TITLE : 草枕・二百十日
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目次
草枕
二百十日
注 釈 草枕
山《やま》路《みち》を登りながら、こう考えた。
知に働けば角《かど》が立つ。情に棹《さお》させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画《え》ができる。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りにちらちらする唯《ただ》の人である。唯の人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国《*》へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
越すことのならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか寛《くつ》容《ろげ》て、束《つか》の間《ま》の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職ができて、ここに画家という使命が降《くだ》る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑《のどか》にし、人の心を豊かにするがゆえに尊《たつ》とい。
住みにくき世から、住みにくき煩いを引き抜いて、有《あり》難《がた》い世界をまのあたりに写すのが詩である、画である。あるは音楽と彫刻である。こまかにいえば写さないでもよい。ただまのあたりに見れば、そこに詩も生き、歌も湧《わ》く。着想を紙に落さぬとも〓《きゆう》鏘《そう》の音《おん》は胸裏に起る《*》。丹《たん》青《せい》は画架に向って塗《と》抹《まつ》せんでも《*》五彩の絢《けん》爛《らん》はおのずから心眼に映る。ただおのが住む世を、かく観じ得て、霊台方寸のカメラ《*》に澆《ぎよう》季《き》溷《こん》濁《だく》の俗界《*》を清くうららかに収め得れば足る。このゆえに無声の詩人には一句なく、無色の画家には尺《せつ》〓《けん*》なきも、かく人世を観じ得るの点において、かく煩悩を解《げ》脱《だつ》するの点において、かく清《しよう》浄《じよう》界《かい》に出入し得るの点において、またこの不同不二の乾《けん》坤《こん*》を建《こん》立《りゆう》し得るの点において、我利私欲の覊《き》絆《はん》を掃《そう》蕩《とう》するの点において、――千金の子よりも、万乗の君よりも、あらゆる俗界の寵《ちよう》児《じ》よりも幸福である。
世に住むこと二十年にして、住むに甲《か》斐《い》ある世と知った。二十五年にして明暗は表裏のごとく、日のあたる所にはきっと影がさすと悟った。三十の今日はこう思うている。――喜びの深きとき憂《うれい》いよいよ深く、楽《たのし》みの大いなるほど苦しみも大きい。これを切り放そうとすると身が持てぬ。片付けようとすれば世が立たぬ。金は大事だ、大事なものが殖《ふ》えれば寐《ね》る間も心配だろう。恋はうれしい、嬉《うれ》しい恋が積もれば、恋をせぬ昔がかえって恋しかろ。閣僚の肩は数百万人の足を支《ささ》えている。背中には重い天下がおぶさっている。うまい物も食わねば惜しい。少し食えば飽き足らぬ。存分食えばあとが不愉快だ。……
余《よ》の考《かんがえ》がここまで漂流してきた時に、余の右《う》足《そく》は突然坐《すわ》りのわるい角《かく》石《いし》の端を踏み損《そ》くなった。平衡を保つために、すわやと前に飛び出した左《さ》足《そく》が、仕損じの埋め合せをするとともに、余の腰は具合よく方三尺ほどな岩の上に卸《お》りた。肩にかけた絵の具箱が腋《わき》の下から躍《おど》り出しただけで、さいわいとなんの事もなかった。
立ち上がる時に向うを見ると、路《みち》から左の方にバケツを伏せたような峰が聳《そび》えている。杉か檜《ひのき》か分からないが根元から頂きまでことごとく蒼《あお》黒《ぐろ》いなかに、山桜が薄赤くだんだらに棚《たな》引《び》いて、継《つ》ぎ目《め》がしかと見えぬくらい靄《もや》が濃い。少し手前に禿《はげ》山《やま》が一つ、群をぬきんでて眉《まゆ》に逼《せま》る。禿げた側面は巨人の斧《おの》で削り去ったか、鋭どき平面をやけに谷の底に埋めている。天《てつ》辺《ぺん》に一本見えるのは赤松だろう。枝の間の空さえはっきりしている。行く手は二丁ほどで切れているが、高い所から赤い毛布《ケツト》が動いて来るのを見ると、登ればあすこへ出るのだろう。路はすこぶる難義だ。
土をならすだけならさほど手間もいるまいが、土の中には大きな石がある。土は平らにしても石は平らにならぬ。石は切り砕いても、岩は始末がつかぬ。堀《ほり》崩《くず》した土の上に悠《ゆう》然《ぜん》と峙《そばだ》って、吾《われ》等《ら》のために道を譲る景《け》色《しき》はない。向うで聞かぬうえは乗り越すか、回らなければならん。巌《いわ》のない所でさえ歩《あ》るきよくはない。左右が高くって、中心が窪《くぼ》んで、まるで一間幅を三角に穿《く》って、その頂点が真中を貫いていると評してもよい。路を行くといわんより川底を渉《わた》るというほうが適当だ。もとより急ぐ旅でないから、ぶらぶらと七《なな》曲《まが》りへかかる。
たちまち足の下で雲雀《ひばり》の声がしだした。谷を見《み》下《おろ》したが、どこで鳴いてるか影も形も見えぬ。ただ声だけが明らかに聞える。せっせと忙《せわ》しく、絶《たえ》間《ま》なく鳴いている。方幾里の空気が一面に蚤《のみ》に刺されていたたまれないような気がする。あの鳥の鳴く音《ね》には瞬時の余裕もない。のどかな春の日を鳴き尽くし、鳴きあかし、また鳴き暮らさなければ気が済まんとみえる。そのうえどこまでも登って行く、いつまでも登って行く。雲雀はきっと雲の中で死ぬに相違ない。登り詰めたあげくは、流れて雲に入って、漂うているうちに形は消えてなくなって、ただ声だけが空の裡《うち》に残るのかもしれない。
巌《いわ》角《かど》を鋭どく回って、按《あん》摩《ま》なら真《まつ》逆《さか》様《さま》に落つるところをきわどく右へ切れて、横に見下すと、菜の花が一面に見える。雲雀はあすこへ落ちるのかと思った。いいや、あの黄《こ》金《がね》の原から飛び上がってくるのかと思った。次には落ちる雲雀と、上る雲雀が十文字にすれ違うのかと思った。最後に、落ちる時も、上る時も、また十文字に擦《す》れ違う《*》ときにも元気よく鳴きつづけるだろうと思った。
春は眠くなる。猫は鼠《ねずみ》を捕《と》ることを忘れ、人間は借金のあることを忘れる。時には自分の魂の居所さえ忘れて正体なくなる。ただ菜の花を遠く望んだときに目が醒《さ》める。雲雀の声を聞いたときに魂のありかが判然する。雲雀の鳴くのは口で鳴くのではない、魂全体が鳴くのだ。魂の活動が声にあらわれたもののうちで、あれほど元気のあるものはない。ああ愉快だ。こう思って、こう愉快になるのが詩である。
たちまちシェレーの雲雀の詩《*》を思い出して、口のうえで覚えたところだけ暗唱してみたが、覚えているところは二、三句しかなかった。その二、三句のなかにこんなのがある。
We look before and after
And pine for what is not:
Our sincerest laughter
With some pain is fraught;
Our sweetest songs are those that tell of saddest thought.
「前を見ては、後《しり》へを見ては、物欲《ほ》しと、あこがるるかなわれ。腹からの、笑《わらひ》といへど、苦しみの、そこにあるべし。うつくしき、極《きは》みの歌に、悲しさの、極みの想《おもひ》、籠《こも》るとぞ知れ」
なるほどいくら詩人が幸福でも、あの雲雀のように思い切って、一心不乱に、前後を忘却して、わが喜びを歌うわけにはゆくまい。西洋の詩はむろんの事、支《し》那《な》の詩にも、よく万《ばん》斛《こく》の愁《うれい*》などという字がある。詩人だから万斛で素《しろ》人《うと》なら一合《*》で済むかもしれぬ。してみると詩人は常の人よりも苦労性で、凡骨の倍以上に神経が鋭敏なのかもしれん。超俗の喜びもあろうが、無量の悲《かなしみ》も多かろう。そんならば詩人になるのも考え物だ。
しばらくは路が平《たいら》で、右は雑《ぞう》木《き》山《やま》、左は菜の花の見つづけである。足の下に時々蒲公英《たんぽぽ》を踏みつける。鋸《のこぎり》のような葉が遠慮なく四方へのして真中に黄色な珠《たま》を擁護している。菜の花に気をとられて、踏みつけたあとで、気の毒な事をしたと、振り向いて見ると、黄色な珠は依然として鋸のなかに鎮座している。呑《のん》気《き》なものだ。また考えをつづける。
詩人に憂《うれい》はつきものかもしれないが、あの雲雀を聞く心持になれば微《み》塵《じん》の苦もない。菜の花を見てもただうれしくて胸が躍るばかりだ。蒲公英もそのとおり、桜も――桜はいつか見えなくなった。こう山の中へ来て自然の景物に接すれば、見るものも聞くものも面白い。面白いだけでべつだんの苦しみも起らぬ。起るとすれば足が草《くた》臥《び》れて、旨《うま》いものが食べられぬくらいの事だろう。
しかし苦しみのないのはなぜだろう。ただこの景色を一幅の画《え》として観《み》、一巻の詩として読むからである。画であり詩である以上は地面を貰《もら》って、開拓する気にもならねば、鉄道をかけて一《ひと》儲《もう》けする了《りよう》見《けん》も起らぬ。ただこの景色が――腹の足しにもならぬ、月給の補いにもならぬこの景色が景色としてのみ、余が心を楽ませつつあるから苦労も心配も伴わぬのだろう。自然の力はここにおいて尊とい。吾《ご》人《じん》の性情を瞬刻に陶《とう》冶《や》して醇《じゆん》乎《こ》として醇なる詩境に入らしむるのは自然である。
恋はうつくしかろ、孝もうつくしかろ、忠君愛国も結構だろう。しかし自身がその局に当れば利害の旋風《つむじ》に捲《ま》き込まれて、うつくしき事にも、結構な事にも、目は眩《くら》んでしまう。したがってどこに詩があるか自身には解《げ》しかねる。
これがわかるためには、わかるだけの余裕のある第三者の地位に立たねばならぬ。三者の地位に立てばこそ芝居は観て面白い。小説も見て面白い。芝居を見て面白い人も、小説を読んで面白い人も、自己の利害は棚《たな》へ上げている。見たり読んだりするあいだだけは詩人である。
それすら、普通の芝居や小説では人情を免かれぬ。苦しんだり、怒《おこ》ったり、騒いだり、泣いたりする。見るものもいつかそのなかに同化して苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりする。取《とり》柄《え》は利欲が交らぬという点に存するかもしれぬが、交らぬだけにその他の情《じよう》緒《しよ》は常よりはよけいに活動するだろう。それが嫌《いや》だ。
苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりは人の世につきものだ。余も三十年のあいだそれを仕通して、飽《あき》々《あき》した。飽き飽きしたうえに芝居や小説で同じ刺激を繰り返してはたいへんだ。余が欲する詩はそんな世間的の人情を鼓舞するようなものではない。俗念を放棄して、しばらくでも塵《じん》界《かい》を離れた心待ちになれる詩である。いくら傑作でも人情を離れた芝居はない、理非を絶した小説は少《すくな》かろう。どこまでも世間を出ることができぬのが彼等の特色である。ことに西洋の詩になると、人事が根本になるからいわゆる詩歌の純粋なるものもこの境を解脱することを知らぬ。どこまでも同情だとか、愛だとか、正義だとか、自由だとか、浮世の勧《かん》工《こう》場《ば*》にあるものだけで用を弁じている。いくら詩的になっても地面の上を馳《か》けあるいて、銭の勘定を忘れるひまがない。シェレーが雲雀を聞いて嘆息したのも無理はない。
うれしいことに東洋の詩歌はそこを解脱したのがある。採《  ル》レ菊《 ヲ》東《とう》籬《りノ》下《もと》、悠 《いう》然 《ぜんトシテ》見《ル》二南《なん》山《ざんヲ*》一。ただそれぎりの裏《うち》に暑苦しい世の中をまるで忘れた光景が出てくる。垣《かき》の向うに隣の娘が覗《のぞ》いてるわけでもなければ、南山に親友が奉職している次第でもない。超然と出世間的に利害損得の汗を流し去った心持ちになれる。独《ひとり》坐《 シ》二幽 《いう》篁 《くわうノ》裏《うちニ》一、弾《だんジテ》レ 琴 《きんヲ》復 《また》長 《ちやう》嘯《せうス》、深林人不レ知《  ラ》、明月来《  リテ》相照《  ス*》。ただ二十字のうちに優に別《べつ》乾《けん》坤《こん》を建立している。この乾坤の功《く》徳《どく》は「不《ほと》如《と》帰《ぎす》」や「金《こん》色《じき》夜《や》叉《しや》」の功徳ではない。汽船、汽車、権利、義務、道徳、礼儀で疲れ果てた後、すべてを忘却してぐっすりと寐込むような功徳である。
二十世紀に睡眠が必要ならば、二十世紀にこの出世間的の詩味はたいせつである。惜しいことに今の詩を作る人も、詩を読む人もみんな、西洋人にかぶれているから、わざわざ呑気な扁《へん》舟《しゆう》を泛《うか》べてこの桃《とう》源《げん》に遡《さかのぼ》る《*》ものはないようだ。余はもとより詩人を職業にしておらんから、王《おう》維《い》や淵《えん》明《めい》の境界を今の世に布教して広げようという心《こころ》掛《がけ》もなにもない。ただ自分にはこういう感興が演芸会よりも舞踏会よりも薬になるように思われる。ファウストよりも、ハムレットよりも難有く考えられる。こうやって、ただ一人絵の具箱と三《さん》脚《きやく》几《き》を担《かつ》いで春の山《やま》路《じ》をのそのそあるくのもまったくこれがためである。淵明、王維の詩境を直接に自然から吸収して、すこしの間《ま》でも非人情の天地に逍《しよう》遥《よう》したいからの願。一つの酔興だ。
もちろん人間の一分子だから、いくら好きでも、非人情はそう長く続くわけにはいかぬ。淵明だって年《ねん》が年《ねん》中《じゆう》南山を見詰めていたのでもあるまいし、王維も好んで竹《たけ》藪《やぶ》の中に蚊《か》帳《や》を釣《つ》らずに寐た男でもなかろう。やはり余った菊は花屋へ売りこかして、生えた筍《たけのこ》は八《や》百《お》屋《や》へ払い下げたものと思う。こういう余もそのとおり。いくら雲雀と菜の花が気に入ったって、山のなかへ野宿するほど非人情が募ってはおらん。こんな所でも人間に逢《あ》う。じんじん端折《ばしよ》りの頬《ほお》冠《かむ》りや、赤い腰巻の姉さんや、時には人間より顔の長い馬にまで逢う。百万本の槍に取り囲まれて、海面を抜く何百尺かの空気を呑んだり吐いたりしても、人の臭《にお》いはなかなか取れない。それどころか、山を越えて落ちつく先の、今《こ》宵《よい》の宿は那《な》古《こ》井《い》の温泉場《*》だ。
ただ、物は見ようでどうでもなる。レオナルド・ダ・ヴィンチが弟《で》子《し》に告げた言《ことば》に、あの鐘の音を聞け、鐘は一つだが、音はどうとも聞かれるとある。一人の男、一人の女も見よう次第でいかようとも見立てがつく。どうせ非人情をしに出《で》掛《か》けた旅だから、そのつもりで人間を見たら、浮《うき》世《よ》小《こう》路《じ》の何軒目に狭苦しく暮した時とは違うだろう。よしまったく人情を離れることができんでも、せめてお能拝見の時ぐらいは淡い心持ちにはなれそうなものだ。能にも人情はある。七《しち》騎《き》落《おち*》でも、墨《すみ》田《だ》川《がわ*》でも泣かぬとは保証ができん。しかしあれは情三分芸七分で見せるわざだ。我等が能から享《う》ける難《あり》有《がた》味《み》は下界の人情をよくそのままに写す手際から出てくるのではない。そのままのうえへ芸術という着物をなん枚も着せて、世の中にあるまじき悠《ゆう》長《ちよう》な振《ふる》舞《まい》をするからである。
しばらくこの旅中に起る出来事と、旅中に出《で》逢《あ》う人間を能の仕《し》組《くみ》と能役者の所《しよ》作《さ》に見立てたらどうだろう。まるで人情を棄てるわけにはいくまいが、根が詩的にできた旅だから、非人情のやりついでに、なるべく節倹してそこまでは漕《こ》ぎ付《つ》けたいものだ。南《なん》山《ざん》や幽《ゆう》篁《こう》とは性《たち》の違ったものに相違ないし、また雲雀や菜の花といっしょにすることもできまいが、なるべくこれに近づけて、近づけ得るかぎりは同じ観察点から人間を視《み》てみたい。芭《ば》蕉《しよう》という男は枕《まくら》元《もと》へ馬が尿《いばり》するのをさえ雅な事と見立てて発《ほつ》句《く》にした《*》。余もこれから逢う人物を――百姓も、町人も、村役場の書記も、爺《じい》さんも婆《ばあ》さんも――ことごとく大自然の点景として描き出されたものと仮定して取《とり》こなしてみよう。もっとも画中の人物と違って、彼等はおのがじしかってな真《ま》似《ね》をするだろう。しかし普通の小説家のようにそのかってな真似の根本を探《さ》ぐって、心理作用に立ち入ったり、人事葛《かつ》藤《とう》の詮《せん》議《ぎ》立《だ》てをしては俗になる。動いてもかまわない。画中の人間が動くとみれば差《さ》し支《つかえ》ない。画中の人物はどう動いても平面以外に出られるものでない。平面以外に飛び出して、立方的に働くと思えばこそ、こっちと衝突したり、利害の交渉が起ったりして面《めん》倒《どう》になる。面倒になればなるほど美的に見ているわけにいかなくなる。これから逢う人間には超然と遠き上から見物する気で、人情の電気がむやみに双方で起らないようにする。そうすれば相手がいくら働いてもこちらの懐《ふところ》には容易に飛び込めないわけだから、つまりは画の前へ立って、画中の人物が画面のうちをあちらこちらと騒ぎ回るのを見るのと同じわけになる。間三尺も隔てておれば落ち付いて見られる。あぶな気なしに見られる。言《ことば》を換えていえば、利害に気を奪われないから、全力を挙《あ》げて彼等の動作を芸術の方面から観察することができる。余念もなく美か美でないかと鑑識することができる。
ここまで決心をした時、空があやしくなってきた。煮え切れない雲が、頭の上へ靠《も》垂《た》れ懸《かか》っていたと思ったが、いつのまにか、崩《くず》れだして、四方はただ雲の海かと怪しまれるなかから、しとしとと春の雨が降りだした。菜の花はとくに通り過して、今は山と山の間を行くのだが、雨の糸が濃《こまや》かでほとんど霧をを欺くくらいだから、隔たりはどれほどかわからぬ。時々風が来て、高い雲を吹き払うとき、薄黒い山の背が右手に見えることがある。なんでも谷一つ隔てて向うが脈の走っている所らしい。左はすぐ山の裾《すそ》と見える。深く罩《こ》める雨の奥から松らしいものが、ちょくちょく顔を出す。出すかと思うと、隠れる。雨が動くのか、木が動くのか、夢が動くのか、なんとなく不思議な心持ちだ。
路は存外広くなって、かつ平だから、あるくに骨は折れんが、雨具の用意がないので急ぐ。帽子から雨垂れがぽたりぽたりと落つるころ、五、六間さきから、鈴の音がして、黒いなかから、馬《ま》子《ご》がふうとあらわれた。
「ここらに休む所はないかね」
「もう十五丁行くと茶屋がありますよ。だいぶ濡《ぬ》れたね」
まだ十五丁かと、振り向いているうちに、馬子の姿は影画のように雨につつまれて、またふうと消えた。
糠《ぬか》のように見えた粒はしだいに太く長くなって、今は一筋毎《ごと》に風に捲かれるさままでが目に入る。羽織はとくに濡れ尽して肌《はだ》着《ぎ》に浸《し》み込んだ水が、身体《からだ》の温《ぬく》度《もり》で生暖く感ぜられる。気持がわるいから、帽を傾けて、すたすた歩《あ》行《る》く。
茫《ぼう》々《ぼう》たる薄《うす》墨《ずみ》色《いろ》の世界を、幾条の銀《ぎん》箭《せん》が斜めに走るなかを、ひたぶるに濡れて行くわれを、われならぬ人の姿と思えば、詩にもなる、句にも咏《よ》まれる。有《あり》体《てい》なる己《おの》れを忘れ尽して純客観に目をつくる時、はじめてわれは画中の人物として、自然の景物と美しき調和を保つ。ただ降る雨の心苦しくて、踏む足の疲れたるを気に掛ける瞬間に、われはすでに詩中の人にもあらず、画《が》裡《り》の人にもあらず、依然として市井の一《いち》豎《じゆ》子《し*》にすぎぬ。雲《うん》烟《えん》飛動の趣も目に入らぬ。落花啼《てい》鳥《ちよう*》の情けも心に浮ばぬ。蕭《しよう》々《しよう》として独《ひと》り春《しゆん》山《ざん》を行く吾《われ》の、いかに美しきかは、なおさらに解せぬ。初めは帽を傾けて歩行《あるい》た。後にはただ足の甲のみを見詰めてあるいた。終りには肩をすぼめて、恐る恐る歩行た。雨は満目の樹《じゆ》梢《しよう》を揺《うご》かして四方より弧《こ》客《かく》に逼《せま》る。非人情がちと強すぎたようだ。
「おい」と声を掛けたが返事がない。
軒下から奥を覗《のぞ》くと煤《すす》けた障子が立て切ってある。向《むこ》う側《がわ》は見えない。五、六足の草鞋《わらじ》が淋《さび》しそうに庇《ひさし》から吊《つる》されて、屈《くつ》托《たく》気《げ》にふらりふらりと揺れる。下に駄《だ》菓《が》子《し》の箱が三つばかり並んで、そばに五《ご》厘《りん》銭《せん*》と文《ぶん》久《きゆう》銭《せん*》が散らばっている。
「おい」とまた声をかける。土間の隅《すみ》に片寄せてある臼《うす》の上に、ふくれていた鶏が、驚ろいて目をさます。ククク、クククと騒ぎだす。敷居の外に土《どべ》竈《つつい》が、今しがたの雨に濡《ぬ》れて、半分ほど色が変ってる上に、真黒な茶《ちや》釜《がま》がかけてあるが、土の茶釜か、銀の茶釜かわからない。さいわい下は焚《た》きつけてある。
返事がないから、無断でずっとはいって、床《しよう》几《ぎ》の上へ腰を卸《おろ》した。鶏は羽《は》搏《ばた》きをして臼から飛び下りる。今度は畳の上へあがった。障子がしめてなければ奥まで馳《か》けぬける気かもしれない。雄が太い声でこけっこっこというと、雌が細い声でけけっこっこという。まるで余《よ》を狐《きつね》か狗《いぬ》のように考えているらしい。床几の上には一《いつ》升《しよう》枡《ます》ほどな煙草《たばこ》盆《ぼん》が閑静に控えて、中にはとぐろを捲《ま》いた線香が、日の移るのを知らぬ顔で、すこぶる悠《ゆう》長《ちよう》に燻《いぶ》っている。雨はしだいに収まる。
しばらくすると、奥の方から足音がして、煤けた障子がさらりと開《あ》く。なかから一人の婆《ばあ》さんが出る。
どうせ誰《だれ》か出るだろうとは思っていた。竈《へつい》に火は燃えている。菓子箱の上に銭が散らばっている。線香は呑《のん》気《き》に燻っている。どうせ出るにはきまっている。しかし自分の見《み》世《せ》を明け放しても苦にならないと見えるところが、少し都とは違っている。返事がないのに床几に腰をかけて、いつまでも待ってるのも少し二十世紀とは受け取れない。ここらが非人情で面白い。そのうえ出て来た婆さんの顔が気に入った。
二、三年前宝《ほう》生《しよう》の舞台《*》で高《たか》砂《さご》を見たことがある。その時これはうつくしい活人画《*》だと思った。箒《ほうき》を担《かつ》いだ爺《じい》さんが橋《はし》懸《がか》りを五、六歩来て、そろりと後《うしろ》向《むき》になって、婆さんと向い合う。その向い合うた姿勢が今でも目につく。余《よ》の席からは婆さんの顔がほとんど真むきに見えたから、ああうつくしいと思った時に、その表情はぴしゃりと心のカメラへ焼き付いてしまった。茶店の婆さんの顔はこの写真に血を通わしたほど似ている。
「お婆さん、ここをちょっと借りたよ」
「はい、これは、いっこう存じませんで」
「だいぶ降ったね」
「あいにくなお天気で、さぞお困りでござんしょ。おうおうだいぶお濡れなさった。今火を焚いて乾《かわ》かしてあげましょ」
「そこをもう少し燃し付けてくれれば、あたりながら乾かすよ。どうも少し休んだら寒くなった」
「へえ、ただ今焚いてあげます。まあお茶を一つ」
と立ち上がりながら、しっしっと二《ふた》声《こえ》で鶏を追い下げる。ここここと馳けだした夫婦は、焦茶色の畳から、駄菓子箱の中を踏みつけて、往来へ飛び出す。雄のほうが逃げるとき駄菓子の上へ糞《ふん》を垂れた。
「まあ一つ」と婆さんはいつのまにか刳《く》り抜《ぬ》き盆《ぼん》の上に茶《ちや》碗《わん》をのせて出す。茶の色の黒く焦げている底に、一《ひと》筆《ふで》がきの梅の花が三輪無《む》造《ぞう》作《さ》に焼き付けられている。
「お菓子を」と今度は鶏の踏みつけた胡《ご》麻《ま》ねじ《*》と微《み》塵《じん》棒《ぼう*》を持ってくる。糞はどこぞに着いておらぬかと眺《なが》めてみたが、それは箱のなかに取り残されていた。
婆さんは袖《そで》無《な》しの上から、襷《たすき》をかけて、竈の前へうずくまる。余は懐《ふところ》から写《しや》生《せい》帖《ちよう》を取り出して、婆さんの横顔を写しながら、話をしかける。
「閑静でいいね」
「へえ、御覧のとおりの山里で」
「鶯《うぐいす》は鳴くかね」
「ええ毎日のように鳴きます。ここらは夏も鳴きます」
「聞きたいな。ちっとも聞えないとなお聞きたい」
「あいにく今日は――さっきの雨でどこぞへ逃げました」
おりから、竈のうちが、ぱちぱちと鳴って、赤い火がさっと風を起して一尺あまり吹き出す。
「さあ、おあたり。さぞお寒かろ」と言う。軒《のき》端《ば》を見ると青い烟《けむ》りが、突き当って崩《くず》れながらに、かすかな痕《あと》をまだ板《いた》庇《びさし》にからんでいる。
「ああ、好《い》い心持ちだ、お蔭《かげ》で生き返った」
「いい具合に雨も晴れました。そら天《てん》狗《ぐ》巌《いわ》が見えだしました」
逡《しゆん》巡《じゆん》として曇り勝ちなる春の空を、もどかしとばかりに吹き払う山《やま》嵐《あらし》の、思い切りよく通り抜けた前《ぜん》山《ざん》の一角は、未練もなく晴れ尽して、老《ろう》嫗《う》の指さす方《かた》に〓《さん》〓《がん*》と、あら削りの柱のごとく聳《そび》えるのが天狗岩だそうだ。
余はまず天狗巌を眺めて、次に婆さんを眺めて、三度目には半々に両方を見比べた。画家として余が頭のなかに存在する婆さんの顔は高砂の媼《ばば》と、蘆《ろ》雪《せつ*》のかいた山《やま》姥《うば*》のみである。蘆雪の図を見たとき、理想の婆さんは物《もの》凄《すご》いものだと感じた。紅葉《もみじ》のなかか、寒い月の下に置くべきものと考えた。宝生の別《べつ》会《かい》能《のう*》を観るにおよんで、なるほど老女にもこんな優しい表情があり得るものかと驚ろいた。あの面はさだめて名人の刻んだものだろう。惜しいことに作者の名は聞き落したが、老人もこうあらわせば、豊かに、穏やかに、あたたかに見える。金《きん》屏《びよう》にも、春風にも、あるは桜にもあしらって差《さ》し支《つかえ》ない道具である。余は天狗岩よりは、腰をのして、手を翳《かざ》して、遠く向うを指《ゆびさ》している、袖無し姿の婆さんを、春の山《やま》路《じ》の景物として恰《かつ》好《こう》なものだと考えた。余が写生帖を取り上げて、いましばらくというとたんに婆さんの姿勢は崩れた。
手《て》持《もち》無《ぶ》沙《さ》汰《た》に写生帖を、火にあてて乾かしながら、
「お婆さん、丈《じよう》夫《ぶ》そうだね」と訊《たず》ねた。
「はい。難《あり》有《がた》いことに達者で――針も持ちます、苧《お》もうみます、お団《だん》子《ご》の粉《こ》も磨《ひ》きます」
このお婆さんに石《いし》臼《うす》を挽《ひ》かしてみたくなった。しかしそんな注文もできぬから、
「ここから那《な》古《こ》井《い》までは一里足らずだったね」と別な事を聞いてみる。
「はい、二十八丁と申します。旦《だん》那《な》は湯治にお越しで……」
「込み合わなければ、少し逗《とう》留《りゆう》しようかと思うが、まあ気が向けばさ」
「いえ、戦争《*》が始まりましてから、とんと参るものはございません。まるで締め切り同様でございます」
「妙な事だね。それじゃ泊めてくれないかもしれんね」
「いえ、お頼みになればいつでも宿《と》めます」
「宿屋はたった一軒だったね」
「へえ、志《し》保《ほ》田《だ》さん《*》とお聞きになればすぐわかります。村のものもちで、湯治場だか、隠居所だかわかりません」
「じゃお客がなくても平気なわけだ」
「旦那ははじめてで」
「いや、久しい以前ちょっと行ったことがある」
会話はちょっと途切れる。帳面をあけてさっきの鶏を静かに写生していると、落ち付いた耳の底へじゃらんじゃらんという馬の鈴が聴《きこ》えだした。この声がおのずと、拍子をとって頭の中に一種の調子ができる。眠りながら、夢に隣りの臼の音に誘われるような心持ちである。余は鶏の写生をやめて、同じページの端に、
春 風 や 惟《ゐ》 然《ぜん*》 が 耳 に 馬 の 鈴
と書いてみた。山を登ってから、馬には五、六匹逢《あ》った。逢った五、六匹は皆腹掛をかけて、鈴を鳴らしている。今の世の馬とは思われない。
やがてのどかな馬《ま》子《ご》唄《うた》が、春に更《ふ》けた空山一路の夢を破る。憐《あわ》れの底に気楽な響《ひびき》がこもって、どう考えても画《え》にかいた声だ。
馬 子 唄 の 鈴《すず》 鹿《か》 越 ゆ る や 春 の 雨
と、今度は斜《はす》に書き付けたが、書いてみて、これは自分の句でない《*》と気が付いた。
「また誰ぞ来ました」と婆さんが半ば独《ひと》り言《ごと》のように言う。
ただ一《ひと》条《すじ》の春の路《みち》だから、行くも帰るも皆近付きとみえる。さいぜん逢うた五、六匹のじゃらんじゃらんもことごとくこの婆さんの腹のなかでまた誰ぞ来たと思われては山を下り、思われては山を登ったのだろう。路《みち》寂《じやく》寞《まく》と古今の春を貫いて、花を厭《いと》えば足を着くるに地なき小《こ》村《むら》に、婆さんは幾年の昔からじゃらん、じゃらんを数え尽くして、今日の白頭に至ったのだろう。
馬 子 唄 や 白 髪《しらが》 も 染 め で 暮 る る 春
と次のページへ認《したた》めたが、これでは自分の感じをいい終《おお》せない、もう少し工夫のありそうなものだと、鉛筆の先を見詰めながら考えた。なんでも白髪という字を入れて、幾代の節という句を入れて、馬子唄という題も入れて、春の季も加えて、それを十七字に纏《まと》めたいと工夫しているうちに、
「はい、今日は」と実物の馬子が店先に留《とま》って大きな声をかける。
「おや源さんか。また城下《*》へ行《い》くかい」
「なにか買物があるなら頼まれてあげよ」
「そうさ、鍛《か》冶《じ》町《ちよう》を通ったら、娘に霊《れい》巌《がん》寺《じ》のお札を一枚もらってきておくれなさい」
「はい、貰《もら》ってきよ。一枚か。――お秋さんは善《よ》い所へ片《かた》付《づ》いて仕《し》合《あわ》せだな、御叔母《おば》さん」
「難有いことに今日には困りません。まあ仕合せというのだろうか」
「仕合せとも、お前。あの那古井の嬢《じよう》さま《*》と比べてごらん」
「ほんとうにお気の毒な。あんな器量を持って。近ごろはちっとは具合がいいかい」
「なあに、相変らずさ」
「困るなあ」と婆さんが大きな息をつく。
「困るよう」と源さんが馬の鼻を撫《な》でる。
枝繁《しげ》き山桜の葉も花も、深い空から落ちたままなる雨の塊《かた》まりを、しっぽりと宿していたが、この時わたる風に足をすくわれて、いたたまれずに、仮りの住《すま》居《い》を、さらさらと転《ころ》げ落ちる。馬は驚ろいて、長い鬣《たてがみ》を上《うえ》下《した》に振る。
「コーラッ」と叱《しか》り付ける源さんの声が、じゃらん、じゃらんとともに余の冥《めい》想《そう》を破る。
お婆さんが言う。「源さん、わたしゃ、お嫁入りのときの姿が、まだ目《め》前《さき》に散《ち》らついている。裾《すそ》模《も》様《よう》の振《ふり》袖《そで》に、高島田で、馬に乗って……」
「そうさ、船ではなかった。馬であった。やはりここで休んで行ったな、御叔母さん」
「あい、その桜の下で嬢様の馬がとまったとき、桜の花がほろほろと落ちて、せっかくの島田に斑《ふ》ができました」
余はまた写生帖をあける。この景色は画《え》にもなる、詩にもなる。心のうちに花嫁の姿を浮べて、当時の様を想像してみてしたり顔に、
花 の こ ろ を 越 え て か し こ し 馬 に 嫁
と書き付ける。不思議な事には衣装も髪も馬も桜もはっきりと目に映じたが、花嫁の顔だけは、どうしても思いつけなかった。しばらくあの顔か、この顔か、と思案しているうちに、ミレーのかいた、オフェリア《*》の面影が忽《こつ》然《ぜん》と出て来て、高島田の下へすぽりとはまった。これは駄目だと、せっかくの図面をさっそく取り崩す。衣装も髪も馬も桜も一瞬間に心の道具立から奇麗に立ち退《の》いたが、オフェリアの合掌して水の上を流れて行く姿だけは、朦《もう》朧《ろう》と胸の底に残って、棕《しゆ》梠《ろ》箒《ぼうき》で烟《けむり》を払うように、さっぱりしなかった。空に尾を曳《ひ》く彗《すい》星《せい》のなんとなく妙な気になる。
「それじゃ、まあ御免」と源さんが挨《あい》拶《さつ》する。
「帰りにまたお寄り。あいにくの降りで七曲りは難義だろ」
「はい、少し骨が折れよ」と源さんは歩行《あるき》だす。源さんの馬も歩行だす。じゃらんじゃらん。
「あれは那古井の男かい」
「はい、那古井の源《げん》兵《べ》衛《え》でござんす」
「あの男がどこぞの嫁さんを馬へ乗せて、峠を越したのかい」
「志保田の嬢様が城下へお輿《こし》入《いれ》のときに、嬢様を青《あ》馬《お》に乗せて、源兵衛が覊《は》絏《づな》を牽《ひ》いて通りました。――月日の立つのは早いもので、もう今年で五年になります」
鏡に対《むか》うときのみ、わが頭の白きを喞《かこ》つものは幸の部に属する人である。指を折ってはじめて、五年の流光に、転輪の疾《と》き趣を解し得たる婆さんは、人間としてはむしろ仙《せん*》に近づけるほうだろう。余はこう答えた。
「さぞ美しかったろう。見にくればよかった」
「ハハハ今でも御覧になれます。湯治場へお越しなされば、きっと出て御挨拶をなされましょう」
「はあ、今では里にいるのかい。やはり裾模様の振袖を着て、高島田に結《い》っていればいいが」
「たのんでごらんなされ。着て見せましょ」
余はまさかと思ったが、婆さんの様子は存外真《ま》面《じ》目《め》である。非人情の旅にはこんなのが出なくては面白くない。婆さんが言う。
「嬢様と長《なが》良《ら》の乙《おと》女《め*》とはよく似ております」
「顔がかい」
「いいえ。身の成り行きがでござんす」
「へえ、その長良の乙女というのは何者かい」
「昔この村に長良の乙女という、美しい長者の娘がござりましたそうな」
「へえ」
「ところがその娘に二人の男が一度に懸《け》想《そう》して、あなた」
「なるほど」
「ささだ男《*》に靡《なび》こうか、ささべ男《*》に靡こうかと、娘はあけくれ思い煩ったが、どちらへも靡きかねて、とうとう
あきづけばをばなが上に置く露の、けぬべくもわは、おもほゆるかも
という歌を咏《よ》んで、淵《ふち》川《かわ》へ身を投げて果てました」
余はこんな山里へ来て、こんな婆さんから、こんな古雅な言葉で、こんな古雅な話をきこうとは思いがけなかった。
「これから五丁東へ下《くだ》ると、道《みち》端《ばた》に五《ご》輪《りんの》塔《とう》がござんす。ついでに長良の乙女の墓を見てお行きなされ」
余は心のうちにぜひ見て行こうと決心した。婆さんは、そのあとを語りつづける。
「那古井の嬢様にも二人の男が祟《たた》りました。一人は嬢様が京都へ修行に出ておいでのころお逢いなさったので、一人はここの城下で随一の物持ちでござんす」
「はあ、お嬢さんはどっちへ靡いたかい」
「御自身はぜひ京都の方へとお望みなさったのを、そこにはいろいろな理《わ》由《け》もありましたろが、親ご様がむりにこちらへ取り極《き》めて……」
「目《め》出《で》度《たく》、淵川へ身を投げんでも済んだわけだね」
「ところが――先《さ》方《き》でも器量望みでお貰いなさったのだから、ずいぶん大事にはなさったかもしれませぬが、もともと強いられてお出《いで》なさったのだから、どうも折合がわるくて、御親類でもだいぶ御心配の様子でござんした。ところへ今度の戦争で、旦那様の勤めておいでの銀行がつぶれました。それから嬢様はまた那古井の方へお帰りになります。世間では嬢様の事を不人情だとか、薄情だとかいろいろ申します。もとはごくごく内気の優しいかたが、このごろではだいぶ気が荒くなって、なんだか心配だと源兵衛が来るたびに申します。……」
これからさきを聞くと、せっかくの趣向が壊《こわ》れる。ようやく仙《せん》人《にん》になりかけたところを、誰か来て羽衣を帰せ帰せと催促するような気がする。七曲りの険を冒して、やっとの思《おもい》で、ここまで来たものを、そうむやみに俗界に引きずり下されては、飄《ひよう》然《ぜん》と家を出た甲《か》斐《い》がない。世間話もある程度以上に立ち入ると、浮世の臭いが毛《け》孔《あな》から染《しみ》込《こ》んで、垢《あか》で身体《からだ》が重くなる。
「お婆さん、那古井へは一筋道だね」と十銭銀貨を一枚床几の上へかちりと投げ出して立ち上がる。
「長良の五輪塔から右へお下《くだ》りなさると、六丁ほどの近道になります。路はわるいが、お若いかたにはそのほうがよろしかろ。――これはたぶんにお茶代を――気を付けてお越しなされ」
昨夕《ゆうべ》は妙な気持ちがした。
宿へ着いたのは夜の八時ごろであったから、家の具合庭の作り方はむろん、東西の区別さえわからなかった。なんだか回廊のような所をしきりに引き回されて、しまいに六畳ほどの小さな座敷へ入れられた。昔来た時とはまるで見当が違う。晩《ばん》餐《さん》を済まして、湯に入って、室《へや》へ帰って茶を飲んでいると、小《こ》女《おんな》が来て床を延べよかと言う。
不思議に思ったのは、宿へ着いた時の取次も、晩《ばん》食《めし》の給仕も、湯《ゆ》壺《つぼ》への案内も、床を敷く面《めん》倒《どう》も、ことごとくこの少女一人で弁じている。それで口はめったにきかぬ。というて、田舎《いなか》染《じ》みてもおらぬ。赤い帯を色気なく結んで、古風な紙《し》燭《そく*》をつけて、廊下のような、梯《はし》子《ご》段《だん》のような所をぐるぐる回らされた時、同じ帯の同じ紙燭で、同じ廊下とも階段ともつかぬ所を、何度も降りて、湯壺へ連れて行《い》かれた時は、すでに自分ながら、カンバスの中を往来しているような気がした。
給仕の時には、近ごろは客がないので、ほかの座敷は掃除がしてないから、ふだん使っている部屋で我慢してくれと言った。床を延べる時にはゆるりとお休みと人間らしい、言葉を述べて、出て行ったが、その足音が、例の曲りくねった廊下を、しだいに下の方へ遠《とおざ》かった時に、あとがひっそりとして、人の気《け》がしないのが気になった。
生れてから、こんな経験はただ一度しかない。昔房《ぼう》州《しゆう》を館《たて》山《やま》から向うへ突き抜けて、上総《かずさ》から銚《ちよう》子《し》まで浜伝いに歩行《あるい》たことがある《*》。その時ある晩、ある所へ宿《とまつ》た。ある所というよりほかにいいようがない。今では土地の名も宿の名も、まるで忘れてしまった。第一宿屋へとまったのかが問題である。棟《むね》の高い大きな家に女がたった二人いた。余がとめるかと聞いたとき、年を取った方がはいと言って、若い方がこちらへと案内をするから、ついて行くと、荒れ果てた、広い間をいくつも通り越していちばん奥の、中《ちゆう》二《に》階《かい》へ案内をした。三段登って廊下から部屋へはいろうとすると、板《いた》庇《びさし》の下に傾きかけていた一《ひと》叢《むら》の修《しゆう》竹《ちく》が、そよりと夕風を受けて、余の肩から頭を撫《な》でたので、すでにひやりとした。椽《えん》板《いた》はすでに朽《く》ちかかっている。来年は筍《たけのこ》が椽を突き抜いて座敷のなかは竹だらけになろうと言ったら、若い女がなんにもいわずににやにやと笑って出て行った。
その晩は例の竹が、枕《まくら》元《もと》で婆《ば》裟《さ》ついて、寐《ね》られない。障子をあけたら、庭は一面の草原で、夏の夜の月《つき》明《あきら》かなるに、目を走《は》しらせると、垣《かき》も塀《へい》もあらばこそ、まともに大きな草山に続いている。草山の向うはすぐ大《おお》海《うな》原《ばら》でどどんどどんと大きな濤《なみ》が人の世を威嚇《おどか》しに来る。余はとうとう夜の明けるまで一睡もせずに、怪し気《げ》な蚊《か》帳《や》のうちに辛《しん》防《ぼう》しながら、まるで草《くさ》双《ぞう》紙《し》にでもありそうなことだと考えた。
その後旅もいろいろしたが、こんな気持になったことは、今夜この那古井へ宿《とま》るまではかつてなかった。
仰《あお》向《むけ》に寐ながら、偶然目を開けて見ると欄間に、朱塗りの縁をとった額がかかっている。文字は寐ながらも竹影払階塵不動《*》と明らかに読まれる。大《だい》徹《てつ*》という落《らつ》〓《かん》もたしかに見える。余は書においては皆無鑑識のない男だが、平生から、黄《おう》檗《ばく*》の高《こう》泉《せん》和《お》尚《しよう*》の筆致を愛している。隠《いん》元《げん*》も即《そく》非《ひ*》も木《もく》庵《あん*》もそれぞれに面白味はあるが、高泉の字がいちばん蒼《そう》勁《けい》でしかも雅《が》馴《じゆん》である。今この七字を見ると、筆のあたりから手の運び具合、どうしても高泉としか思われない。しかし現に大徹とあるからには別人だろう。ことによると黄檗に大徹という坊主がいたかもしれぬ。それにしては紙の色が非常に新しい。どうしても昨今のものとしか受け取れない。
横を向く。床にかかっている若《じやく》冲《ちゆう*》の鶴《つる》の図が目につく。これは商売柄だけに、へやにはいった時、すでに逸品と認めた。若冲の図はたいてい精《せい》緻《ち》な彩色ものが多いが、この鶴は世間に気《き》兼《がね》なしの一《ひと》筆《ふで》がきで、一本足ですらりと立った上に、卵《たまご》形《なり》の胴がふわっと乗《のつ》かっている様子は、はなはだわが意を得て、飄《ひよう》逸《いつ》の趣は、長い嘴《はし》のさきまで籠《こも》っている。床の隣りは違《ちが》い棚《だな》を略して、普通の戸棚につづく。戸棚の中にはなにがあるか分らない。
すやすやと寐入る。夢に。
長良の乙女が振袖を着て、青《あ》馬《お》に乗って、峠を越すと、いきなり、ささだ男と、ささべ男が飛び出して両方から引っ張る。女が急にオフェリアになって、柳の枝へ上って、河の中を流れながら、うつくしい声で歌をうたう。救ってやろうと思って、長い竿《さお》を持って、向《むこう》島《じま*》を追《おつ》懸《か》けて行く。女は苦しい様子もなく、笑いながら、うたいながら、行《ゆく》末《え》も知らず流れを下る。余は竿をかついで、おおいおおいと呼ぶ。
そこで目が醒《さ》めた。腋《わき》の下から汗が出ている。妙に雅俗混《こん》淆《こう》な夢を見たものだと思った。昔宋《そう》の大《だい》慧《え》禅《ぜん》師《じ*》という人は、悟道の後、何事も意のごとくにできんことはないが、ただ夢のなかでは俗念が出て困ると、長いあいだこれを苦にされたそうだが、なるほどもっともだ。文芸を性命にするものはいま少しうつくしい夢をみなければ幅が利《き》かない。こんな夢では大部分画《え》にも詩にもならんと思いながら、寐返りを打つと、いつのまにか障子に月がさして、木の枝が二、三本斜めに影をひたしている。冴《さ》えるほどの春の夜だ。
気のせいか、誰か小声で歌をうたってるような気がする。夢のなかの歌が、この世へ抜け出したのか、あるいはこの世の声が遠き夢の国へ、うつつながらに紛れ込んだのかと耳を峙《そばだ》てる。たしかに誰かうたっている。細くかつ低い声には相違ないが、眠らんとする春の夜に一《いち》縷《る》の脈をかすかに搏《う》たせつつある。不思議な事に、その調子はとにかく、文句をきくと――枕元でやってるのでないから、文句のわかりようはない。――その聞えぬはずのものが、よく聞える。あきづけば、をばなが上に、おく露の、けぬべくもわは、おもほゆるかもと長良の乙女の歌を、繰り返し繰り返すように思われる。
初めのうちは椽に近く聞えた声が、しだいしだいに細く遠《とお》退《の》いて行く。突然と已《や》むものには、突然の感はあるが、憐《あわ》れはうすい。ふっつりと思い切ったる声をきく人の心には、やはりふっつりと思い切ったる感じが起る。これという句切りもなく自《じ》然《ねん》に細りて、いつの間にか消えるべき現象には、われもまた秒を縮め、分を割《さ》いて、心細さの細さが細る。死なんとしては、死なんとする病夫のごとく、消えんとしては、消えんとする燈火のごとく、今已むか、已むかとのみ心を乱すこの歌の奥には、天下の春の恨みをことごとく萃《あつ》めたる調べがある。
今までは床の中に我慢して聞いていたが、聞く声の遠ざかるにつれて、わが耳は、釣《つ》り出さるると知りつつも、その声を追いかけたくなる。細くなればなるほど、耳だけになっても、あとを慕って飛んで行きたい気がする。もうどう焦慮《あせつ》ても鼓膜に応《こた》えはあるまいと思う一《いつ》刹《せつ》那《な》のまえ、余は堪《たま》らなくなって、われ知らず布《ふ》団《とん》をすり抜けるとともにさらりと障子を開けた。とたんに自分の膝《ひざ》から下が斜めに月の光を浴びる。寐《ね》巻《まき》の上にも木の影が揺れながら落ちた。
障子をあけた時にはそんな事には気が付かなかった。あの声はと、耳の走る見当を見破ると――向うにいた。花ならば海《かい》棠《どう》かと思わるる幹を背に、よそよそしくも月の光りを忍んで朦《もう》朧《ろう》たる影法師がいた。あれかと思う意識さえ、しかとは心にうつらぬ間に、黒いものは花の影を踏み砕いて右へ切れた。わがいる部屋つづきの棟の角《かど》が、すらりと動く、背《せい》の高い女姿を、すぐに遮《さえぎ》ってしまう。
借《かり》着《ぎ》の浴衣《ゆかた》一枚で、障《しよう》子《じ》へつらまったまま《*》、しばらく茫《ぼう》然《ぜん》としていたが、やがて我に帰ると、山里の春はなかなか寒いものと悟った。ともかくもと抜け出《い》でた布団の穴《*》に、再び帰参して考えだした。括《くく》り枕《まくら》のしたから、袂《たもと》時《ど》計《けい》を出して見ると、一時十分過ぎである。再び枕の下へ押し込んで考え出した。よもや化《ばけ》物《もの》ではあるまい。化物でなければ人間で、人間とすれば女だ。あるいはここのお嬢さんかもしれない。しかし出帰りのお嬢さんとしては夜なかに山つづきの庭へ出るのがちと不穏当だ。なんにしてもなかなか寐られない。枕の下にある時計までがちくちく口をきく。今まで懐中時計の音の気になったことはないが、今夜にかぎって、さあ考えろ、さあ考えろと催促するごとく、寐るな寐るなと忠告するごとく口をきく。怪《け》しからん。
怖《こわ》いものもただ怖いものそのままの姿と見れば詩になる。凄《すご》い事も、己《おの》れを離れて、ただ単独に凄いのだと思えば画になる。失恋が芸術の題目となるのもまったくそのとおりである。失恋の苦しみを忘れて、そのやさしいところやら、同情の宿るところやら、憂《うれい》のこもるところやら、一歩進めていえば失恋の苦しみそのものの溢《あふ》るるところやらを、単に客《かつ》観《かん》的《てき》に眼前に思い浮べるから文学美術の材料になる。世にはありもせぬ失恋を製造して、みずからしいて煩悶して、愉快を貪ぼるものがある。常人はこれを評して愚だと言う、気《き》違《ちがい》だと言う。しかしみずから不幸の輪郭を描いて好んでそのうちに起《き》臥《が》するのは、みずから烏《う》有《ゆう》の山《さん》水《すい》を刻《こく》画《が》して《*》壺《こ》中《ちゆう》の天地に歓喜する《*》と、その芸術的の立脚地を得たる点においてまったく等しいといわねばならぬ。この点において世上いくたの芸術家は(日常の人としてはいざ知らず)芸術家として常人よりも愚である、気違である。われわれは草鞋《わらじ》旅《た》行《び》をするあいだ、朝から晩まで苦しい、苦しいと不平を鳴らしつづけているが、人に向って曾《そう》遊《ゆう*》を説く時分には、不平らしい様子は少しも見せぬ。面白かった事、愉快であった事はむろん、昔の不平をさえ得意に喋《ちよう》々《ちよう》して、したり顔である。これはあえてみずから欺くの、人を偽わるのという了見ではない。旅行をするあいだは常人の心持ちで、曾遊を語るときはすでに詩人の態度にあるから、こんな矛盾が起る。してみると四角な世界《*》から常識と名のつく、一角を磨《ま》滅《めつ》して、三角のうちに住むのを芸術家と呼んでもよかろう。
このゆえに天然にあれ、人事にあれ、衆俗の辟《へき》易《えき》して近づきがたしとなすところにおいて、芸術家は無数の琳《りん》琅《ろう*》を見、無上の宝《ほう》〓《ろ*》を知る。俗にこれを名《なづ》けて美化という。その実は美化でもなんでもない。燦《さん》爛《らん》たる彩光は、炳《へい》乎《こ》として《*》昔から現象世界に実在している。ただ一《いち》翳《えい》目にあって空《くう》花《げ》乱《らん》墜《つい》するがゆえに、俗《ぞく》累《るい》の覊《き》絏《せつ》牢《ろう》として絶ちがたきがゆえに、栄《えい》辱《じよく》得《とく》喪《そう》のわれに逼《せま》ること、念々切なるがゆえに、ターナー《*》が汽車を写すまでは汽車の美を解せず、応《おう》挙《きよ》が幽霊を描くまでは幽霊の美を知らずに打ち過ぎるのである。
余が今見た影法師も、ただそれきりの現象とすれば、誰れが見ても、誰に聞かしてもゆたかに詩趣を帯びている。――孤村の温泉、――春《しゆん》宵《しよう》の花影、――月前の低《てい》誦《しよう》、――朧《おぼろ》夜《よ》の姿――どれもこれも芸術家の好題目である。この好題目が眼前にありながら、余は入らざる詮《せん》議《ぎ》立《だ》てをして、よけいな探《さ》ぐりを投げ込んでいる。せっかくの雅境に理屈の筋が立って、願ってもない風流を、気味の悪るさが踏み付けにしてしまった。こんな事なら、非人情も標《ひよう》榜《ぼう》する価値がない。もう少し修行をしなければ詩人とも画家とも人に向って吹《ふい》聴《ちよう》する資格はつかぬ。昔イタリアの画家サルヴァトル・ロザ《*》は泥《どろ》棒《ぼう》が研究してみたい一心から、おのれの危険を賭《かけ》ににして、山賊の群《むれ》にはいり込んだと聞いたことがある。飄然と画帖を懐《ふところ》にして家を出《い》でたからには、余にもそのくらいの覚悟がなくては恥ずかしいことだ。
こんな時にどうすれば詩的な立脚地に帰れるかといえば、おのれの感じ、そのものを、おのが前に据《す》えつけて、その感じから一歩退いて有《あり》体《てい》に落ち付いて、他人らしくこれを検査する余地さえ作ればいいのである。詩人とは自分の屍《し》骸《がい》を、自分で解剖して、その病状を天下に発表する義務を有している。その方便はいろいろあるが、いちばん手近なのはなんでもかでも手当り次第十七字にまとめてみるのがいちばんいい。十七字は詩形としてもっとも軽便であるから、顔を洗う時にも、厠《かわや》に上《のぼ》った時にも、電車に乗った時にも、容易にできる。十七字が容易にできるという意味は安直に詩人になれるという意味であって、詩人になるというのは一種の悟りであるから軽便だといって侮《ぶ》蔑《べつ》する必要はない。軽便であればあるほど功《く》徳《どく》になるからかえって尊重すべきものと思う。まあちょっと腹が立つと仮定する。腹が立ったところをすぐ十七字にする。十七字にするときは自分の腹立ちがすでに他人に変じている。腹を立ったり、俳句を作ったり、そう一人が同時に働けるものではない。ちょっと涙をこぼす。この涙を十七字にする。するやいなやうれしくなる。涙を十七字に纏めた時には、苦しみの涙は自分から遊離して、おれは泣くことのできる男だという嬉《うれ》しさだけの自分になる。
これが平生から余の主張である。今夜もひとつこの主張を実行してみようと、夜具の中で例の事件をいろいろと句に仕立てる。できたら書きつけないと散漫になっていかぬと、念入りの修業だから、例の写生帖をあけて枕元へ置く。
「海《かい》棠《だう》の露をふるふや物《もの》狂《ぐる》ひ《*》」とまっさきに書き付けて読んでみると、別に面白くもないが、さりとて気味のわるいこともない。次に「花の影、女の影の朧《おぼろ》かな」とやったが、これは季が重なっている。しかしなんでもかまわない、気が落ち付いて呑《のん》気《き》になればいい。それから「正《しやう》一《いち》位《ゐ*》、女に化けて朧《おぼろ》月《づき》」と作ったが、狂句めいて、自分ながら可《お》笑《か》しくなった。
この調子なら大丈夫と乗気になって出るだけの句をみなかき付ける。
春 の 星 を 落 し て 夜《よ》 半《は》 の か ざ し《*》 か な
春 の 夜 の 雲 に 濡《ぬ》 ら す や 洗 ひ 髪
春 や 今《こ》 宵《よひ》 歌 つ か ま つ る 御《おん》 姿《すがた》
海 棠 の 精 が 出 て く る 月 夜 か な
う た 折《をり》 々《をり》 月 下 の 春 を を ち こ ち す
思 ひ 切 つ て 更 け ゆ く 春 の 独《ひと》 り か な
などと試みているうち、いつしか、うとうと眠くなる。
恍《こう》惚《こつ》というのが、こんな場合に用いるべき形容詞かと思う。熟睡のうちには何《なん》人《びと》も我を認めえぬ。明覚の際には誰あって外界を忘るるものはなかろう。ただ両域の間に縷《る》のごとき幻《げん》境《きよう》が横《よこた》わる。醒めたりというにはあまりに朧にて、眠ると評せんにはすこしく生気を剰《あま》す。起《き》臥《が》の二界を同《どう》瓶《へい》裏《り》に盛りて、詩歌の彩《さい》管《かん*》をもって、ひたすらに攪《か》き雑《ま》ぜたるがごとき状態をいうのである。自然の色を夢の手前までぼかして、ありのままの宇宙を一段、霞《かすみ》の国へ押し流す。睡魔の妖《よう》腕《わん》をかりて、ありとある実相の角度を滑《なめら》かにするとともに、かく和らげられたる乾《けん》坤《こん》に、われからとかすかに鈍き脈を通わせる。地を這う烟《けむり》の飛ばんとして飛びえざるごとく、わが魂の、わが殻《から》を離れんとして離るるに忍びざる態《てい》である。抜け出《い》でんとして逡巡《ためら》い、逡巡いては抜け出でんとし、果ては魂という個体を、もぎどう《*》に保ちかねて、氤《いん》〓《うん》たる瞑《めい》氛《ふん*》が散るともなしに四肢《し》五体に纏《てん》綿《めん》して、依《い》々《い》たり恋《れん》々《れん》たる心持ちである。
余が寤《ご》寐《び》の境にかく逍《しよう》遥《よう》していると、入《いり》口《ぐち》の唐《から》紙《かみ》がすうと開いた。あいたところへまぼろしのごとく女の影がふうと現われた。余は驚きもせぬ。恐れもせぬ。ただ心《ここ》地《ち》よく眺めている。眺めるというてはちと言葉が強すぎる。余が閉じている瞼《まぶた》の裏《うち》に幻《まぼ》影《ろし》の女が断りもなく滑《すべ》り込んで来たのである。まぼろしはそろりそろりと部屋のなかにはいる。仙《せん》女《によ》の波をわたるがごとく、畳の上には人らしい音も立たぬ。閉《と》ずる眼《まなこ》のなかから見る世の中だからしかとは解《わか》らぬが、色の白い、髪の濃い、襟《えり》足《あし》の長い女である。近ごろはやる、ぼかした写真を灯影《ほかげ》にすかすような気がする。
まぼろしは戸棚の前でとまる。戸棚があく。白い腕が袖をすべって暗《くら》闇《やみ》のなかにほのめいた。戸棚がまたしまる。畳の波がおのずから幻影を渡し返す。入口の唐紙がひとりでに閉《た》たる。余が眠りはしだいに濃《こま》やかになる。人に死して、まだ牛にも馬にも生れ変らない途中はこんなであろう。
いつまで人と馬の相《あい》中《なか》に寐ていたかわれはしらぬ。耳《みみ》元《もと》にききっと女の笑い声がしたと思ったら目がさめた。見れば夜の幕はとくに切り落されて、天下は隅《すみ》から隅まで明るい。うららかな春《はる》日《び》が丸窓の竹格子を黒く染め抜いた様子を見ると、世の中に不思議というものの潜む余地はなさそうだ。神秘は十万億土へ帰って、三《さん》途《ず》の川《かわ》の向《むこう》側《がわ》へ渡ったのだろう。
浴衣《ゆかた》のまま、風《ふ》呂《ろ》場《ば》へ下りて、五分ばかり偶然と《*》湯《ゆ》壺《つぼ》のなかで顔を浮かしていた。洗う気にも、出る気にもならない。第一昨夕《ゆうべ》はどうしてあんな心持ちになったのだろう。昼と夜を界《さかい》にこう天地が、でんぐり返るのは妙だ。
身体を拭《ふ》くさえ退《たい》儀《ぎ》だから、いい加減にして、濡れたまま上《あが》って、風呂場の戸を内から開けると、また驚かされた。
「お早う。昨夕はよく寐られましたか」
戸を開けるのと、この言葉とはほとんど同時にきた。人のいるさえ予期しておらぬ出《で》合《あい》頭《がしら》の挨《あい》拶《さつ》だから、さそくの返事も出る遑《いとま》さえないうちに、
「さあ、お召しなさい」
と後ろへ回って、ふわりと余の背中へ柔かい着物をかけた。ようやくの事「これは難《あり》有《がと》う……」だけ出して、向き直る、とたんに女は二、三歩退いた。
昔から小説家は必ず主人公の容《よう》貌《ぼう》を極力描写することに相場が極《きま》ってる。古今東西の言語で、佳人の品評に使用せられたるものを列挙したならば、大《だい》蔵《ぞう》経《きよう*》とその量を争うかもしれぬ。この辟《へき》易《えき》すべき多量の形容詞中から、余と三歩の隔りに立つ、体《たい》を斜めに捩《ねじ》って、後《しり》目《め》に余が驚《きよう》愕《がく》と狼《ろう》狽《ばい》を心地よげに眺めている女を、もっとも適当に叙すべき用語を拾い来《きた》ったなら、どれほどの数になるかしれない。しかし生れて三十余年の今日に至るまでいまだかつて、かかる表情を見た事がない。美術家の評によると、ギリシアの彫刻の理想は、端粛の二字に帰するそうである。端粛とは人間の活力の動かんとして、いまだ動かざる姿と思う。動けばどう変化するか、風雲か雷《らい》霆《てい*》か、見わけのつかぬところに余韻が縹《ひよう》緲《びよう》と存するから含蓄の趣を百世の後に伝うるのであろう。世上いくたの尊厳と威儀とはこの湛《たん》然《ぜん*》たる可能力の裏面に伏在している。動けばあらわれる。あらわるれば一か二か三か必ず始末がつく。一も二も三も必ず特殊の能力には相違なかろうが、すでに一となり、二となり、三となったあかつきには、〓《た》泥《でい》帯《たい》水《すい》の陋《ろう*》を遺憾なく示して、本来円満の相に戻《もど》るわけにはいかぬ。このゆえに動と名のつくものは必ず卑《いや》しい。運《うん》慶《けい》の仁《に》王《おう》も、北《ほく》斎《さい》の漫画もまったくこの動の一字で失敗している。動か静か。これがわれ等画工の運命を支配する大問題である。古来美人の形容もたいていこの二《に》大《だい》範《はん》疇《ちゆう》のいずれにか打ち込むことができべきはずだ。
ところがこの女の表情を見ると、余はいずれとも判断に迷った。口は一文字を結んで静《しずか》である。目は五《ご》分《ぶ》のすきさえ見《み》出《いだ》すべく動いている。顔は下《しも》膨《ぶくれ》の瓜《うり》実《ざね》形《がた》で、豊かに落ち付きを見せているに引《ひ》き易《か》えて、額は狭苦しくも、こせ付いて、いわゆる富《ふ》士《じ》額《びたい》の俗臭を帯びている。のみならず眉《まゆ》は両方から逼《せま》って、中間に数滴の薄《はつ》荷《か》を点じたるごとく、ぴくぴく焦《じ》慮《れ》ている。鼻ばかりは軽薄に鋭どくもない、遅鈍に丸くもない。画にしたら美しかろう。かように別れ別れの道具が皆一《ひと》癖《くせ》あって、乱調にどやどやと余の双眼に飛び込んだのだから迷うのも無理はない。
元来は静であるべき大地の一角に陥欠が起って、全体が思わず動いたが、動くは本来の性に背《そむ》くと悟って、つとめて往昔《むかし》の姿にもどろうとしたのを、平衡を失った機勢に制せられて、心ならずも動きつづけた今日は、やけだからむりでも動いてみせるといわぬばかりの有《あり》様《さま》が――そんな有様がもしあるとすればちょうどこの女を形容することができる。
それだから軽侮の裏に、なんとなく人に縋《すが》りたい景色が見える。人を馬鹿にした様子の底に慎み深い分別がほのめいている。才に任せ、気を負えば百人の男子を物の数とも思わぬ勢《いきおい》の下から温《おと》和《な》しい情けが吾《われ》知らず湧《わ》いて出る。どうしても表情に一致がない。悟りと迷《まよい》が一軒の家《うち》に喧嘩をしながらも同居している体《てい》だ。この女の顔に統一の感じのないのは、心に統一のない証拠で、心に統一がないのは、この女の世界に統一がなかったのだろう。不幸に圧《お》しつけられながら、その不幸に打ち勝とうとしている顔だ。不《ふ》仕《し》合《あわせ》な女に違《ちがい》ない。
「難有う」と繰り返しながら、ちょっと会釈した。
「ほほほほお部屋は掃除がしてあります。往《い》ってごらんなさい。いずれのちほど」
と言うやいなや、ひらりと、腰をひねって、廊下を軽《かろ》気《げ》に馳《か》けて行った。頭は銀杏《いちよう》返《がえ》しに結っている。白い襟がたぼの下から見える。帯の黒《くろ》繻《じゆ》子《す》は片《かた》側《がわ》だけだろう。
ぽかんと部屋へ帰ると、なるほど奇麗に掃除がしてある。ちょっと気がかりだから、念のため戸《と》棚《だな》をあけて見る。下には小さな用《よう》箪《だん》笥《す》が見える。上から友《ゆう》禅《ぜん》の扱帯《しごき》が半分垂れかかっているのは、誰か衣類でも取り出して、急いで出て行ったものと解釈ができる。扱帯の上部はなまめかしい衣装の間にかくれて先は見えない。片側には書物が少々詰めてある。いちばん上に白《はく》隠《いん》和《お》尚《しよう》の遠《お》良《ら》天《て》釜《がま*》と、伊《い》勢《せ》物《もの》語《がたり》の一巻が並んでる。昨夕《ゆうべ》のうつつは事実かもしれないと思った。
何《なに》気《げ》なく座《ざ》布《ぶ》団《とん》の上へ坐《すわ》ると、唐《から》木《き*》の机の上に例の写《しや》生《せい》帖《ちよう》が、鉛筆を挟《はさ》んだまま、大事そうにあけてある。夢中に書き流した句を、朝見たらどんな具合だろうと手に取る。
「海《かい》棠《だう》の露をふるふや物《もの》狂《ぐるひ》」の下にだれだか「海棠の露をふるふや朝《あさ》烏《がらす》」とかいたものがある。鉛筆だから、書体はしかと解《わか》らんが、女にしては硬すぎる、男にしては柔かすぎる。おやとまた吃《びつ》驚《くり》する。次を見ると「花の影、女の影の朧《おぼろ》かな」の下に「花の影女の影を重ねけり」とつけてある。「正《しやう》一《いち》位《ゐ》女に化けて朧《おぼろ》月《づき》」の下には「御《おん》曹《ざう》子《し*》女に化けて朧月」とある。真《ま》似《ね》をしたつもりか、添削した気か、風流の交わりか、馬鹿か、馬鹿にしたのか、余は思わず首を傾けた。
のちほどと言ったから、いまに飯の時にでも出て来るかもしれない。出て来たら様子が少しは解るだろう。ときに何時だなと時計を見ると、もう十一時過ぎである。よく寐たものだ。これでは午《ひる》飯《めし》だけで間に合せるほうが胃のためによかろう。
右側の障子をあけて、昨夜《ゆうべ》の名《な》残《ごり》はどの辺かなと眺《なが》める。海棠と鑑定したのは、はたして海棠であるが、思ったよりも庭は狭い。五、六枚の飛石を一面の青《あお》苔《ごけ》が埋《うず》めて、素足で踏みつけたら、さも心持ちがよさそうだ。左は山つづきの崖《がけ》に赤松が斜めに岩の間から庭の上へさし出している。海棠の後ろにはちょっとした茂みがあって、奥は大《おお》竹《たけ》藪《やぶ》が十丈の翠《みど》りを春の日に曝《さら》している。右手は屋の棟《むね》で遮《さえ》ぎられて、見えぬけれども、地勢から察すると、だらだら下《お》りに風《ふ》呂《ろ》場《ば》の方へ落ちているに相違ない。
山が尽きて、岡《おか》となり、岡が尽きて、幅三丁ほどの平地となり、その平地が尽きて、海の底へもぐり込んで、十七里向うへ行ってまた隆然と起き上がって、周囲六里の摩《ま》耶《や》島《じま》となる。これが那古井の地勢である。温泉場は岡の麓《ふもと》をできるだけ崖へさしかけて、岨《そば》の景色を半分庭へ囲い込んだ一《ひと》構《かまえ》であるから、前面は二階でも、後ろは平屋になる。椽《えん》から足をぶらさげれば、すぐと踵《かかと》は苔に着く。道理こそ昨夕は楷《はし》子《ご》段《だん》をむやみに上ったり下ったり、異な仕掛の家《うち》と思ったはずだ。
今度は左り側の窓をあける。しぜんと凹《くぼ》む二畳ばかりの岩のなかに春の水がいつともなく、たまって静かに山桜の影を〓《ひた》している。二株三株の熊《くま》笹《ざさ》が岩の角を彩《いろ》どる、向うに枸《く》杞《こ*》とも見える生《いけ》垣《がき》があって、外は浜から岡へ上る岨《そば》道《みち》か、時々人声が聞える。往来の向うはだらだらと南下がりに蜜《み》柑《かん》を植えて、谷の窮まる所にまた大きな竹藪が、白く光る。竹の葉が遠くから見ると、白く光るとはこの時初めて知った。藪から上は、松の多い山で、赤い幹の間から石《せき》磴《とう*》が五、六段手にとるように見える。おおかたお寺だろう。
入口の襖《ふすま》をあけて椽《えん》へ出ると、欄干が四角に曲って、方角からいえば海の見ゆべきはずの所に、中庭を隔てて、表二階の一間がある。わが住む部屋も、欄干に倚《よ》ればやはり同じ高さの二階なのには興が催《もよ》おされる。湯《ゆ》壺《つぼ》は地《じ》の下にあるのだから、入湯という点からいえば、余は三層楼上に起《き》臥《が》するわけになる。
家はずいぶん広いが、向う二階の一間と、余が欄干に添うて、右へ折れた一間のほかは、居《い》室《ま》台所は知らず、客間と名がつきそうなのはたいてい立て切ってある。客は、余をのぞくのほかほとんど皆無なのだろう。しめた部屋は昼も雨戸をあけず、あけた以上は夜も閉《た》てぬらしい。これでは表の戸締りさえ、するかしないか解らん。非人情の旅にはもって来いという屈強な場所だ。
時計は十二時近くなったが飯を食わせる景色はさらにない。ようやく空腹を覚えてきたが、空山不レ見レ人《  ヲ*》という詩中にあると思うと、一とかたげぐらい《*》倹約しても遺憾はない。画をかくのも面倒だ、俳句は作らんでも、すでに俳《はい》三《ざん》昧《まい》に入っているから、作るだけ野《や》暮《ぼ》だ。読もうと思って三《さん》脚《きやく》几《き》に括《くく》りつけて来た二、三冊の書籍もほどく気にならん。こうやって、煦《く》々《く*》たる春《しゆん》日《じつ》に背中をあぶって、椽《えん》側《がわ》に花の影とともに寐《ね》ころんでいるのが、天下の至楽である。考えれば外《げ》道《どう》に堕《お》ちる。動くと危《あぶ》ない。できるならば鼻から呼《い》吸《き》もしたくない。畳から根の生えた植物のようにじっとして二週間ばかり暮してみたい。
やがて、廊下に足音がして、だんだん下から誰か上ってくる。近づくのを聞いていると、二人らしい。それが部屋の前でとまったなと思ったら、一人はなんにも言わず、元の方へ引き返す。襖があいたから、今《け》朝《さ》の人と思ったら、やはり昨夜《ゆうべ》の小《こ》女《じよ》郎《ろう》である。なんだか物足らぬ。
「遅くなりました」と膳《ぜん》を据《す》える。朝《あさ》食《めし》の言《いい》訳《わけ》もなんにも言わぬ。焼《やき》肴《ざかな》に青いものをあしらって、椀《わん》の蓋《ふた》をとれば早《さ》蕨《わらび》の中に、紅白に染め抜かれた、海《え》老《び》を沈ませてある。ああ好《い》い色だと思って、椀の中を眺めていた。
「お嫌《きら》いか」と下女が聞く。
「いいや、いまに食う」と言ったが実際食うのは惜しい気がした。ターナーがある晩《ばん》餐《さん》の席で、皿《さら》に盛るサラドを見詰めながら、涼しい色だ、これがわしの用いる色だと傍《かたわら》の人に話したという逸事をある書物で読んだことがあるが、この海老と蕨の色をちょっとターナーに見せてやりたい。いったい西洋の食物で色のいいものは一つもない。あればサラドと赤大根ぐらいなものだ。滋養の点からいったいどうかしらんが、画家から見るとすこぶる発達せん料理である。そこへいくと日本の献立は、吸物でも、口《くち》取《とり》でも、刺《さし》身《み》でも物奇麗にできる。会《かい》席《せき》膳《ぜん》を前へ置いて、一《ひと》箸《はし》も着けずに、眺めたまま帰っても、目の保養からいえば、お茶屋へ上がった甲斐は十分ある。
「うちに若い女の人がいるだろう」と椀を置きながら質問をかけた。
「へえ」
「ありゃなんだい」
「若い奥様でござんす」
「あのほかにまだ年寄の奥様がいるのかい」
「去年お亡《な》くなりました」
「旦那さんは」
「おります。旦那さんの娘さんでござんす」
「あの若い人がかい」
「へえ」
「お客はいるかい」
「おりません」
「わたし一人かい」
「へえ」
「若い奥さんは毎日なにをしているかい」
「針仕事を……」
「それから」
「三《しや》味《み》を弾《ひ》きます」
これは意外であった。面白いからまた
「それから」と聞いてみた。
「お寺へ行きます」と小女郎が言う。
これはまた意外である。お寺と三味線は妙だ。
「お寺《てら》詣《まい》りをするのかい」
「いいえ、和《お》尚《しよう》様《さま》の所へ行きます」
「和尚さんが三味線でも習うのかい」
「いいえ」
「じゃなにをしに行くのだい」
「大《だい》徹《てつ》様《さま》の所へ行きます」
なあるほど、大徹というのはこの額を書いた男に相違ない。この句から察するとなんでも禅坊主らしい。戸棚に遠良天釜があったのは、まったくあの女の所持品だろう。
「この部屋はふだん誰かはいっている所かね」
「ふだんは奥様がおります」
「それじゃ、昨夕《ゆうべ》、わたしが来る時までここにいたのだね」
「へえ」
「それはお気の毒な事をした。それで大徹さんのところへなにをしに行くのだい」
「知りません」
「それから」
「なんでござんす」
「それから、まだほかになにかするのだろう」
「それから、いろいろ……」
「いろいろって、どんな事を」
「知りません」
会話はこれで切れる。飯はようやく了《おわ》る。膳を引くとき、小女郎が入口の襖を開《あけ》たら、中庭の栽《うえ》込《こ》みを隔てて、向う二階の欄干に銀杏返しが頬《ほお》杖《づえ》を突いて、開化した楊《よう》柳《りゆう》観《かん》音《おん*》のように下を見詰めていた。今朝に引き替えて、はなはだ静かな姿である。俯《うつ》向《む》いて、瞳《ひとみ》の働きが、こちらへ通わないから、相《そう》好《ごう》にかほどな変化を来たしたものであろうか。昔の人は人に存するもの眸《ぼう》子《し》より良きはなし《*》といったそうだが、なるほど人いずくんぞ〓《かく》さんや、人間のうちで、目ほど活《い》きている道具はない。寂《じやく》然《ねん》と倚《よ》る亜《あ》字《じ》欄《らん*》の下から、蝶《ちよう》々《ちよう》が二羽寄りつ離れつ舞い上がる。とたんにわが部屋の襖はあいたのである。襖の音に、女は卒然と蝶から目を余の方《かた》に転じた。視線は毒矢のごとく空を貫いて、会釈もなく余が眉《み》間《けん》に落ちる。はっと思う間に、小女郎が、またはたと襖を立て切った。あとは至極呑《のん》気《き》な春となる。
余はまたごろりと寐ころんだ。たちまち心に浮んだのは、
Sadder than is the moon's lost light,
Lost ere the kindling of dawn,
To travellers journeying on,
The shutting of thy fair face from my sight.《*》
という句であった。もし余があの銀杏返しに懸《け》想《そう》して、身を砕いても逢わんと思うやさきに、今のような一《いち》瞥《べつ》の別れを、魂《たま》消《ぎ》るまでに、嬉《うれ》しとも、口惜しとも感じたら、余は必ずこんな意味をこんな詩に作るだろう。そのうえに
Might I look on thee in death,
With bliss I would yield my breath.《*》
という二句さえ、付け加えたかもしれぬ。さいわい、普通ありふれた、恋とか愛とかいう境界はすでに通り越して、そんな苦しみは感じたくても感じられない。しかし今の刹《せう》那《な》に起った出来事の詩趣はゆたかにこの五、六行にあらわれている。余と銀杏返しの間《あいだ》柄《がら》にこんな切ない思《おもい》はないとしても、二人の今の関係を、この詩のうちに適《あて》用《はめ》てみるのは面白い。あるいはこの詩の意味をわれらの身のうえに引きつけて解釈しても愉快だ。二人のあいだには、ある因果の細い糸で、この詩にあらわれた境遇の一部分が、事実となって、括《くく》りつけられている。因果もこのくらい糸が細いと苦にはならぬ。そのうえ、ただの糸ではない。空を横切る虹《にじ》の糸、野《の》辺《べ》に棚《たな》引《び》く霞《かすみ》の糸、露にかがやく蜘《く》蛛《も》の糸。切ろうとすれば、すぐ切れて、見ているうちはすぐれてうつくしい。万一この糸が見るまに太くなって、井《い》戸《ど》縄《なわ》のようにかたくなったら? そんな危険はない。余は画工である。さきはただの女とは違う。
突然襖があいた。寐返りを打って入口を見ると、因果の相手のその銀杏返しが敷居の上に立って青《せい》磁《じ》の鉢《はち》を盆に乗せたまま佇《たたず》んでいる。
「また寐ていらっしゃるか、昨夕はご迷惑でござんしたろう。何返もお邪魔をして、ほほほほ」
と笑う。臆《おく》した景色も、隠す景色も――恥ずる景色はむろんない。ただこちらが先《せん》を越されたのみである。
「今朝は難有う」とまた礼を言った。考えると、丹前の礼をこれで三返言った。しかも、三返ながら、ただ難有うという三字である。
女は余が起き返ろうとする枕元へ、早くも坐《すわ》って
「まあ寐ていらっしゃい。寐ていても話はできましょう」と、さも気《き》作《さく》に言う。余はまったくだと考えたから、ひとまず腹《はら》這《ばい》になって、両手で顎《あご》を支《ささ》え、しばし畳の上へ肘《ひじ》壺《つぼ》の柱《*》を立てる。
「御退屈だろうと思って、お茶を入れに来ました」
「難有う」また難有うが出た。菓子皿のなかを見ると、立《りつ》派《ぱ》な羊羹が並んでいる。余はすべての菓子のうちでもっとも羊羹が好《すき》だ。べつだん食いたくはないが、あの肌《はだ》合《あい》が滑《なめ》らかに、緻《ち》密《みつ》に、しかも半透明に光線を受ける具合は、どう見ても一個の美術品だ。ことに青味を帯びた煉《ねり》上《あ》げ方は、玉《ぎよく》と蝋《ろう》石《せき》の雑種のようで、はなはだ見て心持ちがいい。のみならず青磁の皿に盛られた青い煉羊羹は、青磁のなかから今生れたようにつやつやして、思わず手を出して撫《な》でてみたくなる。西洋の菓子で、これほど快感を与えるものは一つもない。クリームの色はちょっと柔かだが、少し重苦しい。ジェリは一目宝石のように見えるが、ぶるぶる顫《ふる》えて、羊羹ほどの重味がない。白砂糖と牛乳で五重の塔を作るに至っては、言語道断の沙《さ》汰《た》である。
「うん、なかなか美《み》事《ごと》だ」
「今しがた、源兵衛が買って帰りました。これならあなたに召し上がられるでしょう」
源兵衛は昨夕城下へ留《とま》ったとみえる。余はべつだんの返事もせず羊羹を見ていた。どこで誰れが買って来てもかまうことはない。ただ美くしければ、美くしいと思うだけで十分満足である。
「この青磁の形はたいへんいい。色も美事だ。ほとんど羊羹に対して遜《そん》色《しよく》がない」
女はふふんと笑った。口元に侮《あな》どりの波がかすかに揺れた。余の言葉を洒《しや》落《れ》と解したのだろう。なるほど洒落とすれば、軽《けい》蔑《べつ》される価はたしかにある。知恵の足りない男がむりに洒落れた時には、よくこんな事をいうものだ。
「これは支《し》那《な》ですか」
「なんですか」と相手はまるで青磁を眼中に置いていない。
「どうも支那らしい」と皿を上げて底を眺めて見た。
「そんなものが、お好きなら、見せましょうか」
「ええ、見せてください」
「父が骨《こつ》董《とう》が大好きですから、だいぶいろいろなものがあります。父にそう言って、いつかお茶でも上げましょう」
茶と聞いて少し辟《へき》易《えき》した。世間に茶人ほど勿《もつ》体《たい》振《ぶ》った風流人はない。広い詩界をわざとらしく窮屈に縄《なわ》張《ば》りをして、きわめて自尊的に、きわめてことさらに、きわめてせせこましく、必要もないのに鞠《きつ》躬《きゆう》如《じよ*》として、あぶくを飲んで結構がるものはいわゆる茶人である。あんな煩《はん》瑣《さ》な規則のうちに雅味があるなら、麻《あざ》布《ぶ》の連隊《*》のなかは雅味で鼻がつかえるだろう。回れ右、前への連中はことごとく大茶人でなくてはならぬ。あれは商人とか町人とか、まるで趣味の教育のない連中が、どうするのが風流か見当が付かぬところから、器械的に利《り》休《きゆう》以後の規則を鵜《う》呑《の》みにして、これでおおかた風流なんだろうと、かえって真の風流人を馬鹿にするための芸である。
「お茶って、あの流儀のある茶ですかな」
「いいえ、流儀もなにもありゃしません。お厭《いや》なら飲まなくってもいいお茶です」
「そんなら、ついでに飲んでもいいですよ」
「ほほほほ。父は道具を人に見ていただくのが大好きなんですから……」
「褒《ほ》めなくっちゃあ、いけませんか」
「年寄りだから、褒めてやれば、嬉しがりますよ」
「へえ、少しなら褒めておきましょう」
「負けて、たくさんお褒めなさい」
「はははは、時にあなたの言葉は田舎《いなか》じゃない」
「人間は田舎なんですか」
「人間は田舎のほうがいいのです」
「それじゃ幅が利《き》きます」
「しかし東京にいたことがありましょう」
「ええ、いました、京都にもいました。渡りものですから、方々にいました」
「ここと都と、どっちがいいですか」
「同じ事ですわ」
「こういう静かな所が、かえって気楽でしょう」
「気楽も、気楽でないも、世の中は気の持ちよう一つでどうでもなります。蚤《のみ》の国が厭になったって、蚊《か》の国へ引越しちゃ、なんにもなりません」
「蚤も蚊もいない国へ行ったら、いいでしょう」
「そんな国があるなら、ここへ出してごらんなさい。さあ出してちょうだい」と女は詰め寄せる。
「お望みなら、出してあげましょう」と例の写生帖をとって、女が馬へ乗って、山桜を見ている心持ち――むろん咄《とつ》嗟《さ》の筆使いだから、画にはならない。ただ心持ちだけをさらさらと書いて、
「さあ、この中へおはいりなさい。蚤も蚊もいません」と鼻の前《さき》へ突き付けた。驚くか、恥ずかしがるか、この様子では、よもや、苦しがることはなかろうと思って、ちょっと景色を伺うと、
「まあ、窮屈な世界だこと、横幅ばかりじゃありませんか。そんな所がお好きなの、まるで蟹《かに》ね」と言って退《の》けた。余は
「わはははは」と笑う。軒《のき》端《ば》に近く、啼《な》きかけた鶯《うぐいす》が、中途で声を崩《くず》して、遠き方《かた》へ枝移りをやる。両人《ふたり》はわざと対話をやめて、しばらく耳を峙《そばだ》てたが、いったん鳴き損《そこ》ねた咽《の》喉《ど》は容易に開けぬ。
「昨日は山で源兵衛にお逢いでしたろう」
「ええ」
「長良の乙女の五《ご》輪《りんの》塔《とう》を見ていらしったか」
「ええ」
「あきづけば、をばなが上に置く露の、けぬべくもわは、おもほゆるかも」と説明もなく、女はすらりと節もつけずに歌だけ述べた。なんのためか知らぬ。
「その歌はね、茶店で聞きましたよ」
「婆《ばあ》さんが教えましたか。あれはもと私のうちへ奉公したもので、私がまだ嫁に……」と言いかけて、これはと余の顔を見たから、余は知らぬふうをしていた。
「私がまだ若い時分でしたが、あれが来るたびに長良の話をして聞かせてやりました。うただけはなかなか覚えなかったのですが、何遍も聴《き》くうちに、とうとうなにもかも暗唱してしまいました」
「どうれで、むずかしい事を知ってると思った。――しかしあの歌は憐《あわ》れな歌ですね」
「憐れでしょうか。私ならあんな歌は咏《よ》みませんね。第一、淵《ふち》川《かわ》へ身を投げるなんて、つまらないじゃありませんか」
「なるほどつまらないですね。あなたならどうしますか」
「どうするって、わけないじゃありませんか。ささだ男もささべ男も、男《おとこ》妾《めかけ》にするばかりですわ」
「両方ともですか」
「ええ」
「えらいな」
「えらかあない、当り前ですわ」
「なるほどそれじゃあ蚊の国へも、蚤の国へも、飛び込まずに済むわけだ」
「蟹のような思いをしなくっても、生きていられるでしょう」
ほーう、ほけきょうと忘れかけた鶯が、いつ勢《いきおい》を盛り返してか、時ならぬ高《たか》音《ね》を不意に張った。一度立て直すと、あとはしぜんに出るとみえる。身を逆《さかし》まにして《*》、ふくらむ咽喉の底を震わして、小さき口《*》の張り裂くるばかりに、
ほーう、ほけきょーう。ほーー、ほけっーきょうーと、つづけさまに囀《さえ》ずる。
「あれがほんとうの歌です」と女が余に教えた。
「失礼ですが旦《だん》那《な》は、やっぱり東京ですか」
「東京と見えるかい」
「見えるかいって、一目見りゃあ、――第一《だいち》言葉でわかりまさあ」
「東京はどこだか知れるかい」
「そうさね。東京はばかに広いからね。――なんでも下町じゃねえようだ。山の手だね。山の手は麹《こうじ》町《まち》かね。え? それじゃ、小《こ》石《いし》川《かわ》? でなければ牛《うし》込《ごめ》か四《よつ》谷《や》でしょう」
「まあそんな見当だろう。よく知ってるな」
「こう見《め》えて、私《わつち》も江戸っ子だからね」
「道《どう》理《れ》で生粋《いなせ》だと思ったよ」
「えへへへへ。からっきし、どうも、人間もこうなっちゃ、みじめですぜ」
「なんでまたこんな田舎《いなか》へ流れ込んで来たのだい」
「ちげえねえ、旦那の仰《おつ》しゃるとおりだ。まったく流れ込んだんだからね。すっかり食い詰めっちまって……」
「もとから髪《かみ》結《い》床《どこ》の親方かね」
「親方じゃねえ、職人さ。え? 所かね。所は神《かん》田《だ》松《まつ》永《なが》町《ちよう*》でさあ。なあに猫《ねこ》の額《ひたい》みたような小さな汚《きた》ねえ町でさあ。旦那なんか知らねえはずさ。あすこに竜《りゆう》閑《かん》橋《ばし*》てえ橋がありましょう。え? そいつも知らねえかね。竜閑橋ゃ、名《な》代《だい》な橋だがね」
「おい、もう少し、石《シヤ》鹸《ボン》を塗《つ》けてくれないか、痛くっていけない」
「痛うがすかい。私《わつち》ゃ、癇《かん》性《しよう》でね、どうも、こうやって、逆《さか》剃《ずり》をかけて、一本一本鬚《ひげ》の穴を掘《ほ》らなくっちゃ、気が済まねえんだから、――なあに今時の職人なあ、剃《す》るんじゃねえ、撫《な》でるんだ。もう少しだ我慢おしなせえ」
「我慢は先《さつき》から、もうだいぶしたよ。お願だから、もう少し湯か石鹸をつけとくれ」
「我慢しきれねえかね。そんなに痛かあねえはずだが。全《ぜん》体《てい》、髭があんまり、延びすぎてるんだ」
やけに頬《ほお》の肉をつまみ上げた手を、残念そうに放した親方は、棚《たな》の上から、薄《うす》っ片《ぺら》な赤い石鹸を取り卸《お》ろして、水のなかにちょっと浸したと思ったら、それなり余の顔をまんべんなく一応撫で回した。裸《はだか》石鹸を顔へ塗り付けられたことはあまりない。しかもそれを濡《ぬ》らした水は、幾日まえに汲《く》んだ、溜《た》め置きかと考えると、あまりぞっとしない。
すでに髪結床である以上は、お客の権利として、余は鏡に向わなければならん。しかし余はさっきからこの権利を放棄したく考えている。鏡という道具は平らにできて、なだらかに人の顔を写さなくては義理が立たぬ。もしこの性質が具《そな》わらない鏡を懸けて、これに向えと強いるならば、強いるものは下《へ》手《た》な写真師と同じく、向うものの器量を故意に損害したといわなければならぬ。虚栄心を挫《くじ》くのは修養上一種の方便かもしれぬが、なにも己《おの》れの真価以下の顔を見せて、これがあなたですよと、こちらを侮辱するには及ぶまい。今余が辛《しん》抱《ぼう》して向き合うべく余儀なくされている鏡はたしかに最前から余を侮辱している。右を向くと顔《かお》中《じゆう》鼻になる。左を出すと口が耳元まで裂ける。仰《あお》向《む》くと蟇《ひき》蛙《がえる》を前から見たように真《まつ》平《たいら》に圧《お》し潰《つぶ》され、少しこごむと福《ふく》禄《ろく》寿《じゆ》の祈誓児《もうしご》のように頭がせり出してくる。いやしくもこの鏡に対するあいだは一人でいろいろな化《ばけ》物《もの》を兼勤しなくてはならぬ。写るわが顔の美術的ならぬはまず我慢するとしても、鏡の構造やら、色合や、銀紙の剥《は》げ落ちて、光線が通り抜ける模様などを総合して考えると、この道具その物からが醜体を極《きわ》めている。小人から罵《ば》詈《り》されるとき、罵詈それ自身は別に痛《つう》痒《よう》を感ぜぬが、その小人の面前に起《き》臥《が》しなければならぬとすれば、誰しも不愉快だろう。
そのうえこの親方がただの親方ではない。そとから覗《のぞ》いたときは、胡座《あぐら》をかいて、長《なが》烟管《ぎせる》で、おもちゃの日英同盟国旗《*》の上へ、しきりに烟草《たばこ》を吹きつけて、さも退《たい》屈《くつ》気《げ》に見えたが、はいって、わが首の処置を托する段になって驚ろいた。髭を剃るあいだは首の所有権はまったく親方の手にあるのか、はたいくぶんかは余のうえにも存するのか、一人で疑がいだしたくらい、容赦なく取り扱われる。余の首が肩の上に釘《くぎ》付《づ》けにされているにしてもこれでは永《なが》く持たない。
彼は髪《かみ》剃《そり》を揮《ふる》うにあたって、毫《ごう》も文明の法則を解しておらん。頬にあたる時はがりりと音がした。揉《も》み上《あげ》のところではぞきりと動脈が鳴った。顎《あご》のあたりに利刃がひらめく時分にはごりごり、ごりごりと霜柱を踏みつけるような怪しい声が出た。しかも本人は日本一の手腕を有する親方をもって自任している。
最後に彼は酔っ払っている。旦那えというたんびに妙な臭《にお》いがする。時々は異な瓦《ガ》斯《ス》を余が鼻柱へ吹き掛ける。これではいつなんどき、髪剃がどう間違って、どこへ飛んで行くか解《わか》らない。使う当人にさえ判然たる計画がない以上は、顔を貸した余に推察のできようはずがない。得心ずくで任せた顔だから、少しの怪《け》我《が》なら苦情はいわないつもりだが、急に気が変って咽《の》喉《ど》笛《ぶえ》でも掻《か》き切られては事だ。
「石《シヤ》鹸《ボン》なんぞを、つけて、剃るなあ、腕が生《なま》なんだが、旦那のは、髭が髭だから仕方あるめえ」と言いながら親方は裸石鹸を、裸のまま棚の上へ放り出すと、石鹸は親方の命令に背《そむ》いて地面の上へ転《ころ》がり落ちた。
「旦那あ、あんまり見受けねえようだが、なんですかい、近ごろ来なすったのかい」
「二《に》、三《さん》日《ち》まえ来たばかりさ」
「へえ、どこにいるんですい」
「志保田に逗《とま》ってるよ」
「うん、あすこのお客さんですか。おおかたそんな事《こつ》たろうと思ってた。実あ、私《わつし》もあの隠居さんを頼《たよつ》て来たんですよ。――なにね、あの隠居が東京にいた時分、わっしが近所にいて、――それで知ってるのさ。いい人でさあ。ものの解ったね。去年御《ご》新《しん》造《ぞ》が死んじまって、今じゃ道具ばかり捻《ひね》くってるんだが――なんでも素《す》晴《ば》らしいものが、あるてえますよ。売ったらよっぽどな金《かね》目《め》だろうって話さ」
「奇麗なお嬢さんがいるじゃないか」
「あぶねえね」
「なにが?」
「なにがって。旦那の前《めえ》だが、あれで出《で》返《がえ》りですぜ」
「そうかい」
「そうかいどころの騒《さわぎ》じゃねえんだね。ぜんたいなら出てこなくってもいいところをさ。――銀行が潰《つぶ》れて贅《ぜい》沢《たく》ができねえって、出ちまったんだから、義理が悪《わ》るいやね。隠居さんがああしているうちはいいが、もしもの事があった日にゃ、法返しがつかねえ《*》わけになりまさあ」
「そうかな」
「当《あた》り前《めえ》でさあ。本家の兄《あにき》たあ、仲がわるしさ」
「本家があるのかい」
「本家は岡《おか》の上にありまさあ。遊びに行ってごらんなさい。景色のいい所ですよ」
「おい、もう一《いつ》遍《ぺん》石《シヤ》鹸《ボン》をつけてくれないか。また痛くなってきた」
「よく痛くなる髭だね。髭が硬《こわ》すぎるからだ。旦那の髭じゃ、三日に一度はぜひ剃《そり》を当てなくっちゃ駄目ですぜ。わっしの剃で痛けりゃ、どこへ行ったって、我慢できっこねえ」
「これから、そうしよう。なんなら毎日来てもいい」
「そんなに長く逗《とう》留《りゆう》する気なんですか。あぶねえ。およしなせえ。益もねえ事《こ》った。碌《ろく》でもねえものに引っかかって、どんな目に逢《あ》うか解りませんぜ」
「どうして」
「旦那あの娘は面《めん》はいいようだが、ほんとうはき印《じるし》ですぜ」
「なぜ」
「なぜって、旦那。村のものは、みんな気《き》狂《ちげえ》だって言ってるんでさあ」
「そりゃなにかの間違だろう」
「だって、現に証拠があるんだから、およしなせえ。けんのんだ」
「おれは大《だい》丈《じよう》夫《ぶ》だが、どんな証拠があるんだい」
「可《お》笑《か》しな話さね。まあゆっくり烟草でも呑《の》んでおいでなせえ話から。――頭あ洗いましょうか」
「頭はよそう」
「頭《ふ》垢《け》だけ落しておくかね」
親方は垢《あか》の溜《たま》った十本の爪《つめ》を、遠慮なく、余が頭《ず》蓋《がい》骨《こつ》の上に並べて、断わりもなく、前後に猛烈なる運動を開始した。この爪が、黒髪の根を一本毎《ごと》に押し分けて、不毛の境《きよう》を巨人の熊《くま》手《で》が疾風の速度で通るごとくに往来する。余が頭に何十万本の髪の毛が生えているかしらんが、ありとある毛がことごとく根こぎにされて、残る地面がべた一面に蚯蚓《めめず》腫《ばれ》にふくれ上《あが》ったうえ、余勢が地《じ》盤《ばん》を通して、骨から脳《のう》味《み》噌《そ》まで震《しん》盪《とう*》を感じたくらい烈《はげ》しく、親方は余の頭を掻き回した。
「どうです、好い心持でしょう」
「非常な辣《らつ》腕《わん》だ」
「え? こうやると誰でもさっぱりするからね」
「首が抜けそうだよ」
「そんなに倦《けつ》怠《たる》うがすかい。まったく陽気の加《か》減《げん》だね。どうも春てえ奴《やつ》あ、やに身体《からだ》がなまけやがって――まあ一ぷくお上がんなさい。一人で志保田にいちゃ、退屈でしょう。ちと話にお出《いで》なせえ。どうも江戸っ子は江戸っ子同志でなくっちゃ、話が合わねえものだから。なんですかい、やっぱりあのお嬢さんが、お愛《あい》想《そ》に出てきますかい。どうもさっぱし、見《み》境《さけえ》のねえ女だから困っちまわあ」
「お嬢さんが、どうとか、為《し》たところで頭《ふ》垢《け》が飛んで、首が抜けそうになったっけ」
「違《ちげえ》ねえ、がんがらがんだから、からっきし、話に締りがねえったらねえ。――そこでその坊主が逆《のぼ》せちまって……」
「その坊主たあ、どの坊主だい」
「観《かん》海《かい》寺《じ》の納《なつ》所《しよ》坊主《*》がさ……」
「納所にも住持にも、坊主はまだ一人も出てこないんだ」
「そうか、急《せつ》勝《かち》だから、いけねえ。苦味《にがん》走《ばし》った、色のできそうな坊主だったが、そいつがお前《めえ》さん、レコ《*》に参っちまって、とうとう文《ふみ》をつけたんだ。――おや待てよ。口《く》説《どい》たんだっけかな。いんにゃ文だ。文に違《ちげ》えねえ。すると――こうっと――なんだか、いきさつが少し変だぜ。うん、そうか、やっぱりそうか。するてえと奴《やつこ》さん、驚ろいちまってからに……」
「誰が驚ろいたんだい」
「女がさ」
「女が文を受け取って驚ろいたんだね」
「ところが驚ろくような女なら、殊《し》勝《お》らしいんだが、驚ろくどころじゃねえ」
「じゃ誰が驚ろいたんだい」
「口《く》説《どい》たほうがさ」
「口《く》説《どか》ないのじゃないか」
「ええ、焦心《じれつ》てえ。間違ってらあ。文をもらってさ」
「それじゃやっぱり女だろう」
「なあに男がさ」
「男なら、その坊主だろう」
「ええ、その坊主がさ」
「坊主がどうして驚ろいたのかい」
「どうしてって、本堂で和《お》尚《しよう》さんとお経を上げてると、いきなりあの女が飛び込んで来て――ウフフフフ。どうしても狂《き》印《じるし》だね」
「どうかしたのかい」
「そんなに可《か》愛《わい》いなら、仏様の前で、いっしょに寐《ね》ようって、だしぬけに、泰《たい》安《あん》さんの頸《くび》っ玉《たま》へかじりついたんでさあ」
「へええ」
「面《めん》喰《くら》ったなあ、泰安さ。気《き》狂《ちげえ》に文をつけて、とんだ恥を掻《か》かせられて、とうとう、その晩こっそり姿を隠して死んじまって……」
「死んだ?」
「死んだろうと思うのさ。生きちゃいられめえ」
「なんともいえない」
「そうさ、相手が気狂じゃ、死んだって冴《さ》えねえから、ことによると生きてるかもしれねえね」
「なかなか面白い話だ」
「面白いの、面白くないのって、村中大笑いでさあ。ところが当人だけは、根が気が違ってるんだから、しゃあしゃあして平気なもんで――なあに旦那のようにしっかりしていりゃ大丈夫ですがね、相手が相手だから、めったにからかったりなんかすると、大変な目に逢いますよ」
「ちっと気を付けるかね。ははははは」
生《なま》温《ぬる》い磯《いそ》から、塩気のある春風がふわりふわりと来て、親方の暖簾《のれん》を眠たそうに煽《あお》る。身を斜《はす》にしてその下をくぐり抜ける燕《つばめ》の姿が、ひらりと、鏡の裡《うち》に落ちて行く。向うの家では六十ばかりの爺さんが、軒下に蹲踞《うずく》まりながら、だまって貝をむいている。かちゃりと、小《こ》刀《がたな》があたるたびに、赤い味《み》が笊《ざる》のなかに隠れる。殻《から》はきらりと光りを放って、二尺あまりの陽《かげ》炎《ろう》を向《むこう》へ横切る。丘のごとくに堆《うずた》かく、積み上げられた、貝《かい》殻《がら》は牡《か》蠣《き》か、馬《ば》鹿《か》か、馬《ま》刀《て》貝《がい》か。崩《くず》れた、いくぶんは砂《すな》川《がわ》の底に落ちて、浮世の表から、暗《く》らい国へ葬られる。葬られるあとから、すぐ新しい貝が、柳の下へたまる。爺さんは貝の行《ゆく》末《え》を考うる暇《いとま》さえなく、ただ空しき殻を陽炎の上へ放り出す。かれの笊には支《ささ》うべき底なくして、かれの春の日は無《む》尽《じん》蔵《ぞう》に長《の》閑《ど》かとみえる。
砂川は二間に足らぬ小橋の下を流れて、浜の方へ春の水をそそぐ。春の水が春の海と出合うあたりには、参《しん》差《し*》として幾《いく》尋《ひろ》の干網が、網の目を抜けて村へ吹く軟風に、腥《なまぐさ》き微《ぬく》温《もり》を与えつつあるかと怪しまれる。その間から、鈍刀を溶かして、気長にのたくらせたように見えるのが海の色だ。
この景色とこの親方とはとうてい調和しない。もしこの親方の人格が強烈で四辺の風光と拮《きつ》抗《こう》するほどの影響を余の頭脳に与えたならば、余は両者のあいだに立ってすこぶる円《えん》〓《ぜい》方《ほう》鑿《さく*》の感に打たれただろう。さいわいにして親方はさほど偉大な豪傑ではなかった。いくら江戸っ子でも、どれほどたんかを切っても、この渾《こん》然《ぜん》として駘《たい》蕩《とう》たる天地の大気象には叶《かな》わない。満腹の饒《じよう》舌《ぜつ》を弄《ろう》して、あくまでこの調子を破ろうとする親方は、早く一《いち》微《み》塵《じん》となって、怡《い》々《い*》たる春光の裏《うち》に浮遊している。矛盾とは、力において、量において、もしくは意気体《たい》躯《く》において氷炭相《あい》容《い》るるあたわずして、しかも同程度に位する物もしくは人のあいだにあってはじめて、見《み》出《いだ》し得べき現象である。両者の間隔がはなはだしく懸絶するときは、この矛盾はようやく〓《し》尽《じん》〓《ろう》磨《ま*》して、かえって大勢力の一部となって活動するに至るかもしれぬ。大《たい》人《じん》の手《しゆ》足《そく》となって才子が活動し、才子の股《こ》肱《こう》となって昧《まい》者《しや*》が活動し、昧者の心腹となって牛馬が活動し得るのはこれがためである。今わが親方はかぎりなき春の景色を背景として一種の滑《こつ》稽《けい》を演じている。長閑《のどか》な春の感じを壊《こわ》すべきはずの彼は、かえって長閑な春の感じを刻意《*》に添えつつある。余は思わず弥生《やよい》半ばの呑気な弥《や》次《じ》と近《ちか》付《づき》になったような気持ちになった。このきわめて安価なる気炎家は、太平の象《しよう》を具したる春の日にもっとも調和せる一彩色である。
こう考えると、この親方もなかなか画にも、詩にもなる男だから、とうに帰るべきところを、わざと尻《しり》を据《す》えてよもやまの話をしていた。ところへ暖簾を滑《すべ》って小さな坊主頭が、
「御免、一つ剃ってもらおうか」
とはいって来る。白《しろ》木《も》綿《めん》の着物に同じ丸《まる》絎《ぐけ》の帯をしめて、上から蚊《か》帳《や》のように粗《あら》い法衣《ころも》を羽織って、すこぶる気楽に見える小坊主であった。
「了《りよう》念《ねん》さん。どうだい、こないだあ道草あ、食って、和尚さんに叱《しか》られたろう」
「いんにゃ、褒められた」
「使《つかい》に出て、途中で魚《さかな》なんか、とっていて、了念は感心だって、褒められたのかい」
「若いに似ず了念は、よく遊んで来て感心じゃ言うて、老師が褒められたのよ」
「道《どう》理《れ》で頭に瘤《こぶ》ができてらあ。そんな不《ぶ》作《さ》法《ほう》な頭あ、剃るなあ骨が折れていけねえ。今日は勘弁するから、この次から捏《こ》ね直して来ねえ」
「捏ね直すくらいなら、ますこし上《じよう》手《ず》な床屋へ行きます」
「はははは頭は凸《でこ》凹《ぼこ》だが、口だけは達者なもんだ」
「腕は鈍いが、酒だけ強いはお前だろ」
「篦《べら》棒《ぼう》め、腕が鈍いって……」
「わしが言うたのじゃない。老師が言われたのじゃ。そう怒《おこ》るまい。年《とし》甲《が》斐《い》もない」
「ヘン、面白くもねえ。――ねえ、旦那」
「ええ?」
「ぜんてえ坊主なんてえものは、高い石段の上に住んでやがって、屈托がねえから、しぜんに口が達者になるわけですかね。こんな小坊主までなかなか口《くち》幅《はば》ってえ事を言いますぜ――おっと、もう少し頭《どたま》を寐かして――寐かすんだてえのに、――言う事を聴《き》かなけりゃ、切るよ、いいか、血が出るぜ」
「痛いがな。そう無茶をしては」
「このくらいな辛抱ができなくって坊主になれるもんか」
「坊主にはもうなっとるがな」
「まだ一《いち》人《にん》前《めえ》じゃねえ。――時にあの泰安さんは、どうして死んだっけな、お小僧さん」
「泰安さんは死にはせんがな」
「死なねえ? はてな。死んだはずだが」
「泰安さんは、その後《のち》発憤して、陸《りく》前《ぜん》の大《だい》梅《ばい》寺《じ*》へ行って、修行三《ざん》昧《まい》じゃ。今に智識になられよう。結構な事よ」
「なにが結構だい、いくら坊主だって、夜逃をして結構な法はあるめえ。お前《めえ》なんざ、よく気をつけなくっちゃいけねえぜ。とかく、しくじるなあ女だから――女ってえば、あの狂《き》印《じるし》はやっぱり和尚さんの所へ行くかい」
「狂印という女は聞いたことがない」
「通じねえ、味《み》噌《そ》擂《すり*》だ。行くのか、行かねえのか」
「狂印は来んが、志保田の娘さんなら来る」
「いくら、和尚さんの御《ご》祈《き》祷《とう》でもあればかりゃ、癒《なお》るめえ。まったく先《せん》の旦那が祟《たた》ってるんだ」
「あの娘さんはえらい女だ。老師がよう褒めておられる」
「石段をあがると、なんでも逆《さか》様《さま》だから叶わねえ。和尚さんが、なんていったって、気《き》狂《ちげえ》は気狂だろう。――さあ剃れたよ。はやく行って和尚さんに叱られてきねえ」
「いやもう少し遊んで行って賞《ほ》められよう」
「かってにしろ、口の減らねえ餓《が》鬼《き》だ」
「咄《とつ*》この乾《かん》屎《し》〓《けつ*》」
「なんだと?」
青い頭はすでに暖簾をくぐって、春《しゆん》風《ぷう》に吹かれている。
夕暮の机に向う。障子も襖《ふすま》も開け放つ。宿の人は多くもあらぬうえに、家は割合に広い。余が住む部屋は、多くもあらぬ人の、人らしく振舞う境《きよう》を、幾《いく》曲《まがり》の廊下に隔てたれば、物の音さえ思索の煩《わずらい》にはならぬ。今日はひとしお静かである。主人も、娘も、下女も下男も、知らぬ間《ま》に、われを残して、立ち退《の》いたかと思われる。立ち退いたとすればただの所へ立ち退きはせぬ。霞《かすみ》の国か、雲の国かであろう。あるいは雲と水がしぜんに近付いて、舵《かじ》をとるさえ懶《ものう》き海の上を、いつ流れたとも心づかぬ間に、白い帆が雲とも水とも見分けがたき境に漂いきて、果《は》ては帆みずからが、いずこに己《おの》れを雲と水より差別すべきかを苦しむあたりへ――そんなはるかな所へ立ち退いたと思われる。それでなければ卒然と春のなかに消え失せて、これまでの四大《*》が、今ごろは目に見えぬ霊《れい》氛《ふん*》となって、広い天地の間に、顕微鏡の力を藉《か》るとも、些《さ》の名《な》残《ごり》を留《とど》めぬようになったのであろう。あるいは雲雀《ひばり》に化して、菜の花の黄を鳴き尽したる後、夕暮深き紫のたなびくほとりへ行ったかもしれぬ。または永《なが》き日を、かつ永くする虻《あぶ》のつとめを果したる後、蕋《ずい》に凝る甘き露を吸い損《そこ》ねて、落《おち》椿《つばき》の下に、伏せられながら、世を香《かん》ばしく眠っているかもしれぬ。とにかく静かなものだ。
空《むな》しき家を、空しく抜ける春《はる》風《かぜ》の、抜けて行くは迎える人への義理でもない。拒むものへの面《つら》当《あて》でもない。おのずから来《きた》りて、おのずから去る、公平なる宇宙の意《こころ》である。掌《たなごころ》に顎《あご》を支《ささ》えたる余の心も、わが住む部屋のごとく空しければ、春風は招かぬに、遠慮もなく行き抜けるであろう。
踏むは地と思えばこそ、裂けはせぬかとの気《き》遣《づかい》も起る。戴《いただ》くは天と知るゆえに、稲《いな》妻《ずま》の米《こめ》噛《かみ》に震う怖《おそれ》もできる。人と争わねば一《いち》分《ぶん》が立たぬと浮世が催促するから、火《か》宅《たく》の苦《*》は免かれぬ。東西のある乾《けん》坤《こん》に住んで、利害の綱を渡らねばならぬ身には、事実の恋は讎《あだ》である。目に見る富は土である。握る名と奪える誉とは、小《こ》賢《ざ》かしき蜂《はち》が甘く醸《かも》すと見せて、針を棄《す》て去る蜜《みつ》のごときものであろう。いわゆる楽《たのしみ》は物に着するより起るがゆえに、あらゆる苦しみを含む。ただ詩人と画《が》客《かく》なるものあって、あくまでこの待《たい》対《たい》世界の精華を嚼《か》んで《*》、徹骨徹髄の清きを知る。霞を餐《さん》し、露を嚥《の》み、紫を品《ひん》し、紅《こう》を評して、死に至って悔いぬ。彼等の楽は物に着するのではない。同化してその物になるのである。その物になり済ました時に、我を樹立すべき余地は茫《ぼう》々《ぼう》たる大地を極《きわ》めても見《み》出《いだ》しえぬ。自在に泥《でい》団《だん》を放《ほう》下《げ》して《*》、破《は》笠《りつ》裏《り》に無限の青《せい》嵐《らん》を盛《も》る《*》。いたずらにこの境遇を拈《ねん》出《しゆつ》するのは、あえて市井の銅臭児《*》を鬼《き》嚇《かく》して《*》、好んで高く標置するがためではない。ただ這《しや》裏《り》の福《ふく》音《いん*》を述べて、縁ある衆《しゆ》生《じよう》を麾《さしまね》くのみである。有《あり》体《てい》にいえば詩境といい、画界というも皆人《にん》々《にん》具《ぐ》足《そく》の道《*》である。春《しゆん》秋《じゆう》に指を折り尽して、白頭に呻《しん》吟《ぎん》するの徒といえども、一生を回顧して、閲歴の波動を順次に点検し来《きた》るとき、かつては微光の臭《しゆう》骸《がい》に洩《も》れて、吾《われ》を忘れし、拍手の興を喚《よ》び起すことができよう《*》。できぬといわば生甲斐のない男である。
されど一事に即し、一物に化するのみが詩人の感興とはいわぬ。ある時は一弁の花に化し、あるときは一双の蝶《ちよう》に化し、あるはワーズワースのごとく、一団の水《すい》仙《せん》に化して《*》、心を沢《たく》風《ふう》の裏《うち》に撩《りよう》乱《らん》せしむることもあろうが、なんとも知れぬ四辺の風光にわが心を奪われて、わが心を奪えるはなにものぞとも明《めい》瞭《りよう》に意識せぬ場合がある。ある人は天地の耿《こう》気《き*》に触《ふ》るるというだろう。ある人は無弦の琴《きん》を霊台に聴《き》くというだろう。またある人は知りがたく、解しがたきがゆえに無限の域に〓《せん》〓《かい》して、縹《ひよう》緲《びよう》のちまたに彷《ほう》徨《こう》すると形容するかもしれぬ。なんというも皆その人の自由である。わが、唐《から》木《き》の机に憑《よ》りてぽかんとした心《しん》裡《り》の状態はまさにこれである。
余は明かに何事をも考えておらぬ。またはたしかに何物をも見ておらぬ。わが意識の舞台に著るしき色彩をもって動くものがないから、われはいかなる事物に同化したともいえぬ。されども吾は動いている。世の中に動いてもおらぬ、世の外にも動いておらぬ。ただなんとなく動いている。花に動くにもあらず、鳥に動くにもあらず、人間に対して動くにもあらず、ただ恍《こう》惚《こつ》と動いている。
しいて説明せよといわるるならば、余が心はただ春とともに動いているといいたい。あらゆる春の色、春の風、春の物、春の声を打って、固めて、仙《せん》丹《たん*》に練り上げて、それを蓬《ほう》莱《らい》の霊液に溶いて、桃《とう》源《げん》の日で蒸発せしめた精気が、知らぬ間に毛《け》孔《あな》から染《し》み込んで、心が知覚せぬうちに飽和されてしまったといいたい。普通の同化には刺激がある。刺激があればこそ、愉快であろう。余の同化には、なんと同化したか不《ふ》分《ぶん》明《みよう》であるから、毫《ごう》も刺激がない。刺激がないから、窈《よう》然《ぜん*》として名状しがたい楽《たのしみ》がある。風に揉《も》まれて上《うわ》の空なる波を起す、軽薄で騒《そう》々《ぞう》しい趣とは違う。目に見えぬ幾《いく》尋《ひろ》の底を、大陸から大陸まで動いている〓《こう》洋《よう》たる蒼《そう》海《かい》の有《あり》様《さま》と形容することができる。ただそれほどに活力がないばかりだ。しかしそこにかえって幸福がある。偉大なる活力の発現は、この活力がいつか尽き果てるだろうとの懸念が籠《こも》る。常の姿にはそういう心配は伴わぬ。常よりは淡きわが心の、今の状態には、わが烈しき力の銷《しよう》磨《ま》しはせぬかとの憂《うれい》を離れたるのみならず、常の心の可もなく不可もなき凡境をも脱却している。淡しとは単に捕えがたしという意味で、弱きにすぎる虞《おそれ》を含んではおらぬ。冲《ちゆう》融《ゆう*》とか澹《たん》蕩《とう*》とかいう詩人の語はもっともこの境を切実に言い了《おお》せたものだろう。
この境《きよう》界《がい》を画《え》にしてみたらどうだろうと考えた。しかし普通の画にはならないにきまっている。われ等が俗に画と称するものは、ただ眼前の人事風光を有《あり》の儘《まま》なる姿として、もしくはこれをわが審美眼に漉《ろつ》過《か》して、絵絹の上に移したものにすぎぬ。花が花と見え、水が水と映り、人物が人物として活動すれば、画の能事は終ったものと考えられている。もしこのうえに一頭地を抜けば、わが感じたる物象を、わが感じたるままの趣を添えて、画布の上に淋《りん》漓《り》として生動させる。ある特別の感興を、己《おの》が捕えたる森《しん》羅《ら》の裡《うち》に寓《ぐう》するのがこの種の技術家の主意であるから、彼等の見たる物象観が明瞭に筆端に迸《ほとば》しっておらねば、画を製作したとはいわぬ。己れはしかじかの事を、しかじかに観《み》、しかじかに感じたり、その観方も感じ方も、前《ぜん》人《じん》の籬《り》下《か》に立ちて、古来の伝説に支配せられたるにあらず、しかももっとも正しくして、もっとも美くしきものなりとの主張を示す作品にあらざれば、わが作というをあえてせぬ。
この二種の製作家に主《しゆ》客《かく》深浅の区別はあるかもしれぬが、明瞭なる外界の刺激を待って、はじめて手を下すのは双方とも同一である。されど今、わが描かんとする題目は、さほどに分《ぶん》明《みよう》なものではない。あらんかぎりの感覚を鼓舞して、これを心外に物色したところで、方円の形、紅《こう》緑《ろく》の色はむろん、濃淡の陰《かげ》、洪《こう》繊《せん》の線《すじ*》を見《み》出《いだ》しかねる。わが感じは外から来たのではない、たとい来たとしても、わが視界に横《よこた》わる、一定の景物でないから、これが源因だと指を挙《あ》げて明らかに人に示すわけにいかぬ。あるものはただ心持ちである。この心持ちを、どうあらわしたら画になるだろう――いなこの心持ちをいかなる具体を藉《か》りて、人の合《が》点《てん》するように髣《ほう》髴《ふつ》せしめ得るかが問題である。
普通の画は感じはなくても物さえあればできる。第二の画は物と感じと両立すればできる。第三にいたっては存するものはただ心持ちだけであるから、画にするにはぜひともこの心持ちに恰《かつ》好《こう》なる対象を択《えら》ばなければならん。しかるにこの対象は容易に出て来ない。出て来ても容易に纏《まとま》らない。纏っても自然界に存するものとはまるで趣を異にする場合がある。したがって普通の人から見れば画とは受け取れない。描いた当人も自然界の局部が再現したものとは認めておらん、ただ感興の上《さ》した刻下の心持ちをいくぶんでも伝えて、多少の生命を〓《しよう》〓《きよう》しがたき《*》ムードに与うれば大成功と心得ている。古来からこの難事業に全然の績《いさおし》を収め得たる画工があるかないかしらぬ。ある点までこの流派に指を染め得たるものを挙ぐれば、文《ぶん》与《よ》可《か》の竹《*》である。雲《うん》谷《こく*》門《 もん》下《か》の山《さん》水《すい》である。下って大《たい》雅《が》堂《どう*》の景《けい》色《しよく》である。蕪村の人物である。泰西の画家にいたっては、多く目を具象世界に馳《は》せて、神往の気韻に傾倒せぬ者が大多数を占めているから、この種の筆墨に物外の神韻を伝え得るものははたして幾人あるか知らぬ。
惜しいことに雪《せつ》舟《しゆう》、蕪村等のつとめて描出した一種の気韻は、あまりに単純でかつあまりに変化に乏しい。筆力の点からいえばとうていこれ等の大家に及ぶ訳はないが、今わが画にしてみようと思う心持ちはもう少し複雑である。複雑であるだけにどうも一枚のなかへは感じが収まりかねる。頬《ほお》杖《づえ》をやめて、両腕を机の上に組んで考えたがやはり出て来ない。色、形、調子ができて、自分の心が、ああここにいたなと、たちまち自己を認識するようにかかなければならない。生き別れをしたわが子を尋ねあてるため、六十余州を回国して、寐《ね》ても寤《さ》めても、忘れる間がなかったある日、十字街頭にふと邂《かい》逅《こう》して、稲妻の遮《さえ》ぎるひまもなきうちに、あっ、ここにいた、と思うようにかかなければならない。それがむずかしい。この調子さえ出れば、人が見てなんと言ってもかまわない。画でないと罵《ののし》られても恨《うらみ》はない。いやしくも色の配合がこの心持ちの一部を代表して、線の曲直がこの気《き》合《あい》のいくぶんを表現して、全体の配置がこの風韻のどれほどかを伝えるならば、形にあらわれたものは、牛であれ馬であれ、ないしは牛でも馬でも、なんでもないものであれ、厭《いと》わない。厭わないがどうもできない。写《しや》生《せい》帖《ちよう》を机の上へ置いて、両眼が帖《じよう》のなかへ落ち込むまで、工夫したが、とても物にならん。
鉛筆を置いて考えた。こんな抽象的な興趣を画にしようとするのが、そもそもの間違である。人間にそう変りはないから、多くの人のうちには、きっと自分と同じ感興に触れたものがあって、この感興をなんらの手段かで、永久化せんと試みたに相違ない。試みたとすればその手段はなんだろう。
たちまち音楽の二字がぴかりと目に映った。なるほど音楽はかかる時、かかる必要に逼《せま》られて生まれた自然の声であろう。楽は聴くべきもの、習うべきものであると、はじめて気が付いたが、不幸にして、その辺の消息はまるで不案内である。
次に詩にはなるまいかと、第三の領分に踏み込んでみる。レッシング《*》という男は、時間の経過を条件として起る出来事を、詩の本領であるごとく論じて、詩画は不一にして両様なり《*》との根本義を立てたように記憶するが、そう詩を見ると、今余の発表しようとあせっている境界もとうてい物になりそうにない。余が嬉《うれ》しいと感ずる心裏の状況には、時間はあるかもしれないが、時間の流れに沿うて、逓《てい》次《じ》に《*》展開すべき出来事の内容がない。一が去り二が来《きた》り、二が消えて三が生まるるがために嬉しいのではない。初《はじめ》から窈《よう》然《ぜん》として同所に把《は》住《じゆう*》する趣《おもむ》きで嬉しいのである。すでに同所に把住する以上は、よしこれを普通の言語に翻訳したところで、必ずしも時間的に材料を按《あん》排《ばい》する必要はあるまい。やはり絵画と同じく空間的に景物を配置したのみでできるだろう。ただいかなる景情を詩中に持ち来って、この曠《こう》然《ぜん》として倚《い》托《たく》なき有《あり》様《さま*》を写すかが問題で、すでにこれを捕え得た以上はレッシングの説に従わんでも詩として成功するわけだ。ホーマー《*》がどうでも、ヴァージル《*》がどうでもかまわない。もし詩が一種のムードをあらわすに適しているとすれば、このムードは時間の制限を受けて、順次に進《しん》捗《ちよく》する出来事の助けを藉《か》らずとも、単純に空間的なる絵画上の要件を充《み》たしさえすれば、言語をもって描き得るものと思う。
議論はどうでもよい。ラオコーンなどはたいがい忘れているのだから、よく調べたら、こっちが怪しくなるかもしれない。とにかく、画にしそくなったから、ひとつ詩にしてみよう、と写生帖の上へ、鉛筆を押しつけて、前後に身をゆすぶってみた。しばらくは、筆の先の尖《と》がったところを、どうにか運動させたいばかりで、毫も運動させるわきにゆかなかった。急に朋《ほう》友《ゆう》の名を失念して、咽《の》喉《ど》まで出かかっているのに、出てくれないような気がする。そこで諦《あきら》めると、出《で》損《そく》なった名は、ついに腹の底へ収まってしまう。
葛《くず》湯《ゆ》を練るとき、最初のうちは、さらさらして、箸《はし》に手《て》応《ごたえ》がないものだ。そこを辛抱すると、ようやく粘着《ねばり》が出て、攪《か》き淆《ま》ぜる手が少し重くなる。それでもかまわず、箸を休ませずに回すと、今度は回し切れなくなる。仕舞には鍋《なべ》の中の葛が、求めぬに、先方から、争って箸に付着してくる。詩を作るのはまさにこれだ。
手《て》掛《がか》りのない鉛筆が少しずつ動くようになるのに勢《いきおい》を得て、かれこれ二、三十分したら、
青春二三月。愁 《うれへハ》随《 ツテ》二芳《はう》草《さうニ》一長《シ》。閑花落《 ツ》二空庭《 ニ》一。素《そ》琴《きん》横《よこたハル》二 虚堂《 ニ》一。〓《せう》蛸《せう》掛《 ツテ》不レ動《 カ》。篆《てん》煙《えん》繞《めぐル》二竹梁《 ヲ》一。
という六句だけできた。読み返してみると、みな画になりそうな句ばかりである。これならはじめから、画にすればよかったと思う。なぜ画よりも詩のほうが作り易《やす》かったかと思う。ここまで出たら、あとは大した苦もなく出そうだ。しかし画にできない情を、次には咏《うた》ってみたい。あれか、これかと思い煩った末とうとう、
独坐無《 シ》二隻《せき》語《ご》一。方《ほう》寸《すん》認《 ム》二微《び》光《くわうヲ》一。人間徒《いたづらニ》多事。此《この》境《きやう》孰《たれカ》可《キ》レ忘《 ル》。会《たまたま》得《 テ》二一日《 ノ》静《 ヲ》一。正《まさニ》知《 ル》百年《 ノ》忙《ぼう》。遐《か》懐《くわい》寄《 セン》二何《 レノ》処《ところニ》一。緬《めん》〓《ばくタリ》白《はく》雲《うん》郷《きやう》。
とできた。もう一返最初から読み直してみると、ちょっと面白く読まれるが、どうも、自分が今しがた入った神境を写したものとすると、索然として物足りない。ついでだから、もう一首作ってみようかと、鉛筆を握ったまま、なんの気もなしに、入口の方を見ると、襖を引いて、開け放った幅三尺の空間をちらりと、奇麗な影が通った。はてな。
余が目を転じて、入口を見たときは、奇麗なものが、すでに引き開けた襖の影に半分かくれかけていた。しかもその姿は余が見ぬまえから、動いていたものらしく、はっと思う間に通り越した。余は詩をすてて入口を見守る。
一分と立たぬ間に、影は反対の方から、逆にあらわれてきた。振《ふり》袖《そで》姿《すがた》のすらりとした女が、音もせず、向う二階の椽《えん》側《がわ》を寂《じやく》然《ねん》として歩行《あるい》て行く。余は覚えず鉛筆を落して、鼻から吸いかけた息をぴたりと留めた。
花曇りの空が、刻一刻に天から、ずり落ちて、今や降ると待たれたる夕暮の欄干に、しとやかに行き、しとやかに帰る振袖の影は、余が座敷から六間の中庭を隔てて、重き空気のなかに蕭《しよう》寥《りよう》と見えつ、隠れつする。
女はもとより口も聞かぬ。傍《わき》目《め》も触《ふ》らぬ。椽に引く裾の音さえおのが耳に入らぬくらい静かに歩行ている。腰から下にぱっと色づく、裾《すそ》模《も》様《よう》はなにを染め抜いたものか、遠くて解《わ》からぬ。ただ無地と模様のつながるなかが、おのずから暈《ぼか》されて、夜と昼との境のごとき心《ここ》地《ち》である。女はもとより夜と昼との境をあるいている。
この長い振袖を着て、長い廊下をなんど往《ゆ》きなんど戻《もど》る気か、余には解らぬ。いつごろからこの不思議な装《よそおい》をして、この不思議な歩行《あゆみ》をつづけつつあるかも、余には解らぬ。その主意にいたってはもとより解らぬ。もとより解るべきはずならぬ事を、かくまでも端正に、かくまでも静粛に、かくまでも度を重ねて繰り返す人の姿の、入口にあらわれては消え、消えてはあらわるる時の余の感じは一種異様である。逝《ゆ》く春の恨《うらみ》を訴うる所《しよ》作《さ》ならば、なにがゆえにかくは無《む》頓《とん》着《じやく》なる。無頓着なる所作ならばなにがゆえにかくは綺《き》羅《ら》を飾れる。
暮れんとする春の色の、嬋《せん》媛《えん》として、しばらくは冥《めい》〓《ばく*》の戸口をまぼろしに彩《いろ》どるなかに、目も醒《さ》むるほどの帯地は金《きん》襴《らん》か。あざやかなる織物は往きつ戻りつ、蒼《そう》然《ぜん》たる夕べのなかにつつまれて、幽《ゆう》闃《げき*》のあなた、遼《りよう》遠《えん》のかしこへ一分毎《ごと》に消えて去る。燦《きら》めき渡る春の星の、暁近くに、紫深き空の底に陥《おち》いる趣である。
太《たい》玄《げん》の〓《もん*》おのずから開けて、この華《はな》やかなる姿を、幽《ゆう》冥《めい》の府《ふ*》に吸い込まんとするとき、余はこう感じた。金《きん》屏《びよう》を背に、銀《ぎん》燭《しよく》を前に、春の宵《よい》の一刻を千金と、さざめき暮らしてこそしかるべきこの装の、厭う景色もなく、争う様子も見えず、色相世界《*》から薄れてゆくのは、ある点において超自然の情景である。刻々と逼る黒き影を、すかして見ると女は肅然として、焦《せ》きもせず、狼《うろ》狽《たえ》もせず、同じほどの歩調をもって、同じ所を徘《はい》徊《かい》しているらしい。身に落ちかかる災を知らぬとすれば無邪気の極《きわみ》である。知って、災と思わぬならば物《もの》凄《すご》い。黒い所が本来の住《すま》居《い》で、しばらくの幻《まぼ》影《ろし》を、元のままなる冥《めい》漠《ばく》の裏《うち》に収めればこそ、かように間《かん》〓《せい*》の態度で、有《う》と無《む》の間《あいだ》に逍遥しているのだろう。女のつけた振袖に紛たる模様の尽きて、是非もなき磨《する》墨《すみ》に流れ込むあたりに、おのが身の素性をほのめかしている。
またこう感じた。うつくしき人が、うつくしき眠りに就《つ》いて、その眠りから、さめる暇もなく、幻覚《うつつ》のままで、この世の呼《い》吸《き》を引き取るときに、枕元に病を護《まも》るわれ等の心はさぞつらいだろう。四苦八苦を百苦に重ねて死ぬならば、生甲斐のない本人はもとより、傍《はた》に見ている親しい人も殺すが慈悲と諦《あき》らめられるかもしれない。しかしすやすやと寐《ね》入《い》る児《こ》に死ぬべきなんの科《とが》があろう。眠りながら冥《よ》府《み》に連れて行かれるのは、死ぬ覚悟をせぬうちに、だまし打ちに惜しき一命を果すと同様である。どうせ殺すものなら、とても逃《のが》れぬ定《じよう》業《ごう》と得心もさせ、断念もして、念仏を唱えたい。死ぬべき条件が具《そな》わらぬさきに、死ぬる事実のみが、ありありと、確かめらるるときに、南《な》無《む》阿《あ》弥《み》陀《だ》仏《ぶつ》と回《え》向《こう》をする声が出るくらいなら、その声でおういおういと、半ばあの世へ足を踏み込んだものを、むりにも呼び返したくなる。仮りの眠りから、いつのまとも心付かぬうちに、永《なが》い眠りに移る本人には、呼び返されるほうが、切れかかった煩《ぼん》悩《のう》の綱をむやみに引かるるようで苦しいかもしれぬ。慈悲だから、呼んでくれるな、穏《おだや》かに寐かしてくれと思うかもしれぬ。それでも、われわれはよび返したくなる。余は今度女の姿が入口にあらわれたなら、呼びかけて、うつつの裡《うち》から救ってやろうかと思った。しかし夢のように、三尺の幅を、すうと抜ける影を見るやいなや、なんだか口がきけなくなる。今度はと心を定めているうちに、すうと苦もなく通ってしまう。なぜなんともいえぬかと考うるとたんに、女はまた通る。こちらに窺《うかが》う人があって、その人が自分のためにどれほどやきもき思うているか、微塵も気に掛からぬ有様で通る。面倒にも気の毒にも、初《しよ》手《て》から、余のごときものに、気をかねておらぬ有様で通る。今度は今度はと思うているうちに、こらえかねた、雲の層が、持ち切れぬ雨の糸を、しめやかに落しだして、女の影を、蕭《しよう》々《しよう》と封じおわる。
寒い。手《て》拭《ぬぐい》を下げて、湯《ゆ》壺《つぼ》へ下る。
三畳へ着物を脱いで、段々を、四つ下《お》りると、八畳ほどな風《ふ》呂《ろ》場《ば》へ出る。石に不自由せぬ国とみえて、下は御《み》影《かげ》で敷き詰めた、真中を四尺ばかりの深さに掘り抜いて、豆《とう》腐《ふ》屋《や》ほどな湯《ゆ》槽《ぶね》を据《す》える。槽《ふね》とはいうもののやはり石で畳《たた》んである。鉱泉と名のつく以上は、いろいろな成分を含んでいるのだろうが、色が純透明だから、入り心地がよい。折《おり》々《おり》は口にさえふくんでみるがべつだんの味も臭《におい》もない。病気にも利《き》くそうだが、聞いてみぬから、どんな病に利くのか知らぬ。もとよりべつだんの持病もないから、実用上の価値はかつて頭のなかに浮んだことがない。ただはいるたびに考えだすのは、白《はく》楽《らく》天《てん*》の温《をん》泉《せん》水《みづ》滑 《なめらかニシテ》洗《フ》二凝《ぎよう》脂《しヲ*》一という句だけである。温泉という名を聞けば必ずこの句にあらわれたような愉快な気持になる。またこの気持を出しえぬ温泉は、温泉としてまったく価値がないと思ってる。この理想以外に温泉についての注文はまるでない。
すぽりと浸《つ》かると、乳のあたりまではいる。湯はどこから湧《わ》いて出るか知らぬが、常でも槽の縁をきれいに越している。春の石は乾《かわ》くひまなく濡《ぬ》れて、あたたかに、踏む足の、心は穏やかに嬉《うれ》しい。降る雨は、夜《よる》の目を掠《かす》めて、ひそかに春を潤《うる》おすほどのしめやかさであるが、軒のしずくは、ようやく繁《しげ》く、ぽたり、ぽたりと耳に聞える。立て籠《こ》められた湯気は、床から天井を隅なく埋《うず》めて、隙《すき》間《ま》さえあれば、節穴の細きを厭《いと》わず洩《も》れ出《い》でんとする景色である。
秋の霧はひややかに、たなびく霞《かすみ》はのどかに、夕《ゆう》餉《げ》炊《た》く、人の烟《けむり》は青く立って、大いなる空に、わが果《は》敢《か》なき姿を托す。さまざまの憐《あわ》れはあるが、春の夜の温《で》泉《ゆ》の曇りばかりは、浴《ゆあみ》するものの肌《はだ》を、柔らかにつつんで、古き世の男かと、われを疑わしむる。目に写るものの見えぬほど、濃くまつわりはせぬが、薄絹を一《ひと》重《え》破れば、なんの苦もなく、下界の人と、己《おの》れを見《み》出《いだ》すように、浅きものではない。一重破り、二《ふた》重《え》破り、幾《いく》重《え》を破り尽すともこの烟《けむ》りから出すことはならぬ顔に、四方よりわれ一人を、温《あたた》かき虹《にじ》のうちに埋め去る。酒に酔うという言葉はあるが、烟りに酔うという語句を耳にしたことがない。あるとすれば、霧にはむろん使えぬ、霞には少し強すぎる。ただこの靄《もや》に、春《しゆん》宵《しよう》の二字を冠したるとき、はじめて妥当なるを覚える。
余は湯槽のふちに仰《あお》向《むけ》の頭を支《ささ》えて、透き徹《とお》る湯のなかの軽き身体《からだ》を、できるだけ抵抗力なきあたりへ漂わしてみた。ふわりふわりと、魂がくらげのように浮いている。世の中もこんな気になれば楽なものだ。分別の錠前を開けて、執着の栓《しん》張《ばり》をはずす。どうともせよと、湯泉《ゆ》のなかで、湯泉と同化してしまう。流れるものほど生きるに苦は入《い》らぬ。流れるもののなかに、魂まで流していれば、基《キリ》督《スト》のお弟《で》子《し》となったより難《あり》有《がた》い。なるほどこの調子で考えると、土《ど》左《ざ》衛《え》門《もん》は風流である。スウィンバーン《*》のなんとかいう詩に、女が水の底で往《おう》生《じよう》して嬉しがっている感じを書いてあったと思う。余が平生から苦にしていた、ミレーのオフェリアも、こう観察するとだいぶ美しくなる。なんであんな不愉快な所を択《えら》んだものかと今まで不審に思っていたが、あれはやはり画《え》になるのだ。水に浮んだまま、あるいは水に沈んだまま、あるいは沈んだり浮んだりしたまま、ただそのままの姿で、苦なしに流れる有《あり》様《さま》は美的に相違ない。それで両岸にいろいろな草花をあしらって、水の色と流れて行く人の顔の色と、衣服の色に、落ちついた調和をとったなら、きっと画になるに相違ない。しかし流れて行く人の表情が、まるで平和ではほとんど神話か比《ひ》喩《ゆ》になってしまう。痙《けい》攣《れん》的《てき》な苦《く》悶《もん》はもとより、全幅の精神をうち壊《こ》わすが、 全然色気のない平気な顔では人情が写らない。どんな顔をかいたら成功するだろう。ミレーのオフェリアは成功かもしれないが、彼の精神は余と同じところに存するか疑わしい。ミレーはミレー、余は余であるから、余は余の興味をもって、ひとつ風流な土左衛門をかいてみたい。しかし思うような顔はそう容易《たやす》く心に浮んで来そうもない。
湯のなかに浮いたまま、今度は土左衛門の賛を作ってみる。
雨が降ったら濡れるだろ。
霜が下りたら冷たかろ。
土のしたでは暗かろう。
浮かば波の上、
沈まば波の底、
春の水なら苦はなかろ。
と口のうちで小声に誦《じゆ》しつつ漫然と浮いていると、どこかで弾《ひ》く三《しや》味《み》線《せん》の音《ね》が聞える。美術家だのにといわれると恐縮するが、実のところ、余がこの楽器における知識はすこぶる怪しいもので二が上がろうが、三が下がろうが、耳にはあまり影響を受けた試《ため》しがない。しかし、静かな春の夜に、雨さえ興を添える、山里の湯壺の中で、魂まで春の温《で》泉《ゆ》に浮かしながら、遠くの三味を無責任に聞くのは、はなはだ嬉しい。遠いから何を唄《うた》って、何を弾いているかむろんわからない。そこになんだか趣がある。音《ね》色《いろ》の落ち付いているところから察すると、上《かみ》方《がた》の検《けん》校《ぎよう》さんの地《じ》唄《うた》にでも聴かれそうな太《ふと》棹《ざお*》かとも思う。
小供の時分、門前に万《よろず》屋《や*》という酒屋があって、そこにお倉《くら》さんという娘がいた。このお倉さんが、静かな春の昼過ぎになると、かならず長《なが》唄《うた》のお浚《さら》いをする。お浚《さらい》が始まると、余は庭へ出る。茶《ちや》畠《ばたけ》の十《と》坪《つぼ》余りを前に控えて、三本の松が、客間の東側に並んでいる。この松は周り一尺もある大きな樹《き》で、面白いことに、三本寄って、はじめて趣のある恰《かつ》好《こう》を形つくっていた。小供心にこの松を見ると好い心持になる。松の下に黒くさびた鉄《かな》燈《どう》籠《ろう》が名の知れぬ赤石の上に、いつ見ても、わからず屋の頑《かた》固《くな》爺《じじい》のようにかたく坐《すわ》っている。余はこの燈籠を見詰めるのが大好きであった。燈籠の前後には、苔《こけ》深き地を抽《ぬ》いて、名も知らぬ春の草が、浮世の風を知らぬ顔に、独《ひと》り匂《にお》うて独り楽しんでいる。余はこの草のなかに、わずかに膝《ひざ》を容《い》るるの席を見出して、じっと、しゃがむのがこの時分の癖であった。この三本の松の下に、この燈籠を睨《にら》めて、この草の香《か》を臭《か》いで、そうしてお倉さんの長唄を遠くから聞くのが、当時の日課であった。
お倉さんはもう赤い手《て》絡《がら》の時代《*》さえ通り越して、だいぶんと世《しよ》帯《たい》じみた顔を、帳場へ曝《さら》してるだろう。聟《むこ》とは折合がいいかしらん。燕《つばくろ》は年々帰って来て、泥《どろ》を啣《ふく》んだ嘴《くちばし》を、いそがしげに働かしているかしらん。燕と酒の香とはどうしても想像から切り離せない。
三本の松はいまだに好い恰好で残っているかしらん。鉄燈籠はもう壊《こわ》れたに相違ない。春の草は、昔、しゃがんだ人を覚えているだろうか。その時ですら、口もきかずに過ぎたものを、今に見知ろうはずがない。お倉さんの旅《ヽ》の《ヽ》衣《ヽ》は《ヽ》鈴《ヽ》懸《ヽ》の《ヽ*》という、日毎《ごと》の声もよも聞き覚えがあるとはいうまい。
三味の音が思わぬパノラマを余の眼前に展開するにつけ、余は床《ゆか》しい過去の面《ま》のあたりに立って、二十年の昔に住む、頑《がん》是《ぜ》なき小僧と、成り済ましたとき、突然風呂場の戸がさらりと開いた。
誰か来たなと、身を浮かしたまま、視線だけを入口に注ぐ。湯槽の縁のもっとも入口から、隔たりたるに頭を乗せているから、槽に下る段々は、間二丈を隔てて斜めに余が目に入る。しかし見上げたる余の瞳《ひとみ》にはまだ何物も映らぬ。しばらくは軒を遶《めぐ》る雨《あま》垂《だれ》の音のみが聞える。三味線はいつのまにか已《や》んでいた。
やがて階段の上に何物かあらわれた。広い風呂場を照すものは、ただ一つの小さき釣《つ》り洋燈《ランプ》のみであるから、この隔《へだた》りでは澄《すみ》切《き》った空気を控えてさえ、しかと物色はむずかしい。まして立ち上がる湯気の、濃《こまや》かなる雨に抑《おさ》えられて、逃《にげ》場《ば》を失いたる今《こ》宵《よい》の風呂に、立つを誰とはもとより定めにくい。一段を下り、二段を踏んで、まともに、照らす灯《ほ》影《かげ》を浴びたる時でなくては、男とも女とも声は掛けられぬ。
黒いものが一歩を下へ移した。踏む石は天鵞絨《ビロウド》のごとく柔かとみえて、足音を証にこれを律すれば、動かぬと評しても差《さし》支《つか》えない。が輪郭は少しく浮き上がる。余は画工だけあって人体の骨格については、存外視覚が鋭敏である。なんとも知れぬものの一段動いた時、余は女と二人、この風呂場の中にあることを覚《さと》った。
注意をしたものか、せぬものかと、浮きながら考えるあいだに、女の影は遺憾なく、余が前に、早くもあらわれた。漲《みな》ぎり渡る湯烟りの、やわらかな光線を一分子毎に含んで、薄《うす》紅《くれない》の暖かに見える奥に、漾《ただよ》わす黒髪を雲と流して、あらんかぎりの背《せ》丈《たけ》を、すらりと伸《の》した女の姿を見た時は、礼儀の、作法の、風紀のという感じはことごとく、わが脳裏を去って、ただひたすらに、うつくしい画題を見出し得たとのみ思った。
古代ギリシアの彫刻はいざ知らず、今《きん》世《せい》仏《ふつ》国《こく》の画家が命と頼む裸体画を見るたびに、あまりに露《あから》骨《さま》な肉の美を、極端まで描《え》がき尽そうとする痕《こん》迹《せき》が、ありありと見えるので、どことなく気韻に乏しい心持が、今までわれを苦しめてならなかった。しかしその折々はただどことなく下品だと評するまでで、なぜ下品であるかが解らぬゆえ、吾《われ》知らず、答えを得るに煩《はん》悶《もん》して今日に至ったのだろう。肉を蔽《おお》えば、うつくしきものが隠れる。かくさねば卑《いや》しくなる。今の世の裸体画というはただかくさぬという卑しさに、技巧を留《とど》めておらぬ。衣《ころも》を奪いたる姿を、そのままに写すだけにては、物足らぬとみえて、あくまでも裸体《はだか》を、衣冠の世に《*》押し出そうとする。服をつけたるが、人間の常態なるを忘れて、赤《あか》裸《はだか》にすべての権能を付与せんと試みる。十分で事足るべきを、十二分にも、十五分にも、どこまでも進んで、ひたすらに、裸体であるぞという感じを強く描出しようとする。技巧がこの極端に達したる時、人はその観者を強《し》うるを陋《ろう》とする《*》。うつくしきものを、いやがうえに、うつくしくせんと焦《あ》せるとき、うつくしきものはかえってその度を減ずるが例である。人事についても満は損を招く《*》との諺《ことわざ》はこれがためである。
放心と無邪気とは余裕を示す。余裕は画において、詩において、もしくは文章において、必《ひつ》須《すう》の条件である。今《きん》代《だい》芸術の一大弊《へい》竇《とう*》は、いわゆる文明の潮流が、いたずらに芸術の士を駆って、拘《く》々《く》として《*》随処に齷《あく》齪《そく》たらしむるにある。裸体画はその好例であろう。都会に芸《げい》妓《ぎ》というものがある。色を売りて、人に媚《こ》びるを商売にしている。彼等は嫖《ひよう》客《かく》に対する時、わが容姿のいかに相手の瞳子《ひとみ》に映ずるかを顧慮するのほか、なんらの表情をも発揮しえぬ。年々に見るサロンの目録はこの芸妓に似たる裸体美人をもって充満している。彼等は一秒時も、わが裸体なるを忘るるあたわざるのみならず、全身の筋肉をむずつかして、わが裸体なるを観者に示さんと力《つと》めている。
今余が面前に娉《ひよう》〓《てい*》と現われたる姿には、一《いち》塵《じん》もこの俗《ぞく》埃《あい》の目に遮《さえ》ぎるものを帯びておらぬ。常の人の纏《まと》える衣装を脱ぎ捨てたる様《さま》といえば、すでに人《にん》界《がい》に堕在する。はじめより着るべき服も、振るべき袖《そで》も、あるものと知らざる神《かみ》代《よ》の姿を雲のなかに呼び起したるがごとく自然である。
室を埋《うず》むる湯烟は、埋めつくしたる後から、絶えず湧き上がる。春の夜の灯《ひ》を半透明に崩し拡《ひろ》げて、部屋一面の虹《に》霓《じ》の世界が濃かに揺れるなかに、朦《もう》朧《ろう》と、黒きかとも思わるるほどの髪を暈《ぼか》して、真白な姿が雲の底からしだいに浮き上がって来る。その輪郭を見よ。
頸《くび》筋《すじ》を軽《かろ》く内輪に、双方から責めて、苦もなく肩の方へなだれ落ちた線が、豊かに、丸く折れて、流るる末は五本の指と分れるのであろう。ふっくらと浮く二つの乳の下には、しばし引く波が、また滑《なめ》らかに盛り返して下《した》腹《はら》の張りを安らかに見せる。張る勢《いきおい》を後ろへ抜いて、勢の尽くるあたりから、分れた肉が平衡を保つために少しく前に傾く。逆に受くる膝《ひざ》頭《がしら》のこのたびは、立て直して、長きうねりの踵《かかと》につくころ、平たき足が、すべての葛《かつ》藤《とう》を、二枚の蹠《あしのうら》に安々と始末する。世の中にこれほど錯雑した配合はない、これほど統一のある配合もない。これほど自然で、これほど柔らかで、これほど抵抗の少い、これほど苦にならぬ輪郭は決して見出せぬ。
しかもこの姿は普通の裸体のごとく露骨に、余が目の前に突きつけられてはおらぬ。すべてのものを幽玄に化する一種の霊《れい》氛《ふん》のなかに髣《ほう》髴《ふつ》として、十分の美を奥《おく》床《ゆか》しくもほのめかしているにすぎぬ。片《へん》鱗《りん》を溌《はつ》墨《ぼく》淋《りん》漓《り》のあいだに点じて、〓《きゆう》竜《りよう*》の怪を、楮《ちよ》毫《ごう*》の外に想像せしむるがごとく、芸術的に観じて申し分のない、空気と、あたたかみと、冥《めい》〓《ばく》なる調子とを具《そな》えている。六々三十六鱗《*》を丁《てい》寧《ねい》に描きたる竜《りゆう》の、滑《こつ》稽《けい》に落つるが事実ならば、赤裸々の肉を浄《じよう》洒《しや》々《しや》に《*》眺めぬうちに神往の余韻はある。余はこの輪郭の目に落ちた時、桂《かつら》の都《*》を逃《のが》れた月界の嫦《じよう》娥《が*》が、彩《に》虹《じ》の追《おつ》手《て》に取り囲まれて、しばらく躊《ちゆう》躇《ちよ》する姿と眺《なが》めた。
輪郭はしだいに白く浮きあがる。いま一歩を踏み出せば、せっかくの嫦娥が、あわれ、俗界に堕落するよと思う刹《せつ》那《な》に、緑の髪は、波を切る霊亀の尾のごとくに風を起して、〓《 ぼう》と《*》靡《なび》いた。渦《うず》捲《ま》く烟りを劈《つんざ》いて、白い姿は階段を飛び上がる。ホホホホと鋭どく笑う女の声が、廊下に響いて、静かなる風呂場をしだいに向《むこう》へ遠《とお》退《の》く。余はがぶりと湯を呑《の》んだまま槽の中に突立つ。驚いた波が、胸へあたる。縁を越す温泉《ゆ》の音がさあさあと鳴る。
お茶の御《ご》馳《ち》走《そう》になる。相客は僧一人、観《かん》海《かい》寺《じ》の和《お》尚《しよう》で名は大《だい》徹《てつ》というそうだ。俗一人、二十四、五の若い男である。
老人の部屋は、余が室の廊下を右へ突き当って、左へ折れた行《い》き留《どま》りにある。大《おおき》さは六畳もあろう。大きな紫《し》檀《たん》の机を真中に据えてあるから、思ったより狭苦しい。それへという席を見ると、布《ふ》団《とん》の代りに花《か》毯《たん》が敷いてある。むろん支《シ》那《ナ》製《せい》だろう。真中を六角に仕切って、妙な家と、妙な柳が織り出してある。周囲《まわり》は鉄色に近い藍《あい》で、四《よ》隅《すみ》に唐《から》草《くさ》の模様を飾った茶の輪を染め抜いてある。支那ではこれを座敷に用いたものか疑わしいが、こうやって布団に代用してみるとすこぶる面白い。インドの更《サラ》紗《サ》とか、ペルシアの壁掛とか号するものが、ちょっと間が抜けているところに価値があるごとく、この花毯もこせつかないところに趣がある。花毯ばかりではない、すべての支那の器具は皆抜けている。どうしても馬鹿で気の長い人種の発明したものとほか取れない。見ているうちに、ぼおっとするところが尊《とう》とい。日本は巾《きん》着《ちやく》切《き》りの態度で美術品を作る。西洋は大きく細かくて、そうしてどこまでも娑《しや》婆《ばつ》気《け》がとれない。まずこう考えながら席に着く。若い男は余とならんで、花毯の半《なかば》を占領した。
和尚は虎《とら》の皮の上へ坐った。虎の皮の尻《しつ》尾《ぽ》が余の膝《ひざ》の傍《そば》を通り越して、頭は老人の臀《しり》の下に敷かれている。老人は頭の毛をことごとく抜いて、頬《ほお》と顎《あご》へ移植したように、白い髯《ひげ》をむしゃむしゃと生やして、茶《ちや》托《たく》へ載せた茶《ちや》碗《わん》を丁《てい》寧《ねい》に机の上へならべる。
「今日は久しぶりで、うちへお客が見えたから、お茶を上げようと思って、……」と坊さんの方を向くと、
「いや、お使《つかい》をありがとう。わしも、だいぶ御《ご》無《ぶ》沙《さ》汰《た》をしたから、今日ぐらい来てみようかと思っとったところじゃ」と言う。この僧は六十近い、丸顔の、達《だる》磨《ま》を草《そう》書《しよ》に崩《くず》したような容《よう》貌《ぼう》を有している。老人とは平常《ふだん》からの昵《じつ》懇《こん》とみえる。
「このかたがお客さんかな」
老人は首《うな》肯《ずき》ながら、朱《しゆ》泥《でい》の急須から、緑を含む琥《こ》珀《はく》色《いろ》の玉《ぎよく》液《えき》を、二、三滴ずつ、茶碗の底へしたたらす。清い香《かお》りがかすかに鼻を襲う気分がした。
「こんな田舎に一人ではお淋《さみ》しかろ」と和尚はすぐ余に話しかけた。
「はあ」となんともかとも要領を得ぬ返事をする。淋しいといえば、偽りである。淋しからずといえば、長い説明が入る。
「なんの、和尚さん。このかたは画を書かれるために来られたのじゃから、お忙がしいくらいじゃ」
「ああさようか、それは結構だ。やはり南《なん》宗《そう》派《は*》かな」
「いいえ」と今度は答えた。西洋画だなどと言っても、この和尚にはわかるまい。
「いや、例の西洋画じゃ」と老人は、主人役に、また半分引き受けてくれる。
「ははあ、洋画か。すると、あの久《きゆう》一《いち》さんのやられるようなものかな。あれはわしこのあいだはじめて見たが、ずいぶん奇麗にかけたのう」
「いえ、詰らんものです」と若い男がこの時ようやく口を開いた。
「お前なんぞ和尚さんに見ていただいたか」と老人が若い男に聞く。言葉からいうても、様子からいうても、どうも親類らしい。
「なあに、見ていただいたんじゃないですが、鏡が池で写生しているところを和尚さんに見《み》付《つか》ったのです」
「ふん、そうか――さあお茶が注《つ》げたから、一杯」と老人は茶碗を各《めい》自《めい》の前に置く。茶の量は三、四滴にすぎぬが、茶碗はすこぶる大きい。生《なま》壁《かべ》色《いろ》の地へ、焦《こ》げた丹と、薄い黄で、絵だか、模様だか、鬼の面の模様になりかかったところか、ちょっと見当の付かないものが、べたに描《か》いてある。
「杢《もく》兵《べ》衛《え*》です」と老人が簡単に説明した。
「これは面白い」と余も簡単に賞《ほ》めた。
「杢兵衛はどうも偽《にせ》物《もの》が多くて、――その糸底を見てごらんなさい。銘があるから」と言う。
取り上げて、障子の方へ向けて見る。障子には植《うえ》木《き》鉢《ばち》の葉《は》蘭《らん》の影が暖かそうに写っている。首を曲げて、覗《のぞ》き込むと、杢の字が小さく見える。銘は鑑賞のうえにおいて、さのみたいせつのものとは思わないが、好《こう》事《ず》者《しや》はよほどこれが気にかかるそうだ。茶碗を下へ置かないで、そのまま口へつけた。濃く甘く、湯《ゆ》加《か》減《げん》に出た、重い露を、舌の先へ一しずくずつ落して味《あじわ》ってみるのは閑人適意の韻事である。普通の人は茶を飲むものと心得ているが、あれは間違だ。舌頭へぽたりと載せて、清いものが四方へ散れば咽《の》喉《ど》へ下るべき液はほとんどない。ただ馥《ふく》郁《いく》たる匂《におい》が食道から胃のなかへ沁《し》み渡るのみである。歯を用いるは卑《いや》しい。水はあまりに軽い。玉《ぎよく》露《ろ》にいたっては濃《こまや》かなること、淡水の境《きよう》を脱して、顎《あご》を疲らすほどの硬《かた》さを知らず。結構な飲料である。眠られぬと訴うるものあらば、眠らぬも、茶を用いよと勧めたい。
老人はいつのまにやら、青《せい》玉《ぎよく》の菓《か》子《し》皿《ざら》を出した。大きな塊《かたまり》を、かくまで薄く、かくまで規則正しく、刳《く》りぬいた匠《しよう》人《じん》の手《て》際《ぎわ》は驚ろくべきものと思う。すかして見ると春の日影は一面に射《さ》し込んで、射し込んだまま、逃《の》がれ出《い》ずる路《みち》を失ったような感じである。なかにはなにも盛らぬがいい。
「お客さんが、青磁を賞められたから、今日はちとばかり見せようと思うて、出しておきました」
「どの青磁を――うん、あの菓子鉢かな。あれは、わしも好《すき》じゃ。時にあなた、西洋画では襖《ふすま》などはかけんものかな。かけるなら一つ頼みたいがな」
かいてくれなら、かかぬこともないが、この和尚の気に入るか入らぬかわからない。せっかく骨を折って、西洋画は駄目だなどといわれては、骨の折《おり》栄《ばえ》がない。
「襖には向かないでしょう」
「向かんかな。そうさな、このあいだの久一さんの画のようじゃ、少し派手すぎるかもしれん」
「私のは駄目です。あれはまるでいたずらです」と若い男はしきりに、恥《はず》かしがって謙《けん》遜《そん》する。
「そのなんとかという池はどこにあるんですか」と余は若い男に念のため尋ねておく。
「ちょっと観海寺の裏の谷の所で、幽《ゆう》邃《すい》な所です。――なあに学校にいる時分、習ったから、退屈まぎれにやってみただけです」
「観海寺というと……」
「観海寺というと、わしのいる所じゃ。いい所じゃ、海を一《ひと》目《め》に見《み》下《おろ》しての――まあ逗《とう》留《りゆう》中にちょっと来てごらん。なに、ここからはつい五、六丁よ。あの廊下から、そら、寺の石段が見えるじゃろうが」
「いつかお邪《じや》魔《ま》に上《あが》ってもいいですか」
「ああいいとも、いつでもいる。ここのお嬢さんも、よう、来られる。――お嬢さんといえば今日はお那《な》美《み》さんが見えんようだが――どうかされたかな、隠居さん」
「どこぞへ出ましたかな。久一、お前の方へ行きはせんかな」
「いいや、見えません」
「また独《ひと》り散歩かな、ハハハハ。お那美さんはなかなか足が強い。このあいだ法用で礪《と》並《なみ*》まで行ったら、姿《すがた》見《み》橋《ばし》の所で――どうも、よく似とると思ったら、お那美さんよ。尻《しり》を端《はし》折《よ》って、草《ぞう》履《り》を穿《は》いて、和尚さん、なにを愚《ぐ》図《ず》愚《ぐ》図《ず》、どこへ行きなさると、いきなり、驚ろかされたて、ハハハハ。お前はそんな形《な》姿《り》で、じたい、どこへ行ったのぞいと聴《き》くと、今芹《せり》摘《つ》みに行った戻《もど》りじゃ、和尚さん少しやろうかと言うて、いきなりわしの袂《たもと》へ泥《どろ》だらけの芹を押し込んで、ハハハハハ」
「どうも、……」と老人は苦笑いをしたが、急に立って「実はこれを御覧に入れるつもりで」と話をまた道具の方へそらした。
老人が紫《し》檀《たん》の書架から、恭《うやうや》しく取り下《おろ》した紋《もん》緞《どん》子《す》の古い袋は、なんだか重そうなものである。
「和尚さん、あなたには、お目に懸《か》けたことがあったかな」
「なんじゃ、いったい」
「硯《すずり》よ」
「へえ、どんな硯かい」
「山《さん》陽《よう*》の愛蔵したという……」
「いいえ、そりゃまだ見ん」
「春《しゆん》水《すい*》の替《か》え蓋《ぶた》がついて……」
「そりゃ、まだのようだ。どれどれ」
老人は大事そうに緞子の袋の口を解くと、小豆《あずき》色《いろ》の四角な石が、ちらりと角《かど》を見せる。
「いい色《いろ》合《あい》じゃのう。端《たん》渓《けい*》かい」
「端渓で〓《く》〓《よく》眼《がん*》が九つある」
「九つ?」と和尚大いに感じた様子である。
「これが春水の替え蓋」と老人は綸《りん》子《ず》で張った薄い蓋を見せる。上に春水の字で七言絶句が書いてある。
「なるほど。春水はようかく。ようかくが、書は杏《きよう》坪《へい*》のほうが上《じよう》手《ず》じゃて」
「やはり杏坪のほうがいいかな」
「山陽がいちばんまずいようだ。どうも才《さい》子《し》肌《はだ》で俗《ぞつ》気《き》があって、いっこう面白うない」
「ハハハハ。和尚さんは、山陽が嫌《きら》いだから、今日は山陽の幅《ふく》を懸け替えておいた」
「ほんに」と和尚さんは後ろを振り向く。床は平《ひら》床《どこ》を鏡のようにふき込んで、〓《さび》気《け》を吹いた古《こ》銅《どう》瓶《へい》には、木《もく》蘭《らん》を二尺の高さに、活《い》けてある。軸《じく》は底光りのある古《こ》錦《きん》襴《らん》に、装《そう》幀《てい》の工夫を籠《こ》めた物《ぶつ》徂《そ》徠《らい*》の大《たい》幅《ふく》である。絹地ではないが、多少の時代がついているから、字の巧拙に論なく、紙の色が周囲のきれ地とよく調和して見える。あの錦襴も織りたては、あれほどのゆかしさもなかったろうに、彩《さい》色《しき》が褪《あ》せて、金《きん》糸《し》が沈んで、華《は》麗《で》なところが滅《め》り込んで、渋いところがせり出して、あんないい調子になったのだと思う。焦《こげ》茶《ちや》の砂壁に、白い象《ぞう》牙《げ》の軸《じく》が際《きわ》立《だ》って、両方に突張っている、手前に例の木蘭がふわりと浮き出されているほかは、床全体の趣は落ち付きすぎてむしろ陰気である。
「徂徠かな」と和尚が、首を向けたまま言う。
「徂徠もあまり、お好きでないかもしれんが、山陽よりは善《よ》かろうと思うて」
「それは徂徠のほうがはるかにいい。亨《きよう》保《ほう》ごろの学者の字はまずくても、どこぞに品がある」
「広《こう》沢《たく*》をして日《に》本《ほん》の能書ならしめば、われはすなわち漢《かん》人《じん》の拙《せつ》なるものというたのは、徂徠だったかな、和尚さん」
「わしは知らん。そう威張るほどの字でもないて、ワハハハハ」
「時に和尚さんは、誰を習われたのかな」
「わしか。禅坊主は本も読まず、手習もせんから、のう」
「しかし、誰ぞ習われたろう」
「若い時に高《こう》泉《せん》の字を、少し稽《けい》古《こ》したことがある。それぎりじゃ。それでも人に頼まれればいつでも、書きます。ワハハハハ。時にその端渓を一つお見せ」と和尚が催促する。
とうとう緞子の袋を取り除《の》ける。一座の視線はことごとく硯の上に落ちる。厚さはほとんど二寸に近いから、通例のものの倍はあろう。四寸に六寸の幅も長さもまず並といってよろしい。蓋《ふた》には、鱗《うろこ》のかたに研《みが》きをかけた松の皮をそのまま用いて、上には朱《しゆ》漆《うるし》で、わからぬ書体が二字ばかり書いてある。
「この蓋が」と老人が言う。「この蓋が、ただの蓋ではないので、御覧のとおり、松の皮には相違ないが……」
老人の目は余の方を見ている。しかし松の皮の蓋にいかなる因縁があろうと、画工として余はあまり感服はできんから、
「松の蓋は少し俗ですな」
と言った。老人はまあといわぬばかりに手を挙《あ》げて、
「ただ松の蓋というばかりでは、俗でもあるが、これはそのなんですよ。山陽が広島におった時に庭に生えていた松の皮を剥《は》いで山陽が手ずから製したのですよ」
なるほど山陽は俗な男だと思ったから、
「どうせ、自分で作るなら、もっと不《ぶ》器《き》用《よう》に作れそうなものですな。わざとこの鱗のかたなどをぴかぴか研ぎ出さなくっても、よさそうに思われますが」と遠慮のないところを言って退《の》けた。
「ワハハハハ。そうよ、この蓋はあまり安っぽいようだな」と和尚はたちまち余に賛成した。
若い男は気の毒そうに、老人の顔を見る。老人は少々不《ふ》機《き》嫌《げん》の体《てい》に蓋を払いのけた。下からいよいよ硯が正体をあらわす。
もしこの硯について人の目を峙《そばだ》つべき特異の点があるとすれば、その表面にあらわれたる匠《しよう》人《じん》の刻である。真中に袂《たもと》時《ど》計《けい》ほどな丸い肉が、縁とすれすれの高さに彫り残されて、これを蜘《く》蛛《も》の背に象《かた》どる。中央から四方に向って、八本の足が湾曲して走ると見れば、先にはおのおの〓《く》〓《よく》眼《がん》を抱《かか》えている。残る一個は背の真中に、黄な汁《しる》をしたたらしたごとく煮《に》染《じ》んで見える。背と足と縁を残して余る部分はほとんど一寸余の深さに彫り下げてある。墨を湛《たた》える所は、よもやこの塹《ざん》壕《ごう》の底ではあるまい。たとい一合の水を注ぐともこの深さを充《み》たすには足らぬ。思うに水《すい》盂《う》のうちから、一滴の水を銀《ぎん》杓《しやく》にて、蜘蛛の背に落したるを、貴《とうと》き墨に磨《す》り去るのだろう。それでなければ、名は硯でも、その実は純然たる文房用の装飾品にすぎぬ。
老人は涎《よだれ》の出そうな口をして言う。
「この肌《はだ》合《あい》と、この眼《がん》を見てください」
なるほど見れば見るほどいい色だ。寒く潤沢を帯びたる肌の上に、はっと、一息懸けたなら、ただちに凝って、一《いち》朶《だ》の雲を起すだろうと思われる。ことに驚くべきは眼の色である。眼の色といわんより、眼と地の相交わるところが、しだいに色を取り替えて、いつ取り替えたか、ほとんどわが目の欺かれたるを見出しえぬことである。形容してみると紫色の蒸《むし》羊《よう》羹《かん》の奥に、隠《いん》元《げん》豆《まめ》を、透《す》いて見えるほどの深さに嵌《は》め込んだようなものである。眼といえば一個二個でもたいへんに珍重される。九個といったら、ほとんど類はあるまい。しかもその九個が整然と同距離に按《あん》排《ばい》されて、あたかも人造のねりものと見違えらるるにいたってはもとより天下の逸品をもって許さざるをえない。
「なるほど結構です。観《み》て心持がいいばかりじゃありません。こうして触《さわ》っても愉快です」
と言いながら、余は隣の若い男に硯を渡した。
「久一に、そんなものが解るかい」と老人が笑いながら聞いてみる。久一君は、少々自《や》棄《け》の気味で、
「分りゃしません」と打《う》ち遣《や》ったように言い放ったが、わからん硯を、自分の前へ置いて、眺めていては、勿《もつ》体《たい》ないと気が付いたものか、また取り上げて、余に返した。余はもう一遍丁寧に撫《な》で回わした後、とうとうこれを恭《うやうや》しく禅師に返却した。禅師はとくと掌《て》の上で見済ました末、それでは飽き足らぬと考えたとみえて、鼠《ねずみ》木綿《もめん》の着物の袖を容赦なく蜘蛛の背へこすりつけて、光《つ》沢《や》の出たところをしきりに賞《しよう》翫《がん》している。
「隠居さん、どうもこの色が実に善いな。使うたことがあるかの」
「いいや、めったには使いとうないから、まだ買うたなりじゃ」
「そうじゃろ。こないなのは支那でも珍らしかろうな、隠居さん」
「さよう」
「わしも一つ欲しいものじゃ。なんなら久一さんに頼もうか。どうかな、買うてきておくれかな」
「へへへへ。硯を見付けないうちに、死んでしまいそうです」
「ほんとうに硯どころではないな。時にいつお立ちか」
「二《に》、三《さん》日《ち》うちに立ちます」
「隠居さん。吉《よし》田《だ》まで送っておやり」
「ふだんなら、年は取っとるし、まあ見合すところじゃが、ことによると、もう逢《あ》えんかもしれんから、送ってやろうと思うております」
「御伯父《おじ》さんは送ってくれんでもいいです」
若い男はこの老人の甥《おい》とみえる。なるほどどこかじゃ似ている。
「なあに、送ってもらうがいい。川船で行けばわけはない。なあ隠居さん」
「はい、山《やま》越《ごし》では難義だが、回《まわ》り路《みち》でも船なら……」
若い男は今度は別に辞退もしない。ただ黙っている。
「支那の方へお出《い》でですか」と余はちょっと聞いてみた。
「ええ」
ええの二字では少し物足らなかったが、そのうえ掘って聞く必要もないから控えた。障子を見ると、蘭《らん》の影が少し位置を変えている。
「なあに、あなた。やはり今度の戦争で――これがもと志願兵をやったものだから、それで召集されたので」
老人は当人に代って、満州の野《や》に日ならず出征すべきこの青年の運命を余に語《つ》げた。この夢のような詩のような春の里に、啼《な》くは鳥、落つるは花、湧《わ》くは温泉《いでゆ》のみと思い詰めていたのは間違である。現実世界は山を越え、海を越えて、平家の後《こう》裔《えい》のみ住み古るしたる孤村にまで逼《せま》る。朔《さく》北《ほく》の曠《こう》野《や*》を染《そ》むる血潮の何万分の一かは、この青年の動脈から迸《ほとばし》る時が来るかもしれない。この青年の腰に吊《つ》る長き剣《つるぎ》の先から烟《けむ》りとなって吹くかもしれない。しかしてその青年は、夢みることよりほかに、なんらの価値を、人生に認めえざる一画工の隣りに坐っている。耳をそばだつれば彼が胸に打つ心臓の鼓動さえ聞き得るほど近くに坐っている。その鼓動のうちには、百里の平野を捲《ま》く高き潮が今すでに響いているかもしれぬ。運命は卒然としてこの二人を一堂のうちに会したるのみにて、その他には何事をも語らぬ。
「御勉強ですか」と女が言う。部屋に帰った余は、三《さん》脚《きやく》几《き》に縛り付けた、書物の一冊を抽《ぬ》いて読んでいた。
「おはいりなさい。ちっとも、かまいません」
女は遠慮する景色もなく、つかつかとはいる。くすんだ半《はん》襟《えり》の中から、恰《かつ》好《こう》のいい頸《くび》の色が、あざやかに、抽き出ている。女が余の前に坐った時、この頸とこの半襟の対照が第一番に目についた。
「西洋の本ですか、むずかしいことが書いてあるでしょうね」
「なあに」
「じゃなにが書いてあるんです」
「そうですね。実はわたしにも、よく分らないんです」
「ホホホホ。それで御勉強なの」
「勉強じゃありません。ただ机の上へ、こう開けて、開いたところをいい加減に読んでるんです」
「それで面白いんですか」
「それが面白いんです」
「なぜ?」
「なぜって、小説なんか、そうして読むほうが面白いです」
「よっぽど変っていらっしゃるのね」
「ええ、ちっと変ってます」
「初《はじめ》から読んじゃ、どうして悪《わ》るいでしょう」
「初から読まなけりゃならないとすると、仕《し》舞《まい》まで読まなけりゃならないわけになりましょう」
「妙な理屈だこと。仕舞まで読んだっていいじゃありませんか」
「むろんわるくはありませんよ。筋を読む気なら、わたしだって、そうします」
「筋を読まなけりゃなにを読むんです。筋のほかになにか読むものがありますか」
余は、やはり女だなと思った。多少試験してやる気になる。
「あなたは小説が好きですか」
「私が?」と句を切った女は、あとから「そうですねえ」とはっきりしない返事をした。あまり好きでもなさそうだ。
「好きだか、嫌《きらい》だか、自分にも解らないんじゃないですか」
「小説なんか読んだって、読まなくったって……」と眼中にはまるで小説の存在を認めていない。
「それじゃ、初から読んだって、仕舞から読んだって、いい加減なところをいい加減に読んだって、いいわけじゃありませんか。あなたのようにそう不思議がらないでもいいでしょう」
「だって、あなたと私とは違いますもの」
「どこが?」と余は女の目のうちを見詰めた。試験をするのはここだと思ったが、女の眸《ひとみ》は少しも動かない。
「ホホホホ解りませんか」
「しかし若いうちはずいぶんお読みなすったろう」余は一本道で押し合うのを已《や》めにして、ちょっと裏へ回った。
「今でも若いつもりですよ。可《か》哀《わい》想《そう》に」放した鷹《たか》はまたそれかかる《*》。すこしも油断がならん。
「そんなことが男の前で言えれば、もう年寄のうちですよ」と、やっと引き戻《もど》した。
「そういうあなたもずいぶんのお年じゃあ、ありませんか。そんなに年をとっても、やっぱり、惚《ほ》れたの、腫《は》れたの、にきびができたのってえことが面白いんですか」
「ええ、面白いんです、死ぬまで面白いんです」
「おやそう。それだから画工《えかき》なんぞになれるんですね」
「まったくです。画工だから、小説なんか初から仕舞まで読む必要はないんです。けれども、どこを読んでも面白いのです。あなたと話をするのも面白い。ここは逗《とう》留《りゆう》しているうちは毎日話をしたいくらいです。なんならあなたに惚れ込んでもいい。そうなるとなお面白い。しかしいくら惚れてもあなたと夫婦になる必要はないんです。惚れて夫婦になる必要があるうちは、小説を初から仕舞まで読む必要があるんです」
「すると不人情な惚れ方をするのが画工なんですね」
「不人情じゃありません。非人情な惚れ方をするんです。小説も非人情で読むから、筋なんかどうでもいいんです。こうして、御《おみ》籤《くじ》を引くように、ぱっと開けて、開いたところを、漫然と読んでるのが面白いんです」
「なるほど面白そうね。じゃ、今あなたが読んでいらっしゃるところを、少し話してちょうだい。どんな面白いことが出てくるか伺いたいから」
「話しちゃ駄目です。画だって話にしちゃ一文の価《ね》値《うち》もなくなるじゃありませんか」
「ホホホそれじゃ読んでください」
「英語でですか」
「いいえ日本語で」
「英語を日本語で読むのはつらいな」
「いいじゃありませんか、非人情で」
これも一興だろうと思ったから、余は女の乞《こい》に応じて、例の書物をぽつりぽつりと日本語で読みだした。もし世界に非人情な読み方があるとすればまさにこれである。聴く女ももとより非人情で聴いている。
「情けの風が女から吹く。声から、目から、肌《はだえ》から吹く。男に扶《たす》けられて舳《とも》に行く女は、夕暮のヴェニスを眺《なが》むるためか、扶くる男はわが脈に稲《いな》妻《ずま》の血を走らすためか《*》。――非人情だから、いい加減ですよ。ところどころ脱けるかもしれません」
「よござんすとも。御都合次第で、お足しなすってもかまいません」
「女は男とならんで舷《ふなばた》に倚《よ》る。二人の隔りは、風に吹かるるリボンの幅よりも狭い。女は男とともにヴェニスに去らばと言う。ヴェニスなるドウジの殿楼は今第二の日没のごとく、薄赤く消えてゆく。……」
「ドウジとはなんです」
「なんだってかまやしません。昔ヴェニスを支配した人間の名ですよ。何代つづいたものですかね。その御殿が今でもヴェニスに残ってるんです」
「それでその男と女というのは誰の事なんでしょう」
「誰だか、わたしにも分らないんだ。それだから面白いのですよ。今までの関係なんかどうでもいいでさあ。ただあなたとわたしのように、こういっしょにいるところなんで、その場限りで面白味があるでしょう」
「そんなものですかね。なんだか船の中のようですね」
「船でも岡《おか》でも、かいてあるとおりでいいんです。なぜと聞きだすと探《たん》偵《てい》になってしまうです」
「ホホホホじゃ聴きますまい」
「普通の小説はみんな探偵が発明したものですよ。非人情なところがないから、ちっとも趣がない」
「じゃ非人情の続きを伺いましょう。それから?」
「ヴェニスは沈みつつ、沈みつつ、ただ空に引く一抹《まつ》の淡き線となる。線は切れる。切れて点となる。蛋《とん》白《ぼ》石《だま》の空のなかに円《まる》き柱が、ここ、かしこと立つ。ついには最も高く聳《そび》えたる鐘《しゆ》楼《ろう》が沈む。沈んだと女が言う。ヴェニスを去る女の心は空行く風のごとく自由である。されど隠れたるヴェニスは、再び帰らねばならぬ女の心に覊《き》絏《せつ》の苦しみを与う。男と女は暗き湾の方《かた》に目を注ぐ。星はしだいに増す。柔らかに揺《ゆら》ぐ海は泡《あわ》を濺《そそ》がず。男は女の手を把《と》る。鳴りやまぬ弦《ゆづる》を握った心地《*》である。……」
「あんまり非人情でもないようですね」
「なにこれが非人情的に聞けるのですよ。しかし厭《いや》なら少々略しましょうか」
「なに私は大丈夫ですよ」
「わたしは、あなたよりなお大丈夫です。――それからと、ええと、少しくむずかしくなってきたな。どうも訳し――いや読みにくい」
「読みにくければ、お略しなさい」
「ええ、いい加減にやりましょう。――この一《ひと》夜《よ》と女が言う。一夜? と男がきく。一と限るはつれなし、幾夜を重ねてこそと言う」
「女が言うんですか、男が言うんですか」
「男が言うんですよ。なんでも女がヴェニスへ帰りたくないのでしょう。それで男が慰める語《ことば》なんです。――真夜中の甲《かん》板《ぱん》に帆《ほ》綱《づな》を枕《まくら》にして横《よこた》わりたる、男の記憶には、かの瞬時、熱き一滴の血に似たる瞬時、女の手をしかと把りたる瞬時が大《おお》濤《なみ》のごとくに揺れる。男は黒き夜《よ》を見上げながら、強《し》いられたる結婚の淵《ふち》より、ぜひに女を救い出さんと思い定めた。かく思い定めて男は目を閉《と》ずる。――」
「女は?」
「女は路《みち》に迷いながら、いずこに迷えるかを知らぬさまである。攫《さら》われて空行く人のごとく、ただ不可思議の千万無量――あとがちょっと読みにくいですよ。どうも句にならない。――ただ不可思議の千万無量――なにか動詞はないでしょうか」
「動詞なんぞ入《い》るものですか、それでたくさんです」
「え?」
轟《ごう》と音がして山の樹《き》がことごとく鳴る。思わず顔を見合わすとたんに、机の上の一輪《りん》挿《ざし》に活《い》けた、椿《つばき》がふらふらと揺れる。「地震!」と小声で叫んだ女は、膝《ひざ》を崩《くず》して余の机に靠《よ》りかかる。お互の身躯《からだ》がすれすれに動く。キキーと鋭どい羽《は》摶《ばたき》をして一羽の雉《き》子《じ》が藪《やぶ》の中から飛び出す。
「雉子が」と余は窓の外を見て言う。
「どこに」と女は、崩したからだを擦《すり》寄《よ》せる。余の顔と女の顔が触れぬばかりに近《ちか》付《づ》く。細い鼻の穴から出る女の呼《い》吸《き》が余の髭《げ》にさわった。
「非人情ですよ」と女はたちまち坐《い》住《すま》居《い》を正しながらきっと言う。
「むろん」と言《ごん》下《か》に余は答えた。
岩の凹《くぼ》みに湛《たた》えた春の水が、驚ろいて、のたりのたりと鈍《ぬる》く揺《うご》いている。地盤の響きに、満《まん》泓《おう*》の波が底から動くのだから、表面が不規則に曲線を描くのみで、砕けた部分はどこにもない。円満に動くという語があるとすれば、こんな場合に用いられるのだろう。落ち付いて影を〓《ひた》していた山桜が、水とともに、延びたり縮んだり、曲がったり、くねったりする。しかしどう変化してもやはり明らかに桜の姿を保っているところが非常に面白い。
「こいつは愉快だ。奇麗で、変化があって。こういうふうに動かなくっちゃ面白くない」
「人間もそういうふうにさえ動いていれば、いくら動いても大丈夫ですね」
「非人情でなくっちゃ、こうは動けませんよ」
「ホホホホたいへん非人情がお好きだこと」
「あなただって、嫌なほうじゃありますまい。昨日の振《ふり》袖《そで》なんか……」と言いかけると、
「なにか御《ご》褒《ほう》美《び》を頂《ちよう》戴《だい》」と女は急に甘えるように言った。
「なぜです」
「見たいと仰《おつし》やったから、わざわざ、見せてあげたんじゃありませんか」
「わたしがですか」
「山《やま》越《ごえ》をなさった画の先生が、茶店の婆《ばあ》さんにわざわざお頼みになったそうでございます」
余はなんと答えてよいやらちょっと挨《あい》拶《さつ》が出なかった。女はすかさず、
「そんな忘れっぽい人に、いくら実をつくしても駄目ですわねえ」と嘲《あざ》けるごとく、恨むがごとく、また真《まつ》向《こう》から切りつけるがごとく二の矢をついだ。だんだん旗色がわるくなるが、どこで盛り返したものか、いったん機先を制せられると、なかなか隙《すき》を見《み》出《いだ》しにくい。
「じゃ昨夕《ゆうべ》の風《ふ》呂《ろ》場《ば》も、まったく御親切からなんですね」と際《きわ》どいところでようやく立て直す。
女は黙っている。
「どうも済みません。お礼になにを上げましょう」とできるだけさきへ出ておく。いくら出てもなんの利《きき》目《め》もなかった。女はなに喰《く》わぬ顔で大《だい》徹《てつ》和《お》尚《しよう》の額を眺《なが》めている。やがて、
「竹《ちく》影《えい》払《かいを》階《はらつて》塵《ちり》不《うご》動《かず》」
と口のうちで静かに読み了《おわ》って、また余の方へ向き直ったが、急に思い出したように、
「なんですって」
と、わざと大きな声で聞いた。その手は喰わない。
「その坊主にさっき逢《あ》いましたよ」と地震に揺れた池の水のように円満な動き方をしてみせる。
「観《かん》海《かい》寺《じ》の和尚ですか。肥《ふと》ってるでしょう」
「西洋画で唐《から》紙《かみ》をかいてくれって、言いましたよ。禅坊さんなんてものはずいぶん訳のわからないことを言いますね」
「それだから、あんなに肥れるんでしょう」
「それから、もう一人若い人に逢いましたよ。……」
「久《きゆう》一《いち》でしょう」
「ええ久一君です」
「よく御存じですこと」
「なに久一君だけ知ってるんです。そのほかにはなんにも知りゃしません。口を聞くのが嫌《きらい》な人ですね」
「なに、遠慮しているんです。まだ小供ですから……」
「小供って、あなたと同じくらいじゃありませんか」
「ホホホホそうですか。あれは私《わたく》しの従弟《いとこ》ですが、今度戦地へ行くので、暇《いとま》乞《ごい》に来たのです」
「ここに留《とま》って、いるんですか」
「いいえ、兄の家《うち》におります」
「じゃ、わざわざお茶を飲みに来たわけですね」
「お茶より御白湯《おゆ》のほうが好きなんですよ。父がよせばいいのに、呼ぶものですから。麻痺《しびれ》が切れて困ったでしょう。私がいれば中途から帰してやったんですが……」
「あなたはどこへ入らしったんです。和尚が聞いていましたぜ、また一人散歩かって」
「ええ鏡の池の方を回って来ました」
「その鏡の池へ、わたしも行きたいんだが……」
「行ってごらんなさい」
「画にかくに好い所ですか」
「身を投げるに好い所です」
「身はまだなかなか投げないつもりです」
「私は近《きん》々《きん》投げるかもしれません」
あまりに女としては思い切った冗《じよう》談《だん》だから、余はふと顔を上げた。女は存外たしかである。
「私が身を投げて浮いているところを――苦しんで浮いてるところじゃないんです――やすやすと往生して浮いているところを――奇麗な画にかいてください」
「え?」
「驚ろいた、驚ろいた、驚ろいたでしょう」
女はすらりと立ち上る。三歩にして尽くる部屋の入口を出るとき、顧みてにこりと笑った。茫《ぼう》然《ぜん》たること多時。
鏡が池へ来て見る。観《かん》海《かい》寺《じ》の裏道の、杉の間から谷へ降りて、向うの山へ登らぬうちに、路《みち》は二《ふた》股《また》に岐《わか》れて、おのずから鏡が池の周囲となる。池の縁には熊《くま》笹《ざさ》が多い。ある所は、左右から生い重なって、ほとんど音を立てずには通れない。木の間から見ると、池の水は見えるが、どこではじまって、どこで終るか一応回ったうえでないと見当がつかぬ。あるいて見ると存外小さい。三丁ほどよりあるまい。ただ非常に不規則な形《かたち》で、所《ところ》々《どころ》に岩が自然のまま水《みず》際《ぎわ》に横《よこた》わっている。縁の高さも、池の形の名状しがたいように、波を打って、いろいろな起伏を不規則に連ねている。
池をめぐりては雑《ぞう》木《き》が多い。何百本あるか勘定がしきれぬ。なかには、まだ春の芽を吹いておらんのがある。割合に枝の繁《こ》まない所は、依然として、うららかな春の日を受けて、萌《も》え出《い》でた下草さえある。壺《つぼ》菫《すみれ》の淡き影が、ちらりちらりとその間に見える。
日本の菫は眠っている感じである。「天来の奇想のように」、と形容した西人の句はとうていあてはまるまい。こう思うとたんに余の足はとまった。足がとまれば、厭《いや》になるまでそこにいる。いられるのは、幸福な人である。東京でそんなことをすれば、すぐ電車に引き殺される。電車が殺さなければ巡査が追い立てる。都会は太平の民を乞《こ》食《じき》と間違えて、掏《す》摸《すり》の親分たる探《たん》偵《てい》に高い月《げつ》俸《ぽう》を払う所である。
余は草を茵《しとね》に太平の尻《しり》をそろりと卸《おろ》した。ここならば、五、六日こうしたなり動かないでも、誰も苦情を持ち出す気《き》遣《づかい》はない。自然の難《あり》有《がた》いところはここにある。いざとなると容赦も未練もない代りには、人によって取り扱《あつかい》をかえるような軽薄な態度はすこしも見せない。岩《いわ》崎《さき》や三《みつ》井《い》を眼中に置かぬものは、いくらでもいる。冷然として古今帝王の権威を風馬牛し得るものは《*》自然のみであろう。自然の徳は高く塵《じん》界《かい》を超越して、絶対の平等観を無辺際に樹立している。天下の群小を麾《さしまね》いで《*》、いたずらにタイモンの憤り《*》を招くよりは、蘭《らん》を九〓《えん》に滋《ま》き、〓《けい》を百畦《けい》に樹《う》えて《*》、独《ひと》りその裏《うち》に起《き》臥《が》するほうがはるかに得策である。世は公平といい無私という。さほど大事なものならば、日に千人の小賊を戮《りく》して、満《まん》圃《ぼ》の草花を彼《かれ》等《ら》の屍《しかばね》に培養《つちか》うがよかろう。
なんだか考《かんがえ》が理に落ちていっこうつまらなくなった。こんな中学程度の観想を練りに、わざわざ鏡が池まで来はせぬ。袂《たもと》から烟草《たばこ》を出して、寸燐《マツチ》をシュッと擦《す》る。手《て》応《ごたえ》はあったが火は見えない。敷《しき》島《しま*》のさきに付けて吸ってみると、鼻から烟《けむり》が出た。なるほど、吸ったんだなとようやく気がついた。寸燐は短かい草のなかで、しばらく雨《あま》竜《りよう*》のような細い烟りを吐いて、すぐ寂《じやく》滅《めつ》した。席をずらせてだんだん水際まで出て見る。余が茵は天然に池のなかに、ながれ込んで、足を浸せば生《なま》温《ぬる》い水につくかもしれぬという間《ま》際《ぎわ》で、とまる。水を覗《のぞ》いて見る。
目の届く所はさまで深そうにもない。底には細長い水草が、往生して沈んでいる。余は往生というよりほかに形容すべき言葉を知らぬ。岡《おか》の薄《すすき》なら靡《なび》くことを知っている。藻《も》の草ならば誘う波の情けを待つ。百年待っても動きそうもない、水の底に沈められたこの水草は、動くべきすべての姿勢を調《ととの》えて、朝な夕なに、弄《なぶ》らるる期を、待ち暮らし、待ち明かし、幾《いく》代《よ》の思《おもい》を茎の先に籠《こ》めながら、今に至るまでついに動きえずに、また死に切れずに、生きているらしい。
余は立ち上がって、草の中から、手《て》頃《ごろ》の石を二つ拾って来る。功《く》徳《どく》になると思ったから、目の先へ、一つ抛《ほう》り込んでやる。ぶくぶくと泡《あわ》が二つ浮いて、すぐ消えた。すぐ消えた、すぐ消えたと、余は心のうちで繰り返す。すかして見ると、三《み》茎《くき》ほどの長い髪が、慵《ものうげ》に揺れかかっている。見付かってはといわぬばかりに、濁《にご》った水が底の方から隠しに来る。南《な》無《む》阿《あ》弥《み》陀《だ》仏《ぶつ》。
今度は思い切って、懸命に真中へなげる。ぽかんとかすかに音がした。静かなるものは決して取り合わない。もう抛《な》げる気もなくなった。絵の具箱と帽子を置いたまま右手へ回る。
二間余りを爪《つま》先《さき》上《あ》がりに登る。頭の上には大きな樹《き》がかぶさって、身体《からだ》が急に寒くなる。向う岸の暗い所に椿が咲いている。椿の葉は緑が深すぎて、昼見ても、日《ひ》向《なた》で見ても、軽快な感じはない。ことにこの椿は岩《いわ》角《かど》を、奥へ二、三間遠《とお》退《の》いて、花がなければ、なにがあるか気のつかない所に森《しん》閑《かん》として、かたまっている。その花が! 一日勘定してもむろん勘定し切れぬほど多い。しかし目が付けばぜひ勘定したくなるほど鮮《あざや》かである。ただ鮮かというばかりで、いっこう陽気な感じがない。ぱっと燃え立つようで、思わず、気を奪《と》られた、後はなんだか凄《すご》くなる。あれほど人を欺す花はない。余は深《み》山《やま》椿《つばき》を見るたびにいつでも妖《よう》女《じよ》の姿を連想する。黒い目で人を釣《つ》り寄せて、しらぬ間《ま》に、嫣《えん》然《ぜん》たる毒を血管に吹く。欺かれたと悟ったころはすでに遅い。向う側の椿が目に入った時、余は、ええ、見なければよかったと思った。あの花の色はただの赤ではない。目を醒《さま》すほどの派《は》出《で》やかさの奥に、いうにいわれぬ沈んだ調子を持っている。悄《しよう》然《ぜん》として萎《しお》れる雨中の梨《り》花《か*》には、ただ憐《あわ》れな感じがする。冷やかに艶《えん》なる月下の海《かい》棠《どう》には、ただ愛らしい気持ちがする。椿の沈んでいるのはまったく違う。黒ずんだ、毒気のある、恐ろし味を帯びた調子である。この調子を底に持って、上《うわ》部《べ》はどこまでも派出に装っている。しかも人に媚《こ》ぶる態《さま》もなければ、ことさらに人を招く様子も見えぬ。ぱっと咲き、ぽたりと落ち、ぽたりと落ち、ぱっと咲いて、幾百年の星霜を、人目にかからぬ山《やま》陰《かげ》に落ち付き払《はら》って暮らしている。ただ一目見たが最後! 見た人は彼女の魔力から金《こん》輪《りん》際《ざい》、免《のが》るることはできない。あの色はただの赤ではない。屠《ほふ》られたる囚人の血が、おのずから人の目を惹《ひ》いて、おのずから人の心を不快にするごとく一種異様な赤である。
見ていると、ぽたり赤い奴《やつ》が水の上に落ちた。静かな春に動いたものはただこの一輪である。しばらくするとまたぽたりと落ちた。あの花は決して散らない。崩《くず》れるよりも、かたまったまま枝を離れる。枝を離れるときは一度に離れるから、未練のないようにみえるが、落ちてもかたまっているところは、なんとなく毒々しい。またぽたり落ちる。ああやって落ちているうちに、池の水が赤くなるだろうと考えた。花が静かに浮いている辺《あたり》は今でも少々赤いような気がする。また落ちた。池の上へ落ちたのか、水の上へ落ちたのか、区別がつかぬくらい静かに浮く。また落ちる。あれが沈むことがあるだろうかと思う。年《ねん》々《ねん》落ち尽す幾万輪の椿は、水につかって、色が溶けだして、腐って泥《どろ》になって、ようやく底に沈むのかしらん。幾千年の後にはこの古池が、人の知らぬ間《ま》に、落ちた椿のために、埋《うず》もれて、元《もと》の平《ひら》地《ち》に戻《もど》るかもしれぬ。また一つ大きいのが血を塗った、人《ひと》魂《だま》のように落ちる。また落ちる。ぽたりぽたりと落ちる。際限なく落ちる。
こんなところへ美しい女の浮いているところをかいたら、どうだろうと思いながら、元の所へ帰って、また烟草を呑《の》んで、ぼんやり考え込む。温泉《ゆ》場《ば》のお那《な》美《み》さんが昨日冗《じよう》談《だん》に言った言葉が、うねりを打って、記憶のうちに寄せてくる。心は大《おお》浪《なみ》にのる一枚の板《いた》子《ご》のように揺れる。あの顔を種《たね》にして、あの椿の下に浮かせて、上から椿を幾輪も落とす。椿が長《とこしな》えに落ちて、女が長えに水に浮いている感じをあらわしたいが、それが画でかけるだろうか。かのラオコーンには――ラオコーンなどはどうでもかまわない。原理に背《そむ》いても、背かなくっても、そういう心持ちさえ出ればいい。しかし人間を離れないで人間以上の永久という感じを出すのは容易なことではない。第一顔に困る。あの顔を借りるにしても、あの表情では駄目だ。苦痛が勝ってはすべてを打《う》ち壊《こ》わしてしまう。といってむやみに気楽ではなお困る。いっそほかの顔にしては、どうだろう。あれか、これかと指を折ってみるが、どうも思《おもわ》しくない。やはりお那美さんの顔がいちばん似合うようだ。しかしなんだか物足らない。物足らないとまでは気が付くが、どこが物足らないかが、吾《われ》ながら不明である。したがって自己の想像でいい加減に作り易《か》えるわけに行かない。あれに嫉《しつ》妬《と》を加えたら、どうだろう。嫉妬では不安の感が多すぎる。憎悪はどうだろう。憎悪は烈《は》げしすぎる。怒《いかり》? 怒では全然調和を破る。恨《うらみ》? 恨でも春《しゆん》恨《こん》とかいう、詩的のものならば格別、ただの恨ではあまり俗である。いろいろに考えた末、しまいにようやくこれだと気が付いた。多くある情緒のうちで、憐《あわ》れという字のあるのを忘れていた。憐れは神の知らぬ情《じよう》で、しかも神にもっとも近き人間の情である。お那美さんの表情のうちにはこの憐れの念が少しもあらわれておらぬ。そこが物足らぬのである。ある咄《とつ》嗟《さ》の衝動で、この情があの女の眉《び》宇《う》にひらめいた瞬時に、わが画は成《じよう》就《じゆ》するであろう。しかし――いつそれが見られるか解らない。あの女の顔にふだん充満しているものは、人を馬鹿にする微《うす》笑《わらい》と、勝とう、勝とうと焦《あせ》る八の字のみである。あれだけでは、とても物にならない。
がさりがさりと足音がする。胸裏の図案は三分《ぶ》二で崩れた。見ると、筒《つつ》袖《そで》を着た男が、背へ薪《まき》を載せて、熊笹のなかを観海寺の方へわたってくる。隣りの山からおりて来たのだろう。
「よいお天気で」と手《て》拭《ぬぐい》をとって挨《あい》拶《さつ》する。腰を屈《かが》めるとたんに、三尺帯に落した鉈《なた》の刃がぴかりと光った。四十恰《かつ》好《こう》の逞《たくま》しい男である。どこかで見たようだ。男は旧知のように馴《なれ》々《なれ》しい。
「旦《だん》那《な》も画をお描きなさるか」余の絵の具箱は開けてあった。
「ああ。この池でも画《か》こうと思って来てみたが、淋《さみ》しい所だね。誰も通らない」
「はあい。まことに山の中で……旦那あ、峠でお降られなさって、さぞお困りでござんしたろ」
「え? うんお前はあの時の馬《ま》子《ご》さんだね」
「はあい。こうやって薪《たきぎ》を切っては城下へ持って出ます」と源《げん》兵《べ》衛《え》は荷を卸《おろ》して、その上へ腰をかける。烟草入を出す。古いものだ。紙だか革《かわ》だか分らない。余は寸燐《マツチ》を借してやる。
「あんな所を毎日越すなあたいへんだね」
「なあに、馴《な》れていますから――それに毎日は越しません。三日に一返、ことによると四日目ぐらいになります」
「四日に一返でも御免だ」
「アハハハハ。馬が不《ふ》憫《びん》ですから四日目ぐらいにしておきます」
「そりゃあ、どうも。自分より馬のほうが大事なんだね。ハハハハ」
「それほどでもないんで……」
「時にこの池はよほど古いもんだね。全体いつごろからあるんだい」
「昔からありますよ」
「昔から? どのくらい昔から?」
「なんでもよっぽど古い昔から」
「よっぽど古い昔からか。なるほど」
「なんでも昔、志保田の嬢様が、身を投げた時分からありますよ」
「志保田って、あの温泉《ゆ》場《ば》のかい」
「はあい」
「お嬢さんが身を投げたって、現に達者でいるじゃないか」
「いんにぇ。あの嬢さまじゃない。ずっと昔の嬢様が」
「ずっと昔の嬢様。いつごろかね、それは」
「なんでも、よほど昔の嬢様で……」
「その昔の嬢様が、どうしてまた身を投げたんだい」
「その嬢様は、やはり今の嬢様のように美しい嬢様であったそうながな、旦那様」
「うん」
「すると、ある日、一人の梵《ぼ》論《ろん》字《じ*》が来て……」
「梵論字というと虚《こ》無《も》僧《そう》の事かい」
「はあい。あの尺八を吹く梵論字のことでござんす。その梵論字が志保田の庄《しよう》屋《や》へ逗《とう》留《りゆう》しているうちに、その美くしい嬢様が、その梵論字を見《み》染《そ》めて――因果と申しますか、どうしてもいっしょになりたいというて、泣きました」
「泣きました。ふうん」
「ところが庄屋どのが、聞き入れません。梵論字は聟《むこ》にはならんというて。とうとう追い出しました」
「その虚無僧をかい」
「はあい。そこで嬢様が、梵論字のあとを追うてここまで来て、――あの向うに見える松の所から、身を投げて、――とうとう、えらい騒ぎになりました。その時なんでも一枚の鏡を持っていたとか申し伝えておりますよ。それでこの池を今でも鏡が池と申しまする」
「へええ。じゃ、もう身を投げたものがあるんだね」
「まことに怪《け》しからんことでござんす」
「何代ぐらいまえのことかい。それは」
「なんでもよっぽど昔のことでござんすそうな。それから――これはここかぎりの話だが、旦那さん」
「なんだい」
「あの志保田の家には、代々気《き》狂《ちがい》ができます」
「へええ」
「まったく祟《たた》りでござんす。今の嬢様も、近ごろは少し変だいうて、皆が囃《はや》します」
「ハハハハそんなことはなかろう」
「ござんせんかな、しかしあのお袋様がやはり少し変でな」
「うちにいるのかい」
「いいえ、去年亡くなりました」
「ふん」と余は烟草の吸《すい》殻《がら》から細い烟の立つのを見て、口を閉じた。源兵衛は薪を背にして去る。
画をかきに来て、こんなことを考えたり、こんな話を聴くばかりでは、いく日かかっても一枚もできっこない。せっかく絵の具箱まで持ち出した以上、今日は義理にも下絵をとっていこう。さいわい、向《むこう》側《がわ》の景色は、あれなりでほぼ纏《まと》まっている。あすこでも申し訳にちょっと描こう。
一丈余りの蒼《あお》黒《ぐろ》い岩が、真《まつ》直《すぐ》に池の底から突き出して、濃き水の折れ曲る角《かど》に、嵯《さ》々《さ*》と構える右側には、例の熊笹が断《だん》崖《がい》の上から水際まで、一寸の隙《すき》間《ま》なく叢《そう》生《せい》している。上には三《み》抱《かかえ》ほどの大きな松が、若《わか》蔦《づた》にからまれた幹を、斜めに捩《ねじ》って、半分以上水の面《おもて》へ乗り出している。鏡を懐《ふところ》にした女は、あの岩の上からでも飛んだものだろう。
三《さん》脚《きやく》几《き》に尻を据えて、画面に入るべき材料を見渡す。松と、笹と、岩と水であるが、さて水はどこでとめてよいか分らぬ。岩の高さが一丈あれば、影も一丈ある。熊笹は、水際でとまらずに、水の中まで茂り込んでいるかと怪《あやし》まるるくらい、鮮やかに水底まで写っている。松にいたっては空に聳《そび》ゆる高さが、見上げらるるだけ、影もまたすこぶる細長い。目に写っただけの寸法ではとうてい収《おさま》りがつかない。いっそのこと、実物をやめて影だけ描くのも一興だろう。水をかいて、水の中の影をかいて、そうして、これが画だと人に見せたら驚ろくだろう。しかしただ驚ろかせるだけでは詰《つま》らない。なるほど画になっていると驚かせなければ詰らない。どう工夫をしたものだろうと、一心に池の面《おも》を見詰める。
奇《き》体《たい》なもので、影だけ眺めていてはいっこう画にならん。実物と見比べて工夫がしてみたくなる。余は水面から眸《ひとみ》を転じて、そろりそろりと上の方へ視線を移してゆく。一丈の巌《いわお》を、影の先から、水際の継目まで眺めて、継目からしだいに水の上に出る。潤沢の気《け》合《わい》から、皴《しゆん》皺《しゆ》の模様を逐一吟味してだんだんと登ってゆく。ようやく登り詰めて、余の双眼が今危《き》巌《がん》の頂きに達したるとき、余は蛇《へび》に睨《にら》まれた蟇《ひき》のごとく、はたりと画筆を取り落した。
緑《みど》りの枝を通す夕日を背に、暮れんとする晩春の蒼《あお》黒《ぐろ》く巌《がん》頭《とう》を彩《いろ》どるなかに、楚《そ》然《ぜん*》として織り出されたる女の顔は、――花下に余を驚かし、まぼろしに余を驚ろかし、振袖に余を驚かし、風呂場に余を驚かしたる女の顔である。
余が視線は、蒼白き女の顔の真中にぐさと釘《くぎ》付《づ》けにされたぎり動かない。女もしなやかなる体《たい》躯《く》を伸《の》せるだけ伸して、高い巌の上に一指も動かさずに立っている。この一刹《せつ》那《な》!
余は覚えず飛び上がった。女はひらりと身をひねる。帯の間に椿の花のごとく赤いものが、ちらついたと思ったら、すでに向うへ飛び下りた。夕日は樹《じゆ》梢《しよう》を掠《かす》めて、かすかに松の幹を染《そ》むる。熊笹はいよいよ青い。
また驚かされた。
十一
山里の朧《おぼろ》に乗じてそぞろ歩く。観《かん》海《かい》寺《じ》の石段を登りながら仰《あふぎ》数《かぞふ》春《しゆん》星《せい》一二三という句を得た。余は別に和《お》尚《しよう》に逢《あ》う用事もない。逢うて雑話をする気もない。偶然と宿を出でて足の向くところに任せてぶらぶらするうち、ついこの石《せき》磴《とう》の下に出た。しばらく不許葷酒入山門《くんしゆさんもんにいるをゆるさず》という石を撫《な》でて立っていたが、急にうれしくなって、登りだしたのである。
トリストラム・シャンデー《*》という書物のなかに、この書物ほど神の御《お》覚《ぼし》召《めし》に叶《かの》うた書き方はないとある。最初の一句はともかくも自《じ》力《りき》で綴《つづ》る。あとはひたすらに神を念じて、筆の動くに任せる。何をかくか自分にはむろん見当が付《つ》かぬ。かく者は自己であるが、かくことは神のことである。したがって責任は著者にはないそうだ。余が散歩もまたこの流儀を汲んだ、無責任の散歩である。ただ神を頼まぬだけがいっそうの無責任である。スターン《*》は自分の責任を免《のが》れると同時にこれを在天の神に嫁した。引き受けてくれる神を持たぬ余はついにこれを泥《ど》溝《ぶ》の中に棄てた。
石段を登るにも骨を折っては登らない。骨が折れるくらいなら、すぐ引き返す。一段登って佇《たたず》むときなんとなく愉快だ。それだから二段登る。二段目に詩が作りたくなる。黙《もく》然《ねん》として、わが影を見る。角《かく》石《いし》に遮《さえぎ》られて三段に切れているのは妙だ。妙だからまた登る。仰いで天を望む。寐ぼけた奥から、小さい星がしきりに瞬《まばた》きをする。句になると思って、また登る。かくして、余はとうとう上まで登り詰めた。
石段の上で思い出す。昔鎌倉へ遊びに行って、いわゆる五《ご》山《ざん》なるものを、ぐるぐる尋ねて回った時、たしか円《えん》覚《がく》寺《じ》の塔《たつ》頭《ちゆう》であったろう、やはりこんなふうに石段をのそりのそりと登って行くと、門内から、黄な法衣《ころも》を着た、頭の鉢《はち》の開いた坊主が出て来た。余は登る、坊主は下る。すれ違った時、坊主が鋭どい声でどこへお出《いで》なさると問うた。余はただ境《けい》内《だい》を拝見にと答えて、同時に足を停《と》めたら、坊主はただちに、なにもありませんぞと言い捨てて、すたすた下りて行った。あまり洒《しや》落《らく》だから、余は少しく先《せん》を越された気味で、段上に立って、坊主を見送ると、坊主は、かの鉢の開いた頭を、振り立て振り立て、ついに姿を杉の木《こ》の間《ま》に隠した。そのあいだかつて一度も振り返ったことはない。なるほど禅僧は面白い。きびきびしているなと、のっそり山門をはいって、見ると、広い庫《く》裏《り》も本堂も、がらんとして、人影はまるでない。余はその時に心からうれしく感じた。世の中にこんな洒落な人があって、こんな洒落に、人を取り扱ってくれたかと思うと、なんとなく気分が晴《せい》々《せい》した。禅を心得ていたからというわけではない。禅のぜの字もいまだに知らぬ。ただあの鉢の開いた坊主の所《しよ》作《さ》が気に入ったのである。
世の中はしつこい、毒々しい、こせこせした、そのうえずうずうしい、いやな奴《やつ》で埋《うずま》っている。元来なにしに世の中へ面《つら》を曝《さら》しているんだか、解《げ》しかねる奴さえいる。しかもそんな面にかぎって大きいものだ。浮世の風にあたる面積の多いのをもって、さも名誉のごとく心得ている。五年も十年も人の臀《しり》に探《たん》偵《てい》をつけて、人のひる屁《へ》の勘定をして、それが人世だと思ってる。そうして人の前へ出て来て、お前は屁をいくつ、ひった、いくつ、ひったと頼みもせぬことを教える。前へ出て言うなら、それも参考にしてやらんでもないが、後ろの方から、お前は屁をいくつ、ひった、いくつ、ひったと言う。うるさいと言えばなおなお言う。よせと言えばますます言う。分ったと言っても、屁をいくつ、ひった、ひったと言う。そうしてそれが処世の方針だと言う。方針は人《にん》々《にん》かってである。ただひったひったと言わずに黙って方針を立てるがいい。人の邪《じや》魔《ま》になる方針は差《さ》し控《ひか》えるのが礼義だ。邪魔にならなければ方針が立たぬというなら、こっちも屁をひるのをもって、こっちの方針とするばかりだ。そうなったら日本も運の尽きだろう。
こうやって、美しい春の夜に、なんらの方針も立てずに、あるいてるのは実際高《こう》尚《しよう》だ。興来《きた》れば興来《きた》るをもって方針とする。興去れば、興去るをもって方針とする。句を得れば、得たところに方針が立つ。得なければ、得ないところに方針が立つ。しかも誰の迷惑にもならない。これが真正の方針である。屁を勘定するのは人身攻撃の方針で、屁をひるのは正当防御の方針で、こうやって観海寺の石段を登るのは随縁放《ほう》曠《こう*》の方針である。
仰《あふぎ》数《かぞふ》春《しゆん》星《せい》一二三の句を得て、石磴を登りつくしたる時、朧にひかる春の海が帯のごとくに見えた。山門を入る。絶句は纏《まと》める気にならなくなった。即座に已《や》めにする方針を立てる。
石を甃《たた》んで庫《く》裡《り》に通ずる一筋道の右側は、岡《おか》つつじの生《いけ》垣《がき》で、垣《かき》の向《むこう》は墓場であろう。左は本堂だ。屋《や》根《ね》瓦《がわら》が高い所で、かすかに光る。数万の甍《いらか》に、数万の月が落ちたようだと見《み》上《あげ》る。どこやらで鳩《はと》の声がしきりにする。棟《むね》の下にでも住んでいるらしい。気のせいか、廂《ひさし》のあたりに白いものが、点々見える。糞《ふん》かもしれぬ。
雨《あま》垂《だ》れ落ちの所に、妙な影が一列に並んでいる。木とも見えぬ、草ではむろんない。感じからいうと岩《いわ》佐《さ》又《また》兵《べ》衛《え*》のかいた、鬼の念仏《*》が、念仏をやめて、踴《おど》りを踴っている姿である。本堂の端《はじ》から端まで、一列に行儀よく並んで躍《おど》っている。その影がまた本堂の端から端まで一列に行儀よく並んで躍っている。朧《おぼろ》夜《よ》にそそのかされて、鉦《かね》も撞《しゆ》木《もく》も、奉加帳も打ちすてて、誘い合せるやいなや、この山寺へ踴りに来たのだろう。
近寄って見ると大きな覇王樹《さぼてん》である。高さは七、八尺もあろう、糸瓜《へちま》ほどな青い黄瓜《きゆうり》を、杓《しやも》子《じ》のように圧《お》しひしゃげて、柄の方を下に、上へ上へと継ぎ合せたように見える。あの杓子がいくつ継《つな》がったら、お仕《し》舞《まい》になるのか分らない。今夜のうちにも廂を突き破って、屋根瓦の上まで出そうだ。あの杓子ができる時には、なんでも不意に、どこからか出て来て、ぴしゃりと飛び付くに違いない。古い杓子が新しい小杓子を生んで、その小杓子が長い年《とし》月《つき》のうちにだんだん大きくなるようには思われない。杓子と杓子の連続がいかにもとっぴである。こんな滑《こつ》稽《けい》な樹《き》はたんとあるまい。しかも澄《す》ましたものだ。いかなるこれ仏《ぶつ》と問われて、庭前の柏《はく》樹《じゆ》子《し》と答えた僧《*》があるよしだが、もし同様の問に接した場合には、余は一も二もなく、月下の覇《は》王《おう》樹《じゆ》と応《こた》えるであろう。
少時、晁《ちよう》補《ほ》之《し*》という人の記行文を読んで、いまだに暗唱している句がある。「時に九月天高く露清く、山空《むな》しく、月明《あきら》かに、仰《あふ》いで星《せい》斗《と》を視《み》れば皆光大、たまたま人の上にあるがごとし。窓間の竹数《すう》十竿《かん》、相《あひ》摩《ま》戞《かつ》して声切々已《や》まず。竹《ちく》間《かん》の梅《ばい》棕《そう》森然として鬼《き》魅《び*》の離立笑《せう》〓《ひん*》の状のごとし。二、三子相顧み、魄《はく》動いて寐《いぬ》るを得ず。遅《ち》明《めい*》皆去る《*》」とまた口の内で繰り返してみて、思わず笑った。この覇王樹《さぼてん》も時と場合によれば、余の魄《はく》を動かして、見るやいなや山を追い下げたであろう。刺《とげ》に手を触れてみると、いらいらと指をさす。
石《いし》甃《だたみ》を行き尽くして左へ折れると庫裏へ出る。庫裏の前に大きな木《もく》蓮《れん》がある。ほとんどひと抱《かかえ》もあろう。高さは庫裏の屋根を抜いている。見上げると頭の上は枝である。枝の上も、また枝である。そうして枝の重なり合った上が月である。普通、枝がああ重なると、下から空は見えぬ。花があればなお見えぬ。木蓮の枝はいくら重なっても、枝と枝の間はほがらかに隙《す》いている。木蓮は樹下に立つ人の目を乱すほどの細い枝をいたずらには張らぬ。花さえ明かである。このはるかなる下から見上げても一輪の花は、はっきりと一輪に見える。その一輪がどこまで簇《むら》がって、どこまで咲いているか分らぬ。それにもかかわらず一輪はついに一輪で、一輪と一輪の間から、薄青い空が判然と望まれる。花の色はむろん純白ではない。いたずらに白いのは寒すぎる。もっぱらに白いのは、ことさらに人の目を奪う巧みが見える。木蓮の色はそれではない。極度の白きをわざと避けて、あたたかみのある淡黄に、奥《おく》床《ゆか》しくもみずからを卑下している。余は石甃の上に立って、このおとなしい花が累々とどこまでも空裏に蔓《はびこ》るさまを見上げて、しばらく茫《ぼう》然《ぜん》としていた。目に落つるのは花ばかりである。葉は一枚もない。
木 蓮 の 花 ば か り な る 空 を 瞻《み》 る
という句を得た。どこやらで、鳩《はと》がやさしく鳴き合うている。
庫裏に入る。庫裏は明け放してある。盗《ぬす》人《びと》はおらぬ国とみえる。狗《いぬ》はもとより吠《ほ》えぬ。
「御免」
と訪問《おとず》れる。森《しん》として返事がない。
「頼む」
と案内を乞う。鳩の声がくううくううと聞える。
「頼みまああす」と大きな声を出す。
「おおおおおおお」とはるかの向《むこう》で答えたものがある。人の家を訪《と》うて、こんな返事を聞かされたことは決してない。やがて足音が廊下へ響くと、紙《し》燭《そく》の影が、衝《つい》立《たて》の向《むこう》側《がわ》にさした。小坊主がひょこりとあらわれる。了《りよう》念《ねん》であった。
「和《お》尚《しよう》さんはお出《いで》かい」
「おられる。なにしに御《ご》座《ざ》った」
「温泉にいる画《え》工《かき》が来たと、取《とり》次《つ》いでおくれ」
「画工さんか。それじゃお上《あが》り」
「断わらないでもいいのかい」
「よろしかろ」
余は下駄を脱いで上がる。
「行儀がわるい画工さんじゃな」
「なぜ」
「下駄を、ようお揃えなさい。そらここを御覧」と紙燭を差しつける。黒い柱の真中に、土間から五尺ばかりの高さを見計って半紙を四つ切りにした上へ、なにか認《したた》めてある。
「そうら。読めたろ。脚下を見よ、と書いてあるが」
「なるほど」と余は自分の下駄を丁《てい》寧《ねい》に揃える。
和尚の室は廊下を鍵《かぎ》の手に曲って、本堂の横手にある。障子を恭《うやうや》しくあけて、恭しく敷居越しにつくばった了念が、
「あのう、志保田から、画工さんが来られました」と言う。はなはだ恐縮の体《てい》である。余はちょっと可《お》笑《か》しくなった。
「さようか、これへ」
余は了念と入れ代る。室はすこぶる狭い。中に囲《い》炉《ろ》裏《り》を切って、鉄《てつ》瓶《びん》が鳴る。和尚は向側に書見をしていた。
「さあ、これへ」と眼鏡《めがね》をはずして、書物を傍《かたわら》へおしやる。
「了念。りょううねええん」
「はあああい」
「座《ざ》布《ぶ》団《とん》を上げんか」
「はああああい」と了念は遠くで、長い返事をする。
「よう、来られた。さぞ退《たい》屈《くつ》だろ」
「あまり月がいいから、ぶらぶら来ました」
「いい月じゃな」と障子をあける。飛び石が二つ、松一本のほかにはなにもない、平《ひら》庭《にわ》の向うは、すぐ懸《けん》崖《がい》とみえて、目の下に朧《おぼろ》夜《よ》の海がたちまちに開ける。急に気が大きくなったような心持である。漁《いさり》火《び》がここ、かしこに、ちらついて、はるかの末は空に入って、星に化けるつもりだろう。
「これはいい景色。和尚さん、障子をしめているのは勿《もつ》体《たい》ないじゃありませんか」
「そうよ。しかし毎晩見ているからな」
「いく晩見てもいいですよ、この景色は。私なら寐ずに見ています」
「ハハハハ。もっともあなたは画工だから、わしとは少し違うて」
「和尚さんだって、うつくしいと思ってるうちは画工でさあ」
「なるほどそれもそうじゃろ。わしも達《だる》磨《ま》の画ぐらいはこれで、かくがの。そら、ここに掛けてある、この軸《じく》は先代がかかれたのじゃが、なかなかようかいとる」
なるほど達磨の画が小さい床に掛っている。しかし画としてはすこぶるまずいものだ。ただ俗《ぞつ》気《き》がない。拙を蔽《おお》おうと力《つと》めているところが一つもない。無邪気な画だ。この先代もやはりこの画のようなかまわない人であったんだろう。
「無邪気な画ですね」
「わし等のかく画はそれでたくさんじゃ。気象さえあらわれておれば……」
「上《じよう》手《ず》で俗気があるのより、いいです」
「はははは、まあ、そうでも、賞《ほ》めておいてもらおう。時に近ごろは画工にも博士があるかの」
「画工の博士はありませんよ」
「あ、そうか。このあいだ、なんでも博士に一人逢《あ》うた」
「へええ」
「博士というとえらいものじゃろな」
「ええ。えらいんでしょう」
「画工にも博士がありそうなものじゃがな。なぜないだろう」
「そういえば、和尚さんのほうにも博士がなけりゃならないでしょう」
「ハハハハ、まあ、そんなものかな。――なんとかいう人じゃったて、このあいだ逢うた人は――どこぞに名刺があるはずだが……」
「どこでお逢いです、東京ですか」
「いやここで、東京へは、も二十年も出ん。近ごろは電車とかいうものができたそうじゃが、ちょっと乗ってみたいような気がする」
「つまらんものですよ。やかましくって」
「そうかな、蜀《しよく》犬《けん》日に吠《ほ》え、呉《ご》牛《ぎゆう》月に喘《あえ》ぐ《*》というから、わしのような田舎《いなか》者《もの》は、かえって困るかもしれんてのう」
「困りゃしませんがね。つまらんですよ」
「そうかな」
鉄瓶の口から烟が盛《さかん》に出る。和尚は茶《ちや》箪《だん》笥《す》から茶器を取り出して、茶を注《つ》いでくれる。
「番茶を一つお上り。支保田の隠居さんのような甘《うま》い茶じゃない」
「いえ結構です」
「あなたは、そうやって、方々あるくように見受けるがやはり画をかくためかの」
「ええ。道具だけは持ってあるきますが、画はかかないでもかまわないんです」
「はあ、それじゃ遊び半分かの」
「そうですね。そういっても善《い》いでしょう。屁の勘定をされるのが、いやですからね」
さすがの禅僧も、この語だけは解《げ》しかねたとみえる。
「屁の勘定たなにかな」
「東京に永《なが》くいると屁の勘定をされますよ」
「どうして」
「ハハハハハ、勘定だけならいいですが。人の屁を分析して、臀の穴が三角だの、四角だのってよけいなことをやりますよ」
「はあ、やはり衛生のほうかな」
「衛生じゃありません。探偵のほうです」
「探偵? なるほど、それじゃ警察じゃの。いったい警察の、巡査のて、なんの役に立つかの。なけりゃならんかいの」
「そうですね、画工には入りませんね」
「わしにも入らんがな。わしはまだ巡査の厄《やつ》介《かい》になったことがない」
「そうでしょう」
「しかし、いくら警察が屁の勘定をしたてて、構わんがな。澄ましていたら。自分にわるいことがなけりゃ、なんぼ警察じゃて、どうもなるまいがな」
「屁ぐらいで、どうかされちゃ堪《たま》りません」
「わしが小坊主のとき、先代がよう言われた。人間は日本橋の真中に臓《ぞう》腑《ふ》をさらけ出して、恥ずかしくないようにしなければ修行を積んだとはいわれんてな。あなたもそれまで修行をしたらよかろ。旅などはせんでも済むようになる」
「画工になり澄ませば、いつでもそうなれます」
「それじゃ画工になり澄ましたらよかろ」
「屁の勘定をされちゃ、なり切れませんよ」
「ハハハハ。それ御覧。あの、あなたの泊《とま》っている、支保田のお那《な》美《み》さんも、嫁に入って帰ってきてから、どうもいろいろなことが気になってならん、ならんと言うてしまいにとうとう、わしの所へ法を問いに来たじゃて。ところが近ごろはだいぶできてきて、そら御覧。あのような訳のわかった女になったじゃて」
「へええ、どうもただの女じゃないと思いました」
「いやなかなか機《き》鋒《ほう》の鋭どい女で――わしの所へ修行に来ていた泰安という若《にやく》僧《そう》も、あの女のために、ふとしたことから大事を窮明せんならん因縁に逢《ほう》着《ちやく》して――いまによい智職になるようじゃ」
静かな庭に、松の影が落ちる。遠くの海は、空の光りに応《こた》うるがごとく、応えざるがごとく、うやむやのうちに微《かす》かなる、耀《かがや》きを放つ。漁火は明滅す。
「あの松の影を御覧」
「奇麗ですな」
「ただ奇麗かな」
「ええ」
「奇麗なうえに、風が吹いても苦にしない」
茶《ちや》碗《わん》に余った渋茶を飲み干して、糸底を上に、茶托へ伏せて、立ち上る。
「門まで送ってあげよう。りょううねええん。お客がお帰《かえり》だぞよ」
送られて、庫裏を出ると、鳩がくううくううと鳴く。
「鳩ほど可愛いものはない、わしが、手をたたくと、みな飛んでくる。呼んでみよか」
月はいよいよ明るい。しんしんとして、木蓮は幾《いく》朶《だ》の雲《うん》華《げ》を空裏に〓《ささ》げている。〓《けつ》寥《りよう*》たる春夜の真《ま》中《なか》に、和尚ははたと掌《たなごころ》を拍《う》つ。声は風中に死して一羽の鳩も下りぬ。
「下りんかいな。下りそうなものじゃが」
了念は余の顔を見て、ちょっと笑った。和尚は鳩の目が夜でも見えると思うているらしい。気楽なものだ。
山門の所で、余は二人に別れる。見返えると、大きな丸い影と、小さな丸い影が、石甃の上に落ちて、前後して庫裏の方に消えて行く。
十二
基《キリ》督《スト》は最高度に芸術家の態度を具足したるものなりとは、オスカー・ワイルドの説と記憶している。基督は知らず。観《かん》海《かい》寺《じ》の和《お》尚《しよう》のごときは、まさしくこの資格を有していると思う。趣味があるという意味ではない。時勢に通じているというわけでもない。彼は画という名のほとんど下すべからざる達《だる》磨《ま》の幅を掛けて、ようできたなどと得意である。彼は画《が》工《こう》に博士があるものと心得ている。彼は鳩《はと》の目を夜でも利《き》くものと思っている。それにもかかわらず、芸術家の資格があるという。彼の心は底のない嚢《ふくろ》のように行き抜けである。なんにも停滞しておらん。随処に動き去り、任意に作《な》し去って、些《さ》の塵《じん》滓《し》の腹部に沈《ちん》澱《でん》する景色がない。もし彼の脳裏に一点の趣味を貼《ちよう》し得たならば、彼は之《ゆ》くところに同化して、行《こう》屎《し》走《そう》尿《によう*》の際にも、完全たる芸術家として存在し得るだろう。余のごときは、探《たん》偵《てい》に屁《へ》の数を勘定されるあいだは、とうてい画家にはなれない。画架に向うことはできる。小《こ》手《て》板《いた*》を握ることはできる。しかし画工にはなれない。こうやって、名も知らぬ山里へ来て、暮れんとする春《しゆん》色《しよく》のなかに五尺の痩《そう》躯《く》を埋《うず》めつくして、はじめて、真の芸術家たるべき態度にわが身を置き得るのである。ひとたびこの境界に入れば美の天下はわが有に帰する。尺《せき》素《そ》を染《そ》めず、寸《すん》〓《けん》を塗らざるも《*》、われは第一流の大画工である。技において、ミケルアンゼロに及ばず、巧みなることラフハエルに譲ることありとも、芸術家たるの人格において、古今の大家と歩武を斉《ひと》しゅうして《*》、毫《ごう》も遜《ゆず》るところを見《み》出《いだ》しえない。余はこの温泉場ヘ来てから、まだ一枚の画もかかない。絵の具箱は酔興に、担《かつ》いできたかの感さえある。人はあれでも画家かと嗤《わら》うかもしれぬ。いくら嗤われても、今の余は真の画家である。立派な画家である。こういう境《きよう》を得たものが、名画をかくとはかぎらん。しかし名画をかき得る人は必ずこの境を知らねばならん。
朝《あさ》飯《めし》をすまして、一本の敷《しき》島《しま》をゆたかに吹かしたるときの余の観想は以上のごとくである。日は霞《かすみ》を離れて高く上っている。障子をあけて、後ろの山を眺《なが》めたら、蒼《あお》い樹《き》が非常にすき通って、例になく鮮《あざ》やかに見えた。
余は常に空気と、物象と、彩《さい》色《しき》の関係を宇《よの》宙《なか》でもっとも興味ある研究の一と考えている。色を主にして空気を出すか、物を主にして、空気をかくか。または空気を主にしてそのうちに色と物とを織り出すか。画は少しの気《き》合《あい》一つでいろいろな調子が出る。この調子は画家自身の嗜《し》好《こう》で異なってくる。それはむろんであるが、時と場所とで、おのずから制限されるのもまた当《とう》前《ぜん》である。英国人のかいた山水に明るいものは一つもない。明るい画が嫌《きらい》なのかもしれぬが、よし好きであっても、あの空気では、どうすることもできない。同じ英人でもグーダル《*》などは色の調子がまるで違う。違うはずである。彼は英人でありながら、かつて英国の景《けい》色《しよく》をかいたことがない。彼の画題は彼の郷土にはない。彼の本国に比すると、空気の透明の度の非常に勝《まさ》っている、エジプトまたはペルシア辺の光景のみを択《えら》んでいる。したがって彼のかいた画を、はじめて見ると誰も驚ろく。英人にもこんな明かな色を出すものがあるかと疑うくらいはっきりでき上っている。
個人の嗜好はどうすることもできん。しかし日本の山水を描くのが主意であるならば、吾《われ》々《われ》もまた日本固有の空気と色を出さなければならん。いくらフランスの絵がうまいといって、その色をそのままに写して、これが日本の景色だとはいわれない。やはり面《ま》のあたり自然に接して、朝な夕なに雲容烟《えん》態《たい》を研究したあげく、あの色こそと思ったとき、すぐ三《さん》脚《きやく》几《き》を担いで飛び出さなければならん。色は刹《せつ》那《な》に移る。ひとたび機を失すれば、同じ色は容易に目には落ちぬ。余が今見上げた山の端《は》には、めったにこの辺で見ることのできないほどな好《い》い色が充《み》ちている。せっかく来て、あれを逃《にが》すのは惜しいものだ。ちょっと写してきよう。
襖《ふすま》をあけて、椽《えん》側《がわ》へ出ると、向う二階の障子に身を倚《も》たして、那《な》美《み》さんが立っている。顋《あご》を襟《えり》のなかへ埋《うず》めて、横顔だけしか見えぬ。余が挨《あい》拶《さつ》をしようと思うとたんに、女は、左の手を落としたまま、右の手を風のごとく動かした。閃《ひらめ》くは稲《いな》妻《ずま》か、二折れ三折れ胸のあたりを、するりと走るやいなや、かちりと音がして、閃《ひら》めきはすぐ消えた。女の左り手には九寸五分の白《しら》鞘《さや》がある。姿はたちまち障子の影に隠れた。余は朝っぱらから歌《か》舞《ぶ》伎《き》座《ざ》を覗《のぞ》いた気で宿を出る。
門を出て、左へ切れると、すぐ岨《そば》道《みち》つづきの、爪《つま》上《あが》りになる。鶯《うぐいす》が所々で鳴く。左り手がなだらかな谷へ落ちて、蜜《み》柑《かん》が一面に植えてある。右には高からぬ岡《おか》が二つほど並んで、ここにもあるは蜜柑のみと思われる。何年まえか一度この地に来た。指を折るのも面倒だ。なんでも寒い師走《しわす》のころであった。その時蜜柑山に蜜柑がべた生《な》りに生る景色をはじめて見た。蜜柑取りに一枝売ってくれと言ったら、いくつでも上げましょ、持って入らっしゃいと答えて、樹の上で妙な節の唄《うた》をうたいだした。東京では蜜柑の皮でさえ薬《やく》種《しゆ》屋へ買いに行かねばならぬのにと思った。夜になると、しきりに銃《つつ》の音がする。なんだと聞いたら、猟師が鴨《かも》をとるんだと教えてくれた。その時は那美さんの、なの字も知らずに済《す》んだ。
あの女を役者にしたら、立派な女《おんな》形《がた》ができる。普通の役者は、舞台へ出ると、よそ行きの芸をする。あの女は家のなかで、常住芝居をしている。しかも芝居をしているとは気がつかん。自然天然に芝居をしている。あんなのを美的生活《*》とでもいうのだろう。あの女のお蔭《かげ》で画の修行がだいぶできた。
あの女の所《しよ》作《さ》を芝居と見なければ、薄気味がわるくて一日もいたたまれん。義理とか人情とかいう、尋常の道具立を背景にして、普通の小説家のような観察点からあの女を研究したら、刺激が強すぎて、すぐいやになる。現実世界にあって、余とあの女のあいだに纏《てん》綿《めん》した一種の関係が成り立ったとするならば、余の苦痛はおそらく言《ごん》語《ご》に絶するだろう。余のこのたびの旅行は俗情を離れて、あくまで画工になり切るのが主意であるから、目に入るものはことごとく画として見なければならん。能、芝居、もしくは詩中の人物としてのみ観察しなければならん。この覚悟の眼《め》鏡《がね》から、あの女を覗いて見ると、あの女は、今まで見た女のうちでもっともうつくしい所作をする。自分でうつくしい芸をして見せるという気がないだけに役者の所作よりもなおうつくしい。
こんな考《かんがえ》をもつ余を、誤解してはならん。社会の公民として不適当だなどと評してはもっとも不《ふ》届《とど》きである。善は行いがたい、徳は施《ほど》こしにくい、節操は守り安からぬ、義のために命を捨てるのは惜しい。これ等《ら》をあえてするのは何《なん》人《びと》にとっても苦痛である。その苦痛を冒すためには、苦痛に打ち勝つだけの愉快がどこかに潜んでおらねばならん。画というも、詩というも、あるは芝居というも、この悲《ひ》酸《さん》のうちに籠《こも》る快感の別号にすぎん。この趣きを解しえて、はじめて吾《ご》人《じん》の所作は壮烈にもなる、閑雅にもなる、すべての困苦に打ち勝って、胸中一点の無上趣味《*》を満足せしめたくなる。肉体の苦しみを度外に置いて、物質上の不便を物とも思わず、勇猛精進の心を駆って、人道のために、鼎《てい》〓《かく》に烹《に》らる《*》るを面白く思う。もし人情なる狭き立脚地に立って、芸術の定義を下し得るとすれば、芸術は、われ等教育ある士人の胸裏に潜んで、邪を避け正に就《つ》き、曲を斥《しりぞ》け直にくみし、弱を扶《たす》け強を挫《くじ》かねば、どうしても堪えられぬという一念の結晶して、燦《さん》として白日を射返すものである。
芝《しば》居《い》気《ぎ》があると人の行為を笑うことがある。うつくしき趣味を貫かんがために、不必要なる犠牲をあえてするの人情に遠きを嗤《わら》うのである。しぜんにうつくしき性格を発揮するの機会を待たずして、むりやりに自己の趣味観を衒《てら》うの愚を笑うのである。真に個中の消息を解しえたるものの嗤うはその意を得ている。趣味のなにものたるをも心得ぬ下《げ》司《す》下《げ》郎《ろう》の、わが卑《いや》しき心《こころ》根《ね》に比較して他を賤《いや》しむにいたっては許しがたい。昔巌《がん》頭《とう》の吟《ぎん*》を遺《のこ》して、五十丈の飛《ひ》瀑《ばく》を直下して急《きゆう》湍《たん》に赴《おもむ》いた青年がある。余の視《み》るところにては、かの青年は美の一字のために、捨つべからざる命を捨てたるものと思う。死そのものはまことに壮烈である。ただその死を促《うな》がすの動機にいたっては解しがたい。されども死そのものの壮烈をだに体しえざるものが、いかにして藤《ふじ》村《むら》子《し》の所作を嗤い得べき。彼等の壮烈の最後を遂《と》ぐるの情趣を味《あじわ》いえざるがゆえに、たとい正当の事情のもとにも、とうてい壮烈の最後を遂げ得べからざる制限ある点において、藤村子よりは人格として劣等であるから、嗤う権利がないものと余は主張する。
余は画工である。画工であればこそ趣味専門の男として、たとい人情世界に堕在するも、東西両隣りの没風流漢よりも高《こう》尚《しよう》である。社会の一員として優に他を教育すべき地位に立っている。詩なきもの、画なきもの、芸術のたしなみなきものよりは、美くしき所作ができる。人情世界にあって、美くしき所作は正である、義である、直である。正と義と直を行為のうえにおいて示すものは天下の公民の模範である。
しばらく人情界を離れたる余は、少なくともこの旅中に人情界に帰る必要はない。あってはせっかくの旅が無駄になる。人情世界から、じゃりじゃりする砂をふるって、底にあまる、うつくしい金のみを眺《なが》めて暮さなければならぬ。余みずからも社会の一員をもって任じてはおらぬ。純粋なる専門画家として、己《おの》れさえ、纏《てん》綿《めん》たる利害の累《るい》索《さく*》を絶って、優に画布裏に往来している。いわんや山をや水をや他人をや。那美さんの行為動作といえどもただそのままの姿と見るよりほかに致《いた》し方《かた》がない。
三丁ほど上《のぼ》ると、向うに白壁の一《ひと》構《かまえ》が見える。蜜柑のなかの住《すま》居《い》だなと思う。道はまもなく二《ふた》筋《すじ》に切れる。白壁を横に見て左へ折れる時、振り返ったら、下から赤い腰巻をした娘が上《あが》ってくる。腰巻がしだいに尽きて、下から茶色の脛《はぎ》が出る。脛が出切ったら、藁《わら》草《ぞう》履《り》になって、その藁草履がだんだん動いて来る。頭の上に山桜が落ちかかる。背中には光る海を負《しよつ》ている。
岨《そば》道《みち》を登り切ると、山の出鼻の平《たいら》な所へ出た。北側は翠《みど》りを畳む春の蜂で、今朝椽《えん》から仰いだあたりかもしれない。南側には焼野ともいうべき地勢が幅半丁ほど広がって、末は崩《くず》れた崖《がけ》となる。崖の下は今過ぎた蜜柑山で、村を跨《また》いで向《むこう》を見れば、目に入るものは言わずも知れた青《あお》海《うみ》である。
路《みち》は幾筋もあるが、合うては別れ、別れては合うから、どれが本筋とも認められぬ。どれも路である代りに、どれも路でない。草のなかに、黒赤い地が、見えたり隠れたりして、どの筋につながるか見《み》分《わけ》のつかぬところに変化があって面白い。
どこへ腰を据えたものかと、草のなかを遠《おち》近《こち》と徘《はい》徊《かい》する。椽から見たときは画になると思った景色も、いざとなると存外纏《まと》まらない。色もしだいに変ってくる。草《くさ》原《はら》をのそつくうちに、いつしか描《か》く気がなくなった。描かぬとすれば、地位は構わん、どこへでも坐《すわ》った所がわが住居である。染《し》み込んだ春の日が、深く草の根に籠《こも》って、どっかと尻を卸《おろ》すと、目に入らぬ陽《かげ》炎《ろう》を踏み潰《つぶ》したような心持ちがする。
海は足の下に光る。遮《さえ》ぎる雲の一《ひと》片《ひら》さえ持たぬ春の日影は、あまねく水の上を照らして、いつのまにかほとぼりは波の底まで浸《し》み渡ったと思わるるほど暖かに見える。色は一《ひと》刷《は》毛《け》の紺《こん》青《じよう》を平らに流したる所《ところ》々《どころ》に、しろかねの細《さい》鱗《りん》を畳んで濃《こま》やかに動いている。春の日は限りなき天《あめ》が下《した》を照らして、天が下は限りなき水を湛《たた》えたる間には、白き帆が小指の爪《つめ》ほどに見えるのみである。しかもその帆はまったく動かない。往《その》昔《かみ》、入《にゆう》貢《こう》の高《こ》麗《ま》船《ぶね》が遠くから渡ってくるときには、あんなに見えたであろう。そのほかは大《だい》千《せん》世《せ》界《かい*》を極《きわ》めて、照らす日の世、照らさるる海の世のみである。
ごろりと寐る。帽子が額をすべって、やけに阿《あ》弥《み》陀《だ》となる。所々の草を一、二尺抽《ぬ》いて、木《ぼ》瓜《け》の小《こ》株《かぶ》が茂っている。余が顔はちょうどその一つの前に落ちた。木瓜は面白い花である。枝は頑《がん》固《こ》で、かつて曲ったことがない。そんなら真《まつ》直《すぐ》かというと、決して真直でもない。ただ真直な短かい枝に、真直な短かい枝が、ある角度で衝突して、斜《しや》に構えつつ全体ができ上っている。そこへ、紅《べに》だか白だか要領を得ぬ花が安閑と咲く。柔かい葉さえちらちら着ける。評してみると木瓜は花のうちで、愚かにして悟ったものであろう。世間には拙《せつ》を守るという人がある。この人が来世に生れ変ると、きっと木瓜になる。余も木瓜になりたい。
子供のうち花の咲いた、葉のついた木瓜を切って、面白く枝《えだ》振《ぶり》を作って、筆架をこしらえたことがある。それへ二銭五厘の水《すい》筆《ひつ*》を立てかけて、白い穂が花と葉の間から、隠見するのを机へ載せて楽んだ。その日は木瓜の筆架ばかり気にして寐た。あくる日、目が覚《さ》めるやいなや、飛び起きて、机の前へ行って見ると、花は萎《な》え葉は枯れて、白い穂だけが元のごとく光っている。あんなに奇麗なものが、どうして、こう一晩のうちに、枯れるだろうと、その時は不審の念に堪えなかった。今思うとその時分のほうがよほど出世間的である。
寐るやいなや目についた木瓜は二十年来の旧知己である。見詰めているとしだいに気が遠くなって、いい心持ちになる。また詩興が浮ぶ。
寐ながら考える。一句を得るごとに写《しや》生《せい》帖《ちよう》に記してゆく。しばらくしてでき上ったようだ。はじめから読み直して見る。
出《いデテ》レ門《 ヲ》多《 シ》二所《しよ》思《し》一。春風吹《 ク》二吾 《わが》衣《ころもヲ》一。芳《はう》草《さう》生《 ズ》二車《しや》轍《てつニ》一。廃《はい》道《だう》入《 リテ》レ 霞 《かすみニ》微《かすかナリ》。 停《とどメテ》レ〓 《つゑヲ》而矚 《しよく》目《もくス》。万象帯《 ブ》二晴《せい》暉《きヲ》一。聴《きキ》二黄 《くわう》鳥 《てうノ》宛《ゑん》転《てんヲ》一。観《みル》二落英《ノ》紛《ふん》霏《ぴヲ》一。行《 キ》尽 《 クシテ》平《へい》蕪《ぶ》遠《 シ》。題《 ス》レ詩《 ヲ》古寺《 ノ》扉《ひ》。孤《こ》愁《しう》高《シ》二雲際《ニ》一。大《だい》空《くう》断《だん》鴻《こう》帰《 ル》。寸心何《 ゾ》窈《えう》窕《てう》。縹《へう》渺《べう》忘《 ル》二是非《 ヲ》一。三十我 欲《ほつス》レ老《おイント》。韶《せう》光 《くわう》猶《なほ》依《い》依《いタリ》。逍《せう》遥《えう》随《ツテ》レ物《 ニ》化《 ス》。悠《いう》然《ぜん》対《  ス》二芬《ふん》菲《ぴニ*》一。
ああできた、できた。これでできた。寐ながら木瓜を観《み》て、世の中を忘れている感じがよく出た。木瓜が出なくっても、海が出なくっても、感じさえ出ればそれで結構である、と唸《うな》りながら、喜んでいると、エヘンという人間の咳《せき》払《ばらい》が聞えた。こいつは驚いた。
寐返りをして、声の響いた方を見ると、山の出鼻を回って、雑《ぞう》木《き》の間から、一人の男があらわれた。
茶の中折れを被《かぶ》っている。中折れの形は崩《くず》れて、傾く縁《へり》の下から目が見える。目の恰《かつ》好《こう》はわからんが、たしかにきょろきょろときょろつくようだ。藍《あい》の縞《しま》物《もの》の尻《しり》を端《はし》折《よ》って、素足に下駄がけの出《い》で立《た》ちは、なんだか鑑定がつかない。野生の髯《ひげ》だけで判断するとまさに野武士の価値はある。
男は岨道を下りるかと思いのほか、曲り角からまた引き返した。もと来た路へ姿をかくすかと思うと、そうでもない。またあるき直してくる。この草原を、散歩する人のほかに、こんなに行きつ戻《もど》りつするものはないはずだ。しかしあれが散歩の姿であろうか。またあんな男がこの近辺に住んでいるとも考えられない。男は時々立ち留《どま》る。首を傾ける。または四方を見《み》回《みま》わす。大いに考え込むようにもある。人を待ち合せるふうにも取られる。なんだかわからない。
余はこの物騒な男から、ついにわが目をはなすことができなかった。別に恐しいでもない。また画にしようという気も出ない。ただ目をはなすことができなかった。右から左、左から右と、男に添うて、目を働かせているうちに、男ははたと留った。留るとともに、またひとりの人物が、余が視界に点出された。
二人は双方で互に認識したように、しだいに双方から近付いて来る。余が視界はだんだん縮まって、原の真《まん》中《なか》で一点の狭き間に畳《たた》まれてしまう。二人は春の山を背に、春の海を前に、ぴたりと向き合った。
男はむろん例の野武士である。相手は? 相手は女である。那美さんである。
余は奈美さんの姿を見た時、すぐ今朝の短刀を連想した。もしや懐《ふところ》に呑《の》んでおりはせぬかと思ったら、さすが非人情の余もただ、ひやりとした。
男女は向き合うたまま、しばらくは、同じ態度で立っている。動く景色は見えぬ。口は動かしているかもしれんが、言葉はまるで聞えぬ。男はやがて首を垂れた。女は山の方を向く。顔は余の目に入らぬ。
山では鶯《うぐいす》が啼《な》く。女は鶯に耳を借《か》しているとも見える。しばらくすると、男がきっと、垂れた首を挙《あ》げて、半ば踵《くびす》を回《めぐ》らしかける。尋常のさまではない。女はさっと体《たい》を開いて、海の方へ向き直る。帯の間から頭を出しているのは懐剣らしい。男は昂《こう》然《ぜん》として、行きかかる。女は二《ふた》足《あし》ばかり、男の踵を縫うて進む。女は草履ばきである。男の留ったのは、呼び留められたのか。振り向く瞬間に女の右《め》手《て》は帯の間へ落ちた。あぶない!
するりと抜け出たのは、九寸五分かと思いのほか、財《さい》布《ふ》のような包み物である。差し出した白い手の下から長い紐《ひも》がふらふらと春《しゆん》風《ぷう》に揺れる。
片足を前に、腰から上を少しそらして、差し出した、白い手《て》頸《くび》に、紫の包。これだけの姿勢で十分画にはなろう。
紫でちょっと切れた図面が、二、三寸の間隔をとって、振り返る男の体のこなし具合で、うまい按《あん》排《ばい》につながれている。不即不離とはこの刹《せつ》那《な》の有《あり》様《さま》を形容すべき言葉と思う。女は前を引く態度で、男は後《しり》えに引かれた様子だ。しかもそれが実際に引いてもひかれてもおらん。両者の縁は紫の財布の尽くるところで、ふつりと切れている。
二人の姿勢がかくのごとく美妙な調和を保っていると同時に、両者の顔と、衣服にはあくまで、対照が認められるから、画として見るといっそうの興味が深い。
背のずんぐりした、色黒の、髯づらと、くっきり締った細《ほそ》面《おもて》に、襟《えり》の長い、撫《なで》肩《がた》の、華《きや》奢《しや》姿《すがた》。ぶっきら棒に身をひねった下駄がけの野武士と、不《ふ》断《だん》着《ぎ》の銘《めい》仙《せん》さえしなやかに着こなしたうえ、腰から上を、おとなしく反り身に控えたる痩《やさ》形《すがた》。はげた茶帽子に、藍《あい》縞《じま》の尻《しり》切《き》り出《で》立《だ》ちと、陽《かげ》炎《ろう》さえ燃やすべき櫛《くし》目《め》の通った鬢《びん》の色に、黒《くろ》繻《じゆ》子《す》のひかる奥から、ちらりと見せた帯《おび》上《あげ》の、なまめかしさ。すべてが好画題である。
男は手を出して財布を受け取る。引きつ引かれつ巧みに平均を保ちつつあった二人の位置はたちまち崩れる。女はもう引かぬ、男は引かりょうともせぬ。心的状態が絵を構成するうえに、かほどの影響を与えようとは、画家ながら、今まで気がつかなかった。
二人は左右へ別れる。双方に気《き》合《あい》がないから、もう画としては、支離滅裂である。雑木林の入口で男は一度振り返った。女は後をも見ぬ。すらすらと、こちらへ歩行《あるい》てくる。やがて余の真正面まで来て、
「先生、先生」
と二《ふた》声《こえ》掛けた。これはしたり、いつ目《め》付《つ》かったろう。
「なんです」
と余は木瓜の上へ顔を出す。帽子は草原へ落ちた。
「なにをそんな所でしていらっしゃる」
「詩を作って寐ていました」
「うそを仰《おつ》しゃい。今のを御覧でしょう」
「今の? 今の、あれですか。ええ。少々拝見しました」
「ホホホホ少々でなくても、たくさん御覧なさればいいのに」
「実のところはたくさん拝見しました」
「それ御覧なさい。まあちょっと、こっちへ出ていらっしゃい。木瓜の中から出ていらっしゃい」
余は唯《い》々《い》として木瓜の中から出て行く。
「まだ木瓜の中に御用があるんですか」
「もうないんです。帰ろうかとも思うんです」
「それじゃ御いっしょに参りましょうか」
「ええ」
余は再び唯々として、木瓜の中に退いて、帽子を被り、絵の具箱を纏《まと》めて、那美さんといっしょにあるきだす。
「画をお描きになったの」
「やめました」
「ここへいらしって、まだ一枚もお描きなさらないじゃありませんか」
「ええ」
「でもせっかく画をかきにいらしって、ちっともおかきなさらなくっちゃ、詰りませんわね」
「なに詰ってるんです」
「おやそう。なぜ?」
「なぜでも、ちゃんと詰まるんです。画なんぞ描いたって、描かなくたって、詰るところは同じことでさあ」
「そりゃ洒《しや》落《れ》なの、ホホホホずいぶん呑《のん》気《き》ですねえ」
「こんな所へくるからには、呑気にでもしなくっちゃ、来た甲《か》斐《い》がないじゃありませんか」
「なあにどこにいても、呑気にしなくっちゃ生きている甲斐はありませんよ。私なんぞは、今のようなところを人に見られても恥かしくもなんとも思いません」
「思わんでもいいでしょう」
「そうですかね。あなたは今の男をいったいなんだとお思いです」
「そうさな。どうもあまり金持ちじゃありませんね」
「ホホホ善《よ》く中《あた》りました。あなたは占いの名人ですよ。あの男は、貧乏して、日本にいられないからって、私にお金を貰《もら》いに来たのです」
「へえ、どこから来たのです」
「城下から来ました」
「ずいぶん遠方から来たもんですね。それで、どこへ行くんですか」
「なんでも満州へ行くそうです」
「なにしに行くんですか」
「なにしに行くんですか。お金を拾いに行くんだか、死にに行くんだか、分りません」
この時余は目をあげて、ちょと女の顔を見た。今結んだ口元には、かすかなる笑《わらい》の影が消えかかりつつある。意味は解《げ》せぬ。
「あれは、わたくしの亭《てい》主《しゆ》です」
迅《じん》雷《らい》耳を掩《おお》うに遑《いとま》あらず《*》、女は突然として一《ひと》太《た》刀《ち》浴《あ》びせかけた。余はまったく不《ふ》意《い》撃《うち》を喰《く》った。むろんそんなことを聞く気はなし、女も、よもや、ここまで曝《さら》け出そうとは考えていなかった。
「どうです。驚ろいたでしょう」と女が言う。
「ええ、少々驚ろいた」
「今の亭主じゃありません。離縁された亭主です」
「なるほど、それで……」
「それぎりです」
「そうですか。――あの蜜柑山に立派な白壁の家《うち》がありますね。ありゃ、いい地位にあるが、誰の家なんですか」
「あれが兄の家です。帰《かえ》り路《みち》にちょっと寄って、行きましょう」
「用でもあるんですか」
「ええちょっと頼まれものがあります」
「いっしょに行きましょう」
岨道の登り口へ出て、村へ下りずに、すぐ、右に折れて、また一丁ほどを登ると、門がある。門から玄関へかからずに、すぐ庭口へ回る。女が無遠慮につかつか行くから、余も無遠慮につかつか行く。南向きの庭に、棕《しゆ》梠《ろ》が三、四本あって、土《ど》塀《べい》の下はすぐ蜜《み》柑《かん》畠《ばたけ》である。
女はすぐ、椽《えん》鼻《ばな》へ腰をかけて、言う。
「いい景色だ。御覧なさい」
「なるほど、いいですな」
障子のうちは、静かに人の気合もせぬ。女は音なう景色もない。ただ腰をかけて、蜜柑畠を見下して平気でいる。余は不思議に思った。元来なんの用があるのかしら。
しまいには話もないから、両方とも無言のままで蜜柑畠を見下している。午《ご》に逼《せま》る太陽は、まともに暖かい光線を、山一面にあびせて、目に余る蜜柑の葉は、葉裏まで、蒸《む》し返されて耀《かが》やいている。やがて、裏の納屋の方で、鶏が大きな声を出して、こけこっこううと鳴く。
「おやもう。お午《ひる》ですね。用事を忘れていた。――久《きゆう》一《いち》さん、久一さん」
女は及び腰になって、立て切った障子を、からりと開《あ》ける。内は空《むな》しき十畳敷に、狩《か》野《のう》派《は》の双《そう》幅《ふく*》が空しく春の床を飾っている。
「久一さん」
納屋の方でようやく返事がする。足音が襖《ふすま》の向《むこう》でとまって、からりと、開くが早いか、白鞘の短刀が畳の上へ転《ころ》がり出す。
「そら御伯父《おじ》さんの餞《せん》別《べつ》だよ」
帯の間に、いつ手がはいったか、余は少しも知らなかった。短刀は二、三度とんぼ返りを打って、静かな畳の上を、久一さんの足《あし》下《もと》へ走る。作りがゆるすぎたとみえて、ぴかりと、寒いものが一寸ばかり光った。
十三
川《かわ》舟《ふね》で久《きゆう》一《いち》さんを吉《よし》田《だ》の停車場《ステーシヨン》まで見送る。舟のなかに坐ったものは、送られる久一さんと、送る老人と、那《な》美《み》さんと、那美さんの兄さんと、荷物の世話をする源《げん》兵《べ》衛《え》と、それから余である。余はむろんお招伴にすぎん。
お招伴でも呼ばれれば行く。なんの意味だか分らなくても行く。非人情の旅に思慮は入らぬ。舟は筏《いかだ》に縁をつけたように、底が平たい。老人を中に、余と那美さんが艫《とも》、久一さんと、兄さんが、舳《みよし》に座をとった。源兵衛は荷物とともに独《ひと》り離れている。
「久一さん、軍《いく》さは好きか嫌《きら》いかい」と那美さんが聞く。
「出てみなければ分らんさ。苦しいこともあるだろうが、愉快なことも出て来るんだろう」
と戦争を知らぬ久一さんが言う。
「いくら苦しくっても、国家のためだから」と老人が言う。
「短刀なんぞ貰《もら》うと、ちょっと戦争に出てみたくなりゃしないか」と女がまた妙なことを聞く。久一さんは、
「そうさね」
と軽《かろ》く首肯《うけが》う。老人は髯《ひげ》を掀《かか》げて《*》笑う。兄さんは知らぬ顔をしている。
「そんな平気なことで、軍さができるかい」と女は、委細構わず、白い顔を久一さんの前へ突き出す。久一さんと、兄さんがちょっと目を見合せた。
「那美さんが軍人になったらさぞ強かろう」兄さんが妹に話しかけた第一の言葉はこれである。語調から察すると、ただの冗《じよう》談《だん》ともみえない。
「わたしが? わたしが軍人? わたしが軍人になれりゃとうになっています。今ごろは死んでいます。久一さん。お前も死ぬがいい。生きて帰っちゃ外聞がわるい」
「そんな乱暴なことを――まあまあ、目《め》出《で》度《た》凱《がい》旋《せん》をして帰って来てくれ。死ぬばかりが国家のためではない。わしもまだ二、三年は生きるつもりじゃ。まだ逢《あ》える」
老人の言葉の尾を長く手《た》繰《ぐる》と、尻《しり》が細くなって、末は涙の糸になる。ただ男だけにそこまではだまを出さない《*》。久一さんはなにも言わずに、横を向いて、岸の方を見た。
岸には大きな柳がある。下に小さな舟を繋《つな》いで、一人の男がしきりに垂《い》綸《と》を見詰めている。一行の舟が、ゆるく波足を引いて、その前を通った時、この男はふと顔をあげて、久一さんと目を見合わせた。目を見合せた両人《ふたり》のあいだにはなんらの電気も通わぬ。男は魚《さかな》のことばかり考えている。久一さんの頭のなかには一《いち》尾《び》の鮒《ふな》も宿る余地がない。一行の舟は静かに太《たい》公《こう》望《ぼう》の前を通り越す。
日本橋を通る人の数は、一分に何百か知らぬ。もし橋《きよう》畔《はん》に立って、行く人の心に蟠《わだか》まる葛《かつ》藤《とう》を一々に聞きえたならば、浮世は目《めま》眩《ぐる》しくて生きづらかろう。ただ知らぬ人で逢い、知らぬ人でわかれるから結句日本橋に立って、電車の旗を振る志願者も出て来る。太公望が、久一さんの泣きそうな顔に、なんらの説明をも求めなかったのは幸である。顧《かえ》り見《み》ると、安心して浮《う》標《き》を見詰めている。おおかた日露戦争が済むまで見詰める気だろう。
川幅はあまり広くない。底は浅い。流れはゆるやかである。舷《ふなばた》に倚《よ》って、水の上を滑《すべ》って、どこまで行くか、春が尽きて、人が騒いで、鉢《は》ち合《あわ》せをしたがるところまで行かねば已《や》まぬ。腥《なまぐさ》き一点の血を眉《み》間《けん》に印《いん》したるこの青年は、余《よ》等《ら》一行を容赦なく引いて行く。運命の縄《なわ》はこの青年を遠き、暗き、物《もの》凄《すご》き北の国まで引くがゆえに、ある日、ある月、ある年の因果に、この青年と絡《から》み付けられたる吾《われ》等《ら》は、その因果の尽くるところまでこの青年に引かれて行かねばならぬ。因果の尽くるとき、彼と吾等のあいだにふっと音がして、彼一人は否《いや》応《おう》なしに運命の手元まで手繰り寄せらるる。残る吾等も否応なしに残らねばならぬ。頼んでも、もがいても、引いていてもらうわけにはゆかぬ。
舟は面白いほどやすらかに流れる。左右の岸には土筆《つくし》でも生えておりそうな。土《ど》堤《て》の上には柳が多く見える。まばらに、低い家がその間から藁《わら》屋《や》根《ね》を出し、煤《すす》けた窓を出し。時によると白い家鴨《あひる》を出す。家鴨はがあがあと鳴いて川の中まで出て来る。
柳と柳の間に的《てき》〓《れき*》と光るのは白《しろ》桃《もも》らしい。とんかたんと機《はた》を織る音が聞える。とんかたんの絶《たえ》間《ま》から女の唄《うた》が、はああい、いようう――と水の上まで響く。なにを唄うのやらいっこう分らぬ。
「先生、わたくしの画をかいてくださいな」と那美さんが注文する。久一さんは兄さんと、しきりに軍隊の話をしている。老人はいつか居眠りをはじめた。
「書いてあげましょう」と写《しや》生《せい》帖《ちよう》を取り出して、
春 風 に そ ら 解《ど》 け 繻《しゆ》 子《す》 の 銘 は 何
と書いてみせる。女は笑いながら、
「こんな一《ひと》筆《ふで》がきでは、いけません。もっと私の気象の出るように、丁《てい》寧《ねい》にかいてください」
「わたしもかきたいのだが、どうも、あなたの顔はそれだけじゃ画にならない」
「御《ご》挨《あい》拶《さつ》ですこと。それじゃ、どうすれば画になるんです」
「なに今でも画にできますがね。ただ少し足りないところがある。それが出ないところをかくと、惜しいですよ」
「足りないたって、持って生まれた顔だから仕方がありませんわ」
「持って生まれた顔はいろいろになるものです」
「自分のかってにですか」
「ええ」
「女だと思って、人をたんと馬鹿になさい」
「あなたが女だから、そんな馬鹿を言うのですよ」
「それじゃ、あなたの顔をいろいろにして見せてちょうだい」
「これほど毎日いろいろになってればたくさんだ」
女は黙って向《むこう》をむく。川《かわ》縁《べり》はいつか、水とすれすれに低く着いて、見渡す田のもは、一面のげんげん《*》で埋《うずま》っている。鮮《あざ》やかな紅《べに》の滴々が、いつの雨に流されてか、半分溶けた花の海は霞《かすみ》のなかに果《はて》しなく広がって、見上げる半空には崢《そう》〓《こう*》たる一峰が半腹からほのかに春の雲を吐いている。
「あの山の向うを、あなたは越していらしった」と女が白い手を舷《ふなばた》から外へ出して、夢のような春の山を指す。
「天《てん》狗《ぐ》岩《いわ》はあの辺ですか」
「あの翠《みどり》の濃い下の、紫に見える所がありましょう」
「あの日影の所ですか」
「日影ですかしら。禿げてるんでしょう」
「なあに凹《くぼ》んでるんですよ。禿げていりゃ、もっと茶に見えます」
「そうでしょうか。ともかく、あの裏あたりになるそうです」
「そうすると、七《なな》曲《まが》りはもう少し左になりますね」
「七曲りは、向うへ、ずっと外《そ》れます。あの山のまた一つさきの山ですよ」
「なるほどそうだった。しかし見当からいうと、あのうすい雲が懸《かか》ってるあたりでしょう」
「ええ、方角はあの辺です」
居《い》眠《ねむり》をしていた老人は、舷《こべり》から、肘《ひじ》を落して、ほいと目をさます。
「まだ着かんかな」
胸《きよう》膈《かく》を前へ出して、右の肘の後ろへ張って、左手を真《まつ》直《すぐ》に伸《の》して、ううんと欠《の》伸《び》をするついでに、弓を攣《ひ》く真《ま》似《ね》をして見せる。女はホホホと笑う。
「どうもこれが癖で、……」
「弓がお好《すき》とみえますね」と余も笑いながら尋ねる。
「若いうちは七分五厘まで引きました。押しは存外今でもたしかです」と左の肩《かた》を叩いて見せる。舳《へさき》では戦争談が酣《たけなわ》である。
舟はようやく町らしいなかへはいる。腰障子に御《おん》肴《さかな》と書いた居酒屋が見える。古風な縄《なわ》暖《の》簾《れん》が見える。材木の置場が見える。人力車の音さえ時々聞える。乙《つば》鳥《くろ》がちちと腹を返して飛ぶ。家鴨ががあがあ鳴く。一行は舟を捨てて停車場《ステーシヨン》に向う。
いよいよ現実世界へ引きずり出された。汽車の見える所を現実世界という。汽車ほど二十世紀の文明を代表するものはあるまい。何百という人間を同じ箱へ詰めて轟《ごう》と通る。情け容赦はない。詰め込まれた人間は皆同程度の速力で、同一の停車場へとまって、そうして、同様に蒸気の恩沢に浴さねばならぬ。人は汽車へ乗るという。余は積み込まれるという。人は汽車で行くという。余は運搬されるという。汽車ほど個性を軽《けい》蔑《べつ》したものはない。文明はあらゆるかぎりの手段をつくして、個性を発達せしめたる後、あらゆるかぎりの方法によってこの個性を踏み付けようとする。一《ひと》人《り》前《まえ》何坪何合かの地面を与えて、この地面のうちでは寐るとも起きるともかってにせよというのが現今の文明である。同時にこの何坪何合の周囲に鉄《てつ》柵《さく》を設けて、これよりさきへは一歩も出てはならぬぞと威《お》嚇《ど》かすのが現今の文明である。何坪何合のうちで自由を擅《ほしいまま》にしたものが、この鉄柵外にも自由を擅にしたくなるのは自然の勢《いきおい》である。憐《あわれ》むべき文明の国民は日夜この鉄柵に噛《か》み付いて咆《ほう》哮《こう》している。文明は個人に自由を与えて虎《とら》のごとく猛《たけ》からしめたる後、これを檻《かん》穽《せい》の内に投げ込んで、天下の平和を維持しつつある。この平和は真の平和ではない。動物園の虎が見物人を睨《にら》めて、寐転んでいると同様な平和である。檻《おり》の鉄棒が一本でも抜けたら――世はめちゃめちゃになる。第二のフランス革命はこの時に起るのであろう。個人の革命は今すでに日夜に起りつつある。北欧の偉人イブセンはこの革命の起るべき状態についてつぶさにその例証を吾《ご》人《じん》に与えた。余は汽車の猛烈に、見《み》界《さかい》なく、すべての人を貨物同様に心得て走るさまを見るたびに、客車のうちに閉じ籠《こ》められたる個人と、個性に寸《すん》毫《ごう》の注意をだに払わざるこの鉄車とを比較して、――あぶない、あぶない。気を付けねばあぶないと思う。現代の文明はこのあぶないで鼻を衝《つ》かれるくらい充満している。おさき真《まつ》闇《くら》に盲動する汽車はあぶない標本の一つである。
停車場《ステ ーシヨン》前の茶店に腰を下ろして、蓬《よもぎ》餅《もち》を眺めながら汽車論を考えた。これは写生帖へかくわけにもゆかず、人に話す必要もないから、だまって、餅を食いながら茶を飲む。
向うの床几には二人かけている。等しく草鞋《わらじ》穿《ば》きで、一人は赤《あか》毛布《ゲツト》、一人は千《ち》草《くさ》色《いろ*》の股《もも》引《ひき》の膝《ひざ》頭《がしら》に継《つ》布《ぎ》をあてて、継布のあたったところを手で抑《おさ》えている。
「やっぱり駄目かね」
「駄目さあ」
「牛のように胃袋が二つあると、いいなあ」
「二つあれば申し分はなえさ、一つが悪るくなりゃ、切ってしまえば済むから」
この田舎者は胃病とみえる。彼等は満州の野に吹く風の臭《にお》いも知らぬ。現代文明の弊をも見《み》認《と》めぬ。革命とはいかなるものか、文字さえ聞いたこともあるまい。あるいは自己の胃袋が一つあるか二つあるかそれすら弁じえんだろう。余は写生帖を出して、二人の姿を描き取った。
じゃらんじゃらんと号《ベ》鈴《ル》が鳴る。切符はすでに買うてある。
「さあ、行《い》きましょ」と那美さんが立つ。
「どうれ」と老人も立つ。一行は揃《そろ》って改《かい》札《さつ》場《ば》を通り抜けて、プラットフォームへ出る。号鈴がしきりに鳴る。
轟と音がして、白く光る鉄路の上を、文明の長《ちよう》蛇《だ》が蜿《のた》蜒《くつ》て来る。文明の長蛇は口から黒い烟《けむり》を吐く。
「いよいよお別《わ》かれか」と老人が言う。
「それでは御《ご》機《き》嫌《げん》よう」と久一さんが頭を下げる。
「死んでおいで」と那美さんが再び言う。
「荷物は来たかい」と兄さんが聞く。
蛇は吾《われ》々《われ》の前でとまる。横腹の戸がいくつもあく。人が出たり、はいったりする。久一さんは乗った。老人も兄さんも、那美さんも、余もそとに立っている。車輪が一つ回れば久一さんはすでに吾等が世の人ではない。遠い、遠い世界へ行ってしまう。その世界では烟《えん》硝《しよう》の臭いのなかで、人が働いている。そうして赤いもの《*》に滑《すべ》って、むやみに転《ころ》ぶ。空では大きな音がどどんどどんという。これからそういう所へ行く久一さんは車のなかに立って無言のまま、吾々を眺めている。吾々を山の中から引き出した久一さんと、引き出された吾々の因果はここで切れる。もうすでに切れかかっている。車の戸と窓があいているだけで、お互の顔が見えるだけで、行く人と留《とど》まる人の間が六尺ばかり隔っているだけで、因果はもう切れかかっている。
車掌が、ぴしゃりぴしゃりと戸を閉《た》てながら、こちらへ走って来る。一つ閉てるごとに、行く人と、送る人の距離はますます遠くなる。やがて久一さんの車室の戸もぴしゃりとしまった。世界はもう二つに為《な》った。老人は思わず窓《まど》側《ぎわ》へ寄る。青年は窓から首を出す。
「あぶない。出ますよ」と言う声の下から、未練のない鉄車の音がごっとりごっとりと調子を取って動きだす。窓は一つ一つ、余《われ》等《われ》の前を通る。久一さんの顔が小さくなって、最後の三等列車が、余の前を通るとき、窓の中から、また一つ顔が出た。
茶色のはげた中折帽の下から、髯だらけな野武士が名《な》残《ご》り惜《おし》気《げ》に首を出した。そのとき、那美さんと野武士は思わず顔を見合せた。鉄車はごとりごとりと運転する。野武士の顔はすぐ消えた。那美さんは茫《ぼう》然《ぜん》として、行く汽車を見送る。その茫然のうちには不思議にも今までかつて見たことのない「憐《あわ》れ」が一面に浮いている。
「それだ! それだ! それが出れば画になりますよ」と余は那美さんの肩を叩《たた》きながら小声に言った。余が胸中の画面はこの咄《とつ》嗟《さ》の際に成《じよう》就《じゆ》したのである。
二百十日
ぶらりと両手を垂《さ》げたまま、圭《けい》さん《*》がどこからか帰って来る。
「どこへ行ったね」
「ちょっと、町を歩《あ》行《る》いてきた」
「なにか観《み》るものがあるかい」
「寺が一軒あった」
「それから」
「銀杏《いちよう》の樹《き》が一本、門前にあった」
「それから」
「銀杏の樹から本堂まで、一丁半ばかり、石が敷き詰めてあった。非常に細長い寺だった」
「はいってみたかい」
「やめて来た」
「そのほかになにもないかね」
「べつだんなにもない。いったい、寺というものはたいがいの村にはあるね、君」
「そうさ、人間の死ぬところには必ずあるはずじゃないか」
「なるほどそうだね」と圭さん、首を捻《ひね》る。圭さんは時々妙なことに感心する。しばらくして、捻ねった首を真直《まつすぐ》にして、圭さんがこう言った。
「それから鍛《か》冶《じ》屋《や》の前で、馬の沓《くつ》を替えるところを見てきたが実に巧みなものだね」
「どうも寺だけにしては、ちと、時間が長すぎると思った。馬の沓がそんなに珍らしいかい」
「珍らしくなくっても、見たのさ。君、あれに使う道具がいくとおりあると思う」
「いくとおりあるかな」
「あててみたまえ」
「あてなくっても好《い》いから教えるさ」
「なんでも七つばかりある」
「そんなにあるかい。なんとなんだい」
「なんとなんだって、たしかにあるんだよ。第一爪《つめ》をはがす鑿《のみ》と、鑿を敲《たた》く槌《つち》と、それから爪を削る小刀《こがたな》と、爪を刳《えぐ》る妙なものと、それから……」
「それからなにがあるかい」
「それから変なものが、まだいろいろあるんだよ。第一馬の大人《おとな》しいには驚ろいた。あんなに、削られても、刳られても平気でいるぜ」
「爪だもの。人間だって、平気で爪を剪《き》るじゃないか」
「人間はそうだが馬だぜ、君」
「馬だって、人間だって爪に変りはないやね。君はよっぽど呑《のん》気《き》だよ」
「呑気だから見ていたのさ。しかし薄暗い所で赤い鉄を打つと奇麗だね。ぴちぴち火花が出る」
「出るさ、東京の真中でも出る」
「東京の真中でも出ることは出るが、感じが違うよ。こういう山の中の鍛冶屋は第一、音から違う。そら、ここまで聞えるぜ」
初《はつ》秋《あき》の日《ひ》脚《あし》は、うそ寒く、遠い国の方へ傾いて、淋《さび》しい山里の空気が、心細い夕暮れを促《うな》がすなかに、かあんかあんと鉄を打つ音がする。
「聞えるだろう」と圭さんが言う。
「うん」と碌《ろく》さんは答えたぎり黙《もく》然《ねん》としている。隣りの部屋でなんだか二人しきりに話をしている。
「そこで、その、相手が竹刀《しない》を落したんだあね。すると、その、ちょいと、小手を取ったんだあね」
「ふうん。とうとう小手を取られたのかい」
「とうとう小手を取られたんだあね。ちょいと小手を取ったんだが、そこがそら、竹刀を落したものだから、どうにも、こうにもしようがないやあね」
「ふうん。竹刀を落したのかい」
「竹刀は、そら、さっき、落してしまったあね」
「竹刀を落してしまって、小手を取られたら困るだろう」
「困らああね。竹刀も小手も取られたんだから」
二人の話はどこまでいっても竹刀と小手で持ち切っている。黙然として、対座していた圭さんと碌さんは顔を見合わして、にやりと笑った。
かあんかあんと鉄を打つ音が静かな村へ響き渡る。癇《かん》走《ばし》ったうえになんだか心細い。
「まだ馬の沓を打ってる。なんだか寒いね、君」と圭さんは白い浴衣《ゆかた》の下で堅くなる。碌さんも同じく白地の単衣《ひとえ》の襟《えり》をかき合せて、だらしのない膝《ひざ》頭《がしら》を行儀よく揃《そろ》える。やがて圭さんが言う。
「僕の小供の時住んでた町の真中に、一軒豆《とう》腐《ふ》屋《や》があってね《*》」
「豆腐屋があって?」
「豆腐屋があって、その豆腐屋の角《かど》から一丁ばかり爪《つま》先《さき》上《あ》がりに上がると寒《かん》磬《けい》寺《じ*》というお寺があってね」
「寒磬寺というお寺がある?」
「ある。今でもあるだろう。門前から見るとただ大《おお》竹《たけ》藪《やぶ》ばかり見えて、本堂も庫《く》裏《り》もないようだ。そのお寺で毎朝四時ごろになると、誰だか鉦《かね》を敲《たた》く《*》」
「誰だか鉦を敲くって、坊主が敲くんだろう」
「坊主だかなんだか分らない。ただ竹の中でかんかんとかすかに敲くのさ。冬の朝なんぞ、霜が強く降って、布団《ふとん》のなかで世の中の寒さを一、二寸の厚さに遮《さえ》ぎって聞いていると、竹藪のなかから、かんかん響いてくる。誰が敲くのだか分らない。僕は寺の前を通るたびに、長い石《いし》甃《だたみ》と、倒れかかった山門と、山門を埋《うず》めつくすほどな大竹藪を見るのだが、一度も山門のなかを覗《のぞ》いたことがない。ただ竹藪のなかで敲く鉦の音だけを聞いては、夜具の裏《うち》で海《え》老《び》のようになるのさ」
「海老のようになるって?」
「うん。海老のようになって、口のうちで、かんかん、かんかんと言うのさ」
「妙だね」
「すると、門前の豆腐屋がきっと起きて、雨戸を明ける。ぎっぎっと豆を臼《うす》で挽《ひ》く音がする。ざあざあと豆腐の水を易《か》える音がする」
「君の家《うち》はぜんたいどこにあるわけだね」
「僕のうちは、つまり、そんな音が聞える所にあるのさ」
「だから、どこにあるわけだね」
「すぐ傍《そば》さ」
「豆腐屋の向《むこう》か、隣りかい」
「なに二階さ」
「どこの」
「豆腐屋の二階さ」
「へええ。そいつは……」と碌さん驚ろいた。
「僕は豆腐屋の子だよ」
「へええ。豆腐屋かい」と碌さんは再び驚ろいた。
「それから垣《かき》根《ね》の朝顔が、茶色に枯れて、引っ張るとがらがら鳴る時分、白い靄《もや》が一面に降りて、町の外れの瓦《ガ》斯《ス》燈《とう》に灯《ひ》がちらちらすると思うとまた鉦が鳴る。かんかん竹の奥で冴《さ》えて鳴る。それから門前の豆腐屋がこの鉦を合図に、腰障子をはめる」
「門前の豆腐屋というが、それが君のうちじゃないか」
「僕のうち、すなわち門前の豆腐屋が腰障子をはめる。かんかんという声を聞きながら僕は二階へ上がって布団を敷いて寐《ね》る。――僕のうちの吉《よし》原《はら》揚《あげ*》は旨《うま》かった。近所で評判だった」
隣り座敷の小手と竹刀は双方とも大人しくなって、向うの椽《えん》側《がわ》では、六十余りの肥《ふと》った爺《じい》さんが、丸い背を柱にもたして、胡座《あぐら》のまま、毛抜きで顋《あご》の髯《ひげ》を一本一本に抜いている。髯の根をうんと抑《おさ》えて、ぐいと抜くと、毛《け》抜《ぬき》は下は弾《は》ね返り、顋は上へ反《そ》り返る。まるで器械のように見える。
「あれは何《いく》日《か》掛《かか》ったら抜けるだろう」と碌さんが圭さんに質問をかける。
「一生懸命にやったら半日ぐらいで済むだろう」
「そうはいくまい」と碌さんが反対する。
「そうかな。じゃ一日《いちんち》かな」
「一日や二日《ふつか》で奇麗に抜けるならわけはない」
「そうさ、ことによると一週間もかかるかね。見たまえ、あの丁《てい》寧《ねい》に顋を撫《な》で回しながら抜いてるのを」
「あれじゃ。古いのを抜いちまわないうちに、新しいのが生えるかもしれないね」
「とにかく痛いことだろう」と圭さんは話頭を転じた。
「痛いに違いないね。忠告してやろうか」
「なんて」
「よせってさ」
「よけいなことだ。それより何日掛ったら、みんな抜けるか聞いてみようじゃないか」
「うん、よかろう。君が聞くんだよ」
「僕はいやだ、君が聞くのさ」
「聞いても好いが詰まらないじゃないか」
「だから、まあ、よそうよ」と圭さんは自己の申し出しを惜《おし》気《げ》もなく撤回した。
一度途切れた村鍛冶の音は、今日山里に立つ秋を、幾《いく》重《え》の稲《いな》妻《ずま》に砕くつもりか、かあんかあんと澄み切った空の底に響き渡る。
「あの音を聞くと、どうしても豆腐屋の昔が思い出される」と圭さんが腕《うで》組《ぐみ》をしながら言う。
「ぜんたい豆腐屋の子がどうして、そんなになったもんだね」
「豆腐屋の子がどんなになったのさ」
「だって豆腐屋らしくないじゃないか」
「豆腐屋だって、肴《さかな》屋《や》だって――なろうと思えば、なんにでもなれるさ」
「そうさな、つまり頭だからね」
「頭ばかりじゃない。世の中には頭のいい豆腐屋が何人いるか分らない。それでも生《しよう》涯《がい》豆腐屋さ。気の毒なものだ」
「それじゃなんだい」と碌さんが小供らしく質問する。
「なんだって君、やっぱりなろうと思うのさ」
「なろうと思ったって、世の中がしてくれないのがだいぶあるだろう」
「だから気の毒だというのさ。不公平な世の中に生れれば仕方がないから、世の中がしてくれなくてもなんでも、自分でなろうと思うのさ」
「思って、なれなければ?」
「なれなくってもなんでも思うんだ。思ってるうちに、世の中が、してくれるようになるんだ」と圭さんは横《おう》着《ちやく》を言う。
「そう注文どおりにいけば結構だ。ハハハハ」
「だって僕は今日までそうしてきたんだもの」
「だから君は豆腐屋らしくないというのだよ」
「これからさき、また豆腐屋らしくなってしまうかもしれないかな。厄《やつ》介《かい》だな。ハハハハ」
「なったら、どうするつもりだい」
「なれば世の中がわるいのさ。不公平な世の中を公平にしてやろうというのに、世の中がいうことをきかなければ、向《むこう》のほうが悪いのだろう」
「しかし世の中もなんだね、君、豆腐屋がえらくなるようなら、しぜんえらい者が豆腐屋になるわけだね」
「えらい者た、どんなものだい」
「えらい者っていうのは、なにさ。たとえば華族とか金持とかいうものさ」と碌さんはすぐさまえらい者を説明してしまう。
「うん華族や金持か、ありゃ今でも豆腐屋じゃないか、君」
「その豆腐屋連が馬車へ乗ったり、別荘を建てたりして、自分だけの世の中のような顔をしているから駄目だよ」
「だから、そんなのは、ほんとうの豆腐屋にしてしまうのさ」
「こっちがする気でも向《むこう》がならないやね」
「ならないのをさせるから、世の中が公平になるんだよ」
「公平にできれば結構だ。大いにやりたまえ」
「やりたまえじゃいけない。君もやらなくっちゃあ。――ただ、馬車へ乗ったり、別荘を建てたりするだけならいいが、むやみに人を圧《あつ》逼《ぱく》するぜ、ああいう豆腐屋は。自分が豆腐屋のくせに」と圭さんはそろそろ慷《こう》慨《がい》しはじめる。
「君はそんな目に逢《あ》ったことがあるのかい」
圭さんは腕組をしたままふふんと言った。村鍛冶の音はあいかわらずかあんかあんと鳴る。
「まだ、かんかん遣《や》ってる。――おい僕の腕は太いだろう」と圭さんは突然腕まくりをして、黒い奴《やつ》を碌さんの前に圧《お》し付《つ》けた。
「君の腕は昔から太いよ。そうして、いやに黒いね。豆を磨《ひ》いたことがあるのかい」
「豆も磨いた。水も汲《く》んだ。――おい、君粗《そ》忽《こつ》で人の足を踏んだらどっちが謝《あや》まるものだろう」
「踏んだほうが謝まるのが通則のようだな」
「突然、人の頭を張り付けたら?」
「そりゃ気《き》違《ちがい》だろう」
「気《き》狂《ちがい》なら謝まらないでもいいものかな」
「そうさな。謝まらさすことができれば、謝まらさすほうがいいだろう」
「それを気違のほうで謝まれっていうのは驚ろくじゃないか」
「そんな気違があるのかい」
「今の豆腐屋連はみんな、そういう気違ばかりだよ。人を圧迫したうえに、人に頭を下げさせようとするんだぜ。本来なら向が恐れ入るのが人間だろうじゃないか、君」
「むろんそれが人間さ。しかし気違の豆腐屋なら、うっちゃっておくよりほかに仕方があるまい」
圭さんは再びふふんと言った。しばらくして、
「そんな気違を増長させるくらいなら、世の中に生まれてこないほうがいい」と独《ひと》り言《ごと》のようにつけた。
村鍛冶の音は、会話が切れるたびに静かな里の端から端までかあんかあんと響く。
「しきりにかんかんやるな。どうも、あの音は寒磬寺の鉦に似ている」
「妙に気に掛るんだね。その寒磬寺の鉦の音と、気違の豆腐屋とでもなにか関係があるのかい。――ぜんたい君が豆腐屋の伜《せがれ》から、今日までに変化した因縁はどういう筋道なんだい。少し話して聞かせないか」
「聞かせてもいいが、なんだか寒いじゃないか。ちょいと夕《ゆう》飯《めし》まえに温泉《ゆ》にはいろう。君いやか」
「うんはいろう」
圭さんと碌さんは手《て》拭《ぬぐい》をぶら下げて、庭へ降りる。棕《しゆ》梠《ろ》緒《お》の貸下駄には都らしく宿の焼印が押してある。
「この湯はなんに利《き》くんだろう」と豆腐屋の圭さんが湯《ゆ》槽《ぶね》のなかで、ざぶざぶやりながら聞く。
「なんに利くかなあ。分析表を見ると、なんにでも利くようだ。――君そんなに、臍《へそ》ばかりざぶざぶ洗ったって、出臍は癒《なお》らないぜ」
「純透明だね」と出臍の先生は、両手に温泉《ゆ》を掬《く》んで、口へ入れて見る。やがて、
「味もなにもない」と言いながら、流しへ吐き出した。
「飲んでもいいんだよ」と碌《ろく》さんはがぶがぶ飲む。
圭さんは臍を洗うのをやめて、湯槽の縁へ肘《ひじ》をかけて漫然と、硝子《ガラス》越《ご》しに外を眺《なが》めている。碌さんは首だけ湯に漬《つ》かって、相手の臍から上を見上げた。
「どうも、いい体格《からだ》だ。まったく野生のままだね」
「豆腐屋出身だからなあ。体格が悪るいと華族や金持ちと喧《けん》嘩《か》はできない。こっちは一人向《むこう》はおおぜいだから」
「さも喧嘩の相手があるような口《くち》振《ぶり》だね。当の敵は誰だい」
「誰でも構わないさ」
「ハハハ呑気なもんだ。喧嘩にも強そうだが、足の強いのには驚いたよ。君といっしょでなければ、きのうここまでくる勇気はなかったよ。実は途中で御免蒙《こうむ》ろうかと思った」
「実際少し気の毒だったね。あれでも僕はよほど加減して、歩《あ》行《る》いたつもりだ」
「ほんとうかい? はたしてほんとうならえらいものだ。――なんだか怪しいな。すぐ付け上がるからいやだ」
「ハハハ付け上がるものか。付け上がるのは華族と金持ばかりだ」
「また華族と金持ちか。目の敵《かたき》だね」
「金はなくっても、こっちは天下の豆腐屋だ」
「そうだ、いやしくも天下の豆腐屋だ。野生の腕力家だ」
「君、あの窓の外に咲いている黄色い花はなんだろう」
碌さんは湯の中で首を捩《ね》じ向ける。
「かぼちゃさ」
「馬鹿あいってる。かぼちゃは地の上を這《は》ってるものだ。あれは竹へからまって、風呂場の屋根へあがっているぜ」
「屋根へ上がっちゃ、かぼちゃになれないかな」
「だって可《お》笑《か》しいじゃないか、今ごろ花が咲くのは」
「構うものかね、可笑しいたって、屋根にかぼちゃの花が咲くさ」
「そりゃ唄《うた》かい」
「そうさな、前半は唄のつもりでもなかったんだが、後半にいたって、つい唄になってしまったようだ」
「屋根にかぼちゃが生《な》るようだから、豆腐屋が馬車なんかへ乗るんだ。不都合千万だよ」
「また慷《こう》慨《がい》か、こんな山の中へ来て慷慨したって始まらないさ。それより早く阿《あ》蘇《そ》へ登って噴火口から、赤い岩が飛び出すところでも見るさ。――しかし飛び込んじゃ困るぜ。――なんだか少し心配だな」
「噴火口は実際猛烈なものだろうな。なんでも、沢《たく》庵《あん》石《いし》のような岩が真赤になって、空の中へ吹き出すそうだぜ。それが三、四町四方一面に吹き出すのだから壮《さか》んに違《ちがい》ない。――あしたは早く起きなくっちゃ、いけないよ」
「うん、起きることは起きるが山へかかってから、あんなに早く歩行いちゃ、御免だ」と碌さんはすぐ予防線を張った。
「ともかくも六時に起きて……」
「六時に起きる?」
「六時に起きて、七時半に湯から出て、八時に飯を食って、八時半に便所から出て、そうして宿を出て、十一時に阿蘇神社へ参《さん》詣《けい》して、十二時から登るのだ」
「へえ、誰が」
「僕と君がさ」
「なんだか君一《ひ》人《と》りで登るようだぜ」
「なに、かまわない」
「難《あり》有《がた》い仕合せだ。まるでお供のようだね」
「うふん。時に昼はなにを食うかな。やっぱり饂《う》飩《どん》にしておくか」と圭さんが、あすの昼《ひる》飯《めし》の相談をする。
「饂飩はよすよ。ここいらの饂飩はまるで杉《すぎ》箸《ばし》を食うようで腹が突張ってたまらない」
「では蕎《そ》麦《ば》か」
「蕎麦も御免だ。僕は麺《めん》類《るい》じゃ、とても凌《しの》げない男だから」
「じゃなにを食うつもりだい」
「なんでも御《ご》馳《ち》走《そう》が食いたい」
「阿蘇の山の中に御馳走があるはずがないよ。だからこの際、ともかくも饂飩で間に合せておいて……」
「この際は少し変だぜ。この際た、どんな際なんだい」
「剛健な趣味を養成するための旅行だから……」
「そんな旅行なのかい。ちっとも知らなかったぜ。剛健はいいが饂飩はひらに不賛成だ。こう見えても僕は身分が好いんだからね」
「だから柔弱でいけない。僕なぞは学資に窮した時、一日に白米二合で間に合せたことがある」
「痩《や》せたろう」と碌さんが気の毒なことを聞く。
「そんなに痩せもしなかったがただ虱《しらみ》が湧《わ》いたには困った。――君、虱が湧いたことがあるかい」
「僕はないよ。身分が違わあ」
「まあ経験してみたまえ。そりゃ用意に猟《か》り尽せるもんじゃないぜ」
「煮《に》え湯《ゆ》で洗《せん》濯《たく》したらよかろう」
「煮え湯? 煮え湯ならいいかもしれない。しかし洗濯するにしてもただではできないからな」
「なあるほど、銭が一文もないんだね」
「一文もないのさ」
「君どうした」
「仕方がないから、襯衣《シヤツ》を敷居の上へ乗せて、手ごろな丸い石を拾ってきて、こつこつ叩《たた》いた。そうしたら虱が死なないうちに、襯衣が破れてしまった」
「おやおや」
「しかもそれを宿のかみさんが見付けて、僕に退去を命じた」
「さぞ困ったろうね」
「なあに困らんさ、そんなことで困っちゃ、今日まで生きていられるものか。これからおいおい華族や金持ちを豆腐屋にするんだからな。めったに困っちゃ仕方がない」
「すると僕なんぞも、いまに、とおふい、油《あぶら》揚《げ》、がんもどきと怒《ど》鳴《な》って、あるかなくっちゃならないかね」
「華族でもないくせに」
「まだ華族にはならないが、金はだいぶあるよ」
「あってもそのくらいじゃ駄目だ」
「このくらいじゃ豆腐いという資格はないのかな。大いに僕の財産を見《み》縊《くび》ったね」
「時に君、背中を流してくれないか」
「僕のも流すのかい」
「流してもいいさ。隣りの部屋の男も流しくらをやってたぜ、君」
「隣りの男の背中は似たり寄ったりだから公平だが、君の背中と、僕の背中とはだいぶ面積が違うから損だ」
「そんな面倒なことをいうなら一人で洗うばかりだ」と圭さんは、両足を湯《ゆ》壺《つぼ》の中にうんと踏ん張って、ぎゅうと手《て》拭《ぬぐい》をしごいたと思ったら、両《りよう》端《はじ》を握ったまま、ぴしゃりと、音を立てて斜《はす》に膏《あぶら》切《ぎ》った背中へ宛《あ》てがった。やがて二の腕へ力《ちから》瘤《こぶ》が急にでき上がると、水を含んだ手拭は、岡《おか》のように肉づいた背中をぎらぎら磨《こす》りはじめる。
手拭の運動につれて、圭さんの太い眉《まゆ》がくしゃりと寄ってくる。鼻の穴が三角形に膨張して、小鼻が勃《ぼつ》として左右に展開する。口は腹を切る時のように堅く喰《くい》縛《しば》ったまま、両耳のほうまで割《さ》けてくる。
「まるで仁王のようだね。仁王の行水だ。そんな猛烈な顔がよくできるね。こりゃ不思議だ。そう目をぐりぐりさせなくっても、背中は洗えそうなものだがね」
圭さんはなんにも言わずに一生懸命にぐいぐい擦《こす》る。擦っては時々、手拭を温泉《ゆ》に漬けて、十分水を含ませる。含ませるたんびに、碌さんの顔へ、汗と膏と垢《あか》と温泉の交ったものが十五、六滴ずつ飛んで来る。
「こいつは降参だ。ちょっと失敬して、流しの方へ出るよ」と碌さんは湯槽を飛びだした。飛び出しはしたものの、感心の極、流しへ突っ立ったまま、茫《ぼう》然《ぜん》として、仁王の行水を眺めている。
「あの隣りの客は元来何者だろう」と圭さんが槽《ふね》のなかから質問する。
「隣りの客どころじゃない。その顔は不思議だよ」
「もう済んだ。ああ好い心《こころ》持《もち》だ」と圭さん、手拭の一端を放すやいなや、ざぶんと温泉《ゆ》の中へ、石のように大きな背中を落す。満《まん》槽《そう》の湯は一度に面《めん》喰《くら》って、槽の底から大《だい》恐《きよう》惶《こう》を持ち上げる。ざあっざあっと音がして、流しへ溢《あふ》れだす。
「ああいい心《こころ》持《も》ちだ」と圭さんは波のなかで言った。
「なるほどそう遠慮なしに振《ふる》舞《ま》ったら、好い心持ちに相違ない。君は豪傑だよ」
「あの隣りの客は竹刀《しない》と小手のことばかり言ってるじゃないか。ぜんたい何者だい」と圭さんは呑気なものだ。
「君が華族と金持ちのことを気にするようなものだろう」
「僕のは深い原因があるのだが、あの客のはなんだか訳が分らない」
「なに自分じゃあ、あれで分ってるんだよ。――そこでその小手を取られたんだあね――」と碌さんが隣りの真《ま》似《ね》をする。
「ハハハハそこでそら竹刀を落としたんだあねか。ハハハハ。どうも気楽なものだ」と圭さんも真似してみる。
「なにあれでも、実は慷慨家かもしれない。そらよく草《くさ》双《ぞう》紙《し》にあるじゃないか。なんとかのなになに、実は海賊の張本毛《け》剃《ぞり》九《く》右衛《え》門《もん*》て」
「海賊らしくもないぜ。さっき温泉《ゆ》にはいりに来る時、覗《のぞ》いてみたら、二人とも木《き》枕《まくら》をして、ぐうぐう寐《ね》ていたよ」
「木枕をして寐られるくらいの頭だから、そら、そこで、その、小手を取られるんだあね」と碌さんは、まだ真似をする。
「竹刀も取られるんだあねか。ハハハハ。なんでも赤い表紙の本を胸の上へ載せたまんま寐ていたよ」
「その赤い本が、なんでもその、竹刀を落したり、小手を取られるんだあね」と碌さんは、どこまでも真似をする。
「なんだろう、あの本は」
「伊《い》賀《が》の水《すい》月《げつ*》さ」と碌さんは、躊《ちゆう》躇《ちよ》なく答えた。
「伊賀の水月? 伊賀の水月たなんだい」
「伊賀の水月を知らないのかい」
「知らない。知らなければ恥かな」と圭さんはちょっと首を捻《ひね》った。
「恥じゃないが話せないよ」
「話せない? なぜ」
「なぜって、君、荒《あら》木《き》又《また》右衛《え》門《もん》を知らないか」
「うん、又右衛門か」
「知ってるのかい」と碌さんはまた湯の中へはいる。圭さんはまた槽のなかへ突立った。
「もう仁王の行水は御免だよ」
「もう大丈夫、背中はあらわない。あまりはいってると逆上《のぼせ》るから、時々こう立つのさ」
「ただ立つばかりなら、安心だ。――それで、その、荒木又右衛門を知ってるかい」
「又右衛門? そうさ、どこかで聞いたようだね。豊《とよ》臣《とみ》秀《ひで》吉《よし》の家来じゃないか」と圭さん、とんでもないことを言う。
「ハハハハこいつはあきれた。華族や金持ちを豆腐屋にするんだなんて、えらいことを言うが、どうもなんにも知らないね」
「じゃ待った。少し考えるから。又右衛門だね。又右衛門、荒木又右衛門だね。待ちたまえよ、荒木の又右衛門と。うん分った」
「なんだい」
「相《す》撲《もう》取《とり》だ」
「ハハハハ荒木、ハハハハ荒木、又ハハハハ又右衛門が、相撲取り。いよいよ、あきれてしまった。実に無識だね。ハハハハ」と碌さんは大恐悦である。
「そんなに可《お》《か》笑しいか」
「可笑しいって、誰に聞かしたって笑うぜ」
「そんなに有名な男か」
「そうさ、荒木又右衛門じゃないか」
「だから僕もどこかで聞いたように思うのさ」
「そら、落ち行くさきは九《きゆう》州《しゆう》相《さ》良《がら》っていうじゃないか」
「いうかもしれんが、その句は聞いたことがないようだ」
「困った男だな」
「ちっとも困りゃしない。荒木又右衛門ぐらい知らなくったって、毫《ごう》も僕の人格には関係はしまい。それよりも五里の山《やま》路《みち》が苦になって、やたらに不平を並べるような人が困った男なんだ」
「腕力や脚力を持ち出されちゃ駄目だね。とうてい叶《かな》いっこない。そこへゆくと、どうしても豆腐屋出身の天下だ。僕も豆腐屋へ年期奉公に住み込んでおけばよかった」
「君は第一平生から惰弱でいけない。ちっとも意志がない」
「これでよっぽどあるつもりなんだがな。ただ饂飩に逢《あ》った時ばかりはまったく意志が薄弱だと、自分ながら思うね」
「ハハハハ詰《つま》らんことを言っていらあ」
「しかし豆腐屋にしちゃ、君のからだは奇麗すぎるね」
「こんなに黒くってもかい」
「黒い白いは別として、豆腐屋はたいがい箚《ほり》青《もの》があるじゃないか」
「なぜ」
「なぜか知らないが、箚青があるもんだよ。君、なぜほらなかった」
「馬鹿あ言ってらあ。僕のような高《こう》尚《しよう》な男が、そんな愚な真似をするものか。華族や金持がほれば似合うかもしれないが、僕にはそんなものは向かない。荒木又右衛門だって、ほっちゃいまい」
「荒木又右衛門か。そいつは困ったな。まだそこまでは調べが届いていないからね」
「そりゃどうでもいいが、ともかくもあしたは六時に起きるんだよ」
「そうして、ともかく饂飩を食うんだろう。僕の意志の薄弱なのにも困るかもしれないが、君の意志の強固なのにも辟《へき》易《えき》するよ。うちを出てから、僕のいうことは一つも通らないんだからな。まったく唯《い》々《い》諾々として命令に服しているんだ。豆腐屋主義はきびしいもんだね」
「なにこのくらい強硬にしないと増長していけない」
「僕がかい」
「なあに世の中の奴《やつ》等《ら》がさ。金持ちとか、華族とか、なんとかかとか、生意気に威《い》張《ば》る奴等がさ」
「しかしそりゃ見《けん》当《とう》違《ちがい》だぜ。そんなものの身代りに僕が豆腐屋主義に屈従するなたまらない。どうも驚ろいた。以来君と旅行するのは御免だ」
「なあにかまわんさ」
「君はかまわなくってもこっちは大いにかまうんだよ。そのうえ旅費は奇麗に折半されるんだから愚の極だ」
「しかし僕のお蔭《かげ》で天地の壮観たる阿蘇の噴火口を見ることができるだろう」
「可愛想に。一人だって阿蘇ぐらい登れるよ」
「しかし華族や金持なんて存外意《い》気《く》地《じ》がないもんで……」
「また身代りか、どうだい身代りはやめにして、ほんとうの華族や金持ちの方へ持っていったら」
「いずれ、そのうち持ってくつもりだがね。――意気地がなくって、理屈がわからなくって、個人としちゃあ三文の価値もないもんだ」
「だから、どしどし豆腐屋にしてしまうさ」
「そのうち、してやろうと思ってるのさ」
「思ってるだけじゃ剣《けん》呑《のん》なものだ」
「なあに年が年《ねん》中《じゆう》思っていりゃ、どうにかなるもんだ」
「ずいぶん気が長いね。もっとも僕の知ったものにね。虎《コ》列《レ》拉《ラ》になるなると思っていたら、とうとう虎列拉になったものがあるがね。君のもそう、うまくいくと好いけれども」
「時にあの髯を抜いてた爺さんが手拭をさげてやって来たぜ」
「ちょうど好いから君ひとつ聞いてみたまえ」
「僕はもう湯気に上がりそうだから、出るよ」
「まあ、いいさ、出ないでも。君がいやなら僕が聞いてみるから、もう少しはいっていたまえ」
「おや、あとから竹刀と小手がいっしょに来たぜ」
「どれ、なるほど、揃って来た。あとから、まだ来るぜ。やあ婆《ばあ》さんが来た。婆さんも、この湯槽へはいるのかな」
「僕はともかくも出るよ」
「婆さんがはいるなら、僕もともかくも出よう」
風呂場を出ると、ひやりと吹く秋風が、袖《そで》口《ぐち》からすうとはいって、素《す》肌《はだ》を臍《へそ》のあたりまで吹き抜けた。出臍の圭さんは、はっくしょうと大きな苦《く》沙《しや》弥《み》を無遠慮にやる。上がり口に白《はく》芙《ふ》蓉《よう》が五、六輪、夕暮の秋を淋しく咲いている。見上げる向では阿蘇の山がごううごううと遠くながら鳴っている。
「あすこへ登るんだね」と碌さんが言う。
「鳴ってるぜ。愉快だな」と圭さんが言う。
「姉《ねえ》さん、この人は肥《ふと》ってるだろう」
「だいぶん肥《こ》えていなはります」
「肥えてるって、おれは、これで豆腐屋だもの」
「ホホホ」
「豆腐屋じゃ可《お》笑《か》しいかい」
「豆腐屋のくせに西《さい》郷《ごう》隆《たか》盛《もり》のような顔をしているから可笑しいんだよ。時にこう、精進料理じゃ、あした、お山へ登れそうもないな」
「また御《ご》馳《ち》走《そう》を食いたがる」
「食いたがるって、これじゃ栄養不良になるばかりだ」
「なにこれほど御馳走があればたくさんだ――湯《ゆ》葉《ば》に、椎《しい》茸《たけ》に、芋に、豆腐、いろいろあるじゃないか」
「いろいろあることはあるがね。あることは君の商売道具まであるんだが――困ったな。昨日は饂《う》飩《どん》ばかり食わせられる。きょうは湯葉に椎茸ばかりか。ああああ」
「君この芋を食ってみたまえ。堀りたてですこぶる美味だ」
「すこぶる剛健な味がしやしないか――おい姉さん、肴《さかな》はなにもないのかい」
「あいにくなにもござりまっせん」
「ござりまっせんは弱ったな。じゃ玉《たま》子《ご》があるだろう」
「玉子ならござりまっす」
「その玉子を半熟にしてきてくれ」
「なにに致《いた》します」
「半熟にするんだ」
「煮て参じますか」
「まあ煮るんだが、半分煮るんだ。半熟を知らないか」
「いいえ」
「知らない?」
「知りまっせん」
「どうも辟《へき》易《えき》だな」
「なんでござりまっす」
「なんでもいいから、玉子を持ってお出《いで》。それから、おい、ちょっと待った。――君ビールを飲むか」
「飲んでもいい」と圭さんは泰然たる返事をした。
「飲んでもいいか。それじゃ飲まなくってもいいんだ。――よすかね」
「よさなくっても好い。ともかくも少し飲もう」
「ともかくもか、ハハハ。君ほど、ともかくもの好きな男はないね。それで、あしたになると、ともかくも饂飩を食おうと言うんだろう。――姉さん、ビールもついでに持ってくるんだ。玉子とビールだ。分ったろうね」
「ビールはござりまっせん」
「ビールがない?――君ビールはないとさ。なんだか日本の領地でないような気がする。情ない所だ」
「なければ、飲まなくっても、いいさ」と圭さんはまた泰然たる挨《あい》拶《さつ》をする。
「ビールはござりませんばってん、恵《え》比《び》寿《す*》ならござります」
「ハハハハいよいよ妙になってきた。おい君ビールでない恵比寿があるって言うんだが、その恵比寿でも飲んでみるかね」
「うん、飲んでもいい。――その恵比寿はやっぱり罎《びん》にはいってるんだろうね、姉さん」と圭さんはこの時ようやく下女に話しかけた。
「ねえ《*》」と下女は肥《ひ》後《ご》訛《なま》りの返事をする。
「じゃ、ともかくもその栓《せん》を抜いてね。罎ごと、ここへ持ってお出」
「ねえ」
下女は心《こころ》得《え》貌《がお》に起《た》って行く。幅の狭い唐《とう》縮《ちり》緬《めん》をちょきり結び《*》にお臀《しり》の上へ載せて、絣《かすり》の筒《つつ》袖《そで》をつんつるてんに着ている。髪だけは一種異様の束髪に、だいぶ碌さんと圭さんの胆《たん》を寒からしめたようだ。
「あの下女は異彩を放ってるね」と碌さんが言うと、圭さんは平気な顔をして、
「そうさ」となんの苦もなく答えたが、
「単純でいい女だ」とあとへ、もってきて、木に竹を接《つ》いだようにつけた。
「剛健な趣味がありゃしないか」
「うん。実際田舎者の精神に、文明の教育を施すと、立派な人物ができるんだがな。惜しいことだ」
「そんなに惜しけりゃ、あれを東京へ連れて行って、仕込んでみるがいい」
「うん、それも好かろう。しかしそれよりまえに文明の皮を剥《む》かなくっちゃ、いけない」
「皮が厚いからなかなか骨が折れるだろう」と碌さんは水《すい》瓜《か》のような事を言う。
「折れてもなんでも剥くのさ。奇麗な顔をして、下卑たことばかりやってる。それも金がない奴だと、自分だけで済むのだが、身分がいいと困る。下卑た根性を社会全体に蔓《まん》延《えん》させるからね。たいへんな害毒だ。しかも身分がよかったり、金があったりするものに、よくこういう性根の悪い奴があるものだ」
「しかも、そんなのにかぎって皮がいよいよ厚いんだろう」
「体裁だけはすこぶる美《み》事《ごと》なものさ。しかし内心はあの下女よりよっぽどすれているんだから、いやになってしまう」
「そうかね。じゃ、僕もこれから、ちと剛健党のお仲間入りをやろうかな」
「むろんのことさ。だからまず第一着にあした六時に起きて……」
「お昼に饂飩を食ってか」
「阿蘇の噴火口を観《み》て……」
「癇《かん》癪《しやく》を起して飛び込まないように要《よう》心《じん》をしてか」
「もっとも崇高なる天地間の活力現象に対して、雄大の気象を養って齷《あく》齪《せく》たる塵《じん》事《じ》を超越するんだ」
「あんまり超越しすぎるとあとで世の中が、いやになって、かえって困るぜ。だからそこのところは好《いい》加《か》減《げん》に超越しておくことにしようじゃないか。僕の足じゃとうていそうえらく超越できそうもないよ」
「弱い男だ」
筒袖の下女が、盆の上へ、麦酒《ビール》を一本、洋盃《コツプ》を二つ、玉子を四個、並べつくして持ってくる。
「そら恵比寿が来た。この恵比寿がビールでないんだから面白い。さあ一杯飲むかい」と碌さんが相手に洋盃を渡す。
「うん、ついでにその玉子を二つ貰おうか」と圭さんが言う。
「だって玉子は僕が誂《あつ》らえたんだぜ」
「しかし四つとも食う気かい」
「あしたの饂飩が気になるから、このうち二個は携帯して行こうと思うんだ」
「うん、そんなら、よそうと」圭さんはすぐ断念する。
「よすとなると気の毒だから、まあ上げよう。本来なら剛健党が玉子なんぞを食うのは、ちと贅《ぜい》沢《たく》の沙《さ》汰《た》だが、可哀想でもあるから、――さあ食うがいい。――姉さん、この恵比寿はどこでできるんだね」
「おおかた熊本でござりまっしょ」
「ふん、熊本製の恵比寿か、なかなか旨《うま》いや。君どうだ、熊本製の恵比寿は」
「うん。やっぱり東京製と同じようだ。――おい、姉さん、恵比寿はいいが、この玉子は生《なま》だぜ」と玉子を割った圭さんはちょっと眉《まゆ》をひそめた。
「ねえ」
「生だというのに」
「ねえ」
「なんだか要領を得ないな。君、半熟を命じたんじゃないか。君のも生か」と圭さんは下女を捨てて、碌さんに向ってくる。
「半熟を命じて不熟を得たりか。僕のを一つ割ってみよう。――おやこれは駄目だ………」
「うで玉子か」と圭さんは首を延《のば》して相手の膳《ぜん》の上を見る。
「全熟だ。こっちのはどうだ。――うん、これも全熟だ。――姉さん、これは、うで玉子じゃないか」と今度は碌さんが下女にむかう。
「ねえ」
「そうなのか」
「ねえ」
「なんだか言葉の通じない国へ来たようだな。――向うのお客さんのが生玉子で、おれのは、うで玉子なのかい」
「ねえ」
「なぜ、そんなことをしたのだい」
「半分煮て参じました」
「なあるほど。こりゃ、よくできてらあ。ハハハハ、君、半熟のいわれが分ったか」と碌さん横《よこ》手《で》を打つ。
「ハハハハ単純なものだ」
「まるで落《おと》し噺《ばな》しみたようだ」
「間違いましたか。そちらのも煮て参じますか」
「なにこれでいいよ。――姉さん、ここから、阿蘇まで何里あるかい」と圭さんが玉子に関係のない方面へ出て来た。
「ここで阿蘇でござりまっす」
「ここが阿蘇なら、あした六時に起きるがものはない《*》。もう二《に》、三《さん》日《ち》逗《とう》留《りゆう》して、すぐ熊本へ引き返そうじゃないか」と碌さんがすぐ言う。
「どうぞ、いつまでも御逗留なさいまっせ」
「せっかく、姉さんも、ああ言って勧めるものだから、どうだろう、いっそ、そうしたら」と碌さんが圭さんの方を向く。圭さんは相手にしない。
「ここも阿蘇だって、阿蘇郡なんだろう」とやはり下女を追窮している。
「ねえ」
「じゃ阿蘇のお宮まではどのくらいあるかい」
「お宮までは三里でござりまっす」
「山の上までは」
「お宮から二里でござりますたい」
「山の上はえらいだろうね」と碌さんが突然飛び出してくる。
「ねえ」
「お前登ったことがあるかい」
「いいえ」
「じゃ知らないんだね」
「いいえ、知りまっせん」
「知らなけりゃ、しようがない。せっかく話を聞こうと思ったのに」
「お山へお登りなさいますか」
「うん、早く登りたくって、仕方がないんだ」と圭さんが言うと、
「僕は登りたくなくって、仕方がないんだ」と碌さんが打《ぶ》ち壊《こ》わした。
「ホホホそれじゃ、あなただけ、ここへ御逗留なさいまっせ」
「うん、ここで寐《ね》転《ころ》んで、あのごうごういう音を聞いているほうが楽なようだ。ごうごうといやあ、さっきより、だいぶ烈《はげ》しくなったようだぜ、君」
「そうさ、だいぶ、強くなった。夜のせいだろう」
「お山が少し荒れておりますたい」
「荒れると烈しく鳴るのかね」
「ねえ。そうしてよ《ヽ》な《ヽ*》がたくさん降って参りますたい」
「よなたなんだい」
「灰でございまっす」
下女は障子をあけて、椽《えん》側《がわ》へ人《ひと》指《さ》しゆびを擦《す》りつけながら、
「御覧なさりまっせ」と黒い指先を出す。
「なるほど、始終降ってるんだ。きのうは、こんなじゃなかったね」と圭さんが感心する。
「ねえ。少しお山が荒れておりますたい」
「おい君、いくら荒れても登る気かね。荒れ模様なら少々延ばそうじゃないか」
「荒れればなお愉快だ。めったに荒れたところなんぞが見られるものじゃない。荒れる時と荒れない時は火の出具合がたいへん違うんだそうだ。ねえ、姉さん」
「ねえ、今夜はたいへん赤く見えます。ちょっと出て御覧なさいまっせ」
どれと、圭さんはすぐ椽側へ飛び出す。
「いやあ、こいつは熾《さかん》だ。おい君はやく出て見たまえ。たいへんだよ」
「たいへんだ? たいへんじゃ出て見るかな。どれ。――いやあ、こいつは――なるほどえらいものだね――あれじゃとうてい駄目だ」
「なにが」
「なにがって、――登る途中で焼き殺されちまうだろう」
「馬鹿を言っていらあ。夜だから、ああ見えるんだ。実際昼間から、あのくらいやってるんだよ。ねえ、姉さん」
「ねえ」
「ねえかもしれないが危険だぜ。ここにこうしていてもなんだか顔が熱いようだ」と碌さんは、自分の頬《ほつ》ぺたを撫《な》で回す。
「大《おお》袈《げ》裟《さ》な事ばかり言う男だ」
「だって君の顔だって、赤く見えるぜ。そらそこの垣《かき》の外に広い稲《いな》田《だ》があるだろう。あの青い葉が一面に、こう照らされているじゃないか」
「嘘《うそ》ばかり、あれは星のひかりで見えるのだ」
「星のひかりと火のひかりとは趣が違うさ」
「どうも、君もよほど無学だね。君、あの火は五、六里先《さ》きにあるのだぜ」
「何里先きだって、向うの方の空が一面に真赤になってるじゃないか」と碌さんは向《むこう》をゆびさして大きな輪を指の先で描いて見せる。
「よるだもの」
「夜だって……」
「君は無学だよ。荒《あら》木《き》又《また》右衛《え》門《もん》は知らなくっても好いが、このくらいなことが分らなくっちゃ恥だぜ」と圭さんは、横から相手の顔を見た。
「人格にかかわるかね。人格にかかわるのは我慢するが、命にかかわっちゃ降参だ」
「まだあんなこと言っている。――じゃ姉さんに聞いてみるがいい。ねえ姉さん。あのくらい火が出たって、お山へは登れるだろう」
「ねえい」
「大丈夫かい」と碌さんは下女の顔を覗《のぞ》き込む。
「ねえい。女でも登りますたい」
「女でも登っちゃ、男はぜひ登るわけかな。とんだことになったもんだ」
「ともかくも、あしたは六時に起きて……」
「もう分ったよ」
言い棄てて、部屋のなかに、ごろりと寐転んだ、碌さんの去ったあとに、圭さんは、黙《もく》然《ねん》と眉《まゆ》を軒《あ》げて、奈《な》落《らく》から半空に向って、真《まつ》直《すぐ》に立つ火の柱を見詰めていた。
「おいこれから曲がって、いよいよ登るんだろう」と圭さんが振り返る。
「ここを曲がるかね」
「なんでも突き当りに寺の石段が見えるから、門をはいらずに左へ回れと教えたぜ」
「饂《う》飩《どん》屋《や》の爺《じい》さんがか」と碌さんはしきりに胸を撫《な》で回す。
「そうさ」
「あの爺さんが、なにを言うか分ったもんじゃない」
「なぜ」
「なぜって、世の中に商売もあろうに、饂飩屋になるなんて、第一それからが不《ふ》了《りよう》簡《けん》だ」
「饂飩屋だって正業だ。金を積んで、貧乏人を圧迫するのを道楽にするような人間よりはるかに尊《たつ》といさ」
「尊といかもしれないが、どうも饂飩屋は性に合わない。――しかし、とうとう饂飩を食わせられた今となってみると、いくら饂飩屋の亭《てい》主《しゆ》を恨んでも後の祭りだから、まあ、我慢して、ここから曲がってやろう」
「石段は見えるが、あれが寺かなあ、本堂もなにもないぜ」
「阿蘇の火で焼けちまったんだろう。だからいわないことじゃない。――おい、天気が少々剣《けん》呑《のん》になってきたぜ」
「なに、大丈夫だ。天《てん》祐《ゆう》があるんだから」
「どこに」
「どこにでもあるさ。意思のあるところには天祐がごろごろしているものだ」
「どうも君は自信家だ。剛健党になるかと思うと、天祐派になる。この次ぎには天《てん》誅《ちゆう》組《ぐみ*》にでもなって筑《つく》波《ば》山《さん》へ立《た》て籠《こも》る《*》つもりだろう」
「なに豆腐屋時代から天誅組さ。――貧乏人をいじめるような――豆腐屋だって人間だ――いじめるって、なんらの利害もないんだぜ、ただ道楽なんだから驚ろく」
「いつそんな目に逢《あ》ったんだい」
「いつでもいいさ。桀《けつ》紂《ちゆう*》といえば古来から悪人として通り者だが、二十世紀はこの桀紂で充満しているんだぜ。しかも文明の皮を厚く被《かぶ》ってるから小《こ》憎《にく》らしい」
「皮ばかりで中味のないほうがいいくらいなものかな。やっぱり、金がありすぎて、退屈だと、そんな真《ま》似《ね》がしたくなるんだね。馬鹿に金を持たせるとたいがい桀紂になりたがるんだろう。僕のような有《う》徳《とく》の君子は貧乏だし、彼等のような愚劣な輩は、人を苦しめるために金銭を使っているし、困った世の中だなあ。いっそ、どうだい、そういう、ももんがあ《*》を十《じつ》把《ぱ》一《ひ》とからげにして、阿蘇の噴火口から真《まつ》逆《さか》様《さま》に地獄の下へ落しちまったら」
「いまに落としてやる」と圭さんは薄黒く渦《うず》巻《ま》く烟《けむ》りを仰いで、草鞋《わらじ》足《あし》をうんと踏《ふん》張《ば》った。
「たいへんな権幕だね。君、大丈夫かい。十把一とからげを放《ほう》り込まないうちに、君が飛び込んじゃいけないぜ」
「あの音は壮烈だな」
「足の下が、もう揺れているようだ。――おいちょっと、地面へ耳をつけて聞いてみたまえ」
「どんなだい」
「非常な音だ。たしかに足の下がうなってる」
「その割に烟りがこないな」
「風のせいだ。北風だから、右へ吹きつけるんだ」
「樹《き》が多いから、方角が分らない。もう少し登ったら見当がつくだろう」
しばらくは雑木林の間を行く。道幅は三尺に足らぬ。いくら仲が善《よ》くても並んで歩《あ》行《る》くわけにはいかぬ。圭さんは大きな足を悠《ゆう》々《ゆう》と振って先へ行《い》く。碌さんは小さな体躯《からだ》をすぼめて、小《こ》股《また》に後から尾《つ》いて行く。尾いて行きながら、圭さんの足《あし》跡《あと》の大きいのに感心している。感心しながら歩行いて行くと、だんだんおくれてしまう。
路《みち》は左右に曲折して爪《つま》先《さき》上《あが》りだから、三十分と立たぬうちに、圭さんの影を見失った。樹と樹の間をすかして見てもなんにも見えぬ。山を下りる人は一人もない。上《あが》るものにもまったく出合わない。ただところどころに馬の足跡がある。たまに草鞋の切れが茨《いばら》にかかっている。そのほかに人の気《け》色《しき》はさらにない、饂飩腹の碌さんは少々心細くなった。
きのうの澄み切った空に引《ひ》き易《か》えて、今朝宿を立つ時からの霧模様には少し掛《け》念《ねん》もあったが、晴れさえすればと、好い加減なことを頼みにして、とうとう阿蘇の社までは漕《こ》ぎ付《つ》けた。白木の宮に禰《ね》宜《ぎ》の鳴らす柏《かしわ》手《で》が、森閑と立つ杉の梢《こずえ》に響いた時、見上げる空から、ぽつりとなにやら額に落ちた。饂飩を煮る湯気が障子の破れから、吹いて、白く右へ靡《なび》いたころから、午《ひる》過《す》ぎは雨かなとも思われた。
雑木林を小《こ》半《はん》里《みち》ほど来たら、怪しい空がとうとう持ち切れなくなったとみえて、梢にしたたる雨の音が、さあと北の方へ走る。あとから、すぐ新しい音が耳を掠《かす》めて、翻《ひるが》える木の葉とともにまた北の方へ走る。碌さんは首を縮めて、えっと舌《した》打《う》ちをした。
一時間ほどで林は尽きる。尽きるといわんよりは、一度に消えるというほうが適当であろう。ふり返る、後《うしろ》は知らず、貫いて来た一《ひと》筋《すじ》道《みち》のほかは、東も西も茫《ぼう》々《ぼう》たる青草が波を打って幾段となく連なる後《あと》から、むくむくと黒い烟りが持ち上がってくる。噴火口こそ見えないが、烟りの出るのは、つい鼻の先である。
林が尽きて、青い原を半丁と行かぬ所に、大入道の圭さんが空を仰いで立っている。蝙蝠傘《こうもり》は畳んだまま、帽子さえ、被《かぶ》らずに毬《いが》栗《ぐり》頭《あたま》をぬっくと草から上へ突き出して地形を見回している様子だ。
「おうい。少し待ってくれ」
「おうい。荒れてきたぞ。荒れてきたぞうう。しっかりしろう」
「しっかりするから、少し待ってくれえ」と碌さんは一生懸命に草のなかを這《は》い上《あ》がる。ようやく追いつく碌さんを待ち受けて、
「おいなにを愚《ぐ》図《ず》愚《ぐ》図《ず》しているんだ」と圭さんが遣《や》っつける。
「だから饂飩じゃ駄目だと言ったんだ。ああ苦しい。――おい君の顔はどうしたんだ。真黒だ」
「そうか、君のも真黒だ」
圭さんは、無《む》雑《ぞう》作《さ》に白地の浴衣《ゆかた》の片《かた》袖《そで》で、頭から顔を撫で回す。碌さんは腰から、ハンケチを出す。
「なるほど、拭《ふ》くと、着物がどす黒くなる」
「僕のハンケチも、こんなだ」
「ひどいものだな」と圭さんは雨のなかに坊主頭を曝《さら》しながら、空模様を見回す。
「よなだ。よなが雨に溶けて降ってくるんだ。そら、その薄《すすき》の上を見たまえ」と碌さんが指をさす。長い薄の葉は一面に灰を浴びて濡《ぬ》れながら、靡《なび》く。
「なるほど」
「困ったな、こりゃ」
「なあに大丈夫だ。ついそこだもの。あの烟りの出る所を目《め》当《あて》にして行けばわけはない」
「わけはなさそうだが、これじゃ路が分らないぜ」
「だから、さっきから、待っていたのさ。ここを左へ行くか、右へ行くかという、ちょうど股《また》の所なんだ」
「なるほど、両方とも路になってるね。――しかし烟りの見当からいうと、左へ曲がるほうがよさそうだ」
「君はそう思うか。僕は右へ行くつもりだ」
「どうして」
「どうしてって、右の方には馬の足跡があるが、左の方には少しもない」
「そうか」と碌さんは、身躯《からだ》を前に曲げながら、蔽《おお》いかかる草を押し分けて、五、六歩、左の方へ進んだが、すぐに取って返して、
「駄目のようだ。足跡は一つも見当らない」と言った。
「ないだろう」
「そっちにはあるかい」
「うん。たった二つある」
「二つぎりかい」
「そうさ。たった二つだ。そら、こことここに」と圭さんは繻《しゆ》子《す》張《ばり》の蝙蝠傘《こうもり》の先で、かぶさる薄の下に、かすかに残る馬の足跡を見せる。
「これだけかい、心細いな」
「なに大丈夫だ」
「天祐じゃないか、君の天祐はあてにならないこと夥《おびただ》しいよ」
「なにこれが天祐さ」と圭さんが言いおわらぬうちに、雨を捲《ま》いて颯《さつ》とおろす一陣の風が、碌さんの麦《むぎ》藁《わら》帽《ぼう》を遠慮なく、吹き込めて、五、六間先まで飛ばして行く。目に余る青草は、風を受けて一度に向うへ靡いて、見るうちに色が変ると思うと、また靡き返して故《もと》の態《さま》に戻《もど》る。
「痛快だ。風の飛んで行く足跡が草の上に見える。あれを見たまえ」と圭さんが幾重となく起伏する青い草の海を指す。
「痛快でもないぜ。帽子が飛んじまった」
「帽子が飛んだ? いいじゃないか帽子が飛んだって。取ってくるさ。取って来てやろうか」
圭さんは、いきなり、自分の帽子の上へ蝙蝠傘を重しに置いて、颯と、薄の中に飛び込んだ。
「おいこの見当か」
「もう少し左だ」
圭さんの身躯はしだいに青いものの中に、深くはまって行く。しまいには首だけになった。あとに残った碌さんはまた心配になる。
「おうい。大丈夫か」
「なんだあ」と向うの首から声が出る。
「大丈夫かよう」
やがて圭さんの首が見えなくなった。
「おうい」
鼻の先から出る黒《くろ》烟《けむ》りは鼠《ねずみ》色《いろ》の円《まる》柱《ばしら》の各部が絶《たえ》間《ま》なく蠕《ぜん》動《どう》を起しつつあるごとく、むくむくと捲き上がって、半空から大気の裡《うち》に溶け込んで碌さんの頭の上へ容赦なく雨とともに落ちてくる。碌さんは悄《しよう》然《ぜん》として、首の消えた方角を見詰めている。
しばらくすると、まるで見当の違った半丁ほど先きに、圭さんの首が忽《こつ》然《ぜん》と現われた。
「帽子はないぞう」
「帽子は入らないよう。はやく帰ってこうい」
圭さんは坊主頭を振り立てながら、薄の中を泳いでくる。
「おい、どこへ飛ばしたんだい」
「どこだか、相談が纏《まとま》らないうちに飛ばしちまったんだ。帽子はいいが、歩《あ》《る》行くのは厭《いや》になったよ」
「もういやになったのか。まだあるかないじゃないか」
「あの烟と、この雨を見ると、なんだか物《もの》凄《すご》くって、あるく元気がなくなるね」
「今から駄《だ》々《だ》を捏《こ》ねちゃ仕方がない。――壮快じゃないか。あのむくむく烟の出てくるところは」
「そのむくむくが気味が悪るいんだ」
「冗《じよう》談《だん》言っちゃ、いけない。あの烟の傍《そば》へ行くんだよ。そうして、あの中を覗《のぞ》き込むんだよ」
「考えるとまったくよけいなことだね。そうして覗き込んだうえに飛び込めば世話はない」
「ともかくもあるこう」
「ハハハハともかくもか。君がともかくもと言いだすと、つい釣《つ》り込まれるよ。さっきもともかくもで、とうとう饂飩を食っちまった。これで赤痢にでも罹《か》かればまったくともかくものお蔭《かげ》だ」
「いいさ、僕が責任を持つから」
「僕の病気の責任を持ったって、しようがないじゃないか。僕の代理に病気になれもしまい」
「まあ、いいさ。僕が看病をして、僕が伝染して、本人の君は助けるようにしてやるよ」
「そうか、それじゃ安心だ。まあ、少々あるくかな」
「そら、天気もだいぶよくなってきたよ。やっぱり天祐があるんだよ」
「難《あり》有《がた》い仕合せだ。あるくことはあるくが、今夜は御馳走を食わせなくっちゃ、いやだぜ」
「また御馳走か。あるきさえすればきっと食わせるよ」
「それから……」
「まだなにか注文があるのかい」
「うん」
「なんだい」
「君の経歴を聞かせるか」
「僕の経歴って、君が知ってるとおりさ」
「僕が知ってるまえのさ。君が豆腐屋の小僧であった時分から………」
「小僧じゃないぜ、これでも豆腐屋の伜《せがれ》なんだ」
「その伜の時、寒《かん》磬《けい》寺《じ》の鉦《かね》の音を聞いて、急に金持がにくらしくなった、因縁話をさ」
「ハハハハそんなに聞きたければ話すよ。その代り剛健党にならなくちゃいけないぜ。君なんざあ、金持の悪党を相手にしたことがないから、そんなに呑気なんだ。君はディッケンズの両都物語り《*》という本を読んだことがあるか」
「ないよ。伊賀の水月は読んだが、ディッケンズは読まない」
「それだからなお貧民に同情が薄いんだ。――あの本のね仕《し》舞《まい》の方に、お医者さんの獄中でかいた日記《*》があるがね。悲惨なものだよ」
「へえ、どんなものだい」
「そりゃ君、仏《ふつ》国《こく》の革命の起るまえに、貴族が暴威を振って細民を苦しめたことがかいてあるんだが。――それも今夜僕が寐ながら話してやろう」
「うん」
「なあに仏国の革命なんてえのも当然の現象さ。あんなに金持ちや貴族が乱暴をすりゃ、ああなるのは自然の理屈だからね。ほら、あの轟《ごう》々《ごう》鳴って吹き出すのと同じことさ」と圭さんは立ち留まって、黒い烟の方を見る。
濛《もう》々《もう》と天地を鎖《とざ》す秋雨《しゆうう》を突き抜いて、百里の底から沸き騰《のぼ》る濃いものが渦《うず》を捲き、渦を捲いて、幾百噸《トン》の量とも知れず立ち上がる。その幾百噸の烟りの一分子がことごとく震動して爆発するかと思わるるほどの音が、遠い遠い奥の方から、濃いものとともに頭の上へ躍《おど》り上がって来る。
雨と風のなかに、毛虫のような眉《まゆ》を攅《あつ》めて、余念もなく眺めていた、圭さんが、非常な落ち付いた調子で、
「雄大だろう、君」と言った。
「まったく雄大だ」と碌さんも真《ま》面《じ》目《め》で答えた。
「恐ろしいくらいだ」しばらく時をきって、碌さんが付け加えた言葉はこれである。
「僕の精神はあれだよ」と圭さんが言う。
「革命か」
「うん。文明の革命さ」
「文明の革命とは」
「血を流さないのさ」
「刀を使わなければ、なにを使うのだい」
圭さんは、なんにも言わずに、平手で、自分の坊主頭をぴしゃぴしゃと二返叩《たた》いた。
「頭か」
「うん。相手も頭でくるから、こっちも頭でいくんだ」
「相手は誰だい」
「金力や威力で、たよりのない同《どう》胞《ほう》を苦しめる奴《やつ》等《ら》さ」
「うん」
「社会の悪徳を公然商売にしている奴等さ」
「うん」
「商売なら、衣食のためという言い訳も立つ」
「うん」
「社会の悪徳を公然道楽にしている奴等は、どうしても叩きつけなければならん」
「うん」
「君もやれ」
「うん、やる」
圭さんは、のっそりと踵《くびす》をめぐらした。碌さんは黙《もく》然《ねん》として尾《つ》いて行く。空にあるものは、烟りと、雨と、風と雲である。地にあるものは青い薄《すすき》と、女郎花《おみなえし》と、ところどころにわびしく交る桔《き》梗《きよう》のみである。二人は煢《けい》々《けい*》として無《む》人《にん》の境《きよう》を行く。
薄の高さは、腰を没するほどに延びて、左右から、幅、尺足らずの路を蔽《おお》うている。身を横にしても、草に触れずに、進むわけにはいかぬ。触れれば雨に濡れた灰がつく。圭さんも碌さんも、白地の浴衣に、白の股《もも》引《ひき》に、足《た》袋《び》と脚《きや》絆《はん》だけを紺《こん》にして、濡れた薄をがさつかさせて行く。腰からしたはどぶ鼠《ねずみ》のように染まった。腰から上といえども、降る雨に誘われて付く、よなを、一面に浴びたから、ほとんど下水へ落ち込んだと同様の始末である。
たださえ、うねり、くねっている路だから、草がなくっても、どこへどう続いているか見《み》極《きわ》めのつくものではない。草をかぶればなおさらである。地に残る馬の足跡さえ、ようやく見付けたくらいだから、あとの始末はむろん天に任せて、あるいているといわねばならぬ。
最初のうちこそ、立ち登る烟りを正面に見て進んだ路は、いつのまにやら、折れ曲って、しだいに横からよなを受くるようになった。横に眺める噴火口が今度は自《じ》然《ねん》に後ろの方に見えだした時、圭さんはぴたりと足を留めた。
「どうも路が違うようだね」
「うん」と碌さんは恨めしい顔をして、同じく立ち留った。
「なんだか、情ない顔をしているね。苦しいかい」
「実際情けないんだ」
「どこか痛むかい」
「豆が一面にできて、たまらない」
「困ったな。よっぽど痛いかい。僕の肩へつらまったら《*》、どうだね。少しは歩行き好いかもしれない」
「うん」と碌さんは気のない返事をしたまま動かない。
「宿へついたら、僕が面白い話をするよ」
「ぜんたいいつ宿へつくんだい」
「五時には湯《ゆ》元《もと》へ着く予定なんだが、どうも、あの烟りは妙だよ。右へ行っても、左へ行っても、鼻の先にあるばかりで、遠くもならなければ、近くもならない」
「上りたてから鼻の先にあるぜ」
「そうさな。もう少しこの路を行ってみようじゃないか」
「うん」
「それとも、少し休むか」
「うん」
「どうも、急に元気がなくなったね」
「まったく饂飩のお蔭だよ」
「ハハハハ。その代り宿へ着くと僕が話の御馳走をするよ」
「話も聞きたくなくなった」
「それじゃまたビールでない恵《え》比《び》寿《す》でも飲むさ」
「ふふん。この様子じゃ、とても宿へ着けそうもないぜ」
「なに、大丈夫だよ」
「だって、もう暗くなってきたぜ」
「どれ」と圭さんは懐中時計を出す。「四時五分まえだ。暗いのは天気のせいだ。しかしこう方角が変ってくると少し困るな。山へ登ってから、もう二、三里はあるいたね」
「豆の様子じゃ、十里ぐらいあるいてるよ」
「ハハハハ。あの烟りが前に見えたんだが、もうずっと、後ろになってしまった。すると吾々は熊本の方へ二、三里近付いたわけかね」
「つまり山からそれだけ遠ざかったわけさ」
「そういえばそうさ。――君、あの烟りの横の方からまた新しい烟が見えだしたぜ。あれがたぶん、新しい噴火口なんだろう。あのむくむく出るところを見ると、つい、そこにあるようだがな。どうして行かれないだろう。なんでもこの山のつい裏に違いないんだが、路がないから困る」
「路があったって駄目だよ」
「どうも雲だか、烟りだか非常に濃く、頭の上へやってくる。壮《さか》んなものだ。ねえ、君」
「うん」
「どうだい、こんな凄《すご》い景色はとても、こういう時でなけりゃ見られないぜ。うん、非常に黒いものが降ってくる。君あたまがたいへんだ。僕の帽子を貸してやろう。――こう被《かぶ》ってね。それから手拭があるだろう。飛ぶといけないから、上から結《い》わい付けるんだ。――僕がしばってやろう。――傘《かさ》は、畳むがいい。どうせ風に逆らうぎりだ。そうして杖《つえ》につくさ。杖ができると、少しは歩行けるだろう」
「少しは歩行きよくなった。――雨も風もだんだん強くなるようだね」
「そうさ、さっきは少し晴れそうだったがな。雨や風は大丈夫だが、足は痛むかね」
「痛いさ。登るときは豆が三つばかりだったが、一面になったんだもの」
「晩にね、僕が、烟草《たばこ》の吸《すい》殻《がら》を飯粒で練って、膏《こう》薬《やく》を製《つく》ってやろう」
「宿へつけば、どうでもなるんだが……」
「あるいてるうちが難義か」
「うん」
「困ったな。――どこか高い所へ登ると、人の通る路が見えるんだがな。――うん、あすこに高い草山が見えるだろう」
「あの右の方かい」
「ああ。あの上へ登ったら、噴《ふん》火《か》孔《こう》が一《ひ》と目に見えるに違《ちがい》ない。そうしたら、路が分るよ」
「分るって、あすこへ行くまでに日が暮れてしまうよ」
「待ちたまえ、ちょっと時計を見るから、四時八分だ。まだ暮れやしない。君ここに待っていたまえ。僕がちょっと物見をしてくるから」
「待ってるが、帰りに路が分らなくなると、それこそたいへんだぜ。二人離れ離れになっちまうよ」
「大丈夫だ。どうしたって死ぬ気《き》遣《づかい》はないんだ。どうかしたら大きな声を出して呼ぶよ」
「うん。呼んでくれたまえ」
圭さんは雲と烟の這い回るなかへ、猛然として進んで行く。碌さんは心細くもただ一人薄のなかに立って、頼みにする友の後《うしろ》姿《すがた》を見送っている。しばらくするうちに圭さんの影は草のなかに消えた。
大きな山は五分に一度ぐらいずつ時を限《き》って、普《ふ》段《だん》より烈《はげ》しく轟《ごう》となる。その折は雨も烟りも一度に揺れて、余勢が横なぐりに、悄《しよう》然《ぜん》と立つ碌さんの身躯《からだ》へ突き当るように思われる。草は目を走らすかぎりを尽くしてことごとく烟りのなかに靡く上を、さあさあと雨が走って行く。草と雨のあいだを大きな雲が遠慮もなく這い回わる。碌さんは向うの草山を見詰めながら、顫《ふる》えている。よなのしずくは、碌さんの下《した》腹《はら》まで浸《し》み透《とお》る。
毒々しい黒烟りが長い渦を七《なな》巻《まき》まいて、むくりと空を突くとたんに、碌さんの踏む足の底が、地震のように撼《うご》いたと思った。あとは、山鳴りが比較的静まった。すると地面の下の方で、
「おおおい」と呼ぶ声がする。
碌さんは両手を、耳の後ろに宛《あ》てた。
「おおおい」
たしかに呼んでいる。不思議なことにその声が妙に足の下から湧いて出る。
「おおおい」
碌さんは思わず、声をしるべに、飛び出した。
「おおおい」と癇《かん》の高い声を、肺の縮むほど絞り出すと、太い声が、草の下から、
「おおおい」と応《こた》える。圭さんに違《ちがい》ない。
碌さんは胸まで来る薄をむやみに押し分けて、ずんずん声のする方に進んで行く。
「おおおい」
「おおおい。どこだ」
「おおおい。ここだ」
「どこだああ」
「ここだああ。むやみにくるとあぶないぞう。落ちるぞう」
「どこへ落ちたんだああ」
「ここへ落ちたんだああ。気を付けろう」
「気は付けるが、どこへ落ちたんだああ」
「落ちると、足の豆が痛いぞうう」
「大丈夫だああ。どこへ落ちたんだああ」
「ここだあ、もうそれから先へ出るんじゃないよう。おれがそっちへ行くから、そこで待っているんだよう」
圭さんの胴《どう》間《ま》声《ごえ》は地面のなかを通って、だんだん近づいて来る。
「おい、落ちたよ」
「どこへ落ちたんだい」
「見えないか」
「見えない」
「それじゃ、もう少し前へ出た」
「おや、なんだい、こりゃ」
「草のなかに、こんなものがあるから剣《けん》呑《のん》だ」
「どうして、こんな谷があるんだろう」
「火《か》熔《よう》石《せき》の流れたあとだよ。見たまえ、なかは茶色で草が一本も生えていない」
「なるほど、厄《やつ》介《かい》なものがあるんだね。君、上がれるかい」
「上がれるものか。高さが二間ばかりあるよ」
「弱ったな。どうしよう」
「僕の頭が見えるかい」
「毬《いが》栗《ぐり》の片割れが少し見える」
「君ね」
「ええ」
「薄の上へ腹《はら》這《ばい》になって、顔だけ谷の上へ乗り出してみたまえ」
「よし、今顔を出すから待っていたまえよ」
「うん、待ってる、ここだよ」と圭さんは蝙蝠傘で、崖《がけ》の腹をとんとん叩く。碌さんは見当を見計って、ぐしゃりと濡れ薄の上へ腹をつけておそるおそる首だけを溝《みぞ》の上へ出して、
「おい」
「おい。どうだ。豆は痛むかね」
「豆なんざどうでもいいから、はやく上がってくれたまえ」
「ハハハハ大丈夫だよ。下の方が風があたらなくって、かえって楽だぜ」
「楽だって、もう日が暮れるよ、はやく上がらないと」
「君」
「ええ」
「ハンケチはないか」
「ある。なんにするんだい」
「落ちる時に蹴《け》爪《つま》ずいて生《なま》爪《づめ》を剥《は》がした」
「生爪を? 痛むかい」
「少し痛む」
「あるけるかい」
「あるけるとも。ハンケチがあるなら抛《な》げてくれたまえ」
「裂いてやろうか」
「なに、僕が裂くから丸めて抛げてくれたまえ。風で飛ぶと、いけないから、堅く丸めて落すんだよ」
「じくじく濡れてるから、大丈夫だ。飛ぶ気《き》遣《づかい》はない。いいか、抛げるぜ、そら」
「だいぶ暗くなってきたね。烟は相変らず出ているかい」
「うん。空《そら》中《じゆう》一面の烟りだ」
「いやに鳴るじゃないか」
「さっきより、烈しくなったようだ。――ハンケチは裂けるかい」
「うん、裂けたよ。包帯はもうでき上がった」
「大丈夫かい。血が出やしないか」
「足袋の上へ雨といっしょに煮《に》染《じ》んでる」
「痛そうだね」
「なあに、痛いたって。痛いのは生きてる証拠だ」
「僕は腹が痛くなった」
「濡れた草の上に腹をつけているからだ。もういいから、立ちたまえ」
「立つと君の顔が見えなくなる」
「困るな。君いっそのことに、ここへ飛び込まないか」
「飛び込んで、どうするんだい」
「飛び込めないかい」
「飛び込めないこともないが――飛び込んで、どうするんだい」
「いっしょにあるくのさ」
「そうしてどこへ行《い》くつもりだい」
「どうせ、噴火口から山の麓《ふもと》まで流れた岩のあとなんだから、この穴の中をあるいていたら、どこかへ出るだろう」
「だって」
「だって厭《いや》か。厭じゃ仕方がない」
「厭じゃないが――それより君が上がれると好いんだがな。君どうかして上がってみないか」
「それじゃ、君はこの穴の縁を伝って歩行くさ。僕は穴の下をあるくから。そうしたら、上《うえ》下《した》で話ができるからいいだろう」
「縁にゃ路はありゃしない」
「草ばかりかい」
「うん。草がね……」
「うん」
「胸ぐらいまで生えている」
「ともかくも僕は上がれないよ」
「上がれないって、それじゃ仕方がないな――おい。――おい。――おいっていうのにおい。なぜ黙ってるんだ」
「ええ」
「大丈夫かい」
「なにが」
「口は利《き》けるかい」
「利けるさ」
「それじゃ、なぜ黙ってるんだ」
「ちょっと考えていた」
「なにを」
「穴から出る工夫をさ」
「ぜんたいなんだって、そんな所へ落ちたんだい」
「はやく君に安心させようと思って、草山ばかり見詰めていたもんだから、つい足元がお留守になって、落ちてしまった」
「それじゃ、僕のために落ちたようなものだ。気の毒だな、どうかして上がってもらえないかな、君」
「そうさな。――なに僕はかまわないよ。それよりか。君、はやく立ちたまえ。そう草で腹を冷やしちゃ毒だ」
「腹なんかどうでもいいさ」
「痛むんだろう」
「痛むことは痛むさ」
「だから、ともかくも立ちたまえ。そのうち僕がここで出る工夫を考えておくから」
「考えたら、呼ぶんだぜ。僕も考えるから」
「よし」
会話はしばらく途切れる。草の中に立って碌さんが覚《おぼ》束《つか》なく四方を見渡すと、向うの草山へぶつかった黒雲が、峰の半腹で、どっと崩《くず》れて海のように濁ったものが頭を去る五、六尺の所まで押し寄せてくる。時計はもう五時に近い。山のなかばはたださえ薄暗くなる時分だ。ひゅうひゅうと絶《たえ》間《ま》なく吹き卸《お》ろす風は、吹くたびに、黒い夜を遠い国から持ってくる。刻々と逼《せま》る暮色のなかに、嵐《あらし》は卍《まんじ》に吹きすさむ。噴《ふん》火《か》孔《こう》から吹き出す幾《いく》万《まん》斛《ごく》の烟りは卍のなかに万《まん》遍《べん》なく捲き込まれて、嵐の世界を尽くして、どす黒く漲《みなぎ》り渡る。
「おい。いるか」
「いる。なにか考え付いたかい」
「いいや。山の模様はどうだい」
「だんだん荒れるばかりだよ」
「今日は何日《いくか》だっけかね」
「今日は九月二日《ふつか》さ」
「ことによると二百十日かもしれないね」
会話はまた切れる。二百十日の風と雨と烟りは満目の草を埋め尽くして、一丁先は靡く姿さえ、判《は》然《き》と見えぬようになった。
「もう日が暮れるよ。おい。いるかい」
谷の中の人は二百十日の風に吹き浚《さら》われたものか、うんとも、すんとも返事がない。阿蘇のお山は割れるばかりにごうごうと鳴る。
碌さんは青くなって、また草の上へ棒のように腹《はら》這《ばい》になった。
「おおおい。おらんのか」
「おおおい。こっちだ」
薄暗い谷底を半町ばかり登った所に、ぼんやりと白い者が動いている。手招きをしているらしい。
「なぜ、そんな所へ行ったんだああ」
「ここから上がるんだああ」
「上がれるのかああ」
「上がれるから、はやく来おおい」
碌さんは腹の痛いのも、足の豆も忘れて、脱《だつ》兎《と》の勢《いきおい》で飛び出した。
「おい。ここいらか」
「そこだ。そこへ、ちょっと、首を出して見てくれ」
「こうか。――なるほど、こりゃたいへん浅い。これなら、僕が蝙蝠傘《こうもり》を上から出したら、それへ、取《と》っ捕《つ》らまって上がれるだろう」
「傘《かさ》だけじゃ駄目だ。君、気の毒だがね」
「うん。ちっとも気の毒じゃない。どうするんだ」
「兵《へ》児《こ》帯《おび》を解いて、その先を傘の柄へ結びつけて――君の傘の柄《え》は曲ってるだろう」
「曲ってるとも。大いに曲ってる」
「その曲ってる方へ結びつけてくれないか」
「結びつけるとも。すぐ結び付けてやる」
「結び付けたら、その帯の端を上からぶら下げてくれたまえ」
「ぶら下げるとも。わけはない。大丈夫だから待っていたまえ。――そうら、長いのが天《てん》竺《じく》から、ぶら下がったろう《*》」
「君、しっかり傘を握っていなくっちゃいけないぜ。僕の身体《からだ》は十七貫六百目あるんだから」
「何貫目あったって大丈夫だ、安心して上がりたまえ」
「いいかい」
「いいとも」
「そら上がるぜ。――いや、いけない。そう、ずり下がって来ては………」
「今度は大丈夫だ。今のは試《ため》してみただけだ。さあ上がった。大丈夫だよ」
「君が滑《す》べると、二人とも落ちてしまうぜ」
「だから大丈夫だよ。今のは傘の持ちようがわるかったんだ」
「君、薄の根へ足をかけて持ち応《こた》えていたまえ。――あんまり前の方で踏《ふ》ん張《ば》ると、崖が崩れて、足が滑べるよ」
「よし、大丈夫。さあ上がった」
「足を踏ん張ったかい。どうも今度もあぶないようだな」
「おい」
「なんだい」
「君は僕が力がないと思って、大いに心配するがね」
「うん」
「僕だって一人前の人間だよ」
「むろんさ」
「むろんなら安心して、僕に信頼したらよかろう。からだは小さいが、朋《ほう》友《ゆう》を一人谷底から救い出すぐらいのことはできるつもりだ」
「じゃ上がるよ。そらっ………」
「そらっ………もう少しだ………」
豆で一面に腫《は》れ上がった両足を、うんと薄の根に踏ん張った碌さんは、素《す》肌《はだ》を二百十日の雨に曝《さら》したまま、海《え》老《び》のように腰を曲げて、一生懸命、傘の柄にかじり付いている。麦《むぎ》藁《わら》帽《ぼう》子《し》を手拭で縛りつけた頭の下から、真赤にいきんだ顔が、八分どおり阿蘇卸《お》ろしに吹きつけられて、喰《く》い締めた反《そ》っ歯《ぱ》の上にはよなが容赦なく降ってくる。
毛《け》繻《じゆ》子《す》張《ば》り八《はち》間《けん》の蝙蝠《*》の柄には、さいわい太い瘤《こぶ》だらけの頑丈な自《じ》然《ねん》木《ぼく》が、付けてあるから、折れる気遣はまずあるまい。その自然木の湾曲した一端に、鳴《なる》海《み》絞《しぼ》りの兵子帯が、薩《さつ》摩《ま》の強《ごう》弓《きゆう》に新しく張った弦《ゆみづる》のごとくぴんと薄を押し分けて、先は谷の中にかくれている。その隠れているあたりから、しばらくすると大きな毬栗頭がぬっと現われた。
やっという掛《かけ》声《ごえ》とともに両手が崖の縁にかかるがはやいか、大入道の腰から上は斜めに尻に挿《さ》した蝙蝠傘《こうもり》とともに谷から上へ出た。同時に碌さんは、どさんと仰《あお》向《む》きになって、薄の底に倒れた。
「おい、もう飯だ、起きないか」
「うん。起きないよ」
「腹の痛いのは癒《なお》ったかい」
「まあたいてい癒ったようなものだが、この様子じゃ、いつ痛くなるかもしれないね。ともかくも饂《う》飩《どん》が祟《たた》ったんだから、容易には癒りそうもない」
「そのくらい口が利《き》ければたしかなものだ。どうだいこれから出掛けようじゃないか」
「どこへ」
「阿蘇へさ」
「阿蘇へまだ行く気かい」
「むろんさ、阿蘇へ行くつもりで、出掛けたんだもの。行かないわけにはいかない」
「そんなものかな。しかしこの豆じゃ残念ながら致《いた》し方《かた》がない」
「豆は痛むかね」
「痛むのなんのって、こうして寐ていても頭へずうんずうんと響くよ」
「あんなに、吸《すい》殻《がら》をつけてやったが、毫《ごう》も利《きき》目《め》がないかな」
「吸殻で利目があっちゃたいへんだよ」
「だって、付けてやる時は大いに難《あり》有《がた》そうだったぜ」
「癒ると思ったからさ」
「時に君はきのう怒《おこ》ったね」
「いつ」
「裸で蝙蝠傘《こうもり》を引っ張るときさ」
「だって、あんまり人を軽《けい》蔑《べつ》するからさ」
「ハハハしかしお蔭《かげ》で谷から出られたよ。君が怒らなければ僕は今ごろ谷底で往生してしまったかもしれないところだ」
「豆を潰《つぶ》すのもかまわずに引っ張ったうえに、裸で薄《すすき》の中へ倒れてさ。それで君は難有いともなんとも言わなかったぜ。君は人情のない男だ」
「その代りこの宿まで担《かつ》いで来てやったじゃないか」
「担いでくるものか。僕は独立して歩《あ》行《る》いて来たんだ」
「それじゃここはどこだか知ってるかい」
「大いに人を愚《ぐ》弄《ろう》したものだ。ここはどこだって、阿蘇町さ。しかもともかくもの饂飩を強《し》いられた三軒おいて隣の馬車宿《*》だあね。半日山のなかを馳《か》けあるいて、ようやく下りてみたら元の所だなんて、ぜんたいなんてえ間《ま》抜《ぬけ》だろう。これからもう君の天《てん》祐《ゆう》は信用しないよ」
「二百十日だったから悪るかった」
「そうして山の中で芝《しば》居《い》染《じ》みたことを言ってさ」
「ハハハハしかしあの時は大いに感服して、うん、うん、て言ったようだぜ」
「あの時は感心もしたが、こうなってみると馬鹿気ていらあ。君ありゃ真《ま》面《じ》目《め》かい」
「ふふん」
「冗《じよう》談《だん》か」
「どっちだと思う」
「どっちでも好いが、真面目なら忠告したいね」
「あの時僕の経歴談を聴《き》かせろって泣いたのは誰だい」
「泣きゃしないやね。足が痛くって心細くなったんだね」
「だって、今日《きよう》は朝から非常に元気じゃないか、昨日《きのう》た別人の観がある」
「足の痛いにかかわらずか。ハハハハ。実はあんまり馬鹿気ているから、少し腹を立ててみたのさ」
「僕に対してかい」
「だってほかに対するものがないから仕方がないさ」
「いい迷惑だ。時に君は粥《かゆ》を食うなら誂《あつ》らえてやろうか」
「粥もだがね。第一、馬車は何時に出るか聞いてもらいたい」
「馬車でどこへ行く気だい」
「どこって熊本さ」
「帰るのかい」
「帰らなくってどうする。こんな所に馬車馬と同居していちゃ命が持たない。ゆうべ、あの枕《まくら》元《もと》でぽんぽん羽目を蹴《け》られたには実に弱ったぜ」
「そうか、僕はちっとも知らなかった。そんなに音がしたかね」
「あの音が耳に入らなければまったく剛健党に相違ない。どうも君は憎くらしいほどよく寐る男だね。僕にあれほど堅い約束をして、経歴談をきかせるの、医者の日記を話すのって、いざとなると、まるで正体なしに寐ちまうんだ。――そうして、非常ないびきをかいて――」
「そうか、そりゃ失敬した。あんまり疲れすぎたんだよ」
「時に天気はどうだい」
「上天気だ」
「くだらない天気だ、昨日晴れればいいことを。――そうして顔は洗ったのかい」
「顔はとうに洗った。ともかくも起きないか」
「起きるって、ただは起きられないよ。裸で寐ているんだから」
「僕は裸で起きた」
「乱暴だね。いかに豆腐屋育ちだって、あんまりだ」
「裏へ出て、冷水浴をしていたら、かみさんが着物を持って来てくれた。乾《かわ》いてるよ。ただ鼠《ねずみ》色《いろ》になってるばかりだ」
「乾いてるなら、取り寄せてやろう」と碌さんは、勢《いきおい》よく、手をぽんぽん敲《たた》く。台所の方で返事がある。男の声だ。
「ありゃ御者かね」
「亭《てい》主《しゆ》かもしれないさ」
「そうかな、寐ながら占ってやろう」
「占ってどうするんだい」
「占って君と賭《かけ》をする」
「僕はそんなことはしないよ」
「まあ、御者か、亭主か」
「どっちかなあ」
「さあ、はやく極《き》めた。そら、来るからさ」
「じゃ、亭主にでもしておこう」
「じゃ君が亭主に、僕が御者だぜ、負けたほうが今日一日命令に服するんだぜ」
「そんなことは極めやしない」
「お早う……お呼びになりましたか」
「うん呼んだ。ちょっと僕の着物を持って来てくれ。乾いてるだろうね」
「ねえ」
「それから腹がわるいんだから、粥を焚《た》いてもらいたい」
「ねえ。お二人さんとも……」
「おれはただの飯でたくさんだよ」
「ではお一人さんだけ」
「そうだ。それから馬車は何時と何時に出るかね」
「熊本通いは八時と一時に出ますたい」
「それじゃ、その八時で立つことにするからね」
「ねえ」
「君、いよいよ熊本へ帰るのかい。せっかくここまで来て阿蘇へ上らないのは詰らないじゃないか」
「そりゃ、いけないよ」
「だってせっかく来たのに」
「せっかくは君の命令によって、せっかく来たに相違ないんだがね。この豆じゃ、どうにも、こうにも、――天祐を空しくするよりほかに道はあるまいよ」
「足が痛めば仕方がないが、――惜しいなあ、せっかい思い立って、――いい天気だぜ、見たまえ」
「だから、君もいっしょに帰りたまえな。せっかくいっしょに来たものだから、いっしょに帰らないのは可笑しいよ」
「しかし阿蘇へ登りに来たんだから、上らないで帰っちゃあ済まない」
「誰に済まないんだ」
「僕の主義に済まない」
「また主義か。窮屈な主義だね。じゃ一度熊本へ帰ってまた出直してくるさ」
「出直して来ちゃ気が済まない」
「いろいろなものに済まないんだね。君は元来強情すぎるよ」
「そうでもないさ」
「だって、今までただの一遍でも僕のいうことを聞いたことがないぜ」
「幾度もあるよ」
「なに一度もない」
「昨日も聞いてるじゃないか。谷から上がってから、僕が登ろうと主張したのを、君がなんでも下りようと言うから、ここまで引き返したじゃないか」
「昨日は格別さ。二百十日だもの。その代り僕は饂飩を何遍も喰ってるじゃないか」
「ハハハハ、ともかくも……」
「まあいいよ。談判はあとにして、ここに宿の人が待ってるから……」
「そうか」
「おい、君」
「ええ」
「君じゃない。君さ、おい宿の先生」
「ねえ」
「君は御者かい」
「いいえ」
「じゃ御亭主かい」
「いいえ」
「じゃなんだい」
「雇《やとい》人《にん》で……」
「おやおや。それじゃなんにもならない。君、この男は御者でも亭主でもないんだとさ」
「うん、それがどうしたんだ」
「どうしたんだって――まあ好いや、それじゃ。いいよ、君、あっちへ行っても好いよ」
「ねえ。ではお二人さんとも馬車でお越しになりますか」
「そこが今悶《もん》着《ちやく》中《ちゆう》さ」
「へへへへ。八時の馬車はもうすぐ、支度ができます」
「うん、だから、八時まえに悶着を方《かた》付《づ》けておこう。ひとまず引き取ってくれ」
「へへへへ御ゆっくり」
「おい、行ってしまった」
「行くのは当たり前さ。君が行け行けと催促するからさ」
「ハハハありゃ御者でも亭主でもないだとさ。弱ったな」
「なにが弱ったんだい」
「なにがって。僕はこう思ってたのさ。あの男が御者ですと言うだろう。すると僕が賭に勝つわけになるから、君はなんでも僕の命令に服さなければならなくなる」
「なるものか、そんな約束はしやしない」
「なに、したと見《み》做《な》すんだね」
「かってにかい」
「曖《あい》昧《まい》にさ。そこで君は僕といっしょに熊本へ帰らなくちゃあならないというわけさ」
「そんなわけになるかね」
「なると思って喜こんでたが、雇人だっていうからしようがない」
「そりゃ当人が雇人だと主張するんだから仕方がないだろう」
「もし御者ですと言ったら、僕は彼奴《あいつ》に三十銭やるつもりだったのに馬鹿な奴だ」
「なんにも世話にならないのに、三十銭やる必要はない」
「だって君は一昨夜、あの束髪の下女に二十銭やったじゃないか」
「よく知ってるね。――あの下女は単純で気に入ったんだもの。華族や金持ちより尊敬すべき資格がある」
「そら出た。華族や金持ちの出ない日はないね」
「いや、日に何遍言っても言い足りないくらい、毒々しくって図《ず》迂《う》図《ず》迂《う》しいものだよ」
「君がかい」
「なあに、華族や金持ちがさ」
「そうかな」
「たとえば今日わるいことをするぜ。それが成功しない」
「成功しないのは当たり前だ」
「すると、同じようなわるいことを明日やる。それでも成功しない。すると明後日《あさつて》になって、また同じことをやる。成功するまでは毎日毎日同じことをやる。三百六十五日でも七百五十日でも、わるいことを同じように重ねてさえゆく。重ねてゆけば、わるいことが、ひっくり返って、いいことになると思ってる。言《ごん》語《ご》道《どう》断《だん》だ」
「言語道断だ」
「そんなものを成功させたら、社会はめちゃくちゃだ。おいそうだろう」
「社会はめちゃくちゃだ」
「我々が世の中に生活している第一の目的は、こういう文明の怪獣を打ち殺して、金も力もない、平民にいくぶんでも安慰を与えるのにあるだろう」
「ある。うん。あるよ」
「あると思うなら、僕といっしょにやれ」
「うん。やる」
「きっとやるだろうね。いいか」
「きっとやる」
「そこでともかくも阿蘇へ登ろう」
「うん、ともかくも阿蘇へ登るがよかろう」
二人の頭の上では二百十一日の阿蘇が轟《ごう》々《ごう》と百年の不平を限りなき碧《へき》空《くう》に吐き出している。
注 釈
草 枕
*人でなしの国 知・情・意のからむ人の世に対して、人《にん》非《ぴ》人《にん》(知・情・意などの人間らしさをもたない人間)の国。
*〓鏘の音は胸裏に起る 「〓鏘」は宝石や金属が触《ふ》れあって美しい音をたてるさま。詩想が胸の琴《きん》線《せん》に触れて鳴りひびくさまをいっている。
*丹青は画架に向って塗抹せんでも 絵の具を三脚に向ってぬりたてずとも。
*霊台方寸のカメラ 「霊台」「方寸」ともに心の意味。外界のものごとを写し取る心をカメラにたとえたもの。
*澆季溷濁の俗界 道徳人情が衰退して、みだれにごった人間世界。
*尺〓 一尺四方の画布。「〓」は織目の細かい堅いきぬ。
*不同不二の乾坤 唯《ゆい》一《いつ》無《む》二《に》の世界。「乾坤」は天地。
*十文字にすれ違う 「ほととぎす鳴くやひばりの十文字」(去来『風俗文選』)
*雲雀の詩 シェレーがイタリア移住後に書いた"To a Skylark"(1820)をさす。引用部分はその二十一章十八節。
*万斛の愁 「斛」は容量単位の「石《こく》」(約一八〇リットル)と同じ。はかりしれない悲しみ。
*一合 「万斛」に対して、わずかなこと。
*浮世の勧工場 「勧工場」は以前百貨店の小規模なものに対していわれた語。人の世をこのように見たてた。
*採レ菊東籬下、悠然見二南山一 陶淵明(六朝時代の晋の詩人。五柳先生。三六五―四二七)の「飲酒二十首并《ならびに》序」の第五首の詩の一節。超俗的な生活の境地をよんだ詩として、昔からしばしば引用される。なお、漢詩のルビ・返点は、編集部が付した。
*独坐二幽篁裏一、弾レ琴復長照嘯…… 唐代の詩人であり、また山水画の大家でもあった王維(七〇〇頃―七六一)の「竹《ちく》里《り》館《かん》」と題する詩。竹林の中のはなれ座敷で、月を浴びながら、独り弾琴して歌を吟ずるさまを写したもの。
*扁舟を泛べてこの桃源に溯る 陶淵明の「桃《とう》花《か》源《げん》記《き》」にある、ある漁師が小舟で川をさかのぼったところ、桃の花の咲き乱れる、世の動きと全く隔絶した別天地に迷いこんだ、という故事をふまえたもの。
*那古井の温泉場 熊本県玉名郡天水町にある小《お》天《あま》温泉のことであるといわれる。漱石は明治三十年(一八九七)十二月三十一日から三十一年の新年にかけて山川信次郎とここへ行き、その後も山川らと何回か出かけた。
*七騎落 謡曲。源頼朝の石橋山敗戦を背景に、その家来土肥次郎実《さね》平《ひら》と遠《とお》平《ひら》の親子の情愛を描いたもの。
*墨田川 謡曲「隅田川」。人買にさらわれたわが子を捜す母親が、武《む》蔵《さしの》国《くに》隅田川のほとりで、その死を知る、という悲劇。
*枕元へ馬が尿するのをさえ…… 「蚤《のみ》虱《しらみ》馬《うま》の尿《しと》する枕もと」。「奥の細道」の中の陸前(宮城県地方)尿《しと》前《まえ》あたりでの句。
*一豎子 「豎」は子供のこと。ここでは、自分を軽んじていったことば。
*落花啼鳥 孟《もう》浩《こう》然《ねん》(唐代の詩人。六八九―七四〇)の「春暁」と題する「春眠不レ覚《 エ》レ暁《 ヲ》。処処《 ニ》聞《 ク》二啼鳥《ヲ》一。夜来風雨《 ノ》声。花落  《 ツルコト》知 《 ンヌ》多少《ゾ》」をふまえたもの。
*五厘銭 一銭の半分が五厘。明治三十三年(一九〇〇)三月発行の青銅貨。
*文久銭 文久三年(一八六三)に発行された四文の青銅貨。明治中ごろまで一厘五毛に通用した。
*宝生の舞台 宝生流の舞台。宝生流は能楽五流の一つで、その舞台は神田猿楽町にあった。
*活人画 tableau vivant(仏)。簡単な背景の前に史上の有名人などに扮した人が、画中人物のように動かずに立つもの。集会の余興などに行なわれる。
*胡麻ねじ 米粉と胡麻をあめで練った田舎の駄菓子の一つ。
*微塵棒 もち米の粉と砂糖で作った棒状の菓子。
*〓〓 山々のけわしくそそり立つさま。
*蘆雪 長沢蘆雪。宝暦四年―寛政十一年(一七五四―一七九九)。江戸前期の画家。名は政勝。円山応挙の門人。厳《いつく》島《しま》神社の山《やま》姥《うば》の図は有名。
*山姥 深山に住む女の怪物。謡曲にも扱われ、「山姥」と題するものがある。
*別会能 月例の会でなく、年に一回か二回特別に催される能の会。
*戦争 日露戦争。明治三十七年(一九〇四)二月に始まり、明治三十八年九月平和条約が布告された。「草枕」はそれから満一年後に発表されたものである。
*志保田さん 漱石が明治三十年(一八九七)暮から翌年正月にかけて山川信次郎とともに世話になった熊本県玉名郡小天温泉の前田案山子がモデルとされている。
*惟然 広瀬惟然。生年不詳―宝永八年(一七一一)。俳人。風《ふう》羅《ら》仏《ぶつ》・素牛などと号した。芭蕉の門人で、師の死後、その句を念仏のように唱《とな》えて(風羅念仏)各地をまわった。
*自分の句でない 明治二十五年(一八九二)発表された正岡子規の句に「馬子歌の鈴鹿上るや春の雨」がある。
*城下 城下町。細川氏五十四万石の旧城下町である熊本市がモデルとなっている。
*那古井の嬢さま あとにお那《な》美《み》さんの名で出てくる。前田案山子の娘であるつな子がモデルとされている。
*オフェリア Ophelia シェイクスピア四大悲劇の一つ「ハムレット」にでてくる乙女。ハムレットに捨てられて発狂し、川に投身して死ぬ。
*仙 仙人。
*長良の乙女 漱石の明治三十九年(一九〇六)の「断片」に「日《ヒ》置《オキノ》長《ナガ》枝《エガ》娘《オト》子《メ》歌(万葉八 四十一)」として、後出の歌が写されているが、これから作った名であろう。
*ささだ男 同じく右の断片に「見菟《ウナ》負《ヒ》処女墓歌一首并《ならぴに》短歌(万葉九ノ四十九丁ヨリ同三十五ヨリ)」として書き写してある歌の中に「ささだをとこ」の名が見える。
*ささべ男 「ささだ男」に対するものとして漱石が作った名か。
*紙燭 こよりを油にひたして火をつけたともし。
*房州を…… 漱石は明治二十二年(一八八九)二十二歳の時この地を旅行して「木《もく》屑《せつ》録《ろく》」という漢詩文を書いている。なお、明治三十七、八年(一九〇四、五)の断片に「○上総。草山。修竹。給仕の女」のメモがある。
*竹影払階塵不動 「竹影払《 ツテ》レ階《 ヲ》塵不レ動《 カ》。月輪穿《 ツテ》レ沼《 ヲ》水無《 シ》レ痕《あと》。」(『菜《さい》根《こん》譚《たん》』)『菜根譚』は、中国の明(一三六八―一六六六)末の儒者洪自誠が徳行を重んじ文雅風流を説いた語録体の書。
*大徹 観海寺の住職。
*黄檗 黄檗宗。禅宗臨済宗一派。十七世紀中ごろ、わが国に伝来した。
*高泉和尚 高泉性《しよう》〓《とん》。一六三三―一六九五。中国福州の人。寛文元年(一六六一)隠元に日本へよびよせられた。元禄五年(一六九二)黄檗山万福寺第五世となった。『扶桑禅林僧宝伝』の著がある。
*隠元 一五九二―一六七三。日本黄檗宗の開祖。中国福州の人。長崎興福寺の逸然にたのまれて承応三年(一六五四)来日、山城宇治に黄檗山万福寺をひらいた。
*即非 一六一六―一六七一。黄檗宗の高僧。中国福州の人。隠元に随行して来日、師を助けて黄檗宗をひろめた。本菴は彼の法兄である。
*木庵 木菴。一六一一―一六八四。黄檗宗の高僧。中国泉州の人。隠元に随行して来日、万福寺第二世となった。
*若冲 伊藤若冲。享保元年―寛政十二年(一七一六―一八○○)。江戸中期の画家。京都の人。動物画・山水画・花鳥画いずれも独特の筆法で描いたが、特に鶏の絵が得意であった。後年黄檗宗の伯〓c和尚に従って禅門に入った。
*向島 向岸の意か。
*大慧禅師 一〇八九―一一六三。中国宋代の楊岐派の禅僧。宣州の人。名は宋《そう》杲《こう》。『大慧武庫』『大慧語録』の著がある。
*つらまったまま つかまったまま。
*抜け出でた布団の穴 「春雨や抜け出たままの夜着の穴」(丈草)
*烏有の山水を刻画して 実在せぬ景色を描くこと。
*壺中の天地に歓喜する 仙境・別世界によろこびすむこと。『漢《かん》書《じよ》』(中国前漢時代〈前二〇二―前八〉を書いた史書)方術伝にある、汝《じよ》南《なん》の費長房が市中で薬売りの翁にあって彼の持つつぼの中に一緒に入れてもらい、そこにあった宮殿で山海の珍味や酒を御馳走になる、という故事による。
*曾遊 かつておとずれたことのあること。
*四角な世界 かたぐるしい常識にしばられた不自由な世界。
*琳琅 美しい玉の名。
*宝〓 たからの玉。「〓」は美しい玉の一種。
*炳乎として ひかり輝くさま。
*ターナー Joseph Mallord William Turner 1775―1851 イギリスの風景画家。印象派の画家に影響を与えた。「汽車を写す……」は「雨・蒸気・速力」という絵で、一八四四年の作品。
*サルヴァトル・ロザ Salvator Rosa 1615―1673 イタリアの画家・版画家・詩人・音楽家。作品には南部イタリアの風景画や戦争画が多い。
*物狂ひ 狂気。狂人。先刻見た女を狂女とみたてたのである。
*正一位 正一位稲《いな》荷《り》大《だい》明《みよう》神《じん》につかえる狐をこういったもの。
*かざし 髪挿。装飾のために髪に花の枝や造花をさすもの。
*彩管 絵筆のこと。
*もぎどう 没《も》義《ぎ》道《どう》。人としての道にそむくこと。無法。
*氤〓たる瞑氛 「氤〓」は気がさかんなさま。「瞑氛」は目に見えない気。
*偶然と ここでは、漫然と、ぼんやりと、の意味に用いている。
*大蔵経 経・律・論の三蔵(釈迦の教えを集めた経蔵、戒律を集めた律蔵、弟子や高僧の教えを集めた論蔵)をはじめ仏教のいろいろな典籍を分類編集したもの。宮廷の宝蔵におさめたのでこの名がある。
*雷霆 かみなり。
*湛然 水をたたえたように静かで動かないさま。
*〓泥帯水の陋 泥を曳き水をかぶるような、いやしくみにくいさま。禅宗でいう。
*白隠和尚の遠良天釜 白隠(貞享二年―明和五年 一六八五―一七六八)は、江戸時代の臨済宗の高僧。駿河の人で、伊豆竜沢寺を開き、のち京都妙心寺第一座となった。その著書『遠羅天釜』は寛延四年(一七五一)に刊行された三巻本で、内容は武士参禅、病中修業などについての法話である。
*唐木 中国からはいって来たのでこの名がある。紫《し》檀《たん》・黒《こく》檀《たん》などの熱帯産の木。
*御曹子 一般に、貴族の部屋住みの子息をいうが、源義経をさす場合も多い。ここでは義経が五条の橋へ女装で行った話をふまえていると思われる。
*枸杞 なす科の落葉小灌木。夏に淡紫色の花が咲き、実・根皮・葉は薬になる。
*石磴 石の階段。
*空山不レ見レ人 王維(参照)の詩に「鹿《ろく》柴《さい》」と題する「空山不レ見レ人《 ヲ》。但《ただ》聞《 ク》人語《 ノ》響。返景入《 リ》二深林《ニ》一。復《また》照《 ス》青苔《 ノ》上」がある。
*一とかたげぐらい 一食くらい。
*煦々 日のぽかぽかと暖かいさま。
*開化した楊柳観音 モダンな楊柳観音。「楊柳観音」は三十三観音の一つ。慈悲深く衆生の願いを楊柳が風になびくように聞き入れるといわれて、この名がある。その姿は石の上に坐って右手に柳をもち左手を左乳上にあてている。
*人に存するもの眸子より…… 『孟子』離《り》婁《ろう》編《へん》のことば。人間にそなわっているもので、ひとみほど正直なものはない、の意味。
*亜字欄 「亜」の字型に組立てた欄《らん》干《かん》。
*Sadder than is the moon's lost light,…… ――まさりて悲し/さすらひの旅の子に/しののめの光りのいまだ来ぬに/失はれし、月の光をも/汝がうるはしきかんばせの/わがまなこより消え去るは。(試訳)
*Might I look on thee in death,…… ――死して、汝をながめうるなら、至福のうちにわれは死なん。(試訳)
*肘壺の柱 肘壺(柱に取付け、肘金をうけて戸を開閉するようにした壺のような金具)を取付けた柱。ここは、頬杖をついたことをたとえたものである。
*鞠躬如 身をかがめておそれつつしむさま。
*麻布の連隊 もと東京都港区にあった第一師団第三連隊。軍隊の規律のやかましさにたとえて皮肉ったもの。
*身を逆まにして 「鶯の身を逆まに初音哉《かな》」(其角)
*小さき口 「鶯の鳴くや小さき口あけて」(蕪村)
*神田松永町 漱石は松永町と書いているが、松下町の思い違いであろう。
*竜閑橋 神田松下町にあった橋。
*日英同盟国旗 日英同盟は明治三十五年(一九〇二)一月調印され二月に公布されたが、この時日英の国旗を交差して飾った。
*法返しがつかねえ 「法返し」はほおばったものをかむこと。ほどこすべき手段もない、の意味。
*震盪 ふるえ動くこと。
*納所坊主 寺院の会計や庶務を取扱う納所で働く下級僧。
*レコ 「これ」の倒語。あからさまにいうのをはばかる際に用いる。情人のこと。
*参差 長短の不ぞろいであるさま。互いにまじるさま。
*円〓方鑿 まるい〓《ほぞ》(二つの木材などを接合する際、一方の材に作って、片方にあけた孔に挿しこむ突起)を四角な孔にいれることで、両者のあいいれないことをいうが、円《えん》鑿《さく》方《ほう》〓《ぜい》といわれるのがふつう。
*怡々 よろこびたのしむさま。
*〓尽〓磨 「〓尽」はつきてなくなること。「〓磨」はすりへること。
*昧者 「昧」はものごとにくらいことをいう。おろかもの。
*刻意 心をくだくこと。懸命に。
*陸前の大梅寺 慶安四年(一六五一)雲《うん》居《ご》禅師によって、陸前(宮城県)名取郡生出村に開かれた臨済宗の寺。
*味噌擂 味噌すり坊主の略。寺院の炊事などをする下級僧。また、一般に僧をののしっていうこともある。
*咄 舌うちの音。叱りつける声。
*乾屎〓 かわいた糞をぬぐう箆《へら》最もきたないもののたとえで、禅問答などにいう。
*四大 四大種ともいう。あらゆるものを構成している地・水・火・風の四元素をさす仏教語。
*霊氛 霊気。
*火宅の苦 煩悩の苦しみ。煩悩にとらわれて苦しむことを火災にかかった家宅にたとえていう。
*待対世界の精華を嚼んで 利害・善悪・美醜などあらゆるものの対立からなる、この世の正味をかみしめて。
*自在に泥団を放下して 思いのままに泥のかたまりのような肉体をはなれて。「放下」は禅語で、諸《しよ》縁《えん》をたちきって無我に入ること。
*破笠裏に無限の青嵐を盛る 粗末な破れ笠の中にかぎりなくさわやかな夏の風をいれる。俗をはなれて、自然に遊ぶ境地。
*銅臭児 金銭の悪臭をまとった者。俗人。
*鬼嚇して 鬼の面をかぶっておどす。
*這裏の福音 この境地のよろこばしい知らせ。「這裏」はこのうち、このなか、の意味。
*人々具足の道 人それぞれにそなわった道。
*微光の臭骸に洩れて…… 悪臭を放つむくろからかすかな光がもれるように、世俗にまみれた生涯の中にもすばらしいひらめきはある、の意味。
*一団の水仙に化して ワーズワースの詩「喇《ラツ》叭《パ》水仙」("The Daffodils")をふまえたもの。
*耿気 きらめく大気。
*仙丹 仙薬。食べると不老不死となり、仙人になれるという薬。
*窈然 深くて暗いさま。
*冲融 気分などが和らぐさま。
*澹蕩 ゆったりしてのどかなさま。
*洪繊の線 太い線と細い線の区別。
*〓〓しがたき 「〓〓」は気ぬけしてぼんやりするさま。ここは、あいまいでとらえがたい、ぐらいの意味。
*文与可の竹 文与可の描いた竹。文与可(生年不詳―一〇七九)は、宋代の画家。与可は字《あざな》で、名は同。笑々先生・錦江道人などと号し、墨竹にすぐれ、心の不満を一発墨竹に托して発散したという。
*雲谷 天文十六年―元和四年(一五四七―一六一八)。安土・桃山時代の画家。雪舟の住んでいた雲谷庵をついで、雲谷を姓とし、名を等顔といった。雪舟三世と称し、狩野派の人々と並んで屏風絵などを描いた。この一派を雲谷派という。
*大雅堂 江戸中期の南画家池《いけの》大《たい》雅《が》(享保八年―安永五年 一七二三―一七七六)の号。大雅は、京都に生まれ、のち清《しん》人《じん》伊《い》孚《ふ》九《きゆう》に私淑して南画を学び、日本的南画を完成したといわれる。大雅堂の他に九霞山樵・竹居などとも号した。
*レッシング Gotthold Ephraim Lessing 1729―1781 ドイツの詩人・劇作家・評論家。『エミリア・ガロッティ』("Golotti Galloti",1772)『賢者ナータン』("Nathan der Weise",1779)などがその代表作。
*詩画は不一にして両様なり 前注レッシングの芸術論集『ラオコーン、或は絵画と詩の限界について』("Laokoon oder e《..》ber die Grenzen der Malerei und Poesie",1776)の中で、時間芸術と空間芸術の区別を説いていることば。
*逓次に 順を追って。
*把住 保持すること。
*曠然として倚托なき有様 ひろびろとしてたよるところのないさま。
*ホーマー Homer(英)、Homeros(ギリシア語)。紀元前約九世紀ころのギリシアの叙事詩人。「イリアス」("Ilias")および「オデュッセイア」("Odysseia《_》")の作者とされている。ホメロス。
*ヴァージル Virgil(英)、Publius Vergilius Maro《_》(ラテン語)。前七〇―前一九。ローマ第一の詩人。十二巻から成る叙事詩「アエネイス」("Aene is")が最も名高い。ウェルギリウス。
*冥〓 くらくはるかなさま。
*幽闃 わびしく静かなさま。
*太玄の〓 天上の宮殿の門。
*幽冥の府 よみの国のような、夜の暗黒世界。
*色相世界 肉眼で見ることのできる世界。
*間〓 しずかでしとやかなこと。
*白楽天 七七二―八四六。名は居《きよ》易《い》。号は香山居士。中唐の詩人で「長《ちよう》恨《ごん》歌《か》」「琵《び》琶《わ》行《こう》」「白《はく》氏《し》文《もん》集《じゆう》」などで知られる。
*温泉水滑洗二凝脂一 「長恨歌」の中の、揚貴妃の湯《ゆ》浴《あみ》を描写した一節。
*スウィンバーン Algernon Charles Swinburne 1837―1909 イギリスの詩人・評論家。ロゼッティなどと交わり、その詩は韻律美に特色があった。
*太棹 義太夫節に伴奏する棹の太い三味線。
*万屋 以下の話は、漱石自身の幼年時代の経験がもとで、大正四年(一九一五)発表の「硝子戸の中」十九によれば、「万屋」は「小倉屋」、後出の「お倉さん」は「お北さん」が実名である。
*赤い手絡の時代 新妻のころ。「手絡」は丸《まる》髷《まげ》の根もとにかける縮《ちり》緬《めん》の布。
*旅の衣は鈴懸の 長唄「勧進帳」の初めの文句。
*衣冠の世に 衣服をまとうのが普通の世の中に。
*陋とする いやしいこととする。
*満は損を招く 『書経』(尭《ぎよう》舜《しゆん》から秦《しん》穆《ぼく》の時代に至るまでの政治史・政教を孔子が編した中国最古の経典)大《たい》禹《う》謨《ぼ》に「満《 ハ》招《 キ》レ損《 ヲ》、謙《 ハ》受《 ク》レ益《 ヲ》、時乃天道《 ナリ》」とある。
*弊竇 弊害。
*拘々として ものごとにとらわれているさま。
*娉〓 姿のしなやかで、美しいさま。
*〓竜 「〓竜」は「みずち」で角のある竜。
*楮毫 紙と筆。
*六々三十六鱗 うろこ一枚一枚の意味。
*浄洒々に あらいざらいに。
*桂の都 月の都。
*嫦娥 月の異名。または月世界に住む美人の名。
*〓と 草などが風になびくさま。
*南宗派 禅宗で南宗・北宗と分かれたように、画も唐代に南北二宗に分かれたもの。唐の王維が祖であるが主として明(一三六八―一六六六)の董《とう》其《き》昌《しよう》らによって発展させられた。文人画ともいわれ、わが国では大雅・蕪村・崋《か》山《ざん》などがその作家とされているが、一般に中国風の絵をすべて南宗画とよぶ傾向がある。
*杢兵衛 青《あお》木《き》木《もく》米《べい》。明和四年―天保四年(一七六七―一八三三)。江戸末期の陶芸家。尾張に生まれ京都粟田口に住んだ。中国古陶にならって独特の作品をつくり、頼山陽とも交わり、書画もよくした。
*礪並 富山県に礪波市が実在するが、これから漱石が思いついた名前か。
*山陽 安永九年―天保三年(一七八〇―一八三二)。江戸末期の儒者。本名頼《らい》襄《のぼる》。字《あざな》は子成。通称久太郎。詩文・書画にもすぐれていた。著書として『日本外史』が有名。
*春水 延享三年―文化十三年(一七四六―一八一六)。山陽の父。名は惟完。字は千秋。通称弥太郎。儒学者で広島浅野藩に仕えた。
*端渓 「端《たん》渓《けい》硯《けん》」の略。中国広《カン》東《トン》省端渓で産する端渓石で作った硯《すずり》で、良質の硯として珍重される。
*〓〓眼 「〓〓」は「ははっちょう」ともいい、全体が黒く両翼に白点がある鳥。端渓硯にはこれに似た丸い点(眼)がある。
*杏坪 頼杏坪。宝暦六年―天保五年(一七五六―一八三四)。春水の末弟。儒者。広島浅野藩に仕え、甥山陽の教育に力をそそいだ。
*物徂徠 荻《おぎ》生《ゆう》徂徠。寛文六年―享保十三年(一六六六―一七二八)。江戸中期の儒者。物《ものの》部《べの》守《もり》屋《や》の子孫であるところから物部を氏とし、こう称した。幼名惣右衛門。字は茂《しげ》卿《のり》。はじめ朱子学を学び、のち古学に転じて古文辞学をたて、服部南郭・太宰春台などのすぐれた門人を出した。
*広沢 細井広沢。万治元年―享保二十年(一六五八―一七三五)。江戸中期の儒者。朱子学・陽明学を学び柳沢吉保・水戸家・幕府などに仕えた。書は文《ぶん》徴《ちよう》明《めい》(明代の書家・画人)の流れをくみ、そのほか兵法・天文などに学識が広かった。
*朔北の曠野 「朔北」は北方の辺境のことをいい、ここは満州平野をさす。
*放した鷹はまたそれかかる 鷹狩りで獲物をとらえさせるために放した鷹がまた目的からそれそうになる。話の中心がそらされそうになったことをいったもの。
*情けの風が女から吹く…… この原文は漱石蔵書の中にあるジョージ・メレディスの『ボーシャンの生涯』で("Beauchmp's Career",1857)の一章「アドリヤ海の一夜」(A Night on the Adriatic)の一部分である。
*鳴りやまぬ弦を握った心地 弦は弓のつるで、矢を放ったのち、しばしふるえて音をたてる。互いの気持がたかぶっていることを表現したもの。
*満泓 水が深々とたたえられたさま。
*風馬牛し得るもの 無視できるもの。無関心でいられるもの。「風馬牛」は無関係の意味で「牝と牡があい慕っても馬と牛では会うこともできないほどへだたりがある」という『左伝』僖公四年のことばによる。
*天下の群小を麾いで 大勢の小人どもをさしまねいて。
*タイモンの憤り シェイクスピアの悲劇。"The Timon of Athens"(1623 初刊)の主人公若い貴族タイモンは、自分の没落後、平常恩をさずけていたものがみな離反する不義忘恩を見て人間嫌いとなり、ついに憤死する。
*蘭を九〓に滋き、〓を百畦に樹えて 「既《 ニ》滋《 キ》二蘭《 ヲ》之九〓《 ニ》一兮、又樹《 ウ》二〓《 ヲ》之百畦《 ニ》一」(『楚《そ》辞《じ》』離騒)。蘭も〓も菊科の香草。〓は三十畝《ぽ》、畦は五十畝。『楚辞』は、楚の屈原および門人などの賦を漢の劉向が編した書。
*敷島 明治三十七年(一九〇四)発売の、後の朝日に似た口付の紙巻煙草。
*雨竜 とかげに似た形の、角のない尾の細い竜。
*雨中の梨花 白楽天の長恨歌「梨花一枝春帯《おブ》レ雨《 ヲ》」をふまえたことば。「梨花」はなしの花。
*梵論字 虚無僧。もとはインドの婆羅門(仏教以前にインドで行なわれた国民的宗教)の師僧の称。
*嵯々 山などのけわしいさま。
*楚然 くっきりと。
*トリストラム・シャンデー スターンの自伝的小説『トリストラム・シャンデーの生活と意見』("Thelife and Opinions of Tristram Shandy",1760―1767)。
*スターン Laurence Sterne 1713―1768 イギリスの擬古典主義の代表的作家。
*随縁放曠 「随縁」は因縁にしたがって現象が起こること。「放曠」は心がのんびりして物にこだわらぬこと。かかわりの生ずるままに、こだわらず振舞うこと。
*岩佐又兵衛 天正六年―慶安三年(一五七八―一六五〇)。江戸初期の画家。名は勝《かつ》以《もち》。越前(福井地方)の岩佐氏の養子となり、のち幕府にまねかれて江戸へ出、人物画・風俗画にすぐれた絵を残した。
*鬼の念仏 大津絵(元禄期に近江の大津から売り出された絵。この名手といわれた又平は又兵衛とよく混同される)の画題の一つとして有名。鬼が法衣を着て傘を負い、奉加帳・鉦《かね》・撞《しゆ》木《もく》をもっているもの。
*いかなるこれ仏と問われて、庭前の柏樹子と答えた僧 唐代の禅僧趙《ちよう》州《しゆう》。名は従《じゆう》〓《しん》。真際大師と称される。
*晁補之 一〇五二―一一一〇。中国宋代の文章家。字は元《げん》咎《きゆう》。号は帰来子。蘇《そ》軾《しよく》に師事し、文集『〓誰肋集』七十巻、詩集『琴趣外篇』六巻の著がある。
*「時に九月天高く露清く……」 「新城遊二北山一記」と題される詩の一節。
*鬼魅 へんげ。妖怪。
*笑〓 笑は「突」の誤りで、乱れた髪のこと。
*遅明 夜明け。
*蜀犬日に吠え、呉牛月に喘ぐ 蜀の犬は、日を見ることがすくないため、日を見てもうたがい吠え、呉に生れた牛(水牛)は暑さをおそれるあまり、月を見ても日と思ってあえぐ、の意味。見識のせまいことのたとえにいう。
*〓寥 むなしくさびしいさま。
*行屎走尿 手洗いで大小便の用を足すこと。日常の立《たち》居《い》振《ふる》舞《まい》。
*小手板 パレットのこと。
*尺素を染めず、寸〓を塗らざるも 「尺素」は一尺の白絹。「寸〓」は織目のこまかいかたい絹ぎれ。画家としての仕事を少しもしないでも、の意味。
*歩武を斉しゅうして あゆみをそろえて。「歩」は六尺あるいは六尺四寸。「武」はその半分のこと。
*グーダル Frederick Goodall 1822―1904 イギリスの画家。
*美的生活 明治三十四年(一九〇一)雑誌「太陽」八月号に高山樗牛が「美的生活を論ず」という評論を発表して文壇をにぎわした。ニーチェの思想に感化されて個人我の解放と生命感の昂揚を説いたものであったが、これを皮肉っている。
*無上趣味 なんでも最上のものを求める趣味。
*鼎〓に烹らる かまゆでにされる。「鼎」は足のあるかなえ(古代シナで、食物を煮た銅器)。「〓」は足のないかなえ。中国の戦国時代、極刑として罪人をかまゆでにして殺した。
*巌頭の吟 明治三十六年(一九〇三)五月、第一高等学校生徒藤《ふじ》村《むら》操《みさお》は、日光華厳滝巌頭の木に「巌頭の感」と題する一文を残して投身自殺した。
*纏綿たる利害の累索 わずらわしい種々のかかりあい。
*大千世界 三千大千世界。仏教では、須《しゆ》弥《み》山《せん》を中心に日・月・四大州・六欲天・梵天などを含めて一世界とするが、これをさらに千の何乗倍かしたもの。大宇宙の意味。
*水筆 しんをいれず穂先を全部おろして用いる筆。
*出レ門多二所思一。…… 「春興」と題した漱石の熊本時代(明治三十一年〈一八九八〉三月)の作。
*迅雷耳を掩うに遑あらず 突然雷が鳴ったとき耳をふさぐひまがないように、事の急変に対処する暇のないこと。
*狩野派の双幅 「狩野派」は室町後期に狩野正信(永享六年―享禄三年 一四三四―一五三〇)によって起こされた日本画の一派で、その子元信によって確立され、永徳・山楽・探幽らによって発展完成された。安土・桃山時代の豪放な気風を反映して、豪華絢爛の趣を特徴とする。「双幅」は一対になった掛物。対《つい》幅《ふく》ともいう。
*掀げて 「両手で高くさし上げる」のが字の意であるが、ここは「かき上げて」の意味であろう。
*だまを出さない 凧の糸をだしきらないことをいうが、心の奥にあるものを口に出してとりみださない、という意味のたとえ。
*的〓 白く鮮やかなさま。
*げんげん 蓮《れん》華《げ》。げんげ。
*崢〓 山のたかくけわしいさま。
*千草色 もえぎ色。
*赤いもの 戦場をさしているから血潮をいっている。
二百十日
*圭さん 明治三十二年(一八九九)九月、漱石は熊本第五高等学校の同僚山川信次郎とともに阿蘇登山を試みているが、小宮豊隆著『夏目漱石』には「二百十日の背景には、すべてこの時の経験が利用されている」とあり、このことは、ある程度「圭さん」「碌さん」二人の人物の行動などについてもいえることであろうと思われる。
*小供の時住んでた町…… 以下の風景は大正四年(一九一五)に書かれた「硝子戸の中」十九に述べられている漱石の実家(当時牛込馬場下町)付近の実際のものが取入れられており、豆腐屋についても「どんな田舎へ行ってもありがちな豆腐屋はむろんあった……」とある。
*寒磬寺 「硝子戸の中」十九には「西閑寺」と書かれているが、「誓閑寺」が正しい旨、小宮豊隆著『夏目漱石』で指摘されている。
*門前から見るとただ大竹藪ばかり…… 「赤く塗られた門の後は、深い竹藪で一面に掩《おお》われているので、中にどんなものがあるか通りからはまったく見えなかったが、その奥でする朝晩のお勤《つとめ》の鉦《かね》の音《ね》は、今でも私の耳に残っている……」(「硝子戸の中」十九)
*吉原揚 油揚の一種。
*海賊の張本毛剃九右衛門 近松門左衛門の「博多小女郎浪枕」に登場する海賊。長崎奉行所の抜荷御仕置御《お》触《ふれ》書《がき》に見える、享保三年(一七一八)秋の海外密輸入者、長崎のけずり八右衛門をモデルにしたものという。
*伊賀の水月 寛永十一年(一六三四)の、荒木又右衛門と義弟渡辺数馬の伊賀上野の仇討を語る講談などの題名。「水月」は双方が相対してにらみあうという意味の兵法用語。
*恵比寿 ビールの銘柄の一つ。のちニッポンビールとなり、現在はサッポロビール。恵比寿(七福神の一)の商標がついていた。
*「ねえ」 はい。肥後(熊本県)地方に分布している方言。
*ちょきり結び ちょっきり結び。手軽いこま結び。
*起きるがものはない 起きるほどのこともない。
*よな 九州や信州などで火山灰のことをいう。
*天誅組 「天誅」は「天に代わって誅《ちゆう》戮《りく》を加える」という意味。文久三年(一八六三)大和十津川に起こされた藤本鉄石、吉村寅太郎らの攘夷倒幕の一党を「天誅組」といった。
*筑波山へ立て籠る 元治元年(一八六四)の天《てん》狗《ぐ》党《とう》の乱をさす。武田耕雲斎を首領とする水戸藩士らが筑波山へたてこもって尊皇攘夷の旗をあげたもの。幕府の軍は破ったが、のち諸藩の連合軍に破れて壊滅した。
*桀紂 中国古代夏の桀《けつ》王《おう》と殷《いん》の紂《ちゆう》王《おう》。あわせて暴君の代名詞として用いられる。
*ももんがあ むささびに似た動物であるが、子供をおどかしたり、人をののしったりする時にいわれる。
*ディッケンズの両都物語り イギリスの作家Charles Dickens(1812―1870)の『二都物語("A Tale of Two Cities",1859)をさす。
*お医者さんの獄中でかいた日記 『二都物語』中のアレクサンドル・マネットという医者の日記をさす(第三編第十章)。
*煢々 孤独なさま。
*肩へつらまったら 肩へつかまったら。
*長いのが天竺から…… 「天から長い長い褌《ふんどし》がぶらさがった」などといって、長いことの形容にいう。
*八間の蝙蝠 八間は骨と骨の間が八つあるもの。
*馬車宿 漱石の明治三十二年(一八九九)の俳句「語り出す祭文は何宵の秋」のことばがきに「立野といふ所にて馬車宿に泊る……」とある。
草《くさ》枕《まくら》・二《に》百《ひやく》十《とお》日《か》
夏《なつ》目《め》漱《そう》石《せき》
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平成12年9月1日 発行
発行者  角川歴彦
発行所  株式会社 角川書店
〒102-8177 東京都千代田区富士見2-13-3
shoseki@kadokawa.co.jp
本電子書籍は下記にもとづいて制作しました
角川文庫『草枕・二百十日』昭和30年8月10日初版刊行・平成10年5月30日改版46版刊行