TITLE : 吾輩は猫である
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目 次
吾輩は猫である
注 釈
吾輩は猫である
一
吾《わが》輩《はい》は猫《ねこ》である。名前はまだない。
どこで生まれたかとんと見《けん》当《とう》がつかぬ。なんでも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていたことだけは記憶している。吾輩はここではじめて人間というものを見た。しかもあとで聞くとそれは書生という人間中でいちばん獰《どう》悪《あく》な種族であったそうだ。この書生というのは時々我々をつかまえて煮て食うという話である。しかしその当時はなんという考えもなかったからべつだん恐ろしいとも思わなかった。ただ彼の手のひらに載せられてスーと持ち上げられた時なんだかフワフワした感じがあったばかりである。手のひらの上で少し落ち付いて書生の顔を見たのがいわゆる人間というものの見始めであろう。この時妙なものだと思った感じが今でも残っている。第一毛をもって装飾されべきはずの顔がつるつるしてまるで薬《や》罐《かん》だ。その後猫にもだいぶ会ったがこんな片《かた》輪《わ》には一度も出くわしたことがない。のみならず顔のまん中があまりに突起している。そうしてその穴の中から時々ぷうぷうと煙を吹く。どうもむせぽくてじつに弱った。これが人間の飲む煙草《タバコ》というものであることをようやくこのごろ知った。
この書生の手のひらのうちでしばらくはよい心持ちにすわっておったが、しばらくすると非常な速力で運転し始めた。書生が動くのか自分だけが動くのかわからないがむやみに目が回る。胸が悪くなる。とうてい助からないと思っていると、どさりと音がして目から火が出た。それまでは記憶しているがあとはなんのことやらいくら考え出そうとしてもわからない。
ふと気がついてみると書生はいない。たくさんおった兄弟が一匹も見えぬ。肝《かん》心《じん》の母親さえ姿を隠してしまった。その上今までの所とは違ってむやみに明るい。目を明いていられぬくらいだ。はてななんでも様子がおかしいと、のそのそはい出してみると非常に痛い。吾輩は藁《わら》の上から急に笹原の中へ捨てられたのである
ようやくの思いで笹《ささ》原《はら》をはい出すと向こうに大きな池がある。吾輩は池の前にすわってどうしたらよかろうと考えてみた。べつにこれという分別も出ない。しばらくして泣いたら書生がまた迎いに来てくれるかと考えついた。ニャー、ニャーと試みにやってみたがだれも来ない。そのうち池の上をさらさらと風が渡って日が暮れかかる。腹が非常に減ってきた。泣きたくても声が出ない。しかたがない、なんでもよいから食い物のある所まで歩こうと決心をしてそろりそろりと池を左に回り始めた。どうも非常に苦しい。そこを我慢して無理やりにはって行くとようやくのことでなんとなく人間臭い所へ出た。ここへはいったら、どうにかなると思って竹《たけ》垣《がき》のくずれた穴から、とある邸内にもぐり込んだ。縁は不思議なもので、もしこの竹垣が破れていなかったなら、吾輩はついに路傍に餓死したかもしれんのである。 一樹の陰《かげ*》とはよく言ったものだ。この垣根の穴は今日に至るまで吾輩が隣家《となり》の三《み》毛《け》を訪問する時の通路になっている。さて屋敷へは忍び込んだもののこれから先どうしていいかわからない。そのうちに暗くなる、腹は減る、寒さは寒し、雨が降ってくるという始末でもう一刻も猶《ゆう》予《よ》ができなくなった。しかたがないからとにかく明るくて暖かそうな方へ方へと歩いて行く。今から考えるとその時はすでに家の内にはいっておったのだ。ここで吾輩はかの書生以外の人間を再び見るべき機会に遭《そう》遇《ぐう》したのである。第一に会ったのがおさんである。これは前の書生よりいっそう乱暴なほうで吾輩を見るや否やいきなり首筋をつかんで表へほうり出した。いやこれはだめだと思ったから目をねぶって運を天に任せていた。しかしひもじいのと寒いのにはどうしても我慢ができん。吾輩は再びおさんのすきを見て台所へはい上がった。するとまもなくまた投げ出された。吾輩は投げ出されてははい上がり、はい上がっては投げ出され、なんでも同じことを四、五へん繰り返したのを記憶している。その時におさんという者はつくづくいやになった。このあいだおさんのさんまを盗んでこの返報をしてやってから、やっと胸のつかえがおりた。吾輩が最後につまみ出されようとした時に、この家《うち》の主人が騒々しいなんだと言いながら出て来た。下女は吾輩をぶら下げて主人の方へ向けてこの宿《やど》なしの小猫がいくら出しても出してもお台所へ上がって来て困りますと言う。主人は鼻の下の黒い毛《*》をひねりながら吾輩の顔をしばらくながめておったが、やがてそんなら内へ置いてやれと言ったまま奥へはいってしまった。主人はあまり口をきかぬ人とみえた。下女はくやしそうに吾輩を台所へほうり出した。かくして吾輩はついにこの家《うち》を自分の住み家《か》ときめることにしたのである。
吾輩の主人はめったに吾輩と顔を合わせることがない。職業は教師《*》だそうだ。学校から帰ると終日書斎にはいったぎりほとんど出て来ることがない。家《うち》の者はたいへんな勉強家だと思っている。当人も勉強家であるかのごとく見せている。しかし実際は家《うち》の者がいうような勤勉家ではない。吾輩は時々忍び足に彼の書斎をのぞいてみるが、彼はよく昼寝をしていることがある。時々読みかけてある本の上によだれをたらしている。彼は胃弱で皮膚の色が淡《たん》黄《こう》色《しよく》を帯びて弾力のない不活発な徴候をあらわしている。そのくせに大《おお》飯《めし》を食う。大飯を食ったあとでタカジヤスターゼを飲む。飲んだあとで書物をひろげる。二、三ページ読むと眠くなる。よだれを本の上へたらす。これが彼の毎夜繰り返す日課である。吾輩は猫ながら時々考えることがある。教師というものはじつに楽なものだ。人間と生まれたら教師となるに限る。こんなに寝ていて勤まるものなら猫にでもできぬことはないと。それでも主人に言わせると教師ほどつらいものはないそうで彼は友だちが来るたびになんとかかんとか不平を鳴らしている。
吾輩がこの家《うち》へ住み込んだ当時は、主人以外の者にははなはだ不人望であった。どこへ行ってもはねつけられて相手にしてくれ手がなかった。いかに珍《ちん》重《ちよう》されなかったかは、今日に至るまで名前さえつけてくれないのでもわかる。吾輩はしかたがないから、できうる限り吾輩を入れてくれた主人のそばにいることをつとめた。朝主人が新聞を読む時は必ず彼のひざの上に乗る。彼が昼寝をする時は必ずその背中に乗る。これはあながち主人が好きというわけではないがべつにかまい手がなかったからやむをえんのである。その後いろいろ経験の上、朝は飯《めし》櫃《びつ》の上、夜は炬《こ》燵《たつ》の上、天気のよい昼は縁側へ寝ることとした。しかしいちばん心持ちのいいのは夜《よ》に入《い》ってここの家《うち》の子供の寝《ね》床《どこ》へもぐり込んでいっしょに寝ることである。この子供というのは五つと三つで夜になると二人《ふたり》が一つ床《とこ》へはいって一《ひと》間《ま》へ寝る。吾輩はいつでも彼らの中間におのれを容《い》るべき余地を見いだしてどうにか、こうにか割り込むのであるが、運悪く子供の一人が目をさますが最後たいへんなことになる。子供は――ことに小さいほうがたちが悪い――猫が来た猫が来たといって夜中でもなんでも大きな声で泣き出すのである。すると例の神経胃弱性の主人は必ず目をさまして次の部《へ》屋《や》から飛び出してくる。現にせんだってなどは物さしで尻《しり》ぺたをひどくたたかれた。
吾輩は人間と同居して彼らを観察すればするほど、彼らはわがままなものだと断言せざるをえないようになった。ことに吾輩が時々同《どう》衾《きん》する子供のごときに至っては言《ごん》語《ご》道断である。自分のかってな時は人を逆《さか》さにしたり、頭へ袋をかぶせたり、ほうり出したり、へっついの中へ押し込んだりする。しかも吾輩のほうで少しでも手出しをしようものなら家内総がかりで追い回して迫害を加える。このあいだもちょっと畳で爪《つめ》をといだら細《さい》君《くん》が非常におこってそれから容易に座敷へ入れない。台所の板の間《ま》でひとがふるえていてもいっこう平気なものである。吾輩の尊敬する筋向こうの白《しろ》君《くん》などは会うたびごとに人間ほど不人情なものはないと言っておらるる。白君は先日玉のような子猫を四匹産まれたのである。ところがそこの家《うち》の書生が三日目にそいつを裏の池へ持って行って四匹ながら捨てて来たそうだ。白君は涙を流してその一部始終を話した上、どうしても我ら猫族が親子の愛をまったくして美しい家族的生活をするには人間と戦ってこれを勦《そう》滅《めつ》せねばならぬと言われた。一々もっともの議論と思う。また隣りの三毛君などは人間が所有権ということを解していないといって大いに憤《ふん》慨《がい》している。元来我々同族間では目ざしの頭でも鰡《ぼら》の臍《へそ》でもいちばん先に見つけた者がこれを食う権利があるものとなっている。もし相手がこの規約を守らなければ腕力に訴えてよいくらいのものだ。しかるに彼ら人間はごうもこの観念がないとみえて我らが見つけたごちそうは必ず彼らのために略奪せらるるのである。彼らはその強力を頼んで正当に吾《ご》人《じん》が食いうべきものを奪ってすましている。白君は軍人の家《うち》におり三毛君は代《だい》言《げん》の主人を持っている。吾輩は教師の家《うち》に住んでいるだけ、こんなことに関すると両君よりもむしろ楽天である。ただその日その日がどうにかこうにか送られればよい。いくら人間だって、そういつまでも栄えることもあるまい。まあ気を長く猫の時節を待つがよかろう。
わがままで思い出したからちょっと吾輩の家《うち》の主人がこのわがままで失敗した話をしよう。元来この主人はなんといって人にすぐれてできることもないが、なんにでもよく手を出したがる。俳句をやってほととぎすへ投書をしたり、新体詩を明星へ出したり、間違いだらけの英文を書いたり《*》、時によると弓に凝《こ》ったり、謡《うたい》を習ったり《*》、またある時はヴァイオリンなどをブーブー鳴らしたりするが、気の毒なことには、どれもこれもものになっておらん。そのくせやり出すと胃弱のくせにいやに熱心だ。後《こう》架《か》の中で謡をうたって、近所で後架先生とあだ名をつけられているにも関せずいっこう平気なもので、やはりこれは平《たいら》の宗《むね》盛《もり》にて候《そうろう*》を繰り返している。みんながそら宗盛だとふき出すくらいである。この主人がどういう考えになったものか吾輩の住み込んでからひと月ばかりのちのある月の月給日に、大きな包みをさげてあわただしく帰って来た。何を買って来たのかと思うと水彩絵の具と毛筆とワットマンという紙できょうから謡や俳句をやめて絵を《*》かく決心とみえた。はたして翌日から当分のあいだというものは毎日々々書斎で昼寝もしないで絵ばかりかいている。しかしそのかきあげたものを見ると何をかいたものやらだれにも鑑定がつかない。当人もあまりうまくないと思ったものか、ある日その友人で美学とかをやっている人《*》が来た時に下《しも》のような話をしているのを聞いた。
「どうもうまくかけないものだね。ひとのを見るとなんでもないようだがみずから筆をとってみると今さらのようにむずかしく感じる」これは主人の述《じゆつ》懐《かい》である。なるほどいつわりのないところだ。彼の友は金《きん》縁《ぶち》のめがね越しに主人の顔を見ながら、「そう初めから上《じよう》手《ず》にはかけないさ、第一室内の想像ばかりで絵がかけるわけのものではない。昔イタリアの大家アンドレア・デル・サルトが言ったことがある。絵をかくならなんでも自然そのものを写せ。天に星《せい》辰《しん》あり。地に露《ろ》華《か》あり。飛ぶに鳥あり。走るに獣あり。池に金魚あり。枯《こ》木《ぼく》に寒《かん》鴉《あ》あり。自然はこれ一《いつ》幅《ぷく》の大活画なりと。どうだ君も絵らしい絵をかこうと思うならちと写生をしたら」
「へえアンドレア・デル・サルトがそんなことを言ったことがあるかい。ちっとも知らなかった。なるほどこりゃもっともだ。じつにそのとおりだ」と主人はむやみに感心している。金縁の裏にはあざけるような笑いが見えた。
その翌日吾輩は例のごとく縁側に出て心持ちよく昼寝をしていたら、主人が例になく書斎から出て来て吾輩の後ろで何かしきりにやっておる。ふと目がさめて何をしているかと一分《ぶ》ばかり細目に目をあけて見ると、彼は余念もなくアンドレア・デル・サルトをきめこんでいる。吾輩はこのありさまを見て覚えず失笑するのを禁じえなかった。彼は彼の友に揶《や》揄《ゆ》せられたる結果としてまず手初めに吾輩を写生しつつあるのである。吾輩はすでに十分寝た。あくびがしたくてたまらない。しかしせっかく主人が熱心に筆を執《と》っているのを動いては気の毒だと思うて、じっと辛《しん》抱《ぼう》しておった。彼は今吾輩の輪郭をかきあげて顔のあたりを色どっている。吾輩は自白する。吾輩は猫としてけっして上《じよう》乗《じよう》のできではない。背といい毛並みといい顔の造作といいあえて他の猫にまさるとはけっして思っておらん。しかしいくら不器量の吾輩でも、今吾輩の主人に描き出されつつあるような妙な姿とは、どうしても思われない。第一色が違う。吾輩はペルシア産の猫のごとく黄を含める淡灰色に漆《うるし》のごとき斑《ふ》入《い》りの皮膚を有している。これだけはだれが見ても疑うべからざる事実と思う。しかるに今主人の彩《さい》色《しき》を見ると、黄でもなければ黒でもない。灰色でもなければ褐《とび》色《いろ》でもない、さればとてこれらを交《ま》ぜた色でもない。ただ一種の色であるというよりほかに評し方のない色である。その上不思議なことは目がない。もっともこれは寝ているところを写生したのだから無理もないが目らしい所さえ見えないから盲猫《めくら》だか寝ている猫だか判然しないのである。吾輩は心中ひそかにいくらアンドレア・デル・サルトでもこれではしようがないと思った。しかしその熱心には感服せざるをえない。なるべくなら動かずにおってやりたいと思ったが、さっきから小便が催している。身《み》内《うち》の筋肉はむずむずする。もはや一分《ぷん》も猶予ができぬ仕儀となったから、やむをえず失敬して両足を前へ存分のして、首を低く押し出してあーあと大《だい》なるあくびをした。さてこうなってみると、もうおとなしくしていてもしかたがない。どうせ主人の予定はぶちこわしたのだから、ついでに裏へ行って用を足そうと思ってのそのそはい出した。すると主人は失望と怒りをかきまぜたような声をして、座敷の中から「このばかやろう」とどなった。この主人は人をののしる時は必ずばかやろうというのが癖《くせ》である。ほかに悪《わる》口《くち》の言いようを知らないのだからしかたがないが、今まで辛抱した人の気も知らないで、むやみにばかやろう呼ばわりは失敬だと思う。それも平《へい》生《ぜい》吾輩が彼の背中へ乗る時に少しはいい顔でもするならこの漫《まん》罵《ば》も甘んじて受けるが、こっちの便利になることは何一つ快くしてくれたこともないのに、小便に立ったのをばかやろうとはひどい。元来人間というものは自己の力量に慢じてみんな増長している。少し人間より強いものが出て来ていじめてやらなくてはこの先どこまで増長するかわからない。
わがままもこのくらいなら我慢するが吾輩は人間の不徳についてこれよりも数倍悲しむべき報道を耳にしたことがある。
吾輩の家の裏に十《と》坪《つぼ》ばかりの茶園がある。広くはないがさっぱりとした心持ちよく日の当たる所だ。うちの子供があまり騒いで楽々昼寝のできない時や、あまり退屈で腹かげんのよくないおりなどは、吾輩はいつでもここへ出て浩《こう》然《ぜん》の気を養うのが例である。ある小《こ》春《はる》の穏やかな日の二時ごろであったが、吾輩は昼《ちゆう》飯《はん》後《ご》快く一睡したのち、運動かたがたこの茶園へと歩を運ばした。茶の木の根を一本一本かぎながら、西側の杉《すぎ》垣《がき》のそばまで来ると、枯れ菊を押し倒してその上に大きな猫が前後不覚に寝ている。彼は吾輩の近づくのもいっこう心づかざるごとく、また心づくも無《む》頓《とん》着《じやく》なるごとく、大きないびきをして長々とからだを横たえて眠っている。ひとの庭内に忍び入りたる者がかくまで平気に眠られるものかと、吾輩はひそかにその大胆なる度胸に驚かざるをえなかった。彼は純粋の黒猫である。わずかに午《ご》を過ぎたる太陽は、透明なる光線を彼の皮膚の上に投げかけて、きらきらする和毛《にこげ》のあいだより目に見えぬ炎でも燃えいずるように思われた。彼は猫中の大王ともいうべきほどの偉大なる体格を有している。吾輩の倍はたしかにある。吾輩は嘆賞の念と、好奇の心に前後を忘れて彼の前に佇《ちよ》立《りつ》して余念もなくながめていると、静かなる小春の風が、杉垣の上から出たる梧《ご》桐《とう》の枝を軽《かろ》く誘ってばらばらと二、三枚の葉が枯れ菊の茂みに落ちた。大王はかっとそのまん丸の目を開いた。今でも記憶している。その目は人間の珍《ちん》重《ちよう》する琥《こ》珀《はく》というものよりもはるかに美しく輝いていた。彼は身動きもしない。双《そう》眸《ぼう》の奥から射るごとき光を吾輩の矮《わい》小《しよう》なる額《ひたい》の上にあつめて、おめえはいったいなんだと言った。大王にしては少々言葉がいやしいと思ったがなにしろその声の底に犬をもひしぐべき力がこもっているので吾輩は少なからず恐れをいだいた。しかし挨《あい》拶《さつ》をしないとけんのんだと思ったから「吾輩は猫である。名前はまだない」となるべく平気を装《よそお》って冷然と答えた。しかしこの時吾輩の心臓はたしかに平時よりもはげしく鼓動しておった。彼は大いに軽《けい》蔑《べつ》せる調子で「なに、猫だ? 猫が聞いてあきれらあ。ぜんてえどこに住んでるんだ」ずいぶん傍《ぼう》若《じやく》無《ぶ》人《じん》である。「吾輩はここの教師の家《うち》にいるのだ」「どうせそんなことだろうと思った。いやにやせてるじゃねえか」と大王だけに気炎を吹きかける。言葉つきから察するとどうも良家の猫とも思われない。しかしそのあぶらぎって肥満しているところを見るとごちそうを食ってるらしい、豊かに暮らしているらしい。吾輩は「そういう君はいったいだれだい」と聞かざるをえなかった。「おれあ車屋の黒《くろ》よ」昂《こう》然《ぜん》たるものだ。車屋の黒はこの近辺で知らぬ者なき乱暴猫である。しかし車屋だけに強いばかりでちっとも教育がないからあまりだれも交際しない。同盟敬遠主義の的になっているやつだ。吾輩は彼の名を聞いて少々尻《しり》こそばゆき感じを起こすと同時に、一方では少々軽《けい》侮《ぶ》の念も生じたのである。吾輩はまず彼がどのくらい無学であるかをためしてみようと思って左《さ》の問答をしてみた。
「いったい車屋と教師とはどっちがえらいだろう」
「車屋のほうが強いにきまっていらあな。おめえのうちの主人を見ねえ、まるで骨と皮ばかりだぜ」
「君も車屋の猫だけにだいぶ強そうだ。車屋にいるとごちそうが食えるとみえるね」
「なあにおれなんざ、どこの国へ行ったって食い物に不自由はしねえつもりだ。おめえなんかも茶畑ばかりぐるぐる回っていねえで、ちっとおれのあとへくっついて来てみねえ。ひと月とたたねえうちに見違えるように肥《ふと》れるぜ」
「おってそう願うことにしよう。しかし家《うち》は教師のほうが車屋より大きいのに住んでいるように思われる」
「べらぼうめ、家《うち》なんかいくら大きくたって腹の足しになるもんか」
彼は大いにかんしゃくにさわった様子で、寒《かん》竹《ちく》をそいだような耳をしきりとぴくつかせてあららかに立ち去った。吾輩が車屋の黒と知《ち》己《き》になったのはこれからである。
その後吾輩はたびたび黒と邂《かい》逅《こう》する。邂逅するごとに彼は車屋相当の気炎を吐く。先に吾輩が耳にしたという不徳事件もじつは黒から聞いたのである。
ある日例のごとく吾輩と黒は暖かい茶畑の中で寝ころびながらいろいろ雑談をしていると、彼はいつもの自慢話をさも新しそうに繰り返したあとで、吾輩に向かって下《しも》の,ごとく質問した。「おめえは今までに鼠《ねずみ》を何匹とったことがある」知識は黒よりもよほど発達しているつもりだが腕力と勇気とに至ってはとうてい黒の比較にはならないと覚悟はしていたものの、この問いに接したる時は、さすがにきまりがよくはなかった。けれども事実は事実で偽るわけにはゆかないから、吾輩は「じつはとろうとろうと思ってまだとらない」と答えた。黒は彼の鼻の先からぴんとつっぱっている長い髭《ひげ》をびりびりと震わせて非常に笑った。元来黒は自慢をするだけにどこか足りないところがあって、彼の気炎を感心したように咽《の》喉《ど》をころころ鳴らして謹聴していればはなはだ御《ぎよ》しやすい猫である。吾輩は彼と近づきになってからすぐにこの呼吸を飲み込んだからこの場合にもなまじいおのれを弁護してますます形勢を悪くするのも愚《ぐ》である、いっそのこと彼に自分の手がら話をしゃべらしてお茶を濁すにしくはないと思案を定めた。そこでおとなしく「君などは年が年であるからだいぶんとったろう」とそそのかしてみた。果然彼は墻《しよう》壁《へき》の欠所に吶《とつ》喊《かん》して来た。「たんとでもねえが三、四十はとったろう」とは得意げなる彼の答えであった。彼はなお語をつづけて「鼠の百や二百は一人でいつでも引き受けるがいたちってえやつは手に合わねえ。一度いたちに向かってひどい目に会った」「へえなるほど」とあいづちを打つ。黒は大きな目をぱちつかせて言う。「去年の大《おお》掃《そう》除《じ》の時だ。うちの亭《てい》主《しゆ》が石《いし》灰《ばい》の袋を持って縁の下へはい込んだらおめえ大きないたちのやろうがめんくらって飛び出したと思いねえ」「ふん」と感心してみせる。「いたちってけどもなに鼠の少し大きいぐれえのものだ。こんちきしょうって気で追っかけてとうとうどぶの中へ追い込んだと思いねえ」「うまくやったね」と喝《かつ》采《さい》してやる。「ところがおめえいざってえだんになるとやつめ最後っ屁《ぺ》をこきやがった。臭《くせ》えの臭くねえのってそれからってえものはいたちを見ると胸が悪くならあ」彼はここに至ってあたかも去年の臭気を今なお感ずるごとく前足を揚げて鼻の頭を二、三べんなで回した。吾輩も少々気の毒な感じがする。ちっと景気をつけてやろうと思って「しかし鼠なら君ににらまれては百年目だろう。君はあまり鼠をとるのが名人で鼠ばかり食うものだからそんなに肥《ふと》って色つやがいいのだろう」黒のごきげんをとるためのこの質問は不思議にも反対の結果を呈出した。彼は喟《き》然《ぜん》として大息して言う。「考《かんげ》えるとつまらねえ。いくらかせいで鼠をとったって――いってえ人間ほどふてえやつは世の中にいねえぜ。ひとのとった鼠をみんな取り上げやがって交番へ持って行きゃあがる。交番じゃだれがとったかわからねえからそのたんびに五銭ずつくれるじゃねえか。うちの亭主なんかおれのおかげでもう一円五十銭くらいもうけていやがるくせに、ろくなものを食わせたこともありゃしねえ。おい人間てものあ体《てい》のいい泥《どろ》棒《ぼう》だぜ」さすが無学の黒もこのくらいの理《り》窟《くつ》はわかるとみえてすこぶるおこった様子で背中の毛を逆立てている。吾輩は少々気味が悪くなったからいいかげんにその場をごまかして家《うち》へ帰った。この時から吾輩はけっして鼠をとるまいと決心した。しかし黒の子分になって鼠以外のごちそうをあさって歩くこともしなかった。ごちそうを食うよりも寝ていたほうが気楽でいい。教師の家《うち》にいると猫も教師のような性質になるとみえる。用心しないと今に胃弱になるかもしれない。
教師といえば吾輩の主人も近ごろに至ってはとうてい水彩画において望みのないことを悟ったものとみえて十二月一日《じつ》の日記にこんなことを書きつけた。
○○という人にきょうの会ではじめて出会った。あの人はだいぶ放《ほう》蕩《とう》をした人だというがなるほど通《つう》人《じん》らしい風《ふう》采《さい》をしている。こういうたちの人は女に好かれるものだから○○が放蕩をしたというよりも放蕩をするべく余儀なくせられたというのが適当であろう。あの人の細君は芸者だそうだ、うらやましいことである。元来放蕩家を悪くいう人の大部分は放蕩をする資格のない者が多い。また放蕩家をもって自任する連《れん》中《じゆう》のうちにも、放蕩する資格のない者が多い。これらは余儀なくされないのに無理に進んでやるのである。あたかも吾輩の水彩画におけるがごときものでとうてい卒業する気づかいはない。しかるにも関せず、自分だけは通人だと思ってすましている。料理屋の酒を飲んだり待《まち》合《あい》へはいるから通人となりうるという論が立つなら、吾輩もひとかどの水彩画になりうる理窟だ。吾輩の水彩画のごときはかかないほうがましであると同じように、愚《ぐ》昧《まい》なる通人よりも山出しの大《おお》野《や》暮《ぼ》のほうがはるかに上等だ。
通人論はちょっと首《しゆ》肯《こう》しかねる。また芸者の細君をうらやましいなどというところは教師としては口にすべからざる愚劣の考えであるが、自己の水彩画における批評眼だけはたしかなものだ。主人はかのごとく自知の明あるにも関せずその自惚《うぬぼれ》心《しん》はなかなか抜けない。中二《ふつ》日《か》おいて十二月四日の日記にこんなことを書いている。
ゆうべはぼくが水彩画をかいてとうていものにならんと思って、そこらにほうっておいたのをだれかが立《りつ》派《ぱ》な額《がく》にして欄《らん》間《ま》にかけてくれた夢を見た。さて額になったところを見ると我ながら急に上《じよう》手《ず》になった。非常にうれしい。これなら立派なものだとひとりでながめ暮らしていると、夜が明けて目がさめてやはり元のとおり下《へ》手《た》であることが朝日とともに明《めい》瞭《りよう》になってしまった。
主人は夢のうちまで水彩画の未練をしょって歩いているとみえる。これでは水彩画家はむろん夫《ふう》子《し》のいわゆる通人にもなれないたちだ。
主人が水彩画を夢に見た翌日例の金縁めがねの美学者が久しぶりで主人を訪問した。彼は座につくと劈《へき》頭《とう》第一に「絵はどうかね」と口をきった。主人は平気な顔をして「君の忠告に従って写生を努めているが、なるほど写生をすると今まで気のつかなかった物の形や、色の精細な変化などがよくわかるようだ。西洋では昔から写生を主張した結果今日のように発達したものと思われる。さすがアンドレア・デル・サルトだ」と日記のことはおくびにも出さないで、またアンドレア・デル・サルトに感心する。美学者は笑いながら「じつは君、あれはでたらめだよ」と頭をかく。「何が」と主人はまだからかわれたことに気がつかない。「何がって君のしきりに感服しているアンドレア・デル・サルトさ。あれはぼくのちょっと捏《ねつ》造《ぞう》した話だ。君がそんなにまじめに信じようとは思わなかったハハハハ」と大喜悦のていである。吾輩は縁側でこの対話を聞いて彼のきょうの日記にはいかなることがしるさるるであろうかとあらかじめ想像せざるをえなかった。この美学者はこんないいかげんなことを吹き散らして人をかつぐのを唯《ゆい》一《いつ》の楽しみにしている男である。彼はアンドレア・デル・サルト事件が主人の情線にいかなる響きを伝えたかをごうも顧慮せざるもののごとく得意になって下《しも》のようなことをしゃべった。「いや時々冗《じよう》談《だん》を言うと人が真《ま》に受けるので大いに滑《こつ》稽《けい》的《てき》美感《*》を挑《ちよう》撥《はつ》するのはおもしろい。せんだってある学生にニコラス・ニックルベー《*》がギボンに忠告して彼の一世の大著述なる仏《ふつ》国《こく》革命史を仏語で書くのをやめにして英文で出版させたと言ったら、その学生がまたばかに記憶のよい男で、日本文学会の演説会でまじめにぼくの話したとおりを繰り返したのは滑稽であった。ところがその時の傍聴者は約百名ばかりであったが、皆熱心にそれを傾聴しておった。それからまだおもしろい話がある。せんだってある文学者のいる席でハリソンの歴史小説セオファーノの話が出たからぼくはあれは歴史小説のうちで白《はく》眉《び》である。ことに女《じよ》主《しゆ》人《じん》公《こう》が死ぬところは鬼気人《ひと》を襲うようだと評したら、ぼくの向こうにすわっている知らんと言ったことのない先生が、そうそうあすこはじつに名文だと言った。それでぼくはこの男もはやりぼく同様この小説を読んでおらないということを知った」神経胃弱性の主人は目を丸くして問いかけた。「そんなでたらめを言ってもし相手が読んでいたらどうするつもりだ」あたかも人を欺くのはさしつかえない、ただ化けの皮があらわれた時は困るじゃないかと感じたもののごとくである。美学者は少しも動じない。「なにその時ゃ別の本と間違えたとかなんとか言うばかりさ」と言ってけらけら笑っている。この美学者は金縁のめがねはかけているがその性質が車屋の黒に似たところがある。主人は黙って日の出を輪に吹いて吾輩にはそんな勇気はないといわんばかりの顔をしている。美学者はそれだから絵をかいてもだめだという目つきで「しかし冗談は冗談だが絵というものはじっさいむずかしいものだよ、レオナルド・ダ・ヴィンチは門下生に寺院の壁のしみを写せと教えたことがあるそうだ。なるほど雪《せつ》隠《いん》などにはいって雨の漏る壁を余念なくながめていると、なかなかうまい模様画が自然にできているぜ。君注意して写生してみたまえきっとおもしろいものができるから」「まただますのだろう」「いえこれだけはたしかだよ。じっさい奇警な語じゃないか、ダ・ヴィンチでも言いそうなことだあね」「なるほど奇警には相違ないな」と主人は半分降参をした。しかし彼はまだ雪隠で写生はせぬようだ。
車屋の黒はその後びっこになった。彼の光沢ある毛はだんだん色がさめて抜けてくる。吾輩が琥《こ》珀《はく》よりも美しいと評した彼の目には目やにがいっぱいたまっている。ことに著しく吾輩の注意をひいたのは彼の元気の消沈とその体格の悪くなったことである。吾輩が例の茶園で彼に会った最後の日、どうだと言って尋ねたら「いたちの最後っ屁《ぺ》とさかな屋の天《てん》秤《びん》棒《ぼう》にはこりごりだ」と言った。
赤松のあいだに二、三段の紅《こう》をつづった紅《こう》葉《よう》は昔の夢のごとく散ってつくばいに近くかわるがわる花びらをこぼした紅白の山茶花《さざんか》も残りなく落ち尽くした。三間半の南向きの縁側に冬の日あしが早く傾いて木枯らしの吹かない日はほとんどまれになってから吾輩の昼寝の時間もせばめられたような気がする。
主人は毎日学校へ行く。帰ると書斎へ立てこもる。人が来ると、教師がいやだいやだと言う。水彩画もめったにかかない。タカジヤスターゼも効能がないといってやめてしまった。子供は感心に休まないで幼稚園へかよう。帰ると唱歌を歌って、まりをついて、時々吾輩をしっぽでぶらさげる。
吾輩はごちそうも食わないからべつだん肥りもしないが、まずまず健康でびっこにもならずにその日その日を暮らしている。鼠《ねずみ》はけっしてとらない。おさんはいまだにきらいである。名前はまだつけてくれないが、欲をいっても際限がないから生《しよう》涯《がい》この教師の家《うち》で無名の猫で終わるつもりだ。
二
吾《わが》輩《はい》は新年来多少有名になったので、猫ながらちょっと鼻が高く感ぜらるるのはありがたい。
元《がん》朝《ちよう》早々主人のもとへ一枚の絵はがきが来た。これは彼の交友某画家からの年始状であるが、上部を赤、下部を深《ふか》緑《みどり》で塗って、そのまん中に一の動物がうずくまっているところをパステルでかいてある。主人は例の書斎でこの絵を、横から見たり、縦からながめたりして、うまい色だなと言う。すでに一応感服したものだから、もうやめにするかと思うとやはり横から見たり、縦から見たりしている。からだをねじ向けたり、手を延ばして年寄りが三《さん》世《ぜ》相《そう》を見るようにしたり、または窓の方へ向いて鼻の先まで持ってきたりして見ている。早くやめてくれないとひざが揺れてけんのんでたまらない。ようやくのことで動揺があまりはげしくなくなったと思ったら、小さな声でいったい何をかいたのだろうと言う。主人は絵はがきの色には感服したが、かいてある動物の正体がわからぬので、さっきから苦心をしたものとみえる。そんなわからぬ絵はがきかと思いながら、寝ていた目を上品になかば開いて、落ち付きはらって見ると紛れもない、自分の肖像だ。主人のようにアンドレア・デル・サルトをきめこんだものでもあるまいが、画家だけに形体も色彩もちゃんと整ってできている。だれが見たって猫に相違ない。少し眼識のあるものなら、猫のうちでもほかの猫じゃない吾輩であることが判然とわかるように立派にかいてある。このくらい明《めい》瞭《りよう》なことをわからずにかくまで苦心するかと思うと、少し人間が気の毒になる。できることならその絵が吾輩であるということを知らしてやりたい。吾輩であるということはよしわからないにしても、せめて猫であるということだけはわからしてやりたい。しかし人間というものはとうてい吾輩猫属の言語を解しうるくらいに天の恵みに浴しておらん動物であるから、残念ながらそのままにしておいた。
ちょっと読者に断わっておきたいが、元来人間がなんぞというと猫々と、こともなげに軽侮の口《く》調《ちよう》をもって吾輩を評価する癖があるははなはだよくない。人間の糟《かす》から牛と馬ができて、牛と馬の糞《くそ》から猫が製造されたごとく考えるのは、自分の無知に心づかんで高慢な顔をする教師などにはありがちのことでもあろうが、はたから見てあまりみっともいいものじゃない。いくら猫だって、そう粗末簡便にはできぬ。よそ目には一列一体、平《びよう》等《どう》無差別、どの猫も自家固有の特色などはないようであるが、猫の社会にはいってみるとなかなか複雑なもので十人十《と》色《いろ》という人間界の言葉はそのままここにも応用ができるのである。目つきでも、鼻つきでも、毛並みでも、足並みでも、みんな違う。髯《ひげ》の張り具合から耳の立ちあんばい、しっぽのたれかげんに至るまで同じものは一つもない。器量、不器量、好ききらい、粋《すい》無《ぶ》粋《すい》の数をつくして千差万別と言ってもさしつかえないくらいである。そのように判然たる区別が存しているにもかかわらず、人間の目はただ向上とかなんとかいって、空ばかり見ているものだから、我らの性質はむろん相《そう》貌《ぼう》の末を識別することすらとうていできぬのは気の毒だ。同類相求むとは昔からある言葉だそうだがそのとおり、餠《もち》屋は餠屋、猫は猫で、猫のことならやはり猫でなくてはわからぬ。いくら人間が発達したってこればかりはだめである。いわんや実際をいうと彼らがみずから信じているごとくえらくもなんともないのだからなおさらむずかしい。またいわんや同情に乏しい吾輩の主人のごときは、相互を残りなく解するというが愛の第一義であるということすらわからない男なのだからしかたがない。彼は性《しよう》の悪い牡《か》蠣《き》のごとく 書斎に吸い付いて、かつて外界に向かって口を開いたことがない。それで自分だけはすこぶる達観したような面《つら》構《がま》えをしているのはちょっとおかしい。達観しない証拠には現に吾輩の肖像が目の前にあるのに少しも悟った様子もなくことしは征《せい》露《ろ》の第二年目だからおおかた熊《くま》の絵だろう《*》などと気の知れぬことを言ってすましているのでもわかる。
吾輩が主人のひざの上で目をねむりながらかく考えていると、やがて下女が第二の絵はがきを持って来た。見ると活版で舶《はく》来《らい》の猫が四、五匹ずらりと行列してペンを握ったり書物を開いたり勉強をしている。その内の一匹は席を離れて机の角《かど》で西洋の猫じゃ猫じゃ《*》を踊っている。その上に日《に》本《ほん》の墨で「吾輩は猫である」と黒々と書いて、右のわきに書を読むやおどるや猫の春《はる》一《ひと》日《ひ》という俳句さえしたためられてある。これは主人の旧門下生より来たのでだれが見たって一見して意味がわかるはずであるのに、迂《う》闊《かつ》な主人はまだ悟らないとみえて不思議そうに首をひねって、はてなことしは猫の年かなとひとり言を言った。吾輩がこれほど有名になったのをまだ気がつかずにいるとみえる。
ところへ下女がまた第三のはがきを持って来る。今度は絵はがきではない。恭《きよう》賀《が》新《しん》年《ねん》と書いて、かたわらに恐縮ながらかの猫へもよろしく御伝声願い上げ奉り候《そろ》とある。いかに迂《う》遠《えん》な主人でもこうあからさまに書いてあればわかるものとみえてようやく気がついたようにフンと言いながら吾輩の顔を見た。その目つきが今までとは違って多少尊敬の意を含んでいるように思われた。今まで世間から存在を認められなかった主人が急に一個の新面目を施したのも、全く吾輩のおかげだと思えばこのくらいの目つきは至当だろうと考える。
おりから門の格《こう》子《し》がチリン、チリン、チリリリリンと鳴る。おおかた来客であろう。来客なら下女が取り次ぎに出る。吾輩はさかな屋の梅《うめ》公《こう》が来る時のほかは出ないことにきめているのだから、平気で、もとのごとく主人のひざにすわっておった。すると主人は高利貸しにでも飛び込まれたように不安な顔つきをして玄関の方を見る。なんでも年賀の客を受けて酒の相手をするのがいやらしい。人間もこのくらい偏《へん》窟《くつ》になれば申しぶんはない。そんなら早くから外出でもすればよいのにそれほどの勇気もない、いよいよ牡蠣の根《こん》性《じよう》をあらわしている。しばらくすると下女が来て寒《かん》月《げつ*》さんがおいでになりましたと言う。この寒《かん》月《げつ》という男はやはり主人の旧門下生であったそうだが、今では学校を卒業して、なんでも主人より立派になっているという話である。この男がどういうわけか、よく主人の所へ遊びに来る。来ると自分を恋《おも》っている女がありそうな、なさそうな、世の中がおもしろそうな、つまらなそうな、すごいような艶《つや》っぽいような文句ばかり並べては帰る。主人のようなしなびかけた人間を求めて、わざわざこんな話をしに来るのからして合《が》点《てん》がゆかぬが、あの牡蠣的主人がそんな談話を聞いて時々あいづちを打つのはなおおもしろい。
「しばらくごぶさたをしました。じつは去年の暮れから大いに活動しているものですから、出よう出ようと思っても、ついこの方角へ足が向かないので」と羽《は》織《おり》のひもをひねくりながら謎《なぞ》みたようなことを言う。「どっちの方角へ足が向くね」と主人はまじめな顔をして、黒もめんの紋付き羽織の袖《そで》口《ぐち》を引っぱる。この羽織はもめんでゆきが短い。下からべんべらものが左右へ五分《ぶ》ぐらいずつはみ出している。「エヘヘヘ少し違った方角で」と寒月君が笑う。見るときょうは前歯が一枚欠けている。「君歯をどうかしたかね」と主人は問題を転じた。「ええじつはある所で椎《しい》茸《たけ》を食いましてね」「何を食ったって?」「その、少し椎茸を食ったんで。椎茸の傘《かさ》を前歯でかみ切ろうとしたらぽろりと歯が欠けましたよ」「椎茸で前歯が欠けるなんざ、なんだかじじい臭いね。俳句にはなるかもしれないが、恋にはならんようだな」と平《ひら》手《て》で吾輩の頭を軽《かろ》くたたく。「ああその猫が例のですか、なかなか肥ってるじゃありませんか、それなら車屋の黒にだって負けそうもありませんね、立派なものだ」と寒月君は大いに吾輩をほめる。「近ごろだいぶ大きくなったのさ」と自慢そうに頭をぽかぽかなぐる。ほめられたのは得意であるが頭が少々痛い。「一昨夜もちょいと合奏会をやりましてね」と寒月はまた話をもとへもどす。「どこで」「どこでもそりゃお聞きにならんでもよいでしょう。ヴァイオリンが三梃《ちよう》とピアノの伴奏でなかなかおもしろかったです。ヴァイオリンも三梃ぐらいになると下《へ》手《た》でも聞かれるものですね。二《ふた》人《り》は女でわたしがその中へまじりましたが、自分でもよくひけたと思いました」「ふん、そしてその女というのは何者かね」と主人はうらやましそうに問いかける。元来主人は平常枯《こ》木《ぼく》寒《かん》巌《がん》のような顔つきはしているもののじつのところはけっして婦人に冷淡なほうではない。かつて西洋のある小説を読んだら、その中にある一人物が出て来て、それがたいていの婦人には必ずちょっとほれる。勘定をしてみると往来を通る婦人の七割弱には恋着するということが諷《ふう》刺《し》的《てき》に書いてあったのを見て、これは真理だと感心したくらいな男である。そんな浮《うわ》気《き》な男がなぜ牡《か》蠣《き》的《てき》生《しよう》涯《がい》を送っているのかというのは吾輩猫などにはとうていわからない。ある人は失恋のためだとも言うし、ある人は胃弱のせいだとも言うし、またある人は金がなくて臆《おく》病《びよう》なたちだからとも言う。どっちにしたって明治の歴史に関係するほどの人物でもないのだからかまわない。しかし寒月君の女連れをうらやましげに尋ねたことだけは事実である。寒月君はおもしろそうに口取りの蒲《かま》鉾《ぼこ》を箸《はし》ではさんで半分前歯で食い切った。吾輩はまた欠けはせぬかと心配したが今度は大丈夫であった。「なに二人ともさる所の令嬢ですよ、御存じのかたじゃありません」とよそよそしい返事をする。「ナール」と主人は引っぱったが「ほど」を略して考えている。寒月君はもういいかげんな時分だと思ったものか「どうもいい天気ですな、おひまならごいっしょに散歩でもしましょうか、旅《りよ》順《じゆん》が落ちた《*》ので市中はたいへんな景気ですよ」と促してみる。主人は旅順の陥落より女連れの身元を聞きたいという顔で、しばらく考え込んでいたがようやく決心をしたものとみえて「それじゃ出るとしよう」と思いきって立つ。やはり黒もめんの紋付き羽織に、兄の紀念《かたみ》とかいう二十年来着古した結《ゆう》城《き》紬《つむぎ》の綿入れを着たままである。いくら結城紬が丈夫だって、こう着つづけではたまらない。ところどころが薄くなって日に透かして見ると裏からつぎを当てた針の目が見える。主人の服装には師走《しわす》も正月もない。ふだん着もよそゆきもない。出るときはふところ手をしてぶらりと出る。ほかに着るものがないからか、あってもめんどうだから着換えないのか、吾輩にはわからぬ。ただしこれだけは失恋のためとも思われない。
両人《ふたり》が出て行ったあとで、吾輩はちょっと失敬して寒月君の食い切ったかまぼこの残りをちょうだいした。吾輩もこのごろでは普通一般の猫ではない。まず桃《もも》川《かわ》如《じよ》燕《えん*》以後の猫か、グレーの金魚をぬすんだ猫《*》ぐらいの資格は十分あると思う。車屋の黒などはもとより眼中にない。かまぼこの一切れぐらいちょうだいしたって人からかれこれ言われることもなかろう。それにこの人目を忍んで間《かん》食《しよく》をするという癖は、なにも我ら猫族に限ったことではない。うちのおさんなどはよく細君の留《る》守《す》中に餠《もち》菓《が》子《し》などを失敬してはちょうだいし、ちょうだいしては失敬している。おさんばかりじゃない現に上品なしつけを受けつつあると細君から吹《ふい》聴《ちよう》せられている子供ですらこの傾向がある。四、五日前《まえ》のことであったが、二人の子供がばかに早くから目をさまして、まだ主人夫婦の寝ているあいだに向かい合うて食卓に着いた。彼らは毎朝主人の食うパンのいくぶんに、砂糖をつけて食うのが例であるが、この日はちょうど砂《さ》糖《とう》壺《つぼ》が卓の上に置かれて匙《さじ》さえ添えてあった。いつものように砂糖を分配してくれる者がないので、大きいほうがやがて壺の中から一匙の砂糖をすくい出して自分の皿《さら》の上へあけた。すると小さいのが姉のしたとおり同分量の砂糖を同方法で自分の皿の上にあけた。しばらく両人《ふたり》はにらみ合っていたが、大きいのがまた匙をとって一杯をわが皿の上に加えた。小さいのもすぐ匙をとってわが分量を姉と同一にした。すると姉がまた一杯すくった。妹も負けずに一杯を付加した。姉がまた壺へ手をかける、妹がまた匙をとる。見ている間《ま》に一杯一杯一杯と重なって、ついには両人の皿には山盛りの砂糖がうずたかくなって、壺の中には一匙の砂糖も余っておらんようになった時、主人が寝ぼけ眼《まなこ》をこすりながら寝室を出て来てせっかくしゃくい出した砂糖を元のごとく壺の中へ入れてしまった。こんなところをみると、人間は利己主義から割り出した公平という念は猫よりまさっているかもしれぬが、知恵はかえって猫より劣っているようだ。そんなに山盛りにしないうちに早くなめてしまえばいいにと思ったが、例のごとく、吾輩の言うことなどは通じないのだから、気の毒ながらお櫃《はち》の上から黙って見物していた。
寒月君と出かけた主人はどこをどう歩いたものか、その晩おそく帰って来て、翌日食卓についたのは九時ごろであった。例のお櫃の上から拝見していると、主人は黙って雑《ぞう》煮《に》を食っている。代えては食い、代えては食う。餠の切れは小さいが、なんでも六切れか七切れ食って、最後の一切れを椀《わん》の中へ残して、もうよそうと箸を置いた。他人がそんなわがままをすると、なかなか承知しないのであるが、主人の威光を振り回して得意なる彼は、濁った汁《しる》の中に焦げただれた餠の死《し》骸《がい》を見て平気ですましている。細君が戸袋の奥からタカジヤスターゼを出して卓の上に置くと、主人は「それはきかないから飲まん」と言う。「でもあなた澱《でん》粉《ぷん》質《しつ》のものにはたいへん効能があるそうですから、召しあがったらいいでしょう」と飲ませたがる。「澱粉だろうがなんだろうがだめだよ」と頑《がん》固《こ》に出る。「あなたはほんとにあきっぽい」と細君がひとり言のように言う。「あきっぽいのじゃない薬がきかんのだ」「それだってせんだってじゅうはたいへんによくきくよくきくとおっしゃって毎日毎日あがったじゃありませんか」「こないだうちはきいたのだよ、このごろはきかないのだよ」と対《つい》句《く》のような返事をする。「そんなに飲んだりやめたりしちゃ、いくら効能のある薬でもきく気づかいはありません、もう少し辛抱がよくなくっちゃあ胃弱なんぞはほかの病気たあ違って直らないわねえ」とお盆を持って控えたおさんを顧みる。「それはほんとうのところでございます。もう少し召しあがってごらんにならないと、とても善《よ》い薬か悪い薬かわかりますまい」とおさんは一も二もなく細君の肩を持つ。「なんでもいい、飲まんのだから飲まんのだ、女なんかに何がわかるものか。黙っていろ」「どうせ女ですわ」と細君がタカジヤスターゼを主人の前へ突きつけてぜひ詰め腹を切らせようとする。主人はなんにも言わず立って書斎へはいる。細君とおさんは顔を見合わせてにやにやと笑う。こんな時にあとからくっついて行ってひざの上へ乗ると、たいへんな目に会わされるから、そっと庭から回って書斎の縁側へ上がって障子のすきからのぞいてみると、主人はエピクテタスとかいう人の本をひらいて見ておった。もしそれがいつものとおりわかるならちょっとえらいところがある。五、六分するとその本をたたきつけるように机の上へほうり出す。おおかたそんなことだろうと思いながらなお注意していると、今度は日記帳を出して下《しも》のようなことを書きつけた。
寒月と、根《ね》津《づ》、上《うえ》野《の》、池《いけ》の端《はた》、神《かん》田《だ》へんを散歩。池の端の待《まち》合《あい》で芸者が裾《すそ》模《も》様《よう》の春着を着て羽根をついていた。衣装は美しいが顔はすこぶるまずい。なんとなくうちの猫に似ていた。
なにも顔のまずい例に特に吾輩を出さなくっても、よさそうなものだ。吾輩だって喜《き》多《た》床《どこ*》へ行って顔さえ剃《す》ってもらやあ、そんなに人間と違ったところはありゃしない。人間はこううぬぼれているから困る。
宝《ほう》丹《たん*》の角《かど》を曲がるとまた一人芸者が来た。これは背のすらりとしたなで肩の恰《かつ》好《こう》よくできあがった女で、着ている薄《うす》紫 《むらさき》の衣服《きもの》も素直に着こなされて上品にみえた。白い歯を出して笑いながら「源《げん》ちゃんゆうべは――ついいそがしかったもんだから」と言った。ただしその声は旅《たび》鴉《がらす》のごとくしゃがれておったので、せっかくの風《ふう》采《さい》も大いに下落したように感ぜられたから、いわゆる源ちゃんなるもののいかなる人なるかを振り向いて見るもめんどうになって、ふところ手のまま御《お》成《なり》道《みち*》へ出た。寒月はなんとなくそわそわしているごとくみえた。
人間の心理ほど解《げ》しがたいものはない。この主人の今の心はおこっているのだか、浮かれているのだか、または哲人の遺書に一《いち》道《どう》の慰安を求めつつあるのか、ちっともわからない。世の中を冷笑しているのか、世の中へまじりたいのだか、くだらぬことにかんしゃくを起こしているのか、物《ぶつ》外《がい》に超然としているのだかさっぱり見《けん》当《とう》がつかぬ。猫などはそこへゆくと単純なものだ。食いたければ食い、寝たければ寝る、おこる時は一生懸命におこり、泣くときは絶体絶命に泣く。第一日記などという無用のものはけっしてつけない。つける必要がないからである。主人のように裏表のある人間は日記でも書いて世間に出されない自己の面目を暗室内に発揮する必要があるかもしれないが、我ら猫属に至ると行《ぎよう》住《じゆう》坐《ざ》臥《が》、行《こう》屎《し》送《そう》尿《によう》ことごとく真正の日記であるから、べつだんそんなめんどうな手《て》数《かず》をして、おのれの真《しん》面《めん》目《もく》を保存するには及ばぬと思う。日記をつけるひまがあるなら縁側に寝ているまでのことさ。
神田の某亭で晩《ばん》餐《さん》を食う。久しぶりで正《まさ》宗《むね》を二、三杯飲んだら、けさは胃の具合がたいへんいい。胃弱には晩《ばん》酌《しやく》が一番だと思う。タカジヤスターゼはむろんいかん。だれがなんと言ってもだめだ。どうしたってきかないものはきかないのだ。
むやみにタカジヤスターゼを攻撃する。ひとりでけんかをしているようだ。けさのかんしゃくがちょっとここへ尾を出す。人間の日記の本色はこういうへんに存するのかもしれない。
せんだって○○は朝《あさ》飯《めし》を廃すると胃がよくなると言うたから二、三日《ち》朝飯をやめてみたが腹がぐうぐう鳴るばかりで効能はない。△△はぜひ香《こう》の物を断《た》てと忠告した。彼の説によるとすべて胃病の原因はつけ物にある。つけ物さえ断てば胃病の源をからすわけだから本復は疑いなしという論法であった。それから一週間ばかり香の物に箸を触れなかったがべつだんの験《げん》も見えなかったから近ごろはまた食い出した。××に聞くとそれは按《あん》腹《ぷく》揉《もみ》療《りよう》治《じ》に限る。ただし普通のではゆかぬ。皆《みな》川《がわ》流《りゆう》という古《こ》流《りゆう》なもみ方で一、二度やらせればたいていの胃病は根治できる。安《やす》井《い》息《そく》軒《けん》もたいへんこの按《あん》摩《ま》術《じゆつ》を愛していた。坂《さか》本《もと》竜《りよう》馬《ま》のような豪《ごう》傑《けつ》でも時々は治療をうけたというから、さっそく上《かみ》根《ね》岸《ぎし》まで出かけてもましてみた。ところが骨をもまなければなおらぬとか、臓《ぞう》腑《ふ》の位置を一度顛《てん》倒《どう》しなければ根治がしにくいとかいって、それはそれは残酷なもみ方をやる。あとでからだが綿のようになって昏《こん》睡《すい》病《びよう》にかかったような心持ちがしたので、一度で閉口してやめにした。A君はぜひ固体形を食うなと言う。それから、一日牛乳ばかり飲んで暮らしてみたが、この時は腸の中でどぼりどぼりと音がして大水でも出たように思われて終夜眠れなかった。B氏は横《おう》膈《かく》膜《まく》で呼吸して内臓を運動させれば自然と胃の働きが健全になるわけだからためしにやってごらんという。これも多少やったがなんとなく腹《ふく》中《ちゆう》が不安で困る。それに時々思い出したように一心不乱にかかりはするものの五、六分たつと忘れてしまう。忘れまいとすると横膈膜が気になって本を読むことも文章を書くこともできぬ。美学者の迷《めい》亭《てい》がこのていを見て、産《さん》気《け》のついた男じゃあるまいしよすがいいとひやかしたからこのごろはよしてしまった。C先生は蕎《そ》麦《ば》を食ったらよかろうと言うから、さっそくかけともりをかわるがわる食ったが、これは腹が下るばかりでなんらの効能もなかった。余《よ》は年来の胃弱をなおすためにできうる限りの方法を講じてみたがすべてだめである。ただゆうべ寒月と傾けた三杯の正宗はたしかにききめがある。これからは毎晩二、三杯ずつ飲むことにしよう。
これもけっして長くつづくことはあるまい。主人の心は吾輩の目玉のように間断なく変化している。何をやっても長もちのしない男である。その上日記の上で胃病をこんなに心配しているくせに、表向きは大いにやせ我慢をするからおかしい。せんだってその友人で某《なにがし》という学者が尋ねて来て、一種の見地から、すべての病気は父祖の罪悪と自己の罪悪の結果にほかならないという議論をした。だいぶ研究したものとみえて、条理が明《めい》晰《せき》で秩序が整然として立派な説であった。気の毒ながらうちの主人などはとうていこれを反《はん》駁《ばく》するほどの頭脳も学問もないのである。しかし自分が胃病で苦しんでいる際だから、なんとかかんとか弁解をして自己の面目を保とうと思ったものとみえて、「君の説はおもしろいが、あのカーライルは胃弱だったぜ」とあたかもカーライルが胃弱だから自分の胃弱も名誉であるといったような、見当違いの挨《あい》拶《さつ》をした。すると友人は「カーライルが胃弱だって、胃弱の病人が必ずカーライルにはなれないさ」ときめつけたので主人は黙《もく》然《ねん》としていた。かくのごとく虚栄心に富んでいるものの実際はやはり胃弱でないほうがいいとみえて、今夜から晩酌を始めるなどというのはちょっと滑《こつ》稽《けい》だ。考えてみるとけさ雑煮をあんなにたくさん食ったのもゆうべ寒月君と正宗をひっくり返した影響かもしれない。吾輩もちょっと雑煮が食ってみたくなった。
吾輩は猫ではあるがたいていのものは食う。車屋の黒のように横町のさかな屋まで遠征をする気力はないし、新《しん》道《みち》の二《に》弦《げん》琴《きん》の師匠のとこの三《み》毛《け》のようにぜいたくはむろん言える身分でない。したがって存外きらいは少ないほうだ。子供の食いこぼしたパンも食うし、餠菓子の餡《あん》もなめる。香の物はすこぶるまずいが経験のためたくあんを二切ればかりやったことがある。食ってみると妙なもので、たいていのものは食える。あれはいやだ、これはいやだと言うのはぜいたくなわがままでとうてい教師の家《うち》にいる猫などの口にすべきところでない。主人の話によるとフランスにバルザックという小説家があったそうだ。この男が大のぜいたく屋で――もっともこれは口のぜいたく屋ではない、小説家だけに文章のぜいたくを尽くしたということである。バルザックがある日自分の書いている小説中の人間の名をつけようと思っていろいろつけてみたが、どうしても気に入らない。ところへ友人が遊びに来たのでいっしょに散歩に出かけた。友人はもとよりなんにも知らずに連れ出されたのであるが、バルザックはかねて自分の苦心している名を目つけようという考えだから往来へ出るとなんにもしないで店先の看板ばかり見て歩いている。ところがやはり気に入った名がない。友人を連れてむやみに歩く。友人はわけがわからずにくっついて行く。彼らはついに朝から晩までパリを探険した。その帰りがけにバルザックはふとある裁縫屋の看板が目についた。見るとその看板にマーカスという名が書いてある。バルザックは手をうって「これだこれだこれに限る。マーカスはいい名じゃないか。マーカスの上へZという頭《かしら》文《も》字《じ》をつける、すると申しぶんのない名ができる。Zでなくてはいかん。Z.Marcusはじつにうまい。どうも自分で作った名はうまくつけたつもりでもなんとなくわざとらしいところがあっておもしろくない。ようやくのことで気に入った名ができた」と友人の迷惑はまるで忘れて、一人うれしがったというが、小説中の人間の名前をつけるに一《いち》日《んち》パリを探険しなくてはならぬようではずいぶん手《て》数《すう》のかかる話だ。ぜいたくもこのくらいできれば結構なものだが吾輩のように牡《か》蠣《き》的《てき》主人を持つ身の上ではとてもそんな気は出ない。なんでもいい、食えさえすれば、という気になるのも境遇のしからしむるところであろう。だから今雑煮が食いたくなったのもけっしてぜいたくの結果ではない。なんでも食える時に食っておこうという考えから、主人の食いあました雑煮がもしや台所に残っていはすまいかと思い出したからである。……台所へ回ってみる。
けさ見たとおりの餠が、けさ見たとおりの色で椀の底に膠《こう》着《ちやく》している。白状するが餠というものは今まで一ぺんも口に入れたことがない。見るとうまそうにもあるし、また少しは気《き》味《び》が悪くもある。前足で上にかかっている菜っぱをかき寄せる。爪《つめ》を見ると餠の上《うわ》皮《かわ》が引きかかってねばねばする。かいでみると釜《かま》の底の飯をお櫃《はち》へ移す時のようなにおいがする。食おうかな、やめようかな、とあたりを見回す。幸か不幸かだれもいない。おさんは暮れも春も同じような顔をして羽根をついている。子供は奥座敷で「なんとおっしゃるうさぎさん」を歌っている。食うとすれば今だ。もしこの機をはずすと来年までは餠というものの味を知らずに暮らしてしまわねばならぬ。吾輩はこの刹《せつ》那《な》に猫ながら一つの真理を感得した。「得難き機会はすべての動物をして、好まざることをもあえてせしむ」吾輩はじつをいうとそんなに雑煮を食いたくはないのである。否椀《わん》底《てい》の様子を熟視すればするほど気《き》味《び》が悪くなって、食うのがいやになったのである。この時もしおさんでも勝手口をあけたなら、奥の子供の足音がこちらへ近づくのを聞きえたなら、吾輩は惜しげもなく椀を見捨てたろう、しかも雑煮のことは来年まで念頭に浮かばなかったろう。ところがだれも来ない、いくら躊《ちゆう》躇《ちよ》していてもだれも来ない。早く食わぬか食わぬかと催《さい》促《そく》されるような心持ちがする。吾輩は椀の中をのぞきこみながら、早くだれか来てくれればいいと念じた。やはりだれも来てくれない。吾輩はとうとう雑煮を食わなければならぬ。最後にからだ全体の重量を椀の底へ落とすようにして、あぐりと餠の角《かど》を一寸ばかり食い込んだ。このくらい力を込めて食いついたのだから、たいていなものならかみ切れるわけだが、驚いた! もうよかろうと思って歯を引こうとすると引けない。もう一ぺんかみ直そうとすると動きがとれない。餠は魔物だなと感づいた時はすでにおそかった。沼へでも落ちた人が足を抜こうとあせるたびにぶくぶく深く沈むように、かめばかむほど口が重くなる、歯が動かなくなる。歯ごたえはあるが、歯ごたえがあるだけでどうしても始末をつけることができない。美学者迷亭先生がかつて吾輩の主人を評して君は割り切れない男だと言ったことがあるが、なるほどうまいことを言ったものだ。この餠も主人と同じようにどうしても割り切れない。かんでもかんでも、三で十を割るごとく尽《じん》未《み》来《らい》際《ざい》方《かた》のつく期《ご》はあるまいと思われた。この煩《はん》悶《もん》の際吾輩は覚えず第二の真理に逢《ほう》着《ちやく》した。「すべての動物は直覚的に事物の適不適を予知す」真理はすでに二つまで発明したが、餠がくっついているのでごうも愉快を感じない。歯が餠の肉に吸収されて、抜けるように痛い。早く食い切って逃げないとおさんが来る。子供の唱歌もやんだようだ、きっと台所へ駆け出して来るに相違ない。煩悶の極しっぽをぐるぐる振ってみたがなんらの効能もない、耳を立てたりねかしたりしたがだめである。考えてみると耳としっぽは餠となんらの関係もない。要するに振り損の、立て損の、ねかし損であると気がついたからやめにした。ようやくのことこれは前足の助けを借りて餠を払い落とすに限ると考えついた。まず右のほうをあげて口の周囲をなで回す。なでたくらいで割り切れるわけのものではない。今度は左のほうを伸ばして口を中心として急激に円を画してみる。そんな呪《まじな》いで魔は落ちない。辛抱が肝《かん》心《じん》だと思って左右かわるがわるに動かしたがやはり依然として歯は餠の中にぶらさがっている。ええめんどうだと両足を一度に使う。すると不思議なことにこの時だけはあと足二本で立つことができた。なんだか猫でないような感じがする。猫であろうが、あるまいがこうなったひにゃあかまうものか、なんでも餠の魔が落ちるまでやるべしという意気込みで無茶苦茶に顔じゅう引っかき回す。前足の運動が猛烈なのでややともすると中心を失って倒れかかる。倒れかかるたびにあと足で調子をとらなくてはならぬから、一つ所にいるわけにもゆかんので、台所じゅうあちら、こちらと飛んで回る。我ながらよくこんなに器用に立っていられたものだと思う。第三の真理が驀《ばく》地《ち》に現前する。「危うきに臨めば平常なしあたわざるところのものをなしあとう。これを天《てん》祐《ゆう》という」幸いに天祐を享《う》けたる吾輩が一生懸命餠の魔と戦っていると、なんだか足音がして奥より人の来るような気《け》合《あい》である。ここで人に来られてはたいへんだと思って、いよいよやっきとなって台所をかけ回る。足音はだんだん近づいてくる。ああ残念だが天祐が少し足りない。とうとう子供に見つけられた。「あら猫がお雑煮を食べて踊りを踊っている」と大きな声をする。この声を第一に聞きつけたのがおさんである。羽根も羽子板もうちやって勝手から「あらまあ」と飛び込んで来る。細君は縮《ちり》緬《めん》の紋付きで「いやな猫ねえ」と仰せられる。主人さえ書斎から出て来て「このばかやろう」と言った。おもしろいおもしろいと言うのは子供ばかりである。そうしてみんな申し合わせたようにげらげら笑っている。腹は立つ、苦しくはある、踊りはやめるわけにゆかぬ、弱った。ようやく笑いがやみそうになったら、五つになる女の子が「おかあ様、猫もずいぶんね」と言ったので狂《きよう》瀾《らん》を既《き》倒《とう》になんとかする《*》という勢いでまたたいへん笑われた。人間の同情に乏しい実行もだいぶ見聞したが、この時ほど恨めしく感じたことはなかった。ついに天祐もどっかへ消えうせて、在来のとおり四つばいになって、目を白《しろ》黒《くろ》するの醜態を演ずるまでに閉口した。さすが見殺しにするのも気の毒とみえて「まあ餠をとってやれ」と主人がおさんに命ずる。おさんはもっと踊らせようじゃありませんかという目つきで細君を見る。細君は踊りは見たいが、殺してまで見る気はないので黙っている。「とってやらんと死んでしまう、早くとってやれ」と主人は再び下女を顧みる。おさんはごちそうを半分食べかけて夢から起こされた時のように、気のない顔をして餠をつかんでぐいと引く。寒月君じゃないが前歯がみんな折れるかと思った。どうも痛いの痛くないのって、餠の中へ堅く食い込んでいる歯を情け容赦もなく引っぱるのだからたまらない。吾輩が「すべての安楽は困苦を通過せざるべからず」という第四の真理を経験して、けろけろとあたりを見回した時には、家人はすでに奥座敷へはいってしまっておった。
こんな失敗をした時には内にいておさんなんぞに顔を見られるのはなんとなくばつが悪い。いっそのこと気をかえて新道の二弦琴のお師匠さん所《とこ》の三《み》毛《け》子《こ》でも訪問しようと台所から裏へ出た。三毛子はこの近辺で有名な美《び》貌《ぼう》家《か》である。吾輩は猫には相違ないが物の情けは一通り心得ている。うちで主人の苦い顔を見たり、おさんのけんつくを食って気分がすぐれん時は必ずこの異性の朋《ほう》友《ゆう》のもとを訪問していろいろな話をする。すると、いつのまにか心がせいせいして今までの心配も苦労も何もかも忘れて、生まれ変わったような心持ちになる。女性の影響というものはじつに莫《ばく》大《だい》なものだ。杉《すぎ》垣《がき》のすきから、いるかなと思って見渡すと、三毛子は正月だから首輪の新しいのをして行儀よく縁側にすわっている。その背中の丸さかげんがいうにいわれんほど美しい。曲線の美を尽くしている。しっぽの曲がりかげん、足の折り具合、物《もの》憂《う》げに耳をちょいちょい振るけしきなどもとうてい形容ができん。ことによく日の当たる所に暖かそうに、品《ひん》よく控えているものだから、からだは静粛端正の態度を有するにもかかわらず、ビロードを欺くほどのなめらかな満身の毛は春の光を反射して風なきにむらむらと微動するごとくに思われる。吾輩はしばらく恍《こう》惚《こつ》としてながめていたが、やがて我に帰ると同時に、低い声で「三毛子さん三毛子さん」と言いながら前足で招いた。三毛子は「あら先生」と縁をおりる。赤い首輪につけた鈴がちゃらちゃらと鳴る。おや正月になったら鈴までつけたな、どうもいい音《ね》だと感心している間《ま》に、吾輩のそばに来て「あら先生、おめでとう」と尾を左へ振る。われら猫属間でお互いに挨《あい》拶《さつ》をする時には尾を棒のごとく立てて、それを左へぐるりと回すのである。町内で吾輩を先生と呼んでくれるのはこの三毛子ばかりである。吾輩は前回断わったとおりまだ名はないのであるが、教師の家《うち》にいるものだから三毛子だけは尊敬して先生先生と言ってくれる。吾輩も先生と言われてまんざら悪い心持ちもしないから、はいはいと返事をしている。「やあおめでとう、たいそう立派にお化《け》粧《しよう》ができましたね」「ええ去年の暮れお師匠さんに買っていただいたの、いいでしょう」とちゃらちゃら鳴らしてみせる。「なるほどいい音《ね》ですな、吾輩などは生まれてから、そんな立派なものは見たことがないですよ」「あらいやだ、みんなぶらさげるのよ」とまたちゃらちゃら鳴らす。「いい音《ね》でしょう、あたしうれしいわ」とちゃらちゃらちゃらちゃらつづけざまに鳴らす。「あなたのうちのお師匠さんはたいへんあなたをかあいがっているとみえますね」とわが身に引きくらべて暗《あん》に欣《きん》羨《せん》の意をもらす。三毛子は無邪気なものである。「ほんとよ、まるで自分の子供のようよ」とあどけなく笑う。猫だって笑わないとは限らない。人間は自分よりほかに笑える者がないように思っているのは間違いである。吾輩が笑うのは鼻のあなを三角にして咽《の》喉《ど》仏《ぼとけ》を震動させて笑うのだから人間にはわからぬはずである。「いったいあなたのとこの御主人はなんですか」「あら御主人だって、妙なのね。お師匠さんだわ。二弦琴のお師匠さんよ」「それは吾輩も知っていますがね。その御身分は何なんです。いずれ昔は立派なかたなんでしょうな」「ええ」
君を待つ間《ま》の姫《ひめ》小《こ》松《まつ》……
障子の内でお師匠さんが二弦琴をひき出す。「いい声でしょう」と三毛子は自慢する。「いいようだが、吾輩にはよくわからん。ぜんたいなんというものですか」「あれ? あれはなんとかってものよ。お師匠さんはあれが大好きなの。……お師匠さんはあれで六十二よ。ずいぶん丈夫だわね」六十二で生きているくらいだから丈夫といわねばなるまい。吾輩は「はあ」と返事をした。少し間《ま》が抜けたようだがべつだん名答も出てこなかったからしかたがない。「あれでも、もとは身分がたいへんよかったんだって。いつでもそうおっしゃるの」「へえもとはなんだったんです」「なんでも天 《てん》璋 《しよう》院 《いん》様 《さま*》の御《ご》祐《ゆう》筆《ひつ》の妹のお嫁に行った先のおっかさんの甥《おい》の娘なんだって」「なんですって?」「あの天璋院様の御祐筆の妹のお嫁に行った……」「なるほど。少し待ってください。天璋院様の妹の御祐筆の……」「あらそうじゃないの、天璋院様の御祐筆の妹の……」「よろしいわかりました天璋院様のでしょう」「ええ」「御祐筆のでしょう」「そうよ」「お嫁に行った」「妹のお嫁に行ったですよ」「そうそう間違った。妹のお嫁に行った先の」「おっかさんの甥の娘なんですとさ」「おっかさんの甥の娘なんですか」「ええ。わかったでしょう」「いいえ。なんだか混雑して要領を得ないですよ。つまるところ天璋院様のなんになるんですか」「あなたもよっぽどわからないのね。だから天璋院様の御祐筆の妹のお嫁に行った先のおっかさんの甥の娘なんだって、さっきから言ってるんじゃありませんか」「それはすっかりわかっているんですがね」「それがわかりさえすればいいんでしょう」「ええ」としかたがないから降参をした。我々は時とすると理詰めのうそをつかねばならぬことがある。
障子の内《うち》で二弦琴の音《ね》がぱったりやむと、お師匠さんの声で「三毛や三毛や御飯だよ」と呼ぶ。三毛子はうれしそうに「あらお師匠さんが呼んでいらっしゃるから、あたし帰るわ、よくって?」悪いと言ったってしかたがない。「それじゃまた遊びにいらっしゃい」と鈴をちゃらちゃら鳴らして庭先までかけて行ったが急にもどって来て「あなたたいへん色が悪くってよ。どうかしやしなくって」と心配そうに問いかける。まさか雑煮を食って踊りを踊ったとも言われないから「なにべつだんのこともありませんが、少し考え事をしたら頭痛がしてね。あなたと話でもしたら直るだろうと思ってじつは出かけて来たのですよ」「そう。お大事になさいまし。さようなら」少しはなごり惜しげにみえた。これで雑煮の元気もさっぱりと回復した。いい心持ちになった。帰りに例の茶園を通り抜けようと思って霜柱のとけかかったのを踏みつけながら建《けん》仁《にん》寺《じ》のくずれから顔を出すとまた車屋の黒が枯れ菊の上に背を山にしてあくびをしている。近ごろは黒を見て恐怖するような吾輩ではないが、話をされるとめんどうだから知らぬ顔をして行き過ぎようとした。黒の性質としてひとがおのれを軽《けい》侮《ぶ》したと認むるや否やけっして黙っていない。「おい、名なしの権《ごん》兵《べ》衛《え》、近ごろじゃおつう高く留まってるじゃあねえか。いくら教師の飯を食ったって、そんな高慢ちきな面《つら》あするねえ。人つけ《*》おもしろくもねえ」黒は吾輩の有名になったのを、まだ知らんとみえる。説明してやりたいがとうていわかるやつではないから、まず一応の挨拶をしてできうるかぎり早く御免こうむるにしくはないと決心した。「いや黒君おめでとう。相変わらず元気がいいね」としっぽを立てて左へくるりと回す。黒はしっぽを立てたぎり挨拶もしない。「なにおめでてえ? 正月でおめでたけりゃ、おめえなんざあ年《ねん》が年じゅうおめでてえほうだろう。気をつけろい、このふいごの向こうづらめ」ふいごの向こうづらという句は罵《ば》詈《り》の言語であるようだが、吾輩には了解ができなかった。「ちょっと伺うがふいごの向こうづらというのはどういう意味かね」「へん、てめえが悪《あく》態《たい》をつかれてるくせに、そのわけを聞きゃ世話あねえ、だから正月野郎だってことよ」正月野郎は詩的であるが、その意味に至るとふいごのなんとかよりもいっそう不《ふ》明《めい》瞭《りよう》な文句である。参考のためちょっと聞いておきたいが、聞いたって明瞭な答弁は得られぬにきまっているから、面《めん》と向かったまま無言で立っておった。いささか手持ちぶさたのていである。すると突然黒のうちのかみさんが大きな声を張り揚げて「おや棚《たな》へ上げておいた鮭《しやけ》がない。たいへんだ。またあの黒の畜《ちき》生《しよう》が取ったんだよ。ほんとに憎らしい猫だっちゃあありゃあしない。今に帰って来たら、どうするかみていやがれ」とどなる。初《はつ》春《はる》ののどかな空気を無遠慮に震動させて、枝を鳴らさぬ君がみ代《*》を大いに俗了してしまう。黒はどなるなら、どなりたいだけどなっていろと言わぬばかりに横着な顔をして、四角なあごを前へ出しながら、あれを聞いたかと合図をする。今までは黒との応対で気がつかなかったが、見ると彼の足の下には一切れ二銭三厘に相当する鮭《しやけ》の骨が泥《どろ》だらけになってころがっている。「君相変わらずやってるな」と今までのゆきがかりは忘れて、つい感投詞を奉呈した。黒はそのくらいなことではなかなかきげんを直さない。「何がやってるでえ、このやろう。しゃけの一切れや二切れで相変わらずたあなんだ。人をみくびったことを言うねえ。はばかりながら車屋の黒だあ」と腕まくりの代わりに右の前足を逆《さか》に肩のへんまでかき上げた。「君が黒君だということは、初めから知ってるさ」「知ってるのに、相変わらずやってるたあなんだ。なんだてえことよ」と熱いのをしきりに吹きかける。人間なら胸《むな》ぐらをとられて小突き回されるところである。少々辟《へき》易《えき》して内心困ったことになったなと思っていると、再び例のかみさんの大声が聞こえる。「ちょいと西《にし》川《かわ*》さん、おい西川さんてば、用があるんだよこの人《ひた》あ。牛肉を一斤すぐ持って来るんだよ。いいかい、わかったかい、牛肉の堅くないところを一斤だよ」と牛肉注文の声が四《し》隣《りん》の寂《せき》寞《ばく》を破る。「へん年《ねん》に一ぺん牛肉をあつらえると思って、いやに大きな声を出しゃあがらあ。牛肉一斤が隣近所へ自慢なんだから始末におえねえあまだ」と黒はあざけりながら四つ足を踏ん張る。吾輩は挨拶のしようもないから黙って見ている。「一斤ぐらいじゃあ、承知ができねえんだが、しかたがねえ、いいから取っときゃ、今に食ってやらあ」と自分のためにあつらえたもののごとく言う。「今度はほんとうのごちそうだ。結構結構」と吾輩はなるべく彼を帰そうとする。「おめっちの知ったことじゃねえ。黙っていろ。うるせえや」と言いながら突然あと足で霜《しも》柱《ばしら》のくずれたやつを吾輩の頭へばさりと浴びせかける。吾輩が驚いて、からだの泥を払っている間に黒は垣根をくぐって、どこかへ姿を隠した。おおかた西川の牛《ぎゆう》をねらいに行ったものであろう。
家《うち》へ帰ると座敷の中が、いつになく春めいて主人の笑い声さえ陽気に聞こえる。はてなと明け放した縁側から上がって主人のそばへよってみると見慣れぬ客が来ている。頭をきれいに分けて、もめんの紋付きの羽織に小《こ》倉《くら》の袴《はかま》を着けてしごくまじめそうな書《しよ》生《せい》体《てい》の男である。主人の手あぶりの角を見ると春《しゆん》慶《けい》塗《ぬ》りの巻《まき》煙草《タバコ》入《い》れと並んで越《お》智《ち》東《とう》風《ふう》君を紹介いたし候《そろ》水《みず》島《しま》寒《かん》月《げつ》という名刺があるので、この客の名前も、寒月君の友人であるということも知れた。主《しゆ》客《かく》の対話は途中からであるから前後がよくわからんが、なんでも吾輩が前回に紹介した美学者迷亭君のことに関しているらしい。
「それでおもしろい趣向があるからぜひいっしょに来いとおっしゃるので」と客は落ち付いて言う。「なんですか、その西洋料理へ行って昼飯を食うのについて趣向があるというのですか」と主人は茶をつぎ足して客の前へ押しやる。「さあ、その趣向というのが、その時は私にもわからなかったんですが、いずれあのかたのことですから、何かおもしろい種があるのだろうと思いまして……」「いっしょに行きましたか、なるほど」「ところが驚いたのです」主人はそれみたかといわぬばかりに、ひざの上に乗ったわが輩の頭をぽかとたたく。少し痛い。「またばかな茶《ちや》番《ばん》みたようなことなんでしょう。あの男はあれが癖でね」と急にアンドレア・デル・サルト事件を思い出す。「へへー。君何か変わったものを食おうじゃないかとおっしゃるので」「何を食いました」「まず献《こん》立《だて》を見ながらいろいろ料理についてのお話がありました」「あつらえない前にですか」「ええ」「それから」「それから首をひねってボイの方を御覧になって、どうも変わったものもないようだなとおっしゃるとボイは負けぬ気で鴨《かも》のロースか小牛のチャップなどはいかがですと言うと、先生は、そんな月並み《*》を食いにわざわざここまで来やしないとおっしゃるんで、ボイは月並みという意味がわからんものですから妙な顔をして黙っていましたよ」「そうでしょう」「それから私の方をお向きになって、君フランスやイギリスへ行くとずいぶん天《てん》明《めい》調《ちよう》や万《まん》葉《よう》調《ちよう*》が食えるんだが、日《にほん》本じゃどこへ行ったって版《はん》でおしたようで、どうも西洋料理へはいる気がしないというような大気炎で――ぜんたいあのかたは洋行なすったことがあるのですかな」「なに迷亭が洋行なんかするもんですか、そりゃ金もあり、時もあり、行こうと思えばいつでも行かれるんですがね。おおかたこれから行くつもりのところを、過去に見立てたしゃれなんでしょう」と主人は自分ながらうまいことを言ったつもりで誘い出し笑いをする。客はさまで感服した様子もない。「そうですか、私はまたいつのまに洋行なさったかと思って、ついまじめに拝聴していました。それに見て来たようになめくじのソップのお話や蛙《かえる》のシチュの形容をなさるものですから」「そりゃだれかに聞いたんでしょう、うそをつくことはなかなか名人ですからね」「どうもそのようで」と花《か》瓶《びん》の水《すい》仙《せん》をながめる。少しく残念のけしきにもとられる。「じゃ趣向というのは、それなんですね」と主人が念を押す。「いえそれはほんの冒頭なので、本論はこれからなのです」「ふうん」と主人は好奇的な感投詞をはさむ。「それから、とてもなめくじや蛙は食おうっても食えやしないから、まあトチメンボー 《*》ぐらいなところで負けとくことにしようじゃないか君と御相談なさるものですから、私はついなんの気なしに、それがいいでしょう、と言ってしまったので」「へー、とちめんぼうは妙ですな」「ええ全く妙なのですが、先生があまりまじめだものですから、つい気がつきませんでした」とあたかも主人に向かって粗《そ》忽《こつ》をわびているようにみえる。「それからどうしました」と主人は無《む》頓《とん》着《じやく》に聞く。客の謝罪にはいっこう同情を表《ひよう》しておらん。「それからボイにおいトチメンボーを二《に》人《にん》前《まえ》持って来いと言うと、ボイがメンチボーですかと聞き直しましたが、先生はますますまじめな顔でメンチボーじゃないトチメンボーだと訂正されました」「なある。そのトチメンボーという料理はいったいあるんですか」「さあ私も少しおかしいとは思いましたがいかにも先生が沈着であるし、その上あのとおりの西洋通でいらっしゃるし、ことにその時は洋行なすったものと信じ切っていたものですから、私も口を添えてトチメンボーだトチメンボーだとボイに教えてやりました」「ボイはどうしました」「ボイがね、今考えるとじつに滑《こつ》稽《けい》なんですがね、しばらく思案いたしましてね、はなはだお気の毒様ですが今《こん》日《にち》はトチメンボーはおあいにく様でメンチボーならお二《ふた》人《り》前《まえ》すぐにできますと言うと、先生は非常に残念な様子で、それじゃせっかくここまで来たかいがない。どうかトチメンボーを都合して食わせてもらうわけにはゆくまいかと、ボイに二十銭銀貨をやられると、ボイはそれではともかくも料理番と相談して参りましょうと奥へ行きましたよ」「たいへんトチメンボーが食いたかったとみえますね」「しばらくしてボイが出て来てまことにおあいにくで、おあつらえならこしらえますが少々時間がかかります、と言うと迷亭先生は落ち付いたもので、どうせ我々は正月でひまなんだから、少し待って食ってゆこうじゃないかと言いながらポッケットから葉巻きを出してぷかりぷかり吹かし始められたので、私もしかたがないから、ふところから日本新聞《*》を出して読みだしました、するとボイはまた奥へ相談に行きましたよ」「いやに手数がかかりますな」と主人は戦争の通信を読むくらいの意気込みで席をすすめる《*》。「するとボイがまた出て来て、近ごろはトチメンボーの材料が払《ふつ》底《てい》で亀《かめ》屋《や*》へ行っても横《よこ》浜《はま》の十五番《*》へ行っても買われませんから当分のあいだはおあいにく様でと気の毒そうに言うと、先生はそりゃ困ったな、せっかく来たのになあと私の方を御覧になってしきりに繰り返さるるので、私も黙っているわけにもまいりませんから、どうも遺《い》憾《かん》ですな、遺憾きわまるですなと調子を合わせたのです」「ごもっともで」と主人が賛成する。何がごもっともだか吾輩にはわからん。「するとボイも気の毒だとみえて、そのうち材料が参りましたら、どうか願いますってんでしょう。先生が材料は何を使うかねと問われるとボイはへへへへと笑って返事をしないんです。材料は日本派の俳人だろうと先生が押し返して聞くとボイはへえさようで、それだものだから近ごろは横浜へ行っても買われませんので、まことにお気の毒様と言いましたよ」「アハハハそれが落ちなんですか、こりゃおもしろい」と主人はいつになく大きな声で笑う。ひざが揺れて吾輩は落ちかかる。主人はそれにも頓着なく笑う。アンドレア・デル・サルトにかかったのは自分一人でないということを知ったので急に愉快になったものとみえる。「それから二人で表へ出ると、どうだ君うまくいったろう、橡《とち》面《めん》坊《ぼう*》を種に使ったところがおもしろかろうと大得意なんです。敬服の至りですと言ってお別れしたようなもののじつは昼飯の時刻が延びていたのでたいへん空腹になって弱りましたよ」「それは御迷惑でしたろう」と主人ははじめて同情を表する。これには吾輩も異存はない。しばらく話がとぎれて吾輩の咽《の》喉《ど》を鳴らす音が主客の耳に入る。
東風君は冷たくなった茶をぐっと飲み干して「じつはきょう参りましたのは、少々先生にお願いがあって参ったので」と改まる。「はあ、何か御用で」と主人も負けずにすます。「御承知のとおり、文学美術が好きなものですから……」「結構で」と油をさす。「同志だけがよりましてせんだってから朗読会というのを組織しまして、毎《まい》月《げつ》一回会合してこの方面の研究をこれから続けたいつもりで、すでに第一回は去年の暮れに開いたくらいであります」「ちょっと伺っておきますが、朗読会というと何か節《ふ》奏《し》でもつけて、詩《しい》歌《か》文章の類を読むように聞こえますが、いったいどんなふうにやるんです」「まあ初めは古《こ》人《じん》の作から始めて、おいおいは同人の創作なんかもやるつもりです」「古人の作というと白《はく》楽《らん》天《てん》の琵《び》琶《わ》行《こう》のようなものででもあるんですか」「いいえ」「蕪《ぶ》村《そん》の春《しゆん》風《ぷう》馬《ば》堤《てい》曲《きよく》の種類ですか」「いいえ」「それじゃ、どんなものをやったんです」「せんだっては近《ちか》松《まつ》の心《しん》中《じゆう》物《もの》をやりました」「近松? あの浄《じよう》瑠《る》璃《り》の近松ですか」近松に二人はない。近松といえば戯曲家の近松にきまっている。それを聞き直す主人はよほど愚だと思っていると、主人はなんにもわからずに吾輩の頭を丁寧になでている。やぶにらみからほれられたと自認している人間もある世の中だからこのくらいの誤《ご》謬《びゆう》はけっして驚くに足らんとなでらるるがままにすましていた。「ええ」と答えて東風子は主人の顔色をうかがう。「それじゃ一人で朗読するのですか、または役割をきめてやるんですか」「役をきめて掛け合いでやってみました。その主意はなるべく作中の人物に同情を持ってその性格を発揮するのを第一として、それに手まねや身ぶりを添えます。せりふはなるべくその時代の人を写し出すのが主《しゆ》で、お嬢さんでも丁稚《でつち》でも、その人物が出て来たようにやるんです」「じゃ、まあ芝居みたようなものじゃありませんか」「ええ衣装と書《かき》割《わり》がないくらいなものですな」「失礼ながらうまくゆきますか」「まあ第一回としては成功したほうだと思います」「それでこの前やったとおっしゃる心中物というと」「その、船頭がお客を乗せて芳《よし》原《わら》へ行くとこなんで」「たいへんな幕をやりましたな」と教師だけにちょっと首を傾ける。鼻から吹き出した日の出の煙が耳をかすめて顔の横手へ回る。「なあに、そんなにたいへんなこともないんです、登場の人物はお客と、船頭と、花魁《おいらん》と仲《なか》居《い》とやり手と見《けん》番《ばん》だけですから」と東風子は平気なものである。主人は花魁という名を聞いてちょっと苦い顔をしたが、仲居、やり手、見番という術語について明瞭の知識がなかったとみえてまず質問を呈出した。「仲居というのは娼《しよう》家《か》の下《か》婢《ひ》にあたるものですかな」「まだよく研究はしてみませんが仲居は茶屋の下女で、やり手というのが女《おんな》部《べ》屋《や》の助役みたようなものだろうと思います」東風子はさっき、その人物が出てくるように声《こわ》色《いろ》を使うと言ったくせにやり手や仲居の性格をよく解しておらんらしい。「なるほど仲居は茶屋に隷《れい》属《ぞく》する者で、やり手は娼家に起《き》臥《が》する者ですね。次に見番というのは人間ですかまたは一定の場所をさすのですか、もし人間とすれば男ですか女ですか」「見番はなんでも男の人間だと思います」「何を司《つかさ》どっているんですかな」「さあそこまではまだ調べが届いておりません。そのうち調べてみましょう」これで掛け合いをやったひにはとんちんかんなものができるだろうと吾輩は主人の顔をちょっと見上げた。主人は存外まじめである。「それで朗読家は君のほかにどんな人が加わったんですか」「いろいろおりました。花魁が法学士のK君でしたが、口《くち》髯《ひげ》をはやして、女の甘ったるいせりふを使うのですからちょっと妙でした。それにその花魁が癪《しやく》を起こすところがあるので……」「朗読でも癪を起こさなくっちゃ、いけないんですか」と主人は心配そうに尋ねる。「ええとにかく表情がだいじですから」と東風子はどこまでも文芸家の気でいる。「うまく癪が起こりましたか」と主人は警句を吐く。「癪だけは第一回には、ちと無理でした」と東風子も警句を吐く。「ところで君はなんの役割でした」と主人が聞く。「私は船頭」「へー、君が船頭」君にして船頭が務まるものならぼくにも見番ぐらいはやれるといったような語気をもらす。やがて「船頭は無理でしたか」とお世辞のないところを打ち明ける。東風子はべつだんしゃくにさわった様子もない。やはり沈着な口《く》調《ちよう》で「その船頭でせっかくの催しも竜《りゆう》頭《とう》蛇《だ》尾《び》に終わりました。じつは会場の隣りに女学生が四、五人下宿していましてね、それがどうして聞いたものか、その日は朗読会があるということを、どこかで探知して会場の窓下へ来て傍聴していたものとみえます。私が船頭の声色を使って、ようやく調子づいてこれなら大丈夫と思って得意にやっていると、……つまり身ぶりがあまり過ぎたのでしょう、今までこらえていた女学生が一度にわっと笑いだしたものですから、驚いたことも驚いたし、きまりが悪いことも悪いし、それで腰を折られてから、どうしてもあとが続けられないので、とうとうそれぎりで散会しました」第一回としては成功だと称する朗読会がこれでは、失敗はどんなものだろうと想像すると笑わずにはいられない。覚えず咽《の》喉《ど》仏《ぼとけ》がごろごろ鳴る。主人はいよいよ柔らかに頭をなでてくれる。人を笑ってかあいがられるのはありがたいが、いささか不気味なところもある。「それはとんだことで」と主人は正月早々弔《ちよう》詞《じ》を述べている。「第二回からは、もっと奮発して盛大にやるつもりなので、きょう出ましたのも全くそのためで、じつは先生にも一つ御入会の上御尽力を仰ぎたいので」「ぼくにはとても癪なんか起こせませんよ」と消極的の主人はすぐに断わりかける。「いえ、癪などは起こしていただかんでもよろしいので、ここに賛助員の名簿が」と言いながら紫のふろしきからだいじそうに小菊版の帳面を出す。「これへどうか御署名の上御《ご》捺《なつ》印《いん》を願いたいので」と帳面を主人のひざの前へ開いたまま置く。見ると現今知名な文学博士《はかせ》、文学士連《れん》中《じゆう》の名が行儀よく勢ぞろいをしている。「はあ賛成員にならんこともありませんが、どんな義務があるのですか」と牡《か》蠣《き》先生は懸《け》念《ねん》のていにみえる。「義務と申してべつだんぜひ願うこともないくらいで、ただお名前だけを御記入くださって賛成の意さえお表《ひよう》しくださればそれで結構です」「そんならはいります」と義務のかからぬことを知るや否や主人は急に気軽になる。責任さえないということがわかっていれば謀《む》叛《ほん》の連判状へでも名を書き入れますという顔つきをする。のみならずこう知名の学者が名前をつらねている中に姓名だけでも入籍させるのは、今までこんなことに出会ったことのない主人にとっては無上の光栄であるから返事の勢いはあるのも無理はない。「ちょっと失敬」と主人は書斎へ印《いん》をとりにはいる。吾輩はぼたりと畳の上へ落ちる。東風子は菓《か》子《し》皿《ざら》の中のカステラをつまんで一口に頬《ほお》張《ば》る。モゴモゴしばらくは苦しそうである。吾輩はけさの雑《ぞう》煮《に》事件をちょいと思い出す。主人が書斎から印《いん》形《ぎよう》を持って出て来た時は、東風子の胃の中にカステラが落ち付いた時であった。主人は菓子皿のカステラが一切れ足りなくなったことには気がつかぬらしい。もし気がつくとすれば、第一に疑われる者は吾輩であろう。
東風子が帰ってから、主人が書斎に入って机の上を見ると、いつのまにか迷亭先生の手紙が来ている。
「新年の御《ぎよ》慶《けい》めでたく申し納め候《そろ》。……」
いつになく出がまじめだと主人が思う。迷亭先生の手紙にまじめなのはほとんどないので、このあいだなどは「その後べつに恋着せる婦人もこれなく、いずかたより艶《えん》書《しよ》も参らず、まずまず無事に消光まかりあり候《そろ》間《あいだ》、はばかりながら御休心くださるべく候《そろ》」というのが来たくらいである。それにくらべるとこの年始状は例外にも世間的である。
「ちょっと参堂つかまつりたく候《そうら》えども、大兄の消極主義に反して、できうる限り積極的方針をもって、この千古未《み》曾《ぞ》有《う》の新年を迎うる計画ゆえ、毎日毎日目の回るほどの多忙、御推察願い上げ候《そろ》……」
なるほどあの男のことだから正月は遊び回るのに忙《いそが》しいに違いないと、主人は腹の中で迷亭君に同意する。
「昨日は一刻のひまをぬすみ、東風子にトチメンボーのごちそうをいたさんと存じ候《そろ》ところ、あいにく材料払底のためその意を果たさず、遺《い》憾《かん》千《せん》万《ばん》に存じ候《そろ》。……」
そろそろ例のとおりになって来たと主人は無言で微笑する。
「明日は某男爵の歌《カ》留《ル》多《タ》会《かい》、明後日は審美学協会の新年宴会、その明日は鳥《とり》部《べ》教授歓迎会、そのまた明日は……」
うるさいなと、主人は読みとばす。
「右のごとく謡曲会、俳句会、短歌会、新体詩会等、会の連発にて当分のあいだは、のべつ幕無しに出勤いたし候《そろ》ため、やむをえず賀状をもって拝《はい》趨《すう》の礼にかえ候《そろ》段《だん》あしからず御《ご》宥《ゆう》恕《じよ》くだされたく候《そろ》。……」
べつだん来るにも及ばんさと、主人は手紙に返事をする。
「今度御光来の節は久しぶりにて晩《ばん》餐《さん》でも供《きよう》したき心得に御《ご》座《ざ》候《そろ》、寒《かん》厨《ちゆう》なんの珍味もこれなく候《そうら》えども、せめてはトチメンボーでもとただ今より心がけおり候《そろ》……」
まだトチメンボーを振り回している。失敬なと主人はちょっとむっとする。
「しかしトチメンボーは近ごろ材料払底のため、ことによると間に合いかね候《そろ》も計りがたきにつき、その節は孔《く》雀《じやく》の舌でも御風味に入れ申すべく候《そろ》。……」
両《りよう》天《てん》秤《びん》をかけたなと主人は、あとが読みたくなる。
「御承知のとおり孔雀一羽につき、舌《した》肉《にく》の分量は小指のなかばにも足らぬほどゆえ健《けん》啖《たん》なる大兄の胃袋をみたすためには……」
うそをつけと主人はうちやったように言う。
「ぜひとも二、三十羽の孔雀を捕獲いたさざるべからずと存じ候《そろ》。しかるところ孔雀は動物園、浅《あさ》草《くさ》花《はな》屋《や》敷《しき*》等には、ちらほら見受け候《そうら》えども、普通の鳥屋などにはいっこう見当たり申さず、苦心このことに御《ご》座《ざ》候《そろ》。……」
ひとりでかってに苦心しているのじゃないかと主人はごうも感謝の意を表しない。
「この孔雀の舌の料理は往昔ローマ全盛のみぎり、一時非常に流行いたし候《そろ》ものにて、豪《ごう》奢《しや》風流の極度と平《へい》生《ぜい》よりひそかに食指を動かしおり候《そろ》次第御《ご》諒《りよう》察《さつ》くださるべく候《そろ》……」
何が御諒察だ、ばかなと主人はすこぶる冷淡である。
「くだって十六、七世紀のころまでは全欧を通じて孔雀は宴席に欠くべからざる好味と相成りおり候《そろ》。レスター伯がエリザベス女《じよ》皇《こう》をケニルウォースに招《しよう》待《だい》いたし候《そろ》節《*》もたしか孔雀を使用いたし候《そろ》よう記憶いたし候《そろ》。有名なるレンブラント《*》が描き候《そろ》饗《きようえん》宴の図にも孔雀が尾を広げたるまま卓上に横たわりおり候《そろ》……」
孔雀の料理史を書くくらいなら、そんなに多忙でもなさそうだと不平をこぼす。
「とにかく近ごろのごとくごちそうの食べ続けにては、さすがの小生も遠からぬうちに大兄のごとく胃弱と相成るは必《ひつ》定《じよう》……」
大兄のごとくはよけいだ。何もぼくを胃弱の標準にしなくてもすむと主人はつぶやいた。
「歴史家の説によればローマ人は日に二度三度も宴会を開き候《そろ》よし。日に二度三度も方《ほう》丈《じよう》の食《しよく》饌《せん》につき候《そうら》えばいかなる健胃の人にても消化機能に不調をかもすべく、したがって自然は大兄のごとく……」
また大兄のごとくか、失敬な。
「しかるにぜいたくと衛生とを両立せしめんと研究を尽くしたる彼らは不相当に多量の滋味をむさぼると同時に胃腸を常態に保持するの必要を認め、ここに一の秘法を案出いたし候《そろ》……」
はてねと主人は急に熱心になる。
「彼らは食後必ず入浴いたし候《そろ》。入浴後一種の方法によりて浴前に嚥《えん》下《か》せるものをことごとく嘔《おう》吐《と》し、胃内を掃《そう》除《じ》いたし候《そろ》。胃内郭《かく》清《せい》の功を奏したるのちまた食卓につき、あくまで珍味を風好し、風好しおわればまた湯に入りてこれを吐出いたし候《そろ》。かくのごとくすれば好《こう》物《ぶつ》はむさぼり次第むさぼり候《そうろう》もごうも内臓の諸機関に障害を生ぜず、一挙両得とはこれらのことを申すべきかと愚考いたし候《そろ》……」
なるほど一挙両得に相違ない。主人はうらやましそうな顔をする。
「二十世紀の今日交通の頻《ひん》繁《ぱん》、宴会の増加は申すまでもなく、軍国多事征《せい》露《ろ》の第二年とも相成り候《そろ》おりから、吾《ご》人《じん》戦勝国の国民は、ぜひともローマ人にならってこの入浴嘔吐の術を研究せざるべからざる機会に到着いたし候《そろ》ことと自信いたし候《そろ》。さもなくばせっかくの大国民も近き将来においてことごとく大兄のごとく胃病患者と相成ることとひそかに心痛まかりあり候《そろ》……」
また大兄のごとくか、しゃくにさわる男だと主人が思う。
「この際吾人西洋の事情に通ずる者が古史伝説を考究し、すでに廃絶せる秘法を発見し、これを明治の社会に応用いたし候《そうら》わばいわゆる禍《わざわい》を未《み》萌《ぼう》に防ぐの功《く》徳《どく》にも相成り平素逸《いつ》楽《らく》をほしいままにいたし候《そろ》御恩返しも相立ち申すべくと存じ候《そろ》……」
なんだか妙だなと首をひねる。
「よってこのあいだ中《じゆう》よりギボン、モンセン《*》、スミス《*》等諸家の著述を渉《しよう》猟《りよう》いたしおり候《そうら》えどもいまだに発見の端《たん》緒《しよ》をも見いだしえざるは残念の至りに存じ候《そろ》。しかし御存じのごとく小生は一度思い立ち候《そろ》ことは成功するまではけっして中絶つかまつらざる性質に候《そうら》えば嘔吐方《ほう》を再興いたし候《そろ》も遠からぬうちと信じおり候《そろ》次第。右は発見次第御報道つかまつるべく候《そろ》につき、さよう御承知くださるべく候《そろ》。ついてはさきに申し上げ候《そろ》トチメンボーおよび孔雀の舌のごちそうも相成るべくは右発見後にいたしたく、さすれば小生の都合はもちろん、すでに胃弱の悩みおらるる大兄のためにも御便宜かと存じ候《そろ》草々不備」
なんだとうとうかつがれたのか、あまり書き方がまじめだものだからついしまいまで本気にして読んでいた。新年草々こんないたずらをやる迷亭はよっぽどひま人《じん》だなあと主人は笑いながら言った。
それから四、五日はべつだんのこともなく過ぎ去った。白《はく》磁《じ》の水《すい》仙《せん》がだんだんしぼんで、青《あお》軸《じく》の梅が瓶《びん》ながらだんだん開きかかるのをながめ暮らしてばかりいてもつまらんと思って、一両度三《み》毛《け》子《こ》を訪問してみたが会われない。最初は留《る》守《す》だと思ったが、二へん目には病気で寝ているということが知れた。障子の中で例のお師匠さんと下女が話をしているのを手水《ちようず》鉢《ばち》の葉《は》蘭《らん》の影に隠れて聞いているとこうであった。
「三毛は御飯を食べるかい」「いいえけさからまだなんにも食べません、あったかにしてお火《こ》燵《た》に寝かしておきました」なんだか猫らしくない。まるで人間の取り扱いを受けている。
一方では自分の境遇と比べてみてうらやましくもあるが、一方ではおのが愛している猫がかくまで厚遇を受けていると思えばうれしくもなる。
「どうも困るね、御飯を食べないと、からだが疲れるばかりだからね」「そうでございますとも、私どもでさえ一日御《ご》膳《ぜん》をいただかないと、明くる日はとても働けませんもの」
下女は自分より猫のほうが上等な動物であるような返事をする。じっさいこの家《うち》では下女より猫のほうが大切かもしれない。
「お医者様へ連れて行ったのかい」「ええ、あのお医者はよっぽど妙でございますよ。私が三毛をだいて診察場へ行くと、風《か》邪《ぜ》でもひいたのかって私の脈をとろうとするんでしょう。いえ病人は私ではございません。これですって三毛をひざの上へ直したら、にやにや笑いながら、猫の病気はわしにもわからん、ほうっておいたら今になおるだろうってんですもの、あんまりひどいじゃございませんか。腹が立ったから、それじゃ見ていただかなくってもようございますこれでもだいじの猫なんですって、三毛をふところへ入れてさっさと帰って参りました」「ほんにねえ」
「ほんにねえ」はとうてい吾輩のうちなどで聞かれる言葉ではない。やはり天《てん》璋《しよう》院《いん》様《さま》のなんとかのなんとかでなくては使えない、はなはだ雅《が》であると感心した。
「なんだかしくしく言うようだが……」「ええきっと風邪をひいて咽《の》喉《ど》が痛むんでございますよ。風邪をひくと、どなたでもお咳《せき》が出ますからね……」
天璋院様のなんとかのなんとかの下女だけにばか丁寧な言葉を使う。
「それに近ごろは肺病とかいうものができてのう」「ほんとにこのごろのように肺病だのペストだのって新しい病気ばかりふえたひにゃ油断もすきもなりゃしませんのでございますよ」「旧幕時代にないものにろくなものはないからお前も気をつけないといかんよ」「そうでございましょうかねえ」
下女は大いに感動している。
「風邪をひくといってもあまり出歩きもしないようだったに……」「いえね、あなた、それが近ごろは悪い友だちができましてね」
下女は国事の秘密でも語る時のように大得意である。
「悪い友だち?」「ええあの表通りの教師の所《とこ》にいる薄ぎたない雄《お》猫《ねこ》でございますよ」「教師というのは、あの毎朝無作法な声を出す人かえ」「ええ顔を洗うたんびに鵝《が》鳥《ちよう》が絞め殺されるような声を出す人でござんす」
鵝鳥が絞め殺されるような声はうまい形容である。吾輩の主人は毎朝風《ふ》呂《ろ》場《ば》でうがいをやる時、楊《よう》枝《じ》で咽喉をつっ突いて妙な声を無遠慮に出す癖がある。きげんの悪い時はやけにがあがあやる、きげんのいい時は元気づいてなおがあがあやる。つまりきげんのいい時も悪い時も休みなく勢いよくがあがあやる。細君の話ではここへ引き越す前まではこんな癖はなかったそうだが、ある時ふとやり出してからきょうまで一日もやめたことがないという。ちょっと厄《やつ》介《かい》な癖であるが、なぜこんなことを根《こん》気《き》よく続けているのか我ら猫などにはとうてい想像もつかん。それもまずよいとして「薄ぎたない猫」とはずいぶん酷評をやるものだとなお耳をたててあとを聞く。
「あんな声を出してなんのまじないになるかしらん。御《ご》維《いつ》新《しん》前《まえ》は中《ちゆう》間《げん》でも草履《ぞうり》取りでも相応の作法は心得たもので、屋敷町などで、あんな顔の洗い方をするものは一人もおらなかったよ」「そうでございましょうともねえ」
下女はむやみに感服しては、むやみにねえを使用する。
「あんな主人を持っている猫だから、どうせのら猫さ、今度来たら少したたいておやり」「たたいてやりますとも、三毛の病気になったのも全くあいつのおかげに相違ございませんもの、きっと讎《かたき》をとってやります」
とんだ冤《えん》罪《ざい》をこうむったものだ。こいつはめったに近寄れないと三毛子にはとうとう会わずに帰った。
帰ってみると主人は書斎の中《うち》で何か沈《ちん》吟《ぎん》のていで筆をとっている。二弦琴のお師匠さんの所《とこ》で聞いた評判を話したら、さぞおこるだろうが、知らぬが仏とやらで、うんうん言いながら神聖な詩人になりすましている。
ところへ当分多忙で行かれないと言って、わざわざ年始状をよこした迷亭君が飄《ひよう》然《ぜん》とやって来る。「何か新体詩でも作っているのかね。おもしろいのができたら見せたまえ」と言う。「うん、ちょっとうまい文章だと思ったから今翻訳してみようと思ってね」と主人は重たそうに口を開く。「文章? だれの文章だい」「だれのかわからんよ」「無名氏か、無名氏の作にもずいぶんいいのがあるからなかなかばかにできない。ぜんたいどこにあったのか」と問う。「第二読本」と主人は落ち付きはらって答える。「第二読本? 第二読本がどうしたんだ」「ぼくの翻訳している名文というのは第二読本の中《うち》にあるということさ」「冗談じゃない。孔《く》雀《じやく》の舌の讎《かたき》をきわどいところで討とうという寸法なんだろう」「ぼくは君のようなほら吹きとは違うさ」と口《くち》髯《ひげ》をひねる。泰然たるものだ。「昔ある人が山《さん》陽《よう》に、先生近ごろ名文はござらぬかと言ったら、山陽が馬《ま》子《ご》の書いた借金の催促状を示して近来の名文はまずこれでしょうと言ったという話があるから、君の審美眼も存外たしかかもしれん。どれ読んでみたまえ、ぼくが批評してやるから」と迷亭先生は審美眼の本家のようなことを言う。主人は禅《ぜん》坊《ぼう》主《ず》が大《だい》燈《とう》国《こく》師《し》の遺《い》誡《かい》を読むような声を出して読み始める。「巨人、引力」「なんだいその巨人引力というのは」「巨人引力という題さ」「妙な題だな、ぼくには意味がわからんね」「引力という名を持っている巨人というつもりさ」「少し無理なつもりだが表題だからまず負けておくとしよう。それから早《そう》々《そう》本文を読むさ、君は声がいいからなかなかおもしろい」「まぜかえしてはいかんよ」とあらかじめ念を押してまた読み始める。
ケートは窓から外をながめる。小《しよう》児《に》が球《たま》を投げて遊んでいる。彼らは高く球を空中になげうつ。球は上へ上へとのぼる。しばらくすると落ちて来る。彼らはまた球を高くなげうつ。再び三たび。なげうつたびに球は落ちて来る。なぜ落ちるのか、なぜ上へ上へとのみのぼらぬかとケートが聞く。「巨人が地中に住むゆえに」と母が答える。「彼は巨人引力である。彼は強い。彼は万《ばん》物《ぶつ》をおのれの方へと引く。彼は屋敷を地上に引く。引かねば飛んでしまう。小児も飛んでしまう。葉が落ちるのを見たろう。あれは巨人引力が呼ぶのである。本を落とすことがあろう。巨人引力が来いというからである。球が空にあがる。巨人引力は呼ぶ。呼ぶと落ちて来る」
「それぎりかい」「むむ、うまいじゃないか」「いやこれは恐れ入った。とんだところでトチメンボーの御返礼に預かった」「御返礼でもなんでもないさ、じっさいうまいから訳してみたのさ、君はそう思わんかね」と金《きん》縁《ぶち》のめがねの奥を見る。「どうも驚いたね。君にしてこの伎《ぎ》倆《りよう》あらんとは、全く今度という今度はかつがれたよ、降参降参」と一人で承知して一人でしゃべる。主人にはいっこう通じない。「なにも君を降参させる考えはないさ。ただおもしろい文章だと思ったから訳してみたばかりさ」「いやじつにおもしろい。そうこなくっちゃ本ものでない。すごいものだ。恐縮だ」「そんなに恐縮するには及ばん。ぼくも近ごろは水彩画をやめたから、そのかわりに文章でもやろうと思ってね」「どうして遠近無差別黒《こく》白《びやく》平《びよう》等《どう》の水彩画の比じゃない。感服の至りだよ」「そうほめてくれるとぼくも乗り気になる」と主人はあくまでもかん違いをしている。
ところへ寒月君が先日は失礼しましたとはいって来る。「いや失敬。今たいへんな名文を拝聴してトチメンボーの亡魂を退治られたところで」と迷亭先生はわけのわからぬことをほのめかす。「はあ、そうですか」とこれもわけのわからぬ挨《あい》拶《さつ》をする。主人だけはさのみ浮かれたけしきもない。「先日は君の紹介で越《お》智《ち》東《とう》風《ふう》という人が来たよ」「ああ上がりましたか、あの越《お》智《ち》東風《こち》という男は至って正直な男ですが少し変わっているところがあるので、あるいは御迷惑かと思いましたが、ぜひ紹介してくれというものですから……」「べつに迷惑のこともないがね……」「こちらへ上がっても自分の姓名のことについて何か弁じてゆきやしませんか」「いいえ、そんな話もなかったようだ」「そうですか、どこへ行っても初対面の人には自分の名前の講釈をするのが癖でしてね」「どんな講釈をするんだい」と事あれかしと待ち構えた迷亭君は口を入れる。「あの東風《こち》というのを音《おん》で読まれるとたいへん気にするので」「はてね」と迷亭先生は金《きん》唐《から》皮《かわ》の煙草入れから煙草をつまみ出す。「私の名は越《お》智《ち》東《とう》風《ふう》ではありません。越智こちですと必ず断わりますよ」「妙だね」と雲《くも》井《い》を腹の底までのみ込む。「それが全く文学熱からきたので、こちと読むと遠近という成語になる、のみならずその姓名が韻《いん》を踏んでいるというのが得意なんです。それだから東風《こち》を音《おん》で読むとぼくがせっかくの苦心を人が買ってくれないといって不平を言うのです」「こりゃなるほど変わってる」と迷亭先生は図に乗って腹の底から雲井を鼻のあなまで吐き返す。途中で煙がとまどいをして咽《の》喉《ど》の出口へ引きかかる。先生は煙管《キセル》を握ってはごほんごほんとむせび返る。「先日来た時は朗読会で船頭になって女学生に笑われたと言っていたよ」と主人は笑いながら言う。「うむそれそれ」と迷亭先生が煙管で膝《ひざ》頭《がしら》をたたく。吾輩はけんのんになったから少しそばを離れる。「その朗読会さ。せんだってトチメンボーをごちそうした時にね。その話が出たよ。なんでも第二回には知名の文士を招《しよう》待《だい》して大会をやるつもりだから、先生にもぜひ御臨席を願いたいって。それからぼくが今度も近松の世《せ》話《わ》物《もの》をやるつもりかいと聞くと、いえこの次はずっと新しいものを選んで金《こん》色《じき》夜《や》叉《しや》にしましたと言うから、君にゃなんの役が当たってるかと聞いたら私はお宮《みや》ですと言ったのさ。東《とう》風《ふう》のお宮はおもしろかろう。ぼくはぜひ出席して喝《かつ》采《さい》しようと思ってるよ」「おもしろいでしょう」と寒月君が妙な笑い方をする。「しかしあの男はどこまでも誠実で軽薄なところがないからいい。迷亭などとは大違いだ」と主人はアンドレア・デル・サルトと孔《く》雀《じやく》の舌とトチメンボーの復讎《かたき》を一度にとる。迷亭君は気にも留めない様子で「どうせぼくなどは行《ぎよう》徳《とく》の俎《まないた*》という格だからなあ」と笑う。「まずそんなところだろう」と主人が言う。じつは行徳の俎という語を主人は解さないのであるが、さすが長年教師をしてごまかしつけているものだから、こんな時には教場の経験を社交上に応用するのである。「行徳の俎というのはなんのことですか」と寒月が真《しん》率《そつ》に聞く。主人は床《とこ》の方を見て「あの水《すい》仙《せん》は暮れにぼくが風《ふ》呂《ろ》の帰りがけに買って来てさしたのだが、よくもつじゃないか」と行徳の俎を無理にねじ伏せる。「暮れといえば、去年の暮れにぼくはじつに不思議な経験をしたよ」と迷亭が煙管を大《だい》神楽《かぐら》のごとく指の先で回す。「どんな経験か、聞かしたまえ」と主人は行徳の俎を遠く後ろに見捨てた気で、ほっと息をつく。迷亭先生の不思議な経験というのを聞くと左《さ》のごとくである。
「たしか暮れの二十七日と記憶しているがね。例の東《とう》風《ふう》から参堂の上ぜひ文芸上の御高話を伺いたいから御在宿を願うという先ぶれがあったので、朝から心待ちに待っていると先生なかなか来ないやね。昼飯を食ってストーブの前でバリー・ペーンの滑《こつ》稽《けい》物《もの》を読んでいるところへ静岡の母から手紙が来たから見ると、年寄りだけにいつまでもぼくを子供のように思ってね。寒中は夜間外出をするなとか、冷水浴もいいがストーブをたいて室《へや》を暖かにしてやらないと風《か》邪《ぜ》をひくとかいろいろの注意があるのさ。なるほど親はありがたいものだ、他人ではとてもこうはいかないと、のんきなぼくもその時だけは大いに感動した。それにつけても、こんなにのらくらしていてはもったいない。何か大著述でもして家名を揚げなくてはならん。母の生きているうちに天下をして明治の文壇に迷亭先生あるを知らしめたいという気になった。それからなお読んでゆくとお前なんぞはじつにしあわせ者だ。ロシアと戦争が始まって若い人たちはいたへんな辛苦をしてみ国のために働いているのに節季師走《しわす》でもお正月のように気楽に遊んでいると書いてある。――ぼくはこれでも母の思ってるように遊んじゃいないやね――そのあとへもってきて、ぼくの小学校時代の朋友で今度の戦争に出て死んだり負傷した者の名前が列挙してあるのさ。その名前を一々読んだ時にはなんだか世の中があじきなくなって人間もつまらないという気が起こったよ。いちばんしまいにね。わたしも取る年に候《そうら》えば初《はつ》春《はる》のお雑煮を祝い候《そうろう》も今度限りかと……なんだか心細いことが書いてあるんで、なおのこと気がくさくさしてしまって早く東風が来ればいいと思ったが、先生どうしても来ない。そのうちとうとう晩飯になったから、母へ返事でも書こうと思ってちょいと十二、三行書いた。母の手紙は六尺以上もあるのだがぼくにはとてもそんな芸はできんから、いつでも十行内外で御免こうむることにきめてあるのさ。すると一日動かずにおったものだから、胃の具合が妙で苦しい。東風が来たら待たせておけという気になって、郵便を入れながら散歩に出かけたと思いたまえ。いつになく富《ふ》士《じ》見《み》町《ちよう》の方へは足が向かないで土《ど》手《て》三《さん》番《ばん》町《ちよう》の方へ我知らず出てしまった。ちょうどその晩は少し曇って、から風がお濠《ほり》の向こうから吹きつける、非常に寒い。神楽《かぐら》坂《ざか》の方から汽車《*》がヒューと鳴って土手下を通り過ぎる。たいへんさみしい感じがする。暮れ、戦死、老衰、無常迅速などというやつが頭の中をぐるぐる駆け回る。よく人が首をくくるというがこんな時にふと誘われて死ぬ気になるのじゃないかと思いだす。ちょいと首を揚げて土手の上を見ると、いつのまにか例の松の真下に来ているのさ」
「例の松た、なんだい」と主人が断《だん》句《く》を投げ入れる。
「首掛けの松さ」と迷亭は領《えり》を縮める。
「首掛けの松は鴻《こう》の台《だい*》でしょう」寒月が波紋をひろげる。
「鴻の台のは鐘掛けの松で、土手三番町のは首掛けの松さ。なぜこういう名がついたかというと、昔からの言い伝えでだれでもこの松の下へ来ると首がくくりたくなる。土手の上に松は何十本となくあるが、そら首くくりだと来て見ると必ずこの松へぶらさがっている。年《ねん》に二、三べんはきっとぶらさがっている。どうしてもほかの松では死ぬ気にならん。見ると、うまい具合に枝が往来の方へ横に出ている。ああいい枝ぶりだ。あのままにしておくのは惜しいものだ。どうかしてあすこの所へ人間を下げてみたい、だれか来ないかしらと、あたりを見渡すとあいにくだれも来ない。しかたがない、自分で下がろうかしらん。いやいや自分が下がっては命がない、あぶないからよそう。しかし昔のギリシア人は宴会の席で首くくりのまねをして余興を添えたという話がある。一人が台の上へ登って縄《なわ》の結び目へ首を入れるとたんにほかの者が台をけ返す。首を入れた当人は台を引かれると同時に縄をゆるめて飛びおりるという趣向である。はたしてそれが事実ならべつだん恐るるにも及ばん、ぼくも一つ試みようと枝へ手を掛けてみるといい具合にしわる。しわりあんばいがじつに美的である。首がかかってふわふわするところを想像してみるとうれしくてたまらん。ぜひやることにしようと思ったが、もし東風が来て待っていると気の毒だと考えだした。それではまず東風に会って約束どおり話をして、それから出直そうという気になってついにうちへ帰ったのさ」
「それで市《いち》が栄えた《*》のかい」と主人が聞く。
「おもしろいですな」と寒月がにやにやしながら言う。
「うちへ帰ってみると東風は来ていない。しかし今《こん》日《にち》はよんどころなきさしつかえがあって出られぬ、いずれ永《えい》日《じつ》御《ご》面《めん》晤《ご》を期すというはがきがあったので、やっと安心して、これなら心おきなく首がくくれる、うれしいと思った。でさっそく下《げ》駄《た》を引っかけて、急ぎ足で元の所へ引き返してみる……」と言って主人と寒月の顔を見てすましている。
「みるとどうしたんだい」と主人は少しじれる。
「いよいよ佳境に入りますね」と寒月は羽織のひもをひねくる。
「見ると、もうだれか来て先へぶらさがっている。たった一足違いでねえ君、残念なことをしたよ。今考えるとなんでもその時は死に神にとりつかれたんだね。ゼームス《*》などに言わせると副意識《*》下の幽《ゆう》冥《めい》界《かい》とぼくが存在している現実界が一種の因《いん》果《が》法《ほう》によって互いに感応したんだろう。じつに不思議なことがあるものじゃないか」迷亭はすまし返っている。
主人はまたやられたと思いながら何も言わずに空《くう》也《や》餠《もち》を頬《ほお》張《ば》って口をもごもご言わしている。
寒月は火《ひ》鉢《ばち》の灰《はい》を,丁寧にかきならして、うつ向いてにやにや笑っていたが、やがて口を開く。きわめて静かな調子である。
「なるほど伺ってみると不思議なことでちょっとありそうにも思われませんが、私などは自分でやはり似たような経験をつい近ごろしたものですから、少しも疑う気になりません」
「おや君も首をくくりたくなったのかい」
「いえ私のは首じゃないんで。これもちょうど明ければ昨年の暮れのことでしかも先生と同日同刻ぐらいに起こった出来事ですからなおさら不思議に思われます」
「こりゃおもしろい」と迷亭も空也餠を頬張る。
「その日は向《むこう》島《じま》の知人の家《うち》で忘年会兼合奏会がありまして、私もそれへヴァイオリンを携えて行きました。十五、六人令嬢やら令夫人が集まってなかなか盛会で、近来の快事と思うくらいに万事が整っていました。晩餐もすみ合奏もすんで四《よ》方《も》の話が出て時刻もだいぶおそくなったから、もう暇《いとま》ごいをして帰ろうかと思っていますと、某《ぼう》博《はか》士《せ》の夫人が私のそばへ来てあなたは○○子さんの御病気を御存知ですかと小声で聞きますので、じつはその両三日前に会った時は平常のとおりどこも悪いようには見受けませんでしたから、私も驚いてくわしく様子を聞いてみますと、私の会ったその晩から急に発熱して、いろいろな譫《うわ》語《こと》を絶え間なく口走るそうで、それだけならいいですがその譫語のうちに私の名が時々出て来るというのです」
主人はむろん、迷亭先生も「お安くないね」などという月並みは言わず、静粛に謹聴している。
「医者を呼んで見てもらうと、なんだか病名はわからんが、なにしろ熱がはげしいので脳を犯しているから、もし睡眠剤が思うように功を奏しないと危険であるという診断だそうで私はそれを聞くや否や一種いやな感じが起こったのです。ちょうど夢でうなされる時のような重くるしい感じで周囲の空気が急に固形体になって四方からわが身をしめつけるごとく思われました。帰り道にもそのことばかりが頭の中にあって苦しくてたまらない。あのきれいな、あの快活なあの健康な○○子さんが……」
「ちょっと失敬だが待ってくれたまえ。さっきから伺っていると○○子さんというのが二へんばかり聞こえるようだが、もしさしつかえがなければ承りたいね、君」と主人を顧みると、主人も「うむ」と生《なま》返《へん》事《じ》をする。
「いやそれだけは当人の迷惑になるかもしれませんからよしましょう」
「すべて曖《あい》々《あい》然《ぜん》として昧《まい》々《まい》然《ぜん》たるかたでゆくつもりかね」
「冷笑なさってはいけません、ごくまじめな話なんですから……とにかくあの婦人が急にそんな病気になったことを考えると、じつに飛花落葉の感慨で胸がいっぱいになって、総《そう》身《しん》の活気が一度にストライキを起こしたように元気がにわかにめいってしまいまして、ただ蹌《そう》々《そう》として踉《ろう》々《ろう》という形で吾《あ》妻《ずま》橋《ばし》へ来かかったのです。欄《らん》干《かん》に倚《よ》って下を見ると満潮か干潮かわかりませんが、黒い水がかたまってただ動いているように見えます。花《はな》川《かわ》戸《ど》の方から人《じん》力《りき》車《しや》が一台駆けてきて橋の上を通りました。その提《ちよう》灯《ちん》の火を見送っていると、だんだん小さくなって札《さつ》幌《ぽろ》ビール《*》の所で消えました。私はまた水を見る。するとはるかの川上の方で私の名を呼ぶ声が聞こえるのです。はてな今時分人に呼ばれるわけはないがだれだろうと水の面《おもて》をすかして見ましたが暗くてなんにもわかりません。気のせいに違いない早《そう》々《そう》帰ろうと思って一足二足歩きだすと、またかすかな声で遠くから私の名を呼ぶのです。私はまた立ちどまって耳を立てて聞きました。三度目に呼ばれた時には欄干につかまっていながら膝《ひざ》頭《がしら》ががくがくふるえ出したのです。その声は遠くの方か、川の底から出るようですが紛れもない○○子の声なんでしょう。私は覚えず『はーい』と返事をしたのです。その返事が大きかったものですから静かな水に響いて、自分で自分の声に驚かされて、はっと周囲を見渡しました。人も犬も月もなんにも見えません。その時に私はこの『夜《よる》』の中に巻き込まれて、あの声の出る所へ行きたいという気がむらむらと起こったのです。○○子の声がまた苦しそうに、訴えるように、救いを求めるように私の耳を刺し通したので、今度は『今すぐに行きます』と答えて欄干から半身を出して黒い水をながめました。どうも私を呼ぶ声が波の下から無理にもれてくるように思われましてね。この水の下だなと思いながら私はとうとう欄干の上に乗りましたよ。今度呼んだら飛び込もうと決心して流れを見つめているとまた哀れな声が糸のように浮いてくる。ここだと思って力を込めていったん飛び上がっておいて、そして小石かなんぞのように未練なく落ちてしまいました」
「とうとう飛び込んだのかい」と主人が目をぱちつかせて問う。
「そこまでゆこうとは思わなかった」と迷亭が自分の鼻の頭をちょいとつまむ。
「飛び込んだあとは気が遠くなって、しばらくは夢中でした。やがて目がさめてみると寒くはあるが、どこもぬれた所《とこ》も何もない、水を飲んだような感じもしない。たしかに飛び込んだはずだがじつに不思議だ。こりゃ変だと気がついてそこいらを見渡すと驚きましたね。水の中へ飛び込んだつもりでいたところが、つい間違って橋のまん中へ飛びおりたので、その時はじつに残念でした。前と後ろの間違いだけであの声の出る所へ行くことができなかったのです」寒月はにやにや笑いながら例のごとく羽織のひもを荷《に》厄《やつ》介《かい》にしている。
「ハハハハこれはおもしろい。ぼくの経験とよく似ているところが奇だ。やはりゼームス教授の材料になるね。人間の感応という題で写生文にしたらきっと文壇を驚かすよ。……そしてその○○子さんの病気はどうなったかね」と迷亭先生が追窮する。
「二、三日《ち》前《まえ》年始に行きましたら、門の内で下女と羽根をついていましたから病気は全快したものとみえます」
主人は最前から沈思のていであったが、この時ようやく口を開いて、「ぼくにもある」と負けぬ気を出す。
「あるって、何があるんだい」迷亭の眼中に主人などはむろんない。
「ぼくのも去年の暮れのことだ」
「みんな去年の暮れは暗合で妙ですな」と寒月が笑う。欠けた前歯のふちに空也餠がついている。
「やはり同日同刻じゃないか」と迷亭がまぜ返す。
「いや日は違うようだ。なんでも二十日《はつか》ごろだよ。細《さい》君《くん》がお歳《せい》暮《ぼ》の代わりに摂《せつ》津《つ》大《だい》掾《じよう*》を聞かしてくれろと言うから、連れて行ってやらんこともないがきょうの語り物はなんだと聞いたら、細君が新聞を参考して鰻《うなぎ》谷《だに*》だと言うのさ。鰻谷はきらいだからきょうはよそうとその日はやめにした。翌日になると細君がまた新聞を持って来てきょうは堀《ほり》川《かわ*》だからいいでしょうと言う。堀川は三《しや》味《み》線《せん》ものでにぎやかなばかりで実《み》がないからよそうと言うと、細君は不平な顔をして引きさがった。その翌日になると細君が言うにはきょうは三十三間《げん》堂《どう*》です、私はぜひ摂津の三十三間堂が聞きたい。あなたは三十三間堂もおきらいかしらないが、私に聞かせるのだからいっしょに行ってくだすってもいいでしょうと手詰めの談判をする。お前がそんなに行きたいなら行ってもよろしい、しかし一世一代というのでたいへんな大入りだからとうてい突っかけに行ったってはいれるきづかいはない。元来ああいう場所へ行くには茶屋というものがあってそれと交渉して相当の席を予約するのが正当の手続きだから、それを踏まないで常規を脱したことをするのはよくない、残念だがきょうはやめようと言うと、細君はすごい目つきをして、私は女ですからそんなむずかしい手続きなんか知りませんが、大《おお》原《はら》のおかあさんも、鈴《すず》木《き》の君《きみ》代《よ》さんも正当の手続きを踏まないで立派に聞いて来たんですから、いくらあなたが教師だからって、そう手数のかかる見物をしないでもすみましょう、あなたはあんまりだと泣くような声を出す。それじゃだめでもまあ行くことにしよう。晩飯を食って電車で行こうと降参をすると、行くなら四時までに向こうへ着くようにしなくっちゃいけません、そんなぐずぐずしてはいられませんと急に勢いがいい。なぜ四時までに行かなくてはだめなんだと聞き返すと、そのくらい早く行って場所をとらなくちゃはいれないからですと鈴木の君代さんから教えられたとおりを述べる。それじゃ四時を過ぎればもうだめなんだねと念を押してみたら、ええだめですともと答える。すると君不思議なことにはその時から急に悪《お》寒《かん》がしだしてね」
「奥さんがですか」と寒月が聞く。
「なに細君はぴんぴんしていらあね。ぼくがさ。なんだか穴のあいた風船玉のように一度に萎《い》縮《しゆく》する感じが起こると思うと、もう目がぐらぐらして動けなくなった」
「急病だね」と迷亭が注釈を加える。
「ああ困ったことになった。細君が年《ねん》に一度の願いだからぜひかなえてやりたい。いつもしかりつけたり、口をきかなかったり、身《しん》上《しよう》の苦労をさせたり、子供の世話をさせたりするばかりで何一つ洒《さい》掃《そう》薪《しん》水《すい》の労にむくいたことはない。きょうは幸い時間もある、嚢《のう》中《ちゆう》には四、五枚の堵《と》物《ぶつ》もある。連れて行けば行かれる。細君も行きたいだろう、ぼくも連れて行ってやりたい。ぜひ連れて行ってやりたいがこう悪寒がして目がくらんでは電車へ乗るどころか、靴《くつ》脱《ぬぎ》へ降りることもできない。ああ気の毒だ気の毒だと思うとなお悪寒がしてなお目がくらんでくる。早く医者に見てもらって服薬でもしたら四時前には全快するだろうと、それから細君と相談をして甘《あま》木《き》医学士を迎いにやるとあいにくゆうべが当番でまだ大学から帰らない。二時ごろにはお帰りになりますから、帰り次第すぐ上げますという返事である。困ったなあ、今杏《きよう》仁《にん》水《すい》でも飲めば四時前にはきっと直るにきまっているんだが、運の悪い時には何事も思うようにゆかんもので、たまさか細君の喜ぶ笑《え》顔《がお》を見て楽しもうという予算も、がらりとはずれそうになってくる。細君は恨めしい顔つきをして、とうていいらっしゃれませんかと聞く。行くよ必ず行くよ。四時までにはきっと直ってみせるから安心しているがいい。早く顔でも洗って着物でも着換えて待っているがいい、と口では言ったようなものの胸中は無限の感慨である。悪寒はますますはげしくなる、目はいよいよぐらぐらする。もしや四時までに全快して約束を履行することができなかったら、気の狭い女のことだから何をするかもしれない。情けない仕儀になってきた。どうしたらよかろう。万一のことを考えると今の内に有《う》為《い》転《てん》変《ぺん》の理、生《しよう》者《じや》必《ひつ》滅《めつ》の道を説き聞かして、もしもの変が起こった時取り乱さないくらいの覚悟をさせるのも、夫の妻に対する義務ではあるまいかと考えだした。ぼくはすみやかに細君を書斎へ呼んだよ。呼んでお前は女だけれどもmany a slip 'twixt the cup and the lip《*》という西洋の諺《ことわざ》ぐらいは心得ているだろうと聞くと、そんな横文字なんかだれが知るもんですか、あなたは人が英語を知らないのを御存じのくせにわざと英語を使って人にからかうのだから、よろしゅうございます、どうせ英語なんかはできないんですから。そんなに英語がお好きなら、なぜ耶《や》蘇《そ》学《がつ》校《こう》の卒業生かなんかをおもらいなさらなかったんです。あなたくらい冷酷な人はありはしないと非常なけんまくなんで、ぼくもせっかくの計画の腰を折られてしまった。君らにも弁解するがぼくの英語はけっして悪意で使ったわけじゃない。全く妻《さい》を愛する至情から出たので、それを妻《さい》のように解釈されてはぼくも立つ瀬がない。それにさっきからの悪寒とめまいで少し脳が乱れていたところへもってきて、早く有為転変、生者必滅の理をのみ込ませようと少しせき込んだものだから、つい細君の英語を知らないということを忘れて、なんの気もつかずに使ってしまったわけさ。考えるとこれはぼくが悪い、全く手落ちであった。この失敗で悪寒はますます強くなる。目はいよいよぐらぐらする。細君は命ぜられたとおり風《ふ》呂《ろ》場《ば》へ行って両《もろ》肌《はだ》を脱いでお化《け》粧《しよう》して、箪《たん》笥《す》から着物を出して着換える。もういつでも出かけられますというふぜいで待ち構えている。ぼくは気が気でない。早く甘木君が来てくれればいいがと思って時計を見るともう三時だ。四時にはもう一時間しかない。『そろそろ出かけましょうか』と細君が書斎の開き戸をあけて顔を出す。自分の妻《さい》をほめるのはおかしいようであるが、ぼくはこの時ほど細君を美しいと思ったことはなかった。両《もろ》肌《はだ》を脱いで石《せつ》鹸《けん》でみがき上げた皮膚がぴかついて黒《くろ》縮《ちり》緬《めん》の羽織と反映している。その顔が石鹸と摂津大掾を聞こうという希望との二つで、有形無形の両方面から輝いて見える。どうしてもその希望を満足させて出かけてやろうという気になる。それじゃ奮発して行こうかな、と一ぷくふかしているとようやく甘木先生が来た。うまい注文どおりにいった。が容《よう》体《だい》を話すと、甘木先生はぼくの舌をながめて、手を握って、胸をたたいて背をなでて、目《ま》縁《ぶち》を引っくり返して、頭《ず》蓋《がい》骨《こつ》をさすって、しばらく考え込んでいる。『どうも少しけんのんのような気がしまして』とぼくが言うと、先生は落ち付いて、『いえ格別のこともございますまい』と言う。『あのちょっとぐらい外出いたしてもさしつかえはございますまいね』と細君が聞く。『さよう』と先生はまた考え込む。『御気分さえお悪くなければ……』『気分は悪いですよ』とぼくが言う。『じゃともかくも頓《とん》服《ぷく》と水《すい》薬《やく》をあげますから』『へえどうか、なんだかちと、あぶないようになりそうですな』『いやけっして御心配になるほどのことじゃございません、神経をお起こしになるといけませんよ』と先生が帰る。三時は三十分過ぎた。下女を薬取りにやる。細君の厳命で駆け出して行って、駆け出して帰ってくる。四時十五分前である。四時にはまだ十五分ある。すると四時十五分前ころから、今までなんともなかったのに、急に吐きけを催してきた。細君は水薬を茶わんへついでぼくの前へ置いてくれたから、茶わんを取り上げて飲もうとすると、胃の中からげーというものが吶《とつ》喊《かん》して出てくる。やむをえず茶わんを下へ置く。細君は『早くお飲みになったらいいでしょう』とせまる。早く飲んで早く出かけなくては義理が悪い。思い切って飲んでしまおうと茶わんをくちびるへつけるとまたゲーが執念深く妨害をする。飲もうとしては茶わんを置き、飲もうとしては茶わんを置いていると茶の間の柱時計がチンチンチンチンと四時を打った。さあ四時だぐずぐずしてはおられんと茶わんをまた取り上げると、不思議だねえ君、じつに不思議とはこのことだろう、四時の音とともに吐きけがすっかり止まって水薬がなんの苦なしに飲めたよ。それから四時十分ころになると、甘木先生の名医ということもはじめて理解することができたんだが、背中がぞくぞくするのも、目がぐらぐらするのも夢のように消えて、当分立つこともできまいと思った病気がたちまち全快したのはうれしかった」
「それから歌《か》舞《ぶ》伎《き》座《ざ》へいっしょに行ったのかい」と迷亭が要領を得んという顔つきをして聞く。
「行きたかったが四時を過ぎちゃ、はいれないという細君の意見なんだからしかたがない、やめにしたさ。もう十五分ばかり早く甘木先生が来てくれたらぼくの義理も立つし、妻《さい》も満足したろうに、わずか十五分の差でね、じつに残念なことをした。考えだすとあぶないところだったと今でも思うのさ」
語り終わった主人はようやく自分の義務をすましたようなふうをする。これで両人に対して顔が立つという気かもしれん。
寒月は例のごとく欠けた歯を出して笑いながら「それは残念でしたな」と言う。
迷亭はとぼけた顔をして「君のような親切な夫を持った細君はじつにしあわせだな」とひとり言のようにいう。障子の陰でエヘンという細君の咳《せき》払《ばら》いが聞こえる。
吾輩はおとなしく三人の話を順番に聞いていたがおかしくも悲しくもなかった。人間というものは時間をつぶすためにしいて口を運動させて、おかしくもないことを笑ったり、おもしろくもないことをうれしがったりするほかに能もない者だと思った。吾輩の主人のわがままで偏狭なことは前から承知していたが、ふだんは言葉数を使わないのでなんだか了解しかねる点があるように思われていた。その了解しかねる点には少し恐ろしいという感じもあったが、今の話を聞いてから急に軽《けい》蔑《べつ》したくなった。彼はなぜ両人の話を沈黙して聞いていられないのだろう。負けぬ気になって愚にもつかぬ駄《だ》弁《べん》を弄《ろう》すればなんの所得があるだろう。エピクテタスにそんなことをしろと書いてあるのかしらん。要するに主人も寒月も迷亭も太《たい》平《へい》の逸《いつ》民《みん》で、彼らはへちまのごとく風に吹かれて超然とすましきっているようなものの、その実はやはり娑《しや》婆《ば》気《け》もあり欲《よく》気《け》もある。競争の念、勝とう勝とうの心は彼らが日常の談笑中にもちらちらとほのめいて、一歩進めば彼らが平常罵《ば》倒《とう》している俗骨どもと一つ穴の動物になるのは猫より見て気の毒の至りである。ただその言語動作が普通の半可通のごとく、紋切り形のいやみを帯びてないのはいささかの取りえでもあろう。
こう考えると急に三人の談話がおもしろくなくなったので、三毛子の様子でも見てきようかと二弦琴のお師匠さんの庭口へ回る。門《かど》松《まつ》注連《しめ》飾《かざ》りはすでに取り払われて正月もはや十日となったが、うららかな春日は一流れの雲も見えぬ深き空より四海天下を一度に照らして、十坪に足らぬ庭の面《おも》も元《がん》日《じつ》の曙《しよ》光《こう》を受けた時よりあざやかな活気を呈している。縁側に座《ざ》布《ぶ》団《とん》が一つあって人影も見えず、障子も立て切ってあるのはお師匠さんは湯にでも行ったのかしらん。お師匠さんは留《る》守《す》でもかまわんが、三毛子は少しはいいほうか、それが気がかりである。ひっそりして人の気《け》合《あい》もしないから、泥《どろ》足《あし》のまま縁側へ上がって座布団のまん中へ寝ころんでみるといい心持ちだ。ついうとうととして、三毛子のことも忘れてうたた寝をしていると、急に障子のうちで人声がする。
「御苦労だった。できたかえ」お師匠さんはやはり留守ではなかったのだ。
「はいおそくなりまして、仏《ぶつ》師《し》屋《や》へ参りましたらちょうどできあがったところだと申しまして」「どれお見せなさい。ああきれいにできた、これで三毛も浮かばれましょう。金《きん》ははげることはあるまいね」「ええ念を押しましたら上等を使ったからこれなら人間の位《い》牌《はい》よりも持つと申しておりました。……それから猫《みよう》誉《よ》信《しん》女《によ》の誉《よ》の字はくずしたほうが恰《かつ》好《こう》がいいから少し画《かく》をかえたと申しました」「どれどれさっそくお仏壇へ上げてお線香でもあげましょう」
三毛子は、どうかしたのかな、なんだか様子が変だと布団の上へ立ち上がる。チーン南《な》無《む》猫《みよう》誉《よ》信《しん》女《によ》、南《な》無《む》阿《あ》弥《み》陀《だ》仏《ぶつ》南無阿弥陀仏とお師匠さんの声がする。
「お前も回《え》向《こう》をしておやりなさい」
チーン南無猫誉信女南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と今度は下女の声がする。吾輩は急に動《どう》悸《き》がしてきた。座布団の上に立ったまま、木彫りの猫のように目も動かさない。
「ほんとに残念なことをいたしましたね。初めはちょいと風《か》邪《ぜ》をひいたんでございましょうがねえ」「甘木さんが薬でもくださると、よかったかもしれないよ」「いったいあの甘木さんが悪うございますよ、あんまり三毛をばかにしすぎまさあね」「そう人様のことを悪く言うものではない。これも寿命だから」
三毛子も甘木先生に診察してもらったものとみえる。
「つまるところ表通りの教師のうちののら猫がむやみに誘い出したからだと、わたしは思うよ」「ええあの畜《ちき》生《しよう》が三毛のかたきでございますよ」
少し弁解したかったが、ここが我慢のしどころと唾《つば》をのんで聞いている。話はしばしとぎれる。
「世の中は自由にならんものでのう。三毛のような器量よしは早死にをするし。不器量なのら猫は達者でいたずらをしているし……」「そのとおりでございますよ。三毛のようなかあいらしい猫は鉦《かね》と太鼓で捜して歩いたって、二《ふた》人《り》とはおりませんからね」
二匹と言う代わりにふたりと言った。下女の考えでは猫と人間とは同種族ものと思っているらしい。そういえばこの下女の顔は我ら猫属とはなはだ類似している。
「できるものなら三毛の代わりに……」「あの教師の所ののらが死ぬとおあつらえどおりにまいったんでございますがねえ」
おあつらえどおりになっては、ちと困る。死ぬということはどんなものか、まだ経験したことがないから好きともきらいとも言えないが、先日あまり寒いので火消し壺《つぼ》の中へもぐり込んでいたら、下女が吾輩がいるのも知らんで上からふたをしたことがあった。その時の苦しさは考えても恐ろしくなるほどであった。白君の説明によるとあの苦しみが今少し続くと死ぬのであるそうだ。三毛子の身代わりになるのなら苦情もないが、あの苦しみを受けなくては死ぬことができないのなら、だれのためでも死にたくはない。
「しかし猫でも坊さんのお経を読んでもらったり、戒《かい》名《みよう》をこしらえてもらったのだから心残りはあるまい」「そうでございますとも、全く果《か》報《ほう》者《もの》でございますよ。ただ欲を言うとあの坊さんのお経があまり軽少だったようでございますね」「少し短か過ぎたようだったから、たいへんお早うございますねとお尋ねをしたら、月《げつ》桂《けい》寺《じ》さんは、ええききめのあるところをちょいとやっておきました、なに猫だからあのくらいで十分浄土へゆかれますとおっしゃったよ」「あらまあ……しかしあののらなんかは……」
吾輩は名前はないとしばしば断わっておくのに、この下女はのらのらと吾輩を呼ぶ。失敬なやつだ。
「罪が深いんですから、いくらありがたいお経だって浮かばれることはございませんよ」
吾輩はその後のらが何百ぺん繰り返されたかを知らぬ。吾輩はこの際限なき談話を中途で聞き捨てて、布団をすべり落ちて縁側から飛びおりた時、八万八千八百八十本の毛髪を一度に立てて身震いをした。その後二弦琴のお師匠さんの近所へは寄りついたことがない。今ごろはお師匠さん自身が月桂寺さんから軽少な御回向を受けているだろう。
近ごろは外出する勇気もない。なんだか世間がものうく感ぜらるる。主人に劣らぬほどの無《ぶ》精《しよう》猫《ねこ》となった。主人が書斎にのみ閉じこもっているのを人が失恋だ失恋だと評するのも無理はないと思うようになった。
鼠《ねずみ》はまだとったことがないので、一時はおさんから放逐論さえ呈出されたこともあったが、主人は吾輩の普通一般の猫でないということを知っているものだから吾輩はやはりのらくらしてこの家《や》に起《き》臥《が》している。この点については深く主人の恩を感謝すると同時にその活眼に対して敬服の意を表するに躊《ちゆう》躇《ちよ》しないつもりである。おさんが吾輩を知らずして虐待をするのはべつに腹も立たない。今に左《ひだり》甚《じん》五《ご》郎《ろう》が出て来て、吾輩の肖像を桜門の柱に刻み、日《に》本《ほん》のスタンラン《*》が好んで吾輩の似顔をカンヴァスの上に描くようになったら、彼ら鈍《どん》瞎《かつ》漢《かん*》ははじめて自己の不明を恥ずるであろう。
三
三《み》毛《け》子《こ》は死ぬ、黒は相手にならず、いささか寂《せき》寞《ばく》の感はあるが、幸い人間に知《ち》己《き》ができたのでさほど退屈とも思わぬ。せんだっては主人のもとへ吾《わが》輩《はい》の写真を送ってくれと手紙で依頼した男がある。このあいだは岡山の名産吉《き》備《び》団《だん》子《ご》をわざわざ吾輩の名あてで届けてくれた人がある。だんだん人間から同情を寄せらるるに従って、おのれが猫であることはようやく忘却してくる。猫よりはいつのまにか人間のほうへ接近して来たような心持ちになって、同族を糾《きゆう》合《ごう》して二本足の先生と雌雄を決しようなどという了見は昨今のところもうとうない。それのみかおりおりは吾輩もまた人間界の一《いち》人《にん》だと思うおりさえあるくらいに進化したのはたのもしい。あえて同族を軽《けい》蔑《べつ》する次第ではない、ただ性情の近きところに向かって一身の安きを置くは勢いのしからしむるところで、これを変心とか、軽薄とか、裏切りとか評せられてはちと迷惑する。かような言語を弄《ろう》して人を罵《ば》詈《り》するものに限って融《ゆう》通《ずう》のきかぬ貧《びん》乏《ぼう》性《しよう》の男が多いようだ。こう猫の習癖を脱化してみると三毛子や黒のことばかり荷《に》厄《やつ》介《かい》にしているわけにはゆかん。やはり人間同等の気《き》位《ぐらい》で彼らの思想、言行を評《ひよう》隲《しつ*》したくなる。これも無理はあるまい。ただそのくらいな見識を有している吾輩もやはり一般猫《びよう》児《じ》の毛のはえたものぐらいに思って、主人が吾輩に一《いち》言《ごん》の挨《あい》拶《さつ》もなく、吉備団子をわが物顔に食い尽くしたのは残念の次第である。写真もまだ撮《と》って送らぬ様子だ。これも不平といえば不平だが、主人は主人、吾輩は吾輩で、相互の見解が自然異なるのはいたし方もあるまい。吾輩はどこまでも人間になりすましているのだから、交際をせぬ猫の動作は、どうしてもちょいと筆に上りにくい。迷《めい》亭《てい》、寒《かん》月《げつ》諸先生の評判だけで御免こうむることにいたそう。
きょうは上天気の日曜なので、主人はのそのそ書斎から出て来て、吾輩のそばへ筆《ふで》硯《すずり》と原稿用紙を並べて腹ばいになって、しきりに何かうなっている。おおかた草稿を書き卸《おろ》す序《じよ》開《びら》きとして妙な声を発するのだろうと注目していると、ややしばらくして筆太に「香《こう》一《いつ》《しゆ*》」と書いた。はてな詩になるか、俳句になるか、香一とは、主人にしては少ししゃれ過ぎているがと思う間《ま》もなく、彼は香一を書き放しにして、新たに行を改めて「さっきから天《てん》然《ねん》居《こ》士《じ*》の事を書こうと考えている」と筆を走らせた。筆はそれだけではたと留まったぎり動かない。主人は筆を持って首をひねったがべつだん名案もないものとみえて筆の穂をなめだした。くちびるがまっ黒になったとみていると、今度はその下へちょいと丸をかいた。丸の中へ点を二つうって目をつける。まん中へ小鼻の開いた鼻をかいて、真一文字に口を横へ引っぱった。これでは文章でも俳句でもない。主人も自分で愛《あい》想《そ》が尽きたとみえて、そこそこに顔を塗り消してしまった。主人はまた行を改める。彼の考えによると行さえ改めれば詩か賛か語か録かなんかになるだろうとただあてもなく考えているらしい。やがて「天然居士は空間を研究し、論語を読み、焼き芋を食い、鼻《は》汁《な》をたらす人である」と言文一致体で一《いつ》気《き》呵《か》成《せい》に書き流した、なんとなくごたごたした文章である。それから主人はこれを遠慮なく朗読して、いつになく「ハハハハおもしろい」と笑ったが「鼻《は》汁《な》をたらすのは、ちと酷《こく》だから消そう」とその句だけへ棒を引く。一本ですむところを二本引き三本引き、きれいな併行線をかく。線がほかの行まではみ出してもかまわず引いている。線が八本並んでもあとの句ができないとみえて、今度は筆を捨てて髭《ひげ》をひねってみる。文章を髭からひねり出して御覧に入れますというけんまくで猛烈にひねってはねじ上げ、ねじおろしているところへ、茶の間から細君が出て来てぴたりと主人の鼻の先へすわる。「あなたちょっと」と呼ぶ。「なんだ」と主人は水中で銅《ど》鑼《ら》をたたくような声を出す。返事が気に入らないとみえて細君はまた「あなたちょっと」と出直す。「なんだよ」と今度は鼻の穴へ親指と人さし指を入れて鼻毛をぐっと抜く。「今月はちっと足りませんが……」「足りんはずはない、医者へも薬礼はすましたし、本屋へも先月払ったじゃないか。今月は余らなければならん」とすまして抜き取った鼻毛を天下の奇観のごとくながめている。「それでもあなたが御飯を召し上がらんでパンをお食べになったり、ジャムをおなめになるものですから」「元来ジャムを幾罐《かん》なめたのかい」「今月は八ついりましたよ」「八つ? そんなになめた覚えはない」「あなたばかりじゃありません、子供もなめます」「いくらなめたって五、六円ぐらいなものだ」と主人は平気な顔で鼻毛を一本一本丁寧に原稿紙の上へ植えつける《*》。肉がついているのでぴんと針を立てたごとくに立つ。主人は思わぬ発見をして感じ入ったていで、ふっと吹いてみる。粘着力が強いのでけっして飛ばない。「いやに頑《がん》固《こ》だな」と主人は一生懸命に吹く。「ジャムばかりじゃないんです、ほかに買わなけりゃ、ならない物もあります」と細君は大いに不平なけしきを両《りよう》頬《ほお》にみなぎらす。「あるかもしれないさ」と主人はまた指を突っ込んでぐいと鼻毛を抜く。赤いのや、黒いのや、種々の色が交じる中に一本まっ白なのがある。大いに驚いた様子で穴のあくほどながめていた主人は指の股《また》へはさんだまま、その鼻毛を細君の顔の前へ出す。「あら、いやだ」と細君は顔をしかめて、主人の手を突きもどす。「ちょっと見ろ、鼻毛の白《しら》髪《が》だ」と主人は大いに感動した様子である。さすがの細君も笑いながら茶の間へはいる、経済問題は断念したらしい。主人はまた天然居士にとりかかる。
鼻毛で細君を追い払った主人は、まずこれで安心といわぬばかりに鼻毛を抜いては原稿を書こうとあせるていであるがなかなか筆は動かない。「焼き芋を食うも蛇《だ》足《そく》だ、割《かつ》愛《あい》しよう」とついにこの句も抹《まつ》殺《さつ》する。「香一もあまりとうとつだからやめろ」と惜しげもなく筆《ひつ》誅《ちゆう》する。余すところは「天然居士は空間を研究し論語を読む人である」という一句になってしまった。主人はこれではなんだか簡単すぎるようだなと考えていたが、ええめんどうくさい、文章はお廃《はい》しにして、銘だけにしろと、筆を十文字に揮《ふる》って原稿紙の上へ下《へ》手《た》な文人画の蘭《らん》を勢いよくかく。せっかくの苦心も一字残らず落第となった。それから裏を返して「空間に生まれ、空間を究め、空間に死す。空《くう》たり間《かん》たり天然居士噫《ああ》」と意味不明な語を連ねているところへ例のごとく迷亭がはいって来る。迷亭は人の家《うち》も自分の家《うち》も同じものと心得ているのか案内も乞《こ》わず、ずかずか上がって来る。のみならず時には勝手口から飄《ひよう》然《ぜん》と舞い込むこともある。心配、遠慮、気がね、苦労、を生まれる時どこかへ振り落とした男である。
「また巨人引力かね」と立ったまま主人に聞く。「そう、いつでも巨人引力ばかり書いてはおらんさ。天然居士の墓銘を撰《せん》しているところなんだ」と大げさなことを言う。「天然居士というなあやはり偶然童子のような戒名かね」と迷亭は相変わらずでたらめを言う。「偶然童子というのもあるのかい」「なにありゃしないがまずその見《けん》当《とう》だろうと思っていらあね」「偶然童子というのはぼくの知ったものじゃないようだが天然居士というのは、君の知ってる男だぜ」「いったいだれが天然居士なんて名をつけてすましているんだい」「例の曾《そ》呂《ろ》崎《さき》のことだ。卒業して大学院へはいって空間論という題目で研究していたが、あまり勉強し過ぎて腹膜炎で死んでしまった。曾呂崎はあれでもぼくの親友なんだからな」「親友でもいいさ、けっして悪いとは言やしない。しかしその曾呂崎を天然居士に変化させたのはいったいだれの所《しよ》作《さ》だい」「ぼくさ、ぼくがつけてやったんだ。元来坊主のつける戒名ほど俗なものはないからな」と天然居士はよほど雅《が》な名のように自慢する。迷亭は笑いながら「まあその墓碑銘というやつを見せたまえ」と原稿を取り上げて「なんだ……空間に生まれ、空間を究め、空間に死す。空たり間たり天然居士噫」と大きな声で読み上げる。「なるほどこりゃあいい、天然居士相当のところだ」主人はうれしそうに「いいだろう」と言う。「この墓銘をたくあん石へ彫りつけて本堂の裏手へ力《ちから》石《いし》のようにほうり出しておくんだね。雅でいいや、天然居士も浮かばれるわけだ」「ぼくもそうしようと思っているのさ」と主人はしごくまじめに答えたが「ぼくあちょっと失敬するよ、じき帰るから猫にでもからかっていてくれたまえ」と迷亭の返事も待たず風《ふう》然《ぜん》と出てゆく。
はからずも迷亭先生の接待係りを命ぜられて無《ぶ》愛《あい》想《そ》な顔もしていられないから、ニャーニャーと愛《あい》嬌《きよう》を振りまいてひざの上へはい上がってみた。すると迷亭は「イヨーだいぶ肥《ふと》ったな、どれ」と無作法にも吾輩の襟《えり》髪《がみ》をつかんで宙へつるす。「あと足をこうぶらさげては、鼠はとれそうもない、……どうです奥さんこの猫は鼠をとりますかね」と吾輩ばかりでは不足だとみえて、隣りの室《へや》の細君に話しかける。「鼠どころじゃございません。お雑《ぞう》煮《に》を食べて踊りをおどるんですもの」と細君はとんだところで旧悪をあばく。吾輩は宙乗りをしながらも少々きまりが悪かった。迷亭はまだ吾輩をおろしてくれない。「なるほど踊りでもおどりそうな顔だ。奥さんこの猫は油断のならない相《そう》好《ごう》ですぜ。昔の草《くさ》双《ぞう》紙《し》にある猫《ねこ》又《また》に似ていますよ」とかってなことを言いながら、しきりに細君に話しかける。細君は迷惑そうに針仕事の手をやめて座敷へ出て来る。
「どうもお退屈様、もう帰りましょう」と茶をつぎかえて迷亭の前へ出す。「どこへ行ったんですかね」「どこへ参るにも断わって行ったことのない男ですからわかりかねますが、おおかたお医者へでも行ったんでしょう」「甘木さんですか、甘木さんもあんな病人につらまっちゃ災難ですな」「へえ」と細君は挨拶のしようもないとみえて簡単な答えをする。迷亭はいっこう頓《とん》着《じやく》しない。「近ごろはどうです、少しは胃のかげんがいいんですか」「いいか悪いかとんとわかりません、いくら甘木さんにかかったって、あんなにジャムばかりなめては胃病の直るわけがないと思います」と細君は先刻の不平を暗《あん》に迷亭にもらす。「そんなにジャムをなめるんですかまるで子供のようですね」「ジャムばかりじゃないんで、このごろは胃病の薬だとかいって大根《だいこ》おろしをむやみになめますので……」「驚いたな」と迷亭は感嘆する。「なんでも大根《だいこ》おろしの中にはジヤスターゼがあるとかいう話を新聞で読んでからです」「なるほどそれでジャムの損害を償おうという趣向ですな。なかなか考えていらあハハハハ」と迷亭は細君の訴えを聞いて大いに愉快なけしきである。「このあいだなどは赤ん坊にまでなめさせまして……」「ジャムをですか」「いいえ大根《だいこ》おろしを……あなた。坊やおとう様がうまいものをやるからおいでって、――たまに子供をかあいがってくれるかと思うとそんなばかなことばかりをするんです。二、三日《ち》前《まえ》には中の娘を抱いて箪《たん》笥《す》の上へあげましてね……」「どういう趣向がありました」と迷亭は何を聞いても趣向ずくめに解釈する。「なに趣向も何もありゃしません、ただその上から飛びおりてみろと言うんですわ、三つや四つの女の子ですもの、そんなおてんばなことができるはずがないです」「なるほどこりゃ趣向がなさすぎましたね。しかしあれで腹の中は毒のない善人ですよ」「あの上腹の中に毒があっちゃ、辛《しん》抱《ぼう》はできませんわ」と細君は大いに気炎を揚げる。「まあそんなに不平を言わんでもいいでさあ。こうやって不足なくその日その日が暮らしてゆかれれば上《じよ》の分《ぶん》ですよ。苦《く》沙《しや》弥《み》君《くん》などは道楽はせず、服装にもかまわず、地《じ》味《み》に所《しよ》帯《たい》向《む》きにできあがった人でさあ」と迷亭は柄《がら》にない説教を陽気な調子でやっている。「ところがあなた大違いで……」「何か内《ない》々《ない》でやりますかね。油断のならない世の中だからね」と飄《ひよう》然《ぜん》とふわふわした返事をする。「ほかの道楽はないですが、むやみに読みもしない本ばかり買いましてね。それもいいかげんに見計らって買ってくれるといいんですけれど、かってに丸《まる》善《ぜん》へ行っちゃ何冊でも取って来て、月末になると知らん顔をしているんですもの、去年の暮れなんか、月々のがたまってたいへん困りました」「なあに書物なんか取って来るだけ取って来てかまわんですよ。払いを取りに来たら今にやる今にやると言っていりゃ帰ってしまいまさあ」「それでも、そういつまでもひっぱるわけにもまいりませんから」と細君は憮《ぶ》然《ぜん》としている。「それじゃ、わけを話して書《しよ》籍《じやく》費《ひ》を削減させるさ」「どうして、そんなことを言ったって、なかなか聞くものですか、このあいだなどはきさまは学者の妻《さい》にも似合わん、ごうも書《しよ》籍《じやく》の価値を解しておらん、昔ローマにこういう話がある。後学のために聞いておけと言うんです」「そりゃおもしろい、どんな話ですか」迷亭は乗り気になる。細君に同情を表しているというよりむしろ好奇心に駆られている。「なんでも昔ローマに樽《たる》金《きん》とかいう王様があって……」「樽金? 樽金はちと妙ですぜ」「私は唐《とう》人《じん》の名なんかむずかしくて覚えられませんわ。なんでも七代目なんだそうです」「なるほど七代目樽金は妙ですな。ふんその七代目樽金がどうかしましたかい」「あら、あなたまでひやかしては立つ瀬がありませんわ。知っていらっしゃるなら教えてくださればいいじゃありませんか、人の悪い」と、細君は迷亭へ食ってかかる。「なにひやかすなんて、そんな人の悪いことをするぼくじゃない。ただ七代目樽金はふるってると思ってね……ええお待ちなさいよローマの七代目の王様ですね、こうっとたしかには覚えていないがタークィン・ゼ・プラウドのことでしょう。まあだれでもいい、その王様がどうしました」「その王様の所へ一人の女《*》が本を九冊持って来て買ってくれないかと言ったんだそうです」「なるほど」「王様がいくらなら売るといって聞いたらたいへん高いことを言うんですって、あまり高いものだから少し負けないかと言うとその女がいきなり九冊の内の三冊を火にくべて焼いてしまったそうです」「惜しいことをしましたな」「その本の内には予言か何かほかで見られないことが書いてあるんですって」「へえー」「王様は九冊が六冊になったから少しは価《ね》も減ったろうと思って六冊でいくらだと聞くと、やはり元のとおり一《いち》文《もん》も引かないそうです、それは乱暴だと言うと、その女はまた三冊をとって火にくべたそうです。王様はまだ未練があったとみえて、余った三冊をいくらで売ると聞くと、やはり九冊分のねだんをくれと言うそうです。九冊が六冊になり、六冊が三冊になっても代価は、元のとおり一厘も引かない、それを引かせようとすると、残ってる三冊も火にくべるかもしれないので、王様はとうとう高いお金を出して焼け余りの三冊《*》を買ったんですって……どうだこの話で少しは書物のありがたみがわかったろう、どうだとりきむのですけれど、私にゃ何がありがたいんだか、まあわかりませんね」と細君は一家の見識を立てて迷亭の返答を促す。さすがの迷亭も少々窮したとみえて、袂《たもと》からハンケチを出して吾輩をじゃらしていたが「しかし奥さん」と急に何か考えついたように大きな声を出す。「あんなに本を買ってやたらに詰め込むものだから人から少しは学者だとかなんとか言われるんですよ。このあいだある文学雑誌を見たら苦沙弥君の評が出ていましたよ」「ほんとに?」と細君は向き直る。主人の評判が気になるのはやはり夫婦と見える。「なんと書いてあったんです」「なあに二、三行ばかりですがね。苦沙弥君の文は行雲流水のごとしとありましたよ」細君は少しにこにこして「それぎりですか」「その次にね――出《い》ずるかと思えばたちまち消え、逝《ゆ》いては長《とこしな》えに帰るを忘るとありましたよ」細君は妙な顔をして「ほめたんでしょうか」と心もとない調子である。「まあほめたほうでしょうな」と迷亭はすましてハンケチを吾輩の目の前にぶらさげる。「書物は商売道具でしかたもござんすまいが、よっぽど偏《へん》窟《くつ》でしてねえ」迷亭はまた別途の方面から来たなと思って「偏窟は少々偏窟ですね、学問をする者はどうせあんなですよ」と調子を合わせるような弁護をするような不即不離の妙答をする。「せんだってなどは学校から帰ってすぐわきへ出るのに着物を着換えるのがめんどうだものですから、あなた外《がい》套《とう》も脱がないで、机へ腰を掛けて御飯を食べるのです。お膳《ぜん》を火《こ》燵《たつ》櫓《やぐら》の上へ乗せまして――私はお櫃《はち》をかかえてすわって見ておりましたがおかしくって……」「なんだかハイカラの首実検のようですな。しかしそんなところが苦沙弥君の苦沙弥君たるところで――とにかく月並みでない」とせつないほめ方をする。「月並みか月並みでないか女にはわかりませんが、なんぼなんでも、あまり乱暴ですわ」「しかし月並みよりいいですよ」とむやみに加勢すると細君は不満な様子で「いったい、月並み月並みと皆さんが、よくおっしゃいますが、どんなのが月並みなんです」と聞き直って月並みの定義を質問する。「月並みですか、月並みというと――さようちと説明しにくいのですが……」「そんなあいまいなものなら月並みだってよさそうなものじゃありませんか」と細君は女《によ》人《にん》一流の論理法で詰め寄せる。「あいまいじゃありませんよ、ちゃんとわかっています、ただ説明しにくいだけのことでさあ」「なんでも自分のきらいなことを月並みと言うんでしょう」と細君は我知らずうがったことを言う。迷亭もこうなるとなんとか月並みの処置をつけなければならぬ仕儀となる。「奥さん、月並みというのはね、まず年は二八か二九からぬ言わず語らず物思いのあいだに寝ころんでいて、この日や天気晴朗とくると必ず一瓢を携えて墨堤に遊ぶ連《れん》中《じゆう》を言うんです」「そんな連中があるでしょうか」と細君はわからんものだからいいかげんな挨《あい》拶《さつ》をする。「なんだかごたごたして私にはわかりませんわ」とついに我《が》を折る。「それじゃ馬《ば》琴《きん》の胴へメジョー・ペンデニス《*》の首をつけて一、二年欧州の空気で包んでおくんですね」「そうすると月並みができるでしょうか」迷亭は返事をしないで笑っている。「なにそんなに手数のかかることをしないでもできます。中学校の生徒に白《しろ》木《き》屋《や》の番頭を加えて二で割ると立派な月並みができあがります」「そうでしょうか」と細君は首をひねったまま納《まつ》得《とく》しかねたというふぜいにみえる。
「君まだいるのか」と主人はいつのまにやら帰って来て迷亭のそばへすわる。「まだいるのかはちと酷《こく》だな、すぐ帰るから待っていたまえと言ったじゃないか」「万事あれなんですもの」と細君は迷亭を顧みる。「今君の留《る》守《す》中に君の逸《いつ》話《わ》を残らず聞いてしまったぜ」「女はとかく多弁でいかん、人間もこの猫くらい沈黙を守るといいがな」と主人は吾輩の頭をなでてくれる。「君は赤ん坊に大《だい》根《こ》おろしをなめさせたそうだな」「ふむ」と主人は笑ったが「赤ん坊でも近ごろの赤ん坊はなかなか利口だぜ。それ以来、坊や辛《から》いのはどこと聞くときっと舌を出すから妙だ」「まるで犬に芸を仕込む気でいるから残酷だ。時に寒月はもう来そうなものだな」「寒月が来るのかい」と主人は不審な顔をする。「来るんだ。午後一時までに苦沙弥の家《うち》へ来いとはがきを出しておいたから」「人の都合も聞かんでかってなことをする男だ。寒月を呼んで何をするんだい」「なあにきょうのはこっちの趣向じゃない寒月先生自身の要求さ。先生なんでも理学協会で演説をするとかいうのでね。そのけいこをやるからぼくに聞いてくれと言うから、そりゃちょうどいい苦沙弥にも聞かしてやろうというのでね。そこで君の家《うち》へ呼ぶことにしておいたのさ――なあに君はひま人《じん》だからちょうどいいやね――さしつかえなんぞある男じゃない、聞くがいいさ」と迷亭はひとりでのみこんでいる。「物理学の演説なんかぼくにゃわからん」と主人は少々迷亭の専断を憤ったもののごとくに言う。「ところがその問題がマグネつけられたノッズル《*》についてなどという乾燥無味なものじゃないんだ。首《ヽ》く《ヽ》く《ヽ》り《ヽ》の《ヽ》力《ヽ》学《ヽ*》という脱俗超凡な演題なのだから傾聴する価値があるさ」「君は首をくくりそくなった男だから傾聴するがいいがぼくなんざあ……」「歌《か》舞《ぶ》伎《き》座《ざ》で悪《お》寒《かん》がするくらいの人間だから聞かれないという結論は出そうもないぜ」と例のごとく軽口をたたく。細君はホホと笑って主人を顧みながら次の間へ退く。主人は無言のまま吾輩の頭をなでる。この時のみは非常に丁寧ななで方であった。
それから約七分くらいすると注文どおり寒月君が来る。きょうは晩に演説をするというので例になく立派なフロックを着て、せんたくしたてのカラーをそびやかして、男ぶりを二《に》割《わり》方《かた》上げて、「少しおくれまして」と落ち付きはらって、挨拶をする。「さっきから二人で大待ちに待ったところなんだ。さっそく願おう、なあ君」と主人を見る。主人もやむをえず「うむ」と生《なま》返《へん》事《じ》をする。寒月君はいそがない。「コップへ水を一杯頂戴しましょう」と言う。「いよー本式にやるのか次には拍《はく》手《しゆ》の請求とおいでなさるだろう」と迷亭はひとりで騒ぎ立てる。寒月君は内隠しから草稿を取り出しておもむろに「けいこですから、御遠慮なく御批評を願います」と前置きをしていよいよ演説のおさらいを始める。
「罪人を絞《こう》罪《ざい》の刑に処するということはおもにアングロサクソン民族間に行なわれた方法でありまして、それより古代にさかのぼって考えますと首くくりはおもに自殺の方法として行なわれたものであります。ユダヤ人中にあっては罪人を石をなげつけて殺す習慣であったそうでございます。旧約全書を研究してみますといわゆるハンギングなる語は罪人の死体をつるして野獣または肉食鳥の餌《え》食《じき》とする意義と認められます。ヘロドタスの説に従ってみますとユダヤ人はエジプトを去る以前から夜《や》中《ちゆう》死《し》骸《がい》をさらされることをいたく忌《い》みきらったように思われます。エジプト人は罪人の首を切って胴だけを十字架に釘《くぎ》づけにして夜《や》中《ちゆう》さらし物にしたそうでございます。ペルシア人は……」「寒月君首くくりと縁がだんだん遠くなるようだが大丈夫かい」と迷亭が口を入れる。「これから本論にはいるところですから、少々御辛抱を願います。……さてペルシア人はどうかと申しますとこれもやはり処刑には磔《はりつけ》を用いたようでございます。ただし生きているうちに張り付けにいたしたものか、死んでから釘を打ったものかそのへんはちとわかりかねます……」「そんなことはわからんでもいいさ」と主人は退屈そうにあくびをする。「まだいろいろお話しいたしたいこともございますが、御迷惑であらっしゃいましょうから……」「あらっしゃいましょうより、いらっしゃいましょうのほうが聞きいいよ、ねえ苦沙弥君」とまた迷亭がとがめだてをすると主人は「どっちでも同じことだ」と気のない返事をする。「さていよいよ本題に入りまして弁じます」「弁じますなんか講釈師の言いぐさだ。演説家はもっと上品な言葉を使ってもらいたいね」と迷亭先生またまぜ返す。「弁じますが下品ならなんと言ったらいいでしょう」と寒月君は少々むっとした調子で問いかける。「迷亭のは聞いているのか、まぜ返しているのか判然しない。寒月君そんな弥《や》次《じ》馬《うま》にかまわず、さっさとやるがいい」と主人はなるべく早く難関を切り抜けようとする。「むっとして弁じましたる柳かな《*》、かね」と迷亭は相変わらず瓢然たることを言う。寒月は思わず吹き出す。「真に処刑として絞殺を用いましたのは、私の調べました結果によりますると、オディセーの二十二巻目に出ております。すなわちかのテレマカス《*》がペネロピーの十二人の侍女を絞殺するというくだりでございます。ギリシア語で本文を朗読してもよろしゅうございますが、ちとてらうような気味にもなりますからやめにいたします。四百六十五行から、四百七十三行を御覧になるとわかります」「ギリシア語うんぬんはよしたほうがいい、さもギリシア語ができますと言わぬばかりだ、ねえ苦沙弥君」「それはぼくも賛成だ、そんな物ほしそうなことは言わんほうがおくゆかしくていい」と主人はいつになくただちに迷亭に加担する。両人はごうもギリシア語が読めないのである。「それではこの両三句は今晩抜くことにいたしまして次を弁じ――ええ申し上げます。
この絞殺を今から想像してみますと、これを執行するに二つの方法があります。第一は、かのテレマカスがユーミアスおよびフィリーシャス《*》のたすけをかりて縄《なわ》の一端を柱へくくりつけます。そしてその縄のところどころへ結び目を穴にあけてこの穴へ女の頭を一つずつ入れておいて、片方の端《はじ》をぐいと引っぱってつるし上げたものとみるのです」「つまり西洋せんたく屋のシャツのように女がぶらさがったとみればいいんだろう」「そのとおりで、それから第二は縄の一端を前のごとく柱へくくりつけて他の一端も初めから天井へ高くつるのです。そしてその高い縄から何本か別の縄を下げて、それに結び目の輪になったのを付けて女の首を入れておいて、いざという時に女の足台を取りはずすという趣向なのです」「たとえて言うと縄のれんの先へ提《ちよう》灯《ちん》玉《だま》をつるしたようなけしきと思えば間違いはあるまい」「提灯玉という玉は見たことがないからなんとも申されませんが、もしあるとすればそのへんのところかと思います。――それでこれから力学的に第一の場合はとうてい成立すべきものでないということを証拠立てて御覧に入れます」
「おもしろいな」と迷亭が言うと「うんおもしろい」と主人も一致する。
「まず女が同距離につられると仮定します。またいちばん地面に近い二人の女の首と首をつないでいる縄はホリゾンタル《*》と仮定します。そこで……を縄が地平線と形づくる角度とし、……を縄の各部が受ける力とみなし、=Xは縄の最も低い部分の受ける力とします。Wはもちろん女の体量と御承知ください。どうですおわかりになりましたか」
迷亭と主人は顔を見合わせて「たいていわかった」と言う。ただしこのたいていという度合は両人がかってに作ったのだから他人の場合には応用ができないかもしれない。「さて多角形に関する御存じの平均性理論によりますと、下《した》のごとく十二の方程式が立ちます。 cos = cos ……(1) cos = cos ……(2)……」「方程式はそのくらいでたくさんだろう」と主人は乱暴なことを言う。「じつはこの式が演説の首脳なんですが」と寒月君ははなはだ残り惜しげにみえる。「それじゃ首脳だけはおって伺うことにしようじゃないか」と迷亭も少々恐縮のていに見受けられる。「この式を略してしまうとせっかくの力学的研究がまるでだめになるのですが……」「なにそんな遠慮はいらんから、ずんずん略すさ」と主人は平気で言う。「それでは仰せに従って、無理ですが略しましょう」「それがよかろう」と迷亭が妙なところで手をぱちぱちとたたく。
「それから英国へ移って論じますと、ベオウルフ《*》の中に絞《こう》首《しゆ》架《か》すなわちガルガと申す字が見えますから絞罪の刑はこの時代から行なわれたものに違いないと思われます。ブラクストーン《*》の説によるともし絞罪に処せられる罪人が、万一縄の具合で死に切れぬ時は再び同様の刑罰を受くべきものだとしてありますが、妙なことにはピヤース・プローマン《*》の中にはたとい兇漢でも二度絞《し》める法はないという句があるのです。まあどっちがほんとうか知りませんが、悪くすると一度で死ねないことが往々実例にあるので。一七八六年に有名なフィツ・ゼラルドという悪漢を絞めたことがありました。ところが妙なはずみで一度目には台から飛びおりる時に縄が切れてしまったのです。またやり直すと今度は縄が長すぎて足が地面へ着いたのでやはり死ねなかったのです。とうとう三べん目に見物人が手伝って往《おう》生《じよう》さしたという話です」「やれやれ」と迷亭はこんなところへくると急に元気が出る。「ほんとうに死にぞこないだな」と主人まで浮かれ出す。「まだおもしろいことがあります首をくくると背《せい》が一《いつ》寸《すん》ばかり延びるそうです。これはたしかに医者が計ってみたのだから間違いはありません」「それは新くふうだね、どうだい苦沙弥などはちと釣ってもらっちゃあ、一寸延びたら人間並みになるかもしれないぜ」と迷亭が主人の方を向くと、主人は案外まじめで「寒月君、一寸くらい背《せい》が延びて生き返ることがあるだろうか」と聞く。「それはだめにきまっています。つられて脊《せき》髄《ずい》が延びるからなんで、早く言うと背《せい》が延びるというよりこわれるんですからね」「それじゃ、まあやめよう」と主人は断念する。
演説の続きは、まだなかなか長くあって寒月君は首くくりの生理作用にまで論及するはずでいたが、迷亭がむやみに風来坊のような珍語をはさむのと、主人が時々遠慮なくあくびをするので、ついに中途でやめて帰ってしまった。その晩は寒月君がいかなる態度で、いかなる雄弁をふるったか遠方で起こった出来事のことだから吾輩には知れようわけがない。
二、三日《ち》はこともなく過ぎたが、ある日の午後二時ごろまた迷亭先生は例のごとく空《くう》々《くう》として偶然童子のごとく舞い込んで来た。座に着くと、いきなり「君、越《お》智《ち》東《とう》風《ふう》の高《たか》輪《なわ》事件を聞いたかい」と旅《りよ》順《じゆん》陥《かん》落《らく》の号外を知らせに来たほどの勢いを示す。「知らん、近ごろは会わんから」と主人はいつものとおり陰気である。「きょうはその東《とう》風《ふう》子《し》の失策物語を御報道に及ぼうと思って忙しいところをわざわざ来たんだよ」「またそんなぎょうさんなことを言う、君はぜんたい不《ふ》埒《らち》な男だ」「ハハハハハ不埒といわんよりむしろ無《む》埒《らち》のほうだろう。それだけはちょっと区別しておいてもらわんと名誉に関係するからな」「おんなしことだ」と主人はうそぶいている。純然たる天然居士の再来だ。「この前の日曜に東風子が高輪泉《せん》岳《がく》寺《じ》へ行ったんだそうだ。この寒いのによせばいいのに――第一今どき泉岳寺などへ参るのはさも東京を知らない、田舎《いなか》者《もの》のようじゃないか」「それは東風のかってさ。君がそれを留める権利はない」「なるほど権利はまさにない。権利はどうでもいいが、あの寺《じ》内《ない》に義士遺物保存会という見せ物があるだろう。君知ってるか」「うんにゃ」「知らない? だって泉岳寺へ行ったことはあるだろう」「いいや」「ない? こりゃ驚いた。道理でたいへん東風を弁護すると思った。江《え》戸《ど》っ子《こ》が泉岳寺を知らないのは情けない」「知らなくても教師は勤まるからな」と主人はいよいよ天然居士になる。「そりゃいいが、その展覧場へ東風がはいって見物していると、そこへドイツ人が夫婦連れで来たんだって。それが最初は日本語で東風に何か質問したそうだ。ところが先生例のとおりドイツ語が使ってみたくてたまらん男だろう。そら二口三口べらべらやってみたとさ。すると存外うまくできたんだ――あとで考えるとそれが災いのもとさね」「それからどうした」と主人はついにつり込まれる。「ドイツ人が大《おお》鷹《たか》源《げん》吾《ご》の蒔《まき》絵《え》の印《いん》籠《ろう》を見て、これを買いたいが売ってくれるだろうかと聞くんだそうだ。その時の東風の返事がおもしろいじゃないか、日《につ》本《ぽん》人《じん》は清《せい》廉《れん》の君《くん》子《し》ばかりだからとうていだめだと言ったんだとさ。そのへんはだいぶ景気がよかったが、それからドイツ人のほうではかっこうな通弁を得たつもりでしきりに聞くそうだ」「何を?」「それがさ、なんだかわかるくらいなら心配はないんだが、早口でむやみに問いかけるものだから少しも要領を得ないのさ。たまにわかるかと思うと鳶《とび》口《ぐち》や掛け矢のことを聞かれる。西洋の鳶口や掛け矢は先生なんと翻訳していいのか習ったことがないんだから弱らあね」「もっともだ」と主人は教師の身の上にひきくらべて同情を表する。「ところへひま人《じん》が物珍しそうにぽつぽつ集まって来る。しまいには東風とドイツ人を四方から取り巻いて見物する。東風は顔を赤くしてへどもどする。初めの勢いに引きかえて先生大弱りのていさ」「結局どうなったんだい」「しまいに東風が我慢できなくなったとみえてさいならと日本語で言ってぐんぐん帰ってきたそうだ、さいならは少し変だ君の国ではさよならをさいならと言うかって聞いてみたらなにやっぱりさよならですが相手が西洋人だから調和を計るために、さいならにしたんだって、東風子は苦しい時でも調和を忘れない男だと感心した」「さいならはいいが西洋人はどうした」「西洋人はあっけにとられて茫《ぼう》然《ぜん》と見ていたそうだハハハハおもしろいじゃないか」「べつだんおもしろいこともないようだ、それをわざわざ知らせに来る君のほうがよっぽどおもしろいぜ」と主人は巻《まき》煙草《タバコ》の灰を火《ひ》桶《おけ》の中へはたき落とす。おりから格《こう》子《し》戸《ど》のベルが飛び上がるほど鳴って「御免なさい」と鋭い女の声がする。迷亭と主人は思わず顔を見合わせて沈黙する。
主人のうちへ女客は稀《け》有《う》だなと見ていると、かの鋭い声の所有主は縮《ちり》緬《めん》の二枚重ねを畳へすりつけながらはいって来る。年は四十の上を少し越したくらいだろう。抜け上がった生《は》えぎわから前髪が堤防工事のように高くそびえて、少なくとも顔の長さの二分の一だけ天に向かってせり出している。目が切り通しの坂《*》ぐらいな勾《こう》配《ばい》で、直線につるし上げられて左右に対立する。直線とは鯨《くじら》より細いという形容である。鼻だけはむやみに大きい。人の鼻を盗んで来て顔のまん中へすえつけたようにみえる。三坪ほどの小庭へ招《しよう》魂《こん》社《しや*》の石《いし》燈《どう》籠《ろう》を移した時のごとく、ひとりで幅をきかしているが、なんとなく落ち付かない。その鼻はいわゆる鉤《かぎ》鼻《ばな》で、ひとたびはせいいっぱい高くなってみたが、これではあんまりだと中途から謙《けん》遜《そん》して、先の方へゆくと、初めの勢いに似ずたれかかって、下にあるくちびるをのぞき込んでいる。かく著しい鼻だから、この女が物を言うときは口が物を言うといわんより、鼻が口をきいているとしか思われない。吾輩はこの偉大なる鼻に敬意を表するため、以来はこの女を称して鼻《はな》子《こ》鼻子と呼ぶつもりである。鼻子はまず初対面の挨《あい》拶《さつ》を終わって「どうも結構なお住まいですこと」と座敷じゅうをにらめ回す。主人は「うそをつけ」と腹の中で言ったまま、ぷかぷか煙草をふかす。迷亭は天《てん》井《じよう》を見ながら「君、ありゃ雨《あま》漏《も》りか、板の木《もく》目《め》か、妙な模様が出ているぜ」と暗《あん》に主人を促す。「むろん雨の漏りさ」と主人が答えると「結構だなあ」と迷亭がすまして言う。鼻子は社交を知らぬ人たちだと腹の中で憤る。しばらくは三人鼎《てい》座《ざ》のまま無言である。
「ちと伺いたいことがあって、参ったんですが」と鼻子は再び話の口をきる。「はあ」と主人がきわめて冷淡に受ける。これではならぬと鼻子は「じつは私はつい御近所で――あの向こう横丁の角《かど》屋《や》敷《しき》なんですが」「あの大きな西洋館の倉のあるうちですか、道理であすこには金《かね》田《だ》という標札が出ていますな」と主人はようやく金田の西洋館と、金田の倉を認識したようだが金田夫人に対する尊敬の度合は前と同様である。「じつは宿《やど》が出まして、お話を伺うんですが会社のほうがたいへん忙しいもんですから」と今度は少しきいたろうという目つきをする。主人はいっこう動じない。鼻子のさっきからの言葉づかいが初対面の女としてはあまりぞんざい過ぎるのですでに不平なのである。「会社でも一つじゃないんです、二つも三つも兼ねているんです。それにどの会社でも重役なんで――たぶん御存知でしょうが」これでも恐れ入らぬかという顔つきをする。元来ここの主人は博士とか大学教授とかいうと非常に恐縮する男であるが、妙なことには実業家に対する尊敬の度はきわめて低い。実業家よりも中学校の先生のほうがえらいと信じている。よし信じておらんでも、融通のきかぬ性質として、とうてい実業家、金満家の恩顧をこうむることはおぼつかないとあきらめている。いくら先方が勢力家でも、財産家でも、自分が世話になる見込みのないと思いきった人の利害にはきわめて無《む》頓《とん》着《じやく》である。それだから学者社会を除いて他の方面のことにはきわめてうかつで、ことに実業界などでは、どこに、だれが何をしているかいっこう知らん。知っても尊敬畏《い》服《ふく》の念はごうも起こらんのである。鼻子のほうでは天《あめ》が下の一《いち》隅《ぐう》にこんな変人がやはり日光に照らされて生活していようとは夢にも知らない。今まで世の中の人間にもだいぶ接してみたが、金田の妻《さい》ですと名乗って、急に取り扱いの変わらない場合はない、どこの会へ出ても、どんな身分の高い人の前でも立派に金田夫人で通してゆかれる、いわんやこんなくすぶり返った老書生においてをやで、わたしの家《うち》は向こう横丁の角屋敷ですとさえ言えば職業などは聞かぬ先から驚くだろうと予期していたのである。
「金田って人を君知ってるか」と主人は無《む》造《ぞう》作《さ》に迷亭に聞く。「知ってるとも、金田さんはぼくの伯《お》父《じ》の友だちだ。このあいだなんざ園遊会へおいでになった」と迷亭はまじめな返事をする。「へえ、君の伯父さんてえなだれだい」「牧《まき》山《やま》男《だん》爵《しやく》さ」と迷亭はいよいよまじめである。主人が何か言おうとして言わぬ先に、鼻子は急に向き直って迷亭の方を見る。迷亭は大《おお》島《しま》紬《つむぎ》に古《こ》渡《わたり》更《さら》紗《さ》か何か重ねてすましている。「おや、あなたが牧山様の――なんでいらっしゃいますか、ちっとも存じませんで、はなはだ失礼をいたしました。牧山様には始終お世話になると、宿《やど》で毎々おうわさをいたしております」と急に丁寧な言葉づかいをして、おまけにおじぎまでする、迷亭は「へええなに、ハハハハ」と笑っている。主人はあっけにとられて無言で二人を見ている。「たしか娘の縁《えん》辺《べん》のことにつきましてもいろいろ牧山様へ御心配を願いましたそうで……」「へえー、そうですか」とこればかりは迷亭にもちととうとつ過ぎたとみえてちょっとたまげたような声を出す。「じつは方々からくれくれと申し込みはございますが、こちらの身分もあるものでございますから、めったな所《とこ》へもかたづけられませんので……」「ごもっともで」と迷亭はようやく安心する。「それについて、あなたに伺おうと思って上がったんですがね」と鼻子は主人の方を見て急にぞんざいな言葉に返る。「あなたの所へ水《みず》島《しま》寒《かん》月《げつ》という男がたびたび上がるそうですが、あの人はぜんたいどんなふうな人でしょう」「寒月のことを聞いて、なんにするんです」と主人はにがにがしく言う。「やはり御令嬢の御婚儀上の関係で、寒月君の性行の一《いつ》斑《ぱん》を御承知になりたいというわけでしょう」と迷亭が気転をきかす。「それが伺えればたいへん都合がよろしいのでございますが……」「それじゃ、御令嬢を寒月におやりになりたいとおっしゃるんで」「やりたいなんてえんじゃないんです」と鼻子は急に主人を参らせる。「ほかにもだんだん口があるんですから、無理にもらっていただかないだって困りゃしません」「それじゃ寒月のことなんか聞かんでもいいでしょう」と主人もやっきとなる。「しかしお隠しなさるわけもないでしょう」と鼻子も少々けんか腰になる。迷亭は双方のあいだにすわって、銀《ぎん》煙管《ギセル》を軍《ぐん》配《ばい》団扇《うちわ》のように持って、心のうちで八《はつ》卦《け》よいやよいやとどなっている。「じゃあ寒月のほうでぜひもらいたいとでも言ったのですか」と主人が正面から鉄をくらわせる。「もらいたいと言ったんじゃないんですけれども……」「もらいたいだろうと思っていらっしゃるんですか」と主人はこの婦人鉄砲に限るとさとったらしい。「話はそんなに運んでるんじゃありませんが――寒月さんだってまんざらうれしくないこともないでしょう」と土俵ぎわで持ち直す。「寒月が何かその御令嬢に恋着したというようなことでもありますか」あるなら言ってみろというけんまくで主人はそり返る。「まあ、そんな見当でしょうね」今度は主人の鉄砲が少しも功を奏しない。今までおもしろげに行《ぎよう》司《じ》気取りで見物していた迷亭も鼻子の一《いち》言《ごん》に好奇心を挑《ちよう》撥《はつ》されたものとみえて、煙管を置いて前へ乗り出す。「寒月がお嬢さんにつけ文《ぶみ》でもしたんですか、こりゃ愉快だ、新年になって逸話がまた一つふえて話の好材料になる」と一人で喜んでいる。「つけ文じゃないんです、もっとはげしいんでさあ、お二人とも御承知じゃありませんか」と鼻子はおつにからまってくる。「君知ってるか」と主人は狐《きつね》つきのような顔をして迷亭に聞く。迷亭もばかげた調子で「ぼくは知らん、知っていりゃ君だ」とつまらんところで謙遜する。「いえお両人《ふたり》とも御存じのことですよ」と鼻子だけ大得意である。「へえー」とお両人《ふたり》は一度に感じ入る。「お忘れになったらわたしからお話をしましょう。去年の暮れ向《むこう》島《じま》の阿《あ》部《べ》さんのお屋敷で演奏会があって寒月さんも出かけたじゃありませんか、その晩帰りに吾《あ》妻《ずま》橋《ばし》でなんかあったでしょう――詳しいことは言いますまい、当人の御迷惑になるかもしれませんから――あれだけの証拠がありゃ十分だと思いますが、どんなものでしょう」とダイヤ入りの指輪のはまった指を、ひざの上へ並べて、つんと居ずまいを直す。偉大なる鼻がますます異彩を放って、迷亭も主人も有れども無きがごときありさまである。
主人はむろん、さすがの迷亭もこの不意撃ちには肝《きも》を抜かれたものとみえて、しばらくは呆《ぼう》然《ぜん》として瘧《おこり》のおちた病人のようにすわっていたが、驚《きよう》愕《がく》の箍《たが》がゆるんでだんだん持ち前の本態に復するとともに、滑《こつ》稽《けい》という感じが一度に吶《とつ》喊《かん》してくる。両人《ふたり》は申し合わせたごとく「ハハハハハ」と笑いくずれる。鼻子ばかりは少しあてがはずれて、この際笑うのははなはだ失礼だと両人《ふたり》をにらみつける。「あれがお嬢さんですか、なるほどこりゃいい、おっしゃるとおりだ、ねえ苦《く》沙《しや》弥《み》君、全く寒月はお嬢さんを恋《おも》ってるに相違ないね……もう隠したってしようがないから白状しようじゃないか」「ウフン」と主人は言ったままである。「ほんとうにお隠しなさってもいけませんよ、ちゃんと種は上がってるんですからね」と鼻子はまた得意になる。「こうなりゃしかたがない。なんでも寒月君に関する事実はご参考のために陳述するさ、おい苦沙弥君君が主人だのに、そう、にやにや笑っていてはらちがあかんじゃないか、じつに秘密というものは恐ろしいものだねえ。いくら隠しても、どこからか露見するからな。――しかし不思議といえば不思議ですねえ、金田の奥さん、どうしてこの秘密を御探知になったんです。じつに驚きますな」と迷亭は一人でしゃべる。「わたしのほうだって、ぬかりはありませんやね」と鼻子はしたり顔をする。「あんまり、ぬかりがなさすぎるようですぜ。いったいだれにお聞きになったんです」「じきこの裏にいる車屋のかみさんからです」「あの黒猫のいる車屋ですか」と主人は目を丸くする。「ええ、寒月さんのことじゃ、よっぽど使いましたよ。寒月さんが、ここへ来るたびに、どんな話をするかと思って車屋のかみさんを頼んで一々知らせてもらうんです」「そりゃひどい」と主人は大きな声を出す。「なあに、あなたが何をなさろうとおっしゃろうと、それにかまってるんじゃないんです。寒月さんのことだけですよ」「寒月のことだって、だれのことだって――ぜんたいあの車屋のかみさんは気にくわんやつだ」と主人は一人おこり出す。「しかしあなたの垣《かき》根《ね》の外へ来て立っているのは向こうのかってじゃありませんか、話が聞こえて悪けりゃもっと小さい声でなさるか、もっと大きなうちへおはいんなさるがいいでしょう」と鼻子は少しも赤面した様子がない。「車屋ばかりじゃありません。新《しん》道《みち》の二《に》弦《げん》琴《きん》の師匠からもだいぶいろいろなことを聞いています」「寒月のことをですか」「寒月さんばかりのことじゃありません」と少しすごいことを言う。主人は恐れ入るかと思うと「あの師匠はいやに上品ぶって自分だけ人間らしい顔をしている、ばかやろうです」「はばかりさま、女ですよ。野《や》郎《ろう》はお門《かど》違いです」と鼻子の言葉づかいはますますお里をあらわしてくる。これではまるでけんかをしに来たようなものであるが、そこへゆくと迷亭はやはり迷亭でこの談判をおもしろそうに聞いている。鉄《てつ》枴《かい》仙《せん》人《にん*》が軍鶏《しやも》のけ合いを見るような顔をして平気で聞いている。
悪《あつ》口《こう》の交換ではとうてい鼻子の敵でないと自覚した主人は、しばらく沈黙を守るのやむをえざるに至らしめられていたが、ようやく思いついたか「あなたは寒月のほうからお嬢さんに恋着したようにばかりおっしゃるが、わたしの聞いたんじゃ、少し違いますぜ、ねえ迷亭君」と迷亭の救いを求める。「うん、あの時の話じゃお嬢さんのほうが、初め病気になって――なんだか譫《うわ》語《こと》を言ったように聞いたね」「なにそんなことはありません」と金田夫人は判然たる直線流の言葉づかいをする。「それでも寒月はたしかに○○博士の婦人から聞いたと言っていましたぜ」「それがこっちの手なんでさあ、○○博士の奥さんを頼んで寒月さんの気を引いてみたんでさあ」「○○の奥さんは、それを承知で引き受けたんですか」「ええ。引き受けてもらうたって、ただじゃできませんやね、それやこれやでいろいろ物を使っているんですから」「ぜひ寒月君のことを根掘り葉掘りお聞きにならなくっちゃお帰りにならないという決心ですかね」と迷亭も少し気持ちを悪くしたとみえて、いつになく手ざわりのあらい言葉を使う。「いいや君、話したって損のゆくことじゃなし、話そうじゃないか苦沙弥君――奥さん、わたしでも苦沙弥でも寒月君に関する事実でさしつかえのないことは、みんな話しますからね、――そう、順を立ててだんだん聞いてくださると都合がいいですね」
鼻子はようやく納得してそろそろ質問を呈出する。一時荒立てた言葉づかいも迷亭に対してはまたもとのごとく丁寧になる、「寒月さんも理学士だそうですが、ぜんたいどんなことを専門にしているのでございます」「大学院では地球の磁気の研究をやっています」と主人がまじめに答える。不幸にしてその意味が鼻子にはわからんものだから「へえー」とは言ったがけげんな顔をしている。「それを勉強すると博士になれましょうか」と聞く。「博《はか》士《せ》にならなければやれないとおっしゃるんですか」と主人は不愉快そうに尋ねる。「ええ。ただの学士じゃね、いくらでもありますからね」と鼻子は平気で答える。主人は迷亭を見ていよいよいやな顔をする。「博士になるかならんかはぼくらも保証することができんから、ほかのことを聞いていただくことにしよう」と迷亭もあまりいいきげんではない。「近ごろでもその地球の――何かを勉強しているんでございましょうか」「二、三日《ち》前《まえ》は首くくりの力学という研究の結果を理学協会で演説しました」と主人はなんの気もつかずに言う。「おおいやだ、首くくりだなんて、よっぽど変人ですねえ。そんな首くくりや何かやってたんじゃ、とても博士にはなれますまいね」「本人が首をくくっちゃあむずかしいですが、首くくりの力学からなれないとも限らんです」「そうでしょうか」と今度は主人の方を見て顔色をうかがう。悲しいことに力学という意味がわからんので落ち付きかねている。しかしこれしきのことを尋ねては金田夫人の面《めん》目《もく》に関すると思ってか、ただ相手の顔色で八《はつ》卦《け》を立ててみる。主人の顔は渋い。「そのほかになにか、わかりやすいものを勉強しておりますまいか」「そうですな、せんだってどんぐりのスタビリチー《*》を論じてあわせて天体の運行に及ぶという論文を書いたことがあります」「どんぐりなんぞでも大学校で勉強するものでしょうか」「さあぼくも素人《しろうと》だからよくわからんが、なにしろ、寒月君がやるくらいなんだから、研究する価値があるとみえますな」と迷亭はすましてひやかす。鼻子は学問上の質問は手に合わんと断念したものとみえて、今度は話題を転ずる。「お話は違いますが――このお正月に椎《しい》茸《たけ》を食べて前歯を二枚折ったそうじゃございませんか」「ええその欠けた所に空《くう》也《や》餠《もち》がくっついていましてね」と迷亭はこの質問こそわが縄《なわ》張《ば》り内《うち》だと急に浮かれ出す。「色けのない人じゃございませんか、なんだってようじを使わないんでしょう」「今度会ったら注意しておきましょう」と主人がくすくす笑う。「椎茸で歯が欠けるくらいじゃ、よほど歯の性《しよう》が悪いと思われますが、いかがなものでしょう」「いいとは言われますまいな――ねえ迷亭」「いいことはないがちょっと愛《あい》嬌《きよう》があるよ。あれぎり、まだ填《つ》めないところが妙だ。いまだに空也餠引っ掛け所《どころ》になってるなあ奇観だぜ」「歯を填める小づかいがないので欠けなりにしておくんですか、または物好きで欠けなりにしておくんでしょうか」「なにも長く前《まえ》歯《ば》欠《かけ》成《なり》を名乗るわけでもないでしょうから御安心なさいよ」と迷亭のきげんはだんだん回復してくる。鼻子はまた問題を改める。「何かお宅に手紙かなんぞ当人の書いたものでもございますならちょっと拝見したいもんでございますが」「はがきならたくさんあります、御覧なさい」と主人は書斎から三、四十枚持って来る。「そんなにたくさん拝見しないでも――その内二、三枚だけ……」「どれどれぼくがいいのを撰《よ》ってやろう」と迷亭先生は「これなざあおもしろいでしょう」と一枚の絵はがきを出す。「おや絵もかくんでございますか、なかなか器用ですね、どれ拝見しましょう」とながめていたが「あらいやだ、狸《たぬき》だよ。なんだってよりによって狸なんぞかくんでしょうね――それでも狸と見えるから不思議だよ」と少し感心する。「その文句を読んでごらんなさい」と主人が笑いながら言う。鼻子は下女が新聞を読むように読みだす。「旧暦の歳《とし》の夜《よ》、山の狸が園遊会をやって盛んに舞踊します。その歌にいわく、来《こ》いさ《*》、としの夜《よ》で、お山《やま》婦《ふ》美《み*》も来《こ》まいぞ。スッポコポンノポン」「なんですこりゃ、人をばかにしているじゃございませんか」と鼻子は不平のていである。「この天《てん》女《によ》はお気に入りませんか」と迷亭がまた一枚出す。見ると天女が羽《は》衣《ごろも》を着て琵《び》琶《わ》をひいている。「この天女の鼻が少し小さすぎるようですが」「なに、それが人並みですよ、鼻より文句を読んでごらんなさい」文句にはこうある。「昔ある所に一人の天文学者がありました。ある夜《よ》いつものように高い台に登って、一心に星を見ていますと、空に美しい天女が現われ、この世では聞かれぬほどの微妙な音楽を奏しだしたので、天文学者は身にしむ寒さも忘れて聞きほれてしまいました。朝見るとその天文学者の死《し》骸《がい》に霜《しも》がまっ白に降っていました。これはほんとうの話だと、あのうそつきの爺《じい》やが申しました」「なんのことですこりゃ、意味も何もないじゃありませんか、これでも理学士で通るんですかね。ちっと文芸倶《ク》楽《ラ》部《ブ》でも読んだらよさそうなものですがねえ」と寒月君さんざんにやられる。迷亭はおもしろ半分に「こりゃどうです」と三枚目を出す。今度は活版で帆かけ舟が印刷してあって、例のごとくその下に何か書き散らしてある。「よべの泊まりの十六小《こ》女《じよ》郎《ろ》、親がないとて、荒《あり》磯《そ》の千《ち》鳥《どり》、さよの寝ざめの千鳥に泣いた、親は船乗り波の底」「うまいのねえ、感心だこと、話せるじゃありませんか」「話せますかな」「ええこれなら三《しや》味《み》線《せん》に乗りますよ」「三味線に乗りゃ本物だ。こりゃいかがです」と迷亭はむやみに出す。「いえ、もうこれだけ拝見すれば、ほかのはたくさんで、そんなに野《や》暮《ぼ》でないんだということはわかりましたから」と一人で合《が》点《てん》している。鼻子はこれで寒月に関するたいていの質問をおえたものとみえて、「これははなはだ失礼をいたしました。どうか私のまいったことは寒月さんへは内《ない》々《ない》に願います」とえてかってな要求をする。寒月のことはなんでも聞かなければならないが、自分のほうのことはいっさい寒月へ知らしてはならないという方針とみえる。迷亭も主人も「はあ」と気のない返事をすると「いずれそのうちお礼はいたしますから」と念を入れて言いながら立つ。見送りに出た両人《ふたり》が席へ返るや否や迷亭が「ありゃなんだい」と言うと主人も「ありゃなんだい」と双方から同じ問いをかける。奥の部《へ》屋《や》で細君がこらえきれなかったとみえてクックッ笑う声が聞こえる。迷亭は大きな声を出して「奥さん奥さん、月並みの標本が来ましたぜ。月並みもあのくらいになるとなかなかふるっていますなあ。さあ遠慮はいらんから、存分お笑いなさい」
主人は不満な口《こう》気《き》で「第一気にくわん顔だ」とにくらしそうに言うと、迷亭はすぐ引きうけて「鼻が顔の中央に陣取っておつに構えているなあ」とあとをつける。「しかも曲がっていらあ」「少し猫《ねこ》背《ぜ》だね。猫背の鼻は、ちと奇抜すぎる」とおもしろそうに笑う。「夫を尅《こく》する顔だ」と主人はなおくやしそうである。「十九世紀で売れ残って、二十世紀で店《たな》ざらしに会うという相《そう》だ」と迷亭は妙なことばかり言う。ところへ細君が奥の間から出て来て、女だけに「あんまり悪口をおっしゃると、また車屋のかみさんにいつけられますよ」と注意する。「少しいつけるほうが薬ですよ、奥さん」「しかし顔の讒《ざん》訴《そ》などをなさるのは、あまり下等ですわ、だれだって好んであんな鼻を持ってるわけでもありませんから――それに相手が婦人ですからね、あんまりひどいわ」と鼻子の鼻を弁護すると、同時に自分の容《よう》貌《ぼう》も間接に弁護しておく。「なにひどいものか、あんなのは婦人じゃない、愚《ぐ》人《じん》だ、ねえ迷亭君」「愚人かもしれんが、なかなかえら者だ、だいぶ引っかかれたじゃないか」「ぜんたい教師をなんと心得ているんだろう」「裏の車屋ぐらいに心得ているのさ。ああいう人物に尊敬されるには博《はか》士《せ》になるに限るよ、いったい博士になっておかんのが君の不了見さ、ねえ奥さん、そうでしょう」と迷亭は笑いながら細君を顧みる。「博士なんてとうていだめですよ」と主人は細君にまで見離される。「これでも今になるかもしれん、軽《けい》蔑《べつ》するな。貴様なぞは知るまいが昔アイソクラチスという人は九十四歳で大著述をした。ソフォクリスが傑作を出して天下を驚かしたのは、ほとんど百歳の高齢だった。シモニディスは八十で妙詩を作った。おれだって……」「ばかばかしいわ、あなたのような胃病でそんなに長く生きられるものですか」と細君はちゃんと主人の寿命を予算している。「失敬な、――甘木さんへ行って聞いてみろ――元来お前がこんなしわくちゃな黒もめんの羽織や、つぎだらけの着物を着せておくから、あんな女にばかにされるんだ。あしたから迷亭の着ているようなやつを着るから出しておけ」「出しておけって、あんな立派なお召《めし》はござんせんわ。金田の奥さんが迷亭さんに丁寧になったのは、伯《お》父《じ》さんの名前を聞いてからですよ。着物の咎《とが》じゃございません」と細君うまく責任をのがれる。
主人は伯父さんという言葉を聞いて急に思い出したように「君に伯父があるということは、きょうはじめて聞いた。今までついにうわさをしたことがないじゃないか、ほんとうにあるのかい」と迷亭に聞く。迷亭は待ってたといわぬばかりに「うんその伯父さ、その伯父がばかに頑《がん》物《ぶつ》でねえ――やはりその十九世紀から連綿と今日まで生き延びているんだがね」と主人夫婦を半々に見る。「オホホホホホおもしろいことばかりおっしゃって、どこに生きていらっしゃるんです」「静岡に生きてますがね、それがただ生きてるんじゃないんです。頭にちょん髷《まげ》を頂《いただ》いて生きてるんだから恐縮しまさあ。帽子をかぶれってえと、おれはこの年になるが、まだ帽子をかぶるほど寒さを感じたことはないといばってるんです――寒いから、もっと寝ていらっしゃいと言うと、人間は四時間寝れば十分だ、四時間以上寝るのはぜいたくの沙《さ》汰《た》だって朝暗いうちから起きてくるんです。それでね、おれも睡眠時間を四時間に縮めるには、長年修業をしたもんだ、若いうちはどうしても眠たくていかなんだが、近ごろに至ってはじめて随処任意の蔗《しや》境《きよう》に入いってはなはだうれしいと自慢するんです。六十七になって寝られなくなるなああたりまえでさあ。修業もへちまもいったものじゃないのに当人は全く克《こく》己《き》の力で成功したと思ってるんですからね。それで外出する時には、きっと鉄《てつ》扇《せん》を持って出るんですがね」「何にするんだい」「何にするんだかわからない、ただ持って出るんだね。まあステッキの代わりぐらいに考えてるかもしれんよ。ところがせんだって妙なことがありましてね」と今度は細君のほうへ話しかける。「へえー」と細君が差し合いのない返事をする。「ことしの春突然手紙をよこして山高帽子とフロックコートを至急送れというんです。ちょっと驚いたから、郵便で問い返したところ老人自身が着るという返事が来ました。二十三日目に静岡で祝《しゆく》捷《しよう》会《かい》があるからそれまでに間に合うように、至急調《ちよう》達《だつ》しろという命令なんです。ところがおかしいのは命令中にこうあるんです。帽子はいいかげんな大きさのを買ってくれ。洋服も寸法を見計らって大《だい》丸《まる》へ注文してくれ……」「近ごろは大丸でも洋服を仕立てるのかい」「なあに、先生、白《しろ》木《き》屋《や》と間違えたんだあね」「寸法を見計らってくれたって無理じゃないか」「そこが伯父の伯父たるところさ」「どうした?」「しかたがないから見計らって送ってやった」「君も乱暴だな。それで間に合ったのかい」「まあ、どうにかこうにか落っ付いたんだろう。国の新聞を見たら、当日牧《まき》山《やま》翁《おう》は珍しくフロックコートにて、例の鉄扇を持ち……」「鉄扇だけは離さなかったとみえるね」「うん死んだら棺の中へ鉄扇だけは入れてやろうと思っているよ」「それでも帽子も洋服も、うまい具合に着られてよかった」「ところが大間違いさ。ぼくも無事にいってありがたいと思ってると、しばらくして国から小包が届いたから、何か礼でもくれたことと思ってあけてみたら例の山高帽子さ。手紙が添えてあってね、せっかく御《おん》求《もと》めくだされ候《そうら》えども少々大きく候《そろ》間《あいだ》、帽子屋へ御《おん》遣《つか》わしの上、御《おん》縮《ちぢ》めくだされたく候《そろ》。縮め賃は小《こ》為替《かわせ》にてこなたより御《おん》送《おく》り申し上ぐべく候《そろ》とあるのさ」「なるほど迂《う》闊《かつ》だな」と主人はおのれより迂闊なものの天下にあることを発見して大いに満足のていにみえる。やがて「それから、どうした」と聞く。「どうするったってしかたがないからぼくが頂戴してかぶっていらあ」「あの帽子かあ」と主人がにやにや笑う。「そのかたが男爵でいらっしゃるんですか」と細君が不思議そうに尋ねる。「だれがです」「その鉄扇の伯父様が」「なあに漢学者でさあ、若い時聖《せい》堂《どう》で朱《しゆ》子《し》学《がく》か、なんかに凝り固まったものだから、電気燈の下でうやうやしくちょん髷《まげ》を頂いているんです、しかたがありません」とやたらにあごをなで回す。「それでも君は、さっきの女に牧山男爵と言ったようだぜ」「そうおっしゃいましたよ、私も茶の間で聞いておりました」と細君もこれだけは主人の意見に同意する。「そうでしたかなアハハハハハ」と迷亭はわけもなく笑う。「そりゃうそですよ。ぼくに男爵の伯父がありゃ、今ごろは局長ぐらいになっていまさあ」と平気なものである。「なんだか変だと思った」と主人はうれしそうな、心配そうな顔つきをする。「あらまあ、よくまじめであんなうそがつけますねえ。あたなもよっぽど法《ほ》螺《ら》がお上《じよう》手《ず》でいらっしゃること」と細君は非常に感心する。「ぼくより、あの女のほうが上《うわ》手《て》でさあ」「あなただってお負けなさる気づかいはありません」「しかし奥さん、ぼくの法《ほ》螺《ら》はたんなる法螺ですよ。あの女のは、みんな魂胆があって、曰《いわ》くつきのうそですぜ。たちが悪いんです。猿《さる》知《ぢ》恵《え》から割り出した術数と、天来の滑《こつ》稽《けい》趣《しゆ》味《み》と混同されちゃ、コメディーの神様も活眼の士なきを嘆ぜざるをえざるわけに立ち至りますからな」主人はふし目になって「どうだか」と言う。細君は笑いながら「同じことですわ」と言う。
吾輩は今まで向こう横丁へ足を踏み込んだことはない。角《かど》屋《や》敷《しき》の金田とは、どんな構えか見たことはむろんない。聞いたことさえ今がはじめてである。主人の家《うち》で実業家が話頭に上《のぼ》ったことは一ぺんもないので、主人の飯を食う吾輩までがこの方面にはたんに無関係なるのみならず、はなはだ冷淡であった。しかるに先刻はからずも鼻子の訪問を受けて、よそながらその談話を拝聴し、その令嬢の艶《えん》美《び》を想像し、またその富《ふう》貴《き》、権勢を思い浮かべてみると、猫ながら安閑として縁側に寝ころんでいられなくなった。しかのみならず吾輩は寒月君に対してはなはだ同情の至りにたえん。先方では博士の奥さんやら、車屋のかみさんやら、二弦琴の天《てん》璋《しよう》院《いん》まで買収して知らぬ間《ま》に、前歯の欠けたのさえ探《たん》偵《てい》しているのに、寒月君のほうではただニヤニヤして羽織のひもばかり気にしているのは、いかに卒業したての理学士にせよ、あまり能がなさすぎる。といって、ああいう偉大な鼻を顔の中《うち》に安置している女のことだから、めったな者では寄りつけるものではないだろう。こういう事件に関しては主人はむしろ無《む》頓《とん》着《じやく》でかつあまりに銭《ぜに》がなさすぎる。迷亭は銭に不自由はしないが、あんな偶然童子だから、寒月に援《たす》けを与える便宜はすくなかろう。してみるとかあいそうなのは首くくりの力学を演説する先生ばかりとなる。吾輩でも奮発して、敵城へ乗り込んでその動静を偵《てい》察《さつ》してやらなくては、あまり不公平である。吾輩は猫だけれど、エピクテタスを読んで机の上へたたきつけるくらいな学者の家《うち》に寄《き》寓《ぐう》する猫で、世間一般の癡《ち》猫《びよう》、愚《ぐ》猫《びよう》とは少しく撰《せん》を異《こと》にしている。この冒険をあえてするくらいの義《ぎ》侠《きよう》心《しん》はもとよりしっぽの先にたたみこんである。なにも寒月君に恩になったというわけもないが、これはただに個人のためにする血《けつ》気《き》躁《そう》狂《きよう》の沙《さ》汰《た》ではない。大きくいえば公平を好み中庸を愛する天意を現実にするあっぱれな美挙だ。人の許諾を経《へ》ずして吾《あ》妻《ずま》橋《ばし》事件などを至るところに振り回す以上は、人の軒下に犬を忍ばして、その報道を得《とく》々《とく》として会う人に吹《ふい》聴《ちよう》する以上は、車夫、馬丁、無頼漢、ごろつき書生、日雇いばばあ、産婆、妖《よう》婆《ば》、按《あん》摩《ま》、頓《とん》馬《ま》に至るまでを使用して国家有用の材に煩《はん》を及ぼして顧みざる以上は――猫にも覚悟がある。幸い天気もいい、霜《しも》解《ど》けは少々閉口するが道のためには一命もすてる。足の裏へ泥《どろ》がついて、縁側へ梅の花の印《いん》を押すぐらいなことは、ただおさんの迷惑になるかもしれんが、吾輩の苦痛とは申されない。あすともいわずこれから出かけようと勇《ゆう》猛《もう》精《しよう》進《じん》の大決心を起こして台所まで飛んで出たが「待てよ」と考えた。吾輩は猫として進化の極度に達しているのみならず、脳力の発達においてはあえて中学の三年生に劣らざるつもりであるが、悲しいかな咽《の》喉《ど》の構造だけはどこまでも猫なので人間の言語がしゃべれない。よし首《しゆ》尾《び》よく金田邸へ忍び込んで、十分敵の情勢を見届けたところで、肝《かん》心《じん》の寒月君に教えてやるわけにゆかない。主人にも迷亭先生にも話せない。話せないとすれば土《ど》中《ちゆう》にあるダイヤモンドの日を受けて光らぬと同じことで、せっかくの知識も無用の長《ちよう》物《ぶつ》となる。これは愚だ、やめようかしらんと上がり口《ぐち》でたたずんでみた。
しかし一度思い立ったことを中途でやめるのは、夕立が来るかと待っている時黒《くろ》雲《くも》とも隣国へ通り過ぎたように、なんとなく残り惜しい。それも非がこっちにあれば格別だが、いわゆる正義のため、人道のためなら、たといむだ死にをやるまでも進むのが、義務を知る男児の本懐であろう。むだ骨を折り、むだ足をよごすくらいは猫として適当のところである。猫と生まれた因《いん》果《が》で寒月、迷亭、苦沙弥諸先生と三寸の舌頭に相互の思想を交換する技《ぎ》倆《りよう》はないが、猫だけに忍びの術は諸先生より達者である。他人のできぬことを成《じよう》就《じゆ》するのはそれ自身において愉快である。我一個でも、金田の内幕を知るのは、だれも知らぬより愉快である。人に告げられんでも人に知られているなという自覚を彼らに与うるだけが愉快である。こんなに愉快が続々出て来ては行かずにはいられない。やはり行くことにいたそう。
向こう横丁へ来てみると、聞いたとおりの西洋館が角《かど》地《じ》面《めん》をわが物顔に占領している。この主人もこの西洋館のごとく傲《ごう》慢《まん》に構えているんだろうと、門をはいってその建築をながめてみたがただ人を威圧しようと、二階作りが無意味に突っ立っているほかになんらの能もない構造であった。迷亭のいわゆる月並みとはこれであろうか。玄関を右に見て、植え込みの中を通り抜けて、勝手口へ回る。さすがに勝手は広い、苦沙弥先生の台所の十倍はたしかにある。せんだって日《に》本《ほん》新聞に詳しく書いてあった大《おお》隈《くま》伯《はく》の勝手にも劣るまいと思うくらい整然とぴかぴかしている。「模範勝手だな」とはいり込む。見ると漆《しつ》喰《くい》でたたき上げた二坪ほどの土《ど》間《ま》に、例の車屋のかみさんが立ちながら、御飯たきと車夫を相手にしきりに何か弁じている。こいつはけんのんだと水《みず》桶《おけ》の裏へかくれる。「あの教師あ、うちの旦《だん》那《な》の名を知らないのかね」と飯たきが言う。「知らねえことがあるもんか、この界《かい》隈《わい》で金田さんのお屋敷を知らなけりゃ目も耳もねえ片輪だあな」これは抱《かか》え車夫の声である。「なんともいえないよ。あの教師ときたら、本よりほかになんにも知らない変人なんだからねえ。旦那のことを少しでも知ってりゃ恐れるかもしれないが、だめだよ、自分の子供の年さえ知らないんだもの」とかみさんが言う。「金田さんでも恐れねえかな、厄《やつ》介《かい》な唐《とう》変《へん》木《ぼく》だ。かまあこたあねえ、みんなでおどかしてやろうじゃねえか」「それがいいよ。奥様の鼻が大き過ぎるの、顔が気にくわないのって――そりゃあひどいことを言うんだよ。自分の面《つら》あ今《いま》戸《ど》焼《や》きの狸《たぬき》みたようなくせに――あれで一《いち》人《にん》前《まえ》だと思っているんだからやりきれないじゃないか」「顔ばかりじゃない、手ぬぐいをさげて湯に行くところからして、いやに高慢ちきじゃないか。自分くらいえらい者はないつもりでいるんだよ」と苦沙弥先生は飯たきにも大いに不《ふ》人《じん》望《ぼう》である。「なんでもおおぜいであいつの垣《かき》根《ね》のそばへ行って悪口をさんざん言ってやるんだね」「そうしたらきっと恐れ入るよ」「しかしこっちの姿を見せちゃあおもしろくねえから、声だけ聞かして、勉強の邪魔をした上に、できるだけじらしてやれって、さっき奥様が言いつけておいでなすったぜ」「そりゃわかっているよ」とかみさんは悪口の三分の一を引き受けるという意味を示す。なるほどこの手《て》合《あい》が苦沙弥先生をひやかしに来るなと三人の横を、そっと通り抜けて奥へ入《はい》る。
猫の足はあれどもなきがごとし、どこを歩いても不器用な音のしたためしがない。空《そら》を踏むがごとく、雲を行くがごとく、水中に磬《けい》を打つがごとく、洞《とう》裏《り》に瑟《しつ》を鼓《こ》するがごとく、醍《だい》醐《ご》の妙味をなめて言《げん》詮《せん》のほかに冷暖を自知するがごとし《*》。月並みな西洋館もなく、模範勝手もなく、車屋のかみさんも、権《ごん》助《すけ》も、飯たきも、お嬢様も、仲働きも、鼻子夫人も、夫人の旦那様もない。行きたい所へ行って聞きたい話を聞いて、舌を出ししっぽをふって、髭《ひげ》をぴんと立てて悠《ゆう》々《ゆう》と帰るのみである。ことに吾輩はこの道にかけては日本一の堪《かん》能《のう》である。草《くさ》双《ぞう》紙《し》にある猫《ねこ》又《また》の血《けつ》脈《みやく》を受けておりはせぬかとみずから疑うくらいである。蟇《がま》の額《ひたい》には夜光の明《めい》珠《しゆ》があるというが、吾輩のしっぽには神《しん》祇《ぎ》釈《しやつ》教《きよう》恋《こい》無《む》常《じよう*》はむろんのこと、満天下の人間をばかにする一家相伝の妙薬が詰め込んである。金田家の廊下を人の知らぬ間《ま》に横行するくらいは、仁《に》王《おう》様《さま》が心太《ところてん》を踏みつぶすよりも容易である。この時吾輩は我ながら、わが力量に感服して、これもふだんだいじにするしっぽのおかげだなと気がついてみるとただおかれない。吾輩の尊敬するしっぽ大《だい》明《みよう》神《じん》を礼《らい》拝《はい》してニャン運《うん》長《ちよう》久《きゆう》を祈らばやと、ちょっと低頭してみたが、どうも少し見当が違うようである。なるべくしっぽの方を見て三拝しなければならん。しっぽの方を見ようとからだを回すとしっぽも自然と回る。追いつこうと思って首をねじると、しっぽも同じ間隔をとって、先へ駆け出す。なるほど天《てん》地《ち》玄《げん》黄《こう》を三《さん》寸《ずん》裏《り》に収めるほどの霊《れい》物《ぶつ》だけあって、とうてい吾輩の手に合わない、しっぽをめぐること七たび半にしてくたびれたからやめにした。少々目がくらむ。どこにいるのだかちょっと方角がわからなくなる。かまうものかとめちゃくちゃに歩き回る。障子のうちで鼻子の声がする。ここだと立ち止まって、左右の耳をはすに切って、息を凝《こ》らす。「貧乏教師のくせに生《なま》意《い》気《き》じゃありませんか」と例の金切り声を振り立てる。「うん、生意気なやつだ、ちと懲《こ》らしめのためにいじめてやろう。あの学校にゃ国の者もいるからな」「だれがいるの?」「津《つ》木《き》ピン助《すけ》や福《ふく》地《ち》キシャゴがいるから、頼んでからかわしてやろう」吾輩は金田君の生《しよう》国《ごく》はわからんが、妙な名前の人間ばかりそろった所だと少々驚いた。金田君はなお語をついで、「あいつは英語の教師かい」と聞く。「はあ、車屋のかみさんの話では英語のリードルか何か専門に教えるんだって言います」「どうせろくな教師じゃあるめえ」あるめえにもすくなからず感心した。「このあいだピン助に会ったら、わたしの学校にゃ妙なやつがおります。生徒から先生番茶は英語でなんと言いますと聞かれて、番茶は savage tea であるとまじめに答えたんで、教員間の物笑いとなっています、どうもあんな教員があるから、ほかの者の、迷惑になって困りますと言ったが、おおかたあいつのことだぜ」「あいつにきまっていまさあ、そんなことを言いそうな面《つら》構《がま》えですよ、いやに髭なんかはやして」「けしからんやつだ」髭をはやしてけしからなければ猫などは一匹だってけしかりようがない。「それにあの迷亭とか、へべれけとかいうやつは、まあなんてえ、頓《とん》狂《きよう》なはねっ返りなんでしょう、伯父《おじ》の牧山男爵だなんて、あんな顔に男爵の伯父なんざ、あるはずがないと思ったんですもの」「お前がどこの馬の骨だかわからんものの言うことを真《ま》に受けるのも悪い」「悪いって、あんまり人をばかにし過ぎるじゃありませんか」とたいへん残念そうである。不思議なことには寒月君のことは一言半句も出ない。吾輩の忍んで来る前に評判記はすんだものか、またはすでに落第と事がきまって念頭にないものか、そのへんは懸《け》念《ねん》もあるがしかたがない。しばらくたたずんでいると廊下を隔てて向こうの座敷でベルの音がする。そらあすこにも何か事がある。おくれぬ先に、とその方角へ歩を向ける。
来てみると女がひとりで何か大声で話している。その声が鼻子とよく似ているところをもって推《お》すと、これがすなわち当家の令嬢寒月君をして未遂入《じゆ》水《すい》をあえてせしめたる代《しろ》物《もの》だろう。惜しいかな障子越しで玉のおん姿を拝することができない。したがって顔のまん中に大きな鼻を祭り込んでいるか、どうだか受け合えない。しかし談話の模様から鼻息の荒いところなどを総合して考えてみると、まんざら人の注意をひかぬ獅《しし》鼻《ばな》とも思われない。女はしきりにしゃべっているが相手の声が少しも聞こえないのは、うわさにきく電話というものであろう。「お前は大和《やまと*》かい。あしたね、行くんだからね、鶉《うずら》の三《*》を取っておいておくれ、いいかえ――わかったかい。――なにわからない? おやいやだ。鶉の三を取るんだよ。――なんだって、――取れない? 取れないはずはない、取るんだよ――へへへへへ御冗談をだって――何が御冗談なんだよ――いやに人をおひゃらかすよ。ぜんたいお前はだれだい。長《ちよう》吉《きち》だ? 長吉なんぞじゃわけがわからない。おかみさんに電話口へ出ろってお言いな――なに? 私でなんでも弁じます?――お前は失敬だよ。あたしをだれだか知ってるのかい。金田だよ。――へへへへへよく存じておりますだって。ほんとにばかだよこの人《ひた》あ。――金田だってえばさ。――なに?――毎度ごひいきにあずかりましてありがとうございます?――何がありがたいんだね。お礼なんか聞きたかあないやね――おやまた笑ってるよ。お前はよっぽど愚物だね。――仰せのとおりだって?――あんまり人をばかにすると電話を切ってしまうよ。いいのかい。困らないのかよ――黙ってちゃわからないじゃないか、なんとかお言いなさいな」電話は長吉のほうから切ったものかなんの返事もないらしい。令嬢はかんしゃくを起こしてやけにベルをジャラジャラと回す。足もとで狆《ちん》が驚いて急に吠《ほ》えだす。これは迂《う》闊《かつ》にできないと、急に飛びおりて縁の下へもぐりこむ。
おりから廊下を近づく足音がして障子をあける音がする。だれか来たなと一生懸命に聞いていると「お嬢様、旦那様と奥様が呼んでいらっしゃいます」と小《こ》間《ま》使《づかい》らしい声がする。「知らないよ」と令嬢はけんつくを食わせる。「ちょっと用があるから嬢を呼んで来いとおっしゃいました」「うるさいね、知らないてば」と令嬢は第二のけんつくを食わせる。「……水島寒月さんのことで御用があるんだそうでございます」と小間使は気をきかしてきげんを直そうとする。「寒月でも、水月でも知らないんだよ――大きらいだわ、へちまがとまどいをしたような顔をして」第三のけんつくは、哀れなる寒月君が、留守中に頂戴する。「おやお前いつ束髪に結《い》ったの」と小間使はほっと一息ついて「今《こん》日《にち》」となるべく単簡な挨《あい》拶《さつ》をする。「生意気だねえ、小間使のくせに」と第四のけんつくを別方面から食わす。「そうして新しい半《はん》襟《えり》をかけたじゃないか」「へえ、せんだってお嬢様からいただきましたので、結構すぎてもったいないと思って行《こう》李《り》の中へしまっておきましたが、今までのがあまり汚《よご》れましたからかけかえました」「いつ、そんなものをあげたことがあるの」「このお正月、白木屋へいらっしゃいまして、お求めあそばしたので――うぐいす茶へ相《す》撲《もう》の番《ばん》付《づけ》を染め出したのでございます。あたしには地《じ》味《み》すぎていやだからお前にあげようとおっしゃった、あれでございます」「あらいやだ。よく似合うね。にくらしいわ」「恐れ入ります」「ほめたんじゃない。にくらしいんだよ」「へえ」「そんなによく似合うものを、なぜ黙ってもらったんだい」「へえ」「お前にさえ、そのくらい似合うなら、あたしにだっておかしいこたあないだろうじゃないか」「きっとよくお似合いあそばします」「似あうのがわかってるくせになぜ黙っているんだい。そうしてすましてかけているんだよ、人の悪い」けんつくは留めどもなく連発される。このさき、事局はどう発展するかと謹聴している時、向こうの座敷で「富《とみ》子《こ》や、富子や」と大きな声で金田君が令嬢を呼ぶ。令嬢はやむをえず「はい」と電話室を出て行く。吾輩より少し大きな狆が顔の中心に目を口を引き集めたような面《かお》をしてついて行く。吾輩は例の忍び足で再び勝手から往来へ出て、急いで主人の家に帰る。探険はまず十二分の成績である。
帰ってみると、きれいな家《うち》から急にきたない所へ移ったので、なんだか日当たりのいい山の上から薄黒い洞《どう》窟《くつ》の中へはいり込んだような心持ちがする。探険中は、ほかのことに気を奪われて部《へ》屋《や》の装飾、襖《ふすま》、障子の具合などには目も留まらなかったが、わが住まいの下等なるを感ずると同時にかのいわゆる月並みが恋しくなる。教師よりもやはり実業家がえらいように思われる。吾輩も少し変だと思って、例のしっぽに伺いを立ててみたら、そのとおりそのとおりとしっぽの先から御託宣があった。座敷へはいってみると驚いたのは迷亭先生まだ帰らない、巻《まき》煙《タバコ》草の吸いがらを蜂《はち》の巣のごとく火《ひ》鉢《ばち》の中へ突き立てて、大あぐらで何か話し立てている。いつのまにか寒月君さえ来ている。主人は手《て》枕《まくら》をして天《てん》井《じよう》の雨《あま》漏《も》りを余念もなくながめている。相変わらず太《たい》平《へい》の逸《いつ》民《みん》の会合である。
「寒月君、君のことを譫《うわ》語《こと》にまで言った婦人の名は、当時秘密であったようだが、もう話してもよかろう」と迷亭がからかいだす。「お話をしても、私だけに関することならさしつかえないんですが、先方の迷惑になることですから」「まだだめかなあ」「それに○○博士《はかせ》夫人に約束をしてしまったもんですから」「他《た》言《ごん》をしないという約束かね」「ええ」と寒月君は例のごとく羽織のひもをひねくる。そのひもは売《ばい》品《ひん》にあるまじき紫色である。「そのひもの色は、ちと天《てん》保《ぼう》調《ちよう》だな」と主人が寝ながら言う。主人は金田事件などには無頓着である。「そうさ、とうてい日《にち》露《ろ》戦争時代のものではないな。陣《じん》笠《がさ》に立《たち》葵《あおい》の紋のついたぶっさき羽《ば》織《おり》でも着なくっちゃ納まりのつかないひもだ。織《お》田《だ》信《のぶ》長《なが》が聟《むこ》入《い》りをする時頭の髪を茶《ちや》筅《せん》に結《い》ったというがその節用いたのは、たしかそんなひもだよ」と迷亭の文句は相変わらず長い。「じっさいこれはじじいが長《ちよう》州《しゆう》征《せい》伐《ばつ》の時に用いたのです」と寒月君はまじめである。「もういいかげんに博物館へでも献納してはどうだ。首くくりの力学の演者、理学士水島寒月君ともあろうものが、売れ残りの旗《はた》本《もと》のようないでたちをするのはちと体面に関するわけだから」「御忠告のとおりにいたしてもいいのですが、このひもがたいへんよく似合うと言ってくれる人もありますので――」「だれだい、そんな趣味のないことを言うのは」と主人は寝返りを打ちながら大きな声を出す。「それは御存じのかたなんじゃないんで――」「御存じでなくてもいいや、いったいだれだい」「さる女《によ》性《しよう》なんです」「ハハハハハよほど茶人だなあ、あててみようか、やはり隅《すみ》田《だ》川《がわ》の底から君の名を呼んだ女なんだろう、その羽織を着てもう一ぺんお陀《だ》仏《ぶつ》をきめこんじゃどうだい」と迷亭が横合いから飛び出す。「ハハハハハもう水《みず》底《ぞこ》から呼んではおりません、ここから乾《いぬい》の方角にあたる清《しよう》浄《じよう》な世界で………」「あんまり清浄でもなさそうだ、毒々しい鼻だぜ」「へえ?」と寒月は不審な顔をする。「向こう横丁の鼻がさっき押しかけて来たんだよ、ここへ、じつにぼくら二人は驚いたよ、ねえ苦《く》沙《しや》弥《み》君《くん》」「うむ」と主人は寝ながら茶を飲む。「鼻ってだれのことです」「君の親愛なる久《く》遠《おん》の女《によ》性《しよう》の御母堂様だ」「へえー」「金田の妻《さい》という女が君のことを聞きに来たよ」と主人がまじめに説明してやる。驚くか、うれしがるか、恥ずかしがるかと寒月君の様子をうかがってみるとべつだんのこともない。例のとおり静かな調子で「どうか私に、あの娘をもらってくれという依頼なんでしょう」と、また紫のひもをひねくる。「ところが大違いさ。その御母堂なるものが偉大なる鼻の所有主でね……」迷亭がなかば言いかけると、主人が「おい君、ぼくはさっきから、あの鼻について俳体詩《*》を考えているんだがね」と木に竹をついだようなことを言う。隣りの室《へや》で細君がくすくす笑いだす。「ずいぶん君ものんきだなあできたのかい」「少しできた。第一句がこの顔に鼻祭りというのだ」「それから?」「次がこの鼻に神酒供えというのさ」「次の句は?」「まだそれぎりしかできておらん」「おもしろいですな」と寒月君がにやにや笑う。「次へ穴二つ幽かなりとつけちゃどうだ」と迷亭はすぐできる。すると寒月が「奥深く毛も見えずはいけますまいか」とおのおのでたらめを並べていると、垣《かき》根《ね》に近く、往来で「今戸焼きの狸今戸焼きの狸」と四、五人わいわい言う声がする。主人も迷亭もちょっと驚いて表の方を、垣のすきからすかして見ると「ワハハハハハ」と笑う声がして遠くへ散る足の音がする。「今戸焼きの狸というななんだい」と迷亭が不思議そうに主人に聞く。「なんだかわからん」と主人が答える。「なかなかふるっていますな」と寒月君は批評を加える。迷亭は何を思い出したか急に立ち上がって「吾輩は年来美学上の見地からこの鼻について研究したことがございますから、その一《いつ》斑《ぱん》を披《ひ》瀝《れき》して、御両君の清聴をわずらわしたいと思います」と演説のまねをやる。主人はあまりの突然にぼんやりして無言のまま迷亭を見ている。寒月は「ぜひ承りたいものです」と小声で言う。「いろいろ調べてみましたが鼻の起源はどうもしかとわかりません。第一の不審は、もしこれを実用上の道具と仮定すれば穴が二つでたくさんである。なにもこんなに横《おう》風《ふう》にまん中から突き出してみる必要がないのである。ところがどうしてだんだん御覧のごとくかようにせり出してまいったか」と自分の鼻をつまんでみせる。「あんまりせり出してもおらんじゃないか」と主人はお世辞のないところを言う。「とにかく引っ込んではおりませんからな。ただ二個の孔《あな》がならんでいる状態と混同なすっては、誤解を生ずるにいたるかも計られませんから、あらかじめ御注意をしておきます。――で愚見によりますと鼻の発達は我々人間が鼻《は》汁《な》をかむと申す微細なる行為の結果が自然と蓄積してかく著明なる現象を呈出したものでございます」「いつわりのない愚見だ」とまた主人が寸評を挿《そう》入《にゆう》する。「御承知のとおり鼻《は》汁《な》をかむ時は、ぜひ鼻をつまみます、鼻をつまんで、ことにこの局部だけに刺激を与えますと、進化論の大原則によって、この局部は刺激に応ずるがため他に比例して不相当な発達をいたします。皮も自然堅くなります、肉も次第にかたくなります。ついに凝って骨となります」「それは少し――そう自由に肉が骨に一足飛びに変化はできますまい」と理学士だけあって寒月君が少し抗議を申し込む。迷亭は何食わぬ顔で陳《の》べ続ける。「いや御不審はごもっともですが論より証拠このとおり骨があるからしかたがありません。すでに骨ができる。骨はできても鼻《は》汁《な》は出ますな。出ればかまずにはいられません。この作用で骨の左右が削り取られて細い高い隆起と変化してまいります――じつに恐ろしい作用です。点滴の石をうがつがごとく、賓《びん》頭《ず》盧《る》の頭がおのずから光明を放つがごとく、不《ふ》思《し》議《ぎ》薫《くん》不《ふ》思《し》議《ぎ》臭《しゆう》のたとえのごとく、かように鼻筋が通って堅くなります」「それでも君のなんざ、ぶくぶくだぜ」「演者自身の局部は回護の恐れがありますから、わざと論じません。かの金田の御母堂の持たせらるる鼻のごときは、最も発達せる最も偉大なる天下の珍品として御両君に紹介しておきたいと思います」寒月君は思わずヒヤヒヤと言う。「しかし物も極度に達しますと偉観には相違ございませんがなんとなく恐ろしくて近づきがたいものであります。あの鼻《び》梁《りよう》などはすばらしいには違いございませんが、少々峻《しゆん》嶮《けん》すぎるかと思われます。古人のうちにてもソクラチス、ゴールドスミスもしくはサッカレーの鼻などは構造の上からいうとずいぶん申しぶんはございましょうがその申しぶんのあるところに愛《あい》嬌《きよう》がございます。鼻高きがゆえに貴《たつと》からず、奇なるがために貴《たつと》し《*》とはこのゆえでもございましょうか。下《げ》世《せ》話《わ》にも鼻より団子と申しますれば美的価値から申しますとまず迷亭ぐらいのところが適当かと存じます」寒月と主人は「フフフフ」と笑いだす。迷亭自身も愉快そうに笑う。「さてただ今まで弁じましたのは――」「先生弁じましたは少し講釈師のようで下品ですから、よしていただきましょう」と寒月君は先日の復《ふく》讐《しゆう》をやる。「さようしからば顔を洗って出直しましょうかな。――ええ――これから鼻と顔の権《けん》衡《こう》に一《いち》言《ごん》論及したいと思います。他に関係なく単独に鼻《はな》論《ろん》をやりますと、かの御母堂などはどこへ出しても恥ずかしからぬ鼻――鞍《くら》馬《ま》山《やま》で展覧会があってもおそらく一等賞だろうと思われるくらいな鼻を所有していらせられますが、悲しいかなあれは目、口、その他の諸先生となんらの相談もなくできあがった鼻であります。ジュリアス・シーザーの鼻はたいしたものに相違ございません。しかしシーザーの鼻を鋏《はさみ》でちょん切って、当家の猫の顔へ安置したらどんなものでございましょうか。たとえにも猫の額《ひたい》と言うくらいな地面へ、英雄の鼻柱が突《とつ》兀《こつ》としてそびえたら、碁《ご》盤《ばん》の上へ奈《な》良《ら》の大《だい》仏《ぶつ》をすえつけたようなもので、少しく比例を失するの極、その美的価値を落とすことだろうと思います。御母堂の鼻はシーザーのそれのごとく、まさしく英姿颯《さつ》爽《そう》たる隆起に相違ございません。しかしその周囲を囲《い》繞《によう》する顔面的条件はいかがなものでありましょう。むろん当家の猫のごとく劣等ではない。しかし癲《てん》癇《かん》病《や》みのおかめのごとく眉《まゆ》の根に八字を刻んで、細い目をつるし上げらるるのは事実であります。諸君、この顔にしてこの鼻ありと嘆ぜざるをえんではありませんか」迷亭の言葉が少しとぎれるとたん、裏の方で「まだ鼻の話をしているんだよ。なんてえごうつくばりだろう」と言う声が聞こえる。「車屋のかみさんだ」と主人が迷亭に教えてやる。迷亭はまたやり始める。「はからざる裏手にあたって、新たに異性の傍聴者があることを発見したのは演者の深く名誉と思うところであります。ことに宛《えん》転《てん》たる嬌《きよう》音《おん》をもって、乾燥なる講《こう》莚《えん》に一点の艶《えん》味《み》を添えられたのはじつに望外の幸福であります。なるべく通俗的に引き直して佳人淑女の眷《けん》顧《こ》にそむかざらんことを期するわけでありますが、これからは少々力学上の問題に立ち入りますので、勢い御婦人がたにはおわかりにくいかもしれません、どうか御辛抱を願います」寒月君は力学という語を聞いてまたにやにやする。「私の証拠立てようとするのは、この鼻とこの顔はとうてい調和しない。ツァイシング《*》の黄《ヽ》金《ヽ》律《ヽ*》を失しているということなんで、それを厳格に力学上の公式から演《えん》繹《えき》して御覧に入れようというのであります。まずHを鼻の高さとします。αは鼻と顔の平面に交差より生ずる角度であります。Wはむろん鼻の重量と御承知ください。どうですたいていおわかりになりましたか。……」「わかるものか」と主人が言う。「寒月君はどうだい」「私にもちとわかりかねますな」「そりゃ困ったな。苦沙弥はとにかく、君は理学士だからわかるだろうと思ったのに。この式が演説の首脳なんだからこれを略しては今までやったかいがないのだが――まあしかたがない。公式は略して結論だけ話そう」「結論があるのか」と主人が不思議そうに聞く。「あたりまえさ結論のない演説は、デザートのない西洋料理のようなものだ、――いいか両君よく聞きたまえ、これからが結論だぜ。――さて以上の公式にウィルヒョウ《*》、ワイスマン《*》諸家の説を参《さん》酌《しやく》して考えてみますと、先天的形体の遺伝はむろんのこと許さねばなりません。またこの形体に追《つい》陪《ばい》して起こる心意的状況は、たとい後天性は遺伝するものにあらずとの有力なる説あるにも関せず、ある程度までは必然の結果と認めねばなりません。したがってかくのごとく身分に不似合いなる鼻の持ち主の生んだ子には、その鼻にも何か異状があることと察せられます。寒月君などは、まだ年がお若いから金田令嬢の鼻の構造において特別の異状を認められんかもしれませんが、かかる遺伝は潜伏期の長いものでありますから、いつなんどき気候の激変とともに、急に発達して御母堂のそれのごとく、咄《とつ》嗟《さ》の間《かん》に膨《ぼう》張《ちよう》するかもしれません、それゆえにこの御婚儀は、迷亭の学理的論証によりますと、今のうち御断念になったほうが安全かと思われます、これには当家の御主人はむろんのこと、そこに寝ておらるる猫《ねこ》又《また》殿《どの》にも御異存はなかろうと存じます」主人はようよう起き返って「そりゃむろんさ。あんな者の娘をだれがもらうものか。寒月君もらっちゃいかんよとたいへん熱心に主張する。吾輩もいささか賛成の意を表するためににゃーにゃーと二声ばかり鳴いてみせる。寒月君はべつだん騒いだ様子もなく「先生がたの御意向がそうなら、私は断念してもいいんですが、もし当人がそれを気にして病気にでもなったら罪ですから――」「ハハハハハ艶《えん》罪《ざい》というわけだ」主人だけは大いにむきになって「そんなばかがあるものか、あいつの娘ならろくな者でないにきまってらあ。はじめて人のうちへ来ておれをやりこめにかかったやつだ。傲《ごう》慢《まん》なやつだ」とひとりでぷんぷんする。するとまた垣根のそばで三、四人が「ワハハハハハ」という声がする。一人が「高慢ちきな唐《とう》変《へん》木《ぼく》だ」と言うと一人が「もっと大きな家《うち》へはいりてえだろう」と言う。また一人が「お気の毒だが、いくらいばったって陰《かげ》弁《べん》慶《けい》だ」と大きな声をする。主人は縁側へ出て負けないような声で「やかましい、なんだわざわざそんな塀《へい》の下へ来て」とどなる。「ワハハハハハ、サヴェジ・チーだ、サヴェジ・チーだ」と口々にののしる。主人は大いに逆《げき》鱗《りん》のていで突然立ってステッキを持って、往来へ飛び出す。迷亭は手を打って「おもしろい、やれやれ」と言う。寒月は羽織のひもをひねってにやにやする。吾輩は主人のあとをつけて垣のくずれから往来へ出てみたら、まん中に主人が手持ちぶさたにステッキを突いて立っている。人通りは一人もない、ちょっと狐《きつね》につままれたていである。
四
例によって金田邸へ忍び込む。
例によってとは今さら解釈する必要もない、しばしばを自乗したほどの度合を示す言葉である。一度やったことは二度やりたいもので、二度試みたことは三度試みたいのは人間のみに限らるる好奇心ではない、猫といえどもこの心理的特権を有してこの世界に生まれいでたものと認定していただかねばならぬ。三度以上繰り返す時はじめて習慣なる語を冠せらせて、この行為が生活上の必要と進化するのもまた人間と相違はない。なんのために、かくまで足しげく金田邸へ通うのかと不審を起こすならその前にちょっと人間に反問したいことがある。なぜ人間は口から煙を吸い込んで鼻から吐き出すのであるか、腹の足しにも血の道の薬にもならないものを、恥ずかしげもなく吐《と》呑《どん》してはばからざる以上は、吾《わが》輩《はい》が金田に出《しゆつ》入《にゆう》するのを、あまり大きな声でとがめだてをしてもらいたくない。金田邸は吾輩の煙草《タバコ》である。
忍び込むというと語《ご》弊《へい》がある、なんだか泥《どろ》棒《ぼう》か間《ま》男《おとこ》のようで聞き苦しい。吾輩が金田邸へ行くのは、招《しよう》待《だい》こそ受けないが、けっして鰹《かつお》の切り身をちょろまかしたり、目鼻が顔の中心に痙《けい》攣《れん》的《てき》に密着している狆《ちん》君《くん》などと密談するためではない。――なに探《たん》偵《てい》?――もってのほかのことである。およそ世の中に何が賤《いや》しい家業だといって探偵と高利貸しほど下等な職はないと思っている。なるほど寒月君のために猫にあるまじきほどの義《ぎ》侠《きよう》心《しん》を起こして、ひとたびは金田家の動静をよそながらうかがったことはあるが、それはただの一ぺんで、その後はけっして猫の良心に恥ずるような陋《ろう》劣《れつ》なふるまいをいたしたことはない。――そんなら、なぜ忍び込むというような胡《う》乱《ろん》な文《もん》字《じ》を使用した?――さあ、それがすこぶる意味のあることだて。元来吾輩の考えによると大《たい》空《くう》は万《ばん》物《ぶつ》をおおうため大《だい》地《ち》は万物を載せるためにできている――いかに執《しつ》拗《よう》な議論を好む人間でもこの事実を否定するわけにはゆくまい。さてこの大空大地を製造するために彼ら人類はどのくらいの労力を費やしているかというと尺《せき》寸《すん》の手伝いもしておらぬではないか。自分が製造しておらぬものを自分の所有ときめる法はなかろう。自分の所有ときめてもさしつかえないが他の出入を禁ずる理由はあるまい。この茫《ぼう》々《ぼう》たる大地を、こざかしくも垣《かき》をめぐらし棒《ぼう》杭《ぐい》を立てて某々所有地などと画し限るのはあたかもかの蒼《そう》天《てん》に縄《なわ》張りして、この部分は我の天、あの部分は彼の天と届け出るようなものだ。もし土地を切り刻んで一坪いくらの所有権を売買するなら我らが呼吸する空気を一尺立方に割って切り売りをしてもいいわけである。空気の切り売りができず、空の縄張りが不当なら地面の私有も不合理ではないか。如《によ》是《ぜ》観《かん》によりて如《によ》是《ぜ》法《ほう》を信じている吾輩はそれだからどこへでもはいって行く。もっとも行きたくない所へは行かぬが、志す方角へは東西南北の差別はいらぬ、平気な顔をして、のそのそと参る。金田ごとき者に遠慮をするわけがない。――しかし猫の悲しさは力ずくではとうてい人間にはかなわない。強勢は権利なりとの格言さえあるこの浮《うき》世《よ》に存在する以上は、いかにこっちに道理があっても猫の議論は通らない。無理に通そうとすると車屋の黒のごとく不意にさかな屋の天《てん》秤《びん》棒《ぼう》をくらう恐れがある。理はこっちにあるが権力は向こうにあるという場合に、理を曲げて一も二もなく屈従するか、または権力の目をかすめてわが理を貫ぬくかといえば、吾輩はむろん後者をえらぶのである。天秤棒は避けざるべからざるがゆえに、忍ばざるべからず。人の邸内へははいり込んでさしつかえなきゆえ込まざるをえず。このゆえに吾輩は金田邸へ忍び込むのである。
忍び込む度《ど》が重なるにつけ、探偵をする気はないが自然金田君一家《け》の事情が見たくもない吾輩の目に映じて覚えたくもない吾輩の脳裏に印象をとどむるに至るのはやむをえない。鼻子夫人が顔を洗うたんびに念を入れて鼻だけふくことや、富子令嬢が阿《あ》倍《べ》川《かわ》餠《もち*》をむやみに召し上がらるることや、それから金田君自身が――金田君は細君に似合わず鼻の低い男である。たんに鼻のみではない、顔全体が低い。子供の時分けんかをして、餓《が》鬼《き》大将のために首筋をつらまえられて、うんと精いっぱいに土《ど》塀《べい》へおしつけられた時の顔が四十年後の今日まで、因《いん》果《が》をなしておりはせぬかと怪しまるるくらい平《へい》坦《たん》な顔である。しごく穏やかで危険のない顔には相違ないが、なんとなく変化に乏しい。いくらおこっても平らかな顔である。――その金田君が鮪《まぐろ》のさし身を食って自分で自分のはげ頭をぴちゃぴちゃたたくことや、それから顔が低いばかりでなく背《せい》が低いので、むやみに高い帽子と高い下《げ》駄《た》をはくことや、それを車夫がおかしがって書生に話すことや、書生がなるほど君の観察は機敏だと感心することや、――一々数え切れない。
近ごろは勝手口の横を庭へ通り抜けて、築《つき》山《やま》の陰から向こうを見渡して障子が立て切って物静かであるなと見きわめがつくと、そろそろ上がり込む。もし人声がにぎやかであるか、座敷から見透かさるる恐れがあると思えば池を東へ回って雪《せつ》隠《いん》の横から知らぬ間に縁の下へ出る。悪いことをした覚えはないから何も隠れることも、恐れることもないのだが、そこが人間という無法者に会っては不運とあきらめるよりしかたがないので、もし世間が熊《くま》坂《さか》長《ちよう》範《はん》ばかりになったらいかなる盛徳の君子もやはり吾輩のような態度にいずるであろう。金田君は堂々たる実業家であるからもとより熊坂長範のように五尺三寸《*》を振り回す気づかいはあるまいが、承るところによれば人を人と思わぬ病気があるそうである。人を人と思わないくらいなら猫を猫とも思うまい。してみれば猫たるものはいかなる盛徳の猫でも彼の邸内でけっして油断はできぬわけである。しかしその油断のできぬところが吾輩にはちょっとおもしろいので、吾輩がかくまでに金田家の門を出入するのも、ただこの危険が冒してみたいばかりかもしれぬ。それは追ってとくと考えた上、猫の脳裡を残りなく解剖しえた時改めて御《ご》吹《ふい》聴《ちよう》つかまつろう。
きょうはどんな模様だなと、例の築山の芝《しば》生《ふ》の上にあごを押しつけて前面を見渡すと十五畳の客間を弥生《やよい》の春に明け放って、中には金田夫婦と一人の来客とのお話最中である。あいにく鼻子夫人の鼻がこっちを向いて池越しに吾輩の額の上を正面からにらめつけている。鼻ににらまれたのは生まれてきょうがはじめてである。金田君は幸い横顔を向けて客と相対しているから例の平坦な部分は半分かくれて見えぬが、その代わり鼻のありかが判然しない。ただごま塩色の口《くち》髯《ひげ》がいいかげんな所から乱雑に茂生しているので、あの上に孔《あな》が二つあるはずだと結論だけは苦もなくできる。春風もああいうなめらかな顔ばかり吹いていたらさだめて楽だろうと、ついでながら想像をたくましゅうしてみた。お客さんは三人のうちでいちばん普通な容《よう》貌《ぼう》を有している。ただし普通なだけに、これぞと取り立てて紹介するに足るような造作は一つもない。普通というと結構なようだが、普通の極《きよく》平凡の堂に上《のぼ》り、庸俗の室に入った《*》のはむしろ憫《びん》然《ぜん》の至りだ。かかる無意味な面構えを有すべき宿命を帯びて明治の昭代に生まれて来たのはだれだろう。例のごとく縁の下まで行ってその談話を承らなくてはわからぬ。
「……それで妻《さい》がわざわざあの男の所まで出かけて行って様子を聞いたんだがね……」と金田君は例のごとく横《おう》風《ふう》な言葉づかいである。横風ではあるがごうも峻《しゆん》嶮《けん》なところがない。言語も彼の顔面のごとく平板厖《ぼう》大《だい》である。
「なるほどあの男が水島さんを教えたことがございますので――なるほど、よいお思いつきで――なるほど」となるほどずくめのはお客さんである。
「ところがなんだか要領を得んので」
「ええ苦《く》沙《しや》弥《み》じゃ要領を得ないわけで――あの男は私がいっしょに下宿をしている時分からじつに煮え切らない――そりゃお困りでございましたろう」とお客さんは鼻子夫人の方を向く。
「困るの、困らないのってあなた、わたしゃこの年になるまで人のうちへ行って、あんな不《ふ》取《とり》扱《あつかい》を受けたことはありゃしません」と鼻子は例によって鼻あらしを吹く。
「何か無礼なことでも申しましたか、昔から頑《がん》固《こ》な性《しよう》分《ぶん》で――なにしろ十年一日のごとくリードル専門の教師をしているのでもだいたいおわかりになりましょう」とお客さんはていよく調子を合わせている。
「いやお話にもならんくらいで、妻《さい》が何か聞くとまるで剣もほろろの挨《あい》拶《さつ》だそうで……」
「それはけしからんわけで――いったい少し学問をしているととかく慢心がきざすもので、その上貧乏をすると負け惜しみが出ますから――いえ世の中にはずいぶん無法なやつがおりますよ。自分の働きのないのにゃ気がつかないで、むやみに財産のある者に食ってかかるなんてえのが――まるで彼らの財産でもまき上げたような気分ですから驚きますよ、アハハハ」とお客さんは大恐悦のていである。
「いや、まことに言《ごん》語《ご》道断で、ああいうのは畢《ひつ》竟《きよう》世間見ずのわがままから起こるのだから、ちっと懲らしめのためにいじめてやるがよかろうと思って、少し当たってやったよ」
「なるほどそれではだいぶこたえましたろう、全く本人のためにもなることですから」とお客さんはいかなる当たり方か承らぬ先からすでに金田君に同意している。
「ところが鈴《すず》木《き》さん、まあなんて頑固な男なんでしょう。学校へ出ても福《ふく》地《ち》さんや、津《つ》木《き》さんには口もきかないんだそうです。恐れ入って黙っているのかと思ったらこのあいだは罪もない、宅《たく》の書生をステッキを持って追っかけたってんです――三十面《づら》さげて、よく、まあ、そんなばかなまねができたもんじゃありませんか、全くやけで少し気が変になってるんですよ」
「へえどうしてまたそんな乱暴なことをやったんで……」とこれには、さすがのお客さんも少し不審を起こしたとみえる。
「なあに、ただあの男の前をなんとか言って通ったんだそうです、すると、いきなり、ステッキを持ってはだしで飛び出して来たんだそうです。よしんば、ちっとやそっと、何か言ったって子供じゃありませんか、髯《ひげ》面《づら》の大《おお》僧《ぞう》のくせにしかも教師じゃありませんか」
「さよう教師ですからな」とお客さんが言うと、金田君も「教師だからな」と言う。教師たる以上はいかなる侮《ぶ》辱《じよく》を受けても木像のようにおとなしくしておらねばならぬとはこの三人の期せずして一致した論点とみえる。
「それに、あの迷《めい》亭《てい》って男はよっぽどな酔《すい》興《きよう》人《にん》ですね。役にも立たないうそ八百を並べ立てて。わたしゃあんな変てこな人にゃはじめて会いましたよ」
「ああ迷亭ですか、相変わらず法《ほ》螺《ら》を吹くとみえますね。やはり苦沙弥の所でお会いになったんですか。あれにかかっちゃたまりません。あれも昔自炊の仲間でしたがあんまり人をばかにするものですからよくけんかをしましたよ」
「だれだっておこりまさあね、あんなじゃ。そりゃうそをつくのもようござんしょうさ、ね、義理が悪いとか、ばつを合わせなくっちゃあならないとか――そんな時にはだれしも心にないことを言うもんでさあ。しかしあの男のはつかなくってすむのにやたらにつくんだから始末におえないじゃありませんか。何がほしくって、あんなでたらめを――よくまあ、しらじらしく言えると思いますよ」
「ごもっともで、全く道楽からくるうそだから困ります」
「せっかくあなたまじめに聞きに行った水島のこともめちゃめちゃになってしまいました。わたしゃ業《ごう》腹《はら》でいまいましくって――それでも義理は義理でさあ、人のうちへ物を聞きに行って知らん顔の半《はん》兵《べ》衛《え*》もあんまりですから、あとで車夫にビールを一ダース持たせてやったんです。ところがあなたどうでしょう。こんなものを受け取る理由がない、持って帰れって言うんだそうで。いえお礼だから、どうかお取りくださいって車夫が言ったら。――にくいじゃありませんか、おれはジャムは毎日なめるがビールのような苦いものは飲んだことがないって、ふいと奥へはいってしまったって――言いぐさにことを欠いて、まあどうでしょう、失礼じゃありませんか」
「そりゃ、ひどい」とお客さんも今度は本気にひどいと感じたらしい。
「そこできょうわざわざ君を招いたのだがね」としばらくとぎれて金田君の声が聞こえる。「そんなばか者は陰から、からかってさえいればすむようなものの、少々それでも困ることがあるじゃて……」と鮪のさし身を食う時のごとくはげ頭をぴちゃぴちゃたたく。もっとも吾輩は縁の下にいるから実際たたいたかたたかないか見えようはずがないが、このはげ頭の音は近来だいぶ聞き慣れている。比《び》丘《く》尼《に》が木《もく》魚《ぎよ》の音を聞き分けるごとく、縁の下からでも音さえたしかであればすぐはげ頭だなと出《しゆつ》所《しよ》を鑑定することができる。「そこでちょっと君をわずらわしたいと思ってな……」
「私にできますことならなんでも御遠慮なくどうか――今度東京勤務ということになりましたのも全くいろいろ御心配をかけた結果にほかならんわけでありますから」とお客さんは快く金田君の依頼を承諾する。この口《く》調《ちよう》でみるとこのお客さんはやはり金田君の世話になる人とみえる。いやだんだん事件がおもしろく発展してくるな、きょうはあまり天気がいいので、来る気もなしに来たのであるが、こういう好材料を得ようとは全く思いがけなんだ。お彼《ひ》岸《がん》にお寺まいりをして偶然方《ほう》丈《じよう》で牡《ぼ》丹《た》餠《もち》のごちそうになるようなものだ。金田君はどんなことを客人に依頼するかなと、縁の下から耳をすまして聞いている。
「あの苦沙弥という変《へん》物《ぶつ》が、どういうわけか水島に入れ知恵をするので、あの金田の娘をもらってはいかんなどとほのめかすそうだ――なあ鼻子そうだな」
「ほのめかすどころじゃないんです。あんなやつの娘をもらうばかがどこの国にあるものか、寒月君けっしてもらっちゃいかんよって言うんです」
「あんなやつとはなんだ失敬な、そんな乱暴なことを言ったのか」
「言ったどころじゃありません、ちゃんと車屋のかみさんが知らせに来てくれたんです」
「鈴木君どうだい、お聞きのとおりの次第さ、ずいぶん厄《やつ》介《かい》だろうが?」
「困りますね、ほかのことと違って、こういうことには他人がみだりに容《よう》喙《かい》するべきはずのものではありませんからな。そのくらいなことはいかな苦沙弥でも心得ているはずですが。いったいどうしたわけなんでしょう」
「それでの、君は学生時代から苦沙弥と同宿をしていて、今はとにかく、昔は親密な間がらであったそうだから御依頼するのだが、君当人に会ってな、よく利害をさとしてみてくれんか。何かおこっているかもしれんが、おこるのは向こうが悪いからで、先方がおとなしくしてさえいれば一身上の便宜も十分計ってやるし、気にさわるようなこともやめてやる。しかし向こうが向こうならこっちもこっちという気になるからな――つまりそんな我《が》を張るのは当人の損だからな」
「ええ全くおっしゃるとおり愚《ぐ》な抵抗をするのは本人の損になるばかりでなんの益もないことですから、よく申し聞けましょう」
「それから娘はいろいろと申し込みもあることだから、必ず水島にやるときめるわけにもいかんが、だんだん聞いてみると学問も人物も悪くもないようだから、もし当人が勉強して近いうちに博士《はかせ》にでもなったらあるいはもらうことができるかもしれんぐらいはそれとなくほのめかしてもかまわん」
「そう言ってやったら当人も励みになって勉強することでしょう。よろしゅうございます」
「それから、あの妙なことだが――水島にも似合わんことだと思うが、あの変物の苦沙弥を先生先生と言って苦沙弥の言うことはたいてい聞く様子だから困る。なにそりゃ何も水島に限るわけではむろんないのだから苦沙弥がなんと言って邪魔をしようと、わしのほうはべつにさしつかえもせんが……」
「水島さんがかあいそうですからね」と鼻子夫人が口を出す。
「水島という人には会ったこともございませんが、とにかくこちらと御縁組みができれば生《しよう》涯《がい》の幸福で、本人はむろん異存はないのでしょう」
「ええ水島さんはもらいたがっているんですが、苦沙弥だの迷亭だのって変わり者がなんだとか、かんだとか言うものですから」
「そりゃ、よくないことで、相当の教育のある者にも似合わん所《しよ》作《さ》ですな。よく私が苦沙弥の所へ参って談じましょう」
「ああ、どうか、ごめんどうでも、一つ願いたい。それからじつは水島のことも苦沙弥がいちばん詳しいのだがせんだって妻《さい》が行った時は今の始末でろくろく聞くこともできなかったわけだから、君からいま一応本人の性行学才等をよく聞いてもらいたいて」
「かしこまりました。きょうは土曜ですからこれから回ったら、もう帰っておりましょう。近ごろはどこに住んでおりますかしらん」
「ここの前を右へ突き当たって、左へ一丁ばかり行くとくずれかかった黒《くろ》塀《べい》のあるうちです」と鼻子が教える。
「それじゃ、つい近所ですな。わけはありません。帰りにちょっと寄ってみましょう。なあに、だいたいわかりましょう標札を見れば」
「標札はある時と、ない時とありますよ。名刺を御《ご》饌《ぜん》粒《つぶ》で門へはりつけるのでしょう。雨がふるとはがれてしまいましょう。するとお天気の日にまたはりつけるのです。だから標札はあてにゃなりませんよ。あんなめんどうくさいことをするよりせめて木札でもかけたらよさそうなもんですがねえ。ほんとうにどこまでも気の知れない人ですよ」
「どうも驚きますな。しかしくずれた黒塀のうちと聞いたらたいがいわかるでしょう」
「ええあんなきたないうちは町内に一軒しかないから、すぐわかりますよ。あ、そうそうそれでわからなければ、いいことがある。なんでも屋根に草がはえたうちを捜してゆけば間違いっこありませんよ」
「よほど特色のある家ですなあアハハハハ」
鈴木君が御光来になる前に帰らないと、少し都合が悪い。談話もこれだけ聞けば大丈夫たくさんである。縁の下を伝わって雪隠を西へ回って築《つき》山《やま》の陰から往来へ出て、急ぎ足で屋根に草のはえているうちへ帰って何食わぬ顔をして座敷の縁へ回る。
主人は縁側へ白《しろ》毛布《ゲツト》を敷いて、腹ばいになってうららかな春《はる》日《び》に甲《こう》羅《ら》を干している。太陽の光線は存外公平なもので屋根にペンペン草の目標のある陋《ろう》屋《おく》でも、金田君の客間のごとく陽気に暖かそうであるが、気の毒なことには毛布《ケツト》だけが春らしくない。製造元では白のつもりで織り出して、唐《とう》物《ぶつ》屋《や》でも白の気で売りさばいたのみならず、主人も白という注文で買って来たのであるが――なにしろ十二、三年以前のことだから白の時代はとくに通り越してただ今は濃灰色なる変色の時期に遭《そう》遇《ぐう》しつつある。この時期を経過して他の暗黒色に化けるまで毛布《ケツト》の命が続くかどうだかは、疑問である。今でもすでにまんべんなくすり切れて、縦横の筋は明らかに読まれるくらいだから、毛布《ケツト》と称するのはもはや僭《せん》上《じよう》の沙《さ》汰《た》であって、毛の字は省いてたんにツトとでも申すのが適当である。しかし主人の考えでは一年持ち、二年持ち、五年持ち十年持った以上は生涯持たねばならぬと思っているらしい。ずいぶんのんきなことである。さてその因縁のある毛布《ケツト》の上へ前申すとおり腹ばいになって何をしているかと思うと両手で出張ったあごをささえて、右手の指の股《また》に巻《まき》煙草《タバコ》をはさんでいる。ただそれだけである。もっとも彼がフケだらけの頭の裏《うち》には宇宙の大真理が火の車のごとく回転しつつあるかもしれないが、外部から拝見したところでは、そんなこととは夢にも思えない。
煙草の火はだんだん吸い口の方へ迫って、一寸ばかり燃えつくした灰の棒がぱたりと毛布《ケツト》の上に落つるのもかまわず主人は一生懸命に煙草から立ちのぼる煙の行く末を見つめている。その煙は春風に浮きつ沈みつ、流れる輪を幾《いく》重《え》にも描いて、紫深き細君の洗い髪の根もとへ吹き寄せつつある。――おや、細君のことを話しておくはずだった。忘れていた。
細君は主人に尻《しり》を向けて――なに失礼な細君だ? べつに失礼なことはないさ。礼も非礼も相互の解釈次第でどうでもなることだ。主人は平気で細君の尻の所へ頬《ほお》杖《づえ》を突き、細君は平気で主人の顔の先へ荘《そう》厳《ごん》なる尻をすえたまでのことで無礼もへちまもないのである。御両人は結婚後一か年もたたぬ間《ま》に礼儀作法などと窮屈な境遇を脱却せられた超然的夫婦である。――さてかくのごとく主人に尻を向けた細君はどういう了見か、きょうの天気に乗じて、尺に余る緑の黒髪を、ふのりと生《なま》卵《たまご》でゴシゴシせんたくせられたものとみえて癖のないやつを、見よがしに肩から背へ振りかけて、無言のまま子供の袖《そで》なしを熱心に縫っている。じつはその洗い髪をかわかすために唐《とう》ちりめんの布《ふ》団《とん》と針箱を縁側へ出して、うやうやしく主人に尻を向けたのである。あるいは主人のほうで尻のある見当へ顔を持って来たのかもしれない。そこで先刻お話をした煙草の煙が、豊かになびく黒髪の間に流れ流れて、時ならぬかげろうの燃えるところを主人は余念もなくながめている。しかしながら煙はもとより一《いつ》所《しよ》にとどまるものではない、その性質として上へ上へと立ちのぼるのだから主人の目もこの煙と髪《かみ》毛《げ》ともつれ合う奇観を落ちなく見ようとすれば、ぜひとも目を動かさなければならない。主人はまず腰のへんから観察を始めて徐々と背中を伝って、肩から首筋にかかったが、それを通り過ぎてようよう脳天に達した時、覚えずあっと驚いた。――主人が偕《かい》老《ろう》同《どう》穴《けつ》を契った夫人の脳天のまん中にはまん丸な大きなはげがある《*》。しかもそのはげが暖かい日光を反射して、今や時《とき》を得《え》顔《がお》に輝いている。思わざるへんにこの不思議な大発見をなした時の主人の目はまばゆい中に十分の驚きを示して、はげしい光線で瞳《どう》孔《こう》の開くのもかまわず一心不乱に見つめている。主人がこのはげを見た時、第一彼の脳裏に浮かんだのはかの家伝来の仏壇に幾《いく》世《よ》となく飾りつけられたるお燈《とう》明《みよう》皿《ざら》である。彼の一家《け》は真《しん》宗《しゆう》で、真宗では仏壇に身分不相応な金をかけるのが古例である。主人は幼少の時その家の倉の中に、薄暗く飾りつけられたる金《きん》箔《ぱく》厚き厨《ず》子《し》があって、その厨子の中にはいつでも真《しん》鍮《ちゆう》の燈明皿がぶらさがって、その燈明皿には昼でもぼんやりした灯《ひ》がついていたことを記憶している。周囲が暗い中にこの燈明皿が比較的明《めい》瞭《りよう》に輝いていたので子供心にこの灯《ひ》をなんべんとなく見た時の印象が細君のはげによび起こされて突然飛び出したものであろう。燈明皿は一分たたぬ間《ま》に消えた。このたびは観《かん》音《のん》様《さま》の鳩《はと》のことを思い出す。観音様の鳩と細君のはげとはなんらの関係もないようであるが、主人の頭では二つの間に密接な連想がある。同じく子供の時分に浅《あさ》草《くさ》へ行くと必ず鳩に豆を買ってやった。豆は一皿が文《ぶん》久《きゆう》二つで、赤い土器《かわらけ》へはいっていた。その土器《かわらけ》が、色といい大きさといいこのはげによく似ている。
「なるほど似ているな」と主人が、さも感心したらしく言うと「何がです」と細君は見向きもしない。
「なんだって、お前の頭にゃ大きなはげがあるぜ。知ってるか」
「ええ」と細君は依然として仕事の手をやめずに答える。べつだん露見を恐れた様子もない。超然たる模範細君である。
「嫁に来る時からあるのか、結婚後新たにできたのか」と主人が聞く。もし嫁に来る前からはげているならだまされたのであると口へは出さないが心のうちで思う。
「いつできたんだか覚えちゃいませんわ、はげなんざどうだっていいじゃありませんか」と大いに悟ったものである。
「どうだっていいって、自分の頭じゃないか」と主人は少々怒気を帯びている。
「自分の頭だから、どうだっていいんだわ」と言ったが、さすが少しは気になるとみえて、右の手を頭に乗せて、くるくるはげをなでてみる。「おやだいぶ大きくなったこと、こんなじゃないと思っていた」と言ったところをもってみると、年に合わしてはげがあまり大き過ぎるということをようやく自覚したらしい。
「女は髷《まげ》に結《ゆ》うと、ここがつれますからだれでもはげるんですわ」と少しく弁護しだす。
「そんな速度で、みんなはげたら、四十ぐらいになれば、から薬《や》罐《かん》ばかりできなければならん。そりゃ病気に違いない。伝染するかもしれん、今のうち早く甘木さんに見てもらえ」と主人はしきりに自分の頭をなで回してみる。
「そんなに人のことをおっしゃるが、あなただって鼻の孔《あな》へ白《しら》髪《が》がはえてるじゃありませんか。はげが伝染するなら白髪だって伝染しますわ」と細君少々ぷりぷりする。
「鼻の中の白髪は見えんから害はないが、脳天が――ことに若い女の脳天がそんなにはげちゃ見苦しい。片輪だ」
「片輪なら、なぜおもらいになったのです。御自分が好きでもらっておいて片輪だなんて……」
「知らなかったからさ。全くきょうまで知らなかったんだ。そんなにいばるなら、なぜ嫁に来る時頭を見せなかったんだ」
「ばかなことを! どこの国に頭の試験をして及第したら嫁に来るなんて、者があるもんですか」
「はげはまあ我慢もするが、お前は背《せい》が人並みはずれて低い。はなはだ見苦しくていかん」
「背は見ればすぐわかるじゃありませんか、背の低いのは最初から承知でおもらいになったんじゃありませんか」
「それは承知さ、承知には相違ないがまだ延びるかと思ったからもらったのさ」
「二十《はたち》にもなって背が延びるなんて――あなたもよっぽど人をばかになさるのね」と細君は袖なしをほうり出して主人の方にねじ向く。返答次第ではそのぶんにはすまさんというけんまくである。
「二十《はたち》になったって背が延びてならんという法はあるまい。嫁に来てから滋養分でも食わしたら、少しは延びる見込みがあると思ったんだ」とまじめな顔をして妙な理窟を述べていると門《かど》口《ぐち》のベルが勢いよく鳴り立てて頼むという大きな声がする。いよいよ鈴木君がペンペン草をめあてに苦沙弥先生の臥《が》竜《りよう》窟《くつ》を尋ねあてたとみえる。
細君はけんかを後《ご》日《じつ》に譲って、倉《そう》皇《こう》針箱と袖なしをかかえて茶の間《ま》へ逃げ込む。主人は鼠《ねずみ》色《いろ》の毛布《ケツト》を丸めて書斎へ投げ込む、やがて下女が持って来た名刺を見て、主人はちょっと驚いたような顔つきであったが、こちらへお通し申してと言いすてて、名刺を握ったまま後《こう》架《か》へはいった。なんのために後架へ急にはいったかいっこう要領をえん、なんのために鈴《すず》木《き》藤《とう》十《じゆう》郎《ろう》君《くん》の名刺を後架まで持って行ったのかなおさら説明に苦しむ。とにかく迷惑なのは臭い所へ随行を命ぜられた名刺君である。
下女が更《さら》紗《さ》の座《ざ》布《ぶ》団《とん》を床《とこ》の前へ直して、どうぞこれへと引きさがった、あとで、鈴木君は一応室内を見回す。床《とこ》に掛けた花《はな》開《ひらく》万《ばん》国《こくの》春《はる*》とある木《もく》菴《あん*》のにせ物や、京《きよう》製《せい》の安《やす》青《せい》磁《じ》に生けた彼《ひ》岸《がん》桜《ざくら》などを一々順番に点検したあとで、ふと下女の勧めた布団の上を見るといつのまにか一匹の猫がすましてすわっている。申すまでもなくそれはかく申す吾輩である。この時鈴木君の胸のうちにちょっとの間《ま》顔色にも出ぬほどの風《ふう》波《は》が起こった。この布団は疑いもなく鈴木君のために敷かれたものである。自分のために敷かれた布団の上に自分が乗らぬ先から、断りもなく妙な動物が平然と蹲《そん》踞《きよ》している。これが鈴木君の心の平均を破る第一の条件である。もしこの布団が勧められたまま、主《ぬし》なくして春《はる》風《かぜ》の吹くに任せてあったなら、鈴木君はわざと謙《けん》遜《そん》の意を表して、主人がさあどうぞと言うまでは堅い畳の上で我慢していたかもしれない。しかし早晩自分の所有すべき布団の上に挨《あい》拶《さつ》もなく乗ったものはだれであろう。人間なら譲ることもあろうが猫とはけしからん。乗り手が猫であるというのが一段と不愉快を感ぜしめる。これが鈴木君の心の平均を破る第二の条件である。最後にその猫の態度がもっともしゃくにさわる。少しは気の毒そうにでもしていることか、乗る権利もない布団の上に、傲《ごう》然《ぜん》と構えて、丸い無《ぶ》愛《あい》嬌《きよう》な目をぱちつかせて、お前はだれだいと言わぬばかりに鈴木君の顔を見つめている。これが平均を破壊する第三の条件である。これほど不平があるなら、吾輩の首根っこをとらえて引きずり卸したらよさそうなものだが、鈴木君は黙って見ている。堂々たる人間が猫に恐れて手出しをせぬということはあろうはずがないのに、なぜ早く吾輩を処分して自分の不平をもらさないかというと、これは全く鈴木君が一個の人間として自己の体面を維持する自《じ》重《ちよう》心《しん》のゆえであると察せらるる。もし腕力に訴えたなら三尺の童子も吾輩を自由に上下しうるであろうが、体面を重んずる点より考えるといかに金田君の股《こ》肱《こう》たる鈴木藤十郎その人もこの二尺四方のまん中に鎮座まします猫《ねこ》大《だい》明《みよう》神《じん》をいかんともすることができぬのである。いかに人の見ていぬ場所でも、猫と座席争いをしたとあってはいささか人間の威厳に関する。まじめに猫を相手にして曲直を争うのはいかにもおとなげない。滑《こつ》稽《けい》である。この不名誉を避けるためには多少の不便は忍ばねばならぬ。しかし忍ばねばならぬだけそれだけ猫に対する憎《ぞう》悪《お》の念は増すわけであるから、鈴木君は時々吾輩の顔を見ては苦笑いをする。吾輩は鈴木君の不平な顔を拝見するのがおもしろいから滑稽の念をおさえてなるべく何食わぬ顔をしている。
吾輩と鈴木君のあいだに、かくのごとき無言劇が行なわれつつある間に主人は衣《え》紋《もん》をつくろって後架から出て来て「やあ」と席に着いたが、手に持っていた名刺の影さえ見えぬところをもってみると、鈴木藤十郎君の名前は臭い所へ無期徒刑に処せられたものとみえる。名刺こそとんだ厄《やく》運《うん》に際会したものだと思う間《ま》もなく、主人はこのやろうと吾輩の襟《えり》がみをつかんでえいとばかりに縁側へたたきつけた。
「さあ敷きたまえ。珍しいな。いつ東京へ出て来た」と主人は旧友に向かって布団を勧める。鈴木君はちょっとこれを裏返した上で、それへすわる。
「ついまだ忙しいものだから報知もしなかったが、じつはこのあいだから東京の本社のほうへ帰るようになってね……」
「それは結構だ、だいぶ長く会わなかったな。君が田舎《いなか》へ行ってから、はじめてじゃないか」
「うん、もう十年近くになるね。なにその後時々東京へは出て来ることもあるんだが、つい用事が多いもんだから、いつでも失敬するようなわけさ。悪く思ってくれたもうな。会社のほうは君の職業とは違ってずいぶん忙しいんだから」
「十年たつうちにはだいぶ違うもんだな」と主人は鈴木君を見上げたり見おろしたりしている。鈴木君は頭をきれいに分けて、英国仕立てのツィードを着て、はでな襟《えり》飾《かざ》りをして、胸に金鎖さえピカつかせている体裁、どうしても苦沙弥君の旧友とは思えない。
「うん、こんな物までぶらさげなくちゃ、ならんようになってね」と鈴木君はしきりに金鎖を気にしてみせる。
「そりゃ本ものかい」と主人は無作法な質問をかける。
「十八金だよ」と鈴木君は笑いながら答えたが「君もだいぶ年を取ったね。たしか子供があるはずだったが一人かい」
「いいや」
「二人?」
「いいや」
「まだあるのか、じゃ三人か」
「うん三人ある。この先幾人できるかわからん」
「相変わらず気楽なことを言ってるぜ。いちばん大きいのはいくつになるかね。もうよっぽどだろう」
「うん、いくつかよく知らんがおおかた六つか、七つかだろう」
「ハハハ教師はのんきでいいな。ぼくも教員にでもなればよかった」
「なってみろ、三日でいやになるから」
「そうかな、なんだか上品で、気楽で、暇があって、すきな勉強ができて、よさそうじゃないか。実業家も悪くもないが我々のうちはだめだ。実業家になるならずっと上にならなくっちゃいかん。下のほうになるとやはりつまらんお世辞を振りまいたり、好かん猪口《ちよこ》をいただきに出たりずいぶん愚《ぐ》なもんだよ」
「ぼくは実業家は学校時代から大きらいだ。金さえ取れればなんでもする、昔でいえば素《す》町《ちよう》人《にん》だからな」と実業家を前に控えて太平楽をならべる。
「まさか――そうばかりも言えんがね、少しは下品なところもあるのさ、とにかく金と情死《しんじゆう》をする覚悟でなければやり通せないから――ところがその金というやつが曲《くせ》者《もの》で、――今もある実業家の所へ行って聞いて来たんだが、金を作るにも三角術を使わなくちゃいけないと言うのさ――義理をかく、人情をかく、恥をかくこれで三角になるそうだおもしろいじゃないかアハハハハ」
「だれだそんなばかは」
「ばかじゃない、なかなか利口な男なんだよ、実業界でちょっと有名だがね、君知らんかしら、ついこの先の横丁にいるんだが」
「金田か? なんだあんなやつ」
「たいへんおこってるね。なあに、そりゃ、ほんの冗談だろうがね、そのくらいにせんと金はたまらんという喩《たとえ》さ。君のようにそうまじめに解釈しちゃ困る」
「三角術は冗談でもいいが、あすこの女房の鼻はなんだ。君行ったんなら見て来たろう、あの鼻を」
「細君か、細君はなかなかさばけた人だ」
「鼻だよ、大きな鼻のことを言ってるんだ。せんだってぼくはあの鼻について俳体詩を作ったがね」
「なんだい俳体詩というのは」
「俳体詩を知らないのか、君もずいぶん時勢に暗いな」
「ああぼくのように忙しいと文学などはとうていだめさ。それに以前からあまりすきでないほうだから」
「君シャーレマン《*》の鼻の恰《かつ》好《こう》を知ってるか」
「アハハハハずいぶん気楽だな。知らんよ」
「エルリントン《*》は部下の者から鼻々と異《い》名《みよう》をつけられていた。君知ってるか」
「鼻のことばかり気にして、どうしたんだい。いいじゃないか鼻なんて丸くてもとんがってても」
「けっしてそうでない。君パスカルのことを知ってるか」
「また知ってるかか、まるで試験を受けに来たようなものだ。パスカルがどうしたんだい」
「パスカルがこんなことを言っている」
「どんなことを」
「もしクレオパトラの鼻が少し短かったならば世界の表面に大変化をきたしたろうと」
「なるほど」
「それだから君のようにそう無《む》造《ぞう》作《さ》に鼻をばかにしてはいかん」
「まあいいさ、これからだいじにするから。そりゃそうとして、きょう来たのは、少し君に用事があって来たんだがね。――あのもと君の教えたとかいう、水島――ええ水島ええちょっと思い出せない。――そら君の所へ始終来るというじゃないか」
「寒《かん》月《げつ》か」
「そうそう寒月寒月。あの人のことについてちょっと聞きたいことがあって来たんだがね」
「結婚事件じゃないか」
「まあ多少それに類似のことさ。きょう金田へ行ったら……」
「このあいだ鼻が自分で来た」
「そうか。そうだって、細君もそう言っていたよ。苦沙弥さんに、よく伺おうと思って上がったら、あいにく迷亭が来ていて茶々を入れて何がなんだかわからなくしてしまったって」
「あんな鼻をつけて来るから悪いや」
「いえ君のことを言うんじゃないよ。あの迷亭君がおったもんだから、そう立ち入ったことを聞くわけにもゆかなかったのが残念だったから、もう一ぺんぼくに行ってよく聞いて来てくれないかって頼まれたものだからね。ぼくも今までこんな世話はしたことはないが、もし当人どうしがいやでないなら中へ立ってまとめるのも、けっして悪いことはないからね――それでやって来たのさ」
「御苦労様」と主人は冷淡に答えたが、腹の内では当人どうしという言葉を聞いて、どういうわけかわからんが、ちょっと心を動かしたのである。蒸し熱い夏の夜《よ》に一《いち》縷《る》の冷風が袖《そで》口《ぐち》をくぐったような気分になる。元来この主人はぶっきらぼうの、頑《がん》固《こ》つや消しを旨として製造された男であるが、さればといって冷酷不人情な文明の産物とはおのずからその撰《せん》を異にしている。彼がなんぞというと、むかっ腹をたててぷんぷんするのでも這《しや》裏《り》の消息は会《え》得《とく》できる。先日鼻とけんかをしたのは鼻が気に食わぬからで鼻の娘にはなんの罪もない話である。実業家はきらいだから、実業家の片割れなる金田某もきらいに相違ないがこれも娘その人とは没《ぼつ》交《こう》渉《しよう》の沙《さ》汰《た》といわねばならぬ。娘には恩も恨みもなくて、寒月は自分が実の弟よりも愛している門下生である。もし鈴木君の言うごとく、当人どうしが好いた仲なら、間接にもこれを妨害するのは君子のなすべき所作でない。――苦沙弥先生はこれでも自分を君子と思っている。――もし当人どうしが好いているなら――しかしそれが問題である。この事件に対して自己の態度を改めるには、まずその真相から確かめなければならん。
「君その娘は寒月の所へ来たがってるのか。金田や鼻はどうでもかまわんが、娘自身の意向はどうなんだ」
「そりゃ、その――なんだね――なんでも――え、来たがってるんだろうじゃないか」鈴木君の挨《あい》拶《さつ》は少々あいまいである。じつは寒月君のことだけ聞いて復命さえすればいいつもりで、お嬢さんの意向までは確かめて来なかったのである。したがって円転滑脱の鈴木君もちょっと狼《ろう》狽《ばい》の気味にみえる。
「だろうた判然しない言葉だ」と主人は何事によらず、正面から、どやしつけないと気がすまない。
「いや、こりゃちょっとぼくの言いようが悪かった。令嬢のほうでもたしかに意があるんだよ。いえ全くだよ――え?――細君がぼくにそう言ったよ。なんでも時々は寒月君の悪口を言うこともあるそうだがね」
「あの娘がか」
「ああ」
「けしからんやつだ、悪口を言うなんて。第一それじゃ寒月に意がないんじゃないか」
「そこがさ、世の中は妙なもので、自分の好いている人の悪口などはことさら言ってみることもあるからね」
「そんな愚《ぐ》なやつがどこの国にいるものか」と主人はかような人情の機微に立ち入ったことを言われてもとんと感じがない。
「その愚なやつがずいぶん世の中にゃあるからしかたがない。現に金田の細君もそう解釈しているのさ。とまどいをしたへちまのようだなんて、時々寒月さんの悪口を言いますから、よっぽど心のうちでは思ってるに相違ありませんと」
主人はこの不可思議な解釈を聞いて、あまり思いがけないものだから、目を丸くして、返答もせず、鈴木君の顔を、大道易者のようにじっと見つめている。鈴木君はこいつ、この様子では、ことによるとやりそこなうなと感づいたとみえて、主人にも判断のできそうな方面へと話頭を移す。
「君考えてもわかるじゃないか、あれだけの財産があってあれだけの器量なら、どこへだって相応の家《うち》へやれるだろうじゃないか。寒月君だってえらいかもしれんが身分からいや――いや身分といっちゃ失礼かもしれない。――財産という点からいや、まあ、だれが見たってつり合わんのだからね。それをぼくがわざわざ出張するくらい両親が気をもんでるのは本人が寒月君に意があるからのことじゃあないか」と鈴木君はなかなかうまい理窟をつけて説明を与える。今度は主人にも納《なつ》得《とく》ができたらしいのでようやく安心したが、こんなところにまごまごしているとまた吶《とつ》喊《かん》を食う危険があるから、早く話の歩を進めて、一刻も早く使命をまっとうするほうが万全の策と心づいた。
「それでね。今言うとおりのわけであるから、先方で言うには何も金銭や財産はいらんからその代わり当人に付属した資格がほしい――資格というと、まあ肩書きだね、――博士《はかせ》になったらやってもいいなんていばってる次第じゃない――誤解しちゃいかん、せんだって細君の来た時は迷亭君がいて妙なことばかり言うものだから――いえ君が悪いのじゃない。細君も君のことをお世辞のない正直ないいかただとほめていたよ。全く迷亭君が悪かったんだろう。――それでさ本人が博士にでもなってくれれば先方でも世間へ対して肩身が広い、面《めん》目《ぼく》があると言うんだがね、どうだろう、近《きん》々《きん》の内水島君は博士論文でも呈出して、博士の学位を受けるような運びにはゆくまいか。――なあに金田だけなら博士も学士もいらんのさ、ただ世間というものがあるとね、そう手軽にもゆかんからな」
こう言われてみると、先方で博士を請求するのも、あながち無理でもないように思われてくる。無理ではないように思われてくれば、鈴木君の依頼どおりにしてやりたくなる。主人を生かすのも殺すのも鈴木君の意のままである。なるほど主人は単純で正直な男だ。
「それじゃ、今度寒月が来たら、博士論文を書くようにぼくから勧めてみよう。しかし当人が金田の娘をもらうつもりかどうだか、それからまず問いただしてみなくちゃいかんからな」
「問いただすなんて、君そんな角《かく》張《ば》ったことをして物がまとまるものじゃない。やっぱり普通の談話の際にそれとなく気を引いてみるのがいちばん近道だよ」
「気を引いてみる?」
「うん、気を引くというと語弊があるかもしれん。――なに気を引かんでもね。話をしていると自然にわかるもんだよ」
「君にゃわかるかもしれんが、ぼくにゃ判然と聞かんことはわからん」
「わからなけりゃ、まあいいさ。しかし迷亭みたようによけいな茶々を入れてぶちこわすのはよくないと思う。たとい勧めないまでも、こんなことは本人の随意にすべきはずのものだからね。今度寒月君が来たらなるべくどうか邪魔をしないようにしてくれたまえ。――いえ君のことじゃない、あの迷亭君のことさ。あの男の口にかかるととうてい助かりっこないんだから」と主人の代理に迷亭の悪口をきいていると、うわさをすれば陰のたとえにもれず迷亭先生例のごとく勝手口から飄《ひよう》然《ぜん》と春《しゆん》風《ぷう》に乗じて舞い込んで来る。
「いやー珍客だね。ぼくのような狎《こう》客《かく*》になると苦沙弥はとかく粗略にしたがっていかん。なんでも苦沙弥のうちへは十年に一ぺんぐらい来るに限る。この菓子はいつもより上等じゃないか」と藤《ふじ》村《むら*》の羊《よう》羹《かん》を無造作に頬《ほお》張《ば》る。鈴木君はもじもじしている。主人はにやにやしている。迷亭は口をもがもがさしている。吾輩はこの瞬時の光景を縁側から拝見して無言劇というものは優に成立しうると思った。禅《ぜん》家《け》で無言の問答をやるのが以《い》心《しん》伝《でん》心《しん》であるなら、この無言の芝居も明らかに以心伝心の幕である。すこぶる短いけれどもすこぶる鋭い幕である。
「君は一生旅《たび》烏《がらす》かと思ってたら、いつのまにか舞いもどったね。長生きはしたいもんだな。どんな僥《ぎよう》倖《こう》にめぐり会わんとも限らんからね」と迷亭は鈴木君に対しても主人に対するごとくごうも遠慮ということを知らぬ。いかに自炊の仲間でも十年も会わなければ、なんとなく気の置けるものだが迷亭君に限って、そんなそぶりも見えぬのは、えらいのだかばかなのかちょっと見《けん》当《とう》がつかぬ。
「かあいそうに、そんなにばかにしたものでもない」と鈴木君は当たらずさわらずの返事はしたが、なんとなく落ち付きかねて、例の金鎖を神経的にいじっている。
「君電気鉄道《*》へ乗ったか」と主人は突然鈴木君に対して奇問を発する。
「きょうは諸君からひやかされに来たようなものだ。なんぼ田舎《いなか》者《もの》だって――これでも街《がい》鉄《てつ*》を六十株持ってるよ」
「そりゃばかにできないな。ぼくは八百八十八株持っていたが、惜しいことにおおかた虫が食ってしまって、今じゃ半株ばかりしかない。もう少し早く君が東京へ出てくれば、虫の食わないところを十《と》株《かぶ》ばかりやるところだったが惜しいことをした」
「相変わらず口が悪い。しかし冗談は冗談として、ああいう株は持ってて損はないよ。年々高くなるばかりだから」
「そうだたとい半株だって千年も持ってるうちにゃ倉が三つぐらい建つからな。君もぼくもそのへんにぬかりはない当世の才子だが、そこへいくと苦沙弥などは哀れなものだ。株といえば大根の兄弟分ぐらいに考えているんだから」とまた羊羹をつかんで主人の方を見ると、主人も迷亭の食いけが伝染しておのずから菓《か》子《し》皿《ざら》の方へ手が出る。世の中では万事積極的の者が人からまねらるる権利を有しておる。
「株などはどうでもかまわんが、ぼくは曾《そ》呂《ろ》崎《さき》に一度でいいから電車へ乗らしてやりたかった」と主人は食いかけた羊羹の歯あとを撫《ぶ》然《ぜん》としてながめる。
「曾呂崎が電車へ乗ったら、乗るたんびに品《しな》川《がわ》まで行ってしまうわ、それよりやっぱり天《てん》然《ねん》居《こ》士《じ》でたくあん石へ彫りつけられてるほうが無事でいい」
「曾呂崎といえば死んだそうだな。気の毒だねえ、いい頭の男だったが惜しいことをした」と鈴木君が言うと、迷亭はただちに引き受けて、
「頭はよかったが、飯をたくことはいちばん下《へ》手《た》だったぜ。曾呂崎の当番の時には、ぼくあいつでも外出をして蕎《そ》麦《ば》でしのいでいた」
「ほんとに曾呂崎のたいた飯は焦げくさくってしんがあってぼくも弱った。おまけにおかずに必ず豆《とう》腐《ふ》をなまで食わせるんだから、冷たくて食われやせん」と鈴木君も十年前《まえ》の不平を記憶の底からよび起こす。
「苦沙弥はあの時代から曾呂崎の親友で毎晩いっしょに汁粉《こ》を食いに出た《*》が、そのたたりで今じゃ慢性胃弱になって苦しんでいるんだ。じつを言うと苦沙弥のほうが汁粉の数をよけい食ってるから曾呂崎より先へ死んでいいわけなんだ」
「そんな論理がどこの国にあるものか。おれの汁粉より君は運動と号して、毎晩竹刀《しない》を持って裏の卵《らん》塔《とう》場《ば》へ出て、石塔をたたいてるところを坊《ぼう》主《ず》に,見つかって剣つくを食ったじゃないか」と主人も負けぬ気になって迷亭の旧悪をあばく。
「アハハハそうそう坊主が仏様の頭をたたいては安眠の妨害になるからよしてくれって言ったっけ。しかしぼくのは竹刀《しない》だが、この鈴木将軍のは手あらだぜ。石塔と相撲《すもう》をとって大小三個ばかりころがしてしまったんだから」
「あの時の坊主のおこり方はじつにはげしかった。ぜひ元のように起こせと言うから人《にん》足《そく》を雇うまで待ってくれと言ったら人足じゃいかん懺《ざん》悔《げ》の意を表するためにあなたが自身で起こさなくては仏の意にそむくと言うんだからね」
「その時の君の風《ふう》采《さい》はなかったぜ、金《かな》巾《きん》のシャツに越《えつ》中《ちゆう》褌《ふんどし》で雨《 あま》あがりの水たまりの中でうんうんうなって……」
「それを君がすました顔で写生するんだからひどい。ぼくはあまり腹を立てたことのない男だが、あの時ばかりは失敬だと心《しん》から思ったよ。あの時の君の言いぐさをまだ覚えているが君は知ってるか」
「十年前《まえ》の言いぐさなんかだれが覚えているものか、しかしあの石塔に帰《き》泉《せん》院《いん》殿《でん》黄《こう》鶴《かく》大《だい》居《こ》士《じ》安永五年辰《たつ》正月と彫ってあったのだけはいまだに記憶している。あの石塔は古雅にできていたよ。引き越す時に盗んでゆきたかったくらいだ。じつに美学上の原理にかなって、ゴシック趣味な石塔だった」と迷亭はまたいいかげんな美学を振り回す。
「そりゃいいが、君の言いぐさがさ。こうだぜ――吾輩は美学を専攻するつもりだから天地間のおもしろい出来事はなるべく写生しておいて将来の参考に供さなければならん、気の毒だの、かあいそうだのという私情は学問に忠実なる吾輩ごとき者の口にすべきところでないと平気で言うのだろう。ぼくもあんまり不人情な男だと思ったから泥《どろ》だらけの手で君の写生帳を引き裂いてしまった」
「ぼくの有望な画才が頓《とん》挫《ざ》していっこうふるわなくなったのも全くあの時からだ。君に機《き》鋒《ほう》を折られたのだね。ぼくは君に恨みがある」
「ばかにしちゃいけない。こっちが恨めしいくらいだ」
「迷亭はあの時分から法《ほ》螺《ら》吹きだったな」と主人は羊羹を食いおわって再び二人の話の中に割り込んでくる。「約束なんか履行したことがない。それで詰問を受けるとけっしてわびたことがないなんとかかとか言う。あの寺の境《けい》内《だい》に百日紅《さるすべり》が咲いていた時分、この百日紅が散るまでに美学原論という著述をすると言うから、だめだ、とうていできる気づかいはないと言ったのさ。すると迷亭の答えにぼくはこうみえても見かけによらず意志の強い男である。そんなに疑うなら賭《かけ》をしようと言うからぼくはまじめに受けてなんでも神《かん》田《だ》の西洋料理をおごりっこかなにかにきめた。きっと書物なんか書く気づかいはないと思ったから賭をしたようなものの内心は少々恐ろしかった。ぼくに西洋料理なんかおごる金はないんだからな。ところが先生いっこう稿を起こすけしきがない。七《なぬ》日《か》たっても二十日《はつか》たっても一枚も書かない。いよいよ百日紅が散って一《いち》輪《りん》の花もなくなっても当人平気でいるから、いよいよ西洋料理にありつけたなと思って契約履行を迫ると迷亭すましてとりあわない」
「またなんとか理窟をつけたのかね」と鈴木君があいの手を入れる。
「うん、じつにずうずうしい男だ。吾輩はほかに能はないが意志だけはけっして君がたに負けはせんと強《ごう》情《じよう》をはるのさ」
「一枚も書かんのにか」と今度は迷亭君自身が質問をする。
「むろんさ、その時君はこう言ったぜ。吾輩は意志の一点においてはあえて何《なん》人《びと》にも一歩も譲らん。しかし残念なことには記憶が人一倍ない。美学原論を著わそうとする意志は十分あったのだがその意志を君に発表した翌日から忘れてしまった。それだから百日紅《さるすべり》の散るまでに著書ができなかったのは記憶の罪で意志の罪ではない。意志の罪でない以上は西洋料理などをおごる理由がないといばっているのさ」
「なるほど迷亭君一流の特色を発揮しておもしろい」と鈴木君はなぜだかおもしろがっている。迷亭のおらぬ時の語気とはよほど違っている。これが利口な人の特色かもしれない。
「何がおもしろいものか」と主人は今でもおこっている様子である。
「それはお気の毒様、それだからその埋め合わせをするために孔雀《くじやく》の舌なんかを鉦《かね》と太鼓で捜しているじゃないか。まあそうおこらずに待っているさ。しかし著書といえば君、きょうは一大珍報をもたらして来たんだよ」
「君は来るたびに珍報をもたらす男だから油断ができん」
「ところがきょうの珍報は真の珍報さ。正《しよう》札《ふだ》つき一厘も引けなしの珍報さ。君寒月が博士論文の稿を起こしたのを知っているか。寒月はあんな妙に見《けん》識《しき》張った男だから博士論文なんて無趣味な労力はやるまいと思ったら、あれでやっぱり色《いろ》気《け》があるからおかしいじゃないか。君あの鼻にぜひ通知してやるがいい、このごろは団《どん》栗《ぐり》博士《はかせ》の夢でも見ているかもしれない」
鈴木君は寒月の名を聞いて、話してはいけぬいけぬとあごと目で主人に合図する。主人にはいっこう意味が通じない。さっき鈴木君に会って説法を受けた時は金田の娘のことばかりが気の毒になったが、今迷亭から鼻々と言われるとまた先日けんかをしたことを思い出す。思い出すと滑《こつ》稽《けい》でもあり、また少々はにくらしくもなる。しかし寒月が博士論文を草しかけたのは何よりのおみやげで、こればかりは迷亭先生自賛のごとくまずまず近来の珍報である。ただに珍報のみならず、うれしい快い珍報である。金田の娘をもらおうがもらうまいがそんなことはまずどうでもよい。とにかく寒月の博士になるのは結構である。自分のようにできそこないの木像は仏師屋のすみで虫が食うまで白《しら》木《き》のままくすぶっていても遺《い》憾《かん》はないが、これはうまく仕上がったと思う彫刻には一日も早く箔《はく》を塗ってやりたい。
「ほんとうに論文を書きかけたのか」と鈴木君の合図はそっちのけにして、熱心に聞く。
「よく人の言うことを疑《うたぐ》る男だ。――もっとも問題は団栗だか首くくりの力学だかしかとわからんがね。とにかく寒月のことだから鼻の恐縮するようなものに違いない」
さっきから迷亭が鼻々と無遠慮に言うのを聞くたんびに鈴木君は不安の様子をする。迷亭は少しも気がつかないから平気なものである。
「その後鼻についてまた研究をしたが、このごろトリストラム・シャンデー《*》の中の鼻論があるのを発見した。金田の鼻などもスターンに見せたらいい材料になったろうに残念なことだ。鼻《び》名《めい》を千《せん》載《ざい》にたれる《*》資格は十分ありながら、あのままで朽ち果つるとは不《ふ》憫《びん》千《せん》万《ばん》だ。今度ここへ来たら美学上の参考のために写生してやろう」と相変わらず口から出まかせにしゃべり立てる。
「しかしあの娘は寒月の所へ来たいのだそうだ」と主人が鈴木君から聞いたとおりを述べると、鈴木君はこれは迷惑だという顔つきをしてしきりに主人に目くばせをするが、主人は不導体のごとくいっこう電気に感染しない。
「ちょっとおつだな、あんな者の子でも恋をするところが、しかしたいした恋じゃなかろう、おおかた鼻《はな》恋《ごい》ぐらいなところだぜ」
「鼻恋でも寒月がもらえばいいが」
「もらえばいいがって、君は先日大反対だったじゃないか。きょうはいやに軟化しているぜ」
「軟化はせん、ぼくはけっして軟化はせんしかし……」
「しかしどうかしたんだろう。ねえ鈴木、君も実業家の末《ばつ》席《せき》をけがす一《ひと》人《り》だから参考のために言って聞かせるがね。あの金田某なる者さ。あの某なるものの息女などを天下の秀才水島寒月の令夫人とあがめ奉るのは、少々提《ちよう》灯《ちん》とつり鐘という次第で、我々朋《ほう》友《ゆう》たる者が冷々黙過するわけにゆかんことだと思うんだが、たとい実業家の君でもこれには異存はあるまい」
「相変わらず元気がいいね。結構だ。君は十年前《まえ》と様子が少しも変わっていないからえらい」と鈴木君は柳に受けて、ごまかそうとする。
「えらいとほめるなら、もう少し博学なところをお目にかけるがね。昔のギリシア人は非常に体育を重んじたものであらゆる競技に貴《き》重《ちよう》なる懸賞を出して百方奨励の策を講じたものだ。しかるに不思議なことには学者の知識に対してのみはなんらの褒《ほう》美《び》も与えたという記録がなかったので、今日までじつは大いに怪しんでいたところさ」
「なるほど少し妙だね」と鈴木君はどこまでも調子を合わせる。
「しかるについ両三日《にち》前《まえ》に至って、美学研究の際ふとその理由を発見したので多年の疑団は一度に氷解、漆《しつ》桶《つう》を抜く《*》がごとく痛快なる悟りを得て歓天喜地の至境に達したのさ」
あまり迷亭のことばがぎょうさんなので、さすがお上《じよう》手《ず》者《もの》の鈴木君も、こりゃ手に合わないという顔つきをする。主人はまた始まったなと言わぬばかりに、象《ぞう》牙《げ》の箸《はし》で菓子皿の縁《ふち》をかんかんたたいてうつ向いている。迷亭だけは大得意で弁じつづける。
「そこでこの矛《む》盾《じゆん》なる現象の説明を明記して、暗黒の淵《ふち》から吾《ご》人《じん》の疑いを千《せん》載《ざい》のもとに救い出してくれた者はだれだと思う。学問あって以来の学者と称せらるるかのギリシアの哲人、逍《しよう》遥《よう》派《は》の元祖アリストートルその人である。彼の説明にいわくさ――おい菓子皿などをたたかんで謹聴していなくちゃいかん。――彼らギリシア人が競技において得《う》るところの賞与は彼らが演ずる技芸そのものより貴重なものである。それゆえに褒美にもなり、奨励の具ともなる。しかし知識そのものに至ってはどうである。もし知識に対する報酬として何物かを与えんとするならば知識以上の価値あるものを与えざるべからず。しかし知識以上の珍宝が世の中にあろうか。むろんあるはずがない。下《へ》手《た》なものをやれば知識の威厳を損するわけになるばかりだ。彼らは知識に対して千両箱をオリンパスの山ほど積み、クリーサスの富みを傾け尽くしても相当の報酬を与えんとしたのであるが、いかに考えてもとうていつり合うはずがないということを観破して、それより以来というものはきれいさっぱりなんにもやらないことにしてしまった。黄《こう》白《はく》青《せい》銭《せん》が知識の匹敵でないことはこれで十分理解できるだろう。さてこの原理を服《ふく》膺《よう》した上で時事問題に臨んでみるがいい。金田某はなんだい紙幣《さつ》に目鼻をつけただけの人間じゃないか、奇警なる語をもって形容するならば彼は一個の活《かつ》動《どう》紙《し》幣《へい》にすぎんのである。活動紙幣の娘なら活動切手ぐらいなところだろう。ひるがえって寒月君はいかんとみればどうだ。かたじけなくも学問最高の府を第一位に卒業してごうも倦《けん》怠《たい》の念なく長《ちよう》州《しゆう》征伐時代の羽織のひもをぶらさげて、日夜団栗のスタビリチーを研究し、それでもなお満足する様子もなく、近々のうちロード・ケルヴィン《*》を圧倒するほどな大論文を発表しようとしつつあるではないか。たまたま吾《あ》妻《ずま》橋《ばし》を通りかかって身投げの芸を仕損じたことはあるが、これも熱誠なる青年にありがちの発《ほつ》作《さ》的《てき》所為でごうも彼が知識の問《とん》屋《や》たるに煩《わずら》いを及ぼすほどの出来事ではない。迷亭一流のたとえをもって寒月君を評すれば彼は活動図書館である。知識をもってこね上げたる二十八サンチの弾丸である。この弾丸がひとたび時機を得て学界に爆発するなら、――もし爆発してみたまえ――爆発するだろう――」迷亭はここに至って迷亭一流と自称する形容詞が思うように出て来ないので俗にいう竜《りゆう》頭《とう》蛇《だ》尾《び》の感に多少ひるんでみえたがたちまち「活動切手などは何千万枚あったって粉みじんになってしまうさ。それだから寒月には、あんなつり合わない女《によ》性《しよう》はだめだ。ぼくが不承知だ、百獣のうちで最も聡明なる大《だい》象《ぞう》と、最も貧《たん》婪《らん》なる小豚と結婚するようなものだ。そうだろう苦沙弥君」と言ってのけると、主人はまた黙って菓子皿をたたきだす。鈴木君は少しへこんだ気味で
「そんなこともなかろう」と術《じゆつ》なげに答える。さっきまで迷亭の悪《あつ》口《こう》をずいぶんついたあげくここでむやみなことを言うと、主人のような無法者はどんなことをすっぱ抜くかしれない。なるべくここはいいかげんに迷亭の鋭《えい》鋒《ほう》をあしらって無事に切り抜けるのが上《じよう》分《ふん》別《べつ》なのである。鈴木君は利口者である。いらざる抵抗は避けらるるだけ避けるのが当世で、無要の口論は封建時代の遺物と心得ている。人生の目的は口《こう》舌《ぜつ》ではない実行にある。自己の思いどおりに着々事件が進《しん》捗《ちよく》すれば、それで人生の目的は達せられたのである。苦労と心配と争論とがなくて事件が進捗すれば人生の目的は極楽流に達せられるのである。鈴木君は卒業後この極楽主義によって成功し、この極楽主義によって金時計をぶらさげ、この極楽主義で金田夫婦の依頼をうけ、同じくこの極楽主義でまんまと首尾よく苦沙弥君を説き落として当該事件が十中八九まで成就したところへ、迷亭なる常規をもって律すべからざる、普通の人間以外の心理作用を有するかと怪しまるる風来坊が飛び込んで来たので少々その突然なるにめんくらっているところである。極楽主義を発明したものは明治の紳士で、極楽主義を実行するものは鈴木藤十郎君で、今この極楽主義で困却しつつあるのもまた鈴木藤十郎君である。
「君はなんにも知らんからそうでもなかろうなどとすまし返って、例になく言葉ずくなに上品に控え込むが、せんだってあの鼻の主が来た時の様子を見たらいかに実業家びいきの尊公でも辟《へき》易《えき》するにきまってるよ、ねえ苦沙弥君、君大いに奮闘したじゃないか」
「それでも君よりぼくのほうが評判がいいそうだ」
「アハハハなかなか自信が強い男だ。それでなくてはサヴェジ・チーなんて生徒や教師にからかわれてすまして学校へ出ちゃいられんわけだ。ぼくも意志はけっして人に劣らんつもりだが、そんなに図太くはできん敬服の至りだ」
「生徒や教師が少々ぐずぐず言ったって何が恐ろしいものか、サントブーヴは古今独歩の評論家であるがパリ大学で講義をした時は非常に不評判で、彼は学生の攻撃に応ずるため外出の際必ず匕首《あいくち》を袖《そで》の下に持って防《ぼう》禦《ぎよ》の具となしたことがある。ブルヌチエルがやはりパリの大学でゾラの小説を攻撃した時は……」
「だって君ゃ大学の教師でもなんでもないじゃないか。たかがリードルの先生でそんな大家を例に引くのは雑《ざ》魚《こ》が鯨をもってみずからたとえるようなもんだ、そんなことを言うとなおからかわれるぜ」
「黙っていろ。サントブーヴだっておれだって同じくらいな学者だ」
「たいへんな見識だな。しかし懐剣を持って歩くだけはあぶないからまねないほうがいいよ。大学の教師が懐剣ならリードルの教師はまあ小刀ぐらいなところだな。しかしそれにしても刃物はけんのんだから仲《なか》見《み》世《せ》へ行っておもちゃの空気銃を買って来てしょって歩くがよかろう。愛《あい》嬌《きよう》があっていい。ねえ鈴木君」と言うと鈴木君はようやく話が金田事件を離れたのでほっと一息つきながら
「相変わらず無邪気で愉快だ。十年ぶりではじめて君らに会ったんでなんだか窮屈な路次から広い野原へ出たような気持ちがする。どうも我々仲間の談話は少しも油断がならなくてね、何を言うにも気を置かなくちゃならんから心配で窮屈でじつに苦しいよ。話は罪がないのがいいね。そして昔の書生時代の友だちと話すのがいちばん遠慮がなくっていい。ああきょうははからず迷亭君に会って愉快だった。ぼくはちと用事があるからこれで失敬する」と鈴木君が立ちかけると、迷亭も「ぼくも行こう、ぼくはこれから日《に》本《ほん》橋《ばし》の演《えん》芸《げい》矯《きよう》風《ふう》会《かい*》に行かなくっちゃならんから、そこまでいっしょに行こう」「そりゃちょうどいい久しぶりでいっしょに散歩しよう」と両君は手を携えて帰る。
五
二十四時間の出来事をもれなく書いて、もれなく読むには少なくも二十四時間かかるだろう、いくら写生文を鼓《こ》吹《すい》する吾《わが》輩《はい》でも《*》これはとうてい猫の企て及ぶべからざる芸当と自白せざるをえない。したがっていかに吾輩の主人が、二《に》六《ろく》時《じ》中《ちゆう》精細なる描写に価する奇言奇行を弄《ろう》するにもかかわらず逐《ちく》一《いち》これを読者に報知する能力と根気のないのははなはだ遺《い》憾《かん》である。遺憾ではあるがやむをえない。休養は猫といえども必要である。鈴木君と迷亭君の帰ったあとは木枯らしのはたと吹きやんで、しんしんと降る雪の夜《よ》のごとく静かになった。主人は例のごとく書斎へ引きこもる。子供は六畳の間《ま》へ枕《まくら》をならべて寝る。一間半の襖《ふすま》を隔てて南向きの室《へや》には細君が数え年三つになる、めん子さんと添え乳《ぢ》して横になる。花曇りに暮れを急いだ日はとく落ちて、表を通る駒《こま》下《げ》駄《た》の音さえ手に取るように茶の間へ響く。隣《となり》町《ちよう》の下宿で明《みん》笛《てき》を吹くのが絶えたり続いたりして眠い耳《じ》底《てい》におりおり鈍い刺激を与える。外《そ》面《と》はおおかた朧《おぼろ》であろう。晩《ばん》餐《さん》に半ぺんの〓《だ》汁《し》で鮑《あわび》貝《がい》をからにした腹ではどうしても休養が必要である。
ほのかに承れば世間には猫の恋《*》とか称する俳《はい》諧《かい》趣《しゆ》味《み》の現象があって、春さきは町内の同族どもの夢安からぬまで浮かれ歩く夜《よ》もあるとかいうが、吾輩はまだかかる心的変化に遭《そう》逢《ほう》したことはない。そもそも恋は宇宙的の活力である。上《かみ》は在天の神ジュピターより下《しも》は土中に鳴くみみず、おけらに至るまでこの道にかけて浮き身をやつすのが万《ばん》物《ぶつ》の習いであるから、吾輩猫どもが朧うれしと、物騒な風《ふう》流《りゆう》気《げ》を出すのも無理のない話である。回顧すればかくいう吾輩も三《み》毛《け》子《こ》に思い焦がれたこともある。三角主義の張本金田君の令嬢阿《あ》倍《べ》川《かわ》の富《とみ》子《こ》さえ寒月君に恋慕したといううわさである。それだから千金の春《しゆん》宵《しよう》を心も空に満天下の雌《め》猫《ねこ》雄《お》猫《ねこ》が狂い回るのを煩《ぼん》悩《のう》の迷いのと軽《けい》蔑《べつ》する念はもうとうないのであるが、いかんせん誘われてもそんな心が出ないからしかたがない。吾輩目下の状態はただ休養を欲するのみである。こう眠くては恋もできぬ。のそのそと子供の布《ふ》団《とん》のすそへ回ってここちよく眠る。……
ふと目をあいて見ると主人はいつのまにか書斎から寝室へ来て細君の隣りに延べてある布団の中にいつのまにかもぐりこんでいる。主人のくせとして寝る時は必ず横文字の小《こ》本《ほん》を書斎から携えて来る。しかし横になってこの本を二ページと続けて読んだことはない。ある時は持って来て枕もとへ置いたなり、まるで手を触れぬことさえある。一行も読まぬくらいならわざわざさげてくる必要もなさそうなものだが、そこが主人の主人たるところでいくら細君が笑っても、よせと言っても、けっして承知しない。毎夜読まない本を御苦労千《せん》万《ばん》にも寝室まで運んで来る。ある時は欲張って三、四冊もかかえて来る。せんだってじゅうは毎晩ウェブスターの大字典さえかかえて来たくらいである。思うにこれは主人の病気でぜいたくな人が竜《りゆう》文《ぶん》堂《どう*》に鳴る松風の音《おと》を聞かないと寝つかれないごとく、主人も書物を枕もとに置かないと眠れないのであろう、してみると主人にとっては書物は読むものではない眠りを誘う器械である。活版の睡眠剤である。
今夜も何かあるだろうとのぞいてみると、赤い薄い本が主人の口《くち》髯《ひげ》の先につかえるくらいな地位に半分開かれてころがっている。主人の左手の親指が本の間にはさまったままであるところから推《お》すと奇特にも今夜は五、六行読んだものらしい。赤い本と並んで例のごとくニッケルの袂《たもと》時《ど》計《けい》が春に似合わぬ寒き色を放っている。
細君は乳《ち》飲《の》み子を一尺ばかり先へほうり出して口をあいていびきをかいて枕をはずしている。およそ人間において何が見苦しいといって口をあけて寝るほどの不体裁はあるまいと思う。猫などは生《しよう》涯《がい》こんな恥をかいたことがない。元来口は音を出すため鼻は空気を吐《と》呑《どん》するための道具である。もっとも北の方へ行くと人間が無《ぶ》精《しよう》になってなるべく口をあくまいと倹約をする結果鼻で言語を使うようなズーズーもあるが、鼻が閉《へい》塞《そく》して口ばかりで呼吸の用を弁じているのはズーズーよりもみともないと思う。第一天《てん》井《じよう》から鼠《ねずみ》の糞《ふん》でも落ちた時危険である。
子供のほうはと見るとこれも親に劣らぬていたらくで寝そべっている。姉のとん子は、姉の権利はこんなものだといわぬばかりにうんと右の手を延ばして妹の耳の上へのせている。妹のすん子はその復《ふく》讐《しゆう》に姉の腹の上に片足をあげてふんぞり返っている。双方とも寝た時の姿勢より九十度はたしかに回転している。しかもこの不自然なる姿勢を維持しつつ両人とも不平も言わずおとなしく熟睡している。
さすがに春のともし火は格別である。天《てん》真《しん》爛《らん》漫《まん》ながら無風流きわまるこの光景の裏《うち》に良夜を惜しめとばかりゆかしげに輝いて見える。もう何時だろうと室《へや》の中を見回すと四隣《あたり》はしんとしてただ聞こえるものは柱時計と細君のいびきと遠方で下女の歯ぎしりをする音のみである。この下女は人から歯ぎしりをすると言われるといつでもこれを否定する女である。私は生まれてから今日に至るまで歯ぎしりをした覚えはございませんと強情を張ってけっして直しましょうともお気の毒でございますとも言わず、ただそんな覚えはございませんと主張する。なるほど寝ていてする芸だから覚えはないに違いない。しかし事実は覚えがなくても存在することがあるから困る。世の中には悪い事をしておりながら、自分はどこまでも善人だと考えている者がある。これは自分が罪がないと自信しているのだから無邪気で結構ではあるが、人の困る事実はいかに無邪気でも滅却するわけにはゆかぬ。こういう紳士淑女はこの下女の系統に属するのだと思う。――夜《よ》はだいぶふけたようだ。
台所の雨戸にトントンと二へんばかり軽くあたったものがある。はてな今ごろ人の来るはずがない。おおかた例の鼠だろう、鼠ならとらんことにきめているからかってにあばれるがよろしい。――またトントンとあたる。どうも鼠らしくない。鼠としてもたいへん用心深い鼠である。主人のうちの鼠は、主人の出る学校の生徒のごとく日中でも夜《や》中《ちゆう》でも乱《らん》暴《ぼう》狼《ろう》藉《ぜき》の練修に余念なく、憫《びん》然《ぜん》なる主人の夢を驚破するのを天職のごとく心得ている連《れん》中《じゆう》だから、かくのごとく遠慮するわけがない。今のはたしかに鼠ではない。せんだってなどは主人の寝室にまで闖《ちん》入《にゆう》して高からぬ主人の鼻の頭をかんで凱《がい》歌《か》を奏して引き上げたくらいの鼠にしてはあまり臆《おく》病《びよう》すぎる。けっして鼠ではない。今度はギーと雨戸を下から上へ持ち上げる音がする。同時に腰障子をできるだけゆるやかに、溝《みぞ》に添うてすべらせる。いよいよ鼠ではない。人間だ。この深夜に人間が案内も請《こ》わず戸締まりをはずして御光来になるとすれば迷亭先生や鈴木君ではないにきまっている。御高名だけはかねて承っている泥《どろ》棒《ぼう》陰《いん》士《し》ではないかしらん。いよいよ陰士とすれば早く尊顔を拝したいものだ。陰士は今や勝手の上に大いなる泥《どろ》足《あし》を上げて二足ばかり進んだ模様である。三足目と思うころ揚げ板につまずいてか、ガタリと夜に響くような音を立てた。吾輩の背中の毛が靴《くつ》刷《ば》毛《け》で逆にこすられたような心持ちがする。しばらくは足音もしない。細君を見るとまだ口をあいて太《たい》平《へい》の空気を夢中に吐呑している。主人は赤い本に親指をはさまれた夢でも見ているのだろう。やがて台所でマチをする音が聞こえる。陰士でも吾輩ほど夜陰に目はきかぬとみえる。かってが悪くさだめし不都合だろう。
この時吾輩はうずくまりながら考えた。陰士は勝手から茶の間の方面へ向けて出現するのであろうか、または左へ折れ玄関を通過して書斎へと抜けるであろうか。――足音は襖《ふすま》の音とともに縁側へ出た。陰士はいよいよ書斎へはいった。それぎり音も沙《さ》汰《た》もない。
吾輩はこの間《ま》に早く主人夫婦を起こしてやりたいものだとようやく気がついたが、さてどうしたら起きるやら、いっこう要領をえん考えのみが頭の中に水《みず》車《ぐるま》の勢いで回転するのみで、なんらの分別も出ない。布団のすそをくわえて振ってみたらと思って、二、三度やってみたが少しも効用がない。冷たい鼻を頬《ほお》にすりつけたらと思って、主人の顔の先へ持って行ったら、主人は眠ったまま、手をうんと延ばして、吾輩の鼻づらをいやというほど突き飛ばした。鼻は猫にとっても急所である。痛むことおびただしい。今度はしかたがないからにゃーにゃーと二へんばかり鳴いて起こそうとしたが、どういうものかこの時ばかりは咽《の》喉《ど》に物がつかえて思うような声が出ない。やっとの思いで渋りながら低いやつを少々出すと驚いた。肝《かん》心《じん》の主人はさめるけしきもないのに突然陰士の足音がしだした。ミチリミチリと縁側を伝って近づいて来る。いよいよ来たな、こうなってはもうだめだとあきらめて、襖と柳《やなぎ》行《ごう》李《り》のあいだにしばしのあいだ身を忍ばせて動静をうかがう。
陰士の足音は寝室の障子の前へ来てぴたりとやむ。吾輩は息を凝らして、この次は何をするだろうと一生懸命になる。あとで考えたが鼠をとる時は、こんな気分になればわけはないのだ、魂が両方の目から飛び出しそうな勢いである。陰士のおかげで二度とない悟りを開いたのはじつにありがたい。たちまち障子の桟《さん》の三つ目が雨に濡れたようにまん中だけ色が変わる。それを透かして薄《うす》紅《くれない》なものがだんだん濃く写ったと思うと、紙はいつか破れて、赤い舌がぺろりと見えた。舌はしばしの間《ま》に暗い中に消える。入れ代わってなんだか恐ろしく光るものが一つ、破れた穴の向こう側にあらわれる。疑いもなく陰士の目である。妙なことにはその目が、へやの中にある何物をも見ないで、ただ柳行李の後ろに隠れていた吾輩のみを見つめているように感ぜられた。一分にも足らぬ間《ま》ではあったが、こうにらまれては寿命が縮まると思ったくらいである。もう我慢できんから行李の影から飛び出そうと決心した時、寝室の障子がスーとあいて待ちかねた陰士がついに眼前にあらわれた。
吾輩は叙述の順序として、不時の珍客なる泥棒陰士その人をこの際諸君に御紹介するの栄誉を有するわけであるが、その前ちょっと卑《ひ》見《けん》を開陳して御高慮をわずらわしたいことがある。古代の神は全知全能とあがめられている。ことに耶《ヤ》蘇《ソ》教《きよう》の神は二十世紀の今日までもこの全知全能の面をかぶっている。しかし俗人の考うる全知全能は、時によると無知無能とも解釈ができる。こういうのは明らかにパラドックスである、しかるにこのパラドックスを道破した者は天《てん》地《ち》開《かい》闢《びやく》以来吾輩のみであろうと考えると、自分ながらまんざらな猫でもないという虚栄心も出るから、ぜひともここにその理由を申し上げて、猫もばかにできないということを、高慢なる人間諸君の脳裏にたたきこみたいと考える。天地万有は神が作ったそうな、してみれば人間も神の御製作であろう、現に聖書とかいうものにはそのとおりと明記してあるそうだ。さてこの人間について、人間自身が数千年来の観察を積んで、大いに玄妙不思議がると同時に、ますます神の全知全能を承認するように傾いた事実がある。それはほかでもない、人間もかようにうじゃうじゃいるが同じ顔をしている者は世界じゅうに一人もいない。顔の道具はむろんきまっている、大きさも大概は似たり寄ったりである。換言すれば彼らは皆同じ材料から作り上げられている、同じ材料でできているにもかかわらず一人も同じ結果にできあがっておらん。よくまああれだけの簡単な材料でかくまで異様な顔を思いついたものだと思うと、製造家の伎《ぎ》倆《りよう》に感服せざるをえない。よほど独創的な想像力がないとこんな変化はできんのである。一代の画工が精力を消《しよう》耗《こう》して変化を求めた顔でも十二、三種以外に出ることができんのをもって推せば、人間の製造を一手に請け負った神の手ぎわは格別なものだと驚嘆せざるをえない。とうてい人間社会において目撃しえざるていの伎倆であるから、これを全能的伎倆といってもさしつかえないだろう。人間はこの点において大いに神に恐れ入っているようである、なるほど人間の観察点からいえばもっともな恐れ入り方である。しかし猫の立場からいうと同一の事実がかえって神の無能力を証明しているとも解釈ができる。もし全然無能でなくとも人間以上の能力はけっしてないものであると断定ができるだろうと思う。神が人間の数だけそれだけ多くの顔を製造したというが、当初から胸中に成算があってかほどの変化を示したものか、または猫も杓《しやく》子《し》も同じ顔に造ろうと思ってやりかけてみたが、とうていうまくゆかなくてできるのもできるのも作りそこねてこの乱雑な状態に陥ったものか、わからんではないか。彼ら顔面の構造は神の成功の記念と見らるると同時に失敗の痕《こん》迹《せき》とも判ぜらるるではないか。全能ともいえようが、無能と評したってさしつかえはない。彼ら人間の目は平面の上に二つ並んでいるので左右を一時に見ることができんから事物の半面だけしか視線内にはいらんのは気の毒な次第である。立場を換えてみればこのくらい単純な事実は彼らの社会に日夜間《かん》断《だん》なく起こりつつあるのだが、本人のぼせ上がって、神にのまれているから悟りようがない。製作の上に変化をあらわすのが困難であるならば、その上に徹頭徹尾の模《も》傚《こう》を示すのも同様に困難である。ラファエルに寸分違わぬ聖母の像を二枚かけと注文するのは、全然似寄らぬマドンナを双《そう》幅《ふく》見せろと迫ると同じく、ラファエルにとっては迷惑であろう。否同じ物を二枚かくほうがかえって困難かもしれぬ。弘《こう》法《ぼう》大《だい》師《し》に向かってきのう書いたとおりの筆法で空《くう》海《かい》と願いますと言うほうがまるで書体を換えてと注文されるよりも苦しいかもわからん。人間の用うる国語は全然模傚主義で伝習するものである。彼ら人間が母から、乳《う》母《ば》から、他人から事実上の言語を習う時には、ただ聞いたとおりを繰り返すよりほかにもうとうの野心はないのである。できるだけの能力で人まねをするのである。かように人まねから成立する国語が十年二十年とたつうち、発音に自然と変化を生じてくるのは、彼らに完全なる模傚の能力がないということを証明している。純粋の模傚はかくのごとく至難なものである。したがって神が彼ら人間を区別のできぬよう、悉《しつ》皆《かい》焼き印のおかめのごとく作りえたならばますます神の全能を表明しうるもので、同時に今日のごとくかって次第な顔を天《てん》日《び》にさらさして、目まぐるしきまでに変化を生ぜしめたのはかえってその無能力を推知しうるの具ともなりうるのである。
吾輩はなんの必要があってこんな議論をしたか忘れてしまった。もとを忘却するのは人間にさえありがちなことであるから猫には当然のことさと大目に見てもらいたい。とにかく吾輩は寝室の障子をあけて敷居の上にぬっと現われた泥棒陰士を瞥《べつ》見《けん》した時、以上の感想が自然と胸中にわきいでたのである。なぜわいた?――なぜという質問が出れば、今一応考え直してみなければならん。――ええと、そのわけはこうである。
吾輩の眼前に悠《ゆう》然《ぜん》とあらわれた陰士の顔を見るとその顔が――ふだん神の製作についてそのできばえをあるいは無能の結果ではあるまいかと疑っていたのに、それを一時に打ち消すに足るほどな特徴を有していたからである。特徴とはほかではない。彼の眉《び》目《もく》がわが親愛なる好男子水島寒月君に瓜《うり》二つであるという事実である。吾輩はむろん泥棒に多くの知《ち》己《き》は持たぬが、その行為の乱暴なところからふだん想像してひそかに胸中に描いていた顔はないでもない。小鼻の左右に展開した、一銭銅貨ぐらいの目をつけた、いがぐり頭にきまっていると自分でかってにきめたのであるが、見ると考えるとは天地の相違、想像はけっしてたくましくするものではない。この陰士は背《せい》のすらりとした、色の浅黒い一の字眉《まゆ》の、いきで立《りつ》派《ぱ》な泥棒である。年は二十六、七歳でもあろう、それすら寒月君の写生である。神もこんな似た顔を二個製造しうる手ぎわがあるとすれば、けっして無能をもって目《もく》するわけにはゆかぬ。いや実際のことを言うと寒月君自身が気が変になって深夜に飛び出して来たのではあるまいかと、はっと思ったくらいよく似ている。ただ鼻の下に薄黒く髯《ひげ》の芽ばえが植えつけてないのでさては別人だと気がついた。寒月君は苦みばしった好男子で、活動小切手と迷亭から称せられたる、金田富子嬢を優に吸収するに足るほどな念入れの製作物である。しかしこの陰士も人相から観察するとその婦人に対する引力上の作用においてけっして寒月君に一歩も譲らない。もし金田の令嬢が寒月君の目つきや口先に迷ったのなら、同等の熱度をもってこの泥棒君にもほれこまなくては義理が悪い。義理はとにかく、論理に合わない。ああいう才気のある、なんでも早わかりのする性《た》質《ち》だからこのくらいのことは人から聞かんでもきっとわかるであろう。してみると寒月君の代わりにこの泥棒を差し出しても必ず満身の愛をささげて琴《きん》瑟《しつ》調和の実をあげらるるに相違ない。万一寒月君が迷亭などの説法に動かされて、この千古の良縁が破れるとしても、この陰士が健在であるうちは大丈夫である。吾輩は未来の事件の発展をここまで予想して、富子嬢のために、やっと安心した。この泥棒君が天地の間に存在するのは富子嬢の生活を幸福ならしむる一大要件である。
陰士は小わきに何かかかえている。見るとさっき主人が書斎へほうりこんだ古《ふる》毛布《ゲツト》である。唐《とう》桟《ざん》のはんてんに、お納《なん》戸《ど》の博《はか》多《た》の帯を尻《しり》の上にむすんで、生《なま》白《じろ》い脛《すね》はひざから下むき出しのまま今や片足をあげて畳の上へ入れる。さっきから赤い本に指をかまれた夢を見ていた、主人はこの時寝返りをどうと打ちながら「寒月だ」と大きな声を出す。陰士は毛布《ケツト》を落として、出した足を急に引き込ます。障子の影に細長い向こう脛が二本立ったままかすかに動くのが見える。主人はうーん、むにゃむにゃと言いながら例の赤本を突き飛ばして、黒い腕を皮《ひ》癬《ぜん》病《や》みのようにぼりぼりかく。そのあとは静まり返って、枕をはずしたなり寝てしまう。寒月だと言ったのは全く我知らずの寝言とみえる。陰士はしばらく縁側に立ったまま室内の動静をうかがっていたが、主人夫婦の熟睡しているのを見すましてまた片足を畳の上に入れる。今度は寒月だという声も聞こえぬ。やがて残る片足も踏み込む。一《いつ》穂《すい》の春燈で豊かに照らされていた六畳の間は、陰士の影に鋭く二分せられて柳行李のへんから吾輩の頭の上を越えて壁のなかばがまっ黒になる。ふり向いてみると陰士の顔の影がちょうど壁の高さの三分の二のところに漠《ばく》然《ぜん》と動いている。好男子も影だけ見ると、八つ頭《がしら》の化け物のごとくまことに妙な恰《かつ》好《こう》である。陰士は細君の寝顔を上からのぞき込んで見たがなんのためかにやにやと笑った。笑い方までが寒月君の模写であるには吾輩も驚いた。
細君の枕もとには四寸角の一尺五、六寸ばかりの釘《くぎ》付《づ》けにした箱がだいじそうに置いてある。これは肥《ひ》前《ぜん》の国は唐《から》津《つ》の住《じゆう》人《にん》多《た》々《た》良《ら》三《さん》平《ぺい》君《くん*》が先日帰省した時おみやげに持って来た山の芋である。山の芋を枕もとへ飾って寝るのはあまり例のない話ではあるがこの細君は煮物に使う三《さん》盆《ぼん》を用《よう》箪《だん》笥《す》へ入れるくらい場所の適不適という観念に乏しい女であるから、細君にとれば、山の芋はおろか、たくあんが寝室にあっても平気かもしれん。しかし神ならぬ陰士はそんな女と知ろうはずがない。かくまで鄭《てい》重《ちよう》に肌《はだ》身《み》に近く置いてある以上は大切な品物であろうと鑑定するのも無理はない。陰士はちょっと山の芋の箱を上げてみたがその重さが陰士の予期と合してだいぶ目方がかかりそうなのですこぶる満足のていである。いよいよ山の芋を盗むなと思ったら、しかもこの好男子にして山の芋を盗むなと思ったら急におかしくなった。しかしめったに声を立てると危険であるからじっとこらえている。
やがて陰士は山の芋の箱をうやうやしく古《ふる》毛布《ゲツト》にくるみ始めた。何かからげるものはないかとあたりを見回す。と、幸い主人が寝る時に解きすてたちりめんの兵《へ》古《こ》帯《おび》がある。陰士は山の芋の箱をこの帯でしっかりくくって、苦もなく背中へしょう。あまり女が好く体裁ではない。それから子供のちゃんちゃんを二枚、主人のメリヤスの股《もも》引《ひき》の中へ押し込むと、股《また》のあたりが丸くふくれて青大将が蛙《かえる》を飲んだような――あるいは青大将の臨月というほうがよく形容しうるかもしれん。とにかく変な恰好になった。うそだと思うならためしにやってみるがよろしい。陰士はメリヤスをぐるぐる首ったまへ巻きつけた。その次はどうするかと思うと主人の紬《つむぎ》の上着を大ぶろしきのように広げてこれに細君の帯と主人の羽織と襦《じゆ》袢《ばん》とその他あらゆる雑《ぞう》物《もつ》をきれいにたたんでくるみこむ。その熟練と器用なやり口にもちょっと感心した。それから細君の帯上げとしごきとをつぎ合わせてこの包みをくくって片手にさげる。まだ頂《ちよう》戴《だい》するものはないかなと、あたりを見回していたが、主人の頭の先に「朝日」の袋があるのを見つけて、ちょっと袂《たもと》へ投げ込む。またその袋の中から一本出してランプにかざして火をつける。うまそうに深く吸って吐き出した煙が、乳色のホヤをめぐってまだ消えぬ間《ま》に、陰士の足音は縁側を次第に遠のいて聞こえなくなった。主人夫婦は依然として熟睡している。人間も存外迂《う》闊《かつ》なものである。
吾輩はまた暫《ざん》時《じ》の休養を要する。のべつにしゃべっていてはからだが続かない。ぐっと寝込んで目がさめた時は弥生《やよい》の空が朗らかに晴れ渡って勝手口に主人夫婦が巡査と対談をしている時であった。
「それでは、ここからはいって寝室の方へ回ったんですな。あなたがたは睡眠中でいっこう気がつかなかったのですな」
「ええ」と主人は少しきまりが悪そうである。
「それで盗難にかかったのは何時ごろですか」と巡査は無理なことを聞く。時間がわかるくらいならなにも盗まれる必要はないのである。それに気がつかぬ主人夫婦はしきりにこの質問に対して相談をしている。
「何時ごろかな」
「そうですね」と細君は考える。考えればわかると思っているらしい。
「あなたはゆうべ何時にお休みになったんですか」
「おれの寝たのはお前よりあとだ」
「ええ私のふせったのは、あなたより前です」
「目がさめたのは何時だったかな」
「七時半でしたろう」
「すると盗賊のはいったのは、何時ごろになるかな」
「なんでも夜なかでしょう」
「夜なかはわかりきっているが、何時ごろかというんだ」
「たしかなところはよく考えてみないとわかりませんわ」と細君はまだ考えるつもりでいる。巡査はただ形式的に聞いたのであるから、いつはいったところがいっこう痛《つう》痒《よう》を感じないのである。うそでもなんでも、いいかげんなことを答えてくれればよいと思っているのに主人夫婦が要領を得ない問答をしているものだから少々じれたくなったとみえて
「それじゃ盗難の時刻は不明なんですな」と言うと、主人は例のごとき調子で
「まあ、そうですな」と答える。巡査は笑いもせずに
「じゃあね、明治三十八年何月何日戸締まりをして寝たところが盗賊が、どこそこの雨戸をはずしてどこそこに忍び込んで品物を何点盗んで行ったから右告訴に及び候《そうろう》也《なり》という書面をお出しなさい。届ではない告訴です。名あてはないほうがいい」
「品物は一々書くんですか」
「ええ羽織何点代価いくらというふうに表《ひよう》にして出すんです。――いやはいってみたってしかたがない。盗《と》られたあとなんだから」と平気なことを言って帰って行く。
主人は筆《ふで》硯《すずり》を座敷のまん中へ持ち出して、細君を前に呼びつけて「これから盗難告訴を書くから、盗られたものを一々言え。さあ言え」とあたかもけんかでもするような口《く》調《ちよう》で言う。
「あらいやだ、さあ言えだなんて、そんな権《けん》柄《ぺい》ずくでだれが言うもんですか」と細帯を巻きつけたままどっかと腰をすえる。
「そのふうはなんだ、宿《しゆく》場《ば》女《じよ》郎《ろう》のできそこないみたようだ。なぜ帯をしめて出て来ん」
「これで悪ければ買ってください。宿場女郎でもなんでも盗られりゃしかたがないじゃありませんか」
「帯まで盗って行ったのか、ひどいやつだ。それじゃ帯から書きつけてやろう。帯はどんな帯だ」
「どんな帯って、そんなに何本もあるもんですか、黒《くろ》繻《じゆ》子《す》と縮《ちり》緬《めん》の腹合わせの帯です」
「黒繻子と縮緬の腹合わせの帯一筋――価《あたい》はいくらぐらいだ」
「六円ぐらいでしょう」
「生意気に高い帯をしめてるな。今度から一円五十銭ぐらいのにしておけ」
「そんな帯があるものですか。それだからあなたは不人情だというんです。女房なんどは、どんなきたないふうをしていても、自分さえよけりゃ、かまわないんでしょう」
「まあいいや、それからなんだ」
「糸《いと》織《おり》の羽織です、あれは河《こう》野《の》の叔《お》母《ば》さんの形《かた》見《み》にもらったんで、同じ糸織でも今の糸織とは、たちが違います」
「そんな講釈は聞かんでもいい。値段はいくらだ」
「十五円」
「十五円の羽織を着るなんて身分不相当だ」
「いいじゃありませんか、あなたに買っていただきゃあしまいし」
「その次はなんだ」
「黒《くろ》足《た》袋《び》が一足」
「お前のか」
「あなたんでさあね。代金が二十七銭」
「それから?」
「山の芋が一箱」
「山の芋まで持って行ったのか。煮て食うつもりか、とろろ汁《じる》にするつもりか」
「どうするつもりか知りません。泥棒の所へ行って聞いていらっしゃい」
「いくらするか」
「山の芋のねだんまでは知りません」
「そんなら十二円五十銭ぐらいにしておこう」
「ばかばかしいじゃありませんか、いくら唐《から》津《つ》から掘って来たって山の芋が十二円五十銭してたまるもんですか」
「しかしお前は知らんと言うじゃないか」
「知りませんわ、知りませんが十二円五十銭なんて法外ですもの」
「知らんけれども十二円五十銭は法外だとはなんだ。まるで論理に合わん。それだからきさまはオタンチン・パレオロガス《*》だというんだ」
「なんですって」
「オタンチン・パレオロガスだよ」
「なんですそのオタンチン・パレオロガスっていうのは」
「なんでもいい。それからあとは――おれの着物はいっこう出て来んじゃないか」
「あとはなんでもようござんす。オタンチン・パレオロガスの意味を聞かしてちょうだい」
「意味もなにもあるもんか」
「教えてくだすってもいいじゃありませんか、あなたはよっぽど私をばかにしていらっしゃるのね。きっと人が英語を知らないと思って悪口をおっしゃったんだよ」
「愚なことを言わんで、早くあとを言うがいい。早く告訴をせんと品物が返らんぞ」
「どうせ今から告訴をしたって間に合いやしません。それよりか、オタンチン・パレオロガスを教えてちょうだい」
「うるさい女だな、意味もなにもないというに」
「そんなら、品物のほうもあとはありません」
「頑《がん》愚《ぐ》だな。それではかってにするがいい。おれはもう盗難告訴を書いてやらんから」
「私も品数を教えてあげません。告訴はあなたが御自分でなさるんですから、私は書いていただかないでも困りません」
「それじゃよそう」と主人は例のごとくふいと立って書斎へはいる。細君は茶の間へ引きさがって針箱の前へすわる。ふたりとも十分間ばかりはなんにもせずに黙って障子をにらめつけている。
ところへ威勢よく玄関をあけて、山の芋の寄贈者多々良三平君が上がってくる。多々良三平君はもとこの家《や》の書生であったが今では法科大学を卒業してある会社の鉱山部に雇われている。これも実業家の芽ばえで、鈴木藤十郎君の後進生である。三平君は以前の関係から時々旧先生の草《そう》廬《ろ》を訪問して日曜などには一日遊んで帰るくらい、この家族とは遠慮のない間《あいだ》がらである。
「奥さん。よか天気でござります」と唐津なまりかなんかで細君の前にズボンのまま立てひざをつく。
「おや多々良さん」
「先生はどこぞ出なすったか」
「いいえ書斎にいます」
「奥さん、先生のごと勉強しなさると毒ですばい。たまの日曜だもの、あなた」
「わたしに言ってもだめだから、あなたが先生にそうおっしゃい」
「そればってんが……」と言いかけた三平君は座敷じゅうを見回して「きょうはお嬢さんも見えんな」と半分細君に聞いているや否や次の間からとん子とすん子が駆け出して来る。
「多々良さん、きょうはお寿《す》司《し》を持って来て?」と姉のとん子は先日の約束を覚えていて、三平君の顔を見るや否や催促する。多々良君は頭をかきながら
「よう覚えておるのう、この次はきっと持って来ます。きょうは忘れた」と白状する。
「いやーだ」と姉が言うと妹もすぐまねをして「いやーだ」とつける。細君はようやくごきげんが直って少々笑《え》顔《がお》になる。
「寿司は持って来んが、山の芋はあげたろう。お嬢さん食べなさったか」
「山の芋ってなあに?」と姉が聞くと妹が今度もまたまねをして「山の芋ってなあに?」と三平君に尋ねる。
「まだ食いなさらんか、早くおかあさんに煮ておもらい。唐津の山の芋は東京のとは違ってうまかあ」と三平君が国自慢をすると、細君はようやく気がついて
「多々良さんせんだっては御親切にたくさんありがとう」
「どうです、食べてみなすったか、折れんように箱をあつらえて堅くつめてきたから、長いままでありましたろう」
「ところがせっかくくだすった山の芋をゆうべ泥《どろ》棒《ぼう》に取られてしまって」
「ぬすとが? ばかなやつですなあ。そげん山の芋の好きな男がおりますか?」と三平君大いに感心している。
「おかあさま、ゆうべ泥棒がはいったの?」と姉が尋ねる。
「ええ」と細君は軽《かろ》く答える。
「泥棒がはいって――そうして――泥棒がはいって――どんな顔をしてはいったの?」と今度は妹が聞く。この奇問には細君もなんと答えてよいかわからんので
「こわい顔をしてはいりました」と返事をして多々良君の方を見る。
「こわい顔って多々良さんみたような顔なの」と姉が気の毒そうになく、押し返して聞く。
「なんですね。そんな失礼なことを」
「ハハハハわたしの顔はそんなにこわいですか。困ったな」と頭をかく。多々良君の頭の後部には直径一寸ばかりのはげがある。一か月前からできだして医者に見てもらったが、まだ容易になおりそうもない。このはげを第一番に見つけたのは姉のとん子である。
「あら多々良さんの頭はおかあさまのように光ってよ」
「黙っていらっしゃいと言うのに」
「おかあさまゆうべの泥棒の頭も光ってて」とこれは妹の質問である。細君と多々良君とは思わず吹き出したが、あまりわずらわしくて話も何もできぬので「さあさあお前さんたちは少しお庭へ出てお遊びなさい。今におかあさまがいいお菓子をあげるから」と細君はようやく子供を追いやって
「多々良さんの頭はどうしたの」とまじめに聞いてみる。
「虫が食いました。なかなかなおりません。奥さんもあんなさるか」
「やだわ、虫が食うなんて、そりゃ髷《まげ》で釣る所は女だから少しははげますさ」
「はげはみんなバクテリヤですばい」
「わたしのはバクテリヤじゃありません」
「そりゃ奥さんの意地張りたい」
「なんでもバクテリヤじゃありません。しかし英語ではげのことをなんとかいうでしょう」
「はげはボールドとか言います」
「いいえ、それじゃないの、もっと長い名があるでしょう」
「先生に聞いたら、すぐわかりましょう」
「先生はどうしても教えてくださらないから、あなたに聞くんです」
「わたしはボールドより知りませんが。長かって、どげんですか」
「オタンチン・パレオロガスと言うんです。オタンチンというのがはげという字で、パレオロガスが頭なんでしょう」
「そうかもしれませんたい。今に先生の書斎へ行ってウェブスターを引いて調べてあげましょう。しかし先生もよほど変わっていなさいますな。この天気のいいのに、うちにじっとして――奥さん、あれじゃ胃病はなおりませんな。ちと上《うえ》野《の》へでも花見に出かけなさるごと勧めなさい」
「あなたが連れ出してください。先生は女の言うことはけっして聞かない人ですから」
「このごろでもジャムをなめなさるか」
「ええ相変わらずです」
「せんだって、先生こぼしていなさいました。どうも妻《さい》がおれのジャムのなめ方がはげしいと言って困るが、おれはそんなになめるつもりはない。何か勘定違いだろうと言いなさるから、そりゃお嬢さんや奥さんがいっしょになめなさるに違いない――」
「いやな多々良さんだ、なんだってそんなことを言うんです」
「しかし奥さんだってなめそうな顔をしていなさるばい」
「顔でそんなことがどうしてわかります」
「わからんばってんが――それじゃ奥さん少しもなめなさらんか」
「そりゃ少しはなめますさ。なめたっていいじゃありませんか。うちのものだもの」
「ハハハハそうだろうと思った――しかしほんのこと、泥棒はとんだ災難でしたな。山の芋ばかり持って行《い》たのですか」
「山の芋ばかりなら困りゃしませんが、ふだん着をみんな取ってゆきました」
「さっそく困りますか。また借金をしなければならんですか。この猫が犬ならよかったに――惜しいことをしたなあ。奥さん犬の大《ふと》かやつをぜひ一ちょう飼いなさい。――猫はだめですばい、飯を食うばかりで――ちっとは鼠《ねずみ》でもとりますか」
「一匹もとったことはありません。ほんとうに横着なずうずうしい猫ですよ」
「いやそりゃ、どうもこうもならん。早《そう》々《そう》捨てなさい。わたしがもらって行って煮て食おうかしらん」
「あら、多々良さんは猫を食べるの」
「食いました。猫はうもうござります」
「ずいぶん豪傑ね」
下等な書生のうちには猫を食うような野蛮人がある由はかねて伝聞したが、吾輩が平《へい》生《ぜい》眷《けん》顧《こ》をかたじけのうする多々良君その人もまたこの同類ならんとは今が今まで夢にも知らなかった。いわんや同君はすでに書生ではない、卒業の日は浅きにもかかわらず堂々たる一個の法学士で、六《む》つ井《い*》物産会社の役員であるのだから吾輩の驚《きよう》愕《がく》もまた一通りではない。人を見たら泥棒と思えという格言は寒月第二世の行為によってすでに証拠立てられたが、人を見たら猫食いと思えとは吾輩も多々良君のおかげによってはじめて感得した真理である。世に住めば事を知る、事を知るはうれしいが日に日に危険が多くて、日に日に油断がならなくなる。狡《こう》猾《かつ》になるのも卑劣になるのも表裏二枚合わせの護身服を着けるのも皆事を知るの結果であって、事を知るのは年を取るの罪である。老人にろくな者がいないのはこの理だな、吾輩などもあるいは今のうちに多々良君の鍋《なべ》の中で玉ねぎとともに成《じよう》仏《ぶつ》するほうが得策かもしれんと考えてすみの方に小さくなっていると、最前細君とけんかをしていったん書斎へ引き上げた主人は、多々良君の声を聞きつけて、のそのそ茶の間へ出てくる。
「先生泥棒にあいなさったそうですな。なんちゅ愚《ぐ》なことです」と劈《へき》頭《とう》一番にやりこめる。
「はいるやつが愚なんだ」と主人はどこまでも賢人をもって自任している。
「はいるほうも愚だばってんが、取られたほうもあまり賢《かしこ》くはなかごたる」
「なんにも取られるもののない多々良さんのようなのがいちばん賢いんでしょう」と細君が今度は夫の肩を持つ。
「しかしいちばん愚なのはこの猫ですばい。ほんにまあ、どういう了見じゃろう。鼠はとらず泥棒が来ても知らん顔をしておる。――先生この猫をわたしにくんなさらんか。こうして置いたっちゃなんの役にも立ちませんばい」
「やってもいい。なんにするんだ」
「煮て食べます」
主人は猛烈なるこの一《いち》言《ごん》を聞いて、うふと気味の悪い胃弱性の笑いをもらしたが、べつだんの返事もしないので、多々良君もぜひ食いたいとも言わなかったのは吾輩にとって望外の幸福である。主人はやがて話頭を転じて、
「猫はどうでもいいが、着物をとられたので寒くていかん」と大いに消沈のていである。なるほど寒いはずである。きのうまでは綿入れを二枚重ねていたのにきょうは袷《あわせ》に半《はん》袖《そで》のシャツだけで、朝から運動もせず枯《こ》座《ざ》したぎりであるから、不十分な血液はことごとく胃のために働いて手足の方へは少しも巡回して来ない。
「先生教師などをしておったちゃとうていあかんですばい。ちょっと泥棒にあっても、すぐ困る――一ちょう今から考えを換えて実業家にでもなんなさらんか」
「先生は実業家がきらいだから、そんなことを言ったってだめよ」
と細君がそばから多々良君に返事をする。細君はむろん実業家になってもらいたいのである。
「先生学校を卒業して何年になんなさるか」
「ことしで九年目でしょう」と細君は主人を顧みる。主人はそうだとも、そうでないとも言わない。
「九年たっても月給は上がらず。いくら勉強しても人はほめちゃくれず、郎《ろう》君《くん》ひとり寂《せき》寞《ばく》ですたい」
と中学時代で覚えた詩の句を細君のために朗吟すると、細君はちょっとわかりかねたものだから返事をしない。
「教師はむろんきらいだが、実業家はなおきらいだ」と主人は何が好きだか心のうちで考えているらしい。
「先生はなんでもきらいなんだから……」
「きらいでないのは奥さんだけですか」と多々良君柄《がら》に似合わぬ冗談を言う。
「いちばんきらいだ」主人の返事は最も簡明である。細君は横を向いてちょっとすましたが再び主人の方を見て、
「生きていらっしゃるのもおきらいなんでしょう」と十分主人をへこましたつもりで言う。
「あまり好いてはおらん」と存外のんきな返事をする。これでは手のつけようがない。
「先生ちっと活発に散歩でもしなさらんと、からだをこわしてしまいますばい。――そうして実業家になんなさい。金なんかもうけるのは、ほんに造《ぞう》作《さ》もないことでござります」
「少しももうけもせんくせに」
「まだあなた、去年やっと会社へはいったばかりですもの。それでも先生より貯蓄があります」
「どのくらい貯蓄したの?」と細君は熱心に聞く。
「もう五十円になります」
「いったいあなたの月給はどのくらいなの」これも細君の質問である。
「三十円ですたい。その内《うち》を毎月五円ずつ会社のほうで預かって積んでおいて、いざという時にやります。――奥さんこづかい銭で外《そと》濠《ぼり》線《せん*》の株を少し買いなさらんか、今から三、四か月すると倍になります。ほんに少し金さえあれば、すぐ二倍にでも三倍にでもなります」
「そんなお金があれば泥棒にあったって困りゃしないわ」
「それだから実業家に限るというんです。先生も法科でもやって会社か銀行へでも出なされば、今ごろは月に三、四百円の収入はありますのに、惜しいことでござんしたな。――先生あの鈴木藤十郎という工学士を知ってなさるか」
「うんきのう来た」
「そうでござんすか、せんだってある宴会で会いました時先生のお話をしたら、そうか君は苦《く》沙《しや》弥《み》君《くん》の所の書生をしていたのか、ぼくも苦沙弥君とは昔小《こ》石《いし》川《かわ》の寺でいっしょに自炊をしておったことがある、今度行ったらよろしく言うてくれ、ぼくもそのうち尋ねるからと言っていました」
「近ごろ東京へ来たそうだな」
「ええ今まで九州の炭坑におりましたが、こないだ東京詰めになりました。なかなかうまいです。わたしなぞにでも朋《ほう》友《ゆう》のように話します。――先生あの男がいくらもらってると思いなさる」
「知らん」
「月給が二百五十円で盆暮れに配当がつきますから、なんでも平均四、五百円になりますばい。あげな男が、よかしこ取っておるのに、先生はリーダー専門で十年一狐裘《こきゆう*》じゃばかげておりますなあ」
「じっさいばかげているな」主人のような超然主義の人でも金銭の観念は普通の人間と異なるところはない。否困窮するだけに人一倍金がほしいのかもしれない。多々良君は十分実業家の利益を吹《ふい》聴《ちよう》してもう言うことがなくなったものだから
「奥さん、先生の所へ水島寒月という人《じん》が来ますか」
「ええ、よくいらっしゃいます」
「どげんな人物ですか」
「たいへん学問のできるかただそうです」
「好男子ですか」
「ホホホホ多々良さんぐらいなものでしょう」
「そうですか、わたしぐらいなものですか」と多々良君まじめである。
「どうして寒月の名を知っているのかい」と主人が聞く。
「先だってある人から頼まれました。そんなことを聞くだけの価値のある人物でしょうか」多々良君は聞かぬ先からすでに寒月以上に構えている。
「君よりよほどえらい男だ」
「そうでございますか、わたしよりえらいですか」と笑いもせずおこりもせぬ。これが多々良君の特色である。
「近々博士になりますか」
「今論文を書いているそうだ」
「やっぱりばかですな。博士論文を書くなんて、もう少し話せる人物かと思ったら」
「相変わらず、えらい見識ですね」と細君が笑いながら言う。
「博士になったら、だれとかの娘をやるとかやらんとかいうていましたから、そんなばかがあろうか、娘をもらうために博士になるなんて、そんな人物にくれるよりぼくにくれるほうがよほどましだと言ってやりました」
「だれに」
「わたしに水島のことを聞いてくれと頼んだ男です」
「鈴木じゃないか」
「いいえ、あの人にゃ、まだそんなことは言い切りません。向こうは大《おお》頭《あたま》ですから」
「多々良さんは陰《かげ》弁《べん》慶《けい》ね。うちへなんぞ来ちゃたいへんいばっても鈴木さんなどの前へ出ると小さくなってるんでしょう」
「ええ、そうせんと、あぶないです」
「多々良、散歩をしようか」と突然主人が言う。さっきから袷一枚であまり寒いので少し運動でもしたら暖かになるだろうという考えから主人のこの先例のない動議を呈出したのである。ゆき当たりばったりの多々良君はむろん逡《しゆん》巡《じゆん》するわけがない。
「行きましょう。上野にしますか。芋《いも》坂《ざか*》へ行って団子を食いましょうか。先生あすこの団子を食ったことがありますか。奥さん一ぺん行って食ってごらん。柔らかくて安いです。酒も飲ませます」と例によって秩序のない駄《だ》弁《べん》をふるってるうちに主人はもう帽子をかぶって沓《くつ》脱《ぬぎ》へおりる。
吾輩はまた少々休養を要する。主人と多々良君が上野公園でどんなまねをして、芋坂で団子を幾皿食ったかそのへんの逸事は探《たん》偵《てい》の必要もなし、また尾《び》行《こう》する勇気もないからずっと略してそのあいだ休養せんければならん。休養は万物の旻《びん》天《てん》から要求してしかるべき権利である。この世に生息すべき義務を有して蠢《しゆん》動《どう》する者は、生息の義務を果たすために休養を得ねばならぬ。もし神ありて汝《なんじ》は働くために生まれたり寝るために生まれたるにあらずと言わば吾輩はこれに答えて言わん、吾輩は仰せのごとく働くために生まれたりゆえに働くために休養を乞《こ》うと。主人のごとく器械に不平を吹き込んだまでの木《ぼく》強《きよう》漢《かん》ですら、時々は日曜以外に自弁休養をやるではないか。多感多恨にして日夜心神を労する吾輩ごとき者はたとい猫といえども主人以上に休養を要するはもちろんのことである。たださっき多々良君が吾輩を目して休養以外になんらの能もない贅《ぜい》物《ぶつ》のごとくにののしったのは少々気がかりである。とかく物象にのみ使役せらるる俗人は、五感の刺激以外になんらの活動もないので、他を評価するのでも形《けい》骸《がい》以外にわたらんのは厄《やつ》介《かい》である。なんでも尻でもはしょって、汗でも出さないと働いていないように考えている。達《だる》磨《ま》という坊さんは足の腐るまで座禅をしてすましていたというが、たとい壁のすきから蔦《つた》がはいこんで大《だい》師《し》の目口をふさぐまで動かないにしろ、寝ているんでも死んでいるんでもない。頭の中は常に活動して、廓《かく》然《ねん》無《む》聖《しよう*》などとおつな理窟を考え込んでいる。儒家にも静《せい》坐《ざ》の工《く》夫《ふう》というのがあるそうだ。これだって一室の中《うち》に閉居して安閑といざりの修《しゆ》行《ぎよう》をするのではない。脳中の活力は人一倍さかんに燃えている。ただ外見上はしごく沈静端粛のていであるから、天下の凡眼はこれらの知識巨匠をもって昏《こん》睡《すい》仮《か》死《し》の庸人と見なして無用の長物とか穀《ごく》つぶしとかいらざる誹《ひ》謗《ぼう》の声をたてるのである。これらの凡眼は皆形を見て心を見ざる不具なる視覚を有して生まれついた者で、――しかもかの多々良三平君のごときは形を見て心を見ざる第一流の人物であるから、この三平君が吾輩を目して乾《かん》屎《し》《けつ*》同等に心得るのももっともだが、恨むらくは少しく古今の書籍を読んで、やや事物の真相を解しえたる主人までが、浅薄なる三平君に一も二もなく同意して、猫《ねこ》鍋《なべ》に故障をさしはさむけしきのないことである。しかし一歩退いて考えてみると、かくまでに彼らが吾輩を軽《けい》蔑《べつ》するのも、あながち無理ではない。大《たい》声《せい》は俚《り》耳《じ》に入らず《*》、陽春白雪の詩には和するもの少なし《*》のたとえも古い昔からあることだ。形体以外の活動を見るあたわざる者に向かって己《こ》霊《れい》の光輝を見よと強《し》うるは、坊主に髪を結《い》えと迫るがごとく、鮪《まぐろ》に演説をしてみろと言うがごとく、電鉄に脱線を要求するがごとく、主人に辞職を勧告するごとく、三平に金のことを考えるなと言うがごときものである。畢《ひつ》竟《きよう》無理な注文にすぎん。しかしながら猫といえども社会的動物である。社会的動物である以上はいかに高くみずから標置するとも、ある程度までは社会と調和してゆかねばならん。主人や細君やないしおさん、三平づれが吾輩を吾輩相当に評価してくれんのは残念ながらいたし方がないとして、不明の結果皮をはいで三《しや》味《み》線《せん》屋《や》に売り飛ばし、肉を刻んで多々良君の膳に上《のぼ》すような無分別をやられてはゆゆしき大事である。吾輩は頭をもって活動すべき天命を受けてこの娑《しや》婆《ば》に出現したほどの古《こ》今《こん》来《らい》の猫であれば、非常にだいじなからだである。千金の子は堂《どう》陲《すい》に坐せず《*》との諺《ことわざ》もあることなれば、好んで超《ちよう》邁《まい》を宗《そう》として《*》、いたずらにわが身の危険を求むるのはたんに自己の災《わざわい》なるのみならず、また大いに天意にそむくわけである。猛《もう》虎《こ》も動物園に入れば糞《ふん》豚《とん》の隣りに居を占め、鴻《こう》雁《がん》も鳥屋にいけどらるれば雛《すう》鶏《けい》と俎《まないた》を同じゅうす。庸人と相《あい》互《ご》する以上は下《くだ》って庸《よう》猫《びよう》と化せざるべからず。庸猫たらんとすれば鼠をとらざるべからず。――吾輩はとうとう鼠をとることにきめた。
せんだってじゅうから日《に》本《ほん》はロシアと大戦争をしているそうだ。吾輩は日本の猫だからむろん日本びいきである。できうべくんば混《こん》成《せい》猫《ねこ》旅《りよ》団《だん》を組織してロシア兵を引っかいてやりたいと思うくらいである。かくまでに元気旺《おう》盛《せい》な吾輩のことであるから鼠の一匹や二匹はとろうとする意志さえあれば、寝ていてもわけなくとれる。昔ある人当時有名な禅師に向かって、どうしたら悟れましょうと聞いたら、猫が鼠をさらうようにさしゃれと答えたそうだ。猫が鼠をとるようにとは、かくさえすればはずれっこはござらぬという意味である。女賢《さか》しゅうしてという諺はあるが猫賢しゅうして鼠とりそこなうという格言はまだないはずだ。してみればいかに賢い吾輩のごときものでも鼠のとれんはずはあるまい。とれんはずはあるまいどころかとりそこなうはずはあるまい。今までとらんのは、とりたくないからのことさ。春の日はきのうのごとく暮れて、おりおりの風に誘わるる花ふぶきが台所の腰障子の破れから飛び込んで手《て》桶《おけ》の中に浮かぶ影が、薄暗き勝手用のランプの光に白く見える。今夜こそ大手柄をして、うちじゅう驚かしてやろうと決心した吾輩は、あらかじめ戦場を見回って地形を飲み込んでおく必要がある。戦闘線はもちろんあまり広かろうはずがない。畳《たたみ》数《かず》にしたら四《よ》畳《じよう》敷《じ》きもあろうか、その一畳を仕切って半分は流し、半分は酒屋八《や》百《お》屋《や》の御用を聞く土《ど》間《ま》である。へっついは貧乏勝手に似合わぬ立派なもので銅《あか》の銅《どう》壺《こ》がぴかぴかして、後ろは羽目板の間《ま》を二尺のこして吾輩の鮑《あわび》貝《がい》の所在地である。茶の間に近き六尺は膳《ぜん》椀《わん》皿《さら》小《こ》鉢《ばち》を入れる戸《と》棚《だな》となって狭き台所をいとど狭く仕切って、横にさし出すむき出しの棚とすれすれの高さになっている。その下にすり鉢《ばち》が仰向けに置かれて、すり鉢の中には小桶の尻が吾輩の方を向いている。大《だい》根《こ》卸《おろ》し、すりこ木《ぎ》が並んで掛けてあるかたわらに火消し壺《つぼ》だけが悄《しよう》然《ぜん》と控えている。まっ黒になった垂《たる》木《き》の交差したまん中から一本の自在をおろして、先へは平たい大きなかごをかける。そのかごが時々風に揺れて鷹《おう》揚《よう》に動いている。このかごはなんのためにつるすのか、この家《うち》に来たてにはいっこう要領を得なかったが、猫の手の届かぬためわざと食物をここへ入れるということを知ってから、人間の意地の悪いことをしみじみ感じた。
これから作戦計画だ。どこで鼠と戦争するかといえばむろん鼠の出る所でなければならぬ。いかにこっちに便宜な地形だからといって一人で待ち構えていてはてんで戦争にならん。ここにおいてか鼠の出口を研究する必要が生ずる。どの方面から来るかなと台所のまん中に立って四方を見回す。なんだか東《とう》郷《ごう》大《たい》将《しよう》のような心持ちがする。下女はさっき湯に行ってもどって来ん。子供はとくに寝ている。主人は芋坂の団子を食って帰って来て相変わらず書斎に引きこもっている。細君は――細君は何をしているか知らない。おおかた居眠りをして山芋の夢でも見ているのだろう。時々門前を人《じん》力《りき》が通るが、通り過ぎたあとは一段とさびしい。わが決心といい、わが意気といい台所の光景といい、四辺《あたり》の寂《せき》寞《ばく》といい、全体の感じがことごとく悲壮である。どうしても猫中の東郷大将としか思われない。こういう境《きよう》界《がい》に入るとものすごい内に一種の愉快を覚えるのはたれしも同じことであるが、吾輩はこの愉快の底に一大心配が横たわっているのを発見した。鼠と戦争をするのは覚悟の前だから何匹来てもこわくはないが、出てくる方面が明《めい》瞭《りよう》でないのは不都合である。周密なる観察から得た材料を総合してみると鼠《そ》賊《ぞく》の逸出するのには三つの行路がある。彼らがもしどぶ鼠であるならば土管を沿うて流しから、へっついの裏手へ回るに相違ない。その時は火消し壺の影に隠れて、帰り道を絶ってやる。あるいは溝《みぞ》へ湯《ゆ》を抜く漆《しつ》喰《くい》の穴より風《ふ》呂《ろ》場《ば》を迂《う》回《かい》して勝手へ不意に飛び出すかもしれない。そうしたら釜《かま》のふたの上に陣取って目の下に来た時上から飛びおりて一つかみにする。それからとまたあたりを見回すと戸棚の戸の右の下すみが半《はん》月《げつ》形《けい》に食い破られて、彼らの出《しゆつ》入《にゆう》に便なるかの疑いがある。鼻をつけてかいでみると少々鼠臭い。もしここから吶《とつ》喊《かん》して出たら、柱を楯《たて》にやり過ごしておいて、横合いからあっと爪《つめ》をかける。もし天井から来たらと上を仰ぐとまっ黒な煤《すす》がランプの光で輝いて、地獄を裏返しにつるしたごとくちょっと吾輩の手ぎわでは上《のぼ》ることも、下ることもできん。まさかあんな高い所から落ちてくることもなかろうからこの方面だけは警戒を解くことにする。それにしても三方から攻撃される懸《け》念《ねん》がある。一口なら片目でも退治してみせる。二口ならどうにか、こうにかやってのける自信がある。しかし三口となるといかに本能的に鼠をとるべく予期せらるる吾輩も手のつけようがない。さればといって車屋の黒ごときものを助勢に頼んでくるのも吾輩の威厳に関する。どうしたらよかろう。どうしたらよかろうと考えてよい知恵が出ない時は、そんなことは起こる気づかいはないと決めるのがいちばん安心を得《う》る近道である。また法のつかないものは起こらないと考えたくなるものである。まず世《せ》間《けん》を見渡してみたまえ。きのうもらった花嫁もきょう死なんとも限らんではないか。しかし聟《むこ》殿《どの》は玉《たま》椿《つばき》千《ち》代《よ》も八《や》千《ち》代《よ》もなど、おめでたいことを並べて心配らしい顔もせんではないか。心配せんのは、心配する価値がないからではない。いくら心配したって法がつかんからである。吾輩の場合でも三面攻撃は必ず起こらぬと断言すべき相当の根拠はないのであるが、起こらぬとするほうが安心を得《う》るに便利である。安心は万物に必要である。吾輩も安心を欲する。よって三面攻撃は起こらぬときめる。
それでもまだ心配が取れぬから、どういうものかとだんだん考えてみるとようやくわかった。三個の計略のうちいずれを選んだのが最も得策であるかの問題に対して、みずから明瞭なる答弁を得《う》るに苦しむからの煩《はん》悶《もん》である。戸棚から出る時には吾輩これに応ずる策がある、風呂場から現われる時はこれに対する計《はかりごと》がある、また流しからはい上がる時はこれを迎うる成算もあるが、そのうちどれか一つにきめねばならぬとなると大いに当惑する。東郷大将はバルチック艦隊が対《つし》馬《ま》海峡を通るか、津《つ》軽《がる》海峡へ出るか、あるいは遠く宗《そう》谷《や》海峡を回るかについて大いに心配されたそうだが、今吾輩が吾輩自身の境遇から想像してみて、御困却の段じつにお察し申す。吾輩は全体の状況において東郷閣下に似ているのみならず、この格段なる地位においてもまた東郷閣下とよく苦心を同じゅうする者である。
吾輩がかく夢中になって知謀をめぐらしていると、突然破れた腰障子があいておさんの顔がぬうと出る。顔だけ出るというのは、手足がないというわけではない。ほかの部分は夜目でよく見えんのに、顔だけが著しく強い色をして判然眸《ぼう》底《てい》に落つるからである。おさんはその平常より赤き頬《ほお》をますます赤くして銭《せん》湯《とう》から帰ったついでに、ゆうべに懲りてか、早くから勝手の戸締まりをする。書斎で主人がおれのステッキを枕もとへ出しておけと言う声が聞こえる。なんのために枕《ちん》頭《とう》にステッキを飾るのか吾輩にはわからなかった。まさか易《えき》水《すい》の壮士を気取って、竜《りゆう》鳴《めい》を聞こうという酔狂でもあるまい。きのうは山の芋、きょうはステッキ、あすはなんになるだろう。
夜《よ》はまだ浅い鼠はなかなか出そうにない。吾輩は大戦の前にひと休養を要する。
主人の勝手には引き窓がない。座敷なら欄《らん》間《ま》というような所が幅一尺ほど切り抜かれて夏冬吹き通しに引き窓の代理を勤めている。惜しげもなく散る彼岸桜を誘うて、さっと吹き込む風に驚いて目をさますと、おぼろ月さえいつのまにさしてか、へっついの影は斜めに揚げ板の上にかかる。寝過ごしはせぬかと二、三度耳を振って家内の様子をうかがうと、しんとしてゆうべのごとく柱時計の音のみ聞こえる。もう鼠の出る時分だ。どこから出るだろう。
戸棚の中でことことと音がしだす。小皿の縁《ふち》を足でおさえて、中をあらしているらしい。ここから出るわいと穴の横へすくんで待っている。なかなか出て来るけしきはない。皿の音はやがてやんだが今度はどんぶりか何かにかかったらしい、重い音が時々ごとごととする。しかも戸を隔ててすぐ向こう側でやっている、吾輩の鼻づらと距離にしたら三寸も離れておらん。時々はちょろちょろと穴の口まで足音が近寄るが、また遠のいて一匹も顔を出すものはない。戸一枚向こうに現在敵が暴行をたくましくしているのに、吾輩はじっと穴の出口で待っておらねばならんずいぶん気の長い話だ。鼠は旅《りよ》順《じゆん》椀《わん*》の中で盛んに舞踏会を催している。せめて吾輩のはいれるだけおさんがこの戸をあけておけばいいのに、気のきかぬ山出しだ。
今度はへっついの影で吾輩の鮑《あわび》貝《がい》がことりと鳴る。敵はこの方面へも来たなと、そーっと忍び足で近寄ると手《て》桶《おけ》の間からしっぽがちらりと見えたぎり流しの下へ隠れてしまった。しばらくすると風呂場でうがい茶わんが金だらいにかちりと当たる。今度は後ろだとふりむくとたんに、五寸近くある大きなやつがひらりと歯みがきの袋を落として縁の下へ駆け込む。逃がすものかと続いて飛びおりたらもう影も姿も見えぬ。鼠をとるのは思ったよりむずかしいものである。吾輩は先天的鼠をとる能力がないのかしらん。
吾輩が風呂場へ回ると、敵は戸棚から駆け出し、戸棚を警戒すると流しから飛び上がり、台所のまん中にがんばっていると三方面とも少々ずつ騒ぎ立てる。小《こ》癪《しやく》といおうか、卑《ひ》怯《きよう》といおうかとうてい彼らは君子の敵でない。吾輩は十五、六回はあちら、こちらと気をつからし心《しん》をつからして奔《ほん》走《そう》努力してみたがついに一度も成功しない。残念ではあるがかかる小《しよう》人《じん》を敵にしてはいかなる東郷大将も施すべき策がない。初めは勇気もあり敵《てき》愾《がい》心《しん》もあり悲壮という崇高な美感さえあったがついにはめんどうとばかげているのと眠いのとつかれたので台所のまん中へすわったなり動かないことになった。しかし動かんでも八方にらみをきめこんでいれば敵は小人だからたいしたことはできんのである。目ざす敵と思ったやつが、存外けちなやろうだと、戦争が名誉だという感じが消えてにくいという念だけ残る。にくいという念を通り過ごすと張り合いが抜けてぼーとする。ぼーとしたあとはかってにしろ、どうせ気のきいたことはできないのだからと軽《けい》蔑《べつ》の極眠たくなる。吾輩は以上の径路をたどって、ついに眠くなった。吾輩は眠る。休養は敵中に在《あ》っても必要である。
横向きに庇《ひさし》を向いて開いた引き窓から、また花ふぶきを一《ひと》塊《かたま》りなげこんで、はげしき嵐の我をめぐると思えば、戸棚の口から弾丸のごとく飛び出したものが、避くる間《ま》もあらばこそ、風を切って吾輩の左の耳へ食いつく。これに続く黒い影は後ろに回るかと思うまもなく吾輩のしっぽへぶらさがる。またたくまの出来事である。吾輩はなんの目的もなく器械的にはね上がる。満身の力を毛穴にこめてこの怪物を振り落とそうとする。耳に食い下がったのは中心を失ってだらりとわが横顔にかかる。ゴム管のごとき柔らかきしっぽの先が思いがけなく吾輩の口にはいる。屈強の手がかりに、砕けよとばかり尾をくわえながら左右にふると、尾のみは前歯の間に残って胴体は古新聞で張った壁に当たって、揚げ板の上にはね返る。起き上がるところをすきまなくのしかかれば、毬《まり》をけたるごとく、吾輩の鼻づらをかすめて釣り段の縁に足を縮めて立つ。彼は棚《たな》の上から吾輩を見おろす、吾輩は板の間から彼を見上ぐる。距離は五寸。その中に月の光が、大幅の帯を空《くう》に張るごとく横にさしこむ。吾輩は前足に力をこめて、やっとばかり棚の上に飛び上がろうとした。前足だけは首尾よく棚の縁にかかったがあと足は宙にもがいている。しっぽには最前の黒いものが、死ぬとも離るまじき勢いで食い下がっている。吾輩は危うい。前足を掛けかえて足がかりを深くしようとする。掛けかえるたびにしっぽの重みで浅くなる。二、三分《ぶ》すべれば落ちねばならぬ。吾輩はいよいよ危うい。棚板を爪《つめ》でかきむしる音ががりがりと聞こえる。これではならぬと左の前足を抜きかえる拍子に、爪をみごとに掛け損じたので吾輩は右の爪一本で棚からぶらさがった。自分としっぽに食いつくものの重みで吾輩のからだがぎりぎりと回る。この時まで身動きもせずにねらいをつけていた棚の上の怪物は、ここぞと吾輩の額《ひたい》を目がけて棚の上から石を投ぐるがごとく飛びおりる。吾輩の爪は一《いち》縷《る》のかかりを失う。三つの塊が一つとなって月の光を縦に切って下へ落ちる。次の段に乗せてあったすり鉢《ばち》と、すり鉢の中の小桶とジャムのあきかんが同じく一塊となって、下にある火消し壺を誘って、半分は水《みず》甕《がめ》の中、半分は板の間の上へころがり出す。すべてが深夜にただならぬ物音を立てて死に物狂いの吾輩の魂をさえ寒からしめた。
「泥棒!」と主人は胴《どう》間《ま》声《ごえ》を張り上げて寝室から飛び出して来る。見ると片手にはランプをさげ、片手にはステッキを持って、寝ぼけ眼《まなこ》よりは身分相応の炯《けい》々《けい》たる光を放っている。吾輩は鮑貝のそばにおとなしくしてうずくまる。二匹の怪物は戸棚の中へ姿をかくす。主人は手持ちぶさたに「なんだだれだ、大きな音をさせたのは」と怒気を帯びて相手もいないのに聞いている。月が西に傾いたので、白い光の一帯は半《はん》切《きれ》ほどに細くなった。
六
こう暑くては猫といえどもやりきれない。皮を脱いで、肉を脱いで骨だけで涼みたいものだとイギリスのシドニー・スミス《*》とかいう人が苦しがったという話があるが、たとい骨だけにならなくともいいから、せめてこの淡灰色の斑《ふ》入《い》りの毛《け》衣《ごろも》だけはちょっと洗い張りでもするか、もしくは当分のうち質にでも入れたいような気がする。人間から見たら猫などは年が年じゅう同じ顔をして、春夏秋冬一枚看板で押し通す、至って単純な無事な銭《ぜに》のかからない生《しよう》涯《がい》を送っているように思われるかもしれないが、いくら猫だって相応に暑さ寒さの感じはある。たまには行水の一度ぐらいあびたくないこともないが、なにしろこの毛衣の上から湯を使った日にはかわかすのが容易なことでないから汗臭いのを我慢してこの年になるまで銭湯ののれんをくぐったことはない。おりおりは団扇《うちわ》でも使ってみようという気も起こらんではないが、とにかく握ることができないのだからしかたがない。それを思うと人間はぜいたくなものだ。なまで食ってしかるべきものをわざわざ煮てみたり、焼いてみたり、酢《す》に漬けてみたり、味《み》噌《そ》をつけてみたり好んでよけいな手数をかけてお互いに恐悦している。着物だってそうだ。猫のように一年じゅう同じ物を着通せというのは、不完全に生まれついた彼らにとって、ちと無理かもしれんが、なにもあんなに雑多なものを皮膚の上へ載せて暮らさなくてものことだ。羊の御《ご》厄《やつ》介《かい》になったり、蚕《かいこ》のお世話になったり、綿畑のお情けさえ受けるに至ってはぜいたくは無能の結果だと断言してもいいくらいだ。衣食はまず大目に見て勘弁するとしたところで、生存上直接の利害もないところまでこの調子で押してゆくのはごうも合《が》点《てん》がゆかぬ。第一頭の毛などというものは自然にはえるものだから、ほうっておくほうが最も簡便で当人のためになるだろうと思うのに、彼らはいらぬ算段をして種々雑多な恰《かつ》好《こう》をこしらえて得意である。坊主とか自称するものはいつ見ても頭を青くしている。暑いとその上へ日《ひ》傘《がさ》をかぶる、寒いと頭《ず》巾《きん》で包む。これではなんのために青い物を出しているのか主意が立たんではないか。そうかと思うと櫛《くし》とか称する無意味な鋸《のこぎり》様《よう》の道具を用いて頭の毛を左右に等分してうれしがってるのもある。等分にしないと七分三分の割合で頭《ず》蓋《がい》骨《こつ》の上へ人為的の区画を立てる。中にはこの仕切りがつむじを通り過ごして後ろまではみ出しているのがある。まるで贋《がん》造《ぞう》の芭《ば》蕉《しよう》葉《は》のようだ。その次には脳天を平らに刈って左右はまっすぐに切り落とす。丸い頭へ四角なわくをはめているから、植木屋を入れた杉《すぎ》垣《がき》根《ね》の写生としか受けとれない。このほか五分刈り、三分刈り、一分刈りさえあるという話だから、しまいには頭の裏まで刈り込んでマイナス一分刈り、マイナス三分刈りなどという新奇なやつが流行するかもしれない。とにかくそんなに憂《うき》身《み》をやつしてどうするつもりかわからん。第一、足が四本あるのに二本しか使わないというのからぜいたくだ。四本で歩けばそれだけはかもゆくわけだのに、いつでも二本ですまして、残る二本は到来の棒《ぼう》鱈《だら》のように手持ちぶさたにぶら下げているのはばかばかしい。これでみると人間はよほど猫より閑《ひま》なもので退屈のあまりかようないたずらを思考して楽しんでいるものと察せられる。ただおかしいのはこの閑《ひま》人《じん》がよるとさわると多忙だ多忙だと触れ回るのみならず、その顔色がいかにも多忙らしい、悪くすると多忙に食い殺されはしまいかと思われるほどこせついている。彼らのある者は吾輩を見て時々あんなになったら気楽でよかろうなどと言うが、気楽でよければなるがいい。そんなにこせこせしてくれとだれも頼んだわけでもなかろう。自分でかってな用事を手に負えぬほど製造して苦しい苦しいというのは自分で火をかんかん起こして暑い暑いと言うようなものだ。猫だって頭の刈り方を二十通りも考え出す日には、こう気楽にしてはおられんさ。気楽になりたければ吾輩のように夏でも毛衣を着て通されるだけの修業をするがよろしい。――というものの少々熱い。毛衣ではまったく熱すぎる。
これでは一手専売の昼寝もできない。何かないかな、ながらく人間社会の観察を怠ったから、きょうは久しぶりで彼らが酔《すい》興《きよう》にあくせくする様子を拝見しようかと考えてみたが、あいにく主人はこの点に関してすこぶる猫に近い性分である。昼寝は吾輩に劣らぬくらいやるし、ことに暑中休暇後になってからは何一つ人間らしい仕事をせんので、いくら観察をしてもいっこう観察する張り合いがない。こんな時に迷亭でも来ると胃弱性の皮膚もいくぶんか反応を呈して、しばらくでも猫に遠ざかるだろうに、先生もう来てもいい時だと思っていると、だれとも知らず風《ふ》呂《ろ》場《ば》でざあざあ水を浴びる者がある。水を浴びる音ばかりではない、おりおり大きな声で相の手を入れている。「いや結構」「どうもいい心持ちだ」「もう一杯」などと家《うち》じゅうに響き渡るような声を出す。主人のうちへ来てこんな大きな声と、こんな無作法なまねをやる者はほかにはない。迷亭にきまっている。
いよいよ来たな、これできょう半日はつぶせると思っていると、先生汗をふいて肩を入れて例のごとく座敷までずかずか上がって来て「奥さん、苦沙弥君はどうしました」と呼ばわりながら帽子を畳の上へほうり出す。細君は隣座敷で針箱のそばへ突っぷしていい心持ちに寝ている最中にワンワンとなんだか鼓《こ》膜《まく》へこたえるほどの響きがしたのではっと驚いて、さめぬ目をわざとみはって座敷へ出て来ると迷亭が薩《さつ》摩《ま》上《じよう》布《ふ》を着てかってな所へ陣取ってしきりに扇使いをしている。
「おやいらっしゃいまし」と言ったが少々狼《ろう》狽《ばい》の気味で「ちっとも存じませんでした」と鼻の頭へ汗をかいたままお辞儀をする。「いえ、今来たばかりなんですよ。今風呂場でおさんに水をかけてもらってね。ようやく生きかえったところで――どうも暑いじゃありませんか」「この両《りよう》三《さん》日《ち》は、ただじっとしておりましても汗が出るくらいで、たいへんお暑うございます。――でもお変わりもございませんで」と細君は依然として鼻の汗をとらない。「え、ありがとう。なに暑いぐらいでそんなに変わりゃしませんや。しかしこの暑さは別《べつ》物《もの》ですよ。どうもからだがだるくってね」「わたしなども、ついに昼寝などをいたしたことがないんでございますが、こう暑いとつい――」「やりますか。いいですよ。昼寝られて、夜寝られりゃ、こんな結構なことはないでさあ」と相変わらずのんきなことを並べてみたがそれだけでは不足とみえて「わたしなんざ、寝たくない、たちでね。苦沙弥君などのように来るたんびに寝ている人を見るとうらやましいですよ。もっとも胃弱にこの暑さはこたえるからね。丈夫な人でもきょうなんかは首を肩の上に載せてるのが退儀でさあ。さればといって載っている以上はもぎとるわけにもゆかずね」迷亭君いつになく首の処置に窮している。「奥さんなんざ首の上へまだ載っけておくものがあるんだから、すわっちゃいられないはずだ。髷《まげ》の重みだけでも横になりたくなりますよ」と言うと細君は今まで寝ていたのが髷の恰好から露見したと思って、「ホホホ口の悪い」と言いながら頭をいじってみる。
迷亭はそんなことには頓《とん》着《じやく》なく「奥さん、きのうはね、屋根の上で玉子のフライをしてみましたよ」と妙なことを言う。「フライをどうなさったんでございます」「屋根の瓦《かわら》があまりみごとに焼けていましたから、ただ置くのももったいないと思ってね。バタを溶かして玉子を落としたんでさあ」「あらまあ」「ところがやっぱり天《てん》日《ぴ》は思うようにゆきませんや。なかなか半熟にならないから、下へおりて新聞を読んでいると客が来たもんだからつい忘れてしまって、けさになって急に思い出して、もう大丈夫だろうと上がってみたらね」「どうなっておりました」「半熟どころか、すっかり流れてしまいました」「おやおや」と細君は八の字を寄せながら感嘆した。
「しかし土《ど》用《よう》じゅうあんなに涼しくって、今ごろから暑くなるのは不思議ですね」「ほんとでございますよ。せんだってじゅうは単衣《ひとえ》でも寒いくらいでございましたのに、おとといから急に暑くなりましてね」「蟹《かに》なら横にはうところだがことしの気候はあとびさりをするんですよ。倒《とう》行《こう》して逆《げき》施《し》す《*》また可ならずやというようなことを言っているかもしれない」「なんでござんす、それは」「いえ、なんでもないのです。どうもこの気候の逆もどりをするところはまるでハーキュリスの牛ですよ」と図に乗っていよいよ変ちきりんなことを言うと、はたせるかな細君はわからない。しかし最前の倒行して逆施すで少々懲りているから、今度はただ「へえー」と言ったのみで問い返さなかった。これを問い返されないと迷亭はせっかく持ち出したかいがない。「奥さん、ハーキュリスの牛を御存じですか」「そんな牛は存じませんわ」「御存じないですか、ちょっと講釈をしましょうか」と言うと細君もそれには及びませんとも言いかねたものだから「ええ」と言った。「昔ハーキュリスが牛を引っぱって来たんです」「そのハーキュリスというのは牛飼いででもござんすか」「牛飼いじゃありませんよ。牛飼いやいろは《*》の亭主じゃありません。その節はギリシアにまだ牛肉屋が一軒もない時分のことですからね」「あらギリシアのお話なの? そんなら、そうおっしゃればいいのに」と細君はギリシアという国名だけは心得ている。「だってハーキュリスじゃありませんか」「ハーキュリスならギリシアなんですか」「ええハーキュリスはギリシアの英雄でさあ」「どうりで、知らないと思いました。それでその男がどうしたんで――」「その男がね奥さんみたように眠くなってぐうぐう寝ている――」「あらいやだ」「寝ている間《ま》に、ヴァルカンの子が来ましてね」「ヴァルカンてなんです」「ヴァルカンは鍛《か》冶《じ》屋《や》ですよ。この鍛冶屋のせがれがその牛を盗んだんでさあ。ところがね。牛のしっぽを持ってぐいぐい引いて行ったもんだからハーキュリスが目をさまして牛やーい牛やーいと尋ねて歩いてもわからないんです。わからないはずでさあ。牛の足跡をつけたって前の方へ歩かして連れて行ったんじゃありませんもの、後ろへ後ろへと引きずって行ったんですからね。鍛冶屋のせがれにしては大出来ですよ」迷亭先生はすでに天気の話は忘れている。
「時に御主人はどうしました。相変わらず午睡《ひるね》ですかね。午睡もシナ人の詩に出てくると風流だが、苦沙弥君のように日課としてやるのは少々俗《ぞく》気《き》がありますね。なんのこたあない毎日少しずつ死んでみるようなものですぜ、奥さんお手数だがちょっと起こしていらっしゃい」と催促すると細君は同感とみえて「ええ、ほんとにあれでは困ります。第一あなた、からだが悪くなるばかりですから。今御飯をいただいたばかりだのに」と立ちかけると迷亭先生は「奥さん、御飯といやあ、ぼくはまだ御飯をいただかないんですがね」と平気な顔をして聞きもせぬことを吹《ふい》聴《ちよう》する。「おやまあ、時分どきだのにちっとも気がつきませんで――それじゃ何もございませんがお茶づけでも」「いえお茶づけなんか頂戴しなくってもいいですよ」「それでも、あなた、どうせお口に合うようなものはございませんが」と細君少々いやみを並べる。迷亭は悟ったもので「いえお茶づけでもお湯づけでも御免こうむるんです。今途中でごちそうをあつらえて来ましたから、そいつも一つここでいただきますよ」ととうてい素人《しろうと》にはできそうもないことを述べる。細君はたった一《ひと》言《こと》「まあ!」と言ったがそのまあのうちには驚いたまあと、気を悪くしたまあと、手数が省けてありがたいというまあが合併している。
ところへ主人が、いつになくあまりやかましいので、寝つきかかった眠りをさかに扱《こ》かれたような心持ちで、ふらふらと書斎から出て来る。「相変わらずやかましい男だ。せっかくいい心持ちに寝ようとしていたところを」とあくび交じりに仏《ぶつ》頂《ちよう》面《づら》をする。「いやお目ざめかね。鳳《ほう》眠《みん》を驚かし奉ってはなはだあいすまん。しかしたまにはよかろう。さあすわりたまえ」とどっちが客だかわからぬ挨《あい》拶《さつ》をする。主人は無言のまま座に着いて寄せ木細工の巻《まき》煙草《タバコ》入れから「朝日」を一本出してすぱすぱ吸い始めたが、ふと向こうのすみにころがっている迷亭の帽子に目をつけて「君帽子を買ったね」と言った。迷亭はすぐさま「どうだい」と自慢らしく主人と細君の前にさし出す。「まあきれいだこと。たいへん目が細かくって柔らかいんですね」と細君はしきりになで回す。「奥さんこの帽子は重《ちよう》宝《ほう》ですよ、どうでも言うことを聞きますからね」と拳《げん》骨《こつ》をかためてパナマ《*》の横ッ腹《ぱら》をぽかりと張りつけると、なるほど意のことく拳《こぶし》ほどの穴があいた。細君が「へえ」と驚く間《ま》もなく、このたびは拳骨を裏側へ入れてうんと突ッぱると釜《かま》の頭がぽかりととんがる。次には帽子を取って鍔《つば》と鍔とを両側からおしつぶしてみせる。つぶされた帽子は麺《めん》棒《ぼう》で延した蕎《そ》麦《ば》のように平たくなる。それを片端から蓆《むしろ》でも巻くごとくぐるぐると畳む。「どうですこのとおり」と丸めた帽子を懐中へ入れてみせる。「不思議ですことねえ」と細君は帰《き》天《てん》斎《さい》正《しよう》一《いち》の手《て》品《じな》でも見物しているように感嘆すると、迷亭もその気になったものとみえて、右から懐中に収めた帽子をわざと左の袖《そで》口《ぐち》から引っぱり出して、「どこにも傷はありません」と元のごとくに直して、人さし指の先へ釜の底を戴せてくるくると回す。もうやめるかと思ったら最後にぽんと後ろへ投げてその上へどっさりと尻《しり》もちを突いた。「君大丈夫かい」と主人さえ懸《け》念《ねん》らしい顔をする。細君はむろんのこと心配そうに「せっかくみごとな帽子をもしこわしでもしちゃあたいへんですから、もういいかげんになすったらようござんしょう」と注意をする。得意なのは持ち主だけで「ところがこわれないから妙でしょう」と、くちゃくちゃになったのを尻の下から取り出してそのまま頭へ載せると、不思議なことに頭の恰好にたちまち回復する。「じつに丈夫な帽子ですことねえ、どうしたんでしょう」と細君がいよいよ感心すると「なにどうもしたんじゃありません、元からこういう帽子なんです」と迷亭は帽子をかぶったまま細君に返事をしている。
「あなたも、あんな帽子をお買いになったら、いいでしょう」としばらくして細君は主人に勧めかけた。「だって苦沙弥君は立派な麦《むぎ》藁《わら》のやつを持ってるじゃありませんか」「ところがあなた、せんだって子供があれを踏みつぶしてしまいまして」「おやおやそりゃ惜しいことをしましたね」「だから今度はあなたのような丈夫できれいなのを買ったらよかろうと思いますんで」と細君はパナマの値段を知らないものだから「これになさいよ、ねえ、あなた」としきりに主人に勧告している。
迷亭君は今度は右の袂《たもと》の中から赤いケース入りの鋏《はさみ》を取り出して細君に見せる。「奥さん、帽子はそのくらいにしてこの鋏を御覧なさい。これがまたすこぶる重宝なやつで、これで十四通りに使えるんです」この鋏が出ないと主人は細君のためにパナマ責めになるところであったが、幸いに細君が女として持って生まれた好奇心のために、この厄《やく》運《うん》を免れたのは迷亭の機転といわんよりむしろ僥《ぎよう》倖《こう》のしあわせだと吾輩は看破した。「その鋏がどうして十四通りに使えます」と聞くや否や迷亭君は大得意な調子で「今一々説明しますから聞いていらっしゃい。いいですか。ここに三《み》日《か》月《づき》形《がた》の欠け目がありましょう、ここへ葉巻を入れでぷつりと口を切るんです。それからこの根にちょと細工がありましょう、これで針金をぽつぽつやりますね。次には平たくして紙の上へ横に置くと定規の用をする。また刃の裏には度盛りがしてあるから物さしの代用もできる。こちらの表にはやすりがついているこれで爪《つめ》をすりまさあ。ようがすか。この先を螺《ら》旋《せん》鋲《びよう》の頭へ刺し込んでぎりぎり回すと金《かな》づちに《*》も使える。うんと突き込んでこじあけるとたいていの釘《くぎ》づけの箱なんざあ苦もなくふたがとれる。まったこちらの刃の先は錐《きり》にできている。ここんとこは書きそこないの字を削る場所で、ばらばらに離すと、ナイフとなる。いちばんしまいに――さあ奥さん、このいちばんしまいがたいへんおもしろいんです、ここに蠅《はえ》の目玉ぐらいな大きさの球《たま》がありましょう。ちょっと、のぞいてごらんなさい」「いやですわまたきっとばかになさるんだから」「そう信用がなくっちゃ困ったね。だがだまされたと思って、ちょっとのぞいてごらんなさいな。え? いやですか、ちょいとでいいから」と鋏を細君に渡す。細君はおぼつかなげに鋏を取りあげて、例の蠅の目玉の所へ自分の目玉をつけてしきりにねらいをつけている。「どうです」「なんだかまっ黒ですわ」「まっ黒じゃいけませんね。も少し障子の方へ向いて、そう鋏を寝かさずに――そうそうそれなら見えるでしょう」「おやまあ写真ですねえ。どうしてこんな小さな写真を張りつけたんでしょう」「そこがおもしろいところでさあ」と細君と迷亭はしきりに問答をしている。最前から黙っていた主人はこの時急に写真が見たくなったものとみえて「おいおれにもちょっと見せろ」と言うと細君は鋏を顔へ押しつけたまま「じつにきれいですこと、裸体の美人ですね」と言ってなかなか離さない。「おいちょっとお見せというのに」「まあ待っていらっしゃいよ。美しい髪ですね。腰までありますよ。少し仰向いて恐ろしい背《せい》の高い女だこと、しかし美人ですね」「おいお見せといったら、たいていにして見せるがいい」と主人は大いにせきこんで細君に食ってかかる。「へえお待ち遠さま、たんと御覧あそばせ」と細君が鋏を主人に渡す時に、勝手からおさんがお客様のおあつらえが参りましたと、二個の笊《ざる》蕎麦を座敷へ持って来る。
「奥さんこれがぼくの自弁のごちそうですよ。ちょっと御免こうむって、ここでぱくつくことにいたしますから」と丁寧におじぎをする。まじめなようなふざけたような動作だから細君も応対に窮したとみえて「さあどうぞ」と軽く返事をしたぎり拝見している。主人はようやく写真から目を放して「君この暑いのに蕎麦は毒だぜ」と言った。「なあに大丈夫、好きなものはめったに中《あた》るもんじゃない」と蒸《せい》籠《ろ》のふたをとる。「打ちたてはありがたいな。蕎麦の延びたのと、人間の間が抜けたのは由来頼もしくないもんだよ」と薬味をツユの中へ入れてむちゃくちゃにかき回す。「君そんなにわさびを入れると辛いぜ」と主人は心配そうに注意した。「蕎麦はツユとわさびで食うもんだあね。君は蕎麦がきらいなんだろう」「ぼくはうどんが好きだ」「うどんは馬《ま》子《ご》が食うもんだ。蕎麦の味を解しない人ほど気の毒なことはない」と言いながら杉《すぎ》箸《ばし》をむざと突き込んでできるだけ多くの分量を二寸ばかりの高さにしゃくい上げた。「奥さん蕎麦を食うにもいろいろ流《りゆう》儀《ぎ》がありますがね。初心の者に限って、むやみにツユを着けて、そうして口の内でくちゃくちゃやっていますね。あれじゃ蕎麦の味はないですよ。なんでも、こう、ひとしゃくいに引っ掛けてね」と言いつつ箸を上げると、長いやつが勢《せい》ぞろいをして一尺ばかり空中につるし上げられる。迷亭先生もうよかろうと思って下を見ると、まだ十二、三本の尾が蒸籠の底を離れないで簀《す》垂《だれ》の上に纏《てん》綿《めん》している。「こいつは長いな、どうです奥さん、この長さかげんは」とまた奥さんに相の手を要求する。奥さんは「長いものでございますね」とさも感心したらしい返事をする。「この長いやつへツユを三《さん》分《ぶ》一《いち》つけて、一口に飲んでしまうんだね。かんじゃいけない。かんじゃ蕎麦の味がなくなる。つるつると咽《の》喉《ど》をすべりこむところがねうちだよ」と思い切って箸を高く上げると蕎麦はようやくのことで地を離れた。左《ゆん》手《で》に受ける茶わんの中へ、箸を少しずつ落として、しっぽの先からだんだんに浸すと、アーキミディスの理論によって、蕎麦の浸《つか》った分量だけツユの嵩《かさ》が増してくる。ところが茶わんの中には元からツユが八分目ほどはいっているから、迷亭の箸にかかった蕎麦の四半分も浸らない先に茶わんはツユでいっぱいになってしまった。迷亭の箸は茶わんを去る五寸の上に至ってぴたりと留まったきりしばらく動かない。動かないのも無理はない。少しでもおろせばツユがこぼれるばかりである。迷亭もここに至って少し躊《ちゆう》躇《ちよ》のていであったが、たちまち脱《だつ》兎《と》の勢いをもって口を箸の方へ持って行ったなと思うまもなく、つるつるちゅうと音がして咽《の》喉《ど》笛《ぶえ》が一、二度上下へ無理に動いたら箸の先の蕎麦は消えてなくなっておった。見ると迷亭君の両眼から涙のようなものが一、二滴目じりから頬《ほお》へ流れ出した。わさびがきいたものか、飲み込むのに骨が折れたものかこれはいまだに判然しない。「感心だなあ。よくそんなに一どきに飲み込めたものだ」主人が敬服すると「おみごとですことねえ」と細君も迷亭の手ぎわを激賞した。迷亭はなんにも言わないで箸を置いて胸を二、三度たたいたが、「奥さん笊はたいてい三口半か四口で食うんですね。それより手数をかけちゃうまく食えませんよ」とハンケチで口をふいてちょっと一息入れている。
ところへ寒月君が、どういう了見かこの暑いのに御苦労にも冬帽をかぶって両足をほこりだらけにしてやって来る。「いや好男子の御入来だが、食いかけたもだからちょっと失敬しますよ」と迷亭君は衆人環《かん》座《ざ》の裏《うち》にあって臆《おく》面《めん》もなく残った蒸籠を平らげる。今度はさっきのようにめざましい食い方もしなかった代わりに、ハンケチを使って、中途で息を入れるという不体裁もなく、蒸籠二つを安々とやってのけたのは結構だった。
「寒月君博士《はかせ》論文はもう脱稿するのかね」と主人が聞くと迷亭もそのあとから「金田令嬢がお待ちかねだから早《そう》々《そう》呈出したまえ」と言う。寒月君は例のごとく薄気味の悪い笑いをもらして「罪ですからなるべく早く出して安心させてやりたいのですが、なにしろ問題が問題で、よほど労力のいる研究を要するのですから」と本気の沙《さ》汰《た》とも思われないことを本気の沙汰らしく言う。「そうさ問題が問題だから、そう鼻の言うとおりにもならないね。もっともあの鼻なら十分鼻息をうかがうだけの価値はあるがね」と迷亭も寒月流な挨拶をする。比較的にまじめなのは主人である。「君の論文の問題はなんとか言ったっけな」「蛙《かえる》の目玉の電動作用に対する紫外光線の影響というのです」「そりゃ奇だね。さすがは寒月先生だ、蛙の目玉はふるってよ。どうだろう苦沙弥君、論文脱稿前《まえ》にその問題だけでも金田様へ報告しておいては」主人は迷亭の言うことには取り合わないで「君そんなことが骨の折れる研究かね」と寒月君に聞く。「ええ、なかなか複雑な問題です。第一蛙の目玉のレンズの構造がそんな単簡なものでありませんからね。それでいろいろ実験もしなくちゃなりませんがまず丸いガラスの球《たま》をこしらえてそれからやろうと思っています」「ガラスの球なんかガラス屋へ行けばわけないじゃないか」「どうして――どうして」と寒月先生少々そり身になる。「元来円とか直線とかいうのは幾何学的のもので、あの定義に合ったような理想的な円や直線は現実世界にはないもんです」「ないもんなら、よしたらよかろう」と迷亭が口を出す。「それでまず実験上さしつかえないくらいな球を作ってみようと思いましてね。せんだってからやり始めたのです」「できたかい」と主人がわけのないように聞く。「できるものですか」と寒月君が言ったが、これでは少々矛《む》盾《じゆん》だと気がついたとみえて、「どうもむずかしいんです。だんだん磨《す》って少しこっち側の半径が長すぎるからと思ってそっちを心持ち落とすと、さあたいへん今度は向こう側が長くなる。そいつを骨を折ってようやく磨りつぶしたかと思うと全体の形がいびつになるんです。やっとの思いでこのいびつを取るとまた直径に狂いができます。初めはりんごほどな大きさのものがだんだん小さくなって苺《いちご》ほどになります。それでも根《こん》気《き》よくやっていると大《だい》豆《ず》ほどになります。大豆ほどになってもまだ完全な円はできませんよ。私もずいぶん熱心に磨りましたが――この正月からガラス玉を大小六個磨りつぶしましたよ」とうそだかほんとうだか見《けん》当《とう》のつかぬところを喋《ちよう》々《ちよう》と述べる。「どこでそんなに磨っているんだい」「やっぱり学校の実験室です、朝磨り始めて、昼飯の時ちょっと休んでそれから暗くなるまで磨るんですが、なかなか楽じゃありません」「それじゃ君が近ごろ忙しい忙しいと言って毎日日曜でも学校へ行くのはその珠《たま》を磨りに行くんだね」「全く目下のところは朝から晩まで珠ばかり磨っています」「珠《たま》作《つく》りの博士《はかせ》となって入り込みし《*》は――というところだね。しかしその熱心を聞かせたら、いかな鼻でも少しはありがたがるだろう。じつは先日ぼくがある用事があって図書館へ行って帰りに門を出ようとしたら偶然老《ろう》梅《ばい》君《くん》に出会ったのさ。あの男が卒業後図書館に足が向くとはよほど不思議なことだと思って感心に勉強するねと言ったら先生妙な顔をして、なに本を読みに来たんじゃない、今門前を通りかかったらちょっと小《こ》用《よう》がしたくなったから拝借に立ち寄ったんだと言ったんで大笑いをしたが、老梅君と君とは反対の好例として新《しん》撰《せん》蒙《もう》求《ぎゆう》にぜひ入れたいよ」と迷亭君例のことく長たらしい注釈をつける。主人は少しまじめになって「君そう毎日毎日珠ばかり磨ってるのもよかろうが、元来いつごろできあがるつもりかね」と聞く。「まあこの様子じゃ十年くらいかかりそうです」と寒月君は主人よりのんきに見受けられる。「十年じゃ――もう少し早く磨り上げたらよかろう」「十年じゃ早いほうです、ことによると二十年ぐらいかかります」「そいつはたいへんだ、それじゃ容易に博士にゃなれないじゃないか」「ええ一《いち》日《にち》も早くなって安心さしてやりたいのですがとにかく珠を磨り上げなくっちゃ肝《かん》心《じん》の実験ができませんから……」
寒月君はちょっと句を切って「なに、そんなに御心配には及びませんよ。金田でも私の珠ばかり磨ってることはよく承知しています。じつは二《に》、三《さん》日《ち》前《まえ》行った時にもよく事情を話して来ました」としたり顔に述べ立てる。すると今まで三人の談話をわからぬまま傾聴していた細君が「それでも金田さんは家族じゅう残らず、先月から大《おお》磯《いそ》へ行っていらっしゃるじゃありませんか」と不審そうに尋ねる。寒月君もこれには少し辟《へき》易《えき》のていであったが「そりゃ妙ですな、どうしたんだろう」ととぼけている。こういう時に重宝なのは迷亭君で、話のとぎれた時、きまりの悪い時、眠くなった時、困った時、どんな時でも必ず横合いから飛び出してくる。「先月大磯へ行ったものに両《りよう》三《さん》日《ち》前《まえ》東京で会うなどは神秘的でいい。いわゆる霊の交換だね。相思の情のせつな時にはよくそういう現象が起こるものだ。ちょっと聞くと夢のようだが、夢にしても現実よりたしかな夢だ。奥さんのようにべつに思いも思われもしない苦沙弥君の所へ片付いて生《しよう》涯《がい》恋の何物たるをお解しにならんかたには、御不審ももっともだが……」「あら何を証拠にそんなことをおっしゃるの。ずんぶん軽《けい》蔑《べつ》なさるのね」と細君は中途から不意に迷亭に切りつける。「君だって恋わずらいなんかしたことはなさそうじゃないか」と主人も正面から細君に助《すけ》太《だ》刀《ち》をする。「そりゃぼくの艶《えん》聞《ぶん》などは、いくらあってもみんな七十五日以上経過しているから《*》、君がたの記憶には残っていないかもしれないが――じつはこれでも失恋の結果、この年になるまで独身で暮らしているんだよ」と一順列座の顔を公平に見回す。「ホホホホおもしろいこと」と言ったのは細君で、「ばかにしていらあ」と庭の方を向いたのは主人である。ただ寒月君だけは「どうかその懐旧談を後学のために伺いたいもので」相変わらずにやにやする。
「ぼくのもだいぶ神秘的で、故《こ》小《こ》泉《いずみ》八《や》雲《くも*》先生に話したら非常に受けるのだが、惜しいことに先生は永眠されたから、じつのところ話す張り合いもないんだが、せっかくだから打ち明けるよ。そのかわりしまいまで謹聴しなくっちゃいけないよ」と念を押していよいよ本文に取りかかる。「回顧すると今を去ること――ええと――何年前《まえ》だったかな――めんどうだからほぼ十五、六年前としておこう」「冗談じゃない」と主人は鼻からフンと息をした。「たいへん物覚えがお悪いのね」と細君がひやかした。寒月君だけは約束を守って一《いち》言《ごん》も言わずに、早くあとが聞きたいというふうをする。「なんでもある年の冬のことだが、ぼくが越《えち》後《ご》の国は蒲《かん》原《ばら》郡《ごおり》筍《たけのこ》谷《だに》を通って、蛸《たこ》壺《つぼ》峠《とうげ》へかかって、これからいよいよ会《あい》津《づ》領《りよう》へ出ようとするところだ」「妙な所だな」と主人がまた邪魔をする。「黙って聞いていらっしゃいよ。おもしろいから」と細君が制する。「ところが日は暮れる、道はわからず、腹は減る、しかたがないから峠《とうげ》のまん中にある一軒屋をたたいて、これこれかようしかじかの次第だから、どうか留めてくれと言うと、お安い御用です、さあお上がんなさいと裸《はだか》ろうそくをぼくの顔に差しつけた娘の顔を見てぼくはぶるぶるとふるえたがね。ぼくはその時から恋という曲《くせ》者《もの》の魔力を切実に自覚したね」「おやいやだ。そんな山の中にも美しい人があるんでしょうか」「山だって海だって、奥さん、その娘を一目あなたに見せたいと思うくらいですよ、文《ぶん》金《きん》の高島田に髪を結《い》いましてね」「へええ」と細君はあっけにとられている。「はいってみると八畳のまん中に大きな囲《い》炉《ろ》裏《り》が切ってあって、そのまわりに娘と娘のじいさんとばあさんとぼくと四人すわったんですがね。さぞお腹《なか》がお減りでしょうと言いますから、なんでもいいから早く食わせたまえと請求したんです。するとじいさんがせっかくのお客様だから蛇《へび》飯《めし》でもたいてあげようと言うんです。さあこれからがいよいよ失恋にとりかかるところだからしっかりして聞きたまえ」「先生しっかりして聞くことは聞きますが、なんぼ越後の国だって冬、蛇がいやしますまい」「うん、そりゃ一応もっともな質問だよ。しかしこんな詩的な話になるとそう理窟にばかり拘《こう》泥《でい》してはいられないからね。鏡《きよう》花《か》の小説《*》にゃ雪の中から蟹《かに》が出てくるじゃないか」と言ったら寒月君は「なるほど」と言ったきりまた謹聴の態度に復した。
「その時分のぼくはずいぶん悪《あく》もの食いの隊長で、いなご、なめくじ、赤蛙などは食いあきていたくらいなところだから、蛇飯はおつだ。さっそくごちそうになろうとじいさんに返事をした。そこでじいさん囲炉裏の上へ鍋《なべ》をかけて、その中へ米を入れてぐずぐず煮出したものだね。不思議なことにはその鍋のふたを見ると大小十個ばかりの穴があいている。その穴から湯げがぷうぷう吹くから、うまいくふうをしたものだ、田舎《いなか》にしては感心だと見ていると、じいさんふと立って、どこかへ出て行ったがしばらくすると、大きな笊《ざる》を小わきにかいこんで帰って来た。なにげなくこれを囲炉裏のそばへ置いたから、その中をのぞいてみると――いたね。長いやつが、寒いもんだからお互いにとぐろの巻きくらをやってかたまっていましたね」「もうそんなお話はよしになさいよ。いやらしい」と細君は眉《まゆ》に八の字を寄せる。「どうしてこれが失恋の大原因になるんだからなかなかよせませんや。じいさんはやがて左手に鍋のふたをとって、右手に例のかたまった長いやつを無《む》造《ぞう》作《さ》につかまえて、いきなり鍋の中へほうりこんで、すぐ上からふたをしたが、さすがのぼくもその時ばかりははっと息の穴がふさがったかと思ったよ」「もうおやめになさいよ。気《き》味《び》の悪い」と細君しきりにこわがっている。「もう少しで失恋になるからしばらく辛《しん》抱《ぼう》していらっしゃい。すると一分たつかたたないうちにふたの穴から鎌《かま》首《くび》がひょいと一つ出ましたのには驚きましたよ。やあ出たなと思うと、隣りの穴からもまたひょいと顔を出した。また出たよと言ううち、あちらからも出る。こちらからも出る。とうとう鍋じゅう蛇の面《つら》だらけになってしまった」「なんで、そんなに首を出すんだい」「鍋の中が熱いから、苦しまぎれにはい出そうとするのさ。やがてじいさんは、もうよかろう、引っぱらっしとかなんとか言うと、ばあさんははあーと答える。娘はあいと挨《あい》拶《さつ》をして、めいめいに蛇の頭を持ってぐいと引く。肉は鍋の中に残るが、骨だけはきれいに離れて、頭を引くとともに長いのがおもしろいように抜け出してくる」「蛇の骨抜きですね」と寒月君が笑いながら聞くと「全くのこと骨抜きだ、器用なことをやるじゃないか。それからふたを取って、杓《しやく》子《し》でもって飯と肉をやたらにかき交ぜて、さあ召し上がれときた」「食ったのかい」と主人が冷淡に尋ねると、細君は苦い顔をして「もうよしになさいよ、胸が悪くって御飯も何も食べられやしない」と愚痴をこぼす。「奥さん蛇飯を召し上がらんから、そんなことをおっしゃるが、まあ一ぺん食べてごらんなさい、あの味ばかりは生涯忘れられませんぜ」「おお、いやだ、だれが食べるもんですか」「そこで十分御《ご》饌《ぜん》も頂戴し、寒さも忘れるし、娘の顔も遠慮なく見るし、もう思いおくことはないと考えていると、お休みなさいましと言うので、旅のつかれもあることだから、仰せに従って、ごろりと横になると、すまんわけだが前後を忘却して寝てしまった」「それからどうなさいました」と今度は細君のほうから催促する。「それからあくる朝になって目をさましてからが失恋でさあ」「どうかなさったんですか」「いえべつにどうもしやしませんがね。朝起きて巻煙草をふかしながら裏の窓から見ていると、向こうの筧《かけい》のそばで、薬《や》罐《かん》頭《あたま》が顔を洗っているんでさあ」「じいさんかばあさんか」と主人が聞く。「それがさ、ぼくにも識別しにくかったから、しばらく拝見していて、その薬罐がこちらを向く段になって驚いたね。それがぼくの初恋をしたゆうべの娘なんだもの」「だって娘は島田に結《い》っているとさっき言ったじゃないか」「前夜は島田さ、しかもみごとな島田さ。ところがあくる朝は丸薬罐さ」「人をばかにしていらあ」と主人は例によって天井の方へ視線をそらす。「ぼくも不思議の極内心少々こわくなったから、なおよそながら様子をうかがっていると、薬罐はようやく顔を洗いおわって、かたえの石の上に置いてあった高島田の鬘《かつら》を無造作にかぶって、すましてうちへはいったんでなるほどと思った。なるほどとは思ったもののその時から、とうとう失恋のはかなき運命をかこつ身となってしまった」「くだらない失恋もあったもんだ。ねえ、寒月君、それだから、失恋でも、こんなに陽気で元気がいいんだよ」と主人が寒月君に向かって迷亭君の失恋を評すると、寒月君は「しかしその娘が丸薬罐でなくってめでたく東京へでも連れてお帰りになったら、先生はなお元気かもしれませんよ、とにかくせっかくの娘がはげであったのは千秋の恨事ですねえ。それにしても、そんな若い女がどうして、毛が抜けてしまったんでしょう」「ぼくもそれについてはだんだん考えたんだが全く蛇飯を食い過ぎたせいに相違ないと思う。蛇飯てえやつはのぼせるからね」「しかしあなたは、どこもなんともなくて結構でございましたね」「ぼくははげにならずにすんだが、その代わりにこのとおりその時から近眼になりました」金《きん》縁《ぶち》のめがねをとってハンケチで丁寧にふいている。しばらくして主人は思い出したように「ぜんたいどこが神秘的なんだい」と念のために聞いてみる。「あの鬘はどこで買ったのか、拾ったのかどう考えてもいまだにわからないからそこが神秘さ」と迷亭君はまためがねを元のごとく鼻の上へかける。「まるで噺《はな》し家《か》の話を聞くようでござんすね」とは細君の批評であった。
迷亭の駄《だ》弁《べん》もこれで一段落を告げたから、もうやめるかと思いのほか、先生は猿《さる》轡《ぐつわ》でもはめられないうちはとうてい黙っていることができぬたちとみえて、また次のようなことをしゃべりだした。
「ぼくの失恋も苦い経験だが、あの時あの薬《や》罐《かん》を知らずにもらったが最後生《しよう》涯《がい》の目ざわりになるんだから。よく考えないとけんのんだよ。結婚なんかは、いざという間ぎわになって、とんだ所に傷口が隠れているのを見いだすことがあるものだから。寒月君などもそんなに憧《しよう》憬《けい》したり淌《しよう》《きよう》したりひとりでむずかしがらないで、とくと気を落ち付けて珠《たま》を磨《す》るがいいよ」といやに異見めいたことを述べると、寒月君は「ええなるべく珠ばかり磨っていたいんですが、向こうでそうさせないんだから弱り切ります」とわざと辟《へき》易《えき》したような顔つきをする。「そうさ、君などは先方が騒ぎ立てるんだが、中には滑《こつ》稽《けい》なのがあるよ。あの図書館へ小便をしに来た老梅君などになるとすこぶる奇だからね」「どんなことをしたんだい」と主人が調子づいて承る。「なあに、こういうわけさ。先生その昔静岡の東《とう》西《ざい》館《かん》へ泊ったことがあるのさ。――たったひと晩だぜ――それでその晩すぐにそこの下女に結婚を申し込んだのさ。ぼくもずいぶんのんきだが、まだあれほどには進化しない。もっともその時分には、あの宿屋にお夏《なつ》さんという有名な別《べつ》嬪《ぴん》がいて老梅君の座敷へ出たのがちょうどそのお夏さんなのだから無理はないがね」「無理がないどころか君のなんとか峠とまるで同じじゃないか」「少し似ているね、じつを言うとぼくと老梅とはそんなに差異はないからな。とにかく、そのお夏さんに結婚を申し込んで、まだ返事を聞かないうちに水《すい》瓜《か》が食いたくなったんだがね」「なんだって?」と主人が不思議な顔をする。主人ばかりではない、細君も寒月君も申し合わせたように首をひねってちょっと考えてみる。迷亭はかまわずどんどん話を進行させる。「お夏さんを呼んで静岡に水瓜はあるまいかと聞くと、お夏さんが、なんぼ静岡だって水瓜ぐらいはありますよと、お盆に水瓜を山盛りにして持って来る。そこで老梅君食ったそうだ。山盛りの水瓜をことごとく平らげてお夏さんの返事を待っていると、返事の来ないうちに腹が痛みだしてね、うーんうーんとうなったが少しもきき目がないからまたお夏さんを呼んで今度は静岡に医者はあるまいかと聞いたら、お夏さんがまた、なんぼ静岡だって医者ぐらいはありますよと言って、天《てん》地《ち》玄《げん》黄《こう》とかいう千《せん》字《じ》文《もん》を盗んだような名前のドクトルを連れて来た。あくる朝になって、腹の痛みもおかげでとれてありがたいと、出《しゆつ》立《たつ》する十五分前にお夏さんを呼んで、きのう申し込んだ結婚事件の諾否を尋ねると、お夏さんは笑いながら静岡には水瓜もあります、お医者もありますが一夜作りのお嫁はありませんと出て行ったきり顔を見せなかったそうだ。それから老梅君もぼく同様失恋になって、図書館へは小便をするほか来なくなったんだって、考えると女は罪な者だよ」と言うと主人がいつになく引き受けて「ほんとうにそうだ。せんだってミュッセの脚本《*》を読んだらそのうちの人物がローマの詩人を引用してこんなことを言っていた。――羽より軽いものは塵《ちり》である。塵より軽いものは風である。風より軽いものは女である。女より軽いものは無《む》である。――よくうがってるだろう。女なんかしかたがない」と妙なところでりきんでみせる。これを承った細君は承知しない。「女の軽いのがいけないとおっしゃるけれども、男の重いんだっていいことはないでしょう」「重いた、どんなことだ」「重いというな重いことですわ、あなたのようなのです」「おれがなんで重い」「重いじゃありませんか」と妙な議論が始まる。迷亭はおもしろそうに聞いていたが、やがて口を開いて「そう赤くなってお互いに弁難攻撃をするところが夫婦の真相というものかな。どうも昔の夫婦なんてものはまるで無意味なものだったに違いない」とひやかすのだかほめるのだかあいまいなことを言ったが、それでやめておいてもいいことをまた例の調子で敷《ふ》衍《えん》して、下《しも》のごとく述べられた。
「昔は亭主に口返答なんかした女は、一人もなかったんだって言うが、それなら唖《おし》を女房にしていると同じことでぼくなどはいっこうありがたくない。やっぱり奥さんのようにあなたは重いじゃありませんかとかなんとか言われてみたいね。同じ女房を持つくらいなら、たまにはけんかの一つ二つしなくちゃ退屈でしようがないからな。ぼくの母などときたら、おやじの前へ出てはいとへいで持ち切っていたものだ。そうして二十年もいっしょになっているうちに寺参りよりほかに外へ出たことがないというんだから情けないじゃないか。もっともおかげで先祖代々の戒《かい》名《みよう》はことごとく暗記している。男女間の交際だってそうさ、ぼくの子供の時分などは寒月君のように意中の人と合奏をしたり、霊の交換をやって朦《もう》朧《ろう》体《たい*》で出会ってみたりすることはとうていできなかった」「お気の毒様で」と寒月君が頭を下げる。「じつにお気の毒さ。しかもその時分の女が必ずしも今の女よりも品行がいいと限らんからね。奥さん近ごろは女学生が堕落したのなんだのとやかましく言いますがね。なに昔はこれよりはげしかったんですよ」「そうでしょうか」と細君はまじめである。「そうですとも、でたらめじゃない、ちゃんと証拠があるからしかたがありませんや。苦沙弥君、君も覚えているかもしれんがぼくらの五、六歳の時までは女の子を唐《とう》茄《な》子《す》のように籠《かご》へ入れて天《てん》秤《びん》棒《ぼう》でかついで売って歩いたもんだ、ねえ君」「ぼくはそんなことは覚えておらん」「きみの国じゃどうだか知らないが、静岡じゃたしかにそうだった」「まさか」と細君が小さい声を出すと、「ほんとうですか」と寒月君がほんとうらしからぬ様子で聞く。
「ほんとうさ。現にぼくのおやじが価《ね》をつけたことがある。その時ぼくはなんでも六つぐらいだったろう。おやじといっしょに油《あぶら》町《まち》から通《とおり》町《ちよう》へ散歩に出ると、向こうから大きな声をして女の子はよしかな、女の子はよしかなとどなってくる。ぼくらがちょうど二丁目の角《かど》へ来ると、伊《い》勢《せ》源《げん》という呉服屋の前でその男に出っくわした。伊勢源というのは間《ま》口《ぐち》が十《じつ》間《けん》で蔵《くら》が五《い》つ戸《と》前《まえ》あって静岡第一の呉服屋だ。今度行ったら見て来たまえ。今でも歴然と残っている。立派なうちだ。その番頭が甚《じん》兵《べ》衛《え》といってね。いつでもおふくろが三日前になくなりましたというような顔をして帳場の所へ控えている。甚兵衛君の隣りには初《はつ》さんという二十四、五の若い衆《しゆ》がすわっているが、この初さんがまた雲《うん》照《しよう》律《りつ》師《し》に帰《き》依《え》して三七二十一日のあいだ蕎《そ》麦《ば》湯《ゆ》だけで通したというような青い顔をしている。初さんの隣りが長《ちよう》どんでこれはきのう火事で焼き出されたかのごとく愁然と算《そろ》盤《ばん》に身をもたしている。長どんと並んで……」「君は呉服屋の話をするのか、人売りの話をするのか」「そうそう人売りの話をやっていたんだっけ。じつはこの伊勢源についてもすこぶる奇《き》譚《だん》があるんだが、それは割《かつ》愛《あい》してきょうは人売りだけにしておこう」「人売りもついでにやめるがいい」「どうしてこれが二十世紀の今日と明治初年ごろの女子の品性の比較について大《だい》なる参考になる材料だから、そんなにたやすくやめられるものか――それでぼくがおやじと伊勢源の前まで来ると、例の人売りがおやじを見て旦《だん》那《な》女の子のしまい物はどうです、安く負けておくから買っておくんなさいなと言いながら天秤棒をおろして汗をふいているのさ。見ると籠の中には前に一人後ろに一人両方とも二歳ばかりの女の子が入れてある。おやじはこの男に向かって安ければ買ってもいいが、もうこれぎりかいと聞くと、へえあいにくきょうはみんな売り尽くしてたった二つになっちまいました。どっちでもいいから取っとくんなさいなと女の子を両手で持って唐茄子かなんぞのようにおやじの鼻の先へ出すと、おやじはぽんぽんと頭をたたいてみて、ははあかなりの音だと言った。それからいよいよ談判が始まってさんざ値切った末おやじが、買ってもいいが品はたしかだろうなと聞くと、ええ前のやつ《*》は始終見ているから間違いはありませんがね後ろにかついでるほうは、なにしろ目がないんですから、ことによるとひびが入ってるかもしれません。こいつのほうなら受け合えない代わりに値段を引いておきますと言った。ぼくはこの問答をいまだに記憶しているんだがその時子供心に女というものはなるほど油断のならないものだと思ったよ。――しかし明治三十八年の今日こんなばかなまねをして女の子を売って歩くものもなし、目を放して後ろへかついだほうはけんのんだなどということも聞かないようだ。だから、ぼくの考えではやはり泰西文明のおかげで女の品行もよほど進歩したものだろうと断定するのだが、どうだろう寒月君」
寒月君は返事をする前にまず鷹《おう》揚《よう》な咳《せき》払《ばら》いを一つしてみせたが、それからわざと落ち付いた低い声で、こんな観察を述べられた。「このごろの女は学校の行き帰りや、合奏会や、慈善会や、園遊会で、ちょいと買ってちょうだいな、あらおいや? などと自分で自分を売りに歩いていますから、そんな八《や》百《お》屋《や》のお余りを雇って、女の子はよしか、なんて下品な依託販売をやる必要はないですよ。人間に独立心が発達してくると自然こんなふうになるものです。老人なんぞはいらぬ取り越し苦労をしてなんとかかとか言いますが、実際を言うとこれが文明の趨《すう》勢《せい》ですから、私などは大いに喜ばしい現象だと、ひそかに慶賀の意を表しているのです。買うほうだって頭をたたいて品物は確かかなんて聞くような野《や》暮《ぼ》は一人もいないんですからそのへんは安心なものでさあ。またこの複雑な世の中に、そんな手数をする日にゃあ、際限がありませんからね。五十になったって六十になったって亭主を持つことも嫁にゆくこともできやしません」寒月君は二十世紀の青年だけあって、大いに当世流の考えを開陳しておいて、敷《しき》島《しま》の煙をふうーと迷亭先生の顔の方へ吹きつけた。迷亭は敷島の煙ぐらいで辟《へき》易《えき》する男ではない。「仰せのとおり方今の女生徒、令嬢などは自尊自信の念から骨も肉も皮までできていて、なんでも男子に負けないところが敬服の至りだ。ぼくの近所の女学校の生徒などときたらえらいものだぜ。筒《つつ》袖《そで》をはいて鉄《かな》棒《ぼう》へぶらさがるから感心だ。ぼくは二階の窓から彼らの体操を目撃するたんびに古代ギリシアの婦人を追懐するよ」「またギリシアか」と主人が冷笑するように言い放つと「どうも美な感じのするものはたいていギリシアから源を発しているからしかたがない。美学者とギリシアとはとうてい離れられないやね。――ことにあの色の黒い女学生が一心不乱に体操をしているところを拝見すると、ぼくはいつでも Agnodice の逸話《*》を思い出すのさ」と物知り顔にしゃべりたてる。「またむずかしい名前が出て来ましたね」と寒月君は依然としてにやにやする。「 Agnodice はえらい女だよ、ぼくはじつに感心したね。当時アテンの法律で女が産婆を営業することを禁じてあった。不便なことさ。 Agnodice だってその不便を感ずるだろうじゃないか」「なんだい、その――なんとかいうのは」「女さ、女の名前だよ。この女がつらつら考えるには、どうも女が産婆になれないのは情けない、不便きわまる。どうかして産婆になりたいもんだ、産婆になるくふうはあるまいかと三日三晩手をこまねいて考え込んだね。ちょうど三日目の明け方に、隣りの家に赤ん坊がおぎゃあと泣いた声を聞いて、うんそうだと豁《かつ》然《ぜん》大《たい》悟《ご》して、それからさっそく長い髪を切って男の着物を着てHierophilus《*》の講義を聞きに行った。首《しゆ》尾《び》よく講義を聞きおおせて、もう大丈夫というところでもって、いよいよ産婆を開業した。ところが、奥さん流行《はや》りましたね。あちらでもおぎゃあと生まれるこちらでもおぎゃあと生まれる。それがみんな Agnodice の世話なんだからたいへんもうかった。ところが人間万事塞《さい》翁《おう》の馬《うま》、七《なな》ころび八《や》起《お》き、弱り目にたたり目で、ついこの秘密が露見に及んでついにお上《かみ》の御《ご》法《はつ》度《と》を破ったというところで、重きおしおきに仰せつけられそうになりました」「まるで講釈みたようですこと」「なかなかうまいでしょう。ところがアテンの女《おんな》連《れん》が一同連署して嘆願に及んだから、時の御《ご》奉《ぶ》行《ぎよう》もそう木で鼻をくくったような挨《あい》拶《さつ》もできず。ついに当人は無罪放免、これからはたとい女たりとも産婆営業かってたるべきことというおふれさえ出てめでたく落着を告げました」「よくいろいろなことを知っていらっしゃるのね、感心ねえ」「ええ大概のことは知っていますよ。知らないのは自分のばかなことぐらいなものです。しかしそれもうすうすは知ってます」「ホホホホおもしろいことばかり……」と細君相《そう》好《ごう》をくずして笑っていると、格《こう》子《し》戸《ど》のベルが相変わらず着けた時と同じような音を出して鳴る。「おやまたお客様だ」と細君は茶の間へ引きさがる。細君と入れ違いに座敷へはいって来た者はだれかと思ったら御存じの越《お》智《ち》東《とう》風《ふう》君《くん》であった。
ここへ東風君さえ来れば、主人の家《うち》へ出入りする変人はことごとく網《もう》羅《ら》し尽くしたとまでゆかずとも、少なくとも吾輩の無《ぶ》聊《りよう》を慰むるに足るほどの頭《あたま》数《かず》はおそろいになったと言わねばならぬ。これで不足を言ってはもったいない。運悪くほかの家《うち》へ飼われたが最後、生涯人間中にかかる先生がたが一人でもあろうとさえ気がつかずに死んでしまうかもしれない。幸いにして苦沙弥先生門下の猫《びよう》児《じ》となって朝《ちよう》夕《せき》虎《こ》皮《ひ*》の前に侍《はん》べるので先生はむろんのこと迷亭、寒月ないし東風などという広い東京にさえあまり例のない一騎当千の豪傑連の挙止動作を寝ながら拝見するのは吾輩にとって千《せん》載《ざい》一《いち》遇《ぐう》の光栄である。おかげさまでこの暑いのに毛《け》袋《ぶくろ》でつつまれているという難儀も忘れて、おもしろく半日を消光することができるのは感謝の至りである。どうせこれだけ集まればただごとではすまない。何か持ち上がるだろうと襖《ふすま》の陰からつつしんで拝見する。
「どうもごぶさたをいたしました。しばらく」とお辞儀をする東風君の顔を見ると、先日のごとくやはりきれいに光っている。頭だけで評すると何か緞《どん》帳《ちよう》役《やく》者《しや》のようにも見えるが、白い小《こ》倉《くら》の袴《はかま》のゴワゴワするのを御苦労にもしかつめらしくはいているところは榊《さかき》原《ばら》健《けん》吉《きち*》の内弟子としか思えない。したがって東風君のからだで普通の人間らしいところは肩から腰までの間だけである。「いや暑いのに、よくお出かけだね。さあずっと、こっちへ通りたまえ」と迷亭先生は自分の家《うち》らしい挨《あい》拶《さつ》をする。「先生にはだいぶ久しくお目にかかりません」「そうさ、たしかこの春の朗読会ぎりだったね。朗読会といえば近ごろはやはりお盛んかね。その後お宮にゃなりませんか。あれはうまかったよ。ぼくは大いに拍手したぜ、君気がついてたかい」「ええおかげさまで大きに勇気が出まして、とうとうしまいまでこぎつけました」「今度はいつお催しがありますか」と主人が口を出す。「七、八両《ふた》月《つき》は休んで九月には何かにぎかにやりたいと思っております。何かおもしろい趣向はございますまいか」「さよう」と主人は気のない返事をする。「東風君ぼくの創作を一つやらないか」と今度は寒月君が相手となる。「君の創作ならおもしろいものだろうが、いったい何かね」「脚本さ」と寒月君がなるべく押しを強く出ると、案のごとく、三人はちょっと毒気をぬかれて、申し合わせたように本人の顔を見る。「脚本はえらい。喜劇かい悲劇かい」と東風君が歩を進めると、寒月先生なおすまし返って「なに喜劇でも悲劇でもないさ。近ごろは旧劇とか新劇とか大分やかましいから、ぼくも一つ新機軸を出して俳劇というのを作ってみたのさ」「俳劇たどんなものだい」「俳句趣味の劇というのを詰めて俳劇の二字にしたのさ」と言うと主人も迷亭も多少煙《けむ》に巻かれて控えている。「それでその趣向というのは?」と聞きだしたのはやはり東風君である。「根が俳句趣味からくるのだから、あまり長たらしくって、毒悪なのはよくないと思って一幕物にしておいた」「なるほど」「まず道具立てから話すが、これもごく簡単なのがいい。舞台のまん中へ大きな柳を一本植えつけてね。それからその柳の幹から一本の枝を右の方へヌッと出させて、その枝へ烏《からす》を一羽とまらせる」「烏がじっとしていればいいが」と主人がひとり言のように心配した。「なにわけはありません、烏の足を糸で枝へ縛りつけておくんです。でその下へ行《ぎよう》水《ずい》盥《だらい》を出しましてね。美人が横向きになって手ぬぐいを使っているんです」「そいつは少しデカダンだね。第一だれがその女になるんだい」と迷亭が聞く。「なにこれもすぐできます。美術学校のモデルを雇ってくるんです」「そりゃ警視庁がやかましく言いそうだな」と主人はまた心配している。「だって興行さえしなければかまわんじゃありませんか。そんなことをとやかく言ったひにゃ学校で裸体画の写生なんざできっこありません」「しかしあれはけいこのためだから、ただ見ているのとは少し違うよ」「先生がたがそんなことを言ったひには日《につ》本《ぽん》もまだだめです。絵画だって、演劇だって、おなじ芸術です」と寒月君大いに気炎を吹く。「まあ議論はいいが、それからどうするのだい」と東風君、ことによると、やる了見とみえて筋を聞きたがる。「ところへ花道から俳人高《たか》浜《はま》虚《きよ》子《し》がステッキを持って、白い燈心入りの帽子《*》をかぶって、透《すき》綾《や》の羽《は》織《おり》に、薩《さつ》摩《ま》飛白《がすり》の尻《しり》端《つぱ》折《しよ》りの半《はん》靴《ぐつ》というこしらえで出てくる。着付けは陸軍の御《ご》用《よう》達《たし》みたようだけれども俳人だからなるべく悠《ゆう》々《ゆう》として腹の中では句案に余念のないていで歩かなくっちゃいけない。それで虚子が花道を行き切っていよいよ本舞台にかかった時、ふと句案の目をあげて前面を見ると、大きな柳があって、柳の影で白い女が湯を浴びている、はっと思って上を見ると長い柳の枝に烏が一羽とまって女の行水を見おろしている。そこで虚子先生大いに俳味に感動したという思い入れが五十秒ばかりあって、行水の女にほれる烏かなと大きな声で一句朗吟するのを合図に、拍《ひよう》子《し》木《ぎ》を入れて幕を引く。――どうだろう、こういう趣向は。お気に入りませんかね。君お宮になるより虚子になるほうがよほどいいぜ」東風君はなんだか物足らぬという顔つきで「あんまり、あっけないようだ。もう少し人情を加味した事件がほしいようだ」とまじめに答える。今まで比較的おとなしくしていた迷亭はそういつまでも黙っているような男ではない。「たったそれだけで俳劇はすさまじいね。上田敏《びん*》君の説によると俳味とか滑《こつ》稽《けい》とかいうものは消極的で亡国の音《いん》だそうだが、敏君だけあってうまいことを言ったよ。そんなつまらない物をやってみたまえ。それこそ上田君から笑われるばかりだ。第一劇だか茶番だかなんだかあまり消極的でわからないじゃないか。失礼だが寒月君はやはり実験室で珠《たま》を磨いてるほうがいい。俳劇なんぞ百作ったって二百作ったって、亡国の音《いん》じゃだめだ」寒月君は少々むっとして、「そんなに消極的でしょうか。私はなかなか積極的なつもりなんですが」どっちでもかまわんことを弁解しかける。「虚子がですね。虚子先生が女にほれる烏かなと烏を捕《とら》へて女にほれさしたところが大いに積極的だろうと思います」「こりゃ新説だね。ぜひ御講釈を伺いましょう」「理学士として考えてみると烏が女にほれるなどというのは不合理でしょう」「ごもっとも」「その不合理なことを無造作に言い放って少しも無理に聞こえません」「そうかしら」と主人が疑った調子で割り込んだが寒月はいっこう頓《とん》着《じやく》しない。「なぜ無理に聞こえないかというと、これは心理的に説明するとよくわかります。じつを言うとほれるとかほれないとかいうのは俳人その人に存する感情で烏とは没交渉の沙《さ》汰《た》であります。しかるところあの烏はほれてるなと感じるのは、つまり烏がどうのこうのというわけじゃない。畢《ひつ》竟《きよう》自分がほれているんでさあ。虚子自身が美しい女の行水しているところを見てはっと思うとたんにずっとほれこんだに相違ないです。さあ自分がほれた目で烏が枝の上で動きもしないで下を見つめているのを見たものだから、ははあ、あいつもおれと同じく参ってるなとかん違いをしたのです。かん違いには相違ないですがそこが文学的でかつ積極的なところなんです。自分だけ感じたことを、断わりもなく烏の上に拡張して知らん顔をしてすましているところなんぞは、よほど積極主義じゃありませんか。どうです先生」「なるほど御名論だね、虚子に聞かしたら驚くに違いない。説明だけは積極だが、じっさいあの劇をやられたひには、見物人はたしかに消極になるよ。ねえ東風君」「へえどうも消極すぎるように思います」とまじめな顔をして答えた。
主人も少々談話の局面を展開してみたくなったとみえて、「どうです、東風さん、近ごろは傑作もありませんか」と聞くと東風君は「いえ、べつだんこれといってお目にかけるほどのものもできませんが、近日詩集を出してみようと思いまして――稿本を幸い持って参りましたから御批評を願いましょう」とふところから紫の袱《ふく》紗《さ》包《づつ》みを出して、その中から五、六十枚ほどの原稿紙の帳面を取り出して、主人の前に置く。主人はもっともらしい顔をして拝見と言って見ると第一ページに
世の人に似ずあえかに見えたもう
富子嬢にささぐ
と二行に書いてある。主人はちょっと神秘的な顔をしてしばらく一ページを無言のままながめているので、迷亭は横合いから「なんだい新体詩かね」と言いながらのぞきこんで、「やあ、ささげたね。東風君、思い切って富子嬢にささげたのはえらい」としきりにほめる。主人はなお不思議そうに「東風さん、この富子というのは、ほんとうに存在している婦人ですか」と聞く。「へえ、この前迷亭先生とごいっしょに朗読会へ招《しよう》待《だい》した婦人の一人です。ついこの御近所に住んでおります。じつはただ今詩集を見せようと思ってちょっと寄って参りましたが、あいにく先月から大磯へ避暑に行って留《る》守《す》でした」とまじめくさって述べる。「苦沙弥君、これが二十世紀なんだよ。そんな顔をしないで、早く傑作でも朗読するさ。しかし東風君このささげ方は少しまずかったね。このあえかにという雅《が》言《げん》はぜんたいなんという意味だと思ってるかね」「か弱いとかたよわくという字だと思います」「なるほどそうもとれんことはないが本来の字義を言うと危うげにということだぜ。だからぼくならこうは書かないね」「どう書いたらもっと詩的になりましょう」「ぼくならこうさ。世の人に似ずあえかに見えたもう富子嬢の鼻の下にささぐとするね。わずかに三字のゆきさつだが鼻の下があるのとないのとではたいへん感じに相違があるよ」「なるほど」と東風君は解《げ》しかねたところを無理に納《なつ》得《とく》したていにもてなす。
主人は無言のままようやく一ページをはぐっていよいよ巻頭第一章を読みだす。
倦《う》んじて薫《くん》ずる香《こう》裏《り》に君の
霊か相思の煙のたなびき
おお我、ああ我、辛《から》きこの世に
あまく得てしか熱き口づけ
「これは少々ぼくには解《げ》しかねる」と主人は嘆息しながら迷亭に渡す。「これは少々ふるい過ぎてる」と迷亭は寒月に渡す。寒月は「なあーるほど」と言って東風君に返す。
「先生おわかりにならんのはごもっともで、十年前《ぜん》の詩界と今日の詩界とは見違えるほど発達しておりますから。このごろの詩は寝ころんで読んだり、停車場で読んではとうていわかりようがないので、作った本人ですら質問を受けると返答に窮することがよくあります。全くインスピレーションで書くので詩人はその他にはなんらの責任もないのです。注釈や訓義は学究のやることで私どものほうではとんとかまいません。せんだっても私の友人で送《そう》籍《せき》という男が一《ヽ》夜《ヽ*》という短編を書きましたが、だれが読んでももうろうとして取り留めがつかないので、当人に会ってとくと主意のあるところをただしてみたのですが、当人もそんなことは知らないよと言って取り合わないのです。全くそのへんが詩人の特色かと思います」「詩人かもしれないがずいぶん妙な男ですね」と主人が言うと、迷亭が「ばかだよ」と単簡に送籍君を打ち留めた。東風君はこれだけではまだ弁じ足りない。「送籍は我々仲間のうちでも取りのけですが、私の詩もどうかその心持ちその気で読んでいただきたいので。ここに御注意を願いたいのはからきこの世と、あまき口づけと対《つい》をとったところが私の苦心です」「よほど苦心をなすった痕《こん》迹《せき》がみえます」「あまいとからいと反照するところなんか十七味《み》調《ちよう》唐《とう》辛《がら》子《し》調《ちよう*》でおもしろい。全く東風君独特の伎《ぎ》倆《りよう》で敬々服々の至りだ」としきりに正直な人をまぜ返して喜んでいる。
主人はなんと思ったか、ふいと立って書斎の方へ行ったがやがて一枚の半紙を持って出て来る。「東風君のお作も拝見したから、今度はぼくが短文を読んで諸君の御批評を願おう」といささか本気の沙汰である。「天《てん》然《ねん》居《こ》士《じ》の墓銘碑ならもう二、三べん拝聴したよ」「まあ、黙っていなさい。東風さん、これはけっして得意のものではありませんが、ほんの座《ざ》興《きよう》ですから聞いてください」「ぜひ伺いましょう」「寒月君もついでに聞きたまえ」「ついででなくても聞きますよ。長い物じゃないでしょう」「僅《きん》々《きん》六十余字さ」と苦沙弥先生いよいよ手製の名文を読み始める。
「大和《やまと》魂《だましい》! と叫んで日本人が肺病やみのような咳《せき》をした」
「起こし得て突《とつ》兀《こつ》ですね」と寒月君がほめる。
「大和魂! と新聞屋が言う。大和魂! と掏《す》摸《り》が言う。大和魂が一躍して海を渡った。英国で大和魂の演説をする。ドイツで大和魂の芝居をする」
「なるほどこりゃ天然居士以上の作だ」と今度は迷亭先生がそり返ってみせる。
「東郷大将が大和魂をもっている。さかな屋の銀《ぎん》さんも大和魂をもっている。詐《さ》欺《ぎ》師《し》、山《やま》師《し》、人殺しも大和魂をもっている」
「先生そこへ寒月ももっているとつけてください」
「大和魂はどんなものかと聞いたら、大和魂さと答えて行き過ぎた。五、六間《けん》行ってからエヘンという声が聞こえた」
「その一句は大出来だ、君はなかなか文才があるね。それから次の句は」
「三角なものが大和魂か、四角なものが大和魂か。大和魂は名前の示すごとく魂である。魂であるから常にふらふらしている」
「先生だいぶおもしろうございますが、ちと大和魂が多すぎはしませんか」と東風君が注意する。「賛成」と言ったのはむろん迷亭である。
「だれも口にせぬ者はないが、だれも見た者はない。だれも聞いたことはあるが、だれも会った者がない。大和魂はそれ天《てん》狗《ぐ》の類《たぐい》か」
主人は一《いつ》結《けつ》杳《よう》然《ぜん*》というつもりで読み終わったが、さすがの名文もあまり短かすぎるのと、主意がどこにあるのかわかりかねるので、三人はまだあとがあることと思って待っている。いくら待っても、うんとも、すんとも、言わないので、最後に寒月が「それぎりですか」と聞くと主人は軽《かろ》く「うん」と答えた。うんは少し気楽すぎる。
不思議なことに迷亭はこの名文に対して、いつものようにあまり駄弁をふるわなかったが、やがて向き直って「君も短編を集めて一巻として、そうしてだれかにささげてはどうだ」と聞いた。主人はこともなげに「君にささげてやろうか」と聞くと迷亭は「まっぴらだ」と答えたぎり、さっき細君に見せびらかした鋏《はさみ》をちょきちょきいわして爪《つめ》をとっている。寒月君は東風君に向かって「君はあの金田の令嬢を知ってるのかい」と尋ねる。「この春朗読会へ招待してから懇《こん》意《い》になってそれからは始終交際をしている。ぼくはあの令嬢の前へ出ると、なんとなく一種の感に打たれて、当分のうちは詩を作っても歌を詠《よ》んでも愉快に興が乗って出て来る。この集中にも恋の詩が多いのは全くああいう異性の朋《ほう》友《ゆう》からインスピレーションを受けるからだろうと思う。それでぼくはあの令嬢に対しては切実に感謝の意を表しなければならんからこの機を利用して、わが集をささげることにしたのさ。昔から婦人に親友のないもので立派な詩を書いた者はないそうだ」「そうかなあ」と寒月君は顔の奥で笑いながら答えた。いくら駄弁家の寄り合いでもそう長くは続かんものと見えて、談話の火の手はだいぶ下火になった。吾輩も彼らの変化なき雑談を終日聞かねばならぬ義務もないから、失敬して庭へかまきりを捜しに出た。梧《あお》桐《ぎり》の縁をつづる間から西に傾く日がまだらにもれて、幹にはつくつくぼうしが懸命にないている。晩はことによると一雨かかるかもしれない。
七
吾《わが》輩《はい》は近ごろ運動を始めた。猫《ねこ》のくせに運動なんてきいたふうだと一概に冷《れい》罵《ば》し去る手合いにちょっと申し聞けるが、そういう人間だってつい近年までは運動の何ものたるを解せずに、食って寝るのを天職のように心得ていたではないか。無事これ貴《き》人《にん》とかとなえて、ふところ手をして座《ざ》布《ぶ》団《とん》から腐れかかった尻《しり》を離さざるをもって旦《だん》那《な》の名誉とやに下がって暮らしたのは覚えているはずだ。運動をしろの、牛乳を飲めの冷水を浴びろの、海の中へ飛び込めの、夏になったら山の中へこもって当分霞《かすみ》を食らえのとくだらぬ注文を連発するようになったのは、西洋から神国へ伝染した輓《ばん》近《きん》の病気で、やはりペスト、肺病、神経衰弱の一族と心得ていいくらいだ。もっとも吾輩は去年生まれたばかりで、当年とって一歳だから人間がこんな病気にかかりだした当時のありさまは記憶に存しておらん、のみならずそのみぎりは浮《うき》世《よ》の風《かぜ》中《なか》にふわついておらなかったに相違ないが、猫の一年は人間の十年にかけ合うといってもよろしい。我らの寿命は人間より二倍も三倍も短いにかかわらず、その短日月のあいだに猫一匹の発達は十分つかまつるところをもって推論すると、人間の年月と猫の星《せい》霜《そう》を同じ割合に打算するのははなはだしき誤《ご》謬《びゆう》である。第一、一歳何か月に足らぬ吾輩がこのくらいの見識を有しているのでもわかるだろう。主人の第三女などは数え年で三つだそうだが、知識の発達からいうと、いやはや鈍いものだ。泣くことと、寝小便をすることと、おっぱいを飲むことよりほかになんにも知らない。世を憂《うれ》い時を憤る吾輩などに比べると、からたわいのないものだ。それだから吾輩が運動、海水浴、転地療養の歴史を方寸のうちに畳み込んでいたってごうも驚くに足りない。これしきのことをもし驚く者があったなら、それは人間という足の二本足りないのろまにきまっている。人間は昔からのろまである。であるから近ごろに至ってようよう運動の効能を吹《ふい》聴《ちよう》したり、海水浴の利益を喋《ちよう》々《ちよう》して大発明のように考えるのである。吾輩などは生まれない前からそのくらいなことはちゃんと心得ている。第一海水がなぜ薬になるかといえばちょっと海岸へ行けばすぐわかることじゃないか。あんな広い所に魚《さかな》が何匹おるかわからないが、あの魚が一匹も病気をして医者にかかったためしがない。みんな健全に泳いでいる。病気をすれば、からだがきかなくなる。死ねば必ず浮く。それだから魚の往《おう》生《じよう》をあがるといって、鳥の薨《こう》去《きよ》を、落ちると唱え、人間の寂《じやく》滅《めつ》をごねると号している。洋行をしてインド洋を横断した人に君、魚の死ぬところを見たことがありますかと聞いてみるがいい、だれでもいいえと答えるにきまっている。それはそう答えるわけだ。いくら往復したって一匹も波の上に今息を引き取った――息ではいかん、魚のことだから潮を引き取ったといわなければならん――潮を引き取って浮いているのを見た者はないからだ。あの渺《びよう》々《びよう》たる、あの漫々たる、大《たい》海《かい》を日となく夜《よ》となく続けざまに石炭をたいて捜して歩いても古往今来一匹も魚が上がっておらんところをもって推論すれば、魚はよほど丈夫なものに違いないという断案はすぐに下すことができる。それならなぜ魚がそんなに丈夫なのかといえばこれまた人間を待ってしかるのちに知らざるなりで、わけはない。すぐわかる。全く潮水をのんで始終海水浴をやっているからだ。海水浴の効能はしかく魚にとって顕著である。魚にとって顕著である以上は人間にとっても顕著でなくてはならん。一七五〇年にドクトル・リチャード・ラッセルがブライトンの海水に飛び込めば四百四病即席全快と大げさな広告を出したのはおそいおそいと笑ってもよろしい。猫といえども相当の時機が到着すれば、みんな鎌《かま》倉《くら》あたりへ出かけるつもりでいる。ただし今はいけない。物には時機がある。御《ご》維《いつ》新《しん》前《まえ》の日本人が海水浴の効能を味わうことができずに死んだごとく、今日の猫はいまだ裸体で海の中へ飛び込むべき機会に遭《そう》遇《ぐう》しておらん。せいては事を仕損ずる、今日のように築《つき》地《じ*》へうっちゃられに行った猫が無事に帰宅せんあいだはむやみに飛び込むわけにはゆかん。進化の法則で我ら猫《ねこ》輩《はい》の機能が狂《きよう》瀾《らん》怒《ど》濤《とう》に対して適当の抵抗力を生ずるに至るまでは――換言すれば猫が死んだと言うかわりに猫が上がったという語が一般に使用せらるるまでは――容易に海水浴はできん。
海水浴は追って実行することにして、運動だけはとりあえずやることにとりきめた。どうも二十世紀の今日運動せんのはいかにも貧民のようで人聞きが悪い。運動をせんと、運動せんのではない、運動ができんのである、運動をする時間がないのである、余裕がないのだと鑑定される。昔は運動した者が折《おり》助《すけ》と笑われたごとく、今では運動をせぬ者が下等と見なされている。吾《ご》人《じん》の評価は時と場合に応じ吾輩の目玉のごとく変化する。吾輩の目玉はただ小さくなったり大きくなったりするばかりだが、人間の品《ひん》隲《しつ》とくるとまっさかさまにひっくり返る。ひっくり返ってもさしつかえはない。物には両面がある、両端がある。両端をたたいて黒《こく》白《びやく》の変化を同《どう》一《いつ》物《ぶつ》の上に起こすところが人間の融《ゆう》通《ずう》のきくところである。方寸をさかさまにしてみると寸方となるところに愛《あい》嬌《きよう》がある。天《あま》の橋《はし》立《だて》を股《また》ぐらからのぞいて見るとまた格別な趣が出る。セクスピヤも千古万古セクスピヤではつまらない。たまには股ぐらからハムレットを見て、君こりゃだめだよぐらいに言う者がないと、文界も進歩しないだろう。だから運動を悪く言った連《れん》中《じゆう》が急に運動がしたくなって、女までがラケットを持って往来を歩き回ったっていっこう不思議はない。ただ猫が運動するのをきいたふうだなどと笑いさえしなければよい。さて吾輩の運動はいかなる種類の運動かと不審をいだく者があるかもしれんから一応説明しようと思う。御承知のごとく不幸にして機械を持つことができん。だからボールもバットも取り扱い方に困窮する。次には金がないから買うわけにゆかない。この二つの原因からして吾輩の選んだ運動は一《いち》文《もん》入らず器械なしと名づくべき種類に属するものと思う。そんなら、のそのそ歩くか、あるいは鮪《まぐろ》の切り身をくわえて駆け出すことと考えるかもしれんが、ただ四本の足を力学的に運動させて、地球の引力にしたがって、大地を横行するのは、あまり簡単で興味がない。いくら運動と名がついても、主人の時々実行するような、読んで字のごとき運動はどうも運動の神聖をけがすものだろうと思う。もちろんただの運動でもある刺激のもとにはやらんとは限らん。鰹《かつ》節《ぶし》競《きよう》争《そう》、鮭《しやけ》捜《さが》しなどは結構だがこれは肝《かん》心《じん》の対象物があっての上のことで、この刺激を取り去ると索然として没《ぼつ》趣《しゆ》味《み》なものになってしまう。懸賞的興奮剤がないとすれば何か芸のある運動がしてみたい。吾輩はいろいろ考えた。台所の廂《ひさし》から家根の飛び上がる法、家根のてっぺんにある梅《ばい》花《か》形《がた》の瓦《かわら》の上に四本足で立つ術、物干し竿《さお》を渡ること、――これはとうてい成功しない、竹がつるつるすべって爪《つめ》が立たない。後ろから不意に子供にとびつくこと、――これはすこぶる興味のある運動の一つだがめったにやるとひどい目に会うから、たかだか月に三度ぐらいしか試みない。紙《かん》袋《ぶくろ》を頭へかぶせらるること――これは苦しいばかりではなはだ興味の乏しい方法である。ことに人間の相手がおらんと成功しないからだめ。次には書物の表紙を爪で引っかくこと、――これは主人に見つかると必ずどやされる危険があるのみならず、割合に手先の器用ばかりで総《そう》身《しん》の筋肉が働かない。これらは吾輩のいわゆる旧式運動なるものである。新式のうちにはなかなか趣味の深いのがある。第一に蟷《とう》螂《ろう》狩り。――蟷螂狩りは鼠《ねずみ》狩りほどの大運動でないかわりにそれほどの危険がない。夏のなかばから秋の初めへかけてやる遊戯としては最も上《じよう》乗《じよう》のものだ。その方法をいうとまず庭へ出て、一匹のかまきりをさがし出す。時候がいいと一匹や二匹見つけ出すのは造《ぞう》作《さ》もない。さて見つけ出したかまきり君のそばへはっと風を切って駆けて行く。するとすわこそという身構えをして鎌《かま》首《くび》をふり上げる。かまきりでもなかなかけなげなもので、相手の力量を知らんうちは抵抗するつもりでいるからおもしろい。振り上げた鎌首を右の前足でちょっと参る。振り上げた首はやわらかいからぐにゃり横へ曲がる。この時のかまきり君の表情がすこぶる興味を添える。おやという思い入れが十分ある。ところを一《いつ》足《そく》飛びに君の後ろへ回って今度は背面から君の羽根を軽《かろ》く引っかく。あの羽根は平《へい》生《ぜい》だいじに畳んであるが、引っかき方がはげしいと、ぱっと乱れて中から吉《よし》野《の》紙《がみ》のような薄色の下着があらわれる。君は夏でも御苦労千万に二枚重ねでおつにきまっている。この時君の長い首は必ず後ろに向き直る。ある時は向かってくるが、大概の場合には首だけぬっと立てて立っている。こっちから手出しをするのを待ち構えてみえる。先方がいつまでもこの態度でいては運動にならんから、あまり長くなるとまたちょいと一本参る。これだけ参ると眼《がん》識《しき》のあるかまきりなら必ず逃げ出す。それをがむしゃらに向かって来るのはよほど無教育な野蛮的かまきりである。もし相手がこの野蛮なふるまいをやると、向かって来たところをねらいすまして、いやというほど張りつけてやる。大概は二、三尺飛ばされるものである。しかし敵がおとなしく背面に前進すると、こっちは気の毒だから庭の立ち木を二、三度飛鳥のごとく回ってくる。かまきり君はまだ五、六寸しか逃げ延びておらん。もう吾輩の力量を知ったから手向かいをする勇気はない。ただ右往左往へ逃げ惑うのみである。しかし吾輩も右往左往へ追っかけるから、君はしまいには苦しがって羽根をふるって一大活躍を試みることがある。元来かまきりの羽根は彼の首と調和して、すこぶる細長くできあがったものだが、聞いてみると全く装飾用だそうで、人間の英語、仏《ふつ》語《ご》、ドイツ語のごとくごうも実用にはならん。だから無用の長《ちよう》物《ぶつ》を利用して一大活躍を試みたところが吾輩に対してあまり効能のありようわけがない。名前は活躍だが事実は地面の上を引きずって歩くというにすぎん。こうなると少々気の毒な感はあるが運動のためだからしかたがない、御免こうむってたちまち前面へ駆け抜ける。君は惰性で急回転ができないからやはりやむをえず前進してくる、その鼻をなぐりつける。この時かまきり君は必ず羽根を広げたまま倒れる。その上をうんと前足でおさえて少しく休息する。それからまた放す。放しておいてまたおさえる。七《しち》擒《きん》七《しち》縦《しよう》孔《こう》明《めい*》の軍略で攻めつける。約三十分この順序を繰り返して、身動きもできなくなったところを見すましてちょっと口へくわえて振ってみる。それからまた吐き出す。今度は地面の上へ寝たぎり動かないから、こっちの手で突っついて、その勢いで飛び上がるところをまたおさえつける。これもいやになってから、最後の手段としてむしゃむしゃ食ってしまう。ついでだからかまきりを食ったことのない人に話しておくが、かまきりはあまりうまい物ではない。そうして滋養分も存外少ないようである。蟷螂狩りに次いで蝉《せみ》取りという運動をやる。単に蝉といったところが同じ物ばかりではない。人間にも油《あぶら》野《や》郎《ろう》、みんみん野郎、おしいつくつく野郎があるごとく、蝉にも油蝉、みんみん、おしいつくつくがある。油蝉はしつこくていかん。みんみんは横《おう》風《ふう》で困る。ただ取っておもしろいのはおしいつくつくである。これは夏の末にならないと出て来ない。八《や》つ口《くち》のほころびから秋風が断わりなしに膚をなでてはっくしょ風《か》邪《ぜ》をひいたというころさかんに尾をふり立てて鳴く。よく鳴くやつで、吾輩からみると鳴くのと猫に取られるよりほかに天職がないと思われるくらいだ。秋の初めはこいつを取る。これを称して蝉取り運動という。ちょっと諸君に話しておくがいやしくも蝉と名のつく以上は、地面の上にころがってはおらん。地面の上に落ちているものには必ず蟻《あり》がついている。吾輩の取るのはこの蟻の領分に寝ころんでいるやつではない。高い木の枝にとまって、おしいつくつくと鳴いている連中を捕えるのである。これもついでだから博学なる人間に聞きたいがあれはおしいつくつくと鳴くのか、つくつくおしいと鳴くのか、その解釈次第によっては蝉の研究上少なからざる関係があると思う。人間の猫にまさるところはこんなところに存するので、人間のみずから誇る点もまたかような点にあるのだから、今即答ができないならよく考えておいたらよかろう。もっとも蝉取り運動上はどっちにしてもさしつかえはない。ただ声をしるべに木を上って行って、先方が夢中になって鳴いているところをうんと捕えるばかりだ。これは最も簡略な運動にみえてなかなか骨の折れる運動である。吾輩は四本の足を有しているから大地を行くことにおいてはあえて他の動物には劣るとは思わない。少なくとも二本と四本の数学的知識から判断してみて人間には負けないつもりである。しかし木登りに至ってはだいぶ吾輩より巧者なやつがいる。本職の猿《さる》は別《べつ》物《もの》として、猿の末《ばつ》孫《そん》たる人間にもなかなか侮《あなど》るべからざる手合いがいる。元来が引力に逆らっての無理な事業だからできなくてもべつだんの恥辱とは思わんけれども、蝉取り運動上には少なからざる不便を与える。幸いに爪という利器があるので、どうかこうか登りはするものの、はたで見るほど楽ではござらん。のみならず蝉は飛ぶものである。かまきり君と違ってひとたび飛んでしまったが最後、せっかくの木登りも、木登らずとなんのえらむところなしという悲運に際会することがないとも限らん。最後に時々蝉から小便をかけられる危険がある。あの小便がややともすると目をねらってしょぐってくるようだ。逃げるのはしかたがないから、どうか小便ばかりはたれんようにいたしたい。飛ぶまぎわに溺《いば*》りをつかまつるのはいったいどういう心理的状態の生理的機械に及ぼす影響だろう。やはりせつなさのあまりかしらん。あるいは敵の不意にいでて、ちょっと逃げ出す余裕を作るための方便かしらん。そうすると烏《い》賊《か》の墨を吐き、ベランメーの刺《ほり》物《もの》を見せ、主人がラテン語を弄《ろう》するたぐいと同じ綱《こう》目《もく》に入るべき事項となる。これも蝉《せみ》学《がく》上《じよう》ゆるかせにすべからざる問題である。十分研究すればこれだけでたしかに博士《はかせ》論文の価値はある。それは余事だから、そのくらいにしてまた本題に帰る。蝉の最も集注するのは――集注がおかしければ集合だが、集合は陳《ちん》腐《ぷ》だからやはり集注にする。――蝉の最も集注するのは青《あお》桐《ぎり》である。漢名を梧《ご》桐《とう》と号するそうだ。ところがその青桐は葉が非常に多い、しかもその葉はみな団扇《うちわ》ぐらいな大きさであるから、彼らが生《お》い重なると枝がまるで見えないくらい茂っている。これがはなはだ蝉取り運動の妨害になる。声はすれども姿は見えず《*》という俗謡はとくに吾輩のために作ったものではなかろうかと怪しまれるくらいである。吾輩はしかたがないからただ声を知るべに行く。下から一間《けん》ばかりのところで梧桐は注文どおり二またになっているから、ここで一休みして葉裏から蝉の所在地を探《たん》偵《てい》する。もっともここまで来るうちに、がさがさと音を立てて、飛び出す気早な連中がいる。一羽《*》飛ぶともういけない。まねをする点において蝉は人間に劣らぬくらいばかである。あとから続々飛び出す。ようよう二またに到着する時分には満樹寂《せき》として片《へん》声《せい》をとどめざることがある。かつてここまで登って来て、どこをどう見回しても、耳をどう振っても蝉《せみ》気《け》がないので、出直すのもめんどうだからしばらく休息しようと、叉《また》の上に陣取って第二の機会を待ち合わせていたら、いつのまにか眠くなって、つい黒《こく》甜《てん》郷《きよう》裡《り*》に遊んだ。おやと思って目がさめたら、二またの黒甜郷裡から庭の敷石の上へどたりと落ちていた。しかし大概は登るたびに一つは取って来る。ただ興味の薄いことには木の上で口にくわえてしまわなくてはならん。だから下へ持って来て吐き出す時はおおかた死んでいる。いくらじゃらしても引っかいても確然たる手ごたえがない。蝉取りの妙味はじっと忍んで行っておしい君が一生懸命にしっぽを延ばしたり縮ましたりしているところを、わっと前足でおさえる時にある。この時つくつく君は悲鳴を揚げて、薄い透明な羽根を縦横無尽にふるう。その早いこと、みごとなることは言《ごん》語《ご》道断、じつに蝉世界の一偉観である。余《よ》はつくつく君をおさえるたびにいつでも、つくつく君に請求してこの美術的演芸を見せてもらう。それがいやになると御免をこうむって口の内に頬《ほお》張《ば》ってしまう。蝉によると口の内にはいってまで演芸をつづけているのがある。蝉取りの次にやる運動は松すべりである。これは長く書く必要もないから、ちょっと述べておく。松すべりというと松をすべるように思うかもしれんが、そうではないやはり木登りの一種である。ただ蝉取りは蝉を取るために登り、松すべりは、登ることを目的として登る。これが両者の差である。元来松は常《とき》磐《わ》にて《*》最《さい》明《みよう》寺《じ》のごちそうをしてから以来《*》今日に至るまで、いやにごつごつしている。したがって松の幹ほどすべらないものはない。手がかりのいいものはない。足がかりのいいものはない。――換言すれば爪がかりのいいものはない。その爪がかりのいい幹へ一《いつ》気《き》呵《か》成《せい》に駆け上がる。駆け上がっておいて駆け下がる。駆け下がるには二法ある。一はさかさになって頭を地面へ向けて降りてくる。一は上《のぼ》ったままの姿勢をくずさずに尾を下にして降りる。人間に問うがどっちがむずかしいか知ってるか。人間の浅はかな了見では、どうせ降りるのだから下向きに駆け降りるほうが楽だと思うだろう。それは間違ってる。君らは義《よし》経《つね》が鵯《ひよどり》越《ご》えを落としたことだけを心得て、義経でさえ下を向いて降りるのだから猫なんぞはむろん下向きでたくさんだと思うのだろう。そう軽《けい》蔑《べつ》するものではない。猫の爪はどっちへ向いてはえていると思う。みんな後ろへ折れている。それだから鳶《とび》口《ぐち》のように物をかけて引き寄せることはできるが、逆に押し出す力はない。今吾輩が松の木を勢いよく駆け登ったとする。すると吾輩は元来地上の者であるから、自然の傾向からいえば吾輩が長く松《しよう》樹《じゆ》の巓《いただき》にとどまるを許さんに相違ない。ただ置けば必ず落ちる。しかし手放しで落ちては、あまり早すぎる。だからなんらかの手段をもってこの自然の傾向をいくぶんかゆるめなければならん。これすなわち降りるのである。落ちるのと降りるのはたいへんな違いのようだが、その実思ったほどのことではない。落ちるのをおそくすると降りるので、降りるのを早くすると落ちることになる。落ちると降りるのは、ちとりの差である。吾輩は松の木の上か落ちるのはいやだから、落ちるのをゆるめて降りなければならない。すわなちあるものをもって落ちる速度に抵抗しなければならん。吾輩の爪は前《ぜん》申すとおり皆後ろ向きであるから、もし頭を上にして爪を立てればこの爪の力はことごとく、落ちる勢いに逆らって利用できるわけである。したがって落ちるが変じて降りるになる。じつに見やすき道理である。しかるにまた身を逆《さか》にして義経流に松の木越えをやってみたまえ。爪はあっても役には立たん。ずるずるすべって、どこに自分の体重を持ちこたえることはできなくなる。ここにおいてかせっかく降りようと企てた者が変化して落ちることになる。このとおり鵯越えはむずかしい。猫のうちでこの芸ができる者はおそらく吾輩のみであろう。それだから吾輩はこの運動を称して松すべりというのである。最後に垣《かき》めぐりについて一言《げん》する。主人の庭は竹垣をもって四角にしきられている。縁側と平行している一片《ぺん》は八、九間《けん》もあろう。左右は双方とも四間《けん》にすぎん。今吾輩の言った垣めぐりという運動はこの垣の上を落ちないように一周するのである。これはやりそこなうこともままあるが、首《しゆ》尾《び》よくゆくとお慰みになる。ことにところどころに根を焼いた丸太が立っているから、ちょっと休息に便宜がある。きょうはできがよかったので朝から晩までに三べんやってみたが、やるたびにうまくなる。うまくなるたびにおもしろくなる。とうとう四へん繰り返したが、四へん目に半分ほどまわりかけたら、隣りの屋根から烏《からす》が三羽飛んで来て、一間ばかり向こうに列を正してとまった。これは推《すい》参《さん》なやつだ、人の運動の妨げをする、ことにどこの烏だか籍もない分《ぶん》際《ざい》で、人の塀《へい》へとまるという法があるもんかと思ったから、通るんだおい除《の》きたまえと声をかけた。まっ先の烏はこっちを見てにやにや笑っている。次のは主人の庭をながめている。三羽目はくちばしを垣根の竹でふいている。何か食って来たに違いない。吾輩は返答を待つために、彼らに三分間の猶《ゆう》予《よ》を与えて、垣の上に立っていた。からすは通称を勘《かん》左《ざ》衛《え》門《もん》というそうだが、なるほど勘左衛門だ。吾輩がいくら待っても挨《あい》拶《さつ》もしなければ、飛びもしない。吾輩はしかたがないから、そろそろ歩きだした。するとまっ先の勘左衛門がちょいと羽を広げた。やっと吾輩の威光に恐れて逃げるなと思ったら、右向きから左向きに姿勢をかえただけである。このやろう! 地面の上ならそのぶんに捨ておくのではないが、いかんせん、たださえ骨の折れる道中に、勘左衛門などを相手にしている余裕がない。といってまた立ち止まって三羽が立ちのくのを待つのもいやだ。第一そう待っていては足がつづかない。先方は羽根のある身分であるから、こんな所へはとまりつけている。したがって気に入ればいつまでも逗《とう》留《りゆう》するだろう。こっちはこれで四へん目だたださえだいぶ疲れている。いわんや綱渡りにも劣らざる芸当兼運動をやるのだ。なんらの障害物がなくてさえ落ちんとは保証ができんのに、こんな黒《くろ》装《しよう》束《ぞく》が、三個も前途をさえぎっては容易ならざる不都合だ。いよいよとなればみずから運動を中止して垣根を降りるよりしかたがない。めんどうだから、いっそさよう仕《つかまつ》ろうか、敵はおおぜいのことではあるし、ことにはあまりこのへんには見慣れぬ人《にん》体《てい》である。口ばしがおつにとんがってなんだか天《てん》狗《ぐ》の申し子のようだ。どうせ質《たち》のいいやつでないにはきまっている。退却が安全だろう、あまり深入りをして万一落ちでもしたらなおさら恥《ち》辱《じよく》だ。と思っていると左向けをした烏があほうと言った。次のもまねをしてあほうと言った。最後のやつは御丁寧にもあほうあほうと二《ふた》声《こえ》叫んだ。いかに温厚なる吾輩でもこれは看過できない。第一自己の邸内で烏輩に侮《ぶ》辱《じよく》されたとあっては、吾輩の名前にかかわる。名前はまだないからかかわりようがなかろうというなら体面にかかわる。けっして退却はできない。諺《ことわざ》にも烏《う》合《ごう》の衆というから三羽だって存外弱いかもしれない。進めるだけ進めと度胸をすえて、のそのそ歩きだす。烏は知らん顔をして何かお互いに話をしている様子だ。いよいよかんしゃくにさわる。垣根の幅がもう五、六寸もあったらひどい目に合わせてやるんだが、残念なことにはいくらおこっても、のそのそとしか歩かれない。ようやくのこと先《せん》鋒《ぽう》を去ること約五、六寸の距離まで来てもう一息だと思うと、勘左衛門は申し合わせたように、いきなり羽ばたきをして一、二尺飛び上がった。その風が突然余の顔を吹いた時、はっと思ったら、つい踏みはずして、すとんと落ちた。これはしくじったと垣根の下から見上げると、三羽とも元の所にとまって上からくちばしをそろえて吾輩の顔を見おろしている。図太いやつだ。にらめつけてやったがいっこうきかない。背を丸くして、少々うなったがますますだめだ。俗人に霊妙なる象徴詩がわからぬごとく、吾輩が彼らに向かって示す怒りの記号もなんらの反応を呈出しない。考えてみると無理のないところだ。吾輩は今まで彼らを猫として取り扱っていた。それが悪い。猫ならこのくらいやればたしかにこたえるのだがあいにく相手は烏だ。烏の勘公とあってみればいたしかたがない。実業家が主人苦《く》沙《しや》弥《み》先生を圧倒しようとあせるごとく、西《さい》行《ぎよう》に銀製の吾輩を進呈するが《*》ごとく、西《さい》郷《ごう》隆《たか》盛《もり》君の銅像に勘公が糞《ふん》をひるようなものである。機を見るに敏なる吾輩はとうていだめとみてとったから、きれいさっぱりと縁側へ引き上げた。もう晩飯の時刻だ。運動もいいが度を過ごすといかぬもので、からだ全体がなんとなくしまりがない、ぐたぐたの感がある。のみならずまだ秋の取り付きで運動中に照りつけられた毛ごろもは、西日を思う存分吸収したとみえて、ほてってたまらない。毛穴からしみ出す汗が、流れればと思うのに毛の根に膏《あぶら》のようにねばりつく。背中がむずむずする。汗でむずむずするのと蚤《のみ》がはってむずむずするのは判然と区別ができる。口の届く所ならかむこともできる、足の達する領分は引っかくことも心得にあるが、脊《せき》髄《ずい》の縦に通うまん中と来たら自《じ》力《りき》の及ぶ限りでない。こういう時には人間を見かけてやたらにこすりつけるか、松の木の皮で十分摩《ま》擦《さつ》術《じゆつ》を行なうか、二者その一を選ばんと不愉快で安眠もできかねる。人間は愚なものであるから、猫なで声で――猫なで声は人間の吾輩に対して出す声だ。吾輩を目安にして考えれば猫なで声ではない、なでられ声である――よろしい、とにかく人間は愚なものであるからなでられ声でひざのそばへ寄って行くと、たいていの場合において彼もしくは彼女を愛するものと誤解して、わがなすままに任せるのみかおりおりは頭さえなでてくれるものだ。しかるに近来吾輩の毛《もう》中《ちゆう》に蚤《のみ》と号する一種の寄生虫が繁殖したのでめったに寄り添うと、必ず首筋を持って向こうへほうり出される。わずかに目に入るか入らぬか、取るにも足らぬ虫のために愛《あい》想《そ》をつかしたとみえる。手を翻《ひるがえ》せば雨、手を覆《くつがえ》せば雲《*》とはこのことだ。たかが蚤の千匹や二千匹でよくまあこんなに現金なまねができたものだ。人間世界を通じて行なわれる愛の法則の第一条にはこうあるそうだ。――自己の利益にあるあいだは、すべからく人を愛すべし。――人間の取り扱いが俄《が》然《ぜん》豹《ひよう》変《へん》したので、いくらかゆくても人《じん》力《りよく》を利用することはできん。だから第二の方法によって松《しよう》皮《ひ》摩擦法をやるよりほかに分別はない。しからばちょっとこすって参ろうかとまた縁側から降りかけたが、いやこれも利害相償わぬ愚策だと心づいた。というのはほかでもない。松には脂《やに》がある。この脂たるすこぶる執《しゆう》着《じやく》心《しん》の強いもので、もしひとたび、毛の先へくっつけようものなら、雷が鳴ってもバルチック艦隊が全滅してもけっして離れない。しかのみならず五本の毛へこびりつくが早いか、十本に蔓《まん》延《えん》する。十本やられたなと気がつくと、もう三十本引っかかっている。吾輩は淡泊を愛する茶人的猫である。こんな、しつこい、毒悪な、ねちねちした、執念深いやつは大きらいだ。たとい天下の美《び》猫《みよう》といえども御免こうむる。いわんや松《まつ》脂《やに》においてをやだ。車屋の黒の両眼から北《きた》風《かぜ》に乗じて流れる目《め》糞《くそ》とえらぶところなき身分をもって、この淡灰色の毛《け》衣《ごろも》をだいなしにするとはけしからん。少しは考えてみるがいい。といったところできやつなかなか考える気づかいはない。あの皮のあたりへ行って背中をつけるが早いか必ずべたりとおいでになるにきまっている。こんな無分別なとんちきを相手にしては吾輩の顔にかかるのみならず、ひいて吾輩の毛並みに関するわけだ。いくら、むずむずしたって我慢するよりほかにいたしかたはあるまい。しかしこの二方法とも実行できんとなるとはなはだ心細い。今においてひとくふうしておかんとしまいにはむずむず、ねちねちの結果病気にかかるかもしれない。何か分別はあるまいかなと、あと足を折って思案したが、ふと思い出したことがある。うちの主人は時々手ぬぐいとシャボンを持って飄《ひよう》然《ぜん》といずれかへ出て行くことがある、三、四十分して帰ったところを見ると彼の朦《もう》朧《ろう》たる顔色が少しは活気を帯びて、晴れやかに見える。主人のようなむさ苦しい男にこのくらいな影響を与えるなら吾輩にはもう少しきき目があるに相違ない。吾輩はただでさえこのくらいな器量だから、これより色男になる必要はないようなものの、万一病気にかかって一歳何か月で夭《よう》折《せつ》するようなことがあっては天下の蒼《そう》生《せい》に対して申しわけがない。聞いてみるとこれも人間のひまつぶしに案出した銭《せん》湯《とう》なるものだそうだ。どうせ人間の作ったものだからろくなものでないにはきまっているがこの際のことだからためしにはいってみるのもよかろう。やってみて効験がなければよすまでのことだ。しかし人間が自己のために設備した浴場へ異類の猫を入れるだけの洪《こう》量《りよう》があるだろうか。これが疑問である。主人がすましてはいるくらいの所だから、よもや吾輩を断わることもなかろうけれども万一お気の毒様を食うようなことがあっては外聞が悪い。これはひとまず様子を見に行くに越したことはない。見た上でこれならよいとあたりがついたら、手ぬぐいをくわえて飛び込んでみよう。とここまで思案を定めた上でのそのそと銭湯へ出かけた。
横丁を左へ折れると向こうに高いとよ竹《*》のようなものが屹《きつ》立《りつ》して先から薄い煙を吐いている。これすなわち銭湯である。吾輩はそっと裏口から忍び込んだ。裏口から忍び込むのを卑《ひ》怯《きよう》とか未練とかいうが、あれは表からでなくては訪問することができぬ者が嫉《しつ》妬《と》半分にはやし立てる繰り言《ごと》である。昔から利口な人は裏口から不意を襲うことにきまっている。紳《しん》士《し》養成法の第二巻第一章の五ページにそう出ているそうだ。その次のページには裏口は紳士の遺書にして自身徳を得《う》るの門なりとあるくらいだ。吾輩は二十世紀の猫だからこのくらいの教育はある。あんまり軽蔑してはいけない。さて忍び込んでみると、左の方に松を割って八寸ぐらいにしたのが山のように積んであって、その隣りには石炭が丘のように盛ってある。なぜ松《まつ》薪《まき》が山のようで、石炭が丘のようかと聞く人があるかもしれないが、べつに意味も何もない、ただちょっと山と丘を使い分けただけである。人間も米を食ったり、鳥を食ったり、肴《さかな》を食ったり、獣《けもの》を食ったりいろいろの悪《あく》もの食いをしつくしたあげくついに石炭まで食う《*》ように堕落したは不《ふ》憫《びん》である。行き当たりを見ると一間ほどの入《い》り口《ぐち》が明け放しになって、中をのぞくとがんがらがんのがあんと物静かである。その向こう側で何かしきりに人間の声がする。いわゆる銭湯はこの声の発するへんに相違ないと断定したから、松薪と石炭のあいだにできてる谷あいを通り抜けて左へ回って、前進すると右手にガラス窓があって、その外に丸い小《こ》桶《おけ》が三角形すなわちピラミッドのごとく積みかさねてある。丸いものが三角に積まれるのは不本意千《せん》万《ばん》だろうと、ひそかに小桶諸君の意を諒《りよう》とした。小桶の南側は四、五尺のあいだ板が余って、あたかも吾輩を迎うるもののごとくみえる。板の高さは地面を去る約一メートルだから飛び上がるにはおあつらえの上等である。よろしいと言いながらひらりと身をおどらすといわゆる銭湯は鼻の先、目の下、顔の前にぶらついている。天下に何がおもしろいといって、いまだ食わざるものを食い、いまだ見ざるものを見るほどの愉快はない。諸君もうちの主人のごとく一週三度ぐらい、この銭湯界に三十分ないし四十分を暮らすならいいが、もし吾輩のごとく風《ふ》呂《ろ》というものを見たことがないなら、早く見るがいい。親の死に目に会わなくてもいいから、これだけはぜひ見物するがいい。世界広しといえどもこんな奇観はまたとあるまい。
何が奇観だ? 何が奇観だって吾輩はこれを口にするをはばかるほどの奇観だ。このガラス窓の中にうじゃうじゃ、があがあ騒いでいる人間はことごとく裸体である。台《たい》湾《わん》の生《せい》蕃《ばん》である。二十世紀のアダムである。そもそも衣《い》装《しよう》の歴史をひもとけば――長いことだからこれはトイフェルスドレック君《*》に譲って、ひもとくだけはやめてやるが、――人間は全く服装で持ってるのだ。十八世紀のころ大英国バスの温泉場においてボー・ナッシ《*》が厳重な規則を制定した時などは浴場内で男女とも肩から足まで着物でかくしたくらいである。今を去ること六十年前《ぜん》これも英国のさる都で図案学校を設立したことがある。図案学校のことであるから、裸体画、裸体像の模写、模型を買い込んで、ここ、かしこに陳列したのはよかったが、いざ開校式を挙行する一段になって当局者をはじめ学校の職員が大困却をしたことがある。開校式をやるとすれば、市の淑女を招《しよう》待《だい》しなければならん。ところが当時の貴婦人がたの考えによると人間は服装の動物である。皮を着た猿の子分ではないと思っていた。人間として着物をつけないのは象《ぞう》の鼻なきがごとく、学校の生徒なきがごとく、兵隊の勇気なきがごとく全くその本体を失している。いやしくも本体を失している以上は人間としては通用しない、獣類である。たとい模写模型にせよ獣類の人間と伍《ご》するのは貴《き》女《じよ》の品位を害するわけである。でありますから妾《しよう》らは出席お断わり申すと言われた。そこで職員どもは話せない連《れん》中《じゆう》だとは思ったが、何しろ女は東西両国を通じて一種の装飾品である。米つきにもなれん志願兵にもなれないが、開校式には欠くべからざる化粧道具である。というところからしかたがない、呉服屋へ行って黒布を三十五反《たん》八分《ぶん》の七買って来て例の獣類の人間にことごとく着物を着せた。失礼があってはならんと念に念を入れて顔まで着物を着せた。かようにしてようやくのこと滞りなく式をすましたという話がある。そのくらい衣服は人間にとって大切なものである。近ごろは裸体画裸体画といってしきりに裸体を主張する先生もあるがあれはあやまっている。生まれてから今日に至るまで一日も裸体になったことがない吾輩から見ると、どうしても間違っている。裸体はギリシア、ローマの遺風が文芸復興時代の淫《いん》靡《び》のふうに誘われてからはやりだしたもので、ギリシア人や、ローマ人はふだんから裸体を見なれていたのだから、これをもって風教上の利害の関係があるなどとはごうも思い及ばなかったのだろうが北欧は寒い所だ。日本でさえ裸で道中がなるものかというくらいだからドイツやイギリスで裸になっておれば死んでしまう。死んでしまってはつまらないから着物を着る。みんなが着物を着れば人間は服装の動物になる。ひとたび服装の動物となったのちに、突然裸体動物に出会えば人間とは認めない、獣《けだもの》と思う。それだから欧州人ことに北方の欧州人は裸体面、裸体像をもって獣として取り扱っていいのである。猫に劣る獣と認定していいのである。美しい? 美しくてもかまわんから、美しい獣と見なせばいいのである。こういうと西洋婦人の礼服を見たかと言う者もあるかもしれないが、猫のことだから西洋婦人の礼服を拝見したことはない。聞くところによると彼らは胸をあらわし、肩をあらわし、腕をあらわしてこれを礼服と称しているそうだ。けしからんことだ。十四世紀ごろまでは彼らのいで立ちはしかく滑《こつ》稽《けい》ではなかった、やはり普通の人間の着るものを着ておった。それがなぜこんな下等な軽《かる》業《わざ》師《し》流《りゆう》に転化してきたかはめんどうだから述べない。知る人ぞ知る、知らぬ者は知らん顔をしておればよろしかろう。歴史はとにかく彼らはかかる異様な風体をして夜間だけは得々たるにもかかわらず内心は少々人間らしいところもあるとみえて、日が出ると、肩をすぼめる、胸をかくす、腕を包む、どこもかしこもことごとく見えなくしてしまうのみならず、足の爪《つめ》一本でも人に見せるのを非常に恥辱と考えている。これで考えても彼らの礼服なるものは一種の頓《とん》珍《ちん》漢《かん》的《てき》作《さ》用《よう》によって、ばかとばかの相談から成立したものだということがわかる。それがくやしければ日《につ》中《ちゆう》でも肩と胸と腕を出していてみるがいい。裸体信者だってそのとおりだ。それほど裸体がいいものなら娘を裸体にして、ついでに自分も裸になって上野公園を散歩でもするがいい、できない? できないのではない、西洋人がやらないから、自分もやらないのだろう。現にこの不合理きわまる礼服を着ていばって帝国ホテルなどへ出かけるではないか。その因縁を尋ねるとなんにもない。ただ西洋人が着るから、着るというまでのことだろう。西洋人は強いから無理でもばかげていてもまねなければやりきれないのだろう。長いものには巻かれろ、強いものには折れろ、重いものには圧《お》されろと、そうれろづくしでは気がきかんではないか。気がきかんでもしかたがないというなら勘弁するから、あまり日本人をえらい者と思ってはいけない。学問といえどもそのとおりだがこれは服装に関係がないことだから以下略とする。
衣服はかくのごとく人間にもたいじなものである。人間が衣服か、衣服が人間かというくらい重要な条件である。人間の歴史は肉の歴史にあらず、骨の歴史にあらず、血の歴史にあらず、たんに衣服の歴史であると申したいくらいだ。だから衣服を着けない人間を見ると人間らしい感じがしない。まるで化け物に邂《かい》逅《こう》したようだ。化け物でも全体が申し合わせて化け物になれば、いわゆる化け物は消えてなくなるわけだからかまわんが、それでは人間自身が大いに困却することになるばかりだ。その昔自然は人間を平《びよう》等《どう》なるものに製造して世の中にほうり出した。だからどんな人間でも生まれるときは必ず赤《あか》裸《はだか》である。もし人間の本性が平等に安んずるものならば、よろしくこの赤裸のままで生長してしかるべきだろう。しかるに赤裸の一《ひと》人《り》が言うにはこうだれも彼も同じでは勉強するかいがない。骨を折った結果が見えぬ。どうかして、おれはおれだだれが見てもおれだというところが目につくようにしたい。それについては何か人が見てあっとたまげる物をからだにつけてみたい。何かくふうはあるまいかと十年間考えてようやく猿《さる》股《また》を発明してすぐさまこれをはいて、どうだ恐れ入ったろうといばってそこいらを歩いた。これが今日の車夫の先祖である。単簡なる猿股を発明するのに十年の長《ちよう》日《じつ》月《げつ》を費やしたのはいささか異な感もあるが、それは今日から古代にさかのぼって身を蒙《もう》昧《まい》の世界に置いて断定した結論というもので、その当時にこれくらいな大発明はなかったのである。デカルトは「余《よ》は思考す、ゆえに余は存在す」という三つ子《ご》にでもわかるような真理を考え出すのに十何年かかかったそうだ。すべて考え出す時には骨の折れるものであるから猿股の発明に十年を費やしたって車夫の知恵にはできすぎるといわねばなるまい。さあ猿股ができると世の中で幅のきくのは車夫ばかりである。あまり車夫が猿股をつけて天下の大《だい》道《どう》をわが物顔に横行闊《かつ》歩《ぽ》するのを憎らしいと思って負けん気の化け物が六年間くふうして羽《は》織《おり》という無用の長《ちよう》物《ぶつ》を発明した。すると猿股の勢力はとみに衰えて、羽織全盛の時代となった。八《や》百《お》屋《や》、生《き》薬《ぐすり》屋《や》、呉服屋は皆この大発明家の末《ばつ》流《りゆう》である。猿股期羽織期のあとに来るのが袴《はかま》期《き》である。これは、なんだ羽織のくせにとかんしゃくを起こした化け物の考案になったもので、昔の武士今の官員などは皆この種属である。かように化け物どもが我も我もと異をてらい新を競って、ついには燕《つばめ》の尾にかたどった奇形まで出現したが、退いてその由来を案ずると、何もむりやりに、でたらめに、偶然に、漫然に持ち上がった事実ではけっしてない。皆勝ちたい勝ちたいの勇猛心の凝《こ》ってさまざまの新《しん》形《がた》となったもので、おれは手前じゃないぞとふれて歩く代わりにかぶっているのである。してみるとこの心理からして一大発見ができる。それはほかでもない。自然は真空を忌む《*》ごとく、人間は平等をきらうということだ。すでに平等をきらってやむをえず衣服を骨《こつ》肉《にく》のごとくかようにつけまとう今日において、この本質の一部分たる、これらを打ちやって、元の杢《もく》阿《あ》弥《み》の公平時代に帰るのは狂人の沙《さ》汰《た》である。よし狂人の名称を甘んじても帰ることはとうていできない。帰った連中を開明人の目から見れば化け物である。たとい世界何億万の人口をあげて化け物の城に引きずりおろしてこれなら平等だろう、みんなが化け物だから恥ずかしいことはないと安心してもやっぱりだめである。世界が化け物になった翌日からまた化け物の競争が始まる。着物をつけて競争ができなければ化け物なりで競争をやる。赤裸は赤裸でどこまでも差別を立ててくる。この点からみても衣服はとうてい脱ぐことはできないものになっている。
しかるに今吾輩が眼下に見おろした人間の一団体は、この脱ぐべからざる猿股も羽織もないし袴もことごとく棚《たな》の上に上げて、無遠慮にも本来の狂態を衆目環視のうちに露出して平々然と談笑をほしいままにしている。吾輩がさっき一大奇観と言ったのはこのことである。吾輩は文明の諸君子のためにここにつつしんでその一《いつ》斑《ぱん》を紹介するの栄を有する。
なんだかごちゃごちゃしていて何から記述していいかわからない。化け物のやることには規律がないから秩序立った証明をするのに骨が折れる。まず湯《ゆ》槽《ぶね》から述べよう。湯槽だかなんだかわからないが、おおかた湯槽というものだろうと思うばかりである。幅が三尺ぐらい、長さは一間半もあるか、それを二つに仕切って一つには白い湯がはいっている。なんでも薬《くすり》湯《ゆ》とか号するのだそうで、石《いし》灰《ばい》を溶かし込んだような色に濁っている。もっともただ濁っているのではない。膏《あぶら》ぎって、重たげに濁っている。よく聞くと腐って見えるのも不思議はない、一週間に一度しか水をかえないのだそうだ。その隣りは普通一般の湯の由だがこれまたもって透明、瑩《えい》徹《てつ》などとは誓って申されない。天《てん》水《すい》桶《おけ》をかき混ぜたぐらいの価値はその色の上において十分あらわれている。これからが化け物の記述だ。だいぶ骨が折れる。天水桶の方に、突っ立っている若《わか》造《ぞう》が二人いる。立ったまま、向かい合って湯をざぶざぶ腹の上へかけている。いい慰みだ。双方とも色の黒い点において間《かん》然《ぜん》するところなきまでに発達している。この化け物はだいぶたくましいなと見ていると、やがて一人が手ぬぐいで胸のあたりをなで回しながら「金《きん》さん、どうも、ここが痛んでいけねえがなんだろう」と聞くと金さんは「そりゃ胃さ、胃ていうやつは命をとるからね。用心しねえとあぶないよ」と熱心に忠告を加える。「だってこの左の方だぜ」と左《さ》肺《はい》の方をさす。「そこが胃だあな。左が胃で、右が肺だよ」「そうかな、おらあまた胃はここいらかと思った」と今度は腰のへんをたたいてみせると、金さんは「そりゃ疝《せん》気《き》だあね」と言った。ところへ二十五、六の薄い髯《ひげ》をはやした男がどぶんと飛び込んだ。すると、からだについていたシャボンが垢《あか》とともに浮きあがる。鉄《かな》気《け》のある水を透かして見た時のようにきらきらと光る。その隣りに頭のはげたじいさんが五分《ぶ》刈りを捕えて何か弁じている。双方とも頭だけ浮かしているのみだ。「いやこう年をとってはだめさね。人間もやきが回っちゃ若い者にはかなわないよ。しかし湯だけは今でも熱いのでないと心持ちが悪くてね」「旦《だん》那《な》なんか丈夫なものですぜ。そのくらい元気がありや結構だ」「元気もないのさ。ただ病気をしないだけさ。人間は悪いことさえしなけりゃ百二十までは生きるもんだからね」「へえ、そんなに生きるもんですか」「生きるとも百二十までは受け合う。御《ご》維《いつ》新《しん》前《まえ》牛《うし》込《ごめ》に曲《まがり》淵《ぶち》という旗《はた》本《もと》があって、そこにいた下男は百三十だったよ」「そいつは、よく生きたもんですね」「ああ、あんまり生き過ぎてつい自分の年を忘れてね。百までは覚えていましたがそれから忘れてしまいましたと言ってたよ。それでわしの知っていたのが百三十の時だったが、それで死んだんじゃない。それからどうなったかわからない。ことによるとまだ生きてるかもしれない」と言いながら槽《ふね》から上がる。髯をはやしている男は雲母《きらら》のようなものを自分の回りにまき散らしながらひとりでにやにや笑っていた。入れかわって飛び込んで来たのは普通一般の化け物と違って背中に模様画をほりつけている。岩《いわ》見《み》重《じゆう》太《た》郎《ろう》が大《だい》刀《とう》を振りかざして蟒《うわばみ》を退治るところのようだが、惜しいことにまだ竣《しゆん》工《こう》の期に達せんので、蟒はどこにも見えない。したがって重太郎先生いささか拍《ひよう》子《し》抜けの気味にみえる。飛び込みながら「べらぼうにぬるいや」と言った。するとまた一人続いて乗り込んだのが「こりゃどうも……もう少し熱くなくっちゃあ」と顔をしかめながら熱いのを我慢するけしきともみえたが、重太郎先生と顔を見合わせて「やあ親方」と挨《あい》拶《さつ》をする。重太郎は「やあ」と言ったが、やがて「民《たみ》さんはどうしたね」と聞く。「どうしたか、じゃんじゃん《*》が好きだからね」「じゃんじゃんばかりじゃねえ……」「そうかい、あの男も腹のよくねえ男だからね。――どういうもんか人に好かれねえ、――どういうものだか、――どうも人が信用しねえ。職人てえものは、あんなものじゃねえが」「そうよ。民さんなんざあ腰が低いんじゃねえ、頭《ず》が高《たけ》えんだ。それだからどうも信用されねえんだね」「ほんとうによ。あれでいっぱし腕があるつもりだから、――つまり白分の損だあな」「白《しろ》銀《かね》町《ちよう》にも古い人が亡《な》くなってね、今じゃ桶屋の元《もと》さんと煉《れん》瓦《が》屋《や》の大将と親方ぐれえなものだあな。こちとらあこうしてここで生まれたもんだが、民さんなんざあ、どこから来たんだかわかりゃしねえ」「そうよ。しかしよくあれだけになったよ」「うん。どういうもんか人に好かれねえ。人がつきあわねえからね」と徹頭徹尾民さんを攻撃する。
天水桶はこのくらいにして、白い湯の方を見るとこれはまた非常な大入りで、湯の中に人がはいってるといわんより人の中に湯がはいってるというほうが適当である。しかも彼らはすこぶる悠《ゆう》々《ゆう》閑《かん》々《かん》たるもので、きっきからはいる者はあるが出る者は一人もない。こうはいった上に、一週間もとめておいたら湯もよごれるはずだと感心してなおよく槽《おけ》の中を見渡すと、左のすみにおしつけられて苦《く》沙《しや》弥《み》先生がまっかになってすくんでいる。かあいそうにだれか道をあけて出してやればいいのにと思うのにだれも動きそうにもしなければ、主人も出ようとするけしきも見せない。ただじっとして赤くなっているばかりである。これは御苦労なことだ。なるべく二銭五厘の湯《ゆ》銭《せん》を活用しようという精神からして、かように赤くなるのだろうが、早く上がらんと湯《ゆ》気《け》にあがるがと主《しゆう》思いの吾輩は窓の棚から少なからず心配した。すると主人の一軒置いて隣りに浮いてる男が八の字を寄せながら「これはちときき過ぎるようだ、どうも背中の方から熱いやつがじりじりわいてくる」と暗《あん》に列席の化け物に同情を求めた。「なあにこれがちょうどいいかげんです。薬湯はこのくらいでないとききません。わたしの国なぞではこの倍も熱い湯へはいります」と自慢らしく説き立てる者がある。「いったいこの湯はなんにきくんでしょう」と手ぬぐいを畳んでデコボコ頭をかくした男が一同に聞いてみる。「いろいろなものにききますよ。なんでもいいてえんだからね。豪《ごう》気《ぎ》だあね」と言ったのはやせたきゅうりのような色と形とを兼ね得たる顔の所有者である。そんなによくきく湯なら、もう少しは丈夫そうになれそうなものだ。「薬を入れたてより、三日目か四日目がちょうどいいようです。きょうなどははいりごろですよ」と物知り顔に述べたのを見ると、ふくれ返った男である。これはたぶん垢《あか》肥《ぶと》りだろう。「飲んでもききましょうか」とどこからか知らないが黄色い声を出す者がある。「冷えたあとなどは一杯飲んで寝ると、奇《き》体《たい》に小便に起きないから、まあやってごらんなさい」と答えたのは、どの顔から出た声かわからない。
湯《ゆ》槽《ぶね》のほうはこれぐらいにして板《いた》間《ま》を見渡すと、いるわいるわ絵にもならないアダムがずらりと並んでおのおのかって次第な姿勢で、かって次第な所を洗っている。その中に最も驚くべきのは仰向けに寝て、高い明かり取りをながめているのと、腹ばいになって、溝《みぞ》の中をのぞき込んでいる両アダムである。これはよほどひまなアダムとみえる。坊《ぼう》主《ず》が石壁を向いてしゃがんでいると後ろから、小坊主がしきりに肩をたたいている。これは師弟の関係上三助の代理を務めるのであろう。ほんとうの三助もいる。風《か》邪《ぜ》をひいたとみえて、このあついのにちゃんちゃんを着て、小《こ》判《ばん》形《なり》の桶からざあと旦那の肩へ湯をあびせる。右の足を見ると親指の股《また》に呉《ゴ》絽《ロ》の垢すりをはさんでいる。こちらの方では小桶を欲張って三つかかえ込んだ男が、隣りの人にシャボンを使え使えと言いながらしきりに長《なが》談《だん》議《ぎ》をしている。なんだろうと聞いてみるとこんなことを言っていた。「鉄砲は外国から渡ったもんだね。昔は切り合いばかりさ。外国は卑《ひ》怯《きよう》だからね、それであんなものができたんだ。どうもシナじゃねえようだ、やっぱり外国のようだ。和《わ》唐《とう》内《ない*》の時にゃなかったね。和唐内はやっぱり清《せい》和《わ》源《げん》氏《じ》さ。なんでも義《よし》経《つね》が蝦《え》夷《ぞ》から満《まん》州《しゆう》へ渡った時に、蝦夷の男でたいへん学のできる人がくっついて行ったてえ話だね。それでその義経のむすこが大《たい》明《みん》を攻めたんだが大明じゃ困るから、三代将軍へ使いをよこして三千人の兵隊を貸してくれろと言うと、三代様がそいつをとめておいて帰さねえ。――なんとか言ったっけ。――なんでもなんとかいう使いだ。――それでその使いを二年とめておいてしまいに長崎で女《じよ》郎《ろう》を見せたんだがね。その女郎にできた子が和唐内さ。それから国へ帰ってみると大明は国賊に亡《ほろ》ぼされていた。……」何を言うのかさっぱりわからない。その後ろに二十五、六の陰気な顔をした男が、ぼんやりして股の所を白い湯てしきりにたでている。腫《は》れ物か何かで苦しんでいるとみえる。その横に年のころは十七、八で君とかぼくとか生意気なことをべらべらしゃべってるのはこの近所の書生だろう。そのまた次に妙な背中が見える。尻の中から寒《かん》竹《ちく》を押し込んだように背骨の節がありありと出ている。そうしてその左右に十六むさしに似たる形が四個ずつ行儀よく並んでいる。その十六むさしが赤くただれて周囲《まわり》に膿《うみ》をもっているのもある。こう順々に書いてくると、書くことが多すぎてとうてい吾輩の手ぎわにはその一斑さえ形容することができん。これは厄《やつ》介《かい》なことをやり始めたものだと少々辟《へき》易《えき》していると人り口の方に浅《あさ》黄《ぎ》もめんの着物を着た七十ばかりの坊主がぬっとあらわれた。坊主はうやうやしくこれらの裸体の化け物に一礼して「へい、どなた様も、毎日相変わらずありがとう存じます。今日は少々お寒うございますから、どうぞごゆっくり――どうぞ白い湯へ出たりはいったりして、ゆるりとおあったまりください。――番頭さんや、どうか湯かげんをよく見てあげてな」とよどみなく述べ立てた。番頭さんは「おーい」と答えた。和唐内は「愛《あい》嬌《きよう》者《もの》だね。あれでなくては商売はできないよ」と大いにじいさんを激賞した。吾輩は突然この異《い》なじいさんに会ってちょっと驚いたからこっちの記述はそのままにして、しばらくじいさんを専門に観察することにした。じいさんはやがて今上がりたての四つばかりの男の子を見て「坊《ぼ》っちゃん、こちらへおいで」と手を出す。子供は大《だい》福《ふく》を踏みつけたようなじいさんを見てたいへんだと思ったか、わーっと悲鳴をあげて泣き出す。じいさんは少しく不本意の気味で「いや、お泣きか、なに? じいさんがこわい? いや、これはこれは」と感嘆した。しかたがないものだからたちまち機《き》鋒《ほう》を転じて、子供の親に向かった。「や、これは源《げん》さん。きょうは少し寒いな、ゆうべ、近江《おうみ》屋《や》へはいった泥《どろ》棒《ぼう》はなんというばかなやつじゃの。あの戸のくぐりの所を四角に切り破っての。そうしてお前の。何も取らずに行《い》んだげな。お巡《まわり》りさんか夜《よ》番《ばん》でも見えたものであろう」と大いに泥棒の無謀を憫《びん》笑《しよう》したがまた一人をつらまえて「はいはいお寒う。あなたがたは、お若いから、あまりお感じにならんかの」と老人だけにただひとり寒がっている。
しばらくはじいさんのほうへ気を取られてほかの化け物のことは全く忘れていたのみならず、苦しそうにすくんでいた主人さえ記憶の中《うち》から消え去った時突然流しと板の間の中間で大きな声を出す者がある。見ると紛れもなき苦沙弥先生である。主人の声の図抜けて大いなるのと、その濁って聞き苦しいのはきょうに始まったことではないが場所が場所だけに吾輩は少なからず驚いた。これはまさしく熱湯の中に長時間のあいだ我慢をして浸《つか》っておったため逆上したに相違ないと咄《とつ》嗟《さ》の際に吾輩は鑑定をつけた。それもたんに病気のせいならとがむることもないが、彼は逆上しながらも十分本心を有しているに相違ないことは、なんのためにこの法外の胴《どう》間《ま》声《ごえ》を出したかを話せばすぐわかる。彼は取るに足らぬ生《なま》意《い》気《き》書生を相手におとなげもないけんかを始めたのである。「もっとさがれ、おれの小桶に湯がはいっていかん」とどなるのはむろん主人である。物は見ようでどうでもなるものだから、この怒号をただ逆上の結果とばかり判断する必要はない。万《まん》人《にん》のうち一人ぐらいは高《たか》山《やま》彦《ひこ》九《く》郎《ろう》が山賊を叱《しつ》したようだぐらいに解釈してくれるかもしれん。当人自身もそのつもりでやった芝居かもわからんが、相手が山賊をもってみずからおらん以上は予期する結果は出てこないにきまっている。書生は後ろを振り返って「ぼくはもとからここにいたのです」とおとなしく答えた。これは尋常の答えで、ただその地を去らぬことを示しただけが主人の思いどおりにならんので、その態度といい言語といい、山賊としてののしり返すべきほどのことでもないのは、いかに逆上の気味の主人でもわかっているはずだ。しかし主人の怒号は書生の席そのものが不平なのではない、さっきからこの両人は少年に似合わず、いやに高慢ちきな、きいたふうのことばかり並べていたので、始終それを聞かされた主人は、全くこの点に立腹したものとみえる。だから先方でおとなしい挨《あい》拶《さつ》をしても黙って板の間へ上がりはせん。今度は「なんだばかやろう、人の桶へきたない水をぴちゃぴちゃはねかすやつがあるか」と喝《かつ》し去った。吾輩もこの小僧を少々心憎く思っていたから、この時心中にはちょっと快《かい》哉《さい》を呼んだが、学校教員たる主人の言動としては穏やかならぬことと思うた。元来主人はあまり堅すぎていかん。石炭のたきがらみたようにかさかさしてしかもいやに硬《かた》い。昔ハンニバルがアルプス山《さん》を越える時に、道のまん中に当たって大きな岩があって、どうしても軍隊が通行上の不便邪魔をする。そこでハンニバルはこの大きな岩へ酢をかけて火をたいて、柔らかにしておいて、それから鋸《のこぎり》でこの大岩を蒲《かま》鉾《ぼこ》のように切って滞りなく通行をしたそうだ。主人のごとくこんなきき目のある薬湯へうだるほどはいっても少しも効能のない男はやはり酢をかけて火あぶりにするに限ると思う。しからずんば、こんな書生が何百人出て来て、何十年かかったって主人の頑《がん》固《こ》はなおりっこない。この湯槽に浮いている者、この流しにごろごろしている者は文明の人間に必要な服装を脱ぎすてる化け物の団体であるから、むろん常規常道をもって律するわけにはいかん。何をしたってかまわない。肺の所に胃が陣取って、和唐内が清和源氏になって、民さんが不信用でもよかろう。しかしひとたび流しを出て板の間に上がれば、もう化け物ではない。普通の人類の生息する娑《しや》婆《ば》へ出たのだ、文明に必要なる着物を着るのだ、したがって人間らしい行動をとらなければならんはずである。今主人が踏んでいる所は敷居である。流しと板の間の境にある敷居の上であって、当人はこれから歓《かん》言《げん》愉《ゆ》色《しよく》、円《えん》転《てん》滑《かつ》脱《だつ》の世界に逆もどりをしようという間《ま》ぎわである。その間ぎわですらかくのごとく頑固であるなら、この頑固は本人にとって牢《ろう》として抜くべからざる病気に相違ない。病気なら容易に矯《きよう》正《せい》することはできまい。この病気をなおす方法は愚考によるとただ一つある。校長に依頼して免職してもらうことすなわちこれなり。免職になれば融通のきかぬ主人のことだからきっと路頭に迷うにきまってる。路頭に迷う結果はのたれ死にをしなければならない。換言すると免職は主人にとって死の遠因になるのである。主人は好んで病気をして喜んでいるけれど、死ぬのは大きらいである。死なない程度において病気という一種のぜいたくがしていたいのである。それだからそんなに病気をしていると殺すぞとおどかせば臆《おく》病《びよう》なる主人のことだからびりびりとふるえ上がるに相違ない。このふるえ上がる時に病気はきれいに落ちるだろうと思う。それでも落ちなければそれまでのことさ。
いかにばかでも病気でも主人に変わりはない。一《いつ》飯《ぱん》君恩を重んずという詩人もあることだから猫だって主人の身の上を思わないことはあるまい。気の毒だという念が胸いっぱいになったため、ついそちらに気が取られて、流しの方の観察を怠っていると、突然白い湯《ゆ》槽《ぶね》の方面に向かって口々にののしる声が聞こえる。ここにもけんかが起こったのかと振り向くと、狭い柘榴《ざくろ》口《ぐち》に一寸の余地もないくらいに化け物が取りついて、毛のある脛《すね》と、毛のない股《また》と入り乱れて動いている。おりから初《はつ》秋《あき》の日は暮るるになんなんとして流しの上は天井まで一面の湯げが立てこめる。かの化け物のひしめくさまがその問から朦《もう》朧《ろう》と見える。熱い熱いと言う声が吾輩の耳を貫ぬいて左右へ抜けるように頭の中で乱れ合う。その声には黄なのも、青いのも、赤いのも、黒いのもあるが互いにかさなりかかって一種名状すべからざる音響を浴場内にみなぎらす。ただ混雑と迷乱とを形容するに適した声というのみで、ほかにはなんの役にも立たない声である。吾輩は茫《ぼう》然《ぜん》としてこの光景に魅《み》入《い》られたばかり立ちすくんでいた。やがてわーわーという声が混乱の極度に達して、これよりはもう一歩も進めぬという点まで張り詰められた時、突然むちゃくちゃに押し寄せ押し返している群れの中から一大長漢がぬっと立ち上がった。彼の身の丈《たけ》を見るとほかの先生がたよりはたしかに三寸ぐらいは高い。のみならず顔から髯《ひげ》がはえているのか髯の中に顔が同居しているのかわからない赤つらをそり返して、日盛りに割れ鐘をつくような声を出して「うめろうめろ、熱い熱い」と叫ぶ。この声とこの顔ばかりは、かの紛々ともつれ合う群衆の上に高く傑出して、その瞬間には浴場全体がこの男一人になったと思わるるほどである。超人だ。ニーチェのいわゆる超人だ。魔中の大王だ。化け物の頭《とう》梁《りよう》だ。と思って見ていると湯槽の後ろでおーいと答えた者がある。おやとまたもそちらに眸をそらすと、暗《あん》澹《たん》として物《ぶつ》色《しよく》もできぬ中に、例のちゃんちゃん姿の三助が砕けよと一《ひと》塊《かたま》りの石炭を竃《かまど》の中に投げ入れるのが見えた。竈のふたをくぐって、この塊りがぱちぱちと鳴る時に、三助の半面がぱっと明るくなる。同時に三助の後ろにある煉《れん》瓦《が》の壁が闇《やみ》を通して燃えるごとく光った。吾輩は少々物すごくなったから早々窓から飛びおりて家に帰る。帰りながらも考えた。羽織を脱ぎ、猿股を脱ぎ、袴を脱いで平等になろうとつとめる赤裸々の中には、また赤裸々の豪傑が出て来て他の群小を圧倒してしまう。平等はいくらはだかになったって得られるものではない。
帰ってみると天下は太平なもので、主人は湯上がりの顔をテラテラ光らして晩《ばん》餐《さん》を食っている。吾輩が縁側から上がるのを見て、のんきな猫だなあ、今ごろどこを歩いているんだろうと言った。膳《ぜん》の上を見ると、銭《ぜに》のないくせに二、三品《ぴん》おかずをならべている。そのうちに肴《さかな》の焼いたのが一ぴきある。これはなんと称する魚か知らんが、なんでもきのうあたり御《お》台《だい》場《ば》近辺でやられたに相違ない。肴は丈夫なものだと説明しておいたが、いくら丈夫でもこう焼かれたり煮られたりしてはたまらん。多病にして残《ざん》喘《ぜん》を保つほうがよほど結構だ。こう考えて膳のそばにすわって、すきがあったら何か頂戴しようと、見るごとく見ざるごとく装《よそお》っていた。こんな装い方を知らない者はとうていうまい肴は食えないとあきらめなければいけない。主人は肴をちょっと突っついたが、うまくないという顔つきをして箸《はし》を置いた。正面に控えたる細君はこれまた無言のまま箸を上下に運動する様子、主人の両《りよう》顎《がく》の離《り》合《ごう》開《かい》闔《こう》の具合を熱心に研究している。
「おい、その猫の頭をちょっとぶってみろ」と主人は突然細君に請求した。
「ぶてば、どうするんですか」
「どうしてもいいからちょっとぶってみろ」
こうですかと細君は平手で吾輩の頭をちょっとたたく。痛くもなんともない。
「鳴かんじゃないか」
「ええ」
「もう一ぺんやってみろ」
「なんべんやったって同じことじゃありませんか」と細君また平手でぽかと参る。やはりなんともないから、じっとしていた。しかしそのなんのためたるやは知慮深き吾輩にはとんと了解しがたい。これが了解できれば、どうかこうか方法もあろうがただぶってみろだから、ぶつ細君も困るし、ぶたれる吾輩も困る。主人は三度まで思いどおりにならんので、少々じれぎみで「おい、ちょっと鳴くようにぶってみろ」と言った。
細君はめんどうな顔つきで「鳴かしてなんになさるんですか」と問いながら、またぴしゃりとおいでになった。こう先方の目的がわかればわけはない、鳴いてさえやれば主人を満足させることはできるのだ。主人はかくのごとく愚《ぐ》物《ぶつ》だからいやになる。鳴かせるためなら、ためと早く言えば二へんも三べんもよけいな手数はしなくても済むし、吾輩も一度で放免になることを二度も三度も繰り返される必要はないのだ。ただぶってみろという命令は、ぶつことそれ自身を目的とする場合のほかに用うべきものではない。ぶつのは向こうのこと、鳴くのはこっちのことだ。鳴くことを初めから予期してかかって、ただぶつという命令のうちに、こっちの随意たるべき鳴くことさえ含まってるように考えるのは失敬千万だ。他人の人格を重んぜんというものだ。猫をばかにしている。主人の蛇《だ》蝎《かつ》のごとくきらう金田君ならやりそうなことだが、赤裸々をもって誇る主人としてはすこぶる卑劣である。しかしじつのところ主人はこれほどけちな男ではないのである。だから主人のこの命令は狡《こう》猾《かつ》の極に出《い》でたのではない。つまり知恵の足りないところからわいた孑《ぼう》孑《ふら》のようなものと思《し》惟《い》する。飯を食えば腹が張るにきまっている。切れば血が出るにきまっている。殺せば死ぬにきまっている。それだからぶてば鳴くにきまっていると速断をやったんだろう。しかしそれはお気の毒だが少し論理に合わない。その格でゆくと川へ落ちれば必ず死ぬことになる。天ぷらを食えは必ず下《げ》痢《り》することになる。月給をもらえば必ず出勤することになる。書物を読めば必ずえらくなることになる。必ずそうなっては少し困る人ができてくる。ぶてば必ず鳴かなければならんとなると吾輩は迷惑である。目《め》白《じろ》の時の鐘《*》と同一に見なされては猫と生まれたかいがない。まず腹の中でこれだけ主人をへこましておいて、しかるのちにゃーと注文どおり鳴いてやった。
すると主人は細君に向かって「今鳴いた、にゃあという声は間投詞か、副詞かなんだか知ってるか」と聞いた。
細君はあまり突然な問いなので、なんにも言わない。じつをいうと吾輩もこれは銭湯の逆上がまださめないためだろうと思ったくらいだ。元来この主人は近所合《がつ》壁《ぺき》有名な変人で現にある人はたしかに神経病だとまで断言したくらいである。ところが主人の自信はえらいもので、おれが神経病じゃない、世の中のやつが神経病だとがんばっている。近辺の者が主人を犬々と呼ぶと、主人は公平を維持するため必要だとか号して彼らを豚々と呼ぶ。じっさい主人はどこまでも公平を維持するつもりらしい。困ったものだ。こういう男だからこんな奇問を細君に向かって呈出するのも、主人にとっては朝めし前の小事件かもしれないが、聞くほうから言わせるとちょっと神経病に近い人の言いそうなことだ。だから細君は煙《けむ》に巻かれた気味でなんとも言わない。吾輩はむろん何とも答えようがない。すると主人はたちまち大きな声で
「おい」と呼びかけた。
細君はびっくりして「はい」と答えた。
「そのはいは間投詞か副詞か、どっちだ」
「どっちですか、そんなばかげたことはどうでもいいじゃありませんか」
「いいものか、これが現に国語家の頭脳を支配している大間題だ」
「あらまあ猫の鳴き声がですか、いやなことねえ。だって、猫の鳴き声は日本語じゃあないじゃありませんか」
「それだからさ。それがむずかしい問題なんだよ。比較研究というんだ」
「そう」と細君は利口だから、こんなばかな問題には関係しない。「それで、どっちだかわかったんですか」
「重要な問題だからそう急にはわからんさ」と例の肴《さかな》をむしゃむしゃ食う。ついでにその隣りにある豚と芋のにころばしを食う。「これは豚だな」「ええ豚でござんす」「ふん」と大《だい》軽《けい》蔑《べつ》の調子をもって飲み込んだ。「酒をもう一杯飲もう」と杯を出す。
「今夜はなかなかあがるのね。もうだいぶ赤くなっていらっしゃいますよ」
「飲むとも。――お前世界でいちばん長い字を知ってるか」
「ええ、前《さき》の関《かん》白《ぱく》太《だ》政《じよう》大《だい》臣《じん*》でしょう」
「それは名前だ。長い字を知ってるか」
「字って横文字ですか」
「うん」
「知らないわ、――お酒はもういいでしょう、これで御飯になさいな、ねえ」
「いや、まだ飲む。いちばん長い字を教えてやろうか」
「ええ。そうしたら御飯ですよ」
「 Archaiomelesidonophrunicherata《*》 という字だ」
「でたらめでしょう」
「でたらめなものか、ギリシア語だ」
「なんという字なの、日本語にすれば」
「意味は知らん。ただ綴《つづ》りだけ知ってるんだ。長く書くと六寸三分ぐらいにかける」
他人なら酒の上で言うべきことを、正気で言っているところがすこぶる奇観である。もっとも今夜に限って酒をむやみに飲む。平生なら猪口《ちよこ》に二杯ときめているのを、もう四杯飲んだ。二杯でもずいぶん赤くなるところを倍飲んだのだから顔が焼け火《ひ》箸《ばし》のようにほてって、さも苦しそうだ。それでもまだやめない。「もう一杯」と出す。細君はあまりのことに、
「もうおよしになったら、いいでしょう。苦しいばかりですわ」とにがにがしい顔をする。
「なに苦しくってもこれから少しけいこするんだ。大《おお》町《まち》桂《けい》月《げつ》が飲めと言った」
「桂月ってなんです」さすがの桂月も細君にあっては一《いち》文《もん》の価値もない。
「柱月は現今一流の批評家だ。それが飲めと言うのだからいいにきまっているさ」
「ばかをおっしゃい。桂月だって、梅《ばい》月《げつ》だって、苦しい思いをして酒を飲めなんて、よけいなことですわ」
「酒ばかりじゃない。交際をして、道楽をして、旅行をしろといった」
「なお悪いじゃありませんか。そんな人が第一流の批評家なの。まああきれた。妻子のある者に道楽をすすめるなんて……」
「道楽もいいさ。桂月がすすめなくっても金さえあればやるかもしれない」
「なくってしあわせだわ。今から道楽なんぞ始められらちゃたいへんですよ」
「たいへんだと言うならよしてやるから、そのかわりもう少し夫をだいじにして、そうして晩に、もっとごちそうを食わせろ」
「これが精いっぱいのところですよ」
「そうかしらん。それじゃ道楽は追って金がはいり次第やることにして、今夜はこれでやめよう」と飯茶わんを出す。なんでも茶づけを三ぜん食ったようだ。吾輩はその夜豚肉三切れと塩焼きの頭を頂戴した。
八
垣《かき》巡《めぐ》りという運動を説明した時に、主人の庭を結《ゆ》いめぐらしてある竹垣のことをちょっと述べたつもりであるが、この竹垣の外がすぐ隣家、すなわち南隣の次《じ》郎《ろ》ちゃんとこと思っては誤解である。家賃は安いがそこは苦《く》沙《しや》弥《み》先生である。与《よ》っちゃんや次郎ちゃんなどと号する、いわゆるちゃんづきの連《れん》中《じゆう》と、薄っぺらな垣一《ひと》重《え》を隔ててお隣りどうしの親密なる交際は結んでおらぬ。この垣の外は五、六間のあき地であって、その尽くる所に檜《ひのき》がこんもりと五、六本並んでいる。縁《えん》側《がわ》から拝見すると、向こうは茂った森で、ここに住む先生は野《の》中《なか》の一軒家に、無名の猫を友にして日《じつ》月《げつ》を送る江《こう》湖《こ》の処《しよ》士《し*》であるかのごとき感がある。ただし檜の枝は吹《ふい》聴《ちよう》するごとく密生しておらんので、そのあいだから群《ぐん》鶴《かく》館《かん》という、名前だけ立《りつ》派《ぱ》な安《やす》下《げし》宿《ゆく》の安屋根が遠慮なく見えるから、しかく先生を想像するのにはよほど骨の折れるのはむろんである。しかしこの下宿が群鶴館なら先生の居はたしかに臥《がり》竜《よう》窟《くつ》ぐらいな価値はある。名前に税はかからんからお互いにえらそうなやつをかって次第につけることとして、この幅五、六間のあき地が竹垣を添うて東西に走ること約十間、それから、たちまちかぎの手に屈曲して、臥竜窟の北面を取り囲んでいる。この北面が騒動の種《たね》である。本来ならあき地を行き尽くしてまたあき地、とかなんとかいばってもいいくらいに家の二《ふた》側《かわ》を包んでいるのだが、臥竜窟の主人はむろん窟《くつ》内《ない》の霊《れい》猫《びよう》たる吾《わが》輩《はい》すらこのあき地には手こずっている。南側に檜が幅をきかしているごとく、北側には桐《きり》の木が七、八本行列している。もう周囲一尺ぐらいにのびているから下《げ》駄《た》屋《や》さえ連れてくればいい価《ね》になるんだが、借家の悲しさには、いくら気がついても実行はできん。主人に対しても気の毒である。せんだって学校の小使が来て枝を一本切って行ったが、その次に来た時は新しい桐の俎《まな》下《いた》駄《げた》をはいて、このあいだの枝でこしらえましたと、聞きもせんのに吹聴していた。ずるいやつだ。桐はあるが吾輩および主人家族にとっては一文《もん》にもならない桐である。玉を抱《いだ》いて罪あり《*》という古語があるそうだが、これは桐を生《は》やして銭《ぜに》なしといってもしかるべきもので、いわゆる宝の持ち腐れである。愚なるものは主人にあらず、吾輩にあらず、家《や》主《ぬし》の伝《でん》兵《べ》衛《え》である。いないかな、いないかな、下駄屋はいないかなと桐のほうで催促しているのに知らん面《かお》をして屋賃ばかり取り立てにくる。吾輩はべつに伝兵衛に恨みもないから彼の悪《あつ》口《こう》をこのくらいにして、本題にもどってこのあき地が騒動の種であるという珍談を紹介つかまつるが、けっして主人に言ってはいけない。これぎりの話である。そもそもこのあき地に関して第一の不都合なることは垣根のないことである。吹き払い、吹き通し、抜け裏、通行御免天下晴れてのあき地である。あるというとうそをつくようでよろしくない。じつをいうとあったのである。しかし話は過去へさかのぼらんと原因がわからない。原因がわからないと、医者でも処方に迷惑する。だからここへ引き越して来た当時からゆっくりと話し始める。吹き通しも夏はせいせいして心持ちがいいものだ。不用心だって金のない所に盗難のあるはずはない。だから主人の家に、あらゆる塀《へい》、垣、ないしは乱《らん》杭《ぐい》、逆《さか》茂《も》木《ぎ》の類《たぐい》は全く不要である。しかしながらこれはあき地の向こうに住居する人間もしくは動物の種類いかんによって決せらるる問題であろうと思う。したがってこの問題を決するためには勢い向こう側に陣取っている君《くん》子《し》の性質を明らかにせんければならん。人間だか動物だかわからない先に君子と称するのははなはだ早計のようではあるがたいてい君子で間違いはない。梁《りよう》上《じよう》の君子《*》などといって泥《どろ》棒《ぼう》さえ君子という世の中である。ただしこの場合における君子はけっして警察の厄《やつ》介《かい》になるような君子ではない。警察の厄介にならない代わりに、数でこなしたものとみえてたくさんいる。うじゃうじゃいる。落《らく》雲《うん》館《かん》と称する私立の中学校――八百の君子をいやが上に君子に養成するために毎《まい》月《つき》二円の月謝を徴集する学校である。名前が落雲館だから風流な君子ばかりかと思うと、それがそもそもの間違いになる。その信用すべからざることは群鶴館に鶴《つる》のおりざるごとく、臥竜窟に猫がいるようなものである。学士とか教師とか号するものに主人苫沙弥君のごとき気違いのあることを知った以上は落雲館の君子が風流漢ばかりでないということがわかるわけだ。それがわからんと主張するならまず三日ばかり主人のうちへ泊まりに来てみるがいい。
前《ぜん》申すごとく、ここへ引っ越しの当時は、例のあき地に垣がないので、落雲館の君子は車屋の黒のごとく、のそのそと桐《きり》畑《ばたけ》にはいり込んできて、話をする、弁当を食う、笹《ささ》の上に寝ころぶ――いろいろのことをやったものだ。それからは弁当の死《し》骸《がい》すなわち竹の皮、古新聞、あるいは古《ふる》草《ぞう》履《り》、古《ふる》下《げ》駄《た》、ふるという名のつくものを大概ここへ捨てたようだ。無《む》頓《とん》着《じやく》なる主人は存外平気に構えて、べつだん抗議も申し込まずに打ち過ぎたのは、知らなかったのか、知ってもとがめんつもりであったのかわからない。ところが彼ら諸君子は学校で教育を受くるに従って、だんだん君子らしくなったものとみえて、次第に北側から南側の方面へ向けて蚕《さん》食《しよく》を企ててきた。蚕食という語が君子に不似合いならやめてもよろしい。ただしほかに言葉がないのである。彼らは水《すい》草《そう》を追うて居《きよ》を変ずる沙《さ》漠《ばく》の住民のごとく、桐の木を去って檜の方に進んで来た。檜のある所は座敷の正面である。よほど大胆なる君子でなければこれほどの行動は取れんはずである。一両日ののち彼らの大胆はさらにいっそうの大を加えて大々胆となった。教育の結果ほど恐ろしいものはない。彼らはたんに座敷の正面に迫るのみならず、この正面において歌をうたいだした。なんという歌か忘れてしまったが、けっして三《み》十《そ》一《ひと》文《も》字《じ》のたぐいではない、もっと活発で、もっと俗《ぞく》耳《じ》に入りやすい歌であった。驚いたのは主人ばかりではない、吾輩までも彼ら君子の才芸に嘆服して覚えず耳を傾けたくらいである。しかし読者も御案内であろうが、嘆服ということと邪魔ということは時として両立する場合がある。この両者がこの際図らずも合して一となったのは、今から考えてみてもかえすがえす残念である。主人も残念であったろうが、やむをえず書斎から飛び出して行って、ここは君らのはいる所ではない、出たまえと言って、二、三度追い出したようだ。ところが教育のある君子のことだから、こんなことでおとなしく聞くわけがない。追い出されればすぐはいる。はいれば活発なる歌をうたう。高《こう》声《せい》に談話をする。しかも君子の談話だから一風違って、おめえだの知らねえのと言う。そんな言葉は御《ご》維《いつ》新《しん》前《まえ》は折《おり》助《すけ》と雲助と三助の専門的知識に属していたそうだが、二十世紀になってから教育ある君子の学ぶ唯一の言語であるそうだ。一般から軽蔑せられたる運動が、かくのごとく今日歓迎せらるるようになったのと同一の現象だと説明した人がある。主人はまた書斎から飛び出してこの君子流の言葉に最も堪《かん》能《のう》なる一人を捉《つら》まえて、なぜここへはいるかと詰問したら、君子はたちまち「おめえ、知らねえ」の上品な言葉を忘れて「ここは学校の植物園かと思いました」とすこぶる下品な言葉で答えた。主人は将来を戒めて放してやった。放してやるのは亀《かめ》の子のようでおかしいが、じっさい彼は君子の袖《そで》をとらえて談判したのである。このくらいやかましく言ったらもうよかろうと主人は思っていたそうだ。ところが実際は女《じよ》〓《か》氏《し*》の時代から予期と違うもので、主人はまた失敗した。今度は北側から邸内を横断して表門から抜ける、表門をがらりとあけるからお客かと思うと桐畑の方で笑う声がする。形勢はますます不《ふ》穏《おん》である。教育の効果はいよいよ顕著になってくる。気の毒な主人はこいつは手に合わんと、それから書斎へ立てこもって、うやうやしく一書を落雲館校長に奉って、少々お取り締まりをと哀願した。校長も鄭《てい》重《ちよう》なる返書を主人に送って、垣をするから待ってくれと言った。しばらくすると二、三人の職人が来て半日ばかりのあいだに主人の屋敷と、落雲館の境に、高さ三尺ばかりの四つ目垣ができあがった。これでようよう安心だと主人は喜んだ。主人は愚物である。このくらいのことで君子の挙動の変化するわけがない。
ぜんたい人にからかうのはおもしろいものである。吾輩のような猫ですら、時々は当家の令嬢にからかって遊ぶくらいだから、落雲館の君子が、気のきかない苦沙弥先生にからかうのはしごくもっともなところで、これに不平なのはおそらく、からかわれる当人だけであろう。からかうという心理を解剖してみると二つの要素がある。第一からかわれる当人が平気ですましていてはならん。第二からかう者が勢力において人《にん》数《ず》において相手より強くなくてはいかん。このあいだ主人が動物園から帰って来てしきりに感心して話したことがある。聞いてみると駱《らく》駝《だ》と小犬のけんかを見たのだそうだ。小犬が駱駝の周囲を疾《しつ》風《ぷう》のごとく回転してほえ立てると、駱駝はなんの気もつかずに、依然として背中へ瘤《こぶ》をこしらえて突っ立ったままであるそうだ。いくらほえても狂っても相子にせんので、しまいには犬も愛《あい》想《そ》をつかしてやめる、じつに駱駝は無神経だと笑っていたが、それがこの場合の適例である。いくらからかうものが上《じよ》手《うず》でも相手が駱駝ときては成立しない。さればといって獅《し》子《し》や虎《とら》のように先方が強すぎてもものにならん。からかいかけるや否や八つ裂きにされてしまう。からかうと歯をむき出しておこる、おこることはおこるが、こっちをどうすることもできないという安心のある時に愉快は非常に多いものである。なぜこんなことがおもしろいというとその理由はいろいろある。まずひまつぶしに適している。退屈な時には髯《ひげ》の数さえ勘《かん》定《じよう》してみたくなるものだ。昔獄に投ぜられた囚人の一人は無《ぶり》聊《よう》のあまり、房《へや》の壁に三角形を重ねてかいてその日を暮らしたという話がある。世の中に退屈ほど我慢のできにくいものはない、何か活気を刺激する事件がないと生きているのがつらいものだ。からかうというのもつまりこの刺激を作って遊ぶ一種の娯楽である。ただし多少先方をおこらせるか、じらせるか、弱らせるかしなくては刺激にならんから、昔からからかうという娯楽にふける者は人の気を知らないばか大《だい》名《みよう》のような退屈の多い者、もしくは自分のなぐさみ以外は考うるに暇《いとま》なきほど頭の発達が幼稚で、しかも活気の使い道に窮する少年かに限っている。次には自己の優勢なことを実地に証明する者には最も簡便な方法である。人を殺したり、人を傷つけたり、または人をおとしいれたりしても自己の優勢なことは証明できるわけであるが、これらはむしろ殺したり、傷つけたり、おとしいれたりするのが目的の時によるべき手段で、自己の優勢なることはこの手段を遂行したのちに必然の結果として起こる現象にすぎん。だから一方には自分の勢力が示したくって、しかもそんなに人に害を与えたくないという場合には、からかうのがいちばんお恰《かつ》好《こう》である。多少人を傷つけなければ自己のえらいことは事実の上に証拠だてられない。事実になってでてこないと、頭のうちで安心していても存外快楽のうすいものである。人間は自己をたのむものである。否たのみがたい場合でもたのみたいものである。それだから自己はこれだけたのめる者だ、これなら安心だということを、人に対して実地に応用してみないと気がすまない。しかも理《り》窟《くつ》のわからない俗物や、あまり自己がたのみになりそうもなくて落ち付きのない者は、あらゆる機会を利用して、この証券を握ろうとする。柔術使いが時々人を投げてみたくなるのと同じことである。柔術の怪しいものは、どうか自分より弱いやつに、ただの一ぺんでいいから出会ってみたい、素《しろ》人《うと》でもかまわないから投げてみたいとしごく危険な了見をいだいて町内を歩くのもこれがためである。その他にも理由はいろいろあるが、あまり長くなるから略することにいたす。聞きたければ鰹《かつ》節《ぶし》の一《ひと》折《おり》も持って習いに来るがいい、いつでも教えてやる。以上に説くところを参考して推論してみると、吾輩の考えでは奥《おく》山《やま*》の猿《さる》と、学校の教師がからからうはいちばん手ごろである。学校の教師をもって、奥山の猿に比較してはもったいない。――猿に対してもったいないのではない、教師に対してもったいないのである。しかしよく似ているからしかたがない、御承知のとおり奥山の猿は鎖でつながれておる。いくら歯をむき出しても、きゃっきゃっ騒いでも引っかかれる気づかいはない。教師は鎖でつながれておらない代わりに月給で縛られている。いくらからかったって大丈夫、辞職して生徒をぶんなぐることはない。辞職をする勇気のあるような者なら最初から教師などをして生徒のお守《も》りは勤めないはずである。主人は教師である。落雲館の教師ではないが、やはり教師に相違ない。からかうにはしごく適当で、しごく安直で、しごく無事な男である。落雲館の生徒は少年である。からかうことは自己の鼻を高くするゆえんで、教育の効果として至当に要求してしかるべき権利とまで心得ている。のみならずからかいでもしなければ、活気にみちた五体と頭脳を、いかに使用してしかるべきか十《じつ》分《ぷん》の休暇中もて余して困っている連《れん》中《じゆう》である。これらの条件が備われば主人はおのずからからかわれ、生徒はおのずからからかう、だれからいわしてもごうも無理のないところである。それをおこる主人は野《や》暮《ぼ》の極、間抜けの骨頂でしょう。これから落雲館の生徒がいかに主人にからかったか、これに対して主人がいかに野暮をきわめたかを逐一書いて御覧に入れる。
諸君は四つ目《め》垣《がき》とはいかなるものであるか御承知であろう。風通しのいい、簡便な垣である。吾輩などは目のあいだから自由自在に往来することができる。こしらえたって、こしらえなくたって同じことだ。しかし落雲館の校長は猫のために四つ目垣を作ったのではない、自分が養成する君子がくぐられんために、わざわざ職人を入れて結《ゆ》いめぐらせたのである。なるほどいくら風通しがよくできていても、人間にはくぐれそうにない。この竹をもって組み合わせたる四寸角の穴をぬけることは、清《しん》国《こく》の奇術師張《ちよう》世《せい》尊《そん》その人といえどもむずかしい。だから人間に対しては十分垣の効能をつくしているに相違ない。主人がそのできあがったのを見て、これならよかろうと喜んだのも無理はない。しかし主人の論理には大いなる穴がある。この垣よりも大いなる穴がある。呑《どん》舟《しゆう》の魚をももらすべき大穴がある。彼は垣は踰《こ》ゆべきものにあらずとの仮定から出《しゆつ》立《たつ》している。いやしくも学校の生徒たる以上はいかに粗末の垣でも、垣という名がついて、分界線の区域さえ判然すればけっして乱入される気づかいはないと仮定したのである。次に彼はその仮定をしばらく打ちくずして、よし乱入する者があっても大丈夫と論断したのである。四つ目垣の穴をくぐりうることは、いかなる小僧といえどもとうていできる気づかいはないから乱入のおそれはけっしてないと速定してしまったのである。なるほど彼らが猫でない限りはこの四角の目をぬけてくることはしまい、したくてもできまいが、乗りこえること、飛び越えることはなんのこともない。かえって運動になっておもしろいくらいである。
垣ができた翌日から、垣のできぬ前と同様に彼らは北側のあき地へぽかりぽかりと飛び込む。ただし座敷の正面までは深入りをしない。もし追いかけられたら逃げるのに、少々ひまがいるから、あらかじめ逃げる時間を勘定に入れて、捕えらるる危険のない所で遊《ゆう》弋《よく》をしている。彼らが何をしているか東の離れにいる主人にはむろん目に入らない。北側のあき地に彼らが遊弋している状態は、木戸をあけて反対の方角からかぎの手に曲がって見るか、または後《こう》架《か》の窓から垣根越しにながめるよりほかにしかたがない。窓からながめる時はどこに何がいるか、一《いち》目《もく》明《めい》瞭《りよう》に見渡すことができるが、よしや敵を幾《いく》人《たり》見いだしたからといって捕えるわけにはゆかぬ。ただ窓の格《こう》子《し》の中からしかりつけるばかりである。もし木戸から迂《う》回《かい》して敵地を突こうとすれば、足音を聞きつけて、ぽかりぽかりと捉《つら》まる前に向こう側へおりてしまう。オットセイがひなたぼっこをしている所へ密猟船が向かったようなものだ。主人はむろん後架で張り番をしているわけではない。といって木戸を開いて、音がしたらすぐ飛び出す用意もない。もしそんなことをやる日には教師を辞職して、そのほう専門にならなければ追っつかない。主《しゆ》人《じん》方《かた》の不利をいうと書斎からは敵の声だけ聞こえて姿が見えないのと、窓からは姿が見えるだけで手が出せないことである。この不利を看破したる敵はこんな軍略を講じた。主人が書斎に立てこもっていると探《たん》偵《てい》した時には、なるべく大きな声を出してわあわあ言う。その中には主人をひやかすようなことを聞こえよがしに述べる。しかもその声の出《しゆつ》所《しよ》をきわめて不分明にする。ちょっと聞くと垣の内で騒いでいるのか、あるいは向こう側であばれているのか判定しにくいようにする。もし主人が出かけて来たら、逃げ出すか、または初めから向こう側にいて知らん顔をする。また主人が後架へ――吾輩は最前からしきりに後架後架ときたない字を使用するのをべつだんの光栄とも思っておらん。じつは迷惑千万であるが、この戦争を記述する上において必要であるからやむをえない。――すなわち主人が後架へまかり越したと見て取る時は、必ず桐《きり》の木の付近を徘《はい》徊《かい》してわざと主人の目につくようにする。主人がもし後架から四《し》隣《りん》に響く大音をあげてどなりつければ敵はあわてるけしきもなく悠然と根拠地へ引きあげる。この軍略を用いられると主人ははなはだ困却する。たしかにはいっているなと思ってステッキを持って出かけると寂《せき》然《ぜん》としてだれもいない。いないかと思って窓からのぞくと必ず一、二人はいっている。主人は裏へ回ってみたり、後架からのぞいてみたり、後架からのぞいてみたり、裏へ回ってみたり、何度言っても同じことだが、何度言っても同じことを繰り返している。奔《ほん》命《めい》に疲れるとはこのことである。教師が職業であるか、戦争が本務であるかちょっとわからないくらい逆上してきた。この逆上の頂点に達した時に下《しも》の事件が起こったものである。
事件は大概逆上から出るものだ。逆上とは読んで字のごとくさかさに上《のぼ》るのである、この点に関してはゲーレン《*》もパラセルサス《*》も旧弊なる扁《へん》鵲《じやく》も異議を唱うる者は一《ひと》人《り》もない。ただどこへさかさに上るかが問題である。また何がさかさに上るかが議論のあるところである。古来欧州人の伝説によると、吾《ご》人《じん》の体内には四種の液が循《じゆん》環《かん》しておったそうだ。第一に怒液というやつがある。これがさかさに上るとおこりだす。第二に鈍液と名づくるのがある。これがさかさに上ると神経が鈍くなる。次には憂液、これは人間を陰気にする。最後が血液、これは四《し》肢《し》を壮《さか》んにする。その後人文が進むに従って鈍液、怒液、憂液はいつのまにかなくなって、現今に至っては血液だけが昔のように循環しているという話だ。だからもし逆上する者があらば血液よりほかにはあるまいと思われる。しかるにこの血液の分量は個人によってちゃんときまっている。性分によって多少の増減はあるが、まずたいてい一人《にん》前《まえ》につき五升五合の割合である。だによって、この五升五合がさかさに上《のぼ》ると、上った所だけはさかんに活動するが、その他の局部は欠乏を感じて冷たくなる。ちょうど交番焼き打ち《*》の当時巡査がことごとく警察署へ集まって、町内には一人もなくなったようなものだ。あれも医学上から診断をすると警察の逆上というものである。でこの逆上をいやすには血液を従前のごとく体内の各部へ平均に分配しなければならん。そうするにはさかさに上ったやつを下へおろさなくてはならん。その法にはいろいろある。今は故人となられたが主人の先君などはぬれ手ぬぐいを頭にあてて炬《こ》燵《たつ》にあたっておられたそうだ。頭《ず》寒《かん》足《そく》熱《ねつ》は延《えん》命《めい》息《そく》災《さい》の徴《ちよう》と傷《しよう》寒《かん》論《ろん*》にも出ているとおり、ぬれ手ぬぐいは長寿法において一日《じつ》も欠くべからざるものである。それでなければ坊主の慣用する手段を試みるがよい。一所不住の沙《しや》門《もん》雲《うん》水《すい》行《あん》脚《ぎや》の衲《のう》僧《そう》は必ず樹下石上を宿とすとある。樹下石上とは難《なん》行《ぎよ》苦《うく》行《ぎよう》のためではない。全くのぼせを下げるために六《ろく》祖《そ*》が米をつきながら考え出した秘法である。試みに石の上にすわってごらん、尻《しり》が冷えるのはあたりまえだろう。尻が冷える、のぼせが下がる、これまた自然の順序にしてごうもうたがいをさしはさむべき余地はない。かようにいろいろな方法を用いてのぼせを下げるくふうはだいぶ発明されたが、まだのぼせを引きおこす良法が案出されないのは残念である。一概に考えるとのぼせは損あって益なき現象であるが、そうばかり速断してならん場合がある。職業によると逆上はよほど大切なもので、逆上せんとなんにもできないことがある。そのうちで最も逆上を重んずるのは詩人である。詩人に逆上が必要なることは汽船に石炭が欠くべからざるようなもので、この供給が一日でもとぎれると彼らは手をこまぬいて飯を食うよりほかになんらの能もない凡人になってしまう。もっとも逆上は気違いの異《いみ》名《よう》で、気違いにならないと家業が立ちゆかんとあっては世間ていが悪いから、彼らの仲間では逆上を呼ぶに逆上の名をもってしない。申し合わせてインスピレーション、インスピレーションとさももったいそうにとなえている。これは彼らが世間を瞞《まん》着《ちやく》するために製造した名でそのじつはまさに逆上である。プレートーは彼らの肩を持ってこの種の逆上を神聖なる狂気と号したが、いくら神聖でも狂気では人が相手にしない。やはりインスピレーションという新発明の売薬のような名をつけておくほうが彼らのためによかろうと思う。しかし蒲《かま》鉾《ぼこ》の種《たね》が山《やま》芋《いも》であるごとく、観《かん》音《のん》の像が一寸八分の朽ち木であるごとく、鴨《かも》なんばんの材料が烏《からす》であるごとく、下宿屋の牛《ぎゆう》なべが馬肉であるごとくインスピレーションもじつは逆上である。逆上であってみれば臨時の気違いである。巣《す》鴨《がも*》へ入院せずにすむのはたんに臨時気違いであるからだ。ところがこの臨時気違いを製造することが困難なのである。一《いつ》生《しよう》涯《がい》の狂人はかえってできやすいが、筆を執《と》って紙に向かう間だけ気違いにするのは、いかに巧《こう》者《しや》な神様でもよほど骨が折れるとみえて、なかなかこしらえてみせない。神が作ってくれん以上は自《じ》力《りき》でこしらえなければならん。そこで昔から今日まで逆上術もまた逆上とりのけ術と同じく大いに学者の頭脳を悩ました。ある人はインスピレーションを得《う》るために毎日渋《しぶ》柿《がき》を十二個ずつ食った。これは渋柿を食えば便秘する、便秘すれば逆上は必ず起こるという理論からきたものだ。またある人はかん徳利を持って鉄《てつ》砲《ぽう》風《ぶ》呂《ろ》へ飛び込んだ。湯の中で酒を飲んだら逆上するにきまっていると考えたのである。その人の説によるとこれで成功しなければ葡《ぶ》萄《どう》酒《しゆ》の湯をわかしてはいれば一ぺんで効能があると信じ切っている。しかし金がないのでついに実行することができなくて死んでしまったのは気の毒である。最後に古人のまねをしたらインスピレーションが起こるだろうと思いついた者がある。これはある人の態度動作をまねると心的状態もその人に似てくるという学説を応用したのである。酔っぱらいのように管《くだ》をまいていると、いつのまにか酒飲みのような心持ちになる、坐《ざ》禅《ぜん》をして線香一本のあいだ我慢しているとどことなく坊主らしい気分になれる。だから昔からインスピレーションを受けた有名の大家の所《しよ》作《さ》をまねれば必ず逆上するに相違ない。聞くところによればユーゴーはヨットの上へ寝ころんで文章の趣向を考えたそうだから、船へ乗って青空を見つめていれば必ず逆上うけあいである。スチーヴンソンは腹ばいに寝て小説を書いたそうだから、うつぶしになって筆を持てばきっと血がさかさに上ってくる。かようにいろいろな人がいろいろのことを考え出したが、まだだれも成功しない。まず今日のところでは人為的逆上は不可能のこととなっている。残念だがいたしかたがない。早晩随意にインスピレーションを起こしうる時機の到来するは疑いもないことで、吾輩は人文のためにこの時機の一日《じつ》も早くきたらんことを切望するのである。
逆上の説明はこのぐらいで十分であろうと思うから、これよりいよいよ事件に取りかかる。しかしすべての大事件の前には必ず小事件が起こるものだ。大事件のみを述べて、小事件を逸するのは古来から歴史家の常に陥る弊《へい》竇《とう》である。主人の逆上も小事件に会うたびにいっそうの劇《げき》甚《じん》を加えて、ついに大事件を引き起こしたのであるからして、いくぶんかその発達を順序立てて述べないと主人がいかに逆上しているかわかりにくい。わかりにくいと主人の逆上は空名に帰して、世間からはよもやそれほどでもなかろうと見くびられるかもしれない。せっかく逆上しても人からあっぱれな逆上と謡《うた》われなくては張り合いがないだろう。これから述べる事件は大小にかかわらず主人にとって名誉なものではない。事件そのものが不名誉であるならば、せめて逆上なりとも、正《しよう》銘《めい》の逆上であって、けっして人に劣るものでないということを明らかにしておきたい。主人は他に対してべつにこれといって誇るに足る性質を有しておらん。逆上でも自慢しなくてはほかに骨を折って書き立ててやる種がない。
落雲館に群がる敵軍は近日に至って一種のダムダム弾を発明して、十《じつ》分《ぷん》の休暇、もしくは放課後に至ってさかんに北側のあき地に向かって砲火を浴びせかける。このダムダム弾は通称をボールととなえて、すりこ木の大きなやつをもって任意これを敵中に発射する仕掛けである。いくらダムダムだって落雲館の運動場から発射するのだから、書斎に立てこもってる主人に中《あた》る気づかいはない。敵といえども弾道のあまり遠すぎるのを自覚せんことはないのだけれども、そこが軍略である。旅《りよ》順《じゆん》の戦争にも海軍から間接射撃を行なって偉大な功を奏したという話であれば、あき地へころがり落つるボールといえども相当の効果を収めえぬことはない。いわんや一発を送るたびに総軍力を合わせてわーと威《い》嚇《かく》性《せい》大《だい》音《おん》声《じよう》をいだすにおいてをやである。主人は恐縮の結果として手足に通う血管が収縮せざるをえない。煩《はん》悶《もん》の極そこいらをまごついている血がさかさに上るはずである。敵の計《はかりごと》はなかなか巧妙というてよろしい。昔ギリシアにイスキラスという作家があったそうだ。この男は学者作家に共通なる頭を有していたという。吾輩のいわゆる学者作家に共通なる頭とははげという意味である。なぜ頭がはげるかといえば頭の営養不足で毛が生長するほど活気がないからに相違ない。学者作家は最も多く頭を使うものであって大概は貧乏にきまっている。だから学者作家の頭はみんな営養不足で、みんなはげている。さてイスキラスも作家であるから自然の勢いはげなくてはならん。彼はつるつる然たる金《きん》柑《かん》頭《あたま》を有しておった。ところがある日のこと、先生例の頭――頭によそゆきもふだん着もないから例の頭にきまってるが――その例の頭を振り立て振り立て、太陽に照らしつけて往来を歩いていた。これが間違いのもとである。はげ頭を日にあてて遠方から見ると、たいへんよく光るものだ。高い木には風があたる、光る頭にも何かあたらなくてはならん。この時イスキラスの頭の上に一羽の鷲《わし》が舞っていたが、見るとどこかでいけ捕った一ぴきの亀《かめ》を爪《つめ》の先につかんだままである。亀、すっぽんなどは美味に相違ないが、キリシア時代から堅い甲《こう》羅《ら》をつけている。いくら美味でも甲羅つきではどうすることもできん。海《え》老《び》の鬼がら焼きはあるが亀の子の甲《こう》羅《ら》煮《に》は今でさえないくらいだから、当時はむろんなかったにきまっている。さすがの鷲も少々持て余したおりから、はるかの下界にぴかと光ったものがある。その時鷲はしめたと思った。あの光ったものの上へ亀の子を落としたなら、甲羅はまさしく砕けるにきわまった。砕けたあとから舞いおりて中味を頂戴すればわけはない。そうだそうだとねらいを定めて、かの亀の子を高い所から挨《あい》拶《さつ》もなく頭の上へ落とした。あいにく作家の頭のほうが亀の甲よりやわらかであったものだから、はげはめちゃめちゃに砕けて有名なるイスキラスはここに無《む》惨《ざん》の最後を遂げた。それはそうと、解《げ》しかねるのは鷲の了見である。例の頭を、作家の頭と知って落としたのか、またははげ岩と間違えて落としたものか、解決しよう次第で、落雲館の敵とこの鷲とを比較することもできるし、またできなくもなる。主人の頭はイスキラスのそれのごとく、またお歴《れき》々《れき》の学者のごとくぴかぴか光ってはおらん。しかし六畳敷きにせよいやしくも書斎と号する一室を控えて、居眠りをしながらも、むずかしい書物の上へ顔をかざす以上は、学者作家の同類と見なさなければならん。そうすると主人の頭のはげておらんのは、まだはげるべき資格がないからで、そのうちにはげるだろうとは近《きん》々《きん》この頭の上に落ちかかるべき運命であろう。してみれば落雲館の生徒がこの頭を目がけて例のダムダム丸《がん》を集注するのは策の最も時宜に適したものといわねばならん。もし敵がこの行動を二週間継続するならば、主人の頭は畏《い》怖《ふ》と煩悶のため必ず営養の不足を訴えて、金柑とも薬《や》罐《かん》とも銅《どう》壺《こ》とも変化するだろう。なお二週間の砲撃を食らえば金柑はつぶれるに相違ない。薬罐は漏るに相違ない。銅壺ならひびが入るにきまっている。この見やすき結果を予想せんで、あくまでも敵と戦闘を継続しようと苦心するのは、ただ本人たる苦沙弥先生のみである。
ある日の午後、吾輩は例のごとく縁側へ出て午《ひる》睡《ね》をして虎《とら》になった夢を見ていた。主人に鶏《けい》肉《にく》を持ってこいと言うと、主人がへえと恐る恐る鶏肉を持って出る。迷《めい》亭《てい》が来たから、迷亭に雁《がん》が食いたい、雁なべ《*》へ行ってあつらえて来いと言うと、蕪《かぶ》の香《こう》の物と、塩せんべいといっしょに召し上がりますと雁の味がいたしますと例のごとくちゃらッぽこを言うから、大きな口をあいて、うーとうなっておどかしてやったら、迷亭は青くなって山《やま》下《した》の雁なべは廃業いたしましたがいかが取りはからいましょうかと言った。それなら牛肉で勘弁するから早く西《にし》川《かわ》へ行ってロースを一斤取って来い、早くせんときさまから食い殺すぞと言ったら、迷亭は尻《しり》をはしょって駆け出した。吾輩は急にからだが大きくなったので、縁側いっぱいに寝そべって、迷亭の帰るのを待ち受けていると、たちまち家《うち》じゅうに響く大きな声がしてせっかくの牛《ぎゆう》も食わぬ間《ま》に夢がさめて我に帰った。すると今まで恐る恐る吾輩の前に平伏していたと思いのほかの主人が、いきなり後架から飛び出して来て、吾輩の横《よこ》腹《ばら》をいやというほど蹴《け》たから、おやと思ううち、たちまち庭《にわ》下《げ》駄《た》をつっかけて木戸から回って、落雲館の方へかけて行く。吾輩は虎から急に猫と収縮したのだからなんとなくきまりが悪くもあり、おかしくもあったが、主人のこのけんまくと横腹をけられた痛さとで、虎のことはすぐ忘れてしまった。同時に主人がいよいよ出《しゆ》馬《つば》して敵と交戦するなおもしろいわいと、痛いのを我慢して、あとを慕って裏口へ出た。同時に主人がぬすっとうとどなる声が聞こえる、見ると制帽をつけた十八、九になる屈強なやつが一人、四つ目垣を向こうへ乗り越えつつある。やあおそかったと思ううち、かの制帽は駆け足の姿勢をとって根拠地の方へ韋《い》駄《だ》天《てん》のごとく逃げて行く。主人はぬすっとうが大いに成功したので、またもぬすっとうと高く叫びながら追いかけて行く。しかしかの敵に追いつくためには主人のほうで垣を越さなければならん。深人りをすれば主人みずからが泥棒になるはずである。前《ぜん》申すとおり主人は立派なる逆上家である。から勢いに乗じてぬすっとうを追いかける以上は、夫《ふう》子《し》自身がぬすっとうになっても追いかけるつもりとみえて、引き返すけしきもなく垣の根もとまで進んだ。今一歩で彼はぬすっとうの領分にはいらなければならんという間《ま》ぎわに、敵軍の中から、薄い髯《ひげ》を勢いなくはやした将官がのこのこと出馬して来た。両人《ふたり》は垣を境に何か談判している。聞いてみるとこんなつまらない議論である。
「あれは本校の生徒です」
「生徒たるべき者が、なんでひとの邸内へ侵入するのですか」
「いやボールがつい飛んだものですから」
「なぜ断わって、取りに来ないのですか」
「これからよく注意します」
「そんなら、よろしい」
竜《りゆ》騰《うと》虎《うこ》闘《とう》の壮観があるだろうと予期した交渉はかくのごとく散文的なる談判をもって無事に迅速に結了した。主人のさかんなるはただ意気込みだけである。いざとなると、いつでもこれでおしまいだ。あたかも吾輩が虎の夢から急に猫に返ったような観がある。吾輩の小事件というのはすなわちこれである。小事件を記述したあとには、順序としてぜひ大事件を話さなければならん。
主人は座敷の障子を開いて腹ばいになって、何か思案している。おそらく敵に対して防《ぼう》禦《ぎよ》策《さく》を講じているのだろう。落雲館は授業中とみえて、運動場は存外静かである。ただ校舎の一室で、倫《りん》理《り》の講義をしているのが手に取るように聞こえる。朗々たる音声でなかなかうまく述べたてているのを聞くと、全くきのう敵中から出馬して談判の衝《しよう》に当たった将軍である。
「……で公徳というものは大切なことで、あちらへ行ってみると、フランスでもドイツでもイギリスでも、どこへ行っても、この公徳の行なわれておらん国はない。またどんな下等な者でもこの公徳を重んぜぬ者はない。悲しいかな、わが日本にあっては、またこの点において外国と拮《きつ》抗《こう》することができんのである。で公徳と申すと何か新しく外国から輸入して来たように考える諸君もあるかもしれんが、そう思うのは大《だい》なる誤りで、昔《せき》人《じん》も夫《ふう》子《し》の道一もってこれをつらぬく、忠《ちゆう》恕《じよ》のみ矣《い*》と言われたことがある。この恕と申すのが取りも直さず公徳の出《しゆつ》所《しよ》である。わたしも人間であるから時には大きな声をして歌などうたってみたくなることがある。しかしわたしが勉強している時に隣室の者などが放歌するのを聞くと、どうしても書物の読めぬのが私の性分である。であるからして自分が唐詩選でも高《こう》声《せい》に吟じたら気分がせいせいしてよかろうと思う時ですら、もし自分のように迷惑がる人が隣家に住んでおって、知らず知らずその人の邪魔をするようなことがあってはすまんと思うて、そういう時はいつでも控えるのである。こういうわけだから諸君もなるべく公徳を守って、いやしくも人の妨害になると思うことはけっしてやってはならんのである。……」
主人は耳を傾けて、この講話を謹聴していたが、ここに至ってにやりと笑った。ちょっとこのにやりの意味を説明する必要がある。皮肉家がこれをよんだらこのにやりの裏には冷評的分子が交じっていると思うだろう。しかし主人はけっして、そんな人の悪い男ではない。悪いというよりそんなに知恵の発達した男ではない。主人はなぜ笑ったかというと全くうれしくって笑ったのである。倫理の教師たる者がかように痛切なる訓戒を与えるからはこののちは永久ダムダム弾の乱射は免れるに相違ない。当分のうち頭もはげずにすむ、逆上は一時に直らんでも時機さえくれば漸次回復するだろう、ぬれ手ぬぐいをいただいて、炬《こ》燵《たつ》にあたらなくとも、樹下石上を宿としなくとも大丈夫だろうと鑑定したから、にやにやと笑ったのである。借金は必ず返すものと二十世紀の今日にもやはり正直に考えるほどの主人がこの講話をまじめに聞くのは当然であろう。
やがて時間が来たとみえて、講話はぱたりとやんだ。他の教室の課業も皆一度に終わった。すると今まで室内に密封された八百の同勢は鬨《とき》の声をあげて、建物を飛び出した。その勢いというものは、一尺ほどな蜂《はち》の巣《す》をたたき落としたごとくである。ぶんぶん、わんわん言うて窓から、戸口から、開きから、いやしくも穴のあいている所ならなんの容赦もなく我勝ちに飛び出した。これが大事件の発《ほつ》端《たん》である。
まず蜂の陣立てから説明する。こんな戦争に陣立ても何もあるものかというのは間違っている。普通の人は戦争とさえいえば沙《しや》河《か》とか奉《ほう》天《てん》とかまた旅順とかそのほかに戦争はないもののごとくに考えている。少し詩がかった野蛮人になると、アキリスがへクトーの死《し》骸《がい》を引きずって《*》、トロイの城壁を三《さん》匝《そう》したとか、燕《えん》人《びと》張《ちよ》飛《うひ》が長《ちよう》坂《はん》橋《きよう》に丈《じよう》八《はち》の蛇《だ》矛《ぼう》を横たえて、曹《そう》操《そう》の軍百万人をにらめ返した《*》とか大げさなことばかり連想する。連想は当人の随意だがそれ以外の戦争はないものと心得るのは不都合だ。太《たい》古《こ》蒙《もう》昧《まい》の時代にあってこそ、そんなばかげた戦争も行なわれたかもしれん、しかし太平の今日、大日本国帝都の中心においてかくのごとき野蛮的行動はありうべからざる奇蹟に属している。いかに騒動が持ち上がっても交番の焼き打ち以上に出る気づかいはない。してみると臥《がり》竜《よう》窟《くつ》主《しゆ》人《じん》の苦沙弥先生と落雲館裏八百の健児との戦争は、まず東京市あって以来の大戦争の一として数えてもしかるべきものだ。左《さ》氏《し*》が〓《えん》陵《りよう》の戦いを記するに当たってもまず敵の陣勢から述べている。古来から叙述に巧みなる者は皆この筆法を用いるのが通則になっている。だによって吾輩が蜂の陣立てを話すのも子《し》細《さい》なかろう。それでまず蜂の陣立ていかんと見てあると、四つ目垣の外側に縦列を形づくった一隊がある。これは主人を戦闘線内に誘致する職務を帯びた者とみえる。「降参しねえか」「しねえしねえ」「だめだだめだ」「出てこねえ」「落ちねえかな」「落ちねえはずはねえ」「ほえてみろ」「わんわん」「わんわん」「わんわんわんわん」これから先は縦隊総がかりとなって吶《とつ》喊《かん》の声をあげる。縦隊を少し右へ離れて運動場の方面には砲隊が形勝の地を占めて陣地を布《し》いている。臥竜窟に面して一人の将官がすりこ木の大きなやつを持って控える。これと相対して五、六間の間隔をとってまた一人立つ、すりこ木のあとにまた一人、これは臥竜窟に顔をむけて突っ立っている。かくのごとく一直線にならんで向かい合っているのが砲手である。ある人の説によるとこれはベースボールの練習であって、けっして戦闘準備ではないそうだ。吾輩はベースボールの何物たるを解せぬ文盲漢である。しかし聞くところによればこれは米国から輸入された《*》遊戯で、今日中学程度以上の学校に行なわるる運動のうちで最も流行するものだそうだ。米国は突飛なことばかり考え出す国がらであるから、砲隊と間違えてもしかるべき、近所迷惑の遊戯を日本人に教うべくだけそれだけ親切であったかもしれない。また米国人はこれをもって真に一種の運動遊戯と心得ているのだろう。しかし純粋の遊戯でもかように四《し》隣《りん》を驚かすに足る能力を有している以上は使いようで砲撃の用には十分立つ。吾輩の目をもって観察したところでは、彼らはこの運動術を利用して砲火の功を収めんと企てつつあるとしか思われない。物は言いようでどうでもなるものだ。慈善の名を借りて詐《さ》偽《ぎ》を働き、インスピレーションと号して逆上をうれしがる者がある以上はベースボールなる遊戯のもとに戦争をなさんとも限らない。ある人の説明は世間一般のベースボールのことであろう。今吾輩が記述するベースボールはこの特別の場合に限らるるベースボールすなわち攻城的砲術である。これからダムダム弾を発射する方法を紹介する。直線に布かれたる砲列の中の一人が、ダムダム弾を右の手に握ってすりこ木の所有者にほうりつける。ダムダム弾はなんで製造したか局外者にはわからない。堅い丸い石の団子のようなものを御丁寧に皮でくるんで縫い合わせたものである。前《ぜん》申すとおりこの弾丸が砲手の一人の手中を離れて、風を切って飛んでゆくと、向こうに立った一人が例のすりこ木をやっと振り上げて、これをたたき返す。たまにはたたきそこなった弾丸が流れてしまうこともあるが、大概はポカンと大きな音を立ててはね返る。その勢いは非常に猛烈なものである。神経性胃弱なる主人の頭をつぶすぐらいは容易にできる。砲手はこれだけで事足るのだが、その周囲付近には弥《や》次《じ》馬《うま》兼援兵が雲《うん》霞《か》のごとく付き添うている。ポカーンとすりこ木が団子にあたるや否やわー、ぱちぱちぱちと、わめく、手をうつ、やれやれと言う。あたったろうと言う。これでもきかねえかと言う。恐入らねえかと言う。降参かと言う。これだけならまだしもであるが、たたき返された弾丸は三度に一度必ず臥竜窟邸内へころがり込む。これがころがり込まなければ攻撃の目的は達せられんのである。ダムダム弾は近来諸所で製造するがすいぶん高価なものであるから、いかに戦争でもそう十分な供給を仰ぐわけにゆかん。たいてい一隊の砲手に一つもしくは二つの割である。ポンと鳴るたびにこの貴重な弾丸を消費するわけにはゆかん。そこで彼らはたま拾いと称する一部隊を設けて落弾を拾ってくる。落ち場所がよければ拾うのに骨も折れないが、草原とか人の邸内へ飛び込むとそうたやすくはもどってこない。だから平生ならなるべく労力を避けるため、拾いやすい所へ打ち落とすはずであるが、この際は反対に出る。目的が遊戯にあるのではない、戦争に存するのだから、わざとダムダム弾を主人の邸内に降らせる。邸内に降らせる以上は、邸内へはいって拾わなければならん。邸内にはいる最も簡便な方法は四つ目垣を越えるにある。四つ目垣のうちで騒動すれば主人がおこりださなければならん。しからずんば兜《かぶと》を脱いで降参しなければならん。苦心のあまり頭がだんだんはげてこなければならん。
今しも敵軍から打ち出した一弾は、照準誤たず、四つ目垣を通り越して桐《きり》の下葉をふるい落として、第二の城壁すなわち竹《たけ》垣《がき》に命中した。ずいぶん大きな音である。ニュートンの運動律第一にいわくもし他の力を加うるにあらざれば、ひとたび動きだしたる物体は均一の速度をもって直線に動くものとす。もしこの律のみによって物体の運動が支配せらるるならば主人の頭はこの時にイスキラスと運命を同じくしたであろう。幸いにしてニュートンは第一則を定むると同時に第二則も製造してくれたので主人の頭は危うきうちに一命を取りとめた。運動の第二則にいわく運動の変化は、加えられたる力に比例す、しかしてその力の働く直線の方向において起こるものとす。これはなんのことだか少しくわかりかねるが、かのダムダム弾が竹垣を突き通して、障子を裂き破って主人の頭を破壊しなかったところをもってみると、ニュートンのおかげに相違ない。しばらくすると案のごとく敵は邸内に乗り込んで来たものと覚しく、「ここか」「もっと左の方か」などと棒でもって笹《ささ》の葉をたたき回る音がする。すべて敵が主人の邸内へ乗り込んでダムダム弾を拾う場合には必ず特別な大きな声を出す。こっそりはいって、こっそり拾っては肝心の目的が達せられん。ダムダム弾は貴重かもしれないが、主人にからかうのはダムダム弾以上にだいじである。この時のごときは遠くから弾《たま》の所在地は判然している。竹垣に中《あた》った音も知っている、中った場所もわかっている、しかしてその落ちた地面も心得ている。だからおとなしくして拾えば、いくらでもおとなしく拾える。ライプニッツの定義によると空間はできうべき同在現象の秩序である。いろはにほへとはいつでも同じ順にあらわれてくる。柳の下には必ずどじょうがいる。蝙《こう》蝠《もり》に夕月はつきものである。垣根にボールは不似合いかもしれぬ。しかし毎日毎日ボールを人の邸内にほうり込む者の目に映ずる空間はたしかにこの排列に慣れている。一目見ればすぐわかるわけだ。それをかくのごとく騒ぎ立てるのは畢《ひつ》竟《きよう》ずるに主人に戦争をいどむ策略である。
こうなってはいかに消極的なる主人といえども応戦しなければならん。さっき座敷のうちから倫理の講義を聞いてにやにやしていた主人は奮然として立ち上がった。猛然として駆け出した。驀《ばく》然《ぜん》として敵の一人を生《い》け捕《ど》った。主人としては大できである。大できには相違ないが、見ると十四、五の子供である。髯《ひげ》のはえている主人の敵として少し不似合いだ。けれども主人はこれでたくさんだと思ったのだろう。わび入るのを無理に引っぱって縁側の前まで連れて来た。ここにちょっと敵の策略について一言《げん》する必要がある、敵は主人がきのうのけんまくを見てこの様子ではきょうも必ず自身で出馬するに相違ないと察した。その時万一逃げ損じて大僧がつらまってはことめんどうになる。ここは一年生か二年生ぐらいな子供を玉拾いにやって危険を避けるにこしたことはない。よし主人が子供をつらまえてぐずぐず理窟をこね回したって、落雲館の名誉には関係しない、こんなものをおとなげもなく相手にする主人の恥辱になるばかりだ。敵の考えはこうであった。これが普通の人間の考えでしごくもっともなところである。ただ敵は相手が普通の人間でないということを勘定のうちに入れるのを忘れたばかりである。主人にこれくらいの常識があればきのうだって飛び出しはしない。逆上は普通の人間を、普通の人間の程度以上につるし上げて、常識のある者に、非常識を与えるものである。女だの、子供だの、車引きだの、馬《ま》子《ご》だのと、そんな見さかいのあるうちは、まだ逆上をもって人に誇るに足らん。主人のごとく相手にならぬ中学一年生を生け捕って戦争の人質とするほどの了見でなくては逆上家の仲間入りはできないのである。かあいそうなのは捕《ほ》虜《りよ》である。たんに上級生の命令によって玉拾いなる雑《ぞう》兵《ひよう》の役を勤めたるところ、運悪く非常識の敵将、逆上の天才に追い詰められて、垣越える間もあらばこそ、庭前に引きすえられた。こうなると敵軍は安閑と味方の恥辱を見ているわけにゆかない。我も我もと四つ目垣を乗りこして木戸口から庭《てい》中《ちゆう》に乱れ入る。その数《すう》は約一ダースばかり、ずらりと主人の前に並んだ。たいていは上着もチョッキもつけておらん。白いシャツの腕をまくって、腕組みをしたのがある。綿ネルの洗いざらしを申し訳に背中だけへ乗せているのがある。そうかと思うと白の帆もめんに黒い縁をとって胸のまん中に花文字を、同じ色に縫いつけたしゃれ者もある。いずれも一騎当千の猛将とみえて、丹《たん》波《ば》の国は笹《ささ》山《やま》からゆうべ着《ちやく》したてでござるといわぬばかりに、黒くたくましく筋肉が発達している。中学などへ入れて学問をさせるのは惜しいものだ。漁師か船頭にしたらさだめし国家のためになるだろうと思われるくらいである。彼らは申し合わせたごとく、素足に股《もも》引《ひき》を高くまくって、近火の手伝いにでも行きそうな風《ふう》体《てい》に見える。彼らは主人の前にならんだぎり黙然として一言も発しない。主人も口を開かない。しばらくのあいだ双方ともにらめくらをしているなかにちょっと殺気がある。
「きさまらはぬすっとうか」と主人は尋問した。大気炎である。奥歯でかみつぶしたかんしゃく玉が炎となって鼻の穴から抜けるので、小鼻が、いちじるしく怒って見える。越《えち》後《ご》獅《じ》子《し》の鼻は人間がおこった時の恰《かつ》好《こう》をかたどって作ったものであろう。それでなくてはあんなに恐ろしくできるものではない。
「いえ泥《どろ》棒《ぼう》ではありません。落雲館の生徒です」
「うそをつけ。落雲館の生徒が無断で人の庭宅に侵入するやつがあるか」
「しかしこのとおりちゃんと学校の記章のついている帽子をかぶっています」
「にせものだろう。落雲館の生徒ならなぜむやみに侵入した」
「ボールが飛び込んだものですから」
「なぜボールを飛び込ました」
「つい飛び込んだんです」
「けしからんやつだ」
「以後注意しますから、今度だけ許してください」
「どこの何者かわからんやつが垣を越えて邸内に闖《ちん》入《にゆう》するのを、そうたやすく許されると思うか」
「それでも落雲館の生徒に違いないんですから」
「落雲館の生徒なら何年生だ」
「三年生です」
「きっとそうか」
「ええ」
主人は奥の方を顧みながら、おいこらこらと言う。
埼玉生まれのおさんが襖《ふすま》をあけて、へえと顔を出す。
「落雲館へ行ってだれか連れてこい」
「だれを連れて参ります」
「だれでもいいから連れてこい」
下女は「へえ」と答えたが、あまり庭前の光景が妙なのと、使いの趣が判然しないのと、さっきからの事件の発展がばかばかしいので、立ちもせず、すわりもせずにやにや笑っている。主人はこれでも大戦争をしているつもりである。逆上的敏腕を大いにふるっているつもりである。しかるところ自分の召し使いたる当然こっちの肩を持つべき者が、まじめな態度をもってことに臨まんのみか、用を言いつけるのを聞きながらにやにや笑っている。ますます逆上せざるをえない。
「だれでもかまわんから呼んでこいというのに、わからんか。校長でも幹事でも教頭でも……」
「あの校長さんを……」下女は校長という言葉だけしか知らないのである。
「校長でも、幹事でも教頭でもと言っているのにわからんか」
「だれもおりませんでしたら小使でもよろしゅうございますか」
「ばかをいえ。小使などに何がわかるものか」
ここに至って下女もやむをえんと心得たものか、「へえ」と言って出て行った。使いの主意はやはり飲み込めんのである。小使でも引っぱって来はせんかと心配していると、あにはからんや例の倫理の先生が表門から乗り込んで来た。平然と座につくを待ち受けた主人はただちに談判にとりかかる。
「ただ今邸内にこの者どもが乱入いたして……」と忠《ちゆう》臣《しん》蔵《ぐら》のような古風な言葉を使ったが「ほんとうに御《おん》校《こう》の生徒でしょうか」と少々皮肉に語尾を切った。
倫理の先生はべつだん驚いた様子もなく、平気で庭前にならんでいる勇士を一通り見回した上、もとのごとく瞳《ひとみ》を主人の方にかえして、下《しも》のごとく答えた。
「さようみんな学校の生徒であります。こんなことのないように始終訓戒を加えておきますが……どうも困ったもので……なぜ君らは垣などを乗り越すのか」
さすがに生徒は生徒である、倫理の先生に向かっては一言もないとみえてなんとも言う者はない。おとなしく庭のすみにかたまって羊のむれが雪に会ったように控えている。
「丸《たま》がはいるのもしかたがないでしょう。こうして学校の隣りに住んでいる以上は、時々はボールも飛んで来ましょう。しかし……あまり乱暴ですからな。たとい垣を乗り越えるにしても知れないように、そっと拾ってゆくなら、また勘弁のしようがありますが……」
「ごもっともで、よく注意はいたしますがなにぶん多人数のことで……よくこれから注意をせんといかんぜ。もしボールが飛んだら表から回って、お断わりをして取らなければいかん。いいか。――広い学校のことですからどうも世話ばかりやけてしかたがないです。で運動は教育上必要なものでありますから、どうもこれを禁ずるわけには参りかねるので。これを許すとつい御迷惑になるようなことができますが、これはぜひ御容赦を願いたいと思います。そのかわり向後はきっと表門から回ってお断わりをいたした上で取らせますから」
「いや、そう事がわかればよろしいです。球《たま》はいくらお投げになってもさしつかえはないです。表から来てちょっと断わってくださればかまいません。ではこの生徒はあなたにお引き渡し申しますからお連れ帰りを願います。いやわざわざお呼び立て申して恐縮です」と主人は例によって例のごとく竜《りゆ》頭《うと》蛇《うだ》尾《び》の挨《あい》拶《さつ》をする。倫理の先生は丹波の笹山を連れて表門から落雲館へ引き上げる。吾輩のいわゆる大事件はこれでひとまず落着を告げた。なんのそれが大事件かと笑うなら、笑うがいい。そんな人には大事件でないまでだ。吾輩は主人の大事件を写したので、そんな人の大事件をしるしたのではない。尻《しり》が切れて強《きよ》弩《うど》だの末《ばつ》勢《せい》だなどと悪《あつ》口《こう》する者があるなら、これが主人の特色であることを記憶してもらいたい。主人が滑《こつ》稽《けい》文《ぶん》の材料になるのもまたこの特色に存することを記憶してもらいたい。十四、五の子供を相手にするのはばかだと言うなら吾輩もばかに相違ないと同意する。だから大《おお》町《まち》桂《けい》月《げつ》は主人をつらまえていまだ稚気をまぬがれずと言うている。
吾輩はすでに小事件を叙しおわり、今また大事件を述べおわったから、これより大事件のあとにおこる余《よ》瀾《らん》を描きいだして、全編の結びをつけるつもりである。すべて吾輩の書くことは、口から出任せのいいかげんと思う読者もあるかもしれないがけっしてそんな軽《けい》率《そつ》な猫ではない。一字一句のうちに宇宙の一大哲理を包含するはむろんのこと、その一字一句が層々連続すると首尾相応じ前後相照らして、瑣《さ》談《だん》繊《せん》話《わ》と思ってうっかり読んでいたものが忽《こつ》然《ぜん》豹《ひよう》変《へん》して容易ならざる法語となるんだから、けっして寝ころんだり、足を出して五行ごと一度に読むのだなどという無礼を演じてはいけない。柳《りゆう》宗《そう》元《げん》は韓《かん》退《たい》之《し》の文を読むごとに薔《しよ》薇《うび》の水で手を清めたというくらいだから、吾輩の文に対してもせめて自腹で雑誌を買って来て、友人のお余りを借りて間に合わすという不始末だけはないことにいたしたい。これから述べるのは、吾輩みずから余瀾と号するのだけれど、余瀾ならどうせつまらんにきまっている、読まんでもよかろうなどと思うととんだ後悔をする。ぜひしまいまで精読しなくてはいかん。
大事件のあった翌日、吾輩はちょっと散歩がしたくなったから表へ出た。すると向こう横丁へ曲がろうという角《かど》で金《かね》田《だ》の旦那と鈴《すず》木《き》の藤《とう》さんがしきりに立ちながら話をしている。金田君は車で自《う》宅《ち》へ帰るところ、鈴木君は金田君の留《る》守《す》を訪問して引き返す途中で両人《ふたり》がばったりと出会ったのである。近来は金田の邸内も珍しくなくなったから、めったにあちらの方角へは足が向かなかったが、こうお目にかかってみると、なんとなくおなつかしい。鈴木にも久々だからよそながら拝顔の栄を得ておこう。こう決心してのそのそ御両君の佇《ちよ》立《りつ》しておらるるそば近く歩み寄ってみると、自然両君の談話が耳に入る。これは吾輩の罪ではない。先方が話しているのが悪いのだ。金田君は探《たん》偵《てい》さえつけて主人の動静をうかがうくらいの程度の良心を有している男だから、吾輩が偶然君の談話を拝聴したっておこらるる気づかいはあるまい。もしおこられたら君は公平という意味を御承知ないのである。とにかく吾輩は両君の談話を聞いたのである。聞きたくて聞いたのではない。聞きたくもないのに談話のほうで吾輩の耳の中へ飛び込んで来たのである。
「ただ今お宅へ伺いましたところで、ちょうどよい所でお目にかかりました」と藤さんは丁寧に頭をぴょこつかせる。
「うむ、そうかえ。じつはこないだから、君にちょっと会いたいと思っていたがね。それはよかった」
「へえ、それは好都合でございました。何か御用で」
「いやなに、たいしたことでもないのさ。どうでもいいんだが、君でないとできないことなんだ」
「私にできることならなんでもやりましょう。どんなことで」
「ええ、そう……」と考えている。
「なんなら、御都合の時出直して伺いましょう。いつがよろしゅう、ございますか」
「なあに、そんなにたいしたことじゃあないのさ。――それじゃせっかくだから頼もうか」
「どうか御遠慮なく……」
「あの変人ね。そら君の旧友さ。苦沙弥とかなんとかいうじゃないか」
「ええ苦沙弥がどうかしましたか」
「いえ、どうもせんがね。あの事件以来胸《むな》糞《くそ》が悪くってね」
「ごもっともで、全く苦沙弥は傲《ごう》慢《まん》ですから――少しは自分の社会上の地位を考えているといいのですけれども、まるで一《ひと》人《り》天下ですから」
「そこさ。金に頭はさげん、実業家なんぞ――とかなんとか、いろいろ小《こ》生《なま》意《い》気《き》なことを言うから、そんなら実業家の腕前を見せてやろう、と思ってね。こないだからだいぶ弱らしているんだが、やっぱりがんばっているんだ。どうも強《ごう》情《じよう》なやつだ。驚いたよ」
「どうも損得という観念の乏しいやつですからむやみにやせ我慢を張るんでしょう。昔からああいう癖のある男で、つまり自分の損になることに気がつかないんですから度しがたいです」
「あはははほんとに度しがたい。いろいろ手をかえ品をかえてやってみるんだがね。とうとうしまいに学校の生徒にやらした」
「そいつは妙案ですな。きき目がございましたか」
「これにゃあ、やつもだいぶ困ったようだ。もう遠からず落城するにきまっている」
「そりゃ結構です。いくらいばっても多《た》勢《ぜい》に無《ぶ》勢《ぜい》ですからな」
「そうさ、一人じゃあしかたがねえ。それでだいぶ弱ったようだが、まあどんな様子か君に行って見て来てもらおうというのさ」
「はあ、そうですか。なにわけはありません。すぐ行ってみましょう。様子は帰りがけに御報知をいたすことにして。おもしろいでしょう、あの頑《がん》固《こ》なのが意気消沈しているところは、きっと見ものですよ」
「ああ、それじゃ帰りにお寄り、待っているから」
「それでは御免こうむります」
おや今度もまた魂《こん》胆《たん》だ、なるほど実業家の勢力はえらいものだ、石炭の燃えがらのような主人を逆上させるのも、苦《く》悶《もん》の結果主人の頭が蠅《はえ》すべりの難《なん》所《じよ》となるのも、その頭がイスキラスと同様の運命に陥るのも皆実業家の勢力である。地球が地軸を回転するのはなんの作用かわからないが、世の中を動かすものはたしかに金である。この金の功《く》力《りき》を心得て、この金の威光を自由に発揮する者は実業家諸君をおいてほかに一人もない。太陽が無事に東から出て、無事に西へ入るのも全く実業家のおかげである。今まではわからずやの窮《きゆ》措《うそ》大《だい》の家に養われて実業家の御《ご》利《り》益《やく》を知らなかったのは、我ながら不覚である。それにしても冥《めい》頑《がん》不《ふ》霊《れい》の主人も今度は少し悟らずばなるまい。これでも冥頑不霊で押し通す了見だとあぶない。主人の最も貴重する命があぶない。彼は鈴木君に会ってどんな挨拶をするのかしらん。その模様で彼の悟り具合もおのずから分《ぶん》明《みよう》になる。ぐずぐずしてはおられん、猫だって主人のことだから大いに心配になる。早々鈴木君をすり抜けてお先へ帰宅する。
鈴木君は相変わらず調子のいい男である。きょうは金田のことなどはおくびにも出さない、しきりにあたりさわりのない世間話をおもしろそうにしている。
「君少し顔色が悪いようだぜ、どうかしやせんか」
「べつにどこもなんともないさ」
「でも青いぜ、用心せんといかんよ。時候が悪いからね。よるは安眠ができるかね」
「うん」
「何か心配でもありゃしないか、ぼくにできることならなんでもするぜ。遠慮なく言いたまえ」
「心配って、何を?」
「いえ、なければいいが、もしあればということさ。心配がいちばん毒だからな。世の中は笑っておもしろくくらすのが得だよ。どうも君はあまり陰気すぎるようだ」
「笑うのも毒だからな。むやみに笑うと死ぬことがあるぜ」
「冗談言っちゃいけない。笑う門《かど》には福きたるさ」
「昔ギリシアにクリシッパスという哲学者があったが、君は知るまい」
「知らない。それがどうしたのさ」
「その男が笑い過ぎて死んだんだ」
「へえー、そいつは不思議だね。しかしそりゃ昔のことだから……」
「昔だって今だって変わりがあるものか。驢《ろ》馬《ば》が銀の丼《どんぶり》から無花果《いちじゆく》を食うのを見て、おかしくってたまらなくってむやみに笑ったんだ。ところがどうしても笑いがとまらない。とうとう笑い死にに死んだんだあね」
「ハハハしかしそんなにとめどもなく笑わなくってもいいさ。少し笑う――適宜に、――そうするといい心持ちだ」
鈴木君がしきりに主人の動静を研究していると、表の門ががらがらとあく、客《きやく》来《らい》かと思うとそうでない。
「ちょっとボールがはいりましたから、取らしてください」
下女は台所から「はい」と答える。書生は裏手へ回る。鈴木は妙な顔をしてなんだいと聞く。
「裏の書生がボールを庭へ投げ込んだんだ」
「裏の書生? 裏に書生がいるのかい」
「落雲館という学校さ」
「ああそうか、学校か。ずいぶん騒々しいだろうね」
「騒々しいのなんのって。ろくろく勉強もできやしない。ぼくが文部大臣ならさっそく閉鎖を命じてやる」
「ハハハだいぶおこったね。何かしゃくにさわることでもあるのかい」
「あるのないのって、朝から晩までしゃくにさわり続けだ」
「そんなにしゃくにさわるなら越せばいいじゃないか」
「だれが越すもんか、失敬千万な」
「ぼくにおこったってしかたがない。なあに子供だあね。うっちゃっておけばいいさ」
「君はよかろうがぼくはよくない。きのうは教師を呼びつけて談判してやった」
「それはおもしろかったね。恐れ入ったろう」
「うん」
この時また門《かど》口《ぐち》をあけて、「ちょっとボールがはいりましたから取らしてください」と言う声がする。
「いやだいぶ来るじゃないか、またボールだぜ君」
「うん、表から来るように契約したんだ」
「なるほどそれであんなに来るんだね。そうーか、わかった」
「何がわかったんだい」
「なに、ボールを取りにくる原因がさ」
「きょうはこれで十六ぺん目だ」
「君うるさくないか。来ないようにしたらいいじゃないか」
「来ないようにするったって、来るからしかたがないさ」
「しかたがないと言えばそれまでだが、そう頑固にしていないでもよかろう。人間は角《かど》があると世の中をころがって行くのが骨が折れて損だよ。丸いものはごろごろどこへでも苦なしに行けるが四角なものはころがるに骨が折れるばかりじゃない、ころがるたびに角がすれて痛いものだ。どうせ自分一人の世の中じゃなし、そう自分の思うように人はならないさ。まあなんだね。どうしても金のある者に、たてを突いちゃ損だね。ただ神経ばかり痛めて、からだは悪くなる、人はほめてくれず。向こうは平気なものさ。すわって人を使いさえすればすむんだから。多勢に無勢どうせ、かなわないのは知れているさ。頑固もいいが、立て通すつもりでいるうちに、自分の勉強にさわったり、毎日の業務に煩《はん》を及ぼしたり、とどの詰まりが骨折り損のくたびれもうけだからね」
「御免なさい。今ちょっとボールが飛びましたから、裏口へ回って、取ってもいいですか」
「そらまた来たぜ」と鈴木君は笑っている。
「失敬な」と主人はまっかになっている。
鈴木君はもうたいがい訪問の意を果たしたと思ったから、それじゃ失敬ちと来たまえと帰ってゆく。
入れ代わってやって来たのが甘木先生である。逆上家が自分で逆上家だと名乗る者は昔から例が少ない、これは少々変だなとさとった時は逆上の峠《とうげ》はもう越している。主人の逆上はきのうの大事件の際に最高度に達したのであるが、談判も竜頭蛇尾たるにかかわらず、どうかこうか始末がついたのでその晩書斎でつくづく考えてみると少し変だと気がついた。もっとも落雲館が変なのか、自分が変なのか疑いを存する余地は十分あるが、なにしろ変に違いない。いくら中学校の隣りに居を構えたって、かくのごとく年が年じゅうかんしゃくを起こしつづけはちと変だと気がついた。変であってみればどうかしなければならん。どうするったってしかたがない、やはり医者の薬でも飲んでかんしゃくの源に賄《わい》賂《ろ》でも使って慰《い》撫《ぶ》するよりほかに道はない。こうさとったから平《へい》生《ぜい》かかりつけの甘木先生を迎えて診察を受けてみようという了見を起こしたのである。賢か愚か、そのへんは別問題として、とにかく自分の逆上に気がついただけは殊勝の志、奇《き》特《どく》の心得と言わなければならん。甘木先生は例のごとくにこにこと落ち付きはらって、「どうです」と言う。医者はたいていどうですと言うにきまってる。吾輩は「どうです」と言わない医者はどうも信用をおく気にならん。
「先生どうもだめですよ」
「え、何そんなことがあるものですか」
「いったい医者の薬はきくものでしょうか」
甘木先生も驚いたが、そこは温厚の長《ちよう》者《じや》だから、べつだん激した様子もなく、
「きかんこともないです」と穏やかに答えた。
「わたしの胃病なんか、いくら薬を飲んでも同じことですぜ」
「けっして、そんなことはない」
「ないですかな。少しはよくなりますかな」と自分の胃のことを人に聞いてみる。
「そう急には、なおりません、だんだんききます。今でももとよりだいぶよくなっています」
「そうですかな」
「やはりかんしやくが起こりますか」
「おこりますとも、夢にまでかんしゃくを起こします」
「運動でも、少しなさったらいいでしょう」
「運動すると、なおかんしゃくが起こります」
甘木先生もあきれ返ったものとみえて、
「どれ一つ拝見しましょうか」と診察を始める。診察を終わるのを待ちかねた主人は、突然大きな声を出して、
「先生、せんだって催眠術の書いてある本を読んだら、催眠術を応用して手癖の悪いんだの、いろいろな病気だのを直すことができると書いてあったですが、ほんとうでしょうか」と聞く。
「ええ、そういう療法もあります」
「今でもやるんですか」
「ええ」
「催眠術をかけるのはむずかしいものでしょうか」
「なにわけはありません。わたしなどもよくかけます」
「先生もやるんですか」
「ええ、一つやってみましょうか。だれでもかからなければならん理窟のものです。あなたさえよければかけてみましょう」
「そいつはおもしろい、一つかけてください。わたしもとうからかかってみたいと思ったんです。しかしかかりきりで目がさめないと困るな」
「なに大丈夫です。それじゃやりましょう」
相談はたちまち一決して、主人はいよいよ催眠術をかけらるることになった。吾輩は今までこんなことを見たことがないから心ひそかに喜んでその結果を座敷のすみから拝見する。先生はまず、主人の目からかけ始めた。その方法を見ていると、両眼の上《うわ》瞼《まぶた》を上から下へとなでて、主人がすでに目を眠っているにもかかわらず、しきりに同じ方向へくせをつけたがっている。しばらくすると先生は主人に向かって「こうやって、瞼をなでていると、だんだん目が重たくなるでしょう」と聞いた。主人は「なるほど重くなりますな」と答える。先生はなお同じようになでおろし、なでおろし「だんだん重くなりますよ、ようござんすか」と言う。主人もその気になったものか、なんとも言わずに黙っている。同じ摩《ま》擦《さつ》法《ほう》はまた三、四分繰り返される。最後に甘木先生は「さあもうあきませんぜ」と言われた。かわいそうに主人の目はとうとうつぶれてしまった。「もうあかんのですか」「ええもうあきません」主人は黙《もく》然《ねん》として目を眠っている。吾輩は主人がもう盲になったものと思い込んでしまった。しばらくして先生は「あけるならあいてごらんなさい。とうていあけないから」と言われる。「そうですか」と言うが早いか主人は普通のとおり両眼をあいていた。主人はにやにや笑いながら「かかりませんな」と言うと甘木先生も同じく笑いながら「ええ、かかりません」と言う。催眠術はついに不成功におわる。甘木先生も帰る。
その次に来たのが――主人のうちへこのくらい客の来たことはない。交際の少ない主人の家にしてはまるでうそのようである。しかし来たに相違ない。しかも珍客が来た。吾輩がこの珍客のことを一言《ごん》でも記述するのはたんに珍客であるがためではない。吾輩は先刻申すとおり大事件の余瀾を描きつつある。しかしてこの珍客はこの余瀾を描くにあたって逸すべからざる材料である。なんという名前か知らん、ただ顔の長い上に、山《や》羊《ぎ》のような髯《ひげ》をはやしている四十前後の男といえばよかろう。迷亨の美学者たるに対して、吾輩はこの男を哲学者と呼ぶつもりである。なぜ哲学者というと、何も迷亭のように自分で振り散らすからではない、ただ主人と対話する時の様子を拝見しているといかにも哲学者らしく思われるからである。これも昔の同窓とみえて両人《ふたり》とも応対ぶりはしごく打ち解けたありさまだ。
「うん迷亭か、あれは池に浮いてる金《きん》魚《ぎよ》麩《ふ》のようにふわふわしているね。せんだって友人を連れて一面識もない華族の門前を通行した時、ちょっと寄って茶でも飲んで行こうと言って引っぱり込んだそうだがずいぶんのんきだね」
「それでどうしたい」
「どうしたか聞いてもみなかったが、――そうさ、まあ天《てん》稟《ぴん》の奇人だろう、そのかわり考えも何もない全く金魚麩だ。鈴木か、――あれが来るのかい、へえー、あれは理窟はわからんが世間的には利口な男だ。金時計は下げられるたちだ。しかし奥ゆきがないから落ち付きがなくってだめだ。円滑円滑と言うが、円滑の意味も何もわかりはせんよ。迷亭が金魚麩ならあれは藁《わら》でつくったこんにゃくだね。ただわるくなめらかでぶるぶるふるえているばかりだ」
主人はこの奇警な比《ひ》喩《ゆ》を聞いて、大いに感心したものらしく、久しぶりでハハハと笑った。
「そんなら君はなんだい」
「ぼくか、そうさなぼくなんかは――まあ自《じ》然《ねん》薯《じよ》ぐらいなところだろう。長くなって泥《どろ》の中にうまってるさ」
「君は始終泰《たい》然《ぜん》として気楽なようだが、うらやましいな」
「なに普通の人間と同じようにしているばかりさ。べつにうらやまれるに足るほどのこともない。ただありがたいことに人をうらやむ気も起こらんから、それだけいいね」
「会計は近ごろ豊かかね」
「なに向じことさ。足るや足らずさ。しかし食うているから大丈夫。驚かないよ」
「ぼくは不愉快で、かんしゃくが起こってたまらん。どっち向いても不平ばかりだ」
「不平もいいさ。不平が起こったら起こしてしまえば当分はいい心持ちになれる。人間はいろいろだから、そう自分のように人にもなれと勧めたって、なれるものではない。箸《はし》は人と同じように持たんと飯が食いにくいが、自分のパンは自分のかってに切るのがいちばん都合がいいようだ。上《じよ》手《うず》な仕立屋で着物をこしらえれば、着たてから、からだに合ったのを持ってくるが、下《へ》手《た》の裁《した》縫《て》屋《や》にあつらえたら当分は我慢しないとだめさ。しかし世の中はうまくしたもので、着ているうちには洋服のほうで、こちらの骨格に合わしてくれるから。今の世に合うように上等な両親が手ぎわよく生んでくれれば、それが幸福なのさ。しかしできそこなったら世の中に合わないで我慢するか、または世の中で合わせるまで辛《しん》抱《ぼう》するよりほかに道はなかろう」
「しかしぼくなんか、いつまでたっても合いそうにないぜ、心細いね」
「あまり合わない背広を無理に着るとほころびる。けんかをしたり、自殺をしたり騒動が起こるんだね。しかし君なんかただおもしろくないと言うだけで自殺はむろんしやせず、けんかだってやったことはあるまい。まあまあいいほうだよ」
「ところが毎日けんかばかりしているさ。相手が出て来なくってもおこっておればけんかだろう」
「なるほど一人けんかだ。おもしろいや、いくらでもやるがいい」
「それがいやになった」
「そんならよすさ」
「君の前だが自分の心がそんなに自由になるものじゃない」
「まあぜんたい何がそんなに不平なんだい」
主人はここにおいて落雲館事件を初めとして、今戸焼きの狸《たぬき》から、ぴん助、きしゃごそのほかにあらゆる不平をあげて滔《とう》々《とう》と哲学者の前に述べ立てた。哲学者先生は黙って聞いていたが、ようやく口を開いて、かように主人に説きだした。
「ぴん助やきしゃごが何を言ったって知らん顔をしておればいいじゃないか。どうせくだらんのだから。中学の生徒なんかかまう価値があるものか。なに妨害になる。だって談判しても、けんかをしてもその妨害はとれんのじゃないか。ぼくはそういう点になると西洋人より昔の日本人のほうがよほどえらいと思う。西洋人のやり方は積極的積極的といって近ごろだいぶはやるが、あれは大なる欠点をもっているよ。第一積極的といったって際限がない話だ。いつまで積極的にやり通したって、満足という域とか完全という境にいけるものじゃない。向こうに檜《ひのき》があるだろう。あれが目ざわりになるから取り払う。とその向こうの下宿屋がまた邪魔になる。下宿屋を退去させると、その次の家がしゃくにさわる。どこまで行っても際限のない話さ。西洋人のやり口はみんなこれさ。ナポレオンでも、アレキサンダーでも勝って満足した者は一人もないんだよ。人が気に食わん、けんかをする、先方が閉口しない、法廷へ訴える、法廷で勝つ、それで落着と思うのは間違いさ。心の落着は死ぬまであせったって片づくことがあるものか。寡《かじ》人《ん》政《せい》治《じ*》がいかんから、代議政体にする。代議政体がいかんから、また何かをしたくなる。川が生意気だって橋をかける、山が気に食わんといってトンネルを掘る。交通がめんどうだといって鉄道をしく。それで永久満足ができるものじゃない。さればといって人間だものどこまで積極的に我意を通すことができるものか。西洋の文明は積極的、進取的かもしれないがつまり不満足で一生をくらす人の作った文明さ。日本の文明は自分以外の状態を変化させて満足を求めるのじゃない。西洋と大いに違うところは、根本的に周囲の境遇は動かすべからざるものという一大仮定のもとに発達しているのだ。親子の関係がおもしろくないといって欧州人のようにこの関係を改良して落ち付きをとろうとするのではない。親子の関係は在来のままでとうてい動かすことができんものとして、その関係のもとに安心を求むる手段を講ずるにある。夫婦君臣の間がらもそのとおり、武士町人の区別もそのとおり、自然そのものを見るのもそのとおり。――山があって隣国へ行かれなければ、山をくずすという考えを起こすかわりに隣国へ行かんでも困らないというくふうをする。山を越さなくとも満足だという心持ちを養成するのだ。それだから君見たまえ。禅《ぜん》家《け》でも儒《じゆ》家《か》でもきっと根本的にこの間題をつらまえる。いくら自分がえらくても世の中はとうてい意のごとくなるものではない、落日をめぐらすことも、加《か》茂《も》川《がわ》を逆《さか》に流すこと《*》もできない。ただできるものは自分の心だけだからね。心さえ自由にする修業をしたら、落雲館の生徒がいくら騒いでも平気なものではないか、今戸焼きの狸でもかまわんでおられそうなものだ。ぴん助なんか愚なことを言ったらこのばかやろうとすましておれば子細なかろう。なんでも昔の坊主は人に切りつけられた時電光影裏に春風を斬る《*》とか、なんとかしゃれたことを言ったという話だぜ。心の修業がつんで消極の極に達するとこんな霊活な作用ができるのじゃないかしらん。ぼくなんか、そんなむずかしいことはわからないが、とにかく西洋人ふうの積極主義ばかりがいいと思うのは少々誤っているようだ。現に君がいくら積極主義に働いたって、生徒が君をひやかしに来るのをどうすることもできないじゃないか。君の権力であの学校を閉鎖するか、また先方が警察に訴えるだけの悪い事をやれば格別だが、さもない以上は、どんなに積極的に出たったて勝てっこないよ。もし積極的に出るとすれば金の問題になる。多勢に無勢の問題になる。換言すると君が金持ちに頭を下げなければならんということになる。衆をたのむ子供に恐れ入らなければならんということになる。君のような貧乏人でしかもたった一人で積極的にけんかをしようというのがそもそも君の不平の種さ。どうだいわかったかい」
主人はわかったとも、わからないとも言わずに聞いていた。珍客が帰ったあとで書斎へはいって書物を読まずに何か考えていた。
鈴木の藤さんは金と衆とに従えと主人に教えたのである。甘木先生は催眠術で神経を沈めろと助言したのである。最後の珍客は消極的の修養で安心を得ろと説法したのである。主人がいずれをえらぶかは主人の随意である。ただこのままでは通されないにきまっている。
九
主人はあばた面《づら*》である。御《ご》維《いつ》新《しん》前《まえ》はあばたもだいぶはやったものだそうだが日英同盟の今日からみると、こんな顔はいささか時候おくれの感がある。あばたの衰退は人口の増殖と反比例して近き将来には全くその跡を絶つに至るだろうとは医学上の統計から精密に割り出されたる結論であって、吾《わが》輩《はい》のごとき猫といえどもごうも疑いをさしはさむ余地のないほどの名論である。現今地球上にあばたっ面《つら》を有して生息している人間は何人ぐらいあるか知らんが、吾輩が交際の区域内において打算してみると、猫には一匹もない。人間にはたった一人ある。しかしてその一人がすなわち主人である。はなはだ気の毒である。
吾輩は主人の顔を見るたびに考える。まあなんの因《いん》果《が》でこんな妙な顔をして臆《おく》面《めん》なく二十世紀の空気を呼吸しているのだろう。昔なら少しは幅もきいたか知らんが、あらゆるあばたが二の腕へ立ちのきを命ぜられた昨今、依然として鼻の頭や頬《ほお》の上へ陣取って頑《がん》として動かないのは自慢にならんのみか、かえってあばたの体面に関するわけだ。できることなら今のうち取り払ったらよさそうなものだ。あばた自身だって心細いに違いない。それとも党勢不振の際、誓って落日を中天に挽《ばん》回《かい》せずんばやまずという意気込みで、あんなに横《おう》風《ふう》に顔一面を占領しているのかしらん。そうするとこのあばたはけっして軽《けい》蔑《べつ》の意をもって見るべきものでない。滔《とう》々《とう》たる流俗に抗する万《ばん》古《こ》不《ふ》磨《ま》の穴の集合体であって、大いに吾《ご》人《じん》の尊敬に値するでこぼこといってもよろしい。ただきたならしいのが欠点である。
主人の子供の時に牛《うし》込《ごめ》の山《やま》伏《ぶし》町《ちよう》に浅《あさ》田《だ》宗《そう》伯《はく》という漢方の名医があったが、この老人が病《びよ》家《うか》を見舞う時には必ずかごに乗ってそろりそろりと参られたそうだ。ところが宗伯老がなくなられてその養子の代になったら、かごがたちまち人《じん》力《りき》車《しや》に変じた。だから養子が死んでそのまた養子が跡をついだら葛《かつ》根《こん》湯《とう》がアンチピリンに化けるかもしれない。かごに乗って東京市中を練り歩くのは宗伯老の当時ですらあまりみっともいいものではなかった。こんなまねをしてすましていたものは旧弊な亡《もう》者《じや》と、汽車へ積み込まれる豚と、宗伯老とのみであった。
主人のあばたもそのふるわざることにおいては宗伯老のかごと一般で、はたから見ると気の毒なくらいだが、漢方医にも劣らざる頑固な主人は依然として孤城落日のあばたを天下に暴《ばく》露《ろ》しつつ毎日登校リードルを教えている。
かくのごとき前世紀の記念を満面に刻して教壇に立つ彼は、その生徒に対して授業以外に大なる訓戒をたれつつあるに相違ない。彼は「猿《さる》が手を持つ《*》」を反覆するよりも「あばたの顔面に及ぼす影響」という大間題を造作もなく解釈して、不《ふ》言《げん》の間《かん》にその答案を生徒に与えつつある。もし主人のような人間が教師として存在しなくなった暁には彼ら生徒はこの問題を研究するために図書館もしくは博物館へ駆けつけて、吾人がミイラによってエジプト人を髣《ほう》髴《ふつ》すると同程度の労力を費やさねばならぬ。この点からみると主人のあばたも冥《めい》々《めい》のうちに妙な功《く》徳《どく》を施している。
もっとも主人はこの功徳を施すために顔一面に疱《ほう》瘡《そう》を種《う》えつけたのではない。これでも実は種《う》え疱《ぼう》瘡《そう》をしたのである。不幸にして腕に種えたと思ったのが、いつのまにか顔へ伝染していたのである。そのころは子供のことで今のように色けも何もなかったものだから、かゆいかゆいと言いながらむやみに顔じゅう引っかいたのだそうだ。ちょうど噴火山が破裂してラヴァ《*》が顔の上を流れたようなもので、親が生んでくれた顔を台なしにしてしまった。主人はおりおり細君に向かって疱瘡をせぬうちは玉のような男子であったと言っている。浅《あさ》草《くさ》の観音様で西洋人が振り返って見たくらいきれいだったなどと自慢することさえある。なるほどそうかもしれない。ただだれも保証人のいないのが残念である。
いくら功徳になっても訓戒になっても、きたないものはやっぱりきたないものだから、物《もの》心《ごころ》がついて以来というもの主人は大いにあばたについて心配しだして、あらゆる手段を尽《く》してこの醜態をもみつぶそうとした。ところが宗伯老のかごと違って、いやになったからというてそう急に打ちやられるものではない。今だに歴然と残っている。この歴然が多少気にかかるとみえて、主人は往来を歩くたびごとにあばた面《づら》を勘定して歩くそうだ。きょうは何人あばたに出会って、その主は男か女か、その場所は小《お》川《がわ》町《まち》の勧工場《*》であるか、上《うえ》野《の》の公園であるか、ことごとく彼の日記につけこんである《*》。彼はあばたに関する知識においてはけっしてだれにも譲るまいと確信している。せんだってある洋行帰りの友人が来たおりなぞは「君西洋人にはあばたがあるかな」と聞いたくらいだ。するとその友人が「そうだな」と首を曲げながらよほど考えたあとで「まあめったにないね」と言ったら、主人は「めったになくっても、少しはあるかい」と念を入れて聞き返した。友人は気のない顔で「あっても乞《こ》食《じき》か立ちん坊だよ。教育のある人にはないようだ」と答えたら、主人は「そうかなあ、日本とは少し違うね」と言った。
哲学者の意見によって落雲館とのけんかを思い留まった主人はその後書斎に立てこもってしきりに何か考えている。彼の忠告を容《い》れて静座のうちに霊活なる精神を消極的に修養するつもりかもしれないが、元来が気の小さな人間のくせに、ああ陰気なふところ手ばかりしていてはろくな結果の出ようはずがない。それより英書でも質に入れて芸者かららっぱ節でも習ったほうがはるかにましだとまでは気がついたが、あんな偏《へん》窟《くつ》な男はとうてい猫の忠告などをきく気づかいはないから、まあかってにさせたらよかろうと五、六日は近寄りもせずにくらした。
きょうはあれからちょうど七《なぬ》日《か》目《め》である。禅《ぜん》家《け》などでは一七日を限って大《だい》悟《ご》してみせるなどとすさまじい勢いで結《けつ》跏《か》する連《れん》中《じゆう》もあることだから、うちの主人もどうかなったろう、死ぬか生きるかなんとか片づいたろうと、のそのそ縁側から書斎の入り口まで来て室内の動静を偵《てい》察《さつ》に及んだ。
書斎は南向きの六畳で、日当たりのいい所に大きな机がすえてある。ただ大きな机ではわかるまい。長さ六尺、幅三尺八寸高さこれにかなうという大きな机である。むろんできあいのものではない。近所の建具屋に談判して寝台兼机として製造せしめたる稀《き》代《たい》の品物である。なんのゆえにこんな大きな机を新調して、またなんのゆえにその上に寝てみようなどという了見を起こしたものか、本人に聞いてみないことだからとんとわからない。ほんの一時《じ》のでき心で、かかる難物をかつぎ込んだのかもしれず、あるいはことによると一種の精神病者において吾人がしばしば見いだすごとく、縁もゆかりもない二個の観念を連想して、机と寝台をかってに結びつけたものかもしれない。とにかく奇抜な考えである。ただ奇抜だけで役に立たないのが欠点である。吾輩はかつて主人がこの机の上へ昼寝をして寝返りをする拍子に縁側へころげ落ちたのを見たことがある。それ以来この机はけっして寝台に転用されないようである。
机の前には薄っぺらなメリンスの座《ざ》布《ぶ》団《とん》があって、煙草《タバコ》の火で焼けた穴が三つほどかたまってる。中から見える綿は薄黒い。この座布団の上に後ろ向きにかしこまっているのが主人である。鼠《ねずみ》色《いろ》によごれた兵《へ》児《こ》帯《おび》をこま結びにむすんだ左右がだらりと足の裏へたれかかっている。この帯へじゃれついて、いきなり頭を張られたのはこないだのことである。めったに寄りつくべき帯ではない。
まだ考えているのか下《へ》手《た》の考えというたとえもあるのにと後ろからのぞき込んで見ると、机の上でいやにぴかぴかと光ったものがある。吾輩は思わず、続けざまに二、三度まばたきをしたが、こいつは変だとまぶしいのを我慢してじっと光るものを見つめてやった。するとこの光は机の上で動いている鏡から出るものだということがわかった。しかし主人はなんのために書斎で鏡などを振り回しているのだらう。鏡といえば風《ふ》呂《ろ》場《ば》にあるにきまっている。現に吾輩はけさ風呂場でこの鏡を見たのだ。この鏡ととくに言うのは主人のうちにはこれよりほかに鏡はないからである。主人が毎朝顔を洗ったあとで髪を分ける時にもこの鏡を用いる。――主人のような男が髪を分けるのかと聞く人もあるかもしれぬが、じっさい彼はほかのことに無《ぶし》精《よう》なるだけそれだけ頭を丁寧にする。吾輩が当家に参ってから今に至るまで主人はいかなる炎熱の日といえども五分刈りに刈り込んだことはない。必ず二寸ぐらいの長さにして、それをごたいそうに左の方で分けるのみか、右の端《はじ》をちょっとはね返してすましている。これも精神病の徴候かもしれない。こんな気取った分け方はこの机といっこう調和しないと思うが、あえて他人に害を及ぼすほどのことでないから、だれもなんとも言わない。本人も得意である。分け方のハイカラなのはさておいて、なぜあんなに髪を長くするのかと思ったらじつはこういうわけである。彼のあばたはたんに彼の顔を侵《しん》蝕《しよく》せるのみならず、とくの昔に脳天まで食い込んでいるのだそうだ。だからもし普通の人のように五分刈りや三分刈りにすると、短い毛の根もとから何十となくあばたがあらわれてくる。いくらなでても、さすってもぽつぽつがとれない。枯れ野にほたるを放ったようなもので風流かもしれないが、細君の御《ぎよ》意《い》に入らんのはもちろんのことである。髪さえ長くしておけば露見しないですむところを、好んで自己の非をあばくにもあたらぬわけだ。なろうことなら顔まで毛をはやして、こっちのあばたも内済にしたいくらいなところだから、ただではえる毛を銭《ぜに》を出して刈り込ませて、私は頭《ず》蓋《がい》骨《こつ》の上まで天《てん》然《ねん》痘《とう》にやられましたよと吹《ふい》聴《ちよう》する必要はあるまい。――これが主人の髪を長くする理由で、髪を長くするのが、彼の髪をわける原因で、その原因が鏡を見るわけで、その鏡が風呂場にあるゆえんで、しこうしてその鏡が一つしかないという事実である。
風呂場にあるべき鏡が、しかも一つしかない鏡が書斎に来ている以上は鏡が離《り》魂《こん》病《びよう》にかかったのかまたは主人が風呂場から持って来たに相違ない。持って来たとすればなんのために持って来たのだろう。あるいは例の消極的修養に必要な道具かもしれない。昔ある学者がなんとかいう知識を訪《と》うたら、和《お》尚《しよう》両《りよう》肌《はだ》をぬいで甎《かわら》を《*》磨《ま》しておられた。何をこしらえなさると質問をしたら、なにさ今鏡を造ろうと思うて一生懸命にやっておるところじゃと答えた。そこで学者は驚いて、なんぼ名僧でも甎を磨して鏡とすることはできまいと言うたら、和尚からからと笑いながらそうか、それじゃやめよ、いくら書物を読んでも道はわからぬのもそんなものじゃろとののしったというから、主人もそんなことを聞きかじって風呂場から鏡でも持って来て、したり顔に振り回しているのかもしれない。だいぶ物《ぶつ》騒《そう》になってきたなと、そっとうかがっている。
かくとも知らぬ主人ははなはだ熱心なる様子をもって一《いつ》張《ちよう》来《らい》の鏡を見つめている。元来鏡というものは気味の悪いものである。深夜ろうそくを立てて、広い部《へ》屋《や》の中でひとり鏡をのぞき込むにはよほどの勇気がいるそうだ。吾輩などははじめて当家の令嬢から鏡を顔の前へ押しつけられた時に、はっと仰《ぎよう》天《てん》して屋敷のまわりを三度駆け回ったくらいである。いかに白昼といえども、主人のようにかく一生懸命に見つめている以上は自分で自分の顔がこわくなるに相違ない。ただ見てさえあまり気味のいい顔じゃない。ややあって主人は「なるほどきたない顔だ」とひとり言を言った。自己の醜《しゆう》を自白するのはなかなか見上げたものだ。様子からいうとたしかに気違いの所《しよ》作《さ》だが言うことは真理である。これがもう一歩進むと、おのれの醜悪なことがこわくなる。人間はわが身が恐ろしい悪党であるという事実を徹《てつ》骨《こつ》徹《てつ》髄《ずい》に感じた者でないと苦労人とはいえない。苦労人でないととうてい解《げ》脱《だつ》はできない。主人もここまで来たらついでに「おおこわい」とでも言いそうなものであるがなかなか言わない。「なるほどきたない顔だ」と言ったあとで、何を考え出したか、ぷうっとほっぺたをふくらました。そうしてふくれたほっぺたを平《ひら》手《て》で二、三度たたいてみる。なんのまじないだかわからない。この時吾輩はなんだかこの顔に似たものがあるらしいという感じがした。よくよく考えてみるとそれはおさんの顔である。ついでだからおさんの顔をちょっと紹介するが、それはそれはふくれたものである。このあいださる人が穴《あな》守《もり》稲《いな》荷《り》から河《ふ》豚《ぐ》のちょうちんをみやげに持って来てくれたが、ちょうどあの河豚ぢょうちんのようにふくれている。あまりふくれ方が残酷なので目は両方とも紛失している。もっとも河豚のふくれるのはまんべんなくまん丸にふくれるのだが、おさんとくると、元来の骨格が多角性であって、その骨格どおりにふくれあがるのだから、まるで水《すい》気《き》になやんでいる六角時計のようなものだ。おさんが聞いたらさぞおこるだろうから、おさんはこのくらいにしてまた主人のほうに帰るが、かくのごとくあらん限りの空気をもってほっぺたをふくらませたる彼は前《ぜん》申すとおり手のひらでほっぺたをたたきながら「このくらい皮膚が緊張するとあばたも目につかん」とまたひとり言を言った。
今度は顔を横に向けて半面に光線を受けたところを鏡にうつしてみる。「こうして見るとたいへん目立つ。やっぱりまともに日の向いてるほうが平らに見える。きたないものだなあ」とだいぶ感心した様子であった。それから右の手をうんと伸ばして、できるだけ鏡を遠距離に持って行って静かに熟視している。「このくらい離れるとそんなでもない。やはり近すぎるといかん。――顔ばかりじゃないなんでもそんなものだ」と悟ったようなことを言う。次に鏡を急に横にした。そうして鼻の根を中心にして目や額《ひたい》や眉《まゆ》を一度にこの中心に向かってくしゃくしゃとあつめた。見るからに不愉快な容《よう》貌《ぼう》ができあがったと思ったら「いやこれはだめだ」と当人も気がついたとみえて早々やめてしまった。「なぜこんなに毒々しい顔だろう」と少々不審のていで鏡を目を去る三寸ばかりの所へ引き寄せる。右の人さしゆびで小鼻をなでて、なでた指の頭を机の上にあった吸い取り紙の上へ、うんと押しつける。吸い取られた鼻のあぶらが丸く紙の上へ浮き出した。いろいろな芸をやるものだ。それから主人は鼻のあぶらを塗《と》抹《まつ》した指《し》頭《とう》を転じてぐいと右《う》眼《がん》の下まぶたを返して、俗にいうべっかんこうをみごとやってのけた。あばたを研究しているのか、鏡とにらめくらをしているのかそのへんは少々不明である。気の多い主人のことだから見ているうちにいろいろになるとみえる。それどころではない。もし善意をもってこんにゃく問答的に《*》解釈してやれば主人は見《けん》性《しよう》自《じ》覚《かく》の方便としてかように鏡を相手にいろいろなしぐさを演じているのかもしれない。すべて人間の研究というものは自己を研究するのである。大地といい山《さん》川《せん》といい日《じつ》月《げつ》といい星《せい》辰《しん》というも皆自己の異《い》名《みよう》にすぎぬ。自己をおいて他に研究すべき事項は誰《たれ》人《びと》にも見いだしえぬわけだ。もし人間が自己以外に飛び出すことができたら、飛び出すとたんに自己はなくなってしまう。しかも自己の研究は自己以外にだれもしてくれる者はない。いくらしてやりたくても、もらいたくても、できない相談である。それだから古来の豪傑はみんな自《じ》力《りき》で豪傑になった。人のおかげで自己がわかるくらいなら、自分の代理に牛肉を食わして、堅いか柔らかいか判断のできるわけだ。朝《あした》に法を聞き、夕べに道を聞き、梧《ご》前《ぜん》燈《とう》下《か*》に書《しよ》巻《かん》を手にするのは皆この自証を挑《ちよう》撥《はつ》するの方便の具に過ぎぬ。人の説く法のうち、他の弁ずる道のうち、ないしは五《ご》車《しや》にあまる蠹《と》紙《し》堆《たい》裏《り*》に自己が存在するゆえんがない。あれば自己の幽霊である。もっともある場合において幽霊は無《む》霊《れい》よりまさるかもしれない。影を追えば本体に逢《ほう》着《ちやく》する時がないとも限らぬ。多くの影はたいてい本体を離れぬものだ。この意味で主人が鏡をひねくっているならだいぶ話せる男だ。エピクテタスなどを鵜《う》のみにして学者ぶるよりもはるかにましだと思う。
鏡はうぬぼれの醸造器であるごとく、同時に自慢の消毒器である。もし浮華虚栄の念をもってこれに対する時はこれほど愚物を扇《せん》動《どう》する道具はない。昔から増《ぞう》上《じよう》慢《まん》をもっておのれを害し他を〓《そこの》うた事蹟の三分の二はたしかに鏡の所作である。仏《ふつ》国《こく》革命の当時物好きなお医者さんが改良首きり器械《*》を発明してとんだ罪をつくったように、はじめて鏡をこしらえた人もさだめし寝ざめのわるいことだろう。しかし自分に愛《あい》想《そ》の尽きかけた時、自我の萎《い》縮《しゆく》したおりは鏡を見るほど薬になることはない。妍《けん》醜《しゆう》瞭《りよう》然《ぜん》だ。こんな顔でよくまあ人で候《そうろう》とそりかえって今日まで暮らされたものだと気がつくにきまっている。そこへ気がついた時が人間の生《しよう》涯《がい》中最もありがたい期節である。自分で自分のばかを承知しているほど尊く見えることはない。この自覚性ばかの前にはあらゆるえらがり屋がことごとく頭を下げて恐れ入らねばならぬ。当人は昂《こう》然《ぜん》として我を軽《けい》侮《ぷ》嘲《ちよう》笑《しよう》しているつもりでも、こちらから見るとその昂然たるところが恐れ入って頭を下げていることになる。主人は鏡を見ておのれの愚を悟るほどの賢者ではあるまい。しかしわが顔に印せられる痘《とう》痕《こん》の銘ぐらいは公平に読みうる男である。顔の醜いのを自認するのは心の賤《いや》しきを会《え》得《とく》する楷《かい》梯《てい》もなろう。たのもしい男だ。これも哲学者からやり込められた結果かもしれぬ。
かように考えながらなお様子をうかがっていると、それとも知らぬ主人は思う存分あかんべえをしたあとで「だいぶ充血しているようだ。やっぱり慢性結膜炎だ」と言いながら、人さし指の横つらでぐいぐい充血した瞼《まぶた》をこすり始めた。おおかたかゆいのだろうけれども、たださえあんなに赤くなっているものを、こうこすってはたまるまい。遠からぬうちに塩《しお》鯛《だい》の目玉のごとく腐《ふ》爛《らん》するにきまってる。やがて目を開いて鏡に向かったところを見ると、はたせるかなどんよりとして北《ほつ》国《こく》の冬空のように曇っていた。もっともふだんからあまり晴れ晴れしい目ではない。誇大な形容詞を用いると混《こん》沌《とん》として黒目と白目が剖《ぼう》判《はん》しないくらい漠《ばく》然《ぜん》としている。彼の精神が朦《もう》朧《ろう》として不得要領底に一貫しているごとく、彼の目も曖《あい》々《あい》然《ぜん》昧《まい》々《まい》然《ぜん》として長《とこし》えに眼《がん》窩《か》の奥に漂《ただよ》うている。これは胎毒のためだともいうし、あるいは疱《ほう》瘡《そう》の余波だとも解釈されて、小さい時分はだいぶ柳の虫や赤がえるの厄《やつ》介《かい》になったこともあるそうだが、せっかく母親のたんせいも、あるにそのかいあらばこそ、今日まで生まれた当時のままでぼんやりしている。吾輩ひそかに思うにこの状態はけっして胎毒や疱瘡のためではない。彼の目玉がかように晦《かい》渋《じゆう》溷《こん》濁《だく》の悲境に彷《ほう》徨《こう》しているのは、とりも直さず彼の頭脳が不透不明の実質から構成されていて、その作用が暗《あん》澹《たん》溟《めい》濛《もう》の極に達しているから、自然とこれが形体の上にあらわれて、知らぬ母親にいらぬ心配をかけたんだろう。煙たって火あるを知り、まなこ濁って愚なるを証す。してみると彼の目は彼の心の象徴で、彼の心は天《てん》保《ぽう》銭《せん》のごとく穴があいているから、彼の目もまた天保銭と同じく、大きな割合に通用しないに違いない。
今度は髯《ひげ》をねじり始めた。元来から行儀のよくない髯でみんな思い思いの姿勢をとってはえている。いくら個人主義がはやる世の中だって、こうまちまちにわがままを尽くされては持ち主の迷惑はさこそと思いやられる、主人もここにかんがみるところあって近ごろは大いに訓練を与えて、できうる限り系統的に按《あん》排《ばい》するように尽力している。その熱心の効果はむなしからずして昨今ようやく歩調が少しととのうようになってきた。今までは髯がはえておったのであるが、このごろは髯をはやしているのだと自慢するぐらいになった。熱心は成功の度に応じて鼓《こ》舞《ぶ》せられるものであるから、わが髯の前途有望なりと見てとった主人は朝な夕な、手がすいておれば必ず髯に向かって鞭《べん》撻《たつ》を加える。彼のアンビションはドイツ皇帝陛下《*》のように、向上の念のさかんな髯をたくわえるにある。それだから毛あなが横向きであろうとも、下向きであろうともいささか頓《とん》着《じやく》なく十ぱひとからげに握っては、上の方へ引っぱり上げる。髯もさぞかし難儀であろう、所有主たる主人すら時々は痛いこともある。がそこが訓練である。いやでも応でもさかにこき上げる。門外漢から見ると気の知れない道楽のようであるが、当局者だけは至当のことと心得ている。教育者がいたずらに生徒の本性をためて、ぼくの手がらを見たまえと誇るようなものでごうも非難すべき理由はない。
主人が満《まん》腔《こう》の熱誠をもって髯を調練していると、台所から多角性のおさんが郵便が参りましたと、例のごとく赤い手をぬっと書斎の中《うち》へ出した。右《み》手《ぎ》に髯をつかみ、左手《ひだり》に鏡を持った主人は、そのまま入り口の方を振りかえる。八の字の尾にさか立ちを命じたような髯を見るやいなやお多《た》角《かく*》はいきなり台所へ引きもどして、ハハハハとお釜《かま》のふたへ身をもたして笑った。主人は平気なものである。悠《ゆう》々《ゆう》と鏡をおろして郵便を取り上げた。第一信は活版ずりでなんだかいかめしい文字が並べてある。読んでみると
拝啓いよいよ御《ご》多《た》祥《しよう》賀し奉り候《そろ》回顧すれば日露の戦役は連戦連勝の勢いに乗じて平和克復を告げわが忠勇義烈なる将士は今や過半万歳声裏に凱《がい》歌《か》を奏し国民の歓喜何ものかこれにしかんさきに宣戦の大詔煥《かん》発《ぱつ》せらるるや義勇公に奉じたる将士は久しく万《ばん》里《り》の異境に在《あ》りてよく寒暑の苦難を忍び一意戦闘に従事し命《めい》を国家に捧げたるの至誠は永《なが》く銘して忘るべからざるところなりしこうして軍隊の凱旋は本月をもってほとんど終了を告げんとすよって本会は来たる二十五日を期し本区内一千有余の出征将校下士卒に対し本区民一般を代表しもって一大凱旋祝賀会を開催し兼ねて軍人遺族を慰《い》藉《しや》せんがため熱誠これを迎えいささか感謝の微《び》衷《ちゆう》を表したくついては各位の御協賛を仰ぎこの盛典を挙行するの幸いをえば本会の面目これに過ぎずと存じ候《そろ》間《あいだ》なにとぞ御賛成奮って義《ぎ》捐《えん》あらんことをひたすら希望の至りに堪《た》えず候《そろ》敬具
とあって差し出し人は華族様である。主人は黙読一過ののちただちに封の中へ巻き納めて知らん顔をしている。義捐などはおそらくしそうにない。せんだって東北凶作《*》の義捐金を二円とか三円とか出してから、会う人ごとに義捐をとられた、とられたと吹《ふい》聴《ちよう》しているくらいである。義捐とある以上はさし出すもので、とられるものでないにはきまっている。泥棒にあったのではあるまいし、とられたとは不穏当である。しかるにも関せず、盗難にでもかかったかのごとくに思ってるらしい主人がいかに軍隊の歓迎だといって、いかに華族様の勧誘だといって、強《ごう》談《だん》で持ちかけたらいざ知らず、活版の手紙ぐらいで金銭を出すような人間とは思われない。主人からいえば軍隊を歓迎する前にまず自分を歓迎したいのである。自分を歓迎したあとならたいていのものは歓迎しそうであるが、自分が朝《ちよう》夕《せき》にさしつかえるあいだは、歓迎は華族様に任せておく了見らしい。主人は第二信を取り上げたが「ヤ、これも活版だ」と言った。
時下秋冷の候《こう》に候《そろ》ところ貴家ますます御隆盛の段賀し上げ奉り候《そろ》のぶれば本校儀も御承知のとおり一昨々年以来二、三野心家のために妨げられ一時その極に達し候《そうら》えどもこれ皆不肖針《しん》作《さく》が足らざるところに起因すと存じ深く自ら警《いまし》むるところあり臥《が》薪《しん》甞《しよう》胆《たん》その苦辛の結果ようやくここに独力もってわが理想に適するだけの校舎新築費を得《う》るの途《みち》を講じ候《そろ》そは別儀にもござなく別冊裁縫秘術綱要と命名せる書冊出版の儀に御《ご》座《ざ》候《そろ》本書は不肖針作が多年苦心研究せる工芸上の原理原則にのっとり真に肉を裂き血を絞るの思いをなして著述せるものに御《ご》座《ざ》候《そろ》よって本書をあまねく一般の家庭へ製本実費に些《さ》少《しよう》の利潤を付《ふ》して御購求を願い一面斯《し》道《どう》発達の一助となすと同時にまた一面には僅《きん》少《しよう》の利潤を蓄積して校舎建築費に当つる心《しん》算《さん》に御《ご》座《ざ》候《そろ》よっては近ごろなんとも恐縮の至りに存じ候《そうら》えども本校建築費中へ御寄付なしくださると御《お》思《ぼし》召《め》しここに呈《てい》供《きよう》 仕《つかまつ》り候《そろ》秘術綱要一部を御購求の上御侍女の方《かた》へなりとも御分与なしくだされ候《そろ》て御賛同の意を御表章なしくだされたく伏して懇願仕り候《そろ》〓《そう》々《そう》敬具
大日本女子裁縫最高等大学院
校長縫《ぬい》田《だ》針《しん》作《さく》九拝
とある。主人はこの鄭《てい》重《ちよう》なる書面を、冷淡に丸めてぽんとくず籠《かご》の中へほうり込んだ。せっかくの針作君の九拝も臥薪甞胆もなんの役にも立たなかったのは気の毒である。第三信にかかる。第三信はすこぶる風変わりの光彩を放っている。状《じよう》袋《ぶくろ》が紅白のだんだらで、あめん棒の看板のごとくはなやかなるまん中に珍《ちん》野《の》苦《く》沙《しや》弥《み》先生虎《こ》皮《ひ》下《か》と八《はつ》分《ぷん》体《たい》で肉《にく》太《ぶと》にしたためてある。中からお太《た》さん《*》が出るかどうだか受け合わないが表だけはすこぶる立《りつ》派《ぱ》なものだ。
もし我をもって天地を律すれば一《ひと》口《くち》にして西《せい》江《こう》の水を吸いつくすべく《*》、もし天地をもって我を律すれば我はすなわち陌《はく》上《じよう*》の塵《ちり》のみ。すべからく道《い》え、天地と我と什《いん》麼《も》の交渉かある。……はじめて海鼠《なまこ》を食いいだせる人はその胆力において敬すべく、はじめて河《ふ》豚《ぐ》を喫せる漢《おとこ》はその勇気において重んずべし。海鼠《なまこ》を食らえる者は親《しん》鸞《らん》の再来にして、河豚を喫せるものは日《にち》蓮《れん》の分身なり。苦沙弥先生のごときに至ってはただ干《かん》瓢《ぴよう》の酢《す》味《み》噌《そ》を知るのみ。干瓢の酢味噌を食らって天下の士たるものは、我いまだこれを見ず。……
親友も汝《なんじ》を売るべし。父母も汝に私あるべし。愛人も汝を棄つべし。富《ふつ》貴《き》はもとより頼みがたかるべし。爵《しやく》禄《ろく》は一朝にして失うべし。汝の頭《とう》中《ちゆう》に秘蔵する学問には黴《かび》がはえるべし。汝何をたのまんとするか。天地のうちに何をたのまんとするか。神?
神は人間の苦しまぎれに捏《でつ》造《ぞう》せる土《ど》偶《ぐう》のみ。人間のせつな糞《ぐそ》の凝《ぎよう》結《けつ》せる臭《しゆう》骸《がい》のみ。たのむまじきをたのんで安しと言う。咄《とつ》々《とつ》、酔漢みだりに胡《う》乱《ろん》の言辞を弄《ろう》して、蹣《まん》跚《さん》として墓に向かう。油尽きて燈《とう》おのずから滅す。業《ごう》尽きて何物をかのこす。苦沙弥先生よろしくお茶でもあがれ《*》。……
人を人と思わざれば畏《おそ》るるところなし。人を人と思わざる者が、我を我と思わざる世を憤るはいかん。権貴栄達の士は人を人と思わざるにおいて得たるがごとし。ただ他《ひと》の我を我と思わぬ時において怫《ふつ》然《ぜん》として色を作《な》す。任意に色を作《な》しきたれ。馬《ば》鹿《か》野《や》郎《ろう》。……
我の人を人と思うとき、他《ひと》の我を我と思わぬ時、不平家は発作的に天《あま》降《くだ》る。この発作的活動を名づけて革命という。革命は不平家の所為にあらず。権貴栄達の士が好んで産するところなり。朝鮮に人《にん》参《じん》多し先生何がゆえに服せざる。
在《ざい》巣《す》鴨《がも》天《てん》道《どう》公《こう》平《へい》再拝
針作君は九拝であったが、この男はたんに再拝だけである。寄付金の依頼でないだけに七拝ほど横《おう》風《ふう》に構えている。寄付金の依頼ではないがそのかわりすこぶるわかりにくいものだ。どこの雑誌へ出しても没書になる価値は十分あるのだから、頭脳の不透明をもってなる主人は必ずずたずたに引き裂いてしまうだろうと思いのほか、打ち返し打ち返し読み直している。こんな手紙に意味があると考えて、あくまでその意味をきわめようという決心かもしれない。およそ天地の間《かん》にわからんものはたくさんあるが意味をつけてつかないものは一つもない。どんなむずかしい文章でも解釈しようとすれば容易に解釈のできるものだ。人間はばかであると言おうが、人間は利口であると言おうが手もなくわかることだ。それどころではない。人間は犬であると言っても豚であると言ってもべつに苦しむほどの命題ではない。山は低いと言ってもかまわん、宇宙は狭いと言ってもさしつかえはない。烏《からす》が白くて小《こ》町《まち》が醜婦で苫沙弥先生が君子でも通らんことはない。だからこんな無意味な手紙でもなんとかかとか理《り》窟《くつ》さえつければどうとも意味はとれる。ことに主人のように知らぬ英語をむりやりにこじつけて説明し通して来た男はなおさら意味をつけたがるのである。天気の悪いのになぜグード・モーニングですかと生徒に問われて七《なぬ》日《か》間《かん》考えたり、コロンバスという名は日本語でなんと言いますかと聞かれて三日三晩かかって答えをくふうするくらいな男には、干《かん》瓢《ぴよう》の酢《す》味《み》噌《そ》が天下の士であろうと、朝鮮の人参を食って革命を起こそうと随意な意味は随所にわき出るわけである。主人はしばらくしてグード・モーニング流にこの難解の言《ごん》句《く》をのみこんだと見えて「なかなか意味深長だ。なんでもよほど哲理を研究した人に違いない。あっばれな見識だ」とたいへん賞賛した。この一言でも主人の愚なところはよくわかるが、翻って考えてみるといささかもっともな点もある。主人は何によらずわからぬものをありがたがる癖を有している。これはあながち主人に限ったことでもなかろう。わからぬ所にはばかにできないものが潜伏して、測るべからざるへんにはなんだか気《け》高《だか》い心持ちが起こるものだ。それだから俗人はわからぬことをわかったように吹《ふい》聴《ちよう》するにもかかわらず、学者はわかったことをわからぬように講釈する。大学の講義でもわからんことをしゃべる人は評判がよくってわかることを説明する者は人望がないのでもよく知れる。主人がこの手紙に敬服したのも意義が明《めい》瞭《りよう》であるからではない。その主旨が那《な》辺《へん》に存するかほとんど捕えがたいからである。急に海《な》鼠《まこ》が出て来たり、せつな糞《ぐそ》が出てくるからである。だから主人がこの文章を敬服する唯一の理由は、道《どう》家《け》で道《どう》徳《とく》経《きよう*》を尊敬し、儒《じゆ》家《か》で易《えき》経《きよう》を尊敬し、禅《ぜん》家《け》で臨《りん》済《ざい》録《ろく》を尊敬すると一般で全くわからんからである。ただし全然わからんでは気がすまんからかってな注釈をつけてわかった顔だけはする。わからんものをわかったつもりで尊敬するのは昔から愉快なものである。――主人はうやうやしく八《はつ》分《ぷん》体《たい》の名筆を巻き納めて、これを机上に置いたままふところ手をして冥《めい》想《そう》に沈んでいる。
ところへ「頼む頼む」と玄関から大きな声で案内をこう者がある。声は迷亭のようだが、迷亭に似合わずしきりに案内を頼んでいる。主人は先から書斎のうちでその声を聞いているのだがふところ手のままごうも動こうとしない。取り次ぎに出るのは主人の役目でないという主義か、この主人はけっして書斎から挨《あい》拶《さつ》をしたことがない。下女はさっきせんたくシャボンを買いに出た。細君は憚《はばか》りである。すると取り次ぎに出べきものは吾輩だけになる。吾輩だって出るのはいやだ。すると客人は沓《くつ》脱《ぬぎ》から敷《しき》台《だい》へ飛び上がって障子をあけ放ってつかつか上がり込んで来た。主人も主人だが客も客だ。座敷の方へ行ったなと思うと襖《ふすま》を二、三度あけたりたてたりして、今度は書斎の方へやって来る。
「おい冗談じゃない。何をしているんだ、お客さんだよ」
「おや君か」
「おや君かもないもんだ。そこにいるならなんとか言えばいいのに、まるであき家のようじゃないか」
「うん、ちと考えごとがあるもんだから」
「考えていたって通れぐらいは言えるだろう」
「言えんこともないさ」
「相変わらず度胸がいいね」
「せんだってから精神の修養を努めているんだもの」
「物好きだな。精神を修養して返事ができなくなったひには来客は御難だね。そんなに落ち付かれちや困るんだぜ。じつはぼく一人来たんじゃないよ。たいへんなお客さんを連れて来たんだよ。ちょっと出て会ってくれたまえ」
「だれを連れて来たんだい」
「だれでもいいからちょっと出て会ってくれたまえ。ぜひ君に会いたいと言うんだから」
「だれだい」
「だれでもいいから立ちたまえ」
主人はふところ手のままぬっと立ちながら「また人をかつぐつもりだろう」と縁側へ出てなんの気もつかずに客間へはいり込んだ。すると六尺の床《とこ》を正面に一個の老人が粛然と端座して控えている。主人は思わずふところから両手を出してぺたりと唐《から》紙《かみ》のそばへ尻《しり》を片づけてしまった。これでは老人と同じく西向きであるから双方とも挨《あい》拶《さつ》のしようがない。昔かたぎの人は礼儀はやかましいものだ。
「さあどうぞあれへ」と床の間《ま》の方をさして主人を促す。主人は両三年前《まえ》までは座敷はどこへすわってもかまわんものと心得ていたのだが、その後《ご》ある人から床の間の講釈を聞いて、あれは上段の間《ま》の変化したもので、上《じよう》使《し》がすわる所だと悟って以来けっして床の間へは寄りつかない男である。ことに見ず知らずの年長者が頑《がん》と構えているのだから上座どころではない。挨拶さえろくにはできない。一応頭をさげて
「さあどうぞあれへ」と向こうの言うとおりを繰り返した。
「いやそれでは御挨拶ができかねますから、どうぞあれへ」
「いえ、それでは……どうぞあれへ」と主人はいいかげんに先方の口上をまねている。
「どうもそう、御《ご》謙《けん》遜《そん》では恐れ入る。かえって手前が痛み入る。どうか御遠慮なく、さあどうぞ」
「御謙遜では……恐れますから……どうか」主人はまっかになって口をもごもご言わせている。
精神修養もあまり効果がないようである。迷亭君は襖《ふすま》の影から笑いながら立ち見をしていたが、もういい時分だと思って、後ろから主人の尻を押しやりながら
「まあ出たまえ。そう唐紙へくっついてはぼくがすわる所がない。遠慮せずに前へでたまえ」と無理に割り込んでくる。主人はやむをえず前の方へすり出る。
「苦沙弥君これが毎々君にうわさをする静岡の伯《お》父《じ》だよ。伯父さんこれが苦沙弥君です」
「いやはじめてお目にかかります。毎度迷亭が出てお邪魔をいたすそうで、いつか参上の上御高話を拝聴いたそうと存じておりましたところ、幸い今日は御近所を通行いたしたもので、お礼かたがた伺ったわけで、どうぞお見知りおかれまして今後ともよろしく」と昔ふうな口上をよどみなく述べたてる。主人は交際の狭い、無口な人間である上に、こんな古風なじいさんとはほとんど出会ったことがないのだから、最初から多少場うての気味で辟《へき》易《えき》していたところへ、滔《とう》々《とう》と浴びせかけられたのだから、朝鮮人参もあめん棒の状《じよう》袋《ぶくろ》もすっかり忘れてしまってただ苦し紛れに妙な返事をする。
「私も……私も……ちょっと伺うはずでありましたところ……なにぶんよろしく」と言い終わって頭を少々畳から上げて見ると老人はいまだに平伏しているので、はっと恐縮してまた頭をぴたりと着けた。
老人は呼吸を計って首をあげながら「私ももとはこちらに屋敷もあって、ながらくお膝《ひざ》元《もと》でくらしたものでがすが、瓦《が》解《かい》のおりにあちらへ参ってからとんと出てこんのでな。今来てみるとまるで方角もわからんくらいで、――迷亭にでも連れて歩いてもらわんと、とても用たしもできません。滄《そう》桑《そう》の変とは申しながら、御《ごに》入《ゆう》国《こく》以来三百年も、あのとおり将軍家の……」と言いかけると迷亭先生めんどうだと心得て
「伯父さん将軍家もありがたいかもしれませんが、明治の代《よ》も結構ですぜ。昔は赤十字《*》なんてものもなかったでしょう」
「それはない。赤十字などと称するものは全くない。ことに宮様のお顔を拝むなどということは明治の御《み》代《よ》でなくてはできぬことだ。わしも長生きをしたおかげでこのとおり今日の総会にも出席するし、宮殿下のお声も聞くし、もうこれで死んでもいい」
「まあ久しぶりで東京見物をするだけでも得ですよ。苦沙弥君、伯父はね、今度赤十字の総会があるのでわざわざ静岡から出て来てね、きょういっしょに上野へ出かけたんだが今その帰りがけなんだよ。それだからこのとおり先日ぼくが白木屋へ注文したフロックコートを着ているのさ」と注意する。なるほどフロックコートを着ている。フロックコートは着ているがすこしもからだに合わない。袖《そで》が長すぎて、襟《えり》がおっ開《ぴら》いて、背中へ池ができて、わきの下がつるし上がっている。いくら不《ぶ》恰《かつ》好《こう》に作ろうといったって、こうまで念を入れて形をくずすわけにはゆかないだろう。その上白シャツと白襟が離れ離れになって、仰むくとあいだからのど仏が見える。第一黒い襟飾りが襟に属しているのか、シャツに属しているのか判然しない。フロックはまだ我慢ができるが白髪《しらが》のチョンまげははなはだ奇観である。評判の鉄《てつ》扇《せん》はどうかと目をつけるとひざの横にちゃんと引きつけている。主人はこの時ようやく本心に立ち返って、精神修養の結果を存分に老人の服装に応用して少々驚いた。まさか迷亭の話ほどではなかろうと思っていたが、会ってみると話以上である。もし自分のあばたが歴史的研究の材料になるならば、この老人のチョンまげや鉄扇はたしかにそれ以上の価値がある。主人はどうかしてこの鉄扇の由来を聞いてみたいと思ったが、まさか、打ちつけに質問するわけにはゆかず、といって話をとぎらすのも礼に欠けると思って
「だいぶ人が出ましたろう」ときわめて尋常な問いをかけた。
「いや非常な人で、それでその人が皆わしをじろじろ見るので――どうも近来は人間が物見高くなったようでがすな。昔はあんなではなかったが」
「ええ、さよう、昔はそんなではなかったですな」と老人らしいことを言う。これはあながち主人が知ったかぶりをしたわけではない。ただ朦《もう》朧《ろう》たる頭脳からいいかげんに流れ出す言語とみればさしつかえない。
「それにな。皆この甲割《かぶとわ》りへ目をつけるので」
「その鉄扇はだいぶ重いものでございましょう」
「若沙弥君、ちょっと持ってみたまえ。なかなか重いよ。伯父さん持たしてごらんなさい」
老人は重たそうに取り上げて「失礼でがすが」と主人に渡す。京都の黒《くろ》谷《だに*》で参詣人が蓮《れん》生《しよう》坊《ぼう》の太《た》刀《ち》をいただくようなかたで、苦沙弥先生しばらく持っていたが「なるほど」と言ったまま老人に返却した。
「みんながこれを鉄扇鉄扇と言うが、これは甲割《かぶとわ》りととなえて鉄扇とはまるで別物で……」
「へえ、なんにしたものでございましょう」
「兜《かぶと》を割るので、――敵の目がくらむところを撃《う》ちとったものでがす。楠《くすの》正《きまさ》成《しげ》時代から用いたようで……」
「伯父さん、そりゃ正成の甲割りですかね」
「いえ、これはだれのかわからん。しかし時代は古い。建《けん》武《む》時代の作かもしれない」
「建武時代かもしれないが、寒月君は弱っていましたぜ。苦沙弥君、きょう帰りにちょうどいい機会だから大学を通り抜けるついでに理科へ寄って、物理の実験室を見せてもらったところがね。この甲割りが鉄だものだから、磁力の器械が狂って大騒ぎさ」
「いや、そんなはずはない。これは建武時代の鉄で、性《しよう》のいい鉄だからけっしてそんなおそれはない」
「いくら性のいい鉄だってそうはいきませんよ。現に寒月がそう言ったからしかたがないです」
「寒月というのは、あのガラス球《だま》を磨《す》っている男かい。今の若さに気の毒なことだ。もう少し何かやることがありそうなものだ」
「かあいそうに、あれだって研究でさあ。あの球を磨りあげると立派な学者になれるんですからね」
「玉を磨りあげて立派な学者になれるなら、だれにでもできる。わしにでもできる。ビードロやの主人にでもできる。ああいうことをする者を漢土では玉《ぎよく》人《じん》と称したもので至って身分の軽い者だ」と言いながら主人の方を向いて暗に賛成を求める。
「なるほど」と主人はかしこまっている。
「すべて今の世の学問は皆形而《けいじ》下《か》の学でちょっと結構なようだが、いざとなるとすこしも役には立ちませんてな。昔はそれと違って侍《さむらい》は皆命がけの商売だから、いざという時に狼《ろう》狽《ばい》せぬように心の修業をいたしたもので、御承知でもあらっしゃろうがなかなか玉を磨ったり針金を綯《よ》ったりするようなたやすいものではなかったでがすよ」
「なるほど」とやはりかしこまっている。
「伯父さん心の修業というものは玉を磨る代わりにふところ手をしてすわり込んでるんでしょう」
「それだから困る。けっしてそんな造作のないものではない。孟《もう》子《し》は求《きゆう》放《ほう》心《しん*》と言われたくらいだ。邵《しよう》康《こう》節《せつ》は心《しん》要《よう》放《ほう*》と説いたこともある。また仏《ぶつ》家《か》では中《ちゆう》峯《ほう》和《おし》尚《よう》というのが具《ぐ》不《ふ》退《たい》転《てん*》ということを教えている。なかなか容易にはわからん」
「とうていわかりっこありませんね。ぜんたいどうすればいいんです」
「お前は沢《たく》菴《あん》禅《ぜん》師《じ》の不《ふ》動《どう》智《ち》神《しん》妙《みよう》録《ろく》というものを読んだことがあるかい」
「いいえ、聞いたこともありません」
「心をどこに置こうぞ。敵の身の働きに心を置けば、敵の身の働きに心を取らるるなり。敵の太《た》刀《ち》に心を置けば、敵の太刀に心を取らるるなり。敵を切らんと思う所に心を置けば、敵を切らんと思う所に心を取らるるなり。わが太刀に心を置けば、わが太刀に心を取らるるなり。我切られじと思う所に心を置けば、切られじと思う所に心を取らるるなり。人の構えに心を置けば、人の構えに心を取らるるなり。とかく心の置き所はないとある」
「よく忘れずに暗《あん》唱《しよう》したものですね。伯父さんもなかなか記憶がいい。長いじゃありませんか。苦沙弥君わかったかい」
「なるほど」と今度もなるほどですましてしまった。
「なあ、あなた、そうでござりましょう。心はどこに置こうぞ、敵の身の働きに心を置けば、敵の働きに心を取らるるなり。敵の太刀に心を置けば……」
「伯父さん苦沙弥君はそんなことは、よく心得ているんですよ。近ごろは毎日書斎で精神の修養ばかりしているんですから。客があっても取り次ぎに出ないくらい心を置きざりにしているんだから大丈夫ですよ」
「や、それは御《ご》奇《き》特《とく》なことで――お前などもちとごいっしょにやったらよかろろ」
「へへへそんな暇はありませんよ。伯父さんは自分が楽なからだだもんだから、人も遊んでると思っていらっしゃるんでしょう」
「じっさい遊んでるじゃないかの」
「ところが閑《かん》中《ちゆう》おのずから忙《ぼう》ありでね」
「そう、粗《そ》忽《こつ》だから修業をせんといかないと言うのよ、忙《ぼう》中《ちゆう》おのずから閑《かん》ありという成句はあるが、閑中おのずから忙ありというのは聞いたことがない。なあ苦沙弥さん」
「ええ、どうも聞きませんようで」
「ハハハハそうなっちゃあかなわない。時に伯父さんどうです。久しぶりで東京のうなぎでも食っちゃあ。竹《ちく》葉《よう*》でもおごりましょう。これから電車で行くとすぐです」
「うなぎも結構だが、きょうはこれからすい原《はら》へ行く約束があるから、わしはこれで御免をこうむろう」
「ああ杉《すぎ》原《はら》ですか、あのじいさんも達者ですね」
「杉原ではない、すい原《はら》さ。お前はよく間違いばかり言って困る。他人の姓名を取り違えるのは失礼だ。よく気をつけんといけない」
「だって杉原と書いてあるじゃありませんか」
「杉原と書いてすい原《はら》と読むのさ」
「妙ですね」
「なに妙なことがあるものか。名《みよう》目《もく》読み《*》といって昔からあることさ。蚯《きゆう》蚓《いん》を和《わ》名《みよう》でみみずと言う。あれは目見ずの名目読みで。蝦《が》蟆《ま》のことをかいると言うのと同じことさ」
「へえ、驚いたな」
「蝦蟆を打ち殺すと仰向きにかえる。それを名目読みにかいると言う。透《すき》垣《がき》をすい垣、茎《くき》立《たて》をくく立《たて》、皆同じことだ。杉《すい》原《はら》をすぎ原《はら》などと言うのは田舎《いなか》者《もの》の言葉さ。少し気をつけないと人に笑われる」
「じゃ、その、すい原へこれから行くんですか。困ったな」
「なにいやならお前は行かんでもいい。わし一人で行くから」
「一人で行けますかい」
「歩いてはむずかしい。車を雇っていただいて、ここから乗って行こう」
主人はかしこまってただちにおさんを車屋へ走らせる。老人は長々と挨《あい》拶《さつ》をしてチョンまげ頭へ山高帽をいただいて帰って行く。迷亭はあとへ残る。
「あれが君の伯父さんか」
「あれがぼくの伯父さんさ」
「なるほど」と再び座《ざ》布《ぶ》団《とん》の上にすわったなりふところ手をして考え込んでいる。
「ハハハ豪傑だろう。ぼくもああいう伯父さんを持ってしあわせなものさ。どこへ連れて行ってもあのとおりなんだぜ。君驚いたろう」と迷亭君は主人を驚かしたつもりで大いに喜んでいる。
「なにそんなに驚きゃしない」
「あれで驚かなけりゃ、胆力のすわったもんだ」
「しかしあの伯父さんはなかなかえらいところがあるようだ。精神の修養を主張するところなぞは大いに敬服していい」
「敬服していいかね。君も今に六十ぐらいになるとやっぱりあの伯父みたように、時候おくれになるかもしれないぜ。しっかりしてくれたまえ。時候おくれの回り持ちなんか気がきかないよ」
「君はしきりに時候おくれを気にするが、時と場合によると、時候おくれのほうがえらいんだぜ。第一今の学問というものは先へ先へと行くだけで、どこまで行ったって際限はありゃしない。とうてい満足は得られやしない。そこへゆくと東洋流の学問は消極的で大いに味わいがある。心そのものの修業をするのだから」とせんだって哲学者から承ったとおりを自説のように述べ立てる。
「えらいことになってきたぜ。なんだか八《や》木《ぎ》独《どく》仙《せん》君のようなことを言ってるね」
八木独仙という名を聞いて主人ははっと驚いた。じつはせんだって臥《が》竜《りよう》窟《くつ》を訪問して主人を説服に及んで悠《ゆう》然《ぜん》と立ち去った哲学者というのが取りも直さずこの八木独仙君であって、今主人がしかつめらしく述べ立てている議論は全くこの八木独仙君の受け売りなのであるから、知らんと思った迷亭がこの先生の名を間《かん》不《ふよ》容《よう》髪《はつ*》の際に持ち出したのは暗に主人の一夜作りの仮《かり》鼻《ばな》をくじいたわけになる。
「君独仙の説を聞いたことがあるのかい」と主人はけんのんだから念を推《お》してみる。
「聞いたの、聞かないのって、あの男の説ときたら、十年前《ぜん》学校にいた時分と今日と少しも変わりゃしない」
「真理はそう変わるものじゃないから、変わらないところがたのもしいかもしれない」
「まあそんなひいきがあるから独仙もあれで立ちゆくんだね。第一八木という名からして、よくできてるよ。あの髯《ひげ》が君全く山《や》羊《ぎ》だからね。そうしてあれも寄宿舎時代からあのとおりの恰好ではえていたんだ。名前の独仙などもふるったものさ。昔ぼくの所へ泊まりがけに来て例のとおり消極的の修養という議論をしてね。いつまでたっても同じことを繰り返してやめないから、ぼくが君もう寝ようじゃないかと言うと、先生気楽なものさ、いやぼくは眠くないとすましきって、やっぱり消極論をやるには迷惑したね。しかたがないから君は眠くなかろうけれども、ぼくのほうはたいへん眠いのだから、どうか寝てくれたまえと頼むようにして寝かしたまではよかったが――その晩鼠《ねずみ》が出て独仙君の鼻のあたまをかじってね。夜なかに大騒ぎさ。先生悟ったようなことを言うけれども命は依然として惜しかったとみえて、非常に心配するのさ。鼠の毒が総《そう》身《しん》にまわるとたいへんだ、君どうかしてくれと責めるには閉口したね。それからしかたがないから台所へ行って紙ぎれへ飯粒をはってごまかしてやったあね」
「どうして」
「これは舶《はく》来《らい》の膏《こう》薬《やく》で、近来ドイツの名医が発明したので、インド人などの毒《どく》蛇《じや》にかまれた時に用いると即効があるんだから、これさえはっておけば大丈夫だと言ってね」
「君はその時分からごまかすことに妙を得ていたんだね
「……すると独仙君はああいう好人物だから、全くだと思って安心してぐうぐう寝てしまったのさ。あくる日起きてみると膏薬の下から糸くずがぶらさがって例の山《や》羊《ぎ》髯《ひげ》に引っかかっていたのは滑《こつ》稽《けい》だったよ」
「しかしあの時分よりだいぶえらくなったようだよ」
「君近ごろ会ったのかい」
「一週間ばかり前に来て、長い間話をして行った」
「どうりで独仙流の消極説を振りまわすと思った」
「じつはその時大いに感心してしまったから、ぼくも大いに奮発して修養をやろうと思ってるところなんだ」
「奮発は結構だがね。あんまり人の言うことを真《ま》に受けるとばかをみるぜ。いったい君は人の言うことをなんでもかでも正直に受けるからいけない。独仙も口だけは立派なものだがね、いざとなるとお互いと同じものだよ。君九年前《まえ》の大地震《*》を知ってるだろう。あの時寄宿の二階から飛び降りてけがをしたものは独仙君だけなんだからな」
「あれには当人だいぶ説があるようじゃないか」
「そうさ、当人に言わせるとすこぶるありがたいものさ。禅の機《き》鋒《ほう*》は峻《しゆん》峭《しよう》なもので、いわゆる石《せき》火《か》の機《*》となるとこわいくらい早く物に応ずることができる。ほかの者が地震だといってうろたえているところを自分だけは二階の窓から飛びおりたところに修業の効があらわれてうれしいと言って、跛《びつこ》を引きながらうれしがっていた。負け惜しみの強い男だ。いったい禅とか仏《ぶつ》とかいって騒ぎ立てる連《れん》中《じゆう》ほどあやしいのはないぜ」
「そうかな」と苦沙弥先生少々腰が弱くなる。
「このあいだ来た時禅宗坊主の寝言みたようなことを何か言ってったろう」
「うん電《でん》光《こう》影《えい》裏《り》に春《しゆん》風《ぷう》をきるとかいう句を教えて行ったよ」
「その電光さ。あれが十年前《まえ》からのお箱なんだからおかしいよ。無《む》覚《かく》禅《ぜん》師《じ*》の電光ときたら寄宿舎じゅうだれも知らない者はないくらいだった。それに先生時々せき込むと間違えて電光影裏をさかさまに春風影裏に電光をきると言うからおもしろい。今度ためしてみたまえ。向こうで落ち付きはらって述べたてているところを、こっちでいろいろ反対するんだね。するとすぐ顛《てん》倒《どう》して妙なことを言うよ」
「君のようないたずら者に会っちゃかなわない」
「どっちがいたずら者だかわかりゃしない。ぼくは禅坊主だの、悟ったのは大きらいだ。ぼくの近所の南《なん》蔵《ぞう》院《いん》という寺があるが、あすこに八十ばかりの隠居がいる。それでこのあいだの夕立の時寺内へ雷《らい》が落ちて隠居のいる庭先の松の木を裂いてしまった。ところが和《おし》尚《よう》泰然として平気だというから、よく聞き合わせてみるとから聾《つんぼ》なんだね。それじゃ泰然たるわけさ。たいがいそんなものさ。独仙も一人で悟っていればいいのだが、ややもすると人を誘い出すから悪い。現に独仙のおかげで二人ばかり気違いにされているからな」
「だれが」
「だれがって。一人は理《り》野《の》陶《とう》然《ぜん》さ。独仙のおかげで大いに禅学に凝り固まって鎌《かま》倉《くら》へ出かけて行って、とうとう出先で気違いになってしまった。円《えん》覚《がく》寺《じ》の前に汽車の踏切があるだろう、あの踏切うちへ飛び込んでレールの上で座禅をするんだ。それで向こうから来る汽車をとめてみせるという大気炎さ。もっとも汽車のほうでとまってくれたから一命だけはとりとめたが、そのかわり今度は火に入って焼けず、水に入って溺《おぼ》れぬ金《こん》剛《ごう》不《ふ》壊《え》のからだだと号して寺内の蓮《はす》池《いけ》へはいってぶくぶく歩き回ったもんだ」
「死んだかい」
「その時も幸い、道場の坊主が通りかかって助けてくれたが、その後東京へ帰ってから、とうとう腹膜炎で死んでしまった。死んだのは腹膜炎だが、腹膜炎になった原因は僧堂で麦《むぎ》飯《めし》や万《まん》年《ねん》漬《づけ》を食ったせいだから、つまるところは間接に独仙が殺したようなものさ」
「むやみに熱中するのもよしあしだね」と主人はちょっと気味の悪いという顔つきをする。
「ほんとうにさ。独仙にやられた者がもう一人同窓中にある」
「あぶないね。だれだい」
「立《たち》町《まち》老《ろう》梅《ばい》君さ。あの男も全く独仙にそそのかされてうなぎが天上するようなことばかり言っていたが、とうとう君本《ほん》物《もの》になってしまった」
「本物たあなんだい」
「とうとううなぎが天上して、豚が仙人になったのさ」
「なんのことだい、それは」
「八木が独仙なら、立町は豚《ぶた》仙《せん》さ、あのくらい食い意地のきたない男はなかったが、あの食い意地と禅坊主の悪意地が併発したのだから助からない。初めはぼくらも気がつかなかったが今から考えると妙なことばかり並べていたよ。ぼくのうちなどへ来て君あの松の木へカツレツが飛んできやしませんかの、ぼくの国では蒲《かま》鉾《ぼこ》が板へ乗って泳いでいますのって、しきりに警句を吐いたもんさ。ただ吐いているうちはよかったが君表のどぶへきんとんを掘りにゆきましょうと促すに至ってはぼくも降参したね。それから二、三日するとついに豚仙になって巣《す》鴨《がも》へ収容されてしまった。元来豚なんぞが気違いになる資格はないんだが、全く独仙のおかげであすこまでこぎつけたんだね。独仙の勢力もなかなかえらいよ」
「へえ、今でも巣鴨にいるのかい」
「いるだんじゃない。自《じ》大《だい》狂《きよう》で大気炎を吐いている。近ごろは立町老梅なんて名はつまらないというので、みずから天《てん》道《どう》公《こう》平《へい》と号して、天道の権《ごん》化《げ》をもって任じている。すさまじいものだよ。まあちょっと行ってみたまえ」
「天道公平?」
「天道公平だよ。気違いのくせにうまい名をつけたものだね。時々は孔《こう》平《へい》とも書くことがある。それでなんでも世人が迷ってるからぜひ救ってやりたいというので、むやみに友人や何かへ手紙を出すんだね。ぼくも四、五通もらったが、中にはなかなか長いやつがあって不足税を二度ばかりとられたよ」
「それじゃぼくのとこへ来たのも老梅から来たんだ」
「君のとこへも来たかい。そいつは妙だ。やっぱり赤い状袋だろう」
「うん、まん中が赤くて左右が白い。一風変わった状袋だ」
「あれはね、わざわざシナから取り寄せるのだそうだよ。天の道は白なり、地の道は白なり、人は中《ちゆう》間《かん》にあって赤しという豚仙の格言を示したんだって……」
「なかなか因《いん》縁《ねん》のある状袋だね」
「気違いだけに大いに凝ったものさ。そうして気違いになっても食い意地だけは依然として存しているものとみえて、毎回必ず食い物のことが書いてあるから奇妙だ。君のとこへもなんとか言って来たろう」
「うん、海鼠《なまこ》のことがかいてある」
「老梅は海鼠が好きだったからね。もっともだ。それから?」
「それから河《ふ》豚《ぐ》と朝《ちよう》鮮《せん》人《にん》参《じん》か何か書いてある」
「河豚と朝鮮人参の取り合わせはうまいね。おおかた河豚を食って中《あた》ったら朝鮮人参を煎《せん》じて飲めとでもいうつもりなんだろう」
「そうでもないようだ」
「そうでなくてもかまわないさ。どうせ気違いだもの。それっきりかい」
「まだある。苦沙弥先生お茶でもあがれという句がある」
「アハハハお茶でもあがれはきびし過ぎる。それで大いに君をやり込めたつもりに違いない。大出来だ。天道公平君万歳だ」と迷亭先生はおもしろがって、大いに笑いだす。主人は少なからざる尊敬をもって反復読《どく》誦《しよう》した書《しよ》翰《かん》の差出人が金《きん》箔《ぱく》つきの狂人であると知ってから、最前の熱心と苦心がなんだかむだ骨のような気がして腹立たしくもあり、また瘋《ふう》癲《てん》病《びよう》者《しや》の文章をさほど心労して翫《がん》味《み》したかと思うと恥ずかしくもあり、最後に狂人の作にこれほど感服する以上は自分も多少神経に異状がありはせぬかとの疑念もあるので、立腹と、慚《ざん》愧《き》と、心配の合《がつ》併《ぺい》した状態でなんだか落ち付かない顔つきをして控えている。
おりから表《おもて》格《ごう》子《し》をあららかにあけて、重い靴《くつ》の音がふた足ほど沓《くつ》脱《ぬぎ》に響いたと思ったら「ちょっと頼みます、ちょっと頼みます」と大きな声がする。主人の尻《しり》の重いに反して迷亭はまたすこぶる気軽な男であるから、おさんの取り次ぎに出るのもまたず、通れと言いながら隔ての中の間《ま》をふた足ばかりに飛び越えて玄関におどり出した。人のうちへ案内もこわずにつかつかはいり込むところは迷惑のようだが、人のうちへはいった以上は書生同様取り次ぎを務めるからはなはだ便利である。いくら迷亭でもお客さんには相違ない、そのお客さんが玄関へ出張するのに主人たる苦沙弥先生が座敷へ構え込んで動かん法はない。普通の男ならあとから引き続いて出陣すべきはずであるが、そこが苦沙弥先生である。平気に座布団の上へ尻を落ち付けている。ただし落ち付けているのと、落ち付いているのとは、その趣はだいぶ似ているが、その実質はよほど違う。
玄関へ飛び出した迷亭は何かしきりに弁じていたが、やがて奥の方を向いて「おい御主人ちょっと御足労だが出てくれたまえ。君でなくっちゃ、間に合わない」と大きな声を出す。主人はやむをえずふところ手のままのそりのそりと出てくる。見ると迷亭君は一枚の名刺を握ったまましゃがんで挨拶をしている。すこぶる威厳のない腰つきである。その名刺には警視庁刑事巡査吉《よし》田《だ》虎《とら》蔵《ぞう》とある。虎蔵君と並んで立っているのは二十五、六の背《せい》の高い、いなせな唐《とう》桟《ざん》ずくめの男である。妙なことにこの男は主人と同じくふところ手をしたまま、無言で突っ立っている。なんだか見たような顔だと思ってよくよく観察すると、見たようなどころじゃない。このあいだ深夜御来訪になって山の芋を持ってゆかれた泥《どろ》棒《ぼう》君《くん》である。おや今度は白昼公然と玄関からおいでになったな。
「おいこのかたは刑事巡査でせんだっての泥棒をつらまえたから、君に出頭しろというんで、わざわざおいでになったんだよ」
主人はようやく刑事が踏み込んだ理由がわかったとみえて、頭をさげて泥棒の方を向いて丁寧におじぎをした。泥棒のほうが虎蔵君より男ぶりがいいので、こっちが刑事だと早《はや》合《が》点《てん》をしたのだろう。泥棒も驚いたに相違ないが、まさかわたしが泥棒ですよと断わるわけにもゆかなかったとみえて、すまして立っている。やはりふところ手のままである。もっとも手錠をはめているのだから、出そうといっても出る気づかいはない。通例の者ならこの様子でたいていはわかるはずだが、この主人は当世の人間に似合わず、むやみに役人や警察をありがたがる癖がある。お上《かみ》の御威光となると非常に恐ろしいものと心得ている。もっとも理論上からいうと、巡査なぞは自分たちが金を出して番人に雇っておくのだぐらいのことは心得ているのだが、実際に臨むといやにへえへえする。主人のおやじはその昔場末の名《な》主《ぬし*》であったから、上の者にぴょこぴょこ頭を下げて暮らした習慣が、因果となってかように子に酬《むく》ったのかもしれない。まことに気の毒な至りである。
巡査はおかしかったとみえて、にやにや笑いながら「あしたね、午前九時までに日《に》本《ほん》堤《づつみ》の分署まで来てください。――盗難品はなんとなんでしたかね」
「盗難品は……」と言いかけたが、あいにく先生たいがい忘れている。ただ覚えているのは多《た》々《た》良《ら》三《さん》平《ぺい》の山の芋だけである。山の芋などはどうでもかまわんと思ったが、盗難品は……と言いかけてあとが出ないのはいかにも与《よ》太《た》郎《ろう》のようで体裁が悪い。人が盗まれたのならいざ知らず、自分が盗まれておきながら、明瞭の答えができんのは一《いち》人《にん》前《まえ》ではない証拠だと、思い切って「盗難品は……山の芋一箱」とつけた。
泥棒はこの時よほどおかしかったとみえて、下を向いて着物の襟《えり》へあごを入れた。迷亭はアハハハと笑いながら「山の芋がよほど惜しかったとみえるね」と言った。巡査だけ存外まじめである。
「山の芋は出ないようだがほかの物件はたいがいもどったようです。――まあ来てみたらわかるでしょう。それでね、下げ渡したら請《うけ》書《しよ》がいるから、印《いん》形《ぎよう》を忘れずに持っておいでなさい。――九時までに来なくってはいかん。日本堤分署です。――浅《あさ》草《くさ》警察署の管轄内の日本堤分署です。――それじゃ、さようなら」とひとりで弁じて帰って行く。泥棒君も続いて門を出る。手が出せないので、門をしめることができないからあけ放しのまま行ってしまった。恐れ入りながらも不平とみえて、主人は頬《ほお》をふくらめて、ぴしゃりと立て切った。
「アハハハ君は刑事をたいへん尊敬するね。つねにああいう恭謙な態度を持ってるといい男だが、君は巡査だけに丁寧なんだから困る」
「だってせっかく知らせて来てくれたんじゃないか」
「知らせに来るったって、先は商売だよ。あたりまえにあしらってりゃたくさんだ」
「しかしただの商売じゃない」
「無論ただの商売じゃない。探偵といういけすかない商売さ。あたりまえの商売より下等だね」
「君そんなことを言うとひどい目に会うぜ」
「ハハハそれじゃ刑事の悪口はやめにしよう。しかし君刑事を尊敬するのは、まだしもだが、泥棒を尊敬するに至っては、驚かざるをえんよ」
「だれが泥棒を尊敬したい」
「君がしたのさ」
「ぼくが泥棒に近づきがあるもんか」
「あるもんかって君は泥棒におじぎをしたじゃないか」
「いつ?」
「たった今平身低頭したじゃないか」
「ばかあ言ってら、あれは刑事だね」
「刑事があんななりをするものか」
「刑事だからあんななりをするんじゃないか」
「頑固だな」
「君こそ頑固だ」
「まあ第一、刑事が人の所へ来てあんなふところ手なんかして、突っ立っているものかね」
「刑事だってふところ手をしないとは限るまい」
「そう猛烈にやってきては恐れ入るがね。君がおじぎをする間あいつは始終あのままで立っていたのだぜ」
「刑事だからそのくらいのことはあるかもしれんさ」
「どうも自信家だな。いくら言っても聞かないね」
「聞かないさ。君は口先ばかりで泥棒だ泥棒だと言ってるだけで、その泥棒がはいるところを見届けたわけじゃないんだから。ただそう思ってひとりで強情を張ってるんだ」
迷亭もここにおいてとうてい済《さい》度《ど》すべからざる男と断念したものとみえて、例に似ず黙ってしまった。主人は久しぶりで迷亭をへこましたと思って大得意である。迷亭から見ると主人の価値は強情を張っただけ下落したつもりであるが、主人から言うと強情を張っただけ迷亭よりえらくなったのである。世の中にはこんな頓《とん》珍《ちん》漢《かん》なことはままある。強情さえ張り通せば勝った気でいるうちに、当人の人物としての相場ははるかに下落してしまう。不思議なことに頑固の本人は死ぬまで自分は面目を施したつもりかなにかで、その時以後人が軽《けい》蔑《べつ》して相手にしてくれないのだとは夢にも悟りえない。幸福なものである。こんな幸福を豚的幸福と名づけるのだそうだ。
「ともかくもあした行くつもりかい」
「行くとも、九時までに来いというから、八時から出て行く」
「学校はどうする」
「休むさ。学校なんか」とたたきつけるように言ったのはさかんなものだった。
「えらい勢いだね。休んでもいいのかい」
「いいともぼくの学校は月給だから、さし引かれる気づかいはない、大丈夫だ」とまっすぐに白状してしまった。ずるいこともずるいが、単純なことも単純なものだ。
「君、行くのはいいが道を知ってるかい」
「知るものか。車に乗って行けばわけはないだろう」とぷんぷんしている。
「静岡の伯父に譲らざる東《とう》京《きよう》通《つう》なるには恐れ入る」
「いくらでも恐れ入るがいい」
「ハハハ日本堤分署というのはね、君ただの所じゃないよ。吉《よし》原《わら》だよ」
「なんだ?」
「吉原だよ」
「あの遊郭のある吉原か?」
「そうさ、吉原といやあ、東京に一つしかないやね。どうだ、行ってみる気かい」と迷亭君またからかいかける。
主人は吉原と聞いて、そいつはと少々逡《しゆん》巡《じゆん》のていであったが、たちまち思い返して「吉原だろうが、遊郭だろうが、いったん行くと言った以上はきっとゆく」といらざるところに力《りき》んでみせた。愚人は得てこんなところに意地を張るものだ。
迷亭君は「まあおもしろかろう、見て来たまえ」と言ったのみである。一《ひと》波《は》欄《らん》を生じた刑事事件はこれでひとまず落着を告げた。迷亭はそれから相変わらず駄《だ》弁《べん》を弄《ろう》して日暮れ方、あまりおそくなると伯父におこられると言って帰って行った。
迷亭が帰ってから、そこそこに晩飯をすまして、また書斎へ引き揚げた主人は再び拱《きよう》手《しゆ》して下《しも》のように考え始めた。
「自分が感服して、大いに見習おうとした八木独仙君も迷亭の話によってみると、べつだん見習うにも及ばない人間のようである。のみならず彼の唱《しよう》道《どう》するところの説はなんだか非常識で、迷亭の言うとおり多少瘋癲的系統に属してもおりそうだ。いわんや彼はれっきとした二人の気違いの子分を有している。はなはだ危険である。めったに近よると同系統内に引きずりこまれそうである。自分が文章の上において驚嘆の余《よ》、これこそ大見識を有している偉人に相違ないと思い込んだ天道公平こと実名立町老梅は純然たる狂人であって、現に巣鴨の病院に起居している。迷亭の記述が棒大のざれ言《ごと》にもせよ、彼が瘋癲院中に盛名をほしいままにして天道の主宰をもってみずから任ずるのはおそらく事実であろう。こういう自分もことによると少々ござっているかもしれない。同気相求め、同類相集まるというから、気違いの説に感服する以上は――少なくともその文章言辞に同情を表する以上は――自分もまた気違いに縁の近い者であるだろう。よし同型中に鋳《ちゆう》化《か》せられんでも軒を比《なら》べて狂人と隣り合わせに居《きよ》を卜《ぼく》するとすれば、境の壁を一《ひと》重《え》打ち抜いていつのまにか同室内にひざを突き合わせて談笑することがないとも限らん。こいつはたいへんだ。なるほど考えてみるとこのほどじゅうから自分の脳の作用は我ながら驚くくらい奇《き》上《じよう》に妙を点じ変《へん》傍《ぼう》に珍《ちん》を添えている。脳《のう》漿《しよう》一《いつ》勺《せき》の化学的変化はとにかく意志の動いて行為となるところ、発して言辞と化するあたりには不思議にも中庸を失した点が多い。舌《ぜつ》上《じよう》に竜《りゆう》泉《せん》なく、腋《えき》下《か》に清《せい》風《ふう》を生ぜざるも、歯《し》根《こん》に狂《きよう》臭《しゆう》あり、筋《きん》頭《とう》に瘋《ふう》味あるをいかんせん。いよいよたいへんだ。ことによるともうすでに立派な患者になっているのではないかしらん。まだ幸いに人を傷つけたり、世間の邪魔になることをしでかさんからやはり町内を追い払われずに、東京市民として存在しているのではなかろうか。こいつは消極の積極のという段じゃない。まず脈《みやく》搏《はく》からして検査しなくてはならん。しかし脈には変わりはないようだ。頭は熱いかしらん。これもべつに逆上の気味でもない。しかしどうも心配だ」
「こう自分と気違いばかりを比較して類似の点ばかり勘定していては、どうしても気違いの領分を脱することはできそうにもない。これは方法が悪かった。気違いを標準にして自分をそっちへ引きつけて解釈するからこんな結論が出るのである。もし健康な人を本位にしてそのそばへ自分を置いて考えてみたらあるいは反対の結果が出るかもしれない。それにはまず手近から始めなくてはいかん。第一にきょう来たフロックコートの伯父さんはどうだ。心をどこに置こうぞ……あれも少々怪しいようだ。第二に寒月はどうだ。朝から晩まで弁当持参で珠《たま》ばかりみがいている。これも棒《ぼう》組《ぐみ》だ。第三はと……迷亭? あれはふざけ回るのを天職のように心得ている。全く陽性の気違いに相違ない。第四にと……金《かね》田《だ》の細君。あの毒悪な根性は全く常識をはずれている。純然たる気じるしにきまってる。第五は金田君の番だ。金田君にはお目にかかったことはないが、まずあの細君をうやうやしくおっ立てて、琴《きん》瑟《しつ》調和しているところをみると非凡の人間と見立ててさしつかえあるまい。非凡は気違いの異《いみ》名《よう》であるから、まずこれも同類にしておいてかまわない。それからと、――まだあるある。落雲館の諸君子だ、年齢からいうとまた芽ばえだが、躁《そう》狂《きよう》の点においては一《いつ》世《せい》をむなしゅうするに足るあっぱれな豪の者である。こう数え立ててみるとたいていのものは同類のようである。案外心丈夫になってきた。ことによると社会はみんな気違いの寄り合いかもしれない。気違いが集合して鎬《しのぎ》を削ってつかみ合い、いがみ合い、ののしり合い、奪い合って、その全体が団体として細胞のようにくずれたり、持ちあがったり、持ちあがったり、くずれたりして暮らしてゆくのを社会というのではないかしらん。その中で多少理窟がわかって、分別のあるやつはかえって邪魔になるから、瘋癲院というものを作って、ここへ押し込めて出られないようにするのではないかしらん。すると瘋癲院に幽閉されている者は普通の人で、院外にあばれている者はかえって気違いである。気違いも孤立しているあいだはどこまでも気違いにされてしまうが、団体となって勢力が出ると、健全の人間になってしまうのかもしれない。大きな気違いが金力や威力を濫《らん》用《よう》して多くの小気違いを使役して乱暴を働いて、人から立派な男だと言われている例は少なくない。何がなんだかわからなくなった」
以上は主人が当夜煢《けい》々《けい》たる孤燈のもとで沈思熟慮した時の心的作用をありのままに描き出したものである。彼の頭脳の不透明なることはここにも著しくあらわれている。彼はカイゼルに似た八字髯《ひげ》をたくわらるにもかかわらず狂人と常人の差別さえなしえぬくらいのぼんくらである。のみならず彼はせっかくこの間題を提供して自己の思索力に訴えながら、ついになんらの結論に達せずしてやめてしまった。何事によらず彼は徹底的に考える脳力のない男である。彼の結論の茫《ぼう》漠《ばく》として、彼の鼻《び》孔《こう》から迸《へい》出《しゆつ》する朝日の煙のごとく、捕《ほ》捉《そく》しがたきは、彼の議論における唯一の特色として記憶すべき事実である。
吾輩は猫である。猫のくせにどうして主人の心中をかく精密に記述しうるかと疑う者があるかもしれんが、このくらいなことは猫にとってなんでもない。吾輩はこれで読心術を心得ている。いつ心得たなんて、そんなよけいなことは聞かんでもいい。ともかくも心得ている。人間のひざの上に乗って眠っているうちに、吾輩は吾輩の柔らかな毛《け》衣《ごろも》をそっと人間の腹にこすりつける。すると一道の電気が起こって彼の腹の中のいきさつが手にとるように吾輩の心《しん》眼《がん》に映ずる。せんだってなどは主人がやさしく吾輩の頭をなで回しながら、突然この猫の皮をはいでちゃんちゃんにしたらさぞあたたかでよかろうととんでもない了見をむらむらと起こしたのを即座に気《け》取《ど》って覚えずひやっとしたことさえある。こわいことだ。当夜主人の頭の中に起こった以上の思想もそんなわけあいで幸いにも諸君に御報道することができるように相成ったのは吾輩の大いに栄誉とするところである。ただし主人は「何がなんだかわからなくなった」まで考えてそのあとはぐうぐう寝てしまったのである。あすになれば何をどこまで考えたかまるで忘れてしまうに違いない。向《こう》後《ご》もし主人が気違いについて考えることがあるとすれば、もう一ぺん出直して頭から考え始めなければならぬ。そうするとはたしてこんな径路を取って、こんなふうに「何がなんだかわからなくなる」かどうだか保証できない。しかしなんべん考え直しても、何条の径路をとって進もうとも、ついに「何がなんだかわからなくなる」だけはたしかである。
一〇
「あなた、もう七時ですよ」と襖《ふすま》越《ご》しに細《さい》君《くん》が声をかけた。主人は目がさめているのだか、寝ているのだか、向こうむきになったぎり返事もしない。返事をしないのはこの男の癖である。ぜひなんとか口を切らなければならない時はうんと言う。このうんも容易なことでは出てこない。人間も返事がうるさくなるくらい無《ぶ》精《しよう》になると、どことなく趣があるが、こんな人に限って女に好かれたためしがない。現在連れ添う細君ですら、あまり珍《ちん》重《ちよう》しておらんようだから、その他は推して知るべしと言ってもたいした間違いはなかろう。親兄弟に見離され、あかの他人の傾《けい》城《せい》に、かあいがられようはずがない《*》、とある以上は、細君にさえ持てない主人が、世間一般の淑《しゆく》女《じよ》に気に入るはずがない。何も異性間に不人望な主人をこの際ことさらに暴《ばく》露《ろ》する必要もないのだが、本人においては存外な考え違いをして、全く年回りのせいで細君に好かれないのだなどと理《り》窟《くつ》をつけていると、迷いの種であるから、自覚の一助にもなろうかとの親切心からちょっと申し添えるまでである。
言いつけられた時刻に、時刻がきたと注意しても、先方がその注意を無にする以上は、向こうをむいてうんさえ発せざる以上は、その曲《きよく》は夫にあって、妻にあらずと論定したる細君は、おそくなっても知りませんよという姿勢で箒《ほうき》とはたきをかついで書斎の方へ行ってしまった。やがてぱたぱた書斎じゅうをたたき散らす音がするのは例によって例のごとき掃《そう》除《じ》を始めたのである。いったい掃除の目的は運動のためか、遊戯のためか、掃除の役目を帯びぬ吾《わが》輩《はい》の関知するところでないから、知らん顔をしていればさしつかえないようなものの、ここの細君の掃除法のごときに至ってはすこぶる無意義のものと言わざるをえない。何が無意義であるというと、この細君はたんに掃除のために掃除をしているからである。はたきを一通り障子へかけて、箒を一応畳の上へすべらせる。それで掃除は完成したものと解釈している。掃除の原因および結果に至っては微《み》塵《じん》の責任だに背負っておらん。かるがゆえにきれいな所は毎日きれいだが、ごみのある所、ほこりの積もっている所はいつでもごみがたまってほこりが積もっている。告《こく》朔《さく》の〓《き》羊《よう*》という故事もあることだから、これでもやらんよりはましかもしれない。しかしやってもべつだん主人のためにはならない。ならないところを毎日毎日御苦労にもやるところが細君のえらいところである。細君と掃除とは多年の習慣で、器械的の連想をかたちづくって頑《がん》として結びつけられているにもかかわらず、掃除の実に至っては、細君がいまだ生まれざる以前のごとく、はたきと箒が発明せられざる昔のごとく、ごうもあがっておらん。思うにこの両者の関係は形式論理学の命題における名辞のごとくその内容のいかんにかかわらず結合せられたものであろう。
吾輩は主人と違って、元来が早起きのほうだから、この時すでに空腹になって参った。とうていうちの者さえ膳《ぜん》に向かわぬさきから、猫の身分をもって朝めしにありつけるわけのものではないが、そこが猫の浅ましさで、もしや煙の立った汁《しる》の香《におい》が鮑《あわび》貝《がい》の中から、うまそうに立ち上がっておりはすまいかと思うと、じっとしていられなくなった。はかないことを、はかないと知りながら頼みにする時は、ただその頼みだけを頭の中に描いて、動かずに落ち付いているほうが得策であるが、さてそうはゆかぬもので、心の願いと実際が、合うか合わぬかぜひとも試験してみたくなる。試験してみれば必ず失望するにきまってることですら、最後の失望をみずから事実の上に受け取るまでは承知できんものである。吾輩はたまらなくなって台所へはい出した。まずへっついの影にある鮑貝の中をのぞいてみると案にたがわず、夕べなめつくしたまま、闃《げき》然《ぜん》として、怪しき光が引き窓をもる初《はつ》秋《あき》の日影にかがやいている。おさんはすでに炊《た》きたての飯を、お櫃《はち》に移して、今や七輪にかけた鍋《なべ》の中をかきまぜつつある。釜《かま》の周囲には沸き上がって流れだした米の汁が、かさかさに幾すじとなくこびり付いて、あるものは吉《よし》野《の》紙《がみ》をはりつけたごとくに見える。もう飯も汁もできているのだから食わせてもよさそうなものだと思った。こんな時に遠慮するのはつまらない話だ、よしんば自分の望みどおりにならなくったって元々で損はゆかないのだから、思い切って朝《あさ》飯《めし》の催促をしてやろう、いくら居《い》候《そうろう》の身分だってひもじいに変わりはない。と考え定めた吾輩はにゃあにゃあと甘えるごとく訴うるがごとく、あるいはまた怨《えん》ずるがごとく泣いてみた。おさんはいっこう顧みるけしきがない。生まれついての御《お》多《た》角《かく》だから人情にうといのはとうから承知の上だが、そこをうまく泣き立てて同情を起こさせるのが、こっちの手ぎわである。今度はにゃごにゃごとやってみた。その泣き声は我ながら悲壮の音《おん》を帯びて天《てん》涯《がい》の遊《ゆう》子《し》をして断腸の思いあらしむるに足ると信ずる。おさんは恬《てん》として顧みない。この女はつんぼなのかもしれない。つんぼでは下女が勤まるわけがないが、ことによると猫の声だけにはつんぼなのだろう。世の中には色盲というのがあって、当人は完全な視力を備えているつもりでも、医者から言わせると片《かた》輪《わ》だそうだが、このおさんは声《せい》盲《もう》なのだろう。声盲だって片輪に違いない。片輪のくせにいやに横《おう》風《ふう》なものだ。夜中なぞでも、いくらこっちが用があるからあけてくれろと言ってもけっしてあけてくれたことがない。たまに出してくれたと思うと今度はどうしても入れてくれない。夏だって夜露は毒だ。いわんや霜《しも》においてをやで、軒下に立ち明かして日の出を待つのは、どんなにつらいかとうてい想像できるものではない。このあいだしめ出しを食った時などはのら犬の襲撃をこうむって、すでに危うくみえたところを、ようやくのことで物置きの家根へかけ上がって、終夜ふるえつづけたことさえある。これらは皆おさんの不人情から胚《はい》胎《たい》した不都合である。こんなものを相手にして泣いてみせたって、感応のあるはずはないのだが、そこが、ひもじい時の神頼み、貧のぬすみに恋のふみというくらいだから、たいていのことならやる気になる。にゃごおうにゃごおうと三度目には、注意を喚起するためにことさらに複雑なる泣き方をしてみた。自分ではべトヴェンのシンフォニーにも劣らざる美妙の音と確信しているのだがおさんにはなんらの影響も生じないようだ。おさんは突然ひざをついて、揚《あ》げ板を一枚はねのけて、中から堅《かた》炭《ずみ》の四寸ばかり長いのを一本つかみ出した。それからその長いやつを七輪の角《かど》でぽんぽんたたいたら、長いのが三つほどに砕けて近所は炭の粉でまっ黒くなった。少々は汁の中へもはいったらしい。おさんはそんなことに頓《とん》着《じやく》する女ではない。ただちにくだけたる三個の炭を鍋の尻から七輪の中へ押し込んだ。とうてい吾輩のシンフォニーには耳を傾けそうにもない。しかたがないから悄《しよう》然《ぜん》と茶の間の方へ引き返そうとして風《ふ》呂《ろ》場《ば》の横を通り過ぎると、ここは今女の子が三人で顔を洗ってる最中で、なかなか繁《はん》昌《じよう》している。
顔を洗うといったところで、上の二人が幼椎園の生徒で、三番日は姉の尻についてさえ行かれないくらい小さいのだから、正式に顔が洗えて器用にお化《け》粧《しよう》ができるはずがない。いちばん小さいのがバケツの中からぬれぞうきんを引きずり出してしきりに顔じゅうなで回している。ぞうきんで顔を洗うのはさだめし心持ちが悪かろうけれども、地震がゆるたびにおもちろいわと言う子だからこのくらいのことはあっても驚くに足らん。ことによると八木独仙君より悟っているかもしれない。さすがに長女は長女だけに、姉をもってみずから任じているから、うがい茶わんをからからかんとほうり出して「坊やちゃん、それはぞうきんよ」とぞうきんをとりにかかる。坊やちゃんもなかなか自信家だから容易に姉の言うことなんか聞きそうにもない。「いやーよ、ばぶ」と言いながらぞうきんを引っぱり返した。このばぶなる語はいかなる意義で、いかなる語源を有しているか、だれも知ってる者がない。ただこの坊やちゃんがかんしゃくを起こした時におりおり御使用になるばかりだ。ぞうきんはこの時姉の手と坊やちゃんの手で左右に引っぱられるから、水を含んだまん中からぽたぽたしずくがたれて、容赦なく坊やの足にかかる、足だけなら我慢するがひざのあたりがしたたかぬれる。坊やはこれでも元《げん》禄《ろく》を着ているのである。元禄とはなんのことだとだんだん聞いてみると、中《ちゆう》形《がた》の模様ならなんでも元禄だそうだ。いったいだれに教わって来たものかわからない。「坊やちゃん、元禄がぬれるからおよしなさい、ね」と姉がしゃれたことを言う。そのくせこの姉はついこのあいだまで元禄と双《すご》六《ろく》とを間違えていた物知りである。
元禄で思い出したからついでにしゃべってしまうが、この子供の言葉ちがいをやることはおびただしいもので、おりおり人をばかにしたような間違いを言ってる。火事で茸《きのこ》が飛んで来たり、お茶の味《み》噌《そ》の女学校へ行ったり、恵《え》比《び》寿《す》、台《だい》所《どこ》と並べたり、ある時などは「わたしゃ藁《わら》店《だな*》の子じゃないわ」と言うから、よくよく聞きただしてみると裏《うら》店《だな》と藁店を混同していたりする。主人はこんな間違いを聞くたびに笑っているが、自分が学校へ出て英語を教える時などは、これよりも滑《こつ》稽《けい》な誤《ごび》謬《ゆう》をまじめになって、生徒に聞かせるのだろう。
坊やは――当人は坊やとは言わない、いつでも坊ばと言う――元禄がぬれたのを見て「元《げん》どこがべたい」と言って泣きだした。元禄が冷たくてはたいへんだから、おさんが台所から飛び出して来て、ぞうきんを取り上げて着物をふいてやる。この騒動中比較的静かであったのは、次女のすん子嬢である。すん子嬢は向こうむきになって棚《たな》の上からころがり落ちた、お白粉《しろい》のびんをあけて、しきりにお化粧を施している。第一に突っ込んだ指をもって鼻の頭をキューとなでたから縦に一本白い筋が通って、鼻のありかがいささか分《ぶん》明《みよう》になってきた。次に塗りつけた指を転じて頬《ほお》の上を摩《ま》擦《さつ》したから、そこへもってきて、これまた白いかたまりができあがった。これだけ装飾が整ったところへ、下女がはいって来て坊ばの着物をふいたついでに、すん子の顔もふいてしまった。すん子は少々不満のていに見えた。
吾輩はこの光景を横に見て、茶の間から主人の寝室まで来てもう起きたかとひそかに様子をうかがってみると、主人の頭がどこにも見えない。そのかわり十《と》文《もん》半《はん》の甲の高い足が、夜具のすそから一本はみ出している。頭が出ていて起こされる時に迷惑だと思って、かくもぐり込んだのであろう。亀《かめ》の子のような男である。ところへ書斎の掃除をしてしまった細君がまた箒とはたきをかついでやって来る。最前のように襖の入り口から
「まだお起きにならないのですか」と声をかけたまま、しばらく立って、首の出ない夜具を見つめていた。今度も返事がない。細君は入り口から二足ばかり進んで、箒をとんと突きながら「まだなんですか、あなた」と重ねて返事を承る。この時主人はすでに目がさめている。さめているから、細君の襲撃にそなうるため、あらかじめ夜具の中に首もろとも立てこもったのである。首さえ出さなければ、見のがしてくれることもあろうと、つまらないことを頼みにして寝ていたところ、なかなか許しそうもない。しかし第一回の声は敷居の上で、少なくとも一間《けん》の間隔があったから、まず安心と腹のうちで思っていると、とんと突いた箒がなんでも三尺ぐらいの距離に迫っていたのにはちょっと驚いた。のみならず第一の「まだなんですか、あなた」が距離においても音量においても前よりも倍以上の勢いをもって夜貝の中まで聞こえたから、こいつはだめだと覚悟をして、小さな声でうんと返事をした。
「九時までにいらっしゃるのでしょう。早くなさらないと間に合いませんよ」
「そんなに言わなくても今起きる」と夜着の袖《そで》口《ぐち》から答えたのは奇観である。細君はいつでもこの手を食って起きるかと思って安心していると、また寝込まれつけているから、油断はできないと「さあお起きなさい」とせめ立てる。起きるというのに、なお起きろと責めるのは気に食わんもんだ。主人のごときわがまま者にはなお気に食わん。ここにおいてか主人は今まで頭からかぶっていた夜着を一度にはねのけた。見ると大きな目を二つともあいている。
「なんだ騒々しい。起きるといえば起きるのだ」
「起きるとおっしゃってもお起きなさらんじゃありませんか」
「だれがいつ、そんなうそをついた」
「いつでもですわ」
「ばかをいえ」
「どっちがばかだかわかりゃしない」と細君ぷんとして箒を突いて枕《まくら》もとに立っているところは勇ましかった。この時裏の車屋の子供、八っちゃんが急に大きな声をしてワーと泣きだす。八っちゃんは主人がおこりだしさえすれば必ず泣きだすべく、車屋のかみさんから命ぜられるのである。かみさんは主人がおこるたんびに八っちゃんを泣かして小《こ》遣《づかい》になるかもしれんが、八っちゃんこそいい迷惑だ。こんなおふくろを持ったが最後朝から晩まで泣き通しに泣いていなくてはならない。少しはこのへんの事情を察して主人も少々おこるのを差し控えてやったら、八っちゃんの寿命が少しは延びるだろうに、いくら金田君から頼まれたって、こんな愚なことをするのは、天道公平君よりもはげしくおいでになっているほうだと鑑定してもよかろう。おこるたんびに泣かせられるだけなら、また余裕もあるけれども、金田君が近所のゴロツキを雇って今戸焼きをきめ込むたびに八っちゃんは泣かねばならんのである。主人がおこるかおおこらぬか、また判然しないうちから、必ずおこるべきものと予想して、早手回しに八っちゃんは泣いているのである。こうなると主人が八っちゃんだか、八っちゃんが主人だか判然しなくなる。主人にあてつけるに手《て》数《すう》はかからない。ちょっと八っちゃんにけんつくを食わせればなんの苦もなく、主人の横《よこ》面《つら》を張ったわけになる。昔西洋で犯罪者を処刑する時に、本人が国境外に逃亡して、捕えられん時は、偶像をつくって人間の代わりに火あぶりにしたというが、彼らのうちにも西洋の故事に通《つう》暁《ぎよう》する軍師があるとみえて、うまい計略を授けたものである。落雲館といい、八っちゃんのおふくろといい、腕のきかぬ主人にとってはさだめし苦《にが》手《て》であろう。そのほか苦手はいろいろある。あるいは町内じゅうことごとく苦手かもしれんが、ただ今は関係がないから、だんだんなしくずしに紹介いたすことにする。
八っちゃんの泣き声を聞いた主人は、朝っぱらからよほどかんしゃくが起こったとみえて、たちまちがばと布《ふ》団《とん》の上に起き直った。こうなると精神修養も八木独仙も何もあったものじゃない。起き直りながら両方の手でゴシゴシゴシと表《ひよう》皮《ひ》のむけるほど、頭じゅう引っかき回す。一か月もたまっているフケは遠慮なく、首筋やら、寝巻の襟《えり》へ飛んでくる。非常な壮観である。髯《ひげ》はどうだとみるとこれはまた驚くべく、ぴん然とおっ立っている。持ち主がおこっているのに髯だけ落ち付いていてはすまないとでも心得たものか、一本一本にかんしゃくを起こして、かって次第の方角へ猛烈なる勢いをもって突進している。これとてもなかなかの見ものである。きのうは鏡の手前もあることだから、おとなしくドイツ皇帝陛下のまねをして整列したのであるが、一晩寝れば訓練も何もあったものではない。ただちに本来の面目に帰って思い思いのいでたちにもどるのである。あたかも主人の一夜作りの精神修養が、あくる日になるとぬぐうがごとくきれいに消え去って、生まれついての野《や》猪《ちよ》的《てき》本領がただちに全面を暴露しきたるのと一般である。こんな乱暴な髯をもっている、こんな乱暴な男が、よくまあ今まで免職にもならずに教師が勤まったものだと思うと、はじめて日本の広いことがわかる。広ければこそ金田君や金田君の犬が人間として通用しているのでもあろう。彼らが人間として通用するあいだは主人も免職になる理由がないと確信しているらしい。いざとなれば巣鴨へはがきを飛ばして天道公平君に聞き合わせてみればすぐわかることだ。
この時主人は、きのう紹介した混《こん》沌《とん》たる太古の目を精いっぱいに見張って、向こうの戸《と》棚《だな》をきっと見た。これは高さ一間を横に仕切って上下ともおのおの二枚の袋戸をはめたものである。下の方の戸棚は、布団のすそとすれすれの距離にあるから、起き直った主人が目をあきさえすれば、天然自然ここに視線が向くようにできている。見ると模様を置いた紙がところどころ破れて妙な腸《はらわた》があからさまに見える。腸にはいろいろなのがある。あるものは活版ずりで、あるものは肉筆である。あるものは裏返しで、あるものはさかさまである。主人はこの腸を見ると同時に、何が書いてあるか読みたくなった。今までは車屋のかみさんでも捕《つら》まえて、鼻づらを松の木へこすりつけてやろうぐらいにまでおこっていた主人が、突然この反《ほ》古《ご》紙《がみ》を読んでみたくなるのは不思議のようであるが、こういう陽性のかんしゃく持ちには珍しくないことだ。子供が泣く時に最《も》中《なか》の一つもあてがえばすぐ笑うと一般である。主人が昔さる所のお寺に下宿している時《*》、襖《ふすま》一《ひと》重《え》を隔てて尼が五、六人いた。尼などというものは元来意地の悪い女のうちで最も意地の悪い者であるが、この尼が主人の性質を見抜いたものとみえて自炊の鍋をたたきながら、今泣いた烏《からす》がもう笑ったと拍子を取って歌ったそうだ、主人が尼が大きらいになったのはこの時からだというが、尼はきらいにせよ全くそれに違いない。主人は泣いたり、笑ったり、うれしがったり、悲しがったり人一倍もする代わりにいずれも長く続いたことがない。よく言えば執《しゆう》着《じやく》がなくて、心機がむやみに転ずるのだろうが、これを俗語に翻訳してやさしく言えば奥ゆきのない、薄っぺらの鼻つぱりだけ強いだだっ子である。すでにだだっ子である以上は、けんかをする勢いで、むっくとはね起きた主人が急に気をかえて袋戸の腸を読みにかかるのももっともと言わねばなるまい。第一に目にとまったのが伊《い》藤《とう》博《はく》文《ぶん》のさか立ちである。上を見ると明治十一年九月二十八日とある。韓《かん》国《こく》統《とう》監《かん*》もこの時代からお布《ふ》令《れ》のしっぽを追っかけて歩いていたと見える。大将この時分は何をしていたんだろうと、読めそうにないところを無理に読むと大《おお》蔵《くら》卿《きよう》とある。なるほどえらいものだ。いくらさか立ちしても大蔵卿である。少し左の方を見ると今度は大蔵卿横になって昼寝をしている。もっともだ。さか立ちではそう長く続く気づかいはない。下の方に大きな木《もく》板《ばん》で汝はと二字だけ見える、あとが見たいがあいにく露出しておらん。次の行には早くの二字だけ出ている。こいつも読みたいがそれぎりで手がかりがない。もし主人が警視庁の探《たん》偵《てい》であったら、人のものでもかまわずに引っぺがすかもしれない。探偵というものには高等な教育を受けた者がないから事実をあげるためにはなんでもする。あれは始末にゆかないものだ。願わくばもう少し遠慮をしてもらいたい。遠慮をしなければ事実はけっしてあげさせないことにしたらよかろう。聞くところによると彼らは羅《ら》織《しき》虚《きよ》構《こう》をもって良民を罪に陥《おとしい》れることさえあるそうだ。良民が金を出して雇っておく者が、雇い主を罪にするなどときてはこれまた立派な気違いである。次に目を転じてまん中を見るとまん中には大《おお》分《いた》県《けん》が宙返りをしている。伊藤博文でさえさか立ちをするくらいだから、大分県が宙返りをするのは当然である。主人はここまで読んで来て、双方へ握りこぶしをこしらえて、これを高く天井に向けて突きあげた。あくびの用意である。
このあくびがまた鯨《くじら》の遠ぼえのようにすこぶる変調をきわめたものであったが、それが一段落を告げると、主人はのそのそと着物をきかえて顔を洗いに風呂場へ出かけて行った。待ちかねた細君はいきなり布団をまくって夜着を畳んで、例のとおり掃除を始める。掃除が例のとおりであるごとく、主人の顔の洗い方も十年一日のごとく例のとおりである。先日紹介をしたごとく依然としてがーがー、げーげーを持続している。やがて頭を分け終わって、西洋手ぬぐいを肩へかけて、茶の間へ出《しゆつ》御《ぎよ》になると、超然として長《なが》火《ひ》鉢《ばち》の横に座を占めた。長火鉢というと欅《けやき》の如《じよ》輪《りん》木《もく》か、銅《あか》の総《そう》落《お》としで、洗い髪の姉《あね》御《ご》が立てひざで、長《なが》煙管《ギセル》を黒《くろ》柿《がき》の縁《ふち》へたたきつけるさまを想見する諸君もないとも限らないが、わが苦沙弥先生の長火鉢に至ってはけっしてそんな意気なものではない。なんで造ったものか素人《しろうと》には見《けん》当《とう》のつかんくらい古雅なものである。長火鉢はふき込んで、てらてら光るところが身《しん》上《しよう》なのだが、この代《しろ》物《もの》は欅か桜か桐《きり》か元来不《ふ》明《めい》瞭《りよう》な上に、ほとんどふきんをかけたことがないのだから陰気で引き立たざることおびただしい。こんなものをどこから買って来たかというと、けっして買った覚えはない。そんならもらったのかと聞くと、だれもくれた人はないそうだ。しからば盗んだのかとただしてみると、なんだかそのへんが曖《あい》昧《まい》である。昔親類に隠居がおって、その隠居が死んだ時、当分留《る》守《す》番《ばん》を頼まれたことがある。ところがその後一戸を構えて、隠居所を引き払う際に、そこで自分のもののように使っていた火鉢をなんの気もなく、つい持って来てしまったのだそうだ。少々たちが悪いようだ。考えるとたちが悪いようだがこんなことは世間に往々あることだと思う。銀行家などは毎日人の金をあつかいつけているうちに人の金が、自分の金のように見えてくるそうだ。役人は人民の召使である。用事を弁じさせるために、ある権限を委託した代理人のようなものだ。ところが委任された権力を笠《かさ》に着て毎日事務を処理していると、これは自分が所有している権力で、人民などはこれについてなんらの喙《くちばし》を容《い》るる理由がないものだなどと狂ってくる。こんな人が世の中に充満している以上は長火鉢事件をもって主人に泥棒根性があると断定するわけにはゆかぬ。もし主人に泥棒根性があるとすれば、天下の人にはみんな泥棒根性がある。
長火鉢のそばに陣取って、食卓を前に控えたる主人の三面には、さっきぞうきんで顔を洗った坊ばと、お茶の味噌の学校へ行くとん子と、お白粉《しろい》びんに指を突き込んだすん子が、すでに勢ぞろいをして朝飯を食っている。主人は一応この三女子の顔を公平に見渡した。とん子の顔は南《なん》蛮《ばん》鉄《てつ》の刀の鍔《つば》のような輪郭を有している。すん子も妹だけに多少姉の面《おも》影《かげ》を存して琉《りゆう》球《きゆう》塗《ぬ》りの朱《しゆ》盆《ぼん》くらいな資格はある。ただ坊ばに至ってはひとり異彩を放って、面《おも》長《なが》にできあがっている。ただし縦に長いのなら世間にその例も少なくないが、この子のは横に長いのである。いかに流行が変化しやすくったって、横に長い顔がはやることはなかろう。主人は自分の子ながらも、つくづく考えることがある。これでも生長しなければならぬ。生長するどころではない、その生長のすみやかなることは禅寺の筍《たけのこ》が若竹に変化する勢いで大きくなる。主人はまた大きくなったなと思うたんびに、後ろから追っ手にせまられるような気がしてひやひやする。いかに空《くう》漠《ばく》なる主人もこの三令嬢が女であるくらいは心得ている。女である以上はどうにか片づけなくてはならんくらいも承知している。承知しているだけで片づける手《しゆ》腕《わん》のないことも自覚している。そこで自分の子ながらも少しく持て余しているところである。持て余すくらいなら製造しなければいいのだが、そこが人間である。人間の定義をいうとほかになんにもない。ただいらざることを捏《でつ》造《ぞう》してみずから苦しんでいる者だといえば、それで十分だ。
さすがに子供はえらい。これほどおやじが処置に窮しているとは夢にも知らず、楽しそうに御飯を食べる。ところが始末におえないのは坊ばである。坊ばは当年とって三歳であるから、細君が気をきかして、食事の時には、三歳然たる小形の箸《はし》と茶わんをあてがうのだが、坊ばはけっして承知しない。必ず姉の茶わんを奪い、姉の箸を引ったくって、持ちあつかいにくいやつを無理に持ちあつかっている。世の中を見渡すと無能無才の小人ほど、いやにのさばり出て柄《がら》にもない官職に登りたがるものだが。あの性質は全くこの坊ば時代から萌《ほう》芽《が》しているのである。その因《よ》ってきたるところはかくのごとく深いのだから、けっして教育や薫《くん》陶《とう》でよせるものではないと早くあきらめてしまうのがいい。
坊ばは隣りから分《ぶん》捕《ど》った長大なる茶わんと、長大なる箸を専有して、しきりに暴威をほしいままにしている。使いこなせないものをむやみに使おうとするのだから、勢い暴威をたくましくせざるをえない。坊ばはまず箸の根もとを二本いっしょに握ったままうんと茶わんの底へ突き込んだ。茶わんの中は飯が八分どおり盛り込まれて、その上に味《み》噌《そ》汁《しる》が一面にみなぎっている。箸の力が茶わんへ伝わるや否や、今までどうか、こうか、平均を保っていたのが、急に襲撃を受けたので三十度ばかり傾いた。同時に味噌汁は容赦なくだらだらと胸のあたりへこぼれだす。坊ばはそのくらいのことで辟《へき》易《えき》するわけがない。坊ばは暴君である。今度は突き込んだ箸を、うんと力いっぱい茶わんの底からはね上げた。同時に小さな口を縁《ふち》まで持って行って、はね上げられた米粒をはいるだけ口の中へ受納した。打ちもらされた米粒は黄色な汁と相和して鼻のあたまと頬《ほ》っぺたとあごとへ、やっと掛け声をして飛びついた。飛びつき損じて畳の上へこぼれたものは打算の限りでない。ずいぶん無分別な飯の食い方である。吾輩はつつしんで有名なる金田君および天下の勢力家に忠告する。公らの他をあつかうこと、坊ばの茶わんと箸をあつかうがごとくんば、公らの口へ飛び込む米粒はきわめて僅少なものである。必然の勢いももって飛び込むにあらず、とまどいをして飛び込むのである。どうか御再考をわずらわしたい。世《せ》故《こ》にたけた敏腕家にも似合わしからぬことだ。
姉のとん子は、自分の箸と茶わんを坊ばに略奪されて、不相応に小さなやつを持ってさっきから我慢していたが、もともと小さ過ぎるのだから、いっぱいにもったつもりでも、あんとあけると三口ほどで食ってしまう。したがって頻《ひん》繁《ぱん》にお櫃《はち》の方へ手が出る。もう四《よ》膳《ぜん》かえて、今度は五膳目である。とん子はお櫃《はち》のふたをあけて大きなしゃもじを取り上げて、しばらくながめていた。これを食おうか、よそうかと迷っていたものらしいが、ついに決心したものとみえて、焦げのなさそうな所を見計らってひとしゃくいしゃもじの上へ乗せたまでは無難であったが、それを裏返して、ぐいと茶わんの上をこいたら、茶わんにはいりきらん飯はかたまったまま畳の上へころがり出した。とん子は驚くけしきもなく、こぼれた飯を丁寧に拾い始めた。拾って何にするかと思ったら、みんなお櫃の中へ入れてしまった。少しきたないようだ。
坊ばが一大活躍を試みて箸をはね上げた時は、ちょうどとん子が飯をよそいおわった時である。さすがに姉は姉だけで、坊ばの顔のいかにも乱暴なのを見かねて「あら坊ばちゃん、たいへんよ、顔がごぜん粒だらけよ」と言いながら、さっそく坊ばの顔の掃《そう》除《じ》にとりかかる。第一に鼻のあたまに寄《き》寓《ぐう》していたのを取り払う。取り払って捨てると思いのほか、すぐ自分の口の中へ入れてしまったのには驚いた。それから頬っぺたにかかる。ここにはだいぶ群《ぐん》をなして数にしたら、両方を合わせて約二十粒もあったろう。姉はたんねんに一粒ずつ取っては食い、取っては食い、とうとう妹の顔じゅうにあるやつを一つ残らず食ってしまった。この時ただ今まではおとなしくたくあんをかじっていたすん子が、急に盛りたての味噌汁の中からさつま芋のくずれたのもしゃくい出して、勢いよく口の内へほうり込んだ。諸君も御承知であろうが、汁にしたさつま芋の熱したのほど口の中にこたえるものはない。おとなですら注意しないと焼けどをしたような心持ちがする。ましてすん子のごとき、さつま芋に経験の乏しい者はむろん狼《ろう》狽《ばい》するわけである。すん子はワッと言いながら口中の芋を食卓の上へ吐き出した。その二、三片がどういう拍子か、坊ばの前まですべって来て、ちょうどいいかげんな距離でとまる。坊ばはもとよりさつま芋が大好きである。大好きなさつま芋が目の前に飛んで来たのだから、さっそく箸をほうり出して、手づかみにしてむしゃむしゃ食ってしまった。
さっきからこのていたらくを目撃していた主人は、一言《ごん》も言わずに専心自分の飯を食い、自分の汁を飲んでこの時はすでに楊《よう》枝《じ》を使っている最中であった。主人は娘の教育に関して絶対的放任主義をとるつもりとみえる。今に三人が海《え》老《び》茶《ちや》式《しき》部《ぶ*》か鼠《ねずみ》式《しき》部《ぶ》になって、三人とも申し合わせたように情夫をこしらえて出《しゆつ》奔《ぽん》しても、やはり自分の飯を食って、自分の汁を飲んですまして見ているだろう。働きのないことだ。しかし今の世の働きのあるという人を拝見すると、うそをついて人を釣ることと、先へ回って馬の目玉を抜くことと、虚勢を張って人をおどかすことと、鎌《かま》をかけて人を陥《おとしい》れることよりほかに何も知らないようだ。中学などの少年輩までが見よう見まねに、こうしなくては幅がきかないと心得違いをして、本来なら赤面してしかるべきのを得々と履行して未来の紳士だと思っている。これは働き手というのではない。ごろつき手というのである。吾輩も日本の猫だから多少の愛国心はある。こんな働き手を見るたびになぐってやりたくなる。こんな者が一人でもふえれば国家はそれだけ衰えるわけである。こんな生徒のいる学校は、学校の恥辱であって、こんな人民のいる国家は国家の恥辱である。恥辱であるにもかかわらず、ごろごろ世間にごろついているのは心得がたいと思う。日本の人間は猫ほどの気概もないとみえる。情けないことだ。こんなごろつき手に比べると主人などははるかに上等な人間といわなくてはならん。いくじのないところが上等なのである。無能なところが上等なのである。猪口《ちよこ》才《ざい》でないところが上等なのである。
かくのごとく働きのない食い方をもって、無事に朝飯をすましたる主人は、やがて洋服を着て、車へ乗って、日本堤分署へ出頭に及んだ。格《こう》子《し》をあけた時、車夫に日本堤という所を知ってるかと聞いたら、車夫はへへへと笑った。あの遊廓のある吉《よし》原《わら》の近辺の日本堤だぜと念を押したのは少々滑《こつ》稽《けい》であった。
主人が珍しく車で玄関から出かけたあとで、細君は例のごとく食事をすませて「さあ学校へおいで。おそくなりますよ」と催促すると、子供は平気なもので「あら、でもきょうはお休みよ」としたくをするけしきがない。「お休みなもんですか、早くなさい」としかるように言って聞かせると「それでもきのう、先生がお休みだっておっしゃってよ」と姉はなかなか動じない。細君もここに至って多少変に思ったものか、戸《と》棚《だな》から暦を出して繰り返してみると赤い字でちゃんと御祭日と出ている。主人は祭日とも知らずに学校へ欠勤届を出したのだろう。細君も知らずに郵便箱へほうり込んだのだろう。ただし迷亭に至ってはじっさい知らなかったのか、知って知らん顔をしたのか、そこは少々疑問である。この発明におやと驚いた細君はそれじゃ、みんなおとなしくお遊びなさいといつものとおり針箱を出して仕事に取りかかる。
その後三十分間は家内平穏、べつだん吾輩の材料になるような事件も起こらなかったが、突然妙な人がお客に来た。十七、八の女学生である。踵《かかと》のまがった靴《くつ》をはいて、紫色の袴《はかま》を引きずって、髪を算《そろ》盤《ばん》珠《だま》のようにふくらまして勝手口から案内もこわずに上がって来た。これは主人の姪《めい》である。学校の生徒だそうだが、おりおり日曜にやって来て、よく叔《お》父《じ》さんとけんかをして帰って行く雪《ゆき》江《え》とかいうきれいな名のお嬢さんである。もっとも顔は名前ほどでもない。ちょっと表へ出て一、二町歩けば必ず会える人相である。「叔《お》母《ば》さん今日は」と茶の間へつかつかはいって来て、針箱の横へ尻《しり》をおろした。
「おや、早くから……」
「きょうは大《たい》祭《さい》日《じつ》ですから、朝のうちにちょっと上がろうと思って、八時ごろから家を出て急いで来たの」
「そう、何か用があるの?」
「いいえ、ただあんまりごぶさたをしたから、ちょっとあがったの」
「ちょっとでなくっていいから、ゆっくり遊んでいらっしゃい。今に叔父さんが帰って来ますから」
「叔父さんは、もう、どこかへいらしったの。珍しいのね」
「ええきょうはね、妙な所へ行ったのよ。……警察へ行ったの、妙でしょう」
「あらなんで?」
「この春はいった泥《どろ》棒《ぼう》がつらまったんだって」
「それで引き合いに出されるの? いい迷惑ね」
「なあに品物がもどるのよ。取られたものが出たから取りに来いって、きのう巡査がわざわざ来たもんですから」
「おや、そう、それでなくっちゃ、こんなに早く叔父さんが出かけることはないわね、いつもなら今時分はまだ寝ていらっしゃるんだわ」
「叔父さんほど、寝坊はないんですから……そうして起こすとぷんぷんおこるのよ。けさなんかも七時までにぜひおこせと言うから、起こしたんでしょう。すると夜具の中へもぐって返事もしないんですもの。こっちは心配だから二度目にまた起こすと、夜着の袖《そで》から何か言うのよ。ほんとうにあきれ返ってしまうの」
「なぜそんなに眠いんでしょう。きっと神経衰弱なんでしょう」
「なんですか」
「ほんとうにむやみにおこるかたね。あれでよく学校が勤まるのね」
「なに学校じゃおとなしいんですって」
「じゃなお悪いわ。まるでこんにゃく閻《えん》魔《ま*》ね」
「なぜ?」
「なぜでもこんにゃく閻魔なの。だってこんにゃく閻魔のようじゃありませんか」
「ただおこるばかりじゃないのよ。人が右と言えば左、左と言えば右で、なんでも人の言うとおりにしたことがない、――そりゃ強《ごう》情《じよう》ですよ」
「天邪鬼《あまのじやく》でしょう。叔父さんはあれが道楽なのよ。だから何かさせようと思ったら、うらを言うと、こっちの思いどおりになるのよ。こないだ蝙蝠傘《こうもり》を買ってもらう時にも、いらない、いらないって、わざと言ったら、いらないことがあるものかって、すぐ買ってくだすったの」
「ホホうまいのね。わたしもこれからそうしよう」
「そうなさいよ。それでなくっちゃ損だわ」
「こないだ保険会社の人が来て、ぜひおはいんなさいって、勧《すす》めているんでしょう、――いろいろわけを言って、こういう利益があるの、ああいう利益があるのって、なんでも一時間も話をしたんですが、どうしてもはいらないの。うちだって貯蓄はなし、こうして子供は三人もあるし、せめて保険へでもはいってくれるとよっぽど心丈夫なんですけれども、そんなことは少しもかまわないんですもの」
「そうね。もしものことがあると不安心だわね」と十七、八の娘に似合わしからん世《しよ》帯《たい》じみたことを言う。
「その談判を陰で聞いていると、ほんとうにおもしろいのよ。なるほど保険の必要も認めないではない。必要なものだから会社も存立しているのだろう。しかし死なない以上は保険にはいる必要はないじゃないかって強情を張っているんです」
「叔父さんが?」
「ええ、すると会社の男が、それは死ななければむろん保険会社はいりません。しかし人間の命というものは丈夫なようでもろいもので、知らないうちに、いつ危険が迫っているかわかりませんというとね、叔父さんは、大丈夫ぼくは死なないことに決心をしているって、まあ無法なことを言うんですよ」
「決心したって、死ぬわねえ。わたしなんかぜひ及第するつもりだったけれども、とうとう落第してしまったわ」
「保険社員もそう言うのよ。寿命は自分の自由にはなりません。決心で長生きができるものなら、だれも死ぬ者はございませんって」
「保険会社のほうが至当ですわ」
「至当でしょう。それがわからないの。いえけっして死なない。誓って死なないっていばるの」
「妙ね」
「妙ですとも、大《おお》妙《みよう》ですわ。保険の掛け金を出すくらいなら銀行へ貯金するほうがはるかにましだってすまし切っているんですよ」
「貯金があるの?」
「あるもんですか。自分が死んだあとなんか、ちっともかまう考えなんかないんですよ」
「ほんとうに心配ね。なぜあんななんでしょう、ここへいらっしゃるかただって、叔父さんのようなのは一人もいないわね」
「いるものですか。無類ですよ」
「ちっと鈴木さんにでも頼んで意見でもしてもらうといいんですよ。ああいう穏やかな人だとよっぽど楽ですがねえ」
「ところが鈴木さんは、うちじゃ評判が悪いのよ」
「みんな逆《さか》なのね。それじゃあのかたはいいでしょう――ほらあの落ち付いてる――」
「八木さん?」
「ええ」
「八木さんにはだいぶ閉口しているんですがね。きのう迷亭さんが来て悪《わる》口《くち》を言ったものだから、思ったほどきかないかもしれない」
「だっていいじゃありませんか。あんなふうに鷹《おう》揚《よう》に落ち付いていれば、――こないだ学校で演説をなさったわ」
「八木さんが?」
「ええ」
「八木さんは雪江さんの学校の先生なの」
「いいえ、先生じゃないけれども、淑徳婦人会の時に招待して演説をしていただいたの」
「おもしろかって?」
「そうね、そんなにおもしろくもなかったわ。だけども、あの先生が、あんな長い顔なんでしょう。そうして天《てん》神《じん》様《さま》のような髯《ひげ》をはやしているもんだから、みんな感心して聞いていてよ」
「お話って、どんなお話なの」と細君が聞きかけていると縁側の方から、雪江さんの話し声を聞きつけて、三人の子供がどたばた茶の間へ乱入して来た。今までは竹《たけ》垣《がき》の外のあき地へ出て遊んでいたものであろう。
「あら雪江さんが来た」と二人のねえさんはうれしそうに大きな声を出す。細君は「そんなに騒がないで、みんな静かにしておすわりなさい。雪江さんが今おもしろい話をなさるところだから」と仕事をすみへ片づける。
「雪江さんなんのお話、わたしお話が大好き」と言ったのはとん子で「やっぱりかちかち山のお話?」と聞いたのはすん子である。「坊ばもおはなち」と言い出した三女は姉と姉のあいだからひざを前の方に出す。ただしこれはお話を承るというのではない。坊ばもまたお話をつかまつるという意味である。「あら、坊ばちゃんのお話だ」とねえさんが笑うと、細君は「坊ばはあとでなさい。雪江さんのお話がすんでから」とすかしてみる。坊ばはなかなか聞きそうにない。「いやーよ、ばぶ」と大きな声を出す。「おお、よしよし坊ばちゃんからなさい。なんというの?」と雪江さんは謙《けん》遜《そん》した。
「あのね、坊たん、坊たん、どこ行くのって」
「おもしろいのね。それから?」
「わたちは田んぼへ稲刈いに」
「そうよく知ってること」
「お前がくうと邪《だ》魔《ま》になる」
「あら、くうとじゃないわ、くるとだわね」ととん子が口を出す。坊ばは相変わらず、「ばぶ」と一《いつ》喝《かつ》してただちに姉を辟易させる。しかし中途で口を出されたものだから、続きを忘れてしまって、あとが出て来ない。「坊ばちゃん、それぎりなの?」と雪江さんが聞く。
「あのね。あとでおならは御免だよ。ぷう、ぷうぷうって」
「ホホホホ、いやなこと、だれにそんなことを、教わったの?」
「おたんに」
「悪いおさんね、そんなこと教えて」と細君は苦笑をしていたが、「さあ今度は雪江さんの番だ。坊やはおとなしく聞いているんですよ」と言うと、さすがの暴君も納《なつ》得《とく》したとみえて、それぎり当分のあいだ沈黙した。
「八木先生の演説はこんなのよ」と雪江さんがとうとう口を切った「昔ある辻《つじ》のまん中に大きな石地蔵があったんですってね。ところがそこがあいにく馬や車が通るたいへんにぎやかな場所だもんだから邪魔になってしようがないんでね、町内の者がおおぜい寄って、相談をしてどうしてこの石地蔵をすみの方へ片づけたらよかろうって考えたんですって」
「そりゃほんとうにあった話なの?」
「どうですか、そんなことはなんともおっしゃらなくってよ。――でみんながいろいろ相談をしたら、その町内でいちばん強い男が、そりゃわけはありません、わたしがきっと片づけてみせますって、一人でその辻へ行って、両《りよう》肌《はだ》をぬいで汗を流して引っぱったけれども、どうしても動かないんですって」
「よっぽど重い石地蔵なのね」
「ええ、それでその男が疲れてしまって、うちへ帰って寝てしまったから、町内の者はまた相談をしたんですね。すると今度は町内でいちばん利口な男が、わたしに任せてごらんなさい、一番やってみますからって、重箱の中へ牡《ぼ》丹《た》餠《もち》をいっぱい入れて地蔵の前へ来て、「ここまでおいで」と言いながら牡丹餠を見せびらかしたんだって、地蔵だって食い意地が張ってるから牡丹餠で釣れるだろうと思ったら、少しも動かないんだって。利口な男はこれではいけないと思ってね。今度はひょうたんへお酒を入れて、そのひょうたんを片手へぶら下げて、片手へ猪口《ちよこ》を持ってまた地蔵さんの前へ来て、さあ飲みたくはないかね。飲みたければここまでおいでと三時間ばかり、からかってみたがやはり動かないんですって」
「雪江さん、地蔵様はお腹《なか》が減らないの」ととん子が聞くと「牡丹餠が食べたいな」とすん子が言った。
「利口な人は二度ともしくじったから、その次にはにせ札《さつ》をたくさんこしらえて、さあほしいだろう、ほしければ取りにおいでと札を出したり引っ込ましたりしたがこれもまるで役に立たたないんですって。よっぽど頑《がん》固《こ》な地蔵様なのよ」
「そうね。すこし叔父さんに似ているわ」
「ええまるで叔父さんよ。しまいに利口な人も愛《あい》想《そ》をつかしてやめてしまったんですとさ。それでそのあとからね、大きな法《ほ》螺《ら》を吹く人が出て、わたしならきっと片づけてみせますから御安心なさいとさもたやすいことのように受け合ったそうです」
「その法螺を吹く人は何をしたんです」
「それがおもしろいのよ。最初にはね巡査の服を着て、付け髯をして、地蔵様の前へ来て、こらこら、動かんとそのほうのためにならんぞ、警察で棄てておかんぞといばってみせたんですとさ。今の世に警察の声《こわ》色《いろ》なんか使ったってだれも聞きゃしないわね」
「ほんとうね、それで地蔵様は動いたの?」
「でも叔父さんは警察にはたいへん恐れ入っているのよ」
「あらそう、あんな顔をして? それじゃ、そんなにこわいことはないわね。けれども地蔵様は動かないんですって、平気でいるんですとさ。それで法螺吹きはたいへんおこって、巡査の服を脱いで、付け髯を紙くず籠へほうり込んで、今度は大金持ちの服《な》装《り》をして出て来たそうです。今の世でいうと岩《いわ》崎《さき》男《だん》爵《しやく》のような顔をするんですとさ。おかしいわね」
「岩崎のような顔ってどんな顔なの?」
「ただ大きな顔をするんでしょう。そうして何もしないで、また何も言わないで地蔵のまわりを、大きな巻煙草をふかしながら歩いているんですとさ」
「それがなんになるの?」
「地蔵様を煙《けむ》に巻くんです」
「まるで噺《はな》し家《か》のしゃれのようね。首《しゆ》尾《び》よく煙《けむ》に巻いたの?」
「だめですわ、相手が石ですもの。ごまかしもたいていにすればいいのに、今度は殿《でん》下《か》様《さま》に化けて来たんだって、ばかね」
「へえ、その時分にも殿下様があるの?」
「あるんでしょう。八木先生はそうおっしゃってよ。たしかに殿下様に化けたんだって、恐れ多いことだが化けて来たって――第一不敬じゃありませんか、法螺吹きの分際で」
「殿下って、どの殿下様なの」
「どの殿下様ですか、どの殿下様だって不敬ですわ」
「そうね」
「殿下様でもきかないでしょう。法螺吹きもしょうがないから、とてもわたしの手ぎわでは、あの地蔵はどうすることもできませんと降参をしたそうです」
「いい気味ね」
「ええ、ついでに懲《ちよう》役《えき》にやればいいのに。――でも町内の者はたいそう気をもんで、また相談を開いたんですが、もうだれも引き受ける者がないんで弱ったそうです」
「それでおしまい?」
「まだあるのよ。いちばんしまいに車屋とゴロつきをおおぜい雇って、地蔵様のまわりをわいわい騒いで歩いたんです。ただ地蔵様をいじめて、居たたまれないようにすればいいといって夜《よる》昼《ひる》交替で騒ぐんだって」
「御苦労ですこと」
「それでも取り合わないんですとさ。地蔵様のほうもずいぶん強情ね」
「それから、どうして?」ととん子が熱心に聞く。
「それからね、いくら毎日毎日騒いでも験《げん》が見えないので、だいぶみんながいやになってきたんですが、車夫やゴロツキは幾《いく》日《んち》でも日《につ》当《とう》になることだから喜んで騒いでいましたとさ」
「雪江さん、日当ってなに?」とすん子が質問をする。
「日当というのはね、お金の事なの」
「お金をもらってなんにするの?」
「お金をもらってね。――ホホホホいやなすん子さんだ。――それで叔母さん、毎日毎晩から騒ぎをしていますとね。その時町内にばか竹《たけ》といって、なんにも知らない、だれも相手にしないばかがいたんですってね。そのばかがこの騒ぎを見てお前がたはなんでそんなに騒ぐんだ、何年かかっても地蔵一つ動かすことができないのか、かあいそうなものだ、と言ったそうですって――」
「ばかのくせにえらいのね」
「なかなかえらいばかなのよ。みんながばか竹の言うことを聞いて、物はためしだ、どうせだめだろうが、まあ竹にやらしてみようじゃないかとそれから竹に頼むと、竹は一も二もなく引き受けたが、そんな邪魔な騒ぎをしないでまあ静かにしろと車引きやゴロツキを引っ込まして飄《ひよう》然《ぜん》と地蔵様の前へ出て来ました」
「雪江さん飄然て、ばか竹のお友だち?」ととん子が肝《かん》心《じん》なところで奇問を放ったので、細君と雪江さんはどっと笑い出した。
「いいえお友だちじゃないのよ」
「じゃなに?」
「飄然というのはね。――言いようがないわ」
「飄然て、言いようがないの?」
「そうじゃないのよ、飄然というのはね――」
「ええ」
「そら多々良三平さんを知ってるでしょう」
「ええ、山の芋をくれてよ」
「あの多々良さんみたようなをいうのよ」
「多々良さんは飄然なの?」
「ええ、まあそうよ。――それでばか竹が地蔵様の前へ来てふところ手をして、地蔵様、町内の者が、あなたに動いてくれと言うから動いてやんなさいと言ったら、地蔵様はたちまちそうか、そんなら早くそう言えばいいのに、とのこのこ動きだしたそうです」
「妙な地蔵様ね」
「それからが演説よ」
「まだあるの?」
「ええ、それから八木先生がね、今日は御婦人の会でありますが、私がかようなお話をわざわざいたしたのは少々考えがあるので、こう申すと失礼かもしれませんが、婦人というものはとかく物をするのに正面から近道を通って行かないで、かえって遠方から回りくどい手段をとる弊《へい》がある。もっともこれは御婦人に限ったことでない。明治の代は男子といえども、文明の弊を受けて多少女性的になっているから、よくいらざる手段と労力を費やして、これが本筋である、紳士のやるべき方針であると誤解している者が多いようだが、これらは開化の業《ごう》に束縛された奇形児である。べつに論ずるに及ばん。ただ御婦人にあってはなるべくただ今申した昔話を御記憶になっていざという場合にはどうかばか竹のような正直な了見で物事を処理していただきたい。あなたがたがばか竹になれば夫婦の間、嫁《よめ》姑《しゆうと》の間に起こるいまわしき葛《かつ》藤《とう》の三《さん》分《ぶ》一《いち》はたしかに減ぜられるに相違ない。人間は魂胆があればあるほど、その魂胆がたたって不幸の源をなすので、多くの婦人が平均男子より不幸なのは、全くこの魂胆があり過ぎるからである。どうかばか竹になってくださいと、いう演説なの」
「へえ、それで雪江さんはばか竹になる気なの」
「やだわ、ばか竹だなんて。そんなものになりたくはないわ。金田の富《とみ》子《こ》さんなんぞは失敬だってたいへんおこってよ」
「金田の富子さんて、あの向こう横丁の?」
「ええ、あのハイカラさんよ」
「あの人も雪江さんの学校へ行くの?」
「いいえ、ただ婦人会だから傍聴に来たの。ほんとうにハイカラね。どうも驚いちまうわ」
「でもたいへんいい器量だっていうじゃありませんか」
「並みですわ。御自慢ほどじゃありませんよ。あんなにお化《け》粧《しよう》をすればたいていの人はよく見えるわ」
「それじゃ雪江さんなんぞはそのかたのようにお化粧をすれば金田さんの倍ぐらい美しくなるでしょう」
「あらいやだ。よくってよ、知らないわ。だけど、あのかたは全くつくり過ぎるのね。なんぼお金があったって――」
「つくり過ぎてもお金があるほうがいいじゃありませんか」
「それもそうだけれども――あのかたこそ、少しばか竹になったほうがいいでしょう。むやみにいばるんですもの。このあいだもなんとかいう詩人が新体詩集をささげたって、みんなに吹《ふい》聴《ちよう》しているんですもの」
「東《とう》風《ふう》さんでしょう」
「あら、あのかたがささげたの、よっぽど物ずきね」
「でも東風さんはたいへんまじめなんですよ。自分じゃ、あんなことをするのがあたりまえだとまで思ってるんですもの」
「そんな人があるから、いけないんですよ。――それからまだおもしろいことがあるの。こないだだれか、あのかたのとこへ艶《えん》書《しよ》を送った者があるんだって」
「おや、いやらしい。だれなの、そんなことをしたのは」
「だれだかわからないんだって」
「名前はないの?」
「名前はちゃんと書いてあるんだけれども聞いたこともない人だって、そうしてそれが長い長い一間《けん》ばかりもある手紙でね。いろいろ妙なことが書いてあるんですとさ。わたしがあなたを恋《おも》っているのは、ちょうど宗教家が神にあこがれているようなものだの、あなたのためならば祭壇に供える小羊となって屠《ほふ》られるのが無上の名誉であるの、心臓の形が三角で、三角の中心にキューピッドの矢が立って、吹き矢なら大当たりであるの……」
「そりゃまじめなの?」
「まじめなんですとさ。現にわたしのお友だちのうちでその手紙を見た者が三人あるんですもの」
「いやな人ね、そんなもの見せびらかして。あのかたは寒月さんのとこへお嫁に行くつもりなんだから、そんなことが世間へ知れちゃ困るでしょうにね」
「困るどころですか大得意よ。こんだ寒月さんが来たら知らしてあげたらいいでしょう。寒月さんもまるで御存じないんでしょう」
「どうですか、あのかたは学校へ行って球《たま》ばかりみがいていらっしゃるから、おおかた知らないでしょう」
「寒月さんはほんとにあのかたをおもらいになる気なんでしょうかね。お気の毒だわね」
「なぜ? お金があって、いざって時に力になって、いいじゃありませんか」
「叔《お》母《ば》さんは、じきに金、金って品《ひん》が悪いのね。金より愛のほうがだいじじゃありませんか。愛がなければ夫婦の関係は成立しやしないわ」
「そう、それじゃ雪江さんは、どんな所へお嫁に行くの?」
「そんなこと知るもんですか、べつに何もないんですもの」
雪江さんと叔母さんは結婚事件について何か弁論をたくましくしていると、きっきから、わからないなりに謹聴しているとん子が突然口を開いて「わたしもお嫁に行きたいな」と言いだした。この無鉄砲な希望には、さすが青春の気に満ちて、大いに同情を寄すべき雪江さんもちょっと毒気を抜かれたていであったが、細君のほうは比較的平気に構えて「どこへ行きたいの」と笑いながら聞いてみた。
「わたしねえ、ほんとうはね、招《しよう》魂《こん》社《しや》へお嫁に行きたいんだけれども、水《すい》道《どう》橋《ばし》を渡るのがいやだから、どうしようかと思ってるの」
細君と雪江さんはこの名答を得て、あまりのことに問い返す勇気もなく、どっと笑いくずれた時に、次女のすん子がねえさんに向かってかような相談を持ちかけた。
「おねえ様も招魂社がすき? わたしも大すき。いっしょに招魂社へお嫁に行きましょう。ね? いや? いやならいいわ。わたし一人で車へ乗ってさっさと行っちまうわ」
「坊ばも行くの」とついに坊ばさんまでが招魂社へ嫁に行くことになった。かように三人が顔をそろえて招魂社へ嫁に行けたら主人もさぞ楽であろう。
ところへ車の音ががらがらと、前にとまったと思ったら、たちまち威勢のいいお帰りと言う声がした。主人は日本堤分署からもどったとみえる。車夫がさし出す大きなふろしき包みを下女に受け取らして、主人は悠《ゆう》然《ぜん》と茶の間へはいって来る。「やあ、来たね」と雪江さんに挨《あい》拶《さつ》しながら、例の有名なる長《なが》火《ひ》鉢《ばち》のそばへぽかりと手に携えた徳利《とつくり》ようのものをほうり出した。徳利ようというのは純然たる徳利ではむろんない、といって花《はな》生《い》けとも思われない、ただ一種異様の陶器であるから、やむをえずしばらくかように申したのである。
「妙な徳利ね、そんなものを警察からもらっていらしったの」と雪江さんが、倒れたやつを起こしながら叔《お》父《じ》さんに聞いてみる。叔父さんは、雪江さんの顔を見ながら、「どうだ、いい恰《かつ》好《こう》だろう」と自慢する。
「いい恰好なの? それが? あんまりよかあないわ? 油《あぶら》壺《つぼ》なんかなんで持っていらっしったの?」
「油壺なものか。そんな趣味のないことを言うから困る」
「じゃ、なあに?」
「花生けさ」
「花生けにしちゃ、口が小さ過ぎて、いやに胴が張ってるわ」
「そこがおもしろいんだ。お前も無《ぶ》風《ぶう》流《りゆう》だな。まるで叔母さんと撰《えら》ぶところなしだ。困ったものだな」とひとりで油壺を取り上げて、障子の方へ向けてながめている。
「どうせ無風流ですわ。油壺を警察からもらってくるようなまねはできないわ。ねえ叔母さん」叔母さんはそれどころではない、風呂敷包みを解いて血《ち》眼《まなこ》になって、盗難品をしらべている。「おや驚いた泥《どろ》棒《ぼう》も進歩したのね。みんな、解いて洗い張りをしてあるわ。ねえちょいと、あなた」
「だれが警察から油壺をもらってくるものか。待ってるのが退屈だから、あすこいらを散歩しているうちに掘り出して来たんだ。お前なんぞにはわかるまいがそれでも珍品だよ」
「珍品すぎるわ。いったい叔父さんはどこを散歩したの」
「どこって日本堤界《かい》隈《わい》さ。吉原へもはいってみた。なかなか盛んな所だ。あの鉄の門を見たことがあるかい。ないだろう」
「だれが見るもんですか。吉原なんて賤《せん》業《ぎよう》婦《ふ》のいる所へ行く因縁がありませんわ。叔父さんは教師の身で、よくまあ、あんな所へ行かれたものねえ。ほんとうに驚いてしまうわ。ねえ叔母さん、叔母さん」
「ええそうね。どうも品《しな》数《かず》が足りないようだこと。これでみんなもどったんでしょうか」
「もどらんのは山の芋ばかりさ。元来九時に出頭しろと言いながら十一時まで待たせる法があるものか、これだから日本の警察はいかん」
「日本の警察がいけないって、吉原を散歩しちゃなおいけないわ。そんなことが知れると免職になってよ。ねえ叔母さん」
「ええなるでしょう。あなた、私の帯の片側がないんです。なんだか足りないと思ったら」
「帯の片側ぐらいあきらめるさ。こっちは三時間も待たされて、大切の時間を半日つぶしてしまった」と日本服に着替えて平気に火鉢へもたれて油壺をながめている。細君もしかたがないとあきらめて、もどった品をそのまま戸棚へしまい込んで座に帰る。
「叔母さんこの油壺が珍品ですとさ。きたないじゃありませんか」
「それを吉原で買っていらしったの? まあ」
「何がまあだ。わかりもしないくせに」
「それでもそんな壺なら吉原へ行かなくっても、どこにだってあるじゃありませんか」
「ところがないんだよ。めったにある品ではないんだよ」
「叔父さんはずいぶん石地蔵ね」
「また子供のくせに生意気を言う。どうもこのごろの女学生は口が悪くっていかん。ちと女《おんな》大《だい》学《がく》でも読むがいい」
「叔父さんは保険がきらいでしょう。女学生と保険とどっちがきらいなの」
「保険はきらいではない。あれは必要なものだ。未来の考えのある者は、だれでもはいる。女学生は無用の長《ちよう》物《ぶつ》だ」
「無用の長物でもいいことよ。保険へはいってもいないくせに」
「来月からはいるつもりだ」
「きっと?」
「きっとだとも」
「およしなさいよ、保険なんか。それよりかそのかけ金《きん》で何か買ったほうがいいわ。ねえ、叔母さん」叔母さんはにやにや笑っている。主人はまじめになって、
「お前など百も二百も生きる気だから、そんなのんきなことを言うのだが、もう少し理性が発達してみろ、保険の必要を感ずるに至るのは当然だ。ぜひ来月からはいるんだ」
「そう、それじゃしかたがない。だけどこないだのように蝙蝠傘《こ う も り》を買ってくださるお金があるなら、保険にはいるほうがましかもしれないわ。ひとがいりません、いりませんと言うのを無理に買ってくださるんですもの」
「そんなにいらなかったのか?」
「ええ蝙蝠傘《こ う も り》なんかほしかないわ」
「そんなら返すがいい。ちょうどとん子がほしがってるから、あれをこっちへ回してやろう。きょう持って来たか」
「あら、そりゃ、あんまりだわ。だってひどいじゃありませんか、せっかく買ってくだすっておきながら、返せなんて」
「いらないと言うから、返せと言うのさ。ちっともひどくはない」
「いらないことはいらないんですけれども、ひどいわ」
「わからんことを言うやつだな。いらないと言うから返せと言うのにひどいことがあるものか」
「だって」
「だって、どうしたんだ」
「だってひどいわ」
「愚だな、同じことばかり繰り返している」
「叔父さんだって同じことばかり繰り返しているじゃありませんか」
「お前が繰り返すからしかたがないさ。現にいらないと言ったじゃないか」
「そりゃ言いましたわ。いらないことはいらないんですけれども、返すのはいやですもの」
「驚いたな。わからずやで強情なんだからしかたがない。お前の学校じゃ論理学を教えないのか」
「よくってよ、どうせ無教育なんですから、なんとでもおっしゃい。人のものを返せだなんて、他人だってそんな不人情なことは言やしない。ちっとばか竹のまねでもなさい」
「なんのまねをしろ?」
「ちと正直に淡泊になさいと言うんです」
「お前は愚物のくせに、いやに強情だよ。それだから落第するんだ」
「落第したって叔父さんに学資を出してもらやしないわ」
雪江さんはここに至って感に堪えざるもののごとく、潸《さん》然《ぜん》として一《いつ》掬《きく》の涙を紫の袴《はかま》の上に落とした。主人は茫《ぼう》乎《こ》として、その涙がいかなる心理作用に起因するかを研究するもののごとく、袴の上と、うつ向いた雪江さんの顔を見つめていた。ところへおさんが台所から赤い手を敷居越しにそろえて「お客様がいらっしゃいました」と言う。「だれが来たんだ」と主人が聞くと「学校の生徒さんでございます」とおさんは雪江さんの泣き顔を横目ににらめながら答えた。主人は客間へ出て行く。吾輩も種取り兼人間研究のため、主人に尾《び》して忍びやかに縁へ回った。人間を研究するには何か波《は》瀾《らん》がある時を選ばないといっこう結果が出て来ない。平《へい》生《ぜい》は大《おお》方《かた》の人が大方の人であるから、見ても聞いても張り合いのないくらい平凡である。しかしいざとなるとこの平凡が急に霊妙なる神秘的作用のためにむくむくと持ち上がって奇な者、変な者、妙な者、異な者、ひと口に言えば吾輩猫どもから見てすこぶる後学になるような事件が至るところに横風にあらわれてくる。雪江さんの紅《こう》涙《るい》のごときはまさしくその現象の一つである。かくのごとく不可思議、不可測の心を有している雪江さんも、細君と話をしているうちはさほどとも思わなかったが、主人が帰ってきて油壺をほうり出すや否や、たちまち死《し》竜《りゆう》に蒸汽ポンプを注ぎかけたるごとく、勃《ぼつ》然《ぜん》としてその深《しん》奥《おう》にして窺《き》知《ち》すべからざる、巧妙なる、美妙なる、奇妙なる、霊妙なる、霊質を、惜しげもなく発揚しおわった。しかしてその霊質は天下の女《によ》性《しよう》に共通なる霊質である。ただ惜しいことには容易にあらわれてこない。否あらわれることは二六時中間《かん》断《だん》なくあらわれているが、かくのごとく顕著に灼《しやく》然《ぜん》炳《へい》乎《こ》として遠慮なくあらわれてこない。幸いにして主人のように吾輩の毛をややともすると逆《さか》さになでたがるつむじ曲がりの奇《き》特《どく》家《か》がおったから、かかる狂言も拝見ができたのであろう。主人のあとさえついて歩けば、どこへ行っても舞台の役者は我知らず動くに相違ない。おもしろい男を旦《だん》那《な》様にいただいて、短い猫の命のうちにも、たいぶ多くの経験ができる。ありがたいことだ。今度のお客は何者であろう。
見ると年ごろは十七、八、雪江さんと追っつ、かっつの書生である。大きな頭を地《じ》のすいて見えるほど刈り込んで団子っ鼻を顔のまん中にかためて、座敷のすみの方に控えている。べつにこれという特徴もないが頭《ず》蓋《がい》骨《こつ》だけはすこぶる大きい。青坊主に刈ってさえ、ああ大きく見えるのだから、主人のように長く延ばしたらさだめし人目をひくことだろう。こんな頭にかぎって学問はあまりできないものだとは、かねてより主人の持説である。事実はそうかもしれないがちょっと見るとナポレオンのようですこぶる偉観である。着物は通例の書生のごとく、薩《さつ》摩《ま》絣《がすり》か、久《く》留《る》米《め》絣かまた伊《い》予《よ》絣かわからないが、ともかくも絣と名づけられたる袷《あわせ》を袖《そで》短《みじ》かに着こなして、下にはシャツも襦《じゆ》袢《ばん》もないようだ。素《す》袷《あわせ》や素足は意気なものだそうだが、この男のははなはだむさ苦しい感じを与える。ことに畳の上に泥棒のような親指を歴然と三つまで印しているのは全く素足の責任に相違ない。彼は四つ目の足跡の上へちゃんとすわって、さも窮屈そうにかしこまっている。いったいかしこまるべきものがおとなしく控えるのはべつだん気にするにも及ばんが、いがぐり頭のつんつるてんの乱暴者が恐縮しているところはなんとなく不調和なものだ。途中で先生に会ってさえ礼をしないのを自慢にするくらいの連《れん》中《じゆう》が、たとい三十分でも人並みにすわるのは苦しいに違いない。ところを生まれ得て恭《きよう》謙《けん》の君子、盛徳の長《ちよう》者《しや》であるかのごとく構えるのだから、当人の苦しいにかかわらずはたから見るとたいぶおかしいのである。教場もしくは運動場であんなに騒々しいものが、どうしてかように自己を箝《かん》束《そく》する力を備えているかと思うと、哀れにもあるが滑《こつ》稽《けい》でもある。こうやって一人ずつ相対になると、いかに愚《ぐ》〓《がい》なる主人といえども、生徒に対していくぶんかの重みがあるように思われる。主人もさだめし得意であろう。塵《ちり》積もって山をなすというから、微《び》々《び》たる一生徒も多《た》勢《ぜい》が聚《しゆう》合《ごう》すると侮るべからざる団体となって、排斥運動やストライキをしでかすかもしれない。これはちょうど臆《おく》病《びよう》者《もの》が酒を飲んで大胆になるような現象であろう。衆を頼んで騒ぎ出すのは、人の気に酔っ払った結果、正気を取り落としたるものと認めてさしつかえあるまい。それでなければかように恐れ入ると言わんよりむしろ悄《しよう》然《ぜん》として、みずから襖《ふすま》に押しつけられているくらいな薩摩絣が、いかに老朽だといって、かりそめにも先生と名のつく主人を軽《けい》蔑《べつ》しようがない。ばかにできるわけがない。
主人は座《ざ》布《ぶ》団《とん》を押しやりながら、「さあお敷き」と言ったがいがぐり先生はかたくなったまま「へえ」と言って動かない。鼻の先にはげかかった更《さら》紗《さ》の座布団が「お乗んなさい」ともなんとも言わずに着席している後ろに、生きた大頭がつくねんと着席しているのは妙なものだ。布団は乗るための布団で見つめるために細君が勧《かん》工《こう》場《ば》から仕人れて来たのではない。布団にして敷かれずんば、布団はまさしくその名誉を毀《き》損《そん》せられたるもので、これを勤めたる主人もまたいくぶんか顔が立たないことになる。主人の顔をつぶしてまで、布団とにらめくらをしているいがぐり君はけっして布団そのものがきらいなのではない。じつをいうと、正式にすわったことは祖《じ》父《い》さんの法事の時のほかは生まれてからめったにないので、さっきからすでにしびれが切れかかって少々足の先は困難を訴えているのである。それにもかかわらず敷かない。布団が手持ちぶさたに控えているにもかかわらず敷かない。主人がさあお敷きと言うのに敷かない。厄《やつ》介《かい》ないがぐり坊主だ。このくらい遠慮するなら多《た》人《にん》数《ずう》集まった時もう少し遠慮すればいいのに、学校でもう少し遠慮すればいいのに、下宿屋でもう少し遠慮すればいいのに。すまじきところへ気がねをして、すべき時には謙《けん》遜《そん》しない、否大いに狼《ろう》藉《ぜき》を働く。たちの悪いいがぐり坊主だ。
ところへ後ろの襖をすらとあけて、雪江さんが一碗《わん》の茶をうやうやしく坊主に供した。平生ならそらサヴェジチーが出たと冷やかすのだが、主人一人に対してすら痛み入っている上へ、妙齢の女《によ》性《しよう》が学校で覚えたての小《お》笠《がさ》原《わら》流《りゆう》で、おつに気取った手つきをして茶わんを突きつけたのだから、坊主は大いに苦《く》悶《もん》のていに見える。雪江さんは襖をしめる時に後ろからにやにやと笑った。してみると女は同年輩でもなかなかえらいものだ。坊主に比すればはるかに度胸がすわっている。ことにさっきの無念にはらはらと流した一滴の紅涙のあとだから、このにやにやがさらに目立って見えた。
雪江さんの引き込んだあとは、双方無言のまま、しばらくのあいだは辛抱していたが、これでは行《ぎよう》をするようなものだと気がついた主人はようやく口を開いた。
「君はなんとか言ったけな」
「古《ふる》井《い》……」
「古井? 古井なんとかだね。名は」
「古井武《ぶ》右《え》衛《も》門《ん》」
「古井武右衛門――なるほど、だいぶ長い名だな。今の名じゃない、昔の名だ。四年生だったね」
「いいえ」
「三年生か?」
「いいえ、二年生です」
「甲組かね」
「乙です」
「乙なら、わたしの監督だね。そうか」と主人は感心している。じつはこの大頭は入学の当時から主人の目についているんだから、けっして忘れるところではない。のみならず、時々は夢に見るくらい感銘した頭である。しかしのんきな主人はこの頭とこの古風な姓名とを連結して、その連結したものをまた二年乙組に連結することができなかったのである。だからこの夢に見るほど感心した頭が自分の監督組の生徒であると聞いて、思わずそうかと心のうちで手をうったのである。しかしこの大きな頭の、古い名の、しかも自分の監督する生徒がなんのために今ごろやって来たのかとんと推量できない。元来不人望な主人のことだから、学校の生徒などは正月だろうが暮れだろうがほとんど寄りついたことがない。寄りついたのは古井武右衛門君をもって嚆《こう》矢《し》とするくらいな珍客であるが、その来訪の主意がわからんには主人も大いに閉口しているらしい。こんなおもしろくない人の家《うち》へただ遊びに来るわけもなかろうし、また辞職勧告ならもう少し昂《こう》然《ぜん》と構え込みそうだし、といって武右衛門君などが一身上の用事相談があるはずがないし、どっちからどう考えても主人にはわからない。武右衛門君の様子を見るとあるいは本人自身にすら、なんでここまで参ったのか判然しないかもしれない。しかたがないから主人からとうとう表向きに聞きだした。
「君遊びに来たのか」
「そうじゃないんです」
「それじゃ用事かね」
「ええ」
「学校のことかい」
「ええ少しお話ししようと思って……」
「うむ。どんなことかね。さあ話したまえ」と言うと武右衛門君下を向いたぎりなんにも言わない。元来武右衛門君は中学の二年生にしてはよく弁ずるほうで、頭の大きいわりに脳力は発達しておらんが、しゃべることにおいては乙組中鏘《そう》々《そう》たるものである。現にせんだってコロンバスの日本訳を教えろといって大いに主人を困らしたはまさにこの武右衛門君である。その鏘々たる先生が、最前からどもりのお姫様のようにもじもじしているのは、何かいわくのあることでなくてはならん。たんに遠慮のみとはとうてい受け取られない。主人も少々不審に思った。
「話すことがあるなら、早く話したらいいじゃないか」
「少し話しにくいことで……」
「話しにくい?」と言いながら主人は武右衛門君の顔を見たが、先方は依然としてうつ向きになってるから、何事とも鑑定ができない。やむをえず、語勢を変えて「いいさ。なんでも話すがいい。ほかにだれも聞いていやしない。わたしも他《た》言《ごん》はしないから」と穏やかにつけ加えた。「話してもいいでしょうか?」と武右衛門君はまだ迷っている。
「いいだろう」と主人はかってな判断をする。
「では話しますが」と言いかけて、いがぐり頭をむくりと持ち上げて主人の方をちょっとまぼしそうに見た。その目は三角である。主人は頬《ほお》をふくらまして朝日の煙を吹き出しながらちょっと横を向いた。
「じつはその……困ったことになっちまって……」
「何が?」
「何がって、はなはだ困るもんですから、来たんです」
「だからさ、何が困るんだよ」
「そんなことをする考えはなかったんですけれども、浜《はま》田《だ》が貸せ貸せと言うもんですから」
「浜田というのは浜田平《へい》助《すけ》かい」
「ええ」
「浜田に下宿料でも貸したのかい」
「なにもそんなものを貸したんじゃありません」
「じゃ何を貸したんだい」
「名前を貸したんです」
「浜田が君の名前を借りて何をしたんだい」
「艶《えん》書《しよ》を送ったんです」
「何を送った?」
「だから名前はよして、投《とう》函《かん》役《やく》になると言ったんです」
「なんだか要領を得んじゃないか。いったいだれが何をしたんだい」
「艶書を送ったんです」
「艶書を送った? だれに?」
「だから、話しにくいというんです」
「じゃ君が、どこかの女に艶書を送ったのか」
「いいえ、ぼくじゃないんです」
「浜田が送ったのかい」
「浜田でもないんです」
「じゃだれが送ったんだい」
「だれだかわからないんです」
「ちっとも要領を得ないな。ではだれも送らんのかい」
「名前だけはぼくの名なんです」
「名前だけは君の名だって、なんのことだかちっともわからんじゃないか。もっと条理を立てて話すがいい。元来その艶書を受けた当人はだれか」
「金《かね》田《だ》って向こう横丁にいる女です」
「あの金田という実業家か」
「ええ」
「で、名前だけ貸したとはなんのことだい」
「あすこの娘がハイカラで生意気だから艶書を送ったんです。――浜田が名前がなくちゃいけないって言いますから、君の名前を書けって言ったら、ぼくのじゃつまらない。古井武右衛門のほうがいいって――それで、とうとうぼくの名を貸してしまったんです」
「で、君はあすこの娘を知ってるのか。交際でもあるのか」
「交際も何もありゃしません。顔なんか見たこともありません」
「乱暴だな。顔も知らない人に艶書をやるなんて、まあどういう了見で、そんなことをしたんだい」
「ただみんながあいつは生意気でいばってるって言うから、からかったんです」
「ますます乱暴だな。じゃ君の名を公然と書いて送ったんだな」
「ええ文章は浜田が書いたんです。ぼくが名前を貸して遠《えん》藤《どう》が夜あすこのうちまで行って投函して来たんです」
「じゃ三人で共同してやったんだね」
「ええ、ですけれども、あとから考えると、もしあらわれて退学にでもなるとたいへんだと思って、非常に心配して二、三日は寝られないんで、なんだかぼんやりしてしまいました」
「そりゃまたとんでもないばかをしたもんだ。それで文《ぶん》明《めい》中学二年生古井武右衛門とでも書いたのかい」
「いいえ、学校の名なんか書きゃしません」
「学校の名を書かないだけまあよかった。これで学校の名が出てみるがいい。それこそ文明中学の名誉に関する」
「どうでしょう退校になるでしょうか」
「そうさな」
「先生、ぼくのおやじさんはたいへんやかましい人で、それにおっかさんが継《まま》母《はは》ですから、もし退校にでもなろうもんなら、ぼかあ困っちまうです。ほんとうに退校になるでしょうか」
「だからめったなまねをしないがいい」
「する気でもなかったんですが、ついやってしまったんです。退校にならないようにできないでしょうか」と武右衛門君は泣きだしそうな声をしてしきりに哀願に及んでいる。襖の陰では最前から細君と雪江さんがくすくす笑っている。主人はあくまでももったいぶって「そうさな」を繰り返している。なかなかおもしろい。
吾輩がおもしろいというと、何がそんなにおもしろいと聞く人があるかもしれない。聞くのはもっともだ。人間にせよ、動物にせよ、おのれを知るのは生《しよう》涯《がい》のだいじである。おのれを知ることができさえすれば人間も人間として猫より尊敬を受けてよろしい。その時は吾輩もこんないたずらを書くのは気の毒だからすぐさまやめてしまうつもりである。しかし自分で自分の鼻の高さがわからないと同じように、白己の何物かはなかなか見当がつきにくいとみえて、平生から軽《けい》蔑《べつ》している猫に向かってさえかような質問をかけるのであろう。人間は生意気なようでもやはり、どこか抜けている。万《ばん》物《ぶつ》の霊だなどとどこへでも万物の霊をかついで歩くかと思うと、これしきの事実が理解できない。しかも恬《てん》として平然たるに至ってはちと一《いつ》〓《きやく》を催したくなる。彼は万物の霊を背中へかついで、おれの鼻はどこにあるか教えてくれ、教えてくれと騒ぎ立てている。それなら万物の霊を辞職するかと思うと、どういたして死んでも放しそうにない。このくらい公然と矛《む》盾《じゆん》をして平気でいられれば愛《あい》嬌《きよう》になる。愛嬌になるかわりにはばかをもって甘んじなくてはならん。
吾輩がこの際武右衛門君と、主人と細君および雪江嬢をおもしろがるのは、たんに外部の事件が鉢《はち》合《あ》わせをして、その鉢合わせが波動をおつな所に伝えるからではない。じつはその鉢合わせの反響が人間の心に個々別々の音《ね》色《いろ》を起こすからである。第一主人はこの事件に対してむしろ冷淡である。武右衛門君のおやじさんがいかにやかましくって、おっかさんがいかに君を継《まま》子《こ》あつかいにしようとも、あんまり驚かない。驚くはずがない。武右衛門君が退校になるのは、自分が免職になるのとは大いに趣が違う。千人近くの生徒がみんな退校になったら、教師も衣食の道に窮するかもしれないが、古井武右衛門君一《いち》人《にん》の運命がどう変化しようと、主人の朝《ちよう》夕《せき》にはほとんど関係がない。関係の薄いところには同情もおのずから薄いわけである。見ず知らずの人のために眉《まゆ》をひそめたり、鼻をかんだり、嘆息をするのは、けっして自然の傾向ではない。人間がそんなに情け深い、思いやりのある動物であるとははなはだ受け取りにくい。ただ世の中に生まれて来た賦《ふ》税《ぜい》として、時々交際のために涙を流してみたり、気の毒な顔を作って見せたりするばかりである。いわばごまかし性表情で、じつをいうとだいぶ骨が折れる芸術である。このごまかしをうまくやる者を芸術的良心の強い人といって、これは世間からたいへん珍重される。だから人から珍重される人間ほど怪しいものはない。ためしてみればすぐわかる。この点において主人はむしろ拙《せつ》な部類に属するといってよろしい。拙だから、珍重されない。珍重されないから、内部の冷淡を存外隠すところもなく発表している。彼が武右衛門君に対して「そうさな」を繰り返しているのでも這《しや》裏《り》の消息はよくわかる。諸君は冷淡だからといって、けっして主人のような善人をきらってはいけない。冷淡は人間の本来の性質であって、その性質をかくそうと努めないのは正直な人である。もし諸君がかかる際に冷淡以上を望んだら、それこそ人間を買いかぶったといわなければならない。正直ですら払《ふつ》底《てい》な世にそれ以上を予期するのは、馬《ば》琴《きん》の小説から志《し》乃《の》や小《こ》文《ぶん》吾《ご》が抜けだして、向こう三軒両隣りへ八《はつ》犬《けん》伝《でん》が引っ越した時でなくては、あてにならない無理な注文である。主人はまずこのくらいにして次には茶の間で笑ってる女《おんな》連《れん》に取りかかるが、これは主人の冷淡を一歩向こうへまたいで、滑稽の領分におどり込んでうれしがっている。この女たちには武右衛門君が頭痛に病んでいる艶書事件が、仏《ぶつ》陀《だ》の福《ふく》音《いん》のごとくありがたく思われる。理由はないただありがたい。しいて解剖すれば武右衛門君が困るのがありがたいのである。諸君、女に向かって聞いてごらん、「あなたは人が困るのをおもしろがって笑いますか」と。聞かれた人はこの問いを呈出した者をばかと言うだろう、ばかと言わなければ、わざとこんな問いをかけて淑女の品性を侮《ぶ》辱《じよく》したと言うだろう。侮辱したというのは事実かもしれないが、人の困るのを笑うのも事実である。であるとすれば、これからわたしの品性を侮辱するようなことを自分でしてお目にかけますから、なんとか言っちゃいやよと断わるのと一般である。ぼくは泥《どろ》棒《ぼう》をする。しかしけっして不道徳と言ってはならん、もし不道徳だなどと言えばぼくの顔へ泥を塗ったものである。ぼくを侮辱したものである、と主張するようなものだ。女はなかなか利口だ、考えに筋道が立っている。いやしくも人間に生まれる以上は踏んだり、蹴《け》たり、どやされたりして、しかも人が振りむきもせぬ時、平気でいる覚悟が必要であるのみならず、唾《つば》を吐きかけられ、糞《くそ》をたれかけられた上に、大きな声で笑われるのを快く思わなくてはならない。それでなくてはかように利口な女と名のつくものと交際はできない。武右衛門先生もちょっとしたはずみから、とんだ間違いをして大いに恐れ入ってはいるようなものの、かように恐れ入ってる者を陰で笑うのは失敬だとぐらいは思うかもしれないが、それは年がゆかない稚《ち》気《き》というもので、人が失礼をした時におこるのを気が小さいと先方では名づけるそうだから、そう言われるのがいやならおとなしくするがよろしい。最後に武右衛門君の心いきをちょっと紹介する。君は心配の権《ごん》化《げ》である。かの偉大なる頭脳はナポレオンのそれが功《こう》名《みよう》心《しん》をもって充満せるがごとく、まさに心配をもってはちきれんとしている。時々その団子っ鼻がびくびく動くのは心配が顔面神経に伝わって、反射作用のごとく無意識に活動するのである。彼は大きな鉄砲だまを飲み下したごとく、腹の中にいかんともすべからざる塊《かたまり》をいだいて、この両《りよう》三《さん》日《ち》処置に窮している。そのせつなさのあまり、べつに分別の出どころもないから監督と名のつく先生の所へ出向いたら、どうか助けてくれるだろうと思って、いやな人の家《うち》へ大きな頭を下げにまかり越したのである。彼は平生学校で主人にからかったり、同級生を扇動して主人を困らしたりしたことはまるで忘れている。いかにからかおうとも困らせようとも監督と名のつく以上は心配してくれるに相違ないと信じているらしい。ずいぶん単純なものだ。監督は主人が好んでなった役ではない。校長の命によってやむをえずいただいている、いわば迷亭の叔《お》父《じ》さんの山高帽子の種類である。ただ名前である。ただ名前だけではどうすることもできない。名前がいざという場合に役に立つなら雪江さんは名前だけで見合いができるわけだ。武右衛門君はただにわがままなるのみならず、他人はおのれに向かって必ず親切でなくてはならんという、人間を買いかぶった仮定から出《しゆつ》立《たつ》している。笑われるなどとは思いも寄らなかったろう。武右衛門君は監督の家《うち》へ来て、きっと人間について、一の真理を発明したに相違ない。彼はこの真理のために将来ますますほんとうの人間になるだろう、人の心配には冷淡になるだろう、人の困る時には大きな声で笑うだろう。かくのごとくにして天下は未来の武右衛門君をもってみたされるであろう。金田君および金田令夫人をもってみたされるであろう。吾輩はせつに武右衛門君のために瞬時も早く自覚して真人間になられんことを希望するのである。しからずんばいかに心配するとも、いかに後悔するとも、いかに善に移るの心が切実なりとも、とうてい金田君のごとき成功は得られんのである。否社会は遠からずして君を人間の居住地以外に放逐するであろう。文明中学の退校どころではない。
かように考えておもしろいなと思っていると、格《こう》子《し》ががらがらとあいて、玄関の障子の陰から顔が半分ぬっと出た。
「先生」
主人は武右衛門君に「そうさな」を繰り返していたところへ、先生と玄関から呼ばれたので、だれだろうとそっちを見ると半分ほど筋かいに障子からはみ出している顔はまさしく寒月君である。「おい、おはいり」と言ったぎりすわっている。
「お客ですか」と寒月君はやはり顔半分で聞き返している。
「なにかまわん、まあお上がり」
「じつはちょっと先生を誘いに来たんですがね」
「どこへ行くんだい。また赤《あか》坂《さか》かい。あの方面はもう御免だ。せんだってはむやみに歩かせられて、足が棒のようになった」
「きょうは大丈夫です。久しぶりに出ませんか」
「どこへ出るんだい。まあお上がり」
「上野へ行って虎《とら》の鳴き声を聞こうと思うんです」
「つまらんじゃないか、それよりちょっとお上がり」
寒月君はとうてい遠方では談判不調と思ったものか、靴《くつ》を脱いでのそのそ上がって来た。例のごとく鼠《ねずみ》色《いろ》の、尻《しり》につぎのあたったズボンをはいているが、これは時代のため、もしくは尻の重いために破れたのではない、本人の弁解によると近ごろ自転車のけいこを始めて局部に比較的多くの摩擦を与えるからである。未来の細君をもって嘱《しよく》目《もく》された本人へ文《ふみ》をつけた恋の仇《あだ》とは夢にも知らす、「やあ」と言って武右衛門君に軽く会《え》釈《しやく》をして縁側へ近い所へ座をしめた。
「虎の鳴き声を聞いたってつまらないじゃないか」
「ええ、今じゃいけません、これから方々散歩して夜十一時ごろになって、上野へ行くんです」
「へえ」
「すると公園内の老木は森《しん》々《しん》として物すごいでしょう」
「そうさな、昼間より少しはさみしいだろう」
「それでなんでもなるべく木の茂った、昼でも人の通らない所を選《よ》って歩いていると、いつのまにか紅《こう》塵《じん》万《ばん》丈《じよう》の都会に住んでる気はなくなって、山の中へ迷い込んだような心持ちになるに相違ないです」
「そんな心持ちになってどうするんだい」
「そんな心持ちになって、しばらくたたずんでいるとたちまち動物園のうちで、虎が鳴くんです」
「そううまく鳴くかい」
「大丈夫鳴きます。あの鳴き声は昼でも理科大学《*》へ聞こえるくらいなんですから、深夜闃《げき》寂《せき》として、四《し》望《ぼう》人なく、鬼《き》気《きは》肌《だえ》に迫って、魑《ち》魅《み》鼻をつく《*》際に……」
「魑《ち》魅《み》鼻をつくとはなんのことだい」
「そんなことを言うじゃありませんか、こわい時に」
「そうかな。あんまり聞かないようだが。それで」
「それで虎が上野の老《ろう》杉《さん》の葉をことごとくふるい落とすような勢いで鳴くでしょう。物すごいでさあ」
「そりゃ物すごいだろう」
「どうです冒険に出かけませんか。きっと愉快だろうと思うんです。どうしても虎の鳴き声は夜なかに聞かなくっちゃ、聞いたとはいわれないだろうと思うんです」
「そうさな」と主人は武右衛門君の哀願に冷淡であるごとく、寒月君の探検にも冷淡である。
この時まで黙《もく》然《ねん》として虎の話をうらやましそうに聞いていた武右衛門君は主人の「そうさな」で再び自分の身の上を思い出したとみえて、「先生、ぼくは心配なんですが、どうしたらいいでしょう」とまた聞き返す。寒月君は不審な顔をしてこの大きな頭を見た。吾輩は思う子《し》細《さい》あってちょっと失敬して茶の間へ回る。
茶の間では細君がくすくす笑いながら、京焼きの安茶わんに番茶をなみなみとついで、アンチモニーの茶《ちや》托《たく》の上へ載せて、
「雪江さん、はばかりさま、これを出して来てください」
「わたし、いやよ」
「どうして」細君は少々驚いたていで、笑いをはたととめる。
「どうしてでも」と雪江さんはいやにすました顔を即席にこしらえて、そばにあった読売新聞の上にのしかかるように目を落とした。細君はもう一応協商を始める。
「あら妙な人ね。寒月さんですよ。かまやしないわ」
「でもわたし、いやなんですもの」と読売新聞の上から目を放さない。こんな時に一字も読めるものではないが、読んでいないなどとあばかれたらまた泣きだすだろう。
「ちっとも恥ずかしいことはないじゃありませんか」と今度は細君笑いながら、わざと茶わんを読売新聞の上へ押しやる。雪江さんは「あら人の悪い」と新聞を茶わんの下から、抜こうとする拍子に茶托に引っかかって、番茶は遠慮なく新聞の上から畳の目へ流れ込む。「それ御覧なさい」と細君が言うと、雪江さんは「あらたいへんだ」と台所へ駆け出して行った。ぞうきんでも持ってくる了見だろう。吾輩にはこの狂言がちょっとおもしろかった。
寒月君はそれとも知らず座敷で妙なことを話している。
「先生障子を張りかえましたね。だれが張ったんです」
「女が張ったんだ。よく張れているだろう」
「ええなかなかうまい。あの時々おいでになるお嬢さんがお張りになったんですか」
「うんあれも手伝ったのさ。このくらい障子が張れれば嫁に行く資格はあると言っていばってるぜ」
「へえ、なるほど」と言いながら寒月君障子を見つめている。
「こっちのほうは平らですが、右の端《はじ》は紙が余って波ができていますね」
「あすこが張りたての所で、最も経験の乏しい時にできあがった所さ」
「なるほど、少しお手ぎわが落ちますね。あの表面は超絶的曲線でとうてい普通のファンクションではあらわせないです」と、理学者だけにむずかしいことを言うと、主人は
「そうさね」といいかげんな挨拶をした。
この様子ではいつまで嘆願をしていても、とうてい見込みがないと思い切った武右衛門君は突然かの偉大なる頭《ず》蓋《がい》骨《こつ》を畳の上におしつけて、無言のうちに暗《あん》に訣《けつ》別《べつ》の意を表した。主人は「帰るかい」と言った。武右衛門君は悄《しよう》然《ぜん》として薩《さつ》摩《ま》下《げ》駄《た》を引きずって門を出た。かあいそうに、うちやっておくと巌《がん》頭《とう》の吟《ぎん*》でも書いて華《け》厳《ごん》の滝《たき》から飛び込むかもしれない。元をただせば金田令嬢のハイカラと生意気から起こったことだ。もし武右衛門君が死んだら、幽霊になって令嬢を取り殺してやるがいい。あんな者が世界から一人や二人消えてなくなったって、男子はすこしも困らない。寒月君はもっと令嬢らしいのをもらうがいい。
「先生ありゃ生徒ですか」
「うん」
「たいへん大きな頭ですね。学問はできますか」
「頭のわりにはできないがね。時々妙な質問をするよ。こないだコロンバスを訳してくださいって大いに弱った」
「全く頭が大き過ぎますからそんなよけいな質問をするんでしょう。先生なんとおっしゃいました」
「ええ? なあにいいかげんなことを言って訳してやった」
「それでも訳すことは訳したんですか、こりゃえらい」
「子供はなんでも訳してやらないと信用せんからね」
「先生もなかなか政治家になりましたね。しかし今の様子ではなんだか非常に元気がなくって、先生を困らせるようには見えないじゃありませんか」
「きょうは少し弱ってるんだよ。ばかなやつだよ」
「どうしたんです。なんだかちょっと見たばかりで非常にかわいそうになりました。ぜんたいどうしたんです」
「なに愚なことさ。金田の娘に艶書を送ったんだ」
「え? あの大《おお》頭《あたま》がですか。近ごろの書生はなかなかえらいもんですね。どうも驚いた」
「君も心配だろうが……」
「なにちっとも心配じゃありません。かえっておもしろいです。いくら艶書が降り込んだって大丈夫です」
「そう君が安心していればかまわないが……」
「かまわんですとも私はいっこうかまいません。しかしあの大頭が艶書を書いたというには、少し驚きますね」
「それがさ冗談にしたんだよ。あの娘がハイカラで生意気だからからかってやろうって、三人が共同して……」
「三人が一本の手紙を金田の令嬢にやったんですか。ますます奇談ですね。一《いち》人《にん》前《まえ》の西洋料理を三人で食うようなものじゃありませんか」
「ところが手分けがあるんだ。一人が文章を書く、一人が投函する、一人が名前を貸す。で今来たのが名前を貸したやつなんだがね。これがいちばん愚だね。しかも金田の娘の顔も見たことがないっていうんだぜ。どうしてそんなむちゃなことができたものだろう」
「そりゃ、近来の大出来ですよ。傑作ですね。どうもあの大頭が、女に文《ふみ》をやるなんておもしろいじゃありませんか」
「とんだ間違いにならあね」
「なになったってかまやしません、相手が金田ですもの」
「だって君がもらうかもしれない人だぜ」
「もらうかもしれないからかまわないんです。なあに、金田なんか、かまやしません」
「君はかまわなくっても……」
「なに金田だってかまやしません、大丈夫です」
「それならそれでいいとして、当人があとになって、急に良心に責められて、恐ろしくなったものだから、大いに恐縮してぼくのうちへ相談に来たんだ」
「へえ、それであんなにしおしおとしているんですか、気の小さい子とみえますね。先生なんとか言っておやんなすったんでしょう」
「本人は退校になるでしょうかって、それをいちばん心配しているのさ」
「なんで退校になるんです」
「そんな悪い、不道徳なことをしたから」
「なに、不道徳というほどでもありませんやね。かまやしません。金田じゃ名誉に思ってきっと吹《ふい》聴《ちよう》していますよ」
「まさか」
「とにかくかあいそうですよ。そんなことをするのが悪いとしても、あんなに心配させちゃ、若い男を一人殺してしまいますよ。ありゃ頭は大きいが人相はそんなに悪くありません。鼻なんかぴくぴくさせてかあいいです」
「君もだいぶ迷亭みたようにのんきなことを言うね」
「なに、これが時代思潮です、先生はあまり昔ふうだから、なんでもむずかしく解釈なさるんです」
「しかし愚じゃないか、知りもしない所へ、いたずらに艶書を送るなんて、まるで常識をかいてるじゃないか」
「いたずらは、たいがい常識をかいていまさあ。救っておやんなさい。功《く》徳《どく》になりますよ。あの様子じゃ華厳の滝へ出かけますよ」
「そうだな」
「そうなさい。もっと大きな、もっと分別のある大僧どもがそれどころじゃない、悪いたずらをして知らん顔をしていますよ。あんな子を退校させるくらいなら、そんなやつらを片っぱしから放逐でもしなくっちゃ不公平でさあ」
「それもそうだね」
「それでどうです上野の虎の鳴き声を聞きに行くのは」
「虎かい」
「ええ、聞きに行きましょう。じつは二、三日うちにちょっと帰国しなければならないことができましたから、当分どこへもお供はできませんから、きょうはぜひいっしょに散歩をしようと思って来たんです」
「そうか帰るのかい、用事でもあるのかい」
「ええちょっと用事ができたんです。――ともかくも出ようじゃありませんか」
「そう。それじゃ出ようか」
「さあ行きましょう。きょうは私が晩《ばん》餐《さん》をおごりますから、――それから運動をして上野へ行くとちょうどいい刻限です」としきりに促すものだから、主人もその気になって、いっしょに出かけて行った。あとでは細君と雪江さんが遠慮のない声でげらげらけらけらからからと笑っていた。
一一
床《とこ》の間《ま》の前に碁《ご》盤《ばん》を中にすえて迷《めい》亭《てい》君と独《どく》仙《せん》君が対座している。
「ただはやらない。負けたほうが何かおごるんだぜ。いいかい」と迷亭君が念を押すと、独仙君は例のごとく山《や》羊《ぎ》髯《ひげ》を引っぱりながら、こう言った。
「そんなことをすると、せっかくの清《せい》戯《ぎ》を俗了してしまう。かけなどで勝負に心を奪われてはおもしろくない。成《せい》敗《はい》を度外に置いて、白《はく》雲《うん》の自然に岫《しゆう》をいでて冉《ぜん》々《ぜん》たる《*》ごとき心持ちで一局を了してこそ、個《こ》中《ちゆう》の味わいはわかるものだよ」
「またきたね。そんな仙《せん》骨《こつ》を相手にしちゃ少々骨が折れすぎる。宛《えん》然《ぜん》たる列仙伝《*》中の人物だね」
「無《む》弦《げん》の素《そ》琴《きん*》を弾じさ」
「無線の電信をかけかね」
「とにかく、やろう」
「君が白を持つのかい」
「どっちでもかまわない」
「さすがに仙人だけあって鷹《おう》揚《よう》だ。君が白なら自然の順序としてぼくは黒だね。さあ、きたまえ。どこからでもきたまえ」
「黒から打つのが法則だよ」
「なるほど。しからば謙《けん》遜《そん》して、定《じよう》石《せき》にここいらからゆこう」
「定石にそんなのはないよ」
「なくってもかまわない。新奇発明の定石だ」
吾輩は世間が狭いから碁盤というものは近来になってはじめて拝見したのだが、考えれば考えるほど妙にできている。広くもない四角な板を狭苦しく四角にしきって、目がくらむほとごたごたと黒《こん》白《びゃく》の石をならべる。そうして勝ったとか、負けたとか、死んだとか、生きたとか、あぶら汗を流して騒いでいる。たかが一尺四方ぐらいの面積だ。猫の前足でかき散らしてもめちゃめちゃになる。引き寄せて結べば草の庵《いおり》にて、解くればもとの野原なりけり。いらざるいたずらだ。ふところ手をして盤をながめているほうがはるかに気楽である。それも最初の三、四十目《もく》は、石の並べ方ではべつだん目ざわりにもならないが、いざ天下わけ目という間《ま》ぎわにのぞいてみると、いやはやお気の毒なありさまだ。白と黒が盤から、こぼれ落ちるまでに押し合って、お互いにギューギューいっている。窮屈だからといって、隣りのやつにどいてもらうわけにもゆかず、邪魔だと申して前の先生に退去を命ずる権利もなし、天命とあきらめて、じっとして身動きもせず、すくんでいるよりほかに、どうすることもできない。碁を発明したものは人間で、人間の嗜《し》好《こう》が局面にあらわれるものとすれば、窮屈なる碁石の運命はせせこましい人間の性質を代表しているといってもさしつかえない。人間の性質が碁石の運命で推知することができるものとすれば、人間とは天《てん》空《くう》海《かい》闊《かつ*》の世界を、我からと縮めて、おのれの立つ両足以外には、どうあっても踏み出せぬように、小《こ》刀《がたな》細《ざい》工《く》で自分の領分に縄《なわ》張《ば》りをするのが好きなんだと断言せざるをえない。人間とはしいて苦痛を求めるものであると一言に評してもよかろう。
のんきなる迷亭君と、禅機ある独仙君とは、どういう了見か、きょうに限って戸《と》棚《だな》から古碁盤を引きずり出して、この暑苦しいいたずらを始めたのである。さすがに御両人おそろいのことだから、最初のうちは各自任意の行動をとって、盤の上を白石と黒石が自由自在に飛びかわしていたが、盤の広さには限りがあって、横たての目盛りは一《ひと》手《て》ごとに埋まってゆくのだから、いかにのんきでも、いかに禅機があっても、苦しくなるのはあたりまえである。
「迷亭君、君の碁は乱暴だよ。そんな所へはいってくる法はない」
「禅坊主の碁にはこんな法はないかもしれないが、本《ほん》因《いん》坊《ぼう》の流儀じゃ、あるんだからしかたがないさ」
「しかし死ぬばかりだぜ」
「臣死をだも辞せず、いわんや〓《てい》肩《けん》をや《*》と、一つ、こうゆくかな」
「そうおいでになったと、よろしい。薫《くん》風《ぶう》南《みなみ》よりきたって、殿《でん》閣《かく》微《び》涼《りよう》を生ず《*》。こう、ついでおけば大丈夫なものだ」
「おや、ついだのは、さすがにえらい。まさか、つぐ気づかいはなかろうと思った。ついで、くりやるな八《はち》幡《まん》鐘《がね*》をと、こうやったら、どうするかね」
「どうするも、こうするもない。一剣天に倚《よ》って寒し《*》――ええ、めんどうだ。思い切って、切ってしまえ」
「やや、たいへんたいへん。そこを切られちゃ死んでしまう。おい冗談じゃない。ちょっと待った」
「それだから、さっきからいわんことじゃない。こうなってるところへははいれるものじゃないんだ」
「はいって失敬仕《つかまつ》り候《そうろう》。ちょっとこの白をとってくれたまえ」
「それも待つのかい」
「ついでにその隣りのも引き揚げてみてくれたまえ」
「ずうずうしいぜ、おい」
「 Do you see the boy か。――なに君とぼくの間《あいだ》がらじゃないか。そんな水臭いことを言わずに、引き揚げてくれたまえな。死ぬか生きるかという場合だ。しばらく、しばらく《*》って花道から駆け出して来るところだよ」
「そんなことはぼくは知らんよ」
「知らなくってもいいから、ちょっとどけたまえ」
「君さっきから、六ぺん待ったをしたじゃないか」
「記憶のいい男だな。向《こう》後《ご》は旧に倍し待ったを仕り候。だからちょっとどけたまえと言うのだあね。君もよッぽど強《ごう》情《じよう》だね。座禅なんかしたら、もう少しさばけそうなものだ」
「しかしこの石でも殺さなければ、ぼくのほうは少し負けになりそうだから……」
「君は最初から負けてもかまわない流《りゆう》じゃないか」
「ぼくは負けてもかまわないが、君には勝たしたくない」
「とんだ悟道だ。相変わらず春《しゆん》風《ぷう》影《えい》裏《り》に電光を切ってるね」
「春風影裏じゃない、電光影裏だよ。君のは逆さだ」
「ハハハハもうたいてい逆《さか》になっていい時分だと思ったら、やはりたしかなところがあるね。それじゃしかたがないあきらめるかな」
「生《しよう》死《じ》事《じ》大《だい》、無《む》常《じよう》迅《じん》速《そく》、あきらめるさ」
「アーメン」と迷亭先生今度はまるで関係のない方面へぴしゃりと一石《せき》を下《くだ》した。
床の間の前で迷亭君と独仙君が一生懸命に輸《しゆ》贏《えい》を争っていると、座敷の入り口には、寒《かん》月《げつ》君と東《とう》風《ふう》君が相ならんでそのそばに主人が黄色い顔をしてすわっている。寒月君の前に鰹《かつ》節《ぶし》が三本、裸のまま畳の上に行儀よく排列してあるのは奇観である。
この鰹節の出所は寒月君のふところで、取り出した時はあったかく、手のひらに感じたくらい、裸ながらぬくもっていた。主人と東風君は妙な目をして視線を鰹節の上に注いでいると、寒月君はやがて口を開いた。
「じつは四日ばかり前に国から帰って来たのですが、いろいろ用事があって、方々駆け歩いていたものですから、つい上がられなかったのです」
「そう急いでくるには及ばないさ」と主人は例のごとく無《ぶ》愛《あい》嬌《きよう》なことを言う。
「急いで来んでもいいのですけれども、このおみやげを早く献上しないと心配ですから」
「鰹節じゃないか」
「ええ、国の名産です」
「名産だって東京にもそんなのはありそうだぜ」と主人はいちばん大きなやつを一本取り上げて、鼻の先へ持って行ってにおいをかいでみる。
「かいだって、鰹節の善《よし》悪《あし》はわかりませんよ」
「少し大きいのが名産たるゆえんかね」
「まあ食べてごらんなさい」
「食べることはどうせ食べるが、こいつはなんだか先が欠けてるじゃないか」
「それだから早く持って来ないと心配だと言うのです」
「なぜ?」
「なぜって、そりゃ鼠《ねずみ》が食ったのです」
「そいつは危険だ。めったに食うとペストになるぜ」
「なに大丈夫、そのくらいかじったって害はありません」
「ぜんたいどこでかじったんだい」
「船の中でです」
「船の中? どうして」
「入れる所がなかったから、ヴァイオリンといっしょに袋の中へ入れて、船へ乗ったら、その晩にやられました。鰹節だけなら、いいのですけれども、大切なヴァイオリンの胴を鰹節と間違えてやはり少々かじりました」
「そそっかしい鼠だね。船の中に住んでると、そう見さかいがなくなるものかな」と主人はだれにもわからんことを言って依然として鰹節をながめている。
「なに鼠だから、どこに住んでてもそそっかしいのでしょう。だから下宿へ持って来てもまたやられそうでね。けんのんだから夜は寝《ね》床《どこ》の中へ入れて寝ました」
「少しきたないようだぜ」
「だから食べる時にはちょっとお洗いなさい」
「ちょっとぐらいじゃきれいにゃなりそうもない」
「それじゃ灰《あ》汁《く》でもつけて、ごしごしみがいたらいいでしょう」
「ヴァイオリンも抱いて寝たのかい」
「ヴァイオリンは大き過ぎるから抱いて寝るわけにはゆかないんですが」と言いかけると
「なんだって? ヴァイオリンを抱いて寝たって? それは風流だ。ゆく春や重たき琵《び》琶《わ》のだき心《*》という句もあるが、それは遠きそのかみのことだ。明治の秀才はヴァイオリンを抱いて寝なくっちゃ古人をしのぐわけにはゆかないよ。かい巻《まき》に長き夜《よ》守《も》るやヴァイオリンはどうだい。東風君、新体詩でそんなことが言えるかい」と向こうの方から迷亭先生大きな声でこっちの談話にも関係をつける。
東風君はまじめで「新体詩は俳句と違ってそう急にはできません。しかしできた暁にはもう少し生《せい》霊《れい》の機《き》微《び》に触れた妙音が出ます」
「そうかね、生《しよう》霊《りよう》はおがらをたいて迎え奉るものと思ってたが、やっぱり新体詩の力でも御来臨になるかい」と迷亭はまだ碁をそっちのけにしてからかっている。
「そんなむだ口をたたくとまた負けるぜ」と主人は迷亭に注意する。迷亭は平気なもので
「勝ちたくても、負けたくても、相手が釜《ふ》中《ちゆう》の章《た》魚《こ》同然手も足も出せないのだから、ぼくも無《ぶ》聊《りよう》でやむをえずヴァイオリンのお仲間をつかまつるのさ」と言うと、相手の独仙君はいささか激した調子で
「今度は君の番だよ。こっちで待ってるんだ」と言い放った。
「え? もう打ったのかい」
「打ったとも、とうに打ったさ」
「どこへ」
「この白をはすに延ばした」
「なあるほど。この白をはすに延ばして負けにけりか、そんならこっちはと――こっちは――こっちはこっちはとて暮れにけり《*》と、どうもいい手がないね。君もう一ぺん打たしてやるからかってな所へ一目《もく》打ちたまえ」
「そんな碁があるものか」
「そんな碁があるものかなら打ちましょう。――それじゃこのかど地面へちょっと曲がっておくかな。――寒月君、君のヴァイオリンはあんまり安いから鼠がばかにしてかじるんだよ、もう少しいいのを奮発して買うさ、ぼくがイタリアから三百年前《ぜん》の古《こ》物《ぶつ》を取り寄せてやろうか」
「どうか願います。ついでにお払いのほうも願いたいもので」
「そんな古いものが役に立つものか」となんにも知らない主人は一《いつ》喝《かつ》にして迷亭君をきめつけた。
「君は人間の古《こ》物《ぶつ》とヴァイオリンの古物と同一視しているんだろう。人間の古物でも金田某のごときものは今だに流行しているくらいだから、ヴァイオリンに至っては古いほどがいいのさ。――さあ、独仙君どうかお早く願おう。けいまさのせりふ《*》じゃないが秋の日は暮れやすいからね」
「君のようなせわしない男と碁を打つのは苦痛だよ。考える暇も何もありゃしない。しかたがないから、ここへ一目《もく》入れて目《め》にしておこう」
「おやおや、とうとう生かしてしまった。惜しいことをしたね。まさかそこへは打つまいと思って、いささか駄《だ》弁《べん》をふるって肝胆を砕いていたが、やッぱりだめか」
「あたりまえさ。君のは打つのじゃない。ごまかすのだ」
「それが本因坊流、金田流、当世紳士流さ。――おい苦《く》沙《しや》弥《み》先生、さすがに独仙君は鎌《かま》倉《くら》へ行って万《まん》年《ねん》漬《づけ》を食っただけあって、物に動じないね。どうも敬々服々だ。碁はまずいが、度胸はすわってる」
「だから君のような度胸のない男は、少しまねをするがいい」と主人が後ろ向きのままで答えるや否や、迷亭君は大きな赤い舌をぺろりと出した。独仙君はごうも関せざるもののごとく、「さあ君の番だ」とまた相手を促した。
「君はヴァイオリンをいつごろから始めたのかい。ぼくも少し習おうと思うのだが、よっぽどむずかしいものだそうだね」と東風君が寒月君に聞いている。
「うむ。一通りならだれにでもできるさ」
「同じ芸術だから詩《しい》歌《か》の趣味のある者はやはり音楽のほうでも上達が早いだろうと、ひそかにたのむところがあるんだが、どうだろう」
「いいだろう。君ならきっと上《じよう》手《ず》になるよ」
「君はいつごろから始めたのかね」
「高等学校時代さ。――先生私のヴァイオリンを習いだした顛《てん》末《まつ》をお話ししたことがありましたかね」
「いいえ、まだ聞かない」
「高等学校時代に先生でもあってやりだしたのかい」
「なあに先生も何もありゃしない。独習さ」
「全く天才だね」
「独習なら天才と限ったこともなかろう」と寒月君はつんとする。天才と言われてつんとするのは寒月君だけだろう。
「そりゃ、どうでもいいが、どういうふうに独習したのかちょっと聞かしたまえ。参考にしたいから」
「話してもいい。先生話しましょうかね」
「ああ話したまえ」
「今では若い人がヴァイオリンの箱をさげて、よく往来などを歩いておりますが、その時分は高等学校生で西洋の音楽などをやった者はほとんどなかったのです。ことに私のおった学校は田舎《いなか》の田舎で麻《あさ》裏《うら》草《ぞう》履《り》さえないというくらいな質《しつ》朴《ぼく》な所でしたから、学校の生徒でヴァイオリンなどをひく者はもちろん一人もありません。……」
「なんだかおもしろい話が向こうで始まったようだ。独仙君いいかげんに切り上げようじゃないか」
「また片づかない所が二、三か所ある」
「あってもいい。たいがいな所なら、君に進上する」
「そう言ったって、もらうわけにはゆかない」
「禅学者にも似合わんきちょうめんな男だ。それじゃ一《いつ》気《き》呵《か》成《せい》にやっちまおう。――寒月君なんだかよっぽどおもしろそうだね。――あの高等学校だろう、生徒がはだしで登校するのは……」
「そんなことはありません」
「でも、みんなはだしで兵式体操をして、回れ右をやるんで足の皮がたいへん厚くなってるという話だぜ」
「まさか。だれがそんなことを言いました」
「だれでもいいよ。そうして弁当には偉大なる握り飯を一個、夏みかんのように腰へぶらさげて来て、それを食うんだっていうじゃないか。食うというよりむしろ食いつくんだね。すると中心から梅干しが一個出て来るそうだ。この梅干しが出るのを楽しみに塩けのない周囲を一心不乱に食い欠いて突進するんだというが、なるほど元気旺《おう》盛《せい》なものだね。独仙君、君の気に入りそうな話だぜ」
「質朴剛健でたのもしい気風だ」
「まだたのもしいことがある。あすこには灰吹きがないそうだ。ぼくの友人があすこへ奉職をしているころ吐《と》月《げつ》蜂《ほう》の印《いん》のある灰吹きを買いに出たところが、吐月峰どころか、灰吹きと名づくべきものが一個もない。不思議に思って、聞いてみたら、灰吹きなどは裏のやぶへ行って切って来ればだれにでもできるから、売る必要はないとすまして答えたそうだ。これも質朴剛健の気風をあらわす美談だろう、ねえ独仙君」
「うむ、そりゃそれでいいが、ここへ駄《だ》目《め》を一つ入れなくちゃいけない」
「よろしい。駄目、駄目、駄目と。それで片づいた。――ぼくはその話を聞いて、じつに驚いたね。そんな所で君がヴァイオリンを独習したのは見上げたものだ。〓《けい》独《どく》して不《ふ》群《ぐん》なり《*》と楚《そ》辞《じ》にあるが寒月君は全く明治の屈《くつ》原《げん》だよ」
「屈原はいやですよ」
「それじゃ今世紀のウェルテルさ。――なに石を上げて勘定をしろ? やに物堅いたちだね。勘定しなくってもぼくは負けてるからたしかだ」
「しかしきまりがつかないから……」
「それじゃ君やってくれたまえ。ぼくは勘定どころじゃない。一代の才人ウェルテル君がヴァイオリンを習いだした逸《いつ》話《わ》を聞かなくっちゃ、先祖へすまないから失敬する」と席をはずして、寒月君の方へすり出して来た。独仙君はたんねんに白石を取っては白の穴を埋め、黒石を取っては黒の穴を埋めて、しきりに口の内で計算をしている。寒月君は話をつづける。
「土地がらがすでに土地がらだのに、私の国の者がまた非常に頑《がん》固《こ》なので、少しでも柔《じゆう》弱《じやく》な者がおっては、他県の生徒に外聞が悪いといって、むやみに制裁を厳重にしましたから、ずいぶん厄《やつ》介《かい》でした」
「君の国の書生ときたら、ほんとうに話せないね。元来なんだって、紺の無地の袴《はかま》なんぞはくんだい。第《だい》一《いち》あれからしておつだね。そうして塩風に吹かれつけているせいか、どうも、色が黒いね。男だからあれですむが女があれじゃさぞかし困るだろう」と迷亭君が一人はいると肝《かん》心《じん》の話はどっかへ飛んで行ってしまう。
「女もあのとおり黒いのです」
「それでよくもらい手があるね」
「だって一《いつ》国《こく》じゅうことごとく黒いのだからしかたがありません」
「因《いん》果《が》だね、ねえ苦沙弥君」
「黒いほうがいいだろう。なまじ白いと鏡を見るたんびに己《おの》惚《ぼれ》が出ていけない。女というものは始末におえない物件だからなあ」と主人は喟《き》然《ぜん》として大《たい》息《そく》をもらした。
「だって一国じゆうことごとく黒ければ、黒いほうでうぬぼれはしませんか」と東風君がもっともな質問をかけた。
「ともかくも女は全然不必要な者だ」と主人が言うと、
「そんなことを言うと細君があとでごきげんが悪いぜ」と笑いながら迷亭先生が注意する。
「なに大丈夫だ」
「いないのかい」
「子供を連れて、さっき出かけた」
「どうれで静かだと思った。どこへ行ったのだい」
「どこだかわからない。かってに出て歩くのだ」
「そうしてかってに帰って来るのかい」
「まあそうだ。君は独身でいいなあ」と言うと東風君は少々不平な顔をする。寒月君はにやにやと笑う。迷亭君は
「妻《さい》を持つとみんなそういう気になるのさ。ねえ独仙君、君なども細君難のほうだろう」
「ええ? ちょっと待った。四六二十四、二十五、二十六、二十七と。狭いと思ったら、四十六目《もく》あるか。もう少し勝ったつもりだったが、こしらえてみると、たった十八目《もく》の差か。――なんだって?」
「君も細君難だろうと言うのさ」
「アハハハハべつだん難でもないさ。ぼくの妻《さい》は元来ぼくを愛しているのだから」
「そいつは少々失敬した。それでこそ独仙君だ」
「独仙君ばかりじゃありません。そんな例はいくらでもありますよ」と寒月君が天下の細君にかわってちょっと弁護の労を取った。
「ぼくも寒月君に賛成する。ぼくの考えでは人間が絶対の域に入るには、ただ二つの道があるばかりで、その二つの道とは芸術と恋だ。夫婦の愛はその一つを代表するものだから、人間はぜひ結婚をして、この幸福をまっとうしなければ天意にそむくわけだと思うんだ。――がどうでしょう先生」と東風君は相変わらずまじめで迷亭君の方へ向き直った。
「御名論だ。ぼくなどはとうてい絶対の境《きよう》にはいれそうもない」
「妻《さい》をもらえばなおはいれやしない」と主人はむずかしい顔をして言った。
「ともかくも我々未婚の青年は芸術の霊気にふれて向上の一路を開拓しなければ人生の意義がわからないですから、まず手始めにヴァイオリンでも習おうと思って寒月君にさっきから経験談を聞いているのです」
「そうそう、ウェルテル君のヴァイオリン物語を拝聴するはずだったね。さあ話したまえ。もう邪魔はしないから」と迷亭君がようやく鋒《ほう》鋩《ぼう》を収めると、
「向上の一路はヴァイオリンなどで開けるものではない。そんな遊《ゆう》戯《ぎ》三《ざん》昧《まい》で宇宙の真理が知れてはたいへんだ。這《しや》裡《り》の消息を知ろうと思えばやはり懸《けん》崖《がい》に手を撒《さつ》して、絶《ぜつ》後《ご》に再び蘇《よみが》える《*》ていの気《き》魄《はく》がなければだめだ」と独仙君はもったいぶって、東風君に訓戒じみた説教をしたのはよかったが、東風君は禅宗のぜの字も知らない男だからとんと感心した様子もなく
「へえ、そうかもしれませんが、やはり芸術は人間の渇《かつ》仰《こう》の極致を表わしたものだと思いますから、どうしてもこれを捨てるわけにはまいりません」
「捨てるわけにゆかなければ、お望みどおりぼくのヴァイオリン談をして聞かせることにしよう、で今話すとおりの次第だからぼくもヴァイオリンのけいこを始めるまでにはだいぶ苦心をしたよ。第一買うのに困りましたよ先生」
「そうだろう麻裏草履がない土地にヴァイオリンがあるはずがない」
「いえ、あることはあるんです。金も前から用意してためたからさしつかえないのですが、どうも買えないのです」
「なぜ?」
「狭い土地だから、買っておればすぐ見つかります。見つかれば、すぐ生意気だというので制裁を加えられます」
「天才は昔から迫害を加えられるものだからね」と東風君は大いに同情を表した。
「また天才か、どうか天才呼ばわりだけは御免こうむりたいね。それでね毎日散歩をしてヴァイオリンのある店先を通るたびにあれが買えたらよかろう、あれを手にかかえた心持ちはどんなだろう、ああほしい、ああほしいと思わない日は一《いち》日《んち》もなかったのです」
「もっともだ」と評したのは迷亭で、「妙に凝《こ》ったものだね」と解《げ》しかねたのが主人で、「やはり君、天才だよ」と敬服したのは東風君である。ただ独仙君ばかりは超然として髯《ひげ》を撚《ねん》している。
「そんな所にどうしてヴァイオリンがあるかが第一御不審かもしれないですが、これは考えてみるとあたりまえのことです。なぜというとこの地方でも女学校があって、女学校の生徒は課業として毎日ヴァイオリンをけいこしなければならないのですから、あるはずです。むろんいいのはありません。ただヴァイオリンという名がかろうじてつくくらいのものであります。だから店でもあまり重きを置いていないので、二、三梃《ちよう》いっしょに店頭へつるしておくのです。それがね、時々散歩をして前を通る時に風が吹きつけたり、小僧の手がさわったりして、そら音《ね》を出すことがあります。その音《ね》を聞くと急に心臓が破裂しそうな心持ちで、いても立ってもいられなくなるんです」
「危険だね。水《みず》癲《てん》癇《かん》、人《ひと》癲《でん》癇《かん》と癲癇にもいろいろ種類があるが君のはウェルテルだけあって、ヴァイオリン癲癇だ」と迷亭君がひやかすと、
「いやそのくらい感覚が鋭敏でなければ真の芸術家にはなれないですよ。どうしても天《てん》才《さい》肌《はだ》だ」と東風君はいよいよ感心する。
「ええじっさい癲癇かもしれませんが、しかしあの音《ね》色《いろ》だけは奇体ですよ。その後今日までずいぶんひきましたがあのくらい美しい音《ね》が出たことがありません。そうさなんと形容していいでしょう。とうてい言いあらわせないです」
「琳《りん》琅《ろう》〓《きゆう》鏘《そう》として鳴る《*》じゃないか」とむずかしいことを持ち出したのは独仙君であったが、だれも取り合わなかったのは気の毒である。
「私が毎日毎日店頭を散歩しているうちにとうとうこの霊異な音《ね》を三度聞きました。三度目にどうあってもこれを買わなければならないと決心しました。たとい国の者から譴《けん》責《せき》されても、他県の者から軽《けい》蔑《べつ》されても――よし鉄《てつ》拳《けん》制裁のために絶息しても――まかり間違って退校の処分を受けても――、こればかりは買わずにいられないと思いました」
「それが天才だよ。天才でなければ、そんなに思い込めるわけのものじゃない。うらやましい。ぼくもどうかして、それほど猛烈な感じを起こしてみたいと年来心がけているが、どうもいけないね。音楽会などへ行ってできるだけ熱心に聞いているが、どうもそれほどに感《かん》興《きよう》が乗らない」と東風君はしきりにうらやましがっている。
「乗らないほうがしあわせだよ。今でこそ平気で話すようなもののその時の苦しみはとうてい想像ができるような種類のものではなかった。――それから先生とうとう奮発して買いました」
「ふむ、どうして」
「ちょうど十一月の天長節《*》の前の晩でした。国の者はそろって泊まりがけに温泉に行きましたから、一人もいません。私は病気だといって、その日は学校も休んで寝ていました。今晩こそ一つ出て行ってかねて望みのヴァイオリンを手に入れようと、床《とこ》の中でそのことばかり考えていました」
「仮《けび》病《よう》をつかって学校まで休んだのかい」
「全くそうです」
「なるほど少し天才だね。こりゃ」と迷亭君も少々恐れ入った様子である。
「夜具の中から首を出していると、日暮れが待ち遠《どお》でたまりません。しかたがないから頭からもぐり込んで、目を眠って待ってみましたが、やはりだめです。首を出すとはげしい秋の日が、六尺の障子へ一面にあたって、かんかんするにはかんしゃくが起こりました。上の方に細長い影がかたまって、時々秋《あき》風《かぜ》にゆすれるのが目につきます」
「なんだい、その細長い影というのは」
「渋《しぶ》柿《がき》の皮をむいて、軒へつるしておいたのです」
「ふん、それから」
「しかたがないから、床《とこ》を出て障子をあけて縁側へ出て、渋柿の甘《あま》干《ぼ》しを一つ取って食いました」
「うまかったかい」と主人は子供みたようなことを聞く。
「うまいですよ、あのへんの柿は。とうてい東京などじゃあの味はわかりませんね」
「柿はいいがそれから、どうしたい」と今度は東風君が聞く。
「それからまたもぐって目をふさいで、早く日が暮れればいいがと、ひそかに神《しん》仏《ぶつ》に念じてみた。約三、四時間もたったと思うころ、もうよかろうと、首を出すとあにはからんやはげしい秋の日は依然として六尺の障子を照らしてかんかんする、上の方に細長い影がかたまって、ふわふわする」
「そりや、聞いたよ」
「なんべんもあるんだよ。それから床を出て、障子をあけて、甘干しの柿を一つ食って、また寝床へはいって、早く日が暮れればいいと、ひそかに神仏に祈念をこらした」
「やっぱりもとのところじゃないか」
「まあ先生そうせかずに聞いてください。それから約三、四時間夜具の中で辛《しん》抱《ぼう》して、今度こそもうよかろうとぬっと首を出して見ると、はげしい秋の日は依然として六尺の障子へ一面にあたって、上の方に細長い影がかたまって、ふわふわしている」
「いつまで行っても同じことじゃないか」
「それから床を出て障子をあけて、縁側へ出て甘干しの柿を一つ食って……」
「また柿を食ったのかい。どうもいつまで行っても柿ばかり食ってて際限がないね」
「私もじれったくてね」
「君より聞いてるほうがよっぽどじれったいぜ」
「先生はどうもせっかちだから、話がしにくくって困ります」
「聞くほうも少しは困るよ」と東風君も暗に不平をもらした。
「そう諸君がお困りとある以上はしかたがない。たいていにして切り上げましょう。要するに私は甘干しの柿を食ってはもぐり、もぐっては食い、とうとう軒ばにつるしたやつをみんな食ってしまいました」
「みんな食ったら日も暮れたろう」
「ところがそういかないので、私が最後の甘干しを食って、もうよかろうと首を出して見ると、相変わらずはげしい秋の日が六尺の障子へ一面にあたって……」
「ぼかあ、もう御免だ。いつまで行っても果てしがない」
「話す私もあきあきします」
「しかしそのくらい根気があればたいていの事業は成就するよ。黙ってたら、あしたの朝まで秋の日がかんかんするんだろう。ぜんたいいつごろにヴァイオリンを買う気なんだい」とさすがの迷亭君も少し辛抱し切れなくなったとみえる。ただ独仙君のみは泰然として、あしたの朝までも、あさっての朝まででも、いくら秋の日がかんかんしても動ずるけしきはさらにない。寒月君も落ち付きはらったもので
「いつ買う気だとおっしゃるが、晩になりさえすれば、すぐ買いに出かけるつもりなんです。ただ残念なことには、いつ頭を出して見ても秋の日がかんかんしているものですから――いえその時の私の苦しみといったら、とうてい今あなたがたのおじれになるどころの騒ぎじゃないです。私は最後の甘干しを食っても、まだ日が暮れないのを見て、〓《げん》然《ぜん》として思わず泣きました。東風君、ぼくはじつに情けなくって泣いたよ」
「そうだろう、芸術家は本来多情多恨だから、泣いたことには同情するが、話はもっと早く進行させたいものだね」と東風君は人がいいから、どこまでもまじめで滑《こつ》稽《けい》な挨《あい》拶《さつ》をしている。
「進行させたいのはやまやまだが、どうしても日が暮れてくれないものだから困るのさ」
「そう日が暮れなくちゃ聞くほうも困るからやめよう」と主人がとうとう我慢し切れなくなったとみえて言い出した。
「やめちゃなお困ります。これからがいよいよ佳境に入るところですから」
「それじゃ聞くから、早く日が暮れたことにしたらよかろう」
「では、少し御無理な御注文ですが、先生のことですから、まげて、ここは日が暮れたことにいたしましょう」
「それは好都合だ」と独仙君がすまして述べられたので一同は思わずどっとふき出した。
「いよいよ夜《よ》に入ったので、まず安心とほっと一息ついて鞍《くら》懸《かけ》村《むら*》の下宿を出ました。私は性《しよう》来《らい》騒々しい所がきらいですから、わざと便利な市内を避けて、人《じん》迹《せき》のまれな寒村の百姓家にしばらく蝸《か》牛《ぎゆう》の庵《いおり》を結んでいたのです……」
「人迹のまれなはあんまり大げさだね」と主人が抗議を申し込むと「蝸牛の庵もぎょうさんだよ。床の間なしの四畳半ぐらいにしておくほうが写生的でおもしろい」と迷亭君も苦情を持ち出した。東風君だけは「事実はどうでも言語が詩的で感じがいい」とほめた。独仙君はまじめな顔で「そんな所に住んでいては学校へ通うのがたいへんだろう。何里ぐらいあるんですか」と聞いた。
「学校まではたった四、五丁です。元来学校からして寒村にあるんですから……」
「それじゃ学生はそのへんにだいぶ宿をとってるんでしょう」と独仙君はなかなか承知しない。
「ええ、たいていな百姓家には一人や二人は必ずいます」
「それで人迹まれなんですか」と正面攻撃を食らわせる。
「ええ学校がなかったら、全く人迹はまれですよ。……で当夜の服装というと、手織りもめんの綿入れの上へ金ボタンの制服外《がい》套《とう》を着て、外套の頭《ず》巾《きん》をすぽりとかぶってなるべく人の目につかないような注意をしました。おりから柿《かき》落《お》ち葉《ば》の時節で宿から南《なん》郷《ごう》街《かい》道《どう》へ出るまでは木《こ》の葉《は》で道がいっぱいです。一足運ぶごとにがさがさするのが気にかかります。だれかあとをつけて来そうでたまりません。振り向いて見ると東《とう》嶺《れい》寺《じ》の森がこんもりと黒く、暗い中に暗く写っています。この東嶺寺というのは松《まつ》平《だいら》家《け》の菩《ぼ》提《だい》所《しよ》で、庚《こう》申《しん》山《やま》のふもとにあって、私の宿とは一丁ぐらいしか隔たっていない、すこぶる幽《ゆう》邃《すい》な梵《ぼん》刹《せつ》です。森から上はのべつ幕なしの星月夜で、例の天《あま》の川《がわ》が長《なが》瀬《せ》川《がわ》を筋かいに横切って末は――末は、そうですね、まずハワイの方へ流れています……」
「ハワイは突飛だね」と迷亭君が言った。
「南郷街道をついに二丁来て、鷹《たか》台《のだい》町《まち》から市内にはいって、古《こ》城《じよう》町《まち》を通って、仙《せん》石《ごく》町《まち》をまがって、喰《くい》代《しろ》町《ちよう》を横に見て、通《とおり》町《ちよう》を一丁目、二丁目、三丁目と順に通り越して、それから尾《お》張《わり》町《ちよう》、名《な》古《ご》屋《や》町《ちよう》、鯱《しやち》鉾《ほこ》町《ちよう》、蒲《かま》鉾《ぼこ》町《ちよう》……」
「そんなにいろいろな町を通らなくてもいい。要するにヴァイオリンを買ったのか、買わないのか」と主人がじれったそうにきく。
「楽器のある店は金《かね》善《ぜん》すなわち金《かね》子《こ》善《ぜん》兵《べ》衛《え》方《かた》ですから、まだなかなかです」
「なかなかでもいいから早く買うがいい」
「かしこまりました。それで金善方へ来て見ると、店にはランプがかんかんともって……」
「またかんかんか、君のかんかんは一度や二度ですまないんだから難《なん》渋《じゆう》するよ」と今度は迷亭が予防線を張った。
「いえ。今度のかんかんは、ほんのとおり一ぺんのかんかんですから、べつだん御心配には及びません。――灯《ほ》影《かげ》にすかして見ると例のヴァイオリンが、ほのかに秋の灯《ひ》を反射して、くり込んだ胴の丸みに冷たい光を帯びています。つよく張った琴《きん》線《せん》の一部だけがきらきらと白く目に映ります。……」
「なかなか叙述がうまいや」と東風君がほめた。
「あれだな。あのヴァイオリンだなと思うと、急に動《どう》悸《き》がして足がふらふらします……」
「ふふん」と独仙君が鼻で笑った。
「思わず駆け込んで、隠袋《かくし》からがま口を出して、がま口の中から五円札を二枚出して……」
「とうとう買ったかい」と主人が聞く。
「買おうと思いましたが、まてしばし、ここが肝心のところだ。めったなことをしては失敗する。まあよそうと、きわどいところで思い留まりました」
「なんだ、まだ買わないのかい。ヴァイオリン一梃でなかなか人を引っぱるじゃないか」
「引っぱるわけじゃないんですが、どうも、まだ買えないんですからしかたがありません」
「なぜ」
「なぜって、また宵《よい》の口で人がおおぜい通るんですもの」
「かまわんじゃないか、人が二百や三百通ったって、君はよっぽど妙な男だ」と主人はぷんぷんしている。
「ただの人なら千が二千でもかまいませんがね、学校の生徒が腕まくりをして、大きなステッキを持って徘《はい》徊《かい》しているんだから容易に手を出せませんよ。中には沈《ちん》澱《でん》党《とう》などと号して、いつまでもクラスの底にたまって喜んでるのがありますからね。そんなのに限って柔道は強いのですよ。めったにヴァイオリンなどに手出しはできません。どんな目に会うかわかりません。私だってヴァイオリンはほしいに相違ないですけれども、命はこれでも惜しいですからね。ヴァイオリンをひいて殺されるよりも、ひかずに生きてるほうが楽ですよ」
「それじゃ、とうとう買わずにやめたんだね」と主人が念を押す。
「いえ、買ったのです」
「じれったい男だな。買うなら早く買うさ。いやならいやでいいから、早くかたをつけたらよさそうなものだ」
「エヘヘヘヘ、世の中のことはそう、こっちの思うようにらちがあくもんじゃありませんよ」と言いながら寒月君は冷然と「朝日」へ火をつけてふかしだした。
主人はめんどうになったとみえて、ついと立って書斎へはいったと思ったら、なんだか古ぼけた洋書を一冊持ち出して来て、ごろりと腹ばいになって読み始めた。独仙君はいつのまにやら、床の間の前へ退去して、ひとりで碁石を並べて一《ひと》人《り》相《ず》撲《もう》をとっている。せっかくの逸話もあまり長くかかるので聞き手が一人減り二人減って、残るは芸術に忠実なる東風君と、長いことにかつて辟《へき》易《えき》したことのない迷亭先生のみとなる。
長い煙をふうと世の中へ遠慮なく吹き出した寒月君は、やがて前《ぜん》同様の速度をもって談話をつづける。
「東風君、ぼくはその時こう思ったね。とうていこりゃ宵の口はだめだ、といって真夜中に来れば金善は寝てしまうからなおだめだ。なんでも学校の生徒が散歩から帰りつくして、そうして金善がまだ寝ない時を見計らって来なければ、せっかくの計画が水《すい》泡《ほう》に帰する。けれどもその時間をうまく見計らうのがむずかしい」
「なるほどこりゃむずかしかろう」
「でぼくはその時間をまあ十時ごろと見積もったね。それで今から十時ごろまでどこかで暮らさなければならない。うちへ帰って出直すのはたいへんだ。友だちのうちへ話に行くのはなんだか気がとがめるようでおもしろくなし、しかたがないから相当の時間が来るまで市中を散歩することにした。ところが平《へい》生《ぜい》ならば二時間や三時間はぶらぶら歩いているうちに、いつのまにかたってしまうのだがその夜《よ》に限って、時間のたつのがおそいのなんのって、――千《せん》秋《しゆう》の思いとはあんなことを言うのだろうと、しみじみ感じました」とさも感じたらしいふうをしてわざと迷亭先生の方を向く。
「古《こ》人《じん》も待つ身につらき置《おき》炬《ご》燵《たつ*》と言われたことがあるからね、また待たるる身より待つ身はつらいともあって軒につられたヴァイオリンもつらかったろうが、あてのない探《たん》偵《てい》のようにうろうろ、まごついている君はなおさらつらいだろう。累《るい》々《るい》として喪《そう》家《か》の犬のごとし。いや宿のない犬ほど気の毒なものはじっさいないよ」
「犬は残酷ですね。犬に比較されたことはこれでもまだありませんよ」
「ぼくはなんだか君の話を聞くと、昔の芸術家の伝を読むような気持ちがして同情の念に堪えない。犬に比較したのは先生の冗談だから気にかけずに話を進行したまえ」と東風君は慰《い》藉《しや》した。慰藉されなくても寒月君はむろん話をつづけるつもりである。
「それから徒《おかち》町《まち》から百《ひや》騎《つき》町《まち》を通って、両《りよう》替《がえ》町《ちよう》から鷹《たか》匠《じよう》町《まち》へ出て、県庁の前で枯れ柳の数を勘定して病院の横で窓の灯《ひ》を計算して、紺《こん》屋《や》橋《ぱし》の上で巻《まき》煙草《タバコ》を二本ふかして、そうして時計を見た。……」
「十時になったかい」
「惜しいことにならないね。――紺屋橋を渡り切って川ぞいに東へ上《のぼ》って行くと、按《あん》摩《ま》に三人あった。そうして犬がしきりにほえましたよ先生……」
「秋の夜長に川ばたで犬の遠ぼえを聞くのはちょっと芝居がかりだね。君は落《おち》人《ゆうど》という格だ」
「何か悪い事でもしたんですか」
「これからしようというところさ」
「かあいそうにヴァイオリンを買うのが悪い事じゃ、音楽学校の生徒はみんな罪人ですよ」
「人が認めないことをすれば、どんないい事をしても罪人さ、だから世の中に罪人ほどあてにならないものはない。耶《ヤ》蘇《ソ》もあんな世に生まれれば罪人さ。好男子寒月君もそんな所でヴァイオリンを買えば罪人さ」
「それじゃ負けて罪人としておきましょう。罪人はいいですが十時にならないのには弱りました」
「もう一ぺん、町の名を勘定するさ。それで足りなければまた秋の日をかんかんさせるさ。それでも追っつかなければまた甘干しの渋柿を三ダースも食うさ。いつまでも聞くから十時になるまでやりたまえ」
寒月先生はにやにやと笑った。
「そう先《せん》を越されては降参するよりほかはありません。それじゃ一足飛びに十時にしてしまいましょう。さてお約束の十時になって金善の前へ来てみると、夜《よ》寒《さむ》のころですから、さすが目ぬきの両替町もほとんど人通りが絶えて、向こうからくる下駄の音さえさみしい心持ちです。金善ではもう大《おお》戸《ど》をたてて、わずかにくぐり戸だけを障子にしています。私はなんとなく犬に尾《つ》けられたような心持ちで、障子をあけてはいるのに少々薄気味が悪かったです……」
この時主人はきたならしい本からちょっと目をはずして、「おいもうヴァイオリンを買ったかい」と聞いた。「これから買うところです」と東風君が答えると「まだ買わないのか、じつに長いな」とひとり言のように言ってまた本を読みだした。独仙君は無言のまま、白と黒で碁盤を大半うずめてしまった。
「思い切って飛び込んで、頭巾をかぶったままヴァイオリンをくれと言いますと、火《ひ》鉢《ばち》の周囲に四、五人小僧や若僧がかたまって話をしていたのが驚いて、申し合わせたように私の顔を見ました。私は思わず右の手をあげて頭巾をぐいと前の方に引きました。おいヴァイオリンをくれと二度目に言うと、いちばん前にいて、私の顔をのぞき込むようにしていた小僧がへえとおぼつかない返事をして、立ち上がって例の店先につるしてあったのを三、四梃一度におろして来ました。いくらかと聞くと五円二十銭だと言います……」
「おいそんな安いヴァイオリンがあるのかい。おもちゃじゃないか」
「みんな同《どう》価《ね》かと聞くと、へえ、どれでも変わりはございません。みんな丈夫に念を入れてこしらえてございますと言いますから、がま口の中から五円札と銀貨を二十銭出して用意の大ぶろしきを出してヴァイオリンを包みました。このあいだ、店の者は話を中止してじっと私の顔を見ています。顔は頭巾でかくしてあるからわかる気づかいはないのですけれどもなんだか気がせいて一刻も早く往来へ出たくてたまりません。ようやくのことふろしき包みを外套の下へ入れて、店を出たら、番頭が声をそろえてありがとうと大きな声を出したのにはひやっとしました。往来へ出てちょっと見回してみると、幸いだれもいないようですが、一丁ばかり向こうから二、三人して町内じゅうに響けとばかり詩吟をして来ます。こいつはたいへんだと金善の角《かど》を西へ折れて濠《ほり》端《ばた》を薬《やく》王《おう》師《じ》道《みち》へ出て、はんの木《き》村《むら》から庚申山のすそへ出てようやく下宿へ帰りました。下宿へ帰ってみたらもう二時十分前でした」
「夜通し歩いていたようなものだね」と東風君が気の毒そうに言うと「やっと上がった。やれやれ長い道《どう》中《ちゆう》双《すご》六《ろく》だ」と迷亭君はほっとひと息ついた。
「これからが聞きどころですよ。今まではたんに序幕です」
「まだあるのかい。こいつは容易なことじゃない。たいていの者は君にあっちゃ根気負けをするね」
「根気はとにかく、ここでやめちゃ仏《ほとけ》作って魂入れずと一般ですから、もう少し話します」
「話すのはむろん随意さ。聞くことは聞くよ」
「どうです苦沙弥先生もお聞きになっては。もうヴァイオリンは買ってしまいましたよ。ええ先生」
「今度はヴァイオリンを売るところかい。売るところなんか聞かなくってもいい」
「まだ売るどこじゃありません」
「そんならなお聞かなくてもいい」
「どうも困るな、東風君、君だけだね、熱心に聞いてくれるのは。少し張り合いが抜けるがまあしかたがない、ざっと話してしまおう」
「ざっとでなくてもいいからゆっくり話したまえ。たいへんおもしろい」
「ヴァイオリンはようやくの思いで手に入れたが、まず第一に困ったのは置き所だね。ぼくの所へはたいぶ人が遊びに来るからめったな所へぶらさげたり、立てかけたりするとすぐ露見してしまう。穴を掘って埋めちゃ掘り出すのがめんどうだろう」
「そうさ、天井裏へでも隠したかい」と東風君は気楽なことを言う。
「天井はないさ。百姓家だもの」
「そりゃ困ったろう。どこへ入れたい」
「どこへ入れたと思う」
「わからないね。戸袋の中か」
「いいえ」
「夜具にくるんで戸《と》棚《だな》へしまったか」
「いいえ」
東風君と寒月君はヴァイオリンの隠れ家《が》についてかくのごとく問答をしているうちに、主人と迷亭君も何かしきりに話している。
「こりゃなんと読むのだい」と主人が聞く。
「どれ」
「この二行さ」
「なんだって? Quid aliud est mulier nisi amicitiae inimica……《*》こりゃ君ラテン語じゃないか」
「ラテン語はわかってるが、なんと読むのだい」
「だって君は平生ラテン語が読めると言ってるじゃないか」と迷亭君も危険だと見て取って、ちょっと逃げた。
「むろん読めるさ。読めることは読めるが、こりゃなんだい」
「読めることは読めるが、こりゃなんだは手ひどいね」
「なんでもいいからちょっと英語に訳してみろ」
「みろははげしいね。まるで従卒のようだね」
「従卒でもいいからなんだ」
「まあラテン語などはあとにして、ちょっと寒月君の御高話を拝聴つかまつろうじゃないか。今たいへんなところだよ。いよいよ露見するか、しないか危機一髪という安宅《あたか》の関《せき》へかかってるんだ。――ねえ寒月君それからどうしたい」と急に乗り気になって、またヴァイオリンの仲間入りをする。主人は情けなくも取り残された。寒月君はこれに勢いを得て隠し所を説明する。
「とうとう古つづらの中へ隠しました。このつづらは国を出る時お祖《ば》母《あ》さんが餞《せん》別《べつ》にくれたものですが、なんでもお祖母さんが嫁に来る時持って来たものだそうです」
「そいつは古《こ》物《ぶつ》だね。ヴァイオリンとは少し調和しないようだ。ねえ東風君」
「ええ、調和せんです」
「天井裏だって調和しないじゃないか」と寒月君は東風先生をやり込めた。
「調和はしないが、句にはなるよ、安心したまえ。秋さびしつづらにかくすヴァイオリンはどうだい、両君」
「先生きょうはだいぶ俳句ができますね」
「きょうに限ったことじゃない。いつでも腹の中でできてるのさ。ぼくの俳句における造《ぞう》詣《けい》といったら、故《こ》子《し》規《き》子《し》も舌を巻いて驚いたくらいのものさ」
「先生、子規さんとはおつき合いでしたか」と正直な東風君は真《しん》率《そつ》な質問をかける。
「なにつき合わなくっても始終無線電信で肝《かん》胆《たん》相照らしていたもんだ」とむちゃくちゃを言うので、東風先生あきれて黙ってしまった。寒月君は笑いながらまた進行する。
「それで置き所だけはできたわけだが、今度は出すのに困った。ただ出すだけなら人目をかすめてながめるぐらいはやれんことはないが、ながめたばかりじゃなんにもならない。ひかなければ役に立たない。ひけば音が出る。出ればすぐ露見する。ちょうど木《むく》槿《げ》垣《がき》を一《ひと》重《え》隔てて南隣りには沈《ちん》澱《でん》組《ぐみ》の頭領が下宿しているんだからけんのんだあね」
「困るね」と東風君が気の毒そうに調子を合わせる。
「なるほど、こりゃ困る。論より証拠音が出るんだから、小《こ》督《ごう》の局《つぼね》も全くこれでしくじったんだからね。これがぬすみ食いをするとか、にせ札《さつ》を造るとかいうなら、まだ始末がいいが、音《おん》曲《ぎよく》は人に隠しちゃできないものだからね」
「音さえ出なければどうでもできるんですか……」
「ちょっと待った。音さえ出なけりゃというが、音が出なくても隠しおおせないのがあるよ。昔ぼくらが小《こ》石《いし》川《かわ》のお寺で自炊をしている時分に鈴木の藤《とう》さんという人がいてね、この藤さんがたいへん味《み》淋《りん》がすきで、ビールの徳《とつ》利《くり》へ味淋を買って来ては一人で楽しみに飲んでいたのさ。ある日藤さんが散歩に出たあとで、よせばいいのに苦沙弥君がちょっと盗んで飲んだところが……」
「おれが鈴木の味淋などを飲むものか、飲んだのは君だぜ」と主人は突然大きな声を出した。
「おや本を読んでるから大丈夫かと思ったら、やはり聞いてるね。ゆだんのできない男だ。耳も八丁、目も八丁とは君のことだ。なるほど言われてみるとぼくも飲んだ。ぼくも飲んだには相違ないが、発覚したのは君のほうだよ。――両君まあ聞きたまえ。苦沙弥先生元来酒は飲めないのだよ。ところを人の味淋だと思って一生懸命に飲んだものだから、さあたいへん、顔じゅうまっかにはれあがってね。いやもう二《ふた》目《め》とは見られないありさまさ……」
「黙っていろ。ラテン語も読めないくせに」
「ハハハハ、それで藤さんが帰って来てビールの徳利をふってみると、半分以上足りない。なんでもだれか飲んだに相違ないというので見回してみると、大将すみの方に朱《しゆ》泥《でい》を練りかためた人形のようにかたくなっていらあね……」
三人は思わず哄《こう》然《ぜん》と笑い出した。主人も本を読みながら、くすくすと笑った。ひとり独仙君に至っては機外の機を弄《ろう》し過ぎて《*》、少々疲労したとみえて、碁盤の上へのしかかって、いつのまにやら、ぐうぐう寝ている。
「まだ音がしないもので露見したことがある。ぼくが昔姥《うば》子《こ*》の温泉に行って、一人のじじいと相《あい》宿《やど》になったことがある。なんでも東京の呉服屋の隠居かなんかだったがね。まあ相宿だから呉服屋だろうが、古着屋だろうがかまうことはないが、ただ困ったことが一つできてしまった。というのはぼくは姥子へ着いてから三日目に煙草《タバコ》を切らしてしまったのさ。諸君も知ってるだろうが、あの姥子というのは山の中の一軒屋でただ温泉にはいって飯を食うよりほかにどうもこうもしようのない不便の所さ。そこで煙草を切らしたのだから御難だね。物はないとなるとなおほしくなるもので、煙草がないなと思うや否や、いつもそんなでないのが急にのみたくなりだしてね。意地の悪いことに、そのじじいがふろしきにいっぱい煙草を用意して登山しているのさ。それを少しずつ出しては、人の前であぐらをかいてのみたいだろうと言わないばかりに、すぱすぱふかすのだね。ただふかすだけなら勘弁のしようもあるが、しまいには煙を輪に吹いてみたり、縦に吹いたり、横に吹いたり、ないしは邯《かん》鄲《たん》夢《ゆめ》の枕《まくら*》と逆《ぎやく》に吹いたり、または鼻から獅《し》子《し》の洞《ほら》入《い》り《*》、洞《ほら》返《がえ》りに吹いたり。つまりのみびらかすんだね……」
「なんです、のみびらかすというのは」
「衣装道具なら見せびらかすのだが、煙草だからのみびらかすのさ」
「へえ、そんな苦しい思いをなさるよりもらったらいいでしょう」
「ところがもらわないね。ぼくも男子だ」
「へえ、もらっちゃいけないんですか」
「いけるかもしれないが、もらわないね」
「それでどうしました」
「もらわないでぬすんだ」
「おやおや」
「やっこさん手ぬぐいをぶらさげて湯に出かけたから、のむならここだと思って一心不乱立てつづけにのんで、ああ愉快だと思うまもなく、障子がからりとあいたから、おやと振り返ると煙草の持ち主さ」
「湯にははいらなかったのですか」
「はいろうと思ったら巾《きん》着《ちやく》を忘れたのに気がついて、廊下から引き返したんだ。人が巾着でもとりゃしまいし第一それからが失敬さ」
「なんとも言えませんね。煙草のお手ぎわじゃ」
「ハハハハじじいもなかなか眼識があるよ。巾着はとにかくだが、じいさんが障子をあけると二日間のためのみをやった煙草の煙がむっとするほど室《へや》の中にこもってるじゃないか、悪事千里とはよく言ったものだね。たちまち露見してしまった」
「じいさんなんとかいいましたか」
「さすが年の功だね、なんにも言わずに巻煙草を五、六十本半紙にくるんで、失礼ですが、こんな粗《そ》葉《は》でよろしければどうぞおのみくださいましと言って、また湯《ゆ》壺《つぼ》へおりて行ったよ」
「そんなのが江戸趣味というのでしょうか」
「江戸趣味だか、呉服屋趣味だか知らないが、それからぼくはじいさんと大いに肝胆相照らして、二週間のあいだおもしろく逗《とう》留《りゆう》して帰って来たよ」
「煙草は二週間じゅうじいさんのごちそうになったんですか」
「まあそんなところだね」
「もうヴァイオリンは片づいたかい」と主人はようやく本を伏せて、起き上がりながらついに降参を申し込んだ。
「まだです。これからがおもしろいところです、ちょうどいい時ですから聞いてください。ついでにあの碁盤の上で昼寝をしている先生――なんとかいいましたね、え、独仙先生――独仙先生にも聞いていただきたいな。どうですあんなに寝ちゃ、からだに毒ですぜ。もう起こしてもいいでしょう」
「おい、独仙君、起きた起きた。おもしろい話がある。起きるんだよ。そう寝ちゃ毒だとさ。奥さんが心配だとさ」
「え」と言いながら顔を上げた独仙君の山《や》羊《ぎ》髯《ひげ》を伝わってよだれが一筋長々と流れて、蝸《かたつ》牛《むり》のはったあとのように歴然と光っている。
「ああ、眠かった。山《さん》上《じよう》の白《はく》雲《うん》わがものうきに似たりか。ああ、いい心持ちに寝たよ」
「寝たのはみんなが認めているのだがね。ちっと起きちゃどうだい」
「もう、起きてもいいね。何かおもしろい話があるかい」
「これからいよいよヴァイオリンを――どうするんだったかな、苦沙弥君」
「どうするのかな、とんと見当がつかない」
「これからいよいよひくところです」
「これからいよいよヴァイオリンをひくところだよ。こっちへ出て来て、聞きたまえ」
「まだヴァイオリンかい。困ったな」
「君は無弦の素琴を弾ずる連《れん》中《じゆう》だから困らないほうなんだか、寒月君のは、きいきいぴいぴい近《きん》所《じよ》合《がつ》壁《ぺき》へ聞こえるのだから大いに困ってるところだ」
「そうかい。寒月君近所へ聞こえないようにヴァイオリンをひく法を知らんですか」
「知りませんね、あるなら伺いたいもので」
「伺わなくても露《ろ》地《じ》の白《びやく》牛《ぎゆう》を見ればすぐわかるはずだが」と、なんだか通じないことを言う。寒月君はねぼけてあんな珍語を弄《ろう》するのだろうと鑑定したから、わざと相手にならないで話頭を進めた。
「ようやくのことで一策を案出しました。あくる日は天長節だから、朝からうちにいて、つづらのふたをとってみたり、かぶせてみたり一《いち》日《んち》そわそわして暮らしてしまいましたがいよいよ日が暮れて、つづらの底でこおろぎが鳴きだした時思い切って例のヴァイオリンと弓を取り出しました」
「いよいよ出たね」と東風君が言うと「めったにひくとあぶないよ」と迷亭君が注意した。
「まず弓を取って、きっ先から鍔《つば》元《もと》までしらべてみる……」
「下《へ》手《た》な刀屋じゃあるまいし」と迷亭君がひやかした。
「じっさいこれが自分の魂だと思うと、侍が研《と》ぎ澄ました名刀を、長夜の灯《ほ》影《かげ》で鞘《さや》払《ばら》いをする時のような心持ちがするものですよ。私は弓を持ったままぶるぶるとふるえました」
「全く天才だ」と言う東風君について「全く癲《てん》癇《かん》だ」と迷亭君がつけた。主人は「早くひいたらよかろう」と言う。独仙君は困ったものだという顔つきをする。
「ありがたいことに弓は無難です。今度はヴァイオリンを同じくランプのそばへ引きつけて、裏表ともよくしらべてみる。このあいだ約五分間、つづらの底では始終こおろぎが鳴いていると思ってください。……」
「なんとでも思ってやるから安心してひくがいい」
「まだひきゃしません。――幸いヴァイオリンも疵《きず》がない。これなら大丈夫とぬっくと立ち上がる……」
「どっかへ行くのかい」
「まあ少し黙って聞いてください。そう一句ごとに邪魔をされちゃ話ができない。……」
「おい諸君、黙るんだとさ。シーシー」
「しゃべるのは君だけだぜ」
「うん、そうか、これは失敬、謹聴謹聴」
「ヴァイオリンを小わきにかい込んで、草《ぞう》履《り》を突っかけたまま二、三歩草の戸を出たが、まてしばし……」
「そらおいでなすった。なんでも、どっかで停電するに違いないと思った」
「もう帰ったって甘干しの柿《かき》はないぜ」
「そう諸先生がおまぜ返しになってははなはだ遺《い》憾《かん》の至りだが、東風君一人を相手にするよりいたしかたがない。――いいかね東風君、二、三歩出たがまた引き返して、国を出る時三円二十銭で買った赤《あか》毛《ゲツ》布《ト》を頭からかぶってね、ふっとランプを消すと君まっ暗やみになって今度は草《ぞう》履《り》のありかが判然しなくなった」
「いったいどこへ行くんだい」
「まあ聞いてたまい。ようやくのこと草履を見つけて、表へ出ると星月夜に柿落ち葉、赤《あか》毛布《ゲツト》にヴァイオリン。右へ右へと爪《つま》先《さき》上がりに庚《こう》申《しん》山《やま》へさしかかってくると、東嶺寺の鐘がボーンと毛《ケツ》布《ト》を通して、耳を通して、頭の中へ響き渡った。何時だと思う、君」
「知らないね」
「九時だよ。これから秋の夜長をたった一人、山道八丁を大《おお》平《だいら》という所まで登るのだが、平生なら臆《おく》病《びよう》なぼくのことだから、恐ろしくってたまらないところだけれども、一心不乱となると不思議なもので、こわいにもこわくないにも、もうとうそんな念はてんで心の中に起こらないよ。ただヴァイオリンがひきたいばかりで胸がいっぱいになってるんだから妙なものさ。この太平という所は庚申山の南側で天気のいい日に登ってみると赤松の間から城下が一目に見おろせる眺《ちよう》望《ぼう》佳《か》絶《ぜつ》の平地で――そうさ広さはまあ百坪もあろうかね、まん中に八畳敷きほどな一枚岩があって、北側は鵜《う》の沼《ぬま》という池つづきで、池のまわりは三《み》かかえもあろうという樟《くすのき》ばかりだ。山の中だから、人の住んでる所は樟《しよう》脳《のう》を採《と》る小屋が一軒あるばかり、池の近辺は昼でもあまり心持ちのいい場所じゃない。幸い工兵が演習のため道を切り開いてくれたから、登るのに骨は折れない。ようやく一枚岩の上へ来て、毛布《ケツト》を敷いて、ともかくもその上へすわった。こんな寒い晩に登ったのははじめてなんだから、岩の上へすわって少し落ち付くと、あたりのさびしさが次第次第に腹の底へしみ渡る。こういう場合に人の心を乱すものはただこわいという感じばかりだから、この感じさえ引き抜くと、余るところは皎《こう》々《こう》冽《れつ》々《れつ》たる空霊の気だけになる。二十分ほど茫《ぼう》然《ぜん》としているうちになんだか水晶で造った御殿の中に、たった一人住んでるような気になった。しかもその一人住んでるぼくのからだが――いやからだばかりじゃない、心も魂もことごとく寒《かん》天《てん》か何かで製造されたごとく、不思議に透きとおってしまって、自分が水晶の御殿の中にいるのだか、自分の腹の中に水晶の御殿があるのだか、わからなくなってきた……」
「とんだことになってきたね」と迷亭君がまじめにからかうあとについて、独仙君が「おもしろい境《きよう》界《がい》だ」と少しく感心した様子にみえた。
「もしこの状態が長くつづいたら、私はあすの朝まで、せっかくのヴァイオリンもひかずに、ぼんやり一枚岩の上にすわってたかもしれないです……」
「狐《きつね》でもいる所かい」と東風君が聞いた。
「こういう具合で、自他の区別もなくなって、生きているか死んでいるか方角のつかない時に、突然後ろの古沼の奥でギャーという声がした。……」
「いよいよ出たね」
「その声が遠く反響を起こして満山の秋のこずえを、野《の》分《わき》とともに渡ったと思ったら、はっと我に帰った……」
「やっと安心した」と迷亭君が胸をなでおろすまねをする。
「大《たい》死《し》一《いち》番《ばん》乾《けん》坤《こん》新たなり」と独仙君は目くばせをする。寒月君にはちっとも通じない。
「それから、我に帰ってあたりを見回すと庚申山一面はしんとして、雨だれほどの音もしない。はてな今の音はなんだろうと考えた。人の声にしては鋭すぎるし、鳥の声にしては大き過ぎるし、猿《さる》の声にしては――このへんによもや猿はおるまい。なんだろう? なんだろうという問題が頭の中に起こると、これを解釈しようというので今まで静まり返っていたやからが紛《ふん》然《ぜん》雑《ざつ》然《ぜん》糅《じゆう》然《ぜん》としてあたかもコンノート殿下《*》歓迎の当時における都人士狂乱の態度をもって脳裏をかけ回る。そのうちに総《そう》身《しん》の毛穴が急にあいて、焼《しよう》酎《ちゆう》を吹きかけた毛《け》脛《ずね》のように、勇気、胆力、分別、沈着などと号するお客様がすうすうと蒸発してゆく。心臓が肋《ろつ》骨《こつ》の下でステテコを踊り出す。両足が紙《た》鳶《こ》のうなりのように震動をはじめる。これはたまらん。いきなり、毛布《ケツト》を頭からかぶって、ヴァイオリンを小わきにかい込んでひょろひょろと一枚岩を飛びおりて、いちもくさんに山道八丁をふもとの方へかけおりて、宿へ帰って布《ふ》団《とん》へくるまって寝てしまった。今考えてもあんな気味の悪かったことはないよ、東風君」
「それから」
「それでおしまいさ」
「ヴァイオリンはひかないのかい」
「ひきたくっても、ひかれないじゃないか。ギャーだもの。君だってきっとひかれないよ」
「なんだか君の話は物足りないような気がする」
「気がしても事実だよ。どうです先生」と寒月君は一座を見回して大得意の様子である。
「ハハハハこれは上出来。そこまで持ってゆくにはだいぶ苦心惨《さん》憺《たん》たるものがあったのだろう。ぼくは男子のサンドラ・ベロニ《*》が東《とう》方《ぼう》君《くん》子《し》の邦《くに》に出現するところかと思って、今が今までまじめに拝聴していたんだよ」と言った迷亭君はだれかサンドラ・ベロニの講釈でも聞くかと思いのほか、なんにも質問が出ないので「サンドラ・ベロニが月下に竪《たて》琴《ごと》をひいて、イタリアふうの歌を森の中でうたってるところは、君の庚申山へヴァイオリンをかかえて上るところと同曲して異巧なるものだね。惜しいことに向こうは月《げつ》中《ちゆう》の嫦《じよ》娥《うが*》を驚かし、君は古沼の怪《かい》狸《り》に驚かされたので、きわどいところで滑《こつ》稽《けい》と崇《すう》高《こう》の大差をきたした。さぞ遺憾だろう」と一人で説明すると、
「そんなに遺憾ではありません」と寒月君は存外平気である。
「ぜんたい山の上でヴァイオリンをひこうなんて、ハイカラをやるから、おどかされるんだ」と今度は主人が酷評を加えると、
「好漢この鬼《き》窟《くつ》裏《り》に向かって生計を営む《*》。惜しいことだ」と独仙君は嘆息した。すべて独仙君の言うことはけっして寒月君にわかったためしがない。寒月君ばかりではない、おそらくだれにでもわからないだろう。
「そりゃ、そうと寒月君、近ごろでもやはり学校へ行って珠《たま》ばかりみがいてるのかね」と迷亭先生はしばらくして話頭を転じた。
「いえ、こないだうちから国へ帰省していたもんですから、暫《ざん》時《じ》中止の姿です。珠ももうあきましたから、じつはよそうかと思ってるんです」
「だって珠がみがけないと博士《はかせ》にはなれんぜ」と主人は少しく眉《まゆ》をひそめたが、本人は存外気楽で、
「博士ですか、エヘヘヘヘ。博士ならもうならなくってもいいんです」
「でも結婚が延びて、双方困るだろう」
「結婚ってだれの結婚です」
「君のさ」
「私がだれと結婚するんです」
「金田の令嬢さ」
「へええ」
「へえって、あれほど約束があるじゃないか」
「約束なんかありゃしません、そんなことを言いふらすなあ、向こうのかってです」
「こいつは少し乱暴だ。ねえ迷亭、君もあの一件は知ってるだろう」
「あの一件た、鼻事件かい。あの事件なら、君とぼくが知ってるばかりじゃない、公然の秘密として天下一般に知れ渡ってる。現に万《まん》朝《ちよう*》なぞでは花《はな》聟《むこ》花《はな》嫁《よめ》という表題で両君の写真を紙上に掲ぐるの栄はいつだろう、いつだろうって、うるさくぼくの所へ聞きにくるくらいだ。東風君などはすでに鴛《えん》鴦《おう》歌《か》という一大長編を作って、三か月《げつ》前《ぜん》から待ってるんだが、寒月君が博士にならないばかりで、せっかくの傑作も宝の持ち腐れになりそうで心配でたまらないそうだ。ねえ、東風君そうだろう」
「まだ心配するほど持ちあつかってはいませんが、とにかく満腹の同情をこめた作を公にするつもりです」
「それみたまえ、君が博士になるかならないかで、四方八方へとんだ影響が及んでくるよ。少ししっかりして、珠をみがいてくれたまえ」
「ヘヘヘヘいろいろ御心配をかけてすみませんが、もう博士にはならないでもいいのです」
「なぜ」
「なぜって、私にはもうれっきとした女房があるんです」
「いや、こりゃえらい。いつのまに秘密結婚をやったのかね。ゆだんのならない世の中だ。苦沙弥さんただ今お聞き及びのとおり寒月君はすでに妻子があるんだとさ」
「子供はまだですよ。そう結婚してひと月もたたないうちに子供が生まれちゃことでさあ」
「元来いつどこで結婚したんだ」と主人は予審判事みたような質問をかける。
「いつって、国へ帰ったら、ちゃんと、うちで待ってたのです。きょう先生の所へ持って来た、この鰹《かつ》節《ぶし》は結婚祝いに親類からもらったんです」
「たった三本祝うのはけちだな」
「なにたくさんのうちを三本だけ持って来たのです」
「じゃお国の女だね。やっぱり色が黒いんだね」
「ええ、まっ黒です。ちょうど私には相当です」
「それで金田のほうはどうする気だい」
「どうする気でもありません」
「そりゃ少し義理が悪かろう。ねえ迷亭」
「悪くもないさ。ほかへやりゃ同じことだ。どうせ夫婦なんてものは闇《やみ》の中で鉢《はち》合《あ》わせをするようなものだ。要するに鉢合わせをしないでもすむところをわざわざ鉢合わせるんだからよけいなことさ。すでによけいなことならだれとだれの鉢が合ったってかまいっこないよ。ただ気の毒なのは鴛鴦歌を作った東風君ぐらいなものさ」
「なに鴛鴦歌は都合によって、こちらへ向けかえてもよろしゅうございます。金田家の結婚式にはまた別に作りますから」
「さすが詩人だけあって自由自在なものだね」
「金田のほうへ断わったかい」と主人はまた金田を気にしている。
「いいえ。断わるわけがありません。私のほうでくれとも、もらいたいとも、先方へ申し込んだことはありませんから、黙っていればたくさんです。――なあに黙っててもたくさんですよ。今時分は探《たん》偵《てい》が十人も二十人もかかって一部始終残らず知れていますよ」
探偵という言葉を聞いた、主人は、急に苦《にが》い顔をして
「ふん、そんなら黙っていろ」と申し渡したが、それでも飽き足らなかったとみえて、なお探偵について下《しも》のようなことをさも大議論のように述べられた。
「不用意の際に人の懐中を抜くのがスリで、不用意の際に人の胸中を釣るのが探偵だ。知らぬ間《ま》に雨戸をはずして人の所有品をぬすむのが泥《どろ》棒《ぼう》で、知らぬ間に口をすべらして人の心を読むのが探偵だ。ダンビラを畳の上へ刺して無理に人の金銭を着服するのが強盗で、おどし文句をいやに並べて人の意志を強《し》うるのが探偵だ。だから探偵というやつはスリ、泥棒、強盗の一族でとうてい人の風《かざ》上《かみ》に置けるものではない。そんなやつの言うことを聞くと癖になる。けっして負けるな」
「なに大丈夫です、探偵の千人や二千人、風上に隊《たい》伍《ご》を整えて襲撃したってこわくはありません。珠《たま》磨《す》りの名人理学士水島寒月でさあ」
「ひやひや見上げたものだ。さすが新婚学士ほどあって元《げん》気《き》旺《おう》盛《せい》なものだね。しかし苦沙弥さん。探偵がスリ、泥棒、強盗の同類なら、その探偵を使う金田君のごときものはなんの同類だろう」
「熊《くま》坂《さか》長《ちよう》範《はん》くらいなものだろう」
「熊坂はよかったね。一つと見えたる長範が二つになってぞ失《う》せにけり《*》というが、あんな烏《からす》金《がね》で身《しん》代《だい》をつくった向こう横丁の長範なんかは業《ごう》つく張りの、欲張り屋だから、いくつになっても失せる気づかいはないぜ。あんなやつにつかまったら因《いん》果《が》だよ。生《しよう》涯《がい》たたるよ、寒月君用心したまえ」
「なあに、いいですよ。ああら物々し盗人よ。手並みはさきにも知りつらん。それにも懲りず打ち入るか《*》って、ひどい目に会わせてやりまさあ」と寒月君は自若として宝《ほう》生《しよう》流《りゆう》に気炎を吐いてみせる。
「探偵といえば二十世紀の人間はたいてい探偵のようになる傾向があるが、どういうわけだろう」と独仙君は独仙君だけに時局問題には関係のない超然たる質問を呈出した。
「物価が高いせいでしょう」と寒月君が答える。
「芸術趣味を解しないからでしょう」と東風君が答える。
「人間に文明の角《つの》がはえて、金《こん》米《ぺい》糖《とう》のようにいらいらするからさ」と迷亭君が答える。
今度は主人の番である。主人はもったいぶった口《くち》調《よう》で、こんな議論を始めた。
「それはぼくがだいぶ考えたことだ。ぼくの解釈によると当世人の探偵的傾向は全く個人の自覚心の強すぎるのが原因になっている。ぼくの自覚心と名づけるのは独仙君のほうでいう、見《けん》性《しよう》成《じよう》仏《ぶつ》とか、自己は天地と同一体だとかいう悟道の類ではない。……」
「おやだいぶむずかしくなってきたようだ。苦沙弥君、君にしてそんな大議論を舌頭に弄する以上は、かく申す迷亭もはばかりながらおあとで現代の文明に対する不平を堂々と言うよ」
「かってに言うがいい、言うこともないくせに」
「ところがある。大いにある。君なぞはせんだっては刑事巡査を神のごとく敬い、またきょうは探偵をスリ泥棒に比し、まるで矛《む》盾《じゆん》の変《へん》怪《げ》だが、ぼくなどは終始一貫父《ふ》母《も》未《み》生《しよう》以《い》前《ぜん*》からただいまに至るまで、かつて自説を変じたことのない男だ」
「刑事は刑事だ。探偵は探偵だ。せんだってはせんだってできょうはきょうだ。自説が変わらないのは発達しない証拠だ。下《か》愚《ぐ》は移らず《*》というのは君のことだ。……」
「これはきびしい。探偵もそうまともにくるとかあいいところがある」
「おれが探偵」
「探偵でないから正直でいいと言うのだよ。けんかはおやめおやめ。さあ。その大議論のあとを拝聴しよう」
「今の人の自覚心というのは自己と他人の間に截《せつ》然《ぜん》たる利害の鴻《こう》溝《こう》があるということを知り過ぎているということだ。そうしてこの自覚心なるものは文明が進むに従って一日一日と鋭敏になってゆくから、しまいには一挙手一投足も自然天然とはできないようになる。ヘンレー《*》という人がスチーヴンソンを評して彼は鏡のかかった部《へ》屋《や》にはいって、鏡の前を通るごとに自己の影を写してみなければ気がすまぬほど瞬時も自己を忘るることのできない人だと評したのは、よく今日の趨《すう》勢《せい》を言いあらわしている。寝てもおれ、さめてもおれ、このおれが至るところにつけまつわっているから、人間の行為言動が人工的にコセつくばかり、自分で窮屈になるばかり、世の中が苦しくなるばかり、ちょうど見合いをする若い男女の心持ちで朝から晩までくらさなければならない。悠《ゆう》々《ゆう》とか従《しよう》容《よう》とかいう字は画《かく》があって意味のない言葉になってしまう。この点において今《きん》代《だい》の人は探偵的である。泥棒的である。探偵は人の目をかすめて自分だけうまいことをしようという商売だから、勢い自覚心が強くならなくてはできん。泥棒もつかまるか、見つかるかという心配が念頭を離れることがないから、勢い自覚心が強くならざるをえない。今の人はどうしたらおのれの利になるか、損になるかと寝てもさめても考えつづけだから、勢い探偵泥棒と同じく自覚心が強くならざるをえない。二六時中キョトキョト、コソコソして墓に入るまで一刻の安心も得ないのは今の人の心だ。文明の咒《じゆ》詛《そ》だ。ばかばかしい」
「なるほどおもしろい解釈だ」と独仙君が言い出した。こんな問題になると独仙君はなかなか引っ込んでいない男である。「苦沙弥君の説明はよくわが意を得ている。昔の人はおのれを忘れろと教えたものだ。今の人はおのれを忘れるなと教えるからまるで違う。二六時中おのれという意識をもって充満している。それだから二六時中太平の時はない。いつでも焦《しよう》熱《ねつ》地獄だ。天下に何が薬だといっておのれを忘れるより薬なことはない。三《さん》更《こう》月《げつ》下《か》無《む》我《が》に入る《*》とはこの至境を詠じたものさ。今の人は親切をしても自然をかいている。イギリスのナイスなどと自慢する行為も存外自覚心が張り切れそうになっている。英国の天子がインドへ遊びに行って、インドの王族と食卓を共にした時に、その王族が天子の前とも心づかずに、つい自国の我流を出してじゃがいもを手づかみで皿《さら》へとって、あとからまっかになってはじ入ったら、天子は知らん顔をしてやはり二本指でじゃがいもを皿へとったそうだ……」
「それがイギリス趣味ですか」これは寒月君の質問であった。
「ぼくはこんな話を聞いた」と主人があとをつける。「やはり英国のある兵営で連隊の士官がおおぜいして一人の下士官をごちそうしたことがある。ごちそうがすんで手を洗う水をガラス鉢《ばち》へ入れて出したら、この下士官は宴会になれんとみえて、ガラス鉢を口へあてて中の水をぐうと飲んでしまった。すると連隊長が突然下士官の健康を祝すと言いながら、やはりフィンガー・ボールの水を一息に飲み干したそうだ。そこで並みいる士官も我劣らじと水《みず》杯《さかずき》をあげて下士官の健康を祝したというぜ」
「こんな話もあるよ」と黙ってることのきらいな迷亭君が言った。「カーライルがはじめて女《じよ》皇《こう》に謁《えつ》した時、宮廷の礼にならわぬ変《へん》物《ぶつ》のことだから、先生突然どうですと言いながら、どさりと椅《い》子《す》へ腰をおろした。ところが女皇の後ろに立っていたおおぜいの侍従や官女がみんなくすくす笑いだした――だしたのではない、だそうとしたのさ、すると女皇が後ろを向いて、ちょっと何か合図をしたら、おおぜいの侍従官女がいつのまにかみんな椅子へ腰をかけて、カーライルは面《めん》目《ぼく》を失わなかったというんだがずいぶん御念の入った親切もあったもんだ」
「カーライルのことなら、みんなが立ってても平気だったかもしれませんよ」と寒月君が短評を試みた。
「親切のほうの自覚心はまあいいがね」と独仙君は進行する。「自覚心があるだけ親切をするにも骨が折れるわけになる。気の毒なことさ。文明が進むに従って殺伐の気がなくなる、個人と個人の交際がおだやかになるなどと普通いうが大間違いさ。こんなに自覚心が強くって、どうしておだやかになれるものか。なるほどちょっと見るとごくしずかで無事なようだが、お互いの間は非常に苦しいのさ。ちょうど相《す》撲《もう》が土俵のまん中で四《よ》つに組んで動かないようなものだろう。はたから見ると平穏至極だが当人の腹は波を打っているじゃないか」
「けんかも昔のけんかは暴力で圧迫するのだからかえって罪はなかったが、近ごろじゃなかなか巧妙になってるからなおなお自覚心が増してくるんだね」と番が迷亭先生の頭の上へ回って来る。「べーコンの言葉に自然の力に従ってはじめて自然に勝つとあるが、今のけんかはまさにベーコンの格言どおりにできあがってるから不思議だ。ちょうど柔術のようなものさ。敵の力を利用して敵をたおすことを考える……」
「または水力電気のようなものですね。水の力に逆らわないでかえってこれを電力に変化して立派に役に立たせる……」と寒月君が言いかけると、独仙君がすぐそのあとを引き取った。
「だから貧時には貧に縛せられ、富《ふ》時《じ》には富《ふ》に縛せられ、憂《ゆう》時《じ》には憂に縛せられ、喜時には喜に縛られるのさ。才人は才にたおれ、知者は知に敗れ、苦沙弥君のようなかんしゃく持ちはかんしゃくを利用さえすればすぐに飛び出して敵のぺてんにかかる……」
「ひやひや」と迷亭君が手をたたくと、苦沙弥先生はにやにや笑いながら「これでなかなかそううまくはゆかないのだよ」と答えたら、みんな一度に笑い出した。
「時に金田のようなのは何で倒れるだろう」
「女《によう》房《ぼう》は鼻で倒れ、主人は因《いん》業《ごう》で倒れ、子分は探偵で倒れか」
「娘は?」
「娘は――娘は見たことがないからなんとも言えないが――まず着倒れか、食い倒れ、もしくはのんだくれの類だろう。よもや恋い倒れにはなるまい。ことによると卒《そ》塔《と》婆《ば》小《こ》町《まち》のようにゆき倒れになるかもしれない」
「それは少しひどい」と新体詩をささげただけに東風君が異議を申し立てた。
「だから応《おう》無《む》所《しよ》住《じゆう》而《に》生《しよう》其《ご》心《しん*》というのはだいじな言葉だ、そういう境《きよう》界《がい》に至らんと人間は苦しくてならん」と独仙君しきりにひとり悟ったようなことを言う。
「そういばるもんじゃないよ。君などはことによると電光影裏にさか倒れをやるかもしれないぜ」
「とにかくこの勢いで文明が進んで行ったひにゃぼくは生きてるのはいやだ」と主人が言いだした。
「遠慮はいらないから死ぬさ」と迷亭君が言《ごん》下《か》に道破する。
「死ぬのはなおいやだ」と主人がわからん強情を張る。
「生まれる時にはだれも熟考して生まれる者はありませんが、死ぬ時にはだれも苦にするとみえますね」と寒月君がよそよそしい格言をのべる。
「金を借りる時にはなんの気なしに借りるが、返す時にはみんな心配するのと同じことさ」とこんな時にすぐ返事のできるのは迷亭君である。
「借りた金を返すことを考えない者は幸福であるごとく、死ぬことを苦にせん者は幸福さ」と独仙君は超然として出世間的である。
「君のようにいうとつまり図太いのが悟ったのだね」
「そうさ、禅語に鉄《てつ》牛《ぎゆう》面《めん》の鉄牛心、牛《ぎゆう》鉄《てつ》面《めん》の牛鉄心というのがある」
「そうして君はその標本というわけかね」
「そうでもない。しかし死ぬのを苦にするようになったのは神経衰弱という病気が発明されてから以後のことだよ」
「なるほど君などはどこから見ても神経衰弱以前の民だよ」
迷亭と独仙が妙な掛け合いをのべつにやっていると、主人は寒月東風二君を相手にしてしきりに文明の不平を述べている。
「どうして借りた金を返さずにすますかが問題である」
「そんな問題はありませんよ。借りたものは返さなくちゃなりませんよ」
「まあさ。議論だから、黙って聞くがいい。どうして借りた金を返さずにすますかが問題であるごとく、どうしたら死なずにすむかが問題である。否問題であった。錬金術はこれである。すべての錬金術は失敗した。人間はどうしても死ななければならんことが分《ぶん》明《みよう》になった」
「錬金術以前から分明ですよ」
「まあさ、議論だから、黙って聞いていろ。いいかい。どうしても死ななければならんことが分明になった時に第二の問題が起こる」
「へえ」
「どうせ死ぬなら、どうして死んだらよかろう。これが第二の問題である。自殺クラブ《*》はこの第二の問題とともに起こるべき運命を有している」
「なるほど」
「死ぬことは苦しい、しかし死ぬことができなければなお苦しい。神経衰弱の国民には生きていることが死よりもはなはだしき苦痛である。したがって死を苦にする。死ぬのがいやだから苦にするのではない、どうして死ぬのがいちばんよかろうと心配するのである。ただたいていの者は知恵が足りないから自然のままに放《ほう》擲《てき》しておくうちに、世間がいじめ殺してくれる。しかしひと癖ある者は世間からなしくずしにいじめ殺されて満足するものではない。必ずや死に方について種々考究の結果、斬《ざん》新《しん》な名案を呈出するに違いない。だからして世界向《こう》後《ご》の趨《すう》勢《せい》は自殺者が増加して、その自殺者が皆独創的な方法をもってこの世を去るに違いない」
「だいぶ物騒なことになりますね」
「なるよ。たしかになるよ。アーサー・ジョーンズという人の書いた脚本の中にしきりに自殺を主張する哲学者があって……」
「自殺するんですか」
「ところが惜しいことにしないのだがね。しかし今から千年もたてばみんな実行するに相違ないよ。万年ののちには死といえば自殺よりほかに存在しないもののように考えられるようになる」
「たいへんなことになりますね」
「なるよきっとなる。そうなると自殺もだいぶ研究が積んで立派な科学になって、落雲館のような中学校で倫理の代わりに自殺学を正科として授けるようになる」
「妙ですな、傍聴に出たいくらいのものですね。迷亭先生お聞きになりましたか。苦沙弥先生の御名論を」
「聞いたよ。その時分になると落雲館の倫理の先生はこう言うね。諸君公徳などという野蛮の遺風を墨《ぼく》守《しゆ》してはなりません。世界の青年として諸君が第一に注意すべき義務は自殺である。しかしておのれの好むところはこれを人に施して可《*》なるわけだから、自殺を一歩展開して他殺にしてもよろしい。ことに表の窮《きゆう》措《そ》大《だい》珍野苦沙弥氏のごとき者は生きてござるのがだいぶ苦痛のように見受けられるから、一刻も早く殺して進ぜるのが諸君の義務である。もっとも昔と違って今日は開明の時節であるから槍《やり》、薙《なぎ》刀《なた》もしくは飛び道具の類を用いるような卑怯なふるまいをしてはなりません。ただあてこすりの高《こう》尚《しよう》なる技術によって、からかい殺すのが本人のため功《く》徳《どく》にもなり、また諸君の名誉にもなるのであります。……」
「なるほどおもしろい講義をしますね」
「まだおもしろいことがあるよ。現代では警察が人民の生命財産を保護するのを第一の目的としている。ところがその時分になると巡査が犬殺しのような棍《こん》棒《ぼう》をもって天下の公民を撲《ぼく》殺《さつ》して歩く。……」
「なぜです」
「なぜって今の人間は生命がだいじだから警察で保護するんだが、その時分の国民は生きてるのが苦痛だから、巡査が慈悲のためにぶち殺してくれるのさ。もっとも少し気のきいた者はたいがい自殺してしまうから、巡査にぶち殺されるようなやつはよくよくのいくじなしか、自殺の能力のない白痴もしくは不具者に限るのさ。それで殺されたい人間は門《かど》口《ぐち》へ張り札をしておくのだね。なにただ、殺されたい男ありとか女ありとか、はりつけておけば巡査が都合のいい時にまわって来て、すぐ志望どおり取り計らってくれるのさ。死《し》骸《がい》かね。死骸はやっぱり巡査が車を引いて拾って歩くのさ。またおもしろいことができてくる……」
「どうも先生の冗談は際限がありませんね」と東風君は大いに感心している。すると独仙君は例のとおり山《や》羊《ぎ》髯《ひげ》を気にしながら、のそのそ弁じだした。
「冗談といえば冗談だが、予言といえば予言かもしれない。真理に徹底しない者は、とかく眼前の現象世界に束縛せられて泡《ほう》沫《まつ》の夢幻を永久の事実と認定したがるものだから、少し飛び離れたことを言うと、すぐ冗談にしてしまう」
「燕《えん》雀《じやく》いずくんぞ大《たい》鵬《ほう》の志を知らんやですね」と寒月君が恐れ入ると、独仙君はそうさと言わぬばかりの顔つきで話を進める。
「昔スペインにコルドヴァ《*》という所があった……」
「今でもありゃしないか」
「あるかもしれない。今昔の問題はとにかく、そこの風習として日暮れの鐘がお寺で鳴ると家々の女がことごとく出て来て川へはいって水泳をやる……」
「冬もやるんですか」
「そのへんはたしかに知らんが、とにかく貴《き》賤《せん》老《ろう》若《にやく》の別なく川へ飛び込む。ただし男子は一人も交じらない。ただ遠くから見ている。遠くから見ていると暮《ぼ》色《しよく》蒼《そう》然《ぜん》たる波の上に、白い肌《はだえ》が糢《も》糊《こ》として動いている……」
「詩的ですね。新体詩になりますね。なんという所ですか」と東風君は裸体が出さえすれば前へ乗り出してくる。
「コルドヴァさ。そこで地方の若い者が、女といっしょに泳ぐこともできず、さればといって遠くから判然その姿を見ることも許されないのを残念に思って、ちょっといたずらをした……」
「へえ、どんな趣向だい」といたずらと聞いた迷亭君は大いにうれしがる。
「お寺の鐘つき番に賄《わい》賂《ろ》を使って、日没を合図に撞《つ》く鐘を一時間前に鳴らした。すると女などは浅はかなものだから、そら鐘が鳴ったというので、めいめい河《か》岸《し》へ集まって半《はん》襦《じゆ》袢《ばん》、半《はん》股《もも》引《ひき》の服装でざぶりざぶりと水の中へ飛び込んだ。飛び込みはしたものの、いつもと違って日が暮れない」
「はげしい秋の日がかんかんしやしないか」
「橋の上を見ると男がおおぜい立ってながめている。恥ずかしいがどうすることもできない。大いに赤面したそうだ」
「それで」
「それでさ、人間はただ眼前の習慣に迷わされて、根本の原理を忘れるものだから気をつけないとだめだということさ」
「なるほどありがたいお説教だ。眼前の習慣に迷わされのお話をぼくも一つやろうか。このあいだある雑誌を読んだら、こういう詐《さ》欺《ぎ》師《し》の小説があった。ぼくがまあここで書画骨《こつ》董《とう》店《てん》を開くとする。で店頭に大家の幅《ふく》や、名人の道具類を並べておく。むろんにせ物じゃない、正直正銘、うそいつわりのない上等品ばかり並べておく。上等品だからみんな高価にきまってる。そこへ物ずきなお客さんが来て、この元《もと》信《のぶ》の幅はいくらだねと聞く。六百円なら六百円とぼくが言うと、その客がほしいことはほしいが、六百円では手もとに持ち合わせがないから、残念だがまあ見合わせよう」
「そう言うときまってるかい」と主人は相変わらず芝居気のないことを言う。迷亭君はぬからぬ顔で、
「まあさ、小説だよ、言うとしておくんだ。そこでぼくがなに代《だい》はかまいませんから、お気に入ったら持っていらっしやいと言う。客はそうもゆかないから躊《ちゆう》躇《ちよ》する。それじゃ月賦でいただきましょう、月賦も細く、長く、どうせこれからごひいきになるんですから――いえ、ちっとも御遠慮には及びません。どうです月に十円ぐらいじゃ、なんなら月に五円でもかまいませんとぼくがごくきさくに言うんだ。それからぼくと客の間に二、三の問答があって、とどぼくが狩《か》野《のう》法《ほう》眼《げん》元信の幅を六百円ただし月賦十円払い込みのことで売り渡す」
「タイムスの百科全書《*》みたようですね」
「タイムスはたしかだが、ぼくのはすこぶる不たしかだよ。これからがいよいよ巧妙なる詐欺に取りかかるのだぜ。よく聞きたまえ月十円ずつで六百円なら何年で皆《かい》済《さい》になると思う、寒月君」
「むろん五年でしょう」
「むろん五年。で五年の歳月は長いと思うか短いと思うか、独仙君」
「一念万《ばん》年《ねん》、万年一念。短くもあり、短くもなしだ」
「なんだそりゃ道《どう》歌《か》か、常識のない道歌だね。そこで五年のあいだ毎月十円ずつ払うのだから、つまり先方では六十回払えばいいのだ。しかしそこが習慣の恐ろしいところで、六十回も同じことを毎月繰り返していると、六十一回にもやはり十円払う気になる。六十二回にも十円払う気になる。六十二回、六十三回、回を重ねるに従ってどうしても期日がくれば十円払わなくては気がすまないようになる。人間は利口のようだが、習慣に迷って、根本を忘れるという大弱点がある。その弱点に乗じてぼくが何度でも十円ずつ毎月得をするのさ」
「ハハハハまさか、それほど忘れっぽくもならないでしょう」と寒月君が笑うと、主人はいささかまじめで、
「いやそういうことは全くあるよ。ぼくは大学の貸《たい》費《ひ》を毎月毎月勘定せずに返して、しまいに向こうから断わられたことがある」と自分の恥を人間一般の恥のように公言した。
「そら、そういう人が現にここにいるからたしかなものだ。だからぼくのさっき述べた文明の未来記を聞いて冗談だなどと笑う者は、六十回でいい月賦を生《しよう》涯《がい》払って正当だと考える連《れん》中《じゆう》だ。ことに寒月君や、東風君のような経験の乏しい青年諸君は、よくぼくらの言うことを聞いてだまされないようにしなくちやいけない」
「かしこまりました。月賦は必ず六十回限りのことにいたします」
「いや冗談のようだが、じっさい参考になる話ですよ、寒月君」と独仙君は寒月君に向かいだした。「たとえばですね。今苦沙弥君か迷亭君が、君が無断で結婚をしたのが穏当でないから、金田とかいう人に謝罪しろと忠告したら君どうです。謝罪する了見ですか」
「謝罪は御容赦にあずかりたいですね。向こうがあやまるなら特別、私のほうではそんな欲はありません」
「警察が君にあやまれと命じたらどうです」
「なおなお御免こうむります」
「大臣とか華族ならどうです」
「いよいよもって御免こうむります」
「それみたまえ。昔と今とは人間がそれだけ変わってる。昔はお上《かみ》の御威光ならなんでもできた時代です。その次にはお上の御威光でもできないものができてくる時代です。今の世はいかに殿下でも閣下でも、ある程度以上に個人の人格の上にのしかかることができない世の中です。はげしくいえば先方に権力があればあるほど、のしかかられる者のほうでは不愉快を感じて反抗する世の中です。だから今の世は昔と違って、お上の御威光だからできないのだという新現象のあらわれる時代です。昔の者から考えると、ほとんど考えられないくらいな事がらが道理で通る世の中です。世態人情の変遷というものはじつに不思議なもので、迷亭君の未来記も冗談だといえば冗談にすぎないのだが、そのへんの消息を説明したものとすれば、なかなか味わいがあるじゃないですか」
「そういう知《ち》己《き》が出てくるとぜひ未来記の続きが述べたくなるね。独仙君のお説のごとく今の世にお上の御威光を笠《かさ》にきたり、竹《たけ》槍《やり》の二、三百本をたのみにして無理を押し通そうとするのは、ちょうどカゴへ乗ってなんでもかでも汽車と競争しようとあせる、時代おくれの頑《がん》物《ぶつ》――まあわからずやの張《ちよう》本《ほん》、烏《からす》金《がね》の長《ちよう》範《はん》先生ぐらいのものだから、黙ってお手ぎわを拝見していればいいが――ぼくの未来記はそんな当座間に合わせの小問題じゃない。人間全体の運命に関する社会的現象だからね。つらつら目下文明の傾向を達観して、遠き将来の趨《すう》勢《せい》を卜《ぼく》すると結婚が不可能のことになる。驚くなかれ、結婚の不可能。わけはこうさ。前《ぜん》申すとおり今の世は個性中心の世である。一家を主人が代表し、一郡を代官が代表し、一国を領主が代表した時分には、代表者以外の人間には人格はまるでなかった。あっても認められなかった。それががらりと変わると、あらゆる生存者がことごとく個性を主張しだして、だれを見ても君は君、ぼくはぼくだよと言わぬばかりのふうをするようになる。ふたりの人が途中で会えばうぬが人間なら、おれも人間だぞと心の中でけんかを買いながらゆき違う。それだけ個人が強くなった。個人が平等に強くなったから、個人が平等に弱くなったわけになる。人がおのれを害することができにくくなった点において、たしかに自分は強くなったのだが、めったに人の身の上に手出しがならなくなった点においては、明らかに昔より弱くなったんだろう。強くなるのはうれしいが、弱くなるのはだれもありがたくないから、人から一《いち》毫《ごう》も犯されまいと、強い点をあくまで固守すると同時に、せめて半《はん》毛《もう》でも人を侵してやろうと、弱い所は無理にも広げたくなる。こうなると人と人の間に空間がなくなって、生きてるのが窮屈になる。できるだけ自分を張りつめて、はち切れるばかりにふくれ返って苦しがって生存している。苦しいからいろいろの方法で個人と個人との間に余裕を求める。かくのごとく人間が自《じ》業《ごう》自《じ》得《とく》で苦しんで、その苦し紛《まぎ》れに案出した第一の方案は親子別居の制さ。日本でも山の中へはいってみたまえ。一家《け》一門《もん》ことごとく一軒のうちにごろごろしている。主張すべき個性もなく、あっても主張しないから、あれですむのだが文明の民はたとい親子の間でもお互いにわがままを張れるだけ張らなければ損になるから勢い両者の安全を保持するためには別居しなければならない。欧州は文明が進んでいるから日本より早くこの制度が行なわれている。たまたま親子同居する者があっても、むすこがおやじから利息のつく金を借りたり、他人のように下宿料を払ったりする。親がむすこの個性を認めてこれに尊敬を払えばこそ、こんな美風が成立するのだ。このふうは早晩日本へもぜひ輸入しなければならん。親類はとくに離れ、親子は今日に離れて、やっと我慢しているような者の個性の発展と、発展につれてこれに対する尊敬の念は無制限にのびてゆくから、まだ離れなくては楽ができない。しかし親子兄弟の離れたる今日、もう離れるものはないわけだから、最後の方案として夫婦がわかれることになる。今の人の考えではいっしょにいるから夫婦だと思ってる。それが大きな了見違いさ。いっしょにいるためにはいっしょにいるに十分なるだけ個性が合わなければならないだろう。昔なら文句はないさ、異体同心とかいって、目には夫婦二人に見えるが、内実は一《いち》人《にん》前《まえ》なんだからね。それだから偕《かい》老《ろう》同《どう》穴《けつ》とか号して、死んでも一つ穴の狸《たぬき》に化ける。野蛮なものさ。今はそうはゆかないやね。夫はあくまで夫で妻はどうしたって妻だからね。その妻が女学校で行燈《あんどん》袴《ばかま》をはいて牢《ろう》乎《こ》たる個性を鍛えあげて、束《そく》髪《はつ》姿《すがた》で乗り込んでくるんだから、とても夫の思うとおりになるわけがない。また夫の思いどおりになるような妻なら妻じゃない人形《*》だからね。賢夫人になればなるほど個性はすごいほど発達する。発達すればするほど夫と合わなくなる。合わなければ自然の勢い夫と衝突する。だから賢妻と名がつく以上は朝から晩まで夫と衝突している。まことに結構なことだが、賢妻を迎えれば迎えるほど双方とも苦しみの程度が増してくる。水と油のように夫婦の間には截《せつ》然《ぜん》たるしきりがあって、それも落ち付いて、しきりが水平線を保っていればまだしもだが、水と油が双方から働きかけるのだから家の中は大地震のように上がったり下がったりする。ここにおいて夫婦雑居はお互いの損だということが次第に人間にわかってくる……」
「それで夫婦がわかれるんですか。心配だな」と寒月君が言った。
「わかれる。きっとわかれる。天下の夫婦はみんなわかれる。今まではいっしょにいたのが夫婦であったが、これからは同《どう》棲《せい》している者は夫婦の資格がないように世間から目されてくる」
「すると私なぞは資格のない組へ編入されるわけですね」と寒月君はきわどいところでのろけを言った。
「明治の御《み》代《よ》に生まれて幸いさ。ぼくなどは未来記を作るだけあって、頭脳が時勢より一、二歩ずつ前へ出ているからちゃんと今から独身でいるんだよ。人は失恋の結果だなどと騒ぐが、近眼者の見るところはじつは哀れなほど浅薄なものだ。それはとにかく、未来記の続きを話すとこうさ。その時一人の哲学者が天《あま》降《くだ》って破天荒の真理を唱道する。その説にいわくさ。人間は個性の動物である。個性を滅すれば人間を滅すると同結果に陥る。いやしくも人間の意義をまったからしめんためには、いかなる価《あたい》を払うともかまわないからこの個性を保持すると同時に発達せしめなければならん。かの陋《ろう》習《しゆう》に縛せられて、いやいやながら結婚を執行するのは人間自然の傾向に反した蛮風であって、個性の発達せざる蒙《もう》昧《まい》の時代はいざ知らず、文明の今日なおこの弊《へい》竇《とう》に陥って恬《てん》として顧みないのははなはだしき謬《びゆう》見《けん》である。開化の高潮度に達せる今《きん》代《だい》において二個の個性が普通以上に親密の程度をもって連結されうべき理由のあるべきはずがない。この見やすき理由あるにもかかわらず無教育の青年男女が一時の劣情に駆られて、みだりに合《ごう》〓《きん》の式を挙《あ》ぐるは悖《はい》徳《とく》没《ぼつ》倫《りん》のはなはだしき所為である。吾《ご》人《じん》は人道のため、文明のため、彼ら青年男女の個性保護のため、全力をあげこの蛮風に抵抗せざるべからず……」
「先生私はその説には全然反対です」と東風君はこの時思い切った調子でぴたりと平手でひざ頭《がしら》をたたいた。「私の考えでは世の中に何が尊いといって愛と美ほど尊いものはないと思います。我々を慰《い》藉《しや》し、我々を完全にし、我々を幸福にするのは全く両者のおかげであります。吾人の情操を優美にし、品性を高潔にし、同情を洗練するのは全く両者のおかげであります。だから吾人はいつの世いずくに生まれてもこの二つのものを忘れることができないです。この二つのものが現実世界にあらわれると、愛は夫婦という関係になります。美は詩《しい》歌《か》、音楽の形式に分かれます。それだからいやしくも人類の地球の表面に存在する限りは夫婦と芸術はけっして滅することはなかろうと思います」
「なければ結構だが、今哲学者が言ったとおりちゃんと滅してしまうからしかたがないと、あきらめるさ。なに芸術だ? 芸術だって夫婦と同じ運命に帰着するのさ。個性の発展というのは個性の自由という意味だろう。個性の自由という意味はおれはおれ、人は人という意味だろう。その芸術なんか存在できるわけがないじゃないか。芸術が繁《はん》昌《じよう》するのは芸術家と享《きよう》受《じゆ》者《しや》のあいだに個性の一致があるからだろう。君がいくら新体詩家だって踏ん張っても、君の詩を読んでおもしろいと言う者が一人もなくっちゃ、君の新体詩もお気の毒だが君よりほかに読み手はなくなるわけだろう。鴛《えん》鴦《おう》歌《か》をいく編作ったってはじまらないやね。幸いに明治の今日に生まれたから、天下がこぞって愛読するのだろうが……」
「いえそれほどでもありません」
「今でさえそれほどでなければ、人文の発達した未来すなわち例の一大哲学者が出て非結婚論を主張する時分にはだれも読み手はなくなるぜ。いや君のだから読まないのじゃない。人《にん》々《にん》個《こ》々《こ》おのおの特別の個性をもってるから、人の作った詩文などはいっこうおもしろくないのさ。現に今でも英国などではこの傾向がちゃんとあらわれている。現今英国の小説家中で最も個性のいちじるしい作品にあらわれた、メレジスを見たまえ、ジェームスを見たまえ。読み手はきわめて少ないじゃないか。少ないわけさ。あんな作品はあんな個性のある人でなければ読んでおもしろくないんだからしかたがない。この傾向がだんだん発達して婚姻が不道徳になる時分には芸術もまったく滅亡さ。そうだろう君の書いたものはぼくにわからなくなる、ぼくの書いたものは君にわからなくなったひにゃ、君とぼくの間には芸術もくそもないじゃないか」
「そりゃそうですけれども私はどうも直覚的にそう思われないんです」
「君が直覚的にそう思われなければ、ぼくは曲角的にそう思うまでさ」
「曲角的かもしれないが」と今度は独仙君が口を出す。「とにかく人間に個性の自由を許せば許すほどお互いの間が窮屈になるに相違ないよ。ニーチェが超人なんかかつぎ出すのも全くこの窮屈のやり所がなくなってしかたなしにあんな哲学に変形したものだね。ちょっと見るとあれがあの男の理想のように見えるが、ありゃ理想じゃない、不平さ。個性の発展した十九世紀にすくんで、隣りの人には心おきなくめったに寝返りも打てないから、大将少しやけになってあんな乱暴を書き散らしたのだね。あれを読むと壮快というよりむしろ気の毒になる。あの声は勇猛精《しよう》進《じん》の声じゃない、どうしても怨《えん》恨《こん》痛《つう》憤《ふん》の音《おん》だ。それもそのはずさ昔は一人えらい人があれば天下翕《きゆう》然《ぜん》としてその旗《き》下《か》に集まるのだから、愉快なものさ。こんな愉快が事実に出てくれば何もニーチェみたように筆と紙の力でこれを書物の上にあらわす必要がない。だからホーマーでもチェヴィ・チェーズ《*》でも同じく超人的な性格を写しても感じがまるで違うからね。陽気ださ。愉快に書いてある。愉快な事実があって、この愉快な事実を紙に写しかえたのだから、苦みはないはずだ。ニーチェの時代はそうはゆかないよ。英雄なんか一人も出やしない。出たってだれも英雄と立てやしない。昔は孔《こう》子《し》がたった一人だったから、孔子も幅をきかしたのだが、今は孔子が幾人もいる。ことによると天下がことごとく孔子かもしれない。だからおれは孔子だよといばっても圧《お》しがきかない。きかないから不平だ。不平だから超人などを書物の上だけで振り回すのさ。吾《ご》人《じん》は自由を欲して自由を得た。自由を得た結果不自由を感じて困っている。それだから西洋の文明などはちょっといいようでもつまりだめなものさ。これに反して東洋じゃ昔から心の修行をした。そのほうが正しいのさ。見たまえ個性発展の結果みんな神経衰弱を起こして、始末がつかなくなった時、王《おう》者《しや》の民蕩《とう》々《とう》たり《*》という句の価値をはじめて発見するから。無為にして化す《*》という語のばかにできないことを悟るから。しかし悟ったってその時はもうしようがない。アルコール中毒にかかって、ああ酒を飲まなければよかったと考えるようなものさ」
「先生がたはだいぶ厭《えん》世《せい》的《てき》なお説のようだが、私は妙ですね。いろいろ伺ってもなんとも感じません。どういうものでしょう」と寒月君が言う。
「そりゃ細君を持ちたてだからさ」と迷亭君がすぐ解釈した。すると主人が突然こんなことを言いだした。
「妻を持って、女はいいものだなどと思うととんだ間違いになる。参考のためだから、おれがおもしろい物を読んで聞かせる。よく聞くがいい」と最前書斎から持って来た古い本を取り上げて「この本は古い本だが、この時代から女の悪いことは歴然とわかってる」と言うと、寒月君が
「少し驚きましたな。元来いつごろの本ですか」と聞く。「タマス・ナッシ《*》といって十六世紀の著書だ」
「いよいよ驚いた。その時分すでに私の妻《さい》の悪《わる》口《くち》を言った者があるんですか」
「いろいろ女の悪口があるが、その内にはぜひ君の妻《さい》もはいるわけだから聞くがいい」
「ええ聞きますよ。ありがたいことになりましたね」
「まず古来の賢哲が女性観を紹介すべしと書いてある。いいかね。聞いてるかね」
「みんな聞いてるよ。独身のぼくまで聞いているよ」
「アリストートルいわく女はどうせろくでなしなれば、嫁をとるなら、大きな嫁より小さな嫁をとるべし。大きなろくでなしより、小さいろくでなしのほうが災《わざわい》少なし……」
「寒月君の細君は大きいかい、小さいかい」
「大きなろくでなしの部ですよ」
「ハハハハ、こりゃおもしろい本だ。さああとを読んだ」
「ある人問う、いかなるかこれ最大奇蹟、賢者答えていわく、貞婦……」
「賢者ってだれですか」
「名前は書いてない」
「どうせ振られた賢者に相違ないね」
「次にはダイオジニス《*》が出ている。ある人問う、妻をめとるいずれの時においてすべきか。ダイオジニス答えていわく青年はいまだし、老年はすでにおそし。とある」
「先生樽《たる》の中で考えたね」
「ビサゴラスいわく天下に三の恐るべきものありいわく火、いわく水、いわく女」
「ギリシアの哲学者などは存外迂《う》闊《かつ》なことを言うものだね。ぼくに言わせると天下に恐るべきものなし。火に入って焼けず、水に入っておぼれず……」だけで独仙君ちょっとゆき詰まる。
「女に会ってとろけずだろう」と迷亭先生が援兵に出る。主人はさっさとあとを読む。
「ソクラチスは婦女子を御《ぎよ》するは人間の最大難事と言えり。デモスセニスいわく人もしその敵を苦しめんとせば、わが女を敵に与うるより策の得たるはあらず。家庭の風《ふう》波《は》に日となく夜となく彼を困《こん》憊《ぱい》起《た》つあたわざるに至らしむるをうればなりと。セネカは婦女と無学をもって世界における二《に》大《だい》厄《やく》とし、マーカス・オーレリアスは女子は制御しがたき点において船舶に似たりと言い、プロータス《*》は女子が綺《き》羅《ら》を飾るの性癖をもってその天《てん》稟《ぴん》の醜をおおうの陋《ろう》策《さく》にもとづくものとせり。ヴァレリアス《*》かつて書をその友某におくって告げていわく天下に何事も女子の忍んでなしえざるものあらず。願わくは皇《こう》天《てん》あわれみをたれて、君をして彼らの術中に陥らしむるなかれと。彼またいわく女子とはなんぞ。友愛の敵にあらずや、避くべからざる苦しみにあらずや、必然の害にあらずや、自然の誘惑にあらずや、蜜《みつ》に似たる毒にあらずや。もし女子をすつるが不徳ならば、彼らをすてざるはいっそうの呵《か》責《しやく》と言わざるべからず。……」
「もうたくさんです、先生。そのくらい愚妻の悪口を拝聴すれば申しぶんはありません」
「まだ四、五ページあるから、ついでに聞いたらどうだ」
「もうたいていにするがいい。もう奥方のお帰りの刻限だろう」と迷亭先生がからかいかけると、茶の間の方で
「清や、清や」と細君が下女を呼ぶ声がする。
「こいつはたいへんだ。奥方はちゃんといるぜ、君」
「ウフフフフ」と主人は笑いながら「かまうものか」と言った。
「奥さん、奥さん。いつのまにお帰りですか」
茶の間ではしんとして答えがない。
「奥さん、今のを聞いたんですか。え?」
答えはまだない。
「今のはね、御主人のお考えではないですよ。十六世紀のナッシ君の説ですから御安心なさい」
「存じません」と細君は遠くで簡単な返事をした。寒月君はくすくすと笑った。
「わたしも存じません失礼しましたアハハハハ」と迷亭君は遠慮なく笑ってると、門《かど》口《ぐち》をあらあらしくあけて、頼むとも、御免とも言わず、大きな足音がしたと思ったら、座敷の唐《から》紙《かみ》が乱暴にあいて、多々良三平君の顔がそのあいだからあらわれた。
三平君きょうはいつに似ず、まっ白なシャツにおろし立てのフロックを着て、すでにいくぶんか相《そう》場《ば》を狂わせてる上へ、右の手へ重そうにさげた四本のビールを縄《なわ》ぐるみ、鰹節のそばへ置くと同時に挨《あい》拶《さつ》もせず、どっかと腰をおろして、かつひざをくずしたのは目ざましい武《む》者《しや》ぶりである。
「先生胃病は近来いいですか。こうやって、うちにばかりいなさるから、いかんたい」
「まだ悪いともなんとも言やしない」
「言わんばってんが、顔色がよかなかごたる。先生顔色が黄《きい》ですばい。近ごろは釣りがいいです。品《しな》川《がわ》から船を一《いつ》艘《そう》雇うて――私はこの前の日曜に行きました」
「何か釣れたかい」
「何も釣れません」
「釣れなくってもおもしろいのかい」
「浩《こう》然《ぜん》の気を養うたい、あなた。どうですあなたがた。釣りに行ったことがありますか。おもしろいですよ釣りは。大きな海の上を小舟で乗り回してあるくのですからね」とだれかれの容赦なく話しかける。
「ぼくは小さな海の上を大船で乗り回してあるきたいんだ」と迷亭君が相手になる。
「どうせ釣るなら、鯨か人魚でも釣らなくっちゃ、つまらないです」と寒月君が答えた。
「そんなものが釣れますか。文学者は常識がないですね。……」
「ぼくは文学者じゃありません」
「そうですか、なんですかあなたは。私のようなビジネス・マンになると常識がいちばん大切ですからね。先生私は近来よっぽど常識に富んできました。どうしてもあんな所にいると、はたがはただからおのずから、そうなってしまうです」
「どうなってしまうのだ」
「煙草《タバコ》でもですね、朝日や、敷島をふかしていては幅がきかないんです」と言いながら、吸い口に金《きん》箔《ぱく》のついたエジプト煙草《*》を出して、すぱすぱ吸いだした。
「そんなぜいたくをする金があるのかい」
「金はなかばってんが、今にどうかなるたい。この煙草を吸ってると、たいへん信用が違います」
「寒月君が珠《たま》をみがくよりも楽な信用でいい、手《て》数《すう》がかからない。軽便信用だね」と迷亭が寒月に言うと、寒月がなんとも答えないあいだに、三平君は
「あなたが寒月さんですか。博士にゃ、とうとうならんですか。あなたが博士にならんものだから、私がもらうことにしました」
「博士をですか」
「いいえ、金田家の令嬢をです。じつはお気の毒と思うたですたい。しかし先方でぜひもらうてくれもろうてくれと言うから、とうとうもらうことにきめました、先生。しかし寒月さんに義理が悪いと思って心配しています」
「どうか御遠慮なく」と寒月君が言うと、主人は
「もらいたければもらったら、いいだろう」とあいまいな返事をする。
「そいつはおめでたい話だ。だからどんな娘を持っても心配する者がないんだよ。だれかもらうと、さっきぼくが言ったとおり、ちゃんとこんな立派な紳士のお婿さんができたじゃないか。東風君新体詩の種ができた。さっそくとりかかりたまえ」と迷亭君が例のごとく調子づくと三平君は
「あなたが東風君ですか、結婚の時に何か作ってくれませんか。すぐ活版にして方々へくばります。太陽へも出してもらいます」
「ええ何か作りましょう。いつごろ御入用ですか」
「いつでもいいです。今まで作ったうちでもいいです。そのかわりです。披《ひ》露《ろう》の時呼んでごちそうするです。シャンパンを飲ませるです。君シャンパンを飲んだことがありますか。シャンパンはうまいです。――先生披露会の時に楽隊を呼ぶつもりですが、東風君の作を譜にして奏したらどうでしょう」
「かってにするがいい」
「先生、譜にしてくださらんか」
「ばかいえ」
「だれか、このうちに音楽のできる者はおらんですか」
「落第の候補者寒月君はヴァイオリンの妙手だよ。しっかり頼んでみたまえ。しかしシャンパンぐらいじゃ承知しそうもない男だ」
「シャンパンもですね。一びん四円や五円のじゃよくないです。私のごちそうするのはそんな安いのじゃないですが、君一つ譜を作ってくれませんか」
「ええ作りますとも、一びん二十銭のシャンパンでも作ります。なんならただでも作ります」
「ただは頼みません、お礼はするです。シャンパンがいやなら、こういうお礼はどうです」と言いながら上着の隠袋《かくし》の中から七、八枚の写真を出してばらばらと畳の上へ落とす。半身がある。全身がある。立ってるのがある。すわってるのがある。袴《はかま》をはいてるがある。振《ふり》袖《そで》がある。高《たか》島《しま》田《だ》がある。ことごとく妙齢の女子ばかりである。
「先生候補者がこれだけあるのです。寒月君と東風君にこのうちどれかお礼に周旋してもいいです。こりゃどうです」と一枚寒月君につきつける。
「いいですね。ぜひ周旋を願いましょう」
「これでもいいですか」とまた一枚つきつける。
「それもいいですね。ぜひ周旋してください」
「どれをです」
「どれでもいいです」
「君なかなか多情ですね。先生、これは博士の姪《めい》です」
「そうか」
「このほうは性質がごくいいです。年も若いです。これで十七です。――これなら持参金が千円あります。――こっちのは知事の娘です」と一人で弁じ立てる。
「それをみんなもらうわけにゃいかないでしょうか」
「みんなですか、それはあまり欲張りたい。君一夫多妻主義ですか」
「多妻主義じゃないですが、肉食論者です」
「なんでもいいから、そんなものは早くしまったら、よかろう」と主人はしかりつけるように言い放ったので、三平君は
「それじゃ、どれももらわんですね」と念を押しながら、写真を一枚一枚にポッケットへ収めた。
「なんだいそのビールは」
「おみやげでござります。前祝いに角《かど》の酒屋で買うて来ました。一つ飲んでください」
主人は手をうって下女を呼んで栓《せん》を抜かせる。主人、迷亭、独仙、寒月、東風の五君はうやうやしくコップをささげて、三平君の艶《えん》福《ぷく》を祝した。三平君は大いに愉快な様子で
「ここにいる諸君を披露会に招《しよう》待《だい》しますが、みんな出てくれますか、出てくれるでしょうね」と言う。
「おれはいやだ」と主人はすぐ答える。
「なぜですか。私の一生に一度の大礼ですばい。出てくんなさらんか。少し不人情のごたるな」
「不人情じゃないが、おれは出ないよ」
「着物がないですか。羽織と袴ぐらいどうでもしますたい。ちと人中へも出るがよかたい先生。有名な人に紹介してあげます」
「まっぴら御免だ」
「胃病がなおりますばい」
「なおらんでもさしつかえない」
「そげん頑《がん》固《こ》張りなさるならやむをえません。あなたはどうです来てくれますか」
「ぼくかね、ぜひ行くよ。できるなら媒《ばい》酌《しやく》人《にん》たるの栄を得たいくらいのものだ。シャンパンの三三九度や春の宵《よい》。――なに仲人《なこうど》は鈴木の藤《とう》さんだって? なるほどそこいらだろうと思った。これは残念だがしかたがない。仲人が二人できても多すぎるだろう、ただの人間としてまさに出席するよ」
「あなたはどうです」
「ぼくですか、一《いつ》竿《かん》の風《ふう》月《げつ》閑《かん》生《せい》計《けい》、人は釣りす白《はく》蘋《ひん》紅《こう》蓼《りよう》の間《かん*》」
「なんですかそれは、唐詩選ですか」
「なんだかわからんです」
「わからんですか、困りますな。寒月君は出てくれるでしょうね。今までの関係もあるから」
「きっと出ることにします、ぼくの作った曲を楽隊が奏するのを、聞き落とすのは残念ですからね」
「そうですとも。君はどうです東風君」
「そうですね。出て御両人の前で新体詩を朗読したいです」
「そりゃ愉快だ。先生私は生まれてから、こんな愉快なことはないです。だからもう一杯ビールを飲みます」と自分で買って来たビールを一人でぐいぐい飲んでまっかになった。
短い秋の日はようやく暮れて、巻煙草の死《し》骸《がい》が算を乱す火《ひ》鉢《ばち》の中を見れば火はとくの昔に消えている。さすがのんきの連中も少しく興《きよう》が尽きたとみえて、「だいぶおそくなった。もう帰ろうか」とまず独仙君が立ち上がる。つづいて「ぼくも帰る」と口々に玄関に出る。寄《よ》席《せ》がはねたあとのように座敷はさびしくなった。
主人は夕《ゆう》飯《はん》をすまして書斎に入る。細君は肌《はだ》寒《さむ》の襦《じゆ》袢《ばん》の襟《えり》をかき合わせて、洗いざらしのふだん着を縫う。子供は枕《まくら》を並べて寝る。下女は湯に行った。
のんきと見える人々も、心の底をたたいてみると、どこか悲しい音がする。悟ったようでも独仙君の足はやはり地面のほかは踏まぬ。気楽かもしれないが迷亭君の世の中は絵にかいた世の中ではない。寒月君は珠《たま》磨《す》りをやめてとうとうお国から奥さんを連れて来た。これが順当だ。しかし順当が長く続くとさだめし退屈だろう。東風君も今十年したら、むやみに新体詩をささげることの非を悟るだろう。三平君に至っては水に住む人か、山に住む人かちと鑑定がむずかしい。生《しよう》涯《がい》シャンパンをごちそうして得意と思うことができれば結構だ。鈴木の藤さんはどこまでもころがってゆく。ころがれは泥《どろ》がつく。泥がついてもころがれぬ者よりも幅がきく。猫と生まれて人の世に住むこともはや二年越しになる。自分ではこれほどの見識家はまたとあるまいと思うていたが、せんだってカーテル・ムル《*》という見ず知らずの同族が突然大気炎を揚げたので、ちょっとびっくりした。よくよく聞いてみたら、じつは百年前《ぜん》に死んだのだが、ふとした好奇心からわざと幽霊になって吾輩を驚かせるために、遠い冥《めい》土《ど》から出張したのだそうだ。この猫は母と対面をする時、挨拶のしるしとして、一匹のさかなをくわえて出かけたところ、途中でとうとう我慢がし切れなくなって、自分で食ってしまったというほどの不孝者だけあって、才気もなかなか人間に負けぬほどで、ある時などは詩を作って主人を驚かしたこともあるそうだ。こんな豪傑がすでに一世紀も前に出現しているなら、吾輩のようなろくでなしはとうにお暇《いとま》を頂戴して無《む》可《か》有《う》の郷《きよう*》に帰《き》臥《が》してもいいはずであった。
主人は早晩胃病で死ぬ。金田のじいさんは欲でもう死んでいる。秋の木《こ》の葉《は》はたいがい落ち尽くした。死ぬのが万《ばん》物《ぶつ》の定《じよう》業《ごう》で、生きていてもあんまり役に立たないから、早く死ぬだけが賢《かしこ》いかもしれない。諸先生の説に従えば人間の運命は自殺に帰するそうだ。ゆだんをすると猫もそんな窮屈な世に生まれなくてはならなくなる。恐るべきことだ。なんだか気がくさくさして来た。三平君のビールでも飲んでちと景気をつけてやろう。
勝手へ回る。秋《あき》風《かぜ》にがたつく戸が細めにあいてるあいだから吹き込んだとみえてランプはいつのまにか消えているが、月夜と思われて窓から影がさす。コップが盆の上に三つ並んで、その二つに茶色の水が半分ほどたまっている。ガラスの中のものは湯でも冷たい気がする。まして夜《よ》寒《さむ》の月影に照らされて、静かに火消し壺《つぼ》とならんでいるこの液体のことだから、くちびるをつけぬ先からすでに寒くて飲みたくもない。しかしものはためしだ。三平などはあれを飲んでから、まっかになって、熱苦しい息づかいをした。猫だって飲めば陽気にならんこともあるまい。どうせいつ死ぬか知れぬ命だ。なんでも命のあるうちにしておくことだ。死んでからああ残念だと墓場の影から悔やんでも追っつかない。思い切って飲んでみろと、勢いよく舌を入れてぴちゃぴちゃやってみると驚いた。なんだか舌の先を針でさされたようにぴりりとした。人間はなんの酔《すい》興《きよう》でこんな腐ったものを飲むのかわからないが、猫にはとても飲み切れない。どうしても猫とビールは性《しよう》が合わない。これはたいへんだと一度は出した舌を引っ込めてみたが、また考えなおした。人間は口《くち》癖《ぐせ》のように良薬口に苦しと言って風《か》邪《ぜ》などをひくと、顔をしかめて変なものを飲む。飲むからなおるのか、なおるのに飲むのか、今まで疑問であったがちょうどいい幸いだ。この間題をビールで解決してやろう。飲んで腹の中まで苦くなったらそれまでのこと、もし三平のように前後を忘れるほど愉快になれば空前のもうけもので、近所の猫へ教えてやってもいい。まあどうなるか、運を天に任せて、やっつけると決心して再び舌を出した。目をあいていると飲みにくいから、しっかり眠って、またぴちゃぴちゃ始めた。
吾輩は我慢に我慢を重ねて、ようやく一杯のビールを飲み干した時、妙な現象が起こった。初めは舌がぴりぴりして、口中が外部から圧迫されるように苦しかったのが、飲むに従ってようやく楽になって、一杯目を片づける時分にはべつだん骨も折れなくなった。もう大丈夫と二杯目は難なくやっつけた。ついでに盆の上にこぼれたのもぬぐうがごとく腹《ふく》内《ない》に収めた。
それからしばらくのあいだは自分で自分の動静を伺うため、じっとすくんでいた。次第にからだが暖かになる。目のふちがぼうっとする。耳がほてる。歌がうたいたくなる。猫じゃ猫じゃが踊りたくなる。主人も迷亭も独仙もくそを食らえという気になる。金田のじいさんを引っかいてやりたくなる。細君の鼻を食い欠きたくなる。いろいろになる。最後にふらふらと立ちたくなる。立ったらよたよた歩きたくなる。こいつはおもしろいと外へ出たくなる。出るとお月様今晩はと挨拶したくなる。どうも愉快だ。
陶《とう》然《ぜん》とはこんなことを言うのだろうと思いながら、あてもなく、そこかしこと散歩するような、しないような心持ちでしまりのない足をいいかげんに運ばせてゆくと、なんだかしきりに眠い。寝ているのだか、歩いているのだか判然しない。目はあけるつもりだが重いことおびただしい。こうなればそれまでだ。海だろうが、山だろうが驚かないんだと、前足をぐにゃりと前へ出したと思うとたんぼちゃんと音がして、はっといううち、――やられた。どうやられたのか考える間《ま》がない。ただやられたなと気がつくか、つかないのにあとはめちゃくちゃになってしまった。
我に帰った時は水の上に浮いている。苦しいから爪《つめ》でもってやたらにかいたが、かけるものは水ばかりで、かくとすぐもぐってしまう。しかたがないからあと足で飛び上がっておいて、前足でかいたら、がりりと音がしてわずかに手ごたえがあった。ようやく頭だけ浮くからどこだろうと見回すと、吾輩は大きな甕《かめ》の中に落ちている。この甕は夏まで水《みず》葵《あおい》と称する水草が茂っていたがその後烏《からす》の勘《かん》公《こう》が来て葵を食い尽くした上に行《ぎよう》水《ずい》を使う。行水を使えば水が減る。減れば来なくなる。近来はだいぶ滅って烏が見えないなとさっき思ったが、吾輩自身が烏の代わりにこんな所で行水を使おうなどとは思いも寄らなかった。
水から縁までは四寸余もある。足をのばしても届かない。飛び上がっても出られない。のんきにしていれば沈むばかりだ。もがけばがりがりと甕に爪があたるのみで、あたった時は、少し浮く気味だが、すべればたちまちぐうっともぐる。もぐれば苦しいから、すぐがりがりをやる。そのうちからだが疲れてくる。気はあせるが、足はさほどきかなくなる。ついにはもぐるために甕をかくのか、かくためにもぐるのか、自分でもわかりにくくなった。
その時苦しいながら、こう考えた。こんな呵《か》責《しやく》に会うのはつまり甕から上へ上がりたいばかりの願いである。上がりたいのはやまやまであるが上がれないのは知れ切っている。吾輩の足は三寸に足らぬ。よし水の面《おもて》にからだが浮いて、浮いた所から思う存分前足をのばしたって五寸にあまる甕の縁に爪のかかりようがない。甕の縁に爪のかかりようがなければいくらもがいても、あせっても、百年のあいだ身を粉《こ》にしても出られっこない。出られないとわかりきっているものを出ようとするのは無理だ。無理を通そうとするから苦しいのだ。つまらない。みずから求めて苦しんで、みずから好んで拷《ごう》問《もん》にかかっているのはばかげている。
「もうよそう。かってにするがいい。がりがり《*》はこれぎり御免こうむるよ」と、前足も、あと足も、頭も尾も自然の力に任せて抵抗しないことにした。
次第に楽になってくる。苦しいのだかありがたいのだか見《けん》当《とう》がつかない。水の中にいるのだか、座敷の上にいるのだか、判然しない。どこにどうしていてもさしつかえはない。ただ楽である。否楽そのものすらも感じえない。日《じつ》月《げつ》を切り落とし、天地を粉《ふん》韲《せい》して不可思議の太平に入る。吾輩は死ぬ。死んでこの太平を得《う》る。太平は死ななければ得られぬ。南《な》無《む》阿《あ》弥《み》陀《だ》仏《ぶつ》南無阿弥陀仏。ありがたいありがたい。 注 釈
*一樹の陰 「一樹の下に宿り一河の流れを汲み……皆これ先世の宿縁」(『説法明眼論』)の略。ここでは、竹垣がこわれていたため吾輩がこの家に飼われるようになったのも前世の因縁だということ。
*鼻の下の黒い毛 漱石自身も鼻の下にひげをはやしていて、当時それを自慢して、左右にひねりあげるくせがあったという。
*職業は教師 当時(明治三十八年)漱石は第一高等学校と東京帝国大学に英文学の講座をもっていた。
*英文を書いたり 「猫」を書く以前の明治三十六、七年(一九〇三、四)ごろ、漱石はしきりに英詩を書いていた。
*謡を習ったり 明治三十二年(一八九九)熊本時代、漱石は謡の稽古をしたことがある。
*これは平の宗盛にて候 謡曲「熊《ゆ》野《や》」の冒頭で、ワキ宗《むね》盛《もり》が名のることば。
*謡や俳句をやめて絵を 明治三十六年(一九〇三)ごろから漱石はしきりに書画をものし、三十七年に出した自筆の絵はがきは最も多い。
*美学とかをやっている人 「猫」発表当時、このモデルは、漱石の友人で美学者の大塚保治だと評判されたが、漱石自身は、大塚はこんな性質ではないとその書簡中で否定している。
*滑稽的美感 漱石はその著『文学論』の中でもこの滑稽美について詳細に論じているように非常に重視している傾向がある。
*ニコラス・ニックルベー ディケンズの小説“Life and Adventures of Nicholas Nickledy”(1838―1839)の主人公の名。ギボン(一七三七―一七九四)とはもちろん無関係。
*征露の……熊の絵だろう 「猫」発表の前年、明治三十七年(一九〇四)は日露戦争の起こった年であった。敵国ロシアは熊にたとえられていた。当時、英文学から独自の文学をうちたてようと努力していた漱石に、戦争は当然大きな影響を与えた。
*猫じゃ猫じゃ 「猫じゃ猫じゃとおしゃますが、猫が、猫が下駄はいて杖ついて、しぼりの浴衣《ゆかた》で来るものか」という俗謡がある。
*寒月 寺田寅彦がモデルといわれた。彼は、第五高等学校以来の漱石の弟子で、当時東京帝国大学大学院で物理学を研究しており、ちょうど前歯を折っていたことも寒月と符合している。
*旅順が落ちた 旅順が陥落したのは、明治三十八年(一九〇五)一月一日である。
*桃川如燕 初代。天《てん》保《ぽう》三年―明治三十一年(一八三二―一八九八)。講釈師。本名杉浦要助。百猫伝を得意とし、猫の如燕といわれた。
*金魚をぬすんだ猫 この猫のことは、一七四七年のグレーの詩“Ode on the Death of a Favourite Cat,Drowned in a Gold Fishes”に出ている。
*喜多床 当時東京帝国大学正門の筋向かいにあった理髪店。
*宝丹 当時下谷区池之端仲町にあった守田宝丹本舗。
*御成道 ここでは特に万世橋から上野公園付近に至るまでの道のこと。徳川時代、将軍が上野寛永寺参拝のとき通ったといわれる。
*狂瀾を既倒になんとかする 韓《かん》愈《ゆ》の『進学解』に「狂瀾を既倒に回らす」とある。くずれた大波をもとへ押返すの意から転じて、形勢の傾きをもとに回復すること。
*天璋院様 名は敬子。島津斉《なり》彬《あきら》の娘。安政三年(一八五六)十三代将軍家定に嫁し、同五年その死とともに仏門に入り天璋院といった。明治十六年(一八八三)四十七歳にて没。
*人つけ 「人をつけにする」(人をばかにする)を略した江戸語。
*枝を鳴らさぬ君がみ代 めでたくのどかな初春のたたずまい。謡曲「高砂」に「四海波静かにて。国も治まる時つ風。枝を鳴らさぬ御代なれや」とある。
*西川 当時小石川区裏町に同名の大きな牛豚肉店があり、東片町にも支店があった。
*月並み 毎月一定の日に集まって俳句会を開く旧派を、正岡子規が「月並俳句」とよんだことから、一般にありふれて新味のないことに転用されるようになった。
*天明調や万葉調 ともに子規が俳句の手本とし、和歌の理想として重んじていたものである。
*トチメンボー 後出の俳人橡面坊の名を西洋料理に拝借している。
*日本新聞 明治二十二年(一八八九)創刊の日刊時事新聞「日本」。子規らが俳句革新運動の拠点とした。
*戦争の通信を読むくらいの意気込み この章が発表されたのは明治三十八年(一九〇五)二月、日露戦争のまっさいちゅうであった。
*亀屋 当時京橋区竹川町にあった食料品・酒・タバコなどの直輸入卸小売店。
*横浜の十五番 もと居留地の山下町に集まっていた、外人経営の銀行や、食料品・雑貨などの輸出入品を扱う商館などは、その位置によって番号でよばれていた。
*橡面坊 本名安藤錬三郎。日本派俳人の一人。
*浅草花屋敷 浅草公園中にあり、もとは盆栽草花の陳列場であった。明治三十年(一八九七)ごろから大遊覧地として、動物園・水族館・興行物などができた。
*レスター伯がエリザベス女皇をケニルウォースに招待いたし候節 一一二〇年ごろGeoffrey de Clintonが有名な城を築いたKenilworthは、のちに王領となり、女王エリザベス一世によって寵臣レスター伯に与えられた。ウォルター・スコットの名作“Kenilworth”(1821)に、レスター伯が一五七五年ここに女王を招いたありさまが書かれている。
*レンブラント 漱石がレンブラントの絵を愛していたことは、その蔵書中の画集(Royal Academy of Arts;A catalogue)にある書込みによってもわかる。
*モンセン Theodor Mommsen(1817―1910)ドイツの歴史家。『ローマ史』でノーベル文学賞をうけた。
*スミス Goldwin Smith(1823―1903)イギリスの歴史家・評論家。
*行徳の俎 千葉県行徳は馬鹿貝の産地で、ここのまないたは馬鹿貝ですれているということからできたことば。馬鹿なくせに人ずれがしていること。
*汽車 当時の私鉄甲武鉄道の汽車。明治二十二年四月に新宿―立川間が開通し、二十八年には飯田町―八王子間にのびていた。
*鴻の台 千葉県市川市の江戸川東岸の台地。
*市が栄えた 一《いち》期《ご》栄えたのなまりか。おとぎ話の終りなどで使われる東京地方のことば。これでおしまい、めでたしめでたしの意。
*ゼームス 連想主義を排し、意識の推移性や自発的撰択作用を認めたゼームスの心理学は、漱石の文学理論に少なからぬ影響を与えた。
*副意識 意識の中にひそんで、はっきり自覚されない意識。
*札幌ビール 当時本所区中之郷瓦町にその東京支店があった。
*摂津大椽 義太夫節の太夫。二代目竹本越路太夫。本名二見金助。天保七年―大正六年(一八三六―一九一七)。この椽《じよう》号は明治三十五年(一九〇二)小松宮から受けた。
*鰻谷 浄瑠璃「桜《さくら》 鍔《つば》恨《うらみの》鮫《さめ》鞘《ざや》」の鰻谷八郎兵衛内の場。
*堀川 同「近《ちか》頃《ごろ》河原《かわらの》達《たて》引《ひき》」堀川の段。
*三十三間堂 同「三十三間堂棟《むなぎ》由来」の略。
*many a slip'twixt the cup and the lip 「近いような杯と唇の間にも多くのあやまちがある」人の死はいつやって来るかわからない。昔ギリシアのアンシーアスはぶどう酒の杯を置いたまま野猪追いに出かけたが、不幸にもその牙に殺されて、ついにその杯に唇をつけることができなかった。このことわざはアンシーアスの下男が主人の不幸を予言したことばである。
*スタンラン Th