口下手は損ですか 面白い話をするための12章
〈底 本〉文春文庫 昭和六十一年四月二十五日刊
(C) Maruo Shioda 2000
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は し が き
こんにち、私たちは、明治時代の日本人に比べると七倍から十倍、多くの人とつきあい、江戸時代の日本人に比べると、二倍から三倍のスピードでしゃべっているということである。
国立国語研究所がいくつかの地方都市で調査したところによると、市民たちが読み書きに費やす時間は一日のうち短い人は十分足らず、役所で書類とにらめっこをしているような公務員でさえ四時間未満で、これに対して、話すことに費やす時間は六時間から七時間におよんでいたそうである。
私たちの社会生活は、数多くの情報手段が発達したこんにちでも、大部分が話すことによって支えられているのである。活字文化や映像文化によって話し言葉はとってかわられるものではなく、話すことの役割はかえって重要さを増したのではないかと私は思う。
実際に、日常生活を見わたしても、話す機会が非常にふえていることに驚く。
昔なら手紙すなわち書き言葉によってしか意思を交換できなかった外国との間が、電話によって、つまり話し言葉で用が足せるようになったし、国内でも、東京から大阪まで気軽に新幹線に乗って人に会いにいく。通信手段ばかりでなく、交通手段の発達も話す機会をふやすことになるのである。
また、戦前は食事中にむだ話をしてはならないというのが行儀作法であったが、いまは家族が互いに話し合いながら食事をするのが|団欒《だんらん》であり、好ましいことだとされる。道徳律や価値観もまた、話すことに味方するようになっているのである。
政治の世界でも、現代は「話す政治」の時代だといわれる。大統領や首相が互いに気軽に訪ね合ってじかに話し合う。それによって国際経済や外交問題が解きほぐされる。
国内でも、政治家が民衆の心をつかむ最良の手段は話すことだ。話し|下手《べた》ではだいいち選挙に当選しないから、政治家になることさえできない。
ビジネスの世界も同様だ。管理職になると、月に二十回から三十回以上の会議に参加しなければならないというデータもある。社員研修に話し方教室を開いている会社もある。
「入社試験は筆記試験よりも面接テストのほうを重視します。人間がわかるのは面接のほうだし、それに、商売は文字ではなくて口でするものですからね」
と中堅企業の経営者から聞かされたことがある。
私生活の面でも、話すことへの欲求は昔に比べてずっと高まっている。黙っていても心が通い合えばいいじゃないかという男の古い論理を妻たちは許さない。テレビ・ドラマの「夫婦」がうけたのもそのせいだろう。若い夫たちはおしゃべりだし、それが彼らの生活を新しいものにしている。
こうした反面、話すことの不足や間違いにもとづく障害も、以前に比べれば大きいものになっている。薬の効きめが強くなれば、その副作用、あるいは反作用も大きくなるのと同じ道理であろう。
話すこと、すなわち、生きることだとつくづく思う。私たちは、|上手《じようず》に生きるためには上手に話さなくてはならない。いや、上手に話すことそれ自体が、上手に生きていることなのだとさえ思う。
苦しくつらいことの多い世の中だからこそ、みんな上手に賢く生きていってほしい。そういう願いをこめて私はこの本を書いた。
[#地付き]塩 田 丸 男
目  次
は し が き
第一章  心が開けば口も開く
第二章  舌は高所恐怖症である
第三章  下手な話だっていいじゃないか
第四章  「死に体」のおしゃべりをするな
第五章  紋切り型も悪くはない
第六章  「黙り方教室」はなぜないのか
第七章  相手と同じ大きさの声で話そう
第八章  プロの話し手のここを学ぼう
第九章  ユーモアは果たして話の調味料か
第十章  正調・電話会話術
第十一章 悪口の言い方、聞き方
第十二章 こうすれば人を説得できる
おもしろい話とはなにか
――あとがきにかえて――
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口下手は損ですか

第一章 心が開けば口も開く
「どうぞ」がなぜいえないか
〈ひとこえ運動〉というのがあった。サクのない|溝《どぶ》川のそばで幼い子どもが遊んでいる。
「危ないからもっと川から離れて遊びなさい」
と一声かけてやる。
夕暮れ、なんとなく不審なそぶりで街角にたたずんでいる女の子がいる。ちょっと一声かけて、早く家に帰るようにいってやる。
ほんの一声が幼い者らを危険から救うことになることもあるのだから、面倒くさがらずに一声をどうぞ、という提唱だったが、いつのまにか消えてしまったようだ。もっと大きい輪にひろがってもいい運動だと私なんかは思ったものだが、そうはならなかった。
たとえ、相手が子供であっても、知らぬ人に対して声をかける、という行為は、日本人は苦手なようである。
日本人特有の「テレ」ということもあるのだろうが、もう少し気軽に口が開かないものかと思う。
娘がまだ中学生だったころのことだが、娘と二人で外出したとき、国電の車内でこんなことがあった。
ドアが開いて、どやどやと入ってきた乗客の最後に、荷物をかかえた老人がいた。その姿を見た娘はすぐに立って老人に席を譲ろうとした。ところが、娘が立ったあとのシートに、娘の前にいた青年がさっとすわってしまった。私はあわてて、
「あ、君、娘はあちらのお年寄りに席を譲ったのでね、悪いけど……」
と青年に注意した。青年は私が示した方角に老人がいるのを認めると、顔をあかくし、黙って立ち上がった。
後で、私は娘に注意した。
「おばあさん、どうぞ」
と一声かけて立ちさえすれば、青年にてれくさい思いをさせなくてもすんだはずだ。混んだ電車の中では、黙って立ち上がっただけでは、席を譲るために立ったのか、次の駅で降りるから立ったのかわからんじゃないか――。
娘は困った顔をして、
「だって、電車の中で大きな声を出すのは恥ずかしいもん。それに、自分でいいことをしているのを宣伝しているみたいでいやだ」
といった。
「ばか。席を譲るなんてことは、とりたてていうほどの善行でもなんでもありはしない。当たり前のことだ。そんなことを思うのが意識過剰だ」
私は重ねて娘に文句をいったけれども、その後、注意して見ていると、電車の中で老人に学生なんかが席を譲る場合、声をかけるようなことはまったくないようだった。声をかけるどころか、席を譲る意思を示すゼスチュアすらしない者がいる。すうっと立ち上がって、そっぽを向いたままドアのほうに行ってしまうのである。まるで悪いことでもしたようなバツの悪そうな表情で。
席を譲らずに平気でいる若者が大部分のいまの世の中だから、黙って立ち上がるだけでも感心で、こういう諸君に文句をつけたくはないけれど、それにしても、やっぱり、どうせ席を譲るなら、はっきりと、
「どうぞ」
の一声がほしいと思う。
黙って立ち上がっただけでは譲られた人が気がつかず、せっかくの好意がむだになってしまうことも多い。
「ハイ」の一言が話し上手のはじまり
出すべき、あるいは出したほうがいい「ほんの一声」が出ない例は意外に多い。
これはよくいわれることだが、欧米人は街頭や電車内などで、他人の体にほんのちょっと触れただけでも、
「エキスキューズ・ミー」
とあいさつをする。初めて外国旅行をした人はたいてい、この習慣にびっくりし、感心して帰ってくる。日本人はこの点に関してはまことにぶっきらぼうというか、非エチケット的というか、よほど強く足を踏んづけて、踏まれた人が悲鳴をあげるくらいのときでない限り、声を出してあいさつすることがない。
ぬれたカサの先がすわっている人のひざに触れる。網ダナからおろそうとしたカバンが隣の人の肩に当たる。たいてい無言だ。まるで気づかないふりをする。気づかないわけはないのに、そうなのだ。
これを無神経とだけみるのはちょっと浅い。心の中では「あッ」と思ってはいるのである。思うけれども、その気持ちが反射的に声にならない。言葉に表されない。口が重いのである。
アメリカなんかでは、肩が触れ合った場合、まるでどちらが先にいうか、試合みたいにして間髪を入れず、双方が、
「エキスキューズ・ミー」
という。大違いである。日本人は口が重い人種なんだな、とつくづく思わずにはいられない。
呼ばれて返事をしないのもそうである。
銀行の窓口で係が客の名前を呼ぶ。返事が聞こえたためしは、まずない。十人が十人、黙ってもそもそと|椅子《いす》から立ち上がるだけである。
窓口の真ン前の椅子ならそれでも係は目で確かめることができるが、とんでもない隅のほうで立ち上がる客を見ても、それが自分が名を呼んだ客なのかどうか、判別に苦しむ。だから二度、三度と繰り返し名を呼ぶ。隅で立ち上がった客は、ムッとした顔で、客の名を連呼する窓口に近づいてくる。係はやっと、やっぱりこの客がそうだったのか、と納得する。
銀行の窓口係のごときにいくら声をからさせてもいい、というものでもあるまい。名を呼ばれたら「ハイ」と一声、返事をすることで、どれだけビジネスが能率的になることか。
会社でも病院の待合室でも、家庭でも、ときには学校においてさえ、返事の一声が怠られていること、実に驚くべきものがある。
なぜか、とたずねてみれば、これも判で押したごとく「てれくさい」という返事が返ってくる。
ほんの一声の「どうぞ」や「ごめんなさい」や「ハイ」が口にできなくて、なんでちゃんとした話が人前でできるものか、と思う。口下手で困る、なんとか人前でちゃんと話せるようになりたい、と思っている人は、まず、日常的な「ほんの一声」が気軽に口から出ているかどうかを省みてほしい。
「ハイ」や「どうぞ」の一声は、人間の歩行にたとえれば、赤ちゃんのヨチヨチ歩きだ。ヨチヨチ歩きができなくて、いきなりハイキングや山登りをやろうと思っても、それは無理というものである。
人見知りするのは尊大だからだ
偉そうにいったけれども、これは高みからの説教ではない。みずからを戒めつつ、読者のみなさんにも考えていただこう、という気持ちでの提言なのである。
ほんの一声を出すのがなぜそんなにてれくさいのか、と記したけれども、そのてれくささというものは意外に根強く、往生ぎわの悪いしろもので、そう簡単に解決できるものではないことは、私も実はよく知っている。十年ぐらい前までは、私自身、その「ほんの一声」がなかなか出ず、そのためにずいぶん不都合な目にもあった人間なのだから。
以前、住宅公団の団地に住んでいたときに、このことで苦い経験がある。
公団住宅はご承知の方も多いだろうが、四階ないしは五階建てで、一つの棟に階段が三本あるいは四本ついている。その階段をはさんで八軒ないし十軒はいわば隣組みたいなもので、まあ普通の近所づきあいはある。しかし、階段が違うと同じ棟でもあまり往き来がない。
引っ越して三か月、半年とたつうちに、団地内を散歩したり、会社の行き帰りなどでよく顔を合わせる人が何人か出てきた。そのうちの一人は、階段こそ違うが同じ棟の住人だということもわかった。向こうさんのほうも、どうやらこちらの顔を覚えてくれているようだ。
「一つ屋根の下に住む」という言葉がある。公団住宅の場合は、このことわざどおりにぴったり当てはまりはしないけれども、同じ棟の居住者なら、とにもかくにも「一つ屋根の下」の住人には違いない。
「袖ふれあうも多生の縁」というぐらいなのだから、同じ団地の、同じ棟に住んで、しかも顔をお互いに見知るほどの仲になったのだったら、出会ったときに「こんにちは」の一言ぐらいはかわしあってもいい、とだれだって思うだろう。
ところが、その一言が私には出なかったのだ。向こうさんも同様だった。てれくさい、という感情のほかに、なにも自分のほうからペコペコ頭を下げてあいさつすることはない、という尊大な気持ちもあったことを白状する。だいたい、声をかけることを「ペコペコ頭を下げてあいさつをする」ことだと考える思考態度が間違っているのだが、そこが浅はかにもわからない。
そのくせ、バツが悪いという感情だけはある。だから顔を合わせないように身をかわすことになる。駅のホームで、数メートル先に立って新聞を読んでいるのが、いつも顔を合わせる隣の階段の人物だと気がついたとたん、同じ車両に乗りあわさないように、わざわざ反対の方向に数メートル歩いて、背を向ける。そうしながら、心の一隅では、なんというお前は心の閉ざされた人間なのだ、とちょっぴり反省はしているのである。
その人物と口をききあうようになったのは、なんと、団地に移ってから二年近くもたってからのことであった。それも自発的ではなかったのだから情ない。
ある休日の夕方、妻と二人で団地の近くの道を散歩していたら、例の人物と出合いがしらにばったり会った。向こうも奥さんと二人連れで、女同士はとっくに親しくなっているらしく笑顔であいさつをかわす。男二人がお互いバツの悪そうな顔で突っ立っているのを見て、ちゃんと紹介してくれた。そこでやっと口をききあうようになったという次第なのだが、つきあってみると、相手もけっこう話し好きのほうで、たちまちのうちに親しくなった。
人見知りする、という感情や行動を私は必ずしも全面的に否定するものではない。あまりにも人見知りをしなさ過ぎる人物がいるが、こういうのも困りもので、ことに都会生活にあっては、人見知りもエチケットの一つだといえる面もあるだろう。
しかし、同じ団地の同じ棟に住んでいる人と、女房の紹介がなければ口がきけないというのは、やはり人見知りのし過ぎであろう。省みて|慚愧《ざんき》にたえない。だから当時の私と同じような心情で身動きならなくなっている人がいたら、一刻も早く自分を解き放つように忠告したいと思うのである。
「和」はノギヘンに口と書く
口下手をなんとかしたい、もっと上手にしゃべれるようになりたいと思う気持ちの根本はなんだろう。
いうまでもなく、他者とのよりよいコミュニケーションを求める心である。
人間が生きていくうえにもっともむずかしく、もっとも大切なものは「人と人とのつながり」を円滑にすることだ、と説いたのは奥野信太郎だ。中国文学の権威であり、慶応義塾大学の教授としてばかりでなくマスコミにも活躍して人気のあった奥野さんは『現代交際論』という著書のなかで、
「人のつながり、すなわち対人関係というものが円滑にゆきさえしたならば、もうその人の人生は、半ばは順風に帆をあげてゆくようなものであるといってよい」
と書いている。
まったくそのとおりであり、社会が近代化し、人間関係が複雑になればなるほど、人と人とのつながりの大事さは高まってゆくものである。昔なら、世をすねて|隠遁《いんとん》の人生を送るということも少なくなかった。それも一生で、あながち非難するにも当たらないかもしれないが、現代では、非難する、しない、以前に、そのように世捨て人として暮らすことがむずかしくなった。
近代都市での生活も、一見、他人とは関係なく、“群衆の中の孤独”で生きていけそうだが、実はそうではない。ある意味では、昔の単純な生活よりも、周囲との関係はこみいってきているのである。川の水を飲み、山の木を燃やして煮炊きをするといった仙人みたいな暮らしをしている人なら、他人となんのかかわりもなく一家一族だけで生きてゆけるかもしれないが、電気がとまれば電気会社に電話し、ガス会社に頼んでガスをひいてもらわなければならない都会生活では、絶えず社会と接触を保っていなければ日常の生活が成り立たない。一匹狼、などというのは|修辞《レトリツク》のロマンにすぎないのである。
それでは、人と人とのつながりを円滑にするうえにおいて何が大事か。
「天の時、地の利、人の和」という格言があるごとく、人においては「和」がもっとも大切なのである。ところで、この「和」という漢字だが、ご覧のようにノギヘンに口という字を書く。「禾は穀物がみのって穂を垂れている形、口は人々がそれを異口同音に喜びあって、神に感謝の声を発している農耕儀礼における習俗を表現した形」と奥野さんは説明しているが、私はこれをもう少し現代風に解釈してみたい。
すなわち、農耕時代にあっては、穀物を植え、収穫することが人間の主な仕事であった。禾はだから、今日では「仕事の成果」というふうに読み変えることもできるだろう。
一つの仕事を共同して遂行した人々がその成功を祝い、喜びを口に出し、言葉に表すのが「和」だということである。また、口がなければ「和」にならない。仕事も成功しない、とも考えられるだろう。
この社会を生きてゆくには「人と人との円満なつながり」がなくてはならず、そのためには「和」が、さらに「和」のためには「口」がなくてはならない、ということだ。
多くの人々がうまく話せるようになりたいと願うのは、考えてみれば当然すぎる話だといえるのである。
話し上手になりたいと願う気持ちの根本が人とのつながりを求めるものだと確認したならば、その根本のところに背かないように思案すればいいのである。“ほんの一声”を口から出すことを|躊躇《ちゆうちよ》していて、話だけは上手になりたいなどと思うのは|滑稽《こつけい》なことだと、当然ながらわかるはずである。
もし、それでもなお“ほんの一声”が出にくいというのであれば、それはなぜかを考えてみなくてはならない。そういうことを考えずに、「話し上手になる本」などというたぐいの書物をいくら買い込んでも、それはむだというものである。
舌の訓練よりも心の訓練
「皇居一周あいさつテスト」という面白い実験の報告が、昭和五十二年四月三十日の読売新聞にのっている。
いま、皇居の周りは都心のマラソン・コースとしてアマチュア・ランナーたちで大にぎわいだ。もちろん、ランナーのほかにも散歩者たちや、用があって歩いている人たちも少なくない。そこで、この皇居の周りを一周して行きあった人たちに片っぱしからあいさつの声をかけてみたらどんな反応があるだろうか、と国立国語研究所の水谷修さんは考えた。
水谷さんは運動着姿で皇居の周りをゆっくり一周し、出会った人たちに、
「オハヨウゴザイマス」
と声をかけた。その結果は――
水谷さんと同じように運動服で走っている人たちのほとんどはあいさつにこたえ、そうではない背広姿の歩行者は水谷さんのあいさつを無視する、という対照的なものだった。
水谷さんが出会ったのはマラソン・ランナーが四十二人、その他が二十六人だったが、まったくあいさつを返さなかったのは、マラソン・ランナーではたった二人、その他では十五人。水谷さんのほうははっきり「オハヨウゴザイマス」といってあいさつしたのだが、それに対して、声を出して返答したのは(「オハヨウゴザイマス」「オハヨウッス」などちゃんとこたえたもののほか「オッス」「ヤア」「ヨッ」なども含めて)マラソン組で二十八人、その他ではたった三人だった。その三人も、交番のおまわりさんと道路工事をしていた作業員とリヤカーをひいていた人で、背広を着たサラリーマンには一人もいなかった。
この実験結果は、いろいろなことを考えさせてくれる。
マラソン組の九五パーセントが水谷さんに対してなんらかの形で応答しているのが、私にはもっとも興味深く思われた。
最近は返事をする習慣がすっかり失われたと先に記した。そのこととこれは相反している。つまり、近ごろの日本人といえども、まったく返事をする習慣を忘れたわけではなく、状況次第ではちゃんと返事をする、ということだ。
ハイキングに行って、山頂に登るケーブルカーに乗ったとする。上り下りのケーブルカーがすれ違ったとき、窓から手を出して振れば向こうも手を振ってこたえるだろう。
「コンチワァー」
と叫べば、やはり「コンチワァー」と叫び返してくれるだろう。
では、東京の国電の、たとえば山手線の外回りと内回りの電車がすれ違ったとき、窓から手を出して振ったらどうだろう。相手が子供だったらこたえてくれるかもしれないが、普通の大人の乗客だったらまず知らん顔をされるのがオチだ。
水谷さんの皇居一周あいさつテストにおいて、マラソン組はいってみればケーブルカーの乗客であり、背広組は国電の乗客なのである。両者の違いは何なのか。いうまでもない。はっきりしている。休日でハイキングに出かけている人たちの心は開いており、用をかかえて国電に乗っている人々の心は閉じている。その違いである。
口が重いのは心が閉ざされているからであり、心が開けば、おのずから口も開く、ということであろう。口下手とか話し上手とかは「舌」の問題ではなくて、「心」の問題だということがこれで納得できる。上手に話ができるためには、舌の訓練よりも、心を開く訓練のほうが百倍も有効なのだということがわかるのである。
“ほんの一声”をかけたほうがいい、あるいは声を出さないまでも会釈ぐらいはしたほうがいい状況というものは、日常生活の中にいくらでもある。
エレベーターに乗る。一つの箱にどやどやと五、六人も乗るような場合だったらいいが、見知らぬ人と二人きりのときがよくある。こんなとき、アメリカ人などはなんとなくニコッとしてみせる。この「ニコッ」が日本人には出ない。エレベーターに乗っている時間なんて一分もない。そんな短い時間にたまたま乗りあわせただけで、二度と顔を合わすかどうかもわからぬ赤の他人に、なんでニコッとしてみせる必要があるんだ、などというのが、そもそも「閉ざされた心」というものなのである。
そんなことをいう人には「じゃあ、なんでニコッとしてみせてはいけないんだ」と反問したい。ニコッとお互いにしましょうよ。人間みんなきょうだいではないか。
道を譲られたときなどはこれはもうはっきりと声を出してあいさつをすべきだと思うのだが、これがほとんどだめ。
道路工事で急に道幅が狭くなっている。そこへあいにく向こうから大きな買い物カゴを持った女性がやってくる。塀ぎわに身を寄せて立ち止まり、向こうさんが通り過ぎるのを待つ。こんなとき、通り過ぎながら軽く会釈をする人でさえきわめて珍しい。まして、ちゃんと「どうもありがとう」と声を出してあいさつをする人にいたっては皆無といっていいか。
もうちょっと注文をつけるなら、譲るほうの人だって、だんまりで立ち止まっているだけでなく、一言、
「どうぞ」
と声をかけたらどうだろう。そうすれば譲られたほうも打っ手返しに「ありがとう」と気楽に声が出る。ついでに、
「ここの工事はずいぶん長くやってますねえ。何の工事なんですかねえ」
ぐらいの言葉が出ればもう申し分ない。
そこまではいわないとしても、とにかく、道を譲られて黙って通り過ぎていく法はないのである。
電車が揺れて体をぶつけたり、足を踏んだりした場合も「ごめんなさい」とか「失礼」とかわびを入れるのは当然だが、こんなとき、わびを入れられたほうの人が返事をしている場面を残念ながら見たことがない。
「どういたしまして。お互いさまです」
ときちっというのが大げさすぎると思うのなら「いいえ」とか「いえ」とかだけでもいい。言葉を出さずに会釈を返すだけでもいい。とにかく相手は声を出してわびを入れているのだから、それに対してなんらかの返しがあるのが当然だと思う。
ところが、たいていは、ムスッとしているか、知らん顔をしている。足を踏んだほうは加害者だからわびるのは当然で、被害者のほうは別段あいさつを返す必要はない、などと思ってのことだとしたら、それも閉ざされた心だといわぬわけにはいかない。
ほかにも、いろいろの場面があるだろう。
笑顔で会釈を、そして、ほんの一声を互いにかけあおう。それが世の中や人々に対して心を開く第一歩であり、話し上手になるための最初の手がかりなのだから。
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第二章 舌は高所恐怖症である
吉行さんも小金治さんも……
小説家の吉行淳之介さんは座談の名手としても知られている。週刊誌や小説雑誌などでは、吉行さんをホストにした対談の企画をむやみに立てる。第一級の読み物として読者の大きい人気があるからだ。また、それらの対談は何冊も単行本として出版され、よく売れている。文士で、吉行さんぐらい数多くの対談集を出版している人はいないのではないか。
実際に大変面白い。軽妙|洒脱《しやだつ》、独特の味わいがあって楽しい。活字になったのを読むだけでなく、対談の場面にできることなら同席させてもらいたいと思うほどである。
吉行さんはまた“人生の達人”という異名も持っていらっしゃる。開かれた心の持ち主なのだろう。個人的にそんなにおつきあいはないが、酒場なんかでときたまお目にかかると、気軽に話しかけて下さる。
そんな吉行さんが『スラプスティック式交遊記』というご本の中で、次のようなことを書いていらっしゃるのを見て驚いたことがある。
「講演というものも、この十数年間したことがない。一度むりやりに北海道まで講演に連れて行かれたことがある。札幌までは飛行機、あとは汽車で帯広まで行った。ところが、いざ壇の上に立って五分間喋ったら、もう喋ることがない。それと同時に嫌気もさしてきたので、引っ込んでしまった。一時間の約束を五分でやめてしまったことになる。(中略)以来十数年間、そのことを知っている人は依頼に来ないし、知らない人が頼みにくると、その話をすればビックリしてやめてくれる。要するに、壇上に立って人に見られるということが厭なのである。たくさんの顔が、一斉にこちらを向いている感じに、耐えられない」
あの吉行さんでもそうなのか、と私は驚くやら感心するやらで、この一節に強い印象を受けた。
桂小金治さんが、
「アガっちゃってねえ。文句が出てこないんだよ。いや、もう大しくじり、大しくじり」
と頭をかいていたのを目撃したことがある。大昔の話ではない。つい去年(五十二年)の暮れのことだ。
小金治さんとは、彼がテレビで「アフタヌーン・ショー」の司会をやっていたころ、私もその番組の中で十五分ばかりのコーナーを受け持って半年ばかりやったことがあり、それ以来、仕事のうえでは何度かおつきあいがある。
小金治さんのことは改めて説明するまでもないだろう。落語家で、映画俳優で、司会者で、ベテラン中のベテランの芸人さんである。舞台でアガるなどということは夢にも考えられないお人である。
その彼が「アガって、セリフが出なくなった」という。信じがたいことだが、事実である。
五十二年暮れ、東京・中野のサンプラザで、日本テレビ開局二十五周年記念特集番組の公開放送があった。日本テレビが放映している数多くの人気番組のレギュラー出演者が、番組ごとにチームを組んで“隠し芸”を披露しようというもので、このときの録画は五十三年一月一日の夜、全国に放送されたからご覧になった方も少なくないことだろう。
ミュージカルあり、寸劇あり、コーラスあり、チャンバラ芝居あり、多彩なプログラムだったが、本業のものをやってはいけないというのが鉄則だった。(蛇足ナガラコノトキ、私ハ燕尾服ニしるくはっとヲカブリ、歌ト踊リヲ演ジタノデアリマス)
小金治さんは歌をうたった。ハナシのほうはもちろん自由自在の小金治さんだが、歌のほうは苦手らしく、だいぶ下稽古をしたらしい。だが、そのかいもなく、本番になると、カーッとなってしまって二番以下の文句をころりと忘れ、しかたないから、二番のところも三番のところも一番の文句でうたってごまかした、というのであった。
大勢でうたうのだから観客には気づかれなかったようだ。舞台の袖にいた私もわからなかった。小金治さん自身の“告白”を聞いて初めて知ったのだが、彼ですら舞台でアガることがあるというのは、私にとって大きい驚きでもあり、同時に慰めでもあった。
わが“初体験”の反省
初めて“演説”したときのことを思い出すと、私はいまでも冷や汗が出る。本当にあれはひどいものだった。
もう十数年前のことだ。電通に勤めている友人を通じて、ロータリー・クラブの例会で話をしてくれという依頼があった。ロータリー・クラブでは、例会のたびに「卓話」と称して会員が交代で短いスピーチをやることになっている。一業界一人がロータリー・クラブの建前だから、会員の話は、他の会員にとっては自分たちの知らない世界の内幕話であり、興味深くもあり参考にもなる、という趣旨からだ。
この「卓話」にときどき、会員以外の講師を呼ぶこともあり、その白羽の矢がたまたま私に立ったというわけだ。
そのころ、私はまだ新聞社に勤めていて、記者稼業が本職だったが、機会があって、団地生活をテーマにした生活記録風な物語を書き、出版したところ、思いがけない反響があり、NHKのテレビ・ドラマになったり、東宝で映画化されたりした。「団地評論家」という珍無類な肩書をマスコミから奉られたのには閉口したが、とにかく、そんなことでちょっとした“時の人”であった。
講演依頼も、ロータリー・クラブの会員たちに、団地族の物珍しい生態を話して聞かせてくれ、というものであった。
いまではマンションもごく普通の都市住宅になり、コンクリート造りの中高層住宅に住むことは少しも珍しいことではなくなっているが、当時はそんなことが珍しがられ、私のような者の話でも昼食会のお添え物ぐらいにはなるだろうと思っていただけたのだろう。
依頼を受けて、私は二つ返事で承諾した。話す時間は十五分間でいいということだし、会場のホテルは、勤めていた新聞社から歩いて五、六分のところにあり、昼休みにちょっと顔を出せばいいのだから会社の仕事にもなんらさしつかえない、断る理由はなんにもない、とまったく気楽に考えて引き受けたのだった。
後から考えると、私という男はよくよく軽率な人間だったのだな、と思わずにはいられない。
当時、私は三十代の後半の年齢だったが、それまで自分のことを口下手な人間だと思ったことは一度もないし、他人からそういわれたこともない。また、人見知りしたり、初対面の相手に気おくれする性格でもないと自分では思っていた。
社の名刺一枚示しさえすればどんなエラい人にでも会えるし、また、会わなくてはならないという仕事柄もあって、私は普通のサラリーマンとは比べものにならないくらい大勢の、有名、無名の人と会ってきた。ときにはそういう人たちが口に出したくない秘密のことまでもなんとか誘導してひっぱり出す。そんな会話術も職業技術として身につけている、と自分ではうぬぼれていた。
会社での会議の席上でも私は、どちらかといえばしゃべり過ぎるほうで、他人からも口達者な人間だと思われこそすれ、しゃべるのが苦手な男だと思われるようなことはただの一度だってなかったはずだ。
「卓話」の時間が十五分だといわれたときも、「たった十五分ですか。それじゃなんにもしゃべれないじゃないですか。団地については面白い話がいっぱいあるんですよ。せっかくの機会だから、もっとしゃべらせてもらえるとありがたいのですがね。ま、いいです。サワリだけをまとめてお話ししてみましょう」
と、えらそうなことをいったものだった。
さて、当日――。
会場はホテルのメイン・ダイニング・ルームで、その三分の二ぐらいのスペースを区切ってロータリー・クラブの会員たちが占めていた。
会長あいさつ、事業報告、会計報告など型通りに進行して、いよいよ私が「卓話」を行う番になった。司会役をつとめる久松保夫さん(「日真名氏飛び出す」などで人気の高かった俳優。「ローハイド」などテレビの声優としても有名)が私のことを簡単に紹介してくれた。
私は控えの椅子から立ち上がり、ていねいにお辞儀をして壇上に上り、マイクの前に顔を向けた。
と、ここまではいまでもはっきり思い出せるのだが、そのあと何をしゃべったのか、まったく記憶が途切れてしまっている。覚えているのは、しゃべりだしたとたんにカーッと目がくらみ、まるで追い立てられるようにせき込んだ調子でキャンキャン、キンキンと声を上ずらせたことである。
しゃべりまくった――と思ったのは自分だけの錯覚で、チラと時計を見るとまだ三分間しかたっていない。時計を見たのはしゃべるタネが尽きてしまったからだ。
タネが尽きたというのは正確ではない。話す材料はいくらでもある。それがカーッとなった頭には浮かんでこなかったのだ。つまり「アガった」のである。団地生活に関する面白いエピソードなんていくらでもあるじゃないか、ほら、ほら、と自分にいい聞かせるのだが、これがまるで浮かんでこない。頭の中の電気回路がプツンと切れてしまったのだ。
そばにすわっている久松さんの顔がぼうっとかすんで見えた。絶句したまま壇上につっ立っている時間の長く感じられたこと!
私はやけくそになって、
「えーと、それではこのへんで終わらせていただきます。ご静聴ありがとうございました」
ぶったぎるように“終了宣言”をしてしまった。そこでまた時計を見ると、話しはじめてから四分二十秒。予定の「たった」十五分間の、三分の一も過ぎていないではないか。久松さんがあわてて立ち上がり、私の醜態をとりつくうように、
「本日はセンセイは特別にお急ぎのご用がおありとかで、そこを無理にお願いして来ていただきましたので、十分な時間がおとりできなくて大変残念でしたが……」
とつないでくれたが、そんなことをいわれるとかえって私は赤面するばかりで、主催者の方々にごあいさつするのも早々にホテルを飛び出した。
ホテルから社へ帰るまでの間も、恥ずかしさで私は体じゅうがほてる思いだった。
私の、もっとも思い出したくない記憶の一つである。
無口な娘の秘密のおしゃべり
吉行さんや小金治さんと私とを一緒に並べてはあつかましいけれども、とにかく、以上に紹介した三者三様の失態は、(吉行さんの場合は失態ではない、といわれるかもしれないが……)壇上に立つことのむずかしさを如実に表したものだといえよう。
口不調法とか話し下手といわれるところのものはいったい何なのだろう。
人間の能力はさまざまで何事にも上手下手はあるが、母国語でしゃべるということは絵を描いたり歌をうたったりするのと違って、発声器官に故障のある人ではない限り、根本的にだめということはないはずのものである。
大きな声を張り上げられないとか、早口にしゃべれないとか、理路整然としゃべれないとかはあるだろうが、まるでだめ、ということはないはずである。口数の少ない人だって、しゃべれないから口をきくのをいやがっているわけではない。母国語でしゃべるのは歩くのと同じことだといっていい。
声が悪いとか、ひどい|訛《なま》りがあるとかも、実は話の上手下手とはあまり関係ないのである。
戦前のことだが、私の家に、あまりにも口をきかなすぎるという理由で離縁された親戚の娘が同居していたことがある。
「ほんとにこの子は病気なのじゃないのかね」
と私の両親も首をかしげていた。本当に口を開かない娘だった。
家事を手伝っていたが、色が黒く、顔立ちもよくないうえに、お化粧っ気もまったくない彼女のことを、知らない人はちょっと頭のヘンな娘だと噂していたようだ。
一日じゅう暗い台所にいて、だれとも口をきこうともしない彼女には、たしかにそんなふうに思われてもしかたのないところがあった。
しかし、彼女はもちろん発声器官の病気でもなかったし、頭がヘンなのでもなかった。それどころか、おしゃべりをすることさえ必ずしもきらいではなかったのである。ただ、そのおしゃべりの相手が、普通の人とはちょっと違っていただけのことだった。
そのころ、雑種の、そのくせ図体ばかりはむやみに大きい犬が一頭、隣家にいた。名前はグラといった。あまりほえない犬だった。
彼女の話し相手は、そのグラと、それからまだ小学生であった私とであった。彼女の目に、私は犬なみに映っていたということなのだろう。
家族の者がみんな茶の間に集まって談笑しているときとか、みんなが留守で彼女だけが留守番しているときとか、そんなとき、彼女は庭でグラを相手におしゃべりを楽しんだ。
「ねえ、グラちゃん、赤と青とどちらが素敵な色だと思う? 私は青が素敵だと思うなあ。だって、赤はこわいでしょう」
とか、
「タカ子(彼女の妹の名前だ)の亭主のノリユキ君っていやなやつね。あいつも私のことをきらってるみたい。こっちがきらいなら向こうもこっちのことをきらい。人間ってそういうものなのね」
などと、いろんなことをしゃべっていたのである。
グラはむろん返事をしなかったし、彼女にとっても返事は必要ではなかった。いや、返事がないからこそ彼女は自由にしゃべれたのだろうと思う。私の場合も同様で、私は子供ごころに、彼女が返事を欲しないことを気づいていたから、たいてい黙って彼女の話を聞くだけにしていた。すると彼女は、いつまでもきげんよくしゃべりつづけるのであった。
「どうしてそうなの?」とか「そんなことおかしいじゃないの?」などと反問されると彼女の口はたちまち貝のように閉じてしまうのであり、大人どもとの会話ではいつもそうした反問が待ち構えているので、彼女はしだいにだれとも口をきかなくなったのだった。
座談の名手である吉行淳之介さんが壇上に立ったとたん、貝になってしまったことと、犬を相手に楽しくおしゃべりできる娘が、人間を相手にすると、とたんに無口になってしまうことと、本質的に両者は同じ現象なのではないか、と私は思う。
平常心を失ったために、舌がいうことをきかなくなったのである。簡単にいうなら「アガった」のである。
地上一メートルのところにかけ渡した幅三メートル、長さ三十メートルの橋(ただし手すりはない)をあなたは渡ることができるか? もちろんできるにきまっている。普通の人ならなんの苦もないことだ。いくら手すりがなくても、三メートルも幅のある通路を踏みはずすなんて考えられないことだ。
ところが、この橋を地上五十メートル、あるいは百メートルの高さにあげたとしよう。まず、平気で渡れる人はいないだろう。
人間はだれでも高所恐怖症なのであって、高く上ると足がすくむのである。
足だけでなく、舌もまた高所恐怖症である。アガりさえしなければ自在に動く舌が、アガると、とたんにしびれたように動かなくなってしまう。不思議といえば不思議だが、どうしようもない人間の|性《さが》である。
また、人によって程度の違いもある。四、五メートルの高さで足がすくむ人もいるし、|鳶《とび》職のように超高層ビルの骨組みが平気でできる人もある。家族以外の、近所の人二、三人の前でもアガってしゃべれなくなってしまう人もいれば、壇上にさえ立たなければアガらないという人もいる。
さまざまであるが、要するに、アガることさえなくなれば話し下手はなくなる、といっていいだろう。
しかし、これは口でいうほどそう簡単なことでもない。アガらないようにしよう、と思っただけでアガらなくなるくらいの人だったら、そもそも初めからアガりはしないのである。アガるまい、と思うことがかえってアガり方を激しくしてしまうことのほうが多い。
アガるという心理作用はまことに厄介なもので、たいていの人はこれにてこずる。
なぜ、人間はアガるのか。それは話し下手を解決するためにまず最初に考えなければならぬ問題だと思う。
なぜ話し下手なのか
日本人の顕著な特徴の一つに「恥ずかしがり」ということがある。外国人の目からみると、これはよっぽど印象が強いとみえて、多くの外国人がそのような観点から日本人論を書いている。アメリカの女性人類学者ルース・ベネディクトの『菊と刀』もその一つといえるだろう。
国語学者の金田一春彦氏によると「日本人にとって〈ハジをカカヌように〉というのが毎日の行動を規定する根本精神である。それを反映して、恥辱感に関連した|語彙《ごい》が多い」とのことだ。
『類語辞典』(広田栄太郎・鈴木棠三編)の「はずかしい」という項をひくと「面目ない」「きまりがわるい」「まがわるい」「きおくれする」「おもはゆい」などの他、各地の方言で同じ意味を表す言葉が二十二語も並んでいる。
グアム島のジャングルから二十八年ぶりに浮世に出てきた横井庄一さんは、
「恥ずかしながら……」
と前おきして、つもる思いを述べた。この「恥ずかしながら……」がたちまちのうちに流行語になったのも、日本人の心の琴線に触れるものがあったからに違いない。日々の暮らしで、私たちは絶えず恥ずかしさを感じ、それに耐えて生きていっている。実をいえば、私がこうして、このような本を書いているのも「恥ずかしながら……」というしかない気持ちなのである。
日本民族は間違いなく世界に冠たる「恥ずかしがりや民族」なのだ。
われわれが人前で話すときにアガりやすいのは、第一にはこの民族性にある。
そして、第二には、歴史的にみて、人前で話すという習慣を長い間われわれは持たなかった、という事情がある。
福沢諭吉は『学問のすゝめ』の第十二編で「演説の法を勧むるの説」という項を設け、
「演説とは英語にてスピイチといひ、大勢の人を会して説を述べ、席上にてわが思ふところを人々に伝ふるの法なり。わが国には|古《いにしえ》よりその法あるを聞かず」
と述べている。
坊さんが説教したり、村の顔役が慶弔の席であいさつをしたりという例外はあったが、一般庶民が大勢の他人の前でストレート・スピーキング(一方話)をする習慣は明治以前にはなかったのだ。人前で話すことに、われわれはまだなじみが浅いのである。
口下手を自覚し、なんとかしたいと願っている人というのは、人前でしゃべる機会の多い人であろう。そういう機会のない人は、たとえ口下手であっても、あまり苦にしない。口下手を自覚しない人さえ多い。実際に、家族や親しい知人と世間話をするだけなら、たいていの人は不自由なく舌をあやつれるのである。
話し下手というのは人前での話し下手としたほうがより正確な表現だといえる。
日本の一般大衆が本当に人前で話す機会を自由に持つようになったのは、昭和も戦後のことである。つい、きのうのことなのである。
新しい習慣にまだ十分に慣熟しているとはいえないし、恥ずかしがりの国民性も一変したわけではない。うまくないのが当たり前だ。その当たり前の線を踏み越えようというのだから、これは並みたいていのことではない。
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第三章 下手な話だっていいじゃないか
勝つと思うな、思えば負けよ
ここでちょっと、私がやっている仕事について説明させていただく。自己宣伝なんかのためではありません。この章で述べる趣旨を納得していただくためには、私自身を|俎上《そじよう》にのせるのが一番適当だろうと思うからである。お目ざわりな点はご容赦ください。
私の本業は文筆業であって、原稿用紙のマス目の中に字を埋めていく辛気くさい仕事をもう何年もつづけている。新聞や雑誌に感想や評論を発表したり、それをまとめて本にしたり、そんなことで生計を立てている者だ。しかし、近年は、おしゃべりのほうの仕事もかなり頂戴するようになった。テレビのニュース・ショー番組にレギュラー出演を半年間やったことが二度あるし、いまも身上相談番組の回答者として、セミ・レギュラーになっているのがいくつかある。ラジオのほうではここ二年あまり、文化放送でニュース・キャスターをやっている。そのほか討論会の司会や対談番組も持っている。
放送以外でも、講演や座談会でおしゃべりをする機会が多い。選挙の応援演説も頼まれる。一般の方に比べれば、パブリック・スピーキングの機会は相当多いほうだろうと思う。
このようにいうと、みなさんは私のことをさぞかし弁が立つのだろう、自分でも得意なのだろうと思われるかもしれないが、それが大違いで、私はしゃべるほうはまったく得意ではない。自分でもあきれるくらいカラっ下手である。
|謙遜《けんそん》ではない。もちろん卑下自慢なんかでいってるわけではない。正真正銘、うまくない。だいいち声が悪い。せかせかとしゃべりすぎる。話にとりとめがない。これぐらいは自分でもわかっているが、このほかにも自分では気づかぬ欠点がたくさんあるに違いない。とにかく話し上手でないことだけはたしかである。
しかし、それにもかかわらず、私は話す機会を与えられれば、しり込みしないで喜んで応ずることにしている。あつかましい、と思わぬでもないが、講演の依頼があるということは、私なんかの話でも聞いてやろうという世間の方々のお気持ちがあることであり、それを裏切っては申し訳ないと思うからでもあり、また、下手は下手なりに、自分の考えや感情をなんとか伝えられる程度には話せているのでないかと判断するからである。
十の力を持っている者が、本番でアガってしまって六の力しか発揮できないのは恥ずかしいことである。十の力を見たい、聴きたいと思ってお金を払っている客に対しても失礼なことだろう。
だが、五の力しかない者が本番で五の力を出すなら、それは客の期待を裏切ったことにもならないし、だれにも恥じることもない。自分の力をいっぱいに出しきって、それで下手ならしかたがないではないか。そんなふうに考えて、私はテレビ・カメラの前やマイクの前に立つ。壇上に立つ。
昔、ロータリー・クラブの卓話で大失敗したのは、この心構えがなかったからだろう。だからアガってしまって、十の話が三つもできなかったのである。
下手だっていいじゃないか――そう覚悟をきめてから私はアガらなくなった。そして、アガりさえしなければ、私でもなんとか他人さまに聞いていただける程度の話はできるようになった。
一発、うまい話をしてやろう、と思うとアガってしまって、かえってメチャクチャな結果になる。下手でもしかたない、と観念すると、逆に案外うまくしゃべれる。妙なものである。
いや、妙なことではない。これが人間心理の自然なのである。
「勝つと思うな、思えば負けよ」
という歌の文句がある。美空ひばりのうたった「柔」の出だしで、これは勝負の世界をうたったものだが、人前で話をすることにおいても、まったく同じことがいえるだろう。
勝つと思うな、というが、それじゃアなんと思えばいいのか、と反問されるかもしれない。答えは簡単だ。負けていいじゃないか。「下手だっていいじゃないか」――私はこう思うことにしている。
下手も愛嬌のうち
たとえ下手でも、自分の力を十分に出し切っての下手ならそれでいい、私は話芸を本職とする者ではないのだから、というのがいまの私の気持ちなのだが、もう少しあつかましいことをいわせていただくなら、
下手も|愛嬌《あいきよう》のうち
だという気持ちもある。
発声も抑揚も申し分なく、語る内容も立派で、一点非の打ちどころのない話がつねに最高の賛辞を与えられるとは限らない。
名前をあげて失礼だが、「山びこ学校」の無着成恭さんや元社会党委員長の佐々木更三さんの話しぶりは、必ずしも|流暢《りゆうちよう》とはいえない。|訛《なま》りがひどくて意味がわからない部分さえある。話術の常識からいえば落第点をつけられるものだろう。しかし、お二人の話は多くの人をひきつける。
無着さんがなめらかな東京弁でしゃべったら、いまのような人気はとても得られなかったにちがいない。佐々木さんも同様だ。
貴公子然とした完璧な美男子よりも、どこかひょうきんなところのある男のほうが女性によくモテる、ということもある。実際に、コメディアンにはなかなか艶福家が多いそうだ。
無着さんぐらいになると、むしろ、
下手も芸のうち
といえるくらいだろう。
心理学者で早大教授でもあった戸川行男氏には、私は新聞記者時代に何度かお目にかかり、興味あるお話をうかがったことがある。この戸川氏の『新・立身出世論』という著書の中の「頓間の秘訣」と題した一節は、「下手も愛嬌のうち」の適切な解説といえるだろう。ちょっと長いが、引用させていただく。
「たとえば学校で私が英語の先生であったとしよう。先生だって前の晩に下調べをしておかねばならない。さてあくる日、教室で生徒にあてて訳をつけさせる。ここでもし生徒が、不幸にして完全な講読をやってのけたとしたらどうか。私は終始、ふんふんときいているだけのことである。前の晩の下調べは徒労になる。腕のみせようがない。なるほど先生だ、と思わせる感心のさせどころがない。ここを、とくと考えてみなければならない。もしあなたがそこで、一、二の点のまちがいをやったとしたらどうか。先生はニッコリと笑ってあなたの誤訳を訂正し、文法について、二、三の講釈を行うことができる。それで私の先生としての存在価値が明らかになる。こういうわけである。どうしたって、あなたが適当にまちがえてくれた方が、私はあなたが好きになる」
軍隊でもヘマばかりやっている兵隊が案外上官にかわいがられたものだ、という例も戸川氏は挙げておられる。
私も短い期間だが兵隊の経験があるので、この例はよくわかる。実際にこの目で見てもいる。
銃の撃ち方でも|匍匐《ほふく》前進(敵にみつからないよう腹ばいになって進むことで、第一、第二、第三など状況によって何種類もある)でもいいが、そのやり方を上官から教えられたあと、
「わかったかッ。わかった者は手をあげろ」
といわれたとき、真っ先に「ハイッ」と手をあげて、
「よしッ。それではお前、みんなの前でやってみせろ」
といわれると、元気よく動作をするが、間違いだらけで、
「なんだ、こらッ。ちっともわかっとらんじゃないか」
としかられてばかりいる兵隊がいた。これが上官の採点が悪いかと思うと大違いで、非常にかわいがられて目をかけられ、楽な仕事を与えられてトクをしていた。
私はその反対で、九八パーセントできると思っても手があげられない。もじもじしていると、
「おい。お前はこれだけ繰り返し説明されてもわからんのか。いいからやってみろ」
とやらされる。やれば結構できる。できたからほめられるかと思うと、そうではない。
「こらッ。できるくせになぜ手をあげんのか。ずるいやつだッ」
とかえってどなられ、ゲンコツをくらったことであった。
ラジオで内証話をした大臣
昭和の初めに東京市長や拓務大臣をやった永田秀次郎という政治家がいた。青嵐と号して俳句もやり、通人として知られた人だが、ラジオ講演でずばぬけた人気があった。
関西なまり丸出しだったから決して歯切れはよくなかったが、やわらかい語り口が親しみを覚えさせて、評判が高かった。
『日本人はこう話した』(芳賀綏著)にはこの人の話しぶりについて、ラジオ放送で一つのエピソードをしゃべったとき、「ただしこれは極秘の話ですからほかの人にはいわないように願います」といったという愉快な話が紹介されている。全国ネットのNHKのラジオでしゃべっておきながら極秘の話もないものだが、そういうとぼけた味がうけたのだろう。
この話よりもっと私が興味をひかれたのは、数字の話だ。
いまでも政治家の話には数字がよく出る。田中角栄元首相などはその最たるもので、次から次にポンポンと数字がとび出して、それで聞くほうは煙に巻かれる。
だが、当人は得意かもしれないが、こうした、むやみに数字が羅列される話というものはいい話ではないと私は思う。私が数字にとくにヨワいせいかもしれないが、数字が出てくると、雑誌でも本でも読む気がしなくなるし、まして耳から聞く話ではまったくだめだ。右から左へ抜けていく、というより、初めから受けつけようとしないのである。
新聞では、だから、「去年一年間で飲んだビールの量は霞が関ビル○杯分」と書く。これは賢い方法だ。本当は、霞が関ビル一杯分のビールがどれくらいの量なのかわれわれには見当もつかないのだが、そういわれると、なんとなく具体的にいわれたような気がして納得するのである。
目で読む数字でさえこうなのだから、まして話の中にポンポン数字を入れることは得策ではないにきまっている。数字を並べた話をする人は、聞き手に話をわかってもらおうという気持ちよりも、自分の記憶力を誇示する気持ちのほうが強いにちがいない。「聞いていただく」話ではなくて「聞かせてやる」話であって、こんなのは落第だ。
さて、永田青嵐のことだが、この人は話の中にめったに数字を入れなかった。たまに入れると必ず間違えるので有名だった。
ところが、前記の『日本人はこう話した』を読んで私も初めて知って驚いたのだが、永田は数字にヨワいから間違えたのではなかったのだそうだ。
「これに要する予算がみなさん、なんと、三十万円であります。いや、間違えました。三百万円なのであります」
というふうに本番の放送で間違えるのだが、その放送原稿をみると、ちゃんと「いや、間違いました」という文句まで書かれている。演出だったのである。
なるほど、考えたものである。こういうふうにいわれれば、どんなに数字にヨワい人でも、三百万円という金額がしっかりと頭に刻み込まれたにちがいない。
また、さきに記した「頓間の秘訣」の心理と同様で、偉い大臣さんがラジオの放送で大切な予算の数字を間違える、というところに、聞き手である庶民は楽しさと親しみを感じる。そっくり返って説教ばかりしているような政治家たちよりは永田さんのほうがよろしい、ということになる。
人間心理を十分に読んだニクい演出で、この人の話が長い間人気を保っていたのもわかる。私なんかは、ここまで演出されるとちょっといやみな気もするが……。
結婚式のスピーチはだれのためか
結婚式や送別会などでのスピーチが苦手だという人は大変多い。あれが好きだという人のほうがむしろ例外だろう。
スピーチをさせられるかと思うと、どんなごちそうものどを通らないとよくいわれるが、これはけっして誇張ではない。
私も以前は、
「スピーチなし、という約束だったら出席するよ。だけどスピーチさせられるのだったら、悪いけど出ない」
などと生意気なことをいったこともあった。いまでも気のきいたスピーチはできない。ただ、それをいやがることはいけないことだと自分にいい聞かせて、指名された場合はためらわず立ち上がるようにしている。
好きでもなく、また、うまくもないスピーチをなぜためらわなくなったのか。
それは、あるとき、ふっと悟り(は大げさだが……)のようなものを開いて、それ以前とは考えが変わり、すっかり気が楽になったからである。
私が考えたのは、結婚式のスピーチを私が頼まれたとして、それはいったい何のために、あるいは、だれのためにするのだろうか、ということだ。
もちろん、それは新郎新婦のためであり、彼らの人生の門出を祝うためで、それ以外にはない。
そんなこと当たり前じゃないか、といわれるかもしれないが、実際には、それがあまり当たり前のこととしては通っていないように思う。
スピーチをする多くの人々の様子を見ていると、面白い話をして参会者を笑わせてやろう、うまいスピーチをしてみんなに感心してもらおう、といった気持ちでしゃべっている人が多い。十人のうち六、七人はそうではないだろうか。
以前の私もその一人だった。だから、話をわざと誇張したり、妙に悪達者な芸能人ふうのおしゃべりになったり、聞き苦しい結果にもなるし、話をうまくやれる自信のないときには、スピーチが非常な重荷に感じられる、というぐあいになるのである。
重ねていうが、結婚式のスピーチは、話し手の弁舌さわやかさやエスプリの豊かさを参会者にご披露するためのものではないのである。弁論大会ではないのだ。
下手なスピーチ、結構ではないか。
ひとり合点の、とりとめないような話だって悪くないと思う。新郎新婦を心から祝ってやろうという思いさえ話の底にこもっていれば、話の巧拙なんかどうでもいいのではないか。
五年ほど前の話だが、知り合いのK子という娘が結婚した。身寄りのない気の毒な境遇の娘で、私の友人のMという男が学費を援助してやったり、就職の世話をしてやっていた。
MとK子との関係はいろいろあるのだが、くわしいことはここでは省く。ただし、男と女の関係ではなかったことだけは念のために申し添えておこう。
K子の結婚をだれよりも喜んだのは、もちろんMで、私にそのことを知らせてきたときには、まるで自分の娘の結婚を知らせるみたいな興奮ぶりだった。
「な、ちょっとでいいから何かしゃべってやってくれないか」
「いいとも」
「ありがとう。K子も君に祝いの言葉をもらえれば喜ぶよ。おれは知ってのとおり、しゃべれないからな。おれの代わりに……」
「おい、ちょっと待て。ヘンなことをいったな。オレの代わりにって、君はしゃべらないのか?」
「オレはだめさ。きまってるじゃないか」
「ばかいうな。君がお祝いの言葉をいわなくてどうするんだ」
私はきつい調子でMにいった。
「だって……」
Mは悲しそうな顔でかぶりを振り、オレがドモリだってことはお前も知ってるじゃないか、という表情をしてみせた。
そういえばかなりひどい吃音で、たしかにMが人前でしゃべったことを私はあまり見たことがない。
しかし、それでも、いや、それだからこそこんどはしゃべったほうがいい、と私はMにゆっくりと私の考えを述べた
初めは(冗談じゃない)と頭から相手にしようとしなかったMだが、しまいには私の話にうなずいてくれた。
人を打つのは熱い心だ
さて、当日――。
Mのスピーチは、正直いって、さんたんたるものだった。最初からアガってしまって、声が出ないし、途中では涙をぼろぼろこぼす始末で、いったい何をしゃべっているのやら、参会者にはもちろん、当人だってわからなかったのではないだろうか。
したがって、その模様をここに描写することも不可能だ。とにかく、私の知る限りもっともヘタクソな(いや、ヘタとかマズいとか批判する以下の)スピーチだった。
しかも、つかえつかえ、かつ途切れ途切れだから時間も長くかかり、スープなどはすっかり冷えてしまって、お客さんたちにはずいぶん迷惑をかけたのではないか、と思った。
ところが、Mのスピーチが終わったとたん、初めに五、六人の人が強い調子で手をたたき、それに和するように、参会者全員が激しい拍手をはじめた。それはなかなか鳴りやまず、海鳴りのように何度もうねり、どよめきつづけた。
汗をふきふき着席したMは、いったい何事が起こったのかと、きょろきょろ周囲を見まわす始末だった。参会者全員の視線がMに向けられていることを知って、Mはまたまた額に汗を噴き出させた。
手をたたいていないのはM自身と、それから花嫁のK子との二人だけだった。K子はMのスピーチのなかばごろから涙を流しっぱなしで、それをぬぐおうともせず、|嗚咽《おえつ》をこらえるのが精いっぱいの様子だった。
拍手がようやく鳴りやんだとき、花婿が大きな声で、
「Mさん。ありがとうございました。本当にありがとうございました」
と叫ぶようにいい、Mに向かって深々と頭を下げた。彼の目にも光るものがあった。
私も、結婚式のスピーチでこれほど感動的だったものを他に知らない。それは、ドラマの一シーンにしたいくらい、本当にすばらしい一刻だった。
このMのスピーチを、大成功だったといって悪いだろうか。それでは、Mがそのときどんなことをしゃべったかというと、私はほとんど思い出せない。なにしろしどろもどろで、声も低く、話の運びもでたらめだったのだから、私ばかりでなく、他の参会者もみな話の内容は思い出せないのではないだろうか。
話しぶりもまずく、話の内容もよくなく、それでいながら非常な感動を聴く者に与えたのはなぜだろうか。
それは、いうまでもなくMの心であろう。K子のために自分の恥をさらしてでも一生懸命に祝福の言葉を述べてやりたいと思ったMの心が人々を打ったのである。また、今日の花嫁はこんなにも祝福されているのだという思いが人々を感動させもしたのだろう。
Mは後日、私に「君にいわれて、しゃべって、おかげでみんなにも喜んでもらえて、よかった。ありがとう」と礼をいってくれた。K子からも丁重な礼状をもらった。
しかし、私としてはむしろ、こちらからMに礼をいいたいくらいの気持ちだった。
たしかに、私はMに、吃音なんか恥ずかしがらずにスピーチをするように忠告した。しかし、それは白状すると、頭で考えた理屈であって、実際に、あんなにも感動的なシーンが生まれようとは思ってもいなかったのだ。
熱い心というものがどれほど人を打つものであるかという実証を、Mは私に見せてくれたのである。私の頭で考えた理屈に、事実の裏打ちをしてくれたのである。
だから、いまもこうして自信を持って、「話は心だ」ということが書けるのである。
人間が話をするのは心を他者に伝えるためである。言葉はそのための道具の一つにすぎない。時と場合によっては、言葉がなくても心は伝わる。そして、十分に心を伝えることができたまずい言葉は、心を伝えられなかった巧みな言葉よりずっと値打ちのあるものだといえるのである。
自分の弁舌のうまさをひけらかそうとしたスピーチなどは、どんなに面白いエピソードや巧みな|譬喩《ひゆ》に満ちていても、人々を感動させることはできないだろう。
口下手だから、というのは、スピーチを断る理由にはならない。
たとえば送別会で、送られてゆく人々に対して、その前途を励まし、力づけてあげようとの心からの思いがあるなら、どんなに口下手でも、スピーチは引き受けるべきだと私は思う。
下手だからといってだれも笑う人はいないと思う。万一いたら、その人こそ笑われるべき小人物なのである。
もう一度、いう。
スピーチは、それをする人の話のうまさをひけらかすためのものではない。話し下手だといってしり込みするのはとんでもない心得違いなのである。
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第四章 「死に体」のおしゃべりをするな
「スピーチ模範文集」はロウ人形だ
結婚式などで初めてスピーチをしなければならないことになった人は、たいていあわてて本屋に駆けつけ「役立つスピーチ一〇〇の実例」とか「式辞・挨拶模範実例集」といったたぐいの本を買い込んでくるようである。
世の中が落ち着くにつれて、儀式の種類も数も増え、スピーチの機会も多くなったとみえて、これらの本は“静かなブーム”といわれるくらいなかなかよく売れているらしい。
こうした本を買い込んでくる、そのこと自体は悪いことではない。これらの本は話し方の定型を教えてくれるものであり、何事によらず、定型を覚えることは習熟の基本となることだから、よく書かれた実例集に目を通すのは無意味なことではない。問題は、目の通し方である。
たとえば、ある本には次のような「結婚披露宴での来賓祝辞」がのっている。
ただいま司会のかたからご紹介いただきました○○でございます。新婦の△△家とは三十年来の知りあいでありまして、それも親戚同様のおつきあいをさせていただいております。新郎とは、私が地方に在住しております関係上、本日がはじめての対面でありますが、聞くところによりますと、新郎はお仕事のうえでもなかなか敏腕家でいらっしゃるそうで、新婦ともども、堅実にして豊かな人生を築いてゆかれることであろうとお察しし、かつ安心している次第であります。
また、新婦にうかがったところでは、新郎の信頼できそうな人柄になによりも|惹《ひ》かれた由、わたくしとしては大変喜ばしく存じました。信頼こそ人間同士を結ぶ強い|絆《きずな》であります。愛情もまた信頼のうえに成り立つものであり、仕事の取引ももちろんお互いの信頼のうえに行われるものでありまして、公私ともに信頼のある人間が社会の強者なのであります。
新郎におかれては、末長く、妻の信頼を裏切らない愛情あふるる結婚生活をつづけて下さるよう、新婦側の友人の一人としてお願いいたすものであります。
首尾一貫して、ソツのない文章である。短いものだけれども、これだけの草稿でもしろうとにはなかなか書けるものではない。
(なるほど、スピーチというのはこんなふうにするものなのか)
と何度も読み返してみて感心する。やっぱり本を買ってきてよかった、と思う。
ところが、それで自信がつくかというと、残念ながらつかない。
初めは、これくらいならまあ自分にでもできそうだと、ちょっとは思うのだが、そのうちにだんだん不安になってくる。しまいには、とてもこんなふうにはしゃべれそうにもない、と絶望的にさえなってしまう。
なぜだろうか。模範文があまりにも立派すぎるからである。立派すぎる模範文をそのまま一字一句違わずにまねするのでなければ、スピーチとして通用しないのではないか、と思い込んでしまうからである。
本の題名に「実例集」とあるから、そこに掲載されているのは、実際に行われたスピーチをそのまま文字にしたものにちがいない、と思い込むことにも問題がある。
そうではないのである。あれらは、実際に話されたものを整理して、ダブった表現は削り、いい違えたところは改め、テニヲハをちゃんと直して、文章としてもおかしくないようにキチンと整えたものである。
見方を変えれば、文章としては立派かもしれないが、話し言葉としては、実際に即していない、キレイゴトにすぎるものなのである。それは血が通っていないロウ人形の美しさでしかない。
この点の認識がないから、話し言葉ではない文章を一生懸命にまねようとする。うまくまねられるわけがない。無理がある。そこで(ああ、もうだめだ。オレはやっぱりスピーチなんてしゃれたことはできない)と悲観することになる。
いったんは悲観するものの、悲観ばかりしていてもしかたがない。パーティーの日は日一日と近づいてくる。スピーチの運命からまぬかれることはできない。そこで、勇気を奮い起こして、前記のような模範文の暗唱に努めることになる。
しかし、残念ながら、私の知っているかぎり、こうしたものの暗唱で成功したためしはない。
だいたい、宴席等でスピーチをさせられるのは、ある程度年配の人が多く、記憶力のほうは当人が信じられないくらい衰えているのである。まとまった文章を丸暗記するなどということはせいぜい二十歳までの仕事であって、四十歳過ぎの人間には向かないことなのである。
覚えたつもりでも、一晩、外で酒を飲んでくると、翌朝にはもう忘れてしまっている。結局、パーティー当日になって、模範文全文を書き写したカンニング・ペーパーをポケットにしのばせることになる。
ところが、高い壇の上に立って、大勢の参会者を見渡したとたんに、カーッとアガってしまって、どのポケットにカンニング・ペーパーを入れたかすらも忘れてしまうご仁が少なくない。
頼みの綱のカンニング・ペーパーの所在がはっきりしない、と意識すると、ますます逆上して、たしかに覚えたはずの文句をただの一言も思い出せない哀れな状態になってしまう。弁慶の立ち往生だ。
なかには老いてなお記憶力抜群の人がいて、模範文を一字一句間違わずに、見事に暗唱してみせる場合もないではないが、それではこの人のスピーチは成功したかというと、あいにくそうは評せないのである。
たしかに、文句にあやまりはないし、文章のテニヲハもしっかりしているが、しょせんは借り着である。その証拠に声に勢いというものがない。一本調子の棒読みである。聞く人に感銘を与えることはできないのである。
生きている対話の実例
文章と話し言葉とはずいぶん違うものだということを認識してほしい。
現代日本語の文章は「口語文」と呼ばれる。口語とは文字どおり、人間の口から出る言葉、すなわち話し言葉で、これでつづったのが口語文、ということなのだが、実際には、話し言葉をそのまま文字にした場合、文章の体をなしていることはめったにない。
昔の、いわゆる「文語体」の文章に比べれば話し言葉に近いというだけであって、話し言葉そのものでは決してないのである。
そんなことはわかっている、という方もいるかもしれないが、どこまでハッキリわかっているか、疑問である。
ひとつ、話し言葉を一字一句そのまま文字に移しかえる“実験”をしてみよう。おそらくたいていの人は(へえ、こんなに話し言葉と文章とは違っているものなのか)とびっくりすることだろう。
ラジオ関東で五十三年の春からはじまった朝の番組に「この小さな宝物たち」というのがある。牧山幼児教育研究所所長の牧山あきお氏と、元フジテレビのアナウンサーでいまはフリーのタレントである豊原みつ子さんが子供の問題について話し合うもので、大変評判のいい番組だ。
話の内容が身近なテーマをとらえているのと、それに、お二人のしゃべりがなめらかで、いきいきしているので、抵抗感がなく、気持ちよく聞ける。
一般の人のおしゃべりに比べれば、はるかに達者で、洗練されているプロフェッショナルな対話だといっていいだろう。さて、そのような見事な対話が文字に移しかえられるとどんなぐあいになるか。果たして、文章としてもキチンと整ったものになっているだろうか。五十三年七月二十七日放送分の一部を“紙上録音”してみよう。
豊原 アノゥ、子供ヲシカルトキニデスネェ、外国人テノハ、ナンカアノゥ、人前ダロウトナンダロウト、パァーット、オコルソウデスネェ。
牧山 ソウデスネェ。アノゥ、トクゥニイチバン顕著ナノハ、アメリカ人ノォ、アメリカノオカアサンガタデスネェ。
豊原 アノゥ、ニ、ニホォンジンハアンマリオコリマセンネェ。ケッキョク、人ガイルトキダッタラ、我慢ストキハ、マアコウヤッテ、アマリ、エ、コ、コウ我慢シテ、イナクナッテカラ、ドウシテッ、トコウユウオコリカタシテ、アンマリ人ノイルマエジャヤリマセンヨネェ。
牧山 アノ、ヤッパリ、ニホーン、トゥーヨウハワリニソウユウ傾向ガァ、アルンデスヨネ。トユウコトハヤッパリソノゥ、恥ダトカネェ、ソノ、外聞テコトデネ。ヤッパリ、ソノゥ、自分、身内ノネ、恥ヲ外ニサラシテイルト、ユウマアヒトツノ家族ダトカ、家ダトカネ、ソウユウ意識ガ強イモノデスカラ、他人ニタイシテ、ソウユウ、ソノ内輪ノネ、アノ恥ミタイナモノヲ出スモンジャナイト、コリャワリニコウ東洋的ナデスネ、モノノ考エカタナンデスネ。
豊原 ソ、ソウ、ソウデスネ。ソウイエバ、マア、アノ、家内ジュウノ、ト、トラブルデモネ。オ客サマイラッシャルトキハコウ我慢シテテ、アトカラ、アノトキ、ダケドアンナコトイッタノハマズイトカ、ナントカイッタリシマスケドネェ。
牧山 オトナノ世界デハネェ、ヤッパリ、会社ナンカデモソウデスネ。カナラズ、社、会社ノソトニハイイツラヲダシテ、内側デハギャアギャアモメテイルト。トコロガ、外へ出ストユウコト、出シタヒトハヒジョウニ、コノ、罪悪デアルト。ゴ家族、ゴ家庭デモソウユウコトニナル。
豊原 タブン、ソレハヤハリ、私ナンカ日本人ダカラ、ヤハリ、ソレハヤッパリ、イロンナコトヲカンガエテ、ソノホウガヨカレカシト思ウコトダシ、コドモダッテ、ヒトノマエデネ、オコラレテ、パーントオ尻ヤラレルノ、ヒトガ見テルヨリカ、ヤッパリ、アトデノホウガイイヨウニ思ウンデスケド、キョ、教育上トシテハドウナンデショウ。
牧山 私ハネ、コレハネエ、幼児教育ノ立場カラ立チマストネ、マッタクコレハ、ワルイコトダトワタシハ思ウンデスヨ。
豊原 アソ、ソウユウワケ。アメリカ人ミタイニ、ヒトマエデモオコッタホウガイインデスカァ?
牧山 ソレハネ、ナゼカトモウシマストネ、アノウ子供タチガネ、ヤッパ、子供タチガヒジョウニ、アソコデ大キクナッテキマストネ、ヤッパ、コウ、ヒジョウニハズカシイトカ……
豊原さんはややせき込みがちのしゃべり方で、ちょっとドモるようなところがある。牧山氏のほうは落ち着いたしゃべり方だが、語尾が「ウー」とか「エー」とか粘る癖が少しある。しいていえば、こんな特徴のあるお二人であるが、それはテープを何度も繰り返して聞いてようやく感じられることで、普通に聞き流していると、まったく|流暢《りゆうちよう》でよどみのない対話なのである。
「活字」の話と「肉筆」のおしゃべり
ところが、こうして活字にしてみると、文章としてはかなりひどいもので、
「幼児教育の立場から立ちますと」
とか、
「その方がよかれかしと思うことだし」
とか、語法にはずれた個所もいくつかあるし、「その」だとか「やっぱり」の多用が目立つし、活字にするに耐えないものと、失礼ながらいわざるをえない。
ラジオでしゃべることを本業、あるいは兼業にしているプロの人たちでも、実はこの通りなのである。一般の人のおしゃべりならもっとひどいものだろう。
これがホンモノの口語というものであって、文章と話し言葉の違いがどれほど大きいかはこの一例をもってしてもよくわかっていただけるはずである。
このことを十分に頭にたたき込んだうえで、スピーチ実例集を手にしていただきたい。
ただし、念のためにつけ加えるが、話し言葉のよしあしは、文章的にととのっているかどうかということよりも、生きているかどうかということのほうにある。極端な表現をするなら、文章としては乱れているほうが、話として“生きている”ことのほうが多い。草稿を丸暗記したようなスピーチは、文章としてはちゃんとしているかもしれないが、聴き終わって、ハア、ソウデスカ、というしかない。それ以上の感動や感銘をそれはけっしてもたらさない。
一言でいうなら、死んでいる、のである。
牧山あきお氏と豊原みつ子さんの対談を紹介したのも、それが文章の体をなしていないことを指摘してケチをつけようというのが目的ではない。生きている話し言葉とはどんなものかということをみなさんに知っていただきたいためにほかならない。
「日本の」といいかけたとたん、頭の片すみに(いや、これは日本ばかりじゃないな)という考えが侵入してくる。そこで日本を東洋といい改めることになるのだが、その思考の過程で「日本」という言葉が「ニホーン」と伸び、「東洋はわりにそういう傾向が……」とつづける、そういうところに、話し言葉の呼吸が感じられる。
いいよどんだり、いい直したりするところに話し言葉の、生きている証拠があるのである。
文章のうまい人はしゃべるのが意外に下手だ、という“常識”がある。
たしかに、そういう傾向はある。小説家に口下手な人は多いし、一流作家で講演は絶対に引き受けない、という人は多い。
「あれだけ平明で達意の文章をお書きになるのだから、そのままお話しになればいいのに」と不思議がる声もよく聞く。
しかし、それはやっぱり違うのである。どんなに平明な文章であっても、文章はあくまで文章であって話し言葉ではない。
話し言葉をそのまま文字化すれば読むに耐えないがごとく、文章をそのままに口すれば、それは「死に体」になってしまうのである。
文章家でありながらしゃべるのが苦手というのは、テレ性であるとか、大声を出せないとかの理由のほかに、〈話し言葉と文章とは違うものだ〉という認識が欠けているということもあるのではないか、と私は思う。
文章を書く者の気持ちからいえば、
「幼児教育の立場から立ちますと……」
などという乱れた語法をそのままにするようなことはきわめて恥ずかしいことで、とうてい耐え難いものなのであろう。
もし、自分が演壇に立って、そんな恥ずかしいことをしてしまったとしたら……と想像するだけでも顔があかくなる思いで、それで、講演は絶対お断り、ということになるのではないか、と私は推測するのである。
文章と話し言葉の違いは、たとえていえば「活字」と「肉筆」の違いである。文章は活字で、話し言葉は肉筆だ。活字は大きさが不ぞろいであったり、字画が崩してあったりしては不都合だ。楷書のみが活字になる資格があり、草書や行書は活字にはなり得ない。
肉筆の場合は、大きさの不ぞろいどころか、ときには、あるべき点や棒が一つ二つ抜けていても許されよう。そこに活字には見いだし得ない美や感興を得ることもある。
NHKのアナウンサーのしゃべりは活字のしゃべりである。これに対してアナウンサー出身ではない磯村尚徳さんは肉筆のおしゃべりを持ち出して、大|喝采《かつさい》を博した。
文章のように話そうとすることは間違いである――とはっきりいっておきたい。
言葉づかいなんかどうでもいい
話をするうえにおいて、言葉づかいが大切なことはいうまでもない。
人間が思想や感情を他人に伝えるためのほとんど唯一の道具が言葉だといっていいだろう。身振りや表情も意思感情の伝達手段にはなるが、役割の大きさからいえば、言葉とは比べものにならない。
われわれは言葉をさまざまに工夫して使うことによって、複雑な考えや微妙な気持ちを他人に伝える。同じ内容のことをしゃべっても言葉の使い方一つで相手を喜ばせることもでき、反対に怒らせてしまうこともある。
言葉づかいは正しいことはもちろん必要だが、そのうえに巧みであることも大切なのである。言葉づかいの重要さについてはいくら強調しても強調しすぎることはないであろう。
それを承知のうえで、なおかつ、あえてここで私は、
〈言葉づかいにこだわるな〉
という提言をしたいと思う。
逆説的な意味でいうのではない。文字どおりに受け取っていただきたい。
言葉づかいは正しく上手なのにこしたことはないが、そのことにばかりあまりこだわりすぎて、もっと大切なものをおろそかにしてしまうようなことがあってはばかな話だと私は思うのである。
(オレは上品な言葉づかいなんて知らねえから、こんな改まった席ではしゃべれねえよ)
と口を閉ざしてしまうのは愚かなことだ。
自分の胸の中にどうしても話したいこと、相手に聞いてもらいたいことがあるなら、|語彙《ごい》が貧しかろうと、うまいいい回しができなかろうと、自分の言葉で精いっぱい努力して話すべきなのである。
言葉づかいが下手なために、自分の思っていることの半分、あるいは三分の一しか伝わらなくても、それは仕方ないことなのだ。しゃべらずにいればゼロで、たとえ三分の一でも伝わったほうがいいじゃないか、と考えるべきだ。
どんなに正確な、またていねいな言葉づかいであっても、話の内容が低級愚劣であれば、だれも感心してくれないだろう。言葉づかいのていねいさがかえって|滑稽《こつけい》さを増すのに役立つだけだ。世間にはこういうたぐいの愚劣なおしゃべりが実に多いもので、私などもどれくらいうんざりさせられたかわからない。そして、そのたびに、言葉づかいよりもっと大切なものがあることを痛感させられたものである。
最近の日本語は乱れているとか、若い連中の言葉づかいはデタラメだとか、ちかごろの人の敬語の使い方はなっていないとか、そうした意見をよく聞かされる。耳にタコができるほどだ。
しかし、このような意見が人々を萎縮させ、自由に口をきかせなくしている一面があることを思うと、私は前記のような意見を得々として述べている人たちに文句をつけたい気になる。
多くの人たちが人前でしゃべるのが苦手なのは、改まった席ではちゃんとした言葉づかいで話さなくてはならない、間違った言葉づかいをすると人に笑われる、などと自己規制するからであろう。
正しい言葉で話すことが理想には違いないが、人はいつも最善のことができるとは限るまい。最善ができなければ次善の策を講じればいいのである。
少々下手くそな、あるいは間違った言葉づかいでしゃべっても、それはしゃべらずに逃げてしまうよりはずっと立派なことだと思う。
自分はしゃべらずにいて、しゃべった人のちょっとした言葉じりをとらえて嘲笑したりするぐらい|卑怯《ひきよう》で下劣なことはない。そんな人の“嘲笑”など少しも気にすることはないのだ。
間違いはだれにもある
ある著名な評論家が読者から、
「先生の本を拝見して感激しました。大変教えられました。これを他山の石として今後努力していきたいと思います」
という手紙をもらって憤慨したという話を書いていた。
「他山の石」という成語は『詩経』という中国の古い本の、
他山之石、可以攻玉。
という言葉からきたもので、
「よその山から出る粗悪な石でも、それを用いて自分が持っている玉を磨いて美しくすることができる」
という意味のことわざである。
他人が失敗したのを見て、ばかなやつだな、と思うだけだったらそれきりだが、ああいう失敗をしてはいけないな、自分もこれからは気をつけようと考えるなら、それは他人の失敗を教訓として活かしたわけで立派なことである、といった意味なのである。
他人の立派な行為をお手本として自分の教訓にすることはだれにもできることだが、もっと心を深く働かせれば、他人の失敗や愚行でさえも自分の教訓にすることができるのだ、というわけだ。
だから、感銘をうけた本の著者に、
「先生のご本に書かれていることを他山の石として……」
というのは明らかに間違った言葉づかいであるし、著者に対して失礼なことである。
しかし、私だったらこんな手紙を私の読者からもらった場合、怒ったりしませんよ。腹を立てたり絶対しない。
手紙をくれた読者が「他山の石」の意味を正確に知っていて、アテコスリで手紙をよこしたのだとしたら別だが、多分、そうではないだろう。単に「大いに教訓としたい」というほどの意味だと誤解して使ったにすぎないと容易に想像がつく。著者に対する悪意や皮肉の気持ちはないにきまっている。悪意どころか、本から受けた感銘をなんとか表そう、著者に伝えようと思って、書き慣れぬ手紙を一生懸命に書いたのではないか。その気持ちを思えば、漢語の使い方の間違いなど大したことではないのである。
そんなことで腹を立てるなんて、その著名な評論家はなんと心の狭い人だろうと私は思わずにはいられなかった。
こういう心の狭い“文化人”が偉そうに、
「ちかごろの人たちは言葉づかいがなっとらん」
というのを聞いて、いじけてしまい、
(やっぱり手紙なんか出すのはやめよう)
(人の前でしゃべって恥をかくのはよそう)
などと考えては困るのである。
「他山の石」なんていうむずかしい言葉の使い方なんか間違えたっていいんだ。そりゃ間違えないほうがいいにきまっているけれど、間違えるのをおそれて口を閉ざすよりは、間違えてもいいからとにかく口を開いて、いいたいことをしゃべってみる。そのことのほうがずっと立派だし、大切である。
ついでにいうと、「他山の石」と手紙に書かれて腹を立てた著名な評論家の著書の中に、
寺小屋
という言葉があった。四か所も出てき、そのいずれも「寺小屋」となっていたから多分誤植ではなくて、著者の書きあやまりであろう。
私は笑ってしまった。
寺子を集めて読み書きを教える家(屋)だから「寺子屋」であって、お寺の小屋ではないのである。「小屋」という言葉が日ごろなじんでいるものだから、つい「寺小屋」と書いてしまったのだろうが、明らかに間違いだ。ちょっと辞書を引きさえすればすぐにわかることだ。
手紙をよこした読者は言葉に関してはいわば素人。評論家のほうはプロである。素人のちょっとした言葉のあやまりに腹を立てて、文句をいう。そのくせ自分はプロなのに平気で間違いをおかしている。滑稽ではないか。
言葉や文字というものはむずかしいものである。専門家だって思わぬミスをずいぶんやっているのだ。
いまの寺子屋の例だが、国語学者の見坊豪紀氏がその著書『辞書と日本語』の中で、
「作家・マスコミもこんな間違いをおかしている」
という事で例にあげている。現役の第一線作家たちがいずれも寺小屋と誤記しているとのことだ。そればかりか、なんと漢字の大権威として有名な藤堂明保氏(元東大教授)までがやっぱり「寺小屋」と記していらっしゃるそうだ。
ほんとうにびっくりさせられる。
しかし、こんな誤記があるからといって、私たちはそういう人たちの作品そのものを低く評価しようとは思わない。
まして、言葉づかいにおいてズブの素人である一般市民があいさつやスピーチでいくつかの間違い言葉を使ったからといって、そんなに責められるべきことではないと思う。
繰り返しいうが、言葉づかいを間違えることよりもっといけないのは、言葉づかいの間違いをおそれて口を閉ざしてしまうことである。そんなことのないように、私はあえて極端ないい方をしたいと思う。
言葉づかいなんかどうでもいいじゃないか!
極端だけれど、まあ、これぐらいの気持ちでいてちょうどいい加減になるのではないかと思う。
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第五章 紋切り型も悪くはない
説教上手が下士官の資格
「英語屋さん」で直木賞を受け、「三等重役」で一躍人気作家になられた源氏鶏太さんに「三等水兵」という随筆がある。源氏さんは昭和十九年六月に数え年三十三歳で召集され、舞鶴海兵団を初め、いくつかの部隊で新米の水兵としてさんざん苦労をなめた軍隊経験をお持ちである。
「三等水兵」はそのときの苦労話をテーマに書かれたものだ。念のためにいうと、日本海軍には三等水兵という階級はない。二等水兵が一番下で、源氏さんも海兵団に入ったときは二等水兵、終戦のときは兵長だったそうだ。「三等水兵」という題はもちろん源氏さんの一世を|風靡《ふうび》した大評判作の「三等重役」をもじったものである。
さて、その「三等水兵」の中に次のようなくだりがある。
「説教がうまいということが、兵長や下士官の格のひとつでした。私なぞ個人的に話しあっている時は実に子どもらしくてバカバカしいことしかいえぬ彼らが、いったんバッターを握って、私たちのほうをジロジロにらみながら、説教をはじめると、まるで人が違ったように、実にしっかりしたことをいうので、はじめはびっくりさせられました。
この説教にも、戦後の思い出があります。私は召集解除になってから三カ月ほど、もと私が住んでいた家の二階の四畳半に親子四人間借りしなければなりませんでした。その時の、隣りの室で、予科練帰りの二十一のこの家の長男が、自分の妹に、この口調そのままで説教していました。私の女房は、
『まだお若いのに、なんて、しっかりしたことをいうんでしょう』
と感嘆しているのです」
私も一年あまりの軍隊経験があり、小隊長や下士官からずいぶん「リッパな」お説教をたびたび聞かされた覚えがある。当時は小隊長というとずいぶん年長者のように感じたものだが、実際は私などより一歳か二歳ぐらいしか年上でなく、満年齢でいうと二十一、二歳ぐらいだった。いまなら大学生の年齢である。とても、他人に説教する年ではない。
しかし、源氏さんの奥さんが感心したのと同じように、私も小隊長や下士官の説教のうまさには最初、大変おどろき、かつ、感心したものだった。
いま、二十歳を過ぎたばかりの青年に、二、三十人を相手にした演説もしくは説教をやってみろといっても、まず無理な注文だろう。特別に才能のある人は別として、普通の青年ならものの五分としゃべりつづけられれば偉いものだ。ところが、軍隊の下士官であった二十歳の若者たちは、前述したとおり三十分でも一時間でも堂々と説教をしたのである。軍隊では特別に演説の訓練が行われたわけでもないのに、いったい、この秘密はどこにあるのだろうか。秘密を解くカギは二つある。
第一は「アガる」ということがないことである。
軍隊というところは星一つ違えば絶対服従で、二等兵にとって上等兵は神様ぐらいに偉いものだった。ましてその上の下士官や小隊長ともなれば大変なもので、兵隊なんて奴隷も同然だった。
昔の大名のお姫様は入浴するとき、腰元がいる前でも真っ裸になって前を隠そうとしなかったという。腰元などは同じ人間の仲間だと思っていなかったからだ。相手を奴隷か虫ケラと思っていれば、劣等感を感ずることもないし、それを押し隠そうとして、みえを張ってみせる必要もないから「アガる」理由は一つもないわけだ。アガりさえしなければしゃべるということが大してむずかしいことではないのは、これまでに何度もいってきたとおりである。
軍隊における上級者は、下の兵隊たちを心の底から|軽蔑《けいべつ》し、品物扱いしていたから、品物を相手にいいところを見せようとか、カッコつけようとかいう心理が働くわけもなく、それが彼らの気分を楽にさせ、自由にしゃべらせたのだろうと思う。
キマリ文句の意外な効用
まあこれが第一のカギなのだが、それに劣らぬくらい重要なものとして、もう一つのカギの存在をあげたい。
それは「キマリ文句」をたくさん使ってしゃべるということである。
軍隊で聞かされた説教は、たしかによどみもなく、またメリハリもきいていて、いわゆる弁舌さわやかな名調子のものが多かったのだが、内容はというと、実はこれは大したことはなかったのだ。とりたてていうほどの含蓄もないし、興味あるエピソードも盛られていない、どれを聞いても大差ない、インスタント・ラーメンみたいな規格型の話ばかりだった。話の中身だけではなく、言葉づかいもキマリ文句の羅列で、まったく新味のないものだったといっていいだろう。
作家や編集者で海軍出身の人たちが集まって作っている「文人海軍の会」というのがあって、毎年一回、会合を開いているが、その余興の一つで、名物になっているものに豊田穣さんの「班長の説教」というのがあるそうだ。班長というのは下士官で、まあ部屋頭のようなものだと思ってください。水兵を集めては年がら年じゅう引っぱたいたり説教したりするのである。豊田さんも水兵時代にはさぞこの班長の説教に悩まされたのだろう。
私は直接、この余興を聞いたことはないが、同じ「文人海軍の会」のメンバーの一人である阿川弘之さんによると、次のような内容だそうである。
「くにを出る時、お前たちは親兄弟、村の鎮守の神様に何と誓って出て来たか。やる気がないなら、今夜は班長が涙をふるって、やる気が出るようにしてやるぞ」
これは阿川さんの随筆のなかで紹介されているのだが、これを読んだとき、私は驚き、かつあきれた。へええ、と思った。というのはほかでもない。私は陸軍で、内蒙古(現・内モンゴル自治区)の山の中までひっぱって行かれ、そこで訓練を受け、戦争もしたのだが、初年兵時代にこれとまったく同じ(ほんとうに一宇一句違わない)説教を聞かされた経験があったからである。
白状すると、初めてこの説教を聞かされたとき、私は胸にジーンと来るものを感じた。|瞼《まぶた》がふと熱くなったものであった。出征の日の朝、見送ってくれた両親や親戚の人たちの顔が脳裏にうかび、
(そうだ。班長殿のいう通りだ。故郷の人たちはオレがいまお国のために一生懸命に戦争しているにちがいないと思って、乏しい配給の食糧にも苦情もいわず、働いている。それなのに訓練をさぼってデレデレしていてはいけないなあ)
と本気で思ったのであった。
仲間の者たちはあとで聞いてみたら、彼らもまた私と同じようにジーンと来たとのことであった。それくらい迫力のあるいい説教にそれは感じられたものであった。
オレたちと大して年齢は違わないのに、これだけの説教ができるとはやっぱりむだに軍隊の飯は食っていない。大したものだ、と感心さえしたことを覚えている。
しかし、これは私たち新兵の思い過ごしであって、タネがわかってしまえば何もそれほど感心するほどのことではなかったのである。班長は自分が初年兵のときに耳にタコができるほど聞かされた説教の文句をそのまま繰り返してしゃべったに過ぎなかったのだ。
班長自身の人生経験からおのずとにじみ出た名文句ではなく、昔から伝わっているキマリ文句を九官鳥のように反復しただけの話なのだということが、やがて、われわれ新兵にもわかってきた。
「くにを出る時……」
という泣かせのセリフはもっとも代表的なキマリ文句なのだが、ほかにもこれに劣らぬキマリの名セリフはいっぱいあった。
「隊長殿はお前たちの父である。班長はお前たちの母である。オレにとってはお前たちはかわいいわが子なのだ。わが子を憎んで殴る親はない。班長がお前たちを殴るのは、お前たちがかわいいからだ。お前たちを立派な帝国軍人につくりあげてやりたいと思うからこそ涙をのんで殴るのだ。わかったか!」
という文句も何回聞かされたかわからない。隊長殿といったって士官学校を出た、二十四、五歳の青年だ。兵隊の中には四十歳近い老兵もいたし、応召前は会社で課長をやっていた人もいた。そういう人をつかまえて、結婚の経験すらない二十代の若者が「ワシはお前たちの父である」と説教するのだからいい気なものだが、それはそれで結構サマにはなっていた。不思議なものである。
できあいの言葉ばかり集めてきて、それをつなぎあわせただけの話なんてつまらないじゃないか、と思う人も多いだろう。たしかにそうには違いない。話し方として上等な手段ではないと私だって思う。
しかし、これも考えようだ。
最近、ドゥ・イット・ユアセルフのブームで、家具の手づくりがサラリーマンのレジャーとして人気を博している。椅子や机や本箱からベッドまで日曜大工で作ってしまうのだという。私なんかタナ一つ満足につれないぶきっちょだから、とてもそんな器用なことはできないだろうと思っていたが、この道の権威である山谷親平さんにたずねてみたら、そんなことはない、小学生でも簡単にやれるのですよ、ということだった。
手づくりといっても丸太から切ったり削ったりするわけではなく、すっかり|綺麗《きれい》に仕上げられている板や棒を単に組み合わせるだけなのだそうだ。つまり、できあいの部材を寄せ集めるだけで、手づくりといっても、実際の作業はボルトを締めたり、クギを打ったりするだけなのである。
なるほど、これならだれだってできる。手づくりと名づけるのがかなりのオーバーだといいたいくらいだ。
しかし、山谷さんによれば、これでも結構、モノをつくる喜びはあるということだった。
“班長の説教”はこの「手づくりの家具」に似ているといえないだろうか。
丸太からつくるわけではなく、できあいの部材(キマリ文句)を寄せ集めてまとめるだけのことだが、それでも一応、手づくりのムードだけは味わえるのである。
キマリ文句なんかでしゃべるのはいやだ、といって口をつぐんでしまうよりは、キマリ文句でもなんでもいいから、とにかくスピーチの形をなす話をやってみよう、と思うほうが建設的な考えではないだろうか。
“手づくり”の家具だって、既製部材の寄せ集めを何度もやっているうちに、それでは飽き足らなくなって、丸太から作ってみようというふうに発展するだろう。少しずつ修練を積んでいって、しまいには玄人はだしの腕前になるかもしれない。
最初から玄人なみでなければやる気がしない、と理想の高いことをいっていたのでは、スタートの一歩が踏み出せない。
たとえ、疑似手づくりでもいいから、とにかくはじめたほうが勝ちなのだ。
そういうふうに考えるなら、“班長の説教”を頭からくだらないといって排斥してしまうこともない、ということになるだろう。
「ちょっとそこまで」の含蓄
日常的なあいさつ言葉というものを考えてみよう。
「おはよう」
「さよなら」
「いらっしゃい」
「ごきげんよう」
等々、これらはみんなキマリ文句である。もし、キマリ文句なんて陳腐な言葉はひと言だって使いたくない、と意地を通すなら朝夕のあいさつも交わせないことになる。
キマリ文句というのは、陳腐にはちがいないけれども、また、一面では、長い間の使用によって鍛えられ、選び抜かれた純粋結晶だとみることもできるのである。|贅肉《ぜいにく》を|削《そ》ぎ落としたむだのないシンボリックな言葉だとも考えられないことはないのである。
たとえば――
道で知り合いとばったり会い、
「やあ、どちらへ?」
「ええ、ちょっとそこまで」
「じゃあ、また」
「さよなら……」
といったあんばいで、さりげなく別れてしまうことがよくある。だれでもしばしば経験していることだろう。
おかしいじゃないか――と、これに文句をつける人がいる。
「ちょっとそこまで、だなんて答えになっていないじゃないか」
「大体、どちらへ? などと行く先をたずねるのがエチケットに反したことだ。西洋ではそんなことをいったらお前の知ったことじゃない、とやり返されるのがオチだ」
などと理屈をいうわけである。
しかし、これは「書生の理屈」である。タテマエにとらわれて現実を知らない青二才の議論なのだ。
「どちらへ?」とたずねるのは、相手の行く先を本気で詮索したくていっているわけではない。ただ「こんにちは」というだけではあまりにソッケなさすぎる。他人行儀すぎる。私はあなたに対して通り一遍のつきあい以上の、もう少し深い親しみと関心を持っているのですよ、という気持ちの表明が「どちらへ?」なのである。
「どちらへ?」と聞かれて「ちょっとそこまで」という答えは論理的にみればもちろん返事になっていないものではあるが、「どちらへ?」とたずねたほうに、もともと行く先を正確にたしかめたい気がないのだから、この答えで十分なのである。
もし、「ちょっとそこまで」という代わりに「△△町の○○という人の家に参ります。○○さんはあなたはご存じないでしょうが、私の会社の古い取引先で、こんど息子さんが××大学に入学されたのでそのお祝いに……」などと正確な返事をしたりしたら、たずねたほうがかえってびっくりしてしまう。
「ちょっとそこまで」という言葉が含んでいる意味は、
〈だれが死んだとか、金銭上のトラブルがあったとか、そんなむずかしい用事をかかえて走り回っているわけではありません。とりたてて申し上げることもないほどの平凡な用事で出かけるところなのです。私どもは平々凡々なかわりに太平無事な毎日を過ごさせていただいております。お見かけすればあなたも同じようなあんばいのようで……。お互いに変わったことがなくて結構ですな〉
といったものなのである。
相手もその意味を了解して、
「じゃあまた……」
「さよなら」
となるわけだ。
「どちらへ?」と聞くのが別にプライバシーを詮索するわけでもない、単なるあいさつなら「ちょっとそこまで」と答えるのも日常的なキマリ文句のお返しなのであって、これでいいのである。
「おはよう」にしろ「こんにちは」や「さよなら」にしろ、あいさつというのはみなキマリ文句であり、それを交わしあうことによって、言葉の数の何十倍もの気持ちを伝えるのである。
もしキマリ文句のあいさつを一切廃して、ふだんのつきあいのうえでいちいち真情を吐露した感想を述べあうことにしたとしたら、世の中はシチメンドウクサくてやっていけなくなるだろう。
「お元気ですか?」
「ええ、おかげさまで……」
こうしたキマリ文句のあいさつのおかげで、人間関係がどんなにスムーズにいっているか、それは想像以上のものであろう。
また、実際に、私たちは生活体験を積むにつれて、数多くのキマリ文句をひとりでに頭のなかに蓄えこみ、それを日常生活において駆使しているのである。おしゃべりだけでなく、手紙など文章を書くうえでも同様だ。キマリ文句を一切使わないとしたら、ハガキ一本容易に書けるものではない。
「型」を学んで「型」から出る
「型にはまる」ことをきらう風潮が戦後はとくに強い。
「形式的」というと、実質が伴わないことを意味するものだし、「型通り」といえば、新味のない決まりきった有り様のことをさす。「|形骸《けいがい》」などという言葉もある。
自由、新鮮、創造的といったものと反対の極点におかれるのが「型」「形式」で、それはカビの生えた時代錯誤的存在として、ことに若い人たちにはとらえられている。
キマリ文句が軽蔑されるのもこうした気持ちのうえからであることはいうまでもない。
「話し方教室」などでは、講師が、
「陳腐なキマリ文句を使うのはやめましょう。たとえたどたどしくてもいいから、自分の言葉で自分の思ったとおりのことを話せばいいのです」
と教える。これがまたどの講師も判で押したようにいう言葉であって、これこそほかならぬキマリ文句だと皮肉りたくなるが、そういう揚げ足取りはさておいて、根本的にこの講師の教えには承服しがたいところがある。「自分の言葉で」と簡単にいうが、実はこれほどむずかしいことはないのである。
自分の言葉で自分の思ったとおりのことがしゃべれるなら、だれも「話し方教室」なんかへ行きはしないのである。
自分の言葉を探しあぐねるからこそ口が開かないのであり、自分の思ったようにしゃべれないからこそカーッと逆上して壇上に立ち往生するのである。
それができるためにはどんな訓練をしたらいいのか。できないうちはどんな方法でしのぎをつければいいのか。そういうことを教わりたくて「話し方教室」にやってくるのではないか。
「型」は、書にたとえるなら楷書である。
書を習うのに、最初から草書を試みる人はいない。そんなことをしても決して上手にはなれない。まず楷書をキチンと習って、それから行書、草書へと進むものである。
剣道でも野球でもみなそうだ。初めは基本的な型から教わり、それで訓練をつづける。そのうちに自分にもっとも適した方法を自得するのである。
良寛のような個性的な字を楷書もろくに書けない者がまねしようとしても決してうまくいくはずがない。良寛の闊達さは、自分の言葉で自分の思いどおりのことを話すようなものである。それはゴール(到達点)なのである。いきなりそれを望んではならない。
型から抜け出し、自由になることは、究極的には望ましいことだけれども、そのためにはまず型を学ばねばならない。これは話術に限らず、すべての道を通じていえることである。
大学で教えることは小学校で教えることより高級であるかもしれないが、だからといって、六歳の子にいきなり大学のテキストを与えるわけにはいかないのである。
人前でろくに話ができないという人は、話術の、いわば小学一年生である。まず、イロハから覚えていかなければならない。
式辞やスピーチの模範文を集めた実例集は、それを一字一句|鵜《う》のみにしてしまうと、かえって身動きならなくなって弊害もあるものであることはさきに述べたとおりだが、といって、これらの実用書がまるで役に立たないというわけではない。基本の型を教えてくれるものとして、これらは十分にその効用を持っている。よく編集された実例集の一冊ぐらいを座右に置くのは、けっして悪いことではない。
初めのうちは、型にはまることを恐れるな、と忠告したい。キマリ文句の羅列でもいいから、とにかく立ってしゃべってみることだ。ただし、その段階でいつまでもとどまっていてはいけない。型を学ぶのは型から脱け出すためである。キマリ文句を口にするのは、やがてはそれを口にしなくなるようになるためである。そういう心構えを持って型を学ぶなら、それは陳腐でも愚劣でもないのである。
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第六章 「黙り方教室」はなぜないのか
話し方より黙り方のほうがむずかしい
「話し方教室」とか「話し方講座」とかいうのは数えきれないくらいあるが、「黙り方教室」というのはない。「黙り方読本」を世に問うてみようという奇特な著者がいてもいいと思うのだが、まだ現れてはいないようだ。
うまく話すこともやさしいことではないけれども、うまく黙ることもまたそれと同様に、ときには話すこと以上にむずかしいものである。
うまく話せなかったために重大な結果を招いたケースと、うまく黙ることができなかったばかりにとんでもないことになったケースとを比べると、ひょっとしたら後者のほうが多いのではないか、という気がする。
最近では「超法規的発言」で統幕議長の椅子を棒に振った栗栖さんの例が、黙りそこねて失敗した代表的なものであろう。アメリカでもつい最近、大リーグの名物男として有名なニューヨーク・ヤンキースのビリー・マーチン監督が試合に負けた腹いせに、自軍の選手のことを「あのウソつき野郎が……」とののしって、監督を解任されることになった。
マーチンは一九七五年にヤンキースの監督に就任し、翌七六年にはヤンキースを十二年ぶりにリーグ優勝させ、七七年にはワールド・シリーズでも勝たせている。これは十五年ぶりの快挙で、名監督としての評価はこれで不動のものとなった。そんなマーチンでさえ、たった一言の失言でクビが飛ぶ。黙りそこなうことは本当に恐ろしいことだ。
「貧乏人は麦を食え」といったばかりに大臣の椅子を失った人もいたし、「私は栄チャンと呼ばれたい」といって満天下の失笑を買った総理大臣もいた。
いい忘れた一言が大事を招いた例はそんなにたくさんは聞かないが、いい過ぎた一言が命取りになった例なら数えきれないくらいある。
アメリカの作家マーク・トゥエーンに次のような逸話がある。
思わぬ印税が入った彼は寄付でもしようと思って教会に出かけた。教会ではたまたま牧師が説教をしていた。それを聞いて、彼は印税の全額をこの教会に寄付しようと決心した。ところが、説教はなかなか終わらない。だらだらとつづく牧師の話を聞いているうちに、彼は寄付は半分でもいい、いや、三分の一でもいい、と思うようになった。やっと説教が終わって献金用の皿が回されてきたとき、マーク・トゥエーンはそれに金を入れるどころか、銀貨を二、三枚そこから盗んで牧師を怒らせてやりたい、というぐらいの気持ちになっていた。牧師はしゃべりすぎて、黙ることを知らなかったばかりに、多額の寄付をもらいそこなったのである。
これは多分、実話というよりも、長談義を戒めたつくり話であろう。
言葉の多すぎるのを戒める逸話や格言は非常に多い。
イギリスの作家ローレンス・スターンは「センティメンタル・ジャーニー」の中で、こんな話を書いている。
才気煥発で評判の女性が、スターンの話をぜひうかがいたいと訪れてきた。スターンは彼女を招じ入れ、しばらくの時間を過ごして別れた。まもなくスターンの耳に、彼女が、
「スターン先生ってさすがに才人でいらっしゃるわ。私はこれまで、あんなに機知とエスプリにあふれた対話をしたことがないわ」
と友人たちに触れまわっているという噂が入ってきた。スターンはそれを聞いて、思わずにやりと笑った。なぜなら、スターンは彼女と会ったとき、彼女がしゃべるのにまかせ、自分はただの一言も口をきかなかったのだから。
この話は幾様にも解釈できる。
女性の独り合点ぶりを|揶揄《やゆ》したものでもあろうし、また、話し上手は聞き上手、という教訓でもあろう。いずれにしても、スターンと女性との対比において、しゃべりまくった女性のほうが、黙っていたスターンよりも滑稽な存在として読者の目に映ることはたしかであろう。
“話術は間術なり”
手もとにあるいくつかの格言辞典をみても、おしゃべりを戒める格言が圧倒的に多い。
「人間は考えることが少なければ少ないほどよけいにしゃべる」――モンテスキュー
「心にもない言葉よりも沈黙のほうが、むしろどのくらい社交性を損わないことか」――モンテーニュ
「舌をすべらすよりはいっそ足をすべらすほうがいい」――ブルガリアのことわざ
「絶えず削っていると、ナイフは鈍くなる。絶えずしゃべっていると、知恵も鈍くなる」――ビルマのことわざ
「善者は弁ならず。弁者は善ならず」――老子
「言葉が役に立たないときには、純粋に|真摯《しんし》な沈黙がしばしばひとを説得する」――シェークスピア
「しじゅう酒を呑んでいる人間には味はわからない。しじゅうしゃべっている人間は考えることをしない」――プリオール
ほとんどがこうした〈沈黙は金〉式の格言で、話術の効用を強調する格言はせいぜい十に一つか二つである。
格言の世界で見る限り、多くしゃべることは悪で、沈黙が善とされているようである。
とくにわが国では|寡黙《かもく》を尊ぶ気風が強い。
|千萬《ちよろず》の|軍《いくさ》なりとも言挙げせず
取りて来ぬべきをのことぞ思ふ
万葉集にある歌である。「言挙げ」とは「声高くいい立てること」だ。有事立法だ、超法規行動だ、などとつまらん議論はしない。敵が攻めてきたらエイッとやっつけてしまう。それが本当の男だ、といっているのだ。
有言不実行はむろんお話にならないが、有言実行でもいま一つで、理想とすべきは
不言実行
なのである。この万葉集の歌が当世コマーシャルの世界に移植されると
男は黙ってサッポロビール
となるのである。
「|言霊《ことだま》のさきわう国」ともいうじゃないか、と反論が出そうだが、それは違う。言霊というのは、言葉というものに一種の呪力を信じたところから生まれた表現であり、古代の日本人は太陽や火や石を信仰したのと同じように、言葉にも「神」を感じていたのである。それが「言霊のさきわう国」なのだ。言葉は神様なのだから茶碗や箸のように手軽に扱ってはいけない。大事なときに、慎重に選んで口から発するのでなければ祟りがあるぞ、と遠い昔の日本人たちはおおむね寡黙であったのだ。
太平洋戦争で大敗して以来、旧帝国軍人はすっかり評判を落としたが、それでも海軍のほうはいくらか評判がいい。戦争中は海軍軍人は大モテだった。服装が陸軍のように野暮ったくないからだとか、陸軍ほど好戦的ではないからとか、いろいろ理由をいう人がいるが、私は「サイレント・ネービー」といって、海軍さんはあまりおしゃべりでなかったのが好評の原因ではなかったか、と推察している。
話術といえば、故人の徳川夢声をいまでも第一番に思い出す人が多いだろうが、その夢声の有名な名言に
話術は|間術《まじゆつ》なり
というのがある。夢声の語りが記憶に残っている人ならなおさら「なるほど」と膝を打つことだろう。どんなふうに「|間《ま》」をとるかが話の上手下手の分かれ目だ、という意味である。口の開き方より閉じ方、すなわち、黙り方こそ話術のカギだということで、この言葉もまた黙ることのむずかしさと重要さを指摘しているものだといえる。
「一言、多い」
という言い方で多弁を戒めるのも近ごろのはやりである。
これとは反対に「言葉が足りない」という表現もあって、このためにトラブルを起こすことがむろんあるわけだけれども、見渡したところ「一言、多い」ために悶着が起きることのほうがはるかに多いようだ。
私なども口数の多いほうで、これまでに何度、よけいなことを口走って後悔のホゾをかんだかしれない。
何年か前、ある放送作家に紹介され、その人のテレビ・ドラマのことを話題にのぼせた。
「視聴率が三〇パーセントを超したそうではありませんか。視聴率一パーセントというのはなんでも四十万人に当たるそうですね。千二百万人の人が毎週あのドラマを見ているということですね。すごいですねえ。うちの娘なんかも毎週カンカンになって見ているようですよ」
ぺらぺらとそんなお世辞をいった。初対面で、大した義理もないのだからそんなにへつらってみせる必要もないのに、すぐに相手のきげんをよくしてみたがるところが私にはある。
放送作家はにこにことうなずいてくれたが、それから四、五分して話題がちょっと変わったところで、私は、
「大学生というのは勉強しないものですな。うちの娘も本などろくすっぽ読まず、くだらないテレビ・ドラマばかり見ていましてね」
といってしまった。
放送作家の顔色が一瞬変わったのを見て、ハッと気がついたが、いったん口から出た言葉はもう引っ込めるわけにはいかない。
冷汗三斗をしきりにぬぐう以外になかった。
こうした苦い体験が数限りなくある。
「話し方教室」もけっこうだが「黙り方教室」のほうが大切なのではないか、少なくとも需要は多いのではないか、と思わずにはいられない。
無口にもふた通りある
多弁が戒められ、無口が珍重されるのは、古今東西変わらない人間の好尚であることがこれでわかる。無口の人は大いに安心してよろしい、自信を持ってよろしい、といってあげたいが、そうは問屋がおろさないのである。
無口が称揚されるのは、「よけいなことはしゃべらない」という意味においてである。つい口をすべらしたり、あるいは、後になってから「あんなことをいわなければよかった」と悔やむようなことをいったり、毒にも薬にもならぬむだ話に長時間を費やしたり、要するに、しゃべってはならないことや、しゃべらなくてもいいことを決して口にしないという無口がほめられるのである。
「よけいなことをしゃべらない」ということは、ひっくり返せば、よけいなこと、必要なことはちゃんとしゃべる、ということにほかならない。
いうべきときには、臆することなく、またはばかることなく、意見を述べる。あいさつをする。それがまた見事な語り口であり、態度も堂々としている。そういった人がふだん無口でいるのが人々に感心されるのである。
肝心なときにキチンとしゃべるという裏打ちがあって初めて、無口は立派なものになるのである。
日ごろも無口で、人前でするあいさつなどもいっさい苦手、というのは、単なる口下手であって、だれにも感心されない。もっとも、ふだんは町内一の金棒引きのくせに、いざとなるとしり込みして一言もしゃべれないというのよりはましだろうが……。
まるっきり「しゃべれない」無口と、「しゃべれるけれどもしゃべらない」無口とがあり、両者は決定的に違うものなのである。そして、これまでに紹介した格言や逸話で称揚されている無口は後者の「しゃべらない」無口なのに、現実の社会に多いのは前者の「しゃべれない」ほうの無口だというところがやっかいな話なのである。
無口の人は思慮深げに見える徳がある。ただし、これが裏目に出ると
「あの男は心のなかで何を考えてるかわかりゃしない。油断がならない」
と警戒される場合もある。
これに対して、単に愚鈍にしか見えない無口もある。
「しゃべらない」無口は前者であり、「しゃべれない」無口は後者である。二種類ある無口をはっきり区別して考えないと「無口論」は成立しない。
「話し上手は聞き上手」ということわざも「話し上手は黙り上手」といいかえたほうが意味がはっきりするように思う。また「黙り上手は話し上手」とひっくり返せば、これまでに述べたことと一致する。
いうべきときにはキチンという、とか、話し上手とかの裏打ちがあって、初めて無口は光るのである。
女のおしゃべりが軽蔑されるのは、彼女たちが「聞き上手」でないからである。しゃべることのみを知って黙ることを知らないからである。同様に、黙ることのみを知ってしゃべることを知らない無口も、やはり困りものというべきなのである。
無口な人間は自責の念が強すぎる
二種類ある無口の、どちらが多いかといえば、これはもう「単にしゃべれない」無口が圧倒的に多い。尊敬すべきほうの無口はきわめて少ない。少ないからこそそれを礼賛する格言が数多く生まれたのであろう。
「サイレント・ネービー」は無口を恥としない。ダメなほうの無口の人間が自分の無口を苦にするのである。それはどんなタイプかというと、性格は、よくいえば慎重、悪くいえば引っ込み思案。小さなことにいつまでもくよくよとこだわる。考え深いし、内省的なのだが、私なんかから見ると、罪の意識が強すぎるように思われてならない。
クラス会に出席して、二時間あまりもいながらほとんど口らしい口もきかずに終わってしまう、といったタイプの女性がいる。
ペチャクチャとくだらない女同士のおしゃべりの仲間に加わりたくない、というような気持ちがあるわけではない。もしそうだったら初めから出席なんかしないだろう。本心は楽しくみんなとおしゃべりしたいのである。それなのになんとなく口を出しそびれて、しゃべらずじまいになってしまうのである。
口をききそびれるのは|間《ま》が悪いからである。タイミングがはずれるからである。なぜ|間《ま》のとり方が悪いかというと、考えすぎるからである。
「うちの亭主、こんど、やっと課長になったの。もう三十九ですもんね。鈍行列車だわねえ」
隣にすわったクラスメートのA子がそういい、
「おタクなんかもうとっくでしょう」
と話しかけてくる。せっかく、そうして話のきっかけが与えられたのに、そこで、すらっと返事が口から出てこない。
「もうとっくに」というほどではないけれども、夫は一年前に課長に昇進している。その事実をそのまま、
「ええ、うちは一年前になったわ」
と答えていいものやらどうやら、一瞬、|躊躇《ちゆうちよ》してしまう。
(鈍行列車だわねえ、なんていっているけれど、それは口先だけの|謙遜《けんそん》で、本当は夫の課長昇進を自慢したいからA子さんはこんな話題を持ち出したのじゃないかしら。それを「ええ、うちは一年前」なんていったらA子さんは傷つくわ。一年前だけれど、うちの主人はA子さんのご主人より二つ年上だから、課長昇進時の年齢ではA子さんのご主人のほうが早いことになる。そのこともはっきりいってあげなくてはいけないのかも……。だけど、そんなくどくどしたいい方をすると、かえって同情して慰めているみたいで、A子さんは気を悪くするかもしれない。それに、同じ課長といっても会社の規模によって値打ちは違うのだからいちがいにいえないわ。A子さんのご主人はどんな会社にお勤めなのだっけ。うちの主人の会社とどちらが大きいかしら……)
なんてことを思案している間に、タイミングがずれてしまうのである。
A子のほうは、せっかく話しかけたのに返事もしてくれないから「ヘンな人!」と思って他の人のほうへ向きを変える。
そのA子の態度が、クラス会が終わってからも気になってしかたがない。家へ帰ってからも夫に、
「浮かない顔をして、どうしたんだい」
「………」
「何を考え込んでいるんだい。クラス会で面白くないことでもあったのかい」
といわれても、状況をうまく説明できないから、
「ううん、べつに……」
とかぶりを振るだけで、家庭内でもまた無口なのである。
おしゃべりの陽気な人間が自分の失言をすぐけろりと忘れてしまうのとは反対に、無口な人間は、自分の無口のために他の人の気を損ねはしなかったかといつまでもしつこく気にかける。
気にかけているから、その当の相手に偶然出くわしたりした場合、この前の無口の埋め合わせにしゃべりまくるかというとそうはいかない。かえって緊張して、よけいに口を閉ざしてしまう。まさに自縄自縛なのである。
いい足りなかったための災いと、いわでものことをいいすぎたことによる災いと、どちらが大きいかといえば、間違いなく後者であろう。それにもかかわらず、当人の意識からいえば、無口な人間の自責の念のほうがはるかに大きい。
ゴールデン・スペースの教訓
これに反して、おしゃべりな人間は、外向的性格であり、陽気で派手好きで、よくいえば物事にくよくよしない、悪くいえば反省力が足りないところがある。そのため、いわでものことをつい口をすべらせてしまって(これが多弁な人間の最大の欠点なのだが)「シマッタ!」と思うことがあっても、すぐにそれを忘れてしまう。
だが、それにこりて二度と過ちを繰り返さないように注意するかと思うと、それが大違いで、性こりもなく同じような失敗ばかりやっている。それが陽気でおしゃべりな人間の特徴なのだ。池田元首相などは代表的な例だと思うが、失言する人間は何度も失言するもので、「失言癖」という言葉まである。それはおしゃべり人間がどんなに反省力が足りないかを示すものにほかならない。私は自分がおしゃべり人間であるだけに、このことが実によくわかる。
無口や口下手を自覚し、それに悩んでいる人に、とくにいいたい。
おしゃべりの人間は、彼らが自覚している以上に、そのしゃべりすぎのために世間に迷惑もかけ、自分も損している。無口の人間は彼らが思い込んでいるほどには、その口下手のせいで損はしていないのである。
無口や口下手は、それ自体はそんなに不都合なことではない。口下手を過度に意識することによって、いらでものコンプレックスを抱くことが不都合なのである。また、そのコンプレックスが無口をなお助長するのである。
口下手で悩んでいる人がいま真っ先にしなければならないのは、その思い過ごしを捨てることである。
繰り返していうが、口数が少ないとか、流暢なしゃべりができないなどということは、当人たちが深刻に考えているほどの短所、あるいは悪徳ではないのである。気休めでいうわけではない。本当にそうだ、と私は確信している。だから何よりも先に、コンプレックスから自由になってほしい、といいたいのである。
また、こじつけみたいないい方だが、話し方の練習のしがいも、多弁な人間より無口な人間のほうがあるのである。
日ごろおしゃべりなくせに、カーッとアガる癖があるので人前ではしゃべれないという人が一生懸命に勉強して見事なスピーチをやったとする。聴いた人は「あの人はもともと弁が立つ人だから」と大して感心はしない。
ところが、ふだん無口で通っている人が一生懸命勉強して、晴れの舞台で堂々たるスピーチをしたとしよう。日ごろの彼を知る人々は目をみはって驚嘆するだろう。人柄を見直すだろう。効果のうえでは前者の何倍もあるといえる。
米国の広告業界で「ゴールデン・スペース」という言葉が使われている。「ゴールデン・アワー」といえば、テレビの視聴率のもっとも高い時間のことだから、「ゴールデン・スペース」というのも当然、広告で、人々のもっとも関心を集める部分のことにちがいない。さて、それはどういう部分かと思ったら、新聞広告やポスターなどで、字も絵もなにも印刷されていない部分のことなのであった。
ついでにいうと、絵やグラフ、図形などが描かれている部分は「シルバー・スペース」であり、活字だけがぎっしりつまっているのは「カッパー・スペース」と呼ばれてもっともばかにされているそうである。
話にこれをあてはめれば、沈黙が金で、少ないおしゃべりが銀で、長談義が銅、ということになるか。
しかし、こんなふうにストレートにおきかえてしまっては正解ではないだろう。
広告の余白部分がゴールデンなのは、やはり、無地自体が値打ちを持っているのではなくて、白地の大きさやあざやかさによって、絵や字の意味のある部分が引き立てられるからである。
沈黙もそうである。
さきに、話し上手の裏づけがあって無口は光る、と書いたが、これは正確にいうなら「無口によって話し上手が光る」でなければならない。沈黙は白地なのだ。それがどんなふうに話を引き立てるかによって純金か、十八金か、メッキの金かに分かれてくる。
無口は、だから、必要以上に恥じることでもないし、逆に、格言を鵜のみにして自慢してみせることでもない。
無口は無口なりの効用はあるし、そんなに損なことでもない、と気を楽に持つことができれば、すでにその瞬間からして、無口の災いはその人から去っていっているはずである。
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第七章 相手と同じ大きさの声で話そう
映画とテレビはどう違う
近ごろ、講演を頼まれることが多くなった。座談会や対談と違って、講演は苦手なほうなのだが、結局、引き受けてしまうことが多い。
地方に出かけることも多い。地方文化の興隆現象の一つというか、地方の中小都市に、びっくりするくらい立派な市民文化会館と称するものが建てられている。そういうところで話をするのだが、引き受けるに当たって、いつも一つだけ注文をつけさせてもらう。
立ったままでは閉口だから椅子にすわって話をさせてほしい。
できることなら聴衆と同じ平面に椅子をおいて、座談風にしゃべらせてほしい。
こういう注文で、二、三十人ぐらいの小人数の場合はたいがい聞いてもらえるが、百人以上の聴衆が予想される場合は、駄目なことが多い。
会館の中で一番大きいホールが講演会場になるから、ステージがあり、その中央にものものしい演台がある。椅子にすわると、演台にさえぎられて、客席から私の姿が見えなくなる。
「大変でしょうが、ひとつご辛抱願います」
係の人が申し訳なさそうな顔で頭を下げる。それ以上駄々をこねるわけにはいかないから従わざるをえないが、これが講演を苦手とする理由の、実は、一つでもあるのです。
私が椅子を用意してほしいと言うと、相手の顔にチラと、
(なんだ、案外、軟弱なんだな)
といった表情がうかぶことがある。
たった一時間半ぐらいの間、立っていられないものかねえ、というココロである。
ちなみに、講演時間について言うと、私の場合は一時間では短すぎるし、二時間では長過ぎる。一時間半前後というのが、もっとも話しやすい。どうしても二時間やってくれとか、一時間でおさめてくれ、という場合もあるが、この場合は一時間のほうが聴衆の反応がいい。
二時間というのは、講演には長過ぎる時間だろう。二時間といわれた場合、私はかなり頑強に一時間半に値切る。
(あんまり言うから一時間半に負けてやったのに、それっぽちの時間でも立っていられないのか)
と口に出して言われれば、反論できるが、相手はチラと顔色に出すだけだから、わざわざこちらから理由を陳述することもない。相手の思うままにしているが、椅子を出してもらう理由は、聴衆に対して、話し手であるこちらの位置をできるだけ低くしたいからである。
演台を前にして直立すると、どうしても、胸を張り、腕を振り上げる社会党スタイルになってしまう。|獅子吼《ししく》、というやつで、あれが私には苦手なのです。
第一、柄じゃない。
もっと基本的な理屈をいうと、多くの人々に対して、高いところから話しかけるのがいやなのである。高いところからのほうがピッタリする内容の話もあるだろうが、私はそういう話の持合せがない。
私は生来、おしゃべりなたちだが、私の好きなおしゃべりは、酒場での仲間たちとの放談や、うちで食卓でむかい合いながらの女房との雑談であって、四角四面に改まらなければならないおしゃべりはほんとうに閉口なのです。
自分の考えていることをできるだけ多くの人たちに聞いてもらいたい、理解してもらいたい、という欲求は持っているから、講演の依頼は引き受けるが、できることなら、普段のようにしゃベりたい、それが自分の考えを他者に伝える最良の方法でもある、と思うがゆえに、椅子にすわらせてくれ、と注文するのである。
人間の視線の角度というか、位置というか、これはその人の心理に大きな影響を及ぼすものらしい。
映画スターとテレビの人気役者とでは、映画のほうが格上だとする常識がある。
今は、映画産業は昔日の勢威なく、映画スターといっても、往年の大女優、大俳優にくらべるとずいぶん小粒になっている。それでもなお、テレビ・タレントよりは手厚くもてなされる風潮がある。
その理由を、
(映画スターは観客から「見上げられる」存在であり、テレビ・タレントは「見下される」存在だからだ)
と私は推測するのだが、どうでしょうか。
映画館の観客席から銀幕に注がれる視線は上を見上げる目である。一時間半ないし二時間、人々は見上げっ放しの視線をスターに送りつづける。
「見上げる」には「人物、力量などがすぐれていると認める」という意味もある。
かつての銀幕のスターたちは、まさしく偶像であり、雲の上の存在であった。心酔したファンはスターを神聖視し、原節子はオシッコをするかしないかで本気で論争した大学生もいたという。
いつも上げてばかりいると、そんな錯覚を起こしてしまうのである。
テレビは、まっすぐか、もしくは見下すかたちで人々は見る。「見下す」には「さげすむ、ないがしろにする」の意があることはご承知のとおり。
テレビの視聴率は映画をはるかに超えたが、生粋のテレビ出身者で、原節子や高峰三枝子や吉永小百合のように偶像視されるに至った者はない。テレビのスターたちは気やすく、親しい、友だちという感じである。
相手を見上げるのと、見下すのとではこんなにも違う。
だからこそ、相手より高く位置して、相手を見下すようにしなければいけないのだ、と考える人も勿論いるだろうが、私は、そんなふうには考えない。考えたくない。
だから、講演の時には椅子にすわらせていただく。たかだが一時間半ぐらいの間、立ちつづけるのがしんどいからでは決してありません。
上下の関係が狂ってきた
もう何年か前のことになるが、リクルート・センターが新橋の土橋際に大きな新社屋を建てた。その落成記念パーティーに|招《よ》ばれてひどく感心したことがあった。
来賓たちがつぎつぎに壇に上って、祝賀のスピーチをしたあと、社長の江副さんが短い挨拶をされたが、壇には上らず、やや腰をかがめ加減にしておられた。
当然、視線は、客たちを下方から見上げるような形になる。
これが礼儀の基本であろうが、近ごろ、このような形の挨拶に接したことがない。珍しく、それだけに心を打たれた。俗な言い方だが、出世する人は違うものだな、と感じ入ったものだ。「目上」「目下」と言う。文字通りの表現で、地位高き者、身分貴き者は、目の位置は上になくてはならない。低く、卑しき者の目は下方にひかえていなくてはならない。
見下す者は上の者であり、見上げる者は下の者である。
近頃の若者たちが礼儀をわきまえぬようになったのは、彼らが一様にノッポになったせいもあるだろう、と私はかねがね思っている。それに加えて、畳の部屋がなくなり、万事、西洋風の椅子座式になったこと。この二つが組み合わさって、目下であるべき若者が、目上の人々を見下す非合理な光景が現出するようになった。
昔だって、青年は老人より発育がよく背も高かっただろう。だが、畳の上での作法はなかなか重宝にできていて、身長の差を自在に補うことができる。
そもそも、あの畳という代物、部屋いっぱいに敷きつめるようになったのはずっと後代のことで(室町時代の末、とも、もっと後だとも言われている)、平安時代は、板敷きの間の一部に畳を置いて、貴人だけがその上にすわった。うんと偉い人になると、二枚、三枚と重ねて置いた。
目下の者は板敷きの上にひざまずくのだから、これではいくらノッポでも畳の上の人にはかなわない。下人、下郎になると、板敷きの間にさえ上げてもらえず、土間に平伏させられたから、畳の上にいる人を見るには、天を仰ぐくらいにあおむかなければならなかった。
床の間も、今は掛軸や花を飾るだけの場所になっているが、豊臣秀吉なんかは、床の間に大きな座蒲団を敷いてすわり、家臣を謁見した。あれも、目上の人間が文字通り目上になるための仕掛けだったのである。
部屋いっぱいに畳が敷きつめられて、物理的に上下の差がつけにくくなっても、下の者が上の者と対座して話をする時には、両手を畳の上について、上体を前に倒す。頭の位置は必然的に下り、相手を下から見上げる形になる。相手との身分差を測り、それにあわせて上体の倒し加減を調節する。その調節を間違えると、
「|頭《ず》が高いッ」
と叱られることになる。まことにうまいあんばいになっていたのだ。
それが椅子座式に生活様式が変わって以来、調子が狂ってきた。
ヒラ社員が失敗をやらかして、課長に呼びつけられる。デスクを間にして、ヒラのほうは直立している。それも一八〇センチもあるノッポだ。課長のほうは椅子に身を沈めているから、目の位置はヒラのへそのあたりでしかない。
「目上」は、へまをやらかしたヒラのほうで、課長のほうが「目下」になる。相手を見上げながら叱言を言っても迫力が欠ける。
叱りつけることを俗に「雷を落す」と言う。雷は上から下に落ちるものであって、下から上に持ち上げるものではない。相手を見上げながら文句を言っても「雷を落した」ことにはならないのである。効きめも薄い。
だから叱られたヒラ社員は、大してこたえもせず、気軽にまた同じへまを繰り返すことにもなるのだろう。
芸者は客の座敷に出て、座蒲団を当てない。少しでも体の位置を低く、目の高さを下にするためである。芸者が客を見下すようにすわったりしては、それこそ冗談ではないのである。
いまのホステスはそんな気づかい、心くばりとはまったく無縁である。座敷と違って、椅子式の酒場の構造にも罪はあるのだが……。客はクッションのよく効いたソファにすわらされるから、体はふかぶかとソファに沈みこんでしまう。ホステスのほうは堅いストゥールなんかに腰かけて客に対する。
発育のいい若い娘の顎のあたりに、客のハゲ頭がくる。物理的にはまぎれもなく、ホステスが「目上」で、客が「目下」である。
冗談を言ってからかっても、もうひとつ、きまらないのもやむをえない。
生活様式の洋風化が下剋上に拍車をかけている、と言っていいだろう。
威張りたがり屋の政治家たちが酒場より料亭、待合の座敷を好む理由も分かるというものだ。
だが、その座敷での作法にも洋風化の侵蝕がはじまっている。
先だって、さる知名人の祝宴に招かれた。
新橋の一流料亭で、もちろん畳の座敷であった。
客たちの顔がそろったところで、主人側の介添えをつとめる人が開宴の挨拶をした。
「それでは、一言……」
と言って立ち上ってしゃべりはじめた。
椅子式の宴席で、立ち上る習慣がついてしまったのだろう。ご本人は立ち上ったことに違和感を持たなかった様子だったが、挨拶を聞く側としては、いかにも居心地が悪かった。こちらは膝をあわせてきちんと正座している。頭上から大音声が落ちてきて、なんだかお説教をくらっているような気分だった。
挨拶の言葉は丁寧だったけれど、介添人が客を見下してはいけない。
同じ平面に立って
「話し上手は聞き上手」ということわざがある。
「話し上手は、しゃべることが達者だけではいけない。人の話を上手に聞く人が話し上手である」とことわざ辞典には解釈されているが、私はもう少し意味を拡げてみたい。
話す、というのは言葉によって他人に自分の意思や感情を伝えることだが、それが一方的伝達になっては、ほんとうの意味での話すことではない、と思う。一方的伝達は、命令、通達、であって、話ではない。
話しあう、という言葉があるが、これがほんとうの話なのである。
自分の話を相手によく聞いてもらうためには、相手の話もよく聞かなければならない。相手のことはお構いなしに、自分の思っていることだけを相手に押しつけようとしても、相手はそっぽを向くだろう。どんなに話し方がうまくても、名文句を使っても、相手が心を閉ざしてしまえば、こちらのしゃべっている言葉は相手の耳には入らない。
話しあうために、いちばん大切なことは、こちらも心を開き、相手にも心を開かせることだ。相手の心を開かせるために必要なのはその話を聞くことだ。
仕事柄、対談や座談会に招かれることも多いが、私は、できるだけ相手の話を聞く側にまわるようにつとめている。
若いころはそうじゃなかった。ひとりでしゃべりまくり、気がついたら約束の時間が来てしまった、というようなことがしばしばあった。それでも、そのころは、それで満足していたから馬鹿なものだ。ひとりでしゃべりまくるのは、排泄感に似た一種の快感はあるが、それだけのことだ。
相手がシラけているのにも気がつかぬ、自己満足の見本みたいなものである。
私のようなおしゃべりの人間は、相手の話を聞くことを専一にするぐらいに心がけていて、それでも実際には半々ぐらいになる。自戒しなければいけない、と気がついたのは、五十歳を過ぎてからのことだ。
今は、講演でも、気持ちとしては「話しあい」のつもりでやることにしている。
勿論、実際には、聴衆のほうから私にむかって話しかけてくることはない。政談演説ではないから野次を飛ばす人もいない。完全に一方的な話しかけである。英語では、こういうのをストレート・トークというらしい。
ピッチャーが投げるストレートの球は、ものの見事に打ち返されることがあるが、話のほうのストレートは一方通行である。
しかし、話している私の気持ちとしては、あくまで話しあいでありたい、と願っている。
聴衆の顔を見る。その表情の変化をうかがう。聴衆は口に出してこそ私に答えてはくれないけれども、その表情でちゃんと私にむかって話しかけてくれるのだ。そう思って、私は聴衆の顔を見る。見ながら話を進めてゆく。
大勢の人にむかって話をする時に、全部の顔を見ようとしてはいけない。ほんの数人に的を絞って、その人たちの顔だけを交互に見るようにしたほうがいい、と聞かされたことがある。
たしかにその通りで、私もそのようにしているが、私の場合は、大きなホールで舞台のすぐ前の席にいる人は見ないことにしている。
最前列にすわって私の話を聴いて下さる方は熱心な人が多く、大事にしなければいけないのだが、ステージの上から最前列の席を見ると、ぐっと見下す感じになる。それが困るのである。
話しあいは対等でなくてはならない。一方が他方を見下す感じでは話しあいにならない。だから私は、客席の中央部あたりの何人かに的を絞ることにしている。実際の高さでは、それでもステージの上の私のほうが高いのだが、視線をあてた感じでは、ほぼ同じ平面上という感じになる。
同じ平面に立つ、というのが話しあいの基本であろう。
人との話は同じ平面でしなければならない。どんな場合でも、だ。
大声の利点と欠点
話すことは音声によるコミュニケーションである。声が大事であることはいうまでもない。
いい声のほうが悪い声よりは、話し相手に好感を持って聴いてもらえることも当然だが、声のよしあしは、容貌と同様、生まれつきで仕方ない。訓練で多少はよくなることもあるだろうが、それも程度問題だろう。
私なんかも、カン高いくせにフガフガと鼻に抜けて、きわめて悪声である。こればかりはどうしようもない。
自分の意思でどうにかなるのは、声の大小ぐらいのものか。
これだって、生まれつきの大声家と、内緒話をするような小声でしか話せない人とあって、そう自由自在とはいかないかもしれないが、美声悪声の違いよりは、気持ち次第で左右できるものだろう。
で、声の大小だが、
〈相手と同じ大きさの声で話す〉
ことを勧めている人がいる。
読売新聞大阪本社の編集局次長の職にある黒田清氏である。社会部長時代には「戦争」展覧会を企画、主宰して話題をまくなど高名な新聞人である。私も読売新聞社に勤めていたが、東京本社勤務であったし、中途退社したので、直接には面識はない。
黒田氏はその著書『新聞記者の現場』の中で、
「私はインタビューのコツといったものを一つ持っている。これは相手と同じ大きさの声で話すということである」
と書いている。
そして、そのコツを活用して成功をおさめたインタビューの例をいくつか紹介している。
その中で、野村証券の奥村綱雄氏との話が特に面白かった。
大衆投資ブームのころで、株の話を経済面ではなく、社会面でやろう、ということで、黒田氏は当時野村証券の会長だった奥村氏に会いに行く。その時の模様を、
「……話を聞き終えた時、三時間近くたっていた。その間、私は奥村氏と同じ大きい声で受け答えしていたので、終った時にはぐったりしたが、その成果は十分あった。その時、奥村氏は、君は元気ないい記者だと言って、瓢箪型の煙草入れをくれた。今も来客用に使わせて頂いている」
と黒田氏は書いている。
作家の開高健氏は文壇三大音声の一人といわれるほどの大声の人だが、黒田氏は開高氏とも大声で話しあって意気投合している。
〈相手と同じ大きさの声で話す〉
と言うのは、相手が大きな声を出せば大きな声で、相手が小さな声ならこちらも小さい声で、ということだろう。
同じ平面上に立って話しあう、というのと相通ずるところがある。
相手が大声で話しかけてきているのに、こちらが蚊の鳴くような声では、相手の気分をこわすことは必定だ。
逆の場合も同様だろう。
強く打てば大きく鳴る。弱く打てば小さく鳴る。これがまともな対応というものだろう。
話というのはどんな場合でも一方通行であってはならない。声の大きさもそうで、相手が大声なのに、それに対応しようとしないのは、両者の間を一方通行にしようとしていることにほかならない。
〈相手と同じ大きさの声で話す〉ことは、インタビューの場合に限らず、人と話をする時に心がけていいことではないか。
ところで、面白いのは、このインタビューのコツの話で、黒田氏が挙げる例がもっぱら大声のほうばかりなことだ。相手の小声に合わせて、自分も小声で話して成功したという例がない。察するところ、黒田氏は地声の大きい人なのだろう。
私もかなり大声のほうで、我田引水と言われるかもしれないが、大声礼讃論を雑誌に書いたこともあるし、講演でしゃべったこともある。
大声の美点の第一は、嘘やごまかしが言いにくい、ということだ。
例外はもちろんあるだろうが、普通の人の場合は、大音声でまっ赤な嘘はつけないものだろう。
急に女の子とデートの約束が成立して、自宅に電話をかける。
「きょうはちょっと遅くなるよ」
「お仕事?」
「うん、取引先の人を接待することになってね」
「あら、そんな話、全然してなかったじゃないの?」
「うん、急な話なんだ」
「ほんとう?」
「うん」
と女房とやりとりする場合、なかなか大きな声は出せないものだ。
会社の新入社員の研修会で一席を、と頼まれることがある。
そんな時、私は、
「大きな声で話しなさい。これが社会人第一歩の教訓ですよ」
と言うことにしている。
大きな声でごまかしの報告はしにくい。
ふだん大声を出している男が、急に小さい声になったらなにかうしろめたいことがある、と誰にもすぐ分かる。
だからふだんから小さい声にしておいたほうがいい、と考える人もいるかもしれないが、それは自分で墓穴を掘っているようなものだ。
大きな声は、嘘、いつわり、ごま化し、ひいては悪事への歯止めなのだ。
と言ったことをしゃべる。
「大声の人に悪人はいない」
と調子に乗って言ってしまうこともある。だからこそ黒田氏の説に強い共感を覚えたのだが、世間には地声が小さい人も少なくない。
そういう人たちに対して、自分の地声が大きいからといって、それを抑えずにどんどんしゃべるのはどうだろうか。
やっぱりよくないと思う。
大分以前のことだが、
「あんたとしゃべると威圧されるようで不愉快だ」
と言われたことがある。その人も声が極端に小さい人だった。また、
「声の大きい奴は下品だ」
という意見を聞かされたこともある。
たしかに、電車の中や、多人数の会席の席上などで、ずっと離れた席の人にまで聞こえるような大声でしゃべっている人は、がさつに思える。
相手に合わせ、その場の雰囲気に合わせて、相手や周囲と同じ大きさの声で話すべきものだろう。
言葉数にせよ、声の大きさにせよ、なんにしても一方通行は禁物だ、と重ねて言いたい。
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第八章 プロの話し手のここを学ぼう
飛躍的にふえたプロフェッショナル
プロの「話し家」たちはどんなふうにしゃべっているのか。また、どんな訓練や工夫をしているのだろうか。
話すことでメシを食っている人、つまりプロフェッショナルな話し手というのは、昔は落語家、講談師、漫才、漫談家、活弁(無声映画の説明をする弁士)などといった話芸を売り物にする芸人しかいなかったが、ラジオやテレビの放送が普及した今日では、比べものにならないくらい多数の、また多種多様なプロフェッショナルが生まれている。
まず、放送局の社員である本職のアナウンサーがいる。そのアナウンサーもそれぞれの得意を生かしてニュースを読む人、スポーツの中継放送をする人、歌番組や寄席番組など娯楽番組の司会、進行役をするなど、さまざまだ。
フリーランサーではニュースキャスターと呼ばれる人やディスクジョッキー、パーソナリティーやニュース・ショーの司会者などがいる。そのほかにプロ野球や大相撲、プロレスなどあらゆるスポーツの中継放送にはアナウンサーとコンビを組む解説者がいる。
インタビュアーや対談のホスト役もいる。
これらのプロフェッショナルの周辺には、セミプロの輪がまた大きくひろがっている。
ニュースのコメンテーターとしてレギュラー出演している新聞記者や天気予報をしゃべる気象協会の人、交通情報を伝える警視庁や各県警のウグイス嬢、それにテレビやラジオの常連になっている各分野の評論家と称せられる人たち等々、プロとほとんど変わりがないくらい達者な話し手が少なくない。プロを山の頂上、セミプロを中腹とすれば、頂上が高く、中腹が大きくなればなるほど、すそ野もまたそれにつれてひろがるわけであり、一般市民の社会生活のなかに、話をしなければならない機会が昔に比べてはるかに多くなったのも当然のことといえる。
街頭でいきなりマイクを鼻っ先につきつけられて、
「有事立法をどう思いますか」
などとたずねられる時代である。自分の意見をいつでも的確に他人に伝えられるだけの能力はあったほうがトクであることは間違いない。少なくとも損にはなるまい。上手に話したいという欲求が非常に増えたのも当然である。
山頂や中腹の景色を紹介することは、そういう意味から、ふもとに立つ人々の欲求にこたえるものであろう。必ずしも直接的な役に立つとは限らないし、私の個人的感想ではプロではない人があまりにプロ的な話し方をまねることは好ましいことではないと思うのだが、基本的な心構えを学ぶということからいえば、山頂の景色を知ることは悪くないことであろう。
私は自分では文筆業が本職だと思っているのだが、妙なめぐりあわせで、ラジオ、テレビの世界と縁が深くなり、おしゃべりのほうでもいつのまにかセミプロのはしくれぐらいには世間から見られるようになってしまった。
初めてマイクの前に立ったのは昭和三十八年の七月二十七日で(この日が偶然、私の誕生日なのでよく覚えているのです)、それから今日まで、ラジオ、テレビの電波に悪声を流した回数は、正確に数えたことはないが千回は超えているだろう。それでいながら、まるでうまくならないのだから自分ながらまったく情けないのだが、なぜ、私はうまくならないのか、それに反して、他のプロフェッショナルやセミプロたちは、なぜそれぞれの持ち味を十分に生かしきることができているのか、そのへんのことを私なりの見聞から紹介してみたいと思う。
バツグンにうまいアナウンサー
数多いプロの話し手のなかで、言葉のしゃべり方という点ではアナウンサーが抜群にうまい。麻雀でいうならダントツの一人トップというところである。
個人的に放送とはまったく縁がなくて、一視聴者として聴いていた時代にはそれほどにも思わなかったが、彼ら、あるいは彼女たちの肉声を近くで聴き、その仕事ぶりをそばで見るようになってからは、ただただ感心するほかない、という気持ちになった。
また、あれは天賦の才を要するものであって、訓練すればなれるというものではないこともわかった。
「大きい声は地声だァ」という脅し文句があるが、専門家にいわせると、地声なんてものはない。あるとしてもごくわずかな要素であって、人間の声なんて訓練次第でどうにでもなるそうだが、アナウンサーだけは例外ではないかと思う。悪くいえばトーキング・マシンで、あれは機械の声だ。アナウンサーというのはそういう正確無比な機械を内蔵している別あつらえの人間にちがいない。
「アナウンスメントの基本は――声の大小、強弱、高低の使い分け、センテンスの長短の区切り方、スピードの変化、それと間合い。さらにつけ加えれば、|明瞭《めいりよう》度であろう。これらの要素を自由自在に駆使するのが話術であろう」
と元TBSアナウンス室長の近江正俊氏があるところに書いているのを読んだとき、私はゴルフに関する大岡昇平氏の“名言”を思い出し、吹き出してしまった。
推理作家協会賞を受賞した小説「事件」もそうだが、大岡氏は徹底的に資料を調べて作品を書く人である(そうでない系列の作品もあるが)。ゴルフを趣味としてはじめるに当たって大岡氏は古今東西のゴルフの文献を渉猟して、検討分析しつくした。そのおかげで、ハンデ50でゴルフの技術書を世に問うという快挙(?)をなし遂げた。
だが、肝心の腕前のほうはいっこうによくならない。せっかく読みあさったゴルフ文献の知識をすっかり忘れたのかね、と友人にひやかされたら、大岡氏はしぶい顔をして、
「忘れるものか。ドライバー・ショットはこうすればまっすぐ飛ぶという|秘訣《ひけつ》だって、五十や百は頭につまっている。ただ問題は、ボールを打つ瞬間、そのおびただしい教訓を一瞬に思い出せないだけさ」
といったという、有名な逸話がある。それを思い出したのだ。
近江さんの指摘するアナウンスメントの基本は、たしかにその通りだろうが、そんなにたくさんの要素を、舌を動かすときにいっぺんに思い出せるわけがないではないか。それができるのは天賦の才を持ったアナウンサーだけであって、普通の人間には無理なことだ。
私はラジオ局の中では文化放送との縁が一番深く、昭和四十年十月に初出演して以来、今日まで数えきれぬくらいいろんな種類の番組に声を出させてもらっている。局の人たちとも一緒に旅行にいったり、徹夜で酒を飲んだり、麻雀をしたり、親しいつきあいをしているが、その一人である吉村育夫さんの著書『ラジオ・グラフィティ』で、アナウンサーの試験のむずかしさを知って、ますますアナウンサー諸君諸嬢を尊敬してしまった。
短いセリフを試験官が指定したシチュエーションでしゃべらせるわけ。たとえば「母さんぼくのあの帽子、どうしたんでしょうねえ」――このセリフを“少年”の気持ちでしゃべってみなさいとか、いや“中年男”が回想する感じでしゃべってとか、そのお母さんはすでに亡くなってて、母親のお墓の前で問いかけるようにしゃべってみろ、とかね。それぞれニュアンスが違うはずだよね。それをわかったうえで表現できるかどうか、だ。
そんなことできるわけがないじゃないか、と私は思わずにはいられない。「ぼくのあの帽子どうしたんでしょうねえ」といっただけで、母親がすでに死んでいること、いま、その母親の墓前にいることが聞くものに想像されるようにしゃべろといったって、それは無理難題というものではないか。
だが、この無理難題も最終テストではないのである。これは第二次音声テストのレベルであって、これにパスしたあと筆記試験があり、これもパスしたあと、さらに三次音声テストが行われる。こうして、二千人近い受験者の中から三、四人のアナウンサーの卵になる。その卵が必ずかえるものでないこともまたいうまでもない。
入社して三か月の養成期間に「お前はアナウンサーに向いていない」とらく印を押され、他の部署に転出させられるものもいるし、自分から退社するものもいるそうだ。
読解力が決め手になる
アナウンサーをトーキング・マシンと先に記したが、厳密にいうと、正しくない。すぐれたアナウンサーにはそのプラス・アルファが要求されるのである。
読解力、とでもいおうか。
同じ原稿のニュースを読んでも、アナウンサーによって、聞き手に与える印象が随分違う。読解力の差から生じるものである。
同じ楽譜を演奏しても、指揮者によって非常に違う。音楽のほうではこれを指揮者の解釈力というが、これに相当するのが読解力だといえるだろう。
読解力を左右するのはいうまでもなく、情報量だろう。放送局ではニュースを読むアナウンサーが最右翼にランクされる。一般には野球放送を担当するアナウンサーのほうが人気もあるし、しゃべる言葉数だって比べものにならぬくらい多いが、それでもニュース・アナのほうがスポーツ・アナより上なのは、ニュース・アナのほうがより深い読解力を要求されるからであろう。
料理番組担当のアナウンサーも一生懸命勉強しているが、ニュース・アナはもっと勉強している。せざるを得ないのである。
警察庁が全国の暴力団の現況を発表する。
微減しつつあるが、それでもなお全国で二千五百二団体の組織があり、構成員は十万八千人を数える。また、推定される彼らの不法収入は昨年一年間で総計三百三億四千万円に達する。これらの不法収入は、主として麻薬、覚せい剤の密売、私設馬券、企業恐かつ、とばく、ヤミ金融、売春あっせんなどの不法行為によるものである、といった内容のニュース原稿がアナウンサーの手元にまわってくる。
原稿を文字通り、一字一句正確に読むことはもちろん最低必要条件であって、ニュース・アナになるくらいの人ならだれでもできる。
では、読解力とは何か。
〈へえ、三百億円も不当にかせいでいやがるのか、けしからんな〉
と思いながら読む。これでは小学生なみの読解力でしかない。
〈三百億円を十万八千人で割れば、一人当たり二十万ちょっとかな? とにかく三十万円にもならんだろう。一年間の稼ぎにしてはばかに少ないじゃないか。最近の暴力団は△△興行などといった看板をかかげて、表面上は合法的な金もうけをしている連中が多いからな、そうした収入はこの推計には入っていないにちがいない。暴力団の“近代化”が三百億円という意外に小さい金額になってあらわれているわけだ。ええと、そうだ、こないだ国税庁が大法人のこの一年間の申告所得を発表したが、一位がトヨタ自工で、たしか二千二百億円だったな。全国の暴力団が束になってかかっても、その足元にも及ばない。暴力団はいくら“近代化”で合法的にかせいでいるにしても、しょせん小さく貧しい世界にすぎない。とくに末端のチンピラやくざは経済的にも楽なはずがあるまい。そうした現実を知らない愚かな若者が映画なんかのやくざの姿にあこがれて暴力団の世界に飛びこむわけか〉
こういったことを考えながら読めば、おのずから声の調子も違ってくるだろう。
スポーツ放送だって同じことだ。
旭国と高見山の取組で、旭国が「とったり」で勝つのと、高見山が「とったり」で勝つのとでは天と地ぐらい意味が違う。その違いがわからないものが相撲放送を担当したりすれば、抗議の投書が放送局に殺到することは間違いない。
単なるトーキング・マシンであってはアナウンサーはつとまらないのである。
パーソナリティーがなぜもてる
パーソナリティーと呼ばれる人々が放送の、とくにラジオの世界で活躍している。
近ごろはやたらにカタカナ語が飛び出してくるので、私みたいに英語にヨワい人間は閉口する。五十一年秋から五十二年の春にかけてNET系(制作は大阪の朝日放送)で「日曜天国」というニュース・ショー番組があり、これに私は将棋八段の芹沢博文さんといっしょにレギュラー出演した。芹沢さんは司会役である。私はその補助役であった。
「アシスタントですね」
といったらプロデューサーは、
「いえ、いえ、とんでもない。チューターをやっていただきます」
といった。tutor はふつうは家庭教師とか大学の講師とかを指す言葉だが、後見人の意味もある。プロデューサーはどうやらその意味でいっているらしかった。ものはいいようだな、と私は笑ってしまった。私のほうが芹沢さんより十歳ほど年長なので、アシスタントといってしまうのは気の毒だと思ったのだろう。
さて、personality だが、研究社の英和中辞典には、
人としての存在、人であること、人格
人格、人品、人柄
(その人特有の)性格、個性
個性のある人、(ある方面の)著名人
人物の批評、人身攻撃、|誹謗《ひぼう》
(まれに)動産
とある。どの語釈をとっても、実際に活躍しているパーソナリティー諸氏とはぴったり結びつかない。強いていえばであろうか。
「現代用語の基礎知識」には「パーソナリティー番組」について、
「……聞き手と個人的に接触するようなかたちで、その強い個性で訴えかけていく役割がパーソナリティーだが、マス(不特定多数)を対象にしながら、じつはパーソナル(個人的)な接触のしかたのされるラジオでは、このパーソナリティーを中心とした番組が重要視され、パーソナリティー時代を迎えたという声がきかれる」
という説明が与えられている。
具体的に名前をあげると、
山谷親平、前田武彦、土居まさる、芥川隆行、高島忠夫、神津善行、中村鋭一、永六輔
などといった人々がパーソナリティーなのである。
まれには文化放送の細田勝のように、放送局の社員(アナウンサー)でありながらパーソナリティー番組を持った人もいるが、だいたいパーソナリティーはフリーランサーである。そうしたところにもパーソナリティーの一つの性格がみられる。
役人よりは民間会社のサラリーマンのほうが、サラリーマンよりは自営業者のほうが、気楽にものをいう。大臣よりは小説家のほうが率直な意見を述べる。気楽、率直というのは個性的だということでもあろう。フリーな立場というものがその人の発言を個性的にするのである。
放送局には、前にも述べたごとく、すぐれた素質を持ち、丹念な教育を受けた有能なアナウンサーが何人もいる。一日の全放送時間をカバーするのに不足することはない。それなのに、各放送局とも何人ものパーソナリティーを導入して、番組の柱にしている。
ことに目玉番組には必ずパーソナリティーを入れて、局アナには任せない。
テレビでも同じである。視聴率の高い夕方のニュースは局アナではなくてキャスターが主柱になる。入江徳郎、古谷綱正といった人が長い間茶の間の人気を得ている。遠慮なくいわせてもらえば、入江さんはかなりひどい訛りだし、古谷さんも近ごろはお年のせいか、舌がもつれることが再々ある。しかし、それでも、テレビ局はこのお二人に代えて、若くて歯切れのいいアナウンサーを使おうとはしない。
なぜだろうか。
アナウンサーは単なるトーキング・マシンではつとまらない、と先に書いたが、それでもパーソナリティーに比べれば、やっぱり、よりマシン的であることは否定できないだろう。放送の聞き手はマシンの話より人間の話を好む。だからアナウンサーが後退して、パーソナリティーが脚光を浴びるようになったのだと、結論を端的にいってしまっても間違いではなかろう。
先に紹介した文化放送の吉村育夫さんの本『ラジオ・グラフィティ』の中に、
〈パーソナリティーのしゃべりは普通のしゃべりだ。聞く人に感じよくしゃべればいいので、そういう意味からすればだれにでもなれるものだといえる。もちろん、だからアナウンサーはたいていパーソナリティーになる。しかし、その逆は成立しない〉
という意味のことが述べられており、その好例として、永六輔さんがあげられている。
永さんは第一級のパーソナリティーだが、アナウンサーの試験を受けたら一次音声テストの段階で落ちてしまうにちがいない、と吉村さんはいうのである。
私もそう思う。あの甘ったるい奇妙な声でニュースを読まれたら、聴取者は戸惑いを感ずるにちがいない。
永さんの例が出たついでにいうなら、永さんには非常に熱烈なファンが多いが、同時に「きらいだ」という人も、少なくとも私の聞いた限りではかなりいる。
NHKのニュース・アナ(だれでもいい、あなたがとっさに名前を思いうかべられる人を考えてみてください)に対して、「きらいだ」という感情を持っている人の数と、永さんをきらいだという人とを比べれば、後者のほうがずっと多いだろうと思う。
アナウンサー試験をうければ落ちる、きらいだという人は多い、となるといかにも永さんはだめな話し手のようだが、もちろん、そんなことはないのであって、永六輔の放送タレントとしての|稀有《けう》の才能とその業績は、放送史に永久に残るぐらいのものだといっていい。NHKのニュース・アナの名は残らないが、永六輔は残るのである。
アナウンサーはパーソナリティーになれるが、パーソナリティーはアナウンサーになれない。この定言は、軽率に聞くと、アナウンサーのほうがパーソナリティーよりむずかしい商売のように思えるが、そうではない。
両者を|秤《はかり》にかければ、パーソナリティーのほうが重い存在なのである。だから、人々はパーソナリティー番組を好み、放送局はすぐれたパーソナリティーの発見に懸命になっているのである。
「そんな女房はたたき出せ」
山谷親平さんは現代ではもっとも人気のあるパーソナリティーの一人である。私もテレビやラジオの仕事のうえで何度かお目にかかった。
明るくてさっぱりした気性はだれにも好感を持たれるだろうし、その気性がそのまま形にあらわれたようなお顔もいい。
いまは非常に幅広い仕事をなさっておられるようだが、山谷さんの人気の中心はニッポン放送で何千回かつづいている人生相談にあるだろう。
私もテレビの身上相談番組はもう三年ほど出つづけているが、とても山谷さんのようにはいかない。
こんな相談があった。
相談者は三十八歳になる男性で、奥さんがほかに男をつくり、それを責めると、もうあんたなんかと一緒にいたくないからハンコを押してくれと離婚届を突き出した。どうしようか、という相談である。
山谷さんは一刀両断にいった。
「どうしようかって、あんた。奥さんがほかに男をつくったんでしょう。たたき出しちゃいなさいよ、そんな女は。私ならそうするね」
相談者は電話だから顔は見えないが、面くらった様子が声にありありとうかがわれた。
「だって、それじゃア悔しい。腹の虫がおさまりません。反対の場合を考えてみてください。私が女をつくって、女房に、もうお前と暮らしたくないから離婚届にハンコを押せ、といっても女房は押さないでしょう」
一応、理屈の筋道を立てて相談者は反論してきた。しかし、山谷さんはそんな理屈にはまるで耳をかさない。
「それじゃアあんた、奥さんから慰謝料でもとろうってんですか。あんた、男でしょ。男がそんなことを考えちゃいけないよ。浮気した女房はたたき出すんですよ」
これが家庭裁判所の調停だったら、こんなぐあいにはいかないだろう。妻が不貞を犯した相手の男性に対して慰謝料を請求する権利があなたにある、とかなんとか法律的な理屈をこまごまと説明するのがまず常道だ。山谷さんのような回答は邪道もいいところだ。
しかし、聞く人の心に深く食いこむのは山谷さんの言葉であろう。そこには個性の強烈な発現がある。これがパーソナリティーの真骨頂である。
前田武彦さんもすぐれたパーソナリティーである。
いま、前田さんは文化放送で「マエタケの朝は自由大通り」という番組を持っている。この番組に私は毎週火曜日、ニュースキャスターとして出演し、ニュースにコメントするとともにそれに関連して、前田さんと意見を交わしあっている。まだ半年あまりのおつきあいだが、好ききらいの実にはっきりした人だな、という印象が強い。
ときには意見がくいちがうこともあり、私からすれば前田さんのほうが正しくないのじゃないかな、と思えるときもあるのだが、そういうときに生なかに妥協はしない人だ。きらいなものはきらいとはっきりいう。そこに前田さんの持ち味がある。偉いと思うし、うらやましいとも思う。
これは推察だが、前田さんも永さんと同じように、熱烈なファンとアンチ・前田派とを併せ持っているのではないだろうか。
大ファンレターも来ないかわりに、「あいつをやめさせろ」という投書も来ないのが有能アナウンサーだとすれば、両方とも来るのがパーソナリティーだといえよう。
そして、どちらがいいかといえば、パーソナリティーがますます人気を高めていっているという現実がずばりと答えを出しているわけである。きわめてすぐれたプロフェッショナルな話し手であるパーソナリティーが大勢いるにもかかわらず、ラジオもテレビも、この章の初めに述べたように、さまざまな種類の話し手を導入している。それはもちろん放送局が勝手にそうするのではなくて、大衆の要求にこたえてのことなのであり、つまり、大衆はパーソナリティーの整然たる話に感心はしながらも、それとは別の話し方にひかれて、それを強く求めているということなのである。
山谷さんや前田さんの話しぶりで、私がとくに印象づけられたのは、いい違いやいい直し、それに同じことの繰り返しが意外に多いということ、そして、そのことをご本人たちがさして苦にしていないことである。
アナウンサーの場合は違う。
テレビ・ニュースなどでもご承知のとおり、アナウンサーはニュース原稿を読み違えると、「失礼しました」とおわびの言葉をいい、あらためてきっちりとしゃべりなおす。注意してみると、舌がもつれたり、いい違えたりした瞬間のアナウンサーは、一瞬、顔をひきつらせ、あるいはあからめて、「ほんに私としたことが、とんでもないことを……」といった表情になることがわかる。プロフェッショナルとしての自尊心がそうさせるのであろう。
パーソナリティーはアナウンサーに比べるとはるかにいい違えが多いのに、アナウンサーほどにはろうばいしない。しないどころか、前田さんなどは、いい違えも一連の流れのような感じで、全体としてよどみのないしゃべりになっている。そこにはもちろんテクニックもあるだろうが、それよりも、これは意識の問題だろうと思われる。
(山谷さんは五十九年十一月、六十二歳で亡くなられた。)
いい違いするからこそ人間
「聞き手に個人的に接触するようなかたちで、その強い個性で訴えかけていく」話し方というのは、ニュースを読むアナウンサーの話し方と対比すると、活字で印刷された公文書に対する肉筆の手紙のようなものではないか。印刷のほうは一字の誤植もあってはならないし、各行の字数すら一定していなくてはならない。また、書式にちゃんとのっとっていなくてはならない。手紙のほうは、書式を無視していきなり本題に入ってもいい。むしろそのほうが相手の心により強く訴えかける効果を持つことさえある。ときには字の書き違いを消したところなんかがあっても、それはそれでかまわない。
機械ではない人間は、間違ったり、不規則だったりするのが自然であり、そういう自然性を保つところに人間の面白さがある。
パーソナリティーはそうした人間の日常性によって聞き手に話しかけるものである以上、いい違いや、よどみもそんなに、「シマッタ!」と思うほどのことではない――と、これはあくまで私の推測でしかないが、山谷さんや前田さんは考えているのではないか、と思うのである。
そしてもちろん、その考えは正しいのだと思う。
プロフェッショナルな話し手のあり方を永年見聞きしてきて、私が得た教訓は、だからこうである。
「どう話すか」よりも「なにを話すか」のほうがはるかに大切なのであり、「なにを」というのは「自分の持っているなにを」ということであり、自分のなかにないものをどんなにとりつくろって話してみたところで相手はそれを信用しない。また自分にないものを、あるように見せかけて話そうとするとき、ほとんど例外なく人は失敗する。話の失敗は、実はそのような不当な心がけが罰せられたにすぎない。人はしょせん自分の持ち味でしか話せないものであり、上手に話すための工夫といえば、自分の持ち味をどのように豊かにするかということにほかならない。
ざっとこんなふうに私は考えている。したがって、アナウンサーのようにしゃべりたいとは思わない。その必要も感じない。
アナウンサーがニュース原稿に対して鋭い読解力を持つとすれば、私は人生に対して豊かで鋭い読解力を持つように努力していきたい。それが私の話す力を向上させる根本の工夫だと思うのである。
ただし、誤解のないようにつけ加えるが、自分の持ち味でしゃべればいい、ということは自分以外のことを顧慮せずになんでも勝手にしゃべっていいということではない。パーソナリティーはけっしてそんなしゃべり方をしない。
ラジオでのしゃべりは二重性を持っている。聴取者の一人一人に個人的に話しかけるようにしゃべるのがパーソナリティーの特徴だが、それでいながら、そのしゃべりは何十万の不特定多数によって聞かれるパブリック・スピーキングでもある。
病院で寝ている人もいるだろうし、失業中の人もいるだろう。食事をしながら聞いている人もいようし、車の中にいる人もいるだろう。年齢も職業も、そのときの感情状態もさまざまで、どんな人がどんな状況で聞いているかわからないのがラジオである。うかつなことをいえばどこからどんな反響がかえってくるかしれない。
さらに、ちょっと皮肉をいわせてもらうなら、パーソナリティーが持っている番組には長時間にわたるものが多く、したがってスポンサーの種類も多い。スポンサーのきげんを損じては大変だから、これにも随分気をつかうのである。
このように四方八方に心をくばりながら、なおかつ自由な心でしゃべるところにパーソナリティーの苦心があり、工夫がある。――といってしまえば簡単明瞭だが、これが並みたいていでできることではないことは、いつまでたってもうまくならないこの私自身が骨身にしみて知っている。
しかし、たとえどんなにむずかしくても、心がけとしてはこうあるべきで、私も上達するしないは別として、あくまでこの心がけを持ちつづけていきたいと願っている。
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第九章 ユーモアは果たして話の調味料か
話はメガネである
話はメガネに似ている。
いいメガネであることの第一条件は、フレームのデザインが最新流行のものであることでもなければ、レンズの材質がドイツ製の最高級品であることでもない。
「|度《ど》」が合っていることである。きつすぎて、目がクラクラするようなレンズや、乱視でもないのに強度の乱視用レンズを入れられたり、そんなメガネはどんなに高価であっても、いいメガネとはいえない。
高価なメガネや美しいメガネは〈絶対的〉に存在するが、いいメガネは〈相対的〉にしか存在し得ない。かける人との相関関係において、メガネの良否は決定されるものなのだ。
話もこれと同様で、〈絶対的〉ないい話というものはあり得ない。
早い話が、フィヒテの有名な『ドイツ国民に告ぐ』の名演説にしたところで、われわれがそれを聞かされたとすれば、どだいドイツ語がわからないのだから「名」も「迷」もない。チンプンカンプンで、ライオンがほえているのを聞くのとなんら変わりはないだろう。
また、たとえ日本語であっても、東大教授が大学院の学生を相手にする講義を小学生に聞かせたとしたらこれまたチンプンカンプンであり、この場合は講義を理解しなかった小学生よりも、そんな講義を相手かまわずにしゃべった教授のほうがその非常識を笑われることだろう。
聞き手あっての話、なのである。
だから、昔から「人を見て法を説け」という格言もあるのだが、これが意外に理解されていない。実行されていない。
ことに「ユーモア」に関して、そうだと思う。
弔事などのあいさつは別として、演説にしろ自己紹介のような口上にしろ、一般に、話にはユーモアが大切な調味料である。ほんのちょっとしたユーモラスな味を加えることで、話はぐっと人をひきつけるものになる。
話の上手下手は、ユーモアの味つけいかんにかかっているといっても過言ではない。
ところが、このユーモアの味つけというのがまことにむずかしいものなのである。それは笑いというものの奥深さによる。怒りや悲しみなどの感情はわりに単純なもので、だれにでもわかりやすく、また理解の度合いの幅も少ないが、笑いはそれに比べるとはるかに複雑な感情で、さまざまな種類の笑いがある。何をおかしいと感ずるかは、人によって異なり、その差は非常に大きい。
同じ話で、ある人はゲラゲラ笑うのに、別の人はあっけらかんとしているようなケースは間々ある。だから、話にユーモアの調味料を入れろといっても、話し手は砂糖のつもりで入れたものが、聞き手には塩のように感じられることがある。
ユーモアの度が合わないのである。「度」の合わないユーモアのメガネをかけさせられた聴衆のほうは大迷惑だろうし、話し手のほうはシラケる。
話にユーモアを――
言うに易く、行うは難いことの代表であろう。
長話が悪いとはかぎらない
「スカートとスピーチは短いほどいい」という言葉がある。機知に富んだ名句だということになっている。
しかし、どんなに美しいハンカチでも使い古されれば値打ちがなくなるように、名文句もあまり言い古されると駄句になる。
いまどき、こんな言葉をしゃれたつもりでいってみたところでだれも笑ってくれないだろう。
せんだって、ある会合で、
「スカートとスピーチは短いほどいいといいますが、私はいっそ両方ともないほうがいいと思う者であります。で、私の話もこれでおしまい」
といって、立ったと思ったらすわってしまった人物を見た。
これならひとひねりしてあるから面白くなくはない。しかし、会場ではあまりウケなかったようだ。女性の出席者が多かったせいもある。その点、やはり、ちょっと「度」が合っていなかったようだ。
だいいち、私は、スピーチは短いほどいい、という考え方にあまり賛成ではない。心のこもった話なら多少長くてもいい。いや、長い話を聞きたいと思うことさえある。
逆縁で、息子を亡くした老父が葬式のときに息子の生前のエピソードを友人たちがいろいろと話すのを熱心に聞いている姿に心を打たれたことがある。
ああいう場合、老父にしてみれば、いくら聞いても聞き飽きることはあるまい。一日中でも聞かせてほしいと心のなかで願っていたにちがいない。
話すべきである。だらだらでもいい。ずるずるでもいい。とりとめなくてもいいから、思いつくままに話してあげるべきである。他の参集者は退屈するかもしれない。シビレを切らすかもしれない。しかし、それは我慢してもらえばよろしい。遺族が第一、なのである。老父が涙を流して聞きたいと願うなら、長話をすべきなのである。
結婚式の祝辞でも同様のことがいえるだろう。スピーチは退屈なもの、短いほどいいもの、とするのは浅薄なスノビズムだと、私はあえていいたい。長い話も、ときには悪くないものである。
もっとも「度」さえ合っていれば、のことではあるが……。
次の選挙に出馬しようというもくろみの人物が、主賓そっちのけで自己宣伝ばかりの長ったらしい話をするようなのはもちろん「度」の合っていない迷惑千万なもので、こういうのはご免こうむりたい。
万事は、「度」が合っているか、いないか、にかかわる。
「度」の合ったユーモアとは?
渋沢秀雄さんが「あいさつの急所は聞き手を面白がらせることで、それには面白そうな小話をいくつか覚えていてあいさつの中に織りこむことだ」と書いていらっしゃる。
その実例。
テーブル・スピーチというのは和製英語であって、本当はアフター・ディナー・スピーチといい、食後に指名されて立ち、話をするものである。そのことを承知していないと、次の話は面白くない。
ある人がスピーチを頼まれて、立ち上がるといきなりローマ時代の話をはじめた。
暴君ネロだったか、だれだったか、とにかくローマの暴君が円形競技場ヘライオンと奴隷を投げ込み、格闘させてそれを見物した。ずいぶん乱暴な話だが、あるとき、一人の奴隷が、襲いかかってくるライオンに向かってなにやら叫ぶと、ライオンはたちまち|悄然《しようぜん》として引っ返していった。次に出てきたライオンも同様だった。何頭、新しいライオンを出してきても同じだ。
奴隷の声は暴君のところまでは聞こえない。暴君は不思議に思って奴隷に、
「お前はライオンになんといっているのか」
とたずねると、
「うっかりごちそうを食べると、後でスピーチをやらされるぞ、といっただけです」
という返事だった、とさ。
こういう話をしてその人は着席した。会場の人たちは機知に富んだその話に大いに拍手した、というのだが、この実例に私は必ずしも納得しない。
たしかにウイットのある小話ではある。シャレている。しかし、会合でのスピーチは、話し手のエスプリやユーモア・センスを披露するのが主目的ではない。それはあくまで調味料であって、主材料ではない。こんな話だけをして着席してしまうのは、ワサビとしょう油だけが出てきて刺し身が出てこない食卓と同じである。
また、この話を面白い、ちょっと拝借して何かのときに使ってみよう、と思う人がいるかもしれないが、「ちょっと待って」といいたい。
こういう種類の小話は、一見、シャレているようであるが、率直にいって、日本の風土にはなじまない、と私は思う。
パーティーなどの席上、こんな話をする人もいないではないが、いかにもとってつけたようで、そらぞらしい印象を受ける。準備してきました、という感じが減点になるのである。当人がシャレたことをいったつもりになっているだけに、かえって始末が悪い。聞いているほうがシリがこそばゆくなる。
もっとも、こういう小話を本気で大喜びしてくれる人ばかりの集まりなら、それはそれで「度」が合っているのだからいいだろうが、そんな集まりはたんとはあるまい。
NHKの「のど自慢」の司会者として有名な金子辰雄アナウンサーが
「話を発展させるために、ときによっては、ユーモアも話のお手伝いさんになることがあります」
といい、その実例として、山形県の鶴岡市で「のど自慢」の公開録音をしたときの話を紹介している。
出演者がうたい終わってすぐに退場するときもあるが、金子アナウンサーと短いやりとりをかわすこともある。そのやりとりの一つで、
「金子さんはニックネームがありますか」
「はあ。金子と言うもんですから、ネコと言われますねえ」
「あら。私、今、金子さんのニックネーム作りましたわ。教えてあげましょうか」
「ええ。ぜひ――」
「さっき、ステージの|下手《しもて》を右へ行ったり、左へ行ったりして、歩きまわっていたでしょう。それに化粧して顔が白っぽいから、白熊!!」
こういう会話なのだが、こうして活字で読んだ限りではさっぱり面白くない。ユーモアでもなんでもないじゃないか、と思う。左右へ動きまわって顔が白いから白熊だなんて、幼稚園の子供じゃあるまいし、と正直なところ思ってしまう。
しかし、金子さんはそのときの模様を、
「お客様は大笑い。それ以後の四十五分の、この日の番組は、大変なごやかに進行していった」
と書いているのである。(『上手な話し方教室』)
活字になった会話ではうかがうことのできないその場の雰囲気というのもあるだろう。とにかく会場が沸いたのが事実である以上、この「白熊!!」は立派に「度」が合ったユーモアだといわないわけにはいかない。
このあたりがなかなかむずかしいところなのである。
ユーモアはニンニクだ
『曾呂利ばなし』にこんなのがある。
太閤秀吉が禁酒令を出した。禁を犯すものはただちに打ち首、ときついお達し。ところが、曾呂利新左衛門が朝っぱらから赤い顔をして登城してくる。
「その方、余の布令をきけぬというのか」
秀吉は憤然として詰問するが、曾呂利はぬけぬけと、
「いえ、酒などは飲んでおりませぬ。今朝はあまり寒いのでたき火をしてあたってまいりました。それで顔がほてったのでございましょう」
「なに、白々しいことをぬかすな。もそっとこちらへ寄れ。においをかいでやるわ。ほれ、|熟柿《じゆくし》のごときにおいがするではないか。おのれ、これでも酒を飲まなかったというか」
「ほう。柿のにおいがいたしまするか。それはもっともでございます。なにしろ、柿の木を|薪《まき》にしてたき火をしたものでございますから」
これで秀吉は大笑いし、曾呂利はおとがめを受けずにすむことになるのだが、これが、相手が太閤秀吉であったからいいのであって「万一|慧敏《けいびん》でない大名にむかってついたとすれば、馬鹿にするな、と言って必ずや御手討であったろう。この加減がひどくむつかしかったのである」と評するのは柳田国男である。(『不幸なる芸術』)
シャレや冗談は、相手を見て、ちゃんと「度」の合ったものを供しないと、笑いどころか怒りやさげすみを生ぜしめることになる。
そこまでいかなくても、シャレがまるで通じない場合もある。シャレが通じないときぐらい座がシラケるものはない。
ユーモアは話の調味料だとさきに記したが、香辛料だといったほうがより的確かもしれない。香辛料のなかでもとくに強烈なニンニクだ。ニンニクは好きな人にとっては不可欠なものだが、きらいな人にあってはこんな迷惑なものはない。そして、世の中には(とくにわが日本では)ニンニクのきらいな人が意外に多いのである。
「面白そうな小話をいくつか覚えておいて、それを適宜、あいさつのなかに織り込むこと」は、口でいうほど容易なことではない。ニンニクぎらいの人に、ニンニクをたっぷり使った料理を「さあ食え」と差し出すようなことに往々にしてなるからだ。
欧米人はなかなかニンニク(ジョーク)好きらしい。
詳細な索引のついたジョークの辞典があって、日常的に使われているという。たとえば、結婚式に招かれて、どうやらスピーチをやらされそうな気配だとする。すると、ジョーク辞典を引っぱり出して、当日の新郎が銀行勤めなら「銀行」の項目を引く。
融資を受けたいという客が融資係の窓口でもぞもぞという。すっかり白髪になった老融資係は、
「年をとって耳が遠くなったものでね。もう少し声を大きくしてくれませんかね」と客に向かっていった。「それから金額のほうはもっと小さめに」
こんどあの客から何かいってきたらいっさい「ノー」だというんだ。なにしろあの客ったら担保なしで金を貸せだの、この前借りた金の支払いは一年待ってくれだの、勝手なことばかりいうのだから、と支店長に厳命されていたA君のところに、問題の客から電話がかかってきた。
支店長が聞き耳を立てていることを意識してか、A君の答えっぷりは
「NO!」「NO!」「NO!」「なんといわれてもNOはNOです!」
とまことに威勢がよかった。
ところが、おしまいのほうになってA君は
「YES」
といい、それで電話を切ってしまった。
支店長はA君を呼びつけてしかり飛ばした。
「いくら途中でNO、NOといっても最終的にYESといってしまったのでは何もならんじゃないか。いったい、向こうのどんな注文にOKを出したんだ?」
A君は頭をかきかき答えた。
「YESなんて私もいいたくはなかったのですが、おしまいに向こうが『オレのいうことがちゃんと聞こえているのか』というもんで……」
こんな小話がたちどこにいくつも発見できる。そのなかから一つ二つ覚えていくという寸法らしい。
日本の現状は、まだとてもこんなところまでいっていない。
「話にユーモアが必要」なのは間違いないとしても、これをストレートに受けとめていいかどうかは問題である。
日本人はジョークが苦手
小話とか笑い話というと、近ごろの日本人はすぐに|艶笑小咄《えんしようこばなし》のことを思い浮かべるようである。週刊新潮のおしまいのページに載っているようなたぐいのものだ。
もちろん、あれはあれで面白い。しかし、ものがものだけに、式辞やあいさつのなかに適当に織り込んで、というわけにはまいらぬだろう。
西洋のジョークにはエスニック・ジョークが非常に多い。エスニックというのは「異邦人の」とか「異教徒の」という意味で、他の民族、人種を嘲笑し、|揶揄《やゆ》して、優越感をくすぐろうとするジョークである。スコットランド人やユダヤ人のケチぶりをテーマにしたものはゴマンとある。
アメリカのジョークには共産主義をからかったものが多い。
また宗教揶揄のジョークにも傑作が多い。
これらのもののほうが、私なんかにとっては艶笑小咄より数倍も面白い。ジョークの本質はこちらのほうにあるのではないか、と思われるくらいである。
だが、残念ながら、せっかく面白いこれらのジョークも、スピーチに応用するには不適当である。大勢の人の集まりで慎むべき話のテーマは、政治向きのこと、宗教に関すること、そして差別に関すること、というのは常識である。他人種を|嘲弄《ちようろう》したような小話を、どんなに面白かろうと口にするわけにはいかない。
艶笑|譚《たん》は不謹慎、政治ジョークや宗教揶揄はご|法度《はつと》、人種差別のコントなどはもってのほか、とあっては、スピーチに応用できるジョークの種類も数も限られてくる。もともとジョークのストックの少ない日本人がうまくやれるはずはないではないか。
それに、西洋式ジョークのパターンは日本人にとっつきにくい面がある。
あえて、失礼を承知で実名を出させていただくが、ラジオの朝の番組で、コラムニストの青木雨彦さんと、パーソナリティーの土居まさるさんとの間で、次のようなやりとりがあった。
話題が結婚のことに及び、たまたまその日が金曜日だったこともあって、青木さんがバーナード・ショーの有名なジョークを話した。
ある人が皮肉屋で有名なバーナード・ショーに向かって
「金曜日に結婚すると不幸が起こるというのは本当ですか」
ときくと、ショーは
「もちろんですとも。金曜日だけが例外でありうる理由はありませんからね」
と答えた。
多分、ご存じの方も大勢いらっしゃるだろう、このジョークである。
青木さんは話し終わって、すぐに土居さんの笑い声が返ってくることを期待したにちがいない。ラジオを聴いていた私もむろんそうだった。
しかし、土居さんは笑わず、しばらく空白の時間が流れた。しばらくして、土居さんの陽気な笑い声が爆発し、
「ハッハッハ。十三日の金曜日は厄日ですからねえ、西洋では」
という声が聞こえた。
こんどは青木さんが黙り込んでしまう番だった。
青木さんの困惑した表情が目に浮かぶようで、私はそのほうがおかしかった。
青木さんは円鏡ではないのだから「この話のどこがおかしいかといいますと」と解説を加えるわけにはいかない。第一、そんな非紳士的なことをする青木さんではない。
なんとなく話は別のところに移って、すぐにタイムアップになってしまった。
土居まさるさんがジョークがわからない人だというために、こんな話を持ち出したのではない。ラジオを聴いている人のなかにも、青木さんの話に反射的に笑いだすことのできなかった人がずいぶん多かったのではないか、と私は想像する。活字で読んで理解する速度や深さと、耳で聞いた場合のそれにはかなりの差がある。
青木さんが披露したあのジョークは、その意味で、ラジオ向きではなかったといえるのではないか。
日本のインテリさんは活字人間であって、耳にはヨワいところがある。活字では笑えても、聞いた場合に、ふっとポイントをのがしてしまうことがある。
スピーチにジョークをさしはさむことのむずかしさは、こんな点にもある。
小学生でもすぐに笑えるような平凡なジョークでは、とりたてて披露する値打ちがないし、といって、非凡すぎるジョークでだれも笑ってくれないのも困る。そのへんの「度」の合わせ方がむずかしい。
話にユーモアの調味料を添えると話の味がぐっと引き立つ、という説はもっともだと思うし、よくわかる。しかし、それでもなお、あまりしゃれたジョークをとり入れることをおすすめしたくないのは、以上に述べたような理由からである。
森外が明治三十一年に時事新報に連載した『智慧袋』という文章のなかに「興ある対話」と題した次のような一項がある。
「対話は興あらせたきものなり。誠ある物語も益ある物語も、長くて興なきは|厭《いと》わるべし。さればとて|倡優《しようゆう》めきて笑みを取らんは危き業にぞ。人に滑稽家といわるるだに品位の上より不利ならんに、なんじが滑稽の供給は限りありて、人の滑稽の需要は限りなく、ついに滑稽ならざる滑稽家とならばいかに。この時に至りて|尤悔《ゆうかい》すとも何の|甲斐《かい》やあらん。さて対話に興あらしむるはたやすき事にあらず」
話にユーモアは大切だが、コメディアンのできそこないみたいなまねはせんほうがよろしい、と外漁史もおっしゃっているのである。ユーモアと悪ふざけをとり違えて、来会者の眉をひそめさせるような人が近ごろは少なくない。それぐらいだったら、ユーモアなんぞ初めからなくて、クソマジメで面白くないほうがまだましである。
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第十章 正調・電話会話術
日本語は電話には向かない
電話でしゃべるのが苦手だという人がいる。意外に多い。
中年以上の年とった人だけに限らない。若い人たちにも多いのである。いまの若い人たちは電話で三十分でも一時間でも長話をする。その様子を聞いていると、機械を通してしゃべっているという感じではなく、喫茶店で雑談しているときとまったく同じである。だから彼らは電話でしゃべることに特別な緊張感はないのだろうと思っていたが、違った。
若い諸君が電話で長話するのは、ふだんつきあっている親しい仲間との間でだけのことのようだ。そうでない場合は、彼らもまた電話ではぎごちない。ふだんとは勝手が違ったようなしゃべり方になる。女性も電話の長話はおトクイのようだが、これも同様で、改まった話を電話でさせるとやはりしくじる。
老若男女を問わず、電話で話をするのは実際に対面して話をするのよりは厄介で、手こずるものなのである。
なぜか?
もっとも大きい理由は、相手の表情が見えないことであろう。日本人は西洋人に比べて表情やゼスチュアが非常に乏しいが、それでも話をするときには、目をみひらいてみせたり、口もとをほころばせてみせたり、さまざまに表情をつくる。会話がそれに助けられるところは想像以上に大きいのである。だから、その表情がまったく見えない電話では、話がともすればぎごちなくなるのである。
このことを逆に考えれば、会話において、言葉以外の要素をもっともっと大事にしなければいけないことがわかるが、それはそれとして、電話でうまくしゃべるための心得、といったものを考えてみたい。
「このごろの女の子の言葉づかいにはびっくりさせられるよ」
といって、友人がこんな話をしてくれた。
あるところで、彼は女子高校生らしい女の子に道をたずねた。
「この道はバス通りに出られますか」
そういうたずね方をしたのだそうだ。すると女の子は大きな声で
「せん!」
と答えたという。
べつだん、道をきかれたのが面倒くさいふうでもなく、ニッコリ笑って答えてくれたのだから、わざと無愛想な答え方をしたとも思えない。おそらく、ふだんでもそういう答え方をしているのではないか、というのが友人の推察であり、学校の教師であるその友人が
「日本語の乱れもとうとうここまできたのかねえ」
と|憮然《ぶぜん》としていうのもまあもっともなことではあった。
しかし、私は、友人の嘆息にもちろん同調はしたけれども、腹のなかでは、それはそれとして面白いじゃないか、とも考えていた。
見知らぬ人に道をたずねる。また、それに答える。これは純粋に“実用会話”であって、いっさいの粉飾を要しない。なにより大切なのは正確ということだ。|明瞭《めいりよう》ということだ。
この女子高校生の答えはその意味で、きわめて正確、明瞭で、間然するところがない。「せん!」の一語で、実にハッキリとわかるのである。
日本語の特徴(それも弱点としての特徴であるが)の一つに、否定、肯定を表す言葉が文章の最後にくる、ということがある。
子供のころから使いなれている母国語だからふだんはそれほど不都合にも思わないが、考えてみると、これは大変な弱点である。このことだけで、日本語は西欧語に劣っているとする言語学者もいるくらいだ。
私は自分の住まいから都心に出るのに、東横線という私鉄を利用することが多い。この私鉄には急行があり、それに乗ると、車掌がアナウンスをする。
「この電車は『都立大学』『祐天寺』『代官山』に……」
というから停車するのかと思って聞いていると、「にはとまりません」という。
その次に、同じ急行に乗ると
「この電車は『学芸大学』『中目黒』……」
と車掌がアナウンスするから「にとまらない」のかと思うと、これが大違いで「……以外にはとまりません」というのである。
しょっちゅう利用している乗客ならいいだろうが、初めての客はこれでは閉口する。おまけに、車掌が気取って妙な節をつけていうことがあるので「とまりません」なのか「とまります」なのかきわめて判別しにくい。
このような経験は、日常生活のいたるところで遭遇する。
スピーチなどでも、長々としゃべったあとで、
「……というようなことはないと存じまするが……」
と、それまで述べたことを全部引っくり返されたりすると、腹が立つこともある。
女子高校生の「せん!」という答え方は、破格であり、無作法であるにはちがいないが、そのかわり誤解を招くおそれもなく、おしまいまでイライラしながら耳を澄ましていなければならないこともなく、大変明快で、実用という観点からすれば、中年婦人にゴチャゴチャと答えられるのよりはまだましなのではないかと、そういう意味から、私は「面白いじゃないか」と思ったのである。
おしまいまで聞かないとイエスなのかノーなのかわからない、というのはまことに不自由な話だが、日常の会話では、われわれはこの不自由を表情によって補っている。顔色を見ればだいたいの見当がつくから、スムーズに会話がとり交わされるのである。
電話ではこの顔色が読みとれない。だから声だけが頼りなのだが、その声が機械を通しての声だから、声にもまた表情がなく、推察のつけようがないのである。
電話での話がしばしば誤解を生みやすいのはこうした点にも理由がある、と私は思っているのだがどうだろう。
電話の話は忘れやすい
電話になると別人のように声が変わる人がいる。実をいうと、私も人からよくそういわれるほうだ。
機械を通すと変わりやすい声というのがあるのだろうか。
そんな声があるわけはない、と私は思う。電話の声がふだん聞き知っている声と非常に違って聞こえるのは、聞くほうの錯覚にすぎないのではないだろうか。
知り合いの女性編集者で、電話だとまるで男のように野太い声を出す人がいる。声ばかりでなく話し方もそっけなく、愛想が悪い。
「どうしてそうなんだい。いつも面くらっちゃう」
といったら、
「あら、やっぱりそうですか。ほかの何人もの人から同じようなことをいわれたので気をつけてはいるんですけど……」
と情ながった。
ところが、その後、注意して彼女の声を聞いていると、それがどうやら錯覚らしいことに気がついた。彼女は、電話でなく、普通の会話のときも、女にしては珍しい、低く、太い声でしゃべっているのである、話し方も男っぽい。電話の声は地声なのだ。
それなのに、なぜ電話の声がふだんの声と違うように聞けたのか。
彼女は非常な美人で、しかも表情豊かな女性である。その美貌と表情に聞き手はすっかりごまかされていたのである。だから対面して話をするときには、悪声がそんなに気にならない。彼女のことをとくに悪声の持ち主だとも思わない。
ところが電話になると、美貌も表情も消えてなくなり、純粋に声だけが聞こえてくる。そこで「エエッ、こんなひどい声だったのか」と驚く、というわけなのだ。
これとは反対に、おばあちゃんで、電話だとびっくりするほど若々しい声の人がいる。この場合も、そのおばあちゃんは地声がそもそもかわいらしいのである。しかし、対面して話すときは、聞き手は目の前にしわくちゃの老婆の顔を見ているから、こんな老婆が十八、九の娘のような声を出すはずがない、との先入観に潜在的に支配される。したがっておばあちゃんの声のかわいらしさに気づかないのである。
電話で英語がしゃべれるようになれば、英会話も一人前だといわれる。実際に私もそんな場面を目撃したことがある。ふだんはけっこう外人と応対している者が、電話だと話がなかなか通じなくて額にあぶら汗を流したりしているのだ。
電話で聞いた話は忘れやすい、という話もある。自分では注意して聞いているつもりなのに、まるでうわの空で聞いたように右から左へ抜けてしまいがちだというのである。
これらのこともまた、目に見えるものによって耳で聞くものが左右されることが多いという証拠である。
真っ暗やみのなかでごちそうを食べると、非常に味気なく感ずるものである。味覚は舌にあるのだから、理屈からいえば目をつぶって食べようがどうしようが、同じ食べ物なら同じ味がするはずなのに、実際はそうではない。これと同じことだろう。
電話で話をすることは、暗やみのなかで、あるいは目をつぶって人と話をすることと同じだと思うべきなのである。
表情やしぐさによって会話が補われることがない。いいそこないは百パーセントそのまま相手に伝わってしまう。面と向かって話しているときは、「です、ます」調で話している間にふっと「そうなんだけどねえ」といった乱暴な言葉づかいがまじることがあっても、そのときの態度や表情が補ってくれるため、相手はとくに「失礼なやつだ」とも思わない。
これが電話だと「おや」と敏感に反応されてしまう。
電話だからといって緊張しないで、ふだんと同じ調子で話せ、という人がいるが、私はそうは思わない。対面して話すときの二、三割増していねいに話してちょうどいいのではないか。ていねいさばかりではない。話す速度もゆっくりめに。説明も二、三割方くどくどというほうがいい。
電話だから簡潔に、という電電公社(現・日本電信電話株式会社)の指導は明らかに間違いである。というより、あれは公社の都合だけを考えた理屈であって、電話で用を足すという第一の目的を忘れてしまっている。電話で十分に用を足すためには、対面しているときよりも慎重に、丹念に話さなければならない。簡潔に、などとはとんでもないことである。
電話は失礼な機械である
ジャン・コクトーに「電話」という一幕物の戯曲がある。マリー・ベルが演じて好評だったという話をずいぶん昔、何かで読んだ。
男に捨てられた女が電話で恨みつらみを述べる。それに対する男の返事のほうは聞こえないのだが、女の話だけで、男と女のつきあいの経緯がこまかくわかってもれるところがない。話し終わって、女は、さよなら、といい、一瞬間をおいて、鋭いピストルの発射音が聞こえて幕、という趣向である。
この戯曲は、電話というものの特質を考えさせてくれる。
それは、電話の話は一方通行性が非常に強い、ということである。一方の話だけで物語のすべての見当がつくのである。人は電話ではそういうしゃべり方をすることが多い。
会話、あるいは対話は、双方が言葉をやりとりすることで成立するものなのに、電話での話は片方が一方的にしゃべってしまうことが多い。正しい意味での会話にはなっていないのである。
この点を意識して電話をかけなければいけない。自分のほうが用があって電話をかけるのだけれど、だからといって、自分の用だけをペラペラとしゃべって、それがすめば、ハイ、さよなら、という人が少なくないが、これはいけない。
「なんだ、あいつ。自分のことばかりいいやがって」
ということになる。
会って話をするとき以上に、相手にしゃべらせるように気をつかって、それでもなお七分三分ぐらいにしかならないだろう。
電話を受けるほうにも同じ心がけがいる。一方的な長話も、適当に相づちを入れることによってからくも会話の形を保つことができる。相づちは話をスムーズにするための潤滑油である。
ところが、普通の会話ではちゃんと相づちをうつ人が、電話を受けるときにはそれを忘れることが多い。電話だから、機械だからという潜在意識が働くせいだろうか。
また、相づちをうつのにも、面と向かっているときなら「おや、そうですか」「本当にそうですねえ」とちゃんと言葉になっているのに、電話では「フム、フム」とか「ウン、ウン」などという。その失礼に気づかない。
以前は「電話で失礼ですが……」とよくいったものだ。いまはいわない。たまにいう人があると、あいつはイナカ者だ、と軽蔑の目で見られることになっている。
これは電電公社の永年のPRの結果であろう。電話で用が足せれば、電車賃、自動車賃が節約になり、往復の所要時間も助かる。茶菓の接待もなくてすむ。|彼我《ひが》ともにすこぶる合理的、経済的である。この文明の時代に、合理的であり経済的であるところのものが、なんで「失礼」であるべきか。電話はけっして失礼なものではない。「電話で失礼でございますが」などと断る必要は|毫《ごう》もない、と電電公社が教え、それを|鵜《う》のみにした人々が、おりあるごとにそのことを説いてまわった結果、「電話で失礼」のあいさつは絶えたのである。
電電公社がいうのはわからぬでもない。自分たちが売っている商品が失礼な道具だというのでは働くかいもないであろう。|烏《からす》を|鷺《さぎ》といいくるめたい気持ちは同情の余地がある。
しかし、電電公社に縁もゆかりもない人たちが公社の口車にうかうかと乗って、公社の口まねをする料簡がわからない。
あのわがまま勝手な電話をなぜ失礼な道具だと思わないのか。
約束なしに人を訪ねる。先客があって用談中である。どうするか。いうまでもない。先客の話が終わるまでは待つ。礼儀というより、それ以前の常識である。
この常識を平気で踏みにじるのが電話である。
どんな大事な用談中にも、平気で、前ぶれもなしにリンリンリーンと割り込んでくる。どんな用件か知らぬが、とにかくいま話をしている客が優先権を持っているのだから、私はそんな電話は無視することにしているのだが、そうすると客のほうが落ち着かなくなる。
「あのゥ、電話が鳴っています」
「いいんですよ。あなたのほうが先客なんだから」
「でも……。いえ、私はいいんです。どうぞ電話を」
しかたがないから出ると、外出先の女房からで、
「今晩、お肉の予定だったけれど、とてもいいフグがあるのよ。フグチリにしようかしら。どう?」
などというくだらぬ電話である。
これが失礼でないといえるか。
受話器におじぎする気持ちで
人を訪ねるときには前もって約束をとりつけるのが礼儀である。電話はいわば「声の訪問」ではないか。それなのに、こいつは絶対に予約をしない。トイレに入っているときでも、風呂ですっ裸になっているときでも平気でリンリーンとやってくる。
食卓について、温かい料理が運ばれて、ビールがグラスにつがれて、さア一杯、という瞬間に電話が鳴る。
「ちょっとご意見を……」
と週刊誌の編集者からである。仕事とあれば致し方ないから応答すると、
「この不況下を生きぬくサラリーマンの心得についてお聞かせください」
そんなこと不意にいわれたって困る。だいいち、二、三分ですむ話ではないではないか。
電話が終わったときにはビールは気が抜け、料理はすっかりさめている。
これが無礼でないとどうしていえるのか。
その編集者はけっして礼儀をわきまえぬ人ではない。ときおり訪ねてくるが、そのときはあらかじめ約束をし、手みやげまで持ってきてくれる。食事時にやってくることなど絶対ない。
そういう人物が電話になると右のごとくである。
電話は失礼ではない、という電電公社の宣伝が行きわたりすぎた弊害である。
作家の中村武志さんからこんなお話をうかがった。
中村さんは夫人に先立たれ、一人でお住まいである。秘書やお手伝いの人もいない。そこで外出のときのために留守番電話をとりつけた。外出から帰ってきて録音テープを回してみると、留守中にいろんな用件の電話がかかってきていて、あらためて留守番電話の効用の大きさを知らされた。
しかし、なかには、
「中村。こら、中村武志。えらそうに留守番電話なんかつけやがって、なんだ。ばか。間抜け。やい、中村」
などというとんでもない声も入っているそうである。
私も古くさい人間なので、留守番電話は苦手である。
「次にブザーが鳴ります。鳴り終わりましたらご用件をお話しください」
なんていわれても、相手もいないのにしゃべれるか、という気がして、たいてい切ってしまう。留守番電話というのはなんとなくうさんくさいような、いまいましい思いをさせられるようなしろものである。
こういう気持ちがこうじて「やい、中村」の|罵言《ばげん》になったものだろうと想像はつくが、それにしてもメチャクチャな暴言である。無礼きわまりない。こういう暴言を吐かせるような要素が電話という機械にはあるような気がする。
最近になって、電話公害ということがやっといわれはじめた。
私の知り合いの女性で電話帳に自分の名前(つまり女名前だ)で登録している人は、一人残らず、深夜のイタズラ電話の被害を受けているということだ。デートしようよ、というのから、もっと|卑猥《ひわい》なことをしゃべりまくるのまで、さまざまな無礼な電話がかかってきて、彼女たちの睡眠や仕事や休息を妨げる。
「どうにかならないかしら」
とくやしがっているが、どうにもならない。
頼みもしないすしが四十人前も届けられたり、ありもしない火事を通報されて消防車がむだに出動したり、総理大臣のところへ検事総長と称して電話がかかってきたり……電話を悪用したイタズラはふえるばかりである。
これは、電話というものがそもそも発信人の便益のみを考えて受信人の立場を顧慮せずにつくられたという、その発生の本質に由来するものだ、と私は考える。
明治三十六年に東京郵便局から発行された「電話の|栞《しおり》」というパンフレットに
「加入者呼び出しを受けたる時は直ちに|之《これ》に応答すべきこと」
と規定されている。
電話をかける自由があるならそれを受けない自由だってあるべきなのに、それを認めていないのである。
人と用談中でも、台所で魚を焼いている最中でも、電話のベルが鳴ると善良な市民たちはとんでいって受話器をとる。「直ちに之に応答すべきこと」と明治以来押しつけ教育をされた結果である。
いったい、どういう根拠があって、電話はこんなにも自分本位に、わがままに振る舞えるのであるか。強い疑問を感ぜずにはいられない。
電話は無礼な機械である。
断じて私はそう思う。無礼な機械を用いて他人と話をし、用を足そうとすることは失礼なことである。当節、はなはだ忙しい世の中だからやむをえず電話を用いているのである。非礼をかえりみず、あえて……という心持ち、これが根本になくてはならないと思う。
さきにいろいろ述べた電話のかけ方の心得は、枝葉のテクニックにすぎない。電話での話をまっとうに、正しく、円滑に行うために一番大切なことは、〈電話は失礼な機械である〉という認識である。この認識を十分に持てば、枝葉の心得はおのずからわかってくるはずである。
相手に見えないからといって、机の上に足を投げ出したり、鼻くそをほじったりしながら応答をするがごときことがどんなにけしからんことか、わかるはずである。それは無礼のうえに非礼を重ねるものである。
電話でおじぎをしている、といって笑う人がいる。笑う者こそ心ない|輩《やから》である。
電話の相手に姿形は見えないが、心は声を通して伝わるのである。見えない相手にまでおじぎをする|慇懃《いんぎん》の心は、おのずから相手に伝わるはずである。そういう気持ちがほしい。無礼な機械を使って用を足させていただき恐縮です、という気持ちをもちたい。それが電話会話術の根本である。
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第十一章 悪口の言い方、聞き方
悪口は万人の楽しみ
悪口や陰口をいうな、と戒める言葉は多いが、悪口の言い方を説く人はまれである。これは、私には、まことに非現実的なことに思われる。話し方教室などにも「陰口のきき方」といった科目はない。家を新築して便所を造らぬようなものだと評さざるを得ない。
陰口をきくのははしたないことである。それはたしかにそうだ。だから、その場に居合わせない人について論ずるときには、その人に面と向かっていえる言葉でなくてはならない、と教えられれば、はいさようですかとうなずくよりしかたない。しかたないけれども、それではいっこうに面白くないことも事実だろう。そんなものならいわないほうがましだ、と私のごとき品性いやしき人間は考える。
だいいち、そんなものは陰口でもなんでもありはしない。当人に面と向かってはとてもいい得ぬ痛烈なことをひそかに叫ぶからこそ快なのである。それが陰口をきく楽しみというものだ。
フランス文学者で、人生論の著述も多い河盛好蔵氏は「現代五つの楽しみ」の第一に人の悪口をいう楽しみをあげ、
「碁や将棋のできない人間はあっても、悪口のいえない人間は世の中に存在しないからわれわれは、いつ、いかなるところでも、またどんな人間を相手にしても、この楽しみにふけることができる。そのうえ、一文も金のかからないところがますますありがたい」
と、その理由を述べておられる。
とくにアイロニカルな表現を意図された文章でもないようで、そのまま素直に受けとったうえで、大賛成と申し上げたい。
世の中には修身教科書を鵜のみにするばか正直な人も少なくない。私のかつての同僚のなかにも、他人の悪口、陰口は絶対口にしない、と称している男がいた。
シャレや冗談もあまり通じない男で、まことに真っ正直な性格だったが、それだけに好悪の感情もはっきりしていて、口もききたくないぐらいきらいだ、という相手が社内に何人もいた。だからといって、そういう相手のことを陰で論評したりすることはなかった。みずからの信条に断固として従っているわけである。
立派だと思わないわけでもないが、無理してるな、という感じも否めない。
あるとき、この男と酒を飲んでいて、相撲の話になった。彼は琴ヶ浜が大きらいだといった。佐渡ヶ嶽部屋の力士で大関までいった。いまの琴桜の兄弟子に当たる。大関で五年ぐらいがんばっていたが、その間の成績はすこぶる悪かった。しょっちゅうカド番になるのだが、そのくせなかなか陥落しない。
「八百長にきまってる」
と彼はいい、その取り口もきたない、とののしった。腰を極端に後に引いて、相手に技をかけさせない。近寄ったかと思うと内掛けで相手を仕留める。
「あんなのは相撲じゃない。きたない!」
彼は吐き捨てるようにいった。まるで、琴ヶ浜に個人的恨みでもあるかのようだった。その口調の激しさに私は驚いたものだったが、それからだいぶたって、別の機会に、その男が、忌みきらっている某社員のことを、
「あいつは相撲でいえば琴ヶ浜みたいなものだ」
といったのを耳にして、初めて合点した。そのとき、彼は「琴ヶ浜みたいだ」と評しただけで、それ以上は、いいとも悪いとも付け加えなかった。いえば、他人の悪口を口にしないという信条に反することになるからだろう。
しかし、私には彼の我慢している心中がわかっておかしかった。かつて、酒の席で私に向かって琴ヶ浜をあらん限りの言葉でののしっていたのは、あれは琴ヶ浜をけなしていたのではない。琴ヶ浜に託して、日ごろ忌みきらっている同僚の某を|呪詛《じゆそ》していたのだ、と初めて気がついた。
相撲ばかりではない。馬に託して、あるいは花や食べ物に託してでも、人は悪口をいいうるものだ。
まさに、河盛氏のいうごとく、碁将棋を知らない人間はいても、悪口をいわぬ人間はこの日本に一人もいないのである。とすれば、どんなふうに他人の悪口をいうべきか、また、他人からいわれた悪口をどんなふうに聞くべきか、そもそも悪口とはなんぞや、等々を考えてみるのも無益なことではないだろう。
うまいフグには毒がある
悪口はおいしいものである。
もちろん、自分の悪口ではない。他人の悪口をいうこと、および、それを聞くことである。その他人が憎くてしようのない人物であったら、おいしさはまた格別である。
江戸時代の国学者であり、歌人でもあった村田春海は、
「ウナギの|蒲焼《かばやき》と人の悪口がいちばん好きだ」
と公言してはばからなかったそうだが、どうせたとえるなら、ウナギよりはフグのほうがよかったのではないか。
美しいバラにはトゲがあるし、うまいフグには毒がある。人の悪口も、おいしいものにはちがいないけれども、料理のしかたを誤るとわが身を滅ぼすことになる。フグと同じである。
悪口の言い方、聞き方こそ心して学ぶべき第一番のものではないかと思うのだが、どうであろう。
サラリーマンというのは三人集まれば上役の陰口、会社の悪口だ。ほかに話題はないのかね、情ない、とよくいわれる。
前段については賛成だ。バーでも飲み屋でも、サラリーマンの群れつどうところ、|罵詈雑言《ばりぞうごん》、悪態毒舌の聞けないためしはほとんどない。
「こんどの課長はどうだい。なかなかウケがいいみたいじゃないか」
「そりゃそうさ。前の課長みたいに部下のアラ探しが唯一の趣味なんてのじゃないからな。ちょっと喫茶店で息抜きして帰ってきても、お、ご苦労さん、外は暑いだろう、とこうだからな。くすぐったくなるくらいだよ」
「ふうん。結構じゃないか」
「それに金も使わせてくれて、ケチなことはいっさいいわないしね」
「あの人はたしか常務の親戚に当たる人だろ」
「そうだよ。だからわりにおっとりしていてね。上のほうにむやみにゴマすったりもしないから気持ちがいいよ」
「女子社員にも人気があるそうだな」
「服装の趣味もなかなかいいし、苦味走ったいい男だからな」
「へえ」
「あれで、仕事さえできれば申し分ないんだがな」
と、どんな話もつまるところは悪口になってしまうのがサラリーマンの会話なのだ。
しかし、だからといって、それを情ないとかばかみたいだ、とは私は思わない。
勤めの帰りに赤ちょうちんでイッパイやるのは、なにも精神修養のためではない。上役のタナおろしをして、それが気晴らしになるのなら結構なことじゃないか。人の悪口はウナギの蒲焼なのだから、蒲焼をサカナにイッパイやって悪いという法はない。
ほかに話題がない、などと思うのも愚かな誤解である。栗栖統幕議長の解任問題について一言申し述べたい意見だってあるし、きのうの日曜日に読んだ上前淳一郎の本についての感想だってある。アフリカヘ五年間も行ってきた大学の先輩に聞かされた面白い話も数々ある。
しかし、テーブルを囲んだ一座の話題が社内の|噂《うわさ》話になっているときに、ヤブから棒に上前淳一郎を持ち出したりして、座をシラケさせるのは紳士のすることではない。
銭湯でみんながすっ裸になっているときに、一人だけ背広を着て気取るのは|阿呆《あほう》である。また銭湯の光景を見て、あの男たちは着る物を持っていないのか、貧しい連中だ、と早合点するのも阿呆である。
悪口とユーモア
ユーモアというと、明るく、楽しく、上品で、平和的なイメージを人々は持つ。これに反して、悪口というと、陰険で、ひねこびていて、邪悪で、攻撃的な印象が強い。
しかし、必ずしも両者はそのように対立的なものではないのであって、ユーモアがそのまま悪口の効果を生むことも少なくない。ときとして、ユーモアと悪口は一体のものなのである。ジョークのうまい人は、毒舌も達者であることが多い。
ユーモアについて述べた章でちょっと触れたエスニック・ジョーク(人種的なテーマを取り扱ったジョーク)などは、悪口がそのままジョークになっている代表的なものである。
「グランド・キャニオンをつくったのはユダヤ人だってね」
「え?」
「あそこは昔は、もっと狭くてちっぼけな穴ぼこにすぎなかったんだ。たまたまそこヘユダヤ人が十セント玉を落っことしたものでね」
という有名なジョークがある。
青砥藤綱が川の中へ落とした一文銭を拾い出すために川ざらえをした話と似ているが、藤綱のほうは修身教科書的美談になっているのに対し、このグランド・キャニオンの小話はユダヤ人のケチを嘲笑したものである。
ユダヤ人はこのように小話の世界でもつねに|揶揄《やゆ》の対象となっているが、こうしたエスニック・ジョークが成立するについては、ユダヤ人でない人々の間の連帯意識が基底になっていることはいうまでもあるまい。同じ笑いを笑うことで仲間意識を確認し合うのである。
そのために、スケープゴートがつくられる。小話の世界では、それがユダヤ人であり、スコットランド人であり、黒人である。ときとして、オランダ人やドイツ人や日本人であり、アメリカではとくに共産圏のおエラ方が|俎上《そじよう》にのせられる。
悪口が|辛辣《しんらつ》であればあるほど、笑いは大きく、笑いが大きければ大きいほど共通感情は強くなる。つまり、人々は、連帯感を高めるためにも悪口をいうのである。
これを悪口の効用の一つにかぞえてもいいであろう。
しかし、同じく悪口で笑いを生み出すのなら、黒人や身体障害者などの弱者を対象にするより、優者を“差別”して嘲笑する悪口のほうがあと口がいいだろう。
「将軍や、司教や、市長などの身にふりかかった不慮の災難は、浮浪者のそれよりも喜劇的である」
マルセル・パニョルは『笑いについて』のなかでこのようにいう。
一九二二年にフランスの大統領になったデシャネルが汽車から転落してそれがもとで死んだとき、フランス全土はばか笑いにとりつかれた、とパニョルは報告している。同じような災難に、退職した郵便配達夫があったとしたらだれも笑わなかったろう、というのが彼の分析だ。
偉くていばっているやつの失敗や欠点は悪口の格好のタネであり、笑いのもとなのである。
ヒラ社員が集まって課長や重役のアラ探しをし、悪口をいい合って大いに笑うのは、パニョルが指摘した人間心理の当然の作用であって非難すべきことでは少しもない。
上役の悪口は、いくらいってもいい悪口である。
そのかわり、自分が上役になった場合、部下が自分に対していう悪口をさらりと聞き流せる度量を持つことを忘れないように。
讒言はわが身にはね返る
悪口の毒は人を刺す。人を|斃《たお》す
|讒言《ざんげん》によっておとしいれられた人の数は測り知れない。
しかし、うかうかと人の悪口ばかりいっていると、それはわが身にはね返ってくる。下手な悪口はやっぱりいわないほうがよろしい。
やたらに人の足をひっぱるのが好きな癖に自分の言葉ではけっして他人の悪口をいわない男がいた。かりにKとしておく。
「調査課長のYさんはなかなか愉快な人ですね」
とやんわり切り出す。
「きのう、いっしょに酒を飲んだんですけれど、酔うと大きな声を出されるのにはびっくりしました。もっとも、大声の人に悪人はいないっていいますけど」
「まあ、悪いやつじゃないだろうが……」
「鋭い意見も持っていらっしゃるんですね。いろいろ聞かされて感服しました」
「どんなことをいってたんだい」
「まあ、それは酒のうえのことですから、なにかと差しさわりがありますから……」
「どうせ重役の悪口だろう」
ここで、口をつぐむ。いかにも図星だという表情をしてみせる。しかし、自分の口からは肯定的な表現はまったくしない。
しばらくたって、大げさに首をかしげてみせながらとどめを刺す。
「本当に、Yさんてのは悪い人じゃありませんよ。僕はそう思うんですがね。それにしては、どうしてああみんなに悪くいわれるのですかねえ」
「そんなに評判が悪いのかい」
「課長仲間でもそうだし、部内でもそうだし、掃除のおばさんまでYさんのことはよくいわないようですね。『アケミ』のママもYさんがお店に入ってきたとたん、いやァな顔をしてましたよ。どうしてなんですかねえ。本当に不思議です」
これで、聞いているほうには、Yという人物が社内で鼻つまみになっているらしいことがわかる。ただし、それはKがYの悪口をいったからではない。KはYのことを「なかなか愉快な人物であり「悪い人ではない」としかいっていない。K自身としてはYのことをむしろほめているのである。
しかし、Kの話を聞いた者が受ける印象は、Y課長がKによって支持されていることではなくて、彼が全社的にきわめて評判の悪い人物だというものである。
Kの手口はいつもこうだった。
「Pさんが常務からあんなに買われていないとは意外でしたね」
といった言い方をする。PはQ常務の腰ぎんちゃくという評判が高いのである。そのために多くの社員がPをうとんじ、軽蔑しているのである。P自身もそのことを知っている。それにもかかわらず、Pは公然とQ常務のおヒゲのチリを払って臆するところがない。
Q常務は社内の実力者だから、Q常務さえ味方になってくれれば、他の全社員がそっぽを向いても平気だ、と思っているような気配がPにはある。そこで、ますますみんなから憎まれる。
ところが、その、Pにとっては唯一の頼みの綱であるQ常務がPのことを買っていないという。これはPを憎む者にとってはうれしいニュースである。
本当かどうかを確かめるより、まず信じたい気が強く働く。人間は、自分に好都合な話はまず信ずるものである。
「へえ。そうかねえ」
「そうなんですよ。僕も驚きましたがねえ」
「PにとっちゃアQ常務だけが頼りなんだ。そのQさんに見放されては、もうPもおしまいだな」
「はあ」
「そうか。Pもついに脱落か」
これで、Pはだめになった、という噂があっという間に全社的にひろまることになるのである。噂はQ常務の耳にも当然入る。尾ひれがついて、
〈Pは会社に見切りをつけて、某社へ移る画策をしている〉
などという話になったりする。
Kは舌先三寸でPを突き落としたわけである。だが、KはPを|悪《あ》しざまにいったわけではない。Q常務がPのことをよくいわなかったと伝えただけである。K自身の意見や評価は申し述べられていないのである。
まことに巧妙なやり方だといいたいが、私はいわない。
げんに、こうして私はKの卑劣なやり方を非難する文章を書いている。私ばかりではない。Kの話にうかうか乗るな、と警戒していた者が何人もいた。
Kはひそかにほくそえんでいたかもしれないが、なに、Kの魂胆を見すかしていた人間もいなかったわけではない。
人をおとしいれようとするような悪口は、やはり口にしないほうがよろしい。
踏み絵としての悪口
悪口踏み絵説、というのがある。
かなり常識化した「説」であって、サラリーマンならたいていの人が「たしかに、そうだ」とうなずくことだろう。
人間は派閥をつくる動物である。ことにサラリーマンは組織で動くことが本態だから、大派閥、小派閥が群生するのもやむをえない。
「とかくメダカは群れたがる」などといっていられるのは小説家ぐらいのもので(いや、その小説家だって近ごろはいろんな派閥ができて角突き合わせているが……)、サラリーマンは群れなければ仕事にならない。
同志の誓いを固めるのに、やくざなら杯をやったりとったりする方法があるし、右翼なら血判状だが、ホワイトカラーにはいずれも不似合いである。
サラリーマンたちは、共通の敵を持つことによって同盟をする。
A、B、C、D、四人のサラリーマンがいて、四人ともMのことを憎んでいるとすれば、その一事によって四人は同志なのである。それぞれ肩書も異なり、社歴や能力や趣味、性向が違っても、Mという共通の敵を有する一点において、A、B、C、Dは固く結ばれている。ここにおいて、彼らは一つの小派閥として動くことになる。
Eというもう一人の社員が、この小派閥に加わりたいという意思を示したとする。
Eは何をためされるか。
「E君、たしか、君は横浜支店でMといっしょだったね」
「はあ、三か月ほどですが、Mさんが資材課の係長で、僕がその下にいました」
「しごかれたろう」
四人を代表してAが聞く。B、C、Dの三人は何気ない顔をしているが、内心は、Eの答えやいかに、と神経をとがらしているのである。
Eが横浜支店にいたのはもう二年も前のことであり、期間も短かったので、そんなにはっきりした記憶がいろいろあるわけでもない。Mのことも、これといった印象がない。しごかれた、ような気もするが、そんなでもなかったようにも思える。とっさには返事ができない。
「あいつは新人いびりが趣味だからな」
とBがそばから口を出す。
「上にペコペコするその分、下の連中をいたぶるわけさ」
Cが受ける。Dがうなずく。
四人がそろって、Eに向かって、早く踏み絵を踏め、と催促しているのである。
日本の外務大臣は「全方位外交」とか「等距離外交」とか、虫のいいスローガンをかかげているが、これぐらい非現実的な空文はないのであって、人間関係というものは、
敵の敵は友
敵の友は敵
という力学によって支配されているのである。MがA、B、C、Dにとって敵であるならば、Mの友はA、B、C、Dにとっても敵であり、Mの敵は、A、B、C、Dらの友なのである。
EはAらの仲間になるためには、Mの敵であることを証明しなければならない。それにはMの絵像をあらあらしく踏みつけなければならない。
「仕事でしごかれるのは平気ですが、わざとワナを仕掛けて失敗をさせ、それをみんなにいいふらして喜ぶといったようなところがあるのには参りました」
「そ、そうなんだよ。あいつは昔からそういうやつだった」
「あまり近づかないほうがいい、とまわりの人からアドバイスもされましたけれど、なにしろ直属の係長ですからね。そういうわけにもいかなくて……」
「まわりの人って?」
「とくにだれと思い出せませんが、ずいぶん大勢の人からいわれました」
「そうかね。Mのやつは横浜支店でもそんなに評判が悪かったのかね」
まあ、こんなぐあいでいいのである。これで踏み絵はパスし、EはAらの仲間に入れてもらえることになる。
Eは、本当は、Mのことをそんなに憎んでもきらってもいないのかもしれない。ごく通り一ペんの接触で、好きでもきらいでもないといったところが本当だったのかもしれない。
しかし、そのような真実の感情は、EがAらの小派閥に加わりたいという功利的欲求の前には押しつぶされるものである。Eは大して心の痛みもなく、Mの絵像を土足で踏みつけてしまうのである。
以上のような事情を、逆にMの立場から考えてみよう。
なにかの機会に、Mの耳に、EがMの悪口をいっていたという情報が入る。
M係長はわざとワナを仕掛けて新人のEに失敗させ、それをみんなにいいふらした。Eは便所でくやし泣きした――とE自身が告白していた。
そんな噂がMの耳に入ったとする。
記憶をたどってみるが、そんな覚えはない。だいいち、Eなんて影の薄い目立たない新人で、いまでは顔もはっきり思い出せないくらいだ。
「Eの野郎、デタラメをいいやがって!」
とMは当然、腹を立てるだろう。
しかし、ここは気を静めて考え直す必要がある。
Eはどういう状況で、だれに向かってMの悪口をいったのか。Eの悪口は本心からのものなのか。Eは、ひょっとしたら踏み絵を踏まされたのではないか。心にもなく、Mの悪口をいわざるをえなかったのではないか。
そういうふうに考え直せば、Eの悪口を百パーセント、ストレートに受けとめることが愚かなことだと気がつくだろう。
「あいつがお前のことを悪口いってたぞ」
という告げ口に、瞬間湯沸かし器のようにすぐカッとなる人が多いが、それはあまりにも単細胞である。
人は悪意からのみ悪口をいうわけではない。陰口にしても、それがどんな性質のものであるか、よく確かめてから腹を立ててもけっしておそくはない。
友情と信頼から生まれる悪口
悪口は人をおとしいれるためと限ったものではない。悪口といえば中傷、|誹謗《ひぼう》ときめてかかる単純な頭の人間が「悪口はエチケットに反することだ」などというのである。
友情から発せられる悪口もある。善意からの悪口もある。親しさの表現としての悪口もある。テレくさいから悪口をいってごまかすこともある。悪口はいけないものと、いちがいに思い込んでしまうのも困りものである。
女をからかう紳士がいる。
「あら、お久しぶり」
「そうだな。三か月ぶりぐらいかな、なんだか肥ったみたいじゃないか。三日見ぬ間の大ピ連……だな」
「いやアねえ。久しぶりに顔見る早々、なにも大きな声で肥ったなんていわなくたっていいでしょう」
「いやいや、肥ってるってことはちゃんとおまんまが食えてるということだから結構なことさ。お前さんとこの会社なんざアこの不況下、てっきり倒産だと思ってた」
「縁起でもないこといわないで」
「怒らない、怒らない。あんたがじだんだ踏むと、ナマズが目をさます」
「いや、もう、知らない」
からかいも悪口の一種だろう。しかし、この紳士が、からかっている相手の女性に悪意を持っていると思っては大違いである。
悪意どころか、大関心を持っているのである。ほれているのである。小学生ぐらいの男の子が、自分の好きな女の子にわざと意地悪したり、イタズラをして困らせたりする心理と同じなのだ。相手の関心をひこうとして、わざとどぎついことをいうのである。
とくに、日本の男性にはこうした傾向が強い。女に対しては必要以上にテレるところがある。
古女房のことをぼろくそにいうのも、この心理の延長とみていい。
「うちのクソばばあが……」
とふた言目にはいうから、姉さん女房ででもあるかと思ったら、十二歳も年下でまだ二十九歳。小柄で童顔なのでうっかりしたら高校生に見えかねないかわいい奥さんだったのでびっくりしたことがある。
亭主はある放送局のディレクターなのだが、これが商売に似合わず大変なテレ屋で、そして、若い奥さんにベタぼれにほれているものだから、
「うちのクソばばあが……」
と顔を真っ赤にして、やけくそのように叫ぶことになるのである。
好きだから、ほれているから、悪口をいうことも世の中には多いのである。とくに、男対女の場合はそうだ。そのへんの機微がわからないと、思わぬ果報を取り逃がすこともあるだろう。
信頼の証拠として悪口をいうこともある。
ある女性から、
「あなたとBさんとは仲がいいのかと思ってたら、そうでもなかったのね」
といわれたことがある。
Bとは大学も一緒で、何か月か同じ下宿で暮らしていたこともあるし、二年ほどだが職場も同じだったことがある。|莫逆《ばくげき》の友である。終戦直後の食糧難時代に、腹をへらして夜中に二人でベソをかいたこともあるし、一緒に女遊びだってした。いまさら仲がいいの、悪いのと改めて調べ直すような間柄ではない。
「Bさんたら、あなたのことをとても悪くいってたわよ」
「へえ」
「あいつの仕事は小器用なだけだ。ちょっと見ると派手っぽいけれど、性根がすわってないからすぐに底が割れる。昔からそうだったし、まあ死ぬまで直らんだろうなって」
「ぴったりじゃないか。おれもそのとおりだと思うな」
「だけど、死ぬまで直らないなんて、ひどい言い方だと思うわ。私、びっくりしちゃった」
「どうして?」
「だって、あなた方、親友なんでしょ」
「そうだよ。だけど、おれだってBのことをほめたことなんかないぜ。いつも悪口ばかりいってる」
「そういえばそうだわねえ」
女性は怪しむような目つきで私を見た。二、三分は理解したが、七、八分のところは納得がいかない、という表情であった。
女の場合は、大の仲よしだからといって、お互いに悪口をいい合う習性はないのであろう。いや、悪口を安心していい合えるほどの仲にそもそもなり得ないといったほうが正しいかもしれない。
単に面識がある程度のつきあいの人をつかまえて、あいつの性根は死ぬまで直らんだろう、などといったら物議をかもす。非礼のそしりはまぬかれない。
どんな悪口をいっても私が怒るはずがない、と安心しているからこそBは私のことを遠慮なくこきおろすわけで、Bの悪態のどぎつさは、すなわち、私に対する友情の深さだと思うのが妥当な考え方なのである。一種の甘えだともいえるだろう。
その甘えも度を過ぎるといやみになるし、また、こっちは大親友のつもりで安心して悪口を並べていたら、相手のほうはそれほどにも思っていなくて、悪口をまともにとられてケンカになった、なんていう読み違えもたまにはある。
実をいうと、私なんか人間のできが甘いから、この読み違えをやって、何人もの人を怒らせてしまった経験がある。
悪口は平和主義のシンボル
口が達者だということは悪口がうまいということであり、また、そういう人たちは仲間から尊敬され、頼りにされる存在だった、といったのは民俗学者の柳田国男である。
昔、人々が村という集落を単位に生活していたころ、村と村との間には、水争いや|入会《いりあい》権などのさまざまなトラブルがあった。
そのトラブルを解決するために、人々はすぐに棒切れや石ころを持ち出して暴力ざたにするようなことはなかった。それぞれの村から代表者を出して口論をさせ、それに負けたほうが譲歩するという、なかなか平和的な手段が用いられた。
代表者はもちろん、口の達者な者である。集落の利害を一身に|賭《か》けて口論するのだから、めったに負けるわけにはいかない。彼らは懸命に、武器であるところの言葉をみがいた。
その言葉とは悪口である。悪態である。
一言で、相手がいい返すことのできないほど鋭く敵をえぐる文句を探そうとした。そういう言葉の凝縮されたものがことわざであると柳田はいう。西洋の格言には教訓的なものが多いが、これは宗教の説教から生まれた格言が多いからである。これに対して日本のことわざは、人間の恥部をグサリと刺すような攻撃的なものが多い。
「よその|雨乞《あまご》いに笛を吹く」(自分のことでもないのにお節介にも大騒ぎする)
「ところでは|痩犬《やせいぬ》もほえる」(よそへ行けばてんで意気地のない痩犬でも、自分のなわ張りの中だとえらそうな声をあげてほえる)
「|這《ほ》うても黒豆」(あの黒い粒は豆か、虫かといい争っているうちにそれが動きだした。それなのにまだ豆だと強情をはる意地っぱりのこと)
こうしたことわざがむやみに多いのは、ことわざというものが、そもそも人をやりこめる言葉の武器としてつくられたものであったからだ。つまり、日本人にとって悪口とは、武力抗争を避けて、トラブルを無血で解決するための、重宝でありがたい道具であった。
以上が柳田説のあらましなのだが、現代のサラリーマンが悪口好きなのは、こうしたご先祖の血を多分にひいているせいかもしれない。
上役や同僚の悪口をサカナにイッパイやっているサラリーマンたちのことを軽蔑したり、揶揄したりするのは、こうした歴史を知らないあさはかな頭の連中なのである。
悪態祭とか悪口祭とかの行事がいまも全国的に数多く残っていることをみても、ご先祖たちが、悪口の効用や値打ちをどんなに高く評価していたかがわかる。
悪口をいうことを、頭から不作法なこと、野卑なこととして忌避することに私は必ずしも賛成ではない。
また、悪口のことをいくら否定したとしても、この世から悪口がなくなることはないだろう。それよりは、悪口の存在を認め、そのうえで、どんなふうに巧みで洗練された悪口を操ろうかと考えるほうが、はるかに実際的な思案というものではないか、と思う。
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第十二章 こうすれば人を説得できる
“対話の時代”は“説得の時代”
話をする目的は、一言でいってしまうなら「相手を説得すること」であろう。
討論会や会議での発言、選挙演説、牧師や坊さんの説教、子供に対しての父親の意見、教師の講義、香具師のタンカ、CMガールのせりふ、朝礼の訓話等々については改めて説明する必要もないだろう。
日常のあいさつや慶弔の式辞などは、一見、説得とは関係ないように思えるが、あれらもやはり本質的には聞き手を説得しようとしているのである。
結婚する若い男女に対する自分の喜びを出席者たちに伝え、共感してもらおうというのが祝辞である。共感を求める心は、広い意味での説得欲求である。
あいさつだってそうだ。「こんにちは」という短い言葉のなかに、相手への親和感を披瀝するとともに、相手からも同様に懇親の気持ちを与えてもらいたいとの願望がこめられているのである。こちらのあいさつの言葉に、相手が返事もせず、そっぽを向くようだったら、それは説得に失敗したのである。
上手に話したい、と願うのは、自分の話にもっと多くの人々の耳を傾けさせたい、そして賛成をしてもらいたい、という欲求にほかならない。
他人に対してかける声で説得の意図を持たないものはきわめて少ない。さしあたって思いつくのは号令ぐらいなものである。号令には「説」はない。「説」以前において、組織の規則によってその声は無条件の服従を約束されている。
「右向けェ、右」
といえば、その理由の当否を問い返されることもなく、聞き手はその号令に従うのである。
今日の世の中では、号令をかけたりかけられたりだけで事が足りる人間関係はまれである。会社の仕事上の命令でさえも聞き手の得心が必要だろう。
“対話”の時代とは、すなわち説得の時代である。都知事と都民の関係は大将と二等兵の関係ではない。両者は対等であり、したがって二人の話し合いは対話と呼ばれる。都民が都知事に説得されることもあるが、反対に都知事が都民に説得されることもある。互いに説得したり、されたり、それが対話の時代ということなのである。
したがって、この時代にあっては、より多く説得できる人間がより成功をおさめるということになる。人々の説得欲求が肥大するのも当然といえるだろう。
だが、人は他人を説得したい欲求は強く持つが、他人によって説得されることは必ずしも好まない存在である。ことに現代はそうだ。子は親の意見をきかない。若者は大人のいうことにそっぽを向く。大衆はオカミの命令にかぶりをふる。野党は与党に同調しない。説得したがるものと説得されたくないものとの|相剋《そうこく》が世界中にあふれている。
日本テレビ系で放送している「お昼のワイドショー」の木曜日は、身上相談番組である。一時間のプログラムを一件の身上相談で終始するのだから、他のテレビやラジオでやっている身上相談番組に比べると格段に充実した内容を持っているといっていいだろう。
その仕組みもこっている。
司会者の青島幸男さんとアシスタントの古今亭しん馬さん、神山喜久子さんの三人が相談者の訴えの委細を説明し、さらに気がついた点を相談者に質問して直接答えてもらう。こうして事情がすっかり明らかになったところで、二人の回答者が交互に立ってそれぞれの意見を述べる。この回答者は小説家、評論家、大学教授、芸能人などの知名人である。
これに対して「クール・トゥエルブ」と称せられる陪審員が賛否の意見、あるいはまた別の第三、第四の見解を述べたうえ、最終的には二人の回答者のどちらに賛成するかを採決する。どちらの意見にも反対だという陪審員も当然いる。この「クール・トゥエルブ」は知名人、一般人各六名、計十二名で構成されている。
新聞、雑誌の身上相談では、回答者は一人である場合がほとんどだ。しかし、人間の意見というものはさまざまであって、身上相談のようなものに対して一色の回答しかないというのは、相談者にとっても心もとないものであろう。“三人寄れば文殊の知恵”の故知にならうのがより妥当ではないだろうか。
この番組には私も常連の回答者として出演しているので手放しでほめにくいけれども、活字メディア、電波メディアを通じて、いまの段階ではもっともよく考えられた仕組みの身上相談ではないかと思う。
しかし、これだけ衆知を集めてもなお十分に相談者を納得させることはむずかしい。採決がとられたあとで、青島さんが、
「いろんな意見が出ましたが、あなたが一番うなずかれるものを参考になさって、これからうまく解決に導くように努力なさってください」
と相談者にいう。
たいていの相談者は一応うなずいてはみせるが、百パーセント納得したという表情の人はそう多くない。なかには、
「ちっとも参考になんかならないわッ。みんないろいろいってるけど、私のこと全然わかってくれてないのよ」
とヤケクソのような調子でいうや後も振り返らずに立ち去って、スタジオ内を唖然とさせた相談者もいた。
他人を説得することのなんぞ|難《かた》き、と思わずにはいられない。
本音を吐くばかりが能ではない
そのむずかしい説得をどうすれば成功させることができるか。
それはむしろ逆に、自分なら、あるいはあの男なら、どんな話によって説得されるだろうか、というふうに考えたほうが答えが得やすいかもしれない。
正しいことをいわれたら一も二もなく説得されるものだろうか。
ノーだ。テレビで大変正しいことをいうオジサマがいる。人類はみなきょうだいだ、仲よくしよう、親には孝行しよう――。正しいことだ。間違いのカケラもない。しかし、モーターボートの大親分であるこのオジサマの正しい言葉を聞いて、私はこれっぽっちも説得されない。それどころか、これ以上もないくらいシラケた気分になる。
論語の衛霊公篇に「子曰ク、君子ハ言ヲ以テ人ヲ挙ゲズ、人ヲ以テ言ヲ廃セズ」とある。モーターボートのオジサマのいうことでは信用ならない、というのは「人ヲ以テ言ヲ廃」しているのであって、孔子の教えに背いているわけだが、私としては、この例に関してはどうしても君子にはなりたくない。私と同感の人も少なくないだろう。
孔子が「人ヲ以テ言ヲ廃セズ」と諭したのは、世の中の多くの人々が「人ヲ以テ言ヲ廃」するからである。そうでないなら、わざわざそんな教訓をいい立てることはない。人と言葉は一体だとみるのが世間の常識である。
「オリンピック大会で重要なことは、勝つことではなく参加することである」
という有名な言葉は、近代オリンピックの創始者であるピエール・ド・クーベルタン男爵の言葉とされているが、実は一九〇八年のロンドン大会のときにイギリスのある司教が選手を諭した言葉であって、クーベルタンは後日、それを引用したにすぎない。それにもかかわらず、いつのまにかこれがクーベルタンの言葉とされてしまったのは、クーベルタン男爵の「人」と「言葉」とがいかにもふさわしく一致したからであろう。
もし、この言葉を競技でビリになったオリンピック選手がいったとしたら、人々は嘲笑するだけで、記憶にもとどめないにちがいない。
言葉が人を説得するためには、まず言葉の内容にふさわしい「人間」がなくてはならない。モーターボートのオジサマの正しい言葉が多くの人々に説得力を持たないのは、言葉の正しさにふさわしい「人間」を感じないからであることは改めていうまでもあるまい。
「人間」に一致した言葉といえば本音である。では、本音をいえば人は説得されるかというとそうはいかない。
「タテマエとホンネ」論議が近ごろは盛んで、また、その論議においては、おおむね「タテマエ」が悪玉で「ホンネ」が善玉扱いされているが、これはまったく小児的判断であって、「ホンネ」のほうが世間に危害を及ぼすことがずっと多いと、本当の大人なら承知しているはずである。
たった一週間でいい。心で感じ、頭で考えたことをそのまま飾らず隠さずに言葉に出して暮らしてごらんなさい。家族、友人、知己、すべての人からつまはじきされて、あなたは社会生活が営めなくなる。本音とはそういうものである。
本音をいわなければならないときも、もちろんある。そのときにいわないのは卑怯な人間だ。しかし、そのようなときは少なく、本音をいったために人を傷つけ、みずからも損をする場合のほうがはるかに多い。
本音を吐きさえすれば人は説得されるものと思うのは、あまりにもあさはかな考えである。
「貧乏人は麦を食え」とか「中小企業の一つや二つはつぶれてもやむをえない」などと放言した池田元首相のことを、最近は「あれは放言や暴言ではない。きびしい経済状況の認識とそれへの対処のしかたを諭した直言である」とほめそやす人がいる。見当違いもはなはだしいと思う。
たしかに、これらの発言は池田元首相の本心であっただろう。普通の政治家のようにそれをおおい隠すことなく公言したのだろう。
しかし、いくらそれが本当のことであったとしても、大臣としてこういう発言をするのは、麦を食うしかしかたのない貧乏人や、倒産を避けられない中小企業の気持ちを考えなさすぎる無慈悲な仕打ちなのである。弱者に対する思いやりのない無思慮な行為なのである。これを、本当のことなのだから、本音をいったのだからといって容認しようとするのは間違いである。
本音さえいえばいいのだと単純に信じ込んでいる人は、他人の立場や気持ちをおもんぱかることを知らない幼稚で軽率な人間なのである。
これとは対照的に、聖人君子のようなご立派なことばかりを口にする人は、自分のことを考えないムシのいい人間であろう。
人間なんてだれでもそんなに清く正しく美しいわけはないのであって、自分のやってきたことや心の奥底で考えていることなどをまともに反省してみれば、恥ずかしいことだらけで、他人さまに向かって、人類はみなきょうだいだなんて立派なことをとてもいえた義理ではない。それがいえるのはよほど鉄面皮だからであり、鉄面皮になれるのは、自分のことをすっかりタナに上げてしまっているからである。
他人のことを思いやる心がない人間の言葉も、自分のことをタナに上げる人間の言葉も、ともに説得力がないのは当然であろう。
(あの人はこちらの立場をよく考えてくれているし、わかってもいる。また、自分にとって都合の悪いことも隠したりはしない)
そんなふうに思える人の話に、われわれは説得されるのである。
話を面白くするための二つのカギ
話をする心構えとしては、
〈自分のことをタナに上げず、相手のことをよく考える〉
ことを忘れてはならないが、それでは、話し方としてはどんなことを心がければいいのだろうか。
私自身にいいきかせているのは、
第一に、わかりやすく、
第二に、面白く、
ということである。こまかいテクニックのことをいいだせば、テレビのおしゃべりと講演とでは違うし、会議での発言と結婚式のスピーチでも違う。聞き手の人数や年齢によってもおのずから違いがあって、きりがないが、つまるところは〈わかりやすく、面白く〉ということになる。
難解な言葉や持って回った表現をして、むずかしげに語る人を見ると、私はすぐに、|眉《まゆ》につばをつけたくなる。うさんくさいと思うのである。
あの人は、自分でもよく理解していないことをしゃべっているのではないか。そうでないとしたら、聞き手にちゃんとわかられたら困るので、わざとわからないようにカムフラージュしながらしゃべっているのではないか。そうとしか私には思えないのである。
自分の意見に賛成してもらえるか、それとも反対されるか。どちらにしても、まず自分の意見を十分にわかってもらわなくてはそれこそ話にならないのである。こういえば、そんなこと当たり前じゃないか、といわれそうだが、実際にはこの当たり前のことすら心がけていない話者が多いように思う。
また、わかってもらうためには、ちゃんと耳を傾けて聞いてもらう必要がある。いくら話し手がわかりやすい言葉で懇切ていねいに話しても、うわの空で聞かれたのでは、わかる話もわかってもらえない。
話し手に注意を集中してもらうためには面白く話をしなければならない。これも当然すぎるほど当然のことだ。
面白い、という言葉の起こりは、柳田国男によれば、こういうことである。
ラジオもテレビもない大昔、人々の娯楽は囲炉裏のまわりに集まって話をかわすことであった。話をかわすといっても、単調な村の暮らしでは談論風発するあんばいにはならぬ。話し上手な人や珍しい話を知っている人が主に話し手になり、他は聞き手になる。
話し手が特別に興味深い話をしたときには、それまでうつむいてじっと話に聞き入っていた人々が思わず顔をあげて話し手に注目する。その、あげた顔面に囲炉裏の火が映えて、白く輝く。興味深い話が出たときには、みんなの面が白くなるところから面白いという言葉が生まれた、というのである。
私が〈話は面白く〉というのも、このようなもとの意味でのことである。単なるダジャレやエロ話で聞き手を興がらせるということではない。
聞き手が思わず顔をあげて話し手のほうを注目する、そんな話し方をするように心がけたいと私は思っているのである。
それでは、話をわかりやすく、面白くするために、具体的なテクニックとしてはどんなことがあるだろうか。これもこまかいことをいちいちあげていくときりがないことだが、私は
〈二つの「タトエバ」〉
ということを考えている。これが面白い話のためのカギだと思っている。
一つは、漢字で書けば「例」の字に当たる「タトエバ」である。実例のことだ。
「○○さんは|寡黙《かもく》な方で、一見とっつきにくいような印象が強かったかもしれませんが、非常に深い心くばりをされる方で、とくに下の人たちに対する思いやりのあることでは、あの方以上の人を私は知りません」
告別式などで、故人をしのんでこういうふうな感想を述べる人がいる。
もちろん、これで悪いということはない。ああ、そうかな、と聞いてうなずく人もいるだろうし、そういえば自分にも思い当たることがある、と○○さんとの間に経験したことを思い出す人もあるだろう。だが、だれしもがそうだとは限らない。だから、ここで「タトエバ……」と実例を付け足すことによって、話はぐっとわかりやすくなる。聞く人のうなずき方も一段と深くなる。
「たとえば、私にとっては忘れられない教訓なのですが、こんなことがありました。私は茶碗に一時凝ってまして、大したものじゃありませんが、いくつか集めて楽しんでいました。会社のまずいお茶でも湯のみ茶碗をいいもので飲めば少しは楽しめるだろうと思って、ちょうど美濃焼の手ごろなのがあったものですからそれを会社へ持ってきて、自分の専用茶碗にしたのです。給仕の女の子も、いいお茶碗ですね、なんてお世辞をいってくれるものですから得意になって講釈を並べたりしたんです。そうしたら、すぐ○○さんに呼びつけられてしかり飛ばされました。お前はお茶くみの女の子の気持ちを考えないのか。あんな茶碗を持ち込んでは、彼女たちが、割っちゃいけない、欠いちゃいけない、とハラハラしながら洗わなくてはならない。緊張するとかえって失敗するということもある。万一、落として割った場合、弁償なんかしなくていいと君がいったにしても、割ったほうは心に負担が残る。いけないよ、ああいう茶碗は、というわけで一言もありませんでした。○○さんが下の人たちに人望があったのは当然だと思います」
こうした具体的な実例が話を面白くもし、わかりやすくもするのである。
だが、この「タトエバ」が実際にはなかなか出てこないものである。
ある経済雑誌で、成長企業の経営者と対談をしたことがある。毎月一人ずつ、一年間に十二人の人と会ったが、一代で成功した人たちばかりなのでその立身談はなかなか面白かった。しかし、やはり話の下手な人、上手な人がいて、聞き役としては、ときには面白い話を引き出すのに苦労することもあった。
「そりゃアもう死にもの狂いで働いたもんですよ」
というから、タトエバどういうふうに死にもの狂いだったかを聞き返すのだが、そのタトエバが出てこない。
「なんちゅうか無我夢中で働きましたね」
「ですから、どんなふうに無我夢中だったか、そのころの何かエピソードなんかありませんか」
「人の二倍、いや、三倍はがんばりましたな」
「こんなことがあったなア、といまでもはっきりおぼえていらっしゃるような話は?」
「なにしろ夢中でしたからなア」
といつまでも果てしがなくて、サジを投げたこともあった。
ある経営者は、これとは正反対だった。
「朝六時に家を出ましてね。夜、家へ帰ったら腹はペコペコ。女房に『飯、飯、飯』とどなったら『そんなにガッツかないでお風呂でもいってらっしゃい。一本つけとくから』という。『一本なんかいらない。風呂もあとだ。とにかく飯にしてくれ』とまるで餓鬼みたいにダダをこねて、ふっと気がついたらカバンに重みがある。あけてみたら弁当箱が手もつけずにそのまま。忙しくて昼飯を食うのも忘れとったんですワ。それじゃアお腹がすくのも無理ない、と家内に笑われて……。まァ、若いうちはそれぐらい夢中で働いたものです」
こういう話し方をされると、聞いているほうも思わず話にひきずり込まれ、身を乗り出してしまう。
だが、こんな話し上手の人は本当に少ない。十二人の社長のうちこの人一人だけだった。
「オヤジが屁ひって死んだ」話
もう一つの「タトエバ」は、字で書けば「譬えば」である。|比喩《ひゆ》の「タトエバ」だ。
最近は円高ドル安など経済問題に人々の関心が集まっているが、これがなかなかむずかしい。私なんかも知ったかぶりをときどきいうことがあるが、本当のところは理解するのに骨が折れる。専門書を買ってきて読んでみたりもするが、おいそれとは納得させてもらえない。
ところが、タトエ話で説明されると、いままでいくら考えてもわからなかったものがすうっと頭に入る。少なくともわかったようなつもりにはなる。
日本の輸出好調が国際的に目のかたきにされている。しかし、しろうと考えで判断すれば、自動車にしても電気製品にしても、日本の業者が諸外国の消費者の首根っこをひっつかまえて無理やり買わせているわけじゃなし、良質の品を安く売っているだけなのに、なぜ文句をいわれるかわけがわからない。
そこをタトエ話で解説すると、次のようなぐあいになる。
熊サン でも、日本の製品が優秀だから売れるんでしょ。しようがないじゃないですか。
隠居 そりゃそうだ。なにしろ日本の設備は四十八年を頂点に新鋭機械を導入したから、抜群の国際競争力を持ってるんだ。
熊サン だったら、文句いわれる筋はないじゃん。
隠居 いや、それがそうはいかん。たとえば、欧米のスポーツと日本のスポーツと比べてごらん。日本では、柔道にしても相撲にしても重量とか軽量とか分けないで、無差別に勝負をするね。ところが、欧米のスポーツは、ボクシング、レスリング、ゴルフなどみんなハンデをつけたり、重量級と軽量級とに分けて勝負をするだろう。つまり、欧米の考え方は、ハンデをつけることが公正で、そのうえで自由にやろうと考えるが、日本では自由にやるから公正なんだと思っている違いがあるね。貿易でも、欧米はハンデをつけて公正にしろといってるわけだ。
これは週刊読売五十二年十一月十二日号に載った「円高早わかり問答」という文章の一節で、筆者は慶大教授の加藤寛氏である。
加藤教授がテレビなどマスコミで引っぱりだこであることは周知のことだが、こういう見事なタトエ話がふんだんに出てくるところに加藤氏の文章や話の面白さやわかりやすさがあるといっていいだろう。
医学の話もしろうとにはむずかしいものだが、これもタトエ話を用いると思いがけぬほど楽にのみ込める。
人間のからだを会社にみたてると、(右心房の壁に埋まっている洞結節は)心臓部の指揮をとる部長さんといった役まわりである。この部長の命令を受けとめるのが、心房と心室の境にある田原結節という名の課長。命令はヒス束というヘンな名の係長を通じ、一種の電話線で第一線社員、つまり心室の筋肉に伝えられる。部長が倒れれば、課長が、課長がダメになると係長がかわって指揮をとる。この心臓部の部長さんは、気質の違う重役連の注文で心臓を動かすリズムをかえなければならない。重役の一人は、働け働けと、しった激励する戦闘型の交感神経。もう一人は「まあ、まあ、仲よくゆっくりやりましょうや」という平和主義者の副交感神経。
これは『新解体新書』(朝日新聞科学部編)の一節である。
「見立て」のなかでも、こうした擬人化の見立てはもっともわかりやすい。複雑な心臓の機能も、これで一読頭に入る。もしこれが専門用語の羅列であったら頭のなかを素通りするだけだろう。
感情、精神、心理のような無形のものを説明するのにも、これを具体的な物に見立てるのはよくとられる方法である。
真船豊の『孤独の徒歩』という本のなかに、
「心に、沢山の間敷を持っていて、相手によって、その応接間へ通した切りの付合をしたり、また相手によって、奥の間や、茶の間へ、通して付合うと言った、直感の鋭い、気骨のある文人だった」
という個所があるそうだ。
これはまあ当たり前のことで、だれでも人との交際には深浅の区別を持っており、ほんの儀礼的につきあう相手もあれば、心を許した友もいる。それを心のなかを住まいに見立てて、応接間にしか通さぬ相手、という表現をするところに面白さがあり、当たり前のことをいっているのに人を感心させるのである。
実はこの言葉は、河盛好蔵氏の『人とつきあう法』からの孫引きである。河盛氏はこの言葉を「親友について」という項の冒頭に引用して「この表現を私は面白いと思った」と記している。
私には真船の言葉そのものよりも、河盛氏がそれを「面白いと思った」と感じたことに注意をひかれた。真船のいっていることは、私にはそれほど変わったこととも思われない。それがタトエ話になることによって、河盛氏ほどの人にも面白いと感じさせる。タトエ話の効用の好見本ではないか。
話をして人に耳を傾けさせようと思えば「オヤジが|屁《へ》ひって死んだ」話をすればいい、という教えがある。
昔からの言い伝えで、オヤジというのは、当節の女房のシリに敷かれている情けない父親のことではない。「地震、雷、火事、親父」といわれたころの父親のことだ。そのころの父親は子供の前では冗談一ついわず、クソまじめな顔をしていたものだ。
落語や漫才でない限り、普通の話には人々はまじめな内容を求める。初めからふざけ散らしたような話しぶりでは聴衆は腹を立てる。高い入場料を払って聴きにきている人ならなおさらだ。話の中身はまじめなものでなくてはならない。それを「オヤジ」の一言で表す。
そのオヤジが屁をひるのは|滑稽《こつけい》なことであり、また父親が木仏金仏ではなくて生身の人間であることを表すできごとだ。ユーモアと人間味を語れ、というところを「屁ひって」で表したのである。
「死んだ」はいうまでもなく悲しいできごとであり、涙を流すべきことである。笑わせたり、泣かせたり、というわけだ。
このように解いてみれば、そんなに特別に変わった教えでもないけれども、「オヤジが屁ひって死んだ」話をしろ、と一言でいえば人に与える印象は格段に強い。おそらく、この本の読者も、
「そうか、話のコツは『オヤジが屁ひって死んだ』だな」
と頭に刻み込んで忘れることはないにちがいない。
これを抽象的に「話のコツは、まじめな内容に笑いと涙をまぜて、人間味を出すように語ることだ」といったのでは、だれもふうんと思わない。
抽象を具象化するのがタトエ話の効用であり、その成果は想像以上に大きいものなのである。
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おもしろい話とはなにか
――あとがきにかえて――
「話」がおもしろい時代、になった。
話がおもしろい人がもてはやされる時代、でもある。
テレビの普及が大きな理由かもしれない。
テレビは話す文化である。ブラウン管からさまざまな人が話しかけてくる。おびただしい量のおしゃべりが電波を通じて、日本中に満ちあふれている。
話すことを専門としない人たちがテレビにひっぱり出されてしゃべらされる。
プロ野球の監督や選手は、ゲームが終わるたびに、お立ち台に上らされて、マイクを突きつけられる。相撲取りも柔道の選手もゴルファーも、マイクの攻勢から逃れることはできない。
うちの近所の魚屋で“テレビ有名人”がいる。あるテレビ局が朝の情報番組の中で、築地市場の模様を毎朝中継していた。それにレギュラーとして登場する魚屋なのである。
きょうはサンマが安いよ、とか、イカのいいのが入荷しました、などとレポートをするのだが、語り口が威勢がよく、それでいてひょうきんなところがあっておもしろい、というのでレギュラーになってしまった。
マーケットの中の人気者でもあり、名物魚屋なのだ。
コピーライターがテレビのトーク番組の司会をする。漫画家がクイズ番組の司会をする。小説家が深夜のショー番組の司会をする。
医者も役人も税理士も呉服屋の主人も、誰も彼もがテレビのスタジオにひっぱってこられて、「話」をさせられるのである。
そして、その「話」がおもしろければ、たちまち“有名人”になってしまうのである。
もともと、「おもしろい」という言葉は「話」から出たものである、と柳田国男が言っている。
「おもしろい」は漢字で書けば「面白い」である。「面」は顔のことだ。
一日の労働を終えた家族や近隣の者たちが、夜、囲炉裏をかこんで談笑のひとときを過す。一座の中には必ず一人か二人、珍しい話題を持っている者とか、おしゃべりの上手な者がいる。
そういう者の「話」をみんなが聞く。人々の心にとりわけ訴えかけ、興奮させる話が出ると、みんな伏せていた顔をあげ、大きく口をあけて笑い声を立てる。あげた顔に、囲炉裏の火の色が映えて、白く見える。それが「面白い」なのだ、というのが柳田説である。
この柳田説は、今では否定する民俗学者が多いが、長い間、「面白い」の語源として通ってきたものだ。学問的な詮索は別として、私もこの説をおもしろいと思う。
話のたくみな人、興趣に富んだ話材を持っている人が「おもしろい」人であり、一座の中心になる。多くの人々の人気を獲得するのである。
つい最近の朝日新聞のコラム「天声人語」にも、
「近ごろ話すことへの関心が高まっている」
として、町の話し方教室の模様が紹介されていた。
「『あなたの幸福を約束する日常会話』『人を動かす説得話法』といった案内が目につく。生徒はサラリーマン、教師、主婦、学生などさまざまだ。講義は自己紹介のし方あたりから始まるのが普通のようだ。一例をあげればこんな調子になる▼一分間自己紹介法。最初の五、六秒が勝負だ。だじゃれでもこじつけでもいいから、なにか面白いことをいって名前を売り込む。あとは職業、趣味、特技、人柄。最後にもういちど名前をいって『よろしく』で結ぶ」
こういった町の話し方教室にも、ピンからキリまであって、小は二、三十人から、盛んなところはすでに何千人と卒業生を送り出しているそうだ。
話すことへの欲求と関心がどんなに大きいかを示すものだろう。
「オール讀物」創刊五十五周年記念増刊として「ビッグトーク」というのが発刊された。
対談・放談・座談会
言葉のダイナマイト150発
と表紙にうたってある。
こういう企画が雑誌社で出るのも、「話」がおもしろい時代、の証拠の一つであろう。
いわゆる「ハウ・ツウ」書としての「話し方読本」のたぐいの本も、驚くほど数多く本屋のタナに並んでいる。前述の「天声人語」にも「本屋をのぞくと『気くばり話法』『スピーチで成功する』『話し上手で心をつかめ』といったたぐいがずらり並んでいる。取次店のコンピューターに打ち出してもらったら三百二十三点あった。大半がここ数年のものだ。ちなみに書く方は三十八点だった」とある。こういった本を見ると、スピーチをする前にはたばこを吸わないこととか、視線は聴衆のどのあたりに向けるべきだとか、服装の心得だとか、そんなことがいっぱい書いてある。
むろん、そういうことだって大切な注意には違いないが、この書では、そうした点についてはあえてほとんど触れなかった。人間が話をすることは、カメラをいじくったりテープレコーダーを操作したりすることとは根本的に違う。テープレコーダーの使用案内書なら「このボタンを押せば音が出る。このつまみを右へ回せば音量が大きくなる。次のボタンを押せば早送りになる」といった操作法を並べればそれで十分だろうが、人がしゃべるためには、そうしたこと以前の、またそれよりもっと大切なことがある。それを抜きにして、いくら操作法を書き並べてみても、それは電源コードをつながないでボタンをあれこれと押しているようなものでしかない。本文中でも何度か触れたが、「話すことは生きること」なのであり、人が話すということは舌の問題ではなくて心の問題なのだから、上手に話すための第一の注意は、演壇のコップの水の飲み方なんかではないのである。
単なるおしゃべり人間をふやすためにわざわざ一冊の本を書き、出版するのはばかげたことであろう。人々の閉ざされた心が開き、それによって世の中がいきいきとするような、そんな本でなければ意味がない――私はそんな思いでこの本を書いた。その意図が十分に果たされたかどうかは、読者のご批判を仰ぎたい。
[#地付き]塩 田 丸 男
単行本
昭和五十三年十二月読売新聞社刊
「人を魅きつける話し方」に加筆訂正のうえ改題
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文春ウェブ文庫版
口下手は損ですか
面白い話をするための12章
二〇〇〇年九月二十日 第一版
二〇〇一年七月二十日 第三版
著 者 塩田丸男
発行人 堀江礼一
発行所 株式会社文藝春秋
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郵便番号 一〇二─八〇〇八
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