TITLE : 行人
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目 次
行 人
注 釈
行 人
友達
一
梅《うめ》田《だ》の停車場《ステーシヨン*》を下《お》りるやいなや自分は母から言い付けられたとおり、すぐ俥《くるま》を雇って岡《おか》田《だ》の家に馳《か》けさせた。岡田は母方の遠縁に当たる男であった。自分は彼がはたして母のなにに当たるかを知らずにただ疎《うと》い親類とばかり覚えていた。
大阪へ下りるとすぐ彼を訪《と》うたのには理由があった。自分はここへ来る一週間前ある友《とも》達《だち》と約束をして、今から十日以内に阪地で落ち合おう、そうして一《いつ》所《しよ*》に高《こう》野《や》登りを遣《や》ろう、もし時日が許すなら、伊《い》勢《せ》から名古屋へ回ろう、と取り極《き》めた時、どっちも指定すべき場所を有《も》たないので、自分はつい岡田の氏名と住所を自分の友達に告げたのである。
「じゃ大阪へ着きしだい、そこへ電話を掛ければ君のいるかいないかは、すぐ分《わか》るんだね」と友達は別れるとき念を押した。岡田が電話を有《も》っているかどうか、そこは自分にもはなはだ危《あや》しかったので、もし電話がなかったら、電信でも郵便でも好《い》いから、すぐ出してくれるように頼んでおいた。友達は甲州線で諏《す》訪《わ》まで行って、それから引き返して木《き》曾《そ》を通ったあと、大阪へ出る計画であった。自分は東海道を一息に京都まで来て、そこで四、五日用足しかたがた逗《とう》留《りゆう》してから、同じ大阪の地を踏む考えであった。
予定の時日を京都で費やした自分は、友達の消息《たより》を一刻も早く耳にするため停《てい》車《しや》場《ば》を出るとともに、岡田の家を尋ねなければならなかったのである。けれどもそれはただ自分の便宜になるだけの、いわば私《わたくし》の都合にすぎないので、さっき言った母の言付けとはまるで別物であった。母が自分に向かって、あちらへ行ったらなによりさきに岡田を尋ねるようにと、わざわざ荷になるほど大きい鑵《かん》入りの菓子を、お土産《みやげ》だよと断わって、鞄《カバン》の中へ入れてくれたのは、昔《むかし》気質《かたぎ》の律《りち》儀《ぎ》からではあるが、その奥にもう一つ実際的の用件を控えているからであった。
自分は母と岡田が彼らの系統上どんな幹の先へ岐《わか》れて出た、どんな枝となって、互いに関係しているか知らないくらいな人間である。母から依託された用向きについてもたいした期待も興味もなかった。けれども久しぶりに岡田という人物――落ち付いて四角な顔をしている、いくら髭《ひげ》を欲《ほ》しがっても髭の容易に生《は》えない、しかも頭のほうがそろそろ薄くなってきそうな、――岡田という人物に会うほうの好奇心は多少動いた。岡田は今までに所用で時々出京した。ところが自分はいつも懸け違って《*》会うことができなかった。したがって強く酒精《アルコール》に染められた彼の四角な顔を見る機会を奪われていた。自分は俥の上で指を折って勘定してみた。岡田がいなくなったのは、ついこのあいだのようでも、もう五、六年になる。彼の気にしていた頭も、このごろではだいぶ危険に逼《せま》っているだろうと思って、その地の透いて見えるところを想像したりなどした。
岡田の髪の毛は想像したとおり薄くなっていたが、住居《すまい》は思ったよりもさっぱりした新しい普請であった。
「どうも上《かみ》方《がた》流でよけいなところに高《たか》塀《べい》なんか築き上げて、陰気で困っちまいます。その代り二階はあります。ちょっと上がってごらんなさい」と彼は言った。自分はなによりさきに友達のことが気になるので、こうこういう人からまだなんとも通知は来ないかと聞いた。岡田は不思議そうな顔をして、いいえと答えた。
二
自分は岡田に連れられて二階へ上がってみた。当人が自慢するほどあって眺《ちよう》望《ぼう》はかなり好《よ》かったが、縁側のない座敷の窓へ日が遠慮なく照り返すので、暑さは一とおりではなかった。床の間に懸《か》けてある軸物も反《そ》っくり返っていた。
「なに日が射《さ》すためじゃない。年が年中懸け通しだから、糊《のり》の具合でああなるんです」と岡田は真《ま》面《じ》目《め》に弁解した。
「なるほど梅に鶯《うぐいす》だ」と自分も言いたくなった。彼は世《しよ》帯《たい》を持つ時の用意に、この幅を自分の父から貰《もら》って、大得意で自分の室《へや》へ持ってきて見せたのである。その時自分は「岡田君この呉《ご》春《しゆん*》は偽《にせ》物《もの》だよ。それだからあの親父《おやじ》が君に呉《く》れたんだ」と言って調戯《からかい》半分岡田を怒《おこ》らしたことを覚えていた。
二人は懸け物を見て、当時を思い出しながら子供らしく笑った。岡田はいつまでも窓に腰を掛けて話を続けるふうに見えた。自分も襯衣《シヤツ》に洋袴《ズボン》だけになってそこに寐《ね》転《ころ》びながら相手になった。そうして彼から天《てん》下《が》茶《ちや》屋《や*》の形勢だの、将来の発展だの、電車の便利だのを聞かされた。自分は自分にそれほど興味のない問題を、ただ率直にはいはいと聴《き》いていたが、電車の通じる所へわざわざ俥《くるま》へ乗って来たことだけは、馬《ば》鹿《か》らしいと思った。二人はまた二階を下《お》りた。
やがて細君が帰って来た。細君はお兼《かね》さんといって、器量はそれほどでもないが、色の白い、皮膚の滑《なめ》らかな、遠見のたいへん好《い》い女であった。父が勤めていたある官省の属官《*》の娘で、そのころは時々勝手口から頼まれものの仕立物などを持って出入りをしていた。岡田はまたその時分自分の家の食《しよつ》客《かく》をして、勝手口に近い書生部屋《べや》で、勉強もし昼寐もし、時には焼き芋なども食った。彼らはかようにして互いに顔を知り合ったのである。が、顔を知り合ってから、結婚が成立するまでに、どんな径路を通ってきたか自分はよく知らない。岡田は母の遠縁に当たる男だけれども、自分の宅《うち》では書生同様にしていたから、下女たちは自分や自分の兄には遠慮して言い兼ねることまでも、岡田に対してはつけつけと言ってのけた。「岡田さんお兼さんが宜《よろ》しく」などという言葉は、自分も時々耳にした。けれども岡田はいっこう気にも留めない様子だったから、おおかたただの徒事《いたずら*》だろうと思っていた。すると岡田は高商《*》を卒業して一人《ひとり》で大阪のある保険会社へ行ってしまった。地位は自分の父が周旋したのだそうである。それから一年ほどして彼はまた飄《ひよう》然《ぜん》として上京した。そうして今度はお兼さんの手を引いて大阪へ下って行った。これも自分の父と母が口を利《き》いて、話を纏《まと》めてやったのだそうである。自分はその時富士へ登って《*》甲州路を歩く考えで家にはいなかったが、あとでその話を聞いてちょっと驚いた。勘定してみると、自分が御《ご》殿《てん》場《ば》で下りた汽車と擦《す》れ違って、岡田は新しい細君を迎えるために入京したのである。
お兼さんは格《こう》子《し》の前で畳《たた》んだ洋傘《こうもり》を、小さい包みといっしょに、脇《わき》の下に抱《かか》えながら玄関から勝手の方に通り抜ける時、ちょっと極《きま》りの悪そうな顔をした。その顔は日盛りの中を歩いた火気《ほてり》のため、汗を帯びて赤くなっていた。
「おいお客さまだよ」と岡田が遠慮のない大きな声を出した時、お兼さんは「ただいま」と奥の方で優しく答えた。自分はこの声の持ち主に、かつて着た久《く》留《る》米《め》絣《がすり》やフランネルの襦《じゆ》袢《ばん》を縫ってもらったこともあるのだなとふと懐《なつか》しい記憶を喚《よ》び起こした。
三
お兼さんの態度は明《めい》瞭《りよう》で落ち付いて、どこにも下《げ》卑《び》た家庭に育ったという面影は見えなかった。「二《に》、三《さん》日《ち》まえからもうおいでだろうと思って、心待ちにお待ち申しておりました」などと言って、目の縁に愛嬌を漂わせるところなどは、自分の妹よりも品の良《よ》いばかりでなく、様子もいくぶんか立ち優《まさ》ってみえた。自分はしばらくお兼さんと話しているうちに、これなら岡田がわざわざ東京まで出てきて連れて行ってもしかるべきだという気になった。
この若い細君がまだ娘盛りの五、六年前に、自分はすでにその声も目鼻立ちも知っていたのではあるが、それほど親しく言葉を換《か》わす機会もなかったので、こうして岡田夫人として改まって会ってみると、そう馴《な》れ馴《な》れしい応対もできなかった。それで自分は自分と同階級に属する未知の女に対するごとく、畏《かしこま》った言語をぽつぽつ使った。岡田はそれが可笑《おか》しいのか、または嬉《うれ》しいのか、時々自分の顔を見て笑った。それだけなら構わないが、折《おり》節《せつ*》はお兼さんの顔を見て笑った。けれどもお兼さんは澄ましていた。お兼さんがちょっと用があって奥へ立った時、岡田はわざと低い声をして、自分の膝《ひざ》を突っつきながら、「なぜあいつに対して、そう改まってるんです。元から知ってる間柄じゃありませんか」と冷笑《ひやか》すような句調で言った。
「好《い》い奥さんになったね。あれなら僕が貰《もら》やよかった」
「冗談いっちゃ不可《いけ》ない」と言って岡田はいっそう大きな声を出して笑った。やがて少し真《ま》面《じ》目《め》になって、「だって貴方《あなた》はあいつの悪口をお母《かあ》さんに言ったっていうじゃありませんか」と聞いた。
「なんて」
「岡田も気の毒だ、あんなものを大阪下りまで引っ張っていくなんて。もう少し待っていれば己《おれ》が相当なのを見《め》付《つ》けて《*》やるのにって」
「そりゃ君昔のことですよ」
こうは答えたようなものの、自分は少し恐縮した。かつちょっと狼《ろう》狽《ばい》した。そうしてさっき岡田が変な目《め》遣《づか》いをして、時々細君の方を見た意味をようやく理解した。
「あの時は僕も母からたいへん叱《しか》られてね。お前のような書生になにが解るものか。岡田さんのことはお父《とう》さんと私《わたし》とで当人たちに都合の好《い》いようにしたんだから、よけいな口を利《き》かずに黙って見ておいでなさいって。どうも手《て》痛《ひど》くやられました」
自分は母から叱られたという事実が、自分の弁解にでもなるような語気で、その時の様子を多少誇張して述べた。岡田はますます笑った。
それでもお兼さんがまた座敷へ顔を出した時、自分は多少極《きま》りの悪い思いをしなければならなかった。人の悪い岡田はわざわざ細君に、「今二《じ》郎《ろう》さんがお前のことをたいへん賞《ほ》めてくだすったぜ。よくお礼を申し上げるが好い」と言った。お兼さんは「貴方《あなた》があんまり悪口を仰《おつ》しゃるからでしょう」と夫に答えて、目では自分の方を見て微笑した。
夕飯まえに浴衣《ゆかた》がけで、岡田と二人岡の上を散歩した。まばらに建てられた家屋や、それを取り巻く垣《かき》根《ね》が東京の山の手を通り越した郊外《*》を思い出させた。自分は突然大阪で会合しようと約束した友《とも》達《だち》の消息が気になりだした。自分はいきなり岡田に向かって、「君のところにゃ電話はないんでしょうね」と聞いた。「あの構えで電話があるように見えますかね」と答えた岡田の顔には、ただ機《き》嫌《げん》の好い浮き浮きした調子ばかり見えた。
四
それは夕方の比較的長く続く夏の日のことであった。二人の歩いている岡の上はことさら明るく見えた。けれども、遠くにある立ち樹の色が空に包まれてだんだん黒ずんでいくにつれて、空の色も時を移さず変わっていた。自分は名残《なごり》の光で岡田の顔を見た。
「君東京にいたときよりよほど快《かい》豁《かつ*》になったようですね。血色もたいへん好《い》い。結構だ」
岡田は「ええまあお蔭《かげ》さまで」と言ったよう曖《あい》昧《まい》な挨拶をしたが、その挨拶のうちには一種嬉《うれ》しそうな調子もあった。
もう晩飯の用意もできたから帰ろうじゃないかと言って、二人帰路についた時、自分は突然岡田に、「君とお兼さんとはたいへん仲が好いようですね」といった。自分は真《ま》面《じ》目《め》なつもりだったけれども、岡田にはそれが冷笑《ひやかし》のように聞こえたとみえて、彼はただ笑うだけでなんの答えもしなかった。けれどもべつに否《いな》みもしなかった。
しばらくしてから彼は今までの快豁な調子を急に失った。そうしてなにか秘密でも打ち明けるような具合に声を落とした。それでいて、あたかも独《ひとり》言《ごと》を言う時のように足元を見つめながら、「これであいつといっしょになってから、かれこれもう五、六年近くになるんだが、どうも子供ができないんでね、どういうものか。それが気掛かりで……」と言った。
自分はなんとも答えなかった。自分は子供を生ますために女房を貰《もら》う人は、天下に一人《にん》もあるはずがないと、かねてから思っていた。しかし女房を貰ってからあとで、子供が欲《ほ》しくなるものかどうか、そこになると自分にも判断が付かなかった。
「結婚すると子供が欲しくなるものですかね」と聞いてみた。
「なに子供が可愛《かわい》いかどうかまだ僕にも分《わか》りませんが、なにしろ妻《さい》たるものが子供を生まなくっちゃ、まるで一人前の資格がないような気がして……」
岡田は単にわが女房を世間並みにするために子供を欲するのであった。結婚はしたいが子供ができるのが怖《こわ》いから、まあもう少しさきへ延ばそうというくるしい世の中ですよと自分は彼に言ってやりたかった。すると岡田が「それに二人ぎりじゃ淋《さび》しくってね」とまたつけ加えた。
「二人ぎりだから仲が好いんでしょう」
「子供ができると夫婦の愛は減るもんでしょうか」
岡田と自分は実際二人の経験以外にあることをさも心得たように話し合った。
宅《うち》では食卓の上に刺《さし》身《み》だの吸い物だのが綺《き》麗《れい》に並んで二人を待っていた。お兼さんは薄化粧をして二人のお酌《しやく》をした。時々は団扇《うちわ》を持って自分を扇《あお》いでくれた。自分はその風が横顔に当たるたびに、お兼さんの白粉《おしろい》の匂《にお》いをかすかに感じた。そうしてそれが麦酒《ビール》や山葵《わさび》の香《か》よりも人間らしい好い匂いのように思われた。
「岡田君はいつもこうやって晩酌を遣《や》るんですか」と自分はお兼さんに聞いた。お兼さんは微笑しながら、「どうもあと引き上《じよう》戸《ご》で困ります」と答えてわざと夫の方を見《み》遣《や》った。夫は、「なにあとが引けるほど飲ませやしないやね」と言って、傍《そば》にある団扇を取って、急に胸のあたりをはたはたいわせた。自分はまた急にこっちで会うべきはずの友《とも》達《だち》のことに思い及んだ。
「奥さん、三《み》沢《さわ》という男から僕に宛《あ》てて、郵便か電報かなにか来ませんでしたか。今散歩に出たあとで」
「来やしないよ。大丈夫だよ、君。僕の妻《さい》はそういうことはちゃんと心得てるんだから。ねえお兼。――好いじゃありませんか、三沢の一人や二人来たって来なくたって。二郎さん、そんなに僕の宅が気に入らないんですか。第《だい》一《ち》貴方《あなた》はあの一件からして片付けてしまわなくちゃならない義務があるでしょう」
岡田はこう言って、自分の洋盃《コツプ》へ麦酒をゴボゴボと注《つ》いだ。もうよほど酔っていた。
五
その晩はとうとう岡田の家《うち》へ泊《と》まった。六畳の二階で一人寐かされた自分は、蚊《か》帳《や》の中の暑苦しさに堪えかねて、なるべく夫婦に知れないように、そっと雨戸を開《あ》け放った。窓《まど》際《ぎわ》を枕《まくら》に寐ていたので、空は蚊《か》帳《や》越《ご》しにも見えた。試《ため》しに赤い裾《すそ*》から、頭だけ出して眺《なが》めると星がきらきらと光った。自分はこんなことをするあいだにも、下にいる岡田夫婦の今昔は忘れなかった。結婚してからああ親しくできたらさぞ幸福だろうと羨《うらやま》しい気もした。三沢からなんの音信《たより》のないのも気掛かりであった。しかしこうして幸福な家庭の客となって、彼の消息を待つために四、五日ぐずぐずしているのも悪くはないと考えた。いちばんどうでも好《よ》かったのは岡田のいわゆる「例の一件」であった。
翌日目が覚《さ》めると、窓の下の狭苦しい庭で、岡田の声がした。
「おいお兼とうとう絞《しぼ》り《*》のが咲きだしたぜ。ちょいと来てごらん」
自分は時計を見て、腹《はら》這《ば》いになった。そうして燐寸《マツチ》を擦《す》って敷《しき》島《しま*》へ火を点《つ》けながら、暗にお兼さんの返事を待ち構えた。けれどもお兼さんの声はまるで聞こえなかった。岡田は「おい」「おいお兼」をまた二、三度繰り返した。やがて、「せわしないかたね、貴方《あなた》は。今朝顔どころじゃないわ、台所が忙しくって」という言葉が手に取るように聞こえた。お兼さんは勝手から出てきて座敷の縁側に立っているらしい。
「それでも綺《き》麗《れい》ね。咲いてみると。――金魚はどうして」
「金魚は泳いでいるがね。どうもこのほうはむずかしいらしい」
自分はお兼さんが、死にかかった金魚の運命について、なにかセンチメンタルなことでもいうかと思って、煙草《たばこ》を吹かしながら聴《き》いていた。けれどもいくら待っていても、お兼さんはなんとも言わなかった。岡田の声も聞こえなかった。自分は煙草を捨てて立ち上がった。そうしてかなり急な階子《はしご》段《だん*》を一段ずつ音を立てて下へ降りていった。
三人で飯を済ましたあと、岡田は会社へ出勤しなければならないので、ゆっくり案内をする時間がないのを残念がった。自分はここへ来るまえから、そんなことをまったく予期していなかったと言って、白い詰め襟《えり》姿の彼を坐《すわ》ったまま眺《なが》めていた。
「お兼、お前暇があるなら二郎さんを案内してあげるが好《い》い」と岡田は急に思い付いたような顔付で言った。お兼さんはいつもの様子に似ず、この時だけは夫にも自分にもなんとも答えなかった。自分はすぐ、「なに構わない。君といっしょに君の会社のある方角まで行って、そこいらを逍遥《ぶらつ》いてみよう」と言いながら立った。お兼さんは玄関で自分の洋傘《こうもり》を取って、自分に手渡してくれた。それからただ一口「お早く」と言った。
自分は二度電車に乗せられて、二度下《お》ろされた。そうして岡田の通っている石《せき》造《ぞう》の会社の周囲を好い加減に歩き回った。同じ流れか、違う流れか、水の面《おもて》が二、三度目に入《はい》った。そのうち暑さに堪えられなくなって、また好い加減に岡田の家《うち》へ帰ってきた。
二階へ上がって、――自分は昨夜《ゆうべ》からこの六畳の二階を、自分の室《へや》と心得るようになった。――休息していると、下から階子段を踏む音がして、お兼さんが上がってきた。自分は驚いて脱いだ肌《はだ》をいれた。昨日《きのう》廂《ひさし*》に束《つか》ねてあったお兼さんの髪は、いつのまにか大きな丸《まる》髷《まげ》に変わっていた。そうして桃色の手《て》絡《がら*》が髷の間から覗《のぞ》いていた。
六
お兼さんは黒い盆の上に載せた平《ひら》野《の》水《すい》と洋盃《コツプ》を自分の前に置いて、「いかがでございますか」と聞いた。自分は「有《あり》難《がと》う」と答えて、盆を引き寄せようとした。お兼さんは「いえ私《わたくし》が」と言って急に壜《びん》を取り上げた。自分はこの時黙ってお兼さんの白い手ばかり見ていた。その手には昨夕《ゆうべ》気が付かなかった指《ゆび》環《わ》が一つ光っていた。
自分が洋盃を取り上げて咽喉《のど》を潤した時、お兼さんは帯の間から一枚の葉《は》書《がき》を取り出した。
「さきほどお出掛けになったあとで」と言いかけて、にやにや笑っている。自分はその表面に三沢の二字を認めた。
「とうとう参りましたね。お待ちかねの……」
自分は微笑しながら、すぐ裏を返して見た。
「一両日後《おく》れるかもしれぬ」
葉書に大きく書いた文字はただこれだけであった。
「まるで電報のようでございますね」
「それで貴方《あなた》笑ってたんですか」
「そういう訳もございませんけれども、なんだかあんまり……」
お兼さんはそこで黙ってしまった。自分はお兼さんをもっと笑わせたかった。
「あんまり、どうしました」
「あんまり勿《もつ》体《たい》ないようですから」
お兼さんのお父《とう》さんというのはたいへん緻《ち》密《みつ》な人で、お兼さんのところへ手紙を寄こすにも、たいていは葉書で用を弁じている代りに蠅《はえ》の頭のような字を十五行も並べてくるという話を、お兼さんは面《おも》白《しろ》そうにした。自分は三沢のことをまったく忘れて、ただ前にいるお兼さんを的《まと》に、さまざまのことを尋ねたり聞いたりした。
「奥さん、子供が欲《ほ》しかありませんか。こうやって、一人で留《る》守《す》をしていると退屈するでしょう」
「そうでもございませんわ。私兄《きよう》弟《だい》の多い家《うち》に生まれてたいへん苦労して育ったせいか、子供ほど親を意《い》地《じ》見《め》る《*》ものはないと思っておりますから」
「だって一人や二人は可《い》いでしょう。岡田君は子供がないと淋《さみ》しくって不可《いけ》ないって言ってましたよ」
お兼さんはなんにも答えずに窓の方を眺《なが》めていた。顔を元へ戻《もど》しても、自分を見ずに、畳の上にある平野水の壜《びん》を見ていた。自分はなんにも気が付かなかった。それでまた「奥さんはなぜ子供ができないんでしょう」と聞いた。するとお兼さんは急に赤い顔をした。自分はただ心《こころ》易《やす》だてで《*》言ったことが、はなはだ面《おも》白《しろ》くない結果を引き起こしたのを後悔した。けれどもどうするわけにもいかなかった。その時はただお兼さんに気の毒をしたという心だけで、お兼さんの赤くなった意味を知ろうなどとは夢にも思わなかった。
自分はこの居苦しくまた立ち苦しくなったように見える若い細君を、どうともして救わなければならなかった。それにはぜひとも話頭を転ずる必要があった。自分はかねてからさほど重きを置いていなかった岡田のいわゆる「例の一件」をとうとう持ち出した。お兼さんはすぐ元の態度を回復した。けれども夫に責任の過半を譲るつもりか、決して多くを語らなかった。自分もそう根掘り葉掘り聞きもしなかった。
七
「例の一件」が本式に岡田の口から持ち出されたのはその晩のことであった。自分は露に近い縁側を好んでそこに座を占めていた。岡田はそれまでお兼さんと向き合って座敷の中に坐《すわ》っていたが、話が始まるやいなや、すぐ立って縁側へ出てきた。
「どうも遠くじゃ話がしにくくって不可《いけ》ない」と言いながら、模様の付いた座《ざ》蒲《ぶ》団《とん》を自分の前に置いた。お兼さんだけは依然として元の席を動かなかった。
「二郎さん写真は見たでしょう、このあいだ僕が送った」
写真の主というのは、岡田と同じ会社へ出る若い人であった。この写真が来た時家《うち》のものが代り番子に見て、さまざまの批評を加えたのを、岡田は知らないのである。
「ええちょっと見ました」
「どうです評判は」
「少しお凸額《でこ》だっていったものもあります」
お兼さんは笑いだした。自分も可笑《おか》しくなった。というのは、その男の写真を見て、お凸額だと言いはじめたものは、実のところ自分だからである。
「お重《しげ》さんでしょう、そんな悪口をいうのは。あの人の口に掛かっちゃ、たいていのものは敵《かな》わないからね」
岡田は自分の妹のお重をたいへん口の悪い女だと思っている。それも彼がお重から、あなたの顔は将《しよう》棋《ぎ》の駒《こま》みたいよといわれてからのことである。
「お重さんになんと言われたって構わないが肝《かん》心《じん》の当人はどうなんです」
自分は東京を立つとき、母から、貞《さだ*》にはむろん異存これなくという返事を岡田のほうへ出しておいたということを確かめてきたのである。だから、当人は母から上げた返事のとおりだと答えた。岡田夫婦はまた佐野という婿になるべき人の性質や品行や将来の望みや、その他いろいろの条項について一々自分に話して聞かせた。最後に当人がこの縁談の成立を切望している例などを挙《あ》げた。
お貞さんは器量からいっても教育からいっても、これという特色のない女である。ただ自分の家の厄《やつ》介《かい》ものという名があるだけである。
「先方があまり乗り気になってなんだか剣《けん》呑《のん》だから、あっちへ行ったらよく様子を見てきておくれ」
自分は母からこう頼まれたのである。自分はお貞さんの運命について、それほど多くの興味は有《も》ち得なかったけれども、なるほどそう望まれるのは、お貞さんのために結構なようでまた危険なことだろうとも考えていた。それで今まで黙って岡田夫婦のいうことを聞いていた自分は、ふと口を滑《すべ》らした。――
「どうしてお貞さんが、そんなに気に入ったものかな。まだ会ったこともないのに」
「佐野さんはああいうしっかりしたかただから、やっぱり辛抱人をお貰《もら》いになるお考えなんですよ」
お兼さんは岡田の方を向いて、佐野の態度をこう弁解した。岡田はすぐ、「そうさ」と答えた。そうしてそのほかにはなにも考えていないらしかった。自分はとにかくその佐野という人に明日《あした》会おうという約束を岡田として、また六畳の二階に上がった。頭を枕《まくら》に着けながら、自分の結婚する場合にも事がこう簡単に運ぶのだろうかと考えると、少し恐ろしい気がした。
八
翌日《あくるひ》岡田は会社を午《ひる》で切り上げて帰ってきた。洋服を投げ出すが早いか勝手へ行って水浴をして「さあ行こう」と言いだした。
お兼さんはいつのまにか箪《たん》笥《す》の抽《ひき》出《だ》しを開《あ》けて、岡田の着物を取り出した。自分は岡田がなにを着るか、さほど気にも留めなかったが、お兼さんの着せ具合や、帯の取って遣《や》り具合には、知らず知らず注意を払っていたものとみえて、「二郎さんあなた仕《し》度《たく》は好《い》いんですか」と聞かれた時、はっと気が付いて立ち上がった。
「今日《きよう》はお前も行くんだよ」と岡田はお兼さんに言った。「だって……」とお兼さんは絽《ろ》の羽織を両手で持ちながら、夫の顔を見上げた。自分は梯子《はしご》段《だん》の中途で、「奥さん入らっしゃい」と言った。
洋服を着て下へ降りてみると、お兼さんはいつのまにかもう着物も帯も取り換えていた。
「早いですね」
「ええ早変わり」
「あんまり変わり栄えもしない服装《なり》だね」と岡田が言った。
「これでたくさんよあんなとこへ行くのに」とお兼さんが答えた。
三人は暑さを冒して岡《おか》を下った。そうして停車場からすぐ電車に乗った。自分は向こう側に並んで腰を掛けた岡田とお兼さんを時々見た。そのあいだには三沢の突飛《とつぴ》な葉《は》書《がき》を思い出したりした。ぜんたいあれはどこで出したものなんだろうと考えてもみた。これから会いに行く佐野という男のことも、ちょいちょい頭に浮かんだ。しかしそのたんびに「物好き」という言葉がどうしてもいっしょに出てきた。
岡田は突然体《からだ》を前に曲げて、「どうです」と聞いた。自分はただ「結構です」と答えた。岡田は元のように腰から上をまっすぐにして、なにかお兼さんに言った。その顔には得意の色が見えた。すると今度はお兼さんが顔を前へ出して「お気に入ったら、貴方《あなた》も大阪《こちら》へ入らっしゃいませんか」と言った。自分は覚えず「有《あり》難《がと》う」と答えた。さっきどうですと突然聞いた岡田の意味は、この時ようやく解《わか》った。
三人は浜《はま》寺《でら*》で降りた。この地方の様子を知らない自分は、大きな松《*》と砂の間を歩いてさすがに好い所だと思った。しかし岡田はここでは「どうです」を繰り返さなかった。お兼さんも洋傘《こうもり》を開いたままさっさと行った。
「もう来ているだろうか」
「そうね。ことによるともう来て待っていらっしゃるかもしれないわ」
自分は二人の後に跟《つ》いて、こんな会話を聴《き》きながら、すばらしく大きな料理屋の玄関の前に立った。自分はなによりもまずその大きいのに驚かされたが、上がって案内をされた時、さらにその道中の長いのにびっくりした。三人は段々を下《お》りて細い廊下を通った。
「隧道《トンネル*》ですよ」
お兼さんがこういって自分に教えてくれたとき、自分はそれが冗談で、本当に地面の下ではないのだと思った。それでただ笑って薄暗いところを通り抜けた。
座敷では佐野が一人敷《しき》居《い》際《ぎわ》に洋服の片《かた》膝《ひざ》を立てて、煙草《たばこ》を吹かしながら海の方を見ていた。自分たちの足音を聞いた彼はすぐこっちを向いた。その時彼の額の下に、金縁の眼鏡《めがね》が光った。部《へ》屋《や》へはいるとき第一に彼と顔を見合わせたのは実に自分だったのである。
九
佐野は写真で見たよりもいっそうお凸額《でこ》であった。けれども額の広いところへ、夏だから髪を短く刈っているので、ことにそう見えたのかもしれない。初対面の挨《あい》拶《さつ》をするとき、彼は「なにぶん宜《よろ》敷《しく》」と言って頭を丁寧に下げた。この普通一般の挨拶ぶりが、場合が場合なので、自分には一種変に聞こえた。自分の胸は今までさほど責任を感じていなかったところへ急に重苦しい束縛ができた。
四人《よつたり》は膳《ぜん》に向かいながら話をした。お兼さんは佐野とはだいぶ心《こころ》易《やす》い間柄とみえて、時々向こう側から調戯《からか》ったりした。
「佐野さん、あなたの写真の評判が東京でたいへんなんですって」
「どうたいへんなんです。――おおかた好《い》いほうへたいへんなんでしょうね」
「そりゃもちろんよ。嘘《うそ》だと覚《おぼ》し召すならお隣にいらっしゃるかたに伺ってごらんになれば解《わか》るわ」
佐野は笑いながらすぐ自分の方を見た。自分はちょっとなんとか言わなければ跋《ばつ》が悪かった。それで真《ま》面《じ》目《め》な顔をして、「どうも写真は大阪の方が東京より発達しているようですね」と言った。すると岡田が「浄《じよう》瑠《る》璃《り》じゃあるまいし」と交ぜ返した。
岡田は自分の母の遠縁に当たる男だけれども、長く自分の宅《うち》の食客をしていたせいか、昔から自分や自分の兄に対しては一段低いものの言い方をする習慣を有《も》っていた。久しぶりに会った昨日一昨日《おととい》などはことにそうであった。ところがこうして佐野が一人新しく席に加わってみると、友《とも》達《だち》の手前体裁が悪いというわけだかなんだか、自分に対する口の利《き》き方が急に対等になった。ある時は対等以上に横《おう》風《ふう》になった。
四人《よつたり》のいる座敷の向こうには、同じ家のだけれども棟《むね》の違う高い二階が見えた。障子を取り払ったその広間の中を見上げると、角帯を締めた若い人たちが大勢いて、そのうちの一人が手《て》拭《ぬぐい》を肩へ掛けて踊りかなにか躍《おど》っていた。「お店《たな》もの《*》の懇親会というところだろう」と評し合っているうちに、十六、七の小僧が手《て》摺《す》りのところへ出てきて、汚《きた》ないものを容赦なく廂《ひさし》の上へ吐いた《*》。すると同じくらいな年輩の小僧がまた一人煙草《たばこ》を吹かしながら出てきて、こらしっかりしろ、己《おれ》が付いているから、なんにも怖《こわ》がるには及ばない、という意味を純粋の大阪弁で遣《や》りだした。今まで苦々しい顔をして手摺りの方を見ていた四人《よつたり》はとうとう吹き出してしまった。
「どっちも酔ってるんだよ。小僧のくせに」と岡田が言った。
「貴方《あなた》みたいね」とお兼さんが評した。
「どっちがです」と佐野が聞いた。
「両方ともよ。吐いたり管《くだ》を捲《ま》いたり」とお兼さんが答えた。
岡田はむしろ愉快な顔をしていた。自分は黙っていた。佐野は独《ひと》り高笑いをした。
四人《よつたり》はまだ日の高い四時ごろにそこを出て帰路についた。途中で分かれるとき佐野は「いずれそのうちまた」と帽を取って挨《あい》拶《さつ》した。三人はプラットフォームから外へ出た。
「どうです、二郎さん」と岡田はすぐ自分の方を見た。
「好《よ》さそうですね」
自分はこうよりほかに答える言葉を知らなかった。それでいて、こう答えたあとははなはだ無責任なような気がしてならなかった。同時にこの無責任を余儀なくされるのが、結婚に関係する多くの人の経験なんだろうとも考えた。
一〇
自分は三沢の消息を待って、なお二、三日岡田の厄《やつ》介《かい》になった。実をいうと彼らは自分の余所《よそ》に行って宿を取ることを許さなかったのである。自分はそのあいだできるだけ一人で大阪を見て歩いた。すると町幅の狭いせいか、人間の運動が東京よりも溌《はつ》溂《らつ》と自分の目を射るように思われたり、家並みが締りのない東京より整って好ましいように見えたり、河《かわ》が幾筋もあってその河には静かな水が豊かに流れていたり、目先の変わった興味が日に一つ二つは必ずあった。
佐野には浜寺でいっしょに飯を食った次の晩また会った。今度は彼のほうから浴衣《ゆかた》がけで岡田を尋ねてきた。自分はその時もかれこれ二時間余り彼と話した。けれどもそれはただ前日の催しを岡田の家で小規模に繰り返したにすぎなかったので、新しい印象といっては格別頭に残りようがなかった。だからほんとうをいうとただ世間並みの人というよりほかに、自分は彼についてなにも解《わか》らなかった。けれどもまた母や岡田に対する義務としては、なにも解らないで澄ましているわけにもゆかなかった。自分はこの二、三日のあいだに、とうとう東京の母へ向けて佐野と会見を結了した旨の報告を書いた。
仕方がないから「佐野さんはあの写真によく似ている」と書いた。「酒は呑《の》むが、呑んでも赤くならない」と書いた。「お父《とう》さんのように謡をうたう代りに義《ぎ》太《だ》夫《ゆう》を勉強しているそうだ」と書いた。最後に岡田夫婦と仲の好《よ》さそうな様子を述べて、「あれほど仲の好《い》い岡田さん夫婦の周旋だから間違いはないでしょう」と書いた。いちばんしまいに、「要するに、佐野さんは多数の妻帯者と変わったところもなにもないようです。お貞さんも普通の細君になる資格はあるんだから、承諾したら好いじゃありませんか」と書いた。
自分はこの手紙を封じる時、ようやく義務が済んだような気がした。しかしこの手紙一つでお貞さんの運命が永久に決せられるのかと思うと、多少自分のおっ猪口《ちよこ》ちょいに恥じ入るところもあった。そこで自分はこの手紙を封筒へ入れたまま、岡田のところへ持っていった。岡田はすうと目を通しただけで、「結構」と答えた。お兼さんは、てんで巻紙に手を触れなかった。自分は二人の前に坐《すわ》って、双方を見《み》較《くら》べた。
「これで好いでしょうかね。これさえ出してしまえば、宅《うち》のほうは極《きま》るんです。したがって佐野さんもちょっと動けなくなるんですが」
「結構です。それが僕らの最も希望するところです」と岡田は開き直っていった。お兼さんは同じ意味を女の言葉で繰り返した。二人からこう事もなげに言われた自分は、それで安心するよりもかえって心元なくなった。
「なにがそんなに気になるんです」と岡田が微笑しながら煙草《たばこ》の煙を吹いた。「この事件についていちばん冷淡だったのは君じゃありませんか」
「冷淡にゃ違いないが、あんまりお手軽すぎて、少し双方に対して申し訳がないようだから」
「お手軽どころじゃございません、それだけ長い手紙を書いていただけば。それでお母《かあ》さまが御満足なさる、こちらは初めから極っている。これほどお目出たいことはないじゃございませんか、ねえ貴方《あなた》」
お兼さんはこういって、岡田の方を見た。岡田はそうともといわぬばかりの顔をした。自分は理屈をいうのが厭《いや》になって、二人の目の前で、三銭切手を手紙に貼《は》った。
一一
自分はこの手紙を出しっ切りにして大阪を立ち退《の》きたかった。岡田も母の返事の来るまで自分にいてもらう必要もなかろうと言った。
「けれどもまあゆっくりなさい」
これが彼のしばしば繰り返す言葉であった。夫婦の好意は自分によく解《わか》っていた。同時に彼らの迷惑もまたよく想像された。夫婦ものに自分のような横着な泊まり客は、こっちにも多少の窮屈は免れなかった。自分は電報のように簡単な端《は》書《がき》を書いたぎりなんの音《おと》沙《さ》汰《た》もない三沢が悪《にく》らしくなった。もし明日《あした》中《じゆう》になんとか音信《たより》がなければ、一人で高野登りを遣《や》ろうと決心した。
「じゃ明日は佐野を誘って宝《たから》塚《づか》へでも行きましょう」と岡田が言いだした。自分は岡田が自分のために時間の差し繰りをしてくれるのが苦になった。もっと皮肉をいえば、そんな温泉場へ行って、飲んだり食ったりするのが、お兼さんに済まないような気がした。お兼さんはちょっと見ると、派《は》手《で》好きの女らしいが、それはむしろ色白な顔立や様子がそう思わせるので、性質からいうと普通の東京ものよりずっと地《じ》味《み》であった。外へ出る夫の懐中にすら、ある程度の束縛を加えるくらい締まっているんじゃないかと思われた。
「御《ご》酒《しゆ》を召し上がらないかたは一生のお得ですね」
自分の杯に親しまないのを知ったお兼さんは、ある時こういう述懐を、さも羨《うらや》ましそうに洩《も》らしたことさえある。それでも岡田が顔を赤くして、「二郎さん久しぶりに相撲《すもう》でも取りましょうか」と野蛮な声を出すと、お兼さんは眉《まゆ》をひそめながら、嬉《うれ》しそうな目付をするのが常であったから、お兼さんは旦《だん》那《な》の酔うのが嫌《きら》いなのではなくて、酒に費用《ついえ》の掛かるのが嫌いなのだろうと、自分は推察していた。
自分はせっかくの好意だけれども宝塚行を断わった。そうして腹の中で、あしたの朝岡田の留《る》守《す》に、ちょっと電車に乗って一人で行って様子を見て来《き》ようと取り極《き》めた。岡田は「そうですか。文《ぶん》楽《らく》だと好《い》いんだけれどもあいにく暑いんで休んでいるものだから」と気の毒そうに言った。
翌《よく》朝《あさ》自分は岡田といっしょに家《うち》を出た。彼は電車の上で突然自分の忘れ掛けていたお貞さんの結婚問題を持ち出した。
「僕は貴方《あなた》の親類だと思ってやしません。貴方のお父《とう》さんお母《かあ》さんに書生として育てられた食客と心得ているんです。僕の今の地位だって、あのお兼だって、みんな貴方の御両親のお蔭《かげ》でできたんです。だからなにか御恩返しをしなくっちゃ済まないと平生から思ってるんです。お貞さんの問題もつまりそれが動機で為《し》たんですよ。決して他意はないんですからね」
お貞さんは宅《うち》の厄《やつ》介《かい》ものだから、一日も早くどこかへ嫁に世話をするというのが彼の主意であった。自分は家族の一員として岡田の好意を謝すべき地位にあった。
「お宅じゃ早くお貞さんを片付けたいんでしょう」
自分の父も母も実際そうなのである。けれどもこの時自分の目にはお貞さんと佐野という縁故もなにもない二人がいっしょにかつ離れ離れに映じた。
「旨《うま》くゆくでしょうか」
「そりゃゆくだろうじゃありませんか。僕とお兼を見たって解《わか》るでしょう。結婚してからまだ一度も大《おお》喧《げん》嘩《か》をしたことなんかありゃしませんぜ」
「貴方がたは特別だけれども……」
「なにどこの夫婦だって、大概似たものでさあ」
岡田と自分はそれでこの話を切り上げた。
一二
三沢の便《たよ》りははたして次の日の午後になっても来なかった。気の短い自分にはこんなズボラを待ってやるのが腹立たしく感ぜられた。しいてもこれから一人で立とうと決心した。
「まあもう一日《いちんち》二日《ふつか》は宜《よろ》しいじゃございませんか」とお兼さんは愛《あい》嬌《きよう》に言ってくれた。自分が鞄《カバン》の中へ浴衣《ゆかた》や三尺帯《*》を詰めに二階へ上がり掛ける下から、「ぜひそうなさいましよ」追っ掛けるように留めた。それでも気が済まなかったとみえて、自分が鞄の始末をしたころ、上がり口へ顔を出して、「おやもうお荷物の仕《し》度《たく》をなすったんですか。じゃお茶でも入れますから、御ゆっくりどうぞ」と降りていった。
自分は胡坐《あぐら》のまま旅行案内をひろげた。そうして胸のうちでかれこれと時間の都合を考えた。その都合がなかなか旨《うま》くいかないので、仰《あお》向《む》けになってしばらく寐《ね》てみた。すると三沢といっしょに歩く時の愉快がいろいろに想像された。富士を須《す》走《ばし》り口《ぐち》へ降りる時、滑《すべ》って転《ころ》んで、腰にぶら下げた大きな金明水《きんめいすい*》入《い》りの硝子《ガラス》壜《びん》を、壊《こわ》したなり帯へ括《くく》り付けて歩いた彼の姿扮《すがた*》などが目に浮かんだ。ところへまた梯子《はしご》段《だん》を踏むお兼さんの足音がしたので、自分は急に起き直った。
お兼さんは立ちながら、「まあ好《よ》かった」と一息吐《つ》いたように言って、すぐ自分の前に坐った。そうして三沢から今届いた手紙を自分に渡した。自分はすぐ封を開いて見た。
「とうとうお着きになりましたか」
自分はちょっとお兼さんに答える勇気を失った。三沢は三日まえ大阪に着いて二日《ふつか》ばかり寐たあげくとうとう病院に入《はい》った《*》のである。自分は病院の名を指《さ》してお兼さんに地理を聞いた。お兼さんは地理だけはよく呑《の》み込んでいたが、病院の名は知らなかった。自分はとにかく鞄を提《さ》げて岡田の家を出ることにした。
「どうもとんだことでございますね」とお兼さんは繰り返し繰り返し気の毒がった。断わるのをむりに、下女が鞄を持って停車場《ステーシヨン》まで随《つ》いてきた。自分は途中でなおもこの下女を返そうとしたが、なんとか言ってなかなか帰らなかった。その言葉は解《わか》るには解るが、自分のようにこの土地に親しみのないものにはとても覚えられなかった。別れるとき今まで世話になった礼に一円遣《や》ったら「さいなら、お機《き》嫌《げん》よう」と言った。
電車を下《お》りて俥《くるま》に乗ると、その俥は軌道《レール》を横切って細い通りをまっすぐに馳《か》けた。馳け方があまり烈《はげ》しいので、向こうから来る自転車だの俥だのといくたびか衝突しそうにした。自分ははらはらしながら病院の前に降ろされた。
鞄を持ったまま三階に上がった自分は、三沢を探《さが》すため方々の室《へや》を覗《のぞ》いて歩いた。三沢は廊下の突き当たりの八畳に、氷嚢《ひようのう》を胸の上に載せて寐ていた。
「どうした」と自分は室《へや》に入るやいなや聞いた。彼はなにも答えずに苦笑している。「また食い過ぎたんだろう」と自分は叱《しか》るように言ったなり、枕元《まくらもと》に胡坐を掻《か》いて上着を脱いだ。
「そこに蒲団《ふとん》がある」と三沢は上目を使って、室の隅《すみ》を指《さ》した。自分はその目の様子と頬《ほお》の具合を見て、これはどのくらい重い程度の病気なんだろうと疑った。
「看護婦は付いてるのかい」
「うん。今どこかへ出ていった」
一三
三沢は平生から胃腸の能《よ》くない男であった。ややともすると吐いたり下したりした。友《とも》達《だち》はそれを彼の不養生からだと評し合った。当人はまた母の遺伝で体質から来るんだから仕方がないと弁解していた。そうして消化器病の書物などを引っ繰り返して、アトニー《*》とか下垂性《*》とかトーヌス《*》とかいう言葉を使った。自分などが時々彼に忠告めいたことをいうと、彼は素人《しろうと》がなにを知るものかといわぬばかりの顔をした。
「君アルコールは胃で吸収されるものか、腸で吸収されるものか知ってるか」などと澄ましていた。そのくせ病気になると彼はきっと自分を呼んだ。自分もそれ見ろと思いながら必ず見舞いに出掛けた。彼の病気は短くて二、三日長くて一、二週間でたいていは癒《なお》った。それで彼は彼の病気を馬《ば》鹿《か》にしていた。他人の自分はなおさらであった。
けれどもこの場合自分はまず彼の入院に驚かされていた。そのうえに胃の上の氷嚢でまた驚かされた。自分はそれまで氷《ひよう》嚢《のう》は頭か心臓の上でなければ載せるものでないとばかり信じていたのである。自分はぴくんぴくんと脈を打つ氷嚢を見詰めて厭《いや》な心持ちになった。枕《まくら》元《もと》に坐《すわ》っていればいるほど、付け景気の言葉がだんだん出なくなってきた。
三沢は看護婦に命じて氷菓子《アイスクリーム》を取らせた。自分がその一杯に手を着けているうちに、彼は残る一杯を食うといい出した。自分は薬と定食以外にそんなものを口にするのは好《よ》くなかろうと思って留めに掛かった。すると三沢は怒《おこ》った。
「君は一杯の氷菓子を消化するのに、どのくらい強壮な胃が必要だと思うのか」と真《ま》面《じ》目《め》な顔をして議論を仕掛けた。自分は実のところなんにも知らないのである。看護婦は、可《よ》かろうけれども念のためだからと言って、わざわざ医局へ聞きにいった。そうして少量なら差《さし》支《つか》えないという許可を得てきた。
自分は便所に行くとき三沢に知れないように看護婦を呼んで、あの人の病気はぜんたいなんというんだと聞いてみた。看護婦はおおかた胃が悪いんだろうと答えた。それより以上のことを尋ねると、今朝《けさ》看護婦会から派出されたばかりで、なにもまだ分《わか》らないんだと言って平気でいた。仕方なしに下へ降りて医員に尋ねたら、その男もまだ三沢の名を知らなかった。けれども患者の病名だの処方だのを書いた紙《し》箋《せん》を繰って、胃が少し糜爛《ただ》れたんだということだけ教えてくれた。
自分はまた三沢の傍《そば》へ行った。彼は氷嚢を胃の上に載せたまま、「君その窓から外を見てみろ」、と言った。窓は正面に二つ側面に一つあったけれども、いずれも西洋式で普通より高いうえに、病人は日本の蒲《ふ》団《とん》を敷いて寐《ね》ているんだから、彼の目には強い色の空と、電信線の一部分が筋違《すじかい》に見えるだけであった。
自分は窓《まど》側《ぎわ》に手を突いて、外を見《み》下《おろ》した。するとなによりもまず高い煙突から出る遠い煙が目に入《はい》った。その煙は市全体を掩《おお》うように大きな建物の上を這《は》い回っていた。
「河《かわ》が見えるだろう」と三沢が言った。
大きな河が左手の方に少し見えた。
「山も見えるだろう」と三沢がまた言った。
山は正面にさっきから見えていた。
それが暗《くら》がり峠《*》で、昔はたぶん大きな木ばかり生《は》えていたのだろうが、今はあのとおり明るい峠に変化したんだとか、もう少しするとあの山の下を突き貫《ぬ》いて、奈《な》良《ら》へ電車が通うようになるんだとか、三沢は今誰《だれ》かから聞いたばかりのことを元気よく語った。自分はこれならたいした心配もないだろうと思って病院を出た。
一四
自分は別に行くところもなかったので、三沢の泊まった宿の名を聞いて、そこへ俥《くるま》で乗り付けた。看護婦はつい近くのように言ったが、はじめての自分にはかなりの道《みち》程《のり》と思われた。
その宿には玄関もなんにもなかった。はいっても入らっしゃいと挨《あい》拶《さつ》に出る下女もなかった。自分は三沢の泊まったという二階の一間に通された。手《て》摺《す》りの前はすぐ大きな川で、座敷から眺《なが》めていると、たいへん涼しそうに水は流れるが、向きのせいか風は少しも入《はい》らなかった。夜《よ》に入って向こう側に点ぜられる燈火のきらめきも、ただ目に少しばかりの趣を添えるだけで、涼味という感じにはまるでならなかった。
自分は給仕の女に三沢のことを聞いてはじめて知った。彼は二日《ふつか》ここに寐《ね》たあげく、三日目に入院したように記憶していたが実はもう一日まえの午後に着いて、鞄《カバン》を投げ込んだまま外出して、その晩の十時過ぎにはじめて帰ってきたのだそうである。着いた時には五、六人の伴《つ》侶《れ》がいたが、帰りにはたった一人になっていたと下女は告げた。自分はその五、六人の伴侶の何《なん》人《びと》であるかについて思い悩んだ。しかし想像さえ浮かばなかった。
「酔ってたかい」と自分は下女に聞いてみた。そこは下女も知らなかった。けれども少し経《た》って吐いたから酔っていたんだろうと答えた。
自分はその夜《よ》蚊《か》帳《や》を釣《つ》ってもらって早く床にはいった。するとその蚊帳に穴があって、蚊が二、三疋《びき》はいってきた。団扇《うちわ》を動かして、それを払い退《の》けながら寐ようとすると、隣の室《へや》の話し声が耳に付いた。客は下女を相手に酒でも呑《の》んでいるらしかった。そうして警部だとかいうことであった。自分は警部の二字に多少の興味があった。それでその人の話を聞いてみる気になったのである。すると自分の室を受け持っている下女が上がってきて、病院から電話だと知らせた。自分は驚いて起き上がった。
電話の相手は三沢の看護婦であった。病人の模様でも急に変わったのかと思って心配しながら用事を聞いてみると病人から、明日《あした》はなるべく早く来てくれ、退屈で困るからという伝言にすぎなかった。自分は彼の病気がはたしてそう重くないんだと断定した。「なんだそんなことか、そういう我《わが》儘《まま》はなるべく取り次がないが好《い》い」と叱《しか》り付けるように言ってやったが、あとで看護婦に対して気の毒になったので、「しかし行くことは行くよ。君が来てくれというなら」と付け足して室に帰った。
下女はいつ気が付いたか、蚊帳の穴を針と糸で塞《ふさ》いでいた。けれどもすでにはいっている蚊はそのままなので、横になるやいなや、時々額や鼻の頭の辺《あたり》でぶうんという小さい音がした。それでもうとうとと寝た。すると今度は右の方の部《へ》屋《や》でする話し声で目が覚《さ》めた。聞いているとやはり男と女の声であった。自分はこっち側に客は一人もいないつもりでいたのでちょっと驚かされた。しかし女が繰り返して、「そんならもう帰してもらいますぜ」というような言葉を二、三度用いたので、隣の客が女に送られて茶屋からでも帰ってきたのだろうと推察してまた眠りに落ちた。
それからもう一度下女が雨戸を引く音に夢を破られて、最後に起き上がったのが、まだ川の面《おもて》に白い靄《もや》が薄く見えるころだったから、正味寐たのは何時間にもならなかった。
一五
三沢の氷《ひよう》嚢《のう》は依然としてその日も胃の上にあった。
「まだ氷で冷やしているのか」
自分はいささか案外な顔をしてこう聞いた。三沢にはそれが友《とも》達《だち》甲《が》斐《い》もなく響いたのだろう。
「鼻《はな》風《か》邪《ぜ》じゃあるまいし」と言った。
自分は看護婦の方を向いて、「昨夕《ゆうべ》は御苦労さま」と一口礼を述べた。看護婦は色の蒼《あお》い膨《ふく》れた女であった。顔付が絵にかいた座頭に好《よ》く似ているせいか、普通彼らの着る白い着物がちっとも似合わなかった。岡《おか》山《やま》のもので、小さい時膿《のう》毒《どく》性《しよう*》とかで右の目を悪くしたんだと、こっちで尋ねもしないことを話した。なるほどこの女の一方の目には白い雲がいっぱいに掛かっていた。
「看護婦さん、こんな病人に優しくしてやるとなにを言い出すか分《わか》らないから、好《い》い加《か》減《げん》にしておくが可《い》いよ」
自分は面《おも》白《しろ》半分わざと軽薄な露骨を言って、看護婦を苦笑させた。すると三沢が突然「おい氷だ」と氷嚢を持ち上げた。
廊下の先で氷を割る音がした時、三沢はまた「おい」と言って自分を呼んだ。
「君には解《わか》るまいが、この病気を押していると、きっと潰《かい》瘍《よう》になるんだ。それが危険だから僕はこうじっとして氷嚢を載せているんだ。ここへ入院したのも、医者が勧めたのでも、宿で周旋してもらったのでもない。ただ僕自身が必要と認めて自分で入《はい》ったのだ。酔興じゃないんだ」
自分は三沢の医学上の知識について、それほど信を置き得なかった。けれどもこう真《ま》面《じ》目《め》に出られてみると、もう交ぜ返す勇気もなかった。そのうえ彼のいわゆる潰瘍とはどんなものかまったく知らなかった。
自分は起《た》って窓《まど》側《ぎわ》へ行った。そうして強い光に反射して、乾《かわ》いた土の色を見せている暗がり峠を望んだ。ふと奈良へでも遊びに行ってきようかという気になった。
「君その様子じゃ当分約束を履行するわけにもゆかないだろう」
「履行しようと思って、これほどの養生をしているのさ」
三沢はなかなか強情の男であった。彼の強情に付き合えば、彼の健康が旅行に堪え得《う》るまで自分はこの暑い都の中で蒸されていなければならなかった。
「だって君の氷嚢はなかなか取れそうにないじゃないか」
「だから早く癒《なお》るさ」
自分は彼とこういう談話を取り換わせているうちに、彼の強情のみならず、彼の我《わが》儘《まま》な点をよく見て取った。同時に一日も早く病人を見捨てて行こうとする自分の我儘もまたよく自分の目に映った。
「君大阪へ着いたときはたくさん伴《つ》侶《れ》があったそうじゃないか」
「うん、あの連中と飲んだのが悪かった」
彼の挙《あ》げた姓名のうちには、自分の知っているものも二、三あった。三沢は彼らと名古屋からいっしょの汽車に乗ったのだが、いずれも馬《ば》関《かん*》とか門《も》司《じ》とか福《ふく》岡《おか》とかまで行く人であるにかかわらず久しぶりだからというので、皆《みん》な大阪で降りて三沢とともに飯を食ったのだそうである。
自分はともかくもう二、三日いて病人の経過を見たうえ、どうとか為《し》ようと分別した。
一六
そのあいだ自分は三沢の付添いのように、昼も晩もたいていは病院で暮らした。孤独な彼は実際毎日自分を待ち受けているらしかった。それでいて顔を合わすと、決して礼などは言わなかった。わざわざ草花を買って持っていってやっても、むっと膨《ふく》れていることさえあった。自分は枕《まくら》元《もと》で書物を読んだり、看護婦を相手にしたり、時間がくると病人に薬を呑《の》ませたりした。朝日が強く差し込む室《へや》なので、看護婦を相手に、寐《ね》床《どこ》を影の方へ移す手伝いもさせられた。
自分はこうしているうちに、毎日午前中に回診する院長を知るようになった。院長はたいがい黒のモーニングを着て医員と看護婦を一人ずつ随《したが》えていた。色の浅黒い鼻筋の通った立《りつ》派《ぱ》な男で、言《こと》葉《ば》遣《づか》いや態度にも容《よう》貌《ぼう》の示すごとく品格があった。三沢は院長に会うと、医学上の知識をまるで有《も》っていない自分たちと同じような質問をしていた。「まだ容易に旅行などはできないでしょうか」「潰《かい》瘍《よう》になると危険でしょうか」「こうやって思い切って入院したほうが、今考えてみるとやっぱり得策だったんでしょうか」などと聞くたびに院長は「ええまあそうです」ぐらいな単簡《*》な返答をした。自分は平生解《わか》らない術語を使って、他《ひと》を馬《ば》鹿《か》にする彼が、院長の前でこう小さくなるのを滑《こつ》稽《けい》に思った。
彼の病気は軽いような重いような変なものであった。宅《うち》へ知らせることは当人が絶対に不承知であった。院長に聞いてみると、嘔《は》き気が来なければ心配するほどのこともあるまいが、それにしてももう少しは食欲が出るはずだと言って、不思議そうに考え込んでいた。自分は去就に迷った。
自分がはじめて彼の膳《ぜん》を見たときその上には、生豆腐と海《の》苔《り》と鰹《かつ》節《ぶし》の肉汁《ソツプ》が載っていた。彼はこれより以上箸を着けることを許されなかったのである。自分はこれでは前途遼《りよう》遠《えん》だと思った。同時にその膳に向かって薄い粥《かゆ》を啜《すす》る彼の姿が変に痛ましく見えた。自分が席を外《はず》して、つい近所の洋食屋へ行って仕度をして帰ってくると、彼はきっと「旨《うま》かったか」と聞いた。自分はその顔を見てますます気の毒になった。
「あの家《うち》はこのあいだ君と喧嘩した氷菓子《アイスクリーム》を持ってくる家だ」
三沢はこういって笑っていた。自分は彼がもう少し健康を回復するまで彼の傍《そば》にいてやりたい気がした。
しかし宿へ帰ると、暑苦しい蚊《か》帳《や》の中で、早く涼しい田舎《いなか》へ行きたいと思うことが多かった。このあいだの晩女と話をして人の眠りを妨げた隣の客はまだ泊まっていた。そうして自分の寐《ね》ようとするころに必ず酒気を帯びて帰ってきた。ある時は宿で酒を飲んで、芸者を呼べと怒《ど》鳴《な》っていた。それを下女がさまざまに胡《ご》麻《ま》化《か》そうとしてしまいには、あの女はあなたの前へ出ればこそ、あんな愛《あい》嬌《きよう》をいうものの、蔭《かげ》では貴方《あなた》の悪口ばかり並べるんだから止《や》めろと忠告していた。すると客は、なに己《おれ》の前へ出た時だけお世辞を言ってくれりゃそれで嬉《うれ》しいんだ、蔭でなんと言ったって聞こえないから構わないと答えていた。ある時はこれも芸者がなにか真《ま》面《じ》目《め》な話を持ち込んできたのを、今度は客のほうで胡麻化そうとして、その芸者から他《ひと》の話を「じゃん、じゃか、じゃん《*》」に為《し》てしまうと言って怒《おこ》られていた。
自分はこんなことで安眠を妨害されて、実際迷惑を感じた。
一七
そんなこんなでよく眠られなかった朝、もう看病は御免蒙《こうむ》るという気で、病院の方へ橋を渡った。すると病人はまだすやすやと眠っていた。
三階の窓から見《み》下《おろ》すと、狭い通りなので、門前の路《みち》が細く綺《き》麗《れい》に見えた。向こう側は立《りつ》派《ぱ》な高《たか》塀《べい》のつづきで、その一つの潜《くぐ》りの外へ主人《あるじ》らしい人が出て、如《じよう》露《ろ》でたんねんに往来を濡《ぬ》らしていた。塀の内には夏《なつ》蜜《み》柑《かん》のような深緑の葉が瓦《かわら》を隠すほど茂っていた。
院内では小使が丁字形の棒の先へ雑《ぞう》巾《きん》を括《くく》り付けて廊下をぐんぐん押して歩いた。雑巾をゆすがないので、せっかく拭《ふ》いたところがかえって白く汚《よご》れた。軽い患者はみな洗面所へ出て顔を洗った。看護婦の払塵《はたき》の声がここかしこで聞こえた。自分は枕《まくら》を借りて、三沢の隣の空《あき》室《べや》へ、昨夕《ゆうべ》の睡眠不足を補いに入《はい》った。
その室も朝日の強く当たる向きにあるので、一寐《ね》入《い》りするとすぐ目が覚《さ》めた。額や鼻の頭に汗と油が一面に浮き出しているのも不愉快だった。自分はその時岡田から電話口へ呼ばれた。岡田が病院へ電話を掛けたのはこれで三度目である。彼は極《きま》り切って、「御病人の御様子はどうです」と聞く。「二、三日うちぜひ伺います」という。「なんでも御用があるなら御遠慮なく」という。最後にきっとお兼さんのことを一口二口付け加えて、「お兼からも宜《よろ》しく」とか、「ぜひお遊びにいらっしゃるように妻《さい》も申しております」とか、「うちのほうが忙しいんで、つい御《ご》無《ぶ》沙《さ》汰《た》をしています」とか言う。
その日も岡田の話はいつものとおりであった。けれどもいちばんしまいに、「今から一週間内………と断定するわけにはいかないが、とにかくもう少しすると、貴方《あなた》をちょいと驚かせることが出てくるかもしれませんよ」と妙なことを仄《ほのめか》した。自分はまったく想像が付かないので、ぜんたいどんな話なんですかと二、三度聞き返したが、岡田は笑いながら、「もう少しすれば解《わか》ります」というぎりなので、自分もとうとうその意味を聞かないで、三沢の室へ帰ってきた。
「また例の男かい」と三沢が言った。
自分は今の岡田の電話が気になって、すぐ大阪を立つ話を持ち出す心持ちになれなかった。すると思い掛けない三沢のほうから「君もう大阪は厭《いや》になったろう。僕のためにいてもらう必要はないから、どこかへ行くなら遠慮なく行ってくれ」と言いだした。彼はたとい病院を出る場合が来ても、むやみな山登りなどは当分慎しまなければならないと覚《さと》ったと説明して聞かせた。
「それじゃ僕の都合の好《い》いようにしよう」
自分はこう答えてしばらく黙っていた。看護婦は無言のまま室の外に出ていった。自分はその草《ぞう》履《り》の音の消えるのを聞いていた。それから小さい声をして三沢に、「金はあるか」と尋ねた。彼は己《おのれ》の病気をまだ己の家に知らせないでいる。それにたった一人の知人たる自分が、彼の傍《そば》を立ち退《の》いたら、精神上よりも物質的に心細かろうと自分は懸念した。
「君に才覚ができるのかい」と三沢は聞いた。
「別に目《あ》的《て》もないが」と自分は答えた。
「例の男はどうだい」と三沢が言った。
「岡田か」と自分は少し考え込んだ。
三沢は急に笑い出した。
「なにいざとなればどうかなるよ。君に算段してもらわなくっても。金はあるにはあるんだから」と言った。
一八
金のことはついそれなりになった。自分は岡田へ金を借りに行く時の思いを想像すると実際厭《いや》だった。病気に罹《かか》った友《とも》達《だち》のためだと考えても、少しも進む気はしなかった。その代りこの地を立つとも立たないとも決心し得ないでぐずぐずした。
岡田からの電話は掛かってきた時大いに自分の好奇心を動揺させたので、わざわざ彼に会って真相を聞き糾《ただ》そうかとも思ったけれども、一晩経《た》つとそれも面倒になって、ついそのままにしておいた。
自分は依然として病院の門を潜《くぐ》ったり出たりした。朝九時ごろ玄関に掛かると、廊下も控え所も外来の患者でいっぱいに埋まっていることがあった。そんな時には世間にもこれほど病人があり得るものかとわざと驚いたような顔をして、彼らの様子を一順見渡してから、梯子《はしご》段《だん》に足を掛けた。自分が偶然あの女を見《み》出《い》だしたのはまったくこの一瞬間にあった。あの女というのは三沢があの女あの女と呼ぶから自分もそう呼ぶのである。
あの女はその時廊下の薄暗い腰掛の隅《すみ》に丸くなって横顔だけを見せていた。その傍《そば》には洗い髪を櫛《くし》巻《ま》きにした背《せい》の高い中年の女が立っていた。自分の一瞥《べつ》はまずその女の後ろ姿の上に落ちた。そうしてなんだかそこにぐずぐずしていた。するとその年《とし》増《ま》が向こうへ動きだした。あの女はその年増の影から現われたのである。その時あの女は忍耐の像のように丸くなってじっとしていた。けれども血色にも表情にも苦《く》悶《もん》の迹《あと》はほとんど見えなかった。自分は最初その横顔を見た時、これが病人の顔だろうかと疑った。ただ胸が腹に着くほど背中を曲げているところに、恐ろしい何物かが潜んでいるように思われて、それがはなはだ不快であった。自分は階段を上りつつ、「あの女」の忍耐と、美しい容《よう》貌《ぼう》の下に包んでいる病苦とを想像した。
三沢は看護婦から病院のAという助手の話を聞かされていた。このAさんは夜になって閑《ひま》になると、よく尺八を吹く若い男であった。独身もので病院に寝泊まりをして、室《へや》は三沢と同じ三階の折れ曲《ま》がった隅にあった。このあいだまで始終上履《スリツパー》の音をぴしゃぴしゃいわして歩いていたが、この二、三日まるで顔を見せないので、三沢も自分も、どうかしたのかねぐらいは噂《うわさ》し合っていたのである。
看護婦はAさんが時々跛《びつこ》を引いて便所へ行く様子が可笑《おか》しいと言って笑った。それから病院の看護婦が時々ガーゼと金盥を持ってAさんの部《へ》屋《や》へ入《はい》ってゆくところを見たとも言った。三沢はそういう話に興味があるでもなく、またないでもないような無《ぶ》愛《あい》嬌《きよう》な顔をして、ただ「ふん」とか「うん」とか答えていた。
彼はまた自分にいつまで大阪にいるつもりかと聞いた。彼は旅行を断念してから、自分の顔を見るとよくこう言った。それが自分には遠慮がましくかつ催促がましく聞こえてかえって厭であった。
「僕の都合で帰ろうと思えばいつでも帰るさ」
「どうかそうしてくれ」
自分は立って窓から真下を見《み》下《おろ》した。「あの女」はいくら見ていても門の外へ出てこなかった。
「日の当たるところへわざわざ出てなにを為《し》ているんだ」と三沢が聞いた。
「見ているんだ」と自分は答えた。
「なにを見ているんだ」と三沢が聞き返した。
一九
自分はそれでも我慢して容易に窓《まど》側《ぎわ》を離れなかった。つい向こうに見える物干しに、松だの石榴《ざくろ》だのの盆栽が五、六鉢《はち》並んでいる傍《そば》で、島田に結《い》った若い女が、しきりに洗《せん》濯《たく》ものを竿《さお》の先に通していた。自分はちょっとその方を見てはまた下を向いた。けれども待ち設けている当人はいつまで経《た》っても出てくる気《け》色《しき》はなかった。自分はとうとう暑さに堪え切れないでまた三沢の寐《ね》床《どこ》の傍へ来て坐《すわ》った。彼は自分の顔を見て、「どうも強情な男だな、他《ひと》が親切に言ってやればやるほど、わざわざ日の当たるところに顔を曝《さら》しているんだから。君の顔は真《まつ》赤《か》だよ」と注意した。自分は平生から三沢こそ強情な男だと思っていた。それで「僕の窓から首を出していたのは、君のような無意味な強情とは違う。ちゃんと目的があってわざと首を出したんだ」と少し勿《もつ》体《たい》を付けて説明した。その代り肝《かん》心《じん》の「あの女」のことをかえって言いにくくしてしまった。
ほど経て三沢はまた「さっきはほんとうになにか見ていたのか」と笑いながら聞いた。自分はこの時もう気が変わっていた。「あの女」を口にするのが愉快だった。どうせ強情な三沢のことだから、聞けばきっと馬《ば》鹿《か》だとか下《くだ》らないとか言って自分を冷《れい》罵《ば》するに違いないとは思ったが、それも気にはならなかった。そうしたら実は「あの女」について自分はある原因から特別の興味を有《も》つようになったのだぐらい答えて、三沢を少し焦《じ》らしてやろうという下心さえ手伝った。
ところが三沢は自分の予期とはまるで反対の態度で、自分のいう一句一句をさも感心したらしく聞いていた。自分も乗り気になって一、二分で済むところを三倍ほどに語り続けた。いちばんしまいに自分の言葉が途切れた時、三沢は「それはむろん素人《しろうと》なんじゃなかろうな」と聞いた。自分は「あの女」を詳しく説明したけれども、つい芸者という言葉を使わなかったのである。
「芸者ならことによると僕の知っている女かもしれない」
自分は驚かされた。しかしてっきり冗談だろうと思った。けれども彼の目はその反対を語っていた。そのくせ口元は笑っていた。彼は繰り返して「あの女」の目つきだの鼻つきだのを自分に問うた。自分は梯子《はしご》段《だん》を上る時、その横顔を見たぎりなので、そう詳しいことは答えられないほどであった。自分にはただ背中を折って重なり合っているような憐《あわ》れな姿勢だけがありありと目に映った。
「きっとあれだ。今に看護婦に名前を聞かしてやろう」
三沢はこう言って薄笑いをした。けれども自分を担《かつ》いでる様子はさらに見えなかった。自分は少し釣《つ》り込まれた気味で、彼と「あの女」との関係を聞こうとした。
「今に話すよ。あれだということがたしかに分《わか》ったら」
そこへ病院の看護婦が「回診です」と注意しに来たので、「あの女」の話はそれなり途切れてしまった。自分は回診の混雑を避けるため、時間が来ると席を外《はず》して廊下へ出たり、貯《ちよ》水《すい》桶《おけ》のある高いところへ出たりしていたが、その日は手近にある帽を取って、梯子段を下まで降りた。「あの女」がまだどこかにいそうな気がするので、自分は玄関の入口に佇立《たたず》んで四方を見回した。けれども廊下にも控え室にも患者の影はなかった。
二〇
その夕方の空が風を殺して静まり返った灯《ひ》ともしごろ、自分はまた曲がりくねった段々を急ぎ足に三沢の室《へや》まで上った。彼は食後とみえて蒲《ふ》団《とん》の上に胡坐《あぐら》をかいて大きくなっていた。
「もう便所へも一人で行くんだ。肴《さかな》も食っている」
これがかれのその時の自慢であった。
窓は三つとも明け放ってあった。室が三階で前に目を遮《さえぎ》るものがないから、空は近くに見えた。そのなかに燦《きら》めく星も遠慮なく光を増してきた。三沢は団扇《うちわ》を使いながら、「蝙蝠《こうもり》が飛んでやしないか」と言った。看護婦の白い服が窓の傍《そば》まで動いていって、その胴から上がちょっと窓《まど》枠《わく》の外へ出た。自分は蝙蝠よりも「あの女」のことが気に掛った。「おい、あのことは解《わか》ったか」と聞いてみた。
「やっぱりあの女だ」
三沢はこう言いながら、ちょっと意味のある目《め》遣《づか》いをして自分を見た。自分は「そうか」と答えた。その調子が余り高いという訳なんだろう、三沢は団扇でぱっと自分の顔を煽《あお》いだ。そうして急に持ち交《か》えた柄《え》のほうを前へ出して、自分たちのいる室の筋向こうを指《さ》した。
「あの室へはいったんだ。君の帰ったあとで」
三沢の室は廊下の突当たりで往来の方を向いていた。女の室は同じ廊下の角《かど》で、中庭の方から明りを取るようにできていた。暑いので両方とも入口は明けたまま、障子は取り払ってあったから、自分のいるところから、団扇の柄で指し示された部《へ》屋《や》の入口は、四半分ほど斜めに見えた。しかしそこには女の寐《ね》ている床の裾《すそ》が、画《え》の模様のように三角に少し出ているだけであった。
自分はその蒲団の端《はし》を見詰めてしばらくなにも言わなかった。
「潰《かい》瘍《よう》の劇《はげ》しいんだ。血を吐くんだ」と三沢がまた小さな声で告げた。自分はこの時彼が無理を遣《や》ると潰瘍になる危険があるから入院したと説明して聞かせたことを思い出した。潰瘍という言葉はそのおり自分の頭になんらの印象も与えなかったが、今度は妙に恐ろしい響きを伝えた。潰瘍の陰に、死という怖《こわ》いものが潜んでいるかのように。
しばらくすると、女の部屋でかすかにげえげえという声がした。
「そら吐いている」と三沢が眉《まゆ》をひそめた。やがて看護婦が戸口へ現われた。手に小さな金《かな》盥《だらい》を持ちながら、草《ぞう》履《り》を突っ掛けて、ちょっと我々の方を見たまま出ていった。
「癒《なお》りそうなのかな」
自分の目には、今朝《けさ》腮《あご》を胸に押し付けるようにして、じっと腰を掛けていた美しい若い女の顔がありありと見えた。
「どうだかね。ああ嘔《は》くようじゃ」と三沢は答えた。その表情を見ると気の毒というよりむしろ心配そうなあるものに囚《とら》えられていた。
「君はほんとうにあの女を知っているのか」と自分は三沢に聞いた。
「ほんとうに知っている」と三沢は真《ま》面《じ》目《め》に答えた。
「しかし君は大阪へ来たのが今度はじめてじゃないか」と自分は三沢を責めた。
「今度来て今度知ったのだ」と三沢は弁解した。「この病院の名も実はあの女に聞いたのだ。僕はここへはいる時から、あの女がことによると遣《や》って来やしないかと心配していた。けれども今朝君の話を聞くまではよもやと思っていた。僕はあの女の病気に対しては責任があるんだから………」
二一
大阪へ着くとそのまま、友《とも》達《だち》といっしょに飲みに行ったどこかの茶屋で、三沢は「あの女」に会ったのである。
三沢はその時すでに暑さのために胃に変調を感じていた。彼を強《し》いた五、六人の友達は、久しぶりだからという口実のもとに、彼を酔わせることを御《ご》馳《ち》走《そう》のように振《ふる》舞《ま》った。三沢も宿命に従う柔順な人として、いくらでも盃《さかずき》を重ねた。それでも胸の下のところには絶えず不安な自覚があった。ある時は変な顔をして苦しそうに生《なま》唾《つば》を呑《の》み込んだ。ちょうど彼の前に坐《すわ》っていた「あの女」は、大阪言葉で彼に薬を遣《や》ろうかと聞いた。彼はジェム《*》かなにかを五、六粒手の平へ載せて口のなかへ投げ込んだ。すると入れ物を受け取った女も同じように白い掌《てのひら》の上に小さな粒を並べて口へ入れた。
三沢はさっきから女の倦《だ》怠《る》そうな立ち居に気を付けていたので、お前もどこか悪いのかと聞いた。女は淋《さび》しそうな笑いを見せて、暑いせいか食欲がちっとも進まないので困っていると答えた。ことにこの一週間は御飯が厭《いや》で、ただ氷ばかり呑んでいる。それも今呑んだかと思うと、すぐまた食べたくなるんで、どうもしようがないと言った。
三沢は女に、それはおおかた胃が悪いのだろうから、どこかへ行って専門の大家にでも見せたら好《よ》かろうと真《ま》面《じ》目《め》な忠告をした。女も他《ひと》に聞くと胃病に違いないというから、好《い》い医者に見せたいのだけれども家業が家業だからとあとは言い渋っていた。彼はその時女からはじめてここの病院と院長の名前を聞いた。
「僕もそういうところへちょっと入《はい》ってみようかな。どうも少し変だ」
三沢は冗談とも本気ともつかない調子でこんなことを言って、女から縁《えん》喜《ぎ*》でもないように眉《まゆ》を寄せられた。
「それじゃまあたあんと飲んでからあとのことにしよう」と三沢は彼の前にある盃をぐっと干して、それを女の前に突き出した。女は大人《おとな》しく酌《しやく》をした。
「君も飲むさ。飯は食えなくっても、酒なら飲めるだろう」
彼は女を前に引き付けてむやみに盃を遣《や》った。女も素直にそれを受けた。しかししまいには堪忍してくれと言いだした。それでもじっと坐ったまま席を立たなかった。
「酒を呑んで胃袋の虫を殺せば、飯なんかすぐ喰《く》える。呑まなくっちゃ駄《だ》目《め》だ」
三沢は自《や》暴《け》に酔ったあげく、乱暴な言葉まで使って女に酒を強いた。それでいて、己《おのれ》の胃のなかには、今にも爆発しそうな苦しい塊《かたまり》が、うねりを打っていた。
*
自分は三沢の話をここまで聞いてぞっとした。なんの必要があって、彼は己の肉体をそう残酷に取り扱ったのだろう。己は自業自得としても、「あの女」の弱い身体《からだ》をなんでそう無《む》益《やく*》に苦しめたものだろう。
「知らないんだ。向こうは僕の身体を知らないし、僕はまたあの女の身体を知らないんだ。周囲《まわり》にいるものはまた我々二人の身体を知らないんだ。そればかりじゃない、僕もあの女も自分で自分の身体が分《わか》らなかったんだ。そのうえ僕は自分の胃の腑《ふ》が忌《いま》々《いま》しくって堪《たま》らなかった。それで酒の力で一つ圧倒して遣ろうと試みたのだ。あの女もことによると、そうかもしれない」
三沢はこう言って暗然としていた。
二二
「あの女」は室《へや》の前を通っても廊下からは顔の見えない位置に寐《ね》ていた。看護婦は入口の柱の傍《そば》へ寄って覗《のぞ》き込むようにすれば見えると言って自分に教えてくれたけれども自分にはそれをあえてするほどの勇気がなかった。
付添いの看護婦は暑いせいかたいがいはその柱にもたれて外の方ばかり見ていた。それがまた看護婦としては特別器量が好《い》いので、三沢は時々不平な顔をして人を馬《ば》鹿《か》にしているなどと言った。彼の看護婦はまた別の意味からして、この美しい看護婦を好《よ》くいわなかった。病人の世話を其方《そつち》退《の》けにするとか、不親切だとか、京都に男があって、その男から手紙が来たんで夢中なんだとか、いろいろのことを探ってきては三沢や自分に報告した。ある時は病人の便器を差し込んだなり、引き出すのを忘れてそのまま寐込んでしまった怠慢さえあったと告げた。
実際この美しい看護婦が器量の優《すぐ》れている割合に義務を重んじなかったことは自分たちの目にもよく映った。
「ありゃ取り換えてやらなくっちゃ、あの女が可《か》哀《わい》そうだね」と三沢は時々苦い顔をした。それでもその看護婦が入口の柱にもたれて、うとうとしていると、彼はわが室《へや》の中からその横顔をじっと見詰めていることがあった。
「あの女」の病勢もこっちの看護婦の口からよく洩《も》れた。――牛乳でも肉汁《ソツプ》でも、どんな軽い液体でも狂った胃が決して受け付けない。肝《かん》心《じん》の薬さえ厭《いや》がって飲まない。強《し》いて飲ませると、すぐ戻《もど》してしまう。
「血は吐くかい」
三沢はいつでもこう言って看護婦に反問した。自分はその言葉を聞くたびに不愉快な刺激を受けた。
「あの女」の見舞い客は絶えずあった。けれどもほかの室のように賑《にぎ》やかな話し声はまるで聞こえなかった。自分は三沢の室に寝ころんで、「あの女」の室を出たり入《はい》ったりする島田や銀杏《いちよう》返《がえ》し《*》の影をいくつとなく見た。なかには目の覚《さ》めるように派《は》手《で》な模様の着物を着ているものもあったが、たいていは素人《しろうと》に近い地《じ》味《み》な服《な》装《り》で、こっそり来てこっそり出てゆくのが多かった。入口であら姐《ねえ》はんという感投詞を用いたものもあったが、それはただの一遍にすぎなかった。それも廊下の端《はし》に洋傘《こうもり》を置いて室の中へ入るやいなや急に消えたように静かになった。
「君はあの女を見舞ってやったのか」と自分は三沢に聞いた。
「いいや」と彼は答えた。「しかし見舞ってやる以上の心配をしてやっている」
「じゃ向こうでもまだ知らないんだね。君のここにいることは」
「知らないはずだ、看護婦でも言わない以上は。あの女の入院するとき僕はあの女の顔を見てはっと思ったが、向こうでは僕のほうを見なかったから、たぶん知るまい」
三沢は病院の二階に「あの女」の馴《な》染《じ》み客があって、それが「お前胃のため、わしゃ腸のため、ともに苦しむ酒のため」という都《ど》都《ど》逸《いつ》を紙《かみ》片《ぎれ》へ書いて、あの女のところへ届けたうえ、出院のとき袴《はかま》羽《は》織《おり》でわざわざ見舞いに来た話をして、なんという馬《ば》鹿《か》だという顔付をした。
「静かにして、刺激のないようにしてやらなくっちゃ不可《いけ》ない。室でもそっと入って、そっと出てやるのが当たり前だ」と彼は言った。
「ずいぶん静かじゃないか」と自分は言った。
「病人が口を利《き》くのを厭がるからさ。悪い証拠だ」と彼がまた言った。
二三
三沢は「あの女」のことを自分の予想以上に詳しく知っていた。そうして自分が病院に行くたびに、その話を第一の問題として持ち出した。彼は自分のいないまに得た「あの女」の内状を、あたかも彼と関係ある婦人の内《ない》所《しよ》話《ばなし*》でも打ち明けるごとくに語った。そうしてそれらの知識を自分に与えるのを誇りとするように見えた。
彼の語るところによると「あの女」はある芸者屋の娘分として大事に取り扱われる売れっ子であった。虚弱な当人はまたそれを唯一の満足と心得て商売に勉強していた。ちっとやそっと身体《からだ》が悪くても決して休むような横着はしなかった。時たま堪えられないで床に就《つ》く場合でも、早くお座敷に出たい出たいというのを口癖にしていた。………
「今あの女の室《へや》に来ているのは、その芸者屋に古くからいる下女さ。名前は下女だけれど、古くからいるんで、しぜん権力があるから、下女らしく為《し》ちゃいない。まるで叔母《おば》さんかなんぞのようだ。あの女もあの下女のいうことだけは素直によく聞くので、厭《いや》がる薬を呑《の》ませたり、我《わが》儘《まま》を言い募らせないためには必要な人間なんだ」
三沢はすべてこういう内幕の出所をみんな彼の看護婦に帰して、ことごとく彼女から聞いたように説明したけれども、自分は少しそこに疑わしい点を認めないでもなかった。自分は三沢が便所へ行った留《る》守《す》に、看護婦を捕《つらま》えて《*》、「三沢はああ言ってるが、僕のいないとき、あの女の室へ行って話でもするんじゃないか」と聞いてみた。看護婦は真《ま》面《じ》目《め》な顔をして「そんなことありゃしまへん」というような言葉で、一口に自分の疑いを否定した。彼女はそれからそういうお客が見舞いに行ったところで、身の上話などができるはずがないと弁解した。そうして「あの女」の病気がだんだん険悪の一方に落ち込んでゆく心細い例を話して聞かせた。
「あの女」は嘔《は》き気が止《や》まないので、上から栄養の取りようがなくなって、昨日《きのう》とうとう滋《じ》養《よう》浣《かん》腸《ちよう*》を試みた。しかしその結果は思わしくなかった。少量の牛乳と鶏卵《たまご》を混和した単純な液体ですら、衰弱を極《きわ》めたあの女の腸には荷が重すぎるとみえて予期どおり吸収されなかった。
看護婦はこれだけ語って、このくらい重い病人の室へ入《はい》って、誰《だれ》が悠《ゆう》々《ゆう》と身の上話などを聞いていられるものかという顔をした。自分も彼女のいうところがほんとうだと思った。それで三沢のことは忘れて、ただ綺《き》羅《ら*》を着飾った流行の芸者と、恐ろしい病気に罹《かか》った憐《あわ》れな若い女とを、黙って心のうちに対照した。
「あの女」は器量と芸を売るお蔭《かげ》で、なんとかいう芸者屋の娘分になって家《うち》のものから大事がられていた。それを売ることができなくなった今でも、やはり今までどおり宅《うち》のものから大事がられるだろうか。もし彼らの待遇が、あの女の病気とともにだんだん軽薄に変わってゆくなら、毒悪な病と苦戦するあの女の心はどのくらい心細いだろう。どうせ芸《げい》妓《しや》屋《や》の娘分になるくらいだから、生みの親は身分のあるものでないに極《きま》っている。経済上の余裕がなければ、どう心配したって役には立つまい。
自分はこんなことも考えた。便所から帰った三沢に「あの女のほんとうの親はあるのか知ってるか」と尋ねてみた。
二四
「あの女」のほんとうの母というのを、三沢はたった一遍見たことがあると語った。
「それもほんの後ろ姿だけさ」と彼はわざわざ断わった。
その母というのは自分の想像どおり、あまり楽な身分の人ではなかったらしい。やっとの思いでさっぱりした身装《みなり》をして出てくるように見えた。たまに来てもさも気兼ねらしくこそこそと来ていつのまにか、また梯子《はしご》段《だん》を下りて人に気の付かないように帰ってゆくのだそうである。
「いくら親でも、ああなると遠慮ができるんだね」と三沢は言っていた。
「あの女」の見舞い客はみんな女であった。しかも若い女が多数を占めていた。それがまた普通の令嬢や細君と違って、色《いろ》香《か》を命とする綺《き》麗《れい》な人ばかりなので、そのなかに交じるこの母は、ただでさえ燻《くすぶ》りすぎて地《じ》味《み》なのである。自分は年を取った貧しそうな母の後ろ姿を想像に描いて暗に憐《あわ》れを催した。
「親子の情《じよう》合《あい》からいうと、娘があんな大病に罹ったら、母たるものは朝晩ともさぞ傍《そば》に付いていてやりたい気がするだろうね。他人の下女が幅を利《き》かしていて、実際の親が他人扱いにされるのは、見ていてもあまり好《い》い心持ちじゃない」
「いくら親でも仕方がないんだよ。だいち傍にいてやるほどの時間もなし、時間があっても入費がないんだから」
自分は情けない気がした。ああいう浮いた家業をする女の平生は羨《うらやま》しいほど派《は》出《で》でも、いざ病気となると、普通の人よりも悲酸《*》の程度がいっそう甚《はなはだ》しいのではないかと考えた。
「旦《だん》那《な》が付いていそうなものだがな」
三沢の頭もこの点だけは注意が足りなかったとみえて、自分がこう不審を打ったとき、彼はなんの答えもなく黙っていた。あの女に関していっさいの新知識を供給する看護婦もそこへゆくとなんの役にも立たなかった。
「あの女」の蚊《か》弱《よわ》い身体《からだ》は、そのころの暑さでもどうかこうか持ち応《こた》えていた。三沢と自分はそれをほとんど奇跡のごとく語り合った。そのくせ両人《ふたり》とも露骨を憚《はばか》って、ついぞ柱の影から室の中を覗《のぞ》いて見たことがないので、現在の「あの女」がどのくらい窶《やつ》れているかは空《むな》しい想像画にすぎなかった。滋養浣《かん》腸《ちよう》さえ思わしくいかなかったという報知が、自分ら二人の耳に届いた時ですら、三沢の目には美しく着飾った芸者の姿よりほかに映るものはなかった。自分の頭にも、ただ血色の悪くない入院まえの「あの女」の顔が描かれるだけであった。それで二人ともあの女はもうむずかしいだろうと話し合っていた。そうして実際は双方とも死ぬとは思わなかったのである。
同時にいろいろな患者が病院を出たり入《はい》ったりした。ある晩「あの女」と同じくらいな年輩の二階にいる婦人が担架で下へ運ばれていった。聞いてみると、今日《きよう》明日《あす》にも変がありそうな危険なところを、付添いの母が田舎《いなか》へ連れて帰るのであった。その母は三沢の看護婦に、氷ばかりも二十何円とか遣《つか》ったと言って、どうしても退院するよりほかに途《みち》がないとわが窮状を仄《ほのめか》したそうである。
自分は三階の窓から、田舎へ帰る釣《つり》台《だい*》を見《み》下《おろ》した。釣台は暗くて見えなかったが、用意の提灯《ちようちん》の灯《ひ》はやがて動きだした。窓が高いのと往来が狭いので、灯は谷の底をひそかに動いてゆくように見えた。それが向こうの暗い四つ角《かど》を曲がってふっと消えた時、三沢は自分を顧《かえり》みて「帰り着くまで持てば好《い》いがな」と言った。
二五
こんな悲酸な退院を余儀なくされる患者があるかと思うと、毎日子供を負《おぶ》って、廊下だの物見台だの他人《ひと》の室《へや》だのを、ぶらぶら回って歩く呑《のん》気《き》な男もあった。
「まるで病院を娯楽場のように思っているんだね」
「第《だい》一《ち》どっちが病人なんだろう」
自分たちは可笑《おか》しくもありまた不思議でもあった。看護婦に聞くと、負っているのは叔父《おじ》で、負さっているのは甥《おい》であった。この甥が入院当時骨と皮ばかりに瘠《や》せていたのを叔父の丹精一つでこのくらい肥《ふと》ったのだそうである。叔父の商売はめりやす屋だとか言った。いずれにしても金に困らない人なのだろう。
三沢の一軒置いて隣にはまた変な患者がいた。手提げ鞄《カバン》などを提《さ》げて、普通の人間のごとく平気で出歩いた。時には病院を空《あ》けることさえあった。帰ってくると素《す》っ裸体《ぱだか》になって、病院の飯を旨《うま》そうに食った。そうして昨日《きのう》はちょっと神戸まで行ってきましたなどと澄ましていた。
岐《ぎ》阜《ふ》からわざわざ本願寺参りに京都まで出てきたついでに、夫婦ともこの病院にはいったなり動かないのもいた。その夫婦ものの室の床には後光の射《さ》した阿《あ》弥《み》陀《だ》様《さま》の軸が懸《か》けてあった。二人差向かいで気楽そうに碁を打っていることもあった。それでも細君に聞くと、この春餅《もち》を食った時、血を猪口《ちよく》に一杯半ほど吐いたから伴《つ》れてきたのだと勿《もつ》体《たい》らしく言って聞かせた。
「あの女」の看護婦は依然として入口の柱に靠《もた》れて、わが膝《ひざ》を両手で抱いていることが多かった。こっちの看護婦はそれをまた器量を鼻へ掛けて、わざわざあんな人の目に着くところへ出るのだと評していた。自分は「まさか」と言って弁護することもあった。けれども「あの女」とその美しい看護婦との関係は、冷淡さ加減の程度において、当初もその時もあまり変わりがないように見えた。自分は器量好しが二人寄って、我知らず互いに嫉《にく》み合うのだろうと説明した。三沢は、そうじゃない、大阪の看護婦は気位が高いから、芸者などを眼下に見て、はじめから相手にならないんだ、それが冷淡の原因に違いないと主張した。こう主張しながらも彼は別にこの看護婦を悪《にく》む様子はなかった。自分もこの女に対してさほど厭《いや》な感じは有《も》っていなかった。醜い三沢の付添いは「本《ほん》間《ま》に《*》器量の好《え》いものは徳やな」といったふうの、自分たちには変に響く言葉を使って、二人を笑わせた。
こんな周囲に取り囲まれた三沢は、身体《からだ》の回復するにしたがって、「あの女」に対する興味を日に増し加えてゆくようにみえた。自分が已《や》むを得ず興味という妙な熟字をここに用いるのは、彼の態度が恋愛でもなければ、またまったくの親切でもなく、興味の二字で現わすよりほかに、適切な文字がちょっと見当たらないからである。
はじめて「あの女」を控え室で見たときは、自分の興味も三沢に譲らないくらい鋭かった。けれども彼から「あの女」の話を聞かされるやいなや、主《しゆ》客《かく》の別はすでに付いてしまった。それからというもの、「あの女」の噂《うわさ》が出るたびに、彼はいつでも先輩の態度を取って自分に向かった。自分も一時は彼に釣《つ》り込まれて、当初の興味がだんだん研《と》ぎ澄まされてゆくような気分になった。けれども客の位置に据《す》えられた自分はそれほど長く興味の高潮を保ち得なかった。
二六
自分の興味が強くなったころ、彼の興味は自分よりいっそう強くなった。自分の興味がやや衰えかけると、彼の興味はますます強くなってきた。彼は元来が打《ぶ》っ切《き》ら棒《ぼう》の男だけれども、胸の奥には人一倍優しい感情を有《も》っていた。そうしてなにか事があると急に熱する癖があった。
自分はすでに院内をぶらぶらするほどに回復した彼が、なぜ「あの女」の室《へや》へ入《はい》り込まないかを不審に思った。彼は決して自分のような羞恥《はにかみ》家《や》ではなかった。同情の言葉を掛けに、一遍会った「あの女」の病室へ見舞いに行くぐらいのことは、彼の性質から見てなんでもなかった。自分は「そんなにあの女が気になるなら、じかに行って、会って慰めてやれば好《い》いじゃないか」とまで言った。彼は「うん、実は行きたいのだが……」と渋っていた。実際これは彼の平生にも似合わない挨《あい》拶《さつ》であった。そうしてその意味は解《わか》らなかった。解らなかったけれども、ほんとうは彼の行かないほうが、自分の希望であった。
ある時自分は「あの女」の看護婦から――自分とこの美しい看護婦とはいつのまにか口を利《き》くようになっていた。もっともそれは彼女が例の柱に倚《よ》りかかって、その前を通る自分の顔を見上げるときに、時候の挨拶を取り換わすぐらいな程度にすぎなかったけれども、――とにかくこの美しい看護婦から自分は運勢早見なんとかいう、玩具《おもちや》の占いの本みたようなものを借りて、三沢の室でそれを遣《や》って遊んだ。
これは赤と黒と両面に塗り分けた碁石のような丸く平たいものをいくつか持って、それを目を眠った《*》まま畳の上へ並べておいて、赤がいくつ黒がいくつとあとから勘定するのである。それからその数字を一つは横へ、一つは竪《たて》に繰って、両方が一点に会したところを本で引いてみると、辻《つじ》占《うら》のような文句が出ることになっていた。
自分が目を閉じて、石を一つ一つ畳の上に置いたとき、看護婦は赤がいくつ黒がいくつと言いながら占いの文句を繰ってくれた。すると、「この恋もし成就する時は、大いに恥を掻《か》くことあるべし」とあったので、彼女は読みながら吹き出した。三沢も笑った。
「おい気を付けなくっちゃ不可《いけ》ないぜ」と言った。三沢はそのまえから「あの女」の看護婦に自分がお辞儀をするところが変だと言って、始終自分に調戯《からか》っていたのである。
「君こそ少し気を付けるが好い」と自分は三沢に竹箆《しつぺい》返《がえ》しを喰《く》わして遣った。すると三沢は真《ま》面《じ》目《め》な顔をして「なぜ」と反問してきた。この場合この強情な男にこれ以上いうと、ことが面倒になるから自分は黙っていた。
実際自分は三沢が「あの女」の室へ出入りする気《け》色《しき》のないのを不審に思っていたが一方ではまた彼の熱しやすい性質を考えて、今まではとにかく、これからさき彼がいつどう変《へん》返《がえ》る《*》かもしれないと心配した。彼はすでに下の洗面所まで行って、朝ごとに顔を洗うぐらいの気力を回復していた。
「どうだもう好い加減に退院したら」
自分はこう勧めてみた。そうして万一金銭上の関係で退院を躊《ちゆう》躇《ちよ》するようすが見えたら、彼が自宅から取り寄せる手間と時間を省くため、自分が思い切ってひとつ岡田に相談してみようとまで思った。三沢は自分の言うことにはなんの返事も与えなかった。かえって反対に「いったい君はいつ大阪を立つつもりだ」と聞いた。
二七
自分は二日《ふつか》まえに天下茶屋のお兼さんから不意の訪問を受けた。その結果としてこのあいだ岡田が電話口で自分に話し掛けた言葉の意味をようやく知った。だから自分はこの時すでに一週間内に自分を驚かしてみせるといった彼の予言のために縛られていた。三沢の病気、美しい看護婦の顔、声も姿も見えない若い芸者と、その人の一時折り合っている《*》蒲《ふ》団《とん》の上の狭い生活、――自分は単にそれらばかりで大阪に愚図ついているのではなかった。詩人の好きな言語を借りていえば、ある予言の実現を期待しつつ暑い宿屋に泊まっていたのである。
「僕にはそういう事情があるんだから、もう少しここに待っていなければならないのだ」と自分は大人《おとな》しく三沢に答えた。すると三沢は多少残念そうな顔をした。
「じゃいっしょに海辺へ行って静養するわけにもゆかないな」
三沢は変な男であった。こっちが大事がってやるあいだは、向こうでいつでも跳《は》ね返すし、こっちが退《の》こうとすると、急にまた他《ひと》の袂《たもと》を捕《つらま》えて放さないし、といったふうに気分の出入りが著しく目に立った。彼と自分との交際は従来いつでもこういう消長を繰り返しつつ今日に至ったのである。
「海岸へいっしょに行くつもりででもあったのか」と自分は念を押してみた。
「ないでもなかった」と彼は遠くの海岸を目の中に思い浮かべるようなふうをして答えた。この時の彼の目には、実際「あの女」も「あの女」の看護婦もなく、ただ自分という友《とも》達《だち》があるだけのように見えた。
自分はその日快よく三沢に別れて宿へ帰った。しかし帰り路《みち》に、その快く別れるまえの不愉快さも考えた。自分は彼に病院を出ろと勧めた、彼は自分にいつまで大阪にいるのだと尋ねた。上《うわ》部《べ》にあらわれた言葉の遣《や》り取りはただこれだけにすぎなかった。しかし三沢も自分もそこに変な苦い意味を味わった。
自分の「あの女」に対する興味は衰えたけれども自分はどうしても三沢と「あの女」とをそう懇意にしたくなかった。三沢もまた、あの美しい看護婦をどうする了《りよう》簡《けん》もないくせに、自分だけがだんだん彼女に近づいてゆくのを見て、平気でいるわけにはゆかなかった。そこに自分たちの心付かない暗闘があった。そこに持って生まれた人間の我《わが》儘《まま》と嫉《しつ》妬《と》があった。そこに調和にも衝突にも発展し得ない、中心を欠いた興味があった。要するにそこには性の争いがあったのである。そうして両方ともそれを露骨にいうことができなかったのである。
自分は歩きながら自分の卑《ひ》怯《きよう》を恥じた。同時に三沢の卑怯を悪《にく》んだ。けれども浅間しい人間である以上、これからさき何年交際《まじわり》を重ねても、この卑怯を抜くことはとうていできないんだという自覚があった。自分はその時非常に心細くなった。かつ悲しくなった。
自分はその明日《あした》病院に行って三沢の顔を見るやいなや、「もう退院は勧めない」と断わった。自分は手を突いて彼の前に自分の罪を詫《わ》びる心持ちでこう言ったのである。すると三沢は「いや僕もそうぐずぐずしてはいられない。君の忠告に従っていよいよ出ることにした」と答えた。彼は今朝《けさ》院長から退院の許可を得た旨を話して、「あまり動くと悪いそうだから寝台で東京まで直行することにした」と告げた。自分はその突然なのに驚いた。
二八
「どうしてまたそう急に退院する気になったのか」
自分はこう聞いてみないではいられなかった。三沢は自分の問いに答えるまえにじっと自分の顔を見た。自分はわが顔を通して、わが心を読まれるような気がした。
「べつだんこれという訳もないが、もう出るほうが好《よ》かろうと思って………」
三沢はこれぎりなんにも言わなかった。自分も黙っているよりほかに仕方がなかった。二人はいつもより沈んで相対していた。看護婦はすでに帰ったあとなので、室《へや》の中はことに淋《さみ》しかった。今まで蒲《ふ》団《とん》の上に胡坐《あぐら》をかいていた彼は急に倒れるように仰《あお》向《む》きに寝た。そうして上目を使って窓の外を見た。外にはいつものように色の強い青空が、ぎらぎらする太陽の熱を一面に漲《みなぎ》らしていた。
「おい君」と彼はやがて言った。「よく君の話す例の男ね。あの男は金を持っていないかね」
自分はもとより岡田の経済事情を知ろうはずがなかった。あの始末屋《*》のお兼さんのことを考えると、金という言葉を口から出すのも厭《いや》だった。けれどもいざ三沢の出院となれば、そのくらいな手数は厭《いと》うまいと、昨日《きのう》すでに覚悟を極《き》めたところであった。
「節倹家だから少しは持っているだろう」
「少しで好《い》いから借りてきてくれ」
自分は彼が退院するについて会計へ払う入院料に困るのだと思った。それでどのくらい不足なのかを確かめた。ところが事実は案外であった。
「ここの払いと東京へ帰る旅費ぐらいはどうかこうか持っているんだ。それだけならなにも君を煩わす必要はない」
彼はたいした物持ちの家に生まれた果報者でもなかったけれども、自分が一人息子《むすこ》だけに、こういう点に掛けると、自分たちよりよほど自由が利《き》いた。そのうえ母や親類のものから京都で買物を頼まれたのを、新しい道《みち》伴《づれ》ができたためつい大阪まで乗り越して、いまだに手を着けない金が余っていたのである。
「じゃただ用心のために持ってゆこうと言うんだね」
「いや」と彼は急に言った。
「じゃどうするんだ」と自分は問い詰めた。
「どうしても僕のかってだ。ただ借りてくれさえすれば好いんだ」
自分はまた腹が立った。彼は自分をまるで他人扱いにしているのである。自分はむっとして黙っていた。
「怒《おこ》っちゃ不可《いけ》ない」と彼が言った。「隠すんじゃない、君に関係のないことを、わざと吹《ふい》聴《ちよう》するようにみえるのが厭だから、知らせずにおこうと思っただけだから」
自分はまだ黙っていた。彼は寐《ね》ながら自分の顔を見上げていた。
「そんなら話すがね」と彼が言いだした。
「僕はまだあの女を見舞ってやらない。向こうでもそんなことは待ち受けてやしないだろうし、僕も必ず見舞いに行かなければならないほどの義理はない。が、僕はなんだかあの女の病気を危険にした本人だという自覚がどうしても退《の》かない。それでどっちがさきへ退院するにしても、その間《ま》際《ぎわ》に一度会っておきたいと始終思っていた。見舞いじゃない、詫《あやま》るためにだよ。気の毒なことをしたと一口詫ればそれで好《い》いんだ。けれどもただ詫るわけにもいかないから、それで君に頼んでみたのだ。しかし君のほうの都合が悪ければしいてそうしてもらわないでもどうかなるだろう。宅《うち》へ電報でも掛けたら」
二九
自分は行き掛かり上一応岡田に当たってみる必要があった。宅《うち》へ電報を打つという三沢をちょっと待たして、ふらりと病院の門を出た。岡田の勤めている会社は、三沢の室《へや》とは反対の方向にあるので、彼の窓から眺《なが》めるわけにはゆかないけれども、道《みち》程《のり》からいうといくらもなかった。それでも暑いので歩いてゆくうちに汗が背中を濡《ぬら》すほど出た。
彼は自分の顔を見るやいなや、さも久しぶりに会った人らしく「やっしばらく」と叫ぶように言った。そうしてこれまでたびたび電話で繰り返した挨《あい》拶《さつ》をまた新しくまのあたり述べた。
自分と岡田とは今でこそ少し改まった言葉使いもするが、昔をいえば、なんの遠慮もない間柄であった。そのころは金も少しは彼のために融通してやった覚えがある。自分は勇気を鼓舞するために、わざとその当時の記憶を呼び起こしてかかった。なんにも知らない彼は、立ちながら元気な声を出して、「どうです二郎さん、僕の予言は」と言った。「どうかこうか一週間うちに貴方《あなた》を驚かすことができそうじゃありませんか」
自分は思い切って、まず肝《かん》心《じん》の用事を話した。彼は案外な顔をして聞いていたが、聞いてしまうとすぐ、「宜《よ》うがす、そのくらいならどうでもします」と容易に引き受けてくれた。
彼はもとよりその隠袋《ポツケツト》の中《うち》に入り用の金を持っていなかった。「明日《あした》でも好《い》いんでしょう」と聞いた。自分はまた思い切って、「できるなら今日《きよう》中に欲《ほ》しいんだ」と強《し》いた。彼はちょっと当惑したように見えた。
「じゃ仕方がない。迷惑でしょうけれども、手紙を書きますから、宅《うち》へ持っていってお兼に渡してくださいませんか」
自分はこの事件についてお兼さんと直接の交渉はなるべく避けたかったけれども、この場合已《や》むを得なかったので、岡田の手紙を懐《ふところ》へ入れて、天下茶屋へ行った。お兼さんは自分の声を聞くやいなや上がり口まで馳《か》け出してきて、「このお暑いのによくまあ」と驚いてくれた。そうして、「さあどうぞ」を、二、三返繰り返したが、自分は立ったまま「少し急ぎますから」と断わって、岡田の手紙を渡した。お兼さんは上がり口に両《りよう》膝《ひざ》を突いたなり封を切った。
「どうもわざわざ恐れ入りましたね。それではすぐお供をして参りますから」とすぐ奥へ入《はい》った。奥では用《よう》箪《だん》笥《す》の環の鳴る音がした。
自分はお兼さんと電車の終点までいっしょに乗ってきてそこで別れた。「ではのちほど」と言いながらお兼さんは洋傘《こうもり》を開いた。自分はまた俥《くるま》を急がして病院へ帰った。顔を洗ったり、身体《からだ》を拭《ふ》いたり、しばらく三沢と話しているうちに、自分は待ち設けたとおりお兼さんから病院の玄関まで呼び出された。お兼さんは帯の間にある銀行の帳面を抜いて、そこに挟《はさ》んであった札を自分の手の上に乗せた。
「ではどうぞちょっとお改めなすって」
自分は形式的にそれを勘定したうえ、「たしかに。――どうもとんだお手数を掛けました。お暑いところを」と礼を述べた。実際急いだとみえてお兼さんは富士額《*》の両《りよう》脇《わき》を、細かい汗の玉でじっとりと濡《ぬら》していた。
「どうです、ちっと上がって涼んでいらしったら」
「いいえ今《こん》日《にち》は急ぎますから、これで御免を蒙《こうむ》ります。御病人へどうぞ宜《よろ》しく。――でも結構でございましたね、早く御退院になれて。一時は宅でもたいそう心配いたしまして、よく電話で御様子を伺ったとか申しておりましたが」
お兼さんはこんな愛《あい》想《そ》を言いながら、また例のクリーム色の洋傘を開いて帰っていった。
三〇
自分は少し急《せ》き込んでいた。紙幣を握ったまま段々を馳《か》け上がるように三階まで来た。三沢も平生よりは落ち付いていなかった。今火を点《つ》けたばかりの巻《ま》き煙草《たばこ》をいきなり灰吹き《*》の中に放《ほう》り込んで、有《あり》難《がと》うともいわずに、自分の手から金を受け取った。自分は渡した金の高を注意して、「好《い》いか」と聞いた。それでも彼はただうんと言っただけである。
彼はじっと「あの女」の室《へや》の方を見詰めた。時間の具合で、見舞いに来たものの草《ぞう》履《り》は一足も廊下の端《はじ》に脱ぎ棄《す》ててなかった。平生から静かすぎる室の中は、ことに寂《せき》寞《ばく》としていた。例の美しい看護婦は相変わらず角《かど》の柱に倚《よ》りかかって、産婆学の本かなにか読んでいた。
「あの女は寐《ね》ているのかしら」
彼は「あの女」の室へ入《はい》るべき好機会を見《み》出《いだ》しながら、かえってその眠りを妨げるのを恐れるように見えた。
「寐ているかもしれない」と自分も思った。
しばらくして三沢は小さな声で「あの看護婦に都合を聞いてもらおうか」と言いだした。彼はまだこの看護婦に口を利《き》いたことがないというので、自分がその役を引き受けなければならなかった。
看護婦は驚いたようなまた可笑《おか》しいような顔をして自分を見た。けれどもすぐ自分の真《ま》面《じ》目《め》な態度を認めて、室の中へ入っていった。かと思うと、二分と経《た》たないうちに笑いながらまた出てきた。そうして今ちょうど気分の好《い》いところだからお目に掛かれるという患者の承諾をもたらした。三沢は黙って立ち上がった。
彼は自分の顔も見ず、また看護婦の顔も見ず、黙って立ったなり、すっと「あの女」の室の中へ姿を隠した。自分は元の座に坐《すわ》って、ぼんやりその後影を見送った。彼の姿が見えなくなってもやはり空《くう》に同じところを見詰めていた。冷淡なのは看護婦であった。ちょっと侮蔑《あなどり》の微笑を唇《くちびる》の上に漂わせて自分を見たが、それなり元のとおり柱に背を倚《よ》せて、黙って読みかけた書物をまた膝《ひざ》の上にひろげはじめた。
室の中は三沢の入ったあとも彼の入らないまえも同じように静かであった。話し声などはむろん聞こえなかった。看護婦は時々不意に目を上げて室の奥の方を見た。けれども自分にはなんの相《あい》図《ず》もせずに、すぐその目を頁《ページ》の上に落とした。
自分はこの三階の宵《よい》の間《ま》に虫の音らしい涼しさを聴《き》いた例《ためし》はあるが、昼のうちに八《や》釜《かま》しい蝉《せみ》の声はついぞ自分の耳に届いたことがない。自分のたった一人で坐っている病室はその時明らかな太陽の光を受けながら、真夜中よりもなお静かであった。自分はこの死んだような静かさのために、かえって神経を焦《い》らつかせて、「あの女」の室から三沢の出るのを待ちかねた。
やがて三沢はのっそりと出てきた。室の敷居を跨《また》ぐ時、微笑しながら「お邪魔さま。大勉強だね」と看護婦に挨《あい》拶《さつ》する言葉だけが自分の耳に入った。
彼は上《うわ》草《ぞう》履《り》の音をわざとらしく高く鳴らして、自分の室に入るやいなや、「やっと済んだ」と言った。自分は「どうだった」と聞いた。
「やっと済んだ。これでもう出ても好《い》い」
三沢は同じ言葉を繰り返すだけで、その他にはなんにも言わなかった。自分もそれ以上は聞き得なかった。ともかくも退院の手続きを早くするほうが便利だと思って、そこらに散らばっているものを片付けはじめた。三沢ももとよりじっとしてはいなかった。
三一
二人は俥《くるま》を雇って病院を出た。さきへ梶《かじ》棒《ぼう》を上げた三沢の車夫があまり威勢よく馳《か》けるので、自分は大きな声でそれを留めようとした。三沢は後ろを振り向いて、手を振った。「大丈夫、大丈夫」と言うらしく聞こえたから、自分もそれなりにして注意はしなかった。宿へ着いたとき、彼は川《かわ》縁《べり》の欄干に両手を置いて、目の下の広い流れをじっと眺《なが》めていた。
「どうした。心持ちでも悪いか」と自分は後ろから聞いた。彼は後ろを向かなかった。けれども「いいや」と答えた。「ここへ来てこの河《かわ》を見るまでこの室《へや》のことをまるで忘れていた」
そういって、彼は依然として流れに向かっていた。自分は彼をそのままにして、麻の座《ざ》蒲《ぶ》団《とん》の上に胡坐《あぐら》をかいた。それでも待ち遠しいので、やがて袂《たもと》から敷《しき》島《しま》の袋を出して、煙草《たばこ》を吸いはじめた。その煙草が三分の一煙《けむ》になったころ、三沢はようやく手《て》摺《す》りを離れて自分の前へ来て坐《すわ》った。
「病院で暮らしたのも、つい昨日《きのう》今日《きよう》のようだが、考えてみると、もうだいぶんになるんだね」と言って指を折りながら、日数を勘定しだした。
「三階の光景が当分目を離れないだろう」と自分は彼の顔を見た。
「思いも寄らない経験をした。これもなにかの因縁だろう」と三沢も自分の顔を見た。
彼は手を叩《たた》いて、下女を呼んで今夜の急行列車の寝台を注文した。それから時計を出して、食事を済ましたあと、時間にどのくらい余裕があるかを見た。窮屈に馴《な》れない二人はやがてごろりと横になった。
「あの女は癒《なお》りそうなのか」
「そうさな。ことによると癒るかもしれないが……」
下女が誂《あつら》えた氷菓子を鉢《はち》に盛って、梯子《はしご》段《だん》を上がってきたので、「あの女」の話はこれで切れてしまった。自分は寐《ね》転《ころ》んだまま、氷菓子を食《く》った。そのあいだ彼はただ自分の口の辺《あたり》を見るばかりで、何事も言わなかった。しまいにさも病人らしい調子で、「己《おれ》も食いたいな」と一《ひと》言《こと》言った。さっきから浮かない様子を見ていた自分は「構うものか、食うが好《い》い。食え食え」と勧めた。三沢はさいわいにして自分が氷菓子《アイスクリーム》を食わせまいとしたあの日の出来事を忘れていた。彼はただ苦笑いをして横を向いた。
「いくら好きだって、悪いと知りながら、むりに食わせられて、あの女のようになっちゃたいへんだからな」
彼はさっきから「あの女」のことを考えているらしかった。彼は今でも「あの女」のことを考えているとしか思われなかった。
「あの女は君を覚えていたかい」
「覚えているさ。このあいだ会って、僕からむりに酒を呑《の》まされたばかりだもの」
「恨んでいたろう」
今まで横を向いてそっぽへ口を利《き》いていた三沢は、この時急に顔を向け直してきっと正面から自分を見た。その変化に気の付いた自分はすぐ真《ま》面《じ》目《め》な顔をした。けれども彼があの女の室《へや》に入《はい》った時、二人のあいだにどんな談話が交換されたかについて、彼はついに何事をも語らなかった。
「あの女はことによると死ぬかもしれない。死ねばもう会う機会はない。万一癒るとしても、やっぱり会う機会はなかろう。妙なものだね。人間の離合というと大《おお》袈《げ》裟《さ》だが。それに僕から見れば実際離合の感があるんだからな。あの女は今夜僕の東京へ帰ることを知って、笑いながら御《ご》機《き》嫌《げん》ようと言った。僕はその淋《さび》しい笑いを、今夜なんだか汽車の中で夢に見そうだ」
三二
三沢はただこう言った。そうして夢に見ないさきからすでに「あの女」の淋《さび》しい笑い顔を目の前に浮かべているように見えた。三沢に感傷的のところがあるのは自分もよく承知していたが、単にあれだけの関係で、これほどあの女に動かされるのは不審であった。自分は三沢と「あの女」が別れる時、どんな話をしたか、詳しく聞いてみようと思って、少し水を向け掛けたが、なんの効果もなかった。しかも彼の態度が惜しいものを半分他《ひと》に配《わ》けてやると、半分なくなるから厭《いや》だというふうに見えたので、自分はますます変な気持ちがした。
「そろそろ出掛けようか。夜の急行は込むから」ととうとう自分のほうで三沢を促すようになった。
「まだ早い」と三沢は時計を見せた。なるほど汽車の出るまでにはまだ二時間ばかり余っていた。もう「あの女」のことは聞くまいと決心した自分は、なるべく病院の名前を口へ出さずに、寐《ね》転《ころ》びながら彼と通り一遍の世間話を始めた。彼はその時人並みの受け答えをした。けれどもどこか調子に乗らないところがあるので、なんとなく不愉快そうに見えた。それでも席は動かなかった。そうしてしまいには黙って河《かわ》の流ればかり眺《なが》めていた。
「まだ考えている」と自分は大きな声を出してわざと叫んだ。三沢は驚いて自分を見た。彼はこういう場合にきっと、お前はバルガー《*》だという目付をして、一瞥《べつ》の侮辱を自分に与えなければ承知しなかったが、この時にかぎってそんな様子はちっとも見せなかった。
「うん考えている」と軽く言った。「君に打ち明けようか、打ち明けまいかと迷っていたところだ」と言った。
自分はその時彼から妙な話を聞いた。そうしてその話が直接「あの女」となんの関係もなかったのでなおさら意外の感に打たれた。
今から五、六年まえ彼の父がある知人の娘を同じくある知人の家の嫁《よめ》らした《*》ことがあった。不幸にもその娘さんはある纏《てん》綿《めん》した《*》事情のために、一年経つか経たないうちに、夫の家を出ることになった。けれどもそこにもまた複雑な事情があって、すぐわが家に引き取られてゆくわけにゆかなかった。それで三沢の父が仲人《なこうど》という義理合いから当分この娘さんを預かることになった。――三沢はいったん嫁《とつ》いで出てきた女を娘さん娘さんと言った。
「その娘さんはあんまり心配したためだろう、少し精神に異状を呈していた。それは宅《うち》へ来るまえか、あるいは来てからかよく分《わか》らないが、とにかく宅のものが気が付いたのは来てから少し経ってからだ。もとより精神に異状を呈しているのは相違なかろうが、ちょっと見たって少しも分らない。ただ黙って鬱《ふさ》ぎ込んでいるだけなんだから。ところがその娘さんが………」
三沢はここまで来て少し躊《ちゆう》躇《ちよ》した。
「その娘さんが可笑《おか》しな話をするようだけれども、僕が外出するときっと玄関まで送って出る。いくら隠れて出ようとしてもきっと送って出る。そうして必ず、早く帰ってきてちょうだいねと言う。僕がええ早く帰りますから大人《おとな》しくして待っていらっしゃいと返事をすれば合《がつ》点《てん》合点をする。もし黙っていると、早く帰ってきてちょうだいね、ね、と何度でも繰り返す。僕は宅のものに対して極《きま》りが悪くってしようがなかった。けれどもまたこの娘さんが不《ふ》憫《びん》で堪《たま》らなかった。だから外出してもなるべく早く帰るように心掛けていた。帰るとその人の傍《そば》へ行って、立ったままただいまと一言必ず言うことにしていた」
三沢はそこへ来てまた時計を見た。
「まだ時間はあるね」と言った。
三三
その時自分はこれぎりでその娘さんの話を止《や》められてはと思った。さいわいに時間がまだだいぶあったので、自分のほうからなんとも言わないさきに彼はまた語り続けた。
「宅《うち》のものがその娘さんの精神に異状があるということを明らかに認めだしてからはまだ可《よ》かったが、知らないうちは今言ったとおり僕もその娘さんの露骨なのにずいぶん弱らせられた。父や母は苦い顔をする。台所のものは内《ない》所《しよ》でくすくす笑う。僕は仕方がないから、その娘さんが僕を送って玄関まで来た時、烈《はげ》しく怒《おこ》り付けてやろうかと思って、二、三度後ろを振り返って見たが、顔を合わせるやいなや、怒るどころか、邪《じや》慳《けん》な言葉などは可《か》哀《わい》そうでとても口から出せなくなってしまった。その娘さんは蒼《あお》い色の美人だった。そうして黒い眉《まゆ》毛《げ》と黒い大きな眸《ひとみ》を有《も》っていた。その黒い眸は始終遠くの方の夢を眺《なが》めているようにうっとりと潤って、そこになんだか便《たよ》りのなさそうな憐《あわ》れを漂わせていた。僕が怒ろうと思って振り向くと、その娘さんは玄関に膝《ひざ》を突いたなりあたかも自分の孤独を訴えるように、その黒い眸を僕に向けた。僕はそのたびに娘さんから、こうして活《い》きていてもたった一人で淋《さむ》しくって堪《たま》らないから、どうぞ助けてくださいと袖《そで》に縋《すが》られるように感じた。――その目がだよ。その黒い大きな眸が僕にそう訴えるのだよ」
「君に惚《ほ》れたのかな」と自分は三沢に聞きたくなった。
「それがさ。病人のことだから恋愛なんだか病気なんだか、誰《だれ》にも解《わか》るはずがないさ」と三沢は答えた。
「色情狂っていうのは、そんなもんじゃないのかな」と自分はまた三沢に聞いた。
三沢は厭《いや》な顔をした。
「色情狂というのは、誰にでも枝《しな》垂《だ》れ懸《かか》る《*》んじゃないか。その娘さんはただ僕を玄関まで送って出てきて、早く帰ってきてちょうだいねと言うだけなんだから違うよ」
「そうか」
自分のこの時の返事はまったく光《つ》沢《や》がなさすぎた。
「僕は病気でもなんでも構わないから、その娘さんに思われたいのだ。少なくとも僕のほうではそう解釈していたいのだ」と三沢は自分を見詰めて言った。彼の顔面の筋肉はむしろ緊張していた。「ところが事実はどうもそうでないらしい。その娘さんの片付いたさきの旦《だん》那《な》というのが放《ほう》蕩《とう》家《か》なのか交際家なのか知らないが、なんでも新婚早々たびたび家《うち》を空《あ》けたり、夜遅《おそ》く帰ったりして、その娘さんの心をさんざん苛《いじ》め抜いたらしい。けれどもその娘さんは一口も夫に対して自分の苦しみを言わずに我慢していたのだね。その時のことが頭に祟《たた》っているから、離婚になったあとでも旦那に言いたかったことを病気のせいで僕に言ったのだそうだ。――けれども僕はそう信じたくない。しいてもそうでないと信じていたい」
「それほど君はその娘さんが気に入っていたのか」と自分はまた三沢に聞いた。
「気に入るようになったのさ。病気が悪くなればなるほど」
「それから。――その娘さんは」
「死んだ。病院へ入《い》って」
自分は黙《もく》然《ねん》とした。
「君から退院を勧められた晩、僕はその娘さんの三回忌を勘定してみて、単にそのためだけでも帰りたくなった」と三沢は退院の動機を説明して聞かせた。自分はまだ黙っていた。
「ああ肝《かん》心《じん》のことを忘れた」とその時三沢が叫んだ。自分は思わず「なんだ」と聞き返した。
「あの女の顔がね、実はその娘さんによく似ているんだよ」
三沢の口元には解《わか》ったろうという一種の微笑が見えた。二人はそれからじきに梅田の停車場《ステーシヨン》へ俥《くるま》を急がした。場内は急行を待つ乗《じよう》客《かく》ですでにいっぱいになっていた。二人は橋を向こうへ渡って上り列車を待ち合わせた。列車は十分と立たないうちに地を動かして来た。
「また会おう」
自分は「あの女」のために、また「その娘さん」のために三沢の手を固く握った。彼の姿は列車の音とともにたちまち暗中に消えた。
兄
一
自分は三沢を送った翌《あくる》日《ひ》また母と兄夫婦とを迎えるため同じ停車場《ステーシヨン》に出掛けなければならなかった。
自分から見るとほとんど想像さえ付かなかったこの出来事を、はじめから工夫して、とうとうそれをものにするまで漕《こ》ぎ付けたものは例の岡田であった。彼は平生からよくこんな技巧を弄《ろう》してその成効《*》に誇るのが好《す》きであった。自分をわざわざ電話口へ呼び出して、そのうちきっと自分を驚かしてみせると断わったのは彼である。それからほどなく、お兼さんが宿屋へ尋ねて来て、その訳を話した時には、自分も実際驚かされた。
「どうして来るんです」と自分は聞いた。
自分が東京を立つまえに、母の持っていた、ある場末の地面が、新たに電車の布設される通り路《みち》に当たるとかでその前側を幾坪か買い上げられると聞いたとき、自分は母に「じゃその金でこの夏みんなを連れて旅行なさい」と勧めて、「また二郎さんのお株が始まった」と笑われたことがある。母はかねてから、もし機会があったら京大阪を見たいと言っていたが、あるいはその金が手に入ったところへ、岡田からの勧誘があったため、こう大《おお》袈《げ》裟《さ》な計画になったのではなかろうか。それにしても岡田がまたなんでそんな勧誘をしたものだろう。
「なにというたいした考えもないんでございましょう。ただ昔お世話になったお礼に御案内でもする気なんでしょう。それにあのこともございますから」
お兼さんの「あのこと」というのは例の結婚事件である。自分はいくらお貞さんが母のお気に入りだって、そのために彼女がわざわざ大阪三《さん》界《がい》まで出てくるはずがないと思った。
自分はその時すでに懐《ふところ》が危《あや》しくなっていた。そのうえあとから三沢のために岡田に若干の金額を借りた。ほかの意味は別として、母と兄夫婦の来るのはこの不足填《てん》補《ぽ*》の方便として自分には好都合であった。岡田もそれを知って快くこちらの要《い》るだけすぐ用立ててくれたに違いなかろうと思った。
自分は岡田夫婦といっしょに停車場《ステーシヨン》に行った。三人で汽車を待ち合わしているあいだに岡田は、「どうです。二郎さんびっくりしたでしょう」といった。自分はこれと類似の言葉を、彼から何遍も聞いているので、なんとも答えなかった。お兼さんは岡田に向かって、「あなたこのあいだから独《ひと》りでお得意なのね。二郎さんだって聞き飽きていらっしゃるわ。そんなこと」と言いながら自分を見て「ねえ貴方《あなた》」と詫《あやま》るように付け加えた。自分はお兼さんの愛嬌のうちに、どことなく黒人《くろうと*》らしい媚《こび》を認めて、急に返事の調子を狂わせた。お兼さんは素知らぬふうをして岡田に話し掛けた。――
「奥さまもだいぶお目に懸《かか》らないから、ずいぶんお変わりになったでしょうね」
「このまえ会った時はやっぱり元の叔母《おば》さんさ」
岡田は自分の母のことを叔母さんと言い、お兼さんは奥様というのが、自分には変に聞こえた。
「始終傍《そば》にいると、変わるんだか変わらないんだか分《わか》りませんよ」と自分は答えて笑っているうちに汽車が着いた。岡田は彼ら三人のために特別に宿を取っておいたとかいって、ただちに俥《くるま》を南へ走らした。自分は空《くう》に乗った俥の上で、彼のよく人を驚かせるのに驚いた。そういえば彼が突然上京してお兼さんを奪うように伴《つ》れていったのも自分を驚かした目《め》覚《ざ》ましい手柄の一つに相違なかった。
二
母の宿はさほど大きくはなかったけれども、自分の泊まっている所よりはよほど上品な構えであった《*》。室《へや》には扇風器だの、唐《とう》机《づくえ*》だの、特別にその唐机の傍《そば》に備え付けた電燈などがあった。兄はすぐそこにある電報紙へ大阪着の旨を書いて下女に渡していた。岡田はいつのまにか用意してきた三、四枚の絵《え》端《は》書《がき》を袂《たもと》の中から出して、これは叔父《おじ》さん、これはお重さん、これはお貞さんと一々名《な》宛《あて》を書いて、「さあ一口ずつ皆《みんな》どうぞ」と方々へ配っていた。
自分はお貞さんの絵端書へ「お目出とう」と書いた。すると母がそのあとへ「病気を大事になさい」と書いたのでびっくりした。
「お貞さんは病気なんですか」
「実はあのことがあるので、ちょうど好《い》いおりだから、今度伴《つ》れてきようと思って仕《し》度《たく》までさせたところが、あいにくお腹《なか》が悪くなってね。残念なことをしましたよ」
「でもたいしたことじゃないのよ。もうお粥《かゆ》がそろそろ食べられるんだから」と嫂《あによめ》が傍《そば》から説明した。その嫂は父に出す絵端書を持ったままなにか考えていた。「叔父さんは風流人だから歌が好《い》いでしょう」と岡田に勧められて、「歌なんぞできるもんですか」と断わった。岡田はまたお重へ宛《あ》てたのに、「あなたの口の悪いところが聞けないのが残念だ」と細かく謹《つつし》んで書いたので、兄から「将《しよう》棋《ぎ》の駒《こま》がまだ祟《たた》っているとみえるね」と笑われていた。
絵端書が済んで、しばらく世間話をしたあとで、岡田とお兼さんはまた来ると言って、母や兄が止めるのも聞かずに帰っていった。
「お兼さんはほんとうに奥さんらしくなったね」
「宅《うち》へ仕立物を持ってきた時分を考えると、まるで見違えるようだよ」
母が兄とお兼さんを評し合った言葉の裏には、己《おのれ》がそれだけ年を取ったという淡い哀愁を含んでいた。
「お貞さんだって、もうじきですよお母《かあ》さん」と自分は横合いから口を出した。
「ほんとうにね」と母は答えた。母は腹の中で、まだ片付く当てのないお重のことでも考えているらしかった。兄は自分を顧みて、「三沢が病気だったので、どこへも行かなかったそうだね」と聞いた。自分は「ええ。とんだところへ引っかかってどこへも行かずじまいでした」と答えた。自分と兄とは常にこのくらい懸《か》け隔てのある言葉で応対するのが例になっていた。これは年がすこし違うのと、父が昔《むかし》堅《かた》気《ぎ》で、長男に最上の権力を塗り付けるようにして育て上げた結果である。母もたまには自分をさん付けにして二郎さんと呼んでくれることもあるが、これは単に兄の一郎さんのお余りにすぎないと自分は信じていた。
みんなは話に気を取られて浴衣《ゆかた》を着換えるのを忘れていた。兄は立って、糊《のり》の強いのを肩へ掛けながら、「どうだい」と自分を促した。嫂は浴衣を自分に渡して、「ぜんたいあなたのお部《へ》屋《や》はどこにあるの」と聞いた。手《て》摺《す》りの所へ出て、鼻の先にある高い塗《ぬ》り塀《べい》を鬱《うつ》陶《とう》しそうに眺《なが》めていた母は、「宜《い》い室《へや》だが少し陰気だね。二郎お前のお室もこんなかい」と聞いた。自分は母のいる傍《そば》へ行って、下を見た。下には張り物板のような細長い庭に、細い竹がまばらに生《は》えて錆《さ》びた鉄《かな》燈《どう》籠《ろう》が石の上に置いてあった。その石も竹も打ち水で皆しっとり濡《ぬ》れていた。
「狭いが凝《こ》ってますね。その代り僕のところのように河《かわ》がありませんよ、お母さん」
「おやどこに河があるの」と母がいうあとから、兄も嫂もその河の見える座敷と取り換えてもらおうと言いだした。自分は自分の宿のある方角やら地理やらを説明して聞かした。そうしてひとまず帰って荷物を纏《まと》めたうえまたここへ来る約束をして宿を出た。
三
自分はその夕方宿の払いを済まして母や兄といっしょになった。三人は少し夕飯が後《おく》れたと見えて、膳《ぜん》を控えたまま楊《よう》枝《じ》を使っていた。自分は彼らを散歩に連れ出そうと試みた。母は疲れたと言って応じなかった。兄は面倒らしかった。嫂《あによめ》だけには行きたい様子が見えた。
「今夜はお止しよ」と母が留めた。
兄は寐《ね》転《ころ》びながら話をした。そうして口では大阪を知ってるようなことを言った。けれどもよく聞いてみると、知っているのは天《てん》王《のう》寺《じ》だの中の島だの千《せん》日《にち》前《まえ》だのという名前ばかりで地理上の知識になると、まるで夢のように散漫極《きわま》るものであった。
もっとも「大阪城の石《いし》垣《がき》の石は実に大きかった」とか、「天王寺の塔の上へ登って下を見たら目が眩《くら》んだ」とか断片的の光景は実際覚えているらしかった。そのうちでいちばん面《おも》白《しろ》く自分の耳に響いたのは彼の昔泊まったという宿屋の夜の景《け》色《しき》であった。
「細い通りの角《かど》で、欄干の所へ出ると柳が見えた。家が隙《すき》間《ま》なく並んでいる割には閑静で、窓から眺《なが》められる長い橋も画《え》のような趣があった。その上を通る車の音も愉快に響いた。もっとも宿そのものは不親切で汚《きたな》くって困ったが……」
「いったいそれは大阪のどこなの」と嫂が聞いたが、兄はまったく知らなかった。方角さえ分《わか》らないと答えた。これが兄の特色であった。彼は事件の断片を驚くばかりあざやかに覚えている代りに、場所の名や年月をまったく忘れてしまう癖があった。それで彼は平気でいた。
「どこだか解《わか》らなくっちゃ詰《つま》らないわね」と嫂がまた言った。兄と嫂とはこんなところでよく喰《く》い違った。兄の機《き》嫌《げん》の悪くない時はそれでも済むが、少しの具合で事が面倒になる例《ためし》も希《まれ》ではなかった。こういう消息に通じた母は、「どこでも構わないが、それだけじゃないはずだったのにね。あとをお話しよ」と言った。兄は「お母《かあ》さんにも直《なお》にも詰らないことですよ」と断わって、「二郎そこの二階に泊まったとき面白いと思ったのはね」と自分に話し掛けた。自分はもとより兄の話を一人で聞くべき責任を引き受けた。
「どうしました」
「夜になって一《ひと》寐《ね》入《い》りして目が醒《さ》めると、明るい月が出て、その月が青い柳を照らしていた。それを寐ながら見ているとね、下の方で、急にやっという掛け声が聞こえた。あたりは案外静まり返っているので、その掛け声がことさら強く聞こえたんだろう、己《おれ》はすぐ起きて欄干の傍《そば》まで出て下を覗《のぞ》いた。すると向こうに見える柳の下で、真《まつ》裸《ぱだか》な男が三人代わる代わる大きな沢《たく》庵《あん》石《いし》の持ち上げ競《くら》をしていた。やっというのは両手へ力を入れて差し上げる時の声なんだよ。それを三人とも夢中になって熱心に遣《や》っていたが、熱心なせいか、誰《だれ》も一口もものを言わない。己は明らかな月影に黙って動く裸体《はだか》の人影を見て、妙に不思議な心持ちがした。するとそのうちの一人が細長い天《てん》秤《びん》棒《ぼう》のようなものをぐるりぐるりと回しはじめた………」
「なんだか水《すい》滸《こ》伝《でん》のような趣じゃありませんか」
「その時からしてがすでに縹《ひよう》緲《びよう》たるものさ。今日になって回顧するとまるで夢のようだ」
兄はこんなことを回想するのが好きであった。そうしてそれは母にも嫂にも通じない、ただ父と自分だけに解《わか》る趣であった。
「その時大阪で面白いと思ったのはただそれぎりだが、なんだかそんな連想を持って来てみると、いっこう大阪らしい気がしないね」
自分は三沢のいた病院の三階から見《み》下《おろ》される狭い綺《き》麗《れい》な通りを思い出した。そうして兄の見た棒使いや力持ちはあんな町内にいる若い衆じゃなかろうかと想像した。
岡田夫婦は約のごとくその晩また尋ねてきた。
四
岡田はすこぶる念入りの遊覧目録といったようなものを、わざわざ宅《うち》から拵《こしら》えてきて、母と兄に見せた。それがまたあまり綿密すぎるので、母も兄も「これじゃ」と驚いた。
「まあ幾《いく》日《か》くらい御滞在になれるんですか、それしだいにプログラムの作り方もまたあるんですから。こっちは東京と違ってね、少し市を離れるといくらでも見物する所があるんです」
岡田の言葉のうちには多少の不服が籠《こも》っていたが、同時に得意な調子もみえた。
「まるで大阪を自慢していらっしゃるようよ。貴方《あなた》の話を傍で聞いていると」
お兼さんは笑いながらこう言って真《ま》面《じ》目《め》な夫に注意した。
「いえ自慢じゃない。自慢じゃないが……」
注意された岡田はますます真面目になった。それが少し滑《こつ》稽《けい》に見えたので皆《みんな》が笑いだした。
「岡田さんは五、六年のうちにすっかり上《かみ》方《がた》風《ふう》になってしまったんですね」と母が調戯《からか》った。
「それでもよく東京の言葉だけは忘れずにいるじゃありませんか」と兄がそのあとに随《つ》いてまた冷嘲《ひやか》しはじめた。岡田は兄の顔を見て、「久しぶりに会うと、すぐこれだから敵《かな》わない。まったく東京ものは口が悪い」と言った。
「それにお重の兄《あにき》だもの、岡田さん」と今度は自分が口を出した。
「お兼少し助けてくれ」と岡田がしまいに言った。そうして母の前に置いてあったさっきのプログラムを取って袂《たもと》へ入れながら、「馬《ば》鹿《か》馬《ば》鹿《か》しい、骨を折ったり調戯われたり」とわざわざ怒《おこ》ったふうをした。
冗談がひとしきり済むと、自分の予期していたとおり、佐野の話が母の口から持ち出された。母は「このたびはまたいろいろ」といったような打って変わった几《き》帳《ちよう》面《めん》な言葉で岡田に礼を述べる、岡田はまた鹿《しか》爪《つめ》らしく改まった口上で、まことに行き届きませんでなどと挨《あい》拶《さつ》をする、自分には両方とも大《おお》袈《げ》裟《さ》にみえた。それから岡田はちょうど好《い》い都合だから、ぜひ本人に会ってやってくれと、また会見の打合わせをしはじめた。兄もその話のなかに首を突っ込まなくっては義理が悪いとみえて、煙草《たばこ》を吹かしながら二人の相手になっていた。自分は病気で寐《ね》ているお貞さんにこの様子を見せて、有《あり》難《がた》いと思うか、よけいなお世話だと思うか、ほんとうのところを聞いてみたい気がした。同時に三沢が別れる時、新しく自分の頭に残していった美しい精神病の「娘さん」の不幸な結婚を連想した。
嫂《あによめ》とお兼さんは親しみの薄い間柄であったけれども、若い女同志という縁故でさっきから二人だけで話していた。しかし気心が知れないせいか、両方とも遠慮がちでいっこう調子が合いそうになかった。嫂は無口な性質《たち》であった。お兼さんは愛《あい》嬌《きよう》のあるほうであった。お兼さんが十《と》口《くち》ものをいうあいだに嫂は一口しか喋舌《しやべ》れなかった。しかし種が切れると、そのつどきっとお兼さんのほうから供給されていた。最後に子供の話が出た。すると嫂のほうが急に優勢になった。彼女はその小さい一人娘の平生を、さも興ありげに語った。お兼さんはまた嫂のくだくだしい叙述を、さも感心したように聞いていたが、実際はまるで無《む》頓《とん》着《じやく》らしくも見えた。ただ一遍「よくまあお一人でお留《る》守《す》居《い》ができますこと」と言ったのは誠らしかった。「お重さんによく馴《な》付《づ》いておりますから」と嫂は答えていた。
五
母と兄夫婦の滞在日数は存外少ないものであった。まず市内で二、三日市外で二、三日しめて一週間足らずで東京へ帰る予定で出てきたらしかった。
「せめてもう少しは宜《い》いでしょう。せっかくここまで出ていらしったんだから。また来るたって、そりゃ容易なことじゃありませんよ。億《おつ》劫《くう》で」
こうはいうものの岡田も、母の滞在中会社のほうをまるで休んで、毎日案内ばかりして歩けるほどの余裕はむろんなかった。母も東京の宅《うち》のことが気に掛かるように見えた。自分にいわせると、母と兄夫婦というからしてがすでに妙な組合わせであった。本来なら父と母といっしょに来るとか、兄と嫂《あによめ》だけが連れ立って避暑に出掛けるとか、もしまたお貞さんの結婚問題が目的なら、当人の病気が癒《なお》るのを待って、母なり父なりが連れてきて、早く事を片付けてしまうとか、自然の予定は二とおりも三とおりもあった。それがこう変な形になって現われたのはどういうわけだか、自分にははじめから呑《の》み込めなかった。母はまたそれを胸の中に畳み込んでいるというふうに見えた。母ばかりではない、兄夫婦もそこに気が付いているらしいところもあった。
佐野との会見は型のごとく済んだ。母も兄も岡田に礼を述べていた。岡田の帰ったあとでも両方とも佐野の批評はしなかった。もう事が極《きま》って批評をする余地がないというようにも取れた。結婚は年の暮れに佐野が東京へ出てくる機会を待って、式を挙《あげ》げるように相談が調《ととの》った。自分は兄に、「お目出たすぎるくらい事件がどんどん進行してゆくくせに、本人がいっこう知らないんだから面《おも》白《しろ》い」と言った。
「当人はむろん知ってるんだ」と兄が答えた。
「大喜びだよ」と母が保証した。
自分は一言もなかった。しばらくしてから、「もっともこんな問題になると自分でどんどん進行させる勇気は日本の婦人にあるまいからな」と言った。兄は黙っていた。嫂は変な顔をして自分を見た。
「女だけじゃないよ。男だって自分かってにむやみと進行されちゃ困りますよ」と母は自分に注意した。すると兄が「いっそそのほうが好《い》いかもしれないね」と言った。その言い方が少し冷やかすぎたせいか、母はなんだか厭《いや》な顔をした。嫂もまた変な顔をした。けれども二人ともなんとも言わなかった。
少し経《た》ってから母はようやく口を開いた。
「でも貞だけでも極《きま》ってくれるとお母《かあ》さんはたいへん楽な心持ちがするよ。後は重ばかりだからね」
「これもお父《とう》さんのお蔭《かげ》さ」と兄が答えた。その時兄の唇《くちびる》に薄い皮肉の影が動いたのを、母は気がつかなかった。
「まったくお父さんのお蔭に違いないよ。岡田が今ああ遣《や》ってるのと同じことさ」と母はだいぶ満足な体《てい》に見えた。
憐《あわ》れな母は父が今でも社会的に昔どおりの勢力を有《も》っているとばかり信じていた。兄は兄だけに、社会から退隠したと同様の今の父に、その半分の影響さえむずかしいということを見破っていた。
兄と同意見の自分は、家族中ぐるになって、佐野を瞞《だま》しているような気がしてならなかった。けれどもまた一方からいえば、佐野は瞞されても然るべきだという考えがはじめから頭のどこかに引っ掛かっていた。
とにかく会見は満足のうちに済んだ。兄は暑いので脳に応《こた》えるとか言って、早く大阪を立ち退《の》くことを主張した。自分はもとより賛成であった。
六
実際そのころの大阪は暑かった。ことに我々の泊まっている宿屋は暑かった。庭が狭いのと塀《へい》が高いので、日の射《さ》し込む余地もなかったが、その代り風の通る隙《すき》間《ま》にも乏しかった。ある時は湿っぽい茶座敷《*》の中で、四方から焚《たき》火《び》に焙《あぶ》られているような苦しさがあった。自分は夜通し扇風器を掛けてぶうぶう鳴らしたため、馬《ば》鹿《か》な真《ま》似《ね》をして風《か》邪《ぜ》でも引いたらどうすると言って母から叱《しか》られたことさえあった。
大阪を立とうという兄の意見に賛成した自分は、有《あり》馬《ま》なら涼しくって兄の頭に宜《よ》かろうと思った。自分はこの有名な温泉をまだ知らなかった。車夫が梶《かじ》棒《ぼう》へ綱を付けて、その綱の先をまた犬に付けて坂路を上るのだそうだが、暑いので犬がともすると渓《たに》河《がわ》の清《し》水《みず》を飲もうとするのを、車夫が怒って竹の棒でむやみに打ち擲《たた》くから、犬がひんひん苦しがりながら俥《くるま》を引くんだという話を、かつて聞いたまま喋舌《しやべ》った。
「厭《いや》だねそんな俥に乗るのは、可《か》哀《わい》想《そう》で」と母が眉《まゆ》をひそめた。
「なぜまた水を飲ませないんだろう。俥が遅れるからかね」と兄が聞いた。
「途中で水を飲むと疲れて役に立たないからだそうです」と自分が答えた。
「へえー、なぜ」と今度は嫂《あによめ》が不思議そうに聞いたが、それには自分も答えることができなかった。
有馬行は犬のせいでもなかったろうけれども、とうとう立消えになった。そうして意外にも和歌の浦《*》見物が兄の口から発《ほつ》議《ぎ》された。これは自分もかねてから見たいと思っていた名所であった。母も子供の時からその名に親しみがあるとかで、すぐ同意した。嫂だけはどこでも構わないというふうに見えた。
兄は学者であった。また見識家であった。そのうえ詩人らしい純粋な気質を持って生まれた好《い》い男であった。けれども長男だけにとこか我《わが》儘《まま》なところを具《そな》えていた。自分からいうと、普通の長男よりは、だいぶ甘やかされて育ったとしか見えなかった。自分ばかりではない、母や嫂に対しても、機《き》嫌《げん》の好《い》い時はばかに好いが、いったん旋毛《つむじ》が曲がりだすと、幾《いく》日《か》でも苦い顔をして、わざと口を利《き》かずにいた。それで他人の前へ出ると、またまったく人間が変わったように、たいていなことがあってもめったに紳士の態度を崩《くず》さない、円満な好《こう》侶《りよ》伴《はん》であった。だから彼の朋《ほう》友《ゆう》はことごとく彼を穏《おだ》やかな好い人物だと信じていた。父や母はその評判を聞くたびに案外な顔をした。けれどもやっぱり自分の子だとみえて、どこか嬉《うれ》しそうな様子が見えた。兄と衝突している時にこんな評判でも耳に入《はい》ろうものなら、自分はむやみに腹が立った。一々その人の宅《うち》まで出掛けていって、彼らの誤解を訂正してやりたいような気さえ起こった。
和歌の浦行に母がすぐ賛成したのも、実は彼女が兄の気性をよく呑《の》み込んでいるからだろうと自分は思った。母は長いあいだわが子の我《が》を助け育てるようにした結果として、今では何事によらずその我の前に跪《ひざまず》く運命を甘んじなければならない位地にあった。
自分は便所に立った時、手水《ちようず》鉢《ばち》の傍《そば》にぼんやり立っていた嫂を見《め》付《つ》けて、「姉《ねえ》さんどうです近ごろは。兄《にい》さんの機嫌は好いほうなんですか悪いほうなんですか」と聞いた。嫂は「相変わらずですわ」とただ一口答えただけであった。嫂はそれでも淋《さみ》しい頬《ほお》に片《かた》靨《えくぼ》を寄せて見せた。彼女は淋しい色《いろ》沢《つや》の頬を有《も》っていた。それからその真《まん》中《なか》に淋しい片靨を有っていた。
七
自分は立つまえに岡田に借りた金の片を付けて行きたかった。もっとも彼に話をしさえすれば、東京へ帰ってからでも構わないとは思ったけれども、ああいう人の金はなるべく早く返しておいたほうが、こっちの心持ちが宜《い》いという考えがあった。それで誰《だれ》も傍《そば》にいないおりを見計らって、母にどうかしてくれと頼んだ。
母は兄を大事にするだけあって、むろん彼を心《しん》から愛していた。けれども長男という訳か、また気むずかしいというせいか、どこかに遠慮があるらしかった。ちょっとのことを注意するにしても、なるべく気に障《さわ》らないように、はじめから気を置いて掛かった。そこへゆくと自分はまるで子供同様の待遇を母から受けていた。「二郎そんな法があるのかい」などと頭ごなしに遣っ付けられた。その代りまた兄以上に可《か》愛《わい》がられもした。小《こ》遣《づか》いなどは兄に内《ない》所《しよ》でよく貰《もら》った覚えがある。父の着物などもいつのまにか自分のに仕立て直してあることは珍しくなかった。こういう母の仕打ちが、例の兄にはまたすこぶる気に入らなかった。些《さ》細《さい》なことから兄はよく機《き》嫌《げん》を悪くした。そうして明るい家のうちに陰気な空気を漲《みな》ぎらした。母は眉《まゆ》をひそめて「また一郎の病気が始まったよ」と自分に時々私語《ささや》いた。自分は母から腹心の郎《ろう》党《とう》として取り扱われるのが嬉しさに、「癖なんだから、放っておおきなさい」ぐらい言って澄ましていた時代もあった。兄の性質が気むずかしいばかりでなく、大小となく影でこそこそなにか遣《や》られるのを忌む正義の念から出るのだということを後から知って以来、自分は彼に対してこんな軽薄な批評を加えるのを恥ずるようになった。けれども表向き兄の承諾を求めると、とうてい行なわれにくい用件が多いので、自分はつい機《お》会《り》を見ては母の懐《ふところ》に一人抱かれようとした。
母は自分が三沢のために岡田から金を借りた顛《てん》末《まつ》を聞いて驚いた顔をした。
「そんな女のためにお金を使う訳がないじゃないか、三沢さんだって。馬《ば》鹿《か》らしい」と言った。
「だけど、そこには三沢も義理があるんだから」と自分は弁解した。
「義理義理って、お母さんには解《わか》らないよ、お前のいうことは。気の毒なら、手ぶらで見舞いに行くだけのことじゃないか。もし手ぶらで極《きま》りが悪ければ、菓子折りの一つも持って行きゃあたくさんだね」
自分はしばらく黙っていた。
「よし三沢さんにそれだけの義理があったにしたところでさ。なにもお前が岡田なんぞからそれを借りてあげるだけの義理はなかろうじゃないか」
「じゃ宜《よ》御《ご》座《ざ》んす」と自分は答えた。そうして立って下へ行こうとした。兄は湯に入《はい》っていた。嫂《あによめ》は小さい下の座敷を借りて髪を結わしていた。座敷には母よりほかにいなかった。
「まあお待ちよ」と母が呼び留めた。「なにも出してあげないと言ってやしないじゃないか」
母の言葉には兄一人でさえたくさんなところへ、なんの必要があって、自分までこの年寄りを苛《いじ》めるかといわぬばかりの心細さが籠《こも》っていた。自分は母のいうとおり元の席に着いたが、気の毒でちょっと顔を上げ得なかった。そうしてこの無《ぶ》恰《かつ》好《こう》な態度で、さも子供らしく母から要《い》るだけの金《きん》子《す*》を受け取った。母が一段声を落として、いつものように、「兄《にい》さんには内所だよ」と言った時、自分は不意に名状しがたい不愉快に襲われた。
八
自分たちはその翌日の朝和歌山へ向けて立つはずになっていた。どうせいったんはここへ引き返してこなければならないのだから、岡田の金もその時で好《い》いとは思ったが、性急《せつかち》の自分には紙入れをそのまま懐中しているからがすでに厭《いや》だった。岡田はその晩も例のとおり宿屋へ話に来るだろうと想像された。だからそのおりにそっと返しておこうと自分は腹のうちで極《き》めた。
兄が湯から上がってきた。帯も締めずに、浴衣《ゆかた》を羽織るように引っ掛けたままずっと欄干の所まで行ってそこへ濡《ぬ》れ手《て》拭《ぬぐい》を懸けた。
「お待ち遠」
「お母《かあ》さん、どうです」自分は母を促した。
「まあおはいりよ、お前から」と言った母は、兄の首や胸のところを眺《なが》めて、「たいへん好《い》い血色におなりだね。それに少し肉が付いたようじゃないか」と賞《ほ》めていた。兄は性《しよう》来《らい》の痩《や》せっぽちであった。宅ではそれをみんな神経のせいにして、もう少し肥《ふと》らなくっちゃ駄《だ》目《め》だと言い合っていた。そのうちでも母は最も気を揉《も》んだ。当人自身も痩せているのをなにかの刑罰のように忌み恐れた。それでもちっとも肥れなかった。
自分は母の言葉を聞きながら、この苦しい愛《あい》嬌《きよう》を、慰謝の一つとしてわが子の前に捧《ささ》げなければならない彼女の心事を気の毒に思った。兄に比べるとはるかに頑《がん》丈《じよう》な体躯《からだ》を起こしながら、「じゃおさきへ」と母に挨《あい》拶《さつ》して下へ降りた。風《ふ》呂《ろ》場《ば》の隣の小さい座敷をちょいと覗《のぞ》くと、嫂《あによめ》は今髷ができたところで、合わせ鏡をして鬢《びん》だの髱《たぼ》だのを撫《な》でていた。
「もう済んだんですか」
「ええ。どこへ入らっしゃるの」
「お湯へはいろうと思って。おさきへ失礼しても宜《よ》ござんすか」
「さあどうぞ」
自分は湯に入りながら、嫂が今日《きよう》にかぎってなんでまた丸髷なんて仰《ぎよう》山《ざん》な頭に結うのだろうと思った。大きな声を出して、「姉《ねえ》さん、姉さん」と湯《ゆ》壺《つぼ》の中から呼んでみた。「なによ」という返事が廊下の出口で聞こえた。
「御苦労さま、この暑いのに」と自分が言った。
「なぜ」
「なぜって、兄《にい》さんのお好みなんですか、そのでこでこ頭は」
「知らないわ」
嫂の廊下伝いに梯子《はしご》段《だん》を上る草《ぞう》履《り》の音がはっきり聞こえた。
廊下の前は中庭で八つ手の株が見えた。自分はその暗い庭を前に眺《なが》めて、番頭に背中を流してもらっていた。すると入口の方から縁側を沿って、また活発な足音が聞こえた。
そうして詰《つ》め襟《えり》の白い洋服を着た岡田が自分の前を通った。自分は思わず、「おい君、君」と呼んだ。
「や、今お湯、暗いんでちっとも気が付かなかった」と岡田は一足あと戻りして風呂を覗《のぞ》き込みながら挨《あい》拶《さつ》をした。
「貴方《あなた》に話がある」と自分は突然言った。
「話が? なんです」
「まあ、お入《はい》んなさい」
岡田は冗談じゃないという顔をした。
「お兼は来ませんか」
自分が「いいえ」と答えると、今度は「皆さんは」と聞いた。自分がまた「みんないますよ」というと、不思議そうに「じゃ今日はどこへも行かなかったんですか」と聞いた。
「行ってもう帰ってきたんです」
「実は僕も今会社から帰り掛けですがね。どうも暑いじゃありませんか。――とにかくちょっと伺候《*》してきますから。失礼」
岡田はこう言い捨てたなり、とうとう自分の用事を聞かずに二階へ上がっていってしまった。自分もしばらくして風呂から出た。
九
岡田はその夜《よ》だいぶ酒を呑《の》んだ。彼はぜひ都合して和歌の浦までいっしょにゆくつもりでいたが、あいにく同僚が病気で欠勤しているので、予期のとおりにならないのがはなはだ残念だと言ってしきりに母や兄に詫《わ》びていた。
「じゃ今夜がお別れだから、少しお過ごしなさい」と母が勧めた。
あいにく自分の家族は酒に親しみの薄いものばかりで、誰《だれ》も彼の相手にはなれなかった。それで皆《みんな》御免蒙《こうむ》って岡田よりさきへ食事を済ました。岡田はそれがこっちもかってだといったふうに、独《ひと》り膳《ぜん》を控えて盃《さかずき》を甜《な》め続けた。
彼は性《しよう》来《らい》元気な男であった。そのうえ酒を呑むと、ますます陽気になる好《い》い癖を持っていた。そうして相手が聞こうが聞くまいが、頓《とん》着《じやく》なしに好きなことを喋舌《しやべ》って、時々一人高笑いをした。
彼は大阪の富が過去二十年間にどのくらい殖《ふ》えて、これから十年立つとまたその富が今の何十倍になるというような統計を挙《あ》げて大いに満足らしくみえた。
「大阪の富より君自身の富はどうだい」と兄が皮肉を言ったとき、岡田は禿《は》げ掛かった頭へ手を載せて笑いだした。
「しかし僕の今日あるも――というと、偉すぎるが、まあどうかこうか遣《や》っていけるのも、まったく叔父《おじ》さんと叔母《おば》さんのお蔭《かげ》です。僕はいくらこうして酒を呑んで太《たい》平《へい》楽《らく*》を並べていたって、それだけは決して忘れやしません」
岡田はこんなことを言って、傍《そば》にいる母と遠くにいる父に感謝の意を表した。彼は酔うと同じ言葉を何遍も繰り返す癖のある男だったが、ことにこの感謝の意は少しずつ違った形式で、いくたびか彼の口から洩《も》れた。しまいに彼は灘《なだ》万《まん*》のまな鰹《がつお*》とかなんとかいうものを、ぜひ父に喰《く》わせたいと言い募った。
自分は彼がもと書生であったころ、ある正月の宵どこかで振《ふる》舞《まい》い酒《ざけ》を浴びて帰ってきて、父の前へ長さ三寸ばかりの赤い蟹《かに》の足を置きながら平伏して、謹《つつし》んで北海の珍味を献上しますと言ったら、父は「なんだそんな朱塗りの文鎮みたいなもの。要《い》らないから早くそっちへ持ってゆけ」と怒《おこ》った昔を思い出した。
岡田はいつまでも飲んで帰らなかった。はじめは興を添えた彼の座談もだんだん皆に飽きられてきた。嫂《あによめ》は団扇《うちわ》を顔へ当てて欠《あくび*》を隠した。自分はとうとう彼を外へ連れ出さなければならなかった。自分は散歩にかこつけて五、六町彼といっしょに歩いた。そうして懐《ふところ》から例の金を出して彼に返した。金を受け取った時の彼は、酔っているにもかかわらず驚くべく慥《たし》かなものであった。「今でなくっても宜《い》いのに。しかしお兼が喜びますよ。有《あり》がとう」と言って、洋服の内《うち》隠袋《かくし》へ収めた。
通りは静かであった。自分はわれ知らず空を仰いだ。空には星の光が存外濁っていた。自分は心のうちに明日《あす》の天気を気《き》遣《づか》った。すると岡田が藪《やぶ》から棒に「一郎さんは実際むずかしやでしたね」と言いだした。そうして昔兄と自分と将棋を指した時、自分がなにか一口言ったのを癪《しやく》に、いきなり将棋の駒《こま》を自分の額へ打《ぶ》付《つ》けた騒ぎを、新しく自分の記憶から呼び覚《さま》した。
「あの時分から我《わが》儘《まま》だったからね、どうも。しかしこのごろはだいぶ機《き》嫌《げん》が好《い》いようじゃありませんか」と彼がまた言った。自分は煮え切らない生返事をしておいた。
「もっとも奥さんができてから、もうよっぽどになりますからね。しかし奥さんのほうでもずいぶん気骨が折れるでしょう。あれじゃ」
自分はそれでもなんの答えもしなかった。ある四つ角《かど》へ来て彼と別れるときただ「お兼さんに宜《よろ》しく」と言ったまま元の路《みち》へ引き返した。
一〇
翌日朝の汽車で立った自分たちは狭い列車のなかの食堂で昼飯を食った。「給仕がみんな女だから面《おも》白《しろ》い。しかもなかなか別《べつ》嬪《ぴん》がいますぜ、白いエプロンを掛けてね。ぜひ中で昼飯を遣《や》ってごらんなさい」と岡田が自分に注意したから、自分は皿《さら》を運んだりサイダーを注《つ》いだりする女をよく心付けて見た。しかし別にこれというほどの器量を有《も》ったものもいなかった。
母と嫂《あによめ》は物珍しそうに窓の外を眺《なが》めて、田舎《いなか》めいた景《け》色《しき》を賞し合った。実際窓外の眺めは大阪を今離れたばかりの自分たちには一つの変化であった。ことに汽車が海岸近くを走るときは、松の緑と海の藍《あい》とで、煙に疲れた目に爽《さわ》やかな青色を射返した。木《こ》蔭《かげ》から出たり隠れたりする屋《や》根《ね》瓦《がわら》の積み方も東京地方のものには珍らしかった。
「あれは妙だね。お寺かと思うと、そうでもないし。二郎、やっぱり百姓家なのかね」と母がわざわざ指をさして、比較的大きな屋根を自分に示した。
自分は汽車の中で兄と隣合わせに坐《すわ》った。兄はなにか考え込んでいた。自分は心のうちでまた例のが始まったのじゃないかと思った。少し話でもして機《き》嫌《げん》を直そうか、それとも黙って知らん顔をしていようかと躊躇した。兄はなにか癪《しやく》に障《さわ》った時でも、むずかしい高《こう》尚《しよう》な問題を考えている時でも同じくこんな様子をするから、自分にはいっこう見分けが付かなかった。
自分はしまいにとうとう思い切ってこっちからなにか話を切り出そうとした。というのは、向こう側に腰を掛けている母が、嫂と応対の相《あい》間《ま》相《あい》間《ま》に、兄の顔を偸《ぬす》むように一、二度見たからである。
「兄さん、面《おも》白《しろ》い話がありますがね」と自分は兄の方を見た。
「なんだ」と兄が言った。兄の調子は自分の予期したとおり、無愛想であった。しかしそれは覚悟の前であった。
「ついこのあいだ三沢から聞いたばかりの話ですがね。……」
自分は例の精神病の娘さんがいったん嫁《とつ》いだあと不縁になって、三沢の宅《うち》へ引き取られた時、三沢の出るあとを慕って、早く帰ってきてちょうだいと、いつでも言い習わした話をしようと思ってちょっとそこで句を切った。すると兄は急に気乗りのしたような顔をして、「その話なら己《おれ》も聞いて知っている。三沢がその女の死んだとき、冷たい額へ接《せつ》吻《ぷん》したという話だろう」と言った。
自分はびっくりした。
「そんなことがあるんですか。三沢は接吻のことについては一口も言いませんでしたがね。皆《みんな》いる前でですか、三沢が接吻したっていうのは」
「それは知らない。皆の前で遣《や》ったのか。またはほかの人のいない時に遣ったのか」
「だって三沢がたった一人でその娘さんの死《し》骸《がい》の傍《そば》にいるはずがないと思いますがね。もし誰《だれ》もそばにいない時接吻したとすると」
「だから知らんと断わってるじゃないか」
自分は黙って考え込んだ。
「いったい兄さんはどうして、そんな話を知ってるんです」
「Hから聞いた」
Hとは兄の同僚で、三沢を教えた男であった。そのHは三沢の保証人だったから、少しは関係の深い間柄なんだろうけれども、どうしてこんな際《きわ》どい話を聞き込んで、兄に伝えたものだろうか、それは彼も知らなかった。
「兄さんはなぜまた今日《きよう》までその話を為《し》ずに《*》黙っていたんです」と自分は最後に兄に聞いた。兄は苦い顔をして、「する必要がないからさ」と答えた。自分は様子によったらもっと肉薄してみようかと思っているうちに汽車が着いた。
一一
停車場《ステーシヨン》を出るとすぐそこに電車が待っていた。兄と自分は手《て》提《さ》げ鞄《カバン》を持ったまま婦人を扶《たす》けて急いでそれに乗り込んだ。
電車は自分たち四人が一度にはいっただけで、なかなか動き出さなかった。
「閑静な電車ですね」と自分が侮るように言った。
「これなら妾《わたし》たちの荷物を乗っけても宜《よ》さそうだね」と母は停車場の方を顧みた。
ところへ書物を持った書《しよ》生《せい》体《てい》の男だの、扇を使う商人風の男だのが二、三人前後して車台に上ってばらばらに腰を掛けはじめたので、運転手はついに把手《ハンドル》を動かしだした。
自分たちはなんだか市の外郭らしい淋《さむ》しい土《ど》塀《べい》つづきの狭い町を曲がって、二、三度停留所を通り越したあと、高い石垣の下にある濠《ほり》を見た。濠の中には蓮《はす》が一面に青い葉を浮かべていた。その青い葉の中に、点々と咲く紅の花が、落ち付かない自分たちの目をちらちらさせた。
「へえーこれが昔のお城かね」と母は感心していた。母の叔母《おば》というのが、昔紀州家の奥に勤めていたとかいうので、母はいっそう感慨の念が深かったのだろう。自分も子供の時、おりおり耳にした紀州様、紀州様という封建時代の言葉をふと思い出した。
和歌山市を通り越して少し田舎《いなか》道《みち》を走ると、電車はじき和歌の浦へ着いた。抜け目のない岡田はかねてから注意して土地で一流の宿屋へ室《へや》の注文をしたのだが、あいにく避暑の客が込み合って、眺《なが》めの好《い》い座敷が塞《ふさが》っているとかで、自分たちはただちに俥《くるま》を命じて浜手の角《かど》を曲がった。そうして海を真《まん》前《まえ》に控えた高い三階の上層の一室に入《はい》った。
そこは南と西の開《あ》いた広い座敷だったが、普請は気の利《き》いた東京の下宿屋ぐらいなもので、品位からいうと大阪の旅館とはてんで比べものにならなかった。時々大一座でもあった時に使う二階は打《ぶ》っ通しの大広間で、伽《が》藍《らん》堂《どう》のような真《まん》中《なか》に立って、波を打った安畳を眺《なが》めると、なんとなく殺風景な感が起こった。
兄はその大広間に仮の仕切りとして立ててあった六枚折りの屏《びよう》風《ぶ》を黙って見ていた。彼はこういうものに対して、父の薫陶から来た一種の鑑賞力を有《も》っていた。その屏風には妙にべろべろした葉の竹が巧《たく》みに描かれていた。兄は突然後ろを向いて「おい二郎」と言った。
その時兄と自分は下の風呂に行くつもりで二人ながら手《て》拭《ぬぐい》をさげていた。そうして自分は彼の二間ばかり後ろに立って、屏風の竹を眺める彼をまた眺めていた。自分は兄がこの屏風の画《え》について、なにかまた批評を加えるに違いないと思った。
「なんです」と答えた。
「さっき汽車の中で話が出た、あの三沢のことだね。お前はどう思う」
兄の質問は実際自分にとって意外であった。彼はなぜその話を今まで自分に聞かせなかったと汽車の中で問われた時、すでに苦い顔をして必要がないからだと答えたばかりであった。
「例の接吻《キツス》の話ですか」と自分は聞き返した。
「いえ接吻《キツス》じゃない。その女が三沢の出るあとを慕って、早く帰ってきてちょうだいと必ず言ったというほうの話さ」
「僕には両方とも面《おも》白《しろ》いが、接吻のほうがなんだかより多く純粋でかつ美しい気がしますね」
この時自分たちは二階の梯子《はしご》段《だん》を半分ほど降りていた。兄はその中途でぴたりと留まった。
「そりゃ詩的にいうのだろう。詩を見る目でいったら、両方とも等しく面白いだろう。けれども己《おれ》のいうのはそうじゃない。もっと実際問題にしての話だ」
一二
自分には兄の意味がよく解《わか》らなかった。黙って梯子段の下まで降りた。兄も仕方なしに自分のあとに跟《つ》いてきた。風《ふ》呂《ろ》場《ば》の入口で立ち留まった自分は、振り返って兄に聞いた。
「実際問題というと、どういうことになるんですか。ちょっと僕には解らないんですが」
兄は焦急《じれ》ったそうに説明した。
「つまりその女がさ、三沢の想像するとおりほんとうにあの男を思っていたか、またはさきの夫に対して言いたかったことを、我慢して言わずにいたので、精神病の結果ふらふらと口にしはじめたのか、どっちだと思うというんだ」
自分もこの問題ははじめその話を聞いた時、少し考えてみた。けれどもどっちがどうだかとうてい分《わか》るべきはずのものでないと諦《あきら》めて、それなり放ってしまった。それで自分は兄の質問に対してこれというほどの意見も持っていなかった。
「僕には解らんです」
「そうか」
兄はこう言いながら、やっぱり風呂にはいろうともせず、そのまま立っていた。自分も仕方なしに裸になるのを控えていた。風呂は思ったより小さくかつ多少古びていた。自分はまず薄暗い風呂を覗《のぞ》き込んで、また兄に向かった。
「兄《にい》さんにはなにか意見があるんですか」
「己《おれ》はどうしてもその女が三沢に気があったのだとしか思われんがね」
「なぜですか」
「なぜでも己はそう解釈するんだ」
二人はその話の結末を付けずに湯に入った。湯から上がって婦人連と入れ代わった時、室《へや》には西日がいっぱい射《さ》して、海の上は溶けた鉄のように熱く輝いた。二人は日を避けて次の室にはいった。そうしてそこで相対して坐《すわ》った時、さっきの問題がまた兄の口から話頭に上った。
「己はどうしてもこう思うんだがね……」
「ええ」と自分はただ大人《おとな》しく聞いていた。
「人間は普通の場合には世間の手前とか義理とかで、いくら言いたくっても言えないことがたくさんあるだろう」
「それはたくさんあります」
「けれどもそれが精神病になると――というとすべての精神病を含めていうようで、医者から笑われるかもしれないが、――しかし精神病になったら、たいへん気が楽になるだろうじゃないか」
「そういう種類の患者もあるでしょう」
「ところでさ、もしその女がはたしてそういう種類の精神病患者だとすると、すべて世間並みの責任はその女の頭の中から消えてなくなってしまうに違いなかろう。消えてなくなれば、胸に浮かんだことならなんでも構わず露骨に言えるだろう。そうすると、その女の三沢に言った言葉は、普通我々が口にする好《い》い加《か》減《げん》な挨《あい》拶《さつ》よりもはるかに誠の籠《こも》った純粋のものじゃなかろうか」
自分は兄の解釈にひどく感服してしまった。「それは面《おも》白《しろ》い」と思わず手を拍《う》った。すると兄は案外不《ふ》機《き》嫌《げん》な顔をした。
「面白いとか面白くないとかいう浮いた話じゃない。二郎、実際今の解釈が正解だと思うか」と問い詰めるように聞いた。
「そうですね」
自分はなんとなく躊《ちゆう》躇《ちよ》しなければならなかった。
「ああああ女も気《き》狂《ちがい》にしてみなくっちゃ、本体はとうてい解らないのかな」
兄はこう言って苦しい溜《ため》息《いき》を洩《もら》した。
一三
宿の下にはかなり大きな掘割りがあった。それがどうして海へつづいているかちょっと解《わか》らなかったが、夕方には漁船が一、二艘《そう》どこからか漕《こ》ぎ寄せてきて、ゆるやかに楼の前を通り過ぎた。
自分たちはその掘割りに沿うて、一、二丁右の方へ歩いたあと、また左へ切れて田《たん》圃《ぼ》路《みち》を横切りはじめた。向こうを見ると、田の果てがだらだら坂の上りになって、それを上り尽くした土手の縁には、松が左右に長く続いていた。自分たちの耳には大きな波の石に砕ける音がどどんどどんと聞こえた。三階から見るとその砕けた波が忽《こつ》然《ぜん》白い煙となって空《くう》に打ち上げられるさまが、明らかに見えた。
自分たちはついにその土手の上へ出た。波は土手のもう一つさきにある厚く築き上げられた石《いし》垣《がき》に当たって、見事に粉《こ》微《み》塵《じん*》となったすえ、煮え返るような色を起こして空《くう》を吹くのが常であったが、たまには崩《くず》れたなり石垣の上を流れ越えて、ざっと内側へ落ち込んだりする大きいものもあった。
自分たちはしばらくその壮観に見《み》惚《と》れていたが、やがて強い浪《なみ》の響きを耳にしながら歩き出した。その時母と自分は、これが片《かた》男《お》波《なみ*》だろうと好《い》い加《か》減《げん》な想像を話の種に二人並んで歩いた。兄夫婦は自分たちより少し先へ行った。二人とも浴衣《ゆかた》掛《が》けで、兄は細い洋杖《ステツキ》を突いていた。
嫂《あによめ》はまた幅の狭い御殿模様かなにかの麻の帯を締めていた。彼らは自分たちよりほとんど二十間ばかり先へ歩いていた。そうして二人とも並んで足を運ばしていった。けれども彼らの間にはかれこれ一間の距離があった。母はそれを気にするような、また気にしないような目《め》遣《づか》いで、時々見た。その見方がまたあまりに神経的なので、母の心はこの二人について何事かを考えながら歩いているとしか思えなかった。けれども自分は話の面倒になるのを恐れたから、素知らぬ顔をしてわざとゆるゆる歩いた。そうしてなるべく呑《のん》気《き》そうに見せるつもりで母を笑わせるような剽《ひよう》軽《きん》なことばかり饒舌《しやべ》った。母はいつものとおり「二郎、お前見たいに暮らしていけたら、世間に苦はあるまいね」と言ったりした。
しまいに彼女はとうとう堪《こら》え切れなくなったとみえて、「二郎あれを御覧」と言いだした。
「なんですか」と自分は聞き返した。
「あれだからほんとうに困るよ」と母が言った。その時母の目は先へ行く二人の後ろ姿をじっと見詰めていた。自分は少なくとも彼女の困ると言った意味を表向き承認しないわけにいかなかった。
「またなにか兄《にい》さんの気に障《さわ》ることでもできたんですか」
「そりゃあの人のことだからなんとも言えないがね。けれども夫婦となった以上は、お前、いくら旦《だん》那《な》が素っ気なくしていたって、こっちは女だもの。直のほうから少しは機《き》嫌《げん》の直るように仕向けてくれなくっちゃ困るじゃないか。あれを御覧な、あれじゃまるであかの他人が同じ方角へ歩いてゆくのと違やしないやね。なんぼ一郎だって直に傍《そば》へ寄ってくれるなと頼みゃしまいし」
母は無言のまま離れて歩いている夫婦のうちで、ただ嫂《あによめ》のほうにばかり罪を着せたがった。これには多少自分にも同感なところもあった。そうしてこの同感は平生から兄夫婦の関係を傍《はた》で見ているものの胸にはきっと起こる自然のものであった。
「兄さんはまたなにか考え込んでいるんですよ。それで姉《ねえ》さんも遠慮してわざと口を利《き》かずにいるんでしょう」
自分は母のためにわざとこんな気休めを言って胡《ご》魔《ま》化《か》そうとした。
一四
「たといなにか考えているにしてもだね。直のほうがああ無《む》頓《とん》着《じやく》じゃ片っ方でも口の利《き》きようがないよ。まるでわざわざ離れて歩いているようだもの」
兄に同情の多い母から見ると、嫂《あによめ》の後ろ姿は、いかにも冷淡らしく思われたのだろう。が自分はそれに対してなんとも答えなかった。ただ歩きながら嫂の性格をもっと一般的に考えるようになった。自分は母の批評がまんざら当たっていないとも思わなかった。けれどもわが肉身の子を可《か》愛《わい》がりすぎるせいで、少し彼女の欠点を苛《か》酷《こく》に見ていはしまいかと疑った。
自分の見た彼女は決して温《あたた》かい女ではなかった。けれども相手から熱を与えると、温め得《う》る女であった。持って生まれた天然の愛嬌のない代りには、こっちの手加減でずいぶん愛嬌を搾《しぼ》り出すことのできる女であった。自分は腹の立つほどの冷淡さを嫁入り後の彼女に見《み》出《いだ》したことが時々あった。けれども矯《た》めがたい《*》不親切や残酷心はまさかにあるまいと信じていた。
不幸にして兄は今自分が嫂について言ったような気質を多量に具《そな》えていた。したがって同じ型にでき上がったこの夫婦は、己《おのれ》の要するものを、要することのできないお互いに対して、初手から求め合っていて、いまだにしっくり反《そり》が合わずにいるのではあるまいか。時々兄の機《き》嫌《げん》の好《い》い時だけ、嫂も愉快そうに見えるのは、兄のほうが熱しやすい性《たち》だけに、女に働き掛ける温か味の功《く》力《りき*》とみるのが当然だろう。そうでない時は、母が嫂を冷淡すぎると評するように、嫂もまた兄を冷淡すぎると腹のうちで評しているかもしれない。
自分は母と並んで歩きながら先へ行く二人をこんなに考えた。けれども母に対してはそんなむずかしい理屈を言う気にはなれなかった。すると「どうも不思議だよ」と母が言いだした。
「いったい直は愛嬌のある質《たち》じゃないが、お父《とう》さんや妾《わたし》にはいつだって同《おんな》じ調子だがね。二郎、お前にだってそうだろう」
これはまったく母の言うとおりであった。自分は元来性急《せつかち》な性分で、よく大きな声を出したり、怒鳴り付けたりするが、不思議にまだ嫂と喧《けん》嘩《か》をした例《ためし》はなかったのみならず、場合によると、兄よりもかえって心置きなく話をした。
「僕にもそうですがね。なるほどそう言われれば少々変には違いない」
「だからさ妾《わたし》には直が一郎に対してだけ、わざわざ、あんなふうをつらあてがましく遣《や》っているように思われて仕方がないんだよ」
「まさか」
自白すると自分はこの問題を母ほど細かく考えていなかった。したがってそんな疑いを挟《さしはさ》む余地がなかった。あってもその原因が第一不審であった。
「だって宅《うち》中《じゆう》で兄《にい》さんがいちばん大事な人じゃありませんか、姉《ねえ》さんにとって」
「だからさ。お母《かあ》さんには訳が解《わか》らないと言うのさ」
自分にはせっかくこんな景《け》色《しき》の好《い》い所へ来ながら、際限もなく母を相手に、嫂を陰で評しているのが馬《ば》鹿《か》らしく感ぜられてきた。
「そのうち機《お》会《り》があったら、姉さんにまたよく腹の中を僕から聞いてみましょう。なに心配するほどのことはありませんよ」と言い切って、向こうの石《いし》垣《がき》まで突き出している掛け茶屋《*》から防波堤の上に馳《か》け上《あ》がった。そうして、せいいっぱいの声を揚げて、「おーいおーい」と呼んだ。兄夫婦は驚いて振り向いた。その時石の堤に当たって砕けた波が、吹き上げる泡《あわ》と脚《あし》を洗う流れとで、自分を濡《ぬ》れ鼠《ねずみ》のごとくにした。
自分は母に叱《しか》られながら、ぽたぽた雫《しずく》を垂《た》らして、三人とともに宿に帰った。どどんどどんという波の音が、帰り道中自分の鼓膜に響いた。
一五
その晩自分は母といっしょに真《まつ》白《しろ》な蚊《か》帳《や*》の中に寝た。普通の麻よりははるかに薄くできているので、風が来て綺《き》麗《れい》なレースを弄《もてあそ》ぶさまが涼しそうに見えた。
「好《い》い蚊帳ですね。宅《うち》でもひとつこんなのを買おうじゃありませんか」と母に勧めた。
「こりゃ見てくれだけは綺麗だが、それほど高いものじゃないよ。かえって宅にあるあの白麻のほうが上等なんだよ。ただこっちのほうが軽くって、継ぎ目がないだけ華《きや》奢《しや》に見えるのさ」
母は昔ものだけあって宅にある岩国かどこかでできる麻の蚊帳のほうを賞《ほ》めていた。
「だいち寝冷えをしないだけでもあっちのほうが得じゃないか」と言った。
下女が来て障子を締め切ってから、蚊帳は少しも動かなくなった。
「急に暑苦しくなりましたね」と自分は嘆息するように言った。
「そうさね」と答えた母の言葉は、まるで暑さが苦にならないほど落ち付いていた。それでも団扇《うちわ》遣《づか》いの音だけはかすかに聞こえた。
母はそれからふっつり口を利《き》かなくなった。自分も目を眠った。襖《ふすま》一つ隔てた隣座敷には兄夫婦が寝ていた。これはさっきから静かであった。自分の話相手がなくなってこっちの室《へや》が急にひっそりしてみると、兄の室はなお森《しん》閑《かん》と自分の耳を澄ました。
自分は目を閉じたままじっとしていた。しかしいつまで経《た》っても寝つかれなかった。しまいには静さに祟《たた》られたようなこの暑い苦しみを痛切に感じだした。それで母の眠りを妨げないようにそっと蒲《ふ》団《とん》の上に起き直った。それから蚊帳の裾《すそ》を捲《まく》って縁側へ出る気で、なるべく音のしないように障子をすうと開けに掛かった。すると今まで寝入っていたとばかり思った母が突然「二郎どこへ行くんだい」と聞いた。
「あんまり寝苦しいから、縁側へ出て少し涼もうと思います」
「そうかい」
母の声は明《めい》晰《せき》で落ち付いていた。自分はその調子で、彼女がまんじりともせずに今まで起きていたことを知った。
「お母《かあ》さんも、まだお休みにならないんですか」
「ええ寝床の変わったせいかなんだか勝手が違ってね」
自分は貸《か》し浴衣《ゆかた》の腰に三尺帯を一《ひと》重《え》回しただけで、懐《ふところ》へ敷《しき》島《しま》の袋と燐寸《マツチ》を入れて縁側へ出た。縁側には白いカバーの掛かった椅子《いす》が二脚ほど出ていた。自分はその一脚を引き寄せて腰を掛けた。
「あまりがたがたいわして、兄《にい》さんの邪魔になると不可《いけ》ないよ」
母からこう注意された自分は、煙草《たばこ》を吹かしながら黙って、夢のような眼前《めのまえ》の景《け》色《しき》を眺《なが》めていた。景色は夜とともにむろんぼんやりしていた。月のない晩なので、ことさら暗いものが蔓《はびこ》りすぎた。そのうちに昼間見た土手の松並木だけがひときわ黒ずんで左右に長い帯を引き渡していた。その下に浪《なみ》の砕けた白い泡《あわ》が夜の中に絶え間なく動揺するのが、比較的刺激強く見えた。
「もう好《い》い加《か》減《げん》におはいりよ。風邪《かぜ》でも引くと不可ないから」
母は障子の内からこう言って注意した。自分は椅子に倚《よ》りながら、母に夜の景色を見せようと思ってちょっと勧めたが、彼女は応じなかった。自分は素直にまた蚊帳の中にはいって、枕の《まくら》上に頭を着けた。
自分が蚊帳を出たりはいったりしたあいだ、兄夫婦の室はしんとして元のごとく静かであった。自分が再び床に着いたあとも依然として同じ沈黙に鎖《とざ》されていた。ただ防波堤に当たって砕ける浪の音のみが、どどんどどんといつまでも響いた。
一六
朝起きて膳《ぜん》に向かった時見ると、四人《よつたり》はことごとく寝足らない顔をしていた。そうして四人ともその寝足らない雲を膳の上に打ちひろげてわざと会話を陰気にしているらしかった。自分も変に窮屈だった。
「昨夕《ゆうべ》食った鯛《たい》の焙《ほう》烙《ろく》蒸《む》し《*》に中《あ》てられたらしい」と言って、自分は不《ま》味《ず》そうな顔をして席を立った。手《て》摺《す》りの所へ来て、隣に見える東洋第一エレベーターという看板を眺《なが》めていた。この昇降器は普通のように、家の下層から上層に通じているのとは違って、地面から岩山の頂まで物《もの》数《ず》奇《き》な人間を引き上げる仕掛けであった。ところにも似ず無風流な装置には違いないが、浅草にもまだない新しさが、昨日《きのう》から自分の注意を惹《ひ》いていた。
はたして早起きの客が二人三人ぽつぽつもう乗りはじめた。早く食事を終えた兄はいつのまにか、自分の後ろへ来て、小《こ》楊《よう》枝《じ》を使いながら、上《のぼ》ったり下《おり》りたりする鉄の箱を自分と同じように眺めていた。
「二郎、今朝《けさ》ちょっとあの昇降器へ乗ってみようじゃないか」と兄が突然言った。
自分は兄にしてはちと子供らしいことを言うと思って、ひょっと後ろを顧みた。
「なんだか面《おも》白《しろ》そうじゃないか」と兄は柄にもない稚気を言葉に現わした。自分は昇降器へ乗るのは好《い》いが、ある目的地へ行けるかどうかそれが危《あや》しかった。
「どこへ行けるんでしょう」
「どこだって構わない。さあ行こう」
自分は母と嫂《あによめ》もむろんいっしょに連れていくつもりで、「さあさあ」と大きな声で呼び掛けた。すると兄は急に自分を留めた。
「二人で行こう。二人ぎりで」と言った。
そこへ母と嫂が「どこへ行くの」と言って顔を出した。
「なにちょっとあのエレベーターへ乗ってみるんです。二郎といっしょに。女には剣《けん》呑《のん》だから、お母さんや直は止《よ》したほうが好いでしょう。僕らがまあ乗って、試《ため》してみますから」
母は虚《こ》空《くう》に昇《のぼ》っていく鉄の箱を見ながら気味の悪そうな顔をした。
「直お前どうするい」
母がこう聞いた時、嫂は例のとおり淋《さむ》しい靨《えくぼ》を寄せて、「妾《わたくし》はどうでも構いません」と答えた。それが大人《おとな》しいとも取れるし、また聴《き》きようでは、冷淡とも無愛想とも取れた。それを自分は兄に対して気の毒と思い嫂に対しては損だと考えた。
二人は浴衣《ゆかた》掛《が》けで宿を出ると、すぐ昇降器へ乗った。箱は一間四方くらいのもので、中に五、六人はいると戸を閉《し》めて、すぐ引き上げられた。兄と自分は顔さえ出すことのできない鉄の棒の間から外を見た。そうして非常に鬱《うつ》陶《とう》しい感じを起こした。
「牢《ろう》屋《や》みたいだな」と兄が低い声で私語《ささや》いた。
「そうですね」と自分が答えた。
「人間もこのとおりだ」
兄は時々こんな哲学者めいたことをいう癖があった。自分はただ「そうですな」と答えただけであった。けれども兄の言葉は単にその輪郭ぐらいしか自分には呑《の》み込めなかった。
牢屋に似た箱の上り詰めた頂点は、小さい石山の天《てつ》辺《ぺん》であった。そのところどころに背の低い松が噛《かじ》りつくように青味を添えて、単調を破るのが、夏の目に嬉《うれ》しく映った。そうして僅《わず》かな平地に掛け茶屋があって、猿《さる》が一匹飼ってあった。兄と自分は猿に芋を遣《や》ったり、調戯《からか》ったりして、ものの十分もその茶屋で費やした。
「どこか二人だけで話す所はないかな」
兄はこう言って四方《あたり》を見渡した。その目はほんとうに二人だけで話のできる静かな場所を見付けているらしかった。
一七
そこは高い地勢のお蔭《かげ》で四方ともよく見晴らされた。ことに有名な紀《き》三《み》井《い》寺《でら》を蓊鬱《こんもり*》した木立の中に遠く望むことができた。その麓《ふもと》に入江らしく穏やかに光る水がまた海浜とは思われない沢《さわ》辺《べ》の景《け》色《しき》を、複雑な色に描き出していた。自分は傍《そば》にいる人から浄《じよう》瑠《る》璃《り》にある下がり松《*》というのを教えてもらった。その松はなるほど懸《けん》崖《がい*》を伝うように逆《さか》に枝を伸《の》していた。
兄は茶店の女に、ここいらで静かな話をするに都合の好《い》い場所はないかと尋ねていたが、茶店の女は兄の問いが解《わか》らないのか、なにをいってもすこしも要領を得なかった。そうして地方訛《なま》りののしとかいう語尾をしきりに繰り返した。
しまいに兄は「じゃその権《ごん》現《げん》様《さま*》へでも行くかな」と言いだした。
「権現様も名所の一つだから好いでしょう」
二人はすぐ山を下《お》りた。俥《くるま》にも乗らず、傘《かさ》も差さず、麦《むぎ》藁《わら》帽《ぼう》子《し》だけ被《かぶ》って暑い砂道を歩いた。こうして兄といっしょに昇降器へ乗ったり、権現へ行ったりするのが、その日は自分にとって、なんだか不安に感ぜられた。平生でも兄と差向かいになると多少気《き》不《ぶつ》精《せい*》には違いなかったけれども、その日ほど落ち付かないこともまた珍しかった。自分は兄から「おい二郎二人で行こう、二人ぎりで」と言われた時からすでに変な心持ちがした。
二人は額から油汗をじりじり湧《わか》した。そのうえに自分は実際昨夕《ゆうべ》食った鯛《たい》の焙《ほう》烙《ろく》蒸《む》しに少し中《あ》てられていた。そこへだんだん高くなる太陽が容赦なく具合の悪い頭を照らしたので、自分は仕方なしに黙って歩いていた。兄も無言のまま体《からだ》を運ばした。宿で借りた粗末な下《げ》駄《た》がさくさく砂に喰《く》い込む音が耳に付いた。
「二郎どうかしたか」
兄の声はまったく藪《やぶ》から棒が急に出たように自分を驚かした。
「少し心持ちが変です」
二人はまた無言で歩きだした。
ようやく権現の下へ来た時、細い急な石段を仰ぎ見た自分は、その高いのに辟《へき》易《えき》するだけで、容易に登る勇気は出し得なかった。兄はその下に並べてある藁《わら》草《ぞう》履《り》を突っ掛けて十段ばかり一人で上っていったが、あとから続かない自分に気が付いて、「おい来ないか」と嶮《けわ》しく呼んだ。自分も仕方なしに婆《ばあ》さんから草履を一足借りて、骨を折って石段を上りはじめた。それでも中途ぐらいから一歩ごとに膝《ひざ》の上に両手を置いて、身体《からだ》の重みを託さなければならなかった。兄を下から見上げるとさも焦熱《じれ》ったそうに頂上の山門の角《かど》に立っていた。
「まるで酔っ払いのようじゃないか、段々を筋違《すじかい》に練って歩くざまは」
自分はなんと評されても構わない気で、さっそく帽子を地の上に投げると同時に、肌《はだ》を抜いだ。扇を持たないので、手にした手帛《ハンケチ》でしきりに胸の辺《あたり》を払った。自分は後ろから「おい二郎」ときっとなにか言われるだろうと思って、内心穏やかでなかったせいか、汗に濡《ぬ》れた手帛をむやみに振り動かした。そうして「暑い暑い」と続けさまに言った。
兄はやがて自分の傍《そば》へ来てそこにあった石に腰を卸した。その石の後ろは篠《しの》竹《だけ》が一面に生《は》えて遥《はる》かの下まで石《いし》垣《がき》の縁を隠すように茂っていた。そのなかから大きな椿《つばき》がところどころに白茶けた幹を現わすのがことに目立って見えた。
「なるほどここは静かだ。ここならゆっくり話ができそうだ」と兄は四方《あたり》を見まわした。
一八
「二郎少しお前に話があるがね」と兄が言った。
「なんです」
兄はしばらく逡《しゆん》巡《じゆん》して口を開かなかった。自分はまたそれを聞くのが厭《いや》さに、催促もしなかった。
「ここは涼しいですね」と言った。
「ああ涼しい」と兄も答えた。
実際そこは日影に遠いせいか涼しい風の通う高みであった。自分は三、四分手帛《ハンカチ》を動かしたのち、急に肌《はだ》を入れた。山門の裏には物《もの》寂《さ》びた小さい拝殿があった。よほど古い建物と見えて、軒に彫り付けた獅《し》子《し》の頭などは絵の具が半分剥《は》げかかっていた。
自分は立って山門を潜《くぐ》って拝殿の方へ行った。
「兄《にい》さんこっちのほうがまだ涼しい。こっちへ入らっしゃい」
兄は答えもしなかった。自分はそれを機《しお》に拝殿の前面を左右に逍《しよう》遥《よう》した。そうして暑い日を遮《さえぎ》る高い常盤《ときわ》木《ぎ》を見ていた。ところへ兄が不平な顔をして自分に近づいてきた。
「おい少し話があるんだと言ったじゃないか」
自分は仕方なしに拝殿の段々に腰を掛けた。兄も自分に並んで腰を掛けた。
「なんですか」
「実は直のことだがね」と兄ははなはだ言いにくいところをやっと言い切ったというふうにみえた。自分は「直」という言葉を聞くやいなやひやりとした。兄夫婦の間柄は母が自分に訴えたとおり、自分にもたいていは呑《の》み込めていた。そうして母に約束したごとく、自分はいつか折りを見て、嫂《あによめ》に腹の中をとっくり聴《き》き糾《ただ》したうえ、こっちからその知識を持って、積極的に兄に向かおうと思っていた。それを自分が遣《や》らないうちに、もし兄から先《せん》を越されでもすると困るので、自分はひそかにそこを心配していた。実をいうと、今朝《けさ》兄から「二郎、二人で行こう、二人ぎりで」と言われた時、自分はあるいはこの問題が出るのではあるまいかと掛《け》念《ねん*》しておのずと厭になったのである。
「嫂《ねえ》さんがどうかしたんですか」自分は已《や》むを得ず兄に聞き返した。
「直はお前に惚《ほ》れているんじゃないか」
兄の言葉は突然であった。かつ普通兄の有《も》っている品格にあたいしなかった。
「どうして」
「どうしてと聞かれると困る。それから失礼だと怒《おこ》られてはなお困る。なにも文《ふみ》を拾ったとか、接《せつ》吻《ぷん》したところをみたとかいう実証から来た話ではないんだから。ほんとういうと表向きこんな愚劣な問いを、いやしくも夫たる己《おれ》が、他人に向かって掛けられた訳のものではない。ないが相手がお前だから己も己の体面を構わずに、聞きにくいところを我慢して聞くんだ。だから言ってくれ」
「だって嫂さんですぜ相手は。夫のある婦人、ことに現在の嫂《あによめ》ですぜ」
自分はこう答えた。そうしてこう答えるより外《ほか》になんという言葉も出なかった。
「それは表面の形式からいえば誰《だれ》もそう答えなければならない。お前も普通の人間だからそう答えるのが至当だろう。己もその一言を聞けばただ恥じ入るよりほかに仕方がない。けれども二郎お前はさいわいに正直なお父《とう》さんの遺伝を受けている。それに近ごろの、何事も隠さないという主義を最高のものとして信じているから聞くのだ。形式上の答えは己にも聞かないさきから解《わか》っているが、ただ聞きたいのは、もっと奥の奥の底にあるお前の感じだ。そのほんとうのところをどうぞ聞かしてくれ」
一九
「そんな腹の奥の奥底にある感じなんて僕にあるはずがないじゃありませんか」
こう答えた時、自分は兄の顔を見ないで、山門の屋根を眺《なが》めていた。兄の言葉はしばらく自分の耳に聞こえなかった。するとそれが一種の癇《かん》高《だか》い《*》、さも昂奮を抑《おさ》えたような調子になって響いてきた。
「おい二郎なんだってそんな軽薄な挨《あい》拶《さつ》をする。己《おれ》とお前は兄弟《きようだい》じゃないか」
自分は驚いて兄の顔を見た。兄の顔は常盤《ときわ》木《ぎ》の影で見るせいかやや蒼《あお》味《み》を帯びていた。
「兄弟ですとも。僕はあなたのほんとうの弟《おとと》です。だからほんとうのことをお答えしたつもりです。今言ったのは決して空々しい挨拶でもなんでもありません。真底そうだからそういうのです」
兄の神経の鋭敏なごとく自分は熱しやすい性急《せつかち》であった。平生の自分ならあるいはこんな返事は出なかったかもしれない。兄はその時簡単な一句を射た。
「きっと」
「ええきっと」
「だってお前の顔は赤いじゃないか」
実際その時の自分の顔は赤かったかもしれない。兄の面色の蒼《あお》いのに反して、自分は我知らず、両方の頬《ほお》の熱《ほて》るのを強く感じた。そのうえ自分はなんと返事をして好《い》いか分《わか》らなかった。
すると兄はなんと思ったかたちまち階段から腰を起こした。そうして腕組みをしながら、自分の席を取っている前を左右に歩きだした。自分は不安な目をして、彼の姿を見守った。彼ははじめから目を地面の上に落としていた。二、三度自分の前を横切ったけれども決して一遍もその目を上げて自分を見なかった。三度目に彼は突如として、自分の前に来て立ち留まった。
「二郎」
「はい」
「おれはお前の兄だったね。誠に子供らしいことを言って済まなかった」
兄の目の中には涙がいっぱいに溜《たま》っていた。
「なぜです」
「おれはこれでもお前より学問もよけいしたつもりだ。見識も普通の人間より持っているとばかり今日《きよう》まで考えていた。ところがあんな子供らしいことをつい口にしてしまった。まことに面《めん》目《ぼく》ない。どうぞ兄を軽《けい》蔑《べつ》してくれるな」
「なぜです」
自分は簡単なこの問いを再び繰り返した。
「なぜですとそう真《ま》面《じ》目《め》に聞いてくれるな。ああ己《おれ》は馬《ば》鹿《か》だ」
兄はこう言って手を出した。自分はすぐその手を握った。兄の手は冷たかった。自分の手も冷たかった。
「ただお前の顔が少しばかり赤くなったからといって、お前の言葉を疑《うたぐ》るなんて、まことにお前の人格に対して済まないことだ。どうぞ堪忍してくれ」
自分は兄の気質が女に似て陰晴常なき天候のごとく変わるのをよく承知していた。しかし一《ひと》見識ある彼の特長として、自分にはそれが天真爛《らん》漫《まん》の子供らしく見えたり、または玉のように玲《れい》瓏《ろう*》な詩人らしく見えたりした。自分は彼を尊敬しつつも、どこか馬《ば》鹿《か》にしやすいところのある男のように考えないわけにいかなかった。自分は彼の手を握ったまま「兄《にい》さん、今日は頭がどうかしているんですよ。そんな下らないことはこれぎりにしてそろそろ帰ろうじゃありませんか」と言った。
二〇
兄は突然自分の手を放した。けれども決してそこを動こうとしなかった。元のとおり立ったままなにも言わずに自分を見《み》下《おろ》した。
「お前他《ひと》の心が解《わか》るかい」と突然聞いた。
今度は自分の方《ほう》がなにも言わずに兄を見上げなければならなかった。
「僕の心が兄《にい》さんには分《わか》らないんですか」とやや間を置いて言った。自分の答えには兄の言葉より一種の根強さが籠《こも》っていた。
「お前の心は己《おれ》によく解っている」と兄はすぐ答えた。
「じゃそれで好《い》いじゃありませんか」と自分は言った。
「いやお前の心じゃない。女の心のことをいってるんだ」
兄の言語のうち、あと一句には火の付いたような鋭さがあった。その鋭さが自分の耳に一種異様の響きを伝えた。
「女の心だって男の心だって」と言い掛けた自分を彼は急に遮《さえぎ》った。
「お前は幸福な男だ。おそらくそんなことをまだ研究する必要が出てこなかったんだろう」
「そりゃ兄《にい》さんのような学者じゃないから……」
「馬《ば》鹿《か》いえ」と兄は叱《しか》り付けるように叫んだ。
「書物の研究とか心理学の説明とか、そんな回り遠い研究を指《さ》すのじゃない。現在自分の眼前にいて、最も親しかるべきはずの人、その人の心を研究しなければ、いても立ってもいられないというような必要に出《で》逢《あ》ったことがあるかと聞いてるんだ」
最も親しかるべきはずの人と言った兄の意味は自分にすぐ解った。
「兄さんはあんまり考えすぎるんじゃありませんか、学問をした結果。もう少し馬鹿になったら好いでしょう」
「向こうでわざと考えさせるように仕向けてくるんだ。己《おれ》の考え慣れた頭を逆に利用して。どうしても馬鹿にさせてくれないんだ」
自分はここにいたって、ほとんど慰謝の辞に窮した。自分より幾倍立《りつ》派《ぱ》な頭を有《も》っているか分らない兄が、こんな妙な問題に対して自分より幾倍頭を悩めているかを考えると、はなはだ気の毒でならなかった。兄が自分より神経質なことは、兄も自分もよく承知していた。けれども今まで兄からこう歇斯的里《ヒステリ》的《てき》に出られたことがないので、自分も実は途方に暮れてしまった。
「お前メレディス《*》という人を知ってるか」と兄が聞いた。
「名前だけは聞いています」
「あの人の書簡集を読んだことがあるか」
「読むどころか表紙を見たこともありません」
「そうか」
彼はこう言って再び自分の傍《そば》へ腰を掛けた。自分はこの時はじめて懐中に敷《しき》島《しま》の袋と燐寸《マツチ》のあることに気が付いた。それを取り出して、自分からまず火を点《つ》けて兄に渡した。兄は器械的にそれを吸った。
「その人の書簡の一つのうちに彼はこんなことを言っている。――自分は女の容《よう》貌《ぼう》に満足する人を見ると羨しい。女の肉に満足する人を見ても羨しい。自分はどうあっても女の霊というか魂というか、いわゆるスピリットを攫《つか》まなければ満足ができない。それだからどうしても自分には恋愛事件が起こらない」
「メレディスって男は生涯独身で暮らしたんですかね」
「そんなことは知らない。またそんなことはどうでも構わないじゃないか。しかし二郎、おれが霊も魂もいわゆるスピリットも攫まない女と結婚していることだけは慥《たし》かだ」
二一
兄の顔には苦《く》悶《もん》の表情がありありと見えた。いろいろな点において兄を尊敬することを忘れなかった自分は、この時胸の奥でほとんど恐怖に近い不安を感ぜずにはいられなかった。
「兄《にい》さん」と自分はわざと落ち付き払って言った。
「なんだ」
自分はこの答えを聞くと同時に立った。そうして、ことさらに兄の腰を掛けている前を、さっき兄が遣《や》ったと同じように、しかしまったく別の意味で、右左へと二、三度横切った。兄は自分にはまるで無《む》頓《とん》着《じやく》に見えた。両手の指を、少し長くなった髪の間に、櫛《くし》の歯のように深く差し込んで下を向いていた。彼はたいへん色《いろ》沢《つや》の好《い》い髪の所有者であった。自分は彼の前を横切るたびに、その漆《しつ》黒《こく》の髪とその間から見える関節の細い、華《きや》奢《しや》な指に目を惹《ひ》かれた。その指は平生から自分の目には彼の神経質を代表するごとく優しくかつ骨張って映った。
「兄さん」と自分が再び呼び掛けた時、彼はようやく重そうに頭を上げた。
「兄さんに対して僕がこんなことをいうとはなはだ失礼かもしれませんがね。他《ひと》の心なんて、いくら学問をしたって、研究をしたって、解《わか》りっこないだろうと僕は思うんです。兄さんは僕より偉い学者だからもとよりそこに気が付いていらっしゃるでしょうけれども、いくら親しい親子だって兄弟《きようだい》だって、心と心はただ通じているような気持ちがするだけで、実際向こうとこっちとは身体《からだ》が離れているとおり心も離れているんだからしようがないじゃありませんか」
「他《ひと》の心は外から研究はできる。けれどもその心に為《な》ってみることはできない。そのくらいのことなら己《おれ》だって心得ているつもりだ」
兄は吐き出すように、また懶《ものう》そうにこう言った。自分はすぐそのあとに跟《つ》いた。
「それを超越するのが宗教なんじゃありますまいか。僕なんぞは馬《ば》鹿《か》だから仕方がないが、兄さんはなんでもよく考える性質《たち》だから……」
「考えるだけで誰《だれ》が宗教心に近づける。宗教は考えるものじゃない。信じるものだ」
兄はさも忌《いま》々《いま》しそうにこう言い放った。そうしておいて、「ああ己はどうしても信じられない。どうしても信じられない。ただ考えて、考えて、考えるだけだ。二郎、どうか己を信じられるようにしてくれ」と言った。
兄の言葉は立派な教育を受けた人の言葉であった。しかし彼の態度はほとんど十八、九の子供に近かった。自分はかかる兄を自分の前に見るのが悲しかった。その時の彼はほとんど砂の中で狂う泥鰌《どじよう*》のようであった。
いずれの点においても自分より立ち勝《まさ》った兄が、こんな態度を自分に示したのはこの時がはじめてであった。自分はそれを悲しく思うと同時に、この傾向で彼がだんだん進んでいったならあるいは遠からず彼の精神に異状を呈するようになりはしまいかと懸念して、それが急に恐ろしくなった。
「兄さん、このことについては僕も実はとうから考えていたんです……」
「いやお前の考えなんか聞こうと思っていやしない。今日《きよう》お前をここへ連れてきたのは少しお前に頼みがあるからだ。どうぞ聞いてくれ」
「なんですか」
事はだんだん面倒になってきそうであった。けれども兄は容易にその頼みというのを打ち明けなかった。ところへ我々と同じ遊覧人めいた男《なん》女《によ》が三、四人石段の下に現われた。彼らはてんでに下《げ》駄《た》を草《ぞう》履《り》と脱ぎ易《か》えて、高い石段をこっちへ登ってきた。兄はその人影を見るやいなや急に立ち上がった。「二郎帰ろう」と言いながら石段を下《お》り掛けた。自分もすぐそのあとに随《したが》った。
二二
兄と自分はまた元の路《みち》へ引き返した。朝来た時も腹や頭の具合が変であったが、帰りは日盛りになったせいかなお苦しかった。あいにく二人とも時計を忘れたので何時だかちょっと分《わか》りかねた。
「もう何時だろう」と兄が聞いた。
「そうですね」と自分はぎらぎらする太陽を仰ぎ見た。「まだ午《ひる》にはならないでしょう」
二人は元の路を逆に歩いているつもりであったが、どう間違えたものか、変に磯《いそ》臭い浜《はま》辺《べ》へ出た。そこには漁師の家が雑貨店と交じって貧しい町をかたち作っていた。古い旗を屋根の上に立てた汽船会社の待合所も見えた。
「なんだか路が違ったようじゃありませんか」
兄は相変わらず下を向いて考えながら歩いていた。下には貝《かい》殻《がら》がそこここに散っていた。それを踏み砕く二人の足音が時々単調な歩行に一種田舎《いなか》びた変化を与えた。兄はちょっと立ち留まって左右を見た。
「ここは往《い》きに通らなかったかな」
「ええ通りゃしません」
「そうか」
二人はまた歩きだした。兄は依然として下を向きがちであった。自分は路を迷ったため、存外宿へ帰るのが遅《おそ》くなりはしまいかと心配した。
「なに狭い所だ。どこをどう間違えたって、帰れるのは同《おんな》じことだ」
兄はこう言ってすたすた行った。自分は彼の歩き方を後ろから見て、足に任せてという故《ふる》い言葉を思い出した。そうして彼より五、六間後《おく》れたことをこの場合なによりも有《あり》難《がた》く感じた。
自分は二人の帰り道に、兄から例の依頼というのをきっと打ち明けられるに違いないと思って暗にその覚悟をしていた。ところが事実は反対で、彼はできるだけ口数を慎んで、さっさと歩く方針に出た。それが少しは無意味でもあったがまただいぶ嬉《うれ》しくもあった。
宿では母と嫂《あによめ》が欄干に縞《しま》絽《ろ*》だか明石《あかし*》だか他処《よそ》行《ゆ》きの着物を掛けて二人とも浴衣《ゆかた》のまま差向かいで坐《すわ》っていた。自分たちの姿を見た母は、「まあどこまで行ったの」と驚いた顔をした。
「あなたがたはどこへも行かなかったんですか」
欄干に干してある着物を見ながら、自分がこう聞いた時、嫂は「ええ行ったわ」と答えた。
「どこへ」
「中《あ》ててごらんなさい」
今の自分は兄のいる前で嫂からこう気《き》易《やす》く話し掛けられるのが、兄に対してなんとも申し訳がないようであった。のみならず、兄の目から見れば、彼女がことさらに自分にだけ親しみを表わしているとしか解釈ができまいと考えて誰《だれ》にも打ち明けられない苦痛を感じた。
嫂はいっこう平気であった。自分にはそれが冷淡から出るのか、無《む》頓《とん》着《じやく》から来るのか、または常識を無視しているのか、少し解《わか》りかねた。
彼らの見物してきたところは紀三井寺であった。玉《たま》津《つ》島《しま》明《みよう》神《じん*》の前を通りへ出て、そこから電車に乗るとすぐ寺の前へ出るのだと母は兄に説明していた。
「高い石段でね。こうして見上げるだけでも目が眩《ま》いそうなんだよ、お母《かあ》さんには。これじゃとても上れっこないと思って、妾《わたし》ゃどうしようかしらと考えたけれども、直に手を引っ張ってもらって、ようやくお参りだけは済ませたが、その代り汗で着物がぐっしょりさ………」
兄は「はあ、そうですかそうですか」と時々気のない返事をした。
二三
その日は何事も起こらずに済んだ。夕方は四人《よつたり》でトランプをした。みんなが四枚ずつのカードを持って、その一枚を順送りに次の者へ伏せ渡しにするうちに数の揃《そろ》ったのを出してしまうと、どこかにスペードの一が残る。それを握ったものが負けになるという温泉場などでよく流《は》行《や》るしごく簡単なものであった。
母と自分はよくスペードを握っては妙な顔をしてすぐ勘付かれた。兄も時々苦笑した。いちばん冷淡なのは嫂《あによめ》であった。スペードを握ろうが握るまいがわれにはいっこう関係がないというふうをしていた。これはふうというよりもむしろ彼女の性質であった。自分はそれでも兄がさっきの会談のあと、よくこれほどに昂《こう》奮《ふん》した神経を治められたものだと思ってひそかに感心した。
晩は寐《ね》られなかった。昨夕《ゆうべ》よりもなお寐られなかった。自分はどどんどどんと響く波《なみ》の音のあいだに、兄夫婦の寐ている室に耳を澄ました。けれども彼らの室《へや》は依然として昨夜のごとく静かであった。自分は母に見《み》咎《とが》められるのを恐れて、その夜《よ》はあえて縁側へ出なかった。
朝になって自分は母と嫂を例の東洋第一エレベーターへ案内した。そうして昨日《きのう》のように山の上の猿に芋を遣《や》った。今度は猿に馴《な》染《じ》みのある宿の女中がいっしょに随《つ》いてきたので、猿を抱いたり鳴かしたり前の日よりはだいぶ賑《にぎ》やかだった。母は茶店の床《しよう》几《ぎ》に腰を掛けて、新和歌の浦《うら*》とかいう禿《は》げて茶色になった山を指《さ》してなんだろうと聞いていた。嫂はしきりに遠《とお》眼鏡《めがね》はないかないかと騒いだ。
「姉《ねえ》さん、芝《しば》の愛宕《あたご》様《さま》じゃありませんよ」と自分は言ってやった。
「だって遠眼鏡ぐらいあったって好《い》いじゃありませんか」と嫂はまだ不足を並べていた。
夕方になって自分はとうとう兄に引っ張られて紀三井寺へ行った。これは婦人連が昨日すでに参詣したというのを口実に、我々二人だけが行くことにしたのであるが、その実兄の依頼を聞くために自分が彼から誘い出されたのである。
自分たちは母の見ただけで恐れたという高い石段を一直線に上った。その上は平たい山の中腹で眺《ちよう》望《ぼう》の好い所にベンチが一つ据《す》えてあった。本堂は傍《そば》に五重の塔を控えて、普通ありふれた仏閣よりも寂《さび》があった。廂《ひさし》の最《まん》中《なか》から下がっている白い紐《ひも*》などはいかにも閑静に見えた。
自分たちは何物も目を遮《さえぎ》らないベンチの上に腰を卸して並び合った。
「好い景《け》色《しき》ですね」
目の下には遥《はる》かの海が鰯《いわし》の腹のように輝いた。そこへ名《な》残《ごり》の太陽が一面に射《さ》して、眩《まばゆ》さが赤く頬《ほお》を染めるごとくに感じた。沢らしい不規則な水の形もまた海より近くに、平たい面を鏡のように展《の》べていた。
兄は例の洋杖《ステツキ》を顋《あご》の下に支《ささ》えて黙っていたが、やがて思い切ったというふうに自分の方を向いた。
「二郎実は頼みがあるんだが」
「ええ、それを伺うつもりでわざわざ来たんだからゆっくり話してください。できることならなんでもしますから」
「二郎実は少し言いにくいことなんだがな」
「言いにくいことでも僕だから好いでしょう」
「うん己《おれ》はお前を信用しているから話すよ。しかし驚いてくれるな」
自分は兄からこう言われた時に、話を聞かないさきにまず驚いた。そうしてどんな注文が兄の口から出るかを恐れた。兄の気分はまえ言ったとおり変わりやすかった。けれどもいったんなにか言いだすと、意地にもそれを通さなければ承知しなかった。
二四
「二郎驚いちゃ不可《いけ》ないぜ」と兄が繰り返した。そうして現に驚いている自分を嘲《あざけ》るごとく見た。自分は今の兄と権《ごん》現《げん》社頭の兄とを比較してまるで別人の観をなした。今の兄は翻《ひるがえ》しがたい堅い決心をもって自分に向かっているとしか自分には見えなかった。
「二郎己《おれ》はお前を信用している。お前の潔白なことはすでにお前の言語が証明している。それに間違いはないだろう」
「ありません」
「それでは打ち明けるが、実は直の節操をお前に試《ため》してもらいたいのだ」
自分は「節操を試す」という言葉を聞いた時、ほんとうに驚いた。当人から驚くなという注意が二遍あったにかかわらず、非常に驚いた。ただあっけに取られて、呆《ぼう》然《ぜん》としていた。
「なぜ今になってそんな顔をするんだ」と兄が言った。
自分は兄の目に映じた自分の顔をいかにも情けなく感ぜざるを得なかった。まるでこのあいだの会見とは兄弟地を換えて立ったとしか思えなかった。それで急に気を取り直した。
「姉《ねえ》さんの節操を試すなんて、――そんなことは廃《よ》したほうが好《い》いでしょう」
「なぜ」
「なぜって、あんまり馬《ば》鹿《か》らしいじゃありませんか」
「なにが馬鹿らしい」
「馬鹿らしかないかもしれないが、必要がないじゃありませんか」
「必要があるから頼むんだ」
自分はしばらく黙っていた。広い境内には参詣人の影も見えないので、四辺《あたり》は存外静かであった。自分はそこいらを見回して、最後に我々二人の淋《さび》しい姿をその一隅《ぐう》に見《み》出《いだ》した時、薄気味の悪い心持ちがした。
「試すって、どうすれば試されるんです」
「お前と直が二人で和歌山へ行って一晩泊まってくれれば好いんだ」
「下らない」と自分は一口に退けた。すると今度は兄が黙った。自分はもとより無言であった。海に射り付ける落日の光がしだいに薄くなりつつなお名残の熱を薄赤く遠いあなたに棚《たな》引《び》かしていた。
「厭《いや》かい」と兄が聞いた。
「ええ、ほかのことならですが、それだけは御免です」と自分ははっきり言い切った。
「じゃ頼むまい。その代り己《おれ》は生涯お前を疑《うたぐ》るよ」
「そりゃ困る」
「困るなら己の頼むとおり遣《や》ってくれ」
自分はただ俯《うつ》向《む》いていた。いつもの兄ならもうとくに手を出している時分であった。自分は俯向きながら、今に兄の拳《こぶし》が帽子の上へ飛んでくるか、また彼の平手が頬《ほお》のあたりでピシャリと鳴るかと思って、じっと癇《かん》癪《しやく》玉《だま》の破裂するのを期待していた。そうしてその破裂ののちに多く生ずる反動を機会として、兄の心を落ち付けようとした。自分は人より一倍強い程度で、この反動に罹《かか》りやすい兄の気質をよく呑《の》み込んでいた。
自分はだいぶ辛抱して兄の鉄《てつ》拳《けん》が飛んでくるのを待っていた。けれども自分の期待はまったく徒労であった。兄は死んだ人のごとく静かであった。ついには自分のほうから狐《きつね》のように変な目《め》遣《づか》いをして、兄の顔を偸《ぬす》み見なければならなかった。兄は蒼《あお》い顔をしていた。けれども決して衝動的に動いてくる気《け》色《しき》は見えなかった。
二五
ややあって兄は昂《こう》奮《ふん》した調子でこう言った。
「二郎己《おれ》はお前を信用している。けれども直を疑《うたぐ》っている。しかもその疑られた当人の相手は不幸にしてお前だ。ただし不幸というのは、お前にとって不幸というので、己にはかえってさいわいになるかもしれない。というのは、己は今明言したとおり、お前の言うことならなんでも信じられるしまたなんでも打ち明けられるから、それで己にはさいわいなのだ。だから頼むのだ。己の言うことにまんざら論理のないこともあるまい」
自分はその時の兄の言葉の奥に、なにか深い意味が籠《こも》っているのではなかろうかと疑いだした。兄は腹の中で、自分と嫂《あによめ》のあいだに肉体上の関係を認めたと信じて、わざとこういう難題を持ち掛けるのではあるまいか。自分は「兄《にい》さん」と呼んだ。兄の耳にはとにかく、自分はよほど力強い声を出したつもりであった。
「兄さん、ほかのこととは違ってこれは倫理上の大問題ですよ……」
「当たり前さ」
自分は兄の答えのことのほか冷淡なのを意外に感じた。同時にさきの疑いがますます深くなってきた。
「兄さん、いくら兄弟《きようだい》の仲だって僕はそんな残酷なことはしたくないです」
「いや向こうのほうが己《おれ》に対して残酷なんだ」
自分は兄に向かって嫂《あによめ》がなぜ残酷であるかの意味を聞こうともしなかった。
「そりゃ改めてまた伺いますが、なにしろ今の御依頼だけは御免蒙《こうむ》ります。僕には僕の名誉がありますから。いくら兄さんのためだって、名誉まで犠牲にはできません」
「名誉?」
「むろん名誉です。人から頼まれて他《ひと》を試験するなんて、――ほかのことだって厭《いや》でさあ。ましてそんな……探《たん》偵《てい》じゃあるまいし……」
「二郎、己はそんな下等な行為をお前から向こうへ仕掛けてくれと頼んでいるのじゃない。単に嫂としてまた弟として一つ所へ行って一つ宿へ泊まってくれというのだ。不名誉でもなんでもないじゃないか」
「兄さんは僕を疑っていらっしゃるんでしょう。そんな無理を仰《おつ》しゃるのは」
「いや信じているから頼むのだ」
「口で信じていて、腹では疑っていらっしゃる」
「馬《ば》鹿《か》な」
兄と自分はこんな会話を何遍も繰り返した。そうして繰り返すたびに双方とも激してきた。するとちょっとした言葉から熱が急に引いたように二人とも治まった。
その激したある時に自分は兄を真正の精神病患者だと断定した瞬間さえあった。しかしその発作が風のように過ぎた後《あと》ではまた通例の人間のようにも感じた。しまいに自分はこう言った。
「実はこのあいだから僕もそのことについては少々考えがあって、機会があったら姉《ねえ》さんにとくと腹の中を聞いてみる気でいたんですから、それだけなら受け合いましょう。もうじき東京へ帰るでしょうから」
「じゃそれを明日《あした》遣《や》ってくれ。あした昼いっしょに和歌山へ行って、昼のうちに返ってくれば差《さし》支《つか》えないだろう」
自分はなぜかそれが厭だった。東京へ帰ってゆっくり折りを見てのことにしたいと思ったが、片方を断わったいまさら一方も否《いや》とは言いかねて、とうとう和歌山見物だけは引き受けることにした。
二六
その明くる朝は起きた時からあいにく空に斑《ふ*》が見えた。しかも風さえ高く吹いて例の防波堤に崩《くだ》ける波の音が凄《すさま》じく聞こえだした。欄干に倚《よ》って眺《なが》めると、白い煙が濛《もう》々《もう》と岸一面を立て籠《こ》めた。午前は四人とも海岸に出る気がしなかった。
午《ひる》過ぎになって、空模様は少し穏やかになった。雲の重なる間から日《ひ》脚《あし》さえちょいちょい光を出した。それでも漁船が四、五艘《そう》いつもより早く楼前の掘割りへ漕《こ》ぎ入れてきた。
「気味が悪いね。なんだか暴風雨《あらし》でもありそうじゃないか」
母はいつもと違う空を仰いで、こう言いながらまた元の座敷へ引っ返してきた。兄はすぐに立ってまた欄干へ出た。
「なに大丈夫だよ。たいしたことはないに極《きま》っている。お母《かあ》さん僕が受け合いますから出掛けようじゃありませんか。俥《くるま》もすでに誂《あつら》えてありますから」
母はなんとも言わずに自分の顔を見た。
「そりゃ行っても好《い》いけど、行くなら皆《みんな》でいっしょに行こうじゃないか」
自分はそのほうがはるかに楽であった。でき得《う》るならどうか母のお供をして、和歌山行を已《や》めたいと考えた。
「じゃ僕たちもいっしょにその切り開いた山道の方へ行ってみましょうか」と言いながら立ち掛けた。すると嶮《けわ》しい兄の目がすぐ自分の上に落ちた。自分はとうていこれでは約束を履行するよりほかに道がなかろうとまた思い返した。
「そうそう姉《ねえ》さんと約束があったっけ」
自分は兄に対して、つい空《そら》惚《とぼ》けた挨拶をしなければ済まなくなった。すると母が今度は苦い顔をした。
「和歌山は已めにお為《し》よ」
自分は母と兄の顔を見比べてどうしたものだろうと躊《ちゆう》躇《ちよ》した。嫂《あによめ》はいつものように冷然としていた。自分が母と兄のあいだに迷っているあいだ、彼女はほとんど一《いち》言《ごん》も口にしなかった。
「直お前二郎に和歌山へ連れていってもらうはずだったね」と兄が言った時、嫂はただ「ええ」と答えただけであった。母が「今日《きよう》はお止《よ》しよ」と止めた時、嫂はまた「ええ」と答えただけであった。自分が「姉さんどうします」と顧みた時は、また「どうでも好《い》いわ」と答えた。
自分はちょっと用事に下へ降りた。すると母がまたあとから降りてきた。彼女の様子はなんだかそわそわしていた。
「お前ほんとうに直と二人で和歌山へ行く気かい」
「ええ、だって兄《にい》さんが承知なんですもの」
「いくら承知でもお母さんが困るからお止しよ」
母の顔のどこかには不安の色が見えた。自分はその不安の出《で》所《どころ》が兄にあるのか、または嫂と自分にあるか、ちょっと判断に苦しんだ。
「なぜです」と聞いた。
「なぜですって、お前と直と行くのは不可《いけ》ないよ」
「兄さんに悪いというんですか」
自分は露骨にこう聞いてみた。
「兄さんに悪いばかりじゃないが……」
「じゃ姉さんだの僕だのに悪いというんですか」
自分の問いはまえよりもなお露骨であった。母は黙ってそこに佇んでいた。自分は母の表情に珍しく猜《さい》疑《ぎ》の影を見た。
二七
自分は自分を信じ切り、また愛し切っているとばかり考えていた母の表情を見てたちまち臆《おく》した。
「では止《よ》します。もともと僕の発《ほつ》案《あん》で姉《ねえ》さんを誘い出すんじゃない。兄《にい》さんが二人で行ってこいと言うから行くだけのことです。お母《かあ》さんが御不承知ならいつでも已《や》めます。その代りお母さんから兄さんに談判して行かないで好《い》いようにしてください。僕は兄さんに約束があるんだから」
自分はこう答えて、なんだか極《きま》りが悪そうに母の前で立っていた。実は母の前を去る勇気が出なかったのである。母は少し途方に暮れた様子であった。しかししまいに思い切ったと見えて、「じゃ兄さんには妾《わたし》から話をするから、その代りお前はここに待ってておくれ、三階へいっしょにくるとまた事が面倒になるかもしれないから」と言った。
自分は母の御影を見送りながら、事がこんなふうに引《ひ》っ絡《からま》ったひには、とても嫂《あによめ》を連れて和歌山などへ行く気になれない、行ったところで肝《かん》心《じん》の用は弁じない、どうか母の思いどおりに事が変じてくれれば好いがと思った。そうして気の落ち付かない胸を抱《いだ》いて、広い座敷を右左に目的もなく往《い》ったり来たりした。
やがて三階から兄が下《お》りてきた。自分はその顔をちらりと見た時、これはどうしても行かなければ済まないなとすぐ読んだ。
「二郎、今になって違約してもらっちゃ己《おれ》が困る。貴様だって男だろう」
自分は時々兄から貴様と呼ばれることがあった。そうしてこの貴様が彼の口から出たときはきっと用心して後難を避けた。
「いえ行くんです。行くんですがお母さんが止せと仰《おつ》しゃるから」
自分がこう言ってるうちに、母がまた心配そうに三階から下りてきた。そうしてすぐ自分の傍へ寄って、「二郎お母さんはさっきああ言ったけれども、よく一郎に聞いてみると、なんだか紀三井寺で約束したことがあるとかいう話だから、残念だが仕方ない。やっぱりその約束どおりになさい」と言った。
「ええ」
自分はこう答えて、あとはなにも言わないことにした。
やがて母と兄は下に待っている俥《くるま》に乗って、楼前から右の方へ鉄《かな》輪《わ*》の音を鳴らして去った。
「じゃ僕らもそろそろ出掛けましょうかね」と嫂を顧みた時、自分は実際好い心持ちではなかった。
「どうです出掛ける勇気がありますか」と聞いた。
「あなたは」と向こうも聞いた。
「僕はあります」
「貴方《あなた》にあれば、妾《あたし》にだってあるわ」
自分は立って着物を着換えはじめた。
嫂は上着を引っ掛けてくれながら、「貴方なんだか今日《きよう》は勇気がないようね」と調戯《からか》い半分に言った。自分はまったく勇気がなかった。
二人は電車の出る所まで歩いていった。あいにく近《ちか》路《みち》を取ったので、嫂の薄い下《げ》駄《た》と白《しろ》足《た》袋《び》が一足ごとに砂の中に潜《もぐ》った。
「歩きにくいでしょう」
「ええ」と言って彼女は傘《かさ》を手に持ったまま、後ろを向いて自分のあと足を顧みた。自分は赤い靴を砂の中に埋《うず》めながら、今日の使命をどこでどう果たしたものだろうと考えた。考えながら歩くせいか会話は少しも機《はず》まない《*》心持ちがした。
「貴方今日は珍しく黙っていらっしゃるのね」とついに嫂から注意された。
二八
自分は嫂《あによめ》と並んで電車に腰を掛けた。けれども大事の用を前に控えているという気が胸にあるので、どうしても機《き》嫌《げん》よく話はできなかった。
「なぜそんなに黙っていらっしゃるの」と彼女が聞いた。自分は宿を出てからこういう意味の質問を彼女からすでに二度まで受けた。それを裏から見ると、二人でもっと面《おも》白《しろ》く話そうじゃありませんかという意味も映っていた。
「あなた兄《にい》さんにそんなことを言ったことがありますか」
自分の顔はやや真《ま》面《じ》目《め》であった。嫂はちょっとそれを見て、すぐ窓の外を眺《なが》めた。そうして「好《い》い景《け》色《しき》ね」と言った。なるほどその時電車の走っていた所は、悪い景色ではなかったけれども、彼女のことさらにそれを眺めたことは明らかであった。自分はわざと嫂を呼んで再び前の質問を繰り返した。
「なぜそんな詰《つま》らないことを聞くのよ」と言った彼女は、ほとんど一顧に価しないふうをした。
電車はまた走った。自分は次の停留所へ来るまえにまた執《しゆう》拗《ね》く《*》同じ問いを掛けてみた。
「うるさいかたね」と彼女がついに言った。「そんなこと聞いてなんになさるの。そりゃ夫婦ですもの、そのくらいなこと言った覚えはあるでしょうよ。それがどうしたの」
「どうもしやしません。兄さんにもそういう親しい言葉を始終掛けてあげてくださいというだけです」
彼女は蒼《あお》白《じろ》い頬《ほお》へ少し血を寄せた。その量が乏しいせいか、頬の奥の方に灯《ともしび》を点《つ》けたのが遠くから皮膚をほてらしているようであった。しかし自分はその意味を深くも考えなかった。
和歌山へ着いた時、二人は電車を降りた。降りてはじめて自分は和歌山へはじめて来たことを覚《さと》った。実はこの地を見物する口実の下《もと》に、嫂を連れてきたのだから、形式にもどこか見なければならなかった。
「あら貴方《あなた》まだ和歌山を知らないの。それでいて妾《あたし》を連れてくるなんて、ずいぶん呑《のん》気《き》ね」
嫂は心細そうに四方《あたり》を見回した。自分もなにぶんか極《きま》りが悪かった。
「俥《くるま》へでも乗って車夫に好《い》い加《か》減《げん》な所へ連れていってもらいましょうか。それともぶらぶらお城の方へでも歩いていきますか」
「そうね」
嫂は遠くの空を眺めて、近い自分には目を注がなかった。空はここも海辺と同じように曇っていた。不規則に濃淡を乱した雲が幾《いく》重《え》にも二人の頭の上を蔽《おお》って、日を直《じ》下《か》に《*》受けるよりは蒸し熱かった。そのうえいつ驟《しゆう》雨《う》が来るか解《わか》らないほどに、空の一部分がすでに黒ずんでいた。その黒ずんだ円の四方が暈《ぼか》されたように輝いて、ちょうど今我々が見捨ててきた和歌の浦の見当に、凄《すさま》じい空の一角を描き出していた。嫂は今その気味の悪いところを眉《まゆ》を寄せて眺めているらしかった。
「降るでしょうか」
自分はもとより降るに違いないと思っていた。それでとにかく俥を雇って、見るだけの所を馳《か》け抜けたほうが得策だと考えた。自分はただちに俥を命じて、どこでも構わないからなるべく早く見物のできるように挽《ひ》いて回れと命じた。車夫は要領を得たごとくまた得ないごとく、むやみに駆けた。狭い町へ出たり、例の蓮《はす》の咲いている濠《ほり》へ出たりまた狭い町へ出たりしたが、いっこうこれぞという所はなかった。最後に自分は俥の上で、こう駆けてばかりいては肝《かん》心《じん》の話ができないと気が付いて、車夫にどこかゆっくり坐《すわ》って話のできる所へ連れてゆけと差し図《*》した。
二九
車夫は心得て駆けだした。今までと違って威勢があまり好すぎると思ううちに、二人の俥《くるま》は狭い横町を曲がって、突然大きな門を潜った。自分があわてて、車夫を呼び留めようとした時、梶《かじ》棒《ぼう》はすでに玄関に横付けになっていた。二人はどうすることもできなかった。そのうえ若い着飾った下女が案内に出たので、二人はついに上がるべく余儀なくされた。
「こんなところへ来るはずじゃなかったんですが」と自分はつい言い訳らしいことを言った。
「なぜ。だって立《りつ》派《ぱ》なお茶屋じゃありませんか。結構だわ」と嫂《あによめ》が答えた。その答えぶりから推すと、彼女は最初からこういう料理屋めいた所へでも来るのを予期していたらしかった。
実際嫂のいったとおりその座敷は物《もの》綺《ぎ》麗《れい》にかつ堅《けん》牢《ろう》にでき上がっていた。
「東京辺の安料理屋よりかえって好《い》いくらいですね」と自分は柱の木口《*》や床の軸などを見回した。嫂は手《て》摺《す》りの所へ出て、中庭を眺《なが》めていた。古い梅の株の下に蘭《らん》の茂りが蒼《あお》黒《ぐろ》い影を深く見せていた。梅の幹にも硬《かた》くて細長い苔《こけ》らしいものがところどころに喰《く》っ付いていた。
下女は浴衣を持って風《ふ》呂《ろ》の案内に来た。自分は風呂にはいる時間が惜しかった。そうして日が暮れはしまいかと心配した。できるならば一刻も早く用を片付けて、約束どおり明るい路《みち》を浜《はま》辺《べ》まで帰りたいと念じた。
「どうします姉《ねえ》さん、風呂は」と聞いてみた。
嫂も明るいうちには帰るように兄からかねて言い付けられていたので、そこはよく承知していた。彼女は帯の間から時計を出して見た。
「まだ早いのよ、二郎さん。お湯へはいっても大丈夫だわ」
彼女は時間の遅《おそ》く見えるのをまったく天気のせいにした。もっとも濁った雲が幾《いく》重《え》にも空を鎖《とざ》しているので、時計の時間よりは世の中が暗く見えたのはたしかに違いなかった。自分はまた今にも降りだしそうな雨を恐れた。降るならひとしきりざっと来たあとで、帰ったほうがかえって楽だろうと考えた。
「じゃちょっと汗を流していきましょうか」
二人はとうとう風呂に入《はい》った。風呂から出ると膳《ぜん》が運ばれた。時間からいうと飯には早すぎた。酒は遠慮したかった。かつ飲める口でもなかった。自分は已む《や》を得ず、吸い物を吸ったり、刺《さし》身《み》を突っついたりした。下女が邪魔になるので、用があれば呼ぶからと言って下げた。
嫂には改まって言いだしたものだろうか、またはそれとなく話のついでにそこへ持っていったものだろうかと思案した。思案しだすとどっちも宜《い》いようでまたどっちも悪いようであった。自分は吸い物椀《わん》を手にしたままぼんやり庭の方を眺めていた。
「なにを考えていらっしゃるの」と嫂が聞いた。
「なに、降りゃしまいかと思ってね」と自分は宜《い》い加《か》減《げん》な答えをした。
「そう。そんなにお天気が怖《こわ》いの。貴方《あなた》にも似合わないのね」
「怖かないけど、もし強雨にでもなっちゃたいへんですからね」
自分がこう言っているうちに、雨はぽつりぽつりと落ちてきた。よほど早くからの宴会でもあるのか、向こうに見える二階の広間に、二、三人紋付き羽織の人影が見えた。その見当で芸者が三《しや》味《み》線《せん》の調子を合わせている音が聞こえだした。
宿を出るときすでにざわついていた自分の心は、この時いっそう落ち付きを失い掛けてきた。自分は腹の中で、今日《きよう》はとてもしんみりした話をする気になれないと恐れた。なぜまたその今日にかぎって、こんな変なことを引き受けたのだろうと後悔もした。
三〇
嫂《あによめ》はそんなことに気の付くはずがなかった。自分が雨を気にするのを見て、彼女はかえって不思議そうに詰《なじ》った。
「なんでそんなに雨が気になるの。降ればあとが涼しくなって好《い》いじゃありませんか」
「だっていつ已《や》むか解《わか》らないから困るんです」
「困りゃしないわ。いくら約束があったって、お天気のせいなら仕方がないんだから」
「しかし兄《にい》さんに対して僕の責任がありますよ」
「じゃすぐ帰りましょう」
嫂はこう言って、すぐ立ち上がった。その様子には一種の決断があらわれていた。向こうの座敷では客の頭が揃《そろ》ったのか、三味線の音《ね》が雨を隔ててさわやかに聞こえだした。電燈もすでに輝いた。自分も半ば嫂の決心に促されて、腰を立て掛けたが、考えると受け合ってきた話はまだ一《ひと》言《こと》も口へ出していなかった。後《おく》れて帰るのが母や兄に済まないごとく、少しも嫂に肝《かん》心《じん》の用談を打ち明けないのがまた自分の心に済まなかった。
「姉《ねえ》さんこの雨は容易に已《や》みそうもありませんよ。それに僕は姉さんに少し用談があって来たんだから」
自分は半分空を眺《なが》めてまた嫂を振り返った。自分はもとよりのこと、立ち上がった彼女も、まだ帰る仕《し》度《たく》は始めなかった。彼女は立ち上がったには、立ち上がったが、自分の様子しだいでその以後の態度を一定しようと、五分の隙《すき》間《ま》なく身構えているらしく見えた。自分はまた軒《のき》端《ば》へ首を出して上の方を望んだ。室《へや》の位置が中庭を隔てて向こうに大きな二階建の広間を控えているため、空はいつものように広くは眼界に落ちなかった。したがって雲の往《ゆき》来《き》や雨の降り按《あん》排《ばい》も、一般的にはよく分《わか》らなかった。けれども凄《すさま》じさがさっきよりはいっそう甚《はなはだ》しく庭木を痛《いた》振《ぶ》っている《*》のは事実であった。自分は雨よりも空よりも、まずこの風に辟《へき》易《えき》した。
「あなたも妙なかたね。帰るというからそのつもりで仕度をすれば、また坐《すわ》ってしまって」
「仕度ってほどの仕度もしないじゃありませんか。ただ立ったぎりでさあ」
自分がこう言った時、嫂はにっこりと笑った。そうしてわざと己《おのれ》の袖《そで》や裾《すそ》のあたりをなるほどといったようなまた意外だと驚いたような目付で見回した。それから微笑を含んでその様子を見ていた自分の前に再びぺたりと坐った。
「なによ用談があるって。妾《あたし》にそんなむずかしいことが分《わか》りゃしないわ。それよりか向こうのお座敷の三《しや》味《み》線《せん》でも聞いてたほうが増しよ」
雨は軒に響くというよりもむしろ風に乗せられて、気《き》儘《まま》な場所へ叩き付けられてゆくような音を起こした。そのあいだに三味線の音が気《き》紛《まぐ》れものらしく時々二人の耳を掠《かす》め去った。
「用があるなら早く仰っしゃいな」と彼女は催促した。
「催促されたってちょっと言えることじゃありません」
自分は実際彼女から促された時、なんと切り出して好《い》いか分らなかった。すると彼女はにやにやと笑った。
「貴方《あなた》取っていくつなの」
「そんなに冷《ひや》かしちゃ不可《いけ》ません。ほんとうに真《ま》面《じ》目《め》なことなんだから」
「だから早く仰しゃいな」
自分はいよいよ改まって忠告がましいことを言うのが厭《いや》になった。そうして彼女の前へ出た今の自分がなんだか彼女から一段低く見《み》縊《くび》られているような気がしてならなかった。それだのにそこに一種の親しみを感じずにはまたいられなかった。
三一
「姉《ねえ》さんはいくつでしたっけね」と自分はついに即《つ》かぬことを聞きだした。
「これでもまだ若いのよ。貴方《あなた》よりよっぽど下のつもりですわ」
自分ははじめから彼女の年と自分の年を比較する気はなかった。
「兄《にい》さんとこへ来てからもう何年になりますかね」と聞いた。
嫂《あによめ》はただ澄まして「そうね」と言った。
「妾《あたし》そんなことみんな忘れちまったわ。だいち自分の年さえ忘れるくらいですもの」
嫂のこの恍《とぼ》け方はいかにも嫂らしく響いた。そうして自分にはかえって嬌《きよう》態《たい》とも見えるこの不自然が、真《ま》面《じ》目《め》な兄に甚《はなはだ》しい不愉快を与えるのではなかろうかと考えた。
「姉さんは自分の年にさえ冷淡なんですね」
自分はこんな皮肉をなんとなく言った。しかし言ったときの浮気な心にすぐ気がつくと急に兄に済まない恐ろしさに襲われた。
「自分の年なんかに、いくら冷淡でも構わないから、兄さんにだけはもう少し気を付けて親切にしてあげてください」
「妾そんなに兄さんに不親切に見えて。これでもできるだけのことは兄さんに為《し》てあげてるつもりよ。兄さんばかりじゃないわ。貴方にだってそうでしょう。ねえ二郎さん」
自分は、自分にもっと不親切にして構わないから、兄のほうにはもう少し優しくしてくれろと、頼むつもりで嫂の目を見た時、また急に自分の甘いのに気が付いた。嫂の前へ出て、こう差し向かいに坐《すわ》ったが最後、とうてい真底から誠実に兄のために計ることはできないのだとまで思った。自分は言葉には少しも窮しなかった。どんな言語でも兄のために使おうとすれば使われた。けれどもそれを使う自分の心は、兄のためではなくってかえって自分のために使うのと同じ結果になりやすかった。自分は決してこんな役割を引き受けべき人格でなかった。自分はいまさらのように後悔した。
「貴方急に黙っちまったのね」とその時嫂が言った。あたかも自分の急所を突くように。
「兄さんのために、僕がさっきからあなたに頼んでいることを、姉さんは真面目に聞いてくださらないから」
自分は恥ずかしい心を抑《おさ》えてわざとこう言った。すると嫂は変に淋《さみ》しい笑い方をした。
「だってそりゃ無理よ二郎さん。妾馬《ば》鹿《か》で気が付かないから、みんなから冷淡と思われているかもしれないけれど、これでまったくできるだけのことを兄さんに対してしている気なんですもの。――妾ゃほんとうに腑《ふ》抜《ぬ》けなのよ。ことに近ごろは魂の抜け殻《がら》になっちまったんだから」
「そう気を腐らせないで、もう少し積極的にしたらどうです」
「積極的ってどうするの。お世辞を使うの。妾お世辞は大《だい》嫌《きら》いよ。兄さんもお嫌いよ」
「お世辞なんか嬉《うれ》しがるものもないでしょうけれども、もう少しどうかしたら兄さんも幸福でしょうし、姉さんも仕合わせだろうから……」
「宜《よ》御《ご》座《ざ》んす。もう伺わないでも」と言った嫂《あね》は、その言葉の終わらないうちに涙をぽろぽろと落とした。
「妾のような魂の抜け殻はさぞ兄さんにはお気に入らないでしょう。しかし私《わたくし》はこれで満足です。これでたくさんです。兄さんについて今までなんの不足を誰《だれ》にも言ったことはないつもりです。そのくらいのことは二郎さんもたいてい見ていて解《わか》りそうなもんだのに………」
泣きながら言う嫂《あによめ》の言葉は途《と》切《ぎ》れ途切れにしか聞こえなかった。しかしその途切れ途切れの言葉が鋭い力をもって自分の頭に応《こた》えた。
三二
自分は経験のあるある年長者から女の涙に金《ダ》剛《イ》石《ヤ》はほとんどない、たいていは皆ギヤマン細工《*》だとかつて教わったことがある。その時自分はなるほどそんなものかと思って感心して聞いていた。けれどもそれは単に言葉のうえの知識にすぎなかった。若輩な自分は嫂《あによめ》の涙を目の前に見て、なんとなく可《か》憐《れん》に堪えないような気がした。ほかの場合なら彼女の手を取ってともに泣いてやりたかった。
「そりゃ兄さんの気むずかしいことは誰《だれ》にでも解《わか》ってます。あなたの辛抱も並み大《たい》抵《てい》じゃないでしょう。けれども兄さんはあれで潔白すぎるほど潔白で正直すぎるほど正直な高《こう》尚《しよう》な男です。敬愛すべき人物です……」
「二郎さんになにもそんなことを伺わないでも兄さんの性質ぐらい妾《あたし》だって承知しているつもりです。妻《さい》ですもの」
嫂はこう言ってまたしゃくり上げた。自分はますます可《か》哀《わい》そうになった。見ると彼女の目を拭《ぬぐ》っていた小形の手帛《ハンケチ》が、皺《しわ》だらけになって濡《ぬ》れていた。自分は乾《かわ》いている自分ので彼女の目や頬《ほお》を撫《な》でてやるために、彼女の顔に手を出したくて堪《たま》らなかった。けれども、なんとも知れない力がまたその手をぐっと抑《おさ》えて動けないように締め付けている感じが強く働いた。
「正直なところ姉《ねえ》さんは兄さんが好きなんですか、また嫌《きら》いなんですか」
自分はこう言ってしまったあとで、この言葉は手を出して嫂の頬を、拭いてやれない代りにしぜん口のほうから出たのだと気が付いた。嫂は手帛と涙の間から、自分の顔を覗《のぞ》くように見た。
「二郎さん」
「ええ」
この簡単な答えは、あたかも磁石に吸われた鉄の屑《くず》のように、自分の口から少しの抵抗もなく、なんらの自覚もなく釣《つ》り出された。
「貴方《あなた》なんの必要があってそんなことを聞くの。兄さんが好きか嫌いかなんて。妾が兄さん以外に好いてる男でもあると思っていらっしゃるの」
「そういうわけじゃ決してないんですが」
「だからさっきから言ってるじゃありませんか。私《わたくし》が冷淡に見えるのは、まったく私が腑《ふ》抜《ぬ》けのせいだって」
「そう腑抜けをことさらに振り舞わされちゃ困るね。誰も宅《うち》のものでそんな悪口を言うものは一人もないんですから」
「言わなくっても腑抜けよ。よく知ってるわ、自分だって。けど、これでも時々は他《ひと》から親切だって賞《ほ》められることもあってよ。そう馬《ば》鹿《か》にしたものでもないわ」
自分はかつて大きなクッションに蜻蛉《とんぼ》だの草花だのをいろいろの糸で、嫂に縫い付けてもらったお礼に、あなたは親切だと感謝したことがあった。
「あれ、まだあるでしょう綺《き》麗《れい》ね」と彼女が言った。
「ええ。大事にして持っています」と自分は応えた。自分は事実だからこう答えざるを得なかった。こう答える以上、彼女が自分に親切であったという事実を裏から認識しないわけにいかなかった。
ふと耳を〓《そばだ》てると向こうの二階で弾《ひ》いていた三《しや》味《み》線《せん》はいつのまにか已《や》んでいた。残り客らしい人の酔った声が時々風を横切って聞こえた。もうそれほど遅《おそ》くなったのかと思って、時計を捜し出しに掛かったところへ女中が飛び石伝いに縁側から首を出した。
自分らはこの女中を通じて、和歌の浦が今暴風雨に包まれているということを知った。電話が切れて話が通じないということを知った。往来の松が倒れて電車が通じないということも知った。
三三
自分はその時急に母や兄のことを思い出した。眉《まゆ》を焦《こが》す火のごとく思い出した。狂う風と渦《うず》巻《ま》く浪《なみ》に弄《もてあそ》ばれつつある彼らの宿が想像の目にありありと浮かんだ。
「姉さんたいへんなことになりましたね」と自分は嫂《あによめ》を顧みた。嫂はそれほど驚いた様子もなかった。けれども気のせいか、つねから蒼《あお》い頬《ほお》がいっそう蒼いように感ぜられた。その蒼い頬の一部と目の縁にさっき泣いた痕《こん》跡《せき》がまだ残っていた。嫂はそれを下女に悟られるのが厭《いや》なんだろう、電燈に疎《うと》い《*》不自然な方角へ顔を向けて、わざと入口の方を見なかった。
「和歌の浦へはどうしても帰られないんでしょうか」と言った。
見当違いの方から出たこの問いは、自分に言うのか、または下女に聞くのか、ちょっと解《わか》らなかった。
「俥《くるま》でも駄《だ》目《め》だろうね」と自分が同じような問いを下女に取り次いだ。
下女は駄目という言葉こそ繰り返さなかったが、危険な意味を反履説明して、聞かせたうえ、ぜひ今夜だけは和歌山《ここ》へ泊まれと忠告した。彼女の顔はむしろ吾《われ》々《われ》二人の利害を標《ま》的《と》にしてものを言ってるらしく真《ま》面《じ》目《め》に見えた。自分は下女の言葉を信ずれば信ずるほど母のことが気になった。
防波堤と母の宿との間にはかれこれ五、六町の道《みち》程《のり》があった。波が高くて少し土手を越すくらいなら、容易に三階の座敷まで来る気《き》遣《づか》いはなかろうとも考えた。しかしもし海嘯《つなみ*》が一度に寄せて来るとすると、……
「おい海嘯であすこいらの宿屋がすっかり波に攫《さら》われることがあるかい」
自分はほんとうに心配のあまり下女にこう聞いた。下女はそんなことはないと断言した。しかし波が防波堤を越えて土手下へ落ちてくるため、中が湖水《みずうみ》のようにいっぱいになることは二、三度あったと告げた。
「それにしたって、水に浸《つか》った家はたいへんだろう」と自分はまた聞いた。
下女は、たかだか水の中で家がぐるぐる回るくらいなもので、海まで持っていかれる心配はまずあるまいと答えた。この呑《のん》気《き》な答えが心配のなかにも自分を失笑せしめた。
「ぐるぐる回りゃそれでたくさんだ。そのうえ海まで持ってかれたひにゃ好《い》い災難じゃないか」
下女はなんとも言わずに笑っていた。嫂も暗い方から電燈をまともに見はじめた。
「姉さんどうします」
「どうしますって、妾《あたし》女だからどうして好《い》いか解《わか》らないわ。もし貴方《あなた》が帰ると仰《おつ》しゃれば、どんな危険があったって、妾いっしょに行くわ」
「行くのは構わないが、――困ったな。じゃ今夜は仕方がないからここへ泊まるとしますか」
「貴方がお泊まりになれば妾も泊まるよりほかに仕方がないわ。女一人でこの暗いのにとても和歌の浦まで行くわけにはいかないから」
下女は今まで勘違いをしていたと言わぬばかりの目《め》遣《づか》いをして二人を見《み》較《くら》べた。
「おい電話はどうしても通じないんだね」と自分はまた念のため聞いてみた。
「通じません」
自分は電話口へ出て直接に試みてみる勇気もなかった。
「じゃしようがない泊まることに極《き》めましょう」と今度は嫂に向かった。
「ええ」
彼女の返事はいつものとおり簡単でそうして落ち付いていた。
「町の中なら俥が通うんだね」と自分はまた下女に向かった。
三四
二人はこれから料理屋で周旋してくれた宿屋まで行かなければならなかった。仕《し》度《たく》をして玄関を下りた時、そこに輝く電燈と、車夫の提灯《ちようちん》とが、雨の音と風の叫びに冴《さ》えて、あたかも闇《やみ》に狂う物《もの》凄《すご》さを照らす道具のように思われた。嫂《あによめ》はまず色の目に付くあでやかな姿を黒い幌《ほろ》の中へ隠した。自分もつづいて窮屈な深い桐《とう》油《ゆ*》の中に身体《からだ》を入れた。
幌の中に包まれた自分はほとんど往来の凄《すさま》じさを見る遑《いとま》がなかった。自分の頭はまだ経験したことのない海嘯《つなみ》というものに絶えず支配された。でなければ、意地の悪い天候のお蔭《かげ》で、自分が兄の前で一徹に退けたことを、どうしても実行しなければならなくなった運命をつらく観じた。自分の頭は落ち付いて想像したり観じたりするほどの余裕をむろん有《も》たなかった。ただ乱雑な火事場のように取り留めもなくくるくる回転した。
そのうち俥《くるま》の梶《かじ》棒《ぼう》が一軒の宿屋のような構えの門口へ横付けになった。自分はなんだか暖《の》簾《れん》を潜《くぐ》って土間へはいったような気がしたがたしかには覚えていない。土間は幅の割に竪《たて》からいってだいぶ長かった。帳場も見えず番頭もいず、ただ一人下女が取次ぎに出ただけで、宵《よい》の口としてはいたって淋《さみ》しい光景であった。
自分たちは黙ってそこに突っ立っていた。自分はなぜだか嫂に話したくなかった。彼女も澄まして絹張りの傘《かさ》の先を斜めに土間に突いたなりで立っていた。
下女の案内で二人の通された部《へ》屋《や》は、縁側を前に御《み》簾《す》のような簀《す》垂《だれ*》を軒に懸《か》けた古めかしい座敷であった。柱は時代で黒く光っていた。天井にも煤《すす》の色が一面に見えた。嫂は例の傘を次の間の衣《い》桁《こう》に懸けて、「ここは向こうが高い棟《むね》で、こっちが厚い練《ぬ》り塀《べい*》らしいから風の音がそんなに聞こえないけれど、さっき俥へ乗った時はたいへんね。幌の上でひゅひゅいうのが気味が悪かったぐらいよ。あなた風の重みが俥の幌に乗し掛かってくるのが乗ってて分《わか》ったでしょう。妾《あたし》もう少しで俥が引っ繰り返るかもしれないと思ったわ」と言った。
自分は少し逆上していたので、そんなことはよく注意していられなかった。けれどもそのとおりをまっすぐに答えるほどの勇気もなかった。
「ええずいぶんな風でしたね」と胡《ご》魔《ま》化《か》した。
「ここでこのくらいじゃ、和歌の浦はさぞたいへんでしょうね」と嫂がはじめて和歌の浦のことを言いだした。
自分は胸がまたわくわくしだした。「姐《ねえ》さんここの電話も切れてるのかね」と言って、答えも待たずに風《ふ》呂《ろ》場《ば》に近い電話口まで行った。そこで帳面を引っ繰り返しながら号鈴《ベル》をしきりに鳴らして、母と兄の泊まっている和歌の浦の宿へ掛けてみた。すると不思議に向こうで二言三言なにか言ったような気がするので、これは有《あり》難《がた》いと思いつつなお暴風雨《あらし》の模様を聞こうとすると、またさっぱり通じなくなった。それから何遍もしもしと呼んでもいくら号鈴を鳴らしても、呼び甲斐も鳴らし甲《が》斐《い》もまったくなくなったので、ついに我を折ってわが部屋へ引き戻《もど》してきた。嫂は蒲《ふ》団《とん》の上に坐《すわ》って茶を啜《すす》っていたが、自分の足音を聴《き》きつつ振り返って、「電話はどうして? 通じて?」と聞いた。自分は電話について今の一部始終を説明した。
「おおかたそんなことだろうと思った。とても駄《だ》目《め》よ今夜は。いくら掛けたって、風で電話線を吹き切っちまったんだから。あの音を聞いたって解《わか》るじゃありませんか」
風はどこからか二《ふた》筋《すじ》に綯《よ》れてきたのが、急に擦れ違いになって唸《うな》るような怪しい音を立てて、また虚《こ》空《くう》はるかに騰《のぼ》るごとくに見えた。
三五
二人が風に耳を峙《そばだ》てて《*》いると、下女が風《ふ》呂《ろ》の案内に来た。それから晩《ばん》飯《めし》を食うかと聞いた。自分は晩食などを欲《ほ》しいと思う気になれなかった。
「どうします」と嫂《あによめ》に相談してみた。
「そうね。どうでも宜《い》いけども。せっかく泊まったもんだから、お膳《ぜん》だけでも見たほうが宜《い》いでしょう」と彼女は答えた。
下女が心得て立っていったかと思うと、宅《うち》中《じゆう》の電燈がぱたりと消えた。黒い柱と煤《すす》けた天井でたださえ陰気な部《へ》屋《や》が、今度は真《まつ》暗《くら》になった。自分は鼻の先に坐《すわ》っている嫂を嗅《か》げば嗅がれるような気がした。
「姉《ねえ》さん怖《こわ》かありませんか」
「怖いわ」という声が想像したとおりの見当で聞こえた。けれどもその声のうちには怖《こわ》らしい何物をも含んでいなかった。またわざと怖がって見せる若々しい蓮《はす》葉《は*》の態度もなかった。
二人は暗黒のうちに坐っていた。動かずにまたものを言わずに、黙って坐っていた。目に色を見ないせいか、外の暴風《あらし》雨は今までよりはよけい耳に付いた。雨は風に散らされるのでそれほど恐ろしい音も伝えなかったが、風は屋根も塀も電柱も、見境なく吹《ふ》き捲《めく》って悲鳴を上げさせた。自分たちの室《へや》は地面の上の穴倉みたような所で、四方とも頑《がん》丈《じよう》な建物だの厚い塗り壁だのに包《かこ》まれて、縁の前の小さい中庭さえ比較的安全に見えたけれども、周囲一面から出る一種凄《すさま》じい音響は、暗《くら》闇《やみ》に伴って起こる人間の抵抗しがたい不可思議な威嚇であった。
「姉さんもう少しだから我慢なさい。今に女中が灯《ひ》を持ってくるでしょうから」
自分はこう言って、例の見当から嫂の声が自分の鼓膜に響いてくるのを暗に予期していた。すると彼女は何事をも答えなかった。それが漆に似た暗闇の威力で、細い女の声さえ通らないように思われるのが、自分には多少無気味であった。しまいに自分の傍《そば》にたしかに坐っているべきはずの嫂の存在が気に掛かりだした。
「姉さん」
嫂はまだ黙っていた。自分は電気燈の消えないまえ、自分の向こうに坐っていた嫂の姿を、想像で適当の距離に描き出した。そうしてそれを便《たよ》りにまた「姉さん」と呼んだ。
「なによ」
彼女の答えはなんだか蒼蠅《うるさ》そうであった。
「いるんですか」
「いるわ貴方《あなた》。人間ですもの。嘘《うそ》だと思うならここへ来て手で障《さわ》ってごらんなさい」
自分は手《て》捜《さぐ》りに捜り寄ってみたい気がした。けれどもそれほどの度胸がなかった。そのうち彼女の坐っている見当で女帯の擦《す》れる音がした。
「姉さんなにかしているんですか」と聞いた。
「ええ」
「なにをしているんですか」と再び聞いた。
「さっき下女が浴衣《ゆかた》を持ってきたから、着換えようと思って、今帯を解いているところです」と嫂が答えた。
自分が暗闇で帯の音を聞いているうちに、下女は古風な蝋《ろう》燭《そく》を点《つ》けて縁側伝いに持ってきた。そうしてそれを座敷の床の横にある机の上に立てた。蝋燭の炎《ほのお》がちらちら右左へ揺れるので、黒い柱や煤けた天井はもちろん、灯の勢いの及ぶかぎりは、穏やかならぬ薄暗い光にどよめいて、自分の心を淋《さび》しく焦《いら》立《だ》たせた。ことさら床に掛けた軸と、その前に活《い》けてある花とが、気味の悪いほど目立って蝋燭の灯の影響を受けた。自分は手《て》拭《ぬぐ》いを持って、また汗を流しに風呂へ行った。風呂は怪しげなカンテラ《*》で照らされていた。
三六
自分は侘《わび》しい光でやっと見分けのつく小《こ》桶《おけ》を使ってざあざあと背中を流した。出掛けにまた念のためだから電話をちりんちりん鳴らしてみたがさらに通じる気《け》色《しき》がないので已《や》めた。
嫂《あによめ》は自分と入れ代りに風呂に入《はい》ったかと思うとすぐ出てきた。「なんだか暗くって気味が悪いのね。それに桶《おけ》や湯《ゆ》槽《ぶね》が古いんでゆっくり洗う気にもなれないわ」
その時自分は畏《かしこま》った下女を前に置いて蝋《ろう》燭《そく》の灯《ひ》を便《たよ》りに宿帳を付けべく余儀なくされていた。
「姉《ねえ》さん宿帳はどう付けたら好《い》いでしょう」
「どうでも。好い加減に願います」
嫂はこう言って小さい袋から櫛《くし》やなにかはいっている更《サラ》紗《サ*》の畳紙《たとう*》を出しはじめた。彼女は後ろ向きになって蝋燭を一つ占領して鏡台に向かいつつなにか遣《や》っていた。自分は仕方なしに東京の番地と嫂の名を書いて、わざと傍《そば》に一《いち》郎《ろう》妻《さい》と認《したた》めた。同様の意味で自分の側《わき》にも一《いち》郎《ろう》弟《おとと》とわざわざ断わった。
飯の出るまえに、なんの拍子か、さきに暗くなった電燈がまた一時に明るくなった。その時台所の方でわあと喜びの鬨《とき》の声を挙《あ》げたものがあった。暴風雨《しけ》で魚がないと下女が言い訳を言ったにかかわらず、吾《われ》々《われ》の膳《ぜん》の上は明らかであった。
「まるで生き返ったようね」と嫂が言った。
すると電燈がまたぱっと消えた。自分は急に箸《はし》を消えたところに留めたぎり、しばらく動かさなかった。
「おやおや」
下女は大きな声をして朋《ほう》輩《ばい》の名を呼びながら燈光《あかり》を求めた。自分は電気燈がぱっと明るくなった瞬間に嫂が、いつのまにか薄く化粧を施したという艶《なまめか》しい事実を見てとった。電燈の消えた今、その顔だけが真《まつ》闇《くら》なうちに故《もと》のとおり残っているような気がしてならなかった。
「姉さんいつお粧《つく》りしたんです」
「あら厭《いや》だ真闇になってから、そんなことを言いだして。貴方《あなた》いつ見たの」
下女は暗《くら》闇《やみ》で笑いだした。そうして自分の目ざといことを賞《ほ》めた。
「こんな時に白粉《おしろい》まで持ってくるのは実に細かいですね、姉さんは」と自分はまた暗闇のなかで嫂に言った。
「白粉なんか持ってきやしないわ。持ってきたのはクリームよ、貴方」と彼女はまた暗闇のなかで弁解した。
自分は暗がりのなかで、しかも下女のいる前で、こんな冗談を言うのが常よりは面《おも》白《しろ》かった。そこへ彼女の朋輩がまた別の蝋燭を二本ばかり点《つ》けてきた。
室《へや》の中は裸《はだか》蝋《ろう》燭《そく》の灯《ひ》で渦《うず》を巻くように動揺した。自分も嫂も眉《まゆ》を顰《ひそ》めて燃える炎の先を見詰めていた。そうして落ち付きのない淋《さび》しさとでも形容すべき心持ちを味わった。
ほどなく自分たちは寐《ね》た。便所に立った時、自分は窓の間から空を仰ぐように覗《のぞ》いて見た。今まで多少静まっていた暴風雨《あらし》が、この時は夜《よ》更《ふ》けとともに募ったものか、真《まつ》黒《くろ》な空が真黒いなりに活動して、瞬間も休まないように感ぜられた。自分は恐ろしい空のなかで、黒い電光が擦《す》れ合って、たがいに黒い針に似たものを隙《すき》間《ま》なく出しながら、この暗さを大きな音のうちに維持しているのだと想像し、かつその想像の前に畏《い》縮《しゆく》した。
蚊《か》帳《や》の外には蝋燭の代りに下女が床を延べた時、行燈《あんどん》を置いていった。その行燈がまた古風な陰気なもので、いっそ吹き消して闇《くら》がりにしたほうが、微《かす》かな光に照らされる無気味さよりはかえって心持ちが好《い》いくらいだった。自分は燐寸《マツチ》を擦《す》って、薄暗い所で煙草《たばこ》を呑《の》みはじめた。
三七
自分はさっきから少しも寐《ね》なかった。小《こ》用《よう*》に立って、一本の紙巻きを吹かすあいだにもいろいろなことを考えた。それが取り留めもなく雑然と一度に来るので、自分にもなにが主要の問題だか捕えられなかった。自分は燐寸《マツチ》を擦《す》って煙草《たばこ》を呑《の》んでいることさえ時々忘れた。しかもそこに気が付いて、再び吸い口を唇《くちびる》に銜《くわ》える時の煙の無味《まず》さはまた特別であった。
自分の頭の中には、今見てきた正体の解《わか》らない黒い空が、凄《すさま》じく一様に動いていた。それから母や兄のいる三階の宿が波を幾度となく被《かぶ》って、くるりくるりと回りだしていた。それが片付かないうちに、この部《へ》屋《や》の中に寐ている嫂《あによめ》のことがまた気になりだした。天災とはいえ二人でここへ泊まった言い訳をどうしたものだろうと考えた。弁解してからあと、兄の機《き》嫌《げん》をどうして取り直したものだろうとも考えた。同時に今日《きよう》嫂といっしょに出て、めったにないこんな冒険をともにした嬉《うれ》しさがどこからか湧《わ》いて出た。その嬉しさが出た時、自分は風も雨も海嘯《つなみ》も母も兄もことごとく忘れた。するとその嬉しさがまた俄《が》然《ぜん》として一種の恐ろしさに変化した。恐ろしさというよりも、むしろ恐ろしさの前触れであった。どこかに潜伏しているように思われる不安の徴候であった。そうしてその時は外面《そと》を狂い回る暴風雨《あらし》が、木を根こぎにしたり、塀《へい》を倒したり、屋《や》根《ね》瓦《がわら》を捲《めく》ったりするのみならず、今薄暗い行燈の下《もと》で味のない煙草を吸っているこの自分を、粉《こ》微《み》塵《じん》に破壊する予告のごとく思われた。
自分がこんなことをぐるぐる考えているうちに、蚊《か》帳《や》の中に死人のごとく大人《おとな》しくしていた嫂が、急に寐返りをした。そうして自分に聞こえるように長い欠伸《あくび》をした。
「姉《ねえ》さんまだ寐ないんですか」と自分は煙草の煙の間から嫂に聞いた。
「ええ、だってこの吹き降りじゃ寐ようにも寐られないじゃありませんか」
「僕もあの風の音が耳に付いてどうすることもできない。電燈の消えたのは、なんでもここいら近所にある柱が一本とか二本とか倒れたためだってね」
「そうよ、そんなことをさっき下女が言ったわね」
「お母《かあ》さんと兄《にい》さんはどうしたでしょう」
「妾《あたし》もさっきからそのことばかり考えているの。しかしまさか浪《なみ》ははいらないでしょう。はいったって、あの土手の松の近所にある怪しい藁《わら》屋《や》ぐらいなものよ。持ってかれるのは。もしほんとうの海嘯が来てあすこ界《かい》隈《わい》をすっかり攫《さら》っていくんなら、妾ほんとうに惜しいことをしたと思うわ」
「なぜ」
「なぜって、妾そんな物《もの》凄《すご》いところが見たいんですもの」
「冗談じゃない」と自分は嫂の言葉を打《ぶ》った切《ぎ》るつもりで言った。すると嫂は真《ま》面《じ》目《め》に答えた。
「あらほんとうよ二郎さん。妾死ぬなら首を縊《くく》ったり咽喉《のど》を突いたり、そんな小刀細工をするのは嫌《きら》いよ。大水に攫われるとか、雷火に打たれるとか、猛烈で一息な死に方がしたいんですもの」
自分は小説などをそれほど愛読しない嫂から、はじめてこんなロマンチックな言葉を聞いた。そうして心のうちでこれはまったく神経の昂《こう》奮《ふん》から来たに違いないと判じた。
「なにかの本にでも出てきそうな死に方ですね」
「本に出るか芝居で遣るかしらないが、妾ゃ真剣にそう考えてるのよ。嘘《うそ》だと思うならこれから二人で和歌の浦へ行って浪でも海嘯でも構わない、いっしょに飛び込んでお目に懸《か》けましょうか」
「あなた今夜は昂奮している」と自分は慰撫《なだ》めるごとく言った。
「妾のほうが貴方《あなた》よりどのくらい落ち付いているかしれやしない。たいていの男は意《い》気《く》地《じ》なしね、いざとなると」と彼女は床の中で答えた。
三八
自分はこの時はじめて女というものをまだ研究していないことに気が付いた。嫂《あによめ》はどこからどう押しても押しようのない女であった。こっちが積極的に進むとまるで暖《の》簾《れん》のように抵抗《たわい》がなかった。仕方なしにこっちが引き込むと、突然変なところへ強い力を見せた。その力のうちにはとても寄り付けそうにない恐ろしいものもあった。またはこれなら相手にできるから進もうかと思って、まだ進みかねているうちに、ふっと消えてしまうのもあった。自分は彼女と話しているあいだ始終彼女から翻《ほん》弄《ろう》されつつあるような心持ちがした。不思議なことに、その翻弄される心持ちが、自分にとって不愉快であるべきはずだのに、かえって愉快でならなかった。
彼女は最後に物《もの》凄《すごい》い決心を語った。海嘯《つなみ》に攫《さら》われていきたいとか、雷火に打たれて死にたいとか、なにしろ平凡以上に壮烈な最後を望んでいた。自分は平生から(ことに二人でこの和歌山に来てから)体力や筋力においてはるかに優勢な位地に立ちつつも、嫂に対してはどことなく無気味な感じがあった。そうしてその無気味さがはなはだ狎《な》れやすい感じと妙に相伴っていた。
自分は詩や小説にそれほど親しみのない嫂のくせに、なにに昂《こう》奮《ふん》して海嘯に攫われて死にたいなどというのか、そこをもっと突き留めてみたかった。
「姉《ねえ》さんが死ぬなんてことを言いだしたのは今夜はじめてですね」
「ええ口へ出したのは今夜がはじめてかもしれなくってよ。けれども死ぬことは、死ぬことだけはどうしたって心のうちで忘れた日はありゃしないわ。だから嘘《うそ》だと思うなら、和歌の浦まで伴《つ》れていってちょうだい。きっと浪《なみ》の中へ飛び込んで死んでみせるから」
薄暗い行燈《あんどん》の下《もと》で、暴風雨《あらし》の音のあいだにこの言葉を聞いた自分は、実際物《もの》凄《すご》かった。彼女は平生から落ち付いた女であった。歇斯的里《ヒステリ》風《ふう》なところはほとんどなかった。けれども寡《か》言《げん*》な彼女の頬《ほお》は常に蒼《あお》かった。そうしてどこかの調子で目の中に意味の強い解すべからざる光が出た。
「姉さんは今夜よっぽどどうかしている。なにか昂奮していることでもあるんですか」
自分は彼女の涙を見ることができなかった。また彼女の泣き声を聞くこともできなかった。けれども今にもそこに至りそうな気がするので、暗い行燈の光を便《たよ》りに、蚊《か》帳《や》の中を覗《のぞ》いて見た。彼女は赤い蒲《ふ》団《とん》を二枚重ねてその上に縁を取った白麻の掛け蒲団を胸のところまで行儀よく掛けていた。自分が暗い灯《ひ》でその姿を覗き込んだ時、彼女は枕《まくら》を動かして自分の方を見た。
「あなた昂奮昂奮って、よく仰《おつ》しゃるけれども妾《あたし》ゃ貴方《あなた》よりいくら落ち付いてるか解《わか》りゃしないわ。いつでも覚悟ができてるんですもの」
自分はなんと答うべき言葉も持たなかった。黙って二本目の敷《しき》島《しま》を暗い灯《ほ》影《かげ》で吸いだした。自分はわが鼻と口から濛《もう》々《もう》と出る煙ばかりを眺《なが》めていた。自分はそのあいだに気味のわるい目を転じて、時々蚊帳の中を窺《うかが》った。嫂《あによめ》の姿は死んだように静かであった。あるいはすでに寐《ね》付《つ》いたのではないかとも思われた。すると突然仰《あお》向《む》けになった顔の中から、「二郎さん」と言う声が聞こえた。
「なんですか」と自分は答えた。
「貴方そこでなにをしていらっしゃるの」
「煙草《たばこ》を呑《の》んでるんです。寐られないから」
「早くお休みなさいよ。寐られないと毒だから」
「ええ」
自分は蚊帳の裾《すそ》を捲《まく》って、自分の床の中にはいった。
三九
翌日は昨日《きのう》と打って変わって美しい空を朝まだきから仰ぐことを得た。
「好《い》い天気になりましたね」と自分は嫂《あによめ》に向かって言った。
「ほんとね」と彼女も答えた。
二人はよく寐《ね》なかったから、夢から覚《さ》めたという心持ちはしなかった。ただ床を離れるやいなや魔から覚めたという感じがしたほど、空は蒼《あお》く染められていた。
自分は朝飯の膳《ぜん》に向かいながら、廂《ひさし》を洩《も》れる明らかな光を見て、急に気分の変化に心付いた。したがって向かい合っている嫂の姿が昨夕《ゆうべ》の嫂とはまったく異なるような心持ちもした。今朝《けさ》見ると彼女の目にどこといって浪《ロ》漫《マン》的《てき》な光は射《さ》していなかった。ただ寐の足りない〓《まぶち》が急に爽《さわ》やかな光に照らされて、それに抵抗するのがいかにも慵《ものう》いといったような一種の倦《け》怠《た》るさが見えた。頬《ほお》の蒼《あお》白《じろ》いのも常に変わらなかった。
我々はできるだけ早く朝飯を済まして宿を立った。電車はまだ通じないだろうという宿のものの注意を信用して俥《くるま》を雇った。車夫は土間から表に出た我々を一目見て、すぐ夫婦ものと鑑定したらしかった。俥に乗るやいなや自分の梶《かじ》棒《ぼう》を先へ上げた。自分はそれを留めるように、「あとからあとから」と言った。車夫は心得て「奥さんのほうがさきだ」と相《あい》図《ず》した。嫂《あによめ》の俥が自分の傍《そば》を擦《す》り抜ける時、彼女は例の片《かた》靨《えくぼ》を見せて「お先へ」と挨《あい》拶《さつ》した。自分は「さあどうぞ」と言ったようなものの、腹の中では車夫の口にした奥さんという言葉が大いに気になった。嫂はそんな景《け》色《しき*》もなく、自分を乗り越すやいなや、琥《こ》珀《はく*》に刺繍《ぬい》のある日《ひ》傘《がさ》を翳《かざ》した。彼女の後ろ姿はいかにも涼しそうに見えた。奥さんと言われても言われないでもまったく無関係の態度で、俥の上に澄まして乗っているとしか思われなかった。
自分は嫂の後ろ姿を見詰めながら、また彼女の人となりに思い及んだ。自分は平生こそ嫂の性質をいくぶんかしっかり手に握っているつもりであったが、いざ本式に彼女の口からほんとうのところを聞いてみようとすると、まるで八幡《やわた》の藪《やぶ》知らず《*》へはいったように、すべてが解《わか》らなくなった。
すべての女は、男から観察しようとすると、みんな正体の知れない嫂のごときものに帰着するのではあるまいか。経験に乏しい自分はこうも考えてみた。またその正体の知れないところがすなわち他の婦人に見《み》出《いだ》しがたい嫂だけの特色であるようにも考えてみた。とにかく嫂の正体はまったく解らないうちに、空が蒼《あお》々《あお》と晴れてしまった。自分は気の抜けた麦酒《ビール》のような心持ちを抱《いだ》いて、先へ行く彼女の後ろ姿を絶えず眺《なが》めていた。
突然自分は宿へ帰ってから嫂について兄に報告をする義務がまだ残っていることに気が付いた。自分はなんと報告して好《い》いかよく解らなかった。言うべき言葉はたくさんあったけれども、それを一々兄の前に並べるのはとうてい自分の勇気ではできなかった。よし並べたって最後の一句は正体が知れないという簡単な事実に帰するだけであった。あるいは兄自身も自分と同じく、この正体を見届けようと煩《はん》悶《もん》し抜いた結果、こんなことになったのではなかろうか。自分は自分がもし兄と同じ運命に遭遇したら、あるいは兄以上に神経を悩ましはしまいかと思って、はじめて恐ろしい心持ちがした。
俥が宿へ着いたとき、三階の縁側には母の影も兄の姿も見えなかった。
四〇
兄は三階の日に遠い室《へや》で例の黒い光沢《つや》のある頭を枕《まくら》に着けて仰《あお》向《む》きになっていた。けれども眠ってはいなかった。むしろ充血した目を見張るように緊張して天井を見詰めていた。彼は自分たちの足音を聞くやいなや、いきなりその血走った目を自分と嫂《あによめ》に注いだ。自分はかねてからその目付きを予想し得なかったほど兄を知らないわけでもなかった。けれども室の入口で嫂と相並んで立ちながら、昨夕《ゆうべ》まんじりともしなかったと自白しているような彼の赤くて鋭い目付を見た時は、少し驚かされた。自分はこういう場合の緩和剤として例《いつも》のとおり母を求めた。その母は座敷の中にも縁側にもどこにも見当たらなかった。
自分が彼女を探しているうちに嫂は兄の枕《まくら》元《もと》に坐《すわ》って挨《あい》拶《さつ》をした。
「ただいま」
兄はなんとも答えなかった。嫂はまた坐ったなりそこを動かなかった。自分は勢いとして口を開くべく余儀なくされた。
「昨夕こっちはたいへんな暴風雨《あらし》でしたってね」
「うんずいぶん非《ひ》道《ど》い風だった」
「波があの石の土手を越して松並木から下へ流れ込んだの」
これは嫂の言葉であった。兄はしばらく彼女の顔を眺《なが》めていた。それからおもむろに答えた。
「いやそうでもない。家に故障はなかったはずだ」
「じゃ。むりに帰れば帰れたのね」
嫂はこう言って自分を顧みた。自分は彼女よりもむしろ兄の方に向いた。
「いやとても帰れなかったんです。電車がだいち通じないんですもの」
「そうかもしれない。昨夕《きのう》は夕方あたりからあの波が非常に高く見えたから」
「夜中に宅《うち》が揺れやしなくって」
これも嫂の兄に聞いた問いであった。今度は兄がすぐ答えた。
「揺れた。お母《かあ》さんは危険だからと言って下へ降りて行かれたくらい揺れた」
自分は兄の目色の険悪な割合に、それほど殺気を帯びていない彼の言語動作をようよう確かめ得た時やっと安心した。彼は自分の性急《せつかち》に比べると約五倍がたの癇《かん》癪《しやく》持《も》ちであった。けれども一種天《てん》賦《ぷ》の能力があって、時にその癇癪を巧みに殺すことができた。
そのうちに明神様へお参りに行った母が帰ってきた。彼女は自分の顔を見てようやく安心したというような色をしてくれた。
「よく早く帰れて好《よ》かったね。――まあ昨夕《ゆうべ》の恐ろしさったら、そりゃお話にもなんにもならないんだよ。二郎。この柱がぎいぎいって鳴るたんびに、座敷が右左に動《いご》くんだろう。そこへ持ってきて、あの浪《なみ》の音がね。――わたしゃ今聞いてもほんとうにぞっとするよ……」
母は昨夕の暴風雨《あらし》を非《ひ》道《ど》く怖《こわ》がった。ことにその連想から出る、防波堤を砕きにかかる浪の音を嫌《きら》った。
「もうもう和歌の浦も御免。海も御免。欲も得も要《い》らないから、早く東京へ帰りたいよ」
母はこう言って眉《まゆ》をひそめた。兄は肉のない頬《ほお》へ皺《しわ》を寄せて苦笑した。
「二郎たちは昨夕どこへ泊まったんだい」と聞いた。
自分は和歌山の宿の名を挙《あ》げて答えた。
「好《い》い宿かい」
「なんだかかんだか、ただ暗くって陰気なだけです。ねえ姉《ねえ》さん」
その時兄は走るような目を嫂に転じた。
嫂はただ自分の顔を見て「まるでお化けでも出そうな宅《うち》ね」と言った。
日の夕暮れに自分は嫂と階段の下で出《で》逢《あ》った。その時自分は彼女に「どうです、兄《にい》さんは怒《おこ》ってるんでしょうか」と聞いてみた。嫂は「どうだか腹の中はちょっと解《わか》らないわ」と淋《さび》しく笑いながら上へ昇《のぼ》っていった。
四一
母が暴風雨《あらし》に怖《お》じ気が付いて、早く立とうと言うのを機《しお》に、みんなここを切り上げて一刻も早く帰ることにした。
「いかな名所でも一日二日《ふつか》は好《い》いが、長くなると詰《つま》らないですね」と兄は母に同意していた。
母は自分を小《こ》蔭《かげ》へ呼んで、「二郎お前どうするつもりだい」と聞いた。自分は自分の留《る》守《す》中《ちゆう》に兄が万事を母に打ち明けたのかと思った。しかし兄の平生から察すると、そんな行き抜けの人となり《*》でもなさそうであった。
「兄《にい》さんは昨夕《ゆうべ》僕らが帰らないんで、機《き》嫌《げん》でも悪くしているんですか」
自分がこう質問を掛けた時、母は少しのあいだ黙っていた。
「昨夕はね、知ってのとおりの浪《なみ》や風だから、そんな話をする閑《ひま》もなかったけれども……」
母はどうしてもそこまでしか言わなかった。
「お母《かあ》さんはなんだか僕と嫂《ねえ》さんの仲を疑《うたぐ》っていらっしゃるようだが………」と言い掛けると、今まで自分の目をじっと見ていた母は急に手を振って自分を遮《さえぎ》った。
「そんなことがあるものかねお前、お母さんにかぎって」
母の言葉は実際はっきりした言葉に違いなかった。顔付も目付もきびきびしていた。けれども彼女の腹の中はとても読めなかった。自分は親身の子として、時たまほんとうの父や母に向かいながら嘘《うそ》と知りつつ真顔でなにか言い聞かされることを覚えて以来、世の中で本式のほんとうを言い続けに言うものは一人もないと諦《あきら》めていた。
「兄さんには僕から万事話すことになっています。そういう約束になってるんだから、お母さんが心配なさる必要はありません。安心していらっしゃい」
「じゃなるべく早く片付けたほうが好《い》いよ二郎」
自分たちはその明くる宵《よい》の急行で東京へ帰ることに極《き》めていた。実はまだ大阪を中心として、見物かたがた歩くべき場所はたくさんあったけれども、母の気が進まず、兄の興味が乗らず、大阪で中継ぎをする時間さえ惜しんで、すぐ東京まで寝台で通そうというのが母と兄の主張であった。
自分たちはぜひとも翌日《あした》の朝の汽車で和歌山から大阪へ向けて立たなければならなかった。自分は母の命令で岡田の宅《うち》まで電報を打った。
「佐野さんへは掛ける必要もないでしょう」と言いながら自分は母と兄の顔を眺《なが》めた。
「あるまい」と兄が答えた。
「岡田へさえ打っておけば、佐野さんは打っちゃっておいてもきっと送りにきてくれるよ」
自分は電報紙を持ちながら、ぜひともお貞さんを貰《もら》いたいという佐野のお凸額《でこ》とその金《きん》縁《ぶち》眼鏡《めがね》を思い出した。
「ではあのお凸額さんは止めておこう」
自分はこう言って、みんなを笑わせた。自分がとうから佐野のお凸額を気にしていたごとく、ほかのものも同じ人の同じ特色を注意していたらしかった。
「写真で見たよりお凸額ね」と嫂《あによめ》は真《ま》面《じ》目《め》な顔で言った。
自分は冗談のうちに自分を紛《まぎら》しつつ、どんな折りを利用して嫂のことを兄に復命したものだろうかと考えていた。それで時々偸《ぬす》むようにまた先方の気の付かないように兄の様子を見た。ところが兄は自分の予期に反して、まったくそれには無《む》頓《とん》着《じやく》のように思われた。
四二
自分が兄から別室に呼び出されたのはそれが済んでしばらくしてであった。その時兄は常に変わらない様子をして、(嫂《あによめ》に評させると常に変わらない様子を装って)、「二郎ちょっと話がある。あっちの室《へや》へ来てくれ」と穏やかに言った。自分は大人《おとな》しく「はい」と答えて立った。しかしどうした機《はずみ》か立つときに嫂の顔をちょっと見た。その時はなんの気も付かなかったが、この平凡な所作がその後自分の胸には絶えず驕《きよう》慢《まん》の発現として響いた。嫂は自分と顔を合わせた時、いつものとおり片《かた》靨《えくぼ》を見せて笑った。自分と嫂の目を他《ひと》から見たら、どこかに得意の光を帯びていたのではあるまいか。自分は立ちながら、次の室で浴衣《ゆかた》を畳《たた》んでいた母の方をちょっと顧みて、思わず立ち竦《すく》んだ。母の目付はさっきからたった一人でそっと我々を観察していたとしか見えなかった。自分は母から疑惑の矢を胸に射付けられたような気分で兄のいる室へはいった。
そのころはちょうど旧暦の盆で、いわゆる盆波《*》の荒いためか、泊まり客はむろん、日返りの遊び客さえいつもほどは影を見せなかった。広い三階建てはしたがって空《あ》いている室のほうが多かった。少しの間《ま》融通しようと思えば、いつでも自分の自由になった。
兄はかねてから下女に命じておいたものとみえて、室には麻の蒲《ふ》団《とん》が差向かいに二枚、華《きや》奢《しや》な煙草《たばこ》盆《ぼん》を間に、団扇《うちわ》さえ添えて据《す》えられてあった。自分は兄の前に坐《すわ》った。けれどもなんと言いだしてしかるべきだか、その手加減がちょっと解《わか》らないので、ただ黙っていた。兄も容易に口を開かなかった。しかしこんな場合になると性質上きっと兄のほうから積極的に出るに違いないと踏んだ自分は、わざと巻き莨《たばこ》を吹かしつづけた。
自分はこの時の心理状態を解剖して、今から顧みると、兄に調戯《からか》うというほどでもないが、多少彼を焦《じら》す気味でいたのは慥《たし》かであると自白せざるを得ない。もっとも自分がなぜそれほど兄に対して大胆になり得たかは、我ながら解らない。おそらく嫂の態度が知らぬまに自分に乗り移っていたものだろう。自分は今になって、取り返すことも償うこともできないこの態度を深く懺《ざん》悔《げ》したいと思う。
自分が巻き莨を吹かして黙っていると兄ははたして「二郎」と呼びかけた。
「お前直の性質が解ったかい」
「解りません」
自分は兄の問いのあまりに厳格なため、ついこう簡単に答えてしまった。そうしてそのあまりに形式的なのにあとから気が付いて、悪かったと思い返したが、もう及ばなかった。
兄はそののち一口も聞きもせず、また答えもしなかった。二人こうして黙っているあいだが、自分には非常な苦痛であった。今考えると兄には、なおさらの苦痛であったに違いない。
「二郎、おれはお前の兄として、ただ解りませんという冷淡な挨拶を受けようとは思わなかった」
兄はこう言った。そうしてその声は低くかつ顫えていた。彼は母の手前、宿の手前、また自分の手前と問題の手前とをかねて、高くなるべきはずの咽喉《のど》を、やっとの思いで抑《おさ》えているように見えた。
「お前そんな冷淡な挨拶を一口したぎりで済むものと、高を括《くく》ってるのか、子供じゃあるまいし」
「いえ決してそんなわけじゃありません」
これだけの返事をした時の自分は真に純良なる弟であった。
四三
「そういうつもりでなければ、つもりでないようにもっと詳しく話したら好《い》いじゃないか」
兄は苦り切って団扇《うちわ》の絵を見詰めていた。自分は兄に顔を見られないのをさいわいに、暗に彼の様子を窺《うかが》った。自分からこういうと兄を軽《けい》蔑《べつ》するようではなはだ済まないが、彼の表情のどこかには、というよりも、彼の態度のどこかには、少し大人《おとな》気《げ》を欠いた稚気さえ現われていた。今の自分はこの純粋な一本調子に対して、相応の尊敬を払う見地を具《そな》えているつもりである。けれども人格のできていなかった当時の自分には、ただ向こうの隙《すき》を見て事をするのが賢いのだという利害の念が、こんな問題にまで付け纏《まつわ》っていた。
自分はしばらく兄の様子を見ていた。そうしてこれは与《くみ》しやすいという心が起こった。彼は癇《かん》癪《しやく》を起こしている。彼は焦《じ》れ切っている。彼はわざとそれを抑《おさ》えようとしている。まったく余裕のないほど緊張している。しかし風《ふう》船《せん》球《だま》のように軽く緊張している。もう少し待っていれば自分の力で破裂するか、または自分の力でどこかへ飛んで行くに相違ない。――自分はこう観察した。
嫂《あによめ》が兄の手に合わないのもまったくここに根ざしているのだと自分はこの時ようやく勘付いた。また嫂として存在するには、彼女の遣り口がいちばん巧妙なんだろうとも考えた。自分は今日《きよう》までただ兄の正面ばかり見て、遠慮したり気兼ねしたり、時によっては恐れ入ったりしていた。しかし昨日《きのう》一日一晩嫂と暮らした経験は図らずもこの苦々しい兄を裏から甘く見る結果になって眼前に現われてきた。自分はいつ嫂から兄をこう見ろと教わった覚えはなかった。けれども兄の前へ出て、これほど度胸の据《すわ》ったこともまたなかった。自分は比較的済まして、団扇を見詰めている兄の額のあたりをこっちでも見詰めていた。
すると兄が急に首を上げた。
「二郎なんとか言わないか」と励《はげ》しい言葉を自分の鼓膜に射込んだ。自分はその声でまたはっと平生の自分に返った。
「今言おうと思ってるところです。しかし事が複雑なだけに、なにから話して好《い》いか解《わか》らないんでちょっと困ってるんです。兄《にい》さんもほかのことたあ違うんだから、もう少し打ち解けてゆっくり聞いてくださらなくっちゃ。そう裁判所みたように生《き》真《ま》面《じ》目《め》に叱《しか》り付けられちゃ、せっかく咽喉《のど》まで出掛かったものも、辟《へき》易《えき》して引っ込んじまいますから」
自分がこう言うと、兄はさすがに一見識ある人だけあって、「ああそうか己《おれ》が悪かった。お前が性急《せつかち》のうえへもってきて、己が癇《かん》癪《しやく》持ちときているから、つい変にもなるんだろう。二郎、それじゃいつゆっくり話される。ゆっくり聞くことなら今でも己にはできるつもりだが」と言った。
「まあ東京へ帰るまで待ってください。東京へ帰るたって、あすの晩の急行だから、もうじきです。そのうえで落ち付いて僕の考えも申し上げたいと思ってますから」
「それでも好い」
兄は落ち付いて答えた。今までの彼の癇癪を自分の信用で吹き払い得たごとくに。
「ではどうか、そう願います」と言って自分が立ち掛けた時、兄は「ああ」と肯《うなず》いて見せたが、自分が敷居を跨《また》ぐ拍子に「おい二郎」とまた呼び戻《もど》した。
「詳しいことは追って東京で聞くとして、ただ一言だけ要領を聞いておこうか」
「姉《ねえ》さんについて……」
「むろん」
「姉さんの人格について、お疑いになるところはまるでありません」
自分がこう言った時、兄は急に色を変えた。けれどもなんにも言わなかった。自分はそれぎり席を立ってしまった。
四四
自分はその時場合によれば、兄から拳《げん》骨《こつ》を食うか、または後ろから熱《ねつ》罵《ば》を浴びせ掛けられることと予期していた。色を変えた彼を後ろに見捨てて、自分の席を立ったくらいだから、自分は普通よりよほど彼を見《み》縊《くび》っていたに違いなかった。そのうえ自分はいざとなれば腕力に訴えてでも嫂《あによめ》を弁護する気概を十分具《そな》えていた。これは嫂が潔白だからというよりも嫂に新たなる同情が加わったからというほうが適切かもしれなかった。言い換えると、自分は兄をそれだけ軽《けい》蔑《べつ》しはじめたのである。席を立つ時などは多少彼に対する敵《てき》愾《がい》心《しん》さえ起こった。
自分が室《へや》へ帰ってきた時、母はもう浴衣《ゆかた》を畳んではいなかった。けれども小さい行《こ》李《り*》の始末に余念なく手を動かしていた。それでも心は手《て》許《もと》になかったと見えて、自分の足音を聞くやいなや、すぐこっちを向いた。
「兄《にい》さんは」
「今来るでしょう」
「もう話は済んだの」
「済むの済まないのって、はじめからそんなたいした話じゃないんです」
自分は母の気を休めるため、わざと蒼蠅《うるさ》そうにこう言った。母はまた行李の中へ、こまごましたものを出したり入れたりしはじめた。自分は今度は彼女に恥じて、決して傍《そば》に手伝っている嫂《あによめ》の顔をあえて見なかった。それでも彼女の若くて淋《さむ》しい唇《くちびる》には冷やかな笑いの影が、自分の目を掠《かす》めるように過ぎた。
「今から荷造りですか。ちっと早すぎるな」と自分はわざと年を取った母を嘲《あざ》けるごとく注意した。
「だって立つとなれば、なるたけ早く用意しておいたほうが都合が好《い》いからね」
「そうですとも」
嫂のこの返事は、自分がなにか言おうとする先を越して声に応ずる響きのごとく出た。
「じゃ縄《なわ》でも絡《から》げましょう。男の役だから」
自分は兄と反対に車夫や職人のするような荒仕事に妙を得ていた。ことに行李を括《くく》るのは得意であった。自分が縄を十文字に掛けはじめると、嫂はすぐ立って兄のいる室のほうに行った。自分は思わずその後ろ姿を見送った。
「二郎兄さんの機《き》嫌《げん》はどうだったい」と母がわざわざ小さな声で自分に聞いた。
「別にこれということもありません。なあに心配なさることがあるもんですか。大丈夫です」と自分はことさらに荒っぽく言って、右足で行李の蓋《ふた》をぎいぎい締めた。
「実はお前にも話したいことがあるんだが。東京へでも帰ったらいずれまたゆっくりね」
「ええゆっくり伺いましょう」
自分はこう無《む》造《ぞう》作《さ》に答えながら、腹の中では母のいわゆる話なるものの内容を朧《おぼろ》気《げ》ながら髣《ほう》髴《ふつ》した。
しばらくすると、兄と嫂が別席から出てきた。自分は平気を粧《よそお》いながら母と話しているあいだにも、両人の会見とその会見の結果について多少気掛かりなところがあった。母は二人の並んで来る様子を見て、やっと安心したふうを見せた。自分にもどこかにそんなところがあった。
自分は行李を絡げる努力で、顔やら背中やらから汗がたくさん出た。腕《うで》捲《まく》りをしたうえ、浴衣の袖《そで》で汗を容赦なく拭《ふ》いた。
「おい暑そうだ。少し扇《あお》いでやるが好《い》い」
兄はこう言って嫂を顧みた。嫂は静かに立って自分を扇いでくれた。
「なによござんす。もうじきですから」
自分がこう断わっているうちに、やがて明日《あす》の荷造りはでき上がった。
帰ってから
一
自分は兄夫婦の仲がどうなることかと思って和歌山から帰ってきた。自分の予想ははたして外《はず》れなかった。自分は自然の暴風雨《あらし》についで、兄の頭に一種の旋風が起こる徴候を十分認めて彼の前を引き下がった。けれどもその徴候は嫂《あによめ》が行って十分か十五分話しているうちに、ほとんど警戒を要しないほど穏やかになった。
自分は心のうちでこの変化に驚いた。針《はり》鼠《ねずみ》のように尖《とが》ってるあの兄を、わずかのあいだに丸め込んだ嫂の手腕にはなおさら敬服した。自分はようやく安心したような顔を、晴れ晴れと輝かせた母を見るだけでも満足であった。
兄の機《き》嫌《げん》は和歌の浦を立つ時も変わらなかった。汽車の内でも同じことであった。大阪へ来てもなお続いていた。彼は見送りに出た岡田夫婦を捕《つらま》えて戯《じよう》談《だん》さえ言った。
「岡田君お重になにか言《こと》伝《づて》はないかね」
岡田は要領を得ない顔をして、「お重さんにだけですか」と聞き返していた。
「そうさ君の仇《きゆう》敵《てき》のお重にさ」
兄がこう答えた時、岡田はやっと気の付いたというふうに笑いだした。同じ意味で謎《なぞ》の解けたお兼さんも笑いだした。母の予言どおり見送りに来ていた佐野も、ようやく笑う機会が来たように、憚《はばか》りなく口を開いて周囲の人を驚かした。
自分はその時まで嫂にどうして兄の機嫌を直したかを聞いてみなかった。その後もついぞ聞く機会を有《も》たなかった。けれどもこういう霊妙な手腕を有っている彼女であればこそ、あの兄に対して始終ああ高を括《くく》っていられるのだと思った。そうしてその手腕を彼女はわざと出したり引っ込ましたりする、単に時と場合ばかりでなく、まったく己《おのれ》の気《き》儘《まま》しだいで出したり引っ込ましたりするのではあるまいかと疑《うたぐ》った。
汽車は例のごとく込み合っていた。自分たちは仕切りの付いている寝台をやっとの思いで四つ買った。四つで一室になっているので都合はたいへん好《よ》かった。兄と自分は体力の優秀な男子という訳で、婦人がた二人に、下のベッドを当てがって、上へ寐《ね》た。自分の下には嫂が横になっていた。
自分は暗いなかを走る汽車の響きのうちに自分の下にいる嫂をどうしても忘れることができなかった。彼女のことを考えると愉快であった。同時に不愉快であった。なんだか柔らかい青大将に身体《からだ》を絡《からま》れるような心持ちもした。
兄は谷一つ隔てて向こうに寐ていた。これは身体が寐ているよりもほんとうに精神が寐ているように思われた。そうしてその寐ている精神を、ぐにゃぐにゃした例の青大将が筋違《すじかい》に頭から足の先まで巻き詰めているごとく感じた。自分の想像にはその青大将が時々熱くなったり冷たくなったりした。それからその巻きようが緩《ゆる》くなったり、緊《きつ》くなったりした。兄の顔色は青大将の熱度の変ずるたびに、それからその絡みつく強さの変ずるたびに、変わった。
自分は自分の寐《ね》台《だい》の上で、半ば想像のごとく半ば夢のごとくにこの青大将と嫂とを連想して已《や》まなかった。自分はこの詩に似たような眠りが、駅夫の呼ぶ名古屋名古屋という声で、急に破られたのを今でも記憶している。その時汽車の音がはたりと留まると同時に、さあという雨の音が聞こえた。自分は靴《くつ》足袋《たび》の裏に湿り気を感じて起き上がると、足のほうに当たる窓が塵《ちり》除《よ》けの紗《しや》で張ってあった。自分はいそいで窓を閉《た》て換えた。ほかの人のはどうかと思って、聞いてみたが、答えがなかった。ただ嫂だけが雨が降り込むようだというので、已《や》むを得ず上から飛び下《お》りてまた窓を閉て換えてやった。
二
「雨のようね」と嫂《あによめ》が聞いた。
「ええ」
自分は半ば風に吹き寄せられた厚い窓掛けの、じとじとに湿ったのを片方へがらりと引いた。途端に母の寐《ね》返《がえ》りを打つ音が聞こえた。
「二郎、ここはどこだい」
「名古屋です」
自分は吹き込む紗《しや》の窓を通して、ほとんど人影の射《さ》さない停車場《ステーシヨン》の光景を、雨のうちに眺《なが》めた。名古屋名古屋と呼ぶ声がまだ遠くの方で聞こえた。それからこつりこつりという足音がたった一人で活《い》きてくるように響いた。
「二郎ついでに妾《わたし》の足のほうも締めておくれな」
「お母《かあ》さんのところも硝子《ガラス》が閉《た》っていないんですか。さっき呼んだらよく寐《ね》ていらっしゃるようでしたから……」
自分は嫂のほうを片付けて、すぐ母のほうに行った。厚い窓掛けを片寄せて、手探りに探ってみると、案外にも立《りつ》派《ぱ》に硝子戸が締まっていた。
「お母さんこっちは雨なんかはいりゃしませんよ。大丈夫です、このとおりだから」
自分はこう言いながら、母の足のほうに当たる硝子を、とんとんと手で叩《たた》いてみせた。
「おや雨ははいらないのかい」
「はいるものですか」
母は微笑した。
「いつごろから雨が降りだしたかお母さんはちっとも知らなかったよ」
母はさも愛《あい》想《そ》らしくまた弁疏《いいわけ*》らしく口を利《き》いて、「二郎、御苦労だったね、早くお休み。もうよっぽど遅《おそ》いんだろう」と言った。
時計は十二時過ぎであった。自分はまたそっと上の寝台に登った。車室は元のとおり静かになった。嫂は母が口を利《き》きだしてから、なにも言わなくなった。母は自分が自分の寝台に上ってから、またなにも言わなくなった。ただ兄だけははじめからしまいまで一《ひと》言《こと》もものを言わなかった。彼は聖《しよう》者《じや》のごとくただすやすやと眠っていた。この眠り方が自分には今でも不審の一つになっている。
彼は自分で時々公言するごとく多少の神経衰弱に陥っていた。そうして時《じ》々《じ》不眠のために苦しめられた。また正直にそれを家族の誰《だれ》彼《かれ》に訴えた。けれども眠くて困ると言ったことはいまだかつてなかった。
富士が見えだして雨上がりの雲が列車に逆らって飛ぶ景《け》色《しき》を、みんなが起きて珍しそうに眺《なが》める時すら、彼は前後に関係なく心持ちよさそうに寐ていた。
食堂が開《あ》いて乗《じよう》客《かく》の多数が朝飯を済ましたのち、自分は母を連れて昨夜以来の空腹を充《み》たすべく細い廊下を伝わって後部の方へ行った。その時母は嫂に向かって、「もう好《い》い加《か》減《げん》に一郎を起こして、いっしょにあっちへお出《い》で。妾《あたし》たちは向こうへ行って待っているから」と言った。嫂はいつものとおり淋《さむ》しい笑い方をして、「ええじきおあとから参ります」と答えた。
自分たちは室内の掃《そう》除《じ》に取り懸《かか》ろうとする給仕《ボイ》をあとにして食堂へはいった。食堂はまだだいぶ込んでいた。出たりはいったりするものが絶えず狭い通り路《みち》をざわつかせた。自分が母に紅茶と果《くだ》物《もの》を勧めている時分に、兄と嫂の姿がようやく入口に現われた。不幸にして彼らの席は自分たちの傍《そば》に見《み》出《いだ》せるほど、食卓は空《す》いていなかった。彼らは入口の所に差向かいで座を占めた。そうして普通の夫婦のように笑いながら話したり、窓の外を眺めたりした。自分を相手に茶を啜《すす》っていた母は、時々その様子を満足らしく見た。
自分たちはこうして東京へ帰ったのである。
三
繰り返していうが、我々はこうして東京へ帰ったのである。
東京の宅《うち》は平生のとおり別にこれといって変わった様子もなかった。お貞さんは襷《たすき》を掛けて別条なく働いていた。彼女が手《て》拭《ぬぐい》を被《かぶ》って洗《せん》濯《たく》をしている後ろ姿を見て、一段落置いた昔のお貞さんを思いだしたのは、帰って二《ふつ》日《か》目《め》の朝であった。
芳《よし》江《え》というのは兄夫婦のあいだにできた一人っ子であった。留《る》守《す》のうちはお重が引き受けて万事世話をしていた。芳江は元来母や嫂《あによめ》に馴《な》付《つ》いていたが、いざとなると、お重だけでも不自由を感じないほど世話の焼けない子であった。自分はそれを嫂の気性を受けて生まれたためか、そうでなければお重の愛《あい》嬌《きよう》のあるためだと解釈していた。
「お重お前のようなものがよくあの芳江を預かることができるね。さすがにやっぱり女だなあ」と父が言ったら、お重は膨《ふく》れた顔をして、「お父《とう》さんもずいぶんなかたね」と母にわざわざ訴えに来た話を、汽車の中で聞いた。
自分は帰ってから一両日して、彼女に、「お重お前をお父さんがやっぱり女だなと仰《おつ》しゃったって怒《おこ》ってるそうだね」と聞いた。彼女は「怒ったわ」と答えたなり、父の書斎の花《はな》瓶《いけ》の水を易《か》えながら、乾《かわ》いた布《ふ》巾《きん》で水を切っていた。
「まだ怒ってるのかい」
「まだってもう忘れちまったわ。――綺《き》麗《れい》ねこの花はなんというんでしょう」
「お重しかし、女だなあというのは、そりゃ賞《ほ》めた言葉だよ。女らしい親切な子だというんだ。怒る奴《やつ》があるもんか」
「どうでも能《よ》くってよ」
お重は帯で隠した尻《しり》の辺《あたり》を左右に振って、両手で花瓶を持ちながら父の居間の方へ行った。それが自分にはあたかも彼女が尻で怒りを見せているようで可笑《おか》しかった。
芳江は我々が帰るやいなや、すぐお重の手から母と嫂に引き渡された。二人は彼女を奪い合うように抱いたり下《おろ》したりした。自分の平生から不思議に思っていたのは、この外見上冷静な嫂に、頑《がん》是《ぜ》ない芳江がよくあれほどに馴付き得たものだという眼前の事実であった。この眸《ひとみ》の黒い髪のたくさんある、そうして母の血を受けて人並みよりも蒼《あお》白《じろ》い頬《ほお》をした少女は、馴れやすからざる彼女の母のあとを、奇跡のごとく追って歩いた。それを嫂は日本一の誇《ほこ》りとして、宅《うち》中《じゆう》の誰《だれ》彼《かれ》に見せびらかした。ことに己《おのれ》の夫に対しては見せびらかすという意味を通り越して、むしろ残酷な敵《かたき》打《う》ちをするふうにも取れた。兄は思索に遠ざかることのできない読書家として、たいていは書《しよ》斎《さい》裡《り》の人であったので、いくら腹のうちでこの少女を鍾《しよう》愛《あい*》しても、鍾愛の報酬たる親しみの程度ははなはだ希薄なものであった。感情的な兄がそれを物足らず思うのも無理はなかった、食卓の上などでそれが色に出る《*》時さえ兄の性質としてはたまにはあった。そうなるとほかのものよりお重が承知しなかった。
「芳江さんはお母《かあ》さん子ね。なぜお父さんの側《そば》に行かないの」などと故意《わざ》とらしく聞いた。
「だって……」と芳江は言った。
「だってどうしたの」とお重がまた聞いた。
「だって怖《こわ》いから」と芳江はわざと小さな声で答えた。それがお重にはなおさら忌《いま》々《いま》しく聞こえるのであった。
「なに? 怖いって? 誰が怖いの?」
こんな問答がよく繰り返されて、時には五分も十分も続いた。嫂はこういう場合に、決して眉《び》目《もく》を動さなかった。いつでも蒼《あお》い頬《ほお》に微笑を見せながらどこまでも尋常な応対をした。しまいには父や母が双方を宥《なだ》めるために、兄から果《くだ》物《もの》を貰《もら》わしたり、菓子を受け取らしたりさせて、「さあそれで好い。お父さんから旨《うま》いものを頂《ちよう》戴《だい》して」とやっとお茶を濁すこともあった。お重はそれでも腹が癒《い》えなそうに膨《ふく》れた頬をみんなに見せた。兄は黙って独《ひと》り書斎へ退くのが常であった。
四
父はその年はじめて誰《だれ》かから朝《あさ》貌《がお》を作ることを教わって、しきりに変わった花や葉を愛《あい》玩《がん》していた。変わったといっても普通のものがただ縮れて見《み》立《だ》てがなくなるだけだから、宅《うち》中《じゆう》でそれを顧みるものは一人もなかった。ただ父の熱心と彼の早起きと、いくつも並んでいる鉢《はち》と、綺《き》麗《れい》な砂と、それから最後に、いやに拗《す》ねた花のさまや葉の形に感心するだけにすぎなかった。
父はそれらを縁側へ並べて誰を捉《つらま》えても説明を怠らなかった。
「なるほど面《おも》白《しろ》いですなあ」と正直な兄までさも感心したらしくお世辞を余儀なくされていた。
父は常に我々とは懸《か》け隔たった奥の二間を専領していた。簀《す》垂《だれ》の懸《かか》ったその縁側に、朝貌はいつでも並べられた。したがって我々は「おい一郎」とか「おいお重」とか言って、わざわざそこへ呼び出されたものであった。自分は兄よりもはるかに父の気に入るような賛辞を呈して引き退《さが》った。そうして父の聞こえないところで、「どうもあんな朝貌を賞《ほ》めなけりゃならないなんて、実際恐れ入るね。親父《おやじ》の酔興にも困っちまう」などと悪口を言った。
いったい父は講釈好きの説明好きであった。そのうえ時間に暇があるから、誰でも構わず、号鈴《ベル》を鳴らして呼び寄せてはいろいろな話をした。お重などは呼ばれるたびに、「兄《にい》さん今日《きよう》はお願いだから代りに行ってちょうだい」と言うことがよくあった。そのお重に父はまた解《わか》りにくいことを話すのが大好きだった。
自分たちが大阪から帰ったとき朝貌はまだ咲いていた。しかし父の興味はもう朝貌を離れていた。
「どうしました。例の変わり種は」と自分が聞いてみると、父は苦笑いをして「実は朝貌もあまり思わしくないから、来年からはもう止《や》めだ」と答えた。自分はおおかた父の誇りとして我々に見せた妙な花や葉が、おそらくその道の人から鑑定すると、成っていなかったんだろうと判断して、茶の間で大きな声を立てて笑った。すると例のお重とお貞さんが父を弁護した。
「そうじゃないのよ。あんまり手数が掛かるんで、お父《とう》さんも根気が尽きちまったのよ。それでもお父さんだからあれだけにできたんですって、皆《みんな》賞めていらしったわ」
母と嫂《あによめ》は自分の顔を見て、さも自分の無識を嘲《あざけ》るように笑いだした。すると傍《そば》にいた小さな芳江までが嫂と同じように意味のある笑い方をした。
こんな瑣《さ》事《じ》で日を暮らしているうちに兄と嫂の間柄はしぜん自分たちの胸を離れるようになった。自分はかねて約束したとおり、兄の前へ出て嫂のことを説明する必要がなくなったような気がした。母が東京へ帰ってからゆっくり話そうと言ったむずかしそうな事件も母の口から容易に出ようとも思えなかった。最後にあれほど嫂について知識を得たがっていた兄が、だんだん冷静に傾いてきた。その代り父母や自分に対してもまえほどは口を利《き》かなくなった。暑い時でもたいていは書斎へ引き籠《こも》ってなにか熱心に遣《や》っていた。自分は時々嫂に向かって、「兄さんは勉強ですか」と聞いた。嫂は「ええおおかた来学年の講義でも作ってるんでしょう」と答えた。自分はなるほどと思って、その忙しさが永《なが》く続くため、彼の心をぜんぜんそっちの方へ転換させることができはしまいかと念じた。嫂は平生のとおり淋《さび》しい秋草のようにそこらを動いていた。そうして時々片《かた》靨《えくぼ》を見せて笑った。
五
そのうち夏もしだいに過ぎた。宵《よい》々《よい》に見る星の光が夜ごとに深くなってきた。梧《あお》桐《ぎり》の葉の朝夕風に揺《ゆら》ぐのが、肌《はだ》に応《こた》えるように目をひやひやと揺《ゆす》振《ぶ》った。自分は秋に入《はい》ると生まれ変わったように愉快な気分を時々感じ得た。自分より詩的な兄はかつて透き通る秋の空を眺《なが》めてああ生《い》き甲《が》斐《い》のある天だと言って嬉《うれ》しそうに真《まつ》蒼《さお》な頭の上を眺めたことがあった。
「兄《にい》さんいよいよ生き甲斐のある時候が来ましたね」と自分は兄の書斎のベランダに立って彼を顧みた。彼はそこにある籐《と》椅《い》子《す》の上に寐《ね》ていた。
「まだほんとうの秋の気分にゃなれない。もう少し経《た》たなくっちゃ駄《だ》目《め》だね」と答えて彼は膝《ひざ》の上に伏せた厚い書物を取り上げた。時は食事前の夕方であった。自分はそれなり書斎を出て下へ行こうとした。すると兄が急に自分を呼び止めた。
「芳江は下にいるかい」
「いるでしょう。さっき裏庭で見たようでした」
自分は北の方の窓を開《あ》けて下を覗《のぞ》いてみた。下には特に彼女のために植木屋が拵《こしら》えたブランコがあった。しかしさっきいた芳江の姿は見えなかった。「おやどこへか行ったかな」と自分が独《ひとり》言《ごと》を言ってると、彼女の鋭い笑い声が風《ふ》呂《ろ》場《ば》の中で聞こえた。
「ああ湯にはいっています」
「直といっしょかい。お母《かあ》さんとかい」
芳江の笑い声の間にはたしかに、女として深さのありすぎる嫂《あによめ》の声が聞こえた。
「姉《ねえ》さんです」と自分は答えた。
「だいぶ機《き》嫌《げん》が好《よ》さそうじゃないか」
自分は思わずこう言った兄の顔を見た。彼は手に持っていた大きな書物で頭まで隠していたからこの言葉を発した時の表情は少しも見ることができなかった。けれども、彼の意味はその調子で自分によく呑《の》み込めた。自分は少し逡《しゆん》巡《じゆん》したあとで、「兄さんは子供をあやすことを知らないから」と言った。兄の顔はそれでも書物の後ろに隠れていた。それを急に取るやいなや彼は「己《おれ》の綾成《あや》す《*》ことのできないのは子供ばかりじゃないよ」と言った。自分は黙って彼の顔を打ち守った。
「己は自分の子供を綾成すことができないばかりじゃない。自分の父や母でさえ綾成す技巧を持っていない。それどころか肝《かん》心《じん》のわが妻《さい》さえどうしたら綾成せるかいまだに分別が付かないんだ。この年になるまで学問をしたお蔭《かげ》で、そんな技巧は覚える余暇《ひま》がなかった。二郎、ある技巧は、人生を幸福にするために、どうしても必要とみえるね」
「でも立《りつ》派《ぱ》な講義さえできりゃ、それですべてを償って余りあるから好《い》いでさあ」
自分はこう言って、様子しだい、退却しようとした。ところが兄は中止する気《け》色《しき》を見せなかった。
「己は講義を作るためばかりに生まれた人間じゃない。しかし講義を作ったり書物を読んだりする必要があるために肝心の人間らしい心持ちを人間らしく満足させることができなくなってしまったのだ。でなければ先方《さき》で満足させてくれることができなくなったのだ」
自分は兄の言葉の裏に、彼の周囲を呪《のろ》うように苦々しいあるものを発見した。自分はなんとか答えなければならなかった。しかしなんと答えて好いか見当が付かなかった。ただ問題が例の嫂事件を再《さい》発《はつ》させてはたいへんだと考えた。それで卑《ひ》怯《きよう》のようではあるが、問答がそこへ流れ入ることを故意に防いだ。
「兄さんが考えすぎるから、自分でそう思うんですよ。それよりかこの好天気を利用して、今度の日曜ぐらいに、どこかへ遠足でもしようじゃありませんか」
兄はかすかに「うん」と言って慵《ものう》げに承諾の意を示した。
六
兄の顔には孤独の淋《さみ》しみが広い額を伝わって瘠《こ》けた頬《ほお》に漲《みなぎ》っていた。
「二郎己《おれ》は昔から自然が好きだが、つまり人間と合わないので、已《や》むを得ず自然のほうに心を移すわけになるんだろうな」
自分は兄が気の毒になった。「そんなことはないでしょう」と一口に打ち消してみた。けれどもそれで兄の満足を買うわけにはゆかなかった。自分はすかさずまたこう言った。
「やっぱり家《うち》の血統にそういう傾きがあるんですよ。お父《とう》さんはむろん、僕でも兄《にい》さんの知っていらっしゃるとおりですし、それにね、あのお重がまた不思議と、花や木が好きで、今じゃ山水画などを見ると感に堪えたような顔をして時々眺《なが》めていることがありますよ」
自分はなるべく兄を慰めようとして、いろいろな話をしていた。そこへお貞さんが下から夕食の報知《しらせ》に来た。自分は彼女に、「お貞さんは近ごろ嬉《うれ》しいと見えて妙ににこにこしていますね」と言った。自分が大阪から帰るやいなや、お貞さんは暑い下《げ》女《じよ》室《べや》の隅《すみ》に引っ込んで容易に顔を出さなかった。それが大阪から出したみんなの合併絵葉書のうちへ、自分がお貞さん宛《あて》に「お目出とう」と書いた五字から起こったのだと知れて家内中大笑いをした。そのためか一つ家にいながらお貞さんは変に自分を回避した。したがって顔を合わせると自分はことさらになにか言いたくなった。
「お貞さんなにが嬉しいんですか」と自分は面《おも》白《しろ》半分追窮するように聞いた。お貞さんは手を突いたなり耳まで赤くなった。兄は籐《と》椅《い》子《す》の上からお貞さんを見て、「お貞さん、結婚の話で顔を赤くするうちが女の花だよ。行ってみるとね、結婚は顔を赤くするほど嬉しいものでもなければ、恥ずかしいものでもないよ。それどころか、結婚をして一人の人間が二人になると、一人でいた時よりも人間の品格が堕落する場会が多い。恐ろしい目に会うことさえある。まあ用心が肝《かん》心《じん》だ」と言った。
お貞さんには兄の意味がまったく通じなかったらしい。なんと答えて好《い》いか解《わか》らないので、むしろ途方に暮れた顔をしながら涙を目にいっぱい溜《た》めていた。兄はそれを見て、「お貞さんよけいなことを話してお気の毒だったね。今のは冗談だよ。二郎のような向こう見ずに言って聞かせることを、ついお貞さんみたいな優しい娘さんに言っちまったんだ。まったくの間違いだ。勘弁してくれたまえ。今夜は御《ご》馳《ち》走《そう》があるかね。二郎それじゃ御《ご》膳《ぜん》を食べに行こう」と言った。
お貞さんは兄が籐椅子から立ち上がるのを見るやいなや、すぐ腰を立てて一足先へ梯子《はしご》段《だん》をとんとんと下《お》りていった。自分は兄と肩を比べて室を出に掛かった。その時兄は自分を顧みて「二郎、この間の問題もそれぎりになっていたね。つい書物や講義のことが忙しいものだから、聞こう聞こうと思いながら、ついそのままにしておいて済まない。そのうちゆっくり聴《き》くつもりだから、どうか話してくれ」と言った。自分は「この間の問題とはなんですか」と空《そら》惚《とぼ》けたかった。けれどもそんな勇気はこの際出る余裕がなかったから、まず体裁の好《い》い挨《あい》拶《さつ》だけをしておいた。
「こう時間が経《た》つと、なんだか気の抜けた麦酒《ビール》みたようで、僕には話しにくくなってしまいましたよ。しかしせっかくのお約束だから聴くと仰《おつ》しゃれば遣《や》らんこともありませんがね。しかし兄さんのいわゆる生《い》き甲《が》斐《い》のある秋にもなったものだから、そんな詰《つま》らないことより、まず第一に遠足でもしようじゃありませんか」
「うん遠足も好《よ》かろうが……」
二人はこんな話を交換しながら、食卓の据《す》えてある下の室に入った。そうしてそこに芳江を傍《そば》に引き付けている嫂《あによめ》を見《み》出《いだ》した。
七
食卓の上で父と母は偶然またお貞さんの結婚問題を話頭に上《のぼ》せた。母はかねて白《しろ》縮《ちり》緬《めん》を織《おり》屋《や》から買っておいたから、それを紋付きに染めようと思っているなどと言った。お貞さんはその時みんなの後ろに坐《すわ》って給仕をしていたが、急に黒塗りの盆をおはちの上へ置いたなり席を立ってしまった。
自分は彼女の後ろ姿を見て笑いだした。兄は反対に苦い顔をした。
「二郎お前がむやみに調戯《からか》うから不可《いけ》ない。ああいう乙女《おぼこ*》にはもう少しデリカシーの籠《こも》った言葉を使ってやらなくっては」
「二郎はまるで堂《どう》摺《する》連《れん*》と同じことだ」と父が笑うようなまた窘《たしな》めるような句調で言った。母だけは一人不思議な顔をしていた。
「なに二郎がね。お貞さんの顔さえ見ればお目出とうだの嬉《うれ》しいことがありそうだのって、いろいろのことを言うから、向こうでも恥ずかしがるんです。今も二階で顔を赤くさせたばかりのところだもんだから、すぐ逃げ出したんです。お貞さんは生まれ付きからして直とはまるで違ってるんだから、こっちでもそのつもりで注意して取り扱ってやらないと不可《いけ》ません………」
兄の説明を聞いた母ははじめてなるほどと言ったように苦笑した。もう食事を済ましていた嫂《あによめ》は、わざと自分の顔を見て変な目《め》遣《づか》いをした。それが自分には一種の相《あい》図《ず》のごとく見えた。自分は父から評されたとおりだいぶ堂摺連の傾きを持っていたが、この時は父や母に憚《はばか》って、嫂の相図を返す気は毫《ごう》も起こらなかった。
嫂は無言のまますっと立った。室《へや》の出口でちょっと振り返って芳江を手招きした。芳江もすぐ立った。
「おや今日《きよう》はお菓子を頂《いただ》かないで行くの」とお重が聞いた。芳江はそこに立ったまま、どうしたものだろうかと思案する様子に見えた。嫂は「おや芳江さん来ないの」とさも大人《おとな》しやかに言って廊下の外へ出た。今まで躊《ちゆう》躇《ちよ》していた芳江は、嫂の姿が見えなくなるやいなや、急に意を決したもののごとく、ばたばたとそのあとを追い駈《か》けた。
お重は彼女の後ろ姿をさも忌《いま》々《いま》しそうに見送った。父と母は厳格な顔をして己《おのれ》の皿《さら》の中を見詰めていた。お重は兄を筋違《すじかい》に見た。けれども兄は遠くの方をぼんやり眺《なが》めていた。もっとも彼の眉《まゆ》根《ね》には薄く八の字が描かれていた。
「兄《にい》さん、そのプッジング《*》を妾《あたし》に頂《ちよう》戴《だい》。ね、好《い》いでしょう」とお重が兄に言った。兄は無言のまま皿をお重の方に押し遣《や》った。お重も無言のままそれを匙《スプーン》で突っついたが、自分からみると、食べたくないものを業《ごう》腹《はら》で食べているとしか思われなかった。
兄が席を立って書斎に入《はい》ったのはそれからしてしばらくあとのことであった。自分は耳を峙《そばだ》てて彼の上靴《スリツパ》が静かに階段を上ってゆく音を聞いた。やがて上の方で書斎の戸《ドア》がどたんと閉《し》まる声がして、あとは静かになった。
東京へ帰ってから自分はこんな光景をしばしば目撃した。父もそこには気が付いているらしかった。けれどもいちばん心配そうなのは母であった。彼女は嫂の態度を見破って、かつ容赦の色を見せないお重を、一日も早く片付けて若い女同士の葛《かつ》藤《とう》を避けたい気《け》色《しき》を色にも顔にも挙動にも現わした。次にはなるべく早く嫁を持たして、兄夫婦のあいだから自分という厄《やつ》介《かい》ものを抜き去りたかった。けれども複雑な世の中は、そう母の思うように旨《うま》く回転してくれなかった。自分は相変わらず、のらくらしていた。お重はますます嫂を敵《かたき》のように振《ふる》舞《ま》った。不思議に彼女は芳江を愛した。けれどもそれは嫂のいない留《る》守《す》に限られていた。芳江も嫂のいない時ばかりお重に縋《すが》り付いた。兄の額には学者らしい皺がだんだん深く刻まれてきた。彼はますます書物と思索の中に沈んでいった。
八
こんな訳で、母のいちばん軽く見ていたお貞さんの結婚が最初に極《きま》ったのは、彼女の思わくとはまるで反対であった。けれどもいつか片付けなければならないお貞さんの運命に一段落を付けるのも、やはり父や母の義務なんだから、彼らは岡田の好意を喜びこそすれ、決してそれを悪く思うはずはなかった。彼女の結婚が家《うち》中《じゆう》の問題になったのもつまりはそのためであった。お重はこの問題についてよくお貞さんを捕《つらま》えて離さなかった。お貞さんはまたお重には赤い顔も見せずに、いろいろの相談をしたり己《おのれ》の将来をも語り合ったらしい。
ある日自分が外から帰ってきて、風《ふ》呂《ろ》から上がったところへ、お重が、「兄《にい》さん佐野さんていったいどんな人なの」と例の前後を顧慮しない調子で聞いた。これは自分が大阪から帰ってから、もう二度目もしくは三度目の質問であった。
「なんだそんな藪《やぶ》から棒に。お前はいったい軽卒で不可《いけ》ないよ」
怒《おこ》りやすいお重は黙って自分の顔を見ていた。自分は胡坐《あぐら》をかきながら、三沢へ遣《や》る端《は》書《がき》を書いていたが、この様子を見て、ちょっと筆を留めた。
「お重また怒ったな。――佐野さんはね、このあいだ言ったとおり金《きん》縁《ぶち》眼鏡《めがね》を掛けたお凸額《でこ》さんだよ。それで好《い》いじゃないか。何遍聞いたって同《おんな》じことだ」
「お凸額や眼鏡は写真で十分だわ。なにも兄さんから聞かないだって妾《あたし》知っててよ。目があるじゃありませんか」
彼女はまだ打ち解けそうな口の利《き》き方をしなかった。自分は静かに端書と筆を机の上へ置いた。
「ぜんたいなにを聞こうというのだい」
「ぜんたい貴方《あなた》はなにを研究していらしったんです。佐野さんについて」
お重という女は議論でも遣《や》りだすとまるで自分を同輩のように見る、癖だか、親しみだか、猛烈な気性だか、稚気だかがあった。
「佐野さんについてって……」と自分は聞いた。
「佐野さんの人となりについてです」
自分はもとよりお重を馬《ば》鹿《か》にしていたが、こういう真《ま》面《じ》目《め》な質問になると、腹の中でどっしりした何物も貯《たくわ》えていなかった。自分は済まして巻き煙草《たばこ》を吹かしだした。お重は口《く》惜《や》しそうな顔をした。
「だってあんまりじゃありませんか、お貞さんがあんなに心配しているのに」
「だって岡田が慥《たし》かだって保証するんだから、好《い》いじゃないか」
「兄さんは岡田さんをどのくらい信用していらっしゃるんです。岡田さんはたかが将《しよう》棋《ぎ》の駒《こま》じゃありませんか」
「顔は将棋の駒だってなんだって……」
「顔じゃありません。心が浮いてるんです」
自分は面倒と癇《かん》癪《しやく》でお重を相手にするのが厭《いや》になった。
「お重お前そんなにお貞さんのことを心配するより、自分が早く嫁にでも行く工夫をしたほうがよっぽど利口だよ。お父《とう》さんやお母《かあ》さんは、お前が片付いてくれるほうをお貞さんの結婚よりどのくらい助かると思っているか解《わか》りゃしない。お貞さんのことなんかどうでも宜《い》いから、早く自分の身体《からだ》を落ち付くようにして、少し親孝行でも心掛けるが好い」
お重ははたして泣きだした。自分はお重と喧嘩するたびに向こうが泣いてくれないと手《て》応《ごた》えがないようで、なんだか物足らなかった。自分は平気で莨《たばこ》を吹かした。
「じゃ兄さんも早くお嫁を貰《もら》って独立したら好いでしょう。そのほうが妾《あたし》が結婚するよりいくら親孝行になるかしれやしない。いやに嫂《ねえ》さんの肩ばかり持って……」
「お前は嫂さんに抵抗しすぎるよ」
「当たり前ですわ。大《おお》兄《にい》さんの妹ですもの」
九
自分は三沢へ端《は》書《がき》を書いたあとで、風《ふ》呂《ろ》から出立ての頬《ほお》に髪《かみ》剃《そ》りを中《あ》てようと思っていた。お重を相手にぐずぐずいうのが面倒になったのを好《い》いさいわいに、「お重気の毒だが風呂場から熱い湯をうがい茶《ぢや》碗《わん》に一杯持ってきてくれないか」と頼んだ。お重は嗽《うがい》茶《ぢや》碗《わん》どころの騒ぎではないらしかった。それよりまだ十倍も厳粛な人生問題を考えているもののごとく澄まして膨《ふく》れていた。自分はお重に構わず、手を鳴らして下女から必要な湯を貰《もら》った。それから机の上へ旅行用の鏡を立てて、象《ぞう》牙《げ》の柄のついた髪剃りを並べて、熱湯で濡《ぬ》らした頬をわざと滑《こつ》稽《けい》に膨《ふくら》ませた。
自分がもの新しそうにシェーヴィング・ブラッシを振り回して、石鹸《シヤボン》の泡《あわ》で顔中を真《まつ》白《しろ》にしていると、さっきから傍《そば》に坐《すわ》ってこの様子を見ていたお重は、ワッという悲劇的な声を振り上げて泣きだした。自分はお重の性質として、早晩ここに来るだろうと思って、暗にこの悲鳴を予期していたのである。そこでますます頬ぺたに空気をいっぱい入れて、白い石鹸《シヤボン》をすうすうと髪剃りの刃で心持ち宜《よ》さそうに落としはじめた。お重はそれを見て業《ごう》腹《はら》だかなんだかますます騒々しい声を立てた。しまいに「兄《にい》さん」と鋭く自分を呼んだ。自分はお重を馬《ば》鹿《か》にしていたには違いないが、この鋭い声には少し驚かされた。
「なんだ」
「なんだって、そんなに人を馬鹿にするんです。これでも私《わたくし》は貴方《あなた》の妹です。嫂《ねえ》さんはいくら貴方が贔屓《ひいき》にしたって、もともと他人じゃありませんか」
自分は髪剃りを下へ置いて、石鹸《シヤボン》だらけの頬《ほお》をお重の方に向けた。
「お重お前は逆《のぼ》せているよ。お前が己《おれ》の妹で、嫂さんが他家《よそ》から嫁に来た女だぐらいは、お前に教わらないでも知ってるさ」
「だから私に早く嫁に行けなんてよけいなことを言わないで、あなたこそ早く貴方の好きな嫂さんみたようなかたをお貰いなすったら好《い》いじゃありませんか」
自分は平手でお重の頭を一つ張り付けてやりたかった。けれども家中騒ぎ回られるのが怖《こわ》いんで、容易に手は出せなかった。
「じゃお前も早く兄さんみたような学者を探《さが》して嫁に行ったら好《よ》かろう」
お重はこの言葉を聞くやいなや、急に掴《つか》み懸《かか》りかねまじき凄《すさま》じい勢いを示した。そうして涙の途切れ目途切れ目に、彼女の結婚がお貞さんより後《おく》れたので、それでこんなに愚《ぐ》弄《ろう》されるのだと言明した末、自分を兄妹《きようだい》に同情のない野蛮人だと評した。自分ももとより彼女の相手になり得るほどの悪《わる》口《くち》家《や》であった。けれども最後にとうとう根気負けがして黙ってしまった。それでも彼女は自分の傍を去らなかった。そうして事実はむろんのこと、事実が生んだとんでもない想像まで縦横に喋舌《しやべ》り回して已《や》まなかった。そのうちで彼女の最も得意とする主題は、なんでもかでも自分と嫂《あによめ》とを結び付けて当て擦《こす》るという悪い意地であった。自分はそれがなにより厭《いや》であった。自分はその時心のうちで、どんなお多福でも構わないから、お重より早く結婚して、この夫婦関係がどうだの、男《なん》女《によ》の愛がどうだのと囀《さえず》る女を、たった一人あとに取り残してやりたい気がした。それからそのほうがまた実際母の心配するとおり、兄夫婦にも都合が好かろうと真《ま》面《じ》目《め》に考えてもみた。
自分は今でも雨に叩かれたようなお重の仏《ぶつ》頂《ちよう》面《づら》を覚えている。お重はまた石鹸を溶《シヤボン》いた金《かな》盥《だらい》の中に顔を突っ込んだとしか思われない自分の異な顔を、どうしても忘れ得ないそうである。
一〇
お重は明らかに嫂《あによめ》を嫌《きら》っていた。これが学究的に孤独な兄に同情が強いためと誰にも肯かれた。
「お母《かあ》さんでもいなくなったらどうなさるでしょう。ほんとうにお気の毒ね」
すべてを隠すことを知らない彼女はかつて自分にこう言った。これはもとより頬《ほつ》ぺたを真《まつ》白《しろ》にして自分が彼女と喧《けん》嘩《か》をしない遠いまえのことであった。自分はその時彼女を相手にしなかった。ただ「兄さんみたいに訳の解《わか》った人が、家庭間の関係で、お前などに心配してもらう必要が出てくるものか、黙って見ていらっしゃい。お父《とう》さんもお母さんも付いていらっしゃるんだから」と訓戒でも与えるように言って聞かせた。
自分はその時分からお重と嫂とは火と水のような個性の差異から、とうてい円熟に同《どう》棲《せい》することは困難だろうとすでに観察していた。
「お母さんお重も早く片付けてしまわないと不可《いけ》ませんね」と自分は母に忠告がましい差し出口を利《き》いたことさえあった。そのおり母はなぜともなんとも聞き返さなかったが、さも自分の意味を呑《の》み込んだらしい目付をして、「お前が言ってくれないでも、お父さんだって妾《わたし》だって心配し抜いているところだよ。お重ばかりじゃないやね。お前のお嫁だって、蔭じゃどのくらいみんなに手数を掛けて探してもらってるか分りゃしない。けれどもこればかりは縁だからね……」と言って自分の顔をしけじけと見た。自分は母の意味もなにも解《わか》らずに、ただ「はあ」と子供らしく引き下がった。
お重はなんでもじきむきになる代りに裏表のない正直な美質を持っていたので、母よりはむしろ父に愛されていた。兄にはむろん可《か》愛《わい》がられていた。お貞さんの結婚談が出た時にも「まずお重から片付けるのが順だろう」というのが父の意見であった。兄も多少はそれに同意であった。けれどもせっかく名ざしで申し込まれたお貞さんのために、たんとない機会を逃《のが》すのはつまり両損になるという母の意見が実際上にもっともなので、理に明るい兄はすぐ折れてしまった。兄の見地に多少譲歩している父も無事に納得した。
けれども黙っていたお重には、それが甚《はなは》だしい不愉快を与えたらしかった。しかし彼女が今度の結婚問題について万事快くお貞さんの相談に乗るのを見ても、彼女が機先を制せられたお貞さんに悪感情を抱《いだ》いていないのは慥かな事実であった。
彼女はただ嫂の傍《そば》にいるのが厭《いや》らしくみえた。いくら父母のいる家であっても、いくら思いどおりの子供らしさをせいいっぱいに振り舞わすことができても、この冷《ひや》やかな嫂からふんという顔付で眺《なが》められるのがなにより辛《つら》かったらしい。
こういう気分に神経を焦《いら》つかせている時、彼女はふと女の雑誌かなにかを借りるために嫂の室《へや》へはいった。そうしてそこで嫂がお貞さんのために縫っていた嫁《よめ》入《い》り仕《じ》度《たく》の着物を見た。
「お重さんこれお貞さんのよ。好《い》いでしょう。あなたも早く佐野さんみたようなかたのところへ入らっしゃいよ」と嫂は縫っていた着物を裏表引っ繰り返して見せた。その態度がお重には見せびらかしの面《つら》当《あて》てのように聞こえた。早く嫁に行くさきを極《き》めて、こんなものでも縫う覚悟でもしろという謎《なぞ》にも取れた。いつまで小《こ》姑《じゆうと》の地位を利用して人を苛虐《いじ》めるんだという風刺とも解釈された。最後に佐野さんのような人のところへ嫁に行けと言われたのがもっとも神経に障《さわ》った。
彼女は泣きながら父の室に訴えに行った。父は面倒だと思ったのだろう、嫂には一言も聞き糾《ただ》さずに、翌日お重を連れて三《みつ》越《こし》へ出掛けた。
一一
それから二、三日して、父のところへ二人ほど客が来た。父は生来交際好きのうえに、職業上の必要から、だいぶ手広く諸方へ出入りしていた。公の務めを退いた今日でもその惰性だか影響だかで、知合い間の往来は絶える間もなかった。もっとも始終顔を出す人に、それほど有名な人も勢力家も見えなかった。その時の客は貴族院の議員が一人と、ある会社の監査役が一人とであった。
父はこの二人と謡のほうの仲《なか》善《よ》しとみえて、彼らが来るたびに謡をうたって楽しんだ。お重は父の命令で、少しのあいだ鼓の稽《けい》古《こ》をした覚えがあるので、そういう時にはよく客の前へ呼び出されて鼓を打った。自分はその高慢ちきな顔をまだ忘れずにいる。
「お重お前の鼓は好《い》いが、お前の顔はすこぶる不味《まず》いね。悪いことは言わないから、嫁に行った当座は決して鼓をお打ちでないよ。いくら御《ご》亭《てい》主《しゆ》が謡《うたい》気《き》狂《ちがい》でもああ澄まされたひにゃ、愛《あい》想《そ》を尽かされるだけだから」とわざわざ罵ったことがある。すると傍に聞いていたお貞さんが目を丸くして、「まあ非《ひ》道《ど》いことを仰《おつ》しゃること、ずいぶんね」と言ったので、自分も少し言いすぎたかと思った。けれども烈《はげ》しいお重は平生に似ずまったく自分の言葉を気に掛けないらしかった。「兄《にい》さんあれでも顔のほうはまだ上等なのよ。鼓ときたらそれこそたいへんなの。妾《あたし》謡のお客があるほど厭《いや》なことはないわ」とわざわざ自分に説明して聞かせた。お重の顔ばかりに注意していた自分は、彼女の鼓がそれほど不味いとはそれまで気が付かなかった。
その日も客が来てから一時間半ほどすると予定のとおり謡が始まった。自分はやがてまたお重が呼び出されることと思って、調戯《からかい》半分茶の間の方に出ていった。お重は一生懸命に会《かい》席《せき》膳《ぜん*》を拭《ふ》いていた。
「今日《きよう》はポンポン鳴らさないのか」と自分がことさらに聞くと、お重は妙にとぼけた顔をして、立っている自分を見上げた。
「だって今御膳が出るんですもの。忙しいからって、断わったのよ」
自分は台所や茶の間のごたごたしたなかで、巫《ふ》山《ざ》戯《け》すぎて母に叱《しか》られるのも面《おも》白《しろ》くないと思って、また室《へや》へ取って返した。
夕食後ちょっと散歩に出て帰ってくると、まだ自分の室にはいらないさきから母に捉《つらま》った。
「二郎ちょうど好《い》いところへ帰ってきておくれだ。奥へ行ってお父《とう》さんの謡を聞いていらっしゃい」
自分は父の謡を聞き慣れているので、一番《*》ぐらい聴《き》くのはさほど厭とも思わなかった。
「なにを遣《や》るんです」と母に質問した、母は自分とは正反対に謡がまた大《だい》嫌《きら》いだった。「なんだか知らないがね。早く入らっしゃいよ。皆さんが待っていらっしゃるんだから」と言った。
自分は委細承知して奥へ通ろうとした。すると暗い縁側のところにお重がそっと立っていた。自分は思わず「おい………」と大きな声を出し掛けた。お重は急に手を振って相《あい》図《ず》のように自分の口を塞《ふさ》いでしまった。
「なぜそんな暗いところに一人で立っているんだい」と自分は彼女の耳へ口を付けて聞いた。彼女はすぐ「なぜでも」と答えた。しかし自分がその返事に満足しないでやはり元のところに立っているのを見て、「さっきから、何遍も出てこい出てこいって催促するのよ。だからお母《かあ》さんに断わって、少し加減が悪いことにしてあるのよ」
「なぜまた今日にかぎって、そんなに遠慮するんだい」
「だって妾鼓なんか打つのはもう厭になっちまったんですもの、馬《ば》鹿《か》らしくって。それにこれから遣るのなんかむずかしくってとてもできないんですもの」
「感心にお前みたような女でも謙《けん》遜《そん》の道は少々心得ているから偉いね」と言い放ったまま、自分は奥へ通った。
一二
奥には例の客が二人床の前に坐《すわ》っていた。二人とも品の好《い》い容《よう》貌《ぼう》の人で、その薄く禿《は》げ掛かった頭が後ろに掛かっている探《たん》幽《ゆう*》の三《さん》幅《ぷく》対《つい*》とよく調和した。
彼らは二人とも袴《はかま》のまま、羽織を脱ぎ放しにしていた。三人のうちで袴を着けていなかったのは父ばかりであったが、その父でさえ羽織だけは遠慮していた。
自分は見知り合いだから正面の客に挨《あい》拶《さつ》かたがた、「どうか拝聴を……」と頭を下げた。客はちょっと恐縮の体《てい》を装って、「いやどうも……」と頭を掻《か》く真《ま》似《ね》をした。父は自分にまたお重のことを尋ねたので、「さっきから少し頭痛がするそうで、御挨拶に出られないのを残念がっていました」と答えた。父は客の方を見ながら、「お重が心持ちが悪いなんて、まるで鬼の霍《かく》乱《らん》だな」と言って、今度は自分に、「さっき綱(母の名)の話では腹が痛いように聞いたがそうじゃない頭痛なのかい」と聞き直した。自分は仕《し》舞《ま》ったと思ったが「たぶん両方なんでしょう。胃腸の熱で頭が痛むこともあるようだから。しかし心配するほどの病気じゃないようです。じき癒《なお》るでしょう」と答えた。客は蒼蠅《うるさ》いほどお重に同情の言葉を注射したあと、「じゃ残念だが始めましょうか」と言いだした。
聴き手には、自分より前に兄夫婦が横向きになって、行儀よく併《なら》んで坐っていたので、自分は鹿《しか》爪《つめ》らしく嫂《あによめ》の次に席を取った。「なにを遣《や》るんです」と坐りながら聞いたら、この道についてなんの素養も趣味もない嫂は、「なんでも景《かげ》清《きよ*》だそうです」と答えて、それぎりなんとも言わなかった。
客のうちで赭《あか》ら顔《がお》の恰《かつ》腹《ぷく*》の好い男が仕《し》手《て*》をやることになって、その隣の貴族院議員が脇《わき*》、父は主人役で「娘」と「男」《*》を端《は》役《やく》だというわけか二つ引き受けた。多少謡を聞き分ける耳を持っていた自分は、最初からどんな景清ができるかと心配した。兄はなにを考えているのか、はなはだ要領を得ない顔をして、凋《ちよう》落《らく》しかかった前世紀の肉声《*》を夢のように聞いていた。嫂の鼓膜には肝《かん》腎《じん》の「松《しよう》門《もん*》」さえ人間としてよりもむしろ獣類の吠《うなり》として不快に響いたらしい。自分はかねてからこの「景清」という謡に興味を持っていた。なんだか勇ましいような惨《いたま》しい《*》ような一種の気分が、盲目の景清の強い言《こと》葉《ば》遣《づか》いから、またはるばる父を尋ねに日向《ひゆうが》まで下る娘の態度から、涙に化して自分の目を輝かせた場合が、一、二度あった。
しかしそれは歴《れつ》乎《き》とした謡《うた》い手が本気に各自の役を引き受けた場合で、今聞かせられているような胡《ご》麻《ま》節《ぶし*》を辿《たど》ってようやくでき上がる景清に対してはほとんど同情が起こらなかった。
やがて景清の戦《いくさ》物《もの》語《がたり》も済んで一番の謡も滞りなく結末まで来た。自分はその成《せい》蹟《せき*》をなんと評して好《い》いか解《わか》らないので、少し不安になった。嫂は平生の寡言にも似ず「勇ましいものですね」と言った。自分も「そうですね」と答えておいた。するとたぶん一口も開くまいと思った兄が、急に赭ら顔の客に向かって、「さすがに我も平家なり物語り申して《*》とか、はじめてとかいう句がありましたが、あのさすがに我も平家なりという言葉がたいへん面《おも》白《しろ》うございました」と言った。
兄は元来正直な男で、かつ己《おのれ》の教育上嘘《うそ》を吐《つ》かないのを、品性の一部分と心得ているくらいの男だから、この批評に疑う余地は少しもなかった。けれども不幸にして彼の批評は謡の上手下手でなくって、文章の巧《こう》拙《せつ》に属する話だから、相手にはほとんど手《て》応《ごた》えがなかった。
こういう場合に馴《な》れた父は「いやあすこは非常に面白く拝聴した」と客の謡い振りを一応賞《ほ》めたあとで、「実はあれについて思い出したが、たいへん興味のある話がある。ちょうどあの文句を世話に崩《くず》して《*》、景清を女にしたようなものだから、謡よりはよほど艶《えん》である。しかも事実でね」と言いだした。
一三
父は交際家だけあって、こういう妙な話をたくさん頭の中に仕《し》舞《ま》っていた。そうして客でもあると、献酬《*》のあいだによくそれを臨機応変に運用した。多年父の傍《そば》に寐《ね》起《お》きしている自分にもこの女《おんな》景《かげ》清《きよ》の逸話ははじめてであった。自分は思わず耳を傾けて父の顔を見た。
「ついこのあいだのことで、また実際あったことなんだからお話をするが、その発《ほつ》端《たん》はずっと古い。古いたってなにも源平時代から説きだすんじゃないからそこは御安心だが、なにしろ今から二十五、六年まえ、ちょうど私《わたくし》の腰弁時代《*》とでも言いましょうかね……」
父はこういう前置きをして皆《みんな》を笑わせたあとで本題にはいった。それは彼の友《とも》達《だち》というよりもむしろずっと後輩に当たる男の艶《えん》聞《ぶん》みたようなものであった。もっとも彼は遠慮して名前を言わなかった。自分は家《うち》へ出《で》入《はい》る人の数々について、たいていは名前も顔も覚えていたが、この逸話を有《も》った男だけはいくら考えてもどんな想像も浮かばなかった。自分は心のうちで父は今表向きたぶんこの人と交際しているのではなかろうと疑《うたぐ》った。
なにしろ事はその人の二十《はたち》前後に起こったので、その時当人は高等学校へはいりたてだとか、はいってから二年目になるとか、父ははなはだ曖《あい》昧《まい》な説明をしていたが、それはどっちにしたって、我々の気に掛かるところではなかった。
「その人は好《い》い人間だ。好い人間にもいろいろあるが、まあ好い人間だ。今でもそうだから二十《はたち》歳ぐらいの時分はさだめて可《か》愛《わい》らしい坊《ぼつ》ちゃんだったろう」
父はその男をこう荒っぽく叙述しておいて、その男とその家の召使とがある関係に陥《おち》入《い》った因果をごく簡単に物語った。
「元来そいつはねほんとうの坊ちゃんだから、情事なんて洒落《しやれ》た経験はまるでそれまで知らなかったのだそうだ。当人もまた婦人に慕われるなんて粋《いき》事《ごと》は自分のようなものにとうていあり得《う》べからざる奇跡と思っていたのだそうだ。ところがその奇跡が突然天から降ってきたのでたいへん驚いたんですね」
話し掛けられた客はむしろ真《ま》面《じ》目《め》な顔をして、「なるほど」と受けていたが、自分は可笑《おか》しくて堪《たま》らなかった。淋《さみ》しそうな兄の頬《ほお》にも笑いの渦《うず》が漂った。
「しかもそれが男のほうが消極的で、女のほうが積極的なんだからいよいよ妙ですよ。私《わたくし》がそいつに、その女が君に覚《おぼ》し召《め》しがあると悟ったのはどういう機《はずみ》だと聞いたらね。真面目な顔をして、いろいろ言いましたが、そのうちでいちばん面《おも》白《しろ》いと思ったせいか、いまだに覚えているのは、そいつが瓦《かわら》煎《せん》餅《べい》かなにか食ってるところへ女が来て、私にもそのお煎餅を頂《ちよう》戴《だい》なと言うやいなや、そいつの食い欠いた残りの半分を引《ひ》っ手《た》繰《く》って口へ入れたという時なんです」
父の話し方はむろん滑《こつ》稽《けい》を主にして、大事の真面目なほうを背景に引き込ましてしまうので、聞いている客をはじめ我々三人もただ笑うだけ笑えばそれであとにはなにも残らないような気がした。そのうえ客は笑う術をどこかで練修《*》してきたように旨《うま》く笑った。一座のうちで比較的真面目だったのはただ兄一人であった。
「とにかくその結果はどうなりました。目出たく結婚したんですか」と冗談とも思われない調子で聞いていた。
「いやそこをこれから話そうというのだ。さっきも言ったとおり『景清』の趣の出てくるところはこれからさ。今言ってるところはほんの冒頭《まえおき》だて」と父は得意らしく答えた。
一四
父の話すところによると、その男とその女の関係は、夏の夜の夢のように果敢《はか》ないものであった。しかし契りを結んだ時、男は女を未来の細君にすると言明したそうである。もっともこれは女から申し出した条件でもなんでもなかったので、ただ男の口から勢いに駆られて、おのずと迸《ほとばし》った、誠ではあるが実行しにくい感情的の言葉にすぎなかったと父はわざわざ説明した。
「というのはね、両方ともおない年でしょう。しかも一方は親の脛《すね》を噛《かじ》ってる前途遼《りよう》遠《えん》の書生だし、一方は下女奉公でもして暮らそうという貧しい召使なんだから、どんな堅い約束をしたって、その約束の実行ができる長い年月のあいだには、どんな故障が起こらないとも限らない。で、女が聞いたそうですよ。貴方《あなた》が学校を卒業なさると、二十五、六にお成んなさる。すると私《わたくし》も同じぐらいに老《ふ》けてしまう。それでも御承知ですかってね」
父はそこへ来て、急に話を途切らして、膝《ひざ》の下にあった銀《ぎん》烟管《ぎせる》へ煙草《たばこ》を詰めた。彼が薄青い烟《けむり》を一時に鼻の穴から出した時、自分はもどかしさのあまり「その人はなんて答えました」と聞いた。
父は吸《す》い殻《がら》を手で叩《たた》きながら「二郎がきっとなんとか聞くだろうと思った。二郎面《おも》白《しろ》いだろう。世間にはずいぶんいろいろな人があるもんだよ」と言って自分を見た。自分はただ「へえ」と答えた。
「実はわしも聞いてみた。その男に。君なんて答えたかって。すると坊《ぼつ》ちゃんだね、こう言うんだ。僕は自分の年も先の年も知っていた。けれども僕が卒業したら女がいくつになるか、そこまでは考えていられなかった、いわんや僕が五十になれば先も五十になるなんて遠い未来はまったく頭の中に浮かんでこなかったって」
「無邪気なものですね」と兄はむしろ賛嘆の口振りを見せた。今まで黙っていた客が急に兄に賛成して、「まったくのところ無邪気だ」とか「なるほど若いものになるといかにも一図ですな」とか言った。
「ところが一週間経《た》つか経たないうちにそいつが後悔しはじめてね、なに女は平気なんだが、そいつが自分で恐縮してしまったのさ。坊ちゃんだけに意《い》気《く》地《じ》のないことったら。しかし正直ものだからとうとう女に対してまともに結婚破約を申し込んで、しかも極《きま》りの悪そうな顔をして、御免よとかなんとか言って謝罪《あやま》ったんだってね。そこへゆくとおない年だって先は女だもの、『御免よ』なんて子供らしい言葉を聞けば可《か》愛《わい》くもなるだろうが、また馬《ば》鹿《か》馬《ば》鹿《か》しくもなるだろうよ」
父は大きな声を出して笑った。お客もその反響のごとくに笑った。兄だけは可笑《おか》しいのだか、苦々しいのだか変な顔をしていた。彼の心にはすべてこういう物語が厳粛な人生問題として映るらしかった。彼の人生観からいったら父の話しぶりさえあるいは軽薄に響いたかもしれない。
父の語るところを聞くと、その女はしばらくしてすぐ暇を貰《もら》ってそこを出てしまったぎり再び顔を見せなかったけれども、その男はそれ以来二、三か月のあいだなにか考え込んだなり魂が一つ所にこびりついたように動かなかったそうである。一遍その女が近所へ来たと言って寄った時などでも、ほかの人の手前だかなんだかほとんど一口もものを言わなかった。しかもその時はちょうど午《ひる》飯《めし》の時で、その女が昔のとおりお給仕をしたのだが、男はまるで初対面の者にでも逢《あ》ったように口数を利《き》かなかった。
女もそれ以来決して男の家の敷居を跨《また》がなかった。男はまるでその女の存在を忘れてしまったように、学校を出て家庭を作って、二十何年というつい近ごろまで女とはなんら交渉もなく打ち過ぎた。
一五
「それだけで済めばまあただの逸話さ。けれども運命というものは恐ろしいもので………」と父がまた語り続けた。
自分は父がなにを言いだすかと思って、彼の顔から自分の目を離し得なかった。父の物語の概要を摘《つま》んでみると、ざっとこうであった。
その男がその女をまるで忘れた二十何年ののち、二人が偶然運命の手引きで不意に会った。会ったのは東京の真《まん》中《なか》であった。しかも有《ゆう》楽《らく》座《ざ》で名人会とか美音会とかのあった薄ら寒い宵《よい》のことだそうである。
その時男は細君と女の子を連れて、土間の何列目か知らないが、かねて注文しておいた席に並んでいた。すると彼らが入場して五分経《た》つかたたないのに、今言った女が他の若い女に手を引かれながらはいってきた。彼らも電話かなにかで席を予約しておいたとみえて、男の隣にあるエンゲージド《*》と紙札を張った所へ案内されたまま大人《おとな》しく腰を掛けた。二人はこういう奇妙な所で、奇妙に隣合わせに坐《すわ》った。なおさら奇妙に思われたのは、女のほうが昔と違った表情のない盲目になってしまって、外《ほか》にどんな人がいるかまったく知らずに、ただ舞台から出る音楽の響きにばかり耳を傾けているという、男にとってはまるで想像すらし得なかった事実であった。
男ははじめ自分の傍《そば》に坐る女の顔を見て過去二十年の記憶を逆《さかさ》に振られたごとく驚いた。次に黒い眸《ひとみ》をじっと据《す》えて自分を見た昔の面影が、いつのまにか消えていた女の面影に気が付いて、また愕《がく》然《ぜん》として心細い感に打たれた。
十時過ぎまで一つの席にほとんど身動きもせずに坐っていた男は、舞台でなにを遣《や》ろうが、ほとんど耳へははいらなかった。ただ女に別れてから今日に至る運命の暗い糸を、いろいろに想像するだけであった。女はまたわが隣にいる昔の人を、見もせず、知りもせず、まったく意識に上《のぼ》す暇《いとま》もなく、ただしぜんに凋《ちよう》落《らく》しかかった過去の音楽に、やっとの思いで若い昔を偲《しの》ぶ気《け》色《しき》を濃い眉《まゆ》の間に示すにすぎなかった。
二人は突然として邂《かい》逅《こう》し、突然として別れた。男は別れたあともしばしば女のことを思い出した。ことに彼女の盲目が気に掛かった。それでどうかして女のいる所を突き留めようとした。
「馬《ば》鹿《か》正直なだけに熱心な男だもんだから、とうとう成功した。その筋道も聞くには聞いたが、くだくだしくって忘れちまったよ。なんでも彼がそのつぎに有楽座へ行った時、案内者を捕《つらま》えて、なんとかかんとかしたうえに、だいぶ込み入った手《て》数《かず》を掛けたんだそうだ」
「どこにいたんですその女は」と自分はぜひ確かめたくなった。
「それは秘密だ。名前や所はいっさい言われないことになっている。約束だからね。それは好《い》いが、そいつが私《わたし》にその盲目の女のいる所を訪問してくれと頼むんだね。なんという主意か解《わか》らないが、つまりは無《ぶ》沙《さ》汰《た》見舞いのようなものさ。当人に言わせると、学問しただけに、鹿《しか》爪《つめ》らしい理屈を何が条も並べるけれども。つまり過去と現在の中間を結び付けて安心したいのさ。それにどうして盲目になったか、それがたいへん当人の神経を悩ましていたとみえてね。といっていまさらその女と新しい関係を付ける気はなし、かつは女《によう》房《ぼう》子《こ》の手前もあるから、自分はわざわざ出掛けたくないのさ。のみならず彼がまた昔その女と別れる時よけいなことを饒舌《しやべ》っているんです。僕は少し学問するつもりだから三十五、六にならなければ妻帯しない。で已《や》むを得ずこのあいだの約束は取り消しにしてもらうんだってね。ところがやつ学校を出るとすぐ結婚しているんだから良心のほうからいっちゃあまり心持ちは能《よ》くないのだろう。それでとうとう私が行くことになった」
「まあ馬鹿らしい」と嫂《あによめ》が言った。
「馬鹿らしかったけれどもとうとう行ったよ」と父が答えた。客も自分も興味ありげに笑いだした。
一六
父には人に見られない一種剽《ひよう》軽《きん》なところがあった。ある者は直《ちよく》なかただとも言い、ある者は気の置けない男だとも評した。
「親爺《おやじ》はまったくあれで自分の地位を拵《こしら》え上げたんだね。実際のところそれが世の中なんだろう。本式に学問をしたり真《ま》面《じ》目《め》に考えを纏《まと》めたりしたって、社会ではちっとも重《ちよう》宝《ほう》がらない。ただ軽《けい》蔑《べつ》されるだけだ」
兄はこんな愚《ぐ》痴《ち》とも厭《いや》味《み》とも、また風刺とも事実とも、片の付かない感慨を、蔭《かげ》ながらかつて自分に洩《もら》したことがあった。自分は性質からいうと兄よりもむしろ父に似ていた。そのうえ年が若いので、彼のいう意味が今ほど明《めい》瞭《りよう》に解《わか》らなかった。
なにしろ父がその男に頼まれて、快く訪問を引き受けたのも、たぶん持って生まれた物《もの》数《ず》奇《き》からきたのだろうと自分は解釈している。
父はやがてその盲目の家を音信《おとず》れた。行く時に男は土産《みやげ》のしるしだと言って、百円札を一枚紙に包んで水引《*》を掛けたのに、大きな菓子折りを一つ添えて父に渡した。父はそれを受け取って、俥《くるま》をその女の家に駆《か》った。
女の家は狭かったけれども小《こ》綺《ぎ》麗《れい》にかつ住《すみ》心《ごこ》地《ち》よくできていた。縁の隅《すみ》に丸く彫り抜いた御《み》影《かげ*》の手水《ちようず》鉢《ばち》が据《す》えてあって、手《て》拭《ぬぐい》掛《か》けには小新しい三《みつ》越《こし》の手拭さえ揺《ゆら》めいていた。家内も小《こ》人《にん》数《ず》らしくひっそりとして音もしなかった。
父はこの日当たりの好《い》いしかし茶がかかった小座敷《*》で、初めてその盲人に会った時、ちょっとなんといって好《い》いか分《わか》らなかったそうである。
「己《おれ》のようなものが言《ごん》句《く》に窮するなんて馬《ば》鹿《か》げた恥を話すようだが実際困ったね。なにしろ相手が盲目なんだからね」
父はわざとこう言って皆《みんな》を興がらせた。
彼はその場でとうとう男の名を打ち明けて、例の土産ものを取り出しつつ女の前に置いた。女は目が悪いので菓子折りを撫《な》でたり擦《さす》ったりしてみたうえ、「どうも御親切に……」と恭《うや》々《うや》しく礼を述べたが、その上にある紙包みを手で取り上げるやいなや、少し変な顔をして、「これは?」と念を押すように聞いた。父は例の気性だから、からからと笑いながら、「それもお土産の一部分です、どうかいっしょに受け取っておいてください」と言った。すると女が水引の結び目を持ったまま、「もしや金子《きんす》ではございませんか」と問い返した。
「いえなにはなはだ軽少で、――しかし○○さんの寸志ですからどうぞお納めください」
父がこう言った時、女はぱたりとこの紙包みを畳の上に落とした。そうして閉じた眸《ひとみ》をきっと父の方へ向けて、「私《わたくし》は今寡婦《やもめ》でございますが、このあいだまで歴乎《れつき》とした夫がございました。子供は今でも丈夫でございます。たといどんな関係があったにせよ、他人さまから金子を頂《いただ》いては、楽に今日を過ごすようにしておいてくれた夫の位《い》牌《はい》に対して済みませんからお返しいたします」とはっきり言って涙を落とした。
「これには実に閉口したね」と父は皆の顔を一順見渡したが、その時に限って、誰《だれ》も笑うものはなかった。自分も腹の中で、いかな父でもさすがに弱ったろうと思った。
「その時わしは閉口しながらも、ああ景清を女にしたらやっぱりこんなものじゃなかろうかと思ってね。ほんとうは感心しましたよ。どういう訳で景清を思い出したかと言うとね。ただ双方とも盲目だからというばかりじゃない。どうもその女の態度がね……」
父は考えていた。父の筋向こうに坐《すわ》っていた赭《あか》ら顔《がお》の客が、「まったく気《き》込《ご》みが似ているからですね」とさもむずかしい謎《なぞ》でも解くように言った。
「まったく気込みです」と父はすぐ承服した。自分はこれで父の話が結末に来たのかと思って、「なるほどそれは面《おも》白《しろ》いお話です」と全体を批評するような調子で言った。すると父は「まだあとがあるんだ。あとのほうがまだ面白い。ことに二郎のような若い者が聞くと」と付け加えた。
一七
父は意外な女の見識に、話の腰を折られて、已《や》むを得ず席を立とうとした。すると女ははじめて女らしい表情を面《おもて》に湛《たた》えて、縋《すが》りつくように父を留めた。そうしていついっかどこで○○が自分を見たのかと聞いた。父は例の有楽座のことを包み蔵《かく》さず盲人に話して聞かせた。
「ちょうどあなたの隣に腰を掛けていたんだそうです。あなたのほうではまるで知らなかったでしょうが、○○は最初から気が付いていたのです。しかし細君や娘の手前、口を利《き》くこともできにくかったんでしょう。それなり宅《うち》へ帰ったと言っていました」
父はその時はじめて盲目の涙《るい》腺《せん》から流れ出る涙を見た。
「失礼ながら目をお煩いになったのはよほど以前のことなんですか」と聞いた。
「こういう不自由な身体《からだ》になってから、もう六年ほどにもなりましょうか。夫が亡《な》くなって一年経《た》つか経たないうちのことでございます。生まれ付きの盲目と違って、当座はたいへん不自由を致《いた》しました」
父は慰めようもなかった。彼女のいわゆる夫というのはなんでも、請負師かなにかで、存《ぞん》生《しよう》中《ちゆう》にだいぶ金を使った代りに、相応の資産も残していったらしかった。彼女はそのお蔭《かげ》で目を煩った今日でも、立《りつ》派《ぱ》に独立して暮らしていけるのだろうと父は説明した。
彼女は人に誇ってしかるべき倅《せがれ》と娘を持っていた。その倅には高等の教育こそ施してないようだったけれども、なんでも銀座辺のある商会へはいって独立し得《う》るだけの収入を得ているらしかった。娘のほうは下町風の育て方で、唄《うた》や三《しや》味《み》線《せん》の稽《けい》古《こ》を専一と心得させるようにみえた。すべてを通じて○○とは遠い過去に焼き付けられた一点の記憶以外になにものをも共通に有《も》っているとは思えなかった。
父が有楽座の話をした時に、女は両方の目をうるませて、「ほんとうに盲目ほど気の毒なものはございませんね」と言ったのが、痛く父の胸には応《こた》えたそうである。
「○○さんは今なにをしておいででございますか」と女はまた空中に何物をか想像するがごとき目《め》遣《づか》いをして父に聞いた。父は残りなく○○が学校を出てから以後の経歴を話して聞かせたあと、「今じゃなかなか偉くなっていますよ。私《わたくし》みたいな老朽とは違ってね」と答えた。
女は父の返事には耳も借さずに「さだめてお立派な奥さんをお貰《もら》いになったでございましょうね」と大人《おとな》しやかに聞いた。
「ええもう子供が四人《よつたり》あります」
「いちばんお上のはいくつにお成りで」
「さようさもう十二、三にもなりましょうか。可《か》愛《わい》らしい女の子ですよ」
女は黙ったなりしきりに指を折ってなにか勘定しはじめた。その指を眺《なが》めていた父は、急に恐ろしくなった。そうして腹の中でよけいなことを言って、もう取り返しが付かないと思った。
女はしばらく間を置いて、ただ「結構でございます」と一口言ってあとは淋《さび》しく笑った。しかしその笑い方が、父には泣かれるよりも怒《おこ》られるよりも変な感じを与えたと言った。
父は○○の宿所を明らさまに告げて、「ちと暇な時に遊びがてらお嬢さんでも連れていってごらんなさい。ちょっと好《い》い家《うち》ですよ。○○も夜ならたいていお目にかかれると言っていましたから」と言った。すると女はたちまち眉を曇らして、「そんな立派なお屋敷へ我々風《ふ》情《ぜい》がとてもお出入りはできませんが」と言ったまましばらく考えていたが、たちまち抑《おさ》え切れないように真剣な声を出して、「お出入りは致《いた》しません。先様で来いと仰《おつ》しゃってもこっちで御遠慮しなければなりません。しかしただ一つ一生のお願いに伺っておきたいことがございます。こうしてお目に掛かれるのももう二度とない御縁だろうと思いますから、どうぞこれだけ聞かしていただいたうえ心持ちよくお別れが致したいと存じます」と言った。
一八
父は年の割に度胸の悪い男なので、女からこう言われた時は、どんな凄《すさま》じい文句を並べられるかと思って、少なからず心配したそうである。
「さいわい相手の目が見えないので、自分の周章《あわて》さ加減を覚《さと》られずに済んだ」と彼はことさらに付け加えた。その時女はこう言ったそうである。
「私《わたくし》は御覧のとおり目を煩って以来、色という色は皆目見ません。世の中でいちばん明るいお天《てん》道《と》様《さま》さえもう拝むことはできなくなりました。ちょっと表へ出るにも娘の厄《やつ》介《かい》にならなければ用事は足せません。いくら年を取っても一人で不自由なく歩くことのできる人間が幾人《いくたり》あるかと思うと、なんの因果でこんな業《ごう》病《びよう》に罹《かか》ったのかと、つくづく辛《つら》い心持ちが致します。けれどもこの目は潰《つぶ》れてもさほど苦しいとは存じません。ただ両方の目が満足に開《あ》いているくせに、他《ひと》の料《りよう》簡《けん》方《がた》が解《わか》らないのがいちばん苦しゅうございます」
父は「なるほど」と答えた。「御もっとも」とも答えた。けれども女のいう意味はいっこう通じなかった。彼にはそういう経験がまるでなかったと彼は明言した。女は曖《あい》昧《まい》な父の言葉を聞いて、「ねえ貴方《あなた》そうではございませんか」と念を押した。
「そりゃそんな場合はむろんあるでしょう」と父が言った。
「あるでしょうでは、貴方もわざわざ○○さんにお頼まれになって、ここまで入らしってくだすった甲《か》斐《い》がないではございませんか」と女が言った。父はますます窮した。
自分はこの時偶然兄の顔を見た。そうして彼の神経的に緊張した目の色と、少し冷笑を洩《もら》しているような嫂《あによめ》の唇《くちびる》との対照を比較して、突然彼らの間にこのあいだから蟠《わだかま》っている妙な関係に気が付いた。その蟠りのなかに、自分も引きずり込まれているという、一種厭《いと》うべき空気の匂《にお》いも容赦なく自分の鼻を衝《つ》いた。自分は父がなぜ座興とはいいながら、択《よ》りに択って、こんな話をするのだろうと、ようやく不安の念が起こった。けれども万事はすでに遅《おそ》かった。父は知らぬ顔をしてかってしだいに話頭を進めていった。
「おれはそれでも解《わか》らないから、淡泊にその女に聞いてみた。せっかく○○に頼まれてわざわざここまで来て、肝《かん》心《じん》な要領を伺わないで引き取っては、あなたに対してはもちろん○○から言ってもさだめし不本意だろうから、どうかあなたの胸を存分私《わたくし》に打ち明けてくださいませんか。それでないと私も帰ってから○○に話がしにくいからって」
その時女ははじめて思い切った決断の色を面《おもて》に見せて、「では申し上げます。貴方も○○さんの代理でわざわざ尋ねてきてくださるぐらいでいらっしゃるから、さだめし関係の深いおかたには違いございませんでしょう」という冒頭《まえおき》を置いて、彼女の腹を父に打ち明けた。
○○が結婚の約束をしながら一週間経《た》つか経たないのに、それを取り消す気になったのは、周囲の事情から圧迫を受けて已《や》むを得ず断わったのか、あるいは別になにか気に入らないところでもできて、その気に入らないところを、結婚の約束後急に見付けたため断わったのか、その有《あり》体《てい》のほんとうが聞きたいのだというのが、女のなにより知りたいところであった。
女は二十年以上○○の胸の底に隠れているこの秘密を掘り出したくって堪《たま》らなかったのである。彼女には天下の人がことごとく持っている二つの目を失って、ほとんど他《ひと》から片輪扱いにされるよりも、いったん契った人の心を確実に手に握れないほうがはるかに苦痛なのであった。
「お父《とう》さんはどういう返事をしておやりでしたか」とその時兄が突然聞いた。その顔には普通の興味というよりも、異状の同情が籠《こも》っているらしかった。
「己《おれ》も仕方がないから、そりゃ大丈夫、僕が受け合う。本人に軽薄なところはちっともないと答えた」と父は好《い》い加《か》減《げん》な答えをかえって自慢らしく兄に話した。
一九
「女はそんなことで満足したんですか」と兄が聞いた。自分からみると、兄のこの問いには冒すべからざる強味が籠《こも》っていた。それが一種の念《ねん》力《りき》のように自分には響いた。
父は気が付いたのか、気が付かなかったのか、平気でこんな答えをした。
「はじめは満足しかねた様子だった。もちろんこっちの言うことがそらそれほど根のあるわけでもないんだからね。ほんとうを言えば、さっきお前たちに話したとおり男のほうはまるで坊ちゃんなんで、前後の分別もなにもないんだから、真《ま》面《じ》目《め》な挨《あい》拶《さつ》はとてもできないのさ。けれどもそいつがいったん女と関係したあとで止《よ》せば好《よ》かったと後悔したのは、どうも事実に違いなかろうよ」
兄は苦々しい顔をして父を見ていた。父はなんという意味か、両手で長い頬《ほお》を二度ほど撫で《な》た。
「この席でこんなお話をするのは少し憚《はばか》りがあるが」と兄が言った。自分はどんな議論が彼の口から出るか、しだいによっては途中からその鉾《ほこ》先《さき》を、一座の迷惑にならない方角へ向け易《か》えようと思って聞いていた。すると彼はこう続けた。
「男は情欲を満足させるまでは、女よりも烈《はげ》しい愛を相手に捧《ささ》げるが、いったんことが成就するとその愛がだんだん下り坂になるに反して、女のほうは関係が付くとそれからその男をますます慕うようになる。これが進化論から見ても、世間の事実から見ても、実際じゃなかろうかと思うのです。それでその男もこの原則に支配されてあとから女に気がなくなった結果結婚を断わったんじゃないでしょうか」
「妙なお話ね。妾《あたし》女だからそんなむずかしい理屈は知らないけれども、はじめて伺ったわ。ずいぶん面《おも》白《しろ》いことがあるのね」
嫂《あによめ》がこう言った時、自分は客に見せたくないような厭《いや》な表情を兄の顔に見《み》出《いだ》したので、すぐそれを胡《ご》麻《ま》化《か》すためなにか言ってみようとした。すると父が自分より早く口を開いた。
「そりゃ学理から言えばいろいろ解釈が付くかもしれないけれども、まあなんだね、実際はその女が厭《いや》になったに相違ないにしたところで、当人面《めん》喰《くら》ったんだね、まず第一に。そのうえ小胆で無分別で正直ときているから、それほど厭でなくっても断わりかねないのさ」
父はそう言ったなり洒《しや》然《ぜん*》としていた。
床の前に謡本を置いていた一人の客が、その時父の方を向いてこう言った。
「しかし女というものはとにかく執念深いものですね。二十何年もそのことを胸の中に畳《たた》み込んでおくんですからね。まったくのところ貴方《あなた》は好《い》い功徳を為《な》すった。そう言って安心させてやればその目の見えない女のためにどのくらい嬉《うれ》しかったか解《わか》りゃしません」
「そこがすべての懸《か》け合《あ》い事の気転ですな。万事そう遣《や》れば双方のためにどのくらい都合が好《い》いかしれんです」
他の客が続いてこう言った時、父は「いやどうも」と頭を掻《か》いて「実は今言ったとおり最初はね、そのくらいなことじゃなかなか疑《うたぐ》りが解けないんで、私《わたくし》も少々弱らせられました。それをいろいろに光沢《つや》を付けたり、出《で》鱈《たら》目《め》を拵《こしら》えたりして、とうとう女を納得させちまったんですが、ずいぶん骨が折れましたよ」と少し得意気であった。
やがて客は謡本を風《ふ》呂《ろ》敷《しき》に包んで露に濡《ぬ》れた門を潜《くぐ》って出た。皆《みんな》あとで世間話をしているなかに、兄だけはむずかしい顔をして一人書斎に入《はい》った。自分は例のごとく冷《ひや》やかに重い音をさせる上草履《スリツパー》の音を一つずつ聞いて、最後にどんと締まる扉《ドア》の響きに耳を傾けた。
二〇
二、三週間はそれなり過ぎた。そのうち秋がだんだん深くなった。葉《は》鶏《げい》頭《とう》の濃い色が庭を覗《のぞ》くたびに自分の目に映った。
兄は俥《くるま》で学校へ出た。学校から帰るとたいていは書斎へはいってなにかしていた。家族のものでもめったに顔を合わす機会はなかった。用があるとこっちから二階に上って、わざわざ扉《ドア》を開《あ》けるのが常になっていた。兄はいつでも大きな書物の上に目を向けていた。それでなければなにか万年筆で細かい字を書いていた。いちばん我々の目に付いたのは、彼の茫《ぼう》然《ぜん》として洋机《テーブル》の上に頬《ほお》杖《づえ》を突いている時であった。
彼は一心になにか考えているらしかった。彼は学者でかつ思索家であるから、黙って考えるのは当然のことのようにも思われたが、扉を開けてその様子を見た者は、いかにも寒い気がするといって、用を済ますのを待ちかねて外へ出た。最も関係の深い母ですら、書斎へ行くのをあまり有《あり》難《がた》いとは思っていなかったらしい。
「二郎、学者ってものは皆《みんな》あんな偏屈なものかね」
この問いを聞いた時、自分は学者でないのを不思議な幸福のように感じた。それでただえへへと笑っていた。すると母は真《ま》面《じ》目《め》な顔をして、「二郎、お前がいなくなると、宅《うち》は淋《さむ》しいうえにも淋しくなるが、早く好《い》いお嫁さんでも貰《もら》って別に成る工面をお為《し》よ」と言った。自分には母の言葉の裏に、自分さえ新しい家庭を作って独立すれば、兄の機《き》嫌《げん》が少しは能《よ》くなるだろうという意味が明らさまに読まれた。自分は今でも兄がそんな妙なことを考えているのだろうかと疑《うたぐ》ってもみた。しかし自分もすでに一家を成してしかるべき年輩だし、また小さい一軒の竈《かまど》ぐらいは、現在の収入でどうかこうか維持してゆかれる地位なのだから、かねてから、そういう考えはちらちらと無《む》頓《とん》着《じやく》な自分の頭をさえ横切ったのである。
自分は母に対して、「ええ外へ出ることなんかわけはありません。明日《あした》からでも出ろと仰《おつ》しゃれば出ます。しかし嫁のほうはそうちんころのように、なんでも構わないから、ただ路《みち》に落ちてさえいれば拾ってくるというような遣《や》り口じゃ僕には不向きですから」と言った。その時母は「そりゃむろん……」と答えようとするのを自分はわざと遮《さえぎ》った。
「お母《かあ》さんの前ですが、兄《にい》さんと姉《ねえ》さんのあいだですね。あれにはいろいろ複雑な事情もあり、また僕がもとから少し姉さんと知り合いだったので、お母さんにも御心配を懸《か》けて済まないようですけれども、大《おお》根《ね*》をいうとね。兄さんが学問以外のことに時間を費やすのが惜しいんで、万事人任せにしておいて、何事にも手を出さずに華族然と澄ましていたのが悪いんですよ。いくら研究の時間がたいせつだって、学校の講義が大事だって、一生同じところで同じ生活をしなくっちゃならないわが妻じゃありませんか。兄さんに言わしたらまた学者相応の意見もありましょうけれども学者以下の我々にはとてもあんな真《ま》似《ね》はできませんからね」
自分がこんな下《くだ》らない理屈を言い募っているうちに、母の目にはいつのまにか涙らしい光の影が、だんだん溜《たま》ってきたので、自分は驚いて已《や》めてしまった。
自分は面《つら》の皮が厚いというのか、遠慮がなさすぎるというのか、それほど宅《うち》のものが気兼ねをして、いわば敬して遠ざけているような兄の書斎の扉《ドア》を他《ひと》よりもしばしば叩《たた》いて話をした。なかへはいった当分の感じは、さすがの自分にも少し応《こた》えた。けれども十分ぐらい経《た》つと彼はまるで別人のように快活になった。自分は苦い兄の心機をこう一転させる自分の手《て》際《ぎわ》に重きを置いて、あたかも己《おのれ》の虚栄心を満足させるための手段らしい態度をもって、わざわざ彼の書斎へ出入りしたことさえあった。自白すると、突然兄から捕《つらま》って危うく死地に陥《おとしい》れられそうになったのも、実はこういう得意の瞬間であった。
二一
そのおり自分はなにを話していたか今たしかに覚えていない。なんでも兄から玉突きの歴史を聞いたうえ、ルイ十四世ごろの銅版《*》の玉突き台をわざわざ見せられたような気がする。
兄の室《へや》へはいっては、こんな問題を種に、彼の新しく得た知識を、はいはい聞いているのがいちばん安全であった。もっとも自分もお饒舌《しやべ》りだから、兄と違った方面で、ルネサンスとかゴシックとかいう言葉を心得顔に振り回すことも多かった。しかしたいていは世間離れのしたこういう談話だけで書斎を出るのが例であったが、そのおりはなにかの拍子で兄の得意とする遺伝とか進化とかについての学説が、銅版のあとで出てきた。自分はたぶん言うことがないため、黙って聞いていたものとみえる。その時兄が「二郎お前はお父《とう》さんの子だね」と突然言った。自分はそれがどうしたと言わぬばかりの顔をして「そうです」と答えた。
「おれはお前だから話すが、実はうちのお父さんには、一種妙におっちょこちょいのところがあるじゃないか」
兄から父を評すればまさにそうであるということを自分は以前から呑《の》み込んでいた。けれども兄に対してこの場合なんと挨《あい》拶《さつ》すべきものか自分には解《わか》らなかった。
「そりゃ貴方《あなた》のいう遺伝とか性質とかいうものじゃおそらくないでしょう。今の日本の社会があれでなくっちゃ、通させないから、已《や》むを得ないのじゃないですか。世の中にゃお父さんどころかまだまだ堪《たま》らないおっちょこがありますよ。兄《にい》さんは書斎と学校で高《こう》尚《しよう》に日を暮らしているから解らないかもしれないけれども」
「そりゃ己《おれ》も知ってる。お前の言うとおりだ。今の日本の社会は――ことによったら西洋もそうかもしれないけれども――皆《みんな》上《うわ》滑《すべ》りのお上手《じようず》ものだけが存在し得《う》るようにでき上がっているんだから仕方がない」
兄はこう言ってしばらく沈黙の裡《うち》に頭を埋《うず》めていた。それから怠《だる》そうな目を上げた。
「しかし二郎、お父さんのは、お気の毒だけれども、持って生まれた性質なんだよ。どんな社会に生きていても、ああよりほかに存在の仕方はお父さんに取ってむずかしいんだね」
自分はこの学問をして、高尚になり、かつ迂《う》闊《かつ*》になりすぎた兄が、家《うち》中《じゆう》から変人扱いにされるのみならず、親《しん》身《み》の親からさえも、日に日に離れてゆくのを眼前に見て、思わず顔を下げて自分の膝《ひざ》頭《がしら》を見詰めた。
「二郎お前もやっぱりお父さん流だよ。少しも摯《し》実《じつ*》の気質がない」と兄が言った。
自分は癇《かん》癪《しやく》の不意に起こる野蛮な気質を兄と同様に持っていたが、この場合兄の言葉を聞いたとき、毫《ごう》も憤《ふん》怒《ど》の念が萌《きざ》さなかった。
「そりゃ非《ひ》道《ど》い。僕はとにかく、お父さんまで世間の軽薄ものといっしょに見《み》做《な》すのは。兄さんは独りぼっちで書斎にばかり籠《こも》っているから、それでそういう僻《ひが》んだ観察ばかりなさるんですよ」
「じゃ例を挙《あ》げてみせようか」
兄の目は急に光を放った。自分は思わず口を閉じた。
「このあいだ謡の客のあった時に、盲女の話をお父さんがしたろう。あのときお父さんはなんとかいう人を立派に代表していきながら、その女が二十何年も解らずに煩《はん》悶《もん》していたことを、ただ一口に胡《ご》魔《ま》化《か》している。己《おれ》はあの時、その女のために腹の中で泣いた。女は知らない女だからそれほど同情は起こらなかったけれども、実をいうとお父さんの軽薄なのに泣いたのだ。ほんとうに情けないと思った。……」
「そう女みたように解釈すれば、なんだって軽薄に見えるでしょうけれども……」
「そんなことを言うところが、つまりお父さんの悪いところを受け継いでいる証拠になるだけさ。己は直のことをお前に頼んで、その報告をいつまでも待っていた。ところがお前はいつまでも言葉を左右に託して、空《そら》恍《とぼ》けている………」
二二
「空《そら》恍《とぼ》けてると言われちゃちっと可《か》哀《わい》そうですね。話す機会もなし、また話す必要がないんですもの」
「機会は毎日ある。必要はお前にはなくても己《おれ》のほうにあるから、わざわざ頼んだのだ」
自分はその時ぐっと行き詰まった。実はあの事件以後、嫂《あによめ》について兄の前へ一人出て、真《ま》面《じ》目《め》に彼女を論ずるのがいかにも苦痛だったのである。自分は話頭をむりに横へ向けようとした。
「兄《にい》さんはすでにお父《とう》さんを信用なさらず、僕もそのお父さんの子だという訳で、信用なさらないようだが、和歌の浦で仰《おつ》しゃったこととはまるで矛盾していますね」
「なにが」と兄は少し怒気を帯びて反問した。
「なにがって、あの時、貴方《あなた》は仰しゃったじゃありませんか。お前は正直なお父さんの血を受けているから、信用ができる、だからこんなことを打ち明けて頼むんだって」
自分がこう言うと、今度は兄のほうがぐっと行き詰まったような形《けい》迹《せき》を見せた。自分はここだと思って、わざと普通以上の力を、言葉の裡《うち》へ籠《こ》めながらこう言った。
「そりゃお約束したことですから、嫂《ねえ》さんについて、あの時の一部始終を今ここでお話してもいっこう差《さし》支《つか》えありません。もとより僕はあまり下《くだ》らないことだから、機会が来なければ口を開く考えもなし、また口を開いたって、ただ一《いち》言《ごん》で済んでしまうことだから、兄さんが気に掛けない以上、なにも言う必要を認めないので、今日まで控えていたんですから。――しかしぜひなんとか報告をしろと、官命で出張した属官流に《*》逼《せま》られれば、仕方がない。今すぐでも僕の見たとおりをお話します。けれどもあらかじめ断わっておきますが、僕の報告から、貴方の予期しているような変な幻《まぼろし》は決して出てきませんよ。もともと貴方の頭にある幻なんて、客《かつ》観《かん》的《てき》にはどこにも存在していないんだから」
兄は自分の言葉を聞いた時、平生と違って、顔の筋肉をほとんど一つも動かさなかった。ただ洋卓《テーブル》の前に肱《ひじ》を突いたなり、じっとしていた。目さえ伏せていたから、自分には彼の表情がちっとも解《わか》らなかった。兄は理に明らかなようで、またその理にころりと抛《な》げられる癖があった。自分はただ彼の顔色が少し蒼《あお》くなったのを見て、これは必《ひつ》竟《きよう》彼が自分の強い言語に叩《たた》かれたのだと判断した。
自分はそこにあった巻《ま》き莨《たばこ》入《い》れから烟草《たばこ》を一本取り出して燐寸《マツチ》の火を擦《す》った。そうして自分の鼻から出る青い烟《けむり》と兄の顔とを等分に眺《なが》めていた。
「二郎」と兄がようやく言った。その声には力も張りもなかった。
「なんです」と自分は答えた。自分の声はむしろ驕《おご》っていた。
「もう己《おれ》はお前に直のことについてなにも聞かないよ」
「そうですか。そのほうが兄さんのためにも嫂《ねえ》さんのためにも、またお父さんのためにも好《い》いでしょう。善良な夫になっておあげなさい。そうすれば嫂《あによめ》さんだって善良な夫人でさあ」と自分は嫂を弁護するように、また兄を戒めるように言った。
「この馬《ば》鹿《か》野《や》郎《ろう》」と兄は突然大きな声を出した。その声はおそらく下まで聞こえたろうが、すぐ傍《そば》に坐《すわ》っている自分には、ほとんど予想外の驚きを心臓に打ち込んだ。
「お前はお父さんの子だけあって、世渡りは己より旨《うま》いかもしれないが、士人の交わり《*》はできない男だ。なんで今になって直のことをお前の口などから聞こうとするものか。軽薄児め」
自分の腰は思わず坐っている椅子《いす》からふらりと離れた。自分はそのまま扉《ドア》の方へ歩いていった。
「お父さんのような虚偽な自白を聞いたあと、なんで貴様の報告なんか宛《あて*》にするものか」
自分はこういう烈《はげ》しい言葉を背中に受けつつ扉《ドア》を閉《し》めて、暗い階段の上に出た。
二三
自分はそれから約一週間ほどというもの、夕食以外には兄と顔を合わしたことがなかった。平生食卓を賑《にぎ》やかにする義務を有《も》っているとまで、皆《みんな》から思われていた自分が、急に黙ってしまったので、テーブルは変に淋《さみ》しくなった。どこかで鳴く〓《こおろぎ》の音《ね》さえ、併《なら》んでいる人の耳に、肌《はだ》寒《ざむ》の象徴《シンボル》のごとく響いた。
こういう寂《せき》寞《ばく》たる団《だん》欒《らん》のなかに、お貞さんは日ごとに近づいてくるわが結婚の日限を考えるよりほかに、なんの天地もないごとくに、盆を膝《ひざ》の上へ載せてお給仕をしていた。陽気な父は周囲に頓《とん》着《じやく》なく、己《おのれ》に特有なかってな話ばかりした。しかしその反響はいつものようにどこからも起こらなかった。父のほうでもまるでそれを予期する気《け》色《しき》は見えなかった。
時々席に列《つらな》ったものが、一度に声を出して笑う種になったのはただ芳江ばかりであった。母などは話が途切れておのずと不安になるたびに、「芳江お前は………」とかなんとかむりに問題を拵《こしら》えて、一時を糊《こ》塗《と》する《*》のを例にした。するとその態《わざ》とらしさが、すぐ兄の神経に触《さわ》った。
自分は食卓を退いて自分の室《へや》に帰るたびに、ほっと一息吐《つ》くように煙草《たばこ》を呑《の》んだ。
「詰《つま》らない。一面識のないものが寄って会食するよりなお詰らない。他《ひと》の家庭もみんなこんな不愉快なものかしら」
自分は時々こう考えて、早く家を出てしまおうと決心したこともあった。あまり食卓の空気が冷《ひや》やかなおりは、お重が自分のあとを恋《した》って、追い懸《か》けるように、自分の室へはいってきた。彼女はなんにも言わずにそこで泣きだしたりした。ある時はなぜ兄《にい》さんに早く詫《あやま》らないのだと詰《きつ》問《もん》するように自分を悪《にく》らしそうに睨《にら》めたりした。
自分は宅《うち》にいるのがいよいよ厭《いや》になった。元来性急《せつかち》のくせに決断に乏しい自分だけれども、今度こそは下宿なり間借りなりして、当前気を抜こうと思い定めた。自分は三沢のところへ相談に行った。その時自分は彼に、「君が大阪などで、ああ長く煩うから悪いんだ」と言った。彼は「君がお直さんなどの傍《そば》に長く喰《く》っ付いているから悪いんだ」と答えた。
自分は上《かみ》方《がた》から帰って以来、彼に会う機会は何度となくあったが、嫂《あによめ》については、いまだかつて一《いち》言《ごん》も彼に告げた例《ためし》がなかった。彼もまた自分の嫂に関しては、いっさい口を閉じて何事をも言わなかった。
自分ははじめて彼の咽喉《のど》を洩《も》れる嫂の名を聞いた。またその嫂と自分とのあいだに横たわる、深くも浅くも取れる相互関係をあらわした彼の言葉を聞いた。そうして驚きと疑いの目を三沢の上に注いだ。そのなかに怒りを含んでいると解釈した彼は、「怒《おこ》るなよ」と言った。そのあとで「気《き》狂《ちが》いになった女に、しかも死んだ女に惚《ほ》れられたと思って、己《おの》惚《ぼ》れ《*》ている己《おれ》のほうが、まあ安全だろう。その代り心細いには違いない。しかし面倒は起こらないから、いくら惚れても、惚れられてもいっこう差《さし》支《つか》えない」と言った。自分は黙っていた。彼は笑いながら「どうだ」と自分の肩を捕《つらま》えて小突いた。自分には彼の態度が真《ま》面《じ》目《め》なのか、また冗談なのか、少しも解《わか》らなかった。真面目にせよ、冗談にせよ、自分は彼に向かって何事をも説明したり、弁明したりする気は起こらなかった。
自分はそれでも三沢に適当な宿を一、二軒教わって、帰り掛けに、自分の室まで見て帰った。家《うち》へ戻《もど》るやいなや誰《だれ》よりさきに、まずお重を呼んで、「兄さんもお前の忠告してくれたとおりいよいよ家《うち》を出ることにした」と告げた。お重は案外なようなまた予期していたような表情を眉《み》間《けん》にあつめて、じっと自分の顔を眺《なが》めた。
二四
兄妹《きようだい》としていえば、自分とお重とはあまり仲の善《い》いほうではなかった。自分が外へ出ることを、まず第一に彼女に話したのは、愛情のためというよりは、むしろ面《つら》当《あ》ての気分に打ち勝たれていた。すると見る見るうちにお重の両方の目に涙がいっぱい溜《たま》ってきた。
「早く出てあげてください。その代り妾《あたし》もどんなところでも構わない、一日も早くお嫁に行きますから」と言った。
自分は黙っていた。
「兄《にい》さんはいったん外へ出たら、それなり家《うち》へ帰らずに、すぐ奥さんを貰《もら》って独立なさるつもりでしょう」と彼女がまた聞いた。
自分は彼女の手前「もちろんさ」と答えた。その時お重は今まで持ち応《こた》えていた涙をぽろりぽろりと膝《ひざ》の上に落とした。
「なんだって、そんなに泣くんだ」と自分は急に優しい声を出して聞いた。実際自分はこの事件についてお重の目から一滴の涙さえ予期していなかったのである。
「だって妾ばかりあとへ残って……」
自分にはっきり聞こえたのはただこれだけであった。その他彼女のむやみに引泣《しやくり》上《あ》げる声が邪魔をしてほとんど崩《くず》れたまま自分の鼓膜を打った。
自分は例のごとく煙草《たばこ》を呑《の》みはじめた。そうして大人《おとな》しく彼女の泣き止《や》むのを待っていた。彼女はやがて袖《そで》で目を拭《ふ》いて立ち上がった。自分はその後ろ姿を見たとき、急に可《か》哀《わい》そうになった。
「お重、お前とは好《よ》く喧《けん》嘩《か》ばかりしたが、もう今までどおり啀《いが》み合う機会もめったにあるまい。さあ仲直りだ。握手しよう」
自分はこう言って手を出した。お重はかえって極《きま》り悪気に躊《ちゆう》躇《ちよ》した。
自分はこれからだんだんに父や母に自分の外へ出る決心を打ち明けて、彼らの許諾を一々求めなければならないと思った。ただ最後に兄のところへ行って、同じ決心をぜひとも繰り返す必要があるので、それだけが苦になった。
母に打ち明けたのはたしかその明くる日であった。母はこの唐突な自分の決心に驚いたように、「どうせ出るならお嫁でも極《きま》ってからと思っていたのだが。――まあ仕方があるまいよ」と言ったあと、憮《ぶ》然《ぜん*》として自分の顔を見た。自分はすぐその足で、父の居間へ行こうとした。母は急に後ろから呼び留めた。
「二郎たとい、お前が家を出たってね………」
母の言葉はそれだけで支《つか》えてしまった。自分は「なんですか」と聞き返したため、元の場所に立っていなければならなかった。
「兄さんにはもうお話しかい」と母は急に即《つ》かぬことを言いだした。
「いいえ」と自分は答えた。
「兄さんにはかえってお前からじかに話したほうが好《い》いかもしれないよ。なまじ、お父《とう》さんやお母《かあ》さんから取り次ぐと、かえって感情を害するかもしれないからね」
「ええ僕もそう思っています。なるたけ綺《き》麗《れい》にして出るつもりですから」
自分はこう断わって、すぐ父の居間にはいった。父は長い手紙を書いていた。
「大阪の岡田からお貞の結婚について、このあいだまた問合わせが来たので、その返事を書こう書こうと思いながら、とうとう今日《きよう》まで放っておいたから、今日はぜひひとつその義務を果たそうと思って、今書いているところだ。ついでだからそう言っとくが、お前の書く拝啓の啓の字は間違っている。崩《くず》すならそこにあるように崩すものだ」
長い手紙の一端がちょうど自分の坐《すわ》った膝《ひざ》の前に出ていた。自分は啓の字を横に見たが、どこが間違っているのかまるで解《わか》らなかった。自分は父が筆を動かすあいだ、床に活《い》けた黄菊だのその後ろにある懸《か》け物だのを心のうちで品評していた。
二五
父は長い手紙を裾《すそ》のほうから巻き返しながら、「なにか用かね、また金じゃないか。金ならないよ」と言って、封筒に上書きを認《したた》めた。
自分はきわめて簡略に自分の決意を述べたうえ、「永《なが》々《なが》御《ご》厄《やつ》介《かい》になりましたが………」というような形式の言葉をちょっとあとへ付け加えた。父はただ「うんそうか」と答えた。やがて切手を状袋《*》の角《かど》へ貼《は》り付けて、「ちょっとそのベルを押してくれ」と自分に頼んだ。自分は「僕が出させましょう」と言って手紙を受け取った。父は「お前の下宿の番地を書いて、お母《かあ》さんに渡しておきな」と注意した。それから床の幅についていろいろな説明をした。
自分はそれだけ聞いて父の室《へや》を出た。これで挨《あい》拶《さつ》の残っているものはいよいよ兄と嫂《あによめ》だけになった。兄にはこのあいだの事件以来ほとんど親しい言葉を換《か》わさなかった。自分は彼に対して怒《おこ》り得るほどの勇気を持っていなかった。怒り得るならば、このあいだ罵《のの》しられて彼の書斎を出るとき、すでに激《げつ》昂《こう》していなければならなかった。自分はあとから小さな石《せつ》膏《こつ》像《ぞう》の飛んでくるぐらいに恐れを抱《いだ》く人間ではなかった。けれどもあの時にかぎって、怒るべき勇気の源がすでに枯れていたような気がする。自分は室《へや》に入《はい》った幽霊が、ふうとまた室を出るごとくに力なく退却した。その後も彼の書斎の扉《ドア》を叩《たた》いて、快く詫《あやま》るだけの度胸は、どこからも出てこなかった。かくして自分は毎日苦い顔をしている彼の顔を、晩《ばん》餐《さん》の食卓に見るだけであった。
嫂とも自分は近ごろめったに口を利《き》かなかった。近ごろというよりもむしろ大阪から帰ってあとというほうが適当かもしれない。彼女は単独に自分の箪《たん》笥《す》などを置いた小《ち》さい部《へ》屋《や》の所有主であった。しかしながら彼女と芳江が二人ぎりそこに遊んでいることは、一日中で時間に積もるといくらもなかった。彼女はたいてい母とともに裁縫その他の手伝いをして日を暮らしていた。
父や母に自分の未来を打ち明けた明くる朝、便所から風《ふ》呂《ろ》場《ば》へ通う縁側で、自分はこの嫂にぱたりと出会った。
「二郎さん、あなた下宿なさるんですってね。宅《うち》が厭《いや》なの」と彼女は突然聞いた。彼女は自分の言ったとおりを、いつのまにか母から伝えられたらしい言《こと》葉《ば》遣《づか》いをした。自分は何気なく「ええしばらく出ることにしました」と答えた。
「そのほうが面倒でなくって好《い》いでしょう」
彼女は自分がなにか言うかと思って、じっと自分の顔を見ていた。しかし自分はなんとも言わなかった。
「そうして早く奥さんをお貰《もら》いなさい」と彼女のほうからまた言った。自分はそれでも黙っていた。
「早いほうが好いわよ貴方《あなた》。妾《あたし》探《さが》してあげましょうか」とまた聞いた。
「どうぞ願います」自分ははじめて口を開いた。
嫂は自分を見下げたようなまた自分を調戯《からか》うような薄笑いを唇《くちびる》の両端に見せつつ、わざと足音を高くして、茶の間の方へ去った。
自分は黙って、風呂場と便所の境にある三和土《たたき*》の隅《すみ》に寄せ掛けられた大きな銅の金《かな》盥《だらい》を見詰めた。この金盥は直径二尺以上もあって自分の力で持ち上げるのも困難なくらい、重くてかつ大きなものであった。自分は子供の時分からこの金盥を見て、きっと大人《おとな》の行水を使うものだとばかり想像して、一人嬉《うれ》しがっていた。金盥は今塵《ちり》で侘《わび》しく汚《よご》れていた。低い硝子《ガラス》戸《ど》越しには、これも自分の子供時代から忘れ得ない秋《しゆう》海《かい》棠《どう》が、変わらぬ年ごとの色を淋《さみ》しく見せていた。自分はこれらの前に立って、よく秋先に玄関前の棗《なつめ》を、兄とともに叩《たた》き落として食ったことを思い出した。自分はまだ青年だけれども、自分の背後にはすでにこれだけ無邪気な過去がずっと続いていることを発見した時、今昔の比較がおのずから胸に溢《あふ》れた。そうしてこれからこの餓鬼大将であった兄と不愉快な言葉を交換して、わが家を出なければならないという変化に想《おも》い及んだ。
二六
その日自分が事務所から帰ってお重に「兄《にい》さんは」と聞くと、「まだよ」という返事を得た。
「今日《きよう》はどこかへ回る日なのかね」と重ねて尋ねた時、お重は「どうだか知らないわ。書斎へ行って壁に貼り付けてある時間表を見てきてあげましょうか」と言った。
自分はただ兄が帰ったら教えてくれるように頼んで、誰《だれ》にも会わずに室《へや》へはいった。洋服を脱ぎ替えるのも面倒なので、そのまま横になって寐《ね》ているうち、いつのまにかほんとうの眠りに落ちた。そうして他人に説明もなにもできないような複雑に変化する不安な夢に襲われていると、急にお重から起こされた。
「大兄さんがお帰りよ」
こういう彼女の言葉が耳にはいった時、自分はすぐ起《た》ち上《あ》がった。けれども意識は朦《もう》朧《ろう》として、夢のつづきを歩いていた。お重は後ろから「まあ顔でも洗っていらっしゃい」と注意した。はっきりしない自分の意識は、それすらあえてする勇気を必要と感ぜしめなかった。
自分はそのまま兄の書斎にはいった。兄もまだ洋服のままであった。彼は扉《ドア》の音を聞いて、急に入口に目を転じた。その光のうちにはある予期を明らかに示していた。彼が外出して帰ると、嫂《あによめ》が芳江を連れて、不断の和服を持って上がってくるのが、そのころの習慣であった。自分は母が嫂に「こういうふうにお為《し》よ」と言い付けたのを傍《そば》にいて聞いていたことがある。自分はぼんやりしながらも、兄のこの目付によって、和服の不断着より、嫂と芳江とを彼は待ち設けていたのだと覚《さと》った。
自分は寐《ね》惚《ぼ》けた心持ちがあったればこそ、平気で彼の室を突然開《あ》けたのだが、彼は自分の姿を敷居の前に見て、少しも怒りの影を現わさなかった。しかしただ黙って自分の背広姿を打ち守るだけで、急に言葉を出す気《け》色《しき》はなかった。
「兄さん、ちょっとお話がありますが……」と、自分はついにこっちから切り出した。
「こっちへおはいり」
彼の言語は落ち付いていた。かつこのあいだのことについてなんの介《かい》意《い*》をも含んでいないらしく自分の耳に響いた。彼は自分のために、わざわざ一脚の椅子《いす》を己《おのれ》の前へ据《す》えて、自分を麾《さしまね》いた。
自分はわざと腰を掛けずに、椅子の背に手を載せたまま、父や母に言ったとほぼ同様の挨《あい》拶《さつ》を述べた。兄は尊敬すべき学者の態度で、それを静かに聞いていた。自分の単簡の説明が終わると、彼は嬉《うれ》しくも悲しくもない常の来客に応接するような態度で「まあそこへお掛け」と言った。
彼は黒いモーニングを着て、あまり好《い》い香《におい》のしない葉巻を燻《くゆら》していた。
「出るなら出るさ。お前ももう一人前の人間だから」と言ってしばらく煙ばかり吐いていた。それから「しかし己《おれ》がお前を出したように皆《みんな》から思われては迷惑だよ」と続けた。「そんなことはありません。ただ自分の都合で出るんですから」と自分は答えた。
自分の寐惚けた頭はこの時しだいに冴《さ》えてきた。できるだけ早く兄の前から退きたくなった結果、振り返って室の入口を見た。
「直も芳江も今湯にはいっているようだから、誰《だれ》も上がってきやしない。そんなにそわそわしないでゆっくり話すが好《い》い、電燈でも点《つ》けて」
自分は立ち上がって、室の内を明るくした。それから、兄の吹かしている葉巻を一本取って火を点けた。
「一本八銭だ。ずいぶん悪い煙草《たばこ》だろう」と彼が言った。
二七
「いつ出るつもりかね」と兄がまた聞いた。
「今度の土曜あたりに仕ようかと思ってます」と自分は答えた。
「一人出るのかい」と兄がまた聞いた。
この奇異な質問を受けた時、自分はしばらく茫《ぼう》然《ぜん》として兄の顔を打ち守っていた。彼がわざとこういう失礼な皮肉を言うのか、それでなければ彼の頭に少し変調を来《きた》したのか、どっちだか解《わか》らないうちは、自分にもどの見当へ打って出て好《い》いものか、料《りよう》簡《けん》が定まらなかった。
彼の言葉は平生から皮肉だくさんに自分の耳を襲った。しかしそれは彼の知力が我々よりも鋭敏に働きすぎる結果で、その他に悪気のないことは、自分によく呑《の》み込《こ》めていた。ただこの一言だけは鼓膜に響いたなり、いつまでもそこでじんじん熱く鳴っていた。
兄は自分の顔を見て、えへへと笑った。自分はその笑いの影にさえ歇斯的里《ヒステリ》性《せい》の稲妻を認めた。
「むろん一人で出る気だろう。誰《だれ》も連れてゆく必要はないんだから」
「もちろんです。ただ一人になって、少し新しい空気を吸いたいだけです」
「新しい空気は己《おれ》も吸いたい。しかし新しい空気を吸わしてくれる所は、この広い東京に一か所もない」
自分は半ばこの好んで孤立している兄を憐《あわ》れんだ。そうして半ば彼の過敏な神経を悲しんだ。
「ちっと旅行でも為《な》すったらどうです。少しは晴《せい》々《せい》するかもしれません」
自分がこう言った時、兄はチョッキの隠袋《かくし》から時計を出した。
「まだ食事の時間には少し間があるね」と言いながら、彼は再び椅子《いす》に腰を落ち付けた。そうして「おい二郎もうそうたびたび話す機会もなくなるから、飯ができるまでここで話そうじゃないか」と自分の顔を見た。
自分は「ええ」と答えたが、少しも尻《しり》は坐《すわ》らなかった。そのうえなにも話す種がなかった。すると兄が突然「お前パオロとフランチェスカの恋を知ってるだろう」と聞いた。自分は聞いたような、聞かないような気がするので、すぐとは返事もできなかった。
兄の説明によると、パオロというのはフランチェスカの夫の弟で、その二人が夫の目を忍んで、互いに慕い合った結果、とうとう夫に見付かって殺されるという悲しい物語で、ダンテの神曲のなかとかに書いてあるそうであった。自分はその憐れな物語に対する同情よりも、こんな話をことさらにする兄の心持ちについて、一種厭《いや》な疑念を挟《さしはさ》んだ。兄は臭い煙草の煙の間から、始終自分の顔を見詰めつつ、十三世紀だか十四世紀だか解らない遠い昔のイタリアの物語をした。自分はそのあいだやっとのことで、不愉快の念を抑《おさ》えていた。ところが物語が一応済むと、彼は急に思いも寄らない質問を自分に掛けた。
「二郎、なぜ肝《かん》心《じん》な夫の名を世間が忘れてパオロとフランチェスカだけ覚えているのか。その訳を知ってるか」
自分は仕方がないから「やっぱり三《さん》勝《かつ》半《はん》七《しち*》みたようなものでしょう」と答えた。兄は意外な返事にちょっと驚いたようであったが、「己《おれ》はこう解釈する」としまいに言い出した。
「己はこう解釈する。人間の作った夫婦という関係よりも、自然が醸《かも》した恋愛のほうが、実際神聖だから、それで時を経《ふ》るにしたがって、狭い社会の作った窮屈な道徳を脱ぎ棄《す》てて、大きな自然の法則を嘆美する声だけが、我々の耳を刺激するように残るのではなかろうか。もっともその当時はみんな道徳に加勢する。二人のような関係を不義だといって咎《とが》める。しかしそれはその事情の起こった瞬間を治めるための道義に駆られたいわば通り雨のようなもので、あとへ残るのはどうしても青天と白日、すなわちパオロとフランチェスカさ。どうだそうは思わんかね」
二八
自分は年輩からいっても性格からいっても、平生なら兄の説に手を挙《あ》げて賛成するはずであった。けれどもこの場合、彼がなぜわざわざパオロとフランチェスカを問題にするのか、またなぜ彼ら二人が永久に残る理由《いわれ》を、物々しく解説するのか、その主意が分《わか》らなかったので、自然の興味はまったく不快と不安の念に打ち消されてしまった。自分は奥歯に物の挟《はさま》ったような兄の説明を聞いて、必《ひつ》竟《きよう》それがどうしたのだという気を起こした。
「二郎、だから道徳に加勢するものは一時の勝利者には違いないが、永久の敗北者だ。自然に従うものは、一時の敗北者だけれども永久の勝利者だ……」
自分はなんとも言わなかった。
「ところが己《おれ》は一時の勝利者にさえなれない。永久にはむろん敗北者だ」
自分はそれでも返事をしなかった。
「相撲《すもう》の手を習っても、実際力のないものは駄《だ》目《め》だろう。そんな形式に拘《こう》泥《でい》しないでも、実力さえたしかに持っていればそのほうがきっと勝つ。勝つのは当たり前さ。四十八手は人間の小刀細工だ。膂《りよ》力《りよく*》は自然の賜《たま》物《もの》だ。……」
兄はこういうふうに、影を踏んで力んでいるような哲学をしきりに論じた。そうして彼の前に坐っている自分を、気味の悪い霧で、一面に鎖《とざ》してしまった。自分にはこの朦《もう》朧《ろう》たるものを払い退《の》けるのが、太い麻《あさ》縄《なわ》を噛《か》み切るよりも苦しかった。
「二郎、お前は現在も未来も永久に、勝利者として存在しようとするつもりだろう」と彼は最後に言った。
自分は癇《かん》癪《しやく》持《も》ちだけれども兄ほど露骨に突進はしない性質であった。ことさらこの時は、相手が全然正気なのか、または少し昂《こう》奮《ふん》しすぎた結果、精神に尋常でない一種の状態を引き起こしたのか、第一そのほうを懸念しなければならなかった。そのうえ兄の精神状態をそこに導いた原因として、どうしても自分が責任者と目《め》指《ざ》されているという事実を、なおさら苛《つら》く感じなければならなかった。
自分はとうとうしまいまで一言も言わずに兄の言葉を聞くだけ聞いていた。そうしてそれほど疑《うたぐ》るならいっそ嫂《あによめ》を離別したら、晴々して好《よ》かろうにと考えたりした。
ところへその嫂が兄の平生《ふだん》着《ぎ》を持って、芳江の手を引いて、例のごとく階段を上がってきた。
扉《ドア》の敷居に姿を現わした彼女は、風《ふ》呂《ろ》から上がりたてと見えて、蒼《あお》味《み》の注《さ》した常の頬《ほお》に、心持ちの好いほど、薄赤い血を引き寄せて、肌理《きめ》の細かい皮膚に手《て》触《ざ》わりを挑《いど》むような柔らかさを見せていた。
彼女は自分の顔を見た。けれども一言も自分には言わなかった。
「たいへん遅《おそ》くなりました。さぞ御窮屈でしたろう。あいにくお湯へはいっていたものだから、すぐお召しを持ってくることができなくって」
嫂はこう言いながら兄に挨《あい》拶《さつ》した。そうして傍《そば》に立っていた芳江に、「さあお父《とう》さんにお帰りあそばせと仰しゃい」と注意した。芳江は母の命令《いいつけ》どおり「お帰り」と頭を下げた。
自分は永《なが》らくのあいだ、嫂が兄に対してこれほど家庭の夫人らしい愛《あい》嬌《きよう》を見せた例《ためし》を知らなかった。自分はまたこの愛嬌に対して柔らげられた兄の気分が、彼の目に強く集まった例も知らなかった。兄は人の手前きわめて自尊心の強い男であった。けれども、子供のうちから兄といっしょに育った自分には、彼の脳天を動きつつある雲の往《ゆき》来《き》がよく解《わか》った。
自分は助け船が不意に来た嬉《うれ》しさを胸に蔵《かく》して兄の室《へや》を出た。出る時嫂は一面識もない目下のものに挨拶でもするように、ちょっと頭を下げて自分に黙礼をした。自分が彼女からこんな冷淡な挨拶を受けたのもまた珍しい例であった。
二九
二、三日してから自分はとうとう家を出た。父や母や兄弟《きようだい》の住む、古い歴史を有《も》った家を出た。出る時はほとんど何事をも感じなかった。母とお重が別れを惜しむように浮かない顔をするのが、かえって厭《いや》であった。彼らは自分の自由行動をわざと妨げるように感ぜられた。嫂《あによめ》だけは淋《さみ》しいながら笑ってくれた。
「もうお出掛け。では御《ご》機《き》嫌《げん》よう。またちょくちょく遊びにいらっしゃい」
自分は母やお重の曇った顔を見たあとで、この一口の愛《あい》嬌《きよう》を聞いた時、多少の愉快を覚えた。
自分は下宿へ移ってからも有楽町の事務所へ例のとおり毎日通っていた。自分をそこへ周旋してくれたものは、例の三沢であった。事務所の持主は、昔三沢の保証人をしていた(兄の同僚の)Hの叔父《おじ》に当たる人であった。この人は永《なが》らく外国にいて、内地でも相応に経験を積んだ大家であった。胡《ご》麻《ま》塩《しお》頭《あたま》の中へ指を突っ込んで、むやみに頭垢《ふけ》を掻《か》き落とす癖があるので、差向かいのあいだに火《ひ》鉢《ばち》でも置くと、時々火の中から妙な臭《におい》を立てさせて、非《ひ》道《ど》く相手を弱らせることがあった。
「君の兄《にい》さんは近来なにを研究しているか」などとたびたび自分に聞いた。自分は仕方なしに、「なんだか一人で書斎に籠《こも》って遣《や》ってるようです」ときわめてだいたいな答えをするのを例のようにしていた。
梧《あお》桐《ぎり》が坊主になったある朝、彼は突然自分を捕えて、「君の兄さんは近ごろどうだね」とまた聞いた。こういう彼の質問に慣れ切っていた自分も、その時ばかりはあまりの不意打ちにちょっと返事を忘れた。
「健康はどうだね」と彼はまた聞いた。
「健康はあまり好《い》いほうじゃないです」と自分は答えた。
「少し気を付けないと不可《いけ》ないよ。あまり勉強ばかり為《し》ていると」と彼は言った。
自分は彼の顔を打ち守って、そこに一種の真《ま》面《じ》目《め》な眉《まゆ》と目の光とを認めた。
自分は家を出てから、まだ一遍しか家《うち》へ行かなかった。そのおりそっと母を小《こ》蔭《かげ》に呼んで、兄の様子を聞いてみたら「近ごろは少し好いようだよ。時々裏へ出て芳江をブランコに載せて、押してやったりしているからね。………」
自分はそれで少しは安心した。それぎり宅《うち》の誰《だれ》とも顔を合わせる機会を拵《こしら》えずに今《こん》日《にち》まで過ぎたのである。
昼の時間に一品料理を取り寄せて食っていると、B先生(事務所の持主)がまた突然「君はたしか下宿したんだったね」と聞いた。自分はただ簡単に「ええ」と答えておいた。
「なぜ。家《うち》のほうが広くって便利だろうじゃないか。それともなにか面倒なことでもあるのかい」
自分は愚図ついてすこぶる曖《あい》昧《まい》な挨《あい》拶《さつ》をした。その時呑《の》み込《こ》んだ麺麭《パン》の一片が、いかにも水気がないように、ぱさぱさと感ぜられた。
「しかし一人のほうがかえって気楽かもしれないね。おおぜいごたごたしているよりも。――時に君はまだ独身だろう、どうだ早く細君でも有《も》っちゃ」
自分はB先生のこの言葉に対しても、平生のとおり気楽な答えができなかった。先生は「今日《きよう》は君いやに意気消沈しているね」と言ったぎり話頭を転じて、他《ほか》のものと愚にも付かない馬《ば》鹿《か》話《ばなし》を始めだした。自分は自分の前にある茶《ちや》碗《わん》の中に立っている茶柱を、なにかの前徴のごとく見詰めたぎり、左右に起こる笑い声を聞くともなく、また聞かぬでもなく、黙然と腰を掛けていた。そうして心の裡《うち》で、自分こそ近ごろ神経過敏症に罹《かか》っているのではなかろうかと不愉快な心配をした。自分は下宿にいてあまり孤独なため、こう頭に変調を起こしたのだと思い付いて、帰ったら久しぶりに三沢のところへでも話に行こうと決心した。
三〇
その晩三沢の二階へ案内された自分は、気楽そうに胡坐《あぐら》をかいた彼の姿を見て羨《うらやま》しい心持ちがした。彼の室《へや》は明るい電燈と、暖かい火《ひ》鉢《ばち》で、初《はつ》冬《ふゆ》の寒さから全然隔離されているように見えた。自分は彼の痼《こ》疾《しつ*》が秋風の吹き募るにしたがって、ぜんぜん好《い》いほうへ向いてきたことを、かねてから彼の色にも姿にも知った。けれども今の自分と比較して、彼がこうゆったり構えていようとは思えなかった。高くて暑い空を、恐る恐る仰いで暮らした大阪の病院を憶《おも》い起こすと、当時の彼と今の自分とは、ほとんど地を換えたと一般であった。
彼はつい近ごろ父を失った結果として、当然一家の主人に成り済ましていた。Hさんを通してB先生から彼を使いたいと申し込まれた時も、彼はまず己《おのれ》をのちにするという好意からか、もしくは贅《ぜい》沢《たく》な択《よ》り好みからか、せっかくの位置を自分に譲ってくれた。
自分は電燈で照らされた彼の室を見回して、その壁を隙《すき》間《ま》なく飾っている風雅なエッチングや水彩画などについて、しばらく彼と話し合った。けれどもどういうものか、芸術上の議論は十分経《た》つか経たないうちにしぜんと消えてしまった。すると三沢は突然自分に向かって、「時に君の兄《にい》さんだがね」と言いだした。自分はここでもまた兄さんかと驚いた。
「兄がどうしたって?」
「いや別にどうしたってこともないが……」
彼はこれだけ言ってただ自分の顔を眺《なが》めていた。自分はいきおい彼の言葉とB先生の今朝《けさ》の言葉とを胸の中《うち》で結び付けなければならなかった。
「そう半分でなく、話すなら皆《みんな》話してくれないか。兄がいったいどうしたというんだ。今朝もB先生から同じようなことを聞かれて、妙な気がしているところだ」
三沢は焦烈《じれ》ったそうな自分の顔をなお懇《こん》気《き》に《*》見詰めていたが、やがて「じゃ話そう」と言った。
「B先生の話も僕のもやっぱり同じHさんから出たのだろうと思うがね。Hさんのはまた学生から出たのだって言ったよ。なんでもね、君の兄さんの講義は、平生から明《めい》瞭《りよう》で新しくって、たいへん学生に気受けが好《い》いんだそうだが、その明瞭な講義中に、やはり明瞭ではあるが、前後とどうしても辻《つじ》褄《つま》の合わないところが一、二個所出てくるんだってね。そうしてそれを学生が質問すると、君の兄さんは元来正直な人だから、何遍も何遍も繰り返して、そこを説明しようとするが、どうしても解《わか》らないんだそうだ。しまいに手を額へ当てて、どうも近来頭が少し悪いもんだから……とぼんやり硝子《ガラス》窓《まど》の外を眺《なが》めながら、いつまでも立っているんで、学生も、そんならまたこの次にしましょうと、自分のほうで引き下がったことが、なんでも幾遍もあったという話さ。Hさんは僕に今度長野(自分の姓)に逢《あ》ったら、少し注意してみるが好い。ことによると烈《はげ》しい神経衰弱なのかもしれないからって言ったが、僕もとうとうそれなり忘れてしまって、今君の顔を見るまで実は思い出せなかったのだ」
「そりゃいつごろのことだ」と自分はせわしなく聞いた。
「ちょうど君の下宿する前後のことだと思っているが、はっきりしたことは覚えていない」
「今でもそうなのか」
三沢は自分の思い逼《せま》った顔を見て、慰めるように「いやいや」と言った。
「いやいやそれはほんに一時的のことであったらしい。このごろでは全然平生と変わらなくなったようだと、Hさんが二《に》、三《さん》日《ち》まえ僕に話したから、もう安心だろう。しかし……」
自分は家《うち》を出た時に自分の胸に刻み込んだ兄との会見を思わず憶《おも》い出した。そうしてそのおりの自分の疑いが、あるいは学校で証明されたのではなかろうかと考えて、非常に心細くかつ恐ろしく感じた。
三一
自分は力《つと》めて《*》兄のことを忘れようとした。するとふと大阪の病院で三沢から聞いた精神病の「娘さん」を連想しはじめた。
「あのお嬢さんの法事には間に合ったのかね」と聞いてみた。
「間に合った。間に合ったが、実にあの娘さんの親たちは失敬な厭《いや》な奴《やつ》だ」と彼は拳《げん》骨《こつ》でも振り回しそうな勢いで言った。自分は驚いてその理由を聞いた。
彼はその日三沢家を代表して、築《つき》地《じ》の本願寺の境内とかにある菩《ぼ》提《だい》所《しよ》に参詣した。薄暗い本堂で長い読《ど》経《きよう》があったのち、彼も列席者の一《いち》人《にん》として、一抹《まつ》の香を白い位《い》牌《はい》の前に焚《た》いた。彼の言葉によると、彼ほどの誠をもって、その若く美しい女の霊前に額《ぬか》ずいたものは、彼以外にほとんどあるまいという話であった。
「あいつらはいくら親だって親類だって、ただ静かなお祭りでも為《し》ている気になって、平気でいやがる。ほんとうに涙を落としたのは他人の己《おれ》だけだ」
自分は三沢のこういう憤《ふん》慨《がい》を聞いて、少し滑《こつ》稽《けい》を感じたが、表ではただ「なるほど」と肯《うけが》った。すると三沢は「いやそれだけならなにも怒《おこ》りゃしない。しかし癪《しやく》に障《さわ》ったのはそのあとだ」
彼は一般の例に従って、法要の済んだあと、寺の近くにあるある料理屋へ招待された。その食事中に、彼女の父に当たる人や、母に当たる女が、彼に対して談《はなし》をするうちに妙に引っ掛かってきた。なんの悪意もない彼には、最初いっこうその当てこすりが通じなかったが、だんだん時間の進むに従って、彼らの本旨がようやく分《わか》ってきた。
「馬《ば》鹿《か》にもほどがあるね。露骨にいえばさ、あの娘さんを不幸にした原因は僕にある。精神病にしたのも僕だ、とこうなるんだね。そうして離別になった先の亭《てい》主《しゆ》は、まるで責任のないように思ってるらしいんだから失敬じゃないか」
「どうしてまたそう思うんだろう。そんなはずはないがね。君の誤解じゃないか」と自分が言った。
「誤解?」と彼は大きな声を出した。自分は仕方なしに黙った。彼はしきりにその親たちの愚劣な点を述べたてて已《や》まなかった。その女の夫となった男の軽薄を罵《のの》しって措かなかった。しまいにこう言った。
「なぜそんならはじめから僕に遣《や》ろうと言わないんだ。資産や社会的の地位ばかり目当てにして……」
「いったい君は貰《もら》いたいと申し込んだことでもあるのか」と自分は途中で遮《さえぎ》った。
「ないさ」と彼は答えた。
「僕がその娘さんに――その娘さんの大きな潤った目が、僕の胸を絶えず往《ゆき》来《き》するようになったのは、すでに精神病に罹《かか》ってからのことだもの。僕に早く帰ってきてくれと頼みはじめてからだもの」
彼はこう言って、依然としてその女の美しい大な眸《ひとみ》を目の前に描くように見えた。もしその女が今でも生きていたならどんな困難を冒しても、愚劣な親たちの手から、もしくは軽薄な夫の手から、永久に彼女を奪い取って、己《おのれ》の懐《ふところ》で暖めてみせるという強い決心が、同時に彼の固く結んだ口の辺に現われた。
自分の想像は、この時その美しい目の女よりも、かえって自分の忘れようとしていた兄の上に逆《ぎやく》戻《もどり》りをした。そうしてその女の精神に祟《たた》った恐ろしい狂いが耳に響けば響くほど、兄の頭が気に掛かってきた。兄は和歌山行の汽車の中で、その女はたしかに三沢を思っているに違いないと断言した。精神病で心の憚《はばか》りが解けたからだとその理由までも説明した。兄はことによると、嫂《あによめ》をそういう精神病に罹らしてみたい、本《ほん》音《ね》を吐かせてみたい、と思ってるかもしれない。そう思っている兄のほうが、傍《はた》から見ると、もうそろそろ神経衰弱の結果、多少精神に狂いを生じかけて、自分のほうから恐ろしい言葉を家《うち》中《じゆう》に響かせて狂い回らないとも限らない。
自分は三沢の顔などを見ている暇を有《も》たなかった。
三二
自分はかねて母から頼まれて、この次もし三沢のとこへ行ったら、彼にお重を貰《もら》う気があるか、ないか、それとなく彼の様子を探ってくるという約束をした。しかしその晩はどうしてもそういう元気が出なかった。自分の心持ちを了解しない彼は、かえって自分に結婚を勧めて已《や》まなかった。自分の頭はまたそれに対して気乗りのした返事をするほど、穏やかに澄んでいなかった。彼は折りを見て、ある候補者に自分を紹介すると言った。自分は生返事をして彼の家を出た。外は十文字に風が吹いていた。仰ぐ空には星が粉《こ》のごとくささやかな力を集めて、この風に抵抗しつつ輝いた。自分は侘《わび》しい胸の上に両手を当てて下宿へ帰った。そうして冷たい蒲《ふ》団《とん》の中にすぐ潜《もぐ》り込んだ。
それから二《に》、三《さん》日《ち》しても兄のことがまだ気に懸《かか》ったなり、頭がどうしても自分と調和してくれなかった。自分はとうとう番町へ出掛けていった。直接兄に会うのが厭なので、二階へはとうとう上がらなかったが、母をはじめほかの者には無《ぶ》沙《さ》汰《た》見舞いの格で、何気なく例のとおりの世間話をした。兄を交えない一家の団《だん》欒《らん》はかえって寛《くつろ》いだ暖かい感じを自分に与えた。
自分は帰り際《ぎわ》に、母をちょっと次の間へ呼んで、兄の近況を聞いてみた。母はこのごろ兄の神経がだいぶ落ち付いたと言って喜んでいた。自分は母の一言でやっと安心したようなものの、母には気の付かない特殊の点に、なんだか変調がありそうで、かえってそれが気掛かりになった。さればといって、兄に会って自分から彼を試験しようという勇気はむろん起こし得なかった。三沢から聞いた兄の講義が一時変になった話も母には告げ得なかった。
自分はなにも言うことのないのに、ぼんやり暗い部《へ》屋《や》の襖《ふすま》の蔭《かげ》に寒そうに立っていた。母も自分に対してそこを動かなかった。そのうえ彼女のほうから自分になにかいう必要を認めるようにも見えた。
「もっともこのあいだ少し風邪《かぜ》を引いた時、妙な囈語《うわごと》を言ったがね」と言った。
「どんなことを言いました」と自分は聞いた。
母はそれには答えないで、「なに熱のせいだから、心配することはないんだよ」と自分の問いを打ち消した。
「熱がそんなにあったんですか」と自分はさらに別のことを尋ねた。
「それがね、熱は三十八度か八度五分ぐらいなんだから、そんなはずはないと思って、お医者に聞いてみると、神経衰弱のものは少しの熱でも頭が変になるんだってね」
医学の初歩さえ心得ない自分ははじめてこの知識に接して、思わず眉《まゆ》をひそめた。けれども室《へや》が暗いので、母には自分の顔が見えなかった。
「でも氷で頭を冷やしたら、そのお蔭《かげ》で熱がすぐ引いたんで安心したけれど………」
自分は熱の引かない時の兄が、どんな囈語を言ったか、それがまだ知りたいので、薄ら寒い襖の蔭に依然として立っていた。
次の間は電燈で明るく照らされていた。父が芳江になにか言って調戯《からか》うたびに、皆《みんな》の笑う声が陽気に聞こえた。すると突然その笑い声のあいだから、「おい二郎」と父が自分を呼んだ。
「おい二郎、またお母《かあ》さんに小《こ》遣《づか》いでも強請《せび》ってるんだろう。お綱《つな》、お前みたように、そうむやみに二郎の口車に乗っちゃ不可《いけ》ないよ」と大きな声で言った。
「いいえそんなことじゃありません」と自分も大きな声で負けずに答えた。
「じゃなんだい、そんな暗い所で、こそこそお母さんを取っ捉《つらま》えて話しているのは。おい早く光《あか》るい所へ面《つら》を出せ」
父がこう言った時、明るい室のほうに集まったものは一度にどっと笑った。自分は母から聞きたいことも聞かずに、父の命令どおり、はいと言って、皆の前へ姿をあらわした。
三三
それからしばらくのあいだは、B先生の顔を見ても、三沢のところへ遊びに行っても、兄の話はいっこう話題に上らなかった。自分は少し安心した。そうしてなるべく家《うち》のことを忘れようと試みた。しかし下宿の徒然《*》に打ち勝たれるのがなにより苦しいので、よく三沢の時間を潰《つぶ》しにこっちから押し寄せたり、また引っ張り出したりした。
三沢は厭《あ》きずにいつまでも例の精神病の娘さんの話をした。自分はこの異様なおのろけを聞くたびに、きっと兄と嫂《あによめ》のことを連想しておのずから不快になった。それで、時々またかという様子を色にも表わした。三沢も負けてはいなかった。
「君も君のおのろけを言えば、それで差引き損得なしじゃないか」などと自分を冷《ひや》かした。自分はもうちっとで彼と往来で喧《けん》嘩《か》をするところであった。
彼にはこういうふうに、精神病の娘さんが、影身に添って離れないので、自分はかねて母から頼まれたお重のことを彼に話す余地がなかった。お重の顔は誰《だれ》が見ても、まあ十人並み以上だろうと、仲の善《よ》くない自分にも思えたが、惜しいことに、このたいせつな娘さんとは、まるで顔の型が違っていた。
自分の遠慮に引き換えて、彼は平気で自分に嫁の候補者を推挙した。「今《こん》度《だ》どこかでちょっと見てみないか」と勧めたこともあった。自分ははじめこそ生返事ばかりしていたが、しまいは本気にその女に会おうと思いだした。すると三沢は、まだ機会が来ないから、もう少し、もう少し、と会見の日を順繰りに先へ送っていくので、自分はまた気を腐らした末、ついにその女の幻を離れてしまった。
反対に、お貞さんのほうの結婚はいよいよ事実となって現わるべく、目前に近づいてきた。お貞さんは相応の年をしているくせに、宅《うち》中《じゆう》でいちばん初心《うぶ》な女であった。これという特色はないが、なにを言っても、じき顔を赤くするところに変な愛《あい》嬌《きよう》があった。
自分は三沢と夜《よ》更《ふ》けに寒い町を帰ってきて、下宿の冷たい夜具に潜《もぐ》り込みながら、時々お貞さんのことを思い出した。そうして彼女もこんな冷たい夜具を引き担《かつ》ぎながら、今ごろは近い未来に逼《せま》る暖かい夢を見て、誰《だれ》も気の付かない笑い顔を、半ば天鵞絨《ビロウド》の襟《えり》裡《なか》に埋《うず》めているだろうなどと想像した。
彼女の結婚する二、三日まえに、岡田と佐野は、氷を裂くような汽車《*》の中から身を顫《ふる》わして新橋の停車場《ステーシヨン》に下《お》りた。彼は迎えに出た自分の顔を見て、いようという掛け声をした。それから「相変わらず二郎さんは呑《のん》気《き》だね」と言った。岡田は己《おのれ》の呑気さ加減を自覚しない男のようにも思われた。
翌日番町へ行ったら、岡田一人のために宅《うち》中《じゆう》騒々しく賑《にぎわ》っていた。兄もほかのことと違うという意味か、別に苦い顔もせずに、その渦《か》中《ちゆう》に捲《ま》き込まれて黙っていた。
「二郎さん、今になって下宿するなんて、そんな馬《ば》鹿《か》がありますか、家《うち》が淋《さび》しくなるだけじゃありませんか。ねえお直さん」と彼は嫂《あによめ》に話し掛けた。この時だけは嫂もさすが変な顔をして黙っていた。自分もなんとも言いようがなかった。兄はかえって冷然とすべてに取り合わない気《け》色《しき》を見せた。岡田はすでに酔って何事にも拘《こう》泥《でい》せずへらへら口を動かした。
「もっとも一郎さんも善《よ》くないと僕は思いますよ。そう貴方《あなた》、書斎にばかり引っ込んで勉強していたって、詰《つま》らないじゃありませんか。もう貴方ぐらい学問をすれば、どこへ出たって引けを取るんじゃないんだからね。しかし二郎さんはじめ、お直さんや叔母《おば》さんも好《よ》くないようですね。一郎は書斎よりほかは嫌《きら》いだ嫌いだって言っときながら、僕が来てこう引っ張り出せば、訳なく二階から下りてきて、僕と面《おも》白《しろ》そうに話してくれるじゃありませんか。そうでしょう一郎さん」
彼はこう言って兄の方を見た。兄は黙って苦笑いをした。
「ねえ叔母さん」
母も黙っていた。
「ねえお重さん」
彼は返事を受けるまで順々に聞いて回るらしかった。お重はすぐ「岡田さん、貴方いくら年を取っても饒舌《しやべ》る病気が癒《なお》らないのね。騒々しいわよ」と言った。それで皆《みんな》が笑いだしたので、自分はほっと一息吐いた。
三四
芳江が「叔父《おじ》さんちょっと入らっしゃい」と次の間から小さな手を出して自分を招いた。「なんだい」と立って行くと彼女はどこからか、大きな信玄袋を引き摺り出して、「これお貞さんのよ、見せたげましょうか」と自慢らしく自分を見た。
彼女は信玄袋の中から天鵞絨《ビロウド》で張った四角な箱を出した。自分はその中にある真珠の指環を手に取って、ふんと言いながら眺《なが》めた。芳江は「これもよ」と言って、今度は海老《えび》茶《ちや》色のを出したが、これは自分が洗濯その他の世話になった礼に買ってやった宝石なしの単純な金の指環であった。彼女はまた「これもよ」と言って、繻《しゆ》珍《ちん*》の紙入れを出した。その紙入れには模様風に描いた菊の花が金で一面に織り出されていた。彼女はその次に比較的大きくて細長い桐の箱を出した。これは金と赤《しやく》銅《どう》と銀とで、蔦《つた》の葉を綴った金具の付いている帯留であった。最後に彼女は櫛と笄《こうがい》を示して、「これ卵《らん》甲《こう*》よ。ほんとうの鼈《べつ》甲《こう*》じゃないんだって。ほんとうの鼈甲は高すぎるからお已《や》めにしたんですって」と説明した。自分には卵甲という意味が解《わか》らなかった。芳江にはむろん解らなかった。けれども女の子だけあって、「これいちばん安いのよ。四方張り《*》よか安いのよ。玉子の白味で貼《は》り付けるんだから」と言った。「玉子の白味でどこをどう貼り付けるんだい」と聞くと、彼女は、「そんなこと知らないわ」と取り済ました口の利《き》き方をして、さっさと信玄袋を引き摺って次の間へ行ってしまった。
自分は母からお貞さんの当日着る着物を見せてもらった。薄紫がかったお納戸《なんど*》の縮《ちり》緬《めん》で、紋は蔦、裾《すそ》の模様は竹であった。
「これじゃあまり閑静《*》すぎやしませんか、年に合わして」と自分は母に聞いてみた。母は「でもねあんまり高くなるから」と答えた。そうして「これでもお前二十五円掛かったんだよ」と付け加えて、無知識な自分を驚かした。地は去年の春京都の織屋が背負《しよ》ってきた時、白のまま三反ばかり用意に買っておいて、このあいだまで箪《たん》笥《す》の抽《ひき》出《だ》しに仕《し》舞《ま》ったなり放ってあったのだそうである。
お貞さんは一座の席へさっきから少しも顔を出さなかった。自分はおおかた極《きま》りが悪いのだろうと想像して、その極りの悪いところを、ここで一目見たいと思った。
「お貞さんはどこにいるんです」と母に聞いた。すると兄が「ああ忘れた。行くまえにちょっとお貞さんに話があるんだった」と言った。
みんな変な顔をしたうちに、嫂《あによめ》の唇《くちびる》には著しい冷笑の影が閃《ひら》めいた。兄は誰《だれ》にも取り合う気《け》色《しき》もなく、「ちょっと失敬」と岡田に挨《あい》拶《さつ》して、二階へ上がった。その足音が消えるとまもなく、お貞さんは自分たちのいる室《へや》の敷《しき》居《い》際《ぎわ》まで来て、岡田に丁寧な挨拶をした。
彼女は「さあどうぞ」と会釈する岡田に、「今ちょっとお書斎まで参らなければなりませんから、いずれのちほど」と答えて立ち上がった。彼女の上気したようにほっと赤くなった顔を見た一座のものは、気の毒なためかなんだか、しいて引き留めようともしなかった。
兄の二階へ上がる足音はそれほど強くはなかったが、いつでも上履《スリツパー》を引っ掛けているため、ぴしゃぴしゃする響きが、下からよく聞こえた。お貞さんのは素足のうえに、女のつつましやかな気性をあらわすせいか、まるで聴《き》き取れなかった。戸を開《あ》けて戸を閉じる音さえ、自分の耳にはまったくはいらなかった。
彼ら二人はそこで約三十分ばかりなにか話していた。そのあいだ嫂は平生の冷淡さに引き換えて、尋常《なみ》のものより機《き》嫌《げん》よく話したり笑ったりした。けれどもその裏に不機嫌を蔵《かく》そうとする不自然の努力が強く潜在していることが自分によく解《わか》った。岡田は平気でいた。
自分は彼女が兄と会見を終わって、自分たちの室《へや》の横を通る時、その足音を聞き付けて、用あり気にふいと廊下へ出た。ぱったり出《で》逢《あ》った彼女の顔は依然として恥ずかしそうに赤く染まっていた。彼女は目を俯《ふ》せて、自分の傍《そば》を擦《す》り抜けた。その時自分は彼女の瞼《まぶた》に涙の宿った痕《こん》迹《せき》をたしかに認めたような気がした。けれども書斎に入《はい》った彼女が兄と差向いでどんな談話をしたか、それはいまだに知ることを得ない。自分だけではない。その委細を知っているものは、彼ら二人より以外に、おそらく天下に一人もあるまいと思う。
三五
自分は親《しん》戚《せき》の片割れとして、お貞さんの結婚式に列席するよう、父母から命ぜられていた。その日はちょうど雨がしょぼしょぼ降って、婚礼には似合わしからぬ侘《わび》しい天気であった。いつもより早く起きて番町へ行ってみると、お貞さんの衣装が八畳の間に取り散らしてあった
便所へ行った帰りに風《ふ》呂《ろ》場《ば》の口を覗《のぞ》いてみたら、硝子《ガラス》戸《ど》が半分開《あ》いて、その中にお貞さんのお化粧をしている姿がちらりと見えた。それから「あらそこへ障《さわ》っちゃ厭《いや》ですよ」という彼女の声が聞こえた。芳江は面《おも》白《しろ》半分なにか悪戯《いたずら》をすると見えた。自分も芳江の真《ま》似《ね》を遣《や》ろうと思ったが、場合が場合なのでつい遠慮して茶の間へ戻《もど》った。
しばらくしてから、また八畳へ出てみると、みんながお召し換《か》えを遣《や》っていた。芳江が「あのお貞さんは手へも白粉《おしろい》を塗《つ》けたのよ」と大《おお》勢《ぜい》に吹《ふい》聴《ちよう》していた。実をいうと、お貞さんは顔よりも手足のほうが赤黒かったのである。
「たいへん真《まつ》白《しろ》になったな。亭《てい》主《しゆ》を欺瞞《だま》すんだから善《よ》くない」と父が調戯《からか》っていた。
「あしたになったら旦《だん》那《な》様がさぞ驚くでしょう」と母が笑った。お貞さんも下を向いて苦笑した。彼女は初めて島田に結った。それが予期できなかった斬《ざん》新《しん》の感じを自分に与えた。
「この髷《まげ》でそんな重いものを差したらさぞ苦しいでしょうね」と自分が聞くと、母は「いくら重くっても、生涯に一度はね………」と言って、己《おのれ》の黒紋付きと白《しろ》襟《えり》との合い具合をしきりに気にしていた。お貞さんの帯は嫂《あによめ》が後ろへ回って、ぐっと締めてやった。
兄は例の臭い巻《ま》き煙草《たばこ》を吹かしながら広い縁側をあちらこちらと逍《しよう》遥《よう》していた。彼はこの結婚に、まるで興味を有《も》たないような、また彼一流の批評を心のうちに加えているような、判断のできにくい態度をあらわして、時々我々のいる座敷を覗《のぞ》いた。けれどもちょっと敷《しき》居《い》際《ぎわ》に留まるだけで決して中へははいらなかった。「仕《し》度《たく》はまだか」とも催促しなかった。彼はフロックに絹帽《シルクハツト》を被《かぶ》っていた。
いよいよ出る時に、父はいちばん綺《き》麗《れい》な俥《くるま》を択《よ》って、お貞さんを乗せてやった。十一時に式があるはずのところを少し時間が後《おく》れたため岡田は太《だい》神《じん》宮《ぐう》の式台《*》へ出て、わざわざ我々を待っていた。皆《みんな》がどやどやと一度に控え所にはいると、そこにはお婿さんがただ一人質に取られた置き物のように椅子《いす》へ腰を掛けていた。やがて立ち上がって、一人一人に挨《あい》拶《さつ》をするうちに、自分は控え所にある洋卓《テーブル》やら、絨《じゆう》氈《たん》やら、白《しら》木《き》の格《ごう》天《てん》井《じよう*》やらを眺《なが》めた。突当たりには御《み》簾《す》が下《お》りていて、中にはなにかあるらしい気《け》色《しき》だけれども、奥のまったく暗いため何物をも髣《ほう》髴《うつ》することができなかった。その前には鶴《つる》と浪《なみ》を一面に描いた目《め》出《で》度《た》い一《いつ》双《そう》の金《きん》屏《びよう》風《ぶ》が立て回してあった。
縁女《*》と仲人《なこうど》の奥さんが先、それから婿と仲人の夫、その次へ親類の顔がつづくという順を、袴《はかま》羽織の男が出てきて教えてくれたが、肝《かん》腎《じん》の仲人たるべき岡田はお兼さんを連れてこなかったので、「じゃはなはだ御迷惑だけれど、一郎さんとお直さんに引き受けていただきましょうか、この場かぎり」と岡田が父に相談した。父は簡単に「好《よ》かろうよ」と答えた。嫂は例のごとく「どうでも」と言った。兄も「どうでも」と言ったが、あとから、「しかし僕らのような夫婦が媒《ばい》酌《しやく》人《にん》になっちゃ、少し御両人のために悪いだろう」と付け足した。
「悪いなんて――僕がするより名誉でさあね。ねえ二郎さん」と岡田が例のごとく軽い調子で言った。兄はなにやらその理由を述べたいらしい気色を見せたが、すぐ考え直したとみえて、「じゃ生まれて初めての大役を引き受けてみるかな。しかしなんにも知らないんだから」と言うと、「なに向こうでなにもかも教えてくれるから世話はない。お前たちはなにもしないで済むようにちゃんと拵《こしら》えてあるんだ」と父が説明した。
三六
反り橋を渡るところで、先の人がなにかに支《つか》えて一同ちょっと留まった機会を利用して、自分はそっと岡田のフロックの尻《しり》を引っ張った。
「岡田さんは実に呑《のん》気《き》だね」と言った。
「なぜです」
彼はみずから媒《ばい》酌《しやく》人《にん》をもって任じながら、その細君を連れて来ない不注意に少しも気が付いていないらしかった。自分から呑気の訳を聞いた時、彼は苦笑して頭を掻《か》きながら、「実は伴《つ》れてきようと思ったんですがね、まあどうかなるだろうと思って……」と答えた。
反り橋を降りて奥へはいろうという入口の所で、花嫁は一面に張り詰められた鏡の前へ坐《すわ》って、黒塗りの盥《たらい》の中で手を洗っていた。自分は後ろから背《せい》延《の》びをして、お貞さんの姿を見た時、なるほどこれで列が後《おく》れるんだなと思うと同時に吹き出したくなった。せっかく丹《たん》精《せい》して塗り立てた彼女の手も、この神聖な一《ひと》杓《しやく》の水で、無残に元のごとく赤黒くされてしまったのである。
神殿の左右には別室があった。その右の方へ兄が佐野さんを伴れてはいった。その左の方へ嫂《あによめ》がお貞さんを伴れてはいった。それが左右から出てきて着席するのを見ると、兄夫婦は真《ま》面《じ》目《め》な顔をして向かい合わせに坐《すわ》っていた。花嫁花婿もむろんのこと、謹《つつし》んだ姿で相対していた。
式壇を正面に、後ろの方にずらりと並んだ父だの母だの自分たちは、この二様の意味を有《も》った夫婦と、絵の具で塗り潰《つぶ》した綺《き》麗《れい》な太鼓と、何物を中に蔵《かく》しているか分《わか》らない、御《み》簾《す》を静粛に眺《なが》めた。
兄は腹のなかでなにを考えているか、余所《よそ》目《め》から見ると、尋常と変わるところは少しもなかった。嫂はもとより取り繕《つく》ろった様子もなく、自然そのままに取り済ましていた。
彼らはすでに過去何年かのあいだに、夫婦という社会的にたいせつな経験を彼らなりに嘗《な》めてきた、古い夫婦であった。そうして彼らの嘗めた経験は、人生の歴史の一部分として、彼らにとっては再びしがたい貴《たつと》いものであったかもしれない。けれどもどっちからいっても、蜜《みつ》に似た甘いものではなかったらしい。この苦い経験を有する古夫婦が、己《おのれ》たちのあまり幸福でなかった運命の割り前を、若い男と若い女の頭の上に割り付けて、また新しい不仕合わせな夫婦を作るつもりなのかしらん。
兄は学者であった。かつ感情家であった。その蒼《あお》白《じろ》い額の中にあるいはこのくらいなことを考えていたかもしれない。あるいはそれ以上に深いことを考えていたかもしれない。あるいはすべての結婚なるものをみずから呪《じゆ》詛《そ》しながら、新郎と新婦の手を握らせなければならない仲人《なこうど》の喜劇と悲劇とを同時に感じつつ坐《すわ》っていたかもしれない。
とにかく兄は真面目に坐っていた。嫂も、佐野さんも、お貞さんも、真面目に坐っていた。そのうち式が始まった。巫女《みこ》の一人が、途中から腹痛で引き返したというので介《かい》添《ぞ》えがその代りを勤めた。
自分の隣に坐っていたお重が「大《おお》兄《にい》さんの時より淋《さび》しいのね」と私語《ささや》いた。その時は簫《しよう》や太鼓を入れて巫女の左右に入れ交う姿も蝶《ちよう》のようにひらひらと華麗《はなやか》に見えた。
「お前の嫁に行く時は、あの時ぐらい賑《にぎ》やかにしてやるよ」と自分はお重に言った。お重は笑っていた。
式が済んでみんなが控え所へ帰った時、お貞さんは我々が立っているのに、わざわざ絨《じゆう》氈《たん》の上に手を突いて、今まで厄《やつ》介《かい》になった礼を丁寧に述べた。彼女の目には淋しそうな涙がいっぱい溜《たま》っていた。
新夫婦と岡田は昼の汽車で、すぐ大阪へ向けて立った。自分は雨のプラットフォームの上で、二、三日箱根あたりで逗《とう》留《りゆう》するはずのお貞さんを見送ったあと、父や兄に別れて独《ひと》り自分の下宿へ帰った。そうして途《みち》々《みち》自分にも当然番の回ってくるべき結婚問題を人生における不幸の謎《なぞ》のごとく考えた。
三七
お貞さんが攫《さら》われていくように消えてしまったあとの宅《うち》は、相変わらずの空気で包まれていた。自分の見たところでは、お貞さんが宅《うち》中《じゆう》でいちばんの呑《のん》気《き》ものらしかった。彼女は永《なが》年《ねん》世話になった自分の家に、朝夕箒《ほうき》を執ったり、洗い洒《そそ》ぎ《*》をしたりして、下女だか仲働きだか分《わか》らない地位に甘んじた十年のあと、別に不平な顔もせず佐野といっしょに雨の汽車で東京を離れてしまった。彼女の腹の中《なか》も日常彼女の繰り返しつつ慣れ抜いた仕事のごとく明《めい》瞭《りよう》でかつ器械的なものであったらしい。一家団《だん》欒《らん》の時季とも見るべき例の晩《ばん》餐《さん》の食卓が、一時重苦しい灰色の空気で鎖《とざ》されたおりでさえ、お貞さんだけはそのなかに坐《すわ》って、平生となんの変わりもなく、給仕の盆を膝《ひざ》の上に載せたまま平気で控えていた。結婚当日の少しまえ、兄から書斎へ呼ばれて出てきた時、彼女の顔を染めた色と、彼女の瞼《まぶた》に充《み》ちた涙が、彼女の未来のために、なにを語っていたかしらないが、彼女の気質からいえば、それがために長い影響を受けようとも思えなかった。
お貞さんが去るとともに冬も去った。去ったというよりも、まずたいした事件も起こらずに済んだと評するほうが適当かもしれない。斑《まだら》な雪、枯れ枝を揺《ゆさ》ぶる風、手水《ちようず》鉢《ばち》を鎖《とざ》す氷、いずれも例年の面影を規則正しく自分の目に映したあと、消えては去り消えては去った。自然の寒い課程がこう繰り返されているあいだ、番町の家はじっとして動かずにいた。その家の中にいる人と人との関係がどうかこうか今までどおり持ち応《こた》えた。
自分の地位にもむろん変化はなかった。ただお重が遊び半分時々苦情を訴えに来た。彼女は来るたびに「お貞さんはどうしているでしょうね」と聞いた。
「どうしているでしょうって、――お前のところへなんとも言ってこないのか」
「来ることは来るわ」
聞いてみると、結婚後のお貞さんについて、彼女は自分よりはるかに豊富な知識を有《も》っていた。
自分はまた彼女が来るたびに、兄のことを聞くのを忘れなかった。
「兄《にい》さんはどうだい」
「どうだいって、貴方《あなた》こそ悪いわ。家《うち》へ来ても兄さんに逢《あ》わずに帰るんだから」
「わざわざ避けるんじゃない。行ってもいつでも留《る》守《す》なんだから仕方がない」
「嘘《うそ》を仰《おつ》しゃい。このあいだ来た時も書斎へはいらずに逃げたくせに」
お重は自分より正直なだけに真《まつ》赤《か》になった。自分はあの事件以後どうかして兄と故《もと》のとおり親しい関係になりたいと心では希望していたが、実際はそれと反対で、なんだか近寄りにくい気がするので、まったくお重の言うごとく、宅《うち》へ行って彼に挨《あい》拶《さつ》する機会があっても、なるべく会わずに帰ることが多かった。
お重に遣《や》り込められると、自分は無言の降意《*》を表するごとくにあははと笑ったり、わざと短い口《くち》髭《ひげ》を撫《な》でたり、時によると例のとおり煙草《たばこ》に火を点《つ》けて曖《あい》昧《まい》な煙を吐いたりした。
そうかと思うとかえってお重のほうから突然「大兄さんもずいぶん変人ね。あたし今になってまったく貴方が喧《けん》嘩《か》して出たのも無理はないと思うわ」などと言った。お重から藪《やぶ》から棒にこう驚かされると、自分は腹の底で自分の味方が一人殖《ふ》えたような気がして嬉《うれ》しかった。けれども表向き彼女の意見に相《あい》槌《づち》を打つほどの稚気もなかった。叱《しか》り付けるほどの衒《げん》気《き*》もなかった。ただ彼女が帰ったあとで、たちまち今までの考えが逆《さかさま》になって、兄の精神状態が周囲に及ぼす影響などがしきりに苦になった。だんだん生物から孤立して、書物のなかに引《ひ》き摺《ず》り込まれていくように見える彼を平生よりも一倍気の毒に思うこともあった。
三八
母も一、二遍来た。最初来た時はたいへん機《き》嫌《げん》が好《よ》かった。隣の座敷にいる法学士はどこへ出てなにを勤めているのだなどと、自分にもはっきり解《わか》らないようなことを、さも大事らしく聞いたりした。その時彼女は宅《うち》の近況についてなんにも語らずに、「このごろは方々で風邪《かぜ》が流行《はや》るから気をお付け。お父さんも二《に》、三《さん》日《ち》まえから咽喉《のど》が痛いって、湿《しつ》布《ぷ》をしておいでだよ」と注意して去った。自分は彼女の去ったあと、兄夫婦のことを思い出す暇さえなかった。彼らの存在を忘れた自分は、快い風《ふ》呂《ろ》に入《はい》って、旨《うま》い夕飯を食った。
次に訪《たず》ねてくれた時の母の調子は、まえに較《くら》べると少し変わっていた。彼女は大阪以後、ことに自分が下宿して以後、自分の前でわざと嫂《あによめ》の批評を回避するようなふうを見せた。自分も母の前では気が咎《とが》めるというのか、必要のないかぎり、嫂の名を憚《はばか》って、なるべく口へ出さなかった。ところがこの注意深い母がそのおり卒然と自分に向かって、「二郎、ここだけの話だが、いったいお直の気立ては好《い》いのかね悪いのかね」と聞いた。はたしてなにかはじまったのだと心得た自分はひやりとした。
下宿後の自分は、兄についても嫂についても不謹慎な言葉を無責任に放つ勇気はまったくなかったので、母は自分からなに一つ満足な材料を得ずして去った。自分のほうでも、なぜ彼女がこの気味の悪い質問を自分に突然と掛けたかついに要領を得ずに母を逸した。「なにかまた心配になるようなことでもできたのですか」と聞いても、彼女は「なに別にこれといって変わったことはないんだがね………」と答えるだけで、あとは自分の顔を打ち守るにすぎなかった。
自分は彼女が帰ったあと、しきりにこの質問に拘《こう》泥《でい》しはじめた。けれども前後の事情だの母の態度だのを総合して考えてみて、どうしても新しい事件が、わが家庭のうちに起こったとは受け取れないと判断した。
母もあまり心配しすぎて、とうとう嫂《あね》が解らなくなったのだ。
自分は最後にこう解釈して、恐ろしい夢に捉《とら》えられたような気持ちを抱《いだ》いた。
お重も来、母も来るなかに、嫂だけは、ついに一度も自分の室《へや》の火《ひ》鉢《ばち》に手を翳《かざ》さなかった。彼女がわざと遠慮して自分を尋ねない主意は、自分にも好《よ》く呑《の》み込めていた。自分が番町へ行ったとき、彼女は「二郎さんの下宿は高等下宿なんですってね。お室に立《りつ》派《ぱ》な床があって、庭に好《い》い梅が植えてあるっていう話じゃありませんか」と聞いた。しかし「今度拝見に行きますよ」とは言わなかった。自分も「見に入らっしゃい」とは言いかねた。もっとも彼女の口に上った梅は、どこかの畠《はたけ》から引っこ抜いてきて、そのままそこへ植えたとしか思われない無意味なものであった。
嫂が来ないのとは異様の意味で、また同様の意味で、兄の顔は決して自分の室の裡《うち》に見《み》出《いだ 》されなかった。
父も来なかった。
三沢は時々来た。自分はある機会を利用して、それとなく彼にお重を貰《もら》う意があるかないかを探ってみた。
「そうだね。あのお嬢さんももう年ごろだから、そろそろどこかへ片付ける必要が逼《せま》ってくるだろうね。早く好いところを見付けて嬉《うれ》しがらせてやりたまえ」
彼はただこう言っただけで、取り合う気《け》色《しき》もなかった。自分はそれぎり断念してしまった。
永《なが》いようで短い冬は、事の起こりそうで事の起こらない自分の前に、時雨《しぐれ》、霜解け、空《から》っ風《かぜ》……と既定の日程を平凡に繰り返して、かように去ったのである。
塵労《*》
一
陰刻《*》な冬が彼岸の風に吹き払われた時自分は寒い窖《あなぐら》から顔を出した人のように明るい世界を眺《なが》めた。自分の心のどこかにはこの明るい世界もまた今遣《や》り過ごした冬と同様に平凡だという感じがあった。けれども呼息《いき》をするたびに春の匂《にお》いが脈の中に流れ込む快さを忘れるほど自分は老いていなかった。
自分は天気の好《い》い折々室《へや》の障子を明《あ》け放って往来を眺めた。また廂《ひさし》の先に横たわる蒼《あお》空《ぞら》を下から透かすように望んだ。そうしてどこか遠くへ行きたいと願った。学校にいた時分ならもう春休みを利用して旅へ出る仕《し》度《たく》をするはずなのだけれども、事務所へ通うようになった今の自分には、そんな自由はとても望めなかった。たまの日曜ですら寐《ね》起《お》きの悪い顔を一日下宿に持ち扱って、散歩にさえ出ないことがあった。
自分は半ば春を迎えながら半ば春を呪《のろ》う気になっていた。下宿へ帰って夕飯を済ますと、火《ひ》鉢《ばち》の前へ坐って煙草《たばこ》を吹かしながらぼんやり自分の未来を想像したりした。その未来を織る糸のうちには、自分に媚《こ》びる花やかな色が、新しく活《い》けた佐倉炭の炎とともにちらちらと燃え上がるのが常であったけれども、時には一面に変色してどこまで行っても灰のように光沢《つや》を失っていた。自分はこういう想像の夢から突然なにかの拍子で現在の我に立ち返ることがあった。そうしてこの現在の自分と未来の自分とを運命がどういう手段で結び付けてゆくだろうと考えた。
自分が不意に下宿の下女から驚かされたのは、ちょうどこんなふうに現実と空想のあいだに迷ってじっと火鉢に手を翳《かざ》していた、ある宵の口の出来事であった。自分は自分の注意を己《おのれ》一人に集めていたというものか、実際下女の廊下を踏んで来る足音に気が付かなかった。彼女が思い掛けなくすうと襖《ふすま》を開《あ》けた時自分ははじめて偶然のように目を上げて彼女と顔を見合わせた。
「風《ふ》呂《ろ》かい」
自分はすぐこう聞いた。これよりほかに下女が今ごろ自分の室の襖を開けるはずがないと思ったからである。すると下女は立ちながら「いいえ」と答えたなり黙っていた。自分は下女の目元に一種の笑いを見た。その笑いのうちには相手を翻《ほん》弄《ろう》し得た瞬間の愉快を女《によ》性《しよう》的《てき》に貪《むさぼ》りつつある妙な閃《ひらめ》きがあった。自分は鋭く下女に向かって、「なんだい、突っ立ったまま」と言った。下女はすぐ敷《しき》居《い》際《ぎわ》に膝《ひざ》を突いた。そうして「お客様です」とやや真《ま》面《じ》目《め》に答えた。
「三沢だろう」と自分が言った。自分はあることで三沢の訪問を予期していたのである。
「いいえ女のかたです」
「女の人?」
自分は不審の眉《まゆ》を寄せて下女に見せた。下女はかえって澄ましていた。
「こちらへお通し申しますか」
「なんという人だい」
「知りません」
「知りませんって、名前を聞かないでむやみに人の室へ客を案内する奴《やつ》があるかい」
「だって聞いても仰しゃらないんですもの」
下女はこう言って、またさっきのような意地の悪い笑いを目元で笑った。自分はいきなり火鉢から手を放して立ち上がった。敷居際に膝を突いている下女を追い退《の》けるようにして上がり口まで出た。そうして土間の片《かた》隅《すみ》にコートを着たまま寒そうに立っていた嫂《あによめ》の姿を見《み》出《いだ》した。
二
その日は朝から曇っていた。しかし打ち続いた好天気を一度に追い払うように寒い風が吹いた。自分は事務所から帰りがけに、外《がい》套《とう》の襟《えり》を立てて歩きながら道々雨になるのを気《き》遣《づか》った。その雨がさっき夕飯の膳《ぜん》に向かう時分からしとしとと降りだした。
「好《よ》くこんな寒い晩にお出掛けでした」
嫂は軽く「ええ」と答えたぎりであった。自分は今まで坐《すわ》っていた蒲《ふ》団《とん》の裏を返して、それを三尺の床の前に直して、「さあこっちへ入らっしゃい」と勧めた。彼女はコートの片《かた》袖《そで》をするすると脱ぎながら「そうお客扱いにしちゃ厭《いや》よ」と言った。自分は茶器を洒《すす》がせるために電鈴《ベル》を押した手を放して、彼女の顔を見た。寒い戸外の空気に冷えたその頬《ほお》はいつもより蒼《あお》白《じろ》く自分の眸子《ひとみ》を射た。不断から淋《さむ》しい片《かた》靨《えくぼ》さえ平生とは違った意味の淋しさを消える瞬間にちらちらと動かした。
「まあ好《い》いからそこへ坐ってください」
彼女は自分の言うとおりに蒲団の上に坐った。そうして白い指を火《ひ》鉢《ばち》の上に翳《かざ》した。彼女はその姿から想像されるとおり手《て》爪《づま》先《さき》の尋常な《*》女であった。彼女の持って生まれた道具のうちで、はじめから自分の注意を惹《ひ》いたものは、華《きや》奢《しや》にでき上がったその手と足とであった。
「二郎さん、貴方《あなた》も手を出しておあたりなさいな」
自分はなぜか躊《ちゆう》躇《ちよ》して手を出しかねた。その時雨の音が窓の外で蕭《しよう》々《しよう》とした。昼間吹き募った西北の風は雨とともにぱったりと落ちたため世間は案外静かになっていた。ただ時を区切って樋《とい》を叩《たた》く雨《あま》滴《だ》れの音だけがぽたりぽたりと響いた。嫂はいつものとおり落ち付いた態度で、室《へや》の中を見回しながら「なるほど好《い》いお室ね、そうして静かだこと」と言った。
「夜だから好《よ》く見えるんです。昼間来てごらんなさい、ずいぶん汚《きたな》らしい室ですよ」
自分はしばらく嫂と応対していた。けれども今自白すると腹の中は話の調子で示されるほど穏やかなものでは決してなかった。自分は嫂がこの下宿へ訪《たず》ねてきようとはその時まで決して予期していなかったのである。空想にすら描いていなかったのである。彼女の姿を上がり口の土間に見《み》出《いだ》した時自分ははっと驚いた。そうしてその驚きは喜びの驚きよりもむしろ不安の驚きであった。
「なんで来たのだろう。なんでこの寒いのにわざわざ来たのだろう。なんでわざわざ晩になって灯《ひ》が点《つ》いてから来たのだろう」
これが彼女を見た瞬間の疑惑であった。この疑惑に初手からこだわった自分の胸には、火鉢を隔てて彼女と相対している日常の態度のうちに絶えざる圧迫があった。それが自分の談話や調子に不愉快なそらぞらしさを与えた。自分はそれを明らかに自覚した。それからその空々しさがよく相手の頭に映っているということも自覚した。けれどもどうするわけにもゆかなかった。自分は嫂に「冴《さ》え返って寒くなりましたね」と言った。「雨の降るのに好くお出掛けですね」と言った。「どうして今ごろお出掛けです」と聞いた。対話がそこまで行っても自分の胸に少しの光明を投げなかった時、自分は硬《かた》くなった、そうしてジョコンダ《*》に似た怪しい微笑の前に立ち竦《すく》まざるを得なかった。
「二郎さんはしばらく会わないうちに、急に改まっちまったのね」と嫂が言いだした。
「そんなことはありません」と自分は答えた。
「いいえそうよ」と彼女が押し返した。
三
自分はつと立って嫂《あによめ》の後ろへ回った。彼女は半間の床を背にして坐《すわ》っていた。室《へや》が狭いので彼女の帯のあたりはほとんど杉《すぎ》の床柱とすれすれであった。自分がその間へ一足割り込んだ時、彼女は窮屈そうに体躯《からだ》を前のほうへ屈《かが》めて「なにをなさるの」と聞いた。自分は片足を宙に浮かしたまま、床の奥から黒塗りの重箱を取り出して、それを彼女の前へ置いた。
「一つどうです」
こう言いながら蓋《ふた》を取ろうとすると、彼女はかすかに苦笑を洩《もら》した。重箱の中には白砂糖を振り懸《か》けた牡《ぼ》丹《た》餅《もち》が行儀よく並べてあった。昨日《きのう》が彼岸の中日であることを自分はこの牡丹餅によってはじめて知ったのである。自分は嫂の顔を見て真面目に「食べませんか」と尋ねた。彼女はたちまち吹き出した。
「貴方《あなた》もずいぶんね、そのお萩《はぎ》は昨日宅《うち》から持たせてあげたんじゃありませんか」
自分は已《や》むを得ず苦笑しながら一つ頬《ほお》張《ば》った。彼女は自分のために湯《ゆ》呑《の》みへ茶を注《つ》いでくれた。
自分はこの牡丹餅から彼女が今日《きよう》墓《はか》詣《まい》りのため里へ行ってその帰り掛けにここへ寄ったのだということをようやく確かめた。
「たいへん御《ご》無《ぶ》沙《さ》汰《た》をしていますが、あちらでも別にお変わりはありませんか」
「ええ有《あり》難《がと》う、別に………」
言《こと》葉《ば》寡《すくな》な彼女はただ簡単にこう答えただけであったが、そのあとへ、「御無沙汰っていえば、貴方番町へもずいぶん御無沙汰ね」と付け加えて、ことさらに自分の顔を見た。
自分はまったく番町へは遠ざかっていた。はじめは宅《うち》のことが苦になって一週に一度か二度行かないと気が済まないくらいだったが、いつか中心を離れて余所《よそ》からそっと眺《なが》める癖を養いだした。そうしてその眺めているあいだ少なくとも事が起こらずに済んだという自覚が、無沙汰を無事の原因のように思わせていた。
「なぜ元のようにちょくちょく入らっしゃらないの」
「少し仕事のほうが忙しいもんですから」
「そう? ほんとうに? そうじゃないでしょう」
自分は嫂からこう追窮されるのに堪えなかった。そのうえ自分には彼女の心理が解《わか》らなかった。他《ほか》の人はどうあろうとも、嫂だけはこの点において自分を追窮する勇気のないものと今まで固く信じていたからである。自分は思い切って「あなたは大胆すぎる」と言おうかと思った。けれどもとうに相手から小胆と見《み》縊《くび》られている自分はついに卑《ひ》怯《きよう》であった。
「ほんとうに忙しいのです。実はこのあいだから少し勉強しようと思って、そろそろその準備に取り懸《かか》ったもんですから、つい近ごろはどこへも出る気にならないんです。僕はいつまでこんなことをしてぐずぐずしていたって詰《つま》らないから、今のうち少し本でも読んでおいて、もう少ししたら外国へでも行ってみたいと思ってるんだから」
この答えの後半はほんとうに自分の希望であった。自分はなんでもいいからただ遠くへ行きたい行きたいと願っていた。
「外国って、洋行?」と嫂が聞いた。
「まあそうです」
「結構ね。お父《とう》さんに願って早く遣《や》っておいただきなさい。妾《あたし》話してあげましょうか」
自分も無《む》駄《だ》と知りながらそんなことを幻のように考えていたのだが、彼女の言葉を聞いた時急に、「お父さんは駄目ですよ」と首を振って見せた。彼女はしばらく黙っていた。やがて物《もの》憂《う》そうな調子で「男は気楽なものね」と言った。
「ちっとも気楽じゃありません」
「だって厭《いや》になればどこへでもかってに飛んで歩けるじゃありませんか」
四
自分はいつか手を出して火《ひ》鉢《ばち》へあたっていた。その火鉢はいくぶんか背《せい》を高くかつ分《ぶ》厚《あつ》に拵《こしら》えたものであったけれども、大きさからいうと、普通《なみ》の箱火鉢と同じことなので二人向かい合わせに手を翳《かざ》すと、顔と顔との距離があまり近すぎるくらいの位地にあった。嫂は席に着いたはじめから寒いといって、猫《ねこ》背《ぜ》の人のように、こころもち胸から上を前の方に屈《こご》めて坐《すわ》っていた。彼女のこの姿勢のうちには女らしいという以外になんの非難も加えようがなかった。けれどもその結果として自分はいきおい後ろへ反《そ》り返る気味で座を構えなければならなくなった。それですら自分は彼女の富士額をこれほど近くかつ長く見詰めたことはなかった。自分は彼女の蒼《あお》白《じろ》い頬《ほお》の色を炎のごとく眩《まぶ》しく思った。
自分はこういう比較的窮屈な態度の下《もと》に、彼女から突如として彼女と兄の関係が、自分が宅《うち》を出たあともただ好《よ》くない一方に進んでゆくだけであるという厭《いや》な事実を聞かされた。彼女はこれまでこちらから問い掛けなければ、決して兄のことについて口を開かない主義を取っていた。たといこちらから問い掛けても「相変わらずですわ」とか、「なに心配するほどのことじゃなくってよ」とか答えてただ微笑するのが常であった。それをまるで逆《さかさかま》にして、自分の最も心苦しく思っている問題の真相を、向こうから積極的にこちらへ吐き掛けたのだから、卑《ひ》怯《きよう》な自分は不意に硫酸を浴びせられたようにひりひりとした。
しかしいったん緒《いとぐち》を見《み》出《いだ》した時、自分はできるだけ根掘り葉掘り聞こうとした。けれども言葉の浪費を忌む彼女は、そうこちらの思いどおりにはさせなかった。彼女の口にするところはおもに彼ら夫婦間に横たわる気《き》不味《まず》さの閃《せん》電《でん*》にすぎなかった。そうして気不味さの近因についてはついに一言も口にしなかった。それを聞くと、彼女はただ「なぜだか分《わか》らないのよ」というだけであった。実際彼女にはそれが分らないのかもしれなかった。また分っているくせにわざと話さないのかもしれなかった。
「どうせ妾《あたし》がこんな馬《ば》鹿《か》に生まれたんだから仕方がないわ。いくらどうしたって為《な》るように為るよりほかに道はないんだから。そう思って諦《あきら》めていればそれまでよ」
彼女は初めから運命なら畏《おそ》れないという宗教心を、自分一人で持って生まれた女らしかった。その代り他《ひと》の運命も畏《おそ》れないという性質にも見えた。
「男は厭《いや》になりさえすれば二郎さんみたいにどこへでも飛んでゆけるけれども、女はそうはいきませんから。妾なんかちょうど親の手で植え付けられた鉢《はち》植《う》えのようなもので一遍植られたが最後、誰《だれ》か来て動かしてくれない以上、とても動けやしません。じっとしているだけです。立ち枯れになるまでじっとしているよりほかに仕方がないんですもの」
自分は気の毒そうに見えるこの訴えの裏面に、測るべからざる女《によ》性《しよう》の強さを電気のように感じた。そうしてこの強さが兄に対してどう働くかに思い及んだ時、思わずひやりとした。
「兄《にい》さんはただ機《き》嫌《げん》が悪いだけなんでしょうね。ほかにどこも変わったところはありませんか」
「そうね。そりゃなんとも言えないわ。人間だからいつどんな病気に罹《かか》らないとも限らないから」
彼女はやがて帯の間から小さい女持ちの時計を出してそれを眺《なが》めた。室《へや》が静かなのでその蓋《ふた》を締《し》める音が意外に強く耳に鳴った。あたかも穏やかな皮膚の面《おもて》に鋭い針の先が触れたようであった。
「もう帰りましょう。――二郎さん御迷惑でしたろうこんな厭《いや》な話を聞かせて。妾《あたし》今まで誰にもしたことはないのよ、こんなこと。今日《きよう》自分の宅《うち》へ行ってさえ黙ってるくらいですもの」
上がり口に待っていた車夫の提灯《ちようちん》には彼女の里方の定紋が付いていた。
五
その晩は静かな雨が夜通し降った。枕《まくら》を叩《たた》くような雨《あま》滴《だ》れの音のなかに、自分はいつまでも嫂《あによめ》の幻影《まぼろし》を描いた。濃い眉《まゆ》とそれから濃い眸子《ひとみ》、それが目に浮かぶと、蒼《あお》白《じろ》い額や頬《ほお》は、磁石に吸い付けられる鉄片の速度で、すぐその周囲《まわり》に反映した。彼女の幻影は何遍も打ち崩《くず》された。打ち崩されるたびにまた同じ順序がすぐ繰り返された。自分はついに彼女の唇《くちびる》の色まであざやかに見た。その唇の両端にあたる筋肉が声に出ない言葉の符号《シンボル》のごとくかすかに顫《せん》動《どう》するのを見た。それから、肉眼の注意を逃《のが》れようとする微細の渦《うず》が、靨《えくぼ》に寄ろうか崩れようかと迷う姿で、間断なく波を打つ彼女の頬をありありと見た。
自分はそれくらい活《い》きた彼女をそれくらい劇《はげ》しく想像した。そうして雨滴れの音のぽたりぽたりと響くなかに、取り留めもないいろいろなことを考えて、火照《ほて》った頭を悩ましはじめた。
彼女と兄との関係が悪く変わる以上、自分の身体《からだ》がどこにどう飛んでゆこうとも、自分の心は決して安穏であり得なかった。自分はこの点について彼女にもっと具体的な説明を求めたけれども、普通の女のように零砕《*》な事実を訴えの材料にしない彼女は、ほとんど自分の要求を無視したように取り合わなかった。自分は結果からいうと、焦慮《じら》されるために彼女の訪問を受けたと同じことであった。
彼女の言葉はすべて影のように暗かった。それでいて、稲妻のように簡潔な閃《ひらめ》きを自分の胸に投げ込んだ。自分はこの影と稲妻とを綴《つづ》り合わせて、もしや兄がこのあいだじゅう癇《かん》癖《ぺき》の嵩《こう》じたあげく、嫂に対して今までにない手荒なことでもしたのではなかろうかと考えた。打《ちよう》擲《ちやく》という字は折《せつ》檻《かん》とか虐待とかいう字と並べてみると、忌まわしい残酷な響きを持っている。嫂は今の女だから兄の行為をまったくこの意味に解しているかもしれない。自分が彼女に兄の健康状態を聞いた時、彼女は人間だからいつどんな病気に罹《かか》るかもしれないと冷《ひや》やかに言ってのけた。自分が兄の精神作用に掛《け》念《ねん》があってこの問いを出したのは彼女にも通じているはずである。したがって平生よりもなお冷淡な彼女の答えは、美しい己《おのれ》の肉に加えられた鞭《むち》の音を、夫の未来に反響させる復《ふく》讐《しゆう》の声とも取れた。――自分は怖《こわ》かった。
自分は明日《あす》にも番町へ行って、母からでもそっと彼ら二人の近況を聞かなければならないと思った。けれども嫂はすでに明言した。彼ら夫婦関係の変化については何《なん》人《びと》もまだ知らない、また何人にも告げたことがないと明言した。影のような稲妻のような言葉のうちからその消息をぼんやりと焼き付けられたのは、天下に自分の胸がたった一つあるばかりであった。
なぜあれほど言葉の寡《すくな》い嫂が自分にだけそれを話しだしたのだろうか。彼女は平生から落ち付いている。今夜も平生のとおり落ち付いていた。彼女は昂《こう》奮《ふん》の極《きよく》訴えるところがないので、わざわざ自分を訪《と》うたものとは思えなかった。だいち訴えという言葉からしてが彼女の態度には不似合いであった。結果からいえば、自分はさっき言ったとおりむしろ彼女から焦慮《じら》されたのであるから。
彼女は火《ひ》鉢《ばち》にあたる自分の顔を見て、「なぜこう堅苦しくしていらっしゃるの」と聞いた。自分が「べつだん堅苦しくはしていません」と答えた時、彼女は「だって反《そ》っ繰《く》り返ってるじゃありませんか」と笑った。その時の彼女の態度は、細い人《ひと》指《さ》しゆびで火鉢の向こう側から自分の頬《ほつ》ぺたでも突っつきそうに狎《な》れ狎れしかった。彼女はまた自分の名を呼んで、「びっくりしたでしょう」と言った。突然雨の降る寒い晩に来て、自分を驚かしてやったのが、さも愉快な悪戯《いたずら》ででもあるかのごとくに言った。……
自分の想像と記憶は、ぽたりぽたりと垂《た》れる雨滴れの拍子のうちに、それからそれからと留め度もなく深更まで回転した。
六
それから三、四日のあいだというもの自分の頭は絶えず嫂《あによめ》の幽霊に追い回された。事務所の机の前に立って肝《かん》心《じん》の図を引く時ですら、自分はこの祟《たた》りを払い退《の》ける手段を知らなかった。ある日には始終他人の手を借りて仕事を運んでゆくような歯《は》掻《が》ゆい思いさえ加わった。こうして自分で自分を離れた気分を持ちながら、上《うわ》部《べ》だけを人並みに遣《や》ってゆくのに傍《はた》の者はなぜ不審がらないのだろうと疑《うたぐ》ってみたりした。自分はよほどまえから事務所ではもう快活な男として通用しないようになっていた。ことに近来は口数さえろくに利《き》かなかった。それでこの三、四日間に起こった変化もまた他《ひと》の注意に上らずに済んでいるのだろうと考えた。そうして自己と周囲とまったく遮《しや》断《だん》された人の淋《さび》しさを独《ひと》り感じた。
自分はこのあいだに一人の嫂をいろいろに視《み》た。――彼女は男子さえ超越することのできないあるものを嫁に来たその日からすでに超越していた。あるいは彼女にははじめから超越すべき牆《かき》も壁もなかった。はじめから囚《とらわ》れない自由な女であった。彼女の今までの行動は何物にも拘《こう》泥《でい》しない天真の発現にすぎなかった。
ある時はまた彼女がすべてを胸のうちに畳《たた》み込んで、容易に己《おのれ》を露出しないいわゆるしっかりもののごとく自分の目に映じた。そうした意味から見ると、彼女はあり触れたしっかりものの域をはるかに通り越していた。あの落ち付き、あの品位、あの寡黙、誰《だれ》が評しても彼女はしっかりしすぎたものに違いなかった。驚くべくずうずうしいものでもあった。
ある刹《せつ》那《な》には彼女は忍耐の権《ごん》化《げ》のごとく、自分の前に立った。そうしてその忍耐には苦痛の痕《こん》迹《せき》さえ認められない気高さが潜んでいた。彼女は眉《まゆ》をひそめる代りに微笑した。泣き伏す代りに端然と坐《すわ》った。あたかもその坐っている席の下からわが足の腐《くさ》れるのを待つかのごとくに。要するに彼女の忍耐は、忍耐という意味を通り越して、ほとんど彼女の自然に近いあるものであった。
一人の嫂が自分にはこういろいろに見えた。事務所の机の前、昼《ひる》餐《めし》の卓の上、帰り途《みち》の電車の中、下宿の火《ひ》鉢《ばち》の周囲《まわり》、さまざまの所でさまざまに変わって見えた。自分は他《ひと》の知らない苦しみを他に言わずに苦しんだ。そのあいだ思い切って番町へ出掛けて行って、だいたいの様子を探るのがともかくも順序だとはしばしば胸に浮かんだ。けれども卑《ひ》怯《きよう》な自分はそれをあえてする勇気を有《も》たなかった。目の前に怖《こわ》い物のあるのを知りながら、わざと見ないために瞼《まぶた》を閉じていた。
すると五日目の土曜の午後に突然父から事務所の電話口まで呼び出された。
「お前は二郎かい」
「そうです」
「明日《あす》の朝ちょっと行くが好《い》いかい」
「へえ」
「差《さし》支《つか》えがあるかい」
「いえ別に……」
「じゃ待っててくれ、好いだろうね。さようなら」
父はそれで電話を切ってしまった。自分は少なからず狼《ろう》狽《ばい》した。なんの用事であるかをさえ確かめる余裕を有《も》たなかった自分は、電話口を離れてから後悔した。もし用事があるなら呼び付けられそうなものだのにとすぐ変に思ってもみた。父が向こうから来るという違例なことが、このあいだの嫂の訪問になんか関係があるような気がして、自分の胸はいっそう不安になった。
下宿に帰ったら、大阪の岡田から来た一枚の絵《え》端《は》書《がき》が机の上に載せてあった。それは彼ら夫婦が佐野とお貞さんを誘って、楽しい半日を郊外に暮らした記念であった。自分は机に向かって長いあいだその絵端書を見詰めていた。
七
日曜には思い切って寐《ね》坊《ぼう》をする癖のついていた自分も、次の朝だけは割合に早く起きた。飯を済まして新聞を読むと、その新聞が汽車を待ち合わせるあいだに買って、せわしなく目を通す時のように、なんの見るところもないほど、詰《つま》らなく感ぜられた。自分はすぐ新聞を棄《す》てた。しかし五、六分経《た》たないうちにまたそれを取り上げた。自分は煙草《たばこ》を吸ったり、眼鏡《めがね》の曇りを丁寧に拭《ぬぐ》ったり、いろいろな所作をして、父の来るのを待ち受けた。
父は容易に来なかった。自分は父の早起きをよく承知していた。彼の性急《せつかち》にも子供のうちから善《よ》く馴《な》らされていた。落ち付かない自分は、電話でも掛けて、どうしたのかこっちから父の都合を聞いてみようかと思った。
母に狎《な》れ抜いた自分は、常から父を憚《はばか》っていた。けれども、ほんとうの底を割って見ると、柔和《やさ》しい母のほうが、苛酷《きび》しい父よりはかえって怖《こわ》かった。自分は父に怒《おこ》られたり小言を言われたりする時に、恐縮はしながらも、やっぱり男は男だと腹の中で思うことがたびたびあった。けれどもこの場合はいつもと違っていた。いくら父でもそう容易《たやす》く高を括《くく》るわけにいかなかった。電話を掛けようとした自分はまた掛け得ずにしまった。
父はとうとう十時ごろになって遣《や》ってきた。羽《は》織《おり》袴《はかま》で少し極《きま》りすぎた服装《なり》はしていたが、顔付は存外穏やかであった。小さい時から彼の手元で育った自分は、事のあるかないかを彼の顔色からすぐ判断する功を積んでいた。
「もっと早くお出《いで》でだろうと思ってさっきから待っていました」
「おおかた床の中で待ってたんだろう。早いのはいくら早くっても驚かないが、お前に気の毒だからわざと遅《おそ》く出掛けたのさ」
父は自分の汲《く》んで出した茶を、飲むように嘗《な》めるように、口のところへ持っていって、室《へや》の中をじろじろ見回した。室には机と本箱と火《ひ》鉢《ばち》があるだけであった。
「好《い》い室だね」
父は自分たちに対してもよくこんな愛《あい》嬌《きよう》を言う男であった。彼が長年社交のために用い慣れた言葉は、遠慮のない家庭にまで、いつかはいり込んできた。それほど枯れたお世辞だから、それが自分には他《ひと》の「お早う」ぐらいにしか響かなかった。
彼は三尺の床を覗《のぞ》いてそこに掛けた軸物を眺《なが》めだした。
「ちょうど好いね」
その軸は特にここの床の間を飾るために自分が父から借りてきた小形の半《はん》切《せつ*》であった。彼が「これなら持っていっても好い」と投げ出してくれただけあって、自分にはちょうど好《よ》くもなんともない変なものであった。自分は苦笑してそれを眺めていた。
そこには薄墨で棒が一本筋違《すじかい》に書いてあった。その上に「この棒ひとり動かず、さわれば動く」と賛がしてあった。要するに絵とも字とも片のつかない詰《つま》らないものであった。
「お前は笑うがね。これでも渋いものだよ。立《りつ》派《ぱ》な茶《ちや》懸《が》け《*》になるんだから」
「誰《だれ》でしたっけね書き手は」
「それは分《わか》らないが、いずれ大徳寺《*》かなんか………」
「そうそう」
父はそれで懸け物の講釈を切り上げようとはしなかった。大徳寺がどうの、黄《おう》檗《ばく*》がどうのと、自分にはまるで興味のないことを説明して聞かせた。しまいに「この棒の意味が解《わか》るか」などと言って自分を悩ませた。
八
その日自分は父に伴《つ》れられて上野の表慶館《*》を見た。今まで彼に随《つ》いてそういう所へ行ったことは幾度となくあったが、まさかそのために彼がわざわざ下宿へ誘いにきようとは思えなかった。自分は父とともに下宿の門《かど》を出て上野へ向かう途《みち》々《みち》も、今に彼の口からなにかほんとうの用事が出るに違いないと予期していた。しかしそれをこっちから聞く勇気はとても起こらなかった。兄の名も嫂《あによめ》の名も彼の前には封じられた言葉のごとく、自分の声帯を固く括《くく》り付けた。
表慶館で彼は利休の手紙の前へ立って、なになにせしめ候《そろ》……かね、といったふうに、解《わか》らない字をむりにぽつぽつ読んでいた。御《ご》物《もつ*》の王《おう》羲《ぎ》之《し》の書を見た時、彼は「ふうんなるほど」と感心していた。その書がまた自分にはいたって詰《つま》らなく見えるので、「大いに人意を強うするに足るものだ」と言ったら、「なぜ」と彼は反問した。
二人は二階の広間へ入《はい》った。するとそこに応《おう》挙《きよ》の絵がずらりと十幅ばかり懸《か》けてあった。それが不思議にも続きもので、右の端《はじ》の巌《いわ》の上に立っている三羽の鶴《つる》と、左の隅《すみ》に翼をひろげて飛んでいる一羽のほかは、距離にしたら約二、三間の間ことごとく波で埋《う》まっていた。
「唐《から》紙《かみ》に貼《は》ってあったのを、剥《はが》して懸《か》け物《もの》にしたのだね」
一幅ごとに残っている開《あけ》閉《たて》の手《て》摺《ずれ》の痕《あと》と、引き手の取れた部分の白い型を、父は自分に指《さ》し示した。自分は広間の真《まん》中《なか》に立ってこの雄大な画《え》を描《か》いた昔の日本人を尊敬することを、父のお蔭《かげ》でようやく知った。
二階から下《お》りた時、父は玉《ぎよく》だの高《こう》麗《らい》焼《やき》だのの講釈をした。柿《かき》右衛《え》門《もん》という名前も聞かされた。いちばん下《くだ》らないのはのんこう《*》の茶《ちや》碗《わん》であった。疲れた二人はついに表慶館を出た。館の前を掩《おお》うように聳《そび》えている蒼《あお》黒《ぐろ》い一本の松の木を右に見て、綺《き》麗《れい》な小《こ》路《みち》をのそのそ歩いた。それでも肝《かん》心《じん》の用事について、父は一言も言わなかった。
「もうじき花が咲くね」
「咲きますね」
二人はまたのそのそ東照宮《*》の前まで来た。
「精養軒で飯でも食うか」
時計はもう一時半であった。小さい時分から父に伴《つ》れられて外《そと》出《で》するたびに、きっとどこかでものを食う癖の付いた自分は、成人ののちもお供と御《ご》馳《ち》走《そう》を引き離しては考えていなかった。けれどもその日はなぜだか早く父に別れたかった。
行き掛けに気の付かなかったその精養軒の入口は、五色の旗で隙《すき》間《ま》なく飾られた綱を、いつの間にか縦横に渡して、絹帽《シルクハツト》の客を華《はな》やかに迎えていた。
「なにかあるんですよ今日《きよう》は。おおかた貸し切りなんでしょう」
「なるほど」
父は立ち留まって木《こ》の間《ま》にちらちらする旗の色を眺めていたが、やがて気の付いたふうで、「今日は二十三日だったね」と聞いた。その日は二十三日であった。そうしてKという兄の知人の結婚披《ひ》露《ろう》の当日であった。
「つい忘れていた。一週間ばかりまえに招《しよう》待《だい》状《じよう》が来ていたっけ。一郎と直と二人の名《な》宛《あて》で」
「Kさんはまだ結婚しなかったのですかね」
「そうさ。善《よ》く知らないが、まさか二度目じゃなかろうよ」
二人は山を下《お》りてとうとうその左側にある洋食屋にはいった。
「ここは往来がよく見える。ことに寄ると一郎が、絹帽《シルクハツト》を被《かぶ》って通るかもしれないよ」
「嫂《ねえ》さんもいっしょなんですか」
「さあ。どうかね」
二階の窓際近くに席を占めた自分たちは、花で飾られた低い瓶《バーズ*》を前に、広々した三《み》橋《はし》の通り《*》を見《み》下《おろ》した。
九
食事中父は機《き》嫌《げん》よく話した。しかし用談らしい改まったものは、珈琲《コーヒー》を飲むまでついに彼の口に上らなかった。表へ出た時、彼ははじめて気の付いたらしい顔をして、向こう側の白い大きな建物を眺《なが》めた。
「やあいつのまにか勧《かん》工《こう》場《ば*》が活動《*》に変化しているね。ちっとも知らなかった。いつ変わったんだろう」
白い洋館の正面に金字で書いてある看板の周囲は、無数の旗の影で安価に彩《いろど》られていた。自分は職業柄、さも仰《ぎよう》山《さん》らしく東京の真《まん》中《なか》に立っているこの粗末な建築を、情けない目付で見た。
「どうも驚くね世の中の早く変わるには。そう思うと己《おれ》なぞもいつ死ぬか分《わか》らない」
好《い》い日曜なのと時刻が時刻なので、往来は今が人の出盛りであった。華《はな》やかな色と、陽気な肉と、浮いた足並みの簇《むらが》るなかでこう言った父の言葉は、妙に周囲と調和を欠いていた。
自分は番町と下宿と方角の岐《わか》れる所で、父に別れようとした。
「用があるのかい」
「ええ少し……」
「まあ好《い》いから宅《うち》までお出で」
自分は帽子の鍔《つば》へ手を懸けたまま躊躇した。
「いいからお出でよ。自分の宅じゃないか。たまには来るものだ」
自分は極《きま》りの悪い顔をして父のあとに随《したが》った。父はすぐ後ろを振り向いた。
「宅じゃ近ごろお前が来ないので、みんな不思議がってるんだぜ。二郎はどうしたんだろうって。遠慮が無《ぶ》沙《さ》汰《た》というが、お前のは無遠慮が無沙汰になるんだからなお悪い」
「そういう訳でもありませんが。……」
「なにしろ来るが好い。言い訳は宅へ行って、お母《かあ》さんにたんとするさ。己《おれ》はただ引っ張ってゆく役なんだから」
父はずんずん歩いた。自分は腹の中であたかも丁年《*》未満の若者のような自分の態度を苦笑しながら、黙って父と歩調をともにした。その日はこのあいだとは打って変わって、青春《*》の第一日ともいうべき暖かい光を、南へ回った太陽が自分たちの上へ投げかけていた。獺《かわうそ》の襟《えり》を付けた重いとんび《*》を纏《まと》った父も、少し厚手の外《がい》套《とう》を着た自分も、さっきからの運動で、少し温《うん》気《き》に蒸される気味であった。その春の半日を自分は父のお蔭《かげ》で、珍しく方々引っ張り回された。この老いた父と、こう肩を並べて歩いた例《ためし》は近ごろとんとなかった。この老いた父とこれからさきもう何度こうして歩けるものかそれも分《わか》らなかった。
自分は鈍い不安のうちに、微《かす》かな嬉《うれ》しさと、その嬉しさに伴う一種の果敢《はか》なさとを感じた。そうして不意に自分の胸を襲ったこの感傷的な気分に、なるべく己《おのれ》を任せるような心持ちで足を運ばせた。
「お母さんは驚いているよ。お彼岸にはお萩《はぎ》を持たせてやっても、返事も寄こさなければ、重箱を返しもしないって。ちょっとでも好いから来ればいいのさ。来られない訳が急にできた訳でもあるまいし」
自分はなんとも返事をしなかった。
「今日《きよう》は久しぶりにお前を伴《つ》れていって皆《みんな》に会わせようと思って。――お前一郎に近ごろ会ったことはあるまい」
「ええ実は下宿をする時挨《あい》拶《さつ》したぎりです」
「それみろ。ところが今日はあいにく一郎が留《る》守《す》だがね。お父さんが上野の披《ひ》露《ろう》会《かい》のことを忘れていたのが悪かったけれども」
自分は父に伴れられて、とうとう番町の門を潜《くぐ》った。
一〇
座敷にはいった時、母は自分の顔を見て、「おや珍しいね」と言っただけであった。自分はほとんど権《けん》柄《ぺい》ずく《*》でここへ引っ張られてきながらも、途《みち》々《みち》父の情けを有《あり》難《がた》く感じていた。そうして暗に家に帰ってから母に会う瞬間の光景を予想していた。その予想がこの一言で打ち崩《くず》されたのは案外であった。父は家内の誰《だれ》にも打合わせをせずに、まったく自分一人の考えで、この不心得な息《むす》子《こ》に親切を尽くしてくれたのである。お重は逃げた飼い犬を見るような目付で自分を見た。「そら迷《まい》子《ご》が帰ってきた」と言った。嫂《あによめ》はただ「入らっしゃい」と平生のとおり言《こと》葉《ば》寡《すくな》な挨拶をした。このあいだの晩一人で尋ねてきたことは、まるで忘れてしまったというふうに見えた。自分も人前を憚《はばか》って一口もそれに触れなかった。比較的陽気なのは父であった。彼は多少の諧《かい》謔《ぎやく》と誇張とを交ぜて、今日《きよう》どうして自分をおびき出したかを得意らしく母やお重に話した。おびき出すという彼の言葉が自分には仰《ぎよう》山《ざん》でかつ滑《こつ》稽《けい》に聞こえた。
「春になったから、皆《みんな》もちっと陽気にしなくっちゃ不可《いけ》ない。このごろのように黙ってばかりいちゃ、まるで幽霊屋敷のようで、くさくさするだけだあね。桐《きり》畠《ばたけ》でさえ立《りつ》派《ぱ》な家《うち》が建つ時節じゃないか」
桐畠というのは家のつい近所にある角《かど》地《じ》面《めん》の名であった。そこへ住まうとなにか祟《たた》りがあるという昔からの言い伝えで、このあいだまで空《あき》地《ち》になっていたのを、このごろになってようやくある人が買い取って、大きな普請を始めたのである。父は自分の家が第二の桐畠になるのを恐れでもするように、いきいきと傍《そば》のものに話し掛けた。平生彼の居《い》馴《な》染《じ》んだ室《へや》は、奥の二間続きで、なにか用があると、母でも兄でも、そこへ呼び出されるのが例になっていたが、その日はいつもと違って、彼は初めから居間へははいらなかった。ただ袴《はかま》と羽織を脱ぎ棄《す》てたなり、そこへ坐《すわ》ったまま、長く自分たちを相手に喋舌《しやべ》っていた。
久しく住み馴《な》れた自分の家も、こうしてたまに来てみると、多少忘れ物でも思い出すような趣があった。出る時はまだ寒かった。座敷の硝子《ガラス》戸《ど》はたいてい二重に鎖《とざ》されて、庭の苔《こけ》を残酷に地面から引き剥《はが》す霜が一面に降っていた。今はその外側の仕切りがことごとく戸袋の中《うち》に収められてしまった。内側も左右に開かれていた。許すかぎり家の中と大空と続くようにしてあった。樹《き》も苔《こけ》も石も自然から直接に目の中へ飛び込んできた。すべてが出る時と趣を異にしていた。すべてが下宿とも趣を異にしていた。
自分はこういう過去の記念のなかに坐って、久しぶりに父母や妹や嫂といっしょに話をした。家族のうちでそこにいないものはただ兄だけであった。その兄の名はさっきからまだ一度も誰《だれ》の会話にも上らなかった。自分はその日彼がKさんの披《ひ》露《ろう》会《かい》に呼ばれたということを聞いた。自分は彼がその招《しよう》待《だい》に応じたか、上野へ出掛けたか、はたして留《る》守《す》であるかさえ知らなかった。自分は自分の前にいる嫂を見て、彼女が披露の席に臨まないということだけを確かめた。
自分は兄の名が話頭に上らないのを苦にした。同時に彼の名が出てくるのを憚った。そうした心持ちでみんなの顔を見ると、無邪気な顔は一つもないように思えた。
自分はしばらくしてお重に「お重お前の室《へや》をちょっとお見せ。綺《き》麗《れい》になったって威張ってたから見てやろう」と言った。彼女は「当たり前よ、威張るだけのことはあるんだから行ってごらんなさい」と答えた。自分は下宿をするまで朝《ちよう》夕《せき》寐《ね》起《お》きをした、家《うち》中《じゆう》でいちばん馴《な》染《じ》みの深い、故《もと》のわが室を覗《のぞ》きに立った。お重ははたしてあとから随《つ》いてきた。
一一
彼女の室《へや》は自慢するほど綺《き》麗《れい》にはなっていなかったけれども、自分の住み荒した昔に比べると、どこかになまめいた匂《にお》いが漂っていた。自分は机の前に敷いてある派《は》手《で》な模様の座蒲団の上に胡坐《あぐら》をかいて、「なるほど」と言いながらそこいらを見回した。
机の上には和製のマジョリカ皿《ざら*》があった。薔《ば》薇《ら》の造り花がセゼッション式《*》の一《いち》輪《りん》瓶《ざし》に挿《さ》してあった。白い大きな百合《ゆり》を刺繍《ぬい》にした壁飾りが横手に懸《か》けてあった。
「ハイカラじゃないか」
「ハイカラよ」
お重の澄ました顔には得意の色が見えた。
自分はしばらくそこでお重に調戯《からか》っていた。五、六分してから彼女に「近ごろ兄さんはどうだい」とさも偶然らしく問い掛けてみた。すると彼女は急に声を潜めて、「そりゃ変なのよ」と答えた。彼女の性質は嫂《あによめ》とはまったく反対なので、こういう場合にはたいへん都合が好《よ》かった。いったん緒《いと》口《ぐち》さえ見《み》出《いだ》せば、あとはこっちで水を向ける必要もなにもなかった。隠すことを知らない彼女は腹にあることをことごとく話した。黙って聞いていた自分にも、しまいには蒼蠅《うるさ》いほどであった。
「つまり兄さんが家《うち》のものとあんまり口を利《き》かないと言うんだろう」
「ええそうよ」
「じゃ僕の家を出た時と同じことじゃないか」
「まあそうよ」
自分は失望した。考えながら、煙草《たばこ》の灰をマジョリカ皿の中へ遠慮なくはたき落とした。お重は厭《いや》な顔をした。
「それペン皿よ。灰皿じゃないわよ」
自分は嫂ほどに頭のできていないお重から、なにも得《う》るところのないのを覚《さと》って、また父や母のいる座敷へ帰ろうとした時、突然妙な話を彼女から聞いた。
その話によると、兄はこのごろテレパシー《*》かなにかを真《ま》面《じ》目《め》に研究しているらしかった。彼はお重を書斎の外に立たしておいて、自分で自分の腕を抓《つね》ったあと「お重、今兄さんはここを抓ったが、お前の腕もそこが痛かったろう」と尋ねたり、または室の中で茶《ちや》碗《わん》の茶を自分一人で飲んでおきながら、「お重お前の咽喉《のど》は今なにか飲む時のようにぐびぐび鳴りゃしないか」と聞いたりしたそうである。
「妾《あたし》説明を聞くまでは、きっと気が変になったんだと思ってびっくりしたわ。兄さんはあとでフランスのなんとかいう人の遣《や》った実験だって教えてくれたのよ。そうしてお前は感受性が鈍いから罹《かか》らないんだって言うのよ。妾嬉《うれ》しかったわ」
「なぜ」
「だってそんなものに罹るのはコレラに罹るより厭《いや》だわ妾」
「そんなに厭かい」
「極《きま》ってるじゃありませんか。だけど、気味が悪いわね、いくら学問だってそんなことをしちゃ」
自分も可笑《おか》しいうちになんだか気味の悪い心持ちがした。座敷へ帰ってくると、嫂の姿はもうそこに見えなかった。父と母は差向かいになって小さな声でなにか話し合っていた。その様子が今しがた自分一人で家《うち》中《じゆう》を陽気にした賑《にぎ》やかな人の様子とも見えなかった。「ああ育てるつもりじゃなかったんだがね」という声が聞こえた。
「あれじゃ困りますよ」という声も聞こえた。
一二
自分はその席で父と母から兄に関する近況の一般を聞いた。彼らの挙《あ》げた事実は、お重を通して得た自分の知識を裏書をする以外、別に新しい何物をも付け加えなかったけれども、その様子といい言葉といい、いかにも兄の存在を苦にしているらしくみえて、はなはだ痛々しかった。彼ら(ことに母)は兄一人のために宅《うち》中《じゆう》の空気が湿っぽくなるのを辛《つら》いと言った。尋常の父母以上にわが子を愛してきたという自信が、彼らの不平をいっそう濃く染めつけた。彼らはわが子からこれほど不愉快にされる因縁がないと暗に主張しているらしく思われた。したがって自分が彼らの前に坐《すわ》っているあいだ、彼らは兄を云《うん》々《ぬん》するほか、何《なん》人《びと》の上にも非難を加えなかった。平生から兄に対する嫂《あによめ》の仕打ちに飽き足らない顔を見せていた母でさえ、この時は彼女についてついに一口も訴えがましい言葉を洩《もら》さなかった。
彼らの不平のうちには、同情から出る心配も多量に籠《こも》っていた。彼らは兄の健康について少なからぬ掛《け》念《ねん》を有《も》っていた。その健康に多少支配されなければならない彼の精神状態にも冷淡ではあり得なかった。要するに兄の未来は彼らにとって、恐ろしいX《エツキス》であった。
「どうしたものだろう」
これが相談の時必ず繰り返されべき言葉であった。実をいえば、一人一人離れているおりですら、胸のうちでぼんやり繰り返してみるべき二人の言葉であった。
「変人なんだから、今までもよくこんなことがあったにはあったんだが、変人だけにすぐ癒ったもんだがね。不思議だよ今《こん》度《だ》は」
兄の機《き》嫌《げん》買《か》いを子供のうちから知り抜いている彼らにも、近ごろの兄は不思議だったのである。陰《いん》鬱《うつ》な彼の調子は、自分が下宿する前後から今日まで少しの晴れ間なく続いたのである。そうしてそれがだんだん険悪の一方に向かってまっすぐに進んでゆくのである。
「ほんとうに困っちまうよ妾《わたし》だって。腹も立つが気の毒でもあるしね」
母は訴えるように自分を見た。
自分は父や母と相談のあげく、兄に旅行でも勧めてみることにした。彼らが自分たちの手《て》際《ぎわ》ではとても駄《だ》目《め》だからというので、自分は兄といちばん親密なHさんにそれを頼むのが好《よ》かろうと発《ほつ》議《ぎ》して二人の賛成を得た。しかしその頼み役にはぜひとも自分が立たなければ済まなかった。春休みにはまだ一週間あった。けれども学校の講義はもうそろそろしまいになる日取りであった。頼んでみるとすれば、早くしなければ都合が悪かった。
「じゃ二《に》、三《さん》日《ち》のうちに三沢のところへ行って三沢からでも話してもらうかまた様子によったら僕がじかに行って話すか、どっちかにしましょう」
Hさんとそれほど懇意でない自分は、どうしても途中に三沢を置く必要があった。三沢は在学中Hさんを保証人にしていた。学校を出てからもほとんど家族の一人のごとく始終そこへ出入りしていた。
帰りがけに挨《あい》拶《さつ》をしようと思って、ちょっと嫂の室《へや》を覗《のぞ》いたら、嫂は芳江を前に置いて裸人形に美しい着物を着せてやっていた。
「芳江たいへん大きくなったね」
自分は芳江の頭へ立ちながら手を掛けた。芳江はしばらく顔を見なかった叔父《おじ》に突然綾《あや》されたので、少しはにかんだように唇《くちびる》を曲げて笑っていた。門を出る時はかれこれ五時に近かったが、兄はまだ上野から帰らなかった。父は久しぶりだから飯でも食って彼に会ってゆけと言ったが、自分はとうとうそれまで腰を据《す》えていられなかった。
一三
翌《あくる》日《ひ》自分は事務所の帰りがけに三沢を尋ねた。ちょうど髪を刈りに今しがた出掛けたところだというので、自分は遠慮なく上がり込んで彼を待つことにした。
「この両三日はめっきりお暖かになりました。もうそろそろ花も咲くでございましょう」
主人の帰るあいだ座敷へ出た彼の母は、いつものとおり丁寧な言葉で自分に話し掛けた。
彼の室《へや》は例のごとく絵だのスケッチだので鼻を突きそうであった。中には額縁もなにもない裸のままを、ピンで壁の上へじかに貼《は》り付けたのもあった。
「なんだか存じませんが、好きだものでございますから、むやみと貼《は》り散らかしまして」と彼の母は弁解がましく言った。自分は横手の本《ほん》棚《だな》の上に、丸い壺《つぼ》と並べておいてあった一枚の油絵に目を着けた。
それには女の首が描《か》いてあった。その女は黒い大きな目を有《も》っていた。そうしてその黒い目の柔らかに湿ったぼんやりしさ加減が、夢のような匂《にお》いを画幅全体に漂わしていた。自分はじっとそれを眺《なが》めていた。彼の母は苦笑して自分を顧みた。
「あれもこのあいだいたずらに描きましたので」
三沢は画《え》の上手《じようず》な男であった。職業柄自分も絵の具を使う道ぐらいは心得ていたが、芸術的の素質を饒《ゆた》かに有っている点において、自分はとうてい彼の敵ではなかった。自分はこの絵を見るとともに可《か》憐《れん》なオフィリヤ《*》を連想した。
「面《おも》白《しろ》いです」と言った。
「写真を台にして描いたんだから気分がよく出ない、いっそ生きてるうちに描かしてもらえば好《よ》かったなんて申しておりました。不幸なかたで、二、三年まえに亡《な》くなりました。せっかくお世話をしてあげたお嫁入り先も不縁でね、あなた」
油絵のモデルは三沢のいわゆる出《で》戻《もど》りのお嬢さんであった。彼の母は自分の聞かないさきに、彼女についていろいろと語った。けれども女と三沢との関係は一言も口にしなかった。女の精神病に罹《かか》ったことにもまるで触れなかった。自分もそれを聞く気は起こらなかった。かえって話頭をこっちで切り上げるようにした。
問題は彼女を離れるとすぐ三沢の結婚談に移っていった。彼の母は嬉《うれ》しそうであった。
「あれもいろいろ御心配を掛けましたが、今度ようやく極《きま》りまして………」
このあいだ三沢から受け取った手紙に、少し一身上のことについて、君に話があるからそのうちぜひ行くと書いてあったのが、この話でやっと悟れた。自分は彼の母に対して、ただ人並みの祝意を表しておいたが、心のうちではその嫁になる人は、はたしてこの油絵に描いてある女のように、黒い大きな滴《したた》るほどに潤った目を有っているだろうか、それがなによりさきに確かめてみたかった。
三沢は思ったほど早く帰らなかった。彼の母はおおかた帰りがけに湯にでも行ったのだろうと言って、なんなら見せにやろうかと聞いたが、自分はそれを断わった。しかし彼女に対する自分の話は、気の毒なほど実が入らなかった。
三沢にどうだろうと言った自分の妹《いもと》のお重は、まだどこへ行くとも極《きま》らずにぐずぐずしている。そういう自分もお重と同じことである。せっかく身の堅まった兄と嫂《あによめ》は折り合わずにいる。――こんなことを対照して考えると、自分はどうしても快活になれなかった。
一四
そのうち三沢が帰ってきた。近ごろは身体《からだ》の具合が好《い》いと見えて、髪を刈って湯に入《はい》ったあとの彼の血色は、ことにつやつやしかった。健康と幸福、自分の前に胡坐《あぐら》をかいた彼の顔はたしかにこの二つのものを物語っていた。彼の言語態度もまたそれに匹敵して陽気であった。自分の持ってきた不愉快な話を、突然と切り出すにはあまりに快活すぎた。
「君どうかしたか」
彼の母が席を立って二人差向かいになった時、彼はこう問い掛けた。自分は渋りながら、兄の近況を彼に訴えなければならなかった。その兄を勧めて旅行させるように、彼からHさんに頼んでくれと言わなければならなかった。
「父や母が心配するのをただ黙って見ているのも気の毒だから」
この最後の言葉を聞くまで、彼はもっともらしく腕組みをして自分の膝《ひざ》頭《がしら》を眺《なが》めていた。
「じゃ君といっしょに行こうじゃないか。いっしょのほうが僕一人より好《よ》かろう、精《くわ》しい話ができて」
三沢にそれだけの好意があれば、自分にとっても、それに越した都合はなかった。彼は着物を着換えると言ってすぐ座を起《た》ったが、しばらくするとまた襖《ふすま》の陰から顔を出して、「君、母が久しぶりだから君に飯を食わせたいって今支《し》度《たく》をしているところなんだがね」と言った。自分は落ち付いて馳《ち》走《そう》を受ける気分を有《も》っていなかった。しかしそれを断わったにしたところで、飯はどこかで食わなければならなかった。自分は曖《あい》昧《まい》な返事をして、早く立ちたいような気のする尻《しり》を元の席に据《す》えていた。そうして本《ほん》棚《だな》の上に載せてある女の首をちょいちょい眺めた。
「どうもなんにもございませんのに、お引き留め申しましてさぞ御迷惑でございましたろう。ほんの有合わせで」
三沢の母は召使に膳《ぜん》を運ばせながらまた座敷へ顔を出した。膳の端には古そうに見える九《く》谷《たに》焼《やき》の猪《ちよ》口《く》が載せてあった。
それでも三沢といっしょに出たのは思ったより早かった。電車を降りて五、六丁歩いて、Hさんの応接間に通った時、時計を見たらまだ八時であった。
Hさんは銘《めい》仙《せん》の着物に白い縮《ちり》緬《めん》の兵《へ》児《こ》帯《おび》をぐるぐる巻き付けたまま、椅子《いす》の上に胡坐をかいて、「珍しいお客さんを連れてきたね」と三沢に言った。丸い顔と丸い五分刈りの頭を有った彼は、支《し》那《な》人のようにでくでく肥《ふと》っていた。話振りも支那人が慣れない日本語を操《あやつ》る時のように、鈍《のろ》かった。そうして口を開くたびに、肉の多い頬《ほお》が動くので、始終にこにこしているように見えた。
彼の性質は彼の態度の示すとおり鷹《おう》揚《よう》なものであった。彼は比較的堅固でない椅子の上に、わざわざ両足を載せて胡坐をかいたなり、傍《はた》から見るとさも窮屈そうな姿勢の下《もと》に、夷《い》然《ぜん*》として落ち付いていた。兄とはほとんど正反対なこの様子なり気風なりが、かえって兄と彼とを結び付ける一種の力になっていた。なんにも逆らわない彼の前には、兄も逆らう気が出なかったのだろう。自分はHさんの悪口を言う兄の言葉を、今までついぞ一度も聞いたことがなかった。
「兄《にい》さんは相変わらず勉強ですか。ああ勉強しては不可《いけ》ないね」
悠《ゆう》長《ちよう》な彼はこう言って、自分の吐いた煙草《たばこ》の煙を眺《なが》めていた。
一五
やがて用事が三沢の口から切り出された。自分はすぐそのあとに随《つ》いて主要な点を説明した。Hさんは首を捻《ひね》った。
「そりゃ少し妙ですね、そんなはずはなさそうだがね」
彼の不審は決して偽《いつわ》りとは見えなかった。彼は昨日《きのう》Kの結婚披《ひ》露《ろう》に兄と精養軒で会った。そこを出る時にもいっしょに出た。話が途切れないので、うかうかと二人連れ立って歩いた。しまいに兄が疲れたといった。Hさんは自分の家に兄を引っ張って行った。
「兄《にい》さんはここで晩飯を食ったくらいなんだからね、どうも少しも不断と違ったところはないようでしたよ」
我《わが》儘《まま》に育った兄は、平生から家《うち》で気むずかしいくせに、外ではしごく穏やかであった。しかしそれは昔の兄であった。今の彼を、ただ我儘の二字で説明するのはあまりに単純すぎた。自分は已《や》むを得ずその時兄がHさんに向かって重《おも》に《*》どんな話をしたか、差《さし》支《つか》えないかぎりそれを聞こうと試みた。
「なに別に家庭のことなんか一口も言やしませんよ」
これも嘘《うそ》ではなかった。記憶の好《い》いHさんは、その時の話題を明《めい》瞭《りよう》に覚えていて、それを最も淡泊な態度で話してくれた。
兄はその時しきりに死というものについて云《うん》々《ぬん》したそうである。彼はイギリスやアメリカで流行《はや》る死後の研究という題目に興味を有《も》って、だいぶその方面を調べたそうである。けれども、どれもこれも彼には不満足だと言ったそうである。彼はメーテルリンクの論文も読んでみたが、やはり普通のスピリチュアリズム《*》と同じように詰《つま》らんものだと嘆息したそうである。
兄に関するHさんの話は、すべて学問とか研究とかいう側ばかりに限られていた。Hさんは兄の本領としてそれを当然のごとくに思っているらしかった。けれども聞いている自分は、どうしてもこの兄と家庭の兄とを二つに切り離して考えるわけにはいかなかった。むしろ家庭の兄がこういう研究的な兄を生み出したのだとしか理解できなかった。
「そりゃ動揺はしていますね。お宅のほうの関係があるかないか、そこは僕にも解《わか》らないが、なにしろ思想のうえで動揺して落ち付かないで弱っていることは慥《たし》かなようです」
Hさんはしまいにこう言った。彼はそのうえに兄の神経衰弱も肯《うけが》った。しかしそれは兄の隠していることでもなんでもなかった。兄はHさんに会うたんびに、ほとんど極《きま》り文句のように、それを訴えて已《や》まなかったそうである。
「だからこの際旅行はしごく好いでしょうよ。そういう訳ならひとつ勧めてみましょう。しかしうんと言ってすぐ承知するかね。なかなか動かない人だから、ことによるとむずかしいね」
Hさんの言葉には自信がなかった。
「貴方《あなた》の仰《おつ》しゃることならすなおに聞くだろうと思うんですが」
「そうもいかんさ」
Hさんは苦笑していた。
表へ出た時はかれこれ十時に近かった。それでも閑静な屋敷町にちらほら人の影が見えた。それが皆《みんな》そぞろ歩きでもするように、のどかに履《は》き物の音を響かして行った。空には星の光が鈍かった。あたかも眠たい目をしばたたいているような鈍さであった。自分は不透明な何物かに包まれた気分を抱《いだ》いた。そうして薄明るい往来を三沢と二人肩を並べて帰った。
一六
自分は首を長くしてHさんの消息を待った。花のたよりが都下の新聞を賑《にぎわ》しはじめた一週間ののちになっても、Hさんからはなんの通知もなかった。自分は失望した。電話を番町へ掛けて聞き合わせるのも厭《いや》になった。どうでもするが好《い》いという気分でじっとしていた。そこへ三沢が来た。
「どうも旨《うま》くいかないそうだ」
事実ははたして自分の想像したとおりであった。兄はHさんの勧誘を断然断わってしまった。Hさんは已《や》むを得ず三沢を呼んで、その結果を自分に伝えるように頼んだ。
「それでわざわざ来てくれたのかい」
「まあそうだ」
「どうも御苦労さま、済まない」
自分はこれ以上なにを言う気も起こらなかった。
「Hさんはああいう人だから、自分の責任のように気の毒がっている。今度は事があまり突然なので旨くいかなかったが、この次の夏休みにはぜひどこかへ連れ出すつもりだと言っていた」
自分はこういう慰謝をもたらしてくれた三沢の顔を見て苦笑した。Hさんのような大《たい》悠《ゆう*》な人から見たら、春休みも夏休みも同じことなんだろうけれども、内側で働いている自分たちの目には、夏休みといえば遠い未来であった。その遠い未来と現在のあいだには大きな不安が潜んでいた。
「しかしまあ仕方がない。もともとこっちでかってなプログラムを拵《こしら》えておいて、それに当てはまるように兄を自由に動かそうというんだから」
自分はとうとう諦《あきら》めた。三沢はなんにも批評せずに、机の角《かど》に肱《ひじ》を突き立てて、その上に顋《あご》を載せたなり自分の顔を眺《なが》めていた。彼はしばらくしてから、「だから僕のいうとおりにすれば好《い》いんだ」と言った。
このあいだHさんに兄のことを依頼しに行った帰り途《みち》に、無言な彼は突然往来の真中で自分を驚かしたのである。今まで兄のことについて一言も発しなかった彼は、その時不意に自分の肩を突いて、「君兄《にい》さんに旅行させるの、快活にするのって心配するより、自分で早く結婚したほうが好《よ》かないか。そのほうがつまり君の得だぜ」と言った。
彼が自分に結婚を勧めたのは、その晩がはじめてではなかった。自分はいつも相手がないとばかり彼に答えていた。彼はしまいに相手を拵《こしら》えてやると言いだした。そうして一時はそれがほとんど事実になり掛けたこともあった。
自分はその晩の彼に向かってもやはり同じような挨《あい》拶《さつ》をした。彼はそれをいつもより冷淡なものとして記憶していたのである。
「じゃ君のいうとおりにするから、ほんとうに相手を出してくれるかい」
「ほんとうに僕のいうとおりにすれば、ほんとうに好いのを出す」
彼は実際心当たりがあるような口を利《き》いた。近いうち彼の娶《めと》るべき女からでも聞いたのだろう。
彼はもう大きな黒い目を有《も》った精神病のお嬢さんについては多くを語らなかった。
「君の未来の細君はやっぱりああいう顔立ちなんだろう」
「さあどうかな。いずれそのうち引き合わせるから見てくれたまえ」
「結婚式はいつだい」
「ことによると向こうの都合で秋まで延ばすかもしれない」
彼は愉快らしかった。彼は来《きた》るべき彼の生活に、彼の有っている過去の詩を投げ懸《か》けていた。
一七
四月はいつのまにか過ぎた。花は上野から向《むこう》島《じま》、それから荒川という順序で、だんだん咲いていってだんだん散ってしまった。自分は一年のうちで人の最も嬉《うれ》しがるこの花の時節を無為に送った。しかし月が替わって世の中が青葉で包まれだしてから、振り返って遣《や》り過ごした春を眺《なが》めるとはなはだ物足りなかった。それでも無為に送れただけが有《あり》難《がた》かった。
家《うち》へはそののち一回も足を向けなかった。家からも誰《だれ》一人尋ねて来なかった。電話は母とお重から一、二度掛かったが、それは自分の着る着物についての用事にすぎなかった。三沢にはまったく会わなかった。大阪の岡田からは花の盛りに絵《え》端《は》書《がき》がまた一枚来た。まえと同じようにお貞さんやお兼さんの署名があった。
自分は事務所へ通う動物のごとく暮らしていた。すると五月の末になって突然三沢から大きな招《しよう》待《だい》状《じよう》を送ってきた。自分は結婚の通知と早《はや》合《が》点《てん》して封を裂いた。ところが案外にもそれは富士見町の雅《が》楽《がく》稽《けい》古《こ》所《じよ》からの案内状であった。「六月二日《ふつか》音楽演習相催《もよほ》し候《そろ》あひだ同日午後一時より御来聴くだされたく候この段御案内申《まおし》進《すすめ》候《そろ》なり」と書いてあった。今までこういう方面に関係があるとは思わなかった三沢が、どうしてこんな案内状を自分に送ったのか、まるで解《わか》らなかった。半日ののち自分はまた彼の手紙を受け取った。その手紙には、六月二日には、ぜひ来いという文句が添えてあった。ぜひ来いというくらいだから彼自身はむろん行くに極《きま》っている。自分はせっかくだからまず行ってみようと思い定めた。けれども、雅楽そのものについてはたいした期待もなにもなかった。それよりも自分の気分に転化の刺激を与えたのは、三沢が余事のごとく名《な》宛《あて》のあとへ付け足した、短い報知であった。
「Hさんは嘘《うそ》を吐《つ》かない人だ。Hさんはとうとう君の兄《にい》さんを説き伏せた。この六月学校の講義を切り上げしだい、二人はどこかへ旅をすることに約束ができたそうだ」
自分は父のため母のためかつ兄自身のため喜んだ。あの兄がHさんに対して旅行しようと約束する気分になったとすれば、単にそれだけでも彼には大きい変化であった。偽りの嫌《きら》いな彼は必ずそれを実行するつもりでいるに違いなかった。
自分は父にも母にも実否を問い合わせなかった。Hさんに向かってもその消息を確かめる手段を取らなかった。ただ三沢の口からもう少し精《くわ》しいところを聞かせてもらいたかった。それも今度会った時で構わないという気があるので、彼のぜひ来いという六月二日が暗に待ち受けられた。
六月二日はあいにく雨であった。十一時ごろには少し歇《や》んだが、季節が季節なのでからりとは晴れなかった。往来を行く人は傘《かさ》をさしたり畳《たた》んだりした。見《み》附《つけ》外《そと》の柳《*》は烟《けむり》のように長い枝を垂《た》れていた。その下を通ると、青白い粉《こ》か黴《かび》が着物にくっ付いていつまでも落ちないように感ぜられた。
雅楽所の門内には俥《くるま》がたくさん並んでいた。馬車も一、二台いた。しかし自動車は一つも見えなかった。自分は玄関先で帽子を人に渡した。その人は金の釦鈕《ボタン》のついた制服のようなものを着ていた。もう一人の人が自分を観覧席へ連れていってくれた。
「そこいらへお掛けなすって」
彼はそう言ってまた玄関の方へ帰っていった。椅子《いす》はまだ疎《まばら》に占領されているだけであった。自分はなるべく人の目に着かないように後列の一脚に腰を下《おろ》した。
一八
自分は心のうちで三沢を予期しながら四方を見渡したが彼の姿はどこにも見えなかった。もっとも見《けん》所《じよ*》は正面のほか左右両側面にもあった。自分は玄関から左へ突き当たって右へ折れて金《きん》屏《びよう》風《ぶ》の立ててある前を通って正面席に案内されたのである。自分の前には紋付きの女が二、三人いた。後ろにはカーキー色の軍服を着けた士官が二人いた。そのほか六、七人そこここに散点していた。
自分から一席置いて隣の二人連れは、舞台の正面に掛かっている幕の話をしていた。それには雅楽になんの縁故《ゆかり》もなさそうに見える変な紋が、竪《たて》に何行も染め出されていた。
「あれが織《お》田《だ》信《のぶ》長《なが》の紋ですよ。信長が王室の式《しき》微《び*》を慨《なげ》いて、あの幕を献上したというのがはじまりで、それから以後は必ずあの木瓜《もつこう*》の紋の付いた幕を張ることになってるんだそうです」
幕の上《うえ》下《した》は紫地に金の唐《から》草《くさ》の模様を置いた縁で包んであった。
幕の前を見ると、真《まん》中《なか》に太鼓が据《す》えてあった。その太鼓には緑や金や赤の美しい色《いろ》彩《どり》が施されてあった。そうして薄くて丸い枠《わく》の中に入れてあった。左の端《はし》には火《ひ》熨《の》斗《し*》ぐらいの大きさの鐘がやはり枠の中に釣《つ》るしてあった。そのほかには琴が二面あった。琵《び》琶《わ》も二面あった。
楽器の前は青い毛《もう》氈《せん》で敷き詰められた舞をまう所になっていた。構造は能のそれのように、三方の見所からはまったく切り離されていた。そうしてその途切れた四、五尺の空間からは日も射《さ》し風も通うようにできていた。
自分が物珍しそうにこの様子を見ているうちに、観客《けんぶつ》は一人二人と絶えず集まってきた。そのなかには自分がある音楽会で顔だけ覚えたNという侯爵もいた。「今日《きよう》は教育会があるので来られない」と細君のことかなにかを、傍《そば》にいた坊主頭の丸々と肥《こえ》た小さい人に話していた。この丸い小さな人がKという公爵であることを、自分はあとで三沢から教《おすわ》った。
その三沢は舞楽の始まるやっと五、六分まえにフロックコートで遣《や》ってきて、入口の金屏風の所でしばらく観覧席を見渡しながら躊《ちゆう》躇《ちよ》していたが、自分の顔を見付けるやいなや、すぐ傍へ来て腰を掛けた。
彼と前後して一人の背《せい》の高い若い男が、年ごろの女を二人連れて、やはり正面席へはいってきた。男はフロックコートを着ていた。女はむろん紋付きであった。その男と伴れの女の一人が顔立ちからいってよく似ているので、自分はすぐ彼らの兄妹《きようだい》であることを覚《さと》った。彼らは人の頭を五、六列越して、三沢と挨《あい》拶《さつ》を交換した。男の顔にはできるだけの愛《あい》嬌《きよう》が湛《たた》えられた。女はこころもち顔を赤くした。三沢はわざわざ腰を浮かして起立した。婦人はたいてい前の方に席を占めるので、彼らはついに自分たちの傍へは来なかった。
「あれが僕の妻《さい》になるべき人だ」と三沢は小声で自分に告げた。自分は腹の中で、あの夢のような大きい黒い目の所有者であった精神病のお嬢さんと、自分の二、三間前に今席を取った色《いろ》沢《つや》の好《い》いお嬢さんとを比較した。彼女は自分にただ黒い髪と白い襟《えり》足《あし》とを見せて坐《すわ》っていた。それも人の影に遮《さえぎ》られて自由には見られなかった。
「もう一人の女ね」と三沢がまた小声で言い掛けた。それから彼は突然ポッケットへ手を入れて、白い紙《かみ》片《きれ》と万年筆を取り出した。彼はすぐそれへなにか書きはじめた。正面の舞台にはもう楽《がく》人《じん*》が現われた。
一九
彼らは帽子とも頭《ず》巾《きん》とも名の付けようのない奇抜なものを被《かぶ》っていた。謡曲の富士太鼓《*》を知っていた自分は、おおかたこれが鳥《とり》兜《かぶと*》というものだろうと推察した。首から下も被りものと同じく現代を超越していた。彼らは錦《にしき》で作った〓《かみ》〓《しも*》のようなものを着ていた。その〓〓には骨がないので肩のあたりは柔らかな線でぴたりと身体《からだ》に付いていた。袖《そで》には白の先へ幅三寸ぐらいの赤い絹が縫い足してあった。彼らはみな白の括《くくり》り袴《ばかま》を穿《は》いていた。そうして一様に胡坐《あぐら》をかいた。
三沢は膝《ひざ》の上でなにか書き掛けた白い紙をくちゃくちゃにした。自分はそのくちゃくちゃになった紙の塊《かたまり》を横から眺《なが》めた。彼は一《いち》言《ごん》の説明も与えずに正面を見た。青い毛《もう》氈《せん》の上に左の帳《とばり》の影から現われたものは鉾《ほこ》を有《も》っていた。これも管弦を奏する人と同じく錦の袖《そで》無《な》しを着ていた。
三沢はいつまで経《た》っても「もう一人の女はね」の続きを言わなかった。観覧席にいるものはことごとく静粛であった。隣同志で話をするのさえ憚《はばか》られた。自分は仕方なしに催促を我慢した。三沢も空《そら》とぼけて澄ましていた。彼は自分と同じようにここへははじめて顔を出したので、少し硬《かた》くなっているらしかった。
舞は謹慎な見物の前に、既定のプログラムどおり、単調で上品な手足の運動を飽きもせずに進行させていった。けれども彼らの服装は、題の改まるごとに、閑雅な上代の色彩を、代わる代わる自分たちの目に映しつつ過ぎた。あるものは冠に桜の花を挿《さ》していた。紗《しや》の大きな袖の下から燃えるような五色の紋を透かせていた。黄《こ》金《がね》作《づく》りの太刀《たち》も佩《は》いていた。あるものは袖口を括った朱色の着物の上に、唐《から》錦《にしき*》のちゃんちゃん《*》を膝《ひざ》のあたりまで垂《た》らして、まるで錦に包まれた猟人《かりゆうど》のように見えた。あるものは蓑《みの》に似た青い衣をばらばらに着て、同じ青い色の笠《かさ》を腰に下げていた。――すべてが夢のようであった。吾《われ》々《われ》の祖先が残していった遠い記念《かたみ》の匂《にお》いがした。みんな有《あり》難《がた》そうな顔をしてそれを観《み》ていた。三沢も自分も狐《きつね》に撮《つま》まれた気味で坐《すわ》っていた。
舞楽が一段落ついた時に、お茶を上げますと誰《だれ》かが言ったので周囲の人は席を立って別室に動きはじめた。そこへさっき三沢と約束の整ったという女の兄《あに》さんが来て、物《もの》馴《な》れた口調で彼と話した。彼はこういう方面に関係のある男とみえて、当日案内を受けた誰《だれ》彼《かれ》をよく知っていた。三沢と自分はこの人から今までそこいらにいた華族や高官や名士の名を教えてもらった。
別室には珈琲《コーヒー》とカステラとチョコレートとサンドイッチがあった。普通の会の時のように、無作法な振《ふる》舞《まい》は見受けられなかったけれども、それでも多少込み合うので、女は座ったなり席を立たないのがあった。三沢と彼の知人は、菓子と珈琲を盆の上に載せて、わざわざ二人のお嬢さんのところへ持っていった。自分はチョコレートの銀紙を剥《はが》しながら、敷居の上に立って、遠くからその様子を偸《ぬす》むように眺《なが》めていた。
三沢の細君になるべき人はお辞《じ》義《ぎ》をして、珈琲《コーヒー》茶《ぢや》碗《わん》だけを取ったが、菓子には手を触れなかった。いわゆる「もう一人の女」はその珈琲茶碗にさえ容易《たやす》く手を出さなかった。三沢は盆を持ったまま、引くこともできず進むこともできない態度で立っていた。女の顔がさっき見た時よりも子供子供した苦痛の表情に充《み》ちていた。
二〇
自分はさっきから「もう一人の女」に特別の注意を払っていた。それには三沢の様子や態度が有力な原因となって働いていたに違いないが、単独にいっても、彼女は自分の視線を引き着けるに足るほどな好《い》い器量を有《も》っていたのである。自分は彼女と三沢の細君になるべき人との後ろ姿を、舞楽の相間相間に絶えず眺《なが》めた。彼らは自分の坐《すわ》っているところから、ことさらな方向に眸子《ひとみ》を転ずることなしに、しぜんと見られるように都合の好い地位に坐っていた。
こうして首筋ばかり眺めていた自分は今比較的自由な場所に立って、彼らの顔立ちを筋違《すじかい》に見はじめた。あるいは正面に動く機会が来るかもしれないと思った時、自分はチョコレートを頬《ほお》張《ば》りながら、暗にその瞬間を捉《とら》える注意を怠らなかった。けれどもその女も三沢の意中の人も、ついにこっちを向かなかった。自分はただ彼らの容《よう》貌《ぼう》を三分の二だけ側面から遠くに望んだ。
そのうち三沢はまた盆を持ってこちらへ帰ってきた。自分の傍《そば》を通る時、彼は微笑しながら、「どうだい」と言った。自分はただ「御苦労さま」と挨《あい》拶《さつ》した。あとから例の背《せい》の高い兄《にい》さんが遣《や》ってきた。
「どうです、あちらへ入らしって煙草《たばこ》でもお呑《の》みになっちゃ。喫煙室はあすこの突当たりです」
自分と三沢とのあいだに緒《いと》口《ぐち》の付き掛けた談話はこれでまた流れてしまった。二人は彼に導かれて喫煙室にはいった。煙と男子に占領された比較的狭いその室《へや》は思ったより賑《にぎ》やかであった。
自分はその一《ひと》隅《すみ》にただ一人の知った顔を見《み》出《いだ》した。それは伶《れい》人《じん*》の姓を有った目の大きい男であった。ある協会の主要な一員として、舞台の上で巧みにその大きな目を利用する男であった。彼は台詞《せりふ》を使う時のような深い声で、誰《だれ》かと話していたが、ほとんど自分たちと入れ代りぐらいに、喫煙室を出ていった。
「とうとう役者になったんだそうだ」
「儲《もう》かるのかね」
「ええ儲かるんだろう」
「このあいだなんとかを遣《や》る《*》ということが新聞に出ていたが、あの人なんですか」
「ええそうだそうです」
彼の去ったあとで、室の中央にいた三人の男はこんな話をしていた。三沢の知人は自分たちにその三人の名を教えてくれた。そのうちの二人は公爵で、一人は伯爵であった。そうして三人が三人とも公《く》卿《げ》出《で》の華族であった。彼らの会話から察すると、三人ながらほとんど劇という芸術に対してなんの知識も興味も有っていないようであった。
我々はまた元の席に帰って二、三番の欧《おう》州《しゆう》楽《がく*》を聞いたあと、ようやく五時ごろになって雅楽所を出た。周囲に人がいなくなった時、三沢はようやく「もう一人の女」のことについて語りはじめた。彼の考えは自分が最初から推察したとおりであった。
「どうだい、気に入らないかね」
「顔は好《い》いね」
「顔だけかい」
「あとは分《わか》らないが、しかし少し旧式じゃないか。なんでも遠慮さえすればそれが礼儀だと思ってるようだね」
「家庭が家庭だからな。しかしああいうのが間違いがないんだよ」
二人は土手《*》に沿うて歩いた。土手の上の松が雨を含んで蒼《あお》黒《ぐろ》く空に映った。
二一
自分は三沢と飽かず女の話をした。彼の娶《めと》るべき人は宮内省に関係のある役人の娘であった。その伴《つ》侶《れ》は彼女と仲の好《い》い友《とも》達《だち》であった。三沢は彼女と打合わせをして、とくに自分のためにその人を誘い出したのであった。自分はその人の家族やら地位やら教育やらについて得らるるかぎりの知識を彼から供給してもらった。
自分は本末を顛《てん》倒《とう》した。雅楽所で三沢に会うまでは、Hさんと兄とがこの夏いっしょにするという旅行の件を、その日の問題として暗に胸のうちに畳《たた》み込んでいた。雅楽所を出る時は、それがほんの付けたりになってしまった。自分はいよいよ彼に別れる間《ま》際《ぎわ》になって、はじめて四つ角《かど》の隅《すみ》に立った。
「兄のことも今日《きよう》君に会ったらよく聞こうと思っていたんだが、いよいよHさんの言うとおりになったんだね」
「Hさんはわざわざ僕を呼び寄せてそう言ったくらいなんだから間違いはないさ。大丈夫だよ」
「どこへ行くんだろう」
「そりゃあ知らない。――どこだって好いじゃないか、行きさえすりあ」
遠くから見ている三沢の目には、兄の運命が最初からそれほどの問題になっていなかった。
「それより片っ方のほうを積極的にどしどし進行させようじゃないか」
自分は一人下宿へ帰る途《みち》々《みち》、やはり兄と嫂《あによめ》のことを考えないわけにゆかなかった。しかしその日会った女のこともあるいは彼ら以上に考えたかもしれない。自分は彼女と一言も口を交えなかった。自分はついに彼女の声を聞き得なかった。三沢は自然が二人を視線の通う一室に会合させたという事実以外に、わざとらしい痕《こん》迹《せき》を見せるのは厭《いや》だと言って、紹介もなにもしなかった。彼はそう言ってあとから自分に断わった。彼の遣《や》り口は、彼女にとっても自分にとっても、面倒や迷惑の起こり得ないほど単簡で淡泊なものであった。しかしそれだから物足りなかった。自分はもう少しなんとかしてもらいたかった。「しかし君の意志が解《わか》らなかったから」と三沢は弁解した。そう言われてみると、そうでもあった。自分はあれ以上、女を目掛けて進んでゆく考えはなかったのだから。
それから二、三日は女の顔を時々頭の中で見た。しかしそれがために、また会いたいの焦慮《あせ》るのという熱は起こらなかった。その当日のぱっとした色彩が剥《は》げてゆくにつれて、番町のほうが依然として重要な問題になってきた。自分はなまじい遠くから女の匂《にお》いを嗅《か》いだ反動として、かえってじじむさくなった。事務所の往復に、ざらざらした頬《ほお》を撫《な》でてみて、手もなく電車に乗った貉《むじな》のようなものだと悲観したりした。
一週間ほど経《た》って母から電話がかかった。彼女は電話口へ出て、昨日《きのう》Hさんが遊びに来たことを告げた。嫂が風邪《かぜ》気《け》なので、彼女が代理として餐応《もてなし》の席に出たら、Hさんが兄といっしょに旅行する話を始めたと告げた。彼女は喜ばしそうな調子で、自分に礼を述べた。父からも宜《よろ》しくとのことであった。自分は「いい案《あん》排《ばい*》でした」と答えた。
自分はその晩いろいろ考えた。自分は旅行が兄のために有利であると認めたから、Hさんを煩わして、これだけの手続きを運んだのであるが、真底を自白すると、自分の最も苦に病んでいるのは、兄の自分に対する思わくであった。彼は自分をどう見ているだろうか。どのくらいの程度に自分を憎んでいるだろう、また疑《うたぐ》っているだろう。そこがいちばん知りたかった。したがって自分の気になるのは未来の兄であると同時に現在の兄であった。久しく彼と会見の路《みち》を絶たれた自分は、その現在の兄に関する直接の知識をほとんど有《も》たなかった。
二二
自分は旅行に出るまえのHさんに一応会っておく必要を感じた。こっちで頼んだことを順に運んでくれた好意に対して、礼を言わなければ済まない義理も控えていた。
自分は事務所の帰り掛けにまた彼の玄関に立って名刺を出した。取次ぎが奥へはいったかと思うと、彼は例のむくむくした丸い体躯《からだ》を、自分の前に運んできた。
「実は今あしたの講義で苦しんでいるところなんですがね。もし急用でなければ、今日《きよう》は御免を蒙《こうむ》りたい」
学者の生活に気の付かなかった自分は、Hさんのこの言葉で、急に兄の日常を想《おも》い起こした。彼らの書斎に立て籠るのは、必ずしも家庭や社会に対する謀《む》反《ほん》とも限らなかった。自分はHさんに都合の好《い》い日を聞いて、また出直すことにした。
「じゃお気の毒だが、そうしてください。なるべく早く講義を切り上げて、兄《にい》さんといっしょに旅行しようという訳なんだからね」
自分はHさんの前に丁寧な頭を下げなければならなかった。
彼の家を再度訪問《おとず》れたのは、それからまた二、三日経《た》った梅雨《つゆ》晴《ば》れの夕方であった。肥《ふと》った彼は暑いと言って浴衣《ゆかた》の胸を胃の上部まで開《あ》け放って坐《すわ》っていた。
「さあどこへ行くかね。まだ海とも山とも極《き》めていないんだが」
Hさんだけあって行くさきなどはとんと苦にしていないらしかった。自分もそれには無《む》頓《とん》着《じやく》であった。けれども……。
「少しそれについてお願いがあるんですが」
家庭の事情の一般は、このあいだ三沢と来た時、すでにHさんの耳に入れてしまった。しかし兄と自分とのあいだに横たわる一種特別な関係については、まだ一言も彼に告げていなかった。しかしそれはいつまで経ってもHさんの前で自分から打ち明けるべき性質のものでないと自分は考えていた。親しい三沢の知識ですら、そこになるとほとんど臆《おく》測《そく》にすぎなかった。Hさんは三沢からその臆測の知識を間接に受けているかもしれなかったけれども、こっちから露骨に切り出さない以上、その信偽《*》も程度も、まるで確かめるわけにいかなかった。
自分は兄から今どう見られているか、どう思われているか、それが知りたくって仕方がなかった。それを知るために、この際Hさんの助けを借りようとすれば、いきおい万事を彼の前に投げ出して見せなければならなかった。自分が三沢に何事も言わずに、あたかも彼を出し抜いたような態度で、たった一人こうしてHさんを訪問するのも、実はその用事の真相をなるべく他《ひと》に知らせたくないからであった。しかし三沢に対してさえ、良心に気兼ねをするような用事の真相なら、それをHさんの前で言われるはずがなかった。
自分は已《や》むを得ず特殊《スペシヤル》な問題を一般的《ジエネラル》に崩《くず》してしまった。
「はなはだ御迷惑かもしれませんが、兄といっしょに旅行されるあいだ、兄の挙動なり言語なり、思想なり感情なりについて、貴方《あなた》の御観察になったところを、できるだけ詳しく書いて報知していただくわけにはゆきますまいか。その辺が明《めい》瞭《りよう》になると、宅《うち》でも兄の取扱い上たいへん便宜を得《う》るだろうと思うんですが」
「そうさね。絶対にできないこともないが、ちっとむずかしそうですね。だいち時間がないじゃないか、君、そんなことをする。よし時間があっても、必要がないだろう。それより僕らが旅行から帰ったらゆっくり聞きに来たら好《い》いじゃありませんか」
二三
Hさんの言うところはもっともであった。自分は下を向いてしばらく黙っていたが、とうとう嘘《うそ》を吐《つ》いた。
「実は父や母が心配して、できるなら旅行中の模様を、経過の一段落ごとに承知したいと言うんですが………」
自分は困った顔をした。Hさんは笑いだした。
「君そんなに心配することはありませんよ。大丈夫だよ、僕が受け合うよ」
「しかし年寄りですから……」
「困るね、それじゃ。だから年寄りは嫌《きら》いなんだ。宅《うち》へ行ってそう言いたまえな、大丈夫だって」
「なんとか好《い》い工夫はないもんでしょうか。貴方《あなた》の御迷惑にならないで、そうして、父や母を満足させるような」
Hさんはまたにやにや笑っていた。
「そんな重《ちよう》宝《ほう》な工夫があるものかね、君。――しかしせっかくの御依頼だからこうしよう。もし旅先で報道するに足るようなことが起こったら、君のところへ手紙を上げると。もし手紙が行かなかったら、平生のとおりだと思って安心していると。それで可《よ》かろう」
自分はこれより以上Hさんに望むことはできなかった。
「それで結構です。しかし出来事という意味を俗にいう不慮の出来事と取らずに、貴方が御観察になる兄の感情なり思想のうちで、これは尋常でないとお気付きになったものに応用していただけましょうか」
「なかなか面倒だね、事が。しかしまあ宜《い》いや、そう為《し》てもいい」
「それからことによると、僕のことだの母のことだの、家庭のことなどが兄の口に上るかもしれませんが、それを御遠慮なく一々聞かしていただきたいと思いますが」
「うん、そりゃ差《さし》支《つか》えないかぎり知らせてあげましょう」
「差支えがあっても構わないから聞かしていただきたい。それでないと宅《うち》のものが困りますから」
Hさんは黙って煙草《たばこ》を吹かしだした。自分は弱輩のくせに多少言いすぎたことに気が付いた。手《て》持《も》ち無《ぶ》沙《さ》汰《た》の感じが強く頭に上った。Hさんは庭の方を見ていた。その隅《すみ》に秋田から家《や》主《ぬし》が持って来て植えたという大きな蕗《ふき》が五、六本あった。雨上がりの初夏の空がいつまでも明るい光を地の上に投げているので、その太い蕗の茎がすいすいと薄暗いなかに青く描かれていた。
「あすこへ大きな蟇《がま》が出るんですよ」とHさんが言った。
しばらく世間話をしたあとで、自分は暗くならないうちに席を立とうとした。
「君の縁談はどうなりました。このあいだ三沢が来て、好《い》いのを見付けてやったって得意になっていましたよ」
「ええ三沢もずいぶん世話好きですから」
「ところがまんざら世話好きばかりで遣《や》ってるんでもないようですよ。だから君も好い加減に貰《もら》っちまったら好いじゃありませんか。器量は悪かないって話じゃないか。君には気に入らんのかね」
「気に入らんのじゃありません」
Hさんは「はあやっぱり気に入ったのかい」と言って笑いだした。自分はHさんの門を出て、あのことを早くどうかしなければ、三沢に対して義理が悪いと考えた。しかし兄の問題が一段落でも片付いてくれない以上、とうていそっちへ向ける心の余裕は出なかった。いっそ一思いにあの女のほうから惚《ほ》れ込んでくれたならなどと思ってもみた。
二四
自分はまた三沢を尋ねた。けれども腹を極《き》めてから尋ねたわけでないから、実際上どんな歩調も前に動かす気にはなれなかった。自分の態度はどこまでもぐずぐずであった。そうしてただ漫然とその女の話をした。
「どうするね」
こう聞かれると、結局要領を得たなんの挨《あい》拶《さつ》もできなかった。
「僕は職業のうえではふわふわして浪人のように暮らしているが、家庭の人としてなら、これでも一定の方針に支配されて、着々固まってゆきつつあるつもりだ。ところが君はまるで反対だね。一家の主人となるとか、他《ひと》の夫になるとかいう方面には、故意に意志の働きを鈍らせるくせに、職業の問題になると、手っ取り早く片付けて、ちゃんと落ち付いているんだから」
「あんまり落ち付いてもいないさ」
自分は大阪の岡田から受け取った手紙の中に、相応な位地があちらにあるから来ないかという勧誘があったので、ことによったら今の事務所を飛び出そうかと考えていた。
「ついこのあいだまでは洋行するってしきりに騒いでいたじゃないか」
三沢は自分の矛盾を追窮した。自分には西洋も大阪も変化としてこの際たいした相違もなかった。
「そう万事的《あて》にならなくっちゃ駄《だ》目《め》だ。僕だけ君の結婚問題を真《ま》面《じ》目《め》に考えるのは馬《ば》鹿《か》馬《ば》鹿《か》しいわけだ。断わっちまおう」
三沢はだいぶ癪《しやく》に障《さわ》ったらしくみえた。自分はまた自分が癪に障ってならなかった。
「いったい先方ではどういうんだ。君は僕ばかり責めるがね、僕には向こうの意志が少しも解《わか》らないじゃないか」
「解るはずがないよ。まだなんにも話してないんだもの」
三沢は少し激していた。そうして激するのがもっともであった。彼は女の父兄にも女自身にも、自分のことをまだ一口も告げていなかった。どう間違っても彼らの体面に障りようのない事情の下《もと》に、女と自分をお互いの視線の通う範囲内に置いただけであった。彼の処置には少しも人工的な痕《こん》迹《せき》を留《とど》めない、ほとんど自然そのままの利用にすぎないというのが彼の大いなる誇りであった。
「君の考えが纏《まとま》らない以上はどうすることもできないよ」
「じゃもう少し考えてみよう」
三沢は焦慮《じれ》ったそうであった。自分も自分が不愉快であった。
Hさんと兄がいっしょの汽車で東京を去ったのは、自分が三沢のところへ出掛けてから、一週間と経《た》たないうちであった。自分は彼の立つ時刻も日限も知らずにいた。三沢からもHさんからもなんの通知を受け取らなかった自分は、家《うち》からの電話ではじめてそれを聞いた。その時電話口へは思い掛けなく嫂《あによめ》が出てきた。
「兄《にい》さんは今朝《けさ》お立ちよ。お父《とう》さんが貴方《あなた》へ知らせておけと仰《おつ》しゃるから、ちょっとお呼び申しました」
嫂の言葉は少し改まっていた。
「Hさんといっしょなんでしょうね」
「ええ」
「どこへ行ったんですか」
「なんでも伊《い》豆《ず》の海岸を回るとかいうお話でした」
「じゃ船ですか」
「いいえやっぱり新橋から……」
二五
その日自分は下宿へ帰らずに、事務所からすぐ番町へ回った。昨日《きのう》まで恐れて近寄らなかったのに、兄の出立と聞くやいなや、すぐそちらへ足を向けるのだから、自分の行為はあまりに現金すぎた。けれども自分はそれを隠す気もなかった。隠さなければ済まない人は、宅《うち》に一人もないように思われた。
茶の間には嫂《あによめ》が雑誌の口絵を見ていた。
「今朝《けさ》ほどは失礼」
「おやびっくりしたわ、誰《だれ》かと思ったら、二郎さん。今京橋からお帰り?」
「ええ、暑くなりましたね」
自分は手帛《ハンケチ》を出して顔を拭《ふ》いた。それから上着を脱いで畳の上へ放り出した。嫂は団扇《うちわ》を取ってくれた。
「お父《とう》さんは?」
「お父さんはお留《る》守《す》よ。今日《きよう》は築《つき》地《じ》でなにかあるんですって」
「精養軒?」
「じゃないでしょう。たぶんほかのお茶屋だと思うんだけれども」
「お母《かあ》さんは?」
「お母さんは今お風《ふ》呂《ろ》」
「お重は?」
「お重さんも……」
嫂はとうとう笑い掛けた。
「風呂ですか」
「いいえ、いないの」
下女が来て氷の中へ苺《いちご》を入れるかレモンを入れるかと尋ねた。
「宅《うち》じゃもう氷を取るんですか」
「ええ二《に》、三日《さんち》まえから冷蔵庫を使っているのよ」
気のせいか嫂はこのまえ見た時よりも少し窶《やつ》れていた。頬《ほお》の肉がこころもち減ったらしかった。それが夕方の光線の具合で、顔を動かす時に、ちらりちらりと自分の目を掠《かす》めた。彼女は左の頬を縁側に向けて坐《すわ》っていたのである。
「兄《にい》さんはそれでもよく思い切って旅に出掛けましたね。僕はことによると今《こん》度《だ》もまた延ばすかもしれないと思ってたんだが」
「延ばしゃなさらないわよ」
嫂はこういう時に下を向いた。そうしていつもよりもいっそう落ち付いた沈んだ低い声を出した。
「そりゃ兄さんは義理堅いから、Hさんと約束した以上、それを実行するつもりだったには違いないけれども……」
「そんな意味じゃないのよ。そんな意味じゃなくって、そうして延ばさないのよ」
自分はぽかんとして彼女の顔を見た。
「じゃどんな意味で延ばさないんです」
「どんな意味って、――解《わか》ってるじゃありませんか」
自分には解らなかった。
「僕には解らない」
「兄さんは妾《あたし》に愛《あい》想《そ》を尽かしているのよ」
「愛想づかしに旅行したというんですか」
「いいえ、愛想を尽かしてしまったから、それで旅行に出掛けたというのよ。つまり妾を妻と思っていらっしゃらないのよ」
「だから……」
「だから妾のことなんかどうでも構わないのよ。だから旅に出掛けたのよ」
嫂はこれで黙ってしまった。自分もなんとも言わなかった。そこへ母が風呂から上がってきた。
「おやいつ来たの」
母は二人坐っているところを見て厭《いや》な顔をした。
二六
「もう好《い》い加《か》減《げん》に芳江を起こさないとまた晩に寐《ね》ないで困るよ」
嫂《あによめ》は黙って起《た》った。
「起きたらすぐ湯に入れておやんなさいよ」
「ええ」
彼女の後ろ姿は廊下を曲がって消えた。
「芳江は昼《ひる》寐《ね》ですか、どうれで静かだと思った」
「さっきなんだか拗《す》ねて泣いてたら、それっきり寐ちまったんだよ。なんぼなんでも、もう五時だから、好い加減に起こしてやらなくっちゃ……」
母は不平らしい顔をしていた。
自分はその日珍しく宅《うち》の食卓に向かって、晩《ばん》餐《さん》の箸《はし》を取った。築地の料理屋か待合へ呼ばれたという父は、むろん帰らなかったけれども、お重は予定どおり戻《もど》ってきた。
「おい早く来て坐《すわ》らないか。みんなお前の湯から上がるのを待ってたんだ」
お重は縁側へぺたりと尻《しり》を着けて団扇《うちわ》で浴衣《ゆかた》の胸へ風を入れていた。
「そんなに急《せ》き立てなくたって可《よ》かないの。たまに来たお客さまのくせに」
お重はつんとしてわざと鼻の先の八つ手の方を向いていた。母はまた始まったという笑いの裡《うち》に自分を見た。自分はまた調戯《からか》いたくなった。
「お客さまだと思うなら、そんな大きなお尻《しり》を向けないで、早くここへ来てお坐りよ」
「蒼蠅《うるさ》いわよ」
「いったいこの暑いのに、一人でどこをほっつき歩いてたんだい」
「どこでもよけいなお世話よ。ほっつき歩くだなんて、第一《だいち》言葉使いからして貴方《あなた》は下品よ。――好《い》いわ、今日《きよう》坂田さんのところへ行って、兄《にい》さんの秘密をすっかり聞いてきたから」
お重は兄のことを大《おお》兄《にい》さん、自分のことをただ兄さんと呼んでいた。はじめはちい兄さんと言ったのだが、そのちいを聞くたびに妙な不快を感ずるので、自分はとうとうちいだけを取らしてしまった。
「好くってみんなに話しても」
お重は湯で火照《ほて》った顔をぐるりと自分の方に向けた。
自分は瞬《またたき》を二つ続けざまにした。
「だってお前は今兄さんの秘密だと明言したじゃないか」
「ええ秘密よ」
「秘密なら話して可《よ》くないに極《きま》ってるじゃないか」
「それを話すから面《おも》白《しろ》いのよ」
自分はお重の無鉄砲が、なにを言い出すか分《わか》らないと思って腹の中では辟《へき》易《えき》した。
「お重お前は論理学でいうコントラジクション・イン・タームス《*》、ということを知らないだろう」
「可《よ》くってよ。そんな高慢ちきな英語なんか使って、他《ひと》が知らないと思って」
「もう二人とも止《よ》しにお為《し》よ。なんだね面白くもない、十五、六の子供じゃあるまいし」
母はとうとう二人を窘《たしな》めた。自分もそれを好《よ》い機《しお》にすぐ舌戦を切り上げた。お重も団扇を縁側へ投げ出して大人《おとな》しく食卓に着いた。
局面が一転したあとなので、秘密らしい秘密は、食事中ついにお重の口から洩《も》れる機会がなかった。母も嫂もまるでそれには取り合う気《け》色《しき》を見せなかった。平《へい》吉《きち》という男が裏から出てきて、庭に水を打った。「まだそう燥《かわ》いていないんだから、好い加減にしておおき」と母が言っていた。
二七
その晩番町を出たのは燈火《あかり》が点《つ》いてまだ間もない宵《よい》の口であった。それでも飯を済ましてから約一時間半ほどは、そこへ坐《すわ》り込んだまま、みんなを相手に喋舌《しやべ》っていた。
自分はその一時間半のあいだに、とうとうお重から例の秘密をあばかれる羽《は》目《め》に陥った。しかしそれが自分にとっては、秘密でもなんでもない例の結婚問題だったので、自分はかえって安心した。
「お母《かあ》さん、兄《にい》さんは妾《あたし》たちに隠れてこのあいだ見合いをなすったんですって」
「隠れて見合いなんかするものか」
自分は母がまだなんとも言わないうちにお重の言葉を遮《さえぎ》った。
「いいえたしかな筋からちゃんと聞いてきたんだから、いくら白ばっくれてももう駄《だ》目《め》よ」
たしかな筋というような一種の言葉が、お重の口から出るのを聞いたとき、自分は思わず苦笑した。
「馬《ば》鹿《か》だなお前は」
「馬鹿でも可《い》いわよ」
お重は六月二日《ふつか》の出来事を母や嫂《あによめ》に向かってべらべら喋舌《しやべ》りだした。それがなかなか精《くわ》しいので自分は少し驚いた。どこからその知識を得てきたのだろうという好奇心が強く自分の反問を促した。けれどもお重はただ意地の悪い微笑を洩《もら》すのみで、決して出所を告げなかった。
「兄さんが妾たちに黙っているのは、きっと打ち明けて言いにくい訳があるからなのよ。ね、そうでしょう、兄さん」
お重は自分の好奇心を満足させないのみか、かえって向こうからこっちを嬲《なぶ》りにかかった。自分は「どうでも好《い》いや」と言った。母から真《ま》面《じ》目《め》に事の顛《てん》末《まつ》を聞かれた時、自分は簡単にありのままを答えた。
「ただそれだけのことなんです。しかも向こうじゃまったく知らないんだからそのつもりでいてください。お重みたいに好《い》い加《か》減《げん》なことを言い触らすと、僕はどうでも構わんにしたところで、先方が迷惑するかもしれませんから」
母は先方が迷惑がるはずがないという顔付で、むやみに細かい質問を始めた。しかし財産がどのくらいあるんだろうとか、親類に貧乏人があるだろうかとか、あるいは悪い病気の系統を引いていやしなかろうかというようなことになると、自分にはまるで答えられなかった。のみならずしまいには聞くのさえ面倒で厭《いや》になってきた。自分はとうとう逃げ出すようにして番町を出た。
自分がその夜母からいろいろな質問を掛けられているあいだ、嫂《あによめ》は始終同じ席にいたが、この問題に関してはほとんど一言も口を開かなかった。母も彼女に向かってついぞ相談がましい言葉を掛けなかった。二人のこの態度が、二人の気質をよく代表していた。しかしそれは単に気質の相違からばかり来た一種の対照とも思えなかった。嫂はまったくの局外者らしい位地を守るためかなんだか、始終芳江のおもりに気を取られがちに見えた。日が暮れさえすればすぐ寐《ね》かされる習慣の芳江は、昼寐を貪《むさぼ》りすぎた結果として、その晩はとうとう自分が帰るまで蚊《か》帳《や》の中へはいらなかった。
自分は下宿へ帰って、自分の室《へや》の暑苦しいのを意外に感じた。わざと電気燈を消して暗い所に黙って坐っていた。今朝《けさ》立った兄は今日《きよう》どこで泊まるだろう。Hさんは今夜彼とどんな話をするだろう。鷹《おう》揚《よう》なHさんの顔がしぜんと目の前に浮かんだ。それとともに瘠《や》せた兄の頬《ほお》に刻まれた久しぶりの笑いが見えた。
二八
その翌《あくる》日《ひ》からHさんの手紙が心待ちに待ち受けられた。自分は一日《いちんち》、二日《ふつか》、三日と指を折って日取りを勘定しはじめた。けれどもHさんからはなんの音信《たより》もなかった。絵《え》端《は》書《がき》一枚さえ来なかった。自分は失望した。Hさんに責任を忘れるような軽薄はなかった。しかしこちらの予期どおりに律《りち》義《ぎ》にそれを果たしてくれないほどの大《たい》悠《ゆう》はあった。自分は自《じ》烈《れつ》たい部に属する人間の一人として遠くから彼を眺《なが》めた。
すると二人が立ってからちょうど十一日目の晩に、重い封書がはじめて自分の手に落ちた。Hさんは罫《けい》の細かい西洋紙へ、万《まん》年《ねん》筆《ふで》で一面になにか書いてきた。頁《ページ》の数からいっても、二時間や三時間でできる仕事ではなかった。自分は机の前に縛《くく》り付けられた人形のような姿勢で、それを読みはじめた。自分の目には、この小さな黒い字の一点一画も読み落とすまいという決心が、炎のごとく輝いた。自分の心は頁の上に釘《くぎ》付《づ》けにされた。しかも雪を行く橇《そり》のように、その上を滑《すべ》っていった。要するに自分はHさんの手紙の最初の頁の第一行から読みはじめて、最後の頁の最終文句に至るまでに、どのくらいの時間が要ったかまるで知らなかった。
手紙は下《しも》のように書いてあった。
「長野君を誘って旅へ出るとき、あなたから頼まれたことを、いったん引き受けるには引き受けたが、いざとなってみると、とても実行はできまい、またできてもする必要があるまい、もしくは必要と不必要にかかわらず、するのは好もしいことでなかろう、――こういう考えでいました。旅行を始めてから一日二日は、この三つの事情のすべてかあるいはいくぶんかが常に働くので、これではせっかくの約束も反古《ほご》にしなければならないという気が強く募りました。それが三日四日となった時、少し考えさせられました。五日《いつか》六日《むいか》と日を重ねるにしたがって、考えるばかりでなく、約束どおりあなたに手紙を上げるのが、あるいは必要かもしれないと思うようになりました。もっともここにいう必要という意味が、あなたと私《わたくし》とで、だいぶ違うかもしれませんが、それはこの手紙をしまいまでお読みになれば解《わか》ることですから、説明はしません。それから当初私の抱《いだ》いた好もしくないという倫理上の感じ、これはいくら日数を経過しても取り去るわけにはゆきませんが、片方にある必要の度が、しぜんそれを抑《おさ》え付けるほど強くなってきたこともまた確かであります。恐らく手紙を書いている暇があるまい。――この故障だけははじめあなたに申し上げたとおりどこまでも付け纏って離れませんでした。我々二人はいっしょの室《へや》に寐《ね》ます、いっしょの室で飯を食います、散歩に出る時もいっしょです、湯も風《ふ》呂《ろ》場《ば》の構造が許すかぎりは、いっしょにはいります。こう数え立ててみると、別々に行動するのは、まあ厠《かわや》に上る時ぐらいなものなのですから。
むろん我々二人は朝から晩までのべつに喋舌《しやべ》り続けているわけではありません。お互いがかってな書物を手にしている時もあります、黙って寝《ね》転《ころ》んでいることもあります。しかし現にその人のいる前で、その人のことを知らん顔で書いて、そうしてそれをそっと他《ひと》に知らせるのはちょっと私にとってはできにくいのです。書くべき必要を認めだした私も、これには弱りました。いくら書く機会を見付けよう見付けようと思っても、そんな機会の出てくるはずがないのですから。しかし偶然はついに私の手を導いて、私に私の必要と認める仕事をさせるようにしてくれました。私はそれほど兄《にい》さんに気兼ねをせずに、この手紙を書きはじめました。そうして同じ状態の下に、それを書き終《お》わることを希望します。
二九
我々は二、三日まえからこの紅《べに》が谷《やつ*》の奥に来て、疲れた身体《からだ》を谷と谷の間に放り出しました。いる所は私の親《しん》戚《せき》の有《も》っている小さい別荘です。所有主は八月にならないと東京を離れることがむずかしいので、そのまえならいつでも君方に用立てて宜《よろ》しいと言った言葉を、はからず旅行中に利用するわけになったのであります。
別荘というとたいへん人聞きが好《い》いようですが、その実ははなはだ見苦しい手狭なもので、構えからいうと、ちょうど東京の場末にある四、五十円の安官吏の住居《すまい》です。しかし田舎《いなか》だけに邸内の地面には多少の余裕があります。庭だか菜園だか分《わか》らないものが、軒から爪《つま》下《さ》がりに向こうの垣《かき》根《ね》まで続いています。その垣には珊《さん》瑚《ご》樹《じゆ》の実が一面に結《な》っていて、葉越しに隣の藁《わら》屋《や》根《ね》が四半分ほど見えます。
同じ軒の下から谷を隔てて向こうの山も手に取るように見えます。この山全体がある伯爵の別荘地で、時には浴衣の色が樹の間から見えたり、女の声が崖《がけ》の上で響いたりします。その崖の頂には高い松が空を突くように聳《そび》えています。我々は低い軒の下から朝夕この松を見上げるのを、高《こう》尚《しよう》な課業のように心得て暮らしています。
今まで通ってきたうちで、君の兄《にい》さんにはここがいちばん気に入ったようです。それにはいろいろな意味があるかもしれませんが、二人ぎりで独立した一軒の家の主人《あるじ》になり済まされたという気分が、人慣れない兄さんの胸に一種の落ち付きを与えるのが、その大原因だろうと思います。今までどこへ泊まってもよく寐《ね》られなかった兄さんは、ここへ来た晩からよく寐ます。現に今私がこうやって万《まん》年《ねん》筆《ふで》を走らしているあいだも、ぐうぐう寐ています。
もう一つここへ来てから偶然の恩恵に浴したと思うのは、普通の宿屋のように二人が始終膝《ひざ》を突き合わして、一つ部《へ》屋《や》にごろごろしていないで済むことです。家は今申したとおり手狭至《し》極《ごく》なものであります。門を出て右の坂上にある、ある長者の拵《こしら》えた西洋館などに比べるとまったくの燐寸《マツチ》箱《ばこ》にすぎません。それでも垣を囲《めぐ》らして四方から切り離した独立の一軒家です。窮屈ではあるが間数は五つほどあります。兄さんと私は一つ座敷に吊《つ》った一つ蚊《か》帳《や》の中に寐ます。しかし宿屋と違って同じ時間に起きる必要はありません。片方が起きても、片方は寐たいだけ寐ていられます。私は兄さんをそっとしておいて、次の座敷に据《す》えてある一《いつ》閑《かん》張《ば》り《*》の机に向かうことができます。昼もそのとおりです。二人差向かいでいるのが苦痛になれば、どっちかがかってに姿を隠して、自分に都合のいいことを、好きな時間だけやります。それから適当なころにまた出てきて顔を見せます。
私はこういう偶然を利用してこの手紙を書くのであります。そうしてこの偶然を思い掛けなく利用することのできた自分を、あなたのために仕合わせと考えます。同時に、それを利用する必要を認めだした自分を、自分のために遺憾だと思います。
私のいうことは順序からいうと日記体に纏《まとま》っておりません。分類からいうと科学的に区別が立たないかもしれません。しかしそれは汽車、俥《くるま》、宿、すべて規則的な仕事を妨げる旅行というものの障害と、平気で取り掛かりにくいというその仕事の性質とが、破壊的に働いた結果と思っていただくより仕方がありません。断片的にせよ下《しも》に述べるだけのことを貴方《あなた》に報道し得《う》るのがすでに私には意外なのであります。まったく偶然のお蔭《かげ》なのであります。
三〇
我々は二人ともたいした旅《りよ》行《こう》癖《へき》のない男です。したがって我々の編み上げた旅程もまた経験相応に平凡でした。近くて便利な所を人並みに回って歩けば、それで目的の大半は達せられるぐらいな考えで、まず相模《さがみ》伊《い》豆《ず》辺《あたり》をぼんやり心掛けました。
それでも私のほうが兄《にい》さんよりはまだ増しでした。私は主要な場所と、そこへ行くべき交通機関とをほぼ承知していましたが、兄さんにいたってはほとんど地理や方角を超越していました。兄さんは国府津《こうづ》が小《お》田《だ》原《わら》の手前か先か知りませんでした。知らないというよりむしろ構わないのでしょう。これほど一方に無《む》頓《とん》着《じやく》な兄さんが、なぜ人事上のあらゆる方面に、同じ平然たる態度を見せることができないのかと思うと、私は実際不思議な感に打たれざるを得ません。しかしそれは余事です。話が逸《そ》れると戻《もど》りにくくなりますから、なるべく本流を伝って、筋を離れないように進むことにしましょう。
我々ははじめ逗子を基点として出発することに相談を極《き》めていました。ところがその朝新橋へ駆け付ける俥の上で、ふと私の考えが変わりました。いかに平凡な旅行にしても、真《まつ》先《さき》に逗子へ行くのは、あまりに平凡すぎて気が進まなくなったのです。私は停車場《ステーシヨン》で兄さんに相談の仕直しを遣《や》りました。私は行程を逆にして、まず沼津から修善寺へ出て、それから山越しに伊東の方へ下《お》りようと言いました。小田原と国府津のあと先さえ知らない兄さんに異存のあるはずがないので、我々はすぐ沼津までの切符を買って、そのまま東海道行の汽車に乗り込みました。
汽車中では報知に値するようなことが別に起こりませんでした。先方へ着いても、風《ふ》呂《ろ》へ入《はい》ったり、飯を食ったり、茶を飲んだりするあいだは、これといって目に着く点もなかったのです。私は兄さんについて、これはことによると家族の人の参考のために、知らせておく必要があるかもしれないと思いだしたのは、その日の晩になってからであります。
寐《ね》るには早すぎました。話にはもう飽きました。私は旅行中に誰《だれ》でも経験する一種の徒然に襲われました。ふと床の間の脇《わき》を見ると、そこに重そうな碁盤が一面あったので、私はすぐそれを室《へや》の真《まん》中《なか》へ持ち出しました。むろん兄さんを相手に黒《こく》白《びやく》を争うつもりでした。貴方《あなた》は御存じだかどうだか知りませんが、私は学校にいた時分、これでよく兄さんと碁を打ったものです。その後二人とも申し合わせたように、ぴたりと已《や》めてしまいましたが、この場合、二人が持て余している時間を、面《おも》白《しろ》く過ごすには碁盤が屈強《*》の道具に違いなかったのです。
兄さんはしばらく碁盤を眺《なが》めていました。そうしておいて「まあ止《よ》そう」と言いました。私は思い込んだ勢いで、「そう言わずに遣《や》ろうじゃないか」と押し返しました。それでも兄さんは「いやいやまあ止そう」と言います。兄さんの顔を見ると、目と眉《まゆ》の間に変な表情がありました。それがなんの碁なんぞといったふうの軽《けい》蔑《べつ》または無頓着を示していないのですから、私はちょっと異な心持ちがしました。しかしむりに強《し》いるのも厭《いや》ですから、私はとうとう一人で碁石を取り上げて、黒と白を打っ手違い《*》に、盤の上に並べはじめました。兄さんは少しのあいだそれを見ていました。私がなお黙って打ち続けてゆきますと、兄さんは不意に座を立って廊下へ出ました。おおかた便所へでも行ったのだろうと思った私は、いっこう兄さんの挙動には注意を払いませんでした。
三一
案のとおり兄《にい》さんは時を移さず戻《もど》ってきました。そうしていきなり「遣《や》ろう」というやいなや、自分の手から、碁石を〓《も》ぎ取るように引《ひ》っ手《た》繰《く》りました。私はなんの気もつかずに、「よろしい」と答えて、すぐ打ちはじめました。我々のは申すまでもなくヘボ碁ですから、石を下すのも早いし、勝負の片付くのも雑《ぞう》作《さ》はありません。一時間のうちにゆうに二番ぐらいは始末ができるくらいだから、見ていても局に対《むか》っていても、間《ま》怠《だる》い思いは決してないのです。ところを兄さんは、その手早く運んでゆく碁面を、しまいまで辛抱して眺《なが》めているのは苦痛だと言って、とうとう中途で已《や》めてしまいました。私は心持ちでも悪くなったのかと思って心配しましたが、兄さんはただ微笑していました。
床に入《はい》るまえになって、私ははじめて兄さんからその時の心理状態の説明を聞きました。兄さんは碁を打つのはもとより、なにをするのも厭《いや》だったのだそうです。同時に、なにかしなくってはいられなかったのだそうです。この矛盾がすでに兄さんには苦痛なのでした。兄さんは碁を打ちだせば、きっと碁なんぞ打っていられないという気分に襲われると予知していたのです。けれどもまた打たずにはいられなくなったのです。それで已むを得ず盤に向かったのです。盤に向かうやいなや自《じ》烈《れつ》たくなったのです。しまいには盤面に散点する黒と白が、自分の頭を悩ますために、わざと続いたり離れたり、切れたり合ったりして見せる、怪物のように思われたのだそうです。兄さんはもうちっとで、盤面をめちゃめちゃに掻《か》き乱して、この魔物を追っ払うところだったと言いました。何事も知らなかった私は、少し驚きながらも悪いことをしたと思いました。
「いや碁に限ったわけじゃない」と言って兄さんは、自分の過失《あやまち》を許してくれました。私はその時兄さんから、兄さんの平生を聞きました。兄さんの態度は碁を中途で已めた時ですら落ち付いていました。上《うわ》部《べ》から見るとなんの異状もない兄さんの心持ちは、おそらくあなたがたには理解されていないかもしれません。少なくともこういう私には一つの発見でした。
兄さんは書物を読んでも、理屈を考えても、飯を食っても、散歩をしても、二六時中《*》なにをしても、そこに安住することができないのだそうです。なにをしても、こんなことをしてはいられないという気分に追い掛けられるのだそうです。
「自分のしていることが、自分の目的《エンド》になっていないほど苦しいことはない」と兄さんは言います。
「目的《エンド》でなくっても方便《ミインズ》になれば好《い》いじゃないか」と私が言います。
「それは結構である。ある目的《エンド》があればこそ、方便《ミインズ》が定められるのだから」と兄さんが答えます。
兄さんの苦しむのは、兄さんがなにをどうしても、それが目的《エンド》にならないばかりでなく、方便《ミインズ》にもならないと思うからです。ただ不安なのです。したがってじっとしていられないのです。兄さんは落ち付いて寐《ね》ていられないから起きると言います。起きると、ただ起きていられないから歩くと言います。歩くとただ歩いていられないから走《かけ》ると言います。すでに走《か》けだした以上、どこまで行っても止まれないと言います。止まれないばかりなら好いが刻一刻と速力を増してゆかなければならないと言います。その極端を想像すると恐ろしいと言います。冷《ひや》汗《あせ》が出るように恐ろしいと言います。怖《こわ》くて怖くて堪《たま》らないと言います。
三二
私《わたくし》は兄《にい》さんの説明を聞いて、驚きました。しかしそういう種類の不安を、生まれてからまだ一度も経験したことのない私には、理解があっても同情は伴いませんでした。私は頭痛を知らない人が、割れるような痛みを訴えられた時の気分で、兄さんの話に耳を傾けていました。私はしばらく考えました。考えているうちに、人間の運命というものが朧《おぼろ》気《げ》ながら目の前に浮かんできました。私は兄さんのために好《い》い慰謝を見《み》出《いだ》したと思いました。
「君のいうような不安は、人間全体の不安で、なにも君一人だけが苦しんでいるのじゃないと覚《さと》ればそれまでじゃないか。つまりそう流《る》転《てん》してゆくのが我々の運命なんだから」
私のこの言葉はぼんやりしているばかりでなく、すこぶる不快に生《なま》温《ぬる》いものでありました。鋭い兄さんの目から出る軽侮の一瞥《べつ》とともに葬られなければなりませんでした。兄さんはこう言うのです。
「人間の不安は科学の発展から来る。進んで止《とど》まることを知らない科学は、かつて我々に止まることを許してくれたことがない。徒歩から俥《くるま》、俥から馬車、馬車から汽車、汽車から自動車、それから航空船《*》、それから飛行機と、どこまで行っても休ませてくれない。どこまで伴《つ》れていかれるか分《わか》らない。実に恐ろしい」
「そりゃ恐ろしい」と私も言いました。
兄さんは笑いました。
「君の恐ろしいというのは、恐ろしいという言葉を使っても差《さし》支《つか》えないという意味だろう。実際恐ろしいんじゃないだろう。つまり頭の恐ろしさにすぎないんだろう。僕のは違う。僕のは心臓の恐ろしさだ。脈を打つ活《い》きた恐ろしさだ」
私は兄さんの言葉に一《いち》毫《ごう》も虚偽の分子の交じっていないことを保証します。しかし兄さんの恐ろしさを自分の舌で嘗《な》めてみることはとてもできません。
「すべての人の運命なら、君一人そう恐ろしがる必要がない」と私は言いました。
「必要がなくても事実がある」と兄さんは答えました。そのうえ下《しも》のようなことも言いました。
「人間全体が幾世紀かののちに到着すべき運命を、僕は僕一人で僕一代のうちに経過しなければならないから恐ろしい。一代のうちならまだしもだが、十年間でも、一年間でも、縮めていえば一か月間ないし一週間でも、依然として同じ運命を経過しなければならないから恐ろしい。君は嘘《うそ》かと思うかもしれないが、僕の生活のどこをどんな断片に切ってみても、たといその断片の長さが一時間だろうと三十分だろうと、それがきっと同じ運命を経過しつつあるから恐ろしい。要するに僕は人間全体の不安を、自分一人に集めて、そのまた不安を、一刻一分の短時間に煮詰めた恐ろしさを経験している」
「それは不可《いけ》ない。もっと気を楽にしなくっちゃ」
「不可ないぐらいは自分にも好《よ》く解《わか》っている」
私は兄さんの前で黙って煙草《たばこ》を吹かしていました。私は心のうちで、どうかして兄さんをこの苦痛から救い出してあげたいと念じました。私はすべてその他のことを忘れました。今までじっと私の顔を見守っていた兄さんは、その時突然「君のほうが僕より偉い」と言いました。私は思想のうえにおいて、兄さんこそ私に優《すぐ》れていると感じている際でしたから、この賛辞に対して嬉《うれ》しいとも有《あり》難《がた》いとも思う気は起こりませんでした。私はやはり黙って煙草を吹かしていました。兄さんはだんだん落ち付いてきました。それから二人とも一つ蚊《か》帳《や》にはいって寐《ね》ました。
三三
翌《あくる》日《ひ》も我々は同じ所に泊まっていました。朝起き抜けに浜《はま》辺《べ》を歩いた時、兄《にい》さんは眠っているような深い海を眺《なが》めて、「海もこう静かだと好《い》いね」と喜びました。近ごろの兄さんはなんでも動かないものが懐《なつか》しいのだそうです。その意味で水よりも山が気に入るのでした。気に入るといっても、普通の人間が自然を楽しむ時の心持ちとは少し違うようです。それは下《しも》に挙《あ》げる兄さんの言葉でお解《わか》りになるでしょう。
「こうして髭《ひげ》を生《は》やしたり、洋服を着たり、シガーを銜《くわ》えたりするところを上《うわ》部《べ》から見ると、いかにも一人前の紳士らしいが、実際僕の心は宿なしの乞《こ》食《じき》みたように朝から晩までうろうろしている。二六時中不安に追い懸《か》けられている。情けないほど落ち付けない。しまいには世の中で自分ほど修養のできていない気の毒な人間はあるまいと思う。そういう時に、電車の中やなにかで、ふと目を上げて向こう側を見ると、いかにも苦のなさそうな顔に出っ食わすことがある。自分の目が、ひとたびその邪念の萌《きざ》さないぽかんとした顔に注ぐ瞬間に、僕はしみじみ嬉《うれ》しいという刺激を総身に受ける。僕の心は旱《かん》魃《ばつ》に枯れかかった稲の穂が膏《こう》雨《う*》を得たように蘇《よみが》える。同時にその顔――何も考えていない。まったく落ち付き払ったその顔が、たいへん気《け》高《だか》く見える。目が下がっていても、鼻が低くっても、雑《ぞう》作《さ》はどうあろうとも、非常に気高く見える。僕はほとんど宗教心に近い敬《けい》虔《けん》の念を持って、その顔の前に跪《ひざまず》いて感謝の意を表したくなる。自然に対する僕の態度もまったく同じことだ。昔のようにただうつくしいから玩《もてあそ》ぶという心持ちは、今の僕には起こる余裕がない」
兄さんはその時電車のなかで偶然見当たる尊い顔の部類のうちへ、私《わたくし》を加えました。私は思いも寄らんことだと言って辞退しました。すると兄さんは真《ま》面《じ》目《め》な態度でこう言いました。
「君でも一日のうちに、損も得も要《い》らない、善も悪も考えない、ただ天然のままの心を天然のまま顔に出していることが、一度や二度はあるだろう。僕の尊いというのは、その時の君のことを言うんだ。その時に限るのだ」
兄さんはこう言われても覚《おぼ》束《つか》なく見える私のために、具体的な証拠を示してやるというつもりか、昨夜《ゆうべ》二人が床に入《はい》るまえの私を取ってきてその例に引きました。兄さんはあのおり談話の機《はずみ》でつい興奮しすぎたと自白しました。しかし私の顔を見たときに、その激した心の調子がしだいに収まったというのです。私が肯《うけが》おうと肯うまいと、それには頓《とん》着《ちやく》する必要がない、ただその時の私から好《い》い影響を受けて、一時的にせよ苦しい不安を免れたのだと、兄さんは断言するのです。
その時の私は前《ぜん》言ったとおりです。ただ煙草《たばこ》を吹かして黙っていただけです。私はその時すべてのことを忘れました。独《ひと》り兄さんをどうにかしてこの不安の裡《うち》から救ってあげたいと念じました。けれども私の心が兄さんに通じようとは思いませんでした。また通じさせようという気はむろんありませんでした。だからなんにも言わずに黙って煙草を吹かしていたのです。しかしそこに純粋な誠があったのかもしれません。兄さんはその誠を私の顔に読んだのでしょうか。
私は兄さんと砂浜の上をのそりのそりと歩きました。歩きながら考えました。兄さんは早晩宗教の門を潜《くぐ》ってはじめて落ち付ける人間ではなかろうか。もっと強い言葉で同じ意味を繰り返すと、兄さんは宗教家になるために、今は苦痛を受けつつあるのではなかろうか。
三四
「君近ごろ神というものについて考えたことはないか」
私はしまいにこういう質問を兄《にい》さんに掛けました。私がここでとくに「近ごろ」と断わったのは、書生時代の古い回想から来たものであります。その時分は二人ともまだ考えの纏《まとま》らない青二才でしたが、それでも私は思索に耽《ふけ》りがちな兄さんと、よく神の存在について云《うん》々《ぬん》したものであります。ついでだから申しますが、兄さんの頭はその時分から少しほかの人とは変わっていました。兄さんはうかうかと散歩をしていて、ふと自分が今歩いていたなという事実に気が付くと、さあそれが解すべからざる問題になって、考えずにはいられなくなるのでした。歩こうと思えば歩くのが自分に違いないが、その歩こうと思う心と、歩く力とは、はたしてどこから不意に湧《わ》いて出るか、それが兄さんには大いなる疑問になるのでした。
二人はそんなことから神とか第一原因《*》とかいう言葉をよく使いました。今から考えると解《わか》らずに使ったのでした。しかし口の先で使い慣れた結果、しまいには神もいつか陳腐になりました。それから二人とも申し合わせたように黙りました。黙ってから何年目になるでしょう。私は静かな夏の朝の、海という深い色を沈める大きな器《うつわ》の前に立って、兄さんと相対しつつ、再び神という言葉を口にしたのであります。
しかし兄さんはその言葉をまったく忘れていました。思い出す気《け》色《しき》さえありませんでした。私の質問に対する返事としては、ただ微《かす》かな苦笑があの皮肉な唇《くちびる》の端を横切っただけでした。
私は兄さんのこの態度で辟《へき》易《えき》するほどに臆《おく》病《びよう》ではありませんでした。また思うことを言いおおせずに引っ込むほど疎《うと》い間柄でもありませんでした。私は一歩前へ進みました。
「どこの馬の骨だか分《わか》らない人間の顔を見てさえ、時々有《あり》難《がた》いという気が起こるなら、円満な神の姿を束《つか》の間も離れずに拝んでいられる場合には、何百倍幸福になるかしれないじゃないか」
「そんな意味のない口先だけの論理《ロジツク》がなんの役に立つものかね。そんなら神を僕の前に連れてきて見せてくれるが好《い》い」
兄さんの調子にも兄さんの眉《み》間《けん》にも自《じ》烈《れつ》たそうなものが顫《せん》動《どう》していました。兄さんは突然足《あし》下《もと》にある小石を取って二、三間波打ち際《ぎわ》の方に駈《か》けだしました。そうしてそれをはるかの海の中へ投げ込みました。海は静かにその小石を受け取りました。兄さんは手《て》応《ごた》えのない努力に、憤りを起こす人のように、二度も三度も同じ所作を繰り返しました。兄さんは磯《いそ》へ打ち上げられた昆《こ》布《ぶ》だか若布《わかめ》だか、名も知れない海《かい》藻《そう》の間を構わず駈《か》け回りました。それからまた私の立って見ている所へ帰ってきました。
「僕は死んだ神より生きた人間のほうが好きだ」
兄さんはこう言うのです。そうして苦しそうに呼息《いき》をはずませていました。私は兄さんを連れて、またそろそろ宿の方へ引き返しました。
「車夫でも、立ちん坊でも、泥《どろ》棒《ぼう》でも、僕が有難いと思う刹《せつ》那《な》の顔、すなわち神じゃないか。山でも川でも海でも、僕が崇高だと感ずる瞬間の自然、取りも直さず神じゃないか。そのほかにどんな神がある」
兄さんからこう論じかけられた私は、ただ「なるほど」と答えるだけでした。兄さんはその時は物足りない顔をします。しかしあとになるとやっぱり私に感心したような素振りを見せます。実をいうと、私のほうが兄さんに遣《や》り込められて感心するだけなのですが。
三五
我々は沼津で二日《ふつか》ほど暮らしました。ついでに興《おき》津《つ》まで行こうかと相談した時、兄《にい》さんは厭《いや》だと言いました。旅程にかけては、万事私の思いのままになっている兄さんが、なぜその時に限って断然私の申《もう》し出《いで》を拒絶したものか、私にはとんと解《わか》りませんでした。あとでその説明を聞いたら、三《み》保《ほ》の松原だの天女の羽衣だのが出てくる所は嫌《きら》いだと言うのです。兄さんは妙な頭を有《も》った人に違いありません。
我々はついに三島まで引き返しました。そこで大《おお》仁《ひと》行《ゆき》の汽車に乗り換えて、とうとう修善寺へ行きました。兄さんにははじめからこの温泉がたいへん気に入っていたようです。しかし肝《かん》心《じん》の目的地へ着くやいなや、兄さんは「おやおや」という失望の声を放ちました。実際兄さんの好いていたのは、修善寺という名前で、修善寺という所ではなかったのです。瑣《さ》事《じ》ですが、これもいくぶんか兄さんの特色になりますからついでに付け加えておきます。
御承知のとおりこの温泉場は、山と山が抱き合っている隙《すき》間《ま》から谷底へ陥落したような低い町にあります。いったんそこへはいった者は、どっちを見ても青い壁で鼻が支《つか》えるので、仕方なしに上を見上げなければなりません。俯《うつ》向《む》いて歩いたら、地面の色さえろくに目には留まらないくらい狭苦しいのです。今まで海よりも山のほうが好《い》いと言っていた兄さんは、修善寺へ来て山に取り囲まれるが早いか、急に窮屈がりだしました。私はすぐ兄さんを伴《つ》れて、表へ出てみました。すると、普通の町ならまず往来にあたる所が、一面の川床で、青い水が岩に打《ぶ》つかりながらその中を流れているのです。だから歩くといっても、歩きたいだけ歩く余地はむろんありませんでした。私は川の真《まん》中《なぁ》の岩の間から出る温泉《*》に兄さんを誘い込みました。男も女もごちゃごちゃに一つ所《ところ》に浸《つか》っているのが面《おも》白《しろ》かったからです。不潔なことも話の種になるくらいでした。兄さんと私はさすがにそこへ浴衣《ゆかた》を投げ棄《す》ててはいる勇気はありませんでした。しかし湯の中にいる黒い人間を岩の上に立って物好きらしくいつまでも眺《なが》めていました。兄さんは嬉《うれ》しそうでした。岩から岸に渡した危い板を踏みながら元の路《みち》へ引き返す時に、兄さんは「善《ぜん》男《なん》善《ぜん》女《によ》」という言葉を使いました。それが雑《じよう》談《だん》半分の形容詞でなく、まったくそう思われたらしいのです。
翌《あくる》朝《あさ》楊《よう》枝《じ》を銜《くわ》えながら、いっしょに内《うち》風《ぶ》呂《ろ》に浸った時、兄さんは「昨夕《ゆうべ》も寐《ね》られないで困った」と言いました。私は今の兄さんにとって寐られないがいちばん毒だと考えていましたので、ついそれを問題にしました。
「寐られないと、どうかして寐よう寐ようと焦《あせ》るだろう」と私が聞きました。
「まったくそうだ、だからなお寐られなくなる」と兄さんが答えました。
「君、寐なければ誰《だれ》かに済まないことでもあるのか」と私がまた聞きました。
兄さんは変な顔をしました。石で畳《たた》んだ風《ふ》呂《ろ》桶《おけ》の縁に腰を掛けて、自分の手や腹を眺めていました。兄さんは御存じのとおりあまり肥《ふと》ってはいません。
「僕も時々寐られないことがあるが、寐られないのもまた愉快なものだ」と私が言いました。
「どうして」と今度は兄さんが聞きました。私はその時私の覚えていた燈《とう》影《えい》無《む》睡《すい》を照らし心《しん》清《せい》妙《みよう》香《こう》を聞く《*》という古人の句を兄さんのために挙《あ》げました。すると兄さんはたちまち私の顔を見てにやにやと笑いました。
「君のような男にそういう趣が解《わか》るかね」と言って、不審そうな様子をしました。
三六
その日私はまた兄《にい》さんを引っ張り出して今度は山へ行きました。上を見て山へ行き、下を向いて湯に入《はい》る。それよりほかにすることはまずない所なのですから。
兄さんは痩《や》せた足を鞭《むち》のように使って細い道を達《たつ》者《しや》に歩きます。その代り疲れることもまた人一倍早いようです。肥った私がのそのそあとから上がってゆくと、木の根に腰を掛けて、せえせえ言っています。兄さんのは他《ひと》を待ち合わせるのではありません。自分が呼息《いき》を切らして已《や》むを得ずに斃《たお》れるのです。
兄さんは時々立ち留まって茂みの中に咲いている百合《ゆり》を眺《なが》めました。一度などは白い花《はな》片《びら》をとくに指さして、「あれは僕の所有だ」と断わりました。私にはそれがなんの意味だか解《わか》りませんでしたが、別に聞き返す気も起こらずに、とうとう天《てつ》辺《ぺん》まで上りました。二人でそこにある茶屋に休んだ時、兄さんはまた足の下に見える森だの谷だのを指して、「あれらもことごとく僕の所有だ」と言いました。二度まで繰り返されたこの言葉で、私ははじめて不審を起こしました。しかしその不審はその場ですぐ晴らすわけにゆきませんでした。私の質問に対する兄さんの答えは、ただ淋《さび》しい笑いにすぎなかったのです。
我々はその茶店の床《しよう》几《ぎ》の上で、しばらく死んだように寐《ね》ていました。そのあいだ兄さんはなにを考えていたか知りません。私はただ明らかな空を流れる白い雲の様子ばかり見ていました。私の目はきらきらしました。しだいに帰り途《みち》の暑さが想《おも》いやられるようになりました。私は兄さんを促してまた山を下《お》りました。その時です。兄さんが突然後ろから私の肩をつかんで、「君の心と僕の心とはいったいどこまで通じていて、どこから離れているのだろう」と聞いたのは。私は立ち留まると同時に、左の肩を二、三度強く小突き回されました。私は身体《からだ》に感ずる動揺を、同じように心でも感じました。私は平生から兄さんを思索家と考えていました。いっしょに旅に出てからは、宗教にはいろうと思って這《は》入《い》り口が分《わか》らないで困っている人のようにも解釈してみました。私が心に動揺を感じたというのは、はたして兄さんのこの質問が、そういう立場から出たのであろうかと迷ったからです。私はあまりものに頓《とん》着《ちやく》しない性質《たち》です。またあまりものに驚かない、いたって鈍な男です。けれども出立前あなたからいろいろ依頼を受けたため、兄さんに対してだけは、妙に敏感になりたがっていました。私は少し平気の道を踏み外《はず》しそうになりました。
「Keine Bcke hrt von Mensch zu Mensch.(人から人へ掛け渡す橋はない)」
私はつい覚えていたドイツの諺《ことわざ》を返事に使いました。むろん半分は問題を面倒にしない故意の作《さく》略《りやく》も交じっていたでしょうが。すると兄さんは、「そうだろう、今の君はそうよりほかに答えられまい」と言うのです。私はすぐ「なぜ」と聞き返しました。
「自分に誠実でないものは、決して他人に誠実であり得ない」
私は兄さんのこの言葉を、自分のどこへ応用して好《い》いか気が付きませんでした。
「君は僕のお守《も》りになって、わざわざいっしょに旅行しているんじゃないか。僕は君の好意を感謝する。けれどもそういう動機から出る君の言動は、誠を装う偽りにすぎないと思う。朋《ほう》友《ゆう》としての僕は君から離れるだけだ」
兄さんはこう断言しました。そうして私をそこへ取り残したまま、一人でどんどん山道を馳《か》け下りてゆきました。その時私も兄さんの口を迸《ほとば》しる Einsamkeit, du meine Heimat Einsamkeit!(孤独なるものよ、汝《なんじ》はわが住居《すまい》なり)というドイツ語を聞きました。
三七
私は心配しいしい宿へ帰りました。兄《にい》さんは室《へや》の真《まん》中《なか》に蒼《あお》い顔をして寐《ね》ていました。私の姿を見ても口を利《き》きません、動きもしません。私は自然を尊む人を、自然のままにしておく方針を取りました。私は静かに兄さんの枕《まくら》元《もと》で一服しました。それから気持ちの悪い汗を流すために手《て》拭《ぬぐい》を持って風《ふ》呂《ろ》場《ば》へ行きました。私が湯《ゆ》槽《おけ》の縁に立って身体《からだ》を清めていると、兄さんがあとから遣《や》ってきました。二人はその時はじめてものを言いました。私は「疲れたろう」と聞きました。兄さんは「疲れた」と答えました。
午《ひる》の膳《ぜん》に向かうころから兄さんの機《き》嫌《げん》はだんだん回復してきました。私はついに兄さんに向かって、さっき山《やま》途《みち》で二人のあいだに起こった芝居がかりの動作に言い及びました。兄さんははじめのうちは苦笑していました。しかししまいには居《い》住居《ずまい》を直して真《ま》面《じ》目《め》になりました。そうして実際孤独の感に堪えないのだと言い張りました。私はその時はじめて兄さんの口から、彼がただに社会に立ってのみならず、家庭にあっても一様に孤独であるという痛ましい自白を聞かされました。兄さんは親しい私に対して疑念を持っている以上に、その家庭の誰《だれ》彼《かれ》を疑《うたぐ》っているようでした。兄さんの目にはお父《とう》さんもお母《かあ》さんも偽りの器なのです。細君はことにそう見えるらしいのです。兄さんはその細君の頭にこのあいだ手を加えたと言いました。
「一度打《ぶ》っても落ち付いている。二度打っても落ち付いている。三度目には抵抗するだろうと思ったが、やっぱり逆らわない。僕が打てば打つほど向こうはレデーらしくなる。そのために僕はますます無頼漢《ごろつき》扱いにされなくては済まなくなる。僕は自分の人格の堕落を証明するために、怒りを小羊の上に洩《もら》すと同じことだ。夫の怒りを利用して、自分の優越に誇ろうとする相手は残酷じゃないか。君、女は腕力に訴える男よりはるかに残酷なものだよ。僕はなぜ女が僕に打《ぶ》たれた時、起《た》って抵抗してくれなかったと思う。抵抗しないでも好《よ》いから、なぜ一言でも言い争ってくれなかったと思う」
こういう兄さんの顔は苦痛に充《み》ちていました。不思議なことに兄さんはこれほど鮮明に自分が細君に対する不快な動作を話しておきながら、その動作をあえてするに至った原因については、具体的にほとんど何事も語らないのです。兄さんはただ自分の周囲が偽りで成立していると言います。しかもその偽りを私の目の前で組み立てて見せようとはしません。私はなんでこの空《くう》漠《ばく》な響きを有《も》つ偽りという字のために、兄さんがそれほど興奮するかを不審がりました。兄さんは私が偽りという言葉を字引で知っているだけだから、そんな迂《う》闊《かつ》な不審を起こすのだと言って、実際に遠い私を窘《たしな》めました。兄さんから見れば、私は実際に遠い人間なのです。私はしいて兄さんから偽りの内容を聞こうともしませんでした。したがって兄さんの家庭にはどんな面倒な事情が縺《もつ》れ合っているか、私にはとんと解《わか》りません。好んで聞くべき筋でもなし、また聞いておかないでも、家庭の一員たる貴方《あなた》には報道の必要のないことと思いましたから、そのままにして済ましました。ただ御参考までに一言注意しておきますが、兄さんはその時御両親や奥さんについて、抽象的ながら云《うん》々《ぬん》されたにかかわらず、貴方に関しては、二郎という名前さえ口にされませんでした。それからお重さんとかいう妹さんのことについてもなんにも言われませんでした。
三八
私が兄《にい》さんにマラルメの話をしたのは修善寺を立って小田原へ来た晩のことです。専門の違う貴方《あなた》だから、あるいは失礼にもなるまいと思って書き添えますが、マラルメというのは有名なフランスの詩人の名前です。こういう私も実はその名前だけしか知らないのです。だから話といったところで作物の批評などではありません。東京を立つまえに、取りつけの外国雑誌の封を切って、ちょっと目を通したら、そのうちにこの詩人の逸話があったのを、面《おも》白《しろ》いと思って覚えていたので、私はついそれを挙《あ》げて、兄さんの反省を促してみたくなったのです。
このマラルメという人にも多くの若い崇拝者がありました。その人たちはよく彼の家に集まって、彼の談話に耳を傾ける宵《よい》を更《ふか》したのですが、いかに多くの人が押《お》し懸《か》けても、彼の坐《すわ》るべき場所は必ず暖炉の傍で、彼の腰を卸すのは必ず一個の揺《ゆり》椅《いす》と極《きま》っていました。これは長い習慣で定められた規則のように、誰《だれ》も犯すものがなかったということです。ところがある晩新しい客が来ました。たしかイギリスのシモンズだったという話ですが、その客は今日《きよう》までの習慣をまるで知らないので、どの席もどの椅子《いす》も同じ価と心得たのでしょう、当然マラルメの坐《すわ》るべきかの特別の椅子へ腰を掛けてしまいました。マラルメは不安になりました。いつものように話に実が入りませんでした。一座は白けました。
「なんという窮屈なことだろう」
私はマラルメの話をしたあとで、こういう一句の断案を下しました。そうして兄さんに向かって、「君の窮屈な態度はマラルメよりも烈《はげ》しい」と言いました。
兄さんは鋭敏な人です。美的にも倫理的にも、知的にも鋭敏すぎて、つまり自分を苦しめに生まれたきたような結果に陥っています。兄さんには甲でも乙でも構わないという鈍なところがありません。必ず甲か乙かのどっちかでなくては承知できないのです。しかもその甲なら甲の形なり程度なり色合いなりが、ぴたりと兄さんの思う坪《つぼ》に嵌《はま》らなければ肯わないのです。兄さんは自分が鋭敏なだけに、自分のこうと思った針金のように際《きわ》どい線の上を渡って生活の歩を進めてゆきます。その代り相手も同じ際どい針金の上を、踏み外《はず》さずに進んできてくれなければ我慢しないのです。しかしこれが兄さんの我《わが》儘《まま》から来ると思うと間違いです。兄さんの予期どおりに兄さんに向かって働き懸《か》ける世の中を想像してみると、それは今の世の中よりはるかに進んだものでなければなりません。したがって兄さんは美的にも知的にもないし倫理的にも自分ほど進んでいない世の中を忌むのです。だからただの我儘とは違うでしょう。椅子を失って不安になったマラルメの窮屈ではありますまい。
しかし苦しいのはあるいはそれ以上かもしれません。私はどうかしてその苦しみから兄さんを救い出したいと念じているのです。兄さんも自分でその苦しみに堪え切れないで、水に溺《おぼ》れかかった人のように、ひたすら藻《も》掻《が》いているのです。私には心のなかのその争いがよく見えます。しかし天賦の能力と教養の工夫とでようやく鋭くなった兄さんの目を、ただ落ち付きを与える目的のために、再び昧《くら》くしなければならないということが、人生のうえにおいてどんな意義になるでしょうか。よし意義があるにしたところで、人間としてでき得《う》る仕事でしょうか。
私はよく知っていました。考えて考えて考え抜いた兄さんの頭には、血と涙で書かれた宗教の二字が、最後の手段として、躍《おど》り叫んでいることを知っていました。
三九
「死ぬか、気が違うか、それでなければ宗教に入《はい》るか。僕の前途にはこの三つのものしかない」
兄《にい》さんははたしてこう言いだしました。その時兄さんの顔は、むしろ絶望の谷に赴《おもむ》く人のように見えました。
「しかし宗教にはどうもはいれそうもない。死ぬのも未練が食い留められそうだ。なればまあ気違いだな。しかし未来の僕はさて置いて、現在の僕は君正気なんだろうかな。もうすでにどうかなっているんじゃないかしら。僕は怖《こわ》くて堪《たま》らない」
兄さんは立って縁側へ出ました。そこから見える海を手《て》摺《す》りに倚《よ》ってしばらく眺《なが》めていました。それから室《へや》の前を二、三度行ったり来たりしたあと、また元の所へ帰ってきました。
「椅子《いす》ぐらい失って心の平和を乱されるマラルメは幸いなものだ。僕はもうたいていなものを失っている。わずかに自己の所有として残っているこの肉体さえ(この手や足さえ)、遠慮なく僕を裏切るくらいだから」
兄さんのこの言葉は、好《い》い加《か》減《げん》な形容ではないのです。昔から内省の力に勝《まさ》っていた兄さんは、あまり考えた結果として、今はこの力の威圧に苦しみだしているのです。兄さんは自分の心がどんな状態にあろうとも、一応それを振り返って吟味したうえでないと、決して前へ進めなくなっています。だから兄さんの命の流れは、刹《せつ》那《な》刹《せつ》那《な》にぽつぽつ中断されるのです。食事中一分ごとに電話口へ呼び出されるのと同じことで、苦しいに違いありません。しかし中断するのも兄さんの心なら、中断されるのも兄さんの心ですから、兄さんは詰まるところ二つの心に支配されていて、その二つの心が嫁と姑《しゆうと》のように朝から晩まで責めたり、責められたりしているために、寸時の安心も得られないのです。
私は兄さんの話を聞いて、はじめてなにも考えていない人の顔がいちばん気《け》高《だか》いと言った兄さんの心を理解することができました。兄さんがこの判断に到着したのは、まったく考えたお蔭《かげ》です。しかし考えたお蔭でこの境《きよう》界《がい》にははいれないのです。兄さんは幸福になりたいと思って、ただ幸福の研究ばかりしたのです。ところがいくら研究を積んでも、幸福は依然として対岸にあったのです。
私はとうとう兄さんの前に再び神という言葉を持ち出しました。そうして意外にも突然兄さんから頭を打たれました。しかしこれは小田原で起こった最後の幕です。頭を打たれるまえにまだ一節ありますから、まずそれから御報知しようと思います。しかしまえにも申したとおり、貴方《あなた》と私とはまるで専門が違いますので、私の筆にすることが、時によると変に物《もの》識《し》りめいたよけいな言い草のように、貴方の目に映るかもしれません。それで貴方に関係のない片《かた》仮《か》名《な》などを入れる時は、なおさら躊《ちゆう》躇《ちよ》しがちになりますが、これでも必要と認めないかぎり、なるべくそんな性質《たち》の文字は、省いているのですから、貴方もそのつもりで虚心に読んでください。少しでも貴方の心に軽薄という疑念が起こるようでは、せっかく書いてあげたものが、前後を通じて、なんの役にも立たなくなる恐れがありますから。
私がまだ学校にいた時分、モハメッド《*》について伝えられた下《しも》のような物語を、なにかの書物で読んだことがあります。モハメッドは向こうに見える大きな山を、自分の足元へ呼び寄せてみせるというのだそうです。それを見たいものは何月何日を期してどこへ集まれというのだそうです。
四〇
期日になって幾多の群衆が彼の周囲を取り巻いた時、モハメッドは約束どおり大きな声を出して、向こうの山にこっちへ来いと命令しました。ところが山は少しも動き出しません。モハメッドは澄ましたもので、また同じ号令を掛けました。それでも山は依然としてじっとしていました。モハメッドはとうとう三度号令を繰り返さなければならなくなりました。しかし三度言っても、動く気《け》色《しき》の見えない山を眺《なが》めた時、彼は群衆に向かって言いました。――「約束どおり自分は山を呼び寄せた。しかし山のほうでは来たくないようである。山が来てくれない以上は、自分が行くよりほかに仕方があるまい」。彼はそう言って、すたすた山の方へ歩いていったそうです。
この話を読んだ当時の私はまだ若うございました。私はいい滑《こつ》稽《けい》の材料を得たつもりで、それを方々へ持って回りました。するとそのうちに一人の先輩がありました。みんなが笑うのに、その先輩だけは「ああ結構な話だ。宗教の本義はそこにある。それで尽くしている」と言いました。私は解《わか》らぬながらも、その言葉に耳を傾けました。私が小田原で兄さんに同じ話を繰り返したのは、それから何年目になりますか、話は同じ話でも、もう滑稽のためではなかったのです。
「なぜ山の方へ歩いてゆかない」
私が兄さんにこう言っても、兄さんは黙っています。私は兄さんに私の主意が徹しないのを恐れて、付け足しました。
「君は山を呼び寄せる男だ。呼び寄せて来ないと怒《おこ》る男だ。地《じ》団《だん》太《だ》を踏んで口惜《くや》しがる男だ。そうして山を悪く批評することだけを考える男だ。なぜ山の方へ歩いてゆかない」
「もし向こうがこっちへ来るべき義務があったらどうだ」と兄さんが言います。
「向こうに義務があろうとあるまいと、こっちに必要があればこっちで行くだけのことだ」と私が答えます。
「義務のないところに必要のあるはずがない」と兄さんが主張します。
「じゃ幸福のために行くさ。必要のために行きたくないなら」と私がまた答えます。
兄さんはこれでまた黙りました。私のいう意味はよく兄さんに解っているのです。けれども是非、善悪、美醜の区別において、自分の今日までに養い上げた高い標準を、生活の中心としなければ生きていられない兄さんは、さらりとそれを擲《なげう》って、幸福を求める気になれないのです。むしろそれに振《ぶ》ら下がりながら、幸福を得ようと焦躁《あせ》るのです。そうしてその矛盾も兄さんにはよく呑《の》み込めているのです。
「自分を生活の心棒と思わないで、綺《き》麗《れい》に投げ出したら、もっと楽になれるよ」と私がまた兄さんに言いました。
「じゃなにを心棒にして生きて行くんだ」と兄さんが聞きました。
「神さ」と私が答えました。
「神とはなんだ」と兄さんがまた聞きました。
私はここでちょっと自白しなければなりません。私と兄さんとこう問答をしているところをお読みになる貴方《あなた》には、私がさも宗教家らしく映ずるかもしれませんが、――私がどうかして兄さんを信仰の道に引き入れようと力《つと》めているように見えるかもしれませんが、実をいうと、私は耶《ヤ》蘇《ソ》にもモハメッドにも縁のない、平凡なただの人間にすぎないのです。宗教というものをそれほど必要とも思わないで、漫然と育った自然の野人なのです。話がとかくそちらへ向くのは、まったく相手に兄さんという烈《はげ》しい煩《はん》悶《もん》家《か》を控えているためだったのです。
四一
私が兄《にい》さんに遣《や》られた原因もまったくそこにあったのです。事実私は神というものを知らないくせに、神という言葉を口にしました。兄さんから反問された時に、それは天とか命とかいう意味と同じものだと漠《ばく》然《ぜん》答えておいたら、まだ可《よ》かったかもしれません。ところが前後の行きがかり上、私にはそんな説明の余裕がなくなりました。その時の問答はたしか下《しも》のような順序で進行したかと思います。
私「世の中のことが自分の思うようにばかりならない以上、そこに自分以外の意志が働いているという事実を認めなくてはなるまい」
「認めている」
私「そうしてその意志は君のよりもはるかに偉大じゃないか」
「偉大かもしれない、僕が負けるんだから。けれどもたいがいは僕のよりも不善で不美で不真だ。僕は彼らに負かされる訳がないのに負かされる。だから腹が立つのだ」
私「それはお互いに弱い人間同志の競り合いをいうんだろう。僕のはそうじゃない。もっと大きなものを指《さ》すのだ」
「そんな曖《あい》昧《まい》なものがどこにある」
私「なければ君を救うことができないだけの話だ」
「じゃしばらくあると仮定して……」
私「万事そっちへ委任してしまうのさ。なにぶん宜《よろ》しくお頼み申しますって。君、俥《くるま》に乗ったら、落っことさないように車《くるま》夫《や》が引いてくれるだろうと安心して、俥の上で寐《ね》ることはできないか」
「僕は車夫ほど信用できる神を知らないのだ。君だってそうだろう。君のいうことは、まったく僕のために拵《こしら》えた説教で、君自身に実行する経典じゃないのだろう」
私「そうじゃない」
「じゃ君はまったく我《が》を投げ出しているね」
私「まあそうだ」
「死のうが生きようが、神のほうで好《い》いように取り計らってくれると思って安心しているね」
私「まあそうだ」
私は兄さんからこう詰め寄せられた時、だんだん危《あや》しくなってくるような気がしました。けれども前後の勢いが自分を支配している最中なので、またどうするわけにもゆきません。すると兄さんが突然手を挙《あ》げて、私の横《よこ》面《つら》をぴしゃりと打ちました。
私は御承知のとおりよほど神経の鈍くできた性質《たち》です。お蔭《かげ》で今日まであまり人と争ったこともなく、また人を怒《おこ》らした試《ため》しも知らずに過ぎました。私の鈍《のろ》いせいでもあったでしょうが、子供の時ですら親に打たれた覚えはありません。成人してはむろんのことです。生まれてはじめて手を顔に加えられた私はその時われ知らずむっとしました。
「なにをするんだ」
「それ見ろ」
私にはこの「それ見ろ」が解《わか》らなかったのです。
「乱暴じゃないか」と私が言いました。
「それ見ろ。少しも神に信頼していないじゃないか。やっぱり怒《おこ》るじゃないか。ちょっとしたことで気分の平均を失うじゃないか。落ち付きが顛《てん》覆《ぷく》するじゃないか」
私はなんとも答えませんでした。またなんとも答えられませんでした。そのうちに兄さんはつと座を立ちました。私の耳にはどんどん階子《はしご》段《だん》を馳《か》け下《お》りてゆく兄さんの足音だけが残りました。
四二
私は下女を呼んで伴《つれ》のお客さんはどうしたと聞いてみました。
「今しがた表へお出になりました。おおかた浜でしょう」
下女の返事が私の想像と一致したので、私はそれ以上の掛《け》念《ねん》を省いて、ごろりとそこに横になりました。すると衣《い》桁《こう》の端《はし》に懸《かか》っている兄《にい》さんの夏帽子がすぐ目に着きました。兄さんはこの暑いのに帽子も被《かぶ》らずにどこかへ飛び出していったのです。あなたのように、兄さんの一挙一動を心配する人から見たら仰《あお》向《む》けに寐《ね》そべったその時の私の姿は、少し呑《のん》気《き》すぎたかもしれません。これはもとより私の鈍《のろ》い神経の仕《し》業《わざ》に違いないのです。けれどもただ鈍いだけで説明する以外に、もう少し御参考になる点も交じっているようですから、それをちょっと申し上げます。
私は兄さんの頭を信じていました。私よりも鋭敏な兄さんの理解力に尊敬を払っていました。兄さんは時々普通の人に解《わか》らないようなことを出し抜けに言います。それが知らないものの耳や、教育の乏しい男の耳には、どこかに破《わ》れ目の入《はい》った鐘の音《ね》として、変に響くでしょうけれども、よく兄さんを心得た私には、かえって習慣的な言説よりは有《あり》難《がた》かったのです。私は平生からそこに兄さんの特色を認めていました。だから心配の必要はないと、あれほど強くあなたに断言して憚《はば》らなかったのです。それでいっしょに旅に出ました。旅へ出てからの兄さんは今まで私が叙述してきたとおりですが、私はこの旅行先の兄さんのために、少しずつ故《もと》の考えを訂正しなければならないようになってきたのです。
私は兄さんの頭が、私よりはっきりと整っていることについて、今でも少しの疑いを挟《さしはさ》む余地はないと思います。しかし人間としての今の兄さんは、故に較《くら》べると、どこか乱れているようです。そうしてその乱れる原因を考えてみると、はっきりと整った彼の頭の働きそのものから来ているのです。私からいえば、整った頭には敬意を表したいし、また乱れた心には疑いを置きたいのですが、兄さんから見れば、整った頭、取りも直さず乱れた心なのです。私はそれで迷います。頭はたしかである。しかし気はことによると少し変かもしれない。信用はできる、しかし信用はできない。こういったら貴方《あなた》はそれを満足な報道として受け取られるでしょうか。それよりほかに言いようのない私は、自分自身ですでに困ってしまったのです。
私は梯子《はしご》段《だん》をどんどん馳《か》け下《お》りていった兄さんをそのままにして、ごろりと横になりました。私はそれほど安心していたのです。帽子も被《かぶ》らずに出ていったくらいだから、すぐ帰るにきまっていると考えたのです。しかし兄さんは予想どおりそう手軽くは戻《もど》りませんでした。すると私もついに大の字になっていられなくなりました。私はしまいに明らかな不安を抱《いだ》いて起《た》ち上がりました。
浜へ出ると、日はいつか雲に隠れていました。薄どんよりと曇り掛けた空と、その下にある磯《いそ》と海が、同じ灰色を浴びて、物《もの》憂《う》く見える中を、妙に生《なま》温《ぬる》い風が磯《いそ》臭く吹いてきました。私はその灰色を彩《いろど》る一点として、向こうの波《なみ》打《うち》ち際《ぎわ》に蹲踞《しやが》んでいる兄さんの姿を、白く認めました。私は黙ってその方角へ歩いてゆきました。私は後ろから声を掛けた時、兄さんはすぐ立ち上がって、「さっきは失敬した」と言いました。
兄さんは目的《あて》もなくまた留め度もなくそこいらを歩いたあげく、しまいに疲れたなりで疲れた場所に蹲踞んでしまったのだそうです。
「山に行こう。もうここは厭《いや》になった。山に行こう」
兄さんは今にも山へ行きたいふうでした。
四三
我々はその晩とうとう山へ行くことになりました。山といっても小田原からすぐ行かれる所は箱根のほかにありません。私はこの通俗な温泉場へ、最も通俗でない兄《にい》さんを連れ込んだのです。兄さんははじめから、きっと騒々しいに違いないと言っていました。それでも山だから二、三日は我慢できるだろうと言うのです。
「我慢しに温泉場へ行くなんて勿《もつ》体《たい》ない話だ」
これもその時兄さんの口から出た自《じ》嘲《ちよう》の言葉でした。はたして兄さんは着いた晩からして、八《や》釜《かま》しい隣室の客を我慢しなければならなくなりました。この客は東京のものか横浜のものか解《わか》りませんが、なんでも言葉の使いようから判断すると、商人とか請負師とか仲買とかいう部に属する種類の人間らしく思われました。時々不調和に大きな声を出します。傍若無人に騒ぎます。そういうことにあまり頓《とん》着《ちやく》のない私さえずいぶん辟《へき》易《えき》しました。お蔭《かげ》でその晩は兄さんも私もちっともむずかしい話をしずに寐《ね》てしまいました。つまり隣の男が我々の思索を破壊するために騒いだことに当たるのです。
翌《あくる》朝《あさ》私が兄さんに向かって、「昨夜《ゆうべ》は寐られたか」と聞きますと、兄さんは首を掉《ふ》って、「寐られるどころか。君は実に羨《うらやま》しい」と答えました。私はどうしても寐つかれない兄さんの耳に、さかんな鼾声《いびき》を終宵《よもすがら》聞かせたのだそうです。
その日は夜明けから小雨が降っていました。それが十時ごろになると本降りに変わりました。午《ひる》少し過ぎには、多少の暴《あ》れ模様さえ見えてきました。すると兄さんは突然立ち上がって尻《しり》を端《はし》折《お》ります。これから山の中を歩くのだと言います。凄《すさま》じい雨に打たれて、谷《たに》崖《がけ》の容赦なくむやみに運動するのだと主張します。御苦労千万だとは思いましたが、兄さんを思い留まらせるよりも、私が兄さんに賛成したほうが、手数が省けますので、つい「宜《よ》かろう」と言って、私も尻を端折りました。
兄さんはすぐ呼息《いき》の塞《つま》るような風に向かって突進しました。水の音だか、空の音だか、なんともかとも喩えられない響きのなかを、地面から跳《は》ね上がる護謨《ゴム》球《だま》のような勢いで、ぽんぽん飛ぶのです。そうして血管の破裂するほど大きな声を出して、ただわあっと叫びます。その勢いは昨夜《ゆうべ》の隣室の客より何層倍猛烈だか分《わか》りません。声だって彼よりもはるかに野獣らしいのです。しかもその原始的な叫びは、口を出るやいなや、すぐ風に攫《さら》ってゆかれます。それをまた雨が追い懸《か》けて砕き尽くします。兄さんはしばらくして沈黙に帰りました。けれどもまだ歩き回りました。呼息《いき》が切れて仕方なくなるまで歩き回りました。
我々が濡れ鼠《ねずみ》のようになって宿へ帰ったのは、出てから一時間目でしたろうか、また二時間目に懸りましたろうか。私は臍《へそ》の底まで冷えました。兄さんは唇《くちびる》の色を変えていました。湯にはいって暖まった時、兄さんはしきりに「痛快だ」と言いました。しぜんに敵意がないから、いくら征服されても痛快なんでしょう。私はただ「御苦労なことだ」と言って、風《ふ》呂《ろ》のなかで心持ちよく足を伸ばしました。
その晩は予期に反して、隣の室《へや》がひっそりと静まっていました。下女に聞いてみると、兄さんを悩ました昨夕《ゆうべ》の客は、いつの間にかもう立ってしまったのでした。私が兄さんから思い掛けない宗教観を聞かされたのはその宵《よい》のことです。私はちょっと驚きました。
四四
貴方《あなた》も現代の青年だから宗教という古めかしい言葉に対してあまり同情は持っていられないでしょう。私も小むずかしいことはなるべく言わずに済ましたいのです。けれども兄《にい》さんを理解するためには、ぜひともそこへ触れてこなければなりません。あなたには興味もなかろうし、また意外でもあろうけれども、それを遠慮する以上、肝《かん》腎《じん》の兄さんが不可解になるだけだから、辛抱してここのところを飛ばさずに読んでください。辛抱さえなされば、貴方にはよく解《わか》ることなんです。読んでそうしてよく兄さんを呑《の》み込んだうえ、御老人がたの合《が》点《てん》のゆかれるようにお宅へ紹介してあげてください。私は兄さんについて過度の心労をされるお年寄りに対して実際お気の毒に思っています。しかし今のところ貴方を通してよりほかに、ありのままの兄さんを、兄さんの家庭に知らせる手段はないのだから、貴方も少し真《ま》面《じ》目《め》になって、聞き慣れない字面に目をお注ぎなさい。私は酔興でむずかしいことを書くのではありません。むずかしいことが活《い》きた兄さんの一部分なのだから仕方がないのです。二つを引き離すと血や肉からできた兄さんもまた存在しなくなるのです。
兄さんは神でも仏でもなんでも自分以外に権威のあるものを建《こん》立《りゆう》するのが嫌いなのです。(この建立という言葉も兄さんの使ったままを、私が踏襲するのです)。それではニイチェのような自我を主張するのかというとそうでもないのです。
「神は自己だ」と兄さんが言います。兄さんがこう強い断案を下す調子を、知らない人が蔭《かげ》で聞いていると、少し変だと思うかもしれません。兄さんは変だと思われても仕方のないような激した言い方をします。
「じゃ自分が絶対だと主張すると同じことじゃないか」と私が非難します。兄さんは動きません。
「僕は絶対だ」と言います。
こういう問答を重ねれば重ねるほど、兄さんの調子はますます変になってきます。調子ばかりではありません、言うこともしだいに尋常を外《はず》れてきます。相手がもし私のようなものでなかったならば、兄さんは最後まで行かないうちに、純粋な気違いとして早く葬られ去ったに違いありません。しかし私はそう容易《たやす》く彼を見《み》棄《す》てるほどに、兄さんを軽んじてはいませんでした。私はとうとう兄さんを底まで押し詰めました。
兄さんの絶対というのは、哲学者の頭から割り出された空《むな》しい紙の上の数字ではなかったのです。自分でその境地に入《はい》って親しく経験することのできるはっきりした心理的なものだったのです。
兄さんは純粋に心の落ち付きを得た人は、求めないでもしぜんにこの境地に入れるべきだと言います。ひとたびこの境《きよう》界《がい》に入れば天地も万有も、すべての対象というものがことごとくなくなって、ただ自分だけが存在するのだと言います。そうしてその時の自分はあるともないとも片の付かないものだと言います。偉大なようなまた微細なようなものだと言います。なんとも名の付けようのないものだと言います。すなわち絶対だと言います。そうしてその絶対を経験している人が、俄《が》然《ぜん》として半鐘の音を聞くとすると、その半鐘の音はすなわち自分だというのです。言葉を換えて同じ意味を表わすと、絶対即相対になるのだというのです、したがって自分以外に物を置き他《ひと》を作って苦しむ必要がなくなるし、また苦しめられる掛《け》念《ねん》も起こらないのだと言うのです。
「根本義は死んでも生きても同じことにならなければ、どうしても安心は得られない。すべからく現代を超越すべし《*》といった才人はとにかく、僕はぜひとも生《しよう》死《じ》を超越しなければ駄《だ》目《め》だと思う」
兄さんはほとんど歯を喰《く》いしばる勢いでこう言明しました。
四五
私はこの場合にも自分の頭が兄《にい》さんに及ばないということを自白しなければなりません。私は人間として、はたして兄さんのいうような境《きよう》界《がい》に達せられべきものかをまだ考えていなかったのです。明《めい》瞭《りよう》な順序でしぜんそこに帰着してゆく兄さんの話を聞いた時、なるほどそんなものかと思いました。またそんなものでもなかろうかとも思いました。なにしろ私はとかくの是非を挟《さしはさ》むだけの資格を有《も》っていない人間にすぎませんでした。私は黙々として熱烈な言葉の前に坐《すわ》りました。すると兄さんの態度が変わりました。私の沈黙が鋭い兄さんの鋒《ほこ》先《さき》を鈍らせた例は、今までにも何遍かありました。そうしてそれがことごとく偶然から来ているのです。もっとも兄さんのような聡《そう》明《めい》な人に、一種の思わくから黙って見せるという技巧を弄《ろう》したら、すぐ観破《*》されるにきまっていますから、私の鈍《のろ》いのも時には一得になったのでしょう。
「君、僕を単に口《こう》舌《ぜつ》の人と軽《けい》蔑《べつ》してくれるな」と言った兄さんは、急に私の前に手を突きました。私は挨《あい》拶《さつ》に窮しました。
「君のような重《ちよう》厚《こう*》な人間から見たら僕はいかにも軽薄なお喋舌《しやべ》りに違いない。しかし僕はこれでも口で言うことを実行したがっているんだ。実行しなければならないと朝晩考え続けに考えているんだ。実行しなければ生きていられないとまで思い詰めているんだ」
私は依然として挨拶に困ったままでした。
「君、僕の考えを間違っていると思うか」と兄さんが聞きました。
「そうは思わない」と私が答えました。
「徹底していないと思うか」と兄さんがまた聞きました。
「根本的のようだ」と私がまた答えました。
「しかしどうしたらこの研究的な僕が、実行的な僕に変化できるだろう。どうぞ教えてくれ」と兄さんが頼むのです。
「僕にそんな力があるものか」と、思いも寄らない私は断わるのです。
「いやある。君は実行的に生まれた人だ。だから幸福なんだ。そう落ち付いていられるんだ」と兄さんが繰り返すのです。
兄さんは真剣のようでした。私はその時憮《ぶ》然《ぜん》として兄さんに向かいました。
「君の知恵ははるかに僕に優《まさ》っている。僕にはとても君を救うことはできない。僕の力は僕より鈍いものになら、あるいは及ぼし得《う》るかもしれない。しかし僕より聡明な君にはまったく無効である。要するに君は痩《や》せて丈《たけ》が長く生まれた男で、僕は肥えてずんぐり育った人間なんだ。僕の真《ま》似《ね》をして肥《ふと》ろうと思うなら、君は君の背丈《せい》を縮めるよりほかに途《みち》はないんだろう」
兄さんは目からぽろぽろ涙を出しました。
「僕は明らかに絶対の境地を認めている。しかし僕の世界観が明らかになればなるほど、絶対は僕と離れてしまう。要するに僕は図を披《ひら》いて地理を調査する人だったのだ。それでいて脚《きや》絆《はん》を着けて山河を跋《ばつ》渉《しよう》する実地の人と、同じ経験をしようと焦慮《あせ》り抜いているのだ。僕は迂《う》闊《かつ》なのだ。僕は矛盾なのだ。しかし迂闊と知り矛盾と知りながら、依然として藻《も》掻《が》いている。僕は馬《ば》鹿《か》だ。人間としての君ははるかに僕より偉大だ」
兄さんはまた私の前に手を突きました。そうしてあたかも謝罪でもする時のように頭を下げました。涙がぽたりぽたりと兄さんの目から落ちました。私は恐縮しました。
四六
箱根を出る時兄《にい》さんは「二度とこんな所は御免だ」と言いました。今まで通ってきたうちで、兄さんの気に入った所はまだ一か所もありません。兄さんは誰《だれ》とどこへ行ってもすぐ厭《いや》になる人なのでしょう。それもそのはずです。兄さんには自分の身躯《からだ》や自分の心からしてがすでに気に入っていないのですから。兄さんは自分の身躯や心が自分を裏切る曲《くせ》者《もの》のように言います。それが徒爾《いたずら*》半分の出放題でないことは、今日《きよう》までいっしょに寐《ね》泊《と》まりの日数を重ねた私にはよく理解できます。その私から有りの儘《まま》の報知を受ける貴方《あなた》にもとくと御《ご》合《が》点《てん》がゆくことだろうと思います。
こういう兄さんと、私がよくいっしょに旅ができるとお思いになるかもしれません。私にも考えると、それが不思議なくらいです。兄さんを上《かみ》に述べたように頭の中へ畳《たた》み込んだが最後、いかに遅鈍な私だって、お相手はできにくいわけです。しかし事実私は今兄さんとこうして差向かいで暮らしていながら、さほどに苦痛を感じてはいないのです。少なくとも傍《はた》で想像するよりはよほど楽なのだろうと考えています。そうしてそれをなぜだと聞かれたら、ちょっと返答に差《さし》支《つか》えるのです。貴方も同じ兄さんについて同じ経験をなさりはしませんか。もし同じ経験をなさらないならば、骨肉を分けた貴方よりも、他人の私のほうが、兄さんに親しい性質を有《も》って生まれてきたのでしょう。親しいというのは、ただ仲が好《い》いという意味ではありません。和して納まるべき特性をどこか相互に分担して前へ進めるというつもりなのです。
私は旅へ出てから絶えず兄さんの気に障《さわ》るようなことを言ったり為《し》たりしました。ある時は頭さえ打《ぶ》たれました。それでも私は貴方の家庭のすべての人の前に立って、私はまだ兄さんから愛《あい》想《そ》を尽かされていないということを明言できると思います。同時に、一種の弱点を持ったこの兄さんを、私は今でも衷心から敬愛していると固く信じて疑わないのであります。
兄さんは私のような凡庸な者の前に、頭を下げて涙を流すほどの正しい人です。それをあえてするほどの勇気を有った人です。それをあえてするのが当然だと判断するだけの識見を具《そな》えた人です。兄さんの頭は明らかすぎて、ややともすると自分を置き去りにして先へ行きたがります。心のほかの道具が彼の理知と歩調を一つにして前《さき》へ進めないところに、兄さんの苦痛があるのです。人格からいえばそこに隙《すき》間《ま》があるのです。成功からいえばそこに破滅が潜んでいるのです。この不調和を兄さんのために悲しみつつある私は、すべての原因をあまりに働きすぎる彼の理知の罪に帰しながら、やっぱり、その理知に対する敬意を失うことができないのです。兄さんをただの気むずかしい人、ただの我《わが》儘《まま》な人とばかり解釈していては、いつまで経《た》っても兄さんに近寄る機会は来ないかもしれません。したがって少しでも兄さんの苦痛を柔らげる縁は、永《えい》劫《ごう》に去ったものとみなければなりますまい。
我々は前《ぜん》申したとおり箱根を立ちました。そうしてすぐにこの紅《べに》が谷《やつ》の小別荘に入《はい》りました。私はそのまえちょっと国府《こう》津《づ》に泊まってみるつもりで、暗に一人《ひとり》極《ぎ》めのプログラムを立てていたのですが、とうとう兄さんにはそれを言い出さずにしまったのです。国府津でもまた「二度とこんな所は御免だ」と怒《おこ》られそうでしたから。そのうえ兄さんは私からこの別荘の話を聞いて、しきりにそこへ落ち付きたがっていたのです。
四七
なんにでも刺激されやすいくせに、どんな刺激にも堪え切れないといったふうに、今の兄《にい》さんには、草《そう》庵《あん》めいたこの別荘が最も適していたのかもしれません。兄さんは物静かな座敷から、谷一つ隔てて向こうの崖《がけ》の高い松を見上げた時、「好《い》いな」と言ってそこへ腰を卸しました。
「あの松も君の所有だ」
私は慰めるような句調で、わざと兄さんの口《こう》吻《ふん》を真《ま》似《ね》て見せました。修善寺ではとんと解《わか》らなかった「あの百合《ゆり》は僕の所有だ」とか、「あの山も谷も僕の所有だ」とか言った兄さんの言葉を想《おも》い出したからです。
別荘には留《る》守《す》番《ばん》の爺《じい》さんが一人いましたが、これは我々と出違いに自分の宅《うち》へ帰りました。それでも拭《ふ》き掃《そう》除《じ》のためや水を汲《く》むために朝夕一度ぐらいずつは必ず来てくれます。男二人のことですから、煮《に》炊《た》きはむろんできません。我々は爺さんに頼んで近所の宿屋から三度三度食事を運んでもらうことにしました。夜は電燈の設備がありますから、洋燈《ランプ》を点《とも》す手数は要《い》らないのです。こういう訳で、朝起きてから夜《よる》寐《ね》るまでに、我々のぜひ遣《や》らなければならないことは、まあ床を延べて蚊《か》帳《や》を釣《つ》るくらいなものです。
「自炊よりも気楽で閑静だね」と兄さんが言います。実際今まで通ってきた山や海のうちで、ここがいちばん静かに違いないのです。兄さんと差向かいで黙っていると、風の音さえ聞こえないことがあります。多少八《や》釜《かま》しいと思うのは珊《さん》瑚《ご》樹《じゆ》の葉隠れにぎいぎい軋《きし》る隣の車井戸の響きですが、兄さんは案外それには無《む》頓《とん》着《ちやく》です。兄さんはだんだん落ち付いてくるようです。私はもっと早く兄さんをここへ連れて来れば好《よ》かったと思いました。
庭先に少しばかりの畠《はたけ》があって、そこに茄子《なす》や唐《とう》もろこしが作ってあります。この茄子を〓《も》いで食おうかと相談しましたが、漬け物に拵《こしら》えるのが面倒なので、つい已《や》めにしました。唐もろこしはまだ食べられるほど実が入りません。勝手口の井戸の傍《そば》に、トマトーが植えてあります。それを朝、顔を洗うついでに、二人で食いました。
兄さんは暑い日盛りに、この庭だか畑だか分《わか》らない地面の上に下《お》りて、じっと蹲踞《しやが》んでいることがあります。時々かんなの花の香《におい》を嗅《か》いでみたりします。かんなに香なんかありゃしません。凋《しぼ》んだ月見草の花《はな》片《びら》を見詰めていることもあります。着いた日などは左隣の長者の別荘の境に生《は》えている薄《すすき》の傍《そば》へ行って、長いあいだ立っていました。私は座敷からその様子を眺《なが》めていましたが、いつまで経《た》っても兄さんが動かないので、しまいに縁先にある草《ぞう》履《り》を突っ掛けて、わざわざ傍へ行ってみました。隣と我々の住居《すまい》との仕切りになっているそこは、高さ一間ぐらいの土《ど》堤《て》で、時節柄一面の薄が蔽《おお》い被《かぶさ》っているのです。兄さんは近づいた私を顧みて、下の方にある薄の根を指さしました。
薄の根には蟹《かに》が這《は》っていました。小さな蟹でした。親指の爪《つめ》ぐらいの大きさしかありません。それが一匹ではないのです。しばらく見ているうちに、一匹が二匹になり、二匹が三匹になるのです。しまいにはあすこにもここにも蒼蠅《うるさ》いほど目に着きだします。
「薄の葉を渡る奴《やつ》があるよ」
兄さんはこんな観察をして、まだ動かずに立っています。私は兄さんをそこへ残してまた故《もと》の席へ帰りました。
兄さんがこういう些《さ》細《さい》なことに気を取られて、ほとんど我を忘れるのを見る私は、はなはだ愉快です。これでこそ兄さんを旅行に連れ出した甲《か》斐《い》があると思うくらいです。その晩私はその意味を兄さんに話しました。
四八
「さっき君は蟹《かに》を所有していたじゃないか」
私が兄《にい》さんに突然こう言い掛けますと、兄さんは珍しくあははと声を立てて愉快そうに笑いました。修善寺以後、私が時々所有という言葉を、妙な意味に使ってみせるので、単にそれを滑《こつ》稽《けい》と解釈している兄さんには可笑《おか》しく響くのでしょう。可笑しがられるのは、怒《おこ》られるよりもよっぽど増しですが、事実私のほうではもっと真《ま》面《じ》目《め》なのでした。
「絶対に所有していたのだろう」と私はすぐに言い直しました。今度は兄さんも笑いませんでした。しかしまだなんとも答えません。口を開くのはやはり私の番でした。
「君は絶対絶対と言って、このあいだむずかしい議論をしたが、なにもそう面倒な無理をして、絶対なんかにはいる必要はないじゃないか。ああいうふうに蟹に見《み》惚《と》れてさえいれば、少しも苦しくはあるまいがね。まず絶対を意識して、それからその絶対が相対に変わる刹《せつ》那《な》を捕えて、そこに二つの統一を見《み》出《いだ》すなんて、ずいぶん骨が折れるだろう。第一人間にできることかなんだかそれさえ判然しやしない」
兄さんはまだ私を遮《さえぎ》ろうとはしません。いつもよりはだいぶ落ち付いているようでした。私は一歩先へ進みました。
「それより逆に行ったほうが便利じゃないか」
「逆とは」
こう聞き返す兄さんの目には誠が輝いていました。
「つまり蟹に見《み》惚《と》れて、自分を忘れるのさ。自分と対象とがぴたりと合えば、君の言うとおりになるじゃないか」
「そうかな」
兄さんは心元なさそうな返事をしました。
「そうかなって、君は現に実行しているじゃないか」
「なるほど」
兄さんのこの言葉はやはり茫《ぼう》然《ぜん》たるものでした。私はこの時ふと自分が今までよけいなことを言っていたのに気がつきました。実をいうと、私は絶対というものをまるで知らないのです。考えもしなかったのです。想像もした覚えがないのです。ただ教育のお蔭《かげ》でそういう言葉を使うことだけを知っていたのです。けれども私は人間として兄さんよりも落ち付いていました。落ち付いているということが兄さんより偉いという意味に聞こえては面目ないくらいなものですから、私は兄さんより普通一般に近い心の状態を有《も》っていたと言い直しましょう。朋《ほう》友《ゆう》として私の兄さんに向かって働き掛ける仕事は、だからただ兄さんを私のような人並みな立場に引き戻《もど》すだけなのです。しかしそれを別な言葉で言ってみると非凡なものを平凡にするという馬《ば》鹿《か》気《げ》た意味にもなってきます。もし兄さんのほうで苦痛の訴えがないならば、私のようなものが、なんで兄さんにこんな問答を仕懸けましょう。兄さんは正直です。腑《ふ》に落ちなければどこまでも問い詰めてきます。問い詰めて来られれば、私には解らなくなります。それだけならまだしもですが、こういう批評的な談話を交換していると、せっかく実行的になりかけた兄さんを、またもとの研究的態度に戻してしまう恐れがあるのです。私はなによりさきにそれを気《き》遣《づか》いました。私は天下にありとあらゆる芸術品、高山大河、もしくは美人、なんでも構わないから、兄さんの心を悉《しつ》皆《かい》奪い尽くして、少しの研究的態度も萌《きざ》し得ないほどなものを、兄さんに与えたいのです。そうして約一年ばかり、寸時の間断なく、その全勢力の支配を受けさせたいのです。兄さんのいわゆる物を所有するという言葉は、必《ひつ》竟《きよう》物に所有されるという意味ではありませんか。だから絶対に物から所有されること、すなわち絶対に物を所有することになるのだろうと思います。神を信じない兄さんは、そこに至ってはじめて世の中に落ち付けるのでしょう。
四九
一昨日《おととい》の晩は二人で浜を散歩しました。私たちのいる所から海《うみ》辺《べ》までは約三丁もあります。細い道を通って、いったん街《かい》道《どう》へ出て、またそれを横切らなければ海の色は見えないのです。月の出にはまだ間がある時刻でした。波は存外暗く動いていました。目がなれるまでは、水と磯《いそ》との境目がはっきり分《わか》らないのです。兄《にい》さんはその中を容赦なくずんずん歩いてゆきます。私は時々生《なま》温《ぬる》い水に足《あし》下《もと》を襲われました。岸へ寄せる波の余りが、のし餅《もち》のように平らに拡《ひろが》って、思いのほか遠くまで押し上げてくるのです。私は後ろから兄さんに、「下《げ》駄《た》が濡《ぬ》れやしないか」と聞きました。兄さんは命令でも下すように、「尻《しり》を端《はし》折《お》れ」と言いました。兄さんはさっきから足を汚《よご》す覚悟で、尻を端折っていたものとみます。二、三間離れた私にはそれが分らないくらい四囲《あたり》が暗いのでした。けれども時節柄なんでしょう、避暑地だけあって人に会います。そうして会う人も会う人も、必ず男《なん》女《によ》二人連れに限られていました。彼らは申し合わせたように、黙って闇《やみ》の中を辿《たど》って来ます。だから忽《こつ》然《ぜん》私たちの前へ現われるまでは、まるで気がつかないのです。彼らが摺《す》り抜けるように私たちの傍《そば》を通ってゆく時、目を上げて物色すると、どれもこれも若い男と若い女ばかりです。私はこういう一対《つい》に何度か出会いました。
私が兄さんからお貞さんという人の話を聞いたのはその時のことでした。お貞さんは近ごろ大阪の方へお嫁に行ったんだそうですから、兄さんはその宵《よい》に出《で》逢《あ》った幾組みかの若い男や女から、お貞さんの花嫁姿を連想でもしたのでしょう。
兄さんはお貞さんを宅《うち》中《じゆう》でいちばん欲の寡《すくな》い善良な人間だと言うのです。ああいうのが幸福に生まれてきた人間だと言って羨《うらやま》しがるのです。自分もああなりたいと言うのです。お貞さんを知らない私は、なんとも評しようがありませんから、ただそうかそうかと答えておきました。すると兄さんが「お貞さんは君を女にしたようなものだ」と言って砂の上へ立ち留まりました。私も立ち留まりました。
向こうの高い所に微《かす》かな燈《ともし》火《び》が一つ目に入りました。昼間見ると、その見当に赤い色の建物が樹の間隠れに眺められますから、この燈火もおおかたその赤い洋館の主が点《つ》けているのでしょう。濃い夜陰の色の中にたった一つ懸《か》け離れて星のように光っているのです。私の顔はその燈火の方を向いていました。兄さんはまた浪《なみ》の来る海をまともに受けて立ちました。
その時二人の頭の上で、ピアノの音《ね》が不意に起こりました。そこは砂浜から一間の高さに、石《いし》垣《がき》を規則正しく積み上げた一構えで、庭から浜へじかに通えるためでしょう、石垣の端《はじ》には階段が筋違に庭先まで刻み上げてありました。私はその石段を上りました。
庭には家を洩《も》れる電燈の光が、線のように落ちていました。その弱い光で照らされていた地面はいったいの芝《しば》生《ふ》でした。花もあちこちに咲いているようでしたが、これは暗いうえに広い庭なので、はっきりとは分《わか》りませんでした。ピアノの音は正面に見える洋館の、明るく照らされた一室から出るようでした。
「西洋人の別荘だね」
「そうだろう」
兄さんと私は石段のいちばん上の所に並んで腰を掛けました。聞こえないようなまた聞こえるようなピアノの音が、時々二人の耳を掠《かす》めにきます。二人とも無言でした。兄さんの吸う煙草《たばこ》の先が時々赤くなりました。
五〇
私はお貞さんのつづきでも出ることと思って、暗いなかでそれとなく兄さんの声を待ち受けていたのですが、兄さんは煙草《たばこ》に魅《み》せられた人のように、時々紙巻きの先を赤くするだけで、なかなか口を開きません。それを石段の下へ投げて私の方へ向いた時は、もう話題がお貞さんを離れていました。私は少し意外に思いました。兄さんの題目は、お貞さんに関係のないばかりか、ピアノの音にも、広い芝《ひば》生《ふ》にも、美しい別荘にも、ないしは避暑にも旅行にも、すべて我々の周囲と現在とはまったく交渉を絶った昔の坊さんのことでした。
坊さんの名はたしか香《きよう》厳《げん*》とか言いました。俗にいう一を問えば十を答え、十を問えば百を答えるといったふうの、聡《そう》明《めい》霊利に生まれ付いた人なのだそうです。ところがその聡明霊利が悟道の邪魔になって、いつまで経《た》っても道に入《はい》れなかったと兄さんは語りました。悟りを知らない私にもこの意味はよく通じます。自分の知恵に苦しみ抜いている兄さんにはなおさら痛切に解《わか》っているでしょう。兄さんは「まったく多知多解が煩いをなしたのだ」ととくに注意したくらいです。
数《す》年《ねん》のあいだ百丈禅師《*》とかいう和尚さんについて参禅したこの坊さんはついになんの得《う》るところもないうちに師に死なれてしまったのです。それで今度は〓《い》山《さん*》という人のもとに行きました。〓山はお前のような意解識想《*》を振り舞わして得意がる男はとても駄《だ》目《め》だと叱《しか》り付けたそうです。父も母も生まれないさきの姿《*》になって出てこいと言ったそうです。坊さんは寮舎に帰って、平生読み破った書物上の知識を残らず点検したあげく、ああああ画《え》に描《か》いた餅《もち》はやはり腹の足しにならなかったと嘆息したと言います。そこで今まで集めた書物をすっかり焼き棄《す》ててしまったのです。
「もう諦《あきら》めた。これからはただ粥《かゆ》を啜《すす》って生きていこう」
こう言った彼は、それ以後禅のぜの字も考えなくなったのです。善も投げ悪も投げ、父母の生まれないさきの姿も投げ、いっさいを放《ほう》下《げ*》し尽くしてしまったのです。それからある閑寂な所を選んで小さな庵《いおり》を建てる気になりました。彼はそこにある草を芟《か》り《*》ました。そこにある株を掘り起こしました。地ならしをするために、そこにある石を取って除《の》けました。するとその石の一つが竹《たけ》藪《やぶ》に中《あた》って戛《かつ》然《ぜん*》と鳴りました。彼はこの朗らかな響きを聞いて、はっと悟ったそうです。そうして一撃に所知を亡《うしな》う《*》と言って喜んだといいます。
「どうかして香厳になりたい」と兄さんが言います。兄さんの意味はあなたにもよく解《わか》るでしょう。いっさいの重荷を卸して楽になりたいのです。兄さんはその重荷を預ってもらう神を有《も》っていないのです。だから掃《は》き溜《だ》めかなにかへ棄ててしまいたいと言うのです。兄さんは聡《そう》明《めい》な点においてよくこの香厳という坊さんに似ています。だからなおのこと香厳が羨《うらやま》しいのでしょう。
兄さんの話は西洋人の別荘や、ハイカラな楽器とは、まったく縁の遠いものでした。なぜ兄さんが暗い石段の上で、磯《いそ》の香《か》を嗅《か》ぎながら、突然こんな話をしだしたか、それは私には解りません。兄さんの話が済んだころはピアノの音ももう聞こえませんでした。潮に近いためか、夜露のせいか、浴衣《ゆかた》が湿っぽくなっていました。私は兄さんを促してまた故《もと》の道へ引き返しました。往来へ出た時、私は行きつけの菓子屋へ寄って饅《まん》頭《じゆう》を買いました。それを食いながら暗いなかを黙って宅《うち》まで帰ってきました。留《る》守《す》を頼んでおいた爺《じい》さんのところの子供は、蚊《か》に喰《く》われるのも構わずぐうぐう寐《ね》ていました。私は饅頭の余りを遣《や》って、すぐ子供を帰してやりました。
五一
昨日《きのう》の朝食事をした時、飯《めし》櫃《びつ》を置いた位地の都合から、私が兄さんの茶《ちや》碗《わん》を受けとって、一《いち》膳《ぜん》目《め》の御飯をよそってやりますと、兄さんはまたお貞さんの名を私の耳に訴えました。お貞さんがまだ嫁に行かないうちは、ちょうど今私がしたように、始終兄さんのお給仕をしたものだそうですね。昨夜《ゆうべ》は性格の点からお貞さんに比較され、今朝《けさ》はまたお給仕の具合で同じお貞さんにたとえられた私は、つい兄さんに向かって質問を掛けてみる気になりました。
「君はそのお貞さんとかいう人と、こうしていっしょに住んでいたら幸福になれると思うのか」
兄さんは黙って箸《はし》を口へ持ってゆきました。私は兄さんの態度から推して、おおかた返事をするのが厭《いや》なんだろうと考えたので、それぎりあとを推しませんでした。すると兄さんの答えが、御飯を二口三口嚥《の》み下したあとで、不意に出てきました。
「僕はお貞さんが幸福に生まれた人だと言った。けれども僕がお貞さんのために幸福になれるとは言やしない」
兄さんの言葉はいかにも論理的に終始を貫いて真《まつ》直《すぐ》に見えます。けれども暗い奥には矛盾がすでに漂っています。兄さんはなんにも拘《こう》泥《でい》していない自然の顔をみると感謝したくなるほど嬉《うれ》しいと私に明言したことがあるのです。それは自分が幸福に生まれた以上、他《ひと》を幸福にすることもできるというのと同じ意味ではありませんか。私は兄さんの顔を見てにやにやと笑いました。兄さんはそうなるとただでは済まされない男です。すぐ食い付いていきます。
「いやほんとうにそうなのだ。疑《うたぐ》られては困る。実際僕の言ったことは言ったことで、言わないことは言わないことなんだから」
私は兄さんに逆《さから》いたくはありませんでした。けれどもこれほど頭の明らかな兄さんが、自分の平生から軽《けい》蔑《べつ》している言葉のうえの論理を弄《もてあそ》んで、平気でいるのは少し可笑《おか》しいと思いました。それで私の腹にあった兄さんの矛盾を遠慮なく話して聞かせました。
兄さんはまた無言で飯を二口ほど頬《ほお》張《ば》りました。兄さんの茶碗はその時空《から》になりましたが、飯櫃は依然として兄さんの手の届かない私の傍《そば》にありました。私はもう一遍給仕をする考えで、兄さんの鼻の先へ手を出したのです。ところが今度は兄さんが応じません。こっちへ寄こしてくれと言います。私は飯櫃を向こうへ押してやりました。兄さんは自分でしゃも子《じ》を取って、飯をてこ盛りにもり上げました。それからその茶碗を膳の上に置いたまま、箸も執らずに私に問い掛けるのです。
「君は結婚まえの女と、結婚後の女と同じ女だと思っているのか」
こうなると私にはおいそれと返事ができなくなります。平生そんなことを考えてみないからでもありましょうが。今度は私のほうが飯を二口三口立て続けに頬張って、兄さんの説明を待ちました。
「嫁に行くまえのお貞さんと、嫁に行ったあとのお貞さんとはまるで違っている。今のお貞さんはもう夫のためにスポイルされてしまっている」
「いったいどんな人のところへ嫁に行ったのかね」と私が途中で聞きました。
「どんな人のところへ行こうと、嫁に行けば、女は夫のために邪《よこしま》になるのだ。そういう僕がすでに僕の妻《さい》をどのくらい悪くしたか分《わか》らない。自分が悪くした妻から、幸福を求めるのは押しが強すぎるじゃないか。幸福は嫁に行って天《てん》真《しん》を損《そこな》われた女からは要求できるものじゃないよ」
兄さんはそういうやいなや、茶《ちや》碗《わん》を取り上げて、むしゃむしゃてこ盛りの飯を平らげました。
五二
私は旅行に出てから今《こん》日《にち》に至るまでの兄《にい》さんを、これでできるだけ委《くわ》しく書いたつもりです。東京を立ったのはつい昨日《きのう》のようですが、指を折るともう十日あまりになります。私の音信《たより》を宛《あて》にして待っておられる貴方《あなた》やお年寄りには、この十日が少し長すぎたかもしれません。私もそれは察しています。しかしこの手紙の冒頭にお断わりしたような事情のために、ここへ来て落ち付くまでは、ほとんど筆を執る余裕がなかったので、已《や》むを得ず遅《おく》れました。その代り過去十日間のうち、この手紙に洩《も》れた兄さんは一日もありません。私は念を入れてその日その日の兄さんをことごとくこの一封のうちに書き込めました。それが私の申し訳です。同時に私の誇りです。私は当初の予期以上に、私の義務を果たし得たという自信のもとに、この手紙を書きおわるのですから。
私の費やした時間は、時計の針で仕事の分量を計算してみない努力だから、数字としては申し上げられませんが、ずいぶんの骨折りには違いありませんでした。私は生まれてはじめてこんな長い手紙を書きました。むろん一気には書けません、一日にも書けません。ひまの見付かりしだい机に向かって書き掛けたあとを書き続けていったのです。しかしそれはなんでもありません。もし私の見た兄さんと、私の理解した兄さんがこの一封のうちに動いているならば、私は今より数層倍の手数と労力を費やしても厭《いと》わないつもりです。
私は私の親愛するあなたの兄さんのために、この手紙を書きます。それから同じく兄さんを親愛する貴方のためにこの手紙を書きます。最後には慈愛に充《み》ちたお年寄り、あなたと兄さんのお父《とう》さんやお母《かあ》さんのためにもこの手紙をかきます。私の見た兄さんはおそらく貴方がたの見た兄さんと違っているでしょう。私の理解する兄さんもまた貴方がたの理解する兄さんではありますまい。もしこの手紙がこの努力に価するならば、その価はまったくそこにあると考えてください。違った角度から、同じ人を見て別様の反射を受けたところにあると思って御参考になさい。
あなたがたは兄さんの将来について、とくに明《めい》瞭《りよう》な知識を得たいとお望みになるかもしれませんが、予言者でない私は、未来に喙《くちばし》を挟《さしはさ》む資格を持っておりません。雲が空に薄暗く被さった時、雨になることもありますし、また雨にならずに済むこともあります。ただ雲が空にあるあいだ、日の目の拝まれないのは事実です。あなたがたは兄さんが傍《はた》のものを不愉快にすると言って、気の毒な兄さんに多少非難の意味を持たせているようですが、自分が幸福でないものに、他《ひと》を幸福にする力があるはずがありません。雲で包まれている太陽に、なぜ暖かい光を与えないかと逼《せま》るのは、逼るほうが無理でしょう。私はこうしていっしょにいるあいだ、できるだけ兄さんのためにこの雲を払おうとしています。貴方がたも兄さんから暖かな光を望むまえに、まず兄さんの頭を取り巻いている雲を散らしてあげたら可《い》いでしょう。もしそれが散らせないなら、家族のあなたがたには悲しいことができるかもしれません。兄さん自身にとっても悲しい結果になるでしょう。こういう私も悲しゅうございます。
私は過去十日間の兄さんを、書きました。この十日間の兄さんが、未来の十日間にどうなるかが問題で、その問題には誰《だれ》も答えられないのです。よし次の十日間を私が受け合うにしたところで、次の一か月、次の半年の兄さんを誰が受け合えましょう。私はただ過去十日間の兄さんを忠実に書いただけです。頭の鋭くない私が、読み直すひまもなくただ書き流したものだから、そのうちにはさだめて矛盾があるでしょう。頭の鋭い兄さんの言行にも気の付かないところに矛盾があるかもしれません。けれども私は断言します。兄さんは真《ま》面《じ》目《め》です。決して私を胡《ご》麻《ま》化《か》そうとしてはいません。私も忠実です。貴方を欺く気は毛頭ないのです。
私がこの手紙を書きはじめた時、兄さんはぐうぐう寐《ね》ていました。この手紙を書きおわる今もまたぐうぐう寐ています。私は偶然兄さんの寐ている時に書きだして、偶然兄さんの寐ている時に書きおわる私を妙に考えます。兄さんがこの眠りから永久覚《さ》めなかったらさぞ幸福だろうという気がどこかでします。同時にもしこの眠りから永久覚めなかったらさぞ悲しいだろうという気もどこかでします」
(大正元・一二・六―二・一一・一五)
注 釈
*梅田の停車場 東海道本線大阪駅のことで、北区梅田にあるため、俗にこう呼ばれた。なお、私鉄の阪神・阪急は、現在も「梅田駅」となっている。
*一所 普通「一緒」と書く。
*懸け違って 行き違って。食い違って。
*呉春 江戸後期、京都四条に住んだ画家松村月渓の別号。
*天下茶屋 大阪市西成区の地名。豊臣秀吉が休憩したという茶屋があったことに由来する。なお、主人公が岡田を尋ねるこの部分は、漱石が満州朝鮮旅行の帰途、大阪に立ち寄り、天下茶屋に住んでいた長谷川如是閑(当時大阪朝日新聞記者)の家を訪問した際のことが素材に使われている。明治四十二年(1909)十月十五日の日記に「……天下茶屋まで車を飛ばして遊園地の長谷川如是閑を訪う。遊園地((ママ))の閑静にて家々皆清楚なり。秋光澄徹すこぶる快意。如是閑遠藤という高等下宿を去って近所に家を構う。去って尋ぬるに不在。待つ。しばらくにして帰る。二階で話をする。好い心《ここ》地《ち》なり。……」とある。
*官省の属官 官庁の下級官吏。旧官吏制度で、判任官(勅任官・奏任官の下位で、官吏として最下級)の文官を「属官」と称した。
*徒事 冗談事。
*高商 当時、神田区一橋通町(現在の千代田区神田一ツ橋)にあった「東京高等商業学校」の略称。のち、東京商科大学となり、昭和六年(1931)東京都北多摩郡国立町(現在の東京都国立市)に移転し、昭和二十四年(1949)一橋大学となった。
*富士へ登って 漱石は明治二十年(1887)夏、親友中村是公と富士山に登り、同二十四年(1891)夏(東京帝国大学一学年在学中)にも是公および山川信次郎と再登山している。三一ぺージに出てくる富士登山の回想は、これらの経験がもとになっていると思われる。
*折節 普通「おりふし」と読む。
*見付けて 「めっけて」と発音する。「みつけて」の江戸なまり。
*山の手を通り越した郊外 山の手(当時の本郷・小石川・四谷・牛込区など、すなわち現在の文京・新宿区などの地区を称した)の外側、すなわち現在の北・豊島・中野区など(当時は郡部であった)をさす。
*快豁 普通「快活」と書くが、「豁」は、胸を打ち開いたさまをいう。
*赤い裾 赤い布でへりをつけた蚊帳の裾。
*絞り 絞り染めに似た模様の花が咲く朝顔の品種。
*敷島 たばこの品名。
*階子段 普通「梯子段」と書く。
*廂 廂髪のことで、前髪と鬢《びん》とを前に出して結った束髪。明治三十七年(1904)ごろから若い女性の間に流行した。
*手絡 丸《まる》髷《まげ》などの根もとにかけるきれで、縮《ちり》緬《めん》などを色模様に染めたもの。
*意地見る 普通「苛める」と書く。
*心易だてで 親しい間がらであるので遠慮なく。
*貞 漱石は明治四十四年(1911)五月、家事手伝いをしていた妻の従妹のふさおよび西村濤蔭の妹梅を親代りとなって続けて結婚させているが、この貞の結婚には、その時の経験が生かされているものと思われる。
*浜寺 大阪府堺市の地名。大阪湾にのぞむ行楽地で、古くは「高《たか》師《し》の浜」として歌にもよまれた名所。海水浴場としても知られ、現在は公園化されて、関西随一の夏の楽園地となっている。なお、前出の十月十五日の日記には、続けて「鳥居素川の留守宅で妻君に逢う。如是閑浜寺へ行こうという。行く。大きな松の浜があって、一力の支店というばかに大きな家がある。そこで飯を食う。マズイものを食わせる。その代りいろいろ出して三円なにがしという安い勘定なり。電車で帰る。……」とある。
*大きな松 浜寺公園の砂浜には現在も大きな老い松が茂って、千両松・白蛇松などの名松が残っている。また、「惜松碑」という記念碑も建てられている。
*隧道 長谷川如是閑は、この時のことを回想して、「夏目君は無論浜寺は始めてだが、案内のつもりの私も始めてだ。二人とも朝飯を食った切りなのだから、好い加減腹が減って、始めての浜寺も碌《ろく》々《ろく》歩き廻ることはしないで、行き当りばったりに大きな門を入って、大きい玄関を上って、トンネルのような廊下を通って、宿屋の一間のような二階座敷に通された。君は廊下に出て、何んだか変な所を通って来たと思ったらトンネルになっているのだと、余程嬉《うれ》しい所でも通って来たような風だった」(『犬・猫・人間』)と書いている。
*お店もの 「店員」の旧称。商店の奉公人。
*十六、七の小僧が…… 明治四十二年(1909)十月三十日の如是閑あて書簡に、「浜寺では御馳走になりました。あの時向《むこう》座《ざ》敷《しき》の小憎が欄に倚《よ》って反《へ》吐《ど》をはくところは実に面白かった。……」とある。
*三尺帯 単に「三尺」ともいう。男ものを「へこ帯」、女ものを「しごき帯」という。
*金明水 富士山頂の積雪が溶けて、北側の久須志岳の下付近で湧出する泉のこと。霊水とされる。
*姿扮 「扮《ふん》」は、身繕い、装い、の意味。
*病院に入った 以下の三沢の胃病や病院でのことなどは、漱石が明治四十四年(1911)八月、関西各地を講演旅行後、胃《い》潰《かい》瘍《よう》が再発して、大阪市東区今橋三丁目の湯川胃腸病院に約三週間入院した際の経験や見聞が素材にされている。
*アトニー Atonie(独)。弛《し》緩《かん》。胃の筋肉の緊張力が減退し、消化運動が不活発になる症状をいう。
*下垂性 胃が異常に下垂して、胃に重圧を感じたり、頭痛・不眠などの起こる症状。
*トーヌス Touns(独)。緊張。アトニーの反対で、胃の筋肉が過度に緊張して痛みを感ずる症状。
*暗がり峠 奈良県と大阪府との境界をなす金剛山脈にある峠。生《い》駒《こま》山のやや南で、近鉄奈良線の生駒トンネルは生駒山のやや北にある。
*膿毒性 普通「膿毒症」と書き、また、「膿血病」ともいう。化膿した部分から血液に流れ込んだ化膿菌が繁殖して全身に広がる病気。
*馬関 山口県下関市の旧称。
*単簡 「簡単」と同じ。
*じゃん、じゃか、じゃん 「おじゃん」ともいい、話をだめにしてしまうこと。
*ジェム The Gem 当時、「ゼム」の名称、「衛生家必携懐中良薬」の宣伝文句で新聞などに大広告し、日本橋区(現在の中央区日本橋)馬喰町二丁目の山崎栄三郎本舗から発売されていた口中清涼剤の商品名。現在の「ジンタン」や「カオール」に相当する。
*縁喜 普通「縁起」と書く。
*無益 普通「むえき」と読む。
*銀杏返し 女の日本髪の一種。髪を上方で両分し左右に半円形に曲げて結うもの。
*内所話 普通「内緒話」と書く。
*捕えて 普通「つかまえて」という。
*滋養浣腸 胃腸を安静にするために食事を中止し、滋養液を肛門から注入し、大腸で吸収させること。
*綺羅 美しい着物。
*悲酸 普通「悲惨」と書く。
*釣台 板の両端に曲げた竹などを取り付け、そこへ棒を通して二人で肩にかついでゆくもの。
*本間に 「ほんとう」の関西語。普通「本真に」と書く。
*目を眠った 「目をつむった」に同じ。
*変返る 変え改める。
*折り合っている 病気の状態がよくも悪くもならずに平衡を保っている、の意味。
*始末屋 節約家。倹約家。
*富士額 髪のはえぎわが富士山の形に似ている額。
*灰吹き きせる煙草の吸いがらをたたき入れるために煙草盆につけられた筒。
*バルガー vulgar(英)俗物的な。やぼな。
*嫁らした 「嫁入らした」のなまり。
*纏綿した まつわりついた。複雑な。
*枝垂れ懸る 「枝」は「撓」の当て字。
*成効 普通「成功」と書く。
*填補 不足を埋め補うこと。
*黒人 普通「玄人」と書く。
*宿はさほど…… 漱石が明治四十四年(1911)八月十三日(および十六日以後湯川病院入院まで――推定)宿泊した紫雲楼のありさまが生かされ、また第一四章に出てきた三沢の泊まった宿は、その前々日(八月十一日)に宿泊した“銀水”旅館での印象が素材になっている。
*唐机 紫《し》檀《たん》で作った中国ふうの机。
*茶座敷 茶室のこと。
*和歌の浦 和歌山市和歌の浦。その海岸。古来、詩歌にもよまれた景勝地。
*金子 「子」は接尾語。おかね。
*伺候 ごきげんを伺うこと。
*太平楽 言いたいほうだい。でたらめ。
*灘万 大阪市東区今橋五丁目にある有名な料《りよう》亭《てい》。
*まな鰹 かつおの一種。その切り身のみそづけは灘万の名物となっている。
*欠 普通「欠伸」と書く。
*為ずに 「せずに」のなまり。
*粉微塵 普通「こなみじん」という。
*片男波 『万葉集』に出ている山《やま》部《べの》赤《あか》人《ひと》の短歌、「和歌の浦に潮満ち来れば潟をなみ蘆《あし》辺《べ》をさして鶴《つる》鳴《な》き渡る」の「かたをなみ」をもじって別の字をあてたもの。このもじりは漱石の独創ではなく、前から和歌の浦の地名(片男波の半島)としてあった。なお、「男《お》波《なみ》」(高低ある波の高い方の波のこと)のことを、「片男波」ともいう。
*矯めがたい 直しにくい。
*功力 仏教語。功能。効力。
*掛け茶屋 道ばたによしずなどを差し掛けて店を出している茶屋。
*真白な蚊帳 明治四十四年(1911)八月十四日の日記に、「晩に白い蚊帳を釣り明け放して寐る。それでも寐苦し。朝起 涼しさや蚊帳の中より和歌の浦」とある。
*焙烙蒸し 焙烙(底の浅い素焼きの土なべ)に塩を敷き、魚やまつたけなどを入れふたをして蒸し焼きにしたもの。
*蓊《こん》鬱《もり》 「おううつ」と読む漢語で、樹木の茂っているさま。
*下がり松 和歌の浦の妹《いも》背《せ》山という小島にある老い松。浄《じよう》瑠《る》璃《り》「三十三間堂棟《むなぎ》の由来」平太郎住家の段に、「和歌の浦には名所がござる。一に権現、二に玉津島、三に下り松、四に塩釜よ」と出ている。
*懸崖 断崖。
*権現様 和歌の浦にある東照宮の通称。元和七年(1621)、紀《き》伊《い》藩の祖徳川頼宣が父の徳川家康を祭るために建《こん》立《りゆう》、社殿は現在もその当時のもので、うっそうと茂った森の中にあるが、背後の山に登るとすばらしい眺《ちよう》望《ぼう》が開ける。明治四十四年(1911)八月十五日の日記に、「朝車で新和歌の浦に行く。長者議員某氏の招くところという。トンネル二つ。運動場というのは砲台の出来損《そこない》のごとし。帰りに権現様に上る。橋の所に乞食《こじき》が二人いる。石段は一直線で三にしきる。それから片男波を見る。希《めず》らしく大きな波が堤を越えてくる。……」とある。
*気不精 普通「きぶっしょう」という。気が進まぬこと。気分が重いこと。
*掛念 「懸念」とも書く。
*癇高い 普通「甲高い」と書く。
*玉のように玲瓏 宝玉のように透き通っているさま。
*メレディス George Meredith(1828―1909)。イギリスの小説家・詩人。漱石は早くからこの人のものを愛読しており、大きな影響を受けたといわれる。
*泥鰌 「鰌」の字だけでも「どじょう」と読む。
*縞絽 縞模様の絽。
*明石 「明石縮《ちぢみ》」の略。縦に生糸、横に強い練り糸を用いて織ったもので、薄いさらさらした高級夏物生地。江戸時代、兵庫県明石市の人が創製したと伝えるが、現在では京都市西陣と新潟県十日町市が主産地となっている。
*玉津島明神 和歌の浦にある神社。稚《わか》日《ひる》女《めの》尊《みこと》・神《じん》功《ぐう》皇后・衣《そと》通《おり》姫《ひめ》を祭る。古来、和歌の神社として歌人に敬い親しまれた。以前は和歌の浦の小島の玉津島にあったが寛文年間(十七世紀)に現在の地に移された。
*新和歌の浦 和歌の浦に続いてその西にある海岸。山が海に迫り、風景は和歌の浦より雄大。
*廂の最中から下がっている白い紐 参拝者が鈴を鳴らす紐をさすのであろう。
*斑 まだら。斑《はん》点《てん》。ここは、雲の状態をさす。
*鉄輪 人力車のタイヤにゴムが用いられる以前は木製の車輪に鉄の輪がはめられていた。東京では明治四十年(1907)ごろからゴムの車輪が使われだしたが、地方ではまだ鉄輪のものを使っていた。
*機まない 普通「弾む」または「勢む」と書く。
*執拗く 普通「執念く」と書く。
*直下に 普通「直に」と書く。
*差し図 普通「指し図」と書く。
*木口 材木の種類や性質。
*痛振っている ひどくゆさぶっている。「痛」は当て字。
*ギヤマン細工 「ガラス製品」の旧称。「ギヤマン」はオランダ語で、金剛石《ダイヤモンド》のことであるが、ガラスを切るのに金剛石を用いたことから、ガラスを切って細工したものを「ギヤマン細工」といい、さらにガラスそのものをさしていう語にもなった。
*電燈に疎い 電燈のあかりがよく届かない。
*海嘯 普通「津波」と書く。
*桐油 「桐油合《がつ》羽《ぱ》」の略。桐油を引いた防水紙で作った合羽で、ここは、風雨を防ぐための人力車の幌《ほろ》をさす。
*簀垂 普通「簾」と書く。
*練り塀 土塀のこと。
*峙てて 「峙つ」は、山などがそびえたつことで、耳を傾ける意味では、普通「〓つ」と書く。
*蓮葉 女の軽薄なさま。
*カンテラ 西洋ランプの一種。ブリキの油つぼに石油を入れたもの。
*更紗 「更紗模様」または「更紗紙」の略。更紗(花鳥など種々の模様を染め出した金《かな》巾《きん》・絹布)の模様のある紙。印花紙。
*畳紙 「たとうがみ」の略。厚紙に渋や漆を塗ったもので、結髪道具・衣類などを包むのに用いる。
*小用 便所へ行くこと。小便。
*寡言 多弁でないこと。無口。
*景色 普通「気色」と書く。
*琥珀 「琥珀織り」の略。絹織物の一種。
*八幡の藪知らず 千葉県市川市の法漸寺の南にある藪のことで、これにはいると再び出ることができないという俗説があった。
*行き抜けの人となり 物事を包み隠ししない性格。
*盆波 旧盆のころ海に寄せる大きな波をいう。
*行李 「こうり」のなまり。
*弁《いい》疏《わけ》 「べんそ」の意味読み。
*鍾愛 愛情を集中すること。「鍾」は、集める、の意味。
*色に出る 顔色に表われる。
*綾成す 当て字。子供のきげんをとる意味の「あやす」と、巧みにあやつる意味の「あやなす」とを合成したような語。
*乙女 当て字。「おぼこ娘」の略。世事になれないうぶな娘。
*堂摺連 「堂摺」は、当て字。当時、東京で娘《むすめ》義《ぎ》太《だ》夫《ゆう》を聞きに通うファンが、感激的な節回しのところへくると「どうする、どうする」と声をかけたのにより、女芸人をひいきにして足しげく通う者のことをこう呼んだ。
*プッジング pudding(英)。洋菓子の一種。食後に食べる菓子で、わが国では普通「プディング」または「プリン」といっている。
*会席膳 会席料理(酒宴などの際の料理)をのせて出す脚なし正方形の漆塗りの膳。
*一番 一曲。「番」は、謡曲の曲数を数える単位。
*探幽 狩野守信(慶長七年―延宝二年、1602―1674)。探幽斎と称した。江戸時代狩野派の代表的画家で、幕府の御用をつとめた。
*三幅対 中央を人物、左右を花鳥とするなど、三幅で一対となる掛け物。狩野派の壮大な絵にはこの形式のものが多い。
*景清 四番目物の中で人情物と称された謡曲の一つ。作者不詳。かつて源平合戦に剛勇をもって聞こえた平家の侍大将悪七兵衛景清は、日《ひゆ》向《うが》の国宮崎に流され、老いた盲目のこじきとなっている。そこへ、尾張の国熱田の遊女との間にできた子で、現在鎌倉の遊女屋に預けられている娘が尋ねて来るが、彼は父の名乗りをせず、涙にくれる。結局、里人の厚意で二人は名乗り合わされ、景清は屋島の合戦の戦談を物語り、回《え》向《こう》を頼んで娘と決別する、という筋である。
*恰腹 普通「恰幅」と書く。
*仕手 能楽・狂言で、曲中の主人公を受け持つ役。主役。「景清」では景清の役。
*脇 能楽・狂言で、シテの相手となる役。脇役。「景清」では里人の役。
*「娘」と「男」 景清の娘人《ひと》丸《まる》とその従者。前者はシテヅレ、後者はワキヅレの役。
*凋落しかかった前世紀の肉声 謡曲が、昔ほど盛んでなくなったことをいっている。
*松門 「景清」の「松門の出」と称し、この曲中最も重要な謡いどころとされる。景清がわび住まいの松門(松の立木のあるそまつな小屋)において独白を述べる個所、すなわちシテが、「松門ひとり閉ぢて年月を送り、みづから清光を見ざれば、時の移るをもわきまへず……」と謡う個所をさす。
*惨しい 普通「痛ましい」と書く。
*胡麻節 謡曲の節を示す符号。歌詞の右横にごまの形をした点をつけて示す。「ごま点」ともいっている。
*成蹟 普通「成績」と書く。
*さすがに我も平家なり…… 景清が娘の所望で昔の功名談を物語る際の前置き。「さて、浦は荒磯に寄する波も聞こゆるは、夕汐もさすやらん、さすがにわれも平家なり。物語り始めて御慰みを申さん」
*世話に崩して 通俗的・現代的な物語に和らげて。
*献酬 杯のやり取り。
*腰弁時代 下級サラリーマンのころ。江戸時代に諸侯の下級家臣が腰に弁当をさげて江戸の屋敷に出勤したことに由来し、明治時代になってからも、下級官吏のことを「腰弁当」、略して「腰弁」と俗称した。
*練修 普通「練習」と書く。
*エンゲージド engaged(英)。予約ずみ。予約席。
*水引 進物用の包み紙などにつける紅白に染め分けたこよりのひも。
*御影 「御影石」の略。花《か》崗《こう》岩《がん》の異称。
*茶がかった小座敷 茶室ふうの部屋。
*洒然 さっぱりしたさま。平気なさま。
*大根 根本。
*銅版 「銅版画」の略。
*迂闊 ここは、学問に閉じこもり、世間の常識にうといこと。
*摯実 物事に対しまじめで誠実であること。
*属官流に 三九八ページ「官省の属官」参照。
*士人の交わり 正義をわきまえた誠実な人間同士のつきあい。
*宛 普通「当て」と書く。
*糊塗する あいまいにごまかして処理する。
*己惚れ 「うぬぼれ」のなまり。
*憮然 がっかりするさま。
*状袋 「封筒」の旧称。
*三和土 たたき土。石灰と苦塩《にがり》を混ぜて練り合わせたもので、たたき固めて敷石のようにしたもの。土間などに塗られる。
*介意 気にかけること。
*三勝半七 元《げん》禄《ろく》八年(1695)、大坂下難波村千日の墓地で起きた大坂寿町美濃屋の遊女三勝と大和五条新町の赤根屋半七の心中は、多くの小説・戯曲に脚色されたが、中でも浄瑠璃「艶《はで》 容《すがた》 女《おんな》 舞《まい》 衣《ぎぬ》」(明和九年〈1772〉大坂豊竹座初演)が有名で、お園という妻がありながら、半七は、三勝との間に子供まで作るが、遊里で人を殺し、三勝の兄勝二郎が罪を引き受けるが、義理と人情の板ばさみからついに三勝と情死する、という筋である。
*膂力 筋肉の力。腕力。
*痼疾 持病。
*懇気に ねんごろに。じっと。
*力めて 普通「勉めて」「努めて」と書く。
*徒然 退屈なこと。
*氷を裂くような汽車 寒気を突っ走る汽車を形容したもの。
*繻珍 絹の紋織物。おもに女の帯・羽織の裏などに用いられる。
*卵甲 べっこうの模造品で、鶏卵の白身を材料にして製造したもの。なお、明治四十四年(1911)五月二十五日の日記に、お梅さんの結婚したくのことで、「櫛に中ざしはお房さんと同じ卵甲だけれどもたいへん安い。……」とある。
*鼈甲 うみがめの甲を煮て製造したもの。くし・こうがいなどを作る。
*四方張り 四方から張り合わせて作った工芸品。
*お納戸 染色の一種。ねずみ色に近いあい色。
*閑静 着物の色彩や模様にあでやかさがなく、じみで、みすぼらしい感じさえ与えることをさしていったもので、「それから」にも同じような「閑静な羽織」という表現がある。
*式台 客を送迎する玄関先の板敷き。
*格天井 木を組んで多数の正方形に区画したようになっている天井。
*縁女 花嫁。
*洗い洒ぎ 普通「あらいすすぎ」という。
*降意 降参する意志。
*衒気 偉そうにみせる気持ち。
*塵労 仏教語。煩《ぼん》悩《のう》の意味。
*陰刻 石碑などに文字を深く彫りこむことをいうが、ここは、陰《いん》鬱《うつ》な季節という意味であろう。
*手爪先の尋常な 手の指が細く爪先のたいへん美しい。
*ジョコンダ Gioconda イタリアの画家レオナルド・ダ・ヴィンチの傑作「モナ・リザ」に描かれた女。
*閃電 稲妻の閃光。
*零砕 普通「零細」と書く。
*半切 縦に半分に切った紙に書画をかいたもの。
*茶懸け 茶室に掛ける掛け物。
*大徳寺 京都市北区にある臨済宗大徳寺派本山。千利休などが住んでいたことがあって茶道と関係深く、中世の書などが多く所蔵されているので有名。
*黄檗 臨済宗の一派。京都府宇治市に本山の万福寺があり、古書の所蔵でも知られる。
*上野の表慶館 上野公園にある東京国立博物館の一部。明治三十三年(1900)、皇太子(大正天皇)御成婚記念として東京市民が献上した建物で、同四十二年(1909)に落成・開館した。なお、漱石はしばしばここへ見に行っているが、以上の部分は、明治四十四年(1911)十一月二十三日に観覧した際のことが素材になっている。
*御物 「ぎょぶつ」ともいう。天皇家の所蔵品。
*のんこう 天正二年―明暦二年(1574―1656)。陶工。京都の楽焼本家の三代目。通称は吉兵衛、のち、吉左衛門と改め、剃《てい》髪《はつ》後、道入と号した。
*東照宮 上野公園にあり、徳川家康・吉宗を祭った神社。寛永年間(十七世紀前半)の創建。
*瓶 vase(英)。花びん。
*三橋の通り もとの都電停留所上野公園付近の街路の旧俗称。不《しの》忍《ばずの》池《いけ》から流れ出る川に三つ並べて橋が掛けられていたので、こう呼ばれ、この街路の東側の三橋町(今の上野四丁目)にその名を残した。
*勧工場 日用品・雑貨を売った協同商店のこと。デパートの前身にあたる。
*活動 活動写真館のことで、洋食店「三橋」と街路をはさんで向かい合っていた勧工場のあとに、明治四十二年(1909)六月落成した第一競争館をさす。まもなく、みやこ座と改称した。
*丁年 一人前の年齢。満二十歳。
*青春 「春」と同じ。
*とんび 男子和服用の外《がい》套《とう》。ラシャで作り、袖《そで》が広く長いのでとびの羽に似ているところからこう呼ぶ。
*権柄ずく 権勢をもって他人を押えつけようとすること。
*マジョリカ皿 十五世紀ごろイタリアで作り出された装飾的陶器。
*セゼッション式 secession(英)。一八九七年、ウィーンで旧来の美術展から分離して起こった美術工芸革新運動の様式。形・色の単純化・明確化をモットーとした、すっきりした作風。
*テレパシー telepathy(英)。精神感応。
*オフィリヤ Ophelia シェークスピアの悲劇「ハムレット」に出てくる少女。ボローニアスの娘。ハムレットに恋するが、父の死、ハムレットの国外追放などのショックから気が狂い、川におぼれて死ぬ。
*夷然 安らかなさま。平らかなさま。
*重に 普通「主に」と書く。
*スピリチュアリズム spiritualism(英)。交霊術。
*大悠 ゆうゆうと落ち着いているさま。
*見附外の柳 牛《うし》込《ごめ》御門(総武中央線飯田橋駅そばの交番付近)の外ぼりの緑に植えられていた柳。「見附」は、城門の外側で番兵が見張りをした所。
*見所 見物席。能楽堂の「見《けん》所《しよ》」を転用したもので、雅楽では特にこの名称は用いられていない。
*式微 はなはだしい衰え。
*木瓜 紋所の名。うりの横断面に似た模様を描いた紋。「帽額《もこう》」ともいう。
*火《ひ》熨《の》斗《し》 現在の電気アイロンにあたる。炭火を入れて使用した。
*楽人 雅楽を演奏する人の称。
*富士太鼓 謡曲。四番目物の中の狂乱物。作者不詳。大坂住吉の楽人富士の妻が、夢見が悪かったため娘を連れて上京、夫が津の国天王寺の楽人浅間という者に討ち殺されたことを知り、興奮のあまり狂乱、夫の形見の衣裳を着、夫の敵だといって太鼓を打って舞う、という筋。シテ(富士の妻)は、夫の形見の舞衣と鳥兜をつけて登場する。
*鳥兜 舞楽の装束で、錦《にしき》・金《きん》襴《らん》などで作り、鳳《ほう》凰《おう》という鳥の頭をかたどった兜。
*〓〓 同じ染色の肩《かた》衣《ぎぬ》と袴《はかま》。
*唐錦 中国ふうの織物に似せて作ったもので、花鳥などの模様を浮き織りにしたもの。能楽などの装束では、女装の上衣として用いられる。
*ちゃんちゃん 袖なしの羽織。
*伶人 「楽人」の異称。「雅楽師」ともいう。
*なんとかを遣る 明治四十四年(1911)五月、帝国劇場で文芸協会改組後第一回公演として上演した「ハムレット」をさす。
*欧州楽 西洋音楽。
*土手 総武中央線市谷・飯田橋の間あたりの外ぼりの堤。
*案排 「按配」「塩梅」とも書く。
*信偽 「信疑」と「真偽」と混成したような語。
*コントラジクション・イン・タームス contradiction in terms(英)。論理学用語。名辞矛盾。外延的に指定された名辞の間に内包的には最大の差があること。
*紅が谷 鎌倉市材木座にある地名。なお、以下の部分は、漱石が明治四十五年(1912)七月二十一日、知人菅虎雄の周旋でここに小さな別荘を借りて家族を避暑させ、自分も鎌倉に遊んだ当時のことが素材になっている。二十一日の日記に、「小供を鎌倉へ遣る。一汽車先に行って菅の家に入る。二階から海を見る。涼し。主人と書を論ず。何紹基の書を見る。午後小供のいる所へ行く。材木座紅ケ谷という」とある。
*一閑張り 漆器の一種。紙を張ったものに漆を塗った工芸品。江戸時代に中国から飛来一閑が伝えたといわれている。
*屈強 きわめて都合のよいこと。この意味では普通「究竟」と書く。
*打っ手違い 白と黒の碁石を交互に打つこと。
*二六時中 一日中。
*航空船 飛行船。
*膏雨 農作物を潤し育てる雨。「膏」は、恵み、潤いの意味。
*第一原因 宇宙の原理を支配する根本的なもの。
*川の真中の岩の間から出る温泉 伊豆の修善寺町(静岡県田方郡)を流れる桂川の瀬にわき出ている湯のことで、弘《こう》法《ぼう》大師が発見したと伝える。現在も共同露天浴場となっている。
*燈影無睡を照らし…… 中国唐代の詩人杜《と》甫《ほ》が、長安の大雲寺の憎賛公の所に泊まったときのことをよんだ詩「大雲寺賛公房」四首の中の一節。「燈影照二無睡一心清聞二妙香一。夜深殿突《とつ》兀《こつ》。風動金琅《ろう》〓《とう》。……」。ともしびの影が枕《まくら》もとを照らす中、ねつかれぬ心が澄みわたり、妙《たえ》なる香気が漂っているのを知覚する……の意。
*モハメッド Mohammed 六、七世紀アラビアの聖人。マホメット(Mahomet)ともいう。アラーの神の啓示を受け新宗教すなわちモハメッド教(回教)を確立した。なお、この話は、漱石が明治三十一年(1898)十一、十二月号「ホトトギス」に寄稿した「不言之言」の中にも書かれて、ベーコンの論文で読んだように記憶していると述べられている。
*すべからく現代を超越すべし 高山樗牛の「無題録」(明治三十五年〈1902〉十月)に「山に入て山を見ず。此《こ》の世の真相を知らむと欲せば吾人は須《すべか》らく現代を超越せざるべからず。斯《か》くて一切の学智と道徳とを離れ、生まれながらの小児の心を以《もつ》て一切を観察せざるべからず」とあるのをさす。この文中の「吾人は須らく現代を超越せざるべからず」ということばは、樗牛全集の表紙に印刷されたり、樗牛の墓石に彫られたりして、特に有名である。
*観破 普通「看破」と書く。
*重厚 普通「じゅうこう」と読む。
*徒爾 「徒《と》爾《じ》」の意味読み。
*香厳 中国唐代の禅僧。名は智《ち》閑《かん》。諡《し》号《ごう》は襲燈大師。後注の懐海について学び、のち、霊祐について学んだ。霊祐から未生前本分のことを問われて返答ができず、泣いて〓山を去ったが、ここに述べられている体験によって悟りを得、霊祐を敬い、香厳山でその宗風を広めた。
*百丈禅師 中国唐代の禅僧。姓は王、名は懐《え》海《かい》。諡号は大智禅師。江西省南昌の百丈山に寺を創設、禅修行の作法「百丈清《しん》規《ぎ》」を制した。
*〓山 中国唐代の禅僧。姓は趙、名は霊《れい》祐《ゆう》。諡号は大円禅師。懐海について学び、最高の弟子として推薦され、湖南省長沙の〓山に寺を創設。
*意解識想 頭の中だけで考え、観念的に理解すること。
*父も母も生まれないさきの姿 禅語「父《ふ》母《も》未生以前」による。両親の生まれる以前、すなわち、自分が全く存在しなかったとき。禅語で、相対世界を離れた絶対無差別のところをさす語。
*放下 禅語。精神的にも肉体的にも、種々の欲念・執着を断ち切って無我に入ること。
*芟り 草を刈ること。
*戞然 堅い物と物とが触れる音の形容。
*一撃に所知を亡う この話は「香厳撃竹」と称し、禅の公案の一つになっている。『景徳伝燈録』第十一巻に、「香厳智閑禅師一日ちなみに山中に草木を芟《えき》除《じよ》す。瓦《が》礫《れき》を以《もつ》て竹を撃つて声を作す。俄《にはか》に失笑して、廓《かく》然《ぜん》惺《せい》悟《ご》す。遽《にはか》に帰つて沐《もく》浴《よく》し香を焚《た》き、はるかに〓《い》山《さん》の賛を礼して云《いは》く、和《お》尚《しよう》大悲の恩父母に逾《こ》ゆ、当時若《も》し我《わ》が為《た》めに説却するあらば、何《なん》ぞ今日の事有《あ》らんと、仍《すなは》ち、一《いち》偈《げ》を述して云《いは》く、『一撃亡二所知一、更不レ仮二修治一動容揚二古路一、不レ堕二悄然機一、処々無二蹤跡一、声色外威儀、諸方達道者、咸言二上々機一』」とある。
行《こう》人《じん》
夏《なつ》目《め》漱《そう》石《せき》
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平成12年11月10日 発行
発行者 角川歴彦
発行所 株式会社 角川書店
〒102-8177 東京都千代田区富士見2-13-3
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本電子書籍は下記にもとづいて制作しました
角川文庫『行人』昭和29年7月15日初版刊行
平成10年3月20日改訂26版刊行