催促するように相手の顔をみつめた。
「夜なかに犬の吠えるのは珍らしくもございませんが、あんまり烈しく啼《な》きますので、わたくしも何だか気味が悪くなりまして、そっと起きて店へ出まして、雨戸の節穴から覗いてみますと、表は真っ暗でなんにも見えませんでしたが、犬の吠えているのは隣りの店のまえで、その犬の声にまじって人の声が聞こえるのでございます。低い声ですからよく判りませんが、ふたりで話しているらしいので……」
「男の声かえ、女の声かえ」
「どっちも男の声のようで……」
「その男が何を話していたえ」
「それがはっきりと判りませんでしたが……。ひとりがなぜ寺へ埋《う》めないのだと云っていたようでございました」
「その声に聞き覚えはなかったかね」
「何分はっきりとは聞き取れませんので……」
「それから其の二人はどうしたね」
「やがて何処へか行ってしまったようで、犬の声もだんだんに遠くなりました」
「どっちの方へ遠くなったえ」
「橋の方へ……」
「もうほかに話してくれることは無いかね」
「へえ」
「いや、大きに御苦労。この後も何か気のついたことがあったら教えてくんねえ」
「かしこまりました」
源蔵はほっとしたように立ち去った。それを見送って、吉五郎は子分にささやいた。
「正直そうな奴だな」
「小博奕《こばくち》ぐらいは打つでしょうが、人間は正直者ですよ」と、兼松は答えた。「そこで、親分。今の話の様子じゃあ、ゆうべ此の辺で人間の死骸を運んだ奴があるらしゅうござんすね」
「むむ。まんざら心当たりがねえでもねえ。おれもたった今、留の野郎から聞いたんだが……。おい、耳を貸せ」
吉五郎は再びささやくと、兼松は顔をしかめながら幾たびかうなずいた。
「へえ、そんなことがあったんですか。夜なかに寺の庭さきで男と女がむしり合いをして……。じゃあ、その女が息を止められたんでしょうね」
「まあ、そうだろうな」
「女は誰でしょう。お冬でしょうか」
「さあ、それが判らねえ。この一件にはお冬と、御賄屋敷を家出したお北という女と、佐藤の屋敷に隠れているお近という女と、都合三人の女が引っからんでいるらしいので、どれだかはっきりとは判らねえが、まずこの三人のうちだろう。みんな殺されそうな女だからな」
「それにしても、まあ誰でしょう」
「執拗《しつこ》く訊くなよ。それを穿索するのがおめえ達の商売じゃあねえか」と、吉五郎は笑った。「だが、まあ、おれの鑑定じゃあお近という女だろうな。なにしろ自分が殺されそうになっても、ちっとも声を立てずに争っていたのを見ると、よっぽどのしっかり者に相違ねえ。お北というのはどんな女か知らねえが、いくら武家の娘でも斯ういう時にはなんとか声を立てる筈だ。お冬もしっかり者らしいが、なんと云っても小娘だ。大の男を相手にして、いつまでも激しく争っていられそうもねえ。そうすると、まずお近だろうな」
「なるほど、そういう理窟になりますね。それで、これからどうしましょう」
「佐藤の屋敷へ踏み込むか、祐道という坊主を締め上げるか、それが一番早手廻しだが、なにぶん一方は旗本屋敷、一方は寺社の係りだから、おれ達が迂闊《うかつ》に手を入れるわけにも行かねえので困る。まあ、気長に手繰《たぐ》って行くよりほかはあるめえ、第一に突き留めなけりゃあならねえのは、その死骸の始末だが、寺で殺して置きながら墓場へ埋めてしまわねえのは、後日《ごにち》の証拠になるのを恐れたのだろう。川へ流したか、それとも人の知らねえような所へ埋めてしまったか。源蔵の話じゃあ、二人の男が橋の方へ行ったらしいと云うから、ひょっとすると何かの重しでも付けて、江戸川の深いところへ沈めたかも知れねえ。日が経って浮き上がったにしても、死骸がもう腐ってしまえば人相は判らねえからな」
「そうですね。殺した奴は誰でしょう」
「おればかり責めるなよ。おめえもちっと考えろ」と、吉五郎はまた笑った。「殺されそうな女も三人あるが、殺しそうな男も三人ある。火の番の藤助と、黒沼の婿の幸之助と……。もう一人は寺の住職……。まず三人のうちらしいな。いや、往来でいつまでも立ち話をしているのは良くねえ。そこらで午飯でも食いながら相談するとしよう。留はあの様子じゃあ、まだ当分は思うように働かれめえ。おめえが名代《みょうだい》にひと肌ぬいでくれ。頼むぜ」
「ようがす」
二人は連れ立って、そこらの小料理屋へあがると、時刻はもう午《ひる》を過ぎているので、狭い二階には相客もなかった。縁側に寝ころんでいた猫は人の影をみて早々に逃げて行った。
「あんまり居ごころのいい家《うち》じゃあねえな」と、兼松はつぶやいた。
「まあ仕方がねえ。こういう時には、繁昌しねえ家の方が都合がいいのだ」
親分も子分も少しは飲むので、取りあえず酒と肴をあつらえて猪口《ちょこ》を取りかわした。
「今度の一件は留の受け持ちで、わっしは中途からの飛び入りだから、詳しいことが腹にはいっていねえんですが……」と、兼松は猪口を下に置いて云い出した。「いったい、佐藤の屋敷に忍んでいるお近という女は何者ですね」
「今はお近といっているそうだが、以前はお亀といって、深川の羽織をしていたんだ」
「むむ。芸者あがりかえ」
「容貌《きりょう》も好し、気前もいいとか云うので、まず相当に売れているうちに、金田という千石取りの旗本の隠居に贔屓《ひいき》にされて、とうとう受け出されて柳島の下《しも》屋敷へ乗り込むことになったのだ」と、吉五郎も猪口を置いて説明した。「それでまあ二年ほど無事に暮らしていたのだが、今から足かけ四年前の秋のことだ。十三夜の月見で、夜の更《ふ》けるまで隠居と仲よく飲んでいた。……それまでは屋敷の者も知っているが、そのあとはどうしたのか判らねえ。夜が明けてみると、隠居は寝床のなかに死んでいた。酔って正体もなしに寝ているところを、剃刀《かみそり》のようなもので喉を突いたらしい。手箱のなかに入れてあった三十両ほどの金がなくなっている。お亀のすがたは見えねえ」
「隠居を殺して逃げたのか。凄い女だな」
「いくら隠居でも、妾に殺されたと云うことが世間にきこえちゃあ、屋敷の外聞にもかかわるから、表向きは急病頓死と披露して、それはまあ無事に済んだのだが、当主の身になると現在の親を殺されてそのままにゃあ済まされねえ。そこで、八丁堀の旦那のところへ内々で頼んで来て、お亀のゆくえを穿索して貰いたいと云うのだ。おれ達も旦那方の内意をうけて当分はいろいろに手を廻してみたが、お亀のありかは判らねえ。なかなか悧巧《りこう》な女らしいから、素早く草鞋《わらじ》は穿《は》いてしまって、もう江戸の飯を食っちゃあいねえらしい」
「なんで隠居を殺したんだろう」
「隠居には随分可愛がられて、いう目が出ている身の上だから、三十両ぐらいの金が欲しさに、主殺しをする筈のねえのは判り切っている。三十両は行きがけの駄賃に持って行っただけのことで、ほかに仔細があるに相違ねえ。下屋敷は小人数だから、どうもよく判らねえのだが、女中たちの話によると、なんでも五、六日前に隠居と妾とが喧嘩をした事があるそうだ。その時は隠居もかなり激しく怒った様子で、お亀も蒼い顔をしていたというから、その喧嘩がもとでこんな事になったらしいが、どんな喧嘩をしたのか誰も知らねえから見当《けんとう》が付かねえ。なにしろちっとも手がかりがねえので、おれ達ももう諦めてしまった頃へ、この頃になってふと聞き込んだのは、お亀によく肖《に》た女を音羽辺で見かけた者があると云うのだ。そこで、留に云いつけて、この音羽から雑司ケ谷の辺を探索させると、あいつもさすがに馬鹿じゃあねえ、それからそれへと手をのばして、とうとう其の佐藤の屋敷に忍んでいることを突き留めたのだが、さっきも云う通り、旗本屋敷に巣を食っているので、迂闊に手入れをすることが出来ねえ。しかし斯《こ》うなりゃあ生洲《いけす》の魚《うお》だ。遅かれ早かれ、こっちの物よ」
吉五郎は冷えた猪口《ちょこ》を飲みほして、自信があるように微笑《ほほえ》んでいると、兼松もおなじく得意らしく笑った。
「まったく斯うなりゃあ生洲の魚だ。そのお亀……お近という奴は今まで何処に隠れていたんでしょう。初めから佐藤の屋敷に忍んでいたんでしょうか」
「そうじゃあるめえ」と、吉五郎は頭《かぶり》をふった。「それなら足かけ四年も知れずにいる筈はねえ。女は確かに草鞋を穿いていたに相違ねえ。おれもよく調べて見なけりゃあ判らねえが、佐藤という旗本はお近が深川にいる時からの馴染かも知れねえ。留の話によると、佐藤は三年ばかり長崎へお役に出ていて、去年の秋に江戸へ帰って来ると、お近はそのあとから付いて来たと云うのだ。してみると、お近も長崎へ行っていて、佐藤と一緒に引き揚げて来たのだろう。おれ達が鵜の目鷹の目で騒いでも知れねえ筈よ、相手は遠い長崎の果てに飛んでいたのだ」
云いかけて、吉五郎は俄かに表へ耳をかたむけた。
「なんだか騒々しいようだぜ。火事かな」
兼松はすぐに立って往来にむかった肱掛け窓をあけると、うららかな春の町を駈けてゆく人々のすがたが乱れて見おろされた。
「弥次馬が駈け出すようですね。なんだろう。ちょいと見て来ます」
云いすてて兼松は階子《はしご》を降りて行ったが、やがて引っ返して来て仔細ありげにささやいた。
「江戸川橋の下へ死骸が浮き上がったそうですよ」
「死骸が……」と、吉五郎も眼をひからせた。「女か」
「若い女だそうです。何でも十八、九の……」
「十八、九か」
「なにしろ直ぐに行って来ましょう」
「むむ。おれも後から行く」
兼松を出してやって、吉五郎は忙がしそうに手をたたくと、女中が階子《はしご》をあがって来た。
「どうも遅くなりまして相済みません。御飯は唯今すぐに……」
「いや、飯の催促じゃあねえ」と、吉五郎は煙草入れを仕舞いながら云った。「姐さん。そこの川へ死骸が浮いたそうだね」
「そうだそうで……」と、女中は声をひくめた。「わたくしは見に参りませんけれど、まだ若い娘さんだそうです」
「十八、九というじゃあねえか」
「ええ。なんでもここらの人らしいという噂で……」
「ここらの人だ……。お武家かえ、町の人かえ」
「お武家さんらしいとか申しますが……」
「そうかえ。わたしたちは少し急用が出来たから、酒も飯もいらねえ。直ぐに勘定をしてくんねえ」
「はい、はい」
女中が早々に降りて行ったあとで、吉五郎は一旦しまいかけた煙草入れを取り出して、また徐《しず》かに一服吸った。
江戸川に発見された死骸は、十八、九の若い女で、武家らしい風俗である。瓜生の娘お北――それが直ぐに吉五郎の胸に浮かんだ。
「おれの鑑定は外《はず》れたかな」
寺で殺されて川へ流された女――それはお近ではなかったのか。お北か、お近か、彼はまだ半信半疑であった。
「こういうときには落ち着くに限る」
彼は更に二服目の煙草を吸った。表を駈けてゆく足音はいよいよ騒がしくきこえた。
一三
料理屋の勘定をすませて吉五郎は表へ出ると、江戸川の方角へむかって見物の弥次馬が駈けてゆく。吉五郎は目立たぬように頬かむりをして、その弥次馬の群れにまぎれ込んで行くと、江戸川橋から桜木|町《ちょう》の河岸《かし》へかけて、大勢の人が押し合っていた。検視の役人がまだ出張しないので、死骸は岸の桜の下へ引き揚げたままで荒莚《あらむしろ》を着せてあった。吉五郎はそっと眼をくばると、人込みのなかに兼松のすがたが見いだされた。市川屋の源蔵もまじっていた。
「御賄屋敷の娘さんと云うじゃありませんか」
「瓜生さんのお嬢さんだそうですよ」
「なんでも二、三日前から家出をしていたんだと云うことですがね」
「身投げでしょうか、殺されたんでしょうか」
口々に語り合っている弥次馬の噂を聴きながら、吉五郎はなおもあたりに眼を配っていると、十三、四歳らしい武家の娘と、十八、九ぐらいの女中らしい女とが息を切って駈け付けて来た。
「ちょっと御免ください」
諸人を押し分けて死骸のそばへ進み寄ると、あたりの人々は俄かに路を開いた。その様子をみて、吉五郎はすぐに覚《さと》った。ひとりは瓜生の妹娘で、ひとりは奉公人であろう。父や母は世間の手前、ここへ顔出しも出来ないので、娘と女中が取りあえず真偽を確かめに来たに相違ない。見物の人々もその顔を見識っているので、直ぐに路を開いて通したのであろう。さてこれからどうなるかと窺っていると、女中は死骸のそばに立っている自身番の男に会釈《えしゃく》した。
「この死骸をみせて貰うことは出来ますまいか」
「はい、どうぞ……」と、男は気の毒そうに云いながら、顔のあたりの莚《むしろ》を少しくまくりあげて見せた。
二人の女はひと目のぞいて、たがいに顔を見あわせたが、それぎり暫くは何も云わなかった。やがて男に再び会釈して、二人は無言のままで立ち去ってしまった。
「家《うち》から云い付けられて来たんだろうが、さすがはお武家の女たちだな」
「ちっとも取り乱した様子を見せないぜ」
かれらのうしろ姿を見送って、人々はささやいていた。吉五郎は猶もそこにたたずんで、検視の来るのを待っていたが、役人は容易に来なかった。真昼の春の日を浴びて、人込みのなかに立っていて、彼は少し逆上《のぼ》せて来たので、あとへさがって河岸端《かしばた》の茶店へはいると、兼松もつづいて葭簀《よしず》のうちへはいって来た。
「死骸は瓜生さんの娘に相違ないそうですよ」と、彼は小声で云った。
「むむ。あの女たちの様子で判っている」と、吉五郎もうなずいた。「だが、おれの鑑定もまんざら外《はず》れたわけじゃあねえ。あの死骸は寺で殺されたんじゃあねえ。自身番の奴が莚をまくったときに、おれもそっと覗いてみたが、死骸の顔にも頸のまわりにも疵らしい痕はなんにも見えなかった。第一、人に殺されたような顔じゃあねえ」
「じゃあ、唯の身投げでしょうか」
「まずそうだろうな。寺で殺された女はほかにある筈だ」と、云いかけて吉五郎は葭簀の外を覗いた。「おい。兼、あすこで源蔵と立ち話をしている中間《ちゅうげん》は、どこの屋敷の奴だか、そっと源蔵に訊《き》いてみろ」
「あい、あい」
兼松は駈け出して行ったが、やがて又引っ返して来た。
「あれは佐藤の屋敷の中間で、鉄造というのだそうです」
「そうか。留がいるといいんだが……」と、吉五郎は舌打ちした。「まあ、いい。おれが直《じ》かに当たってみよう。おめえはここに残っていて、検視の来るまで見張っていてくれ」
吉五郎は茶店を出ると、かの中間はまだそこを立ち去らずに、あとからだんだんに集まって来る見物人の顔を、じろじろと眺めていた。そのそばへ摺り寄って、吉五郎は馴れなれしく声をかけた。
「おい、兄《あに》い、済まねえが、ちょいと顔を貸してくんねえか」
「おめえは誰だ」と、中間は睨むように相手の顔を見返った。
「おめえは三河町の留という野郎を識っているだろう」
「三河町の……留……」と、中間はその眼をいよいよ光らせた。「その留がどうしたんだ」
「留が少し怪我をしたので、おれが代りに来たんだ。野暮を云わねえで、そこまで一緒に来てくんねえ」
「むむ、そうか」
中間も相手の何者であるかを大抵推量したらしく、思いのほか素直に誘い出されたので、吉五郎は先きに立って彼を元の小料理屋へ連れ込むと、さっき余分の祝儀をやった効目《ききめ》があらわれて、女中はしきりに世辞を云いながら二人を二階へ案内した。
「おめえは三河町の吉五郎だろう。なんで俺をこんな所へ連れて来たんだ」と、中間の鉄造はおちつかないような顔をして云った。
「まあ、待ちねえ。だんだんに話をする」
酒と肴を注文して、女中を遠ざけた後に、吉五郎は打ちくつろいで話し出した。
「このあいだ中《ちゅう》から内の留がいろいろおめえの御厄介になっているそうだが……」
「なに、別にどうと云うこともねえんだが……」と、鉄造はまだ油断しないように眼をひからせていた。
「川へ揚がった死骸は、御賄屋敷の瓜生さんの娘だろうね」
「むむ」
「どうして死んだんだね」
「おらあ知らねえ」
「知らねえかえ」と、吉五郎は考えていた。「それはまあ知らねえとして、ゆうべの夜なかにおめえは何処へ行ったえ」
鉄造は黙っていた。
「あの風の吹く夜なかに、犬に吠えられながら二人連れで何処へ行ったんだよ」と、吉五郎はかさねて訊いた。
「おらあそんな覚えはねえ」と、鉄造は声を尖《とが》らせた。
「それじゃあ人違いかな。お近さんの死骸を運んで行ったのは、おめえ達じゃあなかったかな」
相手の顔色の変ったのを見て、吉五郎は畳みかけて云った。
「おめえ達はふだんからお近さんの世話になって、相当に小遣いも貰っていたんじゃあねえか。よんどころなく頼まれたとは云いながら、その死骸を捨てる役を引き受けちゃあ、あんまり後生《ごしょう》がよくあるめえぜ」
「なんと云われても、そんな覚えはねえよ」と、鉄造は再び声を尖らせた。
「そう喧嘩腰になっちゃあいけねえ。おたがいに仲よく一杯飲みながら話そうと思っているんだ」
あたかも女中が膳を運んで来たので、話はしばらく途切れた。女中に酌をさせて一杯ずつ飲んだ後に、ふたりは再び差しむかいになった。
「目白坂下の寺は、おめえの屋敷の菩提所《ぼだいしょ》かえ」と、吉五郎は猪口《ちょこ》を差しながら訊いた。
「そうじゃあねえ」
「それじゃあ、お近さんの識っている寺かえ」
「おらあ知らねえ」
「何を云っても知らねえ知らねえじゃあ、あんまり愛嬌が無さ過ぎるな」と、吉五郎は笑った。「もう少し色気のある返事をして貰おうじゃあねえか」
「色気があっても無くっても、知らねえことは知らねえと云うよりほかはねえ。木刀をさしていても、おれも屋敷の飯を食っている人間だ。むやみにおめえ達の調べは受けねえ」
素直にここまで出て来ながら、今さら喧嘩腰になって気の強いことを云うのは、俄かに一種の恐怖を感じて来たに相違ない。それがうしろ暗い証拠であると、吉五郎は多年の経験で早くも覚《さと》った。
「まったくおめえの云う通りだ。屋敷奉公のおめえ達をこんな所へ連れ込んで、むやみに調べるという訳じゃあねえ」と、吉五郎は諭《さと》すように云った。「留吉はおれの子分だ。おめえもその留吉と心安くしている以上、おれともまんざらの他人という筋でもねえ。それだから、ここまで来て貰って、おめえの知っているだけのことを……」
「その留吉だって昨日《きのう》きょうの顔なじみだ。別に心安いという仲じゃあねえ」
「どこまで行っても喧嘩腰だな」と、吉五郎はまた笑った。「それじゃあもうなんにも訊くめえが、おれの方じゃあおめえを他人と思わねえから、唯ひと言云って置くことがある。おめえ、あの屋敷に長くいるのは為にならねえぜ」
「なぜだ」
「白魚河岸の吉田幸之助というのは、おめえの主人とは縁つづきで、ふだんから出入りをしているうちに、お近さんと仲好くなった。それが又、不思議な廻《めぐ》り合わせで、近所の御賄屋敷へ養子に来るようになった。女房になる筈のお勝という娘は病気で、直ぐには婚礼も出来ねえそのうちに、隣りの娘と出来合ってしまった。それがお近さんに知れたので、やきもち喧嘩で大騒ぎだ。まあ、それまではいいとしても、それが為に幸之助は身を隠す、お勝という娘は自害する、お北という娘は身を投げる、お近さんは殺される。これほどの騒動が出来《しゅったい》しちゃあ、唯済むわけのものじゃあねえ。積もってみても知れたことだ。お気の毒だが、おめえの主人も係り合いで、なにかの迷惑は逃《の》がれめえと思う。そんな屋敷に長居をすりゃあ、おめえ達もどんな巻き添えを喰わねえとも限らねえ。まあそうじゃあねえか」
鉄造は息を呑むように黙っていた。
「そればかりじゃあねえ。このごろ世間を騒がしている、白い蝶々の種もすっかり挙がっているんだ。火の番の娘のお冬という奴が、菅糸を付けて飛ばしているに相違ねえ」
「おめえはどうしてそんなことを云うんだ」と、鉄造はあわてたように訊き返した。
「そのくらいの事を知らねえようじゃあ、上《かみ》の御用は勤まらねえ」と、吉五郎はあざ笑った。「もう斯うなったら仕方がねえ。方々に迷惑する人が出来るのだ。おめえも覚悟していてくれ」
「嚇《おど》かしちゃあいけねえ。おれはなんにも知らねえと云うのに……」と、鉄造は少しく弱い音をふき出した。
「おれは別に覚悟するほどの悪いことをしやあしねえ」
「これだけ云っても、おめえに判らなけりゃあ、もういいや。そんな野暮な話は止めにして、まあゆっくりと飲むとしようぜ」
吉五郎は手をたたいて酒の代りを頼んだ。肴もあつらえた。そうして、無言で酌をしてやると、鉄造もだまって飲んだ。吉五郎も黙って飲んだ。二人はややしばらく無言で猪口のやり取りをしていた。ただ時々に吉五郎は睨むように相手の顔を見た。鉄造も偸《ぬす》むように相手の顔色を窺った。
云うまでもなく、これは一種の精神的|拷問《ごうもん》である。こうして無言の時を移しているあいだに、うしろ暗い人間はだんだんに弱って来て、果ては堪えられなくなるのである。元来が図太い人間は、更にそのあいだに度胸を据え直すという術《すべ》もあるが、大抵の人間はこの無言の責め苦に堪え切れないで、結局は屈伏することになる。鉄造もこの拷問に堪えられなくなって来たらしく、手酌でむやみに飲みはじめた。
相手が思う壺にはまって来たらしいのを見て、吉五郎はいよいよ沈黙をつづけていると、鉄造も黙って飲んでいた。代りの徳利が三、四本も列べられた。
「どういうものか、きょうは酔わねえ」と、鉄造はひとり言のように云いながら、吉五郎の顔を見た。
吉五郎はじろりと見返ったが、やはり黙っていた。鉄造も黙って又飲んでいたが、やがて再び口を切った。
「おめえはもう飲まねえのか」
吉五郎は答えなかった。鉄造も黙って又飲んだが、やがて更に云い出した。
「おい、おれ一人で飲んでいちゃあ、なんだか寂しくっていけねえ。おめえも飲まねえかよ」
吉五郎はやはり答えなかった。鉄造も黙って手酌で又飲んだが、徳利や猪口を持つ手が次第にふるえ出した。彼は訴えるように云った。
「おい。なんとか返事をしてくれねえかよ。寂しくっていけねえ」
吉五郎は再びじろりと見返ったままで答えなかった。鉄造は彼自身も云う通り、きょうは全く酔わないのであろう、むしろ反対にその顔はいよいよ蒼ざめて来た。泣くように又訴えた。
「おい。おめえはなぜ黙っているんだよ」
「そりゃあこっちで云うことだ」と、吉五郎は初めて口を切った。「おめえはなぜ黙っているんだよ」
「黙っていやあしねえ。おめえが黙っているんだ」
「それじゃあ俺の訊くことを、なぜ云わねえ」と、吉五郎は鋭く睨み付けた。
「だって、なんにも知らねえんだ」と、鉄造は吃りながら云った。
「きっと知らねえか。知らなけりゃあ訊かねえまでのことだ。おれも黙っているから、おめえも黙っていろ」
「もう黙っちゃあいられねえ」
「それじゃあ云うか」
「云うよ、云うよ」と、鉄造は悲鳴に近い声をあげた。
「嘘をつくなよ」
「嘘はつかねえ。みんな云うよ」
「まあ、待て」
吉五郎は立って、階子の下をちょっと覗いたが、引っ返して来て再び鉄造とむかい合った。
「さあ、おれの方からは一々訊かねえ。おめえの知っているだけのことを残らず云ってしまえ」
初めの喧嘩腰とは打ってかわって、鉄造はもろくも敵のまえに兜《かぶと》をぬいだ。それでも彼はまだ未練らしく云った。
「おれがべらべらしゃべってしまった後で、おめえは俺をどうするんだ」
「どうもしねえ、助けてやるよ」
「助けてくれるか」
鉄造はほっとしたような顔をした。吉五郎は彼に勇気を付けるために、徳利を取って酌をしてやった。
一四
姉のお北の死骸が江戸川に浮かびあがった時、弟の瓜生長三郎は向島の堤下《どてした》をあるいていた。
彼はきのうも姉のゆくえを尋ねあるいて、本所まで来たのであるが、日が暮れたので途中から帰った。そうして、親子相談の末、きょうも、長三郎は小松川から小梅、綾瀬、千住の方面に向かい、父の長八も非番であるので、これは山の手の方角に向かうことになった。今と違って、その時代の人々は親類縁者の義理をかかさず、それからそれへと遠縁の者までもふだんの交遊をしているので、こういう場合には心当たりがすこぶる多く、殊に交通不便の時代であるから、親類縁者を一巡さがし廻るだけでも容易でなかった。
長三郎はまず小松川と小梅の縁者をたずねると、どこにも姉のすがたは見えなかった。かえって先方では寝耳に水の家出沙汰におどろかされて、長三郎にむかって前後の事情などを詳《くわ》しく詮議した。それらのために案外に暇取って、小梅を出たのは、もう七ツ(午後四時)を過ぎた頃であった。
旧暦の二月なかばであるから、春の彼岸《ひがん》ももう近づいて、寺の多い小梅のあたりは彼岸参りの人を待つかのように何となく賑わっていた。寺門前の花屋の店さきにも樒《しきみ》がたくさん積んであった。それを横眼に見ながら、長三郎は綾瀬村の方角をさして堤下を急いでゆくと、堤の細路を降りて来る一人の侍に出逢った。侍は長三郎に声をかけた。
「瓜生の御子息ではないか」
呼ばれて見かえると、それは鯛の御納屋の今井理右衛門であった。瓜生の家と今井の家とは直接の交際はなかったが、同じ御納屋の役人同士であるから、今井と白魚河岸の吉田とは無論に懇意であった。その吉田と御賄屋敷の黒沼とは親戚関係であるので、瓜生の家でも自然に吉田を識り、それから惹《ひ》いて今井をも識るようになったのである。長三郎もその人を見て会釈すると、理右衛門は笑いながら訊いた。
「どこへ行かれる。御墓参かな」
「いえ。綾瀬村まで……親類かたへ参ります」
「それは御苦労。わたしは墓参で白髯《しらひげ》の辺まで行く。屋敷を遅く出たので、帰りは日が暮れるかも知れない。寺の遠いのは少し難儀だな……」と、理右衛門はまた笑った。
綾瀬へゆく人、白髯へゆく人、勿論おなじ方角であるので、二人は列《なら》んで歩き出した。
「ゆうべの空模様では雨になるかと思ったら、思いのほかにのどかな日和《ひより》になった。堤の桜の咲くのももう直《じ》きだ」と、理右衛門は晴れた空を仰ぎながら云った。「して、綾瀬の親類へはなんの用で……。遊びに行くのかな」
「いえ」とは云ったが、長三郎は少し返事に困った。
「もしや姉さんを尋《たず》ねているのではないかな」と、理右衛門は小声で訊いた。
理右衛門がどうしてそれを知っているかと、長三郎は一旦おどろいたが、彼が白魚河岸の吉田と懇意である以上、そこから幸之助や姉の家出一件を聞き知っているのであろうと察したので、長三郎は正直に答えた。
「実は少し心配のことがありますので……」
「むむ。その件については白魚河岸でも心配しているようだ」と、理右衛門はうなずいた。
「きのうも私が日本橋をあるいていると、岡っ引の吉五郎が私を呼び留めて、吉田の家《うち》のことを訊いていたが、あいつも今度の一件についての何かの探索をしているらしい。どうか大事になってくれなければいいが……。そこで余計なことを云うようだが、これから綾瀬まではなかなか遠い。わざわざ尋ねて行っても無駄かも知れないぞ」
「無駄でしょうか」と、長三郎は相手の顔をみあげた。
「春の日が長いと云っても、綾瀬まで往復しては、どうしても暗くなるだろう」
「暗くなるのは構いませんが、行っても無駄でしょうか」と、長三郎は念を押した。
「無駄らしいな」
「では、あなたは姉の居どころを御存じなのですか」
「いや、知らない。わたしは知らない」と、理右衛門は迷惑そうに答えた。「だが、こんな遠方へは来ていそうもない。燈台|下暗《もとくら》しと世のたとえにも云う通り、尋ね物というものは案外手近にいるものだ」
その口ぶりが何かの秘密を知っているらしいので、長三郎の胸はおどった。彼はあまえるように理右衛門に訊いた。
「あなたは御存じなのでしょう。どうぞ教えてください。幸之助はともかくも、姉の居どころだけを教えて下さい。お願いです」
「いや、知らない。まったく知らない」と、理右衛門はいよいよ迷惑そうに云った。「わたしはただ燈台下暗しという世のたとえを云ったまでだ。ともかくもここまで踏み出して来たのだから、無駄と思って綾瀬まで行ってみるのもいいかも知れない。綾瀬へはこれから真っ直ぐだ。わたしはこれから右へ切れるから、ここで別れるとしよう」
理右衛門は俄かに右へ切れて、田圃路《たんぼみち》を足早に立ち去った。
その逃げるような態度といい、さっきからの口ぶりといい、一種の疑念が長三郎の胸に湧いたので、彼も見えがくれに理右衛門のあとを尾《つ》けて行こうと思った。しかも直ぐに歩き出しては、相手に覚られる虞《おそ》れがあるので、暫くやり過ごしてからの事にしようと思案して、立ち停まって其処らを見まわすと、路ばたに小さい掛茶屋があった。
花見の時節ももう近づいたので、ここらの農家の者が急拵えの店を作ったらしいが、まだ商売を始めているわけではなく、ほんの型ばかりの小屋になっている。その小屋に隠れるつもりで長三郎は何ごころなく踏み込むと、そこに立てかけてある古い葭簀《よしず》のかげから人が現われた。
不意におどろかされて長三郎は思わず立ちすくむと、人は若い女で、かのお冬であった。時も時、場所も場所、ここでお冬に出逢って、長三郎は又おどろかされた。彼は無言で屹《きっ》と睨んでいると、お冬は無遠慮に摺り寄って来た。その片眼は異様にかがやいていた。
「若旦那。又ここでお目にかかりました」
「どうしてこんな所に来ている」
「もう自分の家《うち》へも帰れませんから、ゆうべから方々をうろ付いていました」
「お前はゆうべ、わたしを姉さんのところへ連れて行ってやると云ったが、本当か」
お冬はだまった。
「嘘か」と、長三郎は詰《なじ》るように云った。
「連れて行くと云ったのは嘘ですけれど……。お姉さんの居る所は知っています」
「知っているなら教えてくれ」
お冬は男の顔を見つめながら黙っていた。
「おまえは当ても無しにここらへ来たのか」と、長三郎は訊いた。
「もし自分のからだが危くなったら向島へ行けと、お父《とっ》さんに云い聞かされているので……」
「向島の……なんという所へ行くのだ」
「五兵衛という植木屋の家《うち》です」
「そこに姉さんも幸之助もいるのか」
お冬は答えなかった。
「そうして、その五兵衛の家は知れたのか」
「ここらへは滅多に来たことが無いので、路に迷って四つ木の方へ行ってしまって、お午《ひる》頃にここまで引っ返して来ましたが、くたびれたのと眠いのとで、さっきから此の小屋へはいって寝ていました」
「では、その家は見付からないのか」と、長三郎は失望したように云った。
「これからあなたと一緒に探しましょう」と、お冬はその野生を発揮したように、いよいよ無遠慮に男の手を把《と》った。
こんな女に係り合っていて、理右衛門のすがたを見失ってはならないと思ったので、長三郎は把られた手を振り払って小屋の外へ出ると、ひと筋道の田圃には侍のうしろ姿が遠く見えた。それを慕って歩き出すと、田圃に沿うて小さい田川が流れている。その田川が右へ曲がったところに狭い板を渡して、一軒の藁葺《わらぶき》の家が見いだされた。周囲は田畑で、となりに遠い一軒家である。型ばかりのあらい籬《まがき》を結いまわして、あき地もないほどにたくさんの樹木が植え込んであるので、それが植木屋ではないかと長三郎は思った。門《かど》には一本の大きい桃が紅《あか》く咲いていた。
理右衛門はそこに立ち停まって、一旦うしろを振り返ったが、やがて狭い板を渡って内へはいった。それを見とどけて、長三郎は足早にあるき出すと、お冬もあとから付いて来た。
「気をおつけなさい。あの侍はあなたを見たかも知れませんよ」と、彼女は小声で注意した。
長三郎はそんなことに頓着《とんぢゃく》していられなかった。彼は再びお冬をふり切って、一軒家を目ざして駈け出して、やがて門前へ行き着いて少しく躊躇した。理右衛門はともあれ、自分はここの家になんのゆかりも無いのであるから、案内も無しにつかつかと踏み込むわけには行かない。迂闊《うかつ》に案内を求めたらば、相手にさとられて取り逃がす虞《おそ》れが無いとも云えない。彼は桃の木の下に立って、どうしたものかと思案していると、内から五十前後の女が出て来て、若い侍を不安らしくじろじろと眺めていた。長三郎も黙っていると、やがて女は怪しむように声をかけた。
「あなたはどなたでございます」
なんと云っていいかと、長三郎はまた躊躇したが、思い切って訊き返した。
「今ここの家へ武家がはいったろうな」
「いいえ」
「このあいだから若い男と女が来ているだろうな」
「いいえ」
「誰も来ていないか」
「そんな方はどなたもお出でになりません」と、女は素気《そっけ》なく答えた。
「隠すな。私はその人たちに用があって、わざわざ音羽の方から尋ねて来たのだ」
この押し問答のうちに、入口にむかった肘掛け窓をほそ目にあけて、竹格子のあいだから表を覗いていたらしい一人の男が、大小をさして、草履を突っかけて、門口《かどぐち》にその姿をあらわした。それが黒沼の幸之助であることを認めた時に、長三郎は尋ねる仇にめぐり逢ったように感じた。
「長三郎、貴公は何しに来た」と、幸之助は眼を嶮《けわ》しくして云った。
「姉を探しに来ました」と、長三郎は悪びれずに答えた。
「姉はいない」
「きっと居ませんか」
「居ない。帰れ、帰れ」
「帰りません。姉を渡して下さい」
「姉はいないと云うのに……。強情《ごうじょう》な奴だな」
「ここにいなければ、どこにいるか教えてください」と、長三郎は一と足進み寄って訊いた。
「貴様……。眼の色をかえてどうしようと云うのだ」
そういう幸之助の眼の色もかわっていた。強《し》いて手向かいすれば斬ってしまえと、父からかねて云い付けられているので、長三郎は一寸も退《ひ》かなかった。彼は迫るように又訊いた。
「姉はここにいるか、さもなければ、あなたが何処へか隠してある筈です。教えて下さい」
「知らない、知らない」と、幸之助は罵るように云った。
双方の声がだんだんに高くなったので、内から又ひとりの侍が出て来た。それは理右衛門であった。
「喧嘩をしてはいけない。双方とも待て、待て」と、彼はうしろから声をかけた。
その声を聞くと、幸之助は俄かに向き直った。
「さては今井|氏《うじ》、貴公がこの長三郎を案内して来たのだな」
「いや、違う、長三郎は勝手に来たのだ」
「いや、そうでない。貴公らが申し合わせて、この幸之助を罠《わな》に掛けようとするのだ。その手は喰わないぞ」
幸之助はもう亢奮《こうふん》して、誰彼れの見さかいも無くなったらしい。誰を相手ということも無しに、腰の刀をすらりと抜き放した。
「これ何をするのだ」と、理右衛門は制した。「取り逆上《のぼ》せてはいけない。まあ、鎮まれ、鎮まれ。どうも困った気ちがいだ」
「むむ、気ちがいだ」と、幸之助はいよいよ哮《たけ》った。「こうなれば誰でも相手だ、さあ、来い」
理右衛門を相手にするには、少しく距離が遠いので、彼はまず手近かの長三郎を相手にするつもりであったらしい。突然向き直って長三郎に斬ってかかった。長三郎はこころえて身をかわしたが、それと同時に、きゃっという女の悲鳴がきこえた。
二挺の早駕籠が宙を飛ばせて来て、ここの門口《かどぐち》に停まった。
お冬は長三郎の身代りに斬られたのである。彼女は男のあとを追って来て、門口に様子を窺っていたのであるが、幸之助との掛け合いがむずかしくなって、相手が腰の物を抜き放したので、彼女も一種の不安を感じて男を庇うために進み入った時に、逆上《のぼ》せあがった幸之助の刃《やいば》に触れたのであろう。長三郎を撃ち損じた切っさきに、彼女は左の頸筋を斬られて、男の足もとに倒れた。
それと見て、長三郎も刀をぬいて身構えする間もなく、理右衛門は駈けよって、幸之助をうしろから抱きすくめた。
「抜き合わせてはならぬ。待て、待て」と、彼は長三郎に声をかけた。
半狂乱の幸之助は哮《たけ》り狂って、抱かれている腕を振り放そうと燥《あせ》っているところへ、二人の男がはいって来た。岡っ引の吉五郎と兼松である。
「今井の旦那様。それはわたくし共にお渡しを願います」と、吉五郎は十手を把《と》り直しながら声をかけた。
「吉五郎か」と、理右衛門は猶《なお》も幸之助を抱きすくめながら耳に口をよせて云った。「幸之助、覚悟しろ。もう逃げる道はないぞ。侍らしく観念しろ。判ったか」
侍らしくという言葉に責められたのか、十手を持った二人が眼のまえに立ち塞がっているのに気怯《きおく》れがしたのか、もう逃《の》がれる道はないと諦めたのか、さすがの幸之助も俄かにおとなしくなって、持っている血刀をからりと投げ捨てて、理右衛門に抱かれたままで土の上に坐った。
「吉田の親たちに頼まれて、因果をふくめて腹を切らせようと思って来たのだが、もう遅かった」と、理右衛門は嘆息しながら云った。「こうなっては仕方がない。幸之助、尋常に曳かれて行って、御法《ごほう》の通りになれ」
幸之助は疲れ切ったように、無言で頭《こうべ》を垂れていると、長三郎は待ち兼ねたように訊いた。
「姉もここに居りますか」
「いや」と、理右衛門は頭《かぶり》をふった。「さっきも云う通り、姉はここにいない。幸之助ばかりだ」
「もし、瓜生の若旦那」と、吉五郎は喙《くち》をいれた。「あなたのお姉さまは……死骸になって江戸川から……」
「江戸川から……」と、長三郎は思わず叫んだ。
理右衛門も幸之助も思い思いの心持で、悲痛の溜め息を洩らした。それに無関心であるのは片眼の少女ばかりで、彼女は幸之助のひと太刀に若い命を断たれて、しかも満足そうに其処に横たわっていた。故意か偶然か、彼女の片手は長三郎の袴の裾を掴んでいた。
一五
それから四日の後、音羽の旗本佐藤孫四郎は町奉行所へ呼び出された。寺の住職祐道は寺社奉行の名によって同じく呼び出された。祐道は出頭したが、孫四郎はその前夜に急病頓死という届け出があった。表向きは急病と云うのであるが、その死の自殺であることは後に判った。
お近という女の死骸も江戸川に浮きあがった。吉五郎の鑑定通り、寺内で殺された女はやはりこのお近であった。
中間の鉄造が吉五郎の罠にかかって、自分の知っている限りの秘密を口走った結果、黒沼幸之助のかくれ家が露顕《ろけん》したので、吉五郎は子分の兼松と共に、早駕籠を飛ばせて向島の堤下へ駈け付けたことは、前に記《しる》した通りである。幸之助ももう観念したとみえて、これも自分の知っている限りの秘密をいっさい申し立てた。
祐道もさすがは出家だけあって、この期《ご》に及んでは悪びれずにいっさいを自白した。その他のお近、お冬、お北らはみな死んでいるので、女の側の事情はよく判らない点もあったが、ともかくも幸之助、祐道らの口供《こうきょう》を綜合して判断を下だすと、この事件の真相はまずは斯《こ》う認めるのほかは無かった。
お近は前名をお亀といって、むかしは深川に芸妓勤めをしていた女である。それが金田という旗本の隠居に受け出されて、柳島の下屋敷に入り込んで、当座は何事もなく暮らしていたのであるが、お近は深川にいる頃から音羽の旗本佐藤孫四郎とも馴染《なじみ》をかさねていた。佐藤は二十五、六の独身者《ひとりもの》で、お近の心はそちらになびいていたが、何分にも金田にくらべると佐藤は小身であり、且は道楽者で身上《しんしょう》も悪いので、金田と張り合うだけの力はなく、お近は心ならずも柳島の屋敷へ引き取られてしまったのである。しかも二人の縁は切れないで、お近は柳島へ行った後も寺参りや神詣《かみもう》でにかこつけて、ひそかに佐藤と逢曳《あいび》きを続けていた。
その秘密を金田の隠居に発見されて、事が面倒になって来たのと、一方の佐藤は長崎出役を命ぜられて西国《さいこく》へ旅立つことになったのとで、お近は遂に金田の隠居を殺害してその手箱から盗み出した三十両の金を路用に、佐藤のあとを追って行った。勿論、表向きは佐藤の屋敷へ入り込むことは出来ないので、長崎の町はずれに隠まわれて外妾のように暮らしているうちに、三年の月日はいつか過ぎて、佐藤は江戸へ帰ることになった。帰府の道中も同道しては人目《ひとめ》に立つので、お近は一と足おくれて帰って来て、そっと音羽の屋敷に忍び込んだ。
一種の治外法権《ちがいほうけん》ともいうべき旗本屋敷に潜伏して、無事に月日を送っていれば、容易に町方《まちかた》の眼にも触れなかったのであるが、お近は江戸へ帰ると、間もなく更に新らしい恋人を見つけ出した。それは白魚河岸の吉田の次男幸之助である。吉田と佐藤とは母方の縁を引いている関係から双方が親しく交際していたので、お近も自然に幸之助と親しくなって、佐藤の眼をぬすんで新らしい恋人と逢曳きするようになったが、男は女よりも八歳の年下であるので、若い恋人に対するお近の愛情は猛火のように燃えあがった。彼女は男を逃がさない手段として、自分の秘密を幸之助に打ち明けて、万一変心するときは隠居殺しの共謀者としてお前を抱いてゆくと嚇した。こんにちと違って、この時代には斯《こ》ういう威嚇が案外に有効であったのである。たとい自分の無実が証明されるとしても、こんな女のかかり合いで奉行所の審問《しんもん》を受けたなどと云うことが世間に暴露《ばくろ》すれば、長い一生を暗黒に葬らなければならない。年の若い幸之助は飛んだ者にかかり合ったのを悔みながら、お近の威嚇を恐れてともかくもその意に従っていた。
そのうちに黒沼伝兵衛の横死事件が起こった。かねて許嫁《いいなずけ》のような関係になっているので、幸之助は黒沼のむすめお勝の婿と定められて、音羽の御賄屋敷へ来ることになった。お近は恋人が近所へ来たのを喜んで、火の番の藤助の家をその逢曳きの場所と定めて幸之助をよび出していた。一方にはお近があり、一方にはまだ祝言こそしないがお勝という正式の妻もありながら、意思の弱い幸之助はさらに隣家の瓜生の娘お北と新らしい関係を結ぶようになったので、一人の男をめぐる女三人の関係が甚だ複雑になった。しょせん無事には済むまいとは知りながら、幸之助も今更どうすることも出来なかった。
ここで住職祐道に就いて語らなければならない。彼は実はお近と同じ腹の兄であった。祐道が長男で、その次に女ひとり、男ひとり、お近は末子《ばっし》の四人|兄妹《きょうだい》であったが、幼年のころに両親に死に別れて、皆それぞれ艱苦《かんく》を嘗《な》めた。なかの男と女は早く死んで、祐道とお近だけが残った。祐道は幼い頃から深川の或る寺の小僧となって、一心に修行を積んだ末に、この音羽でも相当に由緒ある寺の住職となったのであるが、妹のお近は深川の芸妓に売られて、いわゆる泥水を飲む商売となった。しかも運命は不思議なもので、この寺の近所に住む佐藤孫四郎とお近とが一種の悪因縁を結ぶことになって、お近は主殺しの大罪を犯したのである。
祐道は妹の罪を悔み嘆いて、彼女が再び江戸へ帰るのを待ち受けて、いさぎよく自首するように説き聞かせたが、この世に未練の多いお近は泣いて拒《こば》んだ。いっそ召連れ訴えをしようかとも思ったが、幼い時から共に苦労をして来た妹が自分の眼のまえに泣いている姿を見ると、祐道のこころもさすがに弱くなった。み仏に対して済まぬ事とは万々知りながら、彼は罪ある妹をそのまま見逃《みの》がして置くことにしたが、心は絶えずその呵責《かしゃく》に苦しめられていると、妹はさらに第二、第三の罪をかさねた。
寺社奉行の訊問に対して、祐道の申し立てたところによると、去年の秋以来、暗夜に白い蝶を飛ばしたのはお近の仕業《しわざ》であると云うのである。お近はなぜそんな怪しいことを企てたか。何分にも死人に口無しで、単に祐道の片口《かたくち》に拠《よ》るのほかは無いのであるが、彼は左のごとく陳述した。
「妹は長崎に居ります間に、唐人屋敷の南京《なんきん》人から或る秘密を伝えられたそうで、暗夜に白い蝶を飛ばして千人の眼をおどろかせれば、いかなる心願《しんがん》も成就《じょうじゅ》すると云うのでござります。われわれの仏道から見ますれば、もとより一種の邪法に相違ござりませんが、妹は深くそれを信仰しまして、江戸へ帰りましてから其の邪法を行なって居りました。その心願はおのれが過去の罪を人に覚られず、黒沼幸之助と末長く添い遂げらるるよう、併《あわ》せてその邪魔になる佐藤孫四郎の命を縮めるよう……詰まりは恋に眼が眩《くら》んで、白蝶の邪法を行なうことになったのでござります。佐藤にも罪はありますが、多年の馴染といい、殊に長崎以来、自分を隠まってくれた義理もありまするに、新らしい恋人の為にその命を縮めようと企てるなど、まことに如夜叉《にょやしゃ》のたとえを其の儘でござります。しかし自分は女の身でありますから、暗夜に蝶を飛ばすなどと云うことは思うようにも参りませんので、火の番の藤助に金銭をあたえまして、風の吹く夜に蝶を飛ばせていたのでござります。藤助は火の番の役がありますので、夜中そこらを徘徊して居りましても、誰も怪しむ者もござりません。藤助にはお冬という片眼の娘がありまして、これが生まれ付き素ばしこい人間でありますので、蝶を飛ばす役はお冬が勤め、父の藤助はその後見《こうけん》を致して居ったようでござります。その蝶は……秘伝と申して誰にも洩らしませんでしたが、何か唐《から》渡りの薄い絹のような物で作りまして、それに一種の薬を塗ってありますので、暗いなかでも白く光るのでござります。音羽の近辺ばかりでは、人に覚られる虞《おそ》れがありますので、時々には他の土地へも参ったようでござりました。右の次第で、その蝶に毒があろうとは思われません。それを見て病気に罹《かか》ったなどと申しますのは、驚きの余りに発熱でも致したのでござりますまいか。それとも、その塗り薬に何かの毒でも混じてありましたか、それはわたくしも存じません。又お近が火の番の藤助とどうして心安くなりましたか。それもわたくしは存じません。佐藤の屋敷も以前は勝手|不如意《ふにょい》でござりましたが、長崎出役以来、よほど内福になったとか申すことでござります」
黒沼伝兵衛は何者に殺されたか、わが寺門前の出来事ながら自分は一向に知らないと祐道は云った。しかし大かたは藤助親子の仕業《しわざ》で、何かの毒薬を塗った針のような物で刺されたのであろうと彼は説明した。いずれにしても、自分の寺内の墓地を根城《ねじろ》にして、世間をさわがすような事を繰り返すのは甚だ迷惑であるので、祐道はお近らに対して幾たびか意見を加えたが、彼等は一向に肯《き》かなかった。そのうちに、白い蝶の噂がいよいよ高くなって、町方からも探索の手が廻ったらしいので、祐道の心はますます苦しめられた。お近と幸之助が藤助の家から帰る途中で、町方らしい者に追われて危く逃《の》がれたなどという噂を聴くたびに、彼も毒針で胸を刺されるように感じた。
町方に追われて以来、気の弱い幸之助は自分の屋敷へ帰られなくなって、佐藤の屋敷に身を隠すことになったが、それを機会にお近はさらに一策を案出して、自分の恋がたきのお北を誘い出した。その使を頼まれたのは例の藤助で、彼は幸之助が佐藤の屋敷に忍んでいることをお北に告げて、本人もあなたに一度逢いたいと云っているから是非来てくれと巧みに欺いて連れ出したのである。連れ出されてお北はうかうかと佐藤の屋敷へ入り込むと、待ち受けていたお近はさらに彼女を奥の古土蔵のうちへ案内して、そこに押し籠めてしまった。自分の手もとに監禁して置けば、お北と幸之助の逢う瀬は絶えると思ったからである。
こうした悪業《あくぎょう》がそれからそれへと続くので、祐道ももう決心した。彼は妹が自分の寺へ来たのを捕えて、おまえのような悪魔はしょせん救うべき道はないから、どうでも自首して出ろと厳重に云い渡した。もし飽くまでも不得心ならば、帝釈《たいしゃく》が阿修羅《あしゅら》の眷族《けんぞく》をほろぼしたと同じ意味で、兄が手ずから成敗するからそう思えと、怒りの眼に涙をうかべて云い聞かせた。その決心の色が凄まじいので、お近も一旦は得心して、あしたは兄に連れられて奉行所へ自首して出ると答えた。
それでもまだ不安であるので、祐道は妹にむかって、その覚悟が決まった以上はふたたび佐藤の屋敷へ帰るな、今夜はこの寺へ泊まって行けと命令すると、お近は承知して泊まったが、果たして夜なかにそっと抜け出そうとしたので、大かたそんな事であろうと内々警戒していた祐道は、すぐに追いかけて庭さきで取り押さえようとした。たがいに世間を憚るので、なんにも口を利かなかったが、その無言の争いのうちに兄はいよいよ決心のほぞをかためて、阿修羅をほろぼす帝釈となった。兄は両手で妹の喉を絞めた。
それを窺っていたのは、藤助であった。彼は吉五郎らに追われて、墓場の奥に逃げ込んだが、留吉が途中で倒れた為に長追いをしないと見て、そっと庫裏《くり》へまわって、寺男に縄を解かせた。しかも迂闊《うかつ》に表へ出るのは危険であるので、今夜は寺内に泊めて貰うことにした。自分ばかりでなく、手先も今夜ここに泊まることになったと云うので、彼は一種の不安を感じて、夜なかに庭さきへ様子を窺いに来ると、あたかもお近が最期の場所へ行き合わせた。
住職に対する同情か、或いはこれを枷《かせ》にして今後の飲み代《しろ》をいたぶるつもりか、彼は死骸の始末を自分に任せてくれと云って、佐藤の屋敷から中間の鉄造を呼んで来た。お近の死骸は風の吹く真夜中に運び出されて、江戸川に沈められた。藤助は黒沼伝兵衛の横死以来、わが家に住むことの危険をさとって、ゆくえ不明と見せかけて、実は佐藤の屋敷に身をひそめていたのである。
祐道の陳述はこれで終った。次の問題はお北がどうして入水《じゅすい》したかと云うことである。果たして自殺か、あるいは他殺か、いずれにしても、黒沼幸之助が唯一の関係者として厳重に吟味されたが、幸之助もそれに就いては何事も知らないと云い切った。ただ、お近が殺される日の夕刻、お北は夕飯を運んで来た女中の隙をみて、土蔵をぬけ出したことだけは知っていると申し立てた。
さらに探索すると、市川屋の職人源蔵も最初は隠していたが、その後の申し立てによると、お北は佐藤の屋敷をぬけ出したものの、直ぐに我が家へも帰られず、途中でうろうろしている時、あたかも彼《か》の源蔵に出逢って、隣家のお勝が自害のことを聞いたと云う。それに因って推察すると、お北はおのれの罪を悔いたか、或いはしょせん無事に済まぬと覚悟して、其処らをさまよい歩いた後、夜に入るを待って入水したのであろう。地理の関係とは云いながら、恋のかたきのお近もお北も、その死骸を同じ流れに浮かべたのは、何かの因縁であるかとも思われた。
向島の植木屋五兵衛は、親の代から佐藤と吉田の屋敷に出入りの職人である。この頃は町方の手が廻ったらしいので、白蝶の一件は暫く中止するように幸之助は注意したが、中途で止めては心願《しんがん》が破れると云ってお近は承知しないばかりか、却って幸之助に迫って、お冬らの警戒を命じた。寺門前で藤助を救った覆面の曲者は幸之助であった。しかも気の弱い彼は、いつまでもお近に脅迫されて、こんな仕事にかかり合っているに堪えられなくなったので、その夜のうちに音羽を立ち去って、夜ふけに白魚河岸の実家の門《かど》を叩くと、父の幸右衛門は一切の事情を聞いて、この上はこの屋敷に一と晩も泊めることはならぬ、おれにも考えがあるから、ともかくも向島の五兵衛の家《うち》へ行っていろと指図した。その指図通りに向島へゆくと、あくる日の夕方に今井理右衛門が来た。つづいて瓜生長三郎が来た。岡っ引の吉五郎と兼松が来た。お冬の死と共に、幸之助の運命もここに定まったのである。
佐藤孫四郎がなぜ自滅したか、この謎は遂に解けなかったが、それに就いて、幸之助はこんなことを洩らした。
「お近はわたくしに向かって、佐藤は長崎にいるあいだにいろいろの悪いことをしている。それをわたしは皆んな知っているから、わたしがどんな我が儘をしても、佐藤は何んとも云うことが出来ない筈だと申したことがございます」
佐藤は長崎に出役中、役向きのことに就いて何かの不正事件があったらしい。貧乏旗本の彼が内福になったと云うのも、その間の消息を語っている。お近はその秘密を掴んでいるので、佐藤の屋敷内では思うがままに振舞っていたらしい。今度の事件に関連して、その不正が発覚《はっかく》するのを恐れて、佐藤は自滅したのではないかと察せられた。
火の番の藤助は再び行くえ不明となった。彼を召捕ったならば、事件の真相が更に明瞭になるだろうと、吉五郎らもさまざまに手をまわして探索したが、遂になんの手がかりも無かった。それから三月ほどの後に、八王子の山のなかで彼に似たような縊死者を発見したが、死体はもう腐爛しているので、その人相もはっきりとは判らなかった。八王子は藤助の故郷であるが、どこへも尋ねて行ったという噂はきこえなかった。あるいは何かの係り合いになるのを嫌って、どこでも口を閉じていたのかも知れない。
この事件の探索に主として働いた岡っ引の吉五郎は、わたしが「半七捕物帳」でしばしば紹介した彼《か》の半七老人の養父である。
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解説
一
この捕物帳のシリーズは、若い新聞記者が岡っ引上りの半七という老人を訪ねて、昔ばなしを聞く形式になっている。その年代は明治の日清戦争後から数年であるらしく、この戦争をさかいにして、江戸の名残の人も街もすっかり変ったという、旧東京を語りながら一転して江戸の捕物ばなしに移るのが、この物語の一つの特徴をなしているのである。その前説が今の性急な読者には煩らわしいと見えて、ある編集者から前の方を切ってくれと言われたことがある。
多くの捕物小説では特異な子分を設定して、それに狂言廻しの役を勤めさせている。この種の物語に、主人公の探偵のほかに聞き手の脇役をおくことは常道で、新聞記者もまたその例にもれないのであるが、この形式をもったことは作者の青春懐旧の情であったと思われる。岡本椅堂は東京府中学校(今の日比谷高校の前身)を卒業したばかりで東京日日新聞(今の毎日新聞の前身)に入り、最初は校正係の助手で月給七円から出発した。十九歳、満で数えれば十七歳と二か月の明治二十三年の春であった。それから大正二年まで二十四年の記者生活を送った。今日の大企業の新聞社を見て、その当時の新聞を想像することはむつかしい。東京日日新聞にしても、その頃発行部数が三千ぐらいであったという。編集は外廻りの人を加えても十人位しかいなかった。それで八頁の日刊を作り、記事は全部編集で書くのである。政治、経済、社会部の区別もない。そうした多忙の生活の中で、綺堂自身の言葉を借りれば「十七八歳から三十歳前後までが最も多くの書を読んだ時代」であった。しかも書物の値段は高く、古書の翻刻が甚だ少なかった。蔵書家について書物を借覧する、矢立と罫紙《けいし》を持参で抜き書をする、古老をたずねて談話筆記をしたりする。そうした青年記者時代への郷愁が、こうした形式を生んだに違いない。
半七老人もその古老の一人であるべきである。が、作者はこういう。「主人公の半七老人は実在の人物であるかどうかという質問にたびたび出逢うが、わたしはそれに対して明瞭に答えたことがない。なかには半七という人物を知っていて、彼は江戸時代の副業に湯屋を開いていたという人もある。彼は高野長英の隠れ家に向った捕方の一人であると説く人もある。彼は維新後も警視庁に奉職していたという人もある。或いは時計屋になったという人もある。その子は歯医者になったという人もある。それらの諸説に対しても、私はやはり明瞭に答えることを敢てしない。実在の人物か架空の人物か、それは読者の想像に任せて置いた方がむしろ興味が多かろうかと思うからである」
昨年の秋であった。東京五百年祭についてある新聞が残された史跡を連載していたが、若い記者が訪ねて来て、半七の戒名を教えてくれという。聞けば千駄谷のなにがし寺に半七の墓が見つかったが、過去帳が失われて戒名が判らず、記事にならぬという。墓銘によれば小林半七、明治五年没で、妻のほかに妾が同穴している。実在説何人目かのこの半七老人はなかなか艶福家だったらしい。
二
半七捕物帳が初めて世に出たのは大正六年一月号の文芸倶楽部であった。作者四十六歳。これまで岡っ引というものは小説でも芝居でも、いわば端役で、これを立役《たてやく》にしたものは見当らない。そのうえ捕物帳の名が目新しかったと見えて、江戸探偵名話という頭註が付いている。初めからシリーズ物として書き始めたのであるが、五、六年にかけて十三回書き、九年からまた続けた。それまでは文芸倶楽部の呼び物であったが、評判を生むと共に諸雑誌から依頼されるようになり、それがまた後進の新しい捕物小説を生む結果になった。
自分で始めたことながら自分で忌気《いやけ》がさして来て、四十篇ばかりで打ち切ったのは大正末年であった。後期の作は昭和九年に始まる。断わり続けていたのを、とうとう講談倶楽部に口説き落されて、十一年まで連載した。前後二十年間に六十八篇の作品が残った。最初から今日まで四十年、その間にはいろいろな版で本になっていて、いまだに生命をもっている、その魅力は何であろうか。わたしはこんな風に考えるのである。
(一)この作を書こうとした動機は「江戸名所図会」の世界を伝えようとしたのにあるという。探偵物語は手段であって本旨ではあるまい。その頃すでに劇作で名を成し、綺堂物と呼ばれる新歌舞伎は左団次の人気と共に一つの頂点に立っていた。その線から抜け出るのは、浪曼から写実への道である。急に変えようもない芝居の世界から、主力を読物に移して行った、その作物の代表が、この捕物帳であった。つまり彼の後期世話物戯曲への橋渡しである。謎を解くスリルよりも、市井人の愛憎、四季の移り変り、街の風物に多くの興味がかけられたのは、この作者の場合は必然であった。それがまた、飽きられない要素となっている。
(二)風物詩といっても、通人ぶった低徊趣味に陥っては現代人に反撥される。この作が新鮮味を失わないとすれば、草双紙講談の流れを汲まないで、基調に近代知性の骨格を持っているからである。事件の起伏よりも、大衆的な読物の限度のなかで、人間を描こうとしているからである。彼の作物が日本的な情趣に富むために、とかく戯作者の系統に見られ勝ちであるが、その教養の源は英文学であった。
(三)だから、この作の構成も文体も近代味がある。一種の格調と程のよさを持っている。そして、場面転換と省略の巧みさ、簡潔でハリのある台詞《せりふ》は、彼の劇作の手腕に負うところであろう。初期からずっと彼の文体を見て来ると、この頃になって、自分自身の文章を見出した、いや、見出したというよりも練り上げて到達したという感じがする。行儀のよい、流れるような平明の文章である。それでいて、何気なくちゃんとサワリを設けてある。何度でも読みかえされる所以《ゆえん》であろう。
三
このシリーズを全部読めばわかることであるが、綺堂の描いた半七は文政六年の生れで、天保十二年に初陣《ういじん》の功名を立ててから活躍の期間は慶応三年までの二十六年間である。作の背景は誰しも気づくであろうが、切絵図や「武江年表」の時代である。「遊歴雑記」や「紫の一本」や随筆雑記のたぐいを仔細に点検してある。最初からこんなに長く続ける予定もなかったであろうから、時も場所も人物もはっきりしているだけに、窮屈になって来たに違いない。空想力に富んで、読書の範囲の極めて広い彼は、題材に窮することがなくても、所詮は同巧異曲の思いが強かったらしい。たとえもっと長命していても、もう捕物帳の数はふえなかったであろう。
作者が没してからもう十八年になる。岡本綺堂って、どんな人だったかときかれる度に、わたしは半七捕物帳をお読み下さいと答える。半七老人は即ち綺堂老人だと私どもは考える。身辺を語らぬ作家であったが、この捕物帳にはその考え方なり趣味がよく出ているように思う。半七老人の語り口に綺堂の生地が出ているのである。あるいは江戸生き残りの古老の面影に、作者みずからの夢を托したのであろう。
若い時からそうであったように、綺堂老人は孤独癖であった。客を愛して、座談が巧みで、話し始めたら際限もないようでいて、みずから進んで世に交ろうとはしなかった。酒を飲まず、勝負事を嫌い、書斎にこもって、独り読み書くのが好ぎであった。
「年来の習慣でしょうが、わたしは自宅にいる場合、飯を食う時のほかは机の前を離れたことがありません。読書するとか原稿を書くとか云うのでなく、唯ぼんやりとしている時でも必ず机の前に坐っています。鳥で云えば一種の止まり木とでも云うのでしょう。机の前を離れると、何だかぐらついているようで、自分のからだを持て余してしまうのです」(私の机)
几帳面で行儀のよい人であった。夏のさかりでも机の前で膝をくずさず、寒い盛りでも手あぶりだけで、炬燵《こたつ》を用いなかった。煙草を吸いながら読書したり物を書いたりしなかった。
原稿を書く速度は早い方であったが、書け過ぎると、上調子になると云って止めた。参考書の調べがつくと、それらを一切片付けてしまって、手許に一冊も残さない。机の上には原稿紙とペンだけ。そのペンはGペンに限られていて、万年筆も鉛筆も使ったことがない。そのGペンで一字一字を楽しむように、味わうように力を入れて書いた。
季節について敏感で、日記をみても毎日の天候や気温を細かに写している。旧来の年中行事を喜び、古風な義理人情に厚かった。野生味のある草花を好んで庭に植えて、気の向くままに自らの花を生けた。殊更に書画骨董のたぐいを集めるでもなく、貰い物の郷土人形などの玩具を喜んで飾った。
およそ文芸家なるが故の特殊の好みも見栄もない、俗に入り俗の習いのなかに、平凡に徹しようとするのが生活の信条であったように思う。前に孤独癖といったが、それは孤独に堪えられる、おのれを頼むところの強きを指すのであって、誰れでも来れば会う、便りがあれば必ず返事を書く、身がまえも気どりもなかった。
それでいて、綺堂老人は卑俗の何ものにも侵されはしなかった。他人に媚びず傲《おご》らず、みずからの感傷におぼれない、円熟枯淡の悠々たる人生である。
半七捕物帳は、結局こうした人の書いた作品である。その庶民性を親しみ易く面白いと思うも、奇を求めて物足らなく思うも、それは読む人のこころのままであろう。(岡本経一)
◆半七捕物帳全集◆
岡本綺堂作