バカとテストと召喚獣 6
井上堅二
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)吉井明久《よしいあきひさ》
|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)吉井|明久《あきひさ》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#改ページ]
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井上堅二
Kenji Inoue
葉賀ユイ
Yui Haga
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待望の夏休み! だが、悲《ひ》惨《さん》な結果に終わった期末試験によりそのまま補習に突入した明久《あきひさ》とFクラスの面々。暑苦しい鉄人の授業を黙々と受けていたある日、「そういえば召喚システムの点数がリセットされたって話はどうなった?」と気づいた彼らは、白銀《しろがね》の腕《うで》輪《わ》を使って召喚獣を喚《よ》び出してみる。しかし、そこに現れたのは古今東西《ここんとうざい》の物《もの》の怪《け》に姿を変えた召喚獣だった──!?
「友達はボール!」(by 新種妖怪・坂本雄二《さかもとゆうじ》)負けられない肝試し対決で送る第6巻!!
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バカとテストと召喚獣 6
井上堅二[#地から2字上げ]ファミ通文庫
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[#地から3字上げ]口絵・本文イラスト/葉賀ユイ
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バカとテストと召喚獣 6  CONTENTS
第一問  P.8
第二問  P.56
第三問  P.88
第四問  P.156
第五問  P.186
第六問  P.240
最終問題 P.262
あとがき P.281
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「……雄《ゆう》二《じ》」
「なんだ翔子《しょうこ》?」
「……特別補習はいつまであるの?」
「確か今週いっぱいだな。まったく、折角《せっかく》一学期が終わったってのに毎日登校だなんて、ババアは夏休みの意味を知らないのかってんだ」
「……でも、雄二たちFクラスは仕方ない。平常授業が沢山潰《たくさんつぶ》れてたから」
「まぁ、確かにな……。それより、お前はどうして毎日学校に行ってるんだ? Aクラスに補習はないだろ?」
「……補習はないけど、夏期講習《かきこうしゅう》がある」
「夏期講習? あれって確か、希望者のみ参加のやつだろ?」
「……うん」
「やれやれ。休みの日にまで登校だなんて、熱心なもんだな。流石《さすが》はAクラス様だ」
「……Aクラスとかは関係ない。雄二がいるから、私も学校に行く」
「またお前はそんなことを……」
「……雄二が学校に行かないなら、私も行かない。夏期講習が、あってもなくても」
「あー。わかったわかった」
「……雄二が結婚式場に行かないなら、私が連《つ》れて行《い》く。結婚の意思が、あってもなくても」
「かっこいい台詞のようだがそれは立《りっ》派《ぱ》な人権侵害《じんけんしんがい》だということを覚えておけ! というか、そんなことになったら俺は全力で抵抗するからな!」
「……抵抗なんて、無駄《むだ》。私、頑《がん》張《ば》るから」
「なんでそんなことで頑張れんだよ! 努力の無駄遣いをすんな!」
「……前に」
「あん?」
「……前に、吉《よし》井《い》が言っていた」
「なんだ? あのバカが何を言っていたんだ?」
「……『好きな人の為《ため》なら頑張れる』って」
「それ違うからな!? アイツの言おうとしたことと意味合いが全然違うからな!?」
「私も最近、心からそう思った」
「私も[#「も」に傍点]じゃないっ! そんなこと考えんのは世界中探してもお前だけだ!」
「……雄二とは、小《こ》細《ざい》工《く》なしの腕力勝負で結婚してみせる」
「だから結婚に腕力は関係ないとぎゃあああっ! 頭《ず》蓋《がい》が! 頭蓋が軋《きし》む音が!」
「……結婚、してくれる?」
「しねぇよ! っていうかできねぇよ! 早過ぎるだろ!」
「……あ……そっか……」
「ぜぇ……ぜぇ……。わ、わかってくれたか……」
「……うん。気が早かった……」
「そうだな。俺はまだ十七だからな。結婚なんてしたくても──」
「……この時間じゃ、まだ式場も市役所も開いてない」
「そういう問題じゃないだろ!?」
「……うん。わかってる。冗談《じょうだん》」
「…………なんつーか、お前、最近どんどんバカになってるよな……」
「……ひどい」
「事実だ」
「……ひどい」
「けっ」
「……でも、雄二」
「んぁ?」
「……さっきの台詞、十八歳になったら私と結婚してくれるってこと?」
「げほげほっ! な、何を言ってやがる!」
「……私、楽しみにしてるから」
「あのなぁ……。お前はいつまでそんなバカなことを言ってるんだよ……。そろそろ現実をだな」
「……大丈夫」
「大丈夫って、何がだよ」
「……私は、いつまでも雄二のことが好きだから」
「げほげほっ!」
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バカテスト 英語[#「バカテスト 英語」は太字]
【第一問】[#3段階大きな文字]
次の単語を英訳しなさい。
『スペイン語』
姫路瑞希の答え[#「姫路瑞希の答え」は太字]
『Spanish』
教師のコメント[#「教師のコメント」は太字]
基礎英単語の一つですね。たまに頭文字のSが大文字になるのを忘れてしまう人がいます。そのようなケアレスミスには十分に注意しましょう。
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土屋康太の答え[#「土屋康太の答え」は太字]
『Speines──』
教師のコメント[#「教師のコメント」は太字]
"Japanese" と同じ様な形で "Spainese" とでも書きたかったのでしょうか。残念ながら間違いです。
吉井明久の答え[#「吉井明久の答え」は太字]
『Spaget──』
教師のコメント[#「教師のコメント」は太字]
どう解釈してもスパゲティと書こうとしたようにしか見えません。
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期末試験も終わって、得《え》も言われぬ解放感《かいほうかん》が僕らを包むこの時期。七月も残すところあと数日となり、けたたましい蝉《せみ》の鳴き声や、そびえ立つような入道雲《にゅうどうぐも》といった、真夏の風物詩《ふうぶつし》が僕らの周りを彩《いろど》っていた。
灼《や》けるような日差《ひざ》しの降《ふ》り注《そそ》ぐ季節──というと日焼けが気になる女子には嫌がられるかもしれない。
日焼けだけじゃない。夏という季節は、暑いし、騒《さわ》がしいし、虫だって出てくる。
けど、それでも僕は、この季節が一年を通じて一番好きだ。
寒い冬を乗り越えて、たくさんの命が芽《め》吹《ぶ》き出《だ》す春。
山の色彩《しきさい》が緑から赤へと姿を変え、訪《おとず》れる寒《かん》波《ぱ》に対して静かに用意を始める秋。
大気が澄《す》み渡《わた》り、星の輝きがいつもより近くに感じられる冬。
他の季節にだってそれぞれ良いところが沢山《たくさん》ある。
けれど、やっぱり夏というものは他の季節に比べて何か特別な気がする。
うだるような暑さも、耳をつんざく虫の自己主張も、校庭から聞こえてくる野球部の喧騒《けんそう》も、全てがこの特別な季節を楽しむためのスパイスだ。
外に出て、この時期ならではの熱気を感じたい。賑《にぎ》やかな喧騒に少しだけ顔をしかめて、焦《こ》がすような日差しを全身に浴びたい。止まらない汗を拭《ぬぐ》って、思いっきり身体を動かしたい。それこそが夏という季節での、日中という時間帯の、正しい楽しみ方だろう。
そう。今は夏という心躍《こころおど》る特別な季節。だから──
(逃げよう雄《ゆう》二《じ》。この魂《たましい》の牢獄《ろうごく》から)
(いいこと言うじゃねぇか明久《あきひさ》。俺もこの鉄拳補習《てっけんほしゅう》フルコースには飽《あ》き飽《あ》きしていたところだ)
──だから僕らは、鉄人《てつじん》の補習からの脱走を決意した。
(だいたい、夏休みに入っているのに授業があるってのが間違いなんだよな。しかもこの教室は男が殆《ほとん》ど。勉強どころか息をするのもキツいじゃねぇか)
僕の隣の席で悪友の坂本《さかもと》雄二がその野《や》性《せい》味《み》たっぷりの顔をしかめる。
(オマケに授業をやっているのが鉄人だもんね……。冬でも暑苦しいくらいなのに、この環境で鉄人のビジュアルは拷問《ごうもん》に等《ひと》しいよ……)
教室《きょうしつ》では筋骨隆々《きんこつりゅうりゅう》の熱血教師、鉄人こと西村《にしむら》先生が汗一つ見せずに補習授業を進めている。バテる様子を全《まった》く見せないのは趣《しゅ》味《み》のトライアスロンで鍛《きた》え上《あ》げた体力のおかげだろうか。
(よくこんな状況で姫《ひめ》路《じ》は真面目にノートを取れるよな……。アイツは化《ば》け物《もの》か?)
(流石《さすが》は実力Aクラスの優等生──と言いたいところだけど、姫路さん、身体《からだ》が弱いのに大丈夫かな……。最近は調子が良さそうだけど、やっぱり心配だよ)
一応姫路さんには風通しの良い窓際《まどぎわ》の中でも、柱の陰《かげ》というベストポジションが進呈《しんてい》されている。こまめな水分補給さえしっかりと忘れなければ、そうそう大変なことにはならないとは思うけど……。
(その辺は鉄人も気《き》を遣《つか》っているから大丈夫だろ。見てくれはあんなでも、相手に応じた気配りをするからな)
(うん……。確かに相手をよく見ているよね……)
だから僕らは日当たり良好、風通し最悪の窓際最後尾ポジションなんだろう。差別もいいところだ。
(それで雄二、どうやって抜け出す? 相手はあの鉄人なんだから、見つかったら最悪の事《じ》態《たい》になるよ)
(なんだ明久。お前は人を脱走に誘《さそ》っておいて何も作戦を考えてないのか)
(考えてあったらすぐに一人で実行してるよ)
(まぁ、それもそうだな。どうしたもんか……)
雄二と小声で相談しながら鉄人の隙《すき》を窺《うかが》う。勿論《もらろん》、口が動いていることを気取《けど》られるようなヘマはしない。腹話術《ふくわじゅつ》のように口の動きを最小限に抑《おさ》えて会話をしている。このFクラスで鉄人に目を付けられている男子生徒には必《ひっ》須《す》の技術だ。
『──ここで元の高さをhとした時、位置エネルギーが全て運動エネルギーに変換《へんかん》されたとすると、この時の速度vは重力加速度gと高さhにのみ依《い》存《ぞん》する式となり──』
鉄人は教科書を読み上げながらも僕らの方を向いている。
今動くのは得策《とくさく》じゃない。下手《へた》な動きを見せたら即《そく》座《ざ》に捕《つか》まってしまうだろう。どうしたらいいだろうか……。
(おい吉《よし》井《い》、坂本。逃げるのか?)
(逃げるなら俺たちも一枚|噛《か》ませろ。こんな地獄には付き合いきれねぇ)
(俺もだ。このままだったら確実に干《ひ》涸《から》びて死んじまう)
頭を悩ませていると、近くの席のクラスメイトたちが話しかけてきた。勿論、顔は黒板を向いていて、口は会話をしているとは思えないほどに小さくしか動かしていない。このクラスで鉄人に目を付けられていないのは姫路さんと美《み》波《なみ》くらいだ。他のクラスメイトは全員この技術を習得《しゅうとく》している。
(じゃあ雄二、この人数なら全員で一斉《いっせい》に逃げるって作戦でどうかな)
(人海戦術《じんかいせんじゅつ》か。単純だが、確実な作戦だな……。よし。乗った)
雄二が遠目では殆《ほとん》どわからない程度に小さく頷《うなず》く。
鬼は鉄人一人しかいない。僕ら全員が一斉にバラバラの方向に逃げ山せば、流石の鬼教師でも捕まえきれないだろう。
(みんなもそれでいいよね? 誰が捕まっても恨みっこなしってことで。問題がなければ小さく頷いてもらえる?)
僕がそう言うと、姫路さんと美波と秀吉《ひでよし》を除《のぞ》いた全員が一斉に小さく頷いた。五〇人中四七人が脱走って……。自分で提案しておいてなんだけど、このクラスはやっぱりおかしいんじゃないだろうか。
とは言え、人数が多ければ僕が捕まる確率は低くなる。好都合だ。
あとは機《き》を窺うのみ。
『──つまり、物体の落下速度というものはその物体の質量に依存しないということになる。だが、理論とは違って現実には空気抵抗というものがある。綿《わた》毛《げ》と鉄球《てっきゅう》が同様の速度で落下しないのはこの空気抵抗によるものが大きく、式に表すと──』
説明が佳境《かきょう》に至《いた》ったのか、鉄人が黒板へと向き直って板書《ばんしょ》を始めた。
僕らに背を向けたこのタイミング、逃《のが》すわけにはいかないっ!
僕らは脱出の為《ため》に腰《こし》を浮かせて、
「全員動くなっ!」
「「「──っ!!」」」
その瞬間、鉄人に機《き》先《せん》を制《せい》されてしまった。バカな! 読まれていた!?
「貴様ら……。脱走とは良い度胸《どきょう》だな。そんなに俺の授業は退屈《たいくつ》か?」
鉄人がゆっくりとこちらを振り返り、僕らを睨《にら》みつける。く……! 流石は人外生物。気《け》配《はい》で僕らの脱走を読むなんて……!
誰が最初に鉄拳の餌《え》食《じき》になるのかとビクビクしていると、
「……そうか。お前らがそこまで退屈しているとは気がつかなかった。これはつまらない授業をしてしまった俺の落ち度だな」
意外にも鉄人はそんなことを言い出した。あれ? 殴《なぐ》られないの?
「詫《わ》びと言ってはなんだが、代わりに一つ面白い話をしてやろう。……姫路、島《しま》田《だ》、木下《きのした》は耳を塞《ふさ》げ」
面白い話? それはありがたいけど、どうして姫路さんたちは耳を塞ぐように言われてるんだろう。面白いのなら全員に聞かせてあげればいいのに。
「そう。あれは、一〇年以上前の夏──」
僕の疑問をよそに、鉄人が言葉を紡《つむ》ぐ。
「──俺がブラジルの留学生とレスリングをやっていたときのことだ」
『『『ギャぁあアあ──っ!!』』』
しまった! 耐性《たいせい》の低い連中が鉄人の暑苦しい言葉で精神をやられたみたいだ!
この灼熱《しゃくねつ》の環境で鉄人のレスリング談《だん》義《ぎ》なんて、処刑《しょけい》と同義だ……!
「相手は身長195p、体重120sの巨漢《きょかん》、ジョルジーニョ・グラシェーロ。腕の太さが女性のウエストくらいはありそうな男だった。だが、俺とて負けはしない。188p、97sの鍛えに鍛えた肉体でヤツと正面からぶつかり合い──」
『やめろっ! やめてくれぇーっ!』
『脳が! 脳が痛ぇよっ……』
『ママァーッ!』
まるでガラガラと精神が崩壊《ほうかい》する音が聞こえてくるかのようだ。
マズい! 僕も頭がおかしくなり始めそうだ! 早く対策《たいさく》を!
「──しかし、ヤツはレスリングと柔道を勘違《かんちが》いしていた。腕ひしぎを仕掛《しか》けてきたんだ。だがこの俺の自慢の上腕二頭筋《じょうわんにとうきん》には勝てるわけもない。汗に塗《まみ》れ、血管を浮き上がらせながらも俺は腕を伸ばしきることなく抵抗し続けた。すると向こうはすかさず俺の頭上にまわり、その分厚い大胸筋《だいきょうきん》で俺の顔を圧迫《あっぱく》しつつ上四方固《かみしほうがた》めを──」
『ぐぁああああっ! い、嫌だ! 目を閉じたくない! 最悪のビジュアルが瞼《まぶた》の裏に張り付いて離れない!』
『起きねぇ! 福村《ふくむら》が起きねぇよ! おい、しっかりしろよ!』
『空気を! 新鮮《しんせん》で涼《すず》しい空気をくれ!!』
阿鼻叫喚《あびきょうかん》の地獄絵図の中、僕は精神攻撃に耐《た》えるため、必死に三人の女の子を見つめ続けた。
まずは何が起きているのかわからずに耳を押さえたままきょとんとしている姫路|瑞《みず》希《き》さん。柔らかそうな髪といい、ふわふわした雰《ふん》囲《い》気《き》といい、まるで全身が癒《いや》しのオーラで形成《けいせい》されているかのように思える女の子だ。頭脳明晰《ずのうめいせき》、発育良好、料理殺人級とどれを取っても並のレベルじゃない。見ているだけで精神攻撃から逃《のが》れられるし、手料理の味を思い出したら現《げん》世《せ》から逃れられる。
お次は呆《あき》れた表情で耳を塞ぎつつ僕らを見ている島田美波さん。ポニーテールや綺《き》麗《れい》な脚《あし》やスレンダーな身体が特徴的《とくちょうてき》な女の子だ。気を遣わずに話のできる貴重なな女子だけど、その高い攻撃力を用いて繰《く》り出《だ》される関節技を思い出すと背中にうすら寒いものが奔《はし》る。まぁ、それが今は清涼剤《せいりょうざい》となってありがたいと言えなくもないけど。
最後は全てを察《さっ》して僕らに同情しつつ耳を押さえているクラスメイト、木下秀吉。秀吉はこの暑さで少し額《ひたい》に汗を浮かべていた。暑いのなら涼しい女子用の制服を着たらいいのに。いや、制服なんかじゃなくて白いワンピースなんてどうだろう。凪のそよぐ高原に白いワンピースの秀吉。うん。なんとも涼しそうだ。
「──そして、制限時間いっぱいまで使った俺達の寝技の攻防《こうぼう》は続き──ん? なんだお前ら。もうダウンか?」
気がつけばクラスメイトたちは卓《ちゃ》袱《ぶ》台《だい》に突っ伏して気を失っていた。
「やれやれ、仕方がない。一〇分間だけ休憩《きゅうけい》を入れるとしよう。脱走なんてくだらないことを考えた自分を反省するように」
鉄人は耳を塞いでいる三人にジェスチャーで手を離すように伝えると、休憩の旨を伝えて教員用の椅子に座った。どうやら休憩時間は取っても教室から出て行く気はないらしい。僕らの脱走を警戒《けいかい》してのことだろうか?
死屍累々《ししるいるい》の教室で、数少ない生存者たちが僕らのところにやってきた。
「あの、明久君。何があったんですか? 皆さんとても苦しそうなんですけど……」
姫路さんが卓袱台に突っ伏しているクラスメイトたちを心配そうに見ている。やっぱり優しいなぁ。
「えーっと、なんていうか、言葉の体罰《たいばつ》というか、精神攻撃を受けたというか……」
説明をしようとすると例の話を思い返さなくちゃいけない。それはちょっと勘弁《かんべん》して貰《もら》いたいところだ。
「まったく、どうせまたくだらないことでしょ。脱走なんて考えたんだから、先生だって怒って当然じゃない」
姫路さんの隣では美波が溜息《ためいき》でもつきそうな表情で僕を見ていた。
「そうは言うがな、島田。俺と明久の席は脱走を考えても仕方がないくらい酷《ひど》いもんだぞ。全身から水分が全てなくなっちまいそうなくらいだ」
雄二の言う通り、僕と雄二の席の日当たりは良好を通り越して過剰《かじょう》と言える。カーテンの有無なんて今まで気にしなかったけど、この時期に至って初めてその重要性が身に染みた。あれって外から中が見えないようにするためだけの物じゃなかったんだね……。
「そうなの? ウチの席はそこまで暑くないからよくわからないけど」
「私も風が入ってきてくれるので結構大丈夫です」
「俺たちの席は日当たり最高で風通し最低のワーストポジションだからな。本当に酷いもんだ」
「酷いって、どのくらい酷いんですか?」
「明久の成績くらいだ」
「人間の耐えられるレベルじゃないわね」
なんてことを。
「でも、確かにこの席は雄二の性格くらい酷いんだよ。さっきペンのアルミ部分に触《さわ》ったら軽く火傷《やけど》しちゃったしね」
鉄板でも敷《し》いたら目玉焼きくらいなら作れそうだ。
「火傷したの? どれどれ?」
「あ、いや。そこまで酷いものじゃないんだけど」
美波が自然な動きで僕の手を取ってくる。火傷の心配をしてくれているみたいだ。最近の美波は、以前よりも攻撃的な時と優しい時の差が大きい。何かあったんだろうか。女の子の考えることってよくわからない。
「なんじゃ島田。お主、随分《ずいぶん》と明久に優しいではないか」
「そうです。美波ちゃんは明久君に近すぎますっ」
そんな僕らの様子を見て、秀吉と姫路さんがそんなことを言っていた。
「べ、別にアキに優しいってワケじゃ……! ただ、怪我《けが》をしていたらウチが殴る時に手加減しなくちゃいけないからってだけで……!」
怪我をしていても殴ることは殴るのか……。
「でも、僕も美波は優しいと思うよ」
「え……? あ、アキまで何を言ってるのよ」
「面倒見《めんどうみ》がいいし、細かいところに気がつくし、妹想いだし。それに、動物に愛情を注ぐことができるし──(異性として)」
「アンタまだそれ誤解していたの!?」
最後の項目は僕しか知らない美波の重大な秘密だから声を小さくしておいた。動物好きな人は優しいというのだから、美波は間違いなく優しいはずだ。
「聞きなさいアキ! アンタは誤解してるけど、ウチはオランウータンになんか興味はなくて、本当にウチが好きなのは──」
「「「好きなのは?」」」
好きな人という重要な議題に、倒れている人も含《ふく》めて教室中の視線が美波に集まる。
「…………チンパンジーなのよっ!」
美波が衆目《しゅうもく》の前で大胆《だいたん》な告白をした。
「そ、そうだったんだ……。それは、その……誤解してて、ごめんね……」
「う……。そ、そうよ……。ウチは別にオランウータンが好きってわけじゃないんだから……」
更《さら》に浮かび上がった新事実に驚いていると、美波は泣きそうな顔をして「ウチ、もうお嫁にいけない……」と小さく呟《つぶや》いた。
なんだろう。今の美波からは僕に通じるなにかを感じる。
「島田。お前も苦労しているな」
「坂本……。ウチのことを可哀想《かわいそう》と思うのなら、アキの誤解を解いておいて……」
誤解? オランウータンじゃなくてチンパンジーだってことなら、たった今わかったから大丈夫なはずだけど。
「じゃがまぁ、確かにこの席は暑いのう。お主らが脱走を企てるのも無理はないかもしれん」
秀吉が僕の卓袱台に手を当てている。
「そういえば、秀吉はおとなしくしていたよね。脱走の話は聞こえなかったの?」
「いや、聞こえておったが……ワシの席はお主らの席よりも涼しいからの。微睡《まどろ》んでおったら誘いに乗り遅れたのじゃ」
いくら僕らよりマシだって言ってもこの暑さの中で居眠りができるなんて、やっぱり秀吉は只者《ただもの》じゃない。それに、あの鉄人に居眠りがバレないというところも。起きていると見せかけて眠るっていうのも一種の演技だからだろうか。
「なんじゃ。ワシが脱走に乗らんのはまずかったかの?」
「いや、まずくはないよ。ただ、いっつも一緒につるんでるバカ仲間としては、いないと寂《さび》しいなって思っただけで」
こういうことに関しては姫路さんや美波は誘いにくい。仲の良い友達とバカ仲間はどこか違うような気がするから。
「そうじゃったか……」
「? 秀吉、嬉しそうだね?」
気のせいか、秀吉が笑顔を浮かべているように見える。
「うむ。正直なことを言えば、バカ仲間と言ってもらえるのは嬉しいぞい。最近のお主はワシを女と見ておるように思えたからの。外見が姉上に似ておるという部分以外はどうでも良いのかと、少々気にしておったところじゃ」
秀吉の言う姉上というのは、双子のお姉さんの木下|優《ゆう》子《こ》さんのことだろう。
そりゃまぁ確かに二人はそっくりで、どちらも凄《すご》く可愛《かわい》いけど……
「秀吉もおかしなことを気にしているね」
「いや、最近のワシの扱《あつか》いを鑑《かんが》みれば決しておかしくはないと思うのじゃが……」
僕が笑い飛ばすと、秀吉は納得がいかないとでもに言うように口をとがらせた。
何をそんな変なことを気にしているんだか。
「だって、外見以外はどうでもいいなんて、そんなわけないじゃないか」
「じゃが、ワシは」
「確かに秀吉は可愛いと思うけど、それだけでこうやって、一緒にいるわけじゃないからね。一緒に遊んだり、勉強したりして、秀吉の中身の良いところを一杯知っているから、こうして一緒にいるんだよ」
見た目で友達を選ぶなんて、そんなのはおかしいことだと思う。
「…………っ!!」
「ん? どうしたの秀吉?」
「こ、こっちを見るでないっ」
そう言うと、なぜだか秀吉は隠れるようにこちらに背を向けてしまった。
「瑞希……。木下ってズルいわよね……。女の子みたいに扱われているクセに、こういう時だけ異性を意識させないであんなこと言って貰えるんだもの……」
「ですよね……。私、頑《がん》張《ば》っているのが虚《むな》しくなってきちゃいます……」
「瑞希はまだいいわよ。ウチなんて、頑張った結果がチンパンジー好きの女子高生なんだから……」
姫路さんと美波は溜息混じりに何かを愚痴《ぐち》り合《あ》っていた。
「んむ……? ところで明久。ワシを女として見ておるという部分は否定されなかったような気がするのじゃが?」
「あはは。秀吉もおかしなことを気にしているね。別にそんなことは口にしなくても」
「何故明言を避《さ》けるのじゃ!? ええい! お主はワシを異性と思っておるのか、きっちり『はい』か『いいえ』で答えるのじゃ!」
「はエス」
「むぅ……。二つが混ざってどちらかわからんような返事──ではないぞい!? さてはお主、『はい』と『イエス』を混ぜおったな!? やはりワシを女と思っておるじゃろ!」
「ところで雄二。ムッツリーニがかなり危険な状態に見えるんだけど」
「答えるまでもないと言わんばかりにスルーされておる!?」
いつもなら休み時間には皆と一緒に集まってくるかカメラをいじっている友人が、なぜか今日はぴくりとも動かずにじっとしていた。
「アイツの想像力は常人の比じゃないからな。さっきの恐ろしい話を聞いただけで鉄人とブラジル人の暑苦しいレスリングが脳内で鮮明な画像になって浮かび上がったんだろ」
「……それはひとたまりもないね」
なるほど。道《どう》理《り》で身じろぎ一つしないわけだ。
「それにしても暑いな……。さっきから全然汗が引かないぞ……」
「そうだよね……。こんな環境だと勉強する気なんて全然出てこないよね……」
畳《たたみ》と卓袱台という設備も今は暑苦しさを増すオプションのように見える。夏は暑いのが当然だけど、流石にこれはちょっと……。
「なによアキ。アンタ、この間の期末試験は随分《ずいぶん》とやる気があったみたいなのに、今はもういつも通りに戻っちゃったの?」
「この前のは姉さんを撃退《げきたい》する為だったから例外だよ。元々あまり勉強は好きじゃないからね」
テストの結果、結局姉さんが日本に来る羽目になってしまった。今は引っ越しの準備のために一旦《いったん》母さんたちのところに戻っているけど、僕の自由はもはや風前《ふうぜん》の灯火《ともしび》だ。だからこそ、夏休みを満喫《まんきつ》したかったというのに、よりによって補習だなんて……!
「それに、この前の試験はもう一つ理由があったからな」
僕と同じように勉強する気に翳《かげ》りを見せている雄二が言う。
「もう一つの理由って、試験召喚獣《しけんしょうかんじゅう》の装備のリセットというお話ですか?」
「うん。僕や雄二の装備はめちゃくちゃ弱いからね。新しい装備になればもっと強くなるとおもったんだけど……」
「お前はよりによってその大事な試験で名前の記入ミスをやらかしたからな。また学ランに木刀だろうな」
「うぅ……。せめて金属製の武器が欲しいよ……」
相手の武器とぶつかりあうとすり減っていく気がするから木刀は嫌なんだよね……。
「まぁ、あの結果では明久の装備は変わらんじゃろうが、雄二はどうなのじゃ? お主は去年の振り分け試験からかなり点数が向上しておらんかったかの?」
「ん? そういやそうだな。周りの連中の点数ばかり気にしてあまり自分の点数や装備を気にしてはいなかったな」
「雄二は指揮《しき》を取る立場だもんね。あまり自分が直接戦う場面を想定しないよね」
「ああ。俺の装備が向上するよりも周りの連中が強くなる方がよっぽど勝負がやりやすいからな」
自然にそんな考えが浮かぶのだから、きっとコイツは根っからの指揮官肌なんだろう。
「ワシも期末試験は結構出来が良かったからの。もしかしたら良い装備になっておるかもしれん」
「ウチも振り分け試験よりは問題が読めたから、ちょっと強くなってるかも」
秀吉と美波も成績が上がってきているようだ。羨《うらや》ましい。
「すいません……。私はあまり変わってなかったみたいです……」
「いやいや。姫路さんはあれ以上の成績になったら凄すぎるってば」
いくら点数無制限の試験とはいえ、あれ以上の点数を取るのは相当難しいだろう。
「あ。それなら一度召喚獣を喚《よ》びだしてみようよ。皆がどんな装備になっているのか気になるし」
もしかしたら僕の装備も良い物に変わっているかもしれない。前の装備が最低だったから、あれ以下になることもないだろうし。
「そうだな。戦力の把《は》握《あく》は試召戦争《ししょうせんそう》に必要不可欠だ。幸いにも鉄人もいることだし、召喚許可を貰って確認しようぜ」
「そうだね。すいませーん、西村せんせーい」
黒板近くに置いてあるパイプ椅子に座って教室の様子を見ていた鉄人に呼びかける。すると鉄人は怪《け》訝《げん》そうな表情をしつつこちらにやってきた。
「どうした吉井。お前が俺を呼ぶなんて珍しいな」
そりゃそうだ。会話をする度に生傷が増える相手に好きこのんで自分から話しかけるほど僕もバカじゃない。
「すいません。ちょっと先生にお願いがあったもので」
「お願いだと? おかしなことじゃないだろうな」
「はい。ちょっと召喚許可を貰いたいだけなんです」
僕がそう言うと、鉄人はあからさまに『厄介《やっかい》なことになった』といった表情をした。なんだろう。何か問題でもあるんだろうか。
「あー……。いいか吉井。お前は観察処分者だ。人よりもずっと力があり、しかも物や人に触《さわ》ることのできる召喚獣を持っている。そんな危険なものをみだりに喚び出すことは感心できんぞ。そんな余計なことを考えずにだな──」
ん? やっぱり様子がおかしい。いつもは何事も堂々とした態度で話すのに、今はやけに歯切れが悪い。何かやましいことでもあるんじゃないだろうか。
「西村教諭。ワシらは別に悪巧《わるだく》みをしておるわけではないぞい。ただ、純粋に召喚獣の装備がどうなっておるのかが気になるだけなのじゃ」
秀吉の助け船が入る。僕や雄二が何かを言っても信用してくれない鉄人だけど、秀吉や姫路さんや美波が言えば無視はできないはずだ。
「いや、しかしだな、木下。試召戦争でもないのに召喚獣を喚び出すというのはあまり良いことではないぞ」
奥歯にものがはきまったかのような物言い。やっぱりこれは裏に何かあると見て間違いなさそうだ。
「鉄人。何をそこまで隠している。俺たちの召喚獣に何か不具合でもあったのか?」
「いや、何もないぞ坂本。それよりそろそろ休憩も終わりだ。席について次の授業の準備をするんだ」
鉄人って呼ばれたのに文句を言わないなんて、これはすごく稀《まれ》な光景だ。
この様子を見て、雄二はもとより姫路さんや美波も鉄人がどこかおかしいことに気が付いたようだ。
「西村先生。私たちの召喚獣に何かあったんですか?」
「ウチらの召喚獣なら物に触れないから喚び出してもいいですよね?」
「……さて。授業を始めるぞ」
二人を無視して教壇に戻ろうとする鉄人。
「ちょっと待った」
その腕を雄二が掴《つか》んだ。
「なんだ坂本」
「どうやら何かあったのは間違いなさそうだな。こうなりゃ召喚許可をよこせなんて言わねぇ。ただし、何が起きたのか説明はしてもらうぜ──起動《アウェイクン》っ」
雄二の喚び声に反応して白金《しろがね》の腕輪が起動する。コイツの白金の腕輪の機能は召喚フィールドの作成。つまり、先生の許可がなくとも召喚ができるようになるってわけだ。
「それじゃ、早速! 試獣召喚《サモン》っ!」
お馴染《なじ》みのキーワードを口にすると、僕の足元に魔法陣のような幾《き》何《か》学《がく》模《も》様《よう》が出現した。そして、その中心から徐々に何かが姿を現す。装備が変わっていないのなら、出てくるそれは学ランと木刀で身を固めたデフォルメされた僕自身なんだけど──
「あれ? なんだか僕の召喚獣が……?」
「おいおい……。明久のクセになんだか妙に贅沢《ぜいたく》な装備になったな。これは甲冑《かっちゅう》か?」
「剣まで持ってるわね。今までとは全然違うじゃない」
「それに、随分《ずいぶん》と背が高くないですか?」
現れたのは、白銀の甲冑に身を包み、一振りの大剣を携《たずさ》えた騎士だった。
「す、凄いっ! なんだかかなり強そうに見えるよっ!」
「いやはや……。こいつは凄いな。試召戦争が本物の戦争みたいになりそうじゃないか」
「そうじゃな。これならば本物の人間とさして変わらんからの」
いつもはデフォルメされた僕自身の姿だった召喚獣だけど、今回はまるで違う。殆ど僕と身長が変わらない程に大きい。
「顔も明久君そっくりですね。今までの可愛い感じと違って、今度のは凜々《りり》しいです」
「え? そ、そう?」
凜々しいなんて言われるとなんだか照れてしまう。
「姫路も酔狂《すいきょう》なヤツだな。こんなブサイクのどこがいいんだか」
「あ痛っ」
パコン、と雄二が僕の召喚獣の頭を小突《こづ》く。すると、その叩かれた頭は首から離れ、ゆっくりと重力に従《したが》って畳の上に落下した。
「「「………………」」」
絶句する僕らの前を、胴体から離れた召喚獣の首が静かに横切る。生首は何度も畳の上で回転すると、近くの卓袱台の脚にぶつかってこちらを見た状態で動きを止めた。
「「きゃぁぁあああーっ!?」
「えぇぇっ!? な、何コレ!? 僕の召喚獣がいきなりお茶の間にはお見せできない姿になっているんだけど!?」
身体は仁王立ちのまま、頭だけが床に転がっている。なんというか、デフォルメされていない分余計にグロい……。
「ん? ああ、すまん。そんなに強く叩いたつもりはなかったんだが、まさか外れちまうとはな……。待ってろ。今ホチキスを持ってくる」
「雄二、何を的外《まとはず》れなことを言ってるのさ!? くっつけるなら接着剤でしょ!? ホチキスだと穴が開いて痛いんだから!」
「そういう問題ではないと思うのじゃが」
まったく……。僕が観察処分者だってことを忘れているんじゃないだろうか。
「それはそうと、いくら明久の点数が無いに等しい位だからと言って、登場と同時に戦闘不能にならなくてもいいだろ」
「え? コレってそういうことなの?」
確かにこの前の期末試験は記名ミスで無得点扱いだったけど、それが原因でこんなことになるんだろうか。今までだったら0点だといくら喚んでも召喚獣は出てこなかったはずだけど……。
『Fクラス     吉井明久
総合科目     1053点』
いつものように、召喚から少し遅れて点数が表示される。
うん。高くはないけど点数だってきちんとあるし、雄二の説は違うみたいだ。
「明久よ。どうやらお主の召喚獣は首は外れるものの、戦闘不能というわけではなさそうじゃぞ」
「うん。そうみたいだね」
秀吉の言う通り、僕の召喚獣は頭が外れても平然と立っていたし、試しに手を動かしてみると問題なく動いてくれる。ということは、首の着脱が可能な召喚獣なんだろうか。とても前衛的《ぜんえいてき》な機能だけど……できれば普通のものにしておいて欲しかった。
「姫路さん、美波。目を開けても大丈夫だよ。別にこれは死体じゃないみたいだから」
固く目を閉じたままの女子二人に声をかける。あれで怖がるなんて、やっぱり女の子だなぁ。
「はぅ……。そうじゃなくても、やっぱり怖いです……」
「べ、別にウチは驚いただけで、こんなもの怖いワケじゃ……」
微妙に僕の召喚獣から視線を逸《そ》らしている二人。怖がっている姫路さんも強がっている美波も微笑《ほほえ》ましいな。
「さて鉄人。これはどういうことだ。知っているんだろ?」
雄二がわざとらしく目を背《そむ》けている鉄人に問いかける。
鉄人は諦めたように大きく溜息をつくと、訥々《とつとつ》と説明を始めた。
「……俺にはよくわからんが、今喚び出される召喚獣は化け物の類《たぐい》か何かになっているという話だ」
「お化け、ですか?」
こうやって首が外れるお化けっていうと、騎士の格好もしていることだし……デュラハンあたりだろうか。でも、なんでそんなものが召喚獣に?
「お前らも知っての通り、試験召喚システムは科学技術だけで成り立っているわけではない。幾ばくかの偶然《ぐうぜん》やオカルト的な要素も含まれているんだ」
「??? つまり、どういうことですか?」
「あー……。要するに、だな……」
「調整に失敗した、と」
「……身《み》も蓋《ふた》もない言い方をするな」
雄二の台詞《せりふ》に鉄人が仏頂面《ぶっちょうづら》で答えた。そっか。この前からシステムの調子が悪いとか言っていたけど、こんなことになってたんだ。
「明久の召喚獣の様子を見る限り、どうやら調整はオカルトの部分が色濃く出たようだな。これはこれで面白いが」
「なるほど。オカルトと言えばお化けだもんね」
こんなものを夜道で見たら腰を抜かしてしまいそうだ。
「けど、どうしてデュラハンなんだろう? お化けなら日本の妖怪とかもいっぱいいるはずなのに」
あまり日本では馴染みのないお化けが出てくるのには何か理由があるんだろうか。
「学園長の話を聞く限りでは、どうも召喚者の特徴《とくちょう》や本質から喚び出される妖怪が決定されるらしい」
腕組みをしながら鉄人が説明する。
「特徴や本質ですか? そうなるとデュラハンが選ばれたっていうのは、僕の騎士道精神が召喚獣に影響を与えたからってことですね」
「明久。現実から目を背けるな」
「え? 違うの? そうなると他に考えられるのは、甲冑の似合う男らしさとか、大剣を振《ふる》う力強さとか」
「恐らく『頭がない=バカ』だからじゃな」
「言ったぁー! 僕が必死に目を逸らしていた事実を秀吉が包み隠さず言ったぁー!」
うぅ……。やっぱりそうなのか……。まさか試験召喚システムにまでバカ扱いされるなんて……。
「じゃが、こうしてみる限りは以前の召喚獣よりも強そうではないか。武器も金属のようじゃし、鎧《よろい》もつけておる」
「そ、そうだよね。前よりは強そうだよね」
特徴や本質|云々《うんぬん》はともかく、強くなったことは喜ぶべきだ。
「俺には強くなったようには見えないけどな」
だというのに、雄二が水を差すようなことを言ってきた。
「なんだよ雄二。なにが不満なのさ」
「その取り外しができる頭が問題だろ。戦っている最中に頭が取れたらどうなる?」
雄二が地面に転がっている召喚獣の頭を指差した。
えっと、勝負の最中に頭が地面に転がっていたら、
「……狙《ねら》われるね、確実に」
「そうじゃな」
頭なんて、狙えばイチコロの弱点そのものだ。それが身体で守られることなく転がっていたら格好の的《まと》になってしまう。
「そういうことだ。つまり明久の召喚獣は常にどちらかの手で自分の頭を抱《かか》えないとならない。片腕しか使えないなんてハンデもいいところだな」
「う……。そういうことか……」
確かにそう言われると装備が多少向上したところで強くなったとは言えない。むしろ以前の方が両手が自由に使えた分強かったくらいだ。
僕らがそうやって騒いでいると、ようやく鉄人の悪夢から目覚めたクラスメイトが数人こちらにやってきた。
「吉井、さっきからなんか面白そうなことやってるな」
「これ召喚獣か? 特徴や本質がどうとか言ってなかったか?」
「なるほど。だから吉井の召喚獣は頭がないのか」
この連中にだけは言われたくはない。
「そう言うのならそっちも喚び出してみなよ。きっと僕のより酷い召喚獣が出てくるからさ」
僕がそう言うと、三人は揃《そろ》って口の端《はし》を歪《ゆが》めて嫌な笑みを顔に浮かべた。
「おいおい吉井。そんなことを言っていいのか?」
「俺たちの召喚獣がバカ日本一のお前に負けるわけないだろ?」
「俺の本質はなんといってもジェントルマンだからな。酷い召喚獣なんかが出てくるわけがない。いいか、見てろよ──」
「「「試獣召喚《サモン》っ……」」」
三人の喚び声に反応して、それぞれの召喚獣が姿を現した。
……ズズズズズ ←ゾンビ登場
……ズズズズズ ←ゾンビ登場
……ズズズズズ ←ゾンビ塔場
なるほど。根性が腐《くさ》っているからか。
「こ、怖いです明久君……っ!」
「あ、アンタたち! その汚いものを早くしまいなさいよっ!」
自分の本質を汚いと言われた三人はお互いの肩を抱き合って泣いていた。
「しかしまぁ、これはこれで面白いもんだな。秀吉はどんな召喚獣なんだ?」
「んむ? ワシか? そうじゃな……。ワシの特徴と言えばやはり演劇じゃからな。妖怪ではないが、舞台で有名なオペラ座の怪人あたりが妥《だ》当《とう》じゃろうか。……どれ。試獣召喚《サモン》っ」
……ポンッ ←猫又登場
「へぇ〜。猫のお化けか。可愛いね。秀吉によく似合ってるよ」
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「どうやら秀吉の特徴は『可愛い』ということらしいな」
「つ、ついにワシは召喚システムにまでそんな扱いを……」
お化けと言っても怖いのだけじゃないみたいだ。なんというか、癒されるなぁ……。
「また木下はそうやってアキを誘惑して……!」
「わ、私だって負けませんっ」
秀吉の召喚獣が怖くない分、美波と姫路さんが怖い顔をしていた。
「明久君、見ていて下さいっ。私も可愛い召喚獣を出して見せますっ」
「あ、うん。楽しみにしてるよ」
「はいっ。頑張りますっ」
優しい姫路さんのことだ。きっと天使とか女神が出てくるに違いない。
「それじゃいきます。……試獣召喚《サモン》ですっ」
……ボンッ ←サキュバス登場
「きゃぁあああーっ!? あ、明久君っ! 見ないで下さいっ!」
「くぺっ!?」
召喚獣を見た瞬間、姫路さんに首を180度回された。マズい。僕の本体まで首が取れちゃいそうだ。
「す、凄い召喚獣ね……。…………特に胸が」
「そこまで露出《ろしゅつ》が多いわけでもないのに、随分と大きさが強調されているもんだな」
「と、とにかく上着を……あぅっ! 通り抜けちゃいます……っ!」
首を捻られたせいで一瞬しか見えなかったけど、姫路さんの召喚獣はなんだか色っぽかった気がする。
「…………明久……っ! 倒れている場合か……っ!」
そしていつの間にか僕の隣ではムッツリーニこと土《つち》屋《や》康《こう》太《た》が顔を鮮血に染めながらも必死にカメラを構えつつ、僕にも予備の一台を差し出していた。いくらシャッターを切ってもレンズが血で覆《おお》われているから無駄だと思うんだけど……。
「姫路。召喚獣を隠したいのなら俺から離れろ。フィールドの有効範囲から出たら自然に消えるからな」
「あ……。は、はいっ。そうしますっ」
姫路さんは雄二の言葉に頷くと大急ぎで雄二から離れて、召喚獣が消えたのを確認すると早足で戻ってきた。
「災難じゃったな、姫路」
「うぅ……。酷いです……。あんな格好だなんて、恥ずかし過ぎです……」
首まで真《ま》っ赤《か》になった姫路さんは泣きそうな顔をしていた。
「だが、そうは言ってもアレが姫路の本質のようだからな。仕方がないだろ」
「わ、私の本質って……?」
姫路さんが不安げに表情を曇《くも》らせつつ、僕らを見る。う……。答えにくい……。
「え、えっとね……。その、なんというか……」
「そ、そうじゃな……。言いにくいことじゃが……」
「胸がデカいってことだろ」
「うわぁああんっ!」
流石雄二だ。僕らが言えなかったことを平然と言ってのける。
「そ、そんなことないですっ! 確かに私は全体的にちょっと太ってますけど、特徴になるほど大きくなんて全然ないですっ!」
「よすんだ姫路さん! それ以上言えば特定の誰かを傷つけることにあれ? 急に視界が暗くなったような?」
「アキ。言いたいことがあるなら聞くわよ?」
にこやかに美波が僕の頸動脈《けいどうみゃく》を押さえていた。
せ、折角気を遣って止めたのに……。
「外見の特徴はおいておくとして、あと他に考えられる特徴としては『大胆』ってところか? なにせサキュバスだからな」
「大胆、ですか?」
「ああ。思えば姫路にはそういうフシが見られたからな。この前明久と帰った時にも『襲いかからないように我《が》慢《まん》します』とか言ってたし」
「そう言えば以前、学園祭の打ち上げでも明久を押し倒しておったな」
「ち、違いますっ。あ、あれはその、思いあまってというか、勢いというか、とにかくその……」
顔を真っ赤にして恥ずかしそうに俯《うつむ》く姫路さん。会話の勢いとか、お酒のせいだとか、色々と事情があったんだから気にすることはないと思うんだけど。
そんな姫路さんを見て、美波が得意そうに笑みを浮かべた。
「ふふっ。瑞希ってば、可哀想に。そんな大きな胸をしているからあんな格好の召喚獣が出てきちゃうのよ」
「うぅ……。あんまりです……」
「でもその点、ウチなら何の心配もないから大丈夫よ。きっとそういうエッチなのじゃなくて、妖精とか女神とか戦乙女《いくさおとめ》とか、そういった可愛いのが出てくるはずだから見てなさい──試獣召喚《サモン》っ!」
ゴゴゴゴゴ…… ←ぬりかべ登場
ダメだ。今笑ったら殺される。
「……ねぇ、アキ」
「な、なにかな美波」
こちらに背を向けたまま話しかけてくる美波が異様に怖い。ゾンビやデュラハンなんて目じゃないくらいだ。
「この召喚獣、ウチに何を言いたいのかしらね?」
「な、なんだろうね?」
言葉を濁《にご》らせながらも必死に助けを求めて周りを見──ダメだ! 雄二も秀吉も気の毒そうな顔をしながら目を逸らすだけだ!
こうなったら真《ま》っ平《たい》らという部分以外の特徴を探して誤魔化《ごまか》そう! もはや頼れるのは僕自身の頭脳のみ! えーっと、ぬりかべの特徴は全身真っ平らで凹凸《おうとつ》がないということ以外だと──
「そ、そうだっ! きっと、美波とぬりかべは硬《かた》いってところが似て……いて……」
と、言ってから自分で気が付く。
そうか……。この間題、そもそも生き残る為の正解なんてどこにもなかったんだ……。
「へぇ〜。ウチが硬いって、どこがかしら?」
それなら、せめて最後の瞬間まで自分に正直に生きよう……。
「うん……。きっとね……、胸が硬いとあがぁっ! そ、そうだっ! 拳《こぶし》だよ! 美波は拳も硬かったんぎゃぁああっ!」
「拳もって何よ! 触ったことも無いクセに! アキのバカぁーっ!」
拳はリアルタイムで触っているところなんだけど!
「ムッツリーニよ。お主はどんな召喚獣なのじゃ? まだ確認しておらんのじゃろう?」
秀吉が僕を助ける為か、止血作業を終えたムッツリーニに話を振っていた。ちょびっと遅いけどナイスフォローだ。
「…………試獣召喚《サモン》」
ムッツリーニが呟くと、近くに顔色の悪いタキシード姿の少年が現れた。なんだか格好良いけど、これって
「なるほど。確かにいつも血を欲しているイメージがあるからな」
「若い女が好きという点も酷《こく》似《じ》しておるしの」
やっぱりヴァンパイアか。ムッツリーニにはある意味ぴったりかもしれない。
「ここまでくると雄二のも気になるよね。召喚してみてよ」
「ん? そうだな……。それじゃ、このままだと俺の召喚獣は喚べないからフィールドをOFFにして鉄人に許可をもらうか。鉄人も今更文句は言わないだろ」
雄二がそう言うと、鉄人は「やれやれ」と呟いて、諦めたように頷いた。
「ワシらと違って雄二の性格は攻撃的じゃからな。戦闘向きの妖怪が出るやもしれんのう」
「確かにそうだね。おっきな金棒《かなぼう》を持った鬼とか、ゴツいチェーンソーを持ったジェイソンとか、もしかしたら凄い鎌《かま》を持った死神なんかが出てくるかも」
僕の持つ雄二のイメージだと鬼がぴったりだ。
「そんじゃいくぞ。……試獣召喚《サモン》っ!」
僕らの装備予想を受けつつ、雄二の喚び声に応えて現れる召喚獣。
そいつの装備は──鍛え上げられた肉体と、引き締まった肉体と、筋肉に覆われた肉体だった。
「また手ぶらじゃないかぁーっ!」
堂々と素手で現れた雄二の召喚獣。こいつは拳骨《げんこつ》以外の攻撃方法を知らないのか!?
「っていうか、雄二の召喚獣は今までのよりも退化してない!? 装備がズボンだけじゃないか!」
「しかも何の特徴もなく雄二そのものが出てきおったな。これでは服装以外雄二と区別がつかん」
「ちょ、ちょっと目のやり場に困りますね……」
姫路さんが窓の外に目を向けている。雄二の召喚獣は下にズボンを穿《は》いているだけで上半身は裸《はだか》だった。
「雄二……。とりあえずその見る人全てを不幸にする召喚獣を早くしまってよ……」
はっきり言ってこれは逆サービスショット以外の何物でもない。
「わかっている。こんなもん、俺だって見たくもない」
「じゃが、雄二の召喚獣は結局何の妖怪なのじゃ? これではさっぱりわからんぞ」
「…………ドッペルゲンガーとか?」
秀吉とムッツリーニが首を傾《かし》げている。あれ? この二人にはこれが何の妖怪かわからないのかな?
「二人とも何を言っているのさ。これは最近日本で確認された新種の妖怪『坂本雄二』じゃないか。醜《みにく》い容姿と汚い性格で美人の幼なじみを騙《だま》すって話の」
「明久。召喚獣を喚び出せ」
「ん? 別にいいけど。試獣召喚《サモン》っ」
「目指せワールドカップ!(ガコッ)」
「あがぁっ! 蹴ったね雄二!? 僕の召喚獣の首をサッカーボールに見立ててゴミ箱に蹴り込んだね!? なんてことをしてくれるのさ!」
「そう怒るな明久。よく言うだろうが。『友達はボールだ』って」
「それを言うなら『ボールは友達』じゃないの!?.前後の順番入れ替えたらただの苛《いじ》めの現場だよ!」
もしもボールに意志があったら、大勢の友達によってたかって蹴られていることに涙するはずだ。
「そもそも俺はお前を友達だと認めてはいないがな」
「だったら蹴るな!」
僕だってこんなバカを友達だなんて思っていない!
とりあえずゴミ箱から生首を救出してこようか、なんて考えた矢先。
「んむ? 雄二。お主の召喚獣の様子が変じゃぞ?」
「お? 本当だな。何が起きるんだ?」
雄二の召喚獣がプルプルと身《み》震《ぶる》いを始めたかと思うと、その口が大きく裂《さ》け、全身から凄い勢いで毛が生えてきた。
「「きゃぁあああーっ!!」」
「…………狼男」
「なるほど。そういうことか」
雄二の特徴の一つのたてがみ[#「たてがみ」に傍点]のような髪の毛が更にツンツンと逆《さか》立《だ》って、野性味たっぷりの顔は野性そのものへと還《かえ》っていく。そっか。雄二の特徴は野性ってことか。
「で、でも、満月でもないのに変身なんておかしくないですか?」
雄二の狼男を怖がっているのか、僕の袖《そで》をつまみながら姫路さんが尋《たず》ねてくる。
「さぁな。なんか丸い物でも見たんじゃないのか? 伝承《でんしょう》なんて曖昧《あいまい》なものだからな。そこらへんは適当なんだろ」
丸い物っていうと……さっき蹴られた僕の召喚獣の頭かな。確かに回転して飛ぶ姿は丸く見えなくもなかったけど、それってどうなんだろう? 調整に失敗したってだけあって随分と適当な作りだなぁ。
「それはそうと、この召喚獣はきちんと次の試召戦争までには直るのか? こんなのでクラス間の勝負なんてやったら妖怪大戦争になっちまうだろ」
「そ、それは困ります……。怖いのも困りますし、(私の召喚獣は恥ずかしいですし……)」
僕の袖を掴む姫路さんの手に更に力が入る。こんなに明るい上に人が大勢いるのに怖いだなんて、本人には悪いけどちょっと可愛いく思えてしまう。
「召喚システムの調整については俺もよくわからん。学園長なら何か知っているかもしれんがな」
鉄人が眉《まゆ》根《ね》を寄《よ》せる。これは教師側にとっても好ましい事態ではないみたいだ。
「確かにその辺は鉄人よりもババァに聞いた方が良さそうだな。なんだって召喚システムの開発者様だからな」
「そうだね。学園長に聞いてみようか」
雄二と二人で立ち上がり、学園長室を目指して歩き出す。試召戦争は僕らにとってかなり大事な案件だ。このまま放っておくなんてできない。急いで確認しないと。
『キサマらっ! ドサクサに紛《まぎ》れて脱走か!』
「しまった雄二! 気付かれたよ!」
「走れ明久! 学園長室に逃げ込めばこっちのもんだ!」
「了解っ!」
[#中央揃え]☆
「んで、どうなんだ学え──ババァ」
「教えて下さい、学え──ババァ」
「……どうしてアンタたちはアタシを素直に学園長と呼べないのかねぇ……」
僕らが問い詰めると、学園長は呆れたように溜息をついた。
しまった。最近鉄人といいババァといいムッツリーニといい、ニックネームの方で呼ぶ癖《くせ》がついてるみたいだ。
「すいません。学園長」
「はンッ。今更言い直しても教えてやるもんかい。このクソガキどもが」
「そんな!? 酷いですよババァ長!」
「その呼び方は今までで一番酷いさね!?」
いけない。勢い余っておかしな混ざり方になってしまった。
「おい明久。巷《ちまた》で若いと評判の学園長(笑)にあまり失礼な発言をするな」
「アンタも充分失礼だよクソジャリ」
学園長の機嫌はどんどん思くなってるように見える。これはまずい。
「んで、ババァ。正直なところどうなんだ。きちんと復旧するのか?」
「はぁ? 復旧? 何を言っているんだいボウズども。それだとまるで召喚システムに欠陥《けっかん》があるみたいじゃないか」
学園長はバカを見るような目で僕らを見ている。雄二はともかく僕までそんな目で見られるなんて心外だ。
「だって、まるでも何も、見るからに調整失敗しているじゃないですか」
「いいや、違うね」
通販番組の外国人みたいに首を振る学園長。違うってどういうことだろう?
「アレはちょっとした遊び心さ」
「遊び心? どういうことですか?」
どこからどう見ても失敗にしか見えなかったけど。
「今は夏だからねぇ。肝試《きもだめ》しにはもってこいの季節だろう?」
「は?」
いきなり何を言っているんだろうこの老《ろう》婆《ば》は。
「つまり、ババァは肝試しの季節に合わせて召喚獣も妖怪《ようかい》仕様にカスタマイズしたと言いたいのか?」
「そうさ。あれは夏休みでも登校する可愛い生徒たちへの、アタシからのささやかなプレゼントさ」
「プレゼントって、そんなバカな……」
本当にそうだとしたら、事前に告知ぐらいしてくるはずだ。どうにも怪しい。
「ん〜……そうか。まぁ、ババァがそう言うのならそういうことにしておくか」
「え? 本当のことを聞かないの?」
雄二の意外な一言にびっくり。てっきりコイツの性格なら学園長の弱味を握ったとでも言わんばかりに問い詰めるかと思った。
「別にここでババァに『実は調整失敗だった』なんて言わせたところでメリットはないだろ。それより、学園長のありがたい心遣いに甘えさせてもらおうぜ」
「甘えさせてもらうって……それってつまり、さっき言われたように召喚獣を使って肝試しをやるってこと?」
「ああ。学園長もそれを考えた上でのプレゼントって言ってるんだろ? 俺たちに召喚獣の異変が伝わった以上は、世間体《せけんてい》を考えると学園側も何もしないわけにもいかないだろうしな」
雄二が視線を送ると、学園長は小さく嘆息《たんそく》して頷いた。
「やれやれ……。本当にアンタはこういうことにだけは頭が回るねぇ……」
頭が回る? どういうことだろう?
「つまり、試験的なシステムとして運営している以上、学園側は召喚システムの調整を失敗したとは言いたくないってことだ。隠し切れるならそれで良かったんだが、生徒にばれた以上はそうもいかない」
「ああ、なるほど。だから肝試しをやることで『元から計画していた出来事』にしようってわけか」
世間から注目されているのって、色々と大変だなぁ……。
「じゃあ、そういうことで残り二日の補習期間は肝試しってことでいいんだよな?」
雄二が嬉しそうに学園長に問う。さてはコイツ、最初から肝試しにかこつけて鉄人の灼熱補習を潰す気だったな? なんて良いことを考えるんだろう。グッジョブだ。
「いいや、ただの肝試しなら却下《きゃっか》さね。あくまでも召喚獣は学習意欲向上の為のツールだからね。見た目だけで楽しむのは授業の一環とは認めないよ」
そこだけは譲れない、と言わんばかりに学園長が首を振る。
つまり、どこかに点数を使った勝負の要素を織り込まなければダメということだろう。
「それならチェックポイントでも作って、そこで勝負でもさせるか。それなら文句はないだろ?」
「そうさねぇ……。ルール次第だけど、それなら認めてもいいかもしれないね」
「よし。決まりだな」
雄二が満足そうに頷く。
こうして、学園と試験召喚システムを使った一風変わった肝試しが行われることになった。
[#改ページ]
[#改ページ]
バカテスト 世界史[#「バカテスト 世界史」は太字]
【第二問】[#3段階大きな文字]
次の(  )に正しい単語を入れなさい。
ロシアの作家ドストエフスキーは著書『( @ )の兄弟』や『( A )と罰』の中で、信仰心を失った近代人の虚無主義的な姿を描いた。
姫路瑞希の答え[#「姫路瑞希の答え」は太字]
『@( カラマーゾフ )兄弟
A(   罪   )と罰』
教師のコメント[#「教師のコメント」は太字]
正解です。この二作品と『白痴』、『悪霊』、『未成年』はドストエフスキー五大長編と呼ばれる名作ですので、興味があればそれらを読んでみるのも良いでしょう。
[#改ページ]
土屋康太の答え[#「土屋康太の答え」は太字]
『@( マーゾ )兄弟
教師のコメント[#「教師のコメント」は太字]
なんてところをピンポイントで覚えているんですか。
吉井明久の答え[#「吉井明久の答え」は太字]
A(  ムチ  )と罰』
教師のコメント[#「教師のコメント」は太字]
マーゾの兄弟大喜び。
[#改ページ]
『おーい! 誰かそこの釘《くぎ》をとってくれ!!』
『暗幕《あんまく》足りないぞ! 体育館からひっぺがしてこい!』
『ねぇ、ここの装飾って涸《か》れ井戸《いど》だけでいいのー?』
「これはまた、凄い騒《さわ》ぎじゃな」
「うん。雄二が鉄人《てつじん》の補習をサボる為《ため》に本気で手を回していたからね」
翌日、文月《ふみづき》学園の新校舎3Fは肝試《きもだめ》しの為の改装作業で大いに賑《にぎ》わっていた。
「それにしても、まさかAクラスまで協力してくれるとは思わなかったよ」
肝試《きもだめ》しの会場に使う教室はA〜Dクラスのものだ。折角《せっかく》やるのなら、広さがあって涼しさを演出できる教室を、という理由で提案してみたんだけど、本当に教室を使わせてくれるとは思わなかった。
「Aクラスとてワシらと同じ歳の高校生じゃ。勉強ばかりでは息が詰まるじゃろうからな。期末試験も終わったばかりじゃし、渡りに船といったところじゃろ」
「そりゃそっか。遊びより勉強が好きな高校生なんてそうそういないよね」
世の中にはいろんな人がいるから、もしかしたらそういう人もいるかもしれないけど。
「わ、私はできれば、肝試しよりはお勉強の方が……」
困ったように姫《ひめ》路《じ》さんが呟《つぶや》く。遊びとは言っても肝試しだから、怖い物が苦手な姫路さんにしてみれば勉強の方がマシなんだろう。
「だ、大丈夫よ瑞《みず》希《き》。どうせ周《まわ》りは全部作り物なんだし、お化《ば》けはウチらの召喚獣なんだから、怖いことなんて一つもないわ」
「それはそうですけど、それでもやっぱり苦手です……」
姫路さんを諭《さと》すというよりは、自分に言い聞かせているように思える美《み》波《なみ》の台詞《せりふ》。
「あれ? 美波ってこういうの苦手だっけ?」
「そ、そんなことないわよ! こんなもの、怖くも何ともないから目を瞑《つむ》っていても平気なんだから!」
いや、目を瞑るのは怖がっている証拠だと思うけど……。
「な、何よアキその目は! ウチの言ってることが信用できないって言うの!?」
「う〜ん……。だって、さっきから美波は怖がっているようにしか見えないからさ」
「じょ、冗談《じょうだん》じゃないわ! 怖いわけ無いじゃない!」
これ以上ないってくらい動揺している美波。面白いな。ちょっとからかってみよう。
「そう言えば、噂《うわさ》で聞いたんだけど」
「な、何よ」
「この学校の建っている場所って……実はワケありらしいよ」
「わ、ワケありってなんですか……?」
美波の隣《となり》の姫路さんも不安げにこちらを見ている。
「あははっ。それはね──本当にお化けが出るんだってさぁああああっ!」
「きゃああああっ!」
と、これは僕の声に驚いた姫路さんの悲鳴。
「いやぁあああっ!」
そしてこれは、同じく驚いている美波の悲鳴。
「みぎゃあああっ!」
ちなみにこれは、驚いた美波が勢いよく飛びついてきたおかげで頸椎《けいつい》に深刻なダメージを受けた僕の悲鳴。なるほど。文字通り痛いほどに美波の恐怖が伝わってきたよ。
「ご、ごめん美波……。冗談だから、離れて……くれないかな……?」
安心させる為に微笑《ほほえ》みを作りながら美波に話しかける。ここで解放してもらえないと僕の命に関わる。
「う、うそ……っ! だって、ウチには聞こえてくるもの……! 『呪います、殺します』って……!」
あはは。美波ってば怖がるあまり幻聴まで聞こえてきちゃったみたいだ。そんな台詞、どこからも聞こえてなんて──
『吉井明久《よしいあきひさ》……! お姉様と抱き合うなんて、どこまでも憎らしい男です……! 呪います……! 殺します……!』
視界の隅《すみ》に縦ロールの髪型をした小柄な女の子が映った。彼女はDクラス所属の清《し》水《みず》美《み》春《はる》さん。女の子なのに同性の美波に恋心を抱《いだ》いてしまっている困った人で……どうやら今の僕の状況は呪い殺したいほどに妬《ねた》ましいようだ。
「あ、明久君……っ! 私にも聞こえます……っ!」
清水さんの声が聞こえたのか、姫路さんも怯《おび》えた様子でこちらを見ている。周りは肝試しの為にかなり薄暗い状態だし、これは怖いかもしれない。
「…………明久」
「「きゃああああーっ!」」
美波と姫路さんの悲鳴と同時にコキュッと小気味良い音が僕の腰《よう》部《ぶ》から聞こえてきた。恐らくこの音は腰骨《こしぼね》から聞こえてはいけない音だろう。
「だ、誰かと思ったら土《つち》屋《や》君ですか……。驚かさないで下さい……」
「ま、まったくよ……。おかげでアキの腰がおかしな方を向いちゃったじゃない」
「…………ごめん」
申し訳なさそうに謝るムッツリーニ。
それはそうと、どうしていつも一番の被害者は僕になるんだろう……。
「それで、ムッツリーニ。僕に何か用?」
死の抱擁《ほうよう》から解放して貰いながらムッツリーニに尋《たず》ねる。女の子に抱きつかれるのは嬉しいはずなのに、いつも喜びを感じる前に恐怖が先行してしまうから不思議だ。
「…………向こうのロッカーを動かして欲しい」
ムッツリーニがAクラスの教室の隅に置いてある大きなロッカーを指差した。さすがはAクラス。鍵といい収納スペースといい、僕らのものとは比べようもないほど立派なロッカーだ。あれを人の力で動かすのは難しいだろう。
「わかったよ。それじゃ、召喚許可を」
「…………もう頼んである」
ムッツリーニの後ろの方に世界史の田《た》中《なか》先生の姿が見えた。こういう雑用の時だと先生の許可もスムーズで助かる。
「オッケー。んじゃ、試獣召喚《サモン》っ」
床に幾《き》何《か》学《がく》的な模様が描かれて、姿を改めた僕の召喚獣が姿を現す。今までの召喚獣と違って手足が長いから、こういった作業の時は便利かもしれない。
のっしのっしと召喚獣を動かして目的のロッカーの前に立たせる。
「このロッカーをどけたらいいんだね?」
「…………(コクリ)」
指示を受けた召喚獣がロッカーに手をかけた時、コロリと頭が外れてしまった。
「「…………っ!?」」
姫路さんと美波が息を飲む様子が見て取れた。確かに今の薄暗い教室の中でこの光景はちょっと怖い。
「頭が外れちゃうのは不便だなぁ……」
「…………ガムテープで固定するとか?」
「う〜ん……。一旦《いったん》消すとまたテープを貼らなきゃいけないなんて面倒だし、折角の肝試しなんだから首が外れないと意味がないし……このままでいいや」
システムの調整が終わったら召喚獣は元に戻されちゃうだろうから、今しか味わえないこの感覚を楽しむことにしよう。
「じゃあ動かすよ。──よいしょっと」
頭を床に転がしておいて両手でがっしりとロッカーを掴ませる。人の何倍もの力を持つ召喚獣はその重たげなロッカーを抱え上げた。あとはこのロッカーを向こうに持って行って──痛ぁっ! 何!? 突然頭に激痛が!?
「ブタ野郎のクセにお姉様の抱擁を受けた罪……死して償《つぐな》うのです……!」
見てみると、僕の召喚獣の頭を清水さんが思いっきり踏みつけていた。なんて酷《ひど》いことをしてくれるんだ!
とは言っても召喚獣にロッカーを抱えさせている今、頭を取り戻すのは難しい。召喚獣は手がふさがっているし、召喚獣に指示を出している間は僕自身が動くのも厳しい。
なんとかしないと、と思っていると、そこに仲間たちが助けに来てくれた。
「清水! 吉井の頭を渡すんだ!」
「す、須《す》川《がわ》君、それに皆……! ありがとう、助かるよ!」
清水さんの前に須川君やFクラスの皆が立ちはだかる。これは嬉しい。やっぱり持つべきものは友達だ。
「邪魔をしないで下さい。このブタ野郎にはお仕置《しお》きが必要なんです」
「いいからそれを寄《よ》越《こ》すんだ!」
「そうだ! 吉井の頭を渡せ!」
「それはお前には預《あず》けておけねぇ!」
Fクラスの皆が口々に言い放つ。
「「「俺たちが本物の苛《いじ》めを見せてやる!」」」
え? そういうことなの?
「わかりました。そういうことならこのブタ野郎の頭を渡しましょう」
「ちょっと待って! 渡しちゃダメだよ清水さん!」
「感謝するぞ清水。それじゃあ行くぞ皆! 女子に抱きつかれた裏切り者への、血の制裁《せいさい》だ! 試獣召喚《サモン》っ!」
「「「試獣召喚《サモン》っ!」」」
召喚フィールド内にゾンビが溢《あふ》れ出《で》る。
「パス行くぞー。おらぁっ!」
「あがぁっ」
「ナイスパース。くたばれクソ野郎が……! どりゃあっ!」
「ふぎゃぁつ」
「オッケー! シュートぉっ!」
「うぐぁっ」
デュラハンの頭でゾンビがサッカー。これは一体どこの地《じ》獄《ごく》絵《え》図《ず》だろう。
さっきは清水さん本人に踏まれていただけだったからまだマシだったけど、人よりもずっと力のある召喚獣に攻撃されていると酷く痛い。誰か……助け……
「待つんだ。それ以上吉井君を苛めるのなら、僕が相手になろう」
するとそこに一筋の光明が見えた。あれは……Aクラス次席の久保《くぼ》利光《としみつ》君!? 違うクラスなのに助けてくれるなんて、なんていい人なんだろう!
「ありがとう久保君! 助かるよ!」
「気にしないでいいよ吉井君。君のことは僕が守るよ──いつまでも」
いや、別に今だけでいいんだけど……。
「Aクラスの久保君……でしたか? 美春たちの邪魔をしないで下さい」
「そうはいかないよ清水さん、Fクラスの皆。君たちが束になってこようとも、僕は一歩も譲らない。守るべきものが、ここにあるのだから……!」
「上等です! それならそこのブタ野郎と一緒に葬《ほうむ》り去《さ》ってやります。──試獣召喚《サモン》っ!」
「僕は負けない……! そう。僕が今まで勉強を頑《がん》張《ば》ってきたのは、きっとこういう時に吉井君を守る為なんだ──試獣召喚《サモン》っ!」
久保君と清水さんが睨《にら》み合《あ》ったまま召喚を開始した。そして、それぞれ顔は召喚者自身だけど、装備は全く同じ召喚獣が出てきた。藁《わら》とかボロ布とかを着ていて、なんだかみずぼらしい格好だけど……あれってなんの妖怪《ようかい》だろう?
「ムッツリーニ。あれは何の物《もの》の怪《け》かわかるかの?」
「………迷《まよ》ひ神《がみ》」
未だに蹴られ続けている僕の召喚獣の頭を気にした風もなく、秀吉《ひでよし》とムッツリーニがのんびりと会話をしている。
「…………人を迷わせる妖怪。一説では、道に迷って果《は》てた人の魂が道《みち》連《づ》れを探しているとか」
「なるほど……。人の道に迷って、仲間に引きずり込もうとする連中というわけじゃな……」
それはそうと、どうして清水さんと久保君が同じ召喚獣なんだろう。似たような特徴《とくちょう》でもあるんだろうか?
「ええい! 全員|一斉《いっせい》に久保利光にかかるのです!」
「「「おおーっ!」」」
「来るなら来いっ! 僕は絶対に負けない!」
ゾンビ&迷ひ神 VS 迷ひ神 の戦いが始まる。生首を抱えているゾンビの群れに迷ひ神が襲いかかり、向こうも対抗して腐《くさ》った身体で引《ひ》っ掻《か》きや噛《か》みつきを繰《く》り出《だ》してくる。飛び散る腐《ふ》肉《にく》。宙を舞う生首。弾《はじ》け飛ぶ四肢《しし》。
「「「きゃぁああああーっっ!!」」」
そのあまりに凄惨《せいさん》な光景に、姫路さんや美波はもとより、クラスにいた他の人たちも悲鳴を上げていた。なまじ等身大になっている分タチが悪い。
『こ、こっちに来ないで! 試獣召喚《サモン》!』
『大丈夫かミホ!? 畜生、俺の彼女をよくもビビらせてくれたな……! 試獣召喚っ!』
『彼女だと……? 今コイツ彼女って言ったぞ! 裏切り者だ!』
『『『殺せぇぇっ!!』』』
あっという間に広がる混乱の輪。今や先生を中心とした召喚フィールドは阿鼻叫喚《あびきょうかん》の妖怪大戦現場となっていた。
あまりにも騒がしくて、先生が召喚フィールドを消すんじゃないかと思ったその時。
「「「お前らうるせぇんだよ!!」」」[#3段階大きな文字]
3Fではあまり見ない人たちが大声で怒鳴《どな》り込《こ》んできた。何人か知った顔があるけど……確かあの人たちって三年生だったような……?
「騒がしいと思ったらやっぱりまたお前か! 吉井!」
「お前はつくづく目《め》障《ざわ》りなヤツだな……!」
坊《ぼう》主《ず》頭の先輩とソフトモヒカン頭の先輩が僕の顔を見て嫌そうに表情を歪《ゆが》めた。えーっと、あの人たちは……
「変た──変態《へんたい》先輩でしたっけ?」
「おい!? 今言い直そうとしたくせに俺たちの顔を確認して言い直すのをやめなかったか!?」
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「お前俺たちを心の底から変態だと思っているだろ! 常村《つねむら》と夏川《なつかわ》だ! いい加減名前くらい覚えろ!」
ああそうだ。常夏《とこなつ》コンビだ。
「それで常夏先輩。どうしたんですか?」
とりあえず召喚獣にロッカーを一旦《いったん》下ろさせて先輩たちに向き直る。
「テメェ……。個人を覚えられないからってまとめやがったな……」
「さすがはあの吉井明久だ。脳の容量が小さすぎるぜ」
なんて失礼な。
「っていうかお前らうるせぇんだよ! 俺たちへの当てつけかコラ!」
「夏期講習《かきこうしゅう》に集中できねぇだろうが!」
常夏コンビと一緒にいるほかの三年生たちも「そうだそうだ」と騒ぎ立てる。なんだか殺《さっ》気《き》立《だ》って見えるのは、受験勉強でピリピリしているからだろうか。確かに夏を制するものは受験を制すというくらいにこの時期は受験生にとって大事な時期だ。下の階でこうもぎゃあぎゃあ騒がしくされたらたまったものではないだろう。先輩たちが怒るのも無理はない。ここは謝っておくべきだろう。
「すいません。上の階まで響いているとは──」
「おいおいセンパイ方。そいつは酷い言いがかりじゃないか?」
頭を下げようとしていると、そこに雄二がやってきた。
「え? 雄二。言いがかりってどういうこと?」
「口実《こうじつ》を設《もう》けて難癖《なんくせ》をつけることだ。いちゃもんとも言う」
「言葉の意味は聞いてないよ! さてはキサマ僕のことを凄いバカだと思ってるな!?」
「……え……?」
「なんだその『何を今更《いまさら》』って顔は! 僕をそこまでバカだと思っているのは雄二だけに決まっているじゃないか! 他の人は皆──って待った! どうして皆気まずそうに目を逸らすの!? 僕の目を見てよ!」
「明久。この件は今度ゆっくりと話そう。今は他の話があるから、な?」
雄二の子供を諭《さと》すような言い方が腹立たしい。
「それで、えーと……何の話だっけか?」
「三年生の文句が言いがかりではないか、という話じゃ」
そうだったな、と呟くと雄二は先輩たちの方に向き直って説明を続けた。
「俺たちが騒がしいのは認めるが、これだって歴《れっき》とした試験召喚獣を使った勉強の一つだ。学園長だってそれは認めている」
確かにこれだって試験召喚獣を使った催《もよお》し物《もの》だ。これを否定するのなら試召戦争《ししょうせんそう》も、ひいてはこの学校のシステム自体も否定することになる。学園長のお墨《すみ》付《つ》きがある以上、頭ごなしに否定される謂《いわ》れはない。
「それに何より、ここは新校舎だ。古くてボロい旧校舎ならともかく、試召戦争という騒ぎを前提として作った新校舎で、下の階の騒ぎ声が上の階の戸を閉めた教室の中にまで聞こえるわけがないだろ?」
あ。そりゃそうか。学校の校舎っていうものは、普通の学校でも大抵は鉄筋入りのコンクリート造りで上下階の音なんてほとんど聞こえてこない。それが更に、試召戦争という騒ぎを前提として作られたこの校舎なら、僕らの騒ぎ声程度が聞こえるわけがない。少なくとも、教室の中で授業を受けている分には。
「要するに、だ。センパイ方は勉強に飽《あ》きてフラフラしているところで俺たちが何か楽しげなことをしているのに気がついて、八つ当たりをしにきたってワケだ」
雄二がそういうと、常夏コンビや他の三年生はバツが悪そうに目を逸《そ》らした。……なるほど。道理でピリピリしていたわけだ。
「それじゃあ言わせてもらうが坂本《さかもと》よぉ! お前らは迷惑極まりないんだよ! 学年全体での覗《のぞ》き騒《さわ》ぎに、挙《あげ》句《く》の果てには二年男子が全員停学だぞ!? この学校の評判が落ちて俺たち三年までバカだと思われたらどうしてくれんだ! 内申に響くじゃねぇか!」
「「「う……」」」
今度は僕と雄二を筆頭に、二年生男子全員が目を逸らす。向こうの言い分ももっともだ。あの一件は文月学園のイメージに大きくかかわった事は間違いない。
そんな僕らを見て、常夏の片割れは得意げに鼻を鳴らして言葉を続けた。
「だいたいお前ら二年は出来《でき》が悪い連中が多すぎんだよ。バカの代名詞の観察処分者だって二年にしかいねぇし、学園祭で校舎を花火で破壊したのだってそこのクズコンビだろ?」
「呼ばれたよ雄二。謝りなよ」
「お前のことだろ明久」
「お前ら二人ともだクズ」
「「そんなバカな!?」」
「なんでお前らはそこまで心外そうな顔ができるんだ!? 普通に考えたら当然の評価だろ!?」
雄二と同じ扱《あつか》いだなんて、不本意極まりない。撤回《てっかい》を要求したいくらいだ。
「まぁ、明久が気に入らないというそちらの言い分はわかった」
「待って雄二。そうやって全ての罪を僕に押しっけようとするのは良くないことだと思う」
「美春もこのブタ野郎は気に入りません!」
いつの間にか近くに来ていた清水さんが僕に蔑《さげすむ》むような視線を送ってくる。嫌われてるなぁ……。
そんな清水さんの言葉を自分たちへの応援と受け取ったのか、坊主先輩は清水さんにノリノリで話しかけていた。
「おお。話せるじゃねぇかそこの縦ロール」
「調子に乗って美春に話しかけないで下さいブタ先輩! 家畜《かちく》臭《くさ》いですっ!」
二年生と三年生の溝《みぞ》は深まるばかりだ。
「……っメぇら上等じゃねぇか……! お前らのことは前々から気に入らなかったんだ!」
ついに坊主頭の先輩が顔を真っ赤にして激昂《げっこう》し始《はじ》めた。まぁ、当然だよね。
「おい夏川。先生もいるんだぞ。暴力はやめておけ」
「わかってる。……こうすりゃ問題ないだろ。試獣召喚《サモン》っ!」
夏川と呼ばれた坊主の先輩が召喚獣を喚び出す。すると、幾何学模様の中から頭が牛で大きな槌《つち》を持つ鬼が現れた。
なるほど。牛頭《ごず》か。坊主先輩の本質は悪役ってことだろうか。いつもと様子の違う召喚獣に驚いていないところを見ると、三年生は三年生で学園長から召喚システムの変化について説明があったのかもしれない。
「さて吉井よぉ。お仕置きの時間だぜ」
「く……っ! やっぱり僕の召喚獣狙いか! でも、どれが僕の召喚獣なのかわかるわけが──」
「こいつだろ」
「あがぁっ!」
棚を床の上に下ろしていた僕のデュラハンが牛頭に殴《なぐ》られる。フィードバックが結構キツい……!
「さ、流石《さすが》は腐っても三年のAクラス……! 一瞬で僕の召喚獣を見抜くなんて、鋭い洞察力《どうさつりょく》だと褒《ほ》めて」
「いや。頭が無いなんてバカな召喚獣は明らかにお前しかいないだろ」
「鋭い洞察力だと褒めておこう!」
坊主先輩の台詞を打ち消すように大きな声を張り上げる。自分が傷つきそうな台詞は聞こえないようにする。これは厳しい世の中を生き抜くために必要な知恵の一つだ。
「吉井君。加勢するよ。理《り》不《ふ》尽《じん》な先輩の仕打ちに従うことはない」
「ありがとう久保君!」
いつの間にかデュラハンの頭を取り返してくれた久保君が隣にやってきて牛頭と対《たい》峠《じ》した。なんていい人なんだろう。
「常村、頼む」
「ああ、わかった。加勢してやるよ。試獣召喚《サモン》っ」
こっちの人数が増えたのを見て、すかさず坊主(夏川)先輩が後ろのソフトモヒカン頭の常村先輩に応援を求める。
出てきた召喚獣は牛頭との組み合わせにはぴったりの、馬の頭をして槍《やり》を構えている馬頭《めず》。地獄で囚人《しゅうじん》たちを監視している鬼のコンビだなんて、弱い人を虐《しいた》げるのがこの二人の本質ということなんだろうか。あまり良い性格ではなさそうだ。
「さっき坂本が言ったように、これはあくまで試験召喚獣を使った模擬《もぎ》戦《せん》だから問題ないよな? これだってうちの学校では立派な授業の一環だからな」
逃がさないためか、先手を打つ坊主先輩。
『Aクラス 常村|勇作《ゆうさく》 & Aクラス 夏川|俊平《しゅんぺい》
世界史 174点 & 163点     』
表示された点数はAクラスの平均くらいのものだった。前に召喚大会で日本史勝負をした時もこのくらいだったし、常夏コンビの社会系科目はだいたいこのくらいの点数なんだろう。
そして、対時する僕と久保君の点数が表示されるのを待っていると──
「どこ見てんだオィ。随分《ずいぶん》と余裕じゃねぇか」
「が……っ!」
突然僕の肩に衝撃が奔《はし》った。僕らが注意を逸らしている間に牛頭がデュラハンに攻撃を仕掛けてきたらしい。く……っ! 抽断した……!
「痛ぇか? そいつぁ何よりだ……なぁっ!」
体勢を崩したデュラハンに牛頭と馬頭がそれぞれ追撃をしかけようと武器を振りかぶる。まずい。避《よ》けられない……!
「吉井君っ!」
そこにすかさず久保君の迷ひ神が割って入った。体当たりで坊主先輩の牛頭を突き飛ばし、その後ろにいた馬頭も一緒に巻き込まれて吹き飛んでいった。ただの一度の体当たりでAクラスの二人をまとめて崩すなんて、久保君の力は伊達《だて》じゃない。
「な……っ! こいつ、結構やるぞ……!」
「吉井もだ。さっきの一撃が殆《ほとん》ど効《き》いていないなんてどういうことだ……?」
常夏コンビが戦《おのの》く。想像以上に僕らの召喚獣が強くて驚いているのだろう。
クズだの出来が悪いだのと言ってくれたけど、僕らを舐《な》めてもらっちゃ困る。
「あまり甘くみないで下さいね変態先輩。こっちだっていつまでもバカのままじゃないんですから」
ニヤリと口の端に笑みを浮かべて二人の先輩に言ってやる。
僕の自信の態度に触発《しょくはつ》されたのか、皆が遅れて表示された僕らの点数に注目した。
『Aクラス 久保利光 & 334クラス アレクサンドロス大王
世界史 357点 & 161点             』
「「………………」」
「さぁ勝負はここからだ! この僕の本当の力を見せて──」
「……おうコラ。ちょっと待てそこのバカ」
「……何か不都合な点でも?」
「不都合な点しか見あたらねぇよ……」
ソフトモヒカンの方が頭に手を当てて呆《あき》れていた。せ、折角格好よく盛り上がっていたところなのに……!
言い訳の為に僕が口を開くより先に坊主先輩が怒鳴り声をあげていた。
「誰だよアレクサンドロス大王って! しかも334クラスなんて学校拡張し過ぎだろ!? 明らかにこれはお前の点数じゃねぇだろうが!」
「ち、違いますよ! ちょっと間違えちゃっただけで、これは正真正銘《しょうしんしょうめい》僕の点数です! 名前のミスなんて誰もが一度はやることじゃないですか!」
「無記名ならともかく、何を間違えたら名前がアレクサンドロス大王になるんだ!?」
「そ、それはその、えーっと……」
困った。どう説明しても僕がバカに思われる気がする。
『ほら見ろ。やっぱ二年はバカ揃いじゃねぇか』
『ち、違う! 吉井は二年の中でも群を抜いたバカなんだ!』
『そうだ! それに吉井は来年もう一度二年生をやるだろうから緑は切れるはずだ!』
酷い言われようだ。
「おい夏川。最近は試験召喚システムの調子が悪いらしいからな。もしかすると名前の違いはその影響かもしれないぞ」
「ん? ああそうか。確かにそうでもなければこんなことはありえないか」
「………………」
そう言われると本当のことを言い出しづらい。
「まぁ、名前の部分は不具合だとしてもだ。お前らがこの学校の汚《お》点《てん》だということに変わりはねぇし──」
「不具合とは聞き捨てならないねぇ」
更に言《い》い募《つの》る坊主先輩の言葉を遮って、不機嫌そうな声が聞こえてきた。
「あ。学園長」
「まったく……。吉井のバカについてシステムが原因なんて言われたらたまったもんじゃないさね。それは正真正銘このジャリ自身のミスさ」
昨日の説明にもあったように、学園長にはシステムの調整失敗を認めるわけにはいかない理由がある。不具合呼ばわりは否定せずにはいられないだろう。
「けど、こっちのミスと思われるのも癪《しゃく》だしね。その名前の部分くらいは後で直しておいてやろうかね」
そんな事情も手伝っての学園長らしくもない優しい提案。できればそれは姉さんに結果が伝わる前にやっておいて欲しかった処置だけど……それは高望みし過ぎだろう。アレはどう考えても僕のミスだったわけだし。
「それで、こんなところまで来てどうしたんですか学園長? 僕らに何か用でも?」
「ああ。ちょいと二年生に伝えておくことがあってね。坂本はいるかい?」
「ん? なんだババァ?」
離れた場所で召喚獣勝負をニヤニヤと見ていた雄二が学園長に呼ばれて一歩前に出た。
「この肝試し、学園側が援助してやろうじゃないか。大掛かりな設営も召喚の為の教師も応援する。せいぜい派手にやるこったね」
「そいつはまた、随分と気前がいいな。どういうことだ?」
「その代わり、作った物はそのままにしておくこと。盆休みあたりに一般公開でもしてやろうかと思っているんでね」
「イメージアップ戦略か。涙ぐましいことだな」
「アンタたちがどんどん評判を下げてくれるからねぇ。こっちも苦労するさ」
宣伝効果を狙っての援助か。色々と学園長も大変そうだ。
「元々この召喚獣の変更はそれが目的だったからね」
学園長が念を押すように強調する。そこはそういうことにしておいてあげないと肝試しが中止になってしまうので黙っておこう。
「それと……折角だからね。三年もこの肝試しに参加したらどうだい? こんなところで小競《こぜ》り合《あ》いをしているよりはその方が有意義さね」
そう言って学園長が水を向けると、先頭に立っていた坊主先輩とモヒカン先輩が鼻を鳴らして答えた。
「冗談じゃねぇ。こんなクズどもと仲良く肩を並べて肝試しなんてやってられるか」
「だよな。胸くそ悪ぃ」
その後ろにいる他の先輩たちも声には出さないけど同様の意思を態度で示している。どうにも二年生と三年生の溝は深そうだ。
「そういう態度を取られると、是が非でも参加させたくなるねぇ……。よし、決めたよ。明日の夏期講習・補習の最終日は全員参加の肝試しにするよ」
「「な……っ!」」
常夏コンビが学園長の通達に目を白黒させている。
「これはあくまでも補習と夏期講習の仕上げだからね。補習と講習の参加者は余すことなく全員参加すること。いいね」
そう告げると、学園長は満足したかのように颯爽《さっそう》と教室を出て行ってしまった。なんだか、どんどん面倒なことになっているなぁ……。
「やれやれ……。ま、そういうワケだセンパイ。楽しくやろうぜ?」
「うるせぇ! 俺はお前らなんざと仲良くやるつもりはねぇ!」
「だろうな。俺もアンタらは気にくわねぇ。……ってことで、こういうのはどうだ?」
「あぁ?」
「驚かす側と驚かされる側に分かれて勝負をする。適当な罰ゲームでもつけて、な」
「二年と三年で分かれて、ってことか」
「ああ。それなら仲良くやる必要は全くないだろ?」
敵と味方に分かれるってことだから、確かに仲良くやる必要はない。更に溝が深くなる可能性はあるけど。
「悪かねぇな。当然俺たち三年が驚かす側だよな? 俺たちはお前らにお灸《きゅう》を据《す》えてやる必要があるんだからな」
相手を怖がらせて笑おうって魂胆《こんたん》だろう。いやらしい考え方だなぁ。けど、雄二もそういう気質の持ち主だから、驚かす側を譲るとも思えな──
「ああ。別にそれで構わない」
「え?」
これはちょっと意外だ。どういうつもりだろう。雄二の目的は補習から逃《のが》れることだから、この際肝試しの内容はどうでもいいってことなのかな。
「決まりだな。……ルールと負けた方への罰は?」
「コイツが最初俺たちが予定していたルールだ。文句があれば一応聞くが」
そう言って雄二が取り出したのはA4サイズのプリント。どうやら準備の間に姿が見えなかったのはルール表を作っていたからみたいだ。
僕も雄二から一枚受け取ってざっと目を通してみる。
えーっと、どれどれ。内容は──
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
@二人一組での行動が必《ひっ》須《す》。一人だけになった場合のチェックポイント通過は認めない
※一人になっても失格ではない
A二人のうちのどちらかが悲鳴をあげてしまったら、両者ともに失格とする
BチェックポイントはA〜Dの各クラスに一つずつ。合計四|箇《か》所《しょ》とする。
Cチェックポイントでは各ポイントを守る代表者二名(クラス代表でなくとも可)と召喚獣で勝負する。撃《げき》破《は》でチェックポイント通過扱いとなる
D一組でもチェックポイントを全て通過できれば驚かされる側、通過者を一組も出さなければ驚かす側の勝利とする。
E驚かす側の一般生徒は召喚獣でのバトルは認めない。あくまでも驚かすだけとする。
F召喚時に必要となる教師は各クラスに一名ずつ配置する
G通過の確認用として驚かされる側はカメラを携帯《けいたい》する。
[#ここで字下げ終わり]
「へぇ〜。結構|凝《こ》ったルールだね。面白そうだよ」
「あとはこれに設備への手出しを禁止するって項目を追加する予定だ。学園長がうるさそうだからな」
そっか。これが終わったら一般公開するんだから、壊れていたら困るよね。
「坂本。この悲鳴の定義はどうなっている?」
ソフトモヒカンの先輩がプリントを見ながら雄二に尋ねた。
確かに悲鳴というだけじゃ曖昧《あいまい》な気がする。仲間内だけで遊ぶ分にはいいかもしれないけど、二年生と三年生の勝負となると話は別だ。きっちり定義づけしておかないとあとで揉《も》め事《ごと》の種になる。
「ん? そこの部分か。そうだな……。そこは声の大きさで判別するか。カメラを携帯させるわけだし、そこから拾《ひろ》う音声が一定値を超《こ》えたら失格ってことでどうだ?」
「そんなことができんのか?」
「…………問題ない」
カメラと言えばムッツリーニ。下心の為に身に着けたその技術に不可能はない。
「チェックポイントの勝負科目はどう決める?」
「それについてはお互いに一つずつ科目を指定ってことでどうだ?」
「一つずつ? 二つずつじゃないのか?」
「ああ。もう既《すで》に化学と現国の教師には話をしちまったからな。受験で選択されやすいその二つならそこまで有利不利もないし問題ないだろ?」
A〜Dクラスなので、チェックポイントは全部で四つとなる。そのうち二つは現代国語と化学で決定済みで、残る二つをそれぞれ選ぶってことか。
「坂本よぉ。それよりさっさと負けた側の罰を聞かせろよ」
坊主先輩がいやらしい笑みを浮かべて言う。あの顔はなんとしても僕らをはめてやろうって顔だ。
「そうだな。負けた側は二学期にある体育祭の準備や片付けを相手の分まで引き受ける、ってことでどうだ?」
二学期に予定されている体育祭。それは結構大がかりなイベントで、準備も片付けもそれなりに手がかかる。サボれるものならサボりたいというのは誰もが抱《いだ》く共通の考えだ──けど、
「おいおい坂本。お前にしちゃ随分ヌルい提案じゃねぇか。さてはテメェ、勝つ自信がねぇな?」
坊主先輩の言う通り雄二にしては簡単過ぎる罰ゲームだ。
「アンタらと勝負するって話自体、皆に知らせてないからな。勝手に決める罰ゲームとしてはこの程度が妥《だ》当《とう》だろ? 俺も、アンタも」
いくら学園長のお墨付きがあるとは言え、そこまで酷い罰ゲームを勝手に決めるのは相談なしでは難しい。確かに雄二の言うとおり、片付け程度が妥当だろう。
「……けっ」
「そう逸《はや》るなよセンパイ。勝負がしたいのならアンタらはチェックポイントにいてくれたらいい。そうしたら、俺と明久が個人的な勝負をしてやるからさ」
え? なんで僕まで?
「チェックポイントで直接対決か……。面白れぇ。その話、乗ったぜ」
「そんじゃ、勝負は明日ってことで。楽しみにしてるぜ、センパイ?」
「クズどもが。年上の怖さを思い知らせてやる」
こうして、気が付けば肝試しは三年生をも巻き込んだ大規模な催《もよお》しになっていた。
それはそうとして、面倒な準備作業のある脅《おど》かし役《やく》を押しつけられても気付かないなんて、やっぱり受験生ってストレス溜《た》まっているんだなぁ……。
[#改ページ]
[#改ページ]
バカテスト 現代社会[#「バカテスト 現代社会」は太字]
【第三問】[#3段階大きな文字]
以下の問いに答えなさい。[#「以下の問いに答えなさい。」は太字]
『国連環境開発会議について説明しなさい』
姫路瑞希の答え[#「姫路瑞希の答え」は太字]
『1992年にリオデジャネイロで開催された国際連合主催の会議のこと。環境や開発について各国の首脳が集まって話し合うもので、地球環境サミットとも呼ばれる。この会議においてリオ宣言やアジェンダ21、森林原則声明が合意された』
教師のコメント[#「教師のコメント」は太字]
その通りです。地球環境に対する取り組みが各国で盛んに協議されている中で執り行われた重要な会議の一つです。この会議は姫路さんの挙げた二つの名称の他に、リオ・サミットという名前でも呼ばれます。覚えておくと良いでしょう。
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土屋康太の答え[#「土屋康太の答え」は太字]
『一言で説明するのは難しい』
教師のコメント[#「教師のコメント」は太字]
わかりました。あとで職員室で時間をかけてじっくりと聞かせてもらいます。
吉井明久の答え[#「吉井明久の答え」は太字]
※環境のことを考えて、この解答は着色料を使用しておりません』
教師のコメント[#「教師のコメント」は太字]
あなたは環境以上に自分の卒業の可否についてよく考えましょう。
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「うわぁ……。なんか、凄《すご》いことになったね……」
「そうじゃな……。ここまでやるとなれば、学園側もかなりの投資が必要じゃったじゃろうに……」
翌日、お化《ば》け屋《や》敷《しき》と化した新校舎3Fを覗《のぞ》いてみて、正直驚いた。薄暗い雰囲気といい、外観からでも伝わってくるほどに複雑そうな構造といい、まさかここまで凝《こ》った作りになっているなんて思わなかった。
「こりゃ三年側も結構《けっこう》本気だな。連中も講習最終日くらいはハメを外したかったってところか?」
流石《さすが》に雄《ゆう》二《じ》も応援してくれた学園側や設営を仕切った三年生がここまでやってくるとは思わなかったようで、感嘆《かんたん》の声を上げていた。
「こ、ここまで頑《がん》張《ば》ってくれなくても良かったんですけど……」
「そ、そうよね。頑張り過ぎよね」
雰囲気満点な造りになっている装飾《そうしょく》を見て、姫路さんと美波は顔に縦線《たてせん》を入れていた。苦手な人にはこの上なく嫌な演出に見えるだろう。
「雄二。僕らは旧校舎に集合だったよね?」
「ああ。三年は新校舎3F、俺たちは旧校舎3Fでそれぞれ準備。開始時刻になったら一組目のメンバーから順次新校舎に入って行くって寸法だ」
旧校舎と新校舎をつなぐ渡《わた》り廊《ろう》下《か》には防火シャッターが下ろされていて、雰囲気は伝わってくるものの中の様子は窺《うかが》えない。きっとあの中では常夏《とこなつ》コンビや他の三年生たちが舌なめずりしながら僕らをおどかそうと準備していることだろう。
「…………カメラの準備もできている」
ムッツリーニが大きな鞄《かばん》を掲《かか》げてみせた。あの中には何台かのカメラが入っているようで、僕らはそのカメラを持って中を進んでいくらしい。不正チェックと通過の証拠、あとは待っている人を退屈《たいくつ》させない為《ため》だとか、色々と理由があってカメラを使うことになっているけど……そう言えば、よく三年生に反対されなかったな。てっきり三年生側は『カメラで事前に知っていたら驚かなくなるからダメ』なんて言ってくるだろうと思っていたのに、意外とすんなりとこっちの要求を受け入れていた。よっぽど自信があるんだろうか。
「俺たちの準備はカメラとモニターの用意と、組み合わせ作りだな」
「あ。そっか。組み合わせをまだ決めてなかったよね」
ルールでは肝試《きもだめ》しは基本二人一組。これは全くその手のものを怖がらない人がいても肝試しが盛り上がるように、という処置のつもりだったらしい。状況が変わって三年生との勝負となった今、勝つためには全く怖がらない人同士を組み合わせるのがセオリーなんだろうけど……
「ま、組み合わせは折角《せっかく》だから極力《きょくりょく》男女のペアになるようにするか。その方が盛り上がるだろ」
「え? 雄二、いいの?」
勝負にこだわるコイツらしくない発言だ。
「別に良いだろ。俺は地《じ》獄《ごく》の鉄人《てつじん》補習フルコースをサボりたかっただけだからな。肝試しの準備も三年がやってくれたんだ。体育祭の準備や片付けくらい引き受けてもそう大した問題じゃないだろ」
「じゃが、雄二と明久《あきひさ》はあの常夏コンビと個人的な勝負の約束をしておるではないか」
「んなもん、あの場でアイツらを焚《た》き付《つ》けるための方便《ほうべん》だ。面倒な設営作業を押しつけることに成功した今となっては、そんなもん受けなくても何の問題もない」
「ふ〜ん。なるほどね〜。だから男女ペアってことにしたのか〜」
納得したように頷《うなず》いてみせる僕。
「で、本音は?」
「翔子《しょうこ》にペアを組むように脅《おど》された腹いせに全員を巻き込んでやろうと思った」
うん。だいたい予想通りだ。
まぁいっか。肝試しってのは本来男女ペアでやるのが王道ってもんだし、僕だってこういうイベントは男より女の子と一緒の方が嬉しい。あとは僕と組んでくれる人を探すだけなんだけれど……難しいなぁ。
Fクラスの異性と言えば三人。姫路さんと美波と秀吉《ひでよし》だ。
高《たか》嶺《ね》の花だけど、思い切って姫路さんを誘ってみるか? う〜ん……。姫路さんは優しい人だからお願いしたら断らないかもしれないけど、それでいいんだろうか? 僕は自分で言うのもなんだけど、雄二と違って人を守ってあげられるような力強さというか、安心感というか、そういったものが圧倒的に足りない。ぶっちゃけると頼《たよ》りない。お化けが苦手でこの時点で既《すで》にここまで怯《おび》えている姫路さんに、こんな僕とペアを組ませてしまうのは申し訳なさすぎる。
じゃあ美波に頼んでみるっていうのは? 姫路さんと同じくらい怖がっているけど、美波なら多少僕が頼りなくても大丈夫そうな気がする。それに、美波となら気楽かもしれない。身体接触《しんたいせっしょく》の意味も含《ふく》めて。ただし、問題は──
『殺します……。お姉様とペアを組むブタ野郎は誰であれ殺します……!』
僕にしか見えない位置から小さく呪《じゅ》詛《そ》の声を送り続けている清《し》水《みず》さんだ。ここで僕が下手《へた》なことを言おうものなら一瞬で生命の危機に曝《さら》されるだろう。作り物のスリルの為《ため》に本物のスリルを呼び込むほど僕は酔狂《すいきょう》じゃない。
となると、やっぱり秀吉だろうか。
「なんじゃ明久。ワシの顔になにかついておるかの?」
演目に怪談《かいだん》なんかも多いのか、この通り怯えた様子も見せない。ここは秀吉に頼んでみようか──
『須《す》川《がわ》会長。木下《きのした》にペアを申し込もうとした異端者《いたんしゃ》を発見しました』
『連れて行け』
『はっ。調理方法はいかように?』
『生爪《なまづめ》フルコースだ』
『かしこまりました』
やっぱりダメだ。爪がなくなるとプルトップを開けにくくなる。
そうなると……やれやれ。仕方がないか。
「あのさ、ムッツリーニ」
「…………?」
「肝試しだけど、僕と一緒に行かない?」
「…………っ!?(プンプンプン)」
そう声をかけると、ムッツリーニは凄い勢いで僕の近くから飛《と》び退《すさ》った。む。なにその反応?
「あ、明久君!? どうしてこの中からよりによって土《つち》屋《や》君を選ぶんですか!?」
「そうよアキっ! 木下はともかく、アンタついに土屋にまで興味を持ったの!?」
「え? だって、雄二を誘ったら霧島《きりしま》さんに悪いじゃないか」
「この面子《めんつ》でお前の選択肢は俺とムッツリーニの二つしかないのか!?」
「…………明久……。気持ちだけでも迷惑……」
「相変わらずお主の考えていることは全く読めん……」
色々と気を遣ったつもりなのに酷《ひど》い言われようだ。
「お姉様っ! 肝試しのペアでしたら、美《み》春《はる》が立候補《りっこうほ》します!」
僕がムッツリーニを誘ったことで安心したのか、構えていた沢山《たくさん》の文房具を物陰《ものかげ》に隠してから清水さんが美波に飛びついてきた。僕が美波を誘っていたら、きっとあの銀色に光り輝く文房具たちは僕の身体に突き刺さっていただろう。危なかった……。
「み、美春!? 待ちなさい! さっき坂本《さかもと》も言っていたでしょう!? 男女のペアにするって。ウチとアンタじゃダメなのよ!」
「大丈夫です! お姉様の、こののどかな湖の水面《みなも》を思わせるようなお胸があれば、性別の壁なんて、あってなきが如《ごと》しです!」
その台詞《せりふ》、僕だったら口にした瞬間に肋骨《ろっこつ》の三、四本は持って行かれていることだろう。
「もうっ! 離れなさい美春! ウチはアンタと組む気なんてなくて──」
清水さんから逃《のが》れようとしている美波が僕の顔を見て危険な笑みを浮かべた。まずい! 巻き込まれる予感が、つまりは僕の全身に銀色に輝く文房具が突き立てられる予感がする!
「お願いだムッツリーニ! 僕とペアにくぺっ!?」
「悪いわね美春。ウチ、実はアキと組むことになってるの。だから、またの機会にしてもらえる?」
僕の頸椎《けいつい》が美波に掌握《しょうあく》されている。今の僕の選択肢は、ここで断って美波に殺されるか、引き受けて後で清水さんに殺されるかのどちらかだ。
「ですがお姉様! そんなブタ野郎が一緒では──」
「美春。アンタはウチが約束を破るのが大嫌いってこと、知っているでしょ? それなのに、まだそんなことを言うのかしら?」
美波がそう言うと、清水さんは悔《くや》しげに下唇を噛み締めて呟いた。
「……わかりました、お姉様。そういうことなら、この場は引きます」
「うん。わかってくれてありがとう美春」
「ですが、万が一そこのブタ野郎が参加できなくなったら、その時は美春と」
「ごめんね美春。その時は、ウチはお腹が痛くなってる予定なの」
「お姉様は冷たいですーっ!」
美波に言われると、清水さんは涙を流しながら走っていった。
……腹痛の予定って、なんて斬新《ざんしん》な断り文句なんだろう。
「そ、そういうワケだから、アキ。よろしくね?」
よろしくも何も、人体急所を握《にぎ》られている以上僕に選択肢があるようには思えないけど……。
「でも美波、相手は僕でいいの?」
「そ、そんなに遠慮しなくても、ウチにはアキで充分よ。ちょっと頼りないけど、ウチはあんな作り物、全然怖くないし。それにアンタだって、どうせ他にパートナーのアテなんて──」
「本当にいいの美波? 僕、人間だよ?」
「……その誤解、絶対に今日中に解いてみせるからね」
『吉井明久……! 殺します。殺します。ころします。コロします。殺しころしコロしころコロコロコロ……!!』
どこからともなく地《じ》獄《ごく》からのメッセージが聞こえてくる。
恐らく日が暮れたら僕の命は尽《つ》きるだろう。
『待つんだ清水さん。まずは様子を見るんだ』
『──あなたは……Aクラスの久保利光《くぼとしみつ》君、でしたね。美春に何か用ですか?』
『手を組もう清水さん。恐らく僕らの利害は一《いっ》致《ち》するはずだ』
『……美春にとっても、悪い話ではなさそうですね。』
なんだ? 妙な悪《お》寒《かん》が。まるで僕の知らないところで何か大変な事態が進展しているような、そんな感じがする。
「み、美波ちゃんずるいですっ! 私だって明久君と」
「う……。ごめんね、瑞《みず》希《き》……。でも、アキと一緒に行ったら、チェックポイントであの召喚獣をアキの前に曝さないといけないわよ?」
「はぅ……っ! そ、それは……!」
姫路さんが凄く困ったような顔をした。そっか。姫路さんと一緒に行けるようになったらそういう恥ずかしい思いも強要することになっていたのか。危ない危ない。
「まぁ組み合わせはだいたい決めておいて細かい部分は後からでもいいだろ。まずは他の参加者たちを楽しませてやらないとな」
ぱんぱん、と手を叩いて雄二が言う。
「? どうしたの雄二? 他の人を優先するなんて、らしくないじゃないか」
「俺たちはこの肝試しを企画した側だからな。自分たちが楽しむのは後まわしだ。まずは皆をもてなすのが筋《すじ》ってもんだろ」
「本音は?」
「翔子とペアになった以上、他の連中にクリアさせて俺は参加しないで済《す》むように仕向けたい」
うん。僕でもわかる単純明快な理由だ。
「さて。そろそろ突入順とかも決めなきゃならんし、くっちゃべってないで集合場所に急ぐぞ」
「あ、うん。本部は僕らのFクラスだったよね?」
「ああ。Eクラスも待機場所として用意してあるけどな。流石にFクラスだけじゃ人数が多くて入りきらない」
参加者は補習が義務づけられたFクラス五〇名全員と夏期講習《かきこうしゅう》に参加していた有志一〇〇名程度。だいたい学年の半分くらいだ。
「ムッツリーニ。モニターの準備は?」
「…………問題ない。Aクラスの設備のディスプレイを運び込んである」
「よし。そんじゃ、夏の風物詩《ふうぶつし》を気軽に楽しもうぜ」
「そうだね。今回は酷い罰《ばつ》もないし、楽しもうか」
「うむ。体育祭の片付け程度ならば今までに比べれば楽なもんじゃ」
「私はあまり、楽しみじゃないです……」
「う、ウチはまぁ、アキを盾《たて》にできるから、ちょっと楽しみだけど」
「…………色々と良いショットを期待してる」
俄《にわか》に活《かっ》気《き》づき始めた校舎の中、僕らは降《ふ》って湧《わ》いたお祭騒《まつりさわ》ぎにそれぞれの思いを抱《いだ》きながら歩いていた。
[#中央揃え]☆
≪ね、ねぇ……。あの角《かど》、怪しくない……?≫
≪そ、そうだな……。何か出てきそうだよな……≫
ムッツリーニが設置したモニターから、尖兵《せんぺい》として出撃していったBクラスの男女ペアの送ってくる映像と音声が流れてくる。まず最初に向かうことになっているのは、作りの関係上Bクラスの教室のチェックポイントで、そこは古めかしい江戸時代あたりの町並みをモチーフとした作りになっている。演出のために光量が絞《しぼ》られていてボヤけた感じのその画《え》は、皆のいる教室で見ていても結構なスリルがあった。
≪そ、それじゃ、俺が先に行くから≫
≪うん……≫
カメラが見るからに怪しい曲がり角を中心に周囲を映していく。カメラを構えた二人は入念な警戒《けいかい》態勢を取りながらそちらへと歩を進めていった。
「み、美波ちゃん……。あの陰《かげ》、何かいるように見えませんか?」
「きき気のせいよ瑞希。何も映ってないわ」
姫路さんと美波が手を取り合ってモニターを遠目から見ている。そんなに怖いのなら見なければいいのに、とも思うけど、自分たちが行くときのことを考えると見ないでいるわけにもいかないんだろう。
≪行くぞ……っ!!≫
≪うん……っ!≫
カメラが曲がり角の向こう側を映し山す。そこには何かいるのか……?
予想される恐怖に身構えながら見ていると、カメラはその先に続くただの道を映し出しただけだった。
「な、なによ。何もいないじゃない……」
「良かったです……。あそこは安心して進めるんですね……」
モニターを見ていた姫路さんと美波が胸をなで下ろしたその瞬間。
≪≪ぎゃぁあああーっ!?!?≫≫
「「きゃぁあああーっ!!」」
カメラの向こうから大きな悲鳴が響き、それを聞いた姫路さんと美波が同時に悲鳴を上げていた。カメラには何も映っていないのに、悲鳴だけで驚いちゃうなんて余《よ》程《ほど》怖い物が苦手なんだろう。
「…………失格」
ムッツリーニが機材を指さして呟《つぶや》く。カメラ@と書かれたデジタルメーターは一瞬で跳《は》ね上《あ》がり、赤い失格ラインを遥《はる》かに超《こ》えた音声レベルを示していた。
[#改ページ]
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「……???」
ちなみに同じ女の子でも、霧島さんは姫路さんや美波が何を怖がったのかわからないようで、しきりにモニターと姫路さんたちを見比べては首を傾《かし》げていた。
「う〜ん……。先発隊が一つ目の曲がり角でいきなり失格なんて……。向こうも本気だね」
「だな。流石は三年といったところか」
カメラは五台用意してあって、時間をずらして何組かが同時に突入することになっているんだけど、まだ二組目が出発する前にいきなり一組目が失格になってしまった。これは想定外だ。
「これだと最初のところに何があるのかわからないね」
「あれだけではむしろ余《よ》計《けい》身構えてしまい、恐怖が助長されるだけじゃな」
Fクラス女子で唯一怪談に耐性《たいせい》のある秀吉がうんうんと頷《うなず》いている。
「…………二組目がスタートした」
ムッツリーニがカメラAと書かれたモニターを指差した。そちらにはAクラスの男女ペアが進んでいく姿が映し出されている。
「今度は向こうがどんなことをしてくるのかがはっきり映るといいね」
「そうじゃな」
一応コレは三年生との勝負だし、怖がっている姫路さんや美波の為にもちょっとくらいは情報が欲しい。Bクラスをクリアとまでは言わないけど、せめて何が来るのかぐらいはわかっておきたいところだ。
「いや、それは難しいだろうな」
「え? 雄二、それってどういう──」
何かを知っているような物言いの雄二にその真意を確認しようとしていると、
≪≪ひゃぁぁあああ──っ!?!?≫≫
「「きゃぁあああーっ!!」」
開始早々、またもやモニターの向こうから悲鳴が聞こえてきた。
「…………失格」
今度はさっきとは若干《じゃっかん》違って、まだ曲がり角が見えてきたばかりの地点だ。ポイントをずらしてくるなんて、向こうもやってくれる。
≪ち、血《ち》塗《まみ》れの生首《なまくび》が壁から突然でてきやがった……≫
≪後ろにいきなり口《くち》裂《さ》け女《おんな》がいるなんて……≫
そんな呟きが聞こえてくる。カメラには何も映らなかったのは死《し》角《かく》に突然現れたからか。今回の召喚獣は今までと違って等身大になっている。血塗れの生首や口裂け女もリアルな形で現れているだろうから、かなり怖いに違いない。
「のう雄二。さっきおぬしが言った難しいとはどういうことじゃ?」
隣《となり》で秀吉が雄二に尋《たず》ねる。それは僕も気になったことだ。
「……カメラを使っているのは私たちだけじゃないと思う」
雄二よりも先に霧島さんが答えてくれる。カメラを使っているのが僕たちだけじゃないってことは……
「三年生もこの映像を見ているってこと?」
「そりゃそうだろ。そうじゃなかったらカメラの使用なんて俺たちに有利すぎる。文句を言ってこなかったのは、向こうは向こうでメリットがあるからだ」
「そうなの? 僕はてっきり自信があるからだと思ってた」
あとは、驚かす側が相手を待っている間も楽しむ為とか。
「まぁそれもないわけじゃないだろうが……。こっちのカメラの映像を見ていたら、標的がどの位置でどこらへんに注意を払っているのかがわかるからな。驚かす側としてもタイミングが取《と》り易《やす》いし、死角から襲いかかるのも簡単だ」
「あ、そっか」
位置の確認くらいなら他の方法でもできるけど、どこに注意を払っているのかはカメラを通した方が断然分かり易い。
「おまけにお前以外の連中の召喚獣は物に触《さわ》れないからな。障害物をすり抜けて急襲《きゅうしゅう》できる。相手の位置と方向がわかればいきなり背後に化け物を配置するなんてことも可能になる」
「なるほどのう。何台もの固定カメラを設置しなくともワシら自身が相手に情報を与えておるのか。それは向こうもさぞかしやりやすいじゃろうな」
「……召喚獣を使った肝試しならでは」
モニターには三組目の撮っている映像が映し出されているけど、今度もやっぱりチェックポイントに至ることなく失格になってしまった。最初のBクラスからこの調子だと、勝負の先が思いやられる。
「とは言え、あまり切《せっ》羽《ぱ》詰《つ》まって無くても勝負は勝負だからな。一方的にやられたままっていうのも気にくわねぇ」
ふん、と雄二が鼻を鳴らす。うんうん。負けず嫌いなコイツらしい考えだ。
「最初は様子見と思っていたが、これはそうも言っていられないな。あまり点数の高い連中が失格になりすぎるとチェックポイントが辛い」
「そうだね。向こうもチェックポイントには成績の良い人を配置しているだろうからね」
三年生側の召喚獣バトルをする人は全部で四組八名。その人数なら間違いなく全員をAクラスメンバーで埋《う》めてくるだろう。こちらも成績の高い人を沢山送り込まないとチェックポイントのバトルで全滅なんていう可能性も充分にありえる。
「んじゃ、こっちも手を打つか。皆! 順番変更だ! Fクラスの須《す》川《がわ》&福村《ふくむら》ペアと、同じくFクラスの朝倉《あさくら》&有《う》働《どう》ペアを先行させてくれ!」
雄二がその場に座ったまま声をあげると、しばらくしてカメラCとDのモニターにそれぞれFクラスの見慣れた顔が映った。
≪行ってくるぜー≫
≪カメラは俺が持つぞ≫
時間をずらして突入する為、朝倉君と有働君には待機してもらって、まずは須川君と福村君がカメラを構えてスタスタと歩を進めていく。度胸があるのか、何も考えていないのかはわからないけど、二人は何の躊躇《ちゅうちょ》もなく件《くだん》の曲がり角へと迫っていった。
「あ。こうやって何でもないように映してもらうと、さっきよりも怖くなくて助かります」
「そうね。これならまだマシよね」
姫路さんと美波の言うとおり、警戒している人のカメラワークよりこうやって無警戒でドンドン進んでいく方が怖くない。それに、こうやってズンズンと先に進まれたら驚かす方だってタイミングが取り辛いだろう。
≪お。あそこだったか? 何か出るって場所≫
≪だな≫
立て続けに三組のペアがやられた曲がり角をカメラが映し出す。
二人がカメラを構えたまま角を曲がり、何気なく横の壁を映すと、
「「きゃぁああああーっ!!」」
そこには血みどろの生首が浮いていた。
そして、そのままカメラは更に動いて背後を映す。
そこにいたのは、耳まで口が裂けている気味の悪い女の人。
「「きゃあぁあああっ! きゃぁああああ──っ!?」」
どこからそんな声が出るんだろう、というくらいに姫路さんと美波が大きな悲鳴をあげている。いや、姫路さんと美波だけじゃない。他の場所でモニターを見ていた人たちもだ。確かにこれは慣れていない人には怖いかもしれない。
けど、
≪おっ。この人、少し口は大きいけど美人じゃないか?≫
≪いやいや。こっちの方が美人だろ。首から下がないからスタイルはわからないけど、血を洗い流したら綺《き》麗《れい》なはずだ≫
須川君と福村君は冷静に相手を見《み》定《さだ》めていた。
「な、なんでアイツらあんなに平気そうなのよ!? アキたちも! 怖くないの!? あんなにリアルなお化けなのよ!?」
顔を青くしている美波が叫ぶ。なんでって言われても……
「別に命の危険があるわけじゃないからね」
「グロいものはFクラスで散々見ているしな」
「…………あの程度、殺されかけている明久に比べれば大したことはない」
「そうじゃな。姉上の折檻《せっかん》に比べれば可愛《かわい》いもんじゃ」
今更《いまさら》流血程度で驚くような僕らじゃない。
≪それにしても暗いな……。何かに躓《つまず》いて転《ころ》びそうだ≫
≪ああ。それなら丁度良い。あそこにある明かりを借りて行こうぜ≫
装飾品として飾られている提灯《ちょうちん》が映し出される。須川君と福村君はそれを勝手に拝借《はいしゃく》しようと近づいて行った。
──ボンッ
「「きゃぁあああーっ!!」」
突如《とつじょ》、提灯に鬼のような顔が現れて、寸法のおかしな手足が生える。あれは提灯お化けかな。なるほど。セットの中に召喚獣を紛《まぎ》れ込ませていたのか。うまい演出だなぁ。
≪お? これ掴《つか》めないぞ?≫
≪召喚獣なら掴めるだろ。試獣召喚《サモン》っ≫
そんな向こうの粋《いき》な演出も意に介《かい》さず、福村君は喚《よ》びだしたゾンビに提灯お化けを持たせて更《さら》に先に進み始めた。……手足をバタバタと動かしている提灯お化けがちょっとだけ可哀想《かわいそう》だった。
「な、なんか……かなりシュールな光景ね……」
「そ、そうですよね……。TVを見ているみたいです……」
「……雄二。怖いから手をつないで欲しい」
「黙れ翔子。お前は全然怖がってなかっただろうが」
「……怖くて声が出なかった」
「嘘《うそ》つけ。悲鳴をあげるタイミングを計り損ねただけだろ」
怖がる姫路さんや美波と、いつもの会話を繰り広げる雄二と霧島さん。
そんなこっちの状況とは関係なく、ゾンビが腐《ふ》肉《にく》をまき散らしながら足元を提灯お化けで照らしつつ歩いて行く。どうでもいいけどこれ、うまくやれば簡単な映画を作れるんじゃないだろうか?
そのまましばらく須川君と福村君の快進撃(?)を見守る。
時間が来たので、カメラDを携《たずさ》えた朝倉君と有働君も突入していった。
「んむ? そう言えば雄二。お主、肝試しは極力男女ペアにすると言っておらんかったかの?」
モニターを覗《のぞ》いていた秀吉が雄二に尋ねる。秀吉の言うとおり、モニターに映っている須川君も福村君も、その次に出発した朝倉君も有働君も全員男だ。
「だいたいそうなるようにしてあるんだけどな。俺たちFクラスは殆どが男だからどうしても数が合わないんだ」
学年全体での男女比はだいたい同じだけど、Fクラスの男女比は47:2:1だ。夏期講習に自主参加していたメンバーは男女の数がだいたい同じくらいだったから、そうなると今回の肝試し参加者は僕らFクラスの分だけ男子が多いことになる。全員が男女のペアにならないのは仕方のないことだ。
≪あー、畜生《ちくしょう》。なんでこの俺が須川なんかと……!≫
≪お前がモテないから悪いんだろ≫
モニターCから須川君と福村君のそんな会話が聞こえてくる。両名ともパートナーに不満があるようだ。そりゃそうか。僕だって女の子と楽しみたいはずの肝試しをFクラスの男なんかと組む羽目になったら不満に思うに決まってる。
薄暗い映像からでもわかるくらい不機嫌そうな二人は、そのまま言い合いを続けていた。
≪何だと須川……? お前だって、朝から二〇人くらいの女子に声をかけて全滅していただろうが≫
≪ち、違う! あれは別に断られたわけじゃない! 向こうには向こうの事情があったんだ! 俺がモテないわけじゃない!≫
≪俺だってそうだ! 俺はモテないわけじゃない! タイミングが悪いだけなんだ!≫
あ。今の叫びで音声レベルが赤いラインを超えたような……。
「…………失格」
「アイツらは何をやってるんだ……」
アトラクションに驚くことのなかった二人組は、頭の悪い言い合いで失格になってしまった。う〜ん……。さすがはFクラス……。
「けど、須川君たちのおかげで相手の仕掛けがわかったね」
「だな。朝倉たちもいることだし、チェックポイントまで行くのも時間の問題だろ」
少し時間を置いて出発した朝倉君たちのカメラも大《だい》分《ぶ》先へと進んでいた。井戸からろくろ首が現れたり、柳の木の下に一《ひと》つ目《め》小《こ》僧《ぞう》が突然浮き出てきたりと、オーソドックスなものから奇《き》抜《ばつ》なものまで色々な演出があった。後発の何組かは来るものがわかっていても驚いて失格になったりもしていたけど、概《おおむ》ね順調に二年生の侵攻《しんこう》は進んでいく。
そして、ついに朝倉君たちのカメラが開けた場所を映し出した。その場所の中心には三年生と思《おぼ》しき人が二人と、化学の布施《ふせ》先生が待ち構えていた。
≪おお。チェックポイントか。結構余裕だったな≫
≪Bクラスの教室だけあって長い迷路だったけどな≫
次々と現れる敵の召喚獣を破《は》竹《ちく》の勢いで撃《げき》破《は》(というよりは通過だけど)してきた朝倉君たちの意気はかなり揚《あ》がっている。この勢いならDクラスもクリアできるかもしれない。
≪≪≪≪──試獣召喚《サモン》っ≫≫≫≫
僕らがモニター越しに見守る中、布施先生の許可の下でそれぞれの召喚獣が喚び出され、その点数が表示された。
まずは三年生側の点数が明らかになる。
『Aクラス 近藤良文《こんどうよしふみ》 & Aクラス 大竹貴美子《おおたけきみこ》
化学  326点 & 263点      』
「やっぱりAクラスの人がきたね」
「三年は予備校に通っている連中も多いだろうに、きっちり成績優秀なヤツを用意してきたな」
化学の成績がもっと上の人もいるだろうけど、向こうも僕らと同じでフルメンバーじゃない。だからこそ、400点超えとかの人はそうそう出てこないと思っていたけど……300点を超えている人はいたみたいだ。
ちなみに、Aクラス所属って言ってもだいたいの人は平均200点弱程度だ。ムッツリーニや姫路さんの点数をよく見るせいで感覚がおかしくなっているけど、普通は200点を超えるだけでも胸を張れるくらい凄い成績だったりする。つまり、画面に映っている三年生は学年の中でも化学ではトップ10に位置するくらいに成績の良い人たちってことだ。
そして、対するこちら、二年生側の成績。
『Fクラス 朝倉|正弘《まさひろ》 & Fクラス 有働|住吉《すみよし》
化学   59点 & ─────────
≪≪ぎゃぁあああっ!≫≫
ああっ! 点数が全部表示される前にやられてるっ!?
「まぁ、こんなもんだよな」
「そうだね。チェックポイントは純粋な点数勝負だもんね……」
やっぱり度胸があってもFクラスはFクラス。成績勝負になったら勝てるわけがないよね……。
「だが、これでチェックポイントまでの道のりはわかった。これで他のクラスの連中を送り込める確率も上がるはずだ。皆! ここは一気に勝負を決めるぞ! 今の連中に対抗できそうな点数のペアはどんどん突入してくれ!」
雄二が待機している皆に声をかける。
『『『俺たちに任《まか》せとけっ!』』』
「お前らは対抗できる点数じゃないだろ!?」
なぜか一番最初に自信満々に立ち上がったのはFクラスのメンバーだった。
[#中央揃え]☆
≪よしっ! Bクラス制《せい》覇《は》!≫
≪やったね真一《しんいち》君!≫
朝倉君たちが撃破されてから七組のペアが突入して、そのうち五組が何度か失格ギリギリの悲鳴をあげながらもなんとかチェックポイントにたどり着くことに成功した。今回の勝負は補充《ほじゅう》テストはないし、チェックポイントの人員の入れ替えもない。攻め込むこちら側は一回の勝負では勝てなくても何度か戦って相手を消耗《しょうもう》させたらクリアできるって形になっている。要するにこの勝負は、いかに沢山の成績優秀な人を失格にさせずにチェックポイントに送り込めるかが鍵となるってワケだ。
「はぁ……。良かったです……。これで私たちはBクラスには行かなくていいんですよね?」
姫路さんがホッと胸を撫《な》で下《お》ろしていた。
「うん。Bクラスはもうクリアしたからね」
事前に取り決めたルールでは、一度|踏《とう》破《は》したクラスは飛ばして、次のクラスからスタートしてもいいってことになっている。クラスの並び順と迷路の形の関係で、Bクラスの次はDクラスに突入することになる。
「私は怖いから不参加にさせてもらいたいんですけど……」
「う〜ん……。そればっかりは学園長のお達しだからね」
授業を潰してやっている以上は、この肝試しも立派な授業となる。自由参加の夏期講習にでていた他のクラスの人たちならまだ言い訳ができるかもしれないけど、僕らFクラスは参加義務のある補習を潰しての肝試しだ。怖いからと言って不参加というわけにはいかない。
「この調子で皆さんが全部クリアしてくれたらいいんですけど……」
一《いち》縷《る》の望みをかけて、姫路さんの参加順は最後のあたりとなっている。その前に誰かが最後のAクラスのチェックポイントをクリアしてくれたら参加しないで済むからだ。
「姫路さんが行かないで済むように、僕らも頑張るよ。ね、美波?」
「そ、そうねアキ。一緒に頑張りましょ」
美波が複雑そうな表情をしながらもやる気を見せている。怖いけれども楽しみな部分もあるといったような、いくつかの感情が交《ま》じり合《あ》っている感じの表情だ。こういったものが苦手なのかもしれないけど、それでも楽しんでくれているようでなによりだ。
美波や僕らだけじゃなく、参加している皆はモニターを見て悲鳴をあげたり相手の配置をノートに書いたりと、それぞれの方法でこのイベントを楽しんでいる。怖いものが苦手な姫路さんには難しいかもしれないけど、せめてこのお祭のような雰囲気だけでも楽しんでもらいたい。
≪それじゃあ、引き続き俺たちはDクラスに向かうぞ≫
≪頑張ろうね、真一君≫
カメラの向こうではBクラスを突破した二人がそのままDクラスに向かっていた。ここから先はまた知らないセットになっている。要注意だ。
≪怖かったらいつでも言えよ真美《まみ》。俺が守ってやるからな≫
≪うん。ありがとう。頼りにしているからね真一君≫
『『『チ……ッ!!』』』
モニターから伝わる二人の会話に対して、教室中から舌《した》打《う》ちが聞こえてくる。誰がやっているのだろうと思って見回すと、その行動はCクラスやBクラスの男子たちによるものだった。当然ながら、そんなマナーの悪い行《こう》為《い》をするのはFクラスの仲間たちじゃない。
「坂本。次は俺に行かせろ。ヤツらに本物の敵は二年にいるってことを教えてやる」
「待てよ近藤《こんどう》。ここは【安心確実仲間殺し】の異名を持つこの俺、武藤啓太《むとうけいた》の出番だろう」
「いやいや。【逆恨《さかうら》み凄惨《せいさん》します】がキャッチコピーの、この原田信孝《はらだのぶたか》に任せておくべきだ」
Fクラスの売りは行動力。舌打ち程度で済ませるほど僕らは温《ぬる》くない。
「おいおいお前ら……。とにかく落ち着けよ」
雄二が呆《あき》れたように肩を竦《すく》める。
「──そういうことは、クラス全員でやるべきだ」
素晴らしきかなFクラス。蔓延《はびこ》る悪事は見逃せど、他人の幸せは見逃さない。こうした日々の活動が僕らの連帯感《れんたいかん》を養っていると言えるだろう。
「けどまぁ、今仲間同士でやり合うのはまずいよね。折角先に進んでいるんだから、勝つためには彼らにも頑張ってもらわないと」
「うむ。やるからには勝ちを狙うのは当然じゃからな」
敵のしかけを見極める為に画面に視線を戻す。
今度の舞台となっているDクラスはさっきまでのBクラスに比べて圧倒的に狭《せま》くて、広さはだいたい三分の一くらいしかない。多分Bクラスよりはおおがかりな仕掛けもできないだろうし、簡単にクリアできると思うけど──
≪きゃぁあああっ!≫
≪え!? どうした真美!? なにかあったのか!?≫
≪な、なにかヌメッとしたものが首筋に……!≫
なんて思っている矢先、いきなりモニターから悲鳴が聞こえてきた。なにごと!?
「…………失格」
音声レベルは失格ラインを超えている。今の悲鳴は女子の方だけのものだけど、こういった場合は両者ともに失格になるというルールだ。二人の快進撃はここまでということになる。
「ねぇ雄二。今の、何をされたか見えた?」
「いや。カメラには何も映らなかった」
Dクラスは何かの町並みをモチーフとしたような作りではなく、あくまでも暗く、ゴミゴミとしただけの装飾になっている。これだと本人たちも何が起きたのか判別《はんべつ》するのは難しいだろう。
≪うきゃぁああーっ!≫
≪おいっ! どうした!?≫
続いて入っていった二組目も、何度か現れたお化けに怯《ひる》むことなくある程度進むことができたけど、途中で失格になってしまった。
なんだろう? 今度はさっきまでと違って向こうの召喚獣が随分《ずいぶん》とカメラに捉《とら》えられている。ってことは、今度はお化けの召喚獣は囮《おとり》で、本命は……。
「…………恐らく、直接接触」
「だろうな」
ムッツリーニの言うとおり、死角から付かを触れさせて驚かしているんだろう。さっきヌメッとしたものが、なんて言っていたからコンニャクとかの定番アイテムあたりだろうか。
≪おわぁっ!? へ、蛇《へび》!?≫
≪か、カエル! カエルが降ってきた!≫
立て続けに三組目も失格に。今度は玩具《おもちゃ》の爬虫類《はちゅうるい》か。見た目も触感も、暗闇で悲鳴をあげさせるには充分な素材だ。
「くそっ。向こうもバカじゃないな。うまく切り替えてきやがる」
「うまく切り替えるって、驚かし方を?」
「ああ。刺激する感覚を触覚《しょっかく》に替えて来やがった。Bクラスでは散々視覚のみを刺激されたからな。急に他の感覚に替えられたらついていけないだろ」
「なるほど。向こうも頭を使っておるというわけじゃな」
さっきまではいくら怖くても相手は普通の召喚獣。こちらに触ってくることはできない。おまけに道も広かったから、目で見える物に驚くという点だけに気をつけていたら良かった。でも、今度はそれに接触を織《お》り交《ま》ぜてきた。今から新しく突入する人たちもモニターでたっぷりと【目で見える物の恐怖】を植え付けられている。カメラでは伝わってこない【身体《からだ》に触れる物の恐怖】には簡単には対応できないだろう。
「それならこっちだって手を打ってやろうじゃねぇか。Fクラス部隊第二陣、出撃準備だ!」
『『『おうっ!』』』
気合の入った返事が返ってきた。第二陣の総人数は四組八名。果たしてうまくいくだろうか。
[#中央揃え]☆
≪おい。坂本や戻ってきたヤツの話だと、どうにもここは何かよくわからん物を当ててくるらしいぞ≫
≪そうなのか。それだとさっきまで見ていたBクラスよりやりにくいな≫
≪ああ≫
Fクラス第二陣のうちの一組が警戒しながら会話をしている。流石に流血|沙汰《ざた》に慣れていても、今回の向こうの作戦は少しやりにくいみたいだ。それでも他のクラスの人たちよりはずっと大丈夫そうに見えるけど。
≪そこで、俺はちょっとした対策を考えてきたんだ≫
≪対策? なんか良い方法があるのか?≫
≪おう。とっておきの方法だ。……いいか? 突然触ってくるものが怖くなって悲鳴をあげるのは、それがなんだかよくわからない気持ち悪い物だからだ≫
≪ああ。そうだな≫
≪だから、その触れてくる物を『俺のことが好きで手をつなぎたいけど、恥ずかしいからそこらの物を使ってしまう美少女』に脳内変換してやればいい。そうしたら、怖いどころか嬉しい接触に早変わりだ≫
≪な、なんだと……!? それはあまりに妙案すぎる……! 武藤、俺はお前の頭《ず》脳《のう》が恐ろしいぜ……!≫
≪へっ。よせやい≫
「ねぇ雄二。あの二人、会話がモニター越しに皆に伝わっていることを知らないのかな」
「わからん。なにせ、恐ろしい煩悩の持ち主たちだからな」
「確かに恐ろしいね」
またFクラスの評価は下げられていることだろう。
そのまま二人の行動を見守ること数分。偶然《ぐうぜん》方向転換をしたカメラに、何かが横切る瞬間が映った。あれは……コンニャクかっ!
ピタッという音をたてて二人に接触する飛行物体。
≪≪ふおぉぉおーっ!! たまんねぇーっ!!≫≫
バカ二人は脳内変換でトリップしていた。
「…………失格」
「明久。後であの二人を始《し》末《まつ》しておいてくれ」
「了解」
残念だ。またクラスメイトをこの手にかけることになるなんて。
「こ、このクラスは見ているだけならそこまで怖くないので助かります……」
「そうね。これならウチも平気かも」
なんて言いながらも、悲鳴が響いてくる度にビクッと身体を震わせる二人がちょっと可愛かったり。
「雄二。今の二人はともかく、他の三組は順調そうだね」
「そうだな。突然の接触に驚きはするものの、悲鳴をあげるほど繊細《せんさい》な神経をしている連中じゃないからな」
声が出たとしても失格レベルには至らない小さな声だ。問題ない。
「ということは、向こうもそろそろ動きを見せる頃合ということじゃな」
「ああ。向こうにもこっちの様子は筒《つつ》抜《ぬ》けだからな。また別の方法で落としにかかってくるだろう」
お互いにカメラを通じて状況を把《は》握《あく》できる分、臨機応変な対応が可能になる。向こうが順調ならこっちが、こっちが順調なら向こうが手を打つのは当然だ。
「そうなると、今度は何をしてくるのかな?」
「さぁな。見当もつかないが──ん?」
雄二が言葉を途中で句切《くぎ》ってモニターに身体を向けた。
「あ。何か雰囲気が変わったね」
「そうじゃな。暗くてわかりにくいが……どうも広い場所に出たように見えるのう」
秀吉の言うとおり、カメラCは薄暗いながらも広い空間を映し出していた。
「けど、何も仕掛けがなさそうに見えるね」
「うむ。広めの空間だけのようじゃ。あとは……中央の上部に照明設備らしきものが見えるくらいじゃな」
更に目を凝《こ》らしてモニターの映像を見る。確かに天井《てんじょう》のあたりにケーブルのようなものが見える。あれはスポットライトだろうか。さすがは秀吉。演劇に使う物ならケーブルを見ただけでもそれが何かわかるらしい。
≪なんか不気味《ぶきみ》だな≫
≪ああ。よくわからねぇけどヤバい感じがする≫
モニターの向こうの二人が固《かた》唾《ず》を呑《の》む様子が伝わってきた。いくら繊細な神経には縁《えん》がない僕らFクラスメンバーでも、勝負の勘所《かんどころ》はそれなりにわかっている。ここはきっと──勝負の行く末を担《にな》う場面の一つになる。
「…………人の気配」
ムッツリーニが小さく呟いた。
画面には、暗闇の空間の中央に、誰かが静かに佇《たたず》む影が映し出されていた。あれが向こうの仕掛けだろうか。いや、囮の可能性もある。何も無い広い空間と見せかけて、本命は後ろからの奇襲なんてことだって充分に考えられるだろう。
≪突っ立っていても仕方ない。先に進むぞ≫
≪わかった≫
二人が歩を進め、カメラもそれに伴《ともな》って暗闇の奥を映し出さんと移動していく。
そして、二人が空間の中央まであと三歩、といったところで画面に動きが見られた。
バン、と荒々しく照明のスイッチが入る音が響き渡る。
暗闇から一転して光の溢《あふ》れ出《だ》した画面の中央には、常夏コンビの片割れである坊《ぼう》主《ず》先輩こと夏川《なつかわ》先輩がスポットライトを浴《あ》びて静かに佇んでいた。
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──全身フリルだらけの、ゴシックロリータファッションで。
『『『ぎゃぁあああ──っ!?』』』[#3段階大きな文字]
画面の内外問わず、そこら中から響き渡る悲鳴。勿論《もちろん》僕も人生で最大の恐怖を前に震え上がって叫んでしまった。
「坊主野郎めっ! やってくれやがったな!」
「汚いっ! やり方も汚ければ映っている絵面も汚いよ!」
「きゃぁああーっ!? お化け! いや、お化けじゃないですけどお化けより怖いです!」
「うぅぅぅ……っ! 夢に見る……! 絶対ウチ今夜は眠れないわ……!」
「……気持ち悪い」
「あれは流石にワシも耐えられん……!」
さしものFクラスメンバーや霧島さんも想定外のグロ画像に悲鳴は避けられない。耐性のない人は失神《しっしん》や嘔《おう》吐《と》の恐れもある。なんて危険な攻撃を……!
≪なんだ? 今、こっちの方から何か聞こえなかったか?≫
≪ああ。間違いない。そこで悲鳴が──ぎゃぁあああーっ!≫
しまった! 二組目もやられた! 悲鳴が呼び水になってまずいことになっている!
「雄二! 早く手を打たないと全滅だよ!」
「く……っ! だが、既に突入しているやつらはもう助けようがない……!」
「そんな!? 彼らを見捨てるしかないって言うの!?」
≪ぎゃぁああーっ! 誰か、誰か助け──≫
≪嫌だ! 嫌だ嫌だ嫌だ! 頼むからここから出してくれ!≫
≪助けてくれ! それができないならせめて殺してくれ!≫
≪☆●◆▽┌*[#連十六分音符 unicode266c]*[#ハートマーク Unicode2764]×っ!?≫
「…………突入部隊……全滅……っ!」
「くそぉっ! 皆ぁっ!」
注《つ》ぎ込《こ》んだ戦力は全て壊滅《かいめつ》。カメラ越しに見ていた僕たちでもこのダメージだ。直接見てしまった彼らは当分社会復帰はできないだろう。おのれ坊主先輩……! なんて惨《むご》いことを……!
『坂本っ! 仇《かたき》を……! アイツらの仇を討ってくれ……!』
『このまま負けたら、散っていったアイツらに申し訳がたたねぇよ……!』
クラスの皆が涙ながらに訴《うった》える。僕だって同じ気持ちだ。いくらなんでも、あんな惨い死に様は憐《あわ》れすぎる……っ!
「わかっている! 向こうがそうくるのならこっちだって全力だ! 突入準備をしている連中を全員下げろ! ムッツリーニ&工藤愛子《くどうあいこ》ペアを投入するぞ!」
『『『おおお──っ!!』』』
その二人の名前を聞いて教室中に雄《お》叫《たけ》びが響き渡った。ムッツリーニと工藤さんの二人なら、きっとなんとかしてくれる!
『『『ムッツリーニ! ムッツリーニ!』』』
『『『工藤! 工藤!』』』
鳴り止まない『工藤&ムッツリーニ』コールの中、名前を呼ばれた工藤愛子さんは緊張《きんちょう》した様子もなくムッツリーニに近寄って話しかけていた。
「だってさ。よろしくね、ムッツリーニ君」
「…………(コクリ)」
頷くムッツリーニにも緊張の色は見られない。あのグロ画像を見ても自然体でいられるなんて、やっぱりコイツは只者《ただもの》じゃない。
「頼んだぞ二人とも。なんとしてもあの坊主を突破して、Dクラスをクリアしてくれ」
雄二がムッツリーニと工藤さんの目を見て話しかける。
教室の広さを考慮すると、坊主先輩を突破したら残りはチェックポイントだけのはず。Dクラスに配置されているのは保健体育の先生のようだし、そのままDクラス制覇だってこの二人なら充分期待できる。さっきの仲間たちのような被害者を二度と出さないためにも、二人には頑張ってもらいたい。
「う〜ん。約束はできないけど、一応頑張るよ坂本君」
いつもの飄々《ひょうひょう》とした口調で軽く答える工藤さん。
「ああ。宜《よろ》しく頼む。ムッツリーニも、いけるな?」
「…………問題ない」
静かに、小さく傾くムッツリーニ。
「…………あの坊主に、真の恐怖を教えてやる」
[#中央揃え]☆
「皆! もうすぐあの衝撃映像がくるよ! 女子は全員目を閉じるんだ!」
ムッツリーニと工藤さんの持つカメラが件の場所に近づいていく。来るとわかっていても耐《た》え難《がた》い恐怖。モニター越しでも叫び出したくなるほどのプレッシャーだ。
「つ、土屋君たちがダメだったら、あとはこちらも対抗して明久君がフリフリの可愛い服を着ていくしかありませんね……」
「そ、そうね。それしか手はないものね。仕方ないわよね」
「二人とも。そのおかしな提案は恐怖で気が動転《どうてん》しているせいだよね? 本当に僕にそんな格好をさせようなんて思っていないよね?」
「「…………」」
返事をしてくれないのは来るべき衝撃映像に備えて目と耳を塞いでいるせいだと思いたい。
≪ムッツリーニ君。あの先だっけ? さっきの面白い人が待ってるのって≫
≪…………準備はできている≫
そんな恐怖に怯える皆がいる教室とは対照的に、目的地へと向かっている張本人たちは落ち着いているみたいだ。
カメラを構えているのは工藤さんで、ムッツリーニは何か別のものを抱えていた。坊主先輩対策の何かだろうか。
「やっぱりまた真っ暗になってるね」
「突然現れる方が効果があるだろうからな。タイミングを見《み》計《はか》らってスポットライトを入れるんだろ」
闇の中でカメラがぼんやりと人影を映す。
「そろそろくるぞ」
「うん……っ!」
グッと下っ腹に力を入れて衝撃に備《そな》える。
くるぞ、くるぞ……!
バンッ!(スポットライトのスイッチが入る音)
ドンッ!(ムッツリーニが大きな鏡を置く音)
ケポケポケポッ(坊主先輩が嘔吐する音)
≪て、てめぇ! なんてものを見せやがる! 思わず吐《は》いちまったじゃねぇか!≫
≪…………吐いたことは恥じゃない。それは人として当然のこと≫
≪くそっ。想像を絶する気持ち悪さに自分で驚いたぜ……。道理で着付けをやった連中が頑《かたく》なに鏡を見せてくれねぇワケだ……≫
≪ムッツリーニ君。この先輩、ちょっと面白いね。来世でなら知り合いになってあげてもいいかなって思っちゃうよ≫
≪ちょっと待てお前! 俺の現世を全面否定してねぇか!? っていうか生まれ変わっても知り合いどまりかよ!≫
≪あ。ごめんなさい。あまり悪気はなかったんですゲロ野郎≫
≪純粋な悪意しか見られねぇよ! って待てやコラ! てめぇナニ人のこんな格好を撮《と》ろうとしてやがるんだ!≫
≪…………海外のホンモノサイトにUPする≫
≪じょ、冗談じゃねぇ! 覚えてろぉおっ!!≫
坊主先輩はダッシュでその場から去っていった。これでDクラス最大の脅威《きょうい》は取り除かれただろう。
「それにしても、工藤さんって意外と厳しいこと言うんだね。坊主先輩も涙目になってたよ」
「……普段愛子はああいうことは言わない」
「となると、誰かの入れ知恵か」
「そう言えば、工藤は突入する前に清水に何かを聞いておったな」
「清水って、Dクラスの清水美春さん?」
「なるほど。それならあの罵《ば》倒《とう》も頷けるな」
そっか。あれは工藤さんなりの坊主先輩対策だったってことか。鏡を見せて気持ち悪さを自覚させたあとで清水さん直伝《じきでん》の罵倒。相手によってはトラウマになるほどのコンビネーションだ。
≪…………先に進む≫
≪多分チェックポイントまであとちょっとだよね≫
坊主先輩が走っていった方向に歩き出す二人。パーティションで作られた通路を少し歩くと、その先では三年生らしき人が二人待っていた。予想通りさっきの仕掛けに場所を取りすぎたようで、チェックポイントはすぐ傍にあったみたいだ。
「あれ? ここのチェックポイントは坊主先輩じゃないんだね。てっきりあの人が出てくるものだと思ってたよ」
「別にそういう決まりは作っていないからな。後のAクラスかCクラスにでもいるんだろ」
「出てこないってことはないだろうね」
「出てきてくれないと困る。その為にわざわざ挑発《ちょうはつ》したんだからな」
Aクラスとは言っても、今までの点数を見る限り常夏コンビはそこまで突き抜けた点数じゃない。他の人を相手にするよりはやり易いと考えて、雄二はあの二人を挑発したみたいだ。
「まぁ、後のことは後のことじゃ。まずは目先のことじゃな」
「そうだね」
画面に視線を戻す。チェックポイントで対《たい》峙《じ》している四人はそれぞれ召喚獣を喚び出すところだった。
≪≪≪試獣召喚《サモン》っ≫≫≫
ムッツリーニの召喚獣は前にも見たとおりに吸血鬼《きゅうけつき》で、工藤さんのはのっぺらぼうだった。後ろから見たらどちらも普通の人にしか見えない。
「工藤さんの召喚獣がのっぺらぼうなのはどうしてなんだろうね?」
「さぁな。顔がない、つまり素顔を見せないところに何かがあるのかもしれないな」
素顔を見せない、か……。工藤さんの特徴《とくちょう》や本質が自分を隠すことにあるとしたら、常日頃のセクハラ発言もそういった彼女のポーズなのかもしれない。工藤さんに自分を偽《いつわ》って隠したいことがあるかもしれないだなんて、全然考えたこともなかった。いつもはあんなに明るいけど、もしかしたら過去に何か辛いことがあったとか、あるいは今家庭で何か大変なことが起きているとかそういうことだってありえるし──
「そう言えば、ワシは前に演劇の題目の候補として怪談話を探しておったのじゃが、その中にのっぺらぼうの尻《しり》目《め》というものがあっての」
「尻目?」
「うむ。そののっぺらぼうはなんでも、人に出会うと全《ぜん》裸《ら》になったそうじゃ」
僕の心配を返して欲しい。
「それはそうと、こっちもそうだけど、向こうも向こうで分《わ》かり易《やす》いお化けだね」
「そうだな。おかげで敵の行動も予測しやすそうだ」
一方、三年生の方はミイラ男とフランケンというラインナップ。どちらもメジャーなお化けだから一目でそれとわかる。あの人たちの特徴はけがをしやすいとか根は優しいとかそういった感じだろうか。
『Aクラス 市原両次郎《いちはらりょうじろう》 & Aクラス 名波健一《ななみけんいち》
保健体育  303点 & 301点     』
そして点数は300を超えている。保健体育は受験の科目にないんだからもう少し手を抜いても良さそうなのに。やっぱりAクラスに入るだけあって真面目なんだろうか?
≪ムッツリーニ君。先輩たちの召喚獣、なんだか強そうだね。召喚獣の操作だってボクたちより一年も長くやってるし。結構危ないかな?≫
≪…………確かに、強い≫
対するムッツリーニと工藤さんの点数が表示される。
『Aクラス 工藤愛子 & Fクラス 土屋康太
保健体育 479点 & 557点     』
≪──が、俺と工藤の敵じゃない≫
≪確かに、ね≫
瞬《まばた》きすら許さないような刹《せつ》那《な》の後、ミイラ男とフランケンは敵と一度も組み合うことなく地に臥《ふ》した。あまりに圧倒的な戦力差。保健体育という科目である以上、この二人には教師ですら敵《かな》わない。
「ねぇ雄二。今の勝負、何があったか見えた?」
「ああ。はっきりと見えたわけじゃないが……ヴァンパイアの方は、一瞬で狼に変身してフランケンを切り裂いて、また人型に戻っていた」
恐ろしい……。なんて攻撃速度だ……。
「それで、のっぺらぼうの方は?」
「ああ。はっきりと見えたわけじゃないが……一瞬で全《ぜん》裸《ら》になってミイラ男をボコボコにして、また服を着ていた」
わからない……。なんで服を脱ぐ必要があるんだ……。
「あと、ムッツリーニはその一瞬で出血・止血・輸血を終わらせていた」
凄《すご》すぎる……。あんな攻防《こうぼう》を繰り広げながらも裸にはきっちり反応するなんて。なんてスケベ心だ……。
「……雄二。浮《うわ》気《き》の現行犯」
「な!? ち、ちが……っ!? 工藤の召喚獣は見ようとしたわけじゃないから不可抗りょぎゃぁあああっ!・」
「……浮気は許さない」
僕の隣で繰り広げられるリアル肝試し。僕らFクラス男子がお化けに強い理由はここにある。
≪じゃあ、Dクラスもクリアってことで。次はどこに行けばいいんだっけ?≫
≪…………Cクラス≫
≪はーい。了解。……ところでムッツリーニ君。どうして鼻にティッシュを詰めているのかな?≫
≪…………花粉症≫
≪へぇ〜。ふ〜ん。花粉症ねぇ〜≫
ムッツリーニの鼻血の原因が思い当たるのか、工藤さんはずっとニヤニヤしていた。
くそぉっ! どうして……どうして僕の動体視力は工藤さんの召喚獣を捉《とら》えきれなかったんだ……!
「あの、明久君。なんだかいやらしいことを考えていませんか?」
「ううん。ちっとも」
「本音は?」
「後でムッツリーニに今の対決をスロー再生してもらおうと思ってる」
「確かこれが土屋君の記録用ハードディスクでしたよね」
「あぁぁっ! 返して姫路さん! それは持ってっちゃダメだよ! その、えっと、そうだ! 不正監視用に使うかもしれないから!」
「大丈夫です。これだけの人数が証人として見ていますから」
酷い……。僕だけじゃない。きっとムッツリーニも肝試しを終えて戻ってきたら血の涙を流して悲しむだろう。
(「そ、そっか。アキは小さくても興味あるんだ……」)
近くでは美波がなぜか胸を押さえてホッとした顔をしていた。
[#中央揃え]☆
≪あれ? この口が二つある女の人ってなんのお化けだっけ?≫
≪…………ふたくち女≫
≪じゃあ、あっちの身体が伸びてる女の人は?≫
≪…………高女≫
≪そっちの毛深い男の人は?≫
≪…………どうでもいい≫
Bクラスよりは狭《せま》いけどDクラスの倍はある教室をスタスタと二人が歩いて行く。坊主先輩を突破するような二人は、普通のお化けに対してなんら臆《おく》することなく先へ先へと進んでいった。
「順調だね雄二。このままだとあの二人で全部突破できちゃうんじゃない?」
あの二人がお化けを見て悲鳴を上げる姿は想像できない。向こうも今頃は頭を抱えて困っているんじゃないだろうか。
「いや、そうでもない。さっきの保健体育の点数を見て向こうもムッツリーニの正体に気がついただろうからな。そろそろ対策を打ってくるはずだ」
「え? どういうこと?」
「三年はムッツリーニって名前は知らなくても『保健体育が異様に得意なスケベがいる』ってことくらいは知っているだろう。そうなると、弱点もバレている可能性が高い」
「弱点? 弱点って言っても、ムッツリーニは鼻血を噴《ふ》いて倒れるだけでしょ? 別に悲鳴をあげることはないじゃないか」
「ああ。悲鳴はあがらないかもしれないな」
なんだか引っかかる雄二の物言い。その言い方だと、向こうの狙いは何か別のことみたいじゃないか。
「それってどういう意味さ雄二」
「悲鳴じゃなくても標的に大きな音をたてさせるのは可能だってことだ。例えば、鼻血の噴出音《ふんしゅつおん》とか、な」
「あ、あはは……。何を言ってるのさ雄二。まさか三年生がそんなことを」
「まぁ、見ていればわかる。……そろそろくるぞ」
モニターに視線を戻すと、二人の持つカメラが薄明かりの下に佇む女の人の姿を捉えていた。あの人が雄二の言っている『ムッツリーニ対策』なんだろうか。
≪…………っ!(くわっ)≫
≪む、ムッツリーニ君? 何をそんなに真剣な顔を──って、なるほどね……≫
徐々にその人の姿がはっきりと見えてくる。
その女の人は髪を結《ゆ》い上《あ》げた切れ長の目の綺《き》麗《れい》な美人で──色っぽく着物を着《き》崩《くず》していた。
『『『眼福《がんぷく》じゃぁーっ!』』』
教室の中から歓《かん》喜《き》の声があがる。クールな表情や長い手足。タイプで言うと霧島さんが一番近い。そんな人が着物を着崩して色っぽく立っているのだから、皆が叫ぶのも無理はない。僕だって姫路さんや美波や秀吉の前でなかったら叫んでいるだろう。
「……雄二」
「み、見ていない! 俺は全然見ていないぞ翔子!」
「……私だって、着物を着たらあんな感じになる」
あ。珍しい。霧島さんがムッとしてふくれてる。自分と同じタイプの人に雄二の目がいったから対抗意識を燃やしてるのかな?
「ああいや、別にお前に着物を着て欲しいとは言っていないんだが」
「……丁度良かった。結婚式にどちらを着るか迷っていたから」
「ん? ドレスと着物か? まぁ、誰と結婚するかは置いといて、悩むくらいなら両方着るって選択肢も──」
「……じゃあ、着物と猫耳メイド服の両方着る」
「なんだその選択肢!? 出席する両親も色んな意味で涙が止まらないだろ!?」
そっか。ドレスはこの前|如月《きさらぎ》ハイランドで着ていたからなぁ。うんうん。霧島さんもやっぱり女の子だね。
≪…………この……程度……で……この俺……が……っ!≫
≪……ムッツリーニ君。足にきてるみたいだケド?≫
≪…………(プンプンプン)≫
マズい! ムッツリーニがいきなりグロッキーに! はだけられた着物の隙《すき》間《ま》に意識が飛ばされそうになっている! でも……
「すごい! あのムッツリーニがここまでの色気を相手に鼻血を我《が》慢《まん》するなんて! この勝負はもう勝ったも同然だよ!」
カメラ越しでも歓声があがるほどの姿なのに、それを直接見ても耐えきるなんて、今までのムッツリーニじゃ考えられないことだ! この勝負……もらった!
「いや待て! まだ何かある!」
「え?」
雄二の声で我に返る。まだ何かある? バカな! そんなこと、あるはずが──
≪ようこそいらっしゃいましたお二方。私、三年A組所属の小暮葵《こぐれあおい》と申します≫
艶《つや》っぽい声に濡《ぬ》れた瞳《ひとみ》。伏《ふ》し目《め》がちに頭を下げて挨拶《あいさつ》をしながらも、着崩した着物はそれ以上はだけさせない。ヤバい。この人は……ヤバい。
≪小暮先輩ですか。こんにちは。ボクは二 - Aの工藤愛子です。その着物、似合ってますね≫
≪ありがとうございます。こう見えてもわたくし、茶道部に所属しておりますので≫
≪あ、そっか。茶道って着物でやるんだもんね。その服装はユニフォームみたいなもんだよね。ちょっと着方はエッチだけど≫
≪はい。ユニフォームを着ているのです≫
≪そうですか。それじゃ、ボクたち先を急ぐので≫
≪そして、実はわたくし──≫
≪? なんですか? まだ何か≫
≪──新体操部にも所属しておりますの≫
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はだけられた着物は完全に脱ぎ捨てられ──その下からは、レオタードを身に纏《まと》う小暮先輩が現れた。
『土屋|康《こう》太《た》、音声レベルおよびモニター画像全て赤! 失格です!』
「畜生っ! やり方が汚ねぇ! はだけた着物だけでも限界ギリギリだってのに、その下に露出満点のコスチュームだと!? あのムッツリーニがそんなもんを直接見て耐えられるわけがねぇだろうが!」
「全くだよ! なんて汚い手を使うんだ! とにかく雄二は急いで対策を練《ね》って! 僕は今から姫路さんに土下座をしてさっきの記録用ハードディスクを設置し直してもらうから!」
「わかっている! 抜かるなよ明久!」
「勿論さ! 必ず録画してみせる!」
これは責任重大だ。なんとしてもフレームアウトする前にセットしないと──あれ? なんだか急に視界が暗転《あんてん》したような?
「ダメじゃない、アキ。坂本一人に作戦練るのを任せちゃうなんて。ねぇ瑞希?」
「そうですね美波ちゃん。今使うべきなのは目じゃなくて頭だと思いますよ、明久君?」
って痛ぁっ! 目ぇ痛ぁっ! バカな! 痛みを遅れて感じさせるほどの速度で僕の目を潰したって言うの!? 流石は美波、その動きは並じゃない……!
「……雄二。悪い物を見るいけない目はこれ?」
「ぐぁあああっ! 『いけない目はこれ?』じゃねぇ翔子! 耳や口を捻《ひね》りあげる調子で目を突くな! お仕置きのレベルが全然可愛くねぇぞ!?」
ぐぅぅ……! 千載一遇《せんざいいちぐう》のチャンスと絶体絶命のピンチが同時に襲ってきている……! なんとかしないと……!
「お願いだ姫路さん! 今は絶対一遇のピンスなんだ! だからハードディスクを!」
「明久よ。色々な言葉が混ざって次世代言語になっておるぞ」
しまった。焦《あせ》りすぎだ。
『大変だ! 土屋が危険だ! 助けに行ってくる!』
『一人じゃ危険だ! 俺も行く!』
『待て! 俺だって土屋が心配だ!』
『俺も行くぜ! 仲間を見捨てるわけにはいかないからな!』
僕らがそんなことをやっているうちにFクラスの皆は独断専行をはじめていた。ダメだ皆! 今の状態で行ったら……!
『『『うぉおおおぉぉっ! 新体操──っっ!!』』』
「……突入と同時に全員失格したようじゃな……」
「なんでうちの学校の男どもってこうもバカだらけなのかしらね……」
「どうして覗き騒ぎが起きたのかがよくわかる気がします……」
次々と失格になっていく仲間たち。折角今まで良い調子で来ていたのに、ここに至っていきなり戦力激減だ。
「う……うぅ……。ま、マズいな……。このまま放っておいたら男子は久保以外全滅しちまう……」
目を押さえながら雄二が言う。なるほど。真面目な久保君なら雄叫びをあげて突入するようなことはないってことか。あまり女の子に興味もなさそうだし。
「そうだね。状況を打《だ》開《かい》するためにも、ここは僕に任せてよ雄二」
「アキ。アンタここまでやってもまだ懲《こ》りてないのかしら?」
「明久君。あまり反省していないようですと、お姉さんに言いつけちゃいますからね?」
突入は諦めよう。冷静に考えたら命と天秤《てんびん》にかけるほどのことじゃない。
「仕方がない。向こうは色香で攻めてくるのなら、こっちは──」
「女子に行ってもらうわけだね。よし。頼んだよ秀吉」
「……明久よ。誤解しておるようじゃが、ワシとて異性に興味はあるのじゃからな。特にお主にはそのことを覚えておいてもらわんと、ワシも色々と困」
「……え……? 異性に興味があることを覚えておいて欲しいだなんて、秀吉……。皆の前でそんなこと言われても、僕は、その……」
「ま、待つのじゃ明久! 今のはお主への遠回しな告白ではないぞ!? なにゆえ頬《ほお》を赤らめておるのじゃ!?」
うわ……。顔が熱い……。汗が出てきそうだ……。
(「不公平です……。どうして木下君だとあれだけで告白だと……」)
(「ウチなんて、キスまでしたのに……」)
(「まぁ気にするな姫路、島《しま》田《だ》。秀吉は最初は男として接していた分、心の距離が近いんだ」)
近くでは落ち込んでいる姫路さんと美波を雄二が励《はげ》ましていた。
「とにかく、今は肝試しだ。皆、よく聞け! 次は木下姉妹でいくぞ!」
「雄二よ! 今お主、木下姉『妹』と言わんかったか!?」
「頼んだぞ秀吉」
「頼んだよ秀吉。無事に戻ってきてくれたら……僕は君に、伝えたいことがあるんだ」
「その台詞を聞くと、明らかにワシは無事では済まん気がするぞい……」
大きく溜息をついて、秀吉はお姉さんのところにトボトボと歩いていった。
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バカコンビ特別怪談[#「バカコンビ特別怪談」は太字]
【第四問】[#3段階大きな文字]
吉井明久と坂本雄二の実際にあった怖い話紹介[#1段階大きな文字]
「というわけで、ここでは僕、吉井明久と」
「この俺、坂本雄二が」
「皆から寄せられた『実際にあった怖い話』を紹介していきます」
「うさんくさい企画だな」
「そういうことは思ってても口に出さないのが礼儀だよ雄二」
「お前もその台詞で本音がバレてるけどな。そんじゃ、明久。最初のメールを紹介してくれ」
「了解。最初は|H.N.《ハンドルネーム》『オレはシブヤ最強のA - Boy』さんからのメールです」
「言いたいことは色々あるが、とりあえずB - Boyを名乗るか場所を秋葉原に変えるかどちらかにしたらどうだ」
「えっと……メールの文章がなんだかヒップホップ調なんだけど、やっぱりそれっぽく読んだ方が良いかな?」
「ヒップホップ? よくわからんが、できるならそうした方がいいんじゃないか?」
「わかった。それじゃあいくよ──『Yeah! オレはシブヤ最強のA - Boy! 常に進むぜ栄光に! あまり行かないぜ予備校に!』」
「栄光に向って進みたいのなら予備校をサボるな」
「『オレの this 聞け! そして振り向け!』」
「ほら見ろ。予備校をサボるから this と dis を間違えるんだ」
「『誰の言うことも聞きゃしねぇ! 泣かせた女は数知れねぇ!』」
「泣いた女は恐らくお前の母親だろう」
「『オレのラップ、音高く響かせ! 近所のジャップ、恐怖で叫ばせ!』」
「ん……? ラップ……? ああ、そういうことか……。おい明久。そのメールもう読まなくていいぞ」
「『恐れるヤツぁマジ──』──え? いいの? 怖い話がまだ出てきていないけど」
「気にするな」
「でも」
「代わりに、そのメールにラップ音とラップの違いを書いて返信してやれ」
「へ?」
「……これ以上説明させるな」
「……あ……そういうこと……」
「……読まなきゃ良かったね、このメール……」
「……俺も……なんというか、自分が悪くもないのに妙に申し訳ない気分だ……」
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≪肝試《きもだめ》し……。困ったわね。アタシ、あまりこういうの得意じゃないのに≫
≪姉上。踏《ふ》んどる。セットの唐傘《からかさ》お化《ば》けを踏んどるぞ≫
≪あ。ごめんなさい。壊れてないわよね?≫
なるほど。あの二人は逸材《いつざい》だ。悲鳴をあげるなんて考えられないし、色《いろ》仕掛《じか》けにも引っかからないし、何より見ていて華がある。できればもうちょっと仲睦《なかむつ》まじくしてもらえると言うことないんだけど。
「これで問題なく先に進めるね」
「だな。あの二人なら色仕掛けに掛かることはないだろうからな」
特に何かに引っかかることもなく例の先輩のところに辿り着く二人。
≪あら? あなた方は──そうですか。女の子同士の組み合わせできましたか。それでしたら、わたくしにはできることはありませんね。どうぞお通り下さい≫
≪だって、秀吉《ひでよし》。お言葉に甘えて行きましょ≫
≪むぅ……。すんなりと通れたのにこのわだかまりはなんなのじゃ……≫
言葉の通り、着物の先輩は脇に避《よ》けて道を譲ってくれた。何の抵抗も無く。
「なんだか随分あっさりと通過させてくれたね」
「そうだな。いくらなんでも無抵抗すぎる」
画面に視線を戻す。すると、着物の先輩がいた場所を通過してすぐのところに、常夏《とこなつ》コンビの片割れ──モヒカン(常村《つねむら》)先輩が立っていた。
「なんだろう? 秀吉対策かな? でも、別にさっきの坊《ぼう》主《ず》先輩みたいに変な格好もしてないし、特に悲鳴をあげる要素なんて見あたらないけど」
何度見ても特に仕掛けは見あたらない。普通に突っ立っているだけだ。ってことはよほど凄《すご》い召喚獣なんだろうか。一目見ただけで秀吉ですら悲鳴をあげてしまうほどの。いや、でも召喚を始める様子もないし……。
≪来たか、木下《きのした》。待っていたぞ≫
≪なんじゃ? ワシを待っていた? どういうことじゃ?≫
≪よくわからないけど、早く済《す》ませてもらいなさい秀吉アタシらは先に進まないと≫
≪そうじゃな。何の用か知らんが、手短に頼《たの》むぞい≫
≪ああ。大丈夫だ。時間は取らせねぇ。……いいか、木下秀吉≫
≪なんじゃ≫
画面の中、モヒカン先輩が真剣な顔で秀吉に一歩近づく。
そして、はっきりと、聞き間違えようのない口調で、秀吉に告げた。
≪俺は──お前のことが好きなんだ≫
僕は生まれて初めて、秀吉の本気の悲鳴を耳にした。
[#中央揃え]☆
「す、すまぬ。雄二、明久《あきひさ》……。このワシが、あれほどまでにみっともない悲鳴を……」
「気《き》に病《や》むな秀吉。同性に──しかもあんなムサい野郎に真剣な顔で告白されたら悲鳴をあげるのも無理はない」
「そうだよ秀吉。それに、お姉さんが『なんでアタシをさしおいてアンタが……!』なんて言いながら関節技をかけていたんだし、悲鳴で済ませただけでも凄いことだよ」
「姉上の関節技も確かに厳しかったのじゃが……『お前を想って書いたんだ』と言って自作のポエムを朗読《ろうどく》されたのが一番苦しかったのじゃ……」
確かにあれはきつかった。『お前は俺を照らす太陽だ』なんてフレーズが聞こえた瞬間に僕は意識を放《ほう》棄《き》してしまったくらいだ。直接聞かされていた秀吉の恐怖は計《はか》り知《し》れないものだろう。
「できれば姉上の力でCクラス突破を……それがならなくともせめて相手を消耗《しょうもう》させるぐらいはしておきたかったのじゃが」
確かにこれは状況としては厳しい。秀吉たちを除《のぞ》いてあの着物の先輩(小《こ》暮《ぐれ》先輩だっけ?)を突破できそうな人材はそうはいない。雄二と霧島《きりしま》さんならいけるかもしれないけど……二人はAクラスのチェックポイントをクリアするという仕事がある。向こうのAクラスの仕掛けがわかるまではおいそれと出て行くべきじゃない。
「それは心配するな秀吉。向こうは向こうでこっちのメンバーのことをある程度は知っているようだが、こっちには秘密兵器がいる。アイツらなら、色《いろ》香《か》に惑《まど》わされることもないだろうし、恐らくはチェックポイントもクリアできるはずだ」
「え? そんな人いたっけ?」
Fクラスのメンバーは軒《のき》並《な》みさっきの突撃で失格になっちゃったし、他のクラスでも一般的な男子生徒はまたあの小暮先輩って人に落とされるだろう。
「女子だとしても、さっきの坊主(夏川《なつかわ》)先輩の女装とモヒカン(常村)先輩の心理攻撃に怯えきっているだろうし……」
「いや、常夏コンビについてはもう大丈夫だろ。ゴスロリはあそこまでやればもう出てこないだろうし、告白の方は対秀吉専用の作戦だったみたいだしな」
言われてみればそうだ。あの秀吉を怯えさせたくらいなんだから、さっきの常村先輩の告白は演技のはずがない。演技なら秀吉はその嘘《うそ》を見抜いていたはずだ。そうじゃないということはつまり、あの告白は本気だったのだろう。
「そっか……。あの攻撃は、秀吉だけを狙った本気の一撃だったのか……」
本気、という単語に秀吉が一瞬ビクンと身体《からだ》を震《ふる》わせる。軽いトラウマになっているみたいだ。
「そういうこった。あんな危険なことはもうどこにも無い」
なぜか僕に言い聞かせるように雄二が言う。なんでそんなことで念を押すのだろう?
「だから、安心して行ってこい明久、島《しま》田《だ》」
「って、あれ? 秘密兵器って僕と美《み》波《なみ》のこと?」
「じょ、冗談《じょうだん》じゃないわ! あんなものを見た後で行けって言うの!?」
度重なる向こうの心理作戦のせいで美波は自分の身体をかき抱《いだ》いて怯えている。この調子だと、チェックポイントどころか入った瞬間に失格になりそうだ……。
「雄二。それはさすがに無理があるよ。美波はこんなだし、それに万が一チェックポイントにたどり着いたとしても僕と美波の点数じゃ三年生のAクラスと戦うのは厳しいだろうし」
この程度のことがわからないなんて、雄二らしくもない。
「いいからお前は余《よ》計《けい》なことを考えずに島田と肝試しを楽しんでこい。島田は……そうだな、目をつぶって明久に掴《つか》まっていたらいい」
「う……。べ、別にウチは怖がってなんか」
「あー、わかってるわかってる。俺が言いたいのは、明久が怖がるだろうから、島田はそれを支えてやって欲しいってことだ。明久にも男のプライドがあるだろうから、目をつぶって掴まってやるくらいの気《き》遣《づか》いも必要だろ?」
「そ、そうね。坂本《さかもと》がそこまで言うのなら、ウチも言うとおりにしてあげてもいいわ。別に怖がってるわけでもないし、アキに掴まっていたいってわけでもないんだからね!」
「やれやれ……。島田も難《なん》儀《ぎ》な性格じゃのう……」
「何か言った木下!?」
「いいや、なんでもないぞい」
美波の意地っ張りにも困ったもんだ。
「まぁいいや。よくわからないけど、そこまで言うのなら行ってくるよ。行こうか、美波」
「う……。そ、そうね」
「あ、あのっ、美波ちゃん! 気が進まないのなら私が……」
「ううん! 全然そんなことないわ! 楽しみで楽しみでしょうがないもの! それに、アキと一緒に行くって約束もしてるし! ほら、行くわよアキ!」
「あがぁっ! み、美波!? 腕を掴むっていうのは関節を極《き》めろってことじゃ」
「ああ、待った明久」
美波に引《ひ》き摺《ず》られて教室を出ようというところで雄二に呼び止められる。
「な、なに雄二?」
立ち止まると、雄二は僕に近づいて小さな声で言った。
(お前らに一つだけ指示がある。ある程度進んで例の着物女の手前まで行ったら、周囲に誰もいないことを確認して物陰《ものかげ》に隠れて、ここに戻ってこい。いいな?)
(え? どういうこと? 戻ってきたら失格になっちゃうんじゃないの?)
雄二につられて僕も小声で確認する。
(大丈夫だ。ある程度の悲鳴をあげるか召喚獣勝負で負けるかしない限りは、失格にはならない。戻るのは禁止だなんてルールは決めていないからな。何の問題もない)
(それならいいけど、そんなことして何の意味が)
「よしっ。そんじゃ、行ってこい」
雄二に背中を叩かれて、追い出されるように教室を出る。
別に言われたことを実行するのは簡単だけど……その意味がわからない。折角行ってくるのに、ある程度進んだら戻ってこいって……どういうことだろう?
「まぁいっか。頑《がん》張《ば》ろうね美波」
「うぅぅ……!」
もう既《すで》にきつく掴まれて血流が悪くなり始めている僕の腕が少しだけ心配だ。
(『……行こうか。清《し》水《みず》さん。僕らの戦いに』)
(『……そうですね』)
そして廊《ろう》下《か》を歩いていると、どこからかそんな声が聞こえてきた気がした。
[#中央揃え]☆
バンッという音を立てて何かが飛び出してくる。
「っとと」
「──っ!!」
ビックリしたー。あれは一反木綿《いったんもめん》だろうか。古いカーテンをうまく使ってそれっぽさを出している。薄暗い雰《ふん》囲《い》気《き》とマッチしていて結構迫力があるなぁ。
『うぼぁ|あ《゛》あ《゛》ー……』
「──っ!!」
今度は血《ち》塗《まみ》れで腕がおかしな方を向いている人影。あれは誰かの召喚獣だろうか。本人が声を正面から出して、実は召喚獣が後ろから迫《せま》ってきているなんて、うまい演山だ。けど、あれなら霧島さんの折檻《せっかん》を受けている雄二の方がよっぽど気持ち悪い。
「ちょっとグロいけど、これくらいなら平気だよね、美波?」
「──っ!!(ブンブンブン)」
これでもかっていうくらいに美波が必死に首を振った。むぅ……。美波は自分であれ以上にグロい光景を生み出しているっていうのに。
パーティションや暗幕《あんまく》で作られた迷《めい》路《ろ》を出口目指して進んでいく。しまったなぁ。あまり道筋はきちんと見ていなかったから、迷っちゃうかもしれない。
「それはそうと美波。そんなにくっつかれると歩きにくいんだけど……」
片方の腕はカメラを持っているし、もう片方は美波に掴まれている。これじゃあドアがあったりしても開けられない。せめて美波に掴まれている方の腕を肘《ひじ》から先だけでも動かせるようにしてもらいたいんだけど、
「──っ!!(ブンブンブン)」
ダメだ。がっちりと腕を掴まれていて外してくれそうにない。いや、腕の関節は外されそうなんだけど。
とりあえず何を言っても聞いてもらえなさそうなのでそのまま先に進む。まぁ、その……嬉しくないと言ったら嘘《うそ》になるしね。けど、ここまで怯えているのも可哀想《かわいそう》だ。何か気を紛《まぎ》らわせるものはないかな。えっと……
「あ、美波。窓があるよ。外を見れば少しは──」
セロファンを貼《は》り付《つ》けて採光量は落としてあるものの、窓からは外の景色が見える。見慣れた風景を目にしたら、少しは元気も出るはずだと
『きひひひひ……っ。うらめしやぁ……』
「──っ!! ──っ!!」
窓の外をろくろっ首の頭が通過した。やたらとリアルだったし、誰かの召喚獣だろう。明かりがあって細部まではっきりわかる上に外が見えると思って油断していたところだからそのインパクトはかなりくるものがある。
「……ごめん。余《よ》計《けい》な気遣いだったね」
「うぅ……もうやだぁ……。来るんじゃなかったぁ……。ねぇ、アキ。帰ろ……?」
涙目になりながら上《うわ》目《め》遣《づか》いで美波が訴《うった》えてくる。うわ。なんだこの可愛らしさ!? ヤバい。こんなの、僕の知ってる美波じゃ──
シュカッ
「へ?」
突然、後ろの方から飛んできたシャープペンが僕の頬《ほお》をかすって壁に突き立った。
ツゥ……と僕の頬から一筋の赤い滴《しずく》が垂《た》れ落《お》ちる。
「あ、あはは……。なんだろうこの仕掛け。随分《ずいぶん》と直接的だなぁ……」
突き立っているシャープペンは金属製で、壁を破壊して根本まで埋まっている。これは恐ろしい仕掛けだけれど、でもルールでは身体への直接攻撃は禁止になっているはずだ。いくらなんでも、あんな危ない物を本当に当ててくるわけが
(『……次は外しません。ブタ野郎……!)
ヤバい。本物の殺《さっ》気《き》が背後から発せられている。肝試しなんかじゃないリアルな恐怖が迫ってきているのがわかる。
「み、美波。もうちょっと頑張ろう。そうしたら、一緒に教室に戻るから」
「……あ、アキがそう言うのなら、もうちょっとだけ頑張る……」
すっかり弱気になっていてしおらしい美波。まずい。本当にこれはまずい。Fクラスの内装をお化け屋敷に作り替えて年中この状態の美波にしておきたいくらいだ。
(『落ち着くんだ清水さん。ここで仕掛けるのはまだ早い』)
(『そ、そうでした。もっと暗いところでお姉様とあのブタ野郎を引き離すんでした』)
(『幸いにも、パートナーの組み合わせを中で替えちゃいけないなんてルールはなかったからね。坂本君も、うまいルールを作ってくれたもんだよ』)
とにかく雄二に言われた通り、例の着物先輩の手前までは頑張ろう。そこまで行ったら引き返すように言われてるんだから、美波のご要望にも応えられるし。
モニターで見た曖昧《あいまい》な記憶となんとか照合させながら目的の場所を目指して歩く。仕掛けが動く度に美波がビクッとしがみついてきたけど、後ろからの殺気はあまり感じられなかった。何が背後にいたのかは知らないけど、距離が空《あ》いてこっちの様子がわからなくなっているみたいだ。
「それにしても、美波がこんなにお化け屋敷が苦手だとは思わなかったよ」
何も会話がないというのも怖いだろうから、適当な話を振ってみる。
「だ、だって、しょうがないじゃない。ドイツのお化けならまだしも、日本のお化けなんて全然知らないんだもの……。提灯《ちょうちん》にいきなり口や手足が出てきたり、普通の女の人が急に首だけ伸《の》びるとか、そんなの知らないんだから……」
ああ。そっか。僕らならある程度予測のつくお化けでも、美波は何も知らないから意表を突かれちゃうのか。人は『その正体がわからないもの』に恐怖を抱くという話だから、日本のお化けに詳《くわ》しくない美波が怯えるのも無理のないことかもしれない。
「でも、美波もそろそろ日本に慣れないとね」
「……いい。こんなものに慣れなきゃいけないなら、ウチはドイツで暮らすもの」
美波がプイッとそっぽを向いてしまう。そこまで苦手なのか……。
「けど、そんなのは寂《さび》しいよ美波。ドイツで暮らすだなんて」
「全っっっ然、寂しくなんてないわ。向こうにだって、ウチの友達はいるもの。別に一人になるわけじゃないんだから平気よ」
美波が舌でも出さんばかりの口調で言う。あれ? 何か誤解されているみたいだ。
「ああいや、そうじゃなくて」
「じゃあ何よ」
「寂しいのは僕たちの方なんだけど」
「……え……?」
僕がそう言うと、美波は驚いたようにこちらを振り返った。そんなに僕が寂しく思うのは変だろうか。
「アキが寂しいって、どうして?」
「? どうしてって言われても、寂しいのは寂しいからで」
「だから、どうして寂しいって思うの?」
美波が食い下がる。
なんだ? さっきまでの怯えた表情とはうって変わって、美波が凄く真剣な表情をしてるけど……これってそんなに大事な質問なんだろうか。
「………………」
美波がジッと僕の目を見る。
ここまで美波が真剣なら、僕も真剣に考えないとダメだろう。
う〜ん……。人がいなくなって寂しく思う理由、か……。質問の答えになっているかはわからないけど、それってきっと──
「いつも一緒にいる仲間がいなくなるから、かな……?」
「……いつも、一緒……?」
「うん」
別に接点のない人がいなくなっても、多分僕は寂しく思ったりはしない。人がいなくなって寂しくなるのは、その人が親しくて、いつも一緒にいる仲間だからだろう。……姉さんとか母さんとかの家族は例外として。
「それなら……アキはウチに傍にいて欲しいって、そういうこと?」
「あ、うん。そうなる──かな?」
なんだか意味合いが変わってきている気もするけど、言いたいことはそういうことだ。
「じゃあ、じゃあ……」
「ん? なに?」
「じゃあ……ウチが、ずっとアンタの隣にいてあげるって言ったら……アキは、受け入れてくれるの……?」
ずっと僕の隣の席にいる? あの劣悪な設備の中でも、更に最下層に位置する僕の酷い席の隣に? いくら美波が体力に自信があるとしても、それはあまりお勧めできないなぁ……。
「僕の席だけじゃなくて、周りの席も全部暑いし、冬はきっと隙間風が寒いだろうから、やめておいた方がいいと」
「アキ。そうやってバカなことを言って誤魔化さないで」
「え? あ、はい。ごめんなさい」
なんだ? なんで僕は怒られたんだ? いまいち会話がかみ合っていない気がする。
「……ウチが聞きたいのは、そういうことじゃない。ウチが聞きたいのは──」
と、美波が何かを言おうとしたところで。
(『お姉さまをたぶらかす気配……恨みます……呪います……殺します……!』)
ペタペタペタペタと背後から凄い早さで呪《じゅ》詛《そ》の言葉を吐《は》き続《つづ》ける気配が近づいてきた。こ、これは怖い!
「き──ムぐぅっ」
咄《とっ》嗟《さ》に悲鳴をあげそうになった美波の口を押さえる。僕の隣の席が云々《うんぬん》なんて言ってる場合じゃない。このままだと失格になる……!
「美波。手荒なまれだけど、今はゴメン」
「──ぷはぁっ! な、何か来るわアキ……。逃げないと……!」
美波が怯えつつ暗闇の向こうを見る。何も見えないってのはある意味凄く怖い!!
「いや、美波。こういうのは逃げているところを追われるから怖いんだよ。大丈夫。別に危害を加えられるわけじゃないんだから、平然《へいぜん》としていれば」
シュカカカッ(ボールペン×3)
「逃げよう。走れるね美波?」
「うん……っ」
襲い来る文房具に注意を払いながら美波と走り出す。
あの追っかけてきている気配、絶対に召喚獣じゃない。いや、それどころか三年生ですらないような気がする……!
『逃がしません……! お姉様を奪《うば》い返《かえ》すまで、地の果《は》てまでも追いかけます……!』
『清水さん。君は今、ここにいるどのお化けよりも凶悪だよ』
迫り来る恐怖。それの正体は意外と僕らの身近にいるものなのかもしれない。
「──っ!!」
美波は目を瞑《つむ》って僕の腕にしがみつきながらも一生懸命走っているけど、いくらなんでもこの体勢じゃ速く走るのにも限界がある。このままだとすぐに追いつかれるだろう。
「こうなったら……やるしかない……っ」
さして広くもないCクラスだ。逃げ回ったり撒《ま》いたりするチャンスは殆《ほとん》どない。それなら、あとは隠れてやり過ごすしかない。
「美波。いい? 僕が合図したら小さな声で召喚獣を喚《よ》んで」
「え? う、うん……。いいけど……」
簡単な迷路の分《ぶん》岐《き》点《てん》に差し掛かる。僕は美波を連《つ》れてわざと行き止まりの方へ向かうと、その奥で小さく声をかけた。
(美波。今だよ)
(うぅぅ……さ、試獣召喚《サモン》っ)
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美波の喚び声に応じて召喚獣が現れる。うん。見事なまでに真《ま》っ平《たい》らな壁だ。
(アキ。今なんだか急にアンタを殴《なぐ》らなきゃいけない気がしたんだけど)
恐ろしいまでの直感だ。
(気のせいだよ美波。それより、もうちょっと召喚獣をまっすぐ立たせて……そうそう。そんな感じ。あとはじっとしててね)
(それはいいけど……)
今までの召喚獣のサイズだったら頭がはみ出しちゃっただろうけど、今回は都合の良いことに僕らの背《せ》丈《たけ》と同じくらいの大きさがある。これなら通路の奥でぬりかべの陰に隠れることだって可能になる。
『お姉様、オネェサマ……。逃がしませんカラネ……。ケタケタケタケタ』
『清水さん。君はもう邪悪すぎて周囲の空間まで歪《ゆが》んで見えるよ』
美波と息を潜《ひそ》めて邪神をやり過ごす。
狂気に支配された螺旋双髪《らせんそうはつ》の悪魔は周囲に気を配ることもできなかったようで、僕らの隠れている通路をノンストップで通過していった。
念《ねん》の為《ため》に数秒数えてから、周囲の様子を窺《うかが》う。……うん。大丈夫そうだ。
「美波。もう大丈夫だよ。現代の怪《かい》異《い》は去ったみたいだ」
「ほ、本当……?」
怯えていた美波がうっすらと目を開ける。
ぬりかべに塞《ふさ》がれた通路はちょっとした部屋のようになっていて、そこには僕と美波の他には誰もいない。怯える要素はないはずだ。ゴミ捨て場という設定なのか、色々と古い物がごちゃごちゃ転がっていて汚いけど。
「ね? 何もいないでしょ?」
「そ、そうね。良かった……」
美波がホッと胸をなで下ろす。安心してくれたようで何よりだ。
さて、と。丁度良く雄二の指示通り身を隠したわけだし、そろそろ引き返そうかな。美波にこれ以上怖い思いをさせるのも可哀想だし。
「じゃ、戻ろうか美波」
美波の召喚獣は実体がないので、そのまま通り抜けようと足を踏《ふ》み出《だ》す。すると、
「待って、アキ」
なぜか美波に腕を引かれて止められた。なんだろう。この場所にまだ何か用があるんだろうか。
「どうしたの美波? 何かあった?」
(「……続き」)
蚊《か》の鳴くような小さな声。
「ん? 何? 聞こえないよ」
「……続き。さっきの話の続き、ここではっきりさせたいの」
はて……。続き……? さっきの話っていうと……
「アキが寂しいって思うのは、ウチがアキにとって友達だから? それとも……」
「え? み、美波。何をそんな興奮して……。ちょっと落ち着いて」
「アキは勘違《かんちが》いしてる。ウチはオランウータンもチンパンジーもナマケモノも好きじゃない。そんなのじゃなくて、ウチが好きなのは──」
「す、好き、なのは……?」
「──お、お化……け……っ! はふぅ」
くたっと力が抜けて美波の身体がそこに崩れる。さっきから怖がりすぎていたから、安心したら気を失っちゃったんだろうか。
「やれやれ……。こんなに怯えてたくせに、強がるなんてね」
気絶するほど怖かったのに『お化けが好き』だなんて、美波の強がりは筋金入《すじがねい》りだ。そういう勝ち気なところが、美波らしいと言えば美波らしい。
「さて。それじゃ美波もこんなだし、一旦《いったん》戻ろうかなっと」
完全に脱力した美波の身体を背負うために後ろを向く。
『ばぁーっ!!』
するとそこには、顔や手足を持つ古い道具たちが大勢ひしめいていた。
そっか。ゴミ捨て場だと思ってたけど、あれって付喪神《つくもがみ》の集まりだったのか。そんなところに飛び込んでぬりかべを使って密室にしちゃうなんて、美波に悪いことしたなぁ。
[#中央揃え]☆
「ただいまー」
気を失った美波を落とさないように注意しながらFクラスの扉を開ける。
「おう、戻ったか明久。よくやった。作戦は大成功だ」
モニターを見ていた顔をあげて雄二がにやりと笑う。作戦成功ってどういうことだろ
「え? なんで? 美波は気を失っちゃってるし、僕らは何もできずに戻ってきたのに」
「いや、お主らはそれで良かったのじゃ」
「…………(コクコク)」
「???」
秀吉とムッツリーニも褒《ほ》めてくれるけど、わけがわからない。とりあえず美波を畳の上に寝かせて、と……。
「………………」
その間、姫路さんが真剣な顔でこっちを見ていた。
「え? なに姫路さん?」
「あ、いえ。なんでもないです」
姫路さんは慌てたように手を振ると、「私も……勇気、出さないと……」なんて呟《つぶや》いていた。さっきの美波の姿を見て、姫路さんも肝試しに出る決心がついたのかな。
「おい明久。お前の行動の結果が出るぞ。見てみろ」
「ん? なになに?」
雄二に呼ばれてモニターの中を覗《のぞ》き込《こ》む。
そこにはいつの間に着いていたのか、久保《くぼ》君と清水さんがチェックポイントで先輩二人と向かい合っている姿があった。
≪ヒぃー……フぅー……! オネェサマ……。オネエサマ ヲ イケニエ ニ ササゲナサイ……!≫
≪……ね、ねぇ。これって、君の召喚獣なの? 凄く禍々《まがまが》しいオーラを出しているんだけど……≫
≪いいえ。一応コレでも人間なのですが≫
先輩が言うとおり、清水さんは暗黒面に堕《お》ちて久保君の召喚獣に見えるほど人間離れしていた。あれが敵の召喚獣として出てきたらきっと僕らは全員失格になっていただろう。小さな子が見たら夏休み一杯悪夢でうなされるに違いない。
≪それにしても意外ね。葵《あおい》のところを男子が突破できるなんて≫
≪葵……? ああ、あの着物姿の先輩のことですか≫
≪うん。葵の魅力《みりょく》に絆《ほだ》されないなんて……君、もしかしてブス専?≫
≪いえ。そんなことはありませんよ。あの先輩が魅力的な人だってことはわかります≫
≪本当に?≫
≪ええ。僕だって、前に好きだった人は女性でしたから≫
久保君の現在が気になる。
≪……コロ……す……ウバ……う……オネェサ……マ……≫
≪それでは先輩方。清水さんがヒトの言語を失う前に始めましょうか。試獣召喚《サモン》≫
≪もうすでにその子、人として大切な物を沢山《たくさん》失ってる気もするけどね……。試獣召喚《サモン》≫
≪は、早く終わらせないと呪われそうね……試獣召喚《サモン》≫
≪……試獣召喚《サモン》……≫
『Aクラス |寿 湊《ことぶきみなと》  & Aクラス 中《なか》曾根《そね》みさお
現代国語 289点 & 277点       』
来るべき受験に備《そな》えて難しい問題になっていたのか、それとも学年トップクラスは不在だったのか。300点未満という三年生コンビ。召喚獣も雪女とハーピーといった一般的なものだ。
『Aクラス 久保利光 & Dクラス 清水|美《み》春《はる》だったもの
現代国語 388点 & 135点          』
対する二年生側は、道に迷い、人を迷わせる怪異が二体。それなりにお化けっぽい見た目なんだけど……今は明らかに清水さん本人の方がそれっぽい。
「久保君たち、勝てるかな?」
「そうだな。若干《じゃっかん》苦しいかもしれないが、なんとかなるだろ」
久保君は二年生の中でも三本の指に入るほどの点数を持つ猛者《もさ》だ。特殊能力を使えるようになる400点の壁を超えていないのは残念だけど、それでもきっと僕らに勝利をもたらしてくれるだろう。
「そう言えば、相手の雪女は吹雪《ふぶき》を使ったりとか、そういうことはできるのかな?」
ムッツリーニの召喚獣も変身していたし、その怪異が持つ特別な力での戦いは可能なのかもしれない。
「いや。多分無理だろ。そういった特殊な効果は前の召喚獣でも一部にしか見られなかったからな」
「一部っていうと」
「400点オーバーの怪物どもだけだろう」
「400点オーバーか……」
ムッツリーニも工藤さんも400点を超えていた。だからこそのあの力だったんだろう。……まぁ、工藤さんの方は特殊能力なのかなんなのか、よくわからないけど。
「じゃあ、この勝負って」
「素手《すで》での殴《なぐ》り合《あ》いだな」
やっぱりこの召喚システムの不具合って早急《さっきゅう》に直す必要があると思う。学年トップクラスがそんな戦い方だなんて、やる気が削《そ》がれるというか気が抜けるというか……。
≪湊! 私はこっちの男の子を引き受けるから、あなたはそっちの女の子(?)をお願い!≫
≪ダメよみさお! そっちの男の子の方が点数が高いのよ! それならあなたより少しでも点数のある私の方が!≫
≪い、嫌よ! だ、だってそっちの子、目がイってるんだもの!≫
≪私だって嫌よ!≫
「まぁ、合計点数では負けているけど、なんとか勝てそうだね……」
「そうだな」
「ワシには久保が三体の悪魔を扱《あつか》う死霊《しりょう》使いに見えるぞい……」
「…………生《なま》の怪奇《かいき》現象」
「あ、明久君……。やっぱり、この学校には何かあるんですよ……! きっと清水さんはそれに取《と》り憑《つ》かれちゃったんです……!」
≪オネェサマ オネェサマ…… ミハル ハ オネェサマ ヲ コンナニモ Iシテルノニ、ドゥシテ フリムイテ クレナイノ……?≫
画面の中の清水さんを見ていると、彼女が明日からクラスメイトにどんな目で見られるのかが少し心配になった。
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バカコンビ特別怪談[#「バカコンビ特別怪談」は太字]
【第五問】[#3段階大きな文字]
吉井明久と坂本雄二の実際にあった怖い話紹介[#1段階大きな文字]
「それじゃ、次のメール。|H.N.《ハンドルネーム》『悩める弟』さんからです」
「やれやれ。今度はきちんと怖い話だといいんだが……」
「『初めましてお二人とも。突然ですが僕の怖い実体験をお話しします』」
「おお。普通の出だしだな。初めまして」
「『実は僕には兄がいます』」
「ふむふむ」
「『真面目で勉強のできる自慢の兄です』」
「そいつは立派な兄貴だな」
「『ところがその兄が、学校の合宿から帰って以来、急に人が変わってしまいました』」
「変わった? 憑きものとか、そういう類か?」
「『なぜか妙に晴れ晴れとした顔で 学校一のバカと称される男友達 ≠ノついて熱く語ってくるのです』」
「………………は?」
「『あまりに熱心に語るので、怖くなってこっそりと部屋をチェックしてみたのですが』」
「あ、ああ……」
「『同い年くらいの男の写真が机の引き出しに入っていました』」
「………………」
「『それ以来、僕は怖くて兄の顔をまっすぐ見られません』」
「………………」
「『きっと兄は、合宿で何か恐ろしい世界へ足を踏み入れてしまったのだと思います。お二人も気をつけて下さい』」
「………………」
「以上、H.N.『久保良光《くぼよしみつ》』さん──じゃなくて、『悩める弟』さんからのメールでした」
「すまん……。久保の弟よ……」
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久保《くぼ》君と清《し》水《みず》さん(だった何か)が怯《おび》える先輩たちを僅《きん》差《さ》で撃《げき》破《は》して、Cクラスもなんとかクリア。残るはAクラスのみとなった。
「あとは雄《ゆう》二《じ》と霧島《きりしま》さんがチェックポイントをクリアしたら僕らの勝ちだね」
「そうじゃな。手が回らんかったのか、Aクラスは特別な仕掛けはなさそうじゃし、雄二と霧島二人であれば余裕じゃろ」
Aクラスはその広すぎる面積のせいか(なんとDクラスの六倍もある)あまり手の込んだ装飾《そうしょく》もされていない。広さを活《い》かした迷路と、あとはお化《ば》けになっている召喚獣が突然現れるだけというシンプルな作りだ。とは言っても随《ずい》時《じ》迷《めい》路《ろ》の道を造《つく》り替《か》えているみたいで、驚かすポイントをずらしてきているから今までみたいにカメラで予習してあるから怖くない、なんて方法は通用しない。そのせいで久保君と清水さんに続いて突入していった人たちはどんどん失格になってるし。
≪ぅおわっ!?≫
≪きゃぁああーっ!≫
「…………BとD、失格」
モニターから悲鳴が聞こえてくる。薄暗い迷路の中で、突然現れたリアルなお化けに驚く。それは一般的な肝試《きもだめ》しの光景で、さっきまでの仕掛けで怖がっていた人たちも皆気を取り直してそのアトラクションを楽しんでいた。
≪いないな……。あの二人はどこにいるのだろう……。急がないと、こうしている間にも二人の絆《きずな》が……く……っ!≫
≪ドコ……? オネエサマ ドコ……?≫
迷路の分《ぶん》岐《き》点《てん》で立ち止まっては誰かを捜《さが》すように辺りを見回す久保君と清水さん。なんだか地《じ》獄《ごく》に連《つ》れて行く相手を探している死神のように見える。
「やれやれ。清水はともかく、久保まで正常な判断ができなくなっているとはな……。チェックポイントを突破したんだから、自分たちの前には誰もいないと気付いてもいいだろうに」
「よほど姿を見失ったことに焦《あせ》っておるのじゃな」
「…………恋は盲目《もうもく》」
「え? 清水さんが美《み》波《なみ》を探しているのはわかるけど、久保君はどうして焦ってるの?」
「「「………………」」」
僕がそう言うと、なぜか三人とも押《お》し黙《だま》ってしまった。
う〜ん……。清水さんが焦っているから、久保君は一緒になって頑《がん》張《ば》って探しているんだろうか。だとしたら、彼はなんていい人なんだろう。
「あ。それとも、実は久保君は清水さんのことが好きだとか」
だとしたらさっきムッツリーニが言っていた『恋は盲目』って言葉も頷《うなず》ける。
「あ〜……。まぁ、好きな人がらみで冷静じゃないってところは合っているんだがな」
「相変わらずお主は鈍《にぶ》いというかなんというか……」
あれ? 皆はずっと前から気付いていたのかな。確かに今まで気付かなかったのが僕だけなら、鈍いと言われても仕方がない。
「そっか。それじゃ、機会があったら今度本人に聞いてみるよ。もし良かったら協力してあげたいし」
「明久《あきひさ》……。お主は、なんと残酷《ざんこく》な……」
「やめとけ明久。久保が泣くぞ」
「…………非《ひ》道《どう》が過ぎる」
「???」
ダメだ。三人の言いたいことがよくわからない。
≪どこに……彼らはどこに……ん? 明かりが……?≫
≪オ、オネエサマ……ドコ……?≫
「んむ? どうやら久保と清水がチェックポイントに到着したようじゃな」
「あ、本当だ」
迷路を抜けて二人が広い場所に出る姿が映し出される。勝負のために明かりが用意されているところを見ると、どうやらそこがチェックポイントで間違いなさそうだ。
≪おう。来たみてぇだな。随分《ずいぶん》と待たされたぜ≫
≪お前らが俺らのお相手一組目だな。三年の実力をじっくりと見せてやるから覚悟しやがれ≫
そこに待ち受けていたのはお馴染《なじ》み坊《ぼう》主《ず》頭とソフトモヒカンの二人組、常夏《とこなつ》コンビだった。画面の隅《すみ》の方には先生の姿も見える。木《き》村《むら》先生ってことは、物理での勝負になるみたいだ。
≪失礼。先輩方、ここに吉《よし》井《い》君と島《しま》田《だ》さんは来ませんでしたか?≫
≪アぁ? ここに来たのはお前らが最初だぜ≫
≪え? そんなはずは……。彼らは僕たちよりも先に行っていたはずでは≫
≪吉井たちなら確か、途中で引き返して行くのが映っていた気がするな≫
≪そ、そんな……! じゃあ僕たちは、今までずっと無駄な時間を……!≫
≪? よくわからねぇけどよ、あいつらに会いたいのならさっさと俺たちに負けて教室に戻るんだな。──試獣召喚《サモン》≫
≪そういうことだ。さっさと始めようぜ。試獣召喚《サモン》≫
≪そうですか……。試獣召喚《サモン》……≫
≪……試獣召喚《サモン》……≫
微妙にやる気を失っている久保君と既《すで》に人の面影《おもかげ》を失っている清水さんが常夏コンビと対《たい》峙《じ》して召喚獣を喚《よ》び出《だ》す。ここを突破したら僕たち二年生の勝ちだ。
「久保君たちは勝てるかな?」
「どうだろうな。清水も久保も、確かガチガチの文系だったはずだ。物理での勝負となると、正直|分《ぶ》が悪い」
試召戦争《ししょうせんそう》がらみで他クラスの主要メンバーの成績も調べていたのか、雄二がそんなことを言った。理科系科目を選択する場合、理系の人は物理と化学を、文系の人は生物と地学を好むことが多い。それは計算科目と暗記科目でそれぞれ学習方法に通じる物があるからだ。一応二年生は今のところ全科目を履修《りしゅう》しているから、二人とも全くできないというわけじゃないだろうけど……。
「三年は受験に照準《しょうじゅん》を合わせて勉強しているからな。選択科目の物理で勝負をしにきたってことは、向こうはよっぽど自信があるんだろうな」
「そうなると……久保君たちは苦しいね」
ちなみに僕たち二年生と違って三年生は一部の科目(物理・化学・生物・地学や地理・日本史・世界史など)が選択制になっているので試召戦争のルールも若干《じゃっかん》変わるらしい。なんでも【物理⇔生物】【化学⇔地学】といったように、それぞれ対応する科目に置き換えられるとかなんとか。基本はセンター試験とかいうものに合わせたルール設定だそうで、僕らの総合点数も概《おおむ》ねそのルールに準じて算出されているらしいけど……まぁ、難しい話はどうでもいいや。
「つまりは、物理を指定してきたということはあの常夏コンビは理系じゃと、そういうことじゃな?」
「そういうこった。まぁ、向こうは向こうで自分らに有利な科目を選ぶのは当然だよな。俺たちが保健体育を指定したようにな」
学園長の方針《ほうしん》で全学年通じて保健体育は一応必修とはなっているものの、受験に使う科目でない以上、あまり力を入れていないという人は多い。受験を間近に控《ひか》えた三年生なら尚更《なおさら》だ。そうなると、必然的《ひつぜんてき》にエキスパートのいる僕たち二年生が有利だった。
一方、物理や地理などの選択科目は三年生が有利になる。それは全科目を満遍《まんべん》なく履修している僕ら二年生に対して、三年生は選択した科目のみに集中して学習できるからだ。同じ理系の生徒でも、他の科目もやらなきゃいけない二年生と選択科目のみに集中できる三年生では状況が違う。勿論《もちろん》、先生方もその分問題のレベルを調整しているけど、それでもやっぱり差は出てくる。それぞれの学年内で行う試召戦争とは異なるこういったイレギュラーな勝負では科目選択は更に重要になってくるってわけだ。
『Aクラス 久保|利光 《としみつ》& Dクラス 元・清水|美《み》春《はる》
物理  213点 & 71点         』
二年生側の点数が先に表示される。
流石《さすが》は久保君。文系とは言ってもAクラス内の平均点あたりをきっちりマークしている。400点に迫るような超級の点数ではないけど、これだって戦力としては充分に凄《すご》い。清水さんは……物理はかなり苦手なみたいで、凄く僕にとって身近な点数のあたりに位置していた。
「これで向こうが300点とかの点数を出してきたら危ないよね」
「それは恐らく大丈夫じゃろう。相手は常夏コンビじゃからな」
「そうだね。雄二が向こうを挑発《ちょうはつ》しておいてくれて助かったよ」
「…………先見の明がある」
「さすがに三年のトップクラス相手はきついからな」
この戦いで久保君たちが少しでも相手を消耗《しょうもう》させてくれたら、あとは雄二と霧島さんがとどめを刺してくれるだろう。前に召喚大会で日本史勝負をしたときもこの間の世界史も常夏コンビの点数は200点くらいだったから、物理が得意科目でもせいぜい250点くらいだろうし、そうなれば雄二と霧島さんの方が──
『Aクラス 常村勇作《つねむらゆうさく》 & Aクラス 夏川俊平《なつかわしゅんぺい》
物理  412点 & 408点     』
「「「なにぃっ!?」」」
思わずハモってしまうほどに驚いた。
「ちょちょちょちょっと、あの点数どういうこと!? 常夏コンビってあんなに成績が良かったの!?」
「あれではまるでAクラスの優等生じゃな」
「…………信じられない」
得意科目だとしてもあまりに高すぎる! 他の科目の点数とは桁違《けたちが》いじゃないか!
「しくじった……! どうりで簡単に挑発に乗ってきたワケだ。アイツら、俺の意図《いと》を見透かしてやがったな……!」
こっちには雄二や霧島さんがいることくらい調査済みだろうに、どうして焦《あせ》っていないんだろうと思ったらそういうことだったのか。相手を舐《な》めていたのは僕らだったってオチか……!
≪んじゃ、せいぜい頑張ってみせろよ後輩ども≫
≪散々待たされたんだ。ちょっとは粘《ねば》ってくれよ?≫
常夏コンビの召喚獣は、二人とも大きな金棒《かなぼう》を携《たずさ》えた鬼。見るからに悪役って感じだけど、それがあの二人にはぴったりに思える。
けど、きっと久保君と清水さんが消耗させてくれるさ! あの二人なら、きっとやってくれるだろうと僕は信じて≪僕らの負けですね≫って早ぁっ! 決着つくの早ぁっ!
「先ほどの会話のせいで久保も清水も心ここにあらずといった状態じゃな。あれでは一撃でやられるのも道理じゃ」
「ま、そんなもんだよな。元々アイツらの目的は肝試しとは別のところにあったわけだし」
画面の中では久保君と清水さんの召喚獣に敵の金棒が突き立っていた。う〜ん。これはあまりに圧倒的な戦力差だ。
「どう雄二? 勝ち目はありそう?」
「ん〜……。良くて4:6ってところだな」
「そりゃまた、随分と厳しいね」
五分五分ですらないのか。
「翔子《しょうこ》はともかく、俺の物理はせいぜい150点程度だからな。召喚獣の操作も向こうの方が一年長くやっている分慣れているだろうし、そんなもんだろ」
「それなら、他の人が少しでも消耗させておいてくれたら」
「…………それは厳しい。残っている戦力は、突入済みのを入れても四組だけ」
ムッツリーニが隣で名簿を見ながら呟く。
残りは四組八人か。いや、雄二と霧島さんを除《のぞ》くから、。一組ってことになる。その中で更に悲鳴をあげずにチェックポイントに行けるペアとなると、一組いるかどうかだ。
「…………ちなみに、その四組のうちの一組は明久たち」
「え? 僕? あ、そっか。そういえば僕はまだ失格にはなってないんだっけ」
すっかり忘れていた。美波は気絶しちゃったけど、幸いにも悲鳴をあげていなかったから失格にはなっていないのか。
「けど、美波はあんな状態だし、僕らはもう戦力にはならないよ」
気絶している美波を負ぶっていったとしても、僕の物理の点数なんてたかがしれているし。
そう言って僕が苦笑いを浮かべると、
「…………(フルフル)」
ムッツリーニは首を振って応えた。え? 違うの?
「明久よ。ムッツリーニが言っておるのは、お主と島田のペアではないぞい」
「え? でもさっき、ムッツリーニは僕だって」
「うむ。お主と雄二と霧島以外にもう一人おるではないか。この場にいて、失格になってない人材が」
言われて、メンバーを見回してみる。ムッツリーニは失格になったし、秀吉《ひでよし》もやられたし、雄二は霧島さんといくし、あとは……
「わ、私のことでしょうか……?」
そうか! 姫《ひめ》路《じ》さんか! あまりにも怖がっているから無意識のうちに失格と思っちゃってたみたいだ。
でも失格になってないとしても、姫路さん自身は大丈夫なんだろうか。無理に参加させるのはあまりに酷《こく》だ。美波だって自分から参加するって言ってたけど、それでも相当|怯《おび》えて可哀想《かわいそう》だったし。
「あ、あの……。私、ああいうのは本当に苦手で……」
心の底から申し訳なさそうに姫路さんが言う。きっと皆の力になれないことを気に病んでいるんだろう。優しいなぁ。
「だから、その……。明久君に、すごく迷惑をかけちゃうと思うんですけど……」
「いや。そんなに気にしないでも大丈夫だよ姫路さん。罰《ばつ》ゲームもたいしたことないんだし──」
「それでも良かったら……明久君と一緒に、参加したいです……」
「別に無理に参加しなくても──って、えぇっ!? 姫路さん、行ってくれるの!?」
「あ、はい。明久君の迷惑にならないのなら……」
「ううん! 全然迷惑なもんか! むしろ大歓迎だよ!」
なんだか凄く嬉しい。戦力が増えたとかそういうことじゃなくて、姫路さんが参加してくれるってことが純粋に嬉しい。折角こうして皆で一緒の時間をすごしているのに『教室でただモニターを見て怖がっていた』なんていうだけの思い出になっちゃうのはあまりに勿体《もったい》ないから。別にお化け屋敷に入った瞬間に悲鳴をあげて失格になっちゃっても構わない。大事なのは一緒に参加して、終わった後に『怖かったね』なんて皆で笑い合える思い出を作ることだ。だから、姫路さんがこうして参加してくれることが僕にとっては最高に嬉しい。
「そうか。姫路もやっとその気になったか。ま、当然だよな。あの島田と明久の様子を見ておいて何もしないようなら、姫路に勝ち目はないもんな。ここは勇気を出して」
「さ、坂本君!? それ以上言ったら怒りますからねっ!?」
「へいへい、了解。黙りますよっと」
ニヤニヤと雄二が嫌な笑みを浮かべている。
そっか。美波が怖がりながらも参加する姿が姫路さんを勇気づけたのか。確かに美波の頑張りは僕も心にグッとくるものがあったし、考えが変わるのも頷《うなず》ける。
「い、行きましょう明久君っ」
「あ、うん。そうだね。急いで行こう!」
姫路さんとのペアがばれて皆に刺されないうちに。
『さてと。そんじゃ、俺も出る準備すっか』
『……雄二。怖かったら私に抱きついてもいいから』
『断る。そしてお前は怖くても一人でなんとかしろ』
『……無理。私は怖い物がすごく苦手だから、ずっと雄二にくっついている』
『今度、俺を攻撃しているときのお前の顔を見せてやる。本物の鬼が見られるぞ』
『……きゃあ、こわい』
『うぐぉおっ!? か、関節が!?』
『……コホン、コホン。きゃぁ、キャア……? いやぁ……?』
『お前今悲鳴の練習してるだろ!? くそっ! 俺は絶対に騙《だま》されなぎゃぁああ!』
『……そっか。ぎゃぁああ、と……』
姫路さんと歩き出すと、後ろから雄二と霧島さんのそんなやりとりが聞こえてきた。雄二のヤツ、関節技で悲鳴をあげて失格、なんてことにならなければいいけど。
[#中央揃え]☆
「あ、明久君……。手を離さないで下さいね……」
「う、うん。わかってるよ」
ギュッと強く手を握《にぎ》られる。これだと、離したくても離せないくらいだ。実はさっきから姫路さんが密着していることに緊張《きんちょう》して汗をかいているから、あまり手を握られていると恥ずかしいんだけど……。
「……怖くない、怖くないです……っ。明久君と一緒だから、ちっとも全然さっぱり怖くないです……っ」
姫路さんはそんなことに気がつく余裕はなさそうだ。それに、僕もある意味余裕がない。姫路さんが近すぎて、お化けに怖がる余裕なんてどこにも……!
「って、そういえばお化けがまだ一回も出てきてないな……」
僕と姫路さんがこの教室に入ってまだ間もないとは言え、あまりに静かすぎる。Cクラスではこれくらい歩いていたら四、五回は召喚獣が出てきていた気がするけど、どういうことだろう。Aクラスは広い分、召喚獣の数が足りないってことだろうか? それともこうやって来るぞ来るぞと思わせておいて、疲《ひ》弊《へい》した頃に一気に驚かしてくるとかそういう「明久君……!(ムニュッ)」そういう肉まんが敵の作戦で柔らかいから驚かしてくると良い匂いがして僕らは失格になってもここで一生姫路さんと暮らすことも辞《じ》さない覚悟でそうなるとまずは水源の確保が常夏コンビ撃破のためには重要な任務としてうぼぁー!
「あ、危ない……。静かな暗い迷路でこの状況は、本当に危ない……!」
「そ、そうですね……。静かで暗いと、怖いですね……」
「いや、違うんだ姫路さん。怖くはないんだ。危ないだけなんだ」
「???」
危うく雄二の召喚獣(狼男)になるところだった。こんなところで姫路さんに襲いかかったら悲鳴をあげられて失格になった挙《あげ》句《く》、姫路さんには嫌われて皆にはボコボコにされて不祥事《ふしょうじ》で学校を辞《や》めさせられて姉さんにチュウをされて僕の人生は真っ暗になってしまうだろう。危険だ。この状況は本当に危険だ。
「えっと、姫路さん」
「は、はい……?」
とりあえず何でもいいから話をしよう。静かだから僕の理性が飛びかけるわけだし、話していれば姫路さんの気を紛《まぎ》らわせることもできるかもしれないし。
「苦手なのに、肝試しに参加してくれてありがとう」
「あ、いえ。そんな。私の方こそ、こうして迷惑をかけちゃうのに一緒に来てもらって、ありがとうございます」
「迷惑だなんて、とんでもないよ。感謝こそしても迷惑に思うことなんて、絶対にないから」
「そう言ってもらえると、私も凄く嬉しいです」
そう言って、怖がっていた姫路さんは笑顔を見せてくれた。
「でも、やっぱり怖いでしょ?」
「そ、それは、その……はい……。怖いです……」
今のところ何も出てきていないとは言え、薄暗い装飾と人《ひと》気《け》のない迷路は充分に迫力がある。召喚獣がいつ出てくるかもわからないし、苦手な人はこれだけでも厳しいだろう。
「あの、明久君。本当にごめんなさい……。私、運動神経も良くないし、こういうの苦手だし、こうやっていつも明久君に頼《たよ》ってばっかりで……」
「あ、いや。そんなに謝らないで姫路さん」
「でも……!」
なおも申し訳なさそうにしている姫路さんにゆっくりと話しかける。
「あのね、姫路さん。姫路さんはそうやって自分を卑下《ひげ》しているけど……そういうのは、僕たち男子にしてみたら全然嫌な事じゃないんだよ」
「嫌な事じゃない、ですか……?」
「うん。だってさ、姫路さんみたいな、その……可愛い子が、さ。苦手でも頑張って一緒に来てくれて、しかも自分を頼ってくれるなんて、そんなの男なら誰でも嬉しいに決まってる。喜びこそすれ、嫌な気分になんてなるわけないよ」
「か、可愛いって……はぅ……」
姫路さんが顔を真《ま》っ赤《か》にして俯《うつむ》く。僕も慣れない台詞《せりふ》のせいで顔から火が出そうだ。
「じゃあ……」
「う、うん? なに姫路さん?」
「じゃあ、明久君はこうしていると……嬉しいですか?」
握られていた手に更《さら》に力が籠《こ》もる。
「も、勿論だよっ。姫路さんは可愛いし、頭もいいし、性格だって優しくて、欠点なんて殆《ほとん》ど無くて、まるでお姫様を守っているみたいで……!」
「……え……?」
名は体を表すとは、よく言ったもんだと思う。『姫』路|瑞《みず》希《き》って名前は彼女にはぴったりだ。
「まぁ、問題は一緒にいるのが僕みたいに頭が弱くて喧《けん》嘩《か》もダメな頼りないヤツだってことなんだけど──ん?」
くん、と繋《つな》いでいる手が引っ張られる感覚。
「……お姫様……ですか……」
恥ずかしくてそっぽを向けていた顔を姫路さんの方に戻す。すると彼女は、悲しげな表情で俯いて、歩みを止めてしまっていた。
「どうしたの姫路さん?」
「……前から……」
姫路さんの囁く程度の小さな声が聞こえてくる。
「……前から……私、明久君に聞きたかったことがあるんです……」
前から僕に聞きたかったこと? なんだろう。表情を見ているとあまり楽しい話じゃなさそうだけど……僕、何か悪いことをしちゃったんだろうか。
「な、何かな。何でも聞いてよ」
「……明久君は……私のこと、どう思っているんですか……?」
「ほぇ?」
いきなり姫路さんは何を言っているんだろう。話の流れがよくわからない。
「私、ずっと気になっていたんです……。明久君は私のこと、お姫様みたいに大事に扱《あつか》ってくれているけど、実はそれって、私との間に距離を取っているからじゃないかな、って……」
「姫路さんとの距離?」
別にそんなものを意識していたことはない……はず。
「だって明久君、さっき言いましたよね……? 私のこと、『欠点が殆ど無いお姫様』って」
「あ、うん。言ったけど……」
「違うんです……! 私、全然そんなのじゃありません……! 何をやるにも鈍《どん》くさいし、すぐにヤキモチをやくし、勉強だって褒めてもらっても結局は大事なときに倒れちゃってるし、独占欲が強いし……! 欠点ばっかりで面倒なだけで……」
「いや、そんなことは」
「そんなことあるんです。私は欠点ばかりなのに、明久君は全然それをわかってません。それってきっと、明久君と私の間に距離があるからだと思うんです」
大声こそ出していないものの、勢いよく姫路さんの言葉が繰り出される。
「そんなに変ですか? 私と明久君が一緒にいるのって。私なんかが……明るくて、優しくて、人を惹《ひ》き付《つ》ける魅力のある明久君に不釣《ふつ》り合《あ》いだっていうのならわかります。でも、明久君は私を過大評価して、自分を過小評価して、一歩引いて遠慮《えんりょ》しているように思えちゃうから……!」
考えてもみなかった会話の内容に、どう返事をして良いのかわからなくなる。
「明久君は、気を遣って、遠慮して……目では私を見ているのに、実際は私じゃない誰かを見ていませんか……?」
「………………」
探《さぐ》るような、縋《すが》るような、うまく表現できない姫路さんの表情。
知らなかった。姫路さんがそんな風に悩みを抱いていたなんて。遠慮されるのが嫌だっていうのは、なんとなくわかる気がする。いつも一緒にいる連中が皆仲良くやっているのに、自分だけ気を遣われていたら、そんなのは僕だって嫌だ。それに、姫路さんは小さな頃から、身体が弱いことを凄く気にしていた。だからこそ尚更《なおさら》、そういった他人の遠慮や気遣いに敏感なのかもしれない。
「あ……っ! ご、ごめんなさい……。さんざん助けてもらっているのに、こんな変なことを言って……」
僕が何も言えずにいると、姫路さんはハッと我に返ったように、僕に詰め寄っていた状態から半歩身体を離した。
「ひ、姫路さん。その……」
「わ、忘れて下さい。今のは、怖くてちょっと気が動転しちゃっただけで、なんでもないんで──す……」
と、そこで姫路さんが何かを思い出したように僕の手を見ていた。何を見ているんだろう──って、まずい! 僕はカメラを持っているんだった! ということは、今の姫路さんとの会話が全部流れてるってことに!
「え、えっとえっと……その、私がそんな悩みを抱いているって言ったら、明久君は驚くかなって思って。ほ、ほら。明久君、全然怖がってないじゃないですか。だからびっくりさせちゃおうかな、なんて」
「あ、あははっ。そりゃもう、ビックリしたよ。思わず大声をあげて失格になっちゃうくらいに。あははは」
なんとか二人で取《と》り繕《つくろ》う。さっきの姫路さんの話がどこまで本気なのかわからなくなっちゃうけど、今は置いておこう。人の悩みなんて大勢に聞かれている状態で話すものじゃない。
「こうやって冗談を言っていないと、怖いですからね。あはは」
「まったく、姫路さんも冗談が過ぎるよ。あれだと聞く人によっては姫路さんが僕に気があるみたいに思っちゃうじゃないか」
「あ、いえ。それは……冗談じゃないですけど……」
「じょ、冗談じゃない……。そうだよね……。冗談じゃないよね……」
「ああああ。違うんです。冗談じゃないっていうのはそういう意味じゃなくて……!」
あたふたと姫路さんが手を振っている。
こうしていると、とりあえずはいつもの僕らのやりとりに戻った気がする。この場はこれでよしとしよう。
「さて。こんなところでいつまでも話していないで先に進まないとね」
「あ、そうですね。坂本君たちに追いつかれちゃいますよね」
「冗談を話しているのも楽しいけどね」
「あはは。あ。でも、私が重いっていうのは、本当のことですよ?」
「えーっと……重いって、その……」
一般水準に比べて、かなり発育の良い部分のことだろうか。
「あ……。か、身体のことじゃないですっ。私の考え方とか気持ちが重いってことですっ。体重は、えっと、その……ちょっとだけ……」
姫路さんがお腹に手を当てて呟《つぶや》く。
女の子ってどうしてそんなに体重を気にするんだろう。モデルみたいに細い身体に憧《あこが》れる人が多いけど、僕はそんなに痩《や》せすぎているよりも姫路さんくらいの方がよっぽど可愛いと思うけどなぁ。
「そんなに気にすることないのに。姫路さんは全然重くないと思うよ」
「いえっ。本当に重いんです。体重も、考え方も……」
こういうところは、やっぱり姫路さんは女の子って感じだ。うちの姉さんはそういうの全然気にしなかったからなぁ。
(「だから、私……気になるんです……。明久君は、美波ちゃんとの距離は凄く近いのに、私にはどこか遠慮をしているようなところが……」)
「ん? 姫路さん。何か言った?」
「いえっ。何でもないです。さぁ行きましょう」
「あ、姫路さん。近くにいないと──」
「こ、これくらい大丈夫です。これくらいのことでも心配をかけちゃうから、きっと気を遣わせちゃうんです……!」
そう言って、さっきまで掴まっていた僕の手を離して意気揚々《いきようよう》といった様子で先に進む姫路さん。全然大丈夫そうには思えないけど、本人がそう言うのなら余《よ》計《けい》なことは言わないでおこう。それに、カメラが気になったのかもしれないし。それとも、一向にお化けが出てこないから怖くなくなったのかな? まぁなんにせよ姫路さんが頑張るって言うなら邪魔をしないようにするべきなんだけど……なんだろうこのガッカリ感は。
「でも、ホントに何も出てこないなぁ……。どうなってんだろ?」
さっきからずっと薄暗い迷路の壁しか見えない。これが向こうの作戦なんだろうか。僕と姫路さんのペアはすぐに失格にできるだろうから、それよりも強敵の雄二と霧島さんに三年生総出で当たっているとか? でも、あの二人にそんな物量で迫ったところで勝てるとは向こうも思わないだろうし……。そうなると、もっと他に何か考えがあるとか。すぐに落とせそうな僕と姫路さんを敢《あ》えて残しておく理由……。なんだろう?
姫路さんとの密着状態が終わったので色々と考えながら歩いてみる。
すると、近くの壁越しに覚えのある声が聞こえてきた。
『……雄二。怖いからくっついた方がいい』
『断る。それに俺はカメラで手が塞がっている』
『……じゃあ、これで大丈夫』
『いや、カメラを持ってくれって意味じゃなかったんだが……』
『……でも、くっついてないと怖い』
『嘘《うそ》をつけ。お前がこの手のものにビビらないことくらい百も承知だ。オマケにさっきからずっと何も出てきていないしな』
『……それなら、言い方を変える』
『ん? どういうことだ?』
『……くっついていないと、雄二に怖いことが起きる』
『………………(ツカツカツカ)』
『……雄二。逃がさない』
『冗談じゃねぇ……! こんなところで殺されてたまるか……!』
聞こえてきたのは雄二と霧島さんの話し声。壁越しですぐ近くにいるみたいだ。相変わらず仲良しでなによりだ。
けど、一つ気にかかることがある。
「雄二の方にも何も仕掛けられていなかった……?」
ますますおかしい。僕らは舐められていたとしても、雄二と霧島さんを警戒《けいかい》しないのは不自然すぎる。これは間違いなく何かがある。
そう思った瞬間。
「……っ!?」
薄暗く道を照らしていた明かりがフッと一斉《いっせい》に全て消えた。
『え……っ? あ、明久君……?』
姫路さんの戸《と》惑《まど》う声が聞こえてくる。すぐに近くに行ってあげたいけど、完全に光のない状態なのですぐには動き出せない。しまった。手を離して歩いていたのは失敗だったかもしれない。
「落ち着いて姫路さん。下手に動き回るよりも目が慣れるまで何もしないでいた方がいい。あと、できれば目も瞑《つむ》っておいた方がいいと思う」
『あ、はい。わかりました』
そう言って僕も目が慣れてくるまでじっとその場で留《とど》まる。これで明かりが付いた瞬間に召喚獣が一斉に現れて驚かされる、なんてことも考えられたので姫路さんは目を瞑っていた方が賢明《けんめい》だろう。
暗闘の中で待つこと少し。なぜか近くでは何かを動かすような音がしていた。さては……いよいよ仕掛けて来る気か!
物音が収まってくると、僕の目も大分暗がりに慣れて周囲の様子がわかるようになってきた。まずは姫路さんの傍に行って安心させてあげないと……
「って、あれ? 道が……」
まだはっきりとは見えないけど、ほんの二、三歩しか離れていなかった僕と姫路さんの間に突然壁が現れたような……。まさか、迷路を造り替えられた!?
「まずいまずい……! 早く姫路さんと合流しないと……!」
慌てて迂《う》回《かい》路《ろ》を探す。一人になっても失格ってわけじゃないけど、二人じゃないとチェックポイントに着いても意味がない。それに何より、恐がりな姫路さんをこの状態で一人にしておくなんて可哀想だ。
ほんの数十センチ先ですら見通せない暗闇の中を手探り状態で進んでいく。すると、しばらく行ったあたりで人の気配がしたので、急いで近付いてその手を取った。良かった。うまく合流できた!
「ごめん姫路さん。怖かったよね? もう大じょう──」
パッ(照明|点灯《てんとう》)
「──ブサイク?」
「殺すぞ」
そこにいたのは、可《か》憐《れん》な姫路さんとは180度対極に位置する男、坂本雄二だった。
「うぅ……ただでさえいきなり目の前に雄二の顔があるなんてショックなのに、姫路さんだと思っていたから尚更ダメージが大きいよ……」
「黙れ。そして手を離せ。気色悪《きしょくわる》い」
「あ、ごめん」
間違って握りしめていた雄二の手を離す。道理でゴツゴツしていると思ったよ……。
「って、それどころじゃなかった。雄二、姫路さんを見なかった?」
「いや、見ていないな」
どうしよう。早く見つけないと……!
「じゃあ雄二、そういうことで。僕は先を急ぐから」
「待て明久」
背を向けて歩き出す僕に雄二が声をかけた。
「なに? 僕急いでいるんだけど」
「姫路を捜すのなら、無駄だと思うぞ」
「え? なんで?」
無駄ってどういうことだろう。
「すっかりやつらの手のひらで踊らされちまったってことだ」
「???」
いつもどおり言葉の足りない雄二の説明に頭がついていかない。
「今頃姫路は翔子と合流しているはずだ。そろそろ悲鳴が聞こえてくるかもしれないな」
「姫路さんが霧島さんと合流して悲鳴? どういうことさ」
「向こうの翔子対策だな。滅多なことじゃびびらない。テストの点数もかなり高い。そんなアイツを失格にさせたかったら本人じゃなくてパートナーを狙う。但《ただ》し、そのパートナーも俺だから悲鳴をあげない。そこで、組み合わせを入れ替えたってワケだ」
「え? じゃあ向こうは霧島さんと姫路さんを組み合わせるのを狙っていたってこと?」
相手の思惑はともかく、とりあえず霧島さんと一緒なら姫路さんも大丈夫だろう。ひとまずは安心ってところか。
「いや、別に姫路狙いってわけじゃないだろ。悲鳴をあげてくれそうなやつなら誰でも良かったんじゃないか?」
「誰でもって」
「俺たちが来る前にも何組かは迷路をぐるぐる回っていただろ? あれは恐らく、失格にできなかったんじゃなくて、しなかったんだろうな」
「それって、霧島さんとペアにさせる為《ため》に?」
「ああ。向こうはこっちの数も人員もある程度把握しているからな。俺と翔子が最後に来ると予想して、敢えて入れ替え用のペアを何組か残しておいたんだろ」
途中で雄二と霧島さんが突入するのなら、迷路で迷わせている間に後から入ってきた人と組み合わせたらいい。けど、最後に来るとなったらそうはいかない。そこで三年生側は敢えて何組かを生き残らせておいたってわけか。
「あれ? でも、それって不確定な要素が多くない? だって、組み合わせを替えさせる為にはまず相手を分断しないといけないでしょ? そんなタイミングが都合良く来るかな?」
「その為の迷路だろ。突然壁を作って道を作り替えることといい、通路を壊すなっていうルールといい、向こうにとって都合の良い状況が成立するまではゴールに至《いた》る道が隠されている、なんてことは充分に考えられる」
「うわ、卑怯《ひきょう》……」
つまり、自分たちに都合の良い状況になるまではずっと僕らを迷わせておくつもりだったってことか。そうなると、僕と姫路さんが少し離れているときに照明が消えたのも偶然《ぐうぜん》じゃなくて、向こうは分断できるその時を狙っていたんだろう。
「じゃあ、久保君たちがチェックポイントに行けたのは?」
「迷路を造り替えていることがばれない為《ため》のカムフラージュじゃないか? 久保と清水の点数はその前の勝負である程度見られているからな。久保はともかく清水はDクラスだ。ヤツらの召喚獣操作の腕とテストの点数なら、あの二人を相手にするのは余裕だと思ったんだろ」
少なくとも俺と翔子を相手にするよりはな、と雄二は続けた。
なるほど。久保君と清水さんなら、途中で失格にならずにチェックポイントに行ったとしても、僕らは不自然とは思わない。それも見越しての向こうの作戦だったってことだろう。
「あとは、プライドの為もあるかもしれないな」
「ああ、その理由の方があの二人にはしっくりくるね」
あれだけ物理の点数が高い二人だ。昨日の世界史の点数が自分たちの実力だと後輩に思われるのは癪《しゃく》だったんだろう。なんか、そういうの気にしそうだし。沢山《たくさん》の人が見ている状況で自分たちの圧倒的な点数を見せつけたかったに違いない。
「まぁ、そんなわけで俺たちはヤツらの思惑に見事はめられたってわけだ」
「そっか……。って、雄二。なんだからしくないね?」
「ん? そうか?」
「うん。だって、いつもの雄二なら相手の作戦にはまったらすぐに何か対策を練るじゃないか」
「ああ、そういやそうだな」
こうやって相手の作戦にはまったことをただ説明しているのは、あまり雄二らしくないと思う。
「何かあったの?」
「いや、なんにもないぞ」
「? だったら、どうして悔《くや》しがったり対策を練ったりしないのさ」
「もう目的は果たしたからな」
「目的?」
「ああ。そもそもこの勝負を始めた理由は鉄人《てつじん》の補習から逃《のが》れる為だ。勝敗に関わらずこのイベントが成立した時点で俺にしてみりゃ充分だったってことだ」
「あ、そういうことね」
「まぁ、あの連中に負けるのは癪に障《さわ》るし、片付けなんて面倒なものは出来る限りやりたくなかったからそれなりに頑張ってはみたけどな」
いかにも雄二らしい考えだ。もう既に僕らは鉄人の暑苦しい補習からは逃れられたし、罰ゲームといってもたかが体育祭の準備。Fクラスでの真夏の鉄拳《てっけん》補習に比べたら天国に思える。それに、準備の時間は学校の平常授業が充《あ》てられるはず。そうなれば、準備をしないで済んだとなってもあの鉄人のことだ。自由時間になんてするわけもなく、臨時の補習授業を叩き込んでくるだろう。それなら勝っても負けても、僕らにしてみればそこにあまり大きな差はない。雄二の言った通り、常夏コンビに負けるのが癪に障るってことくらいだ。
「そもそも、これは元々肝試しっていう遊びのイベントだ。ムキになってやるもんでもないだろう」
腕を組んで鷹揚《おうよう》に頷いてみせる雄二。
その割にはルールを決める時とか、結構本気で考えているように見えたけど。
「なんだかその台詞、負《ま》け惜《お》しみみたいに聞こえるね」
「ぐ……っ」
あれ? 図《ず》星《ぼし》だったのかな?
疑わしげな視線を向けると、雄二は慌てて取り繕うように言った。
「一応、俺とお前でこの状況を打破できる作戦もあるにはあるが……」
「え? そうなの?」
「その作戦は重要な部分を全部お前に任せないとならない上に、俺が常夏にいいように言われるから気に入らないんだよな」
「なるほど。僕一人が活躍することが妬《ねた》ましいわけだね」
「お前がきっちり仕事をこなせるかが不安なんだボケが」
雄二がつまらなそうに吐き捨てる。
確かに条件を聞く限り雄二にとってそれは面白くない作戦になりそうだ。特に常夏コンビにいいように言われるという点が。
「まぁとにかく、だ。そういうわけだから俺たちは静観《せいかん》だ。姫路のことは翔子に任せておくんだな」
「そっか……。まぁ、霧島さんなら姫路さんも安心かな」
幸いにもカメラも僕と霧島さんが持っていたからそれぞれ一台ずつあるし。そうじゃなかったらカメラを取りに教室まで戻らないといけないところだった。
「んじゃ、行くぞ明久」
「へいへい。了解。あーあ、姫路さんから雄二にパートナーが変更になるなんて、とんだ災難だなぁ……」
なんて呟いてからふと思う
ん? ちょっと待てよ? 雄二はさっき説明してくれたとおり、あそこまで向こうの意図に気付いていたのに、どうして向こうの考え通りに分断されたんだ? そこまで読んでいたのなら対策だって取れたはずなのに。
まさかとは思うけど、コイツ……
「雄二キサマ……。霧島さんから逃れる為にわざと向こうの手に引っ掛かったな……?」
「何を言うんだ明久。流石は三年生。見事な作戦じゃないか。こんな頭脳プレイをされたら、Fクラスの俺たちじゃ太刀打《たちう》ちできなくても仕方がないだろう?」
「本音は?」
「翔子と二人でお化け屋敷にいるとなぜか釘《くぎ》バットで襲われる恐怖が蘇るんだ」
あ。それ前に僕が考えたアトラクションだ。
「なんだ雄二。色々と偉そうに言っていたけど、結局肝試しにびびってたんじゃないか」
「バカを言うな。俺は幽霊や妖怪なんざ、ちっとも怖くねぇ」
「あ。向こうの角に霧島さんが」
「く……っ! 間に合え明久バリアー……っ!」
「なるほど。雄二が怖がっているのがよくわかったよ」
あと、咄《とっ》嗟《さ》の時に雄二が僕をどうするのかも。
「細かいことを気にするなシール──明久」
「キサマ……! 今僕のことシールドって言いそうになっただろう……!」
コイツとだけは心霊スポットめぐりはするまい。
「それにしても、おかしいな」
「雄二の頭が?」
「黙れ使い捨て装甲板《そうこうばん》。俺が言っているのは、未《いま》だに姫路の悲鳴が聞こえてこないのがおかしいってことだ」
「あ。そう言えば」
もうこうやって随分と雄二と話し込んでいる。向こうの作戦がうまくいっているのなら姫路さんはそろそろ驚かされていてもおかしくないと思うけど……。
なんて考えていると、壁の向こうから微《かす》かに話し声が聞こえてきた。
『……姫路、大丈夫?』
『は、はい……っ! 大丈夫です……! 怖くないです……!』
『……こんなの、ただの見かけが変わっただけの召喚獣。怖くない』
『はい。そうです。召喚獣だから怖くないんです……!』
これって、姫路さんと霧島さんの話し声じゃないか。
「呼びかけたら聞こえるかな?」
「どうだろうな。必死に悲鳴を堪《こら》えているから聞こえないんじゃないか?」
「まぁとりあえずやるだけやってみるよ。おーい、姫路さーん」
失格にならないように音量に気をつけて呼びかけてみる。向こうからの声が聞こえているから、こっちからも届くとは思うけど……。
『……っ!? き、聞こえません……! 誰もいないんだから、囁《ささや》き声《ごえ》なんて聞こえるはずがないんです……!』
「やめとけ明久。逆効果だ」
「みたいだね」
姫路さんが折角頑張って怖いのを我慢しているのに、僕がこれで悲鳴をあげさせちゃったらあまりに申し訳ない。
「しかしまぁ……苦手なクセに、姫路は随分と懸命に耐《た》えてるな」
「そうだね。召喚獣を使った脅かしに慣れたのかな?」
「バカを言え。同じくらいビビってた島田は気絶までしているんだぞ? たかが慣れ[#「慣れ」に傍点]程度でここまでやれるか」
「そっか。そうだよね」
確かに雄二の言うとおりだ。恐怖感っていうものは本能の一つで、それは短時間で克服《こくふく》できるようなヤワなものじゃない。例えば、高所恐怖症の人が短時間で高い場所に慣れろなんて言われても、そんなのは無理な相談だろう。
「明久。正直に言え。二人でいるとき、何かあっただろ」
「え? う〜〜ん……。あったと言えば、あったような……」
何かあったと言えば、やっぱりさっきのあの会話だろうか。距離を取ってるとか、遠慮しているとかっていう悩みの話。けど、それって簡単に人に話すようなものじゃないしなぁ……。
説明できずに黙っていると、雄二は近付いてきてカメラが拾えないような小さな声で話しかけてきた。
(さっき微《かす》かにお前らの会話が聞こえていたんだが、心配がどうとか、距離がどうとか言っていなかったか?)
そっか。雄二と霧島さんの会話も聞こえていたんだから僕らの会話も少しは向こうに聞こえていたのか。
(うん……。まぁ、色々と姫路さんも悩んでいるみたいで)
(みたいだな。その話なら、俺も前に姫路にそれとなく相談されたことがある)
(え?)
(誤解するなよ? あくまでも友人として、しかも遠回しに相談されただけだ)
やっぱり姫路さん、遠慮されていると思って悩んでいたのか……。
(ってことは、あれは姫路なりの努力ってことだな)
(努力?)
(距離の近い、助け合える仲間になる為に頑張っているってことだ。アイツ、自分が助けられてばかりだと思っているみたいで、随分気にしていたからな)
(そう言えば、前にそんなこと言ってたかも)
あれは召喚大会の打ち上げの時だったろうか。公園で姫路さんが『試召戦争《ししょうせんそう》の時も、今回も、私は助けられてばかりで──』なんて言っていた気がする。
(そんなこと、気にすることないと思うけどなぁ)
(お前はそう思っても姫路はそう思わないんだろ。こういうのは本人の気持ちの問題だからな)
(そっか……確かにそうだね)
別に一方的に助けたつもりもないし、むしろ姫路さんには勉強を見てもらったり試召戦争で力になってもらったりと助けてもらっている部分が多いんだけど、姫路さんがそれを負い目に感じているのなら僕らが何を言っても意味がない。それは姫路さん自身が納得しないといつまでも心に残る重石のようなものだから。だから、ここで姫路さんが頑張って目標を達成することでその負い目がなくなるのであれば、僕らは下手《へた》に手を出さずに陰ながら応援するべきだろう。
(それに、姫路が頑張ってくれたら勝負に勝てるってのも事実だしな)
(そうだね。それは助かるよね)
ここはお互いの為にも姫路さんに頑張ってもらおう。
『おげあ|あ《゛》あ《゛》あ《゛》──』
『うぅぅ……っ! うー……っ!』
『……姫路、大丈夫。怖くない。こんなのは作り物』
『は、はい……っ! 大丈夫です……! 頑張ります……!』
ちょっと涙声になりながらも懸命に耐えている姫路さんの様子に胸をうたれる。姫路さん頑張れ……!
「んじゃ、俺たちも先に進むか。お前もご執心《しゅうしん》のようだし、翔子たちと同じ方に向かおうぜ。アイツらより先にチェックポイントに着かないように気をつけながらな」
「うん」
雄二の言うとおりに、だいたい姫路さんたちの進んでいる方向と同じ方へ歩いて行く。教室の間取りから想像すると、姫路さんたちの方が僕たちよりもチェックポイントに近そうだ。
(『おいおい……頑張るな、あの子』)
(『あと一押しだと思うんだけどな。目ぇ瞑ってるから音とタイミング合わせろよ』)
(『わかってる。いくぞ……試獣召喚《サモン》』)
僕らと姫路さんたちの中間くらいから、そんな小声での会話が聞こえてきた。脅かし役の先輩たちがそこで映像を見ながら待機しているみたいだ。
『うらめし……や……』
『──っ! ──っ! 平気です……! 怖くないです……!』
『……姫路は、とても良い子』
姫路さんが必死に恐怖と戦っている様子が伝わってくる。そこまで一生懸命になって僕らとの距離を縮《ちぢ》めたいと思ってくれているなんて、こんなに嬉しいことはない。彼女と友達であることを心底|誇《ほこ》らしく思う。
『オネエチャン コッチヲ ムイテヨゥ……』
『はぅぅ……っ! うぅぅー……っ! 空耳です、幻聴です……っ!』
『……お姉ちゃんは取り込み中だから、また今度』
そんな彼女の努力は絶対に報《むく》われて欲しい。無事にチェックポイントまで辿《たど》り着《つ》いて、常夏コンビを撃破──は無理だったとしても消耗させて、仲間として僕らを助けてくれていることを姫路さん自身に実感して欲しい。
頑張れ……! 頑張れ姫路さん……!
「──久。明久」
「頑張れ、頑張れ……!」
「聞けってのボケ」
「──っ!」
あ、足の小指の先を踏《ふ》み抜《ぬ》かれたような痛みが……! 悲鳴のあがらないやり方を選んだのかもしれないけど、この痛みはえぐすぎる……!
「な、なに? 雄二」
「あそこ、行き止まりじゃないか?」
「ん? どれどれ?」
雄二に指摘されて初めて気がついた。応援に熱中するあまり周《まわ》りが見えていなかったみたいだ。
「あ。でも、あの陰になっている部分に道があるかも」
「そうか?」
「とりあえず行ってみようよ」
「あいよ」
結局進路を変えずに突き当たるところを目指して再び歩き出す。
「それにしても、全然召喚獣が出てこないね」
「そうだな。まぁ、すぐに落とせると思っていた姫路が思《おも》いの外粘《ほかねば》るから総出で掛かっているんじゃないか? 明らかにビビりそうにないこっちに当たらせるよりは有効だろ」
「それは……益々《ますます》姫路さんが大変になるね」
「あとは、常夏コンビが俺たちとの直接対決を望んでいるってのも理由にありそうだが」
「あ。それはすごくあの二人が考えそう」
なんだか僕と雄二はあの二人の恨《うら》みを買っているみたいだから、向こうは僕らを皆の前で倒して恥をかかせようとか考えているような気がする。
「でも、そんなくだらない考えも姫路さんと霧島さんがチェックポイントを突破したら意味がなくなるんだけど──ん?」
「どうした明久?」
「いや、さっき見えてた道が急になくなったような気が……」
「なんだ。道を造り替えられたか?」
壁の方をよく見てみる。すると、慌てて動かしたかのように壁と壁の間に隙《すき》間《ま》が見えた。どこかを塞いでいた壁をスライドしてきたんだろうか。
『……姫路』
『──あ、はい。なんでしょうか……?』
『……多分ここ、チェックポイント』
『え……?』
『げっ! 常村! こいつら失格しなかったじゃねぇかよ! どうするよ!』
『どうするもこうするも……、勝負するしかないだろ』
姫路さんたちの他に常夏コンビの声も聞こえてくる。ってことは、ゴールか! 姫路さんはやり遂《と》げたのか!
「おー。目標達成か。姫路もよく頑張ったもんだ」
「良かった……。本当に良かった……」
なんだか嬉しくて声が震えてきそうになる。
「慌てて俺たちの方の道を塞《ふさ》いだせいで翔子たちの方に道ができちまったってところか。三年にとっては最悪の展開だな」
「姫路さんの頑張りの勝ちだね」
あとはもう、なんてことはない作業だ。勝負をして、勝っても負けてもいいから相手に攻撃をくわえる。ただそれだけのこと。今までに何度も試召戦争をやってきた姫路さんや霧島さんなら問題ない。
『まったく……。吉井と坂本をボコる前にとんだ邪魔が入ったな。誰だよミスったヤツは』
『あのクズ二人よりこっちの方がよっぽどしんどそうだな』
『あーあ、二年なんざバカだらけだから楽勝だって言ってたのは誰だよ』
『悪かったよ。訂正する。吉井と坂本はクズだが、中にはちょっとはマシなやつもいるから注意が必要だ。これでいいか?』
『今更遅えよ。やれやれ……。この二人、掃《は》きだめに鶴《つる》ってやつか? あんなカスどもとつるんでいるなんて勿体《もったい》ないな』
壁越しに常夏コンビのそんな会話が聞こえてくる。
「雄二。言われてるよ」
「お前がクズなのは認めるが一緒にされるのは心外だな」
「いや、きっと雄二がバカだから僕まで巻き込まれてそんな目で見られているんだよ。被害者は僕の方だね」
「何を言っているんだ明久。お前ほどのカスと張り合えるやつなんていないだろ」
「いやいや雄二。謙遜《けんそん》しなくてもいいんだよ。頭の良い僕なんかと違って、雄二はきっと世界のトップを狙えるクズだから」
「「………………!!(胸ぐらの掴み合い)」」
様子を窺《うかが》いながら雄二と睨《にら》み合《あ》う。
それはそうと、姫路さんたちもあんな連中の話に付き合っていないで早く勝負を始めたらいいのに。
『そもそも、あんなクズどもがこの学校にいるから俺たちは──』
『……雄二たちは、クズじゃない』
『──あ?』
『……雄二たちはクズじゃない』
『そうは言っても、事実は事実だろ。すぐに問題を起こすし、教師には目ぇつけられてるし、部活で何か功績《こうせき》をあげているわけでもなければ成績だって底辺《ていへん》だ。あれをクズと呼ばずになんて呼べってんだ』
何か言ってやりたいけれど反論できない。強《し》いて言うとしたらお前にだけは言われたくない、ってくらいだ。
「ヤツに言われるのは癪だが、概ね事実だな」
「色々やっちゃってるからね」
男子生徒の大多数が夢見る覗《のぞ》き騒《さわ》ぎはともかく、品行方正な生徒なら少なくとも二度に渡って校舎の破壊なんてことはしないだろう。
『まったく、アイツらは本当に学校のツラ汚しだ。人に迷惑をかけることしかできないんなら、おとなしくゴミ溜《だ》めにでも埋《う》まってろっての』
余《よ》程《ほど》僕らに恨みがあるのか、常夏コンビのどちらかが吐き捨てるように言う。
僕と雄二がやれやれ、とお互いに肩《かた》を竦《すく》めていたその時。
『どうしてそんな酷《ひど》いことを言うんですかっ!!!!』[#3段階大きな文字]
僕らのところにもはっきりと聞こえてくるほどの大音量で、そんな叫び声が聞こえてきた。今の声ってまさか……姫路さん?
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『んだテメェ……! 文句でもあんのか……!?』
『確かにあなた方の言うように、明久君と坂本君の成績はあまり良くなかったかもしれませんし、色々と問題も起こしちゃったかもしれません……! でも、だからってどうしてそれだけでそんな酷いことを言うんですか! 何も知らないくせに……! 明久君たちが、本当はどれだけ優しくて、どうして問題になるようなことをやっていたのかも知らないくせに!』
『っせぇな! お前こそアイツらがどこまで頭が悪いのか知らねぇんじゃねぇのか!? ちょっとアイツらの点数を調べてみりゃわかるだろうが!』
『どうして成績とか、そんな数字の上でしか人を見られないんですか! 点数に出てこない部分にだって、大事なことはいっぱいあるのに……!』
姫路さんの涙混じりの声には、何かの強い感情が込められているように聞こえた。
『ぎゃんぎゃんわめくな! あんなカス共の事情なんて知ったことかよ!』
『明久君たちはカスなんかじゃありません!』
『いいから出て行け! なぁ常村、コイツら今の大声で失格だよな!』
『あ、ああ。そういやそうだな。こりゃラッキーかもな』
『ってことだ! さっさと失せろ!』
『……言われるまでもない。その顔、いつまでも見ているものじゃない。行こう姫路』
『…………はい』
姫路さんと霧島さんの気配が遠ざかっていく。あんなに頑張ってチェックポイントに着いたのに、可哀想に。
「だってさ、雄二。僕らって優しいらしいよ?」
「初耳だな。お前ほどじゃないにしろ、俺も自分は硬《こう》派《は》なクズだと思っていたんだが」
「そうだよね。僕も雄二ほどじゃないけどちょっとはダメ人間の自覚はあったんだけど」
というか、クラスメイトの殆どがダメ人間だ。
「まったく、姫路さんも勿体ないことをするよね。あんなに苦労したのに、僕らの為に台無しにしちゃうなんて」
「だな。こんな遊びでムキになることなんかないのにな。勿体ねぇ」
「だよね」
本当、勿体ない。あんなに歯を食いしばって、一生懸命頑張っていたのに。
「んじゃ、行くか明久」
「うん。悪いね雄二」
「またお前に貸しが増えたな」
常夏コンビのいるチェックポイントを目指して歩き出す。
肝試しなんてものは遊びだ。ムキになってやるものじゃない。
──けど、
「ここから先は本気だクソ野郎」
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[#改ページ]
バカテスト 国語[#「バカテスト 国語」は太字]
【第六問】[#3段階大きな文字]
次の文章を読んで後の問いに答えなさい。[#「次の文章を読んで後の問いに答えなさい。」は太字]
[#ここから1字下げ、折り返して2字下げ]
――――――――――――――――――――――――――――
「定吉はどこに行ったんだ」
次平が尋ねると、太助は肩を竦めて答えた。
「お菊のところだよ。十年来の恋心を得意の和歌にして伝えてくるんだとさ」
それを聞いて次平が眉を顰める。
「恋の和歌ときたか。それなら結果[#「結果」に傍線]は知れたようなものだな」
「違いない。あいつの歌は下手の[#「下手の」は太字](    )だからな」
――――――――――――――――――――――――――――
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して4字下げ]
問@ (  )に正しい語句を入れて太字部分の慣用句を完成させ、その意味を答えなさい。
問A 傍線部の 結果 ≠ニはどのような結果なのか。次平と太助が予想しているであろう結果を答えなさい。
[#ここで字下げ終わり]
[#改ページ]
姫路瑞希の答え[#「姫路瑞希の答え」は太字]
[#ここから改行天付き、折り返して4字下げ]
『問@ 下手の( 横好き )
[#この行天付き、折り返して7字下げ]    意味:下手であるにも関わらず、その物事にやたらと熱中していること
問A 下手な和歌で失敗してしまって、定吉の想いは成就しないという結果』
[#ここで字下げ終わり]
教師のコメント[#「教師のコメント」は太字]
正解です。この文脈で他に当てはまる 下手の── ≠ナ始まる慣用句としては、 下手の真似好き ≠ニいうものもあります。どちらの慣用句であろうとも拙い技量を示すため、次平と太助の二人が予測する結果は失敗であることがわかります。
吉井明久の答え[#「吉井明久の答え」は太字]
[#ここから改行天付き、折り返して4字下げ]
『問@ 下手の( 一念 )
意味:へたくそでも一生懸命頑張ること
問A へたくそでも自分の為に一生懸命に歌う定吉の姿に、お菊はきっと心を動かされるに違いないという予想』
[#ここで字下げ終わり]
教師のコメント[#「教師のコメント」は太字]
決して正解とは言えませんが、先生はこの解答を好ましく思います。
[#改ページ]
「ぃよぅセンパイ。待たせたな」
「遅かったじゃねぇか坂本《さかもと》。格下が目上の人間をあまり待たせるもんじゃねぇぞ」
「そいつは悪かったな。ちょいとヤボ用があったんでな。日々忙しいセンパイ方は時間が貴重なんだよな?」
「当たり前だろ。お前らみたいなバカどもとは違うんだよ」
僕と雄二がチェックポイントに足を踏《ふ》み入《い》れると、常夏《とこなつ》コンビは揃《そろ》っていやらしい笑みを浮かべた。自分たちが圧倒的に優位な立場にあるという余《よ》裕《ゆう》の表情だ。
でも、その余裕も当然のことだろう。向こうの物理の点数は学年でもトップクラスの400点強。それに比べて雄二は200点未満、僕に至《いた》っては70点にすら届いていない。誰がどう見ても僕らの不利は揺《ゆ》るがないだろう。
「ところで、昨日お前ら『個人的な勝負をする』って言ってたよな? それって当然、何か賭《か》けるんだろ?」
勝ちを確信しているようで、坊《ぼう》主《ず》頭の先輩は挑発《ちょうはつ》するように雄二と僕を交《こう》互《ご》に睨《にら》み付《つ》けた。その後ろではソフトモヒカンの常村《つねむら》先輩もニヤニヤと笑っている。ここで僕らが賭けに乗ってくるとは思っていないようだ。多分、僕らが約束を反故《ほご》にして逃げた、と罵《ば》倒《とう》してやろうとか、二人が考えているのはそんなことだろう。
「やりたくねぇってんなら……そうだな。この場で土下座でもしてもら──」
「いいですよ。約束ですから。この勝負、罰ゲームありにしましょう」
「「んぁ?」」
僕がにこやかにそう答えると、予想の外れた常夏コンビは間の抜けた声をあげた。
「そ、そうか。お前らがそういうなら乗ってやろうじゃねぇか」
「だな。それで、罰ゲームは何にする?」
「そうですね……『負けた方は勝った方の言うことをなんでも聞く』っていうのはどうですか?」
「「んだと……?」」
二人の顔色が変わる。僕の提案がよほど予想外だったのだろう。
「てめぇ、何か企《たく》んでやがるな……?」
「よっぽど自信があるみてぇじゃねぇか」
「どうでしょうね?」
「さっき坂本がカメラを使ってクラスの連中に言っていた『世界史の教師を呼んでおけ』ってのと何か関係がありそうだな」
ああそっか。この人たちもカメラの映像を見ているんだっけ。
「まぁ気にすんなよセンパイ。最近試験召喚システムの調子が悪いみたいだからな。念《ねん》の為《ため》ってやつだよ」
雄二がひらひらと手を振って答える。
「……まぁいいだろ。お前らが何を企んでいるのか知らねぇが、どうせ猿《さる》知恵《ぢえ》だろうからな。行くぞ──試獣召喚《サモン》っ」
「ぶちのめしてやる。試獣召喚《サモン》っ」
常夏コンビが物理の木《き》村《むら》先生がいることを横目で確認してから召喚獣を喚《よ》び出《だ》す。
すると、いつものように幾《き》何《か》学《がく》模様が──
「ぁあ? なんだ? 出てこねぇぞ?」
「なんだこれ? どういうことだ?」
紋様が浮かび上がることはなく、当然召喚獣も現れなかった。
「おや? おかしいですね。本当に不調でしょうか?」
離れたところで見ていた物理の木村先生が首を傾《かし》げる。
「いや、先生。気にしなくていいっすよ。理由はわからないっすけど、物理だけが不調になっているみたいですから。仕方がないから、俺が念の為に[#「念の為に」に傍点]来てもらっていた世界史の先生に頼んで勝負ってことにしましょう」
「な……!? 坂本、てめぇ……!」
「んん? どうかしましたか、センパイ。お忙しいセンパイ方は時間がないんスよね? 他の先生が来るのを待たせるなんて、そんなの申し訳ないじゃないですか? ほら、丁度《ちょうど》世界史の先生も来たみたいですし」
「この野郎……! 何かやりやがったな……!」
雄二の人を馬鹿にしたような話し方に常村先輩が顔を真《ま》っ赤《か》にしている。
「……安心しろよセンパイ。科目が変わる代わりに、俺は召喚獣を喚べねぇ。アンタら二人と明久《あきひさ》一人での勝負だ。そっちが有利なのは変わんねぇよ」
雄二が一瞬視線を物理の木村先生の方に動かす。
なんてことはない。向こうの予想通り、これは雄二の作戦だ。僕ら二人の点数を合わせても向こうの半分どころか三分の一程度にしかならない物理で勝負するより、点数の近かった世界史での勝負を選ぶ。その為に、雄二は白金《しろがね》の腕輪による≪干渉《かんしょう》≫で、物理のフィールドを打ち消した。
「てめぇ、さては……」
「俺は参加できないって言ってんだ。明久一人なんかにそうビビるなよセンパイ。それとも何か? 俺たちクズが相手なのに、得意科目じゃなきゃ二対一でも勝負ができないってか?」
「……の野郎……っ!」
フィールドを作っている最中、雄二は召喚ができない。つまり、さっきから雄二が言っているようにここでの勝負は僕一人と常夏コンビ二人で行うことになる。要するにここまでやっても点数の比は、三対一から二対一程度になっただけ。少しはマシになってもこちらが不利な状況は変わらない。
「上等じゃねぇか……! そこまで言うのならやってやる。賭けのこと、忘れんじゃねえぞ!」
「そっちこそ忘れるなクソ野郎。……先生」
「ああ、はいはい。わかりました」
雄二に言われて、臨《りん》時《じ》で呼ばれた世界史の田《た》中《なか》先生が召喚許可を出す。物理の木村先生は干渉を起こさないように気を遣って、何もしないでいてくれた。雄二の計画通りだ。
「「「試獣召喚《サモン》」」」
僕と常夏コンビの喚び声が重なる。
今度はさっきまでとは違ってきちんと幾何学模様が出てきて、そこからいつもとは様子の違う召喚獣が現れる。
『Aクラス 常村|勇作《ゆうさく》 & Aクラス 夏川俊平《なつかわしゆんぺい》
世界史 144点 & 135点     』
向こうは前にも見た牛頭《ごず》と馬頭《めず》。モニターで見た物理での勝負と違うのは、金の腕輪を装備していないというところだ。
『Fクラス  吉井明久《よしいあきひさ》
世界史  123点』
こちらは小《こ》脇《わき》に自らの頭を抱《かか》えている騎士、デュラハン。片腕で振り回すには重そうな大剣を右腕に、弱点とも言える頭を左腕に携《たずさ》えている。
「学年の平均点程度か……。結構|消耗《しょうもう》してるな。昨日の前哨戦《ぜんしょうせん》は余《よ》計《けい》だったかもな」
「けっ。あの眼鏡《めがね》野郎に吹き飛ばされたせいか」
昨日、常夏コンビは僕と久保《くぼ》君と勝負をした。その時に受けた攻撃のせいでお互《たが》いに点数が減っている。常夏コンビは久保君の召喚獣に吹き飛ばされていたし、僕だって坊主先輩にやられたせいで学年の平均点以下にまで点数が減っていた。
久保君に感謝しておこう。あそこで攻撃を入れておいてもらえなかったら、この勝負はもっと厳《きび》しいものになっていただろうから。
「そんじゃ、ラストの勝負を始めるか吉井。科目を変えてやったんだ。二対一が卑怯《ひきょう》だなんて言い出すなよっ!」
坊主(夏川)先輩の操る牛頭が槌《つち》を振りかぶって突進してくる。物理での勝負だったら避《さ》けることも受けることも難しいはずのその攻撃は、科目が変わった今となれば対処《たいしょ》できないものではなくなっていた。
「っのぉ……!」
相手の槌が振り下ろされるよりも早く踏《ふ》み込《こ》んで身体をぶつけ、勢いが弱まったところに大剣を叩き付ける。向こうも同じことを考えていたようで、体勢を崩されながらもこちらの攻撃に武器をぶつけてきた。
「「…………っっ!!」」
素《す》早《ばや》く体勢を立て直し、自分の武器を相手の方へと強く押し込む。相手も同様の行動を取ったので、鍔《つぱ》迫《ぜ》り合《あ》いのような状態になった。実はこのデュラハン、こういった動きの少ない力比べではかなり強い。動きが少なければ首の上に頭を乗せて、両手を思いっきり使うことができるからだ。
「ぐ……ぅ……っ!」
力の差が出て押され始めた坊主先輩の口からうめき声があがる。このままいけば相手の体勢を崩せるけど──そこまで向こうも甘くない。
「……っらぁっ!」
文字通りの横槍が牛頭の脇に立つ馬頭から放たれた。すかさずデュラハンに牛頭の身体を蹴《け》るように飛び退らせる。
その着地を待たず、今度は牛頭が槌を突き出すように突進を仕掛けてきた。大剣を盾《たて》にして直撃は避けるものの、空中にいたために為す術《すべ》も無く吹き飛ばされる僕の召喚獣。
「ま──ずい……っ!」
その吹き飛ばされる最中、デュラハンの首が胴体から離れていくのが見えた。
慌《あわ》ててその頭を大剣を持たない方の手で抱え込ませる。なんとか弱点を守ることはできたけど、その分落下に対して受け身を取ることができなくなった。
「吠《ほ》えた割には随分《ずいぶん》な動きだな吉井よぉ!」
その隙《すき》に牛頭と馬頭の双方が武器を構えて踏み込んでくる。同時に攻撃されたら防げない……っ!
「……っ!」
思い切って突進してくる二人の間にデュラハンを飛び込ませる。すると牛頭と馬頭はお互いの長い得《え》物《もの》をぶつけ合い、攻撃に移るのが遅れた。
「舐《な》めたマネしやがって!」
馬頭を振り払うかのように強引に槌を振り下ろす牛頭。その攻撃は間一髪でこちらには届かなかった。
「落ち着け夏川。いつもの召喚獣とは勝手が違う。もう少しお互い離れた方が良さそうだ」
「わかっている」
牛頭と馬頭がお互いの武器を充分に振り回せる距離を取る。これで同じ手は通用しなくなった。もっとも、僕もあんな一か八《ばち》かの回避は二度とやりたくないところだけど。
相手の動きを警戒して背中を取られないように移動しながら睨み合う。
そんな時に、坊主先輩が近くで腕を組んで見ている雄二に声をかけた。
「おい、坂本」
「なんだ? 勝負中なのによそ見なんか余裕だなセンパイ?」
「余裕に決まってるだろ。吉井が俺たちに勝つことはありえねぇ」
さっきの攻防を見て自分たちの優位を再認識したのか、坊主先輩は雄二の方に注意を向けていた。
「それより、今からでも科目を戻してお前も参加した方がいいんじゃねぇのか? このままだとつまらない勝負になるぞ」
全力じゃない科目で僕一人を倒すより、圧倒的な力のある科目で僕と雄二を倒したいのか、坊主先輩が雄二を挑発する。
でも、雄二は鼻で笑ってその提案を蹴った。
「くだらねぇ。俺はここで見学させてもらうさ。自分たちがクズって呼んでいたやつに負けるクズの最上級のセンパイたちの惨《みじ》めな姿を、な」
「んだとコラぁっ!」
坊主先輩の意識が完全に雄二へ向く。良い挑発だ。
──しかけるポイントはここしかないっ!
「二重召喚《ダブル》っ」
キーワードを口にすると、白金の腕輪が起動してもう一体の召喚獣が現れた。
登場と同時に小脇に頭を抱え、主獣《メイン》と共に敵の片方の召喚獣へと迫る。狙《ねら》いはモヒカン先聾の操る馬頭。まず先に馬頭に主獣と副獣《ダブル》の攻撃を集中させて、その後に牛頭との一対一に持ち込む……!
「っく!」
主獣の大剣を槍の柄《え》で流すように受ける馬頭。その脇から副獣が大剣を突き込む。これは避けられない!
「甘ぇんだ……よぉっ!」
「──っ!」
その攻撃がいつの間にかこちらに駆けつけていた牛頭の体当たりで中断された。
く……っ! 注意が逸《そ》れてたわけじゃなかったのか……!
「アテが外れたみてぇだな。俺たちがその腕輪のこと忘れてるとでも思ったのか?」
「誰があの召喚大会の決勝戦で勝負をしたと思ってるんだ?」
常夏コンビが勝《か》ち誇《ほこ》った顔で僕と雄二を見る。……奇襲《きしゅう》失敗か。
「あのな。俺たちにも年上のプライドってもんがあるわけよ」
「得意科目でなくても二対一の勝負で、どうしてあそこまで渋《しぶ》っていたか、その理由がわかっただろ?」
僕が二体目を召喚することを理解していたからこそ、一見有利な条件に見えていても渋っていたわけか。
「坂本よぉ。これでもまだお前は見てるだけだってのか?」
坊主先輩がニヤニヤと笑みを浮かべながら雄二を見る。
奇襲が失敗した以上、こっちの不利な状況は変わっていないと思ってのことだろう。確かに二体召喚したからと言って、単純にこっちが有利になるわけじゃない。
「コイツってどっちかを攻撃したら両方がダメージを受けるんだろ? 最初の攻撃さえ外したら、あとはこっちとしては的《まと》が増えた分ありがてぇよな」
「吉井一人で二体を動かすのなら攻撃も当てやすいだろうしな」
常夏コンビの言うとおりだ。向こうはどちらを攻撃してもいいけど、僕はどちらも回避しないとならない。そうしないとこちらは二体ともダメージを負うのだから。
「どうするんだ坂本?」
どうしても雄二を引っ張り出して僕ら二人をのさないと気が済まないようで、坊主先輩はしきりに雄二の参加を促《うなが》していた。
けど、
「どうもこうもあるか。アンタらの相手は明久だ。俺はここで見学するって言ってるだろうが」
雄二は動かない。一歩下がって僕らの勝負を見ているだけだ。
「やれやれ……。見《み》損《そこ》なったぜ坂本よぉ。お前はそこまでして自分が負ける姿をさらしたくないってのか?」
「お前がやられなくても負けは負けってことはわかってんだろうな?」
「言われなくてもそんなことはわかっている。それより──俺とくっちゃべっていていいのか?」
「ん──ぅおっ!?」
坊主先輩の牛頭がデュラハンの大剣を槌で弾《はじ》いた。その隣《となり》では同じく馬頭が副獣の攻撃を横っ飛びでかわしている。
「やる気じゃねぇか吉井。そっちがそうくるのなら相手になってやるよ!」
「後悔するんじゃねぇぞ!」
牛頭と馬頭。二体の召喚獣がそれぞれ別の方向から飛びかかってきた。牛頭は主獣に、馬頭は副獣にそれぞれ攻撃をしかけてくる。
牛頭が振りかぶった槌が頂点に達する寸前《すんぜん》に主獣を踏み込ませる。向こうの振り上げと振り下ろしの境目《さかいめ》の瞬間にこちらが小さな動きで大剣を突き入れると、牛頭は慌てて体をずらしてその攻撃から逃れた。
一方で副獣は突き出される槍に対して大剣を横にして防御の構えを取る。当然向こうはそれを避けるように槍を突き出してくるけど、狙いが限定された攻撃は比較的かわしやすい。金属製の小手で槍を横からいなすようにして攻撃を避ける。
「けっ! そんな動きはいつまでももたねぇだろ!」
「さっさとくたばりやがれ!」
主獣に放たれる蹴りを小さくかがんで避けて、副獣に迫る突きには大剣をぶつけて弾く。主獣は大剣を振りまわせる距離が取れていないので膝《ひざ》を使わせて、間合いができたところで大剣を力任せに叩き付ける。副獣は相手の槍に大剣をぶつけることだけに集中させる。向こうは武器の攻撃に固《こ》執《しつ》している。それだけである程度はしのげるはずだ。
「こ……の……っ!」
「うぜぇっ!」
体格を活かした体当たりをしてくる牛頭には、体勢を低くして足元に小さく鋭く大剣を繰り出す。馬頭は副獣が左手に抱えている頭を狙ってくるようになったので、右腕を前に出すように姿勢を作って相手の隙を見て大剣を繰り出す。
お互いに致命傷を与えることのない小競《こぜ》り合《あ》いが少し続くと、
「常村っ! この二体をまとめるぞ!」
「了解だ!」
その状況に痺《しび》れを切らした坊主先輩がモヒカン先輩に声をかけた。
牛頭も馬頭も共に武器を盾のように押しつけて、こちらの主獣と副獣を一箇所にまとめてくる。距離が近くならばどちらを操作しているのかがわかりにくくなる。僕のミスを誘《さそ》う作戦だろう。
「苦戦してるみたいだな、センパイ」
「っるせぇ! 黙って見ていろ坂本!」
二体が近づけられてもこちらの行動は変わらない。牛頭には主獣を、馬頭には副獣をぶつけ続ける。牛頭と馬頭が入れ替わろうと動き回れば追い回し、向こうが一体に集中してきたらこちらは余った一体が対応する相手に攻撃を仕掛ける。この接近戦でどちらを動かしているかわからなくなるなんてミスは起こさない。
「どういうことだ!? 片方はお前が使ってんじゃねぇのか坂本ぉ!」
「妙な言いがかりはやめろよセンパイ。そんなことできるわけがないだろ?」
「じゃあどうなってんだ! 一人の人間が二つの身体《からだ》をあんなに上手く使えるわけないだろうが!」
馬頭の繰り出す槍の穂《ほ》先《さき》を弾き、取って返すように突き出された石突きを半歩下がってやり過ごす。
「バカってのは面白いよなセンパイ。一つのことに夢中になると、それに対してとんでもない集中力を発《はっ》揮《き》しやがる。空手バカとか剣道バカなんて呼ばれる連中もいるが、そこで言われるバカってのは『物事に集中するヤツ』っていう褒《ほ》め言《こと》葉《ば》だよな」
牛頭には大剣を振り下ろし、受けられたところで回し蹴りを放つ。二体はそれぞれ相手を変えない。あくまでも牛頭には主獣を、馬頭には副獣をぶつけ続ける。
「っるせぇ! 何が言いてぇんだ!」
「まぁ、要するに、だ」
牛頭と馬頭が同時にこちらに突っ込んできた。すかさず主獣と副獣を横に跳《と》ばせて体を入れ替える。
「──姫路を泣かされた時から、コイツはスイッチが入っていたってことだ」
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主獣と副獣の中間地点に牛頭と馬頭が構えている。その二体目がけて、主獣と副獣にそれぞれ得物を投げさせた。最初は主獣、一瞬タイミングをずらして副獣。
「「──っ!?」」
先ほどまでの近距離戦に慣れていた為に投擲《とうてき》という攻撃手段を想定していなかった二人は、咄《とっ》嗟《さ》にかがんでその攻撃をやり過ごしていた。そして、投げられた物はそれぞれ対角線上にいる主獣と副獣が受け取る。主獣が投げたのは武器である大剣。副獣が投げたのは、
「頭だとっ!?」
大剣を屈《かが》んで避けた二体の上を弱点の頭が通過した。それを前に走りながら受け取り、両手で弱点をかばうように抱えながら肩から突っ込む主獣。
「ぐ……ぅ……っ!」
屈んだせいで踏ん張りの利かない牛頭は後ろの馬頭にぶつかるように倒れる。そして、馬頭の前には両手に大剣を構え、全力で振りかぶる副獣が待っている。
「う……そ、だろ……?」
咄嵯に槍を掲《かか》げて一刀目をふせぐ馬頭。けど、横から振るわれる二刀目は避けられない。
首なし騎士の一撃は、馬頭の身体を上下に分断した。
「ふざけるな! どうしてこの状況で俺たちが──!」
馬頭の亡骸《なきがら》を踏みつけるようにして立ち上がる牛頭。けれども、その行動は事がこの段階に至っては一手遅い。
主獣は弱点の頭を見せつけるように牛頭の頭上へと放り投げる。突然物を投げられたせいで敵の意識が上へと向いている間に、副獣は大剣を主獣に投げつつ牛頭にスライディングタックルをかました。
「ぐ……っ!」
副獣ともつれるように地面に倒れている牛頭の身体を主獣で踏みつけ、自由を奪《うば》う。これでもう相手は動けない。
「勝負ありだな、センパイ?」
「……っの野郎……っ!」
僕のデュラハンが地に臥《ふ》す鬼の首へと大剣を突き付ける。ここから勝敗を覆《くつが》されることはありえない。つまり──
「賭けは僕の勝ちです、先輩」
「………………。……けっ。俺に……何をやらせようってんだ」
勝ち目がないことを悟り、忌々《いまいま》しげに吐き捨てる夏川先輩。
こっちの希望は最初から決まっている。それをやらせたいが為に、僕は何でも言うことを聞くなんていう馬鹿げた賭けを提案したのだから。
そう。この連中にやらせたいことは、ただ一つ。
「──姫路さんに謝れ」
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バカテスト 化学[#「バカテスト 化学」は太字]
【最終問題】[#3段階大きな文字]
次の元素記号を原子量の小さい順に並べ、その名称を書きなさい。[#「次の元素記号を原子量の小さい順に並べ、その名称を書きなさい。」は太字]
『Ne Ga H O Po I Na』[#2段階大きな文字]
姫路瑞希の答え[#「姫路瑞希の答え」は太字]
H:水素
O:酸素
Ne:ネオン
Na:ナトリウム
Ga:ガリウム
I:ヨウ素
Po:ポロニウム
教師のコメント[#「教師のコメント」は太字]
正解です。GaやPoはなかなか出てこない元素なので難しいかと思ったのですが、流石は姫路さんですね。
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土屋康太の答え[#「土屋康太の答え」は太字]
H:H
Na:な
O:お
Ne:ね
Ga:が
I:い
Po:ポッ[#顔文字 (*/▽\*)]
教師のコメント[#「教師のコメント」は太字]
こんな解答なのにナトリウム以外の並び順が合っているのが腹立たしいです。
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『いやー、結構《けっこう》面白かったな。装飾《そうしょく》もかなり大がかりだったし』
『流石《さすが》は学園あげての騒《さわ》ぎってところだよな。盆休《ぼんやす》みの間の一般開放も来てみるかな』
『先生たちがお化《ば》け役《やく》やってたりするんだろ? 高橋《たかはし》先生の召喚獣とか気になるよな』
『鉄人《てつじん》が出てきたらどうする?』
『……そ、それは大丈夫だろ……。一般開放なんだから、人様に見せられる召喚獣を出すはずだから……』
『そうあって欲しいもんだな……』
肝試《きもだめ》し終了後、補習と夏期講習《かきこうしゅう》の最終日という解放感や片付けは必要ないという学園長のお達しもあって、下校していく皆は晴れ晴れとした顔をしていた。勝負で負けた三年生たちは若干悔《じゃっかんくや》しそうではあったけど。
あとは……
「……吉《よし》井《い》」
「あ、なに霧島《きりしま》さん?」
「……屋上《おくじょう》に行って」
「? 屋上? 屋上って──」
「……早く。瑞《みず》希《き》がいるから」
「姫《ひめ》路《じ》さんが? 了解! ありがと霧島さん!」
あとは姫路さんのことだけだ。
霧島さんの言葉に従って廊《ろう》下《か》を走って、階段を二段飛ばしで駆《か》け上《あ》がる。見つからないと思ったら、姫路さん、屋上にいたのか……!
『なんだ翔子《しょうこ》。下の名前で呼ぶようになるなんて、お前|随分《ずいぶん》姫路と親しくなったんだな』
『……うん』
『どういう心境《しんきょう》の変化だ?』
『……私は、ああやって、怖くても一生懸命になって頑《がん》張《ば》る人が好きだから』
『………………』
『……凄《すご》く、好き』
『なぜそれで俺の方を見る。俺には怖い物もなければ、頑張るなんて殊勝《しゅしょう》な態度もないぞ』
『……じゃあ、そういうことにしておいてあげる』
『ぐ……っ! なんか引っかかる言い方だな……!』
「姫路さん」
屋上に着くと、隅《すみ》の方で小さくなっている姫路さんの姿が見えた。
「あ……明久《あきひさ》君……」
僕の顔を見て、気まずそうに目を伏《ふ》せる姫路さん。その目は、少しだけ赤かった。
「そろそろ帰ろうよ。明日からは本当の夏休みだし、楽しいことがいっぱいだよ」
「…………」
「実はさ、姉さんが戻ってきたら海に行こうって言っているんだ。車も借りるみたいだし、姫路さんさえ良ければ皆で一緒にどうかな?」
「………………」
姫路さんの浮かない表情に変化はない。困ったなぁ……。
間が保たず頬をかいていると、しばらくして姫路さんが小さく口を開いた。
「さっき……」
「ん? なに、姫路さん?」
「さっき、ここにあの先輩たちが来て、私に謝ってくれました」
「あ、そうなんだ」
三年生の教室は四階だから姫路さんの居場所を見つけやすかったのかな? 何にせよ、約束を守ってくれたことには感謝しておこう。
「あれって……明久君のおかげ、ですよね……?」
「え? あ、う〜ん……。それは別に」
「誤魔化《ごまか》さないで下さい」
「…………まぁ、一応……」
バレちゃってたのか……。それとも常夏《とこなつ》コンビがばらしたんだろうか。
「ごめんなさい……。また、こうやって……私の為《ため》に……!」
「え!? いや、それは違うよ姫路さん!」
「どこも違わないじゃないですか! また前みたいに私は役に立てなくて、それどころか足を引っ張っちゃって、明久君たちに助けてもらって……!」
「……姫路……さん……」
「……私、自分が嫌いです……! 役に立てないところも、迷惑ばかりかけちゃうところも、今こうやって明久君に当たっているところも、全部、全部……っ!」
ぼろぼろと姫路さんの目から大粒《おおつぶ》の涙がこぼれ落ちる。
どうしてそんなに自分を嫌ってしまうんだろう。姫路さんは、あんなにも僕らの為に頑張ってくれたのに。
「あのさ、姫路さん」
「………………はい」
「さっき先輩たちを相手に啖《たん》呵《か》を切ったの、凄《すご》く格好《かっこう》良かったよ」
「え……?」
格好良かったと言われたことがそんなに意外だったのか、姫路さんはわずかに顔を上げてこちらを見ていた。
「なかなかできるもんじゃないよ。男の先輩たちを相手に怒るなんて」
「ちゃ、茶化さないで下さいっ! 私が言いたいのはそういうことじゃなくて──!」
「それと……凄く、嬉しかった。僕らの為に本気で怒ってくれたあの一言のおかげで、僕も雄二も頑張れた。本当にありがとう」
姫路さんに心からの感謝を込めて頭を下げる。
あの時の僕の気持ちは、正直うまく言葉にできない。必死に我慢して我慢して、やっと目標に辿り着いたのに、その努力を僕らの為にふいにさせてしまったという申し訳なさと──その努力を台無しにしてまで怒ってくれたことに対する嬉しさ。そんな相反する気持ちが二つ、ごちゃ混ぜになっていたから。
「でも……私は、全然相手の点数も減らせなかったし……」
「そんなことは問題じゃないよ。だって、姫路さん自身も言っていたじゃないか。『点数に出てこない部分にも大事なことがある』って。姫路さんが僕らのことを成績じゃない部分で評価《ひょうか》してくれているように、僕らだって姫路さんの成績じゃない部分に助けてもらったんだよ」
あの時姫路さんが頑張ってくれたから、僕らも頑張れた。あの言葉がなければ、僕も雄二もあんな勝負は挑まなかっただろう。
「明久……くん……」
「それに、今後の試召戦争《ししょうせんそう》でも姫路さんの点数にはいっぱい助けてもらうはずだし。姫路さんは僕たちFクラスの主戦力なんだからね?」
最初の試召戦争でも、この前のDクラスとの防衛戦《ぼうえいせん》でも、姫路さんは大活躍だった。きっとこれからも僕らは姫路さんに助けてもらって、念願《ねんがん》のAクラスを目指すことになるだろう。
僕がそう言うと、姫路さんは目元を拭っていつもの笑顔を見せてくれた。良かった。いつもの姫路さんだ。
「ありがとうございます明久君」
「いや、お礼を言うのはこっちの方で」
「私、少しだけ自分に自信が持てそうです」
「あ。それは良かった」
姫路さんが抱いていた負い目のようなものがなくなったのなら、それはとても嬉しいことだ。
「助け合っているって言ってもらえるのなら、もっと遠慮《えんりょ》をなくしてもいいんですよねっ!」
「うん。勿論《もちろん》だよ」
「じゃあ明久君」
「ん? なに姫路さん?」
「私のこと、これからは『瑞希』って呼んで下さい」
「はぇ?」
彼女は突然何を言っているんだろう?
「だって、ずっと気になっていたんです。坂本《さかもと》君のことは『雄二』って呼ぶし、木下《きのした》君のことは『秀吉《ひでよし》』で土《つち》屋《や》君のことは渾《あだ》名《な》で、美《み》波《なみ》ちゃんのことも『美波』なのに、私だけ『姫路さん』って、苗字《みょうじ》でしかも『さん』付けなんて」
「あ、ああ、そっか。そうかもね……」
「だから私のことも、皆と同じように『瑞希』って呼んで下さい」
「あー……。それは……」
「……ダメ、ですか……?」
「いや、ダメというかなんというか……」
なんだか断りづらい雰《ふん》囲《い》気《き》……。
「あのさ、姫路さん」
「なんです?」
「実は、その呼び方には説明しにくい複雑な理由があって……」
「理由? なんですか? 教えて下さい」
「いや、それは説明しにくいからできれば勘弁《かんべん》してもらいたいなぁ、なんて」
「ダメです。話してくれないと納得できません」
うぅ……。参《まい》ったなぁ……。
「……笑うでしょ?」
「笑いません」
「……誰かに話すでしょ?」
「誰にも話しません」
姫路さんの目は真剣だ。
弱った……。どうあっても逃がしてくれそうにない……。
「あ、あのさ、実は」
「はい」
「僕と姫路さんって、小学校が同じだったじゃない?」
「そうですね」
「だからさ、下の名前で呼ぶと、昔の呼び方の『瑞希ちゃん』っていうのが出てきちゃって恥ずかしいんだよ。ほら、僕らももう高校生なのに、『ちゃん』づけだなんて──」
「嘘《うそ》です。高校に入ってから、明久君は私のことを下の名前で呼んだ事なんて一度もないじゃないですか」
「そ、それは……、その……っ!」
ぐぅぅ……っ! そこまでつっこんでくるのか……っ! 姫路さんの優秀な記憶力が今は恨めしい……!!
「その、なんですか?」
「……本当に笑わない?」
「本当に笑いません」
「……本当に誰にも話さない?」
「本当に誰にも話しません」
ダメだ。もう逃げ場はない。
うぅ……。人生最大の赤《あか》っ恥《ぱじ》だ……。
「……実は、その……」
「はい」
「前に、姫路さんのことを名前で呼んでみたいと思ってさ」
「はい」
「その……家で、一人で名前を呼ぶ練習を……」
「……え?」
姫路さんの目が丸くなる。そりゃそうだよね。普通、クラスメイトの名前を呼ぶ練習をするヤツなんていないよね。
うがぁーっ! 恥ずかしくて死にそうだ! 絶対誰にも言わないつもりだったことなのに!
「そういうわけだから、姫路さんは姫路さんのままってことで! いいよね!」
この話はこれでおしまい! さっさと終わらせて記憶から抹消《まっしょう》しよう! そうじゃないと僕の精神が崩壊する!
「わかりました。そういうことなら、今は許してあげます」
「そ、そっか……。ありがとう姫路さん……」
「それに、女の子として意識されていなかった頃とは違う呼び方っていうのは、ある意味嬉しい気もしますし、ね」
「へ?」
それってどういう意味で──
「それじゃ、明久君が恥ずかしい話を教えてくれたので、私も一つだけ秘密を教えてあげちゃいます」
「え? 姐路さんの秘密?」
それは気になる。凄く気になる。
「実は、ですね──」
姫路さんは声をひそめると、僕の耳元に口を寄せて、
「──私の初恋って、まだ続いているんです」
そう言って、僕の頬《ほお》に柔らかな何かを押しっけた。
あれ? これって……?
[#改ページ]
[#改ページ]
「ひひひ姫路さん!? 今何を──!?」
「さ、行きましょう明久君。折角の夏休みです。色々と遊びの計画を練らないといけませんからね」
「いや姫路さん! それどころじゃないよ! 僕の話を聞いてよ!」
「夏休み、楽しみですねっ」
「ちょっと姫路さんってば!」
明日から始まる僕らの本当の夏休み。
今年はどんなことが起きるんだろう。
「ところで姫路さん」
「なんですか、明久君?」
「もしも仮に、万が一の話だけど──例えば僕が姫路さんの料理について何か厳しいことを言ったら、どうする?」
「そんなの、決まってます」
「決まってるって?」
「勿論、上手くなる為に毎日作ってきて食べてもらいます! 継続《けいぞく》は力なり、です!」
「だ、だよね! 姫路さんならそう考えるよね!」
「はいっ」
返ってきたのは、予想通りのリアクション。すぐ改善《かいぜん》するとは思えない事象《じしょう》である以上、余計なことを言うのは避けておくべきだ。これは遠慮とか心の距離とかじゃなくて、純粋に命の安全の為だ。だから、これからも彼女の料理についての感想はひた隠しにするべきだろう。毎日の地《じ》獄《ごく》を、避けるために。
[#中央揃え]☆
「おい明久。海に行くと言っても、どこの海に行くんだ?」
「確か、僕が小さな頃に行ったことのある場所だったと思うけど……」
「海、ねぇ……。ウチはできれば山の方がうれしかったんだけどね……」
「わ、私もです……」
「ボクは海とかプール大好きだけどなー」
「……私も嫌いじゃない」
海に行く時の計画を立てるために僕の家に皆で集まる。
車を出してもらえるってことは、朝早くに家を出れば海で遊んだあとに他の場所を巡《めぐ》って帰ってきたりすることもできる。事前の下調べは重要だろう。
「近くで祭なんかがあると良いのじゃが」
「あ。それいいね。どこかにないかなぁ……?」
「…………水着に浴衣《ゆかた》……生きて帰って来られるか……」
ムッツリーニのことは僕も心配だ。身体《からだ》も、頭も。
Prrrrr!
「あ、ごめん。電話だ。ちょっと外すね」
「おう。行ってこい」
携帯電話《けいたいでんわ》を持ってリビングを出る。誰から──って、姉さんか。どうしたんだろう。
『もしもし、アキくんですか』
「うん。どうしたの姉さん?」
『前に話していた海に行く件ですが』
「あ、ちょうど良かった。こっちでも色々と調べていたんだよ」
『そうですか。それで、行き先ですが……』
「うん」
『昔泊まったことのあるペンションを借りることにしました』
「え……? ペン……ション……?」
『はい。ペンションです』
「あのさ、姉さん」
『なんでしょうか』
「それって、もしかしなくても、泊まり……だよね?」
『はい。ちょっと遠出になるので泊まりの旅行にしようかと』
「あ、そ、そうなんだ。それは楽しみだね。あははははは」
『どうしましたかアキくん。何か不都合な点でも?』
「ああ、いや。雄二とか[#「とか」に傍点]も誘っちゃったから、一緒じゃまずいかなぁ〜なんて」
『いいえ。別に構いませんよ。姉弟水入らずはいつでもできますし、雄二くんには前の試験でご迷惑をおかけしましたからね』
「そっか! 良かった! それじゃ、雄二とか[#「とか」に傍点]もOKなんだね!」
『ええ。そう言っていますが』
「わかったよ! ありがとう姉さん! それじゃあね!」
『アキくん。わかっているとは思いますが女の子は──』
ブツッ
「……さて。これは想定外だ……」
『海ですか〜。準備は大変ですけど、楽しみでもありますね』
『ウチも今度こそきちんと水着を用意していかないとね』
『ボクも新しいの買ってきちゃおうかな〜』
『……楽しみ』
『夏らしい遊びで良いのう』
リビングから聞こえてくる華やかな声。
僕が今からやるべきことは二つ。
一つは、この旅行が泊まりだったという事実を皆に説明すること。
もう一つは……
「あの、もしもし? 救急病院ですか?」
もう一つは、女子も一緒だと知った姉さんの体罰《たいばつ》に耐《た》える為、輸血パックを用意しておくことだ。
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あとがき[#「あとがき」は太字][#地から5字上げ]井上堅二《いのうえけんじ》
本当にごめんなさいっ!![#3段階大きな文字]
突然の謝罪文から失礼します。小説担当の井上堅二です。
実は、前の巻(バカとテストと召喚獣5)のテスト問題に誤記がありました。まずはそちらについての訂正《ていせい》と謝罪をさせて下さい。該当箇所は第七問になります。
[#ここから改行天付き、折り返して12字下げ]
誤)『紀元前 334年 アケメネス朝ペルシアの最後の国王(  )による(  )が始まる』
正)『紀元前 334年 アケメネス朝ペルシアの最後の国王となるダレイオス三世を破った、(  )による(  )が始まる』
[#ここで字下げ終わり]
アケメネス朝ペルシアの最後の国王は ダレイオス三世 =m#「 ダレイオス三世 =vは太字]であり、またアレクサンドロス大王はイッソス・アルベラの戦いで敗北などしておりません[#「敗北などしておりません」は太字]。
現代学園物のバカテスに何故《なぜ》か架空戦史が混入されるという結果になってしまいました。今後は同じ過ちを繰り返さないようにしっかりと勉強していきたいと思います。大変申し訳ありませんでした。
さて。そんなことを書いておきながら舌の根も乾かぬうちに恐縮ですが、今回も例の如く適当な雑談をさせて頂きたいと思います。宜《よろ》しければもう少々お付き合い下さい。
それは僕が大学生になってしばらく経った頃の冬の話です。
正月ということで久々に家族全員が集まり、僕と兄と両親で珍しく酒を呑《の》みました。大きくなった息子たちと酒を呑むのが嬉しかったのか、父はいつも以上のペースでぐいぐいと酒を呑むと、すぐに酔いつぶれて眠ってしまいました。
そして、母も慣れない酒のせいか、随分《ずいぶん》と酔ってテンションが上がっていました。
そんな折りに母がこんなことを言い出しました。
[#この行天付き、折り返して2字下げ]母「お父さんはね、昔から私にベタ惚《ぼ》れなんだから」
本人が寝ているのをいいことに、真偽の確認ができない惚《のろ》気《け》を話し始める母。酒に強くて全然酔っていない兄は苦笑いながら「はいはい」と相づちを打っていました。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
母「お父さんはず〜っとお母さん一筋でね、」
兄「そっかそっか。それは良かった」
母「浮気の心配なんて一つもなかったんだから」
[#ここで字下げ終わり]
正直なことを言えば、たとえ相手が両親であれ、人の惚気話というものはあまり好奇心をそそられるものではありません。僕も兄も少し困りながらその話を聞いていました。
[#この行天付き、折り返して2字下げ]兄「それじゃ、二人の馴《な》れ初《そ》めは?」
付き合いの良い兄が母に質問を投げかけます。両親の出会い。惚気話よりは気になる内容です。この二人はどうやって出会い、どのような経過を辿って今に至っているのでしょうか。これは言わば僕という個人のルーツを辿《たど》る話。少しは興味が湧いてきます。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
母「え〜っとねぇ、私とお父さんは会社が一緒でね、」
僕&兄「ふむふむ」
母「確か、私たちの出会いは──」
[#ここで字下げ終わり]
酔った頭で記憶を掘り起こす母。
優しい母と尊敬できる父。この二人の出会いは……
[#この行天付き、折り返して2字下げ]母「私がお父さんに『いやらしいわね!』って怒鳴りつけたのが最初だったと思う」
父への敬意が一瞬で消し飛びました。
兄「親父は一体何をしたんだ」
兄も驚きを隠せない様子。
無理もありません。およそ思いつく限り、その一言から始まるのはおそらく恋愛ではなく刑事訴訟。二人の逢《おう》瀬《せ》は裁判所なんて話を聞かされたら、僕らは子供としてどういった反応を見せたら良いのでしょう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
僕「何があってそんなことを言ったのさ」
母「『いやらしいわね!』って?」
僕「うん」
[#ここで字下げ終わり]
母は(本人|曰《いわ》く)お嬢様《じょうさま》学校の出身だとか。ということは、周りから見たらなんでもないような行動なのに大げさに騒いだという可能性だって考えられます。そもそも、この二人は最終的には結婚しているのです。そんなに大したことなんてあるわけが
[#この行天付き、折り返して2字下げ]母「夜にエレベーターでお父さんと二人きりになってね、そうしたらお父さんが」
いかん。犯罪臭がする。
[#この行天付き、折り返して2字下げ]兄「ってか、そこから結婚まで持って行った親父ってある意味|凄《すご》いな……」
隣で兄が呟《つぶや》きました。確かにそれは同感です。『仕事で地位を築いた立派な父』から『罵《ば》声《せい》の出会いを結婚につなげた男』と、その印象はガラリと変わってしまいましたが、それはそれで凄いことです。惜しむらくは、その手腕が息子である僕には継承されなかったということ。親は子供に勉強以外の大事なことも教える義務があるというのに……! 尚、近頃は母に電話で『結婚だけが人生じゃないからね』と励まされるようになりました。アンタはアレか。そんなに息子を苛《いじ》めて楽しいか(※ちなみに父の行動は犯罪行為ではありませんでした。母の心証はかなり悪かったようではありますが)。
などというくだらない話はこのくらいにしておいて、そろそろ恒例《こうれい》の御礼でも。
イラストの葉賀《はが》さん。口絵の玲《あきら》があまりに可愛《かわい》過《す》ぎます……! 眼福《がんぷく》じゃぁーっ!
デザイナーのかがやさん。毎度毎度短い期間でのデザインになってすいません……。
担当編集のN様。次は、次こそは計画通りに……! いつもごめんなさい……。
そして、読者の皆様。おバカな話に付き合って下さって誠にありがとうございます。また、間違いを指摘して下さった方々。本当に助かりました。皆様のおかげで僕はこうしてなんとかやっていけています。宜しければ今後もお付き合い頂けると嬉しいです。
さて。次回の予定ですが、おそらく短編集になるかと。皆様が待ち侘びていた『秀吉《ひでよし》&優《ゆう》子《こ》』の話を筆頭に『海のお泊まり会(前編&後編)』などを収録予定です。恋愛色の強くなってきた本編よりもノリの良いテイストになっているので、純粋なバカをお求めの方にお勧《すす》めです。あとは翔子《しょうこ》が雄《ゆう》二《じ》を好きになった切欠《きっかけ》の話も書く予定なのですが……こちらは初の三人称で書かれるコテコテの恋愛物です。いつものバカテスとは異なる話になるので、皆様の感想が非常に怖いです。でも、今度は総受けとか言わないで済むようにネット巡回は自粛《じしゅく》しないと……!!
ではでは。また次回、バカテスの舞台でお会いしましょう。
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あとがき[#「あとがき」は太字][#地から5字上げ]葉賀ユイ
今回は暑苦しく始まったので…
むさ苦しい絵で〆てみました!
翔子さん以外にはうれしくないですね!
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ファミ通文庫
バカとテストと召喚獣《しょうかんじゅう》6[#2段階大きな文字]
二〇〇九年五月一一日 初版発行
著  者 井上堅二《いのうえけんじ》
発行人  浜村弘一
編集人  森 好正
発行所  株式会社エンターブレイン
担  当 長島敏介
デザイン かがやひろし
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