TITLE : 彼岸過迄
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目 次
彼岸過迄について
風呂の後
停留所
報 告
雨の降る日
須永の話
松本の話
結 末
注 釈
彼岸過迄
彼岸過迄について
事実を読者の前に告白すると、去年の八月ごろすでに自分の小説を紙上に連載すべきはずだったのである。ところがあまり暑い盛りに大《*》患後の身体《からだ》をぶっとおしに使うのはどんなものだろうという親切な心配をしてくれる人が出てきたので、それを好《い》い機会《しお》に、なお二か月の暇を貪《むさぼ》ることに取《と》り極《き》めてもらったのが原《もと》で、とうとうその二か月が過《す》ぎ去った十月にも筆を執らず、十一、十二もつい紙上へは杳《*よう》たる有《あり》様《さま》で暮らしてしまった。自分の当然遣《や》るべき仕事が、こういうふうに、崩《くず》れた波の崩れながら伝わってゆくような具合で、ただだらしなく延びるのは決して心持ちの好いものではない。
歳《とし》の改まる元旦からいよいよ書き始める緒《いと》口《ぐち》を開くようにことが極《きま》った時は、長いあいだ抑《おさ》えられたものが伸びる時の楽しみよりは、背中に背負《しよわ》された義務を片付ける時機が来たという意味でまずなによりも嬉《うれ》しかった。けれども長いあいだ抛《ほう》り出しておいたこの義務を、どうしたら例《いつも》よりも手《て》際《ぎわ》よく遣《や》ってのけられるだろうかと考えると、また新しい苦痛を感ぜずにはいられない。
久しぶりだからなるべく面《おも》白《しろ》いものを書かなければ済まないという気がいくらかある。それに自分の健康状態やらその他の事情に対して寛容の精神に充《み》ちた取り扱い方をしてくれた社友の好意だの、また自分の書くものを毎日日課のようにして読んでくれる読者の好意だのに、酬《むく》いなくては済まないという心持ちがだいぶ付け加わってくる。で、どうかして旨《うま》いものができるようにと念じている。けれどもただ念《ねん》力《りき》だけでは作物の出《で》来《き》栄《ば》えを左右するわけにはどうしたってゆきっこない、いくら佳《い》いものをと思っても、思うようになるかならないか自分にさえ予言のできかねるのが述作の常であるから、今度こそは長いあいだ休んだ埋合せをするつもりであると公言する勇気が出ない。そこに一種の苦痛が潜んでいるのである。
この作を公にするにあたって、自分はただ以上の事だけを言っておきたい気がする。作の性質だの、作物に対する自己の見識だの主張だのは今述べる必要を認めていない。実をいうと自分は自《*》然派の作家でもなければ象《*》徴派の作家でもない。近ごろしばしば耳にするネ《*》オ浪漫《ローマン》派《は》の作家ではなおさらない。自分はこれらの主義を高く標《ひよう》榜《ぼう》して路傍の人の注意を惹《ひ》くほどに、自分の作物が固定した色に染め付けられているという自信を持ち得ぬものである。またそんな自信を不必要とするものである。ただ自分は自分であるという信念を持っている。そうして自分が自分である以上は、自然派でなかろうが、象徴派でなかろうが、ないしネオの付く浪漫派でなかろうがまったく構わないつもりである。
自分はまた自分の作物を新しい新しいと吹《ふい》聴《ちよう》することも好まない。今の世にむやみに新しがっているものは三《みつ》越《こし》呉服店とヤンキーとそれから文壇における一部の作家と評家だろうと自分はとうから考えている。
自分はすべて文壇に濫用される空疎な流行語を藉《か》りて自分の作物の商標としたくない。ただ自分らしいものが書きたいだけである。手腕が足りなくて自分以下のものができたり、衒《げん》気《き》があって自分以上を装うようなものができたりして、読者に済まない結果を齎《もたら》すのを恐れるだけである。
東京大阪を通じて計算すると、わが朝日新聞の購読者は実に何十万という多数に上っている。そのうちで自分の作物を読んでくれる人は何人あるか知らないが、その何人かの大部分はおそらく文壇の裏通りも露路も覗《のぞ》いた経験はあるまい。まったくただの人間として大自然の空気を真《しん》率《そつ》に呼吸しつつ穏当に生息しているだけだろうと思う。自分はこれらの教育あるかつ尋常なる士人の前にわが作物を公にし得《う》る自分を幸福と信じている。
「彼《ひ》岸《がん》過《すぎ》迄《まで》」というのは、元日から始めて彼岸過ぎまで書く予定だから単にそう名づけたまでにすぎない実は空《むな》しい標題《みだし》である。かねてから自分は個々の短編を重ねた末に、その個々の短編が相《あい》合《がつ》して一長編を構成するように仕組んだら、新聞小説として存外面白く読まれはしないだろうかという意見を持していた。が、ついそれを試みる機会もなくて今日まで過ぎたのであるから、もし自分の手際が許すならばこの「彼岸過迄」をかねての思わくどおりに作り上げたいと考えている。けれども小説は建築家の図面と違って、いくら下手《へた》でも活動と発展を含まないわけにはゆかないので、たとい自分が作るとはいいながら、自分の計画どおりに進行しかねる場合がよく起こってくるのは、普通の実世間において吾《われ》々《われ》の企てが意外の障害を受けて予期のごとくに纏《まとま》らないのと一般である。したがってこれはずっと書き進んでみないとちょっと分《わか》らないまったく未来に属する問題かもしれない。けれどもよし旨くゆかなくっても、離れるとも即《つ》くとも片の付かない短編が続くだけのことだろうとは予想できる。自分はそれでも差《さし》支《つか》えなかろうと思っている。
(明治四十五年一月この作を朝日新聞に公にしたる時の緒言)
風呂の後
一
敬《けい》太《た》郎《ろう》はそれほど験《*げん》の見えないこのあいだからの運動と奔走に少し厭《いや》気《き》が注《さ》してきた。もともと頑《がん》丈《じよう》にできた身体《からだ》だから単に馳《か》け歩くという労力だけならたいして苦にもなるまいとは自分でも承知しているが、思うことが引《ひ》っ懸《かか》ったなり居《い》据《すわ》って動かなかったり、または引っ懸ろうとして手を出すとたんにすぽりと外《はず》れたりする反間《へま》がたび重なるにつれて、身体よりも頭のほうがだんだんいうことを聞かなくなってきた。で、今夜は少し癪《しやく》も手伝って、飲みたくもない麦酒《ビール》をわざとポンポン抜いて、できるだけ快《かい》豁《かつ》な気分を自《*》分と誘《いざな》ってみた。けれどもいつまで経《た》っても、ことさらに借り着をして陽気がろうとする自覚が退《の》かないので、しまいに下女を呼んで、そこいらを片付けさした。下女は敬太郎の顔を見て、「まあ田《た》川《がわ》さん」と言ったが、そのあとからまた「ほんとうにまあ」と付け足した。敬太郎は自分の顔を撫《な》でながら、「赤いだろう。こんな好《い》い色をいつまでも電燈に照らしておくのは勿《もつ》体《たい》ないから、もう寐《ね》るんだ。ついでに床を取ってくれ」と言って、下女がまだなにか遣《や》り返そうとするのをわざと外して廊下へ出た。そうして便所から帰って夜具の中に潜《もぐ》り込む時、まあ当分休養することにするんだと口の内で呟《つぶや》いた。
敬太郎は夜中に二返目を覚《さ》ました。一度は咽喉《のど》が渇《かわ》いたため、一度は夢を見たためであった。三度目に目が開《あ》いた時は、もう明るくなっていた。世の中が動きだしているなと気が付くやいなや敬太郎は、休養休養と言ってまた目《*》を眠ってしまった。その次には気の利《き》かないボンボン時計《どけい》の大きな音が無遠慮に耳に響いた。それからあとはいくら苦心しても寐《ね》付《つ》かれなかった。已《やむ》を得ず横になったまま巻《まき》烟草《たばこ》を一本吸っていると、半分ほどに燃えてきた敷《*しき》島《しま》の先が崩《くず》れて、白い枕《まくら》が灰だらけになった。それでも彼はじっとしているつもりであったが、しまいには東窓から射《さ》し込む強い日《ひ》脚《あし》に打たれた気味で、少し頭痛がしだしたので、ようやく我《が》を折って起き上がったなり、楊《よう》枝《じ》を銜《くわ》えたまま、手拭をぶら下げて湯に行った。
湯屋の時計はもう十時少し回っていたが、流しの方はからりと片付いて、小《こ》桶《おけ》一つ出ていない。ただ浴槽《ゆぶね》の中に一人《ひとり》横向きになって、硝子《ガラス》越《ご》しに射し込んでくる日光を眺《なが》めながら、呑《のん》気《き》そうにじゃぶじゃぶ遣ってるものがある。それが敬太郎と同じ下宿にいる森《もり》本《もと》という男だったので、敬太郎は、やあお早うと声を掛けた。すると、向こうでも、やあお早うと挨《あい》拶《さつ》したが、
「なんです今ごろ楊枝などを銜え込んで、冗談じゃない。そういやあ昨夕《ゆうべ》貴方《あなた》の部《へ》屋《や》に電気が点《つ》いていないようでしたね」と言った。
「電気は宵《よい》の口《くち》から煌《こう》々《こう》と点いていたさ。僕《ぼく》は貴方と違って品行方正だから、夜遊びなんかめったにしたことはありませんよ」
「まったくだ。貴方は堅いからね。羨《うらや》ましいくらい堅いんだから」
敬太郎は少し羞痒《くすぐつ》たいような気がした。相手を見ると依然として横隔膜から下を湯に浸《つ》けたまま、まだ飽きずにじゃぶじゃぶ遣っている。そうして比較的真《ま》面《じ》目《め》な顔をしている。敬太郎はこの気楽そうな男の口《くち》髭《ひげ》がだらしなく濡《ぬ》れて一本一本下向きに垂《た》れたところ眺めながら、
「僕のことはどうでも好《い》いが、貴方はどうしたんです。役所は」と聞いた。すると森本は倦怠《だる》そうに浴槽の側《ふち》に両《りよう》肱《ひじ》を置いてその上に額を載せながら俯《うつ》伏《ぶ》しになったまま、
「役所はお休みです」と頭痛でもする人のように答えた。
「なんで」
「なんででもないが、僕のほうでお休みです」
敬太郎は思わず自分の同類を一人発見したような気がした。それでつい、「やっぱり休養ですか」と言うと、相手も「ええ休養です」と答えたなり元のとおり湯槽《ゆぶね》の側に突っ伏していた。
二
敬太郎が留《*と》め桶《おけ》の前へ腰を卸《おろ》して、三助に垢《*あか》擦《す》りを掛けさせている時分になって、森本はやっと烟《けむ》の出るような赤い身体《からだ》をまったく湯の中から露出した。そうして、ああ好《い》い心持ちだという顔付で、流しの上へぺたりと胡坐《あぐら》をかいたと思うと、
「貴方《あなた》は好い体格だね」と言って敬太郎の肉付を賞《ほ》めだした。
「これで近ごろはだいぶ悪くなったほうです」
「どうしてどうしてそれで悪かったひにゃ僕なんざあ」
森本は自分で自分の腹をポンポン叩《たた》いて見せた。その腹は凹《へこ》んで背中のほうへ引っ付けられてるようであった。
「なにしろ商売が商売だから身体を毀《こわ》す一方ですよ。もっとも不養生もだいぶ遣《や》りましたがね」と言ったあとで、急に思い出したようにアハハハと笑った。敬太郎はそれに調子を合わせる気味で、
「今日《きよう》は僕も閑《ひま》だから、久しぶりでまた貴方の昔話でも伺いましょうか」と言った。すると森本は、
「ええ話しましょう」とすぐ乗り気な返事をしたが、活《かつ》溌《ぱつ》なのはただ返事だけで、挙動のほうは緩慢というよりも、すべての筋肉が湯に〓《う》でられた結果、当分作用《はたらき》を中止している姿であった。
敬太郎が石鹸《シヤボン》を塗《つ》けた頭をごしごしいわしたり、堅い足の裏や指の股《また》を擦《こす》ったりするあいだ、森本は依然として胡坐をかいたまま、どこ一つ洗う気《け》色《しき》は見えなかった。最後に瘠《や》せた一《ひと》塊《かたまり》の肉団をどぶりと湯の中に抛《ほう》り込むように浸《つ》けて、敬太郎とほぼ同時に身体を拭《ふ》きながら上がってきた。そうして、
「たまに朝湯へ来ると綺《き》麗《れい》で好《い》い心持ちですね」と言った。
「ええ。貴方のは洗うんでなくって、ほんとうに湯にはいるんだからことにそうだろう。実用のための入湯でなくって、快感を貪《むさぼ》るための入浴なんだから」
「そうむずかしいはいり方でもないんでしょうが、どうもこんな時に身体なんか洗うな億《おつ》劫《くう》でね。つい盆《*ぼん》鎗《やり》浸《つか》って盆鎗出ちまいますよ。そこへゆくと、貴方は三層倍も勤勉《まめ》だ。頭から足からどこからどこまで実によく手落ちなく洗いますね。おまけに楊《よう》枝《じ》まで使って。あの綿密なことには僕もほとんど感心しちまった」
二人《ふたり》は連れ立って湯屋の門口を出た。森本がちょっと通りまで行って巻紙を買うからというので、敬太郎も付き合う気になって、横丁を東へ切れると、道が急に悪くなった。昨夕《ゆうべ》の雨が土を潤《ふやか》し抜いたところへ、今朝《けさ》からの馬や車や人通りで、踏み返したり蹴《け》上《あ》げたりした泥《どろ》の痕《あと》を、二人は厭《いと》うような軽《けい》蔑《べつ》するような様子で歩いた。日は高く上っているが、地面から吸い上げられる水蒸気はいまだに微《かす》かな波動を地平線の上に描いているらしい感じがした。
「今朝の景《け》色《しき》は寐《ね》坊《ぼう》の貴方に見せたいようだった。なにしろ日がかんかん当たってるくせに靄《もや》がいっぱいなんでしょう。電車をこっちから透かして見ると、乗客がまるで障子に映る影《かげ》画《え》のように、はっきり一人一人見分けられるんです。それでいてお天《てん》道《と》様《さま》が向《む》こう側にあるんだからその一人一人がどれもこれもみんな灰色の化け物に見えるんで、すこぶる奇観でしたよ」
森本はこんな話をしながら、紙屋へはいって巻紙と状袋で膨《ふくら》ました懐《ふところ》をちょっと抑《おさ》えながら出てきた。表に待っていた敬太郎はすぐ今来た道の方へ足を向け直した。二人はそのままいっしょに下宿へ帰った。上靴《スリッパー》の踵《かかと》を鳴らして階段《はしごだん》を二つ上り切った時、敬太郎は自分の部《へ》屋《や》の障子を手早く開《あ》けて、
「さあどうぞ」と森本を誘《いざな》った。森本は、
「もうじき午飯《ひる》でしょう」と言ったが、躊《ちゆう》躇《ちよ》すると思いのほか、あたかも自分の部屋へでもはいるような無《む》雑《ぞう》作《さ》な態度で、敬太郎のあとに跟《つ》いてきた。そうして、
「貴方の室《へや》から見た景色はいつ見ても好いね」と自分で窓の障子を開けながら、手《て》摺《す》り付《つ》きの縁板の上へ濡《ぬ》れ手《て》拭《ぬぐい》を置いた。
三
敬太郎はこの瘠《や》せながらたいした病気にも罹《かか》らないで、毎日新橋の停車場《ステーシヨン》へ行く男について、平生から一種の好奇心を有《も》っていた。彼はもう三十以上である。それでいまだに一人で下《げ》宿《しゆく》住居《ずまい》をして停車場へ通勤している。しかし停車場でなんの係りをして、どんな事務を取り扱っているのか、ついぞ当人に聞いたこともなければ、また向こうから話した試《ため》しもないので、敬太郎にはいっさいがX《エツキス》である。たまたま人を送って停車場へ行く場合もあるが、そんな時にはつい混雑に取り紛れて、停車場と森本とをいっしょに考えるほどの余裕も出ず、そうかといって、森本のほうから自己の存在を思い起こさせるように、敬太郎の目につくべき所へ顔を出す機会も起こらなかった。ただ長いあいだ同じ下宿に立《た》て籠《こも》っているという縁故だか同情だかが本《もと》で、いつのまにか挨《あい》拶《さつ》をしたり世間話をする仲になったまでである。
だから敬太郎の森本に対する好奇心というのは、現在の彼にあるというよりも、むしろ過去の彼にあるといったほうが適当かもしれない。敬太郎はいつか森本の口から、彼が歴乎《れつき》とした一家の主人公であった時分の話を聞いた。彼の女房の話も聞いた。二人の間にできた子供の死んだ話も聞いた。「餓鬼が死んでくれたんで、まあ助かったようなもんでさあ。山《さん》神《じん》の祟《たた》りには実際恐れを作《な》していたんですからね」と言った彼の言《こと》葉《ば》を、敬太郎はいまだに覚えている。その時しかも山神が分らなくって、なんだと聞き返したら、山の神の漢語じゃありませんかと教えられた可笑《おか》しさまでが記憶に残っている。それらを思い出しても、敬太郎から見ると、すべて森本の過去には一種ロマンスの臭《におい》が、箒《ほうき》星《ぼし》の尻尾《しつぽ》のようにぼうっと掩《おつ》被《かぶさ》って怪しい光を放っている。
女についてできたとか切れたとかいう逸話以外に、彼はまたさまざまな冒《ぼう》険《けん》譚《だん》の主人公であった。まだ海《*かい》豹《ひよう》島《とう》へ行って膃肭臍《おっとせい》は打っていないようであるが、北海道のどこかで鮭《さけ》を漁《と》って儲《もう》けたことは慥《たし》かであるらしい。それから四国辺のある山から安質莫尼《*アンチモニー》が出ると触れて歩いて、決して出なかったことも、当人がそう自白するくらいだから事実に違いない。しかし最も奇抜なのは呑《*の》み口《ぐち》会《がい》社《しや》の計画で、これは酒《さか》樽《だる》の呑み口を作る職人が東京にごく少ないというところから思い付いたのだそうだが、せっかく大阪から呼び寄せた職人と衝突したために成立しなかったといって彼はいまだに残念がっている。
儲《もう》け口《ぐち》を離れた普通の浮《うき》世《よ》話《ばなし》になると、彼はまた非常に豊富な材料の所有者であるということを容易に証拠立てる。筑《*ちく》摩《ま》川《がわ》の上流のなんとかいう所から河《かわ》を隔てて向こうの山を見ると、巌《いわ》の上に熊《くま》がごろごろ昼《ひる》寐《ね》をしているなどはまだ尋常のほうなので、それがいっそう色づいてくると、信州戸《*と》隠《がくし》山《やま》の奥の院というのは普通の人の登れっこない難《なん》所《じよ》だのに、それを盲目が天《てつ》辺《ぺん》まで登ったから驚いたなどという。そこへお参りをするには、どんなに脚《あし》の達者なものでも途中で一晩明かさなければならないので、森本も仕方なしに五合目あたりで焚《たき》火《び》をして夜の寒さを凌《しの》いでいると、下から鈴《すず》の響きが聞こえてきたから、不思議に思っているうちに、その鈴の音《ね》がだんだん近くなって、しまいに座《*ざ》頭《とう》が上ってきたんだという。しかもその座頭が森本に今晩はと挨《あい》拶《さつ》をしてまたすたすた上っていったというんだから、あまり妙だと思ってなおよく聞いてみると、実は案内者が一人付いていたのだそうである。その案内者の腰に鈴を着けて、あとから来る盲目がその鈴の音を頼りに上ることができるようにしてあったのだと説明されて、やや納得もできたが、それにしても敬太郎にはずいぶん意外な話である。が、それがもう少し高じると、ほとんど妖《よう》怪《かい》談《だん》に近い妙なものとなって、だらしのない彼の口《くち》髭《ひげ》の下から最も慇《いん》懃《ぎん》に発表される。彼が耶《*や》馬《ば》渓《けい》を通ったついでに、羅《*ら》漢《かん》寺《じ》へ上って、日暮れに一本道を急いで、杉並木の間を下《お》りてくると、突然一人の女と擦《す》れ違った。その女は臙脂《べに》を塗って白粉《おしろい》をつけて、婚礼に行く時の髪を結って、裾《すそ》模《も》様《よう》の振《ふり》袖《そで》に厚い帯を締めて、草《ぞう》履《り》穿《ば》きのままたった一人すたすたと羅漢寺の方へ上っていった。寺に用のあるはずはなし、また寺の門はもう締まっているのに、女は盛装したまま暗い所をたった一人で上っていったんだそうである。――敬太郎はこんな話を聞くたびにへえーといって、信じられ得ない意味の微笑を洩《も》らすにかかわらず、やっぱり相当の興味と緊張とをもって森本の弁《*べん》口《こう》を迎えるのが例であった。
四
この日も例によって例のような話が出るだろうという下心から、わざと回《まわ》り路《みち》までしていっしょに風《ふ》呂《ろ》から帰ったのである。年こそそれほど取っていないが、森本のように、たいていな世間の関門を潜《くぐ》ってきたとしか思われない男の経歴談は、この夏学校を出たばかりの敬太郎にとっては、多大の興味があるのみではない、聞きようしだいでずいぶん利益も受けられた。
そのうえ敬太郎は遺伝的に平凡を忌む浪漫趣味《ロマンチツク》の青年であった。かつて東京の朝日新聞に児《*こ》玉《だま》音《おと》松《まつ》とかいう人の冒険談が連載された時、彼はまるで丁《てい》年《ねん》未満の中学生のような熱心をもって毎日それを迎え読んでいた。そのうちでも音松君が洞《ほら》穴《あな》の中から躍《おど》り出す大《おお》蛸《だこ》と戦った記事をたいへん面《おも》白《しろ》がって、同じ科の学生に、君、蛸の大頭を目《め》懸《が》けて短銃《ピストル》をポンポン打つんだが、つるつる滑《すべ》って少しも手《て》応《ごた》えがないというじゃないか。そのうち大将のあとからぞろぞろ出てきた小蛸がぐるりと環《わ》を作って彼を取り巻いたからなにをするのかと思うと、どっちが勝つか熱心に見物しているんだそうだからねと大いに乗り気で話したことがある。とその友《とも》達《だち》が調戯《からか》い半分に、君のような剽《ひよう》軽《きん》ものはとうてい文《*》官試験などを受けて地道に世の中を渡ってゆく気になるまい、卒業したら、いっそのこと思い切って南洋へでも出掛けて、好きな蛸狩りでもしたらどうだと言ったので、それ以来「田川の蛸狩り」という言葉が友達間にだいぶ流行《はや》りだした。このあいだ卒業して以来足を擂木《すりこぎ》のようにして世の中への出口を探《さが》して歩いている敬太郎に会うたびに、彼らはどうだね蛸狩りは成功したかいと聞くのが常になっていたくらいである。
南洋の蛸狩りはいかな敬太郎にもちと奇抜すぎるので、真《ま》面《じ》目《め》に思い立つ勇気も出なかったが、シンガポールの護《ゴ》謨《ム》林《りん》栽培などは学生のうちすでに目論《もくろ》んでみたことがある。当時敬太郎は、はてしのない広《ひろ》野《の》を埋め尽くす勢いで何百万本という護謨の樹《き》が茂っている真《まん》中《なか》に、一階建てのバンガローを拵《こしら》えて、そのなかに栽培監督者としての自分が朝夕起《き》臥《が》するさまを想像して已《や》まなかった。彼はバンガローの床をわざと裸にして、その上に大きな虎《とら》の皮を敷くつもりであった。壁には水牛の角を塗り込んで、それに鉄砲を懸《か》け、なおその下に錦《にしき》の袋に入れたままの日本刀を置くはずにした。そうして自分は真《まつ》白《しろ》なターバンをぐるぐる頭に巻き付けて、広いベランダに据《す》え付けてある籐《とう》椅子《いす》の上に寐《ね》そべりながら、強い香《かお》りのハ《*》バナをぷかりぷかりと鷹《おう》揚《よう》に吹かす気でいた。それのみか、彼の足の下には、ス《*》マタラ産の黒《くろ》猫《ねこ》、――天鵞絨《びろうど》のような毛並みと黄金《こがね》そのままの目と、それから身の丈《たけ》よりもよほど長い尻尾《しつぽ》を持った怪しい猫が、背中を山のごとく高くして蹲踞《うずくま》っているわけになっていた。彼はあらゆる想像の光景をかく自分に満足のいくようにあらかじめ整えたあとで、いよいよ実《*》際の算盤《そろばん》に取り掛かったのである。ところが案外なもので、まず護謨を植えるための地面を借り受けるのに大《だい》分《ぶん》な手数と暇が要《い》る。それから借りた地面を切り開くのが容易のことでない。次に地ならし植付けに費やすべき金《かね》高《だか》が意外に多い。そのうえ絶えず人夫を使って草取りをしたうえで、六年間苗木の生長するのを馬鹿見たようにじっと指を銜《くわ》えて見ていなければならない段になって、敬太郎はすでに十分退去に価すると思いだしたところへ、彼にいろいろの事情を教えてくれた護謨通は、今しばらくすると、あの辺でできる護謨の供給が、世界の需用以上に超過して、栽培者は非常の恐慌を起こすに違いないと威嚇したので、彼はその後護謨の護《ご》の字も口にしなくなってしまったのである。
五
けれども彼の異常に対する嗜《*し》欲《よく》はなかなかこれぐらいのことで冷却しそうにはみえなかった。彼は都の真《まん》中《なか》にいて、遠くの人や国を想像の夢に上《のぼ》して楽しんでいるばかりでなく、毎日電車の中で乗り合わせる普通の女だの、または散歩の道すがら行き逢《あ》う実際の男だのを見てさえ、ことごとく尋常以上に奇なあるものを、マントの裏かコートの袖《そで》に忍ばしていはしないだろうかと考える。そうしてどうかこのマントやコートを引っ繰り返してその奇なところをただ一目で好《い》いからちらりと見たうえ、あとは知らん顔をして済ましていたいような気になる。
敬太郎のこの傾向は、彼がまだ高等学校にいた時分、英語の教師が教科書としてスチーヴンソンの新アラビヤ物語という書物を読ましたころからだんだん頭を持ち上げだしたように思われる。それまで彼は大の英《えい》語《ご》嫌《ぎら》いであったのに、この書物を読むようになってから、一回も下読みを怠らずに、中《あ》てられさえすれば、必ず起立して訳を付けたのでも、彼がいかにそれを面《おも》白《しろ》がっていたかが分《わか》る。ある時彼は興奮のあまり小説と事実の区別を忘れて、十九世紀のロンドンに実際こんなことがあったんでしょうかと真《ま》面《じ》目《め》な顔をして教師に質問を掛けた。その教師はついこのあいだ英国から帰ったばかりの男であったが、黒いメルトンのモーニングの尻《しり》から麻の手帛《ハンケチ》をだして鼻の下を拭《ぬぐ》いながら、十九世紀どころか今でもあるでしょう。ロンドンという所は実際不思議な都ですと答えた。敬太郎の目はその時驚嘆の光を放った。すると教師は椅《い》子《す》を離れてこんなことを言った。
「もっとも書き手が書き手だから観察も奇抜だし、事件の解釈もおのずから普通の人間とは違うんで、こんなものができ上がったのかもしれません。実際スチーヴンソンという人は辻《つじ》待《ま》ちの馬車を見てさえ、そこに一種のロマンスを見《み》出《いだ》すという人ですから」
辻馬車とロマンスに至って敬太郎は少し分らなくなったが、思い切ってその説明を聞いてみて、はじめてなるほどと悟った。それから以後は、この平凡極《きわ》まる東京のどこにもごろごろして、最も平凡を極めている辻待ちの人力車を見るたんびに、この車だって昨夕《ゆうべ》人殺しをするための客を出刃ぐるみ乗せていっさんに馳けたのかもしれないと考えたり、または追っ手の思わくとは反対の方角へ走る汽車の時間に間に合うように、美しい女を幌《ほろ》の中に隠して、どこかの停車場《ステーシヨン》へ飛ばしたのかも分らないと思ったりして、一人で怖《こわ》がるやら、面白がるやらしきりに喜んでいた。
そんな想像を重ねるにつけ、これほど込み入った世の中だから、たとい自分の推測どおりまでゆかなくっても、どこか尋常と変わった新しい調子を、彼の神経にはっと響かせ得《う》るような事件に、一度ぐらいは出会ってしかるべきはずだという考えがしぜんと起こってきた。ところが彼の生活は学校を出て以来ただ電車に乗ると、紹介状を貰《もら》って知らない人を訪問するくらいのもので、その他になんといって取り立てていうべきほどの小説は一つもなかった。彼は毎日見る下宿の下女の顔に飽き果てた。毎日食う下宿の菜にも飽き果てた。せめてこの単調を破るために、満鉄のほうができるとか、朝鮮のほうが纏《まとま》るとかすれば、また衣食の途《みち》以外に、いくぶんかの刺激が得られるのだけれども、両方とも二、三日まえに当分望みがないと判然してみると、ますます眼前の平凡が自分の無能力と密切な関係でもあるかのように思われて、ひどく盆《ぼん》鎗《やり》してしまった。それで糊《*こ》口《こう》のための奔走はもちろんのこと、往来に落ちたばら銭を探《さが》して歩くような長閑《のどか》な気分で、電車に乗って、漫然と人事上の探検を試みる勇気もなくなって、昨夕《ゆうべ》はさほど好きでもない麦酒《ビール》を大いに飲んで寐《ね》たのである。
こんな時に、非凡の経験に富んだ平凡人とでも評しなければ評しようのない森本の顔を見るのは、敬太郎にとってすでに一種の興奮であった。巻紙を買うお供までして彼を自分の室《へや》へ連れ込んだのはこれがためである。
六
森本は窓《まど》際《ぎわ》へ坐《すわ》ってしばらく下の方を眺《なが》めていた。
「貴方《あなた》の室《へや》から見た景《け》色《しき》は相変わらず好《よ》うがすね、ことに今日《きよう》は好《い》い。あの洗い落としたような空の裾《すそ》に、色づいた樹《き》が、ところどころ暖《あつた》かく塊《かたま》っている間から赤い煉《れん》瓦《が》が見える様子は、たしかに画《え》になりそうですね」
「そうですね」
敬太郎は已《やむ》を得ずこういう答えをした。すると森本は自分が肱《ひじ》を乗せている窓から一尺ばかり出張った縁板を見て、
「ここはどうしても盆栽の一つや二つ載せて置かないと納まらないところですよ」と言った。
敬太郎はなるほどそんなものかと思ったけれども、もう「そうですね」と繰り返す勇気も出なかったので、
「貴方は画や盆栽まで解《わか》るんですか」と聞いた。
「解るんですかは少し恐れ入りましたね。まったく柄《がら》にないんだから、そう聞かれても仕方はないが、――しかし田川さんの前だが、こう見えて盆栽も弄《いじ》くるし、金魚も飼うし、一時は画も好きでよく描《か》いたもんですよ」
「なんでも遣《や》るんですね」
「なんでも屋に碌《ろく》なものなしで、とうとうこんなもんになっちゃった」
森本はそう言い切って、自分の過去を悔ゆるでもなし、またその現在を悲観するでもなし、ほとんど鋭い表情のどこにも出ていない不《*》断の顔をして敬太郎を見た。
「しかし僕は貴方見たように変化の多い経験を、少しでも好いから嘗《な》めてみたいといつでもそう思っているんです」と敬太郎が真《ま》面《じ》目《め》に言い掛けると、森本はあたかも酔っ払いのように、右の手を自分の顔の前へ出して、大《おお》袈《げ》裟《さ》に右左に振って見せた。
「それがごく悪い。若いうち――といったところで、貴方と僕はそう年も違っていないようだが、――とにかく若いうちはなんでも変わったことが為《し》てみたいもんでね。ところがその変わったことを仕尽くしたうえで、考えてみると、なんだ馬鹿らしい、こんなことなら為ないほうがよっぽど増しだと思うだけでさあ。貴方なんざ、これからの身体《からだ》だ。大人《おとな》しくさえしていりゃどんな発展でもできようってもんだから、肝《かん》心《じん》なところで山《*やま》気《ぎ》だの謀叛《むほん》気《ぎ》だのって低気圧を起こしちゃ親不孝に当たらあね。――時にどうです、このあいだから伺おう伺おうと思って、つい忙しくって、伺わずにいたんだが、なにか好い口は見《め》付《つ》かりましたか」
正直な敬太郎は憮《*ぶ》然《ぜん》として有《あり》の儘《まま》を答えた。そうして、とうてい当分これという期待《あて》もないから、奔走をやめて少し休養するつもりであると付け加えた。森本はちょっと驚いたような顔をした。
「へえ、近ごろは大学を卒業しても、ちょっくらちょいと口が見《め》付《つ》からないもんですかねえ。よっぽど不景気なんだね。もっとも明治も四十何年というんだから、そのはずには違いないが」
森本はここまで来て少し首を傾《かし》げて、自分の哲理を自分で噛《か》み締めるような素振りをした。敬太郎は相手の様子を見て、それほど滑《こつ》稽《けい》とも思わなかったが、心の内で、この男は心得があってわざとこんな言《こと》葉《ば》遣《づか》いをするのだろうか、または無学の結果こうよりほか言い現わす手段《てだて》を知らないのだろうかと考えた。すると森本が傾げた首を急に竪《たて》に直した。
「どうです、お厭《いや》でなきゃ、鉄道のほうへでもお出なすっちゃ。なんなら話してみましょうか」
いかな浪漫的《ロマンチツク》な敬太郎もこの男に頼んだら好い地位が得られるとは想像し得なかった。けれどもさも軽々といってのける彼の愛《あい》嬌《きよう》を、翻《ほん》弄《ろう》と解釈するほどの僻《ひが》みも有《も》たなかった。拠処《よんどころ》なく苦笑しながら、下女を呼んで、
「森本さんのお膳《ぜん》もここへ持ってくるんだ」と言い付けて、酒を命じた。
七
森本は近ごろ身体《からだ》のために酒を慎んでいると断わりながら、注《つ》いでやりさえすれば、すぐ猪口《ちよく》を空《から》にした。しまいにはもう止《よ》しましょうという口の下から、自分で徳利の尻《しり》を持ち上げた。彼は平生から閑静なうちにどこか気楽なふうを帯びている男であったが、猪口を重ねるにつれて、その閑静が熱《ほて》ってくる、気楽はしだいしだいに膨張するようにみえた。自分でも「こうなりゃ併《*へい》呑《どん》自《じ》若《じやく》たるもんだ。明日《あした》免職になったって驚くんじゃない」と威張りだした。敬太郎が飲めない口なので、時々思い出すように、盃《さかずき》に唇《くちびる》を付けて、付き合っているのを見て、彼は、
「田川さん、貴方《あなた》ほんとうに飲《い》けないんですか、不思議ですね。酒を飲まないくせに冒険を愛するなんて。あらゆる冒険は酒に始まるんです、そうして女に終わるんです」と言った。彼はつい今まで自分の過去を碌《ろく》でなしのように蹴《*け》なしていたのに、酔ったら急に模様が変わって、後光が逆に射《さ》すとでも評すべき態度で、気炎を吐きはじめた。そうしてそれがたいていは失敗の気炎であった。しかも敬太郎を前に置いて、
「貴方なんざあ、失礼ながら、まだ学校を出たばかりでほんとうの世の中は御存じないんだからね。いくら学士でございの、博士《はかせ》で候《そうろう》のって、肩書ばかり振り回したって、僕は慴《おび》えないつもりだ。こっちやちゃんと実地を踏んできているんだもの」と、さっきまで教育に対して多大の尊敬を払っていたことはまるで忘れたようなふうで、無遠慮な極《き》め付け方をした。そうかと思うと噫《げつぷ》のような溜《ため》息《いき》を洩《も》らして自分の無学をさも情けなさそうに恨んだ。
「まあてっとり早くいやあ、この世の中を猿《さる》同然渡ってきたんでさあ。こう申しちゃ可笑《おか》しいが、貴方より十層倍の経験はたしかに積んでるつもりです。それでいて、いまだにこのとおり解《げ》脱《だつ》ができないのは、まったく無学すなわち学がないからです。もっとも教育があっちゃ、こうむやみやたらと変化するわけにもゆかないようなもんかもしれませんよ」
敬太郎はさっきから気の毒なる先覚者とでもいったように相手を考えて、そのいうことに相応の注意を払って聞いたが、なまじい酒を飲ましたためか、今日《きよう》はいつもより気炎だの愚痴だのが多くって、例のように純粋の興味が湧《わ》かないのを残念に思った。好《い》い加減に酒を切り上げてみたが、やっぱり物足らなかった。それで新しく入れた茶を勧めながら、
「貴方の経歴談はいつ聞いても面《おも》白《しろ》い。そればかりでなく、僕のような世間見ずは、お話を伺うたびに利益を得ると思って感謝しているんだが、貴方が今まで遣《や》ってきた生活のうちで、最も愉快だったのはなんですか」と聞いてみた。森本は熱い茶を吹き吹き、少し充血した目を二、三度ぱちつかせて黙っていた。やがて深い湯《ゆ》呑《の》みを干してしまうと、こう言った。
「そうですね。遣ったあとで考えると、みんな面白いし、またみんな詰《つま》らないし、自分じゃちょっと見分けが付かないんだが。――ぜんたい愉快ってえのは、その、女っ気のあるほうを指《さ》すんですか」
「そういうわけでもないんですが、あったって差《さし》支《つか》えありません」
「なんて、実はそっちのほうが聞きたいんでしょう。――しかし雑《じよう》談《だん》抜きでね、田川さん。面白い面白くないはさて置いて、あれほど呑《のん》気《き》な生活は世界にまたとなかろうという奴《やつ》を遣った覚えがあるんですよ。そいつを一つ話しましょうか、お茶受けの代りに」
敬太郎は一も二もなく所望した。森本は「じゃあちょっと小便をしてくる」と言って立ち掛けたが、「その代り断わっておくが女っ気はありませんよ。女っ気どころか、第一人間の気《け》がないんだもの」と念を押して廊下の外へ出ていった。敬太郎は一種の好奇心を抱《いだ》いて、彼の帰るのを待ち受けた。
八
ところが五分待っても十分待っても冒険家は容易に顔を現わさなかった。敬太郎はとうとうじっと我慢し切れなくなって、自分で下へ降りて用《*》場を探《さが》してみると、森本の影も形も見えない。念のためまた階段《はしごだん》を上がって、彼の部《へ》屋《や》の前まで来ると、障子を五、六寸明け放したまま、真《まん》中《なか》に手《て》枕《まくら》をしてごろりと向こうむきに転《ころが》っているものがすなわち彼であった。「森本さん、森本さん」と、二、三度呼んでみたが、なかなか動きそうにないので、さすがの敬太郎もむっとして、いきなり室《へや》にはいり込むやいなや、森本の首筋を攫《つか》んで強く揺《ゆす》振《ぶ》った。森本は不意に蜂《はち》にでも螫《さ》されたように、あっといって半ば跳《は》ね起きた。けれども振り返って敬太郎の顔を見ると同時に、またすぐ夢《ゆめ》現《うつつ》のた《*》るい目付に戻《もど》って、
「やあ貴方《あなた》ですか。あんまり頂《ちよう》戴《だい》したせいか、少し気分がへんになったもんだから、ここへ来てちょっと休んだらつい眠くなって」と弁解する様子に、これといって他《ひと》を愚《ぐ》弄《ろう》する体《てい》もないので、敬太郎もつい怒《おこ》れなくなった。しかし彼の待ち設けた冒険談はこれで一頓《とん》挫《ざ》を来《きた》したも同然なので、一人自分の室《へや》へ引き取ろうとすると、森本は「どうも済みません、御苦労様でした」と言いながら、またあとから敬太郎に付いて来た。そうしてさっきまで自分の坐《すわ》っていた座《ざ》蒲《ぶ》団《とん》の上に、きちんと膝《ひざ》を折って、
「じゃいよいよ世界に類のない呑《のん》気《き》生活のお話でも始めますかな」と言った。
森本の呑気生活というのは、今から十五、六年前彼が技手に雇われて、北海道の内地を測量して歩いた時の話であった。もとより人間のいない所に天幕《テント》を張って寐《ね》起《お》きをして、用が片付きしだい、また天幕を担《かつ》いで、先へ進むのだから、当人の断わったとおり、とうてい女っ気のありようはずはなかった。
「なにしろ高さ二丈もある熊《くま》笹《ざさ》を切り開いて途《みち》を付けるんですからね」と彼は右手を額より高く上げていかに熊笹が高く茂っていたかを形容した。その切り開いた途の両側に、朝起きて見ると、蝮蛇《まむし》がとぐろを巻いて日光を鱗《うろこ》の上に受けている。それを遠くから棒で抑《おさ》えて、傍《そば》へ寄って打《ぶ》ち殺して肉を焼いて食うのだと彼は話した。敬太郎がどんな味がすると聞くと、森本はよく思い出せないが、なんでも魚肉《さかな》と獣肉《にく》の間ぐらいだろうと答えた。
天幕の中へは熊笹の葉と小枝を山のように積んで、その上に疲れた身体《からだ》を埋《うず》めぬばかりに投げ掛けるのが例であるが、時には外へ出て焚《たき》火《び》をして、大きな熊《くま》を目の前に見ることもあった。虫が多いので蚊帳《かや》は始終釣《つ》っていた。ある時その蚊帳を担いで谷川へ下《お》りて、なんとかいう川魚を掬《すく》って帰ったら、その晩から蚊帳が急に腥《なまぐさ》くなって困った。――すべてこれらは森本のいわゆる呑気生活の一部分であった。
彼はまた山であらゆる茸《たけ》を採って食ったそうである。ます茸《だけ》というのは広《ひろ》蓋《ぶた》ほどの大きさで、切って味《み》噌《そ》汁《しる》の中へ入れて煮るとまるで蒲《かま》鉾《ぼこ》のようだとか、月《つき》見《み》茸《だけ》というのは一抱《かか》えもあるけれども、これは残念だが食えないとか、鼠《ねずみ》茸《だけ》というのは三つ葉の根のようで可愛《かわい》らしいとか、なかなか精《くわ》しい説明をした。大きな笠《かさ》の中へ、野《の》葡《ぶ》萄《どう》をいっぱい採ってきて、そればかり貪《むさぼ》っていたものだから、しまいに舌が荒れて、飯が食えなくなって困ったという話もついでに付け加えた。
食う話ばかりかと思うと、また一週間絶食をしたという悲惨な物語もあった。それはみんなの糧《かて》が尽きたので、人足が村まで米を取りに行った留《る》守《す》中《ちゆう》にたいへんな豪雨があった時のことである。もともと村へ出るには、沢《さわ》辺《べ》まで降りて、沢伝いに里へ下るのだから、俄《にわか》雨《あめ》で谷が急にいっぱいになったが最後、米など背負《しよ》って帰れるわけのものでない。森本は腹が減って仕方がないから、じっと仰《あお》向《む》けに寐《ね》て、ただ空を眺《なが》めていたところが、しまいにぼんやりしだして、夜も昼もめちゃくちゃに分《わか》らなくなったそうである。
「そう長いあいだ飲まず食わずじゃ、両便とも留まるでしょう」と敬太郎が聞くと、「いえなに、やっぱりありますよ」と森本はすこぶる気楽そうに答えた。
九
敬太郎は微笑せざるを得なかった。しかしそれよりも可笑《おか》しく感じたのは、森本の形容した大風の勢いであった。彼らの一行が測量の途次茫《ぼう》々《ぼう》たる芒《すすき》原《はら》の中で、突然面《おもて》も向けられないほどの風に出会った時、彼らは四《よ》つ這《ば》いになって、つい近所の密林の中へ逃げ込んだところが、一抱《かか》えも二抱えもある大木の枝も幹も凄《すさま》じい音を立てて、一度に風から痛《*いた》振《ぶ》られるので、その動揺が根に伝わって、彼らの踏んでいる地面が、地震の時のようにぐらぐらしたというのである。
「それじゃたとい林の中へ逃げ込んだところで、立っているわけにはゆかないでしょう」と敬太郎が聞くと、「むろん突っ伏していました」という答えであったが、いくら非《ひ》道《ど》い風だって、土の中に張った大木の根が動いて、地震を起こすほどの勢いがあろうとは思えなかったので、敬太郎は覚えず吹き出してしまった。すると森本もまるで他《ひと》事《ごと》のように同じく大きな声を出して笑いはじめたが、それが済むと、急に真《ま》面《じ》目《め》になって、敬太郎の口を抑《おさ》えるような手付をした。
「可笑しいがほんとうです。どうせ常識以下に飛び離れた経験をするくらいの僕だから、不中用《*やくざ》にゃあ違いないがほんとうです。――もっとも貴方《あなた》見たいに学のあるものが聞きゃあまったく嘘《うそ》のような話さね。だが田川さん、世の中には大風に限らずずいぶん面《おも》白《しろ》いことがたくさんあるし、また貴方なんざあその面白いことに打《ぶ》つかろう打つかろうと苦労しておいでなさる御様子だが、大学を卒業しちゃもう駄《だ》目《め》ですよ。いざとなるとたいていは自分の身分を思いますからね。よしんば自分でいくら身を落とすつもりで掛かっても、まさか親の敵《かたき》討《う》ちじゃなしね、そう真剣に自分の位地を棄《す》てて漂浪するほどの物《もの》数《ず》奇《き》も今の世にはありませんからね。第一《だいち》傍《はた》がそう為《さ》せないから大丈夫です」
敬太郎は森本のこの言葉を、失意のようにもまた得意のようにも聞いた。そうして腹の中で、なるほど常《*》調以上の変わった生活は、普通の学士などには送れないかもしれないと考えた。ところがそれを自分にさえ抑えたい気がするので、わざと抵抗するような語気で、
「だって、僕は学校を出たには出たが、いまだに位置などはないんですぜ。貴方は位置位置ってしきりにいうが。――実際位置の奔走にも厭《あき》々《あき》してしまった」と投げ出すように言った。すると森本は比較的厳粛な顔をして、
「貴方のは位置がなくってある。僕のは位置があってない。それだけが違うんです」と若いものに教える態度で答えた。けれども敬太郎にはこの御籤《おみくじ》めいた言葉がさほどの意義を齎《もたら》さなかった。二人は少しのあいだ烟草《たばこ》を吹かして黙っていた。
「僕もね」とやがて森本が口を開いた。「僕もね、こうやって三年越し、鉄道のほうへ出ているが、もう厭《いや》になったから近《きん》々《きん》罷《や》めようと思うんです。もっとも僕のほうで罷めなけりゃ向こうで罷めるだけなんだからね。三年越しといやあ僕にしちゃ長いほうでさあ」
敬太郎は罷めるが好《よ》かろうとも罷めないが好かろうとも言わなかった。自分が罷めた経験も罷められた閲歴もないので、他《ひと》の進退などはどうでも構わないような気がした。ただ話が理に落ちて面白くないという自覚だけあった。森本はそれと察したか、急に調子を易《か》えて、世話話を快活に十分ほどしたあとで、「いやどうも御《ご》馳《ち》走《そう》でした。――とにかく田川さん若いうちのことですよ、なにを遣《や》るのも」と、あたかも自分が五十ぐらいの老人のようなことを言って帰っていった。
それから一週間ばかりのあいだ、田川は落ち付いて森本と話す機会を有《も》たなかったが、二人とも同じ下宿にいるのだから、朝か晩に彼の姿を認めないことはほとんど希《まれ》であった。顔を洗うところで落ち合う時、敬太郎は彼の着ている黒《くろ》襟《えり》の掛かったドテラが常に目に付いた。彼はまた襟《えり》開《あ》きの広い新調の背《せ》広《びろ》を着て、妙な洋杖《ステツキ》を突いて、役所から帰るとよく出ていった。その洋杖が土間の瀬戸物製の傘《かさ》入《い》れに入れてあると、ははあ先生今日《きよう》は宅《うち》にいるなと思いながら敬太郎は常に下宿の門《かど》を出入りした。するとその洋杖がちゃんと例のところに立ててあるのに、森本の姿が不意に見えなくなった。
一〇
一日二日《ふつか》はつい気が付かずに過ぎたが、五日目ぐらいになっても、まだ森本の影が見えないので、敬太郎はようやく不審の念を起こしだした。給仕に来る下女に聞いてみると、彼は役所の用でどこかへ出張したのだそうである。もとより役人である以上、いつ出張しないとも限らないが、敬太郎は平生からこの男を相して、なんでも停車場《ステーシヨン》の構内で、貨物の発送係ぐらいを勤めているに違いないと判じていたものだから、出張と聞いて少し案外な心持ちがした。けれども立つ時すでに五、六日と断わって行ったのだから、今日《きよう》か翌日《あした》は帰るはずだと下女に言われてみると、なるほどそうかとも思った。ところが予定の時日が過ぎても、森本の変な洋杖《ステツキ》が依然として傘《かさ》入《い》れの中にあるのみで、当人のドテラ姿はいっこう洗面所へ現われなかった。
しまいに宿の神《かみ》さんが来て、森本さんからなにかお音信《たより》がございましたかと聞いた。敬太郎は自分のほうで下へ聞きに行こうと思っていたところだと答えた。神さんは多少心元ない色を梟《ふくろ》のような丸い目のうちに漂わせて出ていった。それから一週間ほど経《た》っても森本はまだ帰らなかった。敬太郎も再び不審を抱《いだ》きはじめた。帳場の前を通る時に、まだですかとわざと立ち留まって聞くことさえあった。けれどもそのころは自分がまた思い返して、位置の運動を始めだした出《で》花《ばな》なので、しぜんそのほうにばかり頭を専領される日が多いため、これより以上立ち入って何物をも探ることをあえてしなかった。実をいうと、彼は森本の予言どおり、衣食の計《はかりごと》のために、好奇家の権利を放棄したのである。
するとある晩主人がちょっとお邪魔をしても好《い》いかと断わりながら障子を開《あ》けてはいってきた。彼は腰から古めかしい烟草《たばこ》入《い》れを取り出して、その筒を抜く時ぽんという音をさせた。それから銀の烟管《きせる》に刻草《きざみ》を詰めて、濃い烟《けむり》を巧《*》者に鼻の穴から迸《ほとば》しらせた。こうゆっくり構える彼の本意を、敬太郎ははっきり向こうからそうと切り出されるまで覚《さと》らずに、どうも変だとばかり考えていた。
「実は少しお願いがあって上がったんですが」と言った主人はやや小声になって、「森本さんのいらっしゃる所をどうか教えていただくわけにまいりますまいか、決して貴方に御迷惑の懸《かか》るようなことは致《いた》しませんから」と藪《やぶ》から棒に付け加えた。
敬太郎はこの意外の質問を受けて、しばらくはなんという挨《あい》拶《さつ》も口へ出なかったが、ようやく、「いったいどういう訳なんです」と主人の顔を覗《のぞ》き込んだ。そうして彼の意味を読もうとしたが、主人は烟管が詰まったと見えて、敬太郎の火《ひ》箸《ばし》で雁《がん》首《くび》を掘っていた。それが済んでから羅《*ら》宇《う》の疎通をぷつぷつ試《ため》したうえ、そろそろと説明に取り掛かった。
主人のいうところによると、森本は下宿代が此家《ここ》に六か月ばかり滞っているのだそうである。が、三年越しいる客ではあるし、遊んでいる人じゃなし、此年《ことし》の末にはどうかするからという当人の言い訳を信用して、べつだん催促もしなかったところへ、今度の旅行になった。家《うち》のものはもとより出張とばかり信じていたが、その日限が過ぎていくら待っても帰らないのみか、どこからもなんの音信《たより》も来ないので、しまいにとうとう不審を起こした。それで一方に本人の室《へや》を調べるとともに、一方に新橋へ行って出張先を聞き合わせた。ところが室のほうは荷物もそのままで、彼のおった時分となんの変わりもなかったが、新橋の答えはまた案外であった。出張したとばかり思っていた森本は、先月かぎり罷《や》められていたそうである。
「それで貴方《あなた》は平生森本さんと御懇意の間柄でいらっしゃるんだから、貴方に伺ったらたぶんどこにお出《いで》か分《わか》るだろうと思って上がったような訳で。決して貴方に森本さんの分をどうのこうのと申し上げるつもりではないのですから、どうか居所だけ知らしていただけますまいか」
敬太郎はこの失《しつ》踪《そう》者《しや》の友人として、彼の香《かん》ばしからぬ行為に立ち入った関係でもあるかのごとく主人から取り扱われるのをはなはだ迷惑に思った。なるほど事実をいえば、ついこのあいだまである意味の嘆賞を懐《ふところ》にして森本に近づいていたには違いないが、こんな実際問題にまで秘密の打ち合わせがあるように見做《みな》されては、未来を有《も》つ青年として大いなる不面目だと感じた。
一一
正直な彼は主人の疳《*かん》違《ちが》いを腹の中で怒《おこ》った。けれども怒るまえにまず冷たい青大将でも握らせられたような不気味さを覚えた。この妙に落ち付き払って古風な烟草《たばこ》入《い》れから刻みを撮《つま》み出しては雁《がん》首《くび》へ詰める男の誤解は、正解と同じような不安を敬太郎に与えたのである。彼は談判に伴う一種の芸術のごとく巧みに烟管《きせる》を扱う人であった。敬太郎は彼の様子をしばらく眺《なが》めていた。そうしてただ知らないというよりほかに、向こうの疑惑を晴らす方法がないのを残念に思った。はたして主人は容易に烟草入れを腰へ納めなかった。烟管を筒へ入れてみたり出してみたりした。そのたびに例のとおりぽんぽんという音がした。敬太郎はしまいにはどうしてもこの音を退治てやりたいような気がしだした。
「僕はね、御承知のとおり学校を出たばかりでまだ一定の職業もなにもない貧書生だが、これでも少しは教育を受けたことのある男だ。森本のような浮浪の徒といっしょに見られちゃ、少し体面に係《かかわ》る。いわんや後ろ暗い関係でもあるように邪推して、いくら知らないといっても執《しつ》濃《こ》く疑《うたぐ》っているのは怪《け》しからんじゃないか。君がそういう態度で、二年もいる客に対する気ならそれで好《い》い。こっちにも料《りよう》簡《けん》がある。僕は過去二年のあいだ君のうちに厄《やつ》介《かい》になっているが、一か月でも宿料を滞らしたことがあるかい」
主人はむろん敬太郎の人格に対して失礼に当たるような疑いを毛《もう》頭《とう》抱《いだ》いていないつもりであるということを繰り返して述べた。そうして万一森本から音信《たより》でもあって、彼の居所が分《わか》ったらどうぞ忘れずに教えてもらいたいと頼んだ末、もしさっき聞いたことが敬太郎の気に障《さわ》ったら、いくらでも詫《あやま》るから勘弁してくれと言った。敬太郎は主人の烟草入れを早く腰に差させようと思って、単に宜《よろ》しいと答えた。主人はようやく談判の道具を角《かく》帯《おび》の後ろへ仕《し》舞《ま》い込んだ。室《へや》を出る時の彼の様子に、べつだん敬太郎を疑《うたぐ》る気《け》色《しき》も見えなかったので、敬太郎は怒ってやって好いことをしたと考えた。
それからしばらく経《た》つと、森本の室に、いつのまにか新しい客がはいった。敬太郎は彼の荷物を主人がどう片付けたかについて不審を抱《いだ》いた。けれども主人がかの烟草入れを差して談判に来て以来、森本のことはもう聞くまいと決心したので、腹の中はともかく、上《うわ》部《べ》は知らん顔をしていた。そうして依然としてできるようなまたできないような地位を、元ほど焦燥《あせ》らない程度ながらも、まず自分の遣《や》るべき第一の義務として、根気に狩り歩いていた。
ある晩もその用で内《うち》幸《さいわい》町《ちよう》まで行って留《る》守《す》を食ったので已《やむ》を得ずまた電車で引き返すと、偶然向こう側に黄《*き》八《はち》丈《じよう》の袢《はん》天《てん》で赤ん坊を負《おぶ》った婦人が乗り合わせているのに気が付いた。その女は眉《まゆ》毛《げ》の細くて濃い、首筋の美しくできた、どっちかといえば粋な部類に属する型だったが、どうしても袢《はん》天《てん》負《おんぶ》をするという柄ではなかった。といって、背中の子はたしかに自分の子に違いないと敬太郎は考えた。なおよく見ると前《まえ》垂《だ》れの下から格子《こうし》縞《じま》かなにかの御《お》召《め》しが出ているので、敬太郎はますます変に思った。外面《そと》は雨なので、五、六人の乗客は皆傘《かさ》をつぼめて杖《つえ》にしていた。女のは黒《くろ》蛇《じや》の目《め》であったが、冷たいものを手に持つのが厭《いや》だとみえて、彼女はそれを自分の側に立て掛けておいた。その畳《たた》んだ蛇の目の先に赤い漆で加《か》留《る》多《た》と書いてあるのが敬太郎の目に留まった。
この黒人《くろうと》だか素人《しろうと》だか分《わか》らない女と、私生児だか普通の子だか怪しい赤ん坊と、濃い眉をこころもち八の字に寄せて俯《ふ》し目《め》がちな白い顔と、御召しの着物と、黒蛇の目に鮮《あざ》やかな加留多という文字とが互い違いに敬太郎の神経を刺激した時、彼はふと森本といっしょになって子まで生んだという女のことを思い出した。森本自身の口から出た、「こういうと未練があるようで可笑《おか》しいが、顔《かお》質《だち》は悪いほうじゃありませんでした。眉毛《まみえ》の濃い、時々八の字を寄せて人にものを言う癖のある」といったような言葉をぽつぽつ頭の中で憶《おも》い起こしながら、加留多と書いた傘の所有主を注意した。すると女はやがて電車を下《お》りて雨の中に消えていった。あとに残った敬太郎は一人森本の顔や様子を心に描きつつ、運命が今彼をどこに連れ去ったろうかと考え考え下宿へ帰った。そうして自分の机の上に差し出し人の名前の書いてない一封の手紙を見《み》出《いだ》した。
一二
好奇心に駆《か》られた敬太郎は破るようにこの無名氏の書信を披《ひら》いて見た。すると西《せい》洋《よう》罫《けい》紙《し》の第一行目に、親愛なる田川君として下に森本生よりとあるのがなにより先に目に入《はい》った。敬太郎はすぐまた封筒を取り上げた。彼は視線の角度をいくとおりにも変えて、そこに消印の文字を読もうと力《つと》めたが、肉が薄いのでどうしても判断が付かなかった。已《やむ》を得ず再び本文に立ち帰って、まずそれから片付けることにした。本文にはこうあった。
「突然消えたんでさだめて驚いたでしょう。貴方《あなた》は驚かないにしても、雷《*》獣とそうしてズク(森本は平生下宿の主人夫婦を、雷獣とそうしてズクと呼んでいた。ズクは耳ズクの略語である)彼ら両人は驚いたに違いない。打ち明けたお話をすると、実は少し下宿代を滞らしていたので、話をしたら雷獣とそうしてズクが面《めん》倒《どう》をいうだろうと思って、わざと断わらずに、自由行動を取りました。僕の室《へや》に置いてある荷物を始末したら――行《こう》李《り》の中には衣類その他がすっかりはいっていますから、相当の金になるだろうと思うんです。だから両人に貴方《あなた》から右を売るなり着るなりしろと仰《おつ》しゃっていただきたい。もっとも彼雷獣は御承知のごとき曲《くせ》者《もの》ゆえ僕の許諾を待たずして、疾《とつく》の昔にそう取り計らっているかもしれない。のみならず、こっちからそう穏便に出ると、まだ残っている僕の尻《しり》を、貴方に拭《ぬぐ》ってもらいたいなどと、とんでもない難題を持ち懸《か》けるかもしれませんが、それには決して取り合っちゃ不可《いけ》ません。貴方のように高等教育を受けて世の中へ出たての人はとかく雷獣輩が食い物にしたがるものですから、その辺はよく御注意なさらないと不可ません。僕だって教育こそないが、借金を踏んじゃ善《よ》くないくらいのことはま《*》さかに心得ています。来年になればきっと返してやるつもりです。僕に意外な経歴が数々あるからといって、貴方にこの点まで疑われては、せっかくの親友を一人失《な》くしたも同然、はなはだ遺憾のいたりだから、どうか雷獣ごときもののために僕を誤解しないように願います」
森本は次に自分が今大《たい》連《れん》で電気公園の娯楽掛かりを勤めているよしを書いて、来年の春には活動写真買い入れの用向きを帯びて、ぜひとも出京するはずだから、その節は御地で久しぶりにお目に懸《かか》るのを今から楽しみにして待っていると付け加えていた。そうしてそのあとへ自分が旅行した満州地方の景況をさも面《おも》白《しろ》そうに一口ぐらいずつ吹《ふい》聴《ちよう》していた。なかでも最も敬太郎を驚かしたのは、長《*ちよう》春《しゆん》とかにある博打《ばくち》場《ば》の光景で、これはかつて馬賊の大将をしたというさる日本人の経営に係るものだが、そこへ行ってみると、何百人と集まる汚《きたな》い支《し》那《な》人《じん》が、折詰のようにぎっしり詰まって、血《ち》眼《まなこ》になりながら、一種の臭気を吐き合っているのだそうである。しかも長春の富豪が、慰み半分わざと垢《あか》だらけな着物を着て、こっそりここへ出入りするというんだから、森本だってどんな真《ま》似《ね》をしたか分《わか》らないと敬太郎は考えた。
手紙の末段には盆栽のことが書いてあった。「あの梅の鉢《はち》は動《どう》坂《ざか》の植木屋で買ったので、幹はそれほど古くないが、下宿の窓などに載せて置いて朝夕眺《なが》めるにはちょうど手ごろのものです。あれを献上するから貴方の室へ持っていらっしゃい。もっとも雷獣とそうしてズクは両人ともきわめて不《ぶ》風《ふう》流《りゆう》ゆえ、床の間の上へ据《す》えたなり放っておいて、もう枯らしてしまったかもしれません。それから上がり口の土間の傘《かさ》入《い》れに、僕の洋杖《ステツキ》が差さっているはずです。あれも価格《ねだん》からいえば決して高く踏めるものではありませんが、僕の愛用したものだから、記念のためぜひ貴方に進上したいと思います。いかな雷獣とそうしてズクもあの洋杖を貴方が取ったって、まさか故障は申し立てますまい。だから決して御遠慮なさらずと好《い》い。取ってお使いなさい。――満州ことに大連ははなはだ好い所です。貴方のような有為の青年が発展すべき所は当分ほかにないでしょう。思い切ってぜひ入らっしゃいませんか。僕はこっちへ来て以来満鉄のほうにもだいぶ知人ができたから、もし貴方がほんとうに来る気なら、相当のお世話はできるつもりです。ただしその節はまえもってちょっと御通知を願います。さよなら」
敬太郎は手紙を畳《たた》んで机の抽《ひき》出《だ》しへ入れたなり、主人夫婦へは森本の消息について何事も語らなかった。洋杖は依然として、傘入れの中に差さっていた。敬太郎は出入りの都《つ》度《ど》、それを見るたびに一種妙な感に打たれた。
停留所
一
敬太郎に須《す》永《なが》という友《とも》達《だち》があった。これは軍人の子でありながら軍人が大《だい》嫌《きら》いで、法律を修めながら役人にも会社員にもなる気のない、いたって退《*たい》嬰《えい》主義の男であった。少なくとも敬太郎にはそうみえた。もっとも父はよほど以前に死んだとかで、今では母とたった二人ぎり、淋《さみ》しいような、また床《ゆか》しいような生活を送っている。父は主《*》計官としてだいぶ好《い》い地位にまで昇《のぼ》ったうえ、元来が貨《*》殖の道に明らかな人であっただけ、今でも母子《おやこ》とも衣食のうえに不安の憂いを知らない好い身分である。彼の退嬰主義も半ばはこの安泰な境遇に慣れて、奮闘の刺激を失った結果ともみられる。というのは、父が比較的立《りつ》派《ぱ》な地位にいたせいか、彼には世《せ》間《けん》体《てい》の好いばかりでなく、実際為《ため》になる親類があって、いくらでも出世の世話をしてやろうというのに、彼はなんだかだと手《て》前《まえ》勝《がつ》手《て》ばかり並べて、今もって愚《ぐ》図《ず》愚《ぐ》図《ず》しているのを見ても分《わか》る。
「そう贅《ぜい》沢《たく》ばかりいってちゃ勿《もつ》体《たい》ない。厭《いや》なら僕に譲るがいい」と敬太郎は冗談半分に須永を強請《せび》ることもあった。すると須永は淋しそうなまた気の毒そうな微笑を洩《も》らして、「だって君じゃ不可《いけ》ないんだから仕方がないよ」と断わるのが常であった。断わられる敬太郎は冗談にせよ好い心持ちはしなかった。己《おれ》は己でどうかするという気慨も起こしてみた。けれども根が執念深くない性質《たち》だから、これしきのことで須永に対する反抗心など永《なが》く続きようはずがなかった。そのうえ身分が定まらないので、気の落ち付く背景を有《も》たない彼は、朝から晩まで下宿の一間にじっと坐《すわ》っている苦痛に堪えなかった。用がなくっても半日はぜひ出て歩いた。そうしてよく須永の家《うち》を訪問《おとず》れた。一つはいつ行ってもたいてい留《る》守《す》のことがないので、行く敬太郎のほうでも張り合いがあったのかもしれない。
「糊口《くち》も糊口だが、糊口より先に、なにか驚嘆に価する事件に会いたいと思ってるが、いくら電車に乗って方々歩いてもまったく駄《だ》目《め》だね。攫徒《すり》にさえ会わない」などと言うかと思うと、「君、教育は一種の権利かと思っていたらまったく一種の束縛だね。いくら学校を卒業したって食うに困るようじゃなんの権利かこれあらんやだ。それじゃ位地はどうでも可《い》いから思う存分勝手な真《ま》似《ね》をして構わないかというと、やっぱり構うからね。いやに人を束縛するよ教育が」と忌《いま》々《いま》しそうに嘆息することがある。須永は敬太郎のいずれの不平に対してもあまり同情がないらしかった。第一彼の態度からしてがほんとうに真《ま》面《じ》目《め》なのだか、またはただ空《から》焦燥《はしやぎ》に焦燥《はしや》いでいるのか見分けが付かなかったのだろう。ある時須永はあまり敬太郎がこういうような浮《うわ》ずったことばかり言い募るので、「それじゃ君はどんなことがしてみたいのだ。衣食問題は別として」と聞いた。敬太郎は警視庁の探《たん》偵《てい》見たようなことがしてみたいと答えた。
「じゃ為《す》るが好いじゃないか、わけないこった」
「ところがそうはいかない」
敬太郎は本気になぜ自分に探偵ができないかという理由を述べた。元来探偵なるものは世間の表面から底へ潜《もぐ》る社会の潜水夫のようなものだから、これほど人間の不思議を攫《つか》んだ職業はたんとあるまい。それに彼らの立場は、ただ他《ひと》の暗黒面を観察するだけで、自分と堕落して懸《かか》る危険性を帯びる必要がないから、なおのこと都合が可いには相違ないが、いかんせんその目的がすでに罪悪の暴露にあるのだから、あらかじめ人を陥《おとしい》れようとする成心の上に打ち立てられた職業である。そんな人の悪いことは自分にはできない。自分はただ人間の研究者いな人間の異常なる機関《からくり》が暗い闇《やみ》夜《よ》に運転する有《あり》様《さま》を、驚嘆の念をもって眺《なが》めていたい。――こういうのが敬太郎の主意であった。須永は逆らわずに聞いていたが、これという批判の言葉も放たなかった。それが敬太郎には老成と見えながらその実平凡なのだとしか受け取れなかった。しかも自分を相手にしないような落ち付き払ったふうのあるのを悪《にく》く思って別れた。けれども五日と経《た》たないうちにまた須永の宅《うち》へ行きたくなって、表へ出るとすぐ神《かん》田《だ》行《ゆき》の電車に乗った。
二
須永はもとの小《お》川《がわ》亭《てい》すなわち今の天下堂という高い建物を目標《めじるし》に、須《す》田《だ》町《ちよう》の方から右へ小さな横町を爪《つま》先《さき》上りに折れて、二、三度不規則に曲がったきわめて分《わか》り悪《にく》い所にいた。家並みの立て込んだ裏通りだから、山の手と違ってむろん屋敷を広く取る余地はなかったが、それでも門から玄関まで二間ほど御《み》影《かげ》の上を渡らなければ、格《こう》子《し》先の電鈴《ベル》に手が届かないくらいの一構えであった。もとから自分の持ち家だったのを、一時親類の某《なにがし》に貸したなり久しく過ぎたところへ、父が死んだので、無《ぶ》人《にん》の活計《くらし》には場所も広さも恰《かつ》好《こう》だろうという母の意見から、駿河《するが》台《だい》の本宅を売り払ってここへ引き移ったのである。もっともそれからだいぶ手を入れた。ほとんど新築したも同然さとかつて須永が説明して聞かせた時に、敬太郎はなるほどそうかと思って、二階の床柱や天井板を見回したことがある。この二階は須永の書斎にするため、あとから継ぎ足したので、風が強く吹く日には少し揺れる気味はあるが、ほかにこれといって非の打ちようのない綺《き》麗《れい》に明らかな四畳六畳二間つづきの室《へや》であった。その室に坐《すわ》っていると、庭に植えた松の枝と、手斧目《*ちようなめ》の付いた板《いた》塀《べい》の上の方と、それから忍《*》び返しが見えた。縁に出て手《て》摺《す》りから見《み》下《おろ》した時、敬太郎は松の根に一面と咲いた鷺《*さぎ》草《そう》を眺めて、あの白いものはなんだと須永に聞いたこともあった。
彼は須永を訪問してこの座敷に案内されるたびに、書生と若《わか》旦《だん》那《な》の区別を判然と心に呼び起こさざるを得なかった。そうしてこうこじんまり片付いて暮らしている須永を軽《けい》蔑《べつ》すると同時に、閑静ながら余裕のあるこの友の生活を羨《うらや》みもした。青年があんなでは駄《だ》目《め》だと考えたり、またあんなにも為《な》ってみたいと思ったりして、今日《きよう》も二つの矛盾からでき上がった斑《まだら》な興味を懐《ふところ》に、彼は須永を訪問したのである。
例の小路を二、三度曲折して、須永の住居《すま》っている通りの角《かど》まで来ると、彼より先に一人の女が須永の門を潜《くぐ》った。敬太郎はただ一目その後ろ姿を見ただけであったが、青年に共通の好奇心と彼に固有の浪漫《ロマン》趣味とが力を合わせて、引き摺《ず》るように彼を同じ門前に急がせた。ちょっと覗《のぞ》いて見ると、もう女の影は消えていた。例のとおり紅葉《*もみじ》を引き手に張り込んだ障子が、閑静に閉《しま》っているだけなのを、敬太郎は少し案外にかつ物足らず眺めていたが、やがて沓《くつ》脱《ぬ》ぎの上に脱ぎ捨てた下《げ》駄《た》に気を付けた。その下駄はもちろん女ものであったが、行儀よく向こうむきに揃《そろ》っているだけで、下女が手を懸《か》けて直した迹《あと》が少しも見えない。敬太郎は下駄の向きと、思ったより早く上がってしまった女の所作とを継ぎ合わして、これは取次ぎを乞《こ》わずに、独《ひと》りでかってに障子を開《あ》けてはいったきわめて懇意の客だろうと推察した。でなければ家《うち》のものだが、それでは少し変である。須永の家は彼と彼の母と仲《*》働きと下女の四人《よつたり》暮らしであることを敬太郎はよく知っていたのである。
敬太郎は須永の門前にしばらく立っていた。今はいった動静をそっと塀《へい》の外から窺《うかが》うというよりも、むしろ須永とこの女がどんな文《あや》に二人の浪漫を織っているのだろうと想像するつもりであったが、やはり聞き耳は立てていた。けれども内はいつものとおり森《しん》としていた。艶《なまめ》いた女の声どころか、咳嗽《せき》一つ聞こえなかった。
「許嫁《いいなずけ》かな」
敬太郎はまず第一にこう考えたが、彼の想像はそのくらいで落ち付くほど、訓練を受けていなかった。――母は仲働きを連れて親類へ行ったから今日は留《る》守《す》である。飯《めし》焚《た》きは下《げ》女《じよ》部《べ》屋《や》に引き下がっている。須永と女とは今差向いでなにか私語《ささや》いている。――はたしてそうだとするといつものように格子戸をがらりと開けて頼むと大きな声を出すのも変なものである。あるいは須永も母も仲働きもいっしょに出たかもしれない。おさんはきっと昼《ひる》寐《ね》をしている。女はそこへはいったのである。とすれば泥《どろ》棒《ぼう》である。このまま引き返しては済まない。――敬太郎は狐《きつね》憑《つ》きのようにのそりと立っていた。
三
すると二階の障子がすうと開《あ》いて、青い色の硝子《ガラス》瓶《びん》を下げた須永の姿が不意に縁側へ現われたので敬太郎はちょっと吃驚《びつくり》した。
「なにをしているんだ。落とし物でもしたのかい」と上から不思議そうに聞きかける須永を見ると、彼は咽喉《のど》の周囲《まわり》に白いフラネルを捲《ま》いていた。手に提げたのは含《*がん》嗽《そう》剤《ざい》らしい。敬太郎は上を向いて、風《か》邪《ぜ》を引いたのかとかなんとか二、三言葉を換《か》わしたが、依然として表に立ったまま、動こうともしなかった。須永はしまいにはいれと言った。敬太郎はわざとはいって可《い》いかと念を入れて聞き返した。須永はほとんどその意味を覚《さと》らない人のごとく、軽く首肯《うなず》いたぎり障子の内に引き込んでしまった。
階段《はしごだん》を上がる時、敬太郎は奥の部《へ》屋《や》でかすかに衣《きぬ》摺《ず》れの音がするような気がした。二階には今まで須永の羽織っていたらしい黒《*》八丈の襟《えり》の掛かったどてらが脱ぎ捨ててあるだけで、ほかに平生と変わったところはどこにも認められなかった。敬太郎の性質からいって、彼の須永に対する交情からいっても、これほど気に掛かる女のことを、率直に切り出して聞けないはずはなかったのだが、今までにどこか罪な想像を逞《たくま》しくしたという疚《やま》しさもあり、また面と向かってすぐとは言い悪《にく》い皮肉な覘《ねら》いを付けた自覚もあるので、今しがた君の家《うち》へはいった女はぜんたい何者だと無邪気に尋ねる勇気も出なかった。かえって自分の先へ先へと走りたがる心を圧《お》し隠すようなふうに、
「空想はもう当分已《や》めだ。それよりか口のほうが大事だからね」と言って、かねて須永から聞いている内幸町の叔父《おじ》さんという人に、一応そういうほうの用向きで会っておきたいから紹介してくれと真《ま》面《じ》目《め》に頼んだ。叔父というのは須永の母の妹の連れ合いで、官吏から実業界へはいって、今では四つか五つかの会社に関係を有《も》っている相当な位地の人であったが、須永はその叔父の力を藉《か》りてどうしようという料《りよう》簡《けん》もないと見えて、「叔父がいろいろ言ってくれるけれども、僕はあんまり進まないから」と、かつて敬太郎に話したことがあったのを、敬太郎は覚えていたのである。
須永は今朝《けさ》すでにその叔父に会うはずであったが、咽喉を痛めたため、外出を見合わせたのだそうで、四、五日内にはたいてい行けるだろうから、その時にはぜひ話してみようと答えたあとで、「叔父も忙しい身体《からだ》だしね、それに方々から頼まれるようだから、きっととは受け合われないが、まあ会ってみたまえ」と念のためだかなんだか付け加えた。あまり望みを置きすぎられては困るというのだろうと敬太郎は解釈したが、それでも会わないよりは増しだぐらいに考えて、例に似ず宜《よろ》しく頼む気になった。が、口で頼むほど腹の中では心配も苦労もしていなかった。
元来彼が卒業後相当の地位を求めるために、腐心し運動し奔走し、今もなおしつつあるのは、当人の公言するごとく佯《いつわ》りなき事実ではあるが、いまだに成効の曙《しよ》光《こう》を拝まないといって、さも苦しそうな声を出してみせるうちには、少なくとも五割方の懸《か》け値《ね》が籠《こも》っていた。彼は須永のような一人息子《むすこ》ではなかったが、(妹が片付いて、)母一人残っているところは両方とも同じであった。彼は須永のように地面家作の所有主でない代りに、国に少し田地を有《も》っていた。もとよりたいした穀高になるというほどのものでもないが、俵《ひよう》がいくらという極《きま》った金に毎年替えられるので、二十や三十の下宿代に窮する身分ではなかった。そのうち女親の甘いのに付け込んで、自分で自分の身を喰《く》うような臨時費を請求したことも今までに一度や二度ではなかった。だから位地位地といって騒ぐのが、まったくの空《から》騒《さわ》ぎでないにしても、郷《*》党だの朋《ほう》友《ゆう》だのまたは自分だのに対する虚栄心に煽《あお》られていることは慥《たし》かであった。そんなら学校にいるうちにもっと勉強して好《い》い成績でも取っておきそうなものだのに、そこが浪漫《ロマン》家《か》だけあって、学課はなるべく怠《なま》けよう怠けようと心掛けてとおしてきた結果、すこぶる鮮《あざ》やかならぬ及第をしてしまったのである。
四
それで約一時間ほど須永と話すあいだにも、敬太郎は位地とは衣食とかいう苦しい問題を自分と進んで持ち出しておきながら、やっぱりさっき見た後ろ姿の女のことが気に掛かって、肝《かん》心《じん》の世渡りのほうには口先ほど真《ま》面《じ》目《め》になれなかった。一度下座敷で若々しい女の笑い声が聞こえた時などは、誰《だれ》かお客が来ているようだねと尋ねてみようかしらんと考えたくらいである。ところがその考えている時間が、すでに自然を打《ぶ》ち壊《こわ》す道具になって、せっかくの問いが間《ま》外《はず》れになろうとしたので、とうとう口へ出さずに已《や》めてしまった。
それでも須永のほうではなるべく敬太郎の好奇心に媚《こ》びるような話題を持ち出した気でいた。彼は自分の住んでいる電車の裏通りが、いかに小さな家と細い小路のために、賽《さい》の目のように区切られて、名も知らない都会人士の巣を形づくっているうちに、社会の上層に浮き上がらない戯曲がほとんど戸ごとに演ぜられているというような事実を敬太郎に告げた。
まず須永の五、六軒先には日本橋辺の金物屋の隠居の妾《めかけ》がいる。その妾が宮《*みや》戸《と》座《ざ》とかへ出る役者を情夫《いろ》にしている。それを隠居が承知で黙っている。その向こう横町に代《*だい》言《げん》だか周旋屋だか分《わか》らない小《こ》綺《ぎ》麗《れい》な格《こう》子《し》戸《ど》作りの家《うち》があって、時々表へ女記者一名、女コック一名至急入用などという広告を黒板《ボールド》へ書いて出す。そこへある時二十七、八の美しい女が、襞《ひだ》を取った紺《こん》綾《あや》の長いマントをすぽりと被《かぶ》って、まるで西洋の看護婦という服装《なり》をして来て職業の周旋を頼んだ。それが其家《そこ》の主人の昔書生をしていた家《うち》のお嬢さんなので、主人はもちろん妻君も驚いたという話がある。次に背中合わせの裏通りへ出ると、白髪《しらが》頭《あたま》で二十《はたち》ぐらいの妻君を持った高利貸しがいる。人の評判では借金の抵当《かた》に取った女房だそうである。その隣の博奕《ばくち》打《う》ちが、おおぜい同類を寄せて、互いに血《ち》眼《まなこ》に擦《こす》り合っている最中に、ねんね子で赤ん坊を負《おぶ》った上《かみ》さんが、勝負で夢中になっている亭《てい》主《しゆ》を迎えに来ることがある。上さんが泣きながらどうかいっしょに帰ってくれというと、亭主は帰るには帰るが、もう一時間ほどして負けたものを取り返してから帰るという。すると上さんはそんな意地を張れば張るほど負けるだけだから、ぜひ今帰ってくれと縋《すが》り付くように頼む。いや帰らない、いや帰れといって、往来の氷《こお》る夜中でも四隣《あたり》の眠りを驚かせる。……
須永の話をだんだん聞いているうちに、敬太郎はこういう実《*》地小説のはびこるなかに年来住み慣れてきた須永もまた人の見ないような芝居をこっそり遣《や》って口を拭《ぬぐ》って済ましているのかもしれないという気が強くなってきた。もとよりその推察の裏にはさっき見た後ろ姿の女が薄い影を投げていた。「ついでに君の分も聞こうじゃないか」と切り込んでみたが、須永はふんと言って薄笑いをしただけであった。そのあとで簡単に「今日《きよう》は咽喉《のど》が痛いから」と言った。さも小説は有《も》っているが、君には話さないのだと言わんばかりの挨《あい》拶《さつ》に聞こえた。
敬太郎が二階から玄関へ下《お》りた時は、例の女《おんな》下《げ》駄《た》がもう見えなかった。帰ったのか、下《げ》駄《た》箱《ばこ》へ仕《し》舞《ま》わしたのか、または気を利《き》かして隠したのか、彼にはまるで見当が付かなかった。表へ出るやいなや、どういう料《りよう》簡《けん》か彼はすぐ一軒の烟草《たばこ》屋《や》へ飛び込んだ。そうしてそこから一本の葉巻を銜《くわ》えて出てきた。それを吹かしながら須田町まで来て電車に乗ろうとするとたん、喫《きつ》烟《えん》お断わりという社則を思い出したので、また万《まん》世《せい》橋《ばし》の方へ歩いていった。彼は本《ほん》郷《ごう》の下宿へ帰るまでこの葉巻を持たすつもりで、ゆっくりゆっくり足を運ばせながらなお須永のことを考えた。その須永は決していつものように単独には頭の中へはいって来なかった。考えるたびにきっと後ろ姿の女がちらちら跟《つ》いてきた。しまいに「本郷台町の三階から遠《とお》眼鏡《めがね》で世の中を覗《のぞ》いていて、浪漫《ロマン》的探検なんて気の利いた真似ができるものか」と須永から冷笑《ひや》かされたような心持ちがしだした。
五
彼は今《こん》日《にち》まで、俗にいう下町生活に昵懇《なじみ》も趣味も有《も》ち得ない男であった。時たま日本橋の裏通りなどを通って、身を横にしなければ潜《くぐ》れない格《こう》子《し》戸《ど》だの、三和土《たたき》の上から訳もなくぶら下がっている鉄《かな》燈《どう》籠《ろう》だの、上がり框《がまち》の下を張り詰めた綺《き》麗《れい》に光る竹だの、杉《すぎ》だかなんだか日光《ひ》が透《とお》って赤く見えるほど薄っぺらな障子の腰だのを目にするたびに、いかにもせせこましそうな心持ちになる。こう万事がきちりと小さく整ってかつ光っていられては窮屈で堪《たま》らないと思う。これほどこじんまりと几《き》帳《ちよう》面《めん》に暮らしてゆく彼らは、おそらく食後に使う楊《よう》枝《じ》の削り方まで気に掛けているのではなかろうかと考える。そうしてそれがことごとく伝説的の法則に支配されて、ちょうど彼らの用いる烟草《たばこ》盆《ぼん》のように、先祖代々順々に拭《ふ》き込まれた習慣を笠《かさ》に、恐るべく光っているのだろうと推察する。須永の家《うち》へ行って、用もない松へ大事そうな雪《ゆき》除《よ》けをしたところや、狭い庭を馬鹿丁《てい》寧《ねい》に枯《*》れ松葉で敷き詰めた景《け》色《しき》などを見る時ですら、彼は繊細な江《*》戸式の開化の懐《ふところ》に、ぽうと育った若《わか》旦《だん》那《な》を連想しないわけにはゆかなかった。第一須永が角帯をきゅうと締めてきちりと坐《すわ》ることからが彼には変であった。そこへ長《なが》唄《うた》の好きだとかいう御母《おつか》さんが時々出てきて、滑《すべ》っこいくせにアクセントの強い言葉で、舌《した》触《ざわ》りの好《い》い愛《あい》嬌《きよう》を振《ふ》り懸《か》けてくれる折などは、昔から重《じゆう》詰《づ》めにして蔵の二階へ仕《し》舞《ま》っておいたものを、今取り出して来たというふうに、出来合い以上の旨《うま》さがあるので、紋切り形とはむろん思わないけれども、幾代も掛かって辞令の練習を積んだ巧みが、その底に潜んでいるとしか受け取れなかった。
要するに敬太郎はもう少し調《ちよう》子《し》外《はず》れの自由なものが欲《ほ》しかったのである。けれども今日《きよう》の彼は少なくとも想像の上において平生の彼とは違っていた。彼は徳川時代の湿っぽい空気がいまだに漂っている黒《*》い蔵造りの立ち並ぶ裏通りに、親譲りの家《うち》を構えて、敬ちゃんお遊びなという友《とも》達《だち》を相手に、泥《どろ》棒《ぼう》ごっこや大将ごっこをして成長したかった。月に一遍ずつ蠣《*かき》殻《がら》町《ちよう》の水《すい》天《てん》宮《ぐう》様《さま》と深《*》川の不動様へお参りをして、護《ご》摩《ま》でも上げたかった(現に須永は母のお供をしてこういう旧弊な真《ま》似《ね》を当たり前のごとく遣《や》っている)。それから鉄《*》無地の羽織でも着ながら、歌《*か》舞《ぶ》伎《き》を当世に崩《くず》して往来へ流した匂《におい》のする町内を恍《こう》惚《こつ》と歩きたかった。そうして習慣に縛られた、かつ習慣を飛び超《こ》えた艶《なまめ》かしい葛《かつ》藤《とう》でもそこに見《み》出《いだ》したかった。
彼はこの時たちまち森本の二字を思い浮かべた。するとその二字の周囲にある空想が妙に色を変えた。彼は物好きにもみずから進んでこの後ろ暗い奇人に握手を求めた結果として、もう少しでとんだ迷惑を蒙《こうむ》るところであった。さいわいに下宿の主人が自分の人格を信じたから可《い》いようなものの、疑ろうとすればどこまでも疑られ得《う》る場合なのだから、主人の態度いかんによっては警察ぐらいへ行かなければならなかっのたかもしれない。と、こう考えると、彼の空中に編み上げる勝《かつ》手《て》な浪漫《ロマン》が急に温味《あたたかみ》を失って、醜い想像からでき上がった雲の峰同様に、意味もなく崩れてしまった。けれどもその奥に口《くち》髭《ひげ》をだらしなく垂《た》らした二《ふた》重《え》瞼《まぶた》の瘠《や》せぎすの森本の顔だけは粘り強く残っていた。彼はその顔を愛したいような、侮りたいような、また憐《あわれ》みたいような心持ちになった。そうしてこの凡庸な顔の後ろに解すべからざる怪しいものがぼんやり立っているように思った。そうして彼が記念《かたみ》に呉《く》れると言った妙な洋杖《ステツキ》を連想した。
この洋杖は竹の根の方を曲げて柄《え》にしたきわめて単《*》簡のものだが、ただ蛇《へび》を彫ってあるところが普通の杖《つえ》と違っていた。もっとも輸出向きによく見るように蛇の身をぐるぐる竹に巻き付けた毒々しいものではなく、彫ってあるのはただ頭だけで、その頭が口を開《あ》けてなにか呑《の》み掛《か》けているところを握りにしたものであった。けれどもその呑み掛けているのがなんであるかは、握りの先が丸く滑《すべ》っこく削られているので、蛙《かえる》だか鶏卵《たまご》だか誰にも見当が付かなかった。森本は自分で竹を伐《き》って、自分でこの蛇を彫ったのだと言っていた。
六
敬太郎は下宿の門口を潜《くぐ》るときなにより先にまずこの洋杖《ステツキ》に目を付けた。というよりも途《みち》すがらの連想が、硝子《ガラス》戸《ど》を開《あ》けるやいなや、彼の目を瀬戸物の傘《かさ》入《い》れの方へ引き付けたのである。実をいうと、彼は森本の手紙を受け取った当座、この洋杖を見るたびに、自分にも説明のできない妙な感じがしたので、なるべく目を触れないように、出入りの際視線を逸《そ》らしたくらいである。ところがそうするとこんどはわざと見ない振りをして傘入れの傍《そば》を通るのが苦になって、きわめて軽微な程度ではあるけれどもこの変な洋杖におのずと祟《たた》られたというふうになってしまった。彼自身もついには自分の神経を不思議に思いだした。彼は一種の利害関係から、過去に溯《さかのぼ》る嫌《けん》疑《ぎ》を恐れて、森本の居所もまたその言《こと》伝《づて》も主人夫婦に告げられないという弱味を有《も》っているには違いないが、それは良心のうえにどれほどの曇りも懸《か》けなかった。記念《かたみ》として上げるとわざわざいってきたものを、快く貰《もら》い受ける勇気の出ないのは、他《ひと》の好意を空しくする点において、面《おも》白《しろ》くないに極《きま》っているが、これとても苦になるほどではない。ただ森本の浮世の風にあたる運命が近いうちに終わりを告げるとする(おそらくはのたれ死にという終わりを告げるのだろう)。その憐《あわ》れな最《さい》期《ご》を今から予想して、この洋杖が傘入れの中に立っているとする。そうして多能な彼の手によって刻まれた、胴から下のない蛇《へび》の首が、何物かを呑《の》もうとして呑まず、吐こうとして吐かず、いつでも竹の棒の先に、口を開いたまま喰っ付いているとする。――こういうふうに森本の運命とその運命を黙って代表している蛇の頭とを結び付けて考えたうえに、その代表者たる蛇の頭を毎日握って歩くべく、近いうちにのたれ死にをする人から頼まれたとすると、敬太郎はその時にはじめて妙な感じが起こるのである。彼は自分でこの洋杖を傘入れの中から抜き取ることもできず、また下宿の主人に命じて、自分の目の届かないところへ片付けさせるわけにもゆかないのを大《おお》袈《げ》裟《さ》ではあるが一種の因果のように考えた。けれども詩で染めた色彩と、散文で行く活計とはだいぶ一致しないところもあって、実際をいうと、これがために下宿を変えて落ち付いたほうが楽だと思うほど彼は洋杖に災いされていなかったのである。
今日《きよう》も洋杖は依然として傘入れの中に立っていた。鎌《かま》首《くび》は下《げ》駄《た》箱《ばこ》の方を向いていた。敬太郎はそれを横に見たなり自分の室《へや》に上がったが、やがて机の前に坐《すわ》って、森本に遣《や》る手紙を書きはじめた。まずこのあいだ向こうから来た音信《たより》の礼を述べたうえ、なぜ早く返事を出さなかったかという弁解を、二、三行でも可《い》いから付け加えたいと思ったが、それをあからさまに打ち開けては、君のような漂浪者《*バガボンド》を知己に有つ僕の不名誉を考えると、書信の往復などは為《す》る気になれなかったからだとでも書くよりほかに仕方がないので、そこは例の奔走に取り紛れと簡単な一句で胡《ご》魔《ま》化《か》しておいた。次に彼が大連で好都合な職業に有り付いた祝いの言葉をちょっと入れて、そのあとへだんだん東京も寒くなる時《じ》節《せつ》柄《がら》、満州の霜や風はさぞ凌《しの》ぎ悪《にく》いだろう。ことに貴方《あなた》の身体《からだ》ではひどく応《こた》えるに違いないから、ぜひ用心して病気に罹《かか》らないようになさいと優しい文句を数行綴《つづ》った。敬太郎からいうと、実はここが手紙を出す主意なのだから、なるべく自分の同情が先方へ徹するように旨《うま》くかつ長く、そうして誰《だれ》が見ても実意の籠《こも》っているように書きたかったのだけれども、読み直してみると、やっぱり普通の人が普通時候の挨《あい》拶《さつ》に述べる用語以外に、なんの新しいところもないので、彼は少し失望した。といって、もともと恋人に送る艶書ほど熱烈な真心を籠《こ》めたものでないのは覚悟のまえである。それで自分は文章が下手《へた》だから、いくら書き直したって駄目だくらいの口実のもとに、そこはそのままにして前へ進んだ。
七
森本が下宿へ置き去りにしていった荷物の始末については義理にもなんとか書き添えなければ済まなかった。しかしその処理の付け方を亭《てい》主《しゆ》に聞くのは厭《いや》だし、聞かなければ委細の報道はできるはずはなし、敬太郎は筆の先を宙に浮かしたまま考えていたが、とうとう「貴方《あなた》の荷物は、僕から主人に話して、どうでも彼の都合の宜《い》いように取り計らわせろとの御依頼でしたが、貴方の千里眼のとおり、僕がなんにも言わない先に、雷獣のほうでかってに取り計らってしまったようですからさよう御承知を願います。梅の盆栽を下さるということですが、これは影も形も見えないようですから、頂きません。ただお礼だけ申し述べておきます。それから」とつづけておいて、また筆を休めた。
敬太郎はいよいよ洋杖《ステツキ》のところへ来たのである。根が正直な男だから、あの洋杖はせっかくの御覚召《おぼしめ》しだから、頂《ちよう》戴《だい》して毎日散歩の時突いて出ますなどと空々しい嘘《うそ》は吐けず、といって御親切は有《あり》難《がた》いが僕は貰《もら》いませんとはなおさら書けず、仕方がないから、「あの洋杖はいまだに傘《かさ》入《い》れの中に立っています。持ち主の帰るのを毎日毎夜待ち暮らしているごとく立っています。雷獣もあの蛇《へび》の頭へは手を触れることをあえてしません。僕はあの首を見るたびに、彫刻家としての貴方の手腕に敬服せざるを得ないです」と好い加減なお世辞を並べて、事実を暈《ぼか》す手段とした。
状袋へ名《な》宛《あて》を書くときに、森本の名前を思い出そうとしたが、どうしても胸に浮かばないので、已《やむ》を得ず大連電気公園内娯楽掛かり森本様とした。今までの関係上主人夫婦の目を憚《はばか》らなければならない手紙なので、下女を呼んでポストへ入れさせるわけにはゆかなかったから、敬太郎はすぐそれを自分の袂《たもと》の中に蔵《かく》した。彼はそれを持って夕食後散歩かたがた外へ出《で》掛《か》ける気で寒い梯子《はしご》段《だん》を下まで降り切ると、須永から電話が掛かった。
今日《きよう》内幸町から従妹《いとこ》が来ての話に、叔父《おじ》は四、五日うちに用事で大阪へ行くかもしれないそうだから、あまり遅《おそ》くなってはと思って、立つまえに会って貰えまいかと電話で聞いてみたら、宜《よろ》しいという返事だから、行く気ならなるべく早く行ったほうが可《よ》かろう。もっとも電話のうえに咽喉《のど》が痛いので、詳しい話はできなかったから、そのつもりでいてくれというのが彼の用向きであった。敬太郎は「どうも有難う。じゃなるべく早く行くようにするから」と礼を述べて電話を切ったが、どうせ行くなら今夜にでも行ってみようという気が起こったので、再び三階へ取って返してこのあいだ拵《こしら》えたセ《*》ルの袴《はかま》を穿《は》いたうえ、いよいよ表へ出た。
曲がり角《かど》へ来てポストへ手紙を入れることは忘れなかったけれども、肝《かん》心《じん》の森本の安否はこの時すでに敬太郎の胸に、ただ微《かす》かな火気《ほとぼり》を残すのみであった。それでも状袋が郵《ゆう》便《びん》函《ばこ》の口を滑《すべ》って、すとんと底へ落ちた時は、受取人の一週間以内に封を披《ひら》くさまを想見して、まんざら悪い心持ちもしまいと思った。
それから電車へ乗るまではただ一直線にすたすた歩いた。考えも一直線に内幸町の方を向いていたが、電車が明《みよう》神《じん》下《した》へ出る時分、何気なく今しがた電話口で須永から聞いた言葉を、頭のうちで繰り返してみると、覚えずはっと思うところが出てきた。須永は「今日内幸町からイトコが来て」とたしかに言ったが、そのイトコが彼の叔父さんの子であることは疑うまでもない。しかしその子が男であるか女であるかは不完全な日本語のまるで関係しないところである。
「どっちだろう」
敬太郎は突然気にしはじめた。もしそれが男だとすれば、あの後ろ姿の女についての手掛かりにはならない。したがって女は彼の好奇心をいたずらに刺激しただけで、ちっとも動いてこない。しかしもし女だとすると、日といい時刻といい、須永の玄関から上がり具合といい、どうも自分より一足先へはいったあの女らしい。想像と事実を継ぎ合わせることに巧みな彼は、そうと確かめないうちに、てっきりそうと極《き》めてしまった。こう解釈した時は、今まで泡《あわ》立《だ》っていた自分の好奇心にいくぶんの冷水を注《さ》したような満足を覚えるとともに、予期したよりも平凡な方角に、手掛かりが一つできたという詰《つま》らなさをも感じた。
八
彼は小《お》川《がわ》町《まち》まで来た時、ちょっと電車を下《お》りても須永の門口まで行って、友の口から事実を確かめてみたいくらいに思ったが、単純な好奇心以外にそんな立ち入った詮《せん》議《ぎ》をすべき理由をどこにも見《み》出《いだ》し得ないので、我慢してすぐ三《み》田《た》線《せん》に移った。けれどもまっすぐに神田橋を抜けて丸の内を疾駆する際にも、自分は今須永の従妹《いとこ》の家に向かって走りつつあるのだという心持ちは忘れなかった。彼は勧業銀行の辺《あたり》で下りるはずのところを、つい桜《さくら》田《だ》本《ほん》郷《ごう》町《ちよう》まで乗り越して驚いてまた暗い方へ引き返した。淋《さび》しい夜であったが尋ねる目的の家はすぐ知れた。まるい瓦斯《ガス》に田口と書いた門の中を覗《のぞ》いてみると、思ったより奥深そうな構えであった。けれども実際は砂《じや》利《り》を敷いた路《みち》が往来から筋《すじ》違《かい》に玄関を隠しているのと、正面を遮《さえぎ》る植込みがこんもり黒ずんで立っているのとで、いくぶんか厳《いかめ》しい景気を夜陰に添えたまでで、門内にはいったところでは見《*》付きほど手広な住居《すまい》でもなかった。
玄関には西《せい》洋《よう》擬《まが》いの硝子《ガラス》戸《ど》が二枚閉《た》ててあったが、頼むといっても、電鈴《ベル》を押しても、取次ぎがなかなか出てこないので、敬太郎は已《やむ》を得ずしばらくその傍《そば》に立って内の様子を窺《うかが》っていた。すると、どこからかようやく足音が聞こえだして、目の前の擦《す》り硝子《ガラス》がぱあっと明るくなった。それから庭《にわ》下《げ》駄《た》で三和土《たたき》を踏む音が二足三足したと思うと、玄関の扉《とびら》が片方開《あ》いた。敬太郎はこの際取次ぎの風《ふう》采《さい》を想像するほどの物《もの》数《ず》奇《き》もなく、まったく漫然と立っていただけであるが、それでも絣《かすり》の羽織を着た書生か、双《*ふた》子《こ》の綿入れを着た下女が、一応お辞儀をして彼の名刺を受け取ることとのみ期待していたのに、今戸を半分開けて彼の前に立ったのは、思いも寄らぬ立《りつ》派《ぱ》な服装《なり》をした老紳士であった。電気の光を背中に受けているので、顔ははっきりしなかったが、白《しろ》縮緬《ちりめん》の帯だけはすぐ彼の目に映じた。その瞬間にすぐこれが田口という須永の叔父《おじ》さんだろうという感じが敬太郎の頭に働いた。けれどもことがあまり意外なので、すぐ挨《あい》拶《さつ》をする余裕も出ず少しはあっけにとられた気味で、ぼんやりしていた。そのうえ自分をはなはだ若く考えている敬太郎には、四十代だろうが五十代だろうが、ないし六十代だろうがほとんど区別のない一様の爺《じい》さんに見えるくらい、彼は老人に対して親しみのない男であった。彼は四十五と五十五を見分けてやるほどの同情心を年長者に対して有《も》たなかったと同時に、そのいずれに向かっても慣れないうちは異人種のような無気味を覚えるのが常なので、なおさら迷児《まご》ついたのである。しかし相手はなにも気に掛からない様子で、「なにか用ですか」と聞いた。丁寧でもなければ軽《けい》蔑《べつ》でもないいたって無《む》雑《ぞう》作《さ》なその言葉つきが、少し敬太郎の度胸を回復させたので、彼はようやく自分の姓名を名乗るとともに手短く来意を告げる機会を得た。すると年《とし》嵩《かさ》な男は思い出したように、「そうそうさっき市《いち》蔵《ぞう》(須永の名)から電話で話がありました。しかし今夜お出になるとは思いませんでしたよ」と言った。そうして君そう早く来たって不可《いけ》ないという様子がその裏に見えたので、敬太郎はせいいっぱい言い訳をする必要を感じた。老人はそれを聞くでもなし聞かぬでもなしといったふうに黙って立っていたが、「そんならまたいらっしゃい。四、五日うちにちょっと旅行しますが、そのまえにお目に掛かれる暇さえあれば、お目に掛かっても宜《よ》うござんす」と言った。敬太郎は篤《あつ》く礼を述べてまた門を出たが、暗い夜《よ》の中で、礼の述べ方がちと馬《ば》鹿《か》丁寧すぎたと思った。
これはずっとあとになって、須永の口から敬太郎に知れた話であるが、ここの主人は、この時玄関に近い応接間で、たった一人碁《ご》盤《ばん》に向かって、白石と黒石を互い違いに並べながら考え込んでいたのだそうである。それは客と一石遣《や》ったあとの引き続きとして、ぜひともある問題を解決しなければ気が済まなかったからであるが、肝《かん》心《じん》のところで敬太郎がさも田舎《いなか》者《もの》らしく玄関を騒がせるものだから、まずこの邪魔を追っ払ったあとでというつもりになって、焦慮《じれ》ったさのあまり自分と取次ぎに出たのだという。須永にこの顛《てん》末《まつ》を聞かされた時に、敬太郎はますます自分の挨《あい》拶《さつ》が丁寧すぎたような気がした。
九
中一日置いて、敬太郎は堂々と田口へ電話を懸《か》けて、これからすぐ行っても差《さし》支《つか》えないかと聞き合わせた。向こうの電話口へ出たものは、敬太郎の言葉つきや話し振りの比較的横《*おう》風《ふう》なところからだいぶん位地の高い人とでも思ったらしく、「どうぞ少々お待ちくださいまし、ただいま主人の都合をちょっと尋ねますから」と丁寧な挨《あい》拶《さつ》をして引き込んだが、今度返事を伝えるときは、「ああ、もしもし今ね、来客中で少し差《さし》支《つか》えるそうです。午後の一時ごろ来るなら来ていただきたいということです」とまえよりは言葉がよほど粗末《ぞんざい》になっていた。敬太郎は、「そうですか、それでは一時ごろ上がりますから、どうぞ御主人に宜《よろ》しく」と答えて電話を切ったが、内心は一種厭《いや》な心持ちがした。
十二時かっきりに午《ひる》飯《めし》を食うつもりで、あらかじめ下女に言い付けておいた膳《ぜん》が、時間どおりに出てこないので、敬太郎は騒々しく鳴る大学の鐘に急《せ》き立てられでもするように催促をして、できるだけ早く食事を済ました。電車の中では一昨日《おととい》の晩会った田口の態度を思い浮かべて、今日《きよう》もまたああいうふうに無《む》雑《ぞう》作《さ》な取り扱いを受けるのかしらん、それとも向こうで会うというくらいだから、もう少しは愛《あい》嬌《きよう》のある挨拶でもしてくれるかしらんと考えなどした。彼はこの紳士の好意で、相当の地位さえ得られるならば、多少腰を曲《かが》めて窮屈な思いをするぐらいは我慢するつもりであった。けれどもさっき電話の取次ぎに出たもののように、五分と経《た》たないうちに、言葉使いを悪いほうに改められたりすると、もう不愉快になって、どうかそいつがまた取次ぎに出なければいいがと思う。そのくせ自分の掛け方の自分としては少し横風すぎたことにはまるで気が付かない性質《たち》であった。
小川町の角《かど》で、斜《はす》に須永の家《うち》へ曲がる横町を見た時、彼ははっと例の後ろ姿のことを思い出して、急に日《ひ》蔭《かげ》から日向《ひなた》へ想像を移した。今日《きよう》も美しい須永の従妹《いとこ》のいる所へ訪問に出掛けるのだと自分で自分に教えるほうが、億《おつ》劫《くう》な手数を掛けて、好《い》い顔もしない爺《じい》さんに、衣食の途《みち》を授けてくださいと泣き付きに行くのだと意識するよりも、敬太郎にとってははるかに麗《うらら》かであったからである。彼は須永の従妹と田口の爺さんを自分がってに親子と極《き》めておきながらどこまでも二人を引き離して考えていた。このあいだの晩田口と向き合って玄関先に立った時も、光線の具合で先方《さき》の人品ははっきり分《わか》らなかったけれども、目鼻だちの輪郭だけで評したところが、あまり立《りつ》派《ぱ》なほうでなかったことは、この爺さんの第一印象として、敬太郎の胸に夜目にも疑いなく描かれたのである。それでいて彼はこの男の娘なら、須永との関係はどうあろうとも、器量はあまり可《い》いほうじゃあるまいという気がどこにも起こらなかった。そこで離れていて合い、合っていて離れるような日向日蔭の裏表を一枚にした頭を彼は田口家に対して抱《いだ》いたのである。それを互い違いに繰り返したあと、彼は田口の門前に立った。するとそこに大きな自動車が御者を乗せたまま待っていたので、少し安からぬ感じがした。
玄関へ掛かって名刺を出すと、小《こ》倉《くら》の袴《はかま》を穿《は》いた若い書生がそれを受け取って、「ちょっと」と言ったまま奥へはいっていった。その声が確かに電話口で聞いたのに違いないので、敬太郎は彼の後ろ姿を見送りながら厭な奴《やつ》だと思った。すると彼は名刺を持ったまままた現われた。そうして「お気の毒ですが、ただいま来客中ですからまたどうぞ」と言って、敬太郎の前に突っ立っていた。敬太郎も少しむっとした。
「さきほど電話で御都合を伺ったら、今客があるから午後一時ごろ来いという御返事でしたが」
「実はさっきのお客がまだお帰りにならないで、御《ご》膳《ぜん》などが出てごたごたしているんです」
落ち付いて聞きさえすればまんざら無理もない言い訳なのだが、電話以後この取次ぎが癪《しやく》に障《さわ》っている敬太郎には彼の言い草がいかにも気に喰《く》わなかった。それで自分のほうから先《せん》を越すつもりかなにかで、「そうですか、たびたび御足労でした。どうぞ御主人へよろしく」と平《*ひよう》仄《そく》の合わない捨《す》て台詞《ぜりふ》のようなことを言ったうえ、なんだこんな自動車がといわぬばかりにその傍《そば》を擦《す》り抜けて表へ出た。
一〇
彼はこの日必要な会見を都合よく済ましたあと、新しく築《つき》地《じ》に世《しよ》帯《たい》を持った友人のところへ回って、須永と彼の従妹《いとこ》とそれから彼の叔父《おじ》に当たる田口とを想像の糸で巧みに継ぎ合わせつつある一部始終を御《ご》馳《ち》走《そう》に、晩まで話し込む気でいたのである。けれども田口の門を出て日《ひ》比《び》谷《や》公園の傍《わき》に立った彼の頭には、そんな余裕はさらになかった。後ろ姿を見ただけではあるが、在所《ありか》をすでに突き留めて、今その人の家を尋ねたのだという陽気な心持ちはもとよりなかった。位置を求めにここまで来たという自覚はなおなかった。彼はただ屈辱を感じた結果として、腹を立てていただけである。そうして自分を田口のような男に紹介した須永こそこの取り扱いに対して当然責任を負わなくてはならないと感じていた。彼は帰り掛けに須永のところへ寄って、逐一顛《てん》末《まつ》を話したうえ、存分文句を並べてやろうと考えた。それでまた電車に乗って一直線に小川町まで引き返してきた。時《と》計《けい》を見ると、二時にはまだ二十分ほど間があった。須永の家の前へ来て、わざと往来から須永須永と二声ばかり呼んでみたが、いるのかいないのか二階の障子は立て切ったままついに開《あ》かなかった。もっとも彼は体裁家で、平生からこういう呼び出し方を田舎《いなか》者《もの》らしいといって厭《いや》がっていたのだから、聞こえても知らん顔をしているのではなかろうかと思って、敬太郎は正式に玄関の格《こう》子《し》口《ぐち》へ掛かった。けれども取次ぎに出た仲働きの口から「午《ひる》少し過ぎにお出ましになりました」という言葉を聞いた時は、ちょっと張り合いが抜けて少しのあいだ黙って立っていた。
「風《か》邪《ぜ》を引いたようでしたが」
「はい、お風邪を召《め》していらっしゃいましたが、今日《きよう》はだいぶ好《い》いからと仰《おつ》しゃって、お出掛けになりました」
敬太郎は帰ろうとした。仲働きは「ちょっと御隠居さまに申し上げますから」といって、敬太郎を格子のうちに待たしたまま奥へはいった。と思うと襖《ふすま》の蔭から須永の母の姿が現われた。背の高い面《おも》長《なが》の下町風に品のある婦人であった。
「さあどうぞ。もうそのうちに帰りましょうから」
須永の母にこう言い出されたが最後、江戸慣れない敬太郎はどうそれを断わって外へ出て可《い》いか、いまだにその心得がなかった。第一《だいち》どこで断わる隙《すき》間《ま》もないように、調子の好《い》い文句がそれからそれへとずるずる彼の耳へ響いてくるのである。それが世《せ》間《けん》体《てい》の好《い》いお世辞と違って、引き留められているうちに、上がっては迷惑だろうという遠慮がいつのまにか失《な》くなって、つい気の毒だから少し話していこうという気になるのである。敬太郎は言われるままにとうとう例の書斎へ腰を卸した。須永の母がお寒いでしょうと言って、仕切りの唐《から》紙《かみ》を締めてくれたり、さあお手をお出しなさいと言って、佐《*さ》倉《くら》の埋《い》けた火《ひ》鉢《ばち》を勧めてくれたりするうちに、一時昂《こう》奮《ふん》した彼の気分はしだいに落ち付いてきた。彼はシ《*》キとかいう白い絹へ秋《あき》田《た》蕗《ぶき》を一面に大きく摺《す》った襖《ふすま》の模様だの、唐《*から》桑《くわ》らしくてらてらした黄色い手《て》焙《あぶり》だのを眺《なが》めて、このしとやかで能弁な、人を外《そら》すことを知らないといったふうの母と話した。
彼女の語るところによると、須永は今日矢《や》来《らい》の叔父《おじ》の家《うち》へ行ったのだそうである。
「じゃついでだから帰りに小《こ》日向《びなた》へ回ってお寺参りを為《し》てきておくれって申しましたら、お母《かあ》さんは近ごろ無精になったようですね、このあいだも他《ひと》に代理をさせたじゃありませんか、年を取ったせいかしらなんて悪口を言い言い出てまいりましたが、あれもね貴方《あなた》、先だってじゅうから風邪を引いて咽喉《のど》を痛めておりますので、今日もなんなら止《よ》したほうが可《い》いじゃないかと留めてみましたが、やっぱり若いものは用心深いようでもどこか我《が》無《む》しゃらで、年寄りのいうことなどにはいっさい無《む》頓《とん》着《じやく》でございますから……」
須永の留《る》守《す》へ行くと、彼の母は唯一の楽しみのようにこういう調子で倅《せがれ》の話をするのが常であった。敬太郎のほうで須永の評判でも持ち出そうものなら、いつまでもその問題のあとへ喰っ付いてきて、容易に話題を改めないのが例になっていた。敬太郎もそれにはだいぶ慣れているから、この際も向こうのいうとおりをただふんふんと大人《おとな》しく聞いて、一段落の来るのを待っていた。
一一
そのうち話がいつか肝《かん》心《じん》の須永を逸《そ》れて、矢来の叔父《おじ》という人のほうへ移っていった。これは内幸町と違って、この御母《おつか》さんの実の弟に当たる男だそうで、一種の贅《ぜい》沢《たく》屋《や》のように敬太郎は須永から聞いていた。外《がい》套《とう》の裏は繻《しゆ》子《す》でなくては見っともなくて着られないといったり、要《い》りもしないのに古《*こ》渡《わた》りの更紗《さらさ》玉《だま》とか号して、石だか珊《さん》瑚《ご》だか分《わか》らないものを愛《あい》玩《がん》したりする話はいまだに覚えていた。
「なんにもしないで贅沢に遊んでいられるくらい好《い》いことはないんだから、結構な御身分ですね」と敬太郎が言うのを引き取るように母は、「どうして貴方《あなた》、打ち明けたお話が、まあどうにかこうにか遣《や》ってゆけるというまでで、楽だの贅沢だのという段にはまだなかなかなのでございますから不可《いけ》ません」と打ち消した。
須永の親《しん》戚《せき》に当たる人の財力が、さほど敬太郎に関係のあるわけでもないので、彼はそれなり黙ってしまった。すると母は少しでも談話が途《と》切《ぎ》れるのを自分の過失ででもあるように、すぐ言葉を継いだ。
「それでも妹《いもと》婿《むこ》のほうはお蔭《かげ》さまで、なんだかだって方々の会社へ首を突っ込んでおりますから、このほうはまあ不自由なく暮らしておる模様でございますが、手前どもや矢来の弟《おとと》などになりますと、いわば、浪人同様で、昔に比べたら、尾《お》羽《は》うち枯らさないばかりの体《てい》たらくだって、よく弟ともそう申しては笑うこってございますよ」
敬太郎はなんとなく自分の身の上を顧みて気恥ずかしい思いをした。さいわいに先方《さき》がすらすら喋舌《しやべ》ってくれるので、こっちに受け答えをする文句を考える必要がないのをせめてもの得として聞き続けた。
「それにね、御承知のとおり市蔵がああいう引っ込み思案の男だもんでござんすから、私《わたくし》もただ学校を卒業させただけでは、まったく心配が抜けませんので、まことに困り切ります。早く気に入った嫁でも貰《もら》って、年寄りに安心でもさせてくれるようにおしなと申しますと、そうお母《かあ》さんの都合のいいようにばかり世の中はいきゃしませんて、てんで相手にしないんでございますよ。そんなら世話をしてくれる人に頼んで、どこへでも可《い》いから、務めにでも出る気になればまだしも、そんなことにはまたまるで無《む》頓《とん》着《じやく》で貴方……」
敬太郎はこの点において実際須永が横《おう》着《ちやく》すぎると平生《ふだん》から思っていた。「余計なことですが、少し目上の人から意見でも仕て上げるようにしたらどうでしょう。今お話の矢来の叔父さんからでも」とまったく年寄りに同情する気で言った。
「ところがこれがまた大の交《こう》際《さい》嫌《ぎら》いの変人でございまして、忠告どころか、なんだ銀行へはいって算盤《そろばん》なんかパチパチいわすなんて馬《ば》鹿《か》があるもんかと、こうでございますから頭から相談にもなんにもなりません。それをまた市蔵が嬉《うれ》しがりますので。矢来の叔父のほうが好きだとか気が合うとか申しちゃよく出掛けます。今日《きよう》なども日曜じゃあるしお天気は好《よ》しするから、内幸町の叔父が大阪へ立つまえにちょっとあちらへ顔でも出せば可《い》いのでございますけれども、やっぱり矢来へ行くんだって、とうとう自分の好きなほうへ参りました」
敬太郎はこの時自分が今日なんのために馳《か》け込むようにこの家を襲ったかの原因について、また新しく考えだした。彼は須永の顔を見たらずいぶん過激な言葉を使ってもその不都合を責めたうえ、僕はもう二度とあすこの門は潜《くぐ》らないつもりだから、そう思ってくれたまえぐらいの台詞《せりふ》を言って帰る気でいたのに、肝《かん》心《じん》の須永は留《る》守《す》で、事情もなにも知らない彼の母から、逆《さか》さにいろいろな話を仕掛けられたので、怒《おこ》ってやろうという気はむしろ抜けてしまったのである。が、それでも行き掛かり上、田口と会見を遂げ得なかった顛《てん》末《まつ》だけは、一応この母の耳でも構わないから入れておく必要があるだろう。それには話のなかに内幸町へ行くとか行かないとかが問題になっている今がいちばん可《よ》かろう。――こう敬太郎は思った。
一二
「実はその内幸町のほうへ今日《きよう》、私《わたくし》も出たんですが」と言いだすと、自分の息子《むすこ》のことばかり考えていた母は、「おやそうでございましたか」とやっと気が付いて済まないという顔付をした。このあいだから敬太郎が躍起になって口を探《さが》していることや、探しあぐんで須永に紹介を頼んだことや、須永がそれを引き受けて内幸町の叔父《おじ》に会えるように周旋したことは、須永の傍《そば》にいる母として彼《かの》女《おんな》のことごとく見たり聞いたりしたところであるから、行き届いた人なら先方《さき》でなにも言いださないまえに、こっちからどんな模様ですぐらいは聞いてやるべきだとでも思ったのだろう。こう観察した敬太郎は、この一句を前置きに、今までの成行きを残らず話そうと力《つと》めに掛かったが、時々相手から「そうでございますとも」とか、「ほんとうにまあ、間《ま》の悪い時にはね」とか、どっちにも同情したような間投詞が出るので、自分がむかっ腹を立てて悪体を吐《つ》いたことなどは話のうちから綺《き》麗《れい》に抜いてしまった。須永の母は気の毒という言葉を何遍も繰り返したあとで、田口を弁護するようにこんなことを言った。
「そりゃ実のところ忙しい男なので。妹《いもと》などもああして一つの家に住んでおりますようなものの、――なんでござんしょう――おちおち話のできるのはおそらく一週間に一日もございますまい。私《わたくし》が見かねて要《よう》作《さく》さんいくらお金が儲《もうか》るたって、そう働いて身体《からだ》を壊《こわ》しちゃなんにもならないから、たまには骨休めをなさいよ、身体が資本《もとで》じゃありませんかと申しますと、己《おい》らもそう思ってるんだが、それからそれへと用が湧《わ》いてくるんで、傍《そば》から掬《しやく》い出さないと、用が腐っちまうから仕方がないなんて笑って取り合いませんので。そうかと思うとまた妹や娘に今日はこれから鎌《かま》倉《くら》へ伴《つ》れて行く、さあすぐ支《し》度《たく》をしろって、まるで足元から鳥が立つように急《せ》き立てることもございますが……」
「お嬢さんがおありなのですか」
「ええ二人おります。いずれも年ごろでございますから、もうそろそろどこかへ片付けるとか婿を取るとかしなければなりますまいが」
「そのうちの一人のかたが、須永君のところへお出《いで》になるわけでもないんですか」
母はちょっと口《くち》籠《ごも》った。敬太郎もただ自分の好奇心を満足させるためにあまり立ち入った質問を掛けすぎたと気が付いた。なんとかして話題を転じようと考えているうちに、相手のほうで、
「まあどうなりますか。親達の考えもございましょうし。当人たちの存じ寄りもしかと聞《き》き糾《ただ》してみないと分《わか》りませんし。私ばかりでこうもしたい、ああもしたいといくらやきもき思ってもこればかりは致《いた》し方《かた》がございません」となんだか意味のありそうなことを言った。一度退《ひ》き掛けた敬太郎の好奇心はこの答えでまた打ち返してきそうにしたが、善《よ》くないという克己心にすぐ抑《おさ》えられた。
母はなお田口の弁護をした。そんな忙しい身体だから、時によると心にもない約束違いなどすることもあるが、いったん引き受けた以上は忘れる男ではないから、まあ旅行から帰るまで待って、ゆっくり会ったら宜《よ》かろうという注意とも慰謝とも付かない助《じよ》言《ごん》も与えた。
「矢来のはおっても会わんほうで、これは仕方がございませんが、内幸町のはいないでも都合さえ付けば馳《か》けて帰ってきて会うといったふうの性質《たち》でございますから、今度旅行から帰って来さえすれば、こっちからなんとも言ってやらないでも、向こうできっと市蔵のところへなんとか申してまいりますよ。きっと」
こう言われてみると、なるほどそういう人らしいが、それはこっちが大人《おとな》しくしていればこそで、さっきのようにぷんぷん怒《おこ》ってはとうていものにならないに極《きま》り切っている。しかしいまさらそれを打ち明けるわけにはゆかないので、敬太郎はただ黙っていた。須永の母はなお「あんな顔はしておりますが、見《み》懸《か》けによらない実意のある剽《ひよう》軽《きん》者《もの》でございますから」と言って一人で笑った。
一三
剽《ひよう》軽《きん》者《もの》という言葉は田口の風《ふう》采《さい》なり態度なりに照り合わせてみて、どうも敬太郎の腑《ふ》に落ちない形容であった。しかし実際を聞いてみると、なるほど当たっているところもあるように思われた。田口は昔あるお茶屋へ行って、姉《ねえ》さんこの電気燈は熱《ほて》りすぎるね、もう少し暗くしておくれと頼んだことがあるそうだ。下女が怪《け》訝《げん》な顔をして小さい球《たま》と取り換えましょうかと聞くと、いいえさ、そこをちょいと捻《ねじ》って暗くするんだと真《ま》面《じ》目《め》に言い付けるので、下女はこれは電気燈のない田舎《いなか》から出てきた人に違いないと見てとったものか、くすくす笑いながら、旦《だん》那《な》電気はランプと違って捻《ひね》ったって暗くはなりませんよ、消えちまうだけですから。ほらねとぱちッと音をさせて座敷を真《まつ》暗《くら》にしたうえ、またぱっと元どおりに明るくするかと思うと、大きな声でばあと言った。田口は少しも悄然《しよげ》ずに、おやおやまだ旧式を使ってるね。見っともないじゃないか、ここの家《うち》にも似合わないこった。早く会社のほうへ改良を申し込んでおくと可《い》い。順番に直してくれるから。とさももっともらしい忠告を与えたので、下女もとうとう真《ま》に受けだして、ほんとうにこれじゃ不便ね、だいち点《つ》けっ放しで寐《ね》る時なんか明るすぎて、困る人が多いでしょうからとさも感心したらしく、改良に賛成したそうである。ある時用事ができて門司《もじ》とか馬《ば》関《かん》とかまで行った時の話はこれよりよほど念が入っている。いっしょに行くべきはずのAという男に差《さし》支《つか》えが起こって、二日《ふつか》ばかり彼は宿屋で待ち合わしていた。そのあいだの退屈紛れに、彼はAをひとつ担《かつ》いでやろうと巧《たく》らんだ。これは町を歩いている時、一軒の写真屋の店先でふと思い付いた悪戯《いたずら》で、彼はその店から地方《ところ》の芸者の写真を一枚買ったのである。その裏へA様と書いて、手紙を添えた贈物のように拵《こしら》えた。その手紙は女を一人雇って、十分の時間を与えたうえ、できるだけAの心を動かすように艶《なまめ》かしく曲《くね》らしたもので、誰《だれ》が貰《もら》っても嬉《うれ》しい顔をするに足るばかりか、今日《きよう》の新聞を見たら、明日《あした》ここへお着きのはずだと出ていたので、久しぶりにこの手紙を上げるんだから、どうか読みしだい、どこそこまできていただきたいと書いたなかなか安くないものであった。彼はその晩自分でこの手紙をポストへ入れて、翌日配達の時またそれを自分で受け取ったなり、Aの来るのを待ち受けた。Aが着いても彼はこの手紙をなかなか出さなかった。つとめて真面目な用談についての打合せなどを大事らしく為《し》続《つづ》けて、やっと同じ食卓で晩《ばん》餐《さん》の膳《ぜん》に向かった時、突然思い出したように袂《たもと》の中からそれを取り出してAに与えた。Aは表に至急親展とあるので、ちょっと箸《はし》を下に置くと、すぐ封を開いたが、少し読み下すと同時に包んである写真を抜いて裏を見るやいなや、急に丸めるように懐《ふところ》へ入れてしまった。なにか急ぎの用でもできたのかと聞くと、いやなにというばかりで、不得要領にまた箸を取ったが、どことなくそわそわした様子で、まだ段落の付かない用談をそのままに、少し失礼するが腹が痛いからと言って自分の部《へ》屋《や》に帰った。田口は下女を呼んで、今から十五分以内にAが外出するだろうから、出るときは車が待ってでもいたように、Aがなんにも言わない先に彼を乗せて馳《か》け出して、その思わくどおりどこのなんという家《うち》の門《かど》へ卸すようにしろと言い付けた。そうして自分はAより早く同じ家《うち》へ行って、主婦《かみさん》を呼ぶやいなや、今おれの宿の提灯《ちようちん》を点けて車に乗って、これこれの男が来るから、来たらすぐ綺《き》麗《れい》な座敷へ通して、丁寧に取り扱って、向こうでなんにも言わない先に、お連れ様はとうからお待《まち》兼《かね》でございますと言ったなり引き退《さ》がって、すぐ己《おれ》のところへ知らせてくれと頼んだ。そうして一人で烟草《たばこ》を吹かして腕組みをしながら、事件の経過を待っていた。すると万事が旨《うま》い具合に予定のとおり進行して、いよいよ自分の出る順が来た。そこでAの部屋の傍《そば》へ行って間の襖《ふすま》を開《あ》けながら、やあ早かったねと挨《あい》拶《さつ》すると、Aは顔の色を変えて驚いた。田口はその前へ坐《すわ》り込んで、実はこれこれだと残らず自分の悪戯《いたずら》を話したうえ「担《かつ》いだ代りに今夜は僕が奢《おご》るよ」と笑いながら言ったんだという。
「こういう飄《*ひよう》気《げ》た真《ま》似《ね》をする男なんでございますから」と須永の母も話したあとで可笑《おか》しそうに笑った。敬太郎はあの自動車はまさか悪戯じゃなかったろうと考えながら下宿へ帰った。
一四
自動車事件後敬太郎はもう田口の世話になる見込みはないものと諦《あきら》めた。それと同時に須永の従妹《いとこ》と仮定された例の後ろ姿の正体も、ほぼ発端の入り口に当たる浅いところでぱたりと行き留まったのだと思うと、その底に歯《は》痒《がゆ》いようなまた煮え切らないような不愉快があった。彼は今《こん》日《にち》までなに一つ自分の力で、先へ突き抜けたという自覚を有《も》っていなかった。勉強だろうが、運動だろうが、その他何事に限らず本気に遣《や》り掛《か》けて、貫きおおせた試《ため》しがなかった。生まれてからたった一つ行けるところまで行ったのは、大学を卒業したくらいなものである。それすら精を出さずにと《*》ぐろばかり巻きたがっているのを、向こうで引き摺《ず》り出してくれたのだから、中途で動けなくなった間《*ま》怠《だる》さのない代りには、やっとの思いで井戸を掘り抜いた時の晴《せい》々《せい》した心持ちも知らなかった。
彼は盆《ぼん》槍《やり》して四、五日過ぎた。ふと学生時代に学校へ招《しよう》待《だい》したある宗教家の談話を思い出した。その宗教家は家庭にも社会にもなんの不満もない身分だのに、自ら進んで坊主になった人で、その当時の事情を述べる時に、どうしても不思議で堪《たま》らないからこの道に入《はい》ってみたと言った。この人はどんな朗らかに透き徹《とお》るような空の下に立っても、四方から閉じ込められているような気がして苦しかったのだそうである。樹《き》を見ても家を見ても往来を歩く人間を見てもあざやかに見えながら、自分だけ硝子《ガラス》張《ば》りの箱の中に入れられて、ほかの物とじかに続いていない心持ちが絶えずして、しまいには窒息するほど苦しくなってくるんだという。敬太郎はこの話を聞いて、それは一種の神経病に罹《かか》っていたのではなかろうかと疑ったなり、今日まで気にも掛けずにいた。しかしこの四、五日盆槍屈《*》託しているうちによくよく考えてみると、彼自身が今までに、なに一つ突き抜いて痛快だという感じを得たことのないのは、坊主にならないまえのこの宗教家の心にどこか似た点があるようである。もちろん自分のは比較にならないほど微弱で、しかも性質がまるで違っているから、この坊さんのようにえらい勇断を為《す》る必要はない。もう少し奮発して気張ることさえ覚えれば、当たっても外《はず》れても、今よりはまだ痛快に生きてゆかれるのに、今日までついぞそこに心を用いることをしなかったのである。
敬太郎は一人でこう考えて、どこへでも進んで行こうと思ったが、また一方では、もうすっぽ抜けのあとの祭りのような気がして、なんという当てもなくまた三、四日ぶらぶらと暮らした。そのあいだに有楽座へ行ったり、落語を聞いたり、友《とも》達《だち》と話したり、往来を歩いたり、いろいろ遣《や》ったが、いずれも薬《や》罐《かん》頭《あたま》を攫《つか》むと同じことで、世の中は少しも手に握れなかった。彼は碁《ご》を打ちたいのに、碁を見せられるという感じがした。そうして同じ見せられるなら、もう少し面《おも》白《しろ》い波《は》瀾《らん》曲《きよく》折《せつ》のある碁が見たいと思った。
するとすぐ須永と後ろ姿の女との関係が想像された。もともと頭の中でむやみに色沢《つや》を着けて奥行のあるように組み立てるほどの関係でもあるまいし、あったところが他《ひと》のことを余計なお《*》切《せつ》買《かい》だと、自分で自分を嘲《あざけ》りながら、ああ馬鹿らしいと思うあとから、やっぱりなにかあるだろうという好奇心が今のようにちょいちょいと閃《ひらめ》いてくるのである。そうしてこの道をもう少し辛《しん》抱《ぼう》強く先へ押していったら、自分が今まで経験したことのない浪漫的《ロマンチツク》なあるものに打《ぶ》つかるかもしれないと考えだす。すると田口の玄関で怒《おこ》ったなり、あの女の研究まで投げてしまった自分の短気を、自分の好奇心に釣《つ》り合わない弱味だと思いはじめる。
職業についても、あんな些《さ》細《さい》な行違いのために愛《あい》想《そ》づかしをたとい一句でも口にして、自分と田口の敷居を高くするはずではなかったと思う。あれでできるともできないとも、まだ方《かた》のつかない未来を中《ちゆう》途《と》半《はん》端《ぱ》に仕切ってしまった。そうして好んで煮え切らない思いに悩んでいる姿になってしまった。須永の母の保証するところでは、田口という老人は見掛けに寄らない親切気のある人だそうだから、あるいは旅行から帰ってきたうえで、また改めて会ってくれないとも限らない。が、こっちからもう一遍会見の都合を問い合わせたりなどして、常識のない馬鹿だと軽蔑《さげす》まれても詰《つま》らない。けれどもどの道突き抜けた心持ちをしっかり捕《つらま》えるためには馬鹿といわれるまでも、そこまで突《つ》っ懸《か》けてゆく必要があるだろう。――敬太郎は屈託しながらもいろいろ考えた。
一五
けれども身の一大事を即座に決定するという非常な場合と違って、敬太郎の思案には屈託の裏《うち》に、どこか呑《のん》気《き》なものがふわふわしていた。この道をとどのつまりまで進んでみようか、またはこれぎり已《や》めにして、さらに新しいものに移る支《し》度《たく》をしようか。問題は煎《せん》じ詰めるまでもなく当初から至極簡単にでき上がっていたのである。それを迷うのは、一度籤《くじ》を引き損《そくな》ったのが最後、もう浮かぶ瀬はないという非道《ひど》い目に会うからではなくって、どっちに転《ころ》んでもたいした影響が起こらないため、どうでも好《い》いという怠けた心持ちがいつしらず働くからである。彼は眠い時に本を読む人が、眠気に抵抗する努力を厭《いと》いながら、文《もん》字《じ》の意味をはっきり頭に入れようと試みるごとく、呑気の懐《ふところ》で決断の卵を温《あたた》めているくせに、ただ旨《うま》く孵化《かえ》らないことばかり苦にしていた。この不決断を逃《のが》れなければという口実のもとに、彼は暗に自分も物《もの》数《ず》奇《き》に媚《こ》びようとした。そうして自分の未来を売卜《うらない》者《しや》の八《はつ》卦《け》に訴えて判断してみる気になった。彼は加持、祈《き》祷《とう》、御《*ご》封《ふう》、虫封じ、降巫《*いちこ》の類《たぐい》に、全然信仰を有《も》つほど、非科学的に教育されてはいなかったが、それ相当の興味は、いずれに対しても昔から今まで失わずに成長した男である。彼の父は方《*》位九星に詳しい神経家であった。彼が小学校へ行く時分のことであったが、ある日曜日に、彼の父は尻《しり》を端折《はしよ》って、鍬《くわ》を担《かつ》いだまま庭へ飛び下《お》りるから、なにをするのかと思って、あとから跟《つ》いていこうとすると、父は敬太郎に向かって、お前はそこにいて、時《と》計《けい》を見ていろ、そうして十二時が鳴りだしたら、大きな声を出して合図をしてくれ、するとお父《とう》さんがあの乾《*いぬい》に当たる梅の根っこを掘りはじめるからと言い付けた。敬太郎は子供心にまた例の家相だと思って、時計がちんと鳴りだすやいなや命令どおり、十二時ですようと大きな声で叫んだ。それで、その場は無事に済んだが、あれほど正確に鍬を下《おろ》すつもりなら、肝《かん》心《じん》の時計が狂っていないようにあらかじめ直しておかなくてはならないはずだのにと敬太郎は父の迂《う》闊《かつ》を可笑《おか》しく思った。学校の時計と自分の家《うち》のとはその時二十分近く違っていたからである。ところがその後摘み草に行った帰りに、馬に蹴《け》られて土堤《どて》から下へ転《ころが》り落ちたことがある。不思議に怪《け》我《が》もなにもしなかったのを、お祖母《ばあ》さんがたいへん喜んで、まったくお地蔵様がお前の身代りに立ってくださったお蔭《かげ》だこれ御覧と言って、馬の繋《つな》いであった傍《そば》にある石地蔵の前に連れて行くと、石の首がぽくりと欠けて、涎《よだれ》掛《か》けだけが残っていた。敬太郎の頭にはその時から怪しい色をした雲が少し流れ込んだ。その雲が身体《からだ》の具合や四辺《あたり》の事情で、濃くなったり薄くなったりする変化はあるが、成長した今日に至るまで、いまだに抜け切らずにいたことだけは慥《たし》かである。
こういうわけで、彼は明治の世に伝わる面《おも》白《しろ》い職業の一つとして、いつでも大道占いの弓《*ゆみ》張《は》り提灯《ぢようちん》を眺《なが》めていた。もっとも金を払って筮《*ぜい》竹《ちく》の音を聞くほどの熱心はなかったが、散歩のついでに、寒い顔を提灯の光に映した女などが、しょんぼりそこに立っているのを見掛けると、この暗い影を未来に投げて、思案に沈んでいる憐《あわ》れな人に、易者がどんな希望と不安と畏怖と自信とを与えるだろうという好奇心に惹《ひ》かされて、面白半分、そっと傍《そば》へ寄って、陰の方から立ち聞きをすることがしばしばあった。彼の友の某《なにがし》が、自分の脳力に悲観して、試験を受けようか学校を已《や》めようかと思い煩っているころ、ある人が旅行のついでに、善光寺如来のお神籤《みくじ》を頂《いただ》いて第五十五の吉《きち》というのを郵便で送ってくれたら、そのなかに雲散じて月重ねて明らかなり、という句と、花発《ひら》いて再び重《ちよう》栄《えい》という句があったので、ものは試《ため》しだからまあ受けてみようといって、受けたら綺《き》麗《れい》に及第した時、彼は興に乗って、方々の神社で手当たりしだいお神籤を頂き回ったことさえある。しかもそれは別にこれという目的なしに頂いたのだから彼は平生でも、優に売卜者の顧客《とくい》になる資格を十分具《そな》えていたに違いない。その代り今度のような場合にも、どこか慰みがてらに、まあ遣《や》ってみようという浮《うわ》気《き》がだいぶ交じっていた。
一六
敬太郎はどこの占い者に行ったものかと考えてみたが、あいにくどこという当てもなかった。白《はく》山《さん》の裏とか、芝公園の中とか、銀座何丁目とか今までに名前を聞いたのは二、三軒あるが、むやみに流行《はや》るのは山師らしくって行く気にならず、といって、自分で嘘《うそ》と知りつつ出《で》鱈《たら》目《め》をしいてもっともらしく述べる奴《やつ》はなお不都合であるし、できるならばあまり人の込み合わない家《うち》で、閑静な髯《ひげ》を生《は》やした爺《じい》さんが奇警な言葉で、簡潔にすぱすぱと道《い》い破ってくれるのがどこかにいれば可《い》いがと思った。そう思いながら、彼は自分の父がよく相談に出掛けた、郷里《くに》の一《いつ》本《ぽん》寺《じ》の隠居の顔を頭の中に描きだした。それからふと気が付いて、考えるんだかただ坐《すわ》っているんだか分《わか》らない自分の様子が馬鹿馬鹿しくなったので、とにかく出てそこいらを歩いてるうちに、運命が自分を誘い込むような占い者の看板に打《ぶ》つかるだろうという漠《ばく》然《ぜん》たる頭に帽子を載せた。
彼は久しぶりに下《した》谷《や》の車坂へ出て、あれから東へまっすぐに、寺の門だの、仏師屋だの、古臭い生《*き》薬《ぐすり》屋《や》だの、徳川時代のがらくたを埃《ほこり》といっしょに並べた道具屋だのを左右に見ながら、わざと門《*もん》跡《ぜき》の中を抜けて、奴《*やつこ》鰻《うなぎ》の角《かど》へ出た。
彼は小供の時分よく江戸時代の浅草を知っている彼の祖父《じい》さんから、しばしば観《かん》音《のん》様《さま》の繁華を耳にした。仲見世だの、奥山だの、並木だの、駒《こま》形《がた》だの、いろいろ言って聞かされるなかには、今の人があまり口にしない名前さえあった。広《ひろ》小《こう》路《じ》に菜飯と田楽を食わせるすみ屋という洒落《しやれ》た家《うち》があるとか、駒形のお堂の前の綺《き》麗《れい》な縄《なわ》暖簾《のれん》を下げた鰌《どじよう》屋《や》は昔から名《な》代《だい》なものだとか、食い物の話もだいぶ聞かされたが、すべてのうちで最も敬太郎の頭を刺激したものは、長《*なが》井《い》兵《ひよう》助《すけ》の居合い抜きと、脇《わき》差《ざし》をぐいぐい呑《の》んでみせる豆《*》蔵と、江《ごう》州《しゆう》伊《い》吹《ぶき》山《やま》の麓《ふもと》にいる前足が四つで後《あと》足《あし》が六つある大《おお》蟇《がま》の干し固めたのであった。それらには蔵の二階の長持の中にある草《*くさ》双《ぞう》紙《し》の画《え》解《と》きが、子供の想像に都合の好《い》いような説明をいくらでも与えてくれた。一本歯の下《げ》駄《た》を穿《は》いたまま、小さい三宝の上に曲《しやが》んだ男が襷《たすき》掛《が》けで身体《からだ》よりも高く反《そ》り返った刀を抜こうとするところや、大きな蝦蟆《がま》の上に胡坐《あぐら》をかいて、児《*じ》雷《らい》也《や》が魔法かなにか使っているところや、顔より大きそうな天眼鏡を持った白い髯《ひげ》の爺《じい》さんが、唐《とう》机《づくえ》の前に坐《すわ》って、平《*へい》突《つく》張《ば》ったちょん髷《まげ》を上から見《み》下《おろ》すところや、たいていの不思議なものはみんな絵本から抜け出して、想像の浅草に並んでいた。こういうわけで敬太郎の頭に映る観音の境《けい》内《だい》には、歴史的に妖《*よう》嬌《きよう》陸《りく》離《り》たる色彩が、十《*》八間の本堂を包んで、子供の時から常に陽炎《かげろ》っていたのである。東京へ来てから、この怪しい夢はもとより手痛く打ち崩《くず》されてしまったが、それでも時々は今でも観音様の屋根に鵠《こう》の鳥《とり》が巣を食っているだろうぐらいの考えにふらふらとなることがある。今日《きよう》も浅草へ行ったらどうかなるだろうという料《りよう》簡《けん》が暗に働いて、足がおのずとこっちに向いたのである。しかしル《*》ナパークの後ろから活動写真の前へ出た時は、こりゃ占い者などのいる所ではないといまさらのようにその雑《ざつ》沓《とう》に驚いた。せめてお《*》賓《びん》頭《ず》顱《る》でも撫《な》でていこうかと思ったが、どこにあるか忘れてしまったので、本堂へ上がって、魚《うお》河岸《がし》の大《おお》提灯《ぢようちん》と頼《より》政《まさ》の鵺《ぬえ》を退治ている額だけ見てすぐ雷《かみなり》門《もん》を出た。敬太郎の考えではこれから浅草橋へ出る間には、一軒や二軒の易者はあるだろう。もしあったらなんでも構わないから入《はい》ることにしよう。あるいは高等工業の先を曲がって柳橋の方へ抜けてみても好《い》いなどと、まるで時分どきに恰《かつ》好《こう》な飯屋でも探《さが》す気で歩いていた。ところがいざ探すとなるとあいにくなもので、平生《ふだん》は散歩さえすれば至るところに神易の看板がぶら下がっているくせに、あの広い表通りに門《もん》戸《こ》を張っている卜者《うらない》はまるで見当たらなかった。敬太郎はこの企図《くわだて》もまた例にとって例のごとく、突き抜けずに中途でお仕《し》舞《まい》になるかもしれないと思って少し失望しながら、蔵《くら》前《まえ》まで来た。するとやっとのことで尋ねる商売の家《うち》が一軒あった。細長い堅木の厚板に、身の上判断と割《*》り書きをした下に、文《*ぶん》銭《せん》占《うらな》いと白い字で彫って、そのまた下に、漆で塗った真赤《まつか》な唐《とう》辛《がら》子《し》が描《か》いてある。この奇《き》体《たい》な看板がまず敬太郎の目を惹《ひ》いた。
一七
よく見るとこれは一軒の生《き》薬《ぐすり》屋《や》の店を仕切って、その狭い方へこざっぱりした差《*》し掛け様《よう》のものを作ったので、なかに七《なな》色《いろ》唐《とう》辛《がら》子《し》の袋を並べてあるから、看板のとおりそれを売るかたわら、占いを見る趣向に違いない。敬太郎はこう観察して、そっと〓《あん》転《ころ》餅《もち》屋《や》に似た差し掛けの奥を覗《のぞ》いてみると、小作りな婆《ばあ》さんがたった一人裁縫《しごと》をしていた。狭い室《へや》一つの住居《すまい》としか思われないのに、肝《かん》心《じん》の易者の影も形も見えないから、主人は他《た》行《ぎよう》中《ちゆう》で、細君が留《る》守《す》番《ばん》をしているところかと思ったが、店先の構造から推すと、奥は生薬屋のほうと続いているかもしれないので、一概に留守と見切りを付けるわけにもいかなかった。それで二、三歩先へ出て、薬種店のほうを覗くと、八《や》ツ目《め》鰻《うなぎ》の干したのも釣《つ》るしてなければ、大きな亀《かめ》の甲《こう》も飾ってないし、人形の腹をがらん胴にして、五色の五臓を外から見えるように、腹の中の棚《たな》に載せた古風の装飾もなかった。一本寺の隠居に似た髯《ひげ》のある爺《じい》さんはもとより坐《すわ》っていなかった。彼は再び立ち戻《もど》って、身の上判断文銭占いという看板の懸《かか》った入口から暖簾《のれん》を潜《くぐ》って内へ入《はい》った。裁縫をしていた婆《ばあ》さんは、針の手を已《や》めて、大きな眼鏡《めがね》の上から睨《にら》むように敬太郎を見たが、ただ一口、占いですかと聞いた。敬太郎は「ええちょっと見てもらいたいんだが、お留守のようですね」と言った。すると婆さんは、膝《ひざ》の上のやわらか物を隅《すみ》の方へ片付けながら、お上がりなさいと答えた。敬太郎は言われるとおりすなおに上がってみると、狭いけれど居《い》心地《ごこち》の悪いほど汚《よご》れた室《へや》ではなかった。現に畳などは取り替え立てでまだ新しい香《か》がした。婆さんは煮立った鉄《てつ》瓶《びん》の湯を湯《ゆ》呑《の》みに注《つ》いで、香《*こう》煎《せん》を敬太郎の前に出した。そうして昔は薬箱でも載せた棚らしい所に片付けてあった小机を取り卸しに掛かった。その机には無地の羅《ラ》紗《シヤ》が掛けてあったが、婆さんはそれをそのまま敬太郎の正面に据《す》えて、そうして再び故《もと》の座に帰った。
「占いは私《わたくし》がするのです」
敬太郎は意外の感に打たれた。この小さい丸《まる》髷《まげ》に結った、黒《くろ》繻《じゆ》子《す》の襟《えり》の掛かった着物の上に、地《じ》味《み》な縞《しま》の羽織を着た、一心に縫い物をしている、純然家庭的の女が、自分の未来に横たわる運命の予言者であろうとはまったく想像のほかにあったのである。そのうち彼はこの婦人の机に、筮《ぜい》竹《ちく》も算《*さん》木《ぎ》も天眼鏡もないのを不思議に眺《なが》めた。婆さんは机の上に乗っている細長い袋の中からちゃらちゃらと音をさせて、穴の開《あ》いた銭を九つ出した。敬太郎ははじめてこれが看板に「文銭占い」とある文銭なるものだろうと推察したが、さてこの九枚の文銭が、暗いなかで自分を操《あやつ》っている運命の糸と、どんな関係を有《も》っているか、もとより想像し得《う》るはずがないので、ただそこに鋳出された模様と、それが仕《し》舞《ま》ってあった袋とを見比べるだけで、何事もいわずにいた。袋は能装束の切れ端か、懸《か》け物《もの》の表具の余りで拵《こしら》えたらしく、金の糸がところどころに光っているけれども、だいぶ古いものと見えて、手《て》擦《ず》れと時代のため、派《は》手《で》な色をまったく失っていた。
婆さんは年寄りに似合わない白い繊麗《*きやしや》な指で、九枚の文銭を三枚ずつ三列《みけた》に並べたが、ひょっと顔を上げて、「身の上を御覧ですか」と聞いた。
「さあ一《いつ》生《しよう》涯《がい》のことを一度に聞いておいても損はないが、それよりか今ここでどうしたら可《い》いか、そのほうを極《き》めて懸《かか》るほうが僕にはたいせつらしいから、まあそれをひとつ願おう」
婆さんはそうですかと答えたが、それでお年はとまた敬太郎の年齢を尋ねた。それから生まれた月と日を確かめた。そのあとで胸《むな》算《ざん》用《よう》でもする案《*あん》排《ばい》しきで、指を折ってみたり、ただ考えたりしていたが、やがてまた綺麗な指で例の文銭を新しく並べ更《か》えた。敬太郎は表に波が出たり、あるいは文字が現われたりして、三枚が三列に続く順序と排列を、深い意味でもあるような目付をして見守っていた。
一八
婆《ばあ》さんはしばらく手を膝《ひざ》の上に載せて、何事も言わずに古い銭の面をじっと注意していたが、やがて考えの中心点がはっきり纏《まとま》ったという様子をして、「貴方《あなた》は今迷っていらっしゃる」と言い切ったなり敬太郎の顔を見た。敬太郎はわざとなにも答えなかった。
「進もうか止《よ》そうかと思って迷っていらっしゃるが、これは御損ですよ。先へお出になったほうが、たとい一時は思わしくないようでも、末始終おためですから」
婆さんは一区限《くぎり》付けると、また口を閉じて敬太郎の様子を窺《うかが》った。敬太郎ははじめからただ先方のいうことをふんふん聞くだけにして、こちらではなにも喋舌《しやべ》らないつもりに、腹の中で極《き》めて掛かったのであるが、婆さんのこの一《いち》言《げん》に、ぼんやりした自分の頭が、相手の声に映ってちらりと姿を現わしたような気がしたので、ついその刺激に応じて見たくなった。
「進んでも失敗《しくじ》るようなことはないでしょうか」
「ええ。だからなるべく大人《おとな》しくして。短気を起こさないようにね」
これは予言ではない、常識があらゆる人に教える忠告にすぎないと思ったけれども婆さんの態度に、これという故意《わざ》とらしい点も見えないので、彼はなお質問を続けた。
「進むってどっちのほうへ進んだものでしょう」
「それは貴方のほうがよく分《わか》っていらっしゃるはずですがね。私《わたくし》はただもう少し先までお出なさい、そのほうがおためだからと申し上げるまでです」
こうなると敬太郎も行き掛かり上そうですかといって引っ込むわけにいかなくなった。
「だけれども道が二つあるんだから、そのうちでどっちを進んだら可《よ》かろうと聞くんです」
婆さんはまた黙って文銭の上を眺《なが》めていたが、まえよりは重苦しい口調で、「まあ同《おんな》じですね」と答えた。そうしてさっき裁縫《しごと》をしていた時に散らばした糸《いと》屑《くず》を拾って、そのなかから紺と赤の絹糸のかなり長いのを択《よ》り出して、敬太郎の見ている前で、それを綺《き》麗《れい》に縒《よ》りはじめた。敬太郎はただ手《て》持《も》ち無《ぶ》沙《さ》汰《た》の徒事《いたずら》とばかり思って、べつだん意にも留《とど》めなかったが、婆さんはたんねんにそれを五、六寸の長さに縒り上げて、文銭の上に載せた。
「これを御覧なさい。こう縒り合わせると、一本の糸が二筋の糸で、二筋の糸が一本の糸になるじゃありませんか。そら派《は》手《で》な赤と地《じ》味《み》な紺が。若い時にはとかく派手のほうへ派手のほうへと駆け出して遣《や》り損《そこな》いがちのものですが、貴方のは今のところこの縒《よ》り糸《いと》見たようにちょうど好《い》い具合に、いっしょに絡《からま》り合っているようですからお仕合わせです」
絹糸の喩《たとえ》はなんとも知らず面《おも》白《しろ》かったが、お仕合わせですと言われてみると、嬉《うれ》しいよりもかえって可笑《おか》しい心持ちのほうが敬太郎を動かした。
「じゃその紺糸で地《じ》道《みち》を踏んで行けば、そのあいだにちらちら派手な赤い色が出てくるというんですね」と敬太郎は向こうの言葉を呑《の》み込んだような尋ね方をした。
「そうですそうなるはずです」と婆さんは答えた。はじめから敬太郎は占いの一《いち》言《ごん》で、ぜひとも右か左へ片付けなければならないとまでせつに思い詰めていたわけでもなかったけれども、これだけで帰るのも少し物足りなかった。婆さんのいうことが、まるで自分の胸と懸《か》け隔たった別世界の消息なら、もとより論はないが、意味の取り方ではだいぶ自分の今の身の上に、応用の利《き》く点もあるので、敬太郎はそこに微《かす》かな未練を残した。
「もうなんにも伺うことはありませんか」
「そうですね。近いうちにちょっとしたことができるかもしれません」
「災難ですか」
「災難でもないでしょうが、気を付けないと遣り損います。そうして遣り損えばそれっきり取り返しが付かないことです」
一九
敬太郎の好奇心は少し鋭敏になった。
「ぜんたいどんな性質《たち》のことですか」
「それは起こってみなければ分《わか》りません。けれども盗難だの水難だのではないようです」
「じゃどうして失敗《しくじ》らない工夫をして好《い》いか、それも分《わか》らないでしょうね」
「分らないこともありませんが、もしお望みなら、もう一遍占いを立て直してみてあげても宜《よ》うござんす」
敬太郎は、ではお頼み申しますと言わないわけにいかなかった。婆《ばあ》さんはまた繊細《きやしや》な指先を小器用に動かして、例の文銭を裏表に並べ更《か》えた。敬太郎からいえば先《せん》の並べ方も今度の並べ方もたいてい似たものであるが、婆さんにはそこになにか重大の差別があるものとみえて、その一枚を引っ繰り返すにも軽率に手は下さなかった。ようやく九枚をそれぞれ念入りに片付けたあとで、婆さんは敬太郎に向かって「だいたい分りました」と言った。
「どうすれば好いんですか」
「どうすればって、占いには陰陽の理で大きな形が現われるだけだから、実地はめいめいがその場に臨んだ時、その大きな形に合わして考えるほかありませんが、まあこうです。貴方《あなた》は自分のようなまた他人《ひと》のような、長いようなまた短いような、出るようなまたはいるようなものを持っていらっしゃるから、今度事件が起こったら、第一にそれを忘れないようになさい。そうすれば旨《うま》くいきます」
敬太郎は烟《けむ》に巻かれざるを得なかった。いくら大きな形が陰陽の理であらわれたにしたところで、これじゃ方角さえ立たない霧のようなものだから、たとい嘘《うそ》でもほんとうでも、もう少し切り詰めた応用の利《き》くところをぜひ言わせようと思って、二、三押し問答をしてみたが、いっこう埒《らち》が明かなかった。敬太郎はとうとうこの禅坊主の寐《ね》言《ごと》に似たものを、手《て》拭《ぬぐい》にくるんだ懐炉のごとく懐中させられて表へ出た。おまけに出掛けに七《なな》色《いろ》唐《とう》辛《がら》子《し》を二袋買って袂《たもと》へ入れた。
翌日彼は朝《あさ》飯《はん》の膳《ぜん》に向かって、烟の出る味《み》噌《そ》汁《しる》椀《わん》の蓋《ふた》を取ったとき、たちまち昨日《きのう》の唐辛子を思い出して、袂から例の袋を取り出した。それを十二分に汁の上に振り掛けて、ひりひりするのを我慢しながら食事を済ましたが、婆さんのいわゆる「陰陽の理によって現われた大きな形」を頭の中に呼び起こしてみると、まだ漠《ばく》然《ぜん》と瓦斯《ガス》のごとく残っていた。しかし手の付けようのない謎《なぞ》に気を揉《も》むほど熱心な占い信者でもないので、彼はどうにかそれを解釈してみたいと焦心《あせ》る苦《く》悶《もん》を知らなかった。ただその分らないところに妙な趣があるので、忘れないうちに、婆さんの言ったとおりを紙《かみ》片《ぎれ》に書いて机の抽《ひき》出《だ》しへ入れた。
もう一遍田口に会う手段を講じてみることの可否は、昨日《きのう》すでに婆さんの助《じよ》言《ごん》で断定されたものと敬太郎は解釈した。けれども彼は占いを信じて動くのではない、動こうとするやさきへ婆さんが動く縁を付けてくれたにすぎないのだと思った。彼は須永へ行って彼の叔父《おじ》がすでに大阪から帰ったかどうか尋ねてみようかと考えたが、自動車事件の記憶がまだ新たに彼の胸を圧迫しているので、足を運ぶ勇気がちょっと出なかった。電話もこの際利用しにくかった。彼は已《やむ》を得ず、手紙で用を弁ずることにした。彼は先だって須永の母に話したとほぼ同様の顛《てん》末《まつ》を簡略に書いたあとで、田口がもう旅行から帰ったかどうかを聞き合わせて、もし帰ったなら御多忙中はなはだ恐れ入るけれども、都合して会ってくれるわけにはゆくまいか、こっちはどうせ閑《ひま》な身体《からだ》だから、いつでも指定された時日に出られるつもりだがと、このあいだの権幕は、綺《き》麗《れい》に忘れたような口《くち》振《ぶり》を見せた。敬太郎はこの手紙を出すと同時に、須永の返事を明日《あす》にも予想した。ところが二日《ふつか》たっても三日たってもなんの挨《あい》拶《さつ》もないので、少し不安の念に悩まされだした。なまじ売卜《うらない》者《しや》の言葉などに動かされて、恥を掻《か》いては詰《つま》らないという後悔も交じった。すると四日目の午前になって、突然田口から電話口へ呼び出された。
二〇
電話口へ出てみると案外にも主人の声で、今すぐ来ることができるかという簡単な問い合わせであった。敬太郎はすぐ出ますと答えたが、それだけで電話を切るのはなんとなく打《ぶ》っ切《き》ら棒《ぼう》すぎて愛《あい》嬌《きよう》が足りない気がするので、少し色を着けるために、須永君からなにかお話でもございましたかと聞いてみた。すると相手は、ええ市蔵から御希望を通知してきたのですが、手《て》数《かず》だから直接に私《わたくし》のほうで御都合を伺いました。じゃお待ち申しますから、すぐどうぞ。と言ってそれなり引っ込んでしまった。敬太郎はまた例の袴《はかま》を穿《は》きながら、今度こそ様子が好《よ》さそうだと思った。それからこのあいだ買ったばかりの中折れを帽子掛けから取ると、未来に富んだ顔に生気を漲《みなぎ》らして快《かい》豁《かつ》に外へ出た。外には白い霜を一度に摧《くだ》いた日が、木《こ》枯《がら》しにも吹き捲《ま》くられずに、穏やかな往来をおっとりと一面に照らしていた。敬太郎はそのなかを突っ切る電車の上で、光を割《さ》いて進むような感じがした。
田口の玄関はこのあいだと違ってひっそりしていた。取次ぎに袴を着けた例の書生が現われた時は、少し極《きま》りが悪かったが、まさか先だっては失礼しましたとも言えないので、素《そ》知《し》らぬ顔をして丁寧に来意を告げた。書生は敬太郎を覚えていたのか、いないのか、ただはあと言ったなり名刺を受け取って奥へはいったが、やがて出てきて、どうぞこちらへと応接間へ案内した。敬太郎は取次ぎの揃《そろ》えてくれた上靴《スリツパー》を穿いて、お客らしく通るには通ったが、四、五脚ある椅《い》子《す》のどれへ腰を掛けて可《い》いかちょっと迷った。いちばん小さいのにさえ極《き》めておけば間違いはあるまいという謙《けん》遜《そん》から、彼は腰の高い肱《ひじ》懸《か》けも装飾も付かないもっとも軽そうなのを択《よ》って、わざと位置の悪い所へ席を占めた。
やがて主人が出てきた。敬太郎は使い慣れない切り口上を使って、初対面の挨《あい》拶《さつ》やら会見の礼やらを述べると、主人は軽くそれを聞き流すだけで、ただはあはあと挨拶した。そうしていくら区切りが来ても、いっこうなんとも言ってくれなかった。彼は主人の態度に失望するほどでもなかったが、自分の言葉がそう思うとおり長く続かないのに弱った。一応頭の中にある挨拶を出し切ってしまうと、あとはそれぎりで、手《て》持《も》ち無《ぶ》沙《さ》汰《た》と知りながら黙らなければならなかった。主人は巻《まき》莨《たばこ》入《い》れから敷《しき》島《しま》を一本取って、あとをこころもち敬太郎のいる方へ押し遣《や》った。
「市蔵から貴方《あなた》のお話は少し聞いたこともありますが、いったいどういうほうを御希望なんですか」
実をいうと、敬太郎にはなんという特別の希望はなかった。ただ相当の位置さえ得られればとばかり考えていたのだから、こう聞かれると盆《ぼん》鎗《やり》した答えよりほかにできなかった。
「すべての方面に希望を有《も》っています」
田口は笑いだした。そうして機《き》嫌《げん》の好《い》い顔《かお》付《つき》をして、学士の数のこんなに殖《ふ》えてきた今日、いくら世話をする人があろうとも、そう最初から好い地位が得られるわけのものでないという事情をねんごろに説いて聞かせた。しかしそれは田口から改めて教わるまでもなく、敬太郎のとうから痛切に承知しているところであった。
「なんでも遣ります」
「なんでも遣りますったって、まさか鉄道の切符切りもできないでしょう」
「いえできます。遊んでるよりは増しですから。将来の見込みのあるものならほんとうになんでも遣ります。第一遊んでいる苦痛を逃《のが》れるだけでも結構です」
「そういうお考えならまた私《わたくし》のほうでもよく気を付けておきましょう。すぐというわけにもゆきますまいが」
「どうぞ。――まあ試《ため》しに使って見てください。貴方のお家《うち》の――といっちゃあまり変ですが、貴方の私《わたくし》事《ごと》にででも可《い》いから、ちょっと使ってみてください」
「そんなことでも為《し》てみる気がありますか」
「あります」
「それじゃ、ことによるとなにか願ってみるかもしれません。いつでも構いませんか」
「ええなるべく早いほうが結構です」
敬太郎はこれで会見を切り上げて、朗らかな顔をして表へ出た。
二一
穏やかな冬の日がまた二、三日続いた。敬太郎は三階の室《へや》から、窓に入《はい》る空と樹《き》と屋《や》根《ね》瓦《がわら》を眺《なが》めて、自然を橙《だいだい》色《いろ》に暖める大人《おとな》しいこの日光が、あたかも自分のために世の中を照らしているような愉快を覚えた。彼はこのあいだの会見で、自分に都合の好《い》い結果が、近いうちにわが頭の上に落ちてくるものと固く信ずるようになった。そうしてその結果がどんな異様の形を装って、彼の前に現われるかを、彼は最も楽しんで待ち暮らした。彼が田口に依頼した仕事のうちには、普通の依頼者の申《もう》し出《いで》以上のものまで含んでいた。彼は一定の職業から生ずる義務を希望したばかりでなく、刺激に充《み》ちた一時性の用事をも田口から期待した。彼の性質として、もし成功の影が彼を掠《かす》めて閃《ひらめ》くならば、おそらく尋常の雑務とは切り離された特別の精彩を帯びたものが、卒然彼の前に投げ出されるのだろうぐらいに考えた。そんな望みを抱《いだ》いて、彼は毎日美しい日光に浴していたのである。
すると四日ばかりして、また田口から電話が掛かった。少し頼みたいことができたが、わざわざ呼び寄せるのも気の毒だし、電話では手《て》間《ま》が要《い》ってかえって面《めん》倒《どう》になるし、仕方がないから、速達便で手紙を出すことにしたから、委細はそれを見て承知してくれ。もし分《わか》らないことがあったら、また電話で聞き合わしても可《い》いという通知であった。敬太郎はぼんやり見えていた遠《とお》眼鏡《めがね》の度がぴたりと合った時のように愉快な心持ちがした。
彼は机の前を一寸も離れずに、速達便の届くのを待っていた。そうしてそのあいだ絶えず例の想像を逞《たくま》しくしながら、田口のいわゆる用事なるものを胸の中で組み立ててみた。そこにはいつか須永の門前で見た後ろ姿の女が、ややともすると断わりなしに入り込んできた。ふと気が付いて、もっと実際的のものであるべきはずだと思うと、その時だけは自分で自分の空想を叱《しか》るようにしては、彼はもどかしい時を過ごした。
やがて待ち焦《こが》れた状袋が彼の手に落ちた。彼はすっと音をさせて、封を裂いた。息も継がずに巻紙の端《はし》から端までを一気に読み通して、思わずあっという微《かす》かな声を揚げた。与えられた彼の用事は待ち設けた空想よりもなお浪漫的《ロマンチツク》であったからである。手紙の文句はもとより簡単で用事以外の言葉はいっさい書いてなかった。今日《きよう》四時と五時のあいだに、三《み》田《た》方面から電車に乗って、小川町の停留所で下《お》りる四十恰《がつ》好《こう》の男がある。それは黒の中折れに霜降りの外《がい》套《とう》を着て、顔の面長い背《せい》の高い、瘠《や》せぎすの紳士で、眉《まゆ》と眉のあいだに大きな黒子《ほくろ》があるからその特徴を目標《めじるし》に、彼が電車を降りてから二時間以内の行動を探《たん》偵《てい》して報告しろというだけであった。敬太郎ははじめて自分が危険なる探偵小説中の主要の役割を演ずる一個の主人公のような心持ちがしだした。同時に田口が自己の社会的利害を護《まも》るために、こんな暗がりの所作をあえてして、他日の用に、他《ひと》の弱点を握っておくのではなかろうかという疑いを起こした。そう思った時、彼は人の狗《いぬ》に使われる不名誉と不徳義を感じて、一種苦《く》悶《もん》の膏《あぶら》汗《あせ》を腋《わき》の下に流した。彼は手紙を手にしたまま、じっと眸《ひとみ》を据《す》えたなり固くなった。しかし須永の母から聞いた田口の性格と、自分がじかに彼に会った時の印象とを纏《まと》めて考えてみると、決してそんな人の悪そうな男とも思われないので、たとい他人の内《ない》行《こう》に探りを入れるにしたところで、必ずしもそれほど下品な料《りよう》簡《けん》から出るとは限らないという推断も付いてみると、いったん硬直になった筋肉の底に、また温《あたた》かい血が通いはじめて、徳義に逆らう吐気《むかつき》なしに、ただ興味という一点からこの問題を面《おも》白《しろ》く眺《なが》める余裕もできてきた。それで世の中に接触する経験の第一着手として、ともかくも田口から依頼されたとおりこの仕事を遣《や》りおおせてみようという気になった。彼はもう一度とくと田口の手紙を読み直した。そうしてそこに書いてある特徴と条件だけで、はたして満足な結果が実際に得られるだろうかどうかを確かめた。
二二
田口から知らせてきた特徴のうちで、ほんとうにその人の身を離れないものは、眉《まゆ》と眉の間の黒子《ほくろ》だけであるが、この日の短い昨今の、四時とか五時とかいう薄暗い光線の下《もと》で、乗り降りに忙しい多数の客の中《うち》から、指定された局部の一点を目標《めじるし》に、これだと思う男を過《あやま》ちなく見付け出そうとするのは容易のことではない。ことに四時と五時のあいだといえば、ちょうど役所の退《ひ》ける時刻なので、丸の内からただ一筋の電車を利用して、神田橋を出る役人の数だけでもたいしたものである。それにほかと違って停留所が小川町だから、年の暮れに間もない左右の見世先に、幕だの楽隊だの、蓄音機だのを飾るやら具《そな》えるやらして、電燈以外の景気を点《つ》けて、不時の客を呼び寄せる混雑も勘定に入れなければなるまい。それを想像して事の成否を考えてみると、とうてい一人の手《て》際《ぎわ》ではという覚《おぼ》束《つか》ない心持ちが起こってくる。けれどもまた尋ね出そうとするその人が、霜降りの外《がい》套《とう》に黒の中折れという服装《いでたち》で電車を降りるときまって見れば、そこにまだ一縷《る》の望みがあるようにも思われる。むろん霜降りの外套だけでは、どんな恰《かつ》好《こう》にしろ手掛かりになりようはずがないが、黒の中折れを被《かぶ》っているなら、色変わりよりほかに用いる人のない今日だから、すぐ目に付くだろう。それを目《め》宛《あて》に注意したらあるいは成功しないとも限るまい。
こう考えた敬太郎は、ともかくも停留所まで行ってみることだという気になった。時計を眺《なが》めると、まだ一時を打ったばかりである。四時より三十分前に向こうへ着くとしたところで、三時ごろから宅《うち》を出ればたくさんなのだから、まだ二時間の猶予がある。彼はこの二時間を最も有益に利用するつもりで、じっとしたまま坐《すわ》っていた。けれどもただ目の前に、美《み》土《と》代《しろ》町《ちよう》と小川町が、丁字になって交差している三《み》つ角《かど》の雑《ざつ》沓《とう》が入り乱れて映るだけで、これといって成功を誘《いざな》うに足る上分別は浮かばなかった。彼の頭は考えれば考えるほど、同じ場所に吸い付いたなりまるで動くことを知らなかった。そこへ、どうしても目《め》指《ざ》す人には会えまいという掛《け》念《ねん》が、不安を伴って胸の中をざわつかせた。敬太郎はいっそのこと時間がくるまで外を歩きつづけに歩いてみようかと思った。そう決心をして、両手を机の縁《ふち》に掛けて、勢いよく立ち上がろうとするとたんに、この間浅草で占いの婆《ばあ》さんから聞いた、「近いうちになにか事があるから、その時にはこうこういうものを忘れないようにしろ」という注意を思い出した。彼は婆さんのその時の言葉を、解すべからざる謎《なぞ》として、ほとんど頭の外へ落としてしまったにもかかわらず、参考のためわざわざ書き付けにして机の抽《ひき》出《だ》しに入れておいた。でまたその紙《かみ》片《ぎれ》を取り出して、自分のようで他人《ひと》のような、長いようで短いような、出るようではいるようなという句を飽かず眺めた。はじめのうちは今までどおりとうてい意味のあるはずがないとしかみえなかったが、だんだん繰り返して読むうちに、辛《しん》抱《ぼう》強《づよ》く考えさえすれば、こういう妙な特性を有《も》ったものがあるいは出てくるかもしれないという気になった。そのうえ敬太郎は婆さんに、自分が持っているんだから、いざという場合に忘れないようになさいと注意されたのを覚えていたので、なんでも好《い》い、ただ身の周囲《まわり》のものから、自分のようで他人《ひと》のような、長いようで短いような、出るようではいるようなものを探《さが》し中《あ》てさえすれば、比較的狭い範囲内で、この問題を解決することができるわけになって、存外早く片《かた》が付くかもしれないと思いだした。そこでわが自由になるこれから先の二時間を、まったくこの謎を解くための二時間として、たいせつに利用しようと決心した。
ところがまず目の前の机、書物、手拭《てぬぐい》、座《ざ》蒲《ぶ》団《とん》から順々に進行して行《こう》李《り》鞄《カバン》靴《くつ》下《した》までいったが、いっこうそれらしい物に出合わないうちに、とうとう一時間経《た》ってしまった。彼の頭は焦躁《いらだ》つとともに乱れてきた。彼の観念は彼の室《へや》の中を駆《か》け回《めぐ》って落ち付けないので、制するのも聞かずに、戸外へ出て縦横に走った。やがて彼の目の前に、霜降りの外套を着た黒の中折れを被った背《せい》の高い瘠《や》せぎすの紳士が、彼のこれから探《さが》そうというその人の権威を具えて、ありありと現われた。するとその顔がたちまち大連にいる森本の顔になった。彼はだらしのない髯《ひげ》を生《は》やした森本の容《よう》貌《ぼう》を想像の目で眺めた時、突然電流に感じた人のようにあっと言った。
二三
森本の二字はとうから敬太郎の耳に変な響きを伝える媒介《なかだち》となっていたが、このごろはそれがいっそう高じて全然一種の符徴に変化してしまった。元からこの男の名前さえ出ると、必ず例の洋杖《ステツキ》を連想したものだが、洋杖が二人を繋《つな》ぐ縁に立っていると解釈しても、あるいは二人のなかを割《さ》く邪魔に挟《はさ》まっていると見《み》做《な》しても、とにかく森本とこの竹の棒の間にはある距離《へだたり》があって、そう一足飛びに片方から片方へ移るわけにはゆかなかったのに、今ではそれが一つになって、森本といえば洋杖、洋杖といえば森本というくらい劇《はげ》しく敬太郎の頭を刺激するのである。その刺激を受けた彼の頭に、自分の所有のようなまた森本の所有のような、持ち主のどっちとも片付かないという観念が、熱《ほて》った血に流されながら偶然浮かび上がった時、彼はああこれだと叫んで、乱れ逃げる黒い影のうちから、その洋杖だけをうんと捕《つらま》えたのである。
「自分のような他人《ひと》のような」と言った婆《ばあ》さんの謎《なぞ》はこれで解けたものと信じて、敬太郎は一人嬉《うれ》しがった。けれどもまだ「長いような短いような、出るようなはいるような」というところまでは考えてみないので、彼はあまる二か条の特性をも等しくこの洋杖のうちから探《さが》し出そうという料《りよう》簡《けん》で、さらに新たな努力を鼓舞して掛かった。
はじめは見方一つで長くもなり短くもなるくらいの意味かもしれないと思って、先へ進んでみたが、それではあまり平凡すぎて、解釈が付いたも付かないも同じことのような心持ちがした。そこでまた後《あと》戻《もど》りをして、「長いような短いような」という言葉をいくたびか口のうちで繰り返しながら思案した。が、容易に解決のできる見込みは立たなかった。時《と》計《けい》を見ると、自由に使って可《い》い二時間のうちで、もう三十分しか残っていない。彼は抜け裏と間違えて袋の口へはいり込んだ結果、好んで行き悩みの状態に悶《もだ》えているのではなかろうかと、自分で自分の判断を危《あやぶ》みだした。出《で》端《は》のない行き留まりに立つくらいなら、もう一遍引き返して、新しい途《みち》を探すほうが増しだとも考えた。しかしこう時間が逼《せま》っているのに、初手から出直しては、とても間に合うはずがない。すでにここまで来られたという一部分の成功を縁《*えん》喜《ぎ》にして、ぜひ先へ突き抜けるほうが順当だとも考えた。これが可《よ》かろうあれが可かろうと右左に思い乱れているうちに、彼の想像はふと全体として杖《つえ》を離れて、握りに刻まれた蛇《へび》の頭に移った。その瞬間に、鱗《うろこ》のぎらぎらした細長い胴と、匙《さじ》の先に似た短い頭とを我知らず比較して、胴のない鎌《かま》首《くび》だから、長くなければならないはずだのに短く切られている、そこがすなわち長いような短いようなものであると悟った。彼はこの答案を稲妻のごとく頭の奥に閃《ひらめ》かして、得意のあまり踴動《こおどり》した。あとに残った「出るようなはいるような」ものは、たいした苦労もなく約五分のあいだに解けた。彼は鶏卵《たまご》とも蛙《かえる》ともなんとも名状しがたいあるものが、半ば蛇の口に隠れ、半ば蛇の口から現われて、呑《の》み尽くされもせず、逃《のが》れ切りもせず、出るともはいるとも片の付かない状態を思い浮かべて、すぐこれだと判断したのである。
これで万事が綺《き》麗《れい》に解決されたものと考えた敬太郎は、躍《おど》り上がるように机の前を離れて、時計の鎖を帯に絡《から》んだ。帽子を持ったまま、袴《はかま》も穿《は》かずに室《へや》を出ようとしたが、あの洋杖《ステツキ》をどうして持って出たものだろうかという問題がちょっと彼を躊《ちゆう》躇《ちよ》さした。あれに手を触れるのは、むろん、たとい傘《かさ》入《い》れから引き出したところで、森本が置き去りにしていってからすでに久しい今日となってみれば、主人に断わらないにしろ、咎《とが》められたり怪しまれたりする気《き》遣《づか》いはないに極《きま》っているが、さて彼らが傍《そば》にいない時、またおるにしても見ないうちに、それを提《さ》げて出ようとするには相当の思慮か準備が必要になる。迷信のはびこる家庭に成長した敬太郎は、呪禁《まじない》に使う品物を(これからその目的に使うんだという料簡があって)手に入れる時には、きっと人の見ていない機会を偸《ぬす》んで遣《や》らなければ利《き》かないという言い伝えを、郷里《くに》にいたころ、よく母から聞かされていたのである。敬太郎は宿の上がり口の正面に懸《か》けてある時計を見る振りをして、二階の梯子《はしご》段《だん》の中途まで降りて下の様子を窺《うかが》った。
二四
主人は六畳の居間に、例のとおり大きな瀬《せ》戸《と》物《もの》の丸《まる》火《ひ》鉢《ばち》を抱《かか》え込んでいた。細君の姿はどこにも見えなかった。敬太郎が梯子《はしご》段《だん》の中途で、及び腰をして、硝子《ガラス》越《ご》しに障子の中を覗《のぞ》いていると、主人の頭の上で忽《こつ》然《ぜん》呼鈴《ベル》が烈《はげ》しく鳴りだした。主人は仰《あお》向《む》いて番号を見ながら、おい誰《だれ》かいないかねと次の間へ声を掛けた。敬太郎はまたそろそろ三階の自分の室《へや》へ帰ってきた。
彼はわざわざ戸《と》棚《だな》を開けて、行《こう》李《り》の上に投げ出してあるセルの袴《はかま》を取り出した。彼はそれを穿《は》くとき、腰板を後ろに引き摺《ず》って、室の中を歩き回った。それから足袋《たび》を脱いで、靴《くつ》下《した》に更《か》えた。これだけ身装《みなり》を改めたうえ、彼はまた三階を下《お》りた。居間を覗くと細君の姿は依然として見えなかった。下女もそこらにはいなかった。呼鈴も今度は鳴らなかった。家《いえ》中《じゆう》ひっそりかんとしていた。ただ主人だけは前のとおり大きな丸火鉢に靠《もた》れて、上がり口の方を向いたなりじっと坐《すわ》っていた。敬太郎は段々を下まで降り切らないさきに、高い所から斜《はす》に主人の丸くなった背中を見て、これはまだ都合が悪いと考えたが、ついに思い切って上がり口へ出た。主人は案《*》の上、「お出掛けで」と挨《あい》拶《さつ》した。そうして例のとおり下女を呼んで下《げ》駄《た》箱《ばこ》に仕《し》舞《ま》ってある履《はき》物《もの》を出させようとした。敬太郎は主人一人の目を掠《かす》すめるのにさえ苦心していたところだから、このうえ下女に出られては敵《かな》わないと思って、いや宜《よろ》しいと言いながら、自分で下駄箱の垂《た》れを上げて、さっそく靴《くつ》を取り卸《おろ》した。旨《うま》い具合に下女は彼が土間へ降り立つまで出てこなかった。けれども、亭《てい》主《しゆ》は依然としてこっちを向いていた。
「ちょっとお願いですがね。室の机の上に今月の法《*》学協会雑誌があるはずだが、ちょっと取ってきてくれませんか。靴を穿いてしまったんで、また上がるのが面《めん》倒《どう》だから」
敬太郎はこの主人に多少法律の心得があるのを知って、わざとこう頼んだのである。主人は自分よりほかのものではとても弁じない用事なので、「はあ能《よ》うがす」と入って気《き》作《さく》に梯子段を上っていった。敬太郎はそのひまに例の洋杖《ステツキ》を傘《かさ》入《い》れから抽《ぬ》き取ったなり、抱き込むように羽織の下へ入れて、主人の座に帰らないうちにそっと表へ出た。彼は洋杖の頭の曲がった角《かど》を、右の腋《わき》の下に感じつつ急ぎ足に本郷の通りまで来た。そこでいったん羽織の下から杖《つえ》を出して蛇《へび》の首をじっと眺《なが》めた。そうして袂《たもと》の手帛《ハンケチ》で上から下まで綺《き》麗《れい》に埃《ほこり》を拭《ふ》いた。それからあとは普通の杖のように右の手に持って、力任せに振り振り歩いた。電車の上では、蛇の頭へ両手を重ねて、その上に顋《あご》を載せた。そうしてやっと今一段落付いた自分の努力を顧みて、ほっと一息吐《つ》いた。同時にこれからさき指定された停留所へいってからの成否がまた気に掛かりだした。考えてみると、これほど骨《ほね》を折《お》って、偸《ぬす》むように持ち出した洋杖が、どうすれば眉《まゆ》と眉の間の黒子《ほくろ》を見分ける必要品になるのか、まったく彼の思量のほかにあった。彼はただ婆《ばあ》さんに言われたとおり、自分のような他人《ひと》のような、長いような短いような、出るようなはいるようなものを、一生懸命に探《さが》し当てて、それを忘れないで携えているというまでであった。この怪しげに見えて平凡な、しかもむやみに軽い竹の棒が、寐《ね》かそうと起こそうと、手に持とうと袖《そで》に隠そうと、未知の人を探すうえに、はたしてなんの役に立つかしらんと疑《うたぐ》った時、彼はちょっとの間《ま》、瘧《*ぎやく》を振《ふる》い落とした人のようにけろりとして、車内を見回した。そうして頭の毛穴から湯気の立つほど業《ごう》を煮やしたさっきの努力を気恥ずかしくも感じた。彼は自分で自分の所作を紛らすために、わざと洋杖を取り直して、電車の床をとんとんと軽く叩《たた》いた。
やがて目的の場所へ来た時、彼はとりあえず青年会館の手前から引き返して、小川町の通りへ出たが、四時にはまだ十五分ほど間《ま》があるので、彼は人通りと電車の響きを横切って向こう側へ渡った。そこには交番があった。彼は派出所の前に立っている巡査と同じ態度で、赤いポストの傍《そば》から、まっすぐに南へ走る大通りと、緩《ゆる》い弧線を描いた左右に回り込む広い往来とを眺めた。これから自分の活躍すべき舞台面を一応こういうふうに検分したあとで、彼はすぐ停留所の所在を確かめに掛かった。
二五
赤い郵便函《ポスト》から五、六間東へ下ると、白いペンキで小川町停留所と書いた鉄の柱がすぐ彼の目に入《はい》った。ここにさえ待っていれば、たとい混雑に取り紛れて注意人物を見失うまでも、刻限に自分の部署に着いたという強味はあると考えた彼は、これだけの安心を胸に握ったうえ、また目標《めじるし》の鉄の柱を離れて、四辺《あたり》の光景を見回した。彼のすぐ後ろに蔵造りの瀬戸物屋があった。小さい盃《さかずき》のたくさんならんだのを箱入りにして額のように仕立てたのがその軒下に懸《かか》っていた。大きな鉄《かね》製《せい》の鳥《とり》籠《かご》に、陶器でできた餌《え》壺《つぼ》をいくつとなく外から括《くく》り付けたのも、そこにぶら下がっていた。その隣は皮屋であった。目も爪《つめ》もまったく生きた時のままに残した大きな虎《とら》の皮に、緋《ひ》羅《ラ》紗《シヤ》の縁《へり》を取ったのがこの店のおもな装飾であった。敬太郎は琥《*こ》珀《はく》に似たその虎の目を深く見詰めて立った。細長くって真《まつ》白《しろ》な皮でできた襟《えり》巻《まき》らしいものの先に、豆《まめ》狸《だぬき》のような顔が付着しているのも滑《こつ》稽《けい》に見えた。彼は時《と》計《けい》を出して時間を計りながら、また次の店に移った。そうして瑪《*め》瑙《のう》で刻《ほ》った透明な兎《うさぎ》だの、紫《*》水晶でできた角形の印材だの、翡《*ひ》翠《すい》の根《ね》懸《が》けだの孔《*く》雀《じやく》石《せき》の緒締めだのの、金の指輪やリ《*》ンクスとともに、美しく並んでいる宝石商の硝子《ガラス》窓《まど》を覗《のぞ》いた。
敬太郎はこうして店から店を順々に見ながら、つい天下堂の前を通り越して唐《*から》木《き》細《ざい》工《く》の店先まで来た。その時後ろから来た電車が、突然自分の歩いている往来の向こう側で留まったので、もしやという心から、筋《すじ》違《かい》に通《とお》りを横切って細い横町の角《かど》にある唐《*とう》物《ぶつ》屋《や》の傍《そば》へ近寄ると、そこにも一本の鉄の柱に、さっきのと同じような、小川町停留所という文《もん》字《じ》が白く書いてあった。彼は念のためこの角に立って、二、三台の電車を待ち合わせた。すると最初には青山というのが来た。次には九段新宿というのが来た。が、いずれも万《まん》世《せい》橋《ばし》の方からまっすぐに進んで来るので彼はようやく安心した。これでよもやの懸念もなくなったから、そろそろ元の位地に帰ろうというつもりで、彼は足の向きを更《か》えに掛かったとたんに、南から来た一台がぐるりと美土代町の角を回転して、敬太郎の立っている傍で留まった。彼はその電車の運転手の頭の上に黒く掲げられた巣《す》鴨《がも》の二字を読んだ時、はじめて自分の不注意に気が付いた。三田方面から丸の内を抜けて小川町で降りるには、神田橋の大通りをまっすぐに突き当たって、左へ曲がっても今敬太郎の立っている停留所で降りられるし、また右へ曲がってもさっき彼の検分しておいた瀬戸物屋の前で降りられるのである。そうして両方とも同じ小川町停留所と白いペンキで書いてある以上は、自分がこれからあとを跟《つ》けようという黒い中折れの男は、どっちへ降りるのだか、彼にはまるで見当が付かないことになるのである。目を走らせて、二本の赤い鉄柱の距離《みちのり》を目分量で測ってみると、一町には足りないくらいだが、いくら目と鼻の間だからといって、一方だけを専門にしてさえ覚《おぼ》束《つか》ない彼の監視力に対して、両方とも手落ちなく見張りおおせる手《て》際《ぎわ》を要求するのは、どれほど自分の敏腕を高く見積もりたい今の敬太郎にも絶対の不可能であった。彼は自分の住居《すま》っている地理上の関係から、常に本郷三田間を連絡する電車にばかり乗っていたため、巣鴨方面から水道橋を通って同じく三田に続く線路の存在に、今が今まで気が付かずにいた自己の迂《う》闊《かつ》を深く後悔した。
彼は困却のあまりふと思い付いた窮策として、須永の助力でも借りに行こうかと考えた。しかし時計はもう四時七分前に逼《せま》っていた。ついこの裏通りに住んでいる須永だけれども、門前まで駆《か》け付ける時間と、かい摘《つま》んで用事を呑《の》み込ます時間を勘定に入れればとても間に合いそうにない。よしそのくらいの間はとれるとしたところで、須永に一方の見張りを頼む以上は、もし例の紳士が彼のいる方へ降りるならば、何かの手段で敬太郎に合図をしなければならない。それもこの人込みの中だから、手を挙《あ》げたり手帛《ハンケチ》を振るぐらいではちょっと通じかねる。紛れもなく敬太郎に分《わか》らせようとするには、往来を驚かすほどな大きな声で叫ぶに限るといっても可《い》いくらいなものだが、そういう突《とつ》飛《ぴ》はよほどな場合でも体裁を重んずる須永のような男にできるはずがない。万一我慢して遣《や》ってくれたところで、こっちから駆けてゆくあいだには、肝《かん》心《じん》の黒の中折れ帽を被《かぶ》った男の姿は見えなくなってしまわないともいえない。――こう考えた敬太郎は已《やむ》を得ないから運を天に任せてどっちか一方の停留所だけ守ろうと決心した。
二六
決心は為《し》たようなものの、それでは今立っている所を動かないための横《おう》着《ちやく》と同じことになるので、わざと成効を度外に置いて仕事に掛かった不安を感ぜずにはいられなかった。彼は首を延ばすようにして、また東の停留所を望んだ。位地のせいか、向きの具合か、それとも自分が始終乗り降りに慣れているわけか、どうもそちらのほうが陽気に見えた。尋ねる人もなんだか向こうで降りそうな心持ちがした。彼はもう一度見張りのステーションを移そうかと思いながら、なおかつ決しかねてしばらく躊《ちゆう》躇《ちよ》していた。するとそこへ江戸川行の電車が一台来てずるずると留まった。だれも降者《おりて》がないのを確かめた車掌は、一分とたたないうちにまた車を出そうとした。敬太郎は錦《にしき》町《ちよう》へ抜ける細い横町を背にして、目の前の車台にはほとんど気の付かないほど、ここにいようかあっちへ行こうかと迷っていた。ところへ後ろの横町から突然馳《か》け出してきた一人の男が、敬太郎を突き除《の》けるようにして、ハンドルへ手を掛けた運転手の台へ飛び上がった。敬太郎の驚きがまだ回復しないうちに、電車はがたりという音を出してすでに動きはじめた。飛び上がった男は硝子《ガラス》戸《ど》の内へ半分身体《からだ》を入れながら失敬しましたと言った。敬太郎はその男と顔を見合わせた時、彼の最後の視線が、自分の足の下に落ちたのを注意した。彼は敬太郎に当たった拍子に、敬太郎の持っていた洋杖《ステツキ》を蹴《け》飛《と》ばして、それを持ち主の手から地面の上へ振り落としたのである。敬太郎はすぐ曲《こご》んで洋杖を拾い上げようとした。彼はその時蛇《へび》の頭が偶然東向きに倒れているのに気が付いた。そうしてその頭の恰《かつ》好《こう》をなんとなしに、方角を教える指標《*フインガーポスト》のように感じた。
「やっぱり東が好《よ》かろう」
彼は足早に瀬戸物屋まで帰ってきた。そこで本郷三丁目と書いた電車から降りる客を、一人残らず物色する気で立った。彼は最初の二、三台を親の敵《かたき》でも覘《ねら》うように怖《こわ》い目付で吟味したあと、少し心に余裕ができるにつれて、腹の中がだんだん気丈になってきた。彼は自分の目の届く広場を、一面の舞台と見《み》做《な》して、その上に自分と同じ態度の男が三人いることを発見した。その一《いち》人《にん》は派出所の巡査で、これは自分と同じ方を向いて同じように立っていた。もう一人は天下堂の前にいるポ《*》イントマンであった。最後の一《いち》人《にん》は広場の真《まん》中《なか》に青と赤の旗を神聖な象徴《シンボル》のごとく振り分ける分別盛りの中年者であった。そのうちでいつ出てくるかしれない用事を期待しながら、人目にはさも退屈そうに立っているものは巡査と自分だろうと敬太郎は考えた。
電車は入れ代り立ち代り彼の前に留まった。乗るものはむりにも窮屈な箱の中に押し込もうとする。降りるものは権《けん》柄《ぺい》ずくで上から伸《の》し懸《か》ってくる。敬太郎はどこの何物とも知れない男《なん》女《によ》が聚《あつ》まったり散ったりするために、自分の前で無作法に演じだす一分時の争いを何度となく見た。けれども彼の目的とする黒の中折れの男はいくら待っても出てこなかった。ことによると、もうとうに西の停留所から降りてしまったものではなかろうかと思うと、こうして役にも立たない人の顔ばかり見詰めて、目のちらちらするほど一つ所に立っているのは、ずいぶん馬《ば》鹿《か》気《げ》た所作に見えてくる。敬太郎は下宿の机の前で熱に浮かされた人のように夢中で費やしたさっきの二時間を、十分須永と打ち合わせをして彼の援助を得《う》るために利用したほうが、はるかに常識に適《かな》った遣《やり》口《くち》だと考えだした。彼がこの苦い気分を痛切に嘗《な》めさせられるころから空はだんだん光を失って、目に映る物の色が一面に蒼《あお》く沈んできた。陰《いん》鬱《うつ》な冬の夕暮れを補う瓦斯《ガス》と電気の光がぽつぽつそこらの店《みせ》硝子《ガラス》を彩《いろ》どりはじめた。ふと気が付いて見ると、敬太郎から一間ばかりのところに、廂《*ひさし》髪《がみ》に結《い》った一人の若い女が立っていた。電車の乗り降りが始まるたびに、彼は注意の余波《なごり》を自分の左右に払っていたつもりなので、いつどっちから歩き寄ったか分《わか》らない婦人を思わぬ近くに見た時は、なによりさきにまずその存在に驚かされた。
二七
女は年に合わして地《じ》味《み》なコートを引き摺《ず》るように長く着ていた。敬太郎は若い人の肉を飾る華麗《はなやか》な色をその裏に想像した。女はまたわざとそれを世間から押し包むようにして立っていた。襦《じゆ》袢《ばん》の襟《えり》さえ羽《は》二《ぶた》重《え》の襟《えり》巻《まき》で隠していた。その羽二重の白いのが、夕暮れの逼《せま》るにつれて、空気から浮き出してくるほかに、女は身の周囲《まわり》になにといって他《ひと》の注意を惹《ひ》くものを着けていなかった。けれども時節柄に頓《とん》着《じやく》なく、当人の好尚《このみ》を示したこの一《ひと》色《いろ》が、敬太郎にはなによりも際《きわ》立《だ》って見えた。彼は光の抜けてゆく寒い空の下で、不調和な異な物に出《で》逢《あ》った感じよりも、煤《すす》けた往来に冴《さえ》々《ざえ》しい一点を認めた気分になって女の頸《くび》の辺《あたり》を注意した。女は敬太郎の視線を正面《まとも》に受けた時、こころもち身体《からだ》の向きを変えた。それでもなお落ちつかない様子をして、右の手を耳のところまで上げて、鬢《びん》から洩《も》れた毛を後ろへ掻《か》き遣《や》るふうをした。もとより女の髪は綺《き》麗《れい》に揃《そろ》っていたのだから、敬太郎にはこの挙動が実《み》のない科《しな》としてのみ映ったのだが、その手を見た時彼はまた新たな注意を女から強《し》いられた。
女は普通の日本の女《によ》性《しよう》のように絹の手袋を穿《は》めていなかった。きちりと合う山羊《やぎ》の革《かわ》製《せい》ので、華《きや》奢《しや》な指をつつましやかに包んでいた。それが色の着いた蝋《ろう》を薄く手の甲に流したと見えるほど、肉と革がしっくり喰《く》っ付いたなり、一筋の皺《しわ》も一《いち》分《ぶ》の弛《たる》みも余していなかった。敬太郎は女の手を上げた時、この手袋が女の白い手《て》頸《くび》を三寸も隠しているのに気が付いた。彼はそれぎり目を転じてまた電車に向かった。けれども乗り降りの一混雑が済んで、思う人が出てこないと、また心に二、三分の余裕ができるので、それを利用しようと待ち構えるほどの執着はなかったにせよ、電車の通り越した相《あい》間《ま》相《あい》間《ま》には覚《さと》られないくらいの視力を使って常に女の方を注意していた。
はじめ彼はこの女を「本《ほん》郷《ごう》行《ゆき》」か「亀《かめ》沢《ざわ》町《ちよう》行《ゆき》」に乗るのだろうと考えていた。ところが両方の電車が一順回ってきて、自分の前に留まっても、いっこうに乗る様子がないので、彼は少々変に思った。あるいはむりに込み合っている車台に乗って、押し潰《つぶ》されそうな窮屈を我慢するよりも、少し時間の浪費を怺《こら》えたほうが差し引き得になるという主義の人かとも考えてみたが、満員という札も懸《か》けず、一つや二つの空席は十分ありそうなのが回ってきても、女は少しも乗る素振りを見せないので、敬太郎はいよいよ変に思った。女は敬太郎から普通以上の注意を受けていると覚ったらしく、彼が少しでも手足の態度を改めると、雨の降らないうちに傘《かさ》を広げる人のように、わざと彼の観察を避《よ》ける準備をした。そうして故意に反対の方を見たり、あるいは向こうへ二、三歩あるきだしたりした。それがため、妙に遠慮深いところのできた敬太郎はなるべくむきだしに女の方を見るのを慎んでいた。がしまいにふと気が付いて、この女は不案内のために、自分の勝《かつ》手《て》で好《い》い加《か》減《げん》に極《き》めた停留所の前に来て、乗れもしない電車をいつまでも待っているのではなかろうかと思った。それなら親切に教えてやるべきだという勇気が急に起こったので、彼は逡《しゆん》巡《じゆん》する気《け》色《しき》もなく、真正面に女の方を向いた。すると女はふいと歩きだして、二、三間先の宝石商の窓《まど》際《ぎわ》まで行ったなり、あたかも敬太郎の存在を認めぬもののごとくに、そこで額を窓《まど》硝子《ガラス》に着けるように、中に並べた指《ゆび》環《わ》だの、帯《おび》留《どめ》だの枝《*えだ》珊《さん》瑚《ご》の置物だのを眺《なが》めはじめた。敬太郎は見ず知らずの他人に入らざる好意立てをして、かえって自分と自分の品位を落としたのを馬《ば》鹿《か》らしく感じた。
女の容《よう》貌《ぼう》ははじめからたいしたものではなかった。真《ま》向《む》きに見るとそれほどでもないが、横から眺めた鼻付は誰《だれ》の目にも少し低すぎた。その代り色が白くて、晴れ晴れしい心持ちのする眸《ひとみ》を有《も》っていた。宝石商の電燈は今硝子《ガラス》越しに彼《かの》女《おんな》の鼻と、ふっくらした頬《ほお》の一部分と額とを照らして、斜《はす》かけに立っている敬太郎の目に、光と陰とから成る一種妙な輪郭を与えた。彼はその輪郭と、長いコートに包まれた恰《かつ》好《こう》の可《い》い彼《かの》女《おんな》の姿とを胸に収めて、また電車の方に向かった。
二八
電車がまた二、三台来た。そうして二、三台ともまた敬太郎の失望を繰り返さして東へ去った。彼は成功を思い切った人のごとくに帯の下から時《と》計《けい》を出して眺《なが》めた。五時はもうとうに過ぎていた。彼はいまさら気が付いたように、頭の上に被《かぶ》さる黒い空を仰いで、苦々しく舌打ちをした。これほど骨《ほね》を折《お》って網を張った中へ掛からない鳥は、西の停留所から平気で逃げたんだと思うと、他《ひと》を騙《だま》すためにわざわざ拵《こしら》えた婆《ばあ》さんの予言も、大事そうに持って出た竹の洋杖《ステツキ》も、その洋杖が与えてくれた方角の暗示も、ことごとく忌《いま》々《いま》しさの種になった。彼は暗い夜を欺いて目先にちらちらする電燈の光を見回して、自分をその中心に見《み》出《いだ》した時、この明るい輝きも必《ひつ》竟《きよう》自分の見残した夢の影なんだろうと考えた。彼はそのくらい興を覚《さま》しながらまだそのくらい寐《ね》惚《ぼ》けた心持ちを失わずに立っていたが、やがて早く下宿へ帰って正気の人間に為《な》ろうという覚悟をした。洋杖は自分の馬鹿を嘲《あざけ》る記念《かたみ》だから、帰《かえ》り掛けに人の見ていないところで二つに折って、蛇の頭も鉄の輪の突きがねもめちゃめちゃに、万世橋から御茶の水へ放り込んでやろうと決心した。
彼はすでに動こうとして一歩足を移しかけた時、またさっきの若い女の存在に気が付いた。女はいつのまにか宝石商の窓を離れて、元のとおり彼から一間ばかりの所に立っていた。背《せい》が高いので、手足も人《ひと》尋常《なみ》より恰《かつ》好《こう》よく伸びたところを、彼は快くはじめから眺《なが》めたのだが、今度はことにその右の手が彼の心を惹《ひ》いた。女は自然のままにそれをすらりと垂《た》れたなり、まるで他《ひと》の注意を予期しないでいたのである。彼はすなおに調子の揃《そろ》った五本の指と、しなやかな革《かわ》で堅く括《くく》られた手《て》頸《くび》と、手頸と袖《そで》口《ぐち》の間からかすかに現われる肉の色を夜の光で認めた。風の少ない晩であったが、動かないで長く一所に立ち尽くすものに、寒さは辛《つら》く当たった。女はこころもち顋《あご》を襟《えり》巻《まき》の中に埋《うず》めて、俯《ふし》目《め》勝《が》にじっとしていた。敬太郎は自分の存在をわざと眼中に置かないようなこの目《め》遣《づか》いの底に、かえって自分が気に掛《か》かっているらしい反証を得たと信じた。彼がさっきから蚤《のみ》取《と》り眼《まなこ》で、黒の中折れ帽を被《かぶ》った紳士を探《さが》しているあいだ、この女は彼と同じ鋭い注意を集めて、観察の矢を絶えずこっちに射《い》懸《か》けていたのではなかろうか。彼はある男を探《たん》偵《てい》しつつ、またある女に探偵されつつ、一時間あまりをここに過ごしたのではなかろうか。けれどもどこの何物とも知れない男の、なにをするか分《わか》らない行動を、なんのために探るのだか、彼にはなんらの考えがなかったごとく、どこの何物とも知れない女からなにを仕出かすか分らない人としてなんのために自分が覘《ねら》われるのだか、そこへゆくとやはりまるで要領を得なかった。敬太郎はこっちで少し歩きだして見せたら向こうの様子がもっとも鮮明に分るだろうという気になって、そろりそろりと派出所の後ろを西の方へ動いていった。もちろん女に勘付かれないために、彼は振り向いて後ろを見る動作を固く憚《はばか》った。けれどもいつまでも前ばかり見て先へ行っては、肝《かん》心《じん》の目的を達する機会がないので、彼は十間ほど来たと思う時分に、わざと見たくもない硝子《ガラス》窓《まど》を覗《のぞ》いて、そこに飾ってある天鵞絨《びろうど》の襟《えり》の着いた女の子のマントを眺《なが》めるふうをしながら、そっと後ろを振り向いた。すると女は自分の背後にいるどころではなかった。延び上がってもいろいろな人が自分を追い越すようにあとからあとから来る陰になって、白い襟巻も長いコートもさらに彼の目に入《はい》らなかった。彼はそのまま前へ進む勇気があるかを自分で自分に疑《うたぐ》った。黒い中折れの帽子を被った人のことなら、定刻の五時を過ぎた今だから、断念してもそれほどの遺憾はないが、女のほうはどんなつまらない結果に終わろうとも、もう少し観察していたかった。彼は女から自分が探偵されているという疑念を逆に投げ返して、こっちから女の行動を今しばらく注意してみようという物《もの》数《ず》奇《き》を起こした。彼は落とし物を拾いに帰る人の急ぎ足で、また元の派出所近くに来た。そこの暗い陰に身を寄せるようにして窺《うかが》うと、女は依然としてじっと通りの方を向いて立っていた。敬太郎の戻《もど》ったことにはまるで気が付いていないふうに見えた。
二九
その時敬太郎の頭に、この女は処女だろうか細君だろうかという疑いが起こった。女は現代多数の日本婦人にあまねく行なわれる廂《ひさし》髪《がみ》に結《い》っているので、その辺の区別ははじめから不《ふ》分《ぶん》明《みよう》だったのである。が、いよいよ物陰に来て、なかば後ろになったその姿を眺《なが》めた時は、第一番にどっちの階級に属する人だろうという問題が、新たに彼を襲ってきた。
見《み》懸《か》けからいうとあるいは人に嫁《とつ》いだ経験がありそうにも思われる。しかし身体《からだ》の発育が尋常よりはるかに好《い》いからことによれば年は存外取っていないのかもしれない。それならなぜあんな地《じ》味《み》な服装《つくり》をしているのだろう。敬太郎は婦人の着る着物や色や縞《しま》柄《がら》について、なにをいう権利も有《も》たない男だが、若い女ならこの陰《いん》鬱《うつ》な師走《しわす》の空気を跳《は》ね返すように、派《は》手《で》な色を肉の上に重ねるものだぐらいの漠《*ばつ》とした観察はあったのである。彼はこの女が若々しい自分の血に高い熱を与える刺激性の文《あや》をどこにも見せていないのを不思議に思った。女の身に着けたもののうちで、わずかに人の注意を惹《ひ》くのは頸《くび》の周囲《まわり》を包む羽《は》二《ぶた》重《え》の襟《えり》巻《まき》だけであるが、それはただ清いという感じを起こす寒い色にすぎなかった。あとは冬枯れの空と似合った長いコートですぽりと隠していた。
敬太郎は年に合わしてあまりに媚《こ》びる気分を失いすぎたこの衣服《なり》を再び後ろから見て、どうしてもすでに男を知った結果だと判じた。そのうえこの女の態度にはどこか大人《おとな》びた落付きがあった。彼はその落付きを品性と教育からのみ来た所得とは見《み》做《な》し得なかった。家庭以外の空気に触れたため、初《うい》々《うい》しい羞恥《はにかみ》が、手帛《ハンケチ》に振り懸《か》けた香水の香《か》のようにしぜんと抜けてしまったのではなかろうかと疑った。そればかりではない、この女の落付きのなかには、落ち付かない筋肉の作用が、身体《からだ》全体の運動となったり、眉《まゆ》や口の運動となって、ちょいちょい出てくるのを彼はさっき目撃した。最も鋭敏に動くものはその目であろうと彼はとくに認めていた。けれどもその鋭敏に動こうとする目を、しいて動かすまいと力《つと》める女の態度もまた同時に認めないわけにいかなかった。だからこの女の落付きは、自分で自分の神経を殺しているという自覚に伴ったものだと彼は勘《*かん》定《てい》していた。
ところが今後ろから見た女は身体といい気分といい比較的沈静して両方の間に旨《うま》く調子が取れているように思われた。彼《かの》女《おんな》はさっきと違って、べつだん姿勢を改めるでもなく、そろそろ歩きだすでもなく、宝石商の窓へ寄り添うでもなく、寒さを凌《しの》ぎかねる風《ふ》情《ぜい》もなく、ほとんど閑雅とでも形容したい様子をして、一段高くなった人道の端《はし》に立っていた。傍《そば》には次の電車を待ち合わせる人が二、三散らばっていた。彼らは皆向こうから来る車台を見詰めて、早く自分の傍へ招き寄せたいふうに見えた。敬太郎が立ち退《の》いたので大いに安心したらしい彼《かの》女《おんな》は、そのうちで最も熱心になにかを待ち受ける一人となって、筋向こうの曲がり角《かど》をじっと注意しはじめた。敬太郎は派出所の陰を上《かみ》へ回って車道へ降りた。そうしてペンキ塗りの交番を楯《たて》に、巡査の立っている横から女の顔を覘《ねら》うように見た。そうしてその表情の変化にまた驚された。今まで後ろ姿を眺めて物陰にいた時は、彼《かの》女《おんな》を包む一色の目立たないコートと、その背《せい》の高さと、大きな廂髪とを材料に、想像の国でむしろ自由すぎる結論を弄《もてあそ》んだのだが、こうして彼《かの》女《おんな》の知らないまに、その顔を遠慮なく眺めて見ると、まったく新しい人にはじめて出《で》逢《あ》ったような気がしないわけにはいかなかった。要するに女はさっきよりたいへん若く見えたのである。せつに何物かを待ち受けているその目もその口も、ただ生々した一種華《はな》やかな気色に充《み》ちて、それよりほかの表情は毫《ごう》も見当たらなかった。敬太郎はそのうちに処女の無邪気ささえ認めた。
やがて女の見詰めている方角から一台の電車が弓なりに曲がった線路を、ぐるりと緩《ゆる》く回転して来た。それが女のいる前で滑《すべ》るように留まった時、中から二人《ふたり》の男が出た。一人《ひとり》は紙で包んだボール箱のようなものを提《さ》げて、すたすた巡査の前を通り越して人道へ飛び上がったが、一人は降りるとすぐに女の前に行って、そこに立ち留まった。
三〇
敬太郎は女の笑い顔をこの時はじめて見た。唇《くちびる》の薄い割に口の大きいのをその特徴の一つとして彼は最初から眺《なが》めていたが、美しい歯を露《む》き出《だ》しに現わして、潤沢《うるおい》の饒《ゆた》かな黒い大きな目を、上《うえ》下《した》の睫《まつげ》の触れ合うほど、ともに寄せた時は、この女から夢にも予期しなかった印象が新たに彼の頭に刻まれた。敬太郎は女の笑い顔に見《み》惚《と》れるというよりもむしろ驚いて相手の男に視線を移した。するとその男の頭の上に黒い中折れが乗っているのに気が付いた。外《がい》套《とう》ははっきり霜降りとは見分けられなかったが、帽子と同じ暗い光を敬太郎の眸《ひとみ》に投げた。そのうえ背《せい》は高かった。瘠せぎすでもあった。ただ年齢《とし》の点に至ると、敬太郎にはとかくの判断を下しかねた。けれどもその人の寿命の度《ど》盛《も》りの上において、自分とは遥《はる》か隔たった向こうにいることだけは慥《たし》かなので、彼はこの男を躊躇なく四十恰《がつ》好《こう》と認めた。これだけの特点を前後なくほとんど同時に胸に入れ得た時、彼は自分がさっきから馬鹿を尽くして付《つ》け覘《ねら》った本人がやっと電車を降りたのだと断定しないわけにいかなかった。彼は例刻の五時がとうの昔に過ぎたのに妙な酔興を起こして、やはり同じ所にぶら付いていた自分を仕合わせだと思った。その酔興を起こさせるため、自分の好奇心を釣《つ》りに若い女が偶然出てきてくれたのを有《あり》難《がた》く思った。さらにその若い女が自分の探《さが》す人を、自分よりも倍以上の自信と忍耐をもって、待ちおおせたのを幸運の一つに数えた。彼はこのX《エツクス》という男について、田口のために、ある知識を供給することができるとともに、同じ知識がY《ワイ》という女に関する自分の好奇心をいくぶんか満足させ得《う》るだろうと信じたからである。
男と女はまるで敬太郎の存在に気が付かなかったとみえて、前後左右に遠慮する気《け》色《しき》もなく、なお立ちながら話していた。女は始終微笑を洩《も》らすことを已《や》めなかった。男も時々声を出して笑った。二人《ふたり》がはじめて顔を合わした時の挨《あい》拶《さつ》の様子から見ても彼らは決して疎遠な間柄ではなかった。異性を繋《つな》ぎ合わせるようで、その実両方の仲を堰《せ》く、慇《いん》懃《ぎん》な男《なん》女《によ》間《かん》の礼儀は彼らのどちらにも見《み》出《いだ》すことができなかった。男は帽子の縁に手を掛ける面《めん》倒《どう》さえあえてしなかった。敬太郎はその鍔《つば》の下にあるべきはずの大きな黒子《ほくろ》を面と向かってぜひ突き留めたかった。もし女がいなかったならば肉の上に取り残されたこの異様な一点を確かめるために、彼はつかつかと男の前へ進んでいって、なんでも好《い》いから、ただ口からでまかせの質問を掛けたかもしれない。それでなくても、ただちに彼の傍《そば》へ近寄って、満足のゆくまでその顔を覗《のぞ》き込んだろう。この際そういう大胆な行動を妨げるものは、男の前に立っている例の女であった。女が敬太郎の態度を悪く疑《うたぐ》ったかどうかは問題として、彼の挙動に不審を抱《いだ》いた様子は、同じ場所に長く立ち並んだ彼の目に親しく映じたところである。それを承知しながら、再びその視線のうちに、自分の顔を無遠慮に突き出すのは、多少紳士的でないうえに、嫌《けん》疑《ぎ》の火の手をわざと強くして、自分の目的を自分で打《う》ち毀《こわ》すと同じ結果になる。
こう考えた敬太郎は、自然の順序として相応の機会が回《めぐ》って来るまでは、黒子のあるなしを見届けるだけは差し控えたほうが得策だろうと判断した。その代り見え隠れに二人のあとを跟《つ》けて、でき得《う》るならば断片的でも可《い》いから、彼らの談話を小耳に挟《はさ》もうと覚悟した。彼は先方の許諾を待たないで、彼らの言動を、ひそかにわが胸に畳《たた》み込むことの徳義的価値について、別に良心の相談を受ける必要を認めなかった。そうして自分の骨折りから出る結果は、世《せ》故《こ》に通じた田口によって必ず善意に利用されるものとただ淡泊に信じていた。
やがて男は女を誘《いざな》うふうをした。女は笑いながらそれを拒《こば》むように見えた。しまいに半ば向き合っていた二人が、肩と肩と揃《そろ》えて瀬戸物屋の軒《のき》端《ば》近く歩き寄った。そこから手を組み合わせないばかりに並んで東の方へ歩きだした。敬太郎は二、三間早足に進んで、すぐ彼らの背後まで来た。そうして自分の歩調を彼らと同じ速度に改めた。万一女に振り向かれても、疑惑を免れるために、彼は決して彼らの後ろ姿には目を注がなかった。偶然前後して天下の往来を同じ方角に行くもののごとくに、わざとあらぬ方《かた》を見て歩いた。
三一
「だってあんまりだわ。こんなに人を待たしておいて」
敬太郎の耳に入《はい》った第一の言葉は、女の口から出たこういう意味の句であったが、これに対する男の答えはまったく聞き取れなかった。それから五、六間行ったと思うころ、二人《ふたり》の足が急に今までの歩調を失って、並んだ影法師がほとんど敬太郎の前に立ち塞《ふさが》りそうにした。敬太郎のほうでも、後ろから向こうに突き当たらないかぎりは先へ通り抜けなければ跋《ばつ》が悪くなった。彼は二人の後《あと》戻《もど》りを恐れて、急に傍《そば》にあった菓子屋の店先へ寄り添うように自分を片付けた。そうしてそこに並んでいる大きな硝子《ガラス》壺《つぼ》の中のビスケットを見詰めるふうをしながら、二人の動くのを待った。男は外《がい》套《とう》の中へ手を入れるように見えたが、それが済むと少し身体《からだ》を横にして、下向きに右手で持ったものを店の灯《ひ》に映した。男の顔の下に光るものが金《きん》時《ど》計《けい》であることが、その時敬太郎に分《わか》った。
「まだ六時だよ。そんなに遅かあない」
「遅いわ貴方《あなた》、六時なら。妾《わたし》もう少しで帰《かい》るところよ」
「どうもお気の毒さま」
二人はまた歩きだした。敬太郎も壺《つぼ》入《い》りのビスケットを見《み》棄《す》ててそのあとに従った。二人は淡《あわ》路《じ》町《ちよう》まで来てそこから駿河《するが》台《だい》下《した》へ抜ける細い横町を曲がった。敬太郎も続いて曲がろうとすると、二人はその角《かど》にある西洋料理屋へ入った。その時彼はその門《かど》口《ぐち》から射《さ》す強い光を浴びた男の女の顔を横から一目見た。彼らが停留所を離れる時、二人連れ立ってどこへ行くだろうか、敬太郎にはまるで想像も付かなかったのだが、突然こんな家《うち》へ入られてみると、なんでもない所だけに、かえって案外の感に打たれざるを得なかった。それは宝《たから》亭《てい》といって、敬太郎の元から知っている料理屋で、古くから大学へ出入りをする家であった。近ごろ普請をしてから新しいペンキの色を半分電車通りに曝《さら》して、斜《はす》懸《かけ》に立ち切られたような棟《むね》を南向きに見せているのを、彼は通り掛かりに時々注意したことがある。彼はその薄青いペンキの光る内側で、額に仕立てたミュンヘン麦酒《ビール》の広告写真を仰ぎながら、肉刀《ナイフ》と肉叉《フオーク》を凄《すさま》じく闘《たたか》わした数《す》度《ど》の記憶さえ有《も》っていた。
二人の行く先については、これという明らかな希望も予期もなかったが、少しは紫がかった空気の匂《にお》う迷路《メーズ》の中に引き入れられるかもしれないくらいの感じが暗に働いてこれまであとを跟《つ》けてきた敬太郎には、馬鈴薯《じやがいも》や牛肉を揚げる油の臭《におい》が、台所からぷんぷん往来へ溢《あふ》れる西洋料理屋はあまりに平凡らしく見えた。けれども自分のとても近寄れない幽玄な所へ姿を隠して、それぎり出て来ないよりは、はるかに都《つ》合《ごう》が好《い》いと考え直した彼は、二人の身体が、誰《だれ》にでも近寄ることのできる、普通の洋食店のペンキの奥に囲われているのをむしろ心丈夫だと覚《さと》った。さいわい彼はこのくらいな程度の家で、冬空の外気に刺激された食欲を充《み》たすに足るほどの財《さい》布《ふ》を懐中していた。彼はすぐ二人のあとを追ってそこの二階へ上ろうとしたが、電燈の強く往来へ射す門口まで来た時、ふと気が付いた。すでに女から顔を覚えられた以上、ほとんど同時に一つ二階へ押し上がっては不味《まず》い。ひょっとするとこの人は自分を跟けてきたのだという疑惑をことさら先方に与える訳になる。
敬太郎は何気ない振りをして、往来へ射す光を横切ったまま、黒い小路を一丁ばかり先へ歩いた。そうしてその小路の尽きる坂下からまた黒い人となって、自分の影法師を自分の身体の中へ畳《たた》み込んだようにひっそりと明るい門口まで帰ってきた。それからその門《かど》を潜《くぐ》った。時々来たことがあるので、彼はこの家の勝手をほぼ承知していた。下には客を通す部《へ》屋《や》がなくって、二階と三階だけで用を弁じているが、よほど込み合わなければ三階へは案内しない。たいていは二階で済むのだから、上がって右の奥か、左の横にある広間を覗《のぞ》けば、たいてい二人の席が見えるに違いない。もしそこにいなかったら表の方の細長い室《へや》まで開《あ》けてやろうぐらいの考えで、階段《はしごだん》を上り掛けると、白服の給仕《ボーイ》が彼を案内すべく上がり口に立っているのに気が付いた。
三二
敬太郎は手に持った洋杖《ステツキ》をそのままに段々を上り切ったので、給仕《ボーイ》は彼の席を定めるまえに、まずその洋杖を受け取った。同時にこちらへと言いながら背中を向けて、右手の広間へ彼を案内した。彼は給仕のあとから自分の洋杖がどこに落ち付くかを一目見届けた。するとそこにさっき注意した黒の中折れ帽が掛かっていた。霜降りらしい外《がい》套《とう》も、女の着ていた色合いのコートも釣《つ》るしてあった。給仕がその裾《すそ》を動かして、竹の洋杖を突っ込んだ時、大きな模様を抜いた羽《は》二《ぶた》重《え》の裏が敬太郎の目にちらついた。彼は蛇《へび》の頭がコートの裏に隠れるのを待って、さらにその持ち主の方に目を転じた。さいわいに女は男と向き合って、入り口の方に背中ばかりを見せていた。新しい客の来た物音に、振り返りたい気があっても、ぐるりと回るのが、いったん席に落ち付いた品位を崩《くず》す恐れがあるので、必要のないかぎり、普通の婦人はそういう動作を避けたがるだろうと考えた敬太郎は、女の後ろ姿を眺《なが》めながら、ひとまず安《あん》堵《ど》の思いをした。女は彼の推察どおりはたして後ろを向かなかった。彼はそのまに女の坐《すわ》っているすぐ傍《そば》まで行って背中合わせに第二列の食卓に就《つ》こうとした。その時男は顔を上げて、まだ腰も掛けず向きも改めない敬太郎を見た。彼の食卓の上には支《しな》那めいた鉢《はち》に植えた松と梅の盆栽が飾り付けてあった。彼の前にはスープの皿《さら》があった。彼はその中に大きな匙《さじ》を落としたなり敬太郎と顔を見合わせたのである。二人の間に横たわる六尺に足らない距離は明らかな電燈が隈《くま》なく照らしていた。卓上に掛けた白い布がまたこの明るさを助けるように、潔《いさぎよ》い光を四方の食卓《テーブル》から反射していた。敬太郎はこういう都《つ》合《ごう》のいい条件の具備した室《へや》で、男の顔を満足するまで見た。そうしてその顔の眉《まゆ》と眉の間に、田口の通知のあったとおり、大きな黒子《ほくろ》を認めた。
この黒子を別にして、男の容《よう》貌《ぼう》にこれといった特異な点はなかった。目も鼻も口もまったく人並みであった。けれども離れ離れに見ると凡庸な道具が揃《そろ》って、面長な顔にそれぞれの位地を占めた時、彼は尋常以上に品格のある紳士としか誰《だれ》の目にも映らなかった。敬太郎と顔を合わせた時、スープの中に匙を入れたまま、啜《すす》る手をしばらく已《や》めた態度などは、どこかにむしろ気高いふうを帯びていた。敬太郎はそれなり背中を彼の方に向けて自分の席に着いたが、探《たん》偵《てい》という文字に普通付着している意味を心のうちで考えだして、この男の風《ふう》采《さい》態度と探偵とはとても釣《つ》り合《あ》わない性質のものだという気がした。敬太郎から見ると、この人は探偵してしかるべき何物をも彼の人相の上に有《も》っていなかったのである。彼の顔の表に並んでいる目鼻口のいずれを取っても、その奥に秘密を隠そうとするには、あまりにできが尋常すぎたのである。彼は自分の席へ着いた時、田口から引き受けたこの宵《よい》の仕事に対する自分の興味が、すでに三分の一ばかり蒸発したような失望を感じた。第一こんな性質《たち》の仕事を田口から引き受けた徳義上の可否さえ疑わしくなった。
彼は自分の注文を通したなり、ポカンとして麺麭《パン》に手も触れずにいた。男と女は彼らの傍《そば》に坐《すわ》った新しい客にいくぶんか遠慮の気《き》味《み》で、ちょっとの間話を途《と》切《ぎ》らした。けれども敬太郎の前に暖められた白い皿が現われるころから、また少し調子づいたとみえて、二人の声が互い違いに敬太郎の耳に入《い》った。
「今夜は不可《いけ》ないよ、少し用があるから」
「どんな用?」
「どんな用って、大事な用さ。なかなかそう安くは話せない用だ」
「あら好《よ》くってよ。妾《わたし》ちゃんと知ってるわ。――さんざっぱら他《ひと》を待たしたくせに」
女は少し拗《す》ねたようなものの言い方をした。男は四辺《あたり》に遠慮するふうで、低く笑った。二人の会話はそれぎり静かになった。やがて思い出したように男の声がした。
「なにしろ今夜は少し遅《おそ》いから止《よ》そうよ」
「ちっとも遅かないわ。電車に乗っていきゃあじきじゃありませんか」
女が勧めていることも男が躊《ちゆう》躇《ちよ》していることも敬太郎にはよく解《わか》った。けれども彼らがどこへ行くつもりなのだか、その肝《かん》心《じん》な目的地になると、彼にはなんらの観念もなかった。
三三
もう少し聞いているうちにはあるいは中《あた》りが付くかもしれないと思って、敬太郎は自分の前に残された皿《さら》の上の肉刀《ナイフ》と、その傍《そば》に転《ころが》った赤い仁《にん》参《じん》の一切を眺《なが》めていた。女はなお男を強《し》いることを已《や》めない様子であった。男はそのたびになんとかかとかいって逃《のが》れていた。しかし相手を怒《おこ》らせまいとする優しい態度はいつも変わらなかった。敬太郎の前に新しい肉と青《あお》豌《えん》豆《どう》が運ばれる時分には、女もとうとう我《が》を折りはじめた。敬太郎は心のうちで、女がどこまでも剛情を張るか、でなければ男が好《い》い加減に降参するか、どっちかになれば可《い》いがと、ひそかに祈っていたのだから、思ったほど女の強くないのを発見した時は少なからず残念な気がした。せめて二人の間に名を出す必要のないものとして略されつつあった目的地だけでも、なにかの機会《はずみ》に小耳に挟《はさ》んでおきたかったが、いよいよ話が纏《まとま》らないとなると、男《なん》女《によ》の問答はしぜんほかへ移らなければならないので、当分その望みも絶えてしまった。
「じゃ行かなくっても可《い》いから、あれを頂《ちよう》戴《だい》」と、やがて女が言いだした。
「あれって。ただあれじゃ分《わか》らない」
「ほらあれよ。こないだの。ね、分ったでしょう」
「ちっとも分らない」
「失敬ね。貴方《あなた》は。ちゃんと分ってるくせに」
敬太郎はちょっと振り向いて後ろが見たくなった。その時階段《はしごだん》を踏む大きな音が聞こえて、三人ばかりの客がどやどやと一度に上がってきた。そのうちの一人はカーキー色の服に長《なが》靴《ぐつ》を穿《は》いた軍人であった。そうして床の上を歩く音とともに、腰に釣《つ》るした剣をがちゃがちゃ鳴らした。三人は上がって左側の室《へや》へ案内された。この物音が例の男と女の会話を攪《か》き乱したため、敬太郎の好奇心もちらつく剣の光が落ち付くまで中途に停止していた。
「このあいだ見せていただいたものよ。分って」
男は分ったとも分らないとも言わなかった。敬太郎にはむろん想像さえ付かなかった。彼は女がなぜ淡泊に自分の欲《ほ》しいというものの名をはっきり言ってくれないかを恨んだ。彼はなんとはなしにそれが知りたかったのである。すると、
「あんなもの今ここに持ってるもんかね」と男が言った。
「誰《だれ》もここに持ってるって言やしないわ。ただ頂戴っていうのよ。今《こん》度《だ》で可いから」
「そんなに欲しけりゃ遣《や》っても可い。が……」
「あッ嬉《うれ》しい」
敬太郎はまた振り返って女の顔が見たくなった。男の顔もついでに見ておきたかった。けれども女と一直線になって、背中合わせに坐《すわ》っている自分の位置を考えると、この際そんな盲動は慎まなければならないので、目の遣り所に困るというふうで、ただ正面をぽかんと見回した。すると勝手の上がり口から、給仕《ボーイ》が白い皿を二つ持って入《はい》ってきて、それを古いのと引《ひ》き更《か》えに、二人の前へ置いていった。
「小鳥だよ。食べないか」と男が言った。
「妾《あたし》もうたくさん」
女は焼いた小鳥に手を触れない様子であった。その代り暇のできた口を男よりよけいに動かした。二人の問答から察すると、女の男の呉《く》れと逼《せま》ったのは珊《さん》瑚《ご》樹《じゆ》の珠《たま》かなにからしい。男はこういうことに精通しているという口調で、いろいろな説明を女に与えていた。が、それは敬太郎には興味もなければ、解《わか》りもしない好《こう》事《ず》家《か》の嬉しがる知識にすぎなかった。練り物で作ったのへ指先の紋を押し付けたりして、時々旨《うま》く胡《ご》魔《ま》化《か》した贋《がん》物《ぶつ》があるが、それは手《て》障《ざわ》りがどこかざらざらするから、ほんとうの古《こ》渡《わた》りとはすぐ区別できるなどと丁寧に女に教えていた。敬太郎は前後《あとさき》を綜合《すべあ》わして、なんでもよほど貴《たつと》い、またたいへん珍しい、今時そう容易《たやす》くは手に入らない時代の付いた珠《たま》を、女が男から貰《もら》う約束をしたということが解った。
「遣るには遣るが、お前あんなものを貰ってなんにする気だい」
「貴方。あんな物を持ってて、男のくせに」
三四
しばらくして男は「お前お菓子を食べるかい、果《くだ》物《もの》にするかい」と女に聞いた。女は「どっちでも好《い》いわ」と答えた。彼らの食事がようやく終わりに近付いた合図とも見られるこの簡単な問答が、今までうっかりと二人の話に釣《つ》り込まれていた敬太郎に、たちまち自分の義務を注意するように響いた。彼はこの料理屋を出たあとの二人の行動をも観察する必要があるものとして、自分で自分の役割を作っていたのである。彼は二人と同時に二階を下《お》りることの不得策を初めから承知していた。後《おく》れて席を立つにしても、巻《まき》烟草《たばこ》を一本吸わないさきに、夜と人と、雑《ざつ》沓《とう》と暗《くら》闇《やみ》のなかに、彼らの姿を見失うのは慥《たし》かであった。もし間違いなく彼らの影を踏んで、あとから喰っ付いて行こうとするなら、どうしても一足先へ出て、相手に気の付かない物陰かなにかで、待ち合わせるよりほかに仕方がないと考えた。敬太郎は早く勘定を済ましておくに若《し》くはないという気になって、さっそく給仕《ボーイ》を呼んでビ《*》ルを請求した。
男と女はまだ落ち付いて話していた。しかし二人の間になにという極《きま》った題目も起こらないので、それを種に意見や感情の交換《とりやり》も始まる機会《おり》はなく、ただだらしのない雲のようにそれからそれへと流れていくだけにすぎなかった。男の特徴に教えられた眉《まゆ》と眉の間の黒子《ほくろ》なども偶然女の口に上った。
「なぜそんなところに黒子なんぞができたんでしょう」
「なにも近ごろになって急にできやしまいし、生まれた時からあるんだ」
「だけどさ。見っともなかなくって、そんな所《とこ》にあって」
「いくら見っともなくっても仕方がないよ。生まれ付きだから」
「早く大学へ行って取ってもらうと可《い》いわ」
敬太郎はこの時指洗椀《フインガーボール》の水に自分の顔を映るほど下を向いて、両手で自分の米《こめ》噛《かみ》を隠すように抑《おさ》えながら、くすくすと笑った。ところへ給仕《ボーイ》が釣り銭《せん》を盆に乗せて持ってきた。敬太郎はそっと立って目立たないように階段《はしごだん》の上がり口まで大人《おとな》しく足を運ぶと、そこに立っていた給仕が大きな声で、「お立あち」と下へ知らせた。同時に敬太郎はさっき給仕に預けた洋杖《ステツキ》を取ってくるのを忘れたことに気が付いた。その洋杖はいまだに室《へや》の隅《すみ》に置いてある帽子掛けの下に突き込まれたまま、女の長いコートの裾《すそ》に隠されたいた。敬太郎は室の中にいる男《なん》女《によ》を憚《はばか》るように、抜き足で後《あと》戻《もど》りをして、静かにそれを取り出した。彼が蛇《へび》の頭を握った時、すべすべした羽《は》二《ぶた》重《え》の裏と、柔らかい外《がい》套《とう》の裏が、優しく手の甲に触れるのを彼は感じた。彼はまた爪《つま》先《さき》で歩かないばかりに気を付けて階段の上まで来ると、そこから急に調子を変えて、とん、とん、とんと刻み足に下へ駆《か》け下《お》りた。表へ出るやいなや電車通りをすぐ向こうへ横切った。その突き当たりに、大きな古着屋のような洋服屋のような店があるので、彼はその店の電燈の光を後ろにして立った。こうしてさえいれば料理店から出る二人が大通りを右へ曲がろうが、左へ折れようが、または中《なか》川《がわ》の角《かど》に添って連《れん》雀《じやく》町《ちよう》の方へ抜けようが、あるいは門《かど》からすぐ小路伝いに駿河台へ向かおうが、どっちへ行こうと見《み》逃《のが》す気《き》遣《づか》いはないと彼は心丈夫に洋杖を突いて、目《め》指《ざ》す家の門口を見守っていた。
彼は約十分ばかり待ったあとで、注意の焼《*しよう》点《てん》になる光のうちに、いっこう人影が射《さ》さないのを不審に思いはじめた。已《やむ》を得ず二階を眺《なが》めてその窓だけ明るくなった奥を覗《のぞ》くように、彼らの早く席を立つことを祈った。そうして待ち草臥《くたび》れた目を移すごとに、屋根の上に広がる黒い空を仰いだ。今まで地面の上を照らしている人間の光ばかりに欺かれて、まるでその存在を忘れていたこの大きな夜は、暗い頭の上で、さっきから寒そうな雨を醸《かも》していたらしく、敬太郎の心を侘《わ》びしがらせた。ふと考えると、今までは自分に遠慮してただの話をしていた二人が、自分の立ったのをさいわいに、自分の役目としてぜひ聞いておかなければならないような肝《かん》心《じん》の相談でもしはじめたのではなかろうか。彼はこの疑惑とともに黒い空を仰ぎながら、そのうちに二人の向き合った姿をありありと認めた。
三五
彼はあまり注意深く立ち回って、かえって洋食店の門を早く出すぎたのを悔やんだ。けれども二人が彼に気《き》兼《が》ねをする以上は、たとい同じ席にいつまでも根が生《は》えたように腰を据《す》えていたところで、やっぱり普通の世間話よりほかに聞くわけにはゆかないのだから、よし今まで坐《すわ》ったまま動かないものと仮定しても、その結果は早く席を立ったとほぼ同じことになるのだと思うと、彼は寒いのを我慢しても、同じ所に見張っているより仕方なかった。すると帽子の廂《ひさし》へ雨が二《ふた》雫《しずく》ほど落ちたような気がするので、彼はまた仰《あお》向《む》いて黒い空を眺《なが》めた。闇《やみ》よりほかになにも目を遮《さえぎ》らない頭の上は、彼の立っている電車通りと違って非常に静かであった。彼は頬《ほお》の上に一滴の雨を待ち受けるつもりで、久しく顔を上げたなり、恰《かつ》好《こう》さえ分《わか》らない大きな暗いものを見詰めているあいだに、今にも降りだすだろうという掛《け》念《ねん》をどこかへ失って、こんな落ち付いた空の下にいる自分が、なぜこんな落ち付かない真《ま》似《ね》を好んで遣《や》るのだろうと偶然考えた。同時にすべての責任が自分の今突いている竹の洋杖《ステツキ》にあるような気がした。彼は例のごとく蛇《へび》の頭を握って、寒さに対する鬱《うつ》憤《ぷん》を晴らすごとくに、二、三度それを烈《はげ》しく振った。その時待ち侘《わ》びた人の影法師が揃《そろ》って洋食店の門口を出た。敬太郎はなによりさきに女の細長い頸《くび》を包む白い襟《えり》巻《まき》に目を付けた。二人はすぐと大通りへ出て、敬太郎の向こう側を、さっきとは反対の方角に、元来た道へ引き返しに掛かった。敬太郎も猶予なく向こうへ渡った。彼らは緩《ゆる》い歩調で、賑《にぎ》やかに飾った店先を軒ごとに覗《のぞ》くように足を運ばした。あとから跟《つ》いて行く敬太郎はぜひとも二人に釣《つ》り合った歩き方をしなければならないので、その遅《おそ》すぎるのがだいぶ苦になった。男は香《か》の高い葉巻を銜《くわ》えて、行く行く夜のなかへ微《かす》かな色を立てる烟《けむり》を吐いた。それが風の具合であとから従う敬太郎の鼻を時々快よく浸した。彼はその香《にお》いを嗅《か》ぎ嗅ぎ鈍《のろ》い足並みを我慢して実直にその跡を踏んだ。男は背《せい》が高いので後ろから見ると、ちょっと西洋人のように思われた。それには彼の吹かしている強い葉巻が多少錯覚を助けた。すると連想がたちまち伴侶《つれ》のほうに移って、女が旦《だん》那《な》から買ってもらった革の手袋を穿《は》めている洋妾《*らしやめん》のように思われた。敬太郎がふとこういう空想を起こして、可笑《おか》しいと思いながらも、なお一人で興を催していると、二人は最前待ち合わした停留所の前まで来てちょっと立ち留まったが、やがてまた線路を横切って向こう側へ越した。敬太郎も二人のするとおりを真《ま》似《ね》た。すると二人はまた美土代町の角《かど》をこちらから反対の側へ渡った。敬太郎もつづいて同じ側へ渡った。二人はまた歩きだして南へ動いた。角から半町ばかり来ると、そこにも赤く塗った鉄の柱が一本立っていた。二人はその柱の傍《そば》へ寄って立った。彼らはまた三田線を利用して南へ、帰るか、行くか、する人だとこの時はじめて気が付いた敬太郎は、自分もぜひ同じ電車へ乗らなければなるまいと覚悟した。彼らは申し合わせたように敬太郎のほうを顧みた。もとより彼のいる方から電車が横町を曲がってくるからではあるが、それにしても敬太郎はあまり好《い》い心持ちはしなかった。彼は帽子の鍔《つば》を引っ繰り返して、ぐっと下へ卸《おろ》してみたり、手で顔を撫《な》でてみたり、なるべく軒下へ身を寄せてみたり、わざと変な見当を眺《なが》めてみたりして、電車の現われるのをつらく待ち侘《わ》びた。
まもなく一台来た。敬太郎はわざと二人の乗ったあとからはいって、嫌《けん》疑《ぎ》を避けようと工夫した。それでしばらく後ろの方にぐずぐずしていると、女は例の長いコートの裾《すそ》を踏まえないばかりに引き摺《ず》って車掌台の上に足を移した。しかしあとからすぐ続くと思った男は、案外上がる気《け》色《しき》もなく、足を揃《そろ》えたまま、両手を外《がい》套《とう》の隠袋《かくし》に突き差して立っていた。敬太郎は女を見送りに男がわざわざここまで足を運んだということにようやく気が付いた。実をいうと、彼は男よりも女のほうによけい興味を持っていたのである。男と女がここで分《わか》れるとすれば、むろん男を捨てて女の先《せん》途《ど》だけを見届けたかった。けれども自分が田口から依託されたのは女と関係のない黒い中折れ帽を被《かぶ》った男の行動だけなので、彼は我慢して車台に飛び上がるのを差し控えた。
三六
女は車台に乗った時、ちょっと男に目礼したが、それぎり中へはいってしまった。冬の夜《よ》のことだから、窓《まど》硝子《ガラス》はことごとく締め切ってあった。女はことさらにそれを開《あ》けて内から首を出すほどの愛《あい》嬌《きよう》も見せなかった。それでも男はのっそり立って、車の動くのを待っていた。車は動きだした。二人の間に挨《あい》拶《さつ》の交換《やりとり》がもう必要でないと認めたごとく、電力は急いで光る窓を南の方《かた》へ運び去った。男はこの時口に銜《くわ》えた葉巻を土の上に投げた。それから足の向きを変えてまた三《み》ツ角《かど》の交差点まで出ると、今度は左へ折れて唐《とう》物《ぶつ》屋《や》の前で留まった。そこは敬太郎が人に突き当たられて、竹の洋杖《ステツキ》を取り落とした記憶の新しい停留所であった。彼は男のあとを見え隠れにここまで跟《つ》いてきて、また見たくもない唐物屋の店先に飾ってある新柄の襟飾《ネクタイ》だの、絹帽《シルクハツト》だの、変《か》わり縞《じま》の膝《ひざ》掛《か》けだのを覗《のぞ》き込みながら、こう遠慮をするようでは、探《たん》偵《てい》の興も覚《さ》めるだけだと考えた。女がすでに離れた以上、自分の仕事に飽きが来たといっては済まないが、前同様であるべき窮屈の程度が急に著しく感ぜられてならなかった。彼の依頼されたのは中折れの男が小川町で降りてから二時間内の行動に限られているのだから、もうこれで偵《てい》察《さつ》の役目は済んだものとして、下宿へ帰って寐《ね》ようかとも思った。
そこへ男の待っている電車が来たとみえて、彼は長い手で鉄の棒を握るやいなや瘠《や》せた身体《からだ》を体《てい》よく留まり切らない車台の上に乗せた。今まで躊《ちゆう》躇《ちよ》していた敬太郎は急にこの瞬間を失ってはという気が出たので、すぐ同じ車台に飛び上がった。車内はそれほど込みあっていなかったので、乗《じよう》客《かく》は自由に互いの顔を見合う余裕を十分持っていた。敬太郎は箱の中に身体を入れると同時に、すでに席を占めた五、六人から一度に視線を集められた。そのうちには今坐《すわ》ったばかりの中折れの男も交じっていたが、彼の敬太郎を見た目のうちには、おやという認識はあったが、付《つ》け覘《ねら》われているなという疑惑はさらに現われていなかった。敬太郎はようやく伸び伸びした心持ちになって、男と同じ側を択《よ》って腰を掛けた。この電車でどこへ連れて行かれることかと思って軒先を見ると、江戸川行と黒く書いてあった。彼は男が乗り換えさえすれば、自分もさっそく降りるつもりで、停留所へ来るごとに男の様子を窺《うかが》った。男は始終隠袋《かくし》へ手を突き込んだまま、多くは自分の正面かわが膝《ひざ》の上かを見ていた。その様子を形容すると、なんにも考えずになにかを考え込んでいるというふうであった。ところが九段下へ掛かったころから、長い首を時々伸ばして、あるものを確かめたいように、窓の外を覗《のぞ》きだした。敬太郎もつい釣《つ》り込まれて、見《み》悪《にく》い外を透かすように眺《なが》めた。やがて電車の走る響きのなかに、窓《まど》硝子《ガラス》にあたって摧《くだ》ける雨の音が、ぽつりぽつりと耳元でしはじめた。彼は携えている竹の洋杖《ステツキ》を眺めて、この代りに雨《あま》傘《がさ》を持ってくれば可《よ》かったと思いだした。
彼は洋食店以後、中折れを被《かぶ》った男の人柄と、世の中にまるで疑いを掛けていないその目付とを注意した結果、この時ふと、こんな窮屈な思いをして、入らざる材料を集めるよりも、いっそ露骨《むきだし》にこっちから話し掛けて、当人の許諾を得た事実だけを田口に報告したほうが、いまさら遅《おそ》蒔《ま》きのようでも、まだ気が利《き》いていやしないかと考えて、自分で自分を彼に紹介する便《べん》法《ぽう》を工夫しはじめた。そのうち電車はとうとう終点まで来た。雨はますます烈《はげ》しくなったとみえて、車が留まるとざあという音が急に彼の耳を襲った。中折れの男は困ったなと言いながら、外《がい》套《とう》の襟《えり》を立てて洋袴《ズボン》の裾《すそ》を返した。敬太郎は洋杖を突きながら立ち上がった。男は雨のなかへ出ると、すぐ寄って来る俥《くるま》引《ひ》きを捕《つらま》えた。敬太郎も後《おく》れないように一台雇った。車夫は梶《かじ》棒《ぼう》を上げながら、どちらへと聞いた。敬太郎はあの車のあとに付いて行けと命じた。車夫はへいと言ってむやみに馳《か》けだした。一筋道の矢来の交番の下まで来ると、車夫はまた梶棒を留めて、旦《だん》那《な》どっちへ行くんですと聞いた。男の乗った車はいくら幌《ほろ》の内から延び上がっても影さえ見えなかった。敬太郎は車上に洋杖を突っ張ったまま、雨の音のするなかで方角に迷った。
報 告
一
目が覚《さ》めると、自分の住み慣れた六畳に、いつものとおり寐《ね》ている自分が、敬太郎にはまったく変に思われた。昨日《きのう》の出来事はすべてほんとうのようでもあった。また纏《まとま》りのない夢のようでもあった。もっと綿密に形容すれば、「ほんとうの夢」のようでもあった。酔った気分で町の中に活動したという記憶も伴っていた、それよりか、酔った気分が世の中に充《み》ちていたという感じがいちばん強かった。停留所も電車も酔った気分に充ちていた。宝石商も、革《かわ》屋《や》も、赤と青の旗振りも、同じ空気に酔っていた。薄青いペンキ塗りの洋食店の二階も、そこに席を占めた眉《まゆ》の間に黒子《ほくろ》のある紳士も、色の白い女も、ことごとくこの空気に包まれていた。二人の話に出てくる、どこにあるか分《わか》らない所の名も、男が女に遣《や》る約束をした珊《さん》瑚《ご》の珠《たま》も、みんな陶然とした一種の気分を帯びていた。最もこの気分に充ちて活躍したものは竹の洋杖《ステツキ》であった。彼がその洋杖を突いたまま、幌《ほろ》を打つ雨の下で、方角に迷った時の心持ちは、この気分の高潮に達した幕前の一区切りとして、ほとんど狐《きつね》から取り憑《つ》かれた人の感じを彼に与えた。彼はその時店の灯《ひ》で侘《わび》しく照らされたびしょ濡《ぬ》れの往来と、坂の上に小さく見える交番と、その左手にぼんやり黒くうつる木立とを見回して、はたしてこれが今日《きよう》の仕事の結末かと疑《うたが》った。彼は已《やむ》を得ず車夫に梶《かじ》棒《ぼう》を向け直させて、思いも寄らない本郷へ行けと命じたことを記憶していた。
彼は寐ながら天井を眺《なが》めて、自分に最も新しい昨日の世界を、幾順となく目の前に循環させた。彼は二日《ふつか》酔《よ》いの目と頭をもって、蚕の糸を吐くようにそれからそれへと出てくるこの記念《かたみ》の画《え》を飽かずに見詰めていたが、しまいには目先に漂うふわふわした夢の蒼蠅《うるさ》さに堪えなくなった。それでもあとからあとからと向こうでひとりがってに現われてくるので、彼は正気でありながら、なにかに魅入られたのではなかろうかという疑いさえ起こした。彼はこの浅い疑いに関連して、例の洋杖を胸に思い浮かべざるを得なかった。昨日の男も女も彼の目には絵を見るほど明らかであった。容《よう》貌《ぼう》はもとより服装《なり》から歩き付きに至るまでことごとく記憶の鏡にはっきりと映った。それでいて二人とも遠くの国にいるような心持ちがした。遠くの国にいながら、つい近くにあるものを見るように、鮮《あざ》やかな色と形を備えて眸《ひとみ》を侵してきた。この不思議な影響が洋杖から出たのかもしれないという神経を敬太郎はどこかに持っていた。彼は昨夕《ゆうべ》法外な車賃を貪《むさぼ》られて、宿の門口を潜《くぐ》った時、何心なくその洋杖を持ったまま自分の室《へや》まで帰ってきて、これは人の目に触れるところに置くべきものでないという顔をして、寐るまえに、戸《と》棚《だな》の奥の行《こう》李《り》の後ろへ投げ込んでしまったのである。
今朝《けさ》は蛇《へび》の頭にそれほどの意味がないようにも思われた。ことにこれから田口に逢《あ》って、探《たん》偵《てい》の結果を報《ほう》告《こく》しなければならないという実際問題のほうが頭に浮いてくると、なおさらそういう感じが深くなった。彼は一日の午後から宵《よい》へ掛けて、妙に一種の空気に酔わされた気分で活動した自覚はたしかにあるが、いざその活動の結果を、普通の人間が処世上に利用できるように、筋の立った報告に纏《まと》める段になると、自分の引き受けた仕事は成効しているのか失敗しているのかほとんど分《わか》らなかった。したがって洋杖のお蔭《かげ》を蒙《こうむ》っているのか、いないのかも判然しなかった。床の中で前後を繰り返した敬太郎には、まさしくそのお蔭を蒙っているらしくも見えた。また決してそのお蔭を蒙っていないようにも思われた。
彼はともかく二日酔いの魔を払い落としてからのことだと決心して、急に夜《よ》着《ぎ》を剥《は》ぐって跳《は》ね起きた。それから洗面所へ下《お》りて氷《こお》るほど冷たい水で頭をざあざあ洗った。これで昨日の夢を髪の毛の根本から振い落として、普通の人間に立ち還《かえ》ったような気になれたので、彼は景気よく三階の室《へや》に上った。そこの窓を潔く明け放した彼は、東向きに直立して、上野の森の上から高く射《さ》す太陽の光を全身に浴びながら、十遍ばかり深呼吸をした。こう精神作用を人間並みに刺激したあとで、彼は一服しながら、田口へ報告すべき事柄の順序や条項についてつとめて実際的に思慮を回《めぐ》らした。
二
突き留めてみると、田口の役に立ちそうな種はまるで上がっていないようにも思われるので、敬太郎は少し心細くなってきた。けれども先方では今朝《けさ》にも彼の報告を待ち受けているように気が急《せ》くので、彼はさっそく田口家へ電話を掛けた。これからすぐ行って可《い》いかと聞くと、だいぶ待たしたあとで、差《さし》支《つか》えないという答えが、例の書生の口を通して来たので、彼は猶予なく内幸町へ出掛けた。
田口の門前には車が二台待っていた。玄関にも靴《くつ》と下《げ》駄《た》が一足ずつあった。彼はこのあいだと違って日本間のほうへ案内された。そこは十畳ほどの広い座敷で、長い床に大きな懸《かけ》物《もの》が二幅掛かっていた。湯《ゆ》呑《のみ》のような深い茶《ちや》碗《わん》に、書生が番茶を一杯汲《く》んで出した。桐《きり》を刳《く》った手《て》焙《あぶり》も同じ書生の手で運ばれた。柔らかい座《ざ》蒲《ぶ》団《とん》も同じ男が勧めてくれただけで、女はいっさい出てこなかった。敬太郎は広い室《へや》の真《まん》中《なか》に畏《かしこま》って、主人の足音の近付くのを窮屈に待った。ところがその主人は用談が果てないとみえて、いつまで待ってもなかなか現われなかった。敬太郎は已《やむ》を得ず茶色になった古そうな懸物の価額《ねだん》を想像したり、手焙の縁を撫《な》で回したり、あるいは袴《はかま》の膝《ひざ》へきちりと両手を乗せて一人改まってみたりした。すべて自分の周囲《まわり》があまり綺《き》麗《れい》に調《ととの》っているだけに、居《い》心地《ごこち》が新しすぎて彼は容易に落ち付けなかったのである。しまいに違《ちが》い棚《だな》の上にある画《が》帖《じよう》らしい物を取り卸《お》ろして覧《み》ようかと思ったが、その立《りつ》派《ぱ》な表紙が、これは装飾だから触れちゃ不可《いけ》ないと断わるように光るので、彼はついに手を出しかねた。
こう敬太郎の神経を悩ました主人は、彼をやや小一時間も待たしたあとで、ようやく応接間から出てきた。
「どうも長いあいだお待たせ申して。――客がなかなか帰らないものだから」
敬太郎はこの言い訳に対して適当と思うような挨《あい》拶《さつ》を一口と、それに添えた丁寧なお辞儀を一つした。それからすぐ昨日《きのう》のことを言いだそうとしたが、なにをどう先に述べたら都合が可《い》いか、この場に臨んで急にまた迷いはじめたうちに、切り出す機を逸してしまった。主人はまた冒頭からさも忙しそうに声も身体《からだ》も取り扱っているくせに、どこか腹の中に余裕の貯蔵庫でもあるように、決して周章《あわて》て探《たん》偵《てい》の結果を聞きたがらなかった。本郷では氷が張るとか、三階では風が強く当たるだろうとか、下宿にも電話があるのかとか、調子はしごく面《おも》白《しろ》そうだけれども、その実詰《つま》らないことばかり話の種にした。敬太郎は向こうの問いに従って主人の満足する程度にわが答えを運んでいたが、相手はこんな無意味な話を進めてゆくうちに、暗に彼の様子を注意しているらしかった。そこまでは彼もぼんやり気が付いた。しかし主人がなぜそんな注意を自分に払うのか、その訳はまるで解《わか》らなかった。すると、
「どうです昨日《きのう》は。旨《うま》くゆきましたか」と主人が突然聞きだした。こう聞かれるだろうぐらいの腹ははじめから敬太郎にもあったのだが、正直に答えれば、「どうですか」という他《ひと》を馬《ば》鹿《か》にした生返事になるので、彼はちょっと口《くち》籠《ごも》ったあと、
「そうですお通知のあった人だけはやっと探《さが》し当《あ》てました」と答えた。
「眉《み》間《けん》に黒子《ほくろ》がありましたか」
敬太郎は少し隆起した黒い肉の一点を局部に認めたと答えた。
「衣服《なり》もこっちから言って上げたとおりでしたか。黒の中折れに霜降りの外《がい》套《とう》を着て」
「そうです」
「それじゃたいてい間違いはないでしょう。四時と五時のあいだに小川町で降りたんですね」
「時間は少し後《おく》れたようです」
「何分ぐらい」
「何分か知りませんが、なんでも五時よっぽど過ぎのようでした」
「よっぽど過ぎ。よっぽど過ぎならそんな人を待っていなくても好《い》いじゃありませんか。四時から五時までの間と、わざわざ時間を切って通知して上げたくらいだから、五時を過ぎればもう貴方《あなた》の義務は済んだも同然じゃないですか。なぜそのまま帰って、その通り報知しないんです」
今まで穏やかに機《き》嫌《げん》よく話していた長《*ちよう》者《しや》から突然こう手《て》厳《きび》しく遣《や》り付《つ》けられようとは、敬太郎は夢にも思わなかった。
三
敬太郎は今まで下《*》町出の旦那を目の前に描いていた。それが突然規律ずくめの軍人として彼を威圧してきた時、彼はたちまち心の中心を狂わした。友《とも》達《だち》に対しても言い得《う》る「君のためだから」という言葉も挨《あい》拶《さつ》も有《も》っていたのだが、この場合にはそれがまるで役に立たなかった。
「ただ私《わたくし》の勝《かつ》手《て》で、時間が来てもそこを動かなかったのです」
敬太郎がこう答えるか答えないうちに、田口は今のきっとした態度をすぐ崩《くず》して、
「そりゃ私《わたし》のためにたいへん都合が好《よ》かった」と機《き》嫌《げん》の好《い》い調子で受けたが、「しかし貴方《あなた》の勝手というのはなんです」と聞き返した。敬太郎は少し逡《しゆん》巡《じゆん》した。
「なにそりゃ聞かないでも構いません。貴方のことだから。話したくなければ話さないでも差《さし》支《つか》えない」
田口はこう言って、自分の前に引き付けた手《て》提《さ》げ烟草《たばこ》盆《ぼん》の抽《ひき》出《だ》しを開けると、その中から角《つの》でできた細長い耳《みみ》掻《か》きを捜し出した。それを右の耳の中に入れて、さも痒《かゆ》そうに掻き回した。敬太郎は見ない振りをしてわざと自分を見ているような、また耳だけに気を取られているような、田口の顰面《しかめつら》を薄気味悪く感じた。
「実は停留所に女が一人立っていたのです」と彼はとうとう自白してしまった。
「年寄りですか、若い女ですか」
「若い女です」
「なるほど」
田口はただ一口こう言っただけで、なんともあとを継いでくれなかった。敬太郎も頓《とん》挫《ざ》したなり言葉を途切らした。二人はしばらく差向いのまま口を聞かずにいた。
「いや、若かろうが年寄りだろうが、その婦人のことを聞くのは可《よ》くなかった。それは貴方だけに関係のあることなんでしょうから、止《よ》しにしましょう。私《わたし》のほうじゃただ顔に黒子《ほくろ》のある男について、研究の結果さえ伺えば可《い》いんだから」
「しかしその女が黒子のある人の行動に始終入り込んでくるのです。第一女のほうで男を待ち合わしていたのですから」
「はあ」
田口はちょっと思いも寄らぬという顔付をしたが、「じゃその婦人は貴方のお知合いでもなんでもないのですね」と聞いた。敬太郎はもとより知り合いだと答える勇気を有《も》たなかった。極《きま》りの悪い思いをしても、見たことも口を利《き》いたこともない女だと正直に言わなければならなかった。田口はそうですかと、穏やかに敬太郎の返事を聞いただけで、少しも追窮する気《け》色《しき》を見せなかったが、急に摧《くだ》けた調子になって、
「どんな女なんです。その若い婦人というのは。器量からいうと」と興味に充《み》ちた顔を提げ烟草盆の上に出した。
「いえ、なに、詰《つま》らない女なんです」と敬太郎は前後の行き掛かり上答えてしまって、実際頭の中でも詰らないような気がした。これが相手と場合しだいでは、うん器量はなかなか好《い》いほうだぐらいはもとより言いかねなかったのである。田口は「詰らない女」という敬太郎の判断を聞いて、たちまち大きな声を出して笑った。敬太郎にはその意味がよく解《わか》らなかったけれども、なんでも頭の上で大《おお》濤《なみ》が崩れたような心持ちがして、いくぶんか顔が熱くなった。
「宜《よ》ござんす、それで。――それからどうしました。女が停留所で待ち合わしているところへ男が来て」
田口はまた普通の調子に戻《もど》って、真《ま》面《じ》目《め》に事件の経過を聞こうとした。実をいうと敬太郎は自分がこれから話す顛《てん》末《まつ》を、どうして握ることができたのか苦心談を、まず冒頭に敷《ふ》衍《えん》して、二つある同じ名の停留所に迷ったことから、不思議な謎の活《い》きて働く洋杖《ステツキ》を、どう抱《かか》え出して、どう利用したかに至るまでを、自分の手柄のなるべく重く響くように、詳しく述べたかったのであるが、会うやいなや四時と五時との行《*いき》拶《さつ》で遣《や》られたうえに、かってに見張りの時間を延ばした源因になる例の女が、源因にもなににもならない見ず知らずの女だったりした不味《まず》いところがあるので、自分を広告する勇気はまったく抜けていた。それで男と女が洋食屋へ入《はい》ってから以後のことだけをごくあっさり話してみると、宅《うち》を出る時自分が心配していたとおり、少しも捕《つらま》えどころのない、あたかも灰色の雲を一握り田口の鼻の先で開いてみせたと同じような貧しい報告になった。
四
それでも田口はべつだん厭《いや》な顔も見せなかった。落ち付いた腕組みをしまいまで解かずに、ただふんとか、なるほどとか、それからとかいう繋《つな》ぎの言葉を、時々敬太郎のために投げ込んでくれるだけであった。その代り報告の結末が来ても、まだなにか予期しているように、今までの態度を容易に変えなかった。敬太郎は仕方なしに、「それだけです。実際詰《つま》らない結果でお気の毒です」と言い訳を付け加えた。
「いやだいぶ参考になりました。どうも御苦労でした。なかなか骨が折れたでしょう」
田口のこの挨《あい》拶《さつ》のうちに、たいした感謝の意を含んでいないことはむろんであったが、自分が馬《ば》鹿《か》に見えつつある今の敬太郎にはこれだけの愛《あい》嬌《きよう》が十分以上に聞こえた。彼はかろうじて恥を掻《か》かずに済んだという安心をこの時ようやく得た。同時に垂《*たる》味《み》のできた気分が、すぐ田口に向いて働き掛けた。
「いったいあの人はなんですか」
「さあなんでしょうか。貴方《あなた》はどう鑑定しました」
敬太郎の前には黒の中折れを被《かぶ》って、襟《えり》開《あ》きの広い霜降りの外《がい》套《とう》を着た男の姿がありありと現われた。その人の様子といい言葉遣《づか》いといい歩き付きといい、なにからなにまではっきり見えたには見えたが、田口に対する返事は一口も出てこなかった。
「どうも分《わか》りません」
「じゃ性質はどんな性質でしょう」
性質なら敬太郎にもほぼ見当が付いていた。「穏やかな人らしく思いました」と観察のとおりを答えた。
「若い女と話しているところを見て、そういうんじゃありませんか」
こう言った時、田口の唇《くちびる》の角《かど》に薄笑いの影がちら付いているのを認めた敬太郎は、なにか答えようとした口をまた塞《ふさ》いでしまった。
「若い女には誰《だれ》でも優しいものですよ。貴方だってまんざら経験のないことでもないでしょう。ことにあの男ときたら、人一倍そうなのかもしれないから」と田口は遠慮なく笑いだした。けれども笑いながらちゃんと敬太郎の上に自分の目を注いでいた。敬太郎は傍《はた》で自分を見たらさぞ気の利《き》かない愚物になっているんだろうと考えながらも、やっぱり苦しい思いをして田口とともに笑わなければいられなかった。
「じゃ女は何物なんでしょう」
田口はここで観察点を急に男から女へ移した。そうして今度は自分のほうで敬太郎にこういう質問を掛けた。敬太郎はすぐ正直に「女のほうは男よりもなお分《わか》り悪《にく》いです」と答えてしまった。
「素人《しろうと》だか黒人《*くろうと》だか、だいたいの区別さえ付きませんか」
「さよう」と言いながら、敬太郎はちょっと考えてみた。革《かわ》の手袋だの、白い襟《えり》巻《まき》だの、美しい笑い顔だの、長いコートだの、続々記憶の表面に込み上げてきたが、それを綜《す》べ括《くく》ったところでどこからもこの問いに応ぜられるような要領は得られなかった。
「割合に地《じ》味《み》なコートを着て、革の手袋を穿《は》めていましたが……」
女の身に着けた品物のうちで、特に敬太郎の注意を惹《ひ》いたこの二点も、田口にはなんの興味も与えないらしかった。彼はやがて真《ま》面《じ》目《め》な顔をして、「じゃ男と女の関係についてなにか御意見はありませんか」と聞きだした。
敬太郎はさっき自分の報告が滞りなく済んだ証拠に、御苦労さまという謝辞さえ受けたあとで、こう難問が続発しようとは毫《ごう》も思い掛けなかった。しかも窮しているせいか、それが順を逐《お》ってだんだんむずかしいほうへ競《せ》り上がってゆくように感ぜられてならなかった。田口は敬太郎の行き詰まった様子を見て、再び同じ問いをほかの言葉で説明してくれた。
「たとえば夫婦だとか、兄弟だとか、またはただの友《とも》達《だち》だとか、情婦《いろ》だとかですね。いろいろな関係があるうちでなんだと思いますか」
「私《わたくし》も女を見た時に、処女だろうか細君だろうかと考えたんですが……しかしどうも夫婦じゃないように思います」
「夫婦でないにしてもですね。肉体上の関係があるものと思いますか」
五
敬太郎の胸にもこの疑いは最初から多少萌《きざ》さないでもなかった。改めて自分の心を解剖してみたら、彼ら二人の間に秘密の関係がすでに成立しているという仮定が遠くから彼を操《あやつ》って、それがために偵《てい》察《さつ》の興味が一段と鋭く研《と》ぎ澄まされたのかもしれなかった。肉と肉の間に起こるこの関係をほかにして、研究に価する交渉は男《なん》女《によ》の間に起こり得《う》るものでないと主張するほど彼は理論家ではなかったが、温かい血を有《も》った青年の常として、この観察点から男女を眺《なが》めるときに、はじめて男女らしい心持ちが湧《わ》いてくると思っていたので、なるべくそこを離れずに世の中を見渡したかったのである。年の若い彼の目には、人間という大きな世界があまりはっきり分《わか》らない代りに、男女という小さな宇宙はかくあざやかに映った。したがって彼はたいていの社会的関係を、できるだけこの一点まで切り落して楽しんでいた。停留所で逢《あ》った二人の関係も、敬太郎の気の付かない頭の奥では、すでにこういう一《いつ》対《つい》の男女として最初から結び付けられていたらしかった。彼はまたその背後に罪悪を想像して要もないのに恐れを抱《いだ》くほどの道徳家でもなかった。彼は世間並みな道義心の所有者として有り触れた人間の一《いち》人《にん》であったけれども、その道義心は彼の空想力と違って、いざという場合にならなければ働かないのを常とするので、停留所の二人を自分に最も興味のある男女関係に引き直してみても、べつだん不愉快にはならずに済んだのである。彼はただ年齢《とし》の上について二人の相違の著しいのを疑《うたぐ》った。が、また一方ではその相違がかえって彼の目に映ずる「男女の世界」なるものの特色を濃く示しているようにもみえた。
彼の二人に対する心持ちは知らず知らずのあいだにこう弛《ゆる》んでいたのだが、いよいよそうかと正式に田口から質問を掛けられてみると、断然とした返答は、責任のあるなしにかかわらず、纏《まとま》った形となって頭の中には現われ悪《にく》かった。それでこう言った。――
「肉体上の関係はあるかもしれませんが、ないかも分《わか》りません」
田口はただ微笑した。そこへ例の袴《はかま》を穿《は》いた書生が、一枚の名刺を盆に乗せて持ってきた。田口はちょっとそれを受け取ったまま、「まあ分らないところがほんとうでしょう」と敬太郎に答えたが、すぐ書生の方を見て、「応接間へ通しておいて……」と命令した。さっきからよほど窮していたやさきだから、敬太郎はこの来客を好《い》い機《しお》に、もうここで切り上げようと思って身《み》繕《づくろ》いに掛かると、田口はわざわざ彼の立たないまえにそれを遮《さえぎ》った。そうして敬太郎の辟《へき》易《えき》するのに頓《とん》着《じやく》なくなお質問を進行させた。そのうちで敬太郎の明《めい》瞭《りよう》に答えられるのはほとんど一か条もなかったので、彼は大学で受けた口頭試験の時よりもまだ辛《つら》い思いをした。
「じゃこれぎりにしますが、男と女の名前は分りましたろう」
田口の最後と断わったこの問いに対しても、敬太郎はもとより満足な返事を有《も》っていなかった。彼は洋食店で二人の談話に注意を払うあいだにもなになにさんとかなになに子とかあるいはおなにとかいう言葉がきっとどこかへ交ってくるだろうと心待ちに待っていたのだが、彼らは特にそれを避ける必要でもあるごとくに、お互いの名はもちろん、第三者の名も決して引き合いにさえ出さなかったのである。
「名前もまったく分りません」
田口はこの答えを聞いて、手《て》焙《あぶり》の胴に当てた手を動かしながら、拍子を取るように、指先で桐《きり》の縁を敲《たた》きはじめた。それをしばらく繰り返したあとで、「どうしたんだかあんまり要領を得ませんね」と言ったが、すぐ言葉を継いで、「しかし貴方《あなた》は正直だ。そこが貴方の美点だろう。分らないことを分ったように報告するよりもよっぽど好いかもしれない。まあ買えばそこを買うんですね」と笑いだした。敬太郎は自分の観察が、はたして実用に向かなかったのを発見して、多少わが迂《う》闊《かつ》に恥じ入る気も起こったが、しかしわずか二、三時間の注意と忍耐と推測では、たとい自分より十層倍行き届いた人間に代理を頼んだところで、田口を満足させるような結果は得られるわけのものでないと固く信じていたから、この評価に対してそれほどの苦痛も感じなかった。その代り正直と賞《ほ》められたことも大した嬉《うれ》しさにはならなかった。このくらいの正直さ加《か》減《げん》はまったくの世間並みにすぎないと彼にはみえたからである。
六
敬太郎はさっきから頭の上がらない田口の前で、たった一《ひと》言《こと》で好《い》いから、思い切った自分の腹をずばりと言ってみたいと考えていたが、ここで言わなければもう言う機会はあるまいという気がこの時ふと萌《きざ》した。
「要領を得ない結果ばかりで私《わたくし》もはなはだお気の毒に思っているんですが、貴方《あなた》のお聞きになるような立ち入ったことが、あれだけの時間で、私のような迂《う》闊《かつ》なものに見《み》極《きわ》められるわけはないと思います。こういうと生意気に聞こえるかもしれませんが、あんな小刀細工をしてあとなんか跟《つ》けるより、じかに会って聞きたいことだけ遠慮なく聞いたほうが、まだ手《て》数《かず》が省けて、そうして動かない確かなところが分《わか》りゃしないかと思うのです」
これだけ言った敬太郎は、さだめて世故に長《た》けた相手から笑われるか、冷《ひや》かされることだろうと考えて田口の顔を見た。すると田口は案外にもむしろ真《ま》面《じ》目《め》な態度で「貴方にそれだけのことが解《わか》っていましたか。感心だ」と言った。敬太郎はわざと答えを控えていた。
「貴方のいう方法は最も迂闊のようで、最も簡便なまた最も正当な方法ですよ。そこに気が付いていれば人間として立《りつ》派《ぱ》なものです」と田口が再び繰り返した時、敬太郎はますます返答に窮した。
「それほどの考えがちゃんとある貴方に、あんな詰《つま》らない仕事をお頼み申したのは私《わたし》が悪かった。人物を見《み》損《そく》なったのも同然なんだから。が、市蔵が貴方を紹介する時に、そう言いましたよ。貴方は探《たん》偵《てい》の遣《や》るような仕事に興味を有《も》っておいでだって。それでね、ついとんでもないことをお願いして。止《よ》しゃあ可《よ》かった……」
「いえ須永君にはそういう意味のことをたしかに話した覚えがあります」と敬太郎は苦しい思いをして答えた。
「そうでしたか」
田口は敬太郎の矛盾をこの一句で切り棄《す》てたなり、それ以上に追窮する愚をあえてしなかった。そうして問題をすぐ改めて見せた。
「じゃどうでしょう。黙ってあとなんぞを跟けずに、貴方のいうとおり尋常に玄関から掛かっていっちゃ。貴方にそれだけの勇気がありますか」
「ないこともありません」
「あんなに跟け回したあとで」
「あんなに跟け回したって、私《わたくし》はあの人たちの不名誉になるような観察は決して為《し》ていないつもりです」
「御もっともだ。そんならひとつ行ってごらんなさい。紹介するから」
田口はこう言いながら、大きな声を出して笑った。けれども敬太郎にはこの申し出がまんざらの冗談とも思えなかったので、彼は紹介状を携えてほんとうに眉《み》間《けん》の黒子《ほくろ》と向き合って話してみようかという料《りよう》簡《けん》を起こした。
「会いますから紹介状を書いてください。私《わたくし》はあの人と話してみたい気がしますから」
「宜《い》いでしょう。これも経験の一つだから、まあ会ってじかに研究してごらんなさい。貴方のことだから田口に頼まれてこのあいだの晩あとを跟けましたぐらいきっと言うでしょう。しかしそれは構わない。言いたければ言っても宜《よ》うござんす。私《わたくし》に遠慮は要《い》らないから。それからあの女との関係もですね、貴方に勇気さえあるなら聞いてごらんなさい。どうです、それを聞くだけの度胸が貴方にありますか」
田口はここでちょっと言葉を切らして敬太郎の顔を見たが、答えの出ないうちにまた自分から話を続けた。
「だが両方とも口へ出せるように自然が持ち掛けてくるまでは、聞いても話しても不可《いけ》ませんよ。いくら勇気があったって、常識のない奴《やつ》だと思われるだけだから。それどころじゃない、あの男はただでさえずいぶん会い悪《にく》いほうなんだから、そんなことをむやみに喋《しやべ》ろうものなら、すぐ帰ってくれぐらい言いかねないですよ。紹介をしてあげる代りには、そこいらはよく用心しないとね……」
敬太郎はもとより畏《かしこま》りましたと答えた。けれども腹の中では黒の中折れの男を田口のように見ることがどうしてもできなかった。
七
田口は硯《すずり》箱《ばこ》と巻紙を取り寄せて、さらさらと紹介状を書きはじめた。やがて名《な》宛《あて》を認《したた》めおわると、「ただ通り一遍の文《もん》言《ごん》だけを並べておいたらそれで好《い》いでしょう」と言いながら、手《て》焙《あぶり》の前に翳《かざ》した手紙を敬太郎に読んで聞かせた。そのなかには書いた当人の自白したごとく、これといって特別の注意に価することは少しも出てこなかった。ただこのものは今年《ことし》大学を卒業したばかりの法学士で、ことによると自分が世話をしなければならない男だから、どうか会って話をしてやってくれとあるだけだった。田口は異存のない敬太郎の顔を見届けたうえで、すぐその巻紙をぐるぐると巻いて封筒へ入れた。それからその表へ松《まつ》本《もと》恒《つね》三《ぞう》様と大きく書いたなり、わざと封をせずに敬太郎に渡した。敬太郎は真《ま》面《じ》目《め》になって松本恒三様の五字を眺《なが》めたが、肥《ふと》った締りのない書体で、この人がこんな字を書くかと思うほど拙《せつ》らしくできていた。
「そう感心していつまでも眺めていちゃあ不可《いけ》ない」
「番地が書いてないようですが」
「ああそうか。そいつは私《わたし》の失念だ」
田口は再び手紙を受け取って、名宛の人の住所と番地を書き入れてくれた。
「さあこれなら好いでしょう。不味《まず》くって大きなところは土《*》橋の大《おお》寿《ず》司《し》流《りゆう》とでもいうのかな。まあ役に立ちさえすれば可《よ》かろう、我慢なさい」
「いえ結構です」
「ついでに女のほうへも一通書きましょうか」
「女も御存じなのですか」
「ことによると知ってるかもしれません」と答えた田口はなんだか意味のありそうに微笑した。
「お差《さし》支《つか》えさえなければ、おついでに一本書いていただいても宜《よろ》しゅうございます」と敬太郎も冗談半分に頼んだ。
「まあ止《よ》したほうが安全でしょうね。貴方《あなた》のような年の若い男を紹介して、もし間違いでもできると責任問題だから。浪漫《ローマン》―なんとかいうじゃありませんか、貴方のような人のことを。私《わたし》ゃ学問がないから、今ごろ流行《はや》るハイカラな言葉をすぐ忘れちまって困るが、なんとか言いましたっけね、あの、小説家の使う言葉は。……」
敬太郎はまさかそりゃこういう言葉でしょうと教える気にもなれなかった。ただエヘヘと馬《ば》鹿《か》見たように笑っていた。そうして長居をすればするほど、だんだん非《ひ》道《ど》く冷《ひや》かされそうなので、心のうちでは、この一段落が付いたら、早く切り上げて帰ろうと思った。彼は田口の呉《く》れた紹介状を懐《ふところ》に収めて、「では二、三日うちにこれを持って行ってまいりましょう。その模様でまた伺うことに致しますから」と言いながら、柔らかい座《ざ》蒲《ぶ》団《とん》の上を滑《すべ》り下《お》りた。田口は「どうも御苦労でした」と丁寧に挨《あい》拶《さつ》しただけで、ロマンチックもコ《*》スメチックもすっかり忘れてしまったという顔付をして立ちあがった。
敬太郎は帰《かえ》り途《みち》に、今会った田口と、これから会おうという松本と、それから松本を待ち合わした例の恰《かつ》好《こう》の可《い》い女とを、合わせたり離したりしてしきりにその関係を考えた。そうして考えれば考えるほど一歩ずつ迷宮《メーズ》の奥に引き込まれるような面《おも》白《しろ》味《み》を感じた。今日《きよう》田口での獲《え》物《もの》は松本という名前だけであるが、この名前がいろいろに錯《さく》綜《そう》した事実を自分のために締め括《くく》っている妙な嚢《ふくろ》のように彼には思えるので、そこからなにが出るか分《わか》らないだけそれだけ彼には楽しみが多かった。田口の説明によると、近寄り悪《にく》い人のようにも聞こえるが、彼の見たところでは田口より数倍話が為《し》易《やす》そうであった。彼は今日田口から得た印象のうちに、人を取り扱う点に掛けてなるほど老練だという嘆美の声を見《み》出《いだ》したうえ、人物としてもどこか偉そうに思われる点が、時々彼の目を射るようにちらちら輝いたにもかかわらず、その前に坐《すわ》っているあいだ、彼は始終何物にか縛られて自由に動けない窮屈な感じを取り去ることができなかった。絶えず監視の下《もと》に置かれたようなこの状態は、一時性のものでなくって、いくら面会の度数を重ねても、決して薄らぐおりはなかろうとまで彼には見えたくらいである。彼はこういうふうに気の置ける田口と反対の側に、なんでも遠慮なく聞いて怒《おこ》られそうにない、話し声そのもののうちにすでに懐《なつか》し味《み》の籠《こも》ったような松本を想像して已《や》まなかった。
八
翌《よく》朝《あさ》さっそく支《し》度《たく》をして松本に会いに行こうと思っているとあいにく寒い雨が降りだした。窓を細目に開《あ》けて高い三階から外を見渡した時分には、もう世の中が一面に濡《ぬ》れていた。屋《や》根《ね》瓦《がわら》に徹《とお》るように侘《わび》しい色をしばらく眺《なが》めていた敬太郎は、田口の紹介状を机の上に置いて、出ようか止《よ》そうかとちょっと思案したが、早く会ってみたいという気が強く起こるので、とうとう机の前を離れた。そうして豆《とう》腐《ふ》屋《や》の喇《らつ》叭《ぱ》が、陰気な空気を割《さ》いて鋭く往来に響く下の方へ降りていった。
松本の家《うち》は矢来なので、敬太郎はこのあいだの晩狐《きつね》に撮《つま》まれたと同じ思いをした交番下の景《け》色《しき》を想像しつつ、そこへ来ると、坂上と坂下が両方とも二《ふた》股《また》に割れて、勾《こう》配《ばい》の付いた真《まん》中《なか》だけがいびつに膨《ふく》れているのを発見した。彼は寒い雨の袴《はかま》の裾《すそ》に吹き掛けるのも厭《いと》わずに足を留めて、あの晩車夫が梶《かじ》棒《ぼう》を握ったまま立ち往生をしたのはこの辺だろうと思う所を見回した。今日《きよう》も同じように雨がざあざあ落ちて、彼の踏んでいる土は地下の鉛管まで腐れ込むほど濡れていた。ただ昼だけに周囲は暗いながらも明るいので、立ち留まった時の心持ちはこのあいだとはまるで趣が違っていた。敬太郎は後ろの方に高く黒ずんでいる目《め》白《じろ》台《だい》の森と、右手の奥に朦《もう》朧《ろう》と重なり合った水《みず》稲荷《いなり》の木立を見て坂を上がった。それから同じ番地の家の何軒でもある矢来のなかをぐるぐる歩いた。はじめのうちは小《ち》さい横町を右へ折れたり左へ曲がったり、濡れた枳殻《からたち》の垣《かき》を覗《のぞ》いたり、古い椿《つばき》の生《お》い被《かぶ》っている墓地らしい構えの前を通ったりしたが、松本の家は容易に見当たらなかった。しまいに尋ねあぐんで、ある横町の角《かど》にある車屋を見付けて、そこの若い者に聞いたら、なんでもないことのようにすぐ教えてくれた。
松本の家はこの車屋の筋向こうをはいった突き当たりの、竹《たけ》垣《がき》に囲われた綺《き》麗《れい》な住居《すまい》であった。門を潜《くぐ》ると子供が太鼓を鳴らしている音が聞こえた。玄関へ掛かって案内を頼んでもその太鼓の音は毫《ごう》も已《や》まなかった。その代り四辺《あたり》は森《しん》閑《かん》として人の住んでいる臭《におい》さえしなかった。雨に鎖《とざ》された家の奥から現れた十六、七の下女は、手を突いて紹介状を受け取ったなり無言のまま引っ込んだが、しばらくしてからまた出てきて、「はなはだ勝《かつ》手《て》を申し上げて済みませんでございますが、雨の降らない日にお出《いで》を願えますまいか」と言った。今まで就職運動のため諸方へ行って断わられ付けている敬太郎にも、この断り方だけは不思議に聞えた。彼はなぜ雨が降っては面会に差支えるのかすぐ反問したくなった。けれども下女に議論を仕掛けるのも一種変な場合なので、「じゃお天気の日に伺えばお目に掛かれるんですね」と念《*》晴らしに聞き直してみた。下女はただ「はい」と答えただけであった。敬太郎は仕方なしにまた雨の降るなかへ出た。ざあという音が急に烈《はげ》しく聞こえるなかに、子供の鳴らす太鼓がまだどんどんと響いていた。彼は矢来の坂を下《お》りながら変な男があったものだという観念を数《す》度《ど》繰り返した。田口がただでさえ会い悪《にく》いと言ったのは、こんなところを指《さ》すのではなかろうかとも考えた。その日は家へ帰っても、気分が中止の姿勢に余儀なく据《す》え付けられたまま、どの方角へも進行できないのが苦痛になった。久しぶりに須永の家へでも行って、このあいだからの顛《てん》末《まつ》を茶話に半日を暮らそうかと考えたが、どうせ行くなら、今の仕事に一段落付けて、自分にも見当の立った筋を吹《ふい》聴《ちよう》するのでなくては話《*》しばいもないので、ついに行かず仕《じ》舞《まい》にしてしまった。
翌日《あくるひ》は昨日《きのう》と打って変わって好《い》い天気になった。起き上がる時、あらゆる濁りを雨の力で洗い落としたように綺《き》麗《れい》に輝く蒼《あお》空《ぞら》を、眩《まばゆ》そうに仰ぎ見た敬太郎は、今日《きよう》こそ松本に会えると喜んだ。彼はこのあいだの晩行《こう》李《り》の後ろに隠しておいた例の洋杖《ステツキ》を取り出して、今日はひとつこれを持って行ってみようと考えた。彼はそれを突いて、また矢来の坂を上りながら、昨日の下女が今日も出てきて、せっかくですが今日はお天気すぎますから、もすこし曇った日にお出くださいましと言ったらどんなものだろうと想像した。
九
ところが昨日《きのう》と違って、門を潜《くぐ》っても、子供の鳴らす太鼓の音は聞こえなかった。玄関にはこのまえ目に着かなかった衝《つい》立《たて》が立っていた。その衝立には淡彩の鶴《つる》がたった一羽佇《たたず》んでいるだけで、姿見のように細長いその恰《かつ》好《こう》が、普通の寸法と違っている意味で敬太郎の注意を促した。取次ぎには例の下女が現われたには相違ないが、そのあとから遠慮のない足音をどんどん立てて二人の子供が衝立の影まで来て、珍しそうな顔をして敬太郎を眺《なが》めた。昨日に比べるとこれだけの変化を認めた彼は、最後にどうぞという案内とともに、硝子《ガラス》戸《ど》の締まっている座敷へ通った。その真《まん》中《なか》にある金《きん》魚《ぎよ》鉢《ばち》のように大きな瀬戸物の火《ひ》鉢《ばち》の両側に、下女は座《ざ》蒲《ぶ》団《とん》を一枚ずつ置いて、その一枚を敬太郎の席とした。その座蒲団は更《*さら》紗《さ》の模様を染めた真《まん》丸《まる》の形をしたものなので、敬太郎は不思議そうにその上へ坐った。床の間には刷毛《はけ》でがしがしとぞんざいに書いたような山水の軸が懸《かか》っていた。敬太郎はどこが樹《き》でどこが巌《いわ》だか見分けの付かない画《え》を、軽《けい》蔑《べつ》に値する装飾品のごとく眺めた。するとその隣に銅《ど》鑼《ら》が下がっていて、それを叩《たた》く棒まで添えてあるので、ますます変わった室《へや》だと思った。
すると間《あい》の襖《ふすま》を開《あ》けて隣座敷から黒子《ほくろ》のある主人が出てきた。「よくお出《いで》です」と言ったなり、すぐ敬太郎の鼻の先に坐《すわ》ったが、その調子は決して愛《あい》嬌《きよう》のあるほうではなかった。ただどこかおっとりしているので、相手にあまり重きを置かないところが、かえって敬太郎に楽な心持ちを与えた。それで火鉢一つを境に、顔と顔を突き合わせながら、敬太郎はべつだん気が詰まる思いもせずにいられた。そのうえ彼はこのあいだの晩、たしかに自分の顔をここの主人に覚えられたに違いないと思い込んでいたにもかかわらず、今会ってみると、覚えているのだか、いないのだか、平然としてそんな素振りは、口にも色にも出さないので、彼はなおさら気兼ねの必要を感じなくなった。最後に主人は昨日雨天のため面会を謝絶した理由も言い訳も一《ひと》言《こと》も述べなかった。述べたくなかったのか、述べなくっても構わないと認めていたのか、それすら敬太郎にはまるで判断が付かなかった。
話は自然の順序として、紹介者になった田口のことから始まった。「貴方《あなた》はこれから田口に使ってもらおうというのでしたね」というのを冒頭に、主人は敬太郎の志望だの、卒業の成績だのをひととおり聞いた。それから彼のいまだかつて考えたこともない、社会観とか人生観とかいう小むずかしい方面の問題を、時々持ち出して彼を苦しめた。彼はその時心のうちで、この松本という男は世に著われない学者の一人なのではなかろうかと疑《うたぐ》ったくらい、妙な理屈をちらちらと閃《ひらめ》かされた。そればかりでなく、松本は田口を捕《つら》まえて、役には立つが頭の成っていない男だと罵《ののし》った。
「第一《だいち》ああ忙しくしていちゃあ、頭の中に組織立って考えのできる閑《ひま》がないから駄《だ》目《め》です。彼奴《あいつ》の脳ときたら、年が年中摺《すり》鉢《ばち》の中で、擂木《すりこぎ》に攬《か》き回されてる味《み》噌《そ》見たようなもんでね。あんまり活動しすぎて、なんの形にもならない」
敬太郎にはなぜこの主人が田口に大してこうまで悪体を吐《つ》くのかさっぱり訳が分《わか》らなかった。けれども彼の不思議に感じたのは、これほどの激語を放つ主人の態度なり口調なりに、毫《ごう》も毒々しいところだの、小《こ》悪《にく》らしい点だのの見えないことであった。彼の罵る言葉は、人を罵った経験を知らないような落付きを具《そな》えた彼の声を通して、敬太郎の耳に響くので、敬太郎も強く反抗する気になれなかった。ただ一種変わった人だという感じが新たに刺激を受けるだけであった。
「それでいて、碁《ご》を打つ、謡《うたい》を謡《うた》う。いろいろなことを遣《や》る。もっともいずれも下《へ》手《た》糞《くそ》なんですが」
「それが余裕のある証拠じゃないでしょうか」
「余裕って君。――僕《ぼく》は昨日雨が降るから天気の好《い》い日に来てくれって、貴方を断わったでしょう。その訳は今言う必要もないが、なにしろそんな我《わが》儘《まま》な断わり方が世間にあると思いますか。田口だったらそういう断わり方は決してできない。田口が好んで人に会うのはなぜだといってごらん。田口は世の中に求めるところのある人だからです。つまり僕のような高等遊民でないからです。いくら他《ひと》の感情を害したって、困りゃしないという余裕がないからです」
一〇
「実は田口さんからなんにも伺《うかが》わずに参ったのですが、今お使いになった高等遊民という言葉はほんとうの意味でお用いなのですか」
「文字どおりの意味で僕は遊民ですよ。なぜ」
松本は大きな火《ひ》鉢《ばち》の縁《ふち》へ両《りよう》肱《ひじ》を掛けて、その一方の先にある拳《げん》骨《こつ》を顎《あご》の支《ささ》えにしながら敬太郎を見た。敬太郎は初対面の客を客と感じていないらしいこの松本の様子に、なるほど高等遊民の本色があるらしくも思った。彼は烟草《たばこ》道楽とみえて、今日《きよう》は大きな丸い雁《がん》首《くび》の付いた木製の西洋パイプを口から離さずに、時々思い出したような濃い烟《けむり》を、まだ火の消えていない証拠として、狼烟《のろし》のごとくぱっぱっと揚げた。その烟が彼の顔の傍《そば》でいつのまにか消えてゆく具合が、どこにも締りを設ける必要を認めていないらしい彼の目鼻と相待って、今まで経験したことのない一種静かな心持ちを敬太郎に与えた。彼は少し薄くなりかかった髪を、頭の真《まん》中《なか》から左右に分けているので、平たい頭がなおのこと尋常に落ち付いて見えた。彼はまた普通世間の人が着ないような茶色の無地の羽織を着て、同じ色の上《*うわ》足袋《たび》を白の上に重ねていた。その色がすぐ坊主の法衣《ころも》を連想させるところがまた変に特別な男らしく敬太郎の目に映った。自分で高等遊民だと名乗るものに会ったのはこれがはじめてではあるが、松本の風《ふう》采《さい》なり態度なりが、いかにもそういう階級の代表者らしい感じを、少し不意を打たれた気味の敬太郎に投げ込んだのは事実であった。
「失礼ながら御家族はおおぜいでいらっしゃいますか」
敬太郎はみずから高等遊民と称する人に対して、どういう訳かまずこういう問いが掛けてみたかった。すると松本は「ええ子供がたくさんいます」と答えて、敬太郎の忘れ掛かっていたパイプからぱっと烟を出した。
「奥さんは……」
「妻《さい》はむろんいます。なぜですか」
敬太郎は取り返しの付かない愚な問いを出して、始末にゆかなくなったのを後悔した。相手がそれほど感情を害した様子を見せないにしろ、不思議そうに自分の顔を眺《なが》めて、解決を予期している以上、なんとか言わなければ済まない場合になった。
「貴方《あなた》のようなかたが、普通の人間と同じように、家庭的に暮らしてゆくことができるかと思ってちょっと伺ったまでです」
「僕が家庭的に……。なぜ。高等遊民だからですか」
「そういう訳でもないんですが、なんだかそんな心持ちがしたからちょっと伺ったのです」
「高等遊民は田口などよりも家庭的なものですよ」
敬太郎はもうなにも言うことがなくなってしまった。彼の頭脳の中では、返事に行き詰まった困却と、ここで問題を変えようとする努力と、これを緒《いと》口《ぐち》に、革《かわ》の手袋を穿《は》めた女の関係を確かめたい希望が三ついっしょに働くので、もとからそれほど秩序の立っていない彼の思想になおさら暗い影を投げた。けれども松本はそんなことにまるで注意しないふうで、困った敬太郎の顔を平気に眺めていた。もしこれが田口であったなら手《て》際《ぎわ》よく相手を打《う》ち据《す》える代りに、打ち据えるとすぐ向こうから局面を変えてくれて、相手に見苦しい立ち往生などは決してさせない鮮《あざ》やかな腕を有《も》っているのにと敬太郎は思った。気は置けないが、人を取り扱う点において、まったく冴《さ》えた熟練を欠いている松本の前で、敬太郎ははからず二人の相違を認めたような気がしていると、松本は偶然「貴方はそういう問題を考えてみたことがないようですね」と聞いてくれた。
「ええまるで考えていません」
「考える必要はありませんね。一人で下宿している以上は。けれどもいくら一人だって、広い意味での男対女の問題は考えるでしょう」
「考えるというよりむしろ興味があるといったほうが適当かもしれません。興味ならむろんあります」
一一
二人は人間として誰《だれ》しも利害を感ずるこの問題についてしばらく話した。けれども年歯《とし》の違いだか段の違いだか、松本の言うことは肝《かん》心《じん》の肉を抜いた骨組みだけを並べてみせるようで、敬太郎の血の中まではいり込んできて、ともに流れなければ已《や》まないほどの切実な勢いをまるで持っていなかった。その代り敬太郎の秩序立たない断片的の言葉も口を出るとすぐ熱を失って、少しも松本の胸に徹《とお》らないらしかった。
こんな縁遠い話をしているうちで、ただ一つ敬太郎の耳に新しく響いたのは、ロシヤの文学者のゴ《*》ーリキとかいう人が、自分の主張する社会主義とかを実行するうえに、資金の必要を感じて、それを調達のため細君同伴でアメリカへ渡った時の話であった。その時ゴーリキはたいへんな人気を一身に集めて、招《しよう》待《だい》やら驩《かん》迎《げい》やらに忙殺されるほどの景気のうちに、自分の目的を苦もなく着々と進行させつつあった。ところが彼の本国から伴《つ》れてきた細君というのが、ほんとうの細君でなくて単に彼の情婦にすぎないという事実がどこからか暴露した。すると今まで狂熱に達していた彼の名声が、たちまちどさりと落ちて、広い新大陸に誰一人として彼と握手するものがなくなってしまったので、ゴーリキは已《や》むを得ずそのままアメリカを去った。というのが筋であった。
「ロシヤとアメリカではこれだけ男《なん》女《によ》関《かん》係《けい》の解釈が違うんです。ゴーリキの遣《や》り口《くち》はロシヤならほとんど問題にならないくらい些《さ》細《さい》な事件なんでしょうがね。下《くだ》らない」と松本はまったく下らなそうな顔をした。
「日本はどっちでしょう」と敬太郎は聞いてみた。
「まあロシヤ派でしょうね。僕はロシヤ派でたくさんだ」と言って、松本はまた狼烟《のろし》のような濃い烟《けむり》をぱっと口から吐いた。
ここまできてみると、このあいだの女のことを尋ねるのが敬太郎にとって少しも苦にならないような気がしだした。
「先だっての晩神田の洋食店で私《わたくし》は貴方《あなた》にお目に懸《かか》ったと思うんですが」
「ええ会いましたね、よく覚えています。それから帰りにも電車の中で会ったじゃありませんか。君も江戸川まで乗ったようだが、あすこいらに下宿でもしているんですか。あの晩は雨が降って困ったでしょう」
松本ははたして敬太郎を記憶していた。それを初めから口に出すでもなく、今になってようやく気が付いた振りをするのでもなく、話しても可《よ》し話さないでも可しといったふうの態度が、無邪気から出るのか、度胸から出るのか、また鷹《おう》揚《よう》な彼の生まれ付きから出るのか、敬太郎にはちょっと判断しかねた。
「お伴《つれ》がおありのようでしたが」
「ええ別《べつ》嬪《ぴん》を一人伴《つ》れていました。貴方はたしか一人でしたね」
「一人です。貴方もお帰りにはお一人じゃなかったですか」
「そうです」
ちょっとはきはき進んだ問答はここへ来てぴたりと留まってしまった。松本がまた女のことを言いだすかと思って待っていると、「貴方の下宿は牛《うし》込《ごめ》ですか、小《こ》石《いし》川《かわ》ですか」とまるで無関係の問いを敬太郎は掛けられた。
「本郷です」
松本は腑《ふ》に落ちない顔をして敬太郎を見た。本郷に住んでいる彼が、なぜ江戸川の終点まで乗ったのか、その説明を聞きたいと言わぬばかりの松本の目付を見た時、敬太郎は面《めん》倒《どう》だからここでひとつ心持ちよく万事を打ち明けてしまおうと決心した。もし怒《おこ》られたら、詫《あやま》るだけで、詫って聞かれなければ、お辞儀を丁寧にして帰れば好《よ》かろうと覚悟を極《き》めた。
「実は貴方のあとを跟《つ》けてわざわざ江戸川まで来たのです」と言って松本の顔を見ると、案外にも予期したほどの変化も起こらないので、敬太郎はまず安心した。
「なんのために」と松本はほとんどいつものような緩《ゆる》い口調で聞き返した。
「人から頼まれたのです」
「頼まれた? 誰に」
松本ははじめて、少し驚いた声のうちに、並みより強いアクセントを置いて、こう聞いた。
一二
「実は田口さんに頼まれたのです」
「田口とは。田口要作ですか」
「そうです」
「だって君はわざわざ田口の紹介状を持って僕に会いに来たんじゃありませんか」
こう一句々々問い詰められてゆくよりは、自分のほうでひと思いに今までの経過を話してしまうほうが楽な気がするので、敬太郎は田口の速達便を受け取って、すぐ小川町の停留所へ見張りに出た冒険の第一節目から始めて、電車が江戸川の終点に着いたあとの雨のなかの立ち往生に至るまでの顛《てん》末《まつ》を包まず打ち明けた。もとよりただ筋の通るだけを目的に、誇張はむろん布《ふ》衍《えん》の煩わしさもできるかぎり避けたので、時間がそれほど掛からなかったせいか、松本は話の進行しているあいだ一口も敬太郎を遮《さえぎ》らなかった。話が済んでからも、すぐとは声を出す様子は見えなかった。敬太郎は主人のこの沈黙を、感情が害した結果ではなかろうかと推察して、怒《おこ》りだされないうちに早く詫《あやま》るに越したことはないと思い定めた。すると主人のほうから突然口を利《き》きはじめた。
「どうも怪《け》しからん奴《やつ》だね、あの田口という男は。それに使われる君もまた君だ。よっぽどの馬《ば》鹿《か》だね」
こういった主人の顔を見ると、呆《あき》れ返《かえ》っているふうは誰《だれ》の目にも着くが、怒気を帯びた様子は比較的どこにも表われていないので、敬太郎はむしろ安心した。この際馬鹿と呼ばれるぐらいのことは、彼にとってなんでもなかったのである。
「どうも悪いことをしました」
「詫ってもらいたくもなんともない。ただ君がお気の毒だから言うのですよ。あんな者に使われて」
「それほど悪い人なんですか」
「いったいなんの必要があって、そんな愚なことを引き受けたのです」
物《もの》数《ず》奇《き》から引き受けたという言葉は、この場合どうしても敬太郎の口へは出てこなかった。彼は已《や》むを得ず、衣食問題の必要上どうしても田口に頼らなければならない事情があるので、面白くないとは知りながら、つい承諾したのだというふうな答えをした。
「衣食に困るなら仕方がないが、もう止《よ》したほうが可《い》いですよ。余計なことじゃありませんか、寒いのに雨に降られて人のあとを跟《つ》けるなんて」
「私《わたくし》も少し懲《こ》りました。これからはもう遣《や》らないつもりです」
この述懐を聞いた松本はなんとも言わず、ただ苦笑いをしていた。それが敬太郎には軽《けい》蔑《べつ》の意味にも憐《れん》愍《みん》の意味にも取れるので、彼はいずれにしてもはなはだ肩身の狭い思いをした。
「貴方《あなた》は僕に対して済まんことをしたようなふうをしているが、実際そうなのですか」
根本義に溯《さかのぼ》ったらそれほどに感じていない敬太郎もこう聞かれると、行き掛かり上そうだと思わざるを得なかった。またそう答えざるを得なかった。
「じゃ田口へ行ってね。このあいだ僕の伴《つ》れていた若い女は高《こう》等《とう》淫《いん》売《ばい》だって、僕自身がそう保証したと言ってくれたまえ」
「ほんとうにそういう種類の女なんですか」
敬太郎はちょっと驚かされた顔をしてこう聞いた。
「まあなんでも好《い》いから、高等淫売だと言ってくれたまえ」
「はあ」
「はあじゃ不可《いけ》ない、たしかにそう言わなくっちゃ。言えますか、君」
敬太郎は現代に教育された青年の一人として、こういう意味の言葉を、年長者の前で口にする無遠慮を憚《はばか》るほどの男ではなかった。けれども松本がしいてこの四字を田口の耳へ押し込もうとする奥底には、なにか不愉快なあるものが潜んでいるらしく思われるので、そう軽々しい調子で引き受ける気も起こらなかった。彼が挨《あい》拶《さつ》に困ってむずかしい顔をしていると、それを見た松本は、「なに、君心配しないでも可《い》いですよ。相手が田口だもの」と言ったが、しばらくしてやっと気が付いたように、「君は僕と田口との関係をまだ知らないんでしたね」と聞いた。敬太郎は「まだなんにも知りません」と答えた。
一三
「その関係を話すと、君が田口に向かってあの女のことを高《こう》等《とう》淫《いん》売《ばい》だという勇気が出《で》悪《にく》くなるだけだからつまり僕には損になるんだが、いつまで罪もない君を馬鹿にするのも気の毒だから、聞かしてあげよう」
こういう前置きを置いたうえ、松本は田口と自分が社会的にどう交渉しているかを説明してくれた。その説明は最も簡単に済むだけに最も敬太郎を驚かした。それを一《いち》言《ごん》でいうと、田口と松本は近い親類の間柄だったのである。松本に二人の姉があって、一人が須永の母、一人が田口の細君、という互いの縁続きをはじめて呑《の》み込んだ時、敬太郎は田口の義弟に当たる松本が、叔父《おじ》という資格で、彼の娘と時間を極《き》めて停留所で待ち合わしたうえ、ある料理店で会食したという事実を、世間の出来事のうちで最も平凡を極《きわ》めたものの一つのように見た。それを込み入った文《あや》でも隠しているように、一生懸命に自分の燃やした陽炎《かげろう》を散らつかせながら、あとを追っ掛けて歩いたのが、さもさも馬鹿馬鹿しくなってきた。
「お嬢さんはなんでまたあすこまで出張っていたんですか。ただ私《わたし》を釣《つ》るためなんですか」
「なに須永へ行った帰りなんです。僕が田口で話していると、あの子が電話を掛けて、四時半ごろあすこで待ち合わせているから、ちょっと帰りに降りてくれというんです。面《めん》倒《どう》だから止《よ》そうと思ったけれども、ぜひなんとかかとかいうから、降りたところがね。今朝《けさ》お父《とう》さんから聞いたら、叔父さんがお歳暮に指《ゆび》環《わ》を買ってやると言っていたから、停留所で待ち伏せをして、逃がさないようにいっしょに行って買ってもらえと言われたからさっきからここで待っていたんだって、人の知りもしないのに、一人で勝《かつ》手《て》に請求を持ち出してなかなか動かない。仕方がないから、まあ西洋料理ぐらいで胡《ご》魔《ま》化《か》しておこうと思って、とうとう宝亭へ連れ込んだんです。――実に田口という男は篦《べら》棒《ぼう》だね。わざわざそれほどの手《て》数《かず》を掛けて、なにもそんな下《くだ》らない真《ま》似《ね》をするにも当たらないじゃないか。騙《だま》された君よりもよっぽど田口のほうが篦棒ですよ」
敬太郎には騙された自分のほうがはるかに愚物に思われた。そうと知ったら、探《たん》偵《てい》の結果を報告する時にも、もう少しは手加減ができたものをと、おのずから赧《あか》い顔もしなければならなかった。
「貴方《あなた》はまるで御承知ないことなんですね」
「知るものかね、君。いくら高等遊民だって、そんな暇の出るはずがないじゃありませんか」
「お嬢さんはどうでしょう。たぶん御存じなんだろうと思いますが」
「そうさ」と言って松本はしばらく思案していたが、やがてはっきりした口調で、「いや知るまい」と断言した。「あの篦棒の田口に、一つ取《とり》柄《え》があるといえばいわれるのだが、あの男はね、いくら悪戯《いたずら》をしても、その悪戯をされた当人が、もう少しで恥を掻《か》きそうな際《きわ》どい時になると、ぴたりと留めてしまうか、または自分がその場へ出てきて、当人の体面に拘《かかわ》らないうちに綺《き》麗《れい》に始末を付ける。そこへゆくと篦棒には違いないが感心なところがあります。つまり遣《や》り方《かた》は悪《あく》辣《らつ》でも、始末には妙に温《あたた》かい情の籠《こも》った人間らしい点を見せてくるんです。今度のことでもおそらく自分一人で呑《の》み込んでいるだけでしょう。君が僕の家《うち》に来なかったら、僕はきっとこの事件を知らずに済むんだったろう。自分の娘にだって、君の馬鹿を証明するような策略を、はじめから吹《ふい》聴《ちよう》するほど無慈悲な男じゃない。だからついでに悪戯も止《よ》せば可《い》いんだがね、それがどうしても止せないところが、要するに篦棒です」
田口の性格に対する松本のこういう批評を黙って聞いていた敬太郎は、自分の馬鹿な振《ふる》舞《まい》を顧みる後悔よりも、自分を馬鹿にした責任者を怨《うら》むよりも、むしろ悪戯をした田口を頼もしいと思う心が、わが胸の裏《うち》でいちばん勝ちを制したのを自覚した。が、はたしてそういう人ならば、なぜ彼の前に出て話をしているあいだに、あんな窮屈な感じが起こるのだろうという不審もおのずと萌《きざ》さないわけにゆかなかった。
「貴方のお話でだいぶ田口さんが解《わか》ってきたようですが、私はあのかたの前へ出ると、なんだか気が落ち付かなくって苦しいです」
「そりゃ向こうでも君に気を許さないからさ」
一四
こう言われてみると、田口が自分に気を許していない目《め》遣《づか》いやら言葉付きやらがありありと敬太郎の胸に、疑いもない記憶として読まれた。けれども田口ほどの老巧のものに、なんで学校を出たばかりの青臭い自分が、それほど苦になるのか、敬太郎はまったく合《が》点《てん》がゆかなかった。彼は見たとおりのままの自分で、誰の前へ出ても通用するものと今まで固く己《おのれ》を信じていたのである。彼はただかような青年として、他《ひと》へ憚《はばか》られたり気を置かれたりする資格さえないように自分を見《み》縊《くび》っていただけに、経験の程度の違う年長者から、自分の思わくと違う待遇を受けるのをむしろ不思議に考えだした。
「私《わたくし》はそんな裏表のある人間と見えますかね」
「どうだか、そんな細かいことは初めて会っただけじゃ分《わか》らないですよ。しかしあってもなくっても、僕《ぼく》の君に対する待遇にはいっこう関係がないから可《い》いじゃありませんか」
「けれども田口さんからそう思われちゃ……」
「田口は君だからそう思うんじゃない。誰を見てもそう思うんだから仕方がないさ。ああして長いあいだ人を使ってるうちには、だいぶ騙《だま》されなくちゃならないからね。たまに自然そのままの美しい人間が自分の前に現われてきても、やっぱり気が許せないんです。それがああいう人の因果だと思えばそれで好《い》いじゃないか。田口は僕の義兄だから、こういうと変に聞こえるが、本来は美質なんです。決して悪い男じゃない。ただああして何年となく事業の成功ということだけをおもに眼中に置いて、世の中と闘《たたか》っているものだから、人間も見方が妙に片寄って、こいつは役に立つだろうかとか、こいつは安心して使えるだろうかとか、まあそんなことばかり考えているんだね。ああなると女に惚《ほ》れられても、こりゃ自分に惚れたんだろうか、自分の持っている金に惚れたんだろうか、すぐそこを疑《うたぐ》らなくっちゃいられなくなるんです。美人でさえそうなんだから君見たいな野郎が窮屈な取扱いを受けるのは当然だと思わなくっちゃ不可《いけ》ない。そこが田口の田口たるところなんだから」
敬太郎はこの批評で田口という男が自分にもはっきり呑《の》み込めたような気がした。けれどもこういうふうに一々彼を肯《うけが》わせるほどの判断を、彼の頭に鉄《てつ》椎《つい》で叩《たた》き込むように入れてくれる松本はそもそも何物だろうか、その点になると敬太郎は依然として茫《ぼう》漠《ばく》たる雲に対する思いがあった。批評に上らないまえの田口でさえ、この男よりはかえって活《い》きた人間らしい気がした。
同じ松本について見ても、このあいだの晩神田の洋食屋で、田口の娘を相手にして珊《さん》瑚《ご》樹《じゆ》の珠《たま》がどうしたとかこうしたとか言っていた時のほうが、よっぽど活《い》きて動いていた。今彼の前に坐《すわ》っているのは、大きなパイプを銜《くわ》えた木像の霊が、口を利《き》くと同じような感じを敬太郎に与えるだけなので、彼はただその人の本体を髣《ほう》髴《ふつ》するに苦しむにすぎなかった。彼が一方では明《めい》瞭《りよう》な松本に心服しながら、一方では松本の何者なるかをこういうふうに考えつつ、自分では頭脳の悪い、直覚の鈍い、世間並み以下の人物じゃあるまいかと疑《うたぐ》りはじめた時、この漠《ばく》然《ぜん》たる松本がまた口を開いた。
「それでも田口が篦《べら》棒《ぼう》を遣《や》ってくれたため、君はかえって仕合わせをしたようなものですね」
「なぜですか」
「きっとなにか位置を拵《こしら》えてくれますよ。これなりで放っておきゃ田口でもなんでもありゃしない。それは責任を持って受け合ってあげても宜《い》い。が、詰《つま》らないのは僕だ。まったく探《たん》偵《てい》のされ損《ぞん》だから」
二人は顔を見合わせて笑った。敬太郎が丸い更《さら》紗《さ》の座《ざ》蒲《ぶ》団《とん》の上から立ち上がった時、主人はわざわざ玄関まで送って出た。そこに飾ってあった墨絵の鶴《つる》の衝《つい》立《たて》の前に、瘠《や》せた高い身体《からだ》をしばらく佇《たたず》まして、靴《くつ》を穿《は》く敬太郎の後ろ姿を眺《なが》めていたが、「妙な洋杖《ステツキ》を持っていますね。ちょっと拝見」と言った。そうしてそれを敬太郎の手から受け取って、「へえ、蛇の頭だね。なかなか旨《うま》く刻《ほ》ってある。買ったんですか」と聞いた。「いえ素人《しろうと》が刻ったのを貰《もら》ったんです」と答えた敬太郎は、それを振りながらまた矢来の坂を江戸川の方へ下った。
雨の降る日
一
雨の降る日に面会を謝絶した松本の理由は、ついに当人の口から聞く機会を得ずに久しく過ぎた。敬太郎もそのうちに取り紛れて忘れてしまった。ふとそれを耳にしたのは、彼が田口の世話で、ある地位を得たのを縁故に、遠慮なく同家へ出《しゆつ》入《にゆう》のできる身になってからのことである。その時分の彼の頭には、停留所の経験がすでに新しい匂《におい》を失い掛けていた。彼は時々須永からその話を持ち出されては苦笑するにすぎなかった。須永はよく彼に向かって、なぜそのまえに僕のところへ来て打ち明けなかったのだと詰問した。内幸町の叔父《おじ》が人を担《かつ》ぐぐらいのことは、母から聞いて知っているはずだのにと窘《たしな》めることもあった。しまいには、君があんまり色気がありすぎるからだと調戯《からか》いだした。敬太郎はそのたびに「馬鹿言え」で通していたが、心のうちではいつも、須永の門前で見た後ろ姿の女を思い出した。その女がとりもなおさず停留所の女であったことも思い出した。そうしてどこか遠くの方で気恥ずかしい心持ちがした。その女の名が千《ち》代《よ》子《こ》で、その妹の名が百《もも》代《よ》子《こ》であることも、今の敬太郎には珍しい報知ではなかった。
彼が松本に会って、すべて内幕の消息を聞かされたあと、田口へ顔を出すのは多少極《きま》りの悪い思いをするだけであったにかかわらず、顔を出さなければ締《し》め括《くく》りが付かないという行き掛かりから、笑われるのを覚悟のまえで、また田口の門を潜《くぐ》った時、田口ははたして大きな声を出して笑った。けれどもその笑いのうちには己《おのれ》の機略に誇る高慢の響きよりも、迷った人を本来の路《みち》に返してやった喜びの勝利が聞こえているのだと敬太郎には解釈された。田口はその時訓戒のためだとか教育の方法だとかいったふうの、恩に着せた言葉をいっさい使わなかった。ただ悪意でしたわけでないから、怒《おこ》っては不可《いけ》ないと断わって、すぐその場で相当の位置を拵《こしら》えてくれる約束をした。それから手を鳴らして、停留所に松本を待ち合わせていたほうの姉娘を呼んで、これが私《わたし》の娘だとわざわざ紹介した。そうしてこのかたは市《いつ》さんのお友《とも》達《だち》だよと言って敬太郎を娘に教えていた。娘はなんでこういう人に引き合わされるのか、ちょっと解しかねたふうをしながら、きわめて余所《よそ》余所しく丁寧な挨《あい》拶《さつ》をした。敬太郎が千代子という名を覚えたのはその時のことであった。
これが田口の家庭に接触したはじめての機会になって、敬太郎はその後も用事なり訪問なりに縁を藉《か》りて、同じ人の門を潜《くぐ》ることが多くなった。時々は玄《げん》関《かん》脇《わき》の書《しよ》生《せい》部《べ》屋《や》へはいって、かつて電話で口を利《き》き合ったことのある書生と世間話さえした。奥へもむろん通る必要が生じてきた。細君に呼ばれて内《うち》向《む》きの用を足す場合もあった。中学校へ行く長男から英語の質問を受けて窮することも希《まれ》ではなかった。出入りの度数がこう重なるにつれて、敬太郎が二人の娘に接触する機会もしぜん多くなってきたが、一種間の延びた彼の調子と、比較的引き締まった田口の家風と、差向いで坐《すわ》る時間の欠乏とが、容易に打ち解けがたい境遇に彼らを置き去りにした。彼らの間に取り換わされた言葉は、むろん形式だけを重んずる堅苦しいものではなかったが、たいていは五分と掛からない当用にすぎないので、親しみはそれほど出る暇がなかった。彼らが公然と膝《ひざ》を突き合わせて、例になく長い時間を、遠慮の交じらない談話に更《ふ》かしたのは、正月半ばの歌《か》留《る》多《た》会《かい》のおりであった。その時敬太郎は千代子から、貴方《あなた》ずいぶん鈍《のろ》いのねと言われた。百代子からは、妾《あたし》貴方と組むのは厭《いや》よ、負けるに極《き》まってるからと怒《おこ》られた。
それからまた一か月ほど経《た》って、梅の音信《たより》の新聞に出るころ、敬太郎はある日曜の午後を、久しぶりに須永の二階で暮らした時、偶然遊びに来ていた千代子に出《で》逢《あ》った。三人してそれからそれへと纏《まとま》らない話を続けてゆくうちに、ふと松本の評判が千代子の口に上った。
「あの叔父《おじ》さんもずいぶん変わってるのね。雨が降るとひとしきりよくお客を断わったことがあってよ。今でもそうかしら」
二
「実は僕も雨の降る日に行って断わられた一《いち》人《にん》なんだが……」と敬太郎が言いだした時、須永と千代子は申し合わせたように笑いだした。
「君もずいぶん運の悪い男だね。おおかた例の洋杖《ステツキ》を持っていかなかったんだろう」と須永は調戯《からか》いはじめた。
「だって無理だわ、雨の降る日に洋杖なんか持っていけったって。ねえ田川さん」
この理攻めの弁護を聞いて、敬太郎も苦笑した。
「いったい田川さんの洋杖って、どんな洋杖なの。妾《わたし》ちょっと見たいわ。見せてちょうだい、ね、田川さん。下へ行って見てきても好《よ》くって」
「今日《きよう》は持ってきません」
「なぜ持ってこないの。今日は貴方《あなた》それでも好《い》いお天気よ」
「大事な洋杖だから、いくら好いお天気でも、ただの日には持って出ないんだとさ」
「ほんとう?」
「まあそんなものです」
「じゃ旗日にだけ突いて出るの」
敬太郎は一人で二人の当たっているのが少し苦しくなった。この次内幸町へ行く時は、きっと持っていって見せるという約束をしてようやく千代子の追窮を逃《のが》れた。その代り千代子からなぜ松本が雨の降る日に面会を謝絶したのか原因を話してもらうことにした。――
それは珍しく秋の日の曇った十一月のある午《ひる》過《す》ぎであった。千代子は松本の好きな雲丹《うに》を母から言《こと》付《づ》かって矢《や》来《らい》へ持ってきた。久しぶりに遊んでいこうかしらと言って、わざわざ乗ってきた車まで返して、ゆっくり腰を落ち付けた。松本には十三になる女を頭《かしら》に、男、女、男と互い違いに順序よく四人の子が揃《そろ》っていた。これらは皆二つ違いに生まれて、いずれも世間並みに成長しつつあった。家庭に華《はな》やかな匂《におい》を着けるこの生き生きした装飾物のほかに、松本夫婦はとって二つになる宵《よい》子《こ》を、指《ゆび》環《わ》に嵌《は》めた真《しん》珠《じゆ》のように大事に抱いて離さなかった。彼女は真珠のように透明な青白い皮膚と、漆のように濃い大きな目を有《も》って、前の年の雛《ひな》の節句の前の宵《よい》に松本夫婦の手に落ちたのである。千代子は五人のうちで、いちばんこの子を可愛《かわい》がっていた。来るたんびにきっとなにか玩具《おもちや》を買ってきてやった。ある時はあまりに多量に甘いものを当てがって叔母《おば》から怒《おこ》られたことさえある。すると千代子は、大事そうに宵子を抱いて縁側へ出て、ねえ宵子さんと言っては、わざと二人の親しい様子を叔母に見せた。叔母は笑いながら、なんだね喧《けん》嘩《か》でもしやしまいしと言った。松本は、お前そんなにその子が好きならお祝いの代りに上げるから、嫁に行くとき持っておいでと調戯《からか》った。
その日も千代子は坐るとすぐ宵子を相手にして遊びはじめた。宵子は生まれてからついぞ月代《*さかやき》を剃ったことがないので、頭の毛が非常に細く柔らかに延びていた。そうして皮膚の青白いせいか、その髪の色が日光に照らされると、潤沢《うるおい》の多い紫を含んでぴかぴか縮れ上がっていた。「宵子さんかんかん結《い》ってあげましょう」と言って、千代子は丁寧にその縮れ毛に櫛《くし》を入れた。それから乏しい片《かた》鬢《びん》を一《ひと》束《たば》割《さ》いて、その根元に赤いリボンを括《くく》り付けた。宵子の頭はお供えのように平らに丸く開いていた。彼女は短い手をやっとそのお供えの片《かた》隅《すみ》へ乗せて、リボンの端《はじ》を抑《おさ》えながら、母のいる所までよたよた歩いて来て、イボンイボンと言った。母がああ好くかんかんが結えましたねと賞《ほ》めると、千代子は嬉《うれ》しそうに笑いながら、子供の後ろ姿を眺《なが》めて、今度はお父《とう》さんの所へ行って見せていらっしゃいと指《さし》図《ず》した。宵子はまた足元の危《あぶな》い歩き付きをして、松本の書斎の入り口まで来て、四《よ》つ這《ば》いになった。彼女が父に礼をするときには必ず四つ這いになるのが例であった。彼女はそこで自分の尻《しり》をできるだけ高く上げて、お供えのような頭を敷居から二、三寸のところまで下げて、またイボンイボンと言った。書見をちょっと已《や》めた松本が、ああ好い頭だね、誰《だれ》に結ってもらったのと聞くと、宵子は頸《くび》を下げたまま、ちいちいと答えた。ちいちいというのは、舌の回らない彼女の千代子を呼ぶ常の符徴であった。後ろに立って見ていた千代子は小《ち》さい唇《くちびる》から出る自分の名前を聞いて、また嬉しそうに大きな声で笑った。
三
そのうち子供がみんな学校から帰ってきたので、今まで赤いリボンに占領されていた家庭が、急に幾色かの華《はな》やかさを加えた。幼稚園へ行く七つになる男の子が、巴《ともえ》の紋《もん》の付いた陣《*じん》太《だい》鼓《こ》のようなものを持ってきて、宵子さん叩《たた》かしてあげるからお出《いで》と連れていった。その時千代子は巾《きん》着《ちやく》のような恰好をした赤い毛織の足袋《たび》が廊下を動いて行く影を見詰めていた。その足袋の紐《ひも》の先には丸い房《ふさ》が付いていて、それが小さな足を運ぶたびにぱっぱっと飛んだ。
「あの足袋はたしかお前が編んでやったのだったね」
「ええ可愛《かわい》らしいわね」
千代子はそこへ坐《すわ》って、しばらく叔父《おじ》と話していた。そのうちに曇った空から淋《さび》しい雨が落ちだしたと思うと、それが見る見る音を立てて、空《から》坊《ぼう》主《ず》になった梧《ご》桐《とう》をしたたか濡《ぬ》らしはじめた。松本も千代子も申し合わせたように、硝子《ガラス》越しの雨の色を眺《なが》めて、手《て》焙《あぶり》に手を翳《かざ》した。
「芭《ば》蕉《しよう》があるもんだからよけい音がするのね」
「芭蕉はよく持つものだよ。このあいだから今日《きよう》は枯れるか、今日は枯れるかと思って、毎日こうして見ているがなかなか枯れない。山茶花《さざんか》が散って、青《あお》桐《ぎり》が裸になっても、まだ青いんだからなあ」
「妙なことに感心するのね。だから恒《つね》三《ぞう》は閑《ひま》人《じん》だって言われるのよ」
「その代りお前のお父《とう》さんには芭蕉の研究なんか死ぬまでできっこない」
「為《し》かたないわ、そんな研究なんか。だけど叔父さんは内《うち》のお父さんよりかまったく学者ね。妾《わたし》ほんとうに敬服しててよ」
「生意気言うな」
「あらほんとうよ貴方《あなた》。だってなにを聞いても知ってるんですもの」
二人がこんな話をしていると、ただいまこのかたがお見えになりましたと言って、下女が一通の紹介状のようなものを持ってきて松本に渡した。松本は「千代子待っておいで。今にまた面《おも》白《しろ》いことを教えてやるから」と笑いながら立ち上がった。
「厭《いや》よまたこないだ見たいに、西《せい》洋《よう》烟草《たばこ》の名なんかたくさん覚えさせちゃ」
松本はなんにも答えずに客間の方へ出ていった。千代子も茶の間へ取って返した。そこには雨に降り込められた空の光を補うため、もう電気燈が点《とも》っていた。台所ではすでに夕《ゆう》飯《めし》の支《し》度《たく》を始めたとみえて、瓦斯《ガス》七《しち》輪《りん》が二つとも忙しく青い炎を吐いていた。やがて小供は大きな食卓に二人ずつ向い合わせに坐《すわ》った。宵子だけは別に下女が付いて食事をするのが例になっているので、この晩は千代子がその役を引き受けた。彼女は小《ち》さい朱塗りの椀《わん》と小《こ》皿《ざら》に盛った魚肉とを盆の上に載せて、横手にある六畳へ宵子を連れ込んだ。そこは家《うち》のものの着《き》更《が》えをするために多く用いられる室《へや》なので、箪《たん》笥《す》が二つと姿見が一つ、壁から飛び出したように据《す》えてあった。千代子はその姿見の前に玩具《おもちや》のような椀《わん》と茶《ちや》碗《わん》を載せた盆を置いた。
「さあ宵子さん、まんまよ。お待ち遠さま」
千代子が粥《かゆ》を一匙《さじ》ずつ掬《すく》って口へ入れてやるたびに、宵子は旨《おい》しい旨しいだの、頂《ちよう》戴《だい》頂戴だのいろいろな芸を強《し》いられた。しまいに自分一人で食べると言って、千代子の手から匙を受け取った時、彼女はまたたんねんに匙の持ち方を教えた。宵子はもとよりきわめて短い単語よりほかに発音できなかった。そう持つのではないと叱《しか》られると、きっとお供えのような平たい頭を傾《かし》げて、こう? こう? と聞き直した。それを千代子が面白がって、何遍も繰り返さしているうちに、いつものとおりこう? と半分言い懸《か》けて、こころもち横にした大きな目で千代子を見上げた時、突然右の手に持った匙を放り出して、千代子の膝《ひざ》の前に俯《うつ》伏《ぶ》せになった。
「どうしたの」
千代子はなんの気も付かずに宵子を抱き起こした。するとまるで眠った子を抱《かか》えたように、ただ手《て》応《ごた》えがぐたりとしただけなので、千代子は急に大きな声を出して、宵子さん宵子さんと呼んだ。
四
宵子はうとうと寐《ね》入《い》った人のように目を半分閉じて口を半分開《あ》けたまま千代子の膝《ひざ》の上に支《ささ》えられた。千代子は平手でその背中を二、三度叩《たた》いたが、なんの効《き》き目《め》もなかった。
「叔母《おば》さん、たいへんだから来てください」
母は驚いて箸《はし》と茶《ちや》碗《わん》を放り出したなり、足音を立ててはいってきた。どうしたのと言いながら、電燈の真下で顔を仰《あお》向《む》けにして見ると、唇《くちびる》にもう薄く紫の色が注《さ》していた。口へ掌《てのひら》を当てがっても、呼息《いき》の通う音はしなかった。母は呼吸の塞《つま》ったような苦しい声を出して、下女に濡《ぬ》れ手拭《てぬぐい》を持ってこさした。それを宵子の額に載せた時、「脈はあって」と千代子に聞いた。千代子はすぐ小さい手《て》頸《くび》を握ったが脈はどこにあるかまるで分《わか》らなかった。
「叔母さんどうしたら好《い》いでしょう」と蒼《あお》い顔をして泣きだした。母は茫《ぼう》然《ぜん》とそこに立って見ている小供に、「早くお父《とう》さんを呼んでいらっしゃい」と命じた。小供は四人《よつたり》とも客間の方へ馳《か》け出した。その足音が廊下の端《はずれ》で止まったと思うと、松本が不思議そうな顔をして出てきた。「どうした」と言いながら、蔽《お》い被《かぶさ》るように細君と千代子の上から宵子を覗《のぞ》き込んだが、一目見ると急に眉《まゆ》を寄せた。
「医者は……」
医者は時を移さず来た。「少し模様が変です」と言ってすぐ注射をした。しかしなんの効能《ききめ》もなかった。「駄《だ》目《め》でしょうか」という苦しく張り詰めた問いが、固く結ばれた主人の唇を洩《も》れた。そうして絶望を怖《おそ》れる怪しい光に充《み》ちた三人の目が一度に医者の上に据《す》えられた。鏡を出して瞳《どう》孔《こう》を眺めていた医者は、この時宵子の裾《すそ》を捲《まく》って肛《こう》門《もん》を見た。
「これでは仕方がありません。瞳孔も肛門も開いてしまっていますから。どうもお気の毒です」
医者はこう言ったがまた一筒の注射を心臓部に試みた。もとよりそれはなんの手段にもならなかった。松本は透き徹《とお》るような娘の肌《はだ》に針の突き刺される時、おのずから眉《み》間《けん》を険しくした。千代子は涙をぽろぽろ膝《ひざ》の上に落とした。
「病因はなんでしょう」
「どうも不思議です。ただ不思議というよりほかに言いようがないです。どう考えても……」と医者は首を傾げた。「辛《から》子《し》湯《ゆ》でも使わしてみたらどうですか」と松本は素人《しろうと》料《りよう》簡《けん》で聞いた。「好《い》いでしょう」と医者はすぐ答えたが、その顔には毫《ごう》も奨励の色が出なかった。
やがて熱い湯を盥《たらい》へ汲《く》んで、湯気のもうもうと立つ真《まん》中《なか》へ辛子を一袋空《あ》けた。母と千代子は黙って宵子の着物を取り除《の》けた。医者は熱湯の中へ手を入れて、「もう少し注水《うめ》ましょう。あまり熱いと火傷《やけど》でもなさると不可《いけ》ませんから」と注意した。
医者の手に抱き取られた宵子は、湯の中に、五、六分浸《つ》けられていた。三人は息を殺して柔らかい皮膚の色を見詰めていた。「もう好いでしょう。あんまり長くなると……」と言いながら、医者は宵子を盥から出した。母はすぐ受け取ってタオルで丁寧に拭《ふ》いて元の着物を着せてやったが、ぐたぐたになった宵子の様子に、ちっともまえと変わりがないので、「少しのあいだこのまま寐《ね》かしておいてやりましょう」と恨めしそうに松本の顔を見た。松本はそれが可かろうと答えたまま、また座敷の方へ取って返して、来客を玄関に送り出した。
小《ち》さい蒲《ふ》団《とん》と小さい枕《まくら》がやがて宵子のために戸《と》棚《だな》から取り出された。その上に常の夜《よ》の安らかな眠りに落ちたとしか思えない宵子の姿を眺《なが》めた千代子は、わっと言って突っ伏した。
「叔母さんとんだことをしました……」
「なにも千代ちゃんがしたわけじゃないんだから……」
「でも妾《あたし》が御飯を喫《た》べさしていたんですから、叔父《おじ》さんにも叔母さんにもまことに済みません」
千代子はとぎれとぎれの言葉で、さっき自分が夕《ゆう》飯《めし》の世話をしていた時の、平生《ふだん》と異ならない元気な様子を、何遍も繰り返して聞かした。松本は腕組みをして、「どうもやっぱり不思議だよ」と言ったが、「おいお仙《せん》、ここへ寐かしておくのは可哀《かわい》そうだから、あっちの座敷へ連れていってやろう」と細君を促した。千代子も手を貸した。
五
手ごろな屏《びよう》風《ぶ》がないので、ただ都合の好《い》い位置を択《よ》って、なんの囲いもない所へ、そっと北《きた》枕《まくら》に寐《ね》かした。今朝《けさ》方《がた》玩具《おもちや》にしていた風船玉を茶の間から持ってきて、お仙《せん》がその枕《まくら》元《もと》に置いてやった。顔へは白い晒《さら》し木綿《もめん》を掛けた。千代子は時々それを取り除《の》けてみては泣いた。「ちょっと貴方《あなた》」とお仙が松本を顧みて、「まるで観《かん》音《のん》様のように可愛《かわい》い顔をしています」と鼻を詰《つま》らせた。松本は「そうか」と言って、自分の坐《すわ》っている席から宵子の顔を覗《のぞ》き込んだ。
やがて白木の机の上に、樒《*しきみ》と線香立てと白《しろ》団《だん》子《ご》が並べられて、蝋《ろう》燭《そく》の灯《ひ》が弱い光を放った時、三人ははじめて眠りから覚《さ》めない宵子と自分たちが遠く離れてしまったという心細い感じに打たれた。彼らは代る代る線香を上げた。その烟《けむり》の香《におい》が、二時間まえとはまったく違う世界に誘《いざな》い込まれた彼らの鼻をたえず刺激した。ほかの子供は平生のとおり早く寐かされたあとに、咲《さき》子《こ》という十三になる長女だけが起きて線香の側《そば》を離れなかった。
「お前もお寐よ」
「まだ内幸町からも神田からも誰《だれ》も来ないのね」
「もう来るだろう。好《い》いから早くお寐」
咲子は立って廊下へ出たが、そこで振《ふ》り回《かえ》って、千代子を招いた。千代子が同じく立って廊下へ出ると、小さな声で、怖《こわ》いからいっしょに便所《はばかり》へ行ってくれろと頼んだ。便所には電燈が点《つ》けてなかった。千代子は燐寸《マツチ》を擦《す》って雪洞《ぼんぼり》に灯《ひ》を移して、咲子といっしょに廊下を曲がった。帰りに下《げ》女《じよ》部《べ》屋《や》を覗《のぞ》いて見ると、飯《めし》焚《たき》が出入りの車夫と火《ひ》鉢《ばち》を挟《はさ》んでひそひそなにか話していた。千代子にはそれが宵子の不幸を細かに語っているらしく思われた。ほかの下女は茶の間で来客の用意に盆を拭《ふ》いたり茶《ちや》碗《わん》を並べたりしていた。
通知を受けた親類のものがそのうち二、三人寄った。いずれまた来るからと言って帰ったのもあった。千代子は来る人ごとに宵子の突然の最後を繰り返し繰り返し語った。十二時過ぎからお仙は通夜をする人のために、わざと置《お》き火燵《ごたつ》を拵《こしら》えて室《へや》に入れたが、誰もあたるものはなかった。主人夫婦はむりに勧められて寝室へ退いた。そのあとで千代子はいくたびか短くなった線香の烟を新しく継いだ。雨はまだ降り已《や》まなかった。夕方芭《ば》蕉《しよう》に落ちた響きはもう聞こえない代りに、亜鉛《トタン》葺《ぶ》きの廂《ひさし》にあたる音が、非常に淋《さび》しくて悲しい点滴を彼女の耳に絶えず送った。彼女はこの雨のなかで、時々宵子の顔に当てた晒《さらし》を取っては啜《すす》り泣きをしているうちに夜が明けた。
その日は女がみんなして宵子の経《*きよう》帷子《かたびら》を縫った。百代子が新たに内幸町から来たのと、ほかに懇意の家《うち》の細君が二人ほど見えたので、小さい袖《そで》や裾《すそ》が、方々の手に渡った。千代子は半紙と筆と硯《すずり》とを持って回って、南《な》無《む》阿《あ》弥《み》陀《だ》仏《ぶつ》という六字を誰にも一枚ずつ書かした。「市《いつ》さんも書いてあげてください」と言って、須永の前へ来た。「どうするんだい」と聞いた須永は、不思議そうに筆と紙を受け取った。
「細かい字で書けるだけ一面に書いてください。あとから六字ずつを短《たん》冊《ざく》形《がた》に剪《き》って棺の中へ散らしにして入れるんですから」
皆《みんな》畏《かしこま》って六字の名《みよう》号《ごう》を認《したた》めた。咲子は見ちゃ厭《いや》よと言いながら袖《*そで》屏《びよう》風《ぶ》をして曲がりくねった字を書いた。十一になる男の子は僕は仮《か》名《な》で書くよと断わって、ナムアミダブツと電報のようにいくつも並べた。午《ひる》過《す》ぎになっていよいよ棺に入れるとき松本は千代子に「お前着物を着換えさしておやりな」と言った。千代子は泣きながら返事もせずに、冷たい宵子を裸にして抱き起こした。その背中には紫色の斑《はん》点《てん》が一面に出ていた。着換えが済むとお仙が小さい珠《じゆ》数《ず》を手に掛けてやった。同じく小さい編《あみ》笠《がさ》と藁《わら》草《ぞう》履《り》を棺に入れた。昨日《きのう》の夕方まで穿《は》いていた赤い毛糸の足袋《たび》も入れた。その紐《ひも》の先に付けた丸い珠《たま》のぶらぶら動く姿がすぐ千代子の目に浮かんだ。みんなの呉《く》れた玩具《おもちや》も足や頭のところへ押し込んだ。最後に南無阿弥陀仏の短冊を雪のように降り掛けた上へ蓋《ふた》をして、白《*しろ》綸《りん》子《ず》の被《おい》をした。
六
友《*》引は善《よ》くないというお仙の説で、葬式を一日延ばしたため、家《うち》の中は陰気な空気の裡《うち》に常よりは賑《にぎわ》った。七つになる嘉《か》吉《きち》という男の子が、いつもの陣太鼓を叩《たた》いて叱《しか》られたあと、そっと千代子の傍《そば》へ来て、宵子さんはもう帰ってこないのと聞いた。須永が笑いながら、明日《あした》は嘉吉さんも焼き場へ持って行って、宵子さんといっしょに焼いてもらうつもりだと調戯《からか》うと、嘉吉はそんなつもりなんか僕厭《いや》だぜと言いながら、大きな目をくるくるさせて須永を見た。咲子は、お母《かあ》さん妾《わたし》も明日お葬式に行きたいわとお仙に強請《せび》った。妾《あたし》もねと七つになる重《しげ》子《こ》が頼んだ。お仙はようやく気が付いたように、奥で田口夫婦と話をしていた夫を呼んで、「貴方《あなた》、明日いらしって」と聞いた。
「行くよ。お前も行ってやるが好《い》い」
「ええ、行くことに極《き》めてます。小供にはなにを着せたら可《い》いでしょう」
「紋付で可いじゃないか」
「でもあんまり模様が派《は》手《で》だから」
「袴《はかま》を穿《は》けば可いよ。男の子は海軍服でたくさんだし。お前は黒紋付だろう。黒い帯は持っているかい」
「持ってます」
「千代子、お前も持ってるなら喪服を着て供に立っておやり」
こんな世話を焼いたあとで、松本はまた奥へ引き返した。千代子もまた線香を上げに立った。棺の上を見ると、いつのまにか綺《き》麗《れい》な花《はな》環《わ》が載せてあった。「いつ来たの」と傍《そば》にいる妹の百代に聞いた。百代は小さな声で「さっき」と答えたが、「叔母《おば》さんが小供のだから、白い花だけでは淋《さみ》しいって、わざと赤いのを交ぜさしたんですって」と説明した。姉と妹はしばらくそこに並んで坐《すわ》っていた。十分ばかりすると、千代子は百代の耳に口を付けて、「百代さん貴方宵子さんの死に顔を見て」と聞いた。百代は「ええ」と首肯《うなず》いた。
「いつ」
「ほらさっきお棺に入れる時見たんじゃないの。なぜ」
千代子はそれを忘れていた。妹がもし見ないと言ったら、二人で棺の蓋《ふた》をもう一遍開《あ》けようと思ったのである。「お止《よ》しなさいよ、怖《こわ》いから」と言って百代は首を掉《ふ》った。
晩には通《*つ》夜《や》僧《そう》が来てお経を上げた。千代子が傍《そば》で聞いていると、松本は坊さんを捕《つら》まえて、三《*》部経がどうだの、和《*わ》讃《さん》がどうだのという変な話をしていた。その会話のなかには親《しん》鸞《らん》上《しよう》人《にん》と蓮《れん》如《によ》上《しよう》人《にん》という名がたびたび出てきた。十時少し回ったころ、松本は菓子とお布施を僧の前に並べて、もう宜《よろ》しいからお引き取りくださいと断わった。坊さんの帰ったあとでお仙がその理由《わけ》を聞くと、「なに坊さんも早く寐《ね》たほうが勝《かつ》手《て》だあね。宵子だってお経なんか聴《き》くのは嫌《きら》いだよ」と済ましていた。千代子と百代子は顔を見合わせて微笑した。
あくる日は風のない明らかな空の下に、小さな棺が静かに動いた。路《みち》端《ばた》の人はそれをなにか不可思議のものでもあるかのように目送した。松本は白張りの提灯《ちようちん》や白木の輿《こし》が嫌いだと言って、宵子の棺を喪車に入れたのである。その喪車の周囲《ぐるり》に垂《た》れた黒い幕が揺れるたびに、白《しろ》綸《りん》子《ず》の覆《おい》をした小さな棺の上に飾った花《はな》環《わ》がちらちら見えた。そこいらに遊んでいた子供が駆《か》け寄ってきて、珍しそうに車の中を覗《のぞ》き込んだ。車と行き逢《あ》った時、脱帽して過ぎた人もあった。
寺では読《ど》経《きよう》も焼香も形式どおり済んだ。千代子は広い本堂に坐《すわ》っているあいだ、不思議に涙もなにも出なかった。叔父《おじ》叔母《おば》の顔を見てもこれといって憂《うれ》いに鎖《とざ》された様子は見えなかった。焼香の時、重子が香を撮《つま》んで香炉の裏《うち》へ燻《くべ》るのを間違えて、灰を一《ひと》撮《つか》み取って、抹《まつ》香《こう》の中へ打ち込んだおりには、可笑《おか》しくなって吹きだしたくらいである。式が果ててから松本と須永と別に一、二人棺に付き添って火葬場へ回ったので、千代子はほかのものといっしょにまた矢来へ帰ってきた。車の上で、切なさの少し減った今よりも、苦しいくらい悲しかった昨日《きのう》一昨日《おととい》の気分のほうが、清くて美しいものを多量に含んでいたらしく考えて、その時味わった痛烈な悲哀をかえって恋しく思った。
七
骨《こつ》上《あ》げにはお仙と須永と千代子とそれにふだん宵子の守《も》りをしていた清《きよ》という下女がついて都合四人《よつたり》で行った。柏《かしわ》木《ぎ》の停車場《ステーシヨン》を降《お》りると二丁ぐらいな所を、つい気が付かずに宅《うち》から車に乗って出たので時間はかえって長く掛かった。火葬場の経験は千代子にとって生まれてはじめてであった。久しく見ずにいた郊外の景《け》色《しき》も忘れ物を思い出したように嬉《うれ》しかった。目に入《はい》るものは青い麦《むぎ》畑《ばたけ》と青い大根畠と常盤《ときわ》木《ぎ》の中に赤や黄や褐《かつ》色《しよく》をざったに交ぜた森の色であった。前へ行く須永は時々後ろを振り返って、穴《*あな》八《はち》幡《まん》だの諏《*す》訪《わ》の森だのを千代子に教えた。車が暗いだらだら坂へ来た時、彼はまた小高い杉の木立の中にある細長い塔を千代子のために指《ゆびさ》した。それには弘《こう》法《ぼう》大《だい》師《し》千五十年供養塔と刻んであった。その下に熊《くま》笹《ざさ》の生《お》い茂った吹き井戸を控えて、一軒の茶見世が橋の袂《たもと》をさも田舎《いなか》路《みち》らしく見せていた。おりおり坊主になりかけた高い樹《き》の枝の上から、色の変わった小さい葉が一つずつ落ちてきた。それが空中で非常に早くきりきり舞う姿があざやかに千代子の目を刺激した。それが容易に地面の上へ落ちずに、いつまでも途中でひらひらするのも、彼女には目新しい現象であった。
火葬場は日当たりの好《い》い平地に南を受けて建てられているので、車を門内に引き入れた時、思ったより陽気な影が千代子の胸に射《さ》した。お仙が事務所の前で、松本ですがと言うと、郵便局の受付口見たような窓の中に坐《すわ》っていた男が、鍵《かぎ》はお持ちでしょうねと聞いた。お仙は変な顔をして急に懐《ふところ》や帯の間を探りだした。
「とんだことをしたよ。鍵を茶の間の用《よう》箪《だん》笥《す》の上へ置いたなり……」
「持ってこなかったの。じゃ困るわ。まだ時間があるから急いで市《いつ》さんに取ってきてもらうと好《い》いわ」
二人の問答を後ろの方で冷淡に聞いていた須永は、鍵なら僕が持ってきているよと言って、冷たい重いものを袂《たもと》から出して叔母《おば》に渡した。お仙がそれを受付口へ見せているあいだに、千代子は須永を窘《たしな》めた。
「市さん、貴方《あなた》ほんとうに悪《にく》らしいかたね。持ってるなら早く出してあげれば可《い》いのに。叔母さんは宵子さんのことで、頭が盆《ぼん》槍《やり》しているから忘れるんじゃありませんか」
須永はただ微笑して立っていた。
「貴方のような不人情な人はこんな時にはいっそ来ないほうが可《い》いわ。宵子さんが死んだって、涙一つ雫《こぼ》すじゃなし」
「不人情なんじゃない。まだ子供を持ったことがないから、親子の愛情がよく解《わか》らないんだよ」
「まあ。よく叔母さんの前でそんな呑《のん》気《き》なことが言えるのね。じゃ妾《あたし》なんかどうしたの。いつ子供持った覚えがあって」
「あるかどうか僕は知らない。けれども千代ちゃんは女だから、おおかた男より美しい心を持ってるんだろう」
お仙は二人の口論を聞かない人のように、用事を済ますとすぐ待合室の方へ歩いて行った。そこへ腰を掛けてから、立っている千代子を手招きした。千代子はすぐ叔母の傍《そば》へ来て座に着いた。須永も続いてはいってきた。そうして二人の向こう側にある涼み台見たようなものの上に腰を掛けた。清もお掛けと言って自分の席を割《さ》いてやった。
四人が茶を呑《の》んで待ち合わしているあいだに、骨上げの連《れん》中《じゆう》が二、三組見えた。最初のは田舎《いなか》染《じ》みたお婆《ばあ》さんだけで、これはお仙と千代子の服装に対して遠慮でもしたらしく口数を多く利《き》かなかった。次には尻《しり》を絡《から》げた親子連《づ》れが来た。活《かつ》溌《ぱつ》な声で、壺《つぼ》を下さいと言って、いちばん安いのを十六銭で買っていった。三番目には散《*》髪に角帯を締めた男とも女とも片の付かない盲者が、紫の袴《はかま》を穿《は》いた女の子に手を引かれて遣《や》ってきた。そうしてまだ時間はあるだろうねと念を押して、袂《たもと》から出した巻《まき》烟草《たばこ》を吸いはじめた。須永はこの盲者の顔を見ると立ち上がってぷいと表へ出たぎりなかなか返ってこなかった。ところへ事務所のものがお仙の傍へ来て、用意ができましたからどうぞと促したので、千代子は須永を呼びに裏手へ出た。
八
真《しん》鍮《ちゆう》の掛け札に何々殿と書いた並《なみ》等《とう》の竃《かま》を、薄気味悪く左右に見て裏へ抜けると、広い空《あき》地《ち》の隅《すみ》に松《まつ》薪《まき》が山のように積んであった。周囲《まわり》には綺《き》麗《れい》な孟《もう》宗《そう》藪《やぶ》が蒼《あお》々《あお》と茂っていた。その下が麦《むぎ》畠《ばたけ》で、麦畠の向こうがまだ岡《おか》続きに高くうねうねしているので、北側の眺《なが》めはことに晴れ晴れしかった。須永はこの空地の端に立って広い視界をぼんやり見渡していた。
「市《いつ》さん、もう用意ができたんですって」
須永は千代子の声を聞いて黙ったまま帰ってきたが、「あの竹《たけ》藪《やぶ》やたいへん見《み》事《ごと》だね。なんだか死《し》人《びと》の膏《あぶら》が肥料《こやし》になって、ああ生き生き延びるような気がするじゃないか。ここにできる筍《たけのこ》はきっと旨いよ」と言った。千代子は「おお厭《いや》だ」と言い放《ぱな》しにして、さっさとまた並等を通り抜けた。宵子の竃は上等の一号というので、扉《とびら》の上に紫の幕が張ってあった。その前に昨日《きのう》の花《はな》環《わ》が少し凋《しぼ》み掛《か》けて、台の上で静かに横たわっていた。それが昨夜《ゆうべ》宵子の肉を焼いた熱気の記念《かたみ》のように思われるので、千代子は急に息苦しくなった。御《*おん》坊《ぼう》が三人出てきた。そのうちのいちばん年を取ったのが「御封印を……」と言うので、須永は「よし、構わないから開《あ》けてくれ」と頼んだ。畏《かしこま》った御坊は自分の手で封印を切って、かちゃりと響く音をさせながら錠を抜いた。黒い鉄の扉が左右に開《あ》くと、薄暗い奥の方に、灰色の丸いものだの、黒いものだの、白いものだのが、形を成さない一《ひと》塊《かたまり》となって朧《おぼろ》気《げ》に見えた。御坊は「今出しましょう」と断わって、レールを二本前の方へ継ぎ足しておいて、鉄の環に似たものを二つ棺台の端に掛けたかと思うと、いきなりがらがらという音とともに、かの形を成さない一塊の焼け残りが四人の立っている鼻の下へ出てきた。千代子はそのなかで、例のお供えに似てふっくらと膨《ふくら》んだ宵子の頭《ず》蓋《がい》骨《こつ》が、生きていた時そのままの姿で残っているのを認めて急に手帛《ハンケチ》を口に銜《くわ》えた。御坊はこの頭蓋骨と頬《ほお》骨《ぼね》とほかに二つ三つの大きな骨を残して、「あとは綺麗に篩《ふる》って持ってまいりましょう」と言った。
四人《よつたり》はめいめい木《き》箸《ばし》と竹《たけ》箸《ばし》を一本ずつ持って、台の上の白骨を思い思いに拾っては、白い壺《つぼ》の中へ入れた。そうして誘い合わせたように泣いた。ただ須永だけは蒼《あお》白《じろ》い顔をして口も利《き》かずに鼻も鳴らさなかった。「歯は別になさいますか」と聞きながら、御坊が小器用に歯を拾い分けてくれた時、顎《あご》をくしゃくしゃと潰《つぶ》してそのなかから二、三枚択《よ》り出したのを見た須永は、「こうなるとまるで人間のような気がしないな。砂の中から小石を拾い出すと同じことだ」と独言《ひとりごと》のように言った。下女が三和土《たたき》の上にぽたぽたと涙を落とした。お仙と千代子は箸を置いて手帛を顔へ当てた。
車に乗るとき千代子は杉の箱に入れた白い壺を抱いてそれを膝《ひざ》の上に載せた。車が馳《か》けだすと冷たい風が膝掛けと杉箱の間から吹き込んだ。高い欅《けやき》が白《しら》茶《ちや》けた幹を路《みち》の左右に並べて、彼らを送り迎えるごとくに細い枝を揺り動かした。その細い枝がはるか頭の上で交差するほど繁《しげ》く両側から出ているのに、自分の通る所は存外明るいのを奇妙に思って、千代子はおりおり頭を上げては、遠い空を眺《なが》めた。宅《うち》へ着いて遺骨を仏壇の前に置いた時、すぐ寄ってきた小供が、蓋《ふた》を開《あ》けて見せてくれというのを彼女は断然拒絶した。
やがて家内中同じ室《へや》で昼《ひる》飯《めし》の膳《ぜん》に向かった。「こうしてみると、まだ子供がたくさんいるようだが、これで一人もう欠けたんだね」と須永が言いだした。
「生きてるうちはそれほどにも思わないが、逝《ゆ》かれてみるといちばん惜しいようだね。ここにいる連《れん》中《じゆう》のうちで誰《だれ》か代りになれば可《い》いと思うくらいだ」と松本が言った。
「非《ひ》道《ど》いわね」と重子が咲子に耳語《ささや》いた。
「叔母《おば》さんまた奮発して、宵子さんと瓜《うり》二《ふた》つのような子を拵《こしら》えてちょうだい。可愛《かわい》がってあげるから」
「宵子と同じ子じゃ不可《いけ》ないでしょう、宵子でなくっちゃ。お茶《ちや》碗《わん》や帽子と違って代りができたって、亡《な》くしたのを忘れるわけにゃゆかないんだから」
「己《おれ》は雨の降る日に紹介状を持って会いに来る男が厭《いや》になった」
須永の話
一
敬太郎は須永の門前で後ろ姿の女を見て以来、この二人を結び付ける縁の糸を常に想像した。その糸には一種夢のような匂《におい》があるので、二人を目の前に、須永としまた千代子として眺《なが》める時には、かえってどこかへ消えてしまうことが多かった。けれども彼らが普通の人間として敬太郎の肉眼に現実の刺激を与えない折々には、失われた糸がまた二人の中を離すべからざる因果のごとくに繋《つな》いだ。田口の家《うち》へ出入りするようになってからも、須永と千代子の関係については、一口でさえ誰《だれ》からも聞いたことはなし、また二人の様子をじかに観察しても尋常の従兄弟《いとこ》以上に何物も仄《ほのめ》いていなかったには違いないが、こういう当初からの連想に支配されて、彼は頭のどこかに、二人を常に一対《つい》の男《なん》女《によ》として認める傾きを有《も》っていた。女の連れ添わない若い男や、男の手を組まない若い女は、要するに敬太郎から見れば自然を損《そこな》った片輪にすぎないので、彼が自分の知る彼らを頭のうちでかように組み合わせたのは、まだ片輪の境遇に迷児《まご》付《つ》いている二人に、自然が生み付けたとおりの資格を早く与えてやりたいという道義心の要求から起こったのかもしれなかった。
それは小むずかしい理屈だから、たといどんな要求から起ころうと敬太郎のために弁ずる必要はないが、このごろになって偶然千代子の結婚談を耳にした彼が、頭の中の世界と、頭の外にある社会との矛盾に、ちょっと首を捻《ひね》ったのは事実に相違なかった。彼はその話を書生の佐《さ》伯《えき》から聞いたのである。もっとも佐伯のようなものが、まだことの纏《まとま》らないさきから、奥の委《くわ》しい話を知ろうはずがなかった。彼はただ漠《ばく》然《ぜん》とした顔の筋肉をいつもより緊張させて、なんでもそんな評判ですというだけであった。千代子を貰《もら》う人の名前もむろん分《わか》らなかったが、身分の実業家であることはたしかに思われた。
「千代子さんは須永君のところへ行くのだとばかり思っていたが、そうじゃないのかね」
「そうもゆかないでしょう」
「なぜ」
「なぜって聞かれると、僕にも明《めい》瞭《りよう》な答えはでき悪《にく》いんですが、ちょっと考えてみてもむずかしそうですね」
「そうかね、僕はまたちょうど好《い》い夫婦だと思ってるがね。親類じゃあるし、年だって五つか六つ違いなら可笑《おか》しかなしさ」
「知らない人から見るとちょっとそう見えるでしょうがね。裏面にはいろいろ複雑な事情もあるようですから」
敬太郎は佐伯のいわゆる「複雑な事情」なるものを根掘り葉掘り聞きたくなったが、だんだか自分を門外漢扱いにするような彼の言葉が癪《しやく》に障《さわ》るのと、たかが玄関番の書生から家庭の内幕を聞き出したと言われては自分の品格に拘《かかわ》るのと、最後には、口ほど詳しい事情を佐伯が知っている気《き》遣《づか》いがないのとで、それぎりその話は已《や》めにした。そのおりついでながら奥へ行って細君に挨《あい》拶《さつ》をしてしばらく話したが、別に平生となんの変わる様子もないので、お目出とうございますと言う勇気も出なかった。
これは敬太郎が須永の宅《うち》で矢来の叔父《おじ》さんの家《うち》にあった不幸を千代子から聞いたつい二、三日まえのことであった。その日彼が久しぶりに須永を訪問したのも、実はその結婚問題について須永の考えを確かめるつもりであった。須永がどこの何人と結婚しようと、千代子がどこの何人に片付こうと、それは敬太郎の関係するところではなかったが、この二人の運命が、それほど容易《たやす》く右左へ未練なく離れ離れになり得《う》るものか、または自分の想像したとおり幻に似た糸のようなものが、二人にも見えない縁となって、彼らを冥《めい》々《めい》のうちに繋《つな》ぎ合わせているものか。それともこの夢で織った帯とでも形容してしかるべき散ら散らするものが、ある時は二人の目に明らかに見え、ある時はまったく切れて、彼らをばらばらに孤立させるものか、――そこいらが敬太郎には知りたかったのである。もとよりそれは単なる物《もの》数《ず》奇《き》にすぎなかった。彼は明らかにそれだと自覚していた。けれども須永に対してなら、この物数奇を満足させても無礼に当たらないことも自覚していた。そればかりかこの物数奇を満足させる権利があるとまで信じていた。
二
その日はあいにく千代子に妨げられたうえ、しまいには須永の母さえ出てきたので、だいぶ長く坐《すわ》っていたにもかかわらず、立ち入った話はいっさい持ち出す機会がなかった。ただ敬太郎は偶然にも自分の前に並んだ三人が、ありのままの今の姿で、現に似合わしい夫婦と姑《しゆうとめ》に成りおおせているということにふと思い及んだ時、彼らを世間並みの形式で纏《まと》めるのは、最も容易《たやす》い仕事のように考えて帰った。
次の日曜がまた幸いな温かい日和《ひより》をすべての勤め人に恵んだので、敬太郎は朝早くから須永を尋ねて、郊外に誘《いざな》おうとした。無精で我《わが》儘《まま》な彼は玄関先まで出てきながら、なかなか応じそうになかったのを、母親がむりに勧めてようやく靴《くつ》を穿《は》かした。靴を穿いた以上彼は、敬太郎の意志どおりどっちへでも動く人であった。その代りいくら相談を掛けても、あるはっきりした方角へぜひとも足を運ばなければならないと主張する男ではなかった。彼と矢来の松本といっしょに出ると、二人とも行く先を考えずに歩くので、一致してとんでもない所へ到着することがままあった。敬太郎は現にこの人の母の口からその例を聞かされたのである。
この日彼らは両国から汽車に乗って鴻《こう》の台《だい》の下まで行って降りた。それから美しい広い河《かわ》に沿って土堤《どて》の上をのそのそ歩いた。敬太郎は久しぶりに晴れ晴れした好《い》い気分になって、水だの岡《おか》だの帆《ほ》懸《か》け船《ぶね》だのを見回した。須永も景《け》色《しき》だけは賞《ほ》めたが、まだこんな吹《*》き晴らしの土堤などを歩く季節じゃないと言って、寒いのに伴《つ》れ出した敬太郎を恨んだ。早く歩けば暖かくなると主張した敬太郎はさっさと歩きはじめた。須永は呆《あき》れたような顔をして跟《つ》いてきた。二人は柴又の帝《たい》釈《しやく》天《てん》の傍《そば》まで来て、川《*かわ》甚《じん》という家《うち》へはいって飯を食った。そこで誂《あつら》えた鰻《うなぎ》の蒲《かば》焼《や》きが甘《あま》垂《た》るくて食えないと言って、須永はまた苦い顔をした。さっきから二人の気分が熟しないので、しんみりした話をする余地が出てこないのを苦しがっていた敬太郎は、この時須永に「江《え》戸《ど》っ子《こ》は贅《ぜい》沢《たく》なものだね。細君を貰《もら》うときにもそう贅沢を言うかね」と聞いた。
「言えれば誰《だれ》だって言うさ。なにも江戸っ子に限りゃしない。君みたような田舎《いなか》ものだって言うだろう」
須永はこう答えて澄ましていた。敬太郎は仕方なしに「江戸っ子は無《ぶ》愛《あい》嬌《きよう》なものだね」と言って笑いだした。須永も突然可笑《おか》しくなったとみえて笑いだした。それからあとは二人の気分と同じように、二人の会話も円満に進行した。敬太郎が須永から「君もこのごろはだいぶ落ち付いてきたようだ」と評されても、彼は「少し真《ま》面《じ》目《め》になったかね」と大人《おとな》しく受けるし、彼が須永に「君はますます偏屈に傾くじゃないか」と調戯《からか》っても、須永は「どうも自分ながら厭《いや》になることがある」と快く己《おのれ》の弱点を承認するだけであった。
こういう打ち解けた心持ちで、二人が差向いに互いの目の奥を見《み》透《とお》して恥ずかしがらない時に、千代子の問題が持ち出されたのは、その真相を聞こうとする敬太郎にとって偶然の仕合わせであった。彼はまず一週間ほどまえ耳にした彼女が近いうちに結婚するという噂《うわさ》を皮切りに須永を襲った。その時須永は少しも昂《こう》奮《ふん》した様子を見せなかった。むしろいつもより沈んだ調子で、「またなにか縁談が起こり掛けているようだね。今度は旨《うま》く纏《まとま》れば可《い》いが」と答えたが、急に口調を更《か》えて、「なに君は知らないことだが、今までもそういう話は何度もあったんだよ」とさも陳腐らしそうに説明して聞かせた。
「君は貰《もら》う気はないのかい」
「僕が貰うように見えるかね」
話はこんなふうに、お互いで引き摺《ず》るようにしてだんだん先へ進んだが、いよいよ際《きわ》どいところまで打ち明けるか、さもなければ題目を更《か》えるよりほかに仕方がないという点まで押し詰められた時、須永はとうとう敬太郎に「また洋杖《ステツキ》を持ってきたんだね」と言って苦笑した。敬太郎も笑いながら縁側へ出た。そこから例の洋杖を取ってまたはいってきたが、「このとおりだ」と蛇《へび》の頭を須永に見せた。
三
須永の話は敬太郎の予期したよりもはるかに長かった。――
僕の父は早く死んだ。僕がまだ親子の情愛をよく解しない子供のころに突然死んでしまった。僕は子がないから、自分の血を分けた温《あたた》かい肉の塊《かたまり》に対する情は、今でも比較的薄いかもしれないが、自分を生んでくれた親を懐《なつか》しいと思う心はその後だいぶ発達した。今の心をその時分持っていたならと考えることも希《まれ》ではない。一《いち》言《ごん》でいうと、当時の僕は父にははなはだ冷淡だったのである。もっとも父も決して甘いほうではなかった。今の僕の胸に映る彼の顔は、骨の高い血色の勝《すぐ》れない、親しみの薄い、厳格な表情に充《み》ちた肖像にすぎない。僕は自分の顔を鏡の裏《うち》に見るたんびに、それが胸の中に収めた父の容《よう》貌《ぼう》とたいへん似ているのを思い出しては不愉快になる。自分が父と同じ厭《いや》な印象を、傍《はた》の人に与えはしまいかと苦に病んで、そこで気が引けるばかりではない。こんな陰《いん》鬱《うつ》な眉《まゆ》や額が代表するよりも、まだ増しな温かい愛情を、血の中に流している今の自分から推して、あんなに冷酷に見えた父も、心の底には自分以上に熱い涙を貯《たくわ》えていたのではなかろうかと考えると、父の記念《かたみ》として、彼の悪い上《うわ》皮《かわ》だけを覚えているのが、子としていかにも情けない心持ちがするからである。父は死ぬ二、三日まえ僕を枕《まくら》元《もと》に呼んで、「市蔵、おれが死ぬとお母《かあ》さんの厄《やつ》介《かい》にならなくっちゃならないぞ。知ってるか」と言った。僕は生まれた時から母の厄介になっていたのだから、いまさらあらためて父からそれを聞かされるのを妙に思った。黙って坐《すわ》っていると、父は骨ばかりになった顔の筋をむりに動かすようにして、「今のように腕白じゃ、お母さんも構ってくれないぞ、もう少し大人《おとな》しくしないと」と言った。僕は母が今まで構ってくれたんだからこのままの僕でたくさんだという気が十分あった。それで父の小言をまるで必要のない余計なことのように考えて病室を出た。
父が死んだ時母は非常に泣いた。葬式が出る間《ま》際《ぎわ》になって、僕は着物を着換えさせられたまま、手《て》持《も》ち無《ぶ》沙《さ》汰《た》だから、一人縁側へ出て、蒼《あお》い空を覗《のぞ》き込むように眺《なが》めていると、白《しろ》無《む》垢《く》を着た母が何を思ったか不意にそこへ出てきた。田口や松本を始め、供に立つものはみんな向こうの方で混雑《ごたごた》していたので、傍《はた》には誰《だれ》も見えなかった。母は突然《いきなり》自分の坊主頭へ手を載せて、泣き腫《はら》した目を自分の上に据《す》えた。そうして小さい声で、「お父《とう》さんがお亡《な》くなりになっても、お母さんが今まで通り可愛《かわい》がってあげるから安心なさいよ」と言った。僕はなんとも答えなかった。涙も落とさなかった。その時はそれで済んだが、両《ふた》親《おや》に対する僕の記憶を、生長の後に至って、遠くの方で曇らすものは、二人のこの時の言葉であるという感じがその後しだいしだいに強く明らかになってきた。なんの意味も付ける必要のない彼らの言葉に、僕はなぜ厚い疑惑の裏打ちをしなければならないのか、それは僕自身に聞いてみてもまるで説明が付かなかった。時々は母に向かってじかに問い糾《ただ》してみたい気も起こったが、母の顔を見ると急に勇気が摧《くじ》けてしまうのが例《つね》であった。そうして心のうちのどこかで、それを打ち明けたが最後、親しい母子《おやこ》が離れ離れになって永久今の睦《むつま》しさに戻《もど》る機会はないと僕に耳語《ささや》くものが出てきた。それでなくとも、母は僕の真《ま》面《じ》目《め》な顔を見守って、そんなことがあったっけかねと笑いに紛らしそうなので、そう剥《は》ぐらかされた時の残酷な結果を予想すると、とても口へ出された義理じゃないと思い直しては黙っていた。
僕は母に対して決して柔順な息子《むすこ》ではなかった。父の死ぬまえに枕元へ呼び付けられて意見されただけあって、小さいうちからよく母に逆らった。大きくなって、女親だけになおさら優しくしてやりたいという分別ができたあとでも、やっぱり彼女の言うとおりにはならなかった。この二、三年はことに心配ばかり掛けていた。が、いくら勝《かつ》手《て》を言い合っても、母子《おやこ》は生まれて以来の母子《おやこ》で、この貴《たつと》い観念を傷つけられた覚えは、重手にしろ浅手にしろ、まだ経験した試《ため》しがないという考えから、もしあのことを言いだして、二人とも後悔の瘢《はん》痕《こん》を遺《のこ》さなければ済まない瘡《きず》を受けたなら、それこそ取り返しの付かない不幸だと思っていた。この畏《い》怖《ふ》の念は神経質に生まれた僕の頭で拵《こしら》えるのかもしれないとも疑《うたぐ》ってみた。けれども僕にはそれが現在よりも明らかな未来として存在していることが多かった。だから僕はあの時の父と母の言葉を、それなり忘れてしまうことができなかったのを、今でも情けなく感ずるのである。
四
父と母の間はどれほど円満であったか、僕には分《わか》らない。僕はまだ妻《さい》を貰《もら》った経験がないから、そういうことを口にする資格はないかもしれないが、いかな仲の善《い》い夫婦でも、時々は気不味《きまず》い思いを為《し》合《あ》うのが人間の常だろうから、彼らだって永《なが》く添っているうちには面《おも》白《しろ》くない汚点《しみ》を双方の胸の裏《うち》に見《み》出《いだ》しつつ、世間も知らず互いも口にしない不満を、自分一人苦く味わって我慢した場合もあったのだろうと思う。もっとも父は疳《かん》癖《ぺき》の強い割に陰性な男だったし、母は長《なが》唄《うた》をうたう時よりほかに、大きな声の出せない性分《たち》なので、僕は二人の言い争う現場を、父の死ぬまでいまだかつて目撃したことがなかった。要するに世間からいえば、僕らの宅《うち》ほど静かに整った家庭はめったに見当たらなかったのである。あのくらい他《ひと》の悪口を露骨に言う松本の叔父《おじ》でさえ、今だにそう認めて間違いないものと信じ切っている。
母は僕に対して死んだ父を語るごとに、世間の夫のうちで最も完全に近いもののように説明して已《や》まない。これはいくぶんか僕の腹の底に濁ったまま沈んでいる父の記憶を清めたいための弁護とも思われる。または彼女自身の記憶に時間の布《ふ》巾《きん》を掛けてだんだん光沢《つや》を出すつもりとも見られる。けれども慈愛に充《み》ちた親としての父を僕に紹介する時には、彼女の態度がまったく一変する。平生僕がまのあたりに見ているあの柔和な母が、どうしてこう真《ま》面《じ》目《め》になれるだろうと驚くくらい、厳粛な気象で僕を打《う》ち据《す》えることさえあった。が、それは僕が中学から高等学校へ移る時分の昔である。今はいくら母に強請《せび》って同じ話を繰り返してもらっても、その気高い気分にはとてもなれない。僕の情操はそのころから学校を卒業するあいだに、近ごろの小説に出る主人公のように、まるで荒《すさ》み果てたのだろう。現代の空気に中毒した自分を呪《のろ》いたくなると、僕は時々もう一遍で好《い》いから、母の前でああいう崇高な感じに触れてみたいという望みを起こすが、同時にその望みがとても遂げられない過去の夢であるという悲しみも湧《わ》いてくる。
母の性格は吾《われ》々《われ》が昔から用い慣れた慈母という言葉で形容さえすれば、それで尽きている。僕から見ると彼女はこの二字のために生まれてこの二字のために死ぬといっても差《さし》支《つか》えない。まことに気の毒であるが、それでも母は生活の満足をこの一点にのみ集中しているのだから、僕さえ十分の孝行ができれば、これに越した彼女の喜びはないのである。が、もしその僕が彼女の意に背《そむ》くことが多かったら、これほどの不幸はまた彼女にとって決してない訳になる。それを思うと僕は非常に心苦しいことがある。
思い出したからここでちょっというが、僕は生まれてからの一人息子《むすこ》ではない。子供の時分に妙《たえ》ちゃんという妹《いもと》と毎日遊んだことを覚えている。その妹は大きな模様のある被布をふだん着て、人形のように髪を切り下げていた。そうして僕のことを常に市蔵ちゃん市蔵ちゃんと言って、兄《にい》さんとは決して呼ばなかった。この妹は父の亡《な》くなる何年まえかに実《ジ》扶《フ》的《テ》里《リ》亜《ア》で死んでしまった。そのころは血清注射がまた発明されない時分だったので、治療もたいへん困難だったのだろう。僕はもとより実扶的里亜という名前さえ知らなかった。宅《うち》へ見舞いに来た松本に、お前も実扶的里亜かと調戯《からか》われて、うんそうじゃないよ僕軍人だよと答えたのを今だに忘れずにいる。妹が死んでから当分はむずかしい父の顔がだいぶ優しく見えた。母に向かって、まことにお前には気の毒なことをしたといった顔がことに穏やかだったので、小供ながら、ついその時の言葉まで小《ち》さい胸に刻み付けておいた。しかし母がそれに対してどう答えたかはまったく知らない。いくら思いだそうとしても思い出せないところをもって見ると、初めから覚えなかったのだろう。これほど鋭敏に父を観察する能力を、小供の時から持っていた僕が、母に対する注意に欠けていたのも不思議である。人間が自分よりもよけいに他《ひと》を知りたがる癖のあるものだとすれば、僕の父は母よりもよほど他人らしく僕に見えていたのかも分《わか》らない。それを逆にいうと、母は観察に価しないほど僕に親しかったのである。――とにかく妹は死んだ。それからの僕は父に対しても母に対しても一人息子であった。父が死んで以後の今の僕は母に対しての一人息子である。
五
だから僕は母をできるだけ大事にしなければ済まない。が、実際は同じ源因がかえって僕を我《わが》儘《まま》にしている。僕は去年学校を卒業してから今日まで、まだ就職という問題についてただの一日も頭を使ったことがない。出た時の成績はむしろ好《い》いほうであった。席次を目安に人を採る今の習慣を利用しようと思えば、ずいぶん友《とも》達《だち》を羨《うらやま》しがらせる位置に坐《すわ》り込む機会もないではなかった。現に一度はある方面から人《にん》選《せん》の依託を受けた某教授に呼ばれて意向を聞かれた記憶さえ有《も》っている。それだのに僕は動かなかった。もとより自慢でこういう話をするのではない。真《しん》底《そこ》を打ち明ければむしろ自慢の反対で、まったく信念の欠乏から来た引っ込み思案なのだから不愉快である。が、朝から晩まで気骨を折って、世の中に持て囃《はや》されたところで、どこがどうしたんだという横着は、むろん断わる時から付《つ》け纏《まと》っていた。僕は時めくために生まれた男ではないと思う。法律などを修めないで、植物学か天文学でも遣《や》ったらまだ性に合った仕事が天から授かるかもしれないと思う。僕は世間に対してははなはだ気の弱いくせに、自分に対してはたいへん辛《しん》抱《ぼう》の好《い》い男だからそう思うのである。
こういう僕の我儘を我儘なりに通してくれるものは、いうまでもなく父が遺《のこ》していったわずかばかりの財産である。もしこの財産がなかったら、僕はどんな苦しい思いをしても、法学士の肩書を利用して、世間と戦わなければならないのだと考えると、僕は死んだ父に対して改めて感謝の念を捧げたくなると同時に、自分の我儘はこの財産のためにやっと存在を許されているのだからよほど腰の坐《すわ》らない浅墓なものに違いないと推断する。そうしてその犠牲にされている母がいっそう気の毒になる。
母は昔《むかし》堅《かた》気《ぎ》の教育を受けた婦人の常として、家名を揚げるのが子たるものの第一の務めだというような考えを、なによりさきに抱《いだ》いている。しかし彼女の家名を揚げるというのは、名誉の意味か、財産の意味か、権力の意味か、または徳望の意味か、そこへゆくとまったくなんの分別もない。ただ漠《ばく》然《ぜん》と、一つが頭の上に落ちてくれば、すべてその他があとを追って門前に輻《*ふく》湊《そう》するくらいに思っている。しかし僕はそういう問題について、何事も母に説明してやる勇気がない。説明して聞かせるには、まず僕の見識でもっともと認めた家名の揚げ方をしたうえでないと、僕にその資格ができないからである。僕はいかなる意味においても家名を揚げ得《う》る男ではない。ただ汚さないだけの見識を頭に入れておくばかりである。そうしてその見識は母に見せて喜んでもらえるどころか、彼女とはまるで懸《か》け離れた縁のないものだから、母も心細いだろう。僕も淋《さび》しい。
僕が母に掛ける心配の数あるうちで、第一に挙《あ》げなければならないのは、今話したとおりの僕の欠点である。しかしこの欠点を矯《た》めずに母と不足なく暮らしてゆかれるほど、母は僕を愛してくれるのだから、ただ済まないと思う心を失わずに、このままで押せば押せないこともないが、この我儘よりももっと鋭どい失望を母に与えそうなので、僕がひそかに胸を痛めているのは結婚問題である。結婚問題というより僕と千代子を取り巻く周囲の事情といったほうが適当かもしれない。それを説明するには話の順序としてまず千代子の生まれない当時に溯《さかのぼ》る必要がある。そのころの田口は決して今ほどの幅《はば》利《きき》でも資産家でもなかった。ただ将来見込みのある男だからというので、父が母の妹《いもと》にあたる叔母《おば》を嫁に遣《や》るように周旋したのである。田口はもとより僕の父を先輩として仰いでいた。なにかにつけても相談もしたり、世話にもなった。両家の間に新しく成立したこの親しい関係が、月とともに加速度をもって円満に進行しつつある際に千代子が生まれた。この時僕の母はどう思ったのか、大きくなったらこの子を市蔵の嫁に呉《く》れまいかと田口夫婦に頼んだのだそうである。母の語るところによると、彼らはそのおり快く母の頼みを承諾したのだという。もとよりあとから百代が生まれる。吾《ご》一《いち》という男の子もできる。千代子も遣《や》ろうとすればどこへでも遣られるのだが、きっと僕に遣らなければならないほど確かに母に受け合ったかどうか、そこは僕も知らない。
六
とにかく僕と千代子の間には両方とも物心の付《つ》かない当時からすでにこういう絆《きずな》があった。けれどもその絆は僕ら二人を結び付けるうえにおいてすこぶる怪しい絆であった。二人はもとより天に上がる雲雀《ひばり》のごとく自由に生長した。絆を綯《な》った人でさえしかとその端を握っている気ではなかったのだろう。僕は怪しい絆という文字を奇縁という意味でここに使うことのできないのを深く母のために悲しむのである。
母は僕の高等学校にはいった時分それとなく千代子のことを仄《ほのめ》かした。そのころ僕に色気のあったことはむろんである。けれども未来の妻《さい》という観念はまるで頭になかった。そんな話に取り合う落ち付きさえ持っていなかった。ことに子供の時からいっしょに遊んだり喧《けん》嘩《か》をしたり、ほとんど同じ家に生長したと違わない親しみのある少女は、あまり自分に近すぎるためかはなはだ平凡にみえて、異性に対する普通の刺激を与えるに足りなかった。これは僕のほうばかりではあるまい、千代子もおそらく同感だろうと思う。その証拠には長い交際の前後を通じて、僕はいまだかつて男として彼女から取り扱われた経験を記憶することができない。彼女から見た僕は、怒《おこ》ろうが泣こうが、科《しな》をしようが色目を使おうが、常に変らない従兄《いとこ》にすぎないのである。もっともこれはいくぶんか、純粋な気象を受けて生まれた彼女の性情から出るので、そこになるとまた僕ほど彼女を知り抜いているものはないのだが、単にそれだけでああ男《なん》女《によ》の牆《しよう》壁《へき》が取り除《の》けられるわけのものではあるまい。ただ一度……しかしこれはあとで話すほうが宜かろうと思う。
母は自分のいうことに耳を借さなかった僕を羞恥家《はにかみや》と解釈して、再び時機を待つもののごとくに、この問題を懐《ふところ》に収めた。羞恥は僕といえども否定する勇気がない。しかし千代子に意があるから羞恥《はにか》んだのだと取った母は、まったくの反対を事実と認めたと同じことである。要するに母は未来に対する準備という考えから、僕ら二人をなるべく仲《なか》善《よ》く育て上げよう育て上げようと力《つと》めた結果、男女としての二人をしだいに遠ざからした。そうして自分では知らずにいた。それを知らなければならないようにした僕はまったく残酷であった。
その日のことを語るのが僕には実際の苦痛である。母は高等学校時代に匂《にお》わした千代子の問題を、僕が大学の二年になるまで、じっと懐《ふところ》に抱《いだ》いたまま一人で温《あたた》めていたとみえて、ある晩――春休みのころの花の咲いたという噂《うわさ》のあったある日の晩――そっと僕の前に出して見せた。その時は僕もだいぶ大人《おとな》しくなったので、静かにその問題を取り上げて、裏表から丁寧に吟味する余裕ができていた。母もその時にはただ遠くから匂わせるだけでなくて、自分の希望に正当の形式を与えることを忘れなかった。僕は何心なく従妹《いとこ》は血属だから厭《いや》だと答えた。母は千代子の生まれた時呉《く》れろと頼んでおいたのだから貰《もら》ったら可《い》いだろうと言って僕を驚かした。なぜそんなことを頼んだのかと聞くと、なぜでも私《わたし》の好きな子で、お前も嫌《きら》うはずがないからだと、赤ん坊には応用の利《き》かないような挨《あい》拶《さつ》をして僕を弱らせた。だんだんそこを押してみると、しまいに涙ぐんで、実はお前のためではない、まったく私のために頼むのだという。しかもどうしてそれが母のためになるのか、その理由はいくら聞いても語らない。最後になんでもかんでも千代子は厭《いや》かと聞かれた。僕は厭でもなんでもないと答えた。しかし当人も僕のところへ来る気はなし、田口の叔父《おじ》も叔母《おば》も僕に呉れたくはないのだから、そんなことを申し込むのは止《よ》したほうが好《い》い、先方で迷惑するだけだからと教えた。母は約束だから迷惑しても構わない、また迷惑するはずがないと主張して、昔田口が父に世話になったり厄《やつ》介《かい》になったりした例を数え挙《あ》げた。僕は已《やむ》を得ないからこの問題は卒業するまで解決を着けずにおこうと言いだした。母は不安の裏《うち》に一《いち》縷《る》の望みを現わした顔色をして、もう一遍とくと考えてみてくれと頼んだ。
こういう事情で、今まで母一人で懐《ふところ》に抱いていた問題を、その後は僕も抱かなければならなくなった。田口はまた田口流に、同じ問題を孵《かえ》しつつあるのではなかろうか。たとい千代子を外《ほか》へ縁付けるにしても、いざという場合には一応こちらの承諾を得《う》る必要があるとすれば、叔父も気掛かりに違いない。
七
僕は不安になった。母の顔を見るたびに、彼女を欺いてその日その日を姑《*こ》息《そく》に送っているような気がして済まなかった。一《ひと》頃《ころ》は思い直してでき得《う》るならば母の希望どおり千代子を貰《もら》ってやりたいとも考えた。僕はそのためにわざわざ用もない田口の家に遊びに行ってそれとなく叔父《おじ》や叔母《おば》の様子を見た。彼らは僕の母の肉薄に応ずる準備としてまえもって僕を疎《うと》んずるような素振りを口にも挙動にも決して示さなかった。彼らはそれほど浅薄なまた不親切な人間ではなかったのである。けれども彼らの娘の未来の夫として、僕が彼らの目にいかに憐《あわれ》むべく映じていたかは、遠きまえから僕の見抜いていたところと、ちっとも変化を来《きた》さないばかりか、近ごろになってますますその傾きが著しくなるように思われた。彼らは第一に僕の弱々しい体格と僕の蒼《あお》白《じろ》い顔色とを婿として肯《うけが》わないつもりらしかった。もっとも僕は神経の鋭く動く性質《たち》だから、物を誇大に考え過ごしたり、要《い》らぬ僻《ひが》みを起こしてみたりする弊がよくあるので、自分の胸に収めた委《くわ》しい叔父叔母の観察を遠慮なくここに述べる非礼は憚《はばか》りたい。ただ一《いち》言《ごん》でいうと、彼らはその当時千代子を僕の嫁にしようと明言したのだろう。少なくとも遣《や》っても可《い》いぐらいには考えていたのだろう。が、その後彼らの社会に占め得た地位と、彼らとは背中合わせに進んでゆく僕の性格が、二重の実行の便宜を奪って、ただ惚《ぼ》けかかった空《むな》しい義理の抜《ぬ》け殻《がら》を、彼らの頭のどこかに置き去りにして行ったと思えば差《さし》支《つか》えないのである。
僕と彼らとはあらゆる人の結婚問題についても多くを語る機会を持たなかった。ただある時叔母と僕との間にこんな会話が取り換わされた。
「市《いつ》さんももうそろそろ奥さんを探《さが》さなくっちゃなりませんね。姉《ねえ》さんはとうから心配しているようですよ」
「好《い》いのがあったら母に知らせてやってください」
「市さんには大人《おとな》しくって優しい、親切な看護婦見たような女が可《い》いでしょう」
「看護婦見たような嫁はないかって探しても、誰《だれ》も来手はあるまいな」
僕が苦笑しながら、みずから嘲《あざけ》るごとくこう言った時、今まで向こうの隅《すみ》でなにかしていた千代子が不意に首を上げた。
「妾《あたし》行ってあげましょうか」
僕は彼女の目を深く見た。彼女も僕の顔を見た。けれども両方ともそこに意味のある何物をも認めなかった。叔母は千代子の方を振り向きもしなかった。そうして、「お前のような露骨《むきだし》のがらがらした者が、なんで市さんの気に入るものかね」と言った。僕は低い叔母の声のうちに、窘《たしな》めるようなまた怖《おそ》れるような一種の響きを聞いた。千代子はただからからと面《おも》白《しろ》そうに笑っただけであった。その時百代子も傍《そば》にいた。これは姉の言葉を聞いて微笑しながら席を立った。形式を具《そな》えない断わりを言われたと解釈した僕はしばらくしてまた席を立った。
この事件後僕は同じ問題に関して母の満足を買うための努力をますます屑《いさぎよ》しとしなくなった。自尊心の強い父の子として、僕の神経はこういう点において自分でも驚くくらい過敏なのである。もちろん僕はそのとおりの叔母に対して決して感情を害しはしなかった。こっちからまだ正式の申し込みを受けていない叔母としては、ああよりほかに意向の洩《も》らし方もなかったのだろうと思う。千代子にいたってはなにを言おうが笑おうが、いつでも蟠《わだかま》りのない彼女の胸の中を、そのまま外に表わしたにすぎないと考えていた。僕はその時の千代子の言葉や様子から察して、彼女が僕のところへ来たがっていないことだけは、従前どおりたしかに認めたが、同時に、もし差し向いで僕の母にしんみり話し込まれでもしたら、ええそういう訳ならお嫁に来てあげましょうと、その場ですぐ承知しないとも限るまいと思って、ひそかに掛《け》念《ねん》を抱《いだ》いたくらいである。彼女はそういう時に、平気で自分の利害や親の意思を犠牲に供し得《う》るきわめて純粋な女だと僕は常から信じていたからである。
八
意地の強い僕は母を嬉《うれ》しがらせるよりもなるべく自我を傷つけないようにと祈った。その結果千代子が僕の知らない間《ま》に、母から説き落とされてはと掛《け》念《ねん》して、暗にそれを防ぐ分別をした。母は彼女の生まれ落ちた当初すでに僕の嫁と極《き》めただけあって、多くある姪《めい》や甥《おい》のなかで、取り分け千代子を可愛《かわい》がった。千代子も子供の時分から僕の家を生家のごとく心得て遠慮なく寐《ね》泊《と》まりに来た。その縁故で、田口と僕の家が昔に比べると比較的疎《うと》くなった今日でも、千代子だけは叔母《おば》さん叔母さんと言って、生みの親にでも逢《あ》いに来るような朗らかな顔をして、しげしげ出入りをしていた。単純な彼女は自分の身を的に時々起こる縁談をさえ、隠すところなく母に打ち明けた。人の好《い》い母はまたそれをすなおに聞いてやるだけで、恨めしい目付一つも見せ得なかった。僕の恐れる懇談は、こういう関係の深い二人のあいだに、いつ起こらないとも限らなかったのである。
僕の分別というのはまずこの点に関して、当分母の口を塞《ふさ》いでおこうとする用心にすぎなかった。ところがいざ改まって母にそれを切り出そうとすると、ただ自分の我を通すために、弱い親の自由を奪うのは残酷な子に違いないという心持ちが、どこかに萌《きざ》すので、ついそれなりにして已《や》めることが多かった。もっとも年寄りの眉《まゆ》を曇らすのがただ情けないばかりで已めたともいわれない。これほど親しい間柄でさえ今まで思い切ったところを千代子に打ち明け得なかった母のことだから、たといこのままにしておいても、まあ当分は大丈夫だろうという考えが、母に対する僕を多少抑《おさ》えたのである。
それで僕は千代子に関してなんという明《めい》瞭《りよう》な所置も取らずに過ぎた。もっともこういう不安な状態で日を送った時期にも、まるで田口の家と打ち絶えたわけではなかったので、会《*たま》には単に母の喜ぶ顔を見るだけの目的をもって内幸町まで電車を利用した覚えさえあったのである。そういうある日の晩、僕は久しぶりに千代子から、習い立ての珍しい手料理を御《ご》馳《ち》走《そう》するからと引き止められて、夕《ゆう》飯《はん》の膳《ぜん》に就《つ》いた。いつも留《る》守《す》がちな叔父《おじ》がその日ちょうど内にいて、食事中例の気作な話をし続けにしたため、若い人の陽気な笑い声が障子に響くくらい家の中が賑《にぎわ》った。飯が済んだあとで、叔父はどういう考えか、突然僕に「市《いつ》さん久しぶりに一局やろうか」と言いだした。僕はさほど気が進まなかったけれどもせっかくだから、遣《や》りましょうと答えて、叔父とともに別室へ退いた。二人はそこで二、三番打った。もとより下手《へた》と下手の勝負なので、時間の掛かるはずもなく、碁石を片付けてもまだそれほど遅《おそ》くはならなかった。二人は烟草《たばこ》を呑《の》みながらまた話を始めた。その時僕は適当な機会を利用してわざと叔父に「千代子さんの縁談はまだ纏《まとま》りませんか」と聞いた。それはもとより僕が千代子に対して他意のないということを示すためであった。がまた一方では、一日も早くこの問題の解決が着けば、自分も安心だし、千代子も幸福だと考えたからである。すると叔父はさすがに男だけあって、なんの躊《ちゆう》躇《ちよ》もなくこう言った。――
「いやまだなかなかそうゆきそうもない。だんだんそんな話を持ってきてくれるものはあるが、なにしろむずかしくって弱る。そのうえ調べれば調べるほど面《めん》倒《どう》になるだけだし、まあたいていのところで纏まるなら纏めてしまおうかと思っている。――縁談なんてものは妙なものでね。今だからお前に話すが、実は千代子の生まれたとき、お前のお母《かあ》さんが、これを市蔵の嫁に欲《ほ》しいってね――生まれ立ての赤ん坊をだよ」
叔父はこの時笑いながら僕の顔を見た。
「母は本気でそう言ったんだそうです」
「本気さ。姉さんはまた正直な人だからね。実に好《い》い人だ。今でも時々真《ま》面《じ》目《め》になって叔母さんにその話をするそうだ」
叔父は再び大きな声を出して笑った。僕ははたして叔父がこう軽くこの事件を解釈しているなら、母のために少し弁じてやろうかと考えた、が、もしこれが世慣れた人の巧妙な覚《さと》らせ振りだとすれば、一口でも言うだけが愚かだと思い直して黙った。叔父は親切な人でまた世慣れた人である。彼のこの時の言葉はどちらの目で見て可《い》いのか、僕には今もって解《わか》らない。ただ僕がその時以来千代子を貰《もら》わないほうへいよいよ傾いたのは事実である。
九
それから二か月ばかりのあいだ僕は田口の家へ近寄らなかった。母さえ心配しなければ、それぎり内幸町へは足を向けずに済ましたかもしれなかった。たとい母が心配するにしても、単に彼女に対する掛《け》念《ねん》だけが問題なら、あるいは僕の気《*き》随《ずい》をいざという極点まで押し通したかもしれなかった。僕はそんなふうに生み付けられた男なのである。ところが二か月の末になって、僕は突然自分の片意地を翻さなければ不利だということに気が付いた。実をいうと、僕が田口と疎遠になればなるほど、母はあらゆる機会を求めて、ますます千代子と接触するように力《つと》めだしたのである。そうしていつなんどき僕の最も恐れる直接の談判を、千代子に向かって開かないとも限らないように、漸《ぜん》々《ぜん》形勢を切迫させてきたのである。僕は思い切って、この危機を一《*ひと》帳《ちよう》場《ば》先へ繰り越そうとした。そうしてその決心とともにまた田口の敷居を跨《また》ぎだした。
彼らの僕を遇する態度にもとより変わりはなかった。僕の彼らに対する様子もまた二か月まえのとおりであった。僕と彼らとは故《もと》のごとく笑ったり、巫山戯《ふざけ》たり、揚げ足の取りっ競《くら》をしたりした。要するに僕の田口で費やした時間は、騒がしいくらい陽気であった。ほんとうのところをいうと、僕には少し陽気すぎたのである。したがって腹の中が常に空虚な努力に疲れていた。鋭い目で注意したら、どこかに偽りの影が射《さ》して、本来の自分を醜く彩《いろど》っていたろうと思う。そのうちで自分の気分と自分の言葉が、半紙の裏表のようにぴたりと合った愉快を感じた覚えが一遍ある。それは家例として年に一度か二度田口の家族が揃《そろ》って遊びに出る日の出来事であった。僕は知らずに奥へ通って、千代子一人が閑静に坐《すわ》っているのを見て驚いた。彼女は風邪《かぜ》を引いたとみえて、咽喉《のど》に湿布をしていた。常にも似ない蒼《あお》い顔色も淋《さび》しく思われた。微笑しながら、「今日《きよう》は妾《あたし》お留《る》守《す》居《い》よ」と言った時、僕ははじめて皆《みんな》出払ったことに気が付いた。
その日の彼女は病気のせいかいつもよりしんみり落ち付いていた。僕の顔さえ見ると、きっと冷《ひや》かし文句を並べて、どうしても悪口の言い合いを挑《いど》まなければ已《や》まない彼女が、一人ぼっちで妙に沈んでいる姿を見たとき、僕はふと可《か》憐《れん》な心を起こした。それで席に着くやいなや、優しい慰謝の言葉を口から出す気もなくおのずから出した。すると千代子は一種変な表情をして、「貴方《あなた》今日はたいへん優しいわね。奥さんを貰《もら》ったらそういうふうに優しく仕てあげなくちゃ不可《いけ》ないわね」と言った。遠慮がなくて親しみだけを持っていた僕は、今まで千代子に対していくら無《ぶ》愛《あい》嬌《きよう》に振《ふる》舞《ま》っても差《さし》支《つか》えないものと暗にみずから許していたのだということにこの時はじめて気が付いた。そして千代子の目のうちにどこか嬉《うれ》しそうな色が微《かす》かながら漂うのを認めて、自分が悪かったと後悔した。
二人はほとんどいっしょに生長したと同じような自分たちの過去を振り返った。昔の記憶を語る言葉が互いの唇《くちびる》から当時を蘇生《よみがえ》らせる便《たよ》りとして洩《も》れた。僕は千代子の記憶が、僕よりもはるかに勝《すぐ》れて、細かいところまであざやかに行き渡っているのに驚いた。彼女は今から四年まえ、僕が玄関に立ったまま袴《はかま》の綻《ほころ》びを彼女に縫わせたことまで覚えていた。その時彼女の使ったのは木綿《もめん》糸《いと》でなくて絹糸であったことも知っていた。
「妾貴方の描《か》いてくれた画《え》をまだ持っててよ」
なるほどそう言われてみると、千代子に画を描いてやった覚えがあった。けれどもそれは彼女が十二、三の時のことで、自分が田口に買ってもらった絵の具と紙を僕の前へ押し付けてむりやりに描かせたものである。僕の画道における嗜好《たしなみ》は、それから以後今日に至るまで、ついぞ画《え》筆《ふで》を握った試《ため》しがないので分《わか》るのだから、赤や緑の単純な刺激が、ひととおり彼女の目に映ってしまえば、興味はそこに尽きなければならないはずのものであった。それを保存していると聞いた僕は迷惑そうに苦笑せざるを得なかった。
「見せてあげましょうか」
僕は見ないでも可《い》いと断わった。彼女は構わず立ち上がって、自分の室《へや》から僕の画を納めた手文庫を持ってきた。
一〇
千代子はそのなかから僕の描《か》いた画《え》を五、六枚出して見せた。それは赤い椿《つばき》だの、紫の東《あずま》菊《ぎく》だの、色変わりのダリヤだので、いずれも単純な花卉《*かき》の写生にすぎなかったが、要《い》らないところにわざと手を掛けて、時間の浪費を厭《いと》わずに、細かく綺《き》麗《れい》に塗り上げた手《て》際《ぎわ》は、今の僕から見るとほとんど驚くべきものであった。僕はこれほど綿密であった自分の昔に感服した。
「貴方《あなた》はそれを描いてくだすった時分は、今よりよっぽど親切だったわね」
千代子は突然こう言った。僕にはその意味がまるで分《わか》らなかった。画から目を上げて、彼女の顔を見ると、彼女も黒い大きな瞳《ひとみ》を僕の上にじっと据《す》えていた。僕はどういう訳でそんなことを言うのかと尋ねた。彼女はそれでも答えずに僕の顔を見詰めていた。やがていつもより小さな声で「でも近ごろ頼んだって、そんなに精出して描いてはくださらないでしょう」と言った。僕は描くとも描かないとも答えられなかった。ただ腹の中で、彼女の言葉をもっともだと首肯《うけが》った。
「それでもよくこんな物をたんねんに仕《し》舞《ま》っておくね」
「妾《あたし》お嫁に行く時も持っていくつもりよ」
僕はこの言葉を聞いて変に悲しくなった。そうしてその悲しい気分が、すぐ千代子の胸に応《こた》えそうなのがなお恐ろしかった。僕はその刹《せつ》那《な》すでに涙の溢《あふ》れそうな黒い大きな目を自分の前に想像したのである。
「そんな下《くだ》らないものは持っていかないが可《い》いよ」
「可いわ、持っていったって、妾のだから」
彼女はこう言いつつ、赤い椿や紫の東菊を重ねて、また文庫の中へ仕舞った。僕は自分の気分を変えるためわざと彼女にいつごろ嫁に行くつもりかと聞いた。彼女はもうじき行くのだと答えた。
「しかしまだ極《きま》ったわけじゃないんだろう」
「いいえ、もう極ったの」
彼女は明らかに答えた。今まで自分の安心を得《う》る最後の手段として、一日《じつ》も早く彼女の縁談が纏《まとま》れば好《い》いがと念じていた僕の心臓は、この答えとともにどきんと音のする浪《なみ》を打った。そうして毛穴から這《は》い出すような膏《あぶら》汗《あせ》が、背中と腋《わき》の下を不意に襲った。千代子は文庫を抱いて立ち上がった。障子を開《あ》けるとき、上から僕を見《み》下《おろ》して、「嘘《うそ》よ」と一口はっきり言い切ったまま、自分の室《へや》の方へ出ていった。
僕は動く考えもなく故《もと》の席に坐《すわ》っていた。僕の胸には忌《いま》々《いま》しい何物も宿らなかった。千代子の嫁に行く行かないが、僕にどう影響するかを、この時はじめて実際に自覚することのできた僕は、それを自覚させてくれた彼女の翻《ほん》弄《ろう》に対して感謝した。僕は今まで気が付かずに彼女を愛していたのかもしれなかった。あるいは彼女が気が付かないうちに僕を愛していたのかもしれなかった。――僕は自分という正体が、それほど解《わか》り悪《にく》い怖《こわ》いものなのだろうかと考えて、しばらく茫《ぼう》然《ぜん》としていた。するとあちらの方で電話がちりんちりんと鳴った。千代子が縁伝いに急ぎ足で遣《や》ってきて、僕にいっしょに電話を掛けてくれと頼んだ。僕にはいっしょに掛けるという意味が呑《の》み込めなかったが、すぐ立って彼女とともに電話口へ行った。
「もう呼び出してあるのよ。妾声が嗄《か》れて、咽喉《のど》が痛くって話ができないから貴方《あなた》代理をしてちょうだい。聞くほうは妾が聞くから」
僕は相手の名前も分《わか》らない、また向こうの話の通じない電話を掛けるべく、前《まえ》屈《こご》みになって用意をした。千代子はすでに受話器を耳に宛《あ》てていた。それを通して彼女の頭へ送られる言葉は、独《ひと》り彼女が占有するだけなので、僕はただ彼女の小声でいう挨《あい》拶《さつ》を大きくして訳も解《わか》らず先方へ取り次ぐにすぎなかった。それでもはじめのうちは滑《こつ》稽《けい》も構わず暇が掛かるのも厭《いと》わず平気で遣《や》っていたが、しだいに僕の好奇心を挑《ちよう》発《はつ》するような返事や質問が千代子の口から出てくるので、僕は曲《こご》んだまま、おいちょっとそれをお貸しと声を掛けて左手をまっすぐ千代子の方へ差し伸べた。千代子は笑いながらいやいやをして見せた。僕はさらに姿勢を正しくして、受話器を彼女の手から奪おうとした。彼女は決してそれを離さなかった。取ろうとする取らせまいとする争いが二人のあいだに起こった時、彼女は手早く電話を切った。そうして大きな声を揚げて笑いだした。――
一一
こういう光景がもし今より一年まえに起こったならと僕はその後何遍も繰り返し繰り返し思った。そう思うたびに、もう遅《おそ》すぎる、時機はすでに去ったと運命から宣告されるような気がした。今からでもこういう光景を二度三度と重ねる機会は捉《つらま》えられるではないかと、同じ運命が暗に僕を唆《そその》かす日もあった。なるほど二人の愛情を互《たが》いに反射させ合うためにのみ目の光を使う手段を憚《はばか》らなかったなら、千代子と僕とはその日を基点として出立しても、今ごろは人間の利害で割《さ》くことのできない愛に陥っていたかもしれない。ただ僕はそれと反対の方針を取ったのである。
田口夫婦の意向や僕の母の希望は、他人の入れ知恵同様に意味の少ないものとして、単に彼女と僕を裸にした生まれ付きだけを比較すると、僕らはとてもいっしょになる見込みのないものと僕は平生から信じていた。これはなぜかと聞かれても満足のいくように答弁ができないかもしれない。僕は人に説明するためにそう信じているのでないから。僕はかつて文学好きのある友《とも》達《だち》からダ《*》ヌンチオと一少女の話を聞いたことがある。ダヌンチオというのは今のイタリアでいちばん有名な小説家だそうだから、僕の友達の主意はむろん彼の勢力を僕に紹介するつもりだったのだろうが、僕にはそこへ引き合いに出された少女のほうが彼よりもはるかに興味が多かった。その話はこうである。――
ある時ダヌンチオが招《しよう》待《だい》を受けてある会合の席へ出た。文学者を国家の装飾のように持て囃《はや》す西洋のことだから、ダヌンチオはその席に群がるすべての人から多大の尊敬と愛《あい》嬌《きよう》をもって偉人のごとく取り扱われた。彼が満堂の注意を一身に集めて、衆人の間をあちこち徘《はい》徊《かい》しているうち、どういう機会《はずみ》か自分の手帛《ハンケチ》を足の下《もと》へ落とした。混雑の際とみえて、彼はもとより、傍《はた》のものもいっそうそれに気が付かずにいた。するとまだ年の若い美しい女が一人その手巾を床の上から取り上げて、ダヌンチオの前へ持ってきた。彼女はそれをダヌンチオに渡すつもりで、これは貴方《あなた》のでしょうと聞いた。ダヌンチオは有《あり》難《がと》うと答えたが、女の美しい器量に対してちょっと愛嬌が必要になったとみえて、「貴方のにして持っていらっしゃい、進上しますから」とあたかも少女の喜びを予想したようなことを言った。女は一口も答えもせず黙ってその手巾を指先で撮《つま》んだまま暖炉《ストーブ》の傍《そば》まで行っていきなりそれを火の中へ投げ込んだ。ダヌンチオは別にしてその他の席に居合わせたものはことごとく微笑を洩《も》らした。
僕はこの話を聞いた時、年の若い茶《ちや》褐《かつ》色《しよく》の髪毛を有《も》ったイタリア生まれの美人を思い浮かべるよりも、その代りとしてすぐ千代子の目と眉《まゆ》を想像した。そうしてそれがもし千代子でなくって妹の百代子であったなら、たとい腹の中はどうあろうとも、その場は礼を言って快く手巾を貰《もら》い受けたに違いあるまいと思った。ただ千代子にはそれができないのである。
口の悪い松本の叔父《おじ》はこの姉《きよう》妹《だい》に渾名《あだな》を付けて常に大《おお》蝦蟆《がま》と小《ちい》蝦蟆《がま》と呼んでいる。二人の口が唇《くちびる》の薄い割に長すぎるところが銀貨入れの蟇《がま》口《ぐち》だと言っては常に二人を笑わせたり怒《おこ》らせたりする。これは性質に関係のない顔形の話であるが、同じ叔父が口癖のようにこの姉妹を評して、小《ちい》蟇《がま》は大人《おとな》しくって好《い》いが、大《おお》蟇《がま》は少し猛烈すぎるというのを聞くたびに、僕はあの叔父がどう千代子を観察しているのだろうと考えて、必ず彼の眼識に疑いを挾《さしはさ》みたくなる。千代子の言語なり挙動なりが時に猛烈に見えるのは、彼女が女らしくない粗野なところを内に蔵《かく》しているからではなくって、あまり女らしい優しい感情に前後を忘れて自分を投げ掛けるからだと僕は固く信じて疑わないのである。彼女の有《も》っている善悪是非の分別はほとんど学問や経験と独立している。ただ直覚的に相手を目当てに燃えだすだけである。それだから相手は時によると稲《いな》妻《ずま》に打たれたような思いをする。当たりの強く烈《はげ》しく来るのは、彼女の胸から純粋な塊《かたまり》が一度に多量に飛んで出るという意味で、刺《とげ》だの毒だの腐食剤だのを吹き掛けたり浴びせ掛けたりするのとはまるで訳が違う。その証拠にはたといどれほど烈しく怒られても、僕は彼女から清いもので自分の腸《はらわた》を洗われたような気持ちのした場合が今までに何遍もあった。気《け》高《だか》いものに出会ったという感じさえまれには起こしたくらいである。僕は天下の前にただ一人立って、彼女はあらゆる女のうちでもっとも女らしい女だと弁護したいくらいに思っている。
一二
これほど好《よ》く思っている千代子を妻《さい》としてどこが不都合なのか。――実は僕も自分で自分の胸にこう聞いたことがある。その時理由《わけ》もなにもまだ考えないさきに、僕はまず恐ろしくなった。そうして夫婦としての二人を長く眼前に想像するに堪えなかった。こんなことを母に言ったらさだめし驚くだろう、同年輩の友《とも》達《だち》に話してもあるいは通じないかもしれない。けれどもしいて沈黙のなかに記憶を埋《うず》める必要もないから、それを自分だけの感想に止《とど》めないでここに自白するが、一口にいうと、千代子は恐ろしいことを知らない女なのである。そうして僕は恐ろしいことだけ知った男なのである。だからただ釣《つ》り合わないばかりでなく、夫婦となればまさに逆にでき上がるより仕方がないのである。
僕は常に考えている。「純粋な感情ほど美しいものはない。美しいものほど強いものはない」と。強いものが恐れないのは当たり前である。僕がもし千代子を妻にするとしたら、妻の目から出る強烈な光に堪えられないだろう。その光は必ずしも怒りを示すとは限らない。情の光でも、愛の光でも、もしくは渇《かつ》仰《ごう》の光でも同じことである。僕はきっとその光のために射《い》竦《すく》められるにきまっている。それと同程度あるいはより以上の輝くものを、返礼として彼女に与えるには、感情家として僕があまりに貧弱だからである。僕は芳烈な一《ひと》樽《たる》の清酒を貰《もら》っても、それを味わい尽くす資格を持たない下戸として、今日まで世間から教育されてきたのである。
千代子が僕のところへ嫁に来れば必ず残酷な失望を経験しなければならない。彼女は美しい天賦の感情を、あるに任せて惜し気もなく夫の上に注《つ》ぎ込む代りに、それを受け入れる夫が、彼女から精神上の営養を得て、大いに世の中に活躍するのを唯一の報酬として夫から予期するに違いない。年のゆかない、学問の乏しい、見識の狭い点から見ると気の毒と評してしかるべき彼女は、頭と腕を挙《あ》げて実世間に打ち込んで、肉眼で指《さ》すことのできる権力か財力を攫《つか》まなくっては男子でないと考えている。単純な彼女は、たとい僕のところへ嫁に来ても、やはりそういう働き振りを僕から要求し、また要求さえすれば僕にできるものとのみ思い詰めている。二人のあいだに横たわる根本的の不幸はここに存在するといっても差《さし》支《つか》えないのである。僕は今言ったとおり、妻としての彼女の美しい感情を、そう多量に受け入れることのできないいたって燻《くすぶ》った性質《たち》なのだが、よし焼け石に水を濺《そそ》いだ時のように、それをことごとく吸い込んだところで、彼女の望みどおりに利用するわけにはとてもゆかない。もし純粋な彼女の影響が僕のどこかに表われるとすれば、それはいくら説明しても彼女にはまったく分《わか》らないところに、思いも寄らぬ形となって発現するだけである。万一彼女の目に留まっても、彼女はそれをコスメチックで塗り堅めた僕の頭や羽《は》二《ぶた》重《え》の足袋《たび》で包んだ僕の足よりも有《あり》難《がた》がらないだろう。要するに彼女からいえば、美しいものを僕のうえに永久浪費して、しだいしだいに結婚の不幸を嘆くにすぎないのである。
僕は自分と千代子を比較するごとに、必ず恐れない女と恐れる男という言葉を繰り返したくなる。しまいにはそれが自分の作った言葉でなくって、西洋人の小説にそのまま出ているような気を起こす。このあいだ講釈好きの松本の叔父《おじ》から、詩《*》と哲学の区別を聞かされて以来は、恐れない女と恐れる男というと、たちまち自分に縁の遠い詩と哲学を想《おも》い出す。叔父は素人《しろうと》学《がく》問《もん》ながらこんな方面に興味を有《も》っているだけに、面《おも》白《しろ》いことをいろいろ話して聞かしたが、僕を捕《つらま》えて「お前のような感情家は」と暗に詩人らしく僕を評したのは間違っている。僕に言わせると、恐れないのが詩人の特色で、恐れるのが哲人の運命である。僕の思い切ったことのできずにぐずぐずしているのは、なによりさきに結果を考えて取越し苦労をするからである。千代子が風のごとくに自由に振《ふる》舞《ま》うのは、さきの見えないほど強い感情が一度に胸に湧《わ》き出るからである。彼女は僕の知っている人間のうちで、最も恐れない一《いち》人《にん》である。だから恐れる僕を軽《けい》蔑《べつ》するのである。僕はまた感情という自分の重みで蹴《け》爪《つま》付《ず》きそうな彼女を、運命のアイロニーを解せざる詩人として深く憐《あわれ》むのである。いな時によると彼女のために戦《せん》慄《りつ》するのである。
一三
須永の話の末段は少し敬太郎の理解力を苦しめた。事実をいえば彼はまた彼なりに詩人とも哲学者ともいい得《う》る男なのかもしれなかった。しかしそれは傍《はた》から彼を見た目の評する言葉で、敬太郎自身は決してどっちとも思っていなかった。したがって詩とか哲学とかいう文《もん》字《じ》も、月の世界でなければ役に立たない夢のようなものとして、ほとんど一顧に価しないくらいに見限っていた。そのうえ彼は理屈が大《だい》嫌《きら》いであった。右か左へ自分の身体《からだ》を動かし得ないただの理屈は、いくら旨《うま》くできても彼には用のない贋《がん》造《ぞう》紙《し》幣《へい》と同じ物であった。したがって恐れる男とか恐れない女とかいう辻《*つじ》占《うら》に似た文句を、黙って聞いているはずはなかったのだが、しっとりと潤《うるお》った身の上話の続きとして、感想がそこへ流れ込んできたものだから、敬太郎もよく解《わか》らないながらすなおに耳を傾けなければ済まなかったのである。
須永もそこに気が付いた。
「話が理屈張ってむずかしくなってきたね。あんまり一人で調子に乗って饒舌《しやべ》っているものだから」
「いや構わん。たいへん面《おも》白《しろ》い」
「洋杖《ステツキ》の効果《ききめ》がありゃしないか」
「どうも不思議にあるようだ。ついでにもう少し先まで話すことにしようじゃないか」
「もうないよ」
須永はそう言い切って、静かな水の上に目を移した。敬太郎もしばらく黙っていた。不思議にも今聞かされた須永の詩だか哲学だか分《わか》らないものが、形のはっきりしない雲の峰のように、頭の中に聳《そび》えて容易に消えそうにしなかった。何言も語らないで彼の前に坐《すわ》っている須永自身も、平生の紋切り形を離れた怪しい一種の人物として彼の目に映じた。どうしてもまだ話の続きがあるに違いないと思った敬太郎は、今のいちばん仕《し》舞《まい》の物語はいつごろのことかと須永に尋ねた。それは自分の三年生ぐらいの時の出来事だと須永は答えた。敬太郎は同じ関係が過去一年あまりのあいだにどういう経路を取ってどう進んで、今はどんな解決が付いているかと聞き返した。須永は苦笑して、まず外へ出てからにしようと言った。二人は勘定を済まして外へ出た。須永は先へ立つ敬太郎の得意に振り動かす洋杖の影を見てまた苦笑した。
柴又の帝釈天の境《けい》内《だい》に来た時、彼らは平凡な堂宇を、義理に拝ませられたような顔をしてすぐ門を出た。そうして二人とも汽車を利用してすぐ東京へ帰ろうという気を起こした。停車場《ステーシヨン》へ来ると、間《ま》怠《だ》るこい田舎《いなか》汽《ぎ》車《しや》の発車時間にはまだだいぶ間があった。二人はすぐそこにある茶店へ入《はい》って休息した。次の物語はその時敬太郎が前約を楯《たて》に須永から聞かしてもらったものである。――
僕が大学の三年から四年に移る夏休みの出来事であった。宅《うち》の二階に籠《こも》ってこの暑中をどう暮らしたら宜《よ》かろうと思案していると、母が下から上がってきて、閑《ひま》になったら鎌《かま》倉《くら》へちょっと行ってきたらどうだと言った。鎌倉にはその一週間ほどまえから田口のものが避暑に行っていた。元来叔父《おじ》はあまり海《うみ》辺《べ》を好まない性質《たち》なので、一家《け》のものは毎年軽《かる》井《い》沢《ざわ》の別荘へ行くのを例にしていたのだが、その年はぜひ海水浴がしたいという娘たちの希望を容《い》れて、材《ざい》木《もく》座《ざ》にある、ある人の邸宅《やしき》を借り入れたのである。移るまえに千代子が暇《いとま》乞《ご》いかたがた報知《しらせ》に来て、まだ行ってはみないけれども、山陰の涼しい崖《がけ》の上に、二段か三段に建てたわりあい手広な住居《すまい》だそうだからぜひ遊びにこいと勧めていたのを、僕は傍《そば》で聞いていた。それで僕は母に貴方《あなた》こそ行って遊んできたら気《き》保《ぼ》養《よう》になって可《よ》かろうと忠告した。母は懐《ふところ》から千代子の手紙を出して見せた。それには千代子と百代子の連名で、母と僕にいっしょに来るようにと、彼らの女親の命令を伝えるごとく書いてあった。母が行くとすれば年寄り一人を汽車に乗せるのは心配だから、ぜひとも僕が付いて行かなければならなかった。変屈な僕からいうと、そうごたごたした所へ二人で押し掛けるのは、世話にならないにしても気の毒で厭《いや》だった。けれども母は行きたいような顔をした。そうしてそれが僕のために行きたいような顔に見えるので僕はますます厭になった。が、とどのつまりとうとう行くことにした。こういっても人には通じないかもしれないが、僕は意地の強い男で、また意地の弱い男なのである。
一四
母は内気な性分なので平生からあまり旅行を好まなかった。昔風に重きを置かなければ承知しない厳格な父の生きているころは外へもそうたびたびは出られない様子であった。現に僕は父と母が娯楽の目的をもっていっしょに家を留《る》守《す》にした例を覚えていない。父が死んで自由が利《き》くようになってからも、そう勝《かつ》手《て》な時に好きな所へ行く機会は不幸にして僕の母には与えられなかった。一人で遠くへ行ったり、長く宅《うち》を空《あ》けたりする便宜を持《も》たない彼女は、母子《おやこ》二人の家庭にこうして幾年を老いたのである。
鎌倉へ行こうと思い立った日、僕は彼女のために一個の鞄《カバン》を携えて直行の汽車に乗った。母は車の動きだす時に、隣に腰を掛けた僕に、汽車も久しぶりだねと笑いながら言った。そう言われた僕にも実はあまり頻《ひん》繁《ぱん》な経験ではなかった。新しい気分に誘われた二人の会話は平生《ふだん》よりは生き生きしていた。なにを話したか自分にもいっこう覚えのないことを、聞いたり聞かれたりして断続に任せているうちに車は目的地に着いた。あらかじめ通知をしていないので停車場《ステーシヨン》には誰《だれ》も迎えに来ていなかったが、車を雇うと某《なにがし》さんの別荘と注意したら、車夫はすぐ心得て引き出した。僕はしばらく見ないうちに、急に新しい家の多くなった砂道を通りながら、松の間から遠くに見える畠《はた》中《なか》の黄色い花を美しく眺《なが》めた。それはちょっと見るとまるで菜種の花と同じ趣を具《そな》えた目新しいものであった。僕は車の上で、このちらちらする色はなんだろうと考え抜いたあげく、突然唐《とう》茄子《なす》と気が付いたので独《ひと》り可笑《おか》しがった。
車が別荘の門に着いた時、戸障子を取り外《はず》した座敷の中に動く人の影が往来からよく見えた。僕はそのうちに白い浴衣《ゆかた》を着た男のいるのを見て、たぶん叔父《おじ》が昨日《きのう》あたり東京から来て泊まっているのだろうと思った。ところが奥にいるものがことごとく僕らを迎えるために玄関へ出てきたのに、その男だけは少しも顔を見せなかった。もちろん叔父ならそのくらいのことはあるべきはずだと思って、座敷へ通ってみると、そこにも彼の姿は見えなかった。僕はきょろきょろしているうちに、叔母《おば》と母が汽車の中はさぞ暑かったろうとか、見晴らしの好《い》い所が手に入って結構だとか、年寄りの女だけに口数の多い挨《あい》拶《さつ》の遣《や》り取《と》りを始めた。千代子と百代子は母のために浴衣を勧めたり、脱ぎ捨てた着物を晒干《*さぼ》してくれたりした。僕は下女に風《ふ》呂《ろ》場《ば》へ案内してもらって、水で顔と頭を洗った。海岸からはだいぶ道《みち》程《のり》のある山手だけれども水は存外悪かった。手拭《てぬぐい》を絞って金《かな》盥《だらい》の底を見ていると、たちまち砂のような滓《おり》が澱《よど》んだ。
「これをお使いなさる」という千代子の声が突然後ろでした。振り返ると、乾《かわ》いた白いタオルが肩のところに出ていた。僕はタオルを受け取って立ち上がった。千代子はまた傍《そば》にある鏡台の抽《ひき》出《だ》しから櫛《くし》を出してくれた。僕が鏡の前に坐《すわ》って髪を解かしているあいだ、彼女は風呂場の入り口の柱に身体《からだ》を持《もた》して、僕の濡《ぬ》れた頭を眺めていたが、僕がなにも言わないので、向こうから「悪い水でしょう」と聞いた。僕は鏡の中を見たなり、どうしてこんな色が着いているのだろうと言った。水の問答が済んだとき、僕は櫛を鏡台の上に置いて、タオルを肩に掛けたまま立ち上がった。千代子は僕よりさきに柱を離れて座敷の方へ行こうとした。僕は藪《やぶ》から棒《ぼう》に後ろから彼女の名を呼んで、叔父はどこにいるかと尋ねた。彼女は立ち止まって振り返った。
「お父《とう》さんは四、五日まえちょっといらしったけど、一昨日《おととい》また用ができたって東京へお帰りになったぎりよ」
「ここにゃいないのかい」
「ええ。なぜ。ことによると今日《きよう》の夕方吾一さんを連れて、またいらっしゃるかもしれないけども」
千代子は明日《あした》もし天気が好《よ》ければ皆《みんな》と魚《さかな》を漁《と》りに行くはずになっているのだから、田口が都合して今日の夕方までに来てくれなければ困るのだと話した。そうして僕にもぜひいっしょに行けと勧めた。僕は魚のことよりもさっき見た浴衣《ゆかた》掛《が》けの男の居所が知りたかった。
一五
「さっき誰《だれ》だか男の人が一人《ひとり》座敷にいたじゃないか」
「あれ高《たか》木《ぎ》さんよ。ほら秋子さんの兄《にい》さんよ。知ってるでしょう」
僕は知っているともいないとも答えなかった。しかし腹の中では、この高木と呼ばれる人の何物かをすぐ了解した。百代子の学《がつ》校《こう》朋《ほう》輩《ばい》に高木秋子という女のあることはまえから承知していた。その人の顔も、百代子といっしょに撮《と》った写真で知っていた。手跡も絵《え》端《は》書《がき》で見た。一人の兄がアメリカへ行っているのだとか、今帰ってきたばかりだとかいう話もそのころ耳にした。困らない家庭なのだろうから、その人が鎌倉へ遊びにきているぐらいは怪しむに足らなかった。よしここに別荘を持っていたところで不思議はなかった。が、僕はその高木という男の住んでいる家を千代子から聞きたくなった。
「ついこの下よ」と彼女は言ったぎりであった。
「別荘かい」と僕は重ねて聞いた。
「ええ」
二人はそれ以外を語らずに座敷へ帰った。座敷では母と叔母《おば》がまだ海の色がどうだとか、大仏がどっちの見当に中《あた》るかというさほどでもないことを、問題らしく聞いたり教えたりしていた。百代子は千代子に彼らの父がその日の夕方までに来ると言って、わざわざ知らせてきたことを告げた。二人は明日《あす》魚《さかな》を漁《と》りに行く時の楽しみを、今目《ま》の当たりに描き出して、すでに手の内に握ったごとく語り合った。
「高木さんもいらっしゃるんでしょう」
「市《いつ》さんもいらっしゃい」
僕は行かないと答えた。その理由として、少し宅《うち》に用があって、今夜東京へ帰らなければならないからという説明を加えた。しかし腹の中ではただでさえこうごたごたしているところへ、もし田口が吾一でも連れてきたら、それこそ自分の寐《ね》る場所さえなくなるだろうと心配したのである。そのうえ僕は姉《きよう》妹《だい》の知っている高木という男に会うのが厭《いや》だった。彼はさっきまで二人と僕の評判をしていたが、僕の来たのを見て、遠慮して裏から帰ったのだと百代子から聞いた時、僕はまず窮屈な思いを逃《のが》れて好《よ》かったと喜こんだ。僕はそれほど知らない人を怖《こわ》がる性分なのである。
僕の帰るというのを聞いた二人は、驚いたような顔をして留めに掛かった。ことに千代子は躍起になった。彼女は僕を捉《つらま》えて変人だと言った。母を一人残してすぐ帰る法はないと言った。帰ると言っても帰さないと言った。彼女は自分の妹や弟に対してよりも、僕に対してははるかに自由な言葉を使いうる特権を有《も》っていた。僕は平生から彼女が僕に対して振《ふる》舞《ま》うごとく大胆に率直に(ある時は善意ではあるが)威圧的に、他人に向かって振舞うことができたなら、僕のような他に欠点の多いものでも、さぞ愉快に世の中を渡ってゆかれるだろうと想像して、大いにこの小さな暴君《タイラント》を羨《うらやま》しがっていた。
「えらい権幕だね」
「貴方《あなた》は親不孝よ」
「じゃ叔母さんに聞いてくるから、もし叔母さんが泊まってゆくほうが可《い》いって、仰《おつ》しゃったら、泊まっていらっしゃい。ね」
百代子は仲裁を試みるような口調でこう言いながら、すぐ年寄りの話をしている座敷の方へ立っていった。僕の母の意志はむろん聞くまでもなかった。したがって百代子の年寄り二人から齎《もたら》した返事もここに述べるのは蛇《だ》足《そく》にすぎない。要するに僕は千代子の捕虜になったのである。
僕はやがてちょっと町へ出てくるという口実《*いいまえ》の下《もと》に、午後の暑い日を洋傘《こうもり》で遮《さえぎ》りながら別荘の付近を順序なく徘《はい》徊《かい》した。久しく見ない土地の昔を偲《しの》ぶためといえばいえないこともないが、僕にそんな寂《さび》た心持ちを嬉《うれ》しがる風流があったにしたところで、今はそれに耽《ふけ》る落ち付きも余裕も与えられなかった。僕はただうろうろそこらの標札を読んで歩いた。そうして比較的立《りつ》派《ぱ》な平屋建の門の柱に、高木の二字を認めた時、これだろうと思って、しばらく門前に佇《たたず》んだ。それからあとはまったくなんの目的もなしになお緩慢な歩行を約十五分ばかり続けた。しかしこれは僕が自分の心に、高木の家を見るためにわざわざ表へ出たのではないと申し渡したと同じようなものであった。僕はさっさと引き返した。
一六
実をいうと、僕はこの高木という男について、ほとんどなにも知らなかった。ただ一遍百代子から彼が適当な配偶を求めつつあるよしを聞いただけである。その時百代子が、お姉《ねえ》さんにはどうかしら、とちょうど相談でもするように僕の顔色を見たのを覚えている。僕はいつものとおり冷淡な調子で、好《い》いかもしれない、お父《とう》さんかお母《かあ》さんに話してごらんと言ったと記憶する。それから以後僕の田口の家《うち》に足を入れた度数は何遍あるか分《わか》らないが、高木の名前は少なくとも僕のいる席ではついぞ誰《だれ》の口にも上らなかったのである。それほど親しみの薄い、顔さえ見たことのない男の住居《すまい》になんの興味があって、僕はわざわざ砂の焼ける暑さを冒して外出したのだろう。僕は今日《きよう》までその理由を誰にも話さずにいた。自分自身にもその時にはよく説明ができなかった。ただ遠くの方にある一種の不安が、僕の身体《からだ》を動かしに来たという漠《ばく》たる感じが胸に射《さ》したばかりであった。それが鎌倉で暮らした二日《ふつか》のあいだに、紛れもないある形を取って発展した結果を見て、僕を散歩に誘い出したのもやはり同じ力に違いないと今から思うのである。
僕が別荘へ帰って一時間経《た》つか経たないうちに、僕の注意した門札と同じ名前の男がたちまち僕の前に現われた。田口の叔母《おば》は、高木さんですと言って丁寧にその男を僕に紹介した。彼はみるからに肉の緊《しま》った血色の好い青年であった。年からいうと、あるいは僕より上かもしれないと思ったが、そのきびきびした顔付を形容するには、ぜひとも青年という文《もん》字《じ》が必要になったくらい彼は生気に充《み》ちていた。僕はこの男をはじめて見た時、これは自然が反対を比較するために、わざと二人を同じ座敷に並べて見せるのではなかろうかと疑《うたぐ》った。むろんその不利益な方面を代表するのが僕なのだから、こう改まって引き合わされるのが、僕にはただ悪い洒落《しやれ》としか受け取られなかった。
二人の容《よう》貌《ぼう》がすでに意地の好《よ》くない対照を与えた。しかし様子とか応対振りとかになると僕はさらに甚《はなはだ》しい相違を自覚しないわけにいかなかった。僕の前にいるものは、母とか叔母とか従妹《いとこ》とか、皆親しみの深い血属ばかりであるのに、それらに取り捲《ま》かれている僕が、この高木に比べると、かえってどこからか客にでも来たように見えたくらい、彼は自由に遠慮なく、しかもある程度の品格を落とす危険なしに己《おのれ》を取り扱う術を心得ていたのである。知らない人を怖《おそ》れる僕にいわせると、この男は生まれるやいなや交際場裏に棄《す》てられて、そのまま今日まで同じ所で人と成ったのだと評したかった。彼は十分と経たないうちに、すべての会話を僕の手から奪った。そうしてそれをことごとく一身に集めてしまった。その代り僕を除《の》け物《もの》にしないための注意を払って、時々僕に一句か二句の言葉を与えた。それがまたあいにく僕には興味の乗らない話題ばかりなので、僕はみんなを相手にすることもできず、高木一人を相手にするわけにもいかなかった。彼は田口の叔母をしたしげにお母さんお母さんと呼んだ。千代子に対しては、僕と同じように、千代ちゃんという幼《おさな》馴《な》染《じ》みに用いる名を、自然に命ぜられたかのごとくに使った。そうして僕に、さきほどお着きになった時は、ちょうど千代ちゃんと貴方のお噂《うわさ》をしていたところでしたと言った。
僕は初めて彼の容貌を見た時からすでに羨《うらやま》しかった。話をするところを聞いて、すぐ及ばないと思った。それだけでもこの場合に僕を不愉快にするには十分だったかもしれない。けれどもだんだん彼を観察しているうちに、彼は自分の得意な点を、劣者の僕に見せ付けるような態度で、誇り顔を発揮するのではなかろうかという疑いが起こった。その時僕は急に彼を憎みだした。そうして僕の口を利《き》くべき機会が回ってきてもわざと沈黙を守った。
落ち付いた今の気分でその時のことを回顧してみると、こう解釈したのはあるいは僕の僻《ひが》みだったかも分《わか》らない。僕はよく人を疑《うたぐ》る代りに、疑る自分も同時に疑わずにはいられない性質《たち》だから、結局他《ひと》に話をする時にもどっちとはっきりしたところが言い悪《にく》くなるが、もしそれがほんとうに僕の僻み根《こん》性《じよう》だとすれば、その裏面にはまだ凝結した形にならない嫉《しつ》妬《と》が潜んでいたのである。
一七
僕は男として嫉《しつ》妬《と》の強いほうか弱いほうか自分にもよく解《わか》らない。競争者のない一人息子《むすこ》としてむしろ大事に育てられた僕は、少なくとも家庭のうちで嫉妬を起こす機会を有《も》たなかった。小学や中学は自分より成績の好《い》い生徒がさいわいにしてそうなかったためか、しごく太平に通り抜けたように思う。高等学校から大学へかけては、席次にさほど重きを置かないのが、一般の習慣であったうえ、年ごとに自分を高く見積もる見識というものが加わってくるので、点数の多少はたいした苦にならなかった。これらをほかにして、僕はまだ痛切な恋に落ちた経験がない。一人の女を二人で争った覚えはなおさらない。自白すると僕は若い女ことに美しい若い女に対しては、普通以上に精密な注意を払い得《う》る男なのである。往来を歩いて綺《き》麗《れい》な顔と綺麗な着物を見ると、雲間から明らかな日が射《さ》した時のように晴れやかな気持ちになる。たまにはその所有者になってみたいという考えも起こる。しかしその顔とその着物がどう果敢《はか》なく変化し得《う》るかをすぐ予想して、酔いが去って急にぞっとする人の浅《あさ》間《ま》しさを覚える。僕をして執念《しゆうね》く美しい人に付け纏《まつわ》らせないものは、まさにこの酒に棄《す》てられた淋《さび》しみの障害にすぎない。僕はこの気分に乗り移られるたびに、若い自分が突然老人《としより》か坊主に変わったのではあるまいかと思って、非常な不愉快に陥る。が、あるいはそれがために恋の嫉妬というものを知らずに済ますことができたかもしれない。
僕は普通の人間でありたいという希望を有《も》っているから、嫉妬心のないのを自慢にしたくもなんともないけれども、今話したような訳で、目《ま》の当たりにこの高木という男を見るまでは、そういう名の付く感情に強く心を奪われた試《ため》しがなかったのである。僕はその時高木から受けた名状しがたい不快を明らかに覚えている。そうして自分の所有でもない、また所有にする気もない千代子が源因でこの嫉妬心が燃えだしたのだと思った時、僕はどうしても僕の嫉妬心を抑《おさ》え付けなければ自分の人格に対して申し訳がないような気がした。僕は存在の権利を失った嫉妬心を抱《いだ》いて、誰《だれ》にも見えない腹の中で苦《く》悶《もん》しはじめた。さいわい千代子と百代子が日が薄くなったから海へ行くと言いだしたので、高木が必ず彼らに跟《つ》いて行くに違いないと思った僕は、早く跡《あと》に一人残りたいと願った。彼らははたして高木を誘った。ところが意外にも彼はなんとか言い訳を拵《こしら》えて容易に立とうとしなかった。僕はそれを僕に対する遠慮だろうと推察して、ますます眉《まゆ》を暗くした。彼らは次に僕を誘った。僕はもとより応じなかった。高木の面前から一刻も早く逃《のが》れる機会は、与えられないでも手を出して奪いたいくらいに思っていたのだが、今の気分では二人と浜《はま》辺《べ》まで行く努力がすでに厭《いや》であった。母は失望したような顔をして、いっしょに行っておいでなといった。僕は黙って遠くの海の上を眺《なが》めていた。姉《きよう》妹《だい》は笑いながら立ち上がった。
「相変わらず偏屈ね貴方《あなた》は。まるで腕白小僧みたいだわ」
千代子にこう罵《ののし》られた僕は、実際誰の目にも立《りつ》派《ぱ》な腕白小僧として見えたろう。僕自身も腕白小僧らしい思いをした。調子の好《い》い高木は縁側へ出て、二人のために菅《すげ》笠《がさ》のように大きな麦《むぎ》藁《わら》帽《ぼう》を取ってやって、行ってらっしゃいと挨《あい》拶《さつ》した。
二人の後ろ姿が別荘の門を出たあとで、高木はなおしばらく年寄りを相手に話していた。こうやって避暑に来ていると気楽で好《い》いが、どうして日を送るかが大問題になってかえって苦痛になるなどと、実際活気に充《み》ちた身体《からだ》を暑さと退屈さに持ち扱っているふうにみえた。やがて、これから晩までなにをして暮らそうかしらと独言《ひとりごと》のように言って、不意に思い出したごとく、玉はどうですと僕に聞いた。さいわいにして僕は生まれてからまだ玉突きという遊戯を試みたことがなかったのですぐ断わった。高木はちょうど好い相手ができたと思ったのに残念だと言いながら帰っていった。僕は活《かつ》溌《ぱつ》に動く彼の後影を見送って、彼はこれから姉妹のいる浜辺の方へ行くに違いないという気がした。けれども僕は坐《すわ》っている席を動かなかった。
一八
高木の去ったあと、母と叔母《おば》はしばらく彼の噂《うわさ》をした。初対面の人だけに母の印象はことに深かったようにみえた。気の置けない、いたって行き届いた人らしいと言って賞《ほ》めていた。叔母はまた母の批評を一々実例に照らして確かめるふうにみえた。この時僕は高木について知り得た極《きわ》めて乏しい知識のほとんど全部を訂正しなければならないことを発見した。僕が百代子から聞いたのでは、アメリカ帰りという話であった彼は、叔母の語るところによると、そうではなくってまったくイギリスで教育された男であった。叔母は英国流の紳士という言葉を誰《だれ》かから聞いたとみえて、二、三度それを使って、なんの心得もない母を驚かしたのみか、だからどことなく品の善《い》いところがあるんですよと母に説明して聞かせたりした。母はただへえと感心するのみであった。
二人がこんな話をしているうち、僕はほとんど一口も口を利《き》かなかった。ただ上《うわ》部《べ》から見て平生の調子となんの変わるところもない母が、この際高木と僕を比較して、腹の中でどう思っているだろうと考えると、僕は母に対して気の毒でもありまた恨めしくもあった。同じ母が、千代子対僕という古い関係を一方に置いて、さらに千代子対高木という新しい関係を一方に想像するなら、はたしてどんな心持ちになるだろうと思うと、たとい少しの不安でも、避け得られるところをわざと与えるために彼女を連れ出したも同じことになるので、僕はただでさえ不愉快なうえに、年寄りに済まないという苦痛をもう一つ重ねた。
前後の模様から推すだけで、実際には事実となって現われてこなかったからなんともいいかねるが、叔母はこの場合を利用して、もし縁があったら千代子を高木に遣《や》るつもりでいるぐらいの打ち明け話を、僕ら母子《おやこ》に向かって、相談とも宣告とも片付かない形式の下《もと》に、する気だったかもしれない。すべてに気が付くくせに、こうなるとかえって僕よりも迂遠《*うと》い母はどうだか、僕はその場で叔母の口から、僕と千代子と永久に手を別つべき談判の第一節を予期していたのである。幸か不幸か、叔母がまだなにも言いださないうちに、姉《きよう》妹《だい》は浜から広い麦《むぎ》藁《わら》帽《ぼう》の縁をひらひらさして帰ってきた。僕が僕の占いの的中しなかったのを、母のために喜んだのは事実である。同時に同じ出来事が僕を焦躁《もどか》しがらせたのも嘘《うそ》ではない。
夕方になって、僕は姉妹とともに東京から来るはずの叔父《おじ》を停車場《ステーシヨン》に迎えるべく母に命ぜられて家を出た。彼らは揃《そろ》いの浴衣《ゆかた》を着て白い足袋《たび》を穿《は》いていた。それを後ろから見送った彼らの母の目に彼らがいかなる誇りとして映じたろう。千代子と並んで歩く僕の姿がまた僕の母には画《え》として普通以上にどんなに価が高かったろう。僕は母を欺く材料に自然から使われる自分を心苦しく思って、門を出る時振り返って見たら、母も叔母もまだこっちを見ていた。
途中まで来たころ、千代子は思い出したように突然留まって、「あっ高木さんを誘うのを忘れた」と言った。百代子はすぐ僕の顔を見た。僕は足の運びを止めたが、口は開かなかった。「もう好《い》いじゃないの、ここまで来たんだから」と百代子が言った。「だって妾《あたし》さっき誘ってくれって頼まれたのよ」と千代子が言った。百代子はまた僕の顔を見て逡巡《ためら》った。
「市《いつ》さん貴方《あなた》時《と》計《けい》持っていらしって。今何時」
僕は時計を出して百代子に見せた。
「まだ間に合わないことはない。誘ってくるならくると好《い》い。僕は先へ行って待っているから」
「もう遅《おそ》いわよ貴方。高木さん、もしいらっしゃるつもりならきっと一人でもいらしってよ。あとから忘れましたって詫《あやま》ったらそれで好《よ》かないの」
姉妹は、二、三度押し問答の末ついに後《あと》戻《もど》りをしないことにした。高木は百代子の予言どおりまだ汽車の着かないうちに急ぎ足で構内へはいってきて、姉妹に、どうも非《ひ》道《ど》い、あれほど頼んでおくのにと言った。それからお母《かあ》さんはと聞いた。最後に僕の方を向いて、さきほどはと愛《あい》想《そ》の好い挨《あい》拶《さつ》をした。
一九
その晩は叔父《おじ》と従弟《いとこ》を待ち合わしたうえに、僕ら母子《おやこ》が新たに食卓に加わったので、食事の時間がいつもより、だいぶ後《おく》れたばかりでなく、ひそかに恐れたとおり甚《はなはだ》しい混雑のうちに箸《はし》と茶《ちや》碗《わん》の動く光景を見せられた。叔父は笑いながら、市《いつ》さんまるで火事場のようだろう、しかしたまにはこんな騒ぎをして飯を食うのも面《おも》白《しろ》いものだよと言って、間接の言い訳をした。閑静な膳《ぜん》に慣れた母は、この賑《にぎ》やかさのうちに実際叔父の言葉どおり愉快らしい顔をしていた。母は内気なくせにこういう陽気な席が好きなのである。彼女はその時偶然口に上った一塩にした小《こ》鰺《あじ》の焼いたのを美味《うま》いと言ってしきりに賞《ほ》めた。
「漁師に頼んどくといくらでも拵《こしら》えてきてくれますよ。なんなら、帰りに持っていらっしゃいな。姉《ねえ》さんが好きだから上げたいと思ってたんですが、ついついでなかったもんだから。それにすぐ腐《わる》くなるんでね」
「妾《わたし》もいつか大《おお》磯《いそ》で誂《あつら》えてわざわざ東京まで持って帰ったことがあるが、よっぽど気を付けないと途中でね」
「腐るの」と千代子が聞いた。
「叔母《おば》さん興《*おき》津《つ》鯛《だい》お嫌《きら》い。妾《あたし》これよか興津鯛のほうが美味《おいし》いわ」と百代子が言った。
「興津鯛はまた興津鯛で結構ですよ」と母は大人《おとな》しい答えをした。
こんなくだくだしい会話を、僕がなぜ覚えているかというと、僕はその時母の顔に表われた、さも満足らしい気持ちをよく注意して見ていたからであるが、もう一つは僕が母と同じように一《*》塩の小《こ》鰺《あじ》を好いていたからでもある。
ついでだからここでいう。僕は自分の嗜《し》好《こう》や性質のうえにおいて、母にたいへんよく似たところと、まったく違ったところと両方有《も》っている。これはまだ誰《だれ》にも話さない秘密だが、実は単に自分の心得として、過去幾年かのあいだ、僕は母と自分とどこがどう違って、どこがどう似ているのかの詳しい研究を人知れず重ねたのである。なぜそんな真《ま》似《ね》をしたかと母に聞かれては言いかねる。たとい僕が自分に聞き糾《ただ》してみてもはっきり言えなかったのだから、理由《わけ》は話せない。しかし結果からいうとこうである。――欠点でも母とともに具《そな》えているなら僕はたいへん嬉《うれ》しかった。長所でも母になくって僕だけ有《も》っているとはなはだ不愉快になった。そのうちで僕も最も気になるのは、僕の顔が父だけに似て、母とはまるで縁のない目鼻立ちにでき上がっていることであった。僕は今でも鏡を見るたびに、器量が落ちても構わないから、もっと母の人相を多量に受け継いでおいたら、母の子らしくってさぞ心持ちが好《い》いだろうと思う。
食事の後《おく》れたごとく、寐《ね》る時間も順繰りに延びてだいぶ遅《おそ》くなった。そのうえ急に人数《にんず》が増えたので、床の位置やら部《へ》屋《や》割りを極《き》めるだけが叔母にとっての一骨折りであった。男三人はいっしょに固められて、同じ蚊帳《かや》に寐《ね》た。叔父は肥《ふと》った身体《からだ》を持ち扱って、団扇《うちわ》をしきりにばたばたいわした。
「市さんどうだい、暑いじゃないか。これじゃ東京のほうがよっぽど楽だね」
僕も僕の隣にいる吾一も東京のほうが楽だと言った。それではなにを苦しんでわざわざ鎌倉下りまで出掛けてきて、狭い蚊帳へ押し合うように寐るんだか、叔父にも吾一にも僕にも説明のしようがなかった。
「これも一興だ」
疑問は叔父のこの一句でたちまち納まりが付いたが、暑さのほうはなかなか去らないので誰《だれ》もすぐは寐つかれなかった。吾一は若いだけに、明日《あした》の魚《さかな》捕《と》りのことを叔父に向かってしきりに質問した。叔父はまた真《ま》面《じ》目《め》だか冗談だか、船に乗りさえすれば、魚のほうで風《*ふう》を望んで降《くだ》るような旨《うま》い話を聞かせた。それがただ自分の倅《せがれ》を相手にするばかりでなく、時々はねえ市さんと、そんなことにまるで冷淡の僕まで聴《き》き手《て》にするのだから少し変であった。しかし僕のほうはそれに対して相当な挨《あい》拶《さつ》をする必要があるので、話の済むまえには、僕は当然同行者の一《いち》人《にん》として受け答えをするようになっていた。僕はもとより行くつもりでもなんでもなかったのだから、この変化は僕にとって少し意外の感があった。気楽そうに見える叔父はそのうち大きな鼾声《いびき》をかきはじめた。吾一もすやすや寝入った。ただ僕だけは開《あ》いている目をわざと閉じて、更《ふ》けるまでいろいろなことを考えた。
二〇
翌日《あくるひ》目が覚《さ》めると、隣に寐《ね》ていた吾一の姿がいつのまにかもう見えなくなっていた。僕は寐足らない頭を枕《まくら》の上に着けて、夢とも思索とも名の付かない路《みち》を辿《たど》りながら、時々別種の人間を偸《ぬす》み見るような好奇心をもって、叔父の寐《ね》顔《がお》を眺《なが》めた。そうして僕も寐ている時は、傍《はた》から見ると、やはりこう苦がない顔をしているのだろうかと考えなどした。そこへ吾一がはいってきて、市《いつ》さんどうだろう天気はと相談した。ちょっと起きてみろと促すので、起き上がって縁側へ出ると、海の方には一面に柔らかい靄《もや》の幕が掛って、近い岬《みさき》の木立さえ常の色には見えなかった。降ってるのかねと僕は聞いた。吾一はすぐ庭先へ飛び下《お》りて、空を眺《なが》めだしたが、少し降ってると答えた。
彼は今日《きよう》の船遊びの中止を深く気《き》遣《づか》うもののごとく、二人の姉まで縁側へ引っ張り出して、しきりにどうだろうどうだろうを繰り返した。しまいに最後の審判者たる彼の父の意見を必要と認めたものか、まだ寐ている叔父をとうとう呼び起こした。叔父は天気などはどうでも好《い》いといったような眠たい目をして、空と海を一応見渡したうえ、なにこの模様なら今にきっと晴れるよと言った。吾一はそれで安心したらしかったが、千代子は当てにならない無責任な天気予報だから心配だと言って僕の顔を見た。僕はなんとも言えなかった。叔父は、なに大丈夫大丈夫と受け合って風《ふ》呂《ろ》場《ば》の方へ行った。
食事を済ますころから霧のような雨が降りだした。それでも風がないので、海の上は平生よりもかえって穏やかに見えた。あいにくな天気なので人の好《い》い母はみんなに気の毒がった。叔母《おば》は今にきっと本降りになるから今日は止《よ》したが好《よ》かろうと注意した。けれども若いものはことごとく行くほうを主張した。叔父はじゃお婆《ばあ》さんだけ残して、若いものが揃《そろ》って出掛けることにしようと言った。すると叔母が、ではお爺《じい》さんはどっちになさるのとわざと叔父に聞いて、みんなを笑わした。
「今日はこれでも若いものの部だよ」
叔父はこの言葉を証拠立てるためだかなんだか、さっそく立って浴衣《ゆかた》の尻《しり》を端折《はしよ》って下へ降りた。姉《きよう》妹《だい》三人もそのままの姿で縁から降りた。
「お前たちも尻を捲《まく》るが好《い》い」
「厭《いや》なこと」
僕は山賊のような毛《け》脛《ずね》を露《むき》出《だ》しにした叔父と、静《*しずか》御《ご》前《ぜん》の笠《かさ》に似た恰《かつ》好《こう》の麦《むぎ》藁《わら》帽《ぼう》を被《かぶ》った女二人と、黒い兵《へ》児《こ》帯《おび》をこま結びにした弟を、縁の上から見《み》下《おろ》して、まったく都離れのした不思議な団体のごとく眺《なが》めた。
「市さんがまたなにか悪口を言おうと思って見ている」と百代子が薄笑いをしながら僕の顔を見た。
「早く降りていらっしゃい」と千代子が叱《しか》るように言った。
「市さんに悪い下《げ》駄《た》を貸してあげるが好《よ》い」と叔父が注意した。
僕は一も二もなく降りたが、約束のある高木が来ないので、それがまた一つの問題になった。おおかたこの天気だから見合わしているのだろうというのが、みんなの意見なので、僕らがそろそろ歩いてゆくあいだに、吾一が馳け足で迎いに行って連れてくることにした。
叔父は例の調子でしきりに僕に話し掛けた。僕も相手になって歩調を合わせた。そのうちに、男の足だものだから、いつのまにか姉《きよう》妹《だい》を乗り越した。僕は一度振り返って見たが、二人は後《おく》れたことにいっこう頓《とん》着《じやく》しない様子で、毫《ごう》も追い付こうとする努力を示さなかった。僕にはそれがわざとあとから来る高木を待ち合わせるためのようにしか取れなかった。それは誘った人に対する礼儀として、彼らの取るべき当然の所作だったのだろう。しかしその時の僕にはそう思えなかった。そう思う余地があっても、そうは感ぜられなかった。早く来いという合図をしようという考えで振り向いた僕は、合図を止《や》めてまた叔父と歩きだした。そうしてそのまま小《*こ》坪《つぼ》へはいる入り口の岬《みさき》の所まで来た。そこは海へ出張った山の裾《すそ》を、人の通れるだけの狭い幅に削って、ぐるりと向こう側へ回り込まれるようにした坂道であった。叔父はいちばん高い坂の角まで来て留まった。
二一
彼は突然彼の体格に相応した大きな声を出して姉《きよう》妹《だい》を呼んだ。自白するが、僕はそれまでに何度も後ろを振り返って見ようとしたのである。けれども気が咎《とが》めるというのか、自尊心が許さないというのか、振り向こうとするごとに、首が猪《いのしし》のように堅くなって後ろへ回らなかったのである。
見ると二人《ふたり》の姿はまだ一町ほど下にあった。そうしてそのすぐ後ろに高木と吾一が続いていた。叔父《おじ》が遠慮のない大きな声を出して、おおいと呼んだ時、姉妹は同時に僕らを見上げたが、千代子はすぐ後ろにいる高木の方を向いた。すると高木は被《かぶ》っていた麦《むぎ》藁《わら》帽《ぼう》を右手に取って、僕らを目当てにしきりに振って見せた。けれども四人のうちで声を出して叔父に応じたのはただ吾一だけであった。彼はまた学校で号令の稽《けい》古《こ》でもしたものとみえて、海と崖《がけ》に反響するような答えとともに両手を一度に頭の上に差し上げた。
叔父と僕は崖の鼻に立って彼らの近寄るのを待った。彼らは叔父に呼ばれた後も呼ばれないまえと同じ遅《おそ》い歩調で、なにか話しながら上がってきた。僕にはそれが尋常でなくって、大いに巫山戯《ふざけ》ているように見えた。高木は茶色のだぶだぶした外《がい》套《とう》のようなものを着て時々隠袋《ポツケツト》へ手を入れた。この暑いのにまさか外套は着られまいと思って、最初は不思議に眺《なが》めていたが、だんだん近くなるに従って、それが薄い雨除《レインコート》であることに気が付いた。その時叔父が突然、市《いつ》さんヨットに乗ってそこいらを遊んで歩くのも面《おも》白《しろ》いだろうねと言ったので、僕は急に気が付いたように高木から目を転じて脚《あし》の下を見た。すると磯《いそ》に近い所に、真《まつ》白《しろ》に塗った空《から》船《ぶね》が一艘《そう》、静かな波の上に浮いていた。糠《ぬか》雨《あめ》とまでもいかない細かいものがなお降り已《や》まないで、海は一面に暈《ぼか》されて、いつもなら手に取るように見える向こう側の絶壁の樹《き》も岩も、ほとんど一《ひと》色《いろ》に眺《なが》められた。そのうち四人《よつたり》はようやく僕らの傍《そば》まで来た。
「どうもお待たせ申しまして、実は髭《ひげ》を剃《す》っていたものだから、途中で已《や》めるわけにゆかず……」と高木は叔父の顔を見るやいなや言い訳をした。
「えらい物を着込んで暑かありませんか」と叔父が聞いた。
「暑くたって脱ぐわけにいかないのよ。上はハイカラでも下は蛮《ばん》殻《から》なんだから」と千代子が笑った。高木は雨外套《レインコート》の下に、じかに半袖の薄い襯衣《シヤツ》を来て、変な半《はん》洋《ズボン》から余った脛《すね》を丸出しにして、黒足袋に俎《*まないた》下《げ》駄《た》を引っ掛けていた。彼はこのとおりと雨外套の下を僕らに示したうえ、日本に帰ると服装が自由で貴女《レデー》の前でも気兼ねがなくって好《い》いと言っていた。
一同がぞろぞろ揃《そろ》って道幅の六尺ばかりな汚苦《むさくる》しい漁村にはいると、一種不快な臭《におい》がみんなの鼻を撲《う》った。高木は隠袋から白い手巾《ハンケチ》を出して短い髭《ひげ》の上を掩《おお》った。叔父は突然そこに立って僕らを見ていた子供に、西の者で南の方から養子に来たものの宅《うち》はどこだと奇《き》体《たい》な質問を掛けた。子供は知らないと言った。僕は千代子になんでそんな妙な聞き方をするのかと尋ねた。昨夕《ゆうべ》聞き合わせに人を遣《や》った家《うち》の主人が言うには、名前は忘れたからこれこれの男と言って探《さが》して歩けば分《わか》ると教えたからだと千代子が話して聞かした時、僕はこの呑《のん》気《き》な教え方と、同じ呑気な聞き方を、いかにも余裕なくこせついている自分と比べてみて、妙に羨《うらやま》しく思った。
「それで分るんでしょうか」と高木が不思議な顔をした。
「分ったらよっぽど奇体だわね」と千代子が笑った。
「なに大丈夫分るよ」と叔父が受け合った。
吾一は面《おも》白《しろ》半分人の顔さえ見れば、西のもので南の方から養子に来たものの宅《うち》はどこだと聞いては、そのたびにみんなを笑わした。いちばんしまいに、編《あみ》笠《がさ》を被って白の手《てつ》甲《こう》と脚《きや》絆《はん》を着けた月《*げつ》琴《きん》弾《ひ》きの若い女の休んでいる汚《きたな》い茶店の婆《ばあ》さんに同じ問いを掛けたら、婆さんは案外にもすぐそこだと容易く教えてくれたので、みんながまた手を拍《う》って笑った。それは往来から山手の方へ三級ばかりに仕切られた石段を登り切った小高い所にある小さい藁《わら》葺《ぶ》きの家であった。
二二
この細い石段を思い思いの服装《なり》をした六人が前後してぞろぞろ登る姿は、傍《はた》で見ていたらさだめし変なものだったろうと思う。そのうえ六人のうちで、これからなにをするかはっきりした考えを有《も》っていたものは誰《だれ》もないのだからはなはだ気楽である。肝《かん》心《じん》の叔父《おじ》さえただ船に乗ることを知っているだけで、あとは網だか釣りだか、またどこまで漕《こ》いで出るのかいっこう弁別《わきま》えないらしかった。百代子のあとから足の力で擦《す》り減らされて凹《くぼ》みの多くなった石段を踏んで行く僕はこんな無意味な行動に、己《おのれ》を委《ゆだ》ねて悔いないところを、避暑の趣とでもいうのかと思いつつ上った。同時にこの無意味な行動のうちに、意味ある劇のたいせつな一幕が、ある男とある女のあいだに暗に演ぜられつつあるのではなかろうかと疑《うたぐ》った。そうしてその一幕の中で、自分の務めなければならない役割がもしあるとすれば、穏やかな顔をした運命に、軽く翻《ほん》弄《ろう》される役割よりほかにあるまいと考えた。最後に何事も打算しないでただ無《む》雑《ぞう》作《さ》に遣《や》ってのける叔父が、人の気の付かないうちに、この幕を完成するとしたら、彼こそ比類のない巧妙な手《て》際《ぎわ》を有《も》った作者と言わなければなるまいという気を起こした。僕の頭にこういう影が射《さ》した時、すぐあとから跟《つ》いて上がってくる高木が、これじゃ暑くって堪《たま》らない、御免蒙《こうむ》って雨防衣《レインコート》を脱ごうと言いだした。
家は下から見たよりもなお小さくて汚《きたな》かった。戸口に杓《しやく》子《し》が一つ打ち付けてあって、それに百《ひやく》日《にち》風《か》邪《ぜ》吉《よし》野《の》平《へい》吉《きち》一《いつ》家《か》一《いち》同《どう》と書いてあるので、主人の名がようやく分った。それを見付け出して、みんなに聞こえるように読んだのは、目《め》敏《ざと》い吾一の手柄であった。中を覗《のぞ》くと天井も壁もことごとく黒く光っていた。人間としては婆《ばあ》さんが一人《ひとり》いたぎりである。その婆さんが、今日《きよう》は天気が好《よ》くないので、おおかたお出《いで》じゃあるまいと言って早く海へ出ましたから、今浜へ下《お》りて呼んできましょうと断わりを述べた。舟に乗って出たのかねと叔父が聞くと、婆さんはたぶんあの船だろうと答えて、手で海の上を指《さ》した。靄《もや》はまだ晴れなかったけれども、さっきよりは空がだいぶ明るくなったので、沖《おき》の方は比較的はっきり見えるなかに、指された船は遠くの向こうに小さく横たわっていた。
「あれじゃたいへんだ」
高木は携えてきた双眼鏡を覗きながらこう言った。
「ずいぶん呑《のん》気《き》ね、迎いに行くって、どうしてあんな所へ迎いに行けるんでしょう」と千代子は笑いながら、高木の手から双眼鏡を受け取った。
婆さんはなにじきですと答えて、草《ぞう》履《り》を穿《は》いたまま石段を馳《か》け下《お》りていった。叔父は田舎《いなか》者《もの》は気楽だなと笑っていた。吾一は婆さんのあとを追い掛けた。百代子はぼんやりして汚い縁へ腰を卸《おろ》した。僕は庭を見回した。庭という名の勿《もつ》体《たい》なく聞こえる縁先は五《いつ》坪《つぼ》にも足りなかった。隅《すみ》に無花果《いちじく》が一本あって、腥《なま》ぐさい空気のなかに、青い葉を少しばかり茂らしていた。枝にはまだ熟しない実が言い訳ほど結《な》って、その一本の股《また》のところに、空《から》の虫《むし》籠《かご》が懸《かか》っていた。その下には瘠《や》せた鶏が二、三羽むやみに爪《つめ》を立てた地面の中を餓《う》えた嘴《くちばし》で啄《つつ》いていた。僕はその傍《そば》にふせてある鉄《かな》網《あみ》の鳥《とり》籠《かご》らしいものを眺《なが》めて、その恰《かつ》好《こう》がちょうど仏《ぶ》手《しゆ》柑《かん》のごとく不規則に歪《ゆが》んでいるのに一種滑《こつ》稽《けい》な思いをした。すると叔父が突然、なにぶん臭いねと言いだした。百代子は、あたしもうお魚《さかな》なんかどうでも好《い》いから、早く帰りたくなったわと心細そうな声を出した。この時まで双眼鏡で海の方を見ながら、絶えず千代子と話していた高木はすぐ後ろを振り返った。
「なにをしているのだろう。ちょっと行って様子を見てきましょう」
彼はそう言いながら、手に持った雨外套《レインコート》と双眼鏡を置くために後ろの縁を顧みた。傍《そば》に立った千代子は高木の動かないまえに手を出した。
「こっちへお出しなさい。持ってるから」
そうして高木から二つの品を受け取った時、彼女は改めてまた彼の半《はん》袖《そで》姿《すがた》を見て笑いながら、「とうとう蛮《ばん》殻《から》になったのね」と評した。高木はただ苦笑しただけで、すぐ浜の方へ下《お》りていった。僕はさも運動家らしく発達した彼の肩の肉が、急いで階段を下りるために手を振るごとに動くさまを後ろから無言のまま注意して眺めた。
二三
船に乗るためにみんなが揃《そろ》って浜に下《お》り立ったのはそれから約一時間の後であった。浜にはなんの祭りの前か過ぎか、深く砂の中に埋められた高い幟《のぼり》の棒が二本僕の目を惹《ひ》いた。吾一はどこからか磯《いそ》へ打ち上げた枯れ枝を拾ってきて、広い砂の上に大きな字と大きな顔をいくつも並べた。
「さあお乗り」と坊主頭の船頭が言ったので、六人は順序なくごたごたに船《ふな》縁《べり》から這《は》い上がった。偶然の結果千代子と僕はあとのものに押されて、仕切りの付いた舳《へさき》のほうに二人膝《ひざ》を突き合わせて坐《すわ》った。叔父《おじ》はいちばん先に、胴の間というのか、真《まん》中《なか》の広い所に、家長らしく胡坐《あぐら》をかいてしまった。そうして高木をその日の客として取り扱うつもりか、さあどうぞと案内したので、彼はいやおうなしに叔父の傍《そば》に座を占めた。百代子と吾一は彼らの次の間といったような仕切りの中に船頭といっしょにはいった。
「どうですこっちが空《す》いてますからいらっしゃいませんか」と高木はすぐ後ろの百代子を顧みた。百代子は難有《ありがと》うといったきり席を移さなかった。僕ははじめから千代子と一つ薄《うす》縁《べり》の上に坐るのを快く思わなかった。僕の高木に対して嫉《しつ》妬《と》を起こしたことはすでに明らかに自白しておいた。その嫉妬は程度において昨日《きのう》も今日《きよう》も同じだったかもしれないが、それとともに競争心はいまだかつて微《み》塵《じん》も僕の胸に萌《きざ》さなかったのである。僕も男だからこれからさきいつどんな女を的に劇烈な恋に陥らないとも限らない。しかし僕は断言する。もしその恋と同じ度合いの劇烈な競争をあえてしなければ思う人が手に入らないなら、僕はどんな苦痛と犠牲を忍んでも、超然と手を懐《ふところ》にして恋人を見《み》棄《す》ててしまうつもりでいる。男らしくないとも、勇気に乏しいとも、意志が薄弱だとも、他《ひと》から評したらどうにでも評されるだろう。けれどもそれほど切ない競争をしなければ吾有《わがもの》にできにくいほど、どっちへ動いても好《い》い女なら、それほど切ない競争に価しない女だとしか僕には認められないのである。僕には自分に靡《なび》かない女をむりに抱く喜びよりは、相手の恋を自由の野に放ってやった時の男らしい気分で、わが失恋の瘡《きず》痕《あと》を淋《さみ》しく見詰めているほうが、どのくらい良心に対して満足が多いか分《わか》らないのである。
僕は千代子にこう言った。――
「千代ちゃん行っちゃどうだ。あっちのほうが広くって楽なようだから」
「なぜ、ここにいちゃ邪魔なの」
千代子はそう言ったまま動こうとしなかった。僕には高木がいるからあっちへ行けというのだというような説明は、露骨に聞こえるにしろ、厭《いや》味《み》と受け取られるにしろ、まったく口にする勇気は出なかった。ただ彼女からこう言われた僕の胸に、一種の嬉《うれ》しさが閃《ひらめ》いたのは、口と腹とどう裏表になっているかを暴露する好い証拠で、自分で自分の薄弱な性情を自覚しない僕には痛い打撃であった。
昨日会った時より気のせいか少し控え目になったように見える高木は、千代子と僕のあいだに起こったこの問答を聞きながら知らぬ振りをしていた。船が磯を離れたとき、彼は「好い案《あん》排《ばい》に空模様が直ってきました。これじゃ日がかんかん照るよりかえって結構です。船遊びには持ってこいというお天気で」というようなことを叔父と話し合ったりした。叔父は突然大きな声を出して、「船頭、いったいなにを捕《と》るんだ」と聞いた。叔父もその他のものも、この時までなにを捕るんだかいっこう知らずにいたのである。坊主頭の船頭は、粗末《ぞんざい》な言葉で、蛸《たこ》を捕るんだと答えた。この奇抜な返事には千代子も百代子も驚くより可笑《おか》しかったとみえて、たちまち声を出して笑った。
「蛸はどこにいるんだ」と叔父がまた聞いた。
「ここいらにいるんだ」と船頭はまた答えた。
そうして湯屋の留《と》め桶《おけ》を少し深くしたような小《こ》判《ばん》形《なり》の桶の底に、硝子《ガラス》を張ったものを水に伏せて、その中に顔を突っ込むように押し込みながら、海の底を覗《のぞ》きだした。船頭はこの妙な道具を鏡と称《とな》えて、二つ三つ余分に持ち合わせたのを、すぐ僕らに貸してくれた。第一にそれを利用したのは船頭の傍《そば》に座を取った吾一と百代子であった。
二四
鏡がそれからそれへと順々に回った時、叔父《おじ》はこりゃ鮮《あざや》やかだね、なんでも見えると非道《ひど》く感心していた。叔父は人間社会のことにたいてい通じているせいか、よろずに高を括《くく》るくせに、こういう自然界の現象に襲われるとじき驚く性質《たち》なのである。自分は千代子から渡された鏡を受け取って、最後に一枚の硝子《ガラス》越《ご》しに海の底を眺《なが》めたが、かねて想像したと少しも異なるところのないきわめて平凡な海の底が目に入《はい》っただけである。そこには小《ち》さい岩が多少の凸《とつ》凹《おう》を描いて一面に連なる間に、蒼《あお》黒《ぐろ》い藻《も》草《くさ》が限りなく蔓延《はびこ》っていた。その藻草があたかも生《なま》温《ぬる》い風に嬲《なぶ》られるように、波のうねりで静かにまた永久に細長い茎を前後に揺《うご》かした。
「市《いつ》さん蛸《たこ》が見えて」
「見えない」
僕は顔を上げた。千代子はまた首を突っ込んだ。彼女の被《かぶ》っていたへなへなの麦《むぎ》藁《わら》帽《ぼう》子《し》の縁が水に浸《つか》って船頭に操《あやつ》られる船の勢いに逆らうたびに、可《か》憐《れん》な波をちょろちょろ起こした。僕はその後ろに見える彼女の黒い髪と白い頸《くび》筋《すじ》を、その顔よりも美しく眺《なが》めていた。
「千代ちゃんには、見付かったかい」
「駄《だ》目《め》よ。蛸なんかどこにも泳いでいやしないわ」
「よっぽど慣れないとなかなか見《め》付《つ》けるわけにはいかないんだそうです」
これは高木が千代子のために説明してくれた言葉であった。彼女は両手で桶《おけ》を抑《おさ》えたまま、船《ふな》縁《べり》から乗り出した身体《からだ》を高木の方へ捻《ね》じ曲げて、「道《*どう》理《れ》で見えないのね」といったが、そのまま水に戯《たわむ》れるように、両手で抑《おさ》えた桶をぶくぶく動かしていた。百代子が向こうの方からお姉《ねえ》さんと呼んだ。吾一は居所も分《わか》らない蛸をむやみに突き回した。突くには二間ばかりの細長い女《め》竹《だけ》の先に一種の穂先を着けた変なものを用いるのである。船頭は桶を歯で銜《くわ》えて、片手に棹《さお》を使いながら、船の動いてゆくうちに、蛸の居所を探《さが》し中《あて》るやいなや、その長い竹で巧みにぐにゃぐにゃした怪物を突き刺した。
蛸は船頭一人の手で、何《なん》疋《びき》も船の中に上がったが、いずれも同じくらいな大きさで、これはと驚くほどのものはなかった。はじめのうちこそ皆《みんな》珍しがって、捕《と》れるたびに騒いで見たが、しまいにはさすが元気な叔父も少し飽きてきたとみえて、「こう蛸ばかり捕っても仕方がないね」と言いだした。高木は烟草《たばこ》を吹かしながら、船《ふな》底《ぞこ》にかたまった獲《え》物《もの》を眺めはじめた。
「千代ちゃん、蛸が泳いでるところを見たことがありますか、ちょっと来てごらんなさい、よっぽど妙ですよ」
高木はこう言って千代子を招いたが、傍《そば》に坐《すわ》っている僕の顔を見た時、「須永さんどうです、蛸が泳いでいますよ」と付け加えた。僕は「そうですか。面《おも》白《しろ》いでしょう」と答えたなりすぐ席を立とうともしなかった。千代子はどれと言いながら高木の傍へ行って新しい座を占めた。僕は故《もと》の所から彼女にまだ泳いでるかと尋ねた。
「ええ面《おも》白《しろ》いわ、早く来てごらんなさい」
蛸は八本の足をまっすぐに揃《そろ》えて、細長い身体《からだ》を一気にすっすっと区切りつつ、水の中を一直線に船板に突き当たるまで進んでゆくのであった。なかには烏賊《いか》のように黒い墨を吐くのも交じっていた。僕は中腰になってちょっとその光景を覗《のぞ》いたなり故の席に戻《もど》ったが、千代子はそれぎり高木の傍を離れなかった。
叔父は船頭に向かって蛸はもうたくさんだと言った。船頭は帰るのかと聞いた。向こうの方に大きな竹《たけ》籃《かご》のようなものが二つ三つ浮いていたので、蛸ばかりで淋《さむ》しいと思った叔父は、船をその一つの側《そば》へ漕《こ》ぎ寄せさした。申し合わせたように、舟《ふね》中《じゆう》立ち上がって籃《かご》の内を覗くと、七、八寸もあろうという魚《さかな》が、縦横に狭い水の中を駆《か》け回っていた。そのあるものは水の色を離れない蒼《あお》い光を鱗《うろこ》に帯びて、自分の勢いで前後左右に作る波を肉の裏に透すように輝いた。
「ひとつ掬《すく》ってごらんなさい」
高木は大きな掬網《たま》の柄《え》を千代子に握らした。千代子は面《おも》白《しろ》半分それを受け取って水の中で動かそうとしたが、動きそうもないので、高木は己《おのれ》の手を添えて二人いっしょに籃の中を覚《おぼ》束《つか》なく攪《か》き回した。しかし魚は掬えるどころではなかったので、千代子はすぐそれを船頭に返した。船頭は同じ掬網で叔父の命ずるままに何疋でも水から上へ択《よ》り出した。僕らは危《*》怪な蛸の単調を破るべく、鶏魚《いさき》、鱸《すずき》、黒《くろ》鯛《だい》の変化を喜んでまた岸に上った。
二五
僕はその晩一人東京へ帰った。母はみんなに引き留められて、帰るときには吾一か誰《だれ》か送ってゆくという条件の下《もと》に、なお二、三日鎌倉に留《とど》まることを肯《がえん》じた。僕はなぜ母が彼らの勧めるままに、人を好《よ》く落ち付いているのだろうと、鋭く磨《と》がれた自分の神経から推して、悠《ゆう》長《ちよう》すぎる彼女を歯《は》痒《がゆ》く思った。
高木にはそれから以後ついぞ顔を合わせたことがなかった。千代子と僕に高木を加えて三《み》つ巴《ともえ》を描いた一種の関係が、それぎり発展しないで、そのうちの劣敗者に当たる僕が、あたかも運命の先途を予知したごとき態度で、中途から渦《うず》巻《まき》の外に逃《のが》れたのは、この話を聞くものにとって、さだめし不本意であろう。僕自身もいくぶんか火の手のまだ収まらないうちに、取り急いで纏《*まとい》を撤したような心持ちがする。というと、僕にはじめからある目論見《もくろみ》があって、わざわざ鎌倉へ出掛けたとも取れるが、嫉《しつ》妬《と》心《しん》だけあって競争心を有《も》たない僕にも相応の己《うぬ》惚《ぼれ》は陰気な暗い胸のどこかで時々ちらちら陽炎《かげろ》ったのである。僕は自分の矛盾をよく研究した。そうして千代子に対する己惚をあくまで積極的に利用し切らせないために、他の思想やら感情やらが、入れ代り立ち替り雑然としてわが心を奪いに来る煩わしさに悩んだのである。
彼女は時によると、天下にただ一《いち》人《にん》の僕を愛しているようにみえた。僕はそれでも進むわけにはゆかないのである。しかし未来に目を塞《ふさ》いで、思い切った態度に出ようかと思案しているうちに、彼女はたちまち僕の手から逃れて、まったくの他人と違わない顔になってしまうのが常であった。僕が鎌倉で暮らした二日《ふつか》のあいだに、こういう潮の満《みち》干《ひ》はすでに二、三度あった。ある時は自分の意志でこの変化を支配しつつ、わざと近寄ったり、わざと遠《とお》退《の》いたりするのではなかろうかという微《かす》かな疑惑をさえ、僕の胸に烟《けむ》らせた。そればかりではない。僕は彼女の言行を、一《いつ》の意味に解釈しおわったすぐあとから、まるで反対の意味に同じものをまた解釈して、その実どっちが正しいのか分《わか》らない徒《いたずら》な忌《いま》々《いま》しさを感じた例《ためし》も少なくはなかった。
僕はこの二日間に娶《めと》るつもりのない女に釣《つ》られそうになった。そうして高木という男がいやしくも目の前に出没するかぎりは、厭《いや》でも仕《し》舞《まい》まで釣られてゆきそうな心持ちがした。僕は高木に対して競争心を有たないと先に断わったが、誤解を防ぐために、もう一度同じ言葉を繰り返したい。もし千代子と高木と僕と三人が巴になって恋か愛か人情かの旋風《つむじかぜ》の中に狂うならば、その時僕を動かす力は高木に勝とうという競争心でないことを僕は断言する。それは高い塔の上から下を見た時、恐ろしくなるとともに、飛び下《お》りなければいられない神経作用と同じものだと断言する。結果が高木に対して勝つか負けるかに帰着する上《うわ》部《べ》からいえば、競争とみえるかもしれないが、動力はまったく独立した一種の働きである。しかもその動力は高木がいさえしなければ決して僕を襲ってこないのである。僕はその二日間に、この怪しい力の閃《きらめ》きを物《もの》凄《すご》く感じた。そうして強い決心とともにすぐ鎌倉を去った。
僕は強い刺激に充《み》ちた小説を読むに堪えないほど弱い男である。強い刺激に充ちた小説を実行することはなおさらできない男である。僕は自分の気分が小説になり掛けた刹《せつ》那《な》に驚いて、東京へ引き返したのである。だから汽車の中の僕は、半分は優者で半分は劣者であった。比較的乗客の少ない中等列車のうちで、僕は自分と書きだして自分と裂き棄《す》てたようなこの小説の続きをいろいろに想像した。そこには海があり、月があり、磯《いそ》があった。若い男の影と若い女の影があった。はじめは男が激して女が泣いた。あとでは女が激して男が宥《なだ》めた。ついには二人手を引き合って音のしない砂の上を歩いた。あるいは額があり、畳があり、涼しい風が吹いた。二人の若い男がそこで意味のない口論をした。それがだんだん熱い血を頬《ほお》に呼び寄せて、ついには二人とも自分の人格に拘《かかわ》るような言葉使いをしなければ済まなくなった。はては立ち上がって拳《こぶし》を揮《ふる》い合った。あるいは……。芝《しば》居《い》に似た光景は幾幕となく目の前に描かれた。僕はそのいずれをも甞《な》め試みる機会を失ってかえって自分のために喜んだ。人は僕を老人見たようだと言って嘲《あざ》けるだろう。もし詩《*》に訴えてのみ世の中を渡らないのが老人なら、僕は嘲られても満足である。けれどももし詩《*》に涸《か》れて乾《から》びたのが老人なら、僕はこの品評に甘んじたくない。僕は始終詩を求めて藻《も》掻《が》いているのである。
二六
僕は東京へ帰ってからの気分を想像して、あるいは刺激を目の前に控えた鎌倉にいるよりもかえって焦躁《いら》つきはしまいかと心配した。そうして相手もなく一人焦躁つくことの甚《はなはだ》しい苦痛をいたずらの胸のうちに描いてみた。偶然にも結果は他の一方に外《そ》れた。僕は僕の希望したとおり、平生に近い落ち付きと冷静と無《む》頓《とん》着《じやく》とを、比較的容易に、淋《さみ》しいわが二階の上に齎《もたら》し帰ることができた。僕は新しい匂《におい》のする蚊帳《かや》を座敷いっぱいに釣《つ》って、軒に鳴る風鈴の音を楽しんで寐《ね》た。宵《よい》には町へ出て草花の鉢《はち》を抱《かか》えながら格《こう》子《し》を開《あ》けることもあった。母がいないので、すべての世話は作《さく》という小間使がした。鎌倉から帰って、はじめてわが家の膳《ぜん》に向かった時、給仕のために黒い丸盆を膝《ひざ》の上に置いて、僕の前に畏まった作の姿を見た僕はいまさらのように彼女と鎌倉にいる姉《きよう》妹《だい》との相違を感じた。作はもとより好《い》い器量の女でもなんでもなかった。けれども僕の前に出て畏まることよりほかになにも知っていない彼女の姿が、僕にはいかに慎しやかに控え目に、いかに女として憐《あわ》れ深く見えたろう。彼女は恋の何物であるかを考えるさえ、自分の身分ではすでに生意気すぎると思い定めた様子で、大人《おとな》しく坐《すわ》っていたのである。僕は珍しく彼女に優しい言葉を掛けた。そうして彼女に年はいくつだと聞いた。彼女は十九だと答えた。僕はまた突然嫁に行きたくはないかと尋ねた。彼女は赧《あか》い顔をして下を向いたなり、露骨な問いを掛けた僕を気の毒がらせた。僕と作とはそれまでほとんど用の口よりほかに利《き》いたことがなかったのである。僕は鎌倉から新しい記憶を持って帰った反動として、その時はじめて、自分の家に使っている下《か》婢《ひ》の女らしいところに気が付いた。愛とはもとより彼女と僕のあいだに言い得《う》べき言葉でない。僕はただ彼女の身の周囲《まわり》から出る落ち付いた、気安い、大人しやかな空気を愛したのである。
僕が作のために安慰を得たといっては、自分ながら可笑《おか》しく聞こえる。けれども今考えてみてもそれよりほかの源因はまったく考え付かないようだから、やっぱり作が――作がというより、その時の作が代表して僕に見せてくれた女《によ》性《しよう》のある方面の性質が、想像の刺激にすら焦躁立《いらだ》ちたがっていた僕の頭を静めてくれたのだろうと思う。白状すれば鎌倉の景《け》色《しき》はおりおり目に浮かんだ。その景色のうちにはむろん人間が活動していた。ただそれが僕の遠くにいる、僕とはとても利害を一《いつ》にし得ない人間の活動らしく見えたのは幸福であった。
僕は二階に上って書架の整理を始めた。綺《き》麗《れい》好《ず》きな母が始終気を付けて掃《そう》除《じ》を怠らなかったにかかわらず、一々書物を並べ直すとなると、思わぬ埃《ほこり》の色を、目の届かない陰に見付けるので、残らず揃《そろ》えるまでには、なかなか手間取った。僕は暑中に似合わしい閑事業として、なるべく時間の掛かるように、気が向けば手にした本をいつまでも読み耽《ふけ》ってみようという気楽な方針で蝸牛《かたつむり》のごとく進行した。作は時ならない払塵《はたき》の音を聞き付けて、梯子《はしご》段《だん》から銀杏《いちよう》返《がえ》しの頭を出した。僕は彼女に書架の一部を雑《ぞう》巾《きん》で拭《ふ》いてもらった。しかしいつまで掛かるか分《わか》らない仕事の手伝いを、済むまでさせるのも気の毒だと思って、すぐ階下《した》へ下げた。僕は一時間ほど書物を伏せたり立てたりして少し草臥《くたび》れたから烟草《たばこ》を吹かして休んでいると、作がまた梯子段から顔を出した。そうして、私《わたくし》でよろしければなんぞ致《いた》しましょうかと尋ねた。僕は作になにかさせてやりたかった。不幸にして西《せい》洋《よう》文《もん》字《じ》の読めない彼女には手の出せない書物の整理なので、僕は気の毒だけれども、なに好《い》いよと断わってまた下へ追い遣《や》った。
作のことをそう一々いう必要もないが、ついまえからの関係で、彼女のその時の行動を覚えていたから話したのである。僕は一本の巻《まき》烟草《たばこ》を呑《の》み切ったあとでまた整理に掛かった。今度は作のためにわれ一《いち》人《にん》の世界を妨げられる虞《おそ》れなしに、書架の二段目を一気に片付けた。その時僕は久しく友《とも》達《だち》に借りて、つい返すのを忘れていた妙な書物を、偶然棚《たな》の後ろから発見した。それはむしろ薄い小形の本だったので、ついほかのものの向こう側へ落ちたなり埃《ほこり》だらけになって、今日《きよう》まで僕の目を掠《かす》めていたのである。
二七
僕にこの本を貸してくれたものはある文学好きの友《とも》達《だち》であった。僕はかつてこの男と小説の話をして、思慮の勝ったものは、万事に考え込むだけで、いっこう華《はな》やかな行動を仕切る勇気がないから、小説に書いても詰《つま》らないだろうと言った。僕の平生からあまり小説を愛読しないのは、僕に小説中の人物になる資格が乏しいので、資格が乏しいのは、考え考えしてぐずつくせいだろうとかねがね思っていたから、僕はついこういう質問が掛けてみたくなったのである。その時彼は机上にあったこの本を指《さ》して、ここに書いてある主人公は、非常に目《め》覚《ざま》しい思慮と、恐ろしく凄《すさま》じい思い切った行動を具《そな》えていると告げた。僕はいったいどんなことが書いてあるのかと聞いた。彼はまあ読んでみろと言って、その本を取って僕に渡した。標題にはゲ《*》ダンケというドイツ字が書いてあった。彼はロシア物の翻訳だと教えてくれた。僕は薄い書物を手にしながら、重ねてその梗《こう》概《がい》を彼に尋ねた。彼は梗概などはどうでも好《い》いと答えた。そうしてなかに書いてあることが嫉《しつ》妬《と》なのだか、復《ふく》讐《しゆう》なのだか、深刻な悪戯《いたずら》なのだか、酔興な計略なのだか、真《ま》面《じ》目《め》な所作なのだか、気狂の推理なのだか、常人の打算なのだか、ほとんど分《わか》らないが、なにしろ華《はな》々《ばな》しい行動と同じく華々しい思慮が伴っているから、ともかく読んでみろと言った。僕は書物を借りて帰った。しかし読む気はしなかった。僕は読み耽《ふけ》らないくせに、小説家というものをいっさい馬鹿にしていたうえに、友達のいうようなことにはちっとも心を動かすべき興味を有《も》たなかったからである。
この出来事をすっかり忘れていた僕は、なんの気も付かずにそのゲダンケを今棚《たな》の後ろから引き出して厚い塵《ちり》を払った。そうして見覚えのある例のドイツ字の標題に目を付けるとともに、かの文学好きの友達と彼のその時の言葉とを思い出した。すると突然どこから起こったか分らない好奇心に駆《か》られて、すぐその一頁《ページ》を開いて初めから読みはじめた。なかには恐るべき話が書いてあった。
ある女に意のあったある男が、その婦人から相手にされないのみか、かえってわが知り合いの人のところへ嫁入られたのを根に、新婚の夫を殺そうと企てた。ただしただ殺すのではない。女房が見ている前で殺さなければ面《おも》白《しろ》くない。しかもその見ている女房が彼を下手人と知っていながら、いつまでも指を銜《くわ》えて、彼を見ているだけで、それよりほかにどうにも手を付けようのないという複雑な殺し方をしなければ気が済まない。彼はその手段《てだて》として一種の方法を案出した。ある晩《ばん》餐《さん》の席へ招《しよう》待《だい》された好機を利用して、彼は急に劇《はげ》しい発作に襲われた振りをしはじめた。傍《はた》から見るとまるで狂人としか思えない挙動をその場であえてした彼は、同席の一人残らずから、まったくの狂人と信じられたのを見済まして、心のうちで図に当たった策略を祝賀した。彼は人目に触れ易《やす》い社《しや》交《こう》場《じよう》裡《り》で、同じ所作をなお二、三度繰り返したあと、発作のために精神に狂いの出る危険な人という評判を一般に博し得た。彼はこの手《て》数《かず》の懸《かか》った準備のうえに、手の付けようのない殺人罪を築き上げるつもりでいたのである。しばしば起こる彼の発作が、華やかな交際の色を暗く損《そこな》いだしてから、今まで懇意に往《ゆき》来《き》していた誰《だれ》彼《かれ》の門戸が、彼に対して急に固く鎖《とざ》されるようになった。けれどもそれは彼の苦にするところではなかった。彼はなお自由に出入りのできる一軒の家を持っていた。それが取りも直さず彼のまさに死の国に蹴《け》落《お》とそうとしつつある友とその細君の家だったのである。彼はある日何気ない顔をして友の住居《すまい》を敲《たた》いた。そこで世間話に時を移すとみせて、暗に目の前の人に飛び掛かる機を窺《うかが》った。彼は机の上にあった重い文鎮を取って、突然これで人が殺せるだろうかと尋ねた。友はもとより彼の問いを真《ま》に受けなかった。彼は構わずできるだけの力を文鎮に込めて、細君の見ている前で、最愛の夫を打ち殺した。そうして狂人の名の下《もと》に、瘋《*ふう》癲《てん》院《いん》に送られた。彼は驚くべき思慮と分別と推理の力とをもって、以上の顛《てん》末《まつ》を基礎に、自分の決して狂人でない訳をひたすら弁解している。かと思うと、その弁解をまた疑っている。のみならず、その疑いをまた弁解しようとしている。彼は必《ひつ》竟《きよう》正気なのだろうか、狂人なのだろうか、――僕は書物を手にしたまま慄《りつ》然《ぜん》として恐れた。
二八
僕《*》の頭《ヘツド》は僕の胸《ハート》を抑《おさ》えるためにできていた。行動の結果から見て、甚《はなはだ》しい悔いを遺《のこ》さない過去を顧みると、これが人間の常体かとも思う。けれども胸《ハート》が熱しかけるたびに、厳粛な頭《ヘツド》の威力をむりに加えられるのは、普通誰《だれ》でも経験するとおり、甚しい苦痛である。僕は意地張りという点において、どっちかというとむしろ陰性の癇《かん》癪《しやく》持《も》ちだから、発作に心を襲われた人が急に理性のために喰《く》い留められて、劇《はげ》しい自動車の速力を即時に殺すような苦痛はめったに甞《な》めたことがない。それですらある場合には命の心棒をむりに曲げられるとでもいわなければ形容しようのない活力の燃焼を内に感じた。二つの争いが起こるたびに、常に頭《ヘツド》の命令に屈従してきた僕は、ある時は僕の頭《ヘツド》が強いから屈従させ得《う》るのだと思い、ある時は僕の胸《ハート》が弱いから屈従するのだと思ったが、どうしてもこの争いは生活のための争いでありながら、人知れず、わが命を削る争いだという畏《い》怖《ふ》の念から解《げ》脱《だつ》することができなかった。
それだから僕はゲダンケの主人公を見て驚いたのである。親友の命を虫の息のように軽《かろ》く見る彼は、理と情とのあいだになんらの矛盾をも扞《*かん》格《かく》をも認めなかった。彼の有するすべての知力は、ことごとく復《ふく》讐《しゆう》の燃《ねん》料《りよう》となって、残忍な兇《きよう》行《こう》を手《て》際《ぎわ》よく仕遂げる方便に供せられながら、毫《ごう》も悔ゆることを知らなかった。彼は周密なる思慮を率いて、満《*まん》腔《こう》の毒血を相手の頭から浴びせ掛け得《う》る偉大なる俳優であった。もしくは尋常以上の頭脳と情熱を兼ねた狂人であった。僕は平生の自分と比較して、こう顧慮なく一心に振《ふる》舞《ま》えるゲダンケの主人公が大いに羨《うらやま》しかった。同時に汗の滴《したた》るほど恐ろしかった。できたらさぞ痛快だろうと思った。でかしたあとはさだめし堪えがたい良心の拷《ごう》問《もん》に逢《あ》うだろうと思った。
けれどももし僕の高木に対する嫉《しつ》妬《と》がある不可思議の径路を取って、向後今の数十倍に烈《はげ》敷《しく》身を焼くならどうだろうと僕は考えた。しかし僕はその時の自分を自分で想像することができなかった。はじめは人間の元来からの作りが違うんだから、とてもこんな真《ま》似《ね》は為《し》えまいという見地から、すぐこの問題を棄却しようとした。次には、僕でも同じ程度の復讐が十分遣《や》ってのけられるに違いないという気がしだした。最後には、僕のように平生は頭《ヘツド》と胸《ハート》の争いに悩んでぐずついているものにしてはじめてこんな猛烈な兇行を、冷静に、打算的に、かつ組織的に、逞《たくま》しゅうするのだと思いだした。僕は最後になぜこう思ったのか自分にも分《わか》らない。ただこう思った時急に変な心持ちに襲われた。その心持ちは純然たる恐怖でも不安でも不快でもなく、それらよりはるかに複雑なものにみえた。が、纏《まと》って心に現われた状態からいえば、ちょうど大人《おとな》しい人が酒のために大胆になって、これならなんでも遣れるという満足を感じつつ、同時に酔《よ》いに打ち勝たれた自分は、品性のうえにおいて平生の自分よりはるかに堕落したのだと気が付いて、そうして堕落は酒の影響だからどこへどう避けても人間としてとても逃《のが》れることはできないのだと沈痛に諦《あきら》めを付けたと同じような変な心持ちであった。僕はこの変な心持ちとともに、千代子の見ている前で、高木の脳天に重い文鎮を骨の底まで打ち込んだ夢を、大きな目を開《あ》きながら見て、驚いて立ち上がった。
下へ降りるやいなや、いきなり風《ふ》呂《ろ》場《ば》へ行って、水をざあざあ頭へ掛けた。茶の間の時《と》計《けい》を見ると、もう午《ひる》過《す》ぎなので、それを好《い》い機会《しお》に、そこへ坐《すわ》って飯を片付けることにした。給仕には例のとおり作が出た。僕は二口三口無言で飯の塊《かたまり》を頬《ほお》張《ば》ったが、突然彼女に、おい作僕の顔色は何《*ど》うかあるかいと聞いた。作はびっくりした目を大きくして、いいえと答えた。それで問答が切れると、今度は作のほうがどうか遊ばしましたかと尋ねた。
「いいや、たいしてどうもしない」
「急にお暑うございますから」
僕は黙って二杯の飯を食いおわった。茶を注《つ》がして飲み掛けた時、僕はまた突然作に、鎌倉など行ってごたごたするより宅《うち》にいるほうが静かで好《い》いねと言った。作は、でもあちらの方がお涼しゅうございましょうと言った。僕はいやかえって東京より暑いくらいだ、あんな所にいると気ばかりいらいらして不可《いけ》ないと説明してやった。作は御隠居さまはまだ当分あちらにお出《いで》でございますかと尋ねた。僕はもう帰るだろうと答えた。
二九
僕は僕の前に坐《すわ》っている作の姿を見て、一《*ひと》筆《ふで》がきの朝《あさ》貌《がお》のような気がした。ただ貴《たつと》い名家の手にならないのが遺憾であるが、心の中はそういう種類の画《え》と同じく簡略にでき上がっているとしか僕には受け取れなかった。作の人柄を画に喩《たと》えてなんのためになると聞かれるかもしれない。深い意味もなかろうが、実は彼女の給仕を受けて飯を食うあいだに、今しがたゲダンケを読んだ自分と、今黒塗りの盆を持って畏《かしこま》っている彼女とを比較して、自分の腹はなぜこう執《しつ》濃《こ》い油絵のように複雑なのだろうと呆《あき》れたからである。白状すると僕は高等教育を受けた証拠として、今日まで自分の頭が他《ひと》より複雑に働くのを自慢にしていた。ところがいつかその働きに疲れていた。なんの因果でこうまで事を細かに刻まなければ生きてゆかれないのかと考えて情けなかった。僕は茶《ちや》碗《わん》を膳《ぜん》の上に置きながら、作の顔を見て尊い感じを起こした。
「作お前でもいろいろものを考えることがあるのかね」
「私《わたくし》なんぞ別になにも考えるほどのことがございませんから」
「考えないかね。それが好《い》いね。考えることがないのが一番だ」
「あっても知恵がございませんから、筋道が立ちません。まったく駄《だ》目《め》でございます」
「仕合わせだ」
僕は思わずこう言って作を驚かした。作は突然僕から冷《ひや》かされたとでも思ったろう。気の毒なことをした。
その夕暮れに思い掛けない母が出し抜けに鎌倉から帰ってきた。僕はその時日《*》の限り掛けた二階の縁に籐《と》椅《い》子《す》を持ち出して、作が跣足《はだし》で庭先へ水を打つ音を聞いていた。下へ降りて玄関へ出た時、僕は母を送ってくるべきはずの吾一の代りに、千代子が彼女のあとに跟《つ》いて沓《くつ》脱《ぬ》ぎから上がったのを見て非常に驚いた。僕は籐椅子の上で千代子のことをまったく考えずにいたのである。考えても彼女と高木とを離すことはできなかったのである。そうして二人は当分鎌倉の舞台を動き得ないものと信じていたのである。僕は日に焼けてこころもち色の黒くなったと思われる母と顔を見合わして挨《あい》拶《さつ》を取り替《かわ》すまえに、まず千代子に向かってどうして来たのだと聞きたかった。実際僕はそのとおりの言葉を第一に用いたのである。
「叔母《おば》さんを送ってきたのよ。なぜ。驚いて」
「そりゃ難有《ありがと》う」と僕は答えた。僕は千代子に対する感情は鎌倉へ行くまえと、行ってからとではだいぶ違っていた。行ってからと帰ってきてからとでもまただいぶ違っていた。高木といっしょに束《つか》ねられた彼女に対するのと、こう一人に切り離された彼女に対するのとでもまただいぶ違っていた。彼女は年を取った母を吾一に托《たく》するのが不安心だったから、自分で随《つ》いてきたのだと言って、作が足を洗っている間《ま》に、母の単衣《ひとえ》を箪《たん》笥《す》から出したり、それを旅行着と着換えさせたりなどして、元の千代子のとおり豆《*》やかに振《ふる》舞《ま》った。僕は母にあれからなにか面白いことがありましたかと尋ねた。母は満足らしい顔をしながら、別にこれという珍しいこともなかったと答えたが、「でも久しぶりに好《い》い気保養をしました。お蔭《かげ》で」と言った。僕にはそれが傍にいる千代子に対しての礼の言葉と聞こえた。僕は千代子に今日《きよう》これからまた鎌倉へ帰るのかと尋ねた。
「泊まっていくわ」
「何処《どこ》へ」
「そうね。内幸町へ行っても好いけど、あんまり広すぎて淋《さむ》しいから。――久しぶりにここに泊まろうかしら、ねえ叔母さん」
僕には千代子がはじめから僕の家に寐《ね》るつもりで出てきたようにみえた。自白すれば僕はそこへ坐《すわ》って十分と経《た》たないうちに、また目の前にいる彼女の言語動作を一種の立場から観察したり、評価したり、解釈したりしなければならないようになったのである。僕はそこに気が付いた時、非常な不愉快を感じた。またそういう努力には自分の神経が疲れ切っていることも感じた。僕は自分が自分に逆らって余儀なくこう心を働かすのか。あるいは千代子が厭《いや》がる僕にむりにしいて動くようにするのか。どっちにしても僕は腹立たしかった。
「千代ちゃんが来ないでも吾一さんでたくさんだのに」
「だって妾《あたし》責任があるじゃありませんか。叔母さんを招《しよう》待《だい》したのは妾でしょう」
三〇
「じゃ僕も招《しよう》待《だい》を受けたんだから、送ってきてもらえば好《よ》かった」
「だから他《ひと》の言うことを聞いて、もっといらっしゃれば好《い》いのに」
「いいえあの時にさ。僕の帰った時にさ」
「そうするとまるで看護婦見たようね。好いわ看護婦でも、付いてきてあげるわ。なぜそう言わなかったの」
「言っても断わられそうだったから」
「妾こそ断わられそうだったわ、ねえ叔母《おば》さん。たまに招待に応じてきておきながら、いやにむずかしい顔ばかりしているんですもの。ほんとうに貴方《あなた》は少し病気よ」
「だから千代子に付いてきてもらいたかったのだろう」と母が笑いながら言った。
僕は母の帰るつい一時間まえまで千代子の来ることを予想し得なかった。それは今改めて繰り返す必要もないが、それとともに僕は母が高木について齎《もたら》す報道をほとんど確実な未来として予期していた。穏やかな母の顔が不安と失望で曇る時の気の毒さも予想していた。僕は今この予期とまったく反対の結果を目の前に見た。彼らは二人とも常に変わらない親しげな叔母《おば》姪《めい》であった。彼らのおのおのはおのおのに特有な温《あたた》か味《み》と清《すが》々《すが》しさを、いつものとおり互いのうえに、また僕のうえに、心持ちよく加えた。
その晩は散歩に出る時間を倹約して、女二人とともに二階に上がって涼みながら話をした。僕は母の命ずるまま軒《のき》端《ば》に七草を描いた岐《*ぎ》阜《ふ》提灯《ぢようちん》を懸《か》けて、その中に細い蝋《ろう》燭《そく》を点《つ》けた。熱いから電燈を消そうと発《ほつ》議《ぎ》した千代子は、遠慮なく畳の上を暗くした。風のない月が高く上った。柱に凭《もた》れていた母が鎌倉を思い出すと言った。電車の音のするところで月を看《み》るのがなんだか可笑《おか》しい気がすると、このあいだから海《うみ》辺《べ》に馴《な》染《ず》んだ千代子が評した。僕はさっきの籐《と》椅《い》子《す》の上に腰を卸《おろ》して団扇《うちわ》を使っていた。作が下から二度ばかり上がってきた。一度は烟草《たばこ》盆《ぼん》の火を入れ更《か》えて、僕の足の下に置いていった。二返目には近所から取り寄せた氷菓子《アイスクリーム》を盆に載せて持ってきた。僕はそのたびごと階級制度の厳重な封建の代に生まれたように、卑しい召使の位置を生《しよう》涯《がい》の分と心得ているこの作と、どんな人の前へ出ても貴女《レデー》として振《ふる》舞《ま》って通るべき気位を具《そな》えた千代子とを比較しないわけにはいかなかった。千代子は作が出てきても、作でないほかの女が出てきたと同じように、なんにも気に留めなかった。作のほうではいったん起《た》って梯子《はしご》段《だん》の傍《そば》までいって、もう降りようとする間《ま》際《ぎわ》にきっと振り返って、千代子の後ろ姿を見た。僕は自分が鎌倉で高木を傍に見て暮らした二日間を思い出して、材料がないからなにも考えないと明言した作に、千代子というハイカラな有毒の材料が与えられたのを憐《あわ》れに眺《なが》めた。
「高木はどうしたろう」という問いが僕の口元までしばしば出た。けれども単なる消息の興味以外に、なにかためにする不純なものが自分を前に押し出すので、その都度卑《ひ》怯《きよう》だと遠くで罵《ののし》られるためか、つい聞くのを屑《いさぎよ》しとしなくなった。それに千代子が帰って母だけになりさえすれば、彼の話は遠慮なくできるのだからとも考えた。しかし実をいうと、僕は千代子の口からじかに高木のことを聞きたかったのである。そうして彼女が彼をどう思っているか、それをはっきり胸に畳《たた》み込んでおきたかったのである。これは嫉《しつ》妬《と》の作用なのだろうか。もしこの話を聞くものが、嫉妬だというなら、僕には少しも異存がない。今の料《りよう》簡《けん》で考えてみても、どうもほかの名は付け悪《にく》いようである。それなら僕がそれほど千代子に恋していたのだろうか。問題がそう推移すると、僕も返事に窮するよりほかに仕方がなくなる。僕は実際彼女に対して、そんなに熱烈な愛を脈《みやく》搏《はく》の上に感じていなかったからである。すると僕は人より二倍も三倍も嫉妬深い訳になるが、あるいはそうかもしれない。しかしもっと適当に評したら、おそらく僕本来の我《わが》儘《まま》が源因なのだろうと思う。ただ僕は一言それに付け加えておきたい。僕からいわせると、すでに鎌倉を去ったあとなお高木に対しての嫉妬心がこう燃えるなら、それは僕の性情に欠陥があったばかりでなく、千代子自身に重い責任があったのである。相手が千代子だから、僕の弱点がこれほどに濃く胸を染めたのだと僕は明言して憚《はばか》らない。では千代子のどの部分が僕の人格を堕落させるのだろうか。それはとても分《わか》らない。あるいは彼女の親切じゃないかとも考えている。
三一
千代子の様子はいつものとおり明けっ放しなものであった。彼女はどんな問題が出ても苦もなく口を利《き》いた。それは必《ひつ》竟《きよう》腹の中になにも考えていない証拠だとしか取れなかった。彼女は鎌倉へ行ってから水泳を自習しはじめて、今では背《せい》の立たないところまで行くのが楽しみだと言った。それを用心深い百代子が剣《けん》呑《のん》がって、詫《あやま》るように悲しい声を出して止めるのが面《おも》白《しろ》いと言った。その時母は半ば心配で半ば呆《あき》れたような顔をして、「なんですね女のくせにそんな軽機《かるはずみ》な真《ま》似《ね》をして。これから後生だから叔母《おば》さんに免じて、あぶない悪巫山戯《わるふざけ》は止《よ》しておくれよ」と頼んでいた。千代子はただ笑いながら、大丈夫よと答えただけであったが、ふと縁側の椅《い》子《す》に腰を掛けている僕を顧みて、市《いつ》さんもそういうお転婆は嫌いでしょうと聞いた。僕はただ、あんまり好きじゃないと言って、月の光の隈《くま》なく落ちる表を眺《なが》めていた。もし僕が自分の品格に対して尊敬を払うことを忘れたなら、「しかし高木さんには気に入るんだろう」という言葉をそのあとにきっと付け加えたに違いない。そこまで引き摺《ず》られなかったのは、僕の体面上まだ仕合わせであった。
千代子はかくのごとく明けっ放しであった。けれども夜《よ》が更《ふ》けて、母がもう寐《ね》ようと言いだすまで、彼女は高木のことをとうとう一口も話題に上《のぼ》せなかった。そこに僕は甚《はなはだ》しい故意を認めた。白い紙の上に一点の暗い印気《インキ》が落ちたような気がした。鎌倉へ行くまで千代子を天下の女《によ》性《しよう》のうちで、最も純粋な一《いち》人《にん》と信じていた僕は、鎌倉で暮らしたわずか二日《ふつか》のあいだに、はじめて彼女の技巧《*アート》を疑いだしたのである。その疑いが今ようやく僕の胸に根を卸《おろ》そうとした。
「なぜ高木の話をしないのだろう」
僕は寐ながらこう考えて苦しんだ。同時にこんな問題に睡眠の時間を奪われる愚かさを自分でよく承知していた。だから苦しむのが馬鹿馬鹿しくてなお癇《かん》が起こった。僕は例のとおり二階に一人寐ていた。母と千代子は下座敷に蒲団を並べて、一つ蚊帳《かや》の中に身を横たえた。僕はすやすや寐ている千代子を自分のすぐ下に想像して、必《ひつ》竟《きよう》の《*》つそつ苦しがる僕は負けているのだと考えないわけにはいかなくなった。僕は寐返りを打つことさえ厭《いや》になった。自分がまだ眠られないという弱味を階下《した》へ響かせるのが、勝利の報知として千代子の胸に伝わるのを恥辱と思ったからである。
僕がこうして同じ問題をいろいろに考えているうちに、同じ問題が僕にはいろいろに見えた。高木の名前を口へ出さないのは、まったく彼女の僕に対する好意にすぎない。僕に気を悪くさせまいと思う親切から彼女はわざとそれだけを遠慮したのである。こう解釈すると鎌倉にいた時の僕は、あれほど単純な彼女をして、僕の前に高木の二字を公にする勇気を失わしめたほど、不合理に機《き》嫌《げん》を悪く振《ふる》舞《ま》ったのだろう。もしそうだとすれば、自分は人の気を悪くするために、人の中へ出る、不愉快な動物である。宅《うち》へ引っ込んで交際《つきあい》さえ為《し》なければそれで宜《よ》い。けれどももし親切を冠《かむ》らない技巧《アート》が彼女の本義なら……僕は技巧《アート》という二字を細かに割って考えた。高木を媒鳥《*とり》に僕を釣《つ》るつもりか。釣るのは、最後の目的もないくせに、ただ僕の彼女に対する愛情を一時的に刺激して楽しむつもりか。あるいは僕にある意味で高木のようになれというつもりか。そうすれば僕を愛しても好《い》いというつもりか。あるいは高木と僕と戦うところを眺《なが》めて面《おも》白《しろ》かったというつもりか。または高木を僕の目の前に出して、こういう人がいるのだから、早く思い切れというつもりか。――僕は技巧《アート》の二字をどこまでも割って考えた。そうして技巧《アート》なら競争だと考えた。戦争ならどうしても勝負に終わるべきだと考えた。
僕は寐付かれないで負けている自分を口惜《くや》しく思った。電燈は蚊帳を釣《つ》るとき消してしまったので、室《へや》の中に隙《すき》間《ま》もなく蔓延《はびこ》る暗《くら》闇《やみ》が窒息するほど重苦しく感ぜられた。僕は目の見えないところに目を明けて頭だけ働かす苦痛に堪えなくなった。寐返りさえ慎んで我慢していた僕は、急に起《た》って室《へや》を明るくした。ついでに縁側へ出て雨戸を一枚細目に開《あ》けた。月の傾いた空の下には動く風もなかった。僕はただ比較的冷《ひやや》かな空気を肌《はだ》と咽喉《のど》に受けただけであった。
三二
翌日《あくるひ》はいつも一人で寐《ね》ている時より一時間半も早く目が覚《さ》めた。すぐ起きて下へ降りると、銀杏《いちよう》返《がえ》しの上へ白地の手拭《てぬぐい》を被《かぶ》って、長《なが》火《ひ》鉢《ばち》の灰を篩《ふる》っていた作が、おやもうお目覚めでと言いながら、すぐ顔を洗う道具を風《ふ》呂《ろ》場《ば》へ並べてくれた。僕は帰りに埃《ほこり》だらけの茶の間を爪先で通り抜けて玄関へ出た。そのときついでに二人の寐ている座敷を蚊帳《かや》越《ご》しに覗《のぞ》いてみたら、目《め》敏《ざと》い母も昨日《きのう》の汽車で疲れが出たせいか、まだ静かな眠りを貪《むさぼ》っていた。千代子はもとより夢の底に埋《うず》まっているように正体なく枕《まくら》の上に首を落としていた。僕は目的《あて》もなく表へ出た。朝の散歩の趣を久しく忘れていた僕には、常に変わらない町の色が、暑さと雑《ざつ》沓《とう》とに染め付けられない安息日のごとく穏やかに見えた。電車の線路が研《と》ぎ澄まされた光をまっすぐに地面の上に伸ばすのも落ち付いた感じであった。けれども僕は散歩がしたくって出たのではなかった。ただ目が早く覚めすぎて、中有《*はした》に延びた命の断片を、運動で埋めるつもりで歩くのだから、それほどの興味は空にも地にも、ないし町にも見《み》出《いだ》すことができなかった。一時間ばかりして僕はむしろ疲れた顔を母からも千代子からも怪しまれに戻《もど》ってきた。母はどこへ行ったのと聞いたが、あとから、色沢《いろつや》が好《よ》くないよ、どうかお仕かいと尋ねた。
「昨夕《ゆうべ》好《よ》く寐られなかったんでしょう」
僕は千代子のこの言葉に対して答うべき術《すべ》を知らなかった。実をいうと、昂《こう》然《ぜん》としてなに好く寐られたと言いたかったのである。不幸にして僕はそれほどの技巧家《アーチスト》でなかった。といって、正直に寐られなかったと自白するにはあまり自尊心が強すぎた。僕はついになにも答えなかった。
三人が同じ食卓で朝《あさ》飯《めし》を済ますやいなや、母が昨日涼しいうちにと頼んでおいた髪《*かみ》結《い》が来た。洗いたての白い胸掛けをかけて、敷居越しに手を突いた彼女は、お帰りなさいましと親しい挨《あい》拶《さつ》をした。彼女はこの職業に共通な目《*め》出《で》度《た》い口振りを有《も》っていた。それを得意に使って、内気な母に避暑を誇りの種に話させる機会を一句ごとに作った。母は満足らしくも見えたが、そう喋《ちよう》々《ちよう》しくは饒舌《しやべ》り得なかった。髪結はより効《き》き目《め》のある相手として、すぐ年の若い千代子を選んだ。千代子はもとより誰《だれ》彼《かれ》の容赦なく一様に気《き》易《やす》く応対のできる女だったので、お嬢様と呼び掛けられるたびに相当の受け答えをして話を勢《はず》ました。千代子の泳ぎの噂《うわさ》が出た時、髪結は活《かつ》溌《ぱつ》で宜《よろ》しゅうございます、近ごろのお嬢様がたはみんな水泳の稽《けい》古《こ》をなさいますと誰《だれ》が聞いても拵《こしら》えたようなお世辞を言った。
妙なことを吹《ふい》聴《ちよう》するようで可笑《おか》しいが、実をいうと僕は女の髪を上げるところを見ているのが好きであった。母が乏《とも》しい髪を工面して、どうかこうか髷《まげ》に結い上げる様子は、いくら上手《じようず》が纏《まとめ》るにしても、それほど見《み》栄《ば》えのある画《え》ではないが、それでも退屈を凌《しの》ぐには恰《かつ》好《こう》な慰みであった。僕は髪結の手の動く間《ま》に、しぜんとでき上がっていく小さな母の丸《まる》髷《まげ》を眺《なが》めていた。そうして腹の中で、千代子の髪を日本流に櫛《くし》を入れたらさぞ見事だろうと思った。千代子は色の美しい、癖のない、長くて多すぎる髪の所有者だったからである。この場合いつもの僕なら、千代ちゃんもついでに結っておもらいなときっと勧めるところであった。しかし今の僕にはそんな親しげな要求を彼女に向かって投げ掛ける気が出にくかった。すると偶然にも千代子のほうで、なんだか妾《あたし》もひとつ結ってみたくなったと言いだした。母はお結いよ久しぶりにと誘《いざな》った。髪結はぜひお上げあそばせな、私《わたくし》ははじめてお髪《ぐし》を拝見した時から束髪にしていらっしゃるのは勿《もつ》体《たい》ないと思っとりましたとさも結いたそうな口振りを見せた。千代子はとうとう鏡台の前に坐《すわ》った。
「なんに結おうかしら」
髪結は島田を勧めた。母も同じ意見であった。千代子は長い髪を背中に垂《た》れたまま突然市《いつ》さんと呼んだ。
「貴方《あなた》なにが好き」
「旦《だん》那《な》様《さま》も島田が好きだときっと仰《おつ》しゃいますよ」
僕はぎくりとした。千代子はまるで平気のように見えた。わざと僕の方を振り返って、「じゃ島田に結って見せたげましょうか」と笑った。「好《い》いだろう」と答えた僕の声はいかにも鈍に聞こえた。
三三
僕は千代子の髪のでき上がらないさきに二階へ上った。僕のような神経質なものが拘《こだわ》ってくると、無関係の人の目にはほとんど小供らしいと思われるような所作をあえてする。僕は中途で鏡台の傍を離れて、美しい島《しま》田《だ》髷《まげ》をいただく女が男から強奪する嘆賞の租税を免れたつもりでいた。その時の僕はそれほどこの女の虚栄心に媚《こ》びる好意を有《も》たなかったのである。
僕は自分で自分のことをかれこれ取り繕って好《よ》く聞こえるように話したくない。しかし僕ごときものでも長《なが》火《ひ》鉢《ばち》の傍《はた》で起こるこんな戦術よりはもう少し高《こう》尚《しよう》な問題に頭を使い得《う》るつもりでいる。ただそこまで引き摺《ず》り落とされた時、僕の弱点としてどうしても脱線する気になれないのである。僕は自分でその詰《つま》らなさ加減をよく心得ていただけに、それを敢《あえ》てする僕を自分で憎み自分で鞭《むち》うった。
僕は空《から》威《い》張《ば》りを卑劣と同じく嫌《きら》う人間であるから、低くても小《ち》さくても、自分らしい自分を話すのを名誉と信じてなるべく隠さない。けれども、世の中で認めている偉い人とか高い人とかいうものは、ことごとく長火鉢や台所の卑しい人生の葛《かつ》藤《とう》を超越しているのだろうか。僕はまだ学校を卒業したばかりの経験しか有たない青二才にすぎないが、僕の知力と想像に訴えて考えたところでは、おそらくそんな偉い人高い人はいつの世にも存在していないのではなかろうか。僕は松本の叔父《おじ》を尊敬している。けれども露骨なことをいえば、あの叔父のようなのは偉く見える人、高く見せる人と評すればそれで足りていると思う。僕は僕の敬愛する叔父に対しては偽物贋《がん》物《ぶつ》の名を加える非礼と僻《*へき》見《けん》とを憚《はばか》りたい。が、事実上彼は世俗に拘《こう》泥《でい》しない顔をして、腹の中で拘泥しているのである。小事に齷《*あく》齪《そく》しない手を拱《こまぬ》いで、頭の奥で齷齪しているのである。外へ出さないだけが、普通より品が好《い》いといって僕は賛辞を呈したく思っている。そうしてその外へ出さないのは財産のお蔭《かげ》、年齢《とし》のお蔭、学問と見識と修養のお蔭である。が、最後に彼と彼の家庭の調子がほど好《よ》く取れているからでもあり、彼と社会の関係が逆なようで実は順にゆくからである。――話がつい横道へ外《そ》れた。僕は僕の屑《こせ》々《こせ》したところをあまり長く弁護しすぎたかもしれない。
僕は今いうとおり早く二階へ上ってしまった。二階は日が近いので、階下《した》よりよほど凌《しの》ぎにくいのだけれども、平生いつけたせいで、僕は一日の大部分をここで暮らすことにしていたのである。僕はいつものとおり机の前に坐《すわ》ったなりただ頬《ほお》杖《づえ》を突いてぼんやりしていた。今朝《けさ》の烟草《たばこ》の灰を棄《す》てたマ《*》ジョリカの灰《はい》皿《ざら》が綺《き》麗《れい》に掃《そう》除《じ》されて僕の肱《ひじ》の前に載せてあったのに気が付いて、僕はその中に現われた二羽の鵞《が》鳥《ちよう》を眺めながら、その灰を空《あ》けた作の手を想像に描いた。すると下から梯子《はしご》段《だん》を踏む音がして誰《だれ》か上ってきた。僕はその足音を聞くやいなや、すぐそれが作でないことを知った。僕はこうぼんやり屈《くつ》托《たく》しているところを千代子に見られるのを屈辱のように感じた。同時に傍《そば》にあった書物を開《あ》けて、さっきから読んでいた振りをするほど器用な機転を用いるのを好まなかった。
「結《い》えたから見てちょうだい」
僕は僕の前にすぐこう言いながら坐《すわ》る彼女を見た。
「可笑《おか》しいでしょう。久しく結わないから」
「たいへん美しくできたよ。これからいつでも島田に結《ゆ》うと可《い》い」
「二、三度壊《こわ》しちゃ結い、壊しちゃ結いしないと不可《いけ》ないのよ。毛が馴染《なず》まなくって」
こんなことを聞いたり答えたり三、四返しているうちに、僕はいつのまにか昔と同じように美しい素《す》直《なお》な邪気のない千代子を目の前に見る気がしだした。僕の心持ちがなにかの調子で和らげられたのか、千代子の僕に対する態度がどこかで角度を改めたのか、それは判然と言いにくい。こうだと説明のできる捕え所は両方になかったらしく記憶している。もしこの気《き》易《やす》い状態が一、二時間も長く続いたなら、あるいは僕の彼女に対して抱《いだ》いた変な疑惑を、過去に溯《さかのぼ》って当初からまっすぐに黒い棒で誤解という名の下《もと》に消し去ることができたかもしれない。ところが僕はつい不味《まず》いことをしたのである。
三四
それはほかでもない。しばらく千代子と話しているうちに、彼女が単に頭を見せに上がってきたばかりでなく、今日《きよう》これから鎌倉へ帰るので、そのさようならを言いにちょっと顔を出したのだということを知った時、僕はつい用意の足りない躓《つまず》き方をしたのである。
「早いね。もう帰るのかい」と僕が言った。
「早かないわ、もう一晩泊まったんだから。だけどこんな頭をして帰るとなんだか可笑《おか》しいわね、お嫁にでも行くようで」と千代子が言った。
「まだみんな鎌倉にいるのかい」と僕が聞いた。
「ええ。なぜ」と千代子が聞き返した。
「高木さんも」と僕がまた聞いた。
高木という名前は今まで千代子も口にせず、僕も話題に上《のぼ》すのをわざと憚《はばか》っていたのである。が、なにかの機会《はずみ》で、平生《いつも》どおりの打ち解けた遠慮のない気分が復活したので、そのなかに引き込まれたやさき、ついなんの気も付かずに使ってしまったのである。僕はふらふらとこの問いを掛けて彼女の顔を見た時たちまち後悔した。
僕が煮え切らないまた捌《さば》けない男として彼女から一種の軽《けい》蔑《べつ》を受けていることは、僕のとうに話したとおりで、実をいえば二人の交際はこの黙許を認め合ったうえの親しみにすぎなかった。その代り千代子が常に畏《おそ》れる点を、さいわいにして僕はただ一つ有《も》っていた。それは僕の無口である。彼女のように万事明けっ放しに腹を見せなければ気の済まない者からいうと、いつでも、しんねりむっつりと構えている僕などの態度は、決して気に入るはずがないのだが、そこにまた妙に見透かせない心の存在が仄《ほのめ》くので、彼女は昔から僕を全然知り抜くことのできない、したがって軽蔑しながらもどこかに恐ろしいところを有った男として、ある意味の尊敬を払っていたのである。これは公にこそ明言しないが、向こうでも腹の底で正式に認めるし、僕も冥《めい》々《めい》のうちに彼女から僕の権利として要求していた事実である。
ところが偶然高木の名前を口にした時、僕はたちまちこの尊敬を永久千代子に奪い返されたような心持ちがした。というのは、「高木さんも」という僕の問いを聞いた千代子の表情が急に変化したのである。僕はそれをあながちに勝利の表情とは認めたくない。けれども彼女の目のうちに、今まで僕がいまだかつて彼女に見《み》出《いだ》した試《ため》しのない、一種の侮《ぶ》蔑《べつ》が輝いたのは疑いもない事実であった。僕は予期しない瞬間に、平手で横《よこ》面《つら》を力任せに打たれた人のごとくにぴたりと止まった。
「あなたそれほど高木さんのことが気になるの」
彼女はこう言って、僕が両手で耳を抑《おさ》えたいくらい高笑いをした。僕はその時鋭い侮辱を感じた。けれども咄《とつ》嗟《さ》の場合なんという返事も出し得なかった。
「貴方《あなた》は卑《ひ》怯《きよう》だ」と彼女が次に言った。この突然な形容詞にも僕はまったく驚かされた。僕は、お前こそ卑怯だ、呼ばないでものところへわざわざ人を呼び付けて、と言ってやりたかった。けれども年弱な女に対して、向こうと同じ程度の激語を使うのはまだ早すぎると思って我慢した。千代子もそれなり黙った。僕はようやくにして「なぜ」というわずか二字の問いを掛けた。すると千代子の濃い眉《まゆ》が動いた。彼女は、僕自身で僕の卑怯な意味を十分自覚していながら、たまたま他《ひと》の指摘を受けると、自分の弱点を相手に隠すために、取り繕って空《そら》っ遠惚《とぼ》けるものとこの問いを解釈したらしい。
「なぜって、貴方自分でよく解《わか》ってるじゃありませんか」
「解らないから聞かしておくれ」と僕が言った。僕は階下《した》に母を控えているし、感情に訴える若い女の気質もよく呑《の》み込んだつもりでいたから、できるだけ相手の気を抜いて話を落ち付かせるために、その時の僕としては、ほとんど無理なほどの、低いかつ緩《ゆる》い調子を取ったのであるが、それがかえって千代子の気に入らなかったとみえる。
「それが解らなければ貴方馬鹿よ」
僕はおそらく平生《いつも》より蒼《あお》い顔をしたろうと思う。自分ではただ目を千代子の上にじっと据《す》えたことだけを記憶している。その時何物も恐れない千代子の目が、僕の視線と無言のうちに行き合って、両方ともしばらくそこに止まっていたことも記憶している。
三五
「千代ちゃんのような活《かつ》溌《ぱつ》な人から見たら、僕見たいに引っ込み思案なものはむろん卑《ひ》怯《きよう》なんだろう。僕は思ったことをすぐ口へ出したり、またはそのまま所作にあらわしたりする勇気のない、きわめて因《*》循な男なんだから。その点で卑怯だと言うなら言われても仕方がないが……」
「そんなことを誰《だれ》が卑怯だと言うもんですか」
「しかし軽《けい》蔑《べつ》はしているだろう。僕はちゃんと知ってる」
「貴方《あなた》こそ妾を軽蔑しているじゃありませんか。妾のほうがよっぽどよく知ってるわ」
僕はことさらに彼女のこの言葉を肯定する必要を認めなかったから、わざと返事を控えた。
「貴方は妾を学問のない、理屈の解《わか》らない、取るに足らない女だと思って、腹の中で馬鹿にし切ってるんです」
「それはお前が僕を愚《ぐ》図《ず》と見《み》縊《くび》ってるのと同じことだよ。僕はお前から卑怯と言われても構わないつもりだが、いやしくも徳義上の意味で卑怯というなら、そりゃお前のほうが間違っている。僕は少なくとも千代ちゃんに関係ある事柄について、道徳上卑怯な振《ふる》舞《まい》をした覚えはないはずだ。愚図とか煮え切らないとかいうべきところに、卑怯という言葉を使われては、なんだか道義的勇気を欠いた――というより、徳義を解しない下劣な人物のように聞こえてはなはだ心持ちが悪いから訂正してもらいたい。それとも今いった意味で、僕がなにか千代ちゃんに対して済まないことでもしたのなら遠慮なく話してもらう」
「じゃ卑怯の意味を話してあげます」と言って千代子は泣きだした。僕はこれまで千代子を自分より強い女と認めていた。けれども彼女の強さは単に優しい一図から出る女気の凝り塊《かたま》りとのみ解釈していた。ところが今僕の前に現われた彼女は、ただ勝ち気に充《み》ちただけの、世間にありふれた、俗っぽい婦人としか見えなかった。僕は心を動かすところなく、彼女の涙のあいだからいかなる説明が出るだろうと待ち設けた。彼女の唇《くちびる》を洩《も》れるものは、自己の体面を飾る強弁よりほかになにもあるはずがないと、僕は固く信じていたからである。彼女は濡《ぬ》れた睫《まつ》毛《げ》を二、三度繁《しば》叩《たた》いた。
「貴方は妾をお転婆の馬鹿だと思って始終冷笑しているんです。貴方は妾を……愛していないんです。つまり貴方は妾と結婚なさる気が……」
「そりゃ千代ちゃんのほうだって……」
「まあお聞きなさい。そんなことはお互いだというんでしょう。そんならそれで宜《よ》うござんす。なにも貰《もら》ってくださいとは言やしません。ただなぜ愛してもいず、細君にもしようと思っていない妾に対して……」
彼女はここへ来て急に口《くち》籠《ごも》った。不敏な僕はそのあとへなにが出てくるのか、まだ覚《さと》れなかった。「お前に対して」と半ば彼女を促すように問い掛けた。彼女は突然ものを衝《つ》き破ったふうに、「なぜ嫉妬なさるんです」と言い切って、まえよりは劇《はげ》しく泣きだした。僕はさっと血が顔に上る時の熱《ほて》りを両方の頬《ほお》に感じた。彼女はほとんどそれを注意しないかのごとくに見えた。
「貴方は卑怯です。徳義的に卑怯です。妾が叔母さんと貴方を鎌倉へ招待した料《りよう》簡《けん》さえ貴方はすでに疑《うたぐ》っていらっしゃる。それがすでに卑怯です。が、それは問題じゃありません。貴方は他《ひと》の招待に応じておきながら、なぜ平生《ふだん》のように愉快にしてくださることができないんです。妾は貴方を招待したために恥を掻《か》いたも同じことです。貴方は妾の宅《うち》の客に侮辱を与えた結果、妾にも侮辱を与えています」
「侮辱を与えた覚えはない」
「あります。言葉や仕打ちはどうでも構わないんです。貴方の態度が侮辱を与えているんです。態度が与えていないでも、貴方の心が与えているんです」
「そんな立ち入った批評を受ける義務は僕にないよ」
「男は卑怯だから、そういう下らない挨《あい》拶《さつ》ができるんです。高木さんは紳士だから貴方を容れる雅《*》量がいくらでもあるのに、貴方は高木さんを容れることが決してできない。卑怯だからです」
松本の話
一
それから市蔵と千代子のあいだがどうなったか僕は知らない。別にどうもならないんだろう。少なくとも傍《はた》で見ていると、二人の関係は昔から今日に至るまでまったく変わらないようだ。二人に聞けばいろいろなことをいうだろうが、それはその時かぎりの気分に制せられて、まことしやかに前後に通じない嘘《うそ》を、永久の価値あるごとく話すのだと思えば間違いない。僕はそう信じている。
あの事件ならその当時僕も聞かされた。しかも両方から聞かされた。あれは誤解でもなんでもない。両方でそう信じているので、そうしてその信じ方に両方とも無理がないのだから、きわめてもっともな衝突といわなければならない。したがって夫婦になろうが、友《とも》達《だち》として暮らそうが、あの衝突だけはとうてい免れることのできない、まあ二人の持って生まれた、因果と見るよりほかに仕方がなかろう。ところが不幸にも二人はある意味で密接に引き付けられている。しかもその引き付けられ方《かた》がまた傍のものにどうする権威もない宿命の力で支配されているんだから恐ろしい。取り澄ました警句を用いると、彼らは離れるために合い、合うために離れるといったふうの気の毒な一対《つい》を形づくっている。こういって君に解《わか》るかどうか知らないが、彼らが夫婦になると、不幸を醸《かも》す目的で夫婦になったと同様の結果に陥るし、また夫婦にならないと不幸を続ける精神で夫婦にならないのと択《えら》ぶところのない不満足を感ずるのである。だから二人の運命はただ成行きに任せて、自然の手で直接に発展させてもらうのがいちばん上策だと思う。君だの僕だのがなんのかのと要《い》らぬ世話を焼くのはかえって当人たちのために好《よ》くあるまい。僕は知ってのとおり、市蔵から見ても千代子から見ても他人ではない。ことに須永の姉からは、二人の身分について今まで頼まれたり相談を受けたりした例《ためし》は何度もある。けれども天の手《て》際《ぎわ》で旨《うま》くゆかないものを、どうして僕の力で纏《まとめ》ることができよう。つまり姉は無理な夢を自分一人で見ているのである。
須永の姉も田口の姉も、僕と市蔵の性質があまりよく似ているので驚いている。僕自身もどうしてこんな変わり者が親類に二人揃《そろ》ってできたのだろうかと考えては不思議に思う。須永の姉の料《りよう》簡《けん》では、市蔵の今日はまったく僕の感化を受けた結果にすぎないと見ているらしい。僕が姉の気に入らない点をいくらでも有《も》っているうちで、最も彼女を不愉快にするものは、不明なる僕のわが甥《おい》に及ぼしたと認められているこの悪い影響である。僕は僕の市蔵に対する今日までの態度に顧みて、この非難をもっともだと肯《がえん》ずる。それがために市蔵を田口家から疎隔したという不服もついでに承認して差《さし》支《つか》えない。ただ彼ら姉二人が僕と市蔵とを、同じ型からでき上がった偏屈人のように見做《みな》して、同じ眉《まゆ》を僕らのうえに等しく顰《ひそ》めるのは疑いもなく誤っている。
市蔵という男は世の中と接触するたびに内《*》へとぐろを捲《ま》き込む性質《たち》である。だから一つ刺激を受けると、その刺激がそれからそれへと回転して、だんだん深く細かく心の奥に喰《く》い込んでゆく。そうしてどこまで喰い込んでいって際限を知らない同じ作用が連続して、彼を苦しめる。しまいにはどうかしてこの内面の活動から逃《のが》れたいと祈るくらいに気を悩ますのだけれども、自分の力ではいかんともすべからざる呪《のろ》いのごとくに引っ張られてゆく。そうしていつかこの努力のために斃《たお》れなければならない、たった一人で斃れなければならないという怖《おそ》れを抱《いだ》くようになる。そうして気狂《きちがい》のように疲れる。これが市蔵の命《*》根に横たわる一大不幸である。この不幸を転じて幸とするには、内へ内へと向く彼の命の方向を逆にして、外へとぐろを捲き出させるよりほかに仕方がない。外にある物を頭へ運び込むために目を使う代りに、頭で外にある物を眺《なが》める心持ちで目を使うようにしなければならない。天下にたった一つで好《い》いから、自分の心を奪い取るような偉いものか、美しいものか、優しいものか、を見《み》出《いだ》さなければならない。一口にいえば、もっと浮《うわ》気《き》にならなければならない。市蔵ははじめ浮気を軽《けい》蔑《べつ》して懸《かか》った。今はその浮気を渇《かつ》望《ぼう》している。彼は自己の幸福のために、どうかして翩《*へん》々《ぺん》たる軽薄才子になりたいと心《しん》から神に念じているのである。軽薄に浮かれ得《う》るよりほかに彼を救う途《みち》は天下に一つもないことを、彼は、僕が忠告するまえに、すでに承知していた。けれども実行はいまだにできないで藻《も》掻《が》いている。
二
僕はこういう市蔵を仕立て上げた責任者として親類のものから暗に恨まれているが、僕自身もその点については疚《や》ましいところが大いにあるのだから仕方がない。僕はつまり性格に応じて人を導く術《すべ》を心得なかったのである。ただ自分の好《*こう》尚《しよう》を移せるだけ市蔵の上に移せばそれで十分だという無分別から、かってしだいに若いものの柔らかい精神を動かしてきたのが、すべての禍《わざわい》の本《もと》になったらしい。僕がこの過失に気が付いたのは今から二、三年まえである。しかし気が付いた時にはもう遅《おそ》かった。僕はただ為《な》す能力のない手を拱《こまぬ》いて、心のうちで嘆息しただけであった。
事実を一《いち》言《ごん》でいうと、僕の今遣《や》っているような生活は、僕に最も適当なので、市蔵には決して向かないのである。僕は本来から気の移り易《やす》くでき上がった、きわめて安価な批評をすれば、生まれ付いての浮《うわ》気《き》ものにすぎない。僕の心は絶えず外に向かって流れている。だから外部の刺激しだいでどうにでもなる。といっただけではよく腑《ふ》に落ちないかもしれないが、市蔵は在来の社会を教育するために生まれた男で、僕は通俗な世間から教育されに出た人間なのである。僕がこのくらい好《い》い年をしながら、まだたいへん若いところがあるのに引き更《か》えて、市蔵は高等学校時代からすでに老成していた。彼は社会を考える種に使うけれども、僕は社会の考えにこっちから乗り移ってゆくだけである。そこに彼の長所があり、かねて彼の不幸が潜んでいる。そこに僕の短所がありまた僕の幸福が宿っている。僕は茶の湯をやれば静かな心持ちになり、骨《こつ》董《とう》を捻《ひね》くれば寂《さ》びた心持ちになる。そのほか寄席《よせ》、芝居、相撲《すもう》、すべてその時々の心持ちになれる。その結果あまり眼前の事物に心を奪われすぎるので、しぜんに己《おのれ》なき空疎な感に打たれざるを得ない。だからこんな超《*》然生活を営んでしいて自我を押し立てようとするのである。ところが市蔵は自我よりほかに当初から何物も有《も》っていない男である。彼の欠点を補う――というより、彼の不幸を切り詰める生活の径路は、ただ内に潜《もぐ》り込まないで外に応ずるよりほかに仕方がないのである。しかるに彼を幸福にし得《う》るその唯一の策を、僕は間接に彼から奪ってしまった。親類が恨むのはもっともである。僕は本人から恨まれないのをまだしもの仕合わせと思っているくらいである。
今からたしか一年ぐらいまえの話だと思う。なにしろ市蔵がまだ学校を出ない時の話だが、ある日偶然遣《や》ってきて、ちょっと挨《あい》拶《さつ》をしたぎりすぐどこかへ見えなくなったことがある。その時僕はある人に頼まれて、書斎で日本の生け花の歴史を調べていた。僕は調べもののほうに気を取られて、彼の顔を出した時、やあとただ振り返っただけであったが、それでも彼の血色がはなはだ勝《すぐ》れないのを苦にして、仕事の区切りが付くやいなや彼を探《さが》しに書斎を出た。彼は妻《さい》とも仲が善《よ》かったので、あるいは茶の間で話でもしていることかと思ったら、そこにも姿は見えなかった。妻に聞くと子供の部《へ》屋《や》だろうというので、縁伝いに戸《ドアー》を開《あ》けると、彼は咲子の机の前に坐《すわ》って、女の雑誌の口絵に出ている、ある美人の写真を眺《なが》めていた。その時彼は僕を顧みて、今こういう美人を発見して、さっきから十分ばかり相対しているところだと告げた。彼はその顔が目の前にあるあいだ、頭の中の苦痛を忘れておのずから愉快になるのだそうである。僕はさっそくどこの何者の令嬢かと尋ねた。すると不思議にも彼は写真の下に書いてある女の名前をまだ読まずにいた。僕は彼を迂《う》闊《かつ》だと言った。それほど気に入った顔ならなぜ名前からさきに頭に入れないかと尋ねた。時と場合によれば、細君として申し受けることも不可能でないと僕は思ったからである。しかるに彼はまたなんの必要があって姓名や住所を記憶するかといったふうの目使いをし僕の注意を怪しんだ。
つまり僕はあくまでも写真を実物の代表として眺め、彼は写真をただの写真として眺めていたのである。もし写真の背後に、ほんとうの位置や身分や教育や性情が付け加わって、紙の上の肖像を活《い》かしに掛かったなら、彼はかえって気に入ったその顔まで併《あわ》せて打《う》ち棄《す》ててしまったかもしれない。これが市蔵の僕と根本的に違うところである。
三
市蔵の卒業する二、三か月まえ、たしか去年の四月ごろだったろうと思う。僕は彼の母から彼の結婚に関して、今までにない長時間の相談を受けた。姉の意思はもとより田口の姉娘を彼の嫁として迎えたいという単純にしてかつ頑《がん》固《こ》なものであった。僕は女に理屈を聞かせるのを、男の恥のように思う癖があるので、むずかしいことはなるべく控えたが、なにしろこういう問題について、できるだけ本人の自由を許さないのは親の義務に背《そむ》くのも同然だという意味を、昔風の彼女の腑《ふ》に落ちるように砕いて説明した。姉は御承知のとおりきわめて穏やかな女ではあるが、いざとなると同じ意見を何度でも繰り返して憚《はばか》らない婦人に共通な特性を一人前以上に具《そな》えていた。僕は彼女の執《*しつ》拗《おう》を悪《にく》むよりは、その根気の好《よ》すぎるところにかえって妙な憐《あわ》れみを催した。それで、今親類中に、市蔵の尊敬しているものは僕よりほかにないのだから、ともかくも一遍呼び寄せてとくと話してみてくれぬかという彼女の請いを快く引き受けた。
僕がこの目的を果たすために市蔵とこの座敷で会見を遂げたのは、それから四日目の日曜の朝だと記憶する。彼は卒業試験間近の多忙を目の前に控えながら座に着いて、なに試験なんかどうなったって構やしませんがと苦笑した。彼の説明によると、かねてその話は彼の母から何度も聞かされて、何度も決《*》答を繰り延ばした陳腐なものであった。もっとも彼のそれに対する態度は、問題の陳腐と反比例にすこぶる切なさそうに見えた。彼は最後に母から口《く》説《ど》かれた時、卒業のうえ、どうとも解決するから、それまで待ってくれろと母に頼んでおいたのだそうである。それをまだ試験も済まないさきから僕に呼び付けられたので、多少迷惑らしく見えたばかりか、年寄りは気が短くって困ると言葉に出してまで訴えた。僕ももっともだと思った。
僕の推測では、彼が学校を出るまでとかくの決答を延ばしたのは、そのうちに千代子の縁談が、自分よりは適当な候補者の上に纏《まと》い付くに違いないと勘《かん》定《てい》して、直接に母を失望させる代りに、周囲の事情が母の意思を翻させるためしぜんと彼女に圧迫を加えてくるのを待つ一種の逃避手段にすぎないと思われた。僕は市蔵にそうじゃないかと聞いた。市蔵はそうだと答えた。僕は彼にどうしても母を満足させる気はないかと尋ねた。彼は何事によらず母を満足させたいのはやまやまであると答えた。けれども千代子を貰《もら》おうとは決して言わなかった。意地ずくで貰わないのかと聞いたら、あるいはそうかもしれないと言い切った。もし田口が遣《や》っても好《い》いと言い、千代子が来ても好いと言ったらどうだと念を押したら、市蔵は返事をしずに黙って僕の顔を眺《なが》めていた。僕は彼のこの顔を見ると、決して話をさきへ進める気にはなれないのである。畏《い》怖《ふ》というと仰《ぎよう》山《さん》すぎるし、同情というとまるで憐《あわ》れっぽく聞こえるし、この顔から受ける僕の心持ちは、なんといって可《い》いかほとんど分《わか》らないが、永久に相手を諦《あきら》めてしまわなければならない絶望に、ある凄《すご》味《み》と優し味を付け加えた特殊の表情であった。
市蔵はしばらくして自分はなぜこう人に嫌《きら》われるんだろうと突然意外な述懐をした。僕はその時ならないのと平生の市蔵に似合わしからないのとで驚かされた。なぜそんな愚痴を零《こぼ》すのかと窘《たしな》めるような調子で反問を加えた。
「愚痴じゃありません。事実だから言うのです」
「じゃ誰《だれ》がお前を嫌っているかい」
「現にそういう叔父《おじ》さんからして僕を嫌っているじゃありませんか」
僕は再び驚かされた。あまり不思議だから二、三度押し問答の末推測してみると、僕が彼に特有な一種の表情に支配されて話の進行を停止した時の態度を、全然彼に対する嫌《けん》悪《お》の念から出たと受けているらしかった。僕は極力彼の誤解を打破しに掛かった。
「おれがなんでお前を悪《にく》む必要があるのかね。子供の時からの関係でも知れているじゃないか。馬《ば》鹿《か》を言いなさんな」
市蔵は叱《しか》られて激した様子もなくますます蒼《あお》い顔をして僕を見詰めた。僕は燐《りん》火《か》の前に坐《すわ》っているような心持ちがした。
四
「おれはお前の叔父《おじ》だよ。どこの国に甥《おい》を憎む叔父があるかい」
市蔵はこの言葉を聞くやいなやたちまち薄い唇《くちびる》を反《そ》らして淋《さみ》しく笑った。僕はその淋しみの裏に、奥深い軽侮の色を透かし見た。自白するが、彼は理解のうえにおいて僕よりも優《すぐ》れた頭の所有者である。僕は百もそれを承知でいた。だから彼と接触するときには、彼から馬《ば》鹿《か》にされるような愚をなるべく慎んで外に出さない用心を怠らなかった。けれども時々は、つい年長者の傲《おご》る心から、親しみの強い彼を眼下に見下して、浅薄と心付きながら、その場かぎりの無意味に勿《もつ》体《たい》を付けた訓戒などを与えるおりもないではなかった。賢い彼は僕に恥を掻《か》かせるために、自分の優越を利用するほど、品位を欠いた所作をあえてし得ないのではあるが、僕のほうではその都度彼に対するこっちの相場が下落してゆくような屈辱を感ずるのが例であった。僕はすぐ自分の言葉を訂正しに掛かった。
「そりゃ広い世の中だから、敵《かたき》同《どう》志《し》の親子もあるだろうし、命を危《あや》め合う夫婦もいないとは限らないさ。しかしまあ一般にいえば、兄弟とか叔父甥とかの名で繋《つなが》っている以上は、繋っているだけの親しみはどこかにあろうじゃないか。お前は相応の教育もあり、相応の頭もあるくせに、なんだか妙に一種の僻《ひが》みがあるよ。それがお前の弱点だ。ぜひ直さなくっちゃ不可《いけ》ない。傍《はた》から見ていても不愉快だ」
「だから叔父さんまで僕を嫌《きら》っているというのです」
僕は返事に窮した。自分で気の付かない自分の矛盾を今市蔵から指摘されたような心持ちもした。
「僻みさえさらりと棄《す》ててしまえばなんでもないじゃないか」と僕はさもこともなげに言ってのけた。
「僕に僻みがあるでしょうか」と市蔵は落ち付いて聞いた。
「あるよ」と僕は考えずに答えた。
「どういうところが僻んでいるでしょう。はっきり聞かしてください」
「どういうところがって、――あるよ、あるからあると言うんだよ」
「じゃそういう弱点があるとして、その弱点はどこから出てんでしょう」
「そりゃ自分のことだから、少し自分で考えてみたら可《よ》かろう」
「貴方《あなた》は不親切だ」と市蔵が思い切った沈痛な調子で行った。僕はまずその調子に度を失った。次に彼の目を見て萎《い》縮《しゆく》した。その目はいかにも恨めしそうに僕の顔を見詰めていた。僕は彼の前に一《いち》言《ごん》の挨《あい》拶《さつ》さえする勇気を振《ふる》い起こし得なかった。
「僕は貴方に言われないさきから考えていたのです。仰《おつ》しゃるまでもなく自分のことだから考えていたのです。誰《だれ》も教えてくれ手がないから独《ひと》りで考えていたのです。僕は毎日毎夜考えました。あまり考えすぎて頭も身体《からだ》も続かなくなるまで考えたのです。それでも分《わか》らないから貴方に聞いたのです。貴方は自分から僕の叔父だと明言していらっしゃる。それで叔父だから他人より親切だと言われる。しかし今のお言葉は貴方の口から出たにもかかわらず、他人よりも冷刻なものとしか僕には聞こえませんでした」
僕は頬《ほお》を伝わって流れる彼の涙を見た。幼少の時から馴《な》染《じ》んで今日に及んだ彼と僕とのあいだに、こんな光景《シーン》はいまだかつて一回も起こらなかったことを僕は君に明言しておきたい。したがってこの昂《こう》奮《ふん》した青年をどう取り扱って可《い》いかの心得が、僕にまるでなかったこともついでに断わっておきたい。僕はただ茫《ぼう》然《ぜん》として手を拱《こまぬ》いていた。市蔵はまた僕の態度などを眼中に置いて、自分の言葉を調節する余裕を有《も》たなかった。
「僕は僻んでいるでしょうか。たしかに僻んでいるでしょう。貴方が仰しゃらないでも、よく知っているつもりです。僕は僻んでいます。僕は貴方からそんな注意を受けないでも、よく知っています。僕はただどうしてこうなったかその訳が知りたいのです。いいえ母でも、田口の叔母《おば》でも、貴方でも、みんなよくその訳を知っているのです。ただ僕だけが知らないのです。ただ僕だけに知らせないのです。僕は世の中の人間のうちで貴方をいちばん信用しているから聞いたのです。貴方はそれを残酷に拒絶した。僕はこれから生《しよう》涯《がい》の敵として貴方を呪《のろ》います」
市蔵は立ち上がった。僕はその咄《とつ》嗟《さ》の際に決心をした。そうして彼を呼び留めた。
五
僕はかつてある学者の講演を聞いたことがある。その学者は現《*》代の日本の開化を解剖して、かかる開化の影響を受ける吾《われ》らは、上《うわ》滑《すべ》りにならなければ必ず神経衰弱に陥るにきまっているという理由を、臆《おく》面《めん》なく聴衆の前に暴露した。そうしてものの真相は知らぬうちこそ知りたいものだが、いざ知ったとなると、かえって知らぬが仏で済ましていた昔が羨《うらや》ましくって、今の自分を後悔する場合も少なくはない、私《わたくし》の結論などもあるいはそれに似たものかもしれないと苦笑して壇を退いた。僕はその時市蔵のことを思い出して、こういう苦い真理を承らなければならない我々日本人もずいぶん気の毒なものだが、彼のようにたった一人の秘密を、攫《つか》もうとしては恐れ、恐れてはまた攫もうとする青年はいっそう見惨《みじめ》に違いあるまいと考えながら、腹の中で暗に同情の涙を彼のために濺《そそ》いだ。
これは単に僕の一族内のことで、君とはまったく利害の交渉を有《も》たない話だから、君が市蔵のためにせっかく心配してくれた親切に対するまえからの行き掛りさえなければ、打ち明けないはずだったが、実をいうと、市蔵の太陽は彼の生まれた日からすでに曇っているのである。
僕は誰《だれ》にでも明言して憚《はばか》らないとおり、いっさいの秘密はそれを開放した時はじめて自然に復《かえ》る落着を見ることができるという主義を抱《いだ》いているので、穏便とか現状維持とかいう言葉には一般の人ほど重きを置いていない。したがって今日までに自分から進んで、市蔵の運命を生まれた当時に溯《さかのぼ》って、逆に照らしてやらなかったのは僕としてはむしろ不思議な手落といっても可《い》いくらいである。今考えてみると、僕が市蔵に呪《のろ》われる間《ま》際《ぎわ》まで、なぜこの事件を秘密にしていたものか、その意味がほとんど分《わか》らない。僕はこの秘密に風を入れたところで、彼ら母子《おやこ》の間柄が悪くなろうとは夢にも想像し得なかったからである。
市蔵の太陽は彼の生まれた日からすでに曇っていたという僕の言葉の裏に、どんな事実が含まれているかは彼と交わりの深い君の耳で聞いたら、すでに具体的な響きとなって解《わか》っているかもしれない。一口でいうと、彼らはほんとうの母子ではないのである。なお誤解のないように一《いち》言《げん》付け加えると、ほんとうの母子よりもはるかに仲の好《い》い継《まま》母《はは》と継《まま》子《こ》なのである。彼らは血を分けてはじめて成立する通俗な親子関係を軽《けい》蔑《べつ》しても差《さし》支《つか》えないくらい、情愛の糸で離れられないように、自然からしっかり括《くく》り付けられている。どんな魔の振る斧《おの》の刃でもこの糸を絶ち切るわけにはいかないのだから、どんな秘密を打ち明けても怖《こわ》がる必要はさらにないのである。それだのに姉は非常に恐れていた。市蔵も非常に恐れていた。姉は秘密を手に握ったまま、市蔵は秘密を手に握らせられるだろうと待ち受けたまま、二人して非常に恐れていた。僕はとうとう彼の恐れるものの正体を取り出して、彼の前に他意なく並べてやったのである。
僕はその時の問答を一々繰り返して今君に告げる勇気に乏しい。僕にはもとよりそれほどの大事件ともはじめから見えず、またなるべく平気を装う必要から、つまりなんでもないことのように話したのだが、市蔵はそれを命《いのち》懸《が》けの報知として、必死の緊張の下《もと》に受けたからである。ただ前の続きとして、事実だけを一口に約《つづ》めていうと、彼は姉の子ではなくって、小間使の腹から生まれたのである。僕自身の家に起こったことでないうえに、二十五年以上も経《た》った昔の話だから、僕も詳しい顛《てん》末《まつ》は知ろうはずがないが、なにしろその小間使が須永の種を宿した時、姉は相当の金を遣《や》って彼女に暇を取らしたのだそうである。それから宿へ下がった妊婦が男の子を生んだという報知を持って、また子供だけ引き取って表向き自分の子として養育したのだそうである。これは姉が須永に対する義理からでもあろうが、一つは自分に子のできないのを苦にしていたやさきだから、本気にわが子として愛《いつく》しむ考えもむろん手伝ったに違いない。実際彼らは君の見るごとく、また吾《われ》々《われ》の見るごとく、最も親しい親子として今日まで発展してきたのだから、お互いに事情を明かし合ったところで毫《ごう》も差《さし》支《つか》えの起こる訳がない。僕にいわせると、世間に有り勝ちな反りの合わないほんとうの親子よりもどのくらい肩身が広いか分《わか》りゃしない。二人だって、そうと知ったうえで、今までの睦《むつ》まじさを回顧した時のほうが、どんなに愉快が多いだろう。少なくとも僕ならそうだ。それで僕は市蔵のために特にこの美しい点を力のあらんかぎり彩《いろど》ることを怠らなかった。
六
「おれはそう思うんだ。だから少しも隠す必要を認めていない。お前だって健全な精神を持っているなら、おれと同じように思うべきじゃないか。もしそう思うことができないというなら、それがすなわちお前の僻《ひが》みだ。解《わか》ったかな」
「解りました。よく解りました」と市蔵が答えた。僕は「解ったらそれで好《い》い、もうその問題についてかれこれというのは止《よ》しにしようよ」と言った。
「もう止します。もう決してこのことについて、貴方《あなた》を煩わす日は来ないでしょう。なるほど貴方の仰《おつ》しゃるとおり僕は僻んだ解釈ばかりしていたのです。僕は貴方のお話を聞くまでは非常に怖《こわ》かったです。胸の肉が縮まるほど怖かったです。けれどもお話を聞いてすべてが明白になったら、かえって安心して気が楽になりました。もう怖いことも不安なこともありません。その代りなんだか急に心細くなりました。淋《さび》しいです。世の中にたった一人立っているような気がします」
「だってお母《かあ》さんは元のとおりお母さんなんだよ。おれだって今までのおれだよ。誰《だれ》もお前に対して変わるものはありゃしないんだよ。神経を起こしちゃ不可《いけ》ない」
「神経は起こさなくても淋しいんだから仕方がありません。僕はこれから宅《うち》へ帰って母の顔を見るときっと泣くにきまっています。今からその時の涙を予想しても淋《さむ》しくって堪《たま》りません」
「お母さんには黙っているほうが可《よ》かろう」
「むろん話しゃしません。話したら母がどんな苦しい顔をするか分《わか》りません」
二人は黙然として相対した。僕は手《て》持《も》ち無《ぶ》沙《さ》汰《た》に烟草《たばこ》盆《ぼん》の灰吹きを叩《たた》いた。市蔵は打《うつ》向《む》いて袴《はかま》の膝《ひざ》を見詰めていた。やがて彼は淋《さみ》しい顔を上げた。
「もう一つ伺っておきたいことがありますが、聞いてくださいますか」
「おれの知っていることならなんでも話してあげる」
「僕を生んだ母は今どこにいるんです」
彼の実の母は、彼を生むと間もなく死んでしまったのである。それは産後の肥立ちが悪かったせいだとも言い、または別の病だとも聞いているが、これも詳しい話を為《し》てやるほどの材料に欠乏した僕の記憶では、とうてい餓《う》えた彼の目を静めるに足りなかった。彼の生母の最後の運命に関する僕の話は、わずか二、三分で尽きてしまった。彼は遺憾な顔をして彼女の名前を聞いた。さいわいにして僕はお弓《ゆみ》という古風な名を忘れずにいた。彼は次に死んだ時の彼女の年齢《とし》を問うた。僕はその点に関して、なにというしかとした知識も有《も》っていなかった。彼は最後に、彼の宅《うち》に奉公していた時分の彼女に会ったことがあるかと尋ねた。僕はあると答えた。彼はどんな女だと聞き返した。気の毒にも僕の記憶はすこぶる朦《もう》朧《ろう》としていた。事実僕はその当時十五、六の少年にすぎなかったのである。
「なんでも島田に結《い》ってたことがある」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦《あきら》めたという目付をして、いちばんしまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこに埋まっているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と言った。けれどもお弓の菩《ぼ》提《だい》所《しよ》を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻《しん》吟《ぎん》しながら、已《やむ》を得なければ姉に聞くよりほかに仕方あるまいと答えた。
「お母さんよりほかに知ってるものはないでしょうか」
「まああるまいね」
「じゃ分らないでも宜《よ》ござんす」
僕は市蔵に対して気の毒なようなまた済まないような心持ちがした。彼はしばらく庭の方を向いて、麗《うらら》かな日《ひ》脚《あし》の中に咲く大きな椿《つばき》を眺《なが》めていたが、やがて視線を故《もと》に戻《もど》した。
「お母さんがぜひ千代ちゃんを貰《もら》えというのも、やっぱり血統上の考えから、身縁《みより》のものを僕の嫁にしたいという意味なんでしょうね」
「まったくそこだ。ほかになんにもないんだ」
市蔵はそれでは貰おうとも言わなかった。僕もそれなら貰うかとも聞かなかった。
七
この会見は僕にとって美しい経験の一つであった。双方で腹蔵なくすべてを打ち明け合うことができたという点において、いまだに僕の貧しい過去を飾っている。相手の市蔵から見ても、あるいは生まれてはじめての慰謝ではなかったかと思う。とにかく彼が帰ったあとの僕の頭には、善《よ》い功徳を施したという愉快な感じが残ったのである。
「万事おれが引き受けてやるから心配しないがいい」
僕は彼を玄関に送り出しながら、最後こういう言葉を彼の背に暖かく掛けてやった。その代り姉に会見の結果を報告する時ははなはだ不味《まず》かった。已《やむ》を得ないから、卒業して頭に暇さえできれば、はっきりどうにか片を付けると言っているから、それまで待つが好《よ》かろう、今かれこれ突っつくのは試験の邪魔になるだけだからと、姉が聞いても無理のないところで、ひとまず宥《なだ》めておいた。
僕は同時に事情を田口に話して、なるべく市蔵の卒業のまえに千代子の縁談が運ぶように工夫した。委細を聞いた田口の口振りは平生のとおり如才なくかつ無《む》雑《ぞう》作《さ》であった。彼は僕の注意がなくっても、その辺は心得ているつもりだと答えた。
「けれども必《ひつ》竟《きよう》は本人のために嫁入《かたづ》けるんで(そう申しちゃ角《かど》が立つが)、姉さんや市蔵の便宜のために、千代子の結婚をむりに繰り上げたり、繰り延べたりするわけにもゆかないものだから」
「御もっともだ」と僕は承認せざるを得なかった。僕は元来田口家と親類並みの交際《つきあい》をしているにはいるが、その実彼らの娘の縁談に、進んで口を出したこともなければ、また向こうから相談を受けた例《ためし》も有《も》たないのである。それで今日まで千代子にどんな候補者があったのか、間接にさえほとんどその噂《うわさ》を耳にしなかった。ただまえの年の鎌倉の避暑地とかで市蔵が会って気を悪くしたという高木だけは、市蔵からも千代子からも名前を教えられて覚えていた。僕は突然ながら田口にその男はどうなったかと尋ねた。田口は愛《あい》嬌《きよう》らしく笑って、高木ははじめから候補者として打って出たのではないと告げた。けれども相当の身分と教育があって独身の男なら、誰《だれ》でも候補者になり得《う》る権利は有っているのだから、候補者でないとは決して断言できないとも告げた。この曖《あい》昧《まい》な男のことを僕はなお委《くわ》しく聞いてみて、彼が今シャンハイにいることを確かめた。シャンハイにいるけれどもいつ帰るか分《わか》らないということも確かめた。彼と千代子との間柄はその後なんらの発展も見ないが、信書の往復はいまだに絶えない、そうしてその信書はきっと父母が目を通したうえで本人の手に落つるという条件付きの往復であるということまで確かめた。僕は一も二もなく、千代子には其男《それ》が好《い》いじゃないかと言った。田口はまだどこかに欲があるのか、または別に考えを有っているのか、そうするつもりだとは明言しなかった。高木のいかなる人物かをまるで解しない僕が、それ以上勧める権利もないから、僕はついそのままにして引き取った。
僕と市蔵とはその後久しく会わなかった。久しくといったところでわずか一か月半ばかりの時日にすぎないのだが、僕には卒業試験を目の前に控えながら、家庭問題に屈《くつ》托《たく》しなければならない彼のことが非常に気に掛かった。僕はそっと姉を訪《たず》ねてそれとなく彼の近況を探ってみた。姉は平気で、なんでもだいぶ忙しそうだよ、卒業するんだからそのはずさねと言って澄ましていた。僕はそれでも不安心だったから、ある日一時間の夕べを僕と会食するために割《さ》かせて、彼の家の近所の洋食屋でともに晩《ばん》餐《さん》を食いながら、ひそかに彼の様子を窺《うかが》った。彼は平生のとおり落ち付いていた。なに試験なんかどうにかこうにか遣《や》っ付《つ》けまさあと受け合ったところに、まんざらの虚勢も見えなかった。大丈夫かいと念を押した時、彼は急に情けなそうな顔をして、人間の頭は思ったより堅固にできているもんですね、実は僕自身も怖《こわ》くって堪《たま》らないんですが、不思議にまだ壊《こわ》れません、この様子ならまだ当分は使えるでしょうと言った。冗談らしくもあり、また真《ま》面《じ》目《め》らしくもあるこの言葉が、妙に憐《あわ》れ深い感じを僕に与えた。
八
若葉の時節が過ぎて、湯上がりの単衣《ひとえ》の胸に、団扇《うちわ》の風を入れたく思うある日、市蔵がまたふらりと遣《や》ってきた。彼の顔を見るやいなや僕が第一に掛けた言葉は、試験はどうだったという一語であった。彼は昨日《きのう》ようやく済んだと答えた。そうして明日《あす》からちょっと旅行してくるつもりだから暇《いとま》乞《ご》いに来たと告げた。僕は成績もまだ分《わか》らないのに、遠く走る彼の心理状態を疑ってまた多少の不安を感じた。彼は京都付近から須《す》磨《ま》明石《あかし》を経て、ことによると、広島辺まで行きたいという希望を述べた。僕はその旅行の比較的大《おお》袈《げ》裟《さ》なのに驚いた。及第とさえ極《きま》っていればそれでも好《よ》かろうがと間接に不賛成の意を仄《ほの》めかしてみると、彼は試験の結果などには存外冷淡な挨《あい》拶《さつ》をした。そんなことに気を遣《つか》う叔父《おじ》さんこそ平生にも似合わしからんじゃありませんかと言って、ほとんど相手にならなかった。話しているうちに、僕は彼の思い立ちが及落の成績に関係のない別方面の動機から萌《きざ》しているということを発見した。
「実はあの事件以来妙に頭を使うので、近ごろでは落ち付いて書斎に坐《すわ》っていることが困難になりましてね。どうしても旅行が必要なんですから、まあ試験を中途で已《や》めなかったのが感心だぐらいに賞《ほ》めて許してください」
「そりゃお前の金でお前の行きたい所へ行くのだから少しも差《さし》支《つか》えはないさ。考えてみれば少しは飛び歩いて気を換えるのも好かろう。行ってくるがいい」
「ええ」と言って市蔵はやや満足らしい顔をしたが、「実は大きな声で話すのも気の毒で勿《もつ》体《たい》ないんですが、叔父さんにあの話を聞いてから以後は、母の顔を見るたんびに、変な心持ちになって堪《たま》らないんです」と付け足した。
「不愉快になるのか」と僕はむしろおごそかに聞いた。
「いいえ、ただ気の毒なんです。はじめは淋《さび》しくって仕方がなかったのが、だんだんだんだん気の毒に変化してきたのです。実はここだけの話ですけれども、近ごろでは母の顔を朝夕見るのが苦痛なんです。今《こん》度《だ》の旅行だって、かねてから卒業したら母に京大阪と宮島を見物させてやりたいと思っていたのだから、昔の僕なら供をする気で留《る》守《す》を叔父さんにでも頼みに出掛けてくるところなんですが、今言ったような訳で、関係がまるで逆になったもんだから、少しでも母の傍《そば》を離れたらという気ばかりして」
「困るね、そう変になっちゃあ」
「僕は離れたらまたきっと母が恋しくなるだろうと思うんですが、どうでしょう。そう旨《うま》くはいかないもんでしょうか」
市蔵はさも懸念らしくこういう問いを掛けた。彼より経験に富んだ年長者をもって自任する僕にも、この点に関する彼の未来はほとんど想像できなかった。僕はただ自分に信念がなくって、わが心のことを他《ひと》に尋ねて安心したいと願う彼の胸の裏《うち》を憐《あわ》れに思った。上《うわ》部《べ》はいかにも優しそうに見えて、実際はきわめて意地の強くでき上がった彼が、こんな弱い音《ね》を出すのは、ほとんど例《ためし》のないことだったからである。僕は僕の力の及ぶかぎり彼の心に保証を与えた。
「そんな心配はするだけ損だよ。おれが受け合ってやる。大丈夫だから遊んでくるが好《い》い。お前のお母《かあ》さんはおれの姉だ。しかもおれよりも学問をしないだけに、よほど純良にできている、誰《だれ》からも敬愛されべき婦人だ。あの姉と君のような情愛のある子がどうして離れっ切りに離れられるものか。大丈夫だから安心するが好い」
市蔵は僕の言葉を聞いて実際安心したらしく見えた。僕もやや安心した。けれども一方では、このくらい根のない慰謝の言葉が、明《めい》晰《せき》な頭脳を有《も》った市蔵に、これほどの影響を与えたとすれば、それは後の神経がどこか調子を失っているためではなかろうかという疑いも起こった。僕は突然極端の出来事を予想して、一人身の旅行を危《あやぶ》みはじめた。
「おれもいっしょに行こうか」
「叔父さんといっしょじゃ」と市蔵が苦笑した。
「不可《いけ》ないかい」
「平生《ふだん》ならこっちから誘っても行ってもらいたいんだが、なにしろどこへ立つんだか分《わか》らない、いわば気の向きしだい予定の狂う旅行だからお気の毒でね。それに僕のほうでも貴方《あなた》がいると束縛があって面《おも》白《しろ》くないから……」
「じゃ止《よ》そう」と僕はすぐ申し出を撤回した。
九
市蔵が帰ったあとでも、しばらくは彼のことが変に気に掛かった。暗い秘密を彼の頭に判で押した以上、それから出るいっさいの責任は、当然僕が背負《しよ》って立たなければならない気がしたからである。僕は姉に会って、彼女の様子を見もし、また市蔵の近況を聞きもしたくなった。茶の間にいた妻《さい》を呼んで、相談かたがた理由《わけ》を話すと、存外ものに驚かない妻は、貴方《あなた》があんまりよけいなお喋舌《しやべり》をなさるからですよと言って、はじめはほとんど取り合わなかったが、しまいに、なんで市《いつ》さんに間違いがあるもんですか、市さんは年こそ若いが、貴方《あなた》よりよっぽど分別のある人ですものと、独《ひと》りで受け合っていた。
「すると市蔵のほうで、かえっておれのことを心配しているわけになるんだね」
「そうですとも、誰《だれ》だって貴方の懐《ふところ》手《で》ばかりして、舶来のパイプを銜《くわ》えているところを見れば、心配になりますわ」
そのうち子供が学校から帰ってきて、家《うち》の中が急に賑《にぎ》やかになったので、市蔵のことはつい忘れたぎり、夕方までとうとう思い出す暇がなかった。そこへ姉が自分のほうから突然尋ねてきた時は、僕も覚えずひやりとした。
姉はいつものとおり、家族の集まっている真《まん》中《なか》に坐《すわ》って、無《ぶ》沙《さ》汰《た》の詫びやら、時候の挨《あい》拶《さつ》やらを長々しく妻と交換していた。僕もそこに座を占めたまま動く機会を失った。
「市蔵が明日《あす》から旅行するっていうじゃありませんか」と僕は好《い》い加減な時分に聞きだした。
「それについてね……」と姉はやや真《ま》面《じ》目《め》になって僕の顔を見た。僕は姉の言葉を皆まで聞かずに、「なに行きたいなら行かしておやんなさい。試験で頭をさんざん使ったあとだもの。少しは楽もさせないと身体《からだ》の毒になるから」とあたかも市蔵の行動を弁護するように言った。姉はもとより同じ意見だと答えた。ただ彼の健康状態が旅行に堪えるかどうかを気《き》遣《づか》うだけだと告げた。最後に僕の見るところでは大丈夫なのかと聞いた。僕は大丈夫だと答えた。妻も大丈夫だと答えた。姉は安心というよりも、むしろ物足りない顔をした。僕は姉の使う健康という言葉が、身体に関係のない精神上の意味を有《も》っているに違いないと考えて、腹の中で一種の苦痛を感じた。姉は僕の顔付から直覚的に影響を受けたらしい心細さを額に刻んで、「恒《つね》さん、さっき市蔵がこちらへ上がった時、なにか様子の変わったところでもありゃしませんでしたかい」と聞いた。
「なにそんなことがあるもんですか。やっぱり普通の市蔵でさあ。ねえお仙」
「ええちっとも違っておいでじゃありません」
「わたしもそうかと思うけれども、なんだかこのあいだから調子が変でね」
「どんななんです」
「どんなだと言われるとまた話しようもないんだが」
「まったく試験のためだよ」と僕はすぐ打ち消した。
「姉《ねえ》さんの神経《*きでん》ですよ」と妻も口を出した。
僕らは夫婦して姉を慰めた。姉はしまいにやや納得したらしい顔付をして、みんなと夕食《ゆうめし》をともにするまで話し込んだ。帰る時は散歩がてら、子供を連れて電車まで見送ったが、それでも気が済まないので、子供をさきへ返して、断わる姉の傍《そば》に席を取ったなり、とうとう彼女の家まで来た。
僕はさいわい二階にいた市蔵を姉の前に呼び出した。お母《かあ》さんがお前のことをたいそう心配してわざわざ矢来まで来たから、今おれがいろいろに言ってようやく安心させたところだと告げた。したがって旅行に出すのは、つまり僕の責任なんだから、なるべく年寄りに心配を掛けないように、着いたら着いた所から、立つなら立つ所から、また逗《とう》留《りゆう》するなら逗留する所から、必ず音信《たより》を怠らないようにして、いつでも用ができしだいこっちから呼び返すことのできる注意をしたら好《よ》かろうと言った。市蔵はそのくらいの面《めん》倒《どう》なら僕に注意されるまでもなくすでに心得ていると答えて、彼の母の顔を見ながら微笑した。
僕はこれでいくぶんか姉の心を和らげ得たものと信じて十一時ごろまでまた電車で矢来へ帰ってきた。
僕を迎えに玄関に出た妻は、待ちかねたように、どうでしたと尋ねた。僕はまあ安心だろうよと答えた。実際僕は安心したような心持ちだったのである。で、明くる日は新橋へ見送りにも行かなかった。
一〇
約束の音信《たより》は至る所からあった。勘定するとたいてい日に一本ぐらいの割になっている。その代り多くは旅先の画《え》端《は》書《がき》に二、三行の文句を書き込んだ簡略なものにすぎなかった。僕はその端書が着くたびに、まず安心したという顔付をして、妻《さい》からよく笑われた。一度僕がこの様子なら大丈夫らしいね、どうもお前の予言のほうが適中したらしいといった時、妻は愛《あい》想《そ》もなく、当り前ですわ、三面記事や小説見たようなことが、めったにあって堪《たま》るもんですかと答えた。僕の妻は小説と三面記事とを同じもののごとく見《み》做《な》す女であった。そうして両方とも嘘《うそ》と信じて疑わないほど浪漫斯《ロマンス》に縁の遠い女であった。
端書に満足した僕は、彼の封筒入りの書簡に接しだした時さらに眉《まゆ》を開いた。というのは、僕の恐れを抱《いだ》いていた彼の手が、陰《いん》鬱《うつ》な色に巻紙を染めた痕《こん》迹《せき》が、そのどこにも見《み》出《いだ》せなかったからである。彼の状袋の中に巻き納めた文句が、彼の端書よりもいかにあざやかに、彼の変化した気分を示しているかは、実際それを読んでみないと分《わか》らない。ここに二、三通取ってある。
彼の気分を変化するに与《あず》かって効力のあったものは京都の空気だの宇《う》治《じ》の水だのいろいろあるなかに、上《かみ》方《がた》地《ち》方《ほう》の人の使う言葉が、東京に育った彼にとっては最も興味の多い刺激になったらしい。何遍もあの辺を通過した経験のあるものからいうと馬《ば》鹿《か》げているが、市蔵の当時の神経にはああいう滑《なめ》らかで静かな調子が、鎮《*》経剤以上に優しい影響を与え得たのではなかろうかと思う。なに若い女の? それは知らない。むろん若い女の口から出れば効《き》き目《め》は多いだろう。市蔵も若い男のことだから、求めてそいうところへ近付いたかもしれない。しかしここに書いてあるのは、不思議にお婆《ばあ》さんの例である。――
「僕はこの辺の人の言葉を聞くと微《かす》かな酔いに身を任せたような気分になります。ある人はべたついて厭《いや》だと言いますが、僕はまるで反対です。厭なのは東京の言葉です。むやみに角度の多い金《こん》米《ぺい》糖《とう》のような調子を得意になって出します。そうして聴《き》き手《て》の心を粗暴にして威張ります。僕は昨日《きのう》京都から大阪へ来ました。今日《きよう》朝日新聞にいる友人を尋ねたら、その友人が箕面《みのお》という紅葉《もみじ》の名所へ案内してくれました。時節が時節ですから、紅葉はむろん見られませんでしたが、渓《たに》川《がわ》があって、山があって、山の行き当たりに滝があって、たいへん好《よ》い所でした。友人は僕を休ませるために社の倶《ク》楽《ラ》部《ブ》とかいう二階建の建物の中へ案内しました。そこへはいってみると、幅の広い土間が、竪《たて》に家の間口を貫いていました。そうしてそれがことごとく敷《し》き瓦《がわら》で敷き詰められている模様が、なんだか支《し》那《な》のお寺へでも行ったような沈んだ心持ちを僕に与えました。この家はなんでも誰かがはじめ別荘に拵《こしら》えたのを、朝日新聞で買い取って倶楽部用にしたのだと聞きましたが、よし別荘にせよ、瓦を畳《たた》んでできている、この広々とした土間はなんのためでしょう。僕はあまり妙だから友人に尋ねてみました。ところが友人は知らんと言いました。もっともこれはどうでも構わないことです。ただ叔父《おじ》さんがこういうことに明らかだから、あるいは知っておいでかもしれないと思って、ちょっと蛇《だ》足《そく》に書き添えただけです。僕の御報知したいのは実はこの広い土間ではなかったのです。土間の上に下《お》りていたお婆《ばあ》さんが問題だったのです。お婆さんは二人いました。一人は立って、一人は椅《い》子《す》に腰を掛けていました。ただし両方ともくりくり坊主です。その立っているほうが、僕らがはいるやいなや、友人の顔を見て挨《あい》拶《さつ》をしました。そうして『おや御免やす。今八十六のお婆さんの頭を剃《そ》っとるところだすよって。――お婆さんじっとしていなはれや、もう少しだけれ。――よう剃ったけれ毛は一本もありゃせんよって、なにも恐ろしいことありゃへん』と言いました。椅《い》子《す》に腰を掛けたお婆さんは頭を撫《な》でて『大きに』と礼を述べました。友人は僕を顧みて野趣があると笑いました。僕も笑いました。ただ笑っただけではありません。百年も昔の人に生まれたようなのんびりした心持ちがしました。僕はこういう心持ちをお土産《みやげ》に東京へ持って帰りたいと思います」
僕も市蔵がこういう心持ちを、姉へお土産として持ってきてくれれば可《い》いがと思った。
一一
次のは明石《*あかし》から来たもので、まえに比べると多少複雑なだけに、市蔵の性格をよりあざやかに現わしている。
「今夜ここに来ました。月が出て庭は明らかですが、僕の部《へ》屋《や》は影になってかえって暗い心持ちがします。飯を食って烟草《たばこ》を呑《の》んで海の方を眺《なが》めていると、――海はつい庭先にあるのです。漣《さざなみ》さえ打たない静かな晩だから、河《かわ》縁《べり》とも池の端《はた》とも片の付かない渚《なぎさ》の景《け》色《しき》なんですが、そこへ涼み船が一艘《そう》流れてきました。その船の形《かつ》好《こう》は夜でよく分《わか》らなかったけれども、幅の広い底の平たい、どうしても海に浮かぶものとは思えない穏やかな形を具《そな》えていました。屋根は確かあったように覚えます。その軒から画《え》の具《ぐ》で染めた提灯《ちようちん》がいくつもぶら下がっていました。薄い光の奥にはむろん人が坐《すわ》っているようでした。三《しや》味《み》線《せん》の音も聞こえました。けれども惣《そう》体《たい》がいかにも落ち付いて、滑《すべ》るように楽しんで僕の前を流れて行きました。僕は静かにその影を見送って、お祖父《じい》さんの若い時分の話というのを思い出しました。叔父《おじ》さんはもとより御存じでしょう、お祖父さんが昔の通人のした月見の舟遊びを実際に遣《や》った話を。僕は母から二、三度聞かされたことがあります。屋根船を綾《*あや》瀬《せ》川《がわ》まで漕《こ》ぎ上《のぼ》せて、静かな月と静かな波の映り合う真《まん》中《なか》に立って、用意してある銀扇を開いたまま、夜の光の遠くへ投げるのだというじゃありませんか。扇の要《かなめ》がぐるぐる回って、地紙に塗った銀《ぎん》泥《でい》をきらきらさせながら水に落ちる景色はさだめて美事だろうと思います。それもただの一本ならですが、船のものが惣《そう》掛《が》かりで、ひらひらする光を投げ競《きそ》う光景は想像しても凄《せい》艶《えん》です。お祖父さんは銅《*どう》壺《こ》の中に酒をいっぱい入れて、その酒で徳利の燗《かん》をしたあとをことごとく棄《す》てさしたほどの豪《ごう》奢《しや》な人だというから、銀扇の百本ぐらい一度に水に流しても平気なのでしょう。そういえば、遺伝だかなんだか、叔父さんにも貧乏な割にはといっては失礼ですが、どこかに贅《ぜい》沢《たく》なところがあるようですし、あんな内気な母にも、妙に陽気なことの好きな方面が昔から見えていました。ただ僕だけは、――こういうとまたあの問題を持ち出したなと早《はや》合点《がてん》なさるかもしれませんが、僕はもうあのことについて叔父さんの心配なさるほど屈《くつ》托《たく》していないつもりですから安心してください。ただ僕だけはと断わるのは決して苦い意味でいうのではありません。僕はこの点において、叔父さんとも母とも生まれ付きが違っていると申したいのです。僕は比較的楽に育った、物質的に幸福な子だから、贅沢と知らずに贅沢をして平気でいました。着物などでも、母の注意で、人前へ出て恥ずかしくないようなものを身に着けながら、これが当然だと澄ましていました。けれどもそれは永《なが》く習慣に養われた結果、自分で知らない不明から出るので、一度そこに気が付くと、急に不安になります。着物や食事はまあどうでも可《い》いとして、僕はこのあいだある富豪のむやみに金を使う様子を聞いて恐ろしくなったことがあります。その男は芸者や幇《*ほう》間《かん》をおおぜい集めて、鞄《カバン》の中から出した札の束を、その前でずたずたに裂いて、それを御祝儀だと称《とな》えて、みんなに遣《や》るのだそうです。それから立《りつ》派《ぱ》な着物を着たまま湯にはいって、あとは三助に呉《く》れるのだそうです。彼の乱行はまだたくさんありましたが、いずれも天を恐れない暴慢極《きわ》まるもののみでした。僕はその話を聞いた時むろん彼を悪《にく》みました。けれども気概に乏しい僕は、悪むよりもむしろ恐れました。僕から彼の所行を見ると、強盗が白刃の抜き身を畳に突き立てて良民を緊迫《おびやか》しているのと同じような感じになるのです。僕は実に天とか、人道とか、もしくは神仏とかに対して申し訳がないという、真正に宗教的な意味において恐れたのです。僕はこれほど臆《おく》病《びよう》な人間なのです。驕《*きよう》奢《しや》に近づかないさきから、驕奢の絶頂に達して躍《おど》り狂う人の、一転化の後を想像して、怖《こわ》くて堪《たま》らないのであります。――僕はこんなことを考えて、静かな波の上を流れてゆく涼み船を見送りながら、このくらいな程度の慰みが人間としてちょうど手ごろなんだろうと思いました。僕も叔父さんから注意されたように、だんだん浮《うわ》気《き》になってゆきます。賞《ほ》めてください。月の差す二階の客は、神戸から遊びにきたとかで、僕の厭《いや》な東京語ばかり使って、おりおり詩吟などを遣《や》ります。そのなかに艶《なまめ》かしい女の声も交じっていましたが、二、三十分前から急に大人《おとな》しくなりました。下女に聞いたらもう神戸へ帰ったのだそうです。夜《よ》もだいぶ更《ふ》けましたから、僕も休みます」
一二
「昨夕《ゆうべ》も手紙を書きましたが、今日《きよう》もまた今《こん》朝《ちよう》以来の出来事を御報知します。こう続けて叔父《おじ》さんにばかり手紙を上げたら、叔父さんはきっと皮肉な薄笑いをして、彼奴《あいつ》どこへも文《ふみ》を遣《や》るところがないものだから、已《やむ》を得ず姉と己《おれ》に対してだけ、時間を費やして音信《たより》を怠らないんだと、腹の中でいうでしょう。僕も筆を執りながら、ちょっとそういう考えを起こしました。しかし僕にもしそんな愛人ができたら、叔父さんはたとい僕から手紙を貰《もら》わないでも、喜んでくださるでしょう。僕も叔父さんに音信を怠っても、そのほうが幸福だと思います。実は今朝《けさ》起きて二階へ上がって海を見《み》下《おろ》していると、そういう幸福な二人連れが、磯《いそ》通《づた》いに西の方へ行きました。これはことによると僕と同じ宿に泊まっているお客かもしれません。女がクリーム色の洋傘《こうもり》を翳《さ》して、素足に着物の裾《すそ》を少し捲《まく》りながら、浅い波の中を、男と並んで行く後ろ姿を、僕は羨《うらや》ましそうに眺《なが》めたのです。波は非常に澄んでいるから高い所から見下すと、陸《おか》に近いあたりなどは、日の照る空気の中と変わりなくなんでも透いて見えます。泳いでいる海月《くらげ》さえはっきり見えます。宿の客が二人出てきて泳ぎ回っていますが、彼らの水中で遣《や》る所作が、一挙一動ことごとく手に取るように見えるので、芸としての水泳の価値が、だいぶ下落するようです。(午前七時半)」
「今度は西洋人が一人水に浸《つか》っています。あとから若い女が出てきました。その女が波の中に立って二階に残っているもう一人の西洋人を呼びます。『ユー・カム・ヒヤ』と言って英語を使います。『イット・イズ・ベリ・ナイス・イン・ウォーター』というようなことをしきりに申します。その英語はなかなか達者で流《りゆう》暢《ちよう》で羨ましいくらい旨《うま》く出ます。僕はとても及ばないと思って感心して聞いていました。けれども英語の達者なこの女から呼ばれた西洋人はなかなか下りてきませんでした。女は泳げないんだか、泳ぎたくないんだか、胸から下を水に浸《つ》けたまま波の中に立っていました。するとさきへ下りたほうの西洋人が女の手を執って、深い所へ連れてゆこうとしました。女は身を竦《すく》めるようにして拒《こば》みました。西洋人はとうとう海の中で女を横に抱きました。女の跳《は》ねて水を蹴《け》る音と、その笑いながら、きゃっきゃっ騒ぐ声が、遠方まで響きました。(午前十時)」
「今度は下の座敷に芸《*》者を二人連れて泊まっていた男が端艇《ボート》を漕《こ》ぎに出てきました。この端艇《ボート》はどこから持ってきたか分《わか》りませんが、きわめて小さいかつすこぶる危《あや》しいものです。客は漕いでやるからと言って、芸者を乗せようとしますが、芸者のほうでは怖《こわ》いからと断わってなかなか乗りません。しかしとうとう客の意のとおりになりました。その時年の若いほうが、わざわざびっくりして見せる科《しな》が、よほど馬《ば》鹿《か》らしゅうございました。端艇《ボート》がそこいらを漕ぎ回って帰ってくると、年上の芸者が、宿屋のすぐ裏に繋いである和船に向かって、船頭はん、その船空《あ》いていまっか、と大きな声で聞きました。今度は和船の中に、御《ご》馳《ち》走《そう》を入れて、また海の上に出る相談らしいのです。見ていると、芸者が宿の下女を使って、麦酒《ビール》だの水菓子だの三《しや》味《み》線《せん》だのを船の中へ運び込ましておいて、しまいに自分たちも乗りました。ところが肝《かん》心《じん》のお客はよほど威勢の可《い》い男で、はるか向こうの方にまだ端艇《ボート》を漕ぎ回していました。誰《だれ》も乗せ手がなかったとみえて、今度は黒裸の浦の子僧を一人生捕《いけど》っていました。芸者はあきれた顔をして、しばらくその方を眺めていましたが、やがて根《こん》限《かぎ》りの大きな声で、阿呆と呼びました。すると阿呆と呼ばれた客が端艇《ボート》をこちらへ漕ぎ戻《もど》してきました。僕は面《おも》白《しろ》い芸者でまた面白い客だと思いました。(午前十一時)」
「僕がこんな煩《くだ》瑣《くだ》しいことを物珍しそうに報道したら、叔父さんは物《もの》数《ず》奇《き》だといってさだめし苦笑なさるでしょう。しかしこれは旅行のお蔭《かげ》で僕が改良した証拠なのです。僕は自由な空気とともに往来することをはじめて覚えたのです。こんな詰《つま》らない話を一々書く面《めん》倒《どう》を厭《いと》わなくなったのも、つまりは考えずに観《み》るからではないでしょうか。考えずに観るのが、今の僕にはいちばん薬だと思います。わずかの旅行で、僕の神経だか性癖だかが直ったといったら、直り方があまり安っぽくって恥ずかしいくらいです。が、僕はいまより十層倍も安っぽく母が僕を生んでくれたことを切望して已《や》まないのです。白帆が雲のごとく簇《むらが》って淡《あわ》路《じ》島《しま》の前を通ります。反対の側の松山の上に人《*ひと》丸《まる》の社《やしろ》があるそうです。人丸という人はよく知りませんが、閑《ひま》があったらついでだから行ってみようと思います」
結 末
敬太郎の冒険は物語に始まって物語に終わった。彼の知ろうとする世の中は最初遠くに見えた。近ごろは目の前に見える。けれども彼はついにその中にはいって、何事も演じ得ない門外漢に似ていた。彼の役割は絶えず受話器を耳にして「世間」を聴《き》く一種の探訪にすぎなかった。
彼は森本の口を通して放浪生活の断片を聞いた。けれどもその断片は輪郭と表面から成るきわめて浅いものであった。したがって罪のない面《おも》白《しろ》味《み》を、野性の好奇心に充《み》ちた彼の頭に吹き込んだだけである。けれども彼の頭の中の隙《すき》間《ま》が、瓦斯《ガス》に似た冒《ぼう》険《けん》譚《だん》で膨張した奥に、彼は人間としての森本の面《おも》影《かげ》を、夢《ゆめ》現《うつつ》のごとく見ることを得た。そうして同じく人間としての彼に、知識以外の同情と反感を与えた。
彼は田口という実際家の口を通して、彼が社会をいかに眺《なが》めているかを少し知った。同時に高等遊民と自称する松本という男からその人生観の一部を聞かされた。彼は親しい社会的関係によって繋《つな》がれていながら、まるで毛色の異なったこの二人の対照を胸に据《す》えて、いくぶんか己《おのれ》の世間的経験が広くなったような心持ちがした。けれどもその経験はただ広く面積の上において延びるだけで、深さはさほど増したとも思えなかった。
彼は千代子という女《によ》性《しよう》の口を通して幼児の死を聞いた。千代子によって叙せられた「死」は、彼が世間並みに想像したものと違って、美しい画《え》を見るようなところに、彼の快感を惹《ひ》いた。けれどもその快感のうちには涙が交じっていた。苦痛を逃《のが》れるために已《やむ》を得ず流れるよりも、悲哀をできるだけ長く抱《いだ》いていた意味から出る涙が交じっていた。彼は独身ものであった。小児に対する同情はきわめて乏しかった。それでも美しいものが美しく死んで美しく葬られるのは憐《あわ》れであった。彼は雛《ひな》祭《まつ》りの宵《よい》に生まれた女の子の運命を、あたかもお雛様のそれのごとく可《か》憐《れん》に聞いた。
彼は須永の口から一調子狂った母子《おやこ》の関係を聞かされて驚いた。彼も国元に一人の母を有《も》つ身であった。けれども彼と彼の母との関係は、須永ほど親しくない代りに、須永ほどの因果に纏《てん》綿《めん》されていなかった。彼は自分が子である以上、親子のあいだを解し得たものと信じて疑わなかった。同時に親子のあいだは平凡なものと諦《あきら》めていた。より込み入った親子は、たとい想像ができるにしても、いっこう腹には応《こた》えなかった。それが須永のために深く掘り下げられたような気がした。
彼はまた須永から彼と千代子との間柄を聞いた。そうして彼らは必《ひつ》竟《きよう》夫婦として作られたものか、朋《ほう》友《ゆう》として存在すべきものか、もしくは敵《かたき》として睨《にら》み合うべきものかを疑った。その疑いの結果は、半分の好奇と半分の好意を駆《か》って彼を松本に走らしめた。彼は案外にも、松本をただ舶来のパイプを銜《くわ》えて世の中を傍観している男でないと発見した。彼は松本が須永に対してどんな考えでどういう所置を取ったかを委《くわ》しく聞いた。そうして松本のそういう所置を取らなければならなくなった事情も審《つまび》らかにした。
顧みると、彼が学校を出て、はじめて実際の世の中に接触してみたいと志してから今日までの経歴は、単に人の話をそこここと聞き回って歩いただけである。耳から知識なり感情なりを伝えられなかった場合は、小川町の停留所で洋杖《ステツキ》を大事そうに突いて、電車から下《お》りる霜降りの外《がい》套《とう》を着た男が若い女といっしょに洋食屋にはいるあとを跟《つ》けたくらいのものである。それも今になって記憶の台に載せて眺《なが》めると、ほとんど冒険とも探険とも名付けようのない児戯であった。彼はそれがために位地にありつくことはできた。けれども人間の経験としては滑《こつ》稽《けい》の意味以外に通用しない。ただ自分にだけ真《ま》面《じ》目《め》な、行動にすぎなかった。
要するに人世に対して彼の有する最近の知識感情はこ《*》とごとく鼓膜の働きから来ている。森本に始まって松本に終わる幾席かの長話は、最初広く薄く彼を動かしつつ漸《*ぜん》々《ぜん》深く狭く彼を動かすに至って突如として已《や》んだ。けれども彼はついにその中にはいれなかったのである。そこが彼に物足らないところで、同時に彼の仕合わせなところである。彼は物足らない意味で蛇《へび》の頭を呪《のろ》い、仕合わせな意味で蛇の頭を祝した。そうして、大きな空を仰いで、彼の前に突如として已んだように見えるこの劇が、これからさきどう永久に流転してゆくだろうかを考えた。
(明治四五・一・二―四・二九)
注 釈
*大患 明治四十三年(一九一〇)八月の、修善寺での大患をさす。
*杳たる有様 暗くてはっきりしない様子。
*自然派 naturalismを主張する派。ゾラやモーパッサンなどが紹介され、西欧自然主義の影響のもとにわが国でも明治四十年(一九〇七)前後から大正二、三年(一九一三、四)にかけて、田山花袋・島崎藤村・徳田秋声・国木田独歩・正宗白鳥・真山青果らの作家が活躍し、自然派と呼ばれていた。
*象徴派 symbolismを主張する派。十九世紀末フランスに起こり西欧文芸全般に大きな影響を与え、やがてわが国にも紹介されたもの。上田敏・長谷川天渓・片山孤村・岩野泡鳴らが評論や実作でこれを示したが、主として詩歌の面でのことで小説では特定の流派としての存在は認められない。
*ネオ浪漫派 neo-romanticismを主張する派。メーテルリンク、ホフマンスタール、ゲオルグらを中心に二十世紀初頭ドイツ、オーストリアなどに起こった新文学運動で、十九世紀末のフランスのデカダンス、象徴主義などを先駆としたもの。わが国では、明治四十三年(一九一〇)ごろから森鴎外を中心とじた「スバル」の同人たちや、上田敏・永井荷風・谷崎潤一郎・佐藤春夫らの人々をも含めたーつの潮流として認められる。
*験 ききめ。効果。
*自分と 自分から進んで。
*目を眠ってしまった 目をつむってしまった。目を閉じてしまった。
*敷島 専売制実施後最初に発売された四種の巻きたばこの一つ。明治三十七年(一九〇四)六月二十九日より発売され、二十本入り八銭であった。
*留め桶 銭湯などで用いる湯くみ桶。
*垢擦りを掛けさせて へちまの実の繊維などで垢を擦り落とさせること。
*盆鎗 当て字。別の所では「茫乎」「盆槍」とも書いている。
*海豹島 樺太の属島で、東北から西南に伸び、長さ七百メートル、幅七十五メートル。おっとせいの繁殖地として知られる。
*安質莫尼 antimony(英)。金属元素の一つ。青みを帯びた銀白色の光沢があり、合金にして活字や 器物の鋳造に用いる。
*呑み口会社 明治四十四年(一九一一)十一月十一日の日記に、「佐藤さんから錦織剛正の話を聞いた」として、この男が種々の商売をしたーつとして、「それから飲み口の製造所を造った。のみ口というものは専門家でなくてはできなくてその専門家は東京に十五、六人しかいないその他は大阪にいるというので、それらを雇い集めて『のみぐち』製造会社を作った。ところが一年ほどして職工がストライキをやって滅《め》茶《ちや》滅《め》茶《ちや》になってしまった」とある。
*筑摩川 千《ち》曲《くま》川。甲《こ》武《ぶ》信《し》岳から長野市を経て新潟県にはいり信《し》濃《なの》川と呼ばれている。
*戸隠山 長野県北部信越国境にある。中世以来戸隠三千坊と称し、修験道の大道場があった。
*座頭 剃《てい》髪《はつ》した盲人で、琵《び》琶《わ》・筝《そう》・三味線をひいて歌を歌ったり、按《あん》摩《ま》・鍼《しん》治《じ》などを業とする者。
*耶馬渓 大分県北部の山国川渓谷の称。奇岩のそびえる景勝地。
*羅漢寺 大分県下《しも》毛《げ》郡本《ほん》耶馬渓町にある寺。境内には五百羅漢の石像が安置されている。漱石はこの地を明治三十二年(一八九九)に旅行している。
*弁口 巧みな言いぶり。
*児玉音松 明治四十五年(一九一二)五月二十七日東京朝日新聞によると、「日本人南洋発展の先覚者として、南洋に在《あ》ること十数年、具《つぶさ》に瘴《しやう》煙《えん》蛮《ばん》雨《う》の中を跋《ばつ》渉《しやう》し、前後二回その壮烈なる冒《ぼう》険《けん》譚《たん》を本紙に寄せたる探険家児玉音松氏は、昨年来福岡にて病気療養中なりしが二十四日午後六時ついに永眠せり」とある。
*文官試験 高等文官試験。外交官や判事・検事・弁護士などになるための資格試験で、昭和二十三年(一九四八)、旧制は廃止になった。
*ハバナ Habana キューバ共和国の首都および港の名。同地産の葉巻たばこは有名である。
*スマタラ産の黒猫 東南アジアのジャワとマレーにはさまれた Sumatra 島産の黒猫。
*実際の算盤に取り掛かった 実行するにあたっての経済上の損失を調べ始めた。
*嗜欲 好んで求める傾向。
*糊口 「口を糊《のり》する」、つまり粥《かゆ》をすするという意味から出た言葉で、生計。
*不断の顔 平常な顔。あたりまえの顔。
*山気 一山あててやろうというような野心。
*憮然 がっかりするさま。
*併呑自若 清濁あわせのみ、どっしりと落ち着いていること。
*蹴なして 普通「貶す」と書く。
*用場 かわや。便所。
*たるい目付 だるい目付。眠そうな目付。
*痛振られる 「甚振《いたぶ》る」は、ひどく揺れること。「痛」は当て字。
*不中用 「やくざ」は、役にたたぬこと、用をなさぬことをいう。それに「用いるに中《あた》らず」の漢字を当てたもの。ここは、まともでないぐらいの意味。
*常調 普通の調子。
*巧者に 巧みに。上手に。
*羅宇 laos インドシナ半島中央部のラオスから渡来した黒《こく》斑《はん》竹《ちく》で、長きせるの火ざらと吸い口の間に用いる。
*疳違い 普通「勘違い」と書く。
*黄八丈 伊豆八丈島産の布地で、黄色の地にとび色または茶色の縞《しま》がある。
*雷獣 晴天の日には弱々しいが、風雨とともに勢いが強くなって、雲に乗って飛び、落雷とともに地に落ちて人畜に害をするといわれる想像上の怪獣。「木《き》貂《てん》」ともいう。
*まさかに いくらなんでも。まさか。
*長春とかにある博打場 明治四十二年(一九〇九)九月から十月にかけて満韓旅行をした漱石は九月二十四日にここを訪れ、日記に、「大重氏至る。藤井至る。両氏の案内にて博奕《ばくち》場《ば》を見る。十二、三か所あり。大きな家のなかに幾か所もある奴《やつ》が一か所ある。八《や》釜《かま》しき事限りなし……」としるしている。
*退嬰主義 ひっこみじあんになりがちな傾向。
*主計官 旧陸海軍で会計や給与などを取り扱った役人。
*貨殖の道 財産をふやす方法。
*手斧目 ておので削ったあと。わざとこのようなあとをつくっていきな趣向を凝らす。
*忍び返し 塀《へい》などの上部に、どろぼうなどがはいるのを防ぐために竹・木・鉄棒などの先を鋭くして連ねたもの。
*鷺草 さぎぐさ。「さぎごけ」ともいう。田のあぜや道ばたにはえた十センチぐらいの高さで、春から夏にかけて淡紫色の花が咲く。
*紅葉を引き手に張り込んだ障子 紅葉の葉を障子の手をかけて引く部分に張り込んで、その形が浮いて見えるように趣向したもの。
*仲働き 奥向きと勝手向きとの間の雑用をする女中。下働きに対する言葉。
*含嗽剤 うがい薬。
*黒八丈 もと八丈島産の黒色無地の厚い絹布で、織目が高くなっているもの。男ものの着物の袖《そで》口《ぐち》やじゅばんの襟《えり》に用いる。
*郷党 郷里の仲間。
*宮戸座 浅草千束町にあった劇場。
*代言 代言人。弁護士のこと。
*実地小説 小説にでも出てきそうな実際の事がら。
*枯れ松葉で敷き詰めた景色 敷き松葉といわれるもので、霜よけのため枯れ松葉を庭に敷く。
*江戸式の開化 江戸時代にでき上がって洗練された趣味や風習。
*黒い蔵造り 黒壁の土蔵の家。
*蠣殻町の水天宮様 中央区日本橋蠣殻町にあり、安徳天皇・建礼門院・仁位尼(平時子)を祭ってある。もと、三田の久留米藩主有馬氏屋敷内にあったものを維新後赤坂に移しさらに明治五年(一八七二)現在の地に移した。四月十日、および毎月一、五、十五の日は縁日でにぎわう。
*深川の不動様 江東区深川公園内にある不動尊の御《み》堂《どう》。
*鉄無地 鉄色に染めた糸で織った布地。
*歌舞伎を当世に崩して往来へ流した匂のする町内 歌舞伎の舞台に相通じるような江戸情緒がまだ濃厚に残っている下町の情景を表現したもの。
*単簡 「簡単」と同じ。
*漂浪者 vagabond(英)。
*セル serge(英)。羊毛を原料とした紡毛または梳《そ》毛《もう》の織物。サージともいう。
*見付きほど 外観ほど。
*双子の綿入れ 二本の糸をより合わせたものを用いて織った布を双子織といい、その布で仕立てた綿入れの着物。
*横風 普通「大風」と書く。尊大。おごり高ぶったようす。
*平仄の合わない捨て台詞 つじつまの合わない放言。
*佐倉 佐倉炭。千葉県佐倉地方より産するくぬぎを焼いた良質の炭。
*シキとかいう白い絹 檀《だん》紙《し》(厚手で白くちりめんのようにしわのある和紙)のことを「ひき」ともいうので、それの訛《か》音《おん》か。
*唐桑 中国渡来の桑の木材。「とうぐわ」ともいう。
*古渡りの更紗玉 室町時代以前に渡来したものをすべて「古渡り」という。「更紗玉」は琉球あたりに産する五彩の美しい螺《ら》貝《がい》。
*飄気た おどけた。
*とぐろばかり巻きたがって 「とぐろを巻く」とは、へひがとぐろを巻いて動かないように、何事もせずなまけ暮らすこと。
*間怠さ 手ぬるさ。のろくささ。
*屈託 疲れて飽き飽きすること。
*お切買 普通「お節介」と書く。
*御封 護符。守り札。
*降巫 市子。生霊や死霊にかわってその意志を述べる女。または、その現象。
*方位九星 陰陽家で、九曜星を五行および方位に配して、これを人の生年にあてて吉凶を判断するもの。
*乾 北西の方角。
*弓張り提灯 弓を張ったように竹を曲げ、その間に提灯を開くように作ったもの。
*筮竹 占いに用いる五十本の竹。もとはめどぎの茎を用いた。
*生薬屋 漢方薬の店。薬種屋。
*門跡 浅草門跡。浅草松清町にある東本願寺別院の俗称。
*奴鰻 浅草田原町にあった鰻料理屋の屋号。
*長井兵助 浅草蔵前の住人で、代々居合い抜きをして人を集め、歯みがきや陣中膏《こう》がまの油を売っていた。明治中期ごろの十一代目まで続いたという。
*豆蔵 長井兵助と同様浅草に代々住み、手品・曲芸などで人々の人気を集めた芸人。
*草双紙の画解き 江戸中期から後期にかけて流行した絵本で、表紙の色によって赤本・黒本・青本などがあり、いずれも女や子供向きの平俗なものであった。「画解き」はその絵についている説明。
*児雷也 中国明《みん》代の小説中の人物怪盗我来也の翻案によるがまの妖《よう》術《じゆつ》をつかう怪盗で、草双紙・歌《か》舞《ぶ》伎《き》などの材料にされた。
*平突張った 平伏した。
*妖嬌陸離 「妖嬌」は、人を悩ますほど美しくあでやかなこと。「陸離」は、光彩の入り乱れてきらめくさま。
*十八間の本堂 浅草観音は、一寸八分の本尊が十八間の本堂に安置されている。
*ルナパーク Lunar park(英)。「月の公園」の意で、夜間娯楽場をいったもの。
*お賓頭顱 梵《ぼん》語《ご》で不動の意。十六羅《ら》漢《かん》の筆頭で、俗間ではこの像をなでて祈れば疾病が快《かい》癒《ゆ》すると信じられている。
*割り書き 二行に分けて書く文句。
*文銭占い 「文銭」は、寛永通宝の一つで、京都方広寺の大仏をくずして鋳造した銅銭。この銭を投げてその表裏の出方によって物事を占うもの。
*差し掛け 母屋《おもや》の軒続きにひさしのように差し出して日よけとしたもの。
*香煎 大唐《あか》米《ごめ》のこがしたものに、陳皮、茴《うい》香《きよう》などの香料を混ぜ合わせた粉で、湯を注いで飲む。
*算木 長さ約三寸の正方柱体の木で六個あり、横の四面を陰陽にあて、笙竹とともに占いに用いる。
*繊麗 普通「華奢」と書く。
*案排しき 普通「按排」と書く。
*縁喜にして 普通「縁起」と書く。吉例にして。よい前兆として。
*案の上 普通「案の定」と書く。
*法学協会雑誌 明治十七年(一八八四)創刊以来現在まで続いている東大法学部所属の法学協会機関誌。
*瘧 おこり。わらわやみ。発熱の発作が終わるとうそのように静かになる。
*琥珀 地質時代の樹脂などが地中に埋没してできた黄色の透明または半透明の鉱物。装飾品に用いる。
*瑪瑙 石英・玉髄・たんぱく石などの混合したもので、他の鉱物質の混入によって赤かっ色や白色の縞模様ができている。
*紫水晶 紫石英。紫色の水晶。
*翡翠の根懸け 「翡翠」は、翠緑色の硬玉でビルマやチベットなどで産する。「根懸け」は、髪のもとどりの末の部分に掛ける装飾品。
*孔雀石の緒締め 「孔雀石」は、銅・炭酸基・水酸基を成分とする、くじゃくの羽に似た緑色で光沢 のある鉱物。「緒締め」は、袋物の口を閉じる緒の締め具。
*リンクス rings(英)。環状をした装飾品。
*唐木細工 紫《し》檀《たん》・黒檀・白檀など熱帯産の木材で作った花台や机・茶だななど。
*唐物屋 中国や他の諸外国から渡来した品物を売る店。洋品店。
*指標 finger post(英)。道しるべ。
*ポイントマン Pointsman(英)。軌道の切り替えをする転《てん》轍《てつ》手《しゆ》。東京市電の始めのころ、交差点などではポイントマンとともに信号手が旗で合い図をしていた。
*廂髪 明治三十七年(一九〇四)ごろから若い女の間に流行した西洋ふうのヘアスタイルの一種で、前髪と鬢《びん》とを前方へ出して結った束髪。
*枝珊瑚 枝状をした珊瑚樹。
*漠とした とりとめのない。はっきりしない。
*勘定 普通「鑑定」と書く。
*ビル bill(英)。勘定書。請求書。
*焼点 普通「焦点」と書く。
*洋妾 日本の女で西洋人のめかけになった者を卑しめて呼ぶ。
*長者 年長者。目上の人。
*下町出の旦那 下町出身の気さくな商家の主人など。
*行拶 行きがかり。経緯。
*垂味《たるみ》のできた気分 「垂味」は、当て字。くつろいだ気分。
*黒人 普通「玄人」と書く。
*土橋の大寿司流 中央区銀座八丁目の橋のそばにあった寿司屋「大寿司」の看板に書かれていた字のような、あまり上手でない字。
*コスメチック cosmetic(英)。頭髪に塗って形を整える化粧品。ロマンチックの語《ご》呂《ろ》に合わせたもの。
*念晴らし 心にわだかまっていることを解決すること。
*話しばい 「話しばえ」の訛音。
*更紗の模様 人物・鳥獣・花などを模様化して絹布などに捺《なつ》染《せん》したもの。
*上足袋 普通の白足袋の上に重ねてはく足袋。
*ゴーリキ Maksim Gorkii(一八六八―一九三六)。本名Aleksei Maksimovich Peshkov. ソ連の作家。プロレタリア文学の父とされ、その戯曲「どん底」はわが国でも親しまれているものの一つ。
*月代 男が冠の下にあたる額ぎわを半月形にそったことから起こった言葉。
*陣太鼓 巴紋のついた陣太鼓は、忠臣蔵で討ち入りの際大石内蔵《くらの》助《すけ》が用いた山《やま》鹿《が》流《りゆう》太鼓として有名。
*樒 もくれん科の有毒常緑低木。葉と樹皮から抹《まつ》香《こう》を作る。別名、仏前草。
*経帷子 死人に着せる白い着物。
*袖屏風 袖を上げて顔をおおい隠すこと。
*白綸子 経・緯ともに生糸を用いた、厚くなめらかで光沢がある紋織物が「綸子」で、その白いものを「白綸子」という。
*友引は善くない 陰陽家でいう友引日で、俗信ではこの日に葬式をすると死人を誘うといわれている。
*通夜僧 明治四十四年(一九一一)十二月二日の日記にこの部分に照応する事がらがしるしてある。
*三部経 仏教各宗で特に尊崇する三部の経で、「法《ほ》華《け》三部経」「浄土三部経」などがある。
*和讃 仏や高僧の徳をたたえる詩で、特に、梵《ぼん》讃《さん》・漢讃に対し国語で行なう和語賛嘆をいう。七五調四句を一連として連ねていくもので、平安中期に盛んとなり、弘《こう》法《ぼう》大師作といわれる「いろは讃」もその一つである。
*穴八幡 新宿区西早稲田二丁目にある高田八幡神社の俗称。虫封じの護符で有名。癇癖もちの漱石もこの護符の厄介になった。
*諏訪の森 新宿区諏訪町にある諏訪神社の森。
*散髪 乱髪。ざんばら髪。
*御坊 「隠亡」「隠坊」とも書く。墓のもりをしたり、死《し》骸《がい》を焼いたりする者。
*吹き晴らし 「吹き晴る」は、風が吹いて空が晴れることであるが、ここは、吹きさらしのこと。
*川甚 帝釈天(題経寺)の裏通りの川魚料理屋の名。
*輻湊 物事が一か所にこみ合うこと。
*姑息 一時のまにあわせ。一寸のがれ。
*会には 普通「適」「偶」の字を用いる。
*気随 気まま。身がって。
*一帳場 普通「一丁場」「一町場」と書き、ある宿場から次の宿場までの距離をいう。
*花卉 観賞用植物。草花。
*ダヌンチオ Gabriele D'Annunzio (一八六三―一九三八)。イタリアの詩人・作家。世紀末耽《たん》美《び》派の一人。第一次世界大戦当時愛国的な詩を書き、戦場にも出た。『楽園の詩』『死の勝利』などの作がある。
*詩と哲学の区別 明治四十四年(一九一一)の断片に、「Art ハ philosophy ヲ含ム、Philosophy itself ハ life ヲ構成スルガ phylosophy ハ living power ニナラナイ」などとある。
*辻占 あぶり出しなどの方法で、紙に現われるしるしによって事の吉凶を占うもの。
*晒干して 汗などで湿っているのを風にさらして干して。
*口実 言い分。「言い前」とも書く。
*迂遠い 「疎い」に当てたもの。迂《う》闊《かつ》で気がつかないこと。
*興津鯛 静岡県の清見潟にのぞむ興津町で産するあまだい。
*一塩の小鯵 軽く一回塩につけた小鯵。
*風を望んで降るような旨い話 「天下莫 《シ》レ不 《ル》二望 《ミテ》レ風 《ヲ》而靡 《カ》一」(漢書、杜欽伝)。すべてが順調にいくといううまい話。
*静御前の笠 「静御前」は、源義《よし》経《つね》の愛人。「笠」は、市《いち》女《め》笠《がさ》をさすと思われる。平安中期以来上流婦人が外出にかぶった中高の漆塗りの笠。
*小坪 神奈川県逗子市にある地名。
*俎下駄 まないたのように無骨なかっこうをしたこまげた。
*月琴弾き 月琴をひいて門づけをして歩く人。「月琴」は、中国から渡来した琵《び》琶《わ》に似てそれより小さい楽器。胴は丸く四弦八柱である。
*道理で 「どうりで」のなまり。
*危怪 普通「奇怪」と書く。
*纏を撤したような心持ち 中途はんぱなおさまりのつかない心持ち。「纏」は、火消し人足の旗印。火消しは常にこれとともに行動する。
*詩に訴えてのみ世の中を渡らない 詩的情熱に徹し切れない。
*詩に涸れて乾びた 詩的情熱を失って、みずみずしさがなくなった。
*ゲダンケ Gedanke ロシアの作家アンドレーエフ(Leonid Nikolaevich Andreev, 一八七一―一九一九)の作品『思想』のドイツ訳 "Der Gedanke und Andere Novellen" 漱石の蔵書中にある。
*瘋癲院 精神病院。
*僕の頭は僕の胸を抑える 物事を考え込む性質が心情の自由な発露をおさえる。
*扞格 隔たり逆らうこと。互いにあいいれないこと。
*満腔 満身。からだじゅう。
*何うかあるかい どうかなっているかい。
*一筆がきの朝貌 墨継ぎをせずに一筆でかいた朝顔の絵。淡白なあっさりしたもののたとえ。
*日の限り掛けた 日のかげりかけた。
*豆やかに 「豆」は、当て字。まめに。
*岐阜提灯 岐阜特産の提灯。盆に仏前に供えるため盆提灯ともいわれる。細い骨に薄い紙で作られ、夏につるして涼味を添える。
*技巧 明治四十四年(一九一一)の断片に、「○ Art 女ノ言語動作」とある。これは「行人」のテーマの一つでもある。
*のつそつ 伸《の》っつ反《そ》っつ。からだを伸ばしたり、そらしたり。
*媒鳥 「おきどり」(招鳥)の略。他を誘い寄せるために利用するもの。
*中有 「中《ちゆ》有《うう》」は、元来人が死んで次に生を受けるまでの間をいうが、これを中途はんぱの意味に用いる。
*髪結 「かみゆい」のなまり。
*目出度い口振り あいそうのよいしゃべりかた。
*僻見 かたよった見解。
*齷齪 普通「あくせく」という。
*マジョリカ majolica イタリアで十五世紀に発達した金属光彩をもつ陶器。
*因循 進歩向上の気力のないこと。
*雅量 度量が広く、他人のあやまちを大目に見ること。
*内へとぐろを捲き込む性質 へびが渦巻き状に身を巻くように、自分の内面に沈潜する性質。内攻性。
*命根 生命の根本。命の源。
*翩々たる軽薄才子 「翩々」は、風にひるがえる様子。軽々しいお調子者。
*好尚 好み。
*超然生活 世間の俗事にこだわらない生活。
*執拗 「しつよう」とも読む。うるさくまつわること。
*決答 決定的な答え。はっきりした答え。
*現代の日本の開化 明治四十四年(一九一一)八月和歌山で漱石自身が行なった講演「現代日本の開化」。
*神経 「気転」に当てたものか。ここは、思い過ごし、の意味。
*鎮経剤 鎮静剤。神経をしずめる薬。
*明石 明治四十四年(一九一一)八月十二日の日記によると、漱石は、午後八時三十分に明石着。衝濤館という宿に泊まっている。神戸市の西隣の海岸沿いの街《まち》で、向かいに淡路島が見える、万葉時代以来の景勝の地である。
*綾瀬川 荒川と隅田川をつないで足立区を流れる川。
*銅壺 銅・鋳鉄などで作った湯沸かし器。かまどに塗り込んだり、長火ばちの灰の中に埋め込んで用いる。
*幇間 客の宴席に出て遊興を助ける男。たいこ持ち。
*驕奢 おごり。ぜいたく。
*芸者 明治四十四年(一九一一)八月十三日の日記に明石で一夜泊まった翌朝のことがしるしてあり、芸者・西洋人の話が出ている。
*人丸の社 兵庫県明石市の明石城のほとりにあり、万葉歌人柿本《かきのもとの》人《ひと》麻《ま》呂《ろ》を祭ってある。「ほのぼのと明石のうらの朝霧にしまかくれゆく舟をしぞ思ふ」は、ここでの作である。
*ことごとく鼓膜の働きから来ている 他人の話を耳から聞いたのであって、自分の体験そのものによるのではない、の意味。
*漸々 だんだん。しだいに。
彼《ひ》岸《がん》過《すぎ》迄《まで》
夏《なつ》目《め》漱《そう》石《せき》
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平成13年1月12日 発行
発行者 角川歴彦
発行所 株式会社 角川書店
〒102-8177 東京都千代田区富士見2-13-3
shoseki@kadokawa.co.jp
本電子書籍は下記にもとづいて制作しました
角川文庫『彼岸過迄』昭和30年8月10日初版刊行
平成10年5月30日改訂22版