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太平洋戦争日記(一)
伊藤 整
目 次
昭和十六年
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十二月 真珠湾攻撃、ルソン島上陸、筆禍、文学者愛国大会
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昭和十七年
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一月 燈火管制、切符制度、文学者徴用
二月 シンガポール陥落、得能五郎、魚配給
三月 ジャバ島占領、マッカーサーのコレヒドール脱出、ラングーン陥落
四月 菅原佐一郎と鈴木巡平、帝都空襲
五月 「メキシコの朝」翻訳、眼科
六月 病気、日大出講、澀江抽斎論
七月 荻原朔太郎論、売住宅を探す
八月 独軍スターリングラード攻撃、月賦住宅探し、流動食
九月 近松秋江論、浅川の土地
十月 「得能」終章、日露戦史、烏山の家
十一月 北原白秋死去、トブルク戦、ソロモン海戦、セファランチン
十二月 夜の銀座、横浜爆発事件、「得能物語」出版
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昭和十八年
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一月 豊岡陸軍病院、米不足、タバコ値上げ、衣料切符削減
二月 闇の話、ガダルカナル戦、防空演習、瀬沼茂樹
三月 ベルリン空襲、独潜水艦活躍、重慶軍
四月 烏山移転、夜の銀座、内閣改造
五月 山本司令長官戦死について、企業整理、アッツ島全滅
六月 食料買出し、商科大学、学徒戦時動員法
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[#改ページ]
[#2段階大きい文字]昭和十六年十二月
十二月一日
学校〔日大芸術科〕、一年六人位なり。リポートの出題後なので少いのであろう。葛西の「子をつれて」。生花(?)の女教師また来聴。(沢田)。その後上野図書館、勧進帳考のノオトをとる。「新潮」正月に書く得能もののためなり。三時、河出に行き、入営した「知性」の田中君への手紙(五円同封)のこと戸台氏に訊ねる。送ってもらったとのこと。印税残金百三十円受領。
その後銀座まで歩く。道にて純綿タカ丈〔地下足袋〕一足¥一・七○、ゴムの指サック(千恵子〔女中〕指負傷)五本、三十五銭、綱用の中細綱中古品二十尺(一円)、靴の下の鋲三十個一円等買う。これ等は、各専門店には品切にて、街頭にて売っているもの也。
河出にて徴用された連中の話を飯山〔正文〕とトダイ〔前出。戸台俊一〕から聞く。
大阪行の高見は、廊下に寝かされてふんがいの由、面会に行った妻君の話なりと。但し二十八日かまでしか滞在せぬ故、乗船までの都合ならんと。また阿部知二は東京の陸軍大学(?)の一室に起居せるらしく、割にいい待遇らしく島木あて(島木は病気のため帰さる)に書翰ありし由、これは検閲の印ありと。
またトダイの話にて連中の内二人大島に現われたりと。
東条首相の昨日かの国民大会の演説で英米を極東より放逐せんとの言、及び、一昨日のビルマルートの爆撃がアメリカで反響を生んでいる由。なお、アメリカからの文書は基本原則に戻っていると東郷外相の昨日の演説にあり、日本強硬にて日米交渉駄目らしきも、今日の夕刊読売にては、東条首相は各方面と交渉の結果、なお日米会談続行のつもりにて今日臨時閣議を開いた、と出ている。
我々にも徴用が来たら廊下に寝るようなことになるべく、そのことのために、アノラック、及び昨日松屋で十一円で買った羊毛皮など持参せねばならぬであろう等と考えている。
丹羽が徴用されて戻されたというのはデマで、彼は呼ばれなかったというトダイ君の話也。
新潮小説八枚ほど書いてある。後十二枚、勧進帳のノオトを利用して書くつもり也。
近いうちに味噌、菓子、薯、肉等皆切符になる由新聞にあり。なお一週間ほど前より魚が割あてなれども四時以後の自由販売の時間に、家へはよく魚をくれるので、たいてい毎日魚を食っている。先頃一月ぐらい外米七割にて困ったが、この頃外米二割程にてよくなる。四斗ある米を、今度からのいい米と半分ずつ混じて食い上等なり。
銀座の明治製菓にて、コーヒーとケーキ。ケーキ二個にて美味。但し三時頃でないと無い。今度は食べずに子供たちに持って来るつもり也。先日初めて菓子の割当あり。山谷の近くの菓子屋から組長有馬夫人の買ってくれたもの、魚の形の甘いセンベとキャラメル二個にて五十銭也。これは十一月の分か?
卵は外の県からとってもいいと戸籍調べの巡査が言った由で、去年か買った千葉県の牧場に一週間程前に問い合せたが返事なし。昨日塩谷〔北海道。整の郷里〕より、豆、ラッキョーの苗、等一箱着。三日程前は白神〔北海道。整の母タマの郷里〕へ行った母から前ぶれのあった品、昆布、スルメ、ワカメ等荷物着く。街頭の煮物屋にはこの頃チクワが午後四時頃冷凍したものが毎日ある。今日訊いたが、前には沢山出ていた乾貝柱なし。海苔次第に少くなったが尚ノリ屋の店頭にあり。
昨日芸術科の最終(今年春)卒業生の連中の小会あり。沼袋の近くの小金丸〔梅雄〕君のアパートに七八人集り、出かけ、作品を聞き批評す。その時水浦君の話に、近く東京で女の子の徴用が大規模にある。百田〔宗治〕夫人(一昨日)の話では、百田家の近くの家で女中が四人いたが三人とられて(田舎かららしい)一人しかいない由。(水浦君の話では女中、女給は徴用する由である。)また娘たちを嫁にやるのを急いでいる。(二十五歳までの未婚の女はとられる)とか、女学校を出た娘たちの上級校へ入るのはほとんど皆と言ってもいいぐらいであるとか、皆のあわてた話を聞く。
自分の所で千恵子とられ、自分も若しとられたら全く困るが、この頃貞子〔妻〕気持をとり直したのか、割にしゃんとして半日ぐらい起きている。心的煩悩少くなったらしい。T夫人のこと、高橋君から、夫人を田中の雑誌に紹介したことへの礼状が来てからうるさく考えぬようになったらしい。
毎日礼〔次男〕(千恵子の留守に一日ほど早起してガスに火をつけてから微熱を出してもう十日ほど休んでいる)と滋《しげる》〔長男〕と貞子に、カルシウムとビタミンの注射をしている。
(滋、学校で馬乗り遊びで背骨を痛くしたとてカリエスを怖れ休ましている。)
十二月八日
朝、基〔整の末弟〕より父の戦歴について手紙来る。午後一時出かけると田中家の裏の辺でラジオが日米の戦争、ハワイの軍港へ決死的大空襲をしたこと、タイに進駐したこと等を報じている。はっと思い、帰るかと考えたが、結局街の様子を見たくて出かける。(家のラジオこわれている。)杉沢家〔仁太郎。同郷の友人。近所に住んでいる。〕の裏の風呂屋の工場の所で四五人がのん気にトラックに物を積んでいる。変な気がする。
タバコ屋にてタバコを買う。魚屋や八百屋の行列の女たち、いつものとおりなり。郵便局へ抜ける道の空地で防空壕を女たちが作っている。それでやっとはじめて戦争来の感がする。人々があまり明るく当り前なので、変に思われる。郵便局の中で中尉の若い男、電話をかけようとする。先は中野電信隊なり。妹らしい女がそばにいる。これを小包を手にした女たちがふりかえる。速達を出しながら変に自分がこわばっているのを感ずる。
家で心配しているから戻ろうと思うが、とにかくもう夕刊が出るに間もない。早く新宿まで行こうとバスに乗る。街は割にひっそりしている。所々行列あり。見ると皆菓子屋の前也。なあんだという気もし、またちょっと不思議とも思う。
バスの客少し皆黙りがちなるも、誰一人戦争のこと言わず。自分のそばに伍長が立っていて身体を押し合う。鉄ブチの眼鏡をかけた知的な青年なり。押しながら、「いよいよ始まりましたね」と言いたくてむずむずするが、自分だけ昂ふんしているような気がして黙っている。
新宿駅の停留場まで来たが、少しも変ったことがない。そのとき車の前で五十ぐらいの男がにやにや笑っているのを見て、変に思った。誰も今日は笑わないのだ。その男にどんなうれしいことがあるのか分らないが、変に思う。自分だけ切りはなされていることが出来るのか、と思う。
街は百貨店が月曜の休みなので、ひっそりしている。やっぱり菓子屋の前に列あり。銀座まで行くことにする。坐れる。人通り少いが変ったことがない。四谷の辺で女の子が二人腕を組んで笑って歩いている。これも変だ。半蔵門に来ると池にもやが立ち、とても、今まで見たこともなく美しい。日本は美しいなと思う。宮城の横の十字路を、カーキ服の学生が駆けて行く。百人ばかり。中学生ならん。足がそろって美しい。宮城を拝むのであろう。日比谷にて、バスのそばで新聞に皆がたかって買っているので自分も下り四枚買う。売子の男まごまごしていて金をとれぬ。やっと渡し、それをカバンに入れ、小便をしに日劇地下室に入る。割にしんとしていて、皆がラジオを聞き、新聞を開いている。ラジオで軍歌、「敵は幾万ありとても」をやるとわくわくして涙ぐんで来る。朝日のケイ示板に号外が出ており、見ると、ハワイの空襲等出ている。タイに入って行ったこと出ている。なるほどと思い、朝日の電光ニュースを見る。新聞に出ていることなり。
日劇の前で大学生が四五人集って、少しコーフンしたむっとした顔で喋っている。しかし通行者、みなむっとしていて新聞を見ながら歩く。新聞売台はすぐカラになっている。日劇の正面の入口には女の案内が二人いて、少い客をむかえなごやかな顔をしている。
そろそろ家にかえろうかと思いながら尾張町に行きバスを待つ。バスすいていて、ナベヤ横町に三時頃下り、サツマアゲなど一円買いカバンに入れて家に来る。
それから夕刻、ブラックアウト〔燈火管制〕の支度などをし、ラジオの箱の方を持ち出してラジオ屋へ行く。明朝出来る由。帰ってからリシーバアを直す。どうにか聞ける。
滋はコーフンして身体を動かしすぎる。戦争のことを、「すごいなあ」「勇ましいね」と人に話したくて仕方ないらしい。半月ほど前学校でセボネを痛くした後休ませている。セボネ、カリエスにならねばよいがと心配なり。しかし大体元気にて、この冬はセキもせぬ。
礼は、「どうして戦争が起るの」など言っていて、のん気なものなり。貞子が話してやっている。
自分はハワイ空襲はよくやったと思いうれしくなる。大変な損害をこちらも受けたろう。新聞に「日本軍は三時間も空襲を続け、大損害を受けたが、まだハワイの制海空権はこちらにある」と言っている。自分の要サイのことを何言うかという気持。ハワイで落ちた人たち、死に甲斐あらん。
夜になり、落ちつかぬ。
また昼のうち、自分が気にしたのは、露国と戦を初めれば、例のセンデン中隊にとられると思う。
[#1字下げ](一昨日木下君と川端氏を訪ねたとき、川端、木下の説では東条内閣は戦わないことになっている、そして内部の不平をおさえるため内相も兼ねている、ということなり。自分もそれをほぼ信じ、のん気になっていた。その時木下君の話では先頃とられた作家たち、陸軍のみと思っていた処海軍にも二三人まわされたとのこと。それでは近いうちに再びとるのはやめるだろうと思う。また川端の話では満洲にも三百人分宣伝中隊の服が出来ていて、いざという時日本と満洲の作家からとるとのこと。)
夜の九時に貞子がニュースだと言っておこす。
空襲の結果を知らせる。戦カン二沈没、四隻大破、大形巡四隻大破、航空母一隻沈の由。立派なり。日本のやり方日露戦と同様にてすばらしい。
十時頃「都」の人来て、文芸時評を戦時の覚悟と変えて書いてほしいと言う。諾。
「新潮」の小説書いたが、まだ「文芸」の小説あり。
ヒル、バスの中にて今日のこと、基の手紙からまとめて書こうと思う。
「都」の人の話では、明日あたり海軍のチョウ用ある由、自分も来るかも知れぬ。
これでは「得能」の下巻はとても書けぬ。
手持金百五十円あり。但し第一生命に百五十円入れねばならぬ、少しのばす。
校正「小説の世界」「故郷」「小説の研究」
「故郷」が発禁になると困ると思う。
これ等を早く本にしたいもの也。
夜十時すぎ、学校より電報、明日会議の由。
夜貞子ねむる。礼やシゲルを見ると、何だか命の果てにいるようで哀れなり。一夜一夜やすらかにねむれと思う。いつまでこうして寝てるのを見ていてやれるか。
十一時四十分眠る。
感想――我々は白人の第一級者と戦う外、世界一流人の自覚に立てない宿命を持っている。
はじめて日本と日本人の姿の一つ一つの意味が現実感と限ないいとおしさで自分にわかって来た。
今度の戦争の予想が色々とあったが、ハワイをまさか襲うとは思われなかった。シンガポールあたりは防空壕などあり、準備していたらしいが、ハワイだけは我々も意外であり、米人も予想しなかったのであろう。
十二月九日
朝学校に行く。試験のため学生多し。十時二十分校前の神社の前にて大詔渙発奉戴式、唐沢大佐の話面白し。
それより駅前の浅間(?)神社参拝。昼食後職員会議。科長、高須氏等より自由主義的芸術の排除決議提案。署名して総長提出となる。また学校、神社に樹木寄附、由良氏より提案あり。大久保下車して新宿に出る。
今日は人々みな喜色ありて明るい。昨日とはまるで違う。これはハワイにて米艦数隻打破の結果也。学生もその話をしていた。また三浦、柳、山崎、エビ原等と食事中もその話あり。昨日誰も戦争のこと言わなかったのは、心がつきつめて余裕なかったからか。柳がロシヤに大暴動が起きている[#「ロシヤに大暴動が起きている」に傍線]、と言う。(嘘らしい、二十日)
夜、貞子うなる。胸が気分悪いとのこと。今日は細雨午後より。今朝から天気予報なし。新聞が間抜けだと思っていたが、さにあらず自分が間抜なり。今後何年間も天気予報はないであろう。
夜十時のニュースにて、英領マレイの北部要衝○○を占領とのこと。シンガポールまではまだ数百哩あり。心配なり。
夕刊に米当局者たちの驚ガクの模様出ていて痛快なり。彼等の発表は正直にて、戦艦二隻顛覆、数隻大破と出ている。読売のブエノスアイレス電では大統領が失神したようになったり、新聞の攻撃多いとのこと。相当の打撃なること、客観的にも明かなり。明朝までに「都」の時評(文学者の覚悟)を書いて持参の予定。まだ半枚も書かぬ。今十時半也。
これから書いて、明朝は六時半にラジオ常会ある由。
ラジオでは軍歌とニュース(昨日は一時間オキ、今日は昼二時間オキ、夜は一時間オキ)の外軍人の講演等のみにてやっぱり天気予報なし。
今日スキイの話出たが、空襲の憂あるときはスキイどころではない。
今日学校で、数日中にも徴用が来るかも知れぬとの話なり。この間の徴用には、外語出の者多くとられた。また外字の印刷工や写真製版工等が多くとられた由。またアナウンサアや、新聞記者も相当にとられた由也。
夕方、暗い雨の中を湯に行き、戻ってから礼、滋に注射をし、滋の背中にサロメチールを塗り、貞子に注射する。こんなこともしてやれる間は注意してしてやろうと思う。
夕刊でたった一つ気になった事――ドイツ軍が昨日、東部戦線は酷寒のため機械油も凍り、大規模の軍事行動はやめる[#「ドイツ軍が昨日、東部戦線は酷寒のため機械油も凍り、大規模の軍事行動はやめる」に傍線]と、発表したこと。
或はこの際彼は英国と和解するのではないだろうか、という危惧。
この夜三時までかかって原稿書く。夜になってから明朝全国隣組会で、朝六時半に有馬家へ集まるようにと言って来る。或は空襲あるかも知れずとて、いつもの服(職工服の上着に、ネルとソフトカラーのシャツ)の上着のみぬいでねる。
十二月十日 晴 暖し
朝、礼に起されて隣組会に出る。名取老人の話にて副組長をきめることになり、有馬家の西隣の鈴木(?)さんの細君にたのみ、定る。
防空壕の話まだなきも、町会で三つか四つ作るうちの一つが高橋家の向側だろうと名取氏が言う。高橋老人が、それは高橋家の南側の学校でこの秋垣根をして畑をつくっていたのを取り上げた、あの垣根の中がいいだろう、と言い、皆が笑い、そうだと賛成する。〔高橋家の南側に空地があり、近所の人びとがそこに畠を作っていたところ、その土地の所有者(学校)が現われ、垣根を作り、そこを学校の畠にしてしまった、の意〕
商人、肉屋や八百屋が知人のみに売って一般に売り惜みする話が出て、女たち急におしゃべりになる。中野氏〔隣家の主人〕は八日以来毎夜帰宅せぬとのこと。病院の防空の仕事が大変なのであろう。
中野夫人は腹が大きいので、何かの時私の家へ声をかけるように、と言う。隣組の副組長の話が出たとき、順にまわることになっているから、と自分が暗に中野家の番であると言ったことが気になる。杉沢が、九時頃やって来る。「都」の原稿に手を入れながら話相手になり、ビール一本とスルメで戦勝を祝う。彼はいかにも満悦で、こういう仕事のできる青年を養成するのが大切だ、といかにも自分の意見がとおったようなことを言う。ドイツがちょうど昨日から東部戦線の攻勢をやめることを宣言した(寒さで機械油が凍るのである)ことを自分は言い、(これで遂にドイツは今年中はレニングラードとモスクワを占領できなかった)、下手をするとドイツはイギリスと和平しはしないかと危惧を言うと、彼は、ナアニ、ドイツが敵にまわっても大丈夫だと思っている、とて、明年か明後年頃はゴムや石油はふんだんに使えるぞと言う。運送関係の資材について予想しているわけだ。いやこれは長期戦だから、と言いたしなめる。すると彼は、今日あたりマレーゴムの株が暴騰しているが、お前がいつか大事をとれと言ったものだから買いそこなった、と言う。どうも自分は悲観論者であったらしい。しかし自分のそういう予想が当らなかったことこそ幸である。
十時に家を出て「都」に行く。堀内君に原稿三回分を見せ、十和田〔操〕君の出征について書いた部分を訂正する。もう一回分を書き足す約束をする。そこを出て十二時ダイヤモンド社に寄り、川崎〔昇。同郷の友人〕を捜す。食事に出て留守なり。自分も近所で食事してから寄るといる。二人で外に出、日本橋まで一緒に行き、コーヒーを飲む。彼も大いに元気にて戦争の話をする。今日は泊りの由。聞くと三百人の社員を分ち、三日目毎に泊るとのこと。それでは毎日百人ずついるのならん。こんな風では長続きしないので困るだろうと言っている。彼の仕事の成績は社内第一の由なるも、次第に新聞縮小にて、副社長と一緒に星製薬の朝鮮の一手販売のことを計画している由なり。(この前の話)武麟が新聞記者たちと墜死した話を聞く。杉沢から言われた菊ちゃんの夫の支那への転任のこと彼に伝う。セルパンの締切にて忙がしそうなので日本橋で別れ、神田にて蒲池〔歓一。整の友人〕の店へ寄る。夕方まで彼の店の話を聞いたり、細君と子供二人とで、店に作った三畳の間に生活してる話をきいたりし、神保町の柏水堂で茶を飲み、それから印刷屋について行く。それが「荒地」の時に西川がひっかけた三光社の社長で今はそこの印刷屋の支配人をしている。細君が美容師で月に三百円以上も稼ぐ由。一緒に酒をのもうと言うのだが、ふり切って外に出て、また銀座に戻り、服部にて田居〔尚。整の友人。小樽在住〕の時計をとって戻る。バスにうまい工合に坐る。この頃は五時には暗くなる。
感想――神田にいるうちに、蒲池はスキイの話になり、スキイが好きになって行きたいなど言い、一緒に古道具屋に靴を見に行く。自分は今日新聞社で堀内君から、今まで知らなかった北原、大江両君の応召のことを聞き、またその待遇が、中村君が学生に言っていたとかいう佐官待遇などではなく、下士待遇なりと広津さんの言っていたことを伝え聞き、心をしっかりして仕事を片づけなくては、と思っているので、スキイ処ではない。それに一度ぐらい行きたくもあるが、空襲でもあったらと思うと行けそうもない。彼と別な心でいる。彼はのん気なり。今頃神田辺に新しい店をつくって細君や子供を呼び≪老人や妹たちとうまく行かないからと言う≫そしてスキイ靴をもう一つ買おうなど、どうも自分とは別だ。
ナベヤ横町で少し副食物を買い、家に戻り、四畳半でラジオをひねっていると、大本営海軍報発表として、英戦艦プリンス・オブ・ウェールスとリパルスの沈没の報あり。思わず傍に立って聞いている滋に、それを言うと、すごいねと躍り上るようにする。九歳の礼はのん気なもので、また敵の戦艦を沈めた? と言い、にこにこして紙を切って箱を作ったり、絵を描いていたりする。そう言えばこの朝自分と杉沢が戦争の話をしていると、滋はそっと階段を上り、四畳の前のフスマのかげで聞いていて、貞子にひやかされていた。そんな工合である。
この日早くねる。疲れているので。
またこの日、グワム島上陸に成功との報あり。
感想――フィリッピンやグワムをすぐとってしまうとか、シンガポールをすぐとるとか、いうことは、戦争にならぬうちからよく言われていたことであった。しかし日米戦争は英国との戦争となり、二大海軍国を相手に戦うことは、とにかく大変な結果になると思い、戦争をはじめることは怖ろしいと思っていたので、グワムもフィリッピンもマレーも本当には、決してやらないという前提においての話であった。だから夢のようなことであった。それが現実に開戦二日目で着々とやっている。うそのようであるが、本当なのだ。
それにイギリスの二戦艦がやられれば、イギリスは本当に困るだけでなく、最新式の英軍艦を飛行機で沈めることができるというのは、これは我々にも大変革だと思われる。軍艦を持って来ることができなくなる。この方法さえちゃんとやれれば、この海戦は主力艦戦に限り大丈夫だと思う。ただ敵の潜水艦や飛行機で運送船を沈められることが多くなると困るだろう。それが唯一の心配だ。しかしこのプリンス・オブ・ウェールスの沈没は戦争方法の大変革で、これは本当に大きなことと思う。
十二月十一日
たしか十五日迄と聞いていたが文芸の正月号の小説三十枚書かねばならぬ。戦争が始まるまでは、「得能」の中の「桜谷のノオト、妻を裏切る苦しさと、後の家庭の平穏な幸い」とを書くつもりであったが、戦争になったので、とにかく、この最初の日八日の感想を書こうと思う。その朝基から亡父の事をしらべた手紙が来たことから街へ出たことなどを入れて、「旅順」の第一頁を書き出そう。そしてそれは、あくまで手記「澀江抽斎」のような記録形の私小説にして、日記として書いて行く間の日英米戦のことも書こうと思う。
そしてこの日記も続けるつもりなり。
今朝の新聞では、十日午後ヒットラア総統が国会を招集して大演説をする予定と出ている。また日本政府も重要外交案件を発表すると言っている。ドイツの対米強硬宣言か、うまく行けば対米戦争であろう。少し安心する。
この日海軍航空隊がウェークに第二次攻撃を加えたと発表された。またルソン島北部に上陸した陸軍は着々前進している由。又アメリカの記者は十日からドイツ当局の発表に出ることを禁ぜられた。いよいよ独逸の対米強硬策らしい。
またこの日の夕刊で日本は、昨日うまく泰に平静に入国できたが今日は、坪上大使とピブン首相との間に攻守同盟について意見の一致を見たと報ぜられた。色々うまくはかどっている。
午前中小説を十枚ほど書くことができた。
英米での海戦についての反響がそろそろ新聞に出ている。米のアーリイ大統領秘書は、
「日本海軍の真珠湾攻撃は、米国の歴史はじまって以来米海軍が受けた最大の損失と見るべきか」という質問に対して、
「米国の損失は甚大で、その後の情報によると損失は最初の報道よりも甚しい」と言い、
又シンガポールにいるダフ・クーパーは、十日夜次のような放送をした由、
「シンガポール附近の戦闘に関しては、これまで悪いニュースを放送せねばならなかったが、今夜私は東亜においては最悪の日に当り、マレー半島から放送している。我々は英帝国が世界に誇った二つの戦艦プリンス・オヴ・ウェールスとレパルスをすでに失った、われわれはこの事実に直面し、覚悟をきめねばならぬ、それは甚大な打撃である」と言った。
またデーリー・エキスプレス紙は、
「ヒットラーはこの機会をきっと逃がさず、新攻勢に出るに違いない。特に英米の勢力は海上で危機に瀕するに到った。ドイツがフランスの艦隊を接収して南大西洋で使い、北大西洋ではドイツ艦隊があばれ、イタリアの艦隊が地中海で英艦隊をおびやかし、日本の艦隊が太平洋だけでなく印度洋にまで出て来るようになったら一大事だ」と書いている由。
この夜ヒットラーの演説を十時から聞く。よく聞えぬ、それに雑音多い。しかし波のように聞えて来、時にワーッと拍手が入る。これで終るかと思うとまた続く。十時から十一時半頃まで続き、それから妨害らしい雑音や音楽が多く聞きとれぬ。十二時近くなって終ったと言う。半分ねむり乍ら聞いていた。しかしそれに続いて、独伊が対米戦争に入ったニュースが放送された。いよいよ、これで結構。力強い。
十二月十二日
朝小説を書きつづける。これは今の日常生活と旅順への旅(それが出来るかどうか分らぬが)の紀行と戦記の調査とをうまくとりまぜれば、作品になりそうである。
「得能」の下巻も早く書きたいが、この頃の日記を書いていて、この作品の実質を書き上げたいと思っている。
また今日石光君より博文館で書き卸し長篇のこと手紙あり。先日鎌倉の折、実業日本社の人からも長篇の話があり、どれも書けるかどうか分らぬが、出来れば旅順とは別に、「戦時日記」というような日常のことを書いた長篇も書きたいものなり。日記を原稿紙に書くこと考える。
さて、年末までに出る筈の報国社の「小説の世界」と協力出版社の「故郷」と、いずれもこの三四日校正がとぎれていて気にかかる。報国社からハガキもあり、この日午後出かける。
林氏と入れちがいにて逢えず。報国社主林氏に対して怒っている。武麟の原稿二百枚まで出来たつもりで金を渡していたところ、それが半ピラにて、八十何枚にしかなっていない由。林氏の評判が一部の人たちによくないのも仕方なし。出版は明春のこととして年末に二百円借りる話をきめる。協力出版社は内山〔保〕君も神戸〔二郎〕君も留守にて分らず。この日の夕刊にチャーチル首相の困わくした言葉が出ていて面白い。本当に当惑したのであろう。
株式新東戦争前は百十円程のものが百四十円になっていて驚く。
昨日八雲の船橋氏〔甚三郎。北海道山越郡八雲町在住。妻貞子の伯父〕より鮭が来ている。夕方千恵子がそれを何切か切って焼いていたので大変だと思い、自分が切ってやっていた。かたくて大仕事なり。手が汚れ気持悪し。そこへ貞子が出て来て、「まあ切っているの、何故切ったのかしら」と言う。鼠がつくし、切るのは女手に大変だからと思い、我慢してやっているのに、とかっと腹が立ち、呶鳴る「何故切ったって、よくもそんなことが言えたものだ。もう一回言って見ろ、顔へたたきつけてやる」。そして夕食のあいだで、またそのことを言っているうちに腹が立って来て、また怒る。仕事も何も夜になって出来ない。こういう日は眠ってからも一晩怒って喋り、貞子を眠らせないことがよくあるので、気をつけて、夕刊を読み、貞子が読みたがっているのに渡さず、ずっと床の中で読んでいた。それで漸く落ちつけて静かにねむることが出来た。この腹立てる癖にも困ったものだ。子供たちがすぐ自分の影響を受けるので、腹を立てながらはらはらしていて抑えることができない。
十二月十三日(土)
朝の新聞、ルソン島南部にも上陸した由。マレーでもルソンでも大きな土地だから上陸してから大変だろうと思う。朝小説を少し書き進め、午後、また「故郷」の校正をする。今日は十四日だと思い、あわてたが十三日なら明日も書ける。
昼のニュースで、マレー半島の海戦では二戦艦の外に更に大型駆逐艦を一隻沈めたこと、またハワイ空襲では二隻の戦艦を沈めたと発表したが、それは三隻であったこと。米国では三隻沈んだと初めから言っていたが、こちらでは色々調査して、確実になるまで言わずにいた由。大変結構である。朝の新聞、日仏印の共同防衛は軍事協定にまで進んだ由。また泰は英軍と戦争に入った由。U・P電、「都」に出ている。先日のハワイ空襲への勅語に続き、またマレー沖海戦へも勅語を賜わる。
なお夕刊は九龍の完全占領を報じている。
夕方湯屋へ行く。道路など真暗なり。湯屋も夕方に混雑するが、あとは楽になるらしい。燈管下の犯罪を重罸する法令が出る由。また出版についても、一度発禁を食ったものは場合によれば、その著者と出版者はその後の仕事を封ぜられることあるという法令が出る由なり。
十二月十四日 日曜 晴
午前中より北海道への贈物を整えに伊勢丹に出かける。
八雲より鮭、野田生〔北海道。貞子の郷里〕より鮭、塩谷より昆布やラッキョウ等もらいたれば也。
この十日より、食料品類の発送が中止になっている。それで今年は早目に鮭をもらったのである。こちらより送るもの適当なものなし。第一買うような食料品なし。塩谷へ赤子のチャンチャンコ(二・八○)、函館の母と昌子〔整の姪〕へ半襟(三・○)と羽子板(一・五○)、児玉〔埼玉県児玉村〕の文子〔前にいた女中〕へ半襟(二・五○)、野田生へ塗銘々皿箱入(二・九○)、八雲へも同(二・六○)等それぞれ送る手続をしてもらう。相当疲れる。朝鮮の展覧会場にて林檎を一円にて十五ほど買い、カバンにつめる。石川君を呼び出して、表で食事し茶をのんで話をする。先日の徴用でデザイナアの河野タカシがとられ、その手当が百円で困っている、とその人の義弟から聞いた由。先日「都」の堀内君が広津氏の話としてしていた下士待遇の話とともに、気にかかる。戦地へ行くことはいいが、自分たちのように定収の全くないものは百円ぐらいでは、どうしようもない。色々とその場のことを考え、貞子や子供たちを郷里にかえすか、でなければ千円ぐらい現金を残しておいてやらねばならぬと思う。
午後三時頃帰宅。ナベヤ横町にてこの頃きまっている副食物、丸いのと、木の葉形と、丸く平たいカマボコの中から二種類ほど買う。この頃買える副食物は、この種のものの外は、コンブのツクダ煮、大根のベッタラ漬、塩辛類のみで、他は形ばかりの品で食うに耐えぬ。
先日より魚は三日目に一度ずつ買えることとなる。卵絶対なし。肉又絶対なし。副食物の切符制を要望する声あり。まだ準備ができぬらしい。夕刊の中村大将の談話、相当つっこんだ専門家の意見として面白い。専門家がこれぐらいに考えているのか、と思う。なおハワイとマレイでもう一隻ずつ船を沈めている。かなり海軍の発表は確実らしい。
夜、文芸の小説、父の戦記を書き進める。材料があって目あてははっきりしているが、やっぱり毎日五枚ほどしか進まぬ。十五日締切と思っているが、先月頃から発売日が変ったので、日に自信はない。明日中に出かしたきもの。
十二月十五日 雪
近藤君の興亜婦徳顕彰会より有楽座の切符が来ている。寮母の劇の外に鏡花の白鷺というのがあるので、行ってもいいかと昨日貞子に話すと、
「あら、興亜婦徳顕彰会って近藤さんでしょう。相馬さんが出るのね」と言う。はっと虚をつかれ赤い顔をする。そこを考えていなかった。何でもないのに前に相馬女史の写真のことで貞子が腹を立てたことがあり、理由のない赤面故、ちょっと腹が立ったが、どうしようかと思っている。この日の朝になってから、小説はまだ十七枚程であり、あと十枚以上もあるし、天気は悪いし、それに貞子がまた不機嫌になるかと思いやめる決心する。
「都」の原稿四回目を書いて出そうと思い、午後それを書き、長靴をはいて夕刻買出しをかねて出、児玉医院〔近所の内科医院〕にて、先日氏に持って行ってもらった礼の小便のことを聞く。留守で分らず。シジミを買ってすぐ戻る。湯屋休み、寒い日にて不愉快なり。コタツを設けて夜原稿を書く。二十八枚ほどでやめようかと思ったが最後の二枚を無理して書いてしまう。
昨日より「都」に、自分の感想文のっている。「この感動萎えざらんが為に」との題。社でつけたもの也。
昨日我軍九龍に侵入占領。
この日朝刊に、香港へ降服勧告、ヤング総督拒絶して、攻撃開始となる。
家庭欄に暗い道を歩く女への注意が出ている。バス電車等、暗すぎるとの警告。
十二月十六日 晴
この日の朝森本忠より社用封書来る。都の拙文に対する忠告状である。風車流の知人傷つけの趣味とも思うが、しかし彼は本気である。その誠実さは認めねばならぬ。つまり自分も誠実の度を深めて彼に負けぬようにする外なし。黄色人としての決心は本当は自分の方が正当だと思う。しかし客観的に見て、彼の言うこと当っているとも言える。
朝食をとりながら、さてどうしようかと思う。顔色が変っていると思うが、貞子や子供たちと、つとめて平気で食事をすます。反駁するか、また彼はつけ上るか、とも思う。しかしこと国体に関係するように持って行かれれば絶対に負けである。国民としての決意を世界的な客観視にも耐えるように自分の中で持っている確信にはゆらぎはない。文芸の小説も本気で書けた。しかし彼は国内のみの公式妥当性を狂信しているのだから、それを持ち出せぬ。あっさりあやまること。そして、新聞へはちょっと恰好が悪いが、そういう手紙を一友人からもらった由を大波欄に書く。森本の名を出して、少し先手に出、彼のやり方と自分の反対とを公の目にさらしておくこととする。彼への手紙とその原稿を書きながらマドリング・スルー、マドリング・スルーと言っている。イギリス人の大戦の時のやり方也。自分は山内問題、中島問題等で、こういう破滅に陥る感じを何度か味って来た。今度もまたその一つ也。自分には調子に乗って、危い所が性質にある。気をつけねばならぬ。他人や世間に甘え、相手を傷つけることで自分の感動を示す、という悪癖、先頃川崎を怒らせたのもその性質である。世間は結局当り前の生ぬるい平凡さを好むものだ。今のような時にその性質を出すと、とりかえしのつかぬ失敗となるかも知れぬ。平凡化すること。しかしそうすれば自分のものの言い方の意義ある所が現われない。しかしそれでも平凡に平凡にやること。自分の力の限界に近づいているので、性格の危険なとこまで踏み外しやすい。仕事に都合がいいと共に、つまり今のようなのが生地なのだ。力一杯、自分の性格として出来るところまで来ている。内輪にすべきである。
先日学校で高須氏が文学の中の自由主義排撃云々と言っていたときに痛かったことも考え、今後十年か二十年のため、今の機会に自分の思想的内部改造をする必要あり。自分流の行き方で早く日本的意識の組織化を行わねばならぬ。森本の敵意にあたってはならぬ。こちらの誠意で彼の誠意を引き出して対決すべきだ。自分の文と森本の手紙をここに出しておく。〔双方とも略〕
得能五郎についても結局本年度文壇のもっとも重要な作品と目され(早文と現代文学十二月号)ながら、反省において甘いものありと言われ、非難も多し。これもほとんど生地の問題でやむを得ぬ。しかし平野君がその座談会で言っているように、自分はある偏見をもって見られている、これは事実だ。しかしそのための損も足ぶみももう慣れた。漱石が久米芥川等に書いた手紙ではないが、「牛のように」のしのしと行く外はない。自分は当意即妙の応酬には自信があるが、そのため人を傷つけ、生きにくくするのだ。自ら重んずる風格で自分を守り、また自分の重さを自ら納得せねばならぬ。軽い自己揶揄は得能でもう十分也。あとは、昨夜書いた今度の作品の調子で重く、しっかりとしたスタイルを生かそう。自分の性格ということ、しみじみと思う。
今日は博文館にいる石光葆君から長篇書き下しの相談あり。博文館社長の招待で星ケ岡へ行く日、それ等をかねて家を出、学校から電報で催促を受けている三年卒業生(今年は十二月卒業)の答案を郵便局に出し、森本あての速達も出した。また「都」への原稿も出した。原稿を大日本印刷に届け、(もう間に合わないような気もする)それから省線で有楽町下車、朝日訪ねる。上の応接間へ入れぬようになっていて、下の受付の所へ彼が来る。笑って明るく、ほっとする。まず、「手紙をありがとう」と礼を言い、「真面目になって読みかえしたが、九日夜あわてて書いたので、やっぱり君に言われたような傾向がある」と言う。彼は「いや、全く善意だがねえ、あのあと昨日や今日の所にはそんなところは無いよ」と言い、「いやあれがだね、当局から達しがあって」と言うので、ぎょっとすると、それは一般の記事への注意らしい。「黄色人対白人という書き方はしないように、と言うのだよ、それから、書くなら英米とか、アングロサクソンとか言うようにしてほしいと言うのだね」とあとは並んで腰かけて雑談になり、八日以後のニュースを色々と言う。「ハワイの空襲は暴風雨があってだね、それを後から追いかけるようにしてハワイに航空母艦で近づき、軍港のすぐかげに母艦をおいて、山をすれすれに偵察機を飛ばして確かめてから、一挙にやった、というのだね」等々。
また、近衛に対し東条が十月頃までに確答を得てほしいと言い、念のため一札書かせようとしたのを皆が止めた話。それも出来なかったので近衛は退き、岡田啓介に持って行って断られ、杉山(?)が断り、結局東条が首相になった話。上層部には強硬の反対多く、また尾崎秀実(川崎によると西園寺公一が何も知らずに近づいて情報を与えた)のスパイ事件等の話をしていると、目の前で川崎が広告部の人と話している。
それまで自分は、なるべく森本の顔をじっと見るように話をきき、同時に彼の表情を見、またその話の面白さよりも自分の立場のことを痛く考えた。目をそらさぬようにして、自分を態度の上でもまっすぐにしておく。そして、しばらくして森本の名を出して、大波欄へ投書をしたことを言うと、「そうかね」と目を少し大きくし、にが笑いのような少し嬉しげにも見える表情になり、うなずいた。ことによったら悪くとりはしないかとも思うが、しかし、あれが出れば分るだろう。
それから、父の話として旅順のことを書き出したことを言い(その可能性を前に森本が暗示したのであった)、参謀本部の戦史を見たいと言うと、考えて何なら社で見せてもいい、と言う。
川崎と三人になり、川崎がまた負けずにニュースを持ち出し、しばらく話をしてから、別れ、川崎と北海タイムス東京支社に河原君〔直一郎。整の小樽時代の友人〕を訪ねたが留守。新橋のそばの酒屋で二三本飲み、それから山王の暗い石段をあちこちと捜して、やっと星ケ岡に辿りつく。社長はのん気そうな立派な人で喋る。令嬢甚だ美し。川端、室生、芹沢、矢田、荒木、大谷藤子、真杉、新田等がいる。社長一人で喋っている。川端氏の話で、隣組の中にいる海軍少将が飛行機は敵方からは絶対に来ない、と言う。航空母艦を持って来ると、それで来た飛行機をこちらのが追いかけて行って向うの母艦をつぶすのである。だから危い。ハワイの時は向うでそれをやらなかったので驚いた、と言っている由。
川端氏の「小説の研究」の序文を書いてもらうばかりにしておいてある。いやなこと也。ああいういやなことを知人との間に作るのも自分の性格かと思い、少しこたえる。今日は朝から頭をしめつけられるような目に逢い、夕方の酒などで頭が重くつまっている。
会のあとで石光君から出版のこと、一割二分で五千程刷ること、三四月に原稿ほしい等の話あり。荒木、新田と四人で、今日から自宅から軍に通えるようになっているという武麟を訪ねる。(九時頃)
森本からもこの日徴用組の待遇のこと聞いていたが、それによると武田は二百四十円、阿部は二百六十円、他は次第に下るということであった。武田家には大谷、真杉、矢田、壺井(らし)等の女がいる。
武田氏は少し興奮してよく話す。二十日間兵卒と全く同様の訓練を受けたこと、挙手の礼に一時間もかかり、それから今日は雪あがりの青山墓地でホフク前進をやり、参ったこと、しかし気持はしっかりとしてむしろいいこと等。頭坊主なり。待遇は彼と阿部とが二百六十円と言う。他は次第に下り、百円位の人も多いとのこと。
向うへ行けばそれに八割五分の割増がつくから、生活の心配はないこと、海軍は(石川達三はそうだとのこと)五百円も出して待遇よいこと、等々。
十時すぎ出て家に十一時半に着く。
この日グワム島完全占領。英領ボルネオに二十米の風を侵して上陸成功。陸海相の今日の臨時議会での報告面白い。
十二月十七日 晴
朝から、一年と二年の答案を見る。愚劣なり。二年も新入生何人かあり。一年は二十五人も九月から入っていて、また出て来なくなったのが二十人もいる。やめたのであろう。
黒いノオトに写す。
夕方主婦の友より「小公女」二千部分出版届が来る。十月頃千部、八月頃千部刷ったもの、なかなかよく出る。今井田〔勲〕君の世話であろう。夜、十四日からの日記を書く。この頃、朝の新聞と夜のニュースとで眠る時間なし。少し疲れ、今日風呂屋で体重十三貫を切れる。右肩こる。瀬沼〔茂樹〕のように身体をこわしては困るし、また徴用されれば身体のみが基なり。新潮の新刊批評残っているが、今日は早くねたい。
先日買ったエヴェレスト探険記を読みたいと思うが、すでに今十時也。貞子寝てから、(今日家の湯が立ったので、下半身入ったらしい)肩があたたまらぬとて、自分のオーバーを着せ、肩にカイロを入れてやる。今日あたり半日起きていたようである。
昨日か貞子が言っていた。「子供たちがこの頃お父さんよくなったね」と言ったり「僕の大事なお父さんを怒らせる」と言って貞子を怒ったりする由、「あれでも批評があるのね」と笑っている。
森本のようなことがあって、自分の浮沈にかかわることがあっても貞子も子供も何も知らずに笑って遊んでいると思うと、ふびんで、いとおしくなる。本当は我慢できないで腹立ちやすくなる筈だが、この頃は多少気持に覚悟が出来て、徴用され死ぬことがあっても、また不祥事で書けなくなっても同じことだ。こうして楽しそうにしているのを見守ってやれるのも明日にでも終るかも知れぬと思い、色々思いやりをして、怒るときも馬鹿な怒りかたをしないし、何となく自分が暖く家の者に接するようになったのであろう。
マレー半島の英軍は、総退却に移ったとのラジオニュースあり。
また日本海軍軍艦がハワイのマウイ島、及びその南西方のジョンストン島やベーカ島を砲撃中とのリスボン経由のニュースもラジオで報ぜられている。それが本当ならば、海軍は決戦をアメリカ海軍にもとめて出動していると言ってもよく、随分強気だと思う。
十二月十八日
この日朝、学校の試験答案をまとめて小包にせるも、持参することにして家を出る。
主婦の友にて「小公女」を二千増刷の由。出版届の印を求める。但し検印年内に来ればいいが、そうは行かないであろうか。
渋谷駅の東京パンにいると、十一時半頃大島豊氏が人待顔に駅前を往復している。
夕方暗くなってから学校に答案を届ける。石門寺、辰野氏等がいる。
十二月十九日
先日までの小説執筆の緊張をゆるめて休養し、頭を直すため、ラットレッヂの「エヴェレスト一九三三年」の翻訳を読みはじめる。この本は先頃買った時からたのしみにしていた本である。
マレー半島や香港で英人が苦闘している今それを読むのはちょっと面白い。彼等はトブルクではとうとうがんばって救援された。マドリング・スルーである。ウィンパーのアルプス登ハン記に較べると全く駄目だ。
この日の朝刊で昨夜ニュースで聞いたハワイ空襲についての訂正発表あり。
撃沈――戦艦、カリフォルニア型(一九二一年、三二六○○屯)一隻、メリーランド型(一九二一年、三一五○○屯)一隻、アリゾナ型(一九一六年、三三一○○屯)一隻、ユタ型(旧式戦艦)一隻、及艦型不詳一隻、外に巡洋艦二隻と給油船一隻。
大破(修理不能又は困難)戦艦、カリフォルニア型一隻、メリーランド型一隻、ネバダ型(一九一六年、二九○○○屯)一隻、軽巡二隻、駆逐艦二隻。
中破(修理可能)戦艦ネバダ型一隻、乙巡四隻。
敵飛行機、炎上、爆破四五○、撃墜一四、格納庫一六棟炎、二棟破壊。
この戦で我特殊潜航艇(この存在始めて発表)飛行機と同時に敵港内を強襲又は夜襲して、少くとも前記アリゾナ型一隻は轟沈せしめたり。
我方の損害――飛行機二十九機、帰還せざる特殊潜航艇五隻。
八日撃沈せるも明かならずと発表せる敵航空母艦は沈没を免れ○○港内に蟄伏中なると判明せり。
この日ビルマのヴィクトリアを占領。
なお夕刊にて昨夜香港敵前上陸せることを知る。
十二月二十日
生きていることが新鮮だ。湯に行って戻って煙草を一本のむこと、温い夕食をたべることが、みな一つ一つ生きている自分の生命の現われだ。夕やみの中で子供が赤い提燈をさげて歩いているのを見ると、ああこれが日本人の生きる姿、日本の昭和十六年の末の子供の居り方だ、と思う。街を歩いている女たちも、それが日本の女たちだ、と一つ一つうなずける。
昔地理の本や何かで、街区が立派で人の往来織るようだ、商業繁栄すなどと書いてあっても、そういう表現は、外に言いようがないので、やむを得ずにした陳腐なものだと思っていたが、現在はどうだ、人通りが賑やかで平和に暮しているということが痛切に、ありがたく、本当に人が織るように往き来してるな、と思う。
また女たちが、家の子供はまあ言うことをきかなくってこまるんですよ、性分でしょうかねえ――などと通りがかりに言っていると、ああ、ここに平和な、あんのんな生活がある。戦争とか物の不足でなく、子供の性質を気づかい、それを話題にしている女たちの生活は、幸福だ、と思う。まだまだ日本の女たちのこういう姿は幸福だからだ。
今日奥野〔数美〕が遊びに来て、戦地から戻って来て、行きたい所へ行きたい時に行き、他人の噂をしたり、批評をしたり、着たいものを着ての生活が自分の生活だ、と言った。これは本当だと思う。
今夜六時のラジオ臨時ニュースで、フィリッピンのミンダナオ島に上陸したことを言っている。夕刊によれば香港の英兵は西部の山に立てこもってまだ陥落していない。
ベルン電報で英国筋の意見として日本の策戦がうまくはこんでいるのは海軍航空隊の活躍による、と言っている。
夕方湯屋で見た〔東京〕日日〔新聞〕の特電では、ノックス米海軍長官がアナポリス海軍兵学校で、枢軸の兵はよく訓練され、能率的であるから油断はできない。独伊の欧洲での成功や日本軍のハワイでの効果はそれの証拠である、と講演した由。
午前中今日は日記を書き、午後は奥野と、日本読書新聞の女記者が来てつぶれた。
昨日から「エヴェレスト一九三三年」(ラットレッヂ)を読む。この頃落ちついて本を読んだことがない。
小説と雑文に月のはじめから追われていた。得能を書き上げようと思っていたが森本のことがあって以来、ジョイスの項はいかぬと思う。学校でユリシイズの講義をする場面は、学校当局(先日の高須老人の話などから)にも悪いし、またその外ジョイスの娘をさがしてホテルを春山〔行夫〕と歩きまわることも、必ず植民地文学のそしりを森本に与えるようなものだ。だからジョイスの項は、アイルランド統治とクレタ島のディーダラスの項だけにしようと思う。そして歌舞伎のカンジン帳を長く書きたい。それがはっきりと腹きまらず、とにかくこの二三日ゆっくり本でも読もう。新女苑と新潮と文芸と三つ正月の小説を書いて疲れている也。
夕刊――東朝のブエノスアイレス電によると、米国の前アジア艦隊司令長官ヤーネルは、「この戦争は約二年間続くと思う。余はポートランドの船渠を視察したが、新艦建造の速力に満足した。最後の勝利を確信する」と十九日言明した由。彼の予定どおり甘く行くかどうか、後日を見ていよう。
大分前から長いこと論ぜられて難かしいだろうと思われていた婦人国民服がはじめて決った型で登場した。読売の朝刊に出ている。〔ここに新聞貼付あり。〕
この右端のは防空演習などですでに実地に多く使われている。カーキ色をしたものが多い。左端の和服の裾を輪にしたというのは新しい型である。
中央の二つは洋服の襟だけを日本風にしたもので意味少い。
自分もアノラックや手袋や帽子等をそろえようと思う。防火のために。今日は家族の活動の分担を表にして書き出すよう組長から達しがあった。
ここ十日ほどの空襲に対する緊張はとけて来た。これで当分空襲はないという安心を皆が持っているようだ。
十二月二十一日 日曜日
金は手もとに十円ぐらいしか無い。
十月頃、家を建てることに熱中していた時は、年末までに千円出来る筈であった。その頃からまとまって入ったのに、主婦の友「小公女」で百五十円、河出「青春」と「典子」で二百円、育生社「満洲の朝」で二百四十円、等がある。
予定していてまだ本にならぬのは、報国社「小説の世界」(校了、一月の予定)、第一書房「小説の研究」(川端氏の序文出来ぬため延期)、十二月初めに話があって急にまとめた協力出版社内山君の「故郷」(途中まで組んでいる)、それから内容の考慮のため自分が中ぶらりにしている「得能」下巻等がある。これ等で千円程となる。
年末の収入は、新女苑(七十円)、新潮(五十円)、都四回で(三十円)、文芸(六十円? 但し締切に遅れた)、知性(四十円)等で、外に報国社から二百円前借の予定。年末は、普通一ケ月の二百円の外、田居への返金二百円、生命保険第一相互に百五十円等。つまり毎月の分は足りるが、送金はどっちか一つしか出来ぬ。田居君に断りを書くつもり。
田居君、夏に送った産見舞の返しとてハンカチを三枚この頃送ってよこす。
一月中には得能を書き、育生社のロレンスの翻訳をせねばならぬ。
この日、阿部知二氏を見舞おうと思う。はじめ徴用の話を聞いたときは、二三日で自分の所にも来そうで見舞どころでなかったが、そのうち、阿部、豊田等見舞うべきものと思われ、ずるずるになっていた。先日武田に逢い、彼は阿部と逢っている故、なお行かねば工合わるく、今日は朝から春山をさそって行こう、ときめ、春山の所へ二時頃寄る。春山は、U(本年度芸術科卒業生)の結婚式に行くと言っている。Uは変な男なり。先日学校で自分に逢った時は、浅原〔六朗〕の悪口をさんざん言い、一人で時間をとっているとかその他浅原氏のため芸術科の学生がやめて行くとか色々言っていながら、その後で遊びに来た船水の話をきくと、浅原の世話で大陸講談社に入った由。その折また自分に春山の話はどうも本当にならぬと言っていながら、今日は春山を結婚式に呼ぶと言う。船水の話のとおり、世わたりがうまいような処があるわけか。
しかし彼のように、肉細でやせた顔の人間はとかくああいう薄っぺらな行為をしがちだ。初めからなれなれしいし善良らしいが、底は浅いだろうと思っていた。その浅さの形がわかって来た。悪人ではない。たとえば文壇で皆にきらわれているN氏なども結局ああいう型である。そう言えば、Uは初め自分にN氏の作品を好きだと言っていた。だが春山を招待したことは、Uは春山の下でセルパンに働いていたし、同郷でもあり、当然とも言える。
学校の教員室で彼が浅原の悪口を言ったとき、それに乗らず、彼をたしなめるようにしていたのはよかった。どういう時も自分を失ってはならぬ。それに軽はずみな点のある自分は、慎重にすぎる程にせねばならぬ。
春山と東中野駅で別れ荻窪下車、歩きながら、行ってもはじまらぬとしきりに考える。とにかく行っておかないと、後で顔を合せた時など工合が悪い。しかし行って逢い、結局彼の出世主義の明敏さのお相手をしかできないことは分っている。自分のように出世の遅れた者へのあわれみを包んで対等で話すという態度が眼に見えるようだ。それ以外の真剣なものを期待できぬ人故、こちらも憐れまれるだけの役をしかできぬ。では何のために行くのだ。小林秀雄を批評のことでやっつけた(東朝九月)後のこと故、彼にとりなしてもらえるものも一つだって無い。しかし昔から知り合いとして時々顔を合せていた人間が戦地へ行くというのに、放ってはおけぬ。
結局ぶらぶら歩き、居なければいいと思いながら、春山がもとの家の向いだというのを目あてに行くと、立派な洋館風の家だ。女中が庭先に一人いる。訪れると気の利いたような女中が出て来て留守と言う。ほっとして名刺をおいて出て来た。
結局阿部は阿部らしく、大がかりな舞台を、世間にも自分の住居にも作ってしまった。出世主義の明敏さであろうが、とにかく人間がそれだけの幅を持っている。自分の小ぢんまりと小さく安らかに居ようとする心の狭さは結局この年になって見ると、もう生涯のことであろう。じたばたしても致しかたなし。このまま、まっとうに何かの仕事をつづけることだけが与えられた道である。
色々なこと、たとえば小林に食ってかかったことや、川端の「小説の研究」の代筆のことでこの秋からくよくよし、それでいながら結局書いてしまったこと等を、後悔したって仕方がない。出てしまったことは出てしまったことだ。気をつけて、絶えず小さいことにも気をつけて、破滅に陥らぬよう、過ぎたことにくよくよして盲目や棄てばちにならぬこと、少しでもいい方へと気をくばって細心にいいところを掴んで生きることだ。
余裕のある人間は、変化に応ずる余裕があるということである。だから自分など、変化に応ずる自信がないから、ものを買ってそろえておこうとしたり、小さな家でも自分のものを建てようとしたり、いやな仕事でも金になるものは果しておこうとしたりして、小さくいじける。生きるということは、破たんを示さぬとともに、変化に応ずる頭のよさ、怜悧さを持っていつも心を動かしていることだ。自分は要心しないと踏みはずすことが屡々ある。しかし心の流動性は保っていないといけない。
夜家にかえると小西〔猛〕が来ていたとのこと、また来ると言って帰ったと言うので、別な日のことと思い湯に行く。するとそのあとにまた来た由。食事していると来る。どうしてさっき室へあげておかないかと貞子に言う。千恵子が貞子に通さなかった由。食事はすまして来たという小西を室に入れ、ミカンやスルメを出して色々昔話をする。彼は早く今の仕事をやめたい由。別に捜すことにして先日から履歴書をあずかっているのだ。
明日頃出かけ、第一書房で木下君に話をすることにする。雨が降って来る。十時までいて小雨の中を、傘をやろうというのを持たずに彼は戻る。小西といると落ちつく。居心地がいい。それを自分は佗しく思う。
戦争の話をし、うまく行ってよかったと言い合う。
昨夜香港に敵前上陸の発表。
ペナンを完全撤退と英軍発表。
昨日チモール島葡領(先々月頃より日本との航空路が開発されていた)に豪洲軍が侵入した。
海軍の戦果の花々しさに較べて、フィリッピンでもマレーでも陸軍はそう一挙にとは行かぬのであろう。あまりはっきりした進撃は聞かぬ。しかしペナン占領はちょっと重要だと思う。インド洋をやがて支配する根拠地ともなるであろう。
重光、駐支大使となる(前駐英)。
十二月二十二日
この日朝刊で、泰との軍事同盟が成立したことを報じている。
満洲へ行った時近藤春雄君の紹介で御馳走になったことのある坪上大使はいい役をしている。満足であろう。
香港は上陸して東半分を抑えたらしいが西方に立てこもった英軍はなかなか陥落しない。割にがんばっている。
開戦以来米潜水艦九隻を撃沈した由。潜水艦の活動が大きくなって来ている。これは注意すべきだ。外に攻撃を加えたもの多数ありとのこと。そう言えば汽船の損害は、はじめマレーとフィリッピン上陸の時に一二隻やられたと発表しただけだが、その後はやられていないのかそれともやられていても発表しないことにしているのか。後者なら心配だ。
株は更に上り、新東、百五十円近い。開戦前は百円台か、百十円前後が多かった。
金が十円しか無いので、郵便局へ新女苑の稿料七十二円(二十四枚)をとりに行く。その足で床屋へ寄る筈の所、バスに乗ったら鳥打を一つ買いたくなり、(近いうち、衣服が切符制になるとの噂故)松屋で見ておいたのに気づき銀座まで切符を買ったが、気がついて見ると、月曜で百貨店休みなり。
銀座下車、歩いて行くと、どうしたのか伊東屋がやっている。以前今年の春頃までは伊東屋は百貨店と違って水(?)かが休みでよかったが、夏頃から百貨店並になり不便であった。入ってみると歳末故休みなしとのこと也。
創元社刊の「乃木」、山室訳の「シェレー伝」(モロア)を買う。またイリヂウムペン二本(一円)、印肉(一円二十銭)、礼と滋のクリスマスにスケッチブックと水彩絵具一揃ずつ買う。夕方露店でトレンカー「雪山の生活者」を買い、鍋屋横町下車して床屋に入り、坂上でコナゴ百匁(五十銭)、貝のヒモ百匁(七十銭)買う。
夜新聞を読み、日記を二日分書き、すでに十時也。日記を気をつけて書こうと思う。
千恵子食事一ぜんにて気にかかる。小心さが意こじになっていて、愛らしくない。勝手にしやがれとも思うがいないと困る。左手の甲の凍傷があっていたいたしい故、一昨日、一昨昨日など夜、茶碗や鍋を洗ってやった。しかし昨日は小西が来ていてしてやれない。今日も食後湯へ行ったのでしてやれない。時々いたがって傷をおさえているが、貞子の出してやったゴム手袋はしない。物は言わない。実にいやになる。
昨日の雨にて今朝まで暖いが曇、今日は夕方より晴れ、寒くなりそうなり。
十二月二十三日
ルソン島新方面にまた上陸の由。
この日朝から小西の件や大久保の用で外出、第一書房に寄る。
英大使館前をとおる。以前と変りはないが、高い檣頭に旗が上っていない。戦争がすむまでは上らないであろう。入口の扉も正面が閉じ、向って右の門衛の巡査のいる処だけ開いているのは前と同様。一人三十歳ぐらいの血色のいい丈の高い英人が門と玄関の間を歩いて通った。いかにも散歩しているという恰好であり、この邸内しか出られないことを観念している風がよく分った。その前を通りすぎると第一書房の藤原、伊藤、十返三人が来る。三人とも小男、十返は口のまわりのただれがまだ治らぬ。梅毒ならん。文学は情痴だと言っている由(木下君の話)、そういう肉体の条件が来ている。外に彼にとっての文学のより所はないのであろう。
書房の玄関にて木下君に逢い、川端氏からの校正の返却の話をし、小西のことを頼む。印刷文化協会という今度出来た会の主任から頼まれているから丁度いいという話也。小西へ直接話すことにしてもらう。それより大久保にまわる。
この日木下君から、第二回の徴用の話を聞く。それは浅野晃、富沢有為男その他六七人とのこと。その為に考えておかねばならぬ、としばらく楽になっていたことがまた考え直される。先頃は、これで暫くはないであろうと思っていたのが、また考えておかねばならぬと思う。得能を書き上げたいのだが、森本がうるさく植民地文学などと言いそうだ。しかしジョイスや娘の話を書かないと面白く行かないし、あの部分は残して戦後に発表し、外のカブキや民話の項を多くしようか、とも思う。阿部知二に見舞の手紙を書く。ほっとする。
十二月二十四日
昨夜翼賛会文化部から、今日文学者愛国大会の由通知あり。報国社の北岡氏と約束あり。二十四五日に二百円前借(小説の世界)の予定故、この日出かける。
都より四十円送り来る。森本のことで書いた大波の分も送って来た。出かける前に貞子が、今日で学校は終りだから、大谷先生(礼)と山田先生(滋)に逢い、通信ボをもらって来てくれと言う。先日から言われていたこと、うるさい、と思う。先頃両氏へ五円の商品券を送ったばかり、貞子から手紙も行っているし、逢わない方がいい。変な思をさせに行くようなものと思う。しかし貞子の強い願を聞いてやるつもり目をつぶって行く。小使室で大谷氏に逢い、井草君に通信ボを頼んだ由聞く。今学期半分も休んでいるが、平生点で先学期同様にした由。しばらく三十分も待ち、小使に言われて山田氏を教室に訪ねる。
子供等に通信簿を渡している。やっぱり先学期どおりにしたが唱歌のみは良上(教師がちがう)とした由、それをもらい、本郷に行き報国社に寄り、二百円借りる。榊山が出征した由を聞く。北岡氏は自分を信用しているらしく、徳田氏の古い小説集、出版することになったのだが読んでくれと渡さる。十二時半也。大急ぎで、電車にて大政翼賛会もとの東京会館に行く。二百人もいるらしく、盛会。自分は福田〔清人〕、近藤春〔雄?〕と一緒に入り、坐ると、そばに森本治吉がいる。高橋夫人の話や、子供(森本の)の作品の話等。
向側に川端、深田、島木、亀井、太宰等の顔が見え、その中で、太宰が一番困ったような、ぎらぎらした顔、子供のような顔をして当惑している。面白い人物と思う。
国民礼をしてから、勅諭奉読。いい声なり。後で聞くと高浜虚子の由。それから安藤副総サイ(軍人)や谷情報局総サイの話があり、それから会に移り菊池寛司会にて、色々と指名、徳田秋声、その他喋る。詩人尾崎喜八の、「芋など」という詩が面白い。読み方もよし。立派になった人だと思う。徳田氏の次に佐佐木信綱、これ等の人、この五六年、自分が初めて見てから、めっきり年をとっている。水原秋桜子、辰野隆(下らないザマを見やがれという話をする)、高田保(これは、文学は時代を反映するもの故、文学に悪い所が若し出たら時代そのものに政治家は気をつけてほしい、と言う。つまらぬ)、また戸川貞雄(これは心の乱れたような声で、近来まで左翼思想や自由思想がはびこっていたのはひどかった。これに目をつぶらずテキ□イすべきだ等言う。つまらぬ。詩人や歌人の作品の朗読が一番こういう会に似合う)、白井喬二等、つまらぬ。菊池寛の指名は、変によごれた所が出ている。白井、高田、辰野、戸川等それである。外に横光、高村光太郎、富安風生等それぞれに面白かった。後方に白髪の青野氏がいる。便所へ行くときに挨拶。三好君と立話。保田君と挨拶。浅原氏と六日五時に高野で逢う約束。会のあと宮城前にて聖寿万歳を三唱(岸田氏の主唱)して分れる。
神田にて蒲池とスキイの約束しようと思い、電車に乗ると、大鹿、丸岡等と一緒になる。神保町で分れ、カマチの所に寄る。誘い出して神保町の洋服屋の地下室でビイルを飲む。この日多忙にて昼食を抜いている故、ジョッキ二つにて酔い、気持よし。銀座にまわる。十一時過ぎにかえる。貞子この日は遅れてもきげんよし。昨夜果してあり。それに公然の会の故でもあり、学校に寄ったせいもある。
クリスマスなることを思い出し、一昨日伊東屋にて買ったスケッチブックと絵具、それに新潮社の少国民文庫を以前に買ってとっておいたのを一冊ずつつけて枕もとにおいてやる。
この朝ダバオ市完全占領。昨日のラングーンの大空襲あり。戦力優秀也。夕刊にウェーキ島完全占領が出ている。これはすばらしい。太平洋の米領の島を次々と取るであろう。駆逐艦二の損失あり。初めて損失らしい損失である。
それにしては、香港は上陸して半分程制圧していながら、なかなかひまどる。インド人がこちらの兵の手招きで四十人程投降して来るのを、英人が後からうった由。英人もやりにくい戦争をしているわけだ。
この日晴天暖し。
十二月二十五日 晴 暖し
薫君〔妻貞子の弟。これとは別に整の実弟にも同名薫がいる。〕が帰るので、美智子〔貞子の妹〕のふとんや行李を頼むことにし、朝から包みを作る。昨日彼が作ったのを二つに直す。中へ芋を入れてやることになり、畑にて掘る。サツマ芋は早く掘らぬと腐る由。掘って見ると三分の一ぐらい腐りかかっている。サツマ芋の残り二ウネを全部掘り、少し野田生にやる。里芋まだ掘らない。これは次々に掘って食うことにする。千恵子手の凍傷が割に多くならず、漸く元気出して仕事をしている。これぐらいですんでいてくれればいいと思う。
昼すぎに杉沢遊びに来る。この戦争は五年続く。ルーズヴェルトの改選期迄なり、と言う。ちょっと面白いが、どこからか聞いて来たのであろう。夜、得能を書こうと思い、考えているうちに、ユリシイズの舞台の日、明治三十七年三月十六日頃東洋での日露戦争の模様を得能が学校で喋る場面を入れることとする。戦記類を読んでいるうちに、十時半頃ねむくなり、ねむる。鼠があばれて壁を破り困るので、この日、昼掘った芋のふかしたのを薄く切り、その間に、猫いらずをかける。二階二ケ所、階下二ケ所へ置く。薬が手について臭い。
これで得能もどうにか、筋の面白さを恢復できて仕上げられると思う。正月までに大半書き、そしてスキイに行きたいもの也。
十二月二十六日
香港陥落す。
ガス家族数で制限となる。今迄は実績によって(二三ケ月前から)減らされていたので、家は割によかったが、今後は、五人で一○・五キロ(?)となる。今までより更に三分の一ぐらい減るとのこと。
電気は十燈以上にのみ制限があり、家は七燈なので制限なく使える。
香港陥落、落ちて見ると早いと思う。本島に上陸してから随分手間どると思っていたが、上陸そのものが成功だったらしい。水道がおさえられて水に困ったのが直接原因のようだ。
十二月二十七日 土
朝から寒い。曇った日なり。
昼頃一橋新聞の学生来る。先頃も書きたくないのに、にやにや笑って、「本年の回顧と明年の展望」という題で、と、「そんなものは書けない」と言うのにくりかえして言う。一昨日電報で催促したのを知らぬふりしていたら、また来た。気の毒にもなり、うるさくもあり、上にあげず(この学生一度も上げぬ)夕方持って行くと言う。印刷は国民新聞という。仕方なく昼から筆をとり、アメリカ人の書いた創元社版の「乃木」を批評したのを五枚書き、持って行く。夕方五時頃なり。国民社に行き、印刷室に入り、片隅の室の机上が編輯所らしい。誰もいない。職工等にじろじろ見られながらその原稿をおいて出、北海タイムスに河原君を訪ねる。岡山君いる。戦争の話。それから岡山君は先日都に自分が書いた原稿を面白いと言う。河原君と外に出、松坂屋裏にて酒をおごらる。それから不二屋にてコーヒーを飲み、この頃北海道から大宮の新居に来た細君が、三つと四つの二人の子をかかえて当惑してる話など聞き、子守を春頃までに見つける約束をする。児玉郡よりなり〔埼玉県児玉郡の知人のところからの意〕。この話自信なくうけ合う。それから岡山君が新愛知の本社から同盟にまわされたのに行きたがらず、まだ新聞聯盟に出ている話などあり。河原君も理想家風の所が少くなり、社の仕事の上のことを細かく神経質に考えるようになったのに驚く。十時頃家に帰り、軽く夕食をとる。
十二月二十八日 日曜
この頃、滋も全く背骨の痛みや感じやが無くなり、元気なり。但し夜ねてから咳をするのが聞える。滋は階下六畳、礼は二階で我々の間にねている。
礼は相かわらず微熱があるようだが、この日は朝も午後も六分ぐらいとのこと。やっとその期間を脱したのかと思う。
午後二時頃から写真機で二百円借りる。年末の食物など買いに、ふだんの古い紺の服に黄色い支那のワイシャツにオーバーに鳥打という恰好で出かける。カバンを一つ持って、その中に、ナベヤ横町で見つけたハムを百匁(一円六十九銭)、イワシの乾したの二百匁(百匁二十五銭?)、新宿に出て、礼と滋に年玉にする本二冊を買う。月評のため(知性)雑誌を捜す。綜合雑誌は二十日頃出たのがもう無い。やっと中央公論と文芸春秋を見つける。文芸雑誌は、新潮(小説)、文芸(小説)、知性(月評)、文学界(寄贈)等にて皆手に入る予定。
「明治天皇の聖徳」(渡辺幾治郎)を買う。この種の本初めてであるが、この日の朝読売へ書いた感想文に、今度の御詔勅の精神に添い奉る覚悟をしたと、一種の宣言のようなものを一枚半書いた。それを郵便で出し、そしてその結果自らこの本のようなものを買う気持になったのだ。覚悟も一とおりは出来ているが、自分でそう書いたことから自分が逆に規定されているような感じもする。
カバンが一杯になる。三越に寄り、満洲に出征しているとハガキが一週間ほど前に来た薫〔実弟〕に慰問袋を出そうと思い、簡単な将棋だとか、イゴ上達法だとか、カイロや梅干糖のようなものを揃えて見たが、箱に満たない。そのうち五時になって終業。いつから百貨店は五時になったのであろう。六時だと思っていた。いつもなら年末故、十時頃まで開いているが、今は店員達もツッケンドンになり、五時の鈴が鳴ると「終りよ終りよ」とたがいにうれしそうに言って、忽ち台の上に白い布をかける。
仕方なくその箱をあずかり明後日来て物を足す(本を入れるつもり)と言うと、明日は月曜だが休まずにある、と言う。明日来ることにして出る。千恵子に買ってやるもの見当らず当惑す。その前に伊勢丹でフロシキをカバンから出し、朝鮮展覧会の会場でリンゴを四百匁買った。両方の荷物で重い。西武電車で家に戻る。
夜、トレンカーの「雪山の生活者」を読む。面白い。こんな山岳人でもものの書き方の骨骼をちゃんとつかんでいるのに感心する。すさまじい顔をした山男だ、写真によると。
フィリッピンの各方面に兵をあげ、盛に攻めているが、何しろルソン島だけでも本州の半分ぐらいの島故、急にはマニラは落ちないであろう。
十二月二十九日
晴天暖し。午前中から、カマチと約束のスキイ行のために、スキイの手入れをする。杖の輪をとりかえる。靴や革に塗油、たのしい。これも或は今度で行けなくなると思う。
先頃までは、戦争になり空襲がある心配があって、貞子を残してとても家をあけられぬと思っていた。しかしハワイ攻撃、グワム、ウェーク陥落等で、とにかく空襲の憂いは殆んど無くなり、夜の街も大分明るくなった。スキイに行くことも貞子が笑って賛成、よかったと思う。
今年は二十日から二日まで汽車への持込は禁止なり。東武で奥日光へ行くことにする。二日に立ち六日浅原氏と逢う前に戻るつもり也。貞子、元旦には主人が家にいないと変だと言う。
この頃ずっと得能を心にかけているが、どうも仕事に身が入らぬ。明治三十七年頃の(ユリシイズの舞台の日)英国の事情をしらべるつもりで、英文の世界史と、白水社から出たモロアのエドワード七世とを捜すが、もう三日も捜して見当らず。やっと昨日二階の床の間の隅の本棚に見つける。読むが面白いことなし。
しかし大体これで見当ついた。だがこうおしつまってはとても書けそうもない。明年春にして、暮はどうせ買物でごたごたするからと投げた気持也。徴用のため一日も早くしたいのではあるが。
この日朝から千恵子が畑に残った里芋を掘っている。僕がやると言ってはおいたが、今日は約束のある日で出かけねばならず、まかせて十二時半出かける。新宿の郵便局にて生保料百四十円支払う。郵便局混雑し、列をつくっている。四時頃新宿三越に入り、色々と買物、千恵子に洋装の本(一円八十銭)、子供のため更にとっておくつもりで冨山房の西洋史上下(五円二十銭)、数学の歴史(一円五十銭)、外に薫のために支那論と第一書房版の「我が親鸞」とを買い、階下にて慰問箱につめてもらい、更にカニの罐を入れ、本と共にて七円程の慰問箱となる。それを送らす。百貨店は混雑なり。
キノクニ屋隣の薬屋に寄り、貞子の年玉としてアテナ(バレー型)安全剃刀を買う。床屋へ行けぬ故、時々自分で顔をそっている。これはいい思いつきだと思う。
夕方六時戻り、湯に行き、薫、峰岸君〔東三郎。整の知人。埼玉県児玉在住〕、河原君(新聞同盟への原稿承諾)、神戸の若杉〔慧〕君、伊勢丹の石川君等に手紙を書き、たまった日記を二十六日分から書く。
明日は買物に出、蒲池や川崎とスキイ行の話をつけ、酒でものみたいと思う。明後日は終日家にいて、一日も静かにし、二日は朝暗いうちにスキイをかついで出かけることにする。
午後三時、礼は七度、滋は六度五分、貞子は六度八分の由。貞子元気にて、夜は、昼に自分の買って来たコードで子供達が幻燈をやり、貞子が相手をして九時半までも下の室で起きていた。二三日前貞子は、今度は本当に直りそうな気がすると言っていたが、今度は(今メンス)メンスの前も割に元気故、いいのかも知れぬ。カルシュームの注射液少い由、買い溜めねばならぬ。
十二月三十日
一昨日も昨日も外出した。買物が片づかぬ。今日も茶碗、菓子(配給品、切符第二号)等があり、今日は蒲池に逢い、スキーの宿を定める日なれば朝から外出用の服を着て、青い上衣にて室の天井等をはらい、二階の大掃除をする。
好天気なり。十時頃蒲池来る。彼はこの頃神田の店(妻君と二子居る)にとまったり、和田本町にとまったりしている。昨夜はこちら泊りの由。宿をツーリストの友人に問うてもらったが駄目と言い、行くのをよそうかと言う。困る。駄目ならよそうか、しかし行けば何とかなるが、と言う。
一緒に出て、自分は和田本町の郵便局に寄り、菓子、ヌカ(米配給所にて)等に行って見るが、ヌカは米の通帳なければ駄目。菓子屋(この菓子屋は初めて也)の前に三十人程女子供が立っている。三十人は何でもないが、一人ずつがなかなか手間どり、この調子では一時間はかかると思い、正月七日まで期日あること故、やめてバスに乗る。その近くの洋品屋で足袋3二足、5一足買う。銀座下車、ハットリの隣にて午後一時頃寿司を食う。アワビ、シャコ、ナラ漬、等あり。鮪なし。十個にて七十銭払う。この頃米がよいので寿司もうまい。やっぱり混雑す。服部にて時計二個出して修理たのむ。菊池君からもらったスイス製のは部分品がないとて断られ、ハットリのセイコーはすぐ直してくれる。早いのに驚く。但し客扱いは悪い。女の子など特にそうである。三十歳ほどの社員てきぱきと客をそらさず、七八人を前においてさばくのが巧妙感心す。技術系の会社の人間はどこか眼の辺が神経質で違う。
松屋に行き、スプリングの締具一揃、滋のため買う。また杖の輪とその止め具一揃、両方にて七円程也。松屋の地下室に人が二三十人並んでいる。チクワを売ると言う。その後に立つと、やがてすぐはかどって焼チクワの冷蔵もの三本三十銭程也。これで正月用の分どうにか出来た。千恵子の掘ってほしてある里芋その他で、貧弱ながら食べるものはあるだろう。
午後二時頃なり、蒲池を訪ねるのは早い、告天社に行って見る。川崎不在。机に夕方逢いたいと書いて出、神田に行き八弘書店〔蒲池氏の経営する書店〕をのぞくが、やっぱり留守で、廉君〔蒲池氏の長男〕一人が泣きわめいている。すぐ出て神保町の近くの古本屋で洋書をさがし、アラビヤンナイトの古いちょっと品のある本を六円で買おうかと暫く見ていたがやめて、ディケンズの英文学叢書の「オリバー・トゥイスト」を三円五十銭で買う。高価也。しかしピクイクや伝記等と一緒に読むつもり。この戦争になってから、洋書特に英語ものは売れないのではないか、など思う。
先刻服部に入る前に、この頃開いた第一書房の売店でポオ全集の三と四を買ったので、鞄は大分重くなった。また戻って蒲池を訪ねる。製本屋の親父が来ている。ボール紙を蒲池の紹介で買っているらしく、五百円彼に渡している。製本屋の帰ったあとで蒲池はその金を届けに銀座へ行くとて出る。一緒に出て、自分は川崎を訪ねる。彼もまた俳句の会とか。
それから打ち合してあったトーリスト(新宿の例の方)と逢いに酒場に行き、そこに吉村清が来ている。今日から株式になり畝傍〔書房〕の自分は専務取締になった、と言う。スキイ服にて、これから仙台の妻子を訪ねて、花巻温泉に行くと言う。二月に蔵王へ行くがその時はさそう、と言う。自分等の方やっとのことで南間ホテルにある由、蒲池大慶。
蒲池は先日、プリンス・オブ・ウェールス沈没の日酔って、ここで自分のでない傘を持って行った由で女たちに催促され、ふくれている。二人で九時に出ると、急に腹を立て、ぷりぷりする。スキイもいやだなど言う。女たちに言われた時はむっつりして分らないなど言っていたのに、どうも彼流で、判断やさばきが後まわりだ。自分を鏡に見る気持でわびしい。あまり立ち入ると、まきぞえ食うことがあるにちがいない。コーヒーを飲み、九時半になって、これから幡谷の浅野という辞書の著者を訪ねる由。新宿までバス一緒で別れる。
貞子、滋がどんなに少年クラブを待っていたか等々と言う。茶碗を買い忘れ、カタノ薬局の近くのセトモノ屋が、今日はこの節に珍しく十時頃まで帰りに店を開いていた(タカノはねている)のでそこで一番いいのを捜したがいいものでない。カバンとセトモノで重いのをかかえて来たが、貞子は怒っていて直らない。
自分が約束を守らず、イセタンの屋上で五時間も待たせたとか、貞子にかくして金を百円か持っていたから、きっと沢山入るとき誰かにやっているにちがいない、とか、ツーリストの人に逢うって誰だか分りゃしない、とか。
自分は安心させるために、今月は本の出る予定が三つと再版が二つ延びたので、金は、本屋から前借二百円(報国社)と質屋にカメラで二百円借りた。また送って来た金が七十円と小為替が四十円あった。そのうち貞子に二百五十円やり、生命保険に百四十円払い、送りもの等で四五十円かかった。自分は買いものをしてまだ四五十円持っていて、それを小遣にする、等々。(実は本を沢山買ったりスキイ用品や滋たちの本を買ったので、それでは足りず学校から来た十二月分の三十円ほどを使って自分の財布にやっと五十円ほどあるのだ。)
そして、新年には、主婦の友の再版三百円、新潮社の再版(運命の橋)千部として百五十円、報国社三百円、協力出版社二百五十円等で千円入る、と説明してやる。それでどうにか安心したようであった。うちは貯金がないから子供のことが心配だ。正月からはきっと貯金するなどと言っているのを聞いていて眠る。
この日貞子は起きて千恵子を手伝い、十時頃まで働いていた由。大分身体はいいらしい。
十二月三十一日 晴
朝千恵子食前に床屋に行く。自分が起きて子供と食事していると貞子も起き、元気で、割に快活だ。朝スキイの手入、ワックスをキハツで拭く。買物に出て福田にスキイの誘いの速達を出す。
コタツの四角な火入れ、生花の花、マナ板、魚屋と牛乳屋への贈物のハンカチ等を買って来る。そのために、二度出る。ふすま紙を買って来て、夕方から四畳の破れた処をはる。貞子元気で終日働いている、午後少しねたが。千恵子も元気で働く。
去年はお母さんが病気でお年とりの御馳走がさびしかったと滋が言ったとて、あまい赤と白の菓子やにしめや、鶏(これは昨日自分の留守に板谷真一君が持って来た)汁などでうまい。室の襖はりも夕食までに上手に出来て、ほっとする。夜コタツにて、藤森成吉の「純情」を読みはじめる。新潮の正月号に批評書くつもりが遅れたもの也。
この月の文芸雑誌二十五六日に出て、二十七八日に送って来る。稿料も三十日までに皆来る。新潮四十円(二十枚)、知性四十円(二十枚)、文芸八十円(三十枚)等である。これは金をとらずにおく。正月の月末の金とする。
十一時四十分ねる。
今夜電車等終夜運転で宮参りの予定の告示をしていたが、急にやめ、この夜中から警戒管制をする由。米国人は日本の正月を知って不意をおそうというのであるが、そういう想定で人心の弛くゎんを防ごうというのであろう。
それにしても二日にスキイをかついで行くのは、気にかかる。朝早く中野駅へ行ってしまえば何でもないとは思うが――
フィリッピン・マニラの攻撃いよいよはかどっているらしく、南北四十哩にそれぞれ近づいた由。
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[#2段階大きい文字]昭和十七年一月
一月一日
夜中に外で門を叩いて呼んでいる。「門燈がついていますよ/\」と、はてなと思い起きる。先頃の燈火管制から門燈の笠のあるのを外してしまい込んだのだが、誰かがいつの間にか豆電球をつけてある。礼が夜小便に行くのにいいだろうと思ってそのままにしておいた。だが、昨日から、急に元旦から三日まで準備管制をすることになり、昨日の夕方それがつかぬようひねっておいたのだが、またつくようになったのであろう。はっと思って起き玄関に下りて消して「どうもすみません」と言う。二時頃であったろうか。
朝六時に起き玄関外で新聞を拾い、ハワイ爆ゲキの写真を見る。二三日前から予告が出ていたもの。説明がついていて素晴らしい。朝皆一緒にゾーニを祝う。ゾーニの鶏の味よし。
十二時頃蒲池君来る。スキイの打合せ。酒を出し、午後彼は伯父の所へ挨拶に行き、自分は福田をさそいに出かける。貞子が客を面倒がるらしくもあり、スキイ行に反対せぬ。今日など大変元気で台所を手伝っている。新宿まわり。人多く、店閉じている。
福田君在宅、久しぶりに夫人に逢い、酒が出て、夕方四時頃辞す。スキイには行かぬ。三日に児童のための放送ある由なり。その外にも夫人一人にて留守にできぬらしい。近くの府立二十中(?)に滋をよこせと言う話が出る。
新宿に出て、新宿館にて、ハワイバクゲキのニュースを見る。短いが、ボートに母艦が二隻ついて来るのは、すばらしい。写している艦と少くとも三隻なのであろう。軽い船らしく巨体が波にゆられて上ったり下ったりするのが、ああこれで行ったのだ、この船に日本の運命を托していたのだと思う。じいんとこたえる。軍人が明るく笑っている。参謀らしい男の顔、大変な心配だろうと思う。やがて飛んでいる、向うの飛行キの足の間に大きな魚雷が見える。ひどい動揺をしていると思うと、飛行場らしいのが煙をあげているのがちらとうつり、また動揺し、今度は朝の新聞に出た軍港らしいもの、一二隻爆煙をあげた艦がうつり、また動揺、多分そのとき降下したのであろう。
それで終り、あとはスチルを写して字で沈んだ艦や破れた艦の説明のみ。
その次に「白鳥の死」があって見たかったが、やめて出、戻る七時頃。
留守に嗣郎〔星野。整の甥。士官学校生徒〕が来た由。軍曹になり、近く飛行機にものり、適性をしらべるということ也。
子供たちと遊んで帰った由。
今日は近所の子等が大勢集って賑やかだったとのこと。
夜満月。今夜か明晩あたり、正月の心のひまを狙って敵機が来そうな気もする。
一月二十一日〔内容から推すと、二十日に記述されたらしい。〕
五日夜日光から戻ると、前にいた女中の文子がいる。どうしたのかときくと、貞子が手紙を出して文子を遊びに来いと言い、二日に来たので、三日には千恵子と二人遊びに街へ出し、その足で千恵子を家へ帰してやった。八日に戻って来る筈だが、文子は明日行く、ということ。なかなか貞子も気をつかっていると思う。
家へ帰るとほっと安心する。ここは幸福だ、貞子はその幸福の中心だと思う。実にほっとする。
暗い外の原っぱから家の光を見たとき、そして貞子のにぎやかな笑い声が耳に入ったときの救われたような気持。
貞子は元気である。暮に、今度こそ本当に直ったような気がすると言っていたが、そうであってくれればいい。二日からずっと起きて、色々な仕事をして来たと言う。
その後大体貞子はずっと調子よく、今日まで、寝こんだという日はない。暮まで毎日のようにしていた注射も、正月になってからは、まぎれて三四回しかしない。
八日に千恵子が戻って来た。ほっとする。そして、その後一昨日まで自分は原稿で多忙。書いたのは、
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[#1字下げ]知性の文芸時評 二十枚 十二日
[#1字下げ]新聞聯盟の時評 五枚 十五日
[#1字下げ]新潮の評論(これは、十二月八日の記録という日記風のものとする。) 十五枚 十六日
[#1字下げ]新潮の新刊小説評、川端、森山、船山、牧屋、藤森の五冊。 七枚、これも読むのに暇どる。――十八日
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これ等の仕事が終りそうな十六日、千恵子の父から手紙があり、本庄で勤めさせることにしたから十八日までに返せと言って来る。あの男のがっちりした、しがみつくような性格を思い出すと、とても延してもらえそうもないので、十八日に荷物をまとめて帰してやる。貞子がすぐ峰岸君へ手紙を書き頼む。
十日に峰岸君が遊びに来た。その日は板谷君とも逢う予定であったので、三人で新宿で酒をのんだ。その夜峰岸君は泊って翌朝帰ったのである。
十九日峰岸から、何とか心配すると言って来る。自分からも引きちがいに頼んだ手紙を出す。
その後は、毎日寒い中を自分が起きたり、貞子が起きたりして、台所をする。
ちょうど、豆炭で七輪にいつも湯をわかす方法をとっていて、炊事を暖くやれる。それとこの頃から、地方にある炭を運ぶことが出来ない(貨車の不足)ということで、一月分の燃料として四寸の煉炭を二十八個持って来た。それを、煉炭用の火器に入れると工合よく一日中持っているので、その方でも湯がある。それで食事の支度にもあまり困難がない。やって見る。貞子も妙に今度は元気よく、半分ぐらい手伝う。
朝七時(ちょうど朝日が射す)に起きて、釜に火をつけ、同時に炭をおこして七輪と、四畳半のコタツに移し、そこに子供や貞子たちを集めて、ふとんを上げ、家中を掃く。その間にミソ汁を煮て、子供たちに茶碗を出させる、という風にやると、二時間ぐらいで食事の終りまで片づく。その途中で子供のオモチャなどがちらかっていると腹が立って呶鳴ったりするが、しかし手順はよく運ぶ。
一昨夜は、その日食事のあと片づけなどをして子供たちを叱ったせいか貞子が興奮したらしく眠れなかった由。それでも翌日は自分は学校があって四時すぎまで第一書房にまわったりして外出していたが、貞子はちゃんと働いていた。今朝も朝は自分がやり、昼は貞子がシルコを作り、夜は大体自分がした。こんな風で、子供が使いに行けたりすれば、家中でやって行けるねと言い合っている。
但し滋は八日(?)から礼は十日頃から学校に行っていたが、礼はノドをはらして十五日頃から休み、滋は風呂と床屋とを一緒にして鼻水をたらしていて休ませている。
自分は今日二階から見ていると豆腐を皿に入れて持って行く女の人がいるので、あわてて鍋を持って買いに行き三丁買って来た。
魚屋はこの頃特に品不足で、三日目毎に番号というのもしない由。豆腐屋への途中に魚屋へ寄ると、三四人女が立っている。魚を切っている魚屋に声をかけると、ちょうどいま品切れになりました、と言う。
夜珍しく組合の配達員が牛肉を半斤持って来た。豆腐もあるし、明日はすきやきだと言って喜んでいる。夕食はこの頃いつものように乾物屋で手に入る頬ざしを三尾ずつ焼いたのと、やさいや豆腐を入れたごたごたのミソ汁と、家で出来た大根を薄くきざんで千恵子が漬けておいたつけもの。なかなか養分ある。それに日曜以外は毎日四本の牛乳(一本はヨーグルト)がある。そう営養が足りないことはない。但し魚屋からの生魚は正月以来二度切りの由。
先頃伊豆沖で敵潜水カンに汽船がやられてから漁に出ることが少くなったのではないか、と考えられる。
今年に入ってから味噌と醤油は割りあてになった。みそは毎日一回分のミソ汁しか出来なくなる由。但し家には八升ほどの樽一樽あり。三度ずつ(作るのは二度)のミソ汁はそれがある間は食べて夏をこすと悪くなるというからその前になくする予定。醤油は余裕三升の由。米は三本ほど余裕あり。塩も割あてなり。
ところが昨日自分が外から戻って食事をしていると、暗くなってから玄関で「組合です」と大声で言っている。出て行くと、例の十五六の配達が、呉服ものを持って来た、と言って、どさりと大きな風呂敷包みをあけた。いよいよ売るものが無くなったからか、と思うと、彼は言う、着物が切符制になったのですよ、今夜十二時すぎると何も売れなくなるんです、明日から今月中は販売禁止で、来月から切符制になります、と言う。先々月頃から伊勢丹の石川君など、近いうちと言っていた。自分はあわてて、そうか、と言いその包みを食卓のそばに持って来た。寒いので配達員も上げて火のそばに坐らせ、貞子は食事を中止して見て行く。そして
[#1字下げ]銘仙を二反、夏物のポーラ地の青い着物一反、ユカタ四反、レースの夏物下着一反、外に子供の靴下多少、合せて百六十円ほど、
を買う。少し多いなと思う。百円ほどにしたかったが、貞子のふだん着など無くなっているということを数日前から言っていたので、そのままにする。
食後、まだ今のうちなら店が開いているから子供の靴下を買いに、と出かける。坂上の洋品店でいい靴下を三足買う。皆が今日は知っていて、午前中ならいくらでもありました、何でも百貨店が今日は休みで(月曜也)昨日重役が今日からしばらく売れなくなることや切符制のことを売子に洩らしたため皆が知ったのですと、店員が言っていた。
ナベヤ横町の店で、礼の学生帽(無くしたので)を三円五十銭、ネクタイを三円五十銭、カラーを一本等買い、新宿に出る。寒い冴えて凍った夜なり。電車の中で皆女たちが包みをかかえ、また街をからころとつながって歩く女たちが包みを持っている。店々をのぞくと、反物屋や洋品店には女たちが群がっている。自分はどうせ子供の靴下は新宿にはないとは思ったが、鳥打のいいのを一つほしい。この頃はたいてい鳥うちをかぶっているので、今の次のものを買っておきたいのである。駅前の店で捜したが七吋八分の一などという特大のでいいものはない、やっと三越前の帽子屋で店をしめて、もう入らないで下さいと言うのをむりに入る。そこに一つ茶色で気に入ったのがある。六円なにがし、それを買うと女店員が帽子は切符制でないのですよと言う。(皆は靴下やネクタイなどを捜しているらしい)とにかくそれを買う。それからまた西武電車で戻って五丁目の洋品店で子供の長靴下二足と、ソックスを六足、五円ほど買いものする。三十円ほど持っていたのが、それだけの買いものでなくなる。大変なものと思う。
いい袴を一つほしい、と思い帰ってそのことを貞子と話をすると、そんな袴と合う着物が無いと笑う。貞子の足袋の文数を覚えていず買わなかったが、昨年の春、瀬沼にたのんで麻製のを十円ほど買ってあるし、いいだろうと思う。
今日の新聞に切符制の説明が出ている。
一昨日か、日本学芸新聞を見ると、近藤と一緒にやっている例の芸人のことに詳しい男が、自分の新潮に書いた小説「安宅」をこんな歌舞伎の見方はない、西洋人がカブキを見たようだと悪口書いている。またか、と思う。
森本のことがあってから色々考えて、得能の下巻は半分ほど書いたのだが、やめようと考えていた。ところが惜しくもあるので、応召したら、その後で出せるようにそろえてだけおこうと考えた(これはずるい考えかたであるが金がそれだけ入るので)。
しかし、こう批評されたあと、またこれを出すのは本当に考えねばなるまい。いまこれを書きながら、やっぱりきれいにあきらめ、上巻も二○三高地戦のところで切ってあとを棄てることに心をきめた。たしかに、この素人の批評のとおり、「安宅」の部分は外人流の見方と言われても仕方のない処がある。
それに対しては、その前の部分(新女苑正月号)を見てくれと書いて、反バクをていねいに書いてすぐ送っておいた。
これが気になって、そのことを考えると、子供へもどなったり、腹をすぐ立てるようになっている。
評論を書くのをもうやめようと思ったり、また三月頃に徴用になるとして、もうあまり仕事をしたくないと思って入る金を考えたりしている。
最近金の入る予定(細かい月々の原稿をのぞいて)
[#1字下げ]新潮社 運命の橋 増刷千部 百四十円(到着)
[#1字下げ]河出書房 青春 増刷千五百 二百二十五円(印了)
[#1字下げ]主婦の友 小公女 増刷二千 三百円(印了)
[#1字下げ]協力出版 故郷 新刊二千 三百円位(印了)
[#1字下げ]報国社 小説の世界 新刊二千 二百円(二円で、二百円前借済)
[#1字下げ]第一書房 小説の研究 校了 二百円位
[#1字下げ]借りている金
[#1字下げ]田居尚君に二百円
[#1字下げ]質屋に写真機で二百円
[#1字下げ]組合から着物買入 百六十円
これで、実は千円ぐらい余裕の出来る筈が、七百円ぐらいにしかならぬ。
これからする仕事として、今日四海書房の仕事をしているという芸術科の学生が来ての話で、「文芸と生活」という叢書の一冊を出すことになる。二円で四五千とのこと。
これは古いものを編サンして組織づけ、多少書き足すだけなので、早くしたい。
それから、育生社のローレンスの「メキシコの朝」、これも早くしたい。外に博文館の書き卸し小説、これは生い立ちの記としてまとめる。これだけぐらいを目標としておくこと。徴用される時に千円は家に残しておきたい。
まるで非国民のようなことを書かれると、たしかに気がくじける。新聞をたのしく見る気が汚れて来る。ラジオにも熱心になれぬ。俺が非国民ならお前は何か。そういうことを言う人間のこれまでの経歴の一つ一つをしらべて暴いてやるぞと書いてやりたい衝動が起る。
それと同時に、内輪にして、細心にして、自分の生きて来たあとをたどり、「雪明りの路」一冊に盛られた世界を文字にうつしておいて、いつ死んでもいいようにすることだけを考えようと思う。
どんなに自分が悪く言われるようなことがあっても、自分の幸福はこの子供たちや妻と一緒に居り、一緒に生きて行くことだ、と思い、それをとげとげしくせぬこと。子供たちをやさしくしてやること等思う。
自分が掃除したりしながらぱっと怒って呶鳴ると、滋はものが分って来ているので、びっくりしながらも、うかがうように自分の顔を見る。
先日貞子が言っていたことでは、滋は礼と、「この頃僕のお父さん、ほんとにいいお父さんになったね、あんないいお父さんが遅く帰るってお母さんが怒るんだからいやんなっちまう」って言っていた由。子供の気持をあまり汚したくない。
とは思うものの、こんな日本人として、また筆とるものとして根本的な質の悪い脅迫をつまらぬ奴等から受けている自分のことも知らずに、茶碗を洗わせたり、玩具の一つ一つを掃除するときに拾わせたりする、と思うと、かっとなって自分を抑えられないのである。当分ここしばらくは金もあるし、あまりかつかつ書いて躓かぬよう、書き下しの小説を静かに考えてローレンスの翻訳をしようと思う。そうして毎日子供や貞子のため炊事も出来るだけちゃんとしてやろう。そのうちにもう一つの心配も片がつくであろう。
自分をおさえ、心を静かにすること、そして書き下しの準備のために、カロッサの生い立ちの記を読んで見ること。
最近では、日本軍はマレー半島の南端にほとんど近づいている。ここ一週間ぐらい、クアラ・ルンプール占領後の進撃は目ざましい。シンガポールの陥落は間近いと思われる。
先頃は潜水艦がサラトガ(飛行母艦)を沈めた。これは近来の大手柄であった。また今夜の夕刊で、(朝日)高見順が宣伝挺身隊員(と書いてある。この隊の名の出た最初)のことをバンコック発として書いている。彼がヴィクトリアポイントからバンコックに戻って、戦況を書いたとのことが出ている。我々のやがて為すべき仕事の性質が少しわかって興味ある。
今日はウェーク上陸戦の話が出ていて、なかなかよくわかる。
実戦家の話は、記者の作った文章とちがって全く素朴で真実感にあふれ、美事である。人間の心と行為が文学にすぐつながるのだ。
平出大佐の放送〔一月八日〕は近来の名放送である。この説明ほどよくわかるものは今までに無かった。
一月二十二日
昨日の新聞の東条首相の演説、甚だ明確でよし。なおこの日の首相の表情、在来のとちがって、明るくおおらか也。自信がいよいよ出来たのであろう。
どこでも呉服商と洋品店は休業。この種の店の多いのに驚く。
新宿。学校は当分月末まで軍教の査閲前で午後の授業なし。大久保に下車して買物。それより、新宿に出て紀伊国屋に寄り、ゼークトの「一軍人の思想」を買う。田辺君いるので、久しぶりに逢う。雑誌やめてから、彼はあまりものを書いていないので、どうしたのかと思っていた。中村屋でケーキとコーヒー、相変らぬしんらつな話しかた、いい気持になれない人である。それでも久しぶりのことで色々と話あり。
徴用に闇があって、工合よく行っている奴がいるらしいとの彼の話、また軍人とうまく折り合って行けそうなのは高見ぐらいのものであろうなどと彼は言う。
それから昨日か中島健蔵がよって、留守だったが名刺に、遠い所へ出発することになったと書いてあった。今度は中島、河上など文学界から五人とのこと。聞いてびっくりする。いよいよこれは近くなった、と思い、ひとり覚悟する。まるで文壇に人がいなくなる。今朝文芸の小川君から、自分と平野君との対談を三月号に出したいと言って来たが、そんな留守の役を引き受けるわけか。しかしそれも間もなく終るだろう。
このこと貞子には言わずにおくこととする。
今朝も自分が起き、昼には釜に火をつければよいようにしておいて来たが、薫君が病気で、正月に帰ったきり上京していないから、若し自分が出たら母に来てもらう外はない。
今朝小川君からの手紙で、得能下巻をやっぱり書き上げるつもりになる。それでないと外の仕事間に合わぬ。
昨日自分の留守に利根書房の人が来たが、小説集でも出したいというのであろう。古いものと、正月の文芸の小説と二月の新潮の感想などをまとめて一冊にするか、金を少しでも作っておくこと。それでふと思いついたが、第一書房から詩集をまとめて出してもらうこととしよう。
利根書房を訪ねて新橋七丁目に行く。すると、浜松町の辺の海岸に軽気球が四つ、二つは低く、二つは高くあげられている。やっぱりこれだけ警戒しているのは大変なことと思う。何となく人々が気が立っているように見える。煙草の空箱を七八個持って出たので方々で買う。この辺には珍しいかたい箱のバットがある。
銀座に来ると資生堂の前の辺の縁石がダンダラに白く塗られてある。燈火管制の用意である。そう言えば一週間ほど前新宿の省線の交叉点のそばにある変電所のまわりに土俵を積みあげていた。北方が始まるのではないか、大久保辺での話では四月の総選挙を三月にして(三田村)、四月頃から北方も始めるつもりとのこと。
尾張町からバスで真直帰り、鍋屋横町で、イワシのヒラキとサツマアゲとを買う。この頃食料品店でこの二つがどうにか実質的な食べものである。家に五時戻ると滋が台所の七輪で火を起している。コタツに入れる為の由、昼には貞子が寝ていて滋が食事をつくって持って行った由、家の中寒々としてそれに負けてはならないと、すぐ食事にとりかかり、手早く仕度をしてしまう。ホーレン草のミソ汁と、イワシを焼いたのと、ラッキョー漬なり。こんなことで、今日などもうっかり川崎と逢いでもしたら、どうなるか。貞子は胸の辺がまたごとごと言っていると言い、夕食には起きて来たが珍しく一膳のみ、不安になる。昨夜少し寝汗した由。
いよいよ、得能にとりかかる。
田辺の話で、文芸世紀の会で質問をよくする青年が森本に伊藤整って思想があるのですかと訊ねたところ、森本は、まあ思想の入口に来ているというところだねと答えた由、悪意のある返事ではない。田辺君は笑っているが森本の気持はよくわかるつもり。新宿駅で福田夫妻に逢い、お召しの近きを互に語る。
今朝の新聞で、ビルマに侵入した皇軍がタヴォイを占領した由、いよいよ、ビルマ戦線が始まった。
得能について――「斜陽と鉄血」を読む。
乃木大将について――
津野田氏の文で将軍が兵の首ガヤを使ったこと。
ウォシュバンのことで、明治大帝が火を廃されたので将軍も廃されたこと。
金州城外の詩の傑作であること。
また将軍が詩人と目されるのを好み、それが唯一の弱点であったこと。
明日から得能の女中代りのことを先ず書くこと。
今夜考えて見たら徴用は
十一月二十日頃 武田、阿部、高見、小田、尾崎士郎等。
十二月二十日頃 榊山、浅野、富沢等。
一月二十日頃 中島、河上等。
だから次のは二月二十日頃であろう。
二十五日記
[#1字下げ]今月徴用されたのは、福岡君に聞くと、更に、火野葦平、上田広等ある由。また内緒とのこと乍ら、来月は室伏高信が行く由。
[#3字下げ]*
[#2字下げ]得能炊事
[#1字下げ]やることだけはやらねばならぬ。それに対して感情を持たぬこと。
[#1字下げ]派出婦に金を十円とられ、ナイフやフォークの無くなった話。
[#1字下げ]それで自分でやる。
[#1字下げ]自分の悪評の出ていた新聞を見た日は、子供の本を片づけているうちに、ふと我慢ならなくなり呶鳴る。上の子供がおびえて、他人のように気づかうのを見て、一層腹立たしく悲しくなり、下の子はその後でも甘えていてほっとする。
[#1字下げ]貞子が眠れずにいるのは怒った日のあとにきまっていること。
[#1字下げ]汁をこぼしてはっとする。ところがその時はこちらはキゲンがよかったので照れて、じっとしている。
◎独ソ和解の噂あり、之ヨリ少し前、欧洲中立国、スペイン、スイス、トルコ等へのシベリヤ経由の郵便が行けるようになった、と小さく新聞に出ている。それはドイツとの和解を日本が仲介しつつあるからではないかと思われた。しかし三十日のヒットラーの演説参照。
一月二十六日 月曜
昨日の日曜日に安原、杉沢来訪。杉沢は戦地に行って敵を七八人も切りたいと大言す。安原は、どうか戦争に行かぬようにと願っていると言う。
安原君自信なさそうなり。文学をあてにして文学を信じられぬ姿、文学もすっかり変るよと言う。
彼の話では小笠原辺にはアメリカの空雷がよく見つかる由。東京の港にも何本か陸あげしてあるよし、それは日本の軍艦を沈めに近くまでやって来るのだが入って来れずに落して行くのだろうとのこと。
昨日泰は米英に宣戦す。(今まで宣戦していなかったのか、と思う)
今日「青年作家」という雑誌が来た。それに菊池寛、中村武羅夫、岡田三郎、楢崎勤、保田与重郎、青野季吉、武田麟太郎等々と並べて自分の悪口を書いてあり、植民地的知性主義者と書いている。またいやな気持、すっかりめいる。しかし外の作家と並べてだから変に思うにも当らないのであろう。こういうめいった、敵におびやかされているという気持でいて炊事を三度やり、掃除したりすると、つい気が立って子供を少しのことで強く叱る。子供が自分の顔をじっと見る。後で考えるとたまらない。つまりこういう覚悟をする、どういう不安、――自分の生涯の立場を失うようなことが起っても、それを妻や子に知らせず、やるだけの炊事や掃除はあたり前にやること、不機嫌になっても無口になるだけで我慢すること。
それで得能を続けて書くこと、また思い煩う。二○三高地を先に書き、そして幼年時代へと、父のことを筋として続けようか、と午前中は考える。しかし午後買物に出、目ざし三百匁、むした帆立八個、八十銭ほどを買って戻るときに、やっぱり得能を書こう、その結末を去年の五月頃か独ソ戦とせずに、今度の大東亜戦とする、と考え、それでいいと思う。森本の手紙を作中に入れるかを考えるが、あまりあのことつつき過ぎぬ方がいいであろう。
二十三日に突然田居君川崎君と来る。その前日着いて昇君の処に泊った由。その日は三人で昼から夜まで居て食事したり酒を出したり、夕方川崎君行き、田居君と夜話す。
切符制になり、取次業はなくなるので、暫く小売をし、やがてよすと言う。
二十四日は二人で街へ出て、夜は板谷君と四人で酒をのむ。その夜彼はよそに(西大久保辺)泊ると言っているのでおいて帰る。
昨二十五日は東郷君〔克郎。詩人・猿田栄〕の発案で、北海道詩人集の小会あり。銀座今新、とモンダルジャン。西倉という詩人、武者小路氏によく似ている。
今朝五時に起き、裏の家の入営兵を見送りに出たが間に合わず、暗いうちから食事の支度などで疲れる。
昨日はビスマルク島とその東方の島とに敵前上陸。今日はボルネオ東海岸のバリクパパンに上陸。どんどんひろげる。早くニュージーランドに上陸して濠洲を封鎖するといい。まだマレーはシンガポールに到着せぬ。
一月二十八日
この日夜、常会。衣類切符をもらう。千恵子の分を入れて五枚也。
今朝、石川清君が来ての話。
ある海軍少将(?)その人は山本五十六の副官だったが、戦艦無用論をとなえたりして、加藤寛治などに急進的すぎると言われ早く退いた人の由。その人の教え子たちが今度のハワイ海戦などを主としてしている。
@ハワイを攻撃したのは六隻の母艦で、飛行機が四百五十機の由。
A戦艦を沈めるのは、日本独特の方法で、それは一ケ所、煙突の下の急所を目がけて何機も何機も波とすれすれに低く、しかも三十米ぐらい艦のそばまで近より、煙突の上をかすめて、やっと舞い上るのである。続けて魚雷を放し、同じ所を狙って穴を大きくし、機関まで破って沈める。その方法はドイツが今度教えてくれと言って来たので、教えに誰か将校をやる由。
イギリスの空雷は、ビスマルク号を沈めることが出来ず、あれは初めの魚雷を受けてから四日かかった。そして主にやったのは駆逐艦等の水雷であった。
プリンス・オヴ・ウェールスなどの底は三重張で、重量の六割が装甲であるから、あちこちと魚雷を方々に食っても決して沈まぬ。
Bハワイの真珠湾のような所は大変浅い。それであすこは沈んでも甲板が見えるくらいである。写真で沈まないように見えるのは皆実は沈んでいる。深い所だと引き上げが出来るが、ああいう浅い所に沈んだのは決して引上が出来ず、あれ等の軍艦はみな屑鉄になるより外はない。
Cハワイのように二隻ずつ並んでいるのは、たがいに鎖でつないであって身動きも何も出来ず、発砲も出来ぬ。普通は艦がぐるりとまわっても触れない程に離しておくのであるが、あのつなぎ方は全く警戒せぬ形である。
D爆撃がすんでから、二日間は全速力で戻っても、母艦は、向うの飛行機に追いつかれるものだが、向うは遂にやって来なかった。
E母艦は極めて薄い装甲で、片側からうてば反対側に抜ける。そういうものの方が、中で弾丸が破裂しなくって安全なのである。
得能感想
大ミイヅに依る、というのは、たとえばハワイの海戦のような戦果が、何を信ずる人間によって為されたか、ということ也。天皇陛下のために死ぬという信念が為したのだ。それがそのまま大ミイヅの現われである。
国民として、考が常に国家全体にとって前進になるか、国家全体の運命に責任を持つかどうかということ、を考える。
自分が国家の中で受けている名誉や利益を当然のこととしてこれを批判することはできない。
[#改ページ]
[#2段階大きい文字]昭和十七年二月
二月六日
扁桃腺炎にて昨日と一昨日寝ている。アルバジル一粒ずつ今日ほぼ納まる。野田生の母が心配してくれた松枝という子昨日来る。ほっとする。
昨日からシンガポール島の砲撃開始の由。
朝石川清君得能の装幀を持って来る。
杉沢そのあとから来て、塩谷の学校へ寄附するとて明日持って行くからと写真をとりに来る(ハワイ爆撃の)。とりあえず自分の分を渡す。
昨日知性の月評取りに来る。月曜迄の約束。
この十五日頃迄に得能を書きあげるつもりなれど風邪のため元気なく、今日からかかるのだが間に合うかしら。
母より手紙、この冬は函館で過す由。
二月八日 日曜 第二回詔勅奉戴日
風邪やっとよくなる。扁桃腺をアルバジル二日服用で直す。大体おさまって異状なきも、何となく異和あり。アルバジルのせいならん。
方々の小原稿、文芸情報、青少年指導等を風邪で断り、今月出来る筈の「メキシコの朝」の翻訳も延ばしてもらい、学校も次週中休むと通知す。しかしあと一週間しかない。
自分の立場の開明のために知性の月評で、愛国の気持と小説の問題を書こうと思う。また近着の雑誌文芸日本で、富塚とかいう男が、座談会で、ジョイスなんかをかつぎまわった奴が現にいたと言い、(これで森本以来四つ目である。病気もそのためのような気がするが、台所の仕事のせいもあるだろう。この一二ケ月の自分の心の重荷は実にこれであった。もう終りにしたい。これから解放されるならば、得能を書き上げずに徴用されてもいとわないとまで思う。)富沢にたしなめられて前言とり消しをやっている。榊山と尾崎はずるい。その座にいて黙している。そんな奴等か。あの狷介な富沢に自分は一片の暖い心を見た。彼は応召也。そのためにも、また先日の平野君との文芸誌上の対談会には、その点について立ち入って喋れなかったので、また危いと思う。それで風邪をおかしても是非書かねばならぬ、と昨日一日坐り込んで十八枚書き、ほっとした。文の趣も大体自分の意をつくした。「憂国の心と小説」と題す。それにつけて同じ河出の飯山君の編輯している三代名作のパンフレットのため鴎外論を五枚、これは今夜書かねばならぬ。
午後、小西猛、阿部の二君来り、やがて岩淵君来り会し、五時帰る。その後より九時まで新聞の切抜と整理を終えたところ也。多分自分は見も知らぬ人間にも厭がられ、眼のかたきにされるところがあるのであろう。気をつけて、自分の中のあたたかい気持を十分出さねばならぬ。少しでも自分の及ばないところを持っている作家の仕事には機会あるごとに敬意を表そう。それはいやでも何でもない。その点は素直になろう。
人に愛されるようになろう。そして自分が受け容れられる程度は我慢し、自分を少しずつ、実質的によりよい存在にして行こう。
あと一週間のうちに、得能の主要部を書けるか、とにかく書けるまでがんばる。実際徴用令が来るまで(多分二十日頃か)には二週間はあるだろう。
岩淵が北川冬彦の徴用されたことを言っている。多分この一月中島健蔵などと同時にであろうか。
今日思いついて、ラルフ・フォックスのThe Colonial Policy of British Imperialismを出して来て、その時に持って行くことにする。これと川崎からもらったアメリカの極東政策史と。
どうしてこの本に気がつかなかったか、実に自分には間の抜けた頭の悪い処がある。そういう自分にとっては、やっぱり整理することと、努力して勤勉にすること、それから何事にも慎重に考えることが必要だ。そして人に愛されるようにすること。
シンガポールへの砲爆撃続行中、ビルマのサルイン河渡河、なお一昨日海軍飛行機はジャバ沖で巡洋艦二隻沈め、二隻を大破した。ジャバ沖海戦と称す。
今日の読売の地平さんと豊田君の文で仕事の輪かく分った。宣撫に実際当るとすれば、相当に危険もあることと思う。
二月十日 火曜 シンガポール上陸戦
八日深夜シンガポール島に上陸成功。場所はコースウェーの西側、猛烈なる砲撃の最中なり。上陸は無血なり。
昨夜中に西方に近いテンガー飛行場占領の由。またコースウェー東側にも上陸。陸橋の南端占領の由。こんなに簡単に島にとりつけるとは思わなかった。敵は相当精神的に参っているのだろう。
紀元節までに占領するという予想があったが、そんなに簡単には行くまい。陸軍記念日(三月十日)だろうと杉沢が言っていたが、この調子だともっと早いであろう。
風邪直り雑原稿(知性の月評と三代名作のパンフレット)がすみ得能を書いているが、今日は朝石川清君が来たりして、まだ四五枚しか出来ない。まだ得能炊事の項なり。
一月末にひどく寒い一週間ほどがあり、その後ゆるんで春近いかと思っていたが、昨日頃から相当に寒い。冬の最中なり。
昨日原稿届けに外出して、印税をとりに報国社に寄り、「小説の世界」(一月刊)が売切れ(二千部)にて注文五百あり、三千ほど印刷したいが紙がない、と言う。蒲池君にきいてみに寄る。ないが、心あたり捜して見る由。闇になったりするといけないので、無さそうと報国社に電話する。
東京堂にて良寛の、ネハンの図と、いろは歌を書いたのの複写を買って来る。各一円五十銭。それを今朝石川君表装するとて持って行った。
マレー陸軍司令官は山下奉文中将と初めて発表。昨年ドイツから危く帰り、帰るとすぐドイツの科学的体制のことを書いていた男だ。
二月十一日 薄曇 紀元節 午後快晴
〈ドイツと煙草〉
今朝読売新聞記者のベルリン国際電話によると、二月一日からドイツでは煙草の切符制になり、男は一日三本、女は二日に一本の由。なおヒットラーは戦死者のある家で残った男子一人のところはそれを戦線から帰らせることにした由。
またドイツ国内でもイギリス上陸作戦の予想が盛に行われている由。
シンガポール上陸部隊はセレター飛行場から大分前進し、陸橋は二十四時間で完成し砲兵などが続々そこを進んでいる由。大慶也。
〈携帯品注意〉
午前中岡本君来る。現地での色々な注意。
携帯品は少くて、身につけて歩くぐらいがいいこと。薬とか靴下のみにてよし。行李など持って行っても運んでもらうのに困ること、リュクサックはよからん。
眼鏡はほしいが重いとのこと――軽い小さなのを買うこと。
軍刀は重いし、いたむし、悪くする――だから安いのでいいこと。白木に皮がいい。
写真キは重いだけでも困る――スケッチブックよし。
図嚢はものをぬらさぬ為に必要――入れるもの、ローソク、懐中電、紙類、チリ紙。
地図は必ずほしいこと――明細なものを買う。
本――棄ててもいいし、尻拭いにもなるもの――。
ピストル――気をつけていて兵隊から買うこと。
結局――リュクサックと図嚢に少量のもの。
[#1字下げ] 軍刀、軽い眼鏡、スケッチブック、ローソク、チリ紙、地図、セイロガン、カヤ、エブリマンス地図から抜いた四五頁。剃刀の刃。
午後河岸君来る。中大新聞部に入った由。原稿書けという、断る。三月に入ったらスキイに行く約束す。
明日からしばらく留守と言わせることにする。
餅の残りにて汁粉作る。美味也。
近くの風呂屋は五時から十時迄にて、一日おき、湯は出ぬこと多く、ぬるくして汚い。混乱ひどく虱をうつされた。
二月十二日
昨夜八時三十分大本営発表
日本軍は競馬場を過ぎてシンガポール市街の西北端に突入した。
早い。こんなに早く行くとは思われない。これでは予想どおり本当に紀元節にシンガポールに入ったわけだ。
読売夕刊に、○○では全マレー制圧に五ケ月を要すると見ていたと書いている。それが二月で済んだのだ。
夜、七時の特別発表で、
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
[#1字下げ]一、蘭領ボルネオのバンジェルマシンを十日占領した。陸路四百キロをとおって、前の占領地から到達した由。ここは南岸の中心也。
[#1字下げ]二、蘭領の首都バタビヤに初の空襲をし、二十機を撃墜破した。
[#1字下げ]三、ビルマ、サルウィン川西岸のマルタバンを完全占領した。
[#ここで字下げ終わり]
夜、九時、セレベス島南端のマカッサル占領(海軍陸戦隊)を報ず。
シンガポールでは中心の水源池周辺にいる敵主力を攻撃中の由。
収入予想
目下手もとに二百二十円現金あり。(これは田居への返金分)
振替にて五十円あり。(これは帝国生命上半期分支払、四十五円と税金六円)
受取るべき金として(最近受取ったのは、「小公女」三百円、「運命の橋」百四十円、「小説の世界」二百円)
一、河出「青春」の増刷二百二十五円 約七百円今月
一、「故郷」(一月刊)印税三百余円 中に入る予定
一、「小説の研究」改訂版分約二百円
[#1字下げ]以上確実
外にこの月の収入
[#1字下げ]学校 三十円程
[#1字下げ]知性原稿料 四十円
外に目下進行中の本
[#1字下げ]一、小説集「父の記憶」利根書房
近く原稿渡す本
[#1字下げ]一、詩集
[#1字下げ]一、得能五郎
[#1字下げ]一、四海書房 評論集
写真機は先月末質屋より出した。
二月十三日
〈十和田君〉
風邪の直ったあとセキまだ出る。月の始めから剃らぬし湯に入らぬ。髭のびてむさい。今日あたり湯に入りたし。午後晴れ。松枝を映画見にやる。十和田君からハガキ来る。バンコックにて飛行場に勤務中らしい。送ってやった彼の映画のプログラムを見て、隊のもの皆で乾杯してくれた由。試写会に露営の夢と子守唄の編曲を聞いて感動したこと書いてやったが、やっぱりそのこと涙を流したと言って来る。気持が届いてうれしい。帰ったら巌窟王のような小説書きたいと言っている。
〈得能〉
今日午前中に、ともかくも「得能の炊事」を書き終る。八十枚。今月始めから書き出したのだ。続いて「得能の講義」にとりかかる。今日までは、ゴーゴリの死せる魂とユリシイズと乃木将軍を語るつもりでいて、そう書き出したが、ふと考を変え、カロッサの「ルーマニア日記」をやり戦争文学論とし、続いて乃木将軍を書くことにする。こだわって、面倒な処へわざと摩さつしないこと、そのため仕事が駄目になる。
徴用が来てからも、留守にして書くこととする。そのため、その時の心づかい細かく別な紙に表にして、気づいただけ書いておく。その方の心づかいを少くして、立つ日まで書こう。そうすれば間に合うかも知れぬ。
今週は学校を休んだが、来週は出なければならぬ。
二月十四日
朝から文芸の平野君との対談を訂正したく、校了にならぬうちと出かけ、新宿から大日本印刷に電話するが、小川君たち来ていない。田辺茂一に逢い、茶を飲む。それから伊勢丹で石川君に逢う。その後、武蔵野館で大東亜戦六巻を見る。下手なり。電話やっと通じ、校正にして届けると言う。
買物。ドイツ軍司令部出版のフランス戦六週間の訳、シイザアのガリア戦記等。
ジェム辞典(英和和英合冊)、これは戦地へ持って行くつもりで買う。
夜ぼんやりと「ルーマニア日記」等を見て過す。得能のその部書きかけている。捗らぬ。
二月十五日
昨夜からひどい雪。日曜なれど人は来ぬ。ぼんやりコタツを作り、一日中、ジェムのカバーを作ってはなでて見たり、文芸手帖に知人の名を書き入れたり、それからルーマニア日記を読む。戦地生活がよく書けている。昨日買った「フランス戦線」はそれに較べつまらぬ。半分でやめ、またカロッサを読む。明日から学校に行こうと思う。得能をはりつめてやって来たが、徴用は来ない。二十日まではその気でいなければならぬ。だが得能を書くのに疲れたのか、ぼんやりして原稿をひろげていて、今日は一行も書けない。書けないうちに行くのもいいと思う。こんなに待っていて自分が結局呼ばれなかったら、調子が狂ってしまうのではないか。
東亜ではゴムや砂糖があまるという。砂糖の多いのは何よりだ。この戦争は明るい。カロッサを読むと第一次大戦の最中、ドイツ人もオーストリア人もしきりに平和を夢想している。ああいうことはない。切符制度での生活限度は、不景気時代の日本の一般生活よりよい。平均に幸福と不幸とを国民が分ちあっているという気持は、支那事変前よりも国内をたしかに明るくしている。そして大東亜戦直前の重っ苦しさもなくなっている。実にこの戦争はいい。明るい。
昨日、日の照る午前十一時頃、十貫坂上の薬屋の前で、黒い美しい中位の蝶がホソウ路の二尺位上を、そう弱そうでもなく、ひらひらとたのしんでいるように舞っているのを見た。変な気がした。日は照っているが、年中で一番寒い時なのに。
得能に書くもの
[#2字下げ]大東亜戦以来気づいたこと。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
[#1字下げ]@ 天気予報のないこと。支那事変のあいだ消えなかった。どうも出ていないと変だ。
[#1字下げ]A 戦線の向うがわの事情はリスボンとかベルンとかストックホルムとかブエノスアイレス経由で世界を一周して届くこと。二粁か三粁向うにしかいないのだが、その二三粁が国家の運命を決定する。
[#1字下げ]B 彼の文学の仕事よりも、戦況が人間として心の中にこたえる。僅に戦記文学がうちこんで読める。
[#1字下げ]C 欧洲戦争(独ソ)のとき日本は介入せず支那事変の完遂を期す、と言った。
[#1字下げ]D 日米交渉は八ケ月かかった。
[#1字下げ]E ハワイ戦果の発表の仕方に日本的な慎重さの味いがあった。
[#1字下げ]F やっぱり、死んで行く人たちの天皇陛下のためという気持、それが究極の日本人の帰一の心である。それがあって死ぬ人がみな生きる。死ぬ甲斐が生れる。それがミイヅである。
[#ここで字下げ終わり]
暇があれば「得能の炊事」を書き直す。
すでに炊事に慣れた場面を書く。そして挿話を入れる。@子供を叱るようになったこと、A客が来て話してると家のものが食事できない、B外出していてもその時間になると戻ること、C二十五日得能の項参照。
二月十六日〈シンガポール陥落〉
一昨夜と昨夜訓練燈火管制を行う。
昨夜寝ながら(十時)リシイヴァーを耳にかけていると、今日は特別発表あるかも知れぬから切らぬようと言う。そして初めはスマトラ島への陸軍落下傘部隊が油田パレンバン地方を占領したと言う。この地方は蘭印石油の半分以上を出し、かつ立派な精油所ある由、また先頃のセレベスのメナド占領においては海軍落下傘部隊が活躍したことも言う。(落下傘部隊についての初めての発表)また海軍はシンガポールから脱出せんとした巡洋艦、砲艦、大型汽船等三十隻を撃沈破した旨放送。
それから音楽放送になったが突然歌のなかばで断ち切られて、大本営十時十分発表として、今日午後七時五十分、ブキテマ高地東方で英国軍使ワイルド少佐が降服を申し出、十時を期して停戦の協定したこと放送、なお同十五分の発表として南方陸軍総司令官は寺内大将である、総参謀長は塚田中将である、と発表。
それに続く大平陸軍報道部長の話を聞いているうちに眠る。
彼我の司令官が会見する由だから、敵軍の本部はジャバへ逃走できなかった。これは成功である。海軍の海上防備がよかったのであろう。そうすれば勿論英国兵の大部分も残ったであろう。それがジャバへ逃走すれば随分のちがいであったろう。
今朝になっても雪消えず、また喉がつばをのむ時に痛い。またへんとう腺炎か、と思い、朝アルバジル一個、それにうがい(東郷克郎君からもらったクロラドンにて)をし、学校に出る。カロッサのルーマニア日記を話す。午前中授業。三学期で学生へっているが十二三人もいる。午後大久保で例の店へ買物に行く。錠を下している。
午後在宅中石川清君得能の装幀を持って来る。喉少し痛し。また得能を書こうと思う。
街は各戸に旗、特に多く見える。雪三四吋ありて消えず。晴れたり曇ったり也。街を歩く人、お早うと言ってからあわててお目出度うと言い合う。陥落祝いは入城式の日の由。
室に坐っていると、富士見台の方や西町の方や千代田の方などで万歳の声がよくする。兵を送っているのか、それとも何かの会合で集ってやっているのか。
朝日新聞所載、山下司令官敵将との問答(シンガポールにて住田特派員十五日発)
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[#1字下げ]山下中将――極めて簡単に返答願いたい、私は無条件降伏にのみ応ずる。
[#1字下げ]パーシバル中将――イエス。
[#1字下げ]山下――日本軍の捕虜はいないか。
[#1字下げ]パーシバル――一人もいない。
[#1字下げ]山下――日本人はいるか。
[#1字下げ]パーシバル――日本人は印度に送り、その身分保障は同政庁にまかせている。
[#1字下げ]山下――降服意志があるかどうか、それから聴こう。無条件降伏、イエスかノーか。
[#1字下げ]パーシバル――返答は明朝まで保留されたい。
[#1字下げ]山下――明日、明日とは何だ。日本軍は今夜、夜襲しますぞ。それでもよいか。
[#1字下げ]パーシバル――では日本時間午後十一時半まで待っていただきたい。
[#1字下げ]山下――十一時半、それならその時間まで日本軍は攻撃しますぞ。
[#1字下げ]パーシバル――(返事なし)
[#1字下げ]山下――それでもいいか。はっきり聴く。無条件降伏、イエスかノーか。
[#1字下げ]パーシバル――イエス。
[#1字下げ]山下――では日本時間午後十時をもって停戦、今夜直ちにシンガポール市内には我が兵千名を入れて警察権を行使するがよいか。
[#1字下げ]パーシバル――イエス。
[#1字下げ]山下――この条件を破る場合は、今夜直ちにシンガポール市内を総攻撃する。
[#1字下げ]パーシバル――シンガポール市内に残留する英濠洲人兵に対して身体の安全を保障して頂きたい。
[#1字下げ]山下――大丈夫、その点は絶対に安心してよろしい。
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この会話生きて、場面、性格躍如たるものあり。
二月十六日夜
今日魚屋の配給カキあり。味噌汁にする。十三日夜湯屋で魚屋と逢い、どうして魚をとりに来ないかと言うので、手がなくって行けないというと、明日いらっしゃい何とかするという。そして子供風呂で声をひそめて卵が入れば分けてやるという、よろしくと頼む。卵は重見夫人が闇で買ったもの(十二銭)のを分けてもらっていた。隣組の配給で時々五つ位来る(七銭宛)。次の日魚屋へ松枝をやると、番でない日なのに、平貝の貝柱をくれ、卵を十個くれた。金高は言わない由。通につけるのだろう。貞子のために卵が手に入るのは何よりだ。高いなど言えない。多分十二三銭になるのだろう。そして今日は魚をもらえる番号の日で松枝が行くと、牡蠣と卵を二十くれた由。これはなかなかいいと思う。
この調子で牛乳(二本にコリ〔凝〕乳一本、時には皆で四本、但し週に一日か二日休む)と卵が手に入れば貞子や弱い子供たちにとって大変いい。
今日また喉が痛くなり、朝と夜にアルバジル一つずつ。こないだは強すぎた(一日四つ)そして指に麻疹が出た。それ以後着物を着ているが、胸の真中、気管の辺が寒いような気がして襟を合せてばかりいる。まだ本当でなく、ひょっとしたら、気管のあたりに直りきらぬものがあるのだろう。この頃セキが出、軽いタンがある。今のうちに気をつけること。
今夜またぼんやりと過してしまう。明日から得能にかかること。
二月十七日
十八日が祝賀会となる由。今日快晴。昼から文芸座談会の校正の速達を出しがてら外出、協力出版社に印税とりに寄る。神戸君不幸にて帰国中の由にて内山君延期を願う。百田氏を厚生閣に訪ね、三河屋にて喫茶、元気なり。南方行を志願したしとの事、喉は大方よし。二三日中に召集なければ、当分は来ないことと思う。夜仕事。
二月十八日 薄曇
朝滋が松枝にチリ紙をとってくれと言っているのが聞えるが松枝は知らぬふりをしている。そのうち滋は何度もせき立てるように言って終いに泣き出す。松枝は知らぬふりをしている。貞子が下りて行き、滋をたしなめている。松枝が不自然に笑っている。いやだ、こういうこと、家の中で子供と使用人がぶつかっていて、それを何とも強く言えないことは実に不愉快だ。
午前中杉沢が北海道から戻って来て、塩谷の話、学校へ寄附したことや、また寄附する約束をして来た(自分の分も)話などをしていて一時までつき合う。
今日はシンガポール陥落祝いの日。午後瀬沼を見舞にと出かける。街は隣組や学校の生徒の旗行列で一杯なり。瀬沼十一月頃から初めて見舞ったのだが、その間に熱海に行ったのがいけなかった由で腎臓を患い、正月には危険にもなった由、田中〔西二郎〕も今年になって初めての見舞の由、五時頃外へ出て茶をのみ、文学の話。
夕方家に戻ると、日本学芸新聞来ている。それに宇井無愁という男が、また細井と自分の安宅についてのことを取りあげて、得能の頭は日本製でない云々と書いている。ウイムシュウという名のことでも反省したらいいだろうとすぐ書こうとして、かっとなったが、やっぱり開きなおるのは気になって、結局だまっていよう、一般に与える印象も大衆文学者的な柄の悪さに気がつくであろうと思い、沈黙することにほぼ腹をきめる。
折角昨夜乃木大将のくだりまでを書いて来たのにまた厭な気持で次を書けなくなるだろう。早く徴用の来た方がいいぐらいだ。
しかし自分は当分この種の言説に対してむきになることはやめよう、そして真正面から真剣な気持だけを書いて行くことにしよう。しかし又しても得能、特に劇場のくだりをどう扱うかの問題につきあたり、当惑する。ジョイスの項は全部けずった。それをけずった話を今日田中にしてやって、実に惜しいと思う。田中もそう言う。これで劇場のくだりをけずればほとんど駄目ではないか、安宅をほとんど原文に近い形で生かそうかとも思う。
〈旅順〉
田中と話したことで、「澀江抽斎」的に旅順のことを書こうと思い立つ。資料を丹念に集めるのだ。その為に旅行と図書館。
アルバジルをやめ、クロラドンのうがいのみでやっている。ほぼいいが、しかし気管に痰がつまっているようで重い。まだ気をつけねばなるまい。
二月二十四日 隣の名取家の梅咲いている。昨日は暖く、四月頃の陽気だった。
雪降り、今年三度目の大雪也。昨日バリ島上陸、一昨日チモール上陸。パレンバン完全占領。今日の雑誌広告に、高見、里村、山本和夫等の戦線よりの文出ている。前には宣伝挺身隊員となっていたが、今度は報道班となっている。ちがうのかしら。
得能のことで昨日河出に行き、小川、飯山両君に逢う。早く出来たと驚いて喜んでいた。徴用はなかなかいいものだと小川君笑う。月末までと約束する。紙は非常に窮屈になっているかと思ったが、河出ではそうでもない、何となくゆったりしている。□〔田か?〕辺に鍋屋横町で逢い、間宮と寒川が海軍で行った話を聞く。やっぱり三日前に送別会があったと言うから、二十日前後のことであった。来月は陸軍があるだろう。方々でソ満国境の話を聞く。杉沢がラクレンの黒沢会長に聞いたところでは、目下満洲にこちらが百五十万居り、それだけで足りる、という話。陸軍の主力は満洲にいるらしい。
森本やこないだ学芸新聞にまた自分のことを書いていた宇井無愁のことなど気にかかる。ふとそんなこと何でもないとのん気な気持にもなり、また居たたまらないで不安にもなる、自分はとかく物事を怖れすぎるので、もっといい加減なことと思っていてちょうどいいのかも知れない。しかし気になる。自分の幸福がほとんどそこにかかっているような気持だ。しかし、いよいよ叩かれてからゆっくり立ち直り、日露戦記を仕事としてやって行くことも、最悪の場合のこととして考えねばならぬ。徴用の期日がすみ、ほっとしたのだが、スキイに行く気もせぬ。一つのん気に出かけようかとも思う。
得能の上巻の改訂のため読み直し、巻末の人種問題のところ冷水をあびるような気持。切りすてるか書き直すか。森本がああ言っていたのも無理はない。実にのん気な気持でいた。あれで書いた当時は相当つっこんでいたつもりだが、正直であることといい臣民であることとが両立するとは限らない。あんなもの正直だと思って書いて、外国の奴等に利用されては困る。とにかく上巻の改訂を、今度の下巻と一緒にやる。
しかし、腹をきめることだ。やっつけられたら、根本から悔い改めたことを告白し、浅野晃などのように、すっかり自己改造をやること。
でなければ次第に作品を改訂して、仕事を汚れから洗うこと。
その覚悟で、得能を書き上げ、旅順戦に移ること。
昨日ナベヤ横町の古本屋で、軍令部編の日清日露海戦史六冊を八円で買う。
昨日田居に二百十円送る。これで全く借金なし。
月末頃受取る金の予定として、
[#1字下げ]協力出版社 三百五十円(故郷二千部)
[#1字下げ]河出書房 二百五十円(青春二千部、内五十円昨日借用)
[#1字下げ]第一書房 二百円位(小説の研究)
[#1字下げ]河出、知性の文芸時評 四十円位
目下校正中のもの
[#1字下げ]利根書房 父の記憶
昨日学校で四海書房の仕事してる学生福島に逢う。三月一杯までに評論集「生活と文芸」をまとめる約束す。得能の下巻と共にて千円ぐらい余裕が出来るであろう。
一昨日タイルの美しい流しを、四十円にて買う。目下手もとに三十円あり。
学校は月末までで終り、昨日の月曜と、木曜とで終る。ほっとする。
昨日小川君が得能の続篇をどう扱うかとしきりに考えていた。自分は「続」として表紙も書いてもらってあると言った。しかし考えれば、これは得能についての反日本的世評を直す機会でもある。
「日本の朝」としようか。
これはいい。この後三四頁の新聞の切り抜をしながら考えたが、これしか道はない。どうして今まで考えつかなかっただろう。こうすれば、自分を救い、得能を生かし、時代の記録者としての自己を残すことが出来る。
日本の夜明け、――いい題が出来たら、それを主題とし、得能の生活と意見を副題にする。
補遺 三月一日記
魚屋一日おき休みにて、番号は半分ずつ位なれば、四日に一度当る勘定。但し、魚屋から闇で卵を買ってから、調子よく、番でない日でも六時頃行くと何かくれる。昨日はブリとハモとがあった。美味也。
また昨日は隣の中野氏が、静岡県産とかにて四十五銭で、トマト五六個とキュウリ三本位分けてくれる。久しぶりで晩めし美味。
但し、この頃町で例の鰯の頬刺しがない。あれは沢山出ていたのだが、公定価を変更してから姿を消した。折角鰯のみはあったのだから、あれをやかましくして消させなくてもよさそうなもの。
昨夜インドラミン一本、今日午後二時に一本(三CCズツ)今日昼にクロラドン吸入す。
〈海洋の戦争〉
米航母先月頃マーシャル群島に襲来。二月に入ってから続けて、ニューギニア東北方、大鳥島と襲う。これはアメリカの唯一の海戦法らしい。これで日本海軍を後方からおびやかそうというのであろう。日本の潜艦米西岸を砲撃したが、船を沈めるのではあまり活躍せぬ。ドイツは十二月以来米東岸でしきりに汽船、特にタンカーを襲い、すでに六十何隻か沈めた。これには米国も弱っているらしい。ジャバ辺に行っている日本の主力艦は、金剛級らしい。あの辺でしきりに駆逐艦や巡洋艦を沈めている。目下はこういう形で海洋の戦争が行われている。
礼が風邪で貞子と六畳にねている。大テーブルを六畳に移したので自分は書斎の四畳にねる。一人でいるとさっぱりして、下宿したように呑気になる。風邪なので少し熱っぽいが楽しい。そのこと貞子には言わぬ。
日記を見ると、十六日に風邪気味でアルバジルを飲んでいる。あれから二週間目でまた風邪か、どうも弱い。
津村大尉の南海封鎖を中頃から読む。上海発行の「二十世紀」で太平洋とロシアの新情勢の解説、要領よし、読むことにする。
[#改ページ]
[#2段階大きい文字]昭和十七年三月
三月一日 日曜
一昨日頃から大分暖くなり、畑のホーレン草など目立って大きくなった。三日ほど前配給の菓子を堀ノ内市場で一時間ほど寒い夕方立って買ってから風邪気味。気をつけてクロラドンで吸入していたので、咳はないが、朝痰が出る。胸に痰のため圧迫感あり。
昨日から礼が熱三十八度八分位で風邪でねている。せきなし。痰あり。児玉医師来診。今年の春は方々の子供同じ症状の風邪多き由。インドラミン注射。自分も昨夕には熱っぽいので早寝。数日前から利根書房の「父の記憶」の校正、昨夜の九時までで終える。
一昨日と昨日、協力出版社に印税とりに行く。資本主の神戸君不在にて延びていた。二十八日に神戸君戻るとの話で、昨日行った。内山君がいて、いま速達書留で三百四十円送ったと言う。戻るが来ていない。今朝になっても来ない。変だ。内山君は逢うとていねいでいい人だが、無責任な処あり。本の作り方からしてひどいもの。針金とじでカバアなし。印刷もひどい。あんな本は初めてである。そして月中頃と言っておきながらハガキでも挨拶なし。百闔≠フもとにいたので借金の断りかたがそういう風に出来たのだろうか。
協力出版社からの戻り神楽坂にて、三時頃、紅屋、白十字、ほか一軒と三軒で茶をのみ、ケーキを集めたら五個あった。チリ紙に包んで持って来て皆と食う。チリ紙なし。先月頃皆が買いしめ、それに立ち遅れたあと、いま家には五十枚ほどしかない。これは困る。
得能続稿の気持湧かず、乃木将軍伝を三四冊読む。そこを書く前なり。また古事記を読み出す。内海征服の比喩を見出そうとして也。ドイツのクレタ島をギリシャ神話に比し、大東亜戦争を古事記に比そうという形なり。これは無理にそうしなくてもいい。得能の講義にカロッサを持ち出したが、これはやがてこの作品をうるさくさせることになるか、いずれ五十年もしたら日独戦となるであろうなどと、つまらぬことを考えた。これは考えなくてもいいだろう。
今朝熱をはかる。礼は八度三分。自分は七度一分、朝七度は結核でない。風邪であろうと考える。午前中杉沢が来て、魚不足のことから、八戸に魚の罐づめを百円も買ってもらう手紙を彼は書いた。杉沢と話しながら切り抜を二十日頃の分からする。
スキイにも行きたいが、身体が大切。静養して得能だけを書こう。今月の雑誌、知性の月評、文芸の座談会、新潮の新刊評等、昨日、ジャバ沖で、我主力戦隊(巡洋艦に編入された金剛級だろう、と杉沢が新聞の写真を見ながら言う)と蘭米英艦隊と戦い、巡一、駆三の撃沈。
今朝発表、二十四日米航母、巡、駆等にて大鳥島に来襲した由。
千家広麿〔宏〕の友人と称する朝鮮人氷川万赫というのが、千家元麿の紹介状を持って先週の月曜に現われ、芸術科を受験して落ちたが何とかしてくれと言う。今年は生徒数をやかましく制限された上、予科廃止でそれが皆一年に入るので、全科で六十人位しかとれない由である。その旨言ってやる。千家氏へもハガキを書く。こういう人間は逢った時から難問題を持ってくる。
午後になっても内山氏からの郵便来ぬ。ああいう人、初めて逢った時から慇懃きわまり、次に逢った時は古い知己として挨拶し、その後はやって来ると、ゆっくり、ていねいに話をし、こちらが冷淡ではないかと思う位である。ああいう人弱点を内に持っているのである。初め逢った時から、必要以上にていねいすぎる人、必要以上に冷淡にすぎる人は警戒を要する。あたり前の人は、淡々たる交際をしか人に求めぬものである。君子の交水の如し、ということ本当である。性格の異常な人間とは結局交際もできない。アメリカ海軍では爪を噛む人間は性格異常なりとして採用せぬ由。昨日神楽坂で買って来た本、斎藤瀏「獄中記」、バンニング「アメリカ艦隊の表裏」、モオム「私はこうしてスパイした」、高橋次郎「アールベルグスキー術」
改造三月の高見の記事、文学界三月の寺崎の記事にて、報道隊員のおよそが分る。寺崎はピナン島で放送の原稿をつくっているらしい。そういう材料になる資料を集めておくこと。
内山氏の郵便二日朝来る。速達で二十八日に出したのが遅れたらしい。色々推測して気の毒だが、一種のやりっぱなしの処あることは否めぬ。
三月三日 朝曇 三月に入り、めっきり暖くなったが、天気はぐずつく。
一昨日夕方から熱っぽく、インドラミンとアルバジル一個、夜発汗、寝巻取換。昨日はモノ(?)ピリン二個とインドラミン。同様発汗。夜多少不眠の傾きあり。熱は朝に七度二三分なり。脈は六十二三、煙草やめ、胸の気管部の圧迫感減少した。
今朝は脈五十八、熱は七度位ならん。昼から新宿、住友銀行にて内山君よりの小切手三百四十円受取ル。
別冊のノートにて一月よりの支出、収入を概算し、支出の多いのに驚く。千円位なり。これでは金が足らないのが当然。無駄使いはしていない。新宿の帰り、堀ノ内に下車。時計屋にて一週間程度に頼んだ、昔菊池君よりもらった時計の修繕の様子を訊ねる。石が割れている由。もう二三日という。その足で、先日から貞子が言っていた児玉氏にレントゲンをとってもらうため、救世軍療養所に寄る。児玉氏留守、帰宅すれば英一君〔妻貞子の末弟〕来る。早稲田、中央、日大医科等受験の由。
西山君留守に来訪。「父の記憶」につき文協より話あったとのこと。何だろう。査定か特配になるのであろうか。その為には外の作品で工合の悪いのはないだろうか。
一日朝からジャバ島に三方面から上陸した由。その前の海戦、バタビヤ沖、ジャバ沖にて敵の巡洋艦、駆逐艦を数隻沈めた後のことなり。まだ開戦三月にならぬ内に蘭印はニューギニヤ以外皆我手に帰す。何でもないと思えば簡単だが大変なことだ。
読売から出た報道員の書いている処によれば、報道班の連中の服装は、各々まちまちの由。制限がないのだろう。当然そうすればリュクサックも役に立つ筈なり。北方ではアノラック、スキー帽も必要なり。
今日通りすがりに靴屋を見ると靴ほとんどなし。切符制になる予想で買い占めているのであろう。先日湯浅家の近くで自転車三台見つけたが、新品らしいの七十円、但しゴム悪し。旧品三十五円の由。一台是非買おうと思うが、今日はよれなかった。あらゆるものが切符制になれば、個人の収入が減少して、多少不景気になるか。
昨日河出の飯山君が得能下巻の原稿をとりに来て、昨年得能上巻の出た頃は、ちょっと本が売れなかったが、この頃また売れる由、四月から紙の配給が三割減り、雑誌も減頁の由、また近いうち、内外にわたって大量の徴用ある由、その仕事にあたっている人、中村白葉氏に話した由、阿部知二は、そういう筋に何か忠言したらしい。おたがいに徴用されるのもいいね、と笑う。
今月の文芸雑誌、同人雑誌を見ると、戦争開始時の日本主義の性急さがやや緩和され、やっぱり作家達には旧来の人間主義の文学精神に拠るところ見える。しかしそれは一種の反動で、厳かな日本化の道は後戻りはせぬであろう。不用意な連中が在来の文学意識で安心しようというだけのことならん。現代文芸の寺岡君の評論ヒューマニズムへの疑い、面白し。
風邪気味の間に乃木大将伝をあれこれと読みくらべ、実に面白い。明治大帝の特別な御配慮が常に大将の上にあった。それは十年戦争以来のことである。そして大将もまた帝を慕い申し上げること全く特別なものがあった。殉死もまたそこから来ている。
明治の軍の創始期に数少かった指揮者のうち、乃木大将はその律気な真剣さで帝の愛されるところであったのだろう。例の軍旗を奪われた時も、「ある時はやむを得ない」と仰せられて別に賜った。また将軍の方でも日露戦の報告には、旅順の大損害、奉天の遮断不成功を自ら抉って罪を得んとする文を書いた。また遺書には軍旗事件を第一の心がかりとして死所を得ようとした一生であったことを述べている。そこに人間乃木の根がある。彼を動かした内心の不断の動機がある。
三月五日 雨
南風となり雨模様。
昨夜月明の快晴。夕刻突然警戒警報発令さる。雨戸、黒カーテン等をしてねる。夜少し汗。着かえぬうちに眠り、朝には大分乾いている。寝る前にインドラミンの注射をした。今日は大分よし。昼に六度五分、午後四時六度七分。朝と夜〔空白〕昼アルバジル一。
朝八時十分前位に、急に空襲警報なる。食事中であった。さあ本当の警報だと言い、緊張しながらも笑いながら食事を終え、労働服に変えて、風呂に水を入れる。自転車でそのこと言って歩く人が行き、組長夫人、かいがいしく支度して、何時でも出れるようにしてほしいと言う。初めての空襲警報だが、どうもこんな明るいとき来たって、こちらの餌食になるだけと思う。低い雲の下を三機六機と編隊で戦闘機が飛んでいる。二時間ほどで解除。止めておいた滋を学校にやる。礼はねているが、昨日頃、咳もおさまり、熱は昨日も今日も六度五分位、薬で下げているからの由。
夕刊によると、昨日南鳥島に三十機空襲あり。内七機を落して撃退の由。それが東京をねらっているとすればちょうど夕方からこの辺に来る筈であった、と。なお今朝は不明な飛行機が本州東岸にいたのに、空襲警報にしたが、それは味方であった由。
昼間「血の爆弾」その他の二○三高地攻撃記を読む。血の爆弾の著者は父と同じ日同じ二○三高地左方への突撃に加わったのだ。
夕方A・Kより電報にて、新潮に書いた十二月八日の記録を八日に放送したいと言って来る。明日出かけて文章を直す予定。
昨日午後、英一、薫来ていた。暖く快晴なので、二人を誘い、例の古道具屋にて自転車を買う。薫丹念に見て四台中からいいのを選定。七十円なり。それから東京パンに寄る。錠の番号分らぬうちに自分がさしこみ当惑す。やっと自転車屋にしらべてもらい、四、九、なること分る。いい番号でないが構わぬ。そのうち取りかえよう。置く場所がないので、階下六畳の床の間にとりあえずおいた。自転車の入るよう裏の物置を改造することなど考えて楽しい。
明日あたりから、得能にとりかかろう。
今日午前中杉沢バタチーズを持って来て喋り込む。夕方六時頃吉岡君(川崎義弟)天津に赴任する由にて暇乞いに来る。「満洲の朝」を一冊渡す。十一日出発の由。
三月八日朝
五日夕刻放送局よりの電報。新潮に出した十二月八日の記録を八日の記念日に放送したいというのである。あれは直したい所があり、あるいはうるさく言われはしないかと気にかかるので、六日朝(暖い快晴)出かける。係員午後に来る由で、時間あまり第一書房訪問。大島、長谷川、中山省三氏に逢う。午後放送局にて文章に手を入れる。夕方帰る。
昨日は昼頃町会役所に出かける。外出が悪いと思う。午後に軽い熱が出る。毎晩盗汗あり。昨日夕刻四時半に六度九分五厘あり。昨日から児玉さんの薬をのんでいる。どうやらこれはただの風邪でないように思う。身体は異常さをほとんど感じない。咳もない。痰が少しある。それでこの盗汗はどうも気になる。
昨日石光葆君、博文館の書き卸し小説の催促にやって来ての話では、荒木巍君が肺を悪くして学校も休み、仕事も放棄して静養している由、気胸をしているとのこと、あんな丈夫な人が、と思う。瀬沼のことなど考え合せても、身体は弱くなる年齢に来ているのである。今のうちに大事をとって直さねばならぬ。
放送は今日の午後二時、阿部静枝、島木健作と一緒の由。家では聴取せぬつもり。
昨日は午前杉沢、午後石光来訪にて何も出来ぬ。夜ふとんの中で、戦記「盧山」を読む。素人の記録。それだけにかえって面白さあり。夕方より北風ひどくなる。寒さ強く、朝は降霜。
三月十日
昨日ラングーン陥落、ジャバ島また降伏す。三月十日を目ざして各軍勇戦したのであろう。
相かわらず、何もせず炬燵に入ってくらす。午後杉沢来り、同じ自分の出世話をまたくり返す。彼が忙がしくならない間は、この聞き役はかなわない。
夕方四時半、脈搏五十七(平常五十三位)体温三十六度九分。身体に異常なきも微熱なり。明日あたり救世軍の療養所にてレントゲンをとることにする。
午前中に四五日分の新聞の切り抜きをする。量の多いのに驚く、しかし今が戦線の動く最高潮であろう。徴用の来るまで、身体を直しておくのが何より、仕事はなまけられるだけ怠けよう。幸い学校もなく、小原稿なし。
いま予定している仕事
[#1字下げ]得能下巻書き上げ これは半ば以上出来てい
[#1字下げ]四海書房の評論集 る。手を入れるだけ。
[#2字下げ]博文館 書き下し小説
[#2字下げ]爾霊山
今日杉沢に聞いたが聯隊史はその近くの本屋で売っている由、旭川の義兄に送金して買ってもらうこと。
金はいま三百円ほどあり、写真機のため百円使っても困らぬ。
再版の予定は
新潮社 運命の橋
河出 青春
本の校了になっているもの
利根書房 父の記憶
四日に真珠湾を夜襲したのを昨日はじめて発表した、随分遅れる。ジャバの降伏は早かった。やっぱり植民地兵で戦うことは無理なのだと思う。
この頃身体のことが気になるだけで、気持の上では平静なり、二月号三月号と、知性や新潮で臣民の意識を明かに発表したためである。あとはあまり評論書きたくない。広津氏が真珠湾の特別攻撃隊についての感想を書いているのなど、感激が我々と同じなので、その態度もいいとは思うが、某作家が今更自己の歴史観など、今まで書いたこともない題目について議論めいたことを書いているのはにがにがしい、それもよそに絶えず目を配っている態度がいやらしい。自分の感動だけを述べて、あとは多く言わない方がいいであろう。
この一週間ほど煙草をやめている。特にほしくもないのが、やっぱり身体の悪いせいであろう。大体身体が悪くなるときは、きっと仕事に根をつめて煙草を吸い過ぎ、胸の真中の気管あたりが重っ苦しくなる時が多かった。今度もそれである。二月の初め頃から、得能を百枚、ほかに知性等三四十枚書いている。仕事が多すぎたのである。
第二次祝勝会十二日の由、第一次と同様提燈行列なく、旗行列のみ、それにあまりていさいの悪い文字を旗に書かぬ由、賛成。
紙はますます窮屈の由であるが、この頃になって、再版が多く、また新刊を出したい書店が多い。徴用のことを考えて無駄づかいせず、金を残しておきたい。
[#1字下げ]予想 父の記憶 五○○円
[#1字下げ] 運命の橋 一四○円
[#1字下げ] 青春 一○○円
[#1字下げ] 得能下巻 六○○円
[#1字下げ] 第一書房 二○○円
各私立大学や高校に志願者が極めて増大した由。
英一が受験に来ての話であるが、弘前など去年は楽であったが、今年は二十倍もあり、彼は落第した。
早大の高等学園がやっぱりそれぐらいあり。下手な高校よりむつかしい。それも受けたが駄目らしい。次に中央大学を受けた。これは十五倍もある由。専門学校だとすぐ兵役になるので、大学予科を狙うもの多いためか。それにまたインフレでどの親も学資には困らないためか。それでいて新設の室蘭高工など二三倍の由。これは卒業生をあちこちまわされる為か。
ビルマ方面軍司令官は、飯田中将、日露戦の終り頃第一師団長であった故飯田中将の子息の由。
三月十一日
今朝の新聞に出ていた、昨日陸軍軍務課長の為した放送は、この戦争の将来の目測をもっとも明確に示したもので、今までのあらゆる推定的議論より重要である。
昨夜七時頃四海書房の評論集の件で福島、村井両君来訪。学校の話や徴兵の話などして十時までいる。四海と関係の深い青磁書房で小説集を出したいというので、詩集を出すことにし、雪明りの路と冬夜とを渡す。二三日中に返事ある筈。詩集は先頃から第一書房に話そうと思っていたが、この方が気軽でいい。
夜遅くまで起きて喋ったせいか盗汗あり。着かえはしなかったが大分しめっていた。夜中二度ほど目がさめ、一時間ぐらいずつねつかれぬ。もっともとても暖い。今日は快晴。非常に暖い。午前中に貞子のコートと良寛の軸の件で伊勢丹に石川君を訪ね、無地のナス紺のコート、六十一円五十銭、裏紅の羽二重、十六円なにがしにて買う。南部さんにも見てもらう。それより大久保の古本屋をひやかす。冬から着ている綿入れの襦袢と綿入れの重ね着のためとても暖い。帰り車庫横にて貞子の時計の直しをとる。受取りをよこせと言うが無い。この前うるさく催促したので向うも少し意地らしい。結局出たら破ると言って持って来る。二時半家に着く。コート貞子喜ぶ。
三時頃救世軍療養所に行き、かねて気にしていたレントゲン取ってもらう。きれいでよい由。但し右肺の下部に古い疵らしいもやもやが少しある。また肺門の辺がすこし影が大きい由。しかし病人でないと言われ急に元気になる。微熱や盗汗は肺門の圧迫感のためであろうから、暫く大事をとる。薬をのむかと言うと、いらないでしょうと言う。赤沈は三十分に四・五、これは少し多い。疲れている為ならん。その足で町会により、女中の代った件の届けを出し、米屋にて書き入れてもらう。貞子安心す。
夕刊にて、阿部、武麟、浅野、大宅等がバタビヤで宣伝に当っている由を知る。第一次も二次も一緒になっているらしい。
昼間の留守に河出の飯山君来り、青春と得能上巻の再版の件で届け書に判をおして行った由。
三月の十日になると暖くなるものだ。畑の白菜や大根の小さなのが目立って青くなり、ホーレン草も大きくなり、出ないと思っていた冬播いた豆類が頭を出した。毎日一うねずつやろうと予定する。自転車にも乗りたし。
三月十二日 朝から客を相手にしながら学校の答案を見る。
第二次戦勝祝賀式の日、遠くで小学の軍歌聞えたり、前の原っぱをエプロンに身を包んだ女たち(町会?)の列が旗を持って通ったりする。
〈春来る〉
快晴。この頃は東風吹くのである。梅真盛り。朝、この間から鶯一羽家の近くを飛びまわる。谷渡りのない下手な啼き方、また趣あり。暖い。今頃はもう暖い時期なのだ。今迄は北風の日でないと晴れなかったが、東の風で晴天となり、やがて南の風でも晴れるようになる。松枝畑を耕している。
黒いツムギを脱いで、カスリの袷を着る。軽い。
〈ツワイグの死〉
今日午前田原来り、二月頃、ステファン・ツワイグが自殺したことが新聞に出ていたと言う。これは初耳である。彼はユダヤ系で、オーストリアにいて、生活に行きつまったのであろう、とのこと。
作家が書けなくなれば、生きていても仕方がない。
〈日米交渉〉
杉沢今日午前(朝)に来り、一昨日の軍務課長の放送の中で、日米交渉のとき、アメリカ側で支那から全部撤兵を言ってきたが、その時の閣議で東条首相が、戦没者や軍人のことを考えると、それだけは絶対に反対だと言いはったため、近衛内閣が瓦解したと言っていた由。そしてそれは新聞にのせた時は消えている由。
つまり日米和解して譲歩する一歩手前まで事態は行っていたのである。それが一転して、今のようになったのだから、心理的全転換を要求されるのも無理はない。
昨夜やっぱり少し盗汗あったが、ほとんど気づかず朝まで寝ていた。今朝の脈搏五十三、平常に戻った感あり。
午後、得能上巻再版のため校訂、前にしていたが、なお三、五直す。それと、文芸情報、新創作、芸能各誌の原稿を、病気を理由にして断りのハガキとを四つ速達にして出すため、三時頃和田局に行く。その近くの本屋で杜詩岩波版四巻、及びユーゴー伝、神々の死等を買う。八円二十銭也。その時、警戒警報を聞く。
帰宅後、遮光紙を下げたりして支度す。
三時脈五十七、五時脈五十三。
胸部に、前に神経痛をやった時のような多少の触感あり。
痰も朝少しあるきりなり。
三月十三日
東南の風、少し寒し、薄ぐもり。昨夜は警戒管制のまま、今日の夜になっても解除せず。近海に敵艦が現われているのだろう。
朝、ひょっと得能の訂正本の副本を見ると、ペンクラブのことを書いた点で、外人のことを気にしすぎた点あり。訂正し、昼食後河出に持って行く。飯山君に逢って訂正をする。印刷所はゾーガンをいやがる由。日本橋角にて、ゾーニとアマサケをとる。不味なり。古本屋にて渡辺氏の日清戦史を買う。早文の原稿依頼断る。神戸、若杉氏の微塵世界に前に序文書いていたのが、モダン日本から出版の由。祝状書く。
昼の外出、少し疲れたが、夕方五時、脈五十五、熱六度七分七厘、次第によいようなり。三日ほどビタニンの注射をし、ビタスをとる。下肢のだるさが大分直った。単に全身の倦怠で、少し神経痛気味なのではないか。河出で得能を催促さる。青春はこの前の増刷が刷り上らないのに、また増刷の由。
松枝、東方寄りの畑を全部耕す。仕事早い。夜鮪の刺身あり。魚屋は四五日に一回なのを、たいてい一日か二日おきにくれる。この頃割に魚を多く食う。
三月十四日
昨夜は僅かに汗ばむぐらい、盗汗もほとんどなくなった。昨夜もまだ警戒中なり。今朝晴、暖し。南西の風強く、黄塵、硝子戸をならす。こんなに数日も続く警戒報は初めてのことなり。或は今後ずっとこうかも知れぬ。
世界地図を開いて見ると、この三月間に日本が征服した場所の広さに驚く、インドが支那のような抗戦をしたらむつかしくなるが、濠洲は周辺の都会を占領すれば困難はないであろう。
今のやり方を見ると、この機会を外しては膨張できぬという気配なり。であれば当然シベリヤの戦争も始まるであろう。
今朝の新聞の隅に小さく、ムソリーニ首相が、米英の黄禍論を反駁しているが、そろそろこういうものも出て来る頃である。気になる。
朝、魚屋、闇の卵を二十ほど持って来る。
毛糸シャツの上下に、綿入れの襦袢に袷を着ているが、羽織を脱ぎたいぐらい暖い。
松枝、畑に下肥をやり菜類を播いている。
昨夜礼の書いた半紙一枚の新聞と、自分で作った本とを礼の寝床でみつけ、しまっておく。もう四年生になる。昨日から学校に行っている。この子はものを作ることが好きである。技術家か絵描きにしてやりたい。滋は頭はいいがしまりがない。人づきあいがいいから、対人的な仕事が向くであろう。
午後二時半、脈六十、体温六度九分。
やっぱり警戒を要す。昨夜九時に寝て睡眠十分なり。
午後、土地を百坪ほど買っておきたい、としきりに思う。昨日街上の店々を見るに、売るもの殆どなし。玩具店と薬店のみ豊富に飾る。衣服類は多いが切符なり。食料にこの冬のように困ると、心細い。百坪の土地の隅に小屋をつくり、鶏を飼い、落花生、芋等を植える。そして今の家は、子供たちが学校生活を終えるまで借りておく。そんな予定を考える。しかしこれは食糧不安、生活不安から起った考である。
この都会生活というのは自分のような文学者の戦場である。この中で苦労し戦わねばなるまい。藤村、秋声、荷風等の老作家たちが、巷の只中に住んでいることは、彼等がその必要を感じているからだとも思われる。
夕食鯖の煮つけあり。
三月十五日 日曜 この頃一週ほど続け、朝の飯にバタをつけて食う。
昨日夕方から細雨、北風となり、今日は寒い。押入れにしまった炬燵を出して火を入れる。
朝杉沢来る。氷砂糖を一斤持って来てくれる。先日十個持って来てくれた八戸からの鯨のビン詰めは、一個七十銭の由。高価なり。カン詰めは秋に送ってくれる由。
もう二三日すれば杉沢忙がしくなる由、そうなってくれないと困る。杉沢を前において、又新聞を切り抜き貼る。
佐藤軍務課長の話や大平大佐の話は、相当細かく、数字をあげて国力の強大を宣べている。随分積極的だと思うが、大丈夫かしら。我々も濠洲や印度の攻略を当然だと思うようになったから、気持は大変な変りようだ。
戦前昨年の秋、開戦とともに家族を田舎へやるとか、峰岸君の方に頼むとか、大体東京は焼野原になるように考えていたのは嘘みたいだ。
しかし北方の戦争はどうしてもあるらしいから、その時は多少爆撃はあるだろう。
まだ警戒管制が続いている。
詩集出版の件どうなったか、まだ返事がない。
昨夜も少し汗ばむという程度であった。よく眠る。九時就寝、七時起床。
明後十七日、辻堂に小林北一郎氏〔整の同郷の友人〕訪問の予定、杉沢と共に。
午後二時十五分、三十六度七分五厘、脈五十六。
数日前より乃木大将の項にて苦労す。一日一枚、または三枚位なり。まだこの後書く所は、
[#1字下げ]繁次郎噺 二十枚
[#1字下げ]盗賊追跡 二十枚
[#1字下げ]地中海譚 三十枚
[#1字下げ]独ソ戦争、桜谷の反省 三十枚
[#1字下げ]劇場の書き直し 二十枚
[#1字下げ]父の記憶 五十枚
[#1字下げ]大東亜戦争
乃木大将の項漸く終り近し。
この頃八百屋に時々蜜柑あり。二月はなかった。三月に入ると値段が上るので出さなかったのであろう。冬蜜柑は萎れて、今日は夏蜜柑があった由、一つ食う。
夕食、ハモ煮つけ、赤貝の汁、鮪の刺身あり。
こんな贅沢は近衛さんでもしないだろう、と言って笑う。魚屋がよこした由。
滋、爵位のことや、正従何位という位階のことを訊く。
地理に夢中になっている。正月頃から日本案内記の関東篇を与えておいたが、今日はそれをとりあげて、北海道篇を渡す。
三月十六日 雨
今朝なお雨やまず。梅雨と同様である。季節の変り目にこういうことがあるのだろう。寒い。朝から炬燵を入れて坐る。
昨夜三時頃目がさめると、軽く汗ばみ、両手で胸をしめつけて寝ている。それから気がついたが、こないだから汗ばむときは、きっと両手で胸を押えている。どうも胸が自分でそれと気づかぬ程度に苦しいのである。神経痛か肋膜炎であろう。昔中学生の頃神経痛をやった時、今と同じようであったと思う。今日はサロメチールをはって見ることにする。
回覧板で言って来たが、二十歳までの子供のある家庭米の増配する由。今日米屋が米を持って来て言う。
この頃台所に顔を出すのは米屋ぐらいのもの。十年も味噌醤油をとっていた豊田屋が、年末に商売をやめてしまってから、組合がたまに顔を出すだけ。きちんと来るのは、一日おきの洗濯屋の小僧である。
毎朝、家のまわりに来る鶯に、父の死ぬ頃の、家に飼っていたあの鶯を思い出す。
病気を理由に小原稿断ったのは実にいい。さっぱりして、かえって得能に集中できる。小説に全力を入れるのは、将来もこういう風にしなければなるまい。
朝宍戸儀一から来書。今度出来る文学者会に入らないと不便多い由。自分も入るよう委員に話してくれとのこと。自分もあの会には出席しなかったので誰が委員か分らない。
人の噂は大切である。我々も結局はそういう噂によって人を評価する。だから変な噂が立たないように気をつけねばならぬ。
昔横光がゴシップを気にしていたが、本当だ。対人態度は立派にし、決して自分の弱点を見せてはならぬ。他人の弱点は噂になっていてもなかなか信じ切れない。本人がそれを自認したりしてはならぬ。一番気持の高まった時の心的状態を持続し、そういう人間として、他人や世間に対すること。つまらぬことを言うぐらいなら黙っていること。
家を建てよう、と昨日頃から思い立つ。東京からあまり離れないところに、相当立派な家、二十五坪位、を建て、三四年人に貸しておいてもいい。子供が上の学校に入る迄に引越すること。十一月頃本気になって家のことを考えたが、徴用でそれが流れていた。しかし今来月に徴用がなければ、この件考えて実行すること。
午後三時半、三十六度八分五厘、脈六十。
二時頃八雲の船橋氏夫妻現わる。関西旅行への途次なり。三時頃去る。四月十日頃関西から戻ってまた寄る由なり。
船橋氏東京に家を建てて住みたい由の話をなす。
物々交換にて作らせたという羊カン一折持って来てくれる。
午後四時頃より晴天となる。
三月十八日 晴
学生の試験答案を見ていると、二年の延田敬一郎というのが、次のように書いている。講義を聞いた日の日記、というのである。
「川端康成の『愛する人達』の『黒子の話』では、結局伊藤師の小説の見方が示された。伊藤氏の小説への態度のあぶなさは、自分自身の身体にのみ眼を向けた時であり、自分の型をつくり、その中で安全に居ようという時である。伊藤師の小説についての話には、多分にそんな危険性が感じられる。自分自身を知って掘りさげて行くのは良い。自分自身を離れては、小説家の場合、何も存在しないから。自分自身のスタイルを完成するのは良い。しかしそのスタイルが自分の安全な身の置場の囲いであるとしたら、それは結局卑怯だ。もうそういう小説家の許される時代ではない。要するに私というものの幅が問題になる。無理に自分の限界をつくるという形式的なものへの錯覚を、伊藤さんの小説論は覚えさせる。それにこういう方法でゆけば、小説の出来の効果があがるという、ちゃんと効果を知ってそんな態度をとったずるさもないではない。」自分を冷たい眼で見ている人間がここにもいる。そういうものを人に感じさせる自分の性格を思う。その前の部分には、澀江抽斎を話して、結局人生の怖ろしさを感じたという結論に対して、それでは人間の意志はどうなるか、という疑問を提出している。これは然し、川端康成の作品を、特に横光と並べてスタイルの特色から説明しようと骨を折った、その為に生れた印象であろう。
学校の講義は多少安心しているし、内輪の気持がいつの間にか露呈し、頭のいい生徒には、あけすけに見えるのであろう。この批評は当っていると言う外ない。しかし、こういう生徒に物を言うつもりでは、外の生徒には何も分りはしない。
物を言い、文を書くというのは、絶えず、自分の裸身を、こういう人間の眼にさらして行くこと、怖るべき戦いの生活である。自分の力だけ、正確に生き、あとは、不徳も不才も諦める外はない。
暮から正月にかけて、森本やその他の人間の批難があったとき、こういうことが重なれば身体をそこなう、気持の上で参って身体にそれが響くと思っていた。それが本当であった。
学校もやっぱりそういう世間の一部である。
誰がどういう気持でいるか分らないのが、この頃の世間の人の心の動きである。みんな人を見てものを言っている。今でもマルクス系統の考えかたをしている者もおり、突然極右翼に変ってしまっている人間も居り(安原の如し、それ以後やって来ない)また周囲の人を見て話を合せようとする人もいる。そして右派の者は、自分のみ正しとして、人を圧迫するのである。
昨日小林北一郎氏を見舞ったが、杉沢が小保内を徴兵忌避的だと言って非難すると、杉沢には甚だ軍国的に話し、その後自分と二人になると、神がかり的なものが理論の世界にも入っていて困ったものだと言う。
伊勢丹の石川君が買ってくれた「古式の笑い」来る。ぱらぱら見ていると、マイヨールがいよいよ本格的な仕事に入ったのは五十歳を過ぎてからだと言う。鴎外もそうであった。
あわてることはない。
今日来た芸術新聞で影山正治が、岸田国士、菊池寛の系統を手ひどく非難している。いよいよ始まった。今度の文学者会の会長問題などにからんで、前からあった暗流が明るみに出たのだ。いよいよこの後はこういう急進派が、これをきっかけにしてうるさく、はびこるだろう。国内の不調和が生れるのは日本ではいつもこの種のものからだ。事実、大部分の文化人は菊池、岸田程度の考えかたをしている。だから文化人の大部分がいためられるか、嘘を言うかする外なくなる。困ったことだ。そして頭の悪いものが、この傾向をはびこらすのだ。
三月十八日 続き
午前中暖いが、午後北風となる。今日前の畑に女学生、この春になってから初めて来ている。同時に竹垣の東南隅を直している。地主が家を建てる由聞いていたが、やっぱりそうなのであろう。
ひしひしと身のまわりに感ずる時代の変貌の波は、これはやがて静まると思っていいか。それとも一層激しくなるものか。
昨夜は、家を建てようと考えて、終夜、時々目がさめては、あれこれと思う。将来の、いな二三年後の自分たちの生活はどうなるか、ということが分らなければ、生活の目あても明かにならない。
二三ケ月後に出来る千円ほどの余裕をもって、杉沢に話して、例の横山村に土地を買ってもらうか、それともそれを土台にして建物会社を利用して家を郊外に建てるか、または徴用の件などを顧慮して現金を家におくか、考えても決断がつかない。
面倒なら、(世間が自分などの仕事に対してうるさいことを言うならば)文筆生活はやめ、平凡な勤め人として過すこともまた考えていい。まっすぐにものを考えて、それを書けないならば、文筆などが何になるか、そんなことも思うが。
昨夜答案見ること電報で催促あり。今日午前中に見てしまう。大急ぎなり。午後、小包で松枝に出させる。
松枝に用をさせながら貞子のいらいらしてる様分る。全く一家のことを他人の手にゆだね、その他人の気分で勝手にやられても何とも言えないというのは惨めだ。松枝だって、あと十日ほどしかいないのだから、本気になんかやりはしない。それにこの節他家で女中になるような気持の女などいない。
峰岸君へ女中を頼む手紙を書き、十円同封す。一家の主婦にねていられては全く重荷だ。かと言って母を呼んで貞子の看護(?)や炊事をさせるのも、母にも貞子にも気の毒でとてもできない。それに自分がこの頃のように身体に自信がなくっては、全く困る。
午後、実業日本社より来た宇野浩二の「二つの道」の中、海戦奇譚と閑人閑話とを読む。前者日露戦の話なるも、特に作家として仕事しているところ見えず。前に昨年頃文芸で読んだ支那事変に取材したものでも同様、あまり記録を大事にして、それから一歩も出まいとするためか、創作としてもの足らぬ。
その中に「たいていの癇癪持の人間の例と同じく彼も小男であった」とあり、肉体が人間の資質をきめる一般の形をこの作家もよく知っているのに気づき、おや、と思う。
午後三時、六度八分(二度はかり直す)、脈六十(朝寝床で六度六分であった)
脈が割合に多い。どうも肋間神経痛気味なり。胸の圧迫感、夜ねていると感ぜられる。昨日歩いた割に熱はなし。
昨日煙草、三四服す。今朝二服す。
今は暖い。火鉢の火殆んど必要なし。北風故夜は冷えるだろう。
答案の二年生(今度の三年)はほとんど皆朝鮮人なり、十三四人。日本人は延田外一二人。四五十人もいたのに、日本人はみなやめて外の学校に行ったのであろう。寂しいことだ。
一昨日か、例の朝鮮人で千家元麿の名刺を持って来たのが、芸術科をあきらめて東洋大学の予科を受験すると言って来た。今年から朝鮮人は入れないのだが、どこの学校でもそうらしいから、これはかなり問題だ。
午後三時頃百田夫人久しぶりに来訪。切りぼしと蜜柑持参す。
夫人がいる間に松村又一氏の紹介で、森という人出版の用件で来る。森本忠を紹介す。巻絹のこと也。その後育生社平田〔英雄〕君、ロレンスのメキシコ原書持参す。百田夫人夕方まで喋り、六時に帰る。
三月十九日 晴 東南風
朝十時、体温六度四分五厘。
昨日貞子が児玉医師の風邪薬をとりよせたので、一服のんでねた。特に発汗はないが、この頃の毎夜と同じく、ほんのりと汗ばむ感はあったが、胸の圧迫感はほとんど感ぜぬ。これは薬のせいではなく、ほぼよくなって来たのであろう。下肢の疲労感もなくなった。今日は午前中に戦争小説評四枚(昨夜三枚)書き、午後速達で出しがてら外出し、薫の所に寄る。八雲の小父の消息を伝え、羊カンを持って行ってやる。英一、中央大学も落ちた由。二人病気の由児玉家より聞いていて心配したが、さほどのこともないらしい。昼にまた薬を一服のむ。
帰ってから三時体温はかる。
六度六分半、脈六十、三十分後脈五十五。
熱のないのは、昼にのんだ薬のせいかも知れぬ。
歩いた感じは、二三日前とちがってしっかりし、脚の疲労感忘る。
午後新文化の斎藤〔春雄〕君(芸術科出身)来て、二時間ほど喋り込む。
郵便局のそばの貝屋にて牡蠣を一円買う。二合半なり。
中央大学予科二千五百人受験して百人しかとらぬ由。これでは第一流の学校なり。各私立学校の入学者の制限するのは、軍の方針であろう。
考えて見るに、延田という学生の文は、やや頭のいい青年が、すでに現在の流行思潮、日本的意志の思潮に中心を侵されていることを示す。私はまた学生をそれに抵抗するものを持っているとして、やや旧式に、自分の現在としては不満なほど昨日の芸術様式を基として話したのだ。ところが向うの方が先に新聞雑誌的に標準化してしまっている。かつてマルクス主義の時でもそうであったが、青年は一日にして変化する。自己の世界が出来ていず、彼等は成長はせず、ただ周囲や先輩を非難したい反抗心に表現力を与える言いかたに飛びついて、それを我物顔にふりまわすのだ。
夕食に薫、英一来る。魚あり、カキ味噌汁。
沢田君〔斉一郎。郷里北海道塩谷の友人〕からのハガキに川端〔郷里の知人〕の子をつれて来るとあり。来ることになったかどうか、博〔整の次弟。北海道塩谷在住〕に電報で問い合せる。
峰岸君へたのんだ後で、勝手悪し。
十九日記
この頃、衆議院改選が支那事変以来初めて行われ、翼賛会推セン等のことにからみ、相当論議されている。その雰囲気の中で、起ったこと。珍しい感がある。〔これは、日記に貼付された十八日の都新聞、政治結社不許可処分の記事への言及〕
三月二十日 晴 無風 暖し 空にしきりに飛行機の爆音す。
全く春らしい日、川ぶちの空地を女学生が大勢で来て耕している。家の前の空地の裁縫学校園の隅に家が立つらしく、垣根が動かされた。朝、襖のこわれたのと、台所の電気のコードを修繕する。
昨日から都で上林が私小説論をし、丹羽と私の論を対立させ、私小説について、私の側に立って論じている。知性での月評の私の論を丹羽がとりあげて論じた(その日の都新聞が来ないので分らぬが)のをまた上林がとりあげているのである。
今日あたりから、得能にとりかかろうと思う。考えれば今日は二十日であるが徴用はない。
河出「青春」の再版の届け書に印を押したのは一月頃なのに、まだ検印とりに来ない。二月末頃に刷っていると言っていたが、どうしたのか。あの分は印を押したようにも思うのだが。その次の青春、と得能の増刷の検印はまだ先のこととしても、大分遅れている。
身体はもとに戻ったように、しゃんとしている。昨夜、十二時頃少し汗ばむように思ったが、その後はなく、朝まで安眠す。午前煙草三四服。
午後三時、六度九分、脈六十。身体に異状なし。朝に薬はのまず。
午後六時、六度七分半、脈五十四。
昼頃四海の村井君につれられて新潟高校在学の犬塚という青年来る。こういうただ見物に来るような客はにが手なり。詩集は青磁で詩集出版をやめた由で、四海で出すことになる由。
ルソン島のコレヒドールで三月抵抗していたマカーサは濠洲へ脱出す。
三月二十一日 朝晴。昼薄曇 無風。午後晴 南風。春季皇霊祭
[#1字下げ]昨夜盗汗あり[#「昨夜盗汗あり」に傍線]。朝六度五分半、脈五十四。(就寝前服薬)
新潮社より使あり。二十三日二時、上林、丹羽と三人で私小説について座談の由。
昼、博より電報来る。昨日発のが遅れたもの。川端の子来ることにきまった由。返電、沢田君に連れて来てもらうこととする。中野駅まで散歩。それをうって戻ると峰岸君より手紙、依頼せる女中、来るつもりなるも鼻の手術があって遅れ、その間峰岸夫人の妹でもよこそうか、と言って来る。困る。塩谷から暫くの手伝いに親類の子が来ることに言ってやることとする。川端の子が来るのは、実に助かる。何よりもよい。
森本忠からハガキ。紹介せる鬼沢書店より巻絹を出すことにした由。暮のあの乱暴な手紙以来のもの。親切が届くと、人の気持も変るのか、私の方がそう思っているので、森本が変ったのではないのか。
午後三時半、三十六度八分弱、脈六十。四時半脈五十六。今日は煙草のまず。
夜七時半、六度八分、脈六十。この頃定めて九時就寝。
今日は色々なことでほっとする。女中の件、森本の件、熱。
夜小遣帖つける。現金計算より十円不足なり。夕方より得能泥棒の項一枚半。講義は末尾二三枚まで来ていたのだが、考えてもむつかしいので後まわしにする。この月中に書き上げる予定なり。
三月二十二日 無風 快晴 暖し 朝少霜 昼より南西の風強し
[#1字下げ]朝八時半、六度四分半、脈六十。(脈は何故多いのか)朝畑を散歩せり。昨夜就寝前服薬、盗汗という程ではないが[#「盗汗という程ではないが」に傍線]、心持しめっていた感じ。脚部の疲労感全くなし。十時脈五十五。一時脈五十四。午後三時、六度八分、脈六十。午後七時、七度一分、脈五十六[#「七度一分、脈五十六」に傍線]。(昼煙草三服)
この頃非常に安堵した感じ。その緊張のゆるみと身体の微恙とのため仕事に身が入らぬ。
安堵の感は、森本のような事件、安宅評のような、非国民扱いされるまでになることがなくなった。知性に書いた三月間の時評の精神が漸く人に通じた、という気持。現にそれを土台にして丹羽が書き、上林がまた自分に賛成して書いている。それに森本の手紙もあり、そういう憂いから洗われたのが、これが第一である。日本人でないなどと言われる憂いを持って日を送るほど怖ろしいことはない。
そのことに対する気づかいから私は身体をこわしたように思う。あの頃、ああこういうことが続けば自分の身心を参らせると直感的に思った。
ジャバ占領以後、ニューギニア上陸軍が、モレスビイに迫っている外、さしたる戦況報告なし。濠洲と印度への準備なのであろう。それに今までの戦線の整理もあり、しばらくは平穏さが続くであろう。
昨日、得能の繁次郎噺を書こうとして、伝説研究の吉右衛門噺を読んだが、つまらない。書くことをやめる。
松枝畑を耕す。礼、そばについている。滋の風邪直り、咳静まる。まだ外へ出さぬ。午後小西猛来る。二時間ほどいつものような時局談と文学談。
尊敬されぬものの理論は、理論として正しければ正しいで、間違っていれば間違っているで、否認され非難される。ある人間を悪く言うことが一般に好かれるという世間への甘えかたで、非難というものは起る。言うことよりも行動、立論よりも作品が重要である。常に。
自分に加えられる非難は常にそうであった。伊藤をやっつければ世間に喜ぶ者がいるという、世間にこびた表情がその文にある。
また文を書くものは、本人も第三者も考える以上に感情的だ。ほめられることは、自分の身にくらべても分るが、文学者の何よりも好むところ。先頃、文芸の対談で新進批評家を論じて十返に言及せず、彼を非難した大井の名を挙げて推した。知性の時評に於ても推した。それがいけないのだ。書いているうちに感情が湧いて、その傾斜を一気に滑り、こういう文になる。〔三月二十日付三田新聞に掲載された十返一氏の文芸時評への言及である。〕
以上の考えかたは、どうも少しひねくれていると思う。
三月二十三日 晴
昨日の夜七度一分になったとき、いよいよこれは病気だと思う。家を建てること、自転車、みなやめ、学校の外、外出をやめる。
昨朝、熱低く脈多かったが、脈の多い日は少しのぼせ気味。のぼせると、午後熱が出。昨夜服薬、夜盗汗[#「夜盗汗」に傍線]、大したことはなかったが寒気がするといけないと思って着かえた。昨夜就寝前にサロメチール両胸に塗る。
今朝八時半、熱六度三分半、脈五十八。九時、五十四。十一時、五十四。十二時、五十二。
一時外出、五時半帰来。夕食後六時半、熱七度二分[#「夕食後六時半、熱七度二分」に傍線]、脈六十五。七時脈六十。いよいよ病気なり。
新潮座談会、新潮社にて、丹羽と上林。帰りに新宿高野にて上林と一時間ほど雑談。
外出に財布を忘れ、二重まわしのポケットの小銭にて間に合わす。
七度二分ではいよいよ持久戦の覚悟す。この冬までは静養す。
朝川端に手紙書き、金忘れたので明日出す。川崎に見舞の返事。
八時就寝、九時頃今野恵司・竹一君来る。見舞なり、川崎家にて聞いた由。彼の病気の時私がすぐに見舞ったことを覚えていたのだろう。寝巻の上に着物を着て、茶スルメを出し、十時迄喋る。仕事は工合がいいらしい。ミシン買う話あり。
三月二十四日 昨夜来の南風強く、湿って気味悪し。
[#1字下げ]終日曇強風 時々少雨
昨夜発汗、寝巻とりかえる[#「発汗、寝巻とりかえる」に傍線]。もっとも、夜中南風にて生暖し。しかし病気のことは絶対動かせぬ。
朝九時、六度五分半、脈五十八。十時、脈五十五。昼バット一本、十二時、五十六。
一月〔二月の誤りか〕十三日頃の日記見ると咳が出ているが、それは全く無くなった。自然に次第に納まるかも知れぬ。
午後三時、六度七分。五時、六度六分、脈五十一。午後七時(食後三十分)七度[#「食後三十分)七度」に傍線]、脈六十。九時、七度[#「九時、七度」に傍線]。
滋昨日まで休んでいたが、今日学校の最後の日の由で出かける。
滋全優、礼理科、体操良上、他は優。
昨日の座談会の印象では、根本の立場の相違というもの見当らず。
上林はしかし確信をもって、ものを言い、勉強も省略せずにしている感じなり。丹羽は小説家のイマジネーションの世界を信じ、それによりかかっている。しかし結論として、上林流の私小説は一種の自伝であって、所謂物語小説と違う。その差別は、詩と小説の違いというほど違う、という私の説で(少くとも自分は)落ちついた。
昨夜からの風、家をゆり動かし、硝子戸をならし、相当にひどい。しめって生暖く、不愉快なり。
得能泥棒の項九枚迄書く。
三月二十五日 快晴 北風 昨夜暴風雨気味 雨洩多少
[#1字下げ]昨夜就寝前にインドラミン、盗汗少々[#「盗汗少々」に傍線]。
[#1字下げ]午後三時よりも午後七時頃に熱が出ることを発見する。
[#1字下げ]午前九時、六度三分半、脈五十八。十二時半、脈五十四。(二時外出六時帰来)午後六時半、六度七分五厘(夕食前)。午後八時、三十七度[#「三十七度」に傍線]、脈六十。
英一が高千穂高商を受けるというので、大森で北村常夫の家を捜し、夕方帰る。疲れる。出がけに川端源吉〔前出、郷里塩谷の知人〕あての手紙三十円同封して送る。八時半就寝、九時頃川崎来る。クルミ、若もと、うに等見舞。多少酒気あり。元気に喋る。十時前に帰り、十時就寝。
戦争一段落らしく、この数日目ぼしき記事なし。濠洲の空爆等。
梅木米友「晴れた町」送り来る。赤い大型の本、着実に書いている。理想化に歪められぬ小説。実に面白い。支那事変以前の日本の田舎の生活記録として。
三月二十六日 晴 午後南風、むしむしする。
[#1字下げ]昨夜就寝前にインドラミン、珍しく盗汗なし。
[#1字下げ]午前九時 六度三分弱 脈五十六
[#1字下げ]午後三時 七度一分半[#「七度一分半」に傍線]。四時半 七度三分[#「七度三分」に傍線]
昨日の疲れが出たのであろう。身体特に異状なし。右肩少し凝る気持あり。当分安静の外なし。
午前石川清君来る。良寛の表装持参。伊勢丹やめる由。
午後ねていて、(座ぶとんとたんぜん)梅木君の「晴れた町」を読み終える。
三月二十七日 晴 北風強し 昨日北窓の黒カーテン捲く。
[#1字下げ]昨夜インドラミン注射。この四五日ビタスを十錠ずつ位とる。
[#1字下げ]午前九時 六度二分 脈五十五、昨夜盗汗なし。
[#1字下げ]午後一時 脈五十四 熱六度六分
[#1字下げ] 四時 六度七分 脈五十四
[#1字下げ]午後七時半 六度七分 脈五十四
午前、実業日本社出版部員倉崎嘉一君来る。書き下し長篇の話。八月一杯、四百枚、一割二分で、五千部印刷とのこと。
三月二十八日 朝曇 寒し、炬燵入れる。午後南風になる。
[#1字下げ]前夜インドラミン注射せず。夜二度ほど左の胸に少し汗の出た気分あり。
[#1字下げ]八時就寝五時目覚、昨日から脈の数減少している。
[#1字下げ]午前九時 六度二分半 脈五十四。十一時半 脈五十二。十二時 脈五十
[#1字下げ]午後一時 六度六分半 脈五十五
[#1字下げ]午後五時 六度八分 脈五十二
[#1字下げ]午後八時 六度六分 脈五十五
午前杉沢来る。娘女学校入学の由。
得能盗賊追跡を書き終え、次に地中海談を書くか、得能の日常を書くかと思い迷う。
最近いよいよ断行するという中小商工業の整理の話出る。今までに米屋、炭屋、酒屋等は整理されたのだが、まだ小さな商売は沢山ある。東京などは軒なみにそういう店である。
〈モルヒネ話〉
午後奥野君来る。帝大図書館のつとめ相変らずの由。戦地の病院にてモルヒネ注射の話。軍医が、毎晩敵襲のあった時、兵隊は慣れて音のする迄見まわりに出ないので、仕方なく自分で見まわりに出て、神経衰弱になり、眠れないので、モルヒネ注射をし、中毒した。奥野はそれを保管して使用した分を記帳する係りであった。それで、それまで投げ出してあったのを、軍医にも言ってしまう事にしたが、それでもやっぱり足りなくなる。夜誰か盗みに来る者がいる。軍医らしいと思ったので、つかまえるのもどうかと思い、床に砂を撒いておいたら、足あとはその軍医のものであった。モルヒネを慣用すると肺をやられる。その軍医も肺をやられて後送された。モルヒネが切れると、ぼんやりして来る。その時軽い中毒のうちだと湯に入れるといい。それでモヒ中毒者の療養所はよく温泉にある。またモルヒネをはじめすると効いて眠くなる。も少しなれると眠らないようにしていて快感を味う。一般は皮下注射であるが、血管だともっと利く。戦地にいる軍用の女が中毒になり、自分で注射していた。それが静脈注射だと言うので腕の関節に自分でするのなら、随分うまいものだと思っていたが、手の甲の静脈に自分でするので驚いた。痛いだろうと、ぞっとした。その女が支那の田舎町にいるうち注射薬が切れ、軍の病院にやって来て薬をくれと言って騒ぎ、あばれて困ったが、やらなかった。すると苦しい時期をすぎたのか、今まで三十歳ほどだと思っていたのが、次第に若くきれいになり、二十歳ぐらいの美しい女になって驚いた。中毒すると身体にそれほどこたえる。またある日本人が中毒のひどいのになり、病院に来て懇願するのでくれてやったが、切りがないので、やらないことにした。そうすると苦しがって殺してくれとか何とかわめいていたが、二三日で死んでしまった。
三月二十九日 日曜 朝曇 無風
今年は九段の桜咲けり。
昨日より靖国神社臨時大祭あり。靖国神社大祭で雨の降らぬは珍し。昨夜新聞の切抜をし、今朝にかけて貼る。目ぼしい記事少し。
午後雨となる。炬燵入れる。
昨夜カルチコール五CC。盗汗全くなし。一昨日から調子よい。これで恢復するかと思う。
昨日奥野の話に夕食を多くとると盗汗す[#「夕食を多くとると盗汗す」に傍線]、とあり。夕食を節す。また結核の薬として研究書にあげてあるはクレオソートのみなり[#「クレオソートのみなり」に傍線]。これはどの本にも挙げてあると言う。家にあるクレオソート丸をのむこととする。
夜胸が苦しく、胸に手をやっているために盗汗すると前から思っていたが、夕食がこの頃遅れ、かつ食いすぎるせいであろう。午前八時食後畑を散歩す。
昨夜九時就寝、一時より三時迄目覚めて、七時まで眠る。七時間の睡眠にて少し不足。
[#1字下げ]午前九時 六度二分半 脈五十七(こないだから、夜遅くねると朝に脈多い様なり)、痰、咳、全く無し。十一時 脈五十三
[#1字下げ]午後一時 六度四分強 脈五十三
[#1字下げ]午後三時半 六度七分弱 脈六十三[#「脈六十三」に傍線]。四時 脈五十八。五時 五十五
[#1字下げ]午後八時 六度七分半 脈六十三[#「脈六十三」に傍線]
午頃李という朝鮮人の二年になる学生来る。文化学院に入りたいが、試験に落ちたから佐藤春夫に紹介してほしいと言うのである。知らぬとて断る。上って話したいと言うのを病気を理由に断り、四月十日頃でもまた来たまえと言う。
午後より桜谷の病院の場の後、得能家訪問のところを書き始む。四枚。
夕方より、得能に疲れ、荷風、腕くらべ補の写字。荷風の文脈書きながら考える。戯作風であって、それに写実味の加わった、別に特徴のないもの。しかし、しっかりと書き込んでいる。
三月三十日 晴 夜雨
[#1字下げ]昨夜カルチコール5CC。昨日よりビタスの外にクレオソート丸。九時眠る。十二時から二時すぎまで目覚めている。盗汗なし。
[#1字下げ]午前九時 六度三分 脈五十八。十時 脈五十五。十一時 五十四。十二時 五十四
[#1字下げ]午後十二時半 六度七分 五十八
[#1字下げ]午後三時半 七度二分[#「七度二分」に傍線] 脈五十六
昨夜眠れぬままに考えた「夜の風」という作品に朝からとりかかる。二枚にて止め。
午前新潮座談会の記事を訂正。丹羽の言説、何でも利用できるものは利用す。当局の意向など使い不愉快なり。
午後、芸術新聞社の草田準氏来る。私小説論、談話筆記と言う。原稿三枚書いて渡す。
夕方より熱が出た気持、座蒲団を敷き、タンゼンを着て横になり、中公三月号読む。
塩谷の母、川端の子を連れて来る由ハガキあり。
三月三十一日 朝曇 東北の風 午後北の風晴
[#1字下げ]北風強く寒し、炬燵入れる。
[#1字下げ]昨夜カルチコール5CC。盗汗あり、寝衣とりかえる[#「盗汗あり、寝衣とりかえる」に傍線]。寝苦しけれど不眠なし。
[#1字下げ]昨日また七度を越す。朝に脈多きは熱の出る証拠なり。
[#1字下げ]午前八時半 六度三分半 脈五十六。十時半 五十三。十二時 五十三
[#1字下げ]午後二時 六度六分半 脈五十七。三時脈五十六
[#1字下げ]午後四時 六度七分半 五十五
[#1字下げ]午後六時 六度九分 五十三
午前杉沢来り、正午埼玉県の峰岸君来る。午食。二時辞去ス。峰岸君米三升程持参す。この頃、野菜買出人や米の持出人多く、本庄駅辺では取調べあり、米一斗にて八十円も罰金とられたものありという。
五時より床をしき寝、九時眠る。カロッサ「少年時代の変転」を読み終える。
[#改ページ]
[#2段階大きい文字]昭和十七年四月
四月一日 晴 朝降霜 寒し 午後南西風 曇
[#1字下げ]昨夜注射せず 盗汗なし 朝床の中にて脈五十
[#1字下げ]午前九時 六度四分強 脈五十五。十一時 脈五十
[#1字下げ]十二時 六度五分弱 脈五十。一時脈 四十九
[#1字下げ]二時 六度七分 脈四十九。二時半 脈五十四
[#1字下げ]三時半 六度六分半 脈五十六
[#1字下げ]五時 六度七分 脈五十三
朝、基より速達。母とキクヱ今朝到着の由。朝杉沢来る。
薫と英一上野へ行き、母来ぬと戻る。
七時頃、宮里町辺にいる外語の三年にて中退になったという学生加藤英一という者芸術科の三年に編入してほしいと言って来る。乞われて浅原氏に紹介する。就寝後故玄関にて用を足す。
四月二日 曇やや暖し 午後晴
[#1字下げ]昨夜発汗、寝衣取かえる[#「昨夜発汗、寝衣取かえる」に傍線]。就寝前ビタミン
[#1字下げ]今朝二階〔脱〕畳の押入整理手伝。炭俵を下に運んだりし、少し動悸す。
[#1字下げ]九時 六度七分 脈六十(朝寝床にて脈五十)。十時脈五十五。十時半 脈五十二。十一時 五十二
[#1字下げ]一時 六度七分半 脈五十三
[#1字下げ]三時半 七度一分 脈六十[#「七度一分 脈六十」に傍線]
[#1字下げ]六時半 六度六分半 脈五十三
午前、河出の飯山正文君来る。得能続篇促す。午後利根書房の三浦氏来る。「父の記憶」検印三千五百押して帰る。この日も待っているのに母来らず。
原稿はかどらず。午後熱っぽい。検印したり、喋ったあと七度一分あり[#「検印したり、喋ったあと七度一分あり」に傍線]。
夜少しく盗汗あり。
四月三日 晴 暖し 朝母と菊枝来る。薫、英一迎えに行ってくれた。終日階下にて起きていて話す。
[#1字下げ]午前十一時半 六度六分
[#1字下げ]午後三時半 六度七分 脈五十四。五時半 脈五十
河出より、青春千五百部増刷の検印を送ったと通知あり。知性より小説依頼あり。大久保古本屋あて、ハガキ出す。川端、基、博に手紙出す。
四月四日 晴
[#1字下げ]前夜カルチコル5CC 盗汗ナシ
[#1字下げ]八時 六度二分 五十四。十時半 脈五十二。十二時半 五十
[#1字下げ]一時 六度三分強
[#1字下げ]三時 六度六分 五十(訪問者なし)
[#1字下げ]六時半 六度八分 五十
桜谷来訪書き続く、五枚目。
朝鮮金融組合聯合会より、百十円送附の旨通知あり。
午前杉沢来訪、階下にて母と共に雑談。英一来る。美智子への送本依頼す。
昨日到着の現代文学の時評で平野謙君、知性二月の私の月評「感動の再建」から宮内君と同じ所を引用して同意を示している。文芸の座談会の記事を訂正して以来、平野君にいやな感じを与えていはしないかと気にしていた。そして近年の自分の仕事を第一に推してくれた平野君にいやな感じを抱かせることは、実にいやであった。そして、これを読んで、そういうものが無かったことに気づき、またあったとしても、それを越えるものが僕の立言にあるのを認めてもらったことを知り、実に安らかになる。得能の続稿に元気出る。つまらぬ仕事にしたくない慾出る。
菊枝が来たり、この家から嫁に行くまで居るということや、母が階下で杉沢と喋っていること、それから身体が何となくいいことがはっきり感じられること等のため、今日は実に安らかである。
金がいま少いので、少し不安であるが、朝鮮の金融雑誌の稿料百十円二三日中に来るし、印税も方々から入るらしく、目下不安として大きなものはない。貞子もなかなか元気でいる。
学校は永野氏が当分代りをしてくれる由だし、得能の書き上げに集中でき、落ちつきを覚える。
夜床に入ってから松尾、石橋来る。熱ありとて謝す。
今日より股引をぬぐ。
四月五日 南風強し 曇
[#1字下げ]前夜カルチコル5CC 盗汗なし
[#1字下げ]朝台処の棚を作ったりして身体を動かす。
[#1字下げ]八時半 六度五分 脈五十七。十時 脈五十二
[#1字下げ]十二時 六度五分半 脈五十
[#1字下げ]二時 坐、脈五十六 臥、五十二
[#1字下げ]三時 六度六分 脈五十五(訪問者なし)
[#1字下げ]八時 六度三分半 脈五十三
二日の朝と同様、働くと朝から五分前後の熱になるのだ。
昨日にて宍戸儀一の「西行」読み終え、昨夜よりウォールトン「釣魚大全」を読みはじむ。宍戸の本、難かしく書きすぎているが本旨よし、西行の歌は本質的に詩人たること明確なり。人間性の線に文学を把握したこと、王朝末期の文学一般の流行的作為を信じなかったこと、今日の文学に必要なる精神なり。
午後暴風となり、中野家の門こわれ、家の門の戸も外れる。南側の支棒を昼頃釘で直したのでそこは持った。夜北風となり雨。
沢田君到着の筈なるも来らず。
四月六日 曇 寒し 火鉢に火入れる。昨日より下痢気味、腹巻す。
[#1字下げ]朝河出より来た検印千五百押す。盗汗なし、恢復した気持なり。
[#1字下げ]八時 六度三分 脈五十二
[#1字下げ]四時 七度一分[#「七度一分」に傍線](対談中)脈五十八
[#1字下げ]六時 六度八分半 脈五十六
寒いと思っているうちに、喉が痛くなる。炬燵を入れたが遅い。
午前沢田君来る。
昼頃、田原忠武君来る。その後外語を放校された加藤英一君来る。加藤君、うるさく人の内心に踏み入るような話をしかけ、自分が碌に返事せぬので、何も仰言りませんね、と言い、二三時間も坐っている。いらいらして来る。それで初期の頃の創作動機を聞かれたので、そんなこと、人の顔にむかっては言えない。ことに聞く人は自分の顔つきのことも考えるがいい、と言い、言ってから困ったことを言ったと思う。しかし相手がしつっこいので致しかたないとも思う。そのあとで気の毒にもなって、そんなこと誰かに話すと思っては絶対に書かぬ、まして肉親などには絶対に見せたくない、どんな親友だとて、その人一人に向って話すつもりではものを書けぬ、と言う。その前に学校で学生の顔を見ては講義できぬ。人間には座談でその人をうちあける人と、講義や講演でうちあける人、行動で示す人、作品で示す人と区別があるとも言った。この、人の顔を見ては本音は言えぬ、というのは本当である。天にむかって、というのに近い気持である。
でもよく誰々に捧げると書く人がありますね、と向うは言う。僕はしかし、そんなこと絶対に出来ぬ、とにべなく言う。そう言ってから、碌なものも書かずにこんな風だから駄目なんだね、と言って笑う。すると向うは、「僕ひどく寂しくなりましたよ」と言った。あまりしつこいから、ぴしゃりと言ったので、もう少し我慢すればよかった、と思う。もっともあまり長く喋っているので、その間に体温をとったところ七度一分で、いらいらしていたのも事実である。
得能三枚、午前中に書く。
裏の家のラジオ、セイロン島の初の大空襲と、それについての首相談話とを発表す。久しぶりの新戦況ニュースである。英印会談愚図ついているが、英国が軍事権を手ばなすことは到底あるまい。
夜沢田君来る。寝たまましばらく対談。
四月七日
[#1字下げ]昨夜北風にて寒気厳し、冬のときと同様なり。
[#1字下げ]就寝前に喉痛く、クロラドンうがい、インドラミン、カルチコール各注射す。盗汗なし、心持汗ばむ程度。朝、喉治っている。
[#1字下げ]今朝、快晴となる。炬燵入れる。
[#1字下げ]九時半 六度三分 脈五十三
[#1字下げ]十二時 六度四分 脈五十三
[#1字下げ]四時 六度八分 脈六十、坐っていて。四時半 脈五十七(臥)。四時五十分 五十二(横臥)
[#1字下げ]六時 六度四分半 脈五十(臥)
[#1字下げ]七時半 六度四分弱 脈五十七(坐)
[#ここで字下げ終わり]
仕事の範囲をひろげてはならない。自分が覚ったことは、世の中のほんの一部についてのものである。そこで得た考を一般に押しひろげると、その小さな真実そのものを駄目にする。私の私小説論も、「感動の再建」まではいいが、「小説と憂国の心」では行きすぎて、かえっていい部分を危くした。たとえば岩上順一の評論などにもそういう処がある。その立論を大正文学から現代までに押しひろめて書いたりして、足もとを見すかされてしまった。科学者のように自分の仕事の領域に細心であって、その外に出ないこと。
評論をしたり、昨日来たような学生と話したりする時は、一般論にしがちで駄目にする。気をつけること。平野謙君などの仕事が駄目にならないのは、自分の領域を守ることを知っているからである。
午前、桜谷の項四枚書く。杉沢来る。母と話せり。昼頃松枝来る。
母の切符を買いに、十二時外出、和田本町郵便局よりバスにて、中野駅、小樽まで十四円九十銭。一時半帰来。昼食す。
四時頃より静臥。「釣魚大全」を読む、半ばに達す。
四月八日 快晴 火入れず
[#1字下げ]昨夜ビタミン インドラミン注射 盗汗なし
[#1字下げ]八時半 六度三分半 脈五十五
[#1字下げ]十二時 六度六分 五十二(午前中、石川、福田と喋った後なり)一時 脈五十一
[#1字下げ]三時半 六度八分半 脈五十五(坐)
十時頃石川清君来る。やがて福田君来る。石川君山の写真、良寛等を持って来て貸す。杉沢、階下に来り、チョコレート五円分持って来てくれた由。
松枝着物をかえして金をほしいというので一時半外出、質屋でカメラで金を作り、二時帰来。
そのすぐ後で、四時頃飯山正文君、河出「青春」の印税持って来てくれる。百七十五円也。一時間ほど雑談。夕刻文芸小川君より、映画「父ありき」の批評書くこと求められ断る。
夜沢田君来る。床の中にて少々対談。代って払っておいた室代戻す。十二円。
人間の内容は何か。松枝が昨日から来ているが、今になって、給料として自分から言って貞子からもらった着物をかえして金をほしいと言う。貞子の手もとには薫から借りたのを入れて二十円しかない。だがその金も畳屋などに払う予定のものばかりで、私は外出できないし、二三日してから来るように、と言い、相手がぐずぐずしているのと話し合っている。隣室で聞いていていらいらし、いづも屋へ行って五十円持って来て渡す。昨日からの松枝の心の内容はそれだったのであろう。そういうことをまるで知らずにいる。外貌も全く違う。松枝の健康そうな顔や赤い着物などから得た印象に対してものを言っているが、当人は昨日から、まるで別のことを心内に持って、私等と一緒に食事をし、着物を縫うのなど手つだっていた。そういう慾念やら希望やらが人間の内容だ。それでいて、我々は多くの場合外貌で判断する。松枝の内容が現われたとき、ぎくりとなる。性もまたそういうものだ。あることは知っていながら、無いものとして接するのが平常である。人間は色々なもので出来ている。性も倫理も希望も外形も、それ等のものの混成が人間の実質だ。その何れをも尊重し、考に入れていつもいねばならぬ。
四月九日 晴 南風強し
[#1字下げ]昨夜インドラミン3CC カルチコル4CC 少々発汗気味なり
[#1字下げ]八時 六度二分半 脈五十五
[#1字下げ]十二時 六度六分半 脈五十五(石橋君と二三時間喋った後なり)。十二時半 五十三
[#1字下げ]三時半 六度八分 脈五十三(臥)。四時 脈五十(臥)
[#1字下げ]六時(食前)六度七分半 脈五十一(坐)(村井君と二時間話した後)
[#1字下げ]七時半 六度六分半 脈五十二(坐)
九時半頃、婦人画報社の石橋京策君来り、興亜文学塾の講師を依頼さる。断る。十二時まで雑談す。
博文館、石光君より催促。長篇五月末の約束なり。
四時頃村井真一君来る。日大をやめ美校の彫刻部に入った由、元気なり。六時迄居る。夕方報国社より「小説の世界」再版の検印千枚送り来る。予期せぬこと也。岩上順一、法政新聞で、丹羽、私、上林の討論をとりあげ、どちらかと言えば物語小説をよしとす。
四月十日朝、杉沢と母との話。
〈菅原佐一郎と鈴木巡平〉
熊谷の親父と岩船の親父といるところへ、菅原がよろよろとやって来て、「おい熊谷、あつもり討ってどうした」と入って来たのを杉沢覚えている。言葉がなかなかうまい男であったらしい。
若い時は杉沢の父、山一の親父(これは皆に嫌われ、ケンカ好きの仕様のない男であった)杉田の盲目になった爺、一イの親父などと友達で、その中で酒ものまず、頭もよくいい男であった。初め内地から来て一イに草鞋をぬいだので一イを徳としていた。頭がよく線路の南や北の山林の払い下げをしてもらったり、札幌の方にも土地を持っていた。そして線路のそばの土地の半分、三町歩を一イにやったこともあり、一イでは酒もりがあれば佐一を呼ぶのであった。すると来ては小便をたれるまで飲むのである。
息子も娘二人を残して女房に死なれ、梅と松とが婆に育てられた。息子も酒のみで家にいつかなく、秋皆が大根を背負って小樽へ行くと、婆が道路に出て帰りの人を一人一人つかまえては「おらいの爺見ながったがね、作見ながったがね」と言う。売った金で飲んでいて来ないのだ。
その頃佐一が小樽で酔っていて、どうにも仕様がないので、馬車にくくりつけて馬を向いている方へ歩かしたら高島へ行った。巡査がしらべても分らないので、一晩留置されて帰った。
酒をのんで酔うと、家の前の一本橋を渡って家へやって来る。よろよろ、よろよろと両手をひろげるようにしてやって来ると、子供等はおっかないと言って逃げ出す。ふところからとっくりを出して、「茶わんこ一つよごせ、酒ば神さまさあげるすけ」と言う。年寄りでうるさいと思いながら酒の肴にもと思い、切り込みを皿に出しておいてやった。
「金持があったどせ、おかみさん、したら昨日まで金ためて昨日死んだどせ」といやがらせを言う。ちょうどその日は珍しく父が休んで奥にねていたので、咳ばらいが聞えた。すると「旦那に一つお目にかかりたい」と言い出した。むらむらして腹が立って来たので、肴を出していた皿をとって裏の庭に投げた。すると「たった一つのキモコやぐな、肴はお前のもんだども酒は爺っこのだど」と言う。その言いかたが、からかっているようでかっとなり、今度はその酒とっくりも取って裏の庭にすてた。そして襟元をつかんで玄関の土間に引きずり出したら、土間へどさりと倒れた。ジューノーで炉のあつい灰をすくってその上からかけてやった。そしたらじっとねたまま顔も動かさず「きかね女子だな」と言っている。一層かっとなった。顔がやけて、あちこちがふくれ上った。そしたら梅子が心配そうに家のまわりをうろうろしていたので「梅子、梅子、爺っこ酔っぱらって来てうるさくて仕方ないすけ、姉ばつれて来い」と言ったら、作の嫁(後妻か?)が来て、何とかかんとか言ってつれて行った。その時はもう何も言わずだまって連れ出されたが、その後家へは来なくなった。(「隣人」に描いた金子のハバをからかったのはその数年後である)
それからしばらくして、金子の家へ行って外へ出ると、また佐一とばったり逢った。すると又、「金持あったどせ、昨日まで金ためて昨日死んだどせ」と言った。そう言ってから、家の前の一本橋に来て「菅原佐一が一本橋渡るのを見てれ」と言って、よろよろと渡り出したが、中頃で、落ちて、川の中に(冬であろう)平らになった、やがてしばらくしてむくと起き出す。下唇が切れてたれ下っていた。そして「菅原佐一はオンコの柱にカヤのすぐりだ」と言って行った。その唇の下ったのを見て怖ろしいと思った。
(家が春の朝焼け落ちたこと、野原に小屋立てて住んだこと、梅の気のちがったこと。
父が金を貸し、それが子馬となり、二十円だったと思う。しばらく育てたが駄目だったこと。)
与平というのは、佐一の娘のむこで、与太郎はその間の子、その娘が死んで、次には婆の親せきの娘を嫁にもらった。いつも「与平、泥ぼう、与平のどろぼう」と言って歩いていた。
婆が死んだとき、杉沢の母が、死んだそうだが、先に行って見れ、と言うので出かけたが、あの小屋の中には誰もいず死人も見えない。(以前は入口の右側に馬がいた)どうしたのだと思っていると、そこへ与平の妻が来たので、「お前のどこで死んだのか」と言うと、「いやここだ」と言う。押入をあけて見ると、死んだ婆をそのまま投げ込んであった。
それから皆で金を出して葬式することになって与平の家で通夜していると、そこへやって来てくだをまく。全くあんな悪い爺は見たこともない、と杉沢が言い、母も同意する。
また巡平も、そういう仲間で、秋の衛生掃除に、岩船の養子になった留作という人と金子巡査がつれ立って来ると、よろよろと寄って来て、小林の柳の下で、巡査の刀の方に手をのべて、「それ、何だば、ブリキコだ、それ」と言う。ピシャリとなぐられて、どさりと投げられる。また起きて来て「留、それ何だ、そのかぶってる帽子は」と言う。又どさりとやられる。又起きて来て「それ何だば、ブリキコだ」とやる。これも怖ろしいと思った。一イに某という喧嘩早いのがいたが、祭に巡平があまり酔って皆にからむ。皆はにげているが、むらむらして来たのであろう。暗くなってから巡平の前に立ちふさがったら、ぶつかって来たので、新しい下駄でもって、なぐり幾針もぬう怪我をさせた。朝に一イの親父が見ると下駄に血がついているので問いつめてこの野郎と言ってなぐられ、あやまらされた。そういう仲間の某という人は樺太へ渡って人に殺された。そういう人物ばかりで村の初期の人があった。
こういう人物は、やがて皆が教育を受けるようになってからはいなくなった。
四月十日 昨日より南風 暴風気味 小雨 夕刻北の風となり雨
[#1字下げ]朝階下で杉沢と話す。昨夜カルチコル5CC 盗汗なし
[#1字下げ]十時 六度五分強 脈五十四。十一時 五十
[#1字下げ]十二時半 六度五分弱 脈五十一。二時 脈五十二
[#1字下げ]四時 六度四分弱(二十分)脈五十(睡後、臥)、訪問者なく、眠った後、珍しく低し。
[#1字下げ]六時半(食後)六度七分 脈五十一(坐)
[#1字下げ]七時半 六度五分 脈五十(坐)
平均一日一人の訪問者あり。
この頃の訪問者、村井真一、飯山正文、田原忠武、石橋京策、松尾一光、石川清、沢田斉一、加藤英一、峰岸、今野竹一、川崎昇、氷川万赫、福田清人。
午後二時頃二階六畳の電線の切れたのを直す。少し疲れる。
朝鮮の金融組合誌より、稿料百拾円振替にて送り来る。
この日原稿、桜谷来訪の条書けず。二枚のみ。
生命保険に一万円程入ることを考える。
四月十一日(土)快晴 北風少々 寒し
[#1字下げ]前夜終夜北の暴風ひどし カルチコル4CC 盗汗なし
[#1字下げ]九時 六度二分半 脈五十三。十一時 脈五十
[#1字下げ]一時 六度四分 脈五十一(訪客なく、仕事せず)
[#1字下げ]五時 六度八分半 脈五十二(午後より室の模様がえにて働いた後)
[#1字下げ]七時 六度五分 脈五十二
朝より母と菊畑に芋をまく。畳屋来て仕事をしている。
午後より室に大机を入れたり、本を置き直したりして、大仕事となる。塵も吸う。
八時頃より風呂に入る。三月初め以来のこと也。冒険の気持也。
四月十二日 前夜浴後、インドラミン3CC 盗汗なし 晴 南風 強烈不愉快 小雨 母離京の日
[#1字下げ]十時 六度七分 脈五十五(朝室の片附、掃除等した後)
[#1字下げ]十二時 六度三分半 脈四十九(十時ヨリ横臥二時間の後)
[#1字下げ]三時 六度五分 脈五十三(二時より臥)
[#1字下げ]四時 六度八分(三時より立ち働いた後)脈五十二
[#1字下げ]五時(食後)六度八分 脈五十三
[#1字下げ]六時半 六度七分(坐)脈五十一
朝五時頃覚める。
午前杉沢室に来り雑談。その後ちょっと午睡。母と菊枝新宿に行く。午後母の帰る支度色々。英一と沢田君来り七時の汽車とて、五時半に送って出かける。
今日より椅子にて仕事する。但し、今日一枚も原稿書かず。
四月十三日 月曜 晴 昨夜南の暴風 雨 不眠
[#1字下げ]昨夜ビタニン3CC 盗汗なし
[#1字下げ]九時半(椅)六度七分 脈五十四(朝、沢田君と対談後)
[#1字下げ]十一時(臥)六度五分 脈四十九(午前中から気持悪いようで寝る)
[#1字下げ]一時(坐)六度七分 脈五十二
[#1字下げ]三時半(坐)六度八分 脈五十一(客なし)
[#1字下げ]五時 六度五分半 脈四十八(臥)
[#1字下げ]六時(食前、臥)六度五分 脈四十五[#「四十五」に傍点]
[#1字下げ]八時(食後一時間)六度六分 脈五十三
朝、沢田君来る。明日より杉沢家にて家庭教師開講の由。昼貞子と相談せるに、礼は習わせる要なき故、やらぬとのこと。一人十五円宛なれば、それだけ経済の筈、礼は来年の五年よりでいいであろう。
午後久しぶりで得能書き、六七枚進む。
野田生より馬鈴薯来る。
四月十四日 火 晴 北風
[#1字下げ]昨夜カルチコル4CC 盗汗なし
[#1字下げ]八時半 六度四分 脈五十。十時半 脈四十八(坐)
[#1字下げ]一時(坐、客なし)六度四分半 脈四十八。二時(坐)脈五十。三時(坐)脈四十九
[#1字下げ]三時半(静坐)六度五分強[#「六度五分強」に傍点] 脈四十八[#「四十八」に傍点](朝から坐ったまま原稿六枚書く)
[#1字下げ]四時半(静坐)六度五分半[#「六度五分半」に傍点] 脈四十七[#「四十七」に傍点]、三時頃含嗽す
[#1字下げ]七時 六度五分強 脈四十七
朝十時、宣伝科二年の藤田という学生来り、須藤氏の芸能科研究の小説として、得能の泥棒追跡の項二十一枚渡す。本社は王様クレヨンの由。
正午、科学思潮の編輯者、十七日夕刻の座談会に出てほしいと言って来る。行けたら行くと言い、玄関で謝す。
今日から滋、沢田君に習いはじめる。
三時と四時に六度五分しかなく、脈も五十以下である。この頃ずっと六度八分ぐらいなのと、どういう関係になるのだろう。午後喉いらいらして、うがいす。
昨日あたりまで、少し動くと身体がぼうとした[#「ぼうとした」に傍線]。今日はそれが無い。今日の形が本当だとすれば、まだまだ静養を要する。
礼は四時に六度六分[#「六度六分」に傍点]。
昨日までが第一段の治癒。今日から第二段の治癒なり[#「昨日までが第一段の治癒。今日から第二段の治癒なり」に傍線]。
四月十五日 水 無風 寒 薄曇
[#1字下げ]昨夜カルチコル4CC 無汗
[#1字下げ]九時半 六度三分 脈四十九。十一時(坐)脈四十七
[#1字下げ]十二時(食前)六度三分 脈四十六[#「脈四十六」に傍点](薄日、冷え、火入れず)
[#1字下げ]一時半(坐、客なし)六度三分 脈四十九。二時半(坐)五十二
[#1字下げ]四時(三時より臥)六度三分 脈四十八。五時(臥)四十六[#「四十六」に傍点]
[#1字下げ]七時半(坐)六度四分 脈五十一
バタアン半島昨日陥落し、司令官以下四万人もの捕虜ある由。
昨日杉沢来り、九時迄対談。
桜谷訪問の項四十一枚書き終える。クリーシイの「十五決定戦」を読みはじむ。この二三日客なく、安静す。夕刻含嗽す。夜「北条霞亭」を読む。
四月十六日 木 無風 曇 夕刻雨 暖くなる
[#1字下げ]昨夜カルチコル4CC 昨夜胸が少し汗ばんでいた気持。
[#1字下げ]八時半(椅)六度五分半 脈五十三。十時 脈四十九。十二時半 四十八(湯浅と一時間座談した後)
[#1字下げ]一時半(食後、坐)六度八分弱 五十三
[#1字下げ]三時半(二時間睡後)六度五分 脈五十
[#1字下げ]六時(食前、坐)六度五分 脈四十九
四月の初め頃、鏡を見ると頬に赤味がある。悪い徴候と思う。この頃見ると、大分少くなり、かすかである。
昨日よりも暖くなる。
桜谷不安の日記書きはじめる。
向いの崖の木に新緑出はじめ美しい盛り、但し今年は自動車工場のため興がそがれる。この二三日、やっと風がおだやかになる。今年の四月は風の強いのが気になって困った。風もよく吹いたが、自分が鋭敏になり、弱くなったからである。いつもなら街上の風などたのしいくらいであったのに。
湯浅克衛昼頃来る。妻子と、一時間いる。
礼は四時に六度七分半。
四月十七日 北風 曇 寒し 火鉢用う 炬燵入れる
[#1字下げ]昨夜カルチコル4CC 無汗
[#1字下げ]十一時(階下にて座談後)六度五分 脈五十五。十二時 五十一(坐)。十二時半 四十九(坐)。二時(座談中)六度五分半
[#1字下げ]四時半(坐)六度八分強(田居と三時間対談後)脈五十四
[#1字下げ]五時(坐)六度七分弱 脈五十
朝杉沢来り、十時半迄雑談す。北の暴風、寒し。
奉天の実〔整の三弟。平山姓〕より飴一箱送り来る。
今年の春の風は全くひどい。神経にひびいて困る。湯浅も神経痛で寝ているあいだそうであった由。
この頃、前から考えていたことであるが、大東亜戦争の日記とその間に日露戦争記を読むこと、それから自分の病気のこと三つを一つの作品の中に盛ろうと考える。だが、どうも大東亜戦争についての新聞記事があまり強くなると全体をぶちこわしそうである。鴎外の澀江抽斎流に日露戦記のみにこれを止めた方が無事かも知れぬ。しかしこの三つを一作の中にうまく盛ることができれば、それはちょっと類のない作品になり、交響楽的な効果が生れる、とも思う。
尾崎一雄より、早大の講演会に出よと言って来る、断る。
午後、田居君来る。霞関ホテルに滞在の由、四時去る。
煙草をずっとこの月やめているが、別にほしくない。極めてかすかではあるが、深く右の気管支の辺に、ひっかかる所があるような気がする。
今日は朝から五分あったが、田居と対談後八分なので、多少疲れてもこの程度まで治って来たのであろう。今日は一度も横にならぬ。
田居がいるうちに大島豊氏の紹介で、木村修吉郎という四十ぐらいの紳士、戯曲を見てほしいとて持って来る。原稿をあずかり、客ありとて玄関で謝す。
夕刻より荷風「腕くらべ」補の筆写をする。
四月十八日 土 快晴 無風 寒し 午後南風 午後火鉢用う
[#1字下げ]前夜カルチコル4CC
[#1字下げ]九時 六度四分弱 脈五十七。十時 五十五。十一時五十二
[#1字下げ]十二時(坐)六度四分 脈五十三
[#1字下げ]四時(坐)六度七分 脈五十五、昼から空襲等で服を着て外に出、後沢田君と二時間対談後。
[#1字下げ]五時半(坐)六度五分半 脈五十一(食前)。六時 脈四十八
[#1字下げ]八時(坐)六度三分 脈五十二
朝警戒警報発令さる。自転車で言って歩く声す。
いま空襲あり。正十二時少し過ぎ、本郷〔国民〕学校の梅沢重人という教師、日大の予科に入り本科は芸術科に入りたいと相談に来て話しているうち、聞きなれぬ花火のような音が空中に五六発続けて聞える。午前十時頃警戒警報が発令されていたので、おやと思い、梅沢氏とすぐ二階の屋根に出てみる。すると足引込の中型の飛行機が一台二百米とも思われる低空を、すぐ頭上東方を、東南から西北に向って飛んで行くのが見える。その後方に黒い小さな雲のかたまりのように高射砲弾が破裂している。空襲警報の音はしないが、空襲にちがいない。高射砲弾の発射を見たのは初めてである。花火なら白いが、これは真黒。その飛行機は二台の由なるも自分は一台しか見ぬ。代々木の方から高円寺辺に向って飛んで行った。ちょうど滋と礼が学校から戻って隣家の前まで来ていたので、早く家に入れと言う。梅沢氏はあわてて乗って来た自転車で学校へ戻った。向のアパートや原っぱの道に人が立って見上げている。空襲警報の音かすかにする。初めての本当の空襲であるが、晴れて明るい日のこととて、のん気である。あの飛行機が敵機というのだそうだが、ふだんの日本の飛行機を見るのと変らない気持。今まで受身でばかりいたアメリカ人も初めて少しは仕事らしいことをしたと、ほめてやりたい位の気持である。昼間の東京に入って来るなど、なかなかやるわい、といかにも冒険好きなアメリカの青年の顔が眼に浮ぶようだ。昼飯の支度が出来ていたので、ともかくもと食事をする。子供はよく飛行機を見た由。日本のとちがって尾翼が急に大きくなっていると言う。菊は風呂に水を入れたり、門のそばの樽に水を入れたりする。食べ終ってから火たたきを作ろうと思い、なわを持って外へ出ると、近所の細君たち皆モンペをはいて物々しく表に立っている。裏から縄をとり出して家の前に出たが、自分が着物なので、挨拶して「大変ですな」と言ったものの「これは着物じゃいけないですね」と中野夫人に笑って家に入り着かえる。立っている近所の人たちが真剣な顔なので、これはいかんと思う。二階で青い職工服とスキーズボンをはいているとき、また遠くで高射砲の音し、少しあわて、着物などをあちこちと投げとばす。着かえて外へ出ると、裏の小林氏は病気らしく青い顔で出て来ていたが、言うには、高射砲の音がしたので裏の窓をあけて見たら、丸の中に星の印しのついた紺青色の飛行機が裏の風呂屋の煙突をかすめるほど低く二機西北方へ飛ぶのが見えた。その色は私の着ていた職工服の地と同じだそうである。そう言っている処十機ほどの日本の編隊が高く飛んでいる。もう大丈夫かと思うが、それにしても日本の飛行機の数が少い。敵は極低空を飛行する戦法らしい。それともこれはどこか横須賀か、品川辺で日本機に追われて逃げまわっている機かも知れぬ。小林夫人があすこがまだ燃えていますわと言うのではじめて気をつけて見ると、大久保方面で白く煙が上って燃えている。二階から火の手がよく見えるとのこと。いよいよ本当に空襲だと思う。どうして日本の飛行機は見つけられないのでしょうね、鉄砲でもあれば私どもでもうてるような所を飛んでいるのに、と小林氏が言う。そういう低い所だから見つけられないのであろう。
そのうちに、また前方代田橋辺でポンポンと高射砲がうちあげられている。見ると百米ぐらいと思われる低い空を、大型の飛行機一台、その高射砲弾の黒い煙の群に追われるように京王電車の辺を西方に飛んでいるのが黒く大きく見える。ほらあれが敵機だ敵機だと皆が騒ぐ。すぐ森かげへ見えなくなる。
子供たちが見たがって外をかけたり、家の子供たちは縁側からのぞいたりしている。皆が叱りつけて家へ入れる。するとそこへ組長夫人が来て、あの辺の子供をみな、床屋の前の空地の防空壕へ入れているからお宅でも入れてはどうかと言っている。中野家でも子供たちに座ぶとんを一枚ずつ持たせてつれ出すので、その必要はないと思ったが、子供に座ぶとんと本を一冊ずつ持たせて一緒にやる。それから二階の雨戸をしめたりし、こんなこともっと早くすべきであった等と思う。その頃日本の戦闘機が一機か二機ずつ、低く上空を飛びまわっている。低空をさがしているのであろう。
家の中では貞子と菊が、押入から物を出したり、握りめしを作ったりしている。そう大袈裟にするなと言ってやるが、ごとごとやっている。防護団員がまわって来て、容器に水を張っておくようと言い歩いているのが聞える。
そこへ沢田君が来る。塩谷から新数の子を送って来たとて分けて持って来た。満洲の飴を出して対談。学校で昼に授業中、敵機がそばを飛んで行ったのが見えた由、向いの工場は先刻から空襲中もがたぴしと音を立てて仕事をしている。沢田君が来る直前、二時頃、ラジオが鳴り出し、貞子が聞いたのでは、「敵機数方面より来襲し、その中の九機を撃墜した。宮中は御安泰」と発表の由。子供は三時頃帰って来る。沢田君と対談中も、遠くで時々高射砲をうつらしい音がする。まだその辺に敵機がうろついているのか、と時々窓をあけて見る(自分は四畳の窓際にもたれて坐っているので)が見えない。もう三時間にもなるが、敵もなかなかやるものだと思う。その音が絶えてしばらくしたら、四時ちょっと前に空襲解除の音が高く鳴り出した。そしてラジオは「福島地区、北関東地区、南関東地区、静岡地区、空襲警報解除」という。解除が早すぎる感じである。
なお警戒管制中、横須賀辺に被害なきやを思う。しかし勇壮にして暗きかげなし。
午後翼賛会文化部より評論家支部の小委員会に二十二日出るよう言って来る。出来れば出席と返事す。
夕方薫と英一が来ての話に、横浜の方で油タンクらしいものが燃えている由。また板橋の方が大分燃えている由。川崎辺から来た人の話では何も知らず演習していると思っているうちに高射砲弾の破片が落ちて来て驚いた由。品川辺にひどい弾幕が見られた由。そして空襲警報はみなその後だったから、完全に不意をつかれたものらしい。日本の飛行機は何をしているかと彼等は腹を立てている。
空襲騒ぎにて何も仕事せず、薫、英一夕食。英一に充電と電池買替頼む。
この日朝から脈多く、熱はない。
深夜になって突然警報鳴る。切れ目なく長い音に聞えるので、解除の音らしいが、と思い、空襲警報の時は眠っていて知らなかったのだと思って、耳をそばだてる。すると半鐘が鳴ったり、空襲警報だという声が聞えたりして次第に騒々しくなる。
夕刻上弦の月が出ていたからほとんど暗い。起きて寝巻を脱ぎ、昼に着ていたシャツと黄色いワイシャツを着、ズボンをはく。貞子も身仕度する。そして階下六畳の菊や子供たちは起さないことにする。起きて玄関の黒カーテンを下げ、台所の電燈の球を外し、階下の四畳間は雨戸から光がもれるので六畳との間の襖をしめる。三人はよく眠っているらしい。二階の六畳は雨戸が完全であるがそれでも電球にカバーをする。そして寝ることにする。ふとんに入っていると、あちこちで防護団が、「電燈の光が洩れますよう」とか「電気を消して下さい」とか「おーい、電気を消せ」とか、ふだんとちがって、殺気だったどなる声がある。大家の名取老人が表に立って誰かと話していると、防護団員がかけつけて、「ここの家から火がもれている」という。「どこですか」と名取老人の声、「この奥の右側ですよ」という声、すると名取老人が路地に入って「木綿さん、木綿さん、電気がもれていますよ、消して下さい」と大分興奮した声で言っている。しばらくして、組長夫人が来て路地の中で、「空襲ですから電燈を消して下さい」と三四度大声で言う。木綿家は以前から燈管をよくしない家で、いつも小言を食うのであった。
聞いてるとあちこちで喧嘩のようになって声高くやっている。「こらっ消さないか。それでも日本人か」云々と四五分もどなっている。また雨戸を叩く音がする。ふだんから準備していても本当に空襲だとなると、子供を起して逃がす用心などで着物を捜したりすれば、どうしても時々明るくせねばならないので、いつもは消しっぱなしで寝ていたような家から光が洩るのであろう。
防護団員らしく二人で「全く、ちょいとつけては消し、又つけては消しするんだからなあ」と喋りながら家の前をとおるのもある。
初まったのは二時、四時近く解除になる。
朝になって見ると、家も二階の六畳の北側の雨戸は少し光の洩るところがあって貞子が紙をはった。
四月十九日 日曜 快晴 無風
[#1字下げ]昨夜二時間程睡眠不足 注射せず
[#1字下げ]九時 六度二分半 脈五十八。十時半 五十六(午前一時間横臥)
[#1字下げ]十二時 六度三分(臥)脈五十五(以後空襲警報にて黒カーテン等の作業、押入整理等ス)
[#1字下げ]四時(働いた後)六度七分弱 脈五十一。四時半 四十七
[#1字下げ]七時半(夕刻水道ホース直し等働いた後)六度四分半、脈五十四。八時 脈五十
昼頃沢田君来ている時、空襲警報鳴り、今日はなるべくのん気にして、菊や子供たちを騒がせないよう気をつける。貞子と菊はその間に洋服冬物の手入れをしてしまう。自分は階下押入の上段にあるアルコール類を下段に入れ直し、その後、台所や便所の黒い紙を直したり隅から光が洩れぬよう細長い紙をはったりする。三時頃解除となる。
昨日の昼は不意をおそわれたので、昨夜からは、アツモノにこりてナマスを吹いているのさと自分は笑っていた。今日の新聞には方々で隣組の女たちが火を消した話が出ている。
昨日は、名古屋、大阪、神戸等と一二機でも現われているから大分大がかりのやり方である。相当の数の航母をもって近海に侵入しているものと思われる。
昨日品川の海岸では、一機うちをやり敵機を海にうち落した由、皆見ていて万歳をせる由、杉沢から沢田君がきいて来た話。また昨日は海岸地方で戦闘があって、(五六キ絶えず空を哨戒している)東京へ入ったのは、それをのがれて来た僅かの数らしい。
しかし昨日に続いて今日もまた入って来ないにしろ、警報を出させるような処へやって来たというのに、その航母を捕捉できないのか、何となく昨日以来東京も緊張しかえって生き生きとした。焼夷弾は手早くすれば消すのは何でもないらしいが天井裏に止る程度のものがある由、家のピッケルでは天井をこわすのに短いかとやって見ると丁度いい。野田生より、貞子用のモンペ薫あてに送り来る。
午後本多顕彰氏より、法政大学の氏の講座のかわりに一度出てくれとのこと、断ることとする。
今日は立働いて見て身体の調子は少しも変りがない。しっかりしている。しかし朝の脈が多い。
今日も仕事せず、夕刻「腕くらべ」補の筆写す。
四月二十日(月)曇 無風 前夜空襲警報なし 注射せず
[#1字下げ]十時 六度二分半 脈五十四。十時半 脈五十一(昨夜九時間眠る)。十一時 脈四十八
[#1字下げ]十二時(坐)六度三分 脈四十六
[#1字下げ]四時半(外出より帰り)脈五十七 六度八分。四時四十分 脈五十五。四十五分 五十三
[#1字下げ]五時 六度七分(三十分間に一分下る)脈五十二(坐)
[#1字下げ]七時半 六度三分 脈五十二
今朝六時警戒警報解除になった由、知らずにいて、昼頃隣家より聞く。寒し、火鉢用う、午後雨となる。
朝杉沢来る。空襲の話、酪聯本部二階で見ていると、高射砲弾幕の中を敵飛行機が西方に向け飛んで行き、なかなか当らないものだと思っているうち、急に高度が下り姿が見えなくなった。後で聞くと多摩川辺に落ちたのがあるというのはそのことだろうとのこと。また昨日薫の話に、早稲田大学を工場と見て落した焼夷弾のため大学の正門通の岡崎病院辺が焼けたとのこと。ここから見えた煙はそれらしい。また品川の専売局工場の近くの鉄工場には爆弾が落ち、三十何人か死者あり、負傷者また多いとのこと。日本鋼管の工場もやられたらしいとのこと。また芝浦のマツダもやられたと。東京湾上で戦闘が大分行われ、市内にはあまり戦闘はなかったとのこと。アメリカ大使館の連中窓をあけて見ていた由、杉沢の話。杉沢バター一、飴一円五十銭持参。
一昨日空襲後に続いていた砲声は、あれは訓練さと杉沢が言う。
一昨日の空襲以来、着物をやめ、洋服を着ている。
昨日は脈が多いが、寝不足の日は脈が多いのであろう。また寒い日は脈少いようなり。
二時より菊をつれて外出、和田本町会の場所を教え、郵便局、米屋等を教えて家に帰し、それよりバスにて杉並区役所に自転車税を納め、郵便局にて振替を現金にし、鍋屋横町にて散髪、四時半帰来、久しぶりの外出、街路樹の新緑美し。
外出して見て疲労を相当に感ずる。まだ十分とは言えない。
理髪屋で肩を相当ひどく叩かれた。止めようと思う間もない、悪いと思う。果して、帰来、熱は六度八分あり、今日よりハリバを用いはじめる。
自転車番号は、三二○一七九号である。税金一年一円三十七銭。
午前中得能、桜谷の日記を三四枚書く。
博文館より催促の編輯部員女子、留守中に進行の程度を聞きに来た由、八時就寝。
四月二十一日 火 曇 無風 昨夜終夜雨 風なし 漸く風の季節去りしならん。
[#1字下げ]この頃八時に寝て、六時起床なり。注射せず
[#1字下げ]九時 六度三分 脈五十六。十一時 脈五十
[#1字下げ]一時(食後すぐ。天ぷらの)六度八分 脈五十五(この頃より、暖くなる。日照る)
[#1字下げ]二時 三十七度[#「三十七度」に傍線](右の肩凝る気持、床屋で叩かれたせいか)脈五十七。二時十五分 臥、五十一
[#1字下げ]三時半 六度九分。五時半 六度八分半
今朝の新聞によると、アメリカ機は東京地方に十台ばかり、他地方に二台三台という程度で侵入し、片道爆撃で支那大陸方面に残ったものは逃走したという。しかしここで見た敵機の進路によれば、方向は西北であるから、明らかにロシヤである。そして敵の航母は三隻で、我海軍機の追跡も及ばず遠くに退いたという。これはあるいは今後常にとる方法かも知れぬ。日本を通過して爆撃しながらロシヤに着陸する。そしてあわよくば日露間に事を引き起そうとするのであろう。支那大陸方面に逃げたなどという当局の発表もその感じである。この方法によるとすれば、今後空襲は屡々あるだろう。
利根書房より「父の記憶」二十三日出来の由にて届書の印をとりに郵送して来た。
芸能文化研究から六十三円送った由言って来た。
木村修吉郎より、先日の戯曲原稿知性に紹介せよと言って来た。
四時頃河出の小島君、同三十分頃飯山君来る。それぞれ知性、得能の催促、木村氏のこと小島君に話す。夕刻警戒報解除、中部には空襲警報ありし由。
今日熱が出た。気をつけること。夕刻ピッケルに棒をつけて長くす。非常の支度。
四月二十二日 快晴 昨夜少汗
[#1字下げ]昨夜カルチコル5CC 朝台所の黒紙の修理(内側にす)、火たたきの製造等、二時間。
[#1字下げ]十一時 六度六分 脈五十八
[#1字下げ]十一時半(臥)六度四分半 脈五十一。十二時 四十七
[#1字下げ]二時(坐)六度七分 脈五十六
[#1字下げ]三時(坐)六度六分 脈五十四。四時半 脈四十九
[#1字下げ]五時半(坐)六度五分 脈五十(食前)
昨夕刊の発表によると、水戸沖で一機、品川沖で一機撃墜したこと確実と思われると発表した。
また十八日は東京を襲ったのは十二時頃であったが、横須賀辺には二時頃やって来た由。あの日、一二時間後になってしきりに南方で砲声のしていたのは、そのせいであろう。川崎辺の工場、線路づたいの処大分やられている由、そういう処はいずれも爆弾らしい由。
また日日の記者の話として昨日小島君より聞いた処では、落ちた飛行機を写真にとろうとして歩いてもどこにもその現場がない。多摩川辺に落ちた由を聞き、出かけると憲兵が番をしてそこへは立入らせない。そこは確実なものであろう。だが或は日本機かも知れぬ、と言う。九機撃墜と発表しているのだから、品川辺で見た人があるというのを数えても、まだ四機しかはっきりしない。落ちた敵機の姿が写真に出ないのは変だ。
今日右の肩がややこる気持、朝台所の遮蔽装置を外のを外して内に入れたり、玄関のを直したりして、大分肩を使ったから、そのせいかも知れぬ。
三時に六度六分になったので少し安心する。
桜谷日記の項書きつづける。この項、得能下巻のうち、もっとも書きやすい。
新潮社より「運命の橋」二千部検印紙送ったと言って来る。この月末までに受取れる金を概算すると、大分になる。自分の文筆生活で、こんなにまとまって金が残ったことはない。
[#1字下げ]新潮社 280
[#1字下げ]河出 350
[#1字下げ]第一書房(小説研究) 200
[#1字下げ]利根(父の記憶) 700
[#1字下げ]報国社(小説の世界) 200 1,730
これに近く書き上げる得能の印税を入れると二千五百円近くなる。目下手もとに二百円あり。
午後博文館の石光君の使の女の子(芸術科に来ていた子か)長篇の進行をたずねに来る。玄関で帰す。四五日中にとりかかる予定とのみ言う。
夕刻沢田君来る。
四月二十三日 快晴
[#1字下げ]今朝身体爽快 盗汗なし
[#1字下げ]九時 六度四分 脈五十四。十時半(坐)脈五十二
[#1字下げ]十二時 六度三分(坐)脈五十。十二時半 脈四十八
[#1字下げ]一時(食後直ぐ)六度四分半 脈五十一
[#1字下げ]二時(坐)六度五分 脈五十四。二時半 脈五十一
[#1字下げ]五時(療養所にて二時間過して帰ってすぐ)六度七分弱 脈五十
[#1字下げ]〔欄外「入浴、横臥せず、外出」と書き込みあり。〕
向いの崖の新緑真盛り。美し。隣家の庭八重桜の盛り。
無風晴天、うるわしい日。いい気候なり。一年の一番よき時候なり。
女学生原っぱに来り、道を四角に歩きまわる。四角になり、立って歌の稽古をする。
新潮社より「運命の橋」検印二千部分来る。礼に押さす。
塩谷より鰊セワリ、豆類種等来る。
晴れ無風なので、午後三時、救世団療養所に児玉医師を、貞子と訪う。
貞子レントゲンきれいにて、結核とは言えぬ由、以前あった三つの点も僅かに痕を止める丈。
左の気管支の周囲がやや太いという程度にて、大変よき由。
私は、児玉氏が辛うじて右に少しの呼気延長を苦心して見出す程度にて、病人とは言えぬ由。赤沈、私は一時間に二、貞子は十一。
三月には私の赤沈は四・五であったから、ずっとよくなっている。もと全然健康の時は一・五であったことあり。
貞子目方着物をつけて十五貫三百あり、帰ってから着物をはかると九百匁にて差引十四貫四百となる。貞子喜んでいる。
貞子のこういう遠い外出は、一昨年の八月以来のこと也。
四月二十四日 快晴無風 前夜家で入浴 夜少汗 右鼻つまっていて心配した。
[#1字下げ]九時 六度二分 脈五十六。十時 脈五十三(右肩にやや圧迫あり)
[#1字下げ]十二時半(食後)六度三分 脈五十二
[#1字下げ]二時半 六度九分弱 五十五
[#1字下げ]三時半(坐、一時間対談後)六度五分 五十
[#1字下げ]五時(臥)六度八分 四十七
[#1字下げ]五時半 脈四十四[#「四十四」に傍点]〜八[#「八」に傍点] 六度八分強(臥)
桜谷日記の項書き続く。午後一時半、二十七枚にて書き終える。あとは「地中海譚」の項を書き、他の項を直すだけで終りとなる。二時すぎ梅沢先生来る。日大の予科に入った由、芸術科本科の模様を聞いて来る。
四月二十五日 快晴 無風 午後南風 暖くなる
[#1字下げ]前夜インドラミン(鼻風邪気味だったので) 無汗 やや不眠
[#1字下げ]九時 六度一分[#「一分」に傍点] 脈五十四
[#1字下げ]十二時(対談中)六度五分 五十三(午前中古新聞を押入から出したり雑誌を整理した後)
[#1字下げ]二時半(対談中)六度五分 五十七(小西君と二人で酒を一本のみ昼食した後)
[#1字下げ]三時半(臥)六度七分 五十三
[#1字下げ]五時(臥)六度六分半 五十一
[#1字下げ]六時(臥)六度五分 四十九
靖国神社大祭、快晴は珍し。階段下の押入から古新聞を出す。
昼頃小西猛君来る。北海道からの鰊のヒラキを焼き、酒一本にて昼食す。三時までいる。その間に雑誌「創造」の記者、文芸時評を頼みに来る。断る。新潮より文芸時評の依頼、どうすべきか。
スキイ靴、新品スチールエッジ、バッケン等一揃小包にす。野田生に送る。洋服一、オーバー一、貞子衣服一揃。明日出発の英一に持たせてやる。万一の場合の用心なり。
四月二十六日 快晴 午後むし暑くなる
[#1字下げ]前夜カルチコル五CC 無汗 右肩に軽い圧感
[#1字下げ]七時半(坐)六度一分半 脈五十三。十時半 五十一
[#1字下げ]十二時半(食後)六度五分 五十二
[#1字下げ]二時半(臥)六度九分 五十六
[#1字下げ]三時半(臥)七度弱 五十六(昨日の新聞出しに雑誌を運んだのが悪かったと思う)
[#1字下げ]五時半(臥)七度四分[#「七度四分」に傍線] 五十六(少々発汗)
今朝の新聞に、撃墜米機の破片、靖国神社の大祭に並べてある写真と、多摩川らしい浅い水から兵たちが破片を引きあげて舟にとり入れているところとが出ている。落したことは落したのであろう、少しずつしか発表しない。
四月二十七日(月)晴 南西の風強烈 蒸暑い
[#1字下げ]昨夜熱が出たので、インドラミン 汗ばむ 寝苦し(夜十時迄に橋本英吉「系図」読了)
[#1字下げ]九時 六度三分 五十四。十一時 五十(午前中気分すぐれず、臥)
[#1字下げ]十二時 六度六分 五十四(坐、執筆中)
[#1字下げ]二時半 六度七分半 五十八(坐、執筆中)
[#1字下げ]四時半 六度六分 五十一(坐)
[#1字下げ]六時 六度六分弱 五十(臥)
烈風中に靖国祭の飛行機飛ぶ。戦闘機のみ多く、大型機なし。
しばらく振りの強風。
畑に草が小さく無数に出て来たの見える。
朝二階の南の雨戸がきついので、悪いと思ったが鋸を使って直す。
午前中寝ている。今日も熱が出そうだ。橋爪夫人、子供をつれて来ている。長男を沢田君につけて習わせるとの事なり。
橋本英吉の「系図」を読んでいると、曾我兄弟の父、伊藤祐親の子河津三郎は、矢で射られて死ぬとき「ああたのしい世の中であった」と言った。生きていること、妻や子や知人がいること、晴天を見、風を見ること、美しくたのしい。本当にそう思うだろう、それを悉く失う時になると。自分もいらざる慾を去り、自分がこの世に生きて見たことを書こうと思う。
田居君京都に行ったのか消息なし。また八雲の船橋夫妻も関西から帰りに寄る筈のところ、姿見せず。多分両方とも空襲下の東京を避けて北海道へ帰ったのであろう。
一昨日頃から菊枝、足がだるいと言い、ハリバを飲ませ、ビタニンの注射をする。
午後、河岸君(中大生)来る、とりとめない話、一時間。芸能文化研究より振替にて六十三円来る。
四月二十八日(火)晴 南風 昨日終日南風強し
[#1字下げ]昨夜カルチコル5CC 少汗
[#1字下げ]九時 六度五分(坐)脈五十八。十時 五十四
[#1字下げ]十二時 六度四分(臥)五十三
[#1字下げ]三時半(二時間の外出より帰来)六度九分 六十余
[#1字下げ]四時半(臥)七度 六十[#「七度 六十」に傍線]
[#1字下げ]五時半(臥)六度八分 五十四
朝杉沢来る。昨夜暖く、初めて蚊が出た。
一時半、和田本局にて振替をとり時計屋に貞子の修繕依頼、ノリを買う。帝国生命の掛金四十二円三十四銭を送る。バスにて鍋屋横町に下車、体温表を買う。田原君に逢い、東京パンに寄る。サンドイッチとグレプジュースなり。彼の母重病の由。本屋にて改造五月号(レパルスの沈んだ時の記録あり)、岩波文庫の戦争と平和の八、孟子等五冊を買う。留守に小樽の早川氏寄った由。大島氏よりの手紙持参。新指導者という雑誌に原稿三十枚たのまれる。宍戸君より「花籠」の小説の選をたのまれる。今日の外出は無理であったが、保険金の期日一杯になっていたので仕方なかった。
夕方立教大学文学部の学生、改造社箕輪氏の紹介にて座談会に出てほしいと言って来る。貞子に留守と言わせる。断るつもり也。
四月二十九日(水)天長節 曇 昨夜終夜雨
[#1字下げ]カルチコル5CC 少汗
[#1字下げ]十時 六度一分 六十。十二時 五十二
[#1字下げ]十二時 六度四分(臥)
[#1字下げ]三時半 六度六分(坐)
午前中に八雲の船橋氏関西より帰りとて寄る。健文社の営業の人、続いて石川清君、それに村井君たち、それに続いて百田氏等午後五時まで切れ目なく訪人あり。夜杉沢来り、九時過まで皆で雑談。
四月三十日(靖国神社例大祭)朝晴
[#1字下げ]前夜ビタニン 無汗 朝十貫坂上まで船橋氏を見送る。
[#1字下げ]十時 六度三分 六十
[#1字下げ]一時 六度七分 五十五
[#1字下げ]三時 六度九分 五十六(選挙ノタメ外出、一時間歩行)
[#1字下げ]四時半 六度四分 五十二(臥)
朝十時船橋夫妻を十貫坂まで見送り、昼食後堀ノ内学校まで選挙に出かけ、帰途竹の子の大きいのを買って帰る。海苔五帖、ノリカン一個等、計三円五十銭程。この歩行一時間、ゆっくり歩く。薬屋に寄り、強力オリザニン注射とビオフェルミンとを買う。前者四円二十銭、後者一円九十銭。仕事せず寝ころんで、クリシイの十五大戦をトゥールの戦争まで読む。
昼頃杉沢ビスケット半カン持参してくれる。二円八十銭。夕刻芸園社の藤田健次氏より「花籠」の小説選正式に依頼あり。川崎の妹菊ちゃん子を連れて来る。
[#改ページ]
[#2段階大きい文字]昭和十七年五月
五月一日 曇 無風
[#1字下げ]カルチコル5CC 無汗
[#1字下げ]九時 六度二分 五十七
[#1字下げ]十二時 六度二分 五十(臥)
[#1字下げ]三時 六度七分弱 五十七(坐、執筆)。三時半 五十二(臥)
[#1字下げ]五時 六度五分半 五十(臥)
朝菊使に行き、里芋の苗、ショウガの苗等を買って来る。(昨夜中野氏が売っていると知らせてくれたもの)小学館「日本少女」の金沢肇君来り、小説十五枚、十五日迄に約束す。得能を書き上げぬうちに五月になった。
新緑の盛り、縞の合着の上着に、毛のチョッキ、カーキ色のワイシャツに、毛のメリヤス上下、それにスキイズボンを着て坐って居り、外出もする。
今日から豆腐配給になった由、一軒で一丁半の由にて並んで買う。卵は配給で月に二度又は三度五つずつ組長さんが持って来てくれる。菓子は一円分、これもこの頃は組長が持って来てくれる。肉も月に一度ぐらい五十匁ずつあたる。
やがて石鹸、チリ紙もそうなるらしい。
もっとも卵は魚屋が一個十二三銭の闇相場のものを月に四五十持って来てくれるので大変助かっている。魚もしたがって家は多くもらうらしい。一日おきには食える。
夕刻河出の飯山、小島氏来る。眠っていたので病気故明日にと断らせる。
この月の原稿
[#1字下げ]三日 文章 十五枚 小説
[#1字下げ]五日 知性 三十枚 小説
[#1字下げ]五日 生活美術 十枚 感想
[#1字下げ]十日 新潮 十枚 月評
[#1字下げ]十五日 新指導者 三十枚 小説
[#1字下げ]十五日 日本少女 十五枚 小説
五月二日 晴 暖くなる
[#1字下げ]ビタニン3CC 盗汗 着がえ
[#1字下げ]九時 六度二分 五十七
[#1字下げ]十二時 六度四分 五十二(臥)
[#1字下げ]一時 六度六分半 五十二(臥)
[#1字下げ]三時 六度九分 五十五(臥)
[#1字下げ]五時 六度七分 五十(臥)
昼、薫来る。豊岡に、肋膜炎という嗣郎を見舞に行ってもらう話。
飯山、小島氏あての速達出してもらう。学校の代講、永野氏疲れ誰かに代ってほしい由、上林にたのもうと思う。
午後川崎夫人奎君を連れ、見舞にと竹の子を持って来る。
五月三日 細雨(日)
[#1字下げ]カルチコル5CC 無汗
[#1字下げ]十時 六度三分 五十六
[#1字下げ]十二時 六度三分 五十一(坐、執筆)
[#1字下げ]四時 六度六分 五十二(臥)
薫、豊岡に嗣郎を見舞った報告に午後来る。二月頃より胸痛、四月七日申し出て、以後三十八度内外、最近七度台の由、湿性なるも水とらず湿布のみしている由。
今日知性の小説、書き上げようとして出来ず。午後昼寝す。
夜姉に嗣郎のこと報告の手紙書く。
五月四日(月)霧雨 警戒警報
[#1字下げ]昨夜ビタニン 朝二時より四時迄不眠 発汗なし
[#1字下げ]九時半 六度五分 五十五
[#1字下げ]十二時 六度四分半 五十(坐)
[#1字下げ]三時 六度八分 五十一(臥)
[#1字下げ]六時 六度八分弱 五十二(臥)
朝九時半警戒警報発令、曇空を飛行機飛び歩いている。
午前中に、「文章」のため書いていた得能の「蟻の挿話」を知性にやり、得能の炊事の中から「箱の挿話」を抜いて文章に送る。知性のためには「夜の風」というのを書くつもりだったが昨日書けなかったのである。
一昨日川崎夫人の話によると、田居は小樽に帰ったと川崎のところに言って来た由。私には便りなし。いやな気持なり。病気でいる故金を借りたがったりはしないかと思うのかも知れぬ、そう言えば以前に小樽に来いとしきりに言って小樽で会をしたりした頃、彼は市会に出たく、その背景に文化協会などいうものを利用したかった、ということ、自分でも言っていた。
瀬沼から昨日ハガキ返事あり。初めて医者まで歩いてレントゲンとった由。肺は大丈夫の由なるもまだ外出などできぬと言う。来いと言うが、私も出来るなら動かぬことに決めている。
夕刻畑へ出て畝一本だけ除草、少し目舞気味、警戒を要す。
数日前に来た川崎の妹の菊ちゃんの話では、同家のある品川の海よりの方は、ひどい爆弾の被害があった由。二町ほど離れた処にある小学校は硝子が全部破れた。また菊ちゃんの家は地震と同様めちゃくちゃに揺れ、近くの防空壕へ避難した。その辺で硝子が大方破れた家は多い。また爆弾は専売局の大きな工場をねらって近くの別な工場に落ち、女工など多く死んだ由であるが、菊ちゃんの話をきいたある女事務員は窓からふと変な飛行機が見えて爆弾のようなものが落ちて来たので、あわてて座蒲団をかぶって机の下に伏した。そのそばにいた人は破片をあびて死んだが、その人は大丈夫かと思い頭に手をやったらその手を怪我しただけですんだ。立っていたものは皆一挙にやられたと言う。トラック何台かにのせて死んだ人達を運び去った由。
五月五日(火)北風 晴 昨日空襲なし 午前十一時警報解除
[#1字下げ]カルチコル5CC
[#1字下げ]九時 六度三分 六十(坐)五十(臥)
[#1字下げ]十二時 六度七分半 五十六(臥)
[#1字下げ]二時 六度八分弱 五十四(臥)
[#1字下げ]四時半 六度八分 五十一(坐)
[#1字下げ]六時 六度七分弱 五十(坐)
この頃、前面の崖の緑、濃くなり、夏の林の様になる。ツツジの花盛り。
今朝利根書房の三浦氏が来るとハガキ来ていたが来ない。午後読売の矢沢氏来て二時間ほど雑談。その間に育生社の平田君来て下で話をし、企画届の目次を書き入れて渡す。五月中に翻訳してほしいと言う。博文館の長篇のプランがきまらないので、これを先に仕上げ、「女とけもの」の中から後半をつけて一冊にしようと思う。
矢沢氏の話
こないだの空襲の飛行機は全部で十四五機、本当の軍人でない民間の飛行家で懸賞金につられて来たものらしいという。オーストラリヤへ行くと言ってつれて来て近海から日本へ飛ばせたらしい。その内隊長機は真直に重慶へ飛び、他の一機はロシヤへ着いた。日本へ届かぬうちに二機は落ち、日本で二機うち落され、他に三機ほどは日本占領の浙江省に下りて、つかまった。四人ほどの捕虜が来ている由、軍では捕虜を大切にするし、海外に放送させると言っていたが、しかし以前には軍の海外向放送では飛行機から下りたものは皆でうち殺してしまうと言っていた。その両方の態度のジレンマに軍は陥っているということである。
なお尾崎秀実は死刑になる由で、もう大悟して悠々としている由、彼は大阪との間をトランクに短波器を入れて歩いて発信していた。彼自身とてもうまいそうである。それでその発信をしらべてつかまった。西園寺公一がつかまっているのもその為の由、その頃は閣議も御前会議もみなその日のうちにモスクワあたりに知れていた由、ひどい奴等である。
夜になって利根書房の三浦氏来る。印税「父の記憶」七百円三菱小切手にて持参。
五月六日 晴 朝八時、突然空襲警報 この頃少し不眠
[#1字下げ]注射せず 昨夜菖蒲湯にて足を洗い、ヒゲを剃る。
[#1字下げ]八時 六度一分半 五十三
[#1字下げ]十二時 六度五分半 五十(坐、仕事)
[#1字下げ]三時 六度六分 五十(坐、仕事)、右肩凝る気持なり
[#1字下げ]七時 六度八分 五十五(坐)
[#1字下げ]八時 六度四分
昨日夕刻から、ロレンスの「メキシコの朝」翻訳始む。得能の地中海譚まだとりかかっていないが、これは、気の向いた時でないとできない。翻訳は事む的に出来るし、これを百五十枚ぐらいで全部だから後、変愛論や女とけものの後半を足して一冊にする。得能がすんだら評論集を進める。それから博文館。
八時半飛行機飛びまわっているが、敵機来ず。椅子にて翻訳の筆を進む。九時過解除となり、やがて警戒警報も解除となる(警戒警報が出ていたのであろうが、これはラジオと自転車で防護団員が言って歩くのしかない。この辺を言って歩かないことがよくあるので分らなかった)。張り合いが抜けてつまらない。多少見える所にやって来るぐらいが、身体がぴんとなっていいと思う。ひどい目に逢っていないからだろう。
昼前に宍戸君、名古屋の雑誌花籠の榊原、熊沢両氏を連れて来る。小説の選をせよ、ということ也、なお毎十枚――十五枚、三十円にて小説を一篇誰かに依頼すること引受ける。奈良漬一箱土産に持って来る。昼に早速食べたが以前ほどあまくない。
昨日礼が黐でとらえた雀、ストーブの籠に入れておいたが逃げる。
また礼が学校から戻って、もとその雀をとった辺に行ったら、あまり飛べずにいたというので手でとらえて来た。弱って死にそうである。
午後、北海道八重子〔整の妹〕より、子供の着物の古など送ったのの礼、峰岸より手紙、百田氏彼地へ行った由、また新潮社より座談会の礼十五円来る。
この頃暑くも寒くもなく、いい気候である。夜はカケ布団のみでねたり、少し涼しい時はたんぜんを重ねたりする。服は縞の合着、毛のシャツの上下、黄のワイシャツにうすい毛のチョッキ、それに足袋をはいている。今日から翻訳を椅子でしているが、いいように思う。
今日はほとんど終日ロレンスの翻訳をする。夕刻八分になる。
夕刻警戒警報。
五月七日 雨 やや寒し 肩の凝り無し
[#1字下げ]カルチコル5CC
[#1字下げ]九時半 六度四分 五十七(椅)
[#1字下げ]十二時 六度六分 五十五(椅、仕事)。二時 五十一(椅、仕事)
[#1字下げ]三時 六度五分 五十(椅、仕事)、クロラドン うがい
[#1字下げ]五時半 六度五分 四十五(坐、仕事)、喉少し痛し
「メキシコの朝」続稿。終日雨、翻訳す。椅子の仕事、上体を動かさないので、仕事をしても体には工合がいいように思う。喉少し痛い気味で、昨夜からクロラドンにて含漱す。室に珍しく火を入れる。足の辺寒い気味なり。翻訳、つぶし目に書いて、昨日も今日も十枚(約各十五枚分)、これは早く進む。
五月八日(金)雨 午前中に晴れまた降る。室に火を入れる。終日細雨
[#1字下げ]十倍オリザニン 無汗 やや不眠
[#1字下げ]九時 六度三分 五十六(椅)
[#1字下げ]十二時 六度五分 五十三(椅子、仕事)
[#1字下げ]三時 六度六分強 五十二(椅子、仕事)
[#1字下げ]五時半 六度六分弱
野田生から日本生命の契約書送り来る。英一にたのんだもの也。
「メキシコの朝」続稿。
博文館石光君より長篇小説の催促。
「新指導者」編輯より、小説の依頼正式に来る。
この日、「メキシコの朝」つぶし目にて十三枚。普通の四百字にて二十枚に当る。
一昨日より、昼間横にならず、静かに上体を動かさぬよう椅子にて終日仕事する。工合よし、疲れず。
五月九日(土)朝まだ細雨あり、火を入れる。午後、晴天となる。
[#1字下げ]カルチコル5CC 無汗 安眠
[#1字下げ]九時 六度四分弱 五十五
[#1字下げ]十二時 六度六分弱 五十一(午前中杉沢と対談)
[#1字下げ]三時 六度七分強 五十三(二時間沢田君と対談後)
[#1字下げ]四時 六度九分 五十一(椅子、仕事)
[#1字下げ]六時半 六度六分強 四十八(臥)
午前杉沢、午後沢田と来て、二時間ずつ話す。笑うのは身体に悪い。肺を下からゆすぶる。三時七分、六時六分だが、四時には九分ある。四時にもはからねば分らない。
トマトの苗を十五本、ナスを七本買い、菊が下肥して植える。夜常会、十時帰来。
翻訳をしていると実に気持が安らかだ。失敗したり、無駄をしているという不安がない。人と対談した後すぐでも筆をとれる。外のことを考えながらでも仕事が進む。苦労してそれが時間的にはかどらなく、金には急がれる、というジレンマに陥ることがない。時間さえかければ金の心配はいらぬ。創作は進行を時間ではかることはできない。翻訳は楽だ。だがこういう仕事だけが生活の目的ではない。出来るかどうか分らないことに向い全力をつくしてそこを突破し、そして実効を得るということが創作の道だ。怖ろしい不安な戦いだ。翻訳は他人のそういう戦いの戦跡を見てまわる、文筆生活の上の休息と旅行の時間、一種の読書の時間だ。
五月十日(日)快晴 大掃除 タタミガエの折したことにして、せず。肩のコリなし
[#1字下げ]眠りやや不足
[#1字下げ]九時半 六度三分弱 五十六
[#1字下げ]十二時 六度六分 五十(二時間睡後)。一時 五十六
[#1字下げ]三時 六度五分強 五十二(二時間臥後)
[#1字下げ]四時半 七度 六十(椅、仕事)
[#1字下げ]五時半 六度七分 五十一(臥)
昨夜常会で、空襲の噂出る。尾久の方は爆弾でひどくやられている由、近所の煙草屋の細君が子供をつれ、子供たちに物を食わせようとして水戸の方の田舎へ出かけたが、汽車で上野を出るとすぐ、窓から飛行機が爆弾を下すのが見え、落ちると忽ち、その辺一帯が火になった。あまり怖ろしくて、向うへついても出されたものがのどに通らなかった。また品川の方では爆弾が落ちると共に、大分はなれた家へ子供が二人空から降って来た。尾久の方では爆弾の落ちた辺には、どこへ行ったのか死骸のかけらさえない家が何軒も何軒もあった。西大久保では四十軒ほどやけたが、焼夷弾は人の居る家では皆消したが留守の家に落ちたのが消えず、それからひろがったのである。
夜九時頃蒲池君来る。貞子二階の窓から断る。
五月十一日 晴 南風 暖くなる
[#1字下げ]カルチコル5CC 無汗
[#1字下げ]三時 六度五分 五十三(午前十時から二時迄外出)
[#1字下げ]四時半 六度八分強 五十四
[#1字下げ]六時 六度八分弱 五十一
利根書房の小切手(七百円)をとりに三菱銀行本店まで省線で行き、バスにて鍋屋横町下車江藤で文具類を買い、バスにて和田本町郵便局に寄り、小為替、振替等三百八十円をとり、千円を貯金す。
帰来、昼食。臥す。かなり疲れたが、それよりもバスと電車の動揺が気になる。
朝、田居が〔?〕昨夜の失礼を謝し、北海道からの鰊を届け、来てくれと言う。彼八時に来て九時頃までいる。私の病気のことを知らぬのである。
乾直恵君より見舞のハガキあり。
夜、生活美術の原稿「装幀の話」五枚、無理と思ったが、催促あり。かつ後がつかえているので書き上げる。
五月十二日 快晴 南風 午後曇 少雨
[#1字下げ]ビタニン 無汗
[#1字下げ]八時 六度五分 六十
[#1字下げ]十二時 六度六分強 五十二(椅、仕事)
[#1字下げ]三時半 六度五分 五十一(一時間睡後)
[#1字下げ]四時半 六度五分半 五十(臥)
[#1字下げ]五時半 六度七分強 五十三(椅、仕事)
[#1字下げ]六時 六度五分 五十(臥)
午前中に「新潮」の時評として「歴史の意識」という歴史文学観十枚書き上げて送る。時評というので、先頃から気にしていたものだが、安々と出来た。不思議に熱出ず。朝高いのに午後むしろ低し。
午後「メキシコの朝」ベタ書きにて五枚。
五月十三日 曇 午後晴
[#1字下げ]カルチコル 無汗
[#1字下げ]八時 六度三分 五十二
[#1字下げ]十二時 六度三分 五十一(椅、仕事二時間後)
[#1字下げ]三時 六度七分 五十二(椅、仕事、続)
[#1字下げ]四時 六度八分 五十二(臥)
[#1字下げ]六時 六度六分 四十九(臥)
二三ケ月前より眼の中に小さい黒い斑点が流れるように動く。昨日それを気にして目薬さしながら、ひょっとしたらこれは重い病のように思う。一度見てもらわねばならぬ、左も右もある。
礼、遠足、野猿峠の由。
七日八日の珊瑚海戦の反響、次第に英米にひろがる。航母二沈、戦一沈、戦一大破等の戦果、やっぱり航空隊のみでやっている。それがここ当分の日本の戦法らしい。イギリスはいつもすぐ発表していたが、今度せぬのは、いつも発表せぬアメリカ側に曳きずられているからであろう。チャーチルは独逸が毒ガスを使えば、こちらも使うと言う。毒ガス戦になるかも知れぬ。悲惨なことだ。すでにイギリスはビルマで使ったらしい。
今日は一日中二時間おき位に目薬をつけ、ややよき様なり。この頃続けて寝ていて本を読むせいかも知れぬ。
一昨日から午後三時から四時すぎまで昼寝することにしている。工合よし。午前中仕事できる。今日はベタ書きにて十枚せり。
昨夜はじめて二三声蛙がなく。今頃毛のシャツ上下に黄ワイシャツに毛のチョッキにて快適、日が照れば街の鋪道などちょっと夏を思わせる頃である。夜カケ蒲団のみ。
五月十四日 曇 昨夜雷雨
[#1字下げ]ビタニン 少汗
[#1字下げ]九時 六度三分 五十一
[#1字下げ]十二時 六度七分 五十八(二時間外出後)
[#1字下げ]三時 六度七分強 五十四(臥)
[#1字下げ]四時 六度九分強 五十三(椅、仕事)
[#1字下げ]六時 六度九分弱 五十二(椅、仕事)
〈初雷〉
昨夜中に急にはげしい雨が降った。しばらくすると全く思いがけず、この家の真上の辺で大砲をうつような音がした。はじめ砲かと思ったが雷である。稲妻とほとんど同時であった。それから次のは大分離れた処で、稲妻がしてからちょっとして鳴り、それがあちこちに反響した。普通我々が聞く雷のゴロゴロいうのは、反響なのであって、本元は、爆発する一つの音なのだ。
午前淀橋病院にて目を見てもらう。初め見た学生は近視で、大分しらべてから、それはよくあるので、生理的なもので病気でないと思うと言う。自分もあると言う。それからもう一人学生らしいのが見、更に助手らしいのが見て、何も認められぬという。しかし明日主任教授が来るから来て見たら如何という。
帰路郵便局に寄り、三百七十五円振替をとり、時計の修理たのむ。
夕刻翻訳ベタ書きにて九枚する。
五月十五日 晴 昨夜寒く風邪 ビタニン 盗汗 寝衣とりかえ
[#1字下げ]十一時 六度七分 六十(十時インドラミン)
[#1字下げ]五時半 六度九分強 五十三
昨日、一日中暑く、外出してからも仕事していたが、夕方急に北風で寒くなり、風邪気味となった。夜、あたたまらず、夜中に呼吸貞子より早くなっていた。汗が出、寝衣とりかえる。今日は午前一時間安静、昼から川崎と田居来り、夕方まで対談、少し調子悪い。
朝と夕方にインドラミンをする。
田居、先月京都へ行ったきり音沙汰なく小樽から鰊を送ってよこしたが、また出京、京都よりの帰りだからと言って寄る。川崎より大久保の本屋閉店の由聞く。
五月十六日(土)晴 昨日インドラミン朝夜 少汗
[#1字下げ]九時 六度三分 五十四
[#1字下げ]十二時 六度二分 四十八(椅、仕事三時間後)
[#1字下げ]三時 六度七分 五十四
[#1字下げ]四時半 六度九分 五十一(臥)
朝附近で鶯の声す。春の初め以来しばらく聞かなかったが、又聞えた。
午前中に、「日本少女」の原稿、小雀の話十六枚書く。早く書ける。
午後、新指導者あての得能講義三十枚と共に速達にて出す。
二三日前に萩原朔太郎死す。今夜夕刊にて佐藤惣之助死せる由を知る。近代の二詩人は去った。
五月十七日(日)曇 夕、雨となる。
[#1字下げ]昨日カルチコル5CC 無汗
[#1字下げ]眼の中のもやもやするもの、いよいよ濃くなる気配、二つほどの黒いものの外に、一面にぼんやりした斑点あり。月曜日別な医師に行くつもり。
[#1字下げ]八時 六度二分 五十五
[#1字下げ]十二時 六度七分 五十三(椅、仕事)
[#1字下げ]五時半 六度六分、五十(蒲池君と三時間対談後)
午後二時半頃寝ていると蒲池君来り、喋っていて寒気する。夕刻早ね。
午前中翻訳つぶし書き九枚。
五月十八日(月)晴 北風 朝五十 無汗
[#1字下げ]昨夜インドラミン 快眠
[#1字下げ]八時半 六度三分 五十三
[#1字下げ]十二時 六度七分 五十三(椅子、仕事)
[#1字下げ]四時 六度七分半 五十四(二時間睡後)
[#1字下げ]五時半 六度七分 五十二(臥)
四五日前より、再びクリミヤ半島ケルチにて独軍今年初の攻勢、有利なり。キエフ地区では赤軍攻撃に出ている由、今年はこの両国の戦はどういう風になるか。
二三日前、この前の空襲の結果発表、大体読売の矢沢君の話のとおりなり。九機墜と言っていたのが二機墜せること確実なる如し、と訂正す。カマチ君が昨日来て、落したか落さないかはっきりせぬ敵機を、どうして靖国神社で陳列したのか、という話。可笑なことだ。彼の友人の知っている憲兵の話では、あれは支那の方で前に落した敵機の由、いずれ落したのに違いはないのだが、こないだの敵機だと称して靖国神社に並べるなど、変なこと也。発表の正確さを傷つけることはいけない。
この数日、空襲を忘れている。
菊、どうも背中が重苦しいと言うので昨日から貞子と半分に仕事し、ふとんを敷いて休ませている。今日児玉医師のところへやった。神経痛の由、なおもう一度診たいと言った由。
午前翻訳六枚、午後二時迄に三枚。
夕方茄子十本、胡瓜二本、トマト三本買う。植える。少しふらふらす。
五月十九日(火)雨 寒し 終日雨
[#1字下げ]カルチコル5CC 無汗
[#1字下げ]九時 六度四分 五十五
[#1字下げ]十二時 六度一分 五十(寒し)
[#1字下げ]三時半 六度二分 五十一(臥)
[#1字下げ]五時 六度七分半 五十一(臥)
[#1字下げ]六時半 六度五分 五十二(臥)
翻訳七枚、午後ねていて、「セント・モア」訂正二十頁。服、冬のスキイ服に、毛のチョッキ、ワイシャツにメリヤス(但上、夏)上下に懐炉、足に毛布を巻く。
五月二十日(水)昨夜終夜雨 今朝も雨 寒し 昨日と同様の身仕度
[#1字下げ]九時 六度四分 五十七(昨夜ビタニン、昨日より下痢気味)
[#1字下げ]十二時 六度六分
[#1字下げ]三時半 六度四分 五十一(臥)
[#1字下げ]五時半 六度四分 五十一(臥)
昨日から、朝に自分と貞子の床をあげ、二階の二室掃除す。菊階下にふとんを敷き仕事のない時はねている。子供が出かけると帰るまでは特に客のある時の外は暇なり。
朝から翻訳をし昼までに五枚。
小川正夫君の母亡くなった由二週間程前に聞き、今日香典三円送る。田原忠武君の母一週間程前に亡くなった由、今日二円送る。
午後杉沢来り、三時まで座談。夕刻「セント・モア」訂正十頁程。
寒く懐炉入れて仕事す。
五月二十一日(木)晴
[#1字下げ]カルチコル5CC 昨夜やや不眠
[#1字下げ]今日あたりから右の乳の辺に多少ギスギスするものあり。患部に近し。
[#1字下げ]九時 六度四分?
[#1字下げ]一時 六度八分強 六十、十時より外出、眼診察等、十二時帰来。
[#1字下げ]三時 六度七分 五十四(臥)
[#1字下げ]四時半 六度八分強 五十五(坐、仕事)
[#1字下げ]眼のこと、ひどく心配せるも平凡な病気にて心配なき由、安心す。
九時より外出、カメラ取って来る。児玉医院にて菊のこと聞く。肋膜炎の旧症ある由、赤沈八。宝仙寺の眼科医にて眼をみてもらう。心配する程のことなき由、いよいよとなれば注射する由、内服薬をくれる。近眼のものにはよくある由。
帰路、封筒、下駄、綱等。
今日は滋の遠足、多摩御陵の由、朝四時から騒いで出かける。
午後四時、午睡(ふとんも敷き)中、育生社平田君来る。「メキシコの朝」出来ただけまわす。その後三枚訳。
午前松村泰太郎君に、彼のかかった眼科医を問い合す。
五月二十二日(金)快晴
[#1字下げ]ビタニン3CC
[#1字下げ]十時 六度四分半 五十二(朝、掃除せず、畑の長い一畝土よせ除草す)
[#1字下げ]十二時 六度三分半 五十(椅、仕事三時間後)
午後情報局に行く。井上情報官(逗子八郎)河上徹太郎、平野謙等に逢う。二十六日発会式をする日本文学者報国会の評論随筆部常任幹事になる。積極的仕事はできぬと断る。帰路、平野謙君と四谷まで一緒。六時家に来ると四時頃から松村泰太郎君待っている。眼のこと心配して来てくれたのである。夕食を共にして話をし、順天堂の佐藤医師に月曜頃紹介してもらうことになる。
五月二十三日(土)快晴 昨夜少汗 注射せず 二時より四時迄不眠
[#1字下げ]九時 六度二分 五十三(眠不足)
[#1字下げ]十二時 六度五分強 五十二(椅、仕事)
[#1字下げ]三時 六度五分 五十三(臥)
[#1字下げ]四時半 六度七分 五十二(二時間睡後)
[#1字下げ]右乳部の圧迫消失。極小量の痰、朝出た。
[#1字下げ]午後ねながら目を罨法す。
支那浙東地区の捕捉戦一週間前より初まっていた由発表あり。
朝より「メキシコの朝」終り近く、七枚ベタ書訳、明後月曜に渡す予定。夕方三枚、合計十枚。夕方畑の滋の耕した処へホーレン草をまく。
五月二十四日(日)薄曇 午後南風強し インドラミン少汗
[#1字下げ]九時 六度三分 五十六
[#1字下げ]十二時 六度八分弱 五十六、午前椅子にて仕事七枚
[#1字下げ]二時半 六度七分 五十六(臥)
[#1字下げ]四時 六度九分(小西君来り、二時間対談後)
[#1字下げ]五時半 六度六分 五十一(臥)
「メキシコの朝」十三枚訳す。もう五頁残る。
午後小西君来る。大島氏に紹介の手紙書く。
夕刻相撲の千秋楽を聞く。安芸二敗となり、双葉に破れて横綱を逸し、名寄、豊島に破れて四敗となり大関を逸す。(だが結局、安芸、照国とも二敗で横綱となり、名寄は大関となる。後記)
五月二十五日(月)
[#1字下げ]ビタニン3CC
[#1字下げ]八時半 六度七分 六十
[#1字下げ]四時 六度八分弱 五十三
[#1字下げ]六時 六度七分 五十二
順天堂へ眼をみてもらいに出かける日である。朝「メキシコの朝」の残り五頁を訳し、さきに児玉医師の処へ行った菊のレントゲンを見に行く。右に肋膜のあとあり。左に小さな一点あり。共に古きものにて心配なし。注意して働かせてよき由。
それから省線水道橋下車、創元社に寄り、順天堂佐藤博士の診察。やっぱり淀橋病院や宝仙寺眼科と同じ結果、生理的現象の由。血液検査をしてもらう。また眼鏡が強すぎるとて別に検査紙をもらい、お茶の水駅前にて作らせ、松村君と神保町にて食事、安心する。大分覚悟し、眼球に注射するとか、メスを突っ込むなどの話を松村君から聞き、それに眼が悪いとなれば将来は暗澹たるものに思われた。それで実に明るくなった気持がした。
それから出がけに出来たばかりの「メキシコの朝」を育生社に届けた。四時帰来。暑く、光道路に反射して目にまぶし。
五月二十六日(火)晴
[#1字下げ]カルチコル5CC
[#1字下げ]九時 六度三分 五十五
[#1字下げ]二時 六度八分弱 五十八
[#1字下げ]三時半 六度八分弱 五十四
[#1字下げ]五時半 六度七分 五十
十時頃から新宿に行き、買物、テレスコープ四円、筆立て(陶器)七十銭等。
一時帰来。二時より寝る。歩くと疲れるが、しかし大して熱は出ない。
帰りに滋の靴修理したのを取って来る。半革四円五十銭也。
昨日や今日の外出に、以前のように早く歩けない。歩きつけないせいか。または身体がまだ十分でないせいか。帰りに久しぶりにニュースを見ようとしてアサヒ映画に入ったが空気がむっとして悪く、こういう人込みが呼吸器には何よりも悪いこと思い出し、坐っていてまだ初まらぬうちに出て、まっすぐ帰る。暑い。汗ばむ、また日の光眼に強すぎる。
五月二十七日(水)海軍記念日(朝雨 後晴 夕方曇)
[#1字下げ]ビタニン3CC
[#1字下げ]朝 六度四分 五十四
[#1字下げ]三時 六度七分 五十三(二時間睡後)
[#1字下げ]四時 六度五分 五十一(臥)
朝青春の検印二千、それから得能の「人間の顔」を訂正す。
昼に体温をはかり、体温計をふって折る。家にはこれしか無しと思って貞子に言い、もう買えないだろうが薬屋に相談してみるよう言っていたが、貞子笑っていた。変だと思っていたら午後新しいのを出してよこした。いつか買っておいたのである。ほっとする。だが後で聞くと、今日買って来た由、菊が行ったら薬屋ですぐ渡した由驚く。
この頃寒くなく暑くなく、蚊屋いらず、やっといい気候になる。五月中頃までは暖かさと寒さの交替がはげしく落ちつかぬ。
畑は馬鈴薯は大分大きく六七寸に達し、玉蜀黍は二寸位。サヤエンドウが実り、茄子、トマトの苗は四寸から六七寸にて、うまくついている。胡瓜は十本ほど植えたがみな枯れた。
五月二十八日 晴 北風にて寒し
[#1字下げ]カルチコル5CC
[#1字下げ]九時 六度二分 五十九
[#1字下げ]十二時 六度四分 五十八(椅、仕事)五十(臥)、同時にこんなに違う。
[#1字下げ]二時半 六度八分弱 五十一(臥、睡一時間後)――少し発汗
[#1字下げ]四時 六度八分 五十一(臥)
[#1字下げ]五時半 六度九分
[#1字下げ](風邪気味、貞子も風邪インドラミンす)
朝、得能上巻の三刷一千部検印。青春の二千部とにて、五百円入る予定。
夕刻福島、村井君来る。四海の評論集題名「文学論」はこまる、とのこと。「感動の再建」としてほしいと言いやる。届け書、書き直すこととする。
五月二十九日 晴
[#1字下げ]インドラミン3CC
[#1字下げ]十時 六度七分 六十
[#1字下げ]十二時 六度七分強 五十五(椅、仕事)
[#1字下げ]二時半 六度五分 五十三
[#1字下げ]四時 六度六分弱 五十一(臥)
[#1字下げ]五時 六度六分 四十六(臥)
朝、杉沢来る。雑談一時間。
午前に得能の地中海譚、書き初む。四枚目。
五月三十日 晴
[#1字下げ]ビタニン3CC 前夜湯にて足、手、腰を洗う。
[#1字下げ]十時半 六度六分強 五十九(朝隣家からもらった葱四五十本を一畝に植えた)
[#1字下げ]十二時 六度五分半 五十五
[#1字下げ]二時半 六度八分 五十七(臥)
[#1字下げ]三時半 六度九分弱 五十(臥)
学校で遠藤さん、私に早く出校してほしいと言っている由、薫の話。遠藤さんと浅原氏に手紙出すからと言い、一日は人に譲ることにする。
昼前に中島〔憲三〕という錦城出版社の人来る。近時まで「日の出」にいた由、長篇の書き卸し、四百枚を書けということ。大阪の出版屋の由で、大がかり。前借はいくらでもと言い、出版は一万五千部を約束の由、なるべく早くという。九月頃までにやって見ると返事する。
これで、今やっている得能を書き上げて、四海の評論集を出し、それから博文館の本に幼年時代の思出を書き、その次にこれを書き、更に続けて実業日本の十月までの約束のにとりかかり、それから大観堂のにかかる予定になる。
しかし、書くことは自分を開いてしまうこと故、なるべく仕事を大事にしなくては、と思う。鴎外のように古い本をしらべる形で日露戦を書くことにしようか。とにかく、幼年時代を博文館から出す外は、なるべく自分の内心を開いてさらさない仕事で、楽に、しかし隠れるように仕事をしよう。
昨夜、小学館より速達あり。今度宇野浩二、佐藤春夫二氏監輯で明治大正昭和の作家研究を、各時代上下二冊ずつ六冊にて出す。その中の谷崎潤一郎論と近松秋江論、新感覚派論を書け、ということである。
昭和の代表的な作家のうち、若い方では、和田伝、阿部知二、丹羽、高見、石川、堀、石坂等と並んで最後に自分が加えられている。嘉村礒多や梶井が入っていなくって自分が入っている。また岡田三郎、尾崎一雄、中山義秀、舟橋聖一等も入っていない。これは名誉である。改造社の新日本文学に入らなかったが、編輯者の眼とは違う先輩の眼に拾われたこと、ことに二人とも自分は交際していないのに拾われたのは名誉である。多分これは新潮賞で候補になって、得能五郎を読んでもらったせいであろうと思う。自分の仕事をいよいよ大事にしなければならぬと思う。
今日夏のようにむし暑く、南風。菊この頃元気で洗濯し、畑の草をけずり、よく働く。なかなか言いつけても寝ていない。貞子、一昨日からの風邪大に汗が出た由だが、漸く恢復し、今日から起きて階下で食事す。
河出より「知性」の小説(十八枚)稿料五十四円来る。
昨夜から雄鶏通信をスクラップに貼りつける。面白い記録になりそうだ。これの外に残ったものとしては、昭和十五年度のロンドンタイムス週刊。十六年度の朝日新聞と、上海の廿世紀(英文)等。
今朝の新聞にて与謝野晶子の死を知る。明治大正の詩人相ついで去る。
午後寝ていて「北条霞亭」上巻読み続く。上巻三分の二にて大分慣れたが、なお甚だ読みにくい。漸く霞亭三十五歳にて結婚の処に至る。原稿一枚も書かず。
夕刻塩谷村の坂下丹治の従弟、長沢政雄(漁業、鉄商)来る。杉沢を呼び、更に沢田君も来り、ビイル、夕食手製寿司、七時去る。
五月三十一日 薄曇
[#1字下げ]カルチコル5CC
[#1字下げ]九時 六度二分半 五十七 椅、仕事
[#1字下げ]十二時 六度七分 五十七 椅、仕事
[#1字下げ]二時半 六度五分 五十三
[#1字下げ]四時半 六度六分弱 五十一(福田君と一時間対話後)
――昨夜蚊が出て気になる。この頃次第に暑い気味なり。
朝目覚めてから床の中にいる時に脈四十八ならば、起きて椅子にいてからも五十五前後で、そういう日は熱が出ないようだ。
しかし床の中で五十、又は以上であると、椅子で六十近くなり、その日は午後に九分前後の熱が出るようである。
午後福田見舞に来る。夏ミカン五個持って来てくれる。
夕刻、児玉医師来る。貞子はどうしても肋膜炎風の症状の由、私は肉づきもよく、聴打診ともに異状なきも、体温表を見せたところ、波形が一定しないうちは不安なりとのこと。
[#改ページ]
[#2段階大きい文字]昭和十七年六月
六月一日 月(晴 午後曇る 雨模様)五十五――五十一
[#1字下げ]ビタニン3CC 夜中発汗、インドラミン3CC
[#1字下げ]九時 六度四分 六十
[#1字下げ]十二時 六度五分強 五十五
[#1字下げ]二時半 六度七分 五十六(臥)
[#1字下げ]四時半 六度八分 五十三(臥、一時間睡後)
朝「地中海譚」を三枚ほど書く。貞子、菊を新宿までやる。医師支払、氷屋、菊の夏の服地等の用なり。玄関門の敷居の金棒頼む。午後一時買って帰る。その頃石川清君来る。依頼せる色紙、本物は銀のしかないとのこと。その件での手紙出した由なるも到着せず。彼伊勢丹の装飾部をやめ義弟の所にて旋盤等の仕事をしている。鉄のネジを作る由。前の仕事の方がよさそうなのに、わざと自由を欲してやめたのである。
午後雨になりそうなので、よく育ったトマトの苗(母の播いて行ったもの)の中からえって黒土の方の畑に十五本ほど二列に植える。少しずつするのは疲れない。その後三時から四時半まで睡る。
福島京一君より四海書房の評論集の名、自分の考とおり「感動の再建」にてよき由言って来る。彼も身体工合あしき由。
夕刻沢田君来り、八時頃まで話し合う。彼卒業後も東京にいたき由。
六月二日(火 晴 昨夜北風寒し)午後南風となる。五十一――四十八
[#1字下げ]カルチコル5CC 発汗
[#1字下げ]九時 六度三分 六十三
[#1字下げ]十二時 六度二分 五十四
[#1字下げ]二時半 六度三分 五十一(臥)
[#1字下げ]四時 六度五分強 四十九(睡一時間後)
[#1字下げ]五時半 六度四分強 四十八(臥)
昨日基より来信。函館辺今頃桜、梅、李、梨、ライラック、チューリップの花ざかりの由。ここではいま、花少い。家の前の黄色いカキツバタ毎日一つずつ位咲く。
「地中海譚」十五枚に到る。夕刻門の敷居、台所へのヒラキ、外の古流し等を修繕、肩を大分使う。
「現代文学」に「桜谷の日記」二十七枚速達で出す。
六月三日 水 薄曇 午後晴 南風強く、むしむしする。
[#1字下げ]カルチコル5CC 朝五十一――四十八
[#1字下げ]九時 六度五分半 六十(昨日の仕事のため、右肩凝り気味)
[#1字下げ]十二時 六度六分半 五十五(坐、仕事)
[#1字下げ]三時 六度七分 五十一(臥)
[#1字下げ]四時 六度八分強 四十九(臥)
[#1字下げ]五時 六度九分 四十八(臥)
[#1字下げ]右の胸に圧迫感とシコリあり。
午前、「地中海譚」に詩人秋山の性格の項を書く。四枚。
午後、「北条霞亭」上巻読み終え、次にイリフ、ペトロフ共作のロシア諷刺小説「黄金の仔牛」を読みはじめる。
今日から、坐って、テーブルで小説を書く。椅子はどうしても脈が多くなる気味なり。
六月四日 朝から雨 梅雨気味なり 終日雨 四十八
[#1字下げ]カルチコル5CC
[#1字下げ]九時 六度二分半 五十八(坐、仕事)
[#1字下げ]十二時 六度二分 五十五
[#1字下げ]四時 六度四分 四十八
[#1字下げ]五時半 六度七分 四十九(畑へ出て後)
[#1字下げ]七時 六度五分 四十八
[#1字下げ]右胸のしこりと圧迫感去る。
今日の雨で畑に移し植えたトマト、茄子もうまくつくだろう。播いた胡瓜はやっと本葉が出かけた所で、なかなか伸びなかったが、この雨でのびるだろう。
錦城出版社の作品の内容考えているが、きまらない。
着物――縞の合着の洋服、黄木綿ワイシャツ、毛のチョッキ、下に絹シャツ、毛の股引、足袋。
夕刻傘をさして畑に出、東方境と赤土畑の西側とに玉蜀黍を播く。
六月五日 薄曇 後晴 五十四――五十一
[#1字下げ]カルチコル5CC
[#1字下げ]九時 六度三分強 六十
[#1字下げ]三時 六度六分 五十三
[#1字下げ]四時半 六度八分半 五十二
[#1字下げ]五時半 七度
[#1字下げ]朝から少し熱っぽい。午後熱が出そうだ。右胸上部がずきずきする。門の修理をして以後、昨日はなく、今日また始まった。
浅原六朗氏より病気見舞状、ハガキにて、本を送った由言って来る。
貞子昨夜心悸昂進して発汗多き由。
午前地中海譚の内、蝶の話の終まで五枚書く。
午後礼、熱を出す。三十九度也。貞子あわてて灌腸す。便はよし。夕刻八度五分。児玉医師来り、インドラミン、更にその後灌腸す。風邪気味に腸も多少やられているとのこと。この頃遊びすぎの疲れならん。
夕刻杉沢、子を連れて寄る。バタいよいよ厳しくなり、杉沢をとおして家は二ポンドの由。
六月六日 薄曇 六十――五十五
[#1字下げ]カルチコル5CC
[#1字下げ]十時 六度三分 六十
[#1字下げ]十二時 六度五分半 五十五 坐、仕事
[#1字下げ]三時 六度五分 五十三 臥
[#1字下げ]五時 六度七分 五十二 臥
[#1字下げ]六時 六度七分 五十二 臥
[#1字下げ]胸のずきずきはない。脈は朝から多い。
朝、礼の熱六度九分、午前中眠っている。
岡田三郎氏より見舞。浅原氏から聞いた由。この頃やっと私の病気のこと世間に伝ったらしい。岡田氏夫人レントゲンにて見てよくなく、安静中の由、方々に病人出る。昨日瀬沼からハガキ、病気相かわらずの由。逢いたいと言って来る。
昨夜四畳にねていると蚊が出て一晩安眠せず。蚊帳をつらねばならぬと思う。
午前ヂオグラフィック・マガジンのクレタ島やロードス島の写真を見たりしているうち、何も書かず。
今日の新聞で、マダガスカル島で英戦一、巡一を特殊潜航艇で、同じくシドニイで米艦一隻の撃沈を発表。
六月七日 曇 湿気る 午後より雨
[#1字下げ]カルチコル5CC
[#1字下げ]十二時 六度二分 五十六、朝杉沢家に行き家族の写真とってやって戻る。
[#1字下げ]三時半 六度七分 五十二(臥)
[#1字下げ]四時半 六度七分 五十一(臥)
[#1字下げ]五時半 六度五分 五十
昨夜より二階はじめて蚊帳をつる。
東京湾、潮岬等で五月末より以来敵潜艦四隻を沈めている由発表。東京湾内にも潜入しているのだ。飛行機よりもこういう船の被害が大きいであろう。
朝写真とりに行くと、杉沢が八王子横山村に串田村長所有地の二百坪というのがあるが買わないか、と去年から言っていることを言う。買ってもいいと思う。時価一段(三百坪)千二三百円だから、千円位のものだが、五六百円で売ってくれるだろうという。買ってから貸しておいてもいいから、一度見に連れて行ってもらおうと思う。
昼頃安原俊之介君来る。「花籠」小説依頼。
原稿一枚も書かず。夕刻杉沢寄る。また例の土地の話、来年から彼は家を建てる材料を集めにかかる由、一つその中に加えておいてもらうように頼むなど笑って言う。彼は引き受けたと言う。
貞子にこの月の分として百円渡す。胡瓜初物食う。
午後より雨。菊八百屋でバナナを買って来る。久しぶりで食う。またビワも一箱買って来る。
六月八日 晴 後曇
[#1字下げ]カルチコル5CC
[#1字下げ]九時 六度三分 五十七
[#1字下げ]十二時 六度六分 五十六 坐、仕事
[#1字下げ]二時半 六度四分半 五十四
[#1字下げ]四時半 六度七分 五十二
[#1字下げ]五時半 六度七分 五十
この月に発表される原稿(すでに渡したもの)
[#1字下げ]文章 小説 十五枚
[#1字下げ]日本少女 小説 十五枚
[#1字下げ]新指導者 小説 三十枚
[#1字下げ]現代文学 小説 二十七枚
礼平熱なるも、カユにて、寝せておく。
杉沢家よりサツマ芋の苗百五十本来る。白い種類、夕刻、沢田君に習いに行く滋に沢田君を夕飯に呼ばせ、植えることを依頼す。沢田君と薫、それに続いて杉沢来る。沢田君明朝植える由、自分でも一畝植え、トマト十本ほど移植す。
夕刻、学校より遠藤さん見舞にと来る。山谷に住んでいる由。見舞にと学校より十円持ち来る。今週から三年の水曜日のみ出て、九月に三年が卒業するとともに明春まで休ませてもらうこととする。
この日昼までに得能七枚、地中海譚のところ終近し。
六月九日(火)曇 午後細雨
[#1字下げ]カルチコル5CC
[#1字下げ]八時 六度一分 五十八
[#1字下げ]十二時 六度三分 五十二
[#1字下げ]二時半 六度六分半 五十三
[#1字下げ]四時半 六度七分 五十一
[#1字下げ]五時半 六度五分 四十八
午後トマト四五本移植す。原稿全く書かず。
六月十日(水)快晴 四十八
[#1字下げ]ビタニン3CC
[#1字下げ]九時 六度七分 五十七(朝沢田君来り、しばらく戸外で日にあたった後)
[#1字下げ]十二時 六度五分半 五十六
[#1字下げ]四時 六度七分半(学校の帰り瀬沼家で)
[#1字下げ]六時 六度八分弱 五十二(家に帰ってすぐ)
今日はじめて学校へ出勤、夏のような快晴、暑し。
新指導者より稿料(三十二枚)六十五円来る。
学校に行き遠藤、石門寺氏等に挨拶。学生は沢田君等の映画研究会に行った由でいない。瀬沼の所に寄る。元気で太っているが、ずっと七度二三分の熱が引かぬ由、五時過まで話して帰る。
夜学生三年生二人来る。学校で講演会をする由にて、出るように、七月四日(土)という。元気なら出ると言う。
礼また熱を出す。八度四分、夜隣家の中野夫人病院へ行ったのにたくして薬を持って来てもらう。
今日は夏のように暑い。歩いて見て大分元気出る。
これで四日ほど熱は出ないし、夜はよくねむる。快方に向っているらしい。
六月十一日(木)快晴 暑し 夏の気候(入梅なり)
[#1字下げ]カルチコル5CC
[#1字下げ]九時 六度三分 五十四
[#1字下げ]十二時 六度五分(午前中より洋服スキイ具等を屋根に出す。)
[#1字下げ]二時半 六度五分 五十三(羊毛類の乾燥と取入れ、靴手入等の後)
[#1字下げ]四時半 六度六分 五十一(臥)
今日は快晴にて、洋服類の冬から残ったものや、スプリングコート、スキイ用のシール、靴下等を二階にほす。
アリウシャン上陸とミッドウェー会戦昨夜ラジオで、今朝新聞で読む。航母敵のを二隻、こちらも二隻やられたらしい。相当の損害だが、なかなか積極的だ。いよいよ東京正面の太平洋が騒がしくなって来た。
非常用として、リュクサック、トランク等に重要品をつめておくことにする。
朝日新聞より、近時の長篇小説の批評十三枚前後にてと言って来る。
身体はいよいよ快調なり。昨日学校と瀬沼家へ行ってかなり疲れた後でも平熱なり。何となく身体がしゃんとして、スキイの本などを見る気になり、また今までどうしても、そんなことしてどうなるという気持で手を出せなかったスキイ具をそろえ、毛糸類や毛皮を日に当てたりする。夜も不眠はなくなり、すぐ眠るようになった。食事もうまく、ずっと二ぜん位だったのが、三つずつほしくなる。身体にはずみが出て来た。
夕刻畑に出てトマトの手を二十本ほど立てる。
夕刻平田君、ロレンスの「メキシコの朝」の序文催促に来る。明後日を約す。
六月十二日(金)快晴暑し 南風強し 五十二
[#1字下げ]昨夜ビタニン3CC 夜寝苦し 少し発汗 昨日働きすぎ。
[#1字下げ]十時 六度六分半 五十六(午前中よりねていて)
[#1字下げ]十二時 六度七分半 四十八(臥)
[#1字下げ]二時半 六度八分 五十二(臥)終日臥
[#1字下げ]四時 六度九分 四十九(臥)終日臥
[#1字下げ]五時 七度 四十九(臥)
[#1字下げ]六時 六度八分 四十九(臥)
終日寝ていて、「花籠」の投書小説を見終える。それからロレンスの生活のことを色々と読む。
六月十三日(土)朝快晴 午後曇り出す なかなか入梅の気配にならぬ。午後南風強く春頃のよう。
[#1字下げ]カルチコル5CC 安眠す
[#1字下げ]九時 六度三分 五十七
[#1字下げ]十二時 六度五分 五十四
[#1字下げ]二時半 六度四分半 五十
[#1字下げ]四時半 六度七分弱 四十七(臥)
[#1字下げ]五時半 六度六分半 四十七(臥)
午前中に「メキシコの朝」の序文と「ニュー・メキシコへ」の序文とを書く。
キク新宿へパラソルを買いに行く。礼はまだ寝てるが平熱で元気なり。昼坐っているとかゆいので見ると、家ダニを一匹つかまえる。昨夜鼠騒いでいた。今まで二三年毎年五月中頃から家ダニに悩まされていたのが、今年はいなくって喜んでいたら、とうとう出はじめた。困った、腐るかも知れぬが今夜あたり猫いらずを使う。
〈この頃の天候〉
薫、富士山麓へ演習に十一日出発、十六日迄毎年演習に行くが、降られたことは一度もない由。毎年入梅早々の一週間は晴天のものらしい。
一昨夜まではカケフトン一枚でねていたが、昨夜から薄いコタツ用のふとんをかけて寝て恰度いい。カヤはもう一週間程前から使っている。
昼間は、夏のうすいシャツ上下の上に、ワイシャツ一枚に合着のズボン、朝夕はうすい毛のチョッキを着て、足袋は二三日前からぬいでいる。
昨日熱が出ただけで、大体静かにしていれば、もう一週間も七分以下が続いている。瀬沼の医師は、七分以下が一週間続けば直ったものと思っていいと言った由。児玉医師は五分か六分になって、毎日同じ曲線が続くようになればいいと言っていた。この調子が続いても秋までは今迄同様に半日静養することにする。
いよいよこれで直り出したと思うと、何にも増して気持が明るくなる。慾はきりのないもので、次第に家がなくなる由を聞くと、今のうちに家を買いたいと思う。いま千八百円程金があるが、得能を書き上げて、千円、渡してある「メキシコの朝」が千円足らず、評論集をまとめて千円程で、五千円程になる。それだけあれば一万円位の家を買い、半分は借りておけるだろう。そんなことを考えている。
外に実業日本社と博文館と錦城出版社から書下し小説の約束あれど、これは年末までに間に合うかどうか、という程度なり。金はほしいが、この二三月頃出来る予定の得能下巻、あちこちと考えるほど凝り出して、まだできぬ。もう一月はかかりそうだ。とてもこの本にこっていては、あとの仕事がつかえる。いっそ評論集をさきにまとめて渡そうかとも思う。しかし得能下巻の仕事はどんなことがあっても大事にしなければならぬと思う。
六月十四日(日)夜より雨、いよいよ梅雨、やや涼し 朝から曇 南風強し 湿気る
[#1字下げ]ビタニン3CC
[#1字下げ]九時 六度五分弱 五十九 坐
[#1字下げ]十二時 六度五分
[#1字下げ]三時 六度七分
[#1字下げ]四時半 六度七分半(二時間睡後)
[#1字下げ]五時半 六度六分半
昨夜一時より三時すぎまで不眠。その間に得能の安宅の場のこと一二思い出し、起きて、緑色のノオトに書きつける。一頁分あり。
杉沢来り午前中喋っている。
午後南強風となる。
文学者報国会の評論部、小説部、外国文学部より入会のすすめ三通来る。
この半月ほど、腹がはって屁がいくらでも出る。異常醗酵ならん。下痢しそうになるので、バタをやめ、ビタスをのんでいる。腹工合よきときは、ハリバを併用する。
今日は杉沢のため仕事できず。
六月十五日(月)昨夜終夜強風 颱風気味 時々雨 朝になっても風やまず 午後快晴
[#1字下げ]カルチコル5CC 蒲池君夜来り、十時半までいる。その後安眠。
[#1字下げ]八時 六度六分 五十八、夜ふかしのせいならん。
[#1字下げ]十二時 六度七分 五十三 坐、仕事
[#1字下げ]三時 六度七分 五十二(一時間睡後)
[#1字下げ]四時 六度八分半 四十九(臥)
[#1字下げ]六時 六度五分(新宿まで外出した後)
今日市会議員の投票日なるも行かず。旭川より手紙義姉の病ほぼ全快のよし。
午前中に地中海譚を書き上げる。四十九枚。蝶の話と改題す。
午後四時から滋の眼鏡が近すぎる(先日薫に作らせにやったもの)ので、連れて新宿へ行くが、百貨店休みで空しく戻る。外出は悪いと思うが致しかたなし。
六月十六日 快晴
[#1字下げ]ビタニン3CC やや不眠
[#1字下げ]九時 六度三分半 五十六(坐)
[#1字下げ]十二時 六度六分 四十九
[#1字下げ]四時半 六度六分(睡一時間の後)
[#1字下げ]五時半 六度五分半
今日から「安宅」の項の修正にかかる。三枚書く。あとはこの項と大東亜戦争開始の日の項と、それに独ソ戦開始の日との三つのみ。
夕刻学生山下君、北原君来る。一時間程。
七時頃河出の飯山君来る。「得能」下巻催促す。
夕方杉沢が来、子供の靴なき由で、礼の皮の上靴の小さいのをやる。
六月十七日(薄曇)
[#1字下げ]カルチコル5CC 十二時迄不眠 昨夕刻湯にて足、手を洗う。
[#1字下げ]八時 六度四分半 五十五
[#1字下げ]十二時 六度三分 四十八
[#1字下げ]四時 六度六分 五十二(臥、新宿より帰来後)
[#1字下げ]五時 六度五分半 四十八
この頃しきりに家を建てること考える。今金が千七百円程あり。「メキシコの朝」八百円、「得能下巻」八百円、「感動の再建」千円として、四千円程九月迄に入る。また錦城の本を書けば原稿引換に二千円とれる。
午後曇っているので、滋と礼をつれて新宿に行き、三越にて滋の眼鏡を直してもらい、二人にミツマメを食べさせ、模型グライダアを買ってやって戻る。戻り道沢田君の下宿に寄って見る。
留守中に福島、村井君が原稿催促に来た由。
花籠の選評と感想文四枚送出す。
六月十八日(朝霧 後曇 夕刻雨となる)
[#1字下げ]ビタニン3CC
[#1字下げ]九時 六度三分 五十二(坐、朝こんなに脈の少いのは初めて也)
[#1字下げ]十二時 六度五分強 四十八
[#1字下げ]三時 六度六分 四十九、一時間午睡後
[#1字下げ]四時半 六度七分、対談中
[#1字下げ]五時半 六度六分
三四日前から鼠が出るので、家ダニも出はじめ、猫いらずをかけた。まだ二三匹騒いでいる。昨夜半死の小鼠が自分のふとんの中に入って来て、朝に四畳へ逃げ込み、本棚の下へかくれた。見つからない。午前、死にかけた鼠が六畳にいて殺す。
中原君来る。三笠〔書房〕に勤めている由。中支に三年近くいて帰還してから一年余になる由。文庫の原稿の件、承諾。
五時頃、村井、福島来る。原稿二十二三日迄と言い、目次書いて渡す。
来客に疲れる。夜杉沢来る。バタのポスター百枚持参。
六月十九日 曇
[#1字下げ]カルチコル5CC
[#1字下げ]九時 六度四分半 五十七(家ダニに方々食われて不愉快なり)
[#1字下げ]十二時 六度四分強 五十(坐、仕事、午前九枚、私小説論を書く)
[#1字下げ]三時半 六度六分 四十八(一時間睡後)
[#1字下げ]四時半 六度八分(沢田君来り座談中)
[#1字下げ]五時半 六度八分
[#1字下げ]六時半 六度八分
六月二十日(土)曇 空梅雨らしい
[#1字下げ]ビタニン3CC
[#1字下げ]八時半 六度三分 五十五(臥、五十一)
[#1字下げ]十二時 六度五分 五十一 坐、仕事
[#1字下げ]三時半 六度七分 四十九 臥(一時間睡後)
[#1字下げ]四時半 六度七分 四十九 臥
[#1字下げ]六時 六度六分半
昨日から蒸し暑く夏と同様。夜はタンゼン一枚でねる。
「小説の甦生」〔整全集(新潮社)、「小説の復活」〕評論集に入れるもの、昨日から続けて十五枚で書き上げる。
午後、「メキシコの朝」校正す。田居より鮭一尾来る。七月上京の由、滋と礼夜店に薫に伴われて行く。
六月二十一日(日)薄曇 後晴 寒し
[#1字下げ]カルチコル5CC
[#1字下げ]八時半 六度二分半 五十五(臥五十二)
[#1字下げ]十二時 六度四分半
[#1字下げ]四時半 七度強、川崎、安原と対談中
[#1字下げ]夕刻下痢す。
評論集のため、澀江抽斎論、書きはじむ。
更にこの本に新稿として書くべきものとしては、高村光太郎、萩原朔太郎、乃木大将の詩等がある。
午後二時頃川崎昇来る。夕方五時迄対談、四時頃安原君来る。夕刻安原君の小説「花籠」へ送る。
今日北風なるも寒く、風邪をひいたようなり。
六月二十二日(月)曇 少雨 東北の風 寒し チヂミの上に、ワイシャツ、毛のチョッキに合の上着、麻厚地ズボン。前夜インドラミン3CC
[#1字下げ]九時 六度二分 五十七
[#1字下げ]十二時 六度四分半 五十
[#1字下げ]四時半 六度七分強
[#1字下げ]七時 六度七分
[#1字下げ]前夜より右の胸ずきずきす。また少しぶりかえしなり。
昨夜夕方熱っぽく、汗が出そうであったが、夜は盗汗なかった。
数日前から下痢してチャーコールをとっている。しかし大便は毎朝一度だったが、昨夜は夕方に行った。熱はそのせいかも知れぬ。
明け方より礼、下痢、熱六度五分、脈六十七、休ませている。元気なく貞子灌腸してやる。
昨日四畳が台所の上で、悪いガスの集ることに気がつく。しかしここより外にいる処がない。夕方の炊事のときは六畳に行くこととする。
四畳に寝台を入れて、客にもねていて接すること考える。
税金、査定一四四○円との通知あり。控除なし。届けが遅れた故ならん。多分税額は百円ほどであろう。
今朝も寒い。今日は去年独ソ戦開始の日である。新聞によるとトブルクは陥ちた。一時は独伊軍の中にあって長く持ちこたえ、遂に英軍に救われたのが、今度は包囲されると思うとすぐ落ちた。東地中海の英の海軍力が失われた結果であろう。やがてスエズは失われるかも知れぬ。これは東方でシンガポールが落ちたのに似た感じだ。
またセバストポールも落ちそうな処へ来ている。
畑の馬鈴薯葉がしげり、大分実っている。トマト花咲き出す、一尺ほど。ナス一個はじめてなる。ササゲなる。玉蜀黍一尺――二尺、遅播きは三四寸。
昼頃から雨しぶいて、音もなく降る。本当の梅雨なり。
錦城出版社中島氏より返信。長篇の契約金を持って社員が来る由。午後久しぶりで、近所の床屋に行く。大分汚いのをやってもらうので、青年に一円やり釣はとらぬ。戻ると錦城から女社員来ている。二百円入金として持参せり。そのあと、ねていると、育生社平田君来る。原稿不足にて「ニューメキシコ」を補足してほしいとのこと。明後日旧稿に手を入れたのを渡すと約束す。
夕方学生二人、先日来たのが来る。玄関で帰す。講演会駄目になりそうになり武者小路、亀井二氏の座談とした由。
森本治吉夫人より、夫君の本のことで逢いたき由言って来る。
六月二十三日(火)曇 寒し 午前晴となり、明るい気持す。
前夜ビタニン、この頃盗汗なく、割によく眠る。盗汗を怖れて不眠がちであったのだ。鼠が出るので、家ダニ予防のため、シッカロールに除虫粉をまぜ、オゾを塗った上からたたいてねる。これは効果あり。
[#1字下げ]九時 六度三分 五十三(坐)
[#2字下げ]朝から脈少いので、上気せず、しっかりしている。
[#1字下げ]十二時 六度四分 五十三(坐)
[#1字下げ]三時 六度七分 五十八(外出一時間後)
[#1字下げ]四時半 六度八分
[#1字下げ]昨日の右胸のずきずきするの、やむ。下痢続き、カユを食う。
[#1字下げ]この頃卵、魚なく困っていたら、田居からの鮭と、母からのコナゴの佃煮とで少し助かる。
澀江抽斎論(小説の〔脱〕)〔「小説の形式について」。新潮、整全集では「森鴎外」〕十枚目より書き進む。
自分の室の四畳間は、台所の上で、悪ガスを冬中吸っていたことに気がつく。多分、それが病気の原因ならん。
裏の木綿家の老母、配給の菓子を取って来てくれる。ビスケット二袋、オコシ一袋分、アメ一袋、キャラメル一個等。
実にこういう菓子が頼りになる。卵も月に十個位、生菓子月に五個か十個配給になる。
昼頃田原君来る。彼は第二国民兵(丙種)なるも近く点呼あり。また改めて検査され、甲乙丙と分け、甲は兵役に耐えるものとして、とられる由にて、最近母を喪ったので嫁をもらうつもりなりと。福田が文芸家協会に毎日出ている由で、田原を呼ぶらしい。
午後和田本町局に行き貯金二百円。小為替類、印を忘れてとれず。時計修理とり、ビタス等を買う。
夕方、福島、村井、四海よりの評論集原稿催促に来る。玄関で帰す。月末までに書くと言う。
六月二十四日(水)夜中雨 朝曇 日も照る 南風強く、じめじめする。
[#1字下げ]前夜ビタニン 朝、下痢ほぼとまる。ビタスはいいようなり。
[#1字下げ]九時 六度四分 五十四(坐)
[#1字下げ]十二時 六度八分弱 五十八(坐、仕事)
[#1字下げ]四時半 六度八分 四十九(臥)
[#1字下げ]六時 六度六分 四十七(臥)
礼ほとんどよし。貞子夜寝苦しいとて昼間もねている。
今日はむしむしすると思ったが、昼から熱出る。
午後平田君来る。「ニューメキシコ」補足渡す。「メキシコの朝」の分初校終る。澀江抽斎論二十枚に達す。
六月二十五日 梅雨 南風強く、息づまりそうな湿気なり。夕方雨あがる
[#1字下げ]前夜ビタニン 下痢ほぼよし
[#1字下げ]十二時 六度七分 六十
[#1字下げ]四時半 六度八分 四十九(臥)
[#1字下げ]午前中来客、それに早朝と正午頃室の模様がえ、本箱を外へ出して寝台入れ、雑誌を便所前へ持って行く。あまり疲れず。
朝沢田君寄る。そのあと小学館の「少国民の友」の稲葉健吉君、五日迄に小説(四年生程度)十五枚とのこと、承諾。六畳で話す。午後婦人画報の石橋君、自分の小説を持って来て読めという。それから批評して、また雑談一時間あまりの後、この作品を新潮に紹介してほしいと言う。難かしいと思う。彼は久野氏が新潮に紹介してやると言ったと言う。それなら久野氏に紹介してもらった方がいい。自分も手紙を出しておく。
六月二十六日(金)雨
[#1字下げ]前夜カルチコル やや寝苦し 昨日働きすぎ 来客に疲る
[#1字下げ]九時 六度五分(五十一)朝から臥
[#1字下げ]十二時 六度五分弱 四十七 臥
[#1字下げ]四時半 六度四分半 四十八 臥
[#1字下げ]夜多少寝苦しいことはあっても、胸に汗のにじむことなくなった。
[#1字下げ]一時――二時半 坐、仕事す。
昨日から寝台にねている。工合がいい。なるべくねたまま人に逢うことにする。午後抽斎論二十五枚に達す。
今月貞子に家計のためやった金弐百九十円なり。氷券十円、菊子へ十円、買物等を見ても多い。
外に塩谷の母へ五十円、子供貯金四十円、自分の貯金弐百円等、家にいるようになってから自分の使う金は少くなった。
夜八時半――九時、沢田君の所へ行った滋帰らず、迎えに行く。習字に手間をかけていた。
六月二十七日(土)晴 南風 白雲走り梅雨晴れを思わせる
[#1字下げ]九時 六度五分弱 五十三(坐)
[#1字下げ]十二時 六度五分半 四十九
[#1字下げ]四時半 七度一分 五十一(臥)
午後学生山田省三原稿を持って来る。逢わず原稿のみ預り、帰す。
そのあと山下均、友人の日銀行員をつれて来る。ホーリーという薬をくれる。熱あり。
六月二十八日 晴 後雷雨
[#1字下げ]ビタニン 盗汗なし 熟睡
朝五時頃から杉沢と方南町の中村まで卵を買いに行く。七時半帰来、日に当り疲れる。
[#1字下げ]十時半 六度八分半 五十四(臥)
[#1字下げ]十二時 六度九分 四十九(臥)
[#1字下げ]四時半 六度八分半 四十九(臥)
午後石川清氏、杉沢にたのまれた銀の色紙持って来る。そこへ小西君来る。忽ち雷雨。四時頃まで続く。その間、ねていて話をする。
昨日来た山田という学生、玄関まで来てメロンを置いて行く。
六月二十九日 晴 なお午後梅雨模様
[#1字下げ]ビタニン 夜風呂で頭と腕、脚の膝から下を洗う。盗汗なし 熟睡
[#1字下げ]九時 六度五分(五十三)臥
[#1字下げ]十二時 七度一分 五十七、森本夫人、高橋夫人来り、一時間話の後。
[#1字下げ]四時半 六度八分 五十一
終日気分悪く、ねている。文学界五月号にて中島敦氏の「光と風と夢」を読む、スチーヴンスンの晩年なり。一応よく書いてある。
昨日歩いたのがいけないと思う。
六月三十日 曇後雨 なお梅雨模様
[#1字下げ]ビタニン 盗汗なし 熟睡す 今日田居君東京に来てる筈なり。
[#1字下げ]九時 六度二分 五十四(臥)
[#1字下げ]十二時 六度四分半 五十(一時間半仕事後)
[#1字下げ]四時半 六度七分強 四十七(一時間睡後)
午前中抽斎論三十九枚目まで書く。貞子初めて坂上の龍馬君の家まで行く。滋が使に金を持って行って嘘を言って一円不足したとの疑のため。嘘でなくて安心す。
午後二葉亭「平凡」を初めて読む。思ったほど動かされず。
四時半に熱をはかってから、また抽斎論を続け、夕食後七時までに四十五枚目に達してやむ。これで終りとなった。
前に買っておいた冨山房発行の「西洋史物語」上下を出して滋と礼に与う。この頃見られぬ美しい本で喜ぶ。
今月の健康を考えるに、熱の出ている時は、その前日か前々日に必ず無理をしている。
そういう無理のない日はほぼ七分前後である。
また痰なく、咳なく、五月まであった盗汗なく、よく眠るようになった。無理をしないことが今後の唯一の道と思う。
[#改ページ]
[#2段階大きい文字]昭和十七年七月
七月一日 薄曇 後晴
[#1字下げ]ビタニン 熟睡
[#1字下げ]九時 六度四分――五十(臥)
[#1字下げ]十二時 六度五分――四十八(臥)
[#1字下げ]四時二十分 六度八分弱――五十一(睡後)
朝萩原朔太郎論五枚。
今日から滋と礼たち四時間、午前中の由。二十日から休みの由。
昼頃沢田君来る。卒業後就職につき心決まらぬ様子。
午睡一時間半、四時目覚む。福島、村井来る。四海の原稿月曜(六日)に渡すと言う。寝ていて、喋ると熱が出ると言っていたせいか、彼等早目に帰る。
七月二日(木)薄曇 暑くなく、いい気候。
[#1字下げ]注射なし 熟睡
[#1字下げ]九時 六度四分半 五十二(臥)
[#1字下げ]四時二十分 六度七五 五一
[#1字下げ]午後三時下痢す。梅酒生のまま盃に一つ。
十一時頃田居君来る。寝台に坐って話をす。六畳にて昼食、それからねそべって話をする。夕方四時に去る。九日帰国の由。それまでに京都へも行って来るらしい。小樽の陣内氏私行をあばかれ窮境に立っている由。呉服類よく売れて仕入れが予定よりかさむ話。仕入先から抱き合せで売りつけられる話など。
七月三日 曇 下痢直る、安心できず。熟睡
[#1字下げ]カルチコル4CC
[#1字下げ]九時 六度三五――五一
[#1字下げ]十二時 六度四分――五三
[#1字下げ]四時二十分 六度七分――四十八
学校より四時間分十二円六十銭(税引)送り来る。二時間しか出ていないのである。
下痢しやすいのが、むしろ病気の本質のようだ。大分痩せた。それを直すことに専一すべきだ。外に症状はないのだから。
[#2字下げ] 小学館 少国民の友 童話 十五枚
原稿[#1字下げ] 現代文学 岩上順一論
[#2字下げ] 文庫 評論
[#2字下げ] 読売感想 二・五枚
評論集、萩原朔太郎論二十枚に達す。
七月四日 晴
[#1字下げ]カルチコル4CC
[#1字下げ]十時 六度四五――五十、朝家の前の除草力入れる。
[#1字下げ]十二時 六度四分――四八
[#1字下げ]四時 六度七分――四八――対談中
警戒報発令。
下痢ほぼよいが、なおガスあり。
評論集のため、原稿十枚ほど加筆の形で書く。
奥野君来り午後ねていて話す。
七月五日 晴 曇
[#1字下げ]カルチコル4CC
[#1字下げ]十時半 六度七分 五二
[#1字下げ]一時半 六度七五 四九
[#1字下げ]四時 六度七五 四九
朝原稿十枚、評論集の原稿終る。十一時頃保険医来り、三人見てもらう。貞子も自分もとおる由。
午後中公社より原稿来る、安心す。
夜蒲池来り十時迄話す。なかば寝台にねていて話す。
七月六日 晴 眠不足気味 朝、動悸多し。五十六、七
[#1字下げ]カルチコル
[#1字下げ]九時半 六度四五――五三
[#1字下げ]二時 六度五――五三
[#1字下げ]四時 六度五弱――五○
[#1字下げ]朝、防空防火の支度点検あり、とおる。
朝、四海の評論集の原稿を揃え、新聞に書いたものなど、原稿紙に張って整理す。届書の分も書いてしまう。
午後村井、福島来り、四海の原稿渡す。九月上旬本になる由。四千刷るか五千刷るかなりと言う。
四海氏に得能を所望され、進呈す。二人は興奮し喜んでいる。
中公の松下英麿よりハガキ、今後原稿は畑中繁雄氏へ送れと言って来る。
七月七日 晴 大暑
[#1字下げ]九時 六・六五――五三
[#1字下げ]一・三○――七・○――六○
[#1字下げ]四――六・八――五○
西武電車にて売出の家を見に下落合より井荻まで行って帰る。三時間、日に照らされ、悪いと思う。
夕刻、先日原稿を持って来た山田直三来る。駒大の学生の由。それなら逢うのでなかった、芸術科の学生と思ったのだ。原稿を返す。指導などということ断る。
七月八日 暑
[#1字下げ]カルチコル
[#1字下げ]九時 六・六五――五二
[#1字下げ]十二時 六・五――四九
[#1字下げ]四時 六・七――四八
七月九日 晴 大暑
[#1字下げ]九時――六・六――五二
[#1字下げ]十時――六・九――五二
[#1字下げ]四時――七――四九
[#1字下げ]久しぶりに良い便なり。一週間前からカユをとる。
この日夕方より、カルチコル注射の外に、山下均君のくれた薬ホーリーをのんでいる。胸やけする。
七月十日
[#1字下げ]9――六・三――五三
[#1字下げ]12――六・四五――四九
[#1字下げ]4――六・七――四九
[#1字下げ]標準の熱と思われる。
ホーリーをのむ。これは解熱剤が入っているのだろう。だからこれが自分の標準なのだろう。
この頃大便一日おきにしている。
七月十一日(土)晴 大暑 カルチコル ホーリー
[#1字下げ]10――六・七――五七
[#1字下げ]12――七・○――五三
[#1字下げ]4――六・六――五七
午前沢田君就職の件につき、相談に来る。
七月十二日 盗汗なし 今日からオリザニン十倍とカルチコルを混合して注射
[#1字下げ]九時 六度七 五五
[#1字下げ]十二時 六度五五 五十二
[#1字下げ]四時 七度 五十二
七月十三日 良便 育生社平田、児玉医師、有光社中井来る。
[#1字下げ]九時 六・三 五十
[#1字下げ]十二時 六・四――四七
[#1字下げ]四時 六・八 五十
七月十四日 良便
[#1字下げ]九時 六・二 五十一
[#1字下げ]四時 七・○ 四十六
[#1字下げ]子供等の学校へ行き挨拶。
七月十五日 良便 沢田、峰岸
[#1字下げ]十時 六・四五 五十一
[#1字下げ]十二時 六・四五 四十九
[#1字下げ]四時 六・八五 四十九
七月十六日 夜寒し、たんぜんの中に足をちぢめる。北風なり。
[#1字下げ]九時 六度一分 四十七
[#1字下げ]四時 六度四分 四十九
朝(食後)、シャツ二枚(一枚チヂミ)に毛のチョッキ、それに合着の上着を着て、靴下をはき、押入から毛布を出して着て寝台に上る。こういう日は熱の出ないこと、定まっている。
昨日から涼しいので大分助かる。
昼寝二時間、杉沢来る。ビール出す。自分はのまぬ。
今日も便よいが、後半やや軟く、粘液気味なり。
秋江選集の最後まで読み、「苦界」という老年の金銭の苦心を読み、暗然とす。その困ったのが、昭和八年五十八歳頃の由、いまは六十七ならん。どうして暮しているのだろう。
この頃またしきりに家を建てたいと思いはじめる。
七月十七日 曇 涼し
[#1字下げ]昨夜、コタツフトンにて寝る、丁度よし。カルチコール、強力オリザニン七日目 良便 石川清、阿部保
この一週間ほどドン河辺の戦東方に進み、ロストフ、スターリングラード等危し。ドイツの攻勢はげし。北阿戦はアレキサンドリア前面にて停む。
得能の安宅の場昨日から書き初む。
[#1字下げ]九時 六度一分 五十
[#1字下げ]十二時 六度五五 四十七
[#1字下げ]四時 七度一分 五十三
今日から、ビタス、ビオトモサンの外にエーデーをとりはじめる。
なお粥なり、便はよいが、夜腹が鳴っている。一週間前から腹巻二枚にしている。工合よし。
午後、読書新聞記者、原稿断る。後、石川清、阿部保。
石川君百合の花持参。そのあと熱出る。
七月十八日 晴 暑くなる 良便 軟し
[#1字下げ]昨夜カルチコル5 オリザニン1 やや不眠
[#1字下げ]九時 六度三分 五十五
[#1字下げ]十二時 六度六 五十
[#1字下げ]四時 六度八分 四十七
午前起きて芝居の場書きつづける。
河出から秋江の「浮生」送って来る。読み、晩年の作に失望す。衰えかたひどし。晩年金に困っていることを描いている。自分のことを考える。晩年のこと気をつけねばならぬ。帝大新聞の学生来て、昨日断りのハガキを見たが是非書けと、下でがんばっている。頭が悪くはないだろうに。学生嫌いになる。学生は人に甘えて求めること多すぎる。
七月十九日 晴 暑し 良便固し
[#1字下げ]カルチコル オリザニン十倍
[#1字下げ]九時 六度四分 五十五
[#1字下げ]四時 六度八五 四十八
午前中、安宅の場、ノートから写して書く。五枚。
午後杉沢来て、鶏小屋を作ったことと、うなぎとりの籠の来たのを自慢す。自分も近藤君のところへ鶏の交渉に行こうとして、見合す。
夜南風強く、暑い。午後寝ていて、また家の設計一つ書く。
七月二十日 晴 暑し 良便 軟し 漸く腹の鳴るのが減少して来た。
イギリス、戦争以来三千万屯が千六百万屯(独発表、英発表では千二百万屯)沈められ、実勢力は千万屯未満にて、今年毎月五十万屯ずつ沈められると、その生命は今年中、と平出海軍報道〔部課〕長の話、新聞に出ている。午前安宅を書き続ける。
[#1字下げ]九時 六度五五 五十七
[#1字下げ]四時 六度七分 五十三
朝日の長篇評ほぼ読み終えたので、書き出そうと思う。秋江も書けそうだ。
午後井上友一郎、小学館の「伊藤整論」を書いたとて年譜を訊ねに来る。奥野その頃来る。夜安原来る。
七月二十一日 曇
昨夕下痢風の軟便多量、宿便でもあるが、警戒す。キュウリ、キャベツ等の漬物食べすぎならん。
子供たち学校休み、昨夜からまた別な設計。たのし。気に入ったのが出来た。食堂に六畳の板の間をつくる。
[#1字下げ]九時 六度五分 五十二。十時 四十八
[#1字下げ]四時 六度六分半 四十八
[#1字下げ]脈少し、便せず。注射せず。そのせいか。
[#1字下げ]A・D ビタス ビオトモサン ゲン
七月二十二日 曇
[#1字下げ]九時 六度三分 五十一
[#1字下げ]四時 六度八分 四十八
[#1字下げ]安眠 良便少 注射せず
[#1字下げ]A・D ビタス BT ゲン
平田君来る。「メキシコの朝」やっぱり日本圏叢書にする由。不足分の相談、ヂオグラフィカル・マガジンの「ブエノス・アイレスからワシントンへ」にする。
小学館の三輪氏来る。秋江論の催促。「新感覚派論」は他の人へまわしてもらう。
七月二十三日 薄曇 朝から蒸暑い 昨夜寝苦し 良便固し 注射せず
[#1字下げ]九時 六度三分 五十一
[#1字下げ]四時 六度八分 四十八
[#1字下げ]A・D ビタス B・T ゲン
朝、博文館石光君来る。長篇催促、七千位、二円四十銭。一割二分の由。千百円程になる。〔印税計算合わぬ。〕原稿出来れば金を渡すという。錦城の方は三千円になるが、先約故、博文館に先にとりかかるつもりになる。
ロストフの包囲成った由。昨年の夏一度独軍がとり、冬にとりかえされ、またいま独がとろうとしている。独ソ戦最高潮である。一体あの大きなロシアを攻めて、ドイツはどうなるのかと思っていたが、ドン川以西は全部占領し、スターリングラードに近づいているから、ロシヤ軍はこの冬は食糧不足を来すだろう。それが原因となってロシヤは崩壊するかも知れぬ。
北アフリカでは、アレキサンドリア前面で、さすがに英軍はがんばっているらしい。独伊軍は停とんしている。
インドではガンジーが八月十五日期限つきで英人全部の撤退を求めている。騒ぎが持ち上るだろう。日本は蘭印とビルマをとってから三四ケ月静かにしているが、さてどうするのだろう。
今日「安宅の場」ほぼ終りになった。よく出来たと思う。
夕刻四海書房の評論集の校正来る。はじめてなり。初めの二台ほど抜けて九十五頁まで。
七月二十四日 暑し 薄曇 昼実〔?〕に少し雨
朝、郵便局へ貯金を下げに行く。二百円。
河出から五百円来る筈になっている(得能、青春の増刷分)が来ぬ。
[#1字下げ]九時 六度五分 五十二、外出後
[#1字下げ]四時 六度九分 四十八
[#1字下げ]良便 軟し
[#1字下げ]AD ビタス B・T
[#1字下げ]澄川、船山二君来り、よく喋る。相手して起きていて身体を動かす。
雨が昨日頃から降りたがって、時にパラパラするが降れぬ。湿気飽和して息苦しく暑い。
西瓜を今年はじめて、四時に一片食う。
澄川君、河出で前借させると言う。緒方という帝大の医者の翻訳文見てくれとのこと。奥野君に直させようと思い、電話する由言う。
七月二十五日 晴
朝日の広告に、京王電車で住宅を売り出しているので見に行く。即金とのこと。設計はよいが、とても駄目なので諦める。十時――十二時。
[#1字下げ]九時 六度七分 五十四
[#1字下げ]四時 六度八分 五十
[#1字下げ]朝頭髪洗う。良便 軟し
平野謙君に借りた網野菊氏の「若い日」を読む。感心す。
夕刻奥野君来る。潤一郎論と秋江論の文ケン捜してくれる。十円やる。なお出版物の目録もたのむ。
新潮から葛西善蔵論言って来る。承諾。
七月二十六日 晴
[#1字下げ]九時 六度三分 五十一
[#1字下げ]四時 六度七分 四十八
[#1字下げ]良便軟し 注射せず
[#1字下げ]午後蒲池、岩淵来る。
この頃夜はチヂミのズボン下をつけ、腹巻二重、その上にユカタを着ている。南の窓は風次第で開けたりしめたり、北窓をあけておく。
新聞聯盟(河原君らし)から時評言って来る。断る。報国社北岡氏より逢いたいと言って来る。病気故来てくれと返事する。
昨日までは、はっきり日の見えない、湿った梅雨模様が続き、風が午前中はまるで無く、ひどいむし暑さだったが、今日はからりと晴れた青空に白雲が浮き、風があり、からりとした本当の夏になった。
これまでの暑さは近年にないものであった。むしむしして高温だったし、雷雨もなかったが、これからは雷雨もあり、しのぎよくなるだろう。
七月二十七日 晴 良便
[#1字下げ]九時 六度六分半 五十一
[#1字下げ]四時 六度八分 四十七
[#1字下げ]昨夜カルチコールとビタニン注射。今朝、米に虫ついたのを乾すとて屋根に出て、しばらく日に当る。
得能「人間の顔」書き直す。
昨夜から今朝にかけて新田潤の「東京地下鉄」を読む。
七月二十八日 晴 注射なし 良便
[#1字下げ]九時 六度七分 五十二
[#1字下げ]四時 六度六分 四十六
[#1字下げ]昨日頃から、腹なりが減少す。間食にホシタラ、スルメなど食うも異状なし。
午後沢田君来て、明日子供をつれて横須賀へ行ってくれる相談。そこへ飯山君来り、得能と青春の増刷印税五百円持参す。その後平田君来り、翻訳決定す。南米より北米への騎馬旅行というのをやることになる。
午前中に、四海の用にて福島君来る。不足分の校正彼が持ち歩いていたのである。四海のは九月初めに本になる由。
七月二十九日 晴 下痢す[#「下痢す」に傍線] 昨日あたり、乾魚や菓子を間食に食べすぎた。
[#1字下げ]子供等は沢田君と薫につれられて横須賀へ行った。
[#1字下げ]九時 六度三分 四十九(椅子で五十一)
[#1字下げ]四時 六度七分 四十六
[#1字下げ]この頃朝の脈搏少い。段々とよくなっている証拠。階段を歩いて疲れていない。
七月三十日 昨日夕方湯で身体を洗う。石けんをつけ全身洗う。ひどい垢である。今日晴 大暑
[#1字下げ]九時 六度五分 五十一 軟便
[#1字下げ]四時 七度 四十八(昨日湯をつかったせいであろう。)
七月三十一日 昨夕久しぶりで雨、但し少し。軟便下痢気味 曇 少し涼し
[#1字下げ]九時 六度四分 五十一
[#1字下げ]四時 六度七分 四十七
今月影山正治が「文芸日本」で菊池寛を国賊扱いにして論じている。「青年作家」で中岡宏夫が、私小説否定論を書き、広津和郎が白鳥らしい作家の小説をこき下している。小曾戸弥一が菊池寛の作品「忠直卿行状記」などを非難している。そういう気風が漲って来た。今後ますます盛になるだろう。
「青年作家」は、革新的立場をとり、外の青年文学者聯盟の同人雑誌がそれに一致しないからとて、聯盟から脱退を宣言した。前号で。ところが二三日前、手紙が配達され、脱退は一部為にする悪質な同人の仕事で、外の同人たちは青年文学者聯盟に残って相かわらず「青年作家」を出す。聯盟にいる外には雑誌は出せないのだ、と断って来た。但し無記名。そして渡辺得一郎、小曾戸弥一外一名を指名して除名してあった。
この月届いた雑誌(昨日)は、渡辺、小曾戸等が書いている。こういうことになるだろうと思っていた。ますます面倒になるだろう。
昨日沢田君の義母と子供が上京した由。
塩谷川端から、菊枝の保険帳が来たが、こういうことをされては困ると言って来る。何のことか分らぬ。誰かが入れたのだろう。
今日薬屋の支払三十九円なにがし。(但し薫の薬五円含む)
昨日十勝清水の義兄から手紙、嗣郎悪く姉が富岡の陸軍病院へ来る由、但し不案内故東京にはよらぬかも知れぬ、と。
昨日七度になり、しょげる。
午後、河原直一郎君見舞にと、桃一箱を持って来る。そのあとへ沢田君母と子とをつれて来る。また奥野君、谷崎潤一郎、近松秋江の文献調査を持って来る。十円渡す。
[#改ページ]
[#2段階大きい文字]昭和十七年八月
八月一日 晴 良便 この頃注射せず
[#1字下げ]九時 六度五分 四十九
[#1字下げ]四時 六度六分 四十七
今日いよいよ「得能」下巻の原稿を飯山君に渡す日なり。「十二月八日」のみ残して、およそ仕上げた。いま最後に「葛の葉」の前につける原稿を書いている。
これまで随分骨を折った。今年の二月頃にはできる筈のが、思いまどうことばかり多く、ちびちびとしか書けず、その間に、評論集「感動の再建」や翻訳の「メキシコの朝」をやってしまった。
ドイツ軍はロストフを陥しコーカサスに南下すると共に東方ヴォルガ河畔でスターリングラード攻撃中。
二十四日から八日にかけて、日本空軍は濠洲東岸のタウンスビルを初空襲したと今朝発表。
昨夜久しぶりに外出。新田の小母さんと子供さんが来ているので沢田君のところへ行く。薫来ている。
夕刻飯山君来り、「得能」の原稿を渡す。九月末本になる由。
夜杉沢遊びに来て、横山村の串田氏が、二百坪の土地を売ってもいいと言っていたこと伝う。五六百円とのこと。一度見てからきめるという。
八月二日 晴 大暑[#「大暑」に傍線] 朝から暑い 良便
[#1字下げ]九時 六度六分半 五十二 午後発熱するか。
[#1字下げ]四時 六度七分半 四十八
朝、昨夜杉沢の言っていた雄鶏一羽、一男君持って来る。オムツホシの金網に入れておく。また熱あり。
現代文学で上林暁、批評家としての伊藤整論を書き、新心理主義文学の序文を引用して言っている。いやな気持なり。いま自分と伊藤君とは同じ立場にいるが、やがて別れるだろう云々。伊藤の変りかたを云々しているようなもの。佐藤惣之助ではないが、芸術の道は残忍だ。ひどく孤独の思いをする。「昭和文学」で岩田耕一、私の私小説論を引いて、実感尊重に賛成しているが、やっぱりジョイスを引き、その行き方を思わせるが、しかし伊藤の今の立論は正当だと言っている。そういう印象は消せるものでない。芸術家はひとりひとりである。それだけ、また人をいたわらねばならぬ。いつかの座談会(平野君との)で上林の作品を昔は素直なだけだと思っていたと、言ったことをも上林は引いている。彼もその言葉には寂しさを覚えたのだろう。私の方でもいたわりが足りなかった。
板谷真一君より返書。鶏二羽たのんだの、秋頃に入手してくれる由。
夕方板切れと、オムツホシの金網とで縁の下に鶏屋を作る。手ぎわよく行ったが、釘をうつのは胸にこたえる。あと悪くなければいいが。
夜杉沢来り、明日から日光に家族づれ、沢田君親子同伴で行く由。タバコ無いので分けてくれと言う。カンから出してやる。三四十持っていたのが大分へった。
八月三日 曇 むし暑い 良便
[#1字下げ]九時 六度六分 五十一
[#1字下げ]四時 六度九分 四十七
[#1字下げ]十時より二時迄外出
朝安原君来り、十分ほどいて帰る。尻の短い男。
同君に言われて「文芸主潮」を見ると、関心〔ママ〕する作家という項に荒木太郎という人、十枚ほど伊藤整論を書き、「幽鬼の街」と「イカルス」を推している。外には丹羽をとりあげた者多く三四人あり。
礼昨夜息早く微熱気味なり。
芸術科夜間卒業の広瀬君横須賀に徴用されたとの手紙。彼らしく面白い。
四海の息子、四海静君よりはじめて手紙。評論集の原稿不足の由。二八五頁、三百頁にするため、もう少し書き足すと返事す。
セヌマよりハガキ。仕事手伝わせよと言って来る。「メキシコの朝」の補足分の原稿をまわそうかと考える。
東京建物に相談に行く日を、こないだから考えていたが、今日曇っているので、いよいよ出かけようと思う。
十時頃から出かける。街を見ながらバスで銀座に行き、不二アイスで八十銭のランチ。あまりよくない。それから本屋にて、岩波版の子供の本二冊と潤一郎の「吉野葛」を買い、東京建物に行き面会。いま月賦の住宅は春頃申込の十四五軒をやっている。三百五十円から六百円位の間とのこと。土地がきまらねば駄目ということなり。古い家を買った方がよいなどと言っている。家へかえって夜貞子と相談、土地を買うことなどを考えたが、きまらず。明春にしようなどと言ったり、郊外土地で売り出している土地を買おうなどと話し合う。
留守に福島来て、評論集の校正みなおいて行った。
夜珍しく雷雨。勢は弱いが一時間ほど降る。
八月四日 晴 良便
[#1字下げ]九時 六度三分 四十九
[#1字下げ]四時 六度七分 四十六
[#1字下げ]二週間ほどカユ、ゲンのショーコ、ビオトモサン、ビタスを続けたが、ずっと軟便であって、ところが、数日前からクレオソート丸を食前にとっているのが利いたらしく、昨日からしっかりした良い便となった。
昨日から朝日の長篇小説評を書いている。今日二回目を書く。
午前中にそれだけの仕事。午後午睡。
今日から粥をやめる。
八月五日 未明強雨 北風にて涼し 軟便
[#1字下げ]九時 六度三分半 四十八
[#1字下げ]四時 六度六分 四十五
[#1字下げ]昨日から午前中上半裸体でいる。
朝日の第三回を書く。
〈原稿〉
急の仕事として、四海の評論集の不足原稿二十枚書く。
育生社の翻訳の残り、騎馬旅行百枚、これは昨日夕方に二枚着手した。それと得能印税とで三千円ほど家のため急につくること。
それから、小学館の秋江論と潤一郎論。
[#2字下げ]有光社の隣組小説 百二三十枚 八月末。
[#2字下げ]新潮の葛西善蔵論 十枚 十日まで。
これまでずっと、仕事は朝九時か十時から十二時迄だけだったが、熱のない日は夕方四時から六時迄することにする。
今日貞子二時半七度、礼六度七分、滋六度六分半。
八月六日 朝曇 小雨 昨日から、ひどく涼しい。
[#1字下げ]軟便、また粥にす。
[#1字下げ]九時 六度二分 四十九
[#1字下げ]四時 六度六分 四十四
[#1字下げ]この頃脈極めて少くなる[#「極めて少くなる」に傍線]。
野田生の義父から手紙にて、日本生命で先月医師に見てもらった結果通った由言って来る。あまり長いので駄目になったことと思い、家族の健康について悲観していた。ほっとする。但し半年毎に百七十円程払い込まねばならなくなった。貞子だけは通るまいと思っていたのに意外でもあるが、当人も安心したらしい。自分の分はこれで総計一万円になった。貞子、滋各二千円。
朝日の批評昨日出来。今日書き直し、一方を評論集にまわす。税金督促状来る。
昼までに朝日の原稿書き上げ速達す。四海の校正、豊岡に嗣郎看護に来ている姉への見舞状等一緒。
貞子熱四時六度六分。
八月七日 朝曇 涼し 小雨 良便
[#1字下げ]九時 六度二分 四十六
[#1字下げ]四時 六度八分弱 四十六(十二時から二時迄外出)
子供たち薫に伴われて、嗣郎見舞に豊岡へ出かける。
この二三日の涼しさは秋と同様。やっと、少し楽になる。
貞子昨日から右胸背部痛がっている。今朝六度八分、四時七度二分[#「四時七度二分」に傍線]。
十時から曇っているので外出。局で野田生あて百三十七円二銭の保険料金と、税金四十三円某を払う。それから新宿に行き、理髪。昼食に寿司を食い、郊外土地にて案内書をもらう。帰ると、留守中に日本建築から勧誘員が来た由。三百円前後にて建つと言って行った由である。新宿にて小雨にあう。すし屋では、立食が皆なくなり、一皿五十銭のを買って食う。食べる比例が一致せぬからであろう。九つあり。
貞子熱あり、大事にしなければならぬ。
子供等夕方戻る。嗣郎元気で食あるも腹膜になったらしく熱は七度以上の由。姉は十日頃戻るという。
八月八日 涼し 曇 軟便
[#1字下げ]九時 六・二――四八
[#1字下げ]四時 六・七五――四六、一戸と第一生命原田さん来て話中。
夕刻児玉医師来る。貞子は肋膜の気味全くなき由。自分はほぼよきよし。
〈原稿〉
今日から評論集にまた足すことになった「作品論」なる原稿書き出す。三枚。子供等に取材した日記風のもの書き出す。朝六枚。
八月九日 晴 久しぶりに暑い天気 下痢 昨夜寝苦し
[#1字下げ]九時 六度五五 五一
[#1字下げ]四時 六度六分 四十五
[#1字下げ](朝下痢なので熱っぽかったらしい。下痢気味のときはよく微熱になる)
昨日八百屋で菊枝に、夜いいものがあるから来いと言ったとかで、行ったら西瓜を持って来た。九十銭で大して高くない。知り合にだけ分けるようにしたらしい。今日食べる。熟していて、うまい。街では昔は氷西瓜などいくらもあったが、今はかけらも見えぬ。
小西と奥野午後来合せる。小西は早稲田文学にはじめて小説のり、元気。宮内君の推せんの由。奥野私の紹介した河出の翻訳文の訂正やっていると一部分を持って来て見せる。
午前むし暑いが午後涼風。
前方のアパートの前に新築らしく、ヨイトマケしている。家のこと考えていて興味がある。子供等菊枝と大宮公園に行く。ボートに乗った由。
午前中、評論、作品論四――十一枚迄書く。夕方翻訳十六枚目まで。
夜蒲池君来り、十時頃まで喋っている。彼この頃銀座の店にて川崎に逢った由。あの店は盛業の由。
夜洋服屋薫のことで来る。
八月十日 朝雨 後晴 下痢 午後また軟便 下痢気味 心配になり、不安強まる。
[#1字下げ]九時 六度五分 五十一
[#1字下げ]四時 六度九五 四十七
午前、先日来た日本建築の男来て、色々話をす。十時半頃帰る。そのあと、今日締切の葛西善蔵論のため、春陽堂版の善蔵集を読む。暗い気持になる。書き方は、いま読むと下手だ。大正十年頃まで読み四時迄かかる。上手なのは、「子を連れて」だけ。あとはみな自伝として、葛西なる男の伝記として面白いのだ。頭が悪く、はっきりもの事を書けないのだ。後半生の作品を読まねば結論はつけられぬ。
今日また腸結核の疑を持つ。
昨夜から弘文堂文庫の「結核」という薫の本を読む。
八月十一日 晴 あまり暑くない。
[#1字下げ]九時 六度四分 四十九
[#1字下げ]四時 六度七分 四十四
朝日の長篇評出はじめる。読売の矢沢氏と約束したものまだ書かずにいて気になる。都から大波欄言って来る。
朝、評論(作品論)十八枚目まで書き、午後葛西善蔵を読み続ける。
午後改造社佐藤寅雄氏来り、月報に林房雄について五枚ほど書けとのこと。
夜岡本芳雄君来る。小説読めと百枚あまり持参。自信を持てと断る。杉沢、沢田来る。沢田君配給会社に就職決定の由。
◎佐藤君の話によれば、沿海州と北樺太を九十九年租借し、日本軍が入った由。それは先日の警報の出た日で、ロシアからの攻撃を心配してのことなりと。
八月十二日 曇 涼し 未明に完全下痢 いよいよ下痢、昨日頃から悲観す。
[#1字下げ]九時 六度四分 四十八
[#1字下げ]四時 六度九分 四十五
下痢本格化し、げっそりと悲観す。こう続くのは腸がいたんだのではあるまいか。この頃、食前クレオソート三錠、カユ、ミソ汁その他漬物魚等よくかんでとっていた。食後ビオトモサン、エーデー、ビタス等。
今日のは本当の下痢。昨日までは軟便ともいうべきもの。
今朝クズユ、馬レイショ煮たの、その後にオイコール、天寿錠という下痢どめをとる。
午前中「作品論」二十枚書き上ぐ。「葛西善蔵論」十一枚書く。午後速達す。
午後三時頃警戒警報発令。
四時湯浅克衛来る。十日程前満洲から来た由。朝日の長篇評に彼の「二つなき太陽」をとりあげたか、と言われ、忘れていたので驚く。外の所に書くつもりす。
七月分の収支計算、収入、六百二十二円七十銭、支出、三百三十九円七銭。
八月十三日 薄曇 涼し
昨夜燈管してねる。飛行機昨日終日と昨夕、今朝頭上を飛び、やかましい。
[#1字下げ]九時 六度三分 四十六
[#1字下げ]四時 六度六五 四十四
[#1字下げ]今朝やや出にくい軟便少量。昨日から流動食のみとす。
朝、評論集の校正、二台を残すのみとなる。
午後、林房雄「青年」を読む。気ざな表現、落つきのない文章ながら、内容に迫力あり。ことに伊藤俊介の二十一歳の時の手紙の実物に感心す。考がねれていて立派だ。
夕刻翻訳、十八枚目からとりかかる。――二十枚迄。
この頃晴れていても湿気少く、風涼しい。昼寝して汗が出るということはない。凌ぎやすくなった。
八月十四日 晴 暑し
[#1字下げ]九時 六・三五――四八
[#1字下げ]四時 七・○――四五
[#1字下げ]下痢 流動食 オモユ、クズユ、スープ。薬はオイコール、天寿錠、ビタス、ビオトモサン、ゲンノショーコ等を食事しながら分服。
昼頃警報解除となる。
午前中、朝日の評論を書きうつす。新聞保存のためなり。
八月十五日 晴 大暑 再び暑さ戻って来る。壁に手をやると暑いこと。ここ一週間ほど涼しかったが、再び始まる。
[#1字下げ]九時 六・三――四四
[#1字下げ]四時 六・七――四四
[#1字下げ]流動食。身体に力ないが、なお、ふとん上げ下し、カヤ畳み等する。便意なし。
朝、林房雄「青年」評六枚書。
午後佐藤寅雄君来て原稿渡す。
夕方、翻訳、二十六枚迄。
夜ねぐるしい。貞子も苦しそうなり。
八月十六日 晴 大暑
朝八時までに三十度の由。壁暑くなっている。
昨夜寝苦しい。午前南風あり、しのぎやすい。
[#1字下げ]九時 六・八――五十四
[#2字下げ]流動食、薬昨日に同じ。
[#1字下げ]四時 七・○五――五十八 便なし
[#1字下げ]朝寝ていて、七時、脈六十。珍しく多い。朝便所に行くも便なし。昨日から、腹巻、毛のもの二枚の間に真綿を二枚入れる。暖い。
朝沢田君来て、二時間ほど喋る。十月国へ戻ってからの計画なり。
午後松尾君来り一時間程話す。無尽中央会をやめたが、しばらく遊んでいる由。
谷崎潤一郎「吉野葛」を読む。はじめて也。自分は「葛の葉」を書くとき、この作品のことを知らなかった。とらえた面がちがう。谷崎のはまともに母を恋う子の気持。自分は子を棄てて行く狐の顔に、裏切られた女の顔を見たのだ。
朝日より、批評の稿料、十二枚分、百二十円来る。私の最高の稿料なり。
朝と夕方も便所に入るが、便なし。屁と腹なりはある。
明日から少し粥を入れた重湯にするよう言う。
朝翻訳二十九枚する。夕方もゆっくりと少しする。
八月十七日 月曜 晴 大暑 無風
[#1字下げ]九時 六度七分――五十六
[#1字下げ]八時 ――六十
[#1字下げ]四時 六度九分――四十九
[#1字下げ]朝便通なし。三日目なり。流動食。午後二度便に行ったがなし。秘結なり。
菊に為替をとりにやる。百五十円六十銭。郵便局で二三ケ月前から私あてに来てると言う為替、(多分新潮からの)私は受けとったつもり。私あての紙片が見つからぬ。二枚で三百円ほど。向うでは払っていぬという。期日を過ぎたので、向うへ戻したと局で言っている由。こないだも私がそのことを訊ねると男の局員は、受けとったつもりならそれでいいと言い、女事む員はなお気にしているらしく、今日も菊に言った由。
そのあとへ重見夫人が来て、急に十五円貸せとの事。貞子、私の財布の百円札を出し、近くでくずさせて貸してやる。
重見氏、先日学校で草とりを監督中、三十八度の発熱して寝てる由。一昨年九月貞子と同じ頃の発病。
気胸をつづけていて、元気で熱もない由なのだが、やっぱり時にこういうことあるらしい。
十時半にベッドを離れ、評論集の校正最後のを一台やり四海に送る。そのあと翻訳。
菊、滋と礼の歯医者の払、二本ずつ、アマルガムをつめ、四個ずつの由。外の手当共計十一円の由。
[#1字下げ] この頃の日常――七時起床、貞子と礼のふとん、蚊帳をあげる。八時頃食事終る。検温八時半――九時。十時か十時半まで寝台にて新聞を読み、ねてる。十二時まで仕事、食後四時まで寝台にて安静、読書。四時検温熱なければ、四時半から六時迄仕事。六時夕食。七時就寝して夕刊読み、九時頃眠る。
昼は坐っていても汗がにじむように暑く無風だったが、二時頃、急に大粒の雨が降り出し、雷鳴と共に強風豪雨となり、硝子の間からしぶく。六畳で戸の間から雨入り、ふとんを湿らす。夕方まで雷鳴と雨つづく。
畑はかわき切っていたので、大変助かる。涼しくもなった。
また別な家の設計する。こないだまで北に入口のある家だったが、昨日から考えて西に入口のある家を考える。
八月十八日 雨 寒し
[#1字下げ]九時 六度二分 四十八
[#1字下げ]四時 六度三分 四十五
[#1字下げ]朝、便なし、浣腸してやや通ず。しかし腹なりあり、まだ醗酵している。夕食より梅干用う。
森本忠より「巻絹」出版にて二十二日晩餐に招待。私が話してやったもの。網野菊より朝日の批評の礼。先日、朝谷耿三、妻木新平よりも来ていた。
梅雨気味。終日降る。
浣腸にて便出たが、夕刻また便。下痢風なり。浣腸の残りならんも念のため、相かわらず、オモユ、クズユ、味噌汁少々に止む。橋爪家より梅干もらい、用い始む。これは当節入手しがたく、貴重品なり。
四時より、昨日の雷雨のさま、「一郎と二郎」の話に十枚書く。この小説「一郎と二郎」として書けば、どんどん書けそうだ。一つの話題が二十枚になる。今までに二十枚書いた。
夕刻、瀬沼の母、八日脳溢血、十五日死去の由通知あり。あの元気な人が、と驚く。貞子に話すと、前にもあの人は中気をやったと聞いていたと言う。中気の再発は駄目なり。
瀬沼悲観している由。そう言えば私は今朝から彼のことを何となく考え、「メキシコの朝」の続稿の翻訳をたのもうとしきりに思っていた。腹が治らねば行けぬが。
八月十九日 朝小雨 寒し ビタニンとカルチコル注射
[#1字下げ]昨夕寒く、タンゼンに毛布かけて寝る。
[#1字下げ]九時 六度三分 四十八
[#1字下げ]四時 六度四分 四十四
[#1字下げ]朝便小量。硬便小量のあと、なお水気出る。浣腸の残りか? 今日から、懐炉[#「懐炉」に傍線]を腹にする。
[#1字下げ]午後便、硬いが、そのあと水様粘液出る。
昨夜十枚書いた雷雨記の残りを、朝書く。十三枚迄。
午後潤一郎の「鮫人」読む。読みにくいが、読んでいるうちに浅草小説として、「浅草紅団」に先行するもの、面白くなる。三十歳頃に書いたものか、説明だらだらして描写が後年のようにすっきりしていない。しかしその語る、くどいほどの力はやっぱり相当のもの。
午後、平田君来る。「メキシコの朝」続篇の翻訳を催促す。
三十五枚渡す。急ぐ由。そのあと夕食までに四十二枚迄訳す。
スターリングラード大分ロシアががんばっていたが、漸く落ちそう。南部ではクローズヌイにせまっている。
印度の騒ぎは続いている。八月でビルマの雨期があけるそうだが、この絶好機に日本軍の侵入するのは何時であろう。
日本米でないと重湯がよくとれぬ由。峰岸君からもらった米がなくなりそうなので、明日、冒険だが、子供たちを米もらいに本庄までやると貞子が言う。多分行けるであろう。
今日は寒く時々小雨。北のガラスド開けず、合の上着を着、腹にカイロしてちょうどいい。
重見夫人よりもらった林檎(二個)の汁をのむ。うまい。身体を見ると大分やせている。まだ腹がなっている。
八月二十日 晴 涼し ビタニン、カルチコル計六CC
[#1字下げ]昨夜寒く、毛布をタンゼンに重ねる。
[#1字下げ]九時 六度三分 五十
[#1字下げ]四時 六度七分半 四十四
[#1字下げ]朝、腹なる。林檎汁や梅ぼし悪いと思う。下痢す。水様のものと黒いカタマリと別れている。
身体は割に元気なり。朝翻訳四十八枚迄。
午食、沢田君と薫、滋の誕生祝に呼ぶ。
午後飯山君、得能の題のことで来る。そのあと錦城の女子長篇の催促、二十二枚迄のを見せる。
夕方五十五枚迄翻訳す。
貞子しきりに入院をすすむ。今の調子でよいなら少し見てからと答う。
峰岸君へ米を(オモユ用)ほしいと手紙書く。
八月二十一日 晴 涼し 昨夜も涼し ビタニン カルチコル
[#1字下げ]九時 六度四分 四十六
[#1字下げ]四時 六度五分 四四
[#1字下げ]朝便、黒くかたまった(薬のため)小量、粘液ついている。カイロ用う。
瀬沼に行けぬと言ってやり五円香料送る。小学館の潤一郎論五十枚書かぬかと言ってやる。一枚三円。
森本に明日行けぬと断る。小説「こゑたえず」とつけた由。私の評を表紙裏の広告に使う由。
沢田君先日下痢し、二日で止まったという錠剤薬を持って来てくれる。昨夜から飲んでいる。
朝、翻訳六十五枚迄。
午後四時から七時迄沢田君のため英文和訳口述す。
八月二十二日(土)やっぱり夜涼し 朝晴 涼し
[#1字下げ]今朝ビタニン カルチコル
[#1字下げ]九時 六・三五 四八
[#1字下げ]四時 七・○ 四五
[#1字下げ]硬便、粘液。昼と夜南瓜を食う。カイロ
午前翻訳七十一枚迄する。
得能下巻の題を数日前から考えている。
[#1字下げ]小さな幸福 郊外物語
[#1字下げ]生きる味 生活記録
[#1字下げ]孤独 生活動語
[#1字下げ]悔恨 得能と桜谷
得能物語
尾崎一雄の「のん気眼鏡」のような題がいい。
午後、「花籠」小説の選を書き送り、今月で断る。
八月二十三日(日)晴
[#1字下げ]九時 六・五――五二
[#1字下げ]四時 六・六 四十四
[#1字下げ]軟便――昨日の南瓜か。カイロ
午後森本忠、友人と見舞がてら寄る。
夕刻杉沢鰹節持って来る。一貫目なり。四十円。
先頃魚屋でやっぱり一貫目二十七円かで買ったが、一段とこれは高い。しかし折角買って来てくれたのだからと払う。
夕食に豆腐ほんの半口、ミソ汁一椀食う。オモユ、クズユの外。
翻訳午前八十三枚迄。午後谷崎源氏を読み出す。面白い。
八月二十四日 晴 下痢 カイロ
[#1字下げ]九時 六・五――四八
[#1字下げ]五時 六・八――四四
[#1字下げ]朝 生水コップ一ツ、オモユ二、クズ一、ミソ汁一。
[#1字下げ]昼 オモユ一、クズ一。
[#1字下げ]夕 オモユ一、クズ一、カレー肉一口。
朝翻訳九十七枚迄にて仕上げる。後記一枚書き足す。
昼平田君来て渡す。
午後第一書房の木下君来て、「小説の研究」一万部増刷と言う。この春以来一二度刷った由、知らぬ。いつか郵便局で分らなかった金がそうか。調べてもらう。なお川端氏の名で「小説の鑑賞」というようなもの出したい由、瀬沼を紹介してやる。三時から五時まで彼が話し疲れる。
終日飛行機飛ぶ。新聞に出ず回覧板の通知にて演習なりと知る。
また下痢にて悲観す。
新潮より、「思想戦と文学者の覚悟」二枚言って来る。
八月二十五日 晴 昨夜中一時頃腹なり始まって目さめ、カイロ取り去る。悲観す。
[#1字下げ]今朝食後便小量、硬い。粘液あり。
[#1字下げ]九時 六・三 四八
[#2字下げ]朝 ビタニン カルチコル
[#2字下げ]夕 ビタニン カルチコル
[#1字下げ]四時 六・七五 四三
[#1字下げ]朝 生水コップ一ツ、オモユ一、クズ一、薯一片。
[#1字下げ]昼 オモユ一・五、クズ一、薯五片。
午前、翻訳がすんで手持ぶさた。何もせぬ。身体大分やせて力なし。
午後、谷崎源氏「若紫」まで読む。冷酷さと雅かさと頭のよさと好色味との混ざった大作品だと思う。立派な作品だ。
一昨日から夜寝てから岩波文庫で「ガリア戦記」を読む。
八月二十六日 水 曇 小雨
[#1字下げ]四時 六・九 五一
[#2字下げ]硬便小量 粘液
[#2字下げ]腹なり少い。
[#1字下げ]夕食 薯四切、卵黄一ツ、クズ一、オモユ一。
朝早く起き、食後便をビタスの小箱にとり大学病院に出かける。
十一時まで待って診察。下痢のこと言うと、一日一回の程度なら、ゆるいというだけのことで、普通の腸カタルならん、と言い、後佐多内科にてレントゲン透視、三月のあの痕跡が消えているかどうか、火木土の何れかの日に結果を聞きに来いという。胃腸薬の処方を五日分もらって来る。
腸結核ならんかと心配し、もしそうなら、今後の仕事も家を立てることも全く考えなおしだとはかなんでいたが、これでほっとし、元気つく。
二時帰着。沢田君来ている。
本郷の書店にて、森潤三郎「森鴎外」、田中茂穂「日本魚類図鑑」、牧野富太郎「野外植物図鑑」、江馬務「日本風俗史」計18.40
八月二十七日 木 曇 ビタニン カルチコル 夕刻雨
[#1字下げ]九時 六・五――五○ 軟便 腹なる
[#1字下げ]四時 六度六分 四十三
[#1字下げ]朝 薯二切、オモユ一、クズ一。
[#1字下げ]昼 薯ミソ汁一、オモユ、クズ、リンゴ汁。
[#1字下げ]夕 薯五切、豆腐少々、リンゴ汁、オモユ、クズ。
[#1字下げ]腹の中でブツブツ言っている。
午前突然基来る。夕刻神戸へと去る。母いま函館にて留守している由、麻服貸してやる。
午後源氏「紅葉賀」を読む。仕事せず。
昼頃下痢の気持で便所へ行くが出ない。
昨日の疲れで熱出るかと思ったら出ないので喜ぶ。
基に、一万円で土地を買い家を建てる話をする。内緒に母に伝えてほしいと言う。
八月二十八日 風雨 暴風警報出る
[#1字下げ]ビタニン カルチコル
[#1字下げ]九時 六・三五 四八 ヤヤ軟 小量
[#1字下げ]四時 六・六 四三
[#1字下げ]朝 三分ガユ一、クズ一、リンゴ汁一、ミソ汁一。
[#1字下げ]昼 オモユ、クズ、桃の汁。
[#1字下げ]夕 二分ガユ、クズ、薯汁二杯、ニラヲ咬ミ汁ヲノム、リンゴ汁。
この頃までいつ舌を見ても舌苔が一面に出ていたが、今朝見ると奥の方に半分しか苔はない。良くなりつつある。病院の薬もよいのか。薬は、昨日からオイコールだけにする。腹をあたためるのは確かによい。腹なり減少す。食後三十分病院の薬。
二十四日、第二次ソロモン海戦。米新航母大破、戦艦及航母中破。我損害小型航母大破、駆逐艦沈没。
これで我の航母四隻を失っている。航空隊は敵もかなりやるらしい。
日中、南の風、ときどき雨がやって来る。しかしひどくならぬ。
九州関西は颱風で被害が大分ある由。
八月二十九日(土)晴
[#1字下げ]カルチコル
[#1字下げ]九時 六・三五――四七
[#2字下げ]良便 粘液少シ
[#1字下げ]四時 六・九――四六
[#1字下げ]朝 クズ一、オモユ一、薯汁一。
[#1字下げ]昼 クズ一、オモユ一。
[#1字下げ]夕 クズ一、オモユ一、薯汁一杯半、リンゴ汁一。
[#1字下げ]昨夜から盲腸の辺引きつるので、安静にし、ウドンスをあてる。
盲腸が引きつる。ウドンをすでねってあて一日寝ている。
盲腸としても腸結核としても気にかかる。
終日源氏の「葵」のあたりと、「ガリア戦記」の終りを読む。
帝大新聞に「葛西善蔵の一面」八枚昨夕方、夕食後(この頃珍しい時間の仕事なり)書き、今朝速達す。
夜またスとウドンをあててねる。時々引きつる気味なり。
八月三十日 曇 無風 午後から終日雨
[#1字下げ]九時 六度四五 四十七
[#2字下げ]軟便多量(下リ気味) 盲腸部のヒキツリ取れる。
[#1字下げ]四時 六度六分 四十三
[#1字下げ]朝 オモユ一、クズ一、薯汁一。
[#1字下げ]午 オモユ一、クズ一。
[#2字下げ]午後二時下痢す
[#1字下げ]夕 オモユ、クズ、薯少々、梅ビシオ。
夕方までかかって湯浅の長篇「二つなき太陽のもとに」評十一枚、新創作に送る。
野田生の義父より来書、自分、貞子、滋の保険料受領書来る。貞子は保険に入れた故病気ならず、と断るように言って来る。同慶なるも事実上、自分と共に半病人なるをいかんせん。
森潤三郎の鴎外伝を読みはじめる。途中でこれをやめ、源氏を読み続ける。午後ヘッセ「車輪の下」を読み出す。
朝便後多少の便意、腹鳴りあり。腸結核ならずとするも急に直りそうはない。
今日薬屋、「アイフ」八日分と、ラクトスターゼ持って来る。ビオフェルミン的な乳酸菌類は極めて不足の由。
昨日はカイロせず、オイコールを飲まなかった。その為か今日はゆるい。
午後、杉沢、岩淵来る。岩淵は蒲池の妹との結婚話を進めてほしい由。
夜に入って基ずぶぬれにて来る。今朝神戸より着、嗣郎を見舞える由。
八月三十一日 朝雨 後晴 南強風 オリザニン カルチコル
[#1字下げ]九時 六度四五 四十六
[#2字下げ]下痢気味 アイフ飲用始
[#1字下げ]四時 六度八五 四十三
[#1字下げ]朝 オモユ、クズ、薯汁一。
[#1字下げ]午 オモユ、クズ一。
[#1字下げ]夕 オモユ、クズ、梅ビシオ。
[#1字下げ]カイロ使用
[#1字下げ]アイフ使用
朝基去る。湯浅の長篇評新創作に送る。
今日はカイロ用い、腹鳴らず、あまりぶつぶつ言わぬ。
午前中近松秋江論五枚迄。午後ヘッセ「車輪の下」読む。
午後武智肇君来り、春までいた余別村の話などあり、喋りすぎた。
今朝からアイフを用い出す。これは薫の愛用薬なり。
[#改ページ]
[#2段階大きい文字]昭和十七年九月
〈原稿〉 この年の前半の執筆録は出納簿にあり。
九月
[#ここから改行天付き、折り返して5字下げ]
[#1字下げ]八日 新潮 文学者と思想戦 二枚 十日送済
[#1字下げ]八日 大東亜公論(銀座七ノ四) 我が郷里 六枚 十日送済、長田恒雄
[#1字下げ]五日 小学館 近松秋江論 四十枚 八日送済
[#1字下げ]十日 有光社 小説百二十枚
[#3字下げ] 都 大波 一枚半
[#1字下げ]十五日 文芸汎論「こゑたえず」評 十日送済
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
[#3字下げ] 旭川新聞 佐藤久彌〔?〕あて原稿五枚 十日送済
[#ここから改行天付き、折り返して5字下げ]
[#1字下げ]十日 文芸汎論「こゑたえず」評三枚 十日送済
[#1字下げ]八日 湯浅克衛「半島の朝」評三枚 八日送済
[#3字下げ] 現代 随筆 四枚
[#1字下げ]十六日 文芸 作家の報告文学 十三枚 十七日送済
[#1字下げ]二十三日 小学館 良い子の友、スキー隣組 三四枚 二十五日 送済
[#1字下げ]三十日 報国 中島飛行機太田工場内 小説十枚
[#ここで字下げ終わり]
十月
[#1字下げ]五日 婦人画報 朗読文学 五枚
[#1字下げ]二十日 蛍雪時代 二十枚 受験を扱わぬもの
(十一月二十日) 仝 その続き 二十枚
[#1字下げ]十日 新潮 朗読文学 八枚
[#1字下げ]〔この〈原稿〉リストの作成日付は不明だが、日記帳のこの場所に記されているので、それに従ってここにおいた。〕
九月一日 真夏のような酷暑の一日
[#1字下げ]昨夜から強い熱苦しい南風。二百十日気味なり。終夜寝苦し。
[#1字下げ]九時 六度七分 四十七
[#2字下げ]朝やや硬便小量
[#1字下げ]四時 七・○五
[#1字下げ]朝夕 カルチコル オリザニン
[#1字下げ]朝 オモユ、クズ、薯汁一、梅ビシオ、アイフ、オイコル。
[#1字下げ]昼 オモユ半杯、クズ半杯(腹がゆるみそうなので減少さす)。
[#1字下げ]夕 薯汁一、オモユ一、クズ一、リンゴ汁一。
朝日新聞のみ、独軍スターリングラードの市中に入ると報ず。
午前秋江論九枚目まで書く。
午後湯浅克衛来り、朝鮮よりのにんにく薬を持って来てくれる。
その後奥野来り、河出からたのまれた翻訳の訂正原稿持って来る。
九月二日 晴
[#1字下げ]昨夜から腹にキュウレイコンを湿布す。ひどく熱いもの、カイロの如し。
[#1字下げ]九時 六度七分 四十八
[#2字下げ]未明に、軟便粘液と共に多量。
[#1字下げ]四時 七度 五十二
[#1字下げ]朝夕 カルチコル オリザニン
[#1字下げ]朝 クズ一、オモユ一、薯少々、ビタス、アイフ、オイコール、ラクトスターゼ、少しずつ。
[#1字下げ]昼 クズ半杯、オモユ一。
[#1字下げ]夕 クズ一、オモユ一、梅ビシオ少、ウニ極少々。
[#1字下げ]キューレーコン良いと思う。
朝沢田君来る。キューレイコンを一箱買って来てもらう。
病いよいよ重大なることをさとる。
キューレイコンを暫くやって見て駄目なら入院する外なし。
秋江論十七枚目まで。
午後中井君来る。有光社の本「私の隣組」と題、二十日頃迄に書く。ビオフェルミンの技師長友人の由。十三円の為替をあずけて依頼す。
同時に峰岸来る。米二升持って来てくれる。
子供等菊とマレー戦記を見に新宿へ行く。
滋のほしがっていた五万分一の地図売禁止となった由。
「源氏」の須磨、明石を読む。
九月三日 曇 涼
[#1字下げ]前夜 カルチコル ビタニン
[#1字下げ]九時 六度五分 四十九
[#1字下げ]軟[#1字下げ]少量 粘液多量
[#1字下げ]五時 六度七分 四十八
[#1字下げ]〔朝〕オモユ一、クズ一、オイコール五、ビタス二、ラクトスターゼ、アイフ。
[#1字下げ]〔午〕オモユ一、クズ一、梅ビシオ。
[#1字下げ]〔夕〕オモユ一、クズ一、大根オロシの汁、梅ビシオ。
朝秋江論二十五枚迄。
午後四時頃育生社の鈴木氏来り、「メキシコの朝」の後半、あの原稿をやめて、「ロレンスとブレット」の一部分を入れては如何との三浦氏の意見を伝う。金三百円持って来る。すでにあれは初め手入れしたものがやめになって二度目にやったものだが、もうこれ以上いじる気持しないと強く断る。大体とおるらしい。地図の校正持参す。
夕刻学校の答案見る。
九月四日 曇 朝雨 涼
[#1字下げ]朝夕 カルチコル ビタニン
[#1字下げ]九時 六度四分 四十六
[#2字下げ]良 粘液出る
[#1字下げ]四時 六度三五 四十一
[#2字下げ]チョッキ着る 寒い日
[#1字下げ]〔朝〕オモユ、クズ、汁少々、梅ビシオ。
[#1字下げ]〔午〕オモユ、クズ、梅ビシオ。
[#1字下げ]夕 パパイン一、クズ一、クズ餅の汁一杯、梅ビシオ。
午前学校の答案片づける。追加を待ってもう二三日おく。
午後涼しいし、二三日来より元気にて、二時迄秋江論二十七枚迄書く。
礼と滋、放課後(正午までなり)新宿伊勢丹にて顕微鏡を買って来る。礼面白がって見ている。
夕方より細雨となる。
午後源氏を読む。
夕食に幼児用の粉末「パパイン」(?)を煮てオモユに代ゆ。
九月五日 雨 寒し
[#1字下げ]朝夕 カルチコル ビタニン
[#1字下げ]右腹の一部、盲腸より上部に軽い圧迫感あり。
[#1字下げ]九時 六度四分 四十六
[#2字下げ]軟便多量
[#1字下げ]四時 六度五分 四十二
[#1字下げ]昨夜の粉乳よくないと思う。
[#1字下げ]朝 オモユ一、クズ一、ミソ汁一、梅ビシオ。
[#1字下げ]午 オモユ二、ミソ汁一、梅ビシオ。
[#1字下げ]夕 オモユ二、クズ、梅ビシオ、薯汁半杯、カボチャ一切。
午後からわかもと使用[#「わかもと使用」に傍線]始む。
昨夜就寝後安原君来た様子。
午前杉沢来る。横山の串田氏の話に、浅川に、串田氏の友人所有の別荘あり。一万二三千円で売る由。その話を進めてほしいと頼む。
八雲行の酪聯技師佐藤寿人氏に、船橋甚三郎伯父あての紹介状書く。
午後思いついて「わかもと」を使用しはじめる。
九月六日 日曜 曇 涼 朝夕ビタニン カルチコル
[#1字下げ]九時 六度四分 四十七
[#2字下げ]硬 粘液少々
[#1字下げ]四時 六度六分
[#1字下げ]朝 オモユ一、カユ半杯、ミソ汁一、ウニ[#「ウニ」に傍線]、梅ビシオ。
[#1字下げ]午 五分ガユ二杯、カボチャ四切、ウニ、梅ビシオ。
[#1字下げ]食前、食後にわかもと[#「食前、食後にわかもと」に傍線]。
食事中に、わかもと、ラクトスターゼ、オイコール、アイフと順に飲み、昨日夕方からキューレイコンの湿布をやめて懐炉にする。キューレイコンは腹にぴったりせぬ時は冷たい。
午前安原君来る。技術本部をやめ、某工場の寄宿監督になるという。
朝杉沢家の一夫君牝鶏を持って来る。
滋、礼を連れ友人三人と万世橋の鉄道博物館へ行く。
◎腸カタルどうやら恢復に向うらしい。
盲腸の圧迫失せる。
午後川崎自転車にて来る。久しぶりに色々話、大同は銀座なればあの連中とよく逢っている由。そのあと小西来る。
この一月ほどの間に大分やせ、顔や腕など、ほっそりとなった。
九月七日 晴
[#1字下げ]ビタニン カルチコル
[#1字下げ]九時 六度三分 四十七
[#2字下げ]良便 粘液付着す
[#1字下げ]四時 六度九分 四十三
[#1字下げ]〔朝〕五分カユ二、ウニ、イモミソ汁一・五、梅ビシオ、食後エーデー一粒。
[#1字下げ]午 五分カユ二、デンプンダンゴ二切、梅ビシオ。
[#1字下げ]夕 五分ガユ一、カユ一・五、スマシ汁一、ウニ[#「ウニ」に傍線]。
午前中に秋江論文献、略歴共にて四十六枚書き上げて送る。
午後沢田君来る。室の話。
夕刻貞子に腹を立て、カユを一杯半食う。心配なり。
九月八日 晴 大暑
[#1字下げ]ビタニン カルチコル 朝夕
[#1字下げ]九時 六度二分 四十四
[#2字下げ]良便 粘液急に減少す
[#1字下げ]五時 六度九分
[#1字下げ]今夕より帝大の薬、食後に用う。食前にわかもと。食中にオイコル五錠。
[#1字下げ]朝 五分カユ二、ウニ、薯ミソ汁二、食後エーデー一個。
[#1字下げ]午 五分カユ二、ウニ、デンプンダンゴ。
[#1字下げ]夕 五分カユ二、ダンゴ汁二、羊カン二切、鰈一口、ウニ多量。
便がよくなった。粥にしてから、かえって良い。
最近の治療で利いたと思われるもの「わかもと」、それに薬屋でやっと一壜あったラクトスターゼという乳酸菌もよいかも知れぬ。
また食事の前に「わかもと」十粒、食事中に「オイコール」六粒、食後「わかもと」五粒。そして常時懐炉で腹をあたためた。
「懐炉」「わかもと」「オイコール」の三つが利いたと思う。
十一時から帝大病院に行く。先頃レントゲンで見た肺は全く異状なき由。腸の薬五日分、診察共一円なり、安価。
夕食に貞子とケンカして、配給の菓子を食いすぎ、夜中盛に腹が鳴った。
夜、湯に入り、平常どおり洗う。気持よし。但し夜胸の真中に少し発汗す。
九月九日 晴 カルチコール ビタニン 朝夕
[#1字下げ]九時 六度三分 四十七
[#2字下げ]軟便多量 粘液ほとんど無し まだ少し悪臭あり
[#1字下げ]四時 六度五分
[#1字下げ]朝 カユ一、ダンゴ汁一、ウニ。
[#1字下げ]午 カユ二、ダンゴ汁一、ウニ。
[#1字下げ]夕 カユ二、ミソ汁一、ウニ。
[#1字下げ]昨日から帝大病院の薬とオイコール、ワカモト[#「昨日から帝大病院の薬とオイコール、ワカモト」に傍線]。
昨夜腹一杯食べ、夜中寝苦しく、腹が鳴ったので心配したが便はよい。安心なり。
スターリングラードいよいよ市街戦になる。もう二月もこの都市は落ちない。ロシアの抗戦力は甚だ大であるのに驚く。
旭川新聞の原稿五枚書く。
今日午前緑色ノート書きはじめる。スケッチとして毎日書いて分類するつもりである。
午後山下均来る。
夕方杉沢に行き例の浅川の家の話を聞く。いつでも串田氏が案内すると言っている由、来週の日曜日に杉沢と連れ立って行くこととなる。
夜常会あり。組長宅。籤引にて防毒面にあたる。十八家族に七個配給、やがて全部に及ぶ由。
九月十日 晴 カルチコール ビタニン 朝夕
[#1字下げ]昨夜不眠、四時間位しか眠らぬ。
[#1字下げ]九時 六度四分 四十八
[#2字下げ]軟 多量 粘液見ず
[#2字下げ]昨夜腹鳴り多し
[#1字下げ]四時 六度七分 四十七
[#1字下げ]朝 カユ二、薯汁二、ウニ。
[#1字下げ]昼 カユ二、薯汁一、ウニ。
[#1字下げ]夕 カユ二、薯汁二、ウニ。
[#1字下げ]エーデーやめビタス少々[#「エーデーやめビタス少々」に傍線]。
午前前田徳太郎君〔整の郷里の友人〕来る。崔ショーキの所で働いている。プログラムの材料しらべなり。百科辞典を写させる。
朝のうち新潮の原稿一枚書き、前田君のいる間に大東亜公論の原稿六枚書く。更に森本忠「こゑたえず」評三枚書く。以上でこの月の小原稿片づき、ほっとする。
あとは有光社の中篇「私の隣組」と錦城の長篇「一郎と二郎」それから、自省的な短篇のみなり。
夕方奥野来る。河出から依頼の緒方氏の訳、彼の手入れしたのを渡す。彼が河出に持って行くのである。
この二三日酷暑続く。真夏のようであるが、夜は楽になった。
九月十一日 晴 朝夕カルチコル ビタニン 暑い日
[#1字下げ]九時 六度四分 四十七
[#2字下げ]軟便 粘液なし
[#1字下げ]六時 外出の帰り、六度八分半 六十
[#1字下げ]朝 カユ二、ミソ汁一、ウニ。
[#1字下げ]昼 カユ二、薯五切、ウニ。
[#1字下げ]三時頃、林檎半分、洋菓子二ツ。
小説にとりかかる。どれを先にしようかと思いまどう。
浅川に家を買うことを、あれこれと考えて楽しい。釣も出来る、山歩きもできる。また定期券を買って東京へも出られる。
山で、川が庭のそばを流れているとすれば、それも楽しい。
午後より外出、蒲池の店に寄る。岩淵の見合の件、彼の方で家に帰らぬのでのびていた由。彼と二人で町で菓子を食う。
育生社に寄る。例の原稿をまわして組ませている由。
山崎、三浦両君に逢う。川崎も来ていた。
お茶の水にて修繕の眼鏡受取る。かなり疲れ、食品など買って戻る。
夕刻函館の熊井叔父〔妻貞子の叔父。函館在住〕来る筈のところ、六時にまだ来ぬ。
六時すぎ熊井氏来る。横須賀で全国の小学校長等の海軍生活訓練の為の由。長男は米沢高校で成績よろしき由。
夜、例の加藤といういやらしい学生、やって来る。どうも気がすまぬのでとか、卑屈な言い方ながら、酒気をおびてうるさい。来客と言って帰す。
九月十二日 晴 暑し
[#1字下げ]ビタニン カルチコル 朝夕
[#1字下げ]九時 六度七分 五十三
[#2字下げ]軟ゆるい 林檎の粕様のもの出る
[#1字下げ]四時 七度 四十九
[#1字下げ]終日腹鳴りなし。
[#1字下げ]朝 カユ二、薯ミソ汁二、ウニ。
[#1字下げ]午 カユ(但し麦入りとなる)二、ウニ、薯汁一。
[#1字下げ]夕 カユ二、汁二、ウニ。
今日は熱が出そうだが、この頃身体はひどく元気だ。注射を続けているせいであろうか。
昨日は午前中に「一郎と二郎」を十枚書く。これは子供等の生活を見ていながら書けるので、どんどん捗るように思う。
熊井氏朝から、他の学校参観のために外出する。
浅川の家のことを、この頃は楽しく考え、杉沢と行く日のことが待ち遠である。早く作品を書いて、金を作っておこうと思う。
学校の答案全部そろえて今朝発送する。
そのあとまた学校からと学生からとレポートが来て、いやになる。
午後石野径一郎君中山省三郎の紹介で来る。博文館系統の帝国教育会出版部にて、「ふるさと叢書」というものを出す。小説か随筆風に百二十枚書けとのこと。一割、八十銭、一万部の由。十一月十日までということにして承諾。博文館の小説の一部を生かして書けるので、その筆ならしに早目に書くつもりなり。
浅川の家が一万二三千円の由なるも、差当って金は、
[#1字下げ]貯金 一千円
[#1字下げ]第一書房 八百円
[#1字下げ]河出 一千円
[#1字下げ]育生社 八百円
[#1字下げ]四海書房 一千一百円
[#1字下げ]現金 三百円
[#1字下げ]計(十月頃集るもの)
[#1字下げ]五千円
早目に原稿と引換で金になるもの
[#1字下げ]錦城出版社 二千円
[#1字下げ]教育出版部 八百円
[#1字下げ]有光社 五百円
[#1字下げ]合計約八千円程
今日夕方七度。昨日の出歩きと昨夜熊井氏の相手をしての疲労のせいならん。
夜、中井正晃氏、ビオフェルミン二壜持参す。
一郎と二郎八枚午前中に書く。
熊井氏外出、夕刻帰来。
九月十三日 日 晴 今日からビオフェルミン用ユ、オイコールやめる[#「今日からビオフェルミン用ユ、オイコールやめる」に傍線]。
[#1字下げ]九時 六度六分半 五十三
[#2字下げ]良便 粘液なし
[#1字下げ]四時 六度九分 四十八
[#1字下げ]次第に身体に力あり、階段を上るのに疲れない。
[#1字下げ]朝 カユ二、ウニ。
[#1字下げ]午 カユ三、ウニ。
[#1字下げ]夕 カユ二、薯五切、ウニ。
[#1字下げ]ビオフェルミンとわかもと[#「ビオフェルミンとわかもと」に傍線]。
夜更しをして熊井氏の相手をしたのと、この三日ほどの酷暑のため、調子悪い。
午前「文芸」の木村氏来る。井伏と丹羽の文章を中心に作家の報告文について、十二三枚の感想を、十六日一杯とのこと。
朝、熊井氏出発。横須賀に四日滞在して帰られる由。薫プラネタリウムに案内す。
夜薫来る。下宿の主人死去にて、二三日こちらにいる由。
夕食後「一郎と二郎」五枚書き、四十五枚に達す。これは早く進む作品である。
この頃大暑、昨日は九十何度の由。今日はそれ以上なり。じっとしていても汗流れる。それに蒸して、昼頃雨が少し降りかけたがやむ。
九月十四日 曇 涼し 午後晴 暑くなる
[#1字下げ]六度二分 五十
[#2字下げ]昨夜腹鳴り、ガス多し。念のため夕方オイコール用う。
[#2字下げ]ヤヤ軟便ナルモ良好
[#1字下げ]六時 帰宅すぐ、七度 五十八
[#1字下げ]朝 カユ二、薯汁一、ウニ、オイコール、ビオフェルミン、わかもと。
[#1字下げ]午 カユ二・五、ウニ、カボチャ一皿。
[#1字下げ]午後外出、四時ケーキ二個。
[#1字下げ]夕 カユ一、南瓜一皿、ウドン一、ウニ。
[#1字下げ]昼と夕にはオイコール用いず。
午前「一郎と二郎」五枚、計五十枚に達す。河原君にたのまれた東季彦という学習院の坊っちゃんの小説の評二枚、これはいやだが、薫の就職のことがあるし、今日その話で午後出かけるので持って行って見る。
午後外出、大同通信にて川崎に逢い、二人でタイムスに寄る。薫の職あるらしき由。北海道新聞の小説等の原稿扱う係りなり。履歴書渡し、たのむ。岡山君と三人モナミにて菓子を食う。
帰途三宅坂でバス故障、来るバスも電車も満員故、東京駅までバスに乗り、省線中野駅下車、バス帰宅。このルートだとずっと坐りづめである。
午後より強風、少し暴風気味なり。
行きの途中バスにて百田氏に逢う。
九月十五日 雨
[#1字下げ]夜中まで暑い南風、寝苦し、朝寒くなる。北東風終日細雨 寒し
[#1字下げ]八時 六度二分 五十四
[#2字下げ]良便多量 粘液なし
[#2字下げ]ガス多く、昨夜中放屁す。
[#1字下げ]四時 六度一分 四十七(寒し。毛布着て午睡後)
[#1字下げ]朝 カユ二、ワカメ薯汁二、ウニ。
[#1字下げ]午 カユ二、ワカメ薯汁一、南瓜一皿、ウニ。
[#1字下げ]夕 カユ二、デンプン団子三、南瓜少々、ウニ。
[#1字下げ]昼間は腹なり無し。
[#1字下げ]注射、ビタニン、カルチコール一回だけ。
[#1字下げ]オイコール用いず。ビオフェルミンとわかもとのみ。
組長家の主人二三日前から変だった由だが、今朝未明突然大声で狂い出す。それで目がさめ、睡眠不足なり。
午前博文館石光君来る。原稿催促。錦城のは五十枚書いていて、その前からの博文館のはまだである。気にかかる。気長に両方を同時に進める外はない。
午前鶏が飛び出してつかまらず、大騒ぎをする。雨が降って、あわてて家の中へ鶏が入り込み、つかまえてほっとする。
午頃、小学館「良い子の友」の秋山始子氏来る。近藤君のことなど色々喋る。大降りになる。原稿承諾。
午後午睡中平田君地図を取りに来た由。
「私の隣組」書き出す。七枚目迄。
昨日の気狂い騒ぎノートを取る。
小学館より、近松秋江論稿料、百三十八円来る。
九月十六日 晴 涼 秋晴らしいからりとした日 昨夜食いすぎ、腹にもたれ、下痢するかと心配した。
[#1字下げ]九時 五度九分 四十九
[#2字下げ]良、後半軟かである。よく見ると、少しまだ粘液あり。
[#1字下げ]四時 六度四五 四十七
[#1字下げ]〔朝〕カユ二、薯汁一、ウニ。
[#1字下げ]〔午〕カユ二、ウドン一、ウニ。
[#1字下げ]〔夕〕カユ二、薯汁二、ウニ。
[#1字下げ]終日オイコール用いず、午前中腹なりす。
[#1字下げ]わかもと、ビオトモサン多量。
涼風と共に全く健康の感じ。この上なく快し。まだ痩せたのは半ば直らないが、もう静かにさえしていれば、もとのようになるという安心を持って生きられる。
午前「私の隣組」十七枚迄。
午後四時より夜にかけ「報道文学について」(文芸)十四枚書く。
夕刻沢田、原田。原田氏シロップ二本持参す。
午後カルチコル、ビタニン注射す。
九月十七日 秋晴 気持よし カルチコル ビタニン一
[#1字下げ]九時 六度一分 五十一
[#2字下げ]良便多量 粘液なくまた酸臭あり
[#1字下げ]四時 六度七分 五十一
[#1字下げ]〔朝〕カユ二、薯ニラ汁二、ウニ。
[#1字下げ]〔午〕カユ二、サツマ芋三切、ウニ、ナス半切、リンゴ汁一ツ。
[#1字下げ]〔夕〕カユ二、リンゴ汁一、トーフ汁二、ウニ。
子供等の父兄会にて十二時迄学校へ行く。
朝文芸の原稿、使の者に渡す。
午睡す。夕方婦人画報の石橋君来る。来月五日迄に五枚の朗読に適する作品、とのこと。
南方派遣の作家たちそろそろ戻って来る由。
家を買うことばかり考えているが芸術新聞に次のような布施辰治の原稿がのっている。それなら家など買っても仕方があるまい。〔新聞切抜き貼付あり。〕
夕食後子供等沢田君につれられて漫画西遊記を見に行けり。
夕刻、「私の隣組」二十二枚目まで。
九月十八日 曇 涼シ ビタニン カルチコル 昨日からエーデー[#「エーデー」に傍線]を一粒ずつ
[#1字下げ]九時 六度三分半 五十七[#「五十七」に傍線]
[#2字下げ]良便 粘液極少ついている
[#1字下げ]四時 六度七分 五十
[#1字下げ]〔朝〕カユ二、薯ワカメ汁二、エーデー一、ウニ。
[#1字下げ]〔午〕カユ二・五、リンゴ汁一、鮭一口、カツオ節一口。
[#1字下げ]〔夕〕カユ二、トーフ半チョウ、イカ一口。
今朝脈多し。昨日の外出がさわったのかも知れぬ。
昨夜熊井の叔父来る。三日間横須賀でハンモックに寝て疲労したりとて泊る。夜速達あり、明朝、熊井叔父の妻の弟山本君及厚谷君上野着。基の同僚なり。薫の下宿につく筈なるも、下宿の主人死去して、なお人集り、そこへは行けぬであろうから私の処へ泊ることになる。貞子この頃微熱が続いているのに客つづきにて厄介なことだ。当分二階の六畳に薫と三人ねてもらうことにする。
十一時頃客来り、やがて熊井叔父と外出す。
三田新聞の学生来る。書評をとのこと断る。
午頃蛍雪時代の記者来る。十月二十日、十一月二十日と二月続けて二十枚ずつの続きものを書けとのこと、承諾す。
午前中「私の隣組」二十五枚迄。
夕刻熊井叔父去る。山本、厚谷二君二十日迄滞在の由。うっとうしい。
涼しいが午後雨など降り、湿気多し。
九月十九日 雨 寒し 午後になり強雨となる 北東の暴風雨となる
[#1字下げ]九時 六度一分 五十
[#2字下げ]ヤヤ軟多量 昨夜腹ナリ多シ
[#1字下げ]四時 六度七分 四十四
[#1字下げ]今日からコナゴ[#「コナゴ」に傍線]のツクダ煮。
[#1字下げ]〔朝〕カユ二、コナゴ、ミソ汁一。
[#1字下げ]〔午〕ニラゾースイ二、ミソ汁一、ウニ。
[#1字下げ]〔夕〕ゾースイ一、カユ、カツオ[#「カツオ」に傍線]一切、薯ミソ汁二。
[#1字下げ]初めて魚らしいものを食う。オイコール、ワカモト、ビオフェルミン併食す。
河出より得能の校正初めて来る。一一二頁まで。
昨日から家のこと考えてきまらず。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
@都心の近くに暮すのが文学者として結局、人間の巷という素材の間に住み、かつ出版社との関係から正当か。
Aしかし田園、浅川のような処に定住したい。その上、将来そういう所が食糧など安心か。
Bこの秋か冬に南方へやられると、借金をつくっておくのは考えもの。
[#ここで字下げ終わり]
午前「隣組の畑」三十四枚迄。
午後、一時間午睡。前田徳太郎君来る。四時迄。
夜までに「隣組の畑」三十七枚迄。
夜に入ってもあらしやまず。薫発熱八度四分、下痢の由。
私は蚊がいないので書斎にタンゼンと毛布でねる。
九月二十日 強南風となり蒸し暑い。気持ノ悪イ日ナリ やっぱり暴風気味
[#1字下げ]良便
[#1字下げ]午睡一時間
[#1字下げ]四時 六度七分 四十九
[#1字下げ]朝 カユ二、イモ汁二、コナゴ。
[#1字下げ]午 カユ二・五、コナゴ、ウニ、カツオ一切[#「カツオ一切」に傍線]。
[#1字下げ]夕 豆腐汁二、イモ、カユ。
[#1字下げ]千代本丸[#「千代本丸」に傍線]
朝薫昨夜八度四分、下痢あり、今朝在郷軍人の訓練の由にて児玉師の診断書もらいに行く。
朝少し右肩こる。昨日枚数多すぎた。
ついでに見てもらうと、右肩になお少し聞える由、レントゲンとる。明後朝仕上がる由。
十一時帰来何もせず、ねている。
杉沢その留守に来た由。
源氏読みつぐ。紫の上の死ぬあたりまで来る。なるほど、大小説である。
町で乾電池とソケット買う。店々をのぞいて見るに食べるもの何もなし。僅かに八百屋の店にメロン五つ六つあり。丈夫そうな穿きもの着物もなし。何も買うものが無くなった。驚く。
山本、厚谷二君今日下宿へ去る。
夜杉沢来る。次の日曜、浅川の家を見に行くことにする。
児玉氏診察、肺肩になお聞える由。
九月二十一日 昨夜終夜南暴風雨 颱風模様 今朝晴強南風 蒸暑し
[#1字下げ]九時 六度四分 五十四
[#2字下げ]ヤヤ軟 右肩凝る
[#1字下げ]四時 六度七分 五十一
[#1字下げ]カルチコール ビタニン
[#1字下げ]朝 カユ二、コナゴ、イモ汁。
[#1字下げ]午 カユ二、コナゴ、ウドン一、ウニ。
[#1字下げ]夕 カユ一、カボチャ大切一、ウドン一、カツ節と茄子、オイコール。
[#1字下げ]千代本丸[#「千代本丸」に傍線]
午前薫の訓練欠席届けに六丁目に行き、本屋にて買物十二円五銭、金物屋にて八十銭。午前休息、午後「源氏」宇治十帖の辺。
午後沢田君寄る。この日仕事せず。右肩凝る。
暴風雨すでに三日目なり。うっとうしいと思う。
九月二十二日 曇 小雨 涼しくなる
[#1字下げ]昨夜終夜暴風、時に雨を交う。颱風は当地をそれたらしい。
[#1字下げ]カルチコール ビタニン
[#1字下げ]九時 六度二分 五十一
[#2字下げ]後半軟 下痢気味 肩のコリ、ややよし。
[#1字下げ]朝 カユ二、コナゴ、ウニ、葉汁一。
[#1字下げ]午 カユ二、コナゴ、ウニ、梅ボシ、煮タ茄子、サツマ芋二切、ビオトモサン。
[#1字下げ]夕 カユ二、トーフ、コナゴ、シソの実。
スタリングラード市街戦と報ぜられてから何日かなる。なかなか落ちぬ。
午後風やみ、ひどい降雨となる。雷を伴う。
河出より、校正二百五十頁まで昨夜着く。
午後二時迄に「隣組の畑」四十六枚迄。
校正四十八頁迄。
九月二十三日 小雨後晴 涼 ビタニン カルチコル
[#1字下げ]昨夜三時間しか眠れぬ
[#1字下げ]九時 六度三分――五十
[#2字下げ]良便
[#2字下げ]不眠 外出す 仕事せず
[#1字下げ]四時 六度九分 五十
[#1字下げ]朝 カユ二、コナゴ、エーデー二、ニラ多量。
[#1字下げ]午 カユ二、コナゴ、エーデー二。
[#1字下げ]夕 カユ一、ウドン二、コナゴ。
児玉医師のもとへ行く。先日のレントゲン、右肺の浸潤の影は全くなくなったが、リンパ腺の影が多く、肺門リンパ腺炎の由。普通の変りかた(岩波新書のとおり)なり。このリンパ腺は直りやすい由。これからもう一年かけて明年秋までには全治としよう。まだこれなら微熱もある筈という。但し右肺尖には影なし。なくても音の聞えることもあるという。
赤沈一時間八半。これまでに一番多い。
歩くと疲れる。
例の本屋に寄り、歴史の参考書をそろえ、風俗を知らねばならぬ。「日本の城」、「日本の鎧」、「江戸の風俗」、「江戸の生活」、「日本建築小史」等十冊十五円三十銭買って来る。
留守に杉沢来り、昨夜話していた靴の底皮おいて十五円持って行った由。
昨夜眠れぬまま、浅川の藁屋根のことを色々と空想す。こんなに楽しいのは我ながら恥しい。
それに昨日の夕刊に、全市の家々に爆風よけの装置を命ずるなど、やっぱり空襲を考えねばならず、また果物などは運搬不便のため、地方には沢山ある由。どうしても浅川辺に家を持ち、ここの家を当分借りていることがよいと思う。
河出に得能の題を「得能物語」とすること、及四海に問合せの手紙。
帰来夕方まで、建築小史を読む。
新潮より、朗読する作品として八枚言って来る。婦人画報のものと二つなり。
夕刻、「一郎と二郎」六枚書く。
九月二十四日 秋晴となる
[#1字下げ]カルチコル ビタニン
[#1字下げ]九時 六度一分 四十九
[#2字下げ]軟便 肩凝直る
[#1字下げ]四時 六・七 五十
[#2字下げ]この頃、六・七がコンスタントなり。
[#1字下げ]〔朝〕カユ二、ワカメ汁一、リンゴ半、エーデー。
[#1字下げ]〔午〕カユ二、コナゴ、シソノ実、エーデー、ビオトモ。
[#1字下げ]三時にオハギ一個。
[#1字下げ]〔夕〕マゼ御飯二、トーフ汁二。
朝、「良い子の友」の原稿四枚、「一郎と二郎」五枚書く。
昨夕沢田来り、卒業間際になって、別科生なりと遠藤君が言い出し、科長などと話し合っている由。ごてごて言い、いやな話なり。明日卒業式に行き、自分からも話して見ると言う。
午後、河出の駒木君来る。「得能」ノ原稿、題など、月曜迄と約す。そのあと「源氏」寄生まで読む。
初めて、この日御飯にす。乾したキノコ、ワラビ、生ショウガ、カンピョウ等の混じたものなり。
この日入浴す。右肩なお多少凝り気味なり。
九月二十五日 晴 卒業式
朝八時から学校へ行く。九時着。沢田君の免状のことで、本科卒か別科卒かとのことで決定せず、それで行く。遠藤氏に話す。科長来客にて埒あかず。二時頃、映画科卒業とすることになる。その間に薫とその仲間の写真などとる。
[#1字下げ]良便
[#1字下げ]三時帰来
[#1字下げ]四時 六度八分 五十
[#1字下げ]朝 ゴハン一、サツマ芋二切、イモ汁二、コナゴ。
[#1字下げ]午(学校)シチウ(肉とアブラ)、プリン、林ゴ一個。
[#1字下げ]夕(杉沢家)ビール二口、チーズ三切、ゴハン一、塩鮭一口。
[#1字下げ]沢田君の送別の会なり。
[#1字下げ]夜九時帰来、寝る。
九月二十六日 晴 夕雨
[#1字下げ]九時 六度一分 四十八
[#2字下げ]良便 疲労感なし
[#2字下げ]午睡二時間
[#1字下げ]四時 六度二分
[#1字下げ]朝 カユ二、ニラ汁二、コナゴ、食後リンゴ一個。
[#1字下げ]午 カユ一、カボチャ二。
[#1字下げ]夕 シジミ汁二、ビール半コップ、飯二。
午前、河出の駒木君来る。河出では「生活と意見」という題にしたき由。月曜相談に行くと言っておく。
夕方坂下丹治君、満洲へ行くとて寄る。餞別十円。沢田君寄る。二人に夕食出す。国からカボチャ、芋、一カマス来る。
九月二十七日(日)晴
朝杉沢と浅川に行く。浅川より京王電車にて横山村に串田氏の宅を訪ね、行きちがい、それより杉沢の畑に行き、写真をとり、歩いて浅川に出、花屋にて串田氏に逢い昼食。食後花屋の向いの瀧様の美しい川辺の空地を見る。百二三十坪なり。坪十円ぐらいなら売るだろうとのこと。よろしくたのむ。それより氏の友人の例の藁屋根の家を見る。そこは売らぬ由、広大な山の斜面の庭あり。川ぞいの辺によき地多し。その辺ならほしいなど思いながら通る。四時帰来。
この日二里ほど歩き、思ったより疲れず。
[#1字下げ]良便 多量
[#1字下げ]五時 六度七分 五十三
[#1字下げ]朝 ゴハン二、芋ニラ汁二、コナゴ。
[#1字下げ]昼(花屋)カツオ刺身、里芋、漬菜。
[#1字下げ]夕(家)ビスケット六個、イワシ二尾。ヒタシ菜一皿、ナス汁二、リンゴ一個。
留守に近藤弘文、小西猛君と来た由。
セヌマより逢いたき由来信あり。
文芸、文学界等着く。
九月二十八日(月)晴
[#1字下げ]良便 ガス多し
[#1字下げ]四時 六度四分 四十九
[#1字下げ]朝杉沢、沢田
[#1字下げ]朝
[#1字下げ]午
[#1字下げ]夕 牛肉、カボチャ二切、漬菜、トーフ汁。
[#1字下げ] 沢田君別れに来る。夕方七時の汽車で去る由。
[#1字下げ] 身体は異状ないが、昨日見た土地を頭において設計をして一日ねて暮す。瀬沼より逢いたき由来書。
九月二十九日 晴
[#1字下げ]九時 六度三分 五十一
[#2字下げ](十時――四時外出)
[#1字下げ]六時 六度六分 五十五
[#1字下げ]朝 牛肉少々、カボチャ、トーフ汁。
[#1字下げ]午(外出)すし、マグロ、コハダ、貝、シンコ巻。
[#1字下げ]夕 ナシ一個、カレー二切、芋汁二ツ、米二。
杉沢来る。
十時より外出。税金払い。河出に行き題を「得能物語」と決定す。
帰途丸善にて本を十円ほど買い、セヌマ家に寄る。
五時半まで会談帰来す。ひどく痩せたと言われる。
朝より礼下痢して休んでいる。熱なし。
九月三十日 晴 暑し、夏のようなり。
[#1字下げ]九時 六度 五十五
[#2字下げ]良便多量
[#2字下げ]十一時頃また軟便、宿便ならん。
[#1字下げ]四時 六度八分[#「六度八分」に傍線] 五十四
[#1字下げ]終日脈多く何となく熱っぽいので寝ている。
[#1字下げ]朝 芋汁二、コナゴ、オロシ、飯二。
[#1字下げ]午 芋汁一、コナゴ、オロシ、牛乳一瓶。
[#1字下げ]午後、リンゴ一個、菓子一個。
[#1字下げ]夕 トーフ汁三。
終日家の設計をしたり、源氏宇治十帖の辺を読む。仕事せず。
礼、下痢よきも、ねせている。
午後警戒警報が出る。
[#改ページ]
[#2段階大きい文字]昭和十七年十月
十月一日 曇 ヤヤ涼シ 蚊帳をとる
[#1字下げ]ビタニン カルチコル
[#1字下げ]九時 六度二分 五十三
[#2字下げ]良便 ガス多し
[#2字下げ]脈多く、ダルイ
[#1字下げ]四時 六度六分 五十三
[#2字下げ]夜ガス多ク出ル
[#1字下げ]朝 芋汁二、ゴハン二。
[#1字下げ]午 メシ二・五、コナゴ、シソノ実、ナス、牛乳一合、リンゴ一個。
[#1字下げ]夕 メシ二、芋、カボチャ汁二、シソノミ、オヒタシ、ビオフェルミン、ワカモト。
「メキシコの朝」校正、追加分全部来る。
午後何日目かに原稿「得能」にむかう。但し書けず。
夕方岩淵来る。
河原君の紹介で稲辺忠雄という青年、創作科へ志願とのこと。遠藤氏に紹介状書く。
午後警報解除。都新聞、国民と合併して東京新聞となる。
十月二日 晴
[#1字下げ](今日から朝起きぬうちに体温とる)
[#1字下げ]六時 六度四分 五十一
[#2字下げ]良便
[#1字下げ]四時 六度八分 五十四
[#1字下げ]夕方入浴す[#「夕方入浴す」に傍線]。
[#1字下げ]朝 芋、ワカメ汁、メシ二、コナゴ、リンゴ一コ。
[#1字下げ]午 カユ二、コナゴ、ナス油イタメ、カボチャ二切。
[#1字下げ]夕 メシ二、トーフ汁三、イカ、芋。
昨日と一昨日と、ねていて何もせず、家の設計をし、源氏の終りの部を読む。今日は身体しっかりしていて元気なり。
アメリカの「ライフ」に出ていた東京空襲の図[#「東京空襲の図」に傍線]、今朝各紙に出る。
午後源氏読み終える。大文学である。その実質は古代と現代と変らず。小説の道は□〔一字不詳〕はない、これが小説だと思ったとおり進むのでいい。
午後「得能」三枚ほど書く。
十月三日 晴
[#1字下げ]九時 六度一分 五十三
[#2字下げ]良便
[#1字下げ]四時 六度六分 五十一
[#1字下げ]朝、メシ二、芋汁二、コナゴ、リンゴ。
[#1字下げ]午、メシ二、牛乳、芋汁一、シソノ実。
[#1字下げ]夕、カボチャ二切、メシ二、トーフゴマアエ。
この頃痩せたのを気にして、なるべくよく食うことにしている。やや身体恢復の気持なり。
腹をこわして減食していた間は脈が大変少かった。この頃は少し脈が多いので、また心配なり。
アバラ骨をなでると、ごつごつ当る。腹はふとって来たが、胸や腕や顔はなかなか元のようにならぬ。七月頃は大分ふとって来て、よい調子だと児玉氏に言われていた。
腹をこわしている時は、専ら腸結核を気にして減食して、オモユとクズのみとっていた。それは悪いやり方であった、と児玉氏がこの頃レントゲンをとった時に言ったが、本当にそうであったと思う。
礼学校へ行く。
十月四日 曇 朝十二度 寒し
[#1字下げ]カルチコル ビタニン
[#1字下げ]六時 六度三分 五十三
[#2字下げ]良便 ガス多シ
[#1字下げ]五時 六度五分 五十六
[#1字下げ]朝 カユ二、コナゴ、ナス汁二、ナシ
[#1字下げ]午 メシ二、ナス汁、コナゴ。
[#1字下げ]夕 メシ三、芋汁二、鰯二。
午前「得能」終章、十枚ほど書く。夜八枚書く。
礼、朝喉いため、六度九分あり。
午後鶏舎をつくり、牝鶏を隔離す。牝鶏元気なく病気気味なり。
十月五日 晴
[#1字下げ]カルチコル ビタニン
[#1字下げ]六時 六度三分 五十四
[#2字下げ]良便
[#1字下げ]四時 六度五分 五十二
[#1字下げ]朝 メシ二、サツマ芋汁二、シソノ実、納豆。
[#1字下げ]午 バターメシ二、ナシ一切、シソノ実、牛乳。
[#1字下げ]夕 メシ二、葉汁二、オロシ、リンゴ一。
近藤弘文より小西君の同人紹介について、また峰岸東三郎より見舞ハガキ来る。新潮社より「運命の橋」増刷とのこと届け書来る。捺印返送す。
午前「得能」終章、――これは「父の記憶」の書き直しをするのだが、全く気乗りせず、無駄に何日もかかった。やっぱり小説を新しく書くのが一番張り合いがある。
礼、扁桃腺にて八度八分、休み。
この頃、何日も何日も、日露戦争を書いた小説を考える。戦争と平和のようなもの。――それにしても愛や恋のことを大がかりに「源氏」のように書ける時代ではないのだから、戦争そのものを描くのを仕事にすべきだ。得能で私小説をほぼ終えよう。そして、子供のこと、戦争のこと等。上林が先頃、私を評して「現代文芸」で、伊藤はいま私小説にいるが、やがてまた動いて行くであろう(自分は動かぬと暗示す)と書いているが、いかにもそうなので、変な気もし、気にもなるが、仕方ない。
「平家物語」のようなものを読もうか、と思う。
初巻「旅順」とし、日本側(得能五助、その他桜谷的な悩みを持つ東京在住の人物の出征したもの)、ロシア側、レンガート中尉、マッカラー等。それに乃木将軍の身辺。
次巻は「沙河」又は「遼陽」又は「コサック」の南下戦。
三巻「奉天」
◎「得能」書き上げる。
十月六日 曇 小雨 寒 午後晴 暖
[#1字下げ]朝、今朝から冷水マサツ[#「冷水マサツ」に傍線]をし、裸で食事をする[#「裸で食事をする」に傍線]。
[#1字下げ]八時 六度二分 五十六
[#2字下げ]良便
[#1字下げ]四時 六度七五 五十四
[#1字下げ]〔朝〕メシ二、牛乳五勺、芋汁二、コナゴ。
[#1字下げ]午 メシ二、テッカミソ、サツマ芋、リンゴ半。
[#1字下げ]夕 メシ二半、テッカミソ、アサリ貝汁、トーフ。
午前、婦人画報石橋、河出飯山君、共に原稿催促に来る。飯山に得能原稿渡す。その後阿部保、ナイヅの訳詩を出版したいと言って来る。
学生、一年代表として三人来る。逢わず。石川清君得能の装幀持参。
午前中に、「メキシコの朝」の校正終え薫に托す。
夕方散歩す。礼休み。
十月七日 晴 昨夕カルチコル ビタニン 北強風 防空演習
[#1字下げ]朝 冷水マサツ 裸食事
[#1字下げ]八時 六度一分 五十四
[#2字下げ]良便
[#1字下げ]朝 バター飯[#「バター飯」に傍線]始める。芋汁二、テッカミソ。
[#1字下げ]午 芋ニツケ。
[#1字下げ]夕 サンマ。
今年卒業の武田憲一、六芸社に入ったとて、長篇小説を約束に来る。福田、芹沢、舟橋等も約束せる由。明年春か秋迄、一万部、但し七千位になるかも知れぬ。一割二分。金は原稿と引換。
礼、休み。
午後外出。金物屋の店頭すっかり淋しくなっているのに驚く。三越にて錠、蝶番、草ケズリ等十円ほど買物する。
ガードを越えた所の古本屋で、長いこと捜していた日露戦史[#「日露戦史」に傍線]の一冊揃ったのを見つける。三十円。万歳。胸とどろく。実によかった。これは、もう到底手に入らぬと思っていたもの。外に当時の写真集もあり、これも描写の上に助かる。また外に博文館(?)発行の同戦史五冊のもの、三四欠本にて三冊あり。明後日届けてもらうことにして三十円払う。
河出に装幀と、月報の原稿有島論を届ける。
夕刻訓練に出る。夜の分は菊子出る。
風邪気味にて、インドラミンを注射し、夜キューレイコンをはる。
十月八日 晴 冷水マサツ
[#1字下げ]八時(冷水マサツ、食事中裸の後)五度八分 五十五
[#1字下げ]十時 寒いのでベッドに入り、一時間ねむる後、六度四分 五十五
[#1字下げ]四時 六度四分 五十一
[#1字下げ]礼休み。
十月に入ってから、風はきまって北風となり、北窓を閉めている。たいていの日は晴れる。今朝は十二度、かなり寒い。
得能の校正をする。夜うがいす。
十月九日 曇 寒し 後半軟便
[#1字下げ]九時 六度三分 五十四
[#1字下げ]五時(外出より戻ってすぐ)六度九五 六十
[#1字下げ]六時半(食後)六度七分
朝から得能校正す。淀橋の古本屋、日露戦史を届けて来る。鴎外全集の旧版、九十円にて店にある由。
午後外出、祖師谷大蔵の東京急行が年賦で売り出している土地を見に行く。昨日の夕刊に出ていたのである。案内人いず、分らない。戻って本社で案内書もらう。
百五十坪だと、四十三四円だから七千円ほどになる。すると家を建てると両方で二万円になる。それなら東京建物の大森の方に出来ているというのを買った方がよいとも思う。迷う。二十日頃、浜田山のあたりでも同様に売出す由。それまで考えることにするか。
但し、河出に手紙を書き、「得能物語」の印税千円借りたき由言ってやった。
十月十日 雨 寒 北風
滋、貞子、礼、私、みな風邪。大したことないが、家中ねている。貞子一番重い。礼ほとんど直っている。
朝裸でいること、やりすぎたのであろう。
前夜インドラミン。
[#1字下げ]九時 六度四分 五十四 終日うがいす
[#1字下げ]四時 六度七分 五十五
寝ていて得能校正二百頁まで。
十月十一日 晴 日曜 暖くなる
[#1字下げ]前夜ノドにキューレーコンの湿布。終夜ノド乾き苦しい。
[#1字下げ]九時 六度七分 六十
[#1字下げ]四時 七度八分[#「七度八分」に傍線] 六十
午前中から正式の風邪気味なり。
新潮の原稿、朗読文学催促いたる。
午前河出飯山君得能物語の印税千円持参。一昨日ほしいと言ってやったもの。
その後四海の息子静君福島君と来る。「感動の再建」見本持参。四千印刷とのこと。内金五百円持参す。
その後、小西、安原来る。小西君安原君の雑誌に入るためそこで引合す。
熱出て気持悪い。風邪なり。
夕方インドラミン、胸湿布。
夕方熱を冒して、新潮と婦人画報の原稿、錦城のための書き下しの部分をとり、前後に加筆しておく。
十月十二日 月 昨日から朝夕インドラミン アルバジル一個
[#1字下げ]六時 六度四分 五十五
[#1字下げ]四時 七度二分 六十
午前原稿二つ速達にて送っておく。
ハナ、痰出る。風邪ひき心配なり。夕方児玉医師来診す。終日ねている。
千葉の原〔民喜〕君来る。久しぶりなり。船橋中学につとめている由。
十月十三日 晴 朝夕インドラミン
[#1字下げ]九時 六度一分 五十六
[#1字下げ]五時 六度八分 五十六
四海の評論集の検印す。午後使の女史に渡す。
痰とはな出る。終日ベッド。
夜キューレーコン。
午後新潮社より原稿とりに使いの者来る。一昨日出させたのが着かぬのか、心配なり。
十月十四日 晴 本郷小学校運動会
[#1字下げ]今日はインドラミンせず、朝児玉師の薬一服のみ。
[#1字下げ]九時 六度五分 五十六
[#1字下げ]四時 六度九分 五十八
終日臥床。得能校正一台。
錦城と有光社の原稿をもう十日ほど待てと言ってやる。前者は六十枚、後者五十枚に達したままこの十日ほど書かず。
十月十五日 晴 前夜カルチコル ビタニン 児玉師の薬
[#1字下げ]九時 六度三分 五十六
[#1字下げ]四時 六度八分 五十五
新潮原稿着いた由。
タンとハナ大分治り、風邪よき様なり。無風暖き日。
得能二百七十頁まで校正す。
錦城、有光社より返信、原稿急ぐとのこと。
新潮の原稿着いたとのこと。
十月十六日 朝体温計を折る。菊柏木の太いのを買って来る。
[#1字下げ]十一時 六度三五 五十一
[#1字下げ]四時 六度六分 五十二
十月十七日(土)曇 雨 大変寒い カルチコール ビタニン 薬なし
[#1字下げ]九時 六度 五十五
[#1字下げ]四時 六度四分 五十三
[#1字下げ]風邪のタンなお出る。ハナ減少す。今日ノド痛く、終日含漱す。
昨日の新聞広告にて京王電車売出しの烏山の駅近いところ坪十七円より、と出ている。これは二十五円ぐらいと見ても安い。祖師谷大蔵の四十三四円に較べて便利は同様で半値以下である。現金であるが、こちらを買うことにする。案内書請求してやった。
金はいま、貯金千円、河出から持って来た印税千円、四海の印税五百円と、二千五百円あり。
なお外に入る予定、育生社五○○、四海四百、第一書房七百、河出(青春増刷)三百、新潮運命の橋増刷三百の案にて二千二百あり。
得能校正今朝終える。
午後山田稔氏春山行夫氏、共にリンゴと葡萄持参。
夕方寒いので、カルチコールの外にインドラミン。
貞子と菊にもインドラミン。
十月十八日 曇後晴
[#1字下げ]九時 六度三分 五十四
[#1字下げ]四時 六度九分 五十四
[#1字下げ]昨夜インドラミンして寝たら、ノドの痛かったのが治っていて今日は元気なり。
田居君突然十時頃来る。四時まで居る。その間に六芸社主福田久道来る。長篇の約束。四時に体温はかる。喋っていた後なので少し高い。
原稿全く書かず。
十月十九日 晴 昨夜念のためインドラミン
この頃、医師の証明でとり出した牛乳毎日飲み、バター飯を食べ、もらいものや八百屋の林檎を一ケ月近くも続けて食べている。大分顔がふとって、元に近くなったが、胸の辺はまだ恢復せぬ。
[#1字下げ]九時 六度一分 五十五
[#1字下げ]五時 六度七分
[#1字下げ]ノド直る。風邪気全くなし。インドラミン予防によし。タンなお少々出る。
午前「兄と弟」を書く。製粉器の話十九枚書き上げ。
午後烏山の土地見に行く。帰ると烏山の家年賦分譲の旨の案内書来ている。買うことにきめる。二階家二軒のうち、今日見なかった北の方がよさそうなり。
十月二十日 晴
朝から郵便局にて三百円下し、千八百円持。烏山の家を見に行く。ほぼいいが、畳建具悪い。湯殿便所等はよし。昼一旦家に戻り貞子と相談、午後、京王の事務所にて話をきめる。千八百円渡し、十二月末迄に六八八五円七九銭を渡して譲受ける。
あとの八千円を四年賦とす。現在、貯金七○○、集る予定、第一書房七○○、四海四○○、育生社五○○、河出二○○、新潮二○○計二千七百。
書きつつあるもの、錦城二○○○、教育出版八○○、有光社五○○、計、三千三百。
◎帰来午後五時 六度七分
この頃貞子毎日七度一分ほどあり。
夜杉沢来る。家の件相談す。賛成せり。
十月二十一日 外出せず 注射せず
[#1字下げ]九時 六度三分 五十五
[#1字下げ]四時 六度四分 五十五
兄と弟の初の部少し書く。午睡す。
錦城より原稿とりに来る。二十五日百枚迄渡す。その時五百円借りることにする。
八雲の伯父に京王の分譲住宅買うことすすめてやる。
育生社からメキシコの朝の検印紙来る。三千。予定より千少い。
十月二十二日 晴
午前、ほとんど仕事せず。
午後、歯医者。それから育生社に行き、話をす。検印紙千枚持って来る。月末二百円、本出来時残額とのこと。五時帰来。
[#1字下げ]朝九時 六・二 五十六
[#1字下げ]夕七時 六・七 六十三
身体異状なきも、夜脈多いのでインドラミンす。
貞子野田生に家の件で手紙を書く。二千円借りる交渉也。
十月二十三日 晴
[#1字下げ]九時 六度二分 五十六
[#1字下げ]四時 六度四分
[#1字下げ]風邪のタン治る。少し胸につかえ重苦しさあり。
[#1字下げ]夕方カルチコル5CC
[#1字下げ]この頃ずっと脈が多いが、夏の営養不良時に少かったのに較べ、かえっていいのかとも思い、迷う。
午前原稿にとりかかる。
錦城から来書。百枚につき、五百円持って来る由。
予め二百円受け取っているから、百枚に七百円の勘定である。
スターリングラードが戦争の中心なり、もう霙が降っているというが、赤軍は最後の川辺に追いつめられ、赤色十月工場というのにがんばって、絶望的になりながらまだ落ちぬ。いよいよ寒くなれば川が凍って赤軍の後方援助が便になり、独軍に不利の由。それまでに落ちるだろうか。
午後歯医者へ行く。
中井正晃原稿催促に来る。
新しい家へ行って見たいが暇がない。二十五日に杉沢に見せに連れて行くことになった。塩谷の母へそれを知らせの手紙書き、見に来るようにと五十円入れて手紙を出した。
十月二十四日 曇 寒し
[#1字下げ]九時 六度四分 五十三
[#1字下げ]痰出なくなる。
午後田居、川崎と来る。夜九時まで話す。夜寒く、インドラミンしてねる。田居泊る。京都よりの帰りなり。
十月二十五日 晴 北風
朝田居と家を出、烏山の家を見に行く。
昨夜寝ながら田居に、家の件で千円か二千円借金を申し込むかも知れぬ、と言うと、彼は、あわてて、資金が窮屈だと予防線張る。いやそんなに金のことは心配していない、とこちらも引っこめたものの、工合わるく、全然こちらを信用していないのは、病気であることなど考えると無理もないと思うが、いやな気持なり。今日は、それを忘れたつもりで、機嫌よく連れ立って家を見せ、新宿で昼食をとって別れる。七時の汽車で帰国の由。
帰ってから、
[#1字下げ]四時 六度四分 五十一
朝出がけ風が寒いので心配したが、さほどのことなし。
十月二十六日 晴
[#1字下げ]九時 六度 五十一
[#1字下げ]四時 六・五――五十三
土屋長村来る。大都出版社にいる由。原稿来年頃ほしいとのこと。今約束してるのを済ましてから出来たらと言う。
福田に紹介。
旺文社より催促来る。蛍雪時代の小説、午後送ると言う。
錦城の原稿の一部分を写して原稿とす。「父兄会」
十月二十七日 晴
[#1字下げ]九時 六・三 五十三
[#1字下げ]四時半 六・六 五十五
午後原稿を送りがてら、歯医者へ行く。帰来四時半。
八雲の伯父より来書、明春一二月頃上京したき由。
烏山の家へ一時入るつもりなのであろう。
帰路、蝶番、敷居レール等二つずつ買って来る。
十月二十八日 晴 暖し
[#1字下げ]九時 六度三分
[#1字下げ]五時 六度六五
朝南太平洋海戦発表。敵四空母、一戦艦沈没。
午後外出、局にて二百円引出、為替四十円とり、明治生命へ四十円払い、セヌマの原稿を小学館へ送る。新宿にて写真現像依頼、マレー戦記を中野館にて見、金物屋にて金物を六円ほど買う。
夜九時入浴。夜中少々、盗汗気味。
十月二十九日 晴 暖し
[#1字下げ]九時 六度五分 六十[#「六十」に傍線]
[#1字下げ]四時 六度五分 五十三[#「五十三」に傍線]
午後気持悪いので熱あるかと思ったが少い。
昼頃から四時迄乾君来る。佐々木英夫君の知人という女来て、川端康成に紹介せよとのこと断る。じかに行けと教う。
十月三十日 晴 暖し
午前原稿、隣組の畑一枚。
午前錦城の米田女史三百円持参、これまでの合計五百円也。
原稿切れ目あり。三四日後に百枚渡すことにする。
午後歯科医。それから昨日頃から思い立っている鉄のカマド買いに浅川まで行く。九月杉沢と土地を見に行ったとき見ておいたもの也。四升、というの一個あり、買いて来る。風呂敷にて重し。
六時帰来。
[#1字下げ]九時 六度三分 五十七
[#1字下げ]七時[#「七時」に傍線] 六度六分 六十
十月三十一日 晴
[#1字下げ]九時 六度三分 五十六
[#1字下げ]五時 六度八五
[#1字下げ]外出この頃多すぎた。今日は身体だるい。疲労が重なったのである。
午頃中央大学新聞の学生来る。対談後歯医者に行き、新宿に出て、家の写真をとり、伊勢丹にてボンを買う。
街頭にて銅の七分釘を見つける。十銭に二十本。一円五十銭買う。また靴修理の釘を百本四十銭買う。
十月三十一日 雨 日曜日 〔十月三十一日の記述が二回目であることに気付かずにこれを記したらしい。また「日曜日」とあるが土曜日が正しい。〕
[#1字下げ]九時 六度二分 五十五 カイロ入れる
[#1字下げ]五時 六・八五
[#1字下げ](外出後)
午後歯医者、それから新宿。写真(家の)とり、ボン等買物す。
夜岡本君来る。逢わず。
[#改ページ]
[#2段階大きい文字]昭和十七年十一月
十一月一日 雨
[#1字下げ]九時 六・二 五五
[#1字下げ]四時 六・五 五二
訪者なし。原稿約十枚「隣組の畑」六十枚迄。
夕方滋をぶち、気持悪し。
十一月二日 晴
[#1字下げ]九時 六・二 五十八
[#1字下げ]四時 六・八五(セヌマ家で)
[#1字下げ]昨夜滋をぶったためか、左右の胸が少し苦しい。肋膜気味かと心配になる。
午後歯医者に行き、セヌマ家を訪い、小学館より彼の書いた谷崎論(私の名)に対して来た稿料百六十円を持って行ってやる。太って元気なり。
夕方途でフライパンを買い、寒気する。家へ戻ってからインドラミンする。
午前原稿。「隣組の畑」六十五枚迄。
十一月三日 晴 明治節
午前、九時頃杉沢来る。彼の畑の写真四つに伸ばしたのをやると喜ぶ。バターを頼む。醤油二升くれる由。
午後、板谷真一君油を持って酒をとりがてら来る。
その前に成島の細君、嫁の実家の弟が文学に凝っているので、宜しく指導してくれと言って来る。どこかの編輯に紹介しようと約束する。
夕方、板谷と杉沢(二度目、醤油持参)のいる処へ、学芸社岡本来る。友人の本屋から、今月の新潮に書いた作品をパンフレットにして出すからとの話。少国民の友に発表したのを渡す。
板谷等と対談中、検温。
[#1字下げ]四時 六・八五
熱が少しある。この頃歯科医などで動きすぎ。外出歯の治療も終ったので、やめて原稿に専心、静養の覚悟す。
十一月四日 曇
[#1字下げ]九時 六・二 五十四
[#1字下げ]昨日からセヌマに借りて来た丹羽の「海戦」を読む。
[#1字下げ]四時 六・二 五十二
[#1字下げ]外出せず。
昨日から大東亜文学者大会あり。出席せず。
この頃北原白秋死す。萩原、佐藤に続いて、日本の近代情感の死滅する時であるか。
十一月五日 晴
[#1字下げ]九時 六・七 六十
[#2字下げ]風邪気味という程ではないが、晩に隣組の会があるのでインドラミンしておく。
[#1字下げ]四時 六・六 五五
夜常会。九時半終る。
十日から野菜の配給となるので、その店の決定等なり。
結局近い店が人気なく遠い店にきまる。
十一月六日 曇
[#1字下げ]九時 六・四五 五十八
[#1字下げ]四時 六・五 五十八
[#1字下げ]タン、セキ、盗汗なし。気候甚だよし。安眠す。
[#1字下げ]この頃牛乳二本入る。また卵ふんだんにある。(毎朝生卵一個宛)郵便屋と魚屋から来る。それに、肝油《ハリバ》をのみ出したり、エーデーもとっている。それにバターをとっている。熱はないが、脈が多い。夏の営養不良時に脈少いのとどういう関係か。
午前那須、見舞にとて来る。田中西二郎君来る。北京へ九日に発つ由。別れに来たのである。田中と昼食す。
礼、百草園へ遠足す。夜魚屋卵持参。上って話す。
十一月七日 晴
[#1字下げ]九時 六・一五 五十七
[#1字下げ]四時 六度二分 五十六(睡後)
原稿「隣組の畑」八十枚目より書きつづく。
夜九時迄に「隣組の畑」八十八枚迄。
先日から話のあった橋爪氏の妹、今夜から当分家へ来て手伝いがてらいることになる。一種の居候なり。
◎十一月に入って気がつくと虫の声全くなし。
四五日前より手の甲の出ものあり、オゾ使用す。
十一月八日(日)晴
[#1字下げ]前夜やや不眠、少々汗あり。
[#1字下げ]七時 六・四 五十七
[#1字下げ]四時 六・五 五十六、午睡後
今日から紺の冬服と雪印のジャンパー、下には薄いシャツ一枚、メリヤス毛シャツ一枚、ワイシャツ一枚、合股引。
上着は着ず。
金物不足が気にかかり、寝てから、風呂罐、ストーブ等を買っておくことを考える。
「隣組の畑」九十五枚迄。
十一月九日
[#1字下げ]九時 六・二 六○
[#2字下げ]昼から貞子と烏山行、三時半迄。
[#1字下げ]四時 六・六五 六十
[#1字下げ]昨夕 ビタニン カルチコル
十二月末までに、京王電車へ六千九百円支払う予定。その為の金の入る予想。
[#1字下げ] 仕事スミ貯金 五○○
[#3字下げ]四海 四○○
[#3字下げ]第一 七五○
[#3字下げ]育生社 五○○
[#3字下げ]有光社 五○○
[#1字下げ]執筆中 錦城 二○○○ 三百枚(百枚スミ)
[#1字下げ]予定 教育会出版 一○○○ 百二十枚
[#1字下げ]予定 博文館 一○○○ 三百枚
[#地付き]計 六六五○[#「計 六六五○」に傍線]
(総額、土地家屋共にて一六六八五・七九円。その内既に一八○○円支払。年末に六八八五・七九円支払って、残八○○○円を四年年賦なり)
今朝真白く降霜す。
アレキサンドリア前面のエル・アラメインまで攻め寄せていた独ロメル軍、大分英軍に押しもどさる。
米軍西北アフリカに上陸す。アフリカ戦局が大問題となる。独軍必ずしもよくない。
十日朝刊によると、エジプトの英軍は、エジプトから進出してリビアに入ったと発表した由。挟撃作戦となる。
外出の途中錦城の米谷(?)女史原稿催促に来る。
十一月十日 晴 火
[#1字下げ]七時 六度二 五十七 前夜入浴す。
[#1字下げ]不計 異状を覚えず、平熱ならん。
野田生へかねて貞子が二千円借りたき由言ってやっていたが、今朝金はいつでも送ると言って来た由。
貞子烏山に昨日行き、あまりあの家が気に入らぬ由。
第一書房より小説の研究印税七百五十円来る。
午後河原直一郎君来る。タイムスをやめて、のん気そうであるが、今後のことを心配している由。夜八時までいる。
その間、杉沢、福田夫妻、中井正晃「隣組の畑」の催促に来る。
夜何も仕事せず寝る。
十一月十一日 晴 降霜白し 里芋の葉、昨日頃忽ち皆枯死す。カルチコール
[#1字下げ]九時 六度一分 六十 脈多し
[#1字下げ]四時 六度六分 五十三
土曜日曜等の近県旅行は、前から指定切符を買ったものの外出かけられなくなる。一月が五年ぐらいの早さで戦時生活は進行している。怖ろしい程である。
午後から「隣組の畑」書き上げに取りかかる。七時、百五枚目、八時半迄に、百十二枚で中止。
十一月十二日(木)晴 ビタニン カルチコル
[#1字下げ]九時 六度三分 六十
滋、野猿峠へ遠足す。
今日は有光社を百十二枚目から、六七枚で書き上げる。百十九枚なり。
午後錦城も取りに来るという日なり。
米軍の北亜進入についで、独軍、仏全土に進駐す。地中海周辺主戦場となる傾向あり。
午前錦城の女編輯者に原稿を渡し、午後中井君の所に原稿届ける。留守なり。
十一月十三日(金)晴
[#1字下げ]九時 六度二分 五十八
[#1字下げ]冬服にスプリング 鳥打
正午から豊岡に嗣郎見舞にと出かけ、途中電車を間違え五時頃着いて面会不能、七時帰来す。
疲労す。武蔵野の紅葉なかなか美し。気候頂上なり。
十一月十四日 曇(土)後雨
[#1字下げ]九時 六・一 六十
独軍トブルクを放棄す[#「独軍トブルクを放棄す」に傍線]、と小さく朝日に出ている。危く見落すところであった。北亜の枢軸旗色悪し。
朝飯山君来り、得能の後記を校了にす。これでいよいよ得能を終える。月末刊行の由。
[#1字下げ]四時 六度六分 五十八
この日仕事せず。終日寝ている。
十一月十五日 晴 強北風 風の気配十分なり
[#1字下げ]九時 六・二 五十九
[#1字下げ]四時 六・五 五十五
[#1字下げ]腹にカイロ、室に火を入れず。
昨日は南風で雨であったが、今朝は北風にて冬を思わせる。北窓がたがた鳴る。
大分肥って来て、ほぼ春頃のようなり。
脈は多い。多少夜汗ばむことあり、右胸の中央部に多少圧迫感あり。なお歩いたりして疲れると右肺尖部重くなる。しかし、秋頃に較べると、ずっと早く歩けるようになった。
一昨日のような長い外出の後も熱が出ない。
この頃は食事大きい茶碗に三つ位、外に毎朝生卵一個、牛乳一本又は半本、おやつにサツマ薯等よく食う。
下痢はないが、少し量がすぎて、もたれ気味。わかもとのせいで異状起らぬように思う。
手の甲の出もの、次第に右左ともひろがる。
タン、セキ無し。一日五六回くしゃみす。
この四五日前から紺のスキー服上下着す。
今朝またソロモン海戦発表。
米巡六隻沈没、我戦一大破、駆二沈。
陸軍はガダルカナル島に上陸して戦っている由。
昼頃小西君来る。入れちがいに杉沢、また入れちがいに夕方岩淵君。彼は軍の宣撫官として南方行を志願せる由。
午前「嗣郎の見舞」(蛍雪時代)三枚から八枚まで、夜つづけて十四枚まで書き、八時半就寝す。
十一月十六日 薄曇 先日の降霜から、崖の木々しきりに紅葉す。
[#1字下げ]九時 六度二分 五十八
[#1字下げ]四時 六度六分 五十三、談話中
[#1字下げ]寒い日、カイロ入れる。
今日から野菜配給[#「野菜配給」に傍線]となる。
錦城の米田女史来る。「兄と弟」原稿切れ目あり。一枚書き足す。出版届を書く。先日原稿書き写してもらった分十枚、十円貞子よりやる。
夕刻中井正晃氏、「隣組の畑」印税ノ内四百円持参。煙草売っていない由で、バット十本やる。喜ぶ。総額六百円位の由。
「嗣郎見舞」を午前五枚、午後八時半までに二十四枚、書き上げる。
十一月十七日 雨 寒し
[#1字下げ]四時 六・四 五十六(坐)
[#1字下げ]宿便 午前中腹痛、二度便す。
室の寝台を片づけ、コタツ入ル。本棚を持ち込み、坐る。
午後雨中を田原君来り、柿と梨持って来てくれる。
手が冷たく、出ものがふえそうで仕事できず、夕方より、八時迄に十一枚書く。「一郎の工作」
南太平洋海戦訂正発表、戦艦一、空母三撃沈の由。
十一月十八日 晴 暖
[#1字下げ]九時 六度二分 五十八
[#1字下げ]四時 六度七分 五十六
[#1字下げ]朝食後少々腹痛 やや軟便
[#2字下げ]三時 腹痛 排便 シブリモヨウ
[#1字下げ]ビオフェルミン わかもと ビオトモサン等
[#1字下げ]昨日のコタツ身体に悪いと思う。
午前十六枚目迄。夜、二十枚迄。
十一月十九日 晴 暖
[#1字下げ]六時[#「六時」に傍線](床の中)六度三分 五十五
[#1字下げ]四時 六度五分 五十六
[#1字下げ]朝八時から、化学研究所へ出かける。
[#1字下げ]午後二時半帰来。注射をされ、十三日分の薬をもらう。レントゲンとる。
化学研究所行。この薬(セファランチン?)一昨日から新聞に発表さる。五人ほど私の前に行っていた。
満洲の実、明日出発にて、三週間上京の由手紙来る。
夕方、ナタ、刈込み、その他の刃物に油を塗ってしまい込む。
十二日以後の戦争を第三次ソロモン海戦として発表。
十六日、敵巡八隻を沈め、戦艦二を中破す。
我陸軍ガダルカナル島に上陸し、船七隻大破し、戦艦一隻大破す。
十二日以後、我戦艦二隻を失い、敵戦艦一、航母四隻を沈めている。大戦争である。
セファランチンは帝大長谷川博士発見の新薬にて、結核療法的〔ママ〕画期的薬品と言われ、五年前から実験していて、遂にこの一二日前より、その効能発表されたもの。小西猛君の勤めている印刷文化協会で全員に実験的に使用していたので、かねて小西君から高田馬場の診療所は聞いていたのである。長谷川博士はこのため朝日賞になるとのことである。なお薬物学の近藤博士はこの薬品の合成を研究中とのこと。
注射を受け、薬を二週間分もらう。
帰途鍋屋横町の金物屋にて、ナタ、植木バサミ、新宿にて、ネジマワシその他鉄製品の小物買う。
十一月二十日 晴
[#1字下げ]六時 六・四 五十三
[#1字下げ]四時 六・七 五十五 研究行
貞子を化学研究所へ連れて行く。私より薬など倍量。よければ何よりと思う。八時半着――十時半終。
その時待合室で一人の男、腎臓を両方犯されていたのがほぼ全治せりと言う。今年五月頃よりとのこと。殊にはじめ二本の注射が利いたという。
帰途瀬沼の家により、この診療所のこと教えてやった。
そのついでに桃園の雑貨屋にて三升タキの鉄カマド、ドラムカンまがいのブリキの大カン等を買う。ナベヤ横町の金物屋にて鍬、注文。
十一月二十一日 晴
[#1字下げ]六時 六・三
[#1字下げ]四時 六・四五 五十六(睡後)
[#1字下げ]この頃、卵は魚屋、郵便夫より闇にて買う。一個十三銭――二十銭、牛乳二本入っている。貞子と私、ほぼ平熱になってから一ケ月なり。一昨日初めて化研究所にて、セファランチンの注射[#「化研究所にて、セファランチンの注射」に傍線]。以後服薬す。未明、腹痛、しぶり気味大量排便す。腹にカイロ。
原稿「一郎の工作」四十一枚より午前四十八枚迄、夕刻五十枚迄。
〈戦争〉
この頃、開戦一周年近く、独軍、エル・アラメインより後退、トブルク放棄、今日ベンガジ放棄の報出る。
一週間前から米英アルジェリア、モロッコ上陸、独伊軍チュニスに入り、国境にて戦闘開始。
第三次ソロモン戦十七日発表、日本二戦艦失う。戦争深刻化し、敵の生産力を警戒する気持次第に多し。
ソロモン島ガダルカナル辺の戦、我陸軍を揚げ次第に敵を圧迫す。
夕刻隣の木綿家、中野家の子等写真とってやる。
原稿は毎日十枚正確にはかどる。
この頃五時に暗くなる。
夜九時、原稿五十七枚迄にて止む。今日は十六枚也。
十一月二十二日 晴 無風 暖
[#1字下げ]四時(睡後)六・四 五十三
[#1字下げ]未明、腹痛、排便。
[#1字下げ]朝 カユ、卵、AD。
[#1字下げ]昼夕 カユ。但し、夕食に鯉コク三杯。
[#1字下げ]夜カイロ
四時頃外語の生徒七里君という人来る。「街と村」など原稿紙に写して見ている由、気持悪い話なり。
正午迄原稿六十枚迄。夜七時――九時、七十一枚迄。
この頃夜は九時迄仕事、腹にカイロ入れ、室に火入れず。スプリングをスキイ用の紺の服の上から着ている。
煙草毎食後二三本ずつ吸うようになった。身体全く異状なきも、昼食後は少し疲れるので横になりたい。室の寝台をとり去ってから、朝は椅子に坐って新聞を読み仕事をつづけ、昼食後、又は二時頃から一、二時間横になることにしている。その頃客あれば寝ず。
原稿を少し根つめて書くと、右の首のつけ根の辺が重いように感ずる。それだけが自覚症状というものである。
錦城の「兄と弟」を百枚渡して、三百円受けとったが、これは使ってしまった。いま、七十枚目まで書いたが、これを三百枚で千五百円か二千円受けとる。それから、帝国教育出版のふるさと文庫百二十枚で千円引替となる。その両方で家の金がほぼ出来るのだ。全力をあげて、それにとりかかる。
十一月二十三日 朝小雨 曇
[#1字下げ]昨夜十一時警戒報出る
[#1字下げ]六時 六・四 五十三
[#1字下げ]四時 六・三 五十二
[#1字下げ]やや軟便。カユ、卵、キャベツ汁。
[#1字下げ]午前、午睡。
原稿、一時より三時迄七十八枚迄、夕方五時より夜九時迄に、八十六枚目迄。
夕刻安原俊之介来り、三十分ほど喋る。
この二三日、仕事、十五枚ずつはかどる。
暖し、夕方十五度。
今夜なお警戒報中なり。
十一月二十四日 晴 無風 暖
[#1字下げ]六時 六・三 五十二
[#1字下げ]四時(対客後、仕事しながら)六・七 五十八
[#1字下げ]腹工合ほぼよし。今日から飯。
十一時より田上義也氏来り、二時迄居る。(五時より、早川三代治氏の処女地の会あり、A・1)
二時から三時迄に「一郎の工作」九十二枚迄書き上げる。
夕方より早川氏の会、岡田三郎、加藤伝三郎、斎藤明、小島政二郎、片岡鉄兵等来る。
八時半帰宅。
十一月二十五日 晴 暖 午後北強風 寒し
[#1字下げ]六時 六度二分 五十六
[#1字下げ]四時 六・五 五十二(横臥後)
[#1字下げ]腹工合完全なり
函館の基より来書。母一週間ほど腹痛して治りたる由。
午頃森本忠夫人久しぶりに来る。太っている。昨日薫の就職朝日にたのむ手紙を森本あて出したところ、出版部に口ありとのこと。アルボース石ケン二個、鉛筆等もらう。四時迄。
二時迄に「忘れ物」十枚書く。夜八時半迄、二十枚迄書く。森本より、薫に社で面会したしと速達あり。
十一月二十六日 薄曇 寒
[#1字下げ]六時 六・二
[#1字下げ]四時 六・三(睡後)五五
[#1字下げ]少々風邪気味
朝から化研行、出かけに薫に打電、森本にその旨速達、新宿にて写真をとり、別にたのむ。一時半帰来。
「忘れ物」三十二枚迄。
十一月二十七日 雨 寒(金)
[#1字下げ]十時[#「十時」に傍線] 六・一 六十
[#1字下げ]四時 六・五五 五五
午後薫より少し遅れるとの返電。森本より土曜に面会ありとハガキ昨夜ありし故、中野駅に行き、急げとの返電をうつ。
夜、実来る。二十三日上京、第一ホテルにいた由。
夜九時迄話し、寒くなる。ノド痛し。実、三畳にねる。
「忘れもの」午後までに四十枚迄。
インドラミンをしてねる。
十一月二十八日 晴
[#1字下げ]六時 六・四 六十
[#1字下げ]四時 六・五 五四
[#1字下げ]朝と昼にうがい。
[#1字下げ]風邪気味午後はヤヤおさまる。
実、外出。今夜より来る。
夕刻、新潮社の時枝氏来り、新潮の原稿を催促。五日までに是非という。楢崎氏留守のためなり。
龍馬君の叔母さんまた来る。泊るのであろう。
菊の指は切らねばならぬかも知れぬ由。
「忘れもの」午後までに四十九枚迄、夕方六時、五十四枚迄。
実、八時頃帰来。
十一月二十九日(日)晴 無風 暖
[#1字下げ]六時 六・三 五十八
[#1字下げ]四時(睡後)六・四 五十六
[#1字下げ]風邪気ナシ
朝十一時、薫と英一到着。皆で昼食す。
実、朝から私の着物を着て階下にいたが退屈したらしい。夕食に、白サイの汁と薫の持って来た鮭を食い、不満そうに一杯でやめる。食後私はまた仕事を続けに二階へ上っていたが、八時すぎ急に彼は身支度して宿へ行くと言い出した。貞子には「東京へ来て酒も飲まないでいては」と言ったそうである。昔のとおり人につっかかる癖を出したのである。今の東京では食膳に酒を出すのも出来ないくらい分っていそうなものだが、私が彼の相手になって外出しないのが不満なのであろうか、好きなようにした方がいいと思う。出発の前日に来ると貞子に言って行った由。
薫午後、森本家を訪れ、松崎君に会い、様子を聞き大体決心したらしい。今日午後二時に面会に行く由なり。
夜、実のことで興奮したのか(さほども思わなかったが)不眠。
原稿夕刻までに六十枚、九時迄に六十七枚迄。
十一月三十日 晴 暖 無風 昨日今日よき日なり
[#1字下げ]昨夜不眠。その上、夜中に礼腹痛して貞子階下に行ったりして三四時間しか眠らぬ。
[#1字下げ]六時 六・二 五十七
[#1字下げ](二時半――四時、午睡す)
[#1字下げ]四時 六・六 五十五(睡後)
昨日今日気候よし。暖く日照り、風無く、日落ちても室に火入れずともよいくらい。
午後、雑誌「樺太」(北方日本)の人徳光氏来る。原稿の話、正月に入ってから、感想風のものでも書こうという。
原稿夕方までに、七十三枚迄。
この頃、寝台を取ってから、午前中は起きて仕事、午後二時か三時から一時間ほど、室にふとんを敷いてねる。検温す。
朝は床の中で検温。セファランチン使用後、手の甲出物減少して来たので、オゾを三日ほど前からつけず、夜中かゆくなり、かく事はあるが、それでも、次第によくなる様なり。
この手の甲の出物と同じ速さで、胸の病気も退くものと考えることにしている。手の甲が完全になる迄は、病気生活をする。
今夜からドテラを着る。
夕方杉沢来る。バター二ポンド持参。二人にて銭湯。病気になってから初めての銭湯行なり。体重十二貫九百匁。
化研にてシャツ、ワイシャツ、ズボンにて、四十九キロ(十三貫二百程)。
[#改ページ]
[#2段階大きい文字]昭和十七年十二月
十二月一日 晴 無風 暖
[#1字下げ]昨夜杉沢と銭湯に行って、湯がぬるかったが、夜寝てから盗汗気味であった。
[#1字下げ]六時 六・三 五十四 朝うがい
[#1字下げ]四時(横臥)六・六 五十五
薫が野田生では金を送るばかりに支度してあるからとのこと也。
建物土地代、六千七百円程十二月末迄と約束しあり。
[#1字下げ]現金 一○○○円
[#1字下げ]貯金 五○○円
[#1字下げ]四海よりの予定 四○○円
[#1字下げ]有光社よりの予定 二○○円
[#1字下げ]錦城三百枚分(内百七十枚出来)
[#1字下げ] 一五○○円
[#1字下げ] (十五日迄に仕上げる予定)
[#1字下げ]教育出版(百二十枚) 一○○○円
[#1字下げ] (十日迄)
[#1字下げ] 計四六○○円
[#1字下げ]野田生より借用 二○○○円
計六六○○円
外に育生社の印税五百円、河出三百円、新潮社二百円位あり。
昨夜の盗汗を考えると、この頃ずっと熱はないが、まだ病気である。いま風邪をひいては、この予定での執筆に差支えるので、大事をとることにする。
午後野田生の義父に、明治の保険証券、借用証を入れた手紙を書く。明日出す予定。外に増築のことで田上氏、薫の就職の礼、松崎君等。米田マサ子氏(錦城)原稿「一郎の工作」九十二枚渡し、なお二千円ほしき旨話し、明日あたり中島氏へ相談に行くと言っておく。
原稿午前七十八枚迄、九時、八十三枚目。
十二月二日 晴 無風 暖
[#1字下げ]六時 六・四 六十一[#「六十一」に傍線]
[#2字下げ]午後外出、錦城行。
[#1字下げ]四時 六・六 五十八
[#1字下げ]夜盗汗少々、今日は身体異状なきも脈多し。まだ体内正常ならず。
午後錦城出版社に行き、中島憲三、大坪草二郎に逢う。十日頃千五百円ほしいと言う。「一本」ぐらいではと中島言う。千五百円にしてくれと言うと、まあ、やって見ましょうとのこと、少し危険なり。
夜原稿八十六枚迄。野田生へ手紙発送す。
十二月三日 薄曇 暖 昨夜ビタニン カルチコル
[#1字下げ]化研行
[#1字下げ]六時 六・一 五十七
[#1字下げ]四時 六・三 五十七
[#1字下げ]外出して物を持つと、右肩凝る。
化研の帰路、新宿で貞子と実の子供へ布買う。十二円程、それから一人で育生社に寄る。本、十日頃出来る由。向うで勝手に様子変え、一円七十銭の本にして、海老原ニ装幀依頼の由。平田君に「ソ聯将校の世界大戦評」をもらう。主人と出口で逢う。挨拶せず。印税の話は三浦君が朝鮮から戻ってからの方よいとのこと。
銀座にまわり川崎のところを訪ねて逢えず、三時帰来す。
十二月四日 曇 前夜入浴 盗汗気味 夕刻雨
[#1字下げ]六時 六・二 五十六
[#1字下げ]五時 六・八[#「六・八」に傍線] 五十六――午後河原君と三時間対談後。
[#1字下げ]肩凝りなし。
午前博文館石光君、年末までに百枚ほど書き、金を借りることにする。朝育生社より、四千の印税払うと言って来る。残二百八十円なり。
午後原稿九十一枚目迄。河原直一郎来り、四時迄対談。夜、実来り、十時半まで対談。
十二月五日 晴 暖 この一週間よき天候つづく
[#1字下げ]七時 六・三五 五十六 昨夜盗汗、但し暖し。
昨夜実の話、満鉄調査部のニュース。ガダルカナルにあった海兵一万(?)は全滅した由。その後の陸の揚兵三船隊の内二つは沈められ、一のみ上陸せるも苦戦にて、やっと上陸点を死守せる由。極秘の由。他言なし。なお渤海における船の沈没甚しく、昨日は、横浜港外で一隻沈められ、子安海岸に多数の罐詰など流れ寄った由。国内に日本人でスパイになっている国賊がいて、船の出入を一々報じているらしき由。憎むべし。
河出より、青春の検印紙二千枚送り来る。四海は四百二十円送った由。
[#1字下げ] 現金 一○○○
[#1字下げ] 四海 四二○
[#1字下げ] 河出 三○○
[#1字下げ] 育生 二八○
[#1字下げ] 錦城 一○○○
[#1字下げ] 野田生 二○○○
[#1字下げ] 貯金 五○○
[#1字下げ] 教育出版 一○○○
[#1字下げ] 右 計六五○○
[#1字下げ]外に
[#1字下げ] 新潮、運命の橋印税 三○○
[#1字下げ] 有光社 二○○
[#1字下げ] 錦城 五○○
[#1字下げ] 残った原稿
[#1字下げ]新潮正月号の小説、今日と明日で三十枚。
[#1字下げ]錦城の小説 あと六十枚。
[#1字下げ]教育出版百二十枚。
十二月六日 晴 午後北風強し 冬の来るを思わせる
[#1字下げ]朝 六時 六・二五 五五
昨夜から実来て泊っている。午後奥野君来る。日露[#「日露」に傍線]戦未来記という日露戦前の英人モリス桂月訳の小説、小笠原長幹の軍事談片の初版等持って来てくれる。
午後実帰るので、三人で外出。新宿で奥野君に分れ、第一ホテルにて実の荷づくり。後資生堂にて夕食、別れて帰る。八時なり。
「蛍雪時代」の稿料百二十円送り来る。
十二月七日 晴 暖
[#1字下げ]六時 五度九分 六十位
[#1字下げ]四時(睡後)六度五分 五十七
[#1字下げ]右肩凝る。
新潮原稿書きはじめる。一枚。朝新潮社に速達で猶予乞う。
昨日、久しぶりに夜の東京銀座辺を見たが、もうすっかり世の中は変ったという気持をひしひしと受ける。夜の外出は二度目で、先日の早川氏の出版記念会の時はすぐ帰った。はじめ、昨日は、青バスで有楽町下車、第一ホテルまで歩いて行く。帝国ホテル裏のガード沿いの道を行くと、三人の少女、洋装をしたの二人と和服一人とが、大きな風呂敷包みを背負って行く。青物の買出を近県からして来たという恰好である、がその一人が、来かかった水兵に、海軍省はどこですかと言っている。水兵さんと連れの少年がどぎまぎしているので、私があのアンテナのある所と指差してやる。ははあ慰問袋なのだな、と合点する。隣組の分であろう。三人笑いながら去る。第一ホテルの実の室、風呂つき、シングルベッド、北向五階六畳位、四円五十銭の由。安い。荷物を整理し、それから夕食にと出る。ホテルのそばの松栄というすし屋がやっているが、銀座へと向い、資生堂に寄って見ると夕食支度中と出て戸をしめている。四時間なり。日本橋の赤あんどんを思い出し、昔、父の行った所があると地下鉄で行く。
今日イチョウ(今盛に地に敷く)やプラタナス(落葉最中)はみな落葉しているのに、柳のみ銀座に青々として揺れている。柳はこんなに持つものか、不思議なり。
日曜日なので、家族連れで混乱、二度目に乗る。街暗し。赤あんどん店を暗くしている。ずっと営業していないのか今夜だけないのか分らない。急いで戻ろうとするが地下鉄は浅草がえりの客にてひどく混み、暗い町の地下に人むれてすさまじい感じなり。三度目に乗る。資生堂、大戸をしめている。新橋寄の戸から入る。二十人ほど立って待っている。見覚えのあるボーイが客の名を一々呼んでいる。はてな、と思う、念のため、食えるかと言うと、少し待てとのこと。入れただけの客は名を聞いておいたのであろう、そのうちやっと席につく。
スープ、フィッシュ(アワビ、コキユ)、肉、なかなかうまい。アイスクリームとみかんつく。二円五十銭ずつ、五円に税一円なり。だが私たちを最後に六時半には終りになる。実に少いものだ。つまり正確に配給量しか店に出さないか、又はそれ以下である。だが質は落さない。外に出ると人ばかり歩いていて、東側の夜店も、千代紙とゴムホースぐらいしか売っていない。実とホテル前で別れ、またバスに乗りに、三姉妹のあたり通って見たが、日曜のせいかその辺みな店しめている。暗い。
町には何もないのだ。まずいコーヒーしかない。各戸に防火壁をとりつけている。裏町に水溜の大穴を掘っている。タバコなど見当らず、行人はワカメのようなものにたかって買っている。各店々の店頭はがらんとわびしい。髪かざり、袋ものの店や、家具店など僅かに陳列が出ている。空襲の前夜という感じなり。のん気な美しさなどどこにもない。寒々と、しかし真剣で、切迫した空気。
今夜八時杉沢来る。旭川の小保内君から送って来た二十八聯隊史を持って来る。彼の話。数日前、横浜の爆発事件、ドイツの仮装巡洋艦が横浜の埠頭に入っていた。そこへ南方から来た日本の油槽船が、東京港で荷上げをし、残った油を入れたままそのドイツ船と並んで給油していた。また別側からはハシケでドイツ船へ水雷を積み込んでいた。そのうちその水雷が落ちたのか或はドイツ船の修理をしていたカンカン虫の仕事のあやまちから引火したのか爆発して、ドイツ船もタンカーもふっ飛び、その後方にいた満載の二隻の日本船は燃える重油に囲まれて爆発し、埠頭倉庫も焼け、二日間燃えた。百数十人の死傷。ラク聯からも救恤用のバターを出した由。
実の満鉄ニュースはそれを知らなかったのだから、いい加減なもの也。そう言えば新聞に三日程前、小さく日本船二隻の火事と出ていた。
今夕刊にて、米国が六日に、ハワイの損害の真相発表が出ている。沈没大破は軍艦五隻、我発表とほぼ合致す。
夜魚屋、闇の卵持参す。一個十八銭、四十一個。
十二月八日 晴 暖
[#1字下げ]六時 六・二 五十六
[#1字下げ]四時 六・三五 五十七(睡後)
[#1字下げ]やや不眠、盗汗なし。肩凝りなし。
開戦一年なり、去年の今日と同じような霧のある朝。飛行機未明より飛ぶ。新聞大見出し増頁す。
昼、新潮原稿六枚迄。夜十時、十七枚目迄。
十二月九日 晴 午後北風 寒し
[#1字下げ]六時 六・三
[#1字下げ]こんな風に夜外出は危いと思う。午後測らず。
野田生の義父よりハガキ、送金先の銀行を知らせとのこと。
午前中から、新潮の小説に熱中す。どんどんはかどり、「病歴」と題す。午後四時、三十三枚にて書き上げる。訂正の上、届けに、夕方四時半家を出る。板谷君の原稿近藤弘文あて、義兄への返事のハガキ等一緒。バスにて銀座に出る。事務所に川崎居る。久しぶりで彼に逢いたくなったのだ。そこの郵便局で投函す。そのあと、川崎と新橋の大浅にて牛肉を食う。外に料理もとり、十四円なにがし、川崎、チップ共二十円支払う。尾張町にて別れバスで帰る。
夜、川崎の話を思い出し眠れず。川崎よく喋る。しかしせわしなく落付いた話にならず、寂しい。私が金でも借りたいと言い出すと思っているのかとわびし。但し田居にあの家を先に見せたこと気がとがめている。
十二月十日 晴 朝氷厚し 八時0下一度 朝粉雪
[#1字下げ]六時 五・九 五十六
[#1字下げ]化研行
[#1字下げ]四時 六・七 六十一[#「六十一」に傍線]
[#1字下げ]脈多し。昨夜の寒さと酒のためか。手の皮膚病ややふえる。医者に見せる。しらべると言う。
午後、中井正晃君、有光社の新作三人集(犀星、聖一と組)の届けの印取りに来る。
午頃、化研の帰途、京王電車開発課に寄り、家の話。水道凍って困らぬかと問うに、大したことないと言う。壁の落ちたのやネダの抜けたのは修理中の由。
この頃の新聞論調、生産戦に負けるな、と言い、負けそうだと憂い、専ら国民の関心ここにある。船がどれぐらい出来るのか、損害はどれぐらいか知りたきもの。飛行機の生産は年一万台級と実言う。アメリカは五六万台か。
今日防空演習、この班は見学のみの由。菊行く。
昨日から文子氏どこかへ行って戻らぬ。家の裁縫の仕事大方片づいた由。
滋白雲が頭に出来、礼にも少しうつっている。
十二月十一日 晴 西風強
[#1字下げ]六時 六・二 五五
[#1字下げ]四時(睡後)六・三 五五
[#1字下げ]この夕方食後入浴。十三貫。
[#1字下げ]手の吹出物、昨夜中にひどくなる。
[#1字下げ]以前に近い状態、オゾ使用。
十時から、現代文学の原稿書き出し、二時十二枚で書き上げる。「四畳」と題し、午後来た英一に速達依頼。河出の得能送先も飯山君あてたのむ。約五十冊寄贈す。
手の吹出物、セファランチンで治ったように思っていたら、一昨日の酒のせいか、昨夜かゆいと思っていたら、ぶり返し、不愉快なり。では皮膚結核でないのか。
防空演習やっている。細君たちバケツ送り等、菊が出る。
十二月十二日(土)晴 暖 前夜入浴[#「前夜入浴」に傍線]
[#1字下げ]六時 六・三
[#1字下げ]四時(睡後)六・五 六十[#「六・五 六十」に傍線]
[#1字下げ]午前外出。
午前中、郵便局に行き五十円為替をとり、新宿に出て、約束の圧力釜を買う。二十六円五十銭。棒ハカリ、四貫目のを三円五十銭。封筒、インキ等二円買う。
午後四海書房印税の残額四百二十円振替にて来る。
「雀の話」書きはじむ。二枚迄。この日ほとんど何もせず。
十二月十三日(日)晴 警戒報 夕方解除
[#1字下げ]前夜十二時頃警戒報、黒幕下す。
[#1字下げ]八時 六・一 五十六
[#1字下げ]四時 六・五 五十三(睡後)
昨日今日また暖くいい天気なり。
夕方までに原稿四枚迄。
夜十時、十六枚迄。
十二月十四日(月)晴 北風
[#1字下げ]七時 六・四 五十七
[#1字下げ]四時 六・四五 五十八
[#1字下げ]手の甲の出物ややよし。午後郵便局。
十一日――十三日、天皇陛下伊勢御親拝遊ばされし由、今朝刊に発表。
すでに十四日なり。金のこと急ぐ。錦城の方も放っておけぬので急ぎ執筆す。今朝朝日と東京に得能物語広告出ている。いよいよ本が出たのだろうか。
午後局にて、振替を千十六円取って来る。
原稿、午前中に二十五枚迄。
夜九時半三十六枚迄。
十二月十五日 晴
[#1字下げ]七時 六度二分 五十三
「雀の話」書き続ける。もう十五日になった。急がねばならぬ。昼食までに五十枚。大いにはかどる。
一時半、五十五枚書き上げ、直ちに錦城へ持参す。三百四十枚なり。印税千五百円受領す。前に受けとったのと合せて二千円である。但し約束通り一万五千部印刷とすれば、全部で三千円となる筈。九ポで組む由。新日本文学叢書というのに入れ、藤田嗣治の一様の装幀なり。
近くの今野君を近藤モータースに訪ねる。新築中、八十坪にて六万円の由。普通の木造なり。烏山の家は粗末だと貞子が言うが、坪三百五十円程であるから、半値である。セファランチンの話をする。彼細君悪く入院中の由。七貫目しかない、と彼はあきらめている口調である。彼の工場の職工はみな日給十円ぐらいの由。(闇であろう)
その足で育生社に寄る。「メキシコの朝」出来る。印税残金二百七十円受領。三雲祥之助に逢う。
十二月十六日(薄曇)前夜入浴す 朝霜真白なり
[#1字下げ]七時 六度二分 五十八
[#1字下げ]四時(睡後)六・四 五十八
朝河出の飯山君、「得能物語」出来たとて五冊持参。「青春」増刷の印税を三百円持って来てくれる。今日から「ふるさと物語」に取りかかる。夜になってから二三枚。
これを百二十枚書いて(印税千円)受取り、野田生の義父からの二千円が届けば、京王への支払が年内に出来る筈である。飯山君の話によると、明年春期分の印刷用の紙は四割減となった由、全くこれでは文学など棲息できなくなるかも知れぬとのこと。
「得能物語」の出来たのを見ると、これで去年の秋以来の努力がやっと纏まったと安堵した気持になる。
昨日陛下は産業人代表に拝謁仰付けられた由。いよいよ国家の重大の秋となった思、痛切なるものがある。
この頃身体ほとんど異状なし。但し風呂へ入ると夜中寝苦しく、少し汗ばむように覚える。それから右肩が、長時間書き続けたりすると凝るが、一夜で直る。右の胸、鼻をすすったりすると肺門部が何かつまるように重くこたえ、左の胸と様子が違う。これが無くなればいいのだろう。熱はほとんど出ないが、脈が多い。
「得能物語」を更に、峰岸、杉沢、小林北一郎、鈴木重道、新居格、新井豊太郎等の人々に贈るよう河出にハガキを出す。
千葉の原民喜君より蛤一箱来る。
十二月十七日 晴 暖し
[#1字下げ]六時 六・三 五十七
[#1字下げ]四時 六・五 五十七(睡後)
午前「ふるさと物語」十枚迄。京城の村上広之君より栗一包来る。途中大分抜かれた形跡なり。貞子化研行。この頃毎日七度以上の熱あり。医師、働いてもよしと言いし由。化研、所長小宮、医師、山田。教育会出版部の石野君より「ふるさと文庫」の原稿二十一日頃取りに来ると言って来たので、二十五六日にしてほしいと返書す。
十二月十八日 曇 小雨
[#1字下げ]六時 六・二 五五
[#1字下げ]四時(対談後)六・五 五十八
[#1字下げ]化研は薬を三週分くれる。
[#1字下げ]化研行[#「化研行」に傍線]、体重ズボンシャツにて五十一キロ。
[#1字下げ]先月二十一日に初めて行った時は四十八キロ、その次週は四十九キロであった。
家に戻ると田居君来ている。明春東京へ引き上げて来る由、家の話など色々。一月二十日頃家を捜しに来る由。純毛のサージ二着を依頼す。火急の用には金を用立ててくれる由。衣巻君より得能物語の礼を兼ね批評。彼はいつも私の作品には熱心に批評してくれる、うれしい。
夜コタツを入れて仕事。九時半、十五枚迄にて止む。
十二月十九日 晴
[#1字下げ]六時 六・二 五十三
[#1字下げ]四時(対談中)六・六
午前「新太陽」のために「得能のスキイ」書き出す。一時までに十七枚。午後山下均君来る。「冬夜」を見つけて持参、署名。「得能物語」を贈る。彼「生物祭」初版をも見つけたとのこと。化研を教えてやる。
彼の戦争談[#「彼の戦争談」に傍線]
神奈川造船の取締役をしている彼の義兄のよく見てもらう占師が、明年九月には戦争に一休止あり。不景気来る故、その時を待って物を買えと言っている由。また片上伸の息子で中央公論の記者をしていた片上伸太郎(?)という三十六七の男が、信州追分で病を養っているが、専門に戦争を研究、とても面白い話をする由。政界、学界等の材料を綜合して綿密な話をする由。その男の推定でも明年九月頃は各国共戦力を使いつくし、戦争停止的な状態になるであろうという。スターリングラードは絶対に落ちぬとその男は言っている由。前の欧洲戦にも、よく戦時中に休戦の話や予言が出たが、それに似たものであろう。(十八年十月十日補記――この予言にある十八年九月にイタリアは降服し、ムッソリーニは捕えられた。英米は南伊に上陸し、独逸はドニエプル川まで一挙に退いた。しかし、この後のルーズベルトやヒットラーについての予言はあたらない。)
またいつか平出大佐(?)が引用していたフランスの何とかいう著名な予言者の予言では、明年四月にルーズベルトは暗殺される由。また蒋介石は一月に暗殺される由。ヒットラーは死なないが、不幸になる由。まあ念のため書いておいて見よう。
夜入浴。法政新聞の学生来り、一月号に約束す。
夜九時半「スキイの話」二十三枚にて書き上げる。
十二月二十日(日)晴 北風
[#1字下げ]六時 六・三 五十六
[#1字下げ]五時 六・七(対談後)
[#1字下げ]前夜入浴。
[#1字下げ]手の甲ひろがって、随分ひどくなる。ハリバなどをのむせいか。
新潮新年号の小説二月にまわった由、楢崎氏より来書。十返君より得能評を「若草」に書く由来書。
「ふるさと物語」十五枚目より書き出す。午前中二十三枚迄。午後渋川君来る。「志賀直哉論集」の原稿十五枚ぐらい書けと言う。彼に得能物語を呈す。その後ねていると、新太陽の津川君来る。昨夜書いた原稿を読み直して渡す。夜、薫、英一来り、夕食。その後洋服屋来る。
八時より、原稿書き出す。夜十時、三十枚まで、もうあと九十枚なり。一日二十枚で二十五日頃出来る。何となく安心す。
野田生の義父へ金を早く送ってくれと催促を出す。
十二月二十一日(月)晴 昨夜十一時就寝
[#1字下げ]六時 六・○ 五十六
[#1字下げ]四時(睡後)六・三 五十二
[#1字下げ]脈、熱共に近時もっとも少い。異状を覚えず。午後の脈数、これで昔のとおりなり。
「得能物語」は随分広告が出た。十五六日頃各紙に一度に出たが、今日また読売の記事欄の左下の角に目立つ広告が出、私の外の本も一緒に出してある。
昨日貞子風邪気味、インドラミン二本注射す。
窪川鶴〔次郎〕、本多顕彰、上林暁、早川三代治、津川溶とに得能物語発送を河出飯山君にたのむ。
「ふるさと物語」午後二時、三十八枚迄。
春山、浅見、新居格、南川潤、峰岸、〔アキ〕等より本の礼。浅見君「婦人日本」に批評書く由。
東京新聞夕刊に、谷萩陸軍報道部長の「ガタルカナル島随想」という文のっている。その周辺の海戦のみ度々報道され、島の中の戦闘の様子は、少しも分らなかったのが、初めて、やや形をとらえうるように書いてある。直径十里の島のうち、米軍は飛行場中心の二里四方を占拠した。我方は夜間の補給により、それを陸軍で攻めている。だから食物には非常な不便を忍ばねばならぬ。全くこれではやりにくい戦争にちがいない。こちらは勿論だが敵も引くに引けないであろう。この島の戦争はすでに半年になろうとしている。大戦争である。大東亜戦になってから、報道のほとんどされない唯一の戦争である。ノモンハンの時もこんな風で、黙って重大な戦争がされていたのであった。
「ふるさと物語」六時、四十三枚迄。九時五十枚迄。
十二月二十二日 晴
[#1字下げ]六時 六・二 五十五
[#1字下げ]四時(談後)六・四 五十四
川のこちら側に工場建築、棟上げをしている。小林北一郎、板谷、中井正晃より得能物語の礼来る。
午後松尾一光君来る。「辛巳」の小説を読めとのこと。
野田生の義父より、北海道銀行あて二千円来る。これで、今書いている「ふるさと物語」の印税が入れば、京王への支払ができることになった。
原稿午後までに五十七枚迄、あとは松尾君に邪魔さる。夜杉沢来る。「肉体の戦史」等貸す。
九時半、六十枚迄にてやめ。
十二月二十三日 晴 霜白し 夜雨
[#1字下げ]六時 六・三 五十八
[#1字下げ]前夜入浴。右肩凝る(外出後)
午前六十八枚迄。午後局へ行き四海の振替四百二十円をとる。バスで日本橋北海道銀行に行き、野田生の小切手が横線であると言われ、三和にて、育生社の小切手三百七十円とり、後河出に行き、小川君に逢い野田生の小切手の換金をたのむ。二三日後とのこと。小川町にて、金物屋に入り、オノ一ケ、肉切包丁一、ハサミ一、植木バサミ一ケ買う。六時帰来。
夜十時七十七枚迄。
十二月二十四日 雨後曇
[#1字下げ]七時 六・二 五十四
[#1字下げ]六時 六・三(睡後)
[#1字下げ]一昨日頃から手の甲に第一製薬の「スカボール」(日本薬局方チアントール)をつけている。米油に硫黄を完全融解させたものらしい。利く様なり。夕方右肩凝る。
石野君に原稿二十六日出来る由ハガキ出す。商大生西川君外二三人、得能五郎を読んで逢いたいと言って来る。旅行するから正月中すぎにと断る。中井君に有光社の印税残金(二百円程)を年内にほしいと言いやる。
一時、平田君来る。花野氏、Y・M・C・Aに室を借りている由。
二時半に八十五枚迄。あとは寝る。
六時、八十八枚迄。津村秀剛より本の礼。
滋と礼、学校終る。滋、体操良上外優、礼唱歌、習字良上、体操良下、外優。
夜九時半、九十九枚目迄にてやめる。もう明日一日でできると思うと気軽い。
夕方ねていて松尾一光君の「生」を「辛巳」で読み、感心す。書き方不十分なるも、清潔にして才能あり。久しぶりで、よい作に接した気持す。但しこんな気持で生きる松尾君は不幸な人だと思う。文学には作者自身が不幸であることによりて成立する性のものあり。秋江、礒多、善蔵等そうなり。松尾君もこの系統なり。
十二月二十五日 曇
[#1字下げ]七時 六・一 五十[#「五十」に傍線]
[#1字下げ]四時(睡後)六・四 五十二
[#1字下げ]朝から右肩少し凝っている。
[#1字下げ]脈減少、しかし、疲労感増す。
[#1字下げ]夕方右肩かなり凝る。
今日は「雪国の子供」を書き上げねばならぬ。
午後二時、一○五枚迄にて寝る。
函館の母より、うさぎ肉らしきもの一折送り来る。
この年末にて出版文化協会解消、日本出版会となる由。紙は四割減。出版界は事実上、文協が出来て以来インフレであった。今度は本当に縮小されるであろう。
夕方百九枚まで。午後河出書房小川君より、小切手換金の旨速達あり。
今日香港占領記念日、クリスマスなるも、どこにもその気配はない。夜、八時半一一九枚にて書き上げる。「雪国の子供」と題す。これで家のための仕事終る。今年の原稿も終る。数日休息の要あり、ほっとする。
十二月二十六日 晴 北風
[#1字下げ]七時 六・一五 五十三
[#1字下げ]右肩少し凝っている。
朝十時河出に行き、小切手の換金弐千円受取る。省線とバスにて十一時半帰る。
午後三時石野君来る。出版界異変にて一万部は刷れるかどうか明年二月十一日にならねば分らず、とりあえず五千部五百円だけ前金として払うことになったと言う。こんな事ならんと思っていた、最後に来て予定が狂った。しかし千円だけ渡す金を少くして、四年の約束を四年半にしてもらえばよいと思う。琉球の話五時半までする。ペルリやチェンバレンの話面白し。
十二月二十七日 晴
[#1字下げ]七時 六・二 五十三
[#1字下げ]四時(対談中)六・七
[#1字下げ]右肩少し凝る。
[#1字下げ]手の甲外形はよろしいが、まだ根治してはいない。スカボール使用。
朝河出より青春増刷言って来る。この本の売れるのに驚く。先月刷ったばかりなのにまたいくら刷るつもりか。なお、得能物語の残金九十四円送った由。新潮社より小説の稿料百円送り来る。文芸春秋より文芸手帖来る。これは去年からもらっているが便利でありがたい。
家の前に出来た工場、上棟して屋根に板張り終る。妻木新平君より板谷真一君の文芸主潮同人加入通過の由言って来る。板谷君にその旨ハガキ同封して手紙をやる。
この頃ずっと風少く、よい気候なり。十一月はよい月と思っていたが十二月も同様だということ分った。街路樹は皆落葉したが、昨日見たところでは、銀座四丁目のカブキ行の両側の柳はまだ半分以上葉が青くついている。不思議なり。
昨日貞子化研行、渡会医師は体温表を見て、貞子は病気でなく、薬も一日おきでよいと言った由。しかし薬を毎日もらうことにした由。
右首のつけ根やや重く、何もせず怠けている。金は、六千九百円渡すところ、明日までに六千五百円しか出来ない。京王電車に五千九百円渡すか、又は六千四百円渡すかに相談する。三時頃小西猛君来る。五時迄いる。
十二月二十八日(月)
[#1字下げ]七時 六・一 五十二
[#1字下げ]五時(四時半外より帰る)六・六
[#1字下げ]外出、右肩少しこたえる。
朝から外出、京王電車に行く。無人。理髪し、銀座に出る。川崎に逢う。彼多忙らし。別れてスキー映画見る。帝国教育会出版社にて石野君に逢い、印税内金五○○円受領。京王電車にて課長に逢い、六千八百八十円の処、五百円不足と言う。すると正月でもいいとのこと。しかしその足にて田居に電報三百円貸せと言ってやる。カメラにて二百円作るつもりなり。
貞子、暮の買物に外出、綿を闇にて十二円ぐらいのもの二十円にて買った由。文子さん去る。着物等二十枚作った。四十円やった由。洋服屋カエズボン生地持参、三十円渡す。正月十五日迄に作るという。四十五円の由。
夜銭場へ行く。田居に手紙書く。烏山の土地と材料を持てる請負師のこと等。
十二月二十九日(晴)厳寒 朝零下五度 霜白し、但し静かな晴となる。
[#1字下げ]六時 六・二
[#1字下げ]四時 六・四 五十五
[#1字下げ]前夜入浴。やや不眠。右肩少しこたえる。夜入浴。
静かなよき日、礼理髪、滋手の治療に児玉医師へ。午後ねむくなり、二時間午睡。夜入浴。
夕方、田居より三百円電送し来る。現代文芸の稿料十二円来る。夜、有光社の中井君に、二百円程の印税残りを三四日前にたのんでいたのが、出版後にしてくれと断って来る。ところが思いがけず、津川君が新太陽二月号の稿料持って来る。九十二円。
何も仕事せず、九時就寝。
この頃になって、来る人ごとに身体が悪いそうだと言い、また手紙をよこす人ごとにそう言う。今頃噂がそういう風に伝わっているらしい。
十二月三十日(晴)
[#1字下げ]七時 六・三 五十五
[#1字下げ]四時 六・八(対談中)
[#1字下げ]午後二時まで外出。
朝、八島にカメラ持参。二百円借る。和田本局にて為替三百十二円取り京王に行く。手続は正月になってからの由、今朝近所の子供たちをとった写真を頼む。その足で烏山の家に行く。湯殿の水道破れている。北、北西の両方に新築土台工作中、南の家庭木入れて立派になっている。電車とバスにて本町五局に下車、田居に礼の電報をうつ。クシガキ悪いもの四十個一円にて買う。神ダナ、六円五十銭にて買う。二時半家にて食事。ねている所へ田原君来る。病気悪しと福田から聞いて来たという。午後貞子買物に出歩く。元気に驚く。夜子供餅切り。日本新聞同盟より稿料十五円。
十二月三十一日 晴 無風 暮 朝酷寒
[#1字下げ]七時 六・二五 五十四
何もせず、午前新聞、文芸の戦争と文学座談会、新文化等読む。金を計算し、京王へ渡す金六千八百八十六円を封入し、別にしまう。財布に七十円程あり、八雲の伯父たち正月に来てから、貸すなり、移るなりに決定す。
夜、薫、英一年とりに来る。入浴。
[#改ページ]
[#2段階大きい文字]昭和十八年一月
一月一日 曇 寒し 前夜入浴
[#1字下げ]六時 六・三 五四 熱あり
[#1字下げ]四時 七・一五 五八
朝から百田家へ行く。百田氏不在、夫人と十一時まで話し戻る。大井広介君より来書。読んで、得能物語の世評についてはあきらめていた時のこととて興奮す。自分でも変な程、胸どきどきす。三時なり。横になっても身体熱し。不快でないが熱あり、心配になる。二月ぶりなり。やっぱり湯に入りすぎたりして失敗したのかなどとも思う。盗汗なし。
夜、安原、石橋、松尾、望月、当真の諸君来り酒をのむ。十時迄。
一月二日 晴 前夜カルチコル
[#1字下げ]七時 六・二 五二
[#1字下げ]四時 六・七五、川崎家よりやや疲れて戻り、小西君と対談中。
[#1字下げ]朝より滋、礼を連れて川崎家に行き、二時まで居る。家に戻ると小西君いて酒の相手八時迄。異状なし。
一月三日 晴 貞子風邪 前夜インドラミン キューレーコン
[#1字下げ]六時 六・二 五十一
[#1字下げ]四時(睡後)六・四 六十
[#1字下げ]十時――二時 子供と菊をつれ烏山行。
烏山の家に行く。子供たち喜ぶ。掃除をし、井戸にコモをかぶせる。隣家に挨拶す。
夜薫来る。モスクワから来た丸山政男という朝日の記者の話では、レニングラードはまだ落ちぬ由。独軍のとりついているのは郊外の旧市街とのこと。またこの戦争は今年中に峠を越すと言う由。こないだ沈められた戦艦は山城で、これはすでに艦齢外で練習艦だった由。このこと、大分前から滋が友達に聞いたとて言っていた。
夜甚だ冷える。
一月四日 晴
[#1字下げ]六時 六・三 六○
[#1字下げ]四時(豊岡病院にて)六・三
午後から嗣郎見舞に、豊岡病院行。行に三時間、帰りに二時間かかる。豊岡の町で蜜柑を買って来る。嗣郎、肋膜夏に治りたるも、十二月より肺を悪くしているとて、三十八度ぐらいの熱あり。セファランチンの話をし、彼から医官に話すことにする。帰りは立ちづめ、夜すぐ寝る。
一月五日 晴
[#1字下げ]七時 六・二
[#1字下げ]五時 六・三(睡後)
午前京王に行く。二三日前から田居が電報で、五十八か十七、十八かの土地を買いたいと言って来ている。年末に京王で聞いた花村家を建てた大工が材料を持っている旨手紙をやったので、家を建てる気になったのであろう。土地留保のため京王に行ったが、午前中しか出ないらしく無人。土地十八が道路の高さしかない旨電報してやる。午後家に戻ると、気象台の山本、厚谷二君来ている。酒少々相手す。
正月以来何も仕事せず。身体の調子よくなって来た。右肩かすかに意識される。この頃ずっと風なく、快晴つづき、但し寒気ひどく、毎朝畑真白にて、チョウズ鉢は凍って動かぬ。冬はよいものだと思う。手の甲はほとんど直り、昔のとおりにて、スカボール信者となる。そのためか寒さは怖くなく気持よし。ノドを痛めること少くなった。冷たい空気を吸うのが快適なり。
一月六日 晴
京王に行き、十八と五十八を確保す。その旨田居に電報す。朝局に寄り、第一生命の保険料百六十円払う。一年分なり。この払いのため、京王へ渡す金から七十円抜き出す。心細し。午後から夜、仕事を始めようとして原稿紙ひろげるも心定まらず。執筆せず。行きちがいに田居より手紙出したとの返電。
[#1字下げ]七時 六・一 五十四
[#1字下げ]四時(睡後)六・四 六十
一月七日 晴 前夜入浴
[#1字下げ]七時 六・三
[#1字下げ]四時(睡後)六・五 五四[#「四時(睡後)六・五 五四」に傍線]
[#1字下げ] 化研究行、体重、ワイシャツ、ズボンにて五十三キロ[#「五十三キロ」に傍線](十四貫)。十一月中頃は四十八キロ[#「四十八キロ」に傍線]であった。十二月十八日は五十一キロ[#「五十一キロ」に傍線]であった。一貫以上増加せり。
朝化研究にて大谷藤子君に逢う。矢田さん発熱し、その薬もらいの由。午後、錦城の菅原君来る。文協提出の「子供ごころ」の原稿査定すみの由にて、章の順序変更のため持って来る。この頃提出した原稿(大内直通君のか)が不通過の由。書き下しであるから、困るとのこと。どうするのかと訊ねると、書き直してもらおうと思ったりしていると曖昧なり。部数はまだ定まらぬ、と言う。月末頃校正出はじめる由。新原稿不通などいうことがあれば、容易ならぬことと思う。
体重五十三キロとなる。この頃、ずっと身体はよいが体重ふえないような気持で、どこかを病気にせき止められていて、不愉快であったが、ぐんぐんよくなるようでたのしくなった。
一月八日 晴 観兵式 凍 無風 日中暖
[#1字下げ]七時 六・二五 五三
[#1字下げ]四時(睡)六・四 五一
陛下お出ましの日は警戒機盛に飛び交う。十一時、大編隊にて飛行機来る。冬の日は美しい。室内で机に向い、幸福に思う。博文館の小説幼年時代を書くべきか、去年の病気のことを書くべきかと迷う。
午前中、昨年より気にかかっていた手紙の返事、物の礼など片づける。朝鮮の村上君、ジャワの十和田君、中支の田中君、梅沢二郎君、鹿児島の今井田君、花野富蔵君に「メキシコの朝」のスペイン語の礼等。それ等が片づかぬうちは、自分のことを語る幼年時代物にも病中記録にも本気でうちこめぬ気持なり。実に肩の荷が下りたようにほっとする。
午後田居君から来書、小切手千百円在中。京王烏山の土地の手付金。但しなるべく保管していてくれとのこと。北海道の山下均君、伊藤森造君より来書。山下君、田居君に夜返書書く。夕方隣家に来た児玉医師に見てもらう。何等聞えぬよし。但し、午後の熱、休息と外出との差三四度は多いとのこと、その差が一二度になるべきものとのこと。
今日も何も仕事せず。但し、幼年ものと、病中録と両方を書くことに心をきめる。手紙の片附したのが、実によかったと思う。
夕刊にルーズベルトの議会教書の内容のっている。ミッドウェー海戦が重大事件であったと述べている。彼等の好調だった唯一の戦場なのだろう。しかし四十三年はいよいよ対独・対日攻勢という。日本の船が次第に減少している(潜艦のため)のは事実らしい。もうここまで来ればやる所まで徹底的にやるだけだ。この記事を後の日の参考のため張っておいて見よう。どちらが事実を多く述べているか、どちらが約束を果すかが分るだろう、という気持がする。
一月九日(土)北風 晴 午後風やむ
[#1字下げ]七時 六度三分
[#1字下げ]四時 六度五分 五十
錦城より「子供ごころ」の改題求めて来る。昨夜より北風吹き出し、冬らしい音がしはじめる。昨日から予供たち学校へ行き家の中静かになった。
この頃得能物語を時々開いて見ては少しずつ語句を直している。それにしても、よくこの作品を書けたものだと、実にほっとする。体験を生かし、時代を生かし、小説の道を自分流に、ともかくうち立てた。得能二冊を残せば、作家として、内的には、ほぼ満足である。世評はまた別のこと、とにかく、書き上げて本にしたのはよかったと思う。
今になって見ると、この作品を書けたことは、何よりも大きな近年の収穫であった。身体が直ったこともよい、家が出来たこともよい、しかし、今になって三つを較べて見ると、得能物語をまとめ上げられた満足が最大である。いま死ぬとしても、この作品の故に、自分にはあまり大きな心残りはないように思う。
今日「生活と意見」を読み直して見たが、これは「物語」よりずっと軽く、今になって見ると物足りない。ただのびのびしているのはいいが、喋っている場所は、今の自分から見れば物足らぬ。「物語」を書かなかったとすれば、表皮だけ作って、中実を作らなかったようなことになる。
夕刻、杉山平助より来書。「得能物語」をほめて来る。うれしい。「生活と意見」の時は、初め、平野謙君や岩上順一の好評記事が新聞雑誌に出て、後に悪評も出たが、今度は、手紙で先ず批評を多く受ける。
夕刊に、中華民国米英に宣戦、日本は対支租界及治外法権撤回の発表あり。
一月ほど卵なし。牛乳は毎日。ハリバ、エーデー、わかもと。夜もよく眠り、午後一時間ほど必ずねむる。顔が次第に元気らしく、太って来る。日中手を陽にあてている。
今日は米が足りない。応急米を去年から二三度交番でもらっていたが、今日は交番が留守の由、正月前後に薫の下宿から米一袋をもらい、橋爪家からももらった。もっとも文子氏、薫、英一など食事したが、それでも食い込みが多いのは事実なり。滋が大人の茶碗で四杯ずつ食う。礼と自分は三つなり。
昨日偶然菊が中野夫人に知らされ、坂上でトーモロコシの餅を買って来た(二枚)。それを切って焼いたのを昼に食い、夕は残飯をむしてどうにか間に合せた。明日は交番へ行くか中野家で借りるかの由。
「幼年時代」書き出す。今年初めての原稿なり。午前二枚、夜仕事せず。得能物語を読んでみている。杉山に礼を書く。
一月十日 晴(日曜)
[#1字下げ]七時 六・二 五四
[#1字下げ]四時(眠)六・四 五二
「幼年時代」午前四枚迄。
夜は子供の本の修理をし、書かぬ。
一月十一日 雨 南風
[#1字下げ]七時 六・三
[#1字下げ]四時 六・五 五三(眠)
雨で手の冷たい日、コタツにて何もせず。思い出して、「西部戦線異状なし」を読む。以前より軽く読めるが、なお面白く、才筆と思う。
谷川徹三氏より、思い出したように本の礼状来る。
原稿書かず。もう正月も大分遊んでしまった。そろそろ仕事だ。
一月十二日 晴 南風
[#1字下げ]七時 六・二 五五
[#1字下げ]四時 七・二[#「七・二」に傍線]、瀬沼家にて日光浴して話中。
[#1字下げ]五時 家にて床の中、六・七[#「六・七」に傍線]
貞子この頃咳が少し出、かつ鼻つまる。昨夜は熱があった。午後七度だと言っていたが、夜は八度近かったように思われる。今朝七度、ねている。子供等が学校なので、日中は静かである。
一時半よりバスにて瀬沼家に行く。四時半まで対談。バスで帰る。彼はこの頃も七度一二分の由。但しセハランチンを服用中。
〈ニュース〉
彼の家にての話。彼の会社(化粧品石鹸輸出の国策会社)では、船が沈められることがこの頃多いので、その濡損やら為替の組み直しやら停止で大変の由。それでいて、軍では船の損害は半年後[#「半年後」に傍線]でないと発表しないので、それまでは保険料も取ることが出来ず、それでいて支払う方は支払わねばならず大変の由。(先頃議会の開会式で海相が船の損害七十隻と言っていたが、それは昨年上半期の分であろう)
こないだの横浜の事件、知っているか? というから、うん、と言うと、彼曰く、ドイツの汽船十四隻が工作機械を積み一年(?)かかってやって来た。半分は駄目と思ったのに全部無事に着いた。その工作器具は大砲の中をくり抜いてラセンを付けるもので、この機械だけは日本のでは役に立たないのだそうだ。(その中の半分は満洲へ行ったのか、平山実は大連に七隻入ったと言っていた)それに重油を積んでいるうちに爆発したとのこと。その辺は杉沢の話が本当なのだろう。その結果、横浜のほとんど全市のガラスが破れてしまい、宿屋が全部病院になって人を収容したとのこと。
(それを聞いていて、急に爆ゲキが怖ろしくなる)。彼曰く、今度空襲があったらば、きっと四十キぐらいで先ず焼夷弾をばらまいて、その後から別隊が爆弾を落しに来るにちがいない。それで東京は焼野原だよ、云々。しかし彼の同僚が鵠沼にこの頃家を建てたところ野菜はあるが魚の配給はなく、その点は東京がずっといい由。全くこの頃では食物で自由に買えるものはほとんど無く、家では時々局のそばの貝屋で貝を買って来るぐらいのものだ。セヌマも自分の家と同様オカラとつけもので昼食をしていた。烏山の家のこと言わず。
この日彼の体温計ではかると熱が出たのに驚く。日光浴を半身しながらであったからだろうか、時々この頃そういうことがある。一昨日は、四時にはかると七度二分、びっくりしてすぐ続いてはかると六度四分、またそれに続けてはかると六度四分であった。この時は、体温計に日が当っていたから、初めから上っていたのだと思っていたが、日に当った直後にはかったせいではないか。
米国、十一日にホーネット(空母)と巡三、駆七の損害発表す。(十月廿六日)この日の戦果我発表では、敵の戦一、航母三、巡三、駆一であった。
今野竹一君より、十四日夕、衣巻、那須が来るから、川崎と共に来いとのこと。
瀬沼の話によると、「得能物語」の中では「蝶の話」の春山が一番面白い由。
夜京王開発課より速達あり。家と土地の引渡を十三、四日中にする故、印と印鑑証明持参(金持参)にて来るようにとのことなり。金六千八百八十六円より九十円程使い込んでいる、どうするか。
一月十三日 晴
[#1字下げ]七時 六・○ 二時外出より戻り日光浴中、六・九
[#1字下げ]五時 六・四(少睡後)
どこで金を作ろうかと考えたが、結局質屋に行き、昨年末二百円借りている上に、もう百円借りようと言う。すると利子二百円の二月で八円とるという。で百十円借りる。その足で市役所に行き印鑑証明をとり、十二時少し前に京王に行き、金を払い馬場氏と大内公正役場に行き、写しをもらって果す。
このところ、緑色のルースリフブックにあり。
区役所へ出す届書は馬場氏から送って来る由。また一年半分の定期券もくれる由、これで安心だ。しかし京王へ払う(四年間に)八千円の外、野田生の義父に二千円、田居に三百円、質屋に三百円借金が出来た。
さて仕事のことだが、「幼年時代」を書くのはいいが、文協を通らないのではないかと危惧が先に立ち、五枚目から進められぬ。昨年の病中記録を先に書こうかとも思うが、どうも心がきまらず、手が出ない。しかし月も半ばだから、仕事して金を作らぬと困るのだ。それに近いうち、田居君や船橋氏など来たら、また仕事が出来ないであろう。
貞子この数日セキをする。昨日瀬沼家で、二時間ほど日に当りながら話をしていた後で体温をはかったら七度二分あった。(家に戻って床の中ではかったら〈五時〉、六度七分。)これはいかんと思ったが、身体の調子は異状ない。それで帰って貞子に言うと、日に当ったせいだとのこと、念のため今日外出から戻って日に当りながら二時頃はかると六度九分までになった。三時から床に入り、うつらうつらして、五時にはかったら六度四分である。そういうものなのか、まだ完全でないから変化があるのか。
一月十四日 晴
この頃寒いが風は少く、晴れて気持よし。昨日朝など零下五度くらいで防火槽はみな一寸ほど凍っていた。しかし冬は実によいと思う。今日も朝ひえる。しかしこの頃夜中窓を五六寸あけている。ふとんの下に毛布(二枚のもの)を使い、身体はあたたかいが、朝方は額が痛いようである。
[#1字下げ]七時 六・一 五十一
[#1字下げ]四時 六・七 横になって眠らず。
十勝清水の義兄より便り、先日嗣郎を豊岡の陸軍病院に見舞った時のこと知らせながらセファランチンのこと知らせてやった礼状。セファランチンの件を私からも医者にたのんでくれとのことである。
夕刻より今野家に招宴。衣巻、川端、那須等居る。川崎来ず。舶来ウイスキイ、サントリイ七年ウイスキイ、葡萄酒、鰊スシ、ナマコ、カニカン、チーズ、クサヤ乾物、カスヅケ、鴨の肉等、実にこの頃にしては珍しい馳走なり。ブドウ酒をのみ、よく食う。たのしく話し合い、家に戻ったのが夜十二時であった。
婦人朝日に長谷川博士のセファランチンの話のっている。七部、駅で買う。
野田生へ、インドラミン二十本小包で送る。
一月十五日 晴
[#1字下げ]七時 六・三 脈六十[#「六十」に傍線]
[#1字下げ]四時(眠)六・五 六十[#「六十」に傍線]
[#1字下げ]化研行、体重シャツズボンにて五十二キロ、前より一キロ減。
十時より化研行、受診券をおいて外出。コーヒーとトーストをとる。丹羽の海戦単行本になったのを買う。チェーホフの「樺太紀行」前半買う。薬二週間分くれる。
山田医師にきくと、日光浴をして熱の出るのは、まだ病的なる由である。
田居君、十八日夜到着の由。
一月十六日 晴
[#1字下げ]七時 六・一
[#1字下げ]四時 六・六 五十五
[#1字下げ]下痢す。今野家での食べすごしならん。
◎午前野長瀬正夫君来る。淡海堂にいる由。勤労少女小説叢書という企てあり。私にも一冊書けということ、一円五十銭――八十銭、二百五十枚、五号、一万部、原稿引換に五千部分ということ。普通の小説書きにくいので、すぐ書く気になり承諾、四月頃までにほしいという。その前に「幼年時代」を書こうと考えきめる。月末までに百五十枚書くこと。
夜、「幼年時代」書き直して五枚目まで。
〈気候・生活〉
十二月頃から椅子は全く使わず。朝から本箱によりかかって坐り、テーブルの上の手に日が光るようにして新聞を読み、午後からは南方に向って、手に日を当てるように坐る。冬になってから風なく、毎朝凍るが気持よい日が続く。北の窓をがたがた鳴らす風は、ほとんどない(二月頃に多いのか)。
午前十時までかかって新聞、朝日、読売、東京と三つ読み、それから仕事。二時半には床を四畳間に敷いてねる。たいてい四時頃までの間に一時間はねむる。眠れば六度四五分、眠れなければ六・六、起きていれば六・七ぐらいである。
昼間は手だけ陽が当るようにテーブルをずらせて坐っていると結構あたたかい。六時の夕食まで、たいてい床の中にじっとしている。秋までは四時から六時までの間にも仕事したが、冬は寒いので、夕刊が来るまで電気もつけずねている。その間南の窓は一杯にあけ、気持がよい。夕食後コタツをテーブルの下に入れ、九時まで仕事、七時まで夕刊を読む。原稿昼五枚、夜五枚が目標。週に一度病院行、又は外出。夜中に一度小便に起きるようになった。ねまきは木綿のユカタ一枚、昼はドテラに毛のシャツ上下一枚、ジュバン、羽織。セファランチンをしてから寒くない。ノドを痛めなくなった。タバコは、ずっとやめている。この頃は買うために行列するので、それが厭でのまぬ。右の首の根の重いの、ほとんど感ぜぬ。
一月十七日 晴 北風強くなる
[#1字下げ]七時 六・二 五十二
[#1字下げ]四時(眠)六・四五 五十五
[#1字下げ]やや下痢気味。
タバコその他間接税大増税となる。上酒一升七円、敷島三十五銭が六十五銭、金鵄が十銭から十五銭、光が十八銭から三十銭、桜が二十五銭から四十五銭、タバコは今日からの由。その他物品税も上る由なれば反物等みな上るものと思われる。貞子が着物を一枚ほしいと言っていたが、これは上ることになるであろう。この頃金が無いので、いまは何も買えぬ。十月頃新潮社から「運命の橋」を増刷するとて印をとりに来たが、まだ検印は来ない。それを訊ねに行くか、それとも正月になってから河出で増刷すると言って来た「青春」を前借するか、どっちかだ。
三時「幼年時代」十枚目までにて寝る。
夕方函館の熊井氏より鮭鮨着く。杉沢と年末から逢わぬので、一コンすべく呼びに行く。留守。満洲の弟君来ている。寿〔整の亡弟〕と同級の由。
夜九時半、十三枚迄。
一月十八日 晴
[#1字下げ]七時 六・二 五五
[#1字下げ]四時(眠)六・三 五六
[#1字下げ]腹直る。今度の下痢は食物を変えなかった。
明日から衣料切符は平均二割五分高率となる由。帽子も切符に入れられる。しかし私の家では、切符は余る。女中の分だけが、よく切れるので不足。いよいよ生活の切りつめである。
ベルリン同盟電によると、スターリングラードはロシア軍に包囲され、孤立して、空中補給をしている由。独軍前線の各地にはそういう孤市城塞が出来ていると一昨日かの同盟電にあった。ロシア軍の冬期攻勢は相当なもので、やっぱり冬になるとドイツが苦戦になるらしい。
◎朝に青野季吉氏より速達。珍しいことだと思って開けると、大阪の全国書房で評論叢書を出すので一枚加われとの件、二百枚。一円五十銭から二円、半分以上書き下しであってほしいとのこと。一割三分、五千部、一部前借可能とのこと。この頃は評論はほとんど書いていないから書き下しにする方が楽だろう。
夜銭湯に行き、身体を洗いながら胸の肉をつまんで見ると、左より右がはっきりと痩せている。瀬沼の胸を見せられた時に驚いたが、自分のも明かにそうだ。スキイに行きたいと毎日思っているが、スキイどころの話でない。右の胸に肉がついて左右同様になる迄は、万事控え目にする覚悟なり。右肩少々重い気味なり。
一月十九日 晴 無風 前夜入浴
[#1字下げ]七時 六・四
[#1字下げ]四時(臥)六・六 五五
[#1字下げ]田居君十一時――三時。
田居君来る。烏山の西隣の二区画を買いたい由。東京建物で彼が聞いたところによると、建築の許可は多分下りるであろうが必ず下りるとは限らぬ由。それでも土地だけでも買っておきたいとのこと。廃業は九月頃で、来るのは、尚彦君が中学に入ってから転校させて来たい由。三時頃昇君宅〔川崎家〕へ行くのをバスの停留場まで送る。明日十時に烏山で彼の兄も連れ立って来る由。
近所の細君(闇をよくやる家とのこと)馬肉を売りに来る。百匁一円六十銭で買った由。今日は魚屋からサバの配給、外にナットの配給、組合から鰯のツクダ煮等来る。食物の多く集った日なり。
夜原稿五行ほど書いて寝る。
一月二十日 晴
[#1字下げ]七時 六・一 五十六
[#1字下げ]タバコ十本ほど。
十時頃から烏山へ行く。田居君家のそばに待っている。十七、十八か、五十五、五十八か決定せず事務所に寄り、図面など色々と見せてもらう。大体十七、八に落ち着く。それから川崎家に行く。田居の兄君北京から来ているのに逢う。夕方一度東北沢まで戻ったが、また川崎家に戻り、三人で酒のみ、夕食。十時半頃家に戻る。ずいぶん酔う。留守に蒲池君来た由。
熊井氏、青野氏への返書烏山局で出す。
一月二十一日 晴
[#1字下げ]七時 六・一 五七
[#1字下げ]五時 六・三(眠)
[#1字下げ]昨日朝から夜まで外出。前夜酔う。夜更し。
午後疲れたと見え、三時から五時まで眠り、その時にはさんだ体温計を忘れてまた六時までねる。
この頃淋しい、(青ノートにあり)。たった一人だという気持。
海運報国という雑誌の小森盛から随筆依頼、海について、八枚五十円。青野氏より、五月か六月まででよいから書けとの返書来る。文学報国会から学芸新聞に時評書けと来る。頭重く仕事できぬ。昨夜の酒のせいか、寒風に当ったせいか手と膝の疥癬様のもの大分かゆくなり、はびこる。三四日ほとんど直っていたので、スカボールをつけなかったのだ。
夜になってから、海運報国の原稿書く。八枚十一時までかかる。「得能五郎とスキイ」所載「新太陽」到着す。
一月二十二日 晴 霜白し
[#1字下げ]七時 六・二 五十四 外出(1―3時)
[#1字下げ]五時(眠)六・三 五十七
◎日本医事新報より鴎外特輯の原稿依頼。
◎文学報国会より、関東軍機関誌「満洲良男〔ママ〕」の小説二十五枚三月末日までに、との依頼。
午後外出、十五円の小為替をとり、本屋にて波多野精一「原始キリスト教」を買う。日本学芸新聞に病気のことなど三枚書き、投函す。錦城出版社に「子供ごころ」の題のこと等で速達す。闇屋の細君、豚の腸を持って来たのを夕食にやきとりにす。百匁一円六十銭とのこと。
夜「幼年時代」書く。十八――二十二枚。
一月二十三日 前夜、北風強く、雨、暖し。後晴 北風
[#1字下げ]七時 六・五[#「六・五」に傍線] 五十八
[#1字下げ]四時(眠)六・四五 五十四
[#1字下げ]前夜入浴。タバコ二本。
昼に霞関ホテルの田居君より来書。三鷹に、一四四坪の土地、三十四坪の家を二万円で買った由知らせあり。烏山の方は彼から京王に留保を断る由。
◎新潮より、戦争文学論十二枚依頼し来る。(二月八日)
山下均君一時――三時迄。鱈子持って来てくれる。
「幼年時代」二十八枚迄。生菓子配給、アンマキ甘し。(一人一個)
一月二十四日 日曜 晴 夕方より北の風寒し[#「夕方より北の風寒し」に傍線]。夜寒風、ひどく寒い。
[#1字下げ]七時 六・二 五七
[#1字下げ]四時(眠)六・四 五三
札幌田上義也氏より、烏山の家の修正設計図製作中と言って来る。この正月四日に上京した折、あの家を見て行ったということである。
新潮社より昨年の私あての支払六百三十七円也と通知あり。第一書房は一千百二十五円の由先日通知あり。昨年はこの二軒より外の方が多いのだ。
このノートあと五六冊あるつもりだが、日記の外、写生用に使っているので、やがて不足して来るであろう。
「幼年時代」三十枚に達す。この頃から、次第に滑かに筆が進むようになった。九時、三十七枚目迄。
〈戦況〉
ドイツ軍はスターリングラードに一部隊孤立し、辛く支えている。外の戦線は一様に大分後退し、ロストフ目ざして露軍は進んでいる。
今朝の新聞には独伊軍がトリポリを撤退した旨出ていた。昨冬はロストフはロシヤ軍に奪われたが、またそういうことになるか、とにかく独軍にとっては、今が一番悪い戦況である。ことによれば日本が東方からロシヤを攻めねばならなくなるかも知れぬ。ガダルカナル島は変化なし。
〈物資〉
この頃下駄屋の店に下駄が全く無く、つっかけのみである。これはひどいことだ。当局の値段のつけ方が悪いのだ。
午後闇屋の細君、鱈の一塩を持って来る。魚屋が闇のサバのヒラキを持って来る。そういう配給外のもので、この頃食べものがある。
一月二十五日 晴 北風
[#1字下げ]七時 六・二 五三
[#1字下げ]四時(外出より戻ってすぐ)六・五 五七
[#1字下げ]夜二度小便。
[#1字下げ]朝左ノド痛シ、オキシフルウガイ。
金が家中で十円しか無くなる。原稿料、印税みな受取ってしまって入るあてがない。新潮社で十一月に「運命の橋」の増刷の願出に印をおさせたことと、河出が年末に「青春」増刷の届をしたのと二つ心あてに外出。バスで銀座から河出に寄る。小川、飯山二君留守。新潮社に行き時枝君に逢い話す。増刷は許可になったまま、まだ刷らずにいたものの由。二千部分金は出せるが、今日は午前中駄目というので明日朝に来ることにし、楢崎氏に逢う。昨春の座談会以来なり。色々と文壇の話、作家たちも次第に生活に困るようになるだろう、などという話。病気の話、セファランチン、ゴマの油のよい話など。
十二時辞して、神田に蒲池君を訪ねる。そこへ川崎君来て三人で神保町でアンミツを食って別れ、お茶の水から中野、それからバスにて四時帰来。野田生の義父より鶏肉三百匁来る。夜英一、山本君の二人を下宿から呼んでライスカレー。
ノド少々痛し。
一月二十六日 薄曇 寒し
[#1字下げ]七時 六・二
[#1字下げ]四時(外出後、臥)六・三 五十六
[#1字下げ]前夜アルバジル一個 外出10―3
[#1字下げ]湯屋にて体重、十三・一○○。食前[#「体重、十三・一○○。食前」に傍線]。十二月十一日には夕食後で十三貫であったから、食前だとそれより二百匁は少いだろう。
朝新潮社に行き、印税前金弐百八十円受取、黄バスにて銀座に出、新橋駅楼上にて昼食、一円四十銭の定食。室はちゃんとした室で、パン半切、カニとウドンの煮たの一皿、メンチボール一個、共に小量、ミカン一個にコーヒー、とても腹に足りぬ。松屋にてスキイ部を見るに、革はほとんど無く、杖も革を使ったの少く、輪だけ売っているのは、アルミのものである。靴は全くなし。今は買う予算が無いので、全部やめ、菊秀にてナットまわしを買う。街頭で麻糸一円と靴の底金とり合せ二円買う。その足で地下鉄と帝都線とを経て烏山に行く。先日の強風で水の桶が吹き飛ばぬかと心配したが、そういうこともなし。こわれた蛇口に黒テープを巻き、桶に少し水を汲み上げる。井戸凍っていない。
夕刻滋と湯屋に行く。昨日川崎にもらったバットの箱を種にタバコ四十本買う。
〈身体〉
この頃外出しても、右肩凝ることはないが、やっぱり右がやや心持重い。鼻をすすって、右の肺つまる気持はほとんど無い。
昨日から一日三四本ずつ煙草のむ。体重は十二月の十三貫からあまり増していない。この頃は外出から戻っても六・五ぐらいだ。然しセヌマ家で先日のように日光浴をすると七度以上のことがあり、油断できぬ。スキイに行きたくって、仕方ないが、今の体重のふえ方や、熱の出かたでは、もう一年は大事をとる必要がある。
〈戦況〉
三四日前より我軍はしきりに、ソロモン、モレスビイ、ミルン湾、メラウケ等を爆撃している。しばらく受身でいたのが、補給ついたのか積極的に出ている。結果は注目すべし。
但しドイツ軍は、スターリングラードに孤立した軍を残し総退却らしい。ロシア軍は実に強力だ。昨年の夏攻勢に先ず突出して、東方への展開の発足点としたボロネジを支え切れず、撤退した旨公表。ロストフは保てるだろうか。ロストフを失えばコーカサスの独軍も包囲されることになる由。東部は重大だ。
アフリカでは、全リビアを敵に渡し、トリポリをも英モントゴメリ軍に渡してチュニジア指して後退するロメル軍。その退却は成功と言われているが。だが西に向ってのチュニジアの確保はほぼ出来て、ここだけは旗色がいいらしい。しかし英はアイスランド、スコットランドに船を集め、ノルウェーに快速艇で奇襲したりしているし、ジブラルタルにもまた艦船を集めている由。また潜水艦戦は独が強く、英は独の潜艦基地を空襲しているが効果なき由。米の情報では一日五隻ずつ沈められ、これは敵の大問題らしい。日本が英米の立場になって沈められ出したら事だ、と思う。朝日によると独紙は、「ジンギスカン以来のアジアの脅威」と言っている由。(二十七日朝刊)
一月二十七日 晴 朝から北風、黄塵を上げて吹く。
荒木巍君より来書。来週月曜に来る由。近藤弘文君より来書。来月五日頃妻木君と来る由。
[#1字下げ]七時 六・三
[#1字下げ]五時 六・八強[#「六・八強」に傍線]
[#1字下げ]昨日入浴。昨日烏山で暫くポンプ押し。
[#1字下げ]午前二時間本販売の平野老人と話し、一時――四時、セヌマ家にて日光浴しながら話す。
来月より電燈二割引下の由。洋服屋年末に依頼したスフ入りのズボン持って来る。四十五円。但し切符いらぬもの。貞子は田居君に頼んで私の全切符で着物二重ねと帯を買うと言っている。
十一時頃平野老人来て、例によって賑やかに、群書類従正続、三百六十五円を売る。それに続いて小型本の古典全集三百某円も約束さす。毎月二三十円という条件にて。洋菓子一箱くれる。
雑誌を買いに出て、(配給日なり)中央公論と改造を買う。瀬沼家に洋菓子を裾分けしながら行き、正月の改造を借る。新潮に戦争文学論を書く為なり。瀬沼家で二時間あまり日を浴びて話して、体温はかると七・二度あり。先日もそうであった。体温計が狂っているらしい。医者もそうではないかと言っているそうだ。彼ももう長く七度以上の熱あり。子供等も微熱にて学校を休ませているという。急いで家に戻りはかると、十五分(五時)間で六・七、二十分にして六・八強である。そこらが正味ならん。昨日のポンプ押しと入浴がいけなかった。まだ気をつけること。
一月二十八日 晴 風なし
[#1字下げ]七時 六・三
[#1字下げ]四時 六・六
[#1字下げ]朝九時より化研行、貞、滋、礼共、三時帰来。
金が入ったので、かねて考えていた子供たちのセファランチン服用のため化研行。私だけ先行、途中古道具屋で、自転車空気入(六・二○)、薪用鋸(二・三○)を買い、八円に負けさせ、あずけておく。向うで大谷女史に逢う。子供達十二時に来り、三時まで私だけ残る。その間紅茶とトースト一片(二十一銭)をとったのみ。化研(私、二円十銭、子供二人、二十二円三十銭)。
夕刊に東条首相の議会演説、今年中にビルマを独立させ、比島もやがて独立させる、と出ている。また各島々、根拠地を強化したこと、船の対策全くなったことを強調しているのが目立った。
夕刻、錦城「子供ごころ」の初校九十頁ほど来る。
一月二十九日 晴
[#1字下げ]七時 六・三
[#1字下げ]四時 六・三(眠)
[#1字下げ]午前煙草三本、午後三本。
昨日着いた「燕京文学」三冊、小説感想の類、北京に住む日本人の生活が分って大変面白い。このことは、考えねばならぬことだ。北京に定住する日本人たちのデカダニックな生活を知って、初めて支那や日本人と支那人との関係が分ったような気がする。彼地の日本人たちは、我々の現在よりはずっと自由な、デカダン的な生活をしているらしい。そしてまた生活の環境も佗しいにちがいない。
この頃日中は坐り、南面し、手にだけ日が当るように机を動かしながら仕事しているが、窓硝子の一番上の、透明なガラスに当る日光が、正午で四分の一ぐらいしかない。日脚が大分短くなった。
朝保険屋来て、烏山の家の保険金二十円(一万円の)支払う。先日新潮社から二百八十円受取、金具まわし、空気入れ、鋸等の買物二十円。昨日の化研での支払二十五円。洋服屋十五円及この保険料にて、もう小金が五円ほどしか残っていない。貞子には二百円渡してある。
烏山の家、保険契約通知書によって、祖師谷一―五八二と分る。
夕刻、いつか来て、川端康成に逢いたいから紹介をしてくれと言った、やせた神経質な洋装の女の子また来る。きょときょとしている。ちょっと話したいことがあると言い、上って来る。文壇人に知っている人が一人もいないとか、志賀直哉について書きたいが本のこと教えてほしいとか、プルーストを読みたいが訳本が出ているか、とか色々言う。危っかしくって相手になれないような人柄、神経質で淋しがりやのくせに、親しみを見せたら、とめどなく頼って来そうで気持が悪い。原稿を見てくれと言うので、人の原稿は見ないことにしていると言う。すると広津さんが見てくれると言ったとか、友人で壺井さんをよく知っているのがいるが壺井さんには見てもらう気がしないとか、川端さんはいい人だとか色々言う。一時間近くもいて、例によってそわそわと帰って行く。胃腸が悪いとか、不眠症になって式場隆三郎に見てもらったとか言っていたが、気持の悪い女性だ。
夜「子供ごころ」百六十頁まで送って来る。
今日は原稿書かず。小田嶽夫君からもらった「大陸手帖」を読む。彼と一緒だった北京のことなどがあって面白い。
一月三十日 曇
[#1字下げ]七時 六・一
[#1字下げ]四時 六・五(臥)対客二時間後。
[#1字下げ]タバコ午前二本。
貞子、菊をつれて着物を買いに行く。四月から税が上るので、その前に、かねてほしがっていた外出着一枚を選みに行ったのである。薬屋集金に来る。十円三十銭、珍しく少い。強力メタボリン注射十個入のを五箱あるというので持って来てもらう。この種の薬なかなか手に入らぬ由、肝油球類も少いとのこと。ハリバ大一本とわかもと、もらう。外に飲用メタボリン一個。
新潮「病歴」を掲載したもの到着す。
〈戦況〉
昨夕、薫が来て、朝日でのニュースを聞く。ガダルカナル島では我方が八月四日に飛行場を作りあげ、百名あまりの守兵がいたところへ敵が一万名で来て、それを全滅させて占領した由。その後の困難は、食事の煙をあげられぬことと、船での補給難にある由。敵は我負傷兵を飛行場用のローラーでひき殺したりすると(そのこと今朝の新聞に出ている)。しかし我方の策戦もこの頃は次第によく行って(我飛行機の爆撃が反復されている由新聞に出てる)征服も間近い見込の由。敵兵四五万いるが、それをみな殺しにすると、こちらでは意気込んでいる。日本はじまって以来の苦戦で、将官が先に立って突撃している由。
飛行機生産は、敵(の生産量か、東亜での使用量か分らぬ)の七割は出来ると飛行機会社の人が来て言っている由。
また米国の爆撃は、支那から今でもやれるのをしないのは、沢山そろえて一挙にするつもりか、それとも性能がそれほどでないのか分らぬ由(海軍の話)。しかし今年の七月頃からは、西日本は十日に一度ぐらいの割で爆撃されると軍では予定している由。
また北海道厚岸や千島のある島は、敵の潜水艦の砲撃を受けた由。多分魚も次第に食えなくなるであろうとのこと。しかし目下日本海は被害なき由。ニューギニアでは、こちらの兵が山越してモレスビー近くまで行ったが行路難のため閉口して退却、敵も山越して来たが力尽きて退いた由。
東京都案、昨日の議会に上程された。
午後田原忠武君来り、二時から四時まで。近く結婚したい由。就職を依頼。貞子着物を買いに行ったが、百貨店にはお召が無く、つむぎと大島絣のみなりとて戻って来る。
夜九時から「幼年時代」四十三枚迄、五枚ほど書く。
一月三十一日 朝薄雪 薄曇(日曜)
[#1字下げ]七時 六・四五
[#1字下げ]五時(臥)六・六
[#1字下げ]身体異状なし。タバコ午前二本。
[#1字下げ]二時――四時半まで談話。
午前「幼年時代」四十七枚迄、午後「子供ごころ」校正三十頁迄。二時小西猛君来る。そのうち三時に蒲池歓一君来る。小西君が就職先を変えたがっているので蒲池君に紹介依頼す。二月の文協解消で小さい出版社の整理ありと蒲池君気にしている。夜、校正八十頁迄。南風になり、冷える。雪になるらしい。礼風邪気味でインドラミン、キューレーコンの湿布。
[#改ページ]
[#2段階大きい文字]昭和十八年二月
二月一日 晴 北風 月曜
[#1字下げ]七時 六・二
[#1字下げ]四時(眠)六・四
[#1字下げ]タバコ五。
朝錦城へ校正八十頁速達で出させる。
午前「幼年時代」五十三枚まで。
独軍コーカサスの戦線を縮小して退却している由。
午後三時迄に校正百四十頁迄する。その前に錦城の米田女史校正の件で寄る。玄関で話す。
〈戦況〉
夕刊に、午前十時大本営発表として、レンネル島沖海戦が出ている。
一月二九日と三十日両日にわたりソロモン、ガダルカナル南方のレンネル島東方で海軍航空隊が、敵戦艦二隻、巡洋艦三隻撃沈、戦一、巡三撃破した。我方自爆七機未帰還三機である。
最近の我方の積極戦に対抗するための出撃だと海相が言っているが、これは大戦果だ。これまでじりじりと登りつめて来て、敵も力一杯反抗し、大相撲となった今になっての戦果だから、こちらがぐんとのしかかった形。もう海戦は大丈夫、絶対に負けることはないという気持がする。その感じは今までになく強い。
夕方沢田君がひょっこりやって来る。出張の由。一時間ほどいて去る。林檎十、乾カレイ十、豆五合ほどもらう。その話によると、津軽海峡では、客が絶対に窓から外を見れないが、船員の話では両側に駆逐艦が護衛して往復しているとのこと。また旭川の師団はガダルカナルで船に乗っているのを沈められて二千人が全滅し、師団全体が服喪中で正月の休みもなかったということ。
また彼が先刻杉沢家へ寄ったら杉沢は明日北海道へ行く由。それは函館と青森の間を艀で荷を運ぶ仕事の為だという。いかにも杉沢らしい思いつきだ。彼は「得能物語」に書かれたのを気にしたのか、本をやった年末からちっともやって来ない。
なお沢田君の話によると、博〔前出。整の次弟〕は村長の推薦で、今度急に出来た村の食糧営団に入ることとなった由、その団の責任者は大竹文吉君の由、結構だ。函館には母が昌子〔前出。博の娘〕を連れて行っているらしい。
二月二日 晴 無風
[#1字下げ]七時 六・二
[#1字下げ]四時(臥)六・六
[#1字下げ]タバコ三。夕食前入浴。十三貫四百匁、先週より三百匁増。
[#1字下げ]外出十時――三時。
貞子着物を買いに行くとて、ついて出る。鍋屋横町の阿波屋に、大島柄の地のいい赤味がかったのが四十五円である。お召をほしがっているが、お召は品が少く、いいのはない。新宿伊勢丹にもほとんど無い。みな売上高を制限されているので出せない由。四月の増税期までそうなのだろう。二人でアサヒニュースの相撲を見、帰途阿波屋でその村山大島を買う。錦城の鈴木(?)とかいう編輯者来り「子供ごころ」の主人公が、あちこち移るのを直したいという。そういう書き方をしたのだと話し、とにかく校正を預る。
夕方入浴。
スターリングラード南部の独軍潰滅す。北部のはまだ支えている由。
田居君より家の図面など入れた手紙来る。返事書く。三百円の借少しのばすこと、着物を買うこと依頼す。
仕事せず、夜になる。
この頃十時就寝、七時頃起床、三時――六時、臥。一日から、ハリバとわかもと。それまで二週間エーデーを使ったが、やっぱり肝油の方がいいようなり。体重一週間に三百匁増す。
午後組長が来、群長岩田氏の話なりとて、今度各組から一人ずつ知識人の防護団員を出すというので指名さる。身体の悪いことを言い断る。
二月三日 雪 後終日雨 北風
[#1字下げ]七時 六・二
[#1字下げ]四時(眠)六・四
[#1字下げ]前夜入浴。タバコ四。良便なるも軟し。
出版体制の変化が近くあるとて、どういうことになるか不安に思われ、その為に仕事を無闇に急ぐ気持になったり、また落ちついて書けぬ気持にもなるが、昨夕刊に前頁の切抜〔貼付あるも略〕の記事が読売に出ていて、大体これが新方向だとすると、どうにか仕事は続けられるであろう。
朝杉沢来る。一月ぶり以上、年末以来である。大多忙で来る暇もなかった由。北海道興農公社が内地へ運んでいたものは、これまで四百万屯あったが、それが、四月から運輸体制変化で、青函間を百五十万屯しか運べぬ由。それで当惑していたが、杉沢が四五十屯の船を幾隻か小蒸気で引くことを建議して入れられ、これから船の買い集め等に奔走する。準備に三十万円かける由。これをやれば死んでもいいと大変元気なり。海で育った人間故当然であろう。例によって旅行用の鞄貸してやる。
朝から雨まじりの雪。その中を組長夫人が来て、警防団の件外に人がいなくって困るから是非にと言われた由。貞子が応答している。病気の時は休んでもいいからなど言っている。
雪の日は指先が冷たくって仕事に気がのらぬ。杉沢バター二ポンド届けさせる由(一ポンド二円八六銭)。鶏一羽五円宛にて分けるという。引越まであずかってもらう。
午後仕事せず、眠る。
夜「幼年時代」の第四節、学校を書き出し、半枚で筆をおく。書けぬ。「魯迅選集」の「孔乙己」「風波」「故郷」等を読み、その映像の明確な線に感心す。やっぱり自分も人物や場面を中心として短篇集のような形に書いて行こうと思う。
二月四日 雨 やや春めいて暖い。節分、今日より春立つとのこと。
[#1字下げ]七時 六・二五
[#1字下げ]四時(臥)六・四
[#1字下げ]化研行。瀬沼家へ寄る十――四。ノド痛くうがいす。タバコ一。
化研へ滋と礼を連れて行く。二人とも一時間にて早退。細雨の中を行き、受付にカードを出して、一時間街のコーヒー店で、乾柿、ピーナツ、ミカン、コーヒー等を食う。滋、礼共に予防として隔週にセファランチンを摂ることとなる。二人を先に帰し、薬をもらってから一時頃、帰途瀬沼家に寄る。元気なり、キナコ餅を馳走さる。
貞子寒いとて今日は出ず。
河出より「得能五郎の生活と意見」重版するとて届書送って来る。これで四度目の印行である。「物語」の読者が前篇を読みたくて注文多いのかとも思う。
〈戦況〉
スターリングラード遂に戦闘停止となる。また、ソロモン諸島は大戦争の準備期なること、東京新聞の小さい欄の記事で推定される。
何も仕事せずに寝る。
旭川に行っている義父より、義兄の細君節子さん病重く恢復の見込なしと言って来る。困ったことなり。
二月五日 晴 霜白し
[#1字下げ]七時 六・一
[#1字下げ]タバコ三。両側に圧迫感あり。ノド直る。
旭川に行っている義父より、義姉重態の由通知あり。義兄、義父、船橋氏に見舞書く。函館の弟より母がこの頃塩谷から来ている由ハガキあり。三四月頃上京するのであろうか。
ガタルカナル北方でまた敵巡艦一隻を沈め、飛行機三十三機を落した由。我方犠牲十機。
午前中「得能五郎の生活と意見」を三四ケ所訂正す。結末の文のみ直そうとして及ばず残す。
夕刻旭川の義姉死去の由電報来る。夜薫、英一も集り、弔電を薫に托す。夜妻木新平、近藤弘文君来る。話中に吉川江子、荒木〔かな〕、小金丸〔梅雄〕君等来り、卵もらう。見舞なり。
二月六日 晴後曇 後雨
七時 六・二五
朝清水の義兄より嗣郎の病状を見に行ってくれとの来書。朝函館の母に電報し、旭川に行ってくれとたのむ。その足にて貞子と阿波屋にて、四十五円かのお召を一反貞子に買う。
貞子と別れ、鷺ノ宮に新庄嘉章君宅を訪ねる。留守。英一の早稲田受験のこと。その足で埼玉県豊岡町の陸軍病院に嗣郎を訪ねる。正月来二度咯血し、熱八度を上下している。大分重いが、院長の話では快方に赴いている由である。セファランチン飲みたいと言っている。医者は反対の由、大分神経質になって医者の悪口言ったりしている。安心させるように話す。
帰路豊岡町にて蜜柑と芋の子を二円五十銭買う。五時の電車に乗り、七時半家に着く。
先日来訪の女史久世歌子さんよりハガキ来る。
京王電車より、公正証書変える点ありとの来書。
夜すぐ寝る。雨。
二月七日 雨(日)後北強風晴 寒くなる
[#1字下げ]七時 六・二五
[#1字下げ]四時 七・○[#「七・○」に傍線]、田原君と談中。
[#1字下げ]五時(臥)六七
[#1字下げ]胸に圧迫感あり。キューレイコンする。
朝雨、昼頃出かけ新庄君に逢う。久しぶりで友人の噂など。三時頃田原忠武君来る。嫁をさがせとのこと、父君病気で急いでいるらしい。そのあとへ岩淵正嘉君来る。日映に移りたいとのこと。やっぱり嫁をさがしている。女の多い時代にどうも自分の知人の青年には独身者が多い。
夜子供等に腹を立て、礼を打つ。こないだから胸が少し重い。熱が出るのでいらいらする。
二月八日 晴 無風
[#1字下げ]七時 六・一
[#1字下げ]四時(外出後)六・七
[#1字下げ]五時(臥)六・八
[#1字下げ]外出十一時――四時。
[#1字下げ]胸の圧迫感減少せるも外出等続いて身体悪化しつつあり。
英一のみ葬式に行くことになる。葬式は野田生でする由義母より来書。金が家に十五円ほどしか無い。朝河出より増刷分の青春の検印千九百九十五枚(今度から二千枚以下の増刷となったのであろう)来る。それにすぐ印を押して持って行く。銀座で昼食。電通で、田原君に借りて面白く思った太田黒克彦「水辺随筆」を買う。検印引換に三百円受取。スキイ年鑑、スキイ教本買う。英一君の所により、三十円を香典に托す。
夜新潮に書く戦争文学論のため、尾崎士郎の「朝暮兵」その他を読む。町で嗣郎の父へ手紙とセファランチンの解説した婦人朝日を送る。身体悪化しているのか微熱出るような工合あり。かつ疲労感あり。
留守に荒木巍君来た由、月曜に来ると前から言っていたのに失敬す。
〈闇の話〉
五日夜来た妻木新平君の話に、彼の知人で、大変な闇屋がいるということ。その男は、やっぱり妻木君のように身体が弱いので正業につけないのらしいという。前には仲買をして妻木君のところに厄介になったりしたことがあるので、彼には頭が上らず、今でも、裁判所に務めている妻木君に、こんなことはどれぐらいの罪に当るか、などよく訊ねるそうである。その男に頼むと、米でも酒でも靴でも何でも闇で手に入る。たとえば妻木君が、カルシュームか何かの注射のみしたいと思ってその男に相談すると、医者がやって来て、何も言わず注射だけして戻って行く。また市などの療養所へ施療患者として入りたいという人がいると、百円ほどこの男にやると、それが金持でも貧民扱いで施療のベッドにすぐ入れてもらえる。いつか妻木君が、いい酒を飲みたいと言ったら、九円だという。それは高いなあ、と言ったら持って来なかったそうである。その男の話に湘南地方では純白米が一俵百五十円とかいうそうである。また衣料切符は一枚一円(つまり百枚百円)が相場で、それは商人がそれで仕入れて闇で切符なしで売るのに使うのだという。またそういう闇屋の大元は浜松にあって、その男は始終浜松へ行ったり来たりしているとのこと。裁判所の記録でも浜松は闇の検挙数が全国第一だということである。
この話を聞いた時、実にいやな気持がした。自分たちが卵や牛肉を少しばかり闇値で買っているのとは、まるでクラスがちがう。こんな大きな組織が日本の全国に出来ているとすれば金持連中など決して生活に困ったりはしないであろう。また何だかお伽噺の打ち出の小槌のようなことだと私は言って笑った。しかし将来薬や滋養品が手に入らなくなった時は、その男の厄介にならねばならぬ、などとも考えた。また今一番生活に困っているのは、小学校教師や小官吏で、そういう連中は子供を中学に上げることも出来ぬ、またやめようとすると、依願免官でなく免職になるので退職資金ももらえず、それも出来ないとのことである。
いつか実が言っていたが、彼の同僚の兄で、満洲のある町で経済警察官をしている男が、タンスに一杯紙幣を持っていて、もうそれをやめて内地へ帰るのだと言っているとのこと、を思い合せ、こういうものの為に戦時の統制経済は裏をかかれて崩れるのだと思う。
二月九日 晴 強南風 春風めく
[#1字下げ]七時 六・二
[#1字下げ]四時 六・四(眠)
[#1字下げ]タバコ三。胸少しこたえる。
朝から晴て強南風、硝子鳴る。春の風である。少し早いが、こうして次第に春になるのであろう。中央公論二月号で中島敦の「弟子」読む。孔子と子路のこと。これはよく書いてある。孔子一門のことが我々の心の届くように書かれた最初のもの。私は去年武者小路の「孔子」を買ったが、あれはのん気でこんなにぴったりしなかった。他の戦争文学より遙かによい。これが作者の絶筆である由。
東京に雅川滉が久しぶりに時評をして、戦記文学を散々にやっつけ、その最終回で新潮の私の「病歴」のことを、「相当円熟した筆致で書いている、どうして中々人を食った作品である」と言い、その後で、「しかし人間的内容が貧弱だから鴎外の『神経病』などとは較べられぬ」と言っている。まあこの時評の中ではほめてある方だ。
「現代文学」二月号に大井広介が「得能物語」を批評している。先頃の彼の手紙にほぼ同じ。
議会の論義タケナワなり。大学院を官立のみにする点に皆が反対している。武藤貞一が読売に書いているが、議員選挙の推薦非推薦を取り上げたのは、ただ笹川良一のみだということ、これは代議士の弱点であろう。
荒木君に昨日のことを謝す。速達す。
夕方松尾君来る。雑話。
魚屋闇の卵三十ほど持って来た由。一ケ十八銭。
夜、やっぱり「戦争文学」書けず。雑誌を読む。
夜佐藤虎男君より東峰書房の原稿(作家論集)催促来る。
二月十日 晴 南風午後強く、夜やむ。
[#1字下げ]七時 六・二
[#1字下げ]四時(臥)六・四
[#1字下げ]前夜胸にキューレイコン。胸の圧迫感ほぼ直る。
[#1字下げ]タバコ五。
〈気候〉
南風が吹いて晴れていることは、冬にはほとんど無いが、昨日今日と南風が続いている。日足は正午で、透明なガラスのところを、一寸ほど四畳の真中に届いている。かなり減少である。毎朝霜がやっぱり降る。
〈ガダルカナル戦〉
朝刊大本営発表にて、ガダルカナル島及びニューギニヤのブナに前進して、後方の本隊の基地建設を援護中であった挺進部隊は、その目的を達したので、そこを撤退して他方に転進せしめた、という発表。要するにブナとガダルカナルを撤退したのである。先頃から我航空隊の活躍が盛になったのは、その撤退の援護でもあったのだろう。飛行場を占められては島を守ることはできないらしい。敵に与えた損害二万五千、我方死者一六、七三四。飛行機敵二三○、我一三九。大きな損害である。ノモンハンのように小局地での大戦争であった。
豊岡陸軍病院の嗣郎より、奈良漬を買ってくれと、その店のハガキ同封して速達来る。
ロストフまた北東南と包囲され、コーカサスの独軍はタマン半島に退いている。つまり独軍は昨年春頃の線まで退却している。
貞子、化研行き。貞子先月終頃より元気で、よく買物などに出歩いている。
四時までに「戦争の文学」七枚。
夕刊に、ガダルカナル及ブナ撤退についての政府委員の解説一頁全面をとってのせてある。これは悲痛極まるあまりにも大きな犠牲だ。日本の近代戦でのもっとも大きな犠牲、旅順、ノモンハンと並ぶものだ。飛行機と、飛行場を早く作る機械との、敵の工作力の一つの現われだ。
十時九枚目まで。あちこちと読んで筆はかどらず。
井上健次氏より「潜水艦第四十三号」来る。新潮楢崎氏より催促来る。今朝延引のわびを出したのと行きちがいなり。
二月十一日 紀元節 晴 霜白し
[#1字下げ]七時 六・一
[#1字下げ]五時(外出後直)六・九
[#1字下げ]外出二――五。
七日発表のイサベル沖海戦は、七日までの分を訂正発表。敵巡二、駆一、水雷艇十一を沈め、我駆一大破、駆二中破。これは転進する我部隊をめぐっての海戦なり。
朝から「戦争の文学」書き進む。午後一時半頃十六枚にて書き上げる。読むことに、考えることに、行文の作成に、一つ一つ抵抗あり、はかどらず。数日かかってやっと出来た。行くと紀元節で、新潮社は休み、楢崎氏を宅へ訪れる。奥さんの姪とかが肺炎で入院し、食物その他で困っているという話。また戦争の話を色々と聞く。ドイツが今の調子で破れ去ったら事だ、ということを話し合う。その病人を入院させるのに、二町ほどの病院まで運ぶのに十円もかかり、また附添はほとんどなく、病室があるのに入院できず、やっと見つけて附けることが出来た等々。
矢来の古本屋で明治四十年刊碧瑠璃園作の乃木大将伝、(乃木大将〔アキ〕会発行)と佐世保海軍〔アキ〕会発行の日露海戦史とを買う。前者二冊、後者一冊共に菊判の立派な本。内容は後者の方が確実のようである。
帰路靴屋に寄り、修理の靴二足をとる。先日の滋の分と一緒で八円なにがし。今日は紀元節でひどい人出である。乗物に中々のれぬ。
夜、論文が終ったので、実にほっとした感じである。買って来た本を読んでいるうちに十時になる。
二月十二日 金 晴 南風 暖(朝は霜白し)
[#1字下げ]七時 六・二
[#1字下げ]四時(外出直後)六・八
[#1字下げ]タバコ二。化研行。
〈気候〉
この三四日、南風で晴。今日など四月初ぐらいの暖かさ。但し朝と夜はほとんど無風にて、晴れていて霜が降る。雪にならぬのが不思議なり。
化研行。その前に二三日前から心がけていたくやみ状を、野田生の義兄、義父、八雲の船橋氏に書き、嗣郎にナラ漬けの小包出した由。鮭を下げて大急ぎで行く。受付に診察券をおいて、野方に新庄家を訪ねる。留守。女中に鮭と、英一の番号を書いた名刺を托す。また高田馬場に戻って昼食。天丼五十銭、鮨五ケ四十銭。外に鮨を土産に一円五十銭包ませる。それから化研に行ったが一時なのにまだ満員。出て楢崎家を牛込にバスで訪ね、朝貞子が包んだ豆を少々渡す。その病人のほしがっているというもの。帰って行くと、ちょうど番になる。「小説の世界」を装幀してくれた亀倉君が来ている。少々熱ある由。雑談、彼の話。
ハンブルグは爆撃されて、ほとんど何も残っていない由。若し東京を爆撃されれば、ここに日本の重工業の五割はあるから、忽ち戦力低下するであろう。ハンブルグのやり方など、アメリカの方法で、二千機ぐらいでやって来て全市に見さかいなく落して行くものの由。ガダルカナルなどで敵は機関砲を使うのだが、それは弾が大きいので、径一尺ぐらいの木は抜いてしまう由。ビルマの英タンクはこちらの弾が通らぬが、敵の弾はこちらのタンクにどんどん通る、とビルマから来た人の話の由。但し戦争のがんばりは、彼等は駄目ですぐ逃げるそうである。アメリカの機械の量が物を言い出せば怖い。今は南太平洋で軍艦の戦力はこちらが六でアメリカが四ぐらいだが、来年になると、アメリカがぐんと多くなり、こちらは消耗するとせば、問題である云々。彼は海外宣伝雑誌「日本」にいるのだから、色々なニュースを知っているらしい。
しかし総じて知識階級人はこの頃悲観論に傾いている。自分も多少そうであるが、自分はやっぱりドイツは今のまま崩れ去るとは思えない。
米、明日までしか無い。滋が大食、私が割に食うので困る。正月以来一袋半よけい米が下宿や応急米などから入ったが、ちょうど明日頃米が来る予定だから、それだけ多く食った由。
田居、更科、妻木、峰岸君等より来書。
〈戦争〉
東京爆撃はこの春のうちに必ずあるという感じが強くなる、とすれば、仕事を早くして、経済や印刷の秩序のこわれぬうちに金を多少持っていないと心配である。烏山の家を直すことを色々と考えているが、家なんてどうなるか分るものでない。ひょっとしたら、あんな離れた所でも一弾でけしとぶかも知れず、それを立派にしたって仕方がない、とも思う。現金を千円ぐらい持っていて、生活力に弾力を持っていないといけない。
内務次官は議会で、東京都制を秋から実施するについて、今年秋には空襲を受けると思うが、それは何とかうまくして議員選挙をすると言っている。ロシヤはどこまで押すか、今日の夕刊には英国のある評論家が、ロシヤは予備を悉く用いつくして力尽き、ドイツが次第に盛りかえしつつありということを述べていることがストックホルムから言って来ている。ロストフを取られるか、どうか。
今日街上では、日おいの鉄具、窓の鉄のてすり、ストーブ、その他の銅鉄類を出して家の前に並べているのが多い。家の分も支度せねばならぬが、書いて出した内で敷居は出せそうもない。去年の今頃はシンガポール陥落(十五日)直前で積極的であったが、この頃は、攻勢の頂点をすぎ、警戒気味強く、一昨年秋の戦争前のような少し暗い空気がただよっている。
二月十三日 晴 無風 暖
[#1字下げ]七時 六・一
[#1字下げ]四時(眠)六・三
[#1字下げ]外出十二時――三時。
[#1字下げ]タバコ四。
午前「子供ごころ」校正見直しも入れて、百六十頁迄、小包にて出す。その足で新宿の水道部前のすし屋で昼食二人前一円食い、一円を包ませる。喫茶店で蜜柑一皿三ケ二十銭をとり、二個を持ちかえる。京王電車より先日来呼び出しあり、行く。烏山の土地、契約より一坪余広いということ、但し今日は土曜にて公正役場午後休みで出直すことにする。帰途鍋屋横町で散髪、封筒原稿紙少々買う。金物屋で爪切二個一円、蝶番四ケ一円五十銭等。
夕方寝ていて太田黒克彦の「水辺随筆」を読む。
◎文芸の木村徳三氏より文芸評論十枚十七日迄にと言って来る。
〈身体〉
この頃、毎朝きまって六度一二分である。午後も家にいた日は横臥すれば六度五六分、眠れば三四分ときまっている。しかし客と話し込んだり、外出して身体を動かしたりすると七八分、時には七度にもなる。ほぼ型が定まって、よい方だと思うが、まだ動きやすいのだ。胸の圧迫感ほとんど失せ、首の根や肩の凝りはない。手の甲は朝と夕とにスカボールでほぼ抑えている。米の足りないのは、英一の留守の分を下宿へもらいに行って、少し持って来た由。
二月十四日(日)晴 弱北風 三月頃のように暖い。いい気候なり。
[#1字下げ]七時 六・一
[#1字下げ]四時半(外出直後)六・八
[#1字下げ]タバコ四。
[#1字下げ]外出三――四半。
礼の誕生日とて貞子寿司を作っている。
独軍ロストフ南方の要地クラスノダール撤退、それでコーカサスではケルチ半島に独軍が残っているだけである。
日ざしが強くなり、手だけを日に当てようとすると昼頃には、窓の前一尺まで机を持ち出さねばならぬ。日に当っている手の甲が痛いほどである。午前からしばらく振りで「幼年時代」五十四枚目、第四章から書き出す。
〈税上る〉
午前消費組合の配達の小僧が来て、明日から物品税上ると言った由、織物などは今二割ほど税がついているのが四割になるという。四月からのように先頃新聞で伝えていたが、昨日頃から切符配給されたので(家はまだ)、それに明日は百貨店が休み故、明日からにするのであろうか。着物も薬もその他の目ぼしいものはみなが買いあさり、物は無くなり、かつ税金は上る一方なので一層買いあさる。こうなれば必要のない物でも、やがて無くなるだろうという見込で皆が殺到する。これは完全にインフレーションの現象である。貞子かねて買う予定の帯を買いに今日行こうかと言っていたが、身体に自信がないのでやめる。
イギリスのインド軍司令官ヒースが捕虜になって、戦争の回顧、日本軍の批判、将来の見とおしなどを書いたの発表さる。大変面白い。なかなかしっかりした文章であるが翻訳が悪い。
三時から礼をつれて烏山の家を見に行く。台所の水道ネジもこわれている。
九時半、六十二枚迄。
二月十五日 晴 北風強くなる、夜寒さきびしくなる。
[#1字下げ]七時 六・四
[#1字下げ]四時(眠)六・二
[#1字下げ]昨日から少し変調、背中寒し。夕方からノド痛くなり、うがいす。
[#1字下げ]昨日組合の少年の言っていた税の上ること、新聞に出ず、うそであった。
シンガポール陥落記念日。次頁のヒースの手記〔十四日、東京新聞記事貼付〕は面白い。
〈戦争の前途〉
薫が子供等に持って来た科学朝日一月号を読む。アメリカの科学研究号なり。アメリカは昭和二十年迄に、戦艦二十五隻(一○五万屯)航母三四隻(一○一万屯)巡洋一二四隻(一四○万屯)駆逐三三三隻(九二万屯)潜艦六一五隻(九三万屯)を作るという。この内潜艦六百隻は大変である。ドイツが今のイギリスとアメリカの船を沈めているように年に千万屯以上沈められては日本の船は一たまりもなく、南方の占領地への補給悪化して防衛困難になるのではないか、また英国の前大戦中の統計が出ているのを見ると戦時の造船量は、平時量に達し得ないものである。これは軍艦や汽船の修理が多くなるからである。すると日本の昭和十一年の造船量(ロイド・レヂスター・ブックとのこと)は、一九四、八六一屯である。十年は一四五、九一四万屯。そうすると二十万屯以下である。昭和十二年には(海軍年鑑)四十五万総屯の由。二月二六日朝日。まさか、今はそんなことではないだろうが、せいぜいが百万屯以内であろう。昭和十四年の船の保有量、アメリカは一一五○万屯、ノルウェーは四八三万屯で、その中間にある日本は八百万屯ぐらいであったと思う。
アメリカは前大戦の時一九一四年の二○万屯から、十七年には九九万屯、一八年には三○三万屯、十九年には四○七万屯を作った。これが物を言って来るかも知れぬ。
またアメリカの飛行機生産は同誌に書いている三菱重工業名古屋発動機製作所技師の谷泰夫によると、昭和十八年度の十二万五千機生産は可能である。それは中部地方の自動車工場の飛行機生産への転換による、という。また高々度飛行一万米以上で、高射砲が届かず、酸素吸入器使用の戦闘機も活躍しにくい高度をやって来て爆撃するようになるとのこと。またダグラスでは一万二千粁を飛ぶ試作機を作ったというが、これはまだ大量生産できぬ由。戦争は長期になろう。そして日本は爆撃され、ことによれば南方の基地を保てなくなろう。しかし戦争は真の日本人の戦いはそれから行われるにちがいないが、それは私などが四十歳を過ぎてからであろうか。
夕刊に、独軍ロストフ[#「ロストフ」に傍線]、ウォロシロフグラード撤退と出ている。(ロストフを独軍は一九四一年十一月廿三日占領十二月一日撤退、四十二年七月二十四日再占領四十三年二月十四日撤退す。)米英はギリシャかイタリヤか南仏に上陸する企画があり、ロシヤが欧洲を征服しては困ると本気に考え出している等とも中立国の電報は伝える。ドイツはそんなに弱っているのだろうか。
二月十六日 晴 北風寒し 夕方南風
[#1字下げ]七時 六・三
[#1字下げ]四時(臥)六・六
[#1字下げ]前夜二時、ノド痛くオキシフルにてうがい、今日午前中アルバジル一、うがい三、夜インドラミン。唇及陰茎はれる。
午後石橋京策君来る。婦人画報をやめ、小説に専念の由。勤めをやめて大変愉快だという。一時――三時まで。
夜、文芸の原稿書く。八時から十時までに十枚書き上げる。インドラミンする。アルバジルのせいか唇と陰茎はれあがる。むずかゆし。小便夜三度。
◎夜、新文化の十返一君より「文学界に期待する新人」という原稿七枚、三日までに書けと言って来る。
二月十七日 曇 冷たし、雪になりそう。午後晴れる 南風となる
[#1字下げ]七時 六・三
[#1字下げ]四時(眠)六・七[#「六・七」に傍線]
[#1字下げ]タバコ三。うがい二。のどほぼよし、はれ直る。鼻つまる。夜インドラミン。うがい。
午前中「文芸」の原稿「創作と批評の分離」初めの四枚ほど書き直す。午後一時頃使いの少年に原稿渡す。睡眠不足にて、早目に午後ねる。住友海上火災より烏山の家の保険証券来る。三月末まで空家にすること知らせるハガキ書く。朝十返君に承諾の返事。錦城に小説の題を「童子の像」と変える旨言ってやる。義兄より手紙、三月中頃嗣郎を見舞に来るという、のん気なり。
ドイツ軍ハリコフを撤退す。これでウクライナの中心地を遂にドイツは守り得なかったことになる。但しチュニジアでは攻勢に出て、捕虜等数百得ている。南伊、シチリア島に米英は爆撃を加えている。
夕食時洋服屋来り、酒があったら砂糖ととりかえてほしい、と言う。二三合あるが、次月に、と言う。彼の話によると北信州地方では田を作る農家は、金まわりあまり良くなく、衣料切符など余っているが、山奥にいて林業をしている者や、畑を持っていない自由労働の連中は一日五円ぐらいになる。田舎ではやっぱり金のまわりは多くなく五円というのは大金の由。
隣組中に、鉄帽一個配給になる。菊が籤を引いたところ、そのたった一個が当った。六円五十銭を二十日迄に納める由。
二月十八日 晴 南風 甚暖
[#1字下げ]七時 六・六
[#1字下げ]四時(眠)六・七
[#1字下げ]朝方盗汗少々、風邪模様なり。
[#1字下げ]午前インドラミン、夜インドラミン。
朝隣組回覧板によると、今度は空襲警報があると同時に三十分ほど直ちに高射砲を発射す。命中度を高める為なり。この辺はその被弾区域に当るため、初め三十分は先ず退避することと言って来る。区域には危険率の高い被弾区域と、それの低い危険区域とがある。烏山は危険区域にでもなるか、いずれにしても大変なことである。学校往復の子供たちは危いものである。
二三日前から扁桃腺炎と思っていたのだが、それはやっぱり風邪であった。昨日から鼻つまり、インドラミンをしながらも、今朝六・六あり、暖いせいもあって、うっとうしい。
日本楽器社長星野嘉市が読売に書いているところによると、現在日本の多くの重工業は二十四時間就業制をとっておらず、また港の荷上げに簡単に出来る木製ベルトコンベーヤーも使っていないとのこと、何ということだ。アメリカなどはつとに二十四時間を三交代でやっているという。こんなことで我国の武器生産は間に合うだろうか。
チュニジアの米軍惨敗し、二万人ほど全滅の由。米英でも公然と言っているのだから相当の損害であろう。
二月十九日 曇後晴 昨夜北風寒し 夜北風つのる
[#1字下げ]七時 六・五
[#1字下げ]四時(眠)六・四
[#1字下げ]盗汗少々。午前インドラミン。鼻つまる、鼻水、クシャミ。午後インドラミン。夜、キューレーコン。
博文館より上林暁君の「流寓記」来る。いい本なり。半分ほど読み、感心す。上林君にハガキ書く。東峰書房の「作家論」夏頃までと佐藤虎男君に返書。吉川江子君より来書。先日見舞の卵の礼をかねて返書。嗣郎より魚と奈良漬の礼来る。経過よい由。学芸会にて、それを見に貞子午前中から出る。昨日は四月中頃のように暖く気持悪かったが、夜になって強い北風寒くなる。これから天候が変りやすく風邪を引きやすいのだ。錦城中島氏より「童子の像」という題に賛成の由ハガキあり。夜魚屋、闇の卵三十ほど持参す。二三日前より中支揚子江沙市附近及下流北方にて我軍の攻撃始まる。
「童子の像」校正二百四十頁迄する。望月欣一郎君に亡児のため、香料二円送る。横須賀工廠に徴用されている広瀬規之君より手紙、色々書いてある。返書、手紙の検閲制度のあること知らせてやる。
二月二十日 晴 朝無風 夜北風
[#1字下げ]七時 六・二
[#1字下げ]五時(談後)六・六
[#1字下げ]朝インドラミン、タバコ一、鼻少しつまる。盗汗なし。午後になると身体だるい。夕方インドラミン、鼻つまりほぼよし。
〈気候〉
四五日前から、風は半日北で半日南だったり、昼南で夜北だったり、変りやすい。南になるとぐっと暖い。霜はほとんどない。からりと晴れることは少くなり、随分暖い感じ。正午に透明硝子を日が通らなくなった。これが、冬の期節の終った印しのように思われる。但し今年は暖いのだ。名取家の梅一二輪咲く。
朝新庄君に英一のことで手紙書く。足立重君に「メキシコの朝」と「得能物語」を送り、「メキシコの朝」に写真を借りたのを謝し、なお青山学院の夜間部に入りたいという小西猛君のことを依頼してやる。
錦城出版社に「童子の像」二百四十頁まで校正速達で送る。
田上氏より、烏山の家の増築見取図二案送り来る。どちらにしても金がかかることで、今年中にはやれそうもないが、明年あたりはそんな建築が出来るかも、また今のような収入が続くかも分らないのだ。依頼したものだが困ったことだ。野田生の義父より荷物来る。乾鰈三十枚、大豆二升、馬鈴薯少々等。
◎午後、前に六芸社にいた武田憲一君、大陸講談社の日本に入ったとて随筆五枚月末までに書けと言って来る。野尻湖の話など色々あり。その内に石田君という市橋岩夫君の友人来る。商業学校を卒業したとの挨拶でマヨネーズ一本くれる。
二月二十一日 晴 北風強し(日)夕方から南風気味
[#1字下げ]七時 六・一五
[#1字下げ]四時(眠)六・四
[#1字下げ]鼻少しつまる。盗汗なし。朝インドラミンせず。
[#1字下げ]夕、インドラミン、九時。
上林君より返書ハガキにて来る。
日曜なるも珍しく来客なし。午後「幼年時代」にとりかかって見る。一枚書いて午睡す。そのあと夕方までトルストイの「青年時代」を読む。これは生きて幅があり素直である。続けて読むことにする。
二月二十二日 晴 無風
[#1字下げ]春景色、富士はかすんでほとんど見えぬ。畑の冬菜は霜枯れから直って少しずつ勢よくなる模様。
[#1字下げ]七時 六・五
[#1字下げ]五時(談後)六・八
[#1字下げ]盗汗、少々逆もどり。朝インドラミン、鼻水出る。クシャミ多し。対客十二時――四時。夜インドラミン、キューレーコン。
赤木健介氏より詩集「交響曲第九番」贈り来る。田上義也氏に礼状書く。正午荒木巍君来る。前に二度も留守に来て気の毒したことあり。色々久しぶりで話す。二人とも同じ病気の話。文学者生活の先の見通しについては彼は楽観説、私は悲観説。宴会に出ない覚悟をしたなど同じ節もあり、面白く四時まで喋る。その間南の隙間風にて少々寒気す。夕方一時間横になった所へ、大工来る。家の修理の話をし酒を出す。大修理はせぬ方がよいという大工の意見をもっともと思う。夜気分よくなる。
二月二十三日 晴 弱南風 暖
[#1字下げ]七時 六・二
[#1字下げ]四時(眠)六・六
[#1字下げ]前夜キューレーコン、タバコ二。鼻まだぐずつき、クシャミ出る。夕方インドラミン。
足立君より、小西君の件骨折る由言って来る。小西君に手紙書き、足立君のハガキを同封す。
我軍仏租借の広州湾に上陸、雷州を占領した由。広州湾辺にある二飛行場を、在支米空軍に占領されぬ前に断行したという。昨夕刊に、またしても米国の日本空襲呼号が出ている。いよいよ、この春から始まるのであろうか。我々民衆の生活も打撃は受けるであろうが、それよりも、こちらでは数の少い軍需工場を破壊されるのに、こちらから米本土の工場をやっつけることの出来ぬのが残念である。近頃になってから何度目かの「予告」である。
武田憲一君より、雑誌送り来り、枚数十枚にて、と言って来る。文学報国会より、建艦運動年鑑小説集の原稿、朗読小説の原稿、辻小説の原稿など、諾否求めて来る。どれも適当なもの思い出せず。夕方七時から東方の隣組で防空演習している話声が聞える。うちの隣組は明朝五時から七時までの二時間の由。これは大変である。
二月二十四日 晴 北風強く窓を鳴らす
[#1字下げ]七時 六・三
[#1字下げ]鼻少しまだつまる。午前強力メタボリン注射す。タバコ一。防空演習に出ず。
[#1字下げ]終日北風、北〔脱〕冷える。夕方酒一合弱。
朝暗いうちに、あちこちの隣組で防空演習の声がする。「訓練空襲警報発令」とか「××家に焼夷弾落下」とか「大東亜荘に延焼」とかいう男の大きい声やバケツの音、女の笑声や「番号、一、二、三、四」とか色々あり。家では菊が出て、岩田家の辺で演習をしたらしい。特に昨夜から雨戸をしめて寝ている。朝階下で滋と礼が貞子の言うことを聞かず、騒ぐのを我慢していたが、起きて、ふとんを片づけてから二人を思い切りなぐる。滋鼻血出す。いやな気持だが、せいせいもした。子供の騒ぐほどいやなことはない。
この頃チモール、ニューギニヤ、ソロモン島など、南太平洋の各地では航空戦が盛になっている。ビルマにも英機がよく侵入して、今朝もラングーン最大のパゴダがこわされたと出ている。当分消耗的な航空戦が続くのであろう。
朝刊に大本営発表で、ソロモン群島の南方、ニューヘブライヅ諸島のエスピリツ・サント島の敵本拠を我空軍が夜襲して、駆逐艦一隻を撃沈、一隻に火災を起させた旨発表。この地をすでにこれで四度も襲っているのだという。
この頃の新式の海軍爆撃機の写真を見ると、尾の方が太くなり、そこに兵がいて射撃出来るようになっているらしいのに気づいたが、今朝新聞に出ている陸軍の新式爆撃機を見ると、尾翼に近い胴体の上部に、丸いトーチカ風のコブが出ていて、そこから後方を射撃出来るようになっている。次々と機体は変化していい飛行機が出来ているらしく、気強いことだ。
雑誌海運報国から随筆の稿料五十円小為替で来た。午前中机に向っても、今朝のことで苛々して書く気持になれない。春の強風、黄塵盛に飛び地平線は黄色くかすみ、裸の木や窓が鳴る。英一来る。強力メタボリンとインドラミンの注射十本ずつ分けてやる。組長鉄兜を持って来る。
燕――午後一面に土ほこりを立てる北の烈風の中を、大きい燕が一羽逆うように飛んでいる。本当に燕なら、今年はじめてのものだ。金属献納として、鉄の灰皿とポスト受口の銅のとを組長宅へ届けさす。銅の仏像を出すつもりでいたが、金づちで叩いてもこわれない。こわれないのを見ると何だかあの組長夫人の手に渡すのが惜しくなってやめる。支那から苦労して持って来たのに。随分肉の厚いものらしい。また献納する機もあるだろう。
昼飯時菊の話によると、今朝の演習、うちの隣組では、一回軽い稽古をしただけで、組長夫人は、どうせ防空競技を学校でやる時は、この組などビリの方だから、そんなに懸命にやっても仕方ないとて、あちこちに焚火してあたっていた由。この辺は原っぱのせいか、防火演習にどうも本気になれぬらしい。
阿部秀一(筆名岩崎士郎)君より、彼の処女出版「海の子部隊」来る。彼は郷里の塩谷村で教員をしていたのだが、その前にいた奥尻島の少年たちのことを、少年読物として書いたらしい。阿部君のハガキも来る。
〈杉沢の話〉
午後寝ている所へ杉沢仁太郎氏来る。北海道の話など色々。興農公社のアイスクリームは、いよいよ燃料の配給が断たれ、出来なくなる由。今年分ぐらいは材料の手持や買い置きの燃料があるもその後はやめた方がよい、という杉沢の意なり。これまでは、アイスクリームのみにて毎年二百万円の純益にて興農公社の税金の全部をそれで払った由。製酪業としては日本一のものの由。今後もクリームは北海道から来るが、それは育児用乳粉として出すべきだという杉沢の意見。青函間の輸送には、向うに発動機船が多くあるので、それで行えば何でもない由。七十屯以上の発動機船は徴用されて、北海道からの石炭その他の輸送に使われているという。杉沢も北海道へ行く前、正月に来たような熱は仕事になく、いよいよ府下横山村の畑に家を建てることに来月はとりかかり、明年からの養鶏の支度をするという。郷里塩谷村の話。明後年が村の学校の開校七十年記念。それに彼は二万円の株を提供して杉沢育英資金とする由。大いに意気込む。全く金を残しても馬鹿息子を作るばかりで何にもならぬという持説をくり返す。学校のその時の寄附、私の所へは三百円の割当てになっている由。百円以上というのが全部で三十人、杉沢は一千円の由。
話しながら、二人で、配給の酒を二本、鮭の燻製で飲み、二人とも酔う。その足で彼私から手拭と石鹸と六十銭出させ、タバコを買い、風呂に行く。引越トラック世話してくれる由。
夕食の時、子供たちに、もう殴るのはやめるから、これからお母さんの言うことをよく聞けと言いきかせる、何だか殴ったことが段々悲しくなり、子供の顔を見るとセンチになる。
〈ソ連の損害〉
夕刊に、ドイツ当局発表として、過去一年八ケ月開戦来の赤軍の損害は、戦死傷千二百八十万人、捕虜五百四十万人、砲四万八千門、戦車三万四千台という。尨大なものである。ロシヤのような国でなければ、とうに滅亡したであろう。支那とかロシヤのような広大な国の力は、それにしても大変なもの。こういう損害の後にドイツを破ったのだから。
また英米系のニュースによると、先頃のチュニジア戦では、総司令官アイゼンハワアが危く捕虜になるところであったとのこと。ドイツ側の発表では英兵捕虜一千人、米兵捕虜三千人、戦車二百五十台、装甲車百七十台、砲百十八門その他の損害を与えたという。ロメル軍は、スエズ附近のエル・アラメインからチュニジアまでの長途退却をし、それに続いてすぐこの戦争をしたのだから、やっぱり大したものである。
〈ボールドウィンの日本評〉
朝日の茂木特派員がリスボンからの電報では、ニューヨーク・タイムス軍事記者ハンソン・ボールドウィンは、ロンドンタイムス紙上に日本の戦力を論評している由。その中に次のような文章がある。「日本人という人種は、単に心理的に封建的であるばかりでなく、肉体的にも非常に強靱である。日本兵はわずか数個の握り飯で一週間も持ちこたえ、携帯用濾過器でいかなるドブ水もすすって生きている。日本は大工業国ではないが、日本の設計技師は外国製の機械その他を取り入れ、これに改良を加え、利用することについては天才的手腕を持っている。日本軍は多数の優秀な自働小銃(機関銃?)を持ち、白兵戦にもっとも重きを置いているようだ。海戦で水上機を利用することにおいては日本軍は米軍をはるかに凌駕し、日本の操縦士は一見不恰好な水上機を実によく使いこなす。日本軍の作戦は、当初から、日本本土爆撃に使用されるあらゆる島々並に大陸の基地を虱つぶしに略取し、同時に長期戦に備えて軍需資源を確保するという極めて賢明かつ堅実な方針で遂行されたものだ。砲火のもとに行われる敵前上陸の巧妙さにおいては日本軍は恐らく世界一であろう。しかも彼等は西南太平洋の熱帯地に入り込むや、あだかも郷里に帰ったように、その戦法は地勢を利用し、実に驚嘆すべき巧妙さをもって展開される。我々は、所でいかにしてこの種の戦術に対抗すべきか、それは簡単である。日本軍の戦術をそのまま採用し、これをより巧みに実施することである。要するに我々は米国の開拓時代に帰ればよいのだ。反枢軸軍が神経戦に出て過般の東京爆撃のような奇襲を次々とやれば、或は日本は判断を誤るようになるかも知れないが、勿論それはあてにならぬ。ミッドウェーの衝撃は彼等の野心にいささかの変化も与えなかった。彼等はアリューシャンに上陸したが一人残らず殲滅されるまではそこを撤退しないであろう。」
ボールドウィンの結論として言う。
「ドイツさえ倒せば日本は自然に頭を下げて来るという見方はもはや抛棄せざるを得ない。日本は新しい世界に目をつけている。もしこのまま放置しておけば、日本はこの戦争の勝利をもたらすかも知れない。われわれはたとい、ドイツを打破ることに成功したとしても、日本をその占領地帯から駆逐するには、長日月を要するのを覚悟しなければならない。」
ロンドン・タイムスは社説においてボールドウィンのこの説を取り上げて言う。
「ボールドウィンの述べている所は、勝利への近道を夢見ている者にとっては、意外であろう。東印度、ミクロネシア、フィリッピン等の島々を一つ一つ飛石伝いに攻め上らねばならぬということは、全く並大抵のことではない」
「幼年時代」七十枚迄二枚書く。
緑のノートに「子供を打つ」を書き留める。
二月二十五日 薄曇 北風 寒く、昼から炬燵入れる。朝水凍る
[#1字下げ]七時 六・三
[#1字下げ]四時半(眠)六・四
[#1字下げ]風邪ほとんど直り、鼻つまりなし。外出二――三時半、歩くと少し疲れる。メタボリン注射、セファランチン無し。
先頃からの漢水、揚子江間の三角地帯、揚子江下流北方、山東半島の対重慶戦。それぞれ成功裡に捗っている。山東では一個師団を全滅させ、師長以下を捕虜とした。北阿のチュニジヤ戦ぐらいの規模の戦争が三つ支那で行われているのだ。支那本土はヨーロッパと同じ大きさだから、大変なことだ。
◎新潮社の楢崎氏より、四、五、六の三ケ月、岡田三郎氏と対談で新潮に作品評をやるように、という手紙来る。承諾す。他人の作品を読むのは気が重いが、もとに較べると、雑誌が薄く、作品が少くなったので、よほど楽である。
〈靴の話〉
午後、外出、靴を受け取る。靴屋の話によると、「この四月からは国民靴という配給されている靴は、革を全く使わず、底がゴムで上はズックになる由。皮の靴は出来なくなる。また底修理用の皮も本物は今月十二枚配給になったが、これで終りで、あとは鯨のみ、今の国民靴も底は鯨で、持ちは皮の三分の一」という。私は杉沢から十五円で分けてもらった底や踵や内皮などを渡し、底の水牛を牛に更えてもらって、上皮をボックスで付けさせ、靴屋に三十五円払った。今でも修理は馴染でない人には断っているという。薫が国民靴を芸術科から配給券をもらって買ったのは二十二円とか言ったが、底は鯨であった。靴は目下穿けるもの五足、外にスキー靴二足あるが、子供たちの分として、もう一二足大人用のものを国民靴でよいから買っておきたい。
〈雑誌買う話〉
その足で城西病院前の本屋に寄り、中央公論と改造を言うと無い(予約注文のみというのであろう)と言い、文芸春秋を買う。本屋が言う。「中央公論と改造は予約注文が大分あったが、それでもこれまでの部数では店へもかなり出せると思っていたところ、その店へ出す予定だけが減らされた。受験雑誌は予約者で一杯だったのを減らされて、致しかたなく抽せんにしてもらって、気の毒をした」云々。帰りに本郷堂で中公と改造を買う。二十五日に来れば毎月とっておいてくれるという。この日自動車事故を見る。「緑色ノート」
夜蒲池君が来て九時まで話し込む。出版会の方決定せず。どういう風な統制をされるか分らず、不安だという。
二月二十六日 晴 北風 手洗の水凍る 霜なし 夕方南風となる
[#1字下げ]七時 六・四
[#1字下げ]四時半(臥)六・四
[#1字下げ]風邪全くなおった様子。右胸に少々抵抗感、セファランチン飲まず。
小西君より返書。至文堂という本屋に口があるとの蒲池君の話小西君に知らせてやる。雑誌「創造」より、小説三四十枚書けと言って来る。内田という知らぬ人の署名故返事出さず。
今朝、先頃来た一月分の米、半分以上まで来たところ、すでに五日分足らなくなっているという。この頃一分搗の純内地米で、ふえず、かつうまいので食い進むのである。
昨日夕刊に、ヒットラーの独逸全国に対する告諭が出ている。これは主として、ユダヤ排撃という脈によって英米とロシアを一緒にしてやっつけている。今の非常時はナチス党の成長する時の困難に較べれば何でもない、と言い、必ずドイツはヨーロッパを守る、と言っている。しかしいつものヒットラーの演説のような、数字を上げての説明もなく、また例の敵を諧謔する風もなく、ちょっと淋しい。
今朝の新聞にはドイツ大使館武官を昨年の冬までしていた坂西中将が談話を発表し、独ソ戦では、ドイツ軍が二十万人スターリングラードで全滅したが、これは数から言ったら些細なものである。ドイツ側の総兵力はその同盟国を合すと千個師団、二千万人にのぼっている。またドイツの占領したロシアのウクライナ地方には七千万の人口がいて、それはロシア人口の半分に近く、これが現存している。この土地の戦争は、進退ともに大規模なのが特色だから今の独軍の後退は大したことでない、と言っている。
事実ロシア軍の攻撃はドネツ川とドニエプル川の中間、ハリコフとロストフの西方で、一頓挫来したらしい。ロストフの西方ではロシアの親衛兵団が全滅されその司令官ボリショフ将軍とその幕僚が捕虜になった、と独側では発表した。アメリカの輿論調査では、第一の敵として日本五○%、ドイツ三四%の由。
午睡しようとしていると三時原民喜君来る。相かわらず静かでおとなしい。夫人は大分元気の由。彼の従〔義〕弟永井善次郎〔佐々木基一〕君の話など、南京豆一升ほど頂く。貞子化研行。レントゲン撮った由。赤沈十なりと。
原君の小説集、原稿預っている。蒲池君の所駄目、森一君に相談しようと思う。
(「幻燈」、十二年五号三田、「玻璃」十三年三月三田、「行列」十一年九月三田、「暗室」十三年六月三田、「迷路」十三年四月三田、「曠野」十四年二月三田、「湖水めぐり」十四年(?)文芸汎論、「溺没」十四年九月三田、「冬草」十五年〔アキ〕月三田、「蝦獲り」十年十二月メッカ、「貂」十一年八月三田、「鳳仙花」十二年十一月三田、「招魂祭」十三年九月三田、「青写真」十五年六月文芸汎論、「魔女」十三年六月文芸汎論)
二月二十七日 晴 無風 朝手洗凍る、但し昼間暖し。
[#1字下げ]七時 六・○
[#1字下げ]五時(臥)六・六
[#1字下げ]タバコ三。外出十時――四時。化研行。夜入浴。食前十三貫四百匁、二月二日と同量。昨年十二月十日は十三貫[#「食前十三貫四百匁、二月二日と同量。昨年十二月十日は十三貫」に傍線]。
化研先週は風邪にて休み、今日行く。ラッセル等全然聞えぬ由。瀬沼と一緒にて、待つ間に喫茶店に入ったり、高田馬場に行き、坐って色々な話。彼は東日顧問の小野(?)金次郎の話を、彼の社関係の小数の人と聞いたとて、「ガダルカナルでは、敵が上陸してこちらの海軍陸戦隊が破れて後に先ず行ったのは第七師団だという。その指揮官は一木(?)という北支一文字山の時の戦争の殊勲者にて、この度はあまり積極的に海岸線から攻めて全滅し、師団長は突撃して切りまくり、切腹自殺した由、ガダルカナルへ、こちらの基地のラバウルから飛行機で行くのは八時間かかり、その上空では十五分しかいれない由。その無理な戦争のため海軍の中型爆撃機五百機(?)は全滅したらしいという。その間にしかし半年ほどかけて、我軍はガダルカナルをコの字形に囲むように島々に基地を作り、今はこちらが積極的の由。」正月に旭川で兵の外出なく、弔旗を掲げたという話は、これによるのであろう。
「ドイツは相当弱っていて、スターリングラードで三十万、コーカサスで三十万やられたという。今きっと近いうちに英米は第二戦線を展開するらしい。第一の候補地はバルカン(ここはユゴスラビヤで叛乱軍が相当ある由)、第二はイベリヤ半島、第三はイタリヤの由。米国はイタリヤが開戦第三週にてドイツの属国化したとイタリヤ人に宣伝している由。この第二戦線が成功すればドイツはがくんと参るであろう。」こういう話、この頃の一般的な空気の反映で、さまで珍しくないが、ドイツが参ったら日本は単独でひどい目に逢うだろうと瀬沼と心配し合う。しかし日本はいよいよ立場が悪くなったらこの島国に立てこもって皆が死ぬまで頑張るにちがいないなどとも話し合う。
〈瀬沼の思想〉
治療後二人で寿司を二円ほど食い、その足で彼の家に寄り、二時間ほど、四時まで話す。彼はまだ毎夕七度二分から四分ぐらいの熱が出るというが元気はかなりよい。来週から一日おきに社に出る由。少し早いと思うが、しかし、生活問題もある故、あまり忠告も出来ぬ。しかし、こういう病状でまだ肋膜炎が直り切らぬうちに働くのは、実に危険だと思う。中央公論一月号を借り、アルボース石鹸を六個もらう。何か彼へも品物で返さねばなるまい。彼笑いながら、形見になるかも知れぬからとて、潤一郎の「近代情痴集」、春夫の「田園の憂鬱」、康成の「伊豆の踊子」それぞれ初版本をくれる。どれも署名入りにて貴重な本なり。我々は近代個人主義の終焉の時を生きて来た。もう別な時代になってしまった、など話す。
彼は、「病気で死ぬかも分らぬし、案外十年ぐらい生き、あるいはもっと生きるかも知れぬ。しかし健康な友人がこの頃肺炎で死んだりするのを見て、どうせ健康と言ってもいつ空襲などで死ぬかも知れないし、また若くて健康なら戦死もする。みな生きている生命ははかないのだから、せめて生きている間楽しく、ものを読んだりして生活を味いたい」と言う。その言い方彼流にせっかちではあるが、この二三年彼が病床にあって考えたしみじみとしたものがあって、味い深い。そして、先頃、一週間ほど彼の医者がラッセルが聞えると言ったり、また自覚症状として、どうも喉が痛いことなどあり、いよいよ病状悪化なら佐原近くの細君の田舎へ引込んで生活を切りつめようと思った、など話す。そして私に本をくれたりする処を見ると、のん気にばかりしているわけでなく、深淵に臨むような気持でいて、また話は彼らしい明るいもので終始しているのだ。なかなか立派だと思う。私の訪ねるのを本当に喜んで、帰るというと悲しげな顔をする。二十四五歳の頃から、学校で知り合い、その後文学の友として、つき合って来たことも、たがいの生活そのものの一部分をなし合っていたわけだ。おろそかに出来ないと思う。
この頃は私も一つ一つの友人との出合いが生きている味いとなって心にしみ込む。
夕刊で見ると、ドイツ軍は、東部戦線の戦闘をすっかり盛りかえし、「防衛に成功したばかりでなく、こちらが攻勢に出て敵を殲滅しつつある」と発表している。ドイツでは競馬を禁止した由。食前久しぶりで入浴、この頃湯屋は一日おきだが、相当の混雑だ。今日は上り湯が出たが、ぬるい。留守に有光社の中井君「隣組の畑」校正届けていた。十二月の初め頃に原稿渡したのに、まだ出版文化協会の認定下りず、原稿は向うにありとて、校正のみ。行文直さずに校正のみしてくれとの事故、私のものはその通過の支障ではないのであろうが、気がかりだ。「文芸復興」に私の「病歴」の悪評出ている。拙い上に、こんな気持のあやふやさでは、今の世に何の意味もないというのだ。評者名、新関嶽雄。
錦城出版社より「童子の像」校正最後の部催促状速達で来る。
二月二十八日 晴 南風 暖くなる
[#1字下げ]七時 六・五
[#1字下げ]前夜入浴、盗汗気味、身体少し熱っぽい。入浴のせいである。まだ不完全なり。強力メタボリン注射。
漢口西方湖北省の王勁哉軍二万の撃滅戦は六日間に驚くべき戦果を揚げた。即ち二十六日までに、司令官王勁哉は捕虜となり、俘虜七千五百、遺棄死体三千九百、機銃七十、迫撃砲四十その他。王勁哉軍の堡塁は三年余を費して作ったもので大小千余あり。甚だ堅固なものの由。我方は夜襲、暁襲等の奇襲戦で、電撃的にこれを抜いたもの。なお注目すべきは今日の新聞に、ビルマ作戦が新しく、印度に向けて、北方(?)より始められた事。これは北方印度のテンスキヤなどから昆明への敵の空輸が増加しているので、それを防ぎ、間接には支那米空軍の我国空襲を不可能ならしめる為であろうと思われる。ことによれば印度東部カルカッタ辺まで我軍は入って行くのではないだろうか。
来栖大使の大阪での講演の一節「(米英は)日本に対しては、既に我が国の興隆が有色人種一般の覚醒を促し彼等の植民地搾取を困難ならしめつつあるに鑑みどこまでも日本を倒してその憂いを除こうという考を持っているのであって、その根ざすところは誠に深刻なのである。」
昼頃西山利英君来る。今日本映画配給会社にいる由。親戚の子が日大予科か芸術科かを受けたく、受ける時には宜しくとのこと。よく分らぬと答う。小さい丸餅二十ほど頂く。二時頃西山君と入れちがいに、武田憲一君来る。原稿催促を兼ねて文学の話、四時迄。その後へ大工の子供来り、烏山の家を見に行きたいとのこと。停留場で待ち合せ、行く。二階の上り口の板の取りかえ、柱の疵かくし等相談す。六時半頃帰る。夜九時「童子の像」校正最後までする。燃料不足にて、湯屋が切符制になる筈と昨日夕刊に出ていた。
敵機空襲の可能性についての観測。〔切抜き貼付〕東京新聞三・一。
[#改ページ]
[#2段階大きい文字]昭和十八年三月
三月一日 曇(月)暖 水凍らず 夜北風となる
[#1字下げ]七時 六・三
[#1字下げ]四時(臥)六・六五
[#1字下げ]盗汗少々、不眠二時間。昨日頃から、風邪は全くないが、身体に異和感あり。
物品税上る。貴金属類五割だったもの八割、芸妓花代十割だったのが二十割、六十円以上の衣服四割が六割に。入場税(歌舞伎など)五円以上のもの八割が十二割に、宿泊料五円未満のもの新しく二割、同十円未満のもの二が三割、十円以上五割、貞子の心配していたミシンは据置の由。
ビルマ北部ミイトキイナ北方に侵入した英印軍と、雲南前面の重慶軍を我軍は攻撃中の由。
〈下駄〉
朝「童子の像」の校正を速達で出させる。昨日貞子が下駄屋へ菊をやったら、以前四五円の会津桐の下駄が九円五十銭の由。また女物の柾目下駄十四円かの由、驚く。貞子四円いくらにて、鎌倉彫の下駄を一足買う。以前八九十銭のものの由。こういうものみな闇値であろう。この頃下駄屋の店には全然下駄は出ていず、つっかけのみである。これも、貞子をあの細君がよく知っているので、特に二階から出してくれたものの由。
〈税〉
昨日税務署から納税申告書来る。この前に来た仮調査には二千五百円と答えておいた。
〈生活費〉
この月支払いをやっとすまし、二十円ほどしか余っていぬ。引越と大工の手入れに二三百円、それにミシンが来ると三百円、要るので、十五日までには是非金を作らねばならぬ。身体の調子悪く、去年も今頃から悪くなったのだから、季節としても警戒すべきであるが、「幼年時代」を十五日までに大体書き上げるよう努力して見よう。これまで雑文や評論も書いたが、正月以来二ケ月かかって、「幼年時代」は七十枚しか書けなかった。
午前中から「日本」の原稿随筆書く。二時迄に五枚、夜八枚迄、夕刻臥して倉光俊夫の「連絡員」潤一郎の「細雪」等を読む。夕食後大家佐野家〔大家は名取氏〕へ行き、家の件話をする、当分自分が借りていて三十円ぐらいで借りたいという。明朝返事の由。(これまでは二十一円)。夜大工来る。黒板持って来る。庭師の所に踏み石がある由。貞子酒を一本出す。名取夫人の話では烏山辺に知人がいて、その話だと烏山に大きな飛行場があるという。まさかと思うが、前に行った時よく飛行機が飛んでいて調布の飛行場のだと思ったが、或はあるのか。
三月二日 曇 北風 やや寒し 昼コタツ入れる
[#1字下げ]七時 六・五
[#1字下げ]五時(談二時間後)六・七
[#1字下げ]盗汗気味、右側腹に感じあり。午後強力ボリタミン〔?〕、夜キューレーコン。
朝名取家へ行く。これからも借りておくことにして三十円にてよしということになる。但し契約書は書き直しで三十五円とする。留守は薫がするというと名取老人も賛意を示す。薫が嫁でももらったら五円上げられるのではないだろうか。老人昨年秋から弱って引きこもっているが、大分痩せている。六十七の由。
佐藤軍務局長が議会での説明中、租界返還後支那人の対日感情は大きく変化し、香港にあって中立的立場を取っていた顔慶恵、陳友仁等の政治家の外、浙江財閥の代表的な財界人も、国民政府に参加するようになった由。またアメリカ人の戦略は幼稚であって、大軍団の運用は下手である由。
ドイツはドネツ盆地辺で立ち直ったらしく、昨日あたり、ロシヤ三個旅を滅し等大分旗色よし。
午前中「日本」の原稿十枚迄書き、「故郷の藁家と井戸」と題す。
午後潤一郎の「細雪」を読んでいる所へ、「日本」の記者(あとで考えたが昔芸術科の夜に来ていた男)が原稿を取りに来て、武田君が応召して、三重県へ昨日行ったと言う。武田君自身が一昨日今年の秋頃は召集されるかも知れぬが、その前に一度一緒に野尻湖へ行きたいなどと言っていた。実にはっと思う。それは「細雪」があまり戦争と無関係な「現代上流女性」の描写に終始しているからである。巧いと思うが、それは持って行き場のない技巧の集成のような感じで、生命が無いようにも見える。妙な印象である。
◎午後二時東京新聞文化部の寺田千墾氏来る。文芸時評三枚宛三回分、六日夕刻までに書けとのこと。承諾。更に文学のこと戦争のこと雑談五時迄。
夕方、錦城出版社中島憲三氏より速達にて、「童子の像」の後書一二枚書けとのこと。
午後三時迄に「幼年時代」七十五枚迄。
新潮より評論十五枚の稿料三十五円振替にて来る。
◎夜「知性」の小島武夫氏より小説二十五――三十枚を三月末日までに書けと言って来る。満洲良夫〔ママ〕の小説も三月末迄なり。この月雑誌原稿の依頼多いのはどういうわけか。今月新潮と文芸とに書いたり、また日本学芸新聞の手記で、病気がほぼ直ったなどと書いたので、病気だったのが直って書き出したという印象を与えている為であろうか。
三月三日 晴 北風 夜やや寒し
[#1字下げ]七時 六・二
[#1字下げ]五時(談三時間後、臥)六・九[#「六・九」に傍線]
[#1字下げ]タバコ三。昨夜キューレーコン。右側の感じ去る。但し右肺門部に感じ残っている。夜早寝カルチコール五CC。
午前中に石光葆君来る。石光君の作品の話、それから博文館のために書いている「幼年時代」の話。石光君博文館やめる由。「幼年時代」半分書いて見て向うに見せれば、相当の金を借りられるとのこと。
伊藤森造君より来書。色々な文学的感想文と言うべきもの。返事書けず。中西悟堂氏より詩集「叢林」送り来る。ほとんど氏の全集らしきもの。面識なき人なるも礼状を書く。
午後石橋義雄君来る。氏の外食券一月分をくれる。彼自身はどこか食事をする所があるという。その作品四十五枚読み、批評を求められる。困るが少しずつ感想を述べた。彼と話しているうちから疲れを覚える。四時二十分に横になり、文芸の川端、緑川、木山、間宮の小説を読み、そのあと三月号の「細雪」を読んでみる。それを読んでいるうちに、この作品の巨大な動かしがたい彫刻的な作り上げに圧倒され、さっきから熱っぽいのに一層胸苦しくなるほど動かされる。ああこれで小説だ、と思う。題材や作者の生活の有閑臭は気に入らないが、この文字による構成力、観察と判断との感覚化は何という力であろう。大変な作品だと思う。この作者の最大の傑作で、その鋭さと確かさにおいてはトルストイに匹敵す。しかし精神の潔癖さがまるで無いのが、もの足りない。夜早寝して新聞と雑誌を読む。
三月四日 晴 北風
[#1字下げ]七時 六・三
[#1字下げ]六時(四時間談後)六・九
[#1字下げ]昨夕方より夜にかけ小便七回ほど。手と足が汗ばむ。終夜不眠、四時頃から眠る。昨日午後濃茶を何杯もとった為か。
[#1字下げ]峰岸君一――四時。杉沢四――五時。
先頃からヴァチカンにアメリカ特使が入り、また色々なイタリア内部の動きが報ぜられ、或はイタリアが枢軸から脱落するのではないかという憂慮がある。またことによれば、ドイツは、米英と妥協して、対ソ戦に集中するのではないかとも思われる。
ベルリンは開戦以来最大の空襲を受けた由。夜四発機が大編隊で入り、多く焼夷弾を落したらしい。十九機撃墜されたという。東部戦線は漸く融雪期に入った由。
戦争生命保険法発表される。国内は千円につき七円(?)なり。
正午埼玉県から峰岸君来る。餅三十切ほどもらう。峰岸君の話。
彼の村に陸軍の飛行場出来たが、その土地売却について共和村は反七十円の公定価の最上で申請したが、外の村は反三十円ぐらい公定以上に申し出て、両方ともそのまま陸軍は認定し、後共和村ではうるさい事になったが、村長等非難されただけで、もう致し方なかった。また、飛行場の周囲五百米の地にある農家も移転せねばならないのだが、初め軍で乗気のうちにどうしても移らぬので、今では移ろうとしても条件悪く、とても困っているという。百姓は理窟が分らない由。その飛行場の建設には、労力奉仕を村の者がしているが、それは木の根を掘り出すこと等である。そこには、多分熊谷らしい辺から毎朝早くトラックで朝鮮人の労働者を何十人も連れて来るが、それはみな目かくしして手をつないでいる由。そしてそこのバラックに入ってから眼かくしを取って働かせる。そして朝鮮人はそのバラックの中からトロッコで土を運び出すので、どうしたのかと思っていると、それは、地下に格納庫を作っているのである。またそこでは弾薬庫や油倉らしいものを、附近の丘の下を掘った穴ぐらに作っているという。峰岸君の家の村のある山の下の辺にも弾薬庫が出来るという。
また農夫等は米価と野菜価の引き合わないことに不平を持っていて、組合の幹部連が先ず、今度は言われるだけ供出をするが、この後では我等の方で注文つける番だなど言うので、百姓はとても思想が悪く、よほどやかましいことを言わぬと米など出さない。その思想の悪化は大変なもので、村の指導者たちがよくならなければ、心配なことに立ち到りはしないか、と峰岸君は本気になって心配している。
この一週間ほど児玉ではバスの停留場に私服の警官がいて、皆が列を作るとその下げている持ち物をしらべ、集めてリヤカーで警察に持って行く。そして米一升持ち出したものには米一俵の供出を割りあてる。餅一升には餅米一俵の割の由。今日もみなやられたが、峰岸君が私の所へ持って来た餅は小さく紙でくるんでわきの下へはさみ、トンビを着ていたので分らなかった由。そういう時、調べられている者は警官を憎悪心をこめてにらんでいて気味悪いという。こないだは二反の田しかやっていない小作が五升持ち出して五俵を命ぜられ、本当に弱っている由。この頃熊谷の警察署長の宅が火事になったところ、米が二俵出て来て、消防夫たちは激昂し、それを炊き出して食べた。署長は免職となったが、それ以後熊谷辺の米の供出が附近で一番成績悪い由。
四時に寝てると杉沢来る。チーズ三ポンド持って来てくれる。七円六十銭ほどなり。運送のトラックを言ってくれた由。
午後錦城出版社の米田女史、後書の原稿を持って来、ついでにと検印紙持参。枚数は中島氏が約束の時に言っていたとおり一万五千枚あり。すでに二千円(一万部分)借りているので、あとは入らないものとあきらめていた処なので、実に助かる。もう一千円入るというのは、今の処大変ありがたい。やっとそれで移転費、ミシン代、三月の経費が出るわけだ。
債券割りあての十五円来る。
峰岸君の話続き。
農村ではいま自家用米を供出させている。それは一旦出させておいて、あとは割あてで返すのである。何故こんなことをするのか分らないが、多分よほど米が足りないのであろう。東京でもこの頃は一分つきの純日本米であるが、これは南方からの米の入りかたが足りないせいであろう。そして夏にでもなれば、船の都合で南方米をもどすというのか。よほど食糧不足になっていると思っていい。
三月五日 金 晴 弱北風 夜コタツ
[#1字下げ]七時 六・一
[#1字下げ]四時(眠)六・五五
[#1字下げ]顔ほてり、疲れやすい。今日は体温上らぬも、この頃人と話をすると、六度九分位になる。昨年の発病時期にて、やっぱり自分にはよくない時である。
日光曇ガラスに五寸ほどかかる。室内三尺位。二月頃から急に太陽が頭上に来るようになった。着物はドテラに綿入ジュバン。メリヤス一枚にて、かえって冬より厚いくらい。
昼頃「知性」の小島武夫君来り、月末までに小説(三十枚)執筆の件たしかめに来る。返事遅れていた為なり。「童子の像」の後書二枚半速達にて出させる。新文化と東京の締切なり。昼間書けず。菊、石橋君の外食券の米取って来る。中野武彦君より「希望の苑」送り来る。
夜「東京」の文芸時評一回分三枚を苦労して書く。十時就寝。
三月六日 曇後晴 朝夕北風 昼南風
[#1字下げ]七時 六・三
[#1字下げ]五時(外出後)六・五五
[#1字下げ]化研行、十――四時。
「東京」に竹村文祥という人が防空の文章を書いているが、蘭州(陝西省)と迪化(外蒙?)との間に十七の飛行基地が作られた由。それにより日本空襲必至なりという。
朝文芸時評の二回目、やっと書き、二日分を速達にする。書店にて三宅周太郎「歌舞伎研究」(三円)古本屋にて「日露戦史戦例索引」(二円)を買う。後者は参謀本部の日露戦史と沼田多稼蔵の「日露陸戦新史」との総索引で便利至極なもの。あの参謀本部の本などの読みにくい尨大なものも、これ一冊あればよく理解される。これは全く拾いものであった。
鍋屋横町にて、私の家から戻って来た宮内寒弥君に会う。二年ぶりである。藤沢の話や戦争の話色々。彼の話。
「ある筋から聞いたのでは、とても戦力で太刀うち出来ないから今年末休戦になるという。またこの七月頃の工合で勝つか負けるかが分る、とも言う。また陸軍では東京は大震災の時ぐらいで食いとめたいと言っていると言い、海軍では空襲はないと言っている由。また東京朝日で労力集中の歌を募集したところ、当局ではそれをちょっと待て、と止めている由。それはこの春から夏頃、大きな工場をいくつか潰して鉄を供出するので、百五十万から二百万の失業者が出るからだと言う。また農村の自家用米の供出の徹底化のために農民の思想不安をもっとも当局は警戒している由。」
以上の話の内休戦の話(それは負けるということか、それとも日本だけ単独休戦するということか分らぬが)だけは私には信じられぬ。工場の設備供出で失業者の出る話は多分あり得ることと思うが、失業者が行場にこまることはあるまい。休戦の話はデマ臭い。
しかし宮内君と文学で生活出来るのも今年はせいぜいか来年までだろうと話し合う。
家に戻ると宮内君から卵十個とサンドイッチもらった由。母から鰯とスイシャモという魚の乾したの二三百匹来る。夜杉沢二三ケ月分としてバター五ポンド持って来てくれる。十七円払う。彼にこの家の借用の保証印を押してもらう。裏の家のよく泣くトシ子という女の子、ジフテリヤにて昨日死んだ由。
基、臨時召集にて四月一日衛生兵として入営する由。これはまた帰されるのか、それとも本当の応召なのか分らない。
今日の支出、書物五円、昼食一円(すし)、宮内君と茶九十銭、化研三人分五円。代用釘一円(八分のもの二百五十本)を高田馬場通で買う。改造社から文芸の評論十枚の稿料三十五円届く。
三月七日 日 晴 無風 午後北、夜急に南風となる。
[#1字下げ]七時 六・二
[#1字下げ]四時(眠)六・五
[#1字下げ]顔ほてり、赤い。
[#1字下げ]ひどく眠くなる。
午前中文芸時評の三回目を書こうとして、どうしても書けず。二枚半書いてそれもやめにする。松原一枝の「ふるさとはねぢあやめ咲く」を読む。満洲に育つ日本の少年少女の話。うまいが浅い。井上健次「潜水艦第四三号」を読む。新文化の新人論の為なり。南風になり京王電車の音がすると、いよいよ二十日すぎには向うへ越すのだ、とそればかり考えている。
夜時評三回目分三枚を書いて寝る。
三月八日 曇後南風晴 朝うす雪降る
[#1字下げ]七時 六・四
[#1字下げ]五時(臥)六・六
[#1字下げ]この頃胸の圧迫なきも、顔ほてって赤い。来客なし。
朝、新文化の「新人について」を書き出し、午後三時書き上げ、速達にて新聞原稿と共に出させる。夕方急に防空演習がこの辺一帯で始まり、(午後一時と五時と二回)「訓練空襲警報発令」とか「大東亜荘に焼夷弾落下」とか「××家の裏に落下」とか言い、またあちこちでパンパンと爆音がし、遠くで同じような叫びがあちこちでくりかえしてする。寝ていたのを窓から見ると、モンペを着た女たち、駆けまわっては壁に水をかけている。それが単なる演習だとは思えず、実に空襲下の都市に身をおく感じがする。この組はこの辺で一番下手で不熱心な由、菊を出し、貞子夕食をつくる。
割あての米を一日分としてはかって(それは椀に七つに当る)朝炊くと、朝と昼皆が二杯ずつ食べ(滋のみ三つ)弁当を持せると、夕食には一人分しか無い。つまりほぼ一食分だけ足りないのである。今日は母から麦粉、そば粉、ひじき、貝のヒモ等色々食品送り来る。基の所の貯蔵品らしい。応召でそれをこちらへまわし、函館の家は分散するわけだろう。
この月末頃上京と思っていたが、基の入営後となるのか。
夕刊に、ドイツは欧洲の沿岸各地に防塞をきずくため、住民を立ちのかせたと、その防衛ぶりが出ている。陸の国境よりも海岸の防衛は難かしい、とそれに書いてある。またイタリアの空爆被害は大きいそうだが、同盟通信として、ジェノアの全市街がほとんど破壊されたこと出ている。
我軍、モレスビイ、ツラギ、ダーウィン等を夜間爆撃している由敵側の情報出ている。この頃月夜のせいか、連夜空襲しているらしい。
先頃のカサブランカ会談で、チャーチルとルーズヴェルトとは九ケ月[#「九ケ月」に傍線]以内に積極的に出ると約束したと公称している由。今年の八月頃までに欧洲上陸を企てるという意味か。
独軍はハリコフ南方で赤軍戦車軍団をとらえ大打撃を与えたらしい。
今日新潮の対談会岡田氏の都合で延期。
三月九日 朝曇 小雨 後晴 北風やや強し まだ冬と同様なり
[#1字下げ]七時 六・二
[#1字下げ]六時(外出後)六・五
[#1字下げ]夜中背筋寒く、二時間あまり不眠。薫たちの相手にて就寝十二時。まだ夜は寒い。
[#1字下げ]朝インドラミン一・五CC。甚だ寒し。夜インドラミン3CC。
二月十六日より三月五日までの南太平洋方面の戦果(大本営発表)。
敵飛行機百十三機撃墜、十一機撃破、潜水艦四隻撃沈、我損害駆逐艦二隻沈没、輸送船五隻沈没、飛行機七機自爆及未帰還、又、緬中国境アキアブにて来襲の敵機七機を撃墜我方二機の犠牲あった由。
議会は昨日戦時刑法についてのやかましい論議を終り、結局それを無修正で通過させて、休会に入る由。今日は蘭印降伏一周年の日。
昨日から東京新聞に私の文芸時評出ている。今日の第二回の分の内容気になる。つくづく文芸評論は書きにくいと思う。
朝日の社説によると米英は欧洲の空襲に専念し、しかも無差別爆撃をして人心を動揺させようとしているようである。一日夜のベルリン爆撃も大きな被害らしいが、二月二十八日にはフランスのサン・ナゼール市に一千トンの爆弾を落し、モルレノ市の爆撃では多くの児童を殺傷し、イタリアではジェノアが灰燼に帰し、シチリア島のパレルモも絶えざる爆撃のため由緒ある寺院等の多くを失い、その他にも被害おびただしい由。
読売報知の武藤貞一によると、アメリカのタイム誌は、昨年末までの米英の失った船舶は三千八百一隻、船員を失うこと六万三千百五十人と書いている由。イギリス丈でも二千万屯以上を失い、しかも英の造船高は十万屯を出ない、と武藤貞一は言っている。これでドイツの潜艦は五百隻だと武藤は書いているが、我国の急所もまた船舶である。
昨夜薫と英一来り、英一の日本医大受験の件千明〔三郎〕というそこの助教授と山際靖君の紹介にて、点数六割五分以上の条件で入れるとのこと。その折薫の話では、最近の朝日の噂では、日本の仲介で独ソ和平が成立するのではないか、という。それはモスクワから森谷(?)公使が先頃帰ったし、ドイツからは坂西中将という武官が帰って来ている。そして外務大臣の独ソ関係についての明るい口うらから推してもこの和平説はかなり根拠があるということ。若しソ聯が和平に応じなければ日本がソ聯を攻める。在満の日軍は第一級装備の兵百五十万の由。南方へ行っているのは第二級装備の由。(独ソ和平説はどうも信じがたい。)
文学報国会の辻小説というもの書きにくいので、そのままにしてあったところ、今朝の朝日に潤一郎の「莫妄想」というのが出ている。自分も書かねばいかんと思う。しかし一般の大衆からは縁の遠い自分などが、一枚の原稿を街頭にさらすのは、いい図ではない。
昼に東京新聞の寺田千墾君来り原稿届かぬと言う。彼は杉並局など問い合せるとて出る。私も食後、ことによれば書くつもりで行く。すると先刻届いたとのことでゲラ刷りを見、筆を加えて出る。大同通信に寄る。川崎留守の由。やめると言っていたがまだやめぬらしい。
北風吹いて寒中のように寒さきびし。銀座辺の喫茶店食堂など休んでいる所多し。四丁目の一店に入り、アイスクリーム、紅茶、ミカン(小さいの三つ)とる。計三十八銭。公定価のものは安い。アイスクリームのみが僅かに昔のこの町を思わせる。杉沢の配達しているもの。これもいよいよ終りなり。ミカン二つを貞子に持ちかえってやる。留守に中井正晃君校正を取りに来た由。遅れていて悪いと思う。夜青物の配給の中に蜜柑五つあり。
鉄の非常回収を閣議で決定した由。工場の設備の供出などであろう。この頃日一日と身近に戦争の息吹きを感ずる。明日の陸軍記念日を控えて「撃ちてし止まん」のポスター、大きな画など銀座の三越正面の二三階にかかり、日劇の正面には数十坪の大写真掲げられ、家に帰ると今夜もまた近くの隣組で空襲の防火練習している。乗物は混み、街には食物なく、まことに東京は戦場であると思う。気どった洋装の少女や、映画風な身づくろいの青年など少くなったが、銀座辺を歩いていてもそれは一人一人悪く目立つのだ。たまに出かける毎に街は寒々と殺気立ち、しかし何だか身の引きしまるような、喜びのようなものも感ずる。いよいよここまで来て、さて、これから日本は、東京での我々はどうなるのだろう。鍋屋横町で胡瓜の種子その他の種子九十銭買う。
ドイツ軍は南方で盛りかえし、ハリコフ二十キロまで迫った由。南露の大平原を大波のように両軍は追い、押しかえされ、また押しもどしているのだ。
基に朝手紙書き、セファランチンの件述べ、婦人朝日を別送し、レントゲン写真を送れと言ってやる。
夜日記書いてから、校正に取りかかる。
三月十日 陸軍記念日 夜明は甚だ寒く水凍る 北風 晴 北風強く寒さきびし。
[#1字下げ]七時 六・一
[#1字下げ]昨日頃から背筋寒く、ふとんの中でも暖まらず、昨夕インドラミン。
[#1字下げ]豊岡陸軍病院行、一時――七時。
午前中安原俊之介君来る。昼まで雑談。安原君、私の顔を見るとすぐ、正月にはどこか病気らしく見えたが今はすっかり丈夫そうになった。身体はもういいのでしょう、と言う。
午後すぐ豊岡行。姉が来ているというので、見舞旁々逢いに行ったのだが、姉は七日に来て九日(?)に去った由。嗣郎の病状よき為なり。熱は八度ぐらい出ることありというが、大分元気なり、咳も静まった由。乾小魚少々持って行ってやる。
陸軍記念日なるも去年まで毎年やった編隊飛行はなく、捕獲器を交えての戦闘演習未明からあり。出がけに「隣組の畑」の校正半分、中井君あてに出し、後半は電車の中でする。夕方中野駅より歩いて帰り、疲れず。
北風寒く、砂塵濛々。夕方早く寝る。
[#1字下げ]気候
[#1字下げ]朝は時々水凍る。畑を耕す人あちこちに少しずつ現われる。菜類心持ち伸びる。草まだ萌えず。着物は冬と同様。曇天と夜間は机の下に炬燵を入れる。夜具はタンゼン、毛布、ふとん。霜のために出来た砂、風ふけば飛ぶ。
三月十一日 晴 北風あり 寒さゆるむ
[#1字下げ]七時 六・一
[#1字下げ]四時(臥)六・四五
[#1字下げ]身体の調子よく、どこも異状なし。煙草この頃吸わず、午後顔ほてる。
貞子化研行き。今日から「幼年時代」の続行しようと思う。月初めからずっと放棄していて雑誌新聞に暇どられていた。
議会は休会になり、会期末の二十六日まで閉鎖の由。東京都案いよいよ成立し、十月一日から都になるという。
第一書房の木下嘉文君より見舞のハガキ。「病歴」をほめ「東京新聞」の時評に賛成の由言って来る。野田生の義父より、カルチコールの注射があったら送ってくれと言って来る。
岡本芳雄君より洗林堂の大判の「ロダン」を送って来る。見ると、人体の把握力に圧倒される。限られた人間の部分の描写に時間と精神とを集中すること。その力を感ずる。
夕刊によると木村陸軍次官は、軍事参議官兼兵器行政本部長に、富永中将が陸軍次官になる。ガダルカナルの戦争と并せ考えられる。
敵側の発表によるとソロモン群島方面の我空軍は、引き続き、攻撃を続けている。
重要産業会社の各社長は全部徴用ということになり、小泉厚相との会談が行われる。
独軍はハリコフを南北より包囲した由。またロ側発表によると二月以来独軍は攻勢に出、ロ軍は南方の北〔ママ〕都市を放棄したという。
昨日も今日も市内各方面で防空演習をしている。四月は敵機来襲の予定で特に力を入れているものと思われる。
[#1字下げ]食物
[#1字下げ]牛乳ほぼ毎日一合、卵一個、乾魚、青菜、人蔘、イモ。米は朝二杯。午、夕、カユ二杯。バター毎朝。――等にて十分と思われる。薬はハリバ毎食三粒、セファランチン。
三月十二日 晴 暖 無風
[#1字下げ]七時 六・二
[#1字下げ]六時(外出直後)七・一[#「七・一」に傍線](興奮していた。)
[#1字下げ]化研、新潮社0――5・30
[#1字下げ]タバコ二。
化研にて瀬沼に逢う。一日おきに出勤している由。無理ではないかと思う。薬の受領を彼に頼み、新潮社へ行く。岡田さんと作品の対談月評をする。その後で楢崎氏の話に、新潮賞は二十三日に決定するが、今候補として最後に残っているのは、私の「得能物語」と丹羽君の「海戦」と森山君の「海の扇」の由。昨年は私の「得能五郎の生活と意見」に一旦決定した。その時川端氏が主に推したという。しかし決定後横槍を入れる人があって大鹿君になった由。どうも生来そういう時は不運に出来ているから、今年も駄目だろう、と私は笑った。この話は全然考えていず、そんなこと一月頃ふと考えたこともあったが、そんなものをあてにする自分に腹が立つので、その後はすっかり忘れていた。突然であっただけその場は何でもなくすましたが、後で、ひょっとしたら賞を受けるのではないかと思い出し、落ちつかなくなった。選者のある人は「得能物語」を「生活と意見」よりよいと言っているとか、中村氏は森山君のよりも私の方を推しているとか、楢崎氏から色々聞いた。しかし、どうも丹羽君の「海戦」に時局柄決定しそうに思われる。だが外れても、大してへこたれはしない。あてにせぬ援軍といったものだから。それよりも、万太郎とか犀星とか康成とかその他の先輩作家に二年続けて賛成させたことに一種の満足を感ずる。そして、本当に力をつくして仕事をすれば、まだまだやって行けるし、そんなに当代の他の作家に負けはしない、と思う。この感じは喜ばしい。帰路瀬沼家に寄る。夜岡本芳雄君来る。短篇の叢書を出す相談。
三月十三日 晴 暖
[#1字下げ]七時 六・二
[#1字下げ]四時(臥)六・五
[#1字下げ]タバコ一。夜銭湯に行く。
ドイツ軍盛りかえしてロストフに侵入す。しかし中部ではルジョフ(?)から計画的に撤退したことも公表されている。
午前錦城出版社の米田マサ子君来る。「童子の像」の後書の校正す。昨日検印一万五千送った旨言い、引越をするので、二十日までに五百円借りたき由を中島氏へ伝言依頼す。「メキシコの朝」を米田氏にやる。同書昨日楢崎氏ほしがっていたのを思い出し、小包にする。
暖く、ぽかぽか春めいて来る。
午後杉沢変な男を連れて来て畑(杉沢へやると言っていたもの)をこの男にくれ、と言う。西南の黒土の畑を、その男と、中野家と木綿家とに三分す。その男自分で名乗りもせず、ぶすっとしたいやな青年である。あとで杉沢に訊くと税務署のものだという。杉沢もいやなことをすると思う。
夕方寝ていてトルストイの「青年時代」を読み終える。やっぱり感心する。
夕刊によると南方の航空戦激化している。十日敵は六十機で我航空基地を襲い、我はその内十一機を落し、また我方は十一日ニューギニヤの敵基地を襲って敵戦闘機十八機を墜し、我方二機を失っている。鳴神島では三十機の敵のうち三機を落している。この消耗戦は大変なことだと思う。一旦負けになったら困る。うまく補充がついて行けばいいが、と思う。
独軍はハリコフの中心部に入った由。独軍は三月初めから十一日までに四十一万屯の敵船を沈めた由。大変好成績である。潜水艦にとって都合のいい期節になった。
昨日瀬沼の話では、この頃遠州灘で続けざまに浅間丸と伏見丸を沈められたという。それぞれ一万七千屯かの船。これもまた潜艦の脅威で困った事だ。夜になってから、「幼年時代」八十枚迄、第四章(?)書き終える。
三月十四日 晴(日曜)無風 暖
[#1字下げ]七時 六・二
[#1字下げ]六時(対客五時間直後)六・七
[#1字下げ]前夜入浴。対客にかなり疲れたが、これぐらいの熱ならよい。
山東の重慶軍二万七千帰順。重慶軍の戦意は、中国の対米英宣戦以後目立って崩れたように思われる。新聞を気をつけて見ていると、大量の帰順が多い。
東京新聞より文芸時評九枚の稿料四十一円送って来る。都と言っていた時代は稿料一枚二円ほどであったが、倍位に上っている。
税務署へ昨年度の収入三四五○円に申告す。(必要経費三百円、基礎控除四百円にて差引二七五○円。扶養家族三人。生命保険は帝国生命の二千円と第一生相互の五千円。)
貞子、滋の受持の渥美先生を訪問する。
午後小西猛君来る。三時頃入れちがいに湯浅克衛君来る。その少し後に渋川驍君来る。志賀直哉論の原稿の催促。
その間に前に女中にいた森元雪子来る。看護婦になったが院長の伴をして数日上京し、帰りの由。夕食後画家山田稔君来る。セファランチンの話、住居の話等色々。九時帰る。終日対客のみにて何も出来ず。
〈横浜の爆発事件〉
山田稔君の弟は、先頃の横浜の爆発事件の時警備に出た由。その話等。
その日学校へ急に電話あり、五年生は警備のためトラック二台に分乗して埠頭に出かけた。爆発したのは、ドイツの巡洋艦二隻でそれは初めの時に沈没して、檣のみ水面に出ている由。その後で仮装巡洋艦の貨物船(やっぱりドイツの)が爆発したが、それは完全には沈まなかった由。山田君の弟が船尾の名を見ると、グライゼ(?)とか読めた由。その時先に立ったトラックは埠頭の奥の方へ入った為か、爆発が続く中に危険な所へ中学生が立ち、後、点呼したら十二人が足りなく、それは行方不明になった由。多分爆風で吹き飛ばされて海に入ったのだろうという。哀れな話なり。山田君の弟の話では、埠頭の倉庫には重油が一杯入っていたが、そのドラムカンが次々に爆発し、また地面に一面の重油で滑って歩けなかった由。市内の硝子はほとんど破れたという。初は皆空爆だとのみ思った由。また山田君の知人で、東神奈川駅近くの神奈川工業の教諭の話では、一里ほど離れた所なのだが、爆発の時は爆風のため立っていれず、倒されそうになり、またその学校に、軍人の肩章などが降って来た、という。
そんな話をした後で山田君は、どこか東京から四五時間ぐらいの所に妻子と住み、今のアトリエは塾にして、生徒の集る日だけ自分が通うようにしたいと考えているなど話す。空爆を怖れているのであろう。
三月十五日 晴 無風 いよいよ春 白い雲浮き、空少しかすむ。畑耕す人あちこちにあり。午後南風暖し。
[#1字下げ]七時 六・二
[#1字下げ]四時 六・七五
[#1字下げ]この頃小便近く、夜はきっと一度起き、また少し寒いと一時おき位にあり。外に異状なし。午後顔ほてり、少し熱が出かけている。
野田生の義妹の為に家にあったカルチコール5CC五十筒を小包にして送る。
南支の玉山、桂林の飛行場を我軍襲う。対日空襲を封じているのだ。
ガダルカナルとニューギニヤ南岸の敵地を我軍爆撃している。
〈米の話〉
この頃米が足りないので、どうしているかと外の家の話を聞くと、児玉医師の宅では、近いうちどこからか米を一俵五十円で買うことにした由。また橋爪家では米の配達人にたのんで一斗買った由。隣の中野家では麦粉一袋二十七円で買う(三倍位の値か)ことにして、私の所にも一俵買えと言っている。杉沢の所では米屋とうまく話をつけて米屋のはきだめという、屑やゴミの混ったのを二斗買い、それをえり分けたら、なかなかいい米になった由。
英一日本医大で六割の点をとれば、入れるということに山際、千脇の両家を通して話がついていたが、今日来て、昨日の試験では数学四題の中一題しか出来なかったから駄目だと悄気ている。
独軍ハリコフを完全占領す。四週間前に失ったものである。
東条首相は南京政府を訪問して帰った。十二日――十五日。対支政策の転換[#「対支政策の転換」に傍線]という言葉がその挨拶の中にあった。支那問題が何と言っても日本の重荷なのである。しかしこの事は汪精衛政府が次第に成功していることの証拠でもある。夜はじめてテーブルの下に炬燵を入れず、毛布のみかけて仕事をする。夕方寝ていて「若き芸術家の肖像」を読む。読みにくい真中頃の説明の部分である。
午後、若し新潮賞をもらったら、と思うと、胸がどきどきして来る。本を手に取って読んで見ると、自分ながらこの作品はよかった、と思う。そして今後仕事を大切にして「童子の像」のような手早い仕事はせぬようにしようと考える。また生活の細事をノートに取ること注意してやろうと思う。
数日前荒木巍君から今日遊びに来るとハガキがあったが、やって来ない。義父から貞子に手紙来た。英一の分の二千円は作るが、その後六年間の出費は出せぬ故私たちに心配しろとの事。義兄、薫、私と三人でやれば何とかなると思う。夜大工来る。烏山の家の手入れの相談す。
三月十六日 晴 暖 南風 夕方急に北強風になり砂塵濛々。
[#1字下げ]七時 六・三
[#1字下げ]五時(外出後、臥一時間)六・七
[#1字下げ]タバコ二。
[#1字下げ]外出0――4。
朝から金を取りに出る。晴れて甚だ暖い。外套重い。歩き出してから気がついて中野駅の手前の笠原という運送屋に寄り、杉沢から話してもらってある引越トラックの件相談す。トラックは三日内に申告すれば統制会社からまわされるが、その後のどの日に来るかも分らず、引越の予定立たぬ由。馬車二台を頼むことにする。一台一日分(本当は半日で終るのだが)三十五円、その他心付等にて百円ぐらいかかるらしい。晴天ならば二十六日にしてくれと頼んでおく。
神田に出、錦城出版社に寄り中島憲三氏より印税の内五百円受け取る。柏水堂にて中食、魚フライ、パンにて八十銭。蒲池君の店に寄るも留守。近所の薬屋に無いハリバを日本橋で買う。河出書房に行き、小川、澄川、飯山の諸氏に逢い雑談。「生活と意見」は四月中頃二千部の増刷出来る由。その印税をこの月末にもらうこととする。四時帰来。この日顔がほてって少し風邪気味かと思ったが、一時間臥の後五時に六度七分にて安心す。夜薫と水道橋にて落ち合い、日本医大の千明氏を白山上の宅に訪ね、英一のこと相談。六十点なければどうにも致し方なしという。見込なさそうなり。
夕方急に南風が北風になり、龍巻あり。黄塵が空一面に赤く立って、北窓をがたがた鳴らし、家をゆすぶり突風出る。それに続いて北風鋭く、寒中のようだ。だが割に温度は低くない。この日電車の中で、平田英雄君、森本忠君などに偶然逢う。
英一下宿から米を一袋持って来てくれる。下宿では薫が社で食事をしているので余裕があるらしい。
三月十七日 晴 北風強し
[#1字下げ]七時 六・三
[#1字下げ]五時(眠)六・二五
[#1字下げ]タバコ三。
[#1字下げ]外出2――4(寒風に吹かれる)
毎日のように飛行機のうなり声の下で生活。滋はこの頃試験多く、貞子見てやるのに骨を折っている。十五日もビルマにて敵八機撃墜の由。
「知性」の小説二十五日迄とのこと。それに早く取りかかることにし、「幼年時代」は引越後にのばす予定なり。
欧洲の空爆戦は相互に激化している。米国は開戦後九隻の空母を進水した由。それ等は今年下半期就役の由。
税金第四期分四十三円の支払が延びていたが、一昨日取りに来、今日まで延ばしていたら、今日取りに来た。
昨夕刊によると、今年度の中央公論賞は丹羽君の「海戦」になった由。すると新潮賞は「得能物語」になる可能性が多くなった訳だ。なるかと思うと胸がどきどきもするが、なあんだそんな事、と思うと心が冷たくなる。このこと貞子にも言わぬ。商大の学生の「得能」の読者四人明日遊びに来るとハガキあり。心重し。
空爆の状況について、昨日の読売と今日の都に出ていた記事が面白い。英米は差しあたり空軍で独占領下の欧洲を破壊しようとしているらしい。
空襲の方法には超低空と、超高空とがあるらしい。
日本も昨年の秋〔春、か?〕空襲の四月に近づいた為、この頃は街は外の電燈ほとんど無く、暗い。室内は燈管せぬが、戸外燈は、危険な四辻に一個ずつぐらいで、あとは使用していない。夜戸外に電燈をつけて仕事することは禁止されているので困る、と大工が言っている。
〈夕刊〉
我軍、重慶の手前の万県を大編隊で空襲した由。また印度ラテドーンを空襲し、帰途三機を撃墜した由、敵側から発表あり。
午後買物を兼ね、母に手紙を出しに行く。百円入れ、三十円を基餞別に、五十円を歓送会費に、二十円を母あて小使にと言ってやる。中野坂上の煙突屋に行ったが、カマドの煙突沢山積んであるのに品が無いと言って売らぬ。腹が立つ。鍋屋横町まで戻り、竹で出来た大ヒシャクとカマド用の鉄棒を買う。両方で一円九十銭。夜コタツ入れずに毛布を膝にかけて仕事。と言ってもこの頃少しも仕事出来ぬ。
〈洋服屋の話〉
昨日薫が、スプリングコートの仮縫の約束をしていたので洋服屋へ行くと、洋服屋は留守で、その細君が言うには、急に洋服屋の転廃業の話が出、四十五歳以下の者は転業させられるとかいうことで、大慌てして仕事が手につかぬらしく、まだ仮縫はしていない、ということ。あのおしゃべりの洋服屋のあわてる様が眼に見えるようである。なお薫の話では、洋服は今度国民服しか作らせぬことになるらしく、その案が洩れたので商工省で問題になっているということである。家へ来るこの洋服屋は、これからは我々は修繕だけでも多忙だから、それで食って行くつもりだなど言っているが、田居の所で洋服地が二百円位で純毛が買えると言うと、それを買ってくれと頼みに来たり、砂糖を持って来て酒と取りかえてほしいと言って闇に流したりしていた。
三月十八日 晴 無風 暖 後南風 夜コタツ無し
[#1字下げ]七時 六・二
[#1字下げ]五時(談半日)六・七五
[#1字下げ]対客十――一二時、一時――三時。
[#1字下げ]タバコ四。
午前阿部保君来り雑談。午後商大生西川荘二郎君外一名三時まで話す。今日明日防空演習。明夜は八時から燈火管制を練習としてすると横須賀鎮守府より伝達あり。(組長から。)
〈夕刊〉
ソ聯はこの冬期反攻で死傷捕虜を合せて百五十万人。戦車は一万二千を失ったとドイツ側発表す。ロストフの攻撃が始まった由。ヒットラーの写真が久しぶりにドイツで新聞に出た由。
我軍はまた揚子江上流を爆撃している。十五日昼間のポートダーウィンの我爆撃は数ケ月来の大規模のものだった由。我空軍は揃って来ているようだ。
内閣顧問として産業界、財界人七名就任す。大河内正敏、結城豊太郎、山下亀三郎、藤原銀次郎、鈴木忠治、郷古潔、豊田貞次郎。
独軍のこの月の撃沈六十万屯なりと。或は目標の百万屯に達すると。英側も対潜水艦問題は重大と発表す。
二時頃大工烏山に板など持って行くとて寄る。夕方戻り、井戸タンクのタガが外れていると言う。夕方寝ていて「若き芸術家の肖像」を読み続ける。晦渋なり。ジョイスはこの作を書いていた頃は自分の創作的動機が自らはっきりしていなかったと思わざるを得ない。ユリシイズのような流露感が傑作には必要なのである。
夜「得能物語」を出して読み、あちこち誤植など直しているうちに十時になり、寝る。この頃この作品が次第によいと思われて来る。全く気持が周囲に動かされやすいものだ。
三月十九日 晴 無風 暖
[#1字下げ]七時 六・二
[#1字下げ]五時(臥)六・四
[#1字下げ]対客一時――四時。
[#1字下げ]外出午後七時――九時。
今日は朝から防空演習している。アパートの前で男や女が水のかけ方や梯子の運び方、乗り方をやっている。菊も支度して表に出ている。
〈朝刊〉
十五日のダーウィン空襲では、敵十六機を墜し、我方は一機を失った丈の由。三月六日――十一日に敵潜艦六隻撃沈の由。ビルマのバモー長官一行四名昨日来朝す。
南東の風で大変暖い。午後一時頃田原忠武君来る。結婚の相手確定したから媒妁人になってほしいとのこと。貞子の健康が安定していないので、福田夫妻がいいだろうと相談きまる。私も実際上のことに骨を折ると言う。入れちがいに岩淵正嘉君来る。徴用され本所の工場に入る由。親父さんが弱っていて少々モーロク気味で、父子二人のこと故彼は少々悲観している。十円餞別にする。梅沢重人氏来る。玄関にて、日大予科に席をおいているが芸術科本科へ入りたいという。そのことはよく分らぬ故薫を紹介し、よく学校の内容を聞くように、と言ってやる。
貞子午前中英一と日本医大入学の件で山際靖氏を訪ねたが夕方山際夫人より電話あり私と英一と出かける。本人一生のこと故我々も何とかして入れてやりたく、頼むと言って出る。九時頃になって田原君来り、相手方から結婚の話取消を言って来たとのこと。十時まで話をす。
こんな風で身辺の雑用、親戚やら知人の用に追われて、全然席あたたまらず「知性」の小説を急ぐ故取りかかっているが、二枚目迄しか出来ぬ。閉口だ。
夜暖く、はじめて毛布やめ、ふとんとたんぜんのみで寝る。
横鎮よりの達しとて、どこも警戒管制の稽古をしていて、真暗である。
三月二十日 雨 無風 久しぶりの雨 珍しい気持 終日細雨 寒くなる
[#1字下げ]七時 六・二
[#1字下げ]五時(眠)六・三
[#1字下げ]訓練警戒管制。身体元気なり。
河出書房より「得能五郎の生活と意見」二千部の検印用紙来る。
原稿書けず、夜になって杉沢家に行き、日大歯科の林〔了〕氏に英一のことで行ってもらうよう頼み、その足で高橋歯科医に林家の住所を聞きに行く。その時電燈を待合室につけて蔽いなき為高橋氏は警防団に大いに叱られ恐縮す。帰路下宿に寄り薫と英一と相談。とにかく林氏へ行くことにする。十一時帰る。
三月二十一日 曇 細雨 寒し 無風 昼コタツ入れる、夜も。
[#1字下げ]七時 六・四
[#1字下げ]五時(臥)六・四
[#1字下げ]午前外出。午後仕事す。
[#1字下げ]暖くなって、この一週間ほど手の甲にスカボールつけず。今日寒いので入浴後つける。
杉沢と林家を訪ねる。方々から頼まれて林氏としては助力出来ぬが松原寛氏は佐藤科長と親しいから、そちらから頼んで川島という秘書か佐藤氏かに通じてほしい、そうすれば自分の方からも援助する、という話。帰路薫たちと相談。とにかく今日明日に分る日本医大の方の結果を待つことにする。
菊と森田小母さん烏山へ薯播きに行った由。午後疲れてねむい。田居尚君より来書。四月息子を転校させ、九月上京するという。二十五六日に来る由。荷物田居より届く。こちらで頼んだ反物類であろうが来るまで開かぬように、とのこと。
移転は近づいたが子供を通学させたりまた受験の勉強させることを考えたりすると、移らぬ方がよいようにも思い、甚だ迷う。夕方まで考え、やっぱり移転に決す。
我軍は宜昌附近から上流の揚子江上で盛に敵の船を沈めている。
ドイツ軍ハリコフの東方及南方へ進出す。大戦車群と飛行機を使用し泥濘を征服しての進撃と言う。これで独軍崩壊の危惧は一応去り、ウクライナの大部分も保持し、食糧の不安も消えたわけだ。しかし西方からは米英軍の独都市空爆があり、南方にはイタリヤの弱点あり、安堵はできぬ。今度は米英側が軍備充実して進撃する時になった。ここ一二年をしのげれば負けることだけはなく、欧洲の統一と充実とが成るであろう。
三月二十二日 曇 小雨 夜南風
[#1字下げ]七時 六・四
[#1字下げ]四時(臥)六・五
[#1字下げ]前夜入浴。手の甲またひどくなり、スカボール使う。
[#1字下げ]身体異状なし、顔ほてり気味。夜コタツ入れず。
河出書房飯山君より「得能物語」も再版する由言って来る。
貞子化研行き。中野武彦君より「希望の苑」の批評書けと言って来る。どうしても「知性」の小説書けず。あきらめて「幼年時代」の第四章を出すことにし、写す。そのうち、この第四章の後半の鰊場の風景をあとの章にまわす方が「幼年時代」としてはいいことに気づく。「知性」には今のまま写して出すことにする。どうしてこれを出す事に気がつかなかったのだろうと、我ながら驚く。
〈夕刊〉
二月十二日より三月十五日迄の支那派遣軍綜合戦果、遺棄死体一万五百、俘虜及帰順三万一千八百、鹵獲火砲一八六、機銃五○三、小銃一二六九○。大戦果と言うべきだ。北京公使館区域正式に国民政府に還付す。
チャーチルのラジオ演説、枢軸の打倒は困難であるが今明年中にドイツを倒して、やがて地球の裏側の日本の攻撃に移る。だが戦後の世界行政について種々案を立て、ロシヤや米国と協調することが必要である、という趣旨の由。
英一今日発表の日なるも勿論落第なるべし。夕方やって来ぬ。山際夫人よりも便り来ぬ。補欠にとるかどうかという問題なのであろう。
隣家で買う約束してくれた闇の麦粉は一月ぐらいになるのに入らぬ由。
「得能五郎の生活と意見」の検印紙送る。岩淵君より餞別の礼、小西猛君より二十五日夕方にも手伝いに来ると言って来る。原稿筆写昼からかかって、夜十時までに十枚。もとの原稿に書き入れをして直しながら故中々進まぬ。
三月二十三日 晴 強北風、夜になって南風になる。
[#1字下げ]七時 六・三
[#1字下げ]六時(外出直後)六・五
[#1字下げ]外出二時――五時。
大工朝から烏山の家へ行く。
今日は新潮賞決定の日であるが、どういう結果になることか。引越は三日後にせまる。心落ちつかぬ。
〈朝刊〉
我軍雲南前線の怒江西岸一帯の山地を掃蕩したという。バーモ長官一行今日参内の由。
紋白蝶が三羽、まだ花一つない、心持伸びたとしか見えぬ畑の冬菜の間を飛びまわっている。春になった。今年はじめて見る蝶である。堀ノ内附近で燕の飛んでいるのを礼が見つける。燕は一月ほど前にも家の附近で見た。
〈夕刊〉
独軍はハリコフを占領した勢に乗じて北方のクルスクを総攻撃中という。チュニジアでは米軍が西方ガフサから、英第八軍が南方マレトを攻撃中という。補給は両者同じぐらいとのこと。ロメル軍は持ちこたえるであろうか。二三日前にガフサから撤退したばかりである。
午後までかかって知性の小説、後半分は「幼年時代」の原稿をそのままにして、二十八枚「北国」と題して速達にて出す。また鬼沢書店の森一君に原民喜君の短篇集の件交渉の手紙出す。二時、礼をつれて烏山へ行く。台所のタナ、浅い押入のタナ、二階の階段上の板等よく出来ている。帰途蘆花公園の電燈会社に寄る。当日午前中に申し出れば点燈する由。新潮賞はどういう風になったか。明日の朝刊に出るかも知れぬ。
夜渋川君等の大正文学会編の「志賀直哉論」にとりかかる。十時迄に五枚書く。
◎三笠の文庫(松本保隆)より随筆六、七枚を四月二十日迄に書けと言って来る。アトリヱの随筆と合せて二つとなる。
広島の弟豊島薫南方への派遣軍になる。満洲より移ったのである。
三月二十四日 雨
[#1字下げ]七時 六・四
〈朝刊〉
二月中頃から我軍がやっていた洞庭湖北方及江蘇省蘇准地区洪沢湖北方の作戦は三月中頃に終了したが、その間の帰順二万六千五百、遺棄屍体一万五百、俘虜二万五千、火砲百八十六門、機銃五百三等である。我方戦死二百三十三。一昨日の発表より少し増加。
大規模の金属非常回収始まる。(非家庭用)、レール、昇降機、鉄欄干、冷房装置等。
バーモ長官等の公式歓迎会が昨日行われた。
新潮賞のことどの新聞にも出ていぬ。朝杉沢来る。種薯もう一貫メくれる由。酪聯の佐々木という台湾支店長代理、台湾通いの定期船に乗ったまま行方不明、船沈められて、その妻、母と共に死んだらしいとの話。敵潜艦の活動なかなか盛らしい。
朝秋元という仕事師来る。烏山の家で使う庭石の件、玄関前のコンクリートの件等相談。今日午後石を見に蘆花公園まで行くことにする。
午後雨の中を庭師と出かけ、石を見、家の庭の模様を相談す。外まわりの土どめもコンクリートがありそうな話である。夜、志賀直哉論「城の崎にて」考、を九枚まで書いて終りにする。十五枚の予定なりしも、これでやめる。寒く、腰が冷え、九時半に寝る。
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[#2段階大きい文字]昭和十八年四月
四月七日〈烏山にて〉雪 後雨 北の風甚だ寒し
移転のあと漸く落ついた。二十五日から本の整理区分けと新聞で包む仕事を始め、小西君がその夜手伝いに来た。本の区分けに暇どって、さっぱりはかどらぬが、もう読まない新刊の小説を大分えり出して包んだ。翌日は引越、馬車二台来る。小西、田原二君の手伝いあり、幸い晴天で大分積み込む。大きなものはほぼ積んだが、二階の物と本が半分以上残った。その夜は一同烏山にとまり、翌日は田原君一人の手伝いで、和田本町で積み込みをする。この日は英一君の日大歯科の受験日で林氏のところへ運動に行く。その為冬のダブル服も埃まみれになって積み込み、それが終った頃林宅へ行き、相談ほぼ成立す。お茶の水に下車学校の事務の者に逢って林氏の意を改めて伝え、大急ぎで烏山に戻ると、ちょうど積み下すところ。近所の子供にも手伝わせてやっと本をみな応接間に入れてしまう。大変な労働である。田原君よくやってくれてありがたく思う。大工も来ていて手伝う。この日の朝など疲れてしまってもうやめたくなった。本の整理は出来ていず、包む紐は足りなくなり、小さいものが多いので馬車屋も積みにくそうに不平顔である。貞子に馬車屋に、前日五円ずつ、この日三円ずつやらせる。運送屋には前の日に十円包んであった。また小西君には足代として五円、田原には十円やった。その後馬車代として、二日分(四台分)百四十円、運送屋の手間代十円等で二百円ほどになった。はじめは一日(二台)で済むつもりで百円ほど見ていたのだが、倍になった。本が多いのである。こんな本の多い家は見たことがないと運送屋も馬車屋も言っていた。
その引越騒ぎの間に英一は、日本医大、早稲田第一と第二、武蔵高工等みな落ち、杉沢も引っぱり出して大騒ぎをした末に、やっと日大歯科に入ることが出来、相当に骨を折った。それがすんだら、二日の晩かに杉沢が来て上野山清貢の息子を芸術科に入れてほしいとて、また薫と奔走して二三日つぶし、中々家の整理が出来ぬ。四日頃になってやっと応接間の壁際にバター箱を並べ、二階には三畳に戸棚とマーガリン箱の小口に鉋をかけて並べ、本の整理は後まわしながら、どうにか落ちついた。階下の座敷は、貞子と菊でどうにか片づけ、十日ほどは労働服ばかり着て、私も貞子も横になるひまもない。しかしどういう訳か、それまでは半日寝ていた貞子も、毎日午後寝ていた私も発熱せず持ちこたえた。二人ともほとんど健康を完全に取り戻していたわけであろう。
四日(?)に学校へ行くと福田に逢う。新潮賞が森山啓にきまった由を聞く。がっかりする。しかし森山君の近頃の仕事はみないい故、彼になったのも当然だと思う。私は運のない男でもある。しかし金がほしいなどと思っていた私に当らなかったは当然であったような気もする。その日と次の日はがっかりして世の中がつまらなかったが、この頃は落ちついた。自信をもっていい仕事をしなければならないと思う。金のかかることはやめにするつもりだが、私の留守に来た庭師が、表玄関と裏口をかくすだけの植樹や垣根作りに千円はかかると貞子に言った由。これはもうたのんだ事故、金を作らねばならぬ。困ったことである(二三百円と思っていた)。そしてこの引越騒ぎの中に満洲から実と北海道から基と来ている。実は社の出張、基は召集を受けたのだが勤先の気象台からの申請で帰された由。母があまり盛大な送別会をして親戚や友人を集めたりしたので、村にもいれず函館にいにくいとのこと。この機会に札幌の測候所へ移りたいと言っている。また赤穂の生田(八尾)博君十年ぶりで兄の病気見舞に上京とのことで二度寄る。全く多忙な目に逢っている。
やっと今日日誌を鞄から出して記しはじめた。
一昨々日より警戒警報が出て、続いている。薫の話を英一が受けついだのでは、ハワイにいたアメリカの航母艦隊が出航して行方が知られなくなった為の由。この三月頃から専ら日本は空襲を受ける予定で準備していたがいよいよその時期になったのである。そんな騒ぎの前に引越をしてしまってよかったと思う。ここは随分田舎だ。子供たちは電車で通わせている。我軍も空軍では積極的に出て、桂林、重慶、その他支那の基地を襲っている。またビルマではこちらが積極的に出て、四月一日から四日までにも三十八機を墜破している。ソロモン方面でも戦い空中戦をやっている。
昨日からひどく寒かったが昨夜は雪ふる。一寸ほど。一昨日はひどく暖いのでオーバは重くて困ったがすぐ変る。今年の春は天気悪く、変りやすく、不愉快な日ばかり多い。今日は机の下にコタツを入れている。この引越の間に、杉沢が、彼が長野氏(食品商)から公定で譲り受けることになっていた味噌四斗樽一つとビスケット一罐とを私の方にまわしてくれた。(三十二円程)この味噌は一年分ほどもあろうか、大助かりである。長野氏は配給店故時にこういう余分があるのであろう。
今日まだ応接間は掃除するまでにならぬが、貞子は玄関や階段上の板の間などを石鹸で洗い、糠袋で研いている。随分きれいになった。廊下に積んでいた箱も片づけ、大分整頓して来ている。
一昨々日夕方警報の出た時は知らずにいて、多分前の花村家の人に警戒報ですと言われていた由。私は眠っていて知らなかった。一昨日午後日本橋へ行って黒い紙を十二円ほど買って来て、夕方大急ぎで張った。また風呂は引越の時煙突をこわしたので据えられず、烏山の桶屋にたのんで貞子が二円祝儀をおいて来た(三日頃)がまだやって来ない。一昨日私も久しく湯に入らず埃をかぶって気持悪いので、煙突なしで煉炭をたいて入ることにし、罐口の水もれの部につめものをした。桶の足の方が腐りかかっていたり、枠の針金がさびていたりして、そういう処に錆を落してエナメルを塗った。こういう部分は自分で気をつけて大切にしないと、取りかえがないし、すぐいたむと思う。
今日W・H・チェンバレンの「戦える日本」Japan in Chinaを読む。独ソ戦前までの日支問題であるが、よく要領を掴んでいる。しかしもうこれは遠い過去の事のようだ。
〈朝刊〉
大学リーグ野球戦は廃止になった。これは久しい間東京人の慰楽であり青春の象徴のような学生行事であった。これが何の反対なく行われるのは大きな世の中の変化の為だ。今日は愛馬記念日の由。
〈住宅〉
一日から建築はそれまで三十坪まで許されていたのが、禁止になり、原則として住宅は十五坪まで、しかも当局の規定した規格通りのものしか作れなくなった。二十四坪までは特に許可があれば建てられるが、これもまた規格通りのものしか出来ない。つまり個人好みの住宅は全く禁止になったのだ。家の近所では建てかけが四五軒あるが、それが最後であとはこの辺に住宅は建たないであろう。大変多かった土地売出しもこれで無くなるだろう。家の西隣、田居君が前に買おうと言っていた土地には京王電車が批〔蓖〕麻を播く由で、昨日何人か来て標識を立てていた。全く私の家などよくそういう瀬戸際に、土地つきで、大体思うような形のものを買えたものだ。住んで見ると家の中の様子などこのままでも結構だと思う。増築や改築なども当分見合わせる決心をする。事実そんな工事は出来ないであろう。
四月八日 曇後雨 南風暖くなる
昨夜、一昨夜とも実はどこか友人の家にいると見えて来ず。
たまっていた用件のため、十時頃外出す。和田本町郵便局に寄り、振替十七円を受取り、バスにて鍋屋横町下車、本郷国民校にて渥美、広田の両教師に逢い、子供のことを頼み、パスの下附願をもらう話をし、瀬戸物屋で買物をする。この正月頃から瀬戸物が無くなるという噂をよく耳にしていながら、これだけは暢気にして手が出せずにいたが、店に入って見ると、昔は一個五銭か十銭で、いやという程あった品物が、ほとんど無くなっている。それもいいものは皆無である。安食堂で使う厚い白い茶碗、以前三銭ほどのものが二十五銭である。それを五枚、いくらか見れる以前十銭均一の番茶碗を五つ二円にて買う。赤鞄に入れる。江古田の芸術科に行き上野山清貢氏の息の入学したこと知る。今学年は毎週一日ずつ出講することに遠藤氏と話し合う。飯塚友一郎氏と学生の質について談話。四倍の率になったがいい素質のものは極く少い由。それは世間が芸術を軽視しているから、というのが飯塚氏の意見である。新宿に出、伊勢丹にて博にやるパイプ一円二十銭にて買う。板の汚れ取りを一瓶七十銭で買う。傘を持たずに出たが大分降って来た。家に戻ると三時すぎ基も来て、今夕七時で帰るという。母へは青い茶を土産に、子供等へは菓子をやる。駅まで送って行く。(弁当としてノリ巻き三個持たせる)
夜英一来る。ずっとこれから家にいる事になる。子供たちの勉強を見てもらい金はとらぬことに貞子に言っている。応接間に寝台を置いてやるつもり。烏山駅附近は雨が降ると、ひどい悪路である。
この二三日雑誌を読んでいる。藤村の「東方の門」なかなか立派であるが、改造に出た新人直井潔の作品も志賀流だが、大変よいと思う。
今日は文学報国会大会のある日だが移転後来客や家の整理でひどく疲れていて出る気持にならぬ。
四月九日 警戒報中 晴 南風強し
昨日頃から疲労を相当に感じている。貞子今日化研へ行く。
昨日基を送って駅まで往復するあいだに財布を落したらしく家中捜しても見当らぬ。金は二十円ほどだが、印鑑とカバン二個の鍵を失ったのは困る。簡易保険の集金人来て、礼の分二円加入させられる。実昨夜十時頃帰る。真暗のこととて畑に入ったり森につき当ったりして大分道に迷った由。三日ほど岐阜の方へ陶器のものの買入交渉に行っていた由。
〈朝刊〉
我軍はビルマのアキアブから西方マユ河を越えて西方に進み、北方モンドリ山脈を七十日かかって横断した部隊と呼応して、敵二個師をマユ河畔に撃滅した、と大本営の発表。なおビルマ軍の司令官は飯田中将の後を受け河辺中将である。
午後本のまだ片づかぬ応接間を一とおり片づけ必要な本は出し、他は包みにしたり、奥へ押し込めたりする。埃が立ってひどい。身体に悪いと思うが英一も来ているので、室をあけ渡さねばならぬ。大体片づいた所へ有光社の中井正晃君来る。室生、舟橋二氏と私との三人で一冊の「新作品」という単行本、七千印刷の予定の所、三千にされた由。文協は大分強硬になった由で、研究物は二千、小説類は三千というのが一般の基本の由。この本の印税はすでに五千部分(?)受け取っているのだからよいが、いよいよ生活を緊縮すべき時になった。差し当り秋元氏に話し、庭の手入れの千円というのは五百円で簡単にしてもらうこと。
昨日、随筆十五枚の載っている雑誌「日本」が来る。
中井君との雑談。彼は戦争の見通しとして、今年の夏、ソ聯は南方でドイツを誘い入れ、北方から南下してそれを遮断する戦術に出るにちがいなく、ドイツは大敗する、と言う。やっぱり以前赤だった人たちはソ聯を有利に解している。彼の考ではドイツは一千万ぐらいの戦力のうち四百万位を失い、目下五六百万で東方を支え、外に全欧洲にばらまかれている故極めて防備は弱体である。またイタリヤはすぐにも英と妥協したがっている。ドイツから最近帰った新聞記者の話では、ドイツ内は極度の物資不足で、新聞紙一枚もなく、町でコーヒー一杯も飲むことが出来ない由で、日本に戻ったらその豊富さに驚いているという。またドイツは前の大戦後共産党の最も盛だった土地故、いつ大衆はひっくり返るか分らぬと思われる等々。またアメリカの資本家は戦争で利得を得られなくなれば輿論を指導して戦争をやめさせるだろう。多分明年の大統領改選を機に休戦になるかも知れぬ。ドイツのヒットラーは前にも度々急変した人物故、何時英と妥協するか分らない、など言う。結局この戦争はもう一二ケ年のうちに終るだろうという意見である。尤もらしい点もあるが、私には決して賛成出来ぬ。この戦争は長期戦だとしか考えられない。
中野武彦君より「希望の苑」の批評を催促して来る。小学館の曾田博也氏あて、私の写真のフィルム捜し出して手紙を書く。夕方熱っぽく八時就寝。
夕方中井君と話しているうちに警報解除となる。
四月十日(土)晴 無風
朝渋川君あて「城の崎にて」論九枚出す。小学館へ写真フィルム送る。
実が身体工合悪そうなので化研に連れて行く。瀬沼に逢う。実大分悪く、肺尖と肺門部に影が多い由で腐っている。帰路三人で新宿を散歩し、「暫」でビール二本飲む。食べるもの色々とつくので、一人五円ずつになる。十五円払う。
瀬沼は三年目の新宿、三年目の飲酒の由。彼太って服の多くが身体に合わない由。
〈夕刊〉
八日我軍マユ山麓に英印第〔脱?〕旅団を殲滅し、その旅団長を捕虜にした由、大本営より発表あり。
この日朝から庭師秋元外一人来て、建仁寺の袖垣等作っている。夜大工来て小さい手入。七時より初めての隣組常会。西尾医師組内にあり。
この日英一、薫の所へ去る。板谷真一、森一、田原君等来た由。
四月十一日 曇 南風 日曜
朝から庭師来ている。午後福田清人、安原俊之介自転車にて来る。それと入れちがいに川崎昇、緑君、奎君、尚彦君等自転車で来る。その間に実出発す。バター二ポンドやる。夕方英一来る。これからずっといるのであろう。
四月十二日(月)雨後曇
新潮の合評会の日、この日午後一時半新潮社に行くと、先日来の日の打ち合せに返事しなかったと楢崎氏に叱られる。一昨日の使にも確答なき故(貞子が返事したと言っていたので安心していたが)今日は万一を慮って高見順君をも呼んだ由。二時すぎ岡田さんと喋り出した所へ高見君も来て作品評をする。終了後高見、楢崎二氏と神楽坂にて古本屋をあさり、コーヒーを飲む。
昨夕書いた中野武彦君の本の批評五枚、速達にて中野君あてに出す。日本大学芸術科より、今年の授業は月曜の十一時から午後二時迄の由言って来る。一日だけにしてほしいと申し出ていたのであった。夜、「得能物語」の訂正本の副本を作る。明日河出書房に届ける予定である。英一応接間にベッドを入れ、今日からそこにいる。
朝は北風の雨で寒かったが、昼頃から南風となり雨あがり、大変暖くなる。桜五分咲。上北沢の桜並木美しい。今年は気候悪く、桜も遅いようである。昨日、戸棚を捜していたら失ったと思った財布出て来た。ほっとする。
礼の教師原田先生、海兵団への入団であったが即日帰郷にて、また礼の組の先生となった由。横光利一、半田義之、新田潤等海軍報道班として応召した由。深田久弥は妻君重態にて帰された由。
四月十三日 晴 南風
[#1字下げ]昨夜盗汗模様、今日右肩凝る。
[#1字下げ]五時半(外出後三十分)六度三分(眠後)
午前中手紙整理、板谷、百田、森、飯山君等のに返書書く。
河出飯山君あてに「得能物語」の訂正本を送る。
午後外出、新宿にて、金具用の油二罐、金テコ兼用釘抜、下痢薬ワカマツ二箱、錠金具等を買う。十円ほどの買物。雑誌日本の随筆稿料三十円を住友銀行にて受けとる。往復の電車にて疲労甚しく、居睡りのみする。しかし身体は悪そうではない。夕方早く寝る。
電車沿線の桜満開なり。見に歩く心の余裕なし。
四月十四日 快晴 弱南風
[#1字下げ]盗汗なし。元気なり。タバコ五。
[#1字下げ]四時半(眠後)六・三
朝刊、海軍航空隊は十一、二日ニューギニヤのオロ湾とモレスビーを襲い、六十機を墜破し、敵艦船五隻を沈めた由。我方十一機を失う。大空中戦だ。
まだまだ南太平洋方面とビルマとは大変な戦争の継続である。昨夕方西方の調布飛行場で探照燈二本が光っているのが見えた。ここへ来てから毎日頭上に飛行機の爆音を聞いて暮している。
昨日、一昨日と来なかった庭師今日は来ている。庭師に払う千円を作る件気になって仕方がない。博文館の長篇を半分まで書いて作るか、それとも川崎の話した肇書房の短篇をまとめるか、青野季吉から話のあった全国書房の評論をまとめるか、いずれにしても一冊の半分以上を書かねばならぬ。一日坐っていて何も出来ず、有光社の「新作品」の検印の残りを押して小包みにする。和田芳恵君より来書、久しぶりの便なり。返書書き、「メキシコの朝」を同君あて小包みにする。貞子午後に来た薫と連れ立って和田本町の家へ行く。肴屋の払い、卵の買入れ等の用件である。夜になって子供たち駅へ出迎えても来ず、八時頃代って私が駅に出ている。九時近く英一のみ来る。貞子寒気するとて薫の所に泊る由。英一、薬屋よりとてハリバ二個、歯ブラシ五本、卵五ケ等持ち帰る。
枢軸軍はチュニジアにて次第に陣地を縮少し、退却している。結局英米軍に圧倒されているのであろう。東方戦線は小康状態らしく、ニュースなし。
一日考えて結局博文館の長篇を書き続けることに心をきめる。
四月十五日 晴 曇後雨
盗汗なし。
朝 六・一
貞子風邪かと思い朝八時頃握り飯を持って迎えに行く。元気で薫と家の掃除をしている。電燈のコード、衣類かけ、絵など持ち私だけ先に出る。鍋屋横町の近くで財布拾う。神本という印と十五円ほど入っている。しらべて送り返そうと思う。もとの家の近くの人らしい。青バスにて代田橋に出、久しぶりの理髪、古本屋で志賀重昂全集あり、ほしいと思う。午後田居夫人来る。転居後京都へ行っていた由、夕方まで貞子と三人で話していると雨降って来る。貞子田居夫人を送って行く。その後で私は滋が駅で英一を待っているのを迎えに行く。三人で帰る。夜入浴、その前からノドが痛かったが、床に入ってから寒気して、ノド痛い。足ぶみを千回ほどしたりしたが直らず、ふとんを重ね、アスピリンを飲み、インドラミンを注射し、夜中発汗す。
小学館の曾田博也君より、前に送った写真役に立たぬとの手紙あり。
四月十六日 晴
[#1字下げ]朝ノド痛み直っている。ほぼ全く恢復。
[#1字下げ]昨夜入浴後発汗す。(インドラミン、アスピリン)
[#1字下げ]背筋や腰が冷える外異状なし。
旧い写真を捜し出し、三枚を曾田君に速達で出す。有光社の中井君へ「新作品」の検印小包で送る。一昨日書いた和田君あての手紙など出す。昨日ジャワにいる十和田君より来書。「得能物語」の礼など。写真同封されている。元気らしい。
貞子昨日魚屋で卵五十個を十円で買って持って来る。薬屋よりハリバ大壜二本。
朝刊――南太平洋の航空戦で我軍が積極的に出たので、マッカーサー等敵将は制空権を奪われたと悲鳴をあげ、米本国に飛行機の救援を求めている。米海相ノックスはそれに取り合わず反駁しているので、新聞紙上で論戦になっているという。
昨日今日植木屋来ず。木を掘りに行っている由。中野武彦君より批評文の礼来る。午後植木屋と話している時、浅原氏よりの手紙にて、学校へ出かける。今年から美術科と商工美術科、宣伝科と創作科合併して、後者は宣伝文芸科となる由。その打ち合せ。私は「特殊文芸」という題目を受け持つ。純文学の終りなり。しかし大体において古典をやる予定である。三浦、浅原氏と話す。中村地平君と一年半ぶりで逢う。最近結婚した由。真杉さんとの事の後であり、それもよい、と人ごとながら考える。浅原氏などと著述生活もいよいよ今年ぐらいで終りだろうなどと話し合い、心細い気持。家に夕方戻ると留守に石川清君(出がけ駅で逢った)の外、河出の飯山正文君が来て、「得能物語」は訂正本が間に合わず、もう刷っていると言った由。(これは届けに捺印した覚えが無いので、よく分らぬ。)更に「青春」増刷とて届け書持って来る。今年になってから三度目(?)なり。これはまだまだ読まれる本であろう。得能もののように、今度の機会に訂正を施そうと思う。正月以来、得能五郎や青春の増刷で生活していたようなもの。とにかく今度の二増刷で植木屋への支払いも出来そうである。安堵なり。この後は経費を使わぬよう、諸事用心しようと思う。
午後ジャワの十和田君へ返書書いたが持って出たまま出し忘れた。
四月十七日 夜雨 朝曇後晴 小雨後晴
[#1字下げ]明け方不眠三時間。
セファランチンの日なるも行かず。「青春」の本を捜し出して、訂正しようと思うが、なかなか出来ず、再版の企画届けのみ書く。
午後江口君というもとの「青い馬」の同人、近所にいるとて立ち寄り、玄関で一時間ほど話す。そこへ有光社の中井君、検印を取りに来る。昨日出した故まだ届かぬ由。今日でないと間に合わぬとて印を一つ渡す。気の毒なり。変な顔をしているので話を聞くと、出版会では出版不許可の本のみ多くなり、殺気立っているという。正宗白鳥の書き下しが二冊も不許可になった由。またたいてい小説の出版企画は、「戦争と関係なきもの」は不許可となっているという。中井君が二年もかかって書いた子供の頃のことを書いた小説も二月提出にて、十中八九は不許可らしいと言われて来た由。室生さんに今度の「新作品」の部数減少やその後の出版不許可の多い話をした所、自分は生活費を溜めたから、あとは仕事せずにいると中井君に言った由。中堅はともかく大家と新人は生活に困るだろう、と中井君が言う。いよいよ、出版困難の時となったのだ。まだ今年中は大丈夫だと思っていたのだが、その時が来たのだ。
今朝の新聞では南太平洋で日本が優勢(また敵船を十一隻と敵機五十余機を十四日に破った旨今朝出ている)の為米国が騒いでいるし、また一方では鉄銅の強制徴集で、駅のホームの屋根や寝台やエレヴェーターやその他家庭以外の遊休物はほとんどみな取り上げるらしい。出版が窮屈化するのも時が来たのだ。
それにしても、私と中井君がそんな話をしている時(玄関で)玄関前では植木屋が四人で来て、あちこちに大騒ぎして木を植え込んでいる。ああ無駄なことをしたものだと思う。この千円は今となっては大きいと思う。今入る予定の金は、「童子の像」の残金五百円と、「得能物語」再版の検印のまだ押さぬものが多分四百円。それに知性の稿料七八十円、新潮の稿料二三十円、等。また之から企画届けをする「青春」が通れば三百円程。但し「青春」は今日筆を入れるつもりで読みかえした所風紀的に差さわりのある所がとても目立ってひどい。昨夏室生さんの「兄いもうと」が禁止された由だが、その位の検閲ならこれは当然通れないものである。目をつぶってこのまま届けを出すつもりになる。
これからどうして暮して行くか。この家について京王への八千円、野田生への二千円等外に多分税金千円ほどをどうして返すか、考えねばならぬ。苛々するが、家のものにあまり話して心配させてもならないし、まあじっくり考える事にする。こうなれば博文館からの「幼年時代」はやめる外なく、また青野氏の全国書房の評論集もあぶないもの。但し「戦争の文学」という題で、そういうものを集めれば通るかも知れぬ。また淡海堂の少女小説は多分とおる、などと考える。
四月十八日(日)晴
先日から、この日川崎家へ行く約束あり。朝思い切って、子供等と三人歩いて出かける。途中より道にて花など咲き気持よい。四十分にて着く。川崎君郵便局へ行っていたとて自転車にて外より戻る。花菖蒲、しゃくやく等の株をもらい昼頃電車にて戻り、来ていた秋元氏に植えることを頼む。植木屋が入っていて、あちこちいじったり家のまわりで話したりしていると、そわそわして少しも落ちつかず、仕事できぬ。午後、これも速達にて田居夫人から昨日から招待があるので、三鷹の田居家の新居へ子供を連れ、鉄のヘッツイを分解したのを半分持って行く。川崎夫人や奎君も来り合す。汁粉や林檎出る。夕方戻る。昼に、田原君が来て、外に見合の話ありとて写真を一組持って帰る。彼の身上書き、私の加筆したのを持って行く。
川崎君は広告取扱いの仕事減少して、商売にならぬとて、憂い顔をしている。また田原君の話では、古本屋の話に、本が売れて困るので、近いうち、どうかしたら古本は売るのをやめて、貸本を専門にするようになるかも知れぬ、という話である。瀬沼の言っていた経済原則のとおり、インフレーションの初めは皆が一応好景気になり、それが本当に進むと物資の不足から商品が無く、かえって不景気になる、という順に進んでいると思われる。百田氏より、心理学者でA・Kの嘱託をしている波多野完治氏が私の近作を全部読んでいて、話して見たいということで水曜か土曜に逢いたがっていると言って来る。野田生より英一に饅頭、函館の山本二郎君より乾魚来る。
夜早寝。疲労を感ず。
四月十九日 曇後雨
昨夜盗汗の気味なり。熟睡す。
今日より学校に出る。色々と考えた末、一年には梶井基次郎の「桜の木の下」「檸檬」等よりはじめて戦争文学の日本のものへ進め、二三年には外国の戦争文学の傍ら純文学を読んで行く。学校にて、松本亀、岡俊邦、永野氏等に逢う。日本の食糧は目下極めて窮しており、二三ケ月先のことは当局でも見当つかぬ程だという話出る。心配なことなり。雨の中を神田にバスで出る。靖国神社大祭にて地方からの遺家族上京して歩いている。社内に入って見る。大パノラマ(ガダルカナル方面等)が出来ている。靖国神社の祭には必ず降雨あり。今日もまた然り。九段下の錦城出版社へ昨日ハガキを出しておいたが、金を取りに行く。「童子の像」は製本が教科書の製本多忙のため延びて来月になる由。印税の残り五百円受取る。これで三千円全部受領。中島氏用紙の配給をまたまた減らされ、全く心労多く、先行不安なりと言う。この楽天的な人までがこれではいよいよ大変なのであろう。蒲池君の所はどうかと思い、寄ったが夫妻とも留守。簾君が家の前にいる。
錦城より厚生閣の百田氏に電話。明後日午後一時頃百田宅へ行き同道して波多野君を訪ねることとする。
神田の本屋にて乃木大将の青年時代(明治十年前後)の日記(新刊本三円)と紅葉全集の「日記篇」(二円八十銭)とを買う。外に藤岡作太郎の「近世絵画史」(二円二十銭)、細筆三本(七十五銭)、太筆一本(五十銭)、ハガキ百枚等を買い、省線にて新宿に出て帰宅、六時。
植木屋二三日中に半金ほしいと言っていた由。今日の金そのまま渡すことになる。乾君昼頃に来て、杉沢からの縁談を断ってほしいと言っていた由。
今日カバンが本にて重く、学校で喋った為もあり、疲れて右胸痛し。九時就寝。休養を要す。
四月二十日 晴 好日
盗汗なし。元気なり。夕刻横臥、不眠。
植木屋来て紅葉二本、松など植える。五百円渡す。玄関前の庭次第に形整う。
帝国教育会出版部の児玉二郎君来り「北国の子供」の届け書を書いて渡す。ロレンスの愛好者ということで、「メキシコの朝」を贈る。今日頃から少女小説(淡海堂)に取りかからんとして、腹案きまらず。一日ぼんやりしている。石川清君への署名本二冊、豊田三郎君へ一冊「得能物語」を小包にする。森一君へ原君の原稿を小包にする。森君二度留守に来て逢えず、結局手紙にて原君の特色を説明してやる。「現代文学」より最近の翻訳書についての感想を求めて来る。何か外のことを書こう。山本君に礼状。
ここへ移ってから野菜豊富に買え、それに味噌が十分あるし、魚も週に一度以上は当り、なかなか食物はよい方である。
「北国の子供」の挿絵を武智君に頼むことにし、葉書を出す。国松登君より国画会の招待券来る。有光社より、私と室生、舟橋三人の「新作品」見本来る。
〈着物〉
この十五日頃から、冬服、冬のオーバをやめ、フラノの合服にスプリングコート。しかし実質はほぼ冬服に同じ。シャツ、股引各一枚、これも冬同様。
着物はカスリ又はツムギの袷、相かわらず綿入ジュバン。
夜具は、毛布をやめて恰度よい程度。その頃から手の甲の皮膚病治る。
四月二十一日 晴 好日 暖 桜ほぼ終りとなる
盗汗、寝衣換える。少々疲労気味。十二時出かける支度をしている所へ淡海堂の江口隼人君来て、少女小説の企画用紙を置いて行く。葱を一束土産に持ち百田家へ出かける。途中和田本町局にて振替五円受領、小包三ケ出す。百田氏と三時少国民文化協会(三越銀座店)に行く。やむを得ぬ用にて外出、という名刺を置いて当の波多野君は留守なり。百田氏憤慨す。この話波多野氏から出たものとすれば失礼な男だ。二人にて銀座漫歩。コーヒーを一包買い、ミツ豆を二皿森永で食う。夜、ニュートーキョー地下室にてビールを飲む。その時の様、この頃の夜の東京を彷彿せしめるものあり。
〈夜の銀座〉
夕方五時から酒を出すので四時半頃行くと、ニュートーキョーの一階、地下室にそれぞれ列を作っている。地下室は料理二円のもの一皿とビールはジョッキ三つというので、一階よりも上等なのである。私たちの前に四十人ぐらいも立っていた。待っていても中々入れぬ。五時半頃になって、二人三人と少しずつ入れ、階段上の入口にいた私たちは、入口近くまで入った。大男の口ヒゲを生やした三十過の白服のボーイが入口に立って少しずつ入れるのだが、列の外に、ひょっこりと男たちが来てそのボーイに合図をするとそれだけ入れる。初め四五人は個人の用だろうと思い、皆が見過していたが、やがて三人四人と群れて来てはそれ等の人間が入るのに、立っている私たちは、六時過になっても入れない。皆怒り出し、「おい、公平にしろ」「横から入っちゃ困るぜ」「いつまで待たせるんだ」という者あり。ボーイは知らぬ振をしている。中では「どうもボーイに、これを利かしてあると見えて、あいつらうまくやっている」と言うのもあれば、色々である。ボーイが顔を出した時に「いんちきはよせよ」と叫ぶ者あり、ボーイは硝子戸からちょっと顔を出して、そちらに向き「会があるから仕方ないですよ」と言う。そうして、列の者は一人か二人しか入れぬくせに、そういう奴等を三人五人と入れる。そういう者の中には「××さんがいますか」と言って入るのもいれば、ただ顔を見せた丈で入るのもおり、合図をして入るのもいる。そういう列外の者と列の者とが言い合うようなこともあって、列外のものは「中で待っているのだから仕方ないよ」と言い、「変なことをせずに列に立ったらいいだろう」とやりこめられて、顔を向うに向けだまってしまうのもいる。六時二十分ぐらいになる。そのうち、やっと入る。入ると、中は割にのんびりしていて、ビールもいくらでも持って来るし、食物もハム、リバー、イカ、等の寄せ合い二皿で、よいものである。中では皆のんびりとやっている。ボーイたちは顔で入れる者からチップをかせいでいるのであろう。二人ともボーイは喧嘩早そうな、がっちりした身体の、男子で、相当こんなことでかせいでいる様子が見える。中に入ってからは給仕の女の子二三人いるし、ボーイもいるが、だれもチップなんか出さず、勘定は出口でするようになっている。
つまり、チップを出さぬ者は一時間あまりも立っていなければならないのだ。八時頃そこを出て、ソバか寿司でも食おうと銀座へ行ったが、暗いのに驚く。女子供など一人歩きは出来ぬほどである。大方の店は閉じていて、昔の午前二時頃の感じ。寿司もそばも店は開いていない。街頭に屋台のおでん屋がある。それをうまそうな匂いを散らし、カマボコやハンペンなどが山盛りになっているのが見える。そこへ近づいて百田さんが「いや、あれはいかん、あれはぼるのでね、酒を一本位出してサツマアゲか何か一皿食うと三円ぐらいとるんだよ」とやめる。新宿辺にこの手がとても多いという。(ニュートーキョーの支払は料理一人前二円に、ジョッキが一個一円(?)位で、計七八円であろうか。私が五円百田氏に渡した。)松坂屋の横でやっと寿司屋の屋台の昔からあるのを見つけて、食う。あてがいぶちで皆同じ量。一人一円五銭ずつである。尾張町の角でバスを待っても来ず、別れて、私は地下鉄で帰る。尾張町で八時四十分。家に着いて九時四十分で、丁度一時間。
酒を飲みながら百田さんの闇の話。
砂糖を一袋八貫目闇で買うと百六十円の由。百田家では四貫目買ったという。それも近所で分けるのに大困りをした。また近くに株屋で金持がおり、毎日その店へ鵠沼から持って来る闇の魚を買う。それが余る時は百田家へ持って来る。そこの息子が持って来たり嫁が持って来たりする。相当な値の由。また百田家の隣の日高駐伊大使が出発の時お祝いに、その男の手を通し隣組で二尺ほどの大鯛を買ったが、それは四十円であった由。
それでいて産地の生産値段はいかに低いかという例に、百田さんが先月紀州の白浜の近くへ行った時、直径一尺長さ一間ほどの大鮪が上げられていたので、その値段を訊ねたら八円五十銭位でしょう、ということで、これには驚いた由。二三百円はすると思った、という。だからそういう生産者は一部分闇に流して償いを得ているということか。
〈閣内変化〉
この日朝刊にて、井野農相、橋田文相、湯沢内相、谷外相等辞職して、新に重光外相、天羽情報局長、山崎農相、大麻国務相、安藤内相等任命される。全く突然であるが、外相は対支新政策の成功によるのであり、文相、農相等は施策の行きつまり打開の為であろう。
米価買上額大幅、十三円五十銭引上となる。但し消費者の負担は石三円。米をつくる百姓が一番割に合わぬという事情を改訂する為、植付前に行った事である。食糧事情は緊張している。しかし、こうして、いよいよインフレーションは進行している。
文学報国会より、大東亜各地に紹介する日本の代表作選定についての委員になれと言って来る。承諾。この日家の前庭にツゲの木二本入れ、一本は老木にてなかなか立派になる。石を並べ、本格的な庭になって来た。
谷萩陸軍報道部長、昨年四月十八日の敵機の東京空襲の模様を発表す。敵側で十八日に発表すると言っていたが、敵陸軍から支障が出て詳報は中止になったものである。
今日留守中に松尾一光、杉沢来た由。杉沢は上野山氏の息子の芸術科入学の骨折りについて、上野山氏が明日夕食に招ぶという件。小説「北国」掲載の「知性」届く。
四月二十二日 朝強北風 晴 後やむ
盗汗なし。元気なり。
秋元庭師の連れて来ていた蘆花公園の青年農夫、畑を耕しに来る。今日から三日庭師は休み。午前ぼんやりしていて何もせず、午後朝日新聞を選み出し、引越後の分を整理す。三日分ほど不足。新潮社の「運命の橋」の増刷二千部検印押す。この分の印税は二月かに受け取ってあるもの。午後三時過出かける。「得能物語」を一冊上野山氏へ包んで持つ。河出飯山君へ知性の小説の稿料と目下刷っている「得能物語」の印税とを明後土曜日に取りに行くとて依頼のハガキ出す。手もとに現金十五円、貞子十円しか無い。北海道バターにて杉沢と落ち合い、赤坂の宇佐美へ行く。上野山氏先着。細面の、神経質の、癇癖の強そうな人である。昨冬アリューシャンに行って爆撃を受けた時の話など。アッツ、キスカ等には、敵に利用されるといけないというので、かえって飛行場を作っていない由。爆撃は相当ひどいということ。なお占守、幌筵島などにはこちらの予備隊がおり、前者に一つ、後者に二つ飛行場がある。しかし軍事設置〔ママ〕は貧弱であるという。上野山、稲子、杉沢、私、薫の五人。食物美味なるも極めて少量、酒は皆で五本ぐらい。稲子氏の話ではここなど料理は赤坂でもっともよい所の由。八時そこを出、赤坂見附より地下鉄で帰る。
杉沢、横山村にて小麦を十俵買うが、その中の二俵を分けてくれる由。一俵は粉にし、一俵はソーメンにしてくれる由。
上野山氏の話では、東北、北海道辺の太平洋岸を警戒しているは、軽巡那智を旗艦とする第十一戦隊(?)の由。またアリューシャンは、目下昼が長いので、とても敵の爆撃がひどく、汽船はもとより、軍艦も行けぬだろう。潜水艦のみが行けるだろうとのこと。
四月二十三日 晴 好日 暖
盗汗なし。元気。右胸、動けばこたえる。
桜散り、八重咲き、この二三日桜の若葉褐色から緑に一せいに開いて美しい。志村という農家の母子今日も手伝いに来、午前中にて播き終える。二日にて十円。馬鈴薯、唐モロコシ、人参、ゴボウ、小蕪、大根等。
二階の書斎三畳の出窓を艶出しクリームにて拭いて見る。少し黒くなったが艶出てよし。少女小説、鰊場の場面から書き初めることにする。
午後、遮蔽紙をあちこち取りかえ、二階六畳と台所を取りかえる。外の所もみな工合よく直す。釘を打ったりすると右脇胸こたえる。ここがこの頃の故障の場所である。夕刻県道を越して西方の谷へ出て見る。小川で老人と子供釣をしている。林あり、田あり、美しいところである。この辺はいい場所だと、つくづく思う。
滋、少し腹痛気味にて早寝す。どうも仕事が手につかぬ。夜八時半寝ながらロビンソンクルーソーを読み出す。現在の我々の生活は限定された物資で生活している様、ある意味でクルーソー的である。
〈夕刊〉
米国側も東京空襲の様子を発表。小児を掃射した敵兵が処断されたことを彼等みな怒っているということである。やがてその責任者に報復すると彼等が呼号しているのは変な気がする。彼等は日本を征服して、日本人を自由に処断できる日があると考えているらしい。チュニジアはいよいよ最後の一角に独軍がせまって決戦を始めたようである。
四月二十四日 晴 暖
盗汗なし。元気。右胸こたえる。夜入浴。
午前十時頃出かける所へ早川三代治氏来る。一緒に代々木の大島豊氏を訪ねる。長髪だった氏は髪を刈り、以前は染めていたらしいのが、この頃は染料無い為か真白で、しかも肥って見ちがえる様になっている。
入りかけ、河出に電話する。富田君出、知性の原稿料は二十一日送った由。得能物語の増刷分は来週頃出るだろうとのこと。大島家にて珍しく牛肉ですき焼の昼食出る。二時頃早川氏と大島家を出、一人で中野に瀬沼茂樹を訪ねる。昨日小指の先ほどの血痰が出たとて、しょげている。
今日は靖国神社臨時大祭にて御親拝あり。大島家へ乾魚、瀬沼家へ味噌一包持参。瀬沼より小林多喜二の「蟹工船」の発禁本と貞子用のコールドクリームを一瓶もらう。この頃のクリームはリスリンが無いのですぐ腐るし、大体もう出来なくなる由。
早川氏の話では、小樽は北洋作戦の基地になっているという。上野山氏の話と符合する。第一銀行、三菱銀行辺のビルの上層部はみな軍部が使用しており、大きな旅館は軍人で一杯だという。また小樽から出る郵便物は検閲がやかましい由。いつか田居君から来た郵便が検閲されていたのもその為であったのだろう。手宮公園や水天宮山が高射砲陣地になっているというのもうなずかれる。大島氏の話では、彼の知人白根氏が出版会の会長秘書官になり、そこから聞いたことによると、今年の秋には、文筆家たちは生活できぬぐらいになるだろう、という話。その覚悟をしていなくてはなるまい。心細くなる。しかし瀬沼の話では、たいていこの頃は百二三十円の月給でも色々な名目の補助で二百円近くとっているという。また四十以下の人間は自由に傭えないので、四十以上の人間が多く使われているという。仕事は何かあるだろうが、事務屋になるのもいやだし、教師になって喋るのは身体によくない。またとても毎日の勤務など出来そうもない。やれる所まで文筆でやるつもりになる。実業日本から出す小説の件で倉崎君に相談し、満洲旅行の金を出してもらい、積極的に旅順の小説に取りかかろうと考えたりする。
大島氏より、アメリカのヴィードルという油会社が宣伝に作った赤い美しいクリ出し鉛筆をもらう。なおアメリカにいる友人が一昨年十一月開戦直前アメリカから送り出したココアが、最近着いたとて、ココアを出される。どうまわって届いたのか、変なものである。但し美味。
四月二十五日 晴(日)
前夜入浴、盗汗少々。右胸重し。
どうしても仕事出来ぬ。それは住所が変った為であろう。環境としっくり出来ないのである。入浴すると身体がほてって、どうも調子が悪い。ここへ越して以来の現象である。しかしこの頃太って来た。瀬沼もそう言い、貞子も言い、自分もそう思う。腹が出て来ている。
午前中静かにしている。重見夫人、友人と子供二人つれて来、弁当持で来る。野遊びして、ついでに魚屋で自由販売のものを沢山買って帰ったらしい。午後松尾一光、当真嗣光君来る。文学談など夕方まで。薫下宿の娘と英一と三人多摩川へハイキングしたとて夕食に寄る。英一は昨日から薫の所へ行っていたもの。
気候ほぼ定まり、新緑美しい。これから一月ほどはいい季節であろう。
四月二十六日(月)晴
学校に行く。一年に「桜の木の下」と「檸檬」二三年に「戦争と平和」の続き。学生、出席率も態度もよし。夕方早く帰る。
この頃礼、軽い咳を絶間なくしていて気にかかる。少女小説一枚だけ午前中に書く。
四月二十七日 曇 北風寒し 夜蛙の鳴声して温し、蚊はほとんどなし。
[#1字下げ]右胸少々こたえる。この頃タバコ毎日五本位。
貞子朝から山際家へ行く。英一のことで世話になった礼と、今年滋をどこかの七年制高校に入れたいのについての相談なり。夕方貞子と入れちがいに、神楽坂の一平にある大東亜文学の打合せ会に出かけたが、若松町まで行き、急に人に逢うのがいやになり戻る。この日一日家にいて、応接間と縁側においていた本を二階の書斎に運び、本の整理をこれでほぼ終えた。その為か疲れている。
三日ほど休んで来ると言っていた植木屋なかなか来ないが、しかし金は月末までに作っておかねばならぬであろうと気にかかる。
夕刊に全市の古本屋の三分の一が貸本屋になった由出ている。いよいよそうなるのであろう。
四月二十八日 晴 好日 暖
午前中、郵便物を整理し、返事など書く。十返一君新文化をやめた由。峰岸君の所へ来月初め頃訪問しようと百田氏から誘われる。承諾の返事。「幼年時代」の最初の部分十三枚、「現代文学」が随筆を十枚ほど求めて来たのに対して送る。それ等の郵便物を出しながら、河出から知性の小説の稿料として来た振替を八十四円烏山局で受取り、蘆花公園まで歩いて戻る。夕方疲れて寝る。
一昨日からかかってバルビュスの「地獄」を読み終える。生の興味への切迫はよいが、それを観念にのがれて挫折している。
四月二十九日 曇 暖 貞子下痢
天長節、大本営の会議の写真出ている。陛下の御座が高くなっているのが日露と違う。朝から大工来て、戸の車を入れる。
〈朝刊〉
ガダルカナル島戦の陸軍参謀の長い談話のっている。ひどい戦争をやり抜いたものと思う。決死隊に三合ずつ食わせたという話はその頂点である。この参謀談話はガダルカナル戦話の最もすぐれたものだ。大本営の出席者、陸軍、東条英機大将、蓮沼蕃大将、杉山元大将、田辺盛武中将、綾部橘樹少将、真田穣一郎大佐、海軍嶋田繁太郎大将、永野修身大将、伊藤整一中将、福留繁中将、山本親雄大佐である。これ等の顔ぶれ、初めて知る。前に郵便物の間違いで手紙を往復した伊藤整一中将に親しみを覚える。
前外相谷正之が駐華大使となる。つまり外相と在支大使が入れかわった訳である。病院船ぶえのすあいれす丸また雷撃され、負傷者出る。病院船の襲われることこれで六隻目であるという。米国は病院船を襲うことにしたのではないか、とも考えられる。(市民のガス五分、更に節約。)
新潮五月号届く。新潮賞の選定には、森山君の「海の扇」、太宰君の「正義と微笑」、私の「得能物語」の三冊が最後に残ったらしい。諸家の選評のうち、川端康成氏の文に『そうして残るのは、森山啓氏の「海の扇」と伊藤整氏の「得能物語」の二作であった。二作のうちから選ぶとすると、私は「得能物語」を先にするが、「海の扇」も推したいのであった。昨年度も私は伊藤氏の「得能五郎の生活と意見」に授賞したかったのだから、その続篇であり、両年の功が重なりという意味もあったが、それは別としても、「得能五郎」(物語の間違い?)は私には面白い。かなり複雑な作品なので、簡単に批評は出来ないが、私小説でありながら同時に一種心理小説ともなり、一種の社会小説ともなっている点、私小説に新体をひらいたものではないかと思う。作者のいずまいも腰を落して据りこみ、よく練れている。』とある。これは森山君に決定してから書かれたものであろうが、私としては二作をこれまで読んでもらったのは嬉しい。中村武羅夫氏は、「得能物語」か「海の扇」の二篇ならどちらを採ってもいいと思ったが、「海の扇」を多数が推したから異議なく賛成した、と言っている。太宰君を推した人も多い。室生、豊島など。
この批評を読んでから、大分気持が立ち直った。心細い話だ。こんなにも他人の言葉に動かされるか。しかし、それは、やっぱりいい仕事をしなければならぬという気持となり、また日露戦争の小説、次第に自分の中で熟して来て、やっぱり私小説として、現在の時と日露との対比のうちに、旅行の見聞を混じて書かねばならぬと考える。その為には、少女小説と評論集を大急ぎでまとめるのが先決条件である。そして今年の生活目標がそれでほぼきまったのは嬉しい。
河出から「得能物語」増刷二千部の検印来る。捺す。明日出しながら出かける予定。
大工、縁側と応接間と玄関と二階六畳の窓とに車をつける。下駄箱の台、押入の細い棚等で二十六円七十一銭払う。
四月三十日
月末になったので、河出へ「得能物語」の印税を取りに出かけようとしていると昼頃杉沢来る。柿の苗を五本持って来てくれる。一本三十銭の由。色々と話いつもの如し。昼食を共にし、夕方二人で柿を南方の庭に植える。
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[#2段階大きい文字]昭和十八年五月
五月一日 晴 好日(土)右側胸重し
セファランチンへ久しぶりに行く。その出がけ早目に出て、京王電車に馬場氏を訪ね、土地の広い分、一坪いくらかの公正証書の訂正を役場に行ってする。三十六円か支払う。それから化研にて、券を出しおき、新潮社に楢崎氏を訪ねて一時間、今月の座談会三日ということにして手紙出した由を聞く。楢崎氏より、文学界と文芸を借りる。文芸八十四頁となり哀れなり。病院に戻り、貞子いる。瀬沼君と逢い、午後二人で新宿伊勢丹にて昼食後、共に省線に乗り、私のみ日本橋河出に行く。「得能物語」二千部の検印紙を持って行って引換に四百八十円受取る。四百円だと思っていた所、この本は一割二分だったので、八十円多い。
右胸の重い件山田医師に話しても相手にされず。今度は二週間ほど休んで来たのである。もといた方の知人の所へ竹の子五六本買い、子供等に持せてやる。この頃ずっと何もせず、この三四日は新潮の座談会のため雑誌の作品を読みあさっている。
我空軍昆明雲南駅等に敵米機を捕捉し、四十六機を撃破す。我損害二機。
五月二日 暖 晴 好日
[#1字下げ]この一週間ほど前から、晴れても富士が見えなくなる。湿気が多いのであろう。蠅少々出る。蚊はない。夜蛙声遠し。
この日、一昨日荒木かな女史が四五人で来るとハガキ来ていたので、待つ。午前中雑誌を読む。午後、思いがけず、峰岸東三郎君来る。麦粉を頂く。その後、荒木かな君、山中春利君、小杉〔アキ〕君、高橋義樹君、等揃って来る。小杉君早目に去る。この四人と仲間の田中章君北支出征中、この日偶然ハガキ来る。五人で寄せ書きを出す。小西猛君来る。外に礼の友人二人、川崎家の奎君、田居家の尚彦君、千代田の手伝いに来ていた小母さんが朝から来ている。外に植木屋三人。全く多忙で目がまわりそうである。
夕刻皆が帰ってほっとする。私は二階六畳で六人を相手に喋り疲労す。
夜また雑誌を読む。
右胸少々重い。
五月三日 晴後曇
[#1字下げ]暖く、歩くと汗ばむ。フラノの服十日前より。
[#1字下げ]下着上は夏の短シャツ。下冬のメリヤスズボン下。
朝学校にて一年生生田春月編の「日本近代名詩集」を持って行き、藤村と有明まで、近代詩の成立の話をする。午後二三年の時間を休み、新潮社へ出かける。楢崎家へ竹の子一本持って行ってやる。喜ばる。二時から岡田三郎、高見順と三人で月評対談。この月新潮は四十年記念号にて百七十頁あるが、外の雑誌皆薄くなっているのが目立つ。文学界百十頁、文芸八十四頁、中央公論と改造は百五十頁位で各小説一篇である。これからいよいよ文学は窮迫するであろうと話し合う。
夕刻家に戻る。この頃魚屋にて、ほとんど毎日魚を買える。入荷も多いのだが、近所の百姓たちが買わぬせいであろう。市内方面では、よくて一週間に一度、どうかすると十日も魚を食えぬ由である。この月三日分は米のかわりにソーメン配給さる。
五月四日 晴 南風
朝刊――独軍四月の米英船撃沈は六十三隻四十二万屯である。目標の百万屯に比し、少々少い。我潜艦は濠洲近海で近時三隻三万余屯を撃沈した。また二日航空隊はポートダーウィンを空襲し、敵戦闘機二十一機を撃墜し、我方無損と昨日大本営より発表あり。空中水中共に積極的である。敵の西南太平洋空軍司令チューは、日本空軍に対し、彼等の方が甚だ劣勢であると言っている由。米国の炭鉱夫罷業は、二日ほどで復業した。
十八年度三大施策が決定、企画院より発表。国民徴用強化、女子の使用積極化。また不急学校整理(芸術科など危いものだ)、軽事務に男子の使用禁止等である。生産では、鉄、鋼、石炭、軽金属、船舶、航空機に重点集中ということは前同様だが、今度は電力を極力節約するらしい。
一昨日来た同盟にいる高橋君たちに、文学者も転廃業だと言うと、先生など、たとえば同盟の海外電報の翻訳というような仕事はなかなかいいですよ、と言う。それがどうも自分に合う仕事のように思う。世界の各国の動きへの興味も満たされるし、外の慣れぬ事務とか、教員になって喋ることよりものん気らしくていい。しかし、日露戦の作品を書くまでは、そんな仕事のことは考えず、まっしぐらにやりたいものである。
前から読もうと思っていたピリニャークのアメリカ紀行「O・K」を読む。実に面白い。アメリカの本質をこんなに面白くとらえた本は珍しい。しかしジェネラル・モータースやフォード等の生産力とアメリカ風の実践力との結合は怖ろしいものだ。戦争はこれから激しくなって行くにちがいない。またこの本は一九三二、三年頃のアメリカの様相だが、これを読めば、アメリカも戦争をする以外に解決のしようのない生産過剰、人力過剰の行きつまりの不景気に直面していたのがよく分る。生産力、機械の過度の使用のために尨大化した生産力のはけ口と、それによって行き場のなくなった人間のはけ口とを貿易によって解決できぬとすれば、戦争をするより外にない。支那事変前の日本の社会での物と人間の価値低下の様相(それはアメリカ程でないが)と思い合して、よくうなずかれる事だ。この戦争は、アメリカにとっての救いであった。これはまだまだ続くにちがいない。
朝から午後四時までかかってこれを読む。
夜入浴、その後八島質店へ行き、写真機(三百十円にて入れている)の利子五月分三十一円余を払って来る。
五月五日 節句 南強風 晴
右胸側、やや重し。外に異状なし。昨夕入浴の為か、少々盗汗す。
この頃節句で方々に鯉のぼり立っている。昔のようにどの家も、という程ではない。新緑が大分濃くなり、強風にゆらいでいる。終日独居して客もないのに、原稿紙をひろげたまま何も出来ぬ。少女小説書こうとして出来ず。背筋がややくたびれるようで昼寝のみしている。合の古服を着、たんぜん一枚かぶって畳にねて丁度よい。大分家や環境に慣れて来たが、まだ仕事に手が着かぬのは、十分に落ちつけぬからであろう。この正月から「幼年時代」の原稿を八十枚書いた外にほとんど何もしていない。よく暮して来たものである。
植木屋、木を植える方はほぼ終ったという。あとは十日頃に砂利の届き次第門から玄関までコンクリートを敷いて終りになる由。一昨日か予算の内で上るかと尋ねた処、予算以下で上るつもりだという返事。植木屋に渡す金として四百円とっておいたのだが、昨日質屋に三十円今日貞子に二十円にて五十円は使ってしまった。十日すぎに二百円ほど作らねばならぬが、いよいよ今度は入る予定なし。先月分の新潮座談会の礼三十円一昨日受取る。
滋明日所沢の軍需工場見学がてらの遠足で五時迄に学校へ行くというので、貞子と二人、夕方から和田本町の家へ行く。おかずは持ち、飯は向うで炊く由。
二日のダーウィン攻撃はよほど敵にこたえたらしく、昨夕刊には色々敵方の弱音がのせられている。しかし独軍は必ずしも好調でなく、チュニジアではビゼルタ西方の一村から撤退し、クバン河畔(コーカサス)でも一部撤退を発表している。アメリカは炭坑争議が終ると、今度はフォードの戦車工場で職工が待遇改善を叫んで罷業をはじめた。インフレが進むに従い、労働者は賃銀値上のため騒ぐのは当然である。
独軍の夏期攻撃はまだ初まらぬ。「新文化」の記事によると、独潜艦に対し英国はラジオロケーターを持った飛行機と駆逐艦とで対抗した為英海岸近くから潜艦は米海岸へ移動したが、米国もまた同様の手段で対抗し出した為、この頃は大西洋の真中で集団を作って船を襲うようになったらしい。飛行機の基地があると英米側には有利なので、米国は葡領のアゾレス島や仏領のマルチニック島を狙っているという。ありそうな事である。またこれによって独潜艦の出現場所の変化を理解することが出来た。重慶軍の戦意はいよいよ低下する。太行山脈東側の包囲殲滅戦も大成功で、捕虜屍体等多い。捕虜屍体合して一万五千という。これは正に対支政策変更の成功にもよるのであり、またビルマ占領の成功にもよるのであろう。
五月六日 朝雨 後晴 右胸少々こたえている
貞子と滋、昨夜より和田本町にいる。午後新潮社へ座談会の校正を見に行く。楢崎、中村、岡田三氏に逢う。帰途神楽坂にて大人用の茶碗一個(一個しか売らぬ)四十五銭にて買う。夕刻帰来。有光社より、「新作品」の印税五千部として私の分、前に受取った四百円を超過した分として三十二円送って来る。仕事何もせず。岡田氏の話で、日本は濠洲と印度に進撃するらしい、と言う。モンテスキューの「ペルシャ人の手紙」を拾い読みする。面白そうなり。
東条首相フィリッピン訪問中の由。夕刊に出ている。滋遠足したとて夕方戻る。
五月七日 晴 好日 胸の重いこと去る
終日家にいる。午睡す。日露戦記類を読みあさる。仕事のこと考える。
評論集は「戦争の文学」とし、日露戦の読んだものなどを扱うことにする。少女小説どうしても書けない。困ったことなり。高橋義樹君より同盟特信部の原稿五六枚。アトリヱ社より先頃の二十枚というもの、共に催促あり。時局下の芸術家という題である。書きにくい。夕方畑に出て里芋を植え直すのを手伝う。英一西側にヒマを播く。
五月八日(土)好日 晴
[#1字下げ]温度。四月中はたいてい十度から十二三度。この頃好天の日は二十度。今日はフラノに下着夏物で発汗気味。二十二度位。
[#1字下げ]化研究。右胸のこと山田医師に言うも、何でもないと答う。
〈独軍チュニジア撤退〉
夕刊――チュニジアの独伊軍はいよいよ、追いつめられ、英米仏の三聯合軍はひた押しに迫っているらしい。独軍発表「チュニジア戦線の敵軍は強力なる空軍援護のもとに我々に数倍する歩兵及び装甲部隊を以て独伊軍の陣地に対し、北方及び中部より猛攻撃を加え来った。わが軍は果敢なる英雄的抵抗を試み、これに反撃を加えて一地点では敵戦車十二を撃破、捕虜百名を得たが、敵の進撃を阻止する能わず、或地点においては敵は枢軸軍の陣地深く突入するに至った。目下なお激戦を継続中。」この発表形式は従来の独軍の発表形式とかなり違い、チュニジア戦局が終りに近いことを独側が承認したと見られる――とベルリン朝日特電は報じている。また七日午後D・N・B(ドイツ側)はロイター電を引用して、反枢軸軍がチュニス、ビゼルタ両港を完全に占領した旨反枢軸司令部が七日夜発表した、と報道している。
いよいよこれで、独逸は、アフリカから全部撤退であるらしい。昨年はロメル将軍の独軍はカイロ近くのエル・アラメインまで肉迫したが、その後英軍と戦って利を失い、英米軍がアフリカ西部に上陸東進すると共に、独伊軍は一挙にチュニジアまで退き、ここの山地に拠って頑強に抗戦しそうであったが、英米軍の輸送力とその精鋭集中主義の為に破れたのだ。これまで、ロメル軍は戦略的に成功した、とか、英米は又も攻撃に失敗したとか、又退却したとか書き、独軍は戦略上地の利を得ているから大丈夫だなど何度もドイツ側のニュースは伝えていたが、結局こうなって見ると英米がアフリカに集中した軍隊は数から言っても、また装備から言っても大きなものらしい。ドイツの英米戦力に対する優越期は過ぎたのか。どうもドイツはこの前の大戦の時もそうだが、初めはよい勢いで進むが、ある一点まで行くと弱りはじめる。対ソ戦は休止中だが、クバン河辺の独軍はまだケルチ半島へ逃げ込まず、コーカサスの最西北部の一角で頑張っている。スターリン首相は、英国が欧洲へ第二戦線を設けぬとて昨年中不満らしかったが、この頃は、外電によると、米英の欧洲への空爆と、チュニジアの攻勢とを、我意を得たとてほめているという。チュニジアが英米に取られ、地中海が英国の勢力に帰せば、欧洲の戦局はどう変って行くか分らぬ。スペインも、中立を守り難くなった、とフランコが言っているという。彼は「目下文化とボルシェヴィズムとの決戦が行われつつある」と言っているそうだから、戦に参加すれば枢軸に参加するであろう。
しかし、フィンランドは米国の単独和平勧誘を受けつけず、米国と断交同様になったが、積極的攻撃を加えていないのにソヴェートはフィンランドを攻撃する、と公式に言っているほどだから、少しも積極性は持っていないのだ。チュニジア戦の終りに来て、欧洲での大戦は一つの峠へ来たと思う。
川崎夫人より芭蕉の芽が出て来たから大きくならぬうちに取りに来てほしいと言って来る。明日出かける予定。今日も仕事せず。入浴。
牛肉の配給あり。五十匁ほど。今出盛りの筍と煮てうまい。野田生と塩谷より乾魚来る。この頃食物豊富である。
実によい季節。生きてこうして暮していること、大変幸福だと切に思う。生活の将来の不安が目の前に来ているのだが、今暫く、何も考えたくない。ぼんやりしていたい。
東条首相、フィリッピンより帰り、福岡に到着した由。
午後トルストイの「セバストーポリ」読み出す。中支駐屯軍は、突然再び洞庭湖北岸で攻撃に出、敵拠点安郷県城を占領した由。山西東部の討伐がまだ終らぬのに、またここでも始めたようだ。時期がいいのであろうか。
五月九日(日)晴 好日 暖し 二十三度
昨日川崎夫人より催促あり。朝八百屋のリヤカーを借りて、一人で川崎家まで四キロ押して行く。丹潔君来ている。日露文献の話など。開城の時ついていた法学者〔アキ〕博士は、彼の伯母の夫の由。外に大山大将伝を彼よいと言う。しかし資料そのものに頼っている彼のような文学者からあまり知識をせがむのは考えものだ、と気づく。芭蕉その他ソテツなどをもらい押して帰る。昼帰来。トマト等を植えに来ていた粕屋の農夫に芭蕉を植えてもらう。午後何もせず。夕方田原君来る。今日見合いして、承諾したが、どうも気の強そうな娘で少々心配だと話す。仲人になれとのこと。
四月中のビルマ戦線の戦果、敵機百四十三機墜破し、我損失七機。大きな差である。支那派遣軍三月中の戦果、敵屍体二万、捕虜帰順二万三千。夜「アトリヱ」の原稿。散文描写論書きかけ、一枚でやむ。
今日リヤカアを押して四キロ往復してもほとんど疲れず、右胸の重い処、胸中部へ移ったり、右側へ行ったり、方々動く模様だが、次第に軽衰化す。セファランチンの連用がよいのであろうか。
五月十日 曇
独伊軍いよいよチュニジアに破れ、ビゼルタ、チュニスを退いて、東方のボン岬に集った由。そこから撤退しているのであろう。米機広東へ七機で侵入、爆撃し、二機墜された。独空軍は八日昼夜にわたり、ロンドンを爆撃した。チュニジア戦の報復であろうか。
学校行の日。午前一年、有明、ボードレールの詩の話、一年生で峰岸君の友人松井利雄君に逢う。その他の生徒に回覧誌あずけらる。筧という生徒の小説よし。二三年は「戦争と平和」と藤村の文体論、写生的散文と叙述文。課業の後来週のために白秋や露風の詩と「戦争と平和」の主要人物の表とをガリ版で書き、印刷してもらうこととして残す。
午後から夕方にかけ蒸暑くなり、雷雨あり。初めての雷なり。雨は少い。
新聞にチュニジア撤収後の独伊軍の欧洲守戦法のこと度々出る。チュニジアでは独伊一に対して英米軍は十であったという。その戦力は随分大きいらしい。危惧の感を持たざるを得ぬ。ポルトガルかスペインに上陸して攻撃を始めれば独軍は困難するにちがいない。
学校にて四月分給料八円受領(二時間分)。
五月十一日 北風強し 晴 少々寒し
[#1字下げ]富士明かに見える。真白なり。珍しい空気の澄んだ冬らしい日。庭の椎三四本枯れたのがある。
[#1字下げ]右胸の圧迫ほぼなおる。昨日学校で喋ったので心配していたが。サロメチールを用う。体温はからぬも熱っぽさは少しもない。
朝刊――我軍ビルマ国境のマユ河上流のブチドンを占領す。中々積極的に出ているが、これは局地戦の整理なのであろう。
米潜艦北海道室蘭の東方の幌別を九日十一時頃砲撃した。牧場で被害なき由。北海道の連中はびっくりしている事だろう。しかし今後も海岸地方ではこういう厭がらせをやることと思われる。また敵発表によると、九日我空軍はダーヴィンを爆撃した由。
貞子、成蹊高校への紹介状をもらいに重見家へ午前から出かける。夕刻帰る。
◎文芸より、明治の必読書問い合せハガキ。「臨床文化」の太田千鶴夫氏より医事についての感想文五枚、六月廿日迄(日本橋本町三ノ一友田合資内)「アトリヱ」の原稿のためメレシュコフスキイの「トルストイとドストエフスキイ」を読み面白く、書く方後まわしになる。
夕刊――ニューギニヤのミルン湾と中支長沙を爆撃す。
東京市内の神田、京橋、日本橋等の民家の壁を昨年から金網張りのモルタルで防火壁に改修をしていたが、そういう資材が窮屈になったので、これからは市内の住宅地は竹と雑用セメントや土壁でその工事をし、主として工場地帯の方によい資材をまわす事にしたという。
夕刻までに「アトリヱ」の原稿三枚目まで。こんな事ではどうにもならぬが、やっと周囲への注意を切りはなして内面に注ぐようになった。これだけのこと大変な努力を要す。所有したり、管理したり、手入れしたりすることが、どんなに人間の心を奪うものかを考える。
五月十二日 晴 好日 右胸ほぼよし
我軍ビルマ西方のアレサンヨー占領。ブチドン、アレサンヨー北方にある拠点モンドーを狙っているのであろう。
昨夜薫来て泊る。朝日新聞では、目下我軍がハワイを攻撃中らしいとの説がある由。この正月にもハワイを大分爆撃したらしいとのこと。それ故この月の二十七日の海軍記念日には何か大きな発表があるであろうとのこと。
〈フランコ将軍の平和提案〉
朝日上海特電。
マドリード発トランスオツェアン電によると、フランコ将軍は南スペイン視察の途次九日アルメリアで六万の市民を前にして、重要所見を開陳し、その発言中、世界における和平の可能性について触れたが、右に対しベルリン来電によると、独外務省スポークスマンは十日の新聞記者会見において、フランコ将軍の和平提議に言及し、「現在の情勢に鑑み、和平は到底考えられぬ、戦争は目下激化の一路を辿っている。とくに最近数週間カチン虐殺事件(ポーランドの将校捕虜一万をロシアが虐殺したことに基いて、ソ聯と在英ポーランド、スコルスキイ政権が断交したこと)の示すごとく、英米が欧洲をボルシェヴィズムの手に委ねる決意を示して以来一層そうである。」またトランスオツェアン電が重慶通信の報として伝える所によると米国務省筋では「反枢軸国は枢軸側の最後的敗北まで戦闘を継続するであろう。米政府の態度はフランコ将軍の第一回の和平提案の場合と同様である」と言った由。
これによって見ると、この前にもフランコ将軍は和平を提議した事があったのであろう。スペインの立場としては切に和平が欧洲に来ることを望んでいるのであろう。うなずかれる事だ。スペインとトルコは独と英米との中間にあって苦しんでいるのだろう。
午後より外出。地下鉄虎の門より出て、北海道バターに杉沢を訪ねる。留守。神田にて蒲池君の店へ寄る。出版界の先行不安の話などし、六時より歌舞伎〔座〕前弁松にての石光葆君の出版会に出る。五円五十銭の会費にて、三年ほど前の二円五十銭位の料理。酒二本にて、食物なかなかよし。弁当屋で配給を持っているせいか。飯も十分あり。犀星、宇野浩二、丹羽、石川、上林、荒木氏等五十人ほどの盛会なり。高見君司会す。出版記念会として昔のような気分になりなかなか楽しいが、それにしてもこんな会もこれで終りではないかと痛切に思い、センチになる。会後一人で銀座裏を通って見る。スリーシスターの前を通ると「三姉妹」と改名している。米子さんらしい人出て来たが通りすぎる。その小路の辺も表通りも暗くなり、酒場など随分目立って減っている。一入感傷のことなり。地下鉄にて井上友一郎君と一緒になり、文学の行末の話などをする。烏山へ下車。緑川医院を過ぎ、川の辺まで来ると警戒警報らしいのが細く長く調布の方から聞え、家につく頃方々で警報鳴り出した。
五月十三日 強南風 暖 晴 警戒報続き
昨夜警報のみで何事もない。ふだん着の合服のままねる。「アトリヱ」の原稿を朝書いていると、五六枚目の所で、十一時頃、思いがけず基来る。出張とのこと。すぐ彼出かける。午後仲川翠君来る。その前に小樽市の田居君より、ミドリ君新設の日大農科を受ける故よろしくと言って来る。翠君の話では尚君は京都にいる由。相談して京都あて明日逢いたしと電報する。そこへ、帝国教育会出版部の井田女史来る。挿絵を松井敏(?)氏にたのみたい由で、絵を持って来て見せる。賛成す。
夜原稿を九枚目まで書いて寝る。
夕刊――チャーチルがワシントンにルーズベルトを訪い会談中の由。チュニジアが片づいたので、次の戦略の相談であろう。ニューギニヤの敵軍の報によると同島の日本軍がこの頃積極攻撃を行っているという。大相撲は警戒報中順延の由。十七日杉沢と見に行くと言っていたが、月曜なので、延びた方がよい。
夜九時基来る。二階に並んで寝、色々家の話など。平山の菊枝は婿をとるという。この頃続いて毎日夕方植木に水をやる。滋と礼、時に菊や英一。
◎「日本女性」の前川武夫君より随筆五枚十六日迄と言って来る。
五月十四日 晴 朝より二十三度 甚だ暑く、土乾く。警報中
午前中大急ぎで「アトリヱ」の原稿十五枚迄書き速達にす。締切に一週間も遅れて、間に合わぬかも知れぬが。――十時半出かける。渋谷の古本屋による。本あり。火曜日また来ると約す。雪印バターに行く。杉沢来ていない。井の頭線にて公園下車田居家まで歩く。尚君も翠君もいない。お婆さんと少々話をして帰る。昼食抜にて疲労す。田居君より電報、千円位ですむならよろしくとのこと。明日寄って見るつもりなり。いやな用件を引受けたもの。庭師が来ていた由。大島豊氏夫人来ている。竹の子を菊に買わせる。
〈チュニジア戦終る〉
チュニジアの独伊軍ボン岬地帯にて戦闘中止の由公式に独伊側より発表す。これで戦争はしばらく中休みであろう。次はどうなるか。どうも独伊側の頽勢蔽いがたきものあり、心配なことである。独伊軍の英米船四月の撃沈六十一万屯という発表。少々少い。
日露勇戦譚を短いものとして、発表すること考える。
五月十五日(土)曇 やや涼しく快適なり 夕刻警報解除
〈米軍アッツ島上陸〉
朝刊――大本営発表。米軍は十二日アッツ島に上陸、艦砲、爆撃により我を攻め、我軍は寡兵これを攻撃中と発表あり。いよいよ北太平洋の敵の攻勢が始まったのだ。千島、北海道と進むことでも目くろんでいるのか。熱田島という、さきに付けた日本名でなく、アッツ島と発表したことが、気弱く感じられる。こちらは飛行場を持たず(上野山氏の話によると敵上陸の時利用されぬよう作らぬとのこと)、附近の島に敵の飛行場があるのだから、やりにくい戦争だと思う。第二のガダルカナルではないかと、考えると胸が苦しくなる。アッツ島はキスカ島よりも西方で、長さ二十六七里、幅十里の島だというから、相当大きい島で、守りにくい事であろう。敵はチュニジアで勝った勢いを駆っており、ガダルカナルで戦った戦法によるであろう。難かしい戦争になって来た。
朝化研行、林氏を仲川翠君の用で事務所に訪ねたがいない。瀬沼と新宿で昼食後、また中井に林氏を訪ねる。日大の医科を中心に内紛があるらしく、曝露的な投書から四月以来入試の不正をしらべられている由。翠君の新設農科へ口添を依頼したが、難かしいと思うが、という話。ともかくよろしくと頼む。この件で田居君よりも電報あり。三鷹の田居家へ寄ったが留守、家に戻ると翠君待っている。その事情を話してやる。
瀬沼の話によると、今度の警報は北方の関係でなく支那の米機の活動を見てとの事である。しかし丁度十二日というのは変だ。洞庭湖北方での討伐戦、敵屍一万二千、捕虜二千、我方戦死一六八名という。大きな戦果である。敵の戦力衰弱甚しとのこと。また夕刊の敵側ニュースによると、我大本営発表により米国民は騒ぎ出し、やっと米側は、まだアッツ島の戦況は分らぬが、米軍は二ケ所に上陸、苦戦中とのみ発表した。これは簡単にすむ戦争ではあるまい。夏中濃霧の地だが五月は一番いい気候だということ。敵は上陸するには好都合であろうが、飛行機を思うよう使えなければ、それはまた敵の不利である。
(アッツ島としたのは、大本営の名の由。熱田、鳴神という名は現地部隊のつけたものだという。昭南島、マライ等は大本営の名づけたものの由、十六日の新聞にあり。)
五月十六日(日)昨夕より霧雨 久しぶりの雨で、庭の木が助かり、トマト、茄子の苗も助かる。椎の木が四五本枯れかかっていたが、これで助かるか。大分寒い。十五度。
終日家居して、原稿に向い何も出来ず。夜入浴す。
大本営発表――十一日ニューギニヤ西南のメラウケ、十四日ガダルカナルの敵陣を爆撃す。海軍航空隊は十三日ルッセル島上空にて敵戦機三十八機を撃墜し、我方二機未帰還。
飛行機の戦闘はたしかに日本軍が段ちがいに秀れているらしい。しかし敵は中々墜されぬ飛行機を作り、また飛行場を早くどんどん作る設備力を持っている。
アッツ島などでは我方に飛行機が無いらしいから、苦しい戦であろう。
五月十七日(月)雨 夕刻止む
学校の講義に出る。その前に興農公社の新宿配給所に寄ったが杉沢来ていない。学校すんで後、銀座を散歩して三軒でコーヒーを飲む。
朝刊に、アッツ島の米軍は二箇所に上陸したと米側で発表あり。
夕刊に谷萩報道部長談あり。敵は完全に制空権を持っていて我方の補給が上野山氏の先日の話のように潜水艦によるという風であれば、事情はガダルカナル島と同様である。アッツ島はいずれ占領されるかも知れぬ。又米側はチュニジヤ戦後日本を攻撃すべしという論多いらしい。戦争は太平洋に来るのかも知れぬ。
夜六本木の南圃園にて、国際文化振興会主催の大東亜代表作日本文学部の選定委員打合せ会。久しぶりで公式の会に出る。打木村治、小田嶽夫、阿部知二等久しぶりで逢う。外に浅原六朗、中村武羅夫、久保田万太郎、長与善郎、高見順等。帰路浅原氏の話に、チュニジアは撤退し、アッツ島も危いとすれば、枢軸側の危機で大変だと話し合う。
五月十八日 薄曇 好日 右胸重し、但し疲労感少し。十五度から二十度位
[#1字下げ]気候――
[#1字下げ]藤の花終り頃、プラタナスの葉の半分ぐらいの大きさ。桐の葉も同様。桐の花盛り。アカシヤの花盛り。梨の木に袋をかけている。セルには少し早いが、セルを着てる人もいる。梅雨の先がけにて、曇りがち。霧もあり。
〈支那事情〉
朝刊――北支唯一の蒋介石直系軍、河南山西堺にいた廿四集団軍軍長|※[#「まだれ<龍」、unicode9f90]《ホウ》炳勲はその部下七万余(孫殿英とその軍を含む)を率い、蒋政権より離脱し、国民政府に合体した(大本営)。これは詳報を見ると、山地に追いつめられた敵軍の中へ、先に降参していた孫殿英の部下や田中という少尉が出かけて誘導して来たのである。(昭和十六年には遺棄死体百に対し俘虜四十五、十七年には六十七、今年五月三日迄には百三十八となり、抗戦力極端に低下して来ている。)しかし孫殿英も※[#「まだれ<龍」、unicode9f90]炳勲も積極的和平というよりは、そういう気持を持っている処を追いつめられて捕虜同様に降服したものである。但し、二三の消息通の話によると、日本の譲歩により、支那人は強気になり、この頃は満洲も中北支も日本人の生活はおびやかされていて、あまり外出も自由でなく、日本の女性が独り歩きなど極めて危険だという。難かしいものだと思う。
午前中より出かけ、林了氏の所に寄り、留守なるも仲川君のこと頼む。それから渋谷にて例の古本屋に寄り、多摩川辺南武線など地図を買う。九月にまた出る由。四時頃中野の杉沢家を訪れる。相撲を見に行くのは二十日の由、その日神田の興農公社配給所に集るという。
昨日頃から、爾霊山の件だけ、叙述風に、ほぼ参謀本部の日露戦記を土台にして諸種の文献を挿入しながら、大急ぎで書く事にした。物語小説は別に後に書く事とする。日露戦を書きたがっている人があちこちにある気配である。色々これまで二年も考えて来たが、とても写生風には書けない。感想を入れたり、感情を推定したりすると類型化する危険が多い。骨組みだけにして、客観的に、しっかりと冷たいぐらいに書くことにする。この月ももう二十日となり、遊んでいれぬ。
昨日学校で〔アキ〕講師の話では、出版会の提出原稿の審査はこの月(?)の十五日、それから八月の十五日が締切にて、その後になると出版は難かしくなるばかりで、来年までは駄目だろうという話だ。午後林家より駄目との電報あり。
〈独伊空爆を受く〉
夕刊――ローマは前から空襲されぬことになっていたが、ローマの郊外の海岸都市オスチアが十六日爆撃された由。朝になって、ローマの南方には、米国機の落した鉛筆爆弾が発見されたという。これは拾うと爆発してその当人を殺すという危いもので、最も非人道的なやり方とされている。イタリアはこの頃あちこちと爆撃されていて、また、クレオンとか、懐中電燈とか、葉巻、人形、口紅、咳止め、キャラメル等の形をした爆弾等が無数に落されていて危険甚しき由。これ等は、老人、女、子供までも犠牲にせんとする米国のやり方である。イタリヤをいためつけておいて、イタリアに米英は上陸するのかと思う。
またドイツとイギリスは相互に爆撃をやり合っていて、毎日のように続いている。一方ソ聯とドイツの間には夏期の大戦争が始まるらしく、目下は北方のレニングラードと南方のクバン河でドイツ攻勢に出ている。欧洲は息苦しい緊張の時になって来た。アッツ島については日米共に発表せず、ただストックホルム電では上陸した米軍は濃霧のため、不利に陥っていることを米当局は認めた、と伝えている。米市民はアッツ島戦にやっきとなって、事情を知りたがっているらしい。我々も同様だ。
ロシアと日本と戦っていない事は、日本に対して独伊の、またロシアに対して英米の不平の種になっているらしい。この頃文壇人が徴用されて南方へ行くのにつき、近く濠洲と印度に対し積極攻勢に出るという噂を二三人から聞いた。
五月十九日 薄曇 好日 元気なり 右胸少々こたえる
夜明けに考え、「幼年時代」ともかく書きつづけて仕上げること、「爾霊山」を書くこと、それから評論集と少女小説と、これだけを、元気を出して八月までに仕上げる決心をする。
〈モンドウ占領〉
朝刊――「印緬国境の要点モンドウを占領した。遺棄死体六千四百、俘虜五百、墜破せる敵機五百五十、外に砲二百門、重軽機四百五十、戦車貨車三百余。我戦死七百十四、戦傷一三六四、飛行機四十八。」これはブチドン、アレサンヨウを占領した時から予想されていた事だが、相当の大きな戦争である。この方面はこれで落ちつくか、又印度カルカッタ方面へ入るのか。
また外地向日用品其他の交易計画と、国内医薬の統制要項が出来た由。薬はいよいよ少くなろう。今家には、キナ注射薬インドラミンを三四年分、外にスカボール三年分、ワカマツ一年分、オゾ一二年分、外ビタミン類半年分ぐらいあり。硼酸二三年分あり。もう少し支度しておくべきか。米国海軍省の発表によると、米国参戦(一昨年十二月)以来反枢軸国は大西洋で六五五隻の船を失い、その内米船は二百六十三隻の由。
夜岡本芳雄君来る。友人の放送局員の伊藤君という露語学者を連れて来る。出版の話。この前の叢書の計画はやめにしたが、また新しいものを考え、速記で、青少年向の詩の本を出してはどうか、と言って来る。考えておくと返事す。九時頃客が帰ってから「日本女性」の原稿として「鉄蹄夜話」についての感想文を五枚書く。
この日沼田多稼蔵の「日露陸戦新史」を三度目に、丹念に読みはじめる。
五月二十日 雨、終日。疲労し、右胸中央部重し。
相撲を見に杉沢から呼ばれている日なので、午前九時出かける。「日本女性」への原稿速達にて出す。昼頃より国技館黒柱奥の桟敷に坐る。満洲国の所有のものを興農公社にて又借した由。大関前田は二瀬に、横綱安芸は神風に、横綱照国は双見山に破れ、騒然となる。六時打出し。
〈アッツ島戦〉
朝刊――アッツ島攻防戦の米側発表を出している。〔切抜貼付〕
これを取られたら国民の士気沮喪するにちがいないと杉沢言う。もっともである。霧の濃いため敵飛行機の活躍を封じ得ればよい。上野山清貢が海軍から聞いた話では、昨日頃はまだ我方の軍艦がそこに届いていない、ということ。とすれば目下軍艦が急行中であり、海空戦が近いうち行われるのであろうか。〔アッツ島の略図記されている。〕
国技館の大鉄傘は献納する予定であったが、現地の兵士から国技館だけは残してくれという注文が多いので、保存する事になったという。相撲協会の政治工作でなければ幸なり。桟敷内では弁当も酒もかなり十分に売られている。ここは別世界なのであろうか。
今日留守中に、錦城出版社の米田嬢来て、「童子の像」製本十部を届けてくれた。定価が二円三十銭となった為、もう四百五十円印税を取れるという。寄贈分の通知を出さねばならぬ。見ると、割合によい本になっている。やっとこの金で庭師への払いが出来る。
米機またラバウル近海で昼間我病院船を爆撃す。十回目である。
早寝す。夕刊に、米議会でのチャーチルの演説出ている。大体の敵首脳の見解がわかり面白い。
五月二十一日 晴 庭の木、畑の作物元気づく。好日
貞子、菊を連れ、病院と買物に出かける。学校より、来週月曜の夜丸ノ内会館にて招宴の由言って来る。近藤春雄君より茶の湯を習わぬかとの招きあり。月曜午後、荒木、井上君と一緒にて教師は女の人の由。
午睡す。貞子外出より戻り頭痛とて臥床、伊勢丹にて南部女史にたのんで、やっと座ぶとんの皮を求めて来る。もう手に入らぬ由。
五月二十二日(土)晴 右胸中央ちょっと抵抗。好日
朝田居尚君来る。色々と話をする。金を貸すから石垣の土留めをしろと言う。千円位なり。礼と化研にて落合うようになっているので、田居と共に化研行。
〈山本司令長官戦死〉
朝刊にて、山本司令長官の戦死を知る。驚く。真の戦略家らしいこの人を失うことは、何にも増して心細さを覚える。まことにこれは国家民族の大戦争となっている。こうして生きていると、友と逢うこと、若葉の木を見ていることの一つ一つの幸福が身に沁みるようであり、またそれがやがて爆撃のため一挙にけし飛ぶかも知れぬと思うと、一層尊く、美しく思われる時代になった、と田居君と話し合う。
礼、化研に十二時頃来、遅いので診察せず。三人にて伊勢丹に行き、七階食堂にてテンプラとパンの昼食、アイスクリームあり。五円位の支払。オゾ二個買う。礼を帰し、田居君と銀座に出、川崎昇君をあちこちと捜すが分らず。ニュースを見たり、行列に入ってアイスクリームを食べたりする。第一ホテル食堂にて夕食。一人四円にて、なかなかよし。そこへ川崎君来る。七時頃三人でニュートーキョーや新宿の暫等にて酒を求めて無し。八時過帰宅して入浴す。
夕刊にアッツ島のその後の情況の発表あり。苦戦なり。我方の救援艦隊がまだ着かないのか。
五月二十三日(日)晴 好日
[#1字下げ] この日記帖すでに七八冊に達している。帖面はもう十二三冊あるが、年に四冊とすれば、三年しか無い。書いて行って見よう。
山本元帥の遺骸東京駅に今日午後到着の由。
山本元帥の死、アッツ島等の為目立たないが、南海の空中戦は激烈なものであるらしく、毎日、敵側の公表として、我空軍が、ガダルカナル島や、ポートモレスビイや、ダーウィン等を爆撃していることが報ぜられている。また昨日は、昆明の飛行場を襲い、大型機二十機、戦機九機を撃墜破した。また重慶前面の梁山を一昨日、福建省の建※[#「土+瓦」]を襲ったのは、二三日前とその数日前という風に続いている。米軍の飛行機が支那の基地に根を生やすのを、我軍は懸命に抑えている感じがする。東京では、私の家など、四つほど向うの駅の調布に飛行場がある為毎日のように頭上で飛行機の演習が続き、今日など特にその轟音が耳につく。聯合艦隊司令長官は戦死し、敵は北辺の島に反撃し、南方に反撃し、また支那に基地を固めようとしている時に、この轟音の下に暮していると、ああこれは神代あって以来の祖国の大決戦の時なのだと切実に意識される。また今朝大本営発表にて、先頃の安郷附近の掃蕩戦に続いた中支洞庭湖畔戦の戦果の発表あり。支那軍の戦力戦意の低下は極めて甚しく、重慶軍事力は崩壊しかかっていることはいよいよ明かである。この機を何とかうまく生かして利用できないのであろうか。
国際共産党をスターリンは解散したと発表した。つまりロシアは積極的に米英と歩調を合せることにしたのであろう。これは相当の大問題である。
昨日銀座を歩いていると、私たちでも、困るなあと思うぐらいけばけばしい洋風の服を着た女たちが歩いている。水兵が五六人やって来て、その中の一人は笑いながら友人と話している。その後から来た下士官が、眉をひそめるように、通る人を見ているようで、それが心にこたえた。山本元帥の死という重い事実を胸一杯に持ったその軍人の今の東京を見る鋭いけわしい気持が、ありありと響いて来るのだ。
◎新潮楢崎氏より、七月号に作品評を十四枚書けと言って来る。三月間岡田、高見二氏と続けた合評会は、誌面縮少のためやめにした由。八日締切。同盟通信特信部の高橋君より、先日の原稿催促来る。日本女性の前川君より、先日送った原稿間に合わなかったと言って来る。
昼頃藤原恵次郎君来る。十五年前小樽市立中学勤務時代の同僚体操教師、目下日立航空機立川工場で舎監をしている。色々うちとけて昔話などをする。元気で生一本の人である。子息今年府立二中に入った由。そこへ薫来る。応召だという。昔カリエスにて肋骨を一本取り、その後健康だが五尺一寸位しかない痩せた男が、どうして、と思う。第三乙種の由。防空隊にでも入るのか。三日青森部隊に入るという。和田本町のもとの家、薫が目下一人で入っているが、あとへ英一を入れることに相談す。何となく悄気ていて、気になる。藤原君四時過までいる。その後へ大工長谷川君来る。庭の木戸の寸法を取りがてら、薪を二束持って来てくれる。この頃酒の配給なく、元気ないと言う。また和田本町の隣家なりし中野家の衣子、里子、静子の三姉妹、滋について遊びに来て夕方までいる。この日野田生よりの小包にアンパン二十個ほど入って来、子供たち歓声をあげる。薫の話によると、今日は新宿辺から向う市内にかけて、銃剣つきの兵士の立哨あり。かつ防空気球多く上っている由。山本元帥の遺骨帰還の日故の警戒であろうか。
夜、礼がこの一月ほど絶えず軽い咳をしているので、新しい取っときの吸入器で今日から吸入させる事とする。
夜になってから同盟特信部の原稿「戦争と平和」読後感六枚書いておく。
五月二十四日(雨)月 この頃毎日タバコを十本位喫う。
出校の日。朝八時に出、杉沢家に寄り、二人で上野山清貢氏宅へ行く。
途中杉沢の話に、いよいよ北海道興農公社では、アイスクリームの製造をやめ、飛行機塗料のカゼインを作ることにした由。カゼインはバターを作る時に出る余りものの由。そして、アイスクリームとチーズは製造中止という。ほとんどそれにより全日本のアイスクリームは出来なくなるらしい。アイスクリームのみはこの頃の市中の飲料のうち唯一のうまいものであったが、終りになる。杉沢はこの配達を一手に引受けてここ六七年やって来たが、いよいよ仕事が終りになり、以後は例の八王子在の横山で養鶏をやる由。上野山氏は、近日中に再びアッツ島方面へ、各新聞社の記者などと一緒に出かけるかも知れぬという。興奮して、色々の話あり。記者たち小樽に待機しているがまだ出ない由。また幌筵には我第五(?)艦隊(旗艦那智巡艦)の根拠地あり、その艦隊か、又は外の艦隊か知らぬがとにかく今アッツに向っているということである。またアッツ島にいた読売の記者二名は捕虜になったらしく、或は殺されたであろうとのこと。敵は一個師、我方は四千人、一聯隊なりと。杉沢は画をもらいに行くんだというのであったが、とてもそんなこと気の毒で言い出せず、話だけして分れる。
学校では一年も二三年もよく出講している。昼頃から細雨になる。午後興農公社前の店にてバターを十ポンド(三十六円)買う。薫の件や英一、滋のことについての使いものにするのである。それから雨中を近藤春雄君宅に寄る。
茶の会ということだが、茶の先生来ず。荒木巍、井上友一郎両君と四人で食事。カキ酢、サバの味噌煮、アジの塩やき、キュウリ、シジミの味噌汁等々にて馳走多し。どこかに特別ルートがあるのであろう。その席で井上君は大分悲観論をしている。彼の隣組の企画院に勤めている人の話では、企画院では今はほとんど仕事なく、開店休業のようであること、それからドイツは進攻する力なき故受身になってしまったということ、この頃は省線、東海道線列車のガラスも破れたものは入れられぬらしい、ということなど。夜学校の招宴に出ず。薫が家に来る筈にて七時半戻る。薫来ていない。重見家より、田居君に売るという写真機フォスフレックス一揃、菊が今日持って来ている。
終日歩き、仕事して身体元気なり。
五月二十五日 曇
大本営発表によると、我空母アッツ島近くに到着したらしい。この後どうなるか、海戦も行われるか。田居君と歌舞伎へ行く日。昼頃田居君より速達にて一等券二枚来る。貞子にも一緒に来いということである。貞子風邪気味で着かえてから見合せる。薫は応召故、歌舞伎を見せてやろうか、と下宿へ電話すると、いまこちらへ出向いたとのことで、駅近くで逢う。今夜七時にて立つという。それでは大変だというので、家に戻り、重見家のフォスフレックスで記念撮影をし、餞別二十円を送る。私は三時頃出て、歌舞伎に寄り、羽左衛門を一幕見て、田居とフジアイスで茶を飲み、五時上野駅へ行く。薫、英一、松岡母子〔薫の元の下宿の家族〕、薫の友人黒田君等。見送りはホームに入れず、五時半薫ホームに入る。私はその反対ホームの水戸線馬橋の切符を買って入って見る。六時列車入り席定る。薫戻って皆に別れ、私たち帰る。松岡母子と鍋屋横町に出、雑誌を買う。今月から綜合雑誌二十三日になった由にて、売切と言うのを、やっと中央公論のみ入手。この日小学館三輪君に三代作家論集の私の書いた「秋江論」の年譜二枚を送る。文学界の庄野君に五円送って、定期購読の件依頼す。先先月より寄贈しなくなったのである。町の書店での新予約はもう出来ない由。夜疲労したが、滋の勉強を見てやり、九時就寝。
この頃右胸部の圧迫感ほとんど無く、肥って来て、腹出て来る。夜は熟睡す。気候もまた大変よい。しかしこの頃出歩きが多いので、気をつけねばならぬ。
夕刊にアッツ島についての敵側情勢出ている。我軍連絡を絶たれているとのこと、苦戦であるにちがいない。この戦はそう長くは続かず、いずれどちらかが島から退く外あるまい。
昨日の東京新聞に潤一郎の「細雪」は今後自粛的意味で発表中止と出ている。当世女風俗であるから、あんな傑作でも困るのであろう。それが戦争というものだ。純文学というもののありかたについて考えること深し。しかし文学そのものは変らぬ。
岳州北西沙市まで、海軍は航路を開通した由。長江南岸戦と継続しての仕事である。宜昌までの半分位だ。宜昌には我軍の陣がある筈だが、これまで揚子江は通れなかったのであろうか。
薫は痩せっぽちで、丈も五尺一寸位しか無く、十年前に肋膜炎とカリエスをやり、骨を切り取った。東京へ来てから十年ほどずっと病気しないが、日常大変気をつけていての事である。あれで軍隊が勤まるであろうか。青森は通信聯隊だというから、歩兵よりは楽かも知れないが、きっと身体をこわすであろうと思う。しかし彼の同級生で病んでないものはみな取られたというから、やっぱり現在の大動員の渦中では、彼のようなのも兵士にならねばならないのであろう。元気なく悄気ているかと思うと、急に元気よく、一度は戦争に出て見ないと、などとも言う。気持の騒ぐのが分って、胸が痛いほどである。久しく続く南海の戦の外に、アッツ島、チュニジア、印緬国境戦、山本元帥の死等、国の周囲も内側も騒然として、いよいよ極点の大戦争の段階に近いのを感ずる。
夜八時になると、東京の町々はほとんど真暗で、店は戸を閉ざす。売るものが無いのである。切符制の着物と薬屋が僅かに品物を並べている。若い女など出歩くのも危い感じである。国民の一人一人にこの緊迫感はこたえている。この月の酒配給は酒五合にビール三本という。これはなかなか豊かである。
五月二十六日 晴
菊、朝に外出、新宿にて、応接間用のカーテンの棒を買って来る。貞子午後より外出、成蹊高校の清水という教師の所へ、重見君の紹介で行く。滋の受験の件。
午睡。夕刻散歩がてら駅まで出むかえに行く。その教師の話では、内申書よりも今後は学科に重きを置くということ、また多少知合の運動は役立つ事もあるらしい様子とのこと。滋を高等学校と続いた中学へ入れるというのが、目的である。この頃、ずっと、日露戦の文けん読む。沼田氏、津野田氏、参謀本部のもの等。昨日にて相撲の千秋楽。双葉の優勝。優勝十二回にて太刀山の十一回を抜き、全勝八回(?)にて、共に新しい記録なりという。途中警戒警報にて三日休みあり。
五月二十七日 曇 海軍記念日
朝早く川崎昇君自転車で来て、三十分ほど談話。
福田君の補講のつもりで、オディッセイの事を話すべく準備して出かけたが、学校は運動会なので、戻り、セファランチンに寄る。大谷藤子氏と逢い話す。夜、入浴。
五月二十八日 曇 小雨
[#1字下げ] 杉沢の持って来てくれた柿やっとこの頃芽を生ず。雨が降ったからである。午後トラックで砂と砂利来る。庭師が明日あたり来るのだろう。裏の新築家屋ほぼ出来上り、雨戸たてている。
貞子、礼の二時間目の早退するのを待ち合せて化研へ行く。礼の軽い咳、この四五日吸入をしていて、ややよいがまだ直らぬ故なり。昼間じゅう上野山氏のような人物についてのノートを五頁ほど書く。書く事は多いが、時間がかかって困る。しかしこれは「爾霊山」の次に書く大きな日露戦物語のための性格創作の下書きとして役立つこと明かで、色々な事について出来るだけ、緑色のノートのルースリーフに書いておくつもりである。
午後今井田勲君来る。一年ほど鹿児島の聯隊に入っていたが、戦地へ行かずに戻されたという。船の都合と、次の入隊兵のため居れなくなったものらしい。肇書房に勤務する由。
夕方貞子たち戻る。礼レントゲンで見て異状なく、咳の理由分らぬ由。山本元帥の国葬六月五日には諸官署休業せぬ由。六月十五日より三日間臨時議会召集して、米穀問題、企業整備につき議する由。企業整備はいよいよ進行し、繊維業、弱小鉱山等みな整理されて、緊急業務に移転させられるという。今井田君の話では、文士の転業問題は情報局にちゃんと予定が出来ていて、大工業会社の文芸班のような所にまわすようになっているという。又石坂洋次郎のフィリッピンへ出かける前後の感想を集めた本の企画は却下になったという。いよいよ近いうちに来るのであろうか。
ニューギニヤの東岸では米軍は次第に根拠地を西進させ、我軍の根拠地ラエに近づいているらしく、ブナ、モロベ、という風に、ラエに近い所を我軍はしきりに爆撃している。ラエを取られたら東北方のニューブリテン島は孤立して守り難くなるように地図では考えられる。次第に全力を出して来た米軍のこの強力な前進は考えさせられる。アッツ島では上陸作戦において、米側は、死者一二七、傷者三九九、行方不明一九と発表した由。損害の一部であろう。それにしても我軍はその後情況の発表なし。心配なことである。
滋杉沢が茨城県で買って来てくれた甘藷苗二百本持って帰る。一本一銭にて、二円だという。明日あたり南角辺の畑に植えるつもりである。米二日分早く無くなり、菊夕方に取りに行く。早くは米をくれぬなど配給所で言う由。
読売に三四日〔前〕出ていた田代中佐のソロモン戦談は事情がかなり分って興味深いが、いよいよ心配なことである。〔切抜貼付〕
米軍は分解した鉄板を運んで行って組み立て、忽ちの間に平らな鉄板の飛行場を作るという。彼等の物的な仕事はなかなかやるものらしい。
今井田君と、この戦争は少くとも十年ぐらいは続き、どちらが勝ったとも負けたともなく、たがいに疲弊しつくすまでやるだろう、と話し合う。またドイツが崩壊すれば困るから、ドイツがあまり参ってしまわぬうちに、日本はロシヤと戦いを始めるのではないか、しかし、そうなれば、米国は得たりかしこしと、シベリヤを基地として我国を空襲しつづけるにちがいないから、痛し痒しだ、等。
郵便物の規則変り、生鮮魚類、野菜類、漬物等の小包は禁止となった。またこの頃は船不足らしく、北中支方面への小包便は停止となっている。また集配局より四キロ以上の所への速達は禁止となった。
京王電車の馬場氏、家屋保険の保険金受取人を京王電車に直す件で来る。この月末千円支払期なるも延期のことたのむ。課長に話してほしいという。
五月二十九日 小雨 曇 夕方晴 この頃本格的に梅雨模様。蚊屋を釣る[#「蚊屋を釣る」に傍線]。
昨夜半速達にて、河出書房より青春の検印紙三千枚来る。先月頃届け用紙が来てからまだいくらも経っていない。たいてい二千部以下であるのに、どうして今度は多いのか。それにしても「童子の像」の余分の印税とこれと合して九百円となる。ねむくって午前中から午睡。同盟通信特信部から随筆六枚の稿料として二十四円送って来る。北海道から更科源蔵君、三十一日に来るという。速達類を出しに、雨の中を局へ行き、本屋に寄り、ウィッテの秘書だったコロストウェッツの「ポーツマス講和会議日誌」と沼田市郎の「日露外交史」とを買う。外に佐藤惣之助の「釣」文庫本「論語」「セヴィニエ夫人の手紙」「雑兵物語」等皆で十円ほど買う。夕刻雨あがり、菊の肥料した畑へ、杉沢から来た甘藷苗を植え、外に貞子は胡麻、私はモロコシを播く。これでほぼ畑全体播きつけ終る。落花生の種子はとうとう手に入らず。
朝刊によると、今度の臨時議会では、企業整備(整理廃止)が一番大きな問題らしい。織物業、セメント業、化学工業、鉱、炭業等にわたり相当思い切った廃止をし、スクラップと人員とを浮かすものらしく、失業者が大分出るという。この事の噂前からあった。またこの整理は当然、製紙業、出版業にも及ぶと見なければならぬ。一種の社会変革で、重工業か教育か又は統制組織の中に入る外に国民の生活は困難になることと思われる。夜疲れて何も出来ず。
滋機械体操にて右腕を捻挫し、貞子サロメチールにて治療してやる。
アッツ島の戦況敵側発表あり、シカゴフ湾は東北部の我根拠地であるから、いよいよ我軍の陣に敵は肉迫しているようだ。アッツ島の日本軍はどうしているだろう。白夜だから、ほとんど二十時間も敵機の銃撃と爆撃にさらされているにちがいない。弾丸はあるだろうか、食物はどうしているだろう。負傷者の手当も出来るだろうか。北海道出身の兵たちという為か、この戦はこれまでのどの戦にも増して気になる。撤退するとなっても果して撤退出来るだろうか。ガダルカナルの時は、こちらの飛行基地を強化して撤退の援護をしたのだが、今度はそうは行くまい。占守島から駆逐艦で一日半というと、千五百浬、つまり三千キロだから、普通四千キロぐらいの航続力しか無い爆撃機は行けはしないのだ。一体軍部では、どういう予定を立て、どういう手段に出ようとしているのだろう。一聯隊の兵が、一師団の兵に攻められ、重砲、戦車、飛行機の攻撃を受けているのだ。もう二週間にもなり、海上との連絡は絶たれているのだ。空母も一度は行ったらしいが、敵基地の近くだから長くはいれない。それに我方の空母はこの際極めて貴重で、あまり危険にさらしたくないのだろう。
五月三十日 朝晴 後曇
朝日新聞所論によると、企業整理ははじめの中は、資材減少の為に行われ、又次には中産階級保持という社会的見地からも行われていたが、これから行われる整理においては、輸送問題解決のため内地の鉄鉱による製鉄を行うには、どうしても屑鉄が必要だ、その屑鉄を得る為に工場の機械を取りつぶすのだ、とはっきり書いている。この事は巷間の噂話では昨年から言われていた事であるが、それを公然と明言するような危急なことになっているのが現時の状勢の特色である。またその次には、そうして空いた工場や宿舎のスペースをそのまま火急の工場に転換させる、という事もあるようだ。いよいよ国内の機械をつぶして兵器や船にするのだ。
漸くこの一二日、仕事に向う気持になった。「斜陽と鉄血」「日露陸戦新史」「乃木希典」「血の爆弾」「日露戦史」等を次々と読み続けている中に、その世界がやっと自分の中に熟したのが分る。いよいよ書かねばならぬし、また書ける、という気持になった。それにこの家の環境にも慣れて来た。すでに丸二月経ったこともあるが、昨日家の畑を自分でやって見たためか、この土地に根がついたような落ちつきが出て来た。よその家にいるという気持が失われた事が、そのまま仕事の中に入って行けるという気持に変るのだ。周囲には、気にかけることが無い、という環境と一体化したこの気持と、それから外出などせず、家の中でただただ仕事に向い、外に気を散らさぬこと、持って行き場のない余って熟した気持があふれて初めて仕事をする気分になるということを、改めて感ずる。
六月号の雑誌、色々来る。先日買った中央公論は百十二頁、日本評論は百十頁、新潮は九十六頁、文芸は六十四頁、文芸春秋九十六頁だ。それぞれ以前の四分の一又は三分の一の頁数である。この頁数の維持だって何時まで続くことであろうか。文芸春秋社の庄野誠一君より、特別に営業部に話して、文学界購読者としてくれた、それも八掛けの値段でしてくれたと言って来る。なお同君より金星堂のチェーホフ全集と秋声全集が手に入らぬかと言って来る。見込なし。新潮社より振替で、座談会の分三十円送って来る。
今日、鍋屋横町の阿波屋でネルを七時から売り出すとて、菊朝食もせずに出かけたが、午後戻って来て、中止と言う。何でも行列の途中に入る者多く、また番号順に札を渡したところ、若い番号の者が、更に途中に戻って入ったりしたので、警官立合の上、やめにしたとのこと。七百人分あるのに千人余も並び、中には昨夜の十時から番を取っていた者もあるという。大変なことだ。これは隣組を通じての配給にしないといけないと思う。どこででも切符があれば買える為に、殺到するのである。
菊と一緒に、以前の家の隣家の中野夫人遊びに来る。夕方までいる。その間私は二階で午睡す。
五月三十一日 月 曇
〈アッツ島の我軍全滅す〉
アッツ島の我軍、二千数百名は、二万の敵に囲まれ、遂に全滅す。二十九日夜傷者、病者は自決し、百余名の生存者は山崎部隊長の下、遂に突撃して全滅した、と今朝の朝刊にて読む。昨日ラジオで午後五時発表の由。こんな悲壮な事件はない。何ということか、とうとうこういう事になった。悲痛この上もない。いよいよ今度の戦はその真相を、露骨に現わして来た。目が覚めたような思いである。ノモンハン、ガダルカナル以上の壮絶な戦であり、日露戦争にも比を見ないことである。
平和な国内の生活は、悉くこういう前線に支えられてあるのだと思うと、毎日の静けさも、たまゆらの陽炎のようなものに思われ、それだけ一入、人の歩く姿、電車の走る姿、木の葉の繁りにも、生きている静かな存在の味いが濃厚に感じられる。学校に行き、一年の時間にも二年の時間にも、この事を言い、こうして静かに暮したり、学校の教室に坐っていたりする事が、やがて、あんなおだやかな日々もあった、と遠い事に思われるような、徹底的なひどい目に逢わないうちは、この戦を勝ち抜くことは出来ないのだ、と学生に話す。
実に思い知った形で、身体の奥から、そうだ本当に何でもやらねばならぬ所へ来ているのだと感ずる。国民が皆、この事件には、そう思いきめたろうと直感される。こういう悲報の真実味こそ国民をふるい立たせるのではないか。ハワイ戦からマレー、蘭印、ビルマ戦、比島戦等は、あまり勝ちすぎた。だから今ソロモン戦は決戦だと、当局はくり返しての重要性を叫んでも、現実に日本軍が負けるかも知れないのだという感じはピンと来ない。アッツ島の戦は負け、しかも全滅であるが、精神的にはそれを貫いて生きている。これこそ国民にこの危機を実感させ、全力をふるわせる無二の機会だと思う。
やがて敵は、敵中にただ一つ残されたキスカに上陸するだろう。キスカの海軍兵はどうするか、これも全滅するかも知れぬ。すると次は千島の占守か幌筵か、という。本土が敵に曝されている感じに、いよいよなって来た。これこそ、大東亜戦争のこれからの真の姿なのであろう。
今朝から、久しく来なかった庭師秋元老人がセメントにて玄関前と裏口の道を作りに来ている。もう六百円ほど渡さねばならぬ。(庭木共にて千百円程)先日来た「青春」の印税四百五十円と「童子の像」の印税残り四百五十円とを受取りに行く。河出にて澄川君に逢い、印税受領す。錦城の方は中島氏肋膜炎で休んでいるとのことで、明日菅原君が整えておくとのこと。
〈室蘭砲撃〉
夕方戻ると、更科源蔵君、札幌から来ている。久しぶりで夜話す。アッツ島に行っているのは、旭川の第四部隊という隊の由。郷里の人々である。北海道の人たちは痛切なものが、特にあるにちがいない。先頃の室蘭附近の牧場の夜間砲撃から半月ほどして、先先週の土曜日の朝九時過ぎ、室蘭の市街が砲撃された由。武揚という国民学校の校庭などに六七発、どこからともなく砲弾が飛んで来て、人死も怪我もあったという(新聞に発表なし)。空襲か砲撃か分らぬが、近くの人家もやられているので、多分砲撃だろうというのであると。母恋の製鋼所が近いし、太平洋岸では一番狙われる所だという。また札幌等旭川よりも兵隊が多いぐらいで、大きな建物の大部分は軍が使用しているという。また帯広辺には飛行場多く、大型爆撃機が多いということである。札幌のは戦闘機が多いという。帯広から東部にかけて兵隊が多いということ。また美幌峠の飛行場は、山をくり抜いて作ってあるので、空爆を受けても大丈夫だという噂がある由。八雲にも飛行場が出来ているという。この度来る時には、青函連絡も船団を組んでいるらしく、青森に入って甲板に出て見たら、後に幾隻も船が続いて見えていたという。更科君、昨春再婚したが、工合悪くって別れた由。子供をかかえて今の配給生活は困る話など。
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[#2段階大きい文字]昭和十八年六月
六月一日 火 晴
朝更科君と一緒に出、明大前で別れる。今夜帰国するという。近藤春雄君の所へ傘を返しに寄る。午前中彼と雑談。九日の夜、先日の茶の湯の会をいよいよやるという。行けたら行こうと約す。錦城に寄る。中島、菅原二氏見えず。広瀬照太郎氏(前、日の出編輯長)と釣の話をする。一旦外出、古本屋をまわり、蒲池君の店でしばらく休み、午後三時また錦城に行き菅原君より四百五十円受取る。その足で帰宅し、ちょうど仕事を終えた秋元老人に六百円払う。昨日今日、電車の中その他街頭で出征兵を見ること大変多い。いたる所緊張している感じである。夜田原忠武君来る。先日の結婚話また破れた由。今度は仕事を先に捜すという。履歴書あずかる。共に戦争の急迫した話をし合う。夜間飛行練習の音が聞え、夜空にサーチライト照っているが、飛行機の爆音も、もう練習でなく、いよいよ日本中が戦地だ、という切実さがみなぎって聞える。先日僕の原稿を扱ったアトリヱ社の山口寅夫君出征の由。こないだここへ来た三笠書房の松本君も出征とのことで挨拶状来る。田原君たちは復活した丙種だけでこの一週間毎朝早くから演習をしているという。急に国内の空気が変っている。
◎広瀬照太郎氏より「八光」という山本英輔大将の機関誌に小説十枚頼まる。
組長桃野氏が菊に、私のことを暇だろうとか色々聞いている由。彼は副町会長の外翼賛壮年団、防護団、防犯係等色んな用件を背負って参っているらしく、私に一役負わせようとしているらしい。この頃、腹が張って困るほどで身体は大変元気だが、とにかく今が大事の時で、今無理をするとまたこわして了うので、役を言いつけられるのは困ると思う。しかし、何か一つやってやりたいという気もする。
国民登録をせよ、というポスターが町に出ている。四十歳までの男と、二十五歳(?)までの女との全部である。私もその中に入る。まだその用紙は来ない。徴用のためのものであろうと思う。
六月二日 曇
朝、淡海堂の少女小説、日記体にして書き出して見る。面白く書けそうな気持。
〈身体の件〉
この頃肥って、腹が出て来て、古い縞の合着のズボンが苦しい。歩くにも少しそって歩く気味。疲れ方が少くなり、胸の圧迫感も忘れたように、ほとんど感じない。ずっと便もよい。食事は以前より少く、二杯にして、よく噛むようにしている。セファランチンは○・一になったが、それが自分に適量なのであろうか。とにかく病気をして以来最もよくなった状態である。なるべくよく眠るようにしている。
午後午睡中松尾一光君来る。夕方まで雑談。薫の下宿の松岡未亡人来る。薫の国民登録の件。書く。
淡海堂の少女小説にいよいよ取りかかる事にする。夜、明日の学校の講義「オディッセイ」の為に、「百合若大臣物語」を調べる。幸若舞曲になることが分ったが、私の処には、更にそれを作り直した近松門左衛門の浄瑠璃しか無い。
アッツ島以来新聞の全体の調子厳しく重々しくなり、国民の悲壮な気分を反映しているのが分る。
六月三日(木)曇後雨
福田君の代講二十日迄との事で出講。一二三年の文芸科生の為に「オディッセイ」の話をする。放課後三年の山下均君と久しぶりにて話す。この頃北海道から上京したという。彼と二人で新宿へ出、伊勢丹七階食堂で天ぷらを食べ、かなり大きいテンプラ四つに汁に麦だけの飯、満腹す。一円二十銭なり。
〈海軍戦記を見る〉
松竹館で「海軍戦記」を見る。十七年五月から十月までの海軍の戦争実写。キスカ上陸、ソロモン海戦、ツラギ夜襲戦等、山本元帥の近影も二度出て、胸つかれることが多い。特に凄い印象を与えたのは、初めの方のキスカ上陸と、上陸後の米機の空爆、それから米機と我艦上高射砲の戦闘、その撃墜等の場面である。アッツ島の場は陸軍であるから出て来ないが、キスカの方は、島の形から上陸する将兵まで実によく出ている。あの空爆は凄い。四発の敵大型機は影のように上空に来ると、水際の防波堤らしい所に真白な巨大な、島の陸の丘をぐんと抜いた水の噴出が出来る。一つ、また二つと。それを艦上の高射砲や機銃がだだだだ/\と休みなく射つ。煙を曳いて海上の向うに消える敵機もあり、黒煙の中を、きらきらと燃えながら、糸のようによじれて落ちて来るのもあった。
そして波を白く裂いて進む軍艦を見ていると、胸がせまり、涙が出て来る。あんな戦が、昨年の春以来一年続き、今、この頃、後方のアッツ島は我軍が全滅したとすれば、あのキスカ島の海兵たちはどうしているだろう。あのまま撤退しないとすれば、もう一週間ぐらいのうちに、敵米軍はキスカに上陸し、またここに我軍が全軍玉砕となるのではないか。そして南海の主力艦の砲撃等を見、絶間ない飛行隊の活躍を見ていると、ああ実に、この海軍が南方と北方に国家の全運命を支えている。これを負けたらどうなるか、と身体中わくわくして来るのだ。こんな怖ろしい感動に襲われた映画はない。
山下君がもたらした情報によると、この十日ほど北海道からの郵便は中絶しているらしいとのこと。また北海道では、アリウシャンで全滅した隊のあることが昨年の秋頃十月から盛に巷間に伝えられているという。その頃のこと、冬の夜旭川の兵営では衛兵が、吹雪の中を兵営に戻って来る隊のあるのを見つけ、大騒ぎで出迎ようとすると、ふっと消える、という事が、幾度もあり、衛兵が変る度にその幻覚を、どの衛兵も見たという。雪国の兵の悲壮な最後を思わせる話で、いかにもありそうな事だと思う。
また最近は北海道の兵はほとんど皆どこかへ出て行ったらしく、補充の為に大動員をしているという。いよいよ、千島方面に大きな兵を動かしているのではないかと思われる。また例の室蘭の砲撃は、爆撃という風の噂になって北海道では広まっているという。敵いよいよ、我郷里の北辺に迫る、という感じが、ひしひしと起って来る。駅で山下君に別れ、和田本町の魚屋へ行こうとすると、画家の山田稔君に逢い、鍋屋横町の東京パンで話す。彼の妻君の郷里余市(私の村の一つおいた隣町)は、この頃港の設備がよくなった為か、基地となったらしく、兵隊で充満しているという。いかにもそうであろう。妻君はこの十日ほど来る筈の音信が余市から来ないので、ひどく神経質になっているという。新宿紀伊国屋で田辺茂一君に逢う。神経病のひどいのをして、やっと恢復したという。
夕刊で、男子の服は国民服乙号に、女子の着物はみな元禄袖にするという運動を起す、と出ている。国民服を持っていないと困るようなことにならねばよいが。
独軍の潜水艦の五月の戦果は、振わず、目標の百万屯に遙か遠い三十八万屯である。英米が飛行母艦で潜水艦を防ぐ方法をとってから、潜水艦戦は困難になって来たらしい。これは、いよいよドイツの為に工合が悪くなった。アメリカのストライキは絶間ない。石炭のストライキまた初まった。こういう事で敵が崩壊するとは思われないが、国内の統一に大きな弱点があるのは事実だ。日露戦争当時の明石将軍のような人がいて、米国内をかきまわしてやると効果があろう。
帰途和田本町の薬屋で、わかもと、ビタス各一箱、蚊取線香三箱を買う。線香は品不足にて、知らぬ人には売らぬ由。
この日紀伊国屋で松村中佐の「撃墜」という本を買って来る。前からほしいと思っていたもの。ノモンハン戦の時の戦闘隊の指揮官で、その隊の戦闘の実際を図入りで、報告的な正確さで述べている。よい本である。空中戦記としては最もよいものであるらしい。拾い読する。
各新聞に、昨日頃アッツ島の初夏に咲くアッツ桜という高山植物の草花の写真が出ている。こういう草花を染めて血が流され、兵隊が死んでいるのだ。
六月四日 曇 南風強く、蒸暑い。
〈米炭坑罷業〉
アメリカの全炭坑夫、ルイスの指導下に罷業に入る。大統領ルーズヴェルトは、七日までに復業すべきことを命じた。但し実行されるかどうか。製鉄業はこの影響を受け、その操業はすでに二割五分短縮され、アメリカ内の輿論では、これは真珠湾以来の最大な損失であると言われる。大統領は、坑夫が就業すれば賃金値上げを考慮してやるが、就業しなければ軍隊の保護下におく、というような命令を出した。民主主義国の矛盾が戦時インフレーションの進行と共に現われて来たのである。
英一が日本医大を受験した時に世話になった千明三郎博士の処へは、英一が落ちたため、礼に行かずにいたが、先頃から買ってあるバターを持って今日出かける。美しい夫人が出て来て挨拶した。中野の百田家を訪ねる。留守で茶をのんで出ると外で百田氏に逢う。十日八時に中野駅で待ち合せて、埼玉県児玉の峰岸君の処へ行くことにする。その足で和田本町の魚屋に寄り、卵五十個ほど包んでおいてもらったのを持って帰る。留守に朝日の八木健一郎氏より使あり、薫が即日帰郷の由を手紙で言って来る。八木氏へのバターを渡した由。
鍋屋横町の古本屋で「孝子伊藤博文公」「児玉大将伝」「ヘロドトスの歴史と人」青木巌等を買う。
六月五日 曇
[#1字下げ]右胸少々圧迫感あり、昨日重い物を持ち歩いた為か。
〈気候〉
この頃一月ほど、一日晴れると次の日は曇り、または雨という風で、次第に梅雨に入る。麦黄色くなり、熟す。風はほとんどなく、しのぎやすい。合着に、下シャツにワイシャツだけのこともあり、また上衣を着てちょうどよい時もある。
山本元帥国葬日。この頃連日元帥についての思い出、逸話等新聞に出る。霊前に勅使御差遣、誄を賜う。
アッツ島戦についての米国側の発表、同盟ブエノスアイレス電は、朝日新聞だけに出ている。
〈アッツ島米側発表〉
「一日、米海軍省は『アッツ島における日本軍最後の部隊が全滅した』旨発表。二十九日早暁、日本軍の猛烈決死の反撃により惹起された戦闘では『銃剣と銃床と鉄拳とナイフまで』振りかざし、アッツ上陸以来最大の激戦が展開された、と山崎部隊長以下の阿修羅の如き勇戦振りを伝えている。さらに二日の米海軍省公表は、『米軍が五月十二日より六月一日までに殲滅した日本兵の死者判明数は、千七百九十一名である。ただし米海軍の艦砲射撃および爆撃による日本軍の死亡者数ならびに日本軍自身の手で火葬あるいは埋葬された日本軍死没者は右数字中には含まれていない』と述べている。」
これが、アッツ島で戦死した同胞について我々が知り得る最後のありさまの全部である。人は生れて死ぬものだ。あるいは国家の辺境の守護に命をささげ、あるいは芸の道に生涯を賭す。その目的の一貫して美しいものがあれば、生れて来た甲斐ありと言わねばならぬ。それにしても、後方より一兵の援助を求めず、傷病者の自決した後に突撃全滅したというアッツ島の兵士たち、何という一筋の美しい戦いをしたことであろう。これは物語でなく、行為であり、肉体をもって示された事実なのだ。これが今後の日本軍の戦闘法の典型になるだろう。これで、いよいよ完全に米軍占領の島々の間にたった一つ取り残されたキスカ島の陸戦隊は、どんな気持でいることだろう。いつアメリカはこの島へ上陸するだろう。映画で見たところでは、やっぱり径五六里はありそうな大きな島で、一本も木が無く、短い草ばかりだ。空爆を受けたら身の置き場もあるまいと思う。毎日空爆を、あの映画のように受けているにちがいない。それに補給も難しいのだから、食糧難に陥っていないだろうか。撤収するにしても、今では敵の制空権下にあるから軍艦だって持って行けはしないだろう。
先頃のチャーチル、ルーズヴェルト会談で、今後欧洲と東亜とに対して同じような重点を置く、という英米間の話し合いが成立したらしい。濠洲首相がそれを喜んでいるという同盟通信が出ている。いよいよアメリカの太平洋攻勢である。南方よりも、もっと近い北方千島辺が敵の狙う所となるのではないか。どうもそういう感じがする。
午後中山義秀君の息子、今年芸術科へ入ったのが帝大生の某というのと遊びに来る。文学者の息子というものは、どういうものかと、自分の家庭のことから考えて気になるのだが、この青年は母もなく育ったらしいから特にそうだ。人なつっこくよい青年だが、喋りすぎる。秋声の「仮装人物」を面白いなど言うところ、ませた所もある。もう二年すると戦争に出ねばならぬ青年たちの落ちつきのない気持を素直に話している。同情せざるを得ない。航空兵に志願すると言ったら親父が賛成した云々。
夜入浴。山本元帥の葬儀、甲州街道を通り、烏山の向うを曲って多磨墓地に入ったという。菊使いに出て見て来たということ。夜少女小説書いて筆進まず、半枚にしてやむ。
米国の炭坑罷業七日をもって中止して復業するよう代表のルイスから指令出たという。
酒についての記事が出ている。家では酒は大工にまわして、薪にする木をもらうことにしている。そういう風に酒を使う家が多い。
山東地方にいた栄之某という支那の中将(もっとも日本の士官学校に学んだ三十九歳の男)二万の部下を連れて、和平陣営に加わる。近時のこの種の例がまた一つ増したわけである。
六月六日 曇(日)右胸側圧迫感あり タバコ七八本
少女小説午前中に五枚目まで書く。午頃小西猛君来る。文学の話、戦争の話など。その後杉沢仁太郎氏来る。近日中に千葉県勝浦の先の鵜原まで煮乾しを買いに行くから一緒に行かぬか、という。一貫目十円の由。二三貫買って来ようというのである。その他の魚も買える由。他の魚はほしくないが、煮乾しのみは欠乏していて、やっと取っておきの鰹節でしのいでいる故一緒に行くことに約束する。四五十円金がかかることであろう。彼のいつもの農園設計の話など聞きながら駅まで送って行く。アッツ島以来国民の気持がすっかり変ったという彼の話は本当である。山本元帥は幸福な人である、というのは彼の意見である。薫より即日帰京になった旨ハガキ来る。今井田勲君より、種子島から上京する少女を女中におく家はないか、と訊いて来る。朝日の八木健一郎氏よりバターの礼状来る。
六月七日 薄曇 暑し(月)身体の調子悪し
学校へ行く前に、京王電車に寄り、五月末までに納付する筈の千円が一月ほど延びたことを釈明猶予を乞う。利子を払えばよろしいとのこと、かえってそれならば安心であると思う。しかし、こういう件で出向くのは厭なことだ。今後四年間毎五月、十一月に千円ずつ払うのだが、骨が折れることであろう。学校で二時間喋り、その後で一年生の回覧誌「牧場」というのを、その同人のため批評する。暑いせいか疲労甚し。しかし思い立って、参謀本部前の古本屋に寄り、「戦陣叢話」の二と五、「血痕」等を買う。古い戦争関係の本を多く持っている一軒がある。学校の雑誌「新芸術」に「花咲ける道」という自伝小説で元木国雄が夜の芸術科に出講した私の印象を書いている。せいぜいよく書いてくれてあるが、それだけにぞっとするような当惑した気持である。
夕方家に戻ると、留守のうちに、京王電車の中村さんが税務署の人と来て家や庭を見て行ったという。不動産取得税の件なのであろう。届けを出そうと思っていて出さぬうちに調べに来られたのだ。夜早寝して、月評の為に雑誌の小説を読む。
どうも熱っぽく、身体の調子悪い。月曜と木曜と二日学校へ行って喋るのはたしかに身体に悪い。喋ることがいけないのだ。
ドイツ軍は東部の攻勢を始めないが、空爆を大がかりに始めた。ゴリキイ市の空襲では先ず高射砲陣地をつぶし、それから二時間にわたって空襲し、ロシア最大の戦車工場を潰滅させた。そして翌日もまたそこを襲った旨新聞に出ている。先月頃か英軍はルール地方の工業地を襲い、空爆の外、魚雷によってライン川の堤防を破って、その一帯を水びたしにした。その為か独軍は東部のボヘミヤ地方に工場地区を建設しつつありと発表している。スペインは、人民居住区の空爆停止を提言している。
六月八日 空襲サイレンの試奏、朝、昼、夕と三度あり。「熱っぽい」。但し四時六度五分。
[#1字下げ]◎昨日東京新聞の宮川謙一君より、九枚の短篇小説を日曜夕刊のために書けと言って来る。
先月末に帰京していた英一戻る。義母の作った羊かん、饅頭等を持って来る。八雲に七千〔誤りか?〕町歩にわたる日本でも一か二という飛行場を作っている由。ここは徳川義親家の開拓地で、徳川農場がその中心になっている所。神社も移転、中学校は兵舎となり、別の所に軍で中学の校舎を建ててくれる由。八雲は大変な変りようだという。遠い山の下に、地下格納庫を掘るという。ここは室蘭、函館に近く、日本海と太平洋とに出やすく、日本海へは山一つ、太平洋へは噴火湾を越して、すぐ出られる屈強の場所である。この九月までに出来上るというから、大至急やっているのであろう。船橋の親父さんなど、神社移転で毎日手伝いに行っているという。各地の飛行場設置で農耕地の減少は相当の量にのぼるにちがいない。
ゴリキイ市の空爆は三度繰り返して行われたという。
北海道の八雲辺だけで言うと、この三月頃大きな召集があったが、最近はない由。薫が青森の通信隊に応召した時は、第二、第三補のみらしかったが、八百人が応召のうち、八十人は即日帰郷になったという。一割がはねられる訳だ。即日遠い所へ出発するので三十分の自由時間しか与えられなかったという。
一昨夜、どうしたのか戦争のことを寝ながら色々考えているうちに、夢の中のこととて、変に先っぱしりの考になり、日本はドイツの壊滅を救わねばならぬし、また自らをアメリカの攻撃から救う為にこの夏のうちに沿海州とカムチャッカとを占領するかも知れぬ。とすれば、満洲軍の進撃と同時に日本本州各地は米空軍、ロシア空軍の爆撃を被るにちがいない。満洲軍や樺太や千島の我軍の露領への一斉進撃と、その機会にアラスカから雲霞のようにロシアに入って、我国を襲う米空軍のことが、夢魔のように私の心の上にのしかかって来た。二三日前に新宿を通ると、駅前の交番の周囲には、土俵を積み上げて防空設備をしている。これまでに無い事である。また若松町にある牛込憲兵隊の建物は、板で箱様のものを作り、その中に土を詰めたものを周囲に作っているのが電車から見えた。ああいう所が本気で防空設備をするということが、先ず怪しまれる。これまで私は米軍の空襲は、アリューシャンや支那から来るとのみ思っていたが、そうではない。日ソ開戦のその日から本州はすべて、シベリヤからの米空軍の爆撃下に入るのだ。だから、それは、必ず、突如として、大規模に、容赦なくやって来る。防空壕を作らねばならぬ。とすると日ソ開戦を最も避けている者は日本かも知れぬ、とも考えられる。
米空軍司令官は「日本に新しい大地震を経験させてやる」と豪語しているという。濠洲の陸相は、北辺の日本の脅威を除去するに足るだけの空軍援助が米国から与えられる、と公言した由。空軍力で劣るようなら、次第に圧迫されてじりじりと退かねばならぬであろう。西南太平洋では三、四、五の三月、月に百六十回ずつ、機数で千六百機平均の空襲を受けているという。力一杯でこちらも支えているにちがいない。米空軍の八割は学生の由。この一月ほど前から、しきりに学生に空軍を志願するよう呼びかけている。息子を空軍へ志願させたがらぬ者は母親である。母親の気持を変えねばならぬ、と新聞で書き立てている。
武藤貞一が読売の「日本刀」欄に書いている所によれば「アッツ島では日本軍に一人の捕虜もない」と敵側で発表している由。これは我方の最後の突撃隊が敢然と死んだのでもあり、また一面敵がその時の負傷者をも一人残さず殺したことを語る所でもある。米軍は未開地を開拓した時の蛮性をすぐ出して、残虐なことをするのは平気なのだろう。怖るべきことだ。
一昨昨日アルゼンチンにクーデタがあり、カスチーヨ大統領はウルガイに逃げ、昨日かローソン将軍が大統領に就任したが、今日の新聞で見るとローソンは忽ち辞職し、今度の陸相ラミレス将軍が大統領になった。ふだんなら一面のトップに大きく出される記事が、下の方に一段組で小さく出ている。中立を放棄して反枢軸になったわけでもないとすれば、勢力争いであろう。朝刊に南方の空中戦発表さる。
大学生の海軍主計及予備学生志願者は極めて多く、今秋卒業生の半数に近い所もあるという。大学高専生が、海空航空隊に一万余名、一泊の見学をしたという。学生の気持など当局のやり方で、うんと湧き立たせることが出来るし、それにアッツ島と山本元帥の死去とが大きな影響を与えているのは事実である。学生はやがて次々と空中戦の華となろう。
夕方四時、どうもこのごろ変だと思って熱をはかると、十五分もかけて、六度五分である。急に元気が出、梅の木の油虫退治をしたり、馬鈴薯の土よせをしたりする。夜新潮の月評を書く。
朝日の鉄箒欄に、品川方面で便の汲み取りが一月以上も来ず、庭に穴を掘って埋めるやら、庭のない家が本当に困って流れ出していることやら投書あり。また神田の青物市場附近では路上に塵芥が積もり腐敗して悪臭を放っている、と出ている。七月に市と府が無くなり、東京都となるという時で、吏員の心が届かないのか、この問題二三年前から市民の最も困却する処で、当局がちょっと気をゆるめると、忽ちあちこちから非難続出の事なのだ。私の所など、市内というものの一度も汲み取りなく、菊が畑の肥料にやるので片づいている。農夫の言う所によると、二百余坪の家の畑だと、肥料として足りぬぐらいだとのこと。
夜常会あり、貞子出かける。
上林暁君から「明月記」という短篇集送られる。病む細君のことを書いた同名の作品、人の心をうつ。次第にこういう一度発表された短篇集の出版が減少して来ている。再録は今後出版許可されぬという説を聞く。夕刊によると七月から書物の購入は読者と小売屋からの注文による買切制になるという。
今まで目分量で割りあてられていた国債の割あて方法がきまったらしい。私の所では前の家にいた時は割あて少かったので、十円券が五枚ぐらいしか無いが、今度は大きいのであろう。鳥打ちや中折れを作らなくなるという。この頃では国民服に国民帽が段々多くなり、中折はまだ一番多いが、私のような鳥打は、少い。略帽だからいいのではないかと考え、前からの癖でかぶっているが、やがてかぶって歩きにくくなるかも知れぬ。昨年頃までは和服の着ながしに三枚重ねの草履ときまっていた百田さんが先日は、国民服に国民帽で、それがなかなか似合うのには驚いた。
久世歌子という、いつか二度ほど来た女史が、また訪れたいと言って来ている。
読売に二十日余連載されていた潜水艦乗組員手記「爆雷の下に」と東京新聞連載の「無敵海軍の父」を集めて切り抜き保存す。夜仕事できず。キスカ島はどうしているだろう。
六月九日 曇
ガダルカナル島の最初の米軍の上陸に従軍した米人記者の体験記、昨日から朝日に出ている。勿論書く方は一方的であり、また翻訳も完全なものはのせられぬであろうが、この島の防備において日本側に手落ち、或は輸送力不足のために準備不足がうかがわれる。飛行機の生産力で我を遙かに凌いでいる米軍に基地を与えたら、その後は島を守り切れるものでない。日本軍だからこそ半歳にわたってあの島を支えられたのであろう。
昨夜常会に貞子が出たところ、組長兼副町会長の桃野氏は、いざ空襲となれば、震災当時と同じようになると思わねばならぬと軍で言っていると語ったという。正にそのとおりであろう。そして、この辺は避難区域に当るという。また怪我人が出た時は、駅前の病院と学校に収容するという。それから十二中の近くの某病院の方が、重い怪我人の為の支度が出来ているという。その時は食糧の配給なども到底予定どおりには行かぬ故、各自農作をしたり、貯蔵を心がけるべきだ、と念を押した由。去年から言われていたことながら、次第に真剣味が深くなって来ている。旧市内の方では輸血の準備として血液型の検査をしているそうだが、ここらではまだしない。町会で塩カマスのあいたのを、二十五銭で分けてくれるという。貞子五つ依頼した由。
午前から新潮の原稿七枚まで、夕方畑を少々やり、夜十時原稿十四枚まで書き上げる。十時半就寝。この日貞子、セファランチン、森本忠家、瀬沼家、下駄屋等に寄る。
六月十日(木)晴 雷雨
朝早く起き、埼玉県へ出かける。中野駅にて八時百田宗治氏と待ち合せ、立川より拝島に青梅鉄道で入り、それより八高線にて十一時十五分児玉駅着、峰岸東三郎君に迎えられ、彼の家にて久しぶりの真白い米の昼食饗応さる。
今年は雨少かった為、全国的に麦が不作とのこと、埼玉県の農会では四分作と言っているが、児玉附近はもっと悪いという。事実丈は低く、穂は小さく、みじめな様で、もう刈入時期である。春蚕やっと上ったとのことで、寝不足らしい。
私の依頼した梅の実まだ早くて二十日頃になるとのこと。百田氏は荒井君より麦粉をトランクに一つ分けてもらう。私には峰岸君、とりあえず麦粉と沢庵漬と豌豆をくれる。前に家に来ていた隣家の峰岸文子君に逢う。四時の汽車にて雨中を戻る。文子君見送って麦粉をくれる。生活上に食糧物資のことは闇というほどでなくっても、便宜の道に頼るのは、致しかたないとも思う。私にしてもそうだが、百田氏にしても、山本元帥の歌を作るかと思うと、朝食のパン用の麦粉を買いに、埼玉県まで、国民服国民帽のいでたちでやって来る。こういうこと、やる当人が悪いと言えばそれまでだが、国内の者すべて、しかも上流社会では特に多いらしい。そして闇をするなと、演説や文章では言い、私生活ではうまくやって、たんのうしている。正義とはそういう表面のことですむという考が進行すると、支那のように国民倫理崩壊の基となる。よく考えると気持の悪いことである。児玉附近の話を聞くのに、そこに飛行場が出来てからは、請負師が日傭土工の賃銀を四五円にせり上げた為、日傭とりが手に入らず、またそれ並の高価になり、農家では困却しているという。二十歳前の青少年たちの気風完全にすさみ、年上の者を敬うようなことは全く無く、仕事は怠け風儀は乱れ、(賃銀高と土工の風儀に感染する為)全く困ったことであると峰岸、荒井君歎く。しかし私たちも県外移出禁止の物を手に入れる為にやって来ているのだから、五十歩百歩と言うようなものだが、こういう影響が、やがて明年明後年兵隊になる人たちの中に生じていることは困る。東京の大学生の方が、観念的であるにしても遙かに真剣である。彼等は消費することで多少悪いことはするかも知れぬが、稼ぐ金が入らぬ為積極的な悪化の風だけは見られぬようだ。
帰途、重い荷をかかえて、浅川まで行き、花屋で夕食を取ろうとしたが、米の配給不足のため、この三月から泊り客以外の食事はしていないと断られる。
夜入浴す。南海空中戦激化の模様であるが、空中戦闘では、我軍が卓越していること、どの発表を見てもうなずかれる。
峰岸君たちとキスカ島はどうなるか、という話が出、皆、補給も難しいのではないかと悲観論である。丸山薫君の義兄は、この頃まで大和とか武蔵とかいう超大級の戦闘艦の艦長をしていたという百田氏の話から、そういう大きな、まだ国民に発表していない軍艦が五六隻は出来ているらしいという話になる。
四万五千屯と称しているが実は八万屯級だという話もあり、少々内輪に見ても六万屯級だろうという話である。全くそれ等の新鋭軍艦があることは当局でも言明しているが、どういう艦がどの位の数あるかということは、誰も確実なことを知らない。百田氏は、もう戦争は攻める方が、難かしいような立場でどの国も大攻勢には出れなくなっているから、平和の外交術策が各国において行われているであろう、もう一年か二年で、一種中休みのような休戦になるのではないか、と言う。峰岸君等もその意見である。私もそんな気がするが、しかし、どうもそうは行かぬという直観のようなものがある。英国にしても米国にしても日本にしても生産力の頂上にやっと来かかった所だから、これを使わずして戦争の運命は決せられないであろう。下手な休戦は戦時体制をやっと整えた各国の内情を混乱させる危険も多いのだ。
新潮の原稿菊に速達で出させる。
六月十一日 薄曇
[#1字下げ]〈気候〉
明後日が入梅の由。この頃風なく、暑からず、凌ぎやすい。湿気は多少あるが、カヤの中に、かけふとんのみで寝、昼はシャツ二枚、時に上衣を着たり、またシャツ一枚開襟かテニスシャツにても足る。二十度ぐらい。芭蕉の葉三尺ほどになる。
南海での地上砲火による敵機撃墜数発表。この発表により、初めて、ソロモン群島の敵味方の占領島の境界が私に分った。東はイサベル島、西はニュージョージア島が我軍の前進陣地である。ニュージョージア島のことは分っていたが、イサベル島のことは敵の陣地とも思われ長い間疑問であった。
朝から寝不足で昼寝し、そのあと寝たまま「戦陣叢話」の日清戦後の台湾の守備の土匪との戦争記を読む。「宜蘭籠城記」というもの、なかなか面白い。筆者黒沢少将という人、文才あり、叙述細かし。
朝日スポーツより廃刊の挨拶来る。婦人朝日も先頃廃刊した由。紙不足の為に、それ等の用紙を外の使用にあてるのである。
夜、食事後、こないだ杉沢からもらった落花生の種子を七穴ほど播く。落花生の種子は、なかなか手に入らず、やっと杉沢に分けてもらったもの。夜、貞子裏の家を建てている大工にたのみ、防空壕用の柱と板をもらう。立派な材料にて、請負師に内緒のことらしい。板は絶対と言ってよいくらい手に入らぬ故、大助かりである。闇で板一枚十何円というから四五十円ほどのものかも知れぬ。配給のビール二本と金を十円包んで渡した由。大工は、更に裏の炊事と井戸ばたの所のさしかけをやがて作ってやると言っている由。それも内緒の材料によるのであろう。松村中佐の「撃墜」を半分ほど読む。ノモンハンの戦闘機隊長の手法。行文正確にして内容豊富。空中戦記としてこれ以上のものはないであろう。少しの風でも三畳の硝子戸が鳴るので、直そうとして硝子を割り、貼り紙した。
チュニジアとシシリ島の中間にある伊領の小島パンテラリアがこの頃立て続けに空襲や艦砲射撃を食い、抵抗しているが、水や食糧不足に、女子供がいるので、危険らしい。イタリア軍は実に頼りない。イギリスのマルタ島が、やっぱりその近くだが、これは全く独伊の包囲圏に落ちて二年ほど、とうとう持ちこたえた。イタリアは英米が、単独降服させようとしてしきりに働きかけ、飛行機からパンフレットを撒いたり空爆したりしている。ここが狙われるのは実に枢軸の急所であろう。
六月十二日 薄曇 むし暑し 入梅
[#1字下げ]体重[#「体重」に傍線]、ポーラのズボンにシャツ一枚、十三貫六百匁。
一週間行かなかった病院行き。瀬沼と逢う。秋山光夫「日本美術論攷」、石井柏亭「日本絵画三代志」、鴎外「伊沢蘭軒」中、板垣鷹穂「ミケランジェロ」、中央公論社版、防犯科学全集「少年少女犯、女性犯」「犯罪鑑識篇」等を買う。十五円ほどなり。瀬沼と伊勢丹にて食事す。鯛のバタ焼、少量なれど美味一円。
明治生命七階の国際文化協会にて、大東亜代表作集の日本の部の選衡委員会に出席。宇野浩二、浅原六朗等意見吐く。深田、今、中島、豊島、久保田、長与、岡田等出席。文学報国会へ会員提出の推薦書中に「得能五郎の生活と意見」と「得能物語」あり。その表につき銓衡半分にて今日はやむ。次回は出席せぬ気持になる。夕方薫北海道より来ている。
〈パンテラリア陥落〉
夕刊にて、パンテラリア陥落の由小さく出ている。これは相当のショックである。人口一万、三十二平方哩もあるこの島を守り切れなかったのか。次にシチリア島にでも英米が上陸したら、イタリアはいよいよ危くなり、枢軸はここから崩壊する可能性あり。アッツ島陥落よりも軍略的には痛事である。その南方のランペドウサ島も危険の由。降伏の勧告を受けたが拒絶したという。この二島を取られればシシリア島の触角が失われたこととなる。
六月十三日 晴 南風
[#1字下げ]湿気多く、皆疲れやすく眠いと言う。
貞子夜中に嘔吐と下痢す。胃痙攣かと思ったが、そうでなく、下痢らしい。北海道から薫の持って来た饅頭と林檎とを食べた由。腹直ってすぐであるから無理だったのだろう。夕方まで絶食、ワカマツを飲む。昼頃杉沢来る。川崎君の妹の菊子さん、いよいよ芝罘の夫君の所へ行くとて、子供を連れて寄る。餞別す。杉沢の話では、興農公社へバターをもらいに来る軍令部の衛兵(三十すぎの兵の由)が言っていた所では、先月は我国の船が二十万屯沈められたという。それまでは六万屯平均であった由。その為か、又はアッツ島などの事のためか、軍令部に国民の投書多く来て、不満を述べているという。旅順を攻めあぐねた時に乃木大将の宅に投石したり、ひどい手紙を送ったような日本人の悪い性急さが出ている。困ったことだ。杉沢の話では、この頃、ニューギニア、ソロモン方面の我軍の勇戦をしきりに新聞に出しているが、これは、ひょっとしたらニューギニア方面から我軍の撤退する前提ではないか、ガダルカナルの時もそうであった、と言う。
また、二十万屯ぐらいは日本の現在の造船能力があると思うとのこと。私には少し疑わしく、それだけに心配である。また杉沢がその時聞いた話では今年中に日本では百八十隻の潜水艦が出来るとのこと。こういう耳から耳へ伝えられることは、もっとも我々の知りたいことであり、また好奇心と心配が満たされるが、軍令部にそういう衛兵がいるということは心細い。そんなことでは軍機は保てない。少くともこの話は私は誰にも言わぬことにしよう。先日の室蘭砲撃の話を、私は誰にも言わぬつもりでいて杉沢や瀬沼などに喋った。喋るまいと思いながらだから、どうも自身が抑制出来ない。いかぬことである。
自制力を持つこと。それにしても二十万屯ずつも沈められて行ったら、先はどうなることか。ニューギニアの苦しい戦争の話、工兵の奮戦のこと今朝の新聞に出ている。十日の所に貼付す。昨日出ていた軍旗を保持した兵たちの漂流の話とともに、どうも考えさせることである。杉沢、アイスクリームの配達無くなれば、自転車一台百三十円にて分けてくれると。
午後横臥して、明日の学校の為に「戦争と平和」のオーステルリッツの所を読む。
夜、裏の大工より板切れ、柱の端などもらう。せんべい五枚、鰺などをやる。組長桃野氏町会長の家から南天の木を五本買ってくれる。組の人たちあちこちにくばる。夕方それを植え、落花生五六穴播く。東京新聞の小説考えてきまらず。イタリアもパンテラリア島の陥落を確信〔認?〕したと、小さく新聞に出ている。前々頁に貼りつけた。
パリの生活の話、東京と較べて興味あり。コクトオの名など見ると、まだ生きていたのかと思う。〔切抜貼付〕
六月十四日 曇 湿気多し
学校行き。浅原、三浦氏等に逢う。三年生の謝恩会来週の火曜に新宿聚楽にてある由。浅原氏、外房州辺へ移りたいと言う。氏はいま代々木駅の近くに居る。食糧の心配からだと言う。空襲への配慮もあるのだろう。
ランペドウサ島遂に戦闘停止すという。シシリア海峡を通って東亜への道は開かれ、米海相ノックスはまた全米兵力と飛行機の三分の二を東亜に向けていると呼号す。重圧は東亜に加わるであろう。しかし、朝刊によると、ルッセル島上空で敵三十二機を撃墜す。その詳報を読むと、彼我各七十機余を駆って決戦を試みているのである。その重大な意義は数ケ師団の決戦にも当ろう。それが四五日おきに繰り返されているのだから、この継続戦は大変なことである。この機数に彼も我も、五六十機という限定のあるのは、何によるのか。飛行場の広さや数か、それとも補給か、生産力か、人員か。それが分るとこの戦争の正体が分るわけだ。この勢いでは、おめおめとニューブリテン一帯の地から我軍が退くようなことはあるまい。心強いことである。我方の新戦闘機は増加している模様だ。
夜、裏の大工天井板のよいの一枚ほどと薪を持って来てくれる。貞子階下でビールを出してもてなしているらしい。私は、夕方から東京新聞の日曜夕刊のため九枚の小説、塩谷の千葉先生のことをモデルにして、一気に書き上げる。十時頃出来る。
六月十五日 雨
朝七時半出発、ゴム長靴に、レンコートにリュクサック、洋傘に鳥打ちという恰好で、両国駅に杉沢と逢い、外に串田氏、小保内君などと、外房州の鵜原へ行く。黒川安之助という杉沢の知人の案内で、煮乾し一貫二百匁、削り節八百匁等買い、杉沢を通して二十円払う。公定だと十円ほどのものか。帰りに杉沢の買ったワラサ一尾と大きな烏賊一尾とを分けてもらう。夜十時頃帰る。雨中を汗をかき疲れる。黒川家で、光ったとても美味な米を食う。いやなことだが、ダシ無しでは暮せず、取っておきの鰹節があと三本とかになったということで、杉沢の買い出しに同行したのである。久しぶりで海岸を噛む海を見て胸のすくような気持である。勝浦、鵜原のあたり夏用の別荘多いが、今年は多分海水浴客を入れぬことになるだろうとのこと。それが明日かの町村長会議で決まるのだから、軍機の秘密を保つ為(外房一帯は、侵入する飛行機の監視地帯、内房は軍需工業、軍事地帯である。)とも言い、また浴客が入ると米の値段俵四五十円(勿論闇値である)が八九十円にも上って、県民が困る故とも言う。黒川氏の話によると、魚が東京へ入るには相当の抜け道があって、一般市民の口には入りにくく、贅沢な一部の人間とか、料理店には入るようになっているらしい。私たちもその非公式な「買い出し部隊」なので、村を歩くと目立つので、気がひけた。煮乾し工場主が、杉沢に金はいらぬが酒をほしいと言った由。
帰途連れ込みらしい女をつれた中年男と同席したが、その男は杉沢や私に話しかけ、自分は建築関係の者だが、この頃千島方面へ軍では大急ぎで工事をしはじめている。何組に何人という風に割りあてで来て、たとえば清水組では千五百名とか、という風である、とべらべら喋る。困ったことである。照れかくしなのであろうが、こんな風では実際軍の機密など保てはしない。島国だからまだいいようなものの欧洲のような陸続きであったら、こういうことの為に国が亡びるかも知れぬ。(今日の新聞に欧洲のスパイ戦のこと出ている。智能の進んだ国を幾つか統治している独伊は骨が折れることであろう。)それにしても千島方面では、急に大工事を始めたらしい。それでは、これまで、割に力を入れていなかったと思っていいのだろうか。とにかく日露戦争のことを考えて見ても、あっちこっち、と間に合せに凌ぐことが戦争にはつきものなのであろう。そういうことは、うまくやってくれればよいと、当局を信頼する外ない。
六月十六日 曇(水)二十五度ぐらい 蒸し暑し
[#1字下げ]腹がまた張る模様。胸の圧迫ほとんどなし、痰なし。
[#1字下げ]季節――
[#1字下げ]雲雀まだ啼く。昨日の朝はじめて閑古鳥の声を聞く。今日は聞えず。ほととぎすらしい声を、一週間ほど前と、今日と二度聞く。
昨夜興農公社で杉沢がジャムをくれるというので、午前から重箱を持ってもらいに行く。峰岸君のところからもらった麦粉につけて食うためである。杉沢の所には全く色々なものが集るらしい。中村吉蔵著の「伊藤博文」を駅前で買って杉沢へ持って行く。杉沢不在にて小保内君にたのみ、彼に煙草銭二円やる。小保内君、北海道の家から来たとて、外にジャムの罐詰三個、澱粉一本をくれる。アイスクリームを大きな一かたまり御馳走になる。小保内君が夜学に行っている専修大学予科の英語を一頁講義してやる。それから本郷にまわり、郷里の弟博から依頼の「山羊詳説」を養賢堂で問うが品切れ。外の本屋にもその種の本なし。ハリソンの「ギリシャ神話考」を買う。電車内で読むと、ヘルメスはもと石の柱の道祖神のようなものであり、後に天空の神と地上の人間とをつなぐ役を持ったなど書いている。フレーザーの「ゴールドン・バウ」等を読んでいないので、これでも面白い。先頃から捜しているシュリーマンの「トロイ」の訳本は、遂に無し。買いそこねたのである。もう手に入るまい。残念なことである。先頃から考えていた志賀重昂全集を何とかして買うこと考える。
この頃出歩いてばかりいて仕事せず。少女小説も七八枚のみで中止なり。引きこもるようにせねばならぬ。今日須田町の万惣にて昼食。はじめて、食物を自分で料理場から持って来て食う仕方に接し、これはアメリカの安食堂式だなと思う。しかし食物一円の定食にしては、魚二切れに卵トジなどあり、なかなか豊富で美味であった。一膳分ぐらいの玄米飯もついている。近所の細君らしい女、男の子二人連れて来ている。手づかみで子供等食っている。いかにも家では米が足りないので仕方ない、という風だ。この頃よく方々の食堂で見かける風景である。新聞には、こういう切符なしの米食は全然やめたらよいという投書が乗っているが、こういう割高な食事でやっと市民は不足分を調節していることは、公然のことなのだから、そう画一的にやめることも出来ないであろう。銀座で、前に行ったことのある娯廊のコーヒーの会員組織のこと新聞に出ている。方々にこの種のことあるのだろう。
夜、小学館の三代作家論中の「近松秋江論」の校正をする。大分手を入れた。貞子、腹なおり、元気になり、夜は滋と礼の勉強を見てやっている。張赫宙君より「開墾」送られる。福山から若芽もらった直後なのに、塩谷よりも何か送ったと通知あり。
臨時議会開院式。陛下行幸あり。この度の企業整理は総額三十五億円にのぼり、貸し上げなどという現金抑制策を取ったにかかわらず、約十億円ほどの金が世間に流出するらしい。それだけ転失業者も多く出、またそれが緊急産業に吸収されて行くのであろう。
「現代文学」より稿料十二円来る。一枚一円の割。この雑誌は相変らず安い稿料である。近藤春雄君より茶の湯の会に呼ばれていたが断る。
六月十七日 曇 むし暑し 便ややゆるし
福田君の代講にて学校に行き、イリアードのヘクトル戦死の場を読み、その後にて、シュリーマンのトロイ発掘の経過とを話す。山下均君と帰路新宿まで一緒になる。朝は駅で大島豊氏と逢い、田原君の件を依頼す。日曜には在宅の由。組み立てのランプに提げ柄を太い針金にて作り、三畳の書斎の西側のカーテンを釣る。
朝刊に東条首陸相の施政演説と陸軍報告、嶋田海相の海軍戦況報告あり。アッツ島の報告が目立った外、東条陸相がこれまでの演説毎に言っていた濠洲の征服が今度は言われていない。印度の独立援助はいつものとおり言っている。海軍関係の船舶の損害は九十八隻、三十五万屯の由。陸軍関係のものは公表なし。施政演説では、今年中にフィリッピンに独立をゆるすという点と、日華条約を根本から改訂して支那の独立を強化するという点、それから、今度の企業整理の件など目立つ。
夕方、隣との境近くの二坪ほどを耕し、玉蜀黍を播く。東南角の畑赤い虫にあらされてひどい。
六月十八日 前夜より豪雨、昼頃やむ。北風 便やや軟 ワカマツ服用
臨時議会開会中、今度の企業整備は形も大きいが、色々なことを考慮に入れ、万全を期したものらしい。商工大臣の答弁などを読むと、南方に織物業を興して自給せしめるため、ジャバ、フィリッピンに紡織機をすでに移駐しはじめているという。また空襲等のことを考え紡織工場は、散在的に各地に予備の「保有工場」というものを三割ほどおき、七割は動かす。屑鉄にするものは、小工場よりもかえって大工場であり、その方が能率がよいからだという。つまり我々素人が考えうる以上のことを政府では実施しているのであろう。国粋会長の代議士赤尾敏が翼賛政治会から除名されるということだが、多分首相の演説に何か言ったのではあるまいか。
終日坐して仕事できず。夜に入っても、子供等を教える貞子の声が気になり蚊も出て仕事できず。朝と昼と麦粉の蒸しパンにジャムをつけて食う。
蚊帳は新婚家庭と出生児にしか売らなくなった由。家の六畳の蚊帳方々破れたのを貞子と菊今日一日がかりで繕う。ガーゼをはりつけたのである。
六月十九日 曇(土)やや寒し やや軟 ワカマツ服用
ルンガ沖航空戦。双方百機ずつの戦闘にて、我損失も多し。この度より、飛行機による戦闘を、航空戦と呼称することになった由。またニューギニアの中央の山中なるベナベナを我軍が爆撃したという。ここはラエの西北に当る。ラエは東南と西北から包囲された形になったのだ。ニューギニア中に敵は急速に、多くの基地を作り、前進しつつあるらしい。次第にこの島の確保が難かしくならねばよいが。米軍の土木工事用の機械は能率の大きいものであるという。北方のキスカ島については、アッツ島以来全く消息が新聞に出ない。潜艦ででも補給しているのか、それとも撤退でもしつつあるのか。
ドイツも今年はまだ東方戦線での大攻勢を始めない。やらぬつもりであろうか。それとも米英の第二戦線を警戒しているのだろうか。
米側も十六日のルンガ沖航空戦を開戦以来もっとも激烈な空中戦と称している。
午前十一時頃商科大学の辻村という学生、一橋新聞に原稿書けと言って来る。「決戦下の文学者」というようなもの。その学生から商科大学のこの頃の話を聞く。たとえば教授の三分の一ほどは東亜研究所の所員として軍政顧問の仕事があって、交代で昭南島に出かけるので休講が多いこと。また経済学や法律の教授の講義の内容は、時代の情勢と思想と法規の目まぐるしい変化のため、きちんとしたものに成り得なく、雑談めいたものが多い。また会計学とか工場経営の教授たちは商工省の仕事に引っぱり出され、各会社や統制団体の会計検査などをするため、これまた休講が多い。それから、学生は海軍の主計と航空予備学生を志願する者が多いが、これは両方をかねた申込書であり、海軍では四ケ月の訓練によって、すぐに中尉に任官するので、学生が自然半数ぐらいこの方向をとるということである。また辻村君が最近三木清のところへ行ったら、三木氏は、日本は戦争に負けると言い、来年(十九年)の今頃には、日本中の男はアメリカ人の為レントゲンで去勢されてしまうような事になるであろう、とも言っていたという。三木氏は本気で言ったのか、笑い話にしたのか、こういう話がどちらにしても人に伝えられるのは困ったことである。米側が日本を地球から消し去ると言っていることが、こんな風に知識人の心内に結実するのか。各大学の学生新聞はいつまであるかと言うと、多分今年一杯で、みなが連合させられ、結局文部省の機関新聞になるであろう、というのである。
臨時議会は今日で閉会の由。昨日予算案を決議したのである。
小学校時代の友人筆谷幸太郎君より、河出書房気付にて来書。いま樺太恵須取の無電局勤務、一男ありと。同級の医学士飯田左内君はスマトラにあり、その弟海軍少佐鉄之助君は病気にて東京田園調布にありと。返書書く。同君は同所勤務の女の子等私の小説を読んだりしていて、作中(「祝福」?)に筆谷君の名が出ていたことから、書く気になった由。
六月十九日 曇 やや軟〔この日付二度目だがママとする。〕
インド独立運動の急進的指導者チャンドラ・ボース前に英官憲の手をのがれてドイツにあったが、突然日本にやって来た。(経路は発表しないが、軍艦または潜航艇によったのであろうか、それともロシア経由で来れたのであろうか)、そして臨時議会で東条首相の施政演説を聞いているところが写真に出、今日の新聞に大きく記事となっている。ガンジーとはちがって、武力独立主義に立つ、まだ四十七歳のボースはこれからビルマを通して積極的に独立運動を始めるのであろう。
東部戦線の独軍は積極攻撃に出ないが、この月の中頃から中部オリヨール地区で赤軍の方が攻勢に出て独軍は之に反撃していたが、いよいよこの頃では独軍が戦機のイニシヤティヴを取ったという。しかし、これから独軍が昨年や一昨年のような攻撃を始めるかどうかは、相かわらず疑わしい。最近は新聞に、果してドイツ軍は積極的に進撃するであろうかどうかということが、よく問題にされている。六月二十二日はドイツが一昨年はじめてロシアへ進撃を開始した日である。その時はドイツ軍当局は、四週間にしてソヴェートロシアを崩壊せしめると公言していたものであった。それが二年後、スターリングラードの悲劇的攻防戦の後、遂にドイツ軍はロシアは難攻不敗の国であることを認めざるを得なくなり、チュニジア戦以後米英の西方欧洲上陸の危惧であって今年は、ロシアの大攻撃をしないであろうという観測が多くなっている。
午後奥野数美君来る。同君の母が最近帯広から戻っての話に、向うは毎日のように空襲警報が出ていると言った由。年寄の話であてにならぬが、敵潜艦が度々沖にでも現われるのであろうか。
六月二十日(日)曇 やや軟 ワカマツ
[#1字下げ]畑――トマト大きくなる。但し青し。玉蜀黍早いのは五寸、遅いのは二寸、数日前に播いた落花生芽を出す。畑の草多くなり、草ケズリをする。
[#1字下げ]曇のみにて、梅雨に入って雨少く、心配なことである。
午後田原忠武君来る。大島豊氏宅へ同行。田原君の就職の件を依頼す。談、蘆花のことになり、蘆花公園へ三人で行く。樹木暗く繁り、二月前に行った時よりも陰気な感じがする。私の宅にて三人で配給のビール三本、ちょうどよく鮪の刺身あり。大島氏七時、田原君九時帰る。大島氏の従弟の妻なる小説家芝木好子君の妹の写真を、適当な配偶者あらば、ということであずかる。
敵側公表によると日本軍は十八日ニューギニヤの敵基地ベナベナを爆撃した由。ここはもっとも我方の線に突出した所で、最近名前が出はじめたものである。もっとも邪魔になる所らしい。滋と礼、埼玉県児玉町の峰岸君の処まで、梅の実をもらいにリュクサックを負って朝出、夕方七時戻る。
六月二十一日 曇 やや軟
学校に行く。二三年の出席少く、十人ほどなり。今日は「戦争と平和」の話をやめて、宇野浩二の「水すまし」と「北条霞亭」の話をす。学校の門外で二年の田中、小島、三年の加藤、松井君等に呼びとめられ、駅前の喫茶店で一時間ほど雑談す。学生はみな文壇の話ばかり聞きたがって困る。卒業すぐ入営で、性急にもなっており、落ちつきもなくなっているのであろう。この春頃徴用になり、あの小さな身体でどうして労働しているだろうと気になっていた岩淵正嘉君より、元気でやっていて班長になったり、図書部を作ったりしていると手紙来る。意志堅固な人故、よくやっているのだと思う。(その手紙参考に貼りつける。〔手紙貼付〕)返書書く。裏の大島家出来上り、今日明日に越して来るという。学校で由良哲次氏戦争談をし、ドイツは仏崩壊直後の一昨昨年夏、思い切ってイギリスに進攻すべきであった、もう今となっては露と英米を東西に控え、動員余力は全く無い由。ただ十六歳の少年が十七歳になった分のみ毎年動員し得るに過ぎない由。日本もオーストラリアに侵入する余力なく、ニューギニア確保で、あとは持久戦となり、ドイツはまた最近ロシアを持てあまし、統治国の扱い方については日本が支那の主権を容認し、ビルマ、フィリッピンを独立させる政策の成功に学ぼうとしていると新聞に報じていることなどから、由良氏はいよいよ外交戦が主となる時代に入ったと言っている。朝日新聞夕刊にイタリアの国内生活の話のっていて、我国と較べ面白い。今月の東京の隣組強調事項が出ているが、それと較べられるのである。
我軍また十九日ベナベナとブナを爆撃した旨敵公表す。
六月二十二日 曇 やや軟 わかもと
中野本郷〔国民〕学校の父兄会にて、貞子出かける。昨日新宿駅で高貴の方の御通過があって通行止だったが、今朝朝刊で見ると、皇后陛下が府下七生村へ農事御視察に赴かれたのであった。参謀総長杉山元、軍令部長永野修身、南方陸軍総司令官寺内寿一等元帥に列せられる。
午前中留守していると、米の配給員、二袋持って来る。金は昨日十二三円持っていたうちから、本などを買ったので、四五円しか財布にない。弱って、金はあとで届けると言うと、よい配給員で、それでは後で願いますとて置いて行く。十五日に東京新聞へ送った小説は平日の夕刊に出ると思ったが、私のは出ず葉山嘉樹のものが出た。一週間私のが後にまわされたのである。菊は町会へ用があって行った後のことである。その後へ、東京高校の重見教授夫人来る。青物が配給少くて困るので、この辺にないか、ということ。菊にあとで案内させることにし、田居君に売ることを話してやっている重見さんの写真機フォスフレックスの話をする。二三日中に返事をやると言っておく。月末に田居君上京の由だからである。やがて菊戻り、三人で小麦粉の蒸しパンで昼食、貞子ももう帰る頃と思い、私は一時頃出かけ東京新聞に行く。係の宮川君まだ出ていず、銀座に行き、川崎昇君を事務所に訪う。彼も扁桃腺炎にて、二週間ほど病気した由。また田居君も上京しているという。そのあと東京新聞に行き五拾円(九枚分)受領、烏山にて下車直に配給所に行き九円余の支払をする。家へ帰ると、重見夫人いず、貞子はまだ帰らぬ。写真機を持って三鷹の田居家へ行く。尚彦君肋膜炎とのことにて寝ている。田居の義母に久しぶりで逢う。写真機をほしいと言うので、おいて来る。庭に手入れしたのなど見せてもらう。駅まで送ってもらい、すでに七時頃、先頃から学生に言われていた創作科三年生の謝恩会新宿聚楽にあるので行く。学生四十人ほどの外、松原科長、浅原、永野氏等出ている。科長が音頭取り大騒ぎし、記念撮影の後、短冊や本や、箸袋などに何か書かされる。食事は出ていたが遅く行ったので食いそこなう。九時頃浅原、永野二氏と新宿裏の昔のチェリオ(?)という喫茶店でカルピスを飲み、せんべいを食い、戦争の話など。夜こういう喫茶店に入ったのは一昨年以来のこと。周囲の町、特に表通はみな戸を閉ざして暗いのに、こういう店、十時すぎまで営業しているのに驚く。酒を飲む所など人を入れたがらず、早くしまってしまうのに較べると、なかなかいいなと思う。それにしても三四年前は夜中までこういう店明るく、ビールや酒まで飲めたのが、今は暖い茶すら出せないのである。せんべいのあったのがめっけものなり。戦争については浅原氏など特に悲観論にて、毎月造船力が六七万屯なのに、十万屯以上ずつ沈められていると言う。数字は杉沢の先日の話と少し違うが、しかし浅原氏も根拠ありげな話なり。また氏の話では松岡前外相がモスコーに行って、独ソ和協の画策をしていたようだが戻って来た由。結果は分らぬが、しかし、独ソとも、たがいに戦うだけぐんぐん消耗して休戦したがっていることは、今夜の夕刊のモスクワ電に見ても、ソ聯は、第二戦線の結成を公然と英米に要求しているのだから、明かである、などと私たちは話し合う。また日本の造船力が月に十万屯位としても、アメリカだけで毎月百万屯は造船している。アメリカはストライキがまた起っているが、これも、そういう民衆の意志表示の仕方があるからであり、むしろ余裕のある為と見ることも出来る、などいう話になる。また浅原氏は、今度の企業整備で、印刷機械が大分収用されてスクラップになるが、出版も窮屈になるにちがいないが、事実としては何時からであろうか、などと話す。
それにしても、ソ聯当局の二年間の損害の発表は、大変なものだ。兵四百二十六万というのは、内輪であろう。本当は一千万はあるだろうが、そんなに兵力を失って、なお戦うということは、一体どんなことなのか。怖るべき底力である。独ソ戦線のたがいの損害は、あまり数が大きいので、何だかかえって信用出来なかったのだが、その事実の感は強烈である。ソ聯自らこうして公表しているを見ると、きっと本当はこれよりずっと大きいであろう。こういう公表などを見ると、なるほどいよいよ外交戦の時代という気持がし、松岡外相の訪ソなども、どんな結果が生ずるか分らないという感じになる。日本はまだまだ数においては、損害など知れたものであろう。そして損害が本当に起るのは、これからであろう。独逸はロシアのゴリキイ市の工場を先頃連続爆撃で烏有に帰せしめたが、今度はヤロースラウリ市の工場を連続爆撃している。
各家庭で、今の一分搗米を一升壜に入れ、棒でついて精白しているらしい。百田家でもしていると言っていたが、それに使う棒を特に作って売った男が処罰された。色々な事件が戦時には起るものである。
夜貞子の話に、滋の受持の渥美先生は、子供を漠然と中学、高等学校へやるという風にだけ考えず、軍の学校へ入れるように考えてほしいと言った由。
六月二十三日(水)曇
ニューギニアのブナ戦線の苦戦の話また新聞に大きく出ている。
この頃敵側発表によると、海空軍は毎日のように、ガダルカナルやニューギニア各地の敵基地に爆撃を加えている。だがニューギニア地上戦の現在の状況はどうなっているのか。ラエから西北海岸一帯の陣地は保って行けるのであろうか。
独逸側では昨日のソ聯公の二ケ年間の損害の公表を批評して、独軍の算定ではソ聯の損害は捕虜のみでも五百三十六万五千名あり、赤軍の損害は、戦死傷捕虜を加算して二千万を突破する、と言っている。またソ聯が砲三万五千、戦車三万、飛行機二万三千と公表しているのを、独側ではそれぞれ、五万、三万三千、四万機と見ている。特に兵数についての算定は違うが、他は大差ないのも、事実に近い数字の故であろう。
また米英の空軍は、しばらく休んでいた独軍需工場の大爆撃を再開し二十二日朝ルール地方を八百機の「空の要塞」にて襲った。大変な空襲であろう。そして四十機撃墜されたと言う発表数は独英とも合致している。落ちるのは約五パーセントということで、それから全機数を独側では算定している。これに対してドイツ軍もロンドンその他イギリス南部の工場地を爆撃した。
一方ではトルコ、シリア国境の情勢が緊迫していることが、この頃続けて報ぜられている。英が積極的に出るか、その擬勢をしているのだ。
またイタリアも、イギリスの侵入近しと見ているらしく、シシリイ島、サルジニア島の各都市や、南イタリアのナポリその他の都市から、人民を撤退させたと発表された。それとともに、チューリヒ特電は、最近ドイツ軍○個師団○○万が増援軍としてイタリアに進駐したと報じている。欧洲は全く、どこから火がつくか分らない火薬庫のような感がある。そして軍事批評家の意見としてストックホルム電の報ずる所では、英米が上陸するには、イベリア半島もイタリアも、バルカン半島も、共に途中の山地にはばまれて欧洲中心地へは入れない故、やっぱりフランスの西部海岸へ、英本国からの空海軍の援助を得て上陸するのが一番見込あり、と言っている。一つの意見であろうが、ドイツとて、そこは最も力を入れて守備している所らしい。
内務省は全国のあらゆる公私用の休閑地を利用して耕作するよう訓令を発したという。東京では今後、待合、貸座敷業、酒場等の営業用ガスは全部停止するという。
午後、外出、淀橋の古本屋で博文館編の「日露戦史」十六冊を十円で買う。一冊のみ持ちかえる。新宿にて塩谷の母よりの荷物を取り、重い箱を電車で持ち帰る。馬鈴薯、鰊の身欠等。また久しく捜していたシュリーマンの「先史世界への情熱」を淀橋の本屋で見つける。昨日からかかって、南海の戦線にいる弟薫へ長い手紙書く。二三ケ月前から心がけていて書けなかったもの。家のことを色々くわしく書く。南海と言うが遠い所らしく、マーシャル群島辺か、それともラバウル辺だろうか。南海派遣剛七一二九部隊なり。
六月二十四日(木)薄曇 やや軟便 わかもと 涼しく十五度、快適なり。
午前中シュリーマンの自伝を読む。トロイとミュケネーの発掘のことは、イリアードとオディッセイを基としての興味湧く。好著であると思う。記憶力のすばらしい、語学の天才であり、かつ努力してその結果が幸運にも達成された人間であったらしい。自分もどうしても旅順へ行かねば「爾霊山」を書けぬと思う。午睡す。そのあと一橋新聞の為に、宇野浩二の「水すまし」を主題にして小説の記録風な性格を論じ、現在の小説形式としてこれが注目すべきものであること書く。夕方までに六枚で書き上げる。
七月一日から初まる東京都の初代長官は大達茂雄と決定し、その事務扱いを命ぜられる。いよいよ我々も都民となるわけである。
我海鷲はホーン島を夜襲し、敵はまたニューギニヤ西部、アンボン島などの我陣地へ来襲している。読売に佐々木陸軍中佐が航空決戦に勝てなければ、現在の陸上戦海上戦は地歩を保つことが出来ぬという論文を書いているが、その中で我軍と敵軍との航空戦損害比率を次のようにあげている。
[#1字下げ]昭和十六年十二月――十七年四月、我一機に対し敵八・五機の損害
[#1字下げ]十七年五月――八月、我一機―敵三・五機
[#1字下げ]十七年九月――十二月、我一機―敵六機
[#1字下げ]十八年一月――四月、我一機―敵八機
欧洲においても英米の対独爆撃はまた続いているが、米の重爆生産力は月五百機、英二百機だという。そして対独爆撃で、英側の情報でも、二月に百二十、三月百八十、四月に三二五機を失っていて、人員と共に相当の傷手であるという。
ルーズヴェルトは三回にわたる石炭坑夫のストライキ後、今後ストライキをする工員は徴兵に採るが、現在徴兵は四十五歳までとなっているが、近くそれを六十五歳に改め、ストライキに加わる者の悉くを徴兵し得るようにする、と公表した。アメリカ式である。英軍事批評家リゲル・ハートは、欧洲上陸戦は困難であり、結局飛行機の支配圏と補給力の決定することであるから、反枢軸にとって不利であると論じている。
ドイツ軍はイタリアのみでなく、ギリシャ(これまで伊軍が守備していた)にも援助進駐をした由、中立国から報ぜられている。中立国ではそれを色々に批評しているとのことだが、伊太利が対英妥協をするかもしれぬという危惧が一部にある故、それを防ぐ為だとでも批評しているのであろうか。とにかくドイツの負担は大変なことであろう。ドイツの総統大本営では東部戦線は小競合のみと発表している。
今日学校は体力検定で休み、これで木曜日の福田君の補講は終りとなったわけである。
米の参謀総長マーシャルは、東亜の米軍態勢は改善されつつありと述べ、かえって欧洲侵攻は難かしいと述べている。
今日はじめて茄子の配給あり。焼いて二個ずつ食う。美味なり。鮪の大漁とて、この頃毎日のように鮪あり。組長の家で食あたりしたということで、煮て食う。市内方面は野菜不足にて、もとの隣家の中野家などは自家で大分やっているのに、不足なのでこちらへ買いに来ると言っている由。今頃は、ちょうど境目で野菜の減少する時らしい。
この頃相かわらず本の仕事できないが、毎日昼寝をして、身体が大体よいようなので、何はなくとも、身体が直れば、と、それを慰めにして、気分のまま、ぼんやり暮している。本の増刷もこの頃はなく、本を書かねば、いよいよまとまって金の入ることはない。しかし、こういう日々をこの上なく幸福だとも思う。同時に、それもたまゆらの間のことと思う。毎月原稿で二百円ずつぐらい稼げば、どうにか暮して行けるであろう。
昨日税金の査定通知来る。乙種分類所得二七五○円(これは大体申告の額ぐらいである。)外に綜合所得の中の「其の他の所得」として三一五○円言って来る。これは内容が何なのか分らない。しかし注意書によると「其の他の所得」は四千円迄は六○円の税額というから、そのとおりなら大したことはない。分類所得の方は基礎控除が四百円かあり、税額百分の十二であるから三百円ぐらいか。
六月二十五日(金)薄曇快適 やや軟なれど心配なし。
貞子の手もとにも金なく、私の所の六円の中から四円渡す。月末債券七円買わねばならず、毎日の買物にも心配で、新潮社へ月評の原稿料三十円ほどを取りに行く。午前十一時頃、楢崎氏いる。二十日頃振替にて送ったという。雑誌は薄くなって八十四頁しかないが、これでも無くなるよりは、と楢崎氏笑う。次の次の号あたりに、最近の小説単行本の批評をしないかと氏言う。読んでみると答える。別れてすぐ家に戻る。月曜日学校へ行けば四十円ほどの講師料が入るのだから、それまで待つことにする。
沼田多稼蔵の「日露陸戦新史」をまた電車の中で読む。三四度目の通読であるが、この本をよく呑み込まないと、「爾霊山」を書き出すわけに行かぬので、念を入れ書き込みをしながら読む。
夕刊によると、新しく、「学徒戦時動員法」というもの閣議で決定したという。岡部新文相よりの提案である。高等専門学校以上は、士官学校と同様になるのであろう。この月末から米代用に、二割を馬鈴薯配給すると発表。関西地方、九州地方は稲熱病発生の憂ありと農林省より警告出ている。これがひろがったら大変である。曇って温度が高い今の気候がいけないのだろう。関東地方は割に涼しいが、水不足となるのではないか。梅雨なのに雨は少い。
ギルバート島に、コンソリデーテッド、ボーイング等の重爆七機来襲その内三機を地上砲火にて撃墜したという。米国は開戦以来の米陸軍の損害を六三九五八と発表。これはその一部分であろう。
今日も仕事せねばならぬと思いながら、何も出来ぬ。やっぱり「爾霊山」を書くことにしよう。評論集をまとめるのは、なかなか出来そうもないから青野季吉氏に一応ことわりを書こうと思う。
六月二十六日(土)晴 良便 わかもと
午前中、少女小説の続き、日記風でなく物語風に書き続け、やや見とおしつく。午後「先史世界への情熱」を読了す。
ルーズヴェルトは議会の罷業禁止案に反対し、徴兵年齢延期にてストライキ工員を徴兵せんとする案を出し、議会案を拒否したが、議会はルーズヴェルトの拒否を更に否定して、自案を成立させた。ルーズヴェルトの面目は丸つぶれとなった。しかしまたこの議会案も全国労働者の反対しているところだから、どういう状態がその結果生ずるか予期できぬ、という。米国の内政は混乱の模様である。
二十三日セレベス南端のマカッサル市に敵重爆十機襲来一機墜される。この、旧蘭印圏の深い内部が爆撃されたことは、初めてである。敵の後方攪乱戦術なのであろう。比島の独立準備委員決定す。先頃狙撃されて負傷したラウレル内務長官が委員長となっている。谷駐支大使は租界還付の急速解決のために帰還したという。東亜の各国に自治の完全なものを与えようとする日本の新方針は、どしどし進んでいる。
学徒総動員案についての賛成意見を、新聞は各方面から集めて朝刊を埋めている。これは学生を工場、農場等の仕事に動員するのが実体であるようだ。これまでもやっていたのを、もっと組織的に大がかりにやるのだろう。
貞子、和田本町の薫の所に行き、家から薫に貸してある金として七十円ほど持って来る。差しあたりの用に供する為である。帰途重見家に寄った由。かねて申込んでおいて、市から配給された太い立派な甘藷苗を、菊が祖師谷大蔵まで取りに行き、二十五本持って来たのを、夕方植える。一坪四本宛というが、六本宛位に植えた。
四、五、六月のあいだ石鹸の配給が全然なく、洗顔用のは買いおきが二十ほどあるのでよいが洗濯には困って、灰汁にアンモニア等を使っていた。それが今日の夕刊によると、いよいよ来月五日までに申込み、二十一日から配給になるという。大変な遅れようである。家でも困るとは言っていたが、それでもどうにか洗濯もして暮して来た。何とかなるものである。
アッツ島の兵士の最後の書というものを偽造して、仲間に筆写させ、喜んでいた馬鹿な青年がつかまった。実に阿呆らしいことをする衝動を人間は持っている。
夕方、母明日午後四時上野へ着く由、函館の基より電報あり。夜入浴、その後ひとりで、母を連れて父の郷里広島の従兄の家を訪れることを計画す。
六月二十七日 晴 後小雨 良便
午前中「八光」の小説、明治大帝の薨去の時の思い出を、二枚目まで書き、後外に出て、昨日植えた甘藷苗に水をやり、新聞蔽いをかけ、その後自転車にて近所を乗りまわして家に戻ると母来る。普通列車で来る予定の所、急行で来たという。母と話しながら疲労ひどく、この調子ではまだ健康体に戻ったとは言えぬと考える。菊、家に帰りたさに台湾の姉に手紙をやり、指を片輪にされたなど書いてやったので、母が迎えに来たのだという。その気なら仕方ないから帰すことにする。困ったことなり。貞子は、この夏にむかい、月番もある故、九月頃までいてほしいと言う。貞子では毎朝早く起きて子供たちの支度をしてやれるかどうか不安なことである。
午後ずっと母の相手をして村の人たちのことを聞く。聞きながら古い友人などのこと、みな佗しくてならぬ。二十歳前後までの青春の希望の溢れるようであった人々が、みな四十前後になって、一とおり各自の人生の可能性の限界まで来ている。このままで次第に年とり死ぬのである。我等の生はついにこのようなものであったのかと、観念することしきりである。これ以外のものでも、以上のものでもあり得ないのか。共に詩を語った菊池君は酒にくずれて肉体労働者となり、三人の子をおいて妻に去られている。秀才小林北一郎氏は四十歳にして結核に臥れ、もう再起不可能である。そして日本は戦争の中に国家民族の浮沈をかけている。こういう時代我々個人の運命など、一尾の蚊のようなはかないものだ。アッツ島には村からも四五人は行っているとのこと。博の妻末子の弟はアッツ島に行き、去年の十一月に交替で帰って来て帰還した。そのかわりに行ったのが、旭川の軍隊で、それが全滅したということなり。またこれまでの戦死者は塩谷本村で五人ほど、蘭島でも四五人、忍路《おしよろ》で三四人(アッツ島のはまだ分らぬ)ということ。小樽市は軍隊の輸送でごったかえしており、町を歩く女はモンペをつけなければ全然通さず、長袖もまた禁止の由。男はみなゲートルをつけているという。母モンペをはいて来て、東京の女はモンペなしだと驚いている。夜細雨となる。北海道も雨不足にて畑ものは悪い由。母は夜汽車で眠って来たとて、なかなか元気。ちょっと坐ふとんを枕に横になったきり、御飯も二杯ずつ食べる。
朝刊に防空壕をすぐ掘れ、と出ている。この辺では警戒すべきは高射砲弾の破片のみであるから、階下八畳にいることにしておく。以前は家の中に押入の前に箱や畳を重ねて退避所を作ってもいいという指令であったが、今度は、家の中のそういうものは役に立たぬ、爆撃はもっと徹底的なものであるという考えかたである。しかし、屋根に土をのせる式の完全なものには、太い柱や板などの資材が入り、そういうものが無いので、蔽いのない壕になったのであろう。各戸、各学校、各工場毎に全員収容の予定で全部作らせるというから、今度は、積極的である。これまではよほど空地がないと防空壕は作らず、道路運動場をその為に掘りかえすということはなかった。
六月二十八日(曇)月
朝出がけに菊と新宿駅で母のチッキ取る。学校に行く。今日を今学期の最後の時間にする。一年には光太郎の詩、二三年には鴎外、浩二、藤村、トルストイ等の文体の総括批評。月給四十三円受領。
その後で銀座に出、肇書房にて今井田君に逢い、一月ほど前にあった種子島の女中の話を訊ねる。船の便などの為、まだ来ないが、近く来るからという。大体私の家にまわしてもらうこととする。夕方、滋と自転車で烏山駅からチッキの荷物はこび、コナゴの佃煮や若芽などを取り出す。外電によると、この前の米国大統領選挙でルーズヴェルトに破れたウィルキイは、反枢軸国の戦争目的の非一貫性を論難した著書を出したとて、要旨紹介されている。貼附。
夜子供の勉強を見てやる。菊はまた気が変って、しばらくいるとも言っているらしい。
この頃涼しく、シャツ二枚(ワイシャツとチヂミ)では寒いようなことあり、合の上着を着ていたりする。東北地方は母が見て来たところでは、麦がずっと悪いそうだが、こんなに涼しくっては日照不足のため冷害で米作も悪いのではないかと皆で心配する。米のかわりに薯や豆を食うことは構わぬが、絶対量の不足となったら大変なことであろうと思う。広島行の件、今のような金不足では、かえって母にいやな思いをさせることにもなりそうなので、あまり積極的には話さないことにする。
英米の欧洲爆撃いよいよ激化し、オランダ、フランス、ドイツ西部等の工場地帯は盛に爆撃され、それに対するドイツ側の対英空爆はあまり規模は大きくないようである。またシチリア海峡で枢軸側は英の護送船団を空爆している。冬のロシアの攻撃までに英米は、イタリア辺に第二戦線を作ろうとしているらしい、という意見あり。或は然らん。田原忠武君より「童子の像」に感心した由言って来る。自信のない作品であるが、いくらか見所があるのだろうか。
六月二十九日 火 晴 暑し 良便
「八光」の小説書きかけ、三枚目で行きつまる。どうしても仕事はかどらぬ。金は足りないのに、本当に困る。田居君からまとめて借りようと考えたりしてやめる。午前中母の話を聞いている。国の噂。そのうち専能の婆の話をノートに取る。午後重見夫人来る。田居君に渡したカメラ、引伸機と共に六百円でよいだろうかと念を押すと、どうぞ、というので出かける。そのカメラで取った薫の応召時の写真を新宿で取り、持って行くと行きちがいに、彼は私の所へ来た由。
重見夫人とも逢ったという。その後で夫人は貞子に七百円ほしいと言った由。こういう話の仲介は今後せぬこととする。両方が我儘を言うのである。夜仕事に向って進まず。苛々する。母は二日に帰りたいという。母の専能の婆さんの話、緑ノートに書き写しながら母の話のうまいのに驚き、自分の小説がその形式を母の談話に多く負うているのに気づく。
六月三十日 薄日 良便
十一時より母と二人、埼玉県豊岡町の陸軍病院に嗣郎を見舞う。元気なるも、やっぱり熱が八度位にもなるという。腹を少しこわしているらしい。母を見て喜ぶ。看護婦近藤さんの話では、いよいよ痰の検査で菌が出たので、航空士官学校はやめることになるだろうという。伝染病棟に移されている。手足など大分やせた。右肺から左肺へもひろがったという。「日露陸戦新史」と厚生省編の「結核は必ず直る」とを持って行ってやる。嗣郎の同級生はみな今春卒業任官して前線へ行った由。夜、杉沢遊びに来て母と故郷の村の人たちについて話をする。
陸軍航空隊がはじめてダーウィンを爆撃したが、その中にも彼の同級生は入っているのであろう。ニューギニアでは敵はサラモア、ワウ、ベナベナと我方基地のラエを取り巻いている。どうなることか。