TITLE : それから
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目 次
それから
注 釈
それから
誰《だれ》かあわただしく門前を馳《か》けて行く足音がした時、代《だい》助《すけ》の頭の中には、大きな俎《まないた》下《げ》駄《た*》 が空《くう》から、ぶら下がっていた。けれども、その俎下駄は、足音の遠のくに従って、すうと頭から抜け出して消えてしまった。そうして目がさめた。
枕《まくら》元《もと》を見ると、八《や》重《え》の椿《つばき》が一輪畳の上に落ちている。代助は昨夕《ゆうべ》床の中でたしかにこの花の落ちる音を聞いた。彼の耳には、それがゴム毬《まり》を天井裏から投げつけたほどに響いた。夜がふけて、あたりが静かなせいかとも思ったが、念のため、右の手を心臓の上に載せて、肋《あばら》のはずれに正しくあたる血の音を確かめながら眠りについた。
ぼんやりして、しばらく、赤ん坊の頭ほどもある大きな花の色を見つめていた彼は、急に思い出したように、寝ながら胸の上に手を当てて、また心臓の鼓動を検しはじめた。寝ながら胸の脈をきいてみるのは彼の近来の癖になっている。動《どう》悸《き》は相変わらず落ちついてたしかに打っていた。彼は胸に手を当てたまま、この鼓動のもとに、温《あたた》かい紅《くれない》の血潮のゆるく流れるさまを想像してみた。これが命であると考えた。自分は今流れる命を掌《てのひら》でおさえているんだと考えた。それから、この掌にこたえる、時計の針に似た響きは、自分を死に誘《いざな》う警鐘のようなものであると考えた。この警鐘を聞くことなしに生きていられたら――血を盛る袋が、時を盛る袋の用をかねなかったなら、いかに自分は気楽だろう。いかに自分は絶対に生を味わいうるだろう。けれども、――代助は覚えずぞっとした。彼は血潮によって打たるる掛《け》念《ねん》のない、静かな心臓を想像するに堪えぬほどに、生きたがる男である。彼は時々寝ながら、左の乳の下に手を置いて、もし、ここを鉄《かな》槌《づち》で一つどやされたならと思うことがある。彼は健全に生きていながら、この生きているという大《だい》丈《じよう》夫《ぶ》な事実を、ほとんど奇跡のごとき僥《ぎよう》倖《こう》とのみ自覚しだすことさえある。
彼は心臓から手を放して、枕元の新聞を取り上げた。夜具の中から両手を出して、大きく左右に開くと、左側に男が女を斬《き》っている絵があった。彼はすぐほかのページへ目を移した。そこには、学校騒動《*》が大きな活字で出ている。代助は、しばらく、それを読んでいたが、やがて、だるそうな手から、はたりと新聞を夜具の上に落した。それから煙草《たばこ》を一本吹かしながら、五寸ばかり布《ふ》団《とん》をずり出して、畳の上の椿を取って、ひっくり返して、鼻の先へ持ってきた。口と口《くち》髭《ひげ》と鼻の大部分がまったく隠れた。けむりは椿の弁《はなびら》と蕊《ずい》にからまって漂うほど濃く出た。それを白い敷布の上に置くと、立ち上がって風《ふ》呂《ろ》場《ば》へ行った。
そこで丁《てい》寧《ねい》に歯をみがいた。彼は歯並びのいいのを常にうれしく思っている。肌《はだ》を脱いできれいに胸と背を摩擦した。彼の皮膚にはこまやかな一種のつやがある。香油を塗りこんだあとを、よくふき取ったように、肩をうごかしたり、腕を上げたりするたびに、局所の脂肪が薄くみなぎって見える。かれはそれにも満足である。次に黒い髪を分けた。油をつけないでもおもしろいほど自由になる。髭《ひげ》も髪同様に細くかつういういしく、口の上を品よくおおうている。代助はそのふっくらした頬《ほお》を、両手で両三度なでながら、鏡の前にわが顔を映していた。まるで女がお白《しろ》粉《い》を付ける時の手つきと一般《*》 であった。実際彼は必要があれば、お白粉《しろい》さえ付けかねぬほどに、肉体に誇りを置く人である。彼のもっともきらうのは羅《ら》漢《かん》のような骨格と相《そう》好《ごう》で、鏡に向かうたんびに、あんな顔に生まれなくって、まあよかったと思うくらいである。その代わり人からお洒《しや》落《れ》と言われても、なんの苦痛も感じえない。それほど彼は旧時代の日本を乗りこえている。
約三十分の後彼は食卓についた。熱い紅茶をすすりながら焼パンにバタを付けていると、門《かど》野《の》という書生が座敷から新聞をたたんで持ってきた。四つ折りにしたのを座《ざ》蒲《ぶ》団《とん》のわきへ置きながら、
「先生、たいへんなことが始まりましたな」とぎょうさんな声で話しかけた。この書生は代助をつらまえて《*》 は、先生先生と敬語を使う。代助も、はじめ一、二度は苦笑して抗議を申し込んだが、えへへへ、だって先生と、すぐ先生にしてしまうので、やむをえずそのままにしておいたのが、いつか習慣になって、今では、この男に限って、平気に先生として通している。実際書生が代助のような主人を呼ぶには、先生以外にべつだん適当な名称がないということを、書生を置いてみて、代助もはじめて悟ったのである。
「学校騒動のことじゃないか」と代助は落ちついた顔をしてパンを食っていた。
「だって痛快じゃありませんか」
「校長排斥がですか」
「ええ、とうてい辞職もんでしょう」とうれしがっている。
「校長が辞職でもすれば、君はなにかもうかることでもあるんですか」
「冗《じよう》談《だん》いっちゃいけません。そう損得ずくで、痛快がられやしません」
代助はやっぱりパンを食っていた。
「君、あれはほんとうに校長がにくらしくって排斥するのか、ほかに損得問題があって排斥するのか知ってますか」と言いながら鉄《てつ》瓶《びん》の湯を紅《こう》茶《ちや》茶《ぢや》碗《わん》の中へさした。
「知りませんな。なんですか、先生は御存じなんですか」
「僕も知らないさ。知らないけれども、今の人間が、得にならないと思って、あんな騒動をやるもんかね。ありゃ方便だよ、君」
「へえ、そんなもんですかな」と門野はややまじめな顔をした。代助はそれぎり黙ってしまった。門野はこれより以上通じない男である。これより以上、いくら行っても、へえそんなもんですかなで押し通して澄ましている。こちらの言うことがこたえるのだか、こたえないのだか、まるで要領を得ない。代助は、そこが漠《ばく》然《ぜん》として、刺激がいらなくって好いと思って書生に使っているのである。その代わり、学校へも行かず、勉強もせず、一日ごろごろしている。君、ちっと、外国語でも研究しちゃどうだなどと言うことがある。すると門野はいつでも、そうでしょうか、とか、そんなもんでしょうか、とか答えるだけである。けっしてしましょうということは口にしない。またこう、なまけものでは、そうはっきりした答えができないのである。代助のほうでも、門野を教育しに生まれてきたわけでもないから、いいかげんにしてほうっておく。幸い頭と違って、身体《からだ》のほうはよく動くので、代助はそこを大いに重宝がっている。代助ばかりではない、従来からいる婆《ばあ》さんも門野のおかげでこのごろはたいへん助かるようになった。その原因で婆さんと門野とはすこぶる仲が好い。主人の留《る》守《す》などには、よく二《ふた》人《り》で話をする。
「先生はいったいなにをする気なんだろうね。小《お》母《ば》さん」
「あのくらいになっていらっしゃれば、なんでもできますよ。心配するがものはない《*》 」
「心配はせんがね。なにかしたらよさそうなもんだと思うんだが」
「まあ奥様でもおもらいになってから、ゆっくり、お役《やく》でもお探しなさるおつもりなんでしょうよ」
「いいつもりだなあ。僕も、あんなふうに一《いち》日《んち》本を読んだり、音楽を聞きに行ったりして暮らしていたいな」
「お前さんが?」
「本は読まんでも好いがね。ああいう具《ぐ》合《あい》に遊んでいたいね」
「それはみんな、前世からの約束だからしかたがない」
「そんなものかな」
まずこういう調子である。門野が代助の所へ引き移る二週間前には、この若い独身の主人と、この食《いそう》客《ろう》との間に下《しも》のような会話があった。
「君はどっかの学校へ行ってるんですか」
「もとは行きましたがな。今はやめちまいました」
「もと、どこへ行ったんです」
「どこって方々行きました。しかしどうもあきっぽいもんだから」
「じきいやになるんですか」
「まあ、そうですな」
「で、たいして勉強する考えもないんですか」
「ええ、ちょっとありませんな。それに近ごろ家《うち》の都合が、あんまり好くないもんですから」
「家の婆《ばあ》さんは、あなたの御《おつ》母《か》さんを知ってるんだってね」
「ええ、もと、じき近所にいたもんですから」
「御母さんはやっぱり……」
「やっぱりつまらない内職をしているんですが、どうも近ごろは不景気で、あんまり好くないようです」
「好くないようですって、君、いっしょにいるんじゃないですか」
「いっしょにいることはいますが、つい面《めん》倒《どう》だから聞いたこともありません。なんでもよくこぼしてるようです」
「兄《にい》さんは」
「兄は郵便局のほうへ出ています」
「家はそれだけですか」
「まだ弟《おとと》がいます。これは銀行の――まあ小使に少し毛のはえたぐらいなところなんでしょう」
「すると遊《あす》んでるのは、君ばかりじゃないか」
「まあ、そんなもんですな」
「それで、家にいるときは、なにをしているんです」
「まあ、たいてい寝ていますな。でなければ散歩でもしますかな」
「ほかのものが、みんな稼《かせ》いでるのに、君ばかり寝ているのは苦痛じゃないですか」
「いえ、そうでもありませんな」
「家庭がよっぽど円満なんですか」
「べつだん喧《けん》嘩《か》もしませんがな。妙なもんで」
「だって、御母さんや兄さんから言ったら、一日も早く君に独立してもらいたいでしょうがね」
「そうかもしれませんな」
「君はよっぽど気楽な性分と見える。それがほんとうのところなんですか」
「ええ、別に嘘《うそ》をつく料《りよう》簡《けん》もありませんな」
「じゃまったくの呑《のん》気《き》屋《や》なんだね」
「ええ、まあ呑気屋っていうもんでしょうか」
「兄さんはいくつになるんです」
「こうっと、取って六になりますか」
「すると、もう細君でももらわなくちゃならないでしょう。兄さんの細君ができても、やっぱり今のようにしているつもりですか」
「その時になってみなくっちゃ、自分でも見当がつきませんが、なにしろ、どうかなるだろうと思ってます」
「そのほかに親類はないんですか」
「叔《お》母《ば》が一《ひと》人《り》ありますがな。こいつは今、浜《*》 で運《うん》漕《そう》業《ぎよう》をやってます」
「叔母さんが?」
「叔母がやってるわけでもないんでしょうが、まあ、叔《お》父《じ》ですな」
「そこへでも頼んで使ってもらっちゃ、どうです。運漕業ならだいぶ人がいるでしょう」
「根がなまけもんですからな。おおかた断わるだろうと思ってるんです」
「そう自任していちゃ困る。実は君の御母さんが、家の婆さんに頼んで、君を僕の宅《うち》へ置いてくれまいかという相談があるんですよ」
「ええ、なんだかそんなことを言ってました」
「君自身は、いったいどういう気なんです」
「ええ、なるべくなまけないようにして……」
「家へ来るほうが好《い》いんですか」
「まあ、そうですな」
「しかし寝て散歩するだけじゃ困る」
「そりゃ大丈夫です。身体《からだ》のほうは達者ですから。風《ふ》呂《ろ》でもなんでも汲《く》みます」
「風呂は水道があるから汲まないでもいい」
「じゃ、掃《そう》除《じ》でもしましょう」
門野はこういう条件で代助の書生になったのである。
代助はやがて食事を済まして、煙草を吹かしだした。今まで茶《ちや》箪《だん》笥《す》の陰に、ぽつねんと膝《ひざ》をかかえて柱によりかかっていた門野は、もう好い時分だと思って、また主人に質問を掛けた。
「先生、今《け》朝《さ》は心臓の具合はどうですか」
このあいだから代助の癖を知っているので、いくぶんか茶化した調子である。
「今日《きよう》はまだ大丈夫だ」
「なんだか明日《あした》にもあやしくなりそうですな。どうも先生みたように身体を気にしちゃ――しまいにはほんとうの病気にとっつかれるかもしれませんよ」
「もう病気ですよ」
門野はただへええと言ったぎり、代助のつやの好い顔色や肉の豊かな肩のあたりを羽織の上からながめている。代助はこんな場合になるといつでもこの青年を気の毒に思う。代助から見ると、この青年の頭は、牛の脳《のう》味《み》噌《そ》でいっぱい詰まっているとしか考えられないのである。話をすると、平民の通る大通り《*》 を半町ぐらいしかついて来ない。たまに横町へでも曲がると、すぐ迷《まい》児《ご》になってしまう。論理の地盤を竪《たて》に切り下げた坑道などへは、てんから足も踏み込めない。彼の神経系に至ってはなおさら粗末である。あたかも荒《あら》縄《なわ》で組み立てられたるかの感が起こる。代助はこの青年の生活状態を観察して、彼は畢《ひつ》竟《きよう》なんのために呼吸をあえてして存在するかを怪しむことさえある。それでいて彼は平気にのらくらしている。しかもこののらくらをもって、暗に自分の態度と同一型に属するものと心得て、なかなか得意にふるまいたがる。そのうえ頑《がん》強《きよう》一点張りの肉体を笠《かさ》に着て、かえって主人の神経的な局所へ肉薄してくる。自分の神経は、自分に特有なる細《さい》緻《ち》な思索力と、鋭敏な感応性に対して払う租税である。高《こう》尚《しよう》な教育の彼岸に起こる反響の苦痛である。天《てん》爵《しやく》的《てき》に貴族となった《*》 報いに受ける不文の刑罰である。これらの犠牲に甘んずればこそ、自分は今の自分になれた。いな、ある時はこれらの犠牲そのものに、人生の意義をまともに認める場合さえある。門野にはそんなことはまるでわからない。
「門野さん、郵便は来ていなかったかね」
「郵便ですか。こうっと。来ていました。はがきと封書が。机の上に置きました。持って来ますか」
「いや、僕があっちへ行ってもいい」
歯切れのわるい返事なので、門野はもう立ってしまった。そうしてはがきと郵便を持って来た。はがきは、今日二時東京着、ただちに表面へ投宿、とりあえず御報、明《あ》日《す》午前会いたし、と薄墨の走り書きの簡単きわまるもので、表に裏《うら》神《じん》保《ぼう》町《ちよう》の宿屋の名と平《ひら》岡《おか》常《つね》次《じ》郎《ろう》という差し出し人の姓名が、裏と同じ乱暴さかげんで書いてある。
「もう来たのか。昨日《きのう》着いたんだな」とひとり言《ごと》のように言いながら、封書のほうを取り上げると、これは親《おや》爺《じ》の手蹟《て》である。二、三日前帰って来た。急ぐ用事でもないが、いろいろ話があるから、この手紙が着いたら来てくれろと書いて、あとには京都の花がまだ早かったの、急行列車がいっぱいで窮屈だったなどという閑《かん》文《もん》字《じ*》 が数行つらねてある。代助は封書を巻きながら、妙な顔をして、両方見くらべていた。
「君、電話をかけてくれませんか。家《うち》へ」
「はあ、お宅へ。なんてかけます」
「今日は約束があって、待ち合わせる人があるから上がれないって。明日《あした》か明後日《あさつて》きっと伺いますからって」
「はあ、どなたに」
「親爺が旅行から帰って来て、話があるからちょっと来いっていうんだが、――なに親爺を呼び出さないでもいいから、誰《だれ》にでもそう言ってくれたまえ」
「はあ」
門野は無《む》雑《ぞう》作《さ》に出て行った。代助は茶の間から、座敷を通って書斎へ帰った。見ると、きれいに掃除ができている。落《おち》椿《つばき》もどこかへ掃《は》き出されてしまった。代助は花《か》瓶《へい》の右手にある組み重ねの書《しよ》棚《だな》の前へ行って、上に載せた重い写《しや》真《しん》帖《ちよう》を取り上げて、立ちながら、金《きん》の留《とめ》金《がね》をはずして、一枚二枚と繰り始めたが、中ごろまで来てぴたりと手をとめた。そこには二《は》十《た》歳《ち》ぐらいの女の半身がある。代助は目をふせてじっと女の顔を見つめていた。
着物でも着換えて、こっちから平岡の宿をたずねようかと思っているところへ、おりよくむこうからやって来た。車をがらがらと門前まで乗りつけて、ここだここだと梶《かじ》棒《ぼう》を下ろさした声はたしかに三年前わかれた時そっくりである。玄関で、取り次ぎの婆《ばあ》さんをつらまえて、宿へ蟇《がま》口《ぐち》を忘れて来たから、ちょっと二十銭貸してくれと言ったところなどは、どうしても学校時代の平岡を思い出さずにはいられない。代助は玄関まで馳け出して行って、手をとらぬばかりに旧友を座敷へ上げた。
「どうした。まあゆっくりするがいい」
「おや、椅《い》子《す》だね」と言いながら平岡は安楽椅子へ、どさりと身体《からだ》を投げかけた。十五貫目以上もあろうというわが肉に、三文の価値《ねうち》を置いていないような扱かい方に見えた。それから椅子の背に坊《ぼう》主《ず》頭《あたま》をもたして、ちょっと部《へ》屋《や》のうちを見回しながら、
「なかなか、好い家《うち》だね。思ったより好い」とほめた。代助は黙って巻《まき》莨《たばこ》入れの蓋《ふた》をあけた。
「それから、以後どうだい」
「どうの、こうのって、――まあいろいろ話すがね」
「もとは、よく手紙が来たから、様子がわかったが、近ごろじゃちっともよこさないもんだから」
「いやどこもかしこも御《ご》無《ぶ》沙《さ》汰《た》で」と平岡は突然眼鏡《めがね》をはずして、背広の胸から皺《しわ》だらけのハンケチを出して、目をぱちぱちさせながらふきはじめた。学校時代からの近眼である。代助はじっとその様子をながめていた。
「僕より君はどうだい」と言いながら、細い蔓《つる》を耳の後《うし》ろへからみつけに、両手で持っていった。
「僕は相変わらずだよ」
「相変わらずがいちばん好いな。あんまり相変わるものだから」
そこで平岡は八の字を寄せて、庭の模様をながめだしたが、不意に語調をかえて、
「やあ、桜がある。今ようやく咲きかけたところだね。よほど気候が違う」と言った。話の具合がなんだかもとのようにしんみりしない。代助も少し気の抜けたふうに、
「向こうはだいぶ暖《あつた》かいだろう」とついで同然の挨《あい》拶《さつ》をした。すると、今度はむしろ法外に熱した具合で、
「うん、だいぶ暖かい」と力のはいった返事があった。あたかも自己の存在を急に意識して、はっと思った調子である。代助はまた平岡の顔をながめた。平岡は巻《まき》莨《たばこ》に火をつけた。その時婆さんがようやく急《きゆう》須《す》に茶をいれて持って出た。今しがた鉄《てつ》瓶《びん》に水をさしてしまったので、煮立てるのに暇がいって、つい遅くなってすみませんと言い訳をしながら、テーブルの上へ盆を載せた。二人は婆さんのしゃべっているあいだ、紫《し》檀《たん》の盆を見て黙っていた。婆さんは相手にされないので、ひとりで愛想笑いをして座敷を出た。
「ありゃなんだい」
「婆さんさ。雇ったんだ。飯を食わなくっちゃならないから」
「お世辞が好いね」
代助は赤い唇《くちびる》の両端を、少し弓なりに下の方へまげてさげすむように笑った。
「今までこんなところへ奉公したことがないんだからしかたがない」
「君の家《うち》から誰《だれ》か連れて来ればいいのに。おおぜいいるだろう」
「みんな若いのばかりでね」と代助はまじめに答えた。平岡はこの時はじめて声を出して笑った。
「若けりゃなお結構じゃないか」
「とにかく家のやつはよくないよ」
「あの婆さんのほかに誰かいるのかい」
「書生が一人いる」
門野はいつの間にか帰って、台所の方で婆さんと話をしていた。
「それぎりかい」
「それぎりだ。なぜ」
「細君はまだもらわないのかい」
代助はこころもち赤い顔をしたが、すぐ尋常一般のきわめて平凡な調子になった。
「妻《さい》をもらったら、君の所へ通知ぐらいするはずじゃないか。それよりか君の」と言いかけて、ぴたりとやめた。
代助と平岡とは中学時代からの知り合いで、ことに学校を卒業して後、一年間というものは、ほとんど兄弟のように親しく往来した。その時分は互いにすべてを打ち明けて、互いに力になり合うようなことを言うのが、互いに娯楽の尤《ゆう》なるもの《*》 であった。この娯楽が変じて実行となったことも少なくないので、彼らは双互のために口にしたすべての言葉には、娯楽どころか、常に一種の犠牲を含んでいると確信していた。そうしてその犠牲を即座に払えば、娯楽の性質が忽《こつ》然《ぜん》苦痛に変ずるものであるという陳腐な事実にさえ気がつかずにいた。一年の後平岡は結婚した。同時に、自分の勤めている銀行の、京《けい》坂《はん》地方のある支店詰めになった。代助は、出立の当時、新夫婦を新橋の停《ステ》車《ーシ》場《ヨン》に送って、愉快そうに、じき帰って来たまえと平岡の手を握った。平岡は、しかたがない、当分辛抱するさと打《うつ》遣《ちや》るように言ったが、その眼鏡の裏には得意の色がうらやましいくらい動いた。それを見た時、代助は急にこの友《とも》だちを憎らしく思った。家へ帰って、一日部屋へはいったなり考え込んでいた。嫂《あによめ》を連れて音楽会へ行くはずのところを断わって、大いに嫂に気をもましたくらいである。
平岡からはたえず音便《たより》があった。安着のはがき、向こうで世《しよ》帯《たい》を持った報知、それがすむと、支店勤務の模様、自己将来の希望、いろいろあった。手紙の来るたびに、代助はいつも丁寧な返事を出した。不思議なことに、代助が返事を書くときは、いつでも一種の不安に襲われる。たまにはがまんするのがいやになって、途中で返事をやめてしまうことがある。ただ平岡のほうから、自分の過去の行為に対して、いくぶんか感謝の意を表して来る場合に限って、やすやすと筆が動いて、比較的なだらかな返事が書けた。
そのうちにだんだん手紙のやりとりが疎遠になって、月に二へんが、一ぺんになり、一ぺんがまた二月、三月にまたがるように間を置いてくると、今度は手紙を書かないほうが、かえって不安になって、なんの意味もないのに、ただこの感じを駆逐するために封筒の糊《のり》を湿すことがあった。それが、半年ばかり続くうちに、代助の頭も胸もだんだん組織が変わってくるように感ぜられてきた。この変化にともなって、平岡へは手紙を書いても書かなくっても、まるで苦痛を覚えないようになってしまった。現に代助が一戸を構えて以来、約一年余というものは、この春年賀状の交換のとき、ついでをもって、今の住所を知らしただけである。
それでも、ある事情があって、平岡のことはまるで忘れるわけにはゆかなかった。時々思い出す。そうして今ごろはどうして暮らしているだろうと、いろいろに想像してみることがある。しかしただ思い出すだけで、べつだん問い合わせたりするほどに、気をもむ勇気も必要もなく、今日まで過ごしてきたところへ、二週間前に突然平岡からの書信が届いたのである。その手紙には近々当地を引き上げて、御《おん》地《ち》へまかり越すつもりである。ただし本店からの命令で、栄転の意味を含んだ他動的の進退と思ってくれては困る。少し考えがあって、急に職業替えをする気になったから、着京のうえはなにぶんよろしく頼むとあった。このなにぶんよろしく頼むの頼むは本当の意味の頼むか、または単に辞令上の頼むか不明だけれども、平岡の一身上に急激な変化のあったのは争うべからざる事実である。代助はその時はっと思った。
それで、あうやいなやこの変動の一部始終を聞こうと待ち設けていたのだが、不幸にして話がそれて容易にそこへもどってこない。折を見てこっちから持ちかけると、まあゆっくり話すとかなんとか言って、なかなか埒《らち》をあけない。代助はしかたなしに、しまいに、
「久しぶりだから、そこいらで飯でも食おう」と言いだした。平岡は、それでも、まだ、いずれゆっくりを繰り返したがるのを、無理に引っ張って、近所の西洋料理へ上がった。
両人《ふたり》はそこでだいぶ飲んだ。飲むことと食うことは昔のとおりだねと言ったのが始まりで、硬《こわ》い舌がだんだんゆるんできた。代助はおもしろそうに、二《に》、三《さん》日まえ自分の観《み》に行った、ニコライの復活祭《*》 の話をした。お祭が夜の十二時を相《あい》図《ず》に、世の中の寝しずまるころを見はからって始まる。参《さん》詣《けい》人《にん》が長い廊下を回って本堂へ帰って来ると、いつの間にか幾千本の蝋《ろう》燭《そく》が一度についている。法衣《ころも》を着た坊主が行列して向こうを通るときに、黒い影が、無地の壁へ非常に大きく映る。――平岡は頬《ほお》杖《づえ》を突いて、眼鏡の奥の二《ふた》重《え》瞼《まぶた》を赤くしながら聞いていた。代助はそれから夜の二時ごろ広い御《お》成《なり》街《かい》道《どう*》 を通って、深夜のレールが、暗い中をまっすぐに渡っている上を、たった一人上野の森まで来て、そうして電燈に照らされた花の中にはいった。
「人《ひと》気《け》のない夜桜は好いもんだよ」と言った。平岡は黙って盃《さかずき》を干したが、ちょっと気の毒そうに口元を動かして、
「好いだろう、僕はまだ見たことがないが。――しかし、そんなまねができる間はまだ気楽なんだよ。世の中へ出ると、なかなかそれどころじゃない」と暗に相手の無経験を上から見たようなことを言った。代助にはその調子よりもその返事の内容が不合理に感ぜられた。彼は生活上世渡りの経験よりも、復活祭当夜の経験のほうが、人生において有意義なものと考えている。そこでこんな答えをした。
「僕はいわゆる処世上の経験ほど愚なものはないと思っている。苦痛があるだけじゃないか」
平岡は酔った目をこころもち大きくした。
「だいぶ考えが違ってきたようだね。――けれどもその苦痛があとから薬になるんだって、もとは君の持説じゃなかったか」
「そりゃ不見識な青年が、流俗の諺《ことわざ》に降参して、いいかげんなことを言っていた時分の持説だ。もう、とっくに撤回しちまった」
「だって、君だって、もうたいてい世の中へ出なくっちゃなるまい。その時それじゃ困るよ」
「世の中へは昔から出ているさ。ことに君とわかれてから、たいへん世の中が広くなったような気がする。ただ君の出ている世の中とは種類が違うだけだ」
「そんなこと言っていばったって、いまに降参するだけだよ」
「むろん食うに困るようになれば、いつでも降参するさ。しかし今《こん》日《にち》に不自由のないものが、なにを苦しんで劣等な経験をなめるものか。インド人が外《がい》套《とう》を着て、冬の来た時の用心をすると同じことだもの」
平岡の眉《まゆ》の間に、ちょっと不快の色がひらめいた。赤い目をすえてぷかぷか煙草をふかしている。代助は、ちと言いすぎたと思って、少し調子を穏やかにした。――
「僕の知ったものに、まるで音楽のわからないものがある。学校の教師をして、一軒じゃ飯が食えないもんだから、三軒も四軒もかけ持ちをやっているが、そりゃ気の毒なもんで、下読みをするのと、教場へ出て器械的に口を動かしているよりほかにまったく暇がない。たまの日曜などは骨休めとか号して一日ぐうぐう寝ている。だからどこに音楽会があろうと、どんな名人が外国から来《き》ようと聞きに行く機会がない。つまり楽《がく》という一種の美しい世界にはまるで足を踏み込まないで死んでしまわなくっちゃならない。僕から言わせると、これほどあわれな無経験はないと思う。パンに関係した経験は、切実かもしれないが、要するに劣等だよ。パンを離れ水を離れた贅《ぜい》沢《たく》な経験をしなくっちゃ人間の甲《か》斐《い》はない。君は僕をまだ坊っちゃんだと考えてるらしいが、僕の住んでいる贅沢な世界では、君よりずっと年長者のつもりだ」
平岡は巻《まき》莨《たばこ》の灰を、皿の上にはたきながら、沈んだ暗い調子で、
「うん、いつまでもそういう世界に住んでいられれば結構さ」と言った。その重い言葉の足が、富に対する一種の呪《じゆ》詛《そ》を引きずっているようにきこえた。
両人《ふたり》は酔って、おもてへ出た。酒の勢いで変な議論をしたものだから、肝心の一身上の話はまだ少しも発展せずにいる。
「少し歩かないか」と代助が誘った。平岡も口ほど忙がしくはないとみえて、生《なま》返《へん》事《じ》をしながら、いっしょに歩を運んで来た。通りを曲がって横町へ出て、なるべく、話のしいいしずかな場所を選んで行くうちに、いつか緒《いと》口《ぐち》がついて、思うあたりへ談《だん》柄《ぺい*》 が落ちた。
平岡の言うところによると、赴任の当時彼は事務見習いのため、地方の経済状況取り調べのため、だいぶ忙がしく働いてみた。できうるならば、学理的に実地の応用を研究しようと思ったくらいであったが、地位がそれほど高くないので、やむをえず、自分の計画は計画として未来の試験用に頭の中に入れておいた。もっとも初めのうちはいろいろ支店長に建策したこともあるが、支店長は冷然として、いつも取り合わなかった。むずかしい理屈などを持ち出すとはなはだ御《ご》機《き》嫌《げん》が悪い。青二才になにがわかるものかというようなふうをする。そのくせ自分は実際なにもわかっていないらしい。平岡からみると、その相手にしないところが、相手にするに足らないからではなくって、むしろ相手にするのがこわいからのように思われた。そこに平岡の癪《しやく》はあった。衝突しかけたことも一度や二度ではない。
けれども、時日を経過するにしたがって、肝《かん》癪《しやく》がいつとなく薄らいできて、しだいに自分の頭が、周囲の空気と融和するようになった。またなるべくは、融和するようにつとめた。それにつれて、支店長の自分に対する態度もだんだん変わってきた。時々は向こうから相談をかけることさえある。すると学校を出たての平岡でないから、先方《むこう》にわからない。かつ都合のわるいことはなるべく言わないようにしておく。
「むやみにお世辞を使ったり、胡《ご》麻《ま》をするのとは違うが」と平岡はわざわざ断わった。代助はまじめな顔をして、「そりゃむろんそうだろう」と答えた。
支店長は平岡の未来のことについて、いろいろ心配してくれた。近いうちに本店に帰る番にあたっているから、その時はいっしょに来たまえなどと冗談半分に約束までした。そのころは事務にも慣れるし、信用も厚くなるし、交際もふえるし、勉強をする暇が自然となくなって、また勉強がかえって実務の妨げをするように感ぜられてきた。
支店長が、自分に万事を打ち明けるごとく、自分は自分の部下の関《せき》という男を信任して、いろいろと相談相手にしておった。ところがこの男がある芸《げい》妓《しや》とかかわりあって、いつの間にか会計に穴をあけた。それが暴露したので、本人はむろん解雇しなければならないが、ある事情からして、放っておくと、支店長にまで多少の煩《わずら》いが及んできそうだったから、そこで自分が責めを引いて辞職を申し出た。
平岡の語るところは、ざっとこうであるが、代助には彼が支店長から因果を含められて、所決をうながされたようにも聞こえた。それは平岡の話の末に「会社員なんてものは、上になればなるほどうまいことができるものでね。実は関なんて、あれっぱかりの金を使い込んで、すぐ免職になるのは気の毒なくらいなものさ」という句があったのから推したのである。
「じゃ支店長はいちばんうまいことをしているわけだね」と代助が聞いた。
「あるいはそんなものかもしれない」と平岡は言葉を濁してしまった。
「それでその男の使い込んだ金はどうした」
「千に足らない金だったから、僕が出しておいた」
「よくあったね。君もだいぶうまいことをしたと見える」
平岡は苦い顔をして、じろりと代助を見た。
「うまいことをしたと仮定しても、みんな使ってしまっている。生活《くらし》にさえ足りないくらいだ。その金は借りたんだよ」
「そうか」と代助は落ちつき払って受けた。代助はどんな時でも平生の調子を失わない男である。そうしてその調子には低く明かなうちに一種の丸味が出ている。
「支店長から借りて埋めておいた」
「なぜ支店長がじかにその関とかなんとかいう男に貸してやらないのかな」
平岡はなんとも答えなかった。代助も押しては聞かなかった。二人は無言のまましばらくのあいだ並んで歩いて行った。
代助は平岡が語ったよりほかに、まだなにかあるにちがいないと鑑定した。けれども彼はもう一歩進んであくまでその真相を研究するほどの権利をもっていないことを自覚している。またそんな好奇心を引き起こすには、実際あまり都会化しすぎていた。二十世紀の日本に生息する彼は、三十になるか、ならないのにすでにnil admirari《ニルアドミラリ*》 の域に達してしまった。彼の思想は、人間の暗黒面にであってびっくりするほどの山出しではなかった。彼の神経はかように陳腐な秘密をかいでうれしがるように退屈を感じてはいなかった。いな、これより幾倍か快い刺激でさえ、感受するを甘んぜざるくらい、一面から言えば、困《こん》憊《ばい》していた。
代助は平岡のそれとはほとんど縁故のない自家特有の世界の中で、もうこれほどに進化――進化の裏面を見ると、いつでも退化であるのは、古今を通じて悲しむべき現象だが――していたのである。それを平岡はまったく知らない。代助をもって、依然として旧態を改めざる三年前《ぜん》の初《う》心《ぶ》と見ているらしい。こういうお坊っちゃんに、洗いざらい自分の弱点を打ち明けては、いたずらに馬《ま》糞《ぐそ》を投げて、お嬢さまを驚かせると同結果に陥りやすい。よけいなことをして愛《あい》想《そ》を尽かされるよりは黙っているほうが安全だ。――代助には平岡の腹がこう取れた。それで平岡が自分に返事もせずに無言で歩いて行くのが、なんとなく馬鹿らしく見えた。平岡が代助を子供視する程度において、あるいはそれ以上の程度において、代助は平岡を子供視しはじめたのである。けれども両人《ふたり》が十五、六間過ぎて、また話をやりだした時は、どちらにも、そんな痕《こん》迹《せき》はさらになかった。最初に口を切ったのは代助であった。
「それで、これからさきどうするつもりかね」
「さあ」
「やっぱり今までの経験もあるんだから、同じ職業がいいかもしれないね」
「さあ。事情次第だが。実はゆっくり君に相談してみようと思っていたんだが。どうだろう、君の兄さんの会社のほうに口はあるまいか」
「うん、頼んでみよう、二、三日内に家へ行く用があるから。しかしどうかな」
「もし、実業のほうがだめなら、どっか新聞へでもはいろうかと思う」
「それもいいだろう」
両人はまた電車の通る通りへ出た。平岡は向こうから来た電車の軒を見ていたが、突然これに乗って帰ると言いだした。代助はそうかと答えたまま、留めもしない、といってすぐわかれもしなかった。赤い棒の立っている停留所まで歩いて来た。そこで、
「三《み》千《ち》代《よ》さんはどうした」と聞いた。
「ありがとう、まあ相変わらずだ。君によろしく言っていた。実は今日連れて来《き》ようと思ったんだけれども、なんだか汽車に揺れたんで頭が悪いというから宿屋へ置いて来た」
電車が二人の前で留まった。平岡は二、三歩早足に行きかけたが、代助から注意されてやめた。彼の乗るべき車はまだ着かなかったのである。
「子供は惜しいことをしたね」
「うん。可《か》哀《あい》想《そう》なことをした。その節はまた御丁寧にありがとう。どうせ死ぬくらいなら生まれないほうがよかった」
「その後はどうだい。まだ後はできないか」
「うん、まだにもなんにも、もうだめだろう。身体《からだ》があんまりよくないものだからね」
「こんなに動く時は子供のないほうがかえって便利でいいかもしれない」
「それもそうさ。いっそ君のように一《ひと》人《り》身《み》なら、なおのこと、気楽でいいかもしれない」
「一人身になるさ」
「冗談言ってら――それよりか、妻《さい》がしきりに、君はもう奥さんを持ったろうか、まだだろうかって気にしていたぜ」
ところへ電車が来た。
代助の父は長《なが》井《い》得《とく》といって、御《ご》維《いつ》新《しん》のとき、戦争《*》 に出た経験のあるくらいな老人であるが、今でもしごく達者に生きている。役人をやめてから、実業界にはいって、なにかかにかしているうちに、自然と金がたまって、この十四、五年来はだいぶんの財産家になった。
誠《せい》吾《ご》という兄がある。学校を卒業してすぐ、父の関係している会社へ出たので、今ではそこで重要な地位を占めるようになった。梅《うめ》子《こ》という夫人に、二人の子供ができた。兄は誠《せい》太《た》郎《ろう》といって十五になる。妹《いもと》は縫《ぬい》といって三つ違いである。
誠吾のほかに姉がまだ一人あるが、これはある外交官に嫁《とつ》いで、今は夫とともに西洋にいる。誠吾とこの姉の間にもう一人、それからこの姉と代助の間にも、まだ一人兄弟があったけれども、それは二人とも早く死んでしまった。母も死んでしまった。
代助の一家はこれだけの人数からできあがっている。そのうちで外へ出ているものは、西洋に行った姉と、近ごろ一戸を構えた代助ばかりだから、本家には大小合わせて五人残るわけになる。
代助は月に一度は必ず本家へ金をもらいに行く。代助は親の金とも、兄の金ともつかぬものを使って生きている。月に一度のほかにも、退屈になれば出かけて行く。そうして子供にからかったり、書生と五目並べをしたり、嫂《あによめ》と芝居の評をしたりして帰って来る。
代助はこの嫂を好いている。この嫂は、天《てん》保《ぽう》調《ちよう*》 と明治の現代調を、ようしゃなく継ぎ合わせたような一種の人物である。わざわざフランスにいる義《いも》妹《うと》に注文して、むずかしい名のつく、すこぶる高価な織物を取り寄せて、それを四、五人で裁って、帯に仕立てて着てみたりなにかする。あとで、それは日本から輸出したものだということがわかって大笑いになった。三越陳列所《*》 へ行って、それを調べて来たものは代助である。それから西洋の音楽が好きで、よく代助に誘い出されて聞きに行く。そうかと思うと易《うら》断《ない》に非常な興味をもっている。石《せき》龍《りゆう》子《し*》 と尾《お》島《じま》某《なにがし》を大いに崇拝する。代助も二、三度お相伴に、俥《くるま》で易者のもとまでくっついて行ったことがある。
誠太郎という子は近ごろベースボールに熱中している。代助が行って時々球《たま》を投げてやることがある。彼は妙な希望を持った子供である。毎年夏のはじめに、多くの焼き芋屋が俄《が》然《ぜん》として氷水屋に変化するとき、第一番に馳《か》けつけて、汗も出ないのに、アイスクリームを食うものは誠太郎である。アイスクリームがないときには、氷水で我《が》慢《まん》する。そうして得意になって帰って来る。近ごろでは、もし相撲《すもう》の常設館ができたら《*》 、いちばん先へはいってみたいと言っている。叔《お》父《じ》さん誰か相撲を知りませんかと代助に聞いたことがある。
縫という娘は、なにか言うと、よくってよ、知らないわと答える。そうして日になんべんとなくリボンをかけかえる。近ごろはバイオリンの稽《けい》古《こ》に行く。帰って来ると、鋸《のこぎり》の目立てのような声を出しておさらいをする。ただし人が見ているとけっしてやらない。室《へや》をしめきって、きいきいいわせるのだから、親はかなり上《じよ》手《うず》だと思っている。代助だけが時々そっと戸をあけるので、よくってよ、知らないわとしかられる。
兄はたいてい不在がちである。ことに忙がしい時になると、家で食うのは朝食ぐらいなもので、あとはどうして暮らしているのか、二人の子供にはまったくわからない。同程度において代助にもわからない。これはわからないほうが好ましいので、必要のないかぎりは、兄の日《にち》々《にち》の戸外生活についてけっして研究しないのである。
代助は二人の子供にたいへん人望がある。嫂にもかなりある。兄には、あるんだか、ないんだかわからない。たまに兄と弟《おとと》が顔を合わせると、ただ浮世話をする。双方とも普通の顔で、大いに平気でやっている。陳腐に慣れ抜いた様子である。
代助のもっともこたえるのは親《おや》爺《じ》である。いい年をして、若い妾《めかけ》を持っているが、それは構わない。代助から言うとむしろ賛成なくらいなもので、彼は妾を置く余裕のないものに限って、蓄《ちく》妾《しよう》の攻撃をするんだと考えている。親爺はまただいぶのやかまし屋《や》である。子供のうちは心魂に徹して困却したことがある。しかし成人の今日では、それにもべつだん辟《へき》易《えき》する必要を認めない。ただこたえるのは、自分の青年時代と、代助の現今とを混同して、両方ともたいした変わりはないと信じていることである。それだから、自分のむかし世に処した時の心がけでもって、代助もやらなくっては、嘘《うそ》だという論理になる。もっとも代助のほうでは、なにが嘘ですかと聞き返したことがない。だからけっして喧《けん》嘩《か》にはならない。代助は子供のころ非常な肝《かん》癪《しやく》持《もち》で十八、九の時分親爺と組み打ちをしたことが一、二へんあるくらいだが、成長して学校を卒業して、しばらくすると、この肝癪がぱたりとやんでしまった。それから以後ついぞ怒《おこ》ったためしがない。親爺はこれを自分の薫育の効果と信じてひそかに誇っている。
実際をいうと親爺のいわゆる薫育は、この父子の間に纏《てん》綿《めん》する暖かい情味をしだいに冷却せしめただけである。少なくとも代助はそう思っている。ところが親爺の腹のなかでは、それがまったく反《あべ》対《こべ》に解釈されてしまった。なにをしようと血肉の親子である。子が親に対する天賦の情合いが、子を取り扱う方法のいかんによって変わるはずがない。教育のため、少しの無理はしようとも、その結果はけっして骨肉の恩愛に影響を及ぼすものではない。儒教の感化を受けた親爺は、かたくこう信じていた。自分が代助に存在を与えたという単純な事実が、あらゆる不快苦痛に対して、永久愛情の保証になると考えた親爺は、その信念をもって、ぐんぐん押して行った。そうして自分に冷淡な一個の息《むす》子《こ》を作りあげた。もっとも代助の卒業前後からはその待遇法もだいぶ変わってきて、ある点からいえば、驚くほど寛大になったところもある。しかしそれは代助が生まれ落ちるやいなや、この親爺が代助に向かって作ったプログラムの一部分の遂行にすぎないので、代助の心意の変移を見抜いた適宜の処置ではなかったのである。自分の教育が代助に及ぼした悪結果に至っては、今に至ってまったく気がつかずにいる。
親爺は戦争に出たのをすこぶる自慢にする。ややもすると、お前などはまだ戦争をしたことがないから、度胸がすわらなくっていかんと一概にけなしてしまう。あたかも度胸が人間至上な能力であるかのごとき言い草である。代助はこれを聞かせられるたんびにいやな心持ちがする。胆力は命のやり取りのはげしい、親爺の若いころのような野蛮時代にあってこそ、生存に必要な資格かもしれないが、文明の今日からいえば、古風な弓術撃剣の類《たぐい》と大差はない道具と、代助は心得ている。いな、胆力とは両立しえないで、しかも胆力以上にありがたがってしかるべき能力がたくさんあるように考えられる。お父《とう》さんからまた胆力の講釈を聞いた。お父さんのように言うと、世の中で石地蔵がいちばん偉いことになってしまうようだねと言って、嫂《あによめ》と笑ったことがある。
こういう代助はむろん臆《おく》病《びよう》である。またで臆病恥ずかしいという気は心《しん》から起こらない。ある場合には臆病をもって自任したくなるくらいである。子供の時、親爺の使《し》嗾《そう*》 で、夜中にわざわざ青山の墓地まで出掛けたことがある。気味のわるいのを我慢して一時間もいたら、たまらなくなって、まっ青な顔をして家へ帰って来た。その折りは自分でも残念に思った。あくる朝親爺に笑われたときは、親爺が憎らしかった。親爺の言うところによると、彼と同時代の少年は、胆力修養のため、夜半に結束して、たった一人、お城の北一里にある剣《つるぎ》が峰《みね》の天《てつ》頂《ぺん》まで登って、そこの辻《つじ》堂《どう》で夜明かしをして、日の出を拝んで帰ってくる習慣であったそうだ。今の若いものとは心得方からして違うと親爺が批評した。
こんなことをまじめに口にした、また今でも口にしかねまじき親爺は気の毒なものだと、代助は考える。彼は地震がきらいである。瞬間の動揺でも胸に波が打つ。あるときは書斎でじっとすわっていて、なにかの拍子に、ああ地震が遠くから寄せて来るなと感ずることがある。すると、尻《しり》の下に敷いている座《ざ》蒲《ぶ》団《とん》も、畳も、ないし床板も明らかに震えるように思われる。彼はこれが自分の本来だと信じている。親爺のごときは、神経未熟の野人か、しからずんばおのれを偽わる愚者としか代助には受け取れないのである。
代助は今この親爺と対座している。廂《ひさし》の長い小さな部《へ》屋《や》なので、いながら庭を見ると、廂の先で庭が仕切られたような感がある。少なくとも空は広く見えない。その代わり静かで、落ちついて、尻のすわり具合が好い。
親爺は刻《きざ》み煙草をふかすので、手のある長い煙草盆を前へ引きつけて、時々灰《はい》吹《ふき》をぽんぽんとたたく。それが静かな庭へ響いて好い音がする。代助のほうは金《きん》の吸い口を四、五本手《て》焙《あぶ》りの中へ並べた。もう鼻からけむを出すのがいやになったので、腕組みをして親爺の顔をながめている。その顔には年のわりに肉が多い。それでいて頬はこけている。濃い眉《まゆ》の下に目の皮がたるんで見える。髭《ひげ》はまっしろといわんよりは、むしろ黄色である。そうして、話をするときに相手の膝《ひざ》頭《がしら》と顔とを半々に見《み》くらべる癖がある。その時の目の動かし方で、白目がちょっとちらついて、相手に妙な心持ちをさせる。
老人は今こんなことを言っている。――
「そう人間は自分だけを考えるべきではない。世の中もある。国家もある。少しは人のためになにかしなくっては心持ちのわるいものだ。お前だって、そう、ぶらぶらしていて心持ちのいいはずはなかろう。そりゃ、下等社会の無教育なものなら格別だが、最高の教育を受けたものが、けっして遊んでいておもしろい理由がない。学んだものは、実地に応用してはじめて趣味が出るものだからな」
「そうです」と代助は答えている。親爺から説法されるたんびに、代助は返答に窮するからいいかげんなことを言う習慣になっている。代助に言わせると、親爺の考えは、万事中《ちゆう》途《と》半《はん》端《ぱ》に、あるものをひとりがってに断定してから出立するんだから、毫《ごう》も根本的の意義を有していない。しかのみならず、今利他本位でやっているかと思うと、いつの間にか利己本位に変わっている。言葉だけは滾《こん》々《こん》として、もったいらしく出るが、要するに端《たん》倪《げい》すべからざる空談である。それを基礎から打ちくずしてかかるのはたいへんな難事業だし、また畢《ひつ》竟《きよう》できない相談だから、初めよりなるべくさわらないようにしている。ところが親爺のほうでは代助をもってむろん自己の太陽系に属すべきものと心得ているので、自己はあくまでも代助の軌道を支配する権利があると信じて押してくる。そこで代助もやむをえず親爺という老太陽の周囲を、行儀よく回転するように見せている。
「それは実業がいやならいやでいい。なにも金をもうけるだけが日本のためになるともかぎるまいから。金は取らんでもかまわない。金のためにとやかく言うとなると、お前も心持ちがわるかろう。金は今までどおりおれが補助してやる。おれも、もういつ死ぬかわからないし、死にゃ金を持って行くわけにもいかないし。月々お前の生計《くらし》ぐらいどうでもしてやる。だから奮発してなにかするが好い。国民の義務としてするが好い。もう三十だろう」
「そうです」
「三十になって遊民として、のらくらしているのは、いかにも不体裁だな」
代助はけっしてのらくらしているとは思わない。ただ職業のためにけがされない内容の多い時間を有する、上等人種と自分を考えているだけである。親爺がこんなことを言うたびに、実は気の毒になる。親爺の幼稚な頭脳には、かく有意義に月日を利用しつつある結果が、自己の思想情操のうえに、結晶して吹き出しているのが、まったく映らないのである。しかたがないから、まじめな顔をして、
「ええ、困ります」と答えた。老人は頭から代助を小僧視しているうえに、その返事がいつでも幼《おさな》気《げ》を失わない、簡単な、世《しよ》帯《たい》離《ばな》れをした文句だものだから、馬鹿にするうちにも、どうも坊っちゃんは成人してもしようがない、困ったものだという気になる。そうかと思うと、代助の口調がいかにも平気で、冷静で、はにかまず、もじつかず、尋常きわまっているので、こいつは手のつけようがないという気にもなる。
「身体《からだ》は丈夫だね」
「二、三年このかた風《か》邪《ぜ》を引いたこともありません」
「頭も悪いほうじゃないだろう。学校の成績もかなりだったんじゃないか」
「まあそうです」
「それで遊んでいるのはもったいない。あのなんとか言ったね、そらお前のところへよく話に来た男があるだろう。おれも一、二度あったことがある」
「平岡ですか」
「そう平岡。あの人なぞは、あまりできのいいほうじゃなかったそうだが、卒業すると、すぐどこかへ行ったじゃないか」
「その代《か》わり失敗《しくじ》って、もう帰って来ました」
老人は苦笑を禁じえなかった。
「どうして」と聞いた。
「つまり食うために働くからでしょう」
老人にはこの意味がよくわからなかった。
「なにかおもしろくないことでもやったのかな」と聞き返した。
「その場合場合で当然のことをやるんでしょうけれども、その当然がやっぱり失《しく》敗《じり》になるんでしょう」
「はああ」と気の乗らない返事をしたが、やがて調子をかえて、説き出した。
「若い人がよく失《しく》敗《じる》というが、まったく誠実と熱心が足りないからだ。おれも多年の経験で、この年になるまでやって来たが、どうしてもこの二つがないと成功しないね」
「誠実と熱心があるために、かえってやり損《そこな》うこともあるでしょう」
「いや、まずないな」
親爺の頭の上に、誠《まこと》者《は》天《てん》之《の》道《みち》也《なり》という額が麗《れい》々《れい》と掛けてある。先代の旧藩主に書いてもらったとか言って、親爺はもっとも珍重している。代助はこの額がはなはだきらいである。第一字がいやだ。そのうえ文句が気にくわない。誠は天の道なりのあとへ、人の道にあらずとつけ加えたいような心持ちがする。
そのむかし藩の財政が疲弊して、始末がつかなくなった時、整理の任に当った長井は、藩侯に縁故のある町人を二、三人呼び集めて、刀を脱いでその前に頭を下げて、彼らに一時の融通を頼んだことがある。もとより返せるか、返せないか、わからなかったんだから、わからないとまっすぐに自白して、それがためにその時成功した。その因縁でこの額を藩主に書いてもらったんである。爾《じ》来《らい》長井はいつでも、これを自分の居間に掛けて朝《ちよう》夕《せき》ながめている。代助はこの額の由来をなんべん聞かされたかしれない。
今から十五、六年前に、旧藩主の家で、月々の支出がかさんできて、せっかく持ち直した経済がまたくずれだした時にも、長井は前年の手腕によって、再度の整理を委託された。その時長井は自分で風《ふ》呂《ろ》の薪《まき》を焚《た》いてみて、実際の消費高と帳面づらの消費高との差違から調べにかかったが、終日終夜このことだけに精魂を打ち込んだ結果は、約一か月内に立派な方法を立てうるに至った。それより以後藩主の家では比較的豊かな生計《くらし》をしている。
こういう過去の歴史を持っていて、この過去の歴史以外には、一歩も踏み出して考えることをあえてしない長井は、なんによらず、誠実と熱心へ持って行きたがる。
「お前は、どういうものか、誠実と熱心が欠けているようだ。それじゃいかん。だからなんにもできないんだ」
「誠実も熱心もあるんですが、ただ人事上に応用できないんです」
「どういうわけで」
代助はまた返答に窮した。代助の考えによると、誠実だろうが、熱心だろうが、自分が出来合いのやつを胸に蓄えているんじゃなくって、石と鉄と触れて火花の出るように、相手次第で摩擦の具合がうまくゆけば、当事者二人の間に起こるべき現象である。自分の有する性質というよりはむしろ精神の交換作用である。だから相手が悪くっては起こりようがない。
「お父さんは論語だの、王《おう》陽《よう》明《めい*》 だのという、金の延《のべ》金《がね》をのんでいらっしゃるから、そういうことをおっしゃるんでしょう」
「金の延金とは」
代助はしばらく黙っていたが、ようやく、
「延金のまま出て来るんです」と言った。長井は、書物癖のある、偏屈な、世慣れしない若輩のいいたがる不得要領の警句として、好奇心のあるにもかかわらず、取り合うことをあえてしなかった。
それから約四十分ほどして、老人は着物を着換えて、袴《はかま》をはいて、俥《くるま》に乗って、どこかへ出て行った。代助も玄関まで送って出たが、また引き返して客間の戸をあけて中へはいった。これは近ごろになって建て増した西洋作りで、内部の装飾その他の大部分は、代助の意匠にもとづいて、専門家へ注文してできあがったものである。ことに欄間の周囲に張った模様画は、自分の知り合いのさる画家に頼んで、いろいろ相談のあげくに成ったものだから、ことさら興味が深い。代助は立ちながら、画《え》巻《まき》物《もの》を展開したような、横長の色彩をながめていたが、どういうものか、この前来て見た時よりは、いたく見劣りがする。これでは頼もしくないと思いながら、なお局部局部に目をつけて吟味していると、突然嫂《あによめ》がはいって来た。
「おや、ここにいらっしゃるの」と言ったが、「ちょいとそこいらに私の櫛《くし》が落ちていなくって」と聞いた。櫛はソーファの足の所にあった。昨日縫《ぬい》子《こ》に貸してやったら、どこかへなくしてしまったんで、探しに来たんだそうである。両手で頭をおさえるようにして、櫛を束髪の根《ね》方《がた》へ押しつけて、上《うわ》目《め》で代助を見ながら、
「相変わらずぼんやりしてるじゃありませんか」とからかった。
「お父さんからお談義を聞かされちまった」
「また? よくしかられるのね。お帰りそうそう、ずいぶん気がきかないわね。しかし貴方《あなた》もあんまり、よかないわ。ちっともお父さんの言うとおりになさらないんだもの」
「お父さんの前で議論なんかしやしませんよ。万事控え目におとなしくしているんです」
「だからなお始末が悪いのよ。なにか言うと、へいへいって、そうして、ちっとも言うことを聞かないんだもの」
代助は苦笑して黙ってしまった。梅《うめ》子《こ》は代助の方へ向いて、椅《い》子《す》へ腰をおろした。背《せい》のすらりとした、色の浅黒い、眉《まゆ》の濃い、唇《くちびる》の薄い女である。
「まあ、おかけなさい。少し話し相手になってあげるから」
代助はやっぱり立ったまま、嫂の姿を見守っていた。
「今日は妙な半《はん》襟《えり》をかけてますね」
「これ?」
梅子は顎《あご》を縮めて、八の字を寄せて、自分の襦《じゆ》袢《ばん》の襟を見ようとした。
「こないだ買ったの」
「好い色だ」
「まあ、そんなことは、どうでもいいから、そこへおかけなさいよ」
代助は嫂の真正面へ腰をおろした。
「へえかけました」
「いったい今日はなにをしかられたんです」
「なにをしかられたんだか、あんまり要領を得ない。しかしお父さんの国家社会のために尽くすには驚いた。なんでも十八の年から今日までのべつに尽くしてるんだってね」
「それだから、あのくらいにお成りになったんじゃありませんか」
「国家社会のために尽くして、金がお父さんぐらいもうかるなら、僕も尽くしても好い」
「だから遊んでないで、お尽くしなさいな。あなたは寝ていてお金を取ろうとするから狡《こう》猾《かつ》よ」
「お金を取ろうとしたことは、まだありません」
「取ろうとしなくっても、使うからおんなじじゃありませんか」
「兄さんがなんとか言ってましたか」
「兄さんはあきれてるから、なんとも言やしません」
「ずいぶん猛烈だな。しかしお父さんより兄さんのほうが偉いですね」
「どうして。――あらにくらしい、またあんなお世辞を使って。あなたはそれが悪いのよ。まじめな顔をしてひとを茶化すから」
「そんなもんでしょうか」
「そんなもんでしょうかって、ひとのことじゃあるまいし。少しゃ考えて御覧なさいな」
「どうもここへ来ると、まるで門野とおんなじようになっちまうから困る」
「門野ってなんです」
「なにうちにいる書生ですがね。人になにか言われると、きっとそんなもんでしょうか、とか、そうでしょうか、とか答えるんです」
「あの人が? よっぽど妙なのね」
代助はちょっと話をやめて、梅子の肩越しに、窓掛けの間から、きれいな空を透かすように見ていた。遠くに大きな樹《き》が一本ある。薄茶色の芽を全体に吹いて、柔らかい梢《こずえ》のはじが天につづくところは、糠《ぬか》雨《あめ》でぼかされたのごとくにかすんでいる。
「いい気候になりましたね。どこかお花見にでも行きましょうか」
「行きましょう。行くからおっしゃい」
「なにを」
「お父さまから言われたことを」
「言われたことはいろいろあるんですが、秩序立ててくり返すのは困るですよ。頭が悪いんだから」
「まだそらっとぼけていらっしゃる。ちゃんと知ってますよ」
「じゃ、伺いましょうか」
梅子は少しつんとした。
「貴方は近ごろよっぽど減らず口が達者におなりね」
「なに、姉《ねえ》さんが辟《へき》易《えき》するほどじゃない。――時に今日《きよう》はたいへん静かですね。どうしました、子供たちは」
「子供は学校です」
十六、七の小間使いが戸をあけて顔を出した。あの、旦《だん》那《な》様《さま》が、奥様にちょっと電話口までと取り次いだなり、黙って梅子の返事を待っている。梅子はすぐ立った。代助も立った。つづいて客間を出ようとすると、梅子は振り向いた。
「あなたは、そこにいらっしゃい。少し話があるから」
代助には嫂のこういう命令的の言葉がいつでもおもしろく感ぜられる。御ゆっくりと見送ったまま、また腰をかけて、ふたたび例の画《え》をながめだした。しばらくすると、その色が壁の上に塗りつけてあるのでなくって、自分の眼《め》球《だま》の中から飛び出して、壁の上へ行って、べたべたくっつくように見えてきた。しまいには眼球から色を出す具合一つで、向こうにある人物樹木が、こちらの思いどおりに変化できるようになった。代助はかくして、下《へ》手《た》な個所個所をことごとく塗りかえて、とうとう自分の想像しうるかぎりのもっとも美しい色彩に包囲されて、恍《こう》惚《こつ》とすわっていた。ところへ梅子が帰って来たので、たちまち当たり前の自分にもどってしまった。
梅子の用事というのを改まって聞いてみると、また例の縁談のことであった。代助は学校を卒業するまえから、梅子のおかげで写真実物いろいろな細君の候補者に接した。けれども、いずれも不合格者ばかりであった。初めのうちは体裁のいい逃げ口《こう》上《じよう》で断わっていたが、二年ほど前からは、急にずうずうしくなって、きっと相手にけちをつける。口と顎の角度が悪いとか、目の長さが顔の幅に比例しないとか、耳の位置がまちがってるとか、必ず妙な非難を持ってくる。それがことごとく尋常な言い草でないので、しまいには梅子も少々考えだした。これは畢竟世話を焼きすぎるから、つけあがって、人を困らせるのだろう。当分うっちゃっておいて、向こうから頼み出させるに若《し》くはない。と決心して、それからは縁談のことをついぞ口にしなくなった。ところが本人はいっこう困った様子もなく、依然として海のものとも、山のものとも見当がつかない態度で今日まで暮らしてきた。
そこへ親爺がはなはだ因縁の深いある候補者を見つけて、旅行先から帰った。梅子は代助の来る二、三日前に、その話を親爺から聞かされたので、今日の会談は必ずそれだろうと推《すい》したのである。しかし代助は実際老人から結婚問題については、この日なんにも聞かなかったのである。老人はあるいはそれを披《ひ》露《ろう》する気で、呼んだのかもしれないが、代助の態度を見て、もう少し控えておくほうが得策だという料《りよう》簡《けん》を起こした結果、わざと話題を避けたとも取れる。
この候補者に対して代助は一種特殊な関係をもっていた。候補者の姓は知っている。けれども名は知らない。年齢、容《よう》貌《ぼう》、教育、性質に至ってはまったく知らない。なぜその女が候補者に立ったという因縁になるとまたよく知っている。
代助の父には一人の兄があった。直《なお》記《き》といって、父とはたった一つ違いの年上だが、父よりは小《こ》柄《がら》なうえに、顔つき目鼻立ちが非常に似ていたものだから、知らない人には往々双《ふた》子《ご》と間違えられた。そのおりは父も得《とく》とは言わなかった。誠《せい》之《の》進《しん》という幼名で通っていた。
直記と誠之進とは外貌のよく似ていたごとく、気《き》質《だて》もほんとうの兄弟であった。両方にさしつかえのあるときは特別、都合さえつけば、同じところにくっつき合って、同じことをして暮らしていた。稽《けい》古《こ》も同時同刻にゆきかえりをする。読書にも一つ燈《とも》火《しび》を分かったくらい親しかった。
ちょうど直記の十八の秋であった。ある時二人は城下はずれの等《とう》覚《かく》寺《じ》という寺へ親の使いに行った。これは藩主の菩《ぼ》提《だい》寺《じ》で、そこにいる楚《そ》水《すい》という坊さんが、二人の親とは昵《じつ》近《こん》なので、用の手紙を、この楚水さんに渡しに行ったのである。用は囲碁の招待かなにかで返事にも及ばないほど簡略なものであったが、楚水さんにとめられて、いろいろ話しているうちに遅くなって、日の暮れる一時間ほど前にようやく寺を出た。その日はなにか祭のあるおりで、市中はだいぶ雑《ざつ》沓《とう》していた。二人は群集のなかを急いで帰る拍子に、ある横町を曲がろうとするかどで、川向かいの方《ほう》限《ぎ》りの某《なにがし》というものに突き当たった。この某と二人とは、かねてから仲が悪かった。その時某はだいぶ酒気を帯びていたと見えて、二言三言いい争ううちに刀を抜いて、いきなり斬《き》りつけた。斬りつけられたほうは兄であった。やむをえずこれも腰の物を抜いて立ち向かったが、相手は平生からきわめて評判のわるい乱暴ものだけあって、酩《めい》酊《てい》しているにもかかわらず、強かった。黙っていれば兄のほうが負ける。そこで弟《おとと》も刀を抜いた。そうして二人でめちゃくちゃに相手を斬り殺してしまった。
そのころの習慣として、侍が侍を殺せば、殺したほうが、切腹をしなければならない。兄弟はその覚悟で家へ帰って来た。父も二人を並べておいて順々に自分で介《かい》錯《しやく》をする気であった。ところが母があやにく《*》 祭で知《ちか》己《づき》の家へ呼ばれて留守である。父は二人に切腹をさせるまえ、もう一ぺん母にあわしてやりたいという人情から、すぐ母を迎いにやった。そうして母の来る間、二人に訓戒を加えたり、あるいは切腹する座敷の用意をさせたりなるべくぐずぐずしていた。
母の客に行っていたところは、その遠縁にあたる高木という勢力家であったので、たいへん都合がよかった。というのは、そのころは世の中の動きかけた当時で、侍の掟《おきて》も昔のようには厳重に行なわれなかった。ことさら殺された相手は評判の悪い無頼の青年であった。ので高木は母とともに長井の家へ来て、なにぶんの沙《さ》汰《た》が公《おもて》向《む》きからあるまでは、当分そのままにして、手をつけずにおくようにと、父をさとした。
高木はそれから奔走を始めた。そして第一に家老を説きつけた。それから家老を通して藩主を説きつけた。殺された某の親はまた、存外訳のわかった人で、平生からせがれの行跡の良くないのを苦に病んでいたのみならず、斬りつけた当時も、こっちから狼《ろう》藉《ぜき》をしかけたと同然であるということが明《めい》瞭《りよう》になったので、兄弟を寛大に処分する運動についてはべつだんの苦情も持ち出さなかった。兄弟はしばらく一間の内に閉じこもって、謹慎の意を表して後、二人とも人知れず家を捨てた。
三年の後兄は京都で浪士に殺された。四年目に天下が明治となった。また五、六年してから、誠之進は両親を国元から東京へ呼び寄せた。そうして妻を迎えて、得《とく》という一字名になった。その時は自分の命を助けてくれた高木はもう死んで、養子の代になっていた。東京へ出て仕官の方法でも講じたらと思っていろいろ勧めてみたが応じなかった。この養子に子供が二人あって、男のほうは京都へ出て同志社へはいった。そこを卒業してから、長らくアメリカにおったそうだが、今では神戸で実業に従事して、相当の資産家になっている。女のほうは県下の多額納税者のところへ嫁に行った。代助の細君の候補者というのはこの多額納税者の娘である。
「たいへん込み入っているのね。私驚いちまった」と嫂が代助に言った。
「お父さんから何べんも聞いてるじゃありませんか」
「だって、いつもはお嫁の話が出ないから、いいかげんに聞いてるのよ」
「佐《さ》川《がわ》にそんな娘があったのかな。僕もちっとも知らなかった」
「おもらいなさいよ」
「賛成なんですか」
「賛成ですとも。因縁つきじゃありませんか」
「先祖のこしらえた因縁よりも、まだ自分のこしらえた因縁でもらうほうがもらいいいようだな」
「おや、そんなものがあるの」
代助は苦笑して答えなかった。
代助は今読み切ったばかりの薄い洋書を机の上にあけたまま、両《りよう》肱《ひじ》を突いてぼんやり考えた。代助の頭は最後の幕でいっぱいになっている。――遠くの向こうに寒そうな樹《き》が立っているうしろに、二つの小さな角燈が音もなくゆらめいて見えた。絞首台はそこにある。刑人は暗い所に立った。木《く》履《つ》を片足なくなした、寒いと一人が言うと、なにを? と一人が聞き直した。木履をなくなして寒いと前のものが同じことをくり返した。Mはどこにいると誰か聞いた。ここにいると誰か答えた。樹の間に大きな、白いような、平たいものが見える。湿っぽい風がそこから吹いてくる。海だとGが言った。しばらくすると、宣告文を書いた紙と、宣告文を持った、白い手――てぶくろをはめない――を角燈が照らした。読《よ》み上げんでもよかろうという声がした。その声はふるえていた。やがて角燈が消えた。……もうたった一人になったとKが言った。そうして溜《ため》息《いき》をついた。Sも死んでしまった。Wも死んでしまった。Mも死んでしまった。たった一人になってしまった。……
海から日が上がった。彼《かれ》らは死骸を一つの車に積み込んだ。そうして引き出した。長くなった頸《くび》、飛び出した目、唇《くちびる》の上に咲いた、おそろしい花のような血の泡にぬれた舌を積み込んで元の路へ引き返した。……
代助はアンドレーフの「七刑《けい》人《じん》」《*》の最後の模様を、ここまで頭の中でくり返してみて、ぞっと肩をすくめた。こういう時に、彼がもっとも痛切に感ずるのは、万一自分がこんな場に臨んだら、どうしたらよかろうという心配である。考えるととうてい死ねそうもない。といって、むりにも殺されるんだから、いかにも残酷である。彼は生の欲望と死の圧迫の間に、わが身を想像して、未練に両方にいったり来たりする苦《く》悶《もん》を心に描き出しながらじっとすわっていると、背中一面の皮が毛穴ごとにむずむずしてほとんどたまらなくなる。
彼の父は十七のとき、家中の一人を斬《き》り殺して、それがため切腹をする覚悟をしたと自分で常に人に語っている。父の考えでは伯《お》父《じ》の介《かい》錯《しゃく》を自分がして、自分の介錯を祖《じ》父《じ》に頼むはずであったそうだが、よくそんなまねができるものである。父が過去を語るたびに、代助は父をえらいと思うより、不愉快な人間だと思う。そうでなければ嘘《うそ》つきだと思う。嘘つきのほうがまだよっぽど父らしい気がする。
父ばかりではない。祖父についても、こんな話がある。祖父が若い時分、撃剣の同門のなんとかという男が、あまり技芸に達していたところから、ひとのねたみを受けて、ある夜縄《なわ》手《て》道《みち》を城下へ帰る途中で、誰かに斬り殺された。その時第一に馳《か》けつけたものは祖父であった。左の手に提《ちよう》灯《ちん》をかざして、右の手に抜《ぬき》身を持って、その抜身で死骸をたたきながら、軍《ぐん》平《ぺい》しっかりしろ、創《きず》は浅いぞと言ったそうである。
伯父が京都で殺された時は、頭《ず》巾《きん》を着た人間にどやどやと、旅宿《やどや》へ踏み込まれて、伯父は二階の廂《ひさし》から飛び下りるとたん、庭石につまずいて倒れるところを上から、ようしゃなくやられたために顔が膾《なます》のようになったそうである。殺される十日ほどまえ、夜中、合《かつ》羽《ぱ》を着て、傘《かさ》に雪をよけながら、足《あし》駄《だ》がけで、四条から三条へ帰ったことがある。その時旅《や》宿《ど》の二丁ほど手前で突然後《うし》ろから長井直記どのと呼びかけられた。伯父は振り向きもせず、やはり傘を差したまま、旅宿の戸口まで来て、格《こう》子《し》をあけて中へはいった。そうして格子をぴしゃりとしめて、うちから、長井直記は拙者だ。なにか御用か。と聞いたそうである。
代助はこんな話を聞くたびに、勇ましいという気持ちよりも、まずこわいほうが先に立つ。度胸を買ってやる前に、腥《なま》ぐさい臭《にお》いが鼻柱を抜けるようにこたえる。
もし死が可能であるならば、それは発作の絶高頂に達した一瞬にあるだろうとは、代助のかねて期待するところであった。ところが、彼はけっして発作性の男でない。手もふるえる、足もふるえる。声のふるえることや、心臓の飛び上がることは始終である。けれども、激することは近来ほとんどない。激するという心的状態は、死に近づきうる自然の階段で、激するたびに死にやすくなるのは目に見えているから、時には好奇心で、せめて、その近所まで押し寄せてみたいと思うこともあるが、まったくだめである。代助はこのごろの自己を解剖するたびに、五、六年前《ぜん》の自己と、まるで違っているのに驚かずにはいられなかった。
代助は机の上の書物を伏せると立ち上がった。縁側のガラス戸を細目にあけた間から暖かい陽気な風が吹き込んできた。そうして鉢《はち》植《う》えのアマランス《*》 の赤い弁《はなびら》をふらふらとうごかした。日は大きな花の上に落ちている。代助はこごんで、花の中をのぞき込んだ。やがて、ひょろ長い雄《ゆう》蕊《ずい》の頂《いただき》から、花粉を取って、雌《し》蕊《ずい》の先へ持って来て、たんねんに塗りつけた。
「蟻《あり》でもつきましたか」と門野が玄関の方から出て来た。袴《はかま》をはいている。代助はこごんだまま顔を上げた。
「もう行って来たの」
「ええ、行って来ました。なんだそうです。明日お引き移りになるそうです。今日これから上がろうと思ってたところだとおっしゃいました」
「誰が? 平岡が?」
「ええ、――どうもなんですな。だいぶお忙しいようですな。先生たよっぽど違ってますね。――蟻なら種油をおつぎなさい。そうして苦しがって、穴から出て来るところをいちいち殺すんです。なんなら殺しましょうか」
「蟻じゃない。こうして、天気のいい時に、花粉を取って、雌蕊へ塗りつけておくと、今に実がなるんです。暇だから植木屋から聞いたとおり、やってるところだ」
「なあるほど。どうも重宝な世の中になりましたね。――しかし盆栽は好いもんだ。きれいで、楽しみになって」
代助は面《めん》倒《ど》くさいから返事をせずに黙っていた。やがて、
「いたずらもいいかげんによすかな」と言いながら立ち上がって、縁側へすえつけの、籐《と》の安《あん》楽《らく》椅《い》子《す》に腰をかけた。それぎりぽかんとなにか考え込んでいる。門野はつまらなくなったから、自分の玄関わきの三畳敷へ引き取った。障子をあけてはいろうとすると、また縁側へ呼び返された。
「平岡が今日来ると言ったって」
「ええ、来るようなお話でした」
「じゃ待っていよう」
代助は外出を見合わせた。実は平岡のことがこのあいだからだいぶ気にかかっている。
平岡はこの前、代助を訪問した当時、すでに落ちついていられない身分であった。彼自身の代助に語ったところによると、地位の心当たりが二、三か所あるから、さしあたりその方面へ運動してみるつもりなんだそうだが、その二、三か所が今どうなっているか、代助はほとんど知らない。代助のほうから神《じん》保《ぼう》町《ちよう》の宿をたずねたことが二へんあるが、一度は留守であった。一度はおったにはおった。が、洋服を着たまま、部屋の敷居の上に立って、なにかせわしい調子で、細君をきめつけていた。――案内なしに廊下を伝って、平岡の部屋の横へ出た代助には、突然ながら、たしかにそう取れた。その時平岡はちょっと振り向いて、やあ君かと言った。その顔にもようすにも、少しもこころよさそうなところは見えなかった。部屋のなかから顔を出した細君は代助を見て、蒼《あお》白《じろ》い頬《ほお》をぽっと赤くした。代助はなんとなく席につきにくくなった。まあはいれと申しわけに言うのを聞き流して、いやべつだん用じゃない。どうしているかと思ってちょっと来てみただけだ。出かけるならいっしょに出ようと、こっちから誘うようにして表へ出てしまった。
その時平岡は、早く家を探して落ちつきたいが、あんまり忙しいんで、どうすることもできない、たまに宿のものが教えてくれるかと思うと、まだ人が立ちのかなかったり、あるいは今壁を塗ってる最中だったりする。などと、電車へ乗ってわかれるまで諸事苦情ずくめであった。代助も気の毒になって、そんなら家は、宅《うち》の書生に探させよう。なに不景気だから、だいぶあいてるのがあるはずだ。と請け合って帰った。
それから約束どおり門野を探しに出した。出すやいなや、門野はすぐかっこうなのを見つけて来た。門野に案内をさせて平岡夫婦に見せると、たいていよかろうということでわかれたそうだが、家《いえ》主《ぬし》のほうへ責任もあるし、またそこが気に入らなければほかを探す考えもあるからというので、借りるか借りないかはっきりしたところを、門野に、もう一ぺん確かめさしたのである。
「君、家主のほうへは借りるって、断って来たんだろうね」
「ええ、帰りに寄って、明日引っ越すからって、言って来ました」
代助は椅子に腰をかけたまま、新しく二度の世《しよ》帯《たい》を東京に持つ、夫婦の未来を考えた。平岡は三年前新橋でわかれた時とは、もうだいぶ変わっている。彼の経歴は処世の階《はし》子《ご》段《だん》を一、二段で踏みはずしたと同じことである。まだ高いところへのぼっていなかっただけが、幸いといえばいうようなものの、世間の目に映ずるほど、身体《からだ》に打撲を受けていないのみで、その実精神状態にはすでに狂いができている。はじめてあった時、代助はすぐそう思った。けれども、三年間に起こった自分のほうの変化を打算してみて、あるいはこっちの心が向こうに反響を起こしたのではなかろうかと訂正した。が、その後平岡の旅宿へ尋ねて行って、座敷へもはいらないでいっしょに外へ出た時の、ようすから言語動作を目の前に浮かべてみると、どうしてもまた最初の判断にもどらなければならなくなった。平岡はその時顔の中心に一種の神経を寄せていた。風が吹いても、砂が飛んでも、強い刺激を受けそうな眉《まゆ》と眉の継ぎ目を、はばからず、ぴくつかせていた。そうして、口にすることが、内容のいかんにかかわらず、いかにもせわしなく、かつせつなそうに、代助の耳に響いた。代助には、平岡のすべてが、あたかも肺の強くない人の、重苦しい葛《くず》湯《ゆ》の中を片息《*》 で泳いでいるように取れた。
「あんなに、あせって」と、電車へ乗って飛んで行く平岡の姿を見送った代助は、口の内でつぶやいた。そうして旅宿に残されている細君のことを考えた。
代助はこの細君を捕《つら》まえて、かつて奥さんと言ったことがない。いつでも三千代さん三千代さんと、結婚しない前のとおりに、本名を呼んでいる。代助は平岡にわかれてからまた引き返して、旅宿へ行って、三千代さんにあって話をしようかと思った。けれども、なんだか行けなかった。足をとめて思案しても、今の自分には、行くのが悪いという意味はちっとも見いだせなかった。けれども、気がとがめて行かれなかった。勇気を出せば行かれると思った。ただ代助にはこれだけの勇気を出すのが苦痛であった。それで家《うち》へ帰った。その代わり帰っても、落ちつかないような、物足らないような、妙な心持ちがしたので、また外へ出て酒を飲んだ。代助は酒をいくらでも飲む男である。ことにその晩はしたたかに飲んだ。
「あの時は、どうかしていたんだ」と代助は椅子によりながら、比較的冷やかな自己で、自己の影を批判した。
「なにか御用ですか」と門野がまた出て来た。袴《はかま》を脱いで、足《た》袋《び》を脱いで、団子のような素足を出している。代助は黙って門野の顔を見た。門野も代助の顔を見て、ちょっとの間突っ立っていた。
「おや、お呼びになったんじゃないのですか。おや、おや」と言って引っ込んで行った。代助はべつだんおかしいとも思わなかった。
「小《お》母《ば》さん、お呼びになったんじゃないとさ。どうも変だと思った。だから手もなにも鳴らないっていうのに」という言葉が茶の間の方で聞こえた。それから門野と婆《ばあ》さんの笑う声がした。
その時、待ち設けているお客が来た。取り次ぎに出た門野は意外な顔をしてはいって来た。そうして、その顔を代助のそばまで持って来て、先生、奥さんですとささやくように言った。代助は黙って椅子を離れて座敷へはいった。
平岡の細君は、色の白いわりに髪の黒い、細《ほそ》面《おもて》に眉毛《まみえ》のはっきり映る女である。ちょっと見るとどことなくさみしい感じの起こるところだが、古版の浮世絵に似ている。帰京後は色つやがことによくないようだ。はじめて旅宿であった時、代助は少し驚いたくらいである。汽車で長く揺られた疲れが、まだ回復しないのかと思って、聞いてみたら、そうじゃない、始終こうなんだと言われた時は、気の毒になった。
三千代は東京を出て一年目に産をした。生まれた子供はじき死んだが、それから心臓を痛めたと見えて、とかく具合がわるい。初めのうちは、ただ、ぶらぶらしていたが、どうしても、はかばかしくなおらないので、しまいに医者に見てもらったら、よくはわからないが、ことによるとなんとかいうむずかしい名の心臓病かもしれないと言った。もしそうだとすれば、心臓から動脈へ出る血が、少しずつ、あともどりをする難症だから、根治はおぼつかないと宣告されたので、平岡も驚いて、できるだけ養生に手を尽くしたせいか、一年ばかりするうちに、いいあんばいに、元気がめっきりよくなった。色つやもほとんど元のようにさえざえして見える日が多いので、当人もよろこんでいると、帰る一か月ばかり前から、また血色が悪くなりだした。しかし医者の話によると、今度のは心臓のためではない。心臓は、それほど丈夫にもならないが、けっして前よりは悪くなっていない。弁の作用に故障があるものとは、今はけっして認められないという診断であった。――これは三千代がじかに代助に話したところである。代助はその時三千代の顔を見て、やっぱりなにか心配のためじゃないかしらと思った。
三千代は美しい線をきれいに重ねたあざやかな二《ふた》重《え》瞼《まぶた》を持っている。目の恰《かつ》好《こう》は細長いほうであるが、瞳《ひとみ》をすえてじっと物を見るときに、それがなにかの具合でたいへん大きく見える。代助はこれを黒目の働きと判断していた。三千代が細君にならない前、代助はよく、三千代のこういう目づかいを見た。そうして今でもよく覚えている。三千代の顔を頭の中に浮かべようとすると、顔の輪郭が、まだでき上がらないうちに、この黒い、うるんだようにぼかされた目が、ぽっと出て来る。
廊下伝いに座敷へ案内された三千代は今代助の前に腰をかけた。そうしてきれいな手を膝《ひざ》の上にかさねた。下にした手にも指輪をはめている。上にした手にも指輪をはめている。上のは細い金の枠《わく》に比較的大きな真珠を盛った当世風のもので、三年前《ぜん》結婚のお祝いとして代助から贈られたものである。
三千代は顔を上げた。代助は、突然例の目を認めて、思わずまたたきを一つした。
汽車で着いた明《あく》日《るひ》平岡といっしょに来るはずであったけれども、つい気分が悪いので、来そくなってしまって、それからは一人でなくっては来る機会がないので、つい出ずにいたが、今日はちょうど、と言いかけて、句を切って、それから急に思い出したように、このあいだ来てくれた時は、平岡が出かけぎわだったものだから、たいへん失礼してすまなかったというような詫《わ》びをして、「待っていらっしゃればよかったのに」と女らしく愛《あい》想《そ》をつけ加えた。けれどもその調子は沈んでいた。もっともこれはこの女の持《も》ち調《ぢよう》子《し》で、代助はかえってその昔をおもい出した。
「だって、たいへん忙しそうだったから」
「ええ、忙しいことは忙しいんですけれども――好いじゃありませんか。いらしったて。あんまり他人行儀ですわ」
代助は、あの時、夫婦の間になにがあったか聞いてみようと思ったけれども、まずやめにした。いつもならからかい半分に、あなたはなにかしかられて、顔を赤くしていましたね、どんな悪いことをしたんですかぐらい言いかねない間柄なのであるが、代助には三千代の愛《あい》嬌《きよう》が、あとからその場を取り繕うように、いたましく聞こえたので、冗談を言いつのる元気もちょっと出なかった。
代助は煙草へ火をつけて、吸い口をくわえたまま、椅子の背に頭をもたせて、くつろいだように、
「久しぶりだから、なにか御《ご》馳《ち》走《そう》しましょうか」と聞いた。そうして心のうちで、自分のこういう態度が、いくぶんかこの女の慰謝になるように感じた。三千代は、
「今日はたくさん。そうゆっくりしちゃいられないの」と言って、昔の金歯をちょっと見せた。
「まあ、いいでしょう」
代助は両手を頭の後ろへ持っていって、指と指を組み合わせて三千代を見た。三千代はこごんで帯の間から小さな時計を出した。代助が真珠の指輪をこの女に贈りものにする時、平岡はこの時計を妻に買ってやったのである。代助は、一つ店で別々の品物を買ったあと、平岡と連れ立ってそこの敷居をまたぎながら互いに顔を見合わせて笑ったことを記憶している。
「おや、もう三時過ぎね。まだ二時ぐらいかと思ってたら。――少し寄り道をしていたものだから」とひとりごとのように説明を加えた。
「そんなに急ぐんですか」
「ええ、なりたけ早く帰りたいの」
代助は頭から手を放して、煙草の灰をはたき落とした。
「三年のうちにだいぶ世帯じみちまった。しかたがない」
代助は笑ってこう言った。けれどもその調子にはどこかに苦いところがあった。
「あら、だって、明日《あした》引っ越すんじゃありませんか」
三千代の声は、この時急に生き生きと聞こえた。代助は引っ越しのことをまるで忘れていたが、相手の快さそうな調子につり込まれて、こっちからもたあいなく追窮した。
「じゃ引っ越してからゆっくり来ればいいのに」
「でも」と言った三千代は少し挨《あい》拶《さつ》に困った色を、額のところへあらわして、ちょっと下を見たが、やがて頬を上げた。それが薄赤く染まっていた。
「実は私少しお願いがあってあがったの」
疳《かん》の鋭い代助は、三千代の言葉を聞くやいなや、すぐその用事のなんであるかを悟った。実は平岡が東京へ着いた時から、いつかこの問題に出あうことだろうと思って、半意識の下で覚悟していたのである。
「なんですか、遠慮なくおっしゃい」
「少しお金の工《く》面《めん》ができなくって?」
三千代の言葉はまるで子供のように無邪気であるけれども、両方の頬はやっぱり赤くなっている。代助は、この女にこんな気恥ずかしい思いをさせる、平岡の今の境遇を、はなはだ気の毒に思った。
だんだん聞いてみると、明日引っ越しをする費用や、新しく世帯を持つための金が入り用なのではなかった。支店のほうを引き上げる時、向こうへ置き去りにしてきた借金が三口とかあるうちで、その一口をぜひ片づけなくてはならないのだそうである。東京へ着いたら一週間うちに、どうでもするという堅い約束をして来た上に、少しわけがあって、ほかのように放っておけない性《た》質《ち》のものだから、平岡も着いた明《あく》日《るひ》から心配して、所《しよ》々《しよ》奔走しているけれども、まだできそうな様子が見えないので、やむをえず三千代に言いつけて代助のところに頼みによこしたということがわかった。
「支店長から借りたというやつですか」
「いいえ。そのほうはいつまで延ばしておいてもかまわないんですが、こっちのほうをどうかしないと困るのよ。東京で運動するほうに響いてくるんだから」
代助はなるほどそんなことがあるのかと思った。金高を聞くと五百円と少しばかりである。代助はなんだそのくらいと腹の中で考えたが、実際自分は一文もない。代助は、自分が金に不自由しないようでいて、その実大いに不自由している男だと気がついた。
「なんでまた、そんなに借金をしたんですか」
「だから、私考えるといやになるのよ。私も病気をしたので、悪いには悪いけれども」
「病気の時の費用なんですか」
「じゃないのよ。薬代なんかしれたもんですわ」
三千代はそれ以上を語らなかった。代助もそれ以上を聞く勇気がなかった。ただ蒼《あお》白《じろ》い三千代の顔をながめて、そのうちに、漠《ばく》然《ぜん》たる未来の不安を感じた。
翌日朝早く門野は荷車を三台雇って、新橋の停《てい》車《しや》場《ば》まで平岡の荷物を受け取りに行った。実はとうから着いていたのだけれども、宅《うち》がまだきまらないので、今日までそのままにしてあったのである。往復の時間と、向こうで荷物を積み込む時間を勘定してみると、どうしても半日仕事である。早く行かなけりゃ、間に合わないよと代助は寝床を出るとすぐ注意した。門野は例の調子で、なにわけはありませんと答えた。この男は、時間の考えなどは、あまりないほうだから、こう簡便な返事ができたんだが、代助から説明を聞いてはじめてなるほどという顔をした。それから荷物を平岡の宅へ届けたうえに、万事きれいに片づくまで手伝いをするんだと言われた時は、ええ承知しました、なに大丈夫ですと気軽に引き受けて出て行った。
それから十一時すぎまで代助は読書していた。がふとダヌンチオ《*》 という人が、自分の家の部屋を、青色と赤色に分かって装飾しているという話を思い出した。ダヌンチオの主意は、生活の二大情調の発現は、この二色にほかならんという点に存するらしい。だからなんでも興奮を要する部屋、すなわち音楽室とか書斎とかいうものは、なるべく赤く塗りたてる。また寝室とか、休息室とか、すべて精神の安静を要する所は青に近い色で飾りつけをする。というのが、心理学者の説を応用した、詩人の好奇心の満足とみえる。
代助はなぜダヌンチオのような刺激を受けやすい人に、奮《ふん》興《こう》色《しよく》とも見なしうべきほど強烈な赤の必要があるだろうと不思議に感じた。代助自身は稲《いな》荷《り》の鳥居を見てもあまり好い心持ちはしない。できうるならば、自分の頭だけでもいいから、緑のなかに漂わして安らかに眠りたいくらいである。いつかの展覧会に青木《*》 という人が海の底に立っている背の高い女をかいた。代助は多くの出品のうちで、あれだけが好い気持ちにできていると思った。つまり、自分もああいう沈んだ落ちついた情調におりたかったからである。
代助は縁側へ出て、庭から先にはびこる一面の青いものを見た。花はいつしか散って、今は新芽若葉の初期である。はなやかな緑がぱっと顔に吹きつけたような心持ちがした。目をさます刺激の底にどこか沈んだ調子のあるのをうれしく思いながら、鳥打ち帽をかむって、銘《めい》仙《せん》のふだん着のまま門を出た。
平岡の新宅へ来てみると、門があいて、がらんとしているだけで、荷物の着いた様子もなければ、平岡夫婦の来ている気色も見えない。ただ車《しや》夫《ふ》体《てい》の男が一人縁側に腰をかけて煙草を飲んでいた。聞いてみると、さっき一ぺんおいでになりましたが、このあんばいじゃ、どうせひるすぎだろうってまたお帰りになりましたという答えである。
「だんなと奥さんといっしょに来たかい」
「ええ、御いっしょです」
「そうしていっしょに帰ったかい」
「ええ御いっしょにお帰りになりました」
「荷物もそのうち着くだろう。御苦労さま」と言って、また通りへ出た。
神田へ来たが、平岡の旅宿へ寄る気はしなかった。けれども、二人のことがなんだか気にかかる。ことに細君のことが気にかかるので、ちょっと顔を出した。夫婦は膳《ぜん》を並べて飯を食っていた。下女が盆を持って、敷居に尻《しり》を向けている。その後ろから、声をかけた。
平岡は驚いたように代助を見た。その目が血ばしっている。二、三日よく眠らないせいだと言う。三千代はぎょうさんなものの言い方だと言って笑った。代助は気の毒にも思ったが、また安心もした。とめるのを外へ出て、飯を食って、髪を刈って、九《く》段《だん》の上へちょっと寄って、また帰りに新宅へ行ってみた。三千代は手ぬぐいを姉《ねえ》さんかぶりにして、友《ゆう》禅《ぜん》の長《なが》襦《じゆ》袢《ばん》をさらりと出して、たすきがけで荷物の世話を焼いていた。旅宿で世話をしてくれたという下女も来ている。平岡は縁側で行《こ》李《り》のひもを解いていたが、代助を見て、笑いながら、少し手伝わないかと言った。門野は袴《はかま》を脱いで、尻を端《はし》折《お》って、重《かさ》ね箪《だん》笥《す》を車夫といっしょに座敷へかかえ込みながら、先生どうです、この服《な》装《り》は、笑っちゃいけませんよと言った。
翌日、代助が朝食の膳に向かって、例のごとく紅茶をのんでいると、門野が、洗い立ての顔を光らして茶の間へはいって来た。
「昨夕《ゆうべ》はいつお帰りでした。つい疲れちまって、うたたねをしていたものだから、ちっとも気がつきませんでした。――寝ているところを御覧になったんですか、先生もずいぶん人が悪いな。全体いつごろなんです、お帰りになったのは。それまでどこへ行っていらしった」といつもの調子で苦もなくしゃべり立てた。代助はまじめで、
「君、すっかり片づくまでいてくれたんでしょうね」と聞いた。
「ええ、すっかり片づけちまいました。その代わり、どうも骨が折れましたぜ。なにしろ、我々の引っ越しと違って、大きな物がいろいろあるんだから。奥さんが座敷の真ん中へ立って、ぼんやり、こうまわりを見回していた様子ったら、――ずいぶんおかしなもんでした」
「少し身体の具合が悪いんだからね」
「どうもそうらしいですね。色がなんだかよくないと思った。平岡さんとは大違いだ。あの人の体格は好いですね。昨夕いっしょに湯にはいって驚いた」
代助はやがて書斎へ帰って、手紙を二、三本書いた。一本は朝鮮の統監府《*》 にいる友人あてで、せんだって送ってくれた高《こう》麗《らい》焼《やき》の礼状である。一本はフランスにいる姉《あね》婿《むこ》あてで、タナグラ《*》 の安いのを見つけてくれという依頼である。
昼すぎ散歩の出がけに、門野の室《へや》をのぞいたらまた引っくり返って、ぐうぐう寝ていた。代助は門野の無邪気な鼻の穴を見てうらやましくなった。実をいうと、自分は昨夕寝つかれないでたいへん難義したのである。例によって、枕《まくら》のそばへ置いた袂《たもと》時《ど》計《けい》が、たいへん大きな音を出す。それが気になったので、手を延ばして、時計を枕の下へ押し込んだ。けれども音は依然として頭の中へ響いてくる。その音を聞きながら、つい、うとうとする間に、すべてのほかの意識は、まったく暗《あん》窖《こう》の裡《うち*》 に降下した。が、ただひとり夜を縫うミシンの針だけが刻み足に頭の中をたえず通っていたことを自覚していた。ところがその音《ね》がいつかりんりんという虫の音に変わって、きれいな玄関のわきの植込みの奥で鳴いているようになった。――代助は昨夕の夢をここまでたどってきて、睡眠と覚《かく》醒《せい》との間をつなぐ一種の糸を発見したような心持ちがした。
代助は、何事によらず一度気にかかりだすと、どこまでも気にかかる男であった。しかも自分でその馬《ば》鹿《か》気《げ》さかげんの程度を明らかに見積もるだけの脳力があるので、自分の気にかかり方がなお目についてならないことがあった。三、四年前《ぜん》、平生の自分がいかにして夢にはいるかという問題を解決しようと試みたことがあった。夜、蒲《ふ》団《とん》へはいって、いいあんばいにうとうとしかけると、ああここだ、こうして眠るんだなと思ってはっとする。すると、その瞬間に目がさえてしまう。しばらくして、また眠りかけると、また、そらここだと思う。代助はほとんど毎晩のようにこの好奇心に苦しめられて、同じことを二へんも三べんも繰り返した。しまいには自分ながら辟《へき》易《えき》した。どうかして、この苦痛をのがれようと思った。のみならず、つくづく自分は愚物であると考えた。自分の不《ふ》明《めい》瞭《りよう》な意識を、自分の明瞭な意識に訴えて、同時に回顧しようとするのは、ジェームス《*》 の言ったとおり、暗《くら》闇《やみ》を検査するために蝋《ろう》燭《そく》をともしたり、独《こ》楽《ま》の運動を吟味するために独楽をおさえるようなもので、生涯寝られっこないわけになる。とわかっているが晩になるとまたはっと思う。
この困難は約一年ばかりでいつの間にかようやく遠のいた。代助は昨夕の夢とこの困難とを比較してみて、妙に感じた。正気の自己の一部分を切り放して、そのままの姿として、知らぬ間に夢の中へ譲り渡すほうが趣《おもむき》があると思ったからである。同時に、この作用は気狂いになる時の状態と似ていはせぬかと考えついた。代助は今まで、自分は激《げつ》昂《こう》しないから気狂いにはなれないと信じていたのである。
それから二、三日は、代助も門野も平岡の消息を聞かずに過ごした。四日目のひるすぎに代助は麻《あざ》布《ぶ》のある家へ園遊会に呼ばれて行った。お客は男《なん》女《によ》を合わせて、だいぶ来たが、正賓というのは、英国の国会議員とか実業家とかいう、むやみに背の高い男と、それから鼻《はな》眼《め》鏡《がね》をかけたその細君とであった。これはなかなかの美人で、日本などへ来るにはもったいないくらいな容《きり》色《よう》だが、どこで買ったものか、岐《ぎ》阜《ふ》出《で》来《き》の絵《え》日《ひ》傘《がさ》を得意にさしていた。
もっともその日はたいへんないい天気で、広い芝《しば》生《ふ》の上にフロックで立っていると、もう夏が来たという感じが、肩から背中へかけていちじるしく起こったくらい、空が真っ青に透き通っていた。英国の紳士は顔をしかめて空を見て、実に美しいと言った。すると細君がすぐ、ラッブレイ《*》 と答えた。非常に疳《かん》の高い声でもっとも力を入れた挨《あい》拶《さつ》のしようであったので、代助は英国のお世辞は、また格別のものだと思った。
代助も二《ふた》言《こと》三《み》言《こと》この細君から話しかけられた。が三分とたたないうちに、やり切れなくなって、すぐ退却した。あとは、日本服を着て、わざと島田に結《い》った令嬢と、長らくニューヨークで商業に従事していたという某《ぼう》が引き受けた。この某は英語をしゃべる天才をもってみずから任ずる男で、欠かさず英語会へ出席して、日本人と英語の会話をやって、それから英語で卓上演説をするのを、なによりの楽しみにしている。なにか言っては、あとでさもおかしそうに、げらげら笑う癖がある。英国人が時によると怪《け》訝《げん》な顔をしている。代助はあれだけはやめたらよかろうと思った。令嬢もなかなかうまい。これは米国婦人を家庭教師に雇って、英語を使うことを研究した、ある物持ちの娘である。代助は、顔より言葉のほうが達者だと考えながら、つくづく感心して聞いていた。
代助がここへ呼ばれたのは、個人的にここの主人や、この英国人夫婦に関係があるからではない。まったく自分の父と兄との社交的勢力の余波で、招待状が回ってきたのである。だから、まんべんなく方々へ行って、いいかげんに頭を下げて、ぶらぶらしていた。そのうちに兄もいた。
「やあ、来たな」と言ったまま、帽子に手もかけない。
「どうも、好い天気ですね」
「ああ。結構だ」
「代助も背の低いほうではないが、兄はいっそう高くできている。そのうえこの五、六年来しだいに肥満してきたので、なかなか立派に見える。
「どうです、あっちへ行って、ちと外国人と話でもしちゃ」
「いや、まっぴらだ」と言って兄は苦笑いをした。そうして大きな腹にぶら下がっている金《きん》鎖《ぐさり*》 を指の先でいじくった。
「どうも外国人は調子がいいですね。少しよすぎるくらいだ。ああほめられると、天気のほうでもぜひよくならなくっちゃならなくなる」
「そんなに天気をほめていたのかい。へえ。少し暑すぎるじゃないか」
「私《わたし》にも暑すぎる」
誠吾と代助は申し合わせたように、白いハンケチを出して額をふいた。両人《ふたり》とも重いシルクハットをかぶっている。
兄弟は芝生のはずれの木《こ》陰《かげ》まで来てとまった。近所には誰《だれ》もいない。向こうの方で余興かなにか始まっている。それを、誠吾は、宅《うち》にいると同じような顔をして、遠くからながめた。
「兄のようになると、宅にいても、客に来ても同じ心持ちなんだろう。こう世の中に慣れ切ってしまっても、楽しみがなくって、つまらないものだろう」と思いながら代助は誠吾の様子を見ていた。
「今日はお父さんはどうしました」
「お父さんは詩の会だ」
誠吾は相変わらず普通の顔で答えたが、代助のほうは多少おかしかった。
「姉さんは」
「お客の接待がかりだ」
また嫂《あによめ》があとで不平を言うことだろうと考えると、代助はまたおかしくなった。
代助は、誠吾の始終忙しがっている様子を知っている。またその忙しさの過半は、こういう会合からでき上がっているという事実も心得ている。そうして、別にいやな顔もせず、一口の不平もこぼさず、不規則に酒を飲んだり、物を食ったり、女を相手にしたり、していながら、いつ見ても疲れた態《たい》もなく、さわぐ気色もなく、物外《*》 に平然として、年々肥満してくる技《ぎ》倆《りよう》に敬服している。
誠吾が待合いへはいったり、料理茶屋へ上がったり、晩《ばん》餐《さん》に出たり、午《ご》餐《さん》に呼ばれたり、倶《ク》楽《ラ》部《ブ》に行ったり、新橋に人を送ったり、横浜に人を迎えたり、大《おお》磯《いそ》へ御《ご》機《き》嫌《げん》伺いに行ったり、朝から晩まで多《た》勢《ぜい》の集まる所へ顔を出して、得意にも見えなければ、失意にも思われない様子は、こういう生活に慣れ抜いて、海月《くらげ》が海に漂いながら、塩水を辛く感じえないようなものだろうと代助は考えている。
そこが代助にはありがたい。というのは、誠吾は父とちがって、かつて小むずかしい説法などを代助に向かってやったことがない。主義だとか、主張だとか、人生観だとかいう窮屈なものは、てんで、これっぱかりも口にしないんだから、あるんだか、無いんだか、ほとんど要領を得ない。その代わり、この窮屈な主義だとか、主張だとか、人生観だとかいうものを積極的に打ち壊してかかったためしもない。実に平凡でいい。
だがおもしろくはない。話相手としては、兄よりも嫂のほうが、代助にとってはるかに興味がある。兄にあうときっとどうだいと言う。イタリアに地震があった《*》じゃないかと言う。トルコの天子が廃された《*》じゃないかと言う。そのほか、向《むこ》う島《じま》の花はもうだめになった、横浜にある外国船の船底に大蛇が飼ってあった、誰が鉄道でひかれた、じゃないかと言う。みんな新聞に出たことばかりである。その代わり、当たらずさわらずの材料はいくらでも持っている。いつまでたっても種が尽きる様子が見えない。
そうかと思うと。時にトルストイという人は、もう死んだ《*》 のかねなどと妙なことを聞くことがある。今日本の小説家では誰がいちばん偉いのかねと聞くこともある。要するに文芸にはまるで無《む》頓《とん》着《じやく》でかつ驚くべき無識であるが、尊敬と軽《けい》蔑《べつ》以上に立って平気で聞くんだから、代助も返事がしやすい。
こういう兄と差し向かいで話をしていると、刺激の乏しい代わりには、灰《あ》汁《く》がなくって、気楽で好い。ただ朝から晩まで出歩いているからめったに捕《つら》まえることができない。嫂でも、誠太郎でも、縫子でも、兄が終日宅《うち》に居て、三度の食事を家族とともに欠かさず食うと、かえって珍らしがるくらいである。
だから木蔭に立って、兄と肩をならべた時、代助はちょうど好い機会だと思った。
「兄《にい》さん、あなたに少し話があるんだが。いつか暇はありませんか」
「暇」と繰り返した誠吾は、なんにも説明せずに笑って見せた。
「明日《あした》の朝はどうです」
「明日の朝は浜まで行って来なくっちゃならない」
「ひるからは」
「ひるからは、会社のほうにいることはいるが、すこし相談があるから、来てもゆっくり話しちゃいられない」
「じゃ晩ならよかろう」
「晩は帝国ホテルだ。あの西洋人夫婦を明日の晩帝国ホテルへ呼ぶことになってるからだめだ」
代助は口をとんがらかして、兄をじっと見た。そうして二人で笑いだした。
「そんなに急ぐなら、今日じゃ、どうだ。今日ならいい。久しぶりでいっしょに飯でも食おうか」
代助は賛成した。ところが倶《ク》楽《ラ》部《ブ》へでも行くかと思いのほか、誠吾は鰻《うなぎ》がよかろうと言いだした。
「シルクハットで鰻屋へ行くのははじめてだな」と代助は逡《しゆん》巡《じゆん》した。
「なにかまうものか」
二人は園遊会を辞して、車に乗って、金《かな》杉《すぎ》橋《ばし》の袂《たもと》にある鰻屋へ上がった。
そこは河《かわ》が流れて、柳があって、古風な家であった。黒くなった床柱のわきの違《ちが》い棚《だな》に、シルクハットを引っ繰り返《かえ》しに、二つ並べて置いてみて、代助は妙だなと言った。しかしあけ放した二階の間《ま》に、たった二人であぐらをかいているのは、園遊会よりかえって楽であった。
二人は好い心持ちに酒を飲んだ。兄は飲んで、食って、世間話をすればそのほかに用はないという態度であった。代助も、うっかりすると、肝心の事件を忘れそうな勢いであった。が下女が三本目の銚《ちよう》子《し》を置いて行った時に、はじめて用談に取りかかった。代助の用談というのは、いうまでもなく、このあいだ三千代から頼まれた金策の件である。
実をいうと、代助は今日までまだ誠吾に無心を言ったことがない。もっとも学校を出た時少々芸者買いをしすぎて、その尻《しり》を兄になすりつけた覚えはある。その時兄はしかるかと思いのほか、そうか、困り者だな、親《おや》爺《じ》には内《ない》々《ない》でおけと言って嫂《あによめ》を通して、きれいに借金を払ってくれた。そうして代助には一口の小言も言わなかった。代助はその時から、兄《あにき》に恐縮してしまった。その後小《こ》遣《づか》いに困ることはよくあるが、困るたんびに嫂を痛めてことをすましていた。したがってこういう事件に関して兄との交渉は、まあ初対面のようなものである。
代助からみると、誠吾は蔓《つる》のない薬《や》缶《かん》と同じことで、どこから手を出して好いかわからない。しかしそこが代助には興味があった。
代助は世間話の体《てい》にして、平岡夫婦の経歴をそろそろ話しはじめた。誠吾は面倒な顔もせず、へえへえと拍子を取るように、飲みながら、聞いている。だんだん進んで三千代が金を借りに来た一段になっても、やっぱりへえへえと合《あい》槌《づち》を打つだけである。代助は、しかたなしに、
「で、私も気の毒だから、どうにか心配してみようって受け合ったんですがね」と言った。
「へえ。そうかい」
「どうでしょう」
「お前《まい》金ができるのかい」
「私ゃ一文もできやしません。借りるんです」
「誰から」
代助は初めからここへ落とすつもりだったんだから、はっきりした調子で、
「あなたから借りておこうと思うんです」と言って、改めて誠吾の顔を見た。兄はやっぱり普通の顔をしていた。そうして、平気に、
「そりゃ、およしよ」と答えた。
誠吾の理由を聞いてみると、義理や人情に関係がないばかりではない、返す返さないという損得にも関係がなかった。ただ、そんな場合には放っておけばおのずからどうかなるもんだという単純な断定であった。
誠吾はこの断定を証明するために、いろいろな例をあげた。誠吾の門内に藤野という男が長屋を借りて住んでいる。その藤野が近ごろ遠縁のものの息子《むすこ》を頼まれて宅へ置いた。ところがその子が徴兵検査で急に国へ帰らなければならなくなったが、前もって国から送ってある学資も旅費も藤野が使い込んでいるというので、一時の繰り合わせを頼みに来たことがある。むろん誠吾がじかにあったのではないが、妻《さい》に言いつけて断わらした。それでもその子は期日までに国へ帰ってさしつかえなく検査をすましている。それからこの藤野の親類のなんとかという男は、自分の持っている貸家の敷金を、つい使ってしまって、借家人が明日引っ越すというまぎわになっても、まだ調達ができないとかいって、やっぱり藤野から泣きついてきたことがある。しかしこれも断わらした。それでも別に不都合はなく敷金は返せている。――まだそのほかにもあったが、まあこんな種類の例ばかりであった。
「そりゃ、姉さんがかげへ回って恵んでいるにちがいない。ハハハハ。兄さんもよっぽどのんきだなあ」と代助は大きな声を出して笑った。
「なに、そんなことがあるものか」
誠吾はやはり当たり前の顔をしていた。そうして前にある猪《ちよ》口《く》を取って口へ持って行った。
その日誠《せい》吾《ご》はなかなか金を貸してやろうと言わなかった。代《だい》助《すけ》も三《み》千《ち》代《よ》が気の毒だとか、かわいそうだとかいう泣《な》き言《ごと》は、なるべく避けるようにした。自分が三千代に対してこそ、そういう心持ちもあるが、なんにも知らない兄を、そこまで連れて行くのには一通りではだめだと思うし、といって、むやみにセンチメンタルな文句を口にすれば、兄には馬《ば》鹿《か》にされる、ばかりではない、かねて自分を愚《ぐ》弄《ろう》するような気がするので、やっぱり平生の代助のとおり、のらくらしたところを、あっちへ行ったりこっちへ来たりして、飲んでいた。飲みながらも、親《おや》爺《じ》のいわゆる熱誠が足りないとは、このことだなと考えた。けれども、代助は泣いて人を動かそうとするほど、低級趣味のものではないと自信している。およそ何が気《き》障《ざ》だって、思わせぶりの、涙や、煩《はん》悶《もん》や、まじめや、熱誠ほど気障なものはないと自覚している。兄にはその辺の消息がよくわかっている。だからこの手でやりそこないでもしようものなら、生涯自分の価値を落とすことになる。と気がついていた。
代助は飲むにしたがって、だんだん金を遠ざかってきた。ただ互いが差し向かいであるがために、うまく飲めたという自覚を、互いに持ちうるような話をした。が茶《ちや》漬《づけ》を食う段になって、思い出したように、金は借りなくっても好いから、平岡をどこか使ってやってくれないかと頼んだ。
「いや、そういう人間は御免こうむる。のみならずこの不景気《*》 じゃしようがない」と言って誠吾はさくさく飯をかき込んでいた。
「明《あく》日《るひ》目がさめた時、代助は床の中でまず第一番にこう考えた。
「兄を動かすのは、同じ仲間の実業家でなくっちゃだめだ。単に兄弟のよしみだけではどうすることもできない」
こう考えたようなものの、別に兄を不人情と思う気は起こらなかった。むしろそのほうが当然であると悟った。この兄が自分の放《ほう》蕩《とう》費《ひ》を苦情も言わずに弁償してくれたことがあるんだからおかしい。そんなら自分が今ここで平岡のために判を押して、連借でもしたら、どうするだろう。やっぱりあの時のようにきれいに片づけてくれるだろうか。兄はそこまで考えていて、断わったんだろうか。あるいは自分がそんな無理なことはしないものと初めから安心して貸さないのかしらん。
代助自身の今の傾向からいうと、とうてい人のために判なぞ押しそうにもない。自分もそう思っている。けれども、兄がそこを見抜いて金を貸さないとすると、ちょっと意外な連帯をして、兄がどんな態度に変わるか、試験してみたくもある。――そこまできて、代助は自分ながら、あんまり性《た》質《ち》がよくないなと心のうちで苦笑した。
けれども、ただ一つたしかなことがある。平岡は早晩借用証書を携えて、自分の判を取りにくるにちがいない。
こう考えながら、代助は床を出た。門野は茶の間で、あぐらをかいて新聞を読んでいたが、髪をぬらして湯殿から帰って来る代助を見るやいなや、急に坐《い》三《ざん》昧《まい*》 を直して、新聞をたたんで座《ざ》蒲《ぶ》団《とん》のそばへ押しやりながら、
「どうも『煤《ばい》烟《えん》』《*》 はたいへんなことになりましたな」と大きな声で言った。
「君読んでるんですか」
「ええ、毎朝読んでます」
「おもしろいですか」
「おもしろいようですな。どうも」
「どんなところが」
「どんなところがって、そうあらたまって聞かれちゃ困りますが。なんじゃありませんか、いったいに、こう、現代的の不安が出ているようじゃありませんか」
「そうして、肉の臭いがしやしないか」
「しますな。大いに」
代助は黙ってしまった。
紅《こう》茶《ちや》茶《ぢや》碗《わん》を持ったまま、書斎へ引き取って、椅《い》子《す》へ腰をかけて、ぼんやり庭をながめていると瘤《こぶ》だらけの柘榴《ざくろ》の枯枝と、灰色の幹の根方に、暗緑と暗紅を混ぜ合わしたような若い芽が、一面に吹き出している。代助の目にはそれがぱっと映じただけで、すぐ刺激を失ってしまった。
代助の頭には今具体的な何物をもとどめていなかった。あたかも戸外の天気のように、それが静かにじっと働いていた。が、その底には微《み》塵《じん》のごとき本体のわからぬものが無数に押し合っていた。チイズの中で、いくら虫が動いても、チイズが元の位置にある間は、気がつかないと同じことで、代助もこの微震にはほとんど自覚を有していなかった。ただ、それが生理的に反射してくるたびに、椅子の上で、少しずつ身体《からだ》の位置を変えなければならなかった。
代助は近ごろ流行語のように人が使う、現代的とか不安とかいう言葉《*》を、あまり口にしたことがない。それは、自分が現代的であるのは、いわずと知れていると考えたのと、もう一つは、現代的であるがために、必ずしも、不安になる必要がないと、自分だけで信じていたからである。
代助はロシア文学に出て来る不安を、天候の具合と、政治の圧迫で解釈していた。フランス文学に出てくる不安を、有《ゆ》夫《ふ》姦《かん*》 の多いためと見ていた。ダヌンチオによって代表されるイタリア文学の不安を、無制限の堕落から出る自己欠損の感と判断していた。だから日本の文学者が、好んで不安という側からのみ社会を描き出すのを、舶来の唐《とう》物《ぶつ*》 のように見なした。
理知的に物を疑うほうの不安は、学校時代に、あったにはあったが、あるところまで進行して、ぴたりととまって、それから逆戻りをしてしまった。ちょうど天へ向かって石をなげたようなものである。代助は今では、なまじい石などをなげなければよかったと思っている。禅坊さんのいわゆる大《たい》疑《ぎ》現《げん》前《ぜん*》 などという境《きよう》界《がい》は、代助のまだ踏み込んだことのない未知国であった。代助は、そう真率性急に万事を疑うには、あまり利口に生まれすぎた男であった。
代助は門野のほめた「煤烟」を読んでいる。今日は紅茶茶碗のそばに新聞を置いたなり、あけて見る気にならない。ダヌンチオの主人公《*》 は、みんな金に不自由のない男だから、贅《ぜい》沢《たく》の結果ああいういたずらをしても無理とは思えないが、「煤烟」の主人公に至っては、そんな余地のないほどに貧しい人である。それをあすこまで押して行くには、まったく情愛の力でなくっちゃできるはずのものでない。ところが、要《よう》吉《きち》という人物にも、朋《とも》子《こ》という女にも、誠の愛で、やむなく社会の外に押し流されて行く様子が見えない。彼らを動かす内面の力はなんであろうと考えると、代助は不審である。ああいう境遇にいて、ああいうことを断行しうる主人公は、おそらく不安じゃあるまい。これを断行するに躊《ちゆう》躇《ちよ》する自分のほうにこそむしろ不安の分子があってしかるべきはずだ。代助はひとりで考えるたびに、自分は特殊人《オリジナル》だと思う。けれども要吉の特殊人《オリジナル》たるにいたっては、自分よりはるかに上手であると承認した。それでこのあいだまでは好奇心にかられて「煤烟」を読んでいたが、昨今になって、あまりに、自分と要吉の間に懸隔があるように思われだしたので、目を通さないことがよくある。
代助は椅子の上で、時々身を動かした。そうして、自分ではあくまで落ちついていると思っていた。やがて、紅茶をのんでしまって、いつものとおり読書に取りかかった。約二時間ばかりは故障なく進行したが、あるページの中ごろまできて急にやめて頬《ほお》杖《づえ》を突いた。そうして、そばにあった新聞を取って、「煤烟」を読んだ。呼吸の合わないことは同じことである。それからほかの雑報を読んだ。大《おお》隈《くま》伯《はく*》 が高等商業の紛《ふん》擾《じよう》に関して、大いに騒動しつつある生徒側の味方をしている。それがなかなか強い言葉で出ている。代助はこういう記事を読むと、これは大隈伯が早《わ》稲《せ》田《だ》へ生徒を呼び寄せるための方便だと解釈する。代助は新聞を放り出した。
ひるすぎになってから、代助は自分が落ちついていないということを、ようやく自覚しだした。腹のなかに小さな皺が無数にできて、その皺が絶えず、相互の位地と、かたちとを変えて、一面にうごいているような気持ちがする。代助は時々こういう情調の支配を受けることがある。そうして、この種の経験を、今日まで、単なる生理上の現象としてのみ取り扱っておった。代助は昨日《きのう》兄といっしょに鰻《うなぎ》を食ったのを少し後悔した。散歩がてらに、平岡の所へ行ってみようかと思い出したが、散歩が目的か、平岡が目的か、自分には判然たる区別がなかった。婆《ばあ》さんに着物を出さして、着換えようとしているところへ、甥《おい》の誠《せい》太《た》郎《ろう》が来た。帽子を手に持ったまま、格《かつ》好《こう》のいいまるい頭を、代助の前へ出して、腰を掛けた。
「もう学校は引けたのかい。早すぎるじゃないか」
「ちっとも早かない」と言って、笑いながら、代助の顔を見ている。代助は手をたたいて婆さんを呼んで、
「誠太郎、チョコレート《*》 を飲むかい」と聞いた。
「飲む」
代助はチョコレートを二杯命じておいて誠太郎にからかいだした。
「誠太郎、お前はベースボールばかりやるもんだから、このごろ手がたいへん大きくなったよ。頭より手のほうが大きいよ」
誠太郎はにこにこして、右の手で、まるい頭をぐるぐるなでた。実際大きな手を持っている。
「叔《お》父《じ》さんは、昨日《きのう》お父さんからおごってもらったんですってね」
「ああ、御馳走になったよ。おかげで今日《きよう》は腹具合が悪くっていけない」
「また神経だ」
「神経じゃないほんとうだよ。まったく兄さんのせいだ」
「だってお父さんはそう言ってましたよ」
「なんて」
「明日《あした》学校の帰りに代助の所へ回ってなにか御馳走してもらえって」
「へええ、昨日のお礼にかい」
「ええ、今日はおれがおごったから、明日は向こうの番だって」
「それで、わざわざやって来たのかい」
「ええ」
「兄《あにき》の子だけあって、なかなか抜けない《*》 な。だから今チョコレートを飲ましてやるから好いじゃないか」
「チョコレートなんぞ」
「飲まないかい」
「飲むことは飲むけれども」
誠太郎の注文をよく聞いてみると、相撲《すもう》が始まったら、回《え》向《こう》院《いん*》 へ連れて行って、正面の最上等の所で見物させろというのであった。代助は快く引き受けた。すると誠太郎はうれしそうな顔をして、突然、
「叔父さんはのらくらしているけれども実際偉いんですってね」と言った。代助もこれにはちょっとあきれた。しかたなしに、
「偉いのは知れ切っているじゃないか」と答えた。
「だって僕は昨夕《ゆうべ》はじめてお父さんから聞いたんですもの」という弁解があった。
誠太郎の言うところによると、昨夕兄が宅《うち》へ帰ってから、父と嫂《あによめ》と三人して、代助の合評をしたらしい。子供のいうことだから、よくわからないが、比較的頭がいいので、よく断片的にその時の言葉を覚えている。父は代助を、どうも見込みがなさそうだと評したのだそうだ。兄はこれに対して、ああやっていても、あれでなかなかわかったところがある。当分放っておくがいい。放って置いても大丈夫だ、間違いはない。いずれそのうちになにかやるだろうと弁護したのだそうだ。すると嫂がそれに賛成して、一週間ばかり前占《うらない》者《しや》に見てもらったら、この人はきっと人の上《かみ》に立つにちがいないと判断したから大丈夫だと主張したのだそうだ。
代助はうん、それから、といって、始終おもしろそうに聞いていたが、占者のところへ来たら、ほんとうにおかしくなった。やがて着物を着換えて、誠太郎を送りながら表へ出て、自分は平岡の家をたずねた。
平岡の家は、この十数年来の物価騰貴につれて、中流社会が次第次第に切り詰められて行くありさまを、住宅のうえによく代表した、もっとも粗悪な見苦しき構えであった。とくに代助にはそう見えた。
門と玄関の間が一間ぐらいしかない。勝手口もそのとおりである。そうして裏にも、横にも同じような窮屈な家が建てられていた。東京市の貧弱なる膨張につけ込んで、最低度の資本家が、なけなしの元手を二割ないし三割の高利に回そうともくろんで、あたじけなく《*》 こしらえあげた、生存競争の記念《かたみ》であった。
今日の東京市、ことに場末の東京市には、至る所にこの種の家が散点している、のみならず、梅《つ》雨《ゆ》に入った蚤《のみ》のごとく、日ごとに、格外の増加律をもってふえつつある。代助はかつて、これを敗亡の発展と名づけた。そうして、これを目下の日本を代表する最好の象《シン》徴《ボル》とした。
彼らのあるものは、石《せき》油《ゆ》缶《かん》の底を継ぎ合わせた四角な鱗《うろこ》でおおわれている。彼らの一つを借りて、夜中に柱の割れる音で目をさまさないものは一人もいない。彼らの戸には必ず節穴がある。彼らの襖《ふすま》は必ず狂いが出るときまっている。資本を頭の中へつぎ込んで、月々その頭から利息を取って生活しようという人間は、みんなこういう所を借りて立てこもっている。平岡もその一人であった。
代助は垣《かき》根《ね》の前を通るとき、まずその屋根に目がついた。そうして、どす黒い瓦《かわら》の色が妙に彼の心を刺激した。代助にはこの光のない土の板が、いくらでも水を吸い込むように思われた。玄関前に、このあいだ引っ越しのときにほどいた菰《こも》包《づつみ》の藁《わら》屑《くず》がまだこぼれていた。座敷へ通ると、平岡は机の前へすわって、長い手紙を書きかけているところであった。三千代は次の部屋で箪《たん》笥《す》の環《かん》をかたかた鳴らしていた。そばに大きな行季があけてあって、中からきれいな長《なが》襦《じゆ》袢《ばん》の袖《そで》が半分出かかっていた。
平岡が、失敬だがちょっと待ってくれと言った間に、代助は行季と長襦袢と、時々行季の中へ落ちるほそい手とを見ていた。襖はあけたままたて切る様子もなかった。が三千代の顔は陰になって見えなかった。
やがて、平岡は筆を机の上へなげつけるようにして、座を直した。なんだか込み入ったことを懸命に書いていたと見えて、耳を赤くしていた。目も赤くしていた。
「どうだい。このあいだはいろいろありがとう。その後ちょっと礼に行こうと思って、まだ行かない」
平岡の言葉は言い訳と言わんよりむしろ挑戦の調子を帯びているように聞こえた。シャツも股《もも》引《ひき》もつけずにすぐあぐらをかいた。襟《えり》を正しく合わせないので、胸毛が少し出ている。
「まだ落ちつかないだろう」と代助が聞いた。
「落ちつくどころか、この分じゃ生涯落ちつきそうもない」と、いそがしそうに煙草を吹かしだした。
代助は平岡がなぜこんな態度で自分に応接するかよく心得ていた。けっして自分にあたるのじゃない、つまり世間にあたるんである、いなおのれにあたっているんだと思って、かえって気の毒になった。けれども代助のような神経には、この調子がはなはだ不愉快に響いた。ただ腹が立たないだけである。
「宅《うち》の都《つ》合《ごう》は、どうだい。間取の具合はよさそうじゃないか」
「うん、まあ、悪くってもしかたがない。気に入った家《うち》へはいろうと思えば、株でもやるよりほかにしようがなかろう。このごろ東京にできる立《りつ》派《ぱ》な家はみんな株屋がこしらえるんだっていうじゃないか」
「そうかもしれない。そのかわり、ああいう立派な家が一軒立つと、その陰に、どのくらいたくさんな家がつぶれているかしれやしない」
「だからなお住み好いだろう」
平岡はこう言って大いに笑った。そこへ三千代が出て来た。せんだってはと、軽く代助に挨《あい》拶《さつ》をして、手に持った赤いフランネルのくるくると巻いたのを、すわるとともに、前へ置いて、代助に見せた。
「なんですか、それは」
「赤《あか》ん坊《ぼ》の着物なの。こしらえたまま、つい、まだ、ほどかずにあったのを、今行季の底を見たらあったから、出してきたんです」と言いながら、付けひもを解いて筒《つつ》袖《そで》を左右に開いた。
「こら」
「まだ、そんなものをしまっといたのか。早くこわしてぞうきんにでもしてしまえ」
三千代は小供の着物を膝《ひざ》の上にのせたまま、返事もせずしばらくうつむいてながめていたが、
「あなたのとおんなじにこしらえたのよ」と言って夫の方を見た。
「これか」
平岡は絣《かすり》の袷《あわせ》の下へ、ネルを重ねて、素《す》肌《はだ》に着ていた。
「これはもういかん。暑くてだめだ」
代助ははじめて、昔の平岡をまのあたりに見た。
「袷の下にネルを重ねちゃもう暑い。襦袢にするといい」
「うん、面倒だから着ているが」
「洗《せん》濯《たく》をするからお脱ぎなさいと言っても、なかなか脱がないのよ」
「いや、もう脱ぐ、おれも少々いやになった」
話は死んだ小供のことをとうとう離れてしまった。そうして、来た時よりはいくぶんか空気に「暖か味」ができた。平岡は久しぶりに一杯飲もうと言いだした。三千代も支《し》度《たく》をするから、ゆっくりしていってくれと頼むようにとめて、次の間へ立った。代助はその後ろ姿を見て、どうかして金をこしらえてやりたいと思った。
「君どこか奉公口の見当はついたか」と聞いた。
「うん、まあ、あるようなないようなもんだ。なければ当分遊ぶだけのことだ。ゆっくりさがしているうちにはどうかなるだろう」
言うことは落ちついているが、代助が聞くとかえってあせってさがしているようにしか取れない。代助は、昨日《きのう》兄と自分の間に起こった問答の結果を、平岡に知らせようと思っているのだが、この一言《ごん》を聞いて、しばらく見合わせることにした。なんだか、構えている向こうの体面を、わざとこっちから毀《き》損《そん》するような気がしたからである。そのうえ金のことについては平岡からはまだ一言《げん》の相談も受けたこともない。だから表向き挨拶をする必要もないのである。ただ、こうして黙っていれば、平岡からは、内心で、冷淡なやつだと悪く思われるにきまっている。けれども今の代助はそういう非難に対して、ほとんど無感覚である。また実際自分はそう熱烈な人間じゃないと考えている。三、四年前の自分になって、今の自分を批判してみれば、自分は、堕落しているかもしれない。けれども今の自分から三、四年前の自分を回顧してみると、たしかに、自己の道念を誇張して、得意に使い回していた。鍍金《めつき》を金に通用させようとするせつない工《く》面《めん》より、真《しん》鍮《ちゆう》を真鍮で通して、真鍮相当の侮《ぶ》蔑《べつ》をがまんするほうが楽である。と今は考えている。
代助が真鍮をもって甘んずるようになったのは、不意に大きな狂《きよう》瀾《らん》にまき込まれて、驚きのあまり、心機一転の結果を来たしたというような、小説じみた歴史をもっているためではない。まったく彼自身に特有な思索と観察の力によって、次第次第に鍍金を自分ではがしてきたにすぎない。代助はこの鍍金の大半をもって、親《おや》爺《じ》がなすりつけたものと信じている。その時分は親爺が金《きん》に見えた。多くの先輩が金に見えた。相当の教育を受けたものは、みな金に見えた。だから自分の鍍金がつらかった。早く金になりたいとあせってみた。ところが、ほかのものの地金へ、自分の眼光がじかにぶつかるようになって以後は、それが急に馬鹿な尽力のように思われだした。
代助は同時にこう考えた。自分が三、四年の間に、これまで変化したんだから、同じ三、四年の間に、平岡も、かれ自身の経験の範囲内でだいぶ変化しているだろう。昔の自分なら、なるべく平岡によく思われたい心から、こんな場合には兄と喧《けん》嘩《か》をしても、父と口論をしても、平岡のために計ったろう、またその計ったとおり平岡の所へ来てことごとしく吹《ふい》聴《ちよう》したろうが、それを予期するのは、やっぱり昔の平岡で、今の彼はさほどに友だちを重くは見ていまい。
それで肝心の話は、一、二言《ごん》でやめて、あとはいろいろな雑談に時をすごすうちに酒が出た。三千代が徳《とく》利《り》の尻《しり》を持ってお酌《しやく》をした。
平岡は酔うにしたがって、だんだん口が多くなってきた。この男はいくら酔っても、なかなか平生を離れないことがある。かと思うと、たいへんに元気づいて、調子に一種の悦楽を帯びてくる。そうなると、普通の酒家以上に、よく弁ずるうえに、時としては比較的まじめな問題を持ち出して、相手と議論を上《しよう》下《か》して楽しげに見える。代助はその昔、ビールの壜《びん》を互いの間に並べて、よく平岡と戦ったことを覚えている。代助にとって不思議とも思われるのは、平岡がこういう状態に陥った時が、いちばん平岡と議論がしやすいという自覚であった。また酒をのんで本音を吐こうか、と平岡のほうからよく言ったものだ。今《こん》日《にち》の二人の境界はその時分とは、だいぶ離れてきた。そうして、その離れて、近づく路を見いだしにくい事実を、双方ともに腹の中で心得ている。東京へ着いた翌《あく》日《るひ》、三年ぶりで邂《かい》逅《こう》した二人は、その時すでに、二人ともにいつか互いのそばを立ちのいていたことを発見した。
ところが今日は妙である。酒に親しめば親しむほど、平岡が昔の調子を出してきた。うまい局所へ酒が回って、刻下の経済や、目前の生活や、またそれに伴う苦痛やら、不平やら、心の底の騒がしさやらを全然麻《ま》痺《ひ》してしまったように見える。平岡の談話は一躍して高い平面に飛び上がった。
「僕は失敗したさ。けれども失敗しても働いている。またこれからも働くつもりだ。君は僕の失敗したのを見て笑っている。――笑わないたって、要するに笑ってると同じことに帰着するんだからかまわない。いいか、君は笑っている。笑っているが、その君はなにもしないじゃないか。君は世の中を、ありのままで受け取る男だ。言葉を換えて言うと、意志を発展させることのできない男だろう。意志がないというのは嘘だ。人間だもの。その証拠には、始終物足りないにちがいない。僕は僕の意志を現実社会に働きかけて、その現実社会が、僕の意志のために、いくぶんでも、僕の思いどおりになったという確証を握らなくっちゃ、生きていられないね。そこに僕というものの存在の価値を認めるんだ。君はただ考えている。考えてるだけだから、頭の中の世界と、頭の外の世界を別々に建《こん》立《りゆう》して生きている。この大不調和を忍んでいるところが、すでに無形の大失敗じゃないか。なぜといって見たまえ。僕のはその不調和を外へ出したまでで、君のは内に押し込んでおくだけの話だから、外面に押しかけただけ、僕のほうがほんとうの失敗の度は少ないかもしれない。でも僕は君に笑われている。そうして僕は君を笑うことができない。いや笑いたいんだが、世間から見ると、笑っちゃいけないんだろう」
「なに笑ってもかまわない。君が僕を笑う前に、僕はすでに自分を笑っているんだから」
「そりゃ、嘘だ。ねえ三千代」
三千代はさっきから黙ってすわっていたが、夫から不意に相談を受けた時、にこりと笑って、代助を見た。
「ほんとうでしょう、三千代さん」と言いながら、代助は盃《さかずき》を出して、酒を受けた。
「そりゃ嘘だ。おれの細君が、いくら弁護したって、嘘だ。もっとも君は人を笑っても、自分を笑っても、両方とも頭の中でやる人だから、嘘かほんとうかその辺はしかと分からないが……」
「冗談言っちゃいけない」
「冗談じゃない。まったく本気の沙《さ》汰《た》であります。そりゃ昔の君はそうじゃなかった。昔の君はそうじゃなかったが、今の君はだいぶ違ってるよ。ねえ三千代。長井は誰が見たって、大得意じゃないか」
「なんだかさっきから、そばで伺がってると、あなたのほうがよっぽどお得意のようよ」
平岡は大きな声を出してハハハと笑った。三千代は燗《かん》徳《どく》利《り》を持って次の間へ立った。
平岡は膳《ぜん》の上の肴《さかな》を二口三口、箸《はし》で突っついて、下を向いたまま、むしゃむしゃいわしていたが、やがて、どろんとした目を上げて、言った。――
「今日は久しぶりにいい気持ちに酔った。なあ君。――君はあんまりいい心持ちにならないね。どうもけしからん。僕が昔の平岡常次郎になってるのに、君が昔の長井代助にならないのはけしからん。ぜひなりたまえ。そうして、大いにやってくれたまえ。僕もこれからやる。から君もやってくれたまえ」
代助はこの言葉のうちに、今の自己を昔に返そうとする真率なまた無邪気な一種の努力を認めた。そうして、それに動かされた。けれども一方では、一昨日《おととい》、食ったパンを今返せとねだられるような気がした。
「君は酒をのむと、言葉だけ酔っ払っても、頭はたいてい確かな男だから、僕も言うがね」
「それだ。それでこそ長井君だ」
代助は急に言うのがいやになった。
「君、頭は確かかい」と聞いた。
「確かだとも。君さえ確かならこっちはいつでも確かだ」と言って、ちゃんと代助の顔を見た。実際自分の言うとおりの男である。そこで代助が言った。――
「君はさっきから、働かない働かないと言って、だいぶ僕を攻撃したが、僕は黙っていた。攻撃されるとおり僕は働かないつもりだから黙っていた」
「なぜ働かない」
「なぜ働かないって、そりゃ僕が悪いんじゃない。つまり世の中が悪いのだ。もっと、おおげさに言うと、日《に》本《ほん》対西洋の関係がだめだから働かないのだ。第一、日本ほど借金をこしらえて、貧《びん》乏《ぼう》震《ぶる》いをしている国はありゃしない。この借金が君、いつになったら返せると思うか。そりゃ外債ぐらいは返せるだろう。けれども、そればかりが借金じゃありゃしない。日本は西洋から借金でもしなければ、とうてい立ち行かない国だ。それでいて、一等国をもって任じている。そうして、むりにも一等国の仲間入りをしようとする。だから、あらゆる方面に向かって、奥行きをけずって、一等国だけの間口を張っちまった。なまじい張れるから、なお悲惨なものだ。牛と競争をする蛙《かえる*》 と同じことで、もう君、腹が裂けるよ。その影響はみんな我々個人の上に反射しているから見たまえ。こう西洋の圧迫を受けている国民は、頭に余裕がないから、ろくな仕事はできない。ことごとく切りつめた教育で、そうして目の回るほどこき使われるから、そろって神経衰弱になっちまう。話してみたまえ、たいていは馬鹿だから、自分のことと、自分の今《こん》日《にち》の、ただいまのことよりほかに、なにも考えてやしない。考えられないほど疲労しているんだからしかたがない。精神の困《こん》憊《ぱい》と、身体の衰弱とは不幸にしてともなっている。のみならず、道徳の敗退もいっしょに来ている。日本国じゅうどこを見渡したって、輝いてる断面は一寸四方もないじゃないか。ことごとく暗黒だ。そのあいだに立って僕一人が、なんと言ったって、なにをしたって、しようがないさ。僕は元来怠けものだ。いや、君といっしょに往来している時分から怠けものだ。あの時はしいて景気をつけていたから、君には有為多望のように見えたんだろう。そりゃ今だって、日本の社会が精神的、徳義的、身体的に、だいたいのうえにおいて健全なら、僕は依然として有為多望なのさ。そうなればやることはいくらでもあるからね。そうして僕の怠惰性に打ち勝つだけの刺激もまたいくらでもできてくるだろうと思う。しかしこれじゃだめだ。今のようなら僕はむしろ自分だけになっている。そうして、君のいわゆるありのままの世界を、ありのままで受け取って、そのうち僕にもっとも適したものに接触を保って満足する。進んでほかの人を、こっちの考えどおりにするなんて、とうていできた話じゃありゃしないもの――」
代助はちょっと息を継いだ。そうして、ちょっと窮屈そうに控えている三千代のほうを見て、お世辞をつかった。
「三千代さん。どうです私の考えは。ずいぶん呑《のん》気《き》でいいでしょう。賛成しませんか」
「なんだか厭《えん》世《せい》のような呑気のような妙なのね。私よくわからないわ。けれども、少しごまかしていらっしゃるようよ」
「へええ。どこんところを」
「どこんところって、ねえあなた」と三千代は夫を見た。平岡は股《もも》の上へ肱《ひじ》を乗せて、肱の上へ顎《あご》を載せて黙っていたが、なんにも言わずに盃を代助の前に出した。代助も黙って受けた。三千代はまた酌をした。
代助は盃へ唇をつけながら、これから先はもう言う必要がないと感じた。元来が平岡を自分のように考え直させるための弁論でもなし、また平岡から意見されに来た訪問でもない。二人はいつまでたっても、二人として離れていなければならない運命をもっているんだと、初めから心づいているから、議論はいいかげんに引き上げて、三千代の仲間入りのできるような、普通の社交上の題目に談話を持ってきようと試みた。
けれども、平岡は酔うとしつこくなる男であった。胸毛の奥まで赤くなった胸を突き出して、こう言った。
「そいつはおもしろい。大いにおもしろい。僕みたように局部に当たって、現実と悪闘しているものは、そんなことを考える余地がない。日本が貧弱だって、弱虫だって、働いているうちは、忘れているからね。世の中が墜落したって、世の中の堕落に気がつかないで、そのうちに活動するんだからね。君のような暇人から見れば日本の貧乏や、僕らの堕落が気になるかもしれないが、それはこの社会に用のない傍観者にしてはじめて口にすべきことだ。つまり自分の顔を鏡で見る余裕があるから、そうなるんだ。忙しい時は、自分の顔のことなんか、誰だって忘れているじゃないか」
平岡はしゃべってるうち、自然とこの比《ひ》喩《ゆ》にぶつかって、大いなる味方を得たような心持ちがしたので、そこで得意に一段落をつけた。代助はしかたなしに薄笑いをした。すると平岡はすぐ後を付け加えた。
「君は金に不自由しないからいけない。生活に困らないから、働く気にならないんだ。要するに坊ちゃんだから、品のいいようなことばっかり言っていて、――」
代助は少々平岡が小憎らしくなったので、突然中途で相手をさえぎった。
「働くのもいいが、働くなら、生活以上の働きでなくっちゃ名誉にならない。あらゆる神聖な労力は、みんなパンを離れている」
平岡は不思議に不愉快な目をして、代助の顔をうかがった。そうして、
「なぜ」と聞いた。
「なぜって、生活のための労力は、労力のための労力でないもの」
「そんな論理学の命題みたようなものはわからないな。もう少し実際的の人間に通じるような言葉で言ってくれ」
「つまり食うための職業は、誠実にゃできにくいという意味さ」
「僕の考えとはまるで反対だね。食うためだから、猛烈に働く気になるんだろう」
「猛烈には働けるかもしれないが誠実には働きにくいよ。食うための働きというと、つまり食うのと、働くのとどっちが目的だと思う」
「むろん食うほうさ」
「それみたまえ。食うほうが目的で働くほうが方便なら、食いやすいように、働き方を合わせて行くのが当然だろう。そうすりゃ、なにを働いたって、またどう働いたって、かまわない、ただパンが得られれば好いということに帰着してしまうじゃないか。労力の内容も方向も、ないし順序もことごとく他から制《せい》肘《ちゆう》される以上は、その労力は堕落の労力だ」
「まだ理論的だね、どうも。それでいっこうさしつかえないじゃないか」
「ではごく上品な例で説明してやろう。古くさい話だが、ある本でこんなことを読んだ覚えがある。織《お》田《だ》信《のぶ》長《なが》が、ある有名な料理人をかかえたところが、はじめて、その料理人のこしらえたものを食ってみるとすこぶるまずかったんで、たいへん小言を言ったそうだ。料理人のほうでは最上の料理を食わして、しかられたものだから、その次からは二流もしくは三流の料理を主人にあてがって、始終ほめられたそうだ。この料理人をみたまえ。生活のために働くことは抜け目のない男だろうが、自分の技芸たる料理その物のために働く点からいえば、すこぶる不誠実じゃないか、堕落料理人じゃないか」
「だってそうしなければ解雇されるんだからしかたがあるまい」
「だからさ。衣食に不自由のない人が、いわば、ものずきにやる働きでなくっちゃ、まじめな仕事はできるものじゃないんだよ」
「そうすると、君のような身分のものでなくっちゃ、神聖の労力はできないわけだ。じゃますますやる義務がある。なあ三千代」
「ほんとうですわ」
「なんだか話が、元へ戻っちまった。これだから議論はいけないよ」と言って、代助は頭をかいた。議論はそれで、とうとうおしまいになった。
代助は風呂へはいった。
「先生、どうです。お燗《かん》は。もう少し燃させましょうか」と門野が突然入り口から顔を出した。門野はこういうことにはよく気のつく男である。代助は、じっと湯につかったまま、
「結構」と答えた。すると、門野が、
「ですか」と言いすてて、茶の間の方へ引き返した。代助は門野の返事のし具合に、いたく興味をもって、ひとりにやにやと笑った。代助には人の感じえないことを感じる神経がある。それがため時々苦しい思いもする。ある時、友だちの御《お》親《や》爺《じ》さんが死んで、葬式の供に立ったが、ふとその友だちが装束を着て、青竹を突いて、柩《ひつぎ》のあとへついて行く姿を見ておかしくなって困ったことがある。またある時は、自分の父からお談義を聞いている最中に、なんの気もなく父の顔を見たら、急に吹き出したくなって弱り抜いたことがある。自宅に風呂を買わない時分には、つい近所の銭湯に行ったが、そこに一人の骨格のたくましい三《さん》助《すけ》がいた。これが行くたんびに、奥から飛び出して来て、流しましょうと言っては背中をこする。代助はそいつに体をごしごしやられるたびに、どうしても、エジプト人にやられているような気がした。いくら思い返しても日本人とは思えなかった。
まだ不思議なことがある。このあいだ、ある書物を読んだら、ウェバー《*》 という生理学者は自分の心臓の鼓動を、増したり、減らしたり、随意に変化さしたと書いてあったので、平生から鼓動を試験する癖のある代助は、ためしにやってみたくなって、一日《じつ》に二〜三回ぐらいこわごわながら試しているうちに、どうやら、ウェバーと同じようになりそうなので、急に驚いてやめにした。
湯のなかに、静かにつかっていた代助は、なんの気なしに右の手を左の胸の上へ持っていったが、どんどんという命の音を二、三度聞くやいなや、たちまちウェバーを思い出して、すぐ流しへ下りた。そうして、そこにあぐらをかいたまま、茫《ぼう》然《ぜん》と、自分の足を見つめていた。するとその足が変になりはじめた。どうも自分の胴からはえているんでなくて、自分とはまったく無関係のものが、そこに無作法に横たわっているように思われてきた。そうなると、今までは気がつかなかったが、実に見るに堪えないほど醜いものである。毛がむらに延びて、青い筋がところどころにはびこって、いかにも不思議な動物である。
代助はまた湯にはいって、平岡の言ったとおり、まったく暇がありすぎるので、こんなことまで考えるのかと思った。湯から出て、鏡に自分の姿を写したとき、また平岡の言葉を思い出した。幅の厚い西洋かみそりで、顎《あご》と頬《ほお》をそる段になって、その鋭い刃が、鏡の裏でひらめく色が、一種むずがゆいような気持ちを起こさした。これがはげしくなると、高い塔の上から、はるかの下を見下ろすのと同じになるのだと意識しながら、ようやくそりおわった。
茶の間を抜けようとする拍子に、
「どうも先生はうまいよ」と門野さんが婆さんに話していた。
「なにがうまいんだ」と代助は立ちながら、門野を見た。門野は、
「やあ、もうお上がりですか。早いですな」と答えた。この挨拶では、もう一ぺん、なにがうまいんだと聞かれもしなくなったので、そのまま書斎へ帰って、椅《い》子《す》に腰をかけて休息していた。
休息しながら、こう頭が妙な方面に鋭く働きだしちゃ、身体の毒だから、ちと旅行でもしようかと思ってみた。一つは近来持ち上がった結婚問題を避けるに都合がいいとも考えた。するとまた平岡のことが妙に気にかかって、転地する計画をすぐ打ち消してしまった。それをよく煎じつめてみると、平岡のことが気にかかるのではない、やっぱり三千代のことが気にかかるのである。代助はそこまで押してきても、べつだん不徳義とは感じなかった。むしろ愉快な心持ちがした。
代助が三千代と知り合いになったのは、今から四、五年前のことで、代助がまだ学生のころであった。代助は長井家の関係から、当時交際社会の表面にあらわれて出た、若い女の顔も名も、たくさんに知っていた。けれども三千代はその方面の婦人ではなかった。色合いから言うと、もっと地味で、気持ちからいうと、もう少し沈んでいた。そのころ、代助の学友に菅《すが》沼《ぬま》というのがあって、代助とも平岡とも、親しく付き合っていた。三千代はその妹《いもと》である。
この菅沼は東京近県のもので、学生になった二年目の春、修行のためと号して、国から妹を連れて来ると同時に、今までの下宿を引き払って、二人して家を持った。その時妹は国の高等女学校を卒業したばかりで、年はたしか十八とかいう話であったが、派手な半《はん》襟《えり》をかけて、肩上げをしていた。そうしてほどなくある女学校へ通いはじめた。
菅沼の家は谷《や》中《なか》の清《し》水《みず》町《ちよう》で、庭のない代わりに、縁側へ出ると、上野の森の古い杉が高く見えた。それがまた、さびた鉄のように、すこぶるあやしい色をしていた。その一本はほとんど枯れかかって、上の方には丸裸の骨ばかり残ったところに、夕方になると烏《からす》がたくさん集まって鳴いていた。隣には若い画《え》家《かき》が住んでいた。車もあまり通らない細い横町で、しごく閑静な住居《すまい》であった。
代助はそこへよく遊びに行った。はじめて三千代にあった時、三千代はただお辞儀をしただけで引っ込んでしまった。代助は上野の森を評して帰って来た。二へん行っても、三べん行っても、三千代はただお茶を持って出るだけであった。そのくせ狭い家だから、隣の室《へや》にいるよりほかはなかった。代助は菅沼と話しながら、隣の室に三千代がいて、自分の話を聞いているという自覚を去るわけに行かなかった。
三千代と口をききだしたのは、どんなはずみであったか、今では代助の記憶に残っていない。残っていないほど、瑣《さ》末《まつ》な尋常の出来事から起こったのだろう。詩や小説に厭《あ》いた代助には、それがかえっておもしろかった。けれどもいったん口をききだしてからは、やっぱり詩や小説と同じように、二人はすぐ心安くなってしまった。
平岡も、代助のように、よく菅沼の家へ遊びに来た。あるときは二人連れ立って、来たこともある。そうして、代助と前後して、三千代と懇意になった。三千代は兄とこの二人にくっついて、時々池《いけ》の端《はた》などを散歩したことがある。
四《よつ》人《たり》はこの関係で約二年足らず過ごした。すると菅沼の卒業する年の春、菅沼の母というのが、田舎《いなか》から遊びに出て来て、しばらく清水町に泊まっていた。この母は年に一、二度ずつは上京して、子供の家に五《ご》、六《ろく》日《んち》寝起きする例になっていたんだが、その時は帰る前日から熱が出だして、まったく動けなくなった。それが一週間の後チフスと判明したので、すぐ大学病院へ入れた。三千代は看護のため付き添いとしていっしょに病院に移った。病人の経過は、一時やや佳良であったが、中途からぶり返して、とうとう死んでしまった。そればかりではない。チフスが、見舞いに来た兄に伝染して、これもほどなく亡くなった。国にはただ父親が一人残った。
それが母の死んだ時も、菅沼の死んだ時も出て来て、始末をしたので、生前に関係の深かった代助とも平岡とも知り合いになった。三千代を連れて国へ帰る時は、娘とともに二人の下宿を別々にたずねて、暇《いとま》乞《ご》いかたがた礼を述べた。
その年の秋、平岡は三千代と結婚した。そうしてそのあいだに立ったものは代助であった。もっとも表向きは郷里の先輩を頼んで、媒《ばい》酌《しやく》人《にん》として式に連なってもらったのだが、身体を動かして、三千代のほうをまとめたものは代助であった。
結婚して間もなく二人は東京を去った。国にいた父は思わざるある事情のために余儀なくされて、これもまた北海道へ行ってしまった。三千代はどっちかといえば、今心細い境遇にいる。どうかして、この東京に落《おち》ついていられるようにしてやりたい気がする。代助はもう一ぺん嫂《あによめ》に相談して、このあいだの金を調達する工《く》面《めん》をしてみようかと思った。また三千代にあって、もう少し立ち入った事情をくわしく聞いてみようかと思った。
けれども、平岡へ行ったところで、三千代がむやみに洗いざらいしゃべり散らす女ではなし、よしんばどうして、そんな金がいるようになったかの事情を、詳しく聞きえたにしたところで、夫婦の腹の中なんぞは容易にさぐられるわけのものではない。――代助の心の底をよく見つめていると、彼のほんとうに知りたい点は、かえってここにあると、みずから承認しなければならなくなる。だから正直を言うと、なにゆえに金が入《いり》用《よう》であるかと研究する必要は、もうすでに通り越していたのである。実は外面の事情は聞いても聞かなくっても、三千代に金を貸して満足させたいほうであった。けれども三千代の歓心を買う目的をもって、その手段として金をこしらえる気はまるでなかった。代助は三千代に対して、それほど政略的な料《りよう》簡《けん》を起こす余裕をもっていなかったのである。
そのうえ平岡の留守へ行きあてて、今《こん》日《にち》までの事情を、特に経済の点に関してだけでも、十分聞き出すのは困難である。平岡が家にいる以上は、詳しい話のできないのは知れきっている。できても、それを一から十まで真《ま》に受けるわけにはゆかない。平岡は世間的ないろいろの動機から、代助に見栄を張っている。見栄の入らないところでも一種の考えから沈黙を守っている。
代助は、ともかくもまず嫂に相談してみようと決心した。そうして、自分ながらはなはだおぼつかないとは思った。今まで嫂にちびちび、無心を吹きかけたことは何度もあるが、こう短兵急に痛めつけるのははじめてである。しかし梅子は自分の自由になる資産をいくらか持っているから、あるいはできないともかぎらない。それでだめなら、また高利でも借りるのだが、代助はまだそこまでには気が進んでいなかった。ただ早晩平岡から表向きに、連帯責任を強《し》いられて、それを断わりきれないくらいなら、いっそこっちから進んで、直接に三千代を喜ばしてやるほうがはるかに愉快だという取捨の念だけはほとんど理屈を離れて、頭の中に潜んでいた。
生《なま》暖《あたた》かい風の吹く日であった。曇った天気がいつまでも無精に空に引《ひ》っかかって、なかなか暮れそうにない四時すぎから家を出て、兄の宅まで電車で行った。青《あお》山《やま》御《ご》所《しよ*》 の少し手前まで来ると、電車の左側を父と兄が綱《つな》曳《びき*》 で急がして通った。挨拶をする暇もないうちにすれ違ったから、向こうはもとより気がつかずに過ぎ去った。代助は次の停留所で下りた。
兄の家の門をはいると、客間でピアノの音がした。代助はちょっと砂利の上に立ちどまったが、すぐ左へ切れて勝手口の方へ回った。そこには格《こう》子《し》の外に、ヘクター《*》 という英国産の大きな犬が、大きな口を革《かわ》紐《ひも》でしばられてねていた。代助の足音を聞くやいなや、ヘクターは毛の長い耳をふるって、まだらな顔を急に上げた。そうして尾をうごかした。
入口の書生部屋をのぞき込んで、敷居の上に立ちながら、二言三言愛《あい》嬌《きよう》を言ったあと、すぐ西洋間の方へ来て、戸をあけると、嫂がピアノの前に腰をかけて両手を動かしていた。そのそばに縫子が袖《そで》の長い着物を着て、例の髪を肩まで掛けて立っていた。代助は縫子の髪を見るたんびに、ブランコに乗った縫子の姿を思い出す。黒い髪と、淡《と》紅《き》色《いろ》のリボンと、それから黄色い縮《ちり》緬《めん》の帯が、一時に風に吹かれて空《くう》に流れるさまを、あざやかに頭の中に刻み込んでいる。
母《おや》子《こ》は同時に振り向いた。
「おや」
縫子のほうは、黙ってかけて来た。そうして、代助の手をぐいぐい引っ張った。代助はピアノのそばまで来た。
「いかなる名人が鳴らしているのかと思った」
梅子はなんにも言わずに、額に八の字を寄せて、笑いながら手を振り振り、代助の言葉をさえぎった。そうして、向こうからこう言った。
「代《だい》さん、ここんところをちょっとやってみせてください」
代助は黙って嫂と入れかわった。譜を見ながら、両方の指をしばらくきれいに働かしたあと、
「こうだろう」と言って、すぐ席を離れた。
それから三十分ほどの間、母《おや》子《こ》してかわるがわる楽器の前へすわっては、一つところを復習していたが、やがて梅子が、
「もうよしましょう。あっちへ行って、御飯でもたべましょう。叔父さんもいらっしゃい」と言いながら立った。部屋のなかはもう薄暗くなっていた。代助はさっきから、ピアノの音を聞いて、嫂や姪《めい》の白い手の動く様子を見て、そうして時々は例の欄間の画《え》をながめて、三千代のことも、金を借りることもほとんど忘れていた。部屋を出る時、振り返ったら、紺青の波がくだけて、白く吹き返すところだけが、暗い中にはっきり見えた。代助はこの大《おお》濤《なみ》の上に黄《こ》金《がね》色《いろ》の雲の峰を一面に描《か》かした。そうして、その雲の峰をよく見ると、真《ま》裸《はだか》な女《によ》性《しよう》の巨人が、髪を乱し、身をおどらして、一団となって、あれ狂っているように、うまく輪郭を取らした。代助はヴァルキイル《*》 を雲に見立てたつもりでこの図を注文したのである。彼はこの雲の峰だか、また巨大な女性だか、ほとんど見分けのつかない、偉《い》な塊《かたまり》を脳中に髣《ほう》髴《ふつ》して、ひそかにうれしがっていた。がさてできあがって、壁の中へはめ込んでみると、想像したよりはまずかった。梅子とともに部屋を出た時は、このヴァルキイルはほとんど見えなかった。紺青の波はもとより見えなかった。ただ白い泡《あわ》の大きな塊が薄白く見えた。
居間にはもう電燈がついていた。代助はそこで、梅子とともに晩食をすました。子供二人も卓をともにした。誠太郎に兄の部屋からマニラを一本取ってこさして、それを吹かしながら、雑談をした。やがて、子供は明日《あした》の下読みをする時間だというので、母から注意を受けて、自分の部屋へ引き取ったので、あとは差し向かいになった。
代助は突然例の話を持ち出すのも、変なものだと思って、関係のないところからそろそろ進行を始めた。まず父と兄が綱《つなつ》曳《ぴき》で車を急がしてどこへ行ったのだとか、このあいだは兄さんに御《ご》馳《ち》走《そう》になったとか、あなたはなぜ麻《あざ》布《ぶ》の園遊会へ来なかったのだとか、お父さんの漢詩はたいてい法《ほ》螺《ら》だとか、いろいろ聞いたり答えたりしているうちに、一つ新しい事実を発見した。それはほかでもない。父と兄が、近来目に立つように、忙しそうに奔走しはじめて、この四《し》、五《ごん》日《ち》はろくろく寝るひまもないくらいだという報知である。全体なにが始まったんですと、代助は平気な顔で聞いてみた。すると、嫂も普通の調子で、そうですね、なにか始まったんでしょう。お父さんも、兄さんも私にはなんにもおっしゃらないから、知らないけれどもと答えて、代さんは、それよりかこのあいだのお嫁さんをと言いかけているところへ、書生がはいって来た。
今夜も遅くなる。もし、誰《だれ》と誰が来たら何とか屋へ来るように言ってくれという電話を伝えたまま、書生は再び出て行った。代助はまた結婚問題に話がもどると面倒だから、時に姉さん、ちっとお願いがあって来たんだが、とすぐ切り出してしまった。
梅子は代助の言うことを素《す》直《なお》に聞いていた。代助はすべてを話すに約十分ばかりを費やした。最後に、
「だから思いきって貸してください」と言った。すると梅子はまじめな顔をして、
「そうね。けれども全体いつ返す気なの」と思いも寄らぬことを問い返した。代助は顎《あご》の先を指でつまんだまま、じっと嫂の気色をうかがった。梅子はますますまじめな顔をして、またこう言った。
「皮肉じゃないのよ。おこっちゃいけませんよ」
代助はむろんおこってはいなかった。ただ姉《きよう》弟《だい》からこういう質問を受けようと予期していなかっただけである。いまさら返す気だの、もらうつもりだのと布《ふ》衍《えん》すればするほど馬鹿になるばかりだから、甘んじて打撃を受けていただけである。梅子はようやく手に余る弟《おとと》を取っておさえたような気がしたので、あとがたいへん言いやすかった。――
「代さん、あなたはふだんから私を馬鹿にしておいでなさる。――いいえ、厭《いや》味《み》を言うんじゃない、ほんとうのことなんですもの、しかたがない。そうでしょう」
「困りますね、そう真剣に詰問されちゃ」
「よござんすよ。ごまかさないでも。ちゃんとわかってるんだから。だから正直にそうだと言っておしまいなさい。そうでないと、あとが話せないから」
代助は黙ってにやにや笑っていた。
「でしょう。そら御覧なさい。けれども、それが当たり前よ。ちっともかまやしません。いくら私《わたし》がいばったって、あなたにかないっこないのはむろんですもの。私とあなたとは今までどおりの関係で、お互いに満足なんだから、文句はありゃしません。そりゃそれでいいとして、あなたはお父さんも馬鹿にしていらっしゃるのね」
代助は嫂の態度の真率なところが気に入った。それで、
「ええ、少しは馬鹿にしています」と答えた。すると梅子はさも愉快そうにハハハハと笑った。そうして言った。
「兄さんも馬鹿にしていらっしゃる」
「兄さんですか。兄さんは大いに尊敬している」
「嘘をおっしゃい。ついでだから、みんなぶちまけておしまいなさい」
「そりゃ、ある点では馬鹿にしないこともない」
「それ御覧なさい。あなたは一家族中ことごとく馬鹿にしていらっしゃる」
「どうも恐れ入りました」
「そんな言い訳はどうでも好いんですよ。あなたから見れば、みんな馬鹿にされる資格があるんだから」
「もう、よそうじゃありませんか。今日はなかなかきびしいですね」
「ほんとうなのよ。それでさしつかえないんですよ。喧《けん》嘩《か》もなにも起こらないんだから。けれどもね、そんなに偉いあなたが、なぜ私なんぞから、お金を借りる必要があるの。おかしいじゃありませんか。いえ、揚《あげ》足《あし》を取ると思うと、腹が立つでしょう。そんなんじゃありません。それほど偉いあなたでも、お金がないと、私みたようなものに頭を下げなけりゃならなくなる」
「だからさっきから頭を下げているんです」
「まだ本気で聞いていらっしゃらないのね」
「これが私の本気なところなんです」
「じゃ、それもあなたの偉いところかもしれない。しかし誰もお金を貸し手がなくって、今のお友だちを救ってあげることができなかったら、どうなさる。いくら偉くってもだめじゃありませんか。無能力なことは車屋とおんなじですもの」
代助は今まで嫂がこれほど適切な異見を自分に向かって加ええようとは思わなかった。実は金の工面を思い立ってから、自分でもこの弱点を冥《めい》々《めい》のうちに感じていたのである。
「まったく車屋ですね。だから姉さんに頼むんです」
「しかたがないのね、あなたは。あんまり、偉すぎて。一人でお金をお取んなさいな。ほんとうの車屋なら貸してあげないこともないけれども、貴方にはいやよ。だってあんまりじゃありませんか。月々兄さんやお父さんの厄《やつ》介《かい》になったうえに、人の分まで自分に引き受けて、貸してやろうっていうんだから。誰も出したくはないじゃありませんか」
梅子の言うところは実にもっともである。しかし代助はこのもっともを通り越して、気がつかずにいた。振り返って見ると、後ろの方に姉と兄と父がかたまっていた。自分もあともどりをして、世間並みにならなければならないと感じた。家《うち》を出る時、嫂から無心を断わられるだろうとは気づかった。けれどもそれがために、大いに働いて、みずから金を取らねばならぬという決心はけっして起こしえなかった。代助はこの事件をそれほど重くは見ていなかったのである。
梅子は、この機会を利用して、いろいろの方面から代助を刺激しようとつとめた。ところが代助には梅子の腹がよくわかっていた。わかればわかるほど激する気にならなかった。そのうち話題は金を離れて、再び結婚にもどってきた。代助は最近の候補者について、このあいだから親《おや》爺《じ》に二度ほど悩まされている。親爺の論理はいつ聞いても昔風にはなはだ義理堅いものであったが、その代わり今度はさほど権《けん》柄《ぺい》ずくでもなかった。自分の命の親に当たる人の血統を受けたものと縁組みをするのは結構なことであるから、もらってくれと言うんである。そうすればいくぶんか恩が返せると言うんである。要するに代助から見ると、なにが結構なのか、なにが恩返しに当たるのか、まるで筋の立たない主張であった。もっとも候補者自身については代助も格別の苦情は持っていなかった。だから父の言うことの当否は論弁の限りにあらずとして、もらえばもらってもかまわなかった。代助はこの二、三年来、すべての物に対して重きを置かない習慣になったごとく、結婚に対しても、あまり重きを置く必要を認めていなかった。佐《さ》川《がわ》の娘というのはただ写真で知っているばかりであるが、それだけでもたくさんなような気がした。――もっとも写真はだいぶ美しかった。――したがって、もらうとなれば、そう面倒な条件を持ち出す考えもなにもなかった。ただ、もらいましょうという確答が出なかっただけである。
その不《ふ》明《めい》晰《せき》な態度を、父に評させると、まるで要領を得ていない鈍《どん》物《ぶつ》同様の挨拶ぶりになる。結婚を生死の間に横たわる一大要件とみなして、あらゆる他のできごとを、これに従属させる考えの嫂から言わせると、不可思議になる。
「だって、あなただって、生涯一人でいる気でもないんでしょう。そうわがままを言わないで、いいかげんなところできめてしまったらどうです」と梅子は少しじれったそうに言った。
生涯一人でいるか、あるいは妾《めかけ》を置いて暮らすか、あるいは芸者と関係をつけるか、代助自身にも明瞭な計画はまるでなかった。ただ、今の彼は結婚というものに対して、他の独身者のように、あまり興味を持てなかったことはたしかである。これは、彼の性情が、いちずに物に向かって集注しえないのと、彼の頭が普通以上に鋭くって、しかもその鋭さが、日本現代の社会状況のために、幻像《イリユージヨン》打破の方面に向かって、今《こん》日《にち》まで多く費やされたのと、それから最後には、比較的金銭に不自由がないので、ある種類の女をだいぶ多く知っているのとの三か条に、帰着するのである。が代助はそこまで解剖して考える必要は認めていなかった。ただ結婚に興味がないという、自己に明らかな事実を握って、それに応じて未来を自然に延ばして行く気でいた。だから、結婚を必要事件と、初手から断定して、いつかこれを成立させようとあせる努力を、不自然であり、不合理であり、かつあまりに俗臭を帯びたものと解釈した。
代助はもとよりこんな哲理《フイロソフイー》を嫂に向かって講釈する気はなかった。が、だんだん押しつめられると、苦しまぎれに、
「だが、姉さん、僕はどうしても嫁をもらわなければならないのかね」と聞くことがある。代助はむろんまじめに聞くつもりだけれども、嫂のほうではあきれてしまう。そうして、自分を茶にするのだと取る。梅子はその晩代助に向かって、いつもの手続きを繰り返したあとで、こんなことを言った。
「妙なのね、そんなにいやがるのは。――いやなんじゃないって、口ではおっしゃるけれども、もらわなければ、いやなのとおんなしじゃありませんか。それじゃ誰か好きなのがあるんでしょう。そのかたの名をおっしゃい」
代助は今まで嫁の候補者としては、ただの一《いち》人《にん》も好いた女を頭の中に指名していた覚えがなかった。が、今こう言われた時、どういうわけか、不意に三千代という名が心に浮かんだ。つづいて、だからさっき言った金を貸してください、という文句がおのずから頭の中ででき上がった。――けれども代助はただ苦笑して嫂《あによめ》の前にすわっていた。
代助が嫂に失敗して帰った夜は、だいぶふけていた。彼はかろうじて青山の通りで、最後の電車を捕《つら》まえたくらいである。それにもかかわらず彼の話しているあいだには、父も兄も帰って来なかった。もっともそのあいだに梅子は電話口へ二へん呼ばれた。しかし、嫂の様子にべつだん変わったところもないので、代助はこっちから進んでなんにも聞かなかった。
その夜は雨催いの空が、地面と同じような色に見えた。停留所の赤い柱のそばに、たった一人立って電車を待ち合わしていると、遠い向こうから小さい火の玉があらわれて、それが一直線に暗い中を上《うえ》下《した》に揺れつつ代助の方に近づいて来るのが非常にさびしく感ぜられた。乗り込んでみると、誰もいなかった。黒い着物を着た車掌と運転手の間にはさまれて、一種の音にうずまって動いて行くと、動いている車の外は真っ暗である。代助は一人明るい中に腰をかけて、どこまでも電車に乗って、ついに下りる機会が来ないまで引っ張り回されるような気がした。
神《かぐ》楽《ら》坂《ざか》へかかると、ひっそりとした路《みち》が左右の二階家にはさまれて、細長く前をふさいでいた。中途まで上がって来たら、それが急に鳴りだした。代助は風が家《や》の棟《むね》にあたることと思って、立ちどまって暗い軒を見上げながら、屋根から空をぐるりと見回すうちに、たちまち一種の恐怖に襲われた。戸の障子とガラスの打ち合う音が、みるみるはげしくなって、ああ地震だと気がついたときは、代助の足は立ちながら半ばすくんでいた。その時代助は左右の二階家が坂を埋むべく、双方から倒れてくるように感じた。すると、突然右側の潜《くぐ》り戸《ど》をがらりとあけて、小供を抱いた一人の男が、地震だ地震だ、大きな地震だと言って出て来た。代助はその男の声を聞いてようやく安心した。
家へ着いたら、婆さんも門野も大いに地震の噂《うわさ》をした。けれども、代助は、二人とも自分ほどには感じなかったろうと考えた。寝てから、また三千代の依頼をどう所置しようかと思案してみた。しかし分別を凝《こ》らすまでには至らなかった。父と兄の近来の多忙は何事だろうと推《すい》してみた。結婚はぐずぐずにして置こうと了《りよう》簡《けん》を決めた。そうして眠りに入った。
その明《あく》日《るひ》の新聞にはじめて日糖事件《*》 なるものがあらわれた。砂糖を製造する会社の重役が、会社の金を使用して代議士の何名かを買収したという報知である。門野は例のごとく重役や代議士の拘引されるのを痛快だ痛快だと評していたが、代助にはそれほど痛快にも思えなかった。が、二《に》、三《さん》日《ち》するうちに取り調べを受けるものの数がだいぶ多くなってきて、世間ではこれを大疑獄のようにはやし立てるようになった。ある新聞ではこれを英国に対する検挙と称した。その説明には、英国大使が日糖株を買い込んで、損をして、苦情を鳴らしだしたので、日本政府も英国へ対する申し訳に手を下したのだとあった。
日糖事件の起こる少し前、東洋汽船という会社は、一割二分の配当をしたあとの半期に、八十万円の欠損を報告したことがあった。それを代助は記憶していた。その時の新聞がこの報告を評して信を置くに足らんと言ったことも記憶していた。
代助は自分の父と兄の関係している会社については何事も知らなかった。けれども、いつどんなことが起こるまいものでもないとは常から考えていた。そうして、父も兄もあらゆる点において神聖であるとは信じていなかった。もしやかましい吟味をされたなら、両方とも拘引に価する資格ができはしまいかとまで疑っていた。それほどでなくっても、父と兄の財産が、彼らの脳力と手腕だけで、誰が見てももっともと認めるように、作り上げられたとは肯《うけが》わなかった。明治の初年に横浜へ移住奨励のため、政府が移住者に土地を与えたことがある。その時ただもらった地面のおかげで、今は非常な金満家になったものがある。けれどもこれはむしろ天の与えた偶然である。父と兄のごときは、この自己にのみ幸福なる偶然を、人為的にかつ政略的に、暖《む》室《ろ》を造って、こしらえ上げたんだろうと代助は鑑定していた。
代助はこういう考えで、新聞記事に対しては別に驚きもしなかった。父と兄の会社についても心配をするほど正直ではなかった。ただ三千代のことだけが多少気にかかった。けれども、てぶらで行くのがおもしろくないんで、そのうちのことと腹の中で料簡を定めて、日《にち》々《にち》読書にふけって四《し》、五《ごん》日《ち》過ごした。不思議なことにその後例の金の件については、平岡からも三千代からもなんとも言ってこなかった。代助は心のうちに、あるいは三千代がまた一人で返事を聞きに来ることもあるだろうと、実は心待ちに待っていたのだが、その甲《か》斐《い》はなかった。
しまいにアンニュイを感じだした。どこか遊びに行くところはあるまいかと、娯楽案内をさがして、芝《しば》居《い》でも見ようという気を起こした。神楽坂から外《そと》濠《ぼり》線《せん*》 へ乗って、御《お》茶《ちや》の水《みず》まで来るうちに気が変わって、森《もり》川《かわ》町《ちよう*》 にいる寺《てら》尾《お》という同窓の友だちを尋ねることにした。この男は学校を出ると、教師はいやだから文学を職業とすると言いだして、ほかのもののとめるにもかかわらず、危険な商売をやりはじめた。やりはじめてから三年になるが、いまだに名声も上がらず、窮々言って原稿生活を持続している。自分の関係のある雑誌に、なんでもいいから書けとせまるので、代助は一度おもしろいものを寄草したことがある。それは一か月の間雑誌屋の店頭にさらされたぎり、永久人間世界からどこかへ、運命のために持って行かれてしまった。それぎり代助は筆を執ることを御免こうむった。寺尾はあうたんびに、もっと書け書けと勧める。そうして、おれを見ろというのが口癖であった。けれどもほかの人に聞くと、寺尾ももう堕落するだろうという評判であった。たいへんロシアものが好きで、ことに人が名前を知らない作家が好きで、なけなしの銭を工《く》面《めん》しては新刊物を買うのが道楽であった。あまり気炎が高かった時、代助が、文学者も恐露病《*》 にかかってるうちはまだだめだ。いったん日《にち》露《ろ》戦争を経過したものでないと話せないとひやかし返したことがある。すると寺尾はまじめな顔をして、戦争はいつでもするが、日露戦争後の日本のように往生しちゃつまらんじゃないか。やっぱり恐露病にかかってるほうが、卑《ひ》怯《きよう》でも安全だ、と答えてやっぱりロシア文学を鼓吹していた。
玄関から座敷へ通ってみると、寺尾は真ん中へ一《いつ》閑《かん》張《ばり*》 の机をすえて、頭痛がすると言って鉢《はち》巻《まき》をして、腕まくりで、帝国文学《*》 の原稿を書いていた。じゃまならまた来ると言うと、帰らんでもいい、もう今《け》朝《さ》から五《ご》五《ご》、二円五十銭だけかせいだからという挨拶であった。やがて鉢巻をはずして、話を始めた。始めるが早いか、今の日本の作家と評家を目の玉の飛び出るほど痛快に罵《ば》倒《とう》しはじめた。代助はそれをおもしろく聞いていた。しかし腹の中では、寺尾のことを誰もほめないので、その対抗運動として、自分のほうでひとをけなすんだろうと思った。ちと、そういう意見を発表したらいいじゃないかと勧めると、そうはいかないよと笑っている。なぜと聞き返しても答えない。しばらくして、そりゃ君のように気楽に暮らせる身分ならずいぶん言ってみせるが――なにしろ食うんだからね。どうせまじめな商売じゃないさ。と言った。代助は、それで結構だ、しっかりやりたまえと奨励した。すると寺尾は、いやちっとも結構じゃない。どうかして、まじめになりたいと思っている。どうだ、君ちっと金を貸して僕をまじめにする了《りよう》見《けん》はないかと聞いた。いや、君が今のようなことをして、それでまじめだと思うようになったら、その時貸してやろうとからかって、代助は表へ出た。
本《ほん》郷《ごう》の通りまで来たが倦《アン》怠《ニユイ》の感は依然としてもとのとおりである。どこをどう歩いても物足りない。といって、人の宅《うち》をたずねる気はもう出ない。自分を検査してみると、身体《からだ》全体が、大きな胃病のような心持ちがした。四丁目からまた電車へ乗って、今度は伝《でん》通《ずう》院《いん》前《*》 まで来た。車中で揺られるたびに、五尺何寸かある大きな胃《い》嚢《ぶくろ》の中で、腐ったものが、波を打つ感じがあった。三時すぎにぼんやり宅へ帰った。玄関で門野が、
「さっきお宅からお使いでした。手紙は書斎の机の上に載せておきました。受け取りはちょっと私が書いて渡しておきました」と言った。
手紙は古風な状箱のうちにあった。その赤塗りの表には名あてもなにも書かないで真《しん》鍮《ちゆう》の環《かん》に通した観《かん》世《じん》撚《より》の封じ目に黒い墨をつけてあった。代助は机の上を一目見て、この手紙の主は嫂《あによめ》だとすぐ悟った。嫂にはこういう旧式な趣味があって、それが思わぬ方角へ出てくる。代助は鋏《はさみ》の先で観《かん》世《じん》撚《より》の結び目を突っつきながら、面倒な手《て》数《かず》だと思った。
けれども中にあった手紙は、状箱とは正反対に簡単な、言文一致《*》 で用をすましていた。このあいだわざわざ来てくれた時は、おたのみどおり計らいかねて、お気の毒をした。あとから考えてみると、その時いろいろ無遠慮な失礼を言ったことが気にかかる。どうか悪く取ってくださるな。そのかわりお金をあげる。もっともみんなというわけにはゆかない。二百円だけ都合してあげる。からそれをすぐお友だちのところへ届けておあげなさい。これは兄《にい》さんにはないしょだからそのつもりでいなくってはいけない。奥さんのことも宿題にするという約束だから、よく考えて返事をなさい。
手紙の中に巻き込めて、二百円の小切手がはいっていた。代助は、しばらく、それをながめているうちに、梅子にすまないような気がしてきた。このあいだの晩、帰りがけに、向こうから、じゃお金はいらないのと聞いた。貸してくれと切り込んで頼んだ時は、ああ手きびしくはねつけておきながら、いざ断念して帰る段になると、かえって断わったほうから、掛《け》念《ねん》がってだめを押して出た。代助はそこに女《によ》性《しよう》の美しさと弱さとを見た。そうしてその弱さにつけ入る勇気を失った。この美しい弱点をもてあそぶに堪えなかったからである。ええいりません、どうかなるでしょうと言ってわかれた。それを梅子はひややかな挨拶と思ったにちがいない。そのひややかな言葉が、梅子の平生の思い切った動作の裏に、どこにか引っかかっていて、とうとうこの手紙になったのだろうと代助は判断した。
代助はすぐ返事を書いた。そうしてできるだけ暖かい言葉を使って感謝の意を表した。代助がこういう気分になることは兄に対してもない。父に対してもない。世間一般に対してはもとよりない。近来は梅子に対してもあまり起こらなかったのである。
代助はすぐ三千代のところへ出かけようかと考えた。実をいうと、二百円は代助にとって中途半《はん》端《ぱ》な額《たか》であった。これだけくれるなら、いっそ思い切って、こっちのねだったとおりにして、満足を買えばいいにという気も出た。が、それは代助の頭が梅子を離れて三千代のほうへ向いた時のことであった。そのうえ、女はいかに思い切った女でも、感情上中途半端なものであると信じている代助には、それがべつだん不平にも思えなかった。いな女のこういう態度のほうが、かえって男性の断然たる処置よりも、同情の弾力性を示している点において、快いものと考えていた。だから、もし二百円を自分に贈ったものが、梅子でなくって、父であったとすれば、代助は、それを経済的中途半端と解釈して、かえって不愉快な感に打たれたかもしれないのである。
代助は晩《ばん》食《めし》も食わずに、すぐまた表へ出た。五《ご》軒《けん》町《ちよう》から江《え》戸《ど》川《がわ》の縁《へり》を伝って、河を向こうへ越した時は、さっき散歩からの帰りのように精神の困《こん》憊《ぱい》を感じていなかった。坂をのぼって伝通院の横へ出ると、細く高い煙突が、寺と寺の間から、きたない煙《けむ》を、雲の多い空に吐いていた。代助はそれを見て、貧弱な工業が、生存のためにむりにつく呼《い》吸《き》を見苦しいものと思った。そうしてその近くに住む平岡と、この煙突とを暗々のうちに連想せずにはいられなかった。こういう場合には、同情の念より美醜の念が先に立つのが、代助の常であった。代助はこの瞬間に三千代のことをほとんど忘れてしまったくらい、空に散るあわれな石炭の煙に刺激された。
平岡の玄関の沓《くつ》脱《ぬ》ぎには女のはく重《かさ》ね草《ぞう》履《り》が脱ぎすててあった。格《こう》子《し》をあけると、奥の方から三千代が裾《すそ》を鳴らして出て来た。その時上がり口の二畳はほとんど暗かった。三千代はその暗い中にすわって挨拶をした。初めは誰が来たのか、よくわからなかったらしかったが、代助の声を聞くやいなや、どなたかと思ったら……とむしろ低い声で言った。代助ははっきり見えない三千代の姿を、常よりは美しくながめた。
平岡は不在であった。それを聞いた時、代助は話していやすいような、また話していにくいような変な気がした。けれども三千代のほうは常のとおり落ちついていた。ランプもつけないで、暗い室《へや》を閉《た》てきったまま二人ですわっていた。三千代は下女も留守だと言った。自分もさっきそこまで用たしに出て、今帰って夕食をすましたばかりだと言った。やがて平岡の話が出た。
予期したとおり、平岡は相変わらず奔走している。が、この一週間ほどは、あんまり外へ出なくなった。疲れたと言って、よく宅《うち》に寝ている。でなければ酒を飲む。人が尋ねて来ればなお飲む。そうしてよく怒る。さかんに人を罵《ば》倒《とう》する。のだそうである。
「昔と違って気が荒くなって困るわ」と言って、三千代は暗に同情を求める様子であった。代助は黙っていた。下女が帰って来て、勝手口でがたがた音をさせた。しばらくすると、胡《ご》麻《ま》竹《だけ》の台の着いたランプ《*》を持って出た。襖《ふすま》をしめる時、代助の顔をぬすむように見て行った。
代助は懐《ふところ》から例の小切手を出した。二つに折れたのをそのまま三千代の前に置いて、奥さん、と呼びかけた。代助が三千代を奥さんと呼んだのははじめてであった。
「せんだってお頼みの金ですがね」
三千代はなんにも答えなかった。ただ目をあげて代助を見た。
「実は、すぐにもと思ったんだけれども、こっちの都合がつかなかったものだから、つい遅くなったんだが、どうですか、もう始末はつきましたか」と聞いた。
その時三千代は急に心細そうな低い声になった。そうして怨《えん》ずるように、
「まだですわ。だって、片づくわけがないじゃありませんか」と言ったまま、目をみはってじっと代助を見ていた。代助は折れた小切手を取り上げて二つに開いた。
「これだけじゃだめですか」
三千代は手を伸ばして小切手を受け取った。
「ありがとう。平岡が喜びますわ」と静かに小切手を畳の上に置いた。
代助は金を借りて来た由来を、ごくざっと説明して、自分はこういう呑《のん》気《き》な身分のように見えるけれども、なにか必要があって、自分以外のことに、手を出そうとすると、まるで無能力になるんだから、そこは悪く思ってくれないようにと言い訳を付け加えた。
「それは、私も承知していますわ。けれども、困って、どうすることもできないものだから、つい無理をお願いして」と三千代は気の毒そうにわびを述べた。代助はそこで念を押した。
「それだけで、どうか始末がつきますか。もしどうしてもつかなければ、もう一ぺん工《く》面《めん》してみるんだが」
「もう一ぺん工面するって」
「判を押して高い利のつくお金を借りるんです」
「あら、そんなことを」と三千代はすぐ打ち消すように言った。「それこそたいへんよ。あなた」
代助は平岡の今苦しめられているのも、その起こりは、性《た》質《ち》の悪い金を借りはじめたのが転々して祟《たた》っているんだということを聞いた。平岡は、あの地で、最初のうちは、非常な勤勉家として通っていたのだが、三千代が産後心臓が悪くなって、ぶらぶらしだすと、遊びはじめたのである。それも初めのうちは、それほどはげしくもなかったので、三千代はただつきあい上やむをえないんだろうとあきらめていたが、しまいにはそれがだんだん高じて、程度《ほうず*》 がなくなるばかりなので三千代も心配をする。すれば身体《からだ》が悪くなる。なれば放《ほう》蕩《とう》がなおつのる。不親切なんじゃない。私が悪いんですと三千代はわざわざ断わった。けれどもまたさびしい顔をして、せめて小供でも生きていてくれたらさぞよかったろうと、つくづく考えたこともありましたと自白した。
代助は経済問題の裏面にひそんでいる、夫婦の関係をあらまし推察しえたような気がしたので、あまり多くこっちから問うのを控えた。帰りがけに、
「そんなに弱っちゃいけない。昔のように元気におなんなさい。そうしてちっと遊びにおいでなさい」と勇気をつけた。
「ほんとね」と三千代は笑った。彼らは互いの昔を互いの顔の上に認めた。平岡はとうとう帰って来なかった。
中二《ふつ》日《か》置いて、突然平岡が来た。その日は乾いた風が朗らかな天《そら》を吹いて、蒼《あお》いものが目に映る、常よりは暑い天気であった。朝の新聞に菖《しよう》蒲《ぶ》の案内が出ていた。代助の買った大きな鉢《はち》植《う》えの君《くん》子《し》蘭《らん》はとうとう縁側で散ってしまった。そのかわり脇《わき》差《ざ》しほども幅のある緑の葉が、茎を押しわけて長く延びてきた。古い葉は黒ずんだまま、日に光っている。その一枚がなにかの拍子に半分から折れて、茎を去る五寸ばかりのところで、急に鋭くさがったのが、代助には見苦しく見えた。代助は鋏《はさみ》を持って縁に出た。そうしてその葉を折れ込んだ手前から、きってすてた。時に厚い切り口が、急ににじむように見えて、しばらくながめているうちに、ぽたりと縁に音がした。切り口に集まったのは緑色の濃い重い汁であった。代助はそのにおいをかごうと思って、乱れる葉の中に鼻を突っ込んだ。縁側の滴《したた》りはそのままにしておいた。立ち上がって、袂《たもと》からハンケチを出して、鋏の刃をふいているところへ、門野が平岡さんがおいでですとしらせてきたのである。代助はその時平岡のことも三千代のことも、まるで頭の中に考えていなかった。ただ不思議な緑色の液体に支配されて、比較的世間に関係のない情調のもとに動いていた。それが平岡の名を聞くやいなや、すぐ消えてしまった。そうして、なんだかあいたくないような気持ちがした。
「こっちへお通し申しましょうか」と門野から催促されたとき、代助はうんと言って座敷へはいった。あとから席に導かれた平岡を見ると、もう夏の洋服を着ていた。襟《えり》も白シャツも新しいうえに、流行の編《あみ》襟《えり》飾《かざ*》 りをかけて、浪人とは誰にも受け取れないくらい、ハイカラに取りつくろっていた。
話してみると、平岡の事情は、依然として発展していなかった。もう近ごろは運動しても当分だめだから、毎日こうして遊んで歩く。それでなければ、宅に寝ているんだと言って、大きな声を出して笑って見せた。代助もそれがよかろうと答えたなり、後は当たらずさわらずの世間話に時間をつぶしていた。けれども自然に出る世間話というよりも、むしろある問題を回避するための世間話だから、両方ともに緊張を腹の底に感じていた。
平岡は三千代のことも、金のことも口へ出さなかった。したがって三日前代助が彼の留守宅を訪問したことについてもなにも語らなかった。代助も初めのうちは、わざと、その点に触れないですましていたが、いつまでたっても、平岡のほうでよそよそしく構えているので、かえって不安になった。
「実は二《に》、三《さん》日《ち》前君のところへ行ったが、君は留守だったね」と言いだした。
「うん。そうだったそうだね。その節はまたありがとう。おかげさまで。――なに、君を煩わさないでもどうかなったんだが、あいつがあまり心配しすぎて、つい君に迷惑をかけてすまない」と冷淡な礼を言った。それから、
「僕も実はお礼に来たようなものだが、ほんとうのお礼には、いずれ当人が出るだろうから」とまるで三千代と自分を別物にした言い分であった。代助はただ、
「そんな面倒なことをする必要があるものか」と答えた。話はこれで切れた。がまた両方に共通で、しかも、両方のあまり興味を持たない方面にずりすべって行った。すると、平岡が突然、
「僕はことによると、もう実業はやめるかもしれない。実際内幕を知れば知るほどいやになる。そのうえこっちへ来て、少し運動をしてみて、つくづく勇気がなくなった」と心底かららしい告白をした。代助は、一口、
「それは、そうだろう」と答えた。平岡はあまりこの返事の冷淡なのに驚いた様子であった。が、またあとをつけた。
「せんだってもちょっと話したんだが、新聞へでもはいろうかと思ってる」
「口があるのかい」と代助が聞き返した。
「今、一つある。たぶんできそうだ」
来た時は、運動してもだめだから遊んでいるというし、今は新聞に口があるから出ようというし、少し要領を欠いでいるが、追窮するのも面倒だと思って、代助は、
「それはおもしろかろう」と賛成の意を表しておいた。
平岡の帰りを玄関まで見送った時、代助はしばらく、障子に身を寄せて、敷居の上に立っていた。
門野もお付き合いに平岡の後ろ姿をながめていた。が、すぐ口を出した。
「平岡さんは思ったよりハイカラですな。あの服《な》装《り》じゃ、少し宅のほうがお粗末すぎるようです」
「そうでもないさ。近ごろはみんな、あんなものだろう」と代助は立ちながら答えた。
「まったく、服《な》装《り》だけじゃわからない世の中になりましたからね。どこの紳士かと思うと、どうも変ちきりんな家へはいってますからね」と門野はすぐあとをつけた。
代助は返事もしずに書斎へ引き返した。縁側に垂れた君子蘭の緑の滴《したた》りがどろどろになって、干上がりかかっていた。代助はわざと、書斎と座敷の仕切りを立てきって一人室《へや》のうちへはいった。来客に接したあとしばらくは、独座にふけるが代助の癖であった。ことに今日のように調子の狂う時は、格別その必要を感じた。
平岡はとうとう自分と離れてしまった。あうたんびに、遠くにいて応対するような気がする。実をいうと、平岡ばかりではない。誰にあってもそんな気がする。現代の社会は孤立した人間の集合体にすぎなかった。大地は自然に続いているけれども、その上に家を建てたら、たちまち切れ切れになってしまった。家の中にいる人間もまた切れ切れになってしまった。文明は我らをして孤立せしむるものだと、代助は解釈した。
代助と接近していた時分の平岡は、人に泣いてもらうことをよろこぶ人であった。今でもそうかもしれない。が、ちっともそんな顔をしないから、わからない。いな、つとめて、人の同情をしりぞけるようにふるまっている。孤立しても世は渡って見せるという我慢か、またはこれが現代社会に本来の面目だという悟りか、どっちかに帰着する。
平岡に接近していた時分の代助は、人のために泣くことの好きな男であった。それが次第次第に泣けなくなった。泣かないほうが現代的だからというのではなかった。事実はむしろこれを逆にして、泣かないから現代的だと言いたかった。泰《たい》西《せい》の文明の圧迫を受けて、その重荷の下にうなる、劇烈な生存競争場裏に立つ人で、真によく人のために泣きうるものに、代助はいまだかつて出あわなかった。
代助は今の平岡に対して、隔離の感よりもむしろ嫌《けん》悪《お》の念を催した。そうして向こうにも自己同様の念がきざしていると判じた。昔の代助も、時々わが胸のうちに、こういう影を認めて驚いたことがあった。その時は非常に悲しかった。今はその悲しみもほとんど薄くはがれてしまった。だから自分で黒い影をじっと見つめてみる。そうして、これが真《まこと》だと思う。やむをえないと思う。ただそれだけになった。
こういう意味の孤独の底に陥って煩《はん》悶《もん》するには、代助の頭はあまりにはっきりしすぎていた。彼はこの境遇をもって、現代人の踏むべき必然の運命と考えたからである。したがって、自分と平岡の隔離は、今の自分の眼《まなこ》に訴えてみて、尋常一般の径路を、ある点まで進行した結果にすぎないと見なした。けれども、同時に、両人《ふたり》の間に横たわる一種の特別な事情のため、この隔離が世間並みよりも早く到着したということも自覚せずにはいられなかった。それは三千代の結婚であった。三千代を平岡に周旋したものは元来が自分であった。それを当時に悔ゆるような薄弱な頭脳ではなかった。今日に至って振り返って見ても、自分の所作は、過去を照らすあざやかな名誉であった。けれども三年経過するうちに自然は自然に特有な結果を、彼《かれ》ら二《に》人《にん》の前に突きつけた。彼らは自己の満足と光輝をすてて、その前に頭を下げなければならなかった。そうして平岡は、ちらりちらりとなぜ三千代をもらったかと思うようになった。代助はどこかしらで、なぜ三千代を周旋したかという声を聞いた。
代助は書斎に閉じこもって一日考えに沈んでいた。晩食の時、門野が、
「先生今日は一日御勉強ですな。どうです、ちと御散歩になりませんか。今夜は寅《とら》毘《び》沙《しや*》 ですぜ。演芸館で支《ち》那《や》人《ん》の留学生が芝《しば》居《い》をやってます《*》 。どんなことをやるつもりですか、行ってごらんなすったらどうです。支那人てえやつは、臆《おく》面《めん》がないから、なんでもやる気だから呑《のん》気《き》なものだ。……」と一人でしゃべった。
代助はまた父から呼ばれた。代助にはその用事がたいていわかっていた。代助はふだんからなるべく父を避けて会わないようにしていた。このごろになってはなおさら奥へ寄りつかなかった。あうと、丁《てい》寧《ねい》な言葉を使って応対しているにもかかわらず、腹の中では、父を侮辱しているような気がしてならなかったからである。
代助は人類の一《いち》人《にん》として、互いを腹の中で侮辱することなしには、互いに接触をあえてしえぬ、現代の社会を、二十世紀の堕落と呼んでいた。そうして、これを、近来急に膨張した生活欲の高圧力が道義欲の崩壊をうながしたものと解釈していた。またこれをこれら新旧両欲の衝突と見なしていた。最後に、この生活欲のめざましい発展を、欧州から押し寄せた海嘯《つなみ》と心得ていた。
この二つの因数《フアクター》は、どこかで平衡を得なければならない。けれども、貧弱な日本が、欧州の最強国と、財力において肩をならべる日の来るまでは、この平衡は日本において得られないものと代助は信じていた。そうして、かかる日は、とうてい日本の上を照らさないものとあきらめていた。だからこの窮地に陥った日本紳士の多数は、日ごとに法律に触れない程度において、もしくはただ頭の中において、罪悪を犯さなければならない。そうして、相手が今いかなる罪悪を犯しつつあるかを、互いに黙知しつつ、談笑しなければならない。代助は人類の一《いち》人《にん》として、かかる侮辱を加うるにも、また加えらるるにも堪えなかった。
代助の父の場合は、一般に比べると、やや特殊的傾向を帯びるだけに複雑であった。彼は維新前の武士に固有な道義本位の教育を受けた。この教育は情意行為の標準を、自己以外の遠いところにすえて、事実の発展によって証明せらるべき手近な真《まこと》を、眼中に置かない無理なものであった。にもかかわらず、父は習慣にとらえられて、いまだにこの教育に執着している。そうして、一方には、劇烈な生活欲におかされやすい実業に従事した。父は実際において年々この生活欲のために腐食されつつ今日に至った。だから昔の自分と、今の自分の間には、大きな相違のあるべきはずである。それを父は自認していなかった。昔の自分が、昔どおりの心得で、今の事業をこれまでに成し遂げたとばかり公言する。けれども封建時代にのみ通用すべき教育の範囲をせばめることなしに、現代の生活欲を時々刻々にみたして行けるわけがないと代助は考えた。もし双方をそのままに存在させようとすれば、これをあえてする個人は、矛盾のために大苦痛を受けなければならない。もし内心にこの苦痛を受けながら、ただ苦痛の自覚だけ明らかで、なんのための苦痛だか分別がつかないならば、それは頭脳の鈍い劣等な人種である。代助は父に対するごとに、父は自己を隠《いん》蔽《ぺい》する偽君子か、もしくは分別の足らない愚物か、どっちかでなくてはならないような気がした。そうして、そういう気がするのがいやでならなかった。
といって、父は代助の手《て》際《ぎわ》で、どうすることもできない男であった。代助は明らかに、それがわかっていた。だから代助はいまだかつて父を矛盾の極端まで追いつめたことがなかった。
代助はすべての道徳の出立点は社会的事実よりほかにないと信じていた。はじめから頭の中にこわばった道徳をすえつけて、その道徳から逆に社会的事実を発展させようとするほど、本末を誤った話はないと信じていた。したがって日本の学校でやる、講釈の倫理教育は、無意義のものだと考えた。彼らは学校で昔風の道徳を教授している。それでなければ一般欧州人に適切な道徳をのみ込ましている。この劇烈なる生活欲に襲われた不幸な国民から見れば、迂遠の空談にすぎない。この迂遠な教育を受けたものは、他日社会を眼前に見る時、昔の講釈を思い出して笑ってしまう。でなければ馬《ば》鹿《か》にされたような気がする。代助に至っては、学校のみならず、現に自分の父から、もっとも厳格で、もっとも通用しない徳義上の教育を受けた。それがため、一時非常な矛盾の苦痛を、頭の中に起こした。代助はそれを恨めしく思っているくらいであった。
代助はこのまえ梅子に礼を言いに行った時、梅子からちょっと奥へ行って、挨拶をしていらっしゃいと注意された。代助は笑いながらお父さんはいるんですかとそらとぼけた。いらっしゃるわという確答を得た時でも、今日はちと急ぐからよそうと帰って来た。
今日はわざわざそのために来たのだから、いやでも応でも父にあわなければならない。相変わらず、内《ない》玄《げん》関《かん》の方から回って座敷へ来ると、珍らしく兄の誠吾があぐらをかいて、酒をのんでいた。梅子もそばにすわっていた。兄は代助を見て、
「どうだ、一《いつ》盃《ぱい》やらないか」と、前にあった葡《ぶ》萄《どう》酒《しゆ》の壜《びん》を持って振って見せた。中にはまだよほどはいっていた。梅子は手をたたいてコップを取り寄せた。
「当ててごらんなさい。どのくらい古いんだか」と一杯ついだ。
「代助にわかるものか」と言って、誠吾は弟の唇のあたりをながめていた。代助は一口飲んで盃《さかずき》を下へおろした。肴《さかな》のかわりに薄いウェーファー《*》 が菓子皿にあった。
「うまいですね」と言った。
「だから時代を当ててごらんなさいよ」
「時代があるんですか。偉いものを買い込んだもんだね。帰りに一本もらって行こう」
「おあいにくさま、もうこれぎりなの。到来物よ」と言って梅子は縁側へ出て、膝の上に落ちたウェーファーの粉をはたいた。
「兄《にい》さん、今日はどうしたんです。たいへん気楽そうですね」と代助が聞いた。
「今日は休養だ。このあいだじゅうはどうも忙しすぎて降参したから」と誠吾は火の消えた葉巻きを口にくわえた。代助は自分のそばにあったマッチをすってやった。
「代《だい》さんあなたこそ気楽じゃありませんか」と言いながら梅子が縁側から帰って来た。
「姉さん歌《か》舞《ぶ》伎《き》座《ざ》へ行きましたか。まだなら、行ってごらんなさい。おもしろいから」
「あなたもう行ったの、驚いた。あなたもよっぽど怠《なま》けものね」
「怠けものはよくない。勉強の方向が違うんだから」
「押しの強いことばかり言って。人の気も知らないで」と梅子は誠吾の方を見た。誠吾は赤い瞼《まぶた》をして、ぽかんと葉巻きのけむを吹いていた。
「ねえ、あなた」と梅子が催促した。誠吾はうるさそうに葉巻きを指の股《また》へ移して、
「今のうちたんと勉強してもらっておいて、今にこっちが貧乏したら、救ってもらうほうがいいじゃないか」と言った。梅子は、
「代さん、あなた役者になれて」と聞いた。代助はなんにも言わずに、コップを姉の前に出した。梅子も黙って葡萄酒の壜を取り上げた。
「兄さん、このあいだじゅうはなんだかたいへん忙しかったんだってね」と代助は前へもどって聞いた。
「いや、もう大弱りだ」と言いながら、誠吾は寝ころんでしまった。
「なにか日糖事件に関係でもあったんですか」と代助が聞いた。
「日糖事件に関係はないが、忙しかった」
兄の答えはいつでもこの程度以上に明《めい》瞭《りよう》になったことがない。実は明瞭に話したくないんだろうけれども、代助の耳には、それが本来の無《む》頓《とん》着《じやく》で、話すのが億《おつ》劫《くう》なためと聞こえる。だから代助はいつでも楽にその返事の中にはいっていた。
「日糖もつまらないことになったが、ああなる前にどうか方法はないんでしょうかね」
「そうさなあ。実際世の中のことは、なにがどうなるんだかわからないからな。――梅、今日は直《なお》木《き》に言いつけて、ヘクターを少し運動させなくっちゃいけないよ。ああ大食いをして寝てばかりいちゃ毒だ」と誠吾は眠そうな瞼を指でしきりにこすった。代助は、
「いよいよ奥へ行ってお父さんにしかられて来るかな」と言いながらまたコップを嫂《あによめ》の前に出した。梅子は笑って酒をついだ。
「嫁のことか」と誠吾が聞いた。
「まあ、そうだろうと思うんです」
「もらっておくがいい。そう老《とし》人《より》に心配さしたってしようがあるものか」と言ったが、今度はもっとはっきりした語勢で、
「気をつけないといかんよ。少し低気圧が来ているから」と注意した。代助は立ちかけながら、
「まさかこのあいだじゅうの奔走からきた低気圧じゃありますまいね」と念を押した。兄は寝ころんだまま、
「なんとも言えないよ。こうみえて、我々も日糖の重役と同じように、いつ拘引されるかわからない身体《からだ》なんだから」と言った。
「馬鹿なことをおっしゃるなよ」と梅子がたしなめた。
「やっぱり僕ののらくらが持ち来たした低気圧なんだろう」と代助は笑いながら立った。
廊下伝いに中庭を越して、奥へ来てみると、父は唐机《*》 の前へすわって、唐本を見ていた。父は詩が好きで、ひまがあるとおりおり支《し》那《な》人《じん》の詩集を読んでいる。しかし時によると、それがもっとも機《き》嫌《げん》のわるい索引になることがあった。そういうときは、いかに神経のふっくらでき上がった兄でも、なるべく近寄らないことにしていた。ぜひ顔を合わせなければならない場合には、誠太郎か、縫子か、どっちか引っ張って父の前へ出る手段を取っていた。代助も縁側まで来て、そこに気がついたが、それほどの必要もあるまいと思って、座敷を一つ通り越して、父の居間にはいった。
父はまず眼鏡《めがね》をはずした。それを読みかけた書物の上に置くと、代助の方に向き直った。そうして、ただ一《ひと》言《こと》、
「来たか」と言った。その語調は平常よりもかえって穏やかなくらいであった。代助は膝の上に手を置きながら、兄がまじめな顔をして、自分をかついだんじゃなかろうかと考えた。代助はそこでまた苦い茶を飲ませられて、しばらく雑談に時を移した。今年は芍《しやく》薬《やく》の出が早いとか、茶《ちや》摘《つ》み歌《うた》を聞いていると眠くなる時候だとか、どことかに、大きな藤《ふじ》があって、その花の長さが四尺足らずあるとか、話はいいかげんな方角へだいぶ長く延びて行った。代助はまたそのほうがかってなので、いつまでも延ばすようにと、あとからあとをつけていった。父もしまいには持て余して、とうとう、時に今日お前を呼んだのはと言いだした。
代助はそれから後は、一言も口をきかなくなった。ただつつしんで親《おや》爺《じ》の言うことをきいていた。父も代助からこういう態度に出られると、長い間自分一人で、講義でもするように、述べていかなくてはならなかった。しかしその半分以上は、過去を繰り返すだけであった。が代助はそれを、はじめて聞くと同程度の注意を払って聞いていた。
父の長《なが》談《だん》義《ぎ》のうちに、代助は二、三の新しい点も認めた。その一つは、お前はいったいこれからさきどうする料《りよう》簡《けん》なんだというまじめな質問であった。代助は今まで父からの注文ばかり受けていた。だから、その注文を曖《あい》昧《まい》にはずすことに慣れていた。けれども、こういう大質問になると、そう口から出まかせに答えられない。むやみなことを言えば、すぐ父をおこらしてしまうからである。といって正直を自白すると、二、三年間父の頭を教育したうえでなくっては、通じない理屈になる。代助はこの大質問に応じて、自分の未来を明瞭にいい破るだけの考えもなにももっていなかった。彼はそれが自分にとってもっともなところだと思っていた。けれども父に、そのとおりを話して、なるほどと納得させるまでには、たいへんな時間がかかる。あるいは生涯通じっこないかもしれない。父の気に入るようにするのは、なんでも、国家のためとか、天下のためとか、景気のいいことを、しかも結婚と両立しないようなことを、述べておけばすむのであるが、代助はいかに、自己を侮辱する気になっても、こればかりは馬《ば》鹿《か》気《げ》ていて、口へ出す勇気がなかった。そこでやむをえないから、実はいろいろ計画もあるが、いずれ秩序立ててきて、御相談をするつもりであると答えた。答えた後で、実に滑《こつ》稽《けい》だと思ったがしかたがなかった。
代助は次に、独立のできるだけの財産がほしくはないかと聞かれた。代助はむろんほしいと答えた。すると、父が、では佐川の娘をもらったらよかろうという条件をつけた。その財産は佐川の娘が持って来るのか、または父がくれるのかはなはだ曖《あい》昧《まい》であった。代助は少しその点に向かって進んでみたが、ついに要領を得なかった。けれども、それを突きとめる必要がないと考えてやめた。
次に、いっそ洋行する気はないかと言われた。代助は好いでしょうと言って賛成した。けれども、これにも、やっぱり結婚が先決問題として出て来た。
「そんなに佐川の娘をもらう必要があるんですか」と代助がしまいに聞いた。すると父の顔が赤くなった。
代助は父をおこらせる気は少しもなかったのである。彼の近ごろの主義として、人と喧《けん》嘩《か》をするのは、人間の堕落の一範《はん》疇《ちゆう》になっていた。喧嘩の一部分として、人をおこらせるのは、おこらせること自身よりは、おこった人の顔色が、いかに不愉快にわが目に映ずるかという点において、たいせつなわが生命を傷つける打撃にほかならぬと心得ていた。彼は罪悪についても彼自身に特有な考えをもっていた。けれども、それがために、自然のままにふるまいさえすれば、罰をまぬかれうるとは信じていなかった。人を斬《き》ったものの受くる罰は、斬られた人の肉から出る血潮であると固く信じていた。ほとばしる血の色を見て、清い心の迷乱を引き起こさないものはあるまいと感ずるからである。代助はそれほど神経の鋭い男であった。だから顔の色を赤くした父を見た時、妙に不快になった。けれどもこの罪を二重に償うために、父の言うとおりにしようという気はちっとも起こらなかった。彼は、一方において、自己の脳力に、非常な尊敬を払う男であったからである。
その時父はすこぶる熱した語気で、まず自分の年を取っていること、子供の未来が心配になること、子供に嫁を持たせるのは親の義務であるということ、嫁の資格その他については、本人よりも親のほうがはるかに周到な注意を払っているということ、ひとの親切は、その当時にこそよけいなお世話に見えるが、あとになると、もう一ぺんうるさく干渉してもらいたい時機が来るものであるということを、非常に丁寧に説いた。代助は慎重な態度で、きいていた。けれども、父の言葉が切れた時も、依然として許諾の意を表さなかった。すると父はわざとおさえた調子で、
「じゃ、佐川はやめるさ。そうして誰でもお前の好きなのをもらったら好いだろう。誰かもらいたいのがあるのか」と言った。これは嫂の質問と同様であるが、代助は梅子に対するように、ただ苦笑ばかりしてはいられなかった。
「別にそんなもらいたいのもありません」と明らかな返事をした。すると父は急に肝《かん》の発したような声で、
「じゃ、少しはこっちのことも考えてくれたら好かろう。なにもそう自分のことばかり思っていないでも」と急調子に言った。代助は、突然父が代助を離れて、彼自身の利害に飛び移ったのに驚かされた。けれどもその驚きは、論理なき急激の変化の上に注がれただけであった。
「あなたにそれほど御都合が好いことがあるなら、もう一ぺん考えてみましょう」と答えた。
父はますます機嫌をわるくした。代助は人と応対している時、どうしても論理を離れることのできない場合がある。それがため、よく人から、相手をやり込めるのを目的とするように受け取られる。実際をいうと、彼ほど人をやり込めることのきらいな男はないのである。
「なにもおれの都合ばかりで、嫁をもらえと言ってやしない」と父は前の言葉を訂正した。
「そんなに理屈を言うなら、参考のため、言って聞かせるが、お前はもう三十だろう、三十になって、普通のものが結婚をしなければ、世間ではなんと思うかたいていわかるだろう。そりゃ今は昔と違うから、独身も本人の随意だけれども、独身のために親や兄弟が迷惑したり、はては自分の名誉に関係するようなことが出《しゆつ》来《たい》したりしたらどうする気だ」
代助はただ茫《ぼう》然《ぜん》として父の顔を見ていた。父はどの点に向かって、自分を刺したつもりだか、代助にはほとんどわからなかったからである。しばらくして、
「そりゃ私のことだから少しは道楽もしますが……」と言いかけた。父はすぐそれをさえぎった。
「そんなことじゃない」
二人はそれぎりしばらく口をきかずにいた。父はこの沈黙をもって代助に向かって与えた打撃の結果と信じた。やがて、言葉を和らげて、
「まあ、よく考えてごらん」と言った。代助ははあと答えて、父の室《へや》を退いた。座敷へ来て兄をさがしたが見えなかった。嫂はと尋ねたら、客間だと下女が教えたので、行って戸をあけてみると、縫子のピアノの先生が来ていた。代助は先生にちょっと挨《あい》拶《さつ》をして、梅子を戸口まで呼び出した。
「あなたは僕のことをなにかお父さんに讒《ざん》訴《そ》しやしないか」
梅子はハハハハと笑った。そうして、
「まあおはいんなさいよ。ちょうど好いところだから」と言って、代助を楽器のそばまで引っ張って行った。
一〇
蟻《あり》の座敷へ上がる時候になった。代助は大きな鉢《はち》へ水を張って、その中に真っ白な鈴《すず》蘭《らん》を茎ごと漬《つ》けた。むらがる細かい花が、濃い模様の縁《ふち》を隠した。鉢を動かすと、花がこぼれる。代助はそれを大きな字引の上に載せた。そうして、そのそばに枕を置いて仰《あお》向《む》けに倒れた。黒い頭がちょうど鉢の陰になって、花から出るにおいが、いい具合に鼻にかよった。代助はその香をかぎながらうたた寝をした。
代助は時々尋常な外界から法外に痛烈な刺激を受ける。それがはげしくなると、晴天から来る日光の反射にさえ堪えがたくなることがあった。そういう時には、なるべく世間との交渉を希薄にして、朝でもひるでもかまわず寝る工夫をした。その手段には、きわめて淡い、甘味の軽い、花の香をよく用いた。瞼《まぶた》を閉じて、瞳《ひとみ》に落ちる光線を謝絶して、静かに鼻の穴だけで呼吸しているうちに、枕《まくら》元《もと》の花が、しだいに夢のほうへ、さわぐ意識を吹いて行く。これが成功すると、代助の神経が生れ代わったように落ちついて、世間との連絡が、前よりは比較的楽に取れる。
代助は父に呼ばれてから二、三日の間、庭の隅《すみ》に咲いた薔《ば》薇《ら》の花の赤いのを見るたびに、それが点々として目を刺してならなかった。その時は、いつでも、手水鉢《ちょうずばち》のそばにある、擬《ぎ》宝《ぼ》珠《しゆ》の葉に目を移した。その葉には、放《ほう》肆《し》な白い縞《しま》が、三筋か四筋、長く乱れていた。代助が見るたびに、擬宝珠の葉は延びてゆくように思われた。そうして、それとともに白い縞も、自由に拘束なく、延びるような気がした。柘榴《ざくろ》の花は、薔薇よりも派手にかつ重苦しく見えた。緑の間にちらりちらりと光って見えるくらい、強い色を出していた。したがってこれも代助の今の気分にはうつらなかった。
彼の今の気分は、彼に時々起こるごとく、総体のうえに一種の暗調を帯びていた。だからあまりに明るすぎるものに接すると、その矛盾に堪えがたかった。擬宝珠の葉も長く見つめていると、すぐいやになるくらいであった。
そのうえ彼は、現代の日本に特有なる一種の不安に襲われだした。その不安は人と人との間に信仰がない原因から起こる野蛮程度の現象であった。彼はこの心的現象のためにはなはだしき動揺を感じた。彼は神に信仰を置くことを喜ばぬ人であった。また頭脳の人として、神に信仰を置くことのできぬ性《た》質《ち》であった。けれども、相互に信仰を有するものは、神に依頼する必要がないと信じていた。相互が疑い合うときの苦しみを解《げ》脱《だつ》するために、神ははじめて存在の権利を有するものと解釈していた。だから、神のある国では、人が嘘をつくものときめた。しかし今の日本は、神にも人にも信仰のない国《くに》柄《がら》であるということを発見した。そうして、彼はこれを一に日本の経済事情に帰着せしめた。
四《し》、五《ごん》日《ち》前《ぜん》、彼は掏《す》摸《り》と結託して悪事を働いた刑事巡査の話を新聞で読んだ。それが一人や二人ではなかった。他の新聞のしるすところによれば、もし厳重に、それからそれへと、手を延ばしたら、東京は一時ほとんど無警察の有様に陥るかもしれないそうである。代助はその記事を読んだとき、ただ苦笑しただけであった。そうして、生活の大難に対抗せねばならぬ薄給の刑事が、悪いことをするのは、実際もっともだと思った。
代助が父にあって、結婚の相談を受けたときも、少しこれと同様の気がした。が、これはただ父に信仰がないところから起こる、代助にとって不幸な暗示にすぎなかった。そうして代助は自分の心のうちに、かかるいまわしい暗示を受けたのを、不徳義とは感じえなかった。それが事実となって眼前にあらわれても、やはり父をもっともだと肯《うけが》うつもりだったからである。
代助は平岡に対しても同様の感じをいだいていた。しかし平岡にとっては、それが当然なことであると許していた。ただ平岡を好く気になれないだけであった。代助は兄を愛していた。けれどもその兄に対してもやはり信仰はもちえなかった。嫂《あによめ》は実意のある女であった。しかし嫂は、直接生活の難関にあたらないだけ、それだけ兄よりも近づきやすいのだと考えていた。
代助は平生から、このくらいに世の中を打《うち》遣《や》っていた。だから、非常な神経質であるにもかかわらず、不安の念に襲われることは少なかった。そうして、自分でもそれを自覚していた。それが、どういう具合か急にうごきだした。代助はこれを生理上の変化から起こるのだろうと察した。そこである人が北海道から採って来たと言ってくれた鈴蘭の束を解いて、それをことごとく水の中に浸して、その下に寝たのである。
一時間ののち、代助は大きな黒い目をあいた。その目は、しばらくの間一つ所にとどまってまったく動かなかった。手も足も寝ていた時の姿勢を少しもくずさずに、まるで死人のそれのようであった。その時一匹の黒い蟻が、ネルの襟《えり》を伝わって、代助の咽《の》喉《ど》に落ちた。代助はすぐ右の手を動かして咽喉をおさえた。そうして、額に皺《しわ》を寄せて、指の股《また》にはさんだ小さな動物を、鼻の上まで持って来てながめた。その時蟻はもう死んでいた。代助は人《ひと》指《さし》指《ゆび》の先についた黒いものを、親指の爪《つめ》で向こうへはじいた。そうして起き上がった。
膝のまわりに、まだ三、四匹はっていたのを、薄い象《ぞう》牙《げ》のペーパーナイフで打ち殺した。それから手をたたいて人を呼んだ。
「お目ざめですか」と言って、門野が出て来た。
「お茶でも入れて来ましょうか」と聞いた。代助は、はだかった胸をかき合わせながら、
「君、僕の寝ていたうちに、誰か来やしなかったかね」と、静かな調子で尋ねた。
「ええ、おいででした。平岡の奥さんが。よく御存じですな」と門野は平気に答えた。
「なぜ起こさなかったんだ」
「あんまりよくお休みでしたからな」
「だってお客ならしかたがないじゃないか」
代助の語勢は少し強くなった。
「ですがな。平岡の奥さんのほうで、起こさないほうが好いって、おっしゃったもんですからな」
「それで、奥さんは帰ってしまったのか」
「なに帰ってしまったというわけでもないんです。ちょっと神《かぐ》楽《ら》坂《ざか》に買い物があるから、それをすましてまた来るからって、言われるもんですからな」
「じゃまた来るんだね」
「そうです。実はお目覚めになるまで待っていようかって、この座敷まで上がって来られたんですが、先生の顔を見て、あんまりよく寝ているもんだから、こいつは、容易に起きそうもないと思ったんでしょう」
「また出て行ったのかい」
「ええ、まあそうです」
代助は笑いながら、両手で寝起きの顔をなでた。そうして風呂場へ顔を洗いに行った。頭をぬらして、縁側まで帰って来て、庭をながめていると、前よりは気分がだいぶ晴《せい》々《せい》した。曇った空を燕《つばめ》が二羽飛んでいる様が大いに愉快に見えた。
代助はこのまえ平岡の訪問を受けてから、心待ちにあとから三千代の来るのを待っていた。けれども、平岡の言葉はついに事実として現われてこなかった。特別の事情があって、三千代がわざと来ないのか、また平岡がはじめからお世辞を使ったのか、疑問であるが、それがため、代助は心のどこかに空虚を感じていた。しかし彼はこの空虚な感じを、一つの経験として日常生活中に見いだしたまでで、その原因をどうするの、こうするのという気はあまりなかった。この経験自身の奥をのぞき込むと、それ以上に暗い影がちらついているように思ったからである。
それで彼は進んで平岡を訪問するのを避けていた。散歩のとき彼の足は多く江《え》戸《ど》川《がわ》の方角に向いた。桜の散る時分には、夕暮の風に吹かれて、四つの橋をこちらから向こうへ渡り、向こうからまたこちらへ渡り返して、長い堤《どて》を縫うように歩いた。がその桜はとくに散ってしまって、今は緑《りよく》蔭《いん》の時節になった。代助は時々橋の真ん中に立って、欄《らん》干《かん》に頬《ほお》杖《づえ》を突いて、茂る葉の中を、まっすぐに通っている、水の光をながめつくして見る。それからその光の細くなった先の方に、高くそびえる目《め》白《じろ》台《だい》の森を見上げてみる。けれども橋を向こうへ渡って、小《こ》石《いし》川《かわ》の坂を上がることはやめにして帰るようになった。ある時彼は大《おお》曲《まがり》のところで、電車をおりる平岡の影を半町ほど手前から認めた。彼はたしかにそうにちがいないと思った。そうして、すぐ揚《あげ》場《ば》の方へ引き返した。
彼は平岡の安否を気にかけていた。まだ坐《い》食《ぐい》の不安な境遇におるにちがいないとは思うけれども、あるいはどの方面かへ、生活の行路を切り開く手がかりができたかもしれないとも想像してみた。けれども、それをたしかめるために、平岡の後を追う気にはなれなかった。彼は平岡に面するときの、原因不明な一種の不快を予想するようになった。といって、ただ三千代のためにのみ、平岡の位地を心配するほど、平岡をにくんでもいなかった。平岡のためにも、やはり平岡の成功を祈る心はあったのである。
こんなふうに、代助は空虚なるわが心の一角をいだいて今日に至った。いまさきがた門野を呼んで括《くく》り枕《まくら*》 を取り寄せて、ひるねをむさぼった時は、あまりに撥《はつ》剌《らつ》たる宇宙の刺激に堪えなくなった頭を、できるならば、蒼《あお》い色のついた、深い水の中に沈めたいくらいに思った。それほど彼は命を鋭く感じすぎた。したがって熱い頭を枕へつけた時は、平岡も三千代も、彼にとってほとんど存在していなかった。彼は幸いにして涼しい心《こころ》持《も》ちに寝た。けれどもその穏やかな眠りのうちに、誰かすうと来て、またすうと出て行ったような心持ちがした。目をさまして起き上がってもその感じがまだ残っていて、頭からぬぐいさることができなかった。それで門野を呼んで、寝ている間に誰か来はしないかと聞いたのである。
代助は両手を額に当てて、高い空をおもしろそうに切って回る燕《つばめ》の運動を縁側からながめていたが、やがて、それが目まぐるしくなったので、室《へや》の中へはいった。けれども、三千代がまたたずねて来るという目前の予期が、すでに気分の平調を冒しているので、思索も読書もほとんど手につかなかった。代助はしまいに本《ほん》棚《だな》の中から、大きな画《が》帖《ちよう》を出してきて、膝の上に広げて、繰りはじめた。けれども、それも、ただ指の先で順々にあけていくだけであった。一つ画《え》を半《はん》分《ぶん》とは味わっていられなかった。やがてブランギン《*》 のところへ来た。代助は平生からこの装飾画家に多大の趣味をもっていた。彼の目は常のごとく輝きを帯びて、一《ひと》度《たび》はその上に落ちた。それはどこかの港の図であった。背景に船と檣《ほばしら》と帆を大きくかいて、その余った所に、際《きわ》立《だ》って花やかな空の雲と、蒼《あお》黒《ぐろ》い水の色をあらわした前に、裸体の労働者が四、五人いた。代助はこれらの男性の、山のごとくにいからした筋肉の張り具合や、彼らの肩から背へかけて、肉塊と肉塊が落ち合って、そのあいだに渦《うず》のような谷を作っている模様を見て、そこにしばらく肉の力の快感を認めたが、やがて、画帖を開けたまま、目を放して耳を立てた。すると勝手の方で婆《ばあ》さんの声がした。それから牛乳配達が空《あき》壜《びん》を鳴らして急ぎ足に出て行った。宅《うち》のうちが静かなので、鋭い代助の聴神経にはよくこたえた。
代助はぼんやり壁を見つめていた。門野をもう一ぺん呼んで、三千代がまたくる時間を、言い置いて行ったかどうか尋ねようと思ったが、あまり愚だからはばかった。そればかりではない、人の細君が訪ねて来るのを、それほど待ち受ける趣意がないと考えた。またそれほど待ち受けるくらいなら、こちらからいつでも行って話をすべきであると考えた。この矛盾の両面を双《そう》対《たい》に見た時、代助は急に自己の没論理に恥じざるを得なかった。彼の腰は半ば椅《い》子《す》を離れた。けれども彼はこの没論理の根底に横《よこ》たわるいろいろの因数《ファクター》を自分でよく承知していた。そうして、今の自分にとっては、この没論理の状態が、唯《ゆい》一《いつ》の事実であるからしかたないと思った。かつ、この事実と衝突する論理は、自己に無関係な命題をつなぎ合わしてでき上がった、自己の本体を蔑《べつ》視《し》する、形式にすぎないと思った。そう思ってまた椅子へ腰をおろした。
それから、三千代の来るまで、代助はどんなふうに時をすごしたか、ほとんど知らなかった。表に女の声がした時、彼は胸に一鼓動を感じた。彼は論理においてもっとも強い代わりに、心臓の作用においてもっとも弱い男であった。彼は近来おこれなくなったのは、まったく頭のおかげで、腹を立てるほど自分を馬鹿にすることを、理知が許さなかったからである。がその他の点においては、尋常以上に情緒の支配を受けるべく余儀なくされていた。取り次ぎに出た門野が足音を立てて、書斎の入《いり》口《ぐち》にあらわれた時、血色のいい代助の頬《ほお》はかすかにつやを失っていた。門野は、
「こっちにしますか」とはなはだ簡単に代助の意向をたしかめた。座敷へ案内するか、書斎であうかと聞くのが面倒だから、こうつめてしまったのである。代助はうんと言って、入口に返事を待っていた門野を追い払うように、自分で立って行って、縁側へ首を出した。三千代は縁側と玄関の継ぎ目の所に、こちらを向いてためらっていた。
三千代の顔はこのまえあった時よりはむしろ蒼《あお》白《じろ》かった。代助に目と顎で招かれて書斎の入口へ近寄った時、代助は三千代の息をはずましていることに気がついた。
「どうかしましたか」と聞いた。
三千代はなんにも答えずに室《へや》の中にはいって来た。セルの単衣《ひとえ》の下に襦《じゆ》袢《ばん》を重ねて、手に大きな白い百《ゆ》合《り》の花を三本ばかりさげていた。その百合をいきなりテーブルの上に投げるように置いて、その横にある椅子へ腰を卸《おろ》した。そうして、結《ゆ》ったばかりの銀《いち》杏《よう》返《がえし》を、かまわず、椅子の背に押しつけて、
「ああ苦しかった」と言いながら、代助の方を見て笑った。代助は手をたたいて水を取り寄せようとした。三千代は黙ってテーブルの上をさした。そこには代助の食後のうがいをするガラスのコップがあった。中に水が二口ばかり残っていた。
「きれいなんでしょう」と三千代が聞いた。
「こいつはさっき僕が飲んだんだから」と言って、コップを取り上げたが、躊《ちゆう》躇《ちよ》した。代助のすわっている所から、水をすてようとすると、障子の外に硝子戸が一枚じゃまをしている。門野は毎朝縁側の硝子戸を一、二枚ずつあけないで、元のとおりに放っておく癖があった。代助は席を立って、縁へ出て、水を庭へあけながら、門野を呼んだ。今いた門野はどこへ行ったか、容易に返事をしなかった。代助は少しまごついて、また三千代の所へ帰って来て、
「今すぐ持って来てあげる」と言いながら、せっかくあけたコップをそのまま洋卓の上に置いたなり、勝手の方へ出て行った。茶の間を通ると、門野は無細工な手をして錫《すず》の茶《ちや》壷《つぼ》から玉露をつまみ出していた。代助の姿を見て、
「先生、今じきです」と言い訳をした。
「茶は後でも好い。水がいるんだ」と言って、代助は自分で台所へ出た。
「はあ、そうですか。あがるんですか」と茶壷を放り出して門野もついて来た。二人でコップをさがしたがちょっと見つからなかった。婆さんはと聞くと、今お客さんの菓子を買いに行ったという答えであった。
「菓子がなければ、早く買っておけばいいのに」と代助は水道の栓《せん》をねじって湯《ゆ》呑《のみ》に水をあふらせながら言った。
「つい、小《お》母《ば》さんに、お客さんの来ることを言っておかなかったものですからな」と門野は気の毒そうに頭をかいた。
「じゃ、君が菓子を買いに行けばいいのに」と代助は勝手を出ながら、門野にあたった。門野はそれでも、まだ、返事をした。
「なに菓子のほかにも、まだいろいろ買い物があるって言うもんですからな。足は悪し天気はよくないし、よせばいいんですのに」
代助は振り向きもせず、書斎へもどった。敷居をまたいで、中へはいるやいなや三千代の顔を見ると、三千代はさっき代助の置いて行ったコップを膝の上に両手で持っていた。そのコップの中には代助が庭へあけたと同じくらいに水がはいっていた。代助は湯呑を持ったまま、茫《ぼう》然《ぜん》として、三千代の前に立った。
「どうしたんです」と聞いた。三千代はいつものとおり落ちついた調子で、
「ありがとう。もうたくさん。今あれを飲んだの。あんまりきれいだったから」と答えて鈴蘭のつけてある鉢をかえりみた。代助はこの大《おお》鉢《はち》の中に水を八分目ほど張っておいた。妻《つま》楊《よう》枝《じ》ぐらいな細い茎の薄青い色が、水の中にそろっている間から、陶《やき》器《もの》の模様がほのかに浮いて見えた。
「なぜあんなものを飲んだんですか」と代助はあきれて聞いた。
「だって毒じゃないでしょう」と三千代は手に持ったコップを代助の前へ出して、透かして見せた。
「毒でないったって、もし二《ふつ》日《か》も三《みつ》日《か》もたった水だったらどうするんです」
「いえ、さっき来た時、あのそばまで顔を持って行ってかいでみたの。その時、たった今その鉢へ水を入れて、桶《おけ》から移したばかりだって、あのかたが言ったんですもの。大丈夫だわ。好いにおいね」
代助は黙って椅子へ腰をおろした。はたして詩のために鉢の水をのんだのか、または生理上の作用にうながされて飲んだのか、追窮する勇気も出なかった。よし前者としたところで、詩をてらって、小説のまねなぞをした受け売りの所作とは認められなかったからである。そこで、ただ、
「気分はもう好くなりましたか」と聞いた。
三千代の頬《ほお》にようやく色が出て来た。袂《たもと》からハンケチを取り出して、口のあたりをふきながら話を始めた。――たいていは伝《でん》通《ずう》院《いん》前《まえ》から電車へ乗って本《ほん》郷《ごう》まで買い物に出るんだが、人に聞いてみると、本郷のほうは神《かぐ》楽《ら》坂《ざか》に比べて、どうしても一割か二割物が高いというので、このあいだから一、二度こっちのほうへ出て来てみた。このまえも寄るはずであったが、つい遅くなったので急いで帰った。今日はそのつもりで早く宅《うち》を出た。が、おやすみ中だったので、また通りまで行って買い物をすまして帰りがけに寄ることにした。ところが天気模様が悪くなって、藁《わら》店《だな*》 を上がりかけるとぽつぽつ降りだした。傘《かさ》を持って来なかったので、ぬれまいと思って、つい急ぎすぎたものだから、すぐ身体にさわって、息が苦しくなって困った。――
「けれども、慣れっこになってるんだから、驚きゃしません」と言って、代助を見てさみしい笑い方をした。
「心臓のほうは、まだすっかりよくないんですか」と代助は気の毒そうな顔で尋ねた。
「すっかりよくなるなんて、生涯だめですわ」
意味の絶望なほど、三千代の言葉は沈んでいなかった。ほそい指をそらしてはめている指《ゆび》環《わ》を見た。それから、ハンケチを丸めて、また袂へ入れた。代助は目をふせた女の額の、髪に連なるところをながめていた。
すると、三千代は急に思い出したように、このあいだの小切手の礼を述べだした。その時なんだか少し頬を赤くしたように思われた。視感の鋭敏な代助にはそれがよくわかった。彼はそれを、貸借に関した羞《しゆう》恥《ち》の血潮とのみ解釈した。そこで話をすぐよそへそらした。
さっき三千代がさげてはいって来た百合の花が、依然としてテーブルの上に載っている。甘たるい強い香が二人の間に立ちつつあった。代助はこの重苦しい刺激を鼻の先に置くに堪えなかった。けれども無断で、取りのけるほど、三千代に対して思い切ったふるまいができなかった。
「この花はどうしたんです。買って来たんですか」と聞いた。三千代は黙ってうなずいた。そうして、
「好いにおいでしょう」と言って、自分の鼻を弁《はなびら》のそばまで持って来て、ふんとかいでみせた。代助は思わず足をまっすぐに踏ん張って、身を後ろの方へそらした。
「そうそばでかいじゃいけない」
「あらなぜ」
「なぜって理由もないんだが、いけない」
代助は少し眉《まゆ》をひそめた。三千代は顔をもとの位地にもどした。
「あなた、この花、おきらいなの?」
代助は椅子の足を斜めに立てて、身体を後ろへ伸ばしたまま、答えをせずに、微笑してみせた。
「じゃ、買って来なくっても好かったのに。つまらないわ、回り路《みち》をして。おまけに雨に降られそくなって、息を切らして」
雨はほんとうに降ってきた。雨《あま》滴《だれ》が樋《とい》に集まって、流れる音がざあと聞こえた。代助は椅子から立ち上がった。目の前にある百合の束を取り上げて、根元をくくった濡《ぬれ》藁《わら》をむしり切った。
「僕にくれたのか。そんなら早くいけよう」と言いながら、すぐさっきの大鉢の中に投げ込んだ。茎が長すぎるので、根が水をはねて、飛び出しそうになる。代助は滴《したた》る茎をまた鉢から抜いた。そうしてテーブルの引出しから西《せい》洋《よう》鋏《ばさみ》を出して、ぷつりぷつりと半分ほどの長さにきり詰めた。そうして、大きな花を、鈴蘭のむらがる上に浮かした。
「さあこれで好い」と代助は鋏をテーブルの上に置いた。三千代はこの不思議な無作法にいけられた百合を、しばらく見ていたが、突然、
「あなた、いつからこの花がお嫌いになったの」と妙な質問をかけた。
昔三千代の兄がまだ生きていた時分、ある日なにかのはずみに、長い百合を買って、代助が谷《や》中《なか》の家をたずねたことがあった。その時彼は三千代にあやしげな花《はな》瓶《いけ》の掃《そう》除《じ》をさして、自分で、大事そうに買って来た花をいけて、三千代にも、三千代の兄にも、床へ向き直ってながめさしたことがあった。三千代はそれを覚えていたのである。
「あなただって、鼻をつけてかいでいらしったじゃありませんか」と言った。代助はそんなことがあったようにも思って、しかたなしに苦笑した。
そのうち雨はますます深くなった。家を包んで遠い音がきこえた。門野が出てきて、少し寒いようですな、ガラス戸をしめましょうかと聞いた。ガラス戸を引く間、二人は顔をそろえて庭の方を見ていた。青い木の葉がことごとくぬれて、静かな湿《しめ》り気《け》が、ガラス越しに代助の頭に吹き込んできた。世の中の浮いているものは残らず大地の上に落ちついたように見えた。代助は久しぶりでわれに返った心持ちがした。
「好い雨ですね」と言った。
「ちっともよかないわ、私《わたし》、草《ぞう》履《り》をはいて来たんですもの」
三千代はむしろ恨めしそうに樋からもるあまだれをながめた。
「帰りには車を言いつけてあげるからいいでしょう。ゆっくりなさい」
三千代はあまりゆっくりできそうな様子も見えなかった。まともに、代助の方を見て、
「あなたも相変わらず呑《のん》気《き》なことおっしゃるのね」とたしなめた。けれどもその目元には笑いの影がうかんでいた。
今まで三千代の陰に隠れてぼんやりしていた平岡の顔が、この時明らかに代助の心の瞳《ひとみ》に映った。代助は急に薄暗がりから物に襲われたような気がした。三千代はやはり、離れがたい黒い影を引きずって歩いている女であった。
「平岡君はどうしました」とわざとなにげなく聞いた。すると三千代の口元がこころもち締まって見えた。
「相変わらずですわ」
「まだなんにも見《め》っからないんですか」
「そのほうはまあ安心なの。来月から新聞のほうがたいていできるらしいんです」
「そりゃ好かった。ちっとも知らなかった。そんなら当分それで好いじゃありませんか」
「ええ、まあありがたいわ」と三千代は低い声でまじめに言った。代助は、その時三千代をたいへんかわいく感じた。引き続いて、
「あっちのほうは差し当たり責められるようなこともないんですか」と聞いた。
「あっちのほうって――」と少しためらっていた三千代は、急に顔をあからめた。
「私、実は今日それでおわびにあがったのよ」と言いながら、一度うつむいた顔をまた上げた。
代助は少しでも気まずい様子を見せて、この上にも、女の優しい血潮を動かすに堪えなかった。同時に、わざと向こうの意を迎えるような言葉をかけて、相手をことさらに気の毒がらせる結果を避けた。それで静かに三千代の言うところをきいた。
先だっての二百円は、代助から受け取るとすぐ借銭のほうへ回すはずであったが、新らしく家を持ったため、いろいろ入費がかかったので、ついそのほうの用を、あのうちでいくぶんか弁じたのがはじまりであった。あとはと思っていると、今度は毎日の活計《くらし》に追われだした。自分ながら好い心持ちはしなかったけれども、しかたなしに困るとは使い、困るとは使いして、とうとうあらましなくしてしまった。もっともそうでもしなければ、夫婦は今《こん》日《にち》までこうして暮らしては行けなかったのである。今から考えてみると、いっそのこと無ければ無いなりに、どうかこうか工《く》面《めん》もついたかもしれないが、なまじい、手元にあったものだから、苦しまぎれに、急場の間に合わしてしまったので、肝心の証書を入れた借銭のほうは、いまだにそのままにしてある。これはむしろ平岡の悪いのではない。まったく自分のあやまちである。
「私、ほんとうにすまないことをしたと思って、後悔しているのよ。けれども拝借するときは、けっしてあなたをだまして嘘をつくつもりじゃなかったんだから、堪忍してちょうだい」と三千代ははなはだ苦しそうに言い訳をした。
「どうせあなたにあげたんだから、どう使ったって、誰もなんとも言うわけはないでしょう。役にさえ立てばそれで好いじゃありませんか」と代助は慰めた。そうしてあなたという字をことさらに重くかつゆるく響かせた。三千代はただ、
「私、それでようやく安心したわ」と言っただけであった。
雨が頻《しきり》なので、帰るときには約束どおり車を雇った。寒いので、セルの上へ男の羽織りを着せようとしたら、三千代は笑って着なかった。
一一
いつの間にか、人が絽《ろ》の羽織を着て歩くようになった。二、三日、宅《うち》で調べ物をして庭先よりほかにながめなかった代助は、冬帽をかぶって表へ出て見て、急に暑さを感じた。自分もセルを脱がなければならないと思って、五、六町歩くうちに、袷《あわせ》を着た人に二人出あった。そうかと思うと新しい氷屋で書生がコップを手にして、冷たそうなものを飲んでいた。代助はその時誠太郎を思い出した。
近ごろ代助は前よりも誠太郎が好きになった。ほかの人間と話していると、人間の皮と話すようではがゆくってならなかった。けれども、顧みて自分を見ると、自分は人間中で、もっとも相手をはがゆがらせるようにこしらえられていた。これも長年生存競争の因果にさらされた罰《ばち》かと思うと、あまりありがたい心持ちはしなかった。
このごろ誠太郎はしきりに玉乗りの稽《けい》古《こ》をしたがっているが、それは、まったくこの間浅《あさ》草《くさ》の奥《おく》山《やま*》 へいっしょに連れて行った結果である。あの一《いち》図《ず》なところはよく、嫂《あによめ》の気性を受け継いでいる。しかし兄の子だけあって、一図なうちに、どこか逼《せま》らない鷹《おう》揚《よう》な気象がある。誠太郎の相手をしていると、向こうの魂が遠慮なくこっちへ流れ込んで来るから愉快である。実際代助は、昼夜の区別なく、武装を解いたことのない精神に、包囲されるのが苦痛であった。
誠太郎はこの春から中学校へ行きだした。すると急に背《せ》丈《たけ》が延びてくるように思われた。もう一、二年すると声が変わる。それから先どんな径路を取って、生長するかわからないが、とうてい人間として、生存するためには、人間からきらわれるという運命に到着するにちがいない。その時、彼は穏やかに人の目につかない服《な》装《り》をして、乞《こ》食《じき》のごとく、何物をか求めつつ、人の市《いち》をうろついて歩くだろう。
代助は堀《ほり》端《ばた*》 へ出た。この間まで向こうの土手にむら躑躅《つつじ》が、団々と紅白の模様を青い中に印《いん》していたのが、まるで跡形もなくなって、のべつに草がおい茂っている高い傾斜の上に、大きな松が何十本となく並んで、どこまでもつづいている。空はきれいに晴れた。代助は電車に乗って、宅《うち》へ行って、嫂にからかって、誠太郎と遊ぼうと思ったが、急にいやになって、この松を見ながら、くたびれる所まで堀端を伝《つた》って行く気になった。
新《しん》見《み》付《つけ》へ来ると、向こうから来たり、こっちから行ったりする電車が苦になりだしたので、堀を横切って、招《しよう》魂《こん》社《しや*》 の横から番《ばん》町《ちよう》へ出た。そこをぐるぐる回って歩いているうちに、かく目的なしに歩いていることが、不意に馬鹿らしく思われた。目的があって歩くものは賤《せん》民《みん》だと、彼は平生から信じていたのであるけれども、この場合に限って、その賤民のほうが偉いような気がした。まったく、またアンニュイに襲われたと悟って、帰りだした。神《かぐ》楽《ら》坂《ざか》へかかると、ある商店で大きな蓄音器を吹かしていた《*》 。その音がはなはだしく金属性の刺激を帯びていて、大いに代助の頭にこたえた。
家の門をはいると、今度は門野が、主人の留守を幸いと、大きな声で琵《び》琶《わ》歌《うた》をうたっていた。それでも代助の足音を聞いて、ぴたりとやめた。
「いや、お早うがしたな」と言って玄関へ出て来た。代助はなんにも答えずに、帽子をそこへかけたまま、縁側から書斎へはいった。そうして、わざわざ障子をしめ切った。つづいて湯《ゆ》呑《のみ》に茶をついで持って来た門野が、
「しめときますか。暑かありませんか」と聞いた。代助は袂《たもと》からハンケチを出して額をふいていたが、やっぱり、
「しめておいてくれ」と命令した。門野は妙な顔をして障子をしめて出て行った。代助は暗くした室《へや》のなかに、十分ばかりぽかんとしていた。
彼は人のうらやむほどつやの好い皮膚と、労働者に見いだしがたいように柔らかな筋肉をもった男であった。彼は生まれて以来、まだ大病と名のつくものを経験しなかったくらい、健康において幸福をうけていた。彼はこれでこそ、生《いき》甲《が》斐《い》があると信じていたのだから、彼の健康は、彼にとって、他人の倍以上に価値をもっていた。彼の頭は、彼の肉体と同じくたしかであった。ただ終始論理に苦しめられていたのは事実である。それから時々、頭の中心が、大《だい》弓《きゆう》の的のように、二重もしくは三重にかさなるように感ずることがあった。ことに、今日は朝からそんな心持ちがした。
代助が黙然として、自己はなんのためにこの世の中に生まれて来たかを考えるのはこういう時であった。彼は今まで何べんもこの大問題をとらえて、彼の眼前にすえつけてみた。その動機は、単に哲学上の好奇心から来たこともあるし、また世間の現象が、あまりに複雑な色彩をもって、彼の頭を染めつけようとあせるから来ることもあるし、また最後に今《こん》日《にち》のごとくアンニュイの結果として来ることもあるが、その都度彼は同じ結論に到着した。しかしその結論は、この問題の解決ではなくって、むしろその否定と異ならなかった。彼の考えによると、人間はある目的をもって、生まれたものではなかった。これと反対に、生まれた人間に、はじめてある目的ができて来るのであった。最初から客《かく》観《かん》的《てき》にある目的をこしらえて、それを人間に付着するのは、その人間の自由な活動を、すでに生まれる時に奪ったと同じことになる。だから人間の目的は、生まれた本人が、本人自身に作ったものでなければならない。けれども、いかな本人でも、これを随意に作ることはできない。自己存在の目的は、自己存在の経過が、すでにこれを天下に向かって発表したと同様だからである。
この根本義から出《しゆつ》立《たつ》した代助は、自己本来の活動を、自己本来の目的としていた。歩きたいから歩く。すると歩くのが目的になる。考えたいから考える。すると考えるのが目的になる。それ以外の目的をもって、歩いたり、考えたりするのは、歩行と思考の堕落になるごとく、自己の活動以外に一種の目的を立てて、活動するのは活動の堕落になる。したがって自己全体の活動をあげて、これを方便の具に使用するものは、みずから自己存在の目的を破壊したも同然である。
だから、代助は今日まで、自分の脳裏に願《がん》望《もう》、嗜《し》欲《よく》が起こるたびごとに、これらの願望嗜欲を遂行するのを自己の目的として存在していた。二個の相《あい》容《い》れざる願望嗜欲が胸にたたかう場合も同じことであった。ただ矛盾から出る一目的の消《しよう》耗《こう*》 と解釈していた。これをせんじつめると、彼は普通にいわゆる無目的な行為を目的として活動していたのである。そうして、他を偽らざる点においてそれをもっとも道徳的なものと心得ていた。
この主義をできるだけ遂行する彼は、その遂行の途中で、われ知らず、自分のとうに棄却した問題に襲われて、自分は今なんのために、こんなことをしているかと考え出すことがある。彼が番町を散歩しながら、なぜ散歩しつつあるかと疑ったのはまさにこれである。
その時彼は自分ながら、自分の活力に充実していないことに気がつく。餓《う》えたる行動は、一気に遂行する勇気と、興味に乏しいから、みずからその行動の意義を中途で疑うようになる。彼はこれをアンニュイと名づけていた。アンニュイにかかると、彼は論理の迷乱を引き起こすものと信じていた。彼の行為の中途において、なにのためという、冠《かん》履《り》顛《てん》倒《とう》の疑い《*》 を起こさせるのは、アンニュイにほかならなかったからである。
彼は立て切った室《へや》の中で、一、二度頭をおさえて振り動かしてみた。彼は昔から今《こん》日《にち》までの思索家の、しばしば繰り返した無意義な疑義を、また脳裏に拈《ねん》定《てい*》 するに堪えなかった。その姿のちらりと眼前に起こった時、またかという具合に、すぐ切りすててしまった。同時に彼は自己の生活力の不足をはげしく感じた。したがって行為そのものを目的として、円満に遂行する興味ももたなかった。彼はただ一人荒野の中に立った。茫《ばう》然《ぜん》としていた。
彼は高《こう》尚《しよう》な生活欲の満足をこいねがう男であった。またある意味において道義欲の満足を買おうとする男であった。そうして、ある点へ来ると、この二つのものが火花を散らして切り結ぶ関門があると予想していた。それで生活欲を低い程度にとどめて我慢していた。彼の室は普通の日本間であった。これというほどの大した装飾もなかった。彼に言わせると、額さえ気のきいたものはかけてなかった。色彩として目をひくほどに美しいのは、本《ほん》棚《だな》に並べてある洋書に集められたというくらいであった。彼は今この書物の中に、茫然としてすわった。ややあって、これほど寝入った自分の意識を強烈にするには、もう少し周囲の物をどうかしなければならぬと、思いながら、室の中をぐるぐる見回した。それから、またぽかんとして壁をながめた。が、最後に、自分をこの薄弱な生活から救いうる方法は、ただ一つあると考えた。そうして口の内で言った。
「やっぱり、三千代さんにあわなくちゃいかん」
彼は足の進まない方角へ散歩に出たのを悔いた。もう一ぺん出直して、平岡のもとまで行こうかと思っているところへ、森《もり》川《かわ》町《ちよう》から寺尾が来た。新しい麦《むぎ》藁《わら》帽《ぼう》をかぶって、閑静な薄い羽織を着て、暑い暑いと言って赤い顔をふいた。
「なんだって、今時分来たんだ」と代助は愛《あい》想《そ》もなく言い放った。彼は寺尾とは平生でも、このくらいな言葉で交際していたのである。
「今時分がちょうど訪問に好い刻限だろう。君、また昼寝をしたな。どうも職業のない人間は、惰弱でいかん。君はいったいなんのために生まれて来たのだったかね」と言って、寺尾は麦藁帽で、しきりに胸のあたりへ風を送った。時候はまだそれほど暑くないのだから、この所作はすこぶる愛《あい》嬌《きよう》を添えた。
「なんのために生まれて来《き》ようと、よけいなお世話だ。それより君こそなにしに来たんだ。また『ここ十日ばかりの間』じゃないか、金の相談ならもう御免だよ」と代助は遠慮なく先へ断わった。
「君もずいぶん礼儀を知らない男だね」と寺尾はやむをえず答えた。けれどもべつだん感情を害した様子も見えなかった。実をいうと、このくらいな言葉は寺尾にとって、少しも無礼とは思えなかったのである。代助は黙って、寺尾の顔を見ていた。それは、むなしい壁を見ているより以上のなんらの感動をも、代助に与えなかった。
寺尾は懐《ふところ》からきたない仮《かり》綴《とじ*》 の書物を出した。
「これを訳さなけりゃならないんだ」と言った。代助は依然として黙っていた。
「食うに困らないと思って、そう無精な顔をしなくっても好かろう。もう少し判然としてくれ。こっちは生死の戦いだ」と言って、寺尾は小形の本を、とんとんと椅《い》子《す》の角で二へんたたいた。
「いつまでに」
寺尾は、書物のページをさらさらとくって見せたが、断然たる調子で、
「二週間」と答えたあとで、「どうでもこうでも、それまでに片づけなけりゃ、食えないんだからしかたがない」と説明した。
「偉い勢いだね」と代助はひやかした。
「だから、本《ほん》郷《ごう》からわざわざやって来たんだ。なに、金は借りなくても好い。――貸せばなお好いが――それより少しわからない所があるから、相談しようと思って」
「面《めん》倒《どう》だな。僕は今日は頭が悪くって、そんなことはやっていられないよ。いいかげんに訳しておけばかまわないじゃないか。どうせ原稿料はページでくれるんだろう」
「なんぼ、僕だって、そう無責任な翻訳はできないだろうじゃないか。誤訳でも指摘されるとあとから面倒だあね」
「しようがないな」と言って、代助はやっぱり横着な態度を維持していた。すると、寺尾は、「おい」と言った。「冗《じよう》談《だん》じゃない、君のように、のらくら遊んでる人は、たまにはそのくらいなことでも、しなくっちゃ退屈でしかたがないだろう。なに、僕だって、本のよく読める人の所へ行く気なら、わざわざ君のところまで来やしない。けれども、そんな人は君と違って、みんな忙しいんだからな」と少しも辟《へき》易《えき》した様子を見せなかった。代助は喧《けん》嘩《か》をするか、相談に応ずるかどっちかだと覚悟をきめた。彼の性質として、こういう相手を軽《けい》蔑《べつ》することはできるが、おこりつける気は出せなかった。
「じゃなるべく少しにしようじゃないか」と断わっておいて、マークのつけてある所だけを見た。代助はその書物の梗《こう》概《がい》さえ聞く勇気がなかった。相談を受けた部分にも曖《あい》昧《まい》な所はたくさんあった。寺尾は、やがて、
「やあ、ありがとう」と言って本を伏せた。
「わからない所はどうする」と代助が聞いた。
「なにどうかする。――誰《だれ》に聞いたって、そうよくわかりゃしまい。第一時間がないからやむを得ない」と、寺尾は、誤訳よりも生活費のほうが大事件であるごとくに天からきめていた。
相談がすむと、寺尾は例によって、文学談を持ち出した。不思議なことに、そうなると、自己の翻訳とは違って、いつものとおり非常に熱心になった。代助は現今の文学者の公けにする創作のうちにも、寺尾の翻訳と同じ意味のものがたくさんあるだろうと考えて、寺尾の矛盾をおかしく思った。けれども面倒だから、口へは出さなかった。
寺尾のおかげで代助はその日とうとう平岡へ行きはぐれてしまった。
晩《ばん》食《めし》の時、丸《まる》善《ぜん》から小包が届いた。箸《はし》をおいてあけてみると、よほど前に外国へ注文した二、三の新刊書であった。代助はそれを腋《わき》の下にかかえ込んで、書斎へ帰った。一冊ずつ順々に取り上げて、暗いながら二、三ページ、はぐるように目を通したがどこも彼の注意をひくようなところはなかった。最後の一冊に至っては、その名前さえすでに忘れていた。いずれそのうち読むことにしようという考えで、いっしょにまとめたまま、立って、本棚の上に重ねておいた。縁側から外をうかがうと、きれいな空が、高い色を失いかけて、隣の梧《ご》桐《とう》のひときわ濃く見える上に、薄い月が出ていた。
そこへ門野が大きなランプを持ってはいって来た。それには絹《きぬ》縮《ちぢみ》のように、竪《たて》に溝《みぞ》の入った青い笠《かさ》がかけてあった。門野はそれをテーブルの上に置いて、また縁側へ出たが、出がけに、
「もう、そろそろ蛍《ほたる》が出る時分ですな」と言った。代助はおかしな顔をして、
「まだ出やしまい」と答えた。すると門野は例のごとく、
「そうでしょうか」と言う返事をしたが、すぐまじめな調子で、「蛍てえものは、昔はだいぶはやったもんだが、近来はあまり文士がたが騒がないようになりましたな。どういうもんでしょう。蛍だの烏《からす》だのって、このごろじゃついぞ見たことがないくらいなもんだ」と言った。
「そうさ。どういうわけだろう」と代助もそらっとぼけて、まじめな挨拶をした。すると門野は、
「やっぱり、電気燈に圧倒されて、だんだん退却するんでしょう」と言い終わって、みずから、えへへへと、洒《しや》落《れ》の結末をつけて、書《しよ》生《せい》部《べ》屋《や》へ帰って行った。代助もつづいて玄関まで出た。門野は振り返った。
「またお出かけですか。よござんす。ランプは私が気をつけますから。――小母さんがさっきから腹が痛いって寝たんですが、なにたいしたことはないでしょう。御ゆっくり」
代助は門を出た。江戸川まで来ると、河の水がもう暗くなっていた。彼はもとより平岡をたずねる気であった。からいつものように川《かわ》辺《べり》を伝わないで、すぐ橋を渡って、金《こん》剛《ごう》寺《じ》坂《ざか*》 を上がった。
実をいうと、代助はそれから三千代にも平岡にも二、三べんあっていた。一ぺんは平岡から比較的長い手紙を受け取った時であった。それには、第一に着京以来お世話になってありがたいという礼が述べてあった。それから、――その後いろいろ朋《ほう》友《ゆう》や先輩の尽力をかたじけのうしたが、近ごろある知人の周旋で、某新聞の経済部の主任記者にならぬかとの勧誘を受けた。自分もやってみたいような気がする。しかし着京の当時君に御依頼をしたこともあるから、無断ではよろしくあるまいと思って、一応御相談をするという意味があとに書いてあった。代助は、その当時平岡から、兄の会社に周旋してくれと依頼されたのを、そのままにして、断わりもせず今《こん》日《にち》まで放っておいた。ので、その返事を促されたのだと受け取った。一通の手紙で謝絶するのも、あまり冷淡すぎるという考えもあったので、翌日出向いて行って、いろいろ兄のほうの事情を話して当分、こっちは断念してくれるように頼んだ。平岡はその時、僕もおおかたそうだろうと思っていたと言って、妙な目をして三千代のほうを見た。
いま一ぺんは、いよいよ新聞のほうがきまったから、一晩ゆっくり君と飲みたい。何日《いくか》に来てくれという平岡のはがきが着いた時、おりあしくさしつかえができたからと言って散歩のついでに断わりに寄ったのである。その時平岡は座敷の真ん中に引っくり返って寝ていた。昨夕《ゆうべ》どこかの会へ出て、飲み過ごした結果だと言って、赤い目をしきりにこすった。代助を見て、突然、人間はどうしても君のように独身でなけりゃ仕事はできない。僕も一人なら満州へでもアメリカへでも行くんだがと大いに妻帯の不便を鳴らした。三千代は次の間で、こっそり仕事をしていた。
三べん目には、平岡の社へ出た留守をたずねた。その時は用事もなにもなかった。約三十分ばかり縁へ腰をかけて話した。
それから以後はなるべく小《こ》石《いし》川《かわ》の方面へ立ち回らないことにして今夜に至ったのである。代助は竹《たけ》早《はや》町《ちよう》へ上がって、それを向こうへ突き抜けて、二、三町行くと、平岡という軒燈のすぐ前へ来た。格《こう》子《し》の外から声をかけると、ランプを持って下女が出た。が平岡は夫婦とも留守であった。代助は出先も尋ねずに、すぐ引き返して、電車へ乗って、本《ほん》郷《ごう》まで来て、本郷からまた神《かん》田《だ》へ乗り換えて、そこで降りて、あるビヤー・ホール《*》 へはいって、ビールをぐいぐい飲んだ。
翌日目がさめると、依然として脳の中心から、半径の違った円が、頭を二重に仕切っているような心持ちがした。こういう時に代助は、頭の内側と外側が、質の異なった切り組み細工ででき上がっているとしか感じえられない癖になっていた。それでよく自分で自分の頭を振ってみて、二つのものを混ぜようとつとめたものである。彼は今枕の上へ髪をつけたなり、右の手を固めて、耳の上を二、三度たたいた。
代助はかかる脳髄の異状をもって、かつて酒の咎《とが》に帰したことはなかった。彼は小供の時から酒に量を得た男であった。いくら飲んでも、さほど平常を離れなかった。のみならず、一度熟睡さえすれば、あとは身体になんの故障も認めることができなかった。かつてなにかのはずみに、兄と競《せ》り飲みをやって、三合入りの徳《とく》利《り》を十三本倒したことがある。その翌日《あくるひ》代助は平気な顔をして学校へ出た。兄は二日も頭が痛いと言って苦り切っていた。そうして、これを年《と》齢《し》の違いだと言った。
昨夜《ゆうべ》飲んだビールはこれにくらべると愚かなものだと、代助は頭をたたきながら考えた。さいわいに、代助はいくら頭が二重になっても、脳の活動に狂いを受けたことがなかった。時としては、ただ頭を使うのが億《おつ》劫《くう》になった。けれども努力さえすれば、十分複雑な仕事に堪えるという自信があった。だから、こんな異状を感じても、脳の組織の変化から、精神に悪い影響を与えるものとしては、悲観する余地がなかった。はじめて、こんな感覚があった時は驚いた。二へん目はむしろ新奇な経験として喜んだ。このごろは、この経験が、多くの場合に、精神気力の低落に伴うようになった。内容の充実しない行為をあえてして、生活する時の徴候になった。代助にはそこが不愉快だった。
床の上に起き上がって、彼はまた頭を振った。朝《あさ》食《めし》の時、門野は今《け》朝《さ》の新聞に出ていた蛇《へび》と鷲《わし》の戦いのことを話しかけたが、代助は応じなかった。門野はまた始まったなと思って、茶の間を出た。勝手の方で、
「小母さん、そう働いちゃ悪いだろう。先生の膳《ぜん》は僕が洗っておくから、あっちへ行って休んでおいで」と婆さんをいたわっていた。代助ははじめて婆さんの病気のことを思い出した。なにか優しい言葉でもかけるところであったが、面倒だと思ってやめにした。
ナイフを置くやいなや、代助はすぐ紅《こう》茶《ちや》茶《ぢや》碗《わん》を持って書斎へはいった。時計を見るともう九時すぎであった。しばらく、庭をながめながら、茶をすすり延ばしていると、門野が来て、
「お宅からお迎いが参りました」と言った。代助は宅《うち》から迎いを受ける覚えがなかった。聞き返してみても、門野は車夫がとかなんとか要領を得ないことを言うので、代助は頭を振り振り玄関へ出てみた。すると、そこに兄の車を引く勝《かつ》というのがいた。ちゃんと、ゴム輪《わ》の車《*》 を玄関へ横《よこ》づけにして、丁《てい》寧《ねい》にお辞儀をした。
「勝、お迎えってなんだい」と聞くと、勝は恐縮の態度で、
「奥様が車を持って、迎いに言って来いって、おっしゃいました」
「なにか急用でもできたのかい」
勝はもとより何事も知らなかった。
「おいでになればわかるからって――」と簡潔に答えて、言葉の尻《しり》を結ばなかった。
代助は奥へはいった。婆さんを呼んで着物を出させようと思ったが、腹の痛むものを使うのがいやなので、自分で箪《たん》笥《す》のひきだしをかき回して、急いで身《み》支《じ》度《たく》をして、勝の車に乗って出た。
その日は風が強く吹いた。勝は苦しそうに、前の方にこごんで馳《か》けた。乗っていた代助は、二重の頭がぐるぐる回転するほど、風に吹かれた。けれども、音も響きもない車輪が美しく動いて、意識に乏しい自分を、半睡の状態で宙に運んで行く有様が愉快であった。青山の家《うち》へ着く時分には、起きたころとは違って、気《き》色《しよく》がよほど晴《せい》々《せい》してきた。
なにか事が起こったのかと思って、上がり掛けに、書《しよ》生《せい》部《べ》屋《や》をのぞいてみたら、直《なお》木《き》と誠太郎がたった二人で、白砂糖を振りかけた莓《いちご》を食っていた。
「やあ、御《ご》馳《ち》走《そう》だな」と言うと、直木は、すぐ居ずまいを直して、挨拶をした。誠太郎は唇の縁《ふち》をぬらしたまま、突然、
「叔《お》父《じ》さん、奥さんはいつもらうんですか」と聞いた。直木はにやにやしている。代助はちょっと返答に窮した。やむをえず、
「今日はなぜ学校へ行かないんだ。そうして朝っぱらから莓なんぞ食って」とからかうように、しかるように言った。
「だって今日は日曜じゃありませんか」と誠太郎はまじめになった。
「おや、日曜か」と代助は驚いた。
直木は代助の顔を見てとうとう笑いだした。代助も笑って、座敷へ来た。そこには誰もいなかった。替え立ての畳の上に、丸い紫《し》檀《たん》の刳《くり》抜《ぬき》盆《ぼん》が一つ出ていて、中に置いた湯《ゆ》呑《のみ》には、京都の浅《あさ》井《い》黙《もく》語《ご*》 の模様画が染めつけてあった。からんとした広い座敷へ朝の緑が庭からさし込んで、すべてが静かに見えた。そとの風は急に落ちたように思われた。
座敷を通り抜けて、兄の部屋の方へ来たら、人の影がした。
「あら、だって、それじゃあんまりだわ」と言う嫂《あによめ》の声が聞こえた。代助は中へはいった。中には兄と嫂と縫子がいた。兄は角帯に金《きん》鎖《ぐさり》を巻きつけて、近ごろはやる妙な絽《ろ》の羽織を着て、こちらを向いて立っていた。代助の姿を見て、
「そら来た。ね。だからいっしょに連れて行っておもらいよ」と梅子に話しかけた。代助にはなんの意味だかもとよりわからなかった。すると、梅子が代助の方に向き直った。
「代《だい》さん、今日あなた、むろん暇でしょう」と言った。
「ええ、まあ暇です」と代助は答えた。
「じゃ、いっしょに歌《か》舞《ぶ》伎《き》座《ざ》へ行ってちょうだい」
代助は嫂のこの言葉を聞いて、頭の中に、たちまち一種の滑《こつ》稽《けい》を感じた。けれども今日はいつものように、嫂にからかう勇気がなかった。面《めん》倒《どう》だから、平気な顔をして、
「ええよろしい、行きましょう」と機《き》嫌《げん》よく答えた。すると梅子は、
「だって、あなたは、もう、一ぺんみたっていうんじゃありませんか」と聞き返した。
「一ぺんだろうが、二へんだろうが、ちっともかまわない。行きましょう」と代助は梅子を見て微笑した。
「あなたもよっぽど道楽ものね」と梅子が評した。代助はますます滑稽を感じた。
兄は用があると言って、すぐ出て行った。四時ごろ用がすんだら芝《しば》居《い》のほうへ回る約束なんだそうである。それまで自分と縫子だけで見ていたらよさそうなものだが、梅子はそれがいやだと言った。そんなら直木を連れて行けと兄から注意された時、直木は紺《こん》絣《がすり》を着て、袴《はかま》をはいて、むずかしくすわっていていけないと答えた。それでしかたがないから代助を迎いにやったのだ、と、これは兄が出がけの説明であった。代助は少々理屈に合わないと思ったが、ただ、そうですかと答えた。そうして、嫂は幕の合間に話し相手がほしいのと、それからいざという時に、いろいろ用を言いつけたいものだから、わざわざ自分を呼び寄せたにちがいないと解釈した。
梅子と縫子は長い時間をお化粧に費やした。代助は懇よくお化粧の監督者になって、両人《ふたり》のそばについていた。そうして時々は、おもしろ半分のひやかしも言った。縫子からは叔父さんずいぶんだわを二、三度繰り返された。
父は今《け》朝《さ》早くから出て、家にいなかった。どこへ行ったのだか、嫂は知らないと言った。代助は別に知りたい気もなかった。ただ父のいないのがありがたかった。このあいだの会見以後、代助は父とはたった二度ほどしか顔を合わせなかった。それも、ほんの十分か十五分にすぎなかった。話が込み入りそうになると、急に丁寧なお辞義をして立つのを例にしていた。父は座敷の方へ出て来て、どうも代助は近ごろ少しも尻が落ちつかなくなった。おれの顔さえ見れば逃げ仕《じ》度《たく》をすると言っておこった。と嫂は鏡の前で夏帯の尻をなでながら代助に話した。
「ひどく、信用を落としたもんだな」
代助はこう言って、嫂と縫子の蝙《かわ》蝠《ほり》傘《がさ》をさげて一足先へ玄関へ出た。車はそこに三挺《ちよう》並んでいた。
代助は風を恐れて鳥《とり》打《うち》帽《ぼう》をかぶっていた。風はようやくやんで、強い日が雲の隙《すき》間《ま》から頭の上を照らした。先へ行く梅子と縫子は傘《かさ》を広げた。代助は時々手の甲を額の前にかざした。
芝居の中では、嫂も縫子も非常に熱心な観《けん》客《ぶつ》であった。代助は二へん目のせいといい、この三《さん》、四《よつ》日《か》来《らい》の脳の状態からといい、そういちずに舞台ばかりに気を取られているわけにもいかなかった。たえず精神に重苦しい暑さを感ずるので、しばしばうちわを手にして、風を襟《えり》から頭へ送っていた。
幕の合間に縫子が代助の方を向いて時々妙なことを聞いた。なぜあの人は盥《たらい》で酒を飲む《*》 んだとか、なぜ坊さんが急に大将になれる《*》 んだとか、たいてい説明のできない質問のみであった。梅子はそれを聞くたんびに笑っていた。代助はふと二《に》、三《さん》日《ち》前新聞で見た、ある文学者の劇評《*》 を思い出した。それには、日本の脚本が、あまりにとっぴな筋に富んでいるので、楽に見物ができないと書いてあった。代助はその時、役者の立場から考えて、なにもそんな人に見てもらう必要はあるまいと思った。作者に言うべき小言を、役者のほうへ持ってくるのは、近《ちか》松《まつ》の作を知るために、越《こし》路《じ*》 の浄《じよう》瑠《る》璃《り》がききたいという愚物と同じことだと言って門野に話した。門野は依然として、そんなもんでしょうかなと言っていた。
小供のうちから日本在来の芝居を見慣れた代助は、むろん梅子と同じように、単純なる芸術の鑑賞家であった。そうして舞台における芸術の意味を、役者の手腕についてのみ用いべきものと狭義に解釈していた。だから梅子とは大いに話が合った。時々顔を見合わして、黒《くろ》人《うと》のような批評を加えて、互いに感心していた。けれども、だいたいにおいて、舞台にはもう厭きが来ていた。幕の途中でも、双眼鏡で、あっちを見たり、こっちを見たりしていた。双眼鏡の向かう所には芸者がたくさんいた。そのあるものは、むこうでも眼鏡《めがね》の先をこっちへ向けていた。
代助の右隣には自分と同年輩の男が丸《まる》髷《まげ》に結《い》った美しい細君を連れて来ていた。代助はその細君の横顔を見て、自分の近づきのある芸者によく似ていると思った。左隣には男づれが四《よつ》人《たり》ばかりいた。そうして、それが、ことごとく博士《はかせ》であった。代助はその顔をいちいち覚えていた。そのまた隣に、広い所をたった二人で専領しているものがあった。その一人は、兄と同じくらいな年《とし》格《かつ》好《こう》で、正しい洋服を着ていた。そうして金縁の眼鏡をかけて、物を見るときには、顎《あご》を前へ出して、こころもちあおむく癖があった。代助はこの男を見たとき、どこか見覚えのあるような気がした。が、ついに思い出そうとつとめてもみなかった。そのつれは若い女であった。代助はまだ二十《はたち》になるまいと判定した。羽織を着ないで、普通よりは大きく廂《ひさし*》 を出して、多くは顎を襟《えり》元《もと》へぴたりとつけてすわっていた。
代助は苦しいので、何べんも席を立って、後ろの廊下へ出て、狭い空を仰いだ。兄が来たら、嫂と縫子を引き渡して早く帰りたいくらいに思った。一ぺんは縫子を連れて、そこいらをぐるぐる運動して歩いた。しまいにはちと酒でも取り寄せて飲もうかと思った。
兄は日暮とすれすれに来た。たいへん遅かったじゃありませんかと言った時、帯の間から、金時計を出して見せた。実際六時少し回ったばかりであった。兄は例のごとく、平気な顔をして、方々見回していた。が、飯を食う時、立って廊下へ出たぎり、なかなか帰って来なかった。しばらくして、代助がふと振り返ったら、一件置いて隣の金縁の眼鏡をかけた男の所へはいって、話をしていた。若い女にも時々話しかけるようであった。しかし女のほうでは笑い顔をちょっと見せるだけで、すぐ舞台の方へまじめに向き直った。代助は嫂にその人の名を聞こうと思ったが、兄は人の集まる所へさえ出れば、どこへでもかくのごとく平気にはいり込むほど、世間の広い、また世間を自分の家のように心得ている男であるから、気にもかけずに黙っていた。
すると幕の切れ目に、兄が入口まで帰ってきて、代助ちょっと来いと言いながら、代助をその金縁の男の席へ連れて行って、愚弟だと紹介した。それから代助には、これが神《こう》戸《べ》の高木さんだと言って引き合わした。金縁の紳士は、若い女を顧みて、私の姪《めい》ですと言った。女はしとやかにお辞儀をした。その時兄が、佐川さんの令嬢だと口を添えた。代助は女の名を聞いたとき、うまくかけられたと腹の中で思った。が何事も知らぬもののごとく装って、いいかげんに話していた。すると嫂がちょっと自分の方を振り向いた。
五、六分して、代助は兄とともに自分の席に返った。佐川の娘を紹介されるまでは、兄の見えしだい逃げる気であったが、今ではそういかなくなった。あまり現金に見えては、かえって好くない結果を引き起こしそうな気がしたので、苦しいのをがまんしてすわっていた。兄も芝居についてはまったく興味がなさそうだったけれども、例のごとく鷹《おう》揚《よう》に構えて、黒い頭をいぶすほど、葉巻きをくゆらした。時々評をすると、縫子あの幕はきれいだろうぐらいのところであった。梅子は平生の好奇心にも似ず、高木についても、佐川の娘についても、なんらの質問をかけず、一《いち》言《ごん》の批評も加えなかった。代助にはそのすました様子がかえって滑稽に思われた。彼は今《こん》日《にち》まで嫂の策略にかかったことが時々あった。けれども、ただの一ぺんも腹を立てたことはなかった。今度の狂言も、平生ならば、退屈まぎらしの遊戯程度に解釈して、笑ってしまったかもしれない。そればかりではない。もし自分が結婚する気なら、かえって、この狂言を利用して、みずから人巧的に、おめでたい喜劇を作りあげて、生涯自分をあざけって満足することもできた。しかしこの姉までが、今の自分を、父や兄と共謀して、漸《ぜん》々《ぜん》窮地に誘《いざ》なって行くかと思うと、さすがにこの所作をただの滑稽として、観察するわけにはいかなかった。代助はこの先、嫂がこの事件をどう発展させる気だろうと考えて、少々弱った。家のもののうちで、嫂がいちばんこんな計画に興味をもっていたからである。もし嫂がこの方面に向かって代助に肉薄すればするほど、代助は漸々家族のものと疎遠にならなければならぬという恐れが、代助の頭のどこかに潜んでいた。
芝居のしまいになったのは十一時近くであった。外へ出て見ると、風はまったくやんだが、月も星も見えない静かな晩を、電燈が少しばかり照らしていた。時間が遅いので茶屋では話をする暇もなかった。三人の迎いは来ていたが、代助はつい車をあつらえておくのを忘れた。面《めん》倒《どう》だと思って、嫂の勧めをしりぞけて、茶屋の前から電車に乗った。数《す》寄《き》屋《や》橋《ばし》で乗りかえようと思って、黒い路《みち》の中に、待ち合わしていると、小供をおぶった神さんが、たいぎそうに向こうから近寄って来た。電車は向こう側を二、三度通った。代助とレールの間には、土か石の積んだものが、高い土手のようにはさまっていた。代助ははじめて間違った所に立っていることを悟った。
「お神さん、電車へ乗るなら、ここじゃいけない。向こう側だ」と教えながら歩きだした。神さんは礼を言ってついて来た。代助は手《て》探《さぐ》りでもするように、暗い所をいいかげんに歩いた。十四、五間左の方へ濠《ほり》際《ぎわ》をめあてに出たら、ようやく停留所の柱が見つかった。神さんはそこで、神《かん》田《だ》橋《ばし》の方へ向いて乗った。代助はたった一人反対の赤《あか》坂《さか》行《ゆき》へはいった。
車の中では、眠くて寝られないような気がした。揺れながらも今夜の睡眠が苦になった。彼は大いに疲労して、白昼のすべてに、惰気をもよおすにもかかわらず、知られざる何物かの興奮のために、静かな夜をほしいままにすることができないことがよくあった。彼の脳裏には、今日の日中に、かわるがわるあとを残した色彩が、時の前後と形の差別を忘れて、一度にちらついていた。そうして、それがなにの色彩であるか、なにの運動であるか、たしかにわからなかった。彼は目を眠って、家へ帰ったら、またウィスキーの力を借りようと覚悟した。
彼はこの取りとめのない花やかな色調の反照として、三千代のことを思い出さざるを得なかった。そうしてそこにわが安住の地を見いだしたような気がした。けれどもその安住の地は、明らかには、彼の目に映じて出なかった。ただ、かれの心の調子全体で、それを認めただけであった。したがって彼は三千代の顔や、ようすや、言葉や、夫婦の関係や、病気や、身分をひとまとめにしたものを、わが情調にしっくり合う対象として、発見したにすぎなかった。
翌日代助は但《たじ》馬《ま*》 にいる友人から長い手紙を受け取った。この友人は学校を卒業すると、すぐ国へ帰ったぎり、今日までついぞ東京へ出たことのない男であった。当人はむろん山の中で暮らす気はなかったんだが、親の命令でやむをえず、故郷に封じ込められてしまったのである。それでも一年ばかりの間は、もう一ぺん親《おや》爺《じ》を説きつけて、東京へ出る出ると言って、うるさいほど手紙を寄こしたが、このごろはようやく断念したと見えて、たいした不平がましい訴えもしないようになった。家は所の旧家で、先祖から持ち伝えた山林を年々伐《き》り出すのが、おもな用事になっているよしであった。今度の手紙には、彼の日常生活の模様がくわしく書いてあった。それから、一か月前町長にあげられて、年《ねん》俸《ぽう》を三百円頂《ちよう》戴《だい》する身分になったことを、おもしろ半分、ことさらにまじめな句調で吹《ふい》聴《ちよう》してきた。卒業してすぐ中学の教師になっても、この三倍はもらえると、自分と他の友人との比較がしてあった。
この友人は国へ帰ってから、約一年ばかりして、京都在のある財産家から嫁をもらった。それはむろん親の言いつけであった。すると、しばらくして、すぐ子供が生まれた。女房のことはもらった時よりほかになにも言ってこないが、子供のおいたちには興味があると見えて、時々代助がおかしくなるような報知をした。代助はそれを読むたびに、この子供に対して、満足しつつある友人の生活を想像した。そうして、この子供のために、彼の細君に対する感想が、もらった当時に比べて、どのくらい変化したかを疑った。
友人は時々鮎《あゆ》の乾《ほ》したのや、柿《かき》の乾したのを送ってくれた。代助はこの返礼にたいがいは新らしい西洋の文学書をやった。するとその返事には、それをおもしろく読んだ証拠になるような批評がきっとあった。けれども、それが長くは続かなかった。しまいには受け取ったという礼状さえ寄こさなかった。こっちからわざわざ問い合わせると、書物はありがたく頂戴した。読んでから礼を言おうと思って、つい遅くなった。実はまだ読まない。白状すると、読むひまがないというより、読む気がしないのである。もういっそう露《ろ》骨《こつ》に言えば、読んでもわからなくなったのである。という返事が来た。代助はそれから書物をやめて、そのかわりに新らしい玩《おも》具《ちや》を買って送ることにした。
代助は友人の手紙を封筒に入れて、自分と同じ傾向をもっていたこの旧友が、当時とはまるで反対の思想と行動とに支配されて、生活の音《ね》色《いろ》を出しているという事実を、せつに感じた。そうして、命のいとの震動から出る二人の響きをつまびらかに比較した。
彼は理論家《セオリスト》として、友人の結婚を肯《うけが》った。山の中に住んで、樹《き》や谷を相手にしているものは、親の取りきめたとおりの妻を迎えて、安全な結果を得るのが自然の通則と心得たからである。彼は同じ論法で、あらゆる意味の結婚が、都会人士には、不幸を持ち来たすものと断定した。その原因を言えば、都会は人間の展覧会にすぎないからであった。彼はこの前提からこの結論に達するためにこういう径路をたどった、
彼は肉体と精神において美の類別を認める男であった。そうして、あらゆる美の種類に接触する機会を得るのが、都会人士の権能であると考えた。あらゆる美の種類に接触して、そのたびごとに甲から乙に気を移し、乙から丙に心を動かさぬものは、感受性に乏しい無鑑賞家であると断定した。彼はこれを自家の経験に徴して争うべからざる真理と信じた。その真理から出《しゆつ》立《たつ》して、都会的生活を送るすべての男《なん》女《によ》は、両性間の引力《アツトラクシヨン》において、ことごとく随縁臨機《*》 に測りがたき変化を受けつつあるとの結論に到着した。それを引き延ばすと、既婚の一対は、双方ともに、流俗にいわゆる不義《インフイデリチ》の念に冒されて、過去から生じた不幸を、始終なめなければならないことになった。代助は、感受性のもっとも発達した、また接触点のもっとも自由な、都会人士の代表者として、芸《げい》妓《しや》を選んだ。彼らのあるものは、生涯に情夫を何人取り替えるかわからないではないか。普通の都会人は、より少なき程度において、みんな芸妓ではないか。代助はかわらざる愛を、今の世に口にするものを偽善家の第一位に置いた。
ここまで考えた時、代助の頭の中に、突然三千代の姿が浮かんだ。その時代助はこの論理中に、ある因数《フアクター》は数え込むのを忘れたのではなかろうかと疑ぐった。けれども、その因数《フアクター》はどうしても発見することができなかった。すると、自分が三千代に対する情合いも、この論理によって、ただ現在的なものにすぎなくなった。彼の頭はまさにこれを承認した。しかし彼の心《ハート》は、たしかにそうだと感ずる勇気がなかった。
一二
代助は嫂《あによめ》の肉薄を恐れた。また三千代の引力を恐れた。避暑にはまだあいだがあった。すべての娯楽には興味を失った。読書をしても、自己の影を黒い文《もん》字《じ》の上に認めることができなくなった。落ついて考えれば、考えは蓮《はす》の糸を引くごとくに出るが、出たものをまとめてみると、人の恐ろしがるものばかりであった。しまいには、かように考えなければならない自分がこわくなった。代助は蒼《あお》白《じろ》く見える自分の脳髄を、ミルクセークのごとく回転させるために、しばらく旅行しようと決心した。はじめは父の別荘に行くつもりであった。しかし、これは東京から襲われる点において、牛《うし》込《ごめ》におるとたいした変わりはないと思った。代助は旅行案内を買ってきて、自分の行くべき先を調べてみた。が、自分の行くべき先は天下中どこにもないような気がした。しかし、むりにもどこかへ行こうとした。それには、支度をととのえるにしくはないときめた。代助は電車に乗って銀座まで来た。ほがらかに風の往来を渡る午後であった。新橋の勧《かん》工《こう》場《ば*》 を一回りして、広い通りをぶらぶらと京橋の方へ下った。その時代助の目には、向こう側の家が、芝居の書《かき》割《わ》りのように平たく見えた。青い空は、屋根の上にすぐ塗りつけられていた。
代助は二、三の唐《とう》物《ぶつ》屋《や》をひやかして、入り用の品を調えた。その中に、比較的高い香水があった。資《し》生《せい》堂《どう》で練《ね》り歯《は》磨《みがき》を買おうとしたら、若いものが、ほしくないというのに自製のものを出して、しきりに勧めた。代助は顔をしかめて店を出た。紙包を腋《わき》の下にかかえたまま、銀座のはずれまでやって来て、そこから大《だい》根《こん》河《が》岸《し*》 を回って、鍛《か》冶《じ》橋《ばし》を丸の内へ志した。あてもなく西の方へ歩きながら、これも簡便な旅行と言えるかもしれないと考えたあげく、くたびれて車をと思ったが、どこにも見当たらなかったのでまた電車に乗って帰った。
家《うち》の門をはいると、玄関に誠太郎らしい履《くつ》が丁《てい》寧《ねい》にならべてあった。門野に聞いたら、へえそうです、さっきから待っておいでですという答えであった。代助はすぐ書斎へ来てみた。誠太郎は、代助のすわる大きな椅《い》子《す》に腰をかけて、テーブルの前で、アラスカ探検記を読んでいた。テーブルの上には、蕎《そ》麦《ば》饅《まん》頭《じゆう》と茶盆がいっしょにのっていた。
「誠太郎、なんだい、人のいない留守に来て、御《ご》馳《ち》走《そう》だね」というと、誠太郎は、笑いながら、まずアラスカ探検記をポッケットへ押し込んで、席を立った。
「そこにいるなら、いてもかまわないよ」と言っても、聞かなかった。
代助は誠太郎を捕《つら》まえて、いつものようにからかいだした。誠太郎はこのあいだ代助が歌《か》舞《ぶ》伎《き》座《ざ》でしたあくびの数を知っていた。そうして、
「叔父さんはいつ奥さんをもらうの」と、またせんだってと同じような質問をかけた。
この日誠太郎は、父の使いに来たのであった。その口上は、明日《あした》の十一時までにちょっと来てくれというのであった。代助はそうそう父や兄に呼びつけられるのが面《めん》倒《どう》であった。誠太郎に向かって、半分おこったように、
「なんだい、ひどいじゃないか。用も言わないで、むやみに人を呼びつけるなんて」と言った。誠太郎はやっぱりにやにやしていた。代助はそれぎり話をほかへそらしてしまった。新聞に出ている相撲《すもう》の勝負《*》 が、二人《ふたり》の題目のおもなるものであった。
晩《ばん》食《めし》を食って行けと言うのを学校の下調べがあると言って辞退して誠太郎は帰った。帰る前に、
「それじゃ、叔父さん、明日は来ないんですか」と聞いた。代助はやむをえず、
「うむ。どうだかわからない。叔父さんは旅行するかもしれないからって、帰ってそう言ってくれ」と言った。
「いつ」と誠太郎が聞き返したとき、代助は今日《きよう》明《あ》日《す》のうちと答えた。誠太郎はそれで納得して、玄関まで出て行ったが、沓《くつ》脱《ぬぎ》へおりながら振り返って、突然、
「どこへいらっしゃるの」と代助を見上げた。代助は、
「どこって、まだわかるもんか。ぐるぐる回るんだ」と言ったので、誠太郎はまたにやにやしながら、格《こう》子《し》を出た。
代助はその夜すぐ立とうと思って、グラッドストーン《*》 の中を門野に掃《そう》除《じ》さして、携帯品を少し詰め込んだ。門野は少なからざる好奇心をもって、代助のかばんをながめていたが、
「少し手伝いましょうか」と突っ立ったまま聞いた。代助は、
「なに、わけはない」と断わりながら、いったん詰め込んだ香水の壜《びん》を取り出して、封《ふう》被《ひ》をはいで、栓《せん》を抜いて、鼻に当ててかいでみた。門野は少し愛《あい》想《そ》をつかしたような具合で、自分の部《へ》屋《や》へ引き取った。二、三分するとまた出て来て、
「先生、車をそう言っときますかな」と注意した。代助はグラッドストーンを前へ置いて、顔を上げた。
「そう、少し待ってくれたまえ」
庭を見ると、生《いけ》垣《がき》の要目《かなめ》の頂に、まだ薄明るい日足がうろついていた。代助は外をのぞきながら、これから三十分のうちに行く先をきめようと考えた。なんでも都合のよさそうな時間に出る汽車に乗って、その汽車の持って行くところへ降りて、そこで明日《あした》まで暮らして、暮らしているうちに、また新しい運命が、自分をさらいに来るのを待つつもりであった。旅費はむろん十分でなかった。代助の旅装に適したほどの宿泊《とまり》を続けるとすれば、一週間ももたないくらいであった。けれども、そういう点になると、代助は無《む》頓《とん》着《じやく》であった。いよいよとなれば、家から金を取り寄せる気でいた。それから、本来が四《し》辺《へん》の風《ふう》気《き》を換えるのを目的とする移動だから、ぜいたくの方面へは重きをおかない決心であった。興に乗れば、荷持を雇って、一日歩いてもいいと覚悟した。
彼はまた旅行案内を開いて、細かい数字をたんねんに調べだしたが、少しも決定の運びに近寄らないうちに、また三千代のほうに頭がすべっていった。立つ前にもう一ぺん様子を見て、それから東京を出ようという気が起こった。グラッドストーンは今夜中に始末をつけて、明《あ》日《す》の朝早くさげて行かれるようにしておけばかまわないことになった。代助は急ぎ足で玄関まで出た。その音を聞きつけて、門野も飛び出した。代助は不断着のまま、掛《かけ》釘《くぎ》から帽子を取っていた。
「またお出かけですか。なにかお買い物じゃありませんか。私でよければ買ってきましょう」と門野が驚いたように言った。
「今夜はやめだ」と言い放したまま、代助は外へ出た。外はもう暗かった。美しい空に星がぽつぽつ影を増してゆくように見えた。心持ちのいい風が袂《たもと》を吹いた。けれども長い足を大きく動かした代助は、二、三町も歩かないうちに額《ひたい》際《ぎわ》に汗を覚えた。彼は頭から鳥《とり》打《うち》をとった。黒い髪を夜露に打たして、時々帽子をわざと振って歩いた。
平岡の家の近所へ来ると、暗い人影が蝙《かわ》蝠《ほり》のごとく静かにそこ、ここに動いた。粗末な板《いた》塀《べい》の隙《すき》間《ま》から、ランプの灯が往来へ映った。三千代はその光の下で新聞を読んでいた。今ごろ新聞を読むのかと聞いたら、二へんめだと答えた。
「そんなにひまなんですか」と代助は座《ざ》蒲《ぶ》団《とん》を敷居の上に移して、縁側へ半分身体を出しながら、障子へよりかかった。
平岡はいなかった。三千代は今湯から帰ったところだと言って、うちわさえ膝のそばに置いていた。いつもの頬《ほお》に、心持ち暖かい色を出して、もう帰るでしょうからゆっくりしていらっしゃいと、茶の間へ茶を入れに立った。髪は西洋風に結《い》っていた。
平岡は三千代の言ったとおりにはなかなか帰らなかった。いつでもこんなに遅いのかねと尋ねたら、笑いながら、まあそんなところでしょうと答えた。代助はその笑いの中に一種のさみしさを認めて、目を正して、三千代の顔をじっと見た。三千代は急にうちわを取って袖《そで》の下をあおいだ。
代助は平岡の経済のことが気にかかった。正面から、このごろは生活費には不自由はあるまいと尋ねてみた。三千代はそうですねと言って、また前のような笑い方をした。代助がすぐ返事をしなかったものだから、
「あなたには、そう見えて」と今度は向こうから聞き直した。そうして、手に持ったうちわを放り出して、湯から出たてのきれいなほそい指を、代助の前に広げて見せた。その指には代助の贈った指《ゆび》環《わ》も、ほかの指環もはめていなかった。自分の記念をいつでも胸に描いていた代助には、三千代の意味がよくわかった。三千代は手を引き込めると同時に、ぽっと赤い顔をした。
「しかたがないんだから、堪忍してちょうだい」と言った。代助はあわれな心持ちがした。
代助はその夜九時ごろ平岡の家を辞した。辞する前、自分の紙入れの中にあるものを出して、三千代に渡した。その時は、腹の中で多少の工夫を費やした。彼はまずなにげなく懐中物を胸の所であけて、中にある紙幣を、勘定もせずにつかんで、これをあげるからお使いなさいと無《む》雑《ぞう》作《さ》に三千代の前へ出した。三千代は、下女をはばかるような低い声で、
「そんなことを」と、かえって両手をぴたりと身体へつけてしまった。代助はしかし自分の手を引き込めなかった。
「指環を受け取るなら、これを受け取っても、同じことでしょう。紙の指環だと思っておもらいなさい」
代助は笑いながら、こう言った。三千代はでも、あんまりだからとまた躊《ちゆう》躇《ちよ》した。代助は、平岡に知れるとしかられるのかと聞いた。三千代はしかられるか、ほめられるか、明らかにわからなかったので、やはりぐずぐずしていた。代助は、しかられるなら、平岡に黙っていたらよかろうと注意した。三千代はまだ手を出さなかった。代助はむろん出したものを引き込めるわけにはいかなかった。やむをえず、少し及び腰になって、掌《てのひら》を三千代の胸のそばまで持っていった。同時に自分の顔も一尺ばかりの距離に近寄せて、
「大丈夫だから、お取んなさい」としっかりした低い調子で言った。三千代は顎を襟《えり》の中へ埋めるようにあとへ引いて、無言のまま右の手を前へ出した。紙幣はその上に落ちた。その時三千代は長い睫《まつ》毛《げ》を二、三度打ち合わした。そうして、掌に落ちたものを帯の間にはさんだ。
「また来る。平岡君によろしく」と言って、代助は表へ出た。町を横断して小《こう》路《じ》へくだると、あたりは暗くなった。代助は美しい夢を見たように、暗い夜を切って歩いた。彼は三十分と立たないうちに、わが家の門前に来た。けれども門をくぐる気がしなかった。彼は高い星をいただいて、静かな屋敷町をぐるぐる徘《はい》徊《かい》した。自分では、夜半まで歩きつづけても疲れることはなかろうと思った。とかくするうち、また自分の家の前へ出た。中は静かであった。門野と婆さんは茶の間で世間話をしていたらしい。
「たいへん遅うがしたな。明日《あした》は何時の汽車でお立ちですか」と玄関へ上がるやいなや問いをかけた。代助は、微笑しながら、
「明日もおやめだ」と答えて、自分の室《へや》へはいった。そこには床がもう敷いてあった。代助はさっき栓《せん》を抜いた香水を取って、括《くく》り枕《まくら》の上に一滴たらした。それではなんだか物足りなかった。壜を持ったまま、立って室の四《よ》隅《すみ》へ行って、そこに一、二滴ずつ振りかけた。かように打ち興じたあと、白地の浴衣《ゆかた》に着換えて、新らしい小《こ》掻《かい》巻《ま》きの下に安らかな手足を横たえた。そうして、薔《ば》薇《ら》の香りのする眠りについた。
目がさめた時は、高い日が縁に黄金色の震動をさし込んでいた。枕《まくら》元《もと》には新聞が二枚そろえてあった。代助は、門野がいつ、雨戸を引いて、いつ新聞を持って来たか、まるで知らなかった。代助は長い伸びを一つして起き上がった。風呂場で身体をふいていると、門野が少しうろたえたようすでやって来て、
「青山からお兄《あに》いさんがお見えになりました」と言った。代助は今すぐ行く旨を答えて、きれいに身体をふき取った。座敷はまだ掃《そう》除《じ》ができているか、いないかであったが、自分で飛び出す必要もないと思ったから、急ぎもせずに、いつものとおり、髪を分けて剃《そり》をあてて、ゆうゆうと茶の間へ帰った。そこではさすがにゆっくりと膳《ぜん》につく気も出なかった。立ちながら紅茶を一杯すすって、タオルでちょっと口《くち》髭《ひげ》をこすって、それを、そこへ放り出すと、すぐ客間へ出て、
「やあ兄《にい》さん」と挨《あい》拶《さつ》をした。兄は例のごとく、色の濃い葉巻きの、火の消えたのを、指の股《また》にはさんで、平然として代助の新聞を読んでいた。代助の顔を見るやいなや、
「この室はたいへんいいにおいがするようだが、お前の頭かい」と聞いた。
「僕の頭の見える前からでしょう」と答えて、昨夜《ゆうべ》の香水のことを話した、兄は、落ちついて、
「ははあ、だいぶしゃれたことをやるな」と言った。
兄はめったに代助の所へ来たことのない男であった。たまに来れば必ず来なくってならない用事を持っていた。そうして、用をすますとさっさと帰って行った。今日《きよう》も何事か起こったにちがいないと代助は考えた。そうして、それは昨日《きのう》誠太郎をいいかげんにごまかして返した反響だろうと想像した。五、六分雑談をしているうちに、兄はとうとう言いだした。
「昨夕《ゆうべ》誠太郎が帰って来て、叔父さんは明日《あした》から旅行するっていう話だから、出て来た」
「ええ、実は今《け》朝《さ》六時ごろから出ようと思ってね」と代助は嘘のようなことを、しごく冷静に答えた。兄もまじめな顔をして、
「六時に立てるくらいな早起きの男なら、今時分わざわざ青山からやって来やしない」と言った。改めて用事を聞いてみると、やはり予想のとおり肉薄の遂行にすぎなかった。すなわち今日高木と佐川の娘を呼んで午《ご》餐《さん》をふるまうはずだから、代助にも列席しろという父の命令であった。兄の語るところによると、昨夕誠太郎の返事を聞いて、父は大いに機《き》嫌《げん》を悪くした。梅子は気をもんで、代助の立たない前にあって、旅行を延ばさせると言いだした。兄はそれをとめたそうである。
「なにあいつが今夜中に立つものか、今ごろはかばんの前へすわって考え込んでいるぐらいのものだ。明日になってみろ、放っておいてもやって来るからって、おれが姉さんを安心させたのだよ」と誠吾は落ちつき払っていた。代助は少しいまいましくなったので、
「じゃ、放っておいてごらんなさればいいのに」と言った。
「ところが女と言うものは、気の短いもので、お父さんに悪いからって、今朝起きるやいなや、おれをせびるんだからね」と誠吾はおかしいような顔もしなかった。むしろ迷惑そうに代助をながめていた。代助は行くとも、行かないとも決答を与えなかった。けれども兄に対しては、誠太郎同様に、要領を握らせないで返してしまう勇気も出なかった。そのうえ午餐を断わって、旅行するにしても、もう自分の懐中を当てにするわけにはいかなかった。やはり、兄とか嫂《あによめ》とか、もしくは父とか、いずれ反対派の誰かを痛めなければ、身動きが取れない位地にいた。そこで、つかず離れずに、高木と佐川の娘の評判をした。高木には十年ほど前に一ぺんあったぎりであったが、妙なもので、どこかに見覚えがあって、このあいだ歌《か》舞《ぶ》伎《き》座《ざ》で目についた時は、はてなと思った。これに反して、佐川の娘のほうは、ついせんだって、写真を手にしたばかりであるのに、実物に接しても、まるで連想が浮かばなかった。写真は奇体なもので、まず人間を知っていて、そのほうから、写真の誰《だれ》彼《かれ》をきめるのは容易であるが、その逆の、写真から人間を定めるほうはなかなかむずかしい。これを哲学にすると、死から生を出すのは不可能だが、生から死に移るのは自然の順序であるという真理に帰着する。
「私《わたし》はそう考えた」と代助が言った。兄はなるほどと答えたがべつだん感心した様子もなかった。葉巻きの短くなって、口《くち》髭《ひげ》に火がつきそうなのをむやみにくわえかえて、
「それで、必ずしも今日旅行する必要もないんだろう」と聞いた。
代助はないと答えざるを得なかった。
「じゃ、今日餐《めし》を食いに来てもいいんだろう」
代助はまた好いと答えないわけにはいかなかった。
「じゃ、おれはこれから、ちょっとわきへ回るから、まちがいのないように来てくれ」と相変わらず多忙に見えた。代助はもう度胸をすえたから、どうでもかまわないという気で、先方に都合の好い返事を与えた。すると兄が突然、
「いったいどうなんだ。あの女をもらう気はないのか。好いじゃないかもらったって。そうえり好みをするほど女房に重きを置くと、なんだか元《げん》禄《ろく》時代の色男のようでおかしいな。すべてあの時代の人間は男《なん》女《によ》に限らず非常に窮屈な恋をしたようだが、そうでもなかったのかい。――まあ、どうでも好いから、なるべく年寄りをおこらせないようにやってくれ」と言って帰った。
代助は座敷へもどって、しばらく、兄の警句を咀《そ》嚼《しやく》していた。自分も結婚に対しては、実際兄と同意見であるとしか考えられない。だから、結婚を勧めるほうでも、おこらないで放っておくべきものだと、兄とは反対に、自分に都合の好い結論を得た。
兄の言うところによると、佐川の娘は、今度久しぶりに叔父に連れられて、見物かたがた上京したので、叔父の商用がすみしだいまた連れられて国へ帰るのだそうである。父がその機会を利用して、相互の関係に、永遠の利害を結びつけようと企てたのか、またはせんだっての旅行先で、この機会をも自発的にこしらえて帰って来たのか、どっちにしても代助はあまり研究の余地を認めなかった。自分はただこれらの人と同じ食卓で、うまそうに午餐を味わってみせれば、社交上の義務はそこに終わるものと考えた。もしそれより以上に、なんらかの発展が必要になった場合には、その時に至って、はじめて処置をつけるよりほかに道はないと思案した。
代助は婆さんを呼んで着物を出さした。面《めん》倒《どう》だと思ったが、敬意を表するために、紋《もん》付《つ》きの夏羽織を着た。袴《はかま》は一《ひと》重《え》のがなかったから、家に行って、父か兄かのをはくことにきめた。代助は神経質なわりに、子供の時からの習慣で、人中へ出るのをあまり苦にしなかった。宴会とか、招待とか、送別とかいう機会があると、たいていは都合して出席した。だから、ある方面に知名な人の顔はだいぶ覚えていた。その中に伯爵とか子爵とかいう貴公子も交っていた。彼はこんな人の仲間入りをして、その仲間なりのつきあいに、損も得も感じなかった。言語動作はどこへ出ても同じであった。外部から見ると、そこがたいへんよく兄の誠吾に似ていた。だから、よく知らない人は、この兄弟の性質を、まったく同一型に属するものと信じていた。
代助が青山に着いた時は、十一時五分前であったがお客はまだ来ていなかった。兄もまだ帰らなかった。嫂《あによめ》だけがちゃんと支《し》度《たく》をして、座敷にすわっていた。代助の顔を見て、
「あなたも、ずいぶん乱暴ね。人を出し抜いて旅行するなんて」と、いきなりやり込めた。梅子は場合によると、決して論《ロジ》理《ツク》をもちえない女であった。この場合にも、自分が代助を出し抜いたことにはまるで気がついていない挨拶のしかたであった。それが代助には愛《あい》嬌《きよう》に見えた。で、すぐそこへ坐り込んで梅子の服装の品評を始めた。父は奥にいると聞いたが、わざと行かなかった。しいられたとき、
「今にお客さんが来たら、僕が奥へ知らせに行く。その時挨拶をすれば好かろう」と言って、やっぱり平常のようなむだ口をたたいていた。けれども佐川の娘に関しては、一言も口を切らなかった。梅子はなんとかして、話をそこへ持ってゆこうとした。代助には、それが明らかに見えた。だから、なおそらとぼけて讎《かたき》を取った。
そのうち待ち設けたお客が来たので、代助は約束どおりすぐ父の所へ知らせに行った。父は、案のじょう、
「そうか」とすぐ立ち上がっただけであった。代助に小言を言う暇もなにもなかった。代助は座敷へ引き返して来て、袴をはいて、それから応接間へ出た。客と主人とはそこでことごとく顔を合わせた。父と高木とが第一に話を始めた。梅子はおもに佐川の令嬢の相手になった。そこへ兄が今《け》朝《さ》のとおりの服《な》装《り》で、のっそりとはいって来た。
「いや、どうも遅くなりまして」と客の方に挨拶をしたが、席についたとき、代助を振り返って、
「だいぶ早かったね」と小さな声をかけた。
食堂には応接室の次の間を使った。代助は戸のあいた間から、白い卓《たく》布《ふ》の角の際《きわ》立《だ》った色を認めて、午《ご》餐《さん》は洋食だと心づいた。梅子はちょっと席を立って、次の入口をのぞきに行った。それは父に、食卓の準備ができ上がった旨を知らせるためであった。
「ではどうぞ」と父は立ち上がった。高木も会《え》釈《しやく》して立ち上がった。佐川の令嬢も叔父についで立ち上がった。代助はその時、女の腰から下の、比較的に細く長いことを発見した。食卓では、父と高木が、真ん中に向き合った。高木の右に梅子がすわって、父の左に令嬢が席を占めた。女同志が向き合ったごとく、誠吾と代助も向き合った。代助は五味台《クルエツト・スタンド*》 を中に、少し斜めにそれた位地から令嬢の顔をながめることになった。代助はその頬《ほお》の肉と色が、著るしく後ろの窓からさす光線の影響を受けて、鼻の境に暗すぎる影を作ったように思った。そのかわり耳に接したほうは、明らかに薄《うす》紅《くれない》であった。ことに小さい耳が、日の光をとおしているかのごとくデリケートに見えた。皮膚とは反対に、令嬢は黒い鳶《とび》色《いろ》の大きな目を有していた。この二つの対照からはなやかな特徴を生ずる令嬢の顔の形は、むしろ丸いほうであった。
食卓は、人《にん》数《ず》が人数だけに、さほど大きくはなかった。部屋の広さに比例して、むしろ小さすぎるくらいであったが、純白な卓布を、取り集めた花でつづって、その中にナイフとフォークの色が冴《さ》えて輝いた。
卓上の談話はおもに平凡な世間話であった。はじめのうちは、それさえあまり興味がのらないように見えた。父はこういう場合には、よく自分の好きな書画骨《こつ》董《とう》の話を持ち出すのを常としていた。そうして気が向けば、いくらでも、蔵から出して来て、客の前へならべたものである。父のおかげで、代助は多少この道に好《こう》悪《お》をもてるようになっていた。兄も同様の原因から、画家の名前ぐらいは心得ていた。ただし、このほうは掛物の前に立って、はあ仇《きゆう》英《えい*》 だね、はあ応《おう》挙《きよ》だねというだけであった。おもしろい顔もしないから、おもしろいようにも見えなかった。それから真偽の鑑定のために、虫《むし》眼鏡《めがね》などを振りまわさないところは、誠吾も代助も同じことであった。父のように、こんな波は昔の人はかかないものだから、法にかなっていないなどという批評は、双方ともに、いまだかつていかなる画《が》に対しても加えたことはなかった。
父は乾いた会話に色彩を添えるため、やがて好きな方面の問題に触れてみた。ところが一、二言《げん》で高木はそういうことにまるで無頓着な男であるということがわかった。父は老巧の人だから、すぐ退却した。けれども双方に安全な領分に帰ると、双方ともに談話の意味を感じなかった。父はやむをえず、高木にどんな娯楽があるかを確かめた。高木は特別に娯楽を持たない由を答えた。父は万事休すという体裁で、高木を誠吾と代助に託して、しばらく談話の圏外に出た。誠吾は、なんの苦もなく、神戸の宿屋から、楠《なん》公《こう》神《じん》社《じや*》 やら、手当たりしだいに話題を開拓していった。そうして、そのうちに自然令嬢の演ずべき役割をこしらえた。令嬢はただ簡単に、必要な言葉だけを点じては逃げた。代助と高木とは、はじめ同志社を問題にした。それからアメリカの大学の状況に移った。最後にエマーソン《*》 やホーソーンの名が出た。代助は、高木にこういう種類の知識があるということを確かめたけれども、ただ確かめただけで、それより以上に深入りもしなかった。したがって文学談は単に二、三の人名と書名に終わって、少しも発展しなかった。
梅子はもとより初めから断えず口を動かしていた。その努力のおもなるものは、むろん自分の前にいる令嬢の遠慮と沈黙を打ちくずすにあった。令嬢は礼儀上からいっても、梅子の間断なき質問に応じないわけにゆかなかった。けれども積極的に自分から梅子の心を動かそうとつとめた形《けい》迹《せき》はほとんどなかった。ただ物を言うときに、少し首を横に曲げる癖があった。それすら代助には媚《こび》を売るとは解釈できなかった。
令嬢は京都で教育を受けた。音楽は、初めは琴を習ったが、後にはピアノにかえた。バイオリンも少し稽《けい》古《こ》したが、このほうは手の使い方がむずかしいので、まあやらないと同じである。芝《しば》居《い》はめったに行ったことがなかった。
「せんだっての歌舞伎座はいかがでした」と梅子が聞いた時、令嬢はなんとも答えなかった。代助にはそれが劇を解しないというより、劇を軽蔑しているように取れた。それだのに、梅子はつづけて、同じ問題について、甲の役者はどうだの、乙の役者はなんだのと評しだした。代助はまた嫂が論理を踏みはずしたと思った。しかたがないから、横合いから、
「芝居はおきらいでも、小説はお読みになるでしょう」と聞いて芝居の話をやめさした。令嬢はその時はじめて、ちょっと代助の方を見た。けれども答えは案外にはっきりしていた。
「いえ小説も」
令嬢の答えを待ち受けていた、主《しゆ》客《かく》はみんな声を出して笑った。高木は令嬢のために説明の労を取った。そのいうところによると、令嬢の教育を受けたミス何とかいう婦人の影響で、令嬢はある点ではほとんど清教徒《ピユリタン》のように仕込まれているのだそうであった。だからよほど時代おくれだと、高木は説明のあとから批評さえつけ加えた。その時はむろん誰も笑わなかった。耶《ヤ》蘇《ソ》教《きよう》に対して、あまり好意をもっていない父は、
「それは結構だ」とほめた。梅子は、そういう教育の価値をまったく解することができなかった。にもかかわらず、
「ほんとうにね」と趣味にかなわない不《ふ》得《とく》要《よう》領《りよう》の言葉を使った。誠吾は梅子の言葉が、あまり重い印象を先方に与えないように、すぐ問題をかえた。
「じゃ英語はお上《じよう》手《ず》でしょう」
令嬢はいいえと言って、こころもち顔を赤くした。
食事がすんでから、主客はまた応接間にもどって、話を始めたが、蝋《ろう》燭《そく》を継ぎ足したように、新らしいほうへは急に火が移りそうにも見えなかった。梅子は立って、ピアノの蓋《ふた》をあけて、
「なにか一ついかがですか」と言いながら令嬢を顧みた。令嬢はもとより席を動かなかった。
「じゃ、代《だい》さん、皮切りになにかおやり」と今度は代助に言った。代助は人に聞かせるほどの上手でないのを自覚していた。けれども、そんな弁解をすると、問答が理屈くさく、しつこくなるばかりだから、
「まあ、蓋《ふた》をあけておおきなさい。今にやるから」と答えたなり、なにかなしに、無関係のことを話しつづけていた。
一時間ほどして客は帰った。四《よつ》人《たり》は肩をそろえて玄関まで出た。奥へはいる時、
「代助はまだ帰るんじゃなかろうな」と父が言った。代助はみんなから一足おくれて、鴨《かも》居《い》の上に両手が届くような伸びを一つした。それから、人のいない応接間と食堂を少しうろうろして座敷へ来てみると、兄と嫂が向き合ってなにか話をしていた。
「おい、すぐ帰っちゃいけない。お父さんがなにか用があるそうだ。奥へおいで」と兄はわざとらしいまじめな調子で言った。梅子は薄笑いをしている。代助は黙って頭をかいた。
代助は一人で父の室《へや》へ行く勇気がなかった。なんとかかとか言って、兄夫婦を引っ張って行こうとした。それがうまく成功しないので、とうとうそこへすわり込んでしまった。ところへ小間使いが来て、
「あの、若《わか》旦《だん》那《な》様《さま》にちょっと、奥までいらっしゃるように」と催促した。
「うん、今行く」と返事をして、それから、兄夫婦にこういう理屈を述べた。――自分一人で父にあうと、父がああいう気象のところへもってきて、自分がこんなずぼらだから、ことによると大いに老《とし》人《より》をおこらしてしまうかもしれない。そうすると、兄夫婦だって、あとから面《めん》倒《どう》くさい調停をしたりなにかしなければならない。そのほうがかえって迷惑になるわけだから、骨惜しみをせずに今ちょっといっしょに行ってくれたらよかろう。
兄は議論がきらいな男なので、なんだくだらないと言わぬばかりの顔をしたが、
「じゃ、さあ行こう」と立ち上がった。梅子も笑いながらすぐに立った。三人して廊下を渡って父の室に行って、何事も起こらなかったのごとく着座した。
そこでは、梅子が如《じよ》才《さい》なく、代助の過去に父の小言が飛ばないような手かげんをした。そうして談話の潮流を、なるべく今帰った来客の品評のほうへ持っていった。梅子は佐川の令嬢をたいへんおとなしそうないい子だとほめた。これには父も兄も代助も同意を表した。けれども、兄は、もしアメリカのミスの教育を受けたというのがほんとうなら、もう少しは西洋流にはきはきしそうなものだという疑いを立てた。代助はその疑いにも賛成した。父と嫂は黙っていた。そこで代助は、あのおとなしさは、はにかむ性質のおとなしさだから、ミスの教育とは独立に、日本の男《なん》女《によ》の社交的関係から来たものだろうと説明した。父はそれもそうだと言った。梅子は令嬢の教育地が京都だから、ああなんじゃないかと推察した。兄は東京だって、お前みたようなのばかりはいないと言った。この時父は厳正な顔をして灰吹きをたたいた。次に、きりょうだって十人並みよりいいじゃありませんかと梅子が言った。これには父も兄も異議はなかった。代助も賛成の旨を告白した。四《よつ》人《たり》はそれから高木の品評に移った。温健の好人物ということで、そのほうはすぐかたづいてしまった。不幸にして誰も令嬢の父母を知らなかった。けれども、物堅い地味な人だというだけは、父が三人の前で保証した。父はそれを同県下の多額納税議員の某《ぼう》から確かめたのだそうである。最後に、佐川家の財産についても話が出た。その時父は、ああいうのは、普通の実業家より基礎がしっかりしていて安全だと言った。
令嬢の資格がほぼ定まった時、父は代助に向かって、
「たいした異存もないだろう」と尋ねた。その語調といい、意味といい、どうするかねぐらいの程度ではなかった。代助は、
「そうですな」とやっぱり煮え切らない答えをした。父はじっと代助を見ていたが、だんだん皺《しわ》の多い額をくもらした。兄はしかたなしに、
「まあ、もう少しよく考えてみるがいい」と言って、代助のために余裕をつけてくれた。
一三
四日ほどしてから、代助はまた父の命令で、高木の出《しゆつ》立《たつ》を新橋まで見送った。その日は眠いところをむりに早く起こされて、寝足らない頭を風に吹かしたせいか、停《ステ》車《ーシ》場《ヨン》に着くころ、髪の毛の中にかぜを引いたような気がした。待合所にはいるやいなや、梅子から顔色がよくないという注意を受けた。代助はなんにも答えずに、帽子を脱いで、時々ぬれた頭をおさえた。しまいには朝きれいにわけた髪がもじゃもじゃになった。
プラットフォームで高木は突然代助に向かって、
「どうですこの汽車で、神戸まで遊びに行きませんか」と勧めた。代助はただありがとうと答えただけであった。いよいよ汽車の出るまぎわに、梅子はわざと、窓ぎわに近寄って、とくに令嬢の名を呼んで、
「近い内にまたぜひいらっしゃい」と言った。令嬢は窓のなかで、丁寧に会《え》釈《しやく》したが、窓の外へはべつだんの言葉も聞こえなかった。汽車を見送って、また改《かい》札《さつ》場《ば》を出た四《よつ》人《たり》は、それぎり離れ離れになった。梅子は代助を誘って青山へ連れて行こうとしたが、代助は頭をおさえて応じなかった。
車に乗ってすぐ牛込へ帰って、それなり書斎へはいって、仰向けに倒れた。門野はちょっとその様子をのぞきに来たが、代助の平生を知っているので、言葉もかけず、椅《い》子《す》に引っかけてある羽織だけをかかえて出て行った。
代助は寝ながら、自分の近き未来をどうなるものだろうと考えた。こうして打《うち》遣《や》っておけば、ぜひとも嫁をもらわなければならなくなる。嫁はもう今までにだいぶ断わっている。このうえ断われば、愛《あい》想《そ》をつかされるか、ほんとうにおこりだされるか、どっちかになるらしい。もし愛想をつかされて、結婚勧誘をこれかぎり断念してもらえれば、それに越したことはないが、おこられるのははなはだ迷惑である。といって、進まぬものをもらいましょうというのは今《きん》代《だい》人《じん》として馬《ば》鹿《か》気《げ》ている。代助はこのジレンマの間に低《てい》徊《かい》した。
彼は父と違って、当初からある計画をこしらえて、自然をその計画どおりにしいる古風な人ではなかった。彼は自然をもって人間をこしらえたすべての計画よりも偉大なものと信じていたからである。だから父が、自分の自然にさからって、父の計画どおりをしいるならば、それは、去られた妻が、離縁状を楯《たて》に夫婦の関係を証拠立てようとすると一般であると考えた。けれども、そんな理屈を、父に向かって述べる気は、まるでなかった。父を理攻めにすることは困難中の困難であった。その困難を冒したところで、代助にとってはなんらの利益もなかった。その結果は父の不興を招くだけで、理由を言わずに結婚を拒絶するのと撰《えら》むところはなかった。
彼は父と兄と嫂《あによめ》の三人のうちで、父の人格にもっとも疑いを置いた。今度の結婚にしても、結婚そのものが必ずしも父の唯《ゆい》一《いつ》の目的ではあるまいとまで推察した。けれども父の本意がどこにあるかは、もとより明らかに知る機会を与えられていなかった。彼は子として、父の心意をかように揣《し》摩《ま*》 することを、不徳義とは考えなかった。したがって自分だけが、多くの親子のうちで、もっとも不幸なものであるというような考えは少しも起こさなかった。ただこれがため、今日までの程度より以上に、父と自分の間がへだたってきそうなのを不快に感じた。
彼は隔離の極端として、父子絶縁の状態を想像してみた。そうしてそこに一種の苦痛を認めた。けれども、その苦痛は堪えられない程度のものではなかった。むしろそれから生ずる財源の杜《と》絶《ぜつ》のほうが恐ろしかった。
もし馬鈴薯《ポテトー》が金《ダイ》剛《ヤモ》石《ンド》よりたいせつになったら、人間はもうだめであると、代助は平生から考えていた。こう向《こう》後《ご》父の怒りに触れて、万一金銭上の関係が絶えるとすれば、彼はいやでも金剛石を放り出して、馬鈴薯にかじりつかなければならない。そうしてその償《つぐな》いには自然の愛が残るだけである。その愛の対象は他人の細君であった。
彼は寝ながら、いつまでも考えた。けれども、彼の頭はいつまでもどこへも到着することができなかった。彼は自分の寿命をきめる権利を持たぬごとく、自分の未来をもきめえなかった。同時に、自分の寿命に、たいていの見当をつけうるごとく、自分の未来にも多少の影を認めた。そうして、いたずらにその影を捕《ほ》捉《そく》しようと企てた。
その時代助の脳の活動は、夕《ゆう》闇《やみ》を驚かす蝙《かわ》蝠《ほり》のような幻像をちらりちらりと生みだすにすぎなかった。そのはばたきの光を追いかけて寝ているうちに、頭が床《ゆか》から浮き上がって、ふわふわするように思われてきた。そうして、いつのまにか軽い眠りに陥った。
すると突然誰《だれ》か耳のはたで半鐘を打った。代助は火事という意識さえまだ起こらない先に目をさました。けれどもはね起きもせずに寝ていた。彼の夢にこんな音の出るのはほとんど普通であった。ある時はそれが正気に返ったあとまでも響いていた。五、六日前彼は、彼の家の大いに揺れる自覚とともに眠りを破った。その時彼は明らかに、彼の下に動く畳のさまを、肩と腰と背の一部に感じた。彼はまた夢に得た心臓の鼓動を、さめたあとまで持ち伝えることがしばしばあった。そんな場合には聖《セイ》徒《ント》のごとく、胸に手を当てて、目をあけたまま、じっと天井を見つめていた。
代助はこの時も半鐘の音が、じいんと耳の底で鳴り尽くしてしまうまで横になって待っていた。それから起きた。茶の間へ来てみると、自分の膳の上に簣《す》垂《だれ》がかけて、火《ひ》鉢《ばち》のそばにすえてあった。柱時計はもう十二時回っていた。婆さんは、飯をすましたあとと見えて、下《げ》女《じよ》部《べ》屋《や》でお櫃《はち》の上に肱《ひじ》を突いて居眠りをしていた。門野はどこへ行ったか影さえ見えなかった。
代助は風呂場へ行って、頭をぬらしたあと、ひとり茶の間の膳についた。そこで、さみしい食事をすまして、再び書斎にもどったが、久しぶりに今日は少し書見をしようという心組みであった。
かねて読みかけてある洋書を、栞《しおり》のはさんであるところであけてみると、前後の関係をまるで忘れていた。代助の記憶にとってこういう現象はむしろ珍らしかった。彼は学校生活の時代から一種の読書家であった。卒業の後も、衣食の煩いなしに、購読の利益を適意に収めうる身分を誇りにしていた。一ページも目を通さないで、日を送ることがあると、習慣上なにとなく荒廃の感をもよおした。だからたいていな事故があっても、なるべく都合して、活字に親しんだ。ある時は読書そのものが、唯一なる自己の本領のような気がした。
代助は今茫《ぼう》然《ぜん》として、煙草をくゆらしながら、読みかけたページを二、三枚あとへ繰ってみた。そこにどんな議論があって、それがどう続くのか、頭をこしらえるためにちょっと骨をおった。その努力は艀《はしけ》から桟《さん》橋《ばし》へ移るほど楽ではなかった。食い違った断面の甲にまごついているものが、急に乙に移るべく余儀なくされたようであった。代助はそれでも辛《しん》抱《ぼう》して、約二時間ほど目をページの上にさらしていた。がしまいにとうとう堪え切れなくなった。彼の読んでいるものは、活字のあつまりとして、ある意味をもって、彼の頭に映ずるにはちがいないが、彼の肉や血に回る気《け》色《しき》はいっこう見えなかった。彼は氷《ひよう》嚢《のう》を隔てて、氷に食いついた時のように物足らなく思った。
彼は書物を伏せた。そうして、こんな時に書物を読むのは無理だと考えた。同時にもう安息することもできなくなったと考えた。彼の苦痛はいつものアンニュイではなかった。なにもするのがものういというのとは違って、なにかしなくてはいられない頭の状態であった。
彼は立ち上がって、茶の間へ来て、たたんである羽織をまた引っかけた。そうして玄関に脱ぎすてた下《げ》駄《た》をはいて馳《か》け出すように門を出た。時に四時ごろであった。神《かぐ》楽《ら》坂《ざか》をおりて、当てもなく、目についた第一の電車に乗った。車掌に行く先を問われたとき、口から出まかせの返事をした。紙入れをあけたら、三千代にやった旅行費の余りが、三《みつ》折《お》りの深底のほうにまだはいっていた。代助は乗車券を買ったあとで、札《さつ》の数を調べてみた。
彼はその晩を赤坂のある待合いで暮らした。そこでおもしろい話を聞いた。ある若くて美しい女が、さる男と関係して、その種を宿したところが、いよいよ子を生む段になって、涙をこぼして悲しがった。あとからその訳を聞いたら、こんな年で子供を生ませられるのは情けないからだと答えた。この女は愛をもっぱらにする時機があまり短すぎて、親子の関係が容赦もなく、若い頭の上を襲ってきたのに、一種の無《む》定《じよう》を感じたのであった。それはむろん堅気の女ではなかった。代助は肉の美と、霊の愛にのみおのれをささげて、その他を顧みぬ女の心理状態として、この話をはなはだ興味あるものと思った。
翌日になって、代助はとうとうまた三千代にあいに行った。その時彼は腹の中で、せんだって置いてきた金のことを、三千代が平岡に話したろうか、話さなかったろうか、もし話したとすればどんな結果を夫婦のうえに生じたろうか、それが気がかりだからという口実をこしらえた。彼はこの気がかりが、自分を駆《か》って、じっと落ちつかれないように、東西を引っ張り回したあげく、ついに三千代のほうに吹きつけるのだと解釈した。
代助は家を出る前に、昨夕《ゆうべ》着た肌着も単衣《ひとえ》もことごとく改めて気を新たにした。外は寒暖計の度《ど》盛《もり》の日をおうてあがるころであった。歩いていると、湿っぽい梅《つ》雨《ゆ》がかえって待ち遠しいほどさかんに日が照った。代助は昨夕の反動で、この陽気な空気の中に落ちる自分の黒い影が苦になった。広い鍔《つば》の夏帽をかぶりながら、早く雨季に入ればいいという心持ちがあった。その雨季はもう二、三日の眼前にせまっていた。彼の頭はそれを予報するかのように、どんよりと重かった。
平岡の家《うち》の前へ来た時は、くもった頭を厚くおおう髪の根元が息《い》切《き》れていた。代助は家にはいる前にまず帽子を脱いだ。格《こう》子《し》には締りがしてあった。物音をめあてに裏へ回ると、三千代は下女と張り物をしていた。物置の横へ立てかけた張り板の中途から、細い首を前へ出して、こごみながら、くちゃくちゃになったものをたんねんに引き伸ばしつつあった手をとめて、代助を見た。ちょっとはなんとも言わなかった。代助も、しばらくはただ立っていた。ようやくにして、
「また来ました」と言った時、三千代はぬれた手を振って、馳け込むように勝手から上がった。同時に表へ回れと目で合図をした。三千代は自分で沓《くつ》脱《ぬぎ》へおりて、格子の締りをはずしながら、
「無用心だから」と言った。今まで日のとおる澄んだ空気の下で、手を動かしていたせいで、頬のところがほてって見えた。それが額《ひたい》際《ぎわ》へきていつものように蒼《あお》白《じろ》く変わっているあたりに、汗が少しにじみだした。代助は格子の外から、三千代のきわめて薄手な皮膚をながめて、戸のあくのを静かに待った。三千代は、
「お待ちどおさま」と言って、代助を誘《いざな》うように、一足横へのいた。代助は三千代とすれすれになって内へはいった。座敷へ来てみると、平岡の机の前に、紫の座《ざ》蒲《ぶ》団《とん》がちゃんとすえてあった。代助はそれを見た時ちょっといやな心持ちがした。土の和《な》れない庭の色が黄色に光る所に、長い草が見苦しくはえた。
代助はまた忙がしいところを、じゃまに来てすまないというような尋常な言い訳を述べながら、この無趣味な庭をながめた。その時三千代をこんな家へ入れておくのは実際気の毒だという気が起こった。三千代は水いじりで爪《つま》先《さき》の少しふやけた手を膝の上に重ねて、あまり退屈だから張り物をしていたところだと言った。三千代の退屈という意味は、夫が始終外へ出ていて、単調な留守居の時間を無《ぶ》聊《りよう》に苦しむということであった。代助はわざと、
「結構な身分ですね」とひやかした。三千代は自分の荒涼な胸のうちを代助に訴える様子もなかった。黙って、次の間へ立って行った。用《よう》箪《だん》笥《す》の環を響かして、赤いビロードで張った小《ち》さい箱を持って出て来た。代助の前へすわって、それをあけた。中には昔代助のやった指《ゆび》環《わ》がちゃんとはいっていた。三千代は、ただ
「いいでしょう、ね」と代助に謝罪するように言って、すぐまた立って次の間へ行った。そうして、世の中をはばかるように、記念の指環をそこそこに用箪笥にしまって元の座にもどった。代助は指環については何事も語らなかった。庭の方を見て、
「そんなにひまなら、庭の草でも取ったら、どうです」と言った。すると今度は三千代のほうが黙ってしまった。それが、しばらく続いたあとで代助はまた改めて聞いた。
「このあいだのことを平岡君に話したんですか」
三千代は低い声で、
「いいえ」と答えた。
「じゃ、まだ知らないんですか」と聞き返した。
その時三千代の説明には、話そうと思ったけれども、このごろ平岡はついぞ落ちついて宅にいたことがないので、つい話しそびれてまだ知らせずにいるということであった。代助はもとより三千代の説明を嘘とは思わなかった。けれども、五分のひまさえあれば夫に話されることを、今日までそれなりにしてあるのは、三千代の腹の中に、なんだか話しにくいあるわだかまりがあるからだと思わずにはいられなかった。自分は三千代を、平岡に対して、それだけ罪のある人にしてしまったと代助は考えた。けれどもそれはさほどに代助の良心をさすには至らなかった。法律の制裁はいざ知らず、自然の制裁として、平岡もこの結果に対して明らかに責めをわかたなければならないと思ったからである。
代助は三千代に平岡の近来の模様を尋ねてみた。三千代は例によって多くを語ることを好まなかった。しかし平岡の妻に対する仕打ちが結婚当時と変わっているのは明らかであった。代助は夫婦が東京へ帰った当時すでにそれを見抜いた。それから以後改まって両人《ふたり》の腹の中を聞いたことはないが、それが日ごとによくないほうに、速度を加えて進行しつつあるのはほとんど争うべからざる事実とみえた。夫婦の間に、代助という第三者が点ぜられたがために、この疎《そ》隔《かく》が起こったとすれば、代助はこの方面に向かって、もっと注意深く働いたかもしれなかった。けれども代助は自己の悟性に訴えて、そうは信ずることができなかった。彼はこの結果の一部分を三千代の病気に帰した。そうして、肉体上の関係が、夫の精神に反響を与えたものと断定した。またその一部分を子供の死亡に帰した。それから、他の一部分を平岡の遊《ゆう》蕩《とう》に帰した。また他の一部分を会社員としての平岡の失敗に帰した。最後に、残りの一部分を、平岡の放《ほう》埒《らつ》から生じた経済事状に帰した。すべてを概括したうえで、平岡はもらうべからざる人をもらい、三千代は嫁《とつ》ぐべからざる人に嫁いだのだと解決した。代助は心のうちでいたく自分が平岡の依頼に応じて、三千代を彼のために周旋したことを後悔した。けれども自分が三千代の心を動かすがために、平岡が妻から離れたとは、どうしても思いえなかった。
同時に代助の三千代に対する愛情は、この夫婦の現在の関係を、必《ひつ》須《す》条件としてつのりつつあることもまた一方では否《いな》みきれなかった。三千代が平岡に嫁ぐ前、代助と三千代の間《あいだ》柄《がら》は、どのくらいの程度まで進んでいたかは、しばらくおくとしても、彼は現在の三千代にはけっして無頓着でいるわけにはゆかなかった。彼は病気に冒された三千代をただの昔の三千代よりは気の毒に思った。彼は小供を亡《な》くした三千代をただの昔の三千代よりは気の毒に思った。彼は夫の愛を失いつつある三千代をただの昔の三千代よりは気の毒に思った。彼は生活難に苦しみつつある三千代をただの昔の三千代よりは気の毒に思った。ただし、代助はこの夫婦の間を、正面から永久に引き放そうと試みるほど大胆ではなかった。彼の愛はそう逆上してはいなかった。
三千代の目《ま》のあたり、苦しんでいるのは経済問題であった。平岡が自力で給しうるだけの生活費を勝手の方へ回さないことは、三千代の口《こう》吻《ふん》でたしかであった。代助はこの点だけでもまずどうかしなければなるまいと考えた。それで、
「ひとつ私が平岡君にあって、よく話してみよう」と言った。三千代はさびしい顔をして代助を見た。うまくいけば結構だが、やりそくなえばますます三千代の迷惑になるばかりだとは代助も承知していたので、しいてそうしようとも主張しかねた。三千代はまた立って次の間から一封の書状を持って来た。書状は薄青い状袋へはいっていた。北海道にいる父から三千代へあてたものであった。三千代は状袋の中から長い手紙を出して、代助に見せた。
手紙には向こうの思わしくないことや、物価の高くてくらしにくいことや、親類も縁者もなくて心細いことや、東京の方へ出たいが都合はつくまいかということや、――すべてあわれなことばかり書いてあった。代助は丁寧に手紙を巻き返して、三千代に渡した。その時三千代は目の中に涙をためていた。
三千代の父はかつて多少の財産ととなえられるべき田《た》畠《はた》の所有者であった。日露戦争の当時、人の勧めに応じて、株に手を出してまったくやりそくなってから、潔よく祖先の地を売り払って、北海道へ渡ったのである。その後の消息は、代助も今この手紙を見せられるまでいっこう知らなかった。親類はあれどもなきがごとしだとは三千代の兄が生きている時分よく代助に語った言葉であった。はたして三千代は、父と平岡ばかりをたよりに生きていた。
「あなたはうらやましいのね」とまたたきながら言った。代助はそれを否定する勇気に乏しかった。しばらくしてからまた、
「なんだって、まだ奥さんをおもらいなさらないの」と聞いた。代助はこの問いにも答えることができなかった。
しばらく黙然として三千代の顔を見ているうちに、女の頬から血の色がしだいに退いていって、普通よりは目につくほど蒼《あお》白《じろ》くなった。その時代助は三千代と差し向かいで、より長くすわっていることの危険に、はじめて気がついた。自然の情合いから流れる相互の言葉が、無意識のうちに彼らを駆《か》って、準《じゆん》縄《じよう》の埒《らち*》 を踏み超えさせるのは、今二、三分のうちにあった。代助はもとよりそれより先へ進んでも、なお素知らぬ顔で引き返しうる、会話のほうを心得ていた。彼は西洋の小説を読むたびに、そのうち出てくる男《なん》女《によ》の情話が、あまりに露骨で、あまりに放《ほう》肆《し》で、かつあまりに直線的に濃厚なのを平生から怪しんでいた。原語で読めばとにかく、日本には訳しえぬ趣味のものと考えていた。したがって彼は自分と三千代との関係を発展させるために、舶来の台詞《せりふ》を用いる意志は毫《ごう》もなかった。少なくとも二人の間では、尋常の言葉で十分用が足りたのである。が、そこに、甲の位地から、知らぬ間に乙の位置にすべり込む危険が潜んでいた。代助はかろうじて、今一歩というきわどいところで、踏みとどまった。帰る時、三千代は玄関まで送ってきて、
「淋《さむ》しくっていけないから、また来てちょうだい」と言った。下女はまだ裏で張り物をしていた。
表へ出た代助は、ふらふらと一丁ほど歩いた。いいところで切り上げたという意識があるべきはずであるのに、彼の心にはそういう満足がちっともなかった。といって、もっと三千代と対座していて、自然の命ずるがままに、話し尽くして帰ればよかったという後悔もなかった。彼は、あすこで切り上げても、五分十分ののち切り上げても、畢《ひつ》竟《きよう》は同じことであったと思い出した。自分と三千代との現在の関係は、このまえあった時、すでに発展していたのだと思い出した。いな、そのまえあった時すでに、と思い出した。代助は二人の過去を順次にさかのぼってみて、いずれの断面にも、二人の間に燃える愛の炎を見いださないことはなかった。畢竟は、三千代が平岡に嫁ぐ前、すでに自分に嫁いでいたのも同じことだと考えつめた時、彼は堪えがたき重いものを、胸の中に投げ込まれた。彼はその重量のために、足がふらついた。家に帰った時、門野が、
「たいへん顔の色が悪いようですね、どうかなさいましたか」と聞いた。代助は風《ふ》呂《ろ》場《ば》へ行って、蒼《あお》い額からきれいに汗をふき取った。そうして、長く延びすぎた髪を冷水に浸した。それから二日ほど代助はまったく外出しなかった。三日目の午後、電車に乗って、平岡を新聞社に尋ねた。彼は平岡にあって、三千代のために十分話をする決心であった。給仕に名刺を渡して、埃《ほこり》だらけの受付に待っている間、彼はしばしば袂《たもと》からハンケチを出して、鼻をおおうた。やがて、二階の応接間へ案内された。そこは風通しの悪い、蒸し暑い、陰気な狭い部《へ》屋《や》であった。代助はここで煙草を一本吹かした。編集室と書いた戸口が始終あいて、人が出たりはいったりした。代助のあいにきた平岡もその戸口から現われた。せんだって見た夏服を着て、相変わらずきれいな襟《カラ》とカフスをかけていた。忙しそうに、
「やあ、しばらく」と言って代助の前に立った。代助も相手にそそのかされたように立ち上がった。二人は立ちながらちょっと話をした。ちょうど編集のいそがしい時でゆっくりどうすることもできなかった。代助は改めて平岡の都合を聞いた。平岡はポケットから時計を出して見て、
「失敬だが、もう一時間ほどして来てくれないか」と言った。代助は帽子を取って、また暗い埃だらけの階段をおりた。表へ出ると、それでも涼しい風が吹いた。
代助はあてもなく、そこいらをぶらついた。そうして、いよいよ平岡とあったら、どんなふうに話を切り出そうかと工夫した。代助の意は、三千代に刻下の安慰を、少しでも与えたいためにほかならなかった。けれども、それがために、かえって平岡の感情を害することがあるかもしれないと思った。代助はその悪結果の極端として、平岡と自分の間に起こりうる破裂をさえ予想した。しかし、その時はどんなぐあいにして、三千代を救おうかという成案はなかった。代助は三千代と相対ずくで、自分ら二人の間をあれ以上にどうかする勇気をもたなかったと同時に、三千代のために、なにかしなくてはいられなくなったのである。だから、今日の会見は、理知の作用から出た安全の策というよりも、むしろ情の旋風《つむじ》にまき込まれた冒険の働きであった。そこに平生の代助と異なる点があらわれていた。けれども、代助自身はそれに気がついていなかった。一時間ののち彼はまた編集室の入口に立った。そうして、平岡といっしょに新聞社の門を出た。
裏通りを三、四丁来たところで、平岡が先へ立ってある家にはいった。座敷の軒に釣《つり》荵《しのぶ》がかかって、狭い庭が水で一面にぬれていた。平岡は上《うわ》衣《ぎ》を脱いで、すぐあぐらをかいた。代助はさほど暑いとも思わなかった。うちわは手にしただけですんだ。
会話は新聞社内の有様から始まった。平岡は忙しいようでかえって楽な商売でいいと言った。その語気には別に負け惜しみの様子も見えなかった。代助は、それは無責任だからだろうとからかった。平岡はまじめになって、弁解をした。そうして、今《こん》日《にち》の新聞事業ほど競争のはげしくて、機敏な頭を要するものはないというわけを説明した。
「なるほどただ筆が達者なだけじゃしようがあるまいよ」と代助は別に感服した様子を見せなかった。すると、平岡はこう言った。
「僕は経済方面の係りだが、単にそれだけでもなかなかおもしろい事実があがっている。ちと、君の家《うち》の会社の内幕でも書いてごらんにいれようか」
代助は自分の平生の観察から、こんなことを言われて、驚くほどぼんやりしてはいなかった。
「書くのもおもしろいだろう。そのかわり公平に願いたいな」と言った。
「むろん嘘は書かないつもりだ」
「いえ、僕の兄の会社ばかりでなく、一列一体に筆《ひつ》誅《ちゆう》してもらいたいという意味だ」
平岡はこの時邪気のある笑い方をした。そうして、
「日糖事件だけじゃ物足りないからね」と奥歯に物のはさまったように言った。代助は黙って酒を飲んだ。話はこの調子でだんだんはずみを失うようにみえた。すると平岡は、実業界の内状に関連するとでも思ったものか、なにかの拍子に、ふと、日清戦争の当時、大倉組《*》 に起こった逸話を代助に吹《ふい》聴《ちよう》した。その時、大倉組は広島で、軍隊用の食料品として、何百頭かの牛を陸軍に納めるはずになっていた。それを毎日何頭かずつ、納めておいては、夜になると、そっと行ってぬすみ出して来た。そうして、知らぬ顔をして、翌《あく》日《るひ》同じ牛をまた納めた。役人は毎日毎日同じ牛を何べんも買っていた。がしまいに気がついて、一ぺん受け取った牛には焼印を押した。ところがそれを知らずに、またぬすみ出した。のみならず、それを平気に翌日連れて行ったので、とうとう露見してしまったのだそうである。
代助はこの話を聞いた時、その実社会に触れている点において、現代的滑《こつ》稽《けい》の標本だと思った。平岡はそれから、幸《こう》徳《とく》秋《しゆう》水《すい*》 という社会主義の人を、政府がどんなに恐れているかということを話した。幸徳秋水の家《いえ》の前と後ろに巡査が二、三人ずつ昼夜張り番をしている。一時はテントを張って、その中からねらっていた。秋水が外出すると、巡査があとをつける。万一見失いでもしようものなら非常な事件になる。今本郷に現われた、今神田へ来たと、それからそれへと電話がかかって東京市中大騒ぎである。新宿警察署では秋水一人のために月々百円使っている。同じ仲間の飴《あめ》屋《や》が、大道で飴《あめ》細《ざい》工《く》をこしらえていると、白服の巡査が、飴の前へ鼻を出して、じゃまになってしかたがない。
これも代助の耳には、まじめな響きを与えなかった。
「やっぱり現代的滑稽の標本じゃないか」と平岡はさっきの批評を繰り返しながら、代助をいどんだ。代助はそうさと笑ったが、この方面にはあまり興味がないのみならず、今日はいつものように普通の世間話をする気でないので、社会主義のことはそれなりにしておいた。さっき平岡の呼ぼうという芸者をむりにやめさしたのもこれがためであった。
「実は君に話したいことがあるんだが」と代助はついに言いだした。すると、平岡は急に様子を変えて、落ちつかない目を代助の上に注いだが、卒然として、
「そりゃ、僕もとうから、どうかするつもりなんだけれども、今のところじゃしかたがない。もう少し待ってくれたまえ。そのかわり君の兄《にい》さんやお父《とつ》さんのことも、こうして書かずにいるんだから」と代助には意《い》表《ひよう》な返事をした。代助は馬《ば》鹿《か》馬《ば》鹿《か》しいというより、むしろ一種の憎《ぞう》悪《お》を感じた。
「君もだいぶ変わったね」とひややかに言った。
「君の変わったごとく変わっちまった。こうすれちゃしかたがない。だから、もう少し待ってくれたまえ」と答えて、平岡はわざとらしい笑い方をした。
代助は平岡の言語のいかんにかかわらず、自分の言うことだけは言おうときめた。なまじい、借金の催促に来たんじゃないなどと弁明すると、また平岡がその裏を行くのが癪《しやく》だから、向こうの疳《かん》違《ちが》いは疳違いでかまわないとしておいて、こっちはこっちの歩を進める態度に出た。けれども第一に困ったのは、平岡の勝手元の都合を、三千代の訴えによって知ったと切り出しては、三千代に迷惑がかかるかもしれない。といって、問題がそこに触れなければ、忠告も助言もまったく無益である。代助はしかたなしに迂《う》回《かい》した。
「君は近来こういう所へだいぶ頻《ひん》繁《ぱん》に出はいりをするとみえて、家のものとは、みんなおなじみだね」
「君のように金回りがよくないから、そう豪遊もできないが、つきあいだからしかたがないよ」と言って、平岡は器用な手つきをして猪《ちよ》口《く》を口へつけた。
「よけいなことだが、それで家《うち》のほうの経済は、収支償《つぐ》なうのかい」と代助は思い切って猛進した。
「うん。まあ、いいかげんにやってるさ」
こう言った平岡は、急に調子を落として、きわめて気のない返事をした。代助はそれぎり食い込めなくなった。やむをえず、
「ふだんは今ごろもう家へ帰っているんだろう。このあいだ僕がたずねた時はだいぶ遅かったようだが」と聞いた。すると、平岡はやはり問題を回避するような語気で、
「まあ帰ったり、帰らなかったりだ。職業がこういう不規則な性質だから、しかたがないさ」と、半ば自分を弁護するためらしく、曖《あい》昧《まい》に言った。
「三千代さんは淋《さむ》しいだろう」
「なに大丈夫だ。あいつもだいぶ変わったからね」と言って、平岡は代助を見た。代助はその眸《ひとみ》の内に危《あや》しい恐れを感じた。ことによると、この夫婦の関係は元にもどせないと思った。もしこの夫婦が自然の斧《おの》で割《さ》ききりに割《さ》かれるとすると、自分の運命は取り帰しのつかない未来を目の前に控えている。夫婦が離れれば離れるほど、自分と三千代はそれだけ接近しなければならないからである。代助は即座の衝動のごとくに言った。――
「そんなことが、あろうはずがない。いくら、変わったって、そりゃただ年を取っただけの変化だ。なるべく帰って三千代さんに安慰を与えてやれ」
「君はそう思うか」と言いさま平岡がぐいと飲んだ。代助は、ただ、
「思うかって、誰だってそう思わざるをえんじゃないか」と半ば口から出まかせに答えた。
「君は三千代を三年前の三千代と思ってるか。だいぶ変わったよ。ああ、だいぶ変わったよ」と平岡はまたぐいと飲んだ。代助は覚えず胸の動《どう》悸《き》を感じた。
「同《おんな》じだ、僕の見るところではまったく同《おんな》じだ。少しも変わっていやしない」
「だって、僕は家へ帰ってもおもしろくないからしかたがないじゃないか」
「そんなはずはない」
平岡は目をまるくしてまた代助を見た。代助は少し呼吸が逼《せま》った。けれども、罪あるものが雷火に打たれたような気はまったくなかった。彼は平生にも似ず論理に合わないことをただ衝動的に言った。しかしそれは目の前にいる平岡のためだとかたく信じて疑わなかった。彼は平岡夫婦を三年前の夫婦にして、それをたよりに、自分を三千代からながく振り放そうとする最後の試みを、半ば無意識的にやっただけであった。自分と三千代の関係を、平岡から隠すための、糊《こ》塗《と》策《さく》とは毫も考えていなかった。代助は平岡に対して、さほど不信な言動をあえてするには、あまりに高尚であると、優に自己を評価していた。しばらくしてから、代助はまた平生の調子に帰った。
「だって、君がそう外へばかり出ていれば、自然金もいる。したがって家の経済もくまくいかなくなる。だんだん家庭がおもしろくなくなるだけじゃないか」
平岡は、白シャツの袖を腕の中途までまくり上げて、
「家庭か。家庭もあまり下《くだ》さったものじゃない《*》 。家庭を重く見るのは、君のような独《どく》身《しん》者《もの》に限るようだね」と言った。
この言葉を聞いたとき、代助は平岡がにくくなった。あからさまに自分の腹の中を言うと、そんなに家庭が嫌いなら、嫌いでよし、そのかわり細君をとっちまうぞとはっきり知らせたかった。けれども二人の問答は、そこまでいくには、まだなかなか間があった。代助はもう一ぺんほかの方面から平岡の内部に触れてみた。
「君が東京へ来たてに、僕は君から説教されたね。なにかやれって」
「うん。そうして君の消極な哲学を聞かされて驚いた」
代助は実際平岡が驚いたろうと思った。その時の平岡は、熱病にかかった人間のごとく行為《アクシヨン》にかわいていた。彼は行為《アクシヨン》の結果として、富をこいねがっていたか、もしくは名誉、もしくは権勢をこいねがっていたか。それでなければ、活動としての行為《アクシヨン》そのものを求めていたか。それは代助にもわからなかった。
「僕のように精神的に敗残した人間は、やむをえず、ああいう消極な意見も出すが。――元来意見があって、人がそれに則《のつと》るのじゃない。人があって、その人に適したような意見が出てくるのだから、僕の説は僕に通用するだけだ。けっして君の身の上を、あの説で、どうしようのこうしようのというわけじゃない。僕はあの時の君の意気に敬服している。君はあの時自分で言ったごとく、まったく活動の人だ。ぜひとも活動してもらいたい」
「むろん大いにやるつもりだ」
平岡の答えはただこの一句ぎりであった。代助は腹の中で首を傾けた。
「新聞でやるつもりかね」
平岡はちょっと躊《ちゆう》躇《ちよ》した。が、やがて、はっきり言い放った。――
「新聞にいるうちは、新聞でやるつもりだ」
「大いに要領を得ている。僕だって君の一生涯のことを聞いているんじゃないから、返事はそれでたくさんだ。しかし新聞で君におもしろい活動ができるかね」
「できるつもりだ」と平岡は簡明な挨拶をした。
話はここまで来ても、ただ抽象的に進んだだけであった。代助は言葉のうえでこそ、要領を得たが、平岡の本体を見届けることはちっともできなかった。代助はなんとなく責任のある政府委員か弁護士を相手にしているような気がした。代助はこの時思い切った政略的なお世辞を言った。それには軍神広《ひろ》瀬《せ》中佐《*》 の例が出てきた。広瀬中佐は日露戦争のときに、閉《へい》塞《そく》隊《たい*》 に加わって斃《たお》れたため、当時の人から偶像視《アイドルし》されて、とうとう軍神とまであがめられた。けれども、四、五年後の今日に至ってみると、もう軍神広瀬中佐の名を口にするものもほとんどなくなってしまった。英《ヒー》雄《ロー》のはやりすたりはこれほど急激なものである。というのは、多くの場合において、英《ヒー》雄《ロー》とはその時代にきわめてたいせつな人ということで、名前だけは偉そうだけれでも、本来ははなはだ実際的なものである。だからその大切な時機を通り越すと、世間はその資格をだんだん奪いにかかる。ロシアと戦争の最中こそ、閉寒隊は大事だろうが、平和克復の暁には、百の広瀬中佐もまったくの凡人にすぎない。世間は隣人に対して現金であるごとく、英雄に対しても現金である。だから、こういう偶《アイ》像《ドル》にもまた常に新陳代謝や生存競争が行なわれている。そういうわけで、代助は英雄なぞにかつがれたい了《りよう》見《けん》はさらにない。が、もしここに野心があり覇《は》気《き》のある快男子があるとすれば、一時的の剣の力よりも、永久的の筆の力で、英雄になったほうが長持ちがする。新聞はその方面の代表的事業である。
代助はここまで述べてみたが、元来がお世辞のうえに、言うことがあまり書生らしいので、自分の内心には多少滑《こつ》稽《けい》に取れるくらい、気がのらなかった。平岡はその返事に、
「いやありがとう」と言っただけであった。べつだん腹を立てた様子も見えなかったが、ちっとも感激していないのは、この返事でも明らかであった。
代助は少々平岡を低く見すぎたのに恥じ入った。実はこの側から、彼の心を動かして、うまく油ののったところを、中途から転がして、元の家庭へすべりこませるのが、代助の計画であった。代助はこの迂《う》遠《えん》で、またもっとも困難の方法の出《しゆつ》立《たつ》点《てん》から、ほど遠からぬところで、蹉《さ》跌《てつ》してしまった。
その夜代助は平岡とついにぐずぐずでわかれた。会見の結果からいうと、なんのために平岡を新聞社にたずねたのだか、自分にもわからなかった。平岡のほうから見れば、なおさらそうであった。代助は畢竟なにしに新聞社まで出かけて来たのか、帰るまでついに問いつめずにすんでしまった。
代助は翌日になってひとり書斎で、昨夕《ゆうべ》のありさまを何べんとなく頭の中で繰り返した。二時間もいっしょに話しているうちに、自分が平岡に対して、比較的まじめであったのは、三千代を弁護した時だけであった。けれどもそのまじめは、単に動機のまじめで、口にした言葉はやはりいいかげんな出まかせにすぎなかった。厳酷に言えば、嘘《うそ》ばかりと言ってもよかった。自分でまじめだと信じていた動機でさえ、畢竟は自分の未来を救う手段である。平岡から見れば、もとより真《しん》摯《し》なものとはいえなかった。まして、その他の談話に至ると、はじめから、平岡を現在の立場から、自分の望むところへ落とし込もうと、たくらんでかかった、打算的なものであった。したがって平岡をどうすることもできなかった。
もし思い切って、三千代を引き合いに出して、自分の考えどおりを、遠慮なく正面から述べ立てたら、もっと強いことが言えた。もっと平岡をゆすぶることができた。もっと彼の肺《はい》腑《ふ》にはいることができた。にちがいない。そのかわりやりそこなえば、三千代に迷惑がかかってくる。平岡と喧《けん》嘩《か》になる。かもしれない。
代助は知らず知らずの間に、安全にして無能力な方針を取って、平岡に接していたことを腑《ふ》甲《が》斐《い》なく思った。もしこういう態度で平岡に当たりながら、一方では、三千代の運命を、全然平岡にゆだねておけないほどの不安があるならば、それは論理の許さぬ矛盾を、厚顔に犯していたといわなければならない。
代助は昔の人が、頭脳の不《ふ》明《めい》瞭《りよう》な所から、実は利己本位の立場におりながら、みずからは固く人のためと信じて、泣いたり、感じたり、激したり、して、その結果ついに相手を、自分の思うとおりに動かしえたのをうらやましく思った。自分の頭が、そのくらいのぼんやりさかげんであったら、昨夕《ゆうべ》の会談にも、もう少し感激して、都合のいい効果を収めることができたかもしれない。彼は人から、ことに自分の父から、熱誠の足りない男だと言われていた。彼の解《かい》剖《ぼう》によると、事実はこうであった。――人間は熱誠をもって当たってしかるべきほどに、高尚な、真《しん》摯《し》な、純粋な、動機や行為を常住に有するものではない。それよりも、ずっと下等なものである。その下等な動機や行為を、熱誠に取り扱うのは、無分別なる幼稚な頭脳の所有者か、しからざれば、熱誠を衒《てら》って、おのれを高くする山師にすぎない。だから彼の冷淡は、人間としての進歩とはいえまいが、よりよく人間を解剖した結果にはほかならなかった。彼は普通自分の動機や行為を、よく吟味してみて、そのあまりに、ずるくって、ふまじめで、たいていは虚偽を含んでいるのを知っているから、ついに熱誠な勢力をもってそれを遂行する気になれなかったのである。と、彼は断然信じていた。
ここで彼は一《いつ》のジレンマに達した。彼は自分と三千代との関係を、直線的に自然の命ずるとおり発展させるか、または全然その反対にいでて、なにも知らぬ昔に返るか、どっちかにしなければ生活の意義を失ったものと等しいと考えた。その他のあらゆる中途半《はん》端《ぱ》の方法は、偽《いつわり》に始まって、偽に終わるよりほかに道はない。ことごとく社会的に安全であって、ことごとく自己に対して無能無力である。と考えた。
彼は三千代と自分の関係を、天意によって、――彼はそれを天意としか考えられなかった。――発酵させることの社会的危険を承知していた。天意にはかなうが、人の掟《おきて》にそむく恋は、その恋の主の死によって、はじめて社会から認められるのが常であった。彼は万一の悲劇を二人の間に描いて、覚えず慄《りつ》然《ぜん》とした。
彼はまた反対に、三千代と永遠の隔離を想像してみた。その時は天意に従うかわりに、自己の意志に殉《じゆん》ずる人にならなければすまなかった。彼はその手段として、父や嫂《あによめ》から勧められていた結婚に思い至った。そうして、この結婚を肯《うけが》うことが、すべての関係を新たにするものと考えた。
一四
自然の児《じ》になろうか、また意志の人になろうかと代助は迷った。彼は彼の主義として、弾力性のないこわばった方針のもとに、寒暑にさえすぐ反応を呈する自己を、器械のように束縛する愚を忌《い》んだ。同時に彼は、彼の生活が、一大断案を受くべき危機に達していることをせつに自覚した。
彼は結婚問題について、まあよく考えてみろと言われて帰ったぎり、いまだに、それを本気に考えるひまを作らなかった。帰った時、まあ今日も虎《こ》口《こう》をのがれてありがたかったと感謝したぎり、放り出してしまった。父からはまだなんとも催促されないが、この二、三日はまた青山へ呼び出されそうな気がしてならなかった。代助はもとより呼び出されるまでなにも考えずにいる気であった。呼び出されたら、父の顔色と相談のうえ、またなんとか即席に返事をこしらえる心組みであった。代助はあながち父を馬鹿にする了《りよう》見《けん》ではなかった。あらゆる返事は、こういう具合に、相手と自分を商量して、臨機にわいてくるのがほんとうだと思っていた。
もし、三千代に対する自分の態度が、最後の一歩前まで押しつめられたような気持ちがなかったら、代助は父に対してむろんそういう所置を取ったろう。けれども、代助は相手の顔色いかんにかかわらず、手に持った賽《さい》を投げなければならなかった。上になった目が、平岡に都合が悪かろうと、父の気に入らなかろうと、賽を投げる以上は、天の法則どおりになるよりほかにしかたはなかった。賽を手に持つ以上は、また賽を投げられべく作られたる以上は、賽の目をきめるものは自分以外にあろうはずはなかった。代助は、最後の権威は自己にあるものと、腹のうちで定めた。父も兄も嫂《あによめ》も平岡も、決断の地平線上には出てこなかった。
彼はただ彼の運命に対してのみ卑《ひ》怯《きよう》であった。この四、五日は掌《てのひら》に載せた賽をながめ暮らした。今日もまだ握っていた。早く運命がそとから来て、その手を軽《かろ》くはたいてくれればいいと思った。が、一方では、まだ握っていられるという意識がたいそううれしかった。
門野は時々書斎へ来た。来るたびに代助はデスクの前にじっとしていた。
「ちっと散歩にでもおいでになったらいかがです。そう御勉強じゃ身体に悪いでしょう」と言ったことが一、二度あった。なるほど顔色がよくなかった。夏向きになったので、門野が湯を毎日わかしてくれた。代助は風《ふ》呂《ろ》場《ば》に行くたびに、長い間鏡を見た。髯《ひげ》の濃い男なので、少し延びると、自分にはたいそう見苦しく見えた。触《さわ》って、ざらざらするとなお不愉快だった。
飯は依然として、普通のごとく食った。けれども運動の不足と、睡眠の不規則と、それから、脳の屈託とで、排《はい》泄《せつ》機能に変化を起こした。しかし代助はそれをなんとも思わなかった。生理状態はほとんど苦にするいとまのないくらい、一つことをぐるぐる回って考えた。それが習慣になると、終局なく、ぐるぐる回っているほうが、埒《らち》の外へ飛び出す努力よりもかえって楽になった。
代助は最後に不決断の自己嫌《けん》悪《お》に陥った。やむをえないから、三千代と自分の関係を発展させる手段として、佐川の縁談を断わろうかとまで考えて、覚えず驚いた。しかし三千代と自分の関係を絶つ手段として、結婚を許諾して見ようかという気は、ぐるぐる回転しているうちに一度も出てこなかった。
縁談を断わるほうは単独にも何べんとなく決定ができた。ただ断わったあと、その反動として、自分をまともに三千代のうえに浴びせかけねばやまぬ必然の勢力が来るにちがいないと考えると、そこに至って、また恐ろしくなった。
代助は父からの催促を心待ちに待っていた。しかし父からはなんのたよりもなかった。三千代にもう一ぺんあおうかと思った。けれども、それほどの勇気も出なかった。
いちばんしまいに、結婚は道徳の形式において、自分と三千代を遮《しや》断《だん》するが、道徳の内容において、なんらの影響を二人のうえに及ぼしそうもないという考えが、だんだん代助の脳裏に勢力を得てきた。すでに平岡に嫁《とつ》いだ三千代に対して、こんな関係が起こりうるならば、このうえ自分に既婚者の資格を与えたからといって、同様の関係が続かないわけにはいかない。それを続かないとみるのはただ表向きの沙《さ》汰《た》で、心を束縛することのできない形式は、いくら重ねても苦痛を増すばかりである。というのが代助の論法であった。代助は縁談を断わるよりほかに道はなくなった。
こう決心した翌日、代助は久しぶりに髪を刈って髯をそった。梅《つ》雨《ゆ》にはいって二、三日すさまじく降ったあげくなので、地面にも、木の枝にも、埃《ほこり》らしいものはことごとくしっとりと静まっていた。日の色は以前より薄かった。雲の切れ間から落ちて来る光線は、下界の湿り気のために、なかば反射力を失ったように柔らかに見えた。代助は床屋の鏡で、わが姿を映しながら、例のごとくふっくらした頬《ほお》をなでて、今日からいよいよ積極的生活にはいるのだと思った。
青山へ来てみると、玄関に車が二台ほどあった。供待ちの車夫は蹴《け》込みによりかかって眠ったまま、代助の通り過ぎるのを知らなかった。座敷には梅子が新聞を膝《ひざ》の上へ乗せて、込み入った庭の緑をぼんやりながめていた。これもぽかんとねむそうであった。代助はいきなり梅子の前へすわった。
「お父さんはいますか」
嫂は返事をする前に、一応代助の様子を、試験官の目で見た。
「代《だい》さん、少しやせたようじゃありませんか」と言った。代助はまた頬をなでて、
「そんなこともないだろう」と打ち消した。
「だって、色つやが悪いのよ」と梅子は目を寄せて代助の顔をのぞき込んだ。
「庭のせいだ。青葉が映るんだ」と庭の植込みの方を見たが、「だからあなただって、やっぱり蒼《あお》いですよ」と続けた。
「私、この二、三日具合がよくないんですもの」
「道理でぽかんとしていると思った。どうかしたんですか。かぜですか」
「なんだか知らないけれど生《なま》欠《あくび》ばかり出て」
梅子はこう答えて、すぐ新聞を膝からおろすと、手を鳴らして、小間使いを呼んだ。代助は再び父の在、不在を確かめた。梅子はその問いをもう忘れていた。聞いてみると、玄関にあった車は、父の客の乗って来たものであった。代助は長くかからなければ、客の帰るまで待とうと思った。嫂ははっきりしないから、風呂場へ行って、水で顔をふいて来ると言って立った。下女が好いにおいのする葛《くず》の粽《ちまき》を、深い皿に入れて持って来た。代助は粽の尾をぶら下げて、しきりにかいでみた。
梅子が涼しい目つきになって風呂場から帰った時、代助は粽の一つを振り子のように振りながら、今度は、
「兄さんはどうしました」と聞いた。梅子はすぐこの陳腐な質問に答える義務がないかのごとく、しばらく縁《えん》鼻《ばな》に立って、庭をながめていたが、
「二《に》、三《さん》日《ち》の雨で、苔《こけ》の色がすっかり出たこと」と平生に似合わぬ観察をして、もとの席に返った。そうして、
「兄さんがどうしましたって」と聞き直した。代助が先の質問を繰り返した時、嫂はもっとも無《む》頓《とん》着《じやく》な調子で、
「どうしましたって、例のごとくですわ」と答えた。
「相変わらず、留守がちですか」
「ええ、ええ、朝も晩もめったに宅《うち》にいたことはありません」
「ねえさんはそれで淋《さむ》しくはないですか」
「いまさら改まって、そんなことを聞いたってしかたがないじゃありませんか」と梅子は笑い出した。からかうんだと思ったのか、あんまり小供じみていると思ったのかほとんど取り合う気《け》色《しき》はなかった。代助も平生の自分を振り返ってみて、まじめにこんな質問をかけた今の自分を、むしろ奇体に思った。今《こん》日《にち》まで兄と嫂の関係を長い間目撃していながら、ついぞそこには気がつかなかった。嫂もまた代助の気がつくほど物足りないそぶりは見せたことがなかった。
「世間の夫婦はそれですんでいくものかな」とひとりごとのように言ったが、別に梅子の返事を予期する気でもなかったので、代助は向こうの顔も見ず、ただ畳の上に置いてある新聞に目を落とした。すると梅子はたちまち、
「なんですって」と切り込むように言った。代助の目が、その調子に驚いて、ふと自分の方に視線を移した時、
「だから、あなたが奥さんをおもらいなすったら、始終宅《うち》にばかりいて、たんとかわいがっておあげなさいな」と言った。代助ははじめて相手が梅子であって、自分が平生の代助でなかったことを自覚した。それでなるべくふだんの調子を出そうとつとめた。
けれども、代助の精神は、結婚謝絶と、その謝絶についで起こるべき、三千代と自分の関係にばかり注がれていた。したがって、いくら平生の自分に帰って、梅子の相手になるつもりでも、梅子の予期していない、変わった音《ね》色《いろ》が、時々会話の中に、思わず知らず出てきた。
「代さん、あなた今日はどうかしているのね」としまいに梅子が言った。代助はもとより嫂の言葉を側面へずらして受ける法をいくらでも心得ていた。しかるに、それをやるのが、軽薄のようで、また面《めん》倒《どう》なようで、今日はいやになった。かえってまじめに、どこが変か教えてくれと頼んだ。梅子は代助の問いが馬《ば》鹿《か》気《げ》ているので妙な顔をした。が、代助がますます頼むので、では言ってあげましょうと前置きをして、代助のどうかしている例をあげだした。梅子はもちろんわざとまじめを装っているものと代助を解釈した。その中に、
「だって、兄さんが留守がちで、さぞお淋《さむ》しいでしょうなんて、あんまり思いやりがよすぎることをおっしゃるからさ」という言葉があった。代助はそこへ自分をはさんだ。
「いや、僕の知った女に、そういうのが一人あって、実ははなはだ気の毒だから、ついほかの女の心持ちも聞いてみたくなって、うかがったんで、けっしてひやかしたつもりじゃないんです」
「ほんとうに? そりゃちょいとなんてえかたなの」
「名前は言いにくいんです」
「じゃ、あなたがその旦《だん》那《な》に忠告をして、奥さんをもっとかわいがるようにしておあげになればいいのに」
代助は微笑した。
「姉さんも、そう思いますか」
「当たり前ですわ」
「もしその夫が僕の忠告を聞かなかったら、どうします」
「そりゃ、どうもしようがないわ」
「放っておくんですか」
「放っておかなけりゃ、どうなさるの」
「じゃ、その細君は夫に対して細君の道を守る義務があるでしょうか」
「たいへん理責めなのね。そりゃ旦那の不親切の度合いにもよるでしょう」
「もし、その細君に好きな人があったらどうです」
「知らないわ。馬鹿らしい。好きな人があるくらいなら、はじめっからそっちへいったら好いじゃありませんか」
代助は黙って考えた。しばらくしてから、姉さんと言った。梅子はその深い調子に驚かされて、改めて代助の顔を見た。代助は同じ調子でなお言った。
「僕は今度の縁談を断わろうと思う」
代助の巻煙草を持った手が少しふるえた。梅子はむしろ表情を失った顔つきをして、謝絶の言葉を聞いた。代助は相手の様子に頓《とん》着《じやく》なく進行した。
「僕は今まで結婚問題について、あなたに何べんとなく迷惑をかけたうえに、今度もまた心配してもらっている。僕ももう三十だから、あなたの言うとおり、たいていなところで、お勧めしだいになって好いのですが、少し考えがあるから、この縁談もまあやめにしたい希望です。お父さんにも、兄さんにもすまないが、しかたがない。なにも当人が気に入らないというわけではないが、断わるんです。このあいだお父さんによく考えてみろと言われて、だいぶ考えてみたが、やっぱり断わるほうが好いようだから断わります。実は今日はその用でお父さんにあいに来たんですが、今お客のようだから、ついでと言っては失礼だが、あなたにもお話をしておきます」
梅子は代助の様子がまじめなので、いつものごとくむだ口も入れずに聞いていたが、聞き終わった時、はじめて自分の意見を述べた。それがきわめて簡単な、かつきわめて実際的な短い句であった。
「でも、お父さんはきっとお困りですよ」
「お父さんには僕がじかに話すからかまいません」
「でも、話がもうここまで進んでいるんだから」
「話がどこまで進んでいようと、僕はまだもらいますと言ったことはありません」
「けれどもはっきりもらわないともおっしゃらなかったでしょう」
「それを今言いに来たところです」
代助と梅子は向かい合ったなり、しばらく黙った。
代助のほうでは、もう言うべきことを言い尽くしたような気がした。少なくとも、これより進んで、梅子に自分を説明しようという考えはまるでなかった。梅子は語るべきこと、聞くべきことをたくさん持っていた。ただそれがとっさの間に、前の問答につながり好く、口へ出て来なかったのである。
「貴方の知らない間に、縁談がどれほど進んだのか、私にもよくわからないけれど、誰にしたって、あなたが、そうきっぱりお断わりなさろうとは思いがけないんですもの」と梅子はようやくにして言った。
「なぜです」と代助はひややかに落ちついて聞いた。梅子は眉《まゆ》を動かした。
「なぜですって聞いたって、理屈じゃありませんよ」
「理屈でなくってもかまわないから話してください」
「あなたのようにそう何べん断わったって、つまり同《おんな》じことじゃありませんか」と梅子は説明した。けれども、その意味がすぐ代助の頭には響かなかった。不可解の目をあげて梅子を見た。梅子ははじめて自分の本意を布《ふ》衍《えん》しにかかった。
「つまり、あなただって、いつか一度は、おくさんをもらうつもりなんでしょう。いやだって、しかたがないじゃありませんか。そういつまでもわがままを言った日には、お父さんにすまないだけですわ。だからね。どうせ誰を持っていっても気に入らないあなたなんだから、つまり誰を持たしたって同《おんな》じだろうっていうわけなんです。あなたにはどんな人を見せてもだめなんですよ。世の中に一人も気に入るようなものは生きてやしませんよ。だから、奥さんというものは、はじめから気に入らないものと、あきらめてもらうよりほかにしかたがないじゃありませんか。だから私たちがいちばん好いと思うのを、黙ってもらえば、それでどこもかしこも丸く治まっちまうから、――だから、お父さんが、ことによると、今《こん》度《ど》は、あなたに一から十まで相談して、なにかなさらないかもしれませんよ。お父さんから見ればそれが当たり前ですもの。そうでも、しなくっちゃ、生きてるうちに、あなたの奥さんの顔を見ることはできないじゃありませんか」
代助は落ちついて嫂の言うことをきいていた。梅子の言葉が切れても、容易に口を動かさなかった。もし反《はん》駁《ばく》をする日には、話がだんだん込み入るばかりで、こちらの思うところはけっして、梅子の耳へ通らないと考えた。けれども向こうの言い分を肯《うけが》う気はまるでなかった。実際問題として、双方が困るようになるばかりと信じたからである。それで、嫂に向かって、
「あなたのおっしゃるところも、一理あるが、私にも私の考えがあるから、まあ打《うち》遣《や》っておいてください」と言った。その調子には梅子の干渉を面《めん》倒《どう》がる気色が自然と見えた。すると梅子は黙っていなかった。
「そりゃ代さんだって、小供じゃないから、一人前の考えのおありなことはもちろんですわ。私なんぞのいらない差し出口は御迷惑でしょうから、もうなんにも申しますまい。しかしお父さんの身になってごらんなさい。月々の生活費はあなたのいるというだけ今でも出していらっしゃるんだから、つまりあなたは書生時代よりもよけいお父さんの厄《やつ》介《かい》になってるわけでしょう。そうしておいて、世話になることは、もとより世話になるが、年を取って一人前になったから、言うことは元のとおりには聞かれないっていばったって通用しないじゃありませんか」
梅子は少し激したとみえてなおも言いつのろうとしたのを、代助がさえぎった。
「だって、女房を持てばこのうえなおお父さんの厄介にならなくっちゃならないでしょう」
「いいじゃありませんか、お父さんが、そのほうが好いとおっしゃるんだから」
「じゃ、お父さんは、いくら僕の気に入らない女房でも、ぜひ持たせる決心なんですね」
「だって、あなたに好いたのがあればですけれども、そんなのは日本中さがして歩いたってないんじゃありませんか」
「どうして、それがわかります」
梅子は張りの強い目をすえて、代助を見た。そうして、
「貴方はまるで代《だい》言《げん》人《にん*》 のようなことをおっしゃるのね」と言った。代助は蒼《あお》白《じろ》くなった額を嫂のそばへ寄せた。
「姉さん、私は好いた女があるんです」と低い声で言い切った。
代助は今まで冗《じよう》談《だん》にこんなことを梅子に向かって言ったことがよくあった。梅子もはじめはそれを本気に受けた。そっと手を回して真相を探《さぐ》ってみたなどという滑《こつ》稽《けい》もあった。事実がわかって以後は、代助のいわゆる好いた女は、梅子に対していっこうききめがなくなった。代助がそれを言いだしても、まるで取り合わなかった。でなければ、ちゃかしていた。代助のほうでもそれで平気であった。しかしこの場合だけは彼にとって、まったく特別であった。顔つきといい、目つきといい、声の低い底にこもる力といい、ここまで押し逼《せま》って来た前後の関係といい、すべての点からいって、梅子をはっと思わせないわけにいかなかった。嫂はこの短い句を、ひらめく懐剣のごとくに感じた。
代助は帯の間から時計を出して見た。父の所へ来ている客はなかなか帰りそうにもなかった。空はまたくもってきた。代助はいったん引き上げてまた改めて、父と話をつけに出直すほうが便宜だと考えた。
「僕はまた来ます。出直して来てお父さんにお目にかかるほうが好いでしょう」と立ちにかかった。梅子はそのあいだに回復した。梅子はあくまで人の世話を焼く実意のあるだけに、物を中途で投げることのできない女であった。おさえるように代助を引きとめて、女の名を聞いた。代助はもとより答えなかった。梅子はぜひにとせまった。代助はそれでも応じなかった。すると梅子はなぜその女をもらわないのかと聞き出した。代助は単純にもらえないから、もらわないのだと答えた。梅子はしまいに涙を流した。ひとの尽力を出し抜いたと言って恨んだ。なぜはじめから打ち明けて話さないかと言って責めた。かと思うと、気の毒だと言って同情してくれた。けれども代助は三千代については、ついに何事も語らなかった。梅子はとうとう我《が》を折った。代助のいよいよ帰るというまぎわになって、
「じゃ、あなたからじかにお父さんにお話なさるんですね。それまでは私は黙っていたほうが好いでしょう」と聞いた。代助は黙っていてもらうほうが好いか、話してもらうほうが好いか、自分にもわからなかった。
「そうですね」と躊《ちゆう》躇《ちよ》したが、「どうせ、断わりに来るんだから」と言って嫂の顔を見た。
「じゃ、もし話すほうが都合が好さそうだったら話しましょう。もしまたわるいようだったら、なんにも言わずに置くから、あなたがはじめからお話なさい。それがいいでしょう」と梅子は親切に言ってくれた。代助は、
「なにぶんよろしく」と頼んで外へ出た。角《かど》へ来て、四《よつ》谷《や》から歩くつもりで、わざと塩《しお》町《ちよう》行《ゆ》きの電車に乗った。練《れん》兵《ぺい》場《ば*》 の横を通るとき、重い雲が西で切れて、梅《つ》雨《ゆ》には珍らしい夕《せき》陽《よう》が、真っ赤になって広い原一面を照らしていた。それが向こうを行く車の輪にあたって、輪が回るたびに鋼鉄《はがね》のごとく光った。車は遠い原の中に小さく見えた。原は車の小さく見えるほど、広かった。日は血のように毒々しく照った。代助はこの光景を斜めに見ながら、風を切って電車に持っていかれた。重い頭の中がふらふらした。終点まで来た時は、精神が身体を冒したのか、精神のほうが身体に冒されたのか、いやな心持ちがして早く電車を降りたかった。代助は雨の用心に持った蝙《こう》蝠《もり》傘《がさ》を、杖《つえ》のごとく引きずって歩いた。
歩きながら、自分は今日、みずから進んで、自分の運命の半分を破壊したのも同じことだと、心のうちにつぶやいた。今までは父や嫂を相手に、いいかげんな間隔を取って、柔らかに自我を通して来た。今度はいよいよ本性をあらわさなければ、それを通し切れなくなった。同時に、この方面に向かって、在来の満足を求めうる希望は少なくなった。けれども、まだ逆もどりをする余地はあった。ただ、それにはまた父をごまかす必要が出てくるにちがいなかった。代助は腹の中で今までの我《われ》を冷笑した。彼はどうしても、今日の告白をもって、自己の運命の半分を破壊したものと認めたかった。そうして、それから受ける打撃の反動として、思い切って三千代のうえに、おっかぶさるようにはげしく働きかけたかった。
彼はこの次父にあうときは、もう一歩もあとへ引けないように、自分のほうをこしらえておきたかった。それで三千代と会見する前に、また父から呼び出されることを深く恐れた。彼は今日嫂に、自分の意思を父に話す話さないの自由を与えたのを悔いた。今夜にも話されれば、明日《あした》の朝呼ばれるかもしれない。すると今夜中に三千代にあっておのれを語っておく必要ができる。しかし夜だから都合がよくないと思った。
津《つの》守《かみ*》 をおりた時、日は暮れかかった。士官学校《*》 の前をまっすぐに濠《ほり》端《ばた》へ出て、二、三町来ると砂《さ》土《ど》原《はら》町《ちよう》へ曲がるべき所を、代助はわざと電《でん》車《しや》路《みち》について歩いた。彼は例のごとくに宅《うち》へ帰って、一夜を安閑と、書斎の中で暮らすに堪えなかったのである。濠を隔てて高い土手の松が、目のつづく限り黒く並んでいる底の方を、電車がしきりに通った。代助は軽い箱が、レールの上を、苦もなくすべって行っては、また滑って帰る迅《じん》速《そく》な手ぎわに、軽快の感じを得た。そのかわり自分と同じ路を容赦なくゆききする外《そと》濠《ぼり》線《せん》の車を、常よりは騒々しくにくんだ。
牛《うし》込《ごめ》見《み》附《つけ》まで来た時、遠くの小石川の森に数点の灯《ひ》影《かげ》を認めた。代助は夕飯を食う考えもなく、三千代のいる方角へ向いて歩いて行った。
約二十分ののち、彼は安《あん》藤《どう》坂《ざか*》 を上がって、伝《でん》通《ずう》院《いん》の焼け跡《*》 の前へ出た。大きな木が、左右からかぶさっている間を左へ抜けて、平岡の家のそばまで来ると、板《いた》塀《べい》から例のごとく灯がさしていた。代助は塀《へい》のもとに身を寄せて、じっと様子をうかがった。しばらくは、なんの音もなく、家のうちはまったく静かであった。代助は門をくぐって、格《こう》子《し》の外から、頼むと声をかけてみようかと思った。すると、縁側に近く、ぴしゃりと脛《すね》をたたく音がした。それから、人が立って、奥へはいって行く気色であった。やがて話声が聞こえた。なんのことかよくきき取れなかったが、声はたしかに、平岡と三千代であった。話声はしばらくでやんでしまった。するとまた足音が縁側まで近づいて、どさりと尻《しり》をおろす音が手に取るように聞こえた。代助はそれなり塀のそばを退いた。そうして元来た道とは反対の方角に歩きだした。
しばらくは、どこをどう歩いているか夢中であった。そのあいだ代助の頭には今見た光景ばかりが煎《い》りつくようにおどっていた。それが、少し衰えると、今度は自己の行為に対して、言うべからざる汚辱の意味を感じた。彼はなんのゆえに、かかる下劣なまねをして、あたかも驚かされたかのごとく退却したのかを怪しんだ。彼は暗い小《こ》路《みち》に立って、世界がいま夜に支配されつつあることをひそかに喜んだ。しかも五《さ》月《み》雨《だれ》の重い空気にとざされて、歩けば歩くほど、窒息するような心持ちがした。神《かぐ》楽《ら》坂《ざか》上《うえ》へ出た時、急に目がぎらぎらした。身を包む無数の人と、無数の光が頭を遠慮なく焼いた。代助は逃げるように藁《わら》店《だな》を上った。
家《うち》へ帰ると、門野が例のごとく漫然たる顔をして、
「だいぶ遅うがしたな。御飯はもうおすみになりましたか」と聞いた。
代助は飯がほしくなかったので、いらないよしを答えて、門野を追い帰すように、書斎から退けた。が、二、三分立たないうちに、また手を鳴らして呼び出した。
「宅《うち》から使いは来やしなかったかね」
「いいえ」
代助は、
「じゃ、よろしい」と言ったぎりであった。門野は物足りなそうに入口に立っていたが、
「先生は、なんですか、お宅へおいでになったんじゃなかったんですか」
「なぜ」と代助はむずかしい顔をした。
「だって、お出かけになるとき、そんなお話でしたから」
代助は門野を相手にするのが面《めん》倒《どう》になった。
「宅へは行ったさ。――宅から使いが来なければそれで、好いじゃないか」
門野は不得要領に、
「はあそうですか」と言い放して出て行った。代助は、父があらゆる世界に対してよりも、自分に対して、性急であるということを知っているので、ことによると、帰ったあとからすぐ使いでも寄こしはしまいかと恐れて聞きただしたのであった。門野が書《しよ》生《せい》部《べ》屋《や》へ引き取ったあとで、明日はぜひとも三千代にあわなければならないと決心した。
その夜代助は寝ながら、どういう手段で三千代にあおうかという問題を考えた。手紙を車夫に持たせて宅へ呼びにやれば、来ることは来るだろうが、すでに今日嫂との会談がすんだ以上は、明日にも、兄か嫂のために、向こうから襲われないとも限らない。また平岡のうちへ行ってあうことは代助にとって一種の苦痛があった。代助はやむをえず、自分にも三千代にも関係のない所であうよりほかに道はないと思った。
夜半から強く雨が降りだした。釣《つ》ってある蚊《か》帳《や》が、かえって寒く見えるくらいな音がどうどうと家を包んだ。代助はその音のうちに夜の明けるのを待った。
雨は翌日まで晴れなかった。代助は湿っぽい縁側に立って、暗い空模様をながめて、昨夕《ゆうべ》の計画をまた変えた。彼は三千代を普通の待《まち》合《あい》などへ呼んで、話をするのが不愉快であった。やむなくんば、蒼《あお》い空の下と思っていたが、この天気ではそれもおぼつかなかった。といって、平岡の家へ出向く気ははじめからなかった。彼はどうしても、三千代を自分の宅へ連れて来るよりほかに道はないときめた。門野が少しじゃまになるが、話のし具合では書生部屋にもれないようにもできると考えた。
ひる少し前までは、ぼんやり雨をながめていた。ひる飯をすますやいなや、ゴムのかっぱを引きかけて表へ出た。降る中を神楽坂下まで来て青山の宅へ電話をかけた。明《あ》日《す》こっちから行くつもりであるからと、機先を制しておいた。電話口へは嫂が現われた。せんだってのことは、まだ父に話さないでいるから、もう一ぺんよく考え直してごらんなさらないかと言われた。代助は感謝の辞とともにベルを鳴らして談話を切った。次に平岡の新聞社の番号を呼んで、彼の出社の有無を確かめた。平岡は社に出ているという返事を得た。代助は雨をついてまた坂を上った。花屋へはいって、大きな白《しら》百《ゆ》合《り》の花をたくさん買って、それをさげて、宅へ帰った。花はぬれたまま、二つの花《か》瓶《へい》にわけてさした。まだ余っているのを、このあいだの鉢《はち》に水を張っておいて、茎を短く切って、すぱすぱ放り込んだ。それから、机に向かって、三千代へ手紙を書いた。文句はきわめて短いものであった。ただ至急お目にかかって、お話したいことがあるから来てくれろというだけであった。
代助は手を打って、門野を呼んだ。門野は鼻を鳴らして現われた。手紙を受け取りながら、
「たいへん好いにおいですな」と言った。代助は、
「車を持って行って、乗せて来るんだよ」と念を押した。門野は雨の中を乗りつけの帳《ちよう》場《ば》まで出て行った。
代助は、百合の花をながめながら、部屋をおおう強い香の中に、残りなく自己を放《ほう》擲《てき》した。彼はこの嗅《きゆう》覚《かく》の刺激のうちに、三千代の過去を分《ぶん》明《みよう》に認めた。その過去には離すべからざる、わが昔の影が煙のごとくはいまつわっていた。彼はしばらくして、
「今日はじめて自然の昔に帰るんだ」と胸の中で言った。こう言いえた時、彼は年ごろにない安慰を総身に覚えた。なぜもっと早く帰ることができなかったのかと思った。はじめからなぜ自然に抵抗したのかと思った。彼は雨の中に、百合の中に、再現の昔のなかに、純一無雑に平和な生命を見いだした。その生命の裏にも表にも、欲得はなかった、利害はなかった、自己を圧迫する道徳はなかった。雲のような自由と、水のごとき自然とがあった。そうしてすべてが幸《ブリス》であった。だからすべてが美しかった。
やがて、夢からさめた。この一刻の幸《ブリス》から生ずる永久の苦痛がその時卒然として、代助の頭を冒してきた。彼の唇は色を失った。彼は黙然として、我とわが手をながめた。爪の甲の底に流れている血潮が、ぶるぶるふるえるように思われた。彼は立って百合の花のそばへ行った。唇が弁《はなびら》につくほど近く寄って、強い香を目の眩《ま》うまでかいだ。彼は花から花へ唇を移して、甘い香にむせて、失心して室の中に倒れたかった。彼はやがて、腕を組んで、書斎と座敷の間をいったり来たりした。彼の胸は始終鼓動を感じていた。彼は時々椅子の角《かど》や、デスクの前へ来てとまった。それからまた歩きだした。彼の心の動揺は、彼をして長くいっしょにとどまることを許さなかった。同時に彼は何物をか考えるために、むやみなところに立ちどまらざるをえなかった。
そのうちに時はだんだん移った。代助はたえず置時計の針を見た。またのぞくように、軒から外の雨を見た。雨は依然として、空からまっすぐに降っていた。空は前よりもやや暗くなった。重なる雲が一つところで渦《うず》をまいて、しだいに地面の上へ押し寄せるかと怪しまれた。その時雨に光る車を門からうちへ引き込んだ。輪の音が、雨を圧して代助の耳に響いた時、彼は蒼《あお》白《じろ》い頬に微笑をもらしながら、右の手を胸に当てた。
三千代は玄関から、門野に連れられて、廊下伝いにはいって来た。銘《めい》仙《せん》の紺《こん》絣《がすり》に、唐《から》草《くさ》模《も》様《よう》の一《ひと》重《え》帯《おび》を締めて、このまえとはまるで違った服《な》装《り》をしているので、一目見た代助には、新らしい感じがした。色はふだんのとおり好くなかったが、座敷の入口で、代助と顔を合わせた時、目も眉《まゆ》も口もぴたりと活動を中止したように固くなった。敷居に立っている間は、足も動けなくなったとしか受け取れなかった。三千代はもとより手紙を見た時から、何事をか予期して来た。その予期のうちには恐れと、喜びと、心配とがあった。車から降りて、座敷へ案内されるまで、三千代の顔はその予期の色をもってみなぎっていた。三千代の表情はそこで、はたととまった。代助の様子は三千代にそれだけのショックを与えるほどに強烈であった。
代助は椅子の一つを指さした。三千代は命ぜられたとおりに腰をかけた。代助はその向こうに席を占めた。二人ははじめて相対した。しかしややしばらくは二人とも、口を開かなかった。
「なにか御用なの」と三千代はようやくにして問うた。代助は、ただ、
「ええ」と言った。二人はそれぎりで、またしばらく雨の音をきいた。
「なにか急な御用なの」と三千代がまた尋ねた。代助はまた、
「ええ」と言った。双方ともいつものように軽くは話しえなかった。代助は酒の力を借りて、おのれを語らなければならないような自分を恥じた。彼は打ち明けるときは、必ず平生の自分でなければならないものとかねて覚悟をしていた。けれども、改まって、三千代に対してみると、はじめて、一滴の酒精が恋しくなった。ひそかに次の間へ立って、いつものウィスキーをコップで傾けようかと思ったが、ついにその決心に堪えなかった。彼は青天白日のもとに、尋常の態度で、相手に公言しうることでなければ自己の誠でないと信じたからである。酔いという障壁を築いて、その掩《えん》護《ご》に乗じて、自己を大胆にするのは、卑《ひ》怯《きよう》で、残酷で、相手に汚辱を与えるような気がしてならなかったからである。彼は社会の習慣に対しては、徳義的な態度を取ることができなくなった、そのかわり三千代に対しては一点も不徳義な動機を蓄《たくわ》えぬつもりであった。いな、彼をして卑《ひ》吝《りん》に陥らしむる余地がまるでないほどに、代助は三千代を愛した。けれども彼は三千代からなんの用かを聞かれた時に、すぐおのれを傾けることができなかった。二度聞かれた時になお躊《ちゆう》躇《ちよ》した。三度目には、やむをえず、
「まあ、ゆっくり話しましょう」と言って、巻煙草に火をつけた。三千代の顔は返事を延ばされるたびに悪くなった。
雨は依然として、長く、密に、物に音を立てて降った。二人は雨のために、雨の持ち来《き》たす音のために、世間から切り離された。同じ家に住む門野からも婆《ばあ》さんからも切り離された。二人は孤立のまま、白百合の香の中に封じ込められた。
「さっき表へ出て、あの花を買って来ました」と代助は自分の周囲を顧みた。三千代の目は代助について室の中を一回りした。そのあとで三千代は鼻から強く息を吸い込んだ。
「兄さんとあなたと清水町にいた時分のことを思い出そうと思って、なるべくたくさん買って来ました」と代助が言った。
「好いにおいですこと」と三千代はひるがえるようにほころびた大きな花《はな》弁《びら》をながめていたが、それから目を放して代助に移した時、ぽうと頬を薄赤くした。
「あの時分のことを考えると」と半分言ってやめた。
「覚えていますか」
「覚えていますわ」
「あなたは派手な半《はん》襟《えり》をかけて、銀《いち》杏《よう》返《がえ》しに結《ゆ》っていましたね」
「だって、東京へ来たてだったんですもの。じきやめてしまったわ」
「このあいだ百合の花を持って来てくださった時も、銀杏返しじゃなかったですか」
「あら、気がついて。あれは、あの時ぎりなのよ」
「あの時はあんな髷《まげ》に結いたくなったんですか」
「ええ、気まぐれにちょいと結ってみたかったの」
「僕はあの髷を見て、昔を思い出した」
「そう」と三千代は恥ずかしそうにうけがった。
三千代が清水町にいたころ、代助と心安く口をきくようになってからのことだが、はじめて国から出て来た当時の髪のふうを代助からほめられたことがあった。その時三千代は笑っていたが、それを聞いたあとでも、けっして銀杏返しには結わなかった。二人は今もこのことをよく記憶していた。けれども双方とも口へ出してはなにも語らなかった。
三千代の兄というのはむしろ豁《かつ》達《たつ》な気性で、かけへだてのないつきあいぶりから、友だちにはひどく愛されていた。ことに代助はその親友であった。この兄は時分が豁達であるだけに、妹のおとなしいのをかわいがっていた。国から連れて来て、いっしょに家《うち》を持ったのも、妹を教育しなければならないという義務の念からではなくて、まったく妹の未来に対する情合いと、現在自分のそばに引きつけておきたい欲望とからであった。彼は三千代を呼ぶ前、すでに代助に向かってその旨を打ち明けたことがあった。その時代助は普通の青年のように、多大の好奇心をもってこの計画を迎えた。
三千代が来てから後、兄と代助とはますます親しくなった。どっちが友情の歩を進めたかは、代助自身にもわからなかった。兄が死んだあとで、当時を振り返ってみるごとに、代助はこの親密のうちに一種の意味を認めないわけにゆかなかった。兄は死ぬ時までそれを明言しなかった。代助もあえて何事も語らなかった。かくして、相互の思わくは、相互の間の秘密として葬られてしまった。兄は存《ぞん》生《しよう》中《ちゆう》にこの意味をひそかに三千代にもらしたことがあるかどうか、そこは代助も知らなかった。代助はただ三千代の挙止動作と言語談話からある特別な感じを得ただけであった。
代助はそのころから趣味の人として、三千代の兄に臨んでいた。三千代の兄はその方面において、普通以上の感受性を持っていなかった。深い話になると、正直にわからないと自白して、よけいな議論を避けた。どこからかarbiter《アービター》 elegantiarum《エレガンシアルム*》 という字を見つけ出してきて、それを代助の異名のように濫用したのは、そのころのことであった。三千代は隣りの部屋で黙って兄と代助の話を聞いていた。しまいにはとうとうarbiter elegantiarumという字を覚えた。ある時その意味を兄に尋ねて、驚かれたことがあった。
兄は趣味に関する妹の教育を、すべて代助に委任したごとくにみえた。代助を待って啓発されべき妹の頭脳に、接触の機会をできるだけ与えるようにつとめた。代助も辞退はしなかった。あとから顧みると、みずから進んでその任にあたったと思われる痕《こん》迹《せき》もあった。三千代はもとより喜んで彼の指導を受けた。三人はかくして、巴《ともえ》のごとくに回転しつつ、月から月へと進んで行った。有意識か無意識か、巴の輪はめぐるにしたがってしだいにせばまってきた。ついに三《みつ》巴《どもえ》がいっしょに寄って、丸い円になろうとする少し前のところで、忽《こつ》然《ぜん》その一つが欠けたため、残る二つは平衡を失った。
代助と三千代は五年の昔を心置きなく語り始めた。語るにしたがって、現在の自己が遠のいて、だんだん当時の学生時代に返ってきた。二人の距離はまた元のように近くなった。
「あの時兄さんが亡くならないで、まだ達者でいたら、今ごろ私はどうしているでしょう」と三千代は、その時を恋しがるように言った。
「兄さんが達者でいたら、別の人になっているわけですか」
「別な人にはなりませんわ。あなたは?」
「僕も同じことです」
三千代はその時、少したしなめるような調子で、
「あら嘘」と言った。代助は深い目を三千代の上にすえて、
「僕は、あの時も今も、少しも違っていやしないのです」と答えたまま、なおしばらくは目を相手から離さなかった。三千代はたちまち視線をそらした。そうして、なかばひとりごとのように、
「だって、あの時から、もう違っていらしったんですもの」と言った。
三千代の言葉は普通の談話としてはあまりに声が低すぎた。代助は消えて行く影を踏まえるごとくに、すぐその尾を捕えた。
「違やしません。あなたにはただそう見えるだけです。そう見えたってしかたがないが、それは僻《ひが》目《め》だ」
代助のほうは通例よりも熱心にはっきりした声で自己を弁護するごとくに言った。三千代の声はますます低かった。
「僻目でもなんでもよくってよ」
代助は黙って三千代の様子をうかがった。三千代ははじめから、目を伏せていた。代助にはその長い睫《まつ》毛《げ》のふるえる様がよく見えた。
「僕の存在にはあなたが必要だ。どうしても必要だ。僕はそれだけのことをあなたに話したいためにわざわざあなたを呼んだのです」
代助の言葉には、普通の愛人の用いるような甘い文《あ》彩《や》を含んでいなかった。彼の調子はその言葉とともに簡単で素朴であった。むしろ厳粛の域に逼《せま》っていた。ただ、それだけのことを語るために、急用として、わざわざ三千代を呼んだところが、玩具《おもちや》の詩歌に類していた。けれども、三千代はもとより、こういう意味での俗を離れた急用を理解しうる女であった。そのうえ世間の小説に出て来る青春時代の修辞には、多くの興味を持っていなかった。代助の言葉が、三千代の官能にはなやかな何物をも与えなかったのは、事実であった。三千代がそれにかわいていなかったのも事実であった。代助の言葉は官能を通り越して、すぐ三千代の心に達した。三千代はふるえる睫毛の間から、涙を頬《ほお》の上に流した。
「僕はそれをあなたに承知してもらいたいのです。承知してください」
三千代はなお泣いた。代助に返事をするどころではなかった。袂《たもと》からハンケチを出して顔へ当てた。濃い眉《まゆ》の一部分と、額とはえぎわだけが代助の目に残った。代助は椅子を三千代の方へすり寄せた。
「承知してくださるでしょう」と耳のはたで言った。三千代は、まだ顔をおおっていた。しゃくり上げながら、
「あんまりだわ」と言う声がハンケチの中で聞こえた。それが代助の聴覚を電流のごとくに冒した。代助は自分の告白が遅すぎたということをせつに自覚した。打ち明けるならば三千代が平岡へ嫁《とつ》ぐ前に打ち明けなければならないはずであった。彼は涙と涙の間をぼつぼつつづる三千代のこの一語を聞くに堪えなかった。
「僕は三、四年前に、あなたにそう打ち明けなければならなかったのです」と言って、憮《ぶ》然《ぜん》として口を閉じた。三千代は急にハンケチを顔から離した。瞼《まぶた》の赤くなった目を突然代助の上にみはって、
「打ち明けてくださらなくってもいいから、なぜ」と言いかけて、ちょっと躊《ちゆう》躇《ちよ》したが、思い切って、「なぜすててしまったんです」と言うやいなや、またハンケチを顔に当ててまた泣いた。
「僕が悪い。堪忍してください」
代助は三千代の手《て》頸《くび》をとって、ハンケチを顔から離そうとした。三千代はさからおうともしなかった。ハンケチは膝の上に落ちた。三千代はその膝の上を見たまま、かすかな声で、
「残酷だわ」と言った。小さい口元の肉がふるうように動いた。
「残酷と言われてもしかたがありません。そのかわり僕はそれだけの罰を受けています」
三千代は不思議な目をして顔を上げたが、
「どうして」と聞いた。
「あなたが結婚して三年以上になるが、僕はまだ独身でいます」
「だって、それはあなたの御かってじゃありませんか」
「かってじゃありません。もらおうと思っても、もらえないのです。それから以後、宅《うち》のものから何べん結婚を勧められたかわかりません。けれども、みんな断わってしまいました。今度もまた一人断わりました。その結果僕と僕の父との間がどうなるかわかりません。しかしどうなってもかまわない、断わるんです。あなたが僕に復《ふく》讎《しゆう》している間は断わらなければならないんです」
「復讎」と三千代は言った。この二字を恐るるもののごとくに目を働かした。「私はこれでも、嫁に行ってから、今《こん》日《にち》まで一日も早く、あなたが御結婚なさればいいと思わないで暮らしたことはありません」とやや改まった物の言いぶりであった。しかし代助はそれに耳を貸さなかった。
「いや僕はあなたにどこまでも復讎してもらいたいのです。それが本望なのです。今日こうやって、あなたを呼んで、わざわざ自分の胸を打ち明けるのも、実はあなたから復讎されている一部分としか思やしません。僕はこれで社会的に罪を犯したも同じことです。しかし僕はそう生まれて来た人間なのだから、罪を犯すほうが、僕には自然なのです。世間に罪を得ても、あなたの前に懴《ざん》悔《げ》することができれば、それでたくさんなんです。これほどうれしいことはないと思っているんです」
三千代は涙の中ではじめて笑った。けれども一《ひと》言《こと》も口へは出さなかった。代助はなおおのれを語るひまを得た。――
「僕はいまさらこんなことをあなたに言うのは、残酷だと承知しています。それがあなたに残酷に聞こえれば聞こえるほど僕はあなたに対して成功したも同様になるんだからしかたがない。そのうえ僕はこんな残酷なことを打ち明けなければ、もう生きていることができなくなった。つまりわがままです。だからあやまるんです」
「残酷ではございません。だからあやまるのはもうよしてちょうだい」
三千代の調子は、この時急にはっきりした。沈んではいたが、前に比べると非常に落ちついた。しかししばらくしてから、また
「ただ、もう少し早く言ってくださると」と言いかけて涙ぐんだ。代助はその時こう聞いた。――
「じゃ僕が生涯黙っていたほうが、あなたには幸福だったんですか」
「そうじゃないのよ」と三千代は力をこめて打ち消した。「私だって、あなたがそう言ってくださらなければ、生きていられなくなったかもしれませんわ」
今度は代助のほうが微笑した。
「それじゃかまわないでしょう」
「かまわないよりありがたいわ。ただ――」
「ただ平岡にすまないというんでしょう」
三千代は不安らしくうなずいた。代助はこう聞いた。――
「三千代さん、正直に言ってごらん。あなたは平岡を愛しているんですか」
三千代は答えなかった。見るうちに、顔の色が蒼《あお》くなった。目も口も固くなった。すべてが苦痛の表情であった。代助はまた聞いた。
「では、平岡はあなたを愛しているんですか」
三千代はやはりうつ向いていた。代助は思い切った判断を、自分の質問のうえに与えようとして、すでにその言葉が口まで出かかった時、三千代は不意に顔を上げた。その顔には今見た不安も苦痛もほとんど消えていた。涙さえたいていは乾いた。頬《ほお》の色はもとより蒼かったが、唇《くちびる》はしかとして、動く気《け》色《しき》はなかった。そのあいだから、低く重い言葉が、つながらないように、一字ずつ出た。
「しようがない。覚悟をきめましょう」
代助は背中から水をかぶったようにふるえた。社会からおい放たるべき二人の魂は、ただ二人むかい合って、互いを穴のあくほどながめていた。そうして、すべてにさからって、互いをいっしょに持ち来たした力を互いとおそれおののいた。
しばらくすると、三千代は急に物に襲われたように、手を顔に当てて泣き出した。代助は三千代の泣く様を見るに忍びなかった。肱《ひじ》をついて額を五指の裏に隠した。二人はこの態度をくずさずに、恋愛の彫刻のごとく、じっとしていた。
二人はこうじっとしているうちに、五十年を眼《ま》のあたりに縮めたほどの精神の緊張を感じた。そうしてその緊張とともに、二人が相並んで存在しておるという自覚を失わなかった。彼等は愛の刑と愛の賚《たまもの*》 とを同時にうけて、同時に双方を切実に味わった。
しばらくして、三千代はハンケチを取って、涙をきれいにふいたが、静かに、
「私もう帰ってよ」と言った。代助は、
「お帰りなさい」と答えた。
雨は小降りになったが、代助はもとより三千代をひとり返す気はなかった。わざと車を雇わずに、自分で送って出た。平岡の家までついて行くところを、江戸川の橋の上で別れた。代助は橋の上に立って、三千代が横町を曲がるまで見送っていた。それからゆっくり歩をめぐらしながら、腹の中で、
「万事終わる」と宣告した。
雨は夕方やんで、夜に入ったら、雲がしきりに飛んだ。そのうち洗ったような月が出た。代助は光を浴びる庭の濡《ぬれ》葉《は》を長い間縁側からながめていたが、しまいに下《げ》駄《た》を穿《は》いて下へ降りた。もとより広い庭でないうえに立木の数が存外多いので、代助の歩く積《せき*》 はたんとなかった。代助はその真ん中に立って、大きな空を仰いだ。やがて、座敷から、昼間買った百《ゆ》合《り》の花を取って来て、自分のまわりにまき散らした。白い花弁が点々として月の光にさえた。あるものは、木《こ》下《した》闇《やみ》にほのめいた。代助はなにをするともなくそのあいだにかがんでいた。
寝る時になってはじめて再び座敷へ上がった。室の中は花のにおいがまだまったく抜けていなかった。
一五
三千代にあって、言うべきことを言ってしまった代助は、あわない前に比べると、よほど心の平和に接近しやすくなった。しかしこれは彼の予期するとおりにいったまでで、別に意外の結果というほどのものではなかった。
会見の翌日彼はながらく手にもっていた賽《さい》を思い切って投げた人の決心をもって起きた。彼は自分と三千代の運命に対して、昨日《きのう》から一種の責任を帯びねばすまぬ身になったと自覚した。しかもそれはみずから進んで求めた責任に違いなかった。したがって、それを自分の背に負うて、苦しいとは思えなかった。その重みに押されるがため、かえって自然と足が前に出るような気がした。彼はみずから切り開いたこの運命の断片を頭に乗せて、父と決戦すべき準備を整えた。父のあとには兄がいた。嫂がいた。これらと戦ったあとには平岡がいた。これ等を切り抜けても大きな社会があった。個人の自由と情実を毫《ごう》も斟《しん》酌《しやく》してくれない器械のような社会があった。代助にはこの社会がいま全然暗黒に見えた。代助はすべてと戦う覚悟をした。
彼は自分で自分の勇気と胆力に驚いた。彼は今《こん》日《にち》まで、熱烈をいとう、あやうきに近寄りえぬ、勝負ごとを好まぬ、用心深い、太平の好紳士と自分を見なしていた。徳義上重大な意味の卑《ひ》怯《きよう》はまだ犯したことがないけれども、臆《おく》病《びよう》という自覚はどうしても彼の心から取り去ることができなかった。
彼は通俗なある外国雑誌の購読者であった。その中のある号で、Mountain 《マウンテン》Accidents《アクシデンツ*》 と題する一篇にあって、かつて心をおどろかした。それには高山をよじのぼる冒険者の、怪《け》我《が》過《あやまち》ちがたくさん並べてあった。登山の途中雪《ゆき》崩《なだ》れにおされて、行《ゆ》き方《がた》知れずになったものの骨が、四十年後に氷河の先へ引きかかって出た話や、四人の冒険者が懸《けん》崖《がい》の半腹にある、まっすぐに立った大きな平岩を越すとき、肩から肩の上へ猿《さる》のように重なり合って、最上の一《ひと》人《り》の手が岩の鼻へかかるやいなや、岩がくずれて、腰の縄《なわ》が切れて、上の三人が折り重なって、まっさかさまに四番目の男のそばをはるかの下に落ちて行った話などが、いくつとなく載せてあった間に、煉《れん》瓦《が》の壁ほど急な山腹に蝙《こう》蝠《もり》のように吸いついた人間を二、三か所に点《てん》綴《てつ》した挿《さし》絵《え》があった。その時代助はその絶壁の横にある白い空間のあなたに、広い空や、はるかの谷を想像して、おそろしさから来るめまいを、頭の中に再現せずにはいられなかった。
代助はいま道徳界において、これらの登《とう》攀《はん》者《しや》と同一な地位に立っているということを知った。けれどもみずからその場に臨んでみると、ひるむ気は少しもなかった。ひるんで猶予するほうが彼にとっては幾倍の苦痛であった。
彼は一《いち》日《じつ》も早く父にあって話をしたかった。万一のさしつかえを恐れて、三千代が来た翌日、また電話をかけて都合を聞き合わせた。父は留守だという返事を得た。次の日また問い合わせたら、今度はさしつかえがあると言って断わられた。その次にはこちらから知らせるまでは来るに及ばんという挨拶であった。代助は命令どおり控えていた。そのあいだ嫂からも兄からも便りはいっこうなかった。代助ははじめは家《うち》のものが、自分にできるだけ長い、反省再考の時間を与えるための策略ではあるまいかと推察して、平気に構えていた。三度の食事もうまく食った。夜も比較的安らかな夢を見た。雨の晴れ間には門野を連れて散歩を一、二度した。しかし宅《うち》からは使いも手紙も来なかった。代助は絶壁の途中で休息する時間の長すぎるのに安からずなった。しまいに思い切って、自分のほうから青山へ出かけて行った。兄は例のごとく留守であった。嫂は代助を見て気の毒そうな顔をした。が、例の事件についてはなんにも語らなかった。代助の来意を聞いて、では私がちょっと奥へ行ってお父さんの御都合を伺って来ましょうと言って立った。梅子の態度は、父の怒りから代助をかばうようにも見えた。また彼を疎外するようにも取れた。代助は両方のいずれだろうかと煩《わずら》って待っていた。待ちながらも、どうせ覚悟の前だと何べんも口のうちで繰り返した。
奥から梅子が出て来るまでには、だいぶ暇がかかった。代助を見て、また気の毒そうに、今日は御都合が悪いそうですよと言った。代助はしかたなしに、いつ来たらよかろうかと尋ねた。もとより例のような元気はなく悄《しよう》然《ぜん》とした問いぶりであった。梅子は代助の様子に同情の念を起こした調子で、二、三日中にきっと自分が責任をもって都合のいい時日を知らせるから今日は帰れと言った。代助は内玄関を出る時、梅子はわざと送って来て、
「今度こそよく考えていらっしゃいよ」と注意した。代助は返事もせずに門を出た。
帰る途中も不愉快でたまらなかった。このあいだ三千代にあって以後、味わうことを知った心の平和を、父や嫂の態度でいくぶんか破壊されたという心持ちが路《みち》々《みち》つのった。自分は自分の思うとおりを父に告げる、父は父の考えを遠慮なく自分にもらす、それで衝突する、衝突の結果はどうあろうとも潔よく自分で受ける。これが代助の予期であった。父の仕打ちは彼の予期意外におもしろくないものであった。その仕打ちは父の人格を反射するだけそれだけ多く代助を不愉快にした。
代助はみちすがら、なにを苦しんで、父との会見をさまでに急いだものかと思い出した。元来が父の要求に対する自分の返事にすぎないのだから、便宜はむしろ、これを待ち受ける父のほうにあるべきはずであった。その父がわざとらしく自分を避けるようにして、面会を延ばすならば、それは自己の問題を解決する時間が遅くなるという不結果を生ずるほかになにも起こりようがない。代助は自分の未来に関する主要な部分は、もうすでに片づけてしまったつもりでいた。彼は父から時日を指定して呼び出されるまでは、宅のほうの所置をそのままにして放っておくことにきめた。
彼は家に帰った。父に対してはただ薄暗い不愉快の影が頭に残っていた。けれどもこの影は近き未来において必ずその暗さを増してくるべき性質のものであった。その他には眼前に運命の二つの潮流を認めた。一つは三千代と自分がこれから流れて行くべき方向を示していた。一つは平岡と自分をぜひともいっしょにまき込むべきすさまじいものであった。代助はこのあいだ三千代にあったなりで、片《かた》片《かた》のほうは捨ててある。よしこれから三千代の顔を見るにしたところで、――また長い間見ずにいる気はなかったが、――二人の向《こう》後《ご》取るべき方針について言えば、当分は一歩も現在状態より踏み出す了《りよう》見《けん》は持たなかった。この点に関して、代助は我ながら明《めい》瞭《りよう》な計画をこしらえていなかった。平岡と自分とを運び去るべき将来についても、彼はただいつ、何事にでも用意ありというだけであった。むろん彼は機を見て、積極的に働きかける心組みはあった。けれども具体的な案は一つも準備しなかった。あらゆる場合において、彼のけっしてしそんじまいと誓ったのは、すべてを平岡に打ち明けるということであった。したがって平岡と自分とで構成すべき運命の流れは黒く恐ろしいものであった。一つの心配はこの恐ろしいあらしの中から、いかにして三千代を救いうべきかの問題であった。
最後に彼の周囲を人間のあらんかぎり包む社会に対しては、彼はなんの考えもまとめなかった。事実として、社会は制裁の権を有していた。けれども動機行為の権はまったく自己の天分からわいて出るよりほかに道はないと信じた。かれはこの点において、社会と自分との間にはまったく交渉のないものと認めて進行する気であった。
代助は彼の小さな世界の中心に立って、彼の世界をかようにみて、一《いち》順《じゆん》その関係比例を頭の中で調べたうえ、
「よかろう」と言って、また家を出た。そうして一、二丁歩いて、乗りつけの帳場まで来て、きれいで早そうなやつをえらんで飛び乗った。どこへ行く当てもないのをいいかげんな町を名指して二時間ほどぐるぐる乗り回して帰った。
翌日も書斎の中で前日同様、自分の世界の中心に立って、左右前後を一応くまなく見渡したあと、
「よろしい」と言って外へ出て、用もないところを今度は足にまかせてぶらぶら歩いて帰った。
三日目にも同じことを繰り返した。が、今度は表へ出るやいなや、すぐ江戸川を渡って、三千代のところへ来た。三千代は二人の間に何事も起こらなかったかのように、
「なぜそれからいらっしゃらなかったの」と聞いた。代助はむしろその落ちつき払った態度に驚かされた。三千代はわざと平岡の机の前にすえてあった蒲《ふ》団《とん》を代助の前へ押しやって、
「なんでそんなに、そわそわしていらっしゃるの」とむりにその上にすわらした。
一時間ばかり話しているうちに、代助の頭はしだいに穏やかになった。車へ乗って、当てもなく乗り回すより、三十分でも好いから、早くここへ遊びに来ればよかったと思い出した。帰るとき代助は、
「また来ます。大丈夫だから安心していらっしゃい」と三千代を慰めるように言った。三千代はただ微笑しただけであった。
その夕方はじめて父からのしらせに接した。その時代助は婆《ばあ》さんの給仕で飯を食っていた。茶《ちや》碗《わん》を膳《ぜん》の上へ置いて、門野から手紙を受け取って読むと、明朝何時までにおいでのことという文句があった。代助は、
「お役所風だね」と言いながら、わざとはがきを門野に見せた。門野は、
「青山のお宅《たく》からですか」と丁寧にながめていたが、別に言うことがないものだから、表を引っくり返して、
「どうもなんですな。昔の人はやっぱり手蹟《て》が好いようですな」とお世辞を置き去りにして出て行った。婆さんはさっきから暦《こよみ》の話をしきりにしていた。みずのえだのかのとだの、八《はつ》朔《さく*》 だの、友《とも》引《びき*》 だの、爪を切る日だの普請をする日だのとすこぶるうるさいものであった。代助はもとよりうわのそらで聞いていた。婆さんはまた門野の職のことを頼んだ。拾五円でもいいからどっかへ出してやってくれないかと言った。代助は自分ながら、どんな返事をしたかわからないくらい気にもとめなかった。ただ心のうちでは、門野どころか、このおれがあやしいくらいだと思った。
食事を終わるやいなや、本《ほん》郷《ごう》から寺尾が来た。代助は門野の顔を見てしばらく考えていた。門野は無《む》雑《ぞう》作《さ》に、
「断わりますか」と聞いた。代助はこのあいだから珍らしくある会を一、二回欠席した。来客もあわないですむと思う分は両度ほど謝絶した。
代助は思い切って寺尾にあった。寺尾はいつものように、血眼になって、なにかさがしていた。代助はその様子を見て、例のごとく皮肉で持ち切る気にもなれなかった。翻訳だろうが焼き直しだろうが、生きているうちはどこまでもやる覚悟だから、寺尾のほうがまだ自分より社会の児《じ》らしく見えた。自分がもし失脚して、彼と同様の地位に置かれたら、はたしてどのくらいの仕事に堪えるだろうと思うと、代助は自分に対して気の毒になった。そうして、自分が遠からず、彼よりもひどく失脚するのは、ほとんど未発の事実のごとく確かだとあきらめていたから、彼は侮《ぶ》蔑《べつ》の目をもって寺尾を迎えるわけにはいかなかった。
寺尾は、このあいだの翻訳をようやくのことで月末までに片づけたら、本屋のほうで、都合が悪いから秋まで出版を見合わせると言いだしたので、すぐ労力を金に換算することができずに、困った結果やって来たのであった。では書《しよ》肆《し》と契約なしに手をつけたのかと聞くと、まったくそうでもないらしい。といって、本屋のほうがまるで約束を無視したようにも言わない。要するに曖《あい》昧《まい》であった。ただ困っていることだけは事実らしかった。けれどもこういう手違いに慣れ抜いた寺尾は、別に徳義問題として誰《だれ》にも不満をいだいているようにも見えなかった。失敬だとかけしからんというのは、ただ口の先ばかりで、腹の中の屈《くつ》托《たく》は、全然飯と肉に集注しているらしかった。
代助は気の毒になって、当座の経済にいくぶんの補助を与えた。寺尾は感謝の意を表して帰った。帰る前に、実は本屋からも少しは前借りはしたんだが、それはとくの昔に使ってしまったんだと自白した。寺尾の帰ったあとで、代助はああいうのも一種の人格だと思った。ただこう楽にくらしていたってけっしてなれるわけのものじゃない。今のいわゆる文壇が、ああいう人格を必要と認めて、自然に産み出したほど、今の文壇は悲しむべき状況のもとに呻《しん》吟《ぎん》しているんではなかろうかと考えてぼんやりした。
代助はその晩自分の前途をひどく気にかけた。もし父から物質的に供給の道をとざされた時、彼ははたして第二の寺尾になりうる決心があるだろうかを疑ぐった。もし筆を執って寺尾のまねさえできなかったなら、彼は当然餓死すべきである。もし筆を執らなかったら、彼はなにをする能力があるだろう。
彼は目をあけて時々蚊《か》帳《や》の外に置いてあるランプをながめた。夜中にマッチをすって煙草を吹かした。寝返りを何べんも打った。もとより寝苦しいほど暑い晩ではなかった。雨がまたざあざあと降った。代助はこの雨の音で寝つくかと思うと、また雨の音で不意に目をさました。夜は半《はん》醒《せい》半《はん》睡《すい》のうちに明け離れた。
定刻になって、代助は出かけた。足《あし》駄《だ》ばきで雨《あま》傘《がさ》をさげて電車に乗ったが、一方の窓がしめ切ってあるうえに、革《かわ》紐《ひも》にぶら下がっている人がいっぱいなので、しばらくすると胸がむかついて、頭が重くなった。睡眠不足が影響したらしく思われるので、手を窮屈に伸ばして、自分の後ろだけをあけ放った。雨は容赦なく襟《えり》から帽子に吹きつけた。二、三分ののち隣の人の迷惑そうな顔に気がついて、また元のとおりにガラス窓を上げた。ガラスの表側には、はじけた雨の珠《たま》がたまって、往来が多少ゆがんで見えた。代助は首から上をねじ曲げて目をそとにつけながら、いくたびか自分の目をこすった。しかし何べんこすっても、世界の恰《かつ》好《こう》が少し変わってきたという自覚が取れなかった。ガラスを通して斜めに遠方を透かして見るときはなおそういう感じがした。
弁慶橋《*》 で乗り換えてからは、人もまばらに、雨も小降りになった。頭も楽にぬれた世の中をながめることができた。けれども機《き》嫌《げん》の悪い父の顔が、いろいろな表情をもって彼の脳髄を刺激した。想像の談話さえ明らかに耳に響いた。
玄関を上って、奥へ通る前に、例のごとく一応嫂にあった。嫂は、
「うっとしいお天気じゃありませんか」と愛《あい》想《そ》よく自分で茶を汲んでくれた。しかし代助は飲む気にもならなかった。
「お父さんが待っておいででしょうから、ちょっと行って話をして来ましょう」と立ちかけた。嫂は不安らしい顔をして、
「代《だい》さん、なろうことなら、年寄りに心配をかけないようになさいよ。お父さんだって、もう長いことはありませんから」と言った。代助は梅子の口から、こんな陰気な言葉を聞くのははじめてであった。不意に穴倉へ落ちたような心持ちがした。
父は煙草《たばこ》盆《ぼん》を前に控えて、うつむいていた。代助の足音を聞いても顔を上げなかった。代助は父の前へ出て、丁寧にお辞儀をした。さだめてむずかしい目つきをされると思いのほか、父は存外穏やかなもので、
「降るのに御苦労だった」といたわってくれた。
その時はじめて気がついて見ると、父の頬がいつの間にかぐっとこけていた。元来が肉の多いほうだったので、この変化が代助にはよけい目立って見えた。代助は覚えず、
「どうかなさいましたか」と聞いた。
父は親らしい色をちょっと顔に動かしただけで、別に代助の心配を物にする様子もなかったが、しばらく話しているうちに、
「おれもだいぶ年を取ってな」と言いだした。その調子がいつもの父とはまったく違っていたので、代助はさいぜん嫂の言ったことをいよいよ重く見なければならなくなった。
父は年のせいで健康の衰えたのを理由として、近々実業界を退く意志のあることを代助にもらした。けれども今は日露戦争後の商工業膨張の反動を受けて、自分の経営にかかる事業が不景気の極端に達している最中だから、この難関をこぎ抜けたうえでなくては、無責任の非難を免かれることができないので、当分やむをえずに辛《しん》抱《ぼう》しているよりほかにしかたがないのだという事情をくわしく話した。代助は父の言葉をしごくもっともだと思った。
父は普通の実業なるものの困難と危険と繁劇と、それらから生ずる当事者の心の苦痛および緊張の恐るべきを説いた。最後に地方の大地主の、一見地《じ》味《み》であって、その実自分らよりはずっと強固の基礎を有していることを述べた。そうして、この比較を論拠として、新たに今度の結婚を成立させようとつとめた。
「そういう親類が一軒ぐらいあるのは、たいへんな便利で、かつこの際はなはだ必要じゃないか」と言った。代助は、父としてはむしろ露骨すぎるこの政略的結婚の申しいでに対して、いまさら驚くほど、はじめから父を買いかぶってはいなかった。最後の会見に、父が従来の仮面を脱いでかかったのを、むしろ快く感じた。彼自身も、こんな意味の結婚をあえてしうる程度の人間だとみずから見積っていた。
そのうえ父に対していつにない同情があった。その顔、その声、その代助を動かそうとする努力、すべてに老後のあわれを認めることができた。代助はこれをも、父の策略とは受け取りえなかった。私はどうでもようございますから、あなたの御都合のいいようにおきめなさいと言いたかった。
けれども三千代と最後の会見を遂げたいまさら、父の意にかなうような当座の孝行は代助にはできかねた。彼は元来がどっちつかずの男であった。誰の命令も文《もん》字《じ》どおりに拝承したことのないかわりには、誰の意見にもむきに抵抗したためしがなかった。解釈のしようでは、策士の態度とも取れ、優柔の生まれつきとも思われるやり口であった。彼自身さえ、この二つの非難のいずれかを聞いた時に、そうかもしれないと、腹の中で首をひねらぬわけにはいかなかった。しかしその原因の大部分は策略でもなく、優柔でもなく、むしろ彼に融通のきくふたつの目がついていて、双方を一時に見る便宜を有していたからであった。かれはこの能力のために、今《こん》日《にち》までいちずに物に向かって突進する勇気をくじかれた。つかず離れず現状に立ちすくんでいることがしばしばあった。この現状維持の外観が、思慮の欠乏から生ずるのでなくて、かえって明白な判断にもとづいて起こるという事実は、彼が犯すべからざる敢《かん》為《い》の気象をもって、彼の信ずるところを断行した時に、彼自身にもはじめてわかったのである。三千代の場合は、すなわちその適例であった。
彼は三千代の前に告白したおのれを、父の前で白紙にしようとはおもいいたらなかった。同時に父に対しては、心《しん》から気の毒であった。平生の代助がこの際に執るべき方針は言わずして明らかであった。三千代との関係を撤回する不便なしに、父に満足を与えるための結婚を承諾するにほかならなかった。代助はかくして双方を調和することができた。どっちつかずに真ん中へ立って、煮え切らずに前進することは容易であった。けれども、今の彼は、ふだんの彼とは趣《おもむき》を異にしていた。再び半身を埒《らち》外《がい》にぬきんでて、余人と握手するのはすでに遅かった。彼は三千代に対する自己の責任をそれほど深く重いものと信じていた。彼の信念はなかば頭の判断から来た。なかば心の憧《しよう》憬《けい》から来た。二つのものが大きな濤《なみ》のごとくに彼を支配した。彼は平生の自分から生まれ変わったように父の前に立った。
彼は平生の代助のごとく、なるべく口数をきかずに控えていた。父から見ればいつもの代助と異なるところはなかった。代助のほうではかえって父の変わっているのに驚いた。実はこのあいだからいくたびも会見を謝絶されたのも、自分が父の意志にそむく恐れがあるから父のほうでわざと、延ばしたものと推《すい》していた。今日あったら、さだめて苦い顔をされることと覚悟をきめていた。ことによれば、頭からしかり飛ばされるかもしれないと思った。代助にはむしろそのほうが都合がよかった。三分の一は、父の暴怒に対する自己の反動を、心理的に利用して、きっぱり断わろうという下心さえあった。代助は父の様子、父の言葉づかい、父の主意、すべてが予期に反して、自分の決心を鈍らせる傾向に出たのを心苦しく思った。けれども彼はこの心苦しさにさえ打ち勝つべき決心をたくわえた。
「あなたのおっしゃるところはいちいち御もっともだと思いますが、私には結婚を承諾するほどの勇気がありませんから、断わるよりほかにしかたがなかろうと思います」ととうとう言ってしまった。その時父はただ代助の顔を見ていた。ややあって、
「勇気がいるのかい」と手に持っていた煙管《きせる》を畳の上に放り出した。代助は膝《ひざ》頭《がしら》を見つめて黙っていた。
「当人が気に入らないのかい」と父がまた聞いた。代助はなお返事をしなかった。彼は今まで父に対しておのれの四半分も打ち明けてはいなかった。そのおかげで父と平和の関係をようやく持続してきた。けれども三千代のことだけははじめからけっして隠す気はなかった。自分の頭の上に当然落ちかかるべき結果を、策で避ける卑《ひ》怯《きよう》が面《おも》白《しろ》くなかったからである。彼はただ自白の期に達していないと考えた。したがって三千代の名はまるで口へは出さなかった。父は最後に、
「じゃなんでもお前のかってにするさ」と言って苦い顔をした。
代助も不愉快であった。しかししかたがないから、礼をして父の前をさがろうとした。ときに父は呼びとめて、
「おれのほうでも、もうお前の世話はせんから」と言った。座敷へ帰った時、梅子は待ち構えたように、
「どうなすって」と聞いた。代助は答えようもなかった。
一六
翌《あく》朝《るひ》目がさめても代助の耳の底には父の最後の言葉が鳴っていた。彼は前後の事情から、平生以上の重みをその内容に付着しなければならなかった。少なくとも、自分だけでは、父から受ける物質的の供給がもう絶えたものと覚悟する必要があった。代助のもっとも恐るる時期は近づいた。父の機《き》嫌《げん》を取りもどすには、今度の結婚を断わるにしても、あらゆる結婚に反対してはならなかった。あらゆる結婚に反対しても、父をうなずかせるに足るほどの理由を、明白に述べなければならなかった。代助にとっては二つのうちいずれも不可能であった。人生にたいする自家の哲学《フイロソフイー》の根本に触れる問題について、父を欺くのはなおさら不可能であった。代助は昨日《きのう》の会見を回顧して、すべてが進むべき方向に進んだとしか考ええなかった。けれども恐ろしかった。自己が自己に自然な因果を発展させながら、その因果の重みを背中にしょって、高い絶壁のはじまで押し出されたような心持ちであった。
彼は第一の手段として、なにか職業を求めなければならないと思った。けれども彼の頭の中には職業という文字があるだけで、職業そのものは体をそなえて現われて来なかった。彼は今《こん》日《にち》までいかなる職業にも興味をもっていなかった結果として、いかなる職業をおもい浮かべて見ても、ただそのうえをうわすべりにすべって行くだけで、中に踏み込んで内部から考えることはとうていできなかった。彼には世間が平たい複雑な色分けのごとくに見えた。そうして彼自身はなんらの色を帯びていないとしか考えられなかった。
すべての職業を見渡したのち、彼の目は漂泊者の上に来て、そこでとまった。彼は明らかに自分の影を、犬と人の境を迷う乞《こつ》食《じき》の群れの中に見いだした。生活の堕落は精神の自由を殺す点において彼のもっとも苦痛とするところであった。彼は自分の肉体に、あらゆる醜《しゆう》穢《え》を塗りつけたあと、自分の心の状態がいかに落《らく》魄《はく》するだろうと考えて、ぞっと身ぶるいをした。
この落魄のうちに、彼は三千代を引っ張り回さなければならなかった。三千代は精神的にいって、すでに平岡の所有ではなかった。代助は死に至るまで彼女に対して責任を負うつもりであった。けれども相当の地位をもっている人の不実と、零《れい》落《らく》の極に達した人の親切は、結果において対した差違はないといまさらながら思われた。死ぬまで三千代に対して責任を負うというのは、負う目的があるというまでで、負った事実にはけっしてなれなかった。代助は惘《もう》然《ぜん》として黒《そ》内《こ》障《ひ》にかかった人のごとくに自失した。
彼はまた三千代をたずねた。三千代は前日のごとく静かに落ちついていた。微《ほほ》笑《えみ》と光《かが》輝《やき》とに満ちていた。春風はゆたかに彼《かの》女《おんな》の眉《まゆ》を吹いた。代助は三千代がおのれをあげて自分に信頼していることを知った。その証拠をまた眼《ま》のあたりに見た時、彼は愛《あい》憐《れん》の情と気の毒の念に堪えなかった。そうして自己を悪漢のごとくに呵《か》責《しやく》した。思うことはまったく言いそびれてしまった。帰るとき、
「また都合して宅《うち》へ来ませんか」と言った。三千代はええとうなずいて微笑した。代助は身を切られるほどつらかった。
代助はこのあいだから三千代を訪問するごとに、不愉快ながら平岡のいない時を択《えら》まなければならなかった。はじめはそれをさほどにも思わなかったが、近ごろでは不愉快というよりもむしろ、行きにくい度が日ごとに強くなってきた。そのうえ留守の訪問が重なれば、下女に不審を起こさせる恐れがあった。気のせいか、茶を運ぶ時にも、妙に疑ぐり深い目つきをして、見られるようでならなかった。しかし三千代はまったく知らぬ顔をしていた。少なくともうわべだけは平気であった。
平岡との関係については、むろんくわしく尋ねる機会もなかった。たまに一《ひと》言《こと》二《ふた》言《こと》それとなく問いをかけてみても、三千代はむしろ応じなかった。ただ代助の顔を見れば、見ているそのあいだだけのうれしさにおぼれつくすのが自然の傾向であるかのごとくに思われた。前後を取り囲む黒い雲が、今にもせまって来はしまいかという心配は、陰ではいざ知らず、代助の前には影さえ見せなかった。三千代は元来神経質の女であった。昨今の態度は、どうしてもこの女の手ぎわではないと思うと、三千代の周囲の事情が、まだそれほど険悪に近づかない証拠になるよりも、自分の責任がいっそう重くなったのだと解釈せざるを得なかった。
「すこしまた話したいことがあるから来てください」と前よりはややまじめに言って代助は三千代と別れた。
中二日置いて三千代が来るまで、代助の頭はなんらの新らしい路《みち》を開拓しえなかった。彼の頭の中には職業の二字が大きな楷《かい》書《しよ》で焼きつけられていた。それを押しのけると、物質的供給の杜《と》絶《ぜつ》がしきりにおどり狂った。それが影を隠すと、三千代の未来がすさまじく荒れた。彼の頭には不安のつむじが吹き込んだ。三つのものが巴《ともえ》のごとく瞬時の休みなく回転した。その結果として、彼の周囲がことごとく回転しだした。彼は船に乗った人と一般であった。回転する頭と、回転する世界の中に、依然として落ちついていた。
青山の宅《うち》からは何の消息もなかった。代助はもとよりそれを予期していなかった。彼はつとめて門野を相手にしてたわいない雑談にふけった。門野はこの暑さに自分の身体を持ち扱っているくらい、用のない男であったから、すこぶる得意に代助の思うとおり口を動かした。それでも話しくたびれると、
「先生、将棋はどうです」などと持ちかけた。夕方には庭に水を打った。二人ともはだしになって、手《て》桶《おけ》を一杯ずつ持って、無分別にそこいらをぬらして歩いた。門野が隣の梧《ご》桐《とう》のてっぺんまで水にしてお目にかけると言って、手桶の底を振り上げる拍子に、すべって尻《しり》もちを突いた。白《おし》粉《ろい》草《ぐさ》が垣《かき》根《ね》のそばで花をつけた。手《ちよう》水《ず》鉢《ばち》のかげに生えた秋《しゆう》海《かい》棠《どう》の葉がいちじるしく大きくなった。梅《つ》雨《ゆ》はようやく晴れて、昼は雲の峰の世界となった。強い日は大きな空を透き通すほど焼いて、空一杯の熱を地上に射りつける天気となった。
代助は夜にはいって頭の上の星ばかりながめていた。朝は書斎にはいった。二、三日は朝から蝉《せみ》の声が聞こえるようになった。風呂場へ行って、たびたび頭を冷やした。すると門野がもういい時分だと思って、
「どうも非常な暑さですな」と言って、はいって来た。代助はこういううわのそらの生活を二日ほど送った。三日目の日ざかりに、彼は書斎の中から、ぎらぎらする空の色を見つめて、上からはきおろす炎の息をかいだ時に、非常に恐ろしくなった。それは彼の精神がこの猛烈なる気候から永久の変化を受けつつあると考えたためであった。
三千代はこの暑さを冒して前日の約を履《ふ》んだ。代助は女の声を聞きつけた時、自分で玄関まで飛び出した。三千代は傘《かさ》をつぼめて、風《ふ》呂《ろ》敷《しき》包《づつみ》をかかえて、格《こう》子《し》の外に立っていた。ふだん着のまま宅《うち》を出たと見えて、素質な白地の浴衣《ゆかた》の袂《たもと》からハンケチを出しかけたところであった。代助はその姿を一目見た時、運命が三千代の未来を切り抜いて、意地悪く自分の目の前に持って来たように感じた。われ知らず、笑いながら、
「馳《かけ》落《お》ちでもしそうなふうじゃありませんか」と言った。三千代は穏やかに、
「でも買い物をしたついででないとあがりにくいから」とまじめな答えをして、代助の後について奥まではいって来た。代助はすぐうちわを出した。照りつけられたせいで三千代の頬がこころもちよく輝いた。いつもの疲れた色はどこにも見えなかった。目の中にも若いつやが宿っていた。代助はいきいきしたこの美しさに、自己の感覚をおぼらして、しばらくは何事も忘れてしまった。が、やがて、この美しさを冥《めい》々のうちに打ちくずしつつあるものは自分であると考えだしたら悲しくなった。彼は今日もこの美しさの一部分をくもらすために三千代を呼んだにちがいなかった。
代助はいくたびかおのれを語ることを躊《ちゆう》躇《ちよ》した。自分の前に、これほど幸福に見える若い女を、眉《まゆ》一筋にしろ心配のために動かさせるのは、代助からいうと非常な不徳義であった。もし三千代に対する義務の心が、彼の胸のうちに鋭く働いていなかったなら、彼はそれから以後の事情を打ち明けることのかわりに、せんだっての告白を再び同じ室《へや》のうちに繰り返して、単純なる愛の快感の下に、いっさいを放抛《ほうき》してしまったかもしれなかった。
代助はようやくにして思い切った。
「その後あなたと平岡との関係は別に変わりはありませんか」
三千代はこの問いを受けた時でも、依然として幸福であった。
「あったって、かまわないわ」
「あなたはそれほど僕を信用しているんですか」
「信用していなくっちゃ、こうしていられないじゃありませんか」
代助はまぶしそうに、熱い鏡のような遠い空をながめた。
「僕にはそれほど信用される資格がなさそうだ」と苦笑しながら答えたが、頭の中は焙《ほい》炉《ろ*》 のごとくほてっていた。しかし三千代は気にもかからなかったとみえて、なぜとも聞き返さなかった。ただ簡単に、
「まあ」とわざとらしく驚いて見せた。代助はまじめになった。
「僕は白状するが、実をいうと、平岡君より頼りにならない男なんですよ。買いかぶっていられると困るから、みんな話してしまうが」と前置きをして、それから自分と父との今《こん》日《にち》までの関係を詳しく述べたうえ、
「僕の身分はこれから先どうなるかわからない。少なくとも当分は一人前じゃない。半人前にもなれない。だから」と言いよどんだ。
「だから、どうなさるんです」
「だから、僕の思うとおり、あなたに対して責任がつくせないだろうと心配しているんです」
「責任って、どんな責任なの。もっとはっきりおっしゃらなくっちゃわからないわ」
代助は平生から物質的状況に重きを置くの結果、ただ貧苦が愛人の満足に価しないということだけを知っていた。だから富が三千代に対する責任の一つと考えたのみで、それよりほかに明らかな観念はまるで持っていなかった。
「徳義上の責任じゃない、物質上の責任です」
「そんなものはほしくないわ」
「ほしくないといったって、ぜひ必要になるんです。これから先僕があなたとどんな新らしい関係に移って行くにしても、物質上の供給が半分は解決者ですよ」
「解決者でもなんでも、いまさらそんなことを気にしたってしかたがないわ」
「口ではそうも言えるが、いざという場合になると困るのは目に見えています」
三千代は少し色を変えた。
「今あなたのお父様のお話をうかがってみると、こうなるのははじめからわかってるじゃありませんか。あなただって、そのくらいなことはとうから気がついていらっしゃるはずだと思いますわ」
代助は返事ができなかった。頭をおさえて、
「少し脳がどうかしているんだ」とひとりごとのように言った。三千代は少し涙ぐんだ。
「もし、それが気になるなら、私のほうはどうでもようござんすから、お父様と仲直りをなすって、今までどおりおつきあいになったらいいじゃありませんか」
代助は急に三千代の手《て》頸《くび》を握ってそれを振るように力を入れて言った。――
「そんなことをする気ならはじめから心配をしやしない。ただ気の毒だからあなたにあやまるんです」
「あやまるなんて」と三千代は声をふるわしながらさえぎった。
「私がもとでそうなったのに、あなたにあやまらしちゃすまないじゃありませんか」
三千代は声を立てて泣いた。代助はなだめるように、
「じゃがまんしますか」と聞いた。
「がまんはしません。当たり前ですもの」
「これから先まだ変化がありますよ」
「あることは承知しています。どんな変化があったってかまやしません。私はこのあいだから、――このあいだから私は、もしものことがあれば、死ぬつもりで覚悟をきめているんですもの」
代助は慄《りつ》然《ぜん》としておののいた。
「あなたにこれから先どうしたらいいという希望はありませんか」と聞いた。
「希望なんかないわ。なんでもあなたの言うとおりになるわ」
「漂泊――」
「漂泊でも好いわ。死ねとおっしゃれば死ぬわ」
代助はまたぞっとした。
「このままでは」
「このままでもかまわないわ」
「平岡君はまったく気がついていないようですか」
「気がついているかもしれません。けれども私もう度胸をすえているから大丈夫なのよ。だっていつ殺されたって好いんですもの」
「そう死ぬの殺されるのと安っぽく言うものじゃない」
「だって、放っておいたって、ながく生きられる身体じゃないじゃありませんか」
代助はかたくなって、すくむがごとく三千代を見つめた。三千代はヒステリーの発作に襲われたように思い切って泣いた。
ひとしきりたつと、発作はしだいに収まった。あとはいつものとおり静かな、しとやかな、奥行きのある、美しい女になった。眉《まゆ》のあたりがことに晴れ晴れしく見えた。その時代助は、
「僕が自分で平岡君にあって解決をつけてもようござんすか」と聞いた。
「そんなことができて」と三千代は驚いたようであった。代助は、
「できるつもりです」としっかり答えた。
「じゃ、どうでも」と三千代が言った。
「そうしましょう。二人が平岡君を欺いてことをするのはよくないようだ。むろん事実をよく納得できるように話すだけです。そうして、僕の悪いところはちゃんとあやまる覚悟です。その結果は僕の思うようにいかないかもしれない。けれどもどう間違ったって、そんなむやみなことは起こらないようにするつもりです。こう中《ちゆう》途《と》半《はん》端《ぱ》にしていては、お互いも苦痛だし、平岡君に対しても悪い。ただ僕が思いきってそうすると、あなたが、さぞ平岡君に面《めん》目《ぼく》なかろうと思ってね。そこがお気の毒なんだが、しかし面目ないといえば、僕だって面目ないんだから。自分の所《しよ》為《い》に対しては、いかに面目なくっても、徳義上の責任を負うのが当然だとすれば、ほかになんらの利益がないとしても、お互いの間にあったことだけは平岡君に話さなければならないでしょう。そのうえ今の場合ではこれからの所置をつける大事の自白なんだから、なおさら必要になると思います」
「よくわかりましたわ。どうせ間違えば死ぬつもりなんですから」
「死ぬなんて。――よし死ぬにしたって、これから先どのくらい間があるか――またそんな危険があるくらいなら、なんで平岡君に僕から話すもんですか」
三千代はまた泣きだした。
「じゃよくあやまります」
代助は日の傾くのを待って三千代を帰した。しかしこのまえの時のように送ってはいかなかった。一時間ほど書斎の中で蝉《せみ》の声を聞いて暮らした。三千代にあって自分の未来を打ち明けてから、気分がさっぱりした。平岡へ手紙を書いて、会見の都合を聞き合わせようとして、筆を持ってみたが、急に責任の重いのが苦になって、拝啓以後を書き続ける勇気が出なかった。卒然、シャツ一枚になって素足で庭へ飛び出した。三千代が帰る時は正体なくひるねをしていた門野が、
「まだ早いじゃありませんか。日があたっていますぜ」と言いながら、坊《ぼう》主《ず》頭《あたま》を両手でおさえて縁《えん》端《ばな》にあらわれた。代助は返事もせずに、庭の隅《すみ》へもぐり込んで竹の落葉を前の方へはき出した。門野もやむをえず着物を脱いでおりて来た。
狭い庭だけれども、土が乾いているので、たっぷりぬらすにはだいぶん骨がおれた。代助は腕が痛いと言って、いいかげんにして足をふいて上がった。煙草を吹いて、縁側に休んでいると、門野がその姿を見て、
「先生の心臓の鼓動が少々狂やしませんか」と下からからかった。
晩には門野を連れて、神《かぐ》楽《ら》坂《ざか》の縁日へ出かけて、秋草を二《ふた》鉢《はち》三《み》鉢《はち》買って来て、露の下りる軒の外へ並べて置いた。夜は深く空は高かった。星の色は濃く繁《しげ》く光った。
代助はその晩わざと雨戸を引かずに寝た。無用心という恐れが彼の頭にはまったくなかった。彼はランプを消して、蚊《か》帳《や》の中にひとり寝ころびながら、暗い所から暗い空を透かして見た。頭の中には昼のことがあざやかに輝いた。もう二、三日のうちには最後の解決ができると思っていくたびか胸をおどらせた。が、そのうち大いなる空と、大いなる夢のうちに、われ知らず吸収された。
翌日の朝彼は思いきって平岡に手紙を出した。ただ、内々で少し話したいことがあるが、君の都合を知らせてもらいたい。こっちはいつでもさしつかえない。と書いただけだが、彼はわざとそれを封書にした。状袋ののりを湿めして、赤い切手をとんと張った時には、いよいよクライシス《*》 に証券を与えたような気がした。彼は門野に言いつけて、この運命の使いを郵《ゆう》便《びん》函《ばこ》に投げ込ました。手渡しにする時、少し手先がふるえたが、渡したあとではかえって茫《ぼう》然《ぜん》として自失した。三年前三千代と平岡の間に立って斡《あつ》旋《せん》の労を取ったことを追想するとまるで夢のようであった。
翌日は平岡の返事をこころまちに待ち暮らした。そのあくる日も当てにして終日宅《うち》にいた。三日四日とたったが、平岡からはなんの便りもなかった。そのうち例月のとおり、青山へ金をもらいに行くべき日が来た。代助の懐中ははなはだ手薄になった。代助はこの前父にあった時以後、もう宅からは補助を受けられないものと覚悟をきめていた。いまさら平気な顔をして、のそのそ出かけて行く了《りよう》見《けん》はまるでなかった。なに二か月や三か月は、書物か衣類を売り払ってもどうかなると腹の中で高をくくって落ちついていた。ことの落着しだいゆっくり職業をさがすという分別もあった。彼は平生から人のよく口癖にする、人間は容易なことで餓死するものじゃない、どうにかなっていくものだという半《はん》諺《ことわざ》の真理を、経験しない前から信じだした。
五日目に暑さを冒して、電車へ乗って、平岡の社まで出かけて行ってみて、平岡は二、三日出社しないということがわかった。代助は表へ出て薄汚い編集局の窓を見上げながら、足を運ぶ前に、一応電話で聞き合わすべきはずだったと思った。せんだっての手紙は、はたして平岡の手に渡ったかどうか、それさえ疑わしくなった。代助はわざと新聞社あてでそれを出したからである。帰りに神田へ回って、買いつけの古本屋に、売り払いたい不用の書物があるから、見に来てくれろと頼んだ。
その晩は水を打つ勇気もうせて、ぼんやり、白い網《あみ》シャツを着た門野の姿をながめていた。
「先生今日はお疲れですか」と門野は馬《ば》尻《けつ》を鳴らしながら言った。代助の胸は不安におされて、明らかな返事も出なかった。夕《ゆう》食《めし》のとき、飯の味はほとんどなかった。のみ込むように咽《の》喉《ど》を通して、箸《はし》を投げた。門野を呼んで、
「君、平岡の所へ行ってね、せんだっての手紙は御覧になりましたか。御覧になったら、御返事を願いますって、返事を聞いて来てくれたまえ」と頼んだ。なお要領を得ぬ恐れがありそうなので、せんだってこれこれの手紙を新聞社のほうへ出しておいたのだということまで説明して聞かした。
門野を出したあとで、代助は縁側に出て、椅《い》子《す》に腰をかけた。門野の帰った時は、ランプを吹き消して、暗い中にじっとしていた。門野は暗がりで、
「行ってまいりました」と挨拶をした。「平岡さんはおいででした。手紙は御覧になったそうです。明日《あした》の朝行くからということです」
「そうかい、御苦労さま」と代助は答えた。
「実はもっと早く出るんだったが、うちに病人ができたんで遅くなったから、よろしく言ってくれろと言われました」
「病人?」と代助は思わず問い返した。門野は暗い中で、
「ええ、なんでも奥さんがお悪いようです」と答えた。門野の着ている白地の浴衣《ゆかた》だけがぼんやり代助の目にはいった。夜の明りは二人の顔を照らすにはあまり不十分であった。代助はかけている籐《と》椅《い》子《す》の肱《ひじ》掛《かけ》を両手で握った。
「よほど悪いのか」と強く聞いた。
「どうですか、よくわかりませんが。なんでもそう軽そうでもないようでした。しかし平岡さんが明日おいでになられるくらいなんだから、たいしたことじゃないでしょう」
代助は少し安心した。
「なんだい。病気は」
「つい聞き落としましたがな」
二人の問答はそれで絶えた。門野は暗い廊下を引き返して、自分の部屋へはいった。静かに聞いていると、しばらくしてランプの蓋《かさ》をホヤにぶつける音がした。門野は灯火《あかり》をつけたとみえた。
代助は夜の中になおじっとしていた。じっとしていながら、胸がわくわくした。握っている肱掛に、手からあぶらが出た。代助はまた手を鳴らして門野を呼び出した。門野のぼんやりした白地がまた廊下のはずれに現われた。
「まだ暗《くら》闇《やみ》ですな。ランプをつけますか」と聞いた。代助はランプを断わって、もう一度、三千代の病気を尋ねた。看護婦の有無やら、平岡の様子やら、新聞社を休んだのは、細君の病気のためだか、どうだか、という点に至るまで、考えられるだけ問い尽くした。けれども門野の答えは畢《ひつ》竟《きよう》前と同じことを繰り返すのみであった。でなければ、いいかげんな当てずっぽうにすぎなかった。それでも、代助には一人で黙っているよりもこらえやすかった。
寝る前に門野が夜《や》中《ちゆう》投《とう》函《かん*》 から手紙を一本出して来た。代助は暗いうちでそれを受け取ったまま、別に見ようともしなかった。門野は、
「お宅からのようです、灯火《あかり》を持って来ましょうか」とうながすごとくに注意した。
代助ははじめてランプを書斎に入れさして、その下で、状袋の封を切った。手紙は梅子から自分にあてたかなり長いものであった。――
「このあいだから奥さんのことであなたもさぞ御迷惑なすったろう。こっちでもお父様はじめ兄さんや、私はずいぶん心配をしました。けれどもその甲《か》斐《い》もなくせんだっておいでの時、とうとうお父さんに断然お断わりなすった御様子、はなはだ残念ながら、今ではしかたがないとあきらめています。けれどもその節お父様は、もうお前のことはかまわないから、そのつもりでいろとお怒りなされた由、あとで承りました。そののちあなたがおいでにならないのも、まったくそのためじゃなかろうかと思っています。例月のものを上げる日にはどうかとも思いましたが、やはりお出にならないので、心配しています。お父さんは打《うち》遣《や》っておけとおっしゃいます。兄さんは例のとおり呑《のん》気《き》で、困ったらそのうち来るだろう。その時親《おや》爺《じ》によくあやまらせるがいい。もし来ないようだったら、おれのほうから行ってよく異見してやると言っています。けれども、結婚のことは三人とももう断念しているんですから、その点では御迷惑になるようなことはありますまい。もっともお父さんはまだ怒っておいでの様子です。私の考えでは当分昔のとおりになることは、むずかしいと思います。それを考えると、あなたがいらっしゃらないほうがかえってあなたのためにいいかもしれません。ただ心配になるのは月々あげるお金のことです。あなたのことだから、そう急に自分でお金を取る気づかいはなかろうと思うと、さしあたりお困りになるのが目の前に見えるようで、お気の毒でたまりません。で、私の取り計らいで例月分を送ってあげるから、お受け取りのうえはこれで来月まで持ちこたえていらっしゃい。そのうちにはお父さんの御《ご》機《き》嫌《げん》も直るでしょう。また兄さんからも、そう言っていただくつもりです。私もいい折があれば、おわびをしてあげます。それまでは今までどおり遠慮していらっしゃるほうがようございます。……」
まだ後がだいぶあったが、女のことだから、たいていは重複にすぎなかった。代助は中にはいっていた小切手を引き抜いて、手紙だけをもう一ぺんよく読み直したうえ、丁《てい》寧《ねい》に元のごとくに巻き収めて、無言の感謝を改めて嫂にいたした。梅子よりと書いた字はむしろ拙《せつ》であった。手紙の体の言文一致なのは、かねて代助の勧めたとおりを用いたのであった。
代助はランプの前にある封筒を、なおつくづくながめた。古い寿命がまた一か月延びた。おそかれ早かれ、自己を新たにする必要のある代助には、嫂の志はありがたいにもせよ、かえって毒になるばかりであった。ただ平岡とことを決する前は、パンのために働くことをうけがわぬ心を持っていたから、嫂の贈り物が、この際糧食としてことに彼には貴《たつ》とかった。
その晩も蚊《か》帳《や》へはいる前にふっと、ランプを消した。雨戸は門野が立てに来たから、故障もいわずに、そのままにしておいた。ガラス戸だから、戸越しにも空は見えた。ただ昨夕《ゆうべ》より暗かった。くもったのかと思って、わざわざ縁《えん》側《がわ》まで出て、透かすようにして軒を仰ぐと、光るものが筋を引いて斜めに空を流れた。代助はまた蚊帳をまくってはいった。寝つかれないのでうちわをはたはたいわせた。
家のことはさのみ気にかからなかった。職業もなるがままになれと度胸をすえた。ただ三千代の病気と、その原因とその結果が、ひどく代助の頭を悩ました。それから平岡との会見の様子も、さまざまに想像してみた。それもひとかたならず彼の脳髄を刺激した。平岡は明日《あした》の朝九時ごろあんまり暑くならないうちに来るという伝言であった。代助はもとより、平岡に向かってどう切り出そうなどと形式的の文句を考える男ではなかった。話すことははじめからきまっていて、話す順序はその時の模様しだいだから、けっして心配にはならなかったが、ただなるべく穏やかに自分の思うことが向こうに徹するようにしたかった。それで過度の興奮を忌《い》んで、一夜の安静をせつにこいねがった。なるべく熟睡したいと心がけて瞼《まぶた》を合わせたが、あやにく目がさえて昨夕よりはかえって寝苦しかった。そのうち夏の夜がぽうと白み渡ってきた。代助はたまりかねてはね起きた。はだしで庭先へ飛び下りて冷たい露を存分に踏んだ。それからまた縁側の籐椅子によって、日の出を待っているうちに、うとうとした。
門野が寝ぼけ眼をこすりながら、雨戸をあけに出た時、代助ははっとして、このうたたねからさめた。世界の半面はもう赤い日に洗われていた。
「たいへんお早うがすな」と門野が驚いて言った。代助はすぐ風呂場へ行って水を浴びた。朝飯は食わずにただ紅茶を一杯飲んだ。新聞を見たが、ほとんどなにが書いてあるかわからなかった。読むにしたがって、読んだことが群がって消えて行った。ただ時計の針ばかりが気になった。平岡が来るまでにはまだ二時間あまりあった。代助はそのあいだをどうして暮らそうかと思った。じっとしてはいられなかった。けれどもなにをしても手につかなかった。せめてこの二時間をぐっと寝込んで、目をあけてみると、自分の前に平岡が来ているようにしたかった。
しまいになにか用事を考え出そうとした。ふと机の上に乗せてあった梅子の封筒が目についた。代助はこれだと思って、しいて机の前へすわって、嫂へ謝状を書いた。なるべく丁寧に書くつもりであったが、状袋へ入れて宛《あて》名《な》までしたためてしまって、時計をながめると、たった十五分ほどしかたっていなかった。代助は席についたまま、安からぬ目を空にすえて、頭の中でなにか捜すようにみえた。が、急にたった。
「平岡が来たら、すぐ帰るからって、少し待たしておいてくれ」と門野に言い置いて表へ出た。強い日が正面から射すくめるような勢いで、代助の顔を打った。代助は歩きながら絶えず目と眉《まゆ》を動かした。牛《うし》込《ごめ》見《み》附《つけ》をはいって、飯田町を抜けて、九《く》段《だん》坂《ざか》下《した》へ出て、昨日寄った古本屋まで来て、
「昨日不要の本を取りに来てくれと頼んでおいたが、少し都合があって見合わせることにしたから、そのつもりで」と断わった。帰りには、暑さがあまりひどかったので、電車で飯田橋へ回って、それから揚《あげ》場《ば》を筋《すじ》違《か》いに毘《び》沙《しや》門《もん》前《まえ》へ出た。
家《うち》の前には車が一台おりていた。玄関には靴がそろえてあった。代助は門野の注意を待たないで、平岡の来ていることを悟った。汗をふいて、着物を洗い立てのゆかたに改めて、座敷へ出た。
「いや、お使いで」と平岡が言った。やはり洋服を着て、蒸されるように扇を使った。
「どうも暑いところを」と代助もおのずから表立った言葉づかいをしなければならなかった。
二人はしばらく時候の話をした。代助はすぐ三千代の様子を聞いてみたかった。しかしそれがどういうものか聞きにくかった。そのうち通例の挨拶もすんでしまった。話は呼び寄せたほうから、切り出すのが順当であった。
「三千代さんは病気だってね」
「うん。それで社のほうも二、三日休ませられたようなわけで。つい君のところへ返事を出すのも忘れてしまった」
「そりゃどうでもかまわないが、三千代さんはそれほど悪いのかい」
平岡は断然たる答えを一言葉でなしえなかった。そう急にどうのこうのという心配もないようだが、けっして軽いほうではないという意味を手短に述べた。
このまえ暑い盛りに、神《かぐ》楽《ら》坂《ざか》へ買い物に出たついでに、代助の所へ寄った明《あく》日《るひ》の朝、三千代は平岡の社へ出かける世話をしていながら、突然夫の襟《えり》飾《かざ》りを持ったまま卒倒した。平岡も驚いて、自分の仕《し》度《たく》はそのままに三千代を介抱した。十分ののち三千代はもう大丈夫だから社へ出てくれと言い出した。口元には微笑の影さえ見えた。横にはなっていたが、心配するほどの様子もないので、もし悪いようだったら医者を呼ぶように、必要があったら社へ電話をかけるように言い置いて平岡は出勤した。その晩は遅く帰った。三千代は心持ちが悪いといって先へ寝ていた。どんな具合かと聞いても、はっきりした返事をしなかった。翌日朝起きてみると三千代の色つやが非常によくなかった。平岡はむしろ驚いて医者を迎えた。医者は三千代の心臓を診察して眉《まゆ》をひそめた。卒倒は貧血のためだと言った。ずいぶん強い神経衰弱にかかっていると注意した。平岡はそれから社を休んだ。本人は大丈夫だから出てくれろと頼むように言ったが、平岡は聞かなかった。看護をしてから二日目の晩に、三千代が涙を流して、ぜひあやまらなければならないことがあるから、代助のところへ行ってその訳を聞いてくれろと夫に告げた。平岡ははじめてそれを聞いた時には、ほんとうにしなかった。脳のかげんが悪いのだろうと思って、よしよしと気休めを言って慰めていた。三日目にも同じ願いが繰り返された。その時平岡はようやく三千代の言葉に一種の意味を認めた。すると夕方になって、門野が代助から出した手紙の返事を聞きにわざわざ小石川までやって来た。
「君の用事と三千代の言うこととなにか関係があるのかい」と平岡は不思議そうに代助を見た。
平岡の話はさっきから深い感動を代助に与えていたが、突然この思わざる問いに来た時、代助はぐっとつまった。平岡の問いは実に意表に、無邪気に、代助の胸にこたえた。彼はいつになく少し赤面してうつむいた。しかし再び顔を上げた時は、平生のとおり静かな悪びれない態度を回復していた。
「三千代さんの君にあやまることと、僕の君に話したいこととは、おそらく大いなる関係があるだろう。あるいは同《おんな》じことかもしれない。僕はどうしても、それを君に話さなければならない。話す義務があると思うから話すんだから、今日までの友《ゆう》誼《ぎ》に免じて、快く僕の義務をはたさしてくれたまえ」
「なんだい。改まって」と平岡ははじめて眉を正した。
「いや前置きをすると言い訳らしくなっていけないから、僕もなるべくなら率直に言ってしまいたいのだが、少し重大な事件だし、それに習慣に反したきらいもあるので、もし中途で君に激されてしまうと、はなはだ困るから、ぜひしまいまで君に聞いてもらいたいと思って」
「まあなんだい。その話というのは」
好奇心とともに平岡の顔がますますまじめになった。
「そのかわり、みんな話したあとで、僕はどんなことを君から言われても、やはりおとなしくしまいまで聞くつもりだ」
平岡はなんにも言わなかった。ただ眼鏡《めがね》の奥から大きな目を代助の上にすえた。外はぎらぎらする日が照りつけて、縁側まで射返したが、二人はほとんど暑さを度外に置いた。
代助は一段声を潜めた。そうして、平岡夫婦が東京へ来てから以来、自分と三千代との関係がどんな変化を受けて、今《こん》日《にち》に至ったかを、詳しく語り出した。平岡は堅く唇を結んで代助の一語一句に耳を傾けた。代助はすべてを語るに約一時間余を費やした。そのあいだに平岡から四へんほどきわめて単簡な質問を受けた。
「ざっとこういう経過だ」と説明の結末をつけた時、平岡はただうなるように深いため息をもって代助に答えた。代助は非常につらかった。
「君の立場から見れば、僕は君を裏切りしたようにあたる。けしからん友だちだと思うだろう。そう思われても一言もない。すまないことになった」
「すると君は自分のしたことを悪いと思ってるんだね」
「むろん」
「悪いと思いながら今《こん》日《にち》まで歩を進めて来たんだね」と平岡は重ねて聞いた。語気は前よりもやや切迫していた。
「そうだ。だから、このことに対して、君の僕らに与えようとする制裁は潔よく受ける覚悟だ。今のはただ事実をそのままに話しただけで、君の処分の材料にする考えだ」
平岡は答えなかった。しばらくしてから、代助の前へ顔を寄せて言った。
「僕の毀《き》損《そん》された名誉が、回復できるような手段が、世の中にありうると、君は思っているのか」
今度は代助のほうが答えなかった。
「法律や社会の制裁は僕にもなんにもならない」と平岡はまた言った。
「すると君は当事者だけのうちで、名誉を回復する手段があるかと聞くんだね」
「そうさ」
「三千代さんの心機を一転して、君を元より倍以上に愛させるようにして、そのうえ僕を蛇《だ》蝎《かつ》のようににくませさえすればいくぶんか償ないにはなる」
「それが君の手ぎわでできるかい」
「できない」と代助は言い切った。
「すると君は悪いと思ってることを今《こん》日《にち》まで発展さしておいて、なおその悪いと思う方針によって、極端まで押していこうとするのじゃないか」
「矛盾かもしれない。しかしそれは世間の掟《おきて》と定めてある夫婦関係と、自然の事実として成り上がった夫婦関係とが一致しなかったという矛盾なのだからしかたがない。僕は世間の掟として、三千代さんの夫たる君にあやまる。しかし僕の行為そのものに対しては矛盾もなにも犯していないつもりだ」
「じゃ」と平岡はやや声を高めた。「じゃ、僕ら二人は世間の掟にかなうような夫婦関係は結べないという意見だね」
代助は同情のある気の毒そうな目をして平岡を見た。平岡のけわしい眉《まゆ》が少し解けた。
「平岡君。世間から言えば、これは男子の面目にかかわる大事件だ。だから君が自己の権利を維持するために、――故意に維持しようと思わないでも、暗にその心が働いて、自然と激して来るのはやむを得ないが、――けれども、こんな関係の起こらない学校時代の君になって、もう一ぺん僕の言うことをよく聞いてくれないか」
平岡はなんとも言わなかった。代助もちょっと控えていた。煙草を一吹き吹いたあとで、思い切って、
「君は三千代さんを愛していなかった」と静かに言った。
「そりゃ」
「そりゃよけいなことだけれども、僕は言わなければならない。今度の事件についてすべての解決者はそれだろうと思う」
「君には責任がないのか」
「僕は三千代さんを愛している」
「ひとの妻《さい》を愛する権利が君にあるのか」
「しかたがない。三千代さんは公然君の所有だ。けれども物件じゃない人間だから、心まで所有することは誰にもできない。本人以外にどんなものが出て来たって、愛情の増減や方向を命令するわけにはいかない。夫の権利はそこまでは届きゃしない。だから細君の愛をほかへ移さないようにするのが、かえって夫の義務だろう」
「よし僕が君の期待するとおり三千代を愛していなかったことが事実としても」と平岡はしいておのれをおさえるように言った。拳《こぶし》を握っていた。代助は相手の言葉の尽きるのを待った。
「君は三年前のことを覚えているだろう」と平岡はまた句をかえた。
「三年前は君が三千代さんと結婚した時だ」
「そうだ。その時の記憶が君の中に残っているか」
代助の頭は急に三年前に飛び返った。当時の記憶が、闇《やみ》をめぐる松《たい》明《まつ》のごとく輝いた。
「三千代を僕に周旋しようと言いだしたものは君だ」
「もらいたいという意志を僕に打ち明けたものは君だ」
「それは僕だって忘れやしない。今に至るまで君の厚意を感謝している」
平岡はこう言って、しばらく冥《めい》想《そう》していた。
「二人で、夜上野を抜けて谷《や》中《なか》へ下りる時だった。雨《あま》上がりで谷中の下は道が悪かった。博物館の前から話しつづけて、あの橋の所まで来た時、君は僕のために泣いてくれた」
代助は黙然としていた。
「僕はその時ほど朋《ほう》友《ゆう》をありがたいと思ったことはない。うれしくってその晩は少しも寝られなかった。月のある晩だったので、月の消えるまで起きていた」
「僕もあの時は愉快だった」と代助は夢のように言った。それを平岡は打ち切る勢いでさえぎった。――
「君はなんだって、あの時の僕のために泣いてくれたのだ。なんだって、僕のために三千代を周旋しようとちかったのだ。今《こん》日《にち》のようなことを引き起こすくらいなら、なぜあの時、ふんと言ったなり放っておいてくれなかったのだ。僕は君からこれほど深刻な復讎《かたき》を取られるほど、君に向かって悪いことをした覚えがないじゃないか」
平岡は声をふるわした。代助の蒼《あお》い額に汗の珠《たま》がたまった。そうして訴えるごとくに言った。
「平岡、僕は君より前から三千代さんを愛していたのだよ」
平岡は茫《ぼう》然《ぜん》として、代助の苦痛の色をながめた。
「その時の僕は、今の僕でなかった。君から話を聞いた時、僕の未来を犠牲にしても、君の望みをかなえるのが、友だちの本分だと思った。それが悪かった。今くらい頭が熟していれば、まだ考えようがあったのだが、惜しいことに若かったものだから、あまりに自然を軽《けい》蔑《べつ》しすぎた。僕はあの時のことを思っては、非常な後悔の念に襲われている。自分のためばかりじゃない。実際君のために後悔している。僕が君に対して真にすまないと思うのは、今度の事件よりむしろあの時僕がなまじいにやり遂げた義《ぎ》侠《きよう》心《しん》だ。君、どうぞ勘弁してくれ。僕はこのとおり自然に復讎《かたき》を取られて、君の前に手を突いてあやまっている」
代助は涙を膝の上にこぼした。平岡の眼鏡《めがね》がくもった。
「どうも運命だからしかたがない」
平岡はうめくような声を出した。二人はようやく顔を見合わせた。
「善後策について君の考えがあるなら聞こう」
「僕は君の前にあやまっている人間だ。こっちから先へそんなことを言いだす権利はない。君の考えから聞くのが順だ」と代助が言った。
「僕にはなんにもない」と平岡は頭をおさえていた。
「では言う。三千代さんをくれないか」と思い切った調子に出た。
平岡は頭から手を離して、肱《ひじ》を棒のようにテーブルの上に倒した。同時に、
「うんやろう」と言った。そうして代助が返事をしえないうちに、また繰り返した。
「やる。やるが、今はやれない。僕は君の推察どおりそれほど三千代を愛していなかったかもしれない。けれどもにくんじゃいなかった。三千代は今病気だ。しかもあまり軽いほうじゃない。寝ている病人を君にやるのはいやだ。病気がなおるまで君にやれないとすれば、それまでは僕が夫だから、夫として看護する責任がある」
「僕は君にあやまった。三千代さんも君にあやまっている。君から言えば二人とも、不《ふ》埒《らち》なやつには相違ないが、――いくらあやまっても勘弁できんかもしれないが、――なにしろ病気をして寝ているんだから」
「それはわかっている。本人の病気につけ込んで僕が意趣晴らしに、虐待するとでも思ってるんだろうが、僕だって、まさか」
代助は平岡の言葉を信じた。そうして腹の中で平岡に感謝した。平岡は次にこう言った。
「僕は今日《きよう》のことがある以上は、世間的の夫の立場からして、もう君と交際するわけにはいかない。今日かぎり絶交するからそう思ってくれたまえ」
「しかたがない」と代助は首をたれた。
「三千代の病気は今言うとおり軽いほうじゃない。この先どんな変化がないとも限らない。君も心配だろう。しかし絶交した以上はやむを得ない。僕の在不在にかかわらず、宅《うち》へ出はいりすることだけは遠慮してもらいたい」
「承知した」と代助はよろめくように言った。その頬《ほお》はますます蒼《あお》かった。平岡は立ち上がった。
「君、もう五分ばかりすわってくれ」と代助が頼んだ。平岡は席についたまま無言でいた。
「三千代さんの病気は、急に危険なおそれでもありそうなのかい」
「さあ」
「それだけ教えてくれないか」
「まあ、そう心配しないでもいいだろう」
平岡は暗い調子で、地に息を吐くように答えた。代助は堪えられない思いがした。
「もしだね。もし万一のことがありそうだったら、そのまえにたった一ぺんだけでいいから、あわしてくれないか。ほかにはけっしてなにも頼まない。ただそれだけだ。それだけをどうか承知してくれたまえ」
平岡は口を結んだなり、容易に返事をしなかった。代助は苦痛のやり所がなくて、両手の掌《たなごころ》を、垢《あか》のよれるほどもんだ。
「それはまあその時の場合にしよう」と平岡が重そうに答えた。
「じゃ、時々病人の様子を聞きにやってもいいかね」
「それは困るよ。君と僕とはなんにも関係がないんだから。僕はこれから先、君と交渉があれば、三千代を引き渡す時だけだと思ってるんだから」
代助は電流に感じたごとく椅子の上で飛び上がった。
「あっ。わかった。三千代さんの死《し》骸《がい》だけを僕に見せるつもりなんだ。それはひどい。それは残酷だ」
代助はテーブルの縁《ふち》を回って、平岡に近づいた。右の手で平岡の背広の肩をおさえて、前後に揺りながら、
「ひどい、ひどい」と言った。
平岡は代助の目のうちに狂える恐ろしい光を見いだした。肩を揺られながら、立ち上がった。
「そんなことがあるものか」と言って代助の手をおさえた。二人は魔につかれたような顔をして互いを見た。
「落ちつかなくっちゃいけない」と平岡が言った。
「落ちついている」と代助が答えた。けれどもその言葉はあえぐ息の間を苦しそうにもれて出た。
しばらくして発作の反動が来た。代助はおのれを支うる力を用い尽くした人のように、また椅子に腰をおろした。そうして両手で顔をおさえた。
一七
代助は夜の十時すぎになって、こっそり家を出た。
「今からどちらへ」と驚いた門野に、
「なにちょっと」と曖《あい》昧《まい》な答えをして、寺町の通りまで来た。暑い時分のことなので、町はまだ宵《よい》の口であった。ゆかたを着た人が幾人となく代助の前後を通った。代助にはそれがただ動くものとしか見えなかった。左右の店はことごとく明るかった。代助は眩《まぼ》しそうに、電気燈の少ない横町へ曲がった。江戸川の縁《ふち》へ出た時、暗い風がかすかに吹いた。黒い桜の葉が少し動いた。橋の上に立って、欄《らん》干《かん》から下を見おろしていたものが二人あった。金《こん》剛《ごう》寺《じ》坂《ざか》でも誰にもあわなかった。岩《いわ》崎《さき》家《け*》の高い石垣が左右から細い坂道をふさいでいた。
平岡の住んでいる町は、なお静かであった。たいていな家《うち》は灯《ひ》影《かげ》をもらさなかった。向こうから来た一台の空《から》車《ぐるま》の輪の音が胸をおどらすように響いた。代助は平岡の家の塀ぎわまで来てとまった。身を寄せて中をうかがうと、中は暗かった。立て切った門の上に、軒燈がむなしく標札を照らしていた。軒燈のガラスにやもりの影が斜めに映った。
代助は今《け》朝《さ》もここへ来た。ひるからも町内をうろついた。下女が買い物にでも出るところを捕《つら》まえて、三千代の容体を聞こうと思った。しかし下女はついに出て来なかった。平岡の影も見えなかった。塀《へい》のそばに寄って耳をすましても、それらしい人声は聞こえなかった。医者を突きとめて、詳しい様子をさぐろうと思ったが、医者らしい車は平岡の門前にはとまらなかった。そのうち、強い日に射つけられた頭が、海のように動きはじめた。立ちどまっていると、倒れそうになった。歩きだすと、大地が大きな波紋を描いた。代助は苦しさを忍んではうように家《うち》へ帰った。夕《ゆう》食《めし》も食わずに倒れたなり動かずにいた。その時恐るべき日はようやく落ちて、夜がしだいに星の色を濃くした。代助は暗さと涼しさのうちにはじめてよみがえった。そうして頭を露に打たせながら、また三千代のいる所までやって来たのである。
代助は三千代の門前を二、三度行ったり来たりした。軒燈の下へ来るたびに立ちどまって、耳をすました。五分ないし十分はじっとしていた。しかし家《うち》の中の様子はまるでわからなかった。すべてがしんとしていた。
代助が軒燈の下へ来て立ちどまるたびに、やもりが軒燈のガラスにぴたりと身体をはりつけていた。黒い影は斜《はす》に映ったままいつでも動かなかった。
代助はやもりに気がつくごとにいやな心持ちがした。その動かない姿が妙に気にかかった。彼の精神は鋭さのあまりから来る迷信に陥った。三千代は危険だと想像した。三千代は今苦しみつつあると想像した。三千代は今死につつあると想像した。三千代は死ぬ前に、もう一ぺん自分にあいたがって、死にきれずに息をぬすんで生きていると想像した。代助は拳《こぶし》を固めて、割れるほど平岡の門をたたかずにはいられなくなった。たちまち自分は平岡のものに指さえ触れる権利がない人間だということに気がついた。代助は恐ろしさのあまり馳《か》け出した。静かな小路のうちに、自分の足音だけが高く響いた。代助は馳けながらなお恐ろしくなった。足をゆるめた時は、非常に呼《い》吸《き》が苦しくなった。
道ばたに石段があった。代助はなかば夢中でそこへ腰をかけたなり、額を手でおさえて、固くなった。しばらくして、ふさいだ目をあけてみると、大きな黒い門があった。門の上から太い松が生《いけ》垣《がき》の外まで枝を張っていた。代助は寺のはいり口に休んでいた。
彼は立ち上がった。惘《もう》然《ぜん》としてまた歩きだした。少し来て、再び平岡の小路へはいった。夢のように軒燈の前で立ちどまった。やもりはまだ一つ所に映っていた。代助は深いためいきをもらしてついに小石川を南側へ降りた。
その晩は火のように、熱くて赤い旋風《つむじ》の中に、頭が永久に回転した。代助は死力を尽くして、旋風の中からのがれ出ようと争った。けれども彼の頭は毫《ごう》も彼の命令に応じなかった。木の葉のごとく、遅《ち》疑《ぎ》する様子もなく、くるりくるりと炎の風に巻かれて行った。
翌《あく》日《るひ》はまたやけつくように日が高く出た。外は猛烈な光で一面にいらいらしはじめた。代助はがまんして八時すぎにようやく起きた。起きるやいなや目がぐらついた。平生のごとく水を浴びて、書斎へはいってじっとすくんだ。
ところへ門野が来て、お客さまですと知らせたなり、入口に立って、驚いたように代助の顔を見た。代助は返事をするのも退儀であった。客は誰だと聞き返しもせずに手で支えたままの顔を、半分ばかり門野の方へ向きかえた。その時客の足音が縁側にして、案内も待たずに兄の誠吾がはいって来た。
「やあ、こっちへ」と席を勧めたのが代助にはようようであった。誠吾は席につくやいなや、扇《せん》子《す》を出して、上《じよう》布《ふ》の襟《えり》を開くように、風を送った。この暑さに脂肪が焼けて苦しいと見えて、荒い息づかいをした。
「暑いな」と言った。
「お宅でも別にお変わりもありませんか」と代助は、さも疲れ果てた人のごとくに尋ねた。
二人はしばらく例のとおりの世間話をした。代助の調子態度はもとより尋常ではなかった。けれども兄はけっしてどうしたとも聞かなかった。話の切れ目へ来た時、
「今日は実は」と言いながら、懐《ふところ》へ手を入れて、一通の手紙を取り出した。
「実はお前に少し聞きたいことがあって来たんだがね」と封筒の裏を代助のほうへ向けて、
「この男を知ってるかい」と聞いた。そこには平岡の宿所姓名が自筆で書いてあった。
「知ってます」と代助はほとんど器械的に答えた。
「元、お前の同級生だっていうが、ほんとうか」
「そうです」
「この男の細君も知ってるのかい」
「知っています」
兄はまた扇を取り上げて、二、三度ぱちぱちと鳴らした。それから、少し前へ乗り出すように、声を一段落とした。
「この男の細君と、お前がなにか関係があるのかい」
代助ははじめから万事を隠す気はなかった。けれどもこう単簡に聞かれたときに、どうしてこの複雑な経過を、一言で答えうるだろうと思うと、返事は容易に口へは出なかった。兄は封筒の中から、手紙を取り出した。それを四、五寸ばかりまき返して、
「実は平岡という人が、こういう手紙をお父さんの所へあてて寄こしたんだがね。――読んでみるか」と言って、代助に渡した。代助は黙って手紙を受け取って、読みはじめた。兄はじっと代助の額のところを見つめていた。
手紙はこまかい字で書いてあった。一行二行と読むうちに、読み終わった分が、代助の手先から長くたれた。それが二尺あまりになっても、まだ尽きる気《け》色《しき》はなかった。代助の目はちらちらした。頭が鉄のように重かった。代助はしいてもしまいまで読み通さなければならないと考えた。総身が名状しがたい圧迫を受けて、腋《わき》の下から汗が流れた。ようやく結末へ来た時は、手に持った手紙を巻き納める勇気もなかった。手紙は広げられたままテーブルの上に横たわった。
「そこに書いてあることはほんとうなのかい」と兄が低い声で聞いた。代助はただ、
「ほんとうです」と答えた。兄はショックを受けた人のようにちょっと扇の音をとどめた。しばらくは二人とも口を聞きえなかった。ややあって兄が、
「まあ、どういう了《りよう》見《けん》で、そんな馬鹿なことをしたのだ」とあきれた調子で言った。代助は依然として、口を開かなかった。
「どんな女だって、もらおうと思えば、いくらでももらえるじゃないか」と兄がまた言った。代助はそれでもなお黙っていた。三度目に兄がこう言った。――
「お前だってまんざら道楽をしたことのない人間でもあるまい。こんな不始末をしでかすくらいなら、今までせっかく金を使った甲《か》斐《い》がないじゃないか」
代助はいまさら兄に向かって、自分の立場を説明する勇気もなかった。彼はついこのあいだまでまったく兄と同意見であったのである。
「姉さんは泣いているぜ」と兄が言った。
「そうですか」と代助は夢のように答えた。
「お父さんはおこっている」
代助は答えをしなかった。ただ遠いところを見る目をして、兄をながめていた。
「お前は平生からよくわからない男だった。それでも、いつかわかる時機が来るだろうと思って今《こん》日《にち》までつきあっていた。しかし今《こん》度《だ》という今度は、まったくわからない人間だと、おれもあきらめてしまった。世の中にわからない人間ほど危険なものはない。なにをするんだか、なにを考えているんだか安心ができない。お前はそれが自分のかってだからよかろうが、お父さんやおれの、社会上の地位を思ってみろ。お前だって家族の名誉という観念はもっているだろう」
兄の言葉は、代助の耳をかすめて外へこぼれた。彼はただ全身に苦痛を感じた。けれども兄の前に良心の鞭《べん》撻《たつ》をこうむるほど動揺してはいなかった。すべてを都合よく弁解して、世間的の兄から、いまさら同情を得ようという芝《しば》居《い》気《ぎ》はもとより起こらなかった。彼は彼の頭のうちに、彼自身に正当な道をあゆんだという自信があった。彼はそれで満足であった。その満足を理解してくれるものは三千代だけであった。三千代以外には、父も兄も社会も人間もことごとく敵であった。彼等は赫《かく》々《かく》たる炎火のうちに、二人を包んで焼き殺そうとしている。代助は無言のまま、三千代と抱き合って、この炎の風に早くおのれを焼き尽くすのを、このうえもない本望とした。彼は兄にはなんの答えもしなかった。重い頭を支えて石のように動かなかった。
「代助」と兄が呼んだ。「今日《きよう》はおれはお父さんの使いに来たのだ。お前はこのあいだから家《うち》へ寄りつかないようになっている。平生ならお父さんが呼びつけて聞きただすところだけれども、今日は顔を見るのがいやだから、こっちから行って実否を確かめて来いというわけで来たのだ。それで――もし本人に弁解があるなら弁解を聞くし、また弁解もなにもない、平岡の言うところがいちいち根拠のある事実なら、――お父さんはこう言われるのだ。――もう生《しよう》涯《がい》代助にはあわない。どこへ行って、なにをしようと当人のかってだ。そのかわり、以来子としても取り扱わない。また親とも思ってくれるな。――もっとものことだ。そこで今お前の話を聞いてみると、平岡の手紙には嘘は一つも書いてないんだからしかたがない。そのうえお前は、このことについて後悔もしなければ、謝罪もしないように見受けられる。それじゃ、おれだって、帰ってお父さんにとりなしようがない。お父さんから言われたとおりをそのままお前に伝えて帰るだけのことだ。好いか。お父さんの言われることはわかったか」
「よくわかりました」と代助は簡明に答えた。
「貴《き》様《さま》は馬鹿だ」と兄が大きな声を出した。代助はうつむいたまま顔を上げなかった。
「愚《ぐ》図《ず》だ」と兄がまた言った。「ふだんは人並み以上に減らず口をたたくくせに、いざという場合には、まるで唖《おし》のように黙っている。そうして、陰で親の名誉にかかわるようないたずらをしている。今《こん》日《にち》までなんのために教育を受けたのだ」
兄はテーブルの上の手紙を取って自分で巻きはじめた。静かな部屋の中に、半切れの音がかさかさ鳴った。兄はそれを元のごとくに封筒に納めて懐中した。
「じゃ帰るよ」と今度は普通の調子で言った。代助は丁寧に挨拶をした。兄は、
「おれも、もうあわんから」と言い捨てて玄関に出た。
兄の去ったあと、代助はしばらく元のままじっと動かずにいた。門野が茶器を取り片づけに来た時、急に立ち上がって、
「門野さん。僕はちょっと職業をさがして来る」と言うやいなや、鳥《とり》打《うち》帽《ぼう》をかぶって、傘もささずに日盛りの表へ飛び出した。
代助は暑い中を馳《か》けないばかりに、急ぎ足に歩いた。日は代助の頭の上からまっすぐに射おろした。乾いた埃《ほこり》が、火の粉のように彼の素足を包んだ。彼はじりじりと焦げる心持ちがした。
「焦げる焦げる」と歩きながら口の内で言った。
飯田橋へ来て電車に乗った。電車はまっすぐに走り出した。代助は車のなかで、
「ああ動く。世の中が動く」とはたの人に聞こえるように言った。彼の頭は電車の速力をもって回転しだした。回転するにしたがって火のようにほてってきた。これで半日乗り続けたら焼きつくすことができるだろうと思った。
たちまち赤い郵《ゆう》便《びん》筒《づつ》が目についた。するとその赤い色がたちまち代助の頭の中に飛び込んで、くるくると回転しはじめた。傘《かさ》屋《や》の看板に、赤い蝙《こう》蝠《もり》傘《がさ》を四つ重ねて高くつるしてあった。傘の色が、また代助の頭に飛び込んで、くるくると渦《うず》をまいた。四《よ》つ角《かど》に、大きい真っ赤な風船玉を売ってるものがあった。電車が急に角《かど》を曲がるとき、風船玉は追っかけて来て、代助の頭に飛びついた。小包郵便を載せた赤い車がはっと電車とすれちがうとき、また代助の頭の中に吸い込まれた。煙草屋の暖《の》簾《れん》が赤かった。売出しの旗も赤かった。電柱が赤かった。赤ペンキの看板がそれから、それへと続いた。しまいには世の中が真っ赤になった。そうして、代助の頭を中心としてくるりくるりと炎の息を吹いて回転した。代助は自分の頭が焼けつきるまで電車に乗って行こうと決心した。
(明治四二・六・二七―一〇・一四)
注 釈
*俎下駄 まないたのような形に木材をくりぬいて作った男子用の大きなげた。
*学校騒動 東京帝国大学内に商科を設置するという文部省の意向に反対して、東京高等商業学校(一橋大学の前身)の学生、卒業生および教授が一体となってストライキなどで抗議した事件をさす。明治四十二年(一九〇九)四月前後、この反対運動は最高潮に達し、諸新聞は毎日のように関係記事を載せている。
*一般 「同様」と同じ。
*つらまえて つかまえて。
*心配するがものはない 心配することはない。江戸弁の慣用表現と思われ、漱石の作品にしばしば出てくる。
*浜 「横浜」の略称。
*平民の通る大通り だれにでも理解できる、なんでもない普通の話をたとえていったもの。
*天爵的に貴族となった 「天爵」は「人爵」に対する語で、天が生まれつきその人に与えている利益の意味。生来経済的に恵まれた環境に育ち、大した苦労もせず大学などを卒業して自然と高等な人間になった、ことをいっている。
*閑文字 ここは、用件に関係のない、のんびりした文章の意味。
*娯楽の尤なるもの 何よりのたのしみ。
*ニコライの復活祭 ニコライ堂(東京駿河台にある日本ハリストス正教会の中央本部。明治二十四年〈一八九一〉に建立された)で行なわれる復活祭。
*御成街道 「御成」は高貴な人の「外出」をいい、その際の通路を「御成道」または「御成街道」と称した。ここは、江戸時代に、将軍が、現在の上野公園にある寛永寺(徳川家光が創建、のち、徳川家の菩提所となった)に参詣のさいに通った江戸城―万世橋―旅籠町―末広町―黒門(寛永寺の総門で、上野公園入口付近にあった)のコースをさす。
*談柄 話題。
*nil admirari ラテン語。何に対しても驚嘆したり感動したりできない冷淡な気持のこと。ローマの詩人ホラティウスの「書簡詩」第一巻第六書簡第一行目にある語で、明治の知識人の世紀末的・虚無的心情をあらわす語としてよく用いられた。
*戦争 戊《ぼ》辰《しん》戦争をさす。慶応四年=明治元年(一八六八)、すなわち戊辰の年、倒幕派と幕府派との間に戦われた内乱の総称で、鳥羽伏見の戦い・上野彰義隊の戦い・会津城の戦いなどのことをいう。
*天保調 ふつう、俳句の方で江戸天保時代(一八三〇―一八四四)のマンネリズムに堕した作風をいうが、ここは、非現代的な古風な趣味をいっている。
*三越陳列所 中央区日本橋三越デパート本店のこと。延宝元年(一六七三)創業の越後屋呉服店が明治二十九年(一八九六)に「三越呉服店」と改称、その少し前から坐売り形式を陳列販売形式に改めたためこう呼ばれた。
*石龍子 江戸時代から続いていた有名な観相家。この当時は五代目で、性相学会を設立して雑誌「性相」(明治四十一年〈一九〇八〉十月創刊)を発行している。
*相撲の常設館ができたら 回向院の境内で、江戸時代から勧進相撲が興行されていたが、後年になってからは大相撲回向院本場所として開催され、明治四十二年一九〇九)ここに国技館が建てられた。
*使嗾 そそのかすこと。おだてること。
*王陽明 一四七二年―一五二九年。中国明代の儒学者。陽明は号で、名は守仁、字は伯安。知行合一の説をとなえ陽明学派をおこした。その著『伝習録』はわが国でも江戸時代以来広く愛読された。
*あやにく ふつう「あいにく」となまる。
*アンドレーフの「七刑人」 Leonid Nikolaevich Andreev(一八七一―一九一九)はロシアの作家。『七刑人』("Rasskaz o semi Poveshennykh",一九〇八)は、晩年の象徴主義的作風とは異なり写真的傾向の小説で、ロシア革命期の人間が鮮やかに描かれている。
*アマランス amaranth(英)。葉鶏頭。
*片息 ひどく苦しい呼吸。息もたえだえなさま。
*ダヌンチオ Gabriele D' Annunzio 一八六三年―一九三八年。イタリアの作家。以下の話は漱石の蔵書中にあるプットカーマー著『ガブリエル・ダヌンツィオ』のなかに書かれている。
*青木 青木繁 明治十五年―明治四十四年(一八八二―一九一一)。洋画家。ここにいわれる絵は、明治四十年(一九〇七)の東京府勧業博覧会に出品して三等賞を受けた「わたつみのいろこの宮」をさす。
*統監府 明治三十八年(一九〇五)から四十三年まで、日本が韓国の京城に設置した。日本の保護国である韓国に駐在して本国の代表者として政務を統轄した。
*タナグラ Tanagraギリシアの古代都市。スパルタ軍がアテナイ軍を破った古戦場として知られるが、一八七〇年、この地方の古墳からヘレニズム時代に作られた陶製人形が発掘されたことでも有名。ここは、その民芸品をさす。
*暗窖の裡 暗い穴のなか。
*ジェームス William James 一八四二年―一九一〇年。アメリカの心理学者、哲学者。プラグマティズムの創始者。意識の推移的性質や、自発的選択作用を認めた(その心理学は、漱石の文学理論に大きな影響を与えている。
*ラッブレイ lovely(英)。美しい。愛らしい。
*金鎖 懐中時計につけられている金の鎖。
*物外 世俗的なことがらの外。
*イタリアに地震があった 明治四十一年(一九〇八)十二月二十八日、シチリア島付近に起こった大地震をさす。空前の被害を出し、その惨状は当時毎日のように新聞に報道された。
*トルコの天子が廃された トルコに内乱が起こり、一八七六年以来帝位にあったアブダルハミッド二世が退位し、レシャド親王が即位した事件で、これも当時の新聞に毎日のように掲載された。
*トルストイという人は…… トルストイが家出をしてリオザン・ウラル鉄道アスタポオ駅で死んだのは、「それから」掲載後約一年半の、明治四十三年(一九一〇)十一月二十日のことである。
*不景気 当時は世界的に不景気がつづいていたが、莫大な外資・戦時重税に依存していた日本経済も日露戦争後、とくに明治四十年(一九〇七)の恐慌以後不況がつづいていた。この小説にはそうした社会状況がしばしば背景として把《とら》えられている。
*坐三昧 すおりよう。すわりざま。
*『煤炳』 森田草平の長編小説「煤煙」。この年(明治四十二年〈一九〇九〉一月一日から五月十六日まで「東京朝日新聞」に連載された。平塚雷鳥との恋愛事件がジャーナリズムから騒がれて社会的に葬られようとしていたさいに漱石の好意によって発表した作品で、自分の体験をありのままに描くことによって、危機は一転し、草平の文壇的出世作となった。
*現代的とか不安とかいう言葉 明治四十一年(一九〇八)ごろから日本にも浸透してきたフランス、ロシア、イタリアなどの世紀末的思潮で、当時さかんに唱えられた。
*有夫姦 夫のある女が他の男と情交すること。
*唐物 もと、中国から渡来した物品をさしていったが、当時においては、もっぱら西洋からの輸入品のことをさしていった。
*大疑現前 現象的なことがらをすべて仮象にすぎないとみなし疑う禅の思想。
*ダヌンチオの主人公 たとえば、有名な『死の勝利』("Il Trionfo della morte",一八九四)の主人公ジョルジョ・アウリスパは、快楽主義者で、イッポリタという女の情熱のとりこになって理性と意志をやきつくし、女を抱いて海に飛び込む。また、草平の「煤煙」では、主人公小島要吉が真鍋朋子にこの「死の勝利」を貸したのが彼らの狂恋のきっかけとなっており、「煤煙」全体にわたってこの小説の影響がいちじるしい。
*大隈伯 大隈重信。天保九年―大正十一年(一八三八―一九二二)。
*チョコレート chocolate(英)。現在「ココア」といっているもの。
*抜けない 抜け目がない。
*回向院 東京市本所区(現在、墨田区)東両国にある浄土宗の寺院。
*あたじけなく けちくさく。
*牛と競争をする蛙 イソップの寓話にある。蛙が牛に負けまいとして水を飲んで、腹の皮を破ってしまう話。分不相応なことをしてはならないという教訓とされる。
*ウェバー Ernst Heinrich Weber 一七九五年―一八七八年。ドイツの生理学者。ウェバーの法則(刺激と感覚との間の相関関係についての法則)の発見者として有名。
*青山御所 港区青山にある御所。明治七年(一八七四)皇太后のために造設された。
*綱曳 ふつう、人力車は一人の車夫が引くが、急ぎの場合には梶《かじ》棒《ぼう》に綱をつけて、それをもう一人の車夫がいっしょになって引いた。
*ヘクター Hector トロイ王プリアモスの子。漱石は、宝生新からもらって飼った犬にこの名をつけている。
*ヴァルキイル Valkyrie 北欧神話にでてくる知・詩・戦の神オディン(Odin)につかえる十二少女のひとり。戦場の空を飛び、戦死すべき者を選んで天国に案内するという。
*日糖事件 明治四十二年(一九〇九)四月に起こった大日本製糖株式会社の疑獄事件をさす。この前後の新聞には毎日のようにこの事件に関する記事が大きく取り扱われている。漱石の当時の日記にも「日糖会社破綻。重役拘引、代議士拘引。天下に拘引になる資格のないものは人間になる資格のないようなものじゃないかしらん」(明治四十二年四月十六日)、「日糖社長酒匂常明ピストルヲモッテ自殺ス。会社ノ都合ヲ自己ノ責任ト解したるなり。新聞紙同情ス」(同七月十二日)とある。
*外濠線 元の江戸城外濠を一周して敷かれた東京市内電車。明治三十七年(一九〇四)に着工。翌三十八年に完成した。私鉄であって、東京市営に移されたのは、明治四十四年。
*森川町 本郷森川町。東京大学正門前付近。現在の文京区西片。
*恐露病 ロシアに対して劣等感や恐怖感を持つこと。当時の自然主義文学者の間に、ロシア文学に対する崇拝のはげしかったことをさしている。
*一閑張 漆器の一種。紙で貼ったものに漆を塗った製品。中国から寛永期(一六二四―一六四四)ごろ日本に帰化した飛《ひ》来《らい》一閑の創始といわれる。
*帝国文学 明治二十八年(一八九五)一月に創刊された東京帝国大学文科系の機関誌。大正九年(一九二〇)一月で廃刊。
*伝通院前 文京区小石川にある停留所名。近くに伝通院がある。
*言文一致 当時はまだ一般に雅文体の候文が多かった。
*胡麻竹の台の着いたランプ 当時、一般家庭ではまだランプを使用、天井からつるすランプのほかに座敷や机上には台のついた置きランプを用いたが、その台は雅趣のある胡麻竹(黒紫色の表皮に黒い斑点のある竹)などで作られていた。
*程度 「方図」(際限の意味)の読みをあてたもの。
*編襟飾 編み物のネクタイ。
*寅毘沙 毘沙門(東京神楽坂上の善国寺境内にある毘沙門堂をさす)の縁日のこと。寅の日が縁日なのでこういわれる。
* 演芸館で…… 明治四十二年(一九〇九)四月四日の「東京朝日新聞」「演芸風聞碌」欄に「清国人の芝居」と題して「清国の日本留学生有志者の催しに依《よ》る慈善芝居は二日と五日、牛込の高等演芸館で開かれた。狂言は弦《げん》斎《さい》居《こ》士《じ》が清訳された正劇五幕と大《おお》切《ぎり》に喜劇を付けてある。……総ての表情も頗《すこぶ》る拙劣で迚《とて》も堪え切れず一幕で御免を蒙《こうむ》った」という紹介がでている。
*ウェーファー wafer (英)。クリームやチョコレートを中にはさんだ一種の軽焼きせんべい。アイスクリームにそえて、冷たさを柔らげるために食べる。
*唐机 紫檀などで作った中国風の机。
*括り枕 枕の作り方の一つでなかに綿やそばがらなどを入れて両端をくくったの。
*ブランギン Sir Frank Brangwyn一八六七年―一九四三年。イギリスの画家。この絵の題名未詳。
*藁店 いまの新宿区神楽坂にあった小路の通称で藁を売る店が古くからあったためという。そこに和《わ》良《ら》店《だな》亭という寄席があった。
*浅草の奥山 東京の浅草公園観音堂裏の俗称。そこに「花屋敷」という娯楽場あり、その中に動物園もあった。
*堀端 もとの江戸城の外濠のことで、ここは牛込見附から市谷見附に至る付近をさしている。
*招魂社 千代田区九段にある靖国神社の旧称。
*蓄音器を吹かしていた このころ、日本でも平円盤式の蓄音器が作られるようになったが、まだめずらしく、商店の店さきに客よせのために置かれていた。大きならっぱから音がでるようになっていたので、「蓄音器を吹かして」といったもの。
*消耗 「しょうこう」をふつう「しょうもう」と慣用読みにする。
*冠履顛倒の疑い 本末顛倒の疑い。ここは、代助の主義によれば、行為そのものが目的であるべきなのに、何のための行為かと疑うこと。
*拈定 漱石がしばしば用いる語であるが、一般には用いられない。ひねりだして意識する、の意味か。
*仮綴 簡単に製本したものでページが切ってない本。なお、寺尾が翻訳のことで不明な個所の相談に来たこの部分は、明治四十二年(一九〇九)七月十一日の日記に「晩、生田長江来。ザラツストラの翻訳の件につき。不明な所を相談」がヒントになったと思われる。
*金剛寺坂 文京区春日にある坂。近くに金剛寺がある。
*ビヤー・ホール 神田でビヤ・ホールといえば、神田小川町にあった「東京ビール」をさす。東京で最初にでぎたビヤ・ホールとして有名であった。
*ゴム輪の車 タイヤのこと。人力車には、明治四十年(一九〇七)以後になって、はじめてゴムの車輪が使用されるようになったが、明治四十二年十二月一日中外商業新報に「護謨輪の憚俥ならでは乗つた気がせぬと云ふ今日此頃……」などと書かれている。
*浅井黙語 本名忠。安政三年―明治四十年(一八五六―一九〇七)。石井柏亭、安井曾太郎、梅原龍三郎、津田青楓らの先生にあたる洋画家。
*あの人は盥で酒を飲む 明治四十二年(一九〇九)歌舞伎座の皐月《さつき》狂言で上演された「当昨今桔梗旗揚《ときはいまききようのはたあげ》」の中で武智光秀が春永(信長)の面前で、馬《ば》盥《だらい》についだ酒を飲まされる場面をさす。
*坊さんが急に大将になれる 同じく「絵《え》本《ほん》太《たい》功《こう》記《き》」十段目で、憎に変装した真柴久吉(羽柴秀吉)が正体をあらわす場面をさす。
*ある文学者の劇評 漱石自身の劇評「明治座の所感を虚子君に問れて」(明治四十二年五月十五日「国民新聞」)および「虚子君へ」(同年六月十五、六日、同紙)のことで、前者に「彼等のやっていることは、とうてい今日の開明に伴った筋を演じていない」、後者に「私の巣の中の世界とはまるで別物で、しかもあまり上等でない」などと書いている。
*越路 義太夫語り竹本摂《せつ》津《つ》大《だい》掾《じよう》(本名、二見金助)の旧芸名。天保七年―大正六年(一八三六―一九一七)。近代の名人といわれ、明治三十五年(一九〇二)に摂津大掾の称号を得た。
*廂 当時、女学生の間などに流行した西洋風のヘヤスタイルで、前髪と鬢《びん》とをとくに前方に突き出すようにしたもの。
*但馬 現在の兵庫県。なお、「但馬にいる友人から長い手紙を……」のこの部分は、広島県加計町の町長になった加計正文のことが素材にされていると思われる。明治四十二年(一九〇九)四月十二日の日記に「加計正文学評論の礼をよこす。自分の本を読むと自分に逢いたいと書いてある。正文、加計町の町長となる。年俸百二十円ほかに交際費二十円」とある。
*随縁臨機 その場その場に即応して常に。
*勧工場 協同商店の旧称。現在の銀座西八丁目付近にあったものをさす。
*大根河岸 中央区八重洲六丁目にあった地名で、江戸時代に青果市場が開かれていたのでこう呼ばれ、明治になってもこの俗称が残っていた。
*相撲の勝負 明治四十二年(一九〇九)六月五日初日で十日間盛大に興行された常設国技館開館記念大相撲をさす。毎日の新聞に挿絵入りで勝負の解説や批評が掲載されている。ちなみに、この時の上位力士は、東の横綱常陸山・大関駒ケ嶽・関脇西ノ海、西の横綱梅ケ谷・大関太刀山・関脇玉椿などである。
*グラッドストーン Gladstone bag(英)。軽く細長い旅行かばん。
*五味台 cruet stand(英)。洋食のテーブルに備えつけられる薬味台。
*仇英 中国明代(一三六八―一六四四)の画家。細かいタッチの艶麗な作風で、特に優美な婦女の姿態を描いては明代第一の画家と称される。
*楠公神社 神戸市生田区にある湊《みなと》川《がわ》神社の通称。この神社の裏の森付近で延元元年(一三三六)に戦死した楠木正成をまつる。毎年五月十二日および五月二十二日に例祭がある。
*エマーソン Ralph Wadlo Emerson一八〇三年―一八八二年。アメリカの思想家。個人主義と汎神論などを説いた。
*揣摩 推量。
*準縄の埒 「準縄」は、きそく、てほん。ここは、道徳の範囲・限界の意味。
*大倉組 大倉喜八郎が設立した会社。貿易・土木・鉱山などを営業、日清・日露の両戦争で陸海軍の御用をつとめて発展した。
*幸徳秋水 明治四年―明治四十四年(一八七一―一九一一)。評論家。本名、伝次郎。明治三十六年(一九〇三)「社会主義神髄」を出版し、日露戦争に反対して堺枯川とともに「万朝報」記者をやめ「平民新聞」を発刊。三十八年(一九〇五)アメリカに渡ってアナーキストと交わり、翌年帰国。無政府主義運動の中心人物として、明治四十一年(一九〇八)六月の赤旗事件以後、警察当局の厳しい追求を受け、のち四十三年(一九一〇)大逆事件(明治天皇暗殺未遂事件)で起訴され、翌年ついに死刑に処せられた。
*下さったものじゃない くだらないものだ。
*軍神広瀬中佐 広瀬武夫。明治元年―明治三十七年(一八六八―一九〇四)。明治二十二年(一八八九)海軍兵学校卒業。三十年(一八九七)から四年間駐在武官としてロシアに留学、のち、日露戦争で旅順港閉塞隊の指揮にあたって戦死。死後中佐に進級、金鵄勲章を与えられ、小学唱歌にまで謳《うた》われた。
*閉塞隊 日露戦争の旅順港口閉塞作戦における特攻船隊。第一回(明治三十七年〈一九〇四〉二月二十四日)は選抜決死隊一隻(報国丸)を広瀬少佐が指揮して失敗、第二回(同年三月二十七日、全四隻)は少佐が第二閉塞隊(福井丸)を指揮して、指揮官付上等兵曹杉野孫七とともに戦死した。
*代言人 「弁護士」の旧称。
*練兵場 港区青山にあった陸軍練兵場。現在、明治神宮外苑になっている。
*津守 新宿区荒木町にある坂。松平摂津守の屋敷跡に市谷と四谷を結ぶ路として作られ、もと摂津守坂といっていたのが、いつのまにか津守と呼ばれるようになり、また、明治時代には荒木町のことを津守と俗に称していた。
*士官学校 新宿区市谷台にあった陸軍士官学校。現在、自衛隊に使用されている。
*安藤坂 文京区水道にある坂。大曲から伝通院前に至る。坂の西に安藤飛騨守の屋敷があったのでこう呼ばれた。
*伝通院の焼け跡 伝通院は応永二十二年二四一五)創建された寺で、慶長七年(一六〇二)、徳川家康の母の院号により伝通院と改称されたもの。明治四十一年(一九〇八)十二月三日に本堂を全焼した。
*arbiter elegantiarum ラテン語。趣味の審判者、の意味。
*賚 賜《たま》物《もの》。
*積 広さ、面積。
*Mountain Accidents  山の事故・遭難。
*八朔 陰暦八月朔《つい》日《たち》の称。
*友引 陰陽道で、朝晩は吉、昼は凶で、一日としては勝負がないとされる日。一年間で六十日あり、八朔もこの友引日に含まれている。
*弁慶橋 赤坂見附と千代田区紀尾井町を結んで、弁慶堀(外濠の一部)にかけられている橋。名称の由来は、京都の五条大橋そっくりに作られているからと伝える。
*焙炉 火にかけて物を熱して食品をいりつけ、乾燥させる具。茶を焙《ほう》じるときなどに用いる。
*クライシス crisis(英)。危機。
*夜中投函 夜中配達のための郵便受け。当時は現在とちがって一日の集配の回数が多く、夜の集配も行なわれていた。
*岩崎家 三菱財閥。その邸は台東区池之端(上野公園不忍池の南西)にあった。
それから
夏《なつ》目《め》 漱《そう》石《せき》
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平成12年9月15日 発行
発行者  角川歴彦
発行所  株式会社 角川書店
〒102-8177 東京都千代田区富士見2-13-3
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本電子書籍は下記にもとづいて制作しました
角川文庫『それから』昭和28年10月5日初版刊行