TITLE : 巴里祭
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目 次
巴里祭
河明り
雛 妓
巴里祭
彼等自らうら淋しく追放人《エキスパトリエ》といっている巴里幾年もの滞在外国人がある。初めはラテン区が彼等の巣窟だったが、次にモンマルトルに移り、今ではモンパルナツスが中心地となっている。
――六月三十日より前に巴里を去るのも阿呆、六月三十日より後に巴里に居残るのも阿呆。」
これは追放人《エキスパトリエ》等の口から口に伝えられている諺である。つまり六月一ぱいまでは何かと言いながら年中行事の催物が続き、まだ巴里に実《み》がある。此の後は季節《セーゾン》が海岸の避暑地に移って巴里は殻になる。折角今年流行の夏帽子も冠ってその甲斐はない。彼等は伊達に就いても効果の無いことは互にいましめ合う。
淀島新吉は滞在邦人の中でも追放人《エキスパトリエ》の方である。だが自分でそう呼ぶことすらもう月並の嫌味を感じるくらい巴里の水になづんでしまった。いわゆる「川向う」の流行の繁華区域は、皮膚にさえもうるさく感じるようになって、僅かばかりの家財を自動車で自分で運び、クルチウヌの橋を渡り、妾町と言われているパッシー区のモツアルト街に引移った。それも四年程前である。彼の借りた家の塀には隣の女服装家ベッシエール夫人の家の金鎖草が丈の高い木蔓を分けて年々に黄色に咲く。
――今年の夏は十三日間おれは阿呆になる積りだ。」
新吉は訊かれる人があればそう答えた。諺を知っている追放人《エキスパトリエ》仲間は成程彼が珍らしく七月十四日のキャトールズ・ジュイエの祭まで土地に居残るつもりだなと簡単に合点した。諺をまだ知らない同国人の留学生等には彼の方から単純に説明した。
――今年はひとつ巴里祭を見る積りです。」
しかし彼が十五年前に恋したままで逢えなかったカテリイヌが此頃巴里の何処かに居ると噂に聞き、そのカテリイヌを、夏に居残る巴里人の殆ど全部が街へ出て騒ぐ巴里祭の混雑のなかで見付けようとする、彼の夢のような覚束ない計画などは誰にも言わなかった。
新吉が日本へ若い妻を残して、此の都へ来たのは十六年前である。マロニエの花とはどれかと訊いて、街路樹の黒く茂った葉の中に蝋燭を束ねて立てたような白いほのぼのとした花を指さされた。音に聞くシャン・ゼリゼーの通りが余りに広漠として何処に風流街の趣きがあるのか歯痒ゆく思えた。一箇月、食事附百フランで置いて貰った家 庭 旅 館《パンシヨン・ド・フアミイユ》から毎日地図を頼りにぽつぽつ要所を見物して歩いているうちに新吉にとっては最初の巴里祭が来てしまった。町は軒並に旗と紐と提灯で飾られた。道の四辻には楽隊の飾屋台が出来、人々は其のまわりで見付け次第の相手を捉えて踊り狂った。一曲済むまでは往来の人も車も立止まって待っていた。新吉はさすが熱狂性の強い巴里人の祭だと感心したが、それと同時に自分もいつか誘い込まれはしないかと、胸をわくわくさせ踊りの渦のところは一々避けて遠くを通った。
一年足らずのうちに新吉はすっかり巴里に馴染んでしまった。巴里は遂に新吉に故郷東京を忘れさせ今日の追放人にするまで新吉を捉えた。家庭旅宿の留学生臭い生活を離れて格安ホテルに暫らく自由を味ってみたり、エッフェル塔の影が屋根に落ちる静かなアパルトマンに、女中を一人使った手堅い世帯持ちの真似をしてみたり、新吉は巴里を横からも縦からも噛みはじめた。巴里で若し本当に生活に身を入れ出したら、生活それだけで日々の人生は使い尽される。その上職業とか勉強とかに振り分ける余力はない。新吉はすっかり巴里の髄に食い入ってモンマルトルの遊民になった。次の年の巴里祭にも彼が留学の目的にして来た店頭装飾の研究には何一つ手を染めていなかった。その代り二人の女が生活にもつれて彼のこころを綾取っていた。一人は建築学校教授の娘カテリイヌ。一人は遊び女のリサであった。それからまだその頃は東京に残して来た若い妻も新吉のこころに残像をはっきりさせていた。かえってそれが新吉の心にある為めに、フランスの二人の女の浸み込む下地が出来ていたとも言えよう。
七月一日の午後四時新吉は隣の巴里一流服装家ベッシエールの小庭でお茶に招ばれていた。
――あなたに阿呆の第一日が来ましたわね。」
ベッシエール夫人は新吉の茶碗に紅茶をつぎながら言った。彼女は中年を過ぎていて、もう自分が美人であることを何とも思わなくなっているような女だった。この夫人にそういう淡泊な処もあるので随分突飛な事や執拗い目に時々遇っても新吉は案外うるさく感じないで済んでいる。
――まったく七月に入って巴里にいると蒼空までが間が抜けたような気がしますね。」
彼女は漠然とした明るく寂しい巴里の空を一寸見上げて深い息をした。新吉は菓子フォークで頭を押えるとリキュール酒が銀紙へ甘い匂いを立てて浸み出るサワラを弄びながら言った。
――一つは競馬が終ってしまったせいでしょうか。」
ロンシャンの大懸賞《グラン・プリ》も、オートイユの障碍物競馬も先週で打ちどめになった。
ベッシエール夫人は籐のテーブルの上へ置いた紅茶の瓶口の下についている雫《しずく》止めのゴム蝶の曲ったのを、一寸直し、濡れた指を手首に挾んだハンカチで拭くと、その手をずっと伸して新吉の顎にかけて自分に真向きに向かせる。
――さあ、そんな他《よ》所《そ》事《ごと》ばかり言ってないでもう仰しゃいな。なぜ今年は巴里祭に残っているかって言うことを。あたしはどうもただの残り方じゃないと睨んでいるのよ。様子だってふだんと違っていらっしゃるわ。」
新吉は気が付いて見ると成程此のテーブルへ来て二十分ほど経つのに顔をうつ向けてばかりいた。今更あわてて眼を二つ三つ瞬いて空や庭を見す。刈り込んだ芝生に紅白の夏花が刺繍のように盛上っている。
――まるで子供ね。胡麻化すつもりでいらっしゃる。」
夫人は狡そうに微笑しながら暫らく新吉の顔を見詰めた。この青年に恋して居るというわけではない。然しこの青年がもし他の女に恋しているとでもなったら嫉妬から彼女の気持ちの向きがどう変るかも判らない。いびつな夫婦生活ばかりして来てとうとうそれも破れて仕舞った此の老美人の悲運が他人の性愛生活にまで妙な干渉を始めるようになっていた。
新吉は巴里の女に顎をつままれる事位いには慣れ切って居る。新吉は落着いて煙草ケースから一本取出して投げやりに口に銜えた。夫人にも一本勧めて、それからライターで二人の煙草に火をつける。二人の口から吐く最初の煙のテンポが同じだったので、それがをかしかった。二人は笑った。寛ろげられた気持ちに乗って夫人はこんなことを言った。
――どうしてもあなたが言わないなら、あたし嫌味なことを言いますよ。あんたまさかあたしの為めに巴里にお残りになるんじゃないでしょうね。」
新吉は折角さらさらと説明出来そうに思えていた今の一瞬の気持ちをこの言葉で閉じられてしまった。もし夫人のこの悪ふざけの言葉に応答えする調子で自分の企てを話したら気持ちの筋道は飲み込ませられるかも知れないがその実質はとても覚束ない。それほど今度の思い立ちは情緒の肌《き》理《め》のこまかいものだ。いまはむしろ小説なら表題を告げて置くだけの方がこの女の親しみに酬いる最も好意ある方法だ。それで新吉は砂糖を入れ足すのを忘れている甘味の薄い茶を一杯飲み乾かすとこう言った。
――マダム。僕はね。料理にしますとあまりに巴里の特別料理《スペシアリテ》を食べ過ぎました。それでね。普通の定食料理《ターブル・ドート》が恋しくなったんです。」
夫人の調子は案の定、今口に出した思い付きの一言に煽《あふ》られてそ《ヽ》れ《ヽ》者らしい飛躍を帯びて来た。
――じゃ。お祭りに出た女中さんでも引っかけ、世間並の若い衆になりたいとでもおっしゃるの。」
――まさかね。でも今あなたの仰しゃった世間並には何とかして帰り度いのです。この儘じゃ全く僕は粋な片輪者ですからね。」
新吉のしんみりした物淋しさがあまり自然に感じられたので夫人の飛躍の調子がもとの地味にも落ち著けず、中途のところで鋭い浪を打った。
――何にしても四年間金鎖草の花を分けて眺めさしてあげたあたしの好意に対しても万事打ち開けるものよ。いつでもいいからね。」
そんなさばけたもの言いをしながら、夫人はぐっと神 質になって、新吉が帰ろうと立上りかけるときに門番がわざわざ此所まで届けて来た日本からの手紙を見ると、差出人は誰だかとくどく訊いた。新吉はそれが国元の妻からのものだと、はっきり答えた。
新吉は部屋へ帰ると畳込みになって昼はソファの代りをする隅のベッドの上被ひのアラビヤ模様の中へ仰向けにごろりと寝た。ベッシエール夫人のところで火をつけた二本目の煙草を挾んだ左の手に右の手を手伝わせて妻からの手紙の封筒を切った。いつもの通り用事だけが書いてあった。それは市会議員の選挙に関するもので、その人選は新吉の実家も中に含んで魚市場全体の利害に影響があった。
新吉の留守中両親も歿くなったあとの店を一人で預って、営業を続けている妻のお《ヽ》み《ヽ》ち《ヽ》に取っては永い間離れていてこころの繋りさえも覚束なく思える新吉でもやっぱり頼みにせずにはいられなかった。彼女はそれで故国の事情にはうとくなっている夫から明確な指図は得られないのを承知でしじゅう用件だけ報じて来た。うっかり感情的のことを書いて、西洋へ行ってひらけた人になっている夫に蔑まれはしないかという惧《おそ》れもあった。彼女は手紙の文体を新吉の返事に似通わせてだんだん冷たく事務的にすることに努めた。新吉もその方を悦んで兎も角彼女の手紙に一通り目を通すことだけはした。
しかし今度の手紙には新吉に見逃されぬものがあった。それは文面の終《しま》いの方に同じ淡々とした書き方ではあるがこういうことが書いてあった。
わたくし、此頃髪の前鬢を櫛で梳きますと毛並の割れの中に白いものが二筋三筋ぐらいずつ光って鏡にうつります。わたくしは何とも思いません。然し強ひて人に見せるものでもなし、成るたけ櫛でふせて置くようにしております。
新吉はめずらしく手紙の此の部分だけを偏執狂のように読み返し読み返すのをやめなかった。お《ヽ》み《ヽ》ち《ヽ》はいつまでも稚《おさ》な顔の抜け切らぬ顔立ちの娘であった。それ故にこそ親が貰って呉れた妻ではあったが、日本に居るときの新吉は随分とお《ヽ》み《ヽ》ち《ヽ》を愛した。新吉は一人息子であったので、妹というものの親しみは始めから諦めていた。ところがお《ヽ》み《ヽ》ち《ヽ》をめとって思いがけなくも妻と共に妹を得た。洋行前に新吉はお《ヽ》み《ヽ》ち《ヽ》に実家から肩揚げのついた着物を取寄させてしじゅう着させたものだった。東京の下町の稲荷祭にあやめ団子を黒塗の盆に盛って運ぶ彼女の姿が真実、妹という感じで新吉には眺められた。
巴里に馴染むにつけて新吉は故国の妻の平凡なおさな顔が物足らなく思い出されて来た。
特色に貪慾な巴里。彼女は朝から晩まで血眼になって、特 性《キマラクテール》? 特 性《キマラクテール》! と呼んでいる。
妖婦、毒婦、嬌婦、瞋婦――あらゆる型の女を韃打ってその発達を極度まで追詰める。
ミスタンゲット、――ダミヤ、――ジョセフィン・ベーカー、――ラケル・メレー。「聖母マリアがもし現代に生れていたら」とカジノ・ド・パリの興行主は言った。「わたしは彼女を舞台へ誘惑することを遠慮しないだろう。」
始め、新吉は女を見るにつけ、どの女からもお《ヽ》み《ヽ》ち《ヽ》に似通うところを見付けて一つは旅愁を慰めもし、一つは強い仏蘭西女の魅力に抵抗しようとしていた。だがやがて新吉に一たまりもなく甲も脱がして巴里女に有頂天にならした出来事があった。新吉は建築学校教授の娘のカテリイヌに遇った。
秋もなかば過ぎた頃である。教授のその部屋には電気ストーヴが桃色の四角い唇を開けていた。それでいて窓の硝子戸は開け放されていた。うすい靄が月の光を含んで窓から部屋へ流れ込むと消えた。だいぶ馴染もついたからというので新吉が通って居た建築学校教授ファブレス氏が新らしい生徒だけを自宅の晩餐に招いたのである。こんな古風な家が今でも巴里に残っているかと思えるようなラテン街の教授の家へ新吉は土産物の白絹一匹を抱えてはじめて行って見た。学課に身を入れなかったが、まだ此の時分新吉は籍を置いた学校の教室へ表面だけは正直に通っていた。
主婦は歿くなりでもしたと見え食事中も世話は娘のカテリイヌが焼いていた。新吉は此のカテリイヌのなかにもお《ヽ》み《ヽ》ち《ヽ》を探そうとしてあべこべの違った魅力で射すくめられた。カテリイヌのあどけなさはお《ヽ》み《ヽ》ち《ヽ》の平凡なあどけなさとは違った特色の魅力となって人にせまる。声は竪《たて》琴《こと》にでも合いそうにすき透っていた。そして位をもちつつ行届いたしこなしに、斜に向い合った新吉は鏡に照らされるような眩しい気配いを感ずるばかりで、とてもカテリイヌの顔をいつまでも見つめていられなかった。
食事が済んで客はサロンへ移った。西洋慣れない新吉がろくろく食後のブランデイの盃をも挙げ得ないのを見て教授はしきりに話しかけて呉れた。日本の建築の話も少しは出た。だが酔の深くまわるにつれ教授は娘の自慢話を始めた。教授は想像される年齢よりもずっと若く見える性質なので二十三、四にもなるらしい大きなカテリイヌを娘と呼ぶのが不似合に見えた。ましてその娘の自慢の仕方はいくら酔の上と見ても日本人の新吉をはらはらさせた。
――誰でも此の娘を見てシャルムされないものはないそうですよ。みんな、そう言いますよ。君もそう思いませんか。そしてよくこの娘は恋文を貰うのです。みんな真剣なものです。近頃も学校の卒業生でエジプトへ研究に行った男が二年間この娘に逢えないと思うと淋しくて仕方がないと手紙をよこして言って来ました。」
教授は娘を売りつけるつもりでこんなことを言うのか、それとも西洋人は妻や娘の自慢を露骨にするとかねて人から聴かされていたがこれは其の極端な現れなのか、新吉は返事に苦労しながら、一方それとなく教授の様子を探っていた。教授は、したたるような父親の慈愛の眼で娘の方を見やったが再び芸術家によくある美の讃美に熱中しているときの決闘《はたし》眼《め》で新吉に迫った。
――君は僕の言うことをまだ疑ってるようですね。そうだ。この娘の魅力は膝へ抱えてみると一層よく判るのだ。わたしは父としてよく知っている。君一つ抱いてみ給え。」
その前から父と新吉とのはなしを困惑と好奇心で顔を赧らめながら聴いていたカテリイヌは父の振り向いた顔に強いられて少し浮腰のまま、気まり悪るげに左肩へ首をすぼめて、一たん逃腰になったが、父親ののがさない命令に急激な決心を極めた。彼女の一足跳ねたダンス足の左の靴の踵に、床を滑って右の踵が追い迫り、あなやと思う間にひらりと新吉の膝の上に彼女は乗っかった。新吉は柔いものの無限の重量を感じ、体は華やかな圧迫で却って板のように硬直して了った。
彼女は困惑から沁み出る自然の唐突さで言った。
――日本の娘さんは悲しそうに男の方にお逢いなさるそうですね。」
こういう場合に同席する西洋人等の態度も新吉には珍らしかった。そこにはルーマニアの男とカナダの男との他に五人の若いフランス人がいたが彼等は揃って、さも好もしいものを見るという幸福な顔をして二人の組合せ像を眺めた。
その夜新吉の膝に加えられたカテリイヌの柔い重圧が新吉のメランコリーに深く沁み込んで仕舞ったのを新吉はいまいましく思いながら、まぼろしのようにその夜教授の部屋の窓から眺めた月光を含む靄の中からサンミッシェル街の灯影を思い泛べて、秋の深まり行く巴里の巷を幸福と懊悩に乱れ乍らさまよい歩いた。こうしたカテリイヌと二度会う機会を待っているうちに新吉は思いがけなく遊び女のリサと逢って仕舞った。
新吉は寝椅子の上でお《ヽ》み《ヽ》ち《ヽ》の手紙を状袋にしまった。それから手を伸して貴金属商アンドレの店頭装飾写真の入っている額縁のうしろへ挾んだ。十年以上も無視していたお《ヽ》み《ヽ》ち《ヽ》が急に蘇って来たのはどうしたわけだろうか。たった二三行の手紙の文句で日本へ帰る思いが燃え立ったのはどうしたわけだろうか。お《ヽ》み《ヽ》ち《ヽ》のあのおさな顔が其のままでちらほら白髪が額にほつれて来た。此の報告が巴里の生活で情感を磨き減らして無感覚のまま冴え返っている新吉の心に可なりのさびしみを呼び起した。お《ヽ》み《ヽ》ち《ヽ》がただ年老いて行くことだけでは憐れとも思わない。あの眼も口も箆で一すくいずつ平たい丸みから土をすくっただけで出来上っている永遠に滑らかな人形のような顔。それに時が爪をかけはじめたのだ。ざまをみるがいい。滑稽だ。残忍な粋人の感情だ。妻に侮辱と嘲笑とに値する特色を発見出来るようになって始めて惻々たる憐れみと愛とが蘇るというのだ。淋しくしみじみと妻を抱きしめる気持ちになれたのだ。何たる没情。何たる偏奇。新らしい陶器《やきもの》を買っても、それを壊《こわ》して継《つぎ》目《め》を合せて、そこに金のとめ鎹《かすがい》が百足《むかで》の足のように並んで光らねば、その陶器が自分の所有になった気がしないといったあの猶太人の蒐集家サムエルと同じものを新吉は自分に発見して怖しくなった。あのとろんとして眼窩の中で釣がゆるんだらしく、いびつにぴょくぴょく動いている大きな凸眼、色素の薄くなった空色の瞳は黄ろい白眼に流れ散ってその上に幾条も糸蚯蚓のような血管が浮き出ている。あのサムエルの眼はやがて自分の眼であるに違いない。
部屋の中の家具に塗ってあるニスが濡れ色になって来て、銀色の金具は冷たく曇った。もうたそがれだ。新吉はいつもの生理的な不安な気持ちに襲われ胃嚢を圧えながら寝椅子から下りた。早くアペリチーフを飲みたいものだ。八角テーブルの上に置いてある唇《くちびる》草《そう》の花が気になって新吉はその厚い花弁を指で挾んではテーブルの周囲を揃わない歩調でぶらぶら歩いた。窓から見える塀の金鎖草の蔓の一むらの茂みが初夏の夕暮の空に蓬髪のように乱れ、その暗い陰のから、さっき茶を呑んだ隣のべッシエール夫人の庭の黄ろい草が下方に小さく覗かれる。あれから夫人はまた多少のヒステリーを起し、いつもよくやるようにピカピカ光る裁縫鋏の冷たい腹を頬に当てて、昔訣れた幾人もの夫の面影を胸の中に取出し愛憎交〓の追憶を調べ直しているのではあるまいか。夫人の最後の夫ジョルジュには夫人はまだ未練があるようだ。そのせいかジョルジュの話をする時に夫人は一番新吉に粘りつく。
新吉は窓に近く寄ってみた。雲一つなく暮れて行く空を刺していた黒い鉄骨のエッフェル塔は余りににべも無い。新吉はくるりと向き直って部屋の中を見た。友達のフェルナンが設計して呉れたモダニズムの室内装飾具は素っ気ないマホガニーの荒削りの木地と白真鍮の鋭い角が漂う闇に知らん顔をして冷淡そのものを見るようだ。フェルナンは若くて死んだアルサス人だ。夭逝した天才の仕事には何処か寂しいエゴイズムが閃いているものだ。
新吉はこの部屋へ今にも訪ねて来る約束のリサに会い度くなってしまった。新吉は一応内懐の紙入れを調べて帽子を冠りドアーを開け放して来てから、椅子に腰掛けてリサを待ち受けた。いらいらした貧乏ゆすりが出た。そうしながらも新吉は残酷と思いながらしきりにお《ヽ》み《ヽ》ち《ヽ》のおさな顔に白髪の生えた図を想像した。
家鴨料理のツール・ダルジャンでゆっくりした晩餐をとった後、新吉とリサとは直ぐ前のセーヌ河の河岸に沿って河下へ歩き出した。酔った新吉をリサは小児のようにいたわっていた。
リサは健康で牛のような女だった。新吉が彼女に逢ってから十年近くも経つのに彼女は相変らず遊び女を勤めている。リサに言わせると遊び女は母性的な彼女の性格には一番相応《ふさわ》しい職業だといっている。彼女は巴里へ来たての外国人の男たちを何人となく巴里に馴染むまでに仕立て上げる。男達はそれまで彼女の厄介になると彼女から離れる。そしてもっと気の利いた面白い女へ移る。然し彼女はすこしも悪びれず男を離してやって、また次の初《う》心《ぶ》な外国人を探し出す。離れてしまった男たちも時が経つとやっぱり彼女に懐しみを蘇えらせて来て彼女と交際うようになる。そのときは彼女をみんなは「おばさん」と呼んでいる。彼女もそのときはおばさんの立前になっていろいろ親切に世話をやくのであった。
河堤の古本屋の箱屋台はすっかり黒い蓋をしめて、その背後に梢を見せている河岸の菩提樹の夕闇を細《こま》かく刻んだ葉は河上から風が来ると、飛び立つ遠い群鳥のように白い葉裏を見せて、ずっと河下まで風の筋通りにざわめきを見せて行く。ルーブル博物館を中心に肩を高低させている向う岸の建物の影は立昇る河霧にうっすり淡色の夕化粧を見せて空に美しい輪郭を際立たしている女の横顔《プロフィール》のようだ。その空はまた一面に紫薔薇色の焔を挙げて深まろうとしている。闇を掻き乱そうとしている。黄、赤、青のネオンサインは街の中空へ「夏はドウヴィルへこそ」とアルファベットを綴っている。
――…………
――まあお聞き……。というわけでね。さっきから言ったようにね。巴 里 祭《キヤトールズ・ジユイエ》にはあたしが見つけてあげたその娘をぜひ一緒に連てお歩きなさい。」
リサはがっちりした腕で新吉の腕を自分の脇腹へ挾みつけながら言った。新吉のステッキも夏手袋も自分が引受けて持っている。
――…………
――いくら処女心《ヴアジン・ソイル》が恋しいからといって、その昔のカテリイヌの面影を探しながらお祭りを見て歩こうなんて、そりゃあんまり子供っぽい詩よ。そんなことであんたのようなすれっからしに初心な気持ちの芽が二度と生えると思って。」
新吉の酔って悪く澄んだ頭をアレギザンドル橋のいかつい装飾とエッフェル塔の太い股を拡げた脚柱とが鈍重に圧迫する。新吉はそれらを見ないように、眼を伏せて言った。
――おい後生だから、もう一音階《オクタアーヴ》低い調子で話して呉れないか。その調子じゃ、たとえ成程とうなずきたいことも先に反感が起ってしまうよ。」
――あら。そんなにひどい神経になっているの。まるで死ぬ前のフェルナンのようだわ。」
リサは闇の中に顔を近づけて覗き込みながら言った。さも哀れに堪えないように中年近い女の薄髭の生えた、厚身の唇が新吉の頬に迫って来たので新吉は顔を避けた。
――いよいよもってあたしの探したあの娘をあなたのものにすることをお勧めするわ。何事も女で育って行く巴里では、たとえ女に中毒したものも、それを癒すにはやっぱり女よ。もしあたしがもう七ツ八ツ若かったらこんな手間暇は取らせませんのにね。」
リサは今しがた新吉に意見したのとはあべこべなことを平気で言った。二人はアレギザンドル橋を渡った。春秋に展覧会の開かれるグランパレーの入口は真黒く閉っていて、プチパレーの方に波蘭《ポーランド》の工芸品展覧会の雪の山を描いたポスターが白い窓のように几帳面な間隔を置いて貼られてある。婆娑とした街路樹がかすかな露気を額にさしかけ、その下をランデ・ヴウの男女が燕のように閃いてすれ違う。新吉は七八年前、五色の野獣派の化粧をしてモンマルトルのペットだったリサを想い泛べた。がっちりした彼女の顔立ちにそれがよく似合った。当時彼女はあるカフェーで新吉からカテリイヌに対する悩みを聴いたとき新吉の鼻をつまんで言った。
――そんな恋はありきたりよ。愛なんかちっとも無い二人同志の間で技巧で恋を生《う》んで行くのが新しい時代の恋愛よ。」
彼女が裸に矢飛白の金泥を塗って、ラパン・ア・ジルの酒場で踊り狂ったのは新吉の逢った二囘目の巴 里 祭《キヤトールズ・ジユイエ》の夜であった。彼女は其の後だんだん奇矯な態度を剥いで持ち前の母性的の素質を現して来たが、折角同棲した若いフェルナンに死なれてから男に対して全く憐れみ一方の女となった。
――君もあの時分は元気だったなあ。」
そう言うと流石に彼女も悵然としたらしい様子のまましばらく黙った。二人は並木のシャン・ゼリゼエまで出たが闇一筋の道の両はずれに一方はコンコールドの広場に電飾を浴びて水晶の花さしのように光っている噴水を眺め、首をらして凱旋門通りの鱗のように立ち重なる宵の人出を見ると軽い調子になって彼女は言った。
――無理のようだがそうすると、あんた決めておしまいなさいね。きっと結果がいいから。そしたらあたしその娘を巴里祭の日に、まったく自然のようにあなたに遇わせてあげますから。あなたは只その日お祭りを楽しむ町の青年になって、朝自分の家を出なさるだけでいいのよ。」
そこでステッキと手袋を新吉に押付けるとリサは簡単に、
――ボン・ソワール。」
と行きかけた。新吉が、
――ちょいと待って呉れ給え。国元の妻のことに就いてすこし話したいんだが。」
とあわてて言うと、リサは逞しい腕を闇の中に振って指先を鳴らした。
――もう、あんたのことはみんなその娘に譲りましたよ。」
リサは男のように体を振り乍ら行って仕舞った。
明日の祭の用意に新吉も人並に表通りの窓枠ヘシナ提灯を釣り下げたり、飾紐で綾を取ったりしていると、下の鋪石からベッシエール夫人が呼んだ。
――結構。結構。巴里祭万歳。」
新吉は手を挙げて挨拶する。
――あなたのところに綺麗な国旗ありまして。若しなければ――。」
そう言いさして夫人は門の中へ消えたが、やがて階段を上って来て部屋の戸をノックする。
新吉が開けてやると、しとやかに入って来て、
――剰ったのがありますから貸してあげますよ。」
それから屈託そうに体をよじって椅子にかけ、八角テーブルの上に片肘つきながら、新吉の作った店頭装飾の下絵の銅版刷りをまさぐる。壁の嵌め込み棚の中の和蘭皿の渋い釉《うわ》薬《ぐすり》を見る。箔押しの芭蕉布のカーテンを見る。だが瞳を移すその途中に、きっと、窓に身をかがまして覚束なく働いている新吉の様子を油断なく窺っている。何か親密な話を切り出す機会を捉えようとじれているらしい。新吉はどたんと窓から飛下りて掌に握ったじゅうじゅうという鳴声を夫人の鼻先に差出した。
――小さい雀の子。」
夫人は邪魔もののように三角の口を開けた子雀の毛の一つまみを握り取って煙草の吸殻入れの壺の中へ投げ込んでしまった。無造作に銅版刷で蓋をする。
――おちついて、あなた、そこに暫らく坐って下さらない。」
新吉はちょっと左肩をよじって不平の表情をしてみたが名優サシャ・ギトリーの早口なオペレットの台詞を真似て、
――マダムの言いつけとあらば、なんのいなやを申しましょうや。茨の椅子へなりと。」
と言ってきょとんと其所へ坐った。
――いよいよ明日巴里祭だというので、いやにはしゃいでいらっしゃるね。さぞお楽しみでしょうね。」
新吉はぎくっとした。情事に就いては彼女自身はもうすっかり投げているのに他人の情事に対する関心はまたあまりに執拗だ。それにリサと夫人とは古い知り合いだから、ひょっとしたらリサの自分に対する明日のたくらみでも感づいたのではないか。新吉は油噺をせずにとぼけた。
――あしたは世間並の青年になって手当り次第巴里中を踊り抜くつもりですよ。」
――そりゃ楽しみですね。国元の奥様のことを考えながら、その悩みをお忘れになりたい為めにね。」
鸚鵡返しのように夫人はこう言った。新吉は的が外れたと思った。自分の今の心を探って見るに、国元の妻からの手紙が来て以来、其のおさな顔に白髪のほつれかかった面影が憐れに感じ出されたには違いない。然しそれと同時に今は明日はじめて逢う未知の娘、リサの世話して呉れる乙女にもまた憐れを催している。自分のように偏奇な風流餓鬼の相手になって自分から健康な愛情の芽を二度と吹かして呉れようとする無垢な少女。だがそれよりも新吉が一番明日に期待しているのはやっぱりあのカテリイヌに何処かの人ごみで逢うことだ。リサは子供っぽい詩と罵ったが今の自分としてはどうしても巴里祭の人込みの中で、ひょっとしたら十何年目のカテリイヌ――恐らく落魄しているだろうが――にめぐり遇っていつか自分を馴致して奴隷のようにして仕舞った巴里に対する憎しみを語りたい。自分を今のようなニヒリストにしたのは今更、酒とか女とか言うより、むしろ此の都全体なのだ。
此の都の魅力に対する憎しみを語って語って語り抜いて彼女から一雫でも自分の為めに涙を流して貰ったら、それこそ自分の骨の髄にまで喰い込んでいる此の廃頽は綺麗に拭い去られるような気がする。そしたら此の得体の解らぬ自分の巴里滞在期を清算して白髪のほつれが額にかかる日本の妻のもとへ思い切りよく帰れよう。だがそれはまったく僥倖をあてにしている、まるで昔の物語の筋のように必然性のないもののようだ。然し此の僥倖をあてにする以外に近頃の自分は蘇生の方法が全く見つからなかった。こうなるとあの建築学校教授が建築場で不慮の怪我で即死して、娘はエジプトへ行ってあの卒業生と結婚したとかしないとか噂だけで、行方が判らなくなったり、近頃やっと巴里にまたいるらしいという噂を突きとめたそれ以上のことが判らないのがまだ自分の不運の続きのように思え、また判らないことが却って折角ただ一つ残って居る美しい夢を醒さないでいて呉れる幸福のように思えた。
新吉が金槌をいじりながら考え込んでいるのを見て夫人は意地悪くねじ込むような声で言った。
――あたったものだから黙っていらっしゃる。あたしは妙な女ですからそのつもりで聴いて下さいな。あたしあなたが只の遊び女と出来たのかなんかなら何とも思いませんの。けれど国元の奥さんを想い出すような親身な気持ちになった男の方にはお隣に住んでいて、じっとして居られませんの。あたしは寡婦《やもめ》ですからね。正直に白状すればとてもやきもちが妬けますの。あなたのところへ奥さんの手紙が来た翌日からあなたの御様子が変ったように見えて。御免なさいな。病的でしょうか。でも仕方がないわ。正直に言わなけれや、もっとやきもちが、ひどくなりそうなの。つまりあなたは奥さんの所へ帰る前に最後の巴里祭を見て行き度いために巴里に今年は残ったのでしょう。喰いとめなけれや気が済まないわ。とても、明日の巴里祭をあなたに面白くして奥さんの所へなんか帰さない工夫をしなければならないわ。それで明日はあたしあなたと一緒について巴里祭に行くつもりよ。お婆さんと一緒じゃお気の毒だけれど。然しこうなれば目茶よ。だからどうせ其のおつもりでね。」
夫人は冗談の調子で言っているのだけれど、此の冗談には夫人の新吉への病的な関心が充分含まれているのだ。
――兎に角、明日は私とお遊びなさい。私あなたの自由に遊んで上げます。気に入った女が見つかれば、一緒に歩いても上げますわ。」
夫人はこれも決定的な本心を含めた冗談で言った。
――どうぞ、まあ、よろしくおたのみします。」
新吉はつい弱気に言ってしまった。
――朝、お迎えに来るわ。」
夫人は遂々冗談を本当に仕上げて満足そうに帰りかけたが、蓋をした灰殻壺の中の憐れっぽい子雀の籠った鳴声に気付くと流石に戻って、
――可哀想なことをしたのね。これあたし頂戴《いただ》いて行きますわ。」
壺のまま雀を持って夫人は出て行った。夫人の後姿を見送って新吉はひとり小声で「うるさい婆さんだな」と言った。だが新吉は美貌な巴里女共通の幽《かす》かな寂《さ》びと品格とが今更夫人に見出され、そして新吉はまた、いつも何かの形で人を愛して居ずにはいられないこの巴里女をしみじみと感じられるのだった。
眼を半眼に開いたままの鉛の板のように重苦しく眠り込んでいた新吉は伊太利の牧歌の声で目覚めた。朝の食事が出来たので、通い女中のロウジイヌが蓄音器をかけて行って呉れたのだ。野は一面に野気の陽炎。香ばしい乾草の匂いがユングフラウを中心に、地平線の上へ指の尖《さ》きを並べたようなアルプス連山をサフラン色に染めて行く景色を、はっきりと脳裡に感じながら、新吉はだんだん意識を取戻して行った。牧歌が切れて濃いキャフェが室内の朝の現実のにおいとなって強く新吉の鼻に沁みて来た。新吉は昨晩レストラン・マキシムで無暗にあふったシャンパンの酸味が爛れた胃壁から咽喉元へ伝い上って来るのに噎《むせ》び返りながらテーブルの前へ起きて来た。吐《はき》気《け》に抵抗して二三杯毒々しいほど濃い石灰色のキャフェを茶碗になみなみと立て続けに飲んだ。吐気はどうやら納って、代りに少し眩暈《めまい》がするほどの興奮が手足へ伝わり出した。空は晴れている。昨日自分が張り渡した窓の装飾綾の模様を透して向う側の妾町の忍んだような、ささやかな装飾と青い空の色と三色旗の鮮やかな色とが二つの窓から強い朝日に押し込まれて来たように、新吉の眼を痛いほど横暴に刺戟する。立たなければよくも見分けられぬが恐らくベッシエール夫人の屋根越しのエッフェル塔も装飾していることだろう。
新吉は此の装飾の下に雑沓の中でカテリイヌを探す自分のひと役を先ず頭に浮べたが、次にリサが、またどういう工夫で今日の祭の街で自分に新らしい娘を送り届けるのか、自分につきまとうベッシエール夫人とそれがどう縺れるか。考えると頭がすこし憂鬱になった。
ゆうべはマキシムで偶然ベッシエール夫人の最後の夫ジョルジュに遇った。彼は新吉がベッシエール夫人の隣へ引越して来て間もなく夫人と喧嘩して出て行ったので、新吉とはたいした馴《な》染《じみ》もなかったが新吉を見付けると懐かしそうに寄って来て無暗と酒を勧めた。彼は夫人の家にいたときからみると、ずっと若返ったようだ。彼は新らしい妻だといって若い女を紹介した。その女はただ若くて十人並の器量で、はしゃいでいるような女だった。何処か間の抜けている性質のようにも見えた。それで二人は大ぴらでベッシエール夫人の話をした。ジョルジュは新吉を酔わせて夫人の悪口でも言わせようという企みが見えた。新吉は其の手には乗らなかった。すると遂々彼は夫人に未練を残していることを白状して、
――あんな洒脱な女はありませんよ。あれと暮して居ると、本当に巴里と暮しているようですよ。六日間も自転車競走場の桟敷で、さばけた形《なり》をして酒の肴のザリ蟹を剥いてるところなぞ一緒にいてぞっとする程好かったですよ。」
こんな言葉を連発するようになった。だがしまいには彼は問わず語りにこんな事を言った。
――ただあの女の鋏がね。あの鮫の腹いろに光る鋏がね。あなたもお隣りなら随分気をおつけなさい。もっともあの鋏の冴えが、あの女の衣裳芸術の天才の光なんだが……なんにしても男をいじめては男に逃げられるのが気の毒な女さ。」
彼は終りを独言にして溜息をして訣れて行った。
そういうこともあったので、ゆうべ新吉は折角の自分の巴里祭を夫人に乱されることを恐れて、どうして夫人を出し抜いたものかと、うとうと考えながら寝た。家へ帰らずにしまえばそれまでだが、それもなんだか卑怯に思えるし、夫人に気づかれて後の祟りも恐ろしかった。出来ることなら男らしくきっぱり断って、あすの朝は一人で自分の家を出て行きたいものだと考え定めながら、いつか眠りに陥ったのであった。だが、段々部屋中を華やかに照らしだす日の光を眺めるとカテリイヌも、リサの送る娘も、ベッシエール夫人も、全べて、そんな事はどうでもよくなって来た。ただ早く町の割栗石の鋪道に固いイギリス製の靴の踵を踏み立てて西へ東へ歩きりたい願いだけがつき上げて来た。
顔を洗って着物に着代えているとどこからともなく古風で派手なワルツが凪いだ空気へ沖の浪のなごりのように、うねりを伝えて来る。後からそれを突除けて、ジャズが騒狂な渦の爆発の響を送る。祭は始まった。表通りを大人連のおしゃべりの声。子供達の駆けて行く足音。
白い帽子を手に取って姿鏡の前に立ち、自分の映像に上機嫌に挨拶して新吉は、其の癖やはり内心いくらか憂鬱を曳きながら部屋を出た。入口の門番《コンシエルジユ》の窓には誰も居なくて祭の飾りの中にゼラニウムの花と向いあって籠の駒鳥が爽やかに水を浴びていた。
割栗石の鋪石へ一歩靴を踏み出す。すると表の壁の丁度金鎖草の枝《し》垂《だ》れた新芽が肩に当るほどの所で門番のかみさんと女中のロウジイヌとがふざけて掴み合っていたのが新吉の姿を見ると急に止めて笑いながら朝の挨拶をした。それから隣のベッシエール夫人の家に向って、
――奥さん。うちのムッシュウがお出かけですよ。」
と声を揃えてわめいた。
ちゃんと打合せが出来ていたものと見え、すっかり着飾ったベッシエール夫人は芝居の揚幕の出かなんぞのように悠揚と壁に剔《く》ってある庭の小門を開けて現われた。黒に黄の縞の外出服を着て、胸から腰を通して裳へ流れる線に物憎い美しさを含めている。夫人は裏にちょっと鳥の毛を覗かせたパナマ帽の頭を傾げて空の模様を見るような恰好をした。飽まで今日の着附けの自信を新吉に向って誇示しているらしかったが、やがて着物と同じ柄の絹の小日傘をぱっと開くと半身背中を見せて左の肩越しに新吉の方へ豊かな顎を振り上げた。眼は今日一日のスケジュールに就いて何の疑いをも持っていない澄んだ色をしている。遂々掴まったか――。新吉はそう思いながら夫人の傍へ寄って行って思わずいつもの礼儀どおり左の腕を出す。夫人は顎を引き、初めて笑った。
――若い奥さんではなくてお気の毒ね。」
と言ったが右の手を新吉の出した左の腕にかけるとまたさあらぬ態度になり、胸を張って歩き出した。新吉は夫人の顔にうっすり刷いたほのかな白粉の匂いと胸にぽちんと下げでいるレジョン・ド・ヌールの豆勲章を眺めて老美人の魅力の淵の深さに恐れを感じた。
モツアルトの横町からパッシイの大通りへ突当ると、もうそこのキャフェのある角に音楽隊の屋台が出来ていて、道には七組か八組の踊りの連中が車馬の往来を止めていた。日頃不愛想だという評判のキャフェの煙草売場の小娘が客の一人に抱えられていた。まだ昼前なので遠くの街から集まって来た人達より踊り手には近所の見知り越しの人が多かった。それ等の中には革のエプロンの仕事着のままで買物包みを下げた女中と踊っている者もあった。彼等は踊りながら新吉と夫人に目礼した。キャフェの椅子は平常よりずっと数が増して往来へ置き出されていた。一しきり踊りが済むと狭く咽喉のようになった往来へ左右から止まっていた自動車や馬車がぞろぞろ乗り出した。街路樹のプラタナスの茂みの影がまだらに路上にゆらめいた。
――すっかりお祭りね。」
老美人は子供のようなはしゃぎかたさえ見せて、喧騒の渦の音が不安な魅力で人々を吸い付けている市の中心の方角へ、しきりに新吉を促し立てた。
晴れた日と鮮かな三色旗と腕に抱えている老美人との刺戟に慣れて来ると新吉は少し倦怠を感じ出した。すると歩調を合せて歩いている自分等二人連れのゆるい靴音までが平凡に堪えないものになって新吉の耳に響いた。
――しつこい婆につかまって今日一日無駄歩きしちまうのだ。」
弾力を失っている新吉の心にもこの憤りが頭を擡げた。キャフェの興奮が消えて来た新吉の青ざめた眼に稲妻形に曲るいくつもの横町が映った。糸の切れた緋縅しの鎧が聖アウガスチンの龕《トリプチツヒ》に寄りかかっている古道具屋。水を流して戸を締めている小さい市場。硝子窓から仕事娘を覗かしている仕立屋。中産階級の取り済ました塀。こんなものが無意味に新吉の歩行の左右を過ぎて行った。新吉は子供の時分奮い立った東京の祭のことを思い出した。店のあきないを仕舞って緋の毛氈を敷き詰め、そこに町の年寄連が集まって羽織袴で冗談を言いながら将棋をさしている。やがて聞えて来る太鼓の音と神輿を担ぐ若い衆の挙げるかけ声。小さい新吉は堪らなくなって新らしい白足袋のままで表の道路へ飛び下りるのだった。縮緬の揃いの浴衣の八ツ口から陽にむき出された小さい肘に麻だすきへ釣り下げたおもちゃの鈴が当って鳴った。
気分というものは不思議に遇合することがあるものだ。ベッシエール夫人もこどもの時代のことを想い出した。
――あたしね。九つの歳の巴里祭に連れられてルユ・ド・ラ・ボエシイを通るとね。学生帽《ベ レ》を冠った鬚の剃りあとの青い男に無理に掴まって踊らされてね。その怖ろしさから恋を覚え始めたのよ。今でも学生帽を冠った鬚の剃りあとの青い男を見ると何んだかこわいような、懐かしいような気がするのよ。」
横町と横町の間を貫く中通りにブウローニュの森の観兵式を見物した群集のくずれらしいかなり大勢の行人の影が見えた。その頭の上に抜きん出て銀色に光る兜《かぶと》のうしろに凄艶な黒いつやの毛を垂らしている近衛兵が五六騎通った。
――あんた、まさか奥さんの手紙を懐に持って出ていらっしたのじゃないでしょうねえ。」
夫人の想出話に対して新吉の返事がはかばかしくないので、夫人は急にこんなことを言い出した。新吉は危ないと思って、
――あんたこそ、ジョルジュ氏のムッショワールでもバッグへ入れてやしませんかね。」
と逆襲した。すると夫人は新吉の腕から手を抜いて肩を掴え、
――あたし、そういう情味のはなし大好きですわ。」
と言って夫人は、更めて新吉の頬に軽く接吻した。新吉はこういう馬鹿らしいほど無邪気な夫人に今更あきれて、やっぱり憎み切れない女だと思った。
目的もなく昼近い太陽に照りつけられながら、所々に道一杯になって踊る群衆に遮られ、または好奇心から立止まってそれを眺めたりしている内に、二人は元へ戻るような気のする坂道を登りかけて居るのを感じた。道のわきに柵があって、その崖の下の緑樹の梢を越してトロカデロ宮殿の渋い円味のある壁のはずれを掠《かす》めて規則正しくセーヌへ向けてゆるやかな勾配を作っている花壇の庭が晴々しく眺められた。庭の勾配が尽きて一筋の長閑な橋になり、橋を跨いでいる巨人の姿に見えるエッフェル塔は河筋の水蒸気のヴェールを越しているので、いくらか霞んで見える。振り仰いで見ると流石に大きかった。太い鉄材の組合せの縞が直《じ》きに眼に平らな肌になり、細く鋭く天を衝く遥かな上空の針の尖に豆のような三色旗が人を馬鹿にしたようにひらめいていた。再び眼を地に戻して河筋を示す緑樹の濃淡に視線が辿りつくと頭がふらふらした。新吉は言った。
――まだ、やっと此所までしか来てないじゃありませんか。すこし休んで、それから、ちっとはスケジュールを決めて町を見物しようじゃありませんか。」
――子供のようになってアイスクリームを飲みましょうよ。」
白にレモン色の模様をとった屋台車を置いてアイスクリーム売りのイタリー人が燕のひるがえるのを眺めていた。
新吉と夫人が往来に真向きに立ちはだかって互に顔で、おどけ合いながらアイスクリームの麩のコップを横から噛みこわしていると、二人が上って来た坂の下から年若な娘が石畳の上へ濃い影を落しながら上って来た。娘は二人の傍へ来ると何のためらう色もなく訊いた。
――バスチイユの広場へ行くのはどう行ったらいいでしょう。」
娘の言葉にはロアール地方の訛りがあった。手に男持ちのような小型の嚢を提げていた。
夫人は娘の帽子の下に覗いている巻毛にまず眼をつけ、それから服《な》装《り》を眼の一掃きで見て取った。夫人の顔には残忍な好奇心がうねった。
――ははあ、おまえさん巴里祭を見物しなさるのね。此所からバスチイユなんて、まるで反対の方角よ。――あんた、いつ巴里へ出て来なさった。」
――半年ほどまえですの。」
――連れて歩いて呉れるいい人はまだ出来ないの。」
――あら、いやだわ。」
――いやだわじゃないことよ。そんないいきりょうをしている癖に。」
巴里祭といえば誰に何を言おうが勝手な日なのだ。そうすることが寧ろ此の日に添った伝統的な風流なのだ。
娘は白痴じゃないかと思われるほど無抵抗な美しさ、そして、どこか都慣れたところがあった。新吉はてっきりリサの送った娘と見て取った。そして夫人となれ合いの芝居ではないかと警戒し始めたが、夫人はどうしても娘に始めて逢った様子である。そして好奇心で夢中になっている。
――おまえさん、今日のお小遣いいくら持ってなさる。」
――八十フランばかり。」
――おまえさん恰好の娘さんの一人歩きには丁度いい額《たか》だね。」
夫人は分別くさい腕組みをして娘を見下ろした。新吉は夫人に気取られる前に先手に出て娘に言った。
――もしよかったら僕達と今日一緒に遊んで歩かないか。勿論費用は全部こっち持ちだよ。」
娘が下を向いて考えてる間に夫人は新吉に奥底のある眼まぜをして見せた。新吉は度胸を極めて、それに動ぜぬ風をした。
――奥さん僕は此の娘を連れて歩きますよ。あなたと二人では、ひょっと喧嘩でも始めるといけませんからね。」
新吉の日本人らしい決定的な強さに圧された。その上夫人は娘の前で気前を見せる虚栄心も手伝って案外あっさり承知した。新吉は夫人のしつこさに復讐したような小気味よさを感じたが、年若な娘の放散する艶《つや》々《つや》しい肉体の張りに夫人の魅力が見る見る皺まれて行くのも気の毒だった。
タクシーでオペラの辻まで乗りつけて、そこからイタリー街へ寄った。とあるキャフェで軽い昼食を摂りながら娘に都大路の祭りの賑いを見せていると、新吉はいろいろのことが眼の前の情景にもつれて頭に湧いた。あのトロカデロの坂道の崖の下あたりにリサが潜んでいて娘に自分達の後を追わせたのではなかろうか。それにしても、よくもこう註文にふさわしい娘を探し出したものだ。娘はどういう風《ふう》にリサから話し込まれたか知らないが、芝居をしているとも見えぬ程の自然さでこの芝居をこなしている。芝居をしながら、ちっとも本質を覆わない身についている技巧はまったくフランス娘の代表とも思われるほど本能の味わいを持って居る。娘はフォークの尖にソーセージの一片と少しのシュークルートの酢漬けの刻《きざ》みやキャベツをつっかけて口に運びながら食卓に並んだ真中の新吉を越して夫人に快濶に話している。新吉はだんだん夫人と娘の様子を見て居るうちに夫人とも此の娘の出現がかねて何かの黙契を持っていたのではなかろうかとさえ思われ始めた。
リサと友達の此の夫人が、或いは昨日か、昨夜かのリサとの謀計で此の娘が出現したのではなかろうか。それにしても娘は夫人に初対面のように語る。名をジャネットと言って巴里の近郊に沢山ある白粉工場で働いているはなし。国元はロアールの流れの傍で、飼兎の料理と手製の葡萄酒で育ったはなし。それを新吉にも聞えるように娘は話して居るのである。
娘は少しおかめ型の顔をしてマネキン人形のような美しさに整い過ぎているようだが、頬や顎のふくらみにはやっぱり若さの雫が滴っていた。彼女は食事中にやれ芥子の壺を取って呉れの、水が飲みたいのと新吉に平気で世話を焼かせ、あとはまた新吉を越してベッシエール夫人と話し続けて行く。新吉は苦笑した。
なりは大きいがまだ子供だ。此の子供の何処に感情の引っかかりがあるのだ。リサは余りに若いのを選むのに捉われ過ぎた。新吉はジャネットの均一ものの頸飾りをちょっとつまんで、
――これよく似合うね。君に。」
――でも、これほんの廉《やす》ものなの。こちらのマダムのなんか見ると、まったく悲しくなるわ。」
新吉はこの娘はまだ十七に届いていない年頃なのに相当、人の機嫌をとることにも慣れているのに驚いた。夫人も上機嫌で娘に言った。
――あんた、せいぜいムッシュウの気に入るように仕掛けて、あたしのような首飾りを買ってお貰いなさいよ。」
新吉の日本の妻にさえ嫉妬する夫人が眼の前の此の娘の出現にこんなに無関心で居られる――娘と言い夫人といい、巴里の女の表裏、真偽を今更のように新吉は不思議がった。遊戯のなかに切実性があり、切実かと思えば直ぐ遊戯めく。それにしても上流中流の人達が留守にした巴里の混雑のなかに、優雅な夫人と、鄙びていても何処か上品な娘を連れた新吉の一行は人の眼についた。
昼の食事の時刻も移ったと見えて店内の客はぽつぽつ立上がって行く。男女二人ずつ立って行く姿が壁鏡に背中を見せる。給仕《ギヤルソン》がブリオーシュ(パン菓子)を籠に積み直してテーブルに腹匍いになって拭く。往来の人影も一層濃くなって酒に寛げられた笑い声が午後の日射しのなかに爆発する。群集のから斜めに見えるオペユの辻の角のカフェ・ド・ラ・ペイには双眼鏡を肩から釣り下げたり、写真機を持った観光の外人客が並んで、行人に鼻を突き合せるほど道路にせり出して、之れが花の巴里の賑いかと気を奪われたような、むずかしい顔をして眺めて居る。行ったり来たりして、しつこく付纏う南京豆売り、壁紙売り。角のカフェ・ド・ラ・ぺイとこっちのイタリー街の角との間は小広く引込んだ道になっていて、其の突当りがグランド・オペラだが此所からは見えない。ただその前の地下鉄の停留所の階段口から人の塊が水門の渦のようになって、もくもくと吐き出されるのが見える。
暫らく雲が途絶えたと見え、夏の陽がぎらぎら此の巷に照りつけて来た。キャフェの差し出し日覆いは明るい布地にくっきりと赤と黒の縞目を浮き出させて其の下にいる客をいかにも涼しそうに楽しく見せる。他の店の黄色或いは丹色の日覆いも旗の色と共に眼に効果を現わして来た。包囲した鬨《とき》の声のような喧騒に混って音楽の音が八方から伝わる。
新吉は向う側の装身具店の日覆いの下に濃い陰に取り込められ、却って目立ち出した雲母の皮膚を持つマネキン人形や真珠のレースの滝や、プラチナやダイヤモンドに噛みついているつくりものの狆や、そういう店飾りを群集の明滅の間からぼんやり眺めて、流石に巴里の中心地もどことなくアメリカ人の好みに佞《おもね》ってアメリカ化されているけ《ヽ》は《ヽ》い《ヽ》を感じた。けばけばしい虎の皮の外套を着たアメリカ女。早昼食《クイツクランチ》。「御勘定は弗《ドル》で結構でございます」と書いた喰べ物屋のび《ヽ》ら《ヽ》。筋向いのフォードの巴里支店では新型十万台廉売の広告をしている。
食後の胃のけだるさがそうさせるのか新吉の不均衡な感情は無暗に巴里の軽薄を憎み度くなってじれじれして来た。その時ジャネットが彼を顧《ふり》向いて夫人との間の話に合図を打たせようと身体を寄せて言った。
――どう。そうじゃなくて。ムッシュウ。」
しぼり立ての牛乳にレモンの花を一房投げ入れたような若い娘の体の匂いが彼の鼻を掠めた。すると新吉の血の中にしこりかけた鬱悶はすっと消えて、世にもみずみずしい匂いの籠った巴里が眼の前に再び展開しかけるのであった。新吉はその場にそぐわない、妙にしみじみした声で返事した。
――ほんとうにね。そうだとも、マドモアゼル。」
そして彼の憧憬的になった心にまたしてもカテリイヌの追憶が浮ぶのだった。そうだ彼女に遇いたいものだ。今日という日はその為めに待ち焦れていた日ではないか。彼はそう思いながら、ひとりでにジャネットの丸い肩に手をかけた。何時だったか、どの女だったか、彼の両肩に柔い手を置き、巴里祭のはなしをして呉れた感触を思い出した。
――ほんとにその日は若いものに取っては出会いがしらの巴里ですの。恋の巴里ですの。」
両肩の上に置いた其の女の柔い掌の堪《こた》え、そして、かつてカテリイヌを新吉が抱えたときのあの華やかな圧迫。触覚の上に烙《や》きつけられた昔の記憶が今、自分が手を置いている若い娘の潤った肩の厚い肉感に生々しく呼び覚まされると新吉の心は急に掻きむしられるように焦って来た。思わず呼吸が弾んで来るのだった。にわかに弾《はじ》いたように見ひらいた彼の瞳孔には生気の盛り上るイタリー街の男女の群の揉み合う光景が華々しく映った。太陽の熱に膨れ上る金髪。汗に溶ける白粉の匂い、か《ヽ》ん《ヽ》ばかりで受け答えしている話声。女達の晴着の絹の袖をよじって捲きつけている男の強い腕――。だが結局新吉の遠い記憶と眼前の実感は一致しなかった。新吉の頭は疲れて早くどこかの人《ひと》群《ごみ》のなだれに押されて行って、其処で見出して思わず抱き合ってしまう現実のカテリイヌを見出したいと思った。傍の二人の女は其の時までの道連れだ。どれも向うからついて来た女達だ。自分の知ったことではない。この女達にあんまりこだわらないことにしよう。彼は弾んだ呼吸をすっかり太《と》息《いき》に吐き出すと、ベッシエール夫人は冗談のように言った。
――レデーを二人も傍に置いときながら国元の奥さんの想い出に耽るなんて、あたしたちに失礼だわねえ、マドモアゼル。さあ、もう此のくらいで出かけましょう。」
夫人は日傘とお揃いの模様の女鞄の中から手早く勘定を払った。
あたりの賑わしさを頭から叩き伏せるように力ずくの音楽が破裂している。それに負けまいとメリーゴーラウンドの台が浪を打って転する。此所ピギヤールの角を中心に色々の屋台店が道の真中に軒を並べている。新吉と二人の女とはモンマルトルの盛り場の人混みへ互に肩を打当てて笑いさざめきながら、なだれ込んだ。一軒の屋台では若者達が半身乗り出して、後へ上げた足に靴の底裏を見せながら、竿の糸でシャンパンの壜を釣ろうと競って居る。一軒の屋台では女を肩に靠せながら男が白い紙を貼った額《がく》を覗っている。鉄砲が鳴って女がぴくっとする刹那に額の白紙は破れて二人の写真が撮れているのだ。泣き出しそうな憂鬱な顔をして棒のように立っている運命判断の女。ルーレット球ころがし。その間にけばけばしい色彩で壁に淫靡な裸体女と踏み躙られた黒ん坊を描いて、思わせ振りな暗い入口が五六段の階段の上についている食しんぼう小屋《ラ・バラツク・ド・グウルニ》のようなものが混じっている。
人々が此所へ来ると野性と出鱈目をむき出しにして、もっともっと興味を漁るために揉み合う。球を投げ当てて取った椰子の実をその場で叩き割り、中の薄い石鹸色の水をごぼごぼ咽喉を鳴らして飲みながら職人風の男が四五人群集を分けて行く。
――ちょいと気を付けてよ。汁が跳ねかえってよ。まさかあんたがいい人になってあたしのよごれた靴下を買い直して呉れるわけでもなし――。」
――はいはい、気を付けますよ。抱き堪《ごた》えのあるお嬢さん――。」
ジャネットは此の人《ひと》混《ご》みにあふられるとすっかり田舎女の野性をむき出しにしてロアール地方の訛りで臆面もなく、すれ違う男達の冗談に酬いた。白いむきだしの腕を張り腰にあて誇張した腰の振り方をし、時に相手によってはみだりがましくも感じられる素振りさえ見せて笑った。曲げた帽子の鍔《つば》の下からか《ヽ》も《ヽ》じ《ヽ》の巻毛の尖きを引っぱりおろして右眉のすれすれに唾で貼りつけた。流石のベッシエール夫人も大ように見ていられなくなり嫌な顔して黙ってしまった。然しジャネットはそんなことぐらいを気にとめる様子もなくいよいよ発揮した。
――HEY《ヘ イ》――」
何処で覚えたか下等な人を呼びかけるアメリカ語を使い、口笛を嚠喨と吹いた。これほどの喧騒も混み合いも新吉がカテリイヌを追い求める心をまぎらすことは出来なかった。午後になり時間がせまればせまるほど気があせり、まわりの形色も物音もぼっとなって夢の中を歩いているようで、広い巴里のなかの何処に居るとも知れぬカテリイヌの面影が却って現実のように眼の前にちらついた。其面影は面長で、ただ真白な顔――黒とも藍ともつかぬ睫のなかに煙っている二つの瞳で、じっと見入られる、――言おうようない香りの高い、けだるい感じが新吉の手足の神経の末梢まで浸み透り、心の底にふるえている男としての恥かしさと、妙な諧調を混え、新吉はやがて恍惚とした無抵抗状態になるのだった。花弁のように軽くて、無限の重さのあったカテリイヌの体重さえも太陽に熱くなったズボンの下の膝に如実に感じられるのだった。そしてだんだん新吉は疲れて行った。
新吉は堪らなくなった。彼を無意識に疲れさすその面影から逃れるためには現実のカテリイヌが早く出て来て呉れるか、もっと違った強力な魅惑が彼の注意を根こそぎ奪うかして呉れるのでなければならなかった。新吉は早くこの二人の女に別れて、カテリイヌを探す為めに今日の巴里祭の雑沓の中を駆けりたいような衝動にかり立てられた。また心の一方ではあまり空漠とした欲望を広い巴里に持ちあぐむ自分にあきれ返って、やけに酒でも飲みに連れの二人を誘おうと立止った。
――此の老ぼれ《ピユーコン》餓鬼!」
まだ初心な娘の声をわざと蓮ッ葉にはしらせてジャネットが一人の男に叫んでいるのだった。そして其の男の手に持っていた風船玉を引ったくった。男は風船玉を奪い返すようなふりをしながらジャネットの手首を掴え、それから強い力で自分の方へ、くるりとして左に抱えてしまった。
――およしってば、連れがあるんだよ。」
流石に人中を憚ってジャネットは羽がいじめの下でわめいた。――わめき乍らジャネットが新吉の方へ救いを求めるように手を出したので、その方向を辿って男は新吉を見つけると、
――青二才だな。」
そう言って女を放した。それから新吉の傍まで来るとちょいと顔を覗いて、
――おまえ西班牙人《スパニツシユ》か、しっぽりとやんな。」
厳丈な手で新吉の肩を痛いほど叩いて彼は行き過ぎた。中年過ぎた鬚の剃りあとが青い男で、頬や眉の附根に脂肪の寄りがあり、瘤の寄ったような人相だが、どこか粋でどっぷりと湛えた愛嬌があった。新吉はわれを忘れて見送った。あれ程の年をしながら青年のように女に対して興味が充実している男が羨ましかった。新吉のようにもう夢のほか感情の歯の力を失ったものは彼のような男にすれ違っただけで自分の青白い寂寥が感じられた。
ジャネットはと見ると人混みに紛れ行く男の姿をいつまでも見遣りながら群集に押されて新吉のそばまで来た。
――あたし今日、モンマルトル一のジゴロに声をかけられたのよ。」
そう言って彼女はやっぱり人に押されながら鏡を取り出して自分の風姿を調べた。
――あんたさえ居なかったら今日一日、あの人に遊ばせて貰えたかも知れなかったわよ。」
彼女の声には真実少し卑しい恨みがましい調子があった。すると彼女から遊離して居た新吉に急に反撥心が出て来た。彼は手荒くジャネットの露《むき》出しの腕を握って二三度揺《ゆす》ぶった。
――あたしと仲好くするんだ。またと他の男に振り向きでもすると承知しないよ。」
すると不思議にジャネットは素直になり手に風船玉を持ち乍ら新吉の腕に抱えられにっこり彼の顔を見上げて笑った。
其所へ一人で行き過ぎて、はぐれてしまったベッシエール夫人が戻って来た。
――あら、まだこんな所に居たの。仲好くするのもいいが、あたしに内緒の相談だけは御冤よ。」
新吉は夫人がひどく突然に自分の前に現れたのに眼を見張った。平常の巴里の優雅さを埋めかくしている今日の祭の馬鹿騒ぎの中にベッシエール夫人は本当の巴屋其のものの優雅さで新吉について歩いているのだ。新吉は夫人の心根がいとおしくなって来た。
人々の気の付かないうちに空は厚く曇ってしまって雲の裾とも思える柔かい雨が降り出した。バスチイユの広場に、ややあわてた混雑が起る。並んでいる小さい屋台店が急いで店をしまいかけるのもあれば、どうしようかと判断し兼ねているのもある。香具師の力持ちの夫婦は肥った運動服のかみさんを先に立てて、のそのそキャフェの軒の下に避難しに行く。その後に残した道のはたの大きな鉄亜《あ》鈴《れい》を子供達が靴で蹴っている。
広場の中央と、遥か離れた町の片側とに出来ている音楽隊の屋台では却ってじゃんじゃん激しい曲を吹奏し出した。其の前で踊っている連中も雨を結局よい刺戟にして空を仰いで馬鹿笑いをしたり、ひょうきんに首を縮めたりして調子づいて揉み合っている。傘をさして落著いて踊っている一組に、通りかかりの人がまばらに拍手を送る。
電車の軋る音、乱れ足で行き違う群集の影。たそがれの気を帯びて黒い一と塊りになりかけている広場を囲む町々の家に燦爛と灯がともり出した。
また疲れて恐迫症さえ伴う蒼ざめた気持ちになって新吉は此処まで来た。新吉のもはや何を想い、何に心をひかれる弾力も無くなって見える様子にベッシエール夫人は残忍な興味を増した。老女の変態愛は自分とても相当に疲れて居ながら新吉の最後の苧がらのように性の脱けたものにするまで疲らさせねば承知出来なくなって居た。それにはジャネットの肉体的にも遊びるほど愈〓 冴えて来る若さを一層強く使嗾して新吉をあおりたてることに努める必要があると思った。
――どう!? この先きの貧乏街へ入って最後に飲んだり、踊ったりしない!? すっかり平民的になって。」
ジャネットに取ってもリサの言い付けで今日一日新吉についてった使命の果ての結局の舞台が入用だった。彼女は猶予なく返事した。
――奇抜ね。それが本当に面白いわ。」
彼女は新吉の腕を引き立てて人を掻き分けながらルユ・ド・ラップの横町へ入って行った。
ただ燻《くす》ぼれて、口をいびつに結んで黙りこくってしまったような小さい暗い家が並んでいた。漆喰壁には蜘蛛の巣形に汚《し》点《み》が錆びついていた。どこの路地からも、ちょろちょろ流れ出る汚水が道の割栗石の窪みを伝って勝手に溝を作っている。それに雨の雫の集りも加わって往来にしゃらしゃら川瀬の音を立てていた。ベッシエール夫人は後褄を小意気に摘み上げ、拡げた傘で調子を取り、二人から斜めに先に立って歩いて行った。立籠めた泥水の臭いとニンニクの臭いを彼女の派手な姿がいくらか追い散らした。この垢でもろけた家並の中に、まるで金の入歯をしたようにバル・デ・トロア・コロンヌだとか、バル・ド・ファミイユだとか、メイゾン・バルとか言うような踊り場が挾まっていた。ニスで赧黒く光った店構えに厚化粧でもしたような花模様が入口のまわりを飾っていた。毒々しいネオンサインをくねらせた飾窓の硝子には白墨で「踊り無料」と斜に走り書きがしてあった。之れは巴里祭の期間中これ等の踊り場がする、お得意様への奉仕であった。其の代りに彼等は酒で儲けた。どの踊り場の前にも、吐き出す乱曲を浴びながら肩を怒らしてズボンへ両手を突込んだ若者と、安もので突飛に着飾った娘達とが、ごちゃごちゃしていた。
よく見ると彼等はふざけ合ったり、いじめ合ったり、どこへ行こうかと迷ったりしている。斯んな場所に不似合な程、見優りのするベッシエール夫人がその踊り場の一つのブウスカ・バルへ傘をつぼめてつかつかと入って行くと彼等は話声を止めて振返った。そうして眼につく美少女のジャネットが物慣れた様子で新吉を引張るようにして次に入って行くと彼等の中の二三人は物珍らしそうにあとを蹤《つ》けて入った。
中はあんまり広くなかった。酒台《スタンド》に向き合って二列ほど裸テーブルと椅子の客席が取ってあった。其所を通って奥の突当りに十三坪ほどの踊り場があった。その周囲にも客テーブルが一列だけ並んでいた。三人の楽師が狭いので壁の上方の差出しの窪《くぼ》みに追い上げられ、そこにおさまって必死になって景気をそえて居た。其の窮屈そうな様子は燕の巣へ人間を入れたようだった。巴里慣れた新吉にもかういうところは始めてだった。
――あの音楽家たちは一々梯子をかけて上《あが》り降りするのかね。」
――そんな呑気なことを言ってるの。それよりも……。」
と歯痒《が》ゆそうに返事をしながらジャネットは目につくほど踊り場の空気に呼吸を弾ませていた。三人は入口の通路から踊り場へ移る角のテーブルへ坐った。安酒のにおい、汗のにおい、食料脂のにおい、――そういうものが雨で立籠められたうえ、靴の底から蹴上げられる埃と煙草の煙に混り合って部屋の中の空気を重く濁した。天井近く浮んだ微塵物にシャンデリアの光が射して桃色や紫色の横雲に見えた。よく見るとその雲は踊りのテンポと同じ調子に慄《ふる》え、そして全体として踊りの環と同じ方向にゆるゆる移っていた。布の端がこわばってめくれた新しい小型の万国旗が子供の細工のように張り渡されていた。それに比較して色紐やモールは、けばけばしく不釣合に大きい。
流石に胸もとがむかつくらしく白いハンケチを鼻にあてながら酸味の荒い葡萄酒を啜って居たベッシエール夫人も、少し慣れて来たと見えて、思い切ってハンケチをとった。すると彼女は忽ち鼻をすんすんさせて言った。
――おや、茴《うい》香《きよう》の匂いがするよ。」
新吉の耳へ口を寄せて言った。
――こういう家にはアブサンを内緒に持っているという話よ。あなたギャルソンにすこし握らせてごらんなさい。」
夫人の言う通り給仕はいかにも秘密そうに小さいコップを運んで来た。夫人はそれを物慣れた手附きで三つの大コップへ分けて入れ角砂糖と水を入れた。禁制の月 石《ムーンストーン》 色の液体からは運動神経を痺らす強い匂いが周囲の空気を追い除けた。
――忘れるということは新しく物を覚えるということよ。酔うということは失った真面目さを取り戻すことよ。こういうことを若い人達は知らないね。」
夫人は酒を悦しそうに呑み乍ら、こんな判らないことをジャネットに言いかけ、コップを大事そうに嘗め、眼をつぶっている。
――あたし酔ったら此のムッシュウをあなたに譲らなくなるかも知れないわ。」
本気とも病的な冗談ともつかないこんな夫人の言葉も、ジャネットには気にかからない。――ジャネットの若い敏感性がベッシエール夫人の人の好さを、すっかり呑み込んだらしかった。それよりか、つき上げて来る活気に堪えないとでもいうようにジャネットは音楽の変る度びに新吉を攫って場に立った。新吉はジャネットを抱えていて暫くは弾んで来る毬のように扱っていた。新吉にはもう今日一日のことは全て空しく過されて、ただ在るものは眼の前の小娘を一人遊ばせて居るという事実だけだった。俺をニヒリストにした怪物の巴里奴が、此のニヒリストの青《あお》白《じろ》い、ふわふわとした最後の希望なんか、一たまりもなく雲夢のように吹き飛ばすのさ。とうとう今日の祭にカテリイヌにも逢わせて呉れなかった巴里だ。――新吉は恨みがましく眼を閉じて、ともすれば自分を引き入れようとする娘の浮いた調子をだんだん持て扱い兼ねて外ずしつつ、踊りは義理に拍子だけ合せるようになって仕舞った。こころに白《しら》けた以上に白け切った眼の裏のまぼろしに、不思議と魚の浮嚢、餅の青黴、葉裏に一ぱい生みつけた小虫の卵、というようなものが代る代るちらちら見え出して、身慄いが細い螺旋形の針金にでもつき刺されるように肩から首筋を刺した。彼は首を仰向けにして、ぼんの窪で苦痛を押えていると悲しい涙が眼頭から瞼へあふれずにひそかに鼻の洞へ伝って行った。「我が世も終れり。」というような感慨じみた嘆声がわずかに吐息と一緒に唇を割って出ると今度は眼の裏のまぼろしに綺麗な水に濡れた自然の手洗石が見え、南天の細かい葉影を浴びて沈丁花が咲いている。日本の静かな朝。自分の家の小庭の手洗鉢の水流しのたたきに五六条の白髪を落しておさな顔のお《ヽ》み《ヽ》ち《ヽ》が身じまいをしている姿が見える。お《ヽ》み《ヽ》ち《ヽ》ばかりか自分も老の時期が来たのか。今《こ》宵《よい》かぎり潔よく青春を葬ろうか。
新吉が幻覚の中をさまよっているのにも頓著なくジャネットは、しきりに元気で未熟な踊りの調子で新吉を追いしていた。新吉がやっと気がついて、その調子に合せようとすると、案外狡く調子を静め、それからステップの合間々々に老《ま》成《せ》たささやきを新吉の耳に聞かせ始めた。
――あんた、あたしと今日もう此所だけで訣れるつもり。」
――しかたがない。」
――やっぱりカテリイヌのことを忘れられないと見えるのね。」
――おや、どうして、君、それ、知ってるの。」
――あたしがリサから送られた娘だということ、始めからあんた気が付いたでしょう。」
――ああ、そうとも。」
――あたし、ほんとはカテリイヌの秘密知っているのよ。」
――秘密!? どうして。どんな。」
――あたしは、カテリイヌの私生児よ。そしてカテリイヌは、もうとっくに死んじゃったわ。」
――そりゃほんとか。ほんとのことを言ってるのか。」
ジャネットは返事をしないでかすかに鼻をすすった。新吉は娘をわしづかみのように抱いて席へ帰ったが何も言わなかった。ただまじまじと娘を前に引据えて眺めて居た。ベッシエール夫人はほのぼのとした茴《うい》香《きよう》の匂の中で、すっかり酔って居る。そしてまたなにか新吉にしつこく云い絡《から》まろうとして、真青な顔色を引締めてジャネットを見詰めている新吉の様子に気が付くと黙ってしまった。
新吉が巴里に対して抱いて居た唯一のういういしい追憶であるカテリイヌも、新吉が教授の家で会った時には、もう三つにもなる娘の子を生んで居たのであった。其の子は恋愛というほどでもなく、ただちょっとした弾みから彼女の父の建築場の職工との間に出来て仕舞った。だから生むと直ぐその子をロアール川沿いの田舎村へ里子に遣り、縁切り同様になったジャネットに物心がついて母を慕う時分にはカテリイヌは埃及へ行って居た若い建築技師と結婚したものの間もなく病死してしまった。彼女の父は職工とだけで誰だか解らなかった。ジャネットは全くみなし児の田舎娘として年頃近くまでロアール地方で育ったのであった。
リサがこれを新吉にすっかり話したのは祭の翌日だった。天気は前夕の雨で洗われて一層綺麗に晴れ、何を考えても直ぐ蒸発してしまうような夏の日であった。新吉はセーヌ河の「中の島」で多くの人に混って釣をして居た。リサは其の後でベンチに腰かけて、ほどきものをして居た。
――そういう娘をあたしが見つけたというのも私の郷里がやっぱりロアールの田舎だからなのよ。今年の春あたしが国へ帰って、偶然あの娘の世話人に頼まれて、巴里へ連れて来たのよ。いつもあなたからカテリイヌのことを聞かされてたあたしとして何かの折に一趣向して見たくなったのも無理ないでしょう。だからあなたには昨日まで絶対にあの娘のことを秘密にしといたの。ところで、あなたは案の定あたしの考え通り、あの娘のために元気を恢復なさったわね。あなた何か希望を持ちだしたように顔の表情まで生々して来たわ。」
――おれはあの娘にこれから世話をしてやると約束したよ。」
――やっぱり堅い乳房を持った娘は男にとって魅力があるのね。」
――そんなじゃないんだ。すこし言葉に気をつけて呉れ。」
――じゃ父親にでもなった気で昔の恋人の忘れがたみを育てようというおつもり。」
――そうでもないんだ。」
新吉は釣り竿を引き上げ水中で魚にとられた餌を取りかえて、
――兎も角、おれが巴里で始めて出会った初恋娘のカテリイヌの本当の事情は大分おれの想像と違っていた。あの女はそれほどういういしい女でもなければ神聖な女でもなかった。いわば平凡な令嬢だった。それでおれは十何年間も彼女に実は自分の夢を喰わされていたわけさ。自分の不明とはいいながら相当腹が立つわけさ。そこでおれはあの娘を見つけたのを幸い、是非自分の想像していたカテリイヌのように彼女を仕立て上げて見ようというわけさ。」
リサはちょっと狡《ずる》そうな顔をして訊いた。
――仕立て上げたところで、あらためてカテリイヌの代りに愛して行こうとなさるの。」
――違う。おれの想像していたカテリイヌのようにあの娘を仕立て上げる、其の事だけで復讐は充分じゃないか。僕の想像を裏切って死んだカテリイヌにも、僕自身の不明に対しても、それから先は誰でも気に入った男と一緒になるがいい。」
――けど、あの娘、随分田舎擦れがしてて仕立て憎いわね。」
――田舎擦れてても巴里擦れてはいない。中味は生の儘だね。まだ…………だから巴里の砥石にかけるんだ。ういういしい上品な娘に充分なりそうだよ。」
熟し切った太陽の下でセーヌ河のうす赤い土色の水が流れていた。流れは箱型の水泳船の蔭へ来て、涼しい蘆の中で小さい渦を沢山こしらえる。渦と渦と抱き合ってぴちょんぴちょんと音を立てる。「中の島」の基点になるポン・ド・グレネルの橋の突き出しに立っている自由の女神の銅像が炎天に〓 えて姿態《ポーズ》の角々から青空に陽炎を立てているように見える。橋を日傘が五ツ六ツ駈けて行く。対岸の石垣の道の菩提樹の間に行列の色がゆらめく。予定が今日に伸びた女店員《ミジネツト》の徒歩競争が通って行くのだ。一人一人叩いて行く太鼓の音がまばらに聞える。「中の島」を跨いでいるポン・ド・パッシイの二階橋の階上を貨物列車が爽やかな息を吐きながらしづしづパッシイ街の方へ越えて行く。昨日の祭日の粗野な賑わひを追ったあとから本然の姿を現わして優雅に返った巴里の空のところどころに白雲が浮いている。新吉の竿の先におもちゃのような小さい魚が一つ釣り上げられて、それでも魚並に跳ねている。
――あなたも渋くなったわね。すっかり巴里を卒業したのよ。」
リサは感に堪えたように言った。
――どうしてだ。何を。」
――いままでのあなたの経験しなさったのはやっぱり追放者《エキスパトリエ》の巴里ね。誰でも少し永く居る外国人が、感化される巴里よ。でも本当の巴里は其の先にあるのよ。噛んでも噛み切れないという根強い巴里よ。あなたはそれを噛み当て初めたのね。死んだフェルナンは其の事を巴里の山河性と言ってましたよ。」
リサは編物をちょいと新吉の背中に当てがって寸法を見て、
――ちょうどいい。これフェルナンのを、あなたのジャケツに編み縮めてあげるのよ。」
新吉はリサの手に持つ編物を見た。リサの情人で、死ぬのを嫌がり抜いて死んで行った天才建築家フェルナンはまた新吉の親友だった。
――あいつが生きてたら、今時分エッフェル塔をピューリズムで改築するって騒いでいるだろう。」
こんなことを独言のように言いながら新吉は、自分は今はリサの息子にでもなってしまったような気がした。丁度遠く河上の方から展けて来た青空が街の屋根に近づいて卵黄色に濁りかけている境に小形の旅客飛行機がゆったり小さな姿を現わした。
――ときに日本の奥さんの事はどうなさるの。」
――ベッシエール夫人の忠告を入れてこっちへ呼ぶことにしたよ。夫人はもう実物を見ないと気になって仕方が無いと言うのだ。」
――しつこい気違い婆さんね。だからあたしあの婆さんにはあんたがカテリイヌを探す話なんかしなかったのさ。あの婆さん、あの娘が巴里祭の時あんたと一緒に遊んだのは、ただ其の場だけの事だと安心して居るのよ。婆さんは今のところあんたが国元の奥さんを真実に思い出してるのばかりが気になって仕方ないのよ。ジャネットをあんたが、うんと気に入って今後も世話するなんてことがわかればそれこそあの婆さん、大変よ。」
リサは自分の言うことだけ言ってしまうともとの実直な姿勢に直ってせっせとジャケツを直しにかかった。
黙って河に向いて居た新吉の眼から、いつか涙が湧いて頬を流れていた。新吉は其の涙がセーヌ河の底まで落ちて浸み入るように思えた。新吉は其の涙があの病的天才服飾家の老美女ベッシエール夫人の為めに流れた涙であるのを暫らく後に意識した。だが涙が新吉の頬から乾いてセーヌの河風が一しきり涼しく吹き渡る頃、新吉の心はし《ヽ》ん《ヽ》と確かな底明るさに静まった。新吉はおもむろに内心で考え始めたのであった。
――巴里はあらゆる刺戟を用いて一旦人の心を現実世界から遊離させる。極端なニヒリストにもする。しかし其の過程の後に巴里が人々を導く処は、人生の底の底まで徹底した現実世界、または真味な生活境ではなかろうか。フェルナンが「巴里の山河性」と言ったのは其処なんだな、俺もどうやら人生の本当の味を、これから巴里に落ち着いて、味って行けるようになるらしいぞ――。」
河明り
私が、いま書き続けている物語の中の主要人物の娘の性格に、何か物足りないものがあるので、これはいっそのこと環境を移して、雰囲気でも変えたらと思いつくと、大川の満ち干の潮がひたひたと窓近く感じられる河沿いの家を、私の心は頻りに望んで来るのであった。自分から快適の予想をして行くような場所なら、却ってそこで惰けて仕舞いそうな危険は充分ある。しかし、私はこの望みに従うより仕方がなかった。
人間に交っていると、うつらうつらまだ立ち初めもせぬ野山の霞を想い、山河に引き添っているとき、激しくありとしもない人が想われる。
この妙な私の性分に従えば、心の一隅の危険な望みを許すことによって、自然の観照の中から、ひょっとしたら物語の中の物足らぬ娘の性格を見出す新たな情熱が生れて来るかも知れない――その河沿いの家で――私は今、山河に添うと云ったが、私は殊にもこの頃は水を憶っているのであった。私は差しあたりどうしても水のほとりに行き度いのであった。
東京の東寄りを流れる水流の両国橋辺りから上を隅田川と云い、それから下を大川と云っている。この水流に架かる十筋の橋々を縫うように渡り検めて、私は流れの上下の河岸を万遍なく探してみた。料亭など借りるのは出来過ぎているし、寮は人を介して頼み込むのが大仰だし、その他に頃合いの家を探すのであるが、とかく女の身は不自由である。私は、今度は大川から引き水の掘割りを探してみた。
白木屋横手から、まず永代橋詰まで行くつもりで、その道筋の二つ目の橋を渡る手前にさしかかると、左の河並に横町がある。私有道路らしく道幅を狭めて貨物を横たえているが、陸側は住居附きの蔵構えの問屋店が並び、河岸側は荷揚げ小屋の間にしんかんとした洋館が、まばらに挾っている。初冬に入って間もないあたたかい日で、照るともなく照る底明るい光線のためかも知れない、この一劃だけ都会の麻痺が除かれていて、しかもその冴え方は生々しくはなかった。私はその横道へ入って行った。
河岸側の洋館はたいがい事務所の看板が懸けてあった。その中の一つの琺瑯質の壁に蔦の蔓が張り付いている三階建の、多少住み古した跡はあるが、間に合せ建てではないそのポーチに小さく貸間ありと紙札が貼ってあった。ポーチから奥へ抜けている少し勾配のある道路の突き当りに水も覗いていた。私はよくも見つけ当てたというよりは、何だか当然のような気がした。望みというものは、意固地になって詰め寄りさえしなければ、現実はいつか応じて来るものだ。私が水辺に家を探し始めてから二ケ月半かかっている。
二三度「ご免下さい」と云ったが、返事がない。取り付きの角の室を硝子窓から覗くと、薄暗い中に卓子のまわりへ椅子が逆にして引掛けてあり、塵もかなり溜っている様子である。私は道を距てて陸側の蔵造りの店の前に働いている店員に、理由を話して訊ねて見た。するとその店員は、家の中へ向って伸び上り、「お嬢さーん」と大きな声で呼んだ。
九曜星の紋のある中仕切りの暖簾を分けて、袂を口角に当てて出て来た娘を私はあまりの美しさにまじまじと見詰めてしまった。頬の豊かな面長の顔で、それに相応しい目鼻立ちは捌けてついているが、いずれもしたたかに露を帯びていた。身丈も恰幅のよい長身だが滞りなく撓《しな》った。一たい女が美しい女を眼の前に置き、すぐにそうじろじろ見詰められるものではない。けれども、この娘には女と女と出会って、すぐ探り合うあの鉤針のような何ものもない。そして、私を気易くしたのは、この娘が自分で自分の美しさを意識して所作する二重なものを持たないらしい気配である。そのことは一目で女には判る。
娘は何か物を喰べかけていたらしく、片袖の裏で口の中のものを始末して、自分の忍び笑いで、自然に私からも笑顔を誘い出しながら、
「失礼いたしました。あの何かご用――」
そして私がちょっと河岸の洋館の方へ首を振り向けてから用向きを話そうとする、その間に私の洋傘を持ち仕事鞄を提げている、いくらか旅仕度にも取れる様子を見て取ったらしい娘は、
「あ、判りました。部屋をお見せいたすのでしょう」といったが「けれども……あんな部屋」とまた云って私と向う側の貸間札のかかっている部屋の硝子戸を見較べた。私はやや失望したが、この娘に対して少しも僻んだり気おくれはしない、「……あのとにかく見せて頂けないでしょうか」すると娘はまたはっきりした笑顔になり、「では、とにかく」と云って、そこにある麻裏草履を突っかけて、先に立った。
三階は後で判ったことだが、この雑貨貿易商である娘の店の若い店員たちの寝泊りにあててあり、二階の二室と地階の奥の一つ、これも貸部屋ではなかった。たった一つ空いているといい、私に貸すことの出来るという部屋は、さっき私が覗いた道路向きの事務室であった。
私が本意なく思って、「書きもののための計画」のことを少し話してみると、娘はちょっと考えていたが、
「よろしうございます。じゃ、こちらの部屋をお貸しいたしましょう」と更めて決心でもした様子で、それと背中合せのさっき塞っているといった奥の河沿いの部屋へ連れて行った。
その部屋は日本座敷に作ってあって、長押附きのかなり凝った造作だった。「もとは父の住む部屋に作ったのでございます」と娘は云った。貸部屋をする位なら、あんな事務室だけを択って貸さずにこの位の部屋の空いているのを何故貸さないのかと、私はあとでその事情は判ったけれど、その時は何も知らないので不審に思った。
ともかく私は娘の厚意を喜んで、そして、
「では明日からでも、拝借いたします」
そう云って、娘に送られて表へ出た。私はその娘の身なりは別に普通の年頃の娘と違っていないが、じかに身につけているものに、茶絹で拵えて、手首まで覆っている肌襯衣のようなものだの、脛にぴっちりついている裾裏と共色の股引を穿いているのを異様に思った。私がそれ等に気がついたと見て取ると、娘は、
「変って居りまして。なにしろ男の中に立ち混って働くのですから、ちと武装しておりませんとね」
と云って、軽く会釈して、さっさと店の方へ戻って行った。
あくる日に行ってみると、私に決めた部屋はすっかり片付いていて、丸窓の下に堆《つい》朱《しゆ》の机と、その横に花梨胴の小長火鉢まで据えられていた。
そこへ娘は前の日と同じ服装で、果物鉢と水差しを持って入って来た。
「どういうご趣味でいらっしゃるか判りませんので、普通のことにして置きましたが、もし、お好きなら古い書画のようなものも少しはございますし……」
そこで果物鉢を差出して、
「こういうふうなものなら家の商品でまだ沢山ございますから、ご遠慮なくおっしゃって下さいまし」
果物鉢は南洋風の焼物だし、中には皮が濡色をしている南洋産の龍眼肉が入っていた。
私はその鉢や龍眼肉を見てふと気付いて、
「お店は南洋の方の貿易関係でもなすっていらっしゃるのですか」と訊いた。
「はあ、店そのものの商売は、直接ではございませんが、道楽と申しましょうか、船を一ぱい持って居りまして、それが近年、あちらの方へ往き来いたしますので……」
娘の父の老主人はリョウマチで身体の不自由なことでもあり、気も弱くなって、なるたけ事業を縮小したがっている。しかし、店のものの一人に、強情に貿易のことを主張する男がいる。その男は始終船に乗って海上に勤め、そして娘は店で老主人の代りに、手別けして働いている。娘は簡潔に家の事情をここまで話した。そして、その船貿易を主張する店のもののことに就いて、なおこう云って私の意見を訊いた。
「その男の水の上の好きなことと申しましたら、まるで海亀か獺のような男でございます。陸へ上って一日もするともう頭が痛くなると申すのでございます。あなたさまは物をお書きになって、いろいろお調べでございましょうが、そんな性質の人間もあるのでございましょうか」
と云ったが、すぐ気を変えて、「まあ、お仕事始めのお邪魔をいたしまして、またいずれお暇のとき、ゆっくりとお話を承りとうございますわ」と、火鉢の火の灰を払って炭をつぎ、鉄瓶へ水を注ぎ足してから、爽やかな足取りで出て行った。
爛漫と咲き溢れている花の華麗。
竹を割った中身があまりに洞《うつろ》すぎる寂しさ。
こんな二つの矛盾を一人の娘が備えていることが、私の気になって来たし、この娘の快活の中に心がかりであるらしいその店員との関係も、考えられた。
私は何だか来てしまって見ると、期待したほどの慾も起らない河面の景色を、それでも好奇心で障子を開けてみた。硝子戸を越して、荷船が一ぱい入って向うの岸は見えない。その歩《あゆ》び板の上に、さき程の娘は、もう水揚げ帳を持って、万年筆の先で荷夫たちを指揮している姿が眺められた。
私は毎日河沿いの部屋へ通った。叔母と一緒に昼飯を済ませ、ざっと家の中を片付けて、女中に留守中の用事を云いつけてから出かけた。化粧や着物はたいして手数がかからなかった。見られる同性というならば、あの娘ぐらいなもので、その娘は他人に対するそういう詮索には全然注意力を持たないらしかった。それは私を気易くさせた。
この宿の堆《つい》朱《しゆ》の机の前に坐って、片手を小長火鉢の紫檀の縁に翳しながら、晩秋から冬に入りかける河面を丸窓から眺めて、私は大かた半月同じ姿勢で為すことなく暮した。
河は私の思ったほど、静かなものではなかった。始終船が往き来した。殊に夕暮前は泊りの場所へ急ぐ船で河は行き詰った。片手に水竿を控え、彼方此方に佇んで当惑する船夫の姿は、河面に蓋をした広い一面板に撒き散らした箱庭の人形のように見えた。船夫たちは口々に何やら判らない言葉で呶鳴った。舷で米を炊いでいる女も、首を挙げて呶鳴った。水上警察の巡邏船が来て整理をつけた。
娘は滅多に来ないで、小女のや《ヽ》ま《ヽ》というのが私の部屋の用を足した。私はその小女から、帆柱を横たえた和船型の大きな船を五大力ということだの、木履のように膨れて黒いのは達磨ぶねだということだの、伝馬船と荷足り船の区別をも教えて貰った。
しかし、そんな知識が私の現在の目的に何の関りがあらう。私が書いている物語の娘に附与したい性格を囁いて呉れそうな一光閃も一陰翳もこの河面からは射して来ない。却ってだんだん川にも陸の上と同じような事務生活の延長したものが見出されて来る。私がこういう部屋を望んだ動機がそもそも夢だったのだろうか。
すでにこの河面に嫌厭たるものを萌しているその上に、私はとかく後に心を牽かれた。何という不思議なこの家の娘であろう。この娘にも一光閃も一陰翳もない。ただ寂しいと云えばあまりに爛漫として美しく咲き乱れ、そして、ぴしぴし働いている。それがどういう目的のために何の情熱からということもなく快活そのものが働くことを藉りて、時間と空間を剪《はさ》み刻んで行くとしか思えない。内にも外にも虚白なものの感じられるのを、却って同じ女としての私が無関心でいられる筈がなかった。
娘はその後、二度程私の部屋に来た。一度は「ほんとに気がつきませんで……」と云って、三面鏡の化粧台を店員たちに運ばせて、程よい光線の壁際に据えて行った。一度は漢和の字引をお持ちでしたらと借りに来て、私がここまでは持って来ないのを知り、「お邪魔いたしましたわ」と云ってあっさり去った。
私がまだ意識の底に残している、娘と何等かの関係ありそうな海好きの店員のことも、娘は忘れたかのように、すこしの消息も伝えない。私の多少当が外れた気持が、私がこの家へ出入りのときに眼に映る店先での娘の姿や、窓越しに見る艀板の上の娘の姿にだんだん凝って行くのであった。私の仕事は徒らに開かれて閉ざされるばかりである。
私はだいぶ慣れて来た小女のや《ヽ》ま《ヽ》に訊いてみた。
「お嬢さんはどういう方」
するとや《ヽ》ま《ヽ》は難しい試験の問題のようにしばらく考えて、
「さあ、どういう方と申しまして……あれきりの方でございましょう」
私はこのま《ヽ》せ《ヽ》た返事に微笑した。
「この近所では亀島河岸のモダン乙姫と申しております」
私の微笑は深まった。
「他所へお出になることがあって」
「滅多に。でも、お買いものの時や、お店のお交際《つきあ》いには時たまお出かけになります」
「お店のお交際いというと……」
私は娘の活動範囲が、そこまで圏を広げているのに驚いた。
「よくは存じませんですが、組合のご相談だの、宴会だの。きょうも船の新造卸しのお昼のご宴会に深川までお出かけになりましたが……」
その夕方帰り仕度をしている私の部屋の前で、娘の声がした。
「まだお在《い》でになりまして」
盛装して一流の芸妓とも見える娘。娘に「ちょっと入って頂戴」と云われて、そのあとから若い芸妓が二人とお雛妓が一人現れた。
部屋の主《あるじ》は女の私一人なのに、外来の女たちはちょっと戸惑ったようだが、娘が紹介すると堅苦しく挨拶して、私が差し出した小長火鉢にも手を翳さず、娘から少し退って神妙に坐った。いずれもかなりの器量だが、娘の素晴しい器量のために皺められて見えた。
娘は私には「この人たち宴会場から送って来て呉れたのですけれど、筆をお執りになる方には何かのご経験と思いついて、ちょっとお部屋へ上って貰いましたの」と云った。
少しの間、窮屈な空気が漂っていたが、娘は何も感じないらしく、「みなさん、こちらに面白そうなことを少し話してあげて下さい」と云うにつれ、私も「どうぞ」と寛いだ様子を出来るだけ示したので、女たちは、「じゃ、まず、一ぷくさせて頂いて……」と袂から、キルク口の莨を出して、煙を内輪に吹きながら話した。
今までいた宴会の趣旨の船の新造卸しから連想するためか、水の上の人々が酒楼に上ったときの話が多かった。
船に乗りつけている人々はどんなに気取っても歩きつきで判るのである。畳の上ではそれほどでもないが、廊下のような板敷きへかかると船の傾きを踏み試すような蛙股の癖が出て、踏み締め、踏み締め、身体の平定を衡《はか》って行くからである。一座の中でひどく酔った連れの一人が洗面所へ行ったが、その帰りに料亭の複雑な部屋のどこかへ紛れ込んで、探しても判らなかった。すると他の連中は、その連れの一人が乗組んでいる船の名を揃えて呼んだ。
「福神丸やーイ」
すると、「おーい」と返事があって紛れた客があらぬ方からひょっこり現れた。
ある一軒の料亭で船乗りの宴会があった。少し酔って来るとみな料理が不味いと云い出した。苦笑した料理方が、次から出す料理には椀にも焼物にも塩を一摘みづつ投げ入れて出した。すると客はだいぶ美味しくなったと云った。それほど船乗りの舌は鹹味に強くなっている。
きょうはいい塩梅に船もそうこまないで、引潮の岸の河底が干潟になり、それに映って日暮れ近い穏かな初冬の陽が静かに褪めかけている。鴎が来て漁っている。向う岸は倉庫と倉庫の間の空地に、紅殻色で塗った柵の中に小さい稲荷と鳥居が見え、子供が石蹴りをしている。
さすがに話術を鍛えた近頃の下町の芸妓の話は、巧まずして面白かったが、自分の差当りの作品への焦慮からこんな話を喜んで聞いているほど、作家の心から遊離していいものかどうか、私の興味は臆しながら、牽き入れられて行った。
ふと年少らしい芸妓が、部屋の上下周囲を見しながら、
「このお部屋、大旦那が母屋へお越しになってから、暫く木《ヽ》ノ《ヽ》さんがいらしったんでしょう……」
と云った。
娘は黙ってごく普通に肯いて見せた。
「木ノさんからお便りありまして……」と同じ芸妓はまた娘に訊いた。
「ええ、しょっちゅう」と娘はまた普通に答えて、次にこの芸妓の口から出す言葉をほぼ予測したらしく、面白そうに嬌然と笑って、こんどは娘の方から芸妓の言葉を待ち受けた。芸妓は果して
「あら、ご馳走さま、妬けますわ」と燥いで云った。
「ところが、事務のことばかりの手紙で」
芸妓は、この娘が隠し立てしたり、人を逸《はぐ》らかしたりする性分ではないのを信じているらしく、それを訊くと同時に、
「やっぱり――」と云って興醒め顔に口を噤んだ。
「そう申しちゃ何ですけれど、あたしはお嬢さんがあんまり伎《う》倆《で》がなさ過ぎると思いますわ」
と今度は年長の芸妓が云った。「これだけのご器量をお持ちになりながら……」
娘は始めて当惑の様子を姿態に見せた。
「あたしは、随分、あの人の気性に合うよう努めているんだけれど……なによ、その伎《う》倆《で》っていうの」
年長の芸妓は物事の真面目な相談に与るように、私が押し出してやってある小長火鉢に分別らしく手を焙りながら、でもその時急に私の方を顧慮する様子をして、
「ですが、こちらさんにこんなお話お聞かせしていいんですか」
「ええ、ええ」
娘の悪びれないその返事が如何にも私に対する信頼と親しみの響きとして私にひびいた。先程からの仕事への焦慮もすっかり和んで、むしろ私はその場の話を進行させるために、ことさら自分の態度を寛がせさえするのであった。年長の芸妓は安心したように元の様子に戻って、
「ま、譬えて云ってみれば、拗ねてみたり、気を持たせてみたり」
娘は声を立てて笑った。「そのくらいのことなら、前に随分あたしだって……」
私はこの娘に今まで見落していたものを見出して来たような気がした。芸妓は手持無沙汰になって、
「そうでございますかねえ、じゃ、ま、抓っても見たり……」と冗談にして、自分を救ったが、誰も笑わなかった。
すると若い芸妓の方がまた、
「だめ、だめ、そんな普通の手じゃ。あたしいつか、こちらさまの大旦那の還暦のご祝儀がございましたわね。あのお手伝いに伺いましたとき」と云って言葉を切り、そして云い継いだ。
「酔った振りして、木ノさんの膝に靠れかかってやりました。いろ気は微塵もありません。お嬢さんにあ済まないけど、お嬢さんのためとも思って、お嬢さんほどの女をじらしぬくあの評判の女嫌いの磐《ばん》石《じやく》板《いた》をどうかして一ぺん試してやりたいと思いましたから。すると、あの磐石板はわたしの手をそっと執ったから、ははあ、この男、女に向けて挨拶ぐらいは心得てると、腹の中で感心してますと、どうでしょう、それはわたしが本当に酔ってるか酔ってないか脈を見たのですわ。それから手首を離して、そこにあった盃を執り上げると、ちょろりとあたしの鼻の先へ雫を一つ垂して、ここのところのぺンキが剥げてら、船渠《ドツク》へ行って塗り直して来いと云うんです。あたしは口惜しいの何のって、……でもね、そうしたあとで、あの人を見ても、別に意地の悪い様子もなく、ただ月の出を眺めてるようにぼんやりお酒を飲んでいる調子は、誰だって怒る気なんかなくなっちまいますわ。あたしは、つい、有難うございますとお叩《じ》頭《ぎ》して、指図通り顔を直しに行っただけですけれど、全く」と年下の芸妓は力を籠めて、
「全く、お嬢さんでなくても、木ノさんには匙を投げます」と云った。
新造卸しの引出物の折菓子を与えられて、唇の紅を乱して食べていた雛妓が、座を取持ち顔に「愛嬌喚き」をした。
「結婚しちまえ!」
これに対しても娘は真面目に答えた。
「厄介なのは、そんなことじゃないんだよ」
「そもそも、お嬢さんに伺いますが、あんたあの方に、どのくらい惚れていらっしゃるんです。まあ、お許婚《いいなづけ》だから、惚れるの惚れないのという係り筋は通り越していらっしゃるんでしょうけれど」
すると娘は、俄に、ふだん私が見慣れて来た爛漫とした花に咲き戻って、朗かに笑った。
「この話は、まあ、この程度にして……こちらさまも一つ話ではお飽きでしょうから」
「そうでございましたわね」と芸妓たちも気がついて云った。
私は帰る時機と思って、挨拶した。
河靄が立ち籠めて来た河岸通りの店々が、早く表戸を降している通りへ私は出た。
三四日、私は河沿いの部屋へ通うことを休んで見た。折角自然から感得したいと思うものを、娘やそのほか妙なことからの影響で妨げられるのが、何か不服に思えて来たからである。いっそ旅に出ようか、普通の通りすがりの旅客として水辺の旅館に滞在するならば、なんの絆も出来るわけはない。明け暮れただ河面を眺め乍ら、張り亙った意識の中から知らず識らず磨き出されて来る作家本能の触角で、私の物語の娘に書き加える性格をゆくりなく捕捉できるかも知れない。私のこの最初の方図は障碍に遭ってますますはっきり私に欲望化して来た。
ふと、過去に泊って忘れていたそれ等の宿の情景が燻るように思い出されて来る。
鱧《はも》を焼く匂いの末に中の島公園の小松林が見渡せる大阪天満川の宿、橋を渡る下駄の音に混って、夜も昼も潺《せん》湲《かん》の音を絶やさぬ京都四条河原の宿、水も砂も船も一いろの紅硝子のように斜陽のいろに透き通る明るい夕暮に釣人が鯊魚を釣っている広島太田川の宿。
水天髣髴の間に毛筋ほどの長堤を横たえ、その上に、家五六軒だけしか対岸に見せない利根川の佐原の宿、干瓢を干すその晒した色と、その晒した匂いとが、寂しい眠りを誘う宇都宮の田川の宿――その他川の名は忘れても川の性格ばかりは、意識に織り込まれているものが次々と思い泛べられて来た。何処でも町のあるところには必ず川が通っていた。そして、その水煙と水光とが微妙に節奏する刹那に明確な現実的人間性の画出されて来るのが、私に今まで度々の実例があった。東洋人の、幾多古人の芸術家が「身を賭けて白雲に駕し」とか「幻に住さん」などということを希っている。必ずしも自然を需めるのではあるまい。より以上の人間性をと、つき詰めて行くのでもあろう。「青山愛執の色に塗られ」「緑水、悲怨の糸を永く曳く」などという古人の詩を見ても、人間現象の姿を、むしろ現象界で確捕出来ず、所詮自然悠久の姿に於て見ようとする激しい意欲の果の作《さ》略《りやく》を証拠立てている。
だが、私は待て、と自分に云って考える。それ等の宿々の情景はみな偶然に行きつき泊って、感得したものばかりである。今、再びそれを捉えようとして、予定して行っても、恐らくその情景はもうそこにはいまい。ただの河、ただの水の流れになって、私の希望を嘲笑うであろう。思出ばかりがそれらの俤を止めているものであろう。観念が思想に悪いように、予定は芸術に悪い。まして計画設備は生むことに何の力もない。それは恋愛によく似ている。では……私はどうしたらいいであろうと途方にくれるのであった。だが、私は創作上こういう取り止めない状態に陥ることには、慣れてもいた。強いて焦っても仕方がない。その状態に堪えていて苦しい経験の末に教えられたことも度々ある。そうあきらめて私は叔母と共に住む家庭の日常生活を普通に送り乍ら、その間に旅行案内や地図を漁ることも怠らなかった。また四五日休みは続いた。
すると娘から電話がかかって来た。
「その後いらっしゃらないので、この間芸妓達とお邪魔したのが悪かったかと思ったりして居りますが……」
声は相変らず濶達だが、気持はこまかく行亙って響いて来た。
「何も怒ることなぞ、ありませんわ。お休みしたのはちょっと仕事の都合で」
と答えた。
「いかがでございましょう。父がこのごろ天気続きのためか、身体がだいぶよろしうございますので、お茶一つ差上げたいと申しますが、明日あたりお昼飯あがり旁々、いらして頂けないでございましょうか。お相客はどなたもございません。私だけがお相伴さして頂きます」
私はまたしても、河沿いの家の人事に絡み込まれるのを危く感じたが、それよりも、いまの取り止めない状態に於て、過剰になった心にああいう下町の閉ざれた蔵造りの中の生活内部を覗くことに興味が弾んだ。私は招待に応じた。
東京下町の蔵住いの中に、こんな異境の感じのする世界があろうとは思いがけなかった。
四畳半の茶室だが、床柱は椰子材の磨いたものだし、床縁や炉縁も熱帯材らしいものが使ってあった。
匍い上りから外は、型ばかりだが、それでも庭になっていて、龍舌蘭だの、その他熱帯植物が使われていた。土人が銭に使うという中央に穴のある石が筑波井風に置いてあった。
庭も茶室もまだ異趣の材料を使いこなせないところがあって、鄙俗の調子を帯びていた。
袴をつけた老主人が現れて、
「手料理で、何か工夫したものを差上ぐべきですが、何しろ、手前の体がこのようでは、ろくに指図も出来ません。それで失礼ですが、略式に願って、料理屋のものでご免を頂きます」と叮嚀に一礼した。
私は物堅いのに少し驚いて、そして出しなに仰々しいと思いながら、招待の紋服を着て来たことを、自分で手柄に思った。娘もこの間の宴会帰りとは違った隠し紋のある裾模様をひいている。
小薩張りした服装に改めた店員が、膳を運んで来た。小おんなのや《ヽ》ま《ヽ》は料理を廊下まで取次ぐらしく、襖口からちらりと覗いて目礼した。
「お見かけしたところ、お父さまは別にどこといって」と云ふと、
「いえ、あれで、から駄目なのでございます。少し体を使うと、その使ったところから痛み出して、そりゃ酷いのですわ」
「まあ、それじゃ、今日のおもてなしも体のご無理になりやしませんこと」
「なに、構わないのでございますよ。あなたさまには、いろいろお話し申したいことがあると云って、張切って居るんでございますから」
纏縛という言葉が、ちらと私の頭を掠めて過ぎた。しかし、私は眼の前の会席膳の食品の鮮やかさに強いて念頭を拭った。
季節をさまで先走らない、そして実質的に食べられるものを親切に選んであった。特に女の眼を悦ばせそうな冬《ふゆ》菜《な》は、形のまま青く茄で上げ、小鳥は肉を磨り潰して、枇杷の花の形に練り拵えてあった。そして皿の肴には、露の降るときは水面に浮き跳ねて悦ぶという琵琶湖の杜父魚《かくぶつ》を使って空揚げにしてあるなぞは、料理人になかなか油断のならない用意のあることを懐わせた。
私も娘も二人きりで遠慮なく食べた。私は二三町も行けば大都会のビジネス・センターの主要道路が通っているこの界隈の中に、こうも幻想のような部屋のあるのを不思議とも思わなくなり、また、娘がいつもと違った人間のようにしみじみして来たことにも、たって詮索心が起らず、ただ、あまりに違った興味ある世界に唐突に移された生物の、あらゆる感覚の蓋を開いて、新奇な空気を吸収する、その眠たいまでに精神が表皮化して仕舞う忘我の心持に自分を托した。一つには庭と茶室の一劃は、蔵住いと奥倉庫の間の架け渡しを、温室仕立てにしてあるもので、水気の多い温気が、身体を擡げるように籠って来るからでもあろう。
蘭科の花の匂いが、閉《た》て切ってあるここまで匂って来る。
「あなたさまは、今度のお仕事のプランをお立てになる前から、河はお好きでいらっしゃいましたの」
私はざっと考えて、「まずね」と答えた。
「それじゃ、今度、わたくしご案内いたしましょうか。東京の川なら少しは存じています」
そう云って、娘は河のことを語った。ここから近くにあって、外濠から隅田川に通ずるものには、日本橋川、京橋川、汐留川の三筋があり、日本橋川と京橋川を横に繋いでいるものに楓川、亀島川、箱崎川があることから、京橋川と汐留川を繋いでいるものに、また、三十間堀川と築地川があることをすらすら語った。
私も、全然、知らないこともなかったが、こういう掘割りにそう一々河名のついていることは、それ等の掘割りを新しく見更めるような気がした。
「どうぞ、もっと教えて頂戴」と私は云った。
すると、娘ははじめて自分の知識が真《しん》味《み》に私を悦ばせるらしいのに、張合いを感じたらしく、口を継いで語った。
「隅田川から芝浜へかけて昔から流れ込んでいた川は、こちらの西側ばかりを上流から申しますと、忍川、神田川、それから古川、これ三本だけでございました」
私は両国橋際で隅田川に入り、その小河口にあの瀟洒とした柳橋の架っている神田川も知っていれば、あの渋谷から広尾を通って新開町の家並と欅の茂みを流れに映し乍ら、芝浜で海に入る古川も知っている。だが、忍川というのは知らなかった。
「あの上野の三枚橋の傍に、忍川という料理屋がありましたが、あの近所にそんな川がありましたの、気がつきませんでしたわ」
「川にも運命があると見えまして、あの忍川なぞは可哀想な川でございます。あなたさまは、王子の滝ノ川をご存じでいらっしゃいましょう」
むかし石《しやく》神《じ》井《い》川《がわ》といったその川は、今のように荒川平野へ流れて、荒川へ落ちずに、飛鳥山、道灌山、上野台の丘陵の西側を通って、海の入江に入った。その時には茫洋とした大河であった。やがて石神井川が飛島山の王子台との間に活路を拓いて落ちるようになって、不忍池の上は藍染川の細い流れとなり、不忍池の下は暗渠にされてしまって、永遠に河身が人の目に触れることは出来なくなった。
「大昔、この川の優勢だったことは、あの本郷駒込台とこちらの上野谷中台との間はこの川の作った谷間《あい》だと申します。調べると両丘にはその川の断谷層がいまだにございます」
私の蕩々としている気分の中にも、この娘の語ることが、もはや単純な下町娘の言葉ではなく、この種の知識にかけては一通り築きかけたもののあるのを見て取った。慎しく語ろうと気をつけている言葉の端々に、関東ローム層とか第三紀層とかいう専門語が、女学校程度の知識でない口慣れた滑らかさでうっかり洩れ出すのを、私の注意が捉えずにはいなかった。
「とてもそういうお話にお詳しいのね。どうしてあなたが、こう申しちゃ何ですけれど、下町のお嬢さんのあなたが、そういう勉強をなさったのですか、素人にしちゃあんまりお詳しい……」娘は、
「河岸に育ったものですから、東京の河に興味を持ちまして……それに女子大学に居りますうち、別にこういうことに興味を持つ友達と研究も致しましたが……」と俯向いて云うと、そこで口を噤んだ。
「たった、それだけで、こんなにお詳しい?」
私は娘の言訳が何かわざとらしいのを感じた。何かもっと事情ありげにも思ったが、私はまたしてもこの家の人事に巻き込まれる危険を感じたので、無理に気を引締めて、もっと追求したい気持は様子に現さなかった。
こうして親しげに話していて、隣に坐っている娘と、何か紙一重距てたような妙な心の触れ合いのまま、食後の馥郁とした香煎の湯を飲み終えると、そこへ老主人が再び出て来て挨拶した。茶の湯の作法は私たちを庭へ移した。蔵の中の南洋風の作り庭の小亭で私達は一休みした。
私は手持無沙汰をまぎらすための意味だけに、そこの棕櫚の葉かげに咲いている熱帯性の蔓草の花を覗いて指さして見せたりした。
娘は微笑し乍ら会釈して、その花に何か暗示でもあるらしく、煙って濃い瞳を研ぎ澄まし、じーっと見入った。豊かな肉附き加減で、しかも暢び暢びしている下肢を慎しく膝で詰めて腰をかけ、少し低目に締めた厚板帯の帯上げの結び目から咽喉もとまで大輪の花の莟のような、張ってはいるが無垢で、それ故に多少寂しい胸が下町風の伊達な襟の合せ方をしていた。座板へ置いて無意識にポーズを取る左の支え手から素直に擡げている首へかけて音律的の線が立ち騰っては消え、また立ち騰っているように感じられる。悠揚と引かれた眉に左の上鬢から掻き出した洋髪の波の先が掛り、いかにも的確で聡明に娘を見せている。
私は女ながらつくづくこの娘に見惚れた。棕櫚の葉かげの南洋蔓草の花を見詰めて、ひそかに息を籠めるような娘の全体は、新様式な情熱の姿とでも云おうか。この娘は、何かしきりに心に思い屈している――と私は娘に対する私の心理の働き方がだんだん複雑になるのを感じた。私はいくらか胸が弾むようなのを紛すために、庭の天井を見上げた。硝子は湯気で曇っているが、飛白《かすり》目にその曇りを撥《はじ》いては消え、また撥く微点を認めた。霙が降っているのだ。娘も私の素振りに気がついて、私と同じように天井硝子を見上げた。
合図があって、私たちは再び茶席へ入った。床の間の掛軸は変っていて、明治末期に早世した美術院の天才画家、今村紫紅の南洋の景色の横ものが掛けられてあった。
老主人の濃茶の手前があって、私と娘は一つ茶碗を手から手に享けて飲み分った。
娘の姿態は姉に対する妹のようにしおらしくなっていた。老主人の茶の湯の技倆は少しけばけばしいが確かであった。
作法が終ると、老主人は袴を除って、厚い綿入羽織を着て現れた。炉に〓りつくように蹲み、私たちにも近寄ることを勧めた。そして問わず語りにこんな話を始めた。
徳川三代将軍の頃、関西から来て、江戸船の業を始めたものが四五軒あった。
その船は舷側に菱形の桟を嵌めた船板を使ったので、菱《ひし》垣《がき》船《ぶね》と云った。船業は繁昌するので、その船によって商いする問屋はだんだん殖え、大阪で二十四組、江戸で十組にもなった。享保時分、酒樽は別に船積みするという理由の下に、新運送業が起った。それに倣って、他の貨物も専門々々に積む組織が起った。すべて樽《たる》《かい》船《せん》と云った。樽船は船も新型で、運賃も廉くしたので、菱垣船は大打撃を蒙った。話のうちにも老主人は時々神経痛を宥めるらしい妙な臭いの巻煙草を喫った。
「寛永時分からあった菱垣船の船問屋で残ったものは、手前ども堺屋と、もう二三軒、郡《こおり》屋《や》と毛《け》馬《ま》屋《や》というのがございましたそうですが……」
しかし、幕末まえ頃まで判っていたその二軒も、何か他の職業と変ったとやらで、堺屋は諸国雑貨販売と為替両替を職としていた。
それから話はずっと飛んで、前の話とはまるで関係がないものを強いてあるような話ぶりで、老主人は語り継いだ。
「河岸の事務室を開けて貸室に致しましたのも窮余の策で、実は、この娘に結婚させようという若い店員がございますのですが、どうも、その男の気心がよく見定まりません。いろいろ迷った挙句、どなたか世間の広い男の方にでも入って頂いて、そういう方々ともお附合いしてみて、改めて娘の身の振り方を考え直してみましょう。まあ、打《ぶ》ち撒ければ、こういった考えがござりましたのです」
娘は俯向いて、赧くなった。
「なにせ、私どもの暮しの範囲と申したら、諸国の商売取引の相手か、この界隈の組合仲間で、筋がきまり切っているだけ、広いようで案外狭いのでございます。それにこの娘が一時どういう気か学者になるなぞと申して、洋服なぞ着て、ぱふらぱふらやってたものですからいよいよ妙なことになって、婿の口も思うほどのことはございませんでして……」
娘は殆んど裁きを受ける女のように、首を垂れて少し蒼ざめていた。私は、
「もう、よろしいじゃございませんか、お話は、また、この次に……」
と云ったが、老父は、
「いや、そうじゃございません。手前は明日が明日からまた寝込んでしまって、いつこの次にお目にかかれるか判りません。それで……」と意気込んで来た。老父には真剣に娘の身の上を想う電気のようなものが迸り出た。
「私の知らない間に、娘がちょっろりと、あなたさまに部屋をお貸ししたと聞いて、実は私は、怒りました。しかし、娘はあなたさまの御高名を存じて居り、お顔も新聞雑誌で存じ上げて、かねてお慕い申していたので、喜んでお貸ししたと申します。私も思い返してみれば、あなたさまが世間のことは何事も御承知の筆をお執りになる方である以上、却って、何かの便宜にあずかれるかも知れない。それで娘にもよく申付けて、お仕事にはお妨げにならないよう、表の事務室は人に貸すことは止めて仕舞い、また、是非、お近付き願えるよう、気を配って居りました。どうぞ、これから、これを妹とも思召し下すって叱っても頂き、お引立てもお願いいたし度いのです。どうぞお願い申します」
老父は右手の薬煙草をぶるぶる慄わして、左の手に移し、煙草盆に差込むと、空いた右の手で何処へ向けてとも判らず、拝むような手つきをした。それは素早く軽い手つきであったが、私をぎょっとさせた。娘も、それにつれて、萎れたままお叩頭した。
老父のそこまでの話の持って来方には、衰えてはいるようでも、下町の旧鋪の商人の駈け引きに慣れた婉曲な粘りと、相手の気弱い部分につけ込む機敏さがしたたかに感じられた。
私は娘に対して底ではかなり動いて来た共感の気持も、老父の押しつけがましい意力に反撥させられて、何か嫌あな思いが胸に湧いた。しかし、
「まあ、私に出来ますことは……」とかすかな声で返事しなければならなかった。
電気行燈の灯の下に、竃《へつつい》河《が》岸《し》の笹巻の鮨が持出された。老父は一礼して引込んで行った。首の向きも直さず、濃く煙らして、炉炭の火を見詰めていた娘の瞳と睫毛とが、黒耀石のように結晶すると、そこからしとりしと雫が垂れた。客の私が、却って浮寝鳥に枯柳の裾模様の着物の小皺もない娘の膝の上にハンカチを当てがい、それから、鮨を小皿に取分けて、笹の葉を剥いてやらねばならなかった。
でも、娘は素直に鮨を手に受取ると、一口端を噛んだが、またしばらく手首に涙の雫を垂し、深い息を吐いたのち、
「あたくし、辛い!」と云った。そして私の方へ顔を斜めに向けて、
「あたくしは、ときどきいっそのこと芸妓にでも、女給にでもなって、思い切り世の中に暴れてみようと思うことがありますの」
それから、口の中の少しの飯粒も苦いもののように、懐紙を取出して吐き出した。
私は、この娘がそういうものになって暴れるときの壮観をちょっと想像したが、それも一瞬ひらめいて消えた火のような痛快味にしか過ぎないことを想い、さしずめ、「まあそんなに思い詰めないでも、辛抱しているうちには、何とか道は拓けて来ますよ」と云わないではいられなかった。
昨夜から今朝にかけて雪になっていた。私は炬燵に入って、叔母に向って駄々を捏ねていた。
「あすこの家へ行くと、すっかり分別臭い年寄りにされて仕舞うから……」
「だから、なおのこと行きなさいよ。面白いじゃないか、そういう家の内情なんて、小説なんかには持って来いじゃありませんか」
この叔母は、私の生家の直系では一粒種の私が、結婚を避け、文筆を執ることを散々歎いた末、遂に私の意志の曲げ難いのを見て取り、せめて文筆の道で、生家の名跡を遺さしたいと、私を策励しにかかっているのだった。
「叔母さんなんかには、私の気持判りません」
「あんたなんかには、世の中のこと判りません」
だが、こういう口争いは、しじゅうあることだし、そして、私を溺愛する叔母であることを知ればこそ、苦笑しながらも、それを有難いと思って、享け入れている私との間には、いはば、睦まじさが平凡な眠りに堕ちて行くのを、強いて揺り起すための清涼剤に使うものであったから、調子の弾むうちはなお二口三口、口争いを続けながら、私はやっぱり河沿いの家のことを考えていた。
結局あの娘のことを考えてやるのには、どうしても、海にいるという許婚の男の気持を一度見定めてやらなければならなくなるのだろう。ここまで煩わされた以上、もう仕事のために河沿いの家を選んだことは無駄にしても、兎に角、この擾された気持を澄ますまで、私はあの河沿いの家に取付いていなければならない。
河沿いの家で出来たことは、河沿いの家できれいに始末して去り度い。
そう思って来ると、口惜しさを晴らす意地のようなものが起って来て、私は炬燵の蒲団から頬を離して立ち上った。
「河沿いの仕事部屋へ雪見に行くわ」
叔母は自分の意見を採用しながら、まだ、痩我慢に態のよいことを云ってると見て取り、得意の微笑を泛べながら、
「ええええ雪見にでも、何でも好いから、いらっしゃいとも」と云って、いそいそと土産ものと車を用意して呉れた。
昨日の礼に店先へ交魚の盤台を届けて、よろしくと云うと、居合せた店員が、
「大旦那は昨夕からお臥せりで、それからお嬢さんもご病気で」と挨拶した。私は「おや」と思いながら、さっさと自分の河沿いの室へ入った。
いつもの通り、や《ヽ》ま《ヽ》が火鉢の火種を持って来た。
「お嬢さんお風邪……」と訊いて見た。
や《ヽ》ま《ヽ》は、「ええ、いえ、あの、ちょっとご病気でございます」と云って、訊ねられるのを好まぬように素早く去った。
何か様子が妙だとは思ったが、窓障子を開け放した河面を見て、私はそんな懸念も忘れた。
雪はほとんど小降りになったが、よく見ると鉛を張ったような都の曇り空と膠を流したような堀河の間を爪で掻き取った程の雲母《きらら》の片れが絶えず漂っている。眼の前にぐ《ヽ》い《ヽ》と五大力の苫を葺いた舳が見え、厚く積った雪の両端から馬の首のように氷柱を下げている。少し離れて団平船と伝馬船三艘とが井桁に歩び板を渡して、水上に高低の雪渓を拵えて蹲っている。水をひたひたと湛えた向う河岸の石垣の際に、こんもりと雪のつもった処々を引っ掻いて木肌の出た筏が乗り捨ててあり、乗手と見える蓑笠の人間が、稲荷の垣根の近くで焚火をしている。稲荷の祠も垣根も雪に隈取られ、ふだんの紅殻いろは、河岸の黒まった倉庫に対し、緋縅の鎧が投げ出されたような、鮮やかな一堆に見える。河岸通りのこの家の娘は、この亀島川は一日の通船数が三百以上もあり、泊り船は六十以上で、これを一町に割当てるとほぼ十艘ずつになると云ったが、今日はそういう河容とは、まるで違ったものに見える。
そして、私が心を奪われたのは、いよいよ、そういう現象的の部分部分ではなかった。ふだんの繁劇な都会の濠川の人為的生活が、雪という天然の威力に押さえつけられ、逼塞した隙間から、ふだんは聞き取れない人間の哀切な囁きがかすかに漏れるのを感ずるからであった。そして、これは都会の人間から永劫に直接具体的には聞き得ず、こういう偶〓の場合、こういう自然現象の際に於て、都会に住む人間の底に潜んだ嘆きの総意として、聴かれるのであった。こういう意味で、眼の前に見渡す雪は、私が曾て他所の諸方で見たものと違って、やはり、東京の濠川の雪景色であった。
小店員が入って来て、四五通の外文の電報や外文の手紙を見て呉れと差し出した。
「まことに済みませんが、店の者がみんな出払っちゃいましたし、大旦那にもお嬢さんにも寝込まれちゃいましたので……」
大切な急ぎの用だと困るというので私が見たその註文の電報や外文は南洋と云われる範囲の各地からだった。その一つには、
板舟。        鯛箱。
卸し庖丁大小。    鱈籠。
半台。        河岸手桶。
計りザル。      油屋ムネカケ。
打鉤大小。      タンベイ。
足中草履。      引切。
ローマ字から判読するこれ等は、誰か爪哇《ジヤバ》で魚屋を始める人があって、その道具を註文して来たのだった。
一礼して去る小店員に向って、私は、
「こういう簡箪なものもご覧になれないって、お嬢さんどういうご病気なの」
と云うと、小店員はちょっと頭を掻いたが、
「まあ、気鬱症とか申すのだそうでございましょうかな。滅多にございませんが、一旦そうおなりになると一人であ《ヽ》す《ヽ》こ《ヽ》へ閉じ籠って、人と口を利くのを嫌がられます」
若しかして、昨日、茶席での談話が娘を刺戟し過ぎて、娘は気鬱症を起したのかも知れない。そう云えばだんだん娘の性情の不平均、不自然なところも知れて来かかっていたし、そういう揺り返しが、たまたま起るということも、今更、不思議に思われなくなっていた。私は小店員の去ったあと、また河の雪を眺めていた。
水は少し動きかけて、退き始めると見える。雪まだらな船が二三艘通って、筏師も筏へ下りて、纜を解き出した。
やや風が吹き出して、河の天地は晒し木綿の滝津瀬のように、白瀾濁化し、ときどき硝子障子の一所へ向けて吹雪の塊りを投げつける。同時に、形がない生きものが押すように、障子はがたがたと鳴る。だが、その生きものは、硝子板に戸惑って別に入口を見付けるように、ひゅうひゅう唸って、この建物の四方を馳せる。
ふと今しがた小店員が云った気鬱症の娘が、何処に引籠っているのだろうと私は考え始めた。暫くして娘が気鬱症にかかるとあ《ヽ》す《ヽ》こ《ヽ》に……と云った小店員がその言葉と一緒に一寸仰向き加減にした様子が、いかにも娘が私の部屋の近くにでもいるような気配を感じさせたのに気づくと、娘は私の頭の上の二階にいるのではないかと、思わずしがみついていた小長火鉢から私は体を反らした。
一たい、この二階がおかしい。私がここへ来てから、もう一月半以上にもなるのに、階段を伝って、二室ある筈のそこへ出入りする人を見たことがない。階段を上り下りする人間は、大概顔見知りの店員たちで、それは確かに三階の寝泊りの大部屋へ通うものであって、昼は店に行っていて、そこには誰もいない二階の表側の一室は、物置部屋に代った空事務室の上だから、私の部屋からは知れないようなものの、少くとも河に面した方の二階の今一つの空部屋は私が半日ずつ住むこの部屋のすぐ頭の上だから、いかに床の層が厚くても、普通に人が住むならその気配は何とか判りそうなものだ。それがふだんまるきり無人の気配であった。ひょっとしたら、娘がきょうはそっとその室に閉じ籠っているのではあるまいか。
それから、私は注意を二階に集めて、気を配ったが、雪は小止みとなり、風だけすさまじく、幽かな音も聴き取れなかった。定刻の時間になったので私は帰った。
あくる日は雪晴れの冴えた日であった。昨日から何となく私の心にかかるものがあって私は今までになく早朝に家を出て河岸の部屋へ来た。そしてやや改まった様子で机の前に坐っていると、思いがけない顔をしてや《ヽ》ま《ヽ》がはいって来た。私は早く来たことについて好い加減な云いわけを云ったのちや《ヽ》ま《ヽ》に向って、天井を振り仰ぎ乍ら
「どなたかこの上のお部屋にいるの」と訊いた。
や《ヽ》ま《ヽ》は「はあ」と答えた。
私の心の底の方にあった想像が、うっかり口に出た。
「お嬢さんでもいらっしゃるのではないの」
すると、や《ヽ》ま《ヽ》の返事は案外無造作に、
「はあ、昨日もお昼前からいらっしゃいました」と云った。
「どういうお部屋なの」
や《ヽ》ま《ヽ》は「さあ」と云ったが、実際、室の中の事は知らないらしく、他の事で答えた。
「昨日の大雪で、あなたはおいでにならないでしょうと、お嬢さんは二階の部屋へお入りになりました。晩方、お部屋から出ていらしった時、私があなたがおいでになったのを申上げると、とても、落胆なすっていらっしゃいました。時々お二階の部屋へお嬢さんはお入りになりますが、その時はどんな用事でもお部屋へ申上げに行ってはならないと仰有いますので……」
私には判った。それは娘の歎きの部屋ではあるまいか。し《ヽ》ん《ヽ》も根《こん》も尽き果てて人前ばかりでなく自分自身に対しての、張気も装いも投げ捨てて、投げ捨てるものもなくなった底から息を吸い上げて来ようとする、時折の娘の命の休息所なのではあるまいか。
だが、ときどきにもせよ、そういう一室に閉じ籠れるのは羨ましい。寧ろ嫉ましい。自分のように一生という永い時間をかけて、世間という広い広い部屋で筆を小刀《メス》に心身を切りこま裂いて見せ、それで真実が届くやら、届かぬやら判りもしない、得体の知れない苛立たしいなやみの種を持つものは、割の悪い運命に生れついたものである。
「で、今朝はお嬢さんは?」
と私が云うと、や《ヽ》ま《ヽ》は俄に思いついたように、
「ああそうでしたっけ、お嬢さんが今日あなたがいらしったら、お二階へおいで願うように申上げて呉れと先程お部屋へ入るまえに仰有いました」
や《ヽ》ま《ヽ》はここまで云って、また躊躇するように、
「でも、お仕事お済ましになってからでないとお悪いから、それもよく伺って、ご都合の好い時に……って……」
私は一まずや《ヽ》ま《ヽ》を店の方へ帰して、一人になった。
河の水は濃い赤土色をして、その上を歩いて渡れそうだ。河に突き墜された雪の塊りが、船の間にしきりに流れて来る。それに陽がさすと窃幻な氷山にも見える。こんなものの中にも餌があるのか、烏が下り立って、嘴で掻き漁る。
烏の足掻きの雪の飛沫から小さな虹が輪になって出滅する。太鼓の音が殷々と轟く。向う岸の稲荷の物音である。
私は一人になって火鉢に手をかざしながら、その殷々の音を聞いていると妙にひしひしと寂しさが身に迫った。娘の憂愁が私にも移ったように、物憂く、気怠い。そしていつ爆発するか知れない苛々したものがあって、心を一つに集中させない。私は時を置いて三四度、部屋の中を爪立ち歩きをしてって見たが、どうにもならない。や《ヽ》ま《ヽ》は娘が、私の仕事時間を済ましてから来て欲しいと言伝てたが、いっそ、今、直ぐ独断に娘を二階の部屋へ訪れてみよう――
二階の娘の部屋の扉をノックすると、私の想像していたとはまるで違って見える娘の顔が覗いて、私を素早く部屋の中へ入れた。私の不安で好奇に弾んだ眼に、直ぐ室内の様子ははっきり映らない。爪哇《ジヤバ》更紗のカーテンが、扉の開閉の際に覗かれる空間を、三四尺奥へ間取って垂れしてある。戸口とカーテンのこの狭い間で、娘と私はしばらく睨み合いのように見合って停った。シャンデリヤは点け放しにしてあるので暗くはなかった。
思いがけない情景のなかで突然娘に逢って周章てた私の視覚の加減か、娘の顔は急に痩せて、その上歪んで見えた。ウェーブを弾ね除けた額は、円くぽこんと盛れ上って、それから下は、大きな鼻を除いて、中窪みに見えた。顎が張り過ぎるように目立った。いつもの美しい眼と唇は、定まらぬ考えを反映するように、ぼやけて見えた。
娘は唇の右の上へ幼稚で意地の悪い皺をちょっと刻んだかと見えたが、ぼやけていたような眼からは、たちまちきらりとなつかしそうな瞳が覗き出た。
「…………」
「…………」
感情が衝き上げて来て、その遣り場をしきりに私の胸に目がけながら、腰の辺で空に藻掻かしている娘の両方の手首を私は握った。私は娘にこんな親しい動作をしかけたのは始めてである。
「何でも云って下さい。構いません」
私のこの言葉と、もはや、泣きかかって、おろおろ声で云う娘の次の言葉とが縺れた。
「あなたを頼りに思い出して、あたくしは……却って気の弱い……女に戻りました」
そして、どうかこれを見て呉れと云って、始めて私をカーテンの内部へ連れ込んだ。
東の河面に向くバルコニーの硝子扉から、陽が差し込んで、まだつけたままのシヤンデリヤの灯影をサフラン色に透き返させ、その光線が染色液体のように部屋中一ぱい漲り溢れている。床と云わず、四方の壁と云わず、あらゆる反物の布地の上に、染めと織りと繍いと箔と絵羽との模様が、揺れ漂い、濤のように飛沫を散らして逆巻き亙っている。徒らな豪奢のうすら冷い触覚と、着物に対する甘美な魅惑とが引き浪のあとに残る潮鳴の響のように、私の女ごころを衝つ。
開かれた仕切りの扉から覗かれる表部屋の沢山の箪笥や長持の新しい木膚を斜めに見るまでもなく、これ等のすべてが婚礼支度であることは判る。私はそれ等の布地を、転び倒れているものを労り起すように、
「まあ、まあ」と云って、取り上げてみた。
生地は紋綸子の黒地を、ほとんど黒地を覗かせないまで括り染めの雪の輸模様に、竹のむら垣を置縫いにして、友禅と置縫いで大胆な紅梅立木を全面に花咲かしている。私はすぐ傍にどしりと投げ皺められて、七宝配りの箔が盛り上っている帯を掬い上げながら、なおお納戸色の千羽鶴の着物や、源氏あし手の着物にも気を散らされながら、着物と帯をつき合せて、
「どう、いいじゃないの……」と、まるで呉服屋の店先で品選りするように、何もかも忘れて眺めていた。
娘は、私から少し離れて佇んでいた。
「今日、あなたに見て頂こうと思いまして、昨夜晩くまでかかって展げて置きましたのですけど……あたくし、こんなもの、何度、破り捨てて、新しく身の固めを仕直そうと思ったか判りません。でも、やっぱり出来ないで……時々ここへ来ては未練がましく出したり取り散らしたりして見るのですけれど……」
明るみに出て、陽の光を真正面に受けると、今まで薄暗いところで見た娘の貌のくぼみやゆがみはすっかり均らされ、いつもの爛漫とした大柄の娘の眼が涙を拭いたあとだけに、尚更、冴え冴えとしてしおらしい。
「いつ頃、これを拵えなさって?」
「三年まえ……」
娘はしおしおと私に訴える眼つきをした。私は堪らなく娘がいじらしくなった。日はあかあかと照り出して、河の上は漸く船の往来も繁くなった。
「あんまりこんな所に引込んでいると、なお気が腐りますからね。きょうは、何処か外へ出て、気をさっぱりさせてから、本当にご相談しましょう」
河岸には二人並んでんで歩ける程、雪掻きの開いた道が通り、人の往来は稀だった。
二歳のとき母に死に別れてから、病身で昔ものの父一人に育てられ、物心ついてからは海にばかりいる若い店員のつきとめられない心を追って暮す寂しさに堪え兼ねた娘は、ふと淡い恋に誘われた。
相手は学校へ往き来の江戸川べりを調査している土俗地理学者の若い紳士であった。この学者は毎日のように、この沿岸に来て、旧神田川の流域の実地調査をしているのであった。
河の源は大概複雑なものだが、その神田川も多くの諸流を合せていた。まず源は井頭池から出て杉並区を通り、中野区へ入るところで善福寺川を受け容れ、中野区淀橋区の境を過ぎ落合町で妙正寺川と合する。それから淀橋区と豊島区と小石川区の境の隅を掠めて、小石川区牛込区の境線を流れる江戸川となる。飯田橋橋点で外濠と合流して神田川となってから、なお小石川から来る千川を加える。お茶の水の切割りを通って神田区に入り、両国橋の北詰で隅田川に注ぐまで、幾多の下町の堀川とも提携する。
東京の西北方から勢を起しながら、山の手の高台に阻まれ、北上し東行し、まるで反対の方へ押し遣られるような迂曲の道を辿りながら、しかもその間に頼りない細流を引取り育み、強力な流れはそれを馴致し、より強力で偉大な川には潔く没我合鞣して、南の海に入る初志を遂げる。
この神田川の苦労の跡を調べることも哀れ深いが、もとこの神田川は麹町台の崖下に沿って流れ、九段下から丸の内に入って日本橋川に通じ、芝浦の海に口を開いていた。この江戸築城以前の流域を調べることは何かと首都の地理学的歴史を訪ねるのに都合が良かった。例えば、単に下流の部分の調査だけでも、昔大利根川が隅田川に落ちていた時代の河口の沖積作用を極めることが出来たし、その後、人工によって河洲を埋立てて下町を作った。その境界も知れるわけであった。この亀島町辺も三百年位前は海の浅瀬だったのを、神田明神のある神田山の台を崩して、その土で埋めて拵えたものである。それより七八十年前は浅草なぞは今の佃島のように三角洲《デルタ》だった。
こういう知識もその若い学者から学ぶところが多かったと、娘は真向から恋愛の抒情を語り兼ねて先ずこういう話から始めたのであった。
娘は目白の学校への往復に、その川べりのどこかの男の仕事場で度々出遇い、始めはただ好感を寄せ合う目礼から始まって、だんだんその男と口を利き出すようになった。娘は、その男から先ず彼女に縁のある土地と卑近な興味の知識によって、東京生れの娘が今まで気付かずにいたものの、その実はいかに東京の土と水に染みているかを学問的に解明された。
「明日は、大《おお》曲《まがり》の花屋の前の辺にいます。いらっしゃい」
その若い学者は科学の中でも、過去へ過去へと現代から離れて行く歴史性に、現実的の精力を取り籠められて行く人にありがちな、何となく世間に対して臆病であり乍ら、自己の好みに対しては一克な癇癖のようなものを持っていた。それは純粋な坊ちゃん育ちらしい感じも与えた。
「さあ、明日からはいよいよお茶の水の切り堀に取りかかりましょう。学校へは少しりになるかも知れませんが、いらっしゃい、いいでしょう」
この男が、いいでしょうというときは、既に決定的なものであって、おずおずと云い出すのだが、云い出した以上、もう執拗く主張して訊き入れなかった。
万治の頃、伊達家が更に深く掘り下げて舟を通すようになったので仙台堀とも云っている、この切り堀の断崖は、東京の高台の地層を観察するのに都合がよかった。第四紀新層の生成の順序が、ロームや石や砂や粘土や砂礫の段々で面白いように判った。もうこの時分、娘は若い学者の測量器械の手入れや、採集袋の始末や、ちょっとした記録は手伝えるようになっていた。
娘は学者の家へも出入りするようになっていた。富んだ華族の家で、一家は大家族だが、みな感じがよく、家の者も娘を好んだ。若い学者は兄弟中の末子で、特に両親に愛されているようだった。「お茶を飲みに行きませんか」「踊りに行きませんか」こう云うこともある傍ら、娘は日本橋川を中心に、その界隈の掘割川の下調べを頼まれもした。
八ケ月ほどかかった旧神田川の調査のうちに、娘は学校を卒業した。娘はその若い学者に結婚を申込まれた。
「いいでしょう、君」
やはり、おずおずと云い出すのだが、執拗く主張した。娘想いの老父は、まことに良縁と思い、気心の判らぬ海へ行った若い店員との婚約は解消して是非その男に娘を嫁入らせると意気込んだ。
海にいる若い店員からも同意の電報が来た。
小さいときから一緒に育ったけれども、青年期に入る頃から海に出はじめ、だんだん父《おや》娘《こ》には性格が茫漠として来た若い店員には、今はもう強いて遠慮する必要は無い。娘の結婚を知らせるにも気易かった。若い学者との結婚の支度は着々と運んで行った。
「川を溯るときは、人間をだんだん孤独にして行きますが、川を下って行くと、人間は連れを欲し、複数を欲して来るものです」
若い学者は内心の弾む心をこういう言葉で娘に話した。娘も嫌ではなかった。
だが、ある夜遅くあの部屋へ入って、結婚衣裳を調べていて、ふと、上げ潮に鴎の鳴く声を聴いたら、娘は芝居の幕が閉じたように、若い学者との結婚が馬鹿らしくなった。陸へ上って来ない若い店員が心の底から慕われた。茫漠とした海の男への繋がりをいかにもはっきりと娘は自分の心に感じた。
一時はひどく腹を立てても、結局、娘想いの父は、若い学者の家には、平謝りに謝って、結婚を思い切って貰った。若い学者はいくらか面当ての気味か、当時女優で名高かった女と結婚して、ときどき家庭はごたごたしている。
「じゃあ、その方には恋ではなくって、学問の好奇心で牽かれて行ったのね。道理で、あなた、河川の事に詳しいと思った」
私は苦笑したが、この爛漫とした娘の性質に交った好学的な肌合いを感じ、それがこの娘に対する私の敬愛のような気持にもなった。
「あなた男なら学者にもなれる頭持ってるかも知れないのね」
娘は少し赧くなった。
「……私の母が妙な母でした。漢文と俳句が好きで、それだのに常磐津の名取りでしたし、築地のサンマー英語学校の優等生でしたり……」
娘はその後のことを語り継いだ。その後、久しぶりで、陸に上って来た若い店員に思い切って訊いた。
「どうしたら、私はあなたに気に入るんでしょう」
男はしばらく考えていたが、
「どうか、あなたが女臭くならないように……」
海の男は相変らず曖昧なことを云っているやうで、その語調のなかには切実な希求が感じられたと娘は眼に涙さえ泛べ、最上の力で意志を撓め出すように云った。
「私のそれからの男優りのような事務的生活が始まりました。その間二三度その男は帰って来ましたが、何とも云わずに酒を飲んで、また寂しそうに海へ帰って行きました。私はまだ、どこか灰汁抜けしない女臭いところがあるのかと、自分を顧みまして、努めようとしましたが、もうわけが分りません、迷い続けながら、それでも一生懸命に、その男の気に入るようにと生活して来ますうち、あなたにお目にかかりました」
東京の中で、朝から食べさせる食物屋は至って数が少い。上野の揚げ出しとか、日本橋室町の花村とか、昔から決っているう《ヽ》ち《ヽ》である。そうでなければ各停車場の食堂か、駅前の旅籠屋や魚市場の界隈の小料理屋である。けれども女二人ではちょっと困る。私たちは寒気の冴える朝の楓川に沿い、京橋川に沿って歩いたが、そうそうは寒さに堪えられない。車を呼び止めて、娘をホテルの食堂に連れて行き、早い昼飯を食べさした。そのあと、ローンヂでお茶を飲みながら、
「面倒臭いじゃありませんか、そんなこといつまでもぐずぐず云ったって……そんなこと云って、その人が陸へ寄りつかないなら、こっちから私があなたを連れて、その人の寄る船つき場へ尋ねて行き、の《ヽ》っ《ヽ》ぴ《ヽ》き《ヽ》させず、お話をつけようじゃありませんか」
私も東京生れで、いざとなると、無茶なところが出るのだが、それよりもこの得態の知れない男女関係の間に纏縛され、退くに退かれず、切放しも出来ず、もう少し自棄気味になっていた。
すべてが噎せるようである。また漲るようである。ここで蒼穹は高い空間ではなく、色彩と密度と重量をもって、すぐ皮膚に圧触して来る濃い液体である。叢林は大地を肉体として、そこから迸出する鮮血である。くれない極まって緑礬の輝きを閃かしている。物の表は永劫の真昼に白み亙り、物陰は常闇世界の烏羽玉いろを鏤めている。土は陽炎を立たさぬまでに熟燃している。空気は焙り、光線は刺す――
私と娘は、いま新嘉坡のラフルス・ホテルの食堂で昼食を摂り、すぐ床続きのヴェランダの籐椅子から眺め渡すのであった。
芝生の花壇で尾籠なほど生《なま》の色の赤い花、黄の花、紺の花、赭の花が花弁を犬の口のように開いて、戯《ざ》れ、噛み合っている。
「どう」私は娘に訊いた。
「二調子か三調子、気持の調子を引上げないと、とてもこの強い感じは受け切れないわ」と娘は眼を眩しそうに云った。娘は旅に出てから、全く私に倚りかかるようになっただけ、親しくぞんざいな口が利けるようになった。
私には、あまりに現実に乗出し過ぎた物のすべてが、却って感覚の度に引っかからないように、これ等の風物が何となく単調に感じられて眠気を誘われた。
「半音の入っていない自然というものは、眠いものね」
私は娘が頸を傾けてもう一度訊き返そうとするのを、別に了解して欲しいほどの事柄でもないので、他の事を云った。
「兎に角、熱いわね。こういう所で、ランデヴウする人も、さぞ骨が折れるでしょうが、そのランデヴウを世話する人は、いよいよ並大抵じゃないわね」
私は揶揄いながら、ハンカチを額へ持って行って、沁み出す汗を抑えた。
娘は親《しん》身《み》に嬉しさを感ずるらしく、ちょっと籐椅子を私の方へいざり寄せ、肘で軽く私の脇の下を衝いた。
私は娘の身の上を引受けてから、若い店員と話をつける手段を進めた。丁度ボルネオの沿岸を航行していた船の若い店員に手紙と電報で事情の経緯を簡単に述べ、あらためて、私が仲に立つ旨を云い遣ると、店員から案外喜んだ承諾の返事が来て、但、いま船は暹羅の塩魚を蘭領印度に運ぶためにチャーターされているから、船も帰せないし、自分も脱けられない。新嘉坡なら都合出来る。見物がてら、ぜひそこへ来て貰い度いと、寧ろ向うから懇請するような文意でもあった。
私は娘にああは約束したが、たかだか台湾の基隆か、せめて香港程度までであろうと予想していた。そこらなら南洋行の基点ではあり、双方好都合である。新嘉坡となると、ちょっと外遊するぐらいの心支度をしなければならない。
――少し当惑しているとき思いの外力になったのは叔母である。娘のとき藩侯夫人の女秘書のようなことをして、藩侯夫妻が欧洲の公使に赴任するとき伴われ、それから帰りには世界の国々をもって来た女だけに、自分の畑へ水を引くように、私を励ました。
「あんたも一遍そのくらいのところへ行っていらっしゃい。すると世間も広くなって、もっと私と話が合うようになりますから」
それから、女二人の旅券だの船だの信用状だのを、自分一人で掻き込むようにして埓を開け、神戸まで見送って呉れた。
シンガポール邦字雑誌社の社長で、南洋貿易の調査所を主宰している中老人が、白の詰襟服にヘルメットを冠って迎えに来て呉れた。朝、船へは紋付の和服で出迎えて呉れたのであるが、そのときに較べて、いくらか精気を帯びて見えた。
「名物のライスカレーはいかがでしたか。とても辛くて内地の方には食べられないでしょう」
私の昼の食堂で、カレー汁の外に、白飯に交ぜる添《てん》菜《さい》が十二三種もオードウブル式に区分け皿に盛られているのを、盛装した馬来人のボーイに差し出されて、まず食慾が怯えてしまったことを語った。中老人は快げに笑って、
「女の方は大概そう云いますね。だがあの中には日本の乾物のようなものも混っていて、オ《ヽ》ツ《ヽ》なものもありますよ。慣れて来ると、そういう好みのものだけを選めば、結構食べられますよ」
こんなことから話を解《ほご》し始めて、私たちは市中で昼食後の昼寝時間の過ぎるのを待った。
叔母はさすがに女二人だけの外地の初旅に神経を配って、あらゆる手蔓を手頼って、この地の官民への紹介状を貰って来て私に与えた。だが、私はそれ等を使わずに、ただ一人この中老人の社長を便宜に頼んだ。それは次のような理由で未知であった社長を既知の人であったかのようにも思ったからである。
私が少女時代、文学雑誌に紫苑という雅号で、しきりに詩を発表していた文人があった。その詩はすこぶるセンチメンタルなものであって、死を憧憬し、悲恋を慟哭する表現がいかに少女の情緒にも、誇張に感じられた。しかもその時代の日本の詩壇は、もはやそれらのセンチメンタリズムを脱し、賑やかな官能を追い求めることに熱中した時代であって、この主流に対比しては、いよいよ紫苑氏の詩風は古臭く索寞に見えた。それでも氏の詩作は続けられていた。そのうち、ふと消えた。二三年してから僅かに三四篇また現れた。それは、「飛魚」とか「貿易風」とかいう題の種類のもので、いくらか詩風は時代向きになったかと感じられる程度のことが、却って詩形をぎごちなくしていた。詩に添えて紫苑氏が南の外洋へ旅に出た消息が書き加えられてあった。しかし、その後に紫苑氏の詩は永久に見られなくなった。
この新嘉坡邦字雑誌の社長が、当年の詩人紫苑氏の後身であった。私は紫苑氏の後身の社長が、その携っている現職務上土地の知識に詳しかろうということも考えに入れたが、その前身時代の詩にどこか人の良いところが見えたのを憶い出し、この人ならば安心して、なにかと手引を頼めると思った。
「ともかく、私が日本を出発するときの気概は大変なものでしたよ。白金巾の洋傘に、見よ大鵬の志を、図南の翼を、などと書きましてね。それを振り翳したりなんかしましてね……今から思えば恥かしいようなもので、は、は、は……」
そしてお茶の代りにビールを啜りながら、扇を使っていた中老の社長は感慨深そうに、海を見詰めていたが、
「人間の行き道というものは、自分で自分のことが判らんものですな。僕のその時分の初志は、どこか南洋の孤島を見付けて、理想的な詩の国を建設しようとしたにあったのですが……だんだん現実に触れて見ると、まずその知識や準備をということになり、次には自分はもう出来ないから、それに似たような考えの人に、折角貯えた自分の知識を与えようということになり、それが職業化すると、単なる事務に化してしまいます」
中老人は私達をじろじろ眺めて、
「普通の人にならこんな愚痴は云わないで、ただ磊落に笑っているだけですが、判って下さりそうな内地の若い方を見ると、つい喋りたくなるのです。あなた方のお年頃じゃ判りますまいが、人間は幾つになっても中学生のこころは遺っています」
そして屹となって私の顔を見張り、自分が云い出す言葉が、どう私に感銘するかを用心しながら云った。
「僕は、今でも、僕の雑誌の詩壇の選者を頑張ってやっています。だんだん投書も少くなるし、内地の現代向きの人に代えろと始終編輯主任に攻撃されもしますが、なに、これだけは死ぬまで人にはやらせない積りです」
日盛りの中での日盛りになったらしく、戸外の風物は灼熱極まって白炉化した灰色の焼野原に見える。時代をいつに所を何処と定めたらいいか判らない、天地が灼熱に溶けて、静寂極まった自然が夢や幻になったのではあるまいか。そこに強烈な色彩も匂いもある。けれども、それは浮き離れて、現実の実体観に何の関りもない。ただ、左手海際の林から雪崩れ込む若干の椰子の樹の切れ離れが、急に数少く七八本になり三本になり、距てて一本になる。そして亭々とした華奢な幹の先の思いがけない葉の繁みを、女の額の截り前髪のように振り捌いて、その影の部分だけの海の色を涼しいものにしている。ここだけが抉り取られて、日本の景色を見慣れた私たちの感覚に現実感を与える。
天井に唸る電気扇の真下に居て、けむるような睫毛を瞳に冠せ、この娘特有の霞《かすみ》性をいよいよ全身に拡げ、悠長に女扇を使いながら社長の云うことを聴いている。私が手短に娘をここへ連れて来た事情を社長に話す間も、この娘はまるで他にそんな娘でもあるのかと思いでもしてるような面白そうな顔をして聴いている。私は憎しみを感ずるくらい、私に任せ切りの娘の態度に呆れながら、始めは娘をこの方と社長に云っていたのを、いつの間にか、この子という言葉に代えて仕舞っていた。
「どうも、近代的の愛というものは複雑ですな。僕等の年代の人間には、はっきりは触れられんが……」
旧詩人の社長は、よく通りがかりの旅客が、寄航したその場だけ、得手勝手なことを頼み、あとはそれなりになってしまう交際に慣れているので、私が娘を連れて、こちらに来た用向きを話し出すと、始めは気のない顔つきをしていたが、だんだん乗り出して来た。
「その男なら時々調査所へ来て、話して行きますよ。淡白で快活な男ですがね」
社長はビールを啜ったり、ハンカチで鼻を擦ったりする動作を忙しくして、やや興奮の色を示し、
「へえ、あの男がこういう美しいお嬢さんとそういうことがあるんですか。それはロマンチックなお話ですね。よろしい、一つお手伝いしましょう」
中老の社長はその男にも好意を持つと同時に、自分も自分の奥に燃え燻ってしまった青春の夢を他人ごとながら、再び繰り返せるように気が弾んで来たらしい。
「恋というものは人間を若くする。酒と子供は人間を老いさせる」
ステッキの頭の握りに両手を載せ、その上に顎の端を支え乍ら、こんな感慨めいた言葉を吐いた。大酒呑みで子供の大勢あるという中老の社長は、籐のステッキをとんと床に一突きして立上ると、
「その船の入港には、まだ三日ばかり日数がありますな。では、その間にしっかり見物しときなさるがよろしいでしょう」
そしてボーイに車を命じた。
スピーディな新嘉坡見物が始まった。この市にも川が貫いて流れていた。私は社長に註文して、まず二つ三つその橋々を車で渡って貰った。
両岸は洋館や洋館擬いの支那家屋の建物が塀のように立ち並んでいるところが多く、ところどころに船が碇泊する船溜り《ボート・アイ》が膨らんだように川幅を拡げている。そして、漫々と湛えた水が、ゆるく蒼空を映して下流の方へ移るともなく移って行く。ただ軽く浮く芥屑だけは流れの足も速く、沈みがちな汚物を周《めぐ》るようにして追い抜いて行く。荒く組んだ筏を操って行く馬来《マレイ》の子供。やはり都の河の俤を備えている。
河口に近くなってギャヴァナー橋というのが、大して大きい橋でもないが、両岸にゲート型の柱を二本ずつ建て、それを絃の駒にして、ハープの絃のように、陸の土と橋欄とに綱を張り渡して、橋を吊っている。何ともないような橋なのだが、しきりに私達の心は牽かれる。向う岸の橋畔に榕樹の茂みが青々として、それから白い尖塔の抽んでている背景が、橋を薄肉彫のように浮き出さすためであろうか。私がいつまでも車から降りていると、娘はそれを察したように、
「東京の吾妻橋とか柳橋とかに似てるからじゃありません?」と云った。
この橋から間もなく、河口の鵜の喉の膨らみのようになっている岸に、三層楼の支那の倉庫店がずらりと並び、河には木履型のジャンクが河身を埋めている。庭の小亭のようなものが、脚を水上にはだけてぬいぬい立っている。
「橋が好きなら、この橋のもう一つ上のさっき渡って来た橋、あれをよく覚えときなさい。あの橋から南と北に大道路が走っていて、何かと基点になっています。もしはぐれて迷子になったら、あの橋詰に立っていなさればよい、迎えに行きます」社長はこんな冗談を云った。
官庁街の素気なく白々しい建物の数々。支那街の異臭、雑沓、商業街の殷賑、私たちはそれ等を車の窓から見た。ここまで来る航行の途中で、上海と香港の船繋《がか》りの間に、西洋らしい都会の景色も、支那らしい町の様子もすでに見て来た。私たちはただ南洋らしい景色と人間とを待ち望んだ。しかし、道で道路工事をしている人々や、日除け付きの牛車を曳いている人々が、どこの種族とも見受けられない、黒光りや赭黒い顔をして眼を烱々と光らせながら、半裸体で働いている。躯幹は大きいが、みな痩せて背中まで肋骨が透けて見える。あわれに物凄い。またそれ等の人々の背を乗客席に並べて乗せた電車が市中を通ると、地獄車のように異様に見えた。その電車は床の上に何本かの柱があって風通しのために周りの囲い板はなく僅かに天蓋のような屋根を冠っているだけである。癒し難い寂しい気持が、私の心を占める。
「ここは新嘉坡の銀座、ハイ・ストリートと云います」
と社長に云われて、二つ三つの店先に寄り衣裳の流行の様子を見たり、月光石《ムーンストーン》の粒を手に掬って、水のようにさらさら零しながらも、それは単なる女の習性で、心は外に漠然としたことを考えていた。
「この娘を首尾好く、その男に娶わすことが出来たとしても、それで幸福であると云えるだらうか」
けれども、そう思う一方にまた、私は無意識のうちに若者と娘が暫く並に新住宅でも持つであろうことを予想してしきりに社長に頼むのだった。
「ここに住宅地のようなものでもありますなら見物さして頂きたいのですが」
その晩、私たちをホテルまで送って来た社長は帰り際に「そうだ、護謨園の生活を是非見て貰わなくちゃ、――一晩泊りの用意をしといて下さい」
と云って更に、
「そりゃ、健康そのものですよ」
あくる朝、まず、社長がホテルに迎えに来て、揃ってサロンで待っていると、大型の自動車が入って来た。操縦席から下りたヘルメットの若い紳士を、社長は護謨園の経営主だと紹介した。
「電話でよく判らなかったが……」
と経営主は云ってから、次に、私たちに、
「いらっしゃい。鰐ぐらいは見られます」
と気軽に云った。
車は町を出て、ジョホール街道を疾駆して行った。速力計の針が六十五哩と七十哩の間をちらちらすると、車全体が唸る生きものになって、広いアスファルトの道は面前に逆立ち、今まで眼にとまっていた榕樹の中の草葺きの家も、椰子林の中の足高の小屋も,樹を切り倒している馬来人の一群も、総て緑の奔流に取り込められ、その飛沫のように風が皮膚に痛い。大きな歯朶や密竹で装われている丘がいくつか車の前に現われ、後に弾んで行く。マークの付いている石油タンクが乱れた列をなして、その後にじりじりと、輾転して行く。
「イギリス海軍用のタンク」
水が見える。綺麗な可愛らしい市が見える。ジョホール海峡の陸橋を渡って、見えていた市の中を通って、なおしばらく水辺に沿って行った処で若い紳士は車を停め、土地の名所である囘教の礼拝堂を見せた。がらんとして何もない石畳と絨毯の奥まった薄闇へ、高い窓から射し入る陽の光がステンドグラスの加減で、虹ともつかず、花明りともつかない表象の世界を幻出させている。それを眺めていると、心が虚ろになって、肉体が幻の彩りのままに染め上げられて仕舞いそうな危険をほとほと感ずる。私たちは新嘉坡の市中で、芭蕉の葉で入口を飾り、その上へ極端な性的の表象を翳しているヒンズー教の寺院を見た。それは精力的に手の込んだ建築であった。
虚空を頭とし、大地を五体とし、山や水は糞尿であり、風は呼吸であり、火はその体温であり、一切の生物無生物は彼の生むところと説く、シバ神崇拝に類して精力を愛するこの原始の宗教が、コーランを左手に剣を右手に、そして、ときどき七彩の幻に静慮する囘教に、なぜ民族の寵をば奪われたのであろうか。そしてその囘教がなぜまた西欧の物質文化に圧えられたのであろうか。
私は取り留めもない感想に捉われながら、娘を見ると、いよいよ不思議な娘に見える。娘はモデレートな夏の洋装をしているのだが、それは皮膚を覆う一重のものであって、中身はこの囘教の寺院の中に置けば、この雰囲気に相応しく、ヒンズー教の精力的な寺院の空気にも相応しかった。そればかりでなく、この地の活動写真館のアトラクションで見た暹羅のあのすばらしく捌きのいい踊りを眺めていた時の彼女に、私はその踊りを習わせて、名踊子にしたい欲望さえむらむらと起ったほど、それにも相応しいものがあった。
一体この娘は無自性なのだろうか、それとも本然のものを自覚して来ないからなのだろうか。また再び疑わねばならなくなった。
それから凡そ七十哩許り疾走して、全く南洋らしいジヤングルや、森林の中を行くとき、私は娘に訊いた。
「どう」
「いいですわね」
「いいですって……どういうふうにいいの」
「そうねえ……ここに一生住んで、自分のお墓を建てたいくらい」
そういう娘の顔は、さしかける古い森林の深いどす青い蔭を撥ね返すほど生気に充ちていた。
時々爆音が木霊する。男達は意味あり気な笑いを泛べて、
「やっとるね」
「うん、やっとるね」
と云った。
それは海峡の一部に出来るイギリス海軍根拠地の大工事だと、社長は説明した。
道が尽きてしまって、そこから私たちはトロッコに乗せられた。箱車を押す半裸体の馬来人は檳榔子の実を噛んでいて、血の色の唾をちゅっちゅと枕木に吐いた。護謨園の事務所に着いた。
事務所は椰子林の中を切り拓いて建てた、草葺きのバンガロー風のもので、柱は脚立のように高く、床へは階段で上った。粘って青臭い護謨の匂いが、何か揮発性の花の匂いに混って来る。
壁虎《やもり》がきちきち鳴く。気味の悪い夜鳥の啼き声、――夕食後私はヴェランダの欄干に凭れた。私のいる位置のいびつに切り拓かれた円味のある土地を椰子の林が黒く取巻いている。截り立つたような梢は葉を参差していて、井戸の底にいるような位置の私には、草《くさ》荵《しのぶ》の生えた井の口を遥かに覗き上げている趣であった。
この狭い井の口から広大に眺められる今宵の空の、何と色濃いことであろう。それを仰いでいると、情熱の藍壺に面を浸し、瑠璃色の接吻で苦しく脣を閉じられているようである。夜を一つの大きな眼とすれば、これはその見詰める瞳である。気を取り紛す燦々たる星がなければ、永くはその凝澄した注視に堪えないだろう。
燦々たる星は、もはやここではただの空の星ではない。一つずつ膚に谷の刻みを持ち、ハレーションを起しつつ悠久に蒼海を流れ行く氷山である。そのハレーシーョンに薄肉色のもあるし、黄薔薇色のもある。紫色が爆ぜて雪白の光芒を生んでいるものもある。私は星に一々こんな意味深い色のあることを始めて見た。美しい以上のものを感じて、脊椎骨の接ぎ目接ぎ目に寒気がするほどである。
空地の真中から、草葺きのバンガローが切り拓かれた四方へ大ランプの燈の光を投げている。
その光は巻き上げた支那簾と共に、柱や簾に絡んでいる凌霄花にやや強く当る。欄干の下に花壇もあるらしい。百合と山〓子《さんざし》の匂いとだけ判って、あとは私の嗅覚に慣れない、何の花とも判らない強い薬性の匂いが入り混って鬱然と刺戟する。
私と社長は、その凌霄花の蔭のベランダで、食後の涼をいつまでも入れている。娘は食後の洗物を手伝って、それから蓄音機をかけて、若い事務員たちのダンスの相手をしてやっていたが、疲れた様子もなく、まだ興を逐うこの僻地に仮住する青年たちのために、有り合せの毀れギターをどうやら調整して、低音で長唄の吾妻八景かなにかを弾いて聞かしている。若い経営主もその仲間に入っている。
ここへ来てからの娘の様子は、また、私を驚かした。経営主の他、五六人居る邦人の事務員たちは、私たちの訪問を歓迎するのに、いろいろ心を配ったようだが、突然ではあり、男だけで馬来人を使ってする支度だけに、一向捗らず、私たちの着いたとき、まだ戸惑っていた。それと見た娘は、
「私もお手伝いさせて頂きますわ」
と云ったきり、私たちから離れて、すっかり事務所の男達の中に混り、野天風呂も沸せば、応接用の室を片付けて、私たち女二人のための寝室も作った。
「森はずれから野鶏と泥亀を見付けて来たんですが、どう料理したらご馳走になるか、へ《ヽ》ば《ヽ》っ《ヽ》て《ヽ》いましたら、お嬢さんが、すっかり指図して教えて呉れたんで、とても上等料理が出来ました。これならラフルス・ホテルのメニューにだってつけ出されまさ」
事務員の一人は、晩餐の食卓でこう云った。なるほど、支那料理めいたもの、日本料理めいたもののほかに、容器は粗末だが、泥亀をタアトルス・スープに作ったものや、野鶏をカレー入りのスチューにしたものは特に味がよかった。
「わたくしだって、こんな野生のものを扱うの初めてですわ。学校の割烹科では、卒業生が馬来半島へ出張料理することを予想して、教えては呉れませんでしたもの」
娘は、また、こんなことを云って、座を取り持った。主人側の男たちは靉靆として笑った。
娘が、こういう風に、一人で主人側との折衝を引受けて呉れるので私は助かった。
私は私が始めてあの河沿いの部屋を借りに行ったとき、茶絹のシャツを着、肉色の股引を穿いて、店では店の若い者に交り、河では水揚げ帳を持って、荷夫を指揮していた娘を想い出した。そして、この捌けて男慣れのした様子は、あまりに易々としたところを見せているので、私はまたこれが娘の天性であって、私が附合い、私がそれに捲き込まれて骨を折っている現在の事は、何だか私の感情の過剰から余計なおせっかいをしているのではないかという、いまいましいような反省に見舞われそうになった。
事務員の青年達は、靉靆として笑い、娘に満足させられている様子でも、それ以上には出ないようであった。たった一人、ウイスキーに酔った青年が、言葉の響きを娘にこすりつけるようにして、南洋特産と噂のある媚薬の話をしかけた。すると娘は、悪びれず聞き取っていて、それから例の濃い睫毛を俯目にして云った。
「ほんとにそういう物質的のもので、精神的のものが牽制できるものならば、私の関り合いにも一人飲ませたい人間があるんでございますわ」
その言葉は、真に自分の胸の底から出たものとも、相手の話し手に逆襲するとも、どっちにも取れる、さらさらした間を流れた。
そこに寂しい虚白なものが、娘の美しさを一時飲み隠した。それは、もはや二度と誰もこういう方面に触るる話をしようとするものはなくなったほど、周囲の人間に肉感的なもの、情慾的なものの触手を収歛さす作用を持っていた。それで、娘が再び眼を上げて華やかな顔色に戻ったとき、室内はただ明るく楽しいことが、事務的に捗って行く宴座となった。けれども、娘は座中の奉仕を決して義務と感ずるような気色は少しも見せず、室内の空気に積極的に同化していた。
中老の詩人社長は、欄干の籐椅子で、まだビールのコップを離さず、酔いに舌甜めずりをしていた。
「東北風を斜めに受けながら、北流する海潮を乗り越えつつ、今や木下君の船は刻々馬来半島の島角に近づきつつあるのです。送るのは水平線上の南十字星、迎えるのは久恋の佳人。いいですな。木下君は今や人間のありとあらゆる幸福を、いや全人類の青春を一人で背負って立っているようなものです」
彼はすっかり韻文の調子で云って、それから、彼の旧作の詩らしいものを、昔風の朗吟の仕方で謡った。
星の海に
船は乗り出でつ
魂《たま》惚《ほ》るる夜や
…………
…………
親しき息は海に通い
ささやきは胸に通い
…………
浪枕
社長は私が話した海の上の男と、娘との間の複雑した事情は都合よく忘れて仕舞い、二人の間の若い情緒的なものばかりを引抽《ぬ》いて、或は空想して、それに潤色し、自分の老いの気分が固着するのを忘れ、現在の殻から一時でも逃れて瑞々しい昔の青春に戻ろうと努めているらしいその願いが、如何にも本能的で切実なものであるのに私の心は動かされた。朗吟も旧式だが、誇張的のまま素朴で嫌味はなかった。
親しき息は海に通い
ささやきは胸に通い――
壁虎《やもり》が鳴く、夜鳥が啼く。私にも何となく甘苦い哀愁が抽き出されて、ふとそれがいつか知らぬ間に海の上を渡っている若い店員にふらふら寄って行きそうなのに気がつくと、
「なにを馬鹿らしい。ひとの男のことなぞ」
と嘲って呆れるのであるが、なおその想いは果実の切口から滲み出す漿液のように、激しくなくとも、直ぐには止まらないものであった。
何がそうその男を苦しめて、陸の生活を避けさせ、海の上ばかり漂泊さすのか。
ひょっとしたら、他に秘密な女でもあって、それに心が断ち切れないのではあるまいか。
或は、この世の女には需め得られないほどの女に対する欲求を、この世の女にかけているのではあるまいか。
或は、生れながら人生に憂愁を持つ、ハムレット型の人物の一人なのではあるまいか。
女のよきものをまだ真に知らない男なのではあるまいか。
こういうことを考えらしている間に、憐れな気持、嫉妬らしい気持、救ってやり度い気持、慰めてやりたい気持、詰ってやり度い心持、圧し捉まえてやり度い心持が、その男に対してふいふいと湧き出して来て、少し胸が苦しいくらいになる。恐らくこれは当事者の娘が考えたり感じねばならないことだろうにと私は、私の心の変態の働きに、極力用心しながら、室内の娘を見ると、いよいよ鮮やかに何の屈託もない様子で、歌留多の札を配っている。
私はふと気がついて、
「あの女は、自分の愛の悩みをさえ、奴隷に代ってさせるという世にも珍らしいサルタンのような性質を持っている女なのではあるまいか」
そして、それを知らないで、みすみすその精神的労苦を引受けた自分こそ、よい笑われものである。急に娘に対する憎しみが起った。だが、また娘の顔を覗くと、あんまり鮮やかで屈託がなさ過ぎる。私の反感も直ぐに消えてしまう。
「この無邪気さには、とても敵はない」
私は気力も脱けて、今度はしきりに朗吟の陶酔に耽っている社長の肩を揺って正気に還らせ、
「これは真面目なご相談ですが……」と、木下の新嘉坡に於ける女出入りや、その他の素行に就いて、私はまるで私立探偵のように訊き質すのであった。
深林の夜は明け放れ、銀色の朝の肌が、鏡に吐きかけた息の曇りを除くように、徐々に地霧の中から光り出して来た。
一本のマングローブの下で、果ものを主食の朝餐が進行した。レモンの汁をかけたパパイヤの果肉は、乳の香がやや酸敗した孩児《あかご》の頬に触れるような、〓《やわら》かさと匂いがあった。指ほどの長さでまるまると肥っている、野性のバナナは皮を剥ぐと、見る見る象牙色の肌から涙のような露を垂した。柿の型をした紫の殻を裂くと、棉の花のような房が甘酸く脣に触れるマンゴスチンも珍しかった。
「ドリアンがあると、こっちへいらしった記念に食べた果ものになるのですがね。生憎と今は季節の間になっているので……。僕等には妙な匂いで、それほどとも思いませんが、土人たちは所謂女房を質に置いても喰うという、何か蠱惑的なものがあるんですね」若い経営主は云った。
「南洋の果ものには、ドリアンばかりでなく、何か果もの以上に蠱惑的なものがあるらしいです。ご婦人方の前で、そう云っちゃ何ですが、僕等だとて独身でこんなとこへ来て、いろいろ煩悩も起ります。けれどもそういうものの起ったとき、無暗にこれ等の豊饒な果ものにかぶりつくのです。暴戻にかぶりつくのです。すると、いつの間にか慰められています。だから手許に果ものは絶やさないのです」
若い経営主は、紫色の花だけ眼のように涼しく開けて、葉はまだ閉じて眠っているポインシャナの叢を靴の底でいじらしそうに擦りながら、こう云った。
娘は、今朝も事務員に混っていろいろ手伝っていたが、何となくそわそわしていた。そして、話にばつを合せるように、私には嫌味に思える程、きらきらした作り笑いの声を挙げた。しかし、若い経営主が、こう云うにつれ、他の若い男たちも悵然とした様子をみて、娘は心から同情する気持を顔に現わした。
「僕の慰めは酒と子供だな」と社長は云った。
彼は今朝もビールを飲んでいた。
「君にもまだ慰めなくちゃならない煩悩があるのかね」と若い経営主は云った。「そんなにチツテ族の酋長のような南洋色になっても」
社長は、「ある――大いにある」と呶鳴ったが、誰も酔の上の気〓と思って相手にしない。社長は口を噤んで仕舞った。
逆巻く濤のように、梢や枝葉を空に振り乱して荒れ狂っている原始林の中を整頓して、護謨の植林がある。青臭い厚ぼったいゴムの匂いがする。白紫色に華やぎ始めた朝の光線が当って、閃く樹皮は螺旋状の溝に傷つけられ、溝の終りの口は小壺を銜えて樹液を落している。揃って育児院の子供等が、朝の含嗽をさせられているようでもある。馬来人や支那人が働いている。
「僕等は正規の計画の外、郷愁が起る毎に、この土に護謨の苗木を、特に一列一列植えるのです。妄念を深く土中に埋めるのです」
その苗木の列には、或は銀座通とか、日比谷とか、或は植え主の生地でもあろうか、福岡県――郡――村とか書いた建札がしてあった。
若い経営主は、努めて何気なく云うのだが、娘は堪らなそうに、涙をぽたぽたと零して、急いでハンカチを出した。
中老の社長は、こういう普通の感傷を珍らしいように眺め、私に云った。
「どうです。あなた方も、記念に一本ずつ植えて行っては」
護謨園の中を通っている水渠から丸木船を出して、一つの川へ出た。ジョホール河の支流の一つだという。大きな歯朶とか蔓草で暗い洞陰を作っている河岸から少し分れて、流れの中に岩石がある。
「あすこによく鰐の奴が、背中を干しているのだが、……」と事務員の一人が指さしたが、そのすぐあと、艫の方にいた事務員が云った。
「こっちこっち、あすこにいます」
濁った流れの中に、黒っぽいものが、渦を水に曳いて動くのが見えた。また、その周囲にそれも生きものが泳ぐのかと思われるほどの微かな小さい渦が見える。
「は、は、は、子供を連れとる」
私の気持はというと、この原始の自然があまりに、私たちの自然と感じ慣れているものより差異があり、この現実が却って、百貨店の催しものの、造り庭のように見え、この南洋風景図の背景の前に、鰐がいるのは当然の趣向に見え、もう少し脅えたい気持をさえ自分に促した。
鰐に向ける銃声の方が本当の鰐に対するより却って私たちを驚かした。鰐は影を没した。
「鉄砲の音は痛快ね」と娘は云って、しきりに当もなく発砲して貰った。
「あなた方内地の女性に向って、ふだん考え溜めていたことを、話し出せそうな緒口が見つかったようになって、お訣れするのは惜しいものです」と若い経営主は云った。
私も、「こういう本当の自然と、それを切り拓いて行く人間の仕事に就いて、漸く眼が開きかかって来たのに、お訣れするのは、まったく惜しい気が致します」と云った。
娘は俯向いて、型のようにちょっと無名指の背の節で眼を押えた。その仕草が、日本女性のこういう場合にとる普通の型のように見え乍ら、私はやはりこの異境にまで男を尋ねて来た娘が何かと感傷的になっている証拠にも見た。
私たちはジョホール河のベンゲラン岬から、馬来人が舵を執り、乗客も土人ばかりのあやしいまで老い朽ちた発動機船に乗った。
「腰かけたまわりには、さっき上げといた蚤取粉を撒くんですよ。そうしないと虫に食われますよ」見送りの事務員の労った声が桟橋から響いた。娘はポケットを押えてみて、窓からお叩頭をした。
怠惰なエンジンの音が聞えて、機船は河心へ出た。河と云いながら、大幅な両岸は遠く水平線に退いて、照りつける陽の下に林影だけ一抹の金の塗粉のようになって見えた。それが水天一枚の瑠璃色の面でしばしば断ち切られて、だんだん淡く、蜃気楼の島のように中空に映り霞んで行く。たゆげな翼を伸ばした鳥が、水に落ちようとしてたゆたっている。
昼前に新嘉坡の郊外のカトン岬の小さな桟橋についた。娘の待つ男の船は、今夜か明朝、新港に着く予定であった。
「まだ時間は大丈夫だ。ゆっくりして行きましょう。この辺もチャンギーと云って、新嘉坡の名所の一つで、どうせ来なくちゃならないところだ」社長はそう云って、海の浅瀬に差し出してある清涼亭という草葺き屋根の日本人経営の料亭へ私たちを連れて行き、すぐ上衣を脱いだ。
「まあいい所ね」
私も娘も悦んだ。この辺の砂は眩いくらい白く、椰子の密林の列端は裾を端折ったように海の中に入っている。
亭の前の崖下は生《いけ》洲《す》になっていて竹笠を冠った邦人の客が五六人釣をしている。
汐時のすこし湿っぽい畳の小座敷で、社長は無事見学祝いだとか、何とか云っては日本酒の盃を挙げている。海の匂いと酒の匂いが、自分たちの遠い旅をほのぼのと懐しませる。私は生洲から上げたばかりという生け鱸の吸いものの椀を取り上げて、長汀曲浦にひたひたと水量を寄せながら、浜の椰子林をそのまま投影させて、よろけ縞のように揺らめかし、その遥かの末に新嘉坡の白堊の塔と高楼と煤煙を望ましている海の景色に眼を慰めていた。だが、心はまだ頻りに、今朝ジョホール河の枝川の一つで、銃声に驚いて見張った私達の瞳孔に映った原始林の厳かさと純粋さを想い起していた。それはひどく心を直接に衝った。何か人間にその因習生活を邪魔なものに思わせ、それを脱ぎ捨て度い切ない気持にさせた。そしてその原始の自然に食い込んで生活を立てて行く仕事が、何の種類であれ、人間の生きる姿の単一に近いものであるように考えさせられた。始終自然から享ける直接の豊饒な直観に浸れもしよう。
「二万円の護謨園をお買いになれば、年々その収益で、こっちへ休暇旅行が出来ますね。どうです」
座興的であったが、若い経営園主がゆうべ護謨園で話の序にこういうことを云ったのも想い出された。
私の肉体は盛り出した暑さに茹《ゆだ》るにつれ、心はひたすら、あのうねる樹幹の鬱蒼の下に粗い歯朶の清涼な葉が針立っている幻影に浸り入っていた。
そのとき娘が「あらっ!」と云って、椀を下に置いた。そして、
「まあ、木下さんが」と云って眼を瞠って膝を立てた。
小座敷から斜めに距てて、木柵の内側の床を四角に切り抜いて、そこにも小さな生洲がある。遊客の慰みに釣をすることも出来るようになっている。
いま、その釣堀から離れて、家屋の方へ近寄って来る、釣竿を手にした若い逞しい男が、娘の瞳の対象になっている。白いノーネクタイのシャツを着て、パナマ帽を冠ったその男も気がついたらしく、そのがっしりした顔にやや苦み走った微笑を泛べながら、寛やかに足を運んで来た。男は座敷の縁で靴を脱いだ。
「これはこれは、船が早く着いたのかい」
社長も、びっくりして少し乗り出して云った。
「けさ方早く着いちゃってね。早速、ホテルと君の事務所へ電話をかけてみたが、出ているというので、退屈凌ぎにここへ昼寝する積りで来てたんだが……ひょっとするとここへるかも知れないとも思った。なにしろ新嘉坡へ来る内地の客の見物場所はきまっているから」と云って男は朗かに笑った。
私は男がこの座敷へ近寄って来る僅か分秒の間に、男の方はちらりと一目見ただけで、娘の態度に眼が離せなかった。
彼女は男が、娘や私たちを認めて、歩を運び出した刹那に、「あたし――」と云って、かなりあらわに体を慄わして、私の肩に掴まった。その掴まり方は、彼女の指先が私の肩の肉に食い込んで痛い位だった。ふだん長い睫毛をかむって煙っている彼女の眼は、切れ目一ぱいに裂け拡がり白眼の中央に取り残された瞳は、異常なショックで凝ったまま、ぴりぴり顫動していた。口も眼のように竪に開いていた。小鼻も喘いで膨らみ、濃い眉と眉の間の肉を冠る皮膚がしきりに隆まり歪められ、彼女に堪え切れないほどの感情が、心内に相衝撃するもののように見えた。二三度、陣痛のようにうねりの慄えが強く彼女の指先から私の肩の肉に噛み込まれ、同時に、彼女から放射する電気のようなものを私は感じた。私は彼女が気が狂ったのではないかと、怖れながら肩の痛さに堪えて、彼女の気色を窺った。自分でも気がつくくらい、私の唇も慄えていた。
男は席につくと、私に簡単に挨拶した。
「木下です。今度は思いがけないご厄介をかけまして」と頭を下げた。
それから社長に向って、
「いや、あなたにもどうも……」これは微笑しながら云った。
娘は座席に坐り直して、ちょっとハンカチで眼を押えたが、もうそのときは何ともなく笑っている。始めて男は娘に口を切った。
「どうかしましたか」
それは決して惨《むご》いとか冷淡とかいう声の響きではなかった。
「いいえ、あたし、あんまり突然なのでびっくりしたものだから……」そして私の方を振り向いて、「でも、すべて、こちらがいて下さるものですから」と自分の照れかくしをし乍ら私に愛想をした。
娘は直きに悪びれずに男の顔をなつかしそうにまともに見はじめた。だが何気ないその笑い顔の頬にしきりに涙が溢れ出す。娘はそれをハンカチで拭い拭い男の顔から目を離さない――男もいじらしそうに、娘の眼を柔かく見返していた。
社長もすべての疎通を快く感ずるらしく、
「これで顔が揃った。まあ祝盃として一つ」
などとはしゃいだ。
私はふと気がつくと、娘と男から離れて、独り取り残された気持がした。こちらから望んで世話に乗り出したくらいだから、利用されたというようなあくどく僻んだ気持はしないまでも、ただわけもなく寂しい感じが沁々と襲った。――この美しい娘はもう私に頼る必要はなくなった。――しかし、私はどんな感情が起って不意に私を妨げるにしても自分の引受けた若い二人に対する仕事だけは捗らせなくてはならないのである。私は男に、
「それで、結婚のお話は」
ともう判り切って仕舞ったことを形式的に切り出した。すると男はちょっとお叩頭して、
「いや、私の考えがきまりさえしたら、それでよろしいんでございましょう。いろいろお世話をかけて申訳ありません」と云った。
娘は私に向って、同じく頭を下げて済まないような顔をした。
もはや完全に私は私の役目を果した。二人の間に私の挟《さしはさ》まる余地も必要もないのをはっきり自覚した。すると私は早く日本の叔母の許へ帰り、また、物語を書き継ぐ忍従の生活に親しみ度い心のコースが自然私に向って来た。
私たちからは内地の話や、男からは南洋の諸国の話が、単なる座談として交わされた。社長は別室へ酔後の昼寝をしに行った。
この土地常例の驟雨《スコール》があって後、夕方間近くなって、男は私だけに向って、
「ちょっとその辺を散歩しましょう。お話もありますから」と云った。
私は娘の顔を見た。娘は「どうぞ」と会釈した。そこで私は男に連れ立って出た。雨後すぐに真白に冴えて、夕陽に瑩光を放っている椰子林の砂浜に出た。
スコールは右手の西南に去って、市街の出岬の彼方の海に、まだいくらか暗沫の影を残している。男はその方を指して、「こつちはスマトラ」それからその反対の東南方を指して「こっちはボルネオ」それから真正面の青磁色の水平線に、若い生姜の根ほどの雲の峯を、夕の名残りに再び拡げている方を指して、「ずーっと、この奥に爪哇があります。みな僕の船の行くところです」
彼は一本の椰子の樹の梢を見上げて、その雫の落ちない根元の砂上に竹笠を裏返しに置き、更にハンカチをその上に敷き、
「まあ、この上に腰をおろして頂きましょうか」
そして彼は巻莨を取り出して、徐ろに喫っていたが、やがて、私から少し離れて腰をおろして口を切り出した。海を放浪する男にしては珍らしく律儀な処のある性質も、次のような男の話で知られるのであった。
「お手紙で、あの娘と僕とにどうしても断ち切れない絆があることは判りました。実はその絆が僕自身にも強く絡わっていたのがはっきり判ったのでございます。それを御承知置き願って、これから僕の話すことを聞いて戴き度いのです。でないと、僕がここへ来て急に結婚に纏まるのが、単なる気紛れのように当りますから」
彼は、私が大体それを諒解できても、直ぐさま承認出来ないで、黙っているのを見て取ってこう云った。
「僕と許婚も同様なあれと僕との間柄を、なぜ僕がいろいろと迷って来たか、なぜ時には突き放そうとまでしたか、この理由が、あなたにお判りになっていらっしゃらないかも知れませんが……いやあなたばかりではない、あれにもまだ判っていない……」
彼はしまいを独言にして一番肺の底に残して置いたような溜息をした。私は娘の身の上を心配するについての曾ての苛立たしい気持に、再び取りつかれてついこう云ってしまった。
「多分あなただけのお気持でしょう、そんなこと、私たちには判らなかったからこそ、あの娘さんは死ぬような苦しみもし、何のゆかりも無い私のようなものまで、おせっかいに飛び出さなくてはならない羽目に陥って仕舞ったのですわ」
私の語気には顔色と共にかなり険しいものがあったらしい。すると、彼は突き立てている膝と膝との間で、両手の指を神経質に編み合せながら、首を擡げた。
「ご尤もです。しかし僕自身の気持が、僕にはっきり判ったのも、矢張りあなたが仲に入られたお蔭なんです。その前まではただ何となくあの娘は好きだが、あの娘も女だ。あの娘も女だという事が気に入らない。ぼんやりこの二つの間を僕は何百遍となく引きずりされていました。僕とて永い苦しい年月でした。ま、とにかく、僕の身の上話を一応聞いて下さい。第一に僕の人生の出発点からして、捨子という、悲運なハンディキャップがついているんです」
彼の語り出した身の上話とは次のようなものであった。
東京の日本橋から外濠の方へ二つ目の橋で、そこはもはや日本橋川が外濠に接している三叉の地点に、一《いつ》石《こく》橋がある。橋の南詰の西側に錆び朽ちた、「迷子のしるべの石」がある。安政時代、地震や饑饉で迷子が夥しく殖えたため、その頃あの界隈の町名主等が建てたものであるが、明治以来殆ど土地の人にも忘れられていた。
ところが、明治も末に近いある秋、このしるべの石の傍に珍らしく捨子がしてあった。二つぐらいの可愛らしい男の子で、それが木下であった。
その時分、娘の家の堺屋は橋の近くの西河岸に住宅があったので、子のない堺屋の夫妻は、この子を引き取って育てた。それから三年して、この子が五つになった時分に、近所に女中をしていた女が堺屋に現われて、子供の母だと名乗り出た。彼女は前非を悔い、不実を詫びたので、堺屋ではこの母をも共に引き取った。
母は夫と共に日露戦役後の世間の好景気につれ、東京の下町で夫婦共稼ぎの一旗上げるつもりで上京して来た。そういう夫婦の例にままあるとおり無理算段をして出て来た近県の衰えた豪家の夫妻で、忽ち失敗した上、夫は病死し、妻は、今更故郷へも帰れず、子を捨てて、自分は投身しようとしたが、子のことが気にかかり、望みを果さなかった。そして西河岸の同じ町内に女中奉公をして、蔭ながら子供の様子を見守っていたのだった。
堺屋では、男の児の母を家政婦みたように使うことになった。母は忠実によく勤めた。が、子供のことに係わると、堺屋の妻とこの母との間に激しい争いは絶えなかった。
一度捨てたものを拾って育てたのだから、この子はわしのものだと堺屋の妻は云った。一度は捨てたが、この子のために死に切れず、死ぬより辛い恥を忍んで、世間へ名乗り出ることさえした位だから、この子はもとより自分のものだと、木下の母は云った。
「よく考えて見れば、僕にとっては有難いことなのでしょうが、僕は物心ついてから、女のこの激しい争いに、ほとほと神経を使い枯らし、僕の知る人生はただ醜い暗いものばかりでした」
生憎なことに、木下は生みの母より、堺屋の妻の方が多少好きであった。
「堺屋のおふくろさんは、強情一徹ですが、まださっぱりしたところがありました。が、僕を自分ばかりの子にして仕舞いたかった気持には、自分に男の子がないため、是非欲しいという料簡以外に、堺屋の父親が僕をとても愛しているので、それから延いて、僕の生みの母親をも愛しはしないかという心配も幾らかあったらしいのです。こういう気持も混った僕への愛から、堺屋のおふくろは、しまいには僕だけ自分の手許にとどめて、母だけ追い出そうとしきりに焦ったのです。それでも堺屋の母はただ僕の母に表向きの難癖をつけたり、失敗を言い募ったりする、まだ単純なものでした」
ところが、木下の生みの母はなかなか手のある女だった。
「一度こういうことがありました。堺屋のおふくろが、僕に欠《かき》餅《もち》を焼いて呉れていたんです。その側には僕の生みの母親もいました。堺屋のおふくろは、焼いた欠餅を普通に砂糖醤油につけて僕に与えました。すると僕の母はそれを見て、そっとその欠餅を箸で摘み取り、ぬるま湯で洗って改めて、生醤油をつけて、僕に与えました。僕は子供のうちから生醤油をつけた欠餅が好きだったのです」
しかし、いくら子供の好みがそうだからと云って、堺屋のおふくろに面当てがましく、欠餅を目の前で洗い直さないでもよさそうだと木下は思った。その上子供の木下に向って、欠餅を与えながら、一種の手柄顔と、媚びと歓心を求める造り笑いは、木下に嫌厭を催させた。堺屋のおふくろは箸を投げ捨て、怒って立って行った。
「また、こういうことがありました。僕が尋常小学に入った時分でした。その夜は堺屋で恵比須講か何かあって、徹夜の宴会ですから、母親は店へ泊って来る筈です。ところが夜の明け方まえになって、提灯をつけて帰って来ました。そして眼を覚ました僕の枕元に坐って、さめざめと泣くのです。堺屋のお内儀さんに満座の中で恥をかかされて、居たたまれなかったと云います」
これも後で訊ね合せて見ると、母親の術《て》であるらしく、ほんのちょっとした口叱言を種に、子供の同情を牽かんための手段であった。
「何でも下へ下へと掻い潜って、子供の心を握って自分に引き付けようとするこの母親の術には、実に参りました。子供の心は、そういうものには堪えられるものではありません。僕は元来そう頭は悪くない積りですが、この時分は痴呆症のようになって、学校も仮及第ばかりしていました」
木下が九つの時に堺屋の妻は、女子を生んだ。それが今の娘である。しかし、堺屋の妻は、折角楽しんでいた子供が女であることやら、木下の生みの母との争奪戦最中の関係からか、娘の出生をあまり悦びもせず、やはり愛は男の子の木下に牽かれていた。木下の母親は、「自分に実子が出来た癖に、まだ、人の子を付け狙っている。強慾な女」と罵った。
ところが、晩産のため、堺屋の妻は兎角病気がちで、娘出生の後一年にもならないうちに死んで仕舞った。
その最後の病床で、堺屋の妻は、木下の小さい体を確り抱き締めて、「この子供はどうしてもあたしの子」とぜいぜいいって叫んだ。すると生みの母親は冷淡に、「いけませんよ」と云って、その手から木下を〓《も》ぎ去った。堺屋の主人は始め不快に思った、が生みの母のすることだから誰も苦情は云えなかった。
すると堺屋の妻は、木下の母親には、今まで決して見せなかった涙を、死の間近になった顔にぽろぽろと零して、「なる程考えて見ると、今までは私が悪かった。謝るから、どうかこのことだけは一つ自分の遺言だと思って、聴き容れて貰い度い」と云って、次のことを申し出た。つまり自分の生んだ女の子が育って年頃になったなら必ず木下と娶わして欲しいというのであった。木下の母親もそれまでは断る元気もなく、しぶしぶ承知の旨を肯いて見せた。すると堺屋の妻はまだ本当には安心し切らないような様子で半眼を開いて、じっと母と僕と娘の顔を見較べながらやがて死んだ。木下の母親は堺屋の妻の死後までその時の様子を憎んでいた。
娘は乳母を雇って育てられた。木下の母親は自然主婦のような位置に立って、家事を引受けていたが、不思議な事には喧嘩相手の無くなったことに何となく力抜けのした具合で床につきがちになり、それから四年目の、木下が十三歳、娘が五つの年に腹膜炎で死んだ。
そのとき木下の母親の遺言はこうであった。
「ここの家のお内儀さんとの約束だから、息子にお嬢さんを貰うことは承知するが、息子をこの家の養子にやることはどうしても嫌です。なにしろこの息子は木下家の一粒種なのだから……」
母親はふだんから、世が世ならば、こんな素町人の家の娘をうちの息子になぞ権柄ずくで貰わせられることなぞありはしない。資産から云ったって、木下家の郷里の持ちものは、人に奪られさえしなければ、こんな家とは格段の相違があるのだと云っていた。
娘は乳母に養われ父親だけで何も知らずに育ち、木下は店から通って、中学から高等学校に上って行った。
「嫌なものですよ。幼な心に染み込んだ女同士の争いというものは、仲に入っているのが子供で何も判るまいと思うだけに、女たちはあらゆる女の醜さをさらけ出して争います。それはずーっといつまでも人間の心に染みついて残ります。僕は堺屋のおふくろが臨終に最後の力を出して、僕を母親から奪おうとしたときの、死にもの狂いの力と、肉親を強味に冷やかに僕を死ぬ女の手から〓ぎ取った母親の様子を、今でもありありと思い浮べることが出来ます」
それは嫌だと同時に、またどうしても憎み切れないものがある。家というものを護らせられるように出来ている女の本能、老後の頼りを想う女の本能、そういうものが後先の力となって、自分で生むと生まないとに拘らず、女が男の子というものに対する魅着は、第一義的の力であるのであろう。
「そういっちゃ何ですが、僕は子供のときはおっとりして器量もなかなかよく、つまり、一般の母性に恋いつかれるように出来た子供だったらしいのです」
木下は苦笑しながら云った。
娘は片親でも鷹揚に美しく育って行った。いつの間に聞き込んだか、木下と許婚の間柄だと知って、木下を疑わず頼りに思い込んでいる。ところが女の為に女を見る目を僻ませられて仕舞った若い頃の木下には、娘がやさしくなつかしそうにする場合には、例の母親がした媚びて歓心を得る狡い手段ではないかと、すぐそれに対する感情の出口に蓋《ふた》をする気持になり、娘が無邪気に開けて向ってくるときは、堺屋のおふくろがした女の気儘独断を振り翳して来るのではないかと思って、また、感情に蓋をする。
「今考えて見れば、僕は僻みながらも僕の心の底では娘が可哀想で、いじらしくてならなかったのです」
「僕はこの二重の矛盾に堪え切れないで、娘に辛く当ったり、娘をはぐらかして見たり、軽蔑してみたり、あらゆるいじけた情熱の吐き方をしたものです。そうしたあとでは、無垢な、か弱いものを残忍に蹂《ふ》み躪った悔が、ひしひしと身を攻めて来て、もしやこのことのために娘の性情が壊れて仕舞ったら、どうしたらいいだろう……」
彼が学問で身を立てるつもりで堺屋の主人に頼んで、段々と上の学校へ上げて貰おうとしたのは、学問の純粋性が沁み込んで、それによって世の中を見るようになれば、女の持つ技巧や歪曲の世界から脱れようかとも思ったからである。ところが、彼が青年になり、青春の血が動くようになるほど、娘のことを考え、この自分の矛盾に襲われ、結局しどろもどろになって、落着いて学問なぞしていられず、娘を愛しながら、娘の傍にはいたたまれなくなって来た。そうかといって、他の女はもっと女臭いものがより多くあるような気がして、女がふつふつ嫌であった。
とうとう彼は二十一の歳に高等学校をやめて、船に乗り込んで仕舞った。
娘は何も知らずに、木下がやさしい性情が好きなのだと思い取っては、そのようになろうと試み、木下がさっぱりした性格を好むと思い取っては、男のようになって働きもした。木下は迷ってすることだが、娘はただ懸命につき従おうと心を砕いた。
「結局あの娘の持ち前の性格をくたくたに突き崩して、匂いのないただ美しい造花のようにしてしまったのは、僕の無言の折檻にあるのでしょう。それとも女というものは、絆のある男なら誰に対しても遂にそうなる運命の生物なのでしょうか」
青年の木下は、それを憐れみながら、いよいよ愛する娘を持て剰した。
「けれども、海は、殊に、南洋の海は……」と木下は言葉を継いだ。「海は、南洋の海は……」現実を夢にし、夢を現実にして呉れる、神変不思議の力を持っている。むかし印度の哲学詩人たちが、ここには龍宮というものがあって、陸上で生命が屈託するときに、しばらく生命はここに匿れて時期を待つのだといった思想などは、南の海洋に朝夕を送ってみたものでなければ、よく判らないのである。ここへ来ると、生命の外殻の観念的なものが取れて、浪漫性の美と匂いをつけ、人間の嗜みに好もしい姿となって、再び立ち上って来るとかいうのである。
「あなたは東洋の哲学をおやりだという話を、あれの手紙で知りましたが、それなら既にお気付きでしょう。およそ大乗と名付けられる、つまり人間性を積極的に是認した仏教経典等には、かなりその龍宮に匿れていたのを取り出して来たという伝説が附きものになっていましょう。その龍宮を、或は錫蘭《セイロン》島だといい、いや、架空の表現なのだとか、いろいろ議論がありますものの、大体北方の哲学の胚種が、後世文化の発達した、これ等南の海洋の気を受けた土地に出て来て、伸び伸びと芽を吹き、再生産されたことは推測されましょう」
木下はなお南洋の海に就いて語り続ける。遠い水は瑠璃色にのして、表面はに《ヽ》こ《ヽ》毛が密生しているように白っぽくさえ見える。近くに寄せる浪のうねりは琅《ろう》〓《かん》の練りもののように、悠揚と伸び上って来ては、そこで青葉の丘のようなポーズをしばらく取り、容易には崩れない。浪間と浪の陰に当るところは、金砂を混ぜた緑礬液のように、毒と思えるほど濃く凝って、しかもきらきらと陽光を漉き込んでいる。片帆の力を借りながら、テンポの正規的な汽缶の音を響かせて、木下の乗る三千噸の船はこの何とも知れない広大な一鉢の水の上を、無窮に浮き進んで行く。舳の斜めの行手に浪から立ち騰ってホースの雨のように、飛魚の群が虹のような色彩に閃いて、繰り返し海へ注ぎ落ちる。垣のように水平線をぐるりと取り巻いて、立ち騰ってはいつか潰える雲の峯の、左手に出た形と同じものが、右手に現われたと思うと、元のものはすでに形を変えている。
積荷の塩魚のにおいの間から、ふとすると、寒天や小豆粉のかすかなにおいがする。陸地に近づくと大きな蝶が二つ海の上を渡って来る。
「この絢爛な退屈を何十度となく繰り返しているうち、僕はいつの間にか、娘のことを考えれば、何となく微笑が泛べられるように悠揚とした気になって来ました」娘のすることなすことを想像すると、いたいけな気がして、ただ、ほろりとする感じに浸れるだけに彼はなって来た。で、今まで嫌だと感じる理由になっていた、女嫌いの原因になるものは、どうなったかというと、彼の胸の片隅の方に押し付けられて、たいして邪魔にもならなくなって来た。いつの間にか人をこうした心状に導くのが南の海の徳性だろうか。
男はここまで語って眉頭を衝き上げ、ちょっと剽軽な表情を泛べて、私の顔を見た。
「そこへあなたのご周旋だったので、ありがたくお骨折りを受け容れた次第です」
ここで私は更に男に訊ねて見なければ承知出来なかった。
「そういうことなら、なぜ娘さんにその気持の径路を早く云って聞かさないで、こんな処で私一人に今更打ち明けるのです」
「ははあ」と云って男は瞑目していたが、やがて尤もという様子で云った。
「今までの話は、僕はあなたにお目にかかってどうしても聞いて戴き度くなったのですが、これをあの娘に直接話したら……」
だんだん判って来たのだが、元来あの娘には、そういった女臭いところが比較的少ない。都会の始終刺戟に曝されている下町の女の中には、時々ああいう女の性格がある。だが若しそんな話をして、いくらかでも、却って母親達のような女臭さをあの娘に植えつけはしないだろうか。今はあんな娘であるにしても根が女のことだから、今は聞き流していても、それを潜在意識に貯えて、いつ同じ女の根性になって来ないものでも無い……そんな怖れからこれは娘には一切聞かせずに、いっそのことお世話序にあなたにだけ聞いて戴こうと思った。世の中の男のなかにはこういう悩みを持つものもあるものだと、了解して戴き度い……と男の口調や態度には律儀ななかに頼母しい才気が閃くのだった。
陽は殆ど椰子林に没して、酔い痴れた昼の灼熱から醒め際の冷水のような澄みかかるものを湛えた南洋特有の明媚な黄昏の気配が、あたりを籠めて来た。
さき程から左手の方に当ってカトン岬見物の客を相手に、椰子の木に上っては、椰子の実を採って来て、若干の銭を貰っていた土人の子供の猿《ましら》のような影も、西洋人のラッパのような笑声も無くなった。さざ波が星を呼び出すように、海一面に角立っている。
私はこの真摯な青年の私に対する信頼に対して、もはや充分了解が出来ても、何か一言詰《なじ》らないではいられないやや皮肉らしい気持で云った。
「あの娘さんも随分私にご自分の荷をかずけなさいましたが、あなたも最後の捨荷を私にかずけなさいますのね」
そう云いながら、私は少し声を立てて笑った。それは必ずしも不平でないことを示した。
男はちょっとどぎまぎして、私の顔を見たが、必ずしも私が不平でない様子を見て取って、自分も笑いながら、
「やあ御迷惑をかけたもんですなあ……でも、そういう役目も文学をやる方の天職じゃないのですか。何でもそういう人間の悩みを原料として、いつかそれを見事に再生産なさることが……」
「さあどうですか……それもかなりあなたの虫の好い解釈じゃありませんか……」
私はまだこんな皮肉めいたことを云い乍らも、もはや完全にこの若者に好感を感じて言葉の末を笑い声に寛がした。
「やあ、どうも済みませんですなあ……はははは」
男も充分に私の心意を感じていた。
「この広々とした海を見ていると、人間同士そのくらいな精神の負担の融通はつきそうに思えますわ」
私は最後に誰に云うともなく自分ながらおかしい程頼母しげな言葉を吐いた。
さっきからこまかい虫の集まりのように蠢めいていた、新嘉坡の町の灯がだんだん生き生きと煌めき出した。日本料理店清涼亭の灯も明るみ出した。
話し疲れた二人は暫く黙っていた。
波打際をゆっくりと歩いて来る娘と社長の姿が見えた。蛍の火が一すじ椰子の並木の中から流れて来た。娘は手に持っていた団扇をさし上げた。蛍の光はそれにちょっと絡まったが、低く外れて海の上を渡り、また高く上って、星影に紛れ込んで見えなくなった。
私はいま再び東京日本橋箱崎川の水に沿った堺屋のもとの私の部屋にいる。日本の冬も去って、三月は春ながらまだ底冷えが残っている。河には船が相変らず頻繁に通り、向う河岸の稲荷の社には玩具の鉄兜を冠った可愛ゆい子供たちが戦さごっこをしている。
その後の経過を述べるとこうである。
私は遮二無二新嘉坡から一人で内地へ帰って来た。旅先での簡単な結婚式にもせよ、それを済ましたあとの娘を、直ぐに木下に托するのが本筋であると思ったからである。陸に住もうが、海に行こうが、しばらくも離れずにいることが、この際二人に最も必要である。場合によってはと考えて、初めから娘の旅券には暹羅、安南、ボルネオ、スマトラ、爪哇への旅行許可証をも得させてあったのが幸いだった。
私はうすら冷たくほのぼのとした河明りが、障子にうつるこの室に坐りながら、私の最初のプランである、私の物語の娘に附与すべき性格を捕捉する努力を決して捨ててはいない。芸術は運命である。一度モチーフに絡まれたが最後、捨てようにも捨てられないのである。その方向からすれば、この家の娘への関心は私に取って一時の岐路であった。私の初め計画した物語の娘の創造こそ私の行くべき本道である。
だが、こう思いつつ私が河に対するとき、水に対する私の感じが、殆ど前と違っているのである。河には無限の乳房のような水源があり、末にはまた無限に包容する大海がある。この首尾を持ちつつ、その中間に於ての河なのである。そこには無限性を蔵さなくてはならない筈である。
こういうことは、誰でも知り過ぎていて、平凡に帰したことだが、この家の娘が身を賭けるようにして、河上に探りつつ試みたあの土俗地理学者との恋愛の話の味わい、またその娘が遂に流れ去って行った海の果ての豊饒を親しく見聞して来た私には、河は過程のようなものでありながら、しかも首尾に対して根幹の密接な関係があることが感じられる。すればこの仄かな河明りにも、私が曾て憧憬していたあわれにかそけきものの外に、何か確乎とした質量がある筈である――何かそういうものがはっきり私に感じられて来ると、結局、私は私の物語を書き直す決意にまで、私の勇気を立ち至らしめたのである。
雛 妓
なに事も夢のようである。わたくしはスピードののろい田舎の自動車で街道筋を送られ、眼にま《ヽ》ぼ《ヽ》ろ《ヽ》し《ヽ》の都大路に入った。わが家の玄関へ帰ったのは春のたそがれ近くである。花は匂いもない黄《つ》楊《げ》の枝が触れている呼鈴を力なく押す。
老婢が出て来て桟の多い硝子戸を開けた。わたくしはそれとすれ違いさま、いつもならば踏石の上にのって、催促がましく吾妻下駄をかんかんと踏み鳴らし、二階に向って「帰ってよ」と声をかけるのである。
すると二階にいる主人の逸作は、画筆を擱くか、うたた寝の夢を掻きのけるかして、急いで出迎えて呉れるのである。「無事に帰って来たか、よしよし」
この主人に対する出迎えの要求は子供っぽく、また、失礼な所作なのではあるまいか。わたくしはときどきそれを考えないことはない。しかし、こうして貰わないと、わたくしはほんとに家へ帰りついた気がしないのである。わが家がわが家のあたたかい肌身にならない。
もし相手が条件附の好意なら、いかに懐き寄り度い心をも押し伏せて、ただ寂しく黙っている。もし相手が無条件を許すならば暴君と見えるまで情を解き放って心を相手に浸み通らせようとする。とかくに人に対して中庸を得てないわたくしの血筋の性格である。生憎とそれをわたくしも持ち伝えてその一方をここにも現わすのかと思うとわたくしは悲しくなる。けれども逸作は、却ってそれを悦ぶのである。「俺がしたいと思って出来ないことを、おまえが代ってして呉れるだけだ」
こういうとき逸作の眼は涙を泛べている。
きょうは踏石を吾妻下駄で踏み鳴らすことも「帰ってよ」と叫ぶこともしないで、すごすごと玄関の障子を開けて入るわたくしの例外の姿を不審がって見る老婢をあとにして、わたくしは階段を上って逸作の部屋へ行った。
十二畳ほどの二方硝子窓の洋間に畳が敷詰めてある。描きさしの画の傍に逸作は足座をかき茶菓子の椿餅の椿の葉を剥がして黄昏の薄光に頻りに色を検めて見ていた。
「これほどの色は、とても絵の具では出ないぞ」
ひとり言のように言いながら、その黒光りのする緑の椿の葉から用心深くわたくしの姿へ眼を移し上げて来て、その眼がわたくしの顔に届くと吐息をした。
「やっぱり、だめだったのか。――そうか」と言った。
わたくしは頷いて見せた。そして、もうそのときわたくしは敷居の上へじわじわと坐り蹲んでいた。頭がぼんやりしていて涙は零さなかった。
わたくしは心配性の逸作に向って、わたくしが父の死を見て心悸を亢進させ、実家の跡取りの弟の医学士から瀉血されたことも、それから通夜の三日間静臥していたことも、逸作には話さなかった。ただ父に就いては、
「七十二になっても、まだ髪は黒々としていましたわ。死にたくなさそうだったようですわ」
それから、父は隠居所へ隠居してから謙譲を守って、足袋や沓下は息子の穿き古しよりしか穿かなかったことや、後のものに迷惑でもかけるといけないと言って、どうしても後妻の籍を入れさせなかったことや、多少、父を逸作に取成すような事柄を話した。逸作は腕組をして聴いていたが、
「あの平凡で気の弱い大家の旦那にもそれがあったかなあ。やっぱり旧家の人間というものにはひと節あるなあ」
と、感じて言った。わたくしは、なお自分の感想を述べて、
「気持はこれで相当しっかりしているつもりですが、身体がいうことを聞かなくなって……。これはた《ヽ》ま《ヽ》し《ヽ》い《ヽ》よりも何だか肉体に浸み込んだ親子の縁のように思いますわ」と言った。
すると逸作は腕組を解いて胸を張り拡げ、
「つまらんことを言うのは止せよ。それよか、疲れてなければ、おい、これから飯を食いに出掛けよう。服装はそれでいいのか」
と言って立ち上った。わたくしは、これも、なにかの場合に機先を制してそれとなくわたくしの頽勢を支えて呉れるいつもの逸作の気配りの一つと思い、心で逸作を伏し拝みながら、さすがに気がついて「一郎は」と、息子のことを訊いてみた。
逸作はたちまち笑み崩れた。
「まだ帰って来ない。あいつ、研究所の帰りに銀座へでもって、また鼻つまりの声で友達とピカソでも論じてるのだろう」
弁天堂の梵鐘が六時を撞く間、音があまりに近いのでわたくしは両手で耳を塞いでいた。
ここは不忍の池の中ノ島に在る料亭、蓮中庵の角《かど》座敷である。水に架け出されていて、一枚だけ開けひろげてある障子の間から、その水を越して池の端のネオンの町並が見渡せる。
逸作は食卓越しにわたくしの腕を揺り、
「鐘の音は、もう済んだ」と言って、手を離したわたくしの耳を指さし、
「歌を詠む参考に水鳥の声をよく聞いときなさい。もう、鴨も雁も鵜も北の方へ帰る時分だから」と言った。
逸作がご飯を食べに連れて行くといって、いつもの銀座か日本橋方面へは向わず、山の手からは遠出のこの不忍の池へ来たのには理由があった。いまから十八年前、画学生の逸作と娘歌人のわたくしとは、同じ春の宵に不忍池を勧月橋の方から渡って同じくこの料亭のこの座敷でご飯を食べたのであった。逸作はそれから後、猛然とわたくしの実家へ乗り込んでわたくしの父母に強引にわたくしへの求婚をしたのであった。
「そのとき、ここでした君との話を覚えているか。いまのこの若き心を永遠に失うまいということだったぜ」
父の死によって何となく身体に頽勢の見えたわたくしを気遣い逸作は、この料亭のこの座敷でした十八年前の話の趣旨をわたくしの心に蘇らせようとするのであった。わたくしもその誓いは今も固く守っている。だが、
「うっかりすると、すぐ身体が腑が抜けたようになるんですもの――」
わたくしは逸作に護られているのを知ると始めて安心して、歿くなった父に対する涙をさめざめと流すことが出来た。
父は大家の若旦那に生れついて、家の跡取りとなり、何の苦労もないうちに、郷党の銀行にただ名前を貸しといただけで、その銀行の破綻の責を一家に引受け、預金者に対して蔵屋敷まで投げ出したが、郷党の同情が集まり、それほどまでにしなくともということになり、息子の医者の代にはほぼ家運を挽回するようになった。
しかしその間は七八年間にもせよ、父のこの失態の悔は強かった。父はこの騒ぎの間に愛する妻を失い、年頃前後の子供三人を失っている。何れもこの騒ぎの影響を多少とも受けているであろう。家によってのみ生きている旧家の人間が家を失うことの怯えは何かの形で生命に影響しないわけはなかった。晩年、父の伎倆としては見事過ぎるほどの橋を奔走して自町のために造り、その橋によってせめて家名を郷党に刻もうとしたのも、この悔を薄める手段に外ならなかった。
逸作は肉親関係に対しては気丈な男だった。
「芸術家は作品と理解者の外に肉親はない。芸術家は天下の孤児だ」そう言って親戚から孤立を守っていた。しかしわたくしの実家の者に対しては「一たいに人が良過ぎら」と言って、秘かに同情は寄せていた。
「俺はおまえを呉れると先に口を切ったおふくろさんの方が好きなんだが、そうかなあ、矢張り娘は父親に懐くものかなあ」
そう言って、この際、充分に泣けよとばかりわたくしを泣かして置いて呉れた。わたくしはおろおろ声で、
「そうばかりでもないんだけれど、今度の場合は」と言って、なおも手巾を眼に運んでいた。
食品が運ばれ出した。私は口に味もない箸を採りはじめる。木の芽やら海胆やら、松露やら、季節ものの匂いが食卓のまわりに立ち籠めるほど、わたくしはいよいよ感傷的になった。十八年の永い間、逸作に倣ってわたくしは実家のいかな盛衰にもあらわな情を見せまいとし、父はまた、父の肩に剰る一家の浮沈に力足らず、わたくしの喜憂に同ずることが出来なかった。若き心を失うまいと誓ったわたくしと逸作との間にも、その若さと貧しさとの故に嘗て陥った魔界の暗さの一ときがあった。それを身にも心にも歎き余って、たった一度、わたくしは父に取り縋りに行った。すると父は玄関に立ちはだかったまま「え――どうしたのかい」と空々しく言って、困ったように眼を外らし、あらぬ方を見た。わたくしはその白眼がちの眼を見ると、絶望のまま何にも言わずにすぐ、当時、灰のように冷え切ったわが家へ引き返したのであった。
それが、通夜の伽の話に父の後妻がわたくしに語ったところに依ると、
「おとうさんはお年を召してから、あんたの肉筆の短冊を何処かで買い求めて来なさって、ときどき取り出しては人に自慢に見せたり自分でも溜息をついては見ていらっしゃいました。わたしがあのお子さんにおっしゃったら幾らでもじかに書いて下さいましょうにと申しましたら、いや、俺はあの娘には何にも言えない。あの娘がひとりであれだけになったのだから、この家のことは何一つ頼めない。ただ、蔭で有難いと思っているだけで充分だ」と洩らしたそうである。
こんな事柄さえ次々に想い出されて来た。食品を運んで来る女中は、わたくしたち中年前後の夫妻が何か内輪揉めで愁歎場を演じてるとでも思ったのか、なるべくわたくしに眼をつけないようにして襖からの出入りの足を急いだ。
七時のときの鐘よりは八時の鐘は、わたくしの耳に慣れて来た。今は耳に手を当てるまでもなく静かに聞き過された。一枚開けた障子のから、漆のような黒い水に、枯れ蓮の茎や葉が一層くろぐろと水面に伏さっているのが窺われる。その起伏のさまは、伊香保の湯の宿の高い裏欄干から上つ野毛、下つ野毛に蟠る連山の頂上を眺め渡すようだった。そのはろばろと眺め渡して行く起伏の末になると、枯蓮の枯葉は少くなり、ただ撓み曲った茎だけが、水上の形さながらに水面に落す影もろとも、いろいろに歪みを見せたOの字の姿を池に並べ重ねている。わたくしはむかし逸作がこの料亭での会食以前、美術学校の生徒時代に、彼の写生帳を見ると全頁悉くこの歪んだOの字の蓮の枯茎しか写生してないのを発見した。そしてわたくしは「あんたは懶けものなの」と訊いた。すると逸作は答えた。「違う。僕は人生が寂しくって、こんな楽書みたいなものの外、スケッチする張合いもないのです」わたくしは訊ね返した。「おとうさんはどうしてらっしゃるの。おかあさんはどうしてらっしゃるの。そして、ごきょうだいは」逸作は答えた。「それを訊かないで下さい。よし、それ等があるとしたところで僕はやっぱり孤児の気持です」逸作はその孤児なる理由は話さなかったが、わたくしにはどうやら感じられた。「可哀そうな青年」
何に愕いてか、屋後の池の方で水鳥が、くわ、くわ、と鳴き叫び、やがて三四羽続けて水を蹴って立つ音が聞える。
わたくしは淋しい気持に両袖で胸を抱いて言った。
「今度こそ二人とも事実正銘の孤児になりましたのね」
「うん、なった。――だが」
ここでちょっと逸作は眼を俯向けていたが何気なく言った。
「一郎だけは、二人がいなくなった後も孤児の気持にはさしたくないものだ」
わたくしは再び眼を上げて、蓮の枯茎のOの字の並べ重なるのを見る。忽忙として脳裡に過ぎる十八年の歳月。
ふと気がついてみると、わたくしの眼に蓮の枯茎が眼について来たのには理由があった。
夜はやや更けて、天地は黒い塀を四壁に立てたように静まり閉すにつれ、真向うの池の端の町並の肉色で涼しい窓々の灯、軒や屋根に色の光のレースを冠せたようなネオンの明りはだんだん華やいで来た。町並で山下通の電車線路の近くは、表町通の熾烈なネオンの光を受け、まるで火事の余〓を浴びているようである。池の縁を取りまいて若い並木の列がある。町並の家総体が一つの発光体となった今は、それから射出する夜の灯で、これ等の並木は影くろぐろと生ける人の列のようにも見える。並木に浸み剰った灯の光は池の水にも明るく届いて、さてはその照り返しで枯蓮の茎のO字をわたくしの眼にいちじるしく映じさすのであった。更に思いらされて来るこれから迎えようとする幾歳かの茫漠とした人生。
水鳥はもう寝たのか、障子の硝子戸を透してみると上野の森は深夜のようである。それに引代え廊下を歩く女中の足音は忙しくなり、二つ三つ隔てた座敷から絃歌の音も聞え出した。料亭持前の不夜の営みはこれから浮き上りかけて来たようである。そのとき遠くの女中の声がして、
「かの子さーん」
と呼ぶのが聞えた。それはわたくしと同名の呼名である。わたくしと逸作は、眼を円くして見合い、含み笑いを唇できっと引き結んだ。
もう一度、
「かの子さーん」と聞えた。すると、襖の外の廊下で案外近く、わざとあどけなく気取らせた小娘の声で、
「はーい。ただ今」
そして、これは本当のあどけない足取りでばたばたと駆けて行くのが聞えた。
「お雛妓だ」
「そうねえ」
(筆者はここで、ちょっとお断りして置かねばならない事柄がある。ここに現れ出たこの物語の主人公雛妓かの子は、この物語の副主人公わたくしという人物とも、また、物語を書く筆者とも同名である。このことは作品に於ける芸術上の議論に疑惑を惹き起し易い。また、なにか為にするところがあるようにも取られ易い。これを思うと筆はちょっと臆する。それで筆者は幾度か考え直すに努めて見たものの、これを更えてしまっては、全然この物語を書く情熱を失ってしまうのである。そこでいつもながらの捨身の勇気を奮い気の弱い筆を叱って進めることにした。よしやわざくれ、作品のモチーフとなる切情に殉ぜんかなと)
からし菜、細根大根、花菜漬、こういった旬《しゆん》の青味のお漬物でご飯を勧められても、わたくしは、ほんの一口しか食べられなかった。
電気ストーブをつけて部屋を暖かくしながら、障子をもう一枚開け拡げて、月の出に色も潤《うる》みだしたらしい不忍の夜の春色でわたくしの傷心を引立たせようとした逸作も遂に匙を投げたかのように言った。
「それじゃ葬式の日まで、君の身体が持つか持たんか判らないぜ」
逸作はしばらく術無げに黙っていたが、ふと妙案のように、
「どうだ一つ、さっきのお雛妓の、あの若いかの子さんでも聘んで元気づけに君に見せてやるか」
逸作は人生の寂しさを努めて紛らすために何か飄逸な筆つきを使う画家であった。都会児の洗煉透徹した機智は生れ付きのものだった。だが彼は邪道に陥る惧れがあるとて、ふだんは滅多にそれを使わなかった。ごく稀に彼はそれを画にも処世上にも使った。意表に出るその働きは水際立って功を奏した。
わたくしはそれを知っている故に、彼の思い付きに充分な信頼を置くものの、お雛妓を聘ぶなどということは何ぼ何でも今夜の場合にはじゃらけた気分に感じられた。それに今までそんなことを嘗てしたわたくしたちでもなかった。
「いけません。いけません。それはあんまりですよ」
わたくしの声は少し怒気を帯びていた。
「ばか。おまえは、まだ、あのおやじのこころをほんとによく知っていないのだ」
そこで逸作は、七十二になる父が髪黒々としつつ、そしてなお生に執したことから説いて、
「おやじは古《ふ》り行く家に、必死と若さを欲していたのだ。あれほど愛していたおまえのお母さんが歿くなって間もなく、いくら人に勧められたからとて、聖人と渾名されるほどの人間が直ぐ若い後妻を貰ったなぞはその証拠だ」と言った。
父はまた、長男でわたくしの兄に当る文学好きの青年が大学を出ると間もなく夭死した。その墓を見事に作って、学位の文学士という文字を墓面に大きく刻み込み、毎日々々名残り惜しそうにそれを眺めに行った。
「何百年の間、武蔵相模の土に亙って逞しい埋蔵力を持ちながら、匍《は》い松のように横に延びただけの旧家の一族に付いている家霊が、何一つ世間へ表現されないのをおやじは心魂に徹して歎いていたのだ。おやじの遺憾はただそれ許りなのだ。おやじ自身はそれをはっきり意識に上す力はなかったかも知れない。けれど晩年にはやはりそれに促されて、何となくおまえ一人の素質を便りにしていたのだ。この謎はおやじの晩年を見るときそれはあまりに明かである。しかし望むものを遂におまえに対して口に出して言える父親ではなかった以上、おまえの方からそれを察してやらなければならないのだ。この謎を解いてやれ。そしてあのおやじに現われた若さと家霊の表現の意志を継いでやりなさい。それでなけりゃ、あんまりお前の家のものは可哀想だ。家そのものが可哀想だ」
逸作はここへ来て始めて眼に涙を泛べた。
わたくしは「ああ」と言って身体を震った。もう逸作に反対する勇気はなかった。わたくしはあまりに潔癖過ぎる家伝の良心に虐まれることが度々ある。そのときその良心の呵責さえ残らず打明けて逸作に代って担って貰うこともある。で、今の場合にも言った。
「任せるわ、じゃ、いいようにしてよ」
「それがいい。お前は今夜ただ、気持を取り直す工夫だけをしなさい」
逸作は、もしこのことで不孝の罰が当るようだったら俺が引受けるなどと冗談のように言って、それから女中に命じて雛妓かの子を聘することを命じた。幸いに、かの女はまだ帰らないで店にいたので、女中はその座敷へ「貰い」というものをかけて呉れた。
「今晩は」
襖が開いて閉って、そこに絢爛な一《ヽ》つ《ヽ》く《ヽ》ね《ヽ》の絹布れが伏した。紅紫と卵黄の色彩の喰み合いはまだ何の模様とも判らない。大きく結んだ背中の帯と、両方へ捌き拡げた両袖とが、ちょっと三番叟の形に似ているなと思う途端に、むくりと、その色彩の喰み合いの中から操り人形のそれのように大桃割れに結って白い顔が擡げ上げられた。そして、左の手を腰にしゃんと立て、小さい右の手を前方へ突き出して恰も相手に掌の中を検め見さすようなモーションをつけると同時に男の声に擬して言った。
「やあ、君、失敬」
眼を細眼に開けてはいるが、何か眩しいように眼瞼を震わせ、瞳の焦点は座敷を抜けて遥か池の彼方の水先に放っている。それは小娘ながらも臆した人の偽りを言うときの眼の遣り所に似ている。かの女はこの所作を終えると、自分のしたことを自分で興がるように、また抹殺するように、きゃらきゃらと笑って立ち上った。きゃらきゃらと笑い続けて逸作の傍の食卓の角へ来て、ぺたりと坐った。
「お酌しましょうよ」
わたくしはこの間に、ほんの四つ五つの型だけで全身を覆うほどの大矢羽根が紅紫の鹿の子模様で埋り、余地の卵黄色も赤白の鹿の子模様で埋まっているのを見て、この雛妓の所作のどこやら場末臭いもののあるのに比して、案外着物には抱主は念を入れているなと見詰めていた。
雛妓はわたくしたちの卓上が既に果ものの食順にまで運んでいるのを見て、
「あら、もうお果ものなの。お早いのね。では、お楊子」
と言って、とき色の鹿の子絞りの帯上げの間からやはり鹿の子模様の入っている小楊子入れを出し、扇形に開いてわたくしたちに勧めた。
「お手拭きなら、ここよ」
「なんて、ま《ヽ》せ《ヽ》たやつだ」
座敷へ入って来てから、ここまでの所作を片肘つき、頬を支えて、ちょうどモデルでも観察するように眼を眇《すが》めて見ていた逸作は、こう言うと、身体を揺り上げるようにして笑った。
雛妓は、逆らいもせず、にこりと媚びの笑いを逸作に送って、「でしょう」と言った。
わたくしはまた雛妓に向って「きれいなお衣裳ね」と言った。
逸作は身体を揺り上げながら笑っている間に画家らしく、雛妓の顔かたちを悉皆観察して取ったらしく、わたくしに向って、
「名前ばかりでなく、顔もなんだかお前に似てるぜ。こりゃ不思議だ」と言った。
着物の美しさに見惚れている間にもわたくしもわたくしのどこかの一部で、これは誰やらに、そしてどこやらが似ていると頻りに思い当てることをせ《ヽ》つ《ヽ》く《ヽ》ものがあった。そしてやっと逸作の言葉でわたくしのその疑いは助け出された。
「まあ、ほんとに」
わたくしの気持は〓でちょっと呆れ返り、何故か一度、悄気返りさえしているうちに、もうわたくしの小さい同名に対する慈しみはぐんぐん雛妓に浸み向って行った。わたくしは雛妓に言った。
「かの子さん。今夜は、もう何のお勤めもしなくていいのよ。ただ、遊んで行けはいいのよ」
先程からわたくしたち二人の話の遣り取りを眼を大きく見開いてピンポンの球の行き交いのように注意していた雛妓は「あら」と言って、逸作の側を離れて立ち上り、今度はわたくしの傍へ来て、手早くお叩儀をした。
「知ってますわ。かの子夫人でいらっしゃるんでしょう。歌のお上手な」
そして、世間に自分と同名な名流歌人がいることをお座敷でも聴かされたことがあったし、雑誌の口絵で見たことがあると言った。
「一度お目にかかり度いと思ってたのに、お目にかかれて」
ここで今までの雛妓らしい所作から離れてまるで生娘のように技巧を取り払った顔つきになり、わたくしを長谷の観音のように恭〓しげに高く見上げた。
「想像よりは少し肥っていらっしゃるのね」
わたくしは笑いながら、
「そうお、そんなにすらりとした女に思ってたの」と言うとわたくしの親しみの手はひとりでに雛妓の肩にかかっていた。
「お座敷辛いんでしょう。お客さまは骨が折れるんでしょう。夜遅くなって眠かなくって」
それはまるでわたくしの胸のうちに用意されでもしていた聯句のように、すらすらと述べ出された。すると雛妓は再び幼い商売女の顔になって、
「あら、ちっともそんなことなくてよ。面白いわ――」
とまで言ったが、それではあまり同情者に対してま《ヽ》と《ヽ》も《ヽ》に弾ね返し過ぎるとでも思ったのか、
「なんだか知らないけど、あたし、まだ子供でしょう。だから大概のことはみなさんから大目に見て戴けるらしい気がしますのよ。それに、姐さんたちも、もしまじめに考えたら、この商売は出来ないって言うし――」
雛妓は両手でわたくしのあいた方の手を取り、自分の掌を合せて見て、僅かしかない大きさの差を珍らしがったり、何歳になってもわたくしの手の甲に出来ている子供らしいお《ヽ》ち《ヽ》ょ《ヽ》ぼ《ヽ》の窪みを押したり、何か言うことのま《ヽ》せ《ヽ》方と、することの無邪気さとの間にち《ヽ》ぐ《ヽ》は《ヽ》ぐ《ヽ》なところを見せていたが、ふと気がついたように逸作の方へ向いた。
「おにいさん――」
しかしその言葉はわたくしに対して懸念があると見て取ると、かの女は「ほい」と言って直ぐ、先生と言い改めた。
「先生。何か踊らなくてもいいの。踊るんなら、誰か、うちで遊んでる姐さんを聘んで欲しいわ」
そう言ってつかつかと逸作の方へ立って行った。煙草を喫いながらわたくしと雛妓との対談を食卓越しに微笑して傍観していた逸作は、こう言われて、
「このお嬢さんは、売れ残りのうちの姐さんのためにだいぶ斡旋するね」
と言葉で逃げたが、雛妓はなかなか許さなかった。逸作のそばに坐ったかの女は、身体を「く」の字や「つ」の字に曲げ、「ねえ、先生、よってば」「いいでしょう、先生」と腕に取り縋ったり髪の毛の中に指を突き入れたりした。だがその所作よりも、大きな帯や大きな袖に覆われてはいるものの、流石に年頃前の小娘の肩から胴、脇、腰へかけて、若やいだ円味と潤いと生々しさが陽炎の様に立騰り立騰っては逸作へ向けてときめき縺れるのを、わたくしは見逃すわけにはゆかなかった。わたくしは幾分息を張り詰めた。逸作の少年時代は、この上野谷中切っての美少年だった。だが、鑿《う》ち出しものの壺のように外側ばかり鮮やかで、中はうつろに感じられる少年だった。少年は自分でもそのうつろに堪えないで、この界隈を酒を飲み歩いた。女たちは少年の心のうつろを見過してただ形の美しさだけを寵した。逸作は世間態にはまず充分な放蕩児だった。逸作とわたくしは幼友達ではあるが、それはほんのちょっとの間で、双方年頃近くになり、この上野の森の辺で初対面のように知り合いになったときは、逸作はその桜色の顔に似合わず市井老人のようなこころになっていた。わたくしが、あんまり青年にしては晒され過ぎてると言うと、彼は薩摩絣の着物に片手を内懐に入れて、「十四から酒飲み慣れてきょうの月です」と、それが談林の句であるとまでは知らないらしく、ただこの句の投げ遣りのような感慨を愛して空を仰いで言った。
結婚から逸作の放蕩時代の清算、次の魔界の一ときが過ぎて、わたくしたちは、息も絶え絶えのところから蘇生の面持で立ち上った顔を見合した。それから逸作はび《ヽ》び《ヽ》として笑いを含みながら画作に向う人となった。「俺は元来うつろの人間で人から充たされる性分だ。おまえは中身だけの人間で、人を充たすように出来てる。やっと判った」とその当時言った。
それから十余年の歳月はしずかに流れた。逸作は四十二の厄歳も滞りなく越え、画作に油が乗りかけている。「おとなしい男。あたくしのために何もかも尽して呉れる男――」だのにわたくしは、何をしてやっただろう。小取りしの利かないわたくしは、何の所作もなく、ただ魂をば愛をば、体当りにぶつけるとよりしかしなかった。例えそれを逸作は「俺がしたいと思って出来ないことを、おまえが代ってして呉れるだけだ」と悦ぶにしても、ときには世の常の良人が世の常の妻にサービスされるあのまめまめしさを、逸作の中にある世の常の男の性は欲していないだろうか。わたくしはときどきそんなことを思った。
酒をやめてから容貌も温厚となり、あの青年時代のきらびやかな美しさは艶消しとなった代りに、今では中年の威がついて、髪には一筋二筋の白髪も光りはじめて来ている。
わたくしは、その逸作に、雛妓が頻りにときめかけ、縺れかけている小娘の肉体の陽炎を感ずると、今までの愁いの雲はいつの間にか押し払われ、わたくしの心にも若やぎ華やぐ気持の蕾がちらほら見えはじめた。それは嫉妬とか競争心とかいう激しい女の情〓を燃えさすには到らなかった。相手があまりにあどけなかったからだ。そしてこちらからうち見たところ多少腕白だったと言われるわたくしの幼な姿にも似通える節のある雛妓の腕働きでもある。それが逸作に縺れている。わたくしはこれを眺めて、ほんのり新茶の香りにでも酔った気持で笑いながら見ている。雛妓は、どうしてもうんと言わない逸作に向って、首筋の中へ手を突込んだり、横に引倒しかけたりする。遂に煩わしさに堪え兼ねた逸作は、雛妓を弾ねのけて居ずまいを直しながらきっぱり言った。
「何と言っても今夜は駄目だ。踊ったり謡ったりすることは出来ない。僕たちはいま父親の忌中なのだから」
その言い方が相当に厳肅だったので、雛妓も諦めて逸作のそばを離れると今度はわたくしのところへ来て、そしてわたくしの膝へ手をかけ、
「奥さんにお願いしますわ。今度また、ぜひ聘んでね。そして、そのときは屹度うちの姐さんもぜひ聘んでね」
と言った。わたくしは憫れを覚えて、「えーえー、いいですよ」と約束の言葉を番えた。
すると安心したもののように雛妓はしばらくぽかんとそこに坐っていたが、急に腕を組んで首をかしげひとり言のように、
「これじゃ、あんまりお雛妓さんの仕事がなさ過ぎるわ。お雛妓さん失業だわ」
と、わたくしたちを笑わせて置いてから、小さい手で膝をちょんと叩いた。
「いいことがある。あたし按摩上手よ。よく年寄のお客さんで揉んで呉れって方があるのよ。奥さん、いかがですの」
と言ってわたくしの後へった。わたくしは興を催し、「まあまあ先生から」と言って雛妓を逸作の方へ押しやった。
十時の鐘は少し冴え返って聞えた。逸作は懐手をして雛妓に肩を叩いて貰いながら眼を眠そうにうっとりしている。わたくしはそれを眺めながら、ついに例の癖の、息子の一郎に早くこのくらいの年頃の娘を貰って置いて、嫁に仕込んでみたら――そして、その娘が親孝行をして父親の肩を叩く図はおよそこんなものではあるまいかなぞ勝手な想像を働かせていた。
わたくしたちが帰りかけると、雛妓は店先の敷台まで女中に混って送って出て、そこで、朧夜になった月の夜影を踏んで遠ざかり行くわたくしたちの影に向って呼んだ。
「奥さまのかの子さーん」
わたくしも何だか懐しく呼んだ。
「お雛妓さんのかの子さーん」
松影に声は距てられながらもまだ、
「奥さまのかの子さーん」
「お雛妓さんのかの子さーん」
ついに、
「かの子さーん」
「かの子さーん」
わたくしは嘗て自分の名を他人にして呼んだ経験はない。いま呼んでみて、それは思いの外なつかしいものである。身のうちが竦むような恥かしさと同時に、何だか自分の中に今まで隠れていた本性のようなものが呼び出されそうな気強い作用がある。まして、そう呼ばせる相手はわたくしに似て而も小娘の若き姿である。
声もかすかに呼びつれ呼び交すうちに、ふとわたくしはあのお雛妓のかの子さんの若さになりかける。ああ、わたくしは父の死によって神経を疲労さしているためであらうか。
葬儀の日には逸作もわたくしと一緒に郷家へ行って呉れた。彼は快く岳父の棺側を護る役の一人を引受け、菅笠を冠り藁草履を穿いて黙々と附いて歩いた。わたくしの眼には彼が、この親の遺憾としたところのものを受け継いで、まさに闘い出そうとする娘に如何に助太刀すべきか、なおも棺輿の中の岳父にその附嘱のささやきを聴きつつ歩む昔風の義人の婿の姿に見えた。
若さと家霊の表現。わたくしがこの言葉を逸作の口から不忍の蓮中庵で解説されたときは、左程のこととも思わなかった。しかし、その後、きょうまでの五日間にこのエスプリのたちまちわたくしの胎内に蔓り育ったことはわれながら愕くべきほどだった。それはわたくしの意識をして、今にして夢より覚めたように感ぜしめ、また、新たなる夢に入るもののようにも感ぜしめた。肉体の銷沈などはどこかへ押し遣られてしまった。食べものさえ、このテーマに結びつけて執拗に力強く糸歯で噛み切った。
「そーら、またお母さんの凝り性が始ったぞ」
息子の一郎は苦笑して、ときどき様子を見に来た。
「今度は何を考え出したか知らないが、お母さん、苦しいだろう。もっとあっさりしなさいよ」
と、はらはらしながら忠告するほどであった。
葬列は町の中央から出て町を一巡りした。町並の人々は、自分たちが何十年か聖人と渾名して敬愛していた旧家の長老のために家先に香炉を備えて焼香した。多摩川に沿って近頃三業組合まで発達した東京近郊のF――町は見物人の中に脂粉の女も混って、一時祭りのような観を呈した。葬列は町外れへ出て、川に架った長橋を眺め渡される堤の地点で、ちょっと棺輿を停めた。
春にしては風のある寒い日である。けれども長堤も対岸の丘もかなり青み亙り、その青みの中に柔かいうす紅や萌黄の芽出しの色が一面に漉き込まれている。漉き込み剰って強い塊りの花の色に吹き出しているところもある。川幅の大半を埋めている小石の大河原にも若草の叢の色が和みかけている。
動きの多い空の雲の間から飴色の春陽が、はだらはだらに射しおろす。その光の中に横たえられたコンクリートの長橋。父が家霊に対して畢生の申訳に尽力して架した長橋である。
父の棺輿はしばし堤の若草の上に佇んで、寂寞としてこの橋を眺める。橋はまた巨鯨の白骨のような姿で寂寞として見返す。はだらはだらに射しおろす春陽の下で。
なべて人の世に相逢うということ、頷き合うということ、それ等は、結局、この形に於てのみ真の可能なのではあるまいか。寂寞の姿と無《む》々《む》の眼と――。
何の生もない何の情緒もない、枯骨と灰石の対面ではあるが、い《ヽ》の《ヽ》ち《ヽ》というものは不思議な経路を取って、その死灰の世界から生と情緒の世界へ生れ代ろうとするもののようである。わたくしが案外、冷静なのに、見よ、逸作が慟哭している激しい姿を。わたくしが急いで近寄って編笠の中を覗くと、彼はせぐり上げ上げして来る涙を、胸の喘ぎだけでは受け留めかねて、赤くした眼からたらたら流している。わたくしは逸作のこんなに泣いたのを見るのは始めてだった。わたくしは袖から手巾を出してやりながら、
「やっぱり、男は、男の事業慾というものに同情するの」
と訊くと、逸作は苦しみに締めつけられたように少し狂乱の態とも見えるほどあたり構わず切ない声を振り絞った。
「いや、そうじゃない。そうじゃない」
そして、わたくしの肩をぐさと掴み、生唾を土手の若草の上に吐いて喘ぎながら言った。
「おやじが背負い残した家霊の奴め、この橋くらいでは満足しないで、大きな図体の癖に今度はまるで手も足もない赤児のようなお前によろよろと倚りかかろうとしている。今俺にそれが現実に感じられ出したのだ。その家霊も可哀そうならおまえは一層可哀そうだ。それを思うと俺は切なくてやり切れなくなるのだ」
ここで、逸作は橋詰の茶店に向って水を呼んで置いてから、喘ぎを続けた。
「俺が手の中の珠にして、世界で一番の幸福な女に仕立ててみようと思ったお前を、おまえの家の家霊は取り戻そうとしているのだ。畜生ッ。生ける女によって描こうとした美しい人生のま《ヽ》ん《ヽ》だ《ヽ》ら《ヽ》をついに引裂こうとしている。畜生ッ。畜生ッ。家霊の奴め」
わたくしの肩は逸作の両手までがかかって力強く揺るのを感じた。
「だが、ここに、ただ一筋の道はある。おまえは、決して臆してはならない。負けてはならないぞ。そしてこの重荷を届けるべきところにまで驀地《まつしぐら》に届けることだ。わき見をしては却って重荷に押し潰されて危いぞ。家霊は言ってるのだ――わたくしを若しわたくしの望む程度まで表現して下さったなら、わたくしは三つ指突いてあなた方にお叩頭します。あとは永くあなた方の実家をもあなた方の御子孫をも護りましょう――と。いいか。苦悩はどうせこの作業には附きものだ。俺も出来るだけその苦悩をば分担してやるけれどお前自身決して逃れてはならないぞ。苦悩を突き詰めた先こそ疑いもない美だ。そしてお前の一族の家霊くらいお《ヽ》し《ヽ》ゃ《ヽ》れ《ヽ》で、美しいものの好きな奴はないのだから――」
読書もそう好きでなし、思索も面倒臭がりやの逸作にどうして、こんない《ヽ》の《ヽ》ち《ヽ》の作略に関する言葉が閃き出るのであろうか。うつろの人には却ってい《ヽ》の《ヽ》ち《ヽ》の素振りが感じられるものなのだろうか。わたくしはそれにも少し怖れを感じたけれども、眼の前の現実に襲って来た無形の大磐石のような圧迫にはなお恐怖を覚えて慄え上った。思わず逸作に取り縋って家の中で逸作を呼び慣わしの言葉の、
「パパウ! パパウ!」
と泣き喚く顔を懸命に逸作の懐へにじり込ませていた。
「コップを探してましたもんでね、どうも遅くなりました」と言って盆に水を運んで来た茶店の老婆は、逸作が水を飲み干す間、二人の姿をと見こう見しながら、
「そうですとも、娘さんとお婿さんとでたんと泣いてお上げなさいましよ。それが何よりの親御さんへのお供養ですよ」
と、さもし《ヽ》た《ヽ》り《ヽ》顔に言った。
他のときと場合ならわたくしたちの所作は芝居染みていて、随分妙なものに受取られただろうが、しかし場合が場合なので、棺輿の担ぎ手も、親戚も、葬列の人も、みな茶店の老婆と同じ心らしく、子供たち以外は遠慮がちにわたくしたちの傍を離れていて呉れて、わたくしたちの悲歌劇の一所作が滞りなく演じ終るまで待っていて呉れた。そして逸作が水を飲み終えてコップを盆に返すのをき《ヽ》っ《ヽ》か《ヽ》け《ヽ》に葬列は寺へ向って動き出した。
菩提寺の寺は、町の本陣の位置に在るわたくしの実家の殆ど筋向うである。あまり近い距離なので、葬列は町を一巡りしたという理由もあるが、兎に角、わたくしたちは寺の葬儀場へ辿りついた。
わたくしは葬儀場の光景なぞ今更、珍らしそうに書くまい。ただ、葬儀が営まれ行く間に久しぶりに眺めた本尊の厨子の脇段に幾つか並べられている実家の代々の位牌に就いて、こ《ヽ》ど《ヽ》も《ヽ》のときから目上の人たちに聞かされつけた由緒の興味あるものだけを少しく述べて置こうと思う。
権之亟というのは近世、実家の中興の祖である。その財力と才幹は江戸諸大名の藩政を動かすに足りる力があったけれども、身分は帯刀御免の士分に過ぎない。それすら彼は抑《よく》下《げ》して、一生、草鞋穿きで駕籠へも乗らなかった。
その娘二人の位牌がある。絶世の美人だったが姉妹とも躄《あしなえ》だった。権之亟は、構内奥深く別構えを作り、秘かに姉妹を〓に隠して朝夕あわれな娘たちの身の上の果敢なみに訪れた。
伊太郎という三四代前の当主がある。幕末に際し、実家に遁入して匿まわれた多くの幕士の中の一人だが、美男なので実家の娘に想われ、結婚して当主に直った人であった。生来気の弱い人らしく、畢生の望みはどうかして一度、声を出して唄を謡ってみたいということであった。或る人が彼に、多摩川の河原へ出て人のいないところで謡いなさいと進言した。伊太郎は勧めに従ってひとり河原に出てはみたものの、ついに口からよう謡い出ずに戻って来た。
蔵はいろは四十八蔵あり、三四里の間にわが土地を踏まずには他出できなかったという。天保銭は置き剰って繩に繋いで棟々の床下に埋めた。こういう逞しい物質力を持ちながら、何とその持主の人間たちに憐れにも蝕まれた影の多いことよ。そしてその蝕まれるものの、また何と美しいものに縁があることよ。
逸作はいしくも指摘した「おまえの家の家霊はお《ヽ》し《ヽ》ゃ《ヽ》れ《ヽ》で美しいもの好きだ」と。そしてまた言った。「その美なるものは、苦悩を突き詰めることによってのみその本体は掴み得られるのだ」と。ああ、わたくしは果してそれに堪え得る女であろうか。
ここに一つ、おかのさんと呼ばれている位牌がある。わたくしたちのいま葬儀しつつある父と、その先代との間に家系も絶えんとし、家運も傾きかけた間一髪の際に、族中より選み出されて家の危きを既倒にし止めた女丈夫だという。わたくしの名のかの子は、この女丈夫を記念する為につけたのだという。しかも何と、その女丈夫を記念するには、相応しからぬわたくしの性格の非女丈夫的なことよ。わたくしは物心づいてからこの位牌をみると、いつもこの名を愛しその人を尊敬しつつも、わたくし自らを苦笑しなければならなかった。
読経は進んで行った。会葬者は、座敷にも縁にも並み余り、本堂の周囲の土に立っている。わたくしは会葬者中の親族席を見す。そしてわたくしは〓にも表現されずして鬱屈している一族の家霊を実物証明によって見出すのであった。
北は東京近郊の板橋かけて、南は相模厚木辺まで蔓延していて、その土地々々では旧家であり豪家である実家の親族の代表者は悉く集まっている。
その中には年々巨万の地代を挙げながら、代々の慣習によって中学卒業程度で家督を譲らせられている壮年者もある。
横浜開港時代に土地開発に力を尽し、儒学と俳諧にも深い造詣を持ちながら一向世に知られず、その子としてただ老獪の一手だけを処世の金科玉条として資産を増殖さしている老爺もある。
蓄妾に精力をスポイルして家産の安全を図っている地方紳士もある。
だが、やはり、ここにも美に関るものは附いて離れなかった。在々所々のそれ等の家に何々小町とか何々乙姫とか呼ばれる娘は随分生れた。しかし、それが縁付くとなると、草《そう》莽《もう》の中に鄙び、多産に疲れ、ただどこそこのお婆さんの名に於ていつの間にか生を消して行く。それはいかに、美しいもの好きの家霊をして力を落させ歎かしめたことであろう。
葬儀は済んだ。父に身近の肉親親類たちだけが棺に附き添うて墓地に向った。わたくしはこの場面も悉しく説明することを省く。わたくしは、ただ父の遺骸を埋め終ってから、逸作がわたくしの母の墓前に永い間額づき合掌して何事かを語るが如く祈るが如くしつつあるのを見て胸が熱くなるのを感じたことを記す。
母はわたくしを十四五の歳になるまで、この子はいじらしいところが退かぬ子だと言って抱き寝をして呉れた。そして逸作はこの母により逸早く許しを与えられることによってわたくしを懐にし得た。放蕩児の名を冒しても母がその最愛の長女を与えたことを逸作はどんなに徳としたことであろう。わたくしはただ裸子のように世の中のたつきも知らず懐より懐へ乳房を探るようにして移って来た。その生みの母と、育ての父のような逸作と、二人はいまわたくしに就いて何事を語りつつあるのであろうか。
わたくしはその間に、妹のわたくしを偏愛して男の気ならば友人の手紙さえ取り上げて見せなかった文学熱心の兄の墓に詣で、一人の弟と一人の妹の墓にも花と香花を分けた。
その弟は、学校を出て船に務めるようになり、乗船中、海の色の恍惚に牽かれて、海の底に趨った。
その妹は、たまさか姉に遇うても涙よりしか懐しさを語り得ないような内気な娘であった。生よりも死の床を幾倍か身に相応しいものに思い做して、うれしそうに病み死んだ。
風は止んだ。多摩川の川づらには狭霧が立ち籠め生あたたかくたそがれて来た。ほろほろと散る墓畔の桜。わたくしは逸作の腕に支えられながら、弟の医者にちょっと脈を検められ、「生きの身の」と、歌の頭字の五文字を胸に思い泛べただけで急いで帰宅の俥に乗り込んだだけを記して、早くこの苦渋で憂鬱な場面の記述を切り上げよう。
「奥さまのかの子さーん」
夏もさ中にかかりながらわたくしは何となく気鬱加減で書斎に床は敷かず枕だけつけて横になっていた。わたくしにしては珍らしいことであった。その枕の耳へ玄関からこの声が聞えて来た。お雛妓のかの子であることが直ぐ思い出された。わたくしは起き上って、急いで玄関へ下りてみた。お雛妓のかの子は、わたくしを見ると、老婢に、
「それ、ごらんなさい。奥さまはいらっしゃるじゃありませんか。嘘つき」
と、小さい顎を出し、老婢がこれに対し何かあらがう様子を尻眼にかけながら、
「あがってもいいでしょう。ちょっと寄ったのよ」
とわたくしに言った。
わたくしは老婢が見ず知らずの客を断るのは家の慣わしで咎め立てするものではありませんと雛妓を軽くたしなめてから、「さあさあ」と言ってかの子を二階のわたくしの書斎へ導いた。
雛妓は席へつくと、お土産といって折箱入りの新橋小萩堂の粟餅を差し出した。
「もっとも、これ、園遊会の貰いものなんだけれど、お土産に融通しちまうわ」
そう言って、まずわたくしの笑いを誘い出した。わたくしが、まあ綺麗ねと言って例の女の癖の雛妓の着物の袖を手に取ってうち見返す間に雛妓はきょう、ここから直ぐ斜裏のK――伯爵家に園遊会があって、その家へ出入りの谷中住いの画家に頼まれて、姐さん株や同僚七八名と手伝いに行ったことを述べ、帰りにその門前で訊くと奥さまの家はすぐ近くだというので、急に来たくなり、仲間に訣れて寄ったのだと話した。
「夏の最中の園遊会なんて野暮でしょう。けど、何かの記念日なんだから仕方ないんですって。幹事さんの中には冬のモーニングを着て、汗だくでふうふう言いながらビールを飲んでた方もあったわ」
お雛妓らしい観察を縷々述べ始めた。わたくしがかの女に何か御馳走の望みはないかと訊くと、
「では、あの、ざくざく掻いた氷水を、た《ヽ》だ《ヽ》水《すい》というのよ。もしご近所にあったら、ほんとに済みません」
と俄に小心になってねだった。
わたくしの実家の父が歿くなってから四月は経つ。わたくしのこころは、葬儀以後、三十五日、四十九日、百ヶ日と過ぐるにつれ、薄らぐともなく歎きは薄らいで行った。何といっても七十二という高齢は、訣れを諦め易くしたし、それと、生前、わたくしが多少なりとも世間に現している歌の業績を父は無意識にもせよ家霊の表現の一つに数えて、わたくしは知らなかったにもせよ日頃慰んでいて呉れたということは、いよいよわたくしをして気持を諦め易くした。勿論わたくしに取ってはそういう性質の仕事の歌ではなかったのだけれども。それでも、まあ無いよりはいい。
で、その方は気がたいへん軽くなった。それ故にこそ百ヶ日が済むと、嘗て父の通夜過ぎの晩に不忍池の中之島の蓮中庵で、お雛妓かの子に番えた言葉を思い出し、わたくしの方から逸作を誘い出すようにして、かの女を聘《あ》げてやりに行った。「そんな約束にまで、お前の馬鹿正直を出すもんじゃない」と逸作は一応はわたくしをとめてみたが、わたくしが「そればかりでもなさそうなのよ」と言うと、怪訝な顔をして「そうか」と言ったきり、一しょについて行って呉れた。息子の一郎は「どうも不良マダムになったね」と言いながら、わたくしの芸術家にしては窮屈過ぎるためにどのくらい生きるに不如意であるかわからぬ性質の一部が、こんなことで捌けでもするように、好感の眼で見送って呉れた。
蓮中庵では約束通りかの女を聘んで、言葉で番えたように、かの女のうちで遊んでいる姐さんを一人ならず聘んでやった。それ等の姐さんの三味線でかの女は踊りを二つ三つ踊った。それは小娘ながら水際立って鮮やかなものであった。わたくしが褒めると、「なにせ、この子の実父というのが少しは名の知れた舞踊家ですから」と姐さん芸妓は洩らした。すると、かの女は自分の口へ指を当てて「しっ」といって姐さんにまず沈黙を求めた。それから芝居の仕草も混ぜて「これ、こえが高い、ふ《ヽ》な《ヽ》が安い」と月並な台詞の洒落を言った。
姐さんたちは、自分たちをお客に聘ばせて呉れた恩人のお雛妓の顔を立てて、ばつを合せるようにきゃあきゃあと甲高く笑った。しかし、雛妓のその止め方には、その巫山戯方の中に何か本気なものをわたくしは感じた。
その夜は雛妓は、貰われるお座敷があって、わたくしたちより先へ帰った。夏のことなので、障子を開けひろげた窓により、わたくしは中之島が池畔へ続いている参詣道に気をつけていた。松影を透して、女中の箱屋を連れた雛妓は木履を踏石に当て鳴らして帰って行くのが見えた。わたくしのいる窓に声の届きそうな恰好の位置へ来ると、かの女は始めた。
「奥さまのかの子さーん」
わたくしは答える。
「お雛妓さんのかの子さーん」
そして嘗ての夜の通り、
「かの子さーん」
「かの子さーん」
こう呼び交うところまでに至ったとき、かの女の白い姿が月光の下に突き飛ばされ、女中の箱屋に罵られているのが聞えた。
「なにを、ぼやぼやしてるのよ、この子は。それ裾が引きずって、だらしがないじゃありませんか」
はっきり判らぬが、多分そんなことを言って罵ったらしく、雛妓は声はなくして、裾を高々と捲り上げ、腰から下は醜い姿となり、なおも、女中の箱屋に背中をせつかれせつかれして行く姿がやがて丈高い蓮の葉の葉群れの蔭で見えなくなった。
その事が気になってわたくしは一週間ほど経つと堪え切れず、また逸作にねだって蓮中庵へ連れて行って貰った。
「少しお雛妓マニヤにかかったね」
苦笑しながら逸作はそう言ったが、わたくしが近頃、歌も詠めずに鬱しているのを知ってるものだから、庇ってついて来て呉れた。
風もなく蒸暑い夜だった。わたくしたち二人と雛妓はオレンジエードをジョッキーで取り寄せたものを飲みながら頻りに扇風器に当った。逸作がまた、おまえのうちのお茶ひき連を聘んでやろうかと言うと、雛妓は今夜は暑くって踊るの嫌だからたくさんと言った。
わたくしが臆しながら、先夜の女中の箱屋がかの女に惨《むご》たらしくした顛末に就いて遠しに訊ねかけると、雛妓は察して
「あんなこと、しょっちゅうよ、その代り、こっちだって、ときどき絞ってやるから、負けちゃいないわ」
と言下にわたくしの懸念を解いた。
わたくしが安心もし、張合抜けもしたような様子を見て取り、雛妓は、ここが言い出すによき機会か、ただしは未だしきかと、大きい袂の袖口を荒掴みにして尋常科の女生徒の運針の稽古のようなことをしながら考えらしていたらしいが、次にこれだけ言った。
「あんなことなんにも辛いことないけど――」
あとは謎にして俯向き、鼻を二つ三つ啜った。逸作はひょんな顔をした。
わたくしは、わたくしの気の弱い弱味に付け込まれて、何か小娘に罠を構えられたような嫌気もしたが、行きがかりの情勢で次を訊かないではいられなかった。
「他に何か辛いことあるの。言ってごらんなさいな。あたし聴いてあげますよ」
すると雛妓は殆ど生娘の様子に還り、もじもじしていたが、
「奥さんにお目にかかってから、また、いろいろな雑誌の口絵の花嫁や新家庭の写真を見たりして、あたし今に堅気のお嫁さんになり度くなったの。でも、こんなことしていて、真面目なお嫁さんになれるか知ら――それが」
言いさして、そこへ、がばと突き伏した。
逸作はわたくしの顔をちらりと見て、ひょんな顔を深めた。
わたくしは、いくら相手が雛妓でも、まさか「そんなこともありません。よい相手を掴まえて落籍して貰えば立派なお嫁さんにもなれます」とは言い切れなかった。それで、ただ、
「そうねえ――」
とばかり考え込んでしまった。
すると、雛妓は、この相談を諦めてか、身体を擡げると、すーっと座敷を出た。逸作は腕組を解き、右の手の拳で額を叩きながら、「や、くさらせるぞ」と息を吐いてる暇に、洗面所で泣顔を直したらしく、今度入って来たときの雛妓は再びあでやかな顔になっていた。座につくとしおらしく畳に指をつかえ、「済みませんでした」と言った。直ぐそこにあった絵団扇を執って、けろりとして二人に風を送りにかかった。その様子はただ鞣《なめ》された素直な家畜のようになっていた。
今度は、わたくしの方が堪らなくなった。いらっしゃいいらっしゃいと雛妓を膝元へ呼んで、背を撫でてやりながら、その希望のためには絶対に気落ちをしないこと、自暴自棄を起さないこと、諄々と言い聞かした末に言った。
「なにかのときには、また相談に乗ってあげようね、決して心細く思わないように、ね」
そして、そのときであった、雛妓が早速あの小さい化粧鞄の中から豆手帳を取り出してわたくしの家の処書きを認めたのは。
その夜は、わたくしたちの方が先へ出た。いつもの通り女中に混って敷台へ送りに出た雛妓とわたくしの呼び交わす声には、一層親身の響きが籠ったように手応えされた。
「奥さまのかの子さーん」
「お雛妓さんのかの子さーん」
「かの子さーん」
「かの子さーん」
わたくしたちは池畔の道を三枚橋通へ出ようと歩いて行く。重い薀気が籠った闇夜である。歩きながら逸作は言った。
「あんなに話を深入りさしてもいいのかい」
わたくしは、多少後悔に噛まれながら「すみません」と言った。しかし、こう弁解はした。
「あたし、何だか、この頃、精神も肉体も変りかけているようで、する事、なす事、取り止めありませんの。しかし考えてみますのに、もしあたしたちに一人でも娘があったら、こんなにも他所の娘のことで心を痺らされるようなこともないと思いますが――」
逸作は「ふーむ」と、太い息をしたのち、感慨深く言った。「なる程、娘をな」
以前に、こういう段階があるものだから、今もわたくしは、雛妓が氷水でも飲み終えたら、何か身の上ばなしか相談でも切り出すのかと、心待ちに待っていた。しかし雛妓にはそんな様子もなくて、頻りに家の中を見して、くくみ笑いをしながら、
「洒落れてるけど、案外小っちゃなお家ね」
と言って、天井の柾目を仰いだり、裏小路に向く欄干に手をかけて、直ぐ向い側の小学校の夏季休暇で生徒のいない窓を眺めたりした。
わたくしの家はまだこの時分は雌伏時代に属していた。嘗て魔界の一ときを経歴したあと、芝の白金でも、今里でも、隠逸の形を取った崖下であるとか一樹の蔭であるとかいう位置の家を選んだ。洞窟を出た人が急に陽の目に当るときは眼を害する惧れから、手で額上を覆っているという心理に似たものがあった。今ここの青山南町の家は、もはや、心理の上にその余《よ》翳《えい》は除けたようなものの、まだ住いを華やがす気持にはならなかった。
それと逸作は、この数年来、わたくしを後援し出した伯母と称する遠縁の婦人と共々、諸事を詰めて、わたくしの為に外遊費を準備して呉れつつあった。この外遊ということに就いては、わたくしが嘗て魔界の一ときの中に於て、食も絶え、親しむ人も絶え、望みも絶えながら、匍い出し盛りの息子一郎を遊ばし兼ねて、神気朦朧とした中に、謡うように言った。
「今に巴里へ行って、マロニエの花を見ましょうねえ。シャンゼリゼーで馬車に乗りましょうねえ」
それは自分でさえ何の意味か判らないほど切ないまぎれの譫言のようなものであった。頑是ない息子は、それでも「あい、――あい」と聴いていた。
この話を後に聴いて、逸作は後悔の念と共に深く心に決したものがあるようであった。「おまえと息子には、屹度巴里を見せてやるぞ」と言った。恩怨の事柄は必ず報いる町奴風の昔気質の逸作が、こう思い立った以上、いつかそれが執り行われることは明かである。だが、すべてが一家三人珠数繋がりでなければ何事にも興味が持てなくなっているわたくしたちの家の海外移動の準備は、金の事だけでも生やさしいものではなかった。それを逸作は油断なく而も事も無げに取計らいつつあった。
「いつ行かれるか判らないけれど、ともかくそのための佗住居よ」
わたくしは雛妓に訳をざっと説明してから家の中を見して、
「ですからここは借家よ」と言った。
すると雛妓は
「あたしも、洋行に一緒に行き度い。ぜひよ。ねえ、奥さん。先生に頼んでよ」
と、両手でわたくしの袂を取って、懸命に左右へ振った。
この雛妓は、この前は真面目な嫁になって身の振り方をつけ度いことを望み、きょうはわたくしたちと一緒に外遊を望む。言うことが移り気で、その場限りの出来心に過ぎなく思えた。やっぱりお雛妓はお雛妓だけのものだ。もはや取るに足らない気がして、わたくしはただ笑っていた、しかし、こうして、一先ず関心を打切って、離れた目で眺める雛妓は、眼もあやに美しいものであった。
備後表の青畳の上である。水色ちりめんのごりごりした地へもって来て、中身の肉体を圧倒するほど沢《おも》潟《だか》とく《ヽ》わ《ヽ》ん《ヽ》ぜ《ヽ》水が墨と代赭の二色で屈強に描かれている。そしてよく見ると、それ等の模様は描くというよりは、大小無数の疋田の鹿の子絞りで埋めてあるだけに、疋田の粒と粒とは配し合い消し合い、衝ち合って、量感のヴァイヴレーションを起している。この夏の水草と、渦巻く流れとを自然以上に生き生きとしたものに盛り上らせている。
あだかも、その空に飛ぶように見せて、銀地に墨くろぐろと四五ひきの蜻蛉が帯の模様によって所を得させられている。
滝の姿は見えねど、滝壺の裾の流れの一筋として白絹の帯上げの結び目は、水沫の如く奔騰して、そのみなかみの〓々の音を忍ばせ、そこに大小三つほどの水玉模様が撥ねて、物憎さを感ぜしむるほど気の利いた図案である。
こうは見て来るものの、しかし、この衣裳に覆われた雛妓の中身も決して衣裳に負けているものではなかった。わたくしは襟元から顔を見上げて行く。
永遠に人目に触れずしてかつ降り、かつ消えてはまた降り積む、あの北地の奥のしら雪のように、その白さには、その果敢なさの為に却って弛めようもない究極の勁い張りがあった。つまんだ程の顎尖から、丸い体の半へかけて、人をたばかって、人は寧ろそのたばかられることを歓ぶような、上質の蠱《こ》惑《わく》の影が控目にさし覗いている。澄ましていても何となく微笑の俤があるのは、豊かだがういういしい朱の唇が、やや上弦の月に傾いているせいでもあろうか。それは微笑であるが、しかし、微笑以前の微笑である。
鼻稜はやや顔面全体に対して負けていた。けれどもかかる小娘が今更に、女だてら、あの胸悪い権力や勢力をこの人間の中心の目標物に於て象徴せずとも世は過して行けそうに思われる。雛妓のそれは愛くるしく親しみ深いものに見えた。
眼よ。西欧の詩人はこれを形容して星という。東亜の詩人は青蓮に譬える。一々の諱《いみな》は汝の附くるに任せる。希わくばその実を逸脱せざらんことを。わたくしの観る如くば、それは真夏の際の湖水である。二つが一々主峯の影を濃くひたして空もろ共に凝っている。けれども秋のように冷やかではない。見よ、眄《べん》視《し》、流《りゆう》目《もく》の間に艶やかな煙《えん》霞《か》の気が長い睫毛を連ねて人に匂いかかることを。
眉へ来て、わたくしは、はたと息詰まる気がする。それは左右から迫り過ぎていて、その上、型を当てて描いたもののように濃く整い過ぎている、何となく薄命を想わせる眉であった、額も美しいが狭まっていた。
きょうは、髪の前をちょっとカールして、水髪のように捌いた洋髪に結っていた。
心なしか、わたくしが、父の通夜明けの春の宴に不忍の蓮中庵ではじめて会った雛妓かの子とは殆ど見違えるほど身体にし《ヽ》な《ヽ》や《ヽ》か《ヽ》な肉の力が盛り上り、年頃近い本然の艶めきが、坐っているだけの物腰にも紛飾を透けて潤んでいる。わたくしは思う、これは商売女のいろ気ではない。雛妓はわたくしに会ってから、ふとした弾みで女の歎きを覚え、生の憂愁を味わい出したのではあるまいか。女は憂いを持つことによってのみ真のいろ気が出る。雛妓はいま将に生娘の情に還りつつあるのではあるまいか。わたくしは、と見こう見して、ときどきは、その美しさに四辺を忘れ、青畳ごと、雛妓とわたくしはいつの時世いずくの果とも知らず、たった二人きりで揺蕩と漂い歩く気持をさせられていた。
雛妓ははじめ商売女の得意とも義務ともつかない、しらばくれた態度で姿かたちをわたくしの見検めるままに曝していたが、夏のた《ヽ》そ《ヽ》が《ヽ》れ《ヽ》前の斜陽が小学校の板壁に当って、その屈折した光線が、この世のものならずフォーカスされて窓より入り、微妙な明るさに部屋中を充たした頃から、雛妓は何となく夢幻の浸蝕を感じたらしく、態度にも一だん鯱張った意識を抜いて来て、持って生れた女の便りなさを現わして来た。眼はうつろに斜め上方を見ながら謡うような小声で呟き出した。
「奥さまのかの子さーん」
わたくしは不思議とこれを唐突な呼声とも思わず、木霊のように答えた。
「お雛妓さんのかの子さーん」
二三度呼び交わしたのち、雛妓とわたくしはだんだん声を幽めて行った。
「かの子さーん」
「かの子さーん」
そして、その声がわたくしの嘗て触れられなかった心の一本の線を震わすと、わたくしは思わず雛妓の両手を取った。雛妓も同じこころらしく執られた両手を固く握り返した。手を執り合ったまま、雛妓もわたくしも今は惜しむところなく涙を流した。
「かの子さーん」
「かの子さーん」
涙を拭い終って、息をたっぷり吐いてからわたくしは懐し気に訊いた。
「あんたのお父さんはどうしてるの。お母さんはどうしているの。そしてきょうだいは」
すると雛妓は、胸を前へく《ヽ》た《ヽ》り《ヽ》と折って、袖をまさぐりながら、
「奥さま、それをどうぞ訊かないでね。どうせお雛妓なんかは、なったときから孤児なんですもの――」
わたくしは、この答えが殆ど逸作の若いときのそれと同じものであることに思い当り、うたた悵然とするだけであった。そしてどうしてわたくしには、こう孤独な寂しい人間ばかりが牽かれて来るのかと、おのれの変った魅力が呪わしくさえなった。
「いいですいいです。これからは、何でもあたしが教えたり便りになってあげますから、このう《ヽ》ち《ヽ》もあんたの花嫁学校のようなつもりで暇ができたら、いつでもいらっしゃいよ」
すると雛妓は言った。
「あたくしね、正直のところは、死んでもいいから奥さまとご一緒に暮したいと思いますのよ」
わたくしは、今はこの雛妓がまことの娘のように思われて来た。わたくしはそれに対して、わたくしの実家の系譜によるわたくしの名前の由来を語り、それによれば例えあんたのは芸名にもせよお互の名前には女丈夫の筋があることを話して力を籠めて言った。
「心を強くしてね。きっとわたくしたちは望み通りになれますよ」
日が陰って、そよ風が立って来た。隣の画室で逸作が昼寝から覚めた声が聞える。
「おい、一郎、起きろ、夕方になったぞ」
父の副室を居室にして、そこで昼寝していた一郎も起き上ったらしい。
二人は襖を開けて出て来て、雛妓を見て、好奇の眼を瞠った。雛妓は丁寧に挨拶した。
逸作が「いい人でも出来たので、その首尾を奥さんに頼みに来たのかい」なぞと揶揄っている間に、無遠慮に雛妓の身の周りを眺め歩いた一郎は、抛り出すように言った。
「けっ、こいつ、おかあさんを横に潰したような膨れた顔をしてやがら」
すると雛妓は、
「はい、はい膨れた顔でもなんでもようございます。いまにお母さんにお願いして、坊っちゃんのお嫁さんにして戴くんですから」
この挨拶には流石に堅気の家の少年は一堪りもなく捻られ、少し顔を赧らめて、
「なんでい、こいつ――」
と言っただけで、あとはもじもじするだけになった。
雛妓は、それから長袖を帯の前に挾み、老婢に手伝って金盥の水や手拭を運んで来て、二階の架け出しの縁側で逸作と息子が顔を洗う間をまめまめしく世話を焼いた。それは再び商売女の雛妓に還ったように見えたけれども、わたくしは最早かの女の心底を疑うようなことはしなかった。
暗くならないまえ、雛妓は、これから、帰って急いでお風呂に行きお夜食を済ましてお座敷のかかるのを待つのだと告げたので、逸作はな《ヽ》に《ヽ》が《ヽ》し《ヽ》かの祝儀包を与え、車を呼んで乗せてやった。
わたくしたちは、それから息子の部屋へデッサンの描きさしを見に行った。モデルに石膏の彫像を据えて息子は研究所の夏休みの間、自宅で美術学校の受験準備の実技の練習を継続しているのであった。電燈を捻って、
「ここのところは形が違ってら、こう直せよ」
逸作が、消しパンで無造作に画の線を消しにかかると、息子はその手に取り付いて、
「あ、あ、だめだよ、だめだよ、お父さんみたいにそう無闇に消しちゃ」
消させぬと言う、消すと言う。肉親の教師と生徒の間に他愛もない腕ずくの教育が始まる。
わたくしはこれを世に美しいものと眺めた。
それから、十日経っても二十日経っても雛妓は来ない。わたくしは雛妓が、商売女に相応しからぬ考えを起したのを抱主に見破られでもして、わたくしの家との間を塞がれてでもいるのではないかと心配し始めた。わたくしは逸作に訴えるように言った。
「結局、あの娘を、ああいう社会へは永く置いとけませんね」
「というと」逸作は問い返したが、すぐ彼のカンを働かして、
「思い切って、うちで落籍でもしちまおうと言うのか」
それから眼瞼を二つ三つうち合わして分別を纏めていたが、
「よかろう。俺がおまえに娘を一人生ませなかった詫だと思えば何でもない。仕儀によったらそれをやろう」
逸作は、こういう桁外れの企てには興味さえ湧かす男であった。
「外遊を半年も延ばしたらその位の金は生み出せる」
二人の腹はそう決めて、わたくしたちは蓮中庵へ行ってもう一度雛妓に会ってみることにした。そのまえ、念のためかの女が教えて置いた抱主の芸妓家へ電話をかけてみる用意を怠らなかった。すると、雛妓は病気だといって実家へ帰ったという。その実家を訊きただして手紙を出してみると、移転先不明の附箋が附いて返って来た。
しかし、わたくしは決して想いを絶たなかった。あれほど契った娘には、いつかどこかで必ずり合える気がして仕方がないのであった。わたくしは、その想いの糸を片手に持ちながら、父の死以来、わたくしの肩の荷にかかっている大役を如何なる方図によって進めるかの問題に頭を費していた。
若さと家霊の表現、この問題をわたくしはチュウインガムのように心の歯で噛み挟み、ぎちゃぎちゃ毎日噛み進めて行った。
わたくしを後援する伯母と呼ぶ遠縁の婦人は、歌も詠まないわたくしの一年以上の無為な歳月を、もどかしくも亦、解せなかった。これは早く外遊さして刺戟するに如かないと考えた。伯母は、取って置きの財資を貢ぎ出して、追い立てるようにわたくしの一家を海外に送ることにした。この事が新聞に発表された。
いくつかの送別の手紙の中に、見知らぬ女名前の手紙があった。展くと稚拙な文字でこう書いてあった。
奥さま。かの子は、もうかの子でなくなっています。違った名前の平凡な一本の芸妓になっています。今度、奥さまが晴れの洋行をなさるに就き、奥さまのあのときのお情けに対してわたくしは何を御礼にお餞別しようかと考えました。わたくしは、泣く泣くお雛妓のときのあの懐しい名前を奥さまにお返し申し、それとお情けを受けた歳の十六の若さを奥さまに差上げて、幾久しく奥さまのお若くてお仕事遊ばすようお祈りいたします。ただ一つ永久のお訣れに、わたくしがあのとき呼び得なかった心からのお願いを今、呼ばして頂き度うございます。それでは呼ばせて頂きます。
おかあさま、おかあさま、おかあさま――
むかしお雛妓の かの子より
奥さまのかの子さまへ
わたくしは、これを読んで涙を流しながら、何か怒りに堪えないものがあった。わたくしは胸の中で叫んだ。「意気地なしの小娘。よし、おまえの若さは貰った。わたしはこれを使って、ついにおまえをわたしの娘にし得なかった人生の何物かに向って闘い挑むだろう。おまえは分限に応じて平凡に生きよ」
わたくしはまた、いよいよ決心して歌よりも小説のスケールによって家霊を表現することを逸作に表白した。
逸作はしばらく考えていたが、
「誰だか言ったよ。日本橋の真中で、裸で大の字になる覚悟がなけりゃ小説は書けないと。おまえ、それでもいいか」
わたくしは、ぶるぶる震えながら、逸作に凭れて言った。
「そのとき、パパさえ傍にいて呉れれば」
逸作はわたくしの手を固く握り締めた。
「俺はいてやる。よし、やりなさい」
傍にこれを聴いていた息子は、何気なく、
「こりゃ凄えぞ」
と囃した。
本書には今日の人権意識に照らして不当・不適切と思われる語句や表現がありますが、時代的背景と作品の価値とにかんがみ、そのままとしました。
(角川書店編集部)
巴《ぱ》里《り》祭《さい》
岡《おか》本《もと》かの子《こ》
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平成13年2月9日 発行
発行者  角川歴彦
発行所  株式会社 角川書店
〒102-8177 東京都千代田区富士見2-13-3
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本電子書籍は下記にもとづいて制作しました
角川文庫『巴里祭』昭和29年2月25日初版刊行