TITLE : 坊っちゃん
本作品の全部または一部を無断で複製、転載、配信、送信したり、ホームページ上に転載することを禁止します。また、本作品の内容を無断で改変、改ざん等を行うことも禁止します。
本作品購入時にご承諾いただいた規約により、有償・無償にかかわらず本作品を第三者に譲渡することはできません。
本文中に「*」が付されている箇所には注釈があります。「*」が付されていることばにマウスポインタを合わせると、ポインタの形が変わります。そこでクリックすると、該当する注釈のページが表示されます。注釈のページからもとのページに戻るには、「Ctrl」(Macの場合は「コマンド」)キーと「B」キーを同時に押すか、注釈の付いたことばをクリックしてください。
目次
坊っちゃん
注 釈
坊っちゃん
一
親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしている。小学校にいる時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜かしたことがある。なぜそんなむやみをしたと聞く人があるかもしれぬ。べつだん深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人《ひとり》が冗談、にいくらいばっても、そこから飛び降りることはできまい。弱虫やーい。とはやしたからである。小使におぶさって帰ってきた時、おやじが大きな目をして二階ぐらいから飛び降りて腰を抜かすやつがあるかと言ったから、この次は抜かさずに飛んでみせますと答えた。
親類のものから西洋製のナイフをもらってきれいな刃を日にかざして、友だちに見せていたら、一人が光ることは光るが切れそうもないと言った。切れぬことがあるか、なんでも切ってみせると受け合った。そんなら君の指を切ってみろと注文したから、なんだ指ぐらいこのとおりだと右の手の親指の甲をはすに切り込んだ。さいわいナイフが小さいのと、親指の骨が堅かったので、いまだに親指は手についている。しかし創《きず》痕《あと》は死ぬまで消えぬ。
庭を東へ二十歩に行きつくすと、南上がりにいささかばかりの菜園があって、まん中に栗《くり》の木《*》が一本立っている。これは命より大事な栗だ。実の熟する時分は起き抜けに背《せ》戸《ど》を出て落ちたやつを拾ってきて、学校で食う。菜園の西側が山《やま》城《しろ》屋《や*》という質屋の庭続きで、この質屋に勘《かん》太《た》郎《ろう》という十三、四の悴《せがれ》がいた。勘太郎はむろん弱虫である。弱虫のくせに四つ目垣《がき》を乗りこえて、栗を盗みにくる。ある日の夕方折戸の蔭《かげ》に隠れて、とうとう勘太郎を捕《つら》まえてやった。その時勘太郎は逃げ路《みち》を失って、一生懸命に飛びかかってきた。向こうは二つばかり年上である。弱虫だが力は強い。鉢《はち》の開いた頭を、こっちの胸へあてて、ぐいぐい押した拍子に、勘太郎の頭がすべって、おれの袷《あわせ》の袖《そで》の中にはいった。じゃまになって手が使えぬから、むやみに手を振ったら、袖の中にある勘太郎の頭が、左右へぐらぐらなびいた。しまいに苦しがって袖の中から、おれの二の腕へ食いついた。痛かったから勘太郎を垣根へ押しつけておいて、足《あし》搦《がら》をかけて向こうへ倒してやった。山城屋の地面は菜園より六尺がた低い。勘太郎は四つ目垣を半分くずして、自分の領分へまっさかさまに落ちて、ぐうと言った。勘太郎が落ちるときに、おれの袷の片袖がもげて、急に手が自由になった。その晩母が山城屋に詫《わ》びに行ったついでに袷の片袖も取り返してきた。
このほかいたずらはだいぶやった。大《だい》工《く》の兼《かね》公《こう》と肴《さかな》屋《や》の角《かく》をつれて、茂《も》作《さく》の人《にん》参《じん》畠《ばたけ》をあらしたことがある。人参の芽が出そろわぬところへ藁《わら》がいちめんに敷いてあったから、その上で三人が半日相《す》撲《もう》をとりつづけにとったら、人参がみんな踏みつぶされてしまった。古《ふる》川《かわ》の持っている田《たん》圃《ぼ》の井戸を埋めて尻《しり》を持ち込まれた《*》こともある。太い孟《もう》宗《そう》の節《ふし》を抜いて、深く埋めた中から水がわき出て、そこいらの稲に水がかかるしかけであった。その時分はどんなしかけか知らぬから、石や棒ちぎれをぎゅうぎゅう井戸の中へさし込んで、水が出なくなったのを見届けて、うちへ帰って飯を食っていたら、古川がまっかになってどなり込んできた。たしか罰金を出してすんだようである。
おやじはちっともおれをかわいがってくれなかった。母は兄ばかりひいきにしていた。この兄《*》はやに色が白くって、芝《しば》居《い》のまねをして女《おんな》形《がた》になるのが好きだった。おれを見るたびにこいつはどうせろくなものにはならないと、おやじが言った。乱暴で乱暴で行く先が案じられると母が言った。なるほどろくなものにはならない。御覧のとおりの始末である。行く先が案じられたのも無理はない。ただ懲役に行かないで生きているばかりである。
母が病気で死ぬ《*》二《に》、三《さん》日《ち》まえ台所で宙返りをしてへっついの角《かど》で肋《あばら》骨《ぼね》をうって大いに痛かった。母がたいそうおこって、お前のようなものの顔は見たくないと言うから、親類へ泊まりに行っていた。するととうとう死んだという報知《しらせ》が来た。そう早く死ぬとは思わなかった。そんな大病なら、もう少しおとなしくすればよかったと思って帰ってきた。そうしたら例の兄がおれを親不孝だ、おれのために、おっかさんが早く死んだんだと言った。くやしかったから、兄の横っ面《つら》を張ってたいへんしかられた。
母が死んでからは、おやじと兄と三人で暮らしていた。おやじはなんにもせぬ男で、人の顔さえ見れば貴様はだめだだめだと口癖のように言っていた。何がだめなんだかいまにわからない。妙なおやじがあったもんだ。兄は実業家になるとかいってしきりに英語を勉強していた。元来女のような性分で、ずるいから、仲がよくなかった。十日に一ぺんぐらいの割で喧《けん》嘩《か》をしていた。ある時将《しよう》棋《ぎ》をさしたら卑《ひ》怯《きよう》な待《まち》駒《ごま》をして、人が困るとうれしそうにひやかした。あんまり腹がたったから、手にあった飛《ひ》車《しや》を眉《み》間《けん》へたたきつけてやった。眉間が割れて少々血が出た。兄がおやじに言いつけた。おやじがおれを勘《かん》当《どう》すると言いだした。
その時はもうしかたがないと観念して、先方の言うとおり勘当されるつもりでいたら、十年来召し使っている清《きよ》という下女《*》が、泣きながらおやじにあやまって、ようやくおやじの怒りが解けた。それにもかかわらずあまりおやじをこわいとは思わなかった。かえってこの清という下女に気の毒であった。この下女はもと由《ゆい》緒《しよ》のあるものだったそうだが、瓦《が》解《かい*》のときに零《れい》落《らく》して、つい奉公までするようになったのだと聞いている。だから婆《ばあ》さんである。この婆さんがどういう因縁か、おれを非常にかわいがってくれた。不思議なものである。母も死ぬ三日まえに愛《あい》想《そ》をつかした――おやじも年じゅうもてあましている――町内では乱暴者の悪《あく》太《た》郎《ろう》と爪《つま》弾《はじ》きをする――このおれをむやみに珍重してくれた。おれはとうてい人に好かれるたちでないとあきらめていたから、他人から木の端《はし》のように取り扱われるのはなんとも思わない、かえってこの清のようにちやほやしてくれるのを不審に考えた。清は時々台所で人のいない時に「あなたはまっすぐでよい御気性だ」とほめることが時々あった。しかしおれには清のいう意味がわからなかった。いい気性なら清以外のものも、もう少しよくしてくれるだろうと思った。清がこんなことを言うたびにおれはお世辞はきらいだと答えるのが常であった。すると婆さんはそれだからいい御気性ですと言っては、うれしそうにおれの顔をながめている。自分の力でおれを製造して誇ってるようにみえる。少々気味がわるかった。
母が死んでから清はいよいよおれをかわいがった。時々は子供心になぜあんなにかわいがるのかと不審に思った。つまらない、よせばいいのにと思った。気の毒だと思った。それでも清はかわいがる。おりおりは自分の小《こ》遣《づか》いで金《きん》鍔《つば*》や紅《こう》梅《ばい》焼《やき*》を買ってくれる。寒い夜などはひそかに蕎《そ》麦《ば》粉《こ》を仕入れておいて、いつのまにか寝ている枕《まくら》元《もと》へ蕎麦湯《*》を持ってきてくれる。時には鍋《なべ》焼《やき》饂《う》飩《どん》さえ買ってくれた。ただ食い物ばかりではない。靴《くつ》足《た》袋《び*》ももらった、鉛筆ももらった。帳面ももらった。これはずっとあとのことであるが、金を三円ばかり貸してくれたことさえある。なにも貸せと言ったわけではない。向こうで部《へ》屋《や》へ持ってきてお小遣いがなくてお困りでしょう、お使いなさいと言ってくれたんだ。おれはむろんいらないと言ったが、ぜひ使えと言うから、借りておいた。実はたいへんうれしかった。その三円を蝦《が》蟇《ま》口《ぐち》へ入れて、懐《ふところ》へ入れたなり便所へいったら、すぽりと後《こう》架《か》の中へ落としてしまった《*》。しかたがないから、のそのそ出てきて実はこれこれだと清に話したところが、清はさっそく竹の棒を捜してきて、取ってあげますと言った。しばらくすると井戸端でざあざあ音がするから、出て見たら竹の先へ蝦蟇口の紐《ひも》を引きかけたのを水で洗っていた。それから口をあけて壱円札を改めたら茶色になって模様が消えかかっていた。清は火《ひ》鉢《ばち》でかわかして、これでいいでしょうと出した。ちょっとかいでみて臭いやと言ったら、それじゃお出しなさい、取り換えてきてあげますからと、どこでどうごまかしたか札の代わりに銀貨を三円持ってきた。この三円は何に使ったか忘れてしまった。いまに返すよと言ったぎり、返さない。今となっては十倍にして返してやりたくても返せない。
清が物をくれる時には必ずおやじも兄もいない時に限る。おれは何がきらいだといって人に隠れて自分だけ得をするほどきらいなことはない。兄とはむろん仲がよくないけれども、兄に隠して清から菓子や色鉛筆をもらいたくはない。なぜ、おれ一人にくれて、兄《にい》さんにはやらないのかと清に聞くことがある。すると清はすましたものでお兄《あにい》様《さま》はお父《とう》様《さま》が買っておあげなさるからかまいませんと言う。これは不公平である。おやじは頑《がん》固《こ》だけれども、そんなえこひいきはせぬ男だ。しかし清の目から見るとそう見えるのだろう。まったく愛におぼれていたに違いない。元は身分のあるものでも教育のない婆さんだからしかたがない。単にこればかりではない。ひいき目は恐ろしいものだ。清はおれをもって将来立身出世してりっぱなものになると思い込んでいた。そのくせ勉強をする兄は色ばかり白くって、とても役にはたたないと一人できめてしまった。こんな婆さんにあってはかなわない。自分の好きなものは必ずえらい人物になって、きらいなひとはきっと落ちぶれるものと信じている。おれはその時からべつだん何になるという了見もなかった。しかし清がなるなると言うものだから、やっぱり何かになれるんだろうと思っていた。今から考えるとばかばかしい。ある時などは清にどんなものになるだろうと聞いてみたことがある。ところが清にもべつだんの考えもなかったようだ。ただ手《て》車《ぐるま*》へ乗って、りっぱな玄関のある家をこしらえるに相違ないと言った。
それから清はおれがうちでも持って独立したら、いっしょになる気でいた。どうか置いてくださいと何べんもくり返して頼んだ。おれもなんだかうちが持てるような気がして、うん置いてやると返事だけはしておいた。ところがこの女はなかなか想像の強い女で、あなたはどこがお好き、麹《こうじ》町《まち*》ですか麻《あざ》布《ぶ*》ですか、お庭へぶらんこをおこしらえあそばせ、西洋間は一つでたくさんですなどとかってな計画を一人で並べていた。その時は家なんかほしくもなんともなかった。西洋館も日本建もまったく不用であったから、そんなものはほしくないと、いつでも清に答えた。すると、あなたは欲がすくなくって、心がきれいだと言ってまたほめた。清はなんと言ってもほめてくれる。
母が死んでから五、六年のあいだはこの状態で暮らしていた。おやじにはしかられる。兄とは喧嘩をする。清には菓子をもらう、時々ほめられる。べつに望みもない。これでたくさんだと思っていた。ほかの子供も一概にこんなものだろうと思っていた。ただ清が何かにつけて、あなたはおかわいそうだ、ふしあわせだとむやみに言うものだから、それじゃかわいそうでふしあわせなんだろうと思った。そのほかに苦になることは少しもなかった。ただおやじが小遣いをくれないには閉口した。
母が死んでから六年目の正月におやじも卒中でなくなった《*》。その年の四月におれはある私立の中学校を卒業する。六月に兄は商業学校を卒業した。兄はなんとか会社の九州の支店に口があって行かなければならん。おれはまだ東京で学問をしなければならない。兄は家を売って財産をかたづけて任地へ出立すると言いだした。おれはどうでもするがよかろうと返事をした。どうせ兄のやっかいになる気はない。世話をしてくれるにしたところで、喧嘩をするから、向こうでもなんとか言いだすにきまっている。なまじい保護を受ければこそ、こんな兄に頭を下げなければならない。牛乳配達をしても食ってられると覚悟をした。兄はそれから道具屋を呼んできて、先祖代々のがらくたを二束三文に売った。家屋敷はある人の周旋である金満家に譲った《*》。このほうはだいぶ金になったようだが、詳しいことはいっこう知らぬ。おれは一か月以前から、しばらく前途の方向のつくまで神《かん》田《だ》の小《お》川《がわ》町《まち*》へ下宿していた。清は何十年いたうちが人手に渡るのを大いに残念がったが、自分のものでないから、しようがなかった。あなたがもう少し年をとっていらっしゃれば、ここが御相続ができますものをとしきりにくどいていた。もう少し年をとって相続ができるものなら、今でも相続ができるはずだ。婆さんはなんにも知らないから年さえとれば兄の家がもらえると信じている。
兄とおれはかように分かれたが、困ったのは清の行く先である。兄はむろん連れて行ける身分でなし、清も兄の尻にくっついて九州くんだりまで出かける気はもうとうなし、といってこの時のおれは四畳半の安下宿にこもって、それすらもいざとなればただちに引き払わねばならぬしまつだ。どうすることもできん。清に聞いてみた。どこかへ奉公でもする気かねと言ったらあなたがおうちを持って、奥さまをおもらいになるまでは、しかたがないから、甥《おい》のやっかいになりましょうと、ようやく決心した返事をした。この甥は裁判所の書記で、まず今《こん》日《にち》にはさしつかえなく暮らしていたから、今までも清に来るなら来いと二、三度勧めたのだが、清はたとい下女奉公はしても年来住みなれた家《うち》のほうがいいと言って応じなかった。しかし今の場合知らぬ屋敷へ奉公がえをしていらぬ気がねを仕直すより、甥のやっかいになるほうがましだと思ったのだろう。それにしても早くうちを持ての、妻《さい》をもらえの、来て世話をするのと言う。親身の甥よりも他人のおれのほうが好きなのだろう。
九州へ立つ二日まえ、兄が下宿へ来て金を六百円出して、これを資本にして商売をするなり、学資にして勉強をするなり、どうでも随意に使うがいい、その代わりあとはかまわないと言った。兄にしては感心なやり方だ。なんの六百円ぐらいもらわんでも困りはせんと思ったが、例に似ぬ淡泊な処置が気に入ったから、礼を言ってもらっておいた。兄はそれから、五十円出して、これをついでに清に渡してくれと言ったから、異義なく引き受けた。二日立って新橋の停車場《*》で分かれたぎり兄にはその後一ぺんも会わない。
おれは六百円の使用法について寝ながら考えた。商売をしたってめんどうくさくってうまくできるものじゃなし、ことに六百円の金で商売らしい商売がやれるわけでもなかろう。よしやれるとしても、今のようじゃ人の前へ出て教育を受けたといばれないから、つまり損になるばかりだ。資本などはどうでもいいから、これを学資にして勉強してやろう。六百円を三に割って一年に二百円ずつ使えば三年間は勉強ができる。三年間一生懸命にやれば何かできる。それからどこの学校へはいろうと考えたが、学問は生《しよう》来《らい》どれもこれも好きでない。ことに語学とか文学とかいうものはまっぴらごめんだ。新体詩などときては二十行あるうちで一行もわからない。どうせきらいなものなら何をやっても同じことだと思ったが、さいわい物理学校《*》の前を通りかかったら生徒募集の広告が出ていたから、なにも縁だと思って規則書をもらってすぐ入学の手続きをしてしまった。今考えるとこれも親譲りの無鉄砲から起こった失策だ。
三年間まあ人並みに勉強はしたが、べつだんたちのいいほうでもないから、席順はいつでも下から勘定するほうが便利であった。しかし不思議なもので、三年たったらとうとう卒業してしまった。自分でもおかしいと思ったが苦情をいうわけもないからおとなしく卒業しておいた。
卒業してから八日目に校長が呼びに来たから、何か用だろうと思って、出かけていったら、四国辺のある中学校で数学の教師がいる。月給は四十円だが、行ってはどうだという相談である。おれは三年間学問はしたが実をいうと教師になる気も、田舎《いなか》へ行く考えも何もなかった。もっとも教師以外に何をしようというあてもなかったから、この相談を受けた時、行きましょうと即席に返事をした。これも親譲りの無鉄砲がたたったのである。
引き受けた以上は赴任せねばならぬ。この三年間は四畳半に蟄《ちつ》居《きよ》して小《こ》言《ごと》はただの一度も聞いたことがない。喧嘩もせずにすんだ。おれの生《しよう》涯《がい》のうちでは比較的のんきな時節であった。しかし、こうなると四畳半も引き払わなければならん。生まれてから東京以外に踏み出したのは、同級生といっしょに鎌倉へ遠足した時ばかりである。今度は鎌倉どころではない。たいへんな遠くへ行かねばならぬ。地図で見ると海浜で針の先ほど小さく見える。どうせろくな所ではあるまい。どんな町で、どんな人が住んでるかわからん。わからんでも困らない。心配にはならぬ。ただ行くばかりである。もっとも少々めんどうくさい。
家を畳んでからも清の所へはおりおり行った。清の甥というのは存外結構な人である。おれが行くたびに、おりさえすれば、なにくれともてなしてくれた。清はおれを前へ置いて、いろいろおれの自慢を甥に聞かせた。今に学校を卒業すると麹町辺へ屋敷を買って役所へ通うのだなどと吹《ふい》聴《ちよう》したこともある。一人できめて一人でしゃべるから、こっちは困って顔を赤くした。それも一度や二度ではない。おりおりおれが小さい時寝小便をしたことまで持ち出すには閉口した。甥はなんと思って清の自慢を聞いていたかわからぬ。ただ清は昔風の女だから、自分とおれの関係を封建時代の主従のように考えていた。自分の主人なら甥のためにも主人に相違ないと合《が》点《てん》したものらしい。甥こそいい面《つら》の皮だ。
いよいよ約束がきまって、もうたつという三日前に清を尋ねたら、北向きの三畳に風《か》邪《ぜ》を引いて寝ていた。おれの来たのを見て起き直るが早いか、坊《ぼ》っちゃんいつ家《うち》をお持ちなさいますと聞いた。卒業さえすれば金が自然とポッケットの中にわいてくると思っている。そんなにえらい人をつらまえて、まだ坊っちゃんと呼ぶのはいよいよばかげている。おれは簡単に当分うちは持たない。田舎へ行くんだと言ったら、非常に失望した様子で、胡《ご》麻《ま》塩《しお》の鬢《びん》の乱れをしきりになでた。あまり気の毒だから「行くことは行くが、じき帰る。来年の夏休みにはきっと帰る」と慰めてやった。それでも妙な顔をしているから「何をみやげに買ってきてやろう、何がほしい」と聞いてみたら「越《えち》後《ご》の笹《ささ》飴《あめ》が食べたい」と言った。越後の笹飴なんて聞いたこともない。第一方角が違う。「おれの行く田舎には笹飴はなさそうだ」と言って聞かしたら「そんなら、どっちの見当です」と聞き返した。「西の方だよ」と言うと「箱《はこ》根《ね》のさきですか手前ですか」と問う。ずいぶんもてあました。
出立の日には朝から来て、いろいろ世話をやいた。来る途中小間物屋で買ってきた歯《はみ》磨《がき》と楊《よう》子《じ》と手《てぬ》拭《ぐい》をズックの革鞄《かばん》に入れてくれた。そんな物はいらないと言ってもなかなか承知しない。車を並べて停車場へ着いて、プラットフォームの上へ出た時、車へ乗り込んだおれの顔をじっと見て「もうお別れになるかもしれません。ずいぶんごきげんよう」と小さな声で言った。目に涙がいっぱいたまっている。おれは泣かなかった。しかしもう少しで泣くところであった。汽車がよっぽど動きだしてから、もう大丈夫だろうと思って、窓から首を出して、振り向いたら、やっぱり立っていた。なんだかたいへん小さく見えた。
二
ぶうといって汽船がとまると、艀《はしけ》が岸を離れて、こぎ寄せて来た。船頭はまっ裸《ぱだか》に赤ふんどしをしめている。野蛮な所だ。もっともこの熱さでは着物はきられまい。日が強いので水がやに光る。見つめていても目がくらむ。事務員に聞いてみるとおれはここへ降りるのだそうだ。見るところでは大《おお》森《もり》ぐらいな漁村だ。人をばかにしていらあ、こんな所に我慢ができるものかと思ったがしかたがない。威勢よく一番に飛び込んだ。続いて五、六人は乗ったろう。ほかに大きな箱を四つばかり積み込んで赤ふんは岸へこぎもどしてきた。陸《おか》へ着いた時も、いの一番に飛び上がって、いきなり、磯《いそ》に立っていた鼻たれ小僧をつらまえて中学校はどこだと聞いた。小僧はぼんやりして、知らんがの、と言った。気のきかぬ田舎《いなか》者《もの》だ。猫《ねこ》の額《ひたい》ほどな町内のくせに、中学校のありかも知らぬやつがあるものか。ところへ妙な筒《つつ》っぽうを着た男がきて、こっちへ来いと言うから、ついていったら、港《みなと》屋《や》とかいう宿屋へ連れてきた。やな女が声をそろえてお上がりなさいと言うので、上がるのがいやになった。門《かど》口《ぐち》へ立ったなり中学校を教えろと言ったら、中学校はこれから汽車で二里ばかり行かなくっちゃいけないと聞いて、なお上がるのがいやになった。おれは、筒っぽうを着た男から、おれの革《か》鞄《ばん》を二つ引きたくって、のそのそあるきだした。宿屋のものは変な顔をしていた。
停車場はすぐ知れた。切符もわけなく買った。乗り込んでみるとマッチ箱のような汽車だ。ごろごろと五分ばかり動いたと思ったら、もう降りなければならない。道理で切符が安いと思った。たった三銭である。それから車をやとって、中学校へ来たら、もう放課後でだれもいない。宿直はちょっと用《よう》達《たし》に出たと小使が教えた。ずいぶん気楽な宿直がいるものだ。校長でも尋ねようかと思ったが、くたびれたから、車に乗って宿屋へ連れて行けと車夫に言いつけた。車夫は威勢よく山《やま》城《しろ》屋《や*》といううちへ横づけにした。山城屋とは質屋の勘太郎の屋号と同じだからちょっとおもしろく思った。
なんだか二階の階《はし》子《ご》段《だん》の下の暗い部屋へ案内した。熱くっていられやしない。こんな部屋はいやだと言ったら、あいにくみんなふさがっておりますからと言いながら革鞄をほうり出したまま出ていった。しかたがないから部屋の中へはいって汗をかいて我慢していた。やがて湯にはいれと言うから、ざぶりと飛び込んで、すぐ上がった。帰りがけにのぞいてみると涼しそうな部屋がたくさんあいている。失敬なやつだ。嘘《うそ》をつきゃあがった。それから下女が膳《ぜん》を持ってきた。部屋は熱かったが、飯は下宿のよりもだいぶうまかった。給仕をしながら下女がどちらからおいでになりましたと聞くから、東京から来たと答えた。すると東京はよい所でございましょうと言ったからあたりまえだと答えてやった。膳を下げた下女が台所へ行った時分、大きな笑い声が聞こえた。くだらないから、すぐ寝たが、なかなか寝られない。熱いばかりではない。騒々しい。下宿の五倍ぐらいやかましい。うとうとしたら清の夢を見た。清が越後の笹飴を笹ぐるみ、むしゃむしゃ食っている。笹は毒だから、よしたらよかろうと言うと、いえこの笹がお薬でございますと言ってうまそうに食っている。おれがあきれかえって大きな口をあいてハハハハと笑ったら目がさめた。下女が雨戸をあけている。相変わらず空の底が突き抜けたような天気だ。
道中をしたら茶代をやるものだと聞いていた。茶代をやらないと粗末に取り扱われると聞いていた。こんな、狭くて暗い部屋へ押し込めるのも茶代をやらないせいだろう。見すぼらしい服《な》装《り》をして、ズックの革鞄と毛《け》繻《じゆ》子《す》の蝙蝠傘《こうもり》をさげてるからだろう。田舎者のくせに人をみくびったな。いちばん茶代をやって驚かしてやろう。おれはこれでも学資の余りを三十円ほど懐に入れて東京を出てきたのだ。汽車と汽船の切符代と雑費を差し引いて、まだ十四円ほどある。みんなやったってこれからは月給をもらうんだからかまわない。田舎者はしみったれだから五円もやれば驚いて目を回すにきまっている。どうするか見ろとすまして顔を洗って、部屋へ帰って待ってると、夕べの下女が膳を持ってきた。盆を持って給仕をしながら、やににやにや笑ってる。失敬なやつだ。顔のなかをお祭りでも通りゃしまいし。これでもこの下女の面《つら》よりよっぽど上等だ。飯をすましてからにしようと思っていたが、しゃくにさわったから、中途で五円札を一枚出して、あとでこれを帳場へ持って行けと言ったら、下女は変な顔をしていた。それから飯をすましてすぐ学校へ出かけた。靴《くつ》はみがいてなかった。
学校はきのう車で乗りつけたから、たいがいの見当はわかっている。四つ角を二、三度曲がったらすぐ門の前へ出た。門から玄関までは御《み》影《かげ》石《いし》で敷きつめてある。きのうこの敷石の上を車でがらがらと通った時は、むやみにぎょうさんな音がするので少し弱った。途中から小《こ》倉《くら》の制服を着た生徒にたくさん会ったが、みんなこの門をはいって行く。なかにはおれより背《せい》が高くって強そうなのがいる。あんなやつを教えるのかと思ったらなんだか気味がわるくなった。名刺を出したら校長室へ通した。校長は薄《うす》髭《ひげ》のある、色の黒い、目の大きな狸《たぬき》のような男である。やにもったいぶっていた。まあ精出して勉強してくれと言って、うやうやしく大きな印のおさった、辞令を渡した。この辞令は東京へ帰るとき丸めて海の中へほうり込んでしまった。校長は今に職員に紹介してやるから、いちいちその人にこの辞令を見せるんだと言って聞かした。よけいな手《て》数《すう》だ。そんなめんどうなことをするよりこの辞令を三日間教員室へ張りつけるほうがましだ。
教員が控え所《じよ》へそろうには一時間目の喇叭《らつぱ》が鳴らなくてはならぬ。だいぶ時間がある。校長は時計を出して見て、おいおいゆるりと話すつもりだが、まず大体のことをのみ込んでおいてもらおうと言って、それから教育の精神について長いお談義を聞かした。おれはむろんいいかげんに聞いていたが、途中からこれはとんだ所へ来たと思った。校長の言うようにはとてもできない。おれ見たような無鉄砲なものをつらまえて、生徒の模範になれの、一校の師表と仰がれなくてはいかんの、学問以外に個人の徳化を及ぼさなくては教育者にはなれないの、とむやみに法外な注文をする《*》。そんなえらい人が月給四十円ではるばるこんな田舎へくるもんか。人間はたいがい似たもんだ。腹がたてば喧嘩の一つぐらいはだれでもするだろうと思ってたが、この様子じゃめったに口もきけない、散歩もできない。そんなむずかしい役なら雇うまえにこれこれだと話すがいい。おれは嘘をつくのがきらいだから、しかたがない、だまされて来たのだとあきらめて、思いきりよく、ここで断わって帰っちまおうと思った。宿屋へ五円やったから財布の中には九円なにがししかない。九円じゃ東京までは帰れない。茶代なんかやらなければよかった。惜しいことをした。しかし九円だって、どうかならないことはない。旅費は足りなくっても嘘をつくよりましだと思って、とうていあなたのおっしゃるとおりにゃ、できません、この辞令は返しますと言ったら、校長は狸のような眼をぱちつかせておれの顔を見ていた。やがて、今のはただ希望である、あなたが希望どおりできないのはよく知っているから心配しなくってもいいと言いながら笑った。そのくらいよく知ってるなら、はじめからおどかさなければいいのに。
そうこうするうちに喇叭が鳴った。教場の方が急にがやがやする。もう教員も控え所へそろいましたろうと言うから、校長について教員控え所へはいった。広い細長い部屋の周囲に机を並べてみんな腰をかけている。おれがはいったのを見て、みんな申し合わせたようにおれの顔を見た。見世物じゃあるまいし。それから申しつけられたとおり一人一人の前へ行って辞令を出して挨《あい》拶《さつ》をした。たいがいは椅《い》子《す》を離れて腰をかがめるばかりであったが、念の入ったのは差し出した辞令を受け取って一応拝見をしてそれをうやうやしく返却した。まるで宮芝居のまねだ。十五人目に体操の教師へと回ってきた時には、同じことを何べんもやるので少々じれったくなった。向こうは一度ですむ、こっちは同じ所《しよ》作《さ》を十五へんくり返している。少しはひとの了見も察してみるがいい。
挨拶をしたうちに教頭のなにがしというのがいた。これは文学士だそうだ。文学士といえば大学の卒業生だからえらい人なんだろう。妙に女のような優しい声を出す人だった。もっとも驚いたのは、この暑いのにフランネルのシャツを着ている。いくらか薄い地には相違なくっても暑いにはきまってる。文学士だけに御苦労千万ななりをしたもんだ。しかもそれが赤シャツだから人をばかにしている。あとから聞いたらこの男は年が年じゅう赤シャツを着るんだそうだ。妙な病気があったものだ。当人の説明では赤はからだに薬になるから、衛生のためにわざわざあつらえるんだそうだが、いらざる心配だ。そんならついでに着物も袴《はかま》も赤にすればいい。それから英語の教師に古《こ》賀《が》とかいうたいへん顔色のわるい男がいた。たいがい顔の蒼《あお》い人はやせてるもんだがこの男は蒼くふくれている。昔小学校へ行く時分、浅《あさ》井《い》の民《たみ》さんという子が同級生にあったが、この浅井のおやじがやはり、こんな色つやだった。浅井は百姓だから、百姓になるとあんな顔になるかと清に聞いてみたら、そうじゃありません、あの人はうらなりの唐《とう》茄《な》子《す*》ばかり食べるから、蒼くふくれるんですと教えてくれた。それ以来蒼くふくれた人を見れば必ずうらなりの唐茄子を食ったむくいだと思う。この英語の教師もうらなりばかり食ってるに違いない。もっともうらなりとはなんのことか今もって知らない。清に聞いてみたことはあるが、清は笑って答えなかった。おおかた清も知らないんだろう。それからおれと同じ数学の教師に堀《ほつ》田《た》というのがいた。これはたくましい毬《いが》栗《ぐり》坊《ぼう》主《ず》で、叡《えい》山《ざん》の悪僧というべき面構えである。人が丁寧に辞令を見せたら見向きもせず、やあ君が新任の人か、ちと遊びに来たまえアハハハと言った。何がアハハハだ。そんな礼儀を心得ぬやつの所へだれが遊びに行くものか。おれはこの時からこの坊主に山《やま》嵐《あらし》というあだなをつけてやった。漢学の先生はさすがに堅いものだ。昨日お着きで、さぞお疲れで、それでもう授業をお始めで、だいぶ御励精で、――とのべつに弁じたのは愛《あい》嬌《きよう》のあるお爺《じい》さんだ。画学の教師はまったく芸人風だ。べらべらした透《すき》綾《や》の羽織を着て、扇子をぱちつかせて、お国はどちらでげす《*》、え? 東京? そりゃうれしい、お仲間ができて……私《わたし》もこれで江戸っ子ですと言った。こんなのが江戸っ子なら江戸には生まれたくないもんだと心中に考えた。そのほか一人一人についてこんなことを書けばいくらでもある。しかし際限がないからやめる。
挨拶がひととおりすんだら、校長がきょうはもう引き取ってもいい、もっとも授業上のことは数学の主任と打ち合わせをしておいて、明後日から課業を始めてくれと言った。数学の主任はだれかと聞いてみたら例の山嵐であった。いまいましい、こいつの下に働くのかおやおやと失望した。山嵐は「おい君どこに宿《とま》ってるか、山城屋か、うん、今に行って相談する」と言い残して白墨を持って教場へ出て行った。主任のくせに向こうから来て相談するなんて不見識な男だ。しかし呼びつけるよりは感心だ。
それから学校の門を出て、すぐ宿へ帰ろうと思ったが、帰ったってしかたがないから、少し町を散歩してやろうと思って、むやみに足の向く方をあるき散らした。県庁も見た。古い前世紀の建築である。兵営《*》も見た。麻布の連隊《*》よりりっぱでない。大通りも見た。神楽《かぐら》坂《ざか*》を半分に狭くしたぐらいな道幅で町並みはあれより落ちる。二十五万石《*》の城下だって高の知れたものだ。こんな所に住んで御城下だなどといばってる人間はかあいそうなものだと考えながらくると、いつしか山城屋の前に出た。広いようでも狭いものだ。これでたいていは見つくしたのだろう。帰って飯でも食おうと門口をはいった。帳場にすわっていたかみさんが、おれの顔を見ると急に飛び出してきてお帰り……と板の間へ頭をつけた。靴を脱いで上がると、お座敷があきましたからと下女が二階へ案内をした。十五畳の表二階で大きな床の間がついている。おれは生まれてからまだこんなりっぱな座敷へはいったことはない。こののちいつはいれるかわからないから、洋服を脱いで浴衣《ゆかた》一枚になって座敷のまん中へ大の字に寝てみた。いい心持ちである。
昼《ひる》飯《めし》を食ってからさっそく清へ手紙をかいてやった。おれは文章がまずい上に字を知らないから手紙をかくのが大きらいだ。またやる所もない。しかし清は心配しているだろう。難船して死にゃしないかなどと思っちゃ困るから、奮発して長いのをかいてやった。その文句はこうである。
「きのう着いた。つまらん所だ。十五畳の座敷に寝ている。宿屋へ茶代を五円やった。かみさんが頭を板の間へすりつけた。ゆうべは寝られなかった。清が笹飴を笹ごと食う夢を見た。来年の夏は帰る。今日学校へ行ってみんなにあだ名をつけてやった。校長は狸、教頭は赤シャツ。英語の教師はうらなり、数学は山嵐、画学はのだいこ《*》。いまにいろいろなことをかいてやる。さようなら」
手紙をかいてしまったら、いい心持ちになって眠気がさしたから、最前のように座敷のまん中へのびのびと大の字に寝た。今度は夢も何も見ないでぐっすり寝た。この部屋かいと大きな声がするので目がさめたら、山嵐がはいって来た。最前は失敬、君の受持ちは……と人が起き上がるやいなや談判を開かれたので大いに狼《ろう》狽《ばい》した。受持ちを聞いてみるとべつだんむずかしいこともなさそうだから承知した。このくらいのことなら、あさってはおろか、あしたから始めろと言ったって驚かない。授業上の打ち合わせがすんだら、君はいつまでもこんな宿屋にいるつもりでもあるまい、僕がいい下宿を周旋してやるから移りたまえ。ほかのものでは承知しないが僕が話せばすぐできる。早いほうがいいから、きょう見て、あす移って、あさってから学校へ行けばきまりがいいと一人でのみ込んでいる。なるほど、十五畳敷にいつまでいるわけにもゆくまい。月給をみんな宿料に払っても追っつかないかもしれぬ。五円の茶代を奮発してすぐ移るのはちと残念だが、どうせ移るものなら、早く引き越して落ち付くほうが便利だから、そこのところはよろしく山嵐に頼むことにした。すると山嵐はともかくもいっしょに来てみろと言うから、行った。町はずれの岡《おか》の中腹にある家でしごく閑静だ。主人は骨《こつ》董《とう》を売買するいか銀《ぎん》という男で、女房は亭主よりも四つばかり年《とし》嵩《かさ》の女だ。中学校にいた時ウィッチという言葉を習ったことがあるがこの女房はまさにウィッチに似ている。ウィッチだって人の女房だからかまわない。とうとう明日から引き移ることにした。帰りに山嵐は通《とおり》町《ちよう》で氷水を一杯おごった。学校で会った時は、やに横《おう》風《ふう》な失敬なやつだと思ったが、こんなにいろいろ世話をしてくれるところを見ると、わるい男でもなさそうだ。ただおれと同じようにせっかちで肝《かん》癪《しやく》持ちらしい。あとで聞いたらこの男がいちばん生徒に人望があるのだそうだ。
三
いよいよ学校へ出た。初めて教場へはいって高い所へ乗った時は、なんだか変だった。講釈をしながら、おれでも先生が勤まるのかと思った。生徒はやかましい。時々ずぬけた大きな声で先生と言う。先生にはこたえた。今まで物理学校で毎日先生先生と呼びつけていたが、先生と呼ぶのと、呼ばれるのは雲《うん》泥《でい》の差だ。なんだか足の裏がむずむずする。おれは卑怯な人間ではない、臆《おく》病《びよう》な男でもないが、惜しいことに胆力が欠けている。先生と大きな声をされると、腹の減った時に丸《まる》の内《うち》で午《ど》砲《ん*》を聞いたような気がする。最初の一時間はなんだかいいかげんにやってしまった。しかしべつだん困った質問もかけられずにすんだ。控え所へ帰って来たら、山嵐がどうだいと聞いた。うんと簡単に返事をしたら山嵐は安心したらしかった。
二時間目に白墨を持って控え所を出た時にはなんだか敵地へ乗り込むような気がした。教場へ出ると今度の組はまえより大きなやつばかりである。おれは江戸っ子で華《きや》奢《しや》に小作りにできているから、どうも高い所へ上がっても押しがきかない。喧嘩なら相撲取とでもやってみせるが、こんな大《おお》僧《ぞう》を四十人も前へ並べて、ただ一枚の舌をたたいて恐縮させるてぎわはない。しかしこんな田舎者に弱身を見せると癖になると思ったから、なるべく大きな声をして、少々巻き舌で講釈してやった。最初のうちは、生徒も煙《けむ》にまかれてぼんやりしていたから、それみろとますます得意になって、べらんめい調《*》を用いてたら、いちばん前の列のまん中にいた、いちばん強そうなやつが、いきなり起立して先生と言う。そら来たと思いながら、なんだと聞いたら、「あまり早くてわからんけれ、もちっと、ゆるゆるやって、おくれんかな、もし《*》」と言った。おくれんかな、もしはなまぬるい言葉だ。早すぎるなら、ゆっくり言ってやるが、おれは江戸っ子だから君らの言葉は使えない、わからなければ、わかるまで待ってるがいいと答えてやった。この調子で二時間目は思ったより、うまくいった。ただ帰りがけに生徒の一人がちょっとこの問題を解釈をしておくれんかな、もし、とできそうもない幾何の問題を持ってせまったには冷汗を流した。しかたがないから、なんだかわからない、この次教えてやると急いで引きあげたら、生徒がわあとはやした。そのなかにできんできんと言う声が聞える。べらぼうめ、先生だって、できないのはあたりまえだ。できないのをできないと言うのに不思議があるもんか。そんなものができるぐらいなら四十円でこんな田舎へくるもんかと控え所へ帰って来た。今度はどうだとまた山嵐が聞いた。うんと言ったが、うんだけでは気がすまなかったから、この学校の生徒はわからずやだなと言ってやった。山嵐は妙な顔をしていた。
三時間目も、四時間目も昼過ぎの一時間も大同小異であった。最初の日に出た級は、いずれも少々ずつ失敗した。教師ははたで見るほど楽じゃないと思った。授業はひととおりすんだが、まだ帰れない、三時までぽつねんとして待ってなくてはならん。三時になると、受持級の生徒が自分の教室を掃《そう》除《じ》して報知《しらせ》にくるから検分をするんだそうだ。それから、出席簿を一応調べてようやくお暇が出る。いくら月給で買われたからだだって、あいた時間まで学校へ縛りつけて机とにらめっくらをさせるなんて法があるものか。しかしほかの連中はみんなおとなしく御規則どおりやってるから新《しん》参《ざん》のおればかり、だだをこねるのもよろしくないと思って我慢していた。帰りがけに、君なんでもかんでも三時過ぎまで学校にいさせるのは愚だぜと山嵐に訴えたら、山嵐はそうさアハハハと笑ったが、あとからまじめになって、君あまり学校の不平を言うと、いかんぜ。言うなら僕だけに話せ、ずいぶん妙な人もいるからなと忠告がましいことを言った。四つ角で分かれたから詳しいことは聞くひまがなかった。
それからうちへ帰ってくると、宿の亭主がお茶を入れましょうと言ってやって来る。お茶を入れると言うからごちそうをするのかと思うと、おれの茶を遠慮なく入れて自分が飲むのだ。この様子では留守中もかってにお茶を入れましょうを一人で履行しているかもしれない。亭主が言うには手前は書画骨董がすきで、とうとうこんな商売をないないで始めるようになりました。あなたもお見受けもうすところ、だいぶ御風流でいらっしゃるらしい。ちと道楽にお始めなすってはいかがですと、とんでもない勧誘をやる。二年まえある人の使いに帝国ホテル《*》へ行った時は錠《じよう》前《まえ》直《なお》しと間違えられたことがある。毛布《ケツト》をかぶって、鎌倉の大仏を見物した時は車屋から親方と言われた。そのほか今日まで見そくなわれたことはずいぶんあるが、まだおれをつらまえてだいぶ御風流でいらっしゃると言ったものはない。たいていはなりや様子でもわかる。風流人なんていうものは、画を見ても、頭《ず》巾《きん》をかぶるか短《たん》冊《ざく》を持ってるものだ。このおれを風流人だなどとまじめに言うのはただの曲《くせ》者《もの》じゃない。おれはそんなのん気な隠居のやるようなことはきらいだと言ったら、亭主はへへへへと笑いながら、いえ始めから好きなものは、どなたもございませんが、いったんこの道にはいるとなかなか出られませんと一人で茶を注いで妙な手つきをして飲んでいる。実はゆうべ茶を買ってくれと頼んでおいたのだが、こんな苦い濃い茶はいやだ。一杯飲むと胃にこたえるような気がする。今度からもっと苦くないのを買ってくれと言ったら、かしこまりましたとまた一杯しぼって飲んだ。人の茶だと思ってむやみに飲むやつだ。主人が引き下がってから、あしたの下読みをしてすぐ寝てしまった。
それから毎日毎日学校へ出ては規則どおり働く、毎日毎日帰ってくると主人がお茶を入れましょうと出てくる。一週間ばかりしたら学校の様子もひととおりはのみこめたし、宿の夫婦の人物もたいがいはわかった。ほかの教師に聞いてみると、辞令を受けて一週間から一か月ぐらいのあいだは自分の評判がいいだろうか、わるいだろうか非常に気にかかるそうであるが、おれはいっこうそんな感じはしなかった。教場でおりおりしくじると、その時だけはやな心持ちだが三十分ばかり立つときれいに消えてしまう。おれは何事によらず長く心配しようと思っても心配ができない男だ。教場のしくじりが生徒にどんな影響を与えて、その影響が校長や教頭にどんな反応を呈するかまるでむとんじゃくであった。おれはまえにいうとおりあまり度胸のすわった男ではないのだが、思いきりはすこぶるいい人間である。この学校がいけなければすぐどっかへ行く覚悟でいたから、狸も赤シャツも、ちっとも恐ろしくはなかった。まして教場の小僧どもなんかには愛嬌もお世辞も使う気になれなかった。学校はそれでいいのだが下宿のほうはそうはいかなかった。亭主が茶を飲みに来るだけなら我慢もするが、いろいろなものを持ってくる。はじめに持ってきたのはなんでも印材で、十ばかり並べておいて、みんなで三円なら安い物だお買いなさいと言う。田舎《いなか》巡《まわ》りのヘボ絵師じゃあるまいし、そんなものはいらないと言ったら、今度は崋《か》山《ざん》とかなんとかいう男の花《か》鳥《ちよう》の掛物をもってきた。自分で床の間へかけて、いいできじゃありませんかと言うから、そうかなといいかげんに挨拶をすると、崋山には二《ふた》人《り》ある《*》、一人はなんとか崋山で、一人はなんとか崋山ですが、この幅《ふく》はそのなんとか崋山のほうだと、くだらない講釈をしたあとで、どうです、あなたなら十五円にしておきます。お買いなさいと催促をする。金がないと断わると、金なんか、いつでもようございますとなかなか頑固だ。金があっても買わないんだと、その時は追っぱらっちまった。その次には鬼《おに》瓦《がわら》ぐらいな大《おお》硯《すずり》をかつぎ込んだ。これは端《たん》渓《けい*》です、端渓ですと二へんも三べんも端渓がるから、おもしろ半分に端渓た何だいと聞いたら、すぐ講釈を始めだした。端渓には上層中層下層《*》とあって、今どきのものはみんな上層ですが、これはたしかに中層です、この眼《がん*》を御覧なさい。眼が三つあるのは珍しい。溌《はつ》墨《ぼく*》のぐあいもしごくよろしい、試してごらんなさいと、おれの前へ大きな硯を突きつける。いくらだと聞くと、持主が支《し》那《な》から持って帰って来てぜひ売りたいと言いますから、お安くして三十円にしておきましょうと言う。この男はばかに相違ない。学校のほうはどうかこうか無事に勤まりそうだが、こう骨董責めにあってはとても長く続きそうにない。
そのうち学校もいやになった。□□《*》ある日の晩大《おお》町《まち》という所を散歩していたら郵便局の隣に蕎《そ》麦《ば》とかいて、下に東京と注を加えた看板があった。おれは蕎麦が大好きである。東京におった時でも蕎麦屋の前を通って薬《やく》味《み》の香《にお》いをかぐと、どうしても暖簾《のれん》がくぐりたくなった。きょうまでは数学と骨董で蕎麦を忘れていたが、こうして看板を見ると素通りができなくなる。ついでだから一杯食ってゆこうと思って上がり込んだ。見ると看板ほどでもない。東京と断わる以上はもう少しきれいにしそうなものだが、東京を知らないのか、金がないのか、めっぽうきたない。畳は色が変わっておまけに砂でざらざらしている。壁は煤《すす》でまっ黒だ。天井はランプの油《ゆ》烟《えん》でくすぼってるのみか、低くって、思わず首を縮めるくらいだ。ただ麗々と蕎麦の名前をかいて張りつけたねだん付《づけ》だけはまったく新しい。なんでも古いうちを買って二《に》、三《さん》日《ち》まえから開業したに違いなかろう。ねだん付の第一号に天《てん》麩《ぷ》羅《ら》とある。おい天麩羅を持ってこいと大きな声を出した。するとこの時まで隅《すみ》の方に三人かたまって、何かつるつる、ちゅちゅ食ってた連中が、ひとしくおれの方を見た。部屋が暗いので、ちょっと気がつかなかったが顔を合わせると、みんな学校の生徒である。先方で挨拶をしたから、おれも挨拶をした。その晩は久しぶりに蕎麦を食ったので、うまかったから天麩羅を四杯たいらげた。
翌日、何の気もなく教場へはいると、黒板いっぱいぐらいな大きな字で、天麩羅先生とかいてある。おれの顔を見てみんなわあと笑った。おれはばかばかしいから、天麩羅を食っちゃおかしいかと聞いた。すると生徒の一人が、しかし四杯は過ぎるぞな、もし、と言った。四杯食おうがおれの銭でおれが食うのに文句があるもんかと、さっさと講義をすまして控え所へ帰って来た。十分たって次の教場へ出ると一つ天麩羅四杯なり。ただし笑うべからず。と黒板にかいてある。さっきはべつに腹もたたなかったが今度はしゃくにさわった。冗談も度を過ごせばいたずらだ。焼《やき》餅《もち》の黒焦げのようなものでだれもほめ手はない。田舎者はこの呼吸がわからないからどこまで押していってもかまわないという了見だろう。一時間あるくと見物する町もないような狭い都に住んで、ほかになんにも芸がないから、天麩羅事件を日露戦争《*》のように触れちらかすんだろう。憐《あわ》れなやつらだ。子供の時から、こんなに教育されるから、いやにひねっこびた、植木鉢の楓《かえで》みたような小《しよう》人《じん》ができるんだ。無邪気ならいっしょに笑ってもいいが、こりゃなんだ。子供のくせにおつに毒気を持っている。おれはだまって、天麩羅を消して、こんないたずらがおもしろいか、卑怯な冗談だ。君らは卑怯という意味を知ってるか、と言ったら、自分がしたことを笑われておこるのが卑怯じゃろうがな、もしと答えたやつがある。やなやつだ。わざわざ東京から、こんなやつを教えに来たのかと思ったら情けなくなった。余計な減らず口を利かないで勉強しろと言って、授業を始めてしまった。それから次の教場へ出たら天麩羅を食うと減らず口が利きたくなるものなりと書いてある。どうも始末におええない。あんまり腹が立ったから、そんな生意気なやつは教えないと言ってすたすた帰ってきてやった。生徒は休みになって喜んだそうだ。こうなると学校より骨董のほうがまだましだ。
天麩羅蕎麦もうちへ帰って、一晩寝たらそんなに肝《かん》癪《しやく》にさわらなくなった。学校へ出てみると、生徒も出ている。何だか訳がわからない。それから三日ばかりは無事であったが、四日目の晩に住《すみ》田《た*》という所へ行って団子を食った。この住田という所は温泉のある町で城下から汽車だと十分ばかり、あるいて三十分で行かれる、料理屋も温泉宿も、公園もあるうえに遊郭がある。おれのはいった団子屋は遊郭の入口にあって、たいへんうまいという評判だから、温泉に行った帰りがけにちょっと食ってみた。今度は生徒にも会わなかったから、だれも知るまいと思って、翌日学校へ行って、一時間目の教場へはいると団子二皿七銭と書いてある。実際おれは二皿食って七銭払った。どうもやっかいなやつらだ。二時間目にもきっと何かあると思うと遊郭の団子うまいうまいと書いてある。あきれかえったやつらだ。団子がそれですんだと思ったら今度は赤《あか》手《てぬ》拭《ぐい》というのが評判になった。なんのことだと思ったら、つまらない来歴だ。おれはここへ来てから、毎日住田の温泉へ行くことにきめている。ほかの所は何を見ても東京の足元にも及ばないが温泉だけはりっぱなものだ。せっかく来たものだから毎日はいってやろうという気で、晩飯まえに運動かたがた出かける。ところが行くときは必ず西洋手拭《*》の大きなやつをぶら下げて行く。この手拭が湯に染まったうえへ、赤い縞《しま》が流れ出したのでちょっと見ると紅《べに》色《いろ》に見える。おれはこの手拭を行きも帰りも、汽車に乗ってもあるいても、常にぶら下げている。それで生徒がおれのことを赤手拭赤手拭と言うんだそうだ。どうも狭い土地に住んでるとうるさいものだ。まだある。温泉は三階の新築で上等は浴《ゆか》衣《た》をかして、流しをつけて《*》八銭ですむ。そのうえに女が天《てん》目《もく*》へ茶を載せて出す。おれはいつでも上等へはいった。すると四十円の月給で毎日上等へはいるのは贅《ぜい》沢《たく》だと言いだした。よけいなお世話だ。まだある。湯《ゆ》壺《つぼ》は花崗《みかげ》石《いし》を畳み上げて、十五畳敷ぐらいの広さに仕切ってある。たいていは十三、四人漬かってるがたまにはだれもいないことがある。深さは立って乳の辺まであるから、運動のために、湯の中を泳ぐのはなかなか愉快だ。おれは人のいないのを見すましては十五畳の湯壺を泳ぎまわって喜んでいた。ところがある日三階から威勢よく下りて今日も泳げるかなとざくろ口《*》をのぞいて見ると、大きな札へ黒々と湯の中で泳ぐべからずとかいてはりつけてある。湯の中で泳ぐものは、あまりあるまいから、この貼《はり》札《ふだ》はおれのために特別に新調したのかもしれない。おれはそれから泳ぐのは断念した。泳ぐのは断念したが、学校へ出てみると、例のとおり黒板に湯の中で泳ぐべからずと書いてあるには驚いた。なんだか生徒全体がおれ一人を探偵しているように思われた。くさくさした。生徒が何を言ったって、やろうと思ったことをやめるようなおれではないが、なんでこんな狭苦しい鼻の先がつかえるような所へ来たのかと思うと情けなくなった。それでうちへ帰ると相変わらず骨董責めである。
四
学校には宿直があって、職員がかわるがわるこれをつとめる。ただし狸と赤シャツは例外である。なんでこの両人が当然の義務を免かれるのかと聞いてみたら、奏任待遇《*》だからという。おもしろくもない。月給はたくさんとる、時間は少ない、それで宿直をのがれるなんて不公平があるものか。かってな規則をこしらえて、それがあたりまえだというような顔をしている。よくまああんなにずうずうしくできるものだ。これについてはだいぶ不平であるが、山嵐の説によると、いくら一人《ひとり》で不平を並べたって通るものじゃないそうだ。一人だって二人だって正しい事なら通りそうなものだ。山嵐はmight is right《*》という英語を引いて説諭を加えたが、なんだか要領を得ないから、聞き返してみたら強者の権利という意味だそうだ。強者の権利ぐらいなら昔から知っている。いまさら山嵐から講釈をきかなくってもいい。強者の権利と宿直とは別問題だ。狸や赤シャツが強者だなんて、だれが承知するものか。議論は議論としてこの宿直がいよいよおれの番に回ってきた。いったい疳《かん》性《しよう》だから夜具蒲《ふ》団《とん》などは自分のものヘ楽に寝ないと寝たような心持ちがしない。子供の時から、友だちのうちへ泊ったことはほとんどないくらいだ。友だちのうちでさえいやなら学校の宿直はなおさらいやだ。いやだけれども、これが四十円のうちヘこもっているならしかたがない。我慢して勤めてやろう。
教師も生徒も帰ってしまったあとで、一人ぽかんとしているのはずいぶん間が抜けたものだ。宿直部屋は教場の裏手にある寄宿舎の西はずれの一室だ。ちよっとはいって見たが、西日をまともに受けて、苦しくっていたたまれない。田舎《いなか》だけあって秋がきても、気長に暑いもんだ。生徒の賄《まかない》を取りよせて晩飯をすましたが、まずいには恐れ入った。よくあんなものを食って、あれだけにあばれられたもんだ。それで晩飯を急いで四時半にかたづけてしまうんだから豪傑に違いない。飯は食ったが、まだ日が暮れないから寝るわけにゆかない。ちょっと温楽に行きたくなった。宿直をして、外へ出るのはいいことだか、わるいことだかしらないが、こうつくねんとして重禁錮《*》同様な憂《うき》目《め》にあうのは我慢のできるもんじゃない。はじめて学校へ来た時当直の人はと聞いたら、ちょっと用達に出たと小使が答えたのを妙だと思ったが、自分に番が回ってみると思い当たる。出るほうが正しいのだ。おれは小使にちょっと出てくると言ったら、何か御用ですかと聞くから、用じゃない、温泉ヘはいるんだと答えて、さっさと出かけた。赤手拭は宿へ忘れてきたのが残念だがきょうは先方で借りるとしよう。
それからかなりゆるりと、出たりはいったりして、ようやく日暮方になったから、汽車へ乗って古《こ》町《まち》の停車場まで来て下りた。学校まではこれから四丁だ。わけはないとあるきだすと、向こうから狸が来た。狸はこれからこの汽車で温泉へ行こうという計画なんだろう。すたすた急ぎ足にやってきたが、すれ違った時おれの顔を見たから、ちょっと挨拶をした。すると狸はあなたはきょうは宿直ではなかったですかねえとまじめくさって聞いた。なかったですかねえ、もないもんだ。二時間まえおれに向かって今夜ははじめての宿直ですね。御苦労さま。と札を言ったじゃないか。校長なんかになるといやに曲がりくねった言葉を使うもんだ。おれは腹がたったから、ええ宿直です。宿直ですから、これから帰って泊まることはたしかに泊まりますと言い捨ててすまして歩きだした。竪《たて》町《まち》の四つ角までくると今度は山嵐に出っくわした。どうも狭い所だ。出て歩きさえすれば必ずだれかに会う。「おい君は宿直じゃないか」と聞くから「うん、宿直だ」と答えたら、「宿直がむやみに出て歩くなんて、不都合じゃないか」と言った。「ちっとも不都合なもんか、出て歩かないほうが不都合だ」といばってみせた。「君のずぼらにも困るな、校長か教頭に出会うとめんどうだぜ」と山嵐に似合わないことを言うから「校長にはたった今会った。暑い時には散歩でもしないと宿直もほねでしょうと校長が、おれの散歩をほめたよ」と言って、めんどうくさいから、さっさと学校ヘ帰ってきた。
それから日はすぐくれる。くれてから二時間ばかりは小使を宿直部屋ヘ呼んで話をしたが、それも飽きたから、寝られないまでも床ヘはいろうと思って、寝巻に着換えて、蚊《か》帳《や》をまくって、赤い毛布《ケツト》をはねのけて、とんと尻持ちを突いて、あおむけになった。おれが寝るときにとんと尻持ちをつくのは子供の時からの癖だ。わるい癖だと言って小川町の下宿にいた時分、二階下にいた法律学校の書生が苦情を待ち込んだことがある。法律の書生なんてものは弱いくせに、やに口が達者なもので、愚なことを長たらしく述べ立てるから、寝るときにどんどん音がするのはおれの尻がわるいのじゃない、下宿の建築が粗末なんだ、掛け合うなら下宿へ掛け合えとヘこましてやった。この宿直部屋は二階じゃないから、いくら、どしんと倒れてもかまわない。なるべく勢いよく倒れないと寝たような心持ちがしない。ああ愉快だと足をうんと延ばすと、なんだか両足へ飛びついた。ざらざらして蚤《のみ》のようでもないからこいつあと驚いて、足を二、三度毛布の中で振ってみた。するとざらざらと当たったものが急にふえだして、脛《すね》が五、六か所、股《もも》が二、三か所、尻の下でぐちゃりと踏みつぶしたのが一つ、臍《へそ》の所まで飛び上がったのが一つ――いよいよ驚いた。さっそく起き上がって、毛布をぱっと後ろへほうると、蒲団の中から、バッタが五、六十飛び出した。正体の知れない時は多少気味がわるかったが、バッタと相場がきまってみたら急に腹がたった。バッタのくせに人を驚かしゃがって、どうするか見ろと、いきなりくくり枕《まくら》を取って、二、三度たたきつけたが、相手が小さすぎるから勢いよくなげつけるわりにききめがない。しかたがないから、また蒲団の上へすわって、煤《すす》掃《はき》の時に蓙《ござ》を丸めて畳をたたくように、そこら近辺をむやみにたたいた。バッタが驚いたうえに、枕の勢いで飛び上がるものだから、おれの肩だの、頭だの、鼻の先だのへくっついたり、ぶつかったりする。顔へついたやつは枕でたたくわけにはゆかないから、手でつかんで、一生懸命にたたきつける。いまいましいことに、いくら力を出しても、ぶつかる先が蚊帳だから、ふわりと動くだけで少しも手ごたえがない。バッタはたたきつけられたまま蚊帳へつらまっている。死にもどうもしない。ようやくのことに三十分ばかりでバッタは退治た。箒《ほうき》を持ってきてバッタの死《し》骸《がい》をはき出した。小使が来て何ですかと言うから、何ですかもあるもんか、バッタを床の中に飼っとくやつがどこの国にある、間抜けめ、としかったら、私は存じませんと弁解をした。存じませんですむかと箒を椽《えん》側《がわ》ヘほうり出したら、小使は恐る恐る箒をかついで帰っていった。
おれはさっそく寄宿生を三人ばかり総代に呼び出した。すると六人出てきた。六人だろうが十人だろうがかまうものか。寝巻のまま腕まくりをして談判を始めた。
「なんでバッタなんか、おれの床の中へ入れた」
「バッタた何ぞな」とまっ先の一人がいった。やに落ち付いていやがる。この学校じゃ校長ばかりじゃない、生徒まで曲がりくねった言葉を使うんだろう。
「バッタを知らないのか、知らなけりゃ見せてやろう」と言ったが、あいにくはき出してしまって一匹もいない。また小使を呼んで、「さっきのバッタを持ってこい」と言ったら、「もう掃《はき》溜《だめ》ヘすててしまいましたが、拾って参りましょうか」と聞いた。「うんすぐ拾ってこい」と言うと小使は急いでかけだしたが、やがて半紙の上ヘ十匹ばかり載せてきて「どうもお気の毒ですが、あいにく夜でこれだけしか見当たりません。あしたになりましたらもっと拾って参ります」と言う。小使までばかだ。おれはバッタの一つを生徒に見せて「バッタたこれだ、大きなずう体をして、バッタを知らないた、なんのことだ」と言うと、いちばん左の方にいた顔の丸いやつが「そりゃ、イナゴぞな、もし」と生意気におれをやりこめた。「べらぼうめ、イナゴもバッタも同じもんだ。第一先生をつらまえてなもしたなんだ。菜《な》飯《めし》は田《でん》楽《がく*》の時よりほかに食うもんじゃない」とあべこべにやりこめてやったら「なもしと菜飯とは違うぞな、もし」と言った。いつまでいってもなもしを使うやつだ。
「イナゴでもバッタでも、なんでおれの床の中に入れたんだ。おれがいつ、バッタを入れてくれと頼んだ」
「だれも入れやせんがな」
「入れないものが、どうして床の中にいるんだ」
「イナゴは温《ぬく》い所が好きじゃけれ、おおかた一人でおはいりたのじゃあろ」
「ばかあ言え。バッタが一人でおはいりになるなんて――バッタにおはいりになられてたまるもんか。――さあなぜこんないたずらをしたか、言え」
「言えてて、入れんものを説明しようがないがな」
けちなやつらだ、自分で自分のしたことが言えないくらいなら、てんでしないがいい。証拠さえあがらなければ、しらをきるつもりでずぶとく構えていやがる。おれだって中学にいた時分は少しはいたずらもしたもんだ。しかしだれがしたと聞かれた時に、尻《しり》込《ご》みをするような卑怯なことはただの一度もなかった。したものはしたので、しないものはしないにきまってる。おれなんぞは、いくら、いたずらをしたって潔白なものだ。嘘をついて罰を逃げるくらいなら、はじめからいたずらなんかやるものか。いたずらと罰はつきもんだ。罰があるからいたずらも心持ちよくできる。いたずらだけで罰はごめんこうむるなんて下劣な根性がどこの国にはやると思ってるんだ。金は借りるが、返すことはごめんだという連中はみんな、こんなやつらが卒業してやる仕事に相違ない。ぜんたい中学校へ何しにはいってるんだ。学校ヘはいって、嘘をついて、ごまかして、陰でこせこせ生意気なわるいたずらをして、そうして大きな面《つら》で卒業すれば教育を受けたもんだと勘違いをしていやがる。話せない雑《ぞう》兵《ひよう》だ。
おれはこんな腐った了見のやつらと談判するのは胸《むな》糞《くそ》がわるいから、「そんなに言われなきゃ、聞かなくっていい。中学校へはいって、上品も下品も区別ができないのは気の毒なものだ」と言って六人をおっぱなしてやった。おれは言葉や様子こそあまり上品じゃないが、心はこいつらよりもはるかに上品なつもりだ。六人は悠《ゆう》々《ゆう》と引き揚げた。うわべだけは教師のおれよりよっぽどえらく見える。実は落ち付いているだけなおわるい。おれにはとうていこれほどの度胸はない。
それからまた床ヘはいって横になったら、さっきの騒動で蚊帳の中はぶんぶんうなっている。手《て》燭《しよく》をつけて一匹ずつ焼くなんてめんどうなことはできないから、釣《つり》手《て》をはずして、長く畳んでおいて部屋の中で横《よこ》竪《たて》十文字に振ったら、環《わ》が飛んで手の甲をいやというほどぶった。三度目に床ヘはいった時は少々落ち付いたがなかなか寝られない。時計を見ると十時半だ。考えてみるとやっかいな所へ来たもんだ。いったい中学の先生なんて、どこへ行っても、こんなものを相手にするなら気の毒なものだ。よく先生が品切れにならない。よっぽど辛《しん》抱《ぼう》強《づよ》い朴《ぼく》念《ねん》仁《じん》がなるんだろう。おれはとうていやりきれない。それを思うと清なんてのは見上げたものだ。教育もない身分もない婆さんだが、人間としてはすこぶるたっとい。今まであんなに世話になってべつだんありがたいとも思わなかったが、こうして、一人で遠国へ来てみると、はじめてあの親切がわかる。越後の笹飴が食いたければ、わざわざ越後まで買いに行って食わしてやっても、食わせるだけの価値はじゅうぶんある。清はおれのことを欲がなくって、まっすぐな気性だと言って、ほめるが、ほめられるおれよりも、ほめる本人のほうがりっぱな人間だ。なんだか清に会いたくなった。
清のことを考えながら、のつそつ《*》していると、突然おれの頭の上で、数で言ったら三、四十人もあろうか、二階が落っこちるほどどん、どん、どんと拍子を取って床板を踏みならす音がした。すると足音に比例した大きな鬨《とき》の声が起こった。おれは何事が持ち上がったのかと驚いて飛び起きた。飛び起きるとたんに、ははあさっきの意趣返しに生徒があばれるのだなと気がついた。手前のわるいことはわるかったと言ってしまわないうちは罪は消えないもんだ。わるいことは、手前たちに覚えがあるだろう。本来なら寝てから後悔してあしたの朝でもあやまりに来るのが本筋だ。たとい、あやまらないまでも恐れ入って、静粛に寝ているべきだ。それをなんだこの騒ぎは。寄宿舎を建てて豚でも飼っておきあしまいし。気《き》狂《ちがい》じみたまねもたいていにするがいい。どうするか見ろと、寝巻のまま宿直部屋を飛び出して、楷《はし》子《ご》段《だん》を三《み》股《また》半《はん》に二階までおどり上がった。すると不思議なことに、今まで頭の上で、たしかどたばたあばれていたのが、急に静まり返って、人声どころか足音もしなくなった。これは妙だ。ランプはすでに消してあるから、暗くてどこに何がいるか判然とわからないが、人《ひと》気《け》のあるとないとは様子でも知れる。長く東から西へ貫いた廊下には鼠《ねずみ》一匹も隠れていない。廊下のはずれから月がさして、はるか向こうがきわどく明るい。どうも変だ、おれは子供の時から、よく夢を見る癖があって、夢中に跳ね起きて、わからぬ寝言を言って、人に笑われたことがよくある。十六、七の時ダイヤモンドを拾った夢を見た晩なぞは、むくりと立ち上がって、そばにいた兄に、今のダイヤモンドはどうしたと、非常な勢いで尋ねたくらいだ。その時は三日ばかりうちじゅうの笑い草になって大いに弱った。ことによると今のも夢かもしれない。しかしたしかにあばれたに違いないがと、廊下のまん中で考え込んでいると、月のさしている向こうのはずれで、一、二、三わあと、三、四十人の声がかたまって響いたかと思う間もなく、まえのように拍子をとって、一同が床板を踏み鳴らした。それみろ夢じゃないやっぱり事実だ。静かにしろ、夜なかだぞ、とこっちも負けんくらいな声を出して、廊下を向こうヘかけだした。おれの通る路は暗い、ただはずれに見える月あかりが目《もく》標《ひよう》だ。おれがかけだして二間も来たかと思うと、廊下のまん中で、堅い大きなものに向《むこう》脛《ずね》をぶつけて、あ痛いが頭ヘひびくまに、からだはすとんと前ヘほうり出された。こんちきしょうと起き上がってみたが、かけられない。気はせくが、足だけはいうことをきかない。じれったいから、一本足で飛んで来たら、もう足音も人声も静まり返って、しんとしている。いくら人間が卑怯だって、こんなに卑怯にできるものじゃない。まるで豚だ。こうなれば隠れているやつを引きずり出して、あやまらせてやるまではひかないぞと、心をきめて寝室の一つをあけて中を検査しようと思ったがあかない。錠をかけてあるのか、机か何か積んで立てかけてあるのか、押しても、押してもけっしてあかない。今度は向こう合わせの北側の室《へや》を試みた。あかないことはやっぱり同然である。おれが戸をあけて中にいるやつを引っつらまえてやろうと、いらってると、また東のはずれで鬨の声と足拍子が始まった。このやろう申し合わせて、東西相応じておれをばかにする気だな、とは思ったがさてどうしていいかわからない。正直に白状してしまうが、おれは勇気のあるわりあいに知恵が足りない。こんな時にはどうしていいかさっぱりわからない。わからないけれども、けっして負けるつもりはない。このままにすましてはおれの顔にかかわる。江戸っ子はいくじがないと言われるのは残念だ。宿直をして鼻《はな》垂《つた》れ小僧にからかわれて、手のつけようがなくって、しかたがないから泣き寝入りにしたと思われちゃ一生の名折れだ。これでも元は旗本だ。旗本の元は清《せい》和《わ》源氏《*》で、多《た》田《だ》の満《まんじ》仲《ゆう*》の後《こう》裔《えい*》だ。こんな土百姓とは生まれからして違うんだ。ただ知恵のないところが惜しいだけだ。どうしていいかわからないのが困るだけだ。困ったって負けるものか。正直だから、どうしていいかわからないんだ。世の中に正直が勝たないで、ほかに勝つものがあるか、考えてみろ。今夜中に勝てなければ、あした勝つ。あした勝てなければ、あさって勝つ。あさって勝てなければ、下宿から弁当を取り寄せて勝つまでここにいる。おれはこう決心したから、廊下のまん中へあぐらをかいて夜のあけるのを待っていた。蚊がぶんぶん来たけれどもなんともなかった。さっき、ぶつけた向脛をなでてみると、なんだかぬらぬらする。血が出るんだろう。血なんか出たければかってに出るがいい。そのうち最前からの疲れが出て、ついうとうと寝てしまった。なんだか騒がしいので、目がさめた時はえっくそしまったと飛び上がった。おれのすわってた右側にある戸が半分あいて、生徒が二人、おれの前に立っている。おれは正気に返って、はっと思うとたんに、おれの鼻の先にある生徒の足をひっつかんで、力任せにぐいと引いたら、そいつは、どたりとあおむけに倒れた。ざまを見ろ。残る一人がちょっと狼狽したところを、飛びかかって、肩を抑えて二、三度こづき回したら、あっけにとられて、目をぱちぱちさせた。さあおれの部屋まで来いと引っ立てると、弱虫だとみえて、一も二もなくついて来た。夜はとうにあけている。
おれが宿直部屋ヘ連れて来たやつを詰問し始めると、豚は、ぶってもたたいても豚だから、ただ知らんがなで、どこまでも通す了見とみえて、けっして白状しない。そのうち一人来る、二人来る、だんだん二階から宿直部屋へ集まってくる。見るとみんな眠そうに瞼《まぶた》をはらしている、けちなやつらだ。一晩ぐらい寝ないで、そんな面《つら》をして男といわれるか。面でも洗って議論に来いと言ってやったが、だれも面を洗いに行かない。
おれは五十人余りを相手に約一時間ばかり押問答をしていると、ひょっくり狸がやって来た。あとから聞いたら、小使が学校に騒動がありますって、わざわざ知らせに行ったのだそうだ。これしきのことに、校長を呼ぶなんて意気地がなさすぎる。それだから中学校の小使なんぞをしてるんだ。
校長はひととおりおれの説明を聞いた、生徒の言い草もちょっと聞いた。おって処分するまでは、今までどおり学校へ出ろ。早く顔を洗って、朝飯を食わないと時間に間に合わないから、早くしろと言って寄宿生をみんな放免した。手ぬるいことだ。おれなら即席に寄宿生をことごとく退校してしまう。こんな悠《ゆう》長《ちよう》なことをするから生徒が宿直員をばかにするんだ。そのうえおれに向かって、あなたもさぞ御心配でお疲れでしょう、今日は御授業に及ばんと言うから、おれはこう答えた。「いえ、ちっとも心配じゃありません。こんなことが毎晩あっても、命のあるあいだは心配にゃなりません。授業はやります、一晩ぐらい寝なくって、授業ができないくらいなら、頂載した月給を学校のほうへ割戻します」校長はなんと思ったものか、しばらくおれの顔を見つめていたが、しかし顔がだいぶはれていますよと注意した。なるほどなんだか少々重たい気がする。そのうえべたいちめんかゆい。蚊がよっぽど刺したに相違ない。おれは顔じゅうぼりぼりかきながら、顔はいくら膨れたって、口はたしかにきけますから、授業には差しつかえませんと答えた。校長は笑いながら、だいぶ元気ですねと賞めた。実を言うと賞めたんじゃあるまい、ひやかしたんだろう。
五
君釣に行きませんかと赤シャツがおれに聞いた。赤シャツは気味のわるいように優しい声を出す男である。まるで男だか女だかわかりゃしない。男なら男らしい声を出すもんだ。ことに大学卒業生じゃないか。物理学校でさえおれぐらいな声が出るのに、文学士がこれじゃみっともない。
おれはそうですなあと少し進まない返事をしたら、君釣をしたことがありますかと失敬なとを聞く。あんまりないが、子供の時、小《こ》梅《うめ*》の釣堀で鮒《ふな》を三匹釣ったことがある。それから神楽坂の毘《び》沙《しや》門《もん》の縁日で八寸ばかりの鯉《こい》を針で引っかけて、しめたと思ったら、ぽちゃりと落としてしまったがこれは今考えても惜しいと言ったら、赤シャツは顋《あご》を前の方へ突き出してホホホホと笑った。なにもそう気取って笑わなくっても、よさそうなものだ。「それじゃ、まだ釣の味はわからんですな。お望みならちと伝授しましょう」とすこぶる得意である。だれが御伝授をうけるものか。いったい釣や猟をする連中はみんな不人情な人間ばかりだ。不人情でなくって、殺《せつ》生《しよう》をして喜ぶわけがない。魚だって、鳥だって殺されるより生きてるほうが楽にきまってる。釣や猟をしなくっちゃ活計がたたないなら格別だが、何不足なく暮らしているうえに、生き物を殺さなくっちゃ寝られないなんて贅《ぜい》沢《たく》な話だ。こう思ったが向こうは文学士だけに口が達者だから、議論じゃかなわないと思って、だまってた。すると先生このおれを降参させたと勘違いして、さっそく伝授しましょう。おひまなら、きょうどうです。いっしょに行っちゃ。吉《よし》川《かわ》君と二人ぎりじゃ、淋《さむ》しいから、来たまえとしきりに勧める。吉川君というのは画学の教師で例の野だいこのことだ。この野だは、どういう了見だか、赤シャツのうちヘ朝夕出入りして、どこヘでも随行して行く。まるで同輩じゃない。主従みたようだ。赤シャツの行く所なら、野だは必ず行くにきまっているんだから、いまさら驚きもしないが、二人で行けば済むところを、なんで無《ぶ》愛《あい》想《そ》のおれヘ口をかけたんだろう。おおかた高慢ちきな釣道楽で、自分の釣るところをおれに見せびらかすつもりかなんかで誘ったに違いない。そんなことで見せびらかされるおれじゃない、鮪《まぐろ》の二匹や三匹釣ったって、びくともするもんか。おれだって人間だ、いくらヘただって糸さえおろしゃ、何かかかるだろう、ここでおれが行かないと、赤シャツのことだから、ヘただから行かないんだ、きらいだから行かないんじゃないと邪推するに相違ない。おれはこう考えたから、行きましょうと答えた。それから、学校をしまって、一応うちヘ帰って、支度を整えて、停車場で赤シャツと野だを待ち合わせて浜ヘ行った。船頭は一人で、舟は細長い東京辺では見たこともない恰《かつ》好《こう》である。さっきから船中見渡すが釣《つり》竿《ざお》が一本も見えない。釣竿なしで釣ができるものか、どうする了見だろうと、野だに聞くと、沖釣には竿は用いません。糸だけでげすと顋をなでてくろうとじみたことを言った。こうやりこめられるくらいなら黙っていればよかった。
船頭はゆっくりゆっくりこいでいるが熟練は恐しいもので、見返ると浜が小さく見えるくらいもう出ている。高《こう》柏《はく》寺《じ》の五重の塔が森の上ヘ抜け出して針のようにとんがってる。向こう側を見ると青《あお》嶋《しま》が浮いている。これは人の住まない島だそうだ。よく見ると石と松ばかりだ。なるほど石と松ばかりじゃ住めっこない。赤シャツは、しきりに眺《ちよう》望《ぼう》していい景《け》色《しき》だと言ってる。野だは絶景でげすと言ってる。絶景だかなんだか知らないが、いい心持ちには相違ない。ひろびろとした海の上で、潮風に吹かれるのは薬だと思った。いやに腹が減る。「あの松を見たまえ、幹がまっすぐで、上が傘《かさ》のように開いてターナー《*》の画にありそうだね」と赤シャツが野だに言うと、野だは「まったくターナーですね。どうもあの曲がりぐあいったらありませんね。ターナーそっくりですよ」と心得顔である。ターナーとはなんのことだか知らないが、聞かないでも困らないことだから黙っていた。舟は島を右に見てぐるりと回った。波はまったくない。これで海だとは受け取りにくいほど平らだ。赤シャツのおかげではなはだ愉快だ。できることなら、あの島の上へ上がってみたいと思ったから、あの岩のある所へは舟はつけられないんですかと聞いてみた。つけられんこともないんですが、釣をするには、あまり岸じゃいけないですと赤シャツが異議を申し立てた。おれは黙ってた。すると野だがどうです教頭、これからあの島をターナー島と名づけようじゃありませんかと余計な発《ほつ》議《ぎ》をした。赤シャツはそいつはおもしろい、われわれはこれからそう言おうと賛成した。このわれわれのうちにおれもはいってるなら迷惑だ。おれには青嶋でたくさんだ。あの岩の上に、どうです、ラファエル《*》のマドンナ《*》を置いちゃ。いい画ができますぜと野だが言うと、マドンナの話はよそうじゃないかホホホホと赤シャツが気味のわるい笑い方をした。なにだれもいないから大丈夫ですと、ちょっとおれの方を見たが、わざと顔をそむけてにやにやと笑った。おれはなんだかいやな心持ちがした。マドンナだろうが、小《こ》旦《だん》那《な》だろうが、おれの関係したことでないから、かってに立たせるがよかろうが、人にわからないことを言ってわからないから聞いたってかまやしませんてえようなふうをする。下品な仕草だ。これで当人は私《わたし》も江戸っ子でげすなどと言ってる。マドンナというのはなんでも赤シャツの馴《な》染《じみ》の芸者のあだ名かなんかに違いないと思った、なじみの芸者を無人島の松の木の下に立たして眺めていれば世話はない。それを野だが油絵にでもかいて展覧会ヘ出したらよかろう。
ここいらがいいだろうと船頭は船をとめて、錨《いかり》をおろした。幾《いく》尋《ひろ*》あるかねと赤シャツが聞くと、六尋ぐらいだと言う。六尋ぐらいじゃ鯛《たい》はむずかしいなと、赤シャツは糸を海ヘなげ込んだ。大将鯛を釣る気とみえる、豪胆なものだ。野だは、なに教頭のおてぎわじゃかかりますよ。それになぎですからとお世辞を言いながら、これも糸を繰り出して投げ入れる。なんだか先に錘《おもり》のような鉛がぶら下がってるだけだ。浮《うき》がない。浮がなくって釣をするのは寒暖計なしで熱度をはかるようなものだ。おれにはとうていできないと見ていると、さあ君もやりたまえ糸はありますかと聞く。糸はあまるほどあるが、浮がありませんと言ったら、浮がなくっちゃ釣ができないのはしろうとですよ。こうしてね、糸が水《みず》底《そこ》ヘついた時分に、船《ふな》縁《べり》の所で人さし指で呼吸をはかるんです、食うとすぐ手にこたえる。――そらきた、と先生急に糸をたぐりはじめるから、何かかかったと思ったらなんにもかからない、餌《え》がなくなってたばかりだ。いいきびだ。教頭、残念なことをしましたね。今のはたしかに大ものに違いなかったんですが、どうも教頭のおてぎわでさえ逃げられちゃ、きょうは油断ができませんよ。しかし逃げられてもなんですね。浮とにらめくらをしている連中よりはましですね。ちょうど歯どめ《*》がなくっちゃ自転車へ乗れないのと同程度ですからねと野だは妙なことばかりしゃべる。よっぽどなぐりつけてやろうかと思った。おれだって人間だ、教頭ひとりで借り切った海じゃあるまいし。広い所だ。鰹《かつお》の一匹ぐらい義理にだって、かかってくれるだろうと、どぼんと錘と糸をほうり込んでいいかげんに指の先であやつっていた。
しばらくすると、なんだかぴくぴくと糸にあたるものがある。おれは考えた。こいつは魚に相違ない。生きてるものでなくっちゃ、こうぴくつくわけがない。しめた、釣れたとぐいぐいたぐり寄せた。おや釣れましたかね、後世恐るべし《*》だと野だがひやかすうち、糸はもうたいがいたぐり込んでただ五尺ばかりほどしか、水に浸《つ》いておらん。船縁からのぞいて見たら、金魚のような縞《しま》のある魚が糸にくっついて、右左へただよいながら、手に応じて浮き上がってくる。おもしろい。水ぎわから上げるとき、ぽちゃりとはねたから、おれの顔は潮水だらけになった。ようやくつらまえて針を取ろうとするがなかなか取れない。つかまえた手はぬるぬるする。大いに気味がわるい。めんどうだから糸を振って胴の間《ま》へたたきつけたら、すぐ死んでしまった。赤シャツと野だは驚いて見ている。おれは海の中で手をざぶざぶと洗って、鼻の先へあてがってみた。まだなまぐさい。もうこりごりだ。何が釣れたって魚は握りたくない。魚も握られたくなかろう。そうそう糸をまいてしまった。
一《いち》番《ばん》槍《やり》はお手柄だがゴルキ《*》じゃ、と野だがまたなまいきを言うと、ゴルキというロシアの文学者《*》見たような名だねと赤シャツがしゃれた。そうですね、まるでロシアの文学者ですねと野だはすぐ賛成しやがる。ゴルキがロシアの文学者で、丸木《*》が芝の写真師で、米のなる木が命の親だろう。いったいこの赤シャツはわるい癖だ。だれを捕まえても片仮名の唐人の名を並べたがる。人にはそれぞれ専門があったものだ。おれのような数学の教師にゴルキだか車《しや》力《りき*》だか見当がつくものか、少しは遠慮するがいい。言うならフランクリンの自伝《*》だとかプッシング・ツー・ゼ・フロント《*》だとか、おれでも知ってる名を使うがいい。赤シャツは時々帝国文学《*》とかいうまっかな雑誌を学校ヘ持って来てありがたそうに読んでいる。山嵐に聞いてみたら、赤シャツの片仮名はみんなあの雑誌から出るんだそうだ。帝国文学も罪な雑誌だ。
それから赤シャツと野だは一生懸命に釣っていたが、約一時間ばかりのうちに二人で十五、六上げた。おかしいことに釣れるのも、釣れるのも、みんなゴルキばかりだ。鯛なんて薬にしたくってもありゃしない。今日はロシア文学の大当たりだと赤シャツが野だに話している。あなたの手腕でゴルキなんですから、私なんぞがゴルキなのはしかたがありません。あたりまえですなと野だが答えている。船頭に聞くとこの小魚は骨が多くって、まずくって、とても食えないんだそうだ。ただ肥料《こやし》にはできるそうだ。赤シャツと野だは一生懸命に肥料を釣っているんだ。気の毒のいたりだ。おれは一匹でこりたから、胴の間ヘあおむけになって、さっきから大空をながめていた。釣をするよりこのほうがよっぽどしゃれている。
すると二人は小声で何か話しはじめた。おれにはよく聞こえない、また聞きたくもない。おれは空を見ながら清のことを考えている。金があって、清をつれて、こんなきれいな所ヘ遊びに来たらさぞ愉快だろう。いくら景色がよくっても野だなどといっしょじゃつまらない。清はしわくちゃだらけの婆《ばあ》さんだが、どんな所ヘ連れて出たって恥ずかしい心持ちはしない。野だのようなのは、馬車に乗ろうが、船に乗ろうが、凌《りよう》雲《うん》閣《かく*》へのろうが、とうてい寄りつけたものじゃない。おれが教頭で、赤シャツがおれだったら、やっぱりおれにヘけつけお世辞を使って赤シャツをひやかすに違いない。江戸っ子は軽薄だというがなるほどこんなものが田舎《いなか》巡《まわ》りをして、私は江戸っ子でげすとくり返していたら、軽薄は江戸っ子で、江戸っ子は軽薄のことだと田舎者が思うにきまってる。こんなことを考えていると、なんだか二人がくすくす笑いだした。笑い声のあいだに何か言うがとぎれとぎれでとんと要領を得ない。「え? どうだか……」「……まったくです……知らないんですから……罪ですね」「まさか……」「バッタを……本当ですよ」
おれはほかの言葉には耳を傾けなかったが、バッタという野だの語《ことば》を聞いた時は、思わずきっとなった。野だはなんのためかバッタという言葉だけことさら力を入れて、明《めい》瞭《りよう》におれの耳にはいるようにして、そのあとをわざとぼかしてしまった。おれは動かないでやはり聞いていた。
「また例の堀田が……」「そうかもしれない……」「天《てん》麩《ぷ》羅《ら》……ハハハハハ」「扇動して……」「団子も?」
言葉はかようにとぎれとぎれであるけれども、バッタだの天麩羅だの、団子だのというところをもって推《お》し測ってみると、なんでもおれのことについてないしょ話をしているに相違ない。話すならもっと大きな声で話すがいい、またないしょ話をするくらいなら、おれなんか誘わなければいい。いけ好かない連中だ。バッタだろうが雪《せつ》踏《た*》だろうが、非はおれにあることじゃない。校長がひとまずあずけろと言ったから、狸の顔にめんじてただいまのところは控えているんだ。野だのくせにいらぬ批評をしやがる。毛《け》筆《ふで》でもしゃぶって引っ込んでるがいい。おれのことは、おそかれはやかれ、おれ一人でかたづけてみせるから、さしつかえはないが、また例の堀田がとか扇動してとかいう文句が気にかかる。堀田がおれを扇動して騒動を大きくしたという意味なのか、あるいは堀田が生徒を扇動しておれをいじめたというのか方角がわからない。青空を見ていると、日の光がだんだん弱ってきて、少しはひやりとする風が吹きだした。線香の煙のような雲が、透きとおる底の上を静かにのしていったと思ったら、いつしか底の奥に流れ込んで、うすくもやをかけたようになった。
もう帰ろうかと赤シャツが思い出したように言うと、ええちょうど時分ですね。今夜はマドンナの君にお会いですかと野だが言う。赤シャツはばかあ言っちゃいけない、間違いになると、船縁に身をもたしたやつを、少し起き直る。エへへへへ大丈夫ですよ。聞いたって……と野だがふり返った時、おれは皿のような目を野だの頭の上へまともに浴びせかけてやった。野だはまぼしそうに引っくり返って、や、こいつは降参だと首を縮めて、頭をかいた。何という猪《ちよ》口《こ》才《ざい》だろう。
船は静かな海を岸ヘこぎもどる。君釣はあまり好きでないとみえますねと赤シャツが聞くから、ええ寝ていて空を見るほうがいいですと答えて、吸いかけた巻《まき》煙草《たばこ》を海の中へたたき込んだら、ジュと音がして艪《ろ》の足でかき分けられた浪《なみ》の上を揺られながらただよっていった。「君が来たんで生徒も大いに喜んでいるから、奮発してやってくれたまえ」と今度は釣にはまるで縁故もないことを言いだした。「あんまり喜んでもいないでしょう」「いえ、お世辞じゃない。まったく喜んでいるんです、ね、吉川君」「喜んでるどころじゃない。大騒ぎです」と野だはにやにやと笑った。こいつの言うことはいちいちしゃくにさわるから妙だ。「しかし君注意しないと、けんのんですよ」と赤シャツが言うから「どうせけんのんです。こうなりゃけんのんは覚悟です」と言ってやった。実際おれは免職になるか、寄宿生をことごとくあやまらせるか、どっちか一つにする了見でいた。「そう言っちゃ、取りつき所もないが――実は僕も教頭として君のためを思うから言うんだから、わるく取っちゃ困る」「教頭はまったく君に好意を持ってるんですよ。僕も及ばずながら、同じ江戸っ子だから、なるべく長く御在校を願って、お互いに力になろうと思って、これでも蔭《かげ》ながら尽力しているんですよ」と野だが人間並みのことを言った。野だのお世話になるくらいなら首をくくって死んじまわあ。
「それでね、生徒は君の来たのをたいへん歓迎しているんだが、そこにはいろいろな事情があってね。君も腹のたつこともあるだろうが、ここが我慢だと思って、しんぼうしてくれたまえ。けっして君のためにならないようなことはしないから」
「いろいろの事情た、どんな事情です」
「それが少し込み入ってるんだが、まあだんだんわかりますよ。僕が話さないでも自然とわかってくるです、ね吉川君」
「ええなかなか込み入ってますからね。一朝一夕にゃとうていわかりません。しかしだんだんわかります、僕が話さないでも自然とわかってくるです」と野だは赤シャツと同じようなことを言う。
「そんなめんどうな事情なら聞かなくてもいいんですが、あなたのほうから話しだしたから伺うんです」
「そりゃごもっともだ。こっちで口を切って、あとをつけないのは無責任ですね。それじゃこれだけのことを言っておきましょう。あなたは失礼ながら、まだ学校を卒業したてで、教師ははじめての経験である。ところが学校というものはなかなか情実のあるもので、そう書生流に淡泊にはゆかないですからね」
「淡泊にゆかなければ、どんなふうにゆくんです」
「さあ君はそう率直だから、まだ経験に乏しいというんですがね……」
「どうせ経験には乏しいはずです。履歴書にもかいときましたが二十三年四か月ですから」
「さ、そこで思わぬ辺から乗ぜられることがあるんです」
「正直にしていればだれが乗じたってこわくはないです」
「むろんこわくはない、こわくはないが、乗ぜられる。現に君の前任者がやられたんだから、気をつけないといけないと言うんです」
野だがおとなしくなったと気がついて、ふり向いて見ると、いつしか艫《とも》の方で船頭と釣の話をしている。野だがいないんでよっぽど話しよくなった。
「僕の前任者が、だれに乗ぜられたんです」
「だれとさすと、その人の名誉に関係するから言えない。また判然と証拠のないことだから言うとこっちの落度になる。とにかく、せっかく君が来たもんだから、ここで失敗しちゃ僕らも君を呼んだかいがない、どうか気をつけてくれたまえ」
「気をつけろったって、これより気のつけようはありません。わるいことをしなけりゃいいんでしょう」
赤シャツはホホホホと笑った。べつだんおれは笑われるようなことを言ったおぼえはない。今日ただいまに至るまでこれでいいと堅く信じている。考えてみると世間の大部分の人はわるくなることを奨励しているように思う。わるくならなければ社会に成功はしないものと信じているらしい。たまに正直な純粋な人を見ると、坊《ぼ》っちゃんだの小僧だのとなんくせをつけて軽《けい》蔑《べつ》する。それじゃ小学校や中学校で嘘《うそ》うそをつくな、正直にしろと倫理の先生が教えないほうがいい。いっそ思い切って学校で嘘をつく法とか、人を信じない術とか、人を乗せる策を教授するほうが、世のためにも当人のためにもなるだろう。赤シャツがホホホホと笑ったのは、おれの単純なのを笑ったのだ。単純や真率が笑われる世の中じゃしようがない。清はこんなときにけっして笑ったことはない。大いに感心して聞いたもんだ。清のほうが赤シャツよりよっぽど上等だ。
「むろんわるい事をしなければ好いんですが、自分だけわるい事をしなくっても、人のわるいのがわからなくちゃ、やっぱりひどい目にあうでしょう。世の中には磊《らい》落《らく》なように見えても、淡泊なように見えても、親切に下宿の世話なんかしてくれても、めったにゆだんのできないのがありますから……。だいぶ寒くなった。もう秋ですね、浜の方は靄《もや》でセピヤ色になった。いい景色だ。おい、吉川君どうだい、あの浜の景色は……」と大きな声を出して野だを呼んだ。なあるほどこりゃ奇絶ですね。時間があると写生するんだが、惜しいですね、このままにしておくのはと野だは大いにたたく《*》。
港屋の二階に灯《ひ》が一つついて、汽車の笛がヒューと鳴るとき、おれの乗っていた舟は磯の砂ヘざくりと、舳《へさき》をつき込んで動かなくなった。おはようお帰りと、かみさんが、浜に立って赤シャツに挨拶する。おれは船《ふな》端《はだ》から、やっと掛《かけ》声《ごえ》をして磯へ飛び下りた。
六
野だは大きらいだ。こんなやつは沢《たく》庵《あん》石《いし》をつけて海の底へ沈めちまうほうが日《につ》本《ぽん》のためだ。赤シャツは声が気にくわない。あれはもちまえの声をわざと気取ってあんな優しいように見せてるんだろう。いくら気取ったって、あの面《つら》じゃだめだ。ほれるものがあったってマドンナぐらいなものだ。しかし教頭だけに野だよりむずかしいことを言う。うちヘ帰って、あいつの申し条を考えてみると一応もっとものようでもある。判然としたことは言わないから、見当がつきかねるが、なんでも山嵐がよくないやつだから用心しろと言うのらしい。それならそうとはっきり断言するがいい。男らしくもない。そうして、そんなわるい教師なら、早く免職さしたらよかろう。教頭なんて文学士のくせにいくじのないもんだ。蔭《かげ》口《ぐち》をきくのでさえ、公然と名前が言えないくらいな男だから、弱虫にきまってる。弱虫は親切なものだから、あの赤シャツも女のような親切ものなんだろう。親切は親切、声は声だから、声が気に入らないって、親切を無にしちゃ筋が違う。それにしても世の中は不思議なものだ。虫の好かないやつが親切で、気の合った友だちが悪《わる》漢《もの》だなんて、人をばかにしている。おおかた田舎だから万事東京のさかにゆくんだろう。物騒な所だ。今に火事が氷って、石が豆《とう》腐《ふ》になるかもしれない。しかし、あの山嵐が生徒を扇動するなんて、いたずらをしそうもないがな。いちばん人望のある教師だというから、やろうと思ったらたいていのことはできるかもしれないが、――第一そんな回りくどいことをしないでも、じかにおれをつらまえて喧《けん》嘩《か》を吹きかけりゃ手《て》数《すう》が省けるわけだ。おれがじゃまになるなら、実はこれこれだ、じゃまだから辞職してくれと言や、よさそうなもんだ。物は相談ずくでどうでもなる。向こうの言い条がもっともなら、あしたにでも辞職してやる。ここばかり米ができるわけでもあるまい。どこの果てへ行ったって、のたれ死はしないつもりだ。山嵐もよっぽど話せないやつだな。
ここへ来た時第一番に氷水をおごったのは山嵐だ。そんな裏表のあるやつから、氷水でもおごってもらっちゃ、おれの顔にかかわる。おれはたった一杯しか飲まなかったから一銭五厘しか払わしちゃない。しかし一銭だろうが五厘だろうが、詐《さ》欺《ぎ》師《し》の恩になっては、死ぬまで心持ちがよくない。あした学校ヘ行ったら、一銭五厘返しておこう。おれは清から三円借りている。その三円は五年たったきょうまでまだ返さない。返せないんじゃない、返さないんだ。清は今に返すだろうなどと、かりそめにもおれの懐中をあてにはしていない。おれも今に返そうなどと他人がましい義理立てはしないつもりだ。こっちがこんな心配をすればするほど清の心を疑ぐるようなもので、清の美しい心にけちをつけると同じことになる。返さないのは清を踏みつけるのじゃない。清をおれの片《かた》破《わ》れと思うからだ。清と山嵐とはもとより比べ物にならないが、たとい氷水だろうが、甘茶だろうが、他人から恵みを受けて、だまっているのは向こうをひとかどの人間と見立てて、その人間に対する厚意の所《しよ》作《さ》だ。割前を出せばそれだけのことですむところを、心のうちでありがたいと恩に着るのは銭《ぜに》金《かね》で買える返礼じゃない。無位無官でも一人前の独立した人間だ。独立した人間が頭を下げるのは百万両よりたっといお礼と思わなければならない。
おれはこれでも山嵐に一銭五厘奮発させて、百万両よりたっとい返礼をした気でいる。山嵐はありがたいと思ってしかるべきだ。それに裏ヘ回って卑劣なふるまいをするとはけしからん野郎だ。あした行って一銭五厘返してしまえば借《かり》も貸《かし》もない。そうしておいて喧嘩をしてやろう。
おれはここまで考えたら、眠くなったからぐうぐう寝てしまった。あくる日は思うしさいがあるから、例刻より早ヤ目に出校して山嵐を待ち受けた。ところがなかなか出て来ない。うらなりが出て来る。漢学の先生が出て来る。野だが出て来る。しまいには赤シャツまで出て来たが山嵐の机の上は白墨が一本竪《たて》に寝ているだけで閑静なものだ。おれは控え所ヘはいるやいなや返そうと思って、うちを出る時から、湯銭のように手の平ヘ入れて一銭五厘、学校まで握ってきた。おれは膏《あぷら》っ手《て》だから、あけて見ると一銭五厘が汗をかいている。汗をかいている銭を返しちゃ、山嵐がなんとか言うだろうと思ったから、机の上ヘ置いてふうふう吹いてまた握った。ところヘ赤シャツが来てきのうは失敬、迷惑でしたろうと言ったから、迷惑じゃありません、おかげで腹が減りましたと答えた。すると赤シャツは山嵐の机の上へ肱《ひじ》を突いて、あの盤《ばん》台《だい》面《づら》をおれの鼻の側面ヘ持ってきたから、何をするかと思ったら、君きのう帰りがけに船の中で話したことは、秘密にしてくれたまえ。まだだれにも話しゃしますまいねと言った。女のような声を出すだけに心配性な男とみえる。話さないことはたしかである。しかしこれから話そうという心持ちで、すでに一銭五厘手の平に用意しているくらいだから、ここで赤シャツから口どめをされちゃ、ちと困る。赤シャツも赤シャツだ。山嵐と名をささないにしろ、あれほど推察のできる謎《なぞ》をかけておきながら、いまさらその謎を解いちゃ迷惑だとは教頭とも思えぬ無責任だ。元来ならおれが山嵐と戦争をはじめて鎬《しのぎ》を削ってるまん中へ出て堂々とおれの肩を持つべきだ。それでこそ一校の教頭で、赤シャツを着ている主意も立つというもんだ。
おれは教頭に向かって、まだだれにも話さないが、これから山嵐と談判するつもりだと言ったら、赤シャツは大いに狼《ろう》狽《ばい》して、君そんな無法なことをしちゃ困る。僕は堀田君のことについて、べつだん君になにも明言した覚えはないんだから――君がもしここで乱暴を働いてくれると、僕は非常に迷惑する。君は学校に騒動を起こすつもりで来たんじゃなかろうと妙に常識をはずれた質問をするから、あたりまえです、月給をもらったり、騒動を起こしたりしちゃ、学校のほうでも困るでしょうと言った。すると赤シャツはそれじゃきのうのことは君の参考だけにとめて、口外してくれるなと汗をかいて依頼に及ぶから、よろしい、僕も困るんだが、そんなにあなたが迷惑ならよしましょうと受け合った。君大丈夫かいと赤シャツは念を押した。どこまで女らしいんだか奥《おく》行《ゆき》がわからない。文学士なんて、みんなあんな連中ならつまらんものだ。辻《つじ》褄《つま》の合わない、論理に欠けた注文をして恬《てん》然《ぜん》としている。しかもこのおれを疑ぐってる。はばかりながら男だ。受け合ったことを裏ヘ回って反《ほ》古《ご》にするようなさもしい了見は持ってるもんか。
ところヘ両隣の机の所有主も出校したんで、赤シャツはそうそう自分の席へ帰っていった。赤シャツはあるき方から気取ってる。部《へ》屋《や》の中を往来するのでも、音を立てないように靴《くつ》の底をそっと落とす。音を立てないであるくのが自慢になるもんだとは、この時からはじめて知った。泥《どろ》棒《ぼう》の稽《けい》古《こ》じゃあるまいし、あたりまえにするがいい。やがて始業の喇叭《らつぱ》がなった。山嵐はとうとう出てこない。しかたがないから、一銭五厘を机の上ヘ置いて教場ヘ出かけた。
授業の都合で一時間目は少しおくれて、控え所ヘ帰ったら、ほかの教師はみんな机を控えて話をしている。山嵐もいつのまにか来ている。欠勤だと思ったら遅刻したんだ。おれの顔を見るやいなやきょうは君のおかげで遅刻したんだ。罰金を出したまえと言った。おれは机の上にあった一銭五厘を出して、これをやるから取っておけ。せんだって通町で飲んだ氷水の代だと山嵐の前ヘ置くと、何を言ってるんだと笑いかけたが、おれが存外まじめでいるので、つまらない冗談をするなと銭をおれの机の上にはき返した。おや山嵐のくせにどこまでおごる気だな。
「冗談じゃない本当だ。おれは君に氷水をおごられる因《いん》縁《ねん》がないから、出すんだ。取らない法があるか」
「そんなに一銭五厘が気になるなら取ってもいいが、なぜ思い出したように、今時分返すんだ」
「今時分でも、いつ時分でも、返すんだ。おごられるのが、いやだから返すんだ」
山嵐は冷然とおれの顔を見てふんと言った。赤シャツの依頼がなければ、ここで山嵐の卑劣をあばいて大喧嘩をしてやるんだが、口外しないと受け合ったんだから動きがとれない。人がこんなにまっかになってるのにふんという理屈があるものか。
「氷水の代は受け取るから、下宿は出てくれ」
「一銭五厘受け取ればそれでいい。下宿を出ようが出まいがおれのかってだ」
「ところがかってでない、きのう、あすこの亭主が来て君に出てもらいたいと言うから、その訳を聞いたら亭主の言うのはもっともだ。それでも、もう一応たしかめるつもりで今《け》朝《さ》あすこへ寄って詳しい話を聞いてきたんだ」
おれには山嵐の言うことがなんの意味だかわからない。
「亭主が君に何を話したんだか、おれが知ってるもんか。そう自分だけできめたってしようがあるか。訳があるなら、訳を話すが順だ。てんから亭主の言うほうがもっともだなんて失敬千万なことを言うな」
「うん、そんなら言ってやろう。君は乱暴であの下宿でもてあまされているんだ。いくら下宿の女房だって、下女たあ違うぜ。足を出してふかせるなんて、いばりすぎるさ」
「おれが、いつ下宿の女房に足をふかせた」
「ふかせたかどうだかしらないが、とにかく向こうじゃ、君に困ってるんだ。下宿料の十円や十五円は懸《かけ》物《もの》を一幅売りゃ、すぐ浮いてくるって言ってたぜ」
「きいたふうなことをぬかす野郎だ。そんなら、なぜ置いた」
「なぜ置いたか、僕は知らん、置くことは置いたんだが、いやになったんだから、出ろと言うんだろう。君出てやれ」
「あたりまえだ。いてくれと手を合わせたって、いるものか。いったいそんな言いがかりを言うような所ヘ周旋する君からしてが不《ふ》埒《らち》だ」
「おれが不埒か、君がおとなしくないんだか、どっちかだろう」
山嵐もおれに劣らぬ肝《かん》癪《しやく》持ちだから、負けぎらいな大きな声を出す。控え所にいた連中は何事が始まったかと思って、みんな、おれと山嵐の方を見て、顋《あご》を長くしてぼんやりしている。おれは、べつに恥ずかしいことをした覚えはないんだから、立ち上がりながら、部屋じゅうひととおり見まわしてやった。みんなが驚いてるなかに野だだけはおもしろそうに笑っていた。おれの大きな目が、貴様も喧嘩をするつもりかと言うけんまくで、野だの干《かん》瓢《ぴよう》づらを射ぬいた時に、野だは突然まじめな顔をして、大いにつつしんだ。少しこわかったとみえる。そのうち喇叺《らつぱ》が鳴る。山嵐もおれも喧嘩を中止して教場ヘ出た。
午後は、先夜おれに対して無札を働いた寄宿生の処分法についての会議だ。会議というものは生まれてはじめてだからとんと様子がわからないが、職員が寄ってたかって、自分勝手な説をたてて、それを校長がいいかげんにまとめるのだろう。まとめるというのは黒《こく》白《びやく》の決しかねる事柄についていうべき言葉だ。この場合のような、だれが見たって、不都合としか思われない事件に会議をするのは暇つぶしだ。だれがなんと解釈したって異説の出ようはずがない。こんな明白なのは即座に校長が処分してしまえばいいに。ずいぶん決断のないことだ。校長ってものが、これならば、なんのことはない、煮え切らないぐずの異《い》名《みよう》だ。
会議室は校長室の隣にある細長い部屋で、平常は食堂の代理を勤める。黒い皮で張った椅《い》子《す》が二十脚ばかり、長いテーブルの周囲に並んでちょっと神田の西洋料理屋ぐらいな格だ《*》。そのテーブルのはじに校長がすわって、校長の隣に赤シャツが構える。あとはかってしだいに席に着くんだそうだが、体操の教師だけはいつも席末に謙《けん》遜《そん》するという話だ。おれは様子がわからないから、博物の教師と漢学の教師のあいだヘはいり込んだ。向こうを見ると山嵐と野だが並んでる。野だの顔はどう考えても劣等だ。喧嘩はしても山嵐のほうがはるかに趣がある。おやじの葬式の時に小《こ》日向《びなた》の養源寺《*》の座敷にかかってた懸物はこの顔によく似ている。坊主に聞いてみたら韋《い》駄《だ》天《てん*》という怪物だそうだ。きょうはおこってるから、目をぐるぐる回しちゃ、時々おれの方を見る。そんなことでおどかされてたまるもんかと、おれも負けない気で、やっぱり目をぐりつかせて、山嵐をにらめてやった。おれの目は恰《かつ》好《こう》はよくないが、大きいことにおいてはたいていな人には負けない。あなたは目が大きいから役者になるときっと似合いますと清がよく言ったくらいだ。
もうたいていお揃《そろ》いでしょうかと校長が言うと、書記の川村というのが一つ二つと頭《あたま》数《かず》を勘定してみる。一人足りない。一人不足ですがと考えていたが、これは足りないはずだ。唐《とう》茄《な》子《す》のうらなり君が来ていない。おれとうらなり君とはどういう宿《すく》世《せ》の因縁かしらないが、この人の顔を見て以来どうしても忘れられない。控え所ヘくれば、すぐ、うらなり君が目につく、途中をあるいていても、うらなり先生の様子が心に浮かぶ。温泉ヘ行くと、うらなり君が時々蒼《あお》い顔をして湯《ゆ》壺《つぼ》のなかにふくれている。挨拶をするとヘえと恐縮して頭を下げるから気の毒になる。学校ヘ出てうらなり君ほどおとなしい人はいない。めったに笑ったこともないが、よけいな口をきいたこともない。おれは君子という言葉を書物のうえで知ってるが、これは字引にあるばかりで、生きてるものではないと思ってたが、うらなり君に会ってからはじめて、やっぱり正体のある文字だと感心したくらいだ。
このくらい関係の深い人のことだから、会議室ヘはいるやいなや、うらなり君のいないのは、すぐ気がついた。実をいうと、この男の次ヘでもすわろうかと、ひそかに目《もく》標《ひよう》にしてきたくらいだ。校長はもうやがて見えるでしょうと、自分の前にある紫の袱《ふく》紗《さ》包《づつみ》をほどいて、蒟《こん》蒻《にやく》版《ばん*》のようなものを読んでいる。赤シャツは琥《こ》珀《はく》のパイプを絹ハンケチでみがきはじめた。この男はこれが道楽である。赤シャツ相当のところだろう。ほかの連中は隣同志でなんだかささやき合っている。手持ち無《ぶ》沙《さ》汰《た》なのは鉛筆の尻《しり》についているゴムの頭でテーブルの上ヘしきりに何か書いている。野だは時々山嵐に話しかけるが、山嵐はいっこう応じない。ただうんとかああと言うばかりで、時々こわい目をして、おれの方を見る。おれも負けずににらめ返す。
ところヘ待ちかねた、うらなり君が気の毒そうにはいって来て少々用事がありまして、遅刻いたしましたと慇《いん》懃《ぎん》に狸に挨拶をした。では会議を開きますと狸はまず書記の川村君に蒟蒻版を配付させる。見ると最初が処分の件、次が生徒取締りの件、その他二、三か条である。狸は例のとおりもったいぶって、教育の生《いき》霊《りよう》という見えでこんな意味のことを述べた。「学校の職員や生徒に過失のあるのは、みんな自分の寡《か》徳《とく》のいたすところで、何か事件があるたびに、自分はよくこれで校長が勤まるとひそかに慚《ざん》愧《き》の念に堪えんが、不幸にして今回もまたかかる騒動をひき起こしたのは、深く諸君に向かって謝罪しなければならん。しかし一たび起こった以上はしかたがない、どうにか処分をせんければならん、事実はすでに諸君の御承知のとおりであるからして、善後策について腹蔵のないことを参考のためにお述べください」
おれは校長の言葉を聞いて、なるほど校長だの狸だのというものは、えらいことを言うもんだと感心した。こう校長がなにもかも責任を受けて、自分の咎《とが》だとか、不徳だとかいうくらいなら、生徒を処分するのは、やめにして、自分からさきへ免職になったら、よさそうなもんだ。そうすればこんなめんどうな会議なんぞ開く必要もなくなるわけだ。第一常識から言ってもわかってる。おれがおとなしく宿直をする。生徒が乱暴をする。わるいのは校長でもなけりゃ、おれでもない、生徒だけにきまってる。もし山嵐が扇動したとすれば、生徒と山嵐を退治ればそれでたくさんだ。人の尻を自分でしょいこんで、おれの尻だ、おれの尻だと吹き散らかすやつが、どこの国にあるもんか、狸でなくっちゃできる芸当じゃない。彼はこんな条理にかなわない議論を吐いて、得意気に一同を見回した。ところがだれも口を開くものがない。博物の教師は第一教場の屋根に烏《からす》がとまってるのをながめている。漢学の先生は蒟蒻版を畳んだり、延ばしたりしてる。山嵐はまだおれの顔をにらめている。会議というものが、こんなばかげたものなら、欠席して昼寝でもしているほうがましだ。
おれは、じれったくなったから、いちばん大いに弁じてやろうと思って、半分尻をあげかけたら、赤シャツが何か言いだしたから、やめにした。見るとパイプをしまって、縞のある絹ハンケチで顔をふきながら、何か言っている。あのハンケチはきっとマドンナから巻き上げたに相違ない。男は白い麻を使うもんだ。「私も寄宿生の乱暴を聞いてはなはだ教頭として不《ふ》行《ゆき》届《とどき》であり、かつ平常の徳化が少年に及ばなかったのを深くはずるのであります。でこういうことは、何か陥欠があると起こるもので、事件そのものを見るとなんだか生徒だけがわるいようであるが、その真相をきわめると責任はかえって学校にあるかもしれない。だから表面上にあらわれたところだけで厳重な制裁を加えるのは、かえって未来のためによくないかとも思われます。かつ少年血気のものであるから活気があふれて、善悪の考えはなく、なかば無意識にこんな悪《いた》戯《ずら》をやることはないともかぎらん。で、もとより処分法は校長のお考えにあることだから、私の容《よう》喙《かい》するかぎりではないが、どうかその辺を御《ご》斟《じん》酌《しやく》になって、なるべく寛大なおとりはからいを願いたいと思います」
なるほど狸が狸なら、赤シャツも赤シャツだ。生徒があばれるのは、生徒がわるいんじゃない教師がわるいんだと公言している。気《きち》狂《がい》が人の頭をなぐりつけるのは、なぐられた人がわるいから、気狂がなぐるんだそうだ。ありがたいしあわせだ。活気にみちて困るなら運《うん》動《どう》場《ば》ヘ出て相《す》撲《もう》でも取るがいい。なかば無意識に床の中へバッタを入れられてたまるもんか。この様子じゃ寝《ね》頸《くび》をかかれても、なかば無意識だって放免するつもりだろう。
おれはこう考えて何か言おうかなと考えてみたが、言うなら人を驚かすようにとうとうと述べたてなくっちゃつまらない、おれの癖として、腹がたったときに口をきくと、二《ふた》言《こと》か三《み》言《こと》で必ず行きつまってしまう。狸でも赤シャツでも人物からいうと、おれよりも下等だが、弁舌はなかなか達者だから、まずいことをしゃべって揚《あげ》足《あし》を取られちゃおもしろくない。ちょっと腹案を作ってみようと、胸のなかで文章を作ってる。すると前にいた野だが突然起立したには驚いた。野だのくせに意見を述べるなんてなまいきだ。野だは例のヘらへら調で「実に今回のバッタ事件および咄《とつ》喊《かん》事件はわれわれ心ある職員をして、ひそかにわが校将来の前途に危《き》惧《ぐ》の念をいだかしむるに足る珍事でありまして、われわれ職員たるものはこの際ふるってみずから省みて、全校の風紀を振粛しなければなりません。それでただいま校長および教頭のお述べになったお説は、実に肯《こう》綮《けい》にあたった凱《がい》切《せつ》なお考えで私は徹頭徹尾賛成いたします。どうかなるべく寛大の御処分を仰ぎたいと思います」と言った。野だの言うことは言語はあるが意味がない、漢語をのべつに陳列するぎりで訳がわからない。わかったのは徹頭徹尾賛成いたしますという言葉だけだ。
おれは野だの言う意味はわからないけれども、なんだか非常に腹がたったから、腹案もできないうちに立ち上がってしまった。「私は徹頭徹尾反対です……」と言ったあとが急に出てこない。「……そんな頓《とん》珍《ちん》漢《かん》な、処分はだいきらいです」とつけたら、職員が一同笑いだした。
「いったい生徒が全然わるいです。どうしてもあやまらせなくっちゃあ、癖になります。退校さしてもかまいません。……なんだ失敬な、新しく来た教師だと思って……」と言って着席した、すると右隣にいる博物が「生徒がわるいことも、わるいが、あまり厳重な罰などをするとかえって反動を起こしていけないでしょう。やっぱり教頭のおっしゃるとおり、寛《かん》なほうに賛成します」と弱いことを言った。左隣の漢学は穏便説に賛成と言った。歴史も教頭と同説だと言った。いまいましい、たいていのものは赤シャツ党だ。こんな連中が寄り合って学校を立てていりゃ世話はない。おれは生徒をあやまらせるか、辞職するか二つのうち一つにきめてるんだから、もし赤シャツが勝ちを制したら、さっそくうちヘ帰って荷作りをする覚悟でいた。どうせ、こんなてあいを弁口で屈伏させるてぎわはなし、させたところでいつまで御交際を願うのは、こっちでごめんだ。学校にいないとすればどうなったってかまうもんか。また何か言うと笑うに違いない。だれが言うもんかとすましていた。
すると今までだまって聞いていた山嵐が奮然として、立ち上がった。野郎また赤シャツ賛成の意を表するな、どうせ、貴様とは喧嘩だ、かってにしろと見ていると山嵐はガラス窓を振るわせるような声で「私は教頭およびその他諸君のお説には全然不同意であります。というものはこの事件はどの点から見ても、五十名の寄宿生が新来の教師某氏を軽《けい》侮《ぶ》してこれを翻《ほん》弄《ろう》しようとした所為とよりほかには認められんのであります。教頭はその原因を教師の人物いかんにお求めになるようでありますが失礼ながらそれは失言かと思います。某氏が宿直にあたられたのは着後早々のことで、まだ生徒に接せられてから二《は》十《つ》日《か》にみたぬころであります。この短かい二十日において生徒は君の学問人物を評価しうる余地がないのであります。軽侮されべき至当な理由があって、軽侮を受けたのなら生徒の行為に斟酌を加える理由もありましょうが、なんらの原因もないのに新来の先生を愚弄するような軽薄な生徒を寛《かん》仮《か》しては学校の威信にかかわることと思います。教育の精神は単に学問を授けるばかりではない、高尚な、正直な、武士的な元気を鼓《こ》吹《すい》すると同時に、野卑な、軽《けい》躁《そう》な、暴慢な悪風を掃《そう》蕩《とう》するにあると思います。もし反動が恐ろしいの、騒動が大きくなるのと姑《こ》息《そく》なことを言った日にはこの弊風はいつ矯《きよう》正《せい》できるかしれません。かかる弊風を杜《と》絶《ぜつ》するためにこそわれわれはこの学校に職を奉じているので、これを見のがすくらいならはじめから教師にならんほうがいいと思います。私は以上の理由で寄宿生一同を厳罰に処するうえに、当該教師の面前において公けに謝罪の意を表せしむるのを至当の所置と心得ます」と言いながら、どんと腰をおろした。一同はだまってなんにも言わない。赤シャツはまたパイプをふきはじめた。おれはなんだか非常にうれしかった。おれの言おうと思うところをおれの代わりに山嵐がすっかり言ってくれたようなものだ。おれはこういう単純な人間だから、今までの喧嘩はまるで忘れて、大いにありがたいという顔をもって、腰をおろした山嵐の方を見たら、山嵐はいっこう知らん面《かお》をしている。
しばらくして山嵐はまた起立した。「ただいまちょっと失念して言い落としましたから、申します。当夜の宿直員は宿直中外出して温泉に行かれたようであるが、あれはもってのほかのことと考えます。いやしくも自分が一校の留《る》守《す》番《ばん》を引き受けながら、とがめるもののないのをさいわいに、場所もあろうに温泉などへ入湯にいくなどというのは大きな失体である。生徒は生徒として、この点については校長からとくに責任者に御注意あらんことを希望します」
妙なやつだ、ほめたと思ったら、あとからすぐ人の失策をあばいている。おれはなんの気もなく、前の宿直が出あるいたことを知って、そんな習慣だと思って、つい温泉まで行ってしまったんだが、なるほどそう言われてみると、これはおれがわるかった。攻撃されてもしかたがない。そこでおれはまた立って「私はまさに宿直中に温泉に行きました。これはまったくわるい。あやまります」と言って着席したら、一同がまた笑いだした。おれが何か言いさえすれば笑う。つまらんやつらだ。貴様らこれほど自分のわるいことを公けにわるかったと断言できるか、できないから笑うんだろう。
それから校長は、もうたいてい御意見もないようでありますから、よく考えたうえで処分しましょうと言った。ついでだからその結果をいうと、寄宿生は一週間の禁足になったうえに、おれの前ヘ出て謝罪をした。謝罪をしなければその時辞職して帰るところだったがなまじい、おれの言うとおりになったのでとうとう大変なことになってしまった。それはあとから話すが、校長はこの時会議の引き続きだと号してこんなことを言った。生徒の風儀は、教師の感化で正していかなくてはならん、その一着手として、教師はなるべく飲食店などに出入りしないことにしたい。もっとも送別会などの節は特別であるが、単独にあまり上等でない場所へ行くのはよしたい――たとえば蕎《そ》麦《ば》屋《や》だの、団子屋だの――と言いかけたらまた一同が笑った。野だが山嵐を見て天《てん》麩《ぷ》羅《ら》と言って目くばせをしたが山嵐は取り合わなかった。いいきびだ。
おれは脳がわるいから、狸の言うことなんか、よくわからないが、蕎麦屋と団子屋ヘ行って、中学の教師が勤まらなくっちゃ、おれ見たような食いしんぼうにゃとうていできっこないと思った。それなら、それでいいから、初《しよ》手《て》から蕎麦と団子のきらいなものと注文して雇うがいい。だんまりで辞令を下げておいて、蕎麦を食うな、団子を食うなと罪なお布《ふ》令《れ》を出すのは、おれのようなほかに道楽のないものにとってはたいへんな打撃だ。すると赤シャツがまた口を出した。「元来中学の教師なぞは社会の上流に位するものだからして、単に物質的の快楽ばかり求めるべきものでない。そのほうにふけるとつい品性にわるい影響を及ぼすようになる。しかし人間だから、何か娯楽がないと、田舎へ来て狭い土地ではとうてい暮らせるものではない。それで釣に行くとか、文学書を読むとか、または新体詩や俳句を作るとか、なんでも高尚な精神的娯楽を求めなくってはいけない……」
だまって聞いてるとかってな熱を吹く。沖へ行って肥料《こやし》を釣ったり、ゴルキがロシアの文学者だったり、馴染《なじみ》の芸者が松の木の下に立ったり、古池へ蛙《かわず》が飛び込んだり《*》するのが精神的娯楽なら、天麩羅を食って団子をのみ込むのも精神的娯楽だ。そんなくだらない娯楽を授けるより赤シャツの洗《せん》濯《たく》でもするがいい。あんまり腹がたったから「マドンナにあうのも精神的娯楽ですか」と聞いてやった。すると今度はだれも笑わない。妙な顔をして互いに目と目を見合わせている。赤シャツ自身も苦しそうに下を向いた。それみろ。きいたろう。ただ気の毒だったのはうらなり君で、おれが、こう言ったら蒼い顔をますます蒼《あお》くした。
七
おれは即夜下宿を引き払った。宿へ帰って荷物をまとめていると、女房が何か不都合でもございましたか、お腹のたつことがあるなら、言っておくれたら改めますと言う。どうも驚く。世の中にはどうして、こんな要領を得ないものばかりそろってるんだろう。出てもらいたいんだか、いてもらいたいんだかわかりゃしない。まるで気《き》狂《ちがい》だ。こんなものを相手に喧《けん》嘩《か》をしたって江戸っ子の名折れだから、車屋をつれて来てさっさと出て来た。
出たことは出たが、どこヘ行くというあてもない。車屋が、どちらヘ参りますと言うから、だまってついて来い、今にわかる、と言って、すたすたやって来た。めんどうだから山城屋へ行こうかとも考えたが、また出なければならないから、つまり手《て》数《すう》だ。こうしてあるいてるうちには下宿とか、なんとか看板のあるうちをめつけ出すだろう。そうしたら、そこが天意にかなったわが宿ということにしよう。とぐるぐる、閑静で住みよさそうな所をあるいてるうち、とうとう鍛冶屋町ヘ出てしまった。ここは士族屋敷で下宿屋などのある町ではないから、もっと賑《にぎ》やかな方へ引き返そうかとも思ったが、ふといいことを考えついた。おれが敬愛するうらなり君はこの町内に住んでいる。うらなり君は土地の人で先祖代々の屋敷を控えているくらいだから、この辺の事情には通じているに相違ない。あの人を尋ねて聞いたら、よさそうな下宿を教えてくれるかもしれない。さいわい一度挨《あい》拶《さつ》に来て勝手は知ってるから、捜してあるくめんどうはない。ここだろうと、いいかげんに見当をつけて、御免御免と二ヘんばかり言うと、奥から五十ぐらいな年寄りが古風な紙《しそ》燭《く*》をつけて、出てきた。おれは若い女もきらいではないが、年寄りを見るとなんだかなつかしい心持ちがする。おおかた清がすきだから、その魂が方々のお婆さんに乗り移るんだろう。これはおおかたうらなり君のおっ母《か》さんだろう、切り下げ《*》の品格のある婦人だが、よくうらなり君に似ている。まあお上がりと言うところを、ちょっとお目にかかりたいからと、主人を玄関まで呼び出して実はこれこれだが君どこか心当たりはありませんかと尋ねてみた。うらなり先生それはさぞお困りでございましょう、としばらく考えていたが、この裏町に萩《はぎ》野《の》といって老人夫婦ぎりで暮らしているものがある、いつぞや座敷をあけておいても無駄だから、たしかな人があるなら貸してもいいから周旋してくれと頼んだことがある。今でも貸すかどうかわからんが、まあいっしょに行って聞いてみましょうと、親切に連れて行ってくれた。
その夜から萩野のうちの下宿人となった。驚いたのは、おれがいか銀の座敷を引き払うと、あくる日から入れ違いに野だが平気な顔をして、おれのいた部屋を占領したことだ。さすがのおれもこれにはあきれた。世の中はいかさま師ばかりで、お互いに乗せっこをしているのかもしれない。いやになった。
世間がこんなものなら、おれも負けない気で、世間並みにしなくちゃ、やりきれないわけになる。巾《きん》着《ちやく》切《き》りのうわまえをはねなければ三度の御《ご》膳《ぜん》がいただけないと、事がきまればこうして、生きてるのも考え物だ。といってぴんぴんした達者なからだで、首をくくっちゃ先祖へすまないうえに、外聞が悪い。考えると物理学校などへはいって、数学なんて役にもたたない芸を覚えるよりも、六百円を資本《もとで》にして牛乳屋でも始めればよかった。そうすれば清もおれのそばを離れずにすむし、おれも遠くから婆さんのことを心配しずに暮らされる。いっしょにいるうちは、そうでもなかったが、こうして田舎《いなか》へ来てみると清はやっぱり善人だ。あんな気立てのいい女は日本じゅうさがしてあるいたってめったにはない。婆さん、おれのたつときに、少々風《か》邪《ぜ》を引いていたが今ごろはどうしてるかしらん。せんだっての手紙を見たらさぞ喜んだろう。それにしても、もう返事がきそうなものだが――おれはこんなことばかり考えて二《に》、三日《さんち》暮らしていた。
気になるから、宿のお婆さんに、東京から手紙は来ませんかと時々尋ねてみるが、聞くたんびになんにも参りませんと気の毒そうな顔をする。ここの夫婦はいか銀とは違って、もとが士族だけに双方とも上品だ。爺《じい》さんが夜になると、変な声を出して謡《うたい》をうたうには閉口するが、いか銀のようにお茶を入れましょうとむやみに出て来ないから大きに楽だ。お婆さんは時々部屋へ来ていろいろな話をする。どうして奥さんをお連れなさって、いっしょにおいでなんだのぞなもしなどと質問をする。奥さんがあるように見えますかね。かあいそうに、これでもまだ二十四ですぜと言ったら、それでもあなた二十四で奥さんがおありなさるのはあたりまえぞなもしと冒頭を置いて、どこのだれさんは二十《はたち》でお嫁をおもらいたの、どこのなんとかさんは二十二で子供を二人お持ちたのと、なんでも例を半ダースばかりあげて反《はん》駁《ぱく》を試みたには恐れ入った。それじゃ僕も二十四でお嫁をおもらいるけれ、世話をしておくれんかなと田舎言葉をまねて頼んでみたら、お婆さん正直に本当かなもしと聞いた。
「本《ほん》当《とう》の本当《ほんま》のって僕あ、嫁がもらいたくってしかたがないんだ」
「そうじゃろうがな、もし。若いうちはだれもそんなものじゃけれ」この挨拶には痛み入って返事ができなかった。
「しかし先生はもう、お嫁がおありなさるにきまっとらい。私《わたし》はちゃんと、もう、ねらんどるぞなもし」
「ヘえ、活眼だね。どうして、ねらんどるんですか」
「どうしててて。東京から便りはないか、便りはないかてて、毎日便りを待ちこがれておいでるじゃないかなもし」
「こいつあ驚いた。たいへんな活眼だ」
「あたりましたろうがな、もし」
「そうですね。あたったかもしれませんよ」
「しかし今どきの女《おな》子《ご》は、昔と違うて油断ができんけれ、お気をおつけたがええぞなもし」
「なんですかい、僕の奥さんが東京で間《ま》男《おとこ》でもこしらえていますかい」
「いいえ、あなたの奥さんはたしかじゃけれど……」
「それで、やっと安心した。それじゃ何を気をつけるんですい」
「あなたのはたしか――あなたのはたしかじゃが――」
「どこにふたしかなのがいますかね」
「ここらにもだいぶおります。先生、あの遠《とお》山《やま》のお嬢さんを御存知かなもし」
「いいえ、知りませんね」
「まだ御存知ないかなもし。ここらであなた一番の別《べつ》嬪《ぴん》さんじゃがなもし。あまり別嬪さんじゃけれ、学校の先生がたはみんなマドンナマドンナと言うといでるぞなもし。まだお聞きんのかなもし」
「うん、マドンナですか。僕あ芸者の名かと思った」
「いいえ、あなた。マドンナというと唐人の言葉で、別嬪さんのことじゃろうがなもし」
「そうかもしれないね。驚いた」
「おおかた画学の先生がおつけた名ぞなもし」
「野だがつけたんですかい」
「いいえ、あの吉川先生がおつけたのじゃがなもし」
「そのマドンナがふたしかなんですかい」
「そのマドンナさんがふたしかなマドンナさんでな、もし」
「やっかいだね。あだ名のついてる女にゃ昔からろくなものはいませんからね。そうかもしれませんよ」
「本当にそうじゃなもし。鬼神のお松《*》じゃの、妲《だつ》妃《き》のお百《*》じゃのててこわい女がおりましたなもし」
「マドンナもその同類なんですかね」
「そのマドンナさんがなもし、あなた。そらあの、あなたをここへ世話をしておくれた古賀先生なもし――あのかたの所へお嫁に行く約束ができていたのじゃがなもし――」
「ヘえ、不思議なもんですね。あのうらなり君が、そんな艷《えん》福《ぷく》のある男とは思わなかった。人は見かけによらないものだな。ちっと気をつけよう」
「ところが、去年あすこのお父《とう》さんが、おなくなりて、――それまではお金もあるし、銀行の株も持っておいでるし、万事都合がよかったのじゃが――それからというものは、どういうものか急に暮らし向きが思わしくなくなって――つまり古賀さんがあまりお人がよすぎるけれ、おだまされたんぞなもし。それや、これやでお輿《こし》入《いれ》も延びているところへ、あの教頭さんがおいでて、ぜひお嫁にほしいとお言いるのじゃがなもし」
「あの赤シャツがですか。ひどいやつだ。どうもあのシャツはただのシャツじゃないと思ってた。それから?」
「人を頼んでかけおうておみると、遠山さんでも古賀さんに義理があるから、すぐには返事はできかねて――まあよう考えてみようぐらいの挨拶をおしたのじゃがなもし。すると赤シャツさんが、手《て》蔓《づる》を求めて遠山さんのほうへ出入りをおしるようになって、とうとうあなた、お嬢さんを手なずけておしまいたのじゃがなもし。赤シャツさんも赤シャツさんじゃが、お嬢さんもお嬢さんじゃてて、みんながわるく言いますのよ。いったん古賀さんへ嫁に行くてて承知をしときながら、いまさら学士さんがおいでたけれ、そのほうに替えよてて、それじゃ今《こん》日《にち》様《さま》へすむまいがなもし、あなた」
「まったくすまないね。今日様どころか明日様にも明後日様にも、いつまでいったってすみっこありませんね」
「それで古賀さんにお気の毒じゃてて、お友だちの堀田さんが教頭の所へ意見をしにお行きたら、赤シャツさんが、あしは約束のあるものを横取りするつもりはない。破約になればもらうかもしれんが、今のところは遠山家とただ交際をしているばかりじゃ、遠山家と交際をするにはべつだん古賀さんにすまんこともなかろうとお言いるけれ、堀田さんもしかたがなしにお戻りたそうな、赤シャツさんと堀田さんは、それ以来折合いがわるいという評判ぞなもし」
「よくいろいろな事を知ってますね。どうして、そんな詳しい事がわかるんですか。感心しちまった」
「狭いけれなんでもわかりますぞなもし」
わかりすぎて困るくらいだ。この様子じゃおれの天麩羅や団子の事も知ってるかもしれない。やっかいな所だ。しかしおかげさまでマドンナの意味もわかるし、山嵐と赤シャツの関係もわかるし大いに後学になった。ただ困るのはどっちが悪者だか判然しない。おれのような単純なものには白とか黒とかかたづけてもらわないと、どっちヘ味方をしていいかわからない。
「赤シャツと山嵐たあ、どっちがいい人ですかね」
「山嵐て何ぞなもし」
「山嵐というのは堀田のことですよ」
「そりゃ強いことは堀田さんのほうが強そうじゃけれど、しかし赤シャツさんは学士さんじゃけれ、働きはあるかたぞな、もし。それから優しいことも赤シャツさんのほうが優しいが、生徒の評判は堀田さんのほうがええというぞなもし」
「つまりどっちがいいんですかね」
「つまり月給の多いほうがえらいのじゃろうがなもし」
これじゃ聞いたってしかたがないから、やめにした。それから二《に》、三日《さんち》して学校から帰るとお婆さんがにこにこして、へえお待ちどうさま。やっと参りました。と一本の手紙を持って来てゆっくり御覧と言って出て行った。取り上げて見ると清からの便りだ。符《ふ》箋《せん》が二、三枚ついてるから、よく調べると、山城屋から、いか銀のほうへ回して、いか銀から、萩野ヘ回って来たのである。そのうえ山城屋では一週間ばかり逗《とう》留《りゆう》している。宿屋だけに手紙まで泊めるつもりなんだろう。開いて見ると、非常に長いもんだ。坊っちゃんの手紙をいただいてから、すぐ返事をかこうと思ったが、あいにく風《か》邪《ぜ》を引いて一週間ばかり寝ていたものだから、ついおそくなってすまない。そのうえ今どきのお嬢さんのように読み書きが達者でないものだから、こんなまずい字でも、かくのによっぽど骨が折れる。甥《おい》に代筆を頼もうと思ったが、せっかくあげるのに自分でかかなくっちゃ、坊っちゃんにすまないと思って、わざわざ下書きを一ペんして、それから清書をした。清書をするには二日ですんだが、下書きをするには四日かかった。読みにくいかもしれないが、これでも一生懸命にかいたのだから、どうぞしまいまで読んでくれ。という冒頭で四尺ばかりなにやらかやらしたためてある。なるほど読みにくい。字がまずいばかりではない、たいてい平仮名だから、どこで切れて、どこで始まるのだか句《く》読《とう》をつけるのによっぽど骨が折れる。おれはせっかちな性分だから、こんな長くて、わかりにくい手紙は五円やるから読んでくれと頼まれても断わるのだが、この時ばかりはまじめになって、始めからしまいまで読み通した。読み通したことは事実だが、読むほうに骨が折れて、意味がつながらないから、また頭から読み直してみた。部屋のなかは少し暗くなって、まえの時より見にくくなったから、とうとう椽《えん》鼻《ばな》へ出て腰をかけながら丁寧に拝見した。すると初《はつ》秋《あき》の風が芭《ば》蕉《しよう》の葉を動かして、素《す》肌《はだ》に吹きつけた帰りに、読みかけた手紙を庭の方へなびかしたから、しまいぎわには四尺あまりの半切れ《*》がさらりさらりと鳴って、手を放すと、向こうの生《いけ》垣《がき》まで飛んで行きそうだ。おれはそんなことにはかまっていられない。坊っちゃんは竹を割ったような気性だが、ただ肝癪が強すぎてそれが心配になる。――ほかの人にむやみにあだ名なんか、つけるのは人に恨まれるもとになるから、やたらに使っちゃいけない。もしつけたら、清だけに手紙で知らせろ。――田舎者は人がわるいそうだから、気をつけてひどい目にあわないようにしろ。――気候だって東京より不順にきまってるから、寝冷えをして風邪を引いてはいけない。坊っちゃんの手紙はあまり短かすぎて、様子がよくわからないから、この次にはせめてこの手紙の半分ぐらいの長さのを書いてくれ。――宿屋ヘ茶代を五円やるのはいいが、あとで困りゃしないか、田舎へ行って頼りになるはお金ばかりだから、なるべく倹約して、万一の時にさしつかえないようにしなくっちゃいけない。――お小遣いがなくて困るかもしれないから、為替《かわせ》で十円あげる。――せんだって坊っちゃんからもらった五十円を、坊っちゃんが、東京ヘ帰って、うちを持つ時の足しにと思って、郵便局ヘ預けておいたが、この十円を引いてもまだ四十円あるから大丈夫だ。――なるほど女というものは細かいものだ。
おれが椽鼻で清の手紙をひらつかせながら、考え込んでいると、しきりの襖《ふすま》をあけて、萩野のお婆さんが晩めしを持ってきた。まだ見ておいでるのかなもし。えっぽど長いお手紙じゃなもし、と言ったから、ええ大事な手紙だから風に吹かしては見、吹かしては見るんだと、自分でも要領を得ない返事をして膳についた。見ると今夜も薩《さつ》摩《ま》芋《いも》の煮つけだ。ここのうちは、いか銀よりも丁寧で、親切で、しかも上品だが、惜しいことに食い物がまずい、きのうも芋、おとといも芋で、今夜も芋だ。おれは芋は大好きだと明言したには相違ないが、こうたてつづけに芋を食わされては命がつづかない。うらなり君を笑うどころか、おれ自身が遠からぬうちに、芋のうらなり先生になっちまう。清ならこんな時に、おれの好きな鮪《まぐろ》のさし身か、蒲《かま》鉾《ぼこ》のつけ焼を食わせるんだが、貧乏士族のけちん坊ときちゃしかたがない。どう考えても清といっしょでなくっちゃあだめだ。もしあの学校に長くでもいる模様なら、東京から呼び寄せてやろう。天《てん》麩《ぷ》羅《ら》蕎《そ》麦《ば》を食っちゃならない、団子を食っちゃならない、それで下宿にいて芋ばかり食って黄色くなっていろなんて、教育者はつらいものだ。禅宗坊主だって、これよりは口に栄《え》耀《よう》をさせているだろう。――おれは一皿の芋をたいらげて、机の抽《ひき》斗《だし》から生卵を二つ出して、茶《ちや》碗《わん》の縁でたたき割って、ようやくしのいだ。生卵ででも栄養をとらなくっちゃあ一週二十一時間の授業ができるものか。
きょうは清の手紙で湯に行く時間がおそくなった。しかし毎日行きつけたのを一日でも欠かすのは心持ちがわるい。汽車にでも乗って出かけようと、例の赤《あか》手《て》拭《ぬぐい》をぶら下げて停《てい》車《しや》場《ば》まで来ると二、三分前に発車したばかりで、少々待たなければならぬ。べンチへ腰をかけて、敷《しき》島《しま*》を吹かしていると、偶然にもうらなり君がやって来た。おれはさっきの話を聞いてから、うらなり君がなおさら気の毒になった。ふだんから天地のあいだに居《いそ》候《うろう》をしているように、小さく構えているのがいかにも憐《あわ》れにみえたが、今夜は憐れどころの騒ぎではない。できるならば月給を倍にして、遠山のお嬢さんとあしたから結婚さして、一か月ばかり東京ヘでも遊びにやってやりたい気がしたやさきだから、やお湯ですか、さあ、こっちへおかけなさいと威勢よく席を譲ると、うらなり君は恐れ入った体裁で、いえ構うておくれなさるな、と遠慮だかなんだかやっぱり立ってる。少し待たなくっちゃ出ません、くたびれますからおかけなさいとまた勧めてみた。実はどうかして、そばヘかけてもらいたかったくらいに気の毒でたまらない。それではおじゃまをいたしましょうとようやくおれの言うことを聞いてくれた。世の中には野だみたようになまいきな、出ないですむ所へ必ず顔を出すやつもいる。山嵐のようにおれがいなくっちゃ日《につ》本《ぽん》が困るだろうというような面《つら》を肩の上へのせてるやつもいる。そうかと思うと、赤シャツのようにコスメチック《*》と色男の問屋をもってみずから任じているのもある。教育が生きてフロックコートを着ればおれになるんだといわぬばかりの狸もいる。皆々それ相応にいばってるんだが、このうらなり先生のようにあれどもなきがごとく、人《ひと》質《じち》に取られた人形のようにおとなしくしているのは見たことがない。顔はふくれているが、こんな結構な男を捨てて赤シャツになびくなんて、マドンナもよっぽど気の知れないおきゃんだ。赤シャツが何ダース寄ったって、これほどりっぱな旦《だん》那《な》様ができるもんか。
「あなたはどっか悪いんじゃありませんか。だいぶたいぎそうに見えますが……」
「いえ、べつだんこれという持病もないですが……」
「そりゃ結構です。からだが悪いと人間もだめですね」
「あなたはだいぶ御丈夫のようですな」
「ええやせても病気はしません。病気なんてものあ大きらいですから」
うらなり君は、おれの言葉を聞いてにやにやと笑った。
ところへ入口で若々しい女の笑い声が聞こえたから、何心なくふり返って見るとえらいやつが来た。色の白い、ハイカラ頭の、背の高い美人と、四十五、六の奥さんとが並んで切符を売る窓の前に立っている。おれは美人の形容などができる男でないからなんにも言えないがまったく美人に相違ない。なんだか水晶の珠《たま》を香水で暖《あつ》ためて、掌《てのひら》へ握ってみたような心持ちがした。年寄りのほうが背は低い。しかし顔はよく似ているから親子だろう。おれは、や、来たなと思うとたんに、うらなり君のことはすっかり忘れて、若い女の方ばかり見ていた。すると、うらなり君が突然おれの隣から、立ち上がって、そろそろ女の方ヘあるきだしたんで、少し驚いた。マドンナじゃないかと思った。三人は切符所《*》の前で軽く挨拶している。遠いから何を言ってるのかわからない。
停《てい》車《しゃ》場《ば》の時計を見るともう五分で発車だ。早く汽車がくればいいがなと、話相手がいなくなったので待ち遠しく思っていると、また一人あわてて場内ヘかけ込んで来たものがある。見れば赤シャツだ。なんだかべらべら然たる着物へ縮《ちり》緬《めん》の帯をだらしなく巻きつけて、例のとおり金《きん》鎖《ぐさり》をぶらつかしている。あの金鎖は贋《にせ》物《もの》である。赤シャツはだれも知るまいと思って、見せびらかしているが、おれはちゃんと知ってる。赤シャツはかけ込んだなり、何かきょろきょろしていたが、切符売《うり》下《さげ》所《じよ》の前に話している三人へ慇《いん》懃《ぎん》にお辞儀をして、何か二こと、三こと、言ったと思ったら、急にこっちへ向いて、例のごとく猫《ねこ》足《あし》にあるいて来て、や、君も湯ですか、僕は乗りおくれやしないかと思って心配して急いで来たら、まだ三、四分ある。あの時計はたしかかしらんと、自分の金側を出して、二分ほどちがってると言いながら、おれのそばへ腰をおろした。女のほうはちっとも見返らないで杖の上ヘ顋《あご》をのせて、正面ばかりながめている。年寄りの婦人は時々赤シャツを見るが、若いほうは横を向いたままである。いよいよマドンナに違いない。
やがて、ピューと汽笛が鳴って、車がつく。待ち合わせた連中はぞろぞろわれがちに乗り込む。赤シャツはいの一号に上等ヘ飛び込んだ。上等ヘ乗ったっていばれるどころではない。住田まで上等が五銭で下等が三銭だから、わずか二銭違いで上下の区別がつく。こういうおれでさえ上等を奮発して白切符《*》を握ってるんでもわかる。もっとも田舎者はけちだから、たった二銭の出《で》入《いり》でもすこぶる苦になるとみえて、たいていは下等へ乗る。赤シャツのあとからマドンナとマドンナのお袋《ふくろ》が上等ヘはいり込んだ。うらなり君は活版で押したように下等ばかりヘ乗る男だ。先生、下等の車室の入口へ立って、なんだか躊《ちゆう》躇《ちよ》のていであったが、おれの顔を見るやいなや思い切って、飛び込んでしまった。おれはこの時なんとなく気の毒でたまらなかったから、うらなり君のあとから、すぐ同じ車室ヘ乗り込んだ。上等の切符で下等ヘ乗るに不都合はなかろう。
温泉ヘ着いて、三階から、浴衣《ゆかた》のなりで湯《ゆ》壺《つぼ》へ下りてみたら、またうらなり君に会った。おれは会議やなんかでいざときまると、咽《の》喉《ど》がふさがってしゃべれない男だが、ふだんはずいぶん弁ずるほうだから、いろいろ湯壺のなかでうらなり君に話しかけてみた。なんだか憐《あわ》れぽくってたまらない。こんな時に一口でも先方の心を慰めてやるのは、江戸っ子の義務だと思ってる。ところがあいにくうらなり君のほうでは、うまいぐあいにこっちの調子に乗ってくれない。何を言っても、えとかいえとかぎりで、しかもそのえといえがだいぶめんどうらしいので、しまいにはとうとう切り上げて、こっちからごめんこうむった。
湯の中では赤シャツに会わなかった。もっとも風《ふ》呂《ろ》の数はたくさんあるのだから、同じ汽車で着いても、同じ湯壺で会うとはきまっていない。べつだん不思議にも思わなかった。風呂を出て見るといい月だ。町内の両側に柳が植わって、柳の枝がまるい影を往来の中へ落としている。少し散歩でもしよう。北へ登って町のはずれへ出ると、左に大きな門があって、門の突き当たりがお寺で、左右が妓《ぎ》楼《ろう》である。山門のなかに遊《ゆう》郭《かく》があるなんて、前代末《み》聞《もん》の現象だ。ちょっとはいってみたいが、また狸から会議の時にやられるかもしれないから、やめて素通りにした。門の並びに黒い暖《の》簾《れん》をかけた、小さな格子窓の平屋はおれが団子を食って、しくじった所だ。丸《まる》提《ぢよう》灯《ちん》に汁粉《しるこ》、お雑《ぞう》煮《に》とかいたのがぶらさがって、提灯の火が軒《のき》端《ば》に近い一本の柳の幹を照らしている。食いたいなと思ったが我慢して通り過ぎた。
食いたい団子の食えないのは情けない。しかし自分の許《いい》嫁《なずけ》が他人に心を移したのは、なお情けないだろう。うらなり君のことを思うと、団子はおろか、三日ぐらい断《だん》食《じき》しても不平はこぼせないわけだ。ほんとうに人間ほどあてにならないものはない。あの顔を見ると、どうしたって、そんを不人情なことをしそうには思えないんだが――うつくしい人が不人情で、冬《とう》瓜《がん》の水《みず》膨《ぶく》れのような古賀さんが善良な君子なのだから、油断できない。淡白だと思った山嵐は生徒を扇動したと言うし。生徒を扇動したのかと思うと、生徒の処分を校長にせまるし。厭《いや》味《み》で練りかためたような赤シャツが存外親切で、おれによそながら注意をしてくれるかと思うと、マドンナをごまかしたり。ごまかしたのかと思うと、古賀のほうが破談にならなければ結婚は望まないんだと言うし。いか銀が難癖をつけて、おれを追い出すかと思うと、すぐ野だ公が入れ替ったり――どう考えてもあてにならない。こんなことを清にかいてやったらさだめて驚くことだろう。箱根の向こうだから化物が寄り合ってるんだと言うかもしれない。
おれは、性《しよう》来《らい》かまわない性分だから、どんなことでも苦にしないで今《こん》日《にち》までしのいできたのだが、ここヘ来てからまだ一か月たつか、たたないうちに、急に世の中を物騒に思い出した。べつだんきわだった大事件にも出あわないのに、もう五つ六つ年を取ったような気がする。早く切り上げて東京ヘ帰るのがいちばんよかろう。などとそれからそれヘ考えて、いつか石橋を渡って野《の》芹《ぜり》川《がわ》の堤《どて》ヘ出た。川というとえらそうだが実は一間ぐらいな、ちょろちょろした流れで、土手に沿うて十二丁ほどくだると相《あい》生《おい》村へ出る。村には観音様がある。
温泉《ゆ》の町をふり返ると、赤い灯《ひ》が、月の光の中にかがやいている。太鼓が鳴るのは遊郭に相違ない。川の流れは浅いけれども早いから、神経質の水のようにやたらに光る。ぶらぶら土手の上をあるきながら、約三丁も来たと思ったら、向こうに人影が見えだした。月に透かして見ると影は二つある。温泉《ゆ》ヘ来て村ヘ帰る若い衆《しゆ》かもしれない。それにしては唄《うた》わない。存外静かだ。
だんだんあるいてゆくと、おれのほうが早足だと見えて、二つの影法師が、しだいに大きくなる。一人は女らしい。おれの足音を聞きつけて、十間ぐらいの距離にせまった時、男がたちまちふり向いた。月はうしろからさしている。その時おれは男の様子を見て、はてなと思った。男と女はまた元のとおりにあるきだした。おれは考えがあるから、急に全速力で追っかけた。先方はなんの気もつかずに最初のとおり、ゆるゆる歩を移している。今は話声も手に取るように聞こえる。土手の幅は六尺ぐらいだから、並んで行けば三人がようやくだ。おれは苦もなく後ろから追いついて、男の袖《そで》をすり抜けざま、二足前ヘ出した踵《くびす》をぐるりと返して男の顔をのぞき込んだ。月は正面からおれの五分刈の頭から顋《あご》のあたりまで、会《え》釈《しやく》もなく照らす。男はあっと小声に言ったが、急に横を向いて、もう帰ろうと女をうながすが早いか、温泉《ゆ》の町の方へ引き返した。
赤シャツはずぶとくてごまかすつもりか、気が弱くて名乗りそくなったのかしら。所が狭くて困ってるのは、おればかりではなかった。
八
赤シャツに勧められて釣に行った帰りから、山嵐を疑ぐりだした。ない事を種に下宿を出ろと言われた時は、いよいよ不埒なやつだと思った。ところが会議の席では案に相違してとうとうと生徒厳罰諭を述べたから、おや変だなと首をひねった。萩野の婆さんから、山嵐が、うらなり君のために赤シャツと談判したと聞いた時は、それは感心だと手をうった。この様子では悪者は山嵐じゃあるまい、赤シャツのほうが曲がってるんで、いいかげんな邪推をまことしやかに、しかも遠回しに、おれの頭の中へしみ込ましたのではあるまいかと迷ってるやさきヘ、野芹川の土手で、マドンナを連れて散歩なんかしている姿を見たから、それ以来赤シャツは曲《くせ》者《もの》だときめてしまった。曲者だかなんだかよくはわからないが、ともかくもいい男じゃない。表と裏とは違った男だ。人間は竹のようにまっすぐでなくっちゃたのもしくない。まっすぐなものは喧《けん》嘩《か》をしても心持ちがいい。赤シャツのようなやさしいのと、親切なのと、高尚なのと、琥《こ》珀《はく》のパイプとを自慢そうに見せびらかすのは油断ができない、めったに喧嘩もできないと思った。喧嘩をしても、回《え》向《こう》院《いん*》の相撲《すもう》のような心持ちのいい喧嘩はできないと思った。そうなると一銭五厘の出《で》入《いり》で控え所全体を驚かした議諭の相手の山嵐のほうがはるかに人間らしい。会議の時に金《かな》壺《つぼ》眼《まなこ》をぐりつかせて、おれをにらめた時は憎いやつだと思ったが、あとで考えると、それも赤シャツのねちねちした猫《ねこ》撫《なで》声《ごえ》よりはましだ。実はあの会議がすんだあとで、よっぽど仲直りをしようかと思って、一こと二こと話しかけてみたが、野郎返事もしないで、まだ目を剥《むく》ってみせたから、こっちも腹がたってそのままにしておいた。
それ以来山嵐はおれと口をきかない。机の上ヘ返した一銭五厘はいまだに机の上に乗っている。ほこりだらけになって乗っている。おれはむろん手が出せない、山嵐はけっして持って帰らない。この一銭五厘が二人の間の障壁になって、おれは話そうと思っても話せない、山嵐は頑《がん》として黙ってる。おれと山嵐には一銭五厘がたたった。しまいには学校へ出て一銭五厘を見るのが苦になった。
山嵐とおれが絶交の姿となったに引きかえて、赤シャツとおれは依然として在来の関係を保って、交際をつづけている。野芹川で会った翌日などは、学校ヘ出ると第一番におれのそばへ来て、君今度の下宿はいいですかの、またいっしょにロシア文学を釣りに行こうじゃないかのといろいろなことを話しかけた。おれは少々憎らしかったから、ゆうべは二へん会いましたねと言ったら、ええ停車場で――君はいつでもあの時分出かけるのですか、おそいじゃないかと言う。野芹川の土手でもお目にかかりましたねとくらわしてやったら、いいえ僕はあっちへは行かない、湯にはいって、すぐ帰ったと答えた。なにもそんなに隠さないでもよかろう、現に会ってるんだ。よく嘘《うそ》をつく男だ。これで中学の教頭が勤まるなら、おれなんか大学総長がつとまる。おれはこの時からいよいよ赤シャツを信用しなくなった。信用しない赤シャツとは口をきいて、感心している山嵐とは話をしない。世の中はずいぶん妙なものだ。
ある日のこと赤シャツがちょっと君に話があるから、僕のうちまで来てくれと言うから、惜しいと思ったが温来行きを欠勤して四時ごろ出かけて行った。赤シャツはひとりものだが、教頭だけに下宿はとくの昔に引き払ってりっぱな玄関を構えている。家賃は九円五十銭だそうだ。田舎へ来て九円五十銭払えばこんな家へはいれるなら、おれもひとつ奮発して、東京から清を呼び寄せて喜ばしてやろうと思ったくらいな玄関だ。頼むと言ったら、赤シャツの弟が取次に出て来た。この弟は学校で、おれに代数と算術を教わる、いたってできのわるい子だ。そのくせ渡りものだから、生まれついての田舎者よりも人がわるい。
赤シャツに会って用事を聞いてみると、大将例の琥珀のパイプで、きなくさい煙草をふかしながら、こんなことを言った。「君が来てくれてから、前任者の時代よりも成績がよくあがって、校長も大いにいい人を得たと喜んでいるので――どうか学校でも信頼しているのだから、そのつもりで勉強していただきたい」
「ヘえ、そうですか、勉強って今より勉強はできませんが――」
「今のくらいでじゅうぶんです。ただせんだってお話したことですね、あれを忘れずにいてくださればいいのです」
「下宿の世話なんかするものあけんのんだということですか」
「そうろこつに言うと、意味もないことになるが――まあいいさ――精神は君にもよく通じていることと思うから。そこで君が今のように出《しゆつ》精《せい》してくだされば、学校のほうでも、ちゃんと見ているんだから、もう少しして都合さえつけば、待遇のことも多少はどうにかなるだろうと思うんですがね」
「ヘえ、俸給ですか。俸給なんかどうでもいいんですが、上がれば上がったほうがいいですね」
「それでさいわい今度転任者が一人できるから――もっとも校長に相談してみないとむろん受け合えないことだが――その俸給から少しは融通ができるかもしれないから、それで都合をつけるように校長に話してみようと思うんですがね」
「どうもありがとう。だれが転任するんですか」
「もう発表になるから話してもさしつかえないでしょう。実は古賀君です」
「古賀さんは、だってここの人じゃありませんか」
「ここの地《じ》の人ですが、少し都合があって――半分は当人の希望です」
「どこヘ行くんです」
「日《ひゆ》向《うが》の延《のべ》岡《おか》で――土地が土地だから一級俸上がって行くことになりました」
「だれか代わりが来るんですか」
「代わりもたいていきまってるんです。その代わりのぐあいで君の待遇上の都合もつくんです」
「はあ、結構です。しかし無理に上がらないでもかまいません」
「ともかくも僕は校長に話すつもりです。それで校長も同意見らしいが、おっては君にもっと働いていただかなくってはならんようになるかもしれないから、どうか今からそのつもりで覚悟をしてやってもらいたいですね」
「今より時間でも増すんですか」
「いいえ、時間は今より減るかもしれませんが――」
「時間が減って、もっと働くんですか、妙だな」
「ちょっと聞くと妙だが――判然とは今言いにくいが――まあつまり、君にもっと重大な責任を持ってもらうかもしれないという意味なんです」
おれにはいっこうわからない。今より重大な責任といえば、数学の主任だろうが、主任は山嵐だから、やっこさんなかなか辞職する気づかいはない。それに、生徒の人望があるから転任や免職は学校の得策ではあるまい。赤シャツの談話はいつでも要領を得ない。要領は得なくっても用事はこれですんだ。それから少し雑談をしているうちに、うらなり君の送別会をやることや、ついてはおれが酒を飲むかと言う問や、うらなり先生は君子で愛すべき人だということや――赤シャツはいろいろ弁じた。しまいに話をかえて君俳句をやりますかときたから、こいつはたいヘんだと思って、俳句はやりません、さようならと、そこそこに帰って来た。発《ほつ》句《く》は芭《ば》蕉《しよう》か髪《かみ》結《い》床《どこ》の親方のやるもんだ。数学の先生が朝顔やに釣《つる》瓶《べ》をとられて《*》たまるものか。
帰ってうんと考え込んだ。世間にはずいぶん気の知れない男がいる。家屋敷はもちろん、勤める学校に不足のない故郷がいやになったからと言って、知らぬ他国ヘ苦労を求めに出る。それも花の都の電車が通ってる所なら、まだしもだが、日向の延岡とはなんのことだ、おれは船《ふな》つきのいいここヘ来てさえ、一か月たたないうちにもう帰りたくなった。延岡といえば山の中も山の中もたいヘんな山の中だ。赤シャツの言うところによると船から上がって、一日馬車ヘ乗って、宮崎ヘ行って、宮崎からまた一日車ヘ乗らなくっては着けないそうだ。名前を聞いてさえ、開けた所とは思えない。猿《さる》と人とが半々に住んでるような気がする。いかに聖人のうらなり君だって、好んで猿の相手になりたくもないだろうに、なんというものずきだ。
ところヘ相変わらず婆さんが夕《ゆう》食《めし》を運んで出る。きょうもまた芋ですかと聞いてみたら、いえきょうはお豆腐ぞなもしと言った。どっちにしたって似たものだ。
「お婆さん古賀さんは日向ヘ行くそうですね」
「ほんとうにお気の毒じゃな、もし」
「お気の毒だって、好んで行くんならしかたがないですね」
「好んで行くて、だれがぞなもし」
「だれがぞなもしって、当人がさ。古賀先生がものずきに行くんじゃありませんか」
「そりゃあなた、大違いの勘五郎ぞなもし」
「勘五郎かね。だって今赤シャツがそう言いましたぜ。それが勘五郎なら赤シャツは嘘つきの法《ほ》螺《ら》右衛《え》門《もん》だ」
「教頭さんが、そうお言いるのはもっともじゃが、古賀さんのお行きともないのももっともぞなもし」
「そんなら両方もっともなんですね。お婆さんは公平でいい。いったいどういう訳なんですい」
「今朝古《こ》賀《が》のお母《かあ》さんが見えて、だんだん訳をお話したがなもし」
「どんな訳をお話したんです」
「あそこもお父《とう》さんがおなくなりてから、あたしたちが思うほど暮らし向きが豊かにのうてお困りじゃけれ、お母さんが校長にお頼みて、もう四年も勤めているのじゃけれ、どうぞ毎月いただくものを、今少しふやしておくれんかてて、あなた」
「なるほど」
「校長さんが、ようまあ考えてみとこうとお言いたげな。それでお母さんも安心して、今に増給の御《ご》沙《さ》汰《た》があろぞ、今月か来月かと首を長くし待っておいでたところへ、校長さんがちょっと来てくれと古賀さんにお言いるけれ、行ってみると、気の毒だが学校は金が足りんけれ、月給を上げるわけにゆかん。しかし延岡にならあいた口があって、そっちなら毎月五円余分にとれるから、お望みどおりでよかろうと思うて、その手続きにしたから行くがええと言われたげな。――」
「じゃ相談じゃない、命令じゃありませんか」
「さようよ。古賀さんはよそへ行って月給が増すより、元のままでもええから、ここにおりたい。屋敷もあるし、母もあるからとお頼みたけれども、もうそうきめたあとで、古賀さんの代わりはできているけれしかたがないと校長がお言いたげな」
「へん人をばかにしてら、おもしろくもない。じゃ古賀さんは行く気はないんですね。どうれで変だと思った。五円ぐらい上がったって、あんな山の中へ猿のお相手をしに行く唐《とう》変《へん》木《ぼく》はまずないからね」
「唐変木て、先生なんぞなもし」
「なんでもいいでさあ、――まったく赤シャツの作《さ》略《りやく》だね。よくないしうちだ。まるで欺《だま》撃《しう》ちですね。それでおれの月給を上げるなんて、不都合なことがあるものか。上げてやるったって、だれが上がってやるものか」
「先生は月給がお上がりるのかなもし」
「上げてやるって言うから、断わろうと思うんです」
「なんで、お断わりるのぞなもし」
「なんでもお断わりだ。お婆さん、あの赤シャツはばかですぜ。卑《ひ》怯《きよう》でさあ」
「卑怯でもあんた、月給を上げておくれたら、おとなしくいただいておくほうが得ぞなもし。若いうちはよく腹のたつものじゃが、年をとってから考えると、も少しの我慢じゃあったのに惜しいことをした。腹たてたためにこないな損をしたと悔むのがあたりまえじゃけれ、お婆の言うことをきいて、赤シャツさんが月給をあげてやろとお言いたら、ありがとうと受けておおきなさいや」
「年寄りのくせによけいな世話を焼かなくってもいい。おれの月給は上がろうと下がろうとおれの月給だ」
婆さんはだまって引き込んだ。爺《じい》さんはのんきな声を出して謡《うたい》をうたってる。謡というものは読んでわかるところを、やにむずかしい節をつけて、わざとわからなくする術だろう。あんなものを毎日飽きずにうなる爺さんの気が知れない。おれは謡どころの騒ぎじゃない。月給を上げてやろうと言うから、べつだん欲しくもなかったが、いらない金を余しておくのももったいないと思って、よろしいと承知したのだが、転任したくないものをむりに転任させてその男の月給の上《うわ》前《まえ》をはねるなんて不人情なことができるものか。当人がもとのとおりでいいと言うのに延岡くんだりまで落ちさせるとはいったいどういう了見だろう。太《だ》宰《ざい》権《ごんの》帥《そつ*》でさえ博《はか》多《た》近辺で落ちついたものだ。河《か》合《わい》又《また》五《ご》郎《ろう*》だって相《さが》良《ら*》でとまってるじゃないか。とにかく赤シャツの所ヘ行って断わってこなくっちゃあ気がすまない。
小《こ》倉《くら》の袴《はかま》をつけてまた出かけた。大きな玄関へ突っ立って頼むと言うと、また例の弟が取次に出て来た。おれの顔を見てまた来たかという目付をした。用があれば二度だって三度だって来る。よる夜なかだってたたき起こさないとはかぎらない。教頭の所へ御《ご》機《き》嫌《げん》伺いにくるようなおれと見そくなってるか。これでも月給がいらないから返しに来たんだ。すると弟が今来客中だと言うから、玄関でいいからちょっとお目にかかりたいと言ったら奥ヘ引き込んだ。足元を見ると、畳付きの薄っペらな、のめりの駒下駄《*》がある。奥でもう万歳ですよと言う声が聞こえる。お客とは野だだなと気がついた。野だでなくては、あんな黄色い声を出して、こんな芸人じみた下駄をはくものはない。
しばらくすると、赤シャツがランプを持って玄関まで出て来て、まあ上がりたまえ、ほかの人じゃない吉川君だ、と言うから、いえここでたくさんです。ちょっと話せばいいんです、と言って、赤シャツの顔を見ると金《きん》時《とき》のようだ《*》。野だ公と一杯飲んでるとみえる。
「さっき僕の月給をあげてやるというお話でしたが、少し考えが変わったから断わりに来たんです」
赤シャツはランプを前へ出して、奥の方からおれの顔をながめたが、とっさの場合返事をしかねて茫《ぼう》然《ぜん》としている。増給を断わるやつが世の中にたった一人飛び出して来たのを不審に思ったのか、断わるにしても、今帰ったばかりで、すぐ出直して来なくってもよさそうなものだと、あきれ返ったのか、または双方合併したのか、妙な口をして突っ立ったままである。
「あの時承知したのは、古賀君が自分の希望で転任するという話でしたからで……」
「古賀君はまったく自分の希望でなかば転任するんです」
「そうじゃないんです、ここにいたいんです。元の月給でもいいから、郷里にいたいのです」
「君は古賀君から、そう聞いたのですか」
「そりゃ当人から、聞いたんじゃありません」
「じゃだれからお聞きです」
「僕の下宿の婆さんが、古賀さんのおっ母さんから聞いたのをきょう僕に話したのです」
「じゃ、下宿の婆さんがそう言ったのですね」
「まあそうです」
「それは失礼ながら少し違うでしょう。あなたのおっしゃるとおりだと、下宿屋の婆さんの言うことは信ずるが、教頭の言うことは信じないというように聞こえるが、そういう意味に解釈してさしつかえないでしょうか」
おれはちょっと困った。文学士なんてものはやっぱりえらいもんだ。妙なところへこだわって、ねちねち押し寄せてくる。おれはよく親父《おやじ》から貴様はそそっかしくてだめだだめだと言われたが、なるほど少々そそっかしいようだ。婆さんの話を聞いてはっと思って飛び出して来たが、実はうらなり君にもうらなりのおっ母さんにも会って詳しい事情は聞いてみなかったのだ。だからこう文学士流に斬りつけられると、ちょっと受けとめにくい。
正面からは受けとめにくいが、おれはもう赤シャツに対して不信任を心の中で申し渡してしまった。下宿の婆さんもけちん坊の欲張り屋に相違ないが、嘘はつかない女だ、赤シャツのように裏表はない。おれはしかたがないから、こう答えた。
「あなたの言うことは本当かもしれないですが――とにかく増給はごめんこうむります」
「それはますますおかしい。今君がわざわざおいでになったのは増俸を受けるには忍びない、理由を見いだしたからのように聞えたが、その理由が僕の説明で取り去られたにもかかわらず増俸を否まれるのは少し解しかねるようですね」
「解しかねるかもしれませんがね。とにかく断わりますよ」
「そんなにいやならしいてとまでは言いませんが、そう二、三時間のうちに、特別の理由もないのに豹《ひよう》変《へん》しちゃ、将来君の信用にかかわる」
「かかわってもかまわないです」
「そんなことはないはずです、人間に信用ほど大切なものはありませんよ。よしんばいま一歩譲って、下宿の主人が……」
「主人じゃない、婆さんです」
「どちらでもよろしい。下宿の婆さんが君に話したことを事実としたところで、君の増給は古賀君の所得を削って得たものではないでしょう。古賀君は延岡へ行かれる。その代わりが来る。その代わりが古賀君よりも多少低給で来てくれる。その剰余を君に回すというのだから、君はだれにも気の毒がる必要はないはずです。古賀君は延岡でただいまよりも栄進される、新任者は最初からの約束で安く来る。それで君が上がられれば、これほど都合のいいことはないと思うですがね。いやならいやでもいいが、もう一ペんうちでよく考えてみませんか」
おれの頭はあまりえらくないのだから、いつもなら、相手がこういう巧妙な弁舌をふるえば、おやそうかな、それじゃ、おれが間違ってたと恐れ入って引きさがるのだけれども、今夜はそうはゆかない。ここヘ来た最初から赤シャツはなんだか虫が好かなかった。途中で親切な女みたような男だと思い返したことはあるが、それが親切でもなんでもなさそうなので、反動の結果今じゃよっぽどいやになっている。だからさきがどれほどうまく論理的に弁論をたくましくしようとも、堂々たる教頭流におれをやりこめようとも、そんなことはかまわない。議論のいい人が善人とはきまらない。やりこめられるほうが悪人とはかぎらない。表向きは赤シャツのほうが重々もっともだが、表向きがいくらりっぱだって、腹の中までほれさせるわけにはゆかない。金や威力や理屈で人間の心が買えるものなら、高利貸でも巡査でも大学教授でもいちばん人に好かれなくてはならない。中学の教頭ぐらいな論法でおれの心がどう動くものか。人間は好ききらいで働くものだ。論法で働くものじゃない。
「あなたの言うことはもっともですが、僕は増給がいやになったんですから、まあ断わります。考えたって同じことです。さようなら」と言いすてて門を出た。頭の上には天《あま》の川《がわ》が一筋かかっている。
九
うらなり君の送別会のあるという日の朝、学校ヘ出たら、山嵐が突然、君せんだってはいか銀が来て、君が乱暴して困るから、どうか出るように話してくれと頼んだから、まじめに受けて、君に出てやれと話したのだが、あとから聞いてみると、あいつはわるいやつで、よく偽筆へ贋《にせ》落《らつ》款《かん》などを押して売りつけるそうだから、まったく君のこともでたらめに違いない。君に懸《かけ》物《もの》や骨《こつ》董《とう》を売りつけて、商売にしようと思ってたところが、君が取り合わないで儲《もう》けがないものだから、あんな作りごとをこしらえてごまかしたのだ。僕はあの人物を知らなかったので君にたいヘん失敬した。勘弁したまえと長々しい謝罪をした。
おれはなんとも言わずに、山嵐の机の上にあった一銭五厘をとって、おれの蝦《が》蟇《ま》口《ぐち》の中へ入れた。山嵐は君それを引き込めるのかと不審そうに聞くから、うんおれは君におごられるのが、いやだったから、ぜひ返すつもりでいたが、その後だんだん考えてみると、やっぱりおごってもらうほうがいいようだから、引き込ますんだと説明した。山嵐は大きな声をしてアハハハと笑いながら、そんなら、なぜはやく取らなかったのだと聞いた。実は取ろう取ろうと思ってたが、なんだか妙だからそのままにしておいた。近来は学校ヘ来て一銭五厘を見るのが苦になるくらいいやだったと言ったら、君はよっぽど負け惜しみの強い男だと言うから、君はよっぽど剛《ごう》情《じよ》張《つぱ》りだと答えてやった。それから二人のあいだにこんな問答が起こった。
「君はいったいどこの産だ」
「おれは江戸っ子だ」
「うん、江戸っ子か、道理で負け惜しみが強いと思った」
「君はどこだ」
「僕は会《あい》津《づ》だ」
「会津っぽか、強情なわけだ。きょうの送別会へ行くのかい」
「行くとも、君は?」
「おれはむろん行くんだ。古賀さんが立つ時は、浜まで見送りに行こうと思ってるくらいだ」
「送別会はおもしろいぜ、出てみたまえ。今日は大いに飲むつもりだ」
「かってに飲むがいい。おれは肴《さかな》を食ったら、すぐ帰る。酒なんか飲むやつはばかだ」
「君はすぐ喧《けん》嘩《か》を吹きかける男だ。なるほど江戸っ子の軽《けい》佻《ちよう》なふうを、よく、あらわしてる」
「なんでもいい、送別会へ行くまえにちょっとおれのうちへお寄り、話があるから」
山嵐は約束どおりおれの下宿へ寄った。おれはこのあいだから、うらなり君の顔を見るたびに気の毒でたまらなかったが、いよいよ送別のきょうとなったら、なんだか憐れっぽくって、できることなら、おれが代わりに行ってやりたいような気がしだした。それで送別会の席上で、大いに演説でもしてその行を盛んにしてやりたいと思うのだが、おれのべらんめえ調子じゃ、とうてい物にならないから、大きな声を出す山嵐を雇って、いちばん赤シャツの荒《あら》胆《ぎも》をひしいでやろうと考えついたから、わざわざ山嵐を呼んだのである。
おれはまず冒頭としてマドンナ事件から説きだしたが、山嵐はむろんマドンナ事件はおれより詳しく知っている。おれが野芹川の土手の話をして、あれはばかやろうだと言ったら、山嵐が君はだれをつらまえてもばかよばわりをする。今日学校で自分のことをばかと言ったじゃないか。自分がばかなら、赤シャツはばかじゃない。自分は赤シャツの同類じゃないと主張した。それじゃ赤シャツは腑《ふ》抜《ぬ》けの呆《ほう》助《すけ》だと言ったら、そうかもしれないと山嵐は大いに賛成した。山嵐は強いことは強いが、こんな言葉になると、おれよりはるかに字を知っていない。会津っぽなんてものはみんな、こんな、ものなんだろう。
それから増給事件と将来重く登用すると赤シャツが言った話をしたら山嵐はふふんと鼻から声を出して、それじゃ僕を免職する考えだなと言った。免職するつもりだって、君は免職になる気かと聞いたら、だれがなるものか、自分が免職になるなら、赤シャツもいっしょに免職させてやると大いにいばった。どうしていっしょに免職させる気かと押し返して尋ねたら、そこはまだ考えていないと答えた。山嵐は強そうだが、知恵はあまりなさそうだ。おれが増給を断わったと話したら、大将大きに喜んでさすが江戸っ子だ、えらいとほめてくれた。
うらなりが、そんなにいやがっているなら、なぜ留任の運動をしてやらなかったと聞いてみたら、うらなりから話を聞いた時は、すでにきまってしまって、校長ヘ二度、赤シャツヘ一度行って談判してみたが、どうすることもできなかったと話した。それについても古賀があまり好人物すぎるから困る。赤シャツから話があった時、断然断わるか、一応考えてみますと逃げればいいのに、あの弁舌にごまかされて、即席に許諾したものだから、あとからおっ母さんが泣きついても、自分が談判に行っても役に立たなかったと非常に残念がった。
今度の事件はまったく赤シャツが、うらなりを遠ざけて、マドンナを手に入れる策略なんだろうとおれが言ったら、むろんそうに違いない。あいつはおとなしい顔をして、悪事を働いて、人が何か言うと、ちゃんと逃道をこしらえて待ってるんだから、よっぽど奸《かん》物《ぶつ》だ。あんなやつにかかっては鉄拳制裁でなくっちゃきかないと、瘤《こぶ》だらけの腕をまくって見せた。おれはついでだから、君の腕は強そうだな柔術でもやるかと聞いてみた。すると大将二の腕へ力瘤を入れて、ちょっとつかんでみろと言うから、指の先でもんでみたら、なんのことはない湯屋にある軽石のようなものだ。
おれはあまり感心したから、君そのくらいの腕なら、赤シャツの五人や六人は一度に張り飛ばされるだろうと聞いたら、むろんさと言いながら、曲げた腕を伸ばしたり、縮ましたりすると、力瘤がぐるりぐるりと皮のなかで回転する。すこぶる愉快だ。山嵐の証明するところによると、かんじんよりを二本より合わせて、この力瘤の出るところへ巻きつけて、うんと腕を曲げると、ぷつりと切れるそうだ。かんじんよりなら、おれにもできそうだと言ったら、できるものか、できるならやってみろときた。切れないと外聞がわるいから、おれは見合わせた。
君どうだ、今夜の送別会に大いに飲んだあと、赤シャツと野だをなぐってやらないかとおもしろ半分に勧めてみたら、山嵐はそうだなと考えていたが、今夜はまあよそうと言った。なぜと聞くと、今夜は古賀に気の毒だから――それにどうせなぐるくらいなら、あいつらのわるいところを見とどけて現場でなぐらなくっちゃ、こっちの落度になるからと、分別のありそうなことをつけたした。山嵐でもおれよりは考えがあるとみえる。
じゃ演説をして古賀君を大いにほめてやれ、おれがすると江戸っ子のペらペらになって重みがなくていけない。そうして、きまった所へ出ると、急に溜《りゆう》飲《いん》が起こって咽《の》喉《ど》のところへ、大きな丸《たま》が上がってきて言葉が出ないから、君に譲るからと言ったら、妙な病気だな、じゃ君は人《ひと》中《なか》じゃ口はきけないんだね、困るだろうと聞くから、なにそんなに困りゃしないと答えておいた。
そうこうするうち時間が来たから、山嵐といっしょに会場ヘ行く。会場は花《か》晨《しん》亭《てい》といって、当《こ》地《こ》で第一等の料理屋だそうだが、おれは一度も足を入れたことがない。もとの家老とかの屋敷を買い入れて、そのまま開業したという話だが、なるほど見かけからしていかめしい構えだ。家老の屋敷が料理屋になるのは、陣羽織を縫い直して、胴着にするようなものだ。
二人が着いたころには、人数ももうたいがいそろって、五十畳の広間に二つ三つ人間の塊《かた》まりができている。五十畳だけに床はすてきに大きい。おれが山城屋で占領した十五畳敷の床とは比較にならない。尺を取ってみたら二間あった。右の方に、赤い模様のある瀬戸物の瓶《かめ》をすえて、その中に松の大きな枝がさしてある。松の枝をさして何にする気か知らないが、何か月たっても散る気づかいがないから、銭がかからなくって、よかろう。あの瀬戸物はどこでできるんだと博物の教師に聞いたら、あれは瀬戸物じゃありません。伊《い》万《ま》里《り*》ですと言った。伊万里だって瀬戸物じゃないかと、言ったら、博物はえへヘへへと笑っていた。あとで聞いてみたら、瀬戸《*》でできる焼物だから、瀬戸というのだそうだ。おれは江戸っ子だから、陶器のことを瀬戸物というのかと思っていた。床のまん中に大きな懸物があって、おれの顔ぐらいな大きさな字が二十八字かいてある。どうもヘたなものだ。あんまりまずいから、漢学の先生に、なぜあんなまずいものを麗々とかけておくんですと尋ねたところ、先生があれは海《かい》屋《おく*》といって有名な書家のかいたものだと教えてくれた。海屋だかなんだか、おれは今だにへただと思っている。
やがて書記の川村がどうかお着席をと言うから、柱があってよりかかるのに都合のいい所へすわった。海屋の懸物の前に狸が羽織、袴で着席すると、左に赤シャツが同じく羽織袴で陣取った。右の方は今日の主人公だというのでうらなり先生、これも日本服で控えている。おれは洋服だから、かしこまるのが窮屈だったから、すぐあぐらをかいた。隣の体操教師は黒ズボンで、ちゃんとかしこまっている。体操の教師だけにいやに修業が積んでいる。やがてお膳《ぜん》が出る。徳利が並ぶ。幹事が立って、一言《ごん》開会の辞を述べる。それから狸が立つ、赤シャツが立つ。ことごとく送別の辞を述べたが、三人とも申し合わせたようにうらなり君の、良教師で好人物なことを吹聴して、今回去られるのはまことに残念である、学校としてのみならず、個人として大いに惜しむところであるが、御一身上の御都合で、せつに転任を御希望になったのだからいたしかたがないという意味を述べた。こんな嘘をついて送別会を開いて、それでちっとも恥ずかしいとも思っていない。ことに赤シャツにいたって、三人のうちでいちばんうらなり君をほめた。この良友を失うのは実に自分にとって大なる不幸であるとまで言った。しかもそのいい方がいかにも、もっともらしくて、例のやさしい声をいっそうやさしくして、述べ立てるのだから、はじめて聞いたものは、だれでもきっとだまされるにきまってる。マドンナもおおかたこの手で引っかけたんだろう。赤シャツが送別の辞を述べ立てている最中、向こう側にすわっていた山嵐がおれの顔を見てちょっと稲《いな》光《びかり》をさした。おれは返電として、人さし指でべっかんこうをして見せた。
赤シャツが席に復するのを待ちかねて、山嵐がぬっと立ち上がったから、おれはうれしかったので、思わず手をぱちぱちとうった。すると狸をはじめ一同がことごとくおれの方を見たには少少困った。山嵐は何を言うかと思うとただいま校長はじめことに教頭は古賀君の転任を非常に残念がられたが、私は少々反対で古賀君が一日《じつ》も早く当地を去られるのを希望しております。延岡は僻《へき》遠《えん》の地で、当地に比べたら物質上の不便はあるだろう。が、聞くところによれば風俗のすこぶる淳《じゆん》朴《ぼく》な所で、職員生徒ことごとく上代樸直の気風を帯ているそうである。心にもないお世辞を振りまいたり、美しい顔をして君子を陥れたりするハイカラ野郎は一人もないと信ずるからして、君のごとき温良篤厚の士は必ずその地方一般の歓迎を受けられるに相違ない。吾《わが》輩《はい》は大いに古賀君のためにこの転任を祝するのである。終わりに臨んで君が延岡に赴任されたら、その地の淑女にして、君子の好《こうき》逑《ゆう*》となるべき資格あるものをえらんで一日《じつ》も早く円満なる家庭をかたち作って、かの不貞無節なるお転婆を事実のうえにおいて慚《ざん》死《し》せしめんことを希望します。えヘんえヘんと二つばかり大きな咳《せき》払《ばらい》いをして席に着いた。おれは今度も手をたたこうと思ったが、またみんながおれの面《かお》を見るといやだから、やめにしておいた。山嵐がすわると今度はうらなり先生が立った。先生は御丁寧に、自席から、座敷の端《はじ》の末座まで行って、慇《いん》懃《ぎん》に一同に挨《あい》拶《さつ》をしたうえ、今般は一身上の都合で九州へ参ることになりましたについて、諸先生がたが小生のためにこの盛大なる送別会をお開きくださったのは、まことに感銘のいたりにたえぬしだいで――ことにただいま校長、教頭その他諸君の送別の辞を頂戴して、大いにありがたく服《ふく》膺《よう》するわけであります。私はこれから遠方ヘ参りますが、なにとぞ従前のとおりお見捨てなく御愛顧のほどを願います。とへえつくばって席にもどった。うらなり君はどこまで人がいいんだか、ほとんど底が知れない。自分がこんなにばかにされている校長や、教頭にうやうやしくお礼を言っている。それも義理一ペんの挨拶ならだが、あの様子や、あの言葉つきや、あの顔つきからいうと、心から感謝しているらしい。こんな聖人にまじめにお礼を言われたら、気の毒になって、赤面しそうなものだが狸も赤シャツもまじめに謹聴しているばかりだ。
挨拶がすんだら、あちらでもチュー、こちらでもチュー、という音がする。おれもまねをして汁を飲んでみたがまずいもんだ。口《くち》取《とり*》に蒲《かま》鉾《ぼこ》はついてるが、どす黒くて竹《ちく》輪《わ》のできそこないである。刺身も並んでるが、厚くって鮪の切り身を生《なま》で食うと同じことだ。それでも隣近所の連中はむしゃむしゃうまそうに食っている。おおかた江戸前の料理を食ったことがないんだろう。
そのうち燗《かん》徳《どく》利《り》が頻《ひん》繁《ぱん》に往来しはじめたら、四方が急に賑《にぎ》やかになった。野だ公はうやうやしく校長の前ヘ出て盃《さかずき》をいただいてる。いやなやつだ。うらなり君は順々に献酬をして、一巡めぐるつもりとみえる。はなはだ御苦労である。うらなり君がおれの前へ来て、一つ頂戴いたしましょうと袴のひだを正して申し込まれたから、おれも窮屈にズボンのままかしこまって、一盃《ぱい》差し上げた。せっかく参って、すぐお別れになるのは残念ですね。御出立はいつです、ぜひ浜までお見送りをしましょうと言ったら、うらなり君はいえ御用多《おお》のところけっしてそれには及びませんと答えた。うらなり君がなんと言ったって、おれは学校を休んで送る気でいる。
それから一時間ほどするうちに席上はだいぶ乱れてくる。まあ一杯、おや僕が飲めと言うのに……などとろれつの回りかねるのも一人二人できてきた。少々退屈したから便所へ行って、昔風な庭を星明かりにすかしてながめていると山嵐が来た。どうだ最前《さつき》の演説はうまかったろう。とだいぶ得意である。大賛成だが一か所気に入らないと抗議を申し込んだら、どこが不賛成だと聞いた。
「美しい顔をして人を陥れるようなハイカラ野郎は延岡におらないから……と君は言ったろう」
「うん」
「ハイカラ野郎だけでは不足だよ」
「じゃなんと言うんだ」
「ハイカラ野郎の、ペテン師の、イカサマ師の、猫っかぶりの、香《や》具師《し*》の、モモンガー《*》の、岡っ引き《*》の、わんわん鳴けば犬も同然なやつとでも言うがいい」
「おれには、そう舌は回らない。君は能弁だ。第一単語をたいへんたくさん知ってる。それで演説ができないのは不思議だ」
「なにこれは喧嘩のときに使おうと思って、用心のために取っておく言葉さ。演説となっちゃ、こうは出ない」
「そうかな、しかしペらペら出るぜ。もう一ペんやってみたまえ」
「何べんでもやるさ、いいか。――ハイカラ野郎のペテン師の、イカサマ師の……」
と言いかけていると、椽側をどたばた言わして、二人ばかり、よろよろしながらかけだしてきた。
「両君そりゃひどい、――逃げるなんて、――僕がいるうちはけっして逃がさない、さあのみたまえ。――いかさま師?――おもしろい、いかさまおもしろい。――さあ飲みたまえ」
とおれと山嵐をぐいぐい引っ張って行く。実はこの両人とも便所に来たのだが、酔ってるもんだから、便所ヘはいるのを忘れて、おれらを引っ張るのだろう。酔っ払いは目のあたるところヘ用事をこしらえて、まえのことはすぐ忘れてしまうんだろう。
「さあ、諸君、いかさま師を引っ張って来た。さあ飲ましてくれたまえ。いかさま師をうんと言うほど、酔わしてくれたまえ。君逃げちゃいかん」
と逃げもせぬおれを壁ぎわへ押しつけた。諸方を見回してみると、膳の上に満足な肴の乗っているのは一つもない。自分の分をきれいに食い尽くして、五、六間先へ遠征に出たやつもいる。校長はいつ帰ったか姿が見えない。
ところへお座敷はこちら? と芸者が三、四人はいってきた。おれも少し驚いたが、壁ぎわへ押しつけられているんだから、じっとしてただ見ていた。すると今まで床柱へもたれて例の琥《こ》珀《はく》のパイプを自慢そうにくわえていた、赤シャツが急に立って、座敷を出にかかった。向こうからはいってきた芸者の一人が、行き違いながら、笑って挨拶をした。その一人はいちばん若くていちばんきれいなやつだ。遠くで聞こえなかったが、おや今晩はぐらい言ったらしい。赤シャツは知らん顔をして出て行ったぎり、顔を出さなかった。おおかた校長のあとを追っかけて帰ったんだろう。
芸者が来たら座敷じゅう急に陽気になって、一同が鬨《とき》の声を揚げて歓迎したのかと思うくらい、騒々しい。そうしてあるやつはなんこ《*》をつかむ。その声の大きなこと、まるで居《い》合《あい》抜《ぬき》の稽《けい》古《こ》のようだ。こっちでは拳《けん*》を打ってる。よっ、はっ、と夢中で両手を振るところは、ダーク一座《*》の操《あやつり》人《にん》形《ぎよう》よりよっぽどじょうずだ。向こうの隅《すみ》ではおいお酌《しやく》だ、と徳利を振ってみて、酒だ酒だと言い直している。どうもやかましくて騒々しくってたまらない。そのうちで手持ち無沙汰に下を向いて考え込んでるのはうらなり君ばかりである。自分のために送別会を開いてくれたのは、自分の転任を惜しんでくれるんじゃない。みんなが酒をのんで遊ぶためだ。自分一人が手持ち無沙汰で苦しむためだ。こんな送別会なら、開いてもらわないほうがよっぽどましだ。
しばらくしたら、めいめい胴間声を出して何か唄《うた》いはじめた。おれの前ヘ来た一人の芸者が、あんた、なんぞ、唄いなはれ、と三《しや》味《み》線《せん》をかかえたから、おれは唄わない、貴様唄ってみろと言ったら、鉦《かね》や太《たい》鼓《こ》でねえ、迷《まい》子《ご》の迷子の三太郎《*》と、どんどこ、どんのちゃんちきりん。たたいて回って会われるものならば、わたしなんぞも、鉦や太鼓でどんどこ、どんのちゃんちきりんとたたいて回って会いたい人がある、と二た息に唄って、おおしんどと言った。おおしんどなら、もっと楽なものをやればいいのに。
すると、いつのまにかそばヘ来てすわった、野だが、鈴ちゃん会いたい人に会ったと思ったら、すぐお帰りで、お気の毒さまみたようでげすと相変わらず噺《はな》し家《か》みたような言葉使いをする。知りまヘんと芸者はつんとすました。野だはとんじゃくなく、たまたま会いは会いながら《*》……と、いやな声を出して義《ぎ》太《だ》夫《ゆう》のまねをやる。おきなはれや《*》と芸者は平手で野だの膝《ひざ》をたたいたら野だは恐悦して笑ってる。この芸者は赤シャツに挨拶をしたやつだ。芸者にたたかれて笑うなんて、野だもおめでたいものだ。鈴ちゃん僕が紀伊《き》の国《くに*》を踊るから、一つ弾《ひ》いてちょうだいと言いだした。野だはこのうえまだ踊る気でいる。
向こうの方で漢学のお爺さんが歯のない口をゆがめて、そりゃ聞こえません伝兵衛さん《*》、お前とわたしのそのなかは……とまでは無事にすましたが、それから? と芸者に聞いている。爺さんなんて物覚えのわるいものだ。一人が博物をつらまえて近ごろこないなのが、でけましたぜ、弾いてみまほうか。よう聞いて、いなはれや――花《か》月《げつ》巻《まき*》、白いリボンのハイカラ頭、乗るは自転車、弾くはバイオリン、半《はん》可《か》の英語でペらペらと、I am glad to see you と唄うと、博物はなるほどおもしろい、英語入りだねと感心している。
山嵐はばかに大きな声を出して、芸者、芸者と呼んで、おれが剣舞をやるから、三味線を弾けと号令を下した。芸者はあまり乱暴な声なので、あっけにとられて返事もしない。山嵐はいっさいかまわず、ステッキを待って来て、踏《ふみ》破《やぶる》千《せん》山《ざん》万《ばん》岳《がくの》煙《けむり*》とまん中へ出て一人で隠し芸を演じている。ところヘ野だがすでに紀伊の国をすまして、かっぽれ《*》をすまして、棚の達《だる》麿《ま》さん《*》をすまして丸裸の越《えつち》中《ゆうふ》褌《んどし*》一つになって、棕《しゆ》梠《ろ》箒《ぼうき》を小《こ》脇《わき》にかい込んで、日《につ》清《しん》談判破裂して《*》……と座敷じゅう練りあるきだした。まるで気違いだ。
おれはさっきから苦しそうに袴も脱がず控えているうらなり君が気の毒でたまらなかったが、なんぼ自分の送別会だって、越中褌の裸踊りまで羽織袴で我慢して見ている必要はあるまいと思ったから、そばヘ行って、古賀さんもう帰りましょうと退去を勧めてみた。するとうらなり君はきょうは私の送別会だから、私が先へ帰っては失礼です、どうぞ御遠慮なくと動くけしきもない。なにかまうもんですか、送別会なら、送別会らしくするがいいです、あのざまを御覧なさい。気《き》狂《ちがい》会《かい》です。さあ行きましょうと、進まないのをむりに勧めて、座敷を出かかるところヘ、野だが箒を振り振り進行してきて、や御主人が先ヘ帰るとはひどい。日清談判だ。帰せないと箒を横にして行く手をふさいだ。おれはさっきから肝《かん》癪《しやく》が起こっているところだから、日清談判なら貴様はちゃんちゃん《*》だろうと、いきなり拳《げん》骨《こつ》で、野だの頭をぽかりとくらわしてやった。野だは二、三秒のあいだ毒気を抜かれたていで、ぼんやりしていたが、おやこれはひどい。おぶちになったのは情けない。この吉川を御打《ごちよう》擲《ちやく》とは恐れ入った。いよいよもって日清談判だ。とわからぬことをならべているところヘ、うしろから山嵐が何か騒動が始まったと見てとって、剣舞をやめて飛んで来たが、このていたらくを見て、いきなり頸《くび》筋《すじ》をうんとつかんで引きもどした。日清……いたい、いたい、どうもこれは乱暴だと振りもがくところを横にねじったら、すとんと倒れた。あとはどうなったかしらない。途中でうらなり君に別れて、うちヘ帰ったら十一時過ぎだった。
一〇
祝勝会で学校はお休みだ。練《れい》兵《ぺい》場《ば》で式があるというので、狸は生徒を引率して参列しなくてはならない。おれも職員の一人《ひとり》としていっしょにくっついて行くんだ。町へ出ると日の丸だらけで、まぼしいくらいである。学校の生徒は八百人もあるのだから、体操の教師が隊伍を整えて、一組一組の間を少しずつあけて、それへ職員が一人か二人《ふたり》ずつ監督として割り込むしかけである。しかけだけはすこぶる巧妙なものだが、実際はすこぶる不手ぎわである。生徒は子供のうえに、なまいきで、規律を破らなくっては生徒の体面にかかわると思ってるやつらだから、職員が幾《いく》人《たり》ついて行ったってなんの役に立つもんか。命令も下さないのにかってな軍歌をうたったり、軍歌をやめるとワーとわけもないのに鬨《とき》の声をあげたり、まるで浪人が町内をねりあるいてるようなものだ。軍歌も鬨の声も揚げない時はがやがや何かしゃべってる。しゃべらないでもあるけそうなもんだが、日本人はみな口から先へ生まれるのだから、いくら小《こ》言《ごと》を言ったって聞きっこない。しゃべるのもただしゃべるのではない、教師の悪口をしゃべるんだから、下等だ。おれは宿直事件で生徒を謝罪さして、まあこれならよかろうと思っていた。ところが実際は大違いである。下宿の婆さんの言葉を借りて言えば、まさに大違いの勘五郎である。生徒があやまったのは心《しん》から後悔してあやまったのではない。ただ校長から、命令されて、形式的に頭を下げたのである。商人が頭ばかりさげて、ずるいことをやめないのと一般で生徒も謝罪だけはするが、いたずらはけっしてやめるものでない。よく考えてみると世の中はみんなこの生徒のようなものから成立しているかもしれない。人があやまったりわびたりするのを、まじめに受けて勘弁するのは正直すぎるばかというんだろう。あやまるのもかりにあやまるので、勘弁するのもかりに勘弁するのだと思ってればさしつかえない。もしほんとうにあやまらせる気なら、ほんとうに後悔するまでたたきつけなくてはいけない。
おれが組と組の間にはいって行くと、天《てん》麩《ぷ》羅《ら》だの、団子だの、という声が絶えずする。しかも大ぜいだから、だれが言うのだかわからない。よしわかってもおれのことを天麩羅と言ったんじゃありません、団子と申したのじゃありません、それは先生が神経衰弱だから、ひがんで、そう聞くんだぐらい言うにきまってる。こんな卑劣な根性は封建時代から、養成したこの土地の習慣なんだから、いくら言って聞かしたって、教えてやったって、とうてい直りっこない。こんな土地に一年もいると、潔白なおれも、このまねをしなければならなく、なるかもしれない。向こうでうまく言い抜けられるような手段で、おれの顔をよごすのをほうっておく、樗《ちよ》蒲《ぼ》一《いち*》はない。向こうが人ならおれも人だ。生徒だって、子供だって、ずう体はおれより大きいや。だから刑罰として何か返報をしてやらなくっては義理がわるい。ところがこっちから返報をする時分に尋常の手段でゆくと、向こうから逆《さか》ねじを食わしてくる。貴様がわるいからだと言うと、初《しよ》手《て》から逃げ路《みち》が作ってあることだからとうとうと弁じ立てる。弁じ立てておいて、自分のほうを表向きだけりっぱにしてそれからこっちの非を攻撃する。もともと返報にしたことだから、こちらの弁護は向こうの非があがらないうえは弁護にならない。つまり向こうから手を出しておいて、世間体はこっちがしかけた喧嘩のように、みなされてしまう。たいヘんな不利益だ。それなら向こうのやるなり、愚《ぐ》迂《う》多《た》良《ら》童《どう》子《じ》をきめ込んでいれば、向こうはますます増長するばかり、大きくいえば世の中のためにならない。そこでしかたがないから、こっちも向うの筆法を用いてつらまえられないで、手のつけようのない返報をしなくてはならなくなる。そうなっては江戸っ子もだめだ。だめだが一年もこうやられる以上は、おれも人間だからだめでもなんでもそうならなくっちゃ始末がつかない。どうしても早く東京ヘ帰って清といっしょになるにかぎる。こんな田舎《いなか》にいるのは堕落しに来ているようなものだ。新聞配達をしたって、ここまで堕落するよりはましだ。
こう考えて、いやいや、ついてくると、なんだか先《せん》鋒《ぽう》が急にがやがや騒ぎだした。同時に列はぴたりととまる。変だから、列を右へはずして、向こうを見ると、大《おお》手《て》町《まち》を突き当って薬《やく》師《し》町《まち》へ曲がる角の所で、行きつまったぎり、押し返したり、押し返されたりしてもみ合っている。前方から静かに静かにと声をからして来た体操教師に何ですと聞くと、曲がり角で中学校と師範学校が衝突したんだと言う。
中学と師範とはどこの県下でも犬と猿のように仲がわるいそうだ。なぜだかわからないが、まるで気風が合わない。何かあると喧嘩をする。おおかた狭い田舎で退屈だから、暇つぶしにやる仕事なんだろう。おれは喧嘩は好きなほうだから、衝突と聞いて、おもしろ半分にかけだして行った。すると前の方にいる連中は、しきりになんだ地方税《*》のくせに、引き込めと、どなってる。うしろからは押せ押せと大きな声を出す。おれはじゃまになる生徒の間をくぐり抜けて、曲がり角ヘもう少しで出ようとした時に、前へ! と言う高く鋭い号令が聞こえたと思ったら師範学校のほうは粛々として進行を始めた。先を争った衝突は、折合いがついたには相違ないが、つまり中学校が一歩を譲ったのである。資格からいうと師範学校のほうが上だそうだ。
祝勝の式はすこぶる簡単なものであった。旅団《*》長が祝詞を読む、知事が祝詞を読む。参列者が万歳を唱える。それでおしまいだ。余興は午後にあるという話だから、ひとまず下宿へ帰って、こないだじゅうから、気にかかっていた、清への返事をかきかけた。今度はもっと詳しく書いてくれとの注文だから、なるべく念入りにしたためなくっちゃならない。しかしいざとなって、半切れを取り上げると、書くことはたくさんあるが、何から書き出していいか、わからない。あれにしようか、あれはめんどうくさい。これにしようか、これはつまらない。何かすらすらと出て、骨が折れなくって、そうして清がおもしろがるようなものはないかしらん、と考えてみると、そんな注文どおりの事件は一つもなさそうだ。これは墨をすって、筆をしめして、巻紙をにらめて、――巻紙をにらめて、筆をしめして、墨をすって――同じ所《しよ》作《さ》を同じように何べんも繰り返したあと、おれには、とても手紙はかけるものではないと、あきらめて硯《すずり》の蓋《ふた》をしてしまった。手紙なんぞをかくのはめんどうくさい。やっぱり東京まで出かけて行って、会って話をするほうが簡便だ。清の心配は察しないでもないが、清の注文どおりの手紙をかくのは三七日《にち》の断《だん》食《じき》よりも苦しい。
おれは筆と巻紙をほうり出して、ごろりところがって肱《ひじ》枕《まくら》をして庭の方をながめて見たが、やっぱり清のことが気にかかる。その時おれはこう思った。こうして遠くヘ来てまで、清の身の上を案じていてやりさえすれば、おれの真心《まこと》は清に通じるに違いない。通じさえすれば手紙なんぞやる必要はない。やらなければ無事に暮らしてると思ってるだろう。たよりは死んだ時か病気の時か、何か事の起こった時にやりさえすればいいわけだ。
庭は十《と》坪《つぼ》ほどの平庭で、これという植木もない。ただ一本の蜜《み》柑《かん》があって、塀《へい》のそとから、目《め》標《じるし》になるほど高い。おれはうちヘ帰ると、いつでもこの蜜柑をながめる。東京を出たことのないものには蜜柑のなっているところはすこぶる珍しいものだ。あの青い実がだんだん熟してきて、黄色になるんだろうが、さだめてきれいだろう。今でももう半分色の変わったのがある。婆さんに聞いてみると、すこぶる水気の多い、うまい蜜柑だそうだ。いまに熟れたら、たんと召し上がれと言ったから、毎日少しずつ食ってやろう。もう三週間もしたら、じゅうぶん食えるだろう。まさか三週間内にここを去ることもなかろう。
おれが蜜柑のことを考えているところへ、偶然山嵐が話にやって来た。きょうは祝勝会だから、君といっしょに御《ご》馳《ち》走《そう》を食おうと思って牛肉を買って来たと、竹の皮の包を袂《たもと》がら引きずり出して、座敷のまん中へほうり出した。おれは下宿で芋責め豆腐責めになってるうえ、蕎麦屋行き、団子屋行きを禁じられてる際だから、そいつは結構だと、すぐ婆さんから鍋《なべ》と砂糖をかりこんで、煮《に》方《かた》に取りかかった。
山嵐はむやみに牛肉を頬《ほお》張《ば》りながら、君あの赤シャツが芸者に馴染《なじみ》のあることを知ってるかと聞くから、知ってるとも、このあいだうらなりの送別会の時に来た一人がそうだろうと言ったら、そうだ僕はこのごろようやく勘づいたのに、君はなかなか敏《びん》捷《しよう》だと大いにほめた。
「あいつは、二た言《こと》目《め》には品性だの、精神的娯楽だのと言うくせに、裏ヘ回って、芸者と関係なんかつけとる、けしからんやつだ。それもほかの人が遊ぶのを寛容するならいいが、君が蕎麦屋へ行ったり、団子屋へはいるのさえ取締り上害になると言って、校長の口を通して注意を加えたじゃないか」
「うん、あの野郎の考えじゃ芸者買いは精神的娯楽で、天麩羅や団子は物質的娯楽なんだろう。精神的娯楽なら、もっと大べらにやるがいい。なんだあのざまは。馴染の芸者がはいってくると、入れ代わりに席をはずして、逃げるなんて、どこまでも人をごまかす気だから気に食わない。そうして人が攻撃すると、僕は知らないとか、ロシア文学だとか、俳句が新体詩の兄弟分だとか言って、人を煙《けむ》にまくつもりなんだ。あんな弱虫は男じゃないよ。まったく御殿女中の生まれ変わりかなんかだぜ。ことによると、あいつのおやじは湯《ゆ》島《しま》のか《ヽ》げ《ヽ》ま《ヽ*》かもしれない」
「湯島のかげまた何んだ」
「なんでも男らしくないもんだろう。――君そこのところはまだ煮えていないぜ。そんなのを食うと絛《さなだ》虫《むし》がわくぜ」
「そうか、たいてい大丈夫だろう。それで赤シャツは人に隠れて、温泉《ゆ》の町の角《かど》屋《や》ヘ行って、芸者と会見するそうだ」
「角屋って、あの宿屋か」
「宿屋兼料理屋さ。だからあいつをいちばんヘこますためには、あいつが芸者をつれて、あすこヘはいり込むところを見とどけておいて面詰するんだね」
「見とどけるって、夜番でもするのかい」
「うん、角屋の前に枡《ます》屋《や》という宿屋があるだろう。あの表二階をかりて、障子へ穴をあけて、見ているのさ」
「見ているときに来るかい」
「来るだろう。どうせ一と晩じゃいけない。二週間ばかりやるつもりでなくっちゃ」
「ずいぶん疲れるぜ。僕あ、おやじの死ぬとき一週間ばかり徹夜して看病したことがあるが、あとでぼんやりして、大いに弱ったことがある」
「少しぐらいからだが疲れたってかまわんさ。あんな奸《かん》物《ぶつ》をあのままにしておくと、日《につ》本《ぽん》のためにならないから、僕が天に代わって誅《ちゆう》戮《りく》を加えるんだ」
「愉快だ。そう事がきまれば、おれも加勢してやる。それで今夜から夜番をやるのかい」
「まだ枡屋にかけあってないから、今夜はだめだ」
「それじゃ、いつから始めるつもりだい」
「近々のうちやるさ。いずれ君に報知をするから、そうしたら、加勢してくれたまえ」
「よろしい、いつでも加勢する。僕は計《はかり》略《ごと》はへただが、喧嘩とくるとこれでなかなかすばしこいぜ」
おれと山嵐がしきりに赤シャツ退治の計略を相談していると、宿の婆さんが出てきて、学校の生徒さんが一人、堀田先生にお目にかかりたいてておいでたぞなもし。今お宅へ参じたのじゃが、お留守じゃけれ、おおかたここじゃろうてて捜し当てておいでたのじゃがなもしと、閾《しきい》の所へ膝《ひざ》を突いて山嵐の返事を待ってる。山嵐はそうですかと玄関まで出て行ったが、やがて帰って来て、君、生徒が祝勝会の余興を見に行かないかって誘いに来たんだ。きょうは高知から、なんとか踊りをしに、わざわざここまで多人数乗り込んで来ているのだから、ぜひ見物しろ、めったに見られない踊りだと言うんだ、君もいっしょに行ってみたまえと山嵐は大いに乗り気で、おれに同行を勧める。おれは踊りなら東京でたくさん見ている。毎年八《はち》幡《まん》様《さま》のお祭りには屋台が町内へ回ってくるんだから汐《しお》酌《く》み《*》でもなんでもちゃんと心得ている。土佐っぽの馬鹿踊りなんか、見たくもないと思ったけれども、せっかく山嵐が勧めるもんだから、つい行く気になって門ヘ出た。山嵐を誘いに来たものはだれかと思ったら赤シャツの弟だ。妙なやつが来たもんだ。
会場ヘはいると、回《え》向《こう》院《いん》の相《す》撲《もう》か本《ほん》門《もん》寺《じ》の御《お》会《えし》式《き*》のように幾《いく》旒《ながれ》となく長い旗を所々に植えつけたうえに、世界万国の国旗をことごとく借りてきたくらい、縄《なわ》から縄、綱から綱へ渡しかけて、大きな空が、いつになく賑《にぎ》やかに見える。東の隅《すみ》に一夜《や》作りの舞台を設けて、ここでいわゆる高知のなんとか踊りをやるんだそうだ。舞台を右ヘ半町ばかりくると葭《よし》簀《ず》の囲いをして、活《いけ》花《ばな》が陳列してある。みんなが感心してながめているが、いっこうくだらないものだ。あんなに草や竹を曲げてうれしがるなら、せむしの色男や、跛《びつこ》の亭主を持って自慢するがよかろう。
舞台とは反対の方面で、しきりに花火を揚げる。花火の中から風船が出た。帝国万歳とかいてある。天主の松の上をふわふわ飛んで営所のなかヘ落ちた。次にぽんと音がして、黒い団子が、しゅっと秋の空を射抜くように上がると、それがおれの頭の上で、ぽかりと割れて、青い煙が傘《かさ》の骨のように開いてだらだらと空中に流れ込んだ。風船がまた上った。今度は陸海軍万歳と赤地に白く染め抜いたやつが風に揺られて、温泉《ゆ》の町から、相《あい》生《おい》村の方へ飛んでいった。おおかた観音様の境《けい》内《だい》ヘでも落ちたろう。
式の時はさほどでもなかったが、今度はたいへんな人出だ。田舎にもこんなに人間が住んでるかと驚いたくらいうじゃうじゃしている。利口な顔はあまり見当たらないが、数からいうとたしかにばかにできない。そのうち評判の高知のなんとか踊りが始まった。踊りというから藤《ふじ》間《ま*》かなんぞのやる踊りかと早《はや》合《が》点《てん》していたが、これは大間違いであった。
いかめしい後《うしろ》鉢《はち》巻《まき》をして、立っ付け袴をはいた男が十人ばかりずつ、舞台の上に三列に並んで、その三十人がことごとく抜き身をさげているにはたまげた。前列と後列の間はわずか一尺五寸ぐらいだろう、左右の間隔はそれより短かいとも長くはない。たった一人列を離れて舞台の端《はし》に立ってるのがあるばかりだ。この仲間はずれの男は袴だけはつけているが、後鉢巻は倹約して、抜き身の代わりに、胸へ太鼓をかけている。太鼓は太《だい》神楽《かぐら*》の太鼓と同じ物だ。この男がやがて、いやあ、はああとのんきな声を出して、妙な謡《うた》をうたいながら、太鼓をぼこぼん、ぼこぼんとたたく。歌の調子は前代末《み》聞《もん》の不思議なものだ。三《み》河《かわ》万《まん》歳《ざい*》と普《ふ》陀《だら》洛《く*》やの合併したものと思えば大した間違いにはならない。
歌はすこぶる悠《ゆう》長《ちよう》なもので、夏分の水《みず》飴《あめ》のように、だらしがないが、句切りをとるためにぼこぼんを入れるから、のべつのようでも拍子は取れる。この拍子に応じて三十人の抜き身がぴかぴかと光るのだが、これはまたすこぶる迅《じん》速《そく》なおてぎわで、拝見していてもひやひやする。隣も後ろも一尺五寸以内に生きた人間がいて、その人間がまた切れる抜き身を自分と同じように振り回すのだから、よほど調子がそろわなければ、同志撃ちを始めてけがをすることになる。それも動かないで刀だけ前後とか上下とかに振るのなら、まだ危《あぶ》険《なく》もないが、三十人が一度に足踏みをして横を向く時がある。ぐるりと回ることがある。膝を曲げることがある。隣のものが一秒でも早すぎるか、おそすぎれば、自分の鼻は落ちるかもしれない。隣の頭はそがれるかもしれない。抜き身の動くのは自由自在だが、その動く範囲は一尺五寸角の柱のうちにかぎられたうえに、前後左右のものと同方向に同速度にひらめかなければならない。こいつは驚いた、なかなかもって汐《しお》酌《くみ》や関《せき》の戸《と*》の及ぶ所でない。聞いてみると、これははなはだ熟練のいるもので容易なことでは、こういうふうに調子が合わないそうだ。ことにむずかしいのは、かの万歳節のぼこぼん先生だそうだ。三十人の足の運びも、手の働きも、腰の曲げ方も、ことごとくこのぼこぼん君の拍子一つできまるのだそうだ。はたで見ていると、この大将がいちばんのんきそうに、いやあ、はああと気楽にうたってるが、その実ははなはだ責任が重くって非常に骨が折れるとは不思議なものだ。
おれと山嵐が感心のあまりこの踊りを余念なく見物していると、半町ばかり向こうの方で急にわっと言う鬨の声がして、今までは穏やかに諸所を縦覧していた連中が、にわかに波を打って、右《みぎ》左《ひだり》にうごきはじめる。喧嘩だ喧嘩だと言う声がすると思うと、人の袖をくぐり抜けて来た赤シャツの弟が、先生また喧嘩です、中学のほうで今《け》朝《さ》の意趣返しをするんで、また師範のやつと決戦を始めたところです、早く来てくださいと言いながらまた人の波のなかヘもぐり込んでどっかへ行ってしまった。
山嵐は世話のやける小僧だまた始めたのか、いいかげんにすればいいのにと逃げる人をよけながらいっさんにかけだした。見ているわけにもゆかないからとりしずめるつもりだろう。おれはむろんのこと逃げる気はない。山嵐の踵《かかと》をふんであとからすぐ現場ヘかけつけた。喧嘩は今がまっ最中である。師範のほうは五、六十人もあろうか、中学はたしかに三割がた多い。師範は制服をつけているが、中学は式後たいていは日本服に着換えているから、敵味方はすぐわかる。しかし入り乱れて組んず、ほごれつ戦ってるから、どこから、どう手をつけて引き分けていいかわからない。山嵐は困ったなというふうで、しばらくこの乱雑なありさまをながめていたが、こうなっちゃしかたがない。巡査がくるとめんどうだ。飛び込んで分けようと、おれの方を見て言うから、おれは返事もしないで、いきなり、いちばん喧嘩のはげしそうなところへおどり込んだ。よせよせ。そんな乱暴をすると学校の体面にかかわる。よさないかと、出るだけの声を出して敵と味方の分界線らしいところを突きぬけようとしたが、なかなかそううまくはゆかない。一、二間はいったら、出ることも引くこともできなくなった。目の前に比較的大きな師範生が、十五、六の中学生と組み合っている。よせと言ったら、よさないかと師範生の肩を持って、むりに引き分けようとするとたんにだれか知らないが、下からおれの足をすくった。おれは不意を打たれて握った、肩を放して、横に倒れた。堅い靴《くつ》でおれの背中の上へ乗ったやつがある。両手と膝を突いて下から、はね起きたら、乗ったやつは右の方へころがり落ちた。起き上がって見ると、三間ばかり向こうに山嵐の大きなからだが生徒の間にはさまりながら、よせよせ、喧嘩はよせよせともみ返されてるのが見えた。おいとうていだめだと言ってみたが聞こえないのか返事もしない。
ひゅうと風を切って飛んで来た石が、いきなりおれの頬《ほほ》骨《ぼね》へあたったなと思ったら、後ろからも、背中を棒でどやしたやつがある。教師のくせに出ている、ぶてぶてと言う声がする。教師は二人だ。大きいやつと、小さい奴だ。石をなげろ。と言う声もする。おれは、なに生意気なことをぬかすな、田舎者のくせにと、いきなり、そばにいた師範生の頭を張りつけてやった。石がまたひゅうと来る。今度はおれの五分刈の頭をかすめて後ろの方ヘ飛んで行った。山嵐はどうなったか見えない。こうなっちゃしかたがない。はじめは喧嘩をとめにはいったんだが、どやされたり、石をなげられたりして、恐れ入って引き下がるうんでれがん《*》があるものか。おれをだれだと思うんだ。なりは小さくっても喧嘩の本場で修業を積んだ兄《にい》さんだとむちゃくちゃに張り飛ばしたり、張り飛ばされたりしていると、やがて巡査だ巡査だ逃げろ逃げろと言う声がした。今まで葛《くず》練《ね》り《*》の中で泳いでるように身動きもできなかったのが、急に楽になったと思ったら、敵も味方も一度に引上げてしまった。田舎者でも退却は巧妙だ。クロパトキン《*》よりうまいくらいである。
山嵐はどうしたかと見ると、紋付の一《ひと》重《え》羽織をずたずたにして、向こうの方で鼻をふいている。鼻っ柱をなぐられてだいぶ出血したんだそうだ。鼻がふくれ上がってまっかになってすこぶる見苦しい。おれは飛白《かすり》の袷《あわせ》を着ていたから泥《どろ》だらけになったけれども、山嵐の羽織ほどな損害はない。しかし頬《ほつ》ペたがぴりぴりしてたまらない。山嵐はだいぶ血が出ているぜと教えてくれた。
巡査は十五、六名来たのだが、生徒は反対の方面から退却したので、つらまったのは、おれと山嵐だけである。おれらは姓名をつげて、一部始終を話したら、ともかくも警察まで来いと言うから、警察へ行って、署長の前で事の顛《てん》末《まつ》を述べて下宿へ帰った。
一一
あくる日目がさめてみると、からだじゅう痛くてたまらない。久しく喧《けん》嘩《か》をしつけなかったから、こんなにこたえるんだろう。これじゃあんまり自慢もできないと床の中で考えていると、婆《ばあ》さんが四国新聞《*》を持って来て枕《まくら》元《もと》へ置いてくれた。実は新聞を見るのも退儀なんだが、男がこれしきのことにへこたれてしようがあるものかとむりに腹ばいになって、寝ながら、二ページをあけて見ると驚いた。きのうの喧嘩がちゃんと出ている。喧嘩の出ているのは驚かないのだが、中学の教師堀田某と、近ごろ東京から赴任したなまいきなる某とが、順良なる生徒を使《し》嗾《そう》してこの騒動を喚起せるのみならず、両人は現場にあって生徒を指揮したるうえ、みだりに師範生に向かって暴行をほしいままにしたりと書いて、次にこんな意見が付記してある。本県の中学は昔《せき》時《じ》より善良温順の気風をもって全国の羨《せん》望《ぼう》するところなりしが、軽薄なる二豎《じゆ》子《し*》のためにわが校の特権を毀《き》損《そん》せられて、この不面目を全市に受けたる以上は、吾人は奮然としてたってその責任を問わざるをえず。吾人は信ず、吾人が手を下すまえに、当局者は相当の処分をこの無頼漢のうえに加えて、彼らをして再び教育界に足を入るる余地なからしむることを。そうして一字ごとにみんな黒点を加えて、お灸《きゆう》をすえたつもりでいる。おれは床の中、糞《くそ》でもくらえと言いながら、むっくり飛び起きた。不思議なことに今までからだの関《ふし》節《ぶし》が非常に痛かったのが、飛び起きると同時に忘れたように軽くなった。
おれは新聞を丸めて庭へなげつけたが、それでもまだ気に入らなかったから、わざわざ後《こう》架《か》へ持って行ってすててきた。新聞なんてむやみな嘘をつくもんだ。世の中に何がいちばん法《ほ》螺《ら》を吹くといって、新聞ほどの法螺吹きはあるまい。おれの言ってしかるべきことをみんな向こうで並べていやがる。それに近ごろ東京から赴任したなまいきな某とはなんだ。天下に某という名前の人があるか。考えてみろ。これでもれっきとした姓もあり名もあるんだ。系図が見たけりゃ、多《た》田《だの》満《まん》仲《じゆう》以来の先祖を一人残らず拝ましてやらあ。――顔を洗ったら、頬《ほつ》ペたが急に痛くなった。婆さんに鏡をかせと言ったら、けさの新聞をお見たかなもしと聞く。読んで後架ヘすててきた。ほしけりゃ拾って来いと言ったら、驚いて引き下がった。鏡で顔を見るときのうと同じように傷がついている。これでも大事な顔だ、顔へ傷までつけられたうえヘなまいきなる某などと、某呼ばわりをされればたくさんだ。
きょうの新聞に辟《へき》易《えき》して学校を休んだなどと言われちゃ一生の名折れだから、飯を食っていの一号に出頭した。出てくるやつも、出てくるやつもおれの顔を見て笑っている。何がおかしいんだ。貴様たちにこしらえてもらった顔じゃあるまいし。そのうち、野だが出てきて、いやきのうはお手柄で、――名誉の御負傷でげすか、と送別会の時になぐった返報と心得たのか、いやにひやかしたから、よけいなことを言わずに絵筆でもなめていろと言ってやった。するとこりゃ恐れ入りやした。しかしさぞお痛いことでげしょうと言うから、痛かろうが、痛くなかろうがおれの面《つら》だ。貴様の世話になるもんかとどなりつけてやったら、向こう側の自席ヘ着いて、やっぱりおれの顔を見て、隣の歴史の教師と何かないしょ話をして笑っている。
それから山嵐が出頭した。山嵐の鼻にいたっては、紫色に膨張して、掘ったら中から膿《うみ》が出そうに見える。うぬぼれのせいか、おれの顔よりよっぽど手ひどくやられている。おれと山嵐は机を並べて、隣同志の近しい仲で、おまけにその机が部《へ》屋《や》の戸口から真正面にあるんだから運がわるい。妙な顔が二つかたまっている。ほかのやつは退屈にさえなるときっとこっちばかり見る。とんだことでと口で言うが、心のうちではこのばかがと思ってるに相違ない。それでなければああいうふうにささやき合ってはくすくす笑うわけがない。教場へ出ると生徒は拍手をもって迎えた。先生万歳と言うものが二、三人あった。景気がいいんだか、ばかにされてるんだかわからない。おれと山嵐がこんなに注意の焼《しよう》点《てん》となってるなかに、赤シャツばかりは平常のとおりそばヘ来て、どうもとんだ災難でした。僕は君らに対してお気の毒でなりません。新聞の記事は校長とも相談して、正誤を申し込む手続きにしておいたから、心配しなくてもいい。僕の弟が堀田君を誘いに行ったから、こんなことが起こったので、僕は実に申し訳がない。それでこの件についてはあくまで尽力するつもりだから、どうかあしからず、などと半分謝罪的な言葉を並べている。校長は三時間目に校長室から出て来て、困ったことを新聞がかきだしましたね。むずかしくならなければいいがと多少心配そうにみえた。おれには心配なんかない、先で免職をするなら、免職されるまえに辞表を出してしまうだけだ。しかし自分がわるくないのにこっちから身を引くのは法螺吹きの新聞屋をますます増長させるわけだから、新聞屋を正誤させて、おれが意地にも務めるのが順当だと考えた。帰りがけに新聞屋に談判に行こうと思ったが、学校から取消しの手続きはしたと言うから、やめた。
おれと山嵐は校長と教頭に時間の合い間をみはからって、嘘のないところを一応説明した。校長と教頭はそうだろう、新聞屋が学校に恨みを抱いて、あんな記事をことさらに掲げたんだろうと論断した。赤シャツはおれらの行為を弁解しながら控え所を一人ごとに回ってあるいていた。ことに自分の弟が山嵐を誘い出したのを自分の過失であるかのごとく吹《ふい》聴《ちよう》していた。みんなはまったく新聞屋がわるい、けしからん、両君は実に災難だと言った。
帰りがけに山嵐は、君赤シャツはくさいぜ、用心しないとやられるぜと注意した。どうせくさいんだ、きょうからくさくなったんじゃなかろうと言うと、君まだ気がつかないか、きのうわざわざ、僕らを誘い出して喧嘩のなかへ、まき込んだのは策だぜと教えてくれた。なるほどそこまでは気がつかなかった。山嵐は粗暴なようだが、おれより知恵のある男だと感心した。
「ああやって喧嘩をさせておいて、すぐあとから新聞屋ヘ手を回してあんな記事をかかせたんだ。実に奸物だ」
「新聞までも赤シャツか。そいつは驚いた。しかし新聞が赤シャツの言うことをそうたやすく聴くかね」
「きかなくって。新聞屋に友だちがいりゃわけないさ」
「友だちがいるのかい」
「いなくてもわけないさ。嘘をついて、事実これこれだと話しゃ、すぐかくさ」
「ひどいもんだな。ほんとうに赤シャツの策なら、僕らはこの事件で免職になるかもしれないね」
「わるくすると、やられるかもしれない」
「そんなら、おれはあした辞表を出してすぐ東京へ帰っちまわあ。こんな下等な所に頼んだっているのはいやだ」
「君が辞表を出したって、赤シャツは困らない」
「それもそうだな。どうしたら困るだろう」
「あんな奸物のやることは、なんでも証拠のあがらないように、あがらないようにと工夫するんだから、反《はん》駁《ばく》するのはむずかしいね」
「やっかいだな。それじゃ濡《ぬれ》衣《ぎぬ》を着るんだね。おもしろくもない。天道是か非か《*》だ」
「まあ、もう二《に》、三日《さんち》様子を見ようじゃないか。それでいよいよとなったら、温泉《ゆ》の町で取って抑えるよりしかたがないだろう」
「喧嘩事件は、喧嘩事件としてか」
「そうさ。こっちはこっちで向こうの急所をおさえるのさ」
「それもよかろう。おれは策略はへたなんだから、万事よろしく頼む。いざとなればなんでもする」
おれと山嵐はこれで分かれた。赤シャツがはたして山嵐の推察どおりをやったのなら、実にひどいやつだ。とうてい知恵比べで勝てるやつではない。どうしても腕力でなくちゃだめだ。なるほど世界に戦争は絶えないわけだ。個人でも、とどのつまりは腕力だ。
あくる日、新聞のくるのを待ちかねて、ひらいて見ると、正誤どころか取消しも見えない。学校へ行って狸に催促すると、あしたぐらい出すでしょうと言う。あしたになって六号活字《*》で小さく取消しが出た。しかし新聞屋のほうで正誤はむろんしておらない。また校長に談判すると、あれより手続きのしようはないのだという答だ。校長なんて狸のような顔をして、いやにフロックばっているが存外無勢力なものだ。虚偽の記事を掲げた田舎新聞一つあやまらせることができない。あんまり腹がたったから、それじゃ私《わたし》が一人で行って主筆に談判すると言ったら、それはいかん、君が談判すればまた悪《わる》口《くち》を書かれるばかりだ。つまり新聞屋にかかれたことは、うそにせよ、本当にせよ、つまりどうすることもできないものだ。あきらめるよりほかにしかたがないと、坊主の説教じみた説諭を加えた。新聞がそんなものなら、一日も早くぶっつぶしてしまったほうが、われわれの利益だろう。新聞にかかれるのと、泥《すつ》鼈《ぽん》に食いつかれるとが似たり寄ったりだとは今《こん》日《にち》ただいま狸の説明によってはじめて承知つかまつった。
それから三日ばかりして、ある日の午後、山嵐が憤然とやって来て、いよいよ時機が来た、おれは例の計画を断行するつもりだと言うから、そうかそれじゃおれもやろうと、即座に一味徒党に加盟した。ところが山嵐が、君はよすほうがよかろうと首を傾けた。なぜと聞くと君は校長に呼ばれて辞表を出せと言われたかと尋ねるから、いや言われない。君は? ときき返すと、きょう校長室で、まことに気の毒だけれども、事情やむをえんから処決してくれと言われたとのことだ。
「そんな裁判はないぜ。狸はおおかた腹鼓をたたきすぎて、胃の位置が転倒したんだ。君とおれは、いっしょに、祝勝会ヘ出てさ、いっしょに高知のぴかぴか踊り《*》を見てさ、いっしょに喧嘩をとめにはいったんじゃないか。辞表を出せというなら公平に両方に出せと言うがいい。なんで田舎の学校はそう理屈がわからないんだろう。じれったいな」
「それが赤シャツの指《さし》金《がね》だよ。おれと赤シャツとは今までのゆきがかり上とうてい両立しない人間だが、君のほうは今のとおり置いても害にならないと思ってるんだ」
「おれだって赤シャツと両立するものか。害にならないと思うなんてなまいきだ」
「君はあまり単純すぎるから、置いたって、どうでもごまかされると考えてるのさ」
「なお悪いや。だれが両立してやるものか」
「それにせんだって古賀が去ってから、まだ後任が事故のために到着しないだろう。そのうえに君と僕を同時に追い出しちゃ、生徒の時間にあきができて、授業にさしつかえるからな」
「それじゃおれを間《あい》のくさびに一席伺わせる《*》気なんだな。こんちきしょう、だれがその手に乗るものか」
あくる日おれは学校ヘ出て校長室ヘはいって談判を始めた。
「なんで私に辞表を出せと言わないんですか」
「ヘえ?」と狸はあっけにとられている。
「堀田には出せ、私には出さないでいいと言う法がありますか」
「それは学校のほうの都合で……」
「その都合が間違ってまさあ。私が出さなくってすむなら堀田だって、出す必要はないでしょう」
「その辺は説明ができかねますが――堀田君は去られてもやむをえんのですが、あなたは辞表をお出しになる必要を認めませんから」
なるほど狸だ、要領を得ないことばかり並べて、しかも落ち付きはらってる。おれはしようがないから、
「それじゃ私も辞表を出しましょう。堀田君一人辞職させて、私が安閑として、とどまっていられると思っていらっしゃるかもしれないが、私にはそんな不人情なことはできません」
「それは困る。堀田も去りあなたも去ったら、学校の数学の授業がまるでできなくなってしまうから……」
「できなくなっても私の知ったことじゃありません」
「君そうわがままを言うものじゃない、少しは学校の事情も察してくれなくっちゃ困る。それに、来てから一《ひと》月《つき》たつかたたないのに辞職したというと、君の将来の履歴に関係するから、その辺も少しは考えたらいいでしょう」
「履歴なんかかまうもんですか、履歴より義理が大切です」
「そりゃごもっとも――君の言うところはいちいちごもっともだが、わたしの言うほうも少しは察してください。君がぜひ辞職すると言うなら辞職されてもいいから、代わりのあるまでどうかやってもらいたい。とにかく、うちでもう一ペん考え直してみてください」
考え直すって、直しようのない明々白々たる理由だが、狸が蒼《あお》くなったり、赤くなったりして、かわいそうになったからひとまず考え直すこととして引き下がった。赤シャツには口もきかなかった。どうせやっつけるならかためて、うんとやっつけるほうがいい。
山嵐に狸と談判した模様を話したら、おおかたそんなことだろうと思った。辞表のことはいざとなるまでそのままにしておいてもさしつかえあるまいとの話だったから、山嵐の言うとおりにした。どうも山嵐のほうがおれよりも利口らしいから万事山嵐の忠告に従うことにした。
山嵐はいよいよ辞表を出して、職員一同に告別の挨《あい》拶《さつ》をして浜の港屋まで下ったが、人に知れないように引き返して、温泉《ゆ》の町の枡屋の表二階ヘひそんで、障子ヘ穴をあけてのぞきだした。これを知ってるものはおればかりだろう。赤シャツが忍んで来ればどうせ夜だ。しかも宵《よい》の口は生徒やその他の目があるから、少なくとも九時過ぎにきまってる。最初の二《ふた》晩《ばん》はおれも十一時ごろまで張番をしたが、赤シャツの影も見えない。三日目には九時から十時半までのぞいたがやはりだめだ。だめを踏んで《*》夜なかに下宿ヘ帰るほどばかげたことはない。四《し》、五《ごん》日《ち》すると、うちの婆さんが少々心配を始めて、奥さんのおありるのに、夜遊びはおやめたがええぞなもしと忠告した。そんな夜遊びとは夜遊びが違う。こっちのは天に代わって誅《ちゆう》戮《りく》を加える夜遊びだ。とはいうものの一週間も通って、少しも験《げん》が見えないと、いやになるもんだ。おれはせっかちな性分だから、熱心になると徹夜でもして仕事をするが、その代わりなんによらず長持ちのしたためしがない。いかに天《てん》誅《ちゆう》党《とう*》でも飽きることに変わりはない。六《むい》日《か》目《め》には少々いやになって、七《なの》日《か》目《め》にはもう休もうかと思った。そこヘゆくと山嵐は頑《がん》固《こ》なものだ。宵から十二時過ぎまでは目を障子ヘつけて、角屋の丸ぼや《*》のガス燈の下をにらめっきりである。おれが行くときょうはなんにん客があって、泊りがなんにん、女がなんにんといろいろな統計を示すのには驚いた。どうも来ないようじゃないかと言うと、うん、たしかに来るはずだがと時々腕組をしてため息をつく。かわいそうに、もし赤シャツがここヘ一度来てくれなければ、山嵐は、生涯天誅を加えることはできないのである。
八《よう》日《か》目《め》には七時ごろから下宿を出て、まずゆるりと湯にはいって、それから町で鶏卵を八つ買った。これは下宿の婆さんの芋《いも》責《ぜ》めに応ずる策である。その玉子を四つずつ左右の袂《たもと》へ入れて、例の赤《あか》手《て》拭《ぬぐい》を肩に乗せて、懐《ふと》手《ころで》をしながら、枡屋の楷《はし》子《ご》段《だん》を登って山嵐の座敷の障子をあけると、おい有望有望と韋《い》駄《だ》天《てん》のような顔は急に活気を呈した。ゆうべまでは少しふさぎの気味で、はたで見ているおれさえ、陰気くさいと思ったくらいだが、この顔色を見たら、おれも急にうれしくなって、なにも聞かないさきから、愉快愉快と言った。
「今夜七時半ごろあの小鈴という芸者が角屋ヘはいった」
「赤シャツといっしょか」
「いいや」
「それじゃだめだ」
「芸者は二人づれだが、――どうも有望らしい」
「どうして」
「どうしてって、ああいうずるいやつだから、芸者を先ヘよこして、あとから忍んでくるかもしれない」
「そうかもしれない。もう九時だろう」
「今九時十二分ばかりだ」と帯のあいだからニッケル製の時計を出して見ながら言ったが「おいランプを消せ、障子ヘ二つ坊主頭が写ってはおかしい。狐《きつね》はすぐ疑ぐるから」
おれは一《いつ》閑《かん》張《ばり*》の机の上にあった置きランプをふっと吹きけした。星明かりで障子だけは少々あかるい。月はまだ出ていない。おれと山嵐は一生懸命に障子ヘ面《かお》をつけて、息をこらしている。チーンと九時半の柱時計が鳴った。
「おい来るだろうかな。今夜来なければ僕はもういやだぜ」
「おれは銭のつづくかぎりやるんだ」
「銭っていくらあるんだい」
「きょうまでで八日分五円六十銭払った。いつ飛び出しても都合のいいように毎晩勘定するんだ」
「それは手回しがいい。宿屋で驚いてるだろう」
「宿屋はいいが、気が放せないから困る」
「その代わり昼寝をするだろう」
「昼寝はするが、外出ができないんで窮屈でたまらない」
「天誅も骨が折れるな。これで天《てん》網《もう》恢《かい》々《かい》疎《そ》にしてもらし《*》ちまったり、なんかしちゃ、つまらないぜ」
「なに今夜はきっとくるよ。――おい見ろ見ろ」と小声になったから、おれは思わずどきりとした。黒い帽子をいただいた男が、角屋のガス燈を下から見上げたまま暗い方へ通り過ぎた。違っている。おやおやと思った。そのうち帳場の時計が遠慮もなく十時を打った。今夜もとうとうだめらしい。
世間はだいぶ静かになった。遊郭で鳴らす太鼓が手に取るように聞こえる。月が温泉《ゆ》の山の後ろからのっと顔を出した。往来はあかるい。すると、下《しも》の方から人声が聞こえだした。窓から首を出すわけにはゆかないから、姿をつきとめることはできないが、だんだん近づいて来る模様だ。からんからんと駒下駄を引きずる音がする。目を斜めにするとやっと二人の影法師が見えるくらいに近づいた。
「もう大丈夫ですね。じゃまものは追っ払ったから」まさしく野だの声である。「強がるばかりで策がないから、しようがない」これは赤シャツだ。「あの男もべらんめえに似ていますね。あのべらんめえときたら、勇み肌《はだ》の坊っちゃんだから愛《あい》嬌《きよう》がありますよ」「増給がいやだの辞表が出したいのって、ありゃどうしても神経に異状があるに相違ない」おれは窓をあけて、二階から飛び下りて、思うさまぶちのめしてやろうと思ったが、やっとのことでしんぼうした。二人はハハハハと笑いながら、ガス燈の下をくぐって、角屋の中へはいった。
「おい」
「おい」
「来たぜ」
「とうとう来た」
「これでようやく安心した」
「野だの畜生、おれのことを勇み肌の坊っちゃんだと抜かしゃがった」
「じゃまものというのは、おれのことだぜ。失敬千万な」
おれと山嵐は二人の帰路を要撃しなければならない。しかし二人はいつ出て来るか見当がつかない。山嵐は下ヘ行って今夜ことによると夜なかに用事があって出るかもしれないから、出られるようにしておいてくれと頼んできた。今思うと、よく宿のものが承知したものだ。たいていなら泥棒と間違えられるところだ。
赤シャツの来るのを待ち受けたのはつらかったが、出て来るのをじっとして待ってるのはなおつらい。寝るわけにはゆかないし、始終障子の隙《すき》からにらめているのもつらいし、どうもこうも心が落ち付かなくって、これほど難儀な思いをしたことはいまだにない。いっそのこと角屋ヘ踏み込んで現場を取っておさえようと発《ほつ》議《ぎ》したが、山嵐は一言《ごん》にして、おれの申し出をしりぞけた。自分どもが今時分飛び込んだって、乱暴者だといって途中でさえぎられる。訳を話して面会を求めればいないと逃げるか別室へ案内をする。不用意のところへ踏み込めると仮定したところで何十とある座敷のどこにいるかわかるものではない、退屈でも出るのを待つよりほかに策はないと言うから、ようやくのことでとうとう朝の五時まで我慢した。
角屋から出る二人の影を見るやいなや、おれと山嵐はすぐあとをつけた。一番汽車はまだないから、二人とも城下まであるかなければならない。温泉《ゆ》の町をはずれると一丁ばかりの杉並木があって左右は田《たん》圃《ぼ》になる。それを通りこすとここかしこに藁《わら》葺《ぶき》があって、畠《はたけ》の中を一筋に城下まで通る土手ヘ出る。町さえはずれれば、どこで追いついてもかまわないが、なるべくなら、人家のない、杉並木でつらまえてやろうと、見えがくれについて来た。町をはずれると急にかけ足の姿勢で、はやてのように後ろから、追いついた。何が来たかと驚いてふり向くやつを待てと言って肩に手をかけた。野だは狼《ろう》狽《ばい》の気味で逃げだそうというけしきだったから、おれが前ヘ回って行手をふさいでしまった。
「教頭の職をもってるものがなんで角屋ヘ行って泊まった」と山嵐はすぐなじりかけた。
「教頭は角屋へ泊まってわるいという規則がありますか」と赤シャツは依然として丁寧な言葉を使ってる。顔の色は少々蒼い。
「取締り上不都合だから、蕎《そ》麦《ば》屋《や》や団子屋ヘさえはいっていかんと、いうくらい謹直な人が、なぜ芸者といっしょに宿屋ヘとまりこんだ」野だは隙を見ては逃げだそうとするからおれはすぐ前に立ちふさがって「べらんめえの坊っちゃんたなんだ」とどなりつけたら、「いえ君のことを言ったんじゃないんです、まったくないんです」と鉄《てつ》面《めん》皮《ぴ》に言い訳がましいことをぬかした。おれはこの時気がついてみたら、両手で自分の袂《たもと》を握ってる。追っかける時に袂の中の卵がぶらぶらして困るから、両手で握りながら来たのである。おれはいきなり袂ヘ手を入れて、玉子を二つ取り出して、やっと言いながら、野だの面《つら》ヘたたきつけた。玉子がぐちゃりと割れて鼻の先から黄《き》味《み》がだらだら流れだした。野だはよっぽど仰天したものとみえて、わっと言いながら、尻《しり》持《も》ちをついて、助けてくれと言った。おれは食うために玉子は買ったが、ぶつけるために袂ヘ入れてるわけではない。ただ肝《かん》癪《しやく》のあまりに、ついぶつけるともなしにぶつけてしまったのだ。しかし野だが尻持ちを突いたところを見てはじめて、おれの成功したことに気がついたから、こん畜生、こん畜生と言いながら残る六つをむちゃくちゃにたたきつけたら、野だは顔じゅう黄色になった。
おれが玉子をたたきつけているうち、山嵐と赤シャツはまだ談判最中である。
「芸者を連れて僕が宿屋ヘ泊まったという証拠がありますか」
「宵《よい》に貴様のなじみの芸者が角屋へはいったのを見て言うことだ。ごまかせるものか」
「ごまかす必要はない。僕は吉川君と二人で泊まったのである。芸者が宵にはいろうが、はいるまいが、僕の知ったことではない」
「だまれ」と山嵐は拳《げん》骨《こつ》をくらわした。赤シャツはよろよろしたが「これは乱暴だ、狼《ろう》藉《ぜき》である。理非を弁じないで腕力に訴えるのは無法だ」
「無法でたくさんだ」とまたぽかりとなぐる。「貴様のような奸物はなぐらなくっちゃ、こたえないんだ」とぽかぽかなぐる。おれも同時に野だをさんざんにたたきすえた。しまいには二人とも杉の根《ね》方《かた》にうずくまって動けないのか、目がちらちらするのか逃げようともしない。
「もうたくさんか、たくさんでなけりゃ、まだなぐってやる」とぽかんぽかんと両人《ふたり》でなぐったら「もうたくさんだ」と言った。野だに「貴様もたくさんか」と聞いたら「むろんたくさんだ」と答えた。
「貴様らは奸物だから、こうやって天誅を加えるんだ。これにこりて以来つつしむがいい。いくら言葉巧みに弁解が立っても正義は許さんぞ」と山嵐が言ったら両人ともだまっていた。ことによると口をきくのが退儀なのかもしれない。
「おれは逃げも隠れもせん。今夜五時までは浜の港屋にいる。用があるなら巡査なりなんなり、よこせ」と山嵐が言うから、おれも「おれも逃げも隠れもしないぞ。堀田と同じ所に待ってるから警察ヘ訴えたければ、かってに訴えろ」と言って、二人してすたすたあるきだした。
おれが下宿ヘ帰ったのは七時少しまえである。部屋ヘはいるとすぐ荷作りを始めたら、婆さんが驚いて、どうおしるのぞなもしと聞いた。お婆さん、東京へ行って奥さんを連れてくるんだと答えて勘定をすまして、すぐ汽車ヘ乗って浜ヘ来て港屋ヘ着くと、山嵐は二階で寝ていた。おれはさっそく辞表を書こうと思ったが、なんと書いていいかわからないから、私儀都合これあり辞職の上東京ヘ帰り申し候《そろ》につきさよう御承知くだされたく候以上とかいて校長あてにして郵便で出した。
汽船は夜六時の出帆である。山嵐もおれも疲れて、ぐうぐう寝込んで目がさめたら、午後二時であった。下女に巡査は来ないかと聞いたら参りませんと答えた。「赤シャツも野だも訴えなかったなあ」と二人で大きに笑った。
その夜おれと山嵐はこの不浄な地を離れた。船が岸を去れば去るほどいい心持ちがした。神戸から東京までは直行で新橋ヘ着いた時は、ようやく娑《しや》婆《ば》へ出たような気がした。山嵐とはすぐ分かれたぎりきょうまで会う機会がない。
清のことを話すのを忘れていた。――おれが東京ヘ着いて下宿ヘも行かず、革鞄《かばん》をさげたまま、清や帰ったよと飛び込んだら、あら坊ちゃん、よくまあ、早く帰って来てくださったと涙をぽたぽたと落とした。おれもあまりうれしかったから、もう田舎ヘは行かない、東京で清とうちを持つんだと言った。
その後《ご》ある人の周旋で街鉄《*》の技手になった。月給は二十五円で、家賃は六円だ。清は玄関つきの家でなくってもしごく満足の様子であったが気の毒なことに今年の二月肺炎にかかって死んでしまった。死ぬ前日おれを呼んで坊っちゃん後《ご》生《しよう》だから清が死んだら、坊っちゃんのお寺へ埋《う》めてください。お墓の中で坊っちゃんの来るのを楽しみに待っておりますと言った。だから清の墓は小《こ》日向《びなた》の養源寺にある。
(明治三十九・四・一)
注 釈
*栗の木 牛込(現・新宿区)馬場下にあった漱石の生家の裏には棗《なつめ》の木があった。(「僕の昔」)
*山城屋 同じく生家の裏は相《さ》模《がみ》屋《や》という質屋であった。
*尻を持ち込まれた 抗議を申し込まれた。作者自身わんぱくな少年だったという。(「僕の昔」)
*兄 漱石には四人の兄がいたが、みな道楽者であった。(「僕の昔」)
*母が病気で死ぬ 実母夏目ちゑが死んだのは、明治十四年(一八八一)作者十四歳の時である。
*下女 漱石の家にも年寄りの下女がいたという。(「僕の昔」)
*瓦解 徳川幕府の崩壊、明治維新のこと。
*金鍔 金鍔焼。小麦粉を水で練り、あんを入れて、刀の鍔の型に焼いたもの。
*紅梅焼 せんべいの一種。小麦粉・米粉・卵・砂糖などをまぜて水で練り、梅の花の型に焼く。
*蕎麦湯 そば粉を溶いた湯。
*靴足袋 靴下のこと。
*後架の中へ落とす この部分は実話だという。(「僕の昔」)
*手車 自家用人力車。
*麹町 旧東京市の一区名、千代田区の一部にあたる。官庁地帯で、高位高官の邸宅地の代名詞として使われる。
*麻布 旧東京市の一区名、港区の一部にあたる。外交官邸など高級住宅地の代名詞として使われる。
*おやじも…… 実父夏目直克が死んだのは、明治三十年(一八九七)作者三十歳の時であった。ここは、実母死後七年目の正月(明治二十一年〈一八八八〉)に、漱石が二歳の時からやられていた養家先の父、塩原昌之助と絶縁して夏目家に復籍したこと、その年の七日に第一高等中学校予科を卒業したこと、などにもとづいている。
*家屋敷は…… 実家は、兄たちの道楽で人手に渡ってしまった。(「僕の昔」)また後に、養父が、漱石名義の家を無断で売るという事件も起こった。
*小川町 現・千代田区。漱石は大学予備門時代、神田猿楽町に下宿していた。(「私の経過した学生時代」)
*新橋の停車場 現・新橋駅の南隣に、貨物専用の汐留駅として残った。
*物理学校 現・東京理科大学。作者の生家と同じ牛込区(現・新宿区)にある。
*山城屋 松山着任後、漱石が実際に泊まったのは、城戸屋であった。現在、ここには「坊っちゃんの間」という座敷があるという。
*法外な注文をする 漱石が大学卒業後はじめて東京高等師範学校の教師となった時(明治二十六年〈一八九三〉二十六歳)、嘉納校長から高い教育者精神を要求されて、教職を辞退したという事実にもとづいている。(「処女作追懐談」「私の個人主義」)
*唐茄子 「末《うら》成《なり》」を当てる。瓜《うり》などの蔓《つる》の末になった実で、十分に養分がとれないため未熟で、色つやも悪い。唐《とう》茄《な》子《す》は東京付近で南《かぼ》瓜《ちや》のこと。
*げす 「ございます」の転。江戸の幇《たいこ》間《もち》(花柳界で芸者などと客をとりもつ芸人)、通人(色町の事情に通じている人)などが使用した。
*兵営 当時、旧松山城内には歩兵第十二連隊があった。
*麻布の連隊 旧麻布区(現・港区)にあった第三連隊。
*神楽坂 漱石の生家に近い繁華街。
*二十五万石 松山は久松氏十五万石の城下町である。
*のだいこ 「野幇間」「野太鼓」を当てる。しろうとが内職にする幇間。転じて幇間の蔑《べつ》称《しよう》として使われる。
*午砲 東京その他の地方で、当時正午の時報としてうっていた空砲。
*べらんめい調 江戸っ子弁。江戸下町の職人・やくざなどが使った威勢のいい言葉づかい。
*もし 四国・九州・尾張などの方言。会話の語尾に使う。
*帝国ホテル 株式組織で、明治二十年(一八八七)に着工、二十三年に開業した。千代田区内幸町にある高級なホテル。
*崋山には二人ある ともに江戸末期の画家。渡辺崋山(寛政五年―天保十二年〈一七九三―一八四一〉)、および横山崋山(天明四年―天保八年〈一七八四―一八三七〉)。
*端渓 靖渓硯《けん》。中国広東省端渓で産出する高級硯《すずり》。
*上層中層下層 端渓石の品質は、上層岩よりも中層・下層岩のほうが上質とされている。
*眼 端渓硯の表面にある眼のような模様で、眼の数が多いほど高級品とされている。
*溌墨 ふつう「発墨」。墨のすれぐあい。
*□□ 原稿に、作者の指定で「二字アケル」となっている。
*日露戦争 漱石が松山中学校に在職したのは明治二十八年(一八九五)四月から翌年の四月までで、実際は日露戦争より十年前、日清戦争当時であった。
*住田 松山市内の道後温泉にあたる。
*西洋手拭 タオル。赤手拭を持って歩いたことは事実であった。(「僕の昔」)
*流しをつけて 背中を洗い流す三助を頼んで。
*天目 天目茶碗。中国浙江省天目山で造りはじめた浅いすりばち形の茶碗。茶の湯に使う。
*ざくろ口 江戸時代の銭湯で、湯がさめるのを防ぐために、湯槽の前を板戸でふさぎ、身をかがめて湯に入るようにした出入口。
*奏任待遇 奏任官は、勅任官に対して内閣総理大臣が推奏して任命した三等以下の高等官。
*might is right 「勝てば官軍」にあたる英語のことわざ。
*重禁錮 現刑法の有期懲役にあたる旧刑法の刑の一種。
*田楽 田楽豆腐(豆腐を串にさし、味噌をつけて焼いたもの)、または田楽焼(魚肉などを串にさし、味噌をつけて焼いたもの)。
*のつそつ 「伸《の》っつ反《そ》っつ」の意か。
*清和源氏 第五十六代清和天皇(嘉祥三年―元慶四年〈八五〇―八八〇〉)から出て源氏の姓を賜わった氏族。
*多田の満仲 摂津国(大阪府)多田の人。鎮守府将軍となった。延《えん》喜《ぎ》十二年―長徳三年(九一二―九九七)。
*後裔 夏目家の祖先は江戸の名主であったが、家に伝わる「夏目家系図」によると先祖は、多田の満仲の弟満快から八代目の夏目姓の旗本であったといわれる。(小宮豊隆著『夏目漱石』の「系図」および「名主」)
*小梅 現在、墨田区小梅町。
*ターナー Joseph M.W.Turner(1775―1851)イギリスの画家。水彩画にすぐれ、風景の美を淡彩で描いた。
*ラファエル Santi Raffaello(1483―1520)イタリア文芸復興期の画家。聖母画で有名。
*マドンナ Madonna. 聖母マリア。絵画・彫刻に表わされた聖母像にもいわれる。
*幾尋 尋は両手を広げた長さ。また水深の場合は六尺(約一・八メートル)。
*歯どめ ブレーキのこと。
*後世恐るべし 『論語』の「子《し》罕《かん》」編にある。後輩はどんなに進歩するかもわからぬから恐ろしい、の意。
*ゴルキ 松山地方ではギゾーともいう。ベラ(暖海の岩間や水藻の間にすむ美しい小魚)に似ている。
*ロシアの文学者 Maxim Gorkii(1868―1936)のこと。戯曲『どん底』、小説『母』などがある。
*丸木 わが国で初めてスタジオをつくって店を出した写真師丸木利陽。当時、芝区(現・港区)新桜田町に店があった。
*車力 荷車で物を運送する労働者。「ゴルキ」との語呂合わせ。
*フランクリンの自伝 当時、中学校の英語教科書に採録されていた。
*プッシング・ツー・ゼ・フロント “Pussing to the Front” 同じく、中学校のテキストとして使用されていた。アメリカの資本主義的処世術を説いた書。
*帝国文学 旧東京帝国大学の文科系機関紙で、明治二十八年(一八九五)一月創刊された。その表紙の図案の地は真紅であった。
*凌雲閣 俗に「十二階」といわれた、旧浅草公園内の八角形煉瓦造り高層建築。イギリス人メルトンの設計になり、明治二十五年(一八九二)竣工、大正十二年(一九二三)の関東大震災で崩壊した。
*雪踏 竹皮草履の裏に牛皮をはりつけたもの。「バッタ」との語呂合わせ。
*大いにたたく 世辞を言って調子づける。
*ちょっと神田の…… 神田の学生相手の西洋料理屋のように殺風景な室内の様子。
*養源寺 小日向は文京区にある実在の地名。養源寺は仮空の名で、夏目家の菩提寺は本法寺である。
*韋駄天 足の早い神として有名な仏法守護神。
*蒟蒻版 ゼラチンまたは寒天で作った版で印刷する謄写版の一種。もとは蒟蒻を版として使ったのでこういわれる。
*蛙が飛び込んだり 芭蕉の「古池や蛙飛び込む水の音」の句をふまえて、くだらぬ句や詩を作ることを皮肉っている。
*紙燭 江戸時代に使用されたとってのついた小あんどん。
*切り下げ 切り下げ髪。髪を首の辺で切りそろえて後ろへ垂らしたもので、未亡人の髪型とされた。
*鬼神のお松 歌舞伎「新版越《こしの》白《しら》波《なみ》」(三世桜田治助作、嘉永四年〈一八五一〉初演)に出てくる女賊。
*妲妃のお百 同「善悪両面児《この》手《て》柏《がしわ》」(三世河竹新七作、明治九年〈一八七六〉初演)に出てくる女賊。
*半切れ 手紙用の横長の和紙。半切紙。
*敷島 明治三十七年(一九〇四)発売された口付きの巻きたばこ。
*コスメチック Cosmetic(英)。頭髪用の化粧品の一種。
*切符所 切符売下所(出札口の旧名)の略。
*白切符 当時、汽車の切符は、白が上等、赤が下等に分かれていた。
*回向院 旧本所区(現・墨田区)東両国にある浄土宗の寺院。その境内で江戸時代から勧《かん》進《じん》相撲が興行されて発展に寄与した。のちに大相撲回向院本場所となり、明治四十二年(一九〇九)に国技館がつくられた。
*釣瓶をとられて 加賀の千代女の句「朝顔に釣瓶とられて貰い水」をふまえて、反発したもの。
*太宰権帥 醍醐天皇の時代、藤原時平の讒《ざん》言《げん》によって、太宰権帥に左遷された菅《すが》原《わら》道《みち》真《ざね》のこと。太宰権帥は役職で、太宰帥《だざいのそつ》(太宰府の長官)が親王の場合、現地での職務を代行した。また太宰府は筑前(福岡県)に置かれていて、九州の政治および大陸との外交をつかさどっていた。
*河合又五郎 備前(岡山県)松平侯の藩士。同僚渡辺数馬の弟を殺し、寛永十一年(一六三四)伊賀国(三重県)上野で、数馬とその姉婿荒木又右衛門に討たれた。
*相良 現在の熊本県人吉市。相良氏の城下町であった。河合又五郎は実際は伊賀で殺されているが、ここは歌舞伎「伊賀越道中双六」(近松半二・近松加作作、天明三年〈一七八三〉初演)沼津の段の「落ちゆく先は九州相良……」という有名なセリフによっている。
*駒下駄 男物の下駄で、前裏をはすにけずって、のめるように作ってある。
*金時のようだ 金時のようにまっかだ。金時は源頼光四天王の一人坂田金時。
*伊万里 伊万里焼。肥前地方(長崎・佐賀県)から産出される有田・波佐見・唐津焼・などの総称。
*瀬戸 愛知県瀬戸市。陶磁器工業都市として有名。
*海屋 貫《ぬき》名《な》海屋。安永七年―文久三年(一七七八―一八六三)。江戸時代の儒者、書画家。
*好逑 『詩経』国風の中の詩「関《かん》雎《しよ》」の「窈《よう》窕《ちよう》たる淑女は君子の好《こう》逑《きゆう》」(美しくたおやかな淑女は、すぐれた男子のよき伴侶であるの意)による。
*口取 口取り肴《さかな》。味を甘くした肴に、かまぼこ・きんとん・卵焼などを取合わせ、吸物をそえて、宴会の初めに出すのを例とする。
*香具師 祭・縁日などで粗悪品をだまし売りする者。
*モモンガー むささびに似た夜行性の動物。人をののしっていう。
*岡っ引き 江戸時代に捕吏の手引きをして罪人を捕えたもの。町同心の手先。めあかし。
*なんこ 豆・小石・箸《はし》の折れなどを手に握って「何個」と互いに当てさせる遊び。
*拳 本拳・虫拳・狐拳などいろいろあった。手の開閉、指の屈伸によって、二人相対して勝負をあらそう遊び。
*ダーク一座 日本で最初に西洋操り人形を公演したイギリスの劇団。明治二十七年(一八九四)ごろ来日、三十三年ごろ再び来日し、全国を巡業した。
*三太郎 江戸時代、迷《まい》子《ご》を捜す時に、鉦や太鼓を鳴らしながら「迷子の迷子の三太郎!……」などと呼び歩いた慣習から、明治になって俗謡化し、花柳界などで歌われた。漱石は「断片」(明治三十八、九年〈一九〇五、六〉の項)にこの歌詞がメモしている。
*たまたま…… 浄《じよう》瑠《る》璃《り》「増補生《しよう》写《うつし》朝顔話」(近松徳叟作、翠松園主人補、天保三年〈一八三二〉初演)宿屋の段の文句。
*おきなはれや 「およしなさいよ」の意の関西方言。
*紀伊の国 「紀伊の国は音無川の水上に……」ではじまる端《は》唄《うた》の題名。文政期(一八一八―一八三〇)ごろから酒席の踊り歌として流行した。
*そりゃ聞こえません…… 浄瑠璃「近《ちか》頃《ごろ》河《かわ》原《らの》達《たて》引《ひき》」(為川宗輔ほか作、天明五年〈一七八五〉初演)堀川の段にあるセリフ。
*花月巻 新橋にあった料亭「花月」のマダムが創案したといわれる髪型。「断片」(明治三十八、九年〈一九〇五、六〉の項)にこの歌詞がメモされている。
*踏破千山万岳煙 斉藤一徳の詩「題《 ス》下児島高徳書《 スノ》二桜樹《 ニ》一図《 ニ》上」の第一句。
*かっぽれ 「活《かつ》惚《ぽれ》」を当てる。住吉踊りから出たという。「かっぽれかっぽれ甘茶でかっぽれ」のはやし言葉とともに、俗謡に合わせて踊るこっけい踊り。
*棚の達磨さん 「あまり辛気くささに、棚の達磨さんをちょいと下ろし、鉢巻きさせたり、ママころがしてもみたり」という俗曲。
*越中褌 細川越中守忠《ただ》興《おき》の創案という。長さ約一メートルの小幅の布の一方のはしに紐《ひも》をつけたもの。
*日清談判破裂して 演歌「剣舞節」(若宮万次郎作詞)の「日清談判破裂して 品川乗り出す吾妻艦続いて金剛浪花艦 国旗堂々ひるがえし 西郷死するも彼がため……」による。
*ちゃんちゃん 当時、中国人をあざけった呼称で、日清戦争ごろから使われた。
*樗蒲一 漢から渡来した賭《と》博《ばく》。賽の目で勝負を争い、勝てば賭け金の四倍になる。転じてばか、まぬけの意に用いた。
*地方税 師範学校は、地方税の補助を受けていたので軽蔑していったもの。
*旅団 旧陸軍の編隊単位の一つ。師団・旅団・連隊の順。
*かげま 陰間。男色を職業とする少年。江戸時代、湯島天神前にあったかげま茶屋は有名であった。
*汐酌み 謡曲「松風」から汐汲み女の所作をとり舞踊化したものの総称。長唄所作事「七枚続花姿絵」。
*御会式 本門寺は大田区池上本町にある日蓮宗四大本山の一つで、日蓮の祥月命日(十月十三日)を中心に行なう法《ほう》会《え》。近辺各地から万《まん》灯《とう》行列などが集まりにぎわう。
*藤間 藤間流。日本舞踊の流派の一つ。
*太神楽 獅子舞・皿回しなどを演ずる雑芸の一種。
*三河万歳 愛知県西尾市を本場とする万歳。江戸時代より栄え、新年には地方をまわった。
*普陀洛 観世音が出現したインドの霊山で、ふつう「補陀落」と書く。御詠歌の中の文句。
*関の戸 常《と》磐《きわ》津《ず》浄瑠璃所作事。「積恋雪関扉《つもるこいゆきのせきのと》」宝田寿来作詞、初代鳥羽屋里長作曲、西川扇蔵振付。
*うんでれがん 「おろかもの」の意の方言。
*葛練り 葛粉に砂糖を加えて水に溶き、煮ながら練った食物。
*クロパトキン Aleksei Nikolaevitch Kuropatkin(1848―1925)日露戦争当時のロシアの満州軍総司令官。
*四国新聞 仮空の新聞名。現在、香川県から同名の新聞が発行されている。
*二豎子 豎子は子供、若者の意で、ここでは軽蔑していった語。
*是か非か 『史記』の「伯夷伝」中の言葉。天の道理は、はたして善に味方するのか、疑わしいの意で、自らの不運をなげいていう。
*六号活字 八ポイント活字とほぼ同じで、字《じ》面《づら》だけやや小さいもの。
*ぴかぴか踊り 「花取踊り」とも「太刀踊り」ともいう。刀を打振りながら数人以上で踊る。
*間のくさびに…… 落語の前置き言葉としてよく使われた。前後二人の間にはいって、くさび(二本の木をつぎ合わす留め木)の役目として、時間つなぎの話をさせていただくの意。
*だめを踏んで むだに終わって。失敗して。
*天誅党 文久三年(一八六三)紀伊十津川において、藤本鉄石・吉村寅太郎らの攘夷倒幕派によって結成された「天誅組」から転用したもの。
*角屋の丸ぼや ガス燈にかぶせる丸いガラス製のおおい。
*一閑張 紙ではったものに漆《うるし》をぬった漆器の一種。寛永(一六二四―一六四四)ごろ中国から帰化した飛来一閑の創始といわれる。
*天網恢々…… 『老子』七十三章の「天網恢々疎にして失わず」(天の網は、粗大なようではあるが、何ごとももらさないの意)による。
*街鉄 「東京市街鉄道株式会社」の略。明治三十九年(一九〇六)他の二つの会社と合併したが、四十四年に東京市に買収され、市電となった。
坊《ぼ》っちゃん
夏《なつ》目《め》漱《そう》石《せき》
-------------------------------------------------------------------------------
平成12年9月1日 発行
発行者 角川歴彦
発行所 株式会社 角川書店
〒102-8177 東京都千代田区富士見2-13-3
shoseki@kadokawa.co.jp
本電子書籍は下記にもとづいて制作しました
角川文庫『坊っちゃん』昭和30年1月20日初版刊行・平成10年5月30日改版84版刊行