バカとテストと召喚獣 3
井上堅二
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)吉井明久《よしいあきひさ》
|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)吉井|明久《あきひさ》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#改ページ]
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井上堅二
Kenji Inoue
3巻の表紙を見て思ったこと。「ダメだダメだダメだ! 僕には秀吉がいるのに! でも、ああでも翔子も……!」著者は相変わらず元気です。東京生まれの札幌育ち。2巻では美波の口絵イラストに葉賀ユイさんの本気を見て戦きました。よ、容赦がない……。だが、これこそが僕のイメージ通りの姿! ちなみに高橋女史も大好きです。
葉賀ユイ
Yui Haga
王子生まれの幕張育ち。歴史の勉強が第一の趣味で、池袋ジュンク堂の歴史コーナーに長時間居座っている時が幸せです。挿絵の指定にムッツリーニがいた時と同じくらい幸せ。「ロッテのおもちゃ」(電撃マ王/メディアワークス刊)もチェックしてくれたらさらに幸せです!
http://hagayui.sakura.ne.jp/[#底本「http://haga.neko.ne.jp/」移転修正]
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学園強化合宿を翌日に控えたある日、明久《あきひさ》のロッカーに一通の手紙が置かれていた。「こ、これはもしや……!」胸ときめかせながら封を切る明久だが、その中身は「あなたの秘密を握っています」という脅迫文と、明久の恥ずかしい写真の数々だった! 犯人を探し出すため、やはりここは女子風呂を覗《のぞ》くしかない!? さあ行け! 我らがムッツリーニ! 「あ、あれ? 僕の出番は?」(by明久)
超人気御礼! 青春エクスプロージョン系ラブコメ第3弾!
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バカとテストと召喚獣 3
井上堅二[#地から2字上げ]ファミ通文庫
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[#地から3字上げ]口絵・本文イラスト/葉賀ユイ
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バカとテストと召喚獣 3  CONTENTS
第一問  P.6
第二問  P.28
第三問  P.76
第四問  P.108
第五問  P.138
第六問  P.190
第七問  P.222
最終問題 P.242
あとがき P.250
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「翔子《しょうこ》」
「……隠し事なんてしていない」
「まだ何も言っていないぞ?」
「……誘導尋問《ゆうどうじんもん》は卑怯《ひきょう》」
「今度誘導尋問の意味を辞書で調べて来い。んで、今背中に隠したものはなんだ?」
「……別に何も」
「翔子、手をつなごう」
「うん」
「よっと──ふむ、MP3プレーヤーか」
「……雄《ゆう》二《じ》、酷《ひど》い……」
「機械オンチのお前がどうしてこんなものを……。何が入ってるんだ?」
「……普通の音楽」
──ピッ ≪優勝したら結婚しよう。愛している、翔子≫
「…………」
「……普通の音楽」
「これは削除して明日返すからな」
「……まだお父さんに聞かせてないのに酷い……。手もつないでくれないし……」
「お父さんってキサマ──これをネタに俺を脅迫《きょうはく》する気か?」
「……そうじゃない。お父さんに聞かせて結婚の話を進めてもらうだけ」
「翔子、病院に行こう。今ならまだ2、3発シバいてもらえば治るかもしれない」
「……子供はまだできてないと思う」
「行くのは精神科だ! ──ん? ポケットにも何か隠してないか?」
「…‥これは別に大したものじゃない」
「え〜、なになに?『私と雄二の子供の名前リスト』か。……ちょっと持てやコラ」
「……お勧めは、最後に書いてある私たちの名前を組み合わせたやつ」
「『しょうこ』と『ゆうじ』で『しょうゆ』か。……なぜそこを組み合わせるんだ」
「……きっと味のある子に育つと思う」
「俺には捻《ひね》くれ者《もの》に育つ未来しか見えない」
「……ちなみに、男の子だったら『こしょう』が良い」
「『しょうゆ』って女の名前だったのか……」
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バカテスト 国語[#「バカテスト 国語」は太字]
【第一問】[#3段階大きな文字]
傍線部『私』がなぜこのような痛みを感じたのか答えなさい。
父が沈痛の面持ちで私に告げた。
『彼は今朝早くに出て行った。もう忘れなさい』
その話を聞いた時、私は身を引き裂かれるような痛みを感じた[#「私は身を引き裂かれるような痛みを感じた」に傍線]。彼のことはなんとも思っていなかった。彼がどうなろうとも知ったことではなかった。私と彼は何の関係もない。そう思っていたはずなのに、どうしてこんなにも気持ちが揺れるのだろう。
姫路瑞希の答え[#「姫路瑞希の答え」は太字]
『私にとって彼は自分の半身のように大切な存在であったから』
教師のコメント[#「教師のコメント」は太字]
そうですね。自分の半身のように大切であった為、いなくなったことで『私』はまさに身を引き裂かれたかのような痛みを感じたということです。
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吉井明久の答え[#「吉井明久の答え」は太字]
『私にとって彼は自分の下半身のように大切な存在だったから』
教師のコメント[#「教師のコメント」は太字]
どうして下半身に限定するのですか。
土屋康太の答え[#「土屋康太の答え」は太字]
『私にとって彼は下半身の存在だったから』
教師のコメント[#「教師のコメント」は太字]
その認識はあんまりだと思います。
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新学年になって二ヶ月が経過し、日没《にちぼつ》の時刻にはっきりとした変化を感じ始めるこの時期。程よい気温でよく眠れたせいか、僕はいつもより少し早い時間に登校していた。
「む? 今朝は早いのう明久《あきひさ》」
教室に足を踏み入れると、クラスメイトが僕に話しかけてきた。小さな顔にクリクリと大きな瞳《ひとみ》。喋り方は少し変わっているけど、誰もが認める絶世《ぜっせい》の美少女。
「おはよう秀吉《ひでよし》。なんか早く目が覚めちゃってね」
そんな外見を持つ彼の名前は木下《きのした》秀吉。僕のクラスメイトで、最近性別の壁という概念《がいねん》を僕から取り去りつつある危険な友人だ。
「おはようじゃ。さてはお主《ぬし》、明日からの強化合宿で浮かれておるな?」
そう告げる秀吉の顔も明るい。おかげでいつもより更に笑顔が可愛《かわい》らしく見えた。
「あはは。そうかもしれないね」
先の学園祭で再び手に入れることができた畳《たたみ》を踏みしめ、卓《ちゃ》袱《ぶ》台《だい》に鞄《かばん》を下ろす。卓袱台はみかん箱と違って荷物を載《の》せてもビクともしないのがありがたい。
「学力強化が目的とは言え、皆で泊りがけなのじゃ。楽しみになるのは仕方がないじゃろうな。無論ワシとて胸が躍《おど》っておるしの」
「やだなぁ。胸が躍るって言うほど大きくないくせに」
「いや、ワシの胸は大きくなっては困るのじゃが……」
秀吉とのそんな何気ない日常会話を楽しみながら、鞄の中身をロッカーに移す。
「でも、確かに四泊五日なんて修学旅行みたいだから楽しみで──」
と、その時。カサ、と手の先に何かが触れる感触がした。
「ん? なんだろう?」
ロッカーの中身は昨日|鉄人《てつじん》に殆《ほとん》ど没収されたから空になっているはずなんだけど。
疑問に思って中を覗《のぞ》き込んでみると、空っぽであるはずのロッカーに見覚えのない封筒が入っていた。手紙だろうか?
≪吉《よし》井《い》明久様へ≫
宛《あて》名《な》の欄に僕の名前が書いてある。
「──っ!!」
ま、まさかこれは……ラブレター?
「うん? どうしたのじゃ明久?」
おおお落ち着け吉井明久。万が一僕がこんな手紙を貰《もら》っていることが発覚したら、ここのクラスメイトたちは嫉《しっ》妬《と》に狂って間違いなく僕を処刑しようとするだろう。そんなことは今までの経験から充分わかっている。ここはとにかく平静を装うんだ!
「What's up, Hideyoshi? Everything goes so well...」
「異常事態じゃな」
バカな! 一撃でバレるとは!?
「さ、流石《さすが》は秀吉……。僕の完璧な演技を一瞬で見破るなんて……」
「いや、演技以前に言語の問題なのじゃが……」
やっぱり演劇部のホープは伊達《だて》じゃない。
「と、とにかく大したことじゃないから、見なかったことにしてくれない?」
両手を胸の前で合わせてお願いのポーズを取る。演技が通じないなら情に訴《うった》えよう。
「む、むぅ……。明久がそう言うのであれば深くは問わんが……」
すると、秀吉は疑いの表情を浮かべるものの、この場は引いてくれた。なんて優しいんだろう。
「ありがとう助かるよ! それじゃっ!」
見えないように手紙を鞄にしまい、僕はダッシュで教室を後にした。
時間は──大丈夫。手紙を読む時間くらいは充分にある。尾《び》行《こう》の気配がないから、クラスの皆にはバレずに済んだと見て良さそうだ。
「もしかすると、僕にもいよいよ春が……!」
はやる気持ちを抑え、早足で階段を昇る。
「よいしょっ──と」
屋上へと続く重い鉄扉を押し開くと、その向こうには澄み渡る青空が広がっていた。
「良かった。誰もいない」
思わずそんな独り言が口をつく。
強い日差しから逃れるように涼しげな日陰に腰を下ろし、鞄から手紙を取り出した。
「これ、誰がくれたのかな……?」
差出人の名前は封筒には書かれていない。一体どんな子が、どんな想いを込めて僕にこの手紙を贈ってくれたのだろうか。そんなことを考えるだけで胸が高鳴る。
不意に、サァ──と穏やかな風が僕の身体を包みこんだ。その風には少し先に待つ夏と過ぎ去ろうとしている春、その二つの気配が混ざっているような、そんな気がした。
しばらく目を閉じて気持ちを落ち着けてから、ゆっくりと手紙の封に手をかける。緊張しているせいか、中身を取り出すのに少しだけ手間取った。
今日は最高の日だ。こんなにも僕を幸せな気分にしてくれる物が溢《あふ》れているのだから。
僕に注ぐ心《ここ》地《ち》好い日差し。
広く大きく澄み渡る青空。
涼しく吹き込む爽《さわ》やかな微風。
『あなたの秘密を握っています』
僕を脅かす脅迫文《きょうはくぶん》。
「最悪じゃあ───っっ!!」
僕にとっての春は、まだまだ遠かった。
[#中央揃え]☆
「明久。一体何があったのじゃ?」
教室に戻った僕を見て、秀吉が心配そうに声をかけてきた。
「べ、別になんでもないよ。あははっ」
ラブレターだと思っていた手紙が実は脅迫状だったなんて、そんなの恥ずかしくて言えない。僕のプライドにかけて、ここは是《ぜ》が非《ひ》でも隠し通しておきたいところだ。
「ウソばっかり。さっき窓から妙な叫び声が聞こえてきたし、何か隠してるでしょ?」
「あ、美《み》波《なみ》。おはよう」
秀吉の陰から現れたのは、クラスメイトでドイツからの帰国子女の島《しま》田《だ》美波さん。ポニーテールと勝気な吊《つ》り目《め》がトレードマークの女の子だ。
「おはようアキ。それで、何を隠しているのかしら? まさか……」
美波の目がいつもより更に吊り上がる。攻撃態勢まであと一歩の状態だ。
「やだなぁ美波。本当に何も隠してなんか」
「まさか、またラブレターを貰ったなんて言わないわよね?」
「美波、言葉に気をつけるんだ。ラブレターという単語に反応して皆が僕に向かってカッターを構えている」
相変わらず恐ろしいクラスメイト達だ。級友を刺《し》殺《さつ》するのに何の躊躇《ためら》いもないなんて普通じゃない。
「皆、カッターはまだ早いわ。落ち着きなさい。だいたい、どう考えてもアキがラブレターなんてもらえるわけないでしょう? 隠しているのは別の物に決まっているわ」
片手を上げて殺《さっ》気《き》立《だ》つ皆を制する美波。
彼女の予想は正しいけど、その言い方はどうかと思う。僕にだってプライドがあるんだから、そこまで言われると否定だってしたくなる。こうなれば意地でも正直に答えるものか! 売り言葉に買い言葉だ!
「ふふん! そのまさかさ! 今朝僕の靴箱《くつばこ》にラブレターが」
ドスッ!(カッターが畳に刺さる音)
「次は耳よ」
「心の底からごめんなさい」
プライド? 何ソレ? 食べられるの?
「それじゃ、正直に答えなさい。何を隠しているの?」
「はい。実は僕が隠していたのは、きょ──」
脅迫状なんです、と言いかけて僕は思った。
──脅迫って人に話しちゃうとまずいんじゃなかったっけ?
よくTVとかでも脅迫犯が『警察や他人には知らせるな』なんて言ってるし、脅迫されているという事実が多くの人に知られるのは僕としても避けたい。これはなんとかしてごまかさないと! どうする、吉井明久!?
「きょ、きょ……」
一瞬、走《そう》馬《ま》灯《とう》のように時間がゆっくりと流れる。
走馬灯は人が窮地《きゅうち》に瀕《ひん》した際、今までの経験からその窮地を脱する方法を探すために脳が見せる記憶だという話を聞いたことがある。
「『きょ』何よ?」
この時、僕の脳は窮地を脱するために、昨夜のテレビの記憶を呼び覚ましていた。
「きょ、競泳《きょうえい》用水着愛好会の勧誘文!」
ああっ! よりによって昨日の特集、『競泳選手密着24時 〜栄光のオリンピックを目指して〜』が脳《のう》裏《り》をよぎるなんて!
……というか、コレは本当に僕の脳が真剣に考えた窮地を脱する方法なのだろうか? 少しだけ僕は自分の脳が不安になってきた。
「ほ、本当なの、アキ?」
勿論嘘《もちろんうそ》に決まってる。
でも、そんなことを言ったら『じゃ、何を隠しているの?』と返されてしまう。こうなった以上、僕の脳が導《みちび》き出《だ》した方法を信じるしかない。
「勿論本当さっ!」
少し引き気味の美波を無理矢理信用させるように力強く断言する。
「そ、それにしては捨てる素振《そぶ》りがなかったけど……。もしかして、入会する気なの?」
「ま、まぁね! 前から興味があったからね!」
いけない! 本当に引き返せないところまで来ている!
「そ、そうだったの。初耳だわ……」
うん。言った本人も初耳だ。
「でも、よりによって普通の水着じゃなくて競泳用だなんて……。一体どのへんに興味を持ったの?」
さぁ困った。
ハッキリ言って僕は競泳用水着についての知識は欠片《かけら》も持ち合わせていない。
とにかく昨日のテレビから得た知識で答えないと……。
「そ、それは……」
「うん」
思い出せ! テレビを観ていて何が印象に残ったんだ吉井明久!
あの時最も印象に残ったのは──
「──密着《みっちゃく》具合」
僕は変態か。
「島田。わかっておるとは思うのじゃが一応言っておくと、今のも全部明久の嘘じゃからな? 明久にそんな趣味があるわけなかろう?」
「えぇっ!? 凄いリアルなウソだったから危《あや》うく騙《だま》されるところだったじゃない!」
「傷ついた! 今の一言で僕は毎晩枕を涙で濡《ぬ》らすほどに傷ついた!」
そんなに競泳用水着に興味を抱いていそうに見えるのだろうか。
「これが最後よ。今度こそ正直に言いなさい。何があったの?」
いい加減正直に言わないと犯人以前に美波に殺されそうだ。
「実は、今朝僕宛てに脅迫文が届いていたんだ」
「あ、なんだ。良かったぁ……」
脅迫状と聞いて胸を撫《な》で下《お》ろすクラスメイトに疑問を抱かないわけでもない。
「して、その脅迫状にはなんて書いてあったのじゃ?」
美波とは対照的に、秀吉は心配そうに僕に声をかけてくれた。この優しさが僕の荒《すさ》んだ心に染《し》み渡《わた》る。秀吉に僕評価プラス1だ。
「これには『あなたの傍《そば》にいる異性にこれ以上近付かないこと』って書いてあるんだ」
「ふむ。その文面から察するに、手紙の主は明久の近くにおる異性に対してなんらかの強い気持ちを抱いておるな。大方嫉妬じゃろうが。つまり──」
「うん。手紙の主はこのクラスのたった二人の異性、つまり姫《ひめ》路《じ》さんか秀吉に好意を寄せているヤツだってことがわかるね」
「明久。金属バットを取りに行った島田が戻ってこないうちに逃げるのじゃ」
え? 僕の推理間違ってた?
「ところで何をネタに脅迫を受けておるのじゃ?」
「あ、そういえばまだ知らないや。なになに、『この忠告を聞き入れない場合、同封されている写真を公表します』か。写真って、こっちの封筒に入っているやつかな?」
丁度《ちょうど》写真が入るようなサイズの封筒が同封《どうふう》されていたので、その中身を改める。そこに入っていたのは三枚の写真だった。
一枚目を手にとって確認する。写っていたのは──メイド服姿の僕。
「この前の学園祭の服装じゃな」
「い、いつのまに撮影なんて……」
「こうして改めて見ると、やはり似合っておるのう」
「それ、全然|嬉《うれ》しくないよ……」
思わず溜息《ためいき》が出てしまう。こんなものが写されているのなら秀吉にも見えないように した方が良いだろう。
そんなわけで、僕以外には見えないように隠しながら二枚目を見る。
二枚目に写っていたのは……メイド服姿の僕(パンチラ☆エディション)。
「…………」
「明久。どうしたのじゃ?」
「……トランクスだからセーフ、トランクスだからセーフ、トランクスだから……」
「あ、明久!? 自我が崩壊《ほうかい》するほどのものが写っておったのか!?」
大丈夫、僕は強い子だ! このくらいなんともないねっ! 脅迫なんか怖くないさ!
気合を入れて三枚目。
写っていたのは──ブラを持って立《た》ち尽《つ》くす僕(着替え中メイド服|着《き》崩《くず》れバージョン)。
「もういやぁぁぁっっ!」
「何じゃ!? 一体何が写っておったのじゃ!?」
「見ないで! こんなに汚れた僕の写真を見ないでぇっ!」
「よ、よくわからんが落ち着くのじゃ! 皆が注目しておるぞ!」
言われてみると周囲の視線が痛い。落ち着こう。今注目を集めるのはまずい。
「はぁ、はぁ、はぁ……。恐ろしい威力だった……。これは僕を死に追い詰める為の卑《ひ》劣《れつ》な計略と言っても過《か》言《ごん》じゃない……」
「考えすぎではないかのう。メイド服くらい、人間一度は着るものじゃ」
それは絶対嘘だ。
秀吉の明らかに一般人とは異なる意見にツッコミを入れようとしていると、
「明久君、木下君、おはようございます」
後ろから癒《いや》し系《けい》の可愛らしい声が聞こえてきた。
「この声は──やっぱり姫路さんか。おはよう」
「姫路か。おはよう。今朝は遅かったんじゃな」
「はい。途中で忘れ物に気がついて一度家に帰ったので、ギリギリになっちゃいました」
そうやってはにかむ笑顔が元々の魅力《みりょく》と相まってとても輝いて見える。彼女は男だらけの暑苦しいFクラスにおける皆の清涼剤、姫路|瑞《みず》希《き》さんだ。
「丁度良い。先ほどの写真が騒ぐほどの物ではないと姫路に証明してもらうとしようかの。姫路、少々良いか?」
姫路さんの姿を見て、秀吉が急にそんなことを言い出した。
「はい、なんでしょうか?」
「うむ。姫路に質問なのじゃが、明久のメイド服姿の写真があったらどう思うかのう?」
正直、その切り込み方はどうかと思う。
「う〜ん、そうですね……」
姫路さんがここで嫌悪感を現すようなら、この写真の公表はなんとしても避けないといけない。僕の限りなく底辺《ていへん》に近い評価を更に下げてしまわない為に!
「もしそんな写真があったら──とりあえず、スキャナーを買います」
意気込む僕をよそに、姫路さんの口から漏《も》れた答えはちょっと変わったものだった。
「へ? スキャナー? なんで?」
理解しにくい返答に、思わず質問してしまう。スキャナーなんて何に使うんだろう。
「だって、その……」
問われた姫路さんは少し恥ずかしそうに頬《ほお》を染《そ》めてこう答えた。
「そうしないと、明久君の魅力を全世界にWEB《ウェブ》で発信できないじゃないですか……」
「明久落ち着くのじゃ! 飛び降りなんて早まった真似をするでない!」
「放して秀吉! 僕はもう生きていける気がしないんだ!」
やっぱり僕は姫路さんに嫌われているんだろうか?
「そ、そうじゃ! ムッツリーニじゃ! ムッツリーニならばこの手の話には詳しいはずじゃ! 事情を説明して──」
「ムッツリーニに笑われる?」
「違う! 事情を説明して脅迫犯を見つけ出してもらうのじゃ!」
「おおっ! なるほど!」
そうか! まだ諦《あきら》めるには早かった! 盗撮《とうさつ》や情報収集のエキスパートとも呼ばれるムッツリーニなら脅迫犯を突き止められるかもしれない! そうすればこの写真を取り戻すことだって……!
「ナイスアドバイスだよ秀吉! 流石は僕のお嫁さんだ!」
「婿《むこ》の間違いじゃろう!?」
「あの……どっちも間違いだと思いますけど……」
早速相談しようとムッツリーニを探す。すると、教室の隅で小さくなって誰かと話をしているヤツの姿が見えた。
「それじゃ、僕はムッツリーニに話があるから!」
姫路さんと秀吉に手をあげて教室の隅に向かう。
「ところで、明久君のメイド服姿がどうとか……」
「ひ、姫路! ワシと話でもせんかの!?」
後ろでは秀吉が姫路さんを足止めしてくれていた。ううっ。良い嫁だ……。
「助けてムッツリーニ! 僕の名《めい》誉《よ》の危機なんだ!」
ムッツリーニのいる席に倒れ込むように駆け寄る。すると、僕の行く手を遮《さえぎ》るように大きな身体が邪魔をしてきた。
「後にしろ。今は俺が先約だ」
「あれ? 雄《ゆう》二《じ》?」
目的地に先に陣取っていたのは、僕の悪友でありFクラスの代表でもある坂本《さかもと》雄二だった。いつものツンツン頭が少し萎《しお》れているように見えるけど、何かあったんだろうか。
「ムッツリーニ、何の話?」
「…………雄二の結婚が近いらしい」
雄二と話をしている小柄な男は土《つち》屋《や》康《こう》太《た》。その旺盛《おうせい》な(性方面への)知識欲とそれを隠そうとするひたむきな姿に敬意を表し、僕らはムッツリーニと呼んでいる。
「雄二と霧島さんの結婚? そんな既《すで》に決まってることより、僕が校内の皆に女装趣味の変態として認識されそうってことの方が重要だよ!」
「なんだと? お前が変態だなんて、それこそ今更だろうが!」
「黙れこの妻帯者《さいたいしゃ》! 人生の墓場へ還《かえ》れ!」
「うるさいこの変態! とっととメイド喫茶へ出勤しろ!」
「…………」
「…………」
「…………傷つくならお互い黙っていればいいのに」
な、泣いてないねっ! これは今朝食べた塩と水が目から出てきただけさ!
「で、でも、まだ結婚の話程度で済んで良かったじゃないか。僕はてっきり、あのペースだともう子供が出来たことにされているのかと──」
「……明久。笑えない冗談はよせ」
え? なに? 笑えないの?
「そこまで言うなら一応話を聞くよ。雄二に何があったの?」
「一応ってのが癇《かん》に障《さわ》るが、まぁいいだろう。実は今朝、翔子がMP3プレーヤーを隠し持っていたんだ」
「MP3プレーヤー? それくらい別にいいんじゃないの? 雄二だって前に学校に持ってきてたし」
その後鉄人に没収されてたけど。
「いや、アイツは結構な機械オンチだからな。そんな物を持っていて、しかも学校に持ってくるなんて不自然なんだ」
霧島さんは機械オンチなのか。頭の良さとそういうのってあまり関係がないのかな。
「そこで怪しく思って没収してみたんだが、そこには何故か捏造《ねつぞう》された俺のプロポーズが録音されていたんだ」
「…………」
一瞬、先の召喚大会の準決勝シーンが僕の頭をよぎる。そのプロポーズを捏造してしまったのが自分だという事実に少しだけ罪悪感が湧いてきた。
けどまぁ、好きな人の告白の台詞《せりふ》を記録しておきたいなんて、可愛い乙女心《おとめごころ》じゃないか! 笑って許してあげるべきだ!
「き、霧島さんは可愛いねっ! そんな台詞を記念にとっておきたいなんて──」
「いや。婚約《こんやく》の証拠として父親に聞かせるつもりのようだ」
罪悪感で押《お》し潰《つぶ》されそうだ。
「MP3プレーヤーは没収したが、中身は恐らくコピーだろうし、オリジナルを消さないことには……」
そう言って雄二が取り出したものはどう見ても再生専用のプレーヤーだ。その中身を消したところで問題の解決にはならないだろう。
「そんなわけで、ムッツリーニにはその台詞を録音した犯人を突き止めてもらいたい。さっきも言ったようにアイツは機械オンチだからな。密《ひそ》かに集音機をしかけるなんてことができるわけないから、きっと盗聴に長《た》けた実行犯がいるはずなんだ」
あの時のことを思い出してみても、雄二の(秀吉の?)台詞を録音されていたような様子は記憶にない。となると、雄二の言う通り密かに集音機をしかけられていた可能性がある。その前の試合では姫路さんや美波の際《きわ》どいチャイナ姿もあったことだし、ソレを見て盗聴や盗撮を企てたヤツがいても不思議はない。
「…………明久は?」
と、ムッツリーニが僕の方を向いてきた。今度は僕の事情を聞いてくれるみたいだ。あまり長々と言いたい話でもないし、端的《たんてき》に説明しよう。
「実は、僕のメイド服パンチラ写真が全世界にWEB配信されそうなんだ」
「…………何があったの?」
その疑問はもっともだ。
「ごめん。端折《はしょ》り過《す》ぎた。要するにね──」
──事情説明中──
「──そんなわけで、その写真を撮った犯人を突き止めて欲しいんだ。写真を撮られた覚えなんてないから、きっと盗撮の得意なやつがこっそり撮影したんだと思う」
「なんだ。明久も俺と同じような境遇《きょうぐう》か」
「…………脅迫の被害者同士」
「こんなことで仲間ができても……」
そうやってそれぞれの説明を終えたところで、ガラガラと教室の扉が開く音が響いた。どうやら担任の先生がやってきたみたいだ。
「遅くなってすまないな。強化合宿のしおりのおかげで手間取ってしまった。HRを始めるから席についてくれ」
そう告げる担任こと鉄人──じゃなくて西村《にしむら》先生は手に大きな箱を抱えていた。きっと今言っていた強化合宿のしおりが入っているのだろう。
「…………とにかく、調べておく」
「すまん。報酬《ほうしゅう》に今度お前の気に入りそうな本を持ってくる」
「僕も最近仕入れた秘《ひ》蔵《ぞう》コレクションその2を持ってくるよ」
「…………必ず調べ上げておく」
ムッツリーニも快《こころよ》く引き受けてくれたので、鉄人に睨《にら》まれないうちに素《す》早《ばや》く席に戻る。僕と雄二は特に目をつけられているので、こういった時くらいは目立たないようにしないと身体がもたない。
「さて、明日から始まる『学力強化合宿』だが、だいたいのことは今配っている強化合宿のしおりに書いてあるので確認しておくように。まぁ旅行に行くわけではないので、勉強道具と着替えさえ用意してあれば特に問題はないはずだが」
前の席から順番に冊《さっ》子《し》が回されてきたので、僕も一冊取って残りを後ろに回した。
「集合の時間と場所だけはくれぐれも間違えないように」
鉄人のドスの利いた声が響き渡る。
確かに集合時間と場所を間違えたらシャレにならない。学力強化が目的とはいえ、皆で泊り込みのイベントに参加できないなんて寂《さび》し過《す》ぎる。きちんとチェックしておこう。
パラパラと冊子を捲《めく》って集合時間と場所の書かれている部分を探す。
今回僕らが向かうのは卯《う》月《ずき》高原という少し洒《しゃ》落《れ》た避《ひ》暑《しょ》地《ち》で、この街からは車だとだいたい四時間くらい、電車とバスの乗り継ぎで行くと五時間くらいかかるところだ。
「特に他のクラスの集合場所と間違えるなよ。クラスごとでそれぞれ違うからな」
AクラスやBクラスはきっとリムジンバスとかで快適に向かうんだろう。そうなると僕らはやっぱり狭い通常のバスだろうか。もしかすると補助席や吊《つ》り革《かわ》かもしれない。いや、下手をすると担任が引率するだけなんてことも……
「いいか、他のクラスと違って我々Fクラスは──現地集合だからな」
『『『案内すらないのかよっ!?』』』
あまりの扱いに全級友が涙した。
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強化合宿の日誌[#「強化合宿の日誌」は太字]
【第二問】[#3段階大きな文字]
強化合宿一日目の日誌を書きなさい。
姫路瑞希の日誌[#「姫路瑞希の日誌」は太字]
『電車が停まり駅に降り立つと、不意に眩暈《めまい》のような感覚が訪れました。風景や香り、空気までもがいつも暮らしている街とは違う場所で、何か素敵なことが起きるような、そんな予感がしました』
教師のコメント[#「教師のコメント」は太字]
環境が変わることで良い刺激が得られたようですね。姫路さんに高校二年生という今この時にしか作ることのできない思い出が沢山できることを願っています。
[#改ページ]
土屋康太の日誌[#「土屋康太の日誌」は太字]
『電車が停まり駅に降り立つと、不意に眩暈のような感覚が訪れた。あの感覚はなんだったのだろうか』
教師のコメント[#「教師のコメント」は太字]
乗り物酔いです。
坂本雄二の日誌[#「坂本雄二の日誌」は太字]
『駅のホームで大きく息を吸い込むと、少し甘いような、仄《ほの》かに酸っぱいような、不思議な何かの香りがした。これがこの街の持つ匂いなんだな、と感慨深く思った』
教師のコメント[#「教師のコメント」は太字]
隣で土屋君が吐いていなければもっと違った香りがしたかもしれませんね。
[#改ページ]
車窓《しゃそう》から流れる緑の多い風景を見ていると、いつもの街から遠く離れた土地に来ていることが実感できる。電車に乗ってたったの一時間で随分《ずいぶん》と景色は様変《さまがわ》わりして見えた。
「あと二時間くらいはこのままですね」
僕の正面に座っている姫《ひめ》路《じ》さんが操《そう》作《さ》していた携帯電話をポケットにしまう。乗り換えの案内でも見ていたのだろう。
「二時間か。眠くもないし、何をしていようかな〜」
狭《せま》い車内でできることなんて限られている。携帯ゲーム機は没収《ぼっしゅう》されちゃうから持ってこなかったし、意外とすることがない。
隣に座っている雄《ゆう》二《じ》を見ると、僕と同じように退屈そうに欠伸《あくび》をしていた。
「雄二、何か面白いものはない?」
「鏡がトイレにあったぞ。存分に見てくるといい」
「それは僕の顔が面白いと言いたいのかな?」
「いや、違う。お前の顔は割と──笑えない」
「笑えないほど何!? 笑えないほど酷《ひど》い状態なの!?」
「面白いと言ったのはお前の守《しゅ》護《ご》霊《れい》のことだ」
「守護霊? そんなものが見えるの?」
「ああ、見えるぞ。血みどろで黒髪を振り乱している珍しい守護霊が」
「そいつはどう考えても僕を護《まも》っていないよね」
きっと世間では背後霊と呼ばれている存在だろう。
「安心しろ。半分冗談だ」
「あ、なんだ。ビックリしたよ」
「本当は茶髪だ」
「そこは一番どうでもいいよね!?」
多分全部冗談だろうけど、少し怖い。もう少ししたら怪談のシーズンだし、最近の僕の運のなさを考えると取《と》り憑《つ》かれていても──いやいや、そんなまさか。雄二に霊が見えるはずないよね。……一応あとで塩でもかぶっておこう。
「美《み》波《なみ》、何を読んでいるの?」
雄二の対面、つまり僕の斜《なな》め前に座っている美波は手帳ぐらいの小さな本を読んでいた。漢字が苦手な美波が本を読むなんて珍しい。ルビが振ってある本なのかな?
「ん、これ? これは心理テストの本。一〇〇円均一で売ってたから買ってみたんだけど、意外と面白いの」
心理テストか。丁度《ちょうど》良い暇《ひま》つぶしになりそうだ。
「へぇ〜。面白そうだね。美波、僕にその間題を出してよ」
「うん。いいわよ」
そう答え、適当にページを捲《めく》る美波。
「それじゃいくわよ。『次の色でイメージする異性を挙《あ》げて下さい』」
色のイメージか。その色が似合う人って感じでいいのかな?
「『@緑 Aオレンジ B青』それぞれ似合うと思う人の名前を言ってもらえる?」
ふむふむ。緑とオレンジと青ね。
「えーっと──って、美波。そんな怖い顔で睨《にら》みつけられてると答えにくいんだけど」
「べ、別にそんなわけじゃ……! いいから早く答えなさい!」
「ん〜……順番に、『緑→美波 オレンジ→秀吉《ひでよし》 青→姫路さん』って感じかな」
ビリィッ!
美波の手元から凄い音がした。
「み、美波さん……? どうして本を真ん中から引《ひ》き裂《さ》いているのですか?」
「どうして……」
「はい?」
「どうしてウチが緑で瑞《みず》希《き》が青なのか、説明してもらえる?」
うわっ! なんか知らないけど凄い怒ってる! 心理テストでも怒られるなんて、僕はテストと名のつくものとは相性が悪いのだろうか?
「ど、どうしてと仰《おっしゃ》られましても……」
前に下着がライトグリーンだったから、なんて言ったら窓から投げ捨てられるだろう。
「怒らないから正直に言ってみて?」
「前に下着がライトグリーンだったから」
「坂本《さかもと》、窓開けて」
「捨てる気!? 僕を窓から捨てる気!?」
「島《しま》田《だ》。窓からゴミを捨てるな」
「雄二。美波を止めてくれてありがとう。でも、今サラッと僕をゴミ扱いしたよね?」
「いいのよ。ゴミじゃなくてクズだから」
「どうしよう。僕、ここまで酷い扱いを受けるのは久しぶりだよ」
「クズはきちんとクズカゴに入れるべきだ」
「そして雄二もクズを否定しないんだね……」
どうして僕はこんな目に遭《あ》っているのだろう。
人生の悲《ひ》哀《あい》を噛《か》みしめていると、雄二がヒョイと美波の手元から本(だったもの)を取り上げていた。
「あっ! ちょっと!?」
「どれどれ? 緑は『友達』、オレンジは『元気の源《みなもと》』、青は──なるほどなぁ」
雄二が僕と美波を交互に見て嫌な笑《え》みを浮かべている。異様に腹立たしい顔だ。
「さ、坂本! 返しなさいよ!」
「悪い悪い。面白そうだったもんで、つい借りちまった」
そうやって謝る雄二を美波はむ〜っとふくれっ面で睨んでいた。
「そう思うんなら雄二も参加したら?」
「そうだな。島田、俺もちょいと混ぜてもらえるか?」
「それはいいけど……。そ、それより、さっきの問題に深い意味はないんだからね!」
「ああ。わかってるって」
一体あの本に何が書いてあったんだろう。
「ワシも参加していいかの?」
その様子を見て秀吉がやってきた。ムッツリーニと二人で僕の後ろの席に座っていたけど、やっぱり退屈だったのだろう。
「別にいいけど」
美波はなぜか不満顔だ。まるで秀吉を妬《ねた》むようなことでもあったみたいだ。
「それはありがたい。……ところで明久《あきひさ》。さっきの答えじゃが」
「ん?」
「『次の色でイメージする異性[#「異性」に傍点]を挙げて下さい』とあったのじゃが、オレンジでイメージするのは誰じゃ?」
「秀吉」
「……少し、嬉《うれ》しいから困る……」
秀吉がうつむきがちにそんなことを言い出した。一体どうしたんだろう。
「ところでムッツリーニは参加しないの?」
「どうやら眠っておるようなのじゃ。色々と調べものをしておったとか」
背もたれから身を乗り出して目をやると、ムッツリーニがコクコクと船を漕《こ》いでいる姿が見えた。
「そっとしておいた方が良さそうだね」
「うむ」
寝ているところを起こす方が可哀想《かわいそう》だ。
「あの、私もいいですか?」
正面では姫路さんがおずおずと手を挙げていた。
「そうだね。皆でやろうよ」
不《ふ》機《き》嫌《げん》そうな美波に代わって僕が返事をする。美波も姫路さんを仲間はずれにする気なんかないはずだ。
「ところで美波ちゃん。さっきの問題の『青で連想する異性』って──」
「……教えない、絶対に」
「そ、そんなぁ……」
大きな瞳《ひとみ》を少し潤《うる》ませている姫路さん。あの瞳が印象深くて姫路さんは青って感じがしたんだよね。
「はぁ……。ま、いいわ。第二問いくわよ」
美波が溜息《ためいき》をつきながら読《よ》み辛《づら》くなった本を開く。本を引き裂くって、美波の握力《あくりょく》はどれくらいあるんだろうか。
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「『1から10の数字で、今あなたが思い浮かべた数字を順番に2つ挙げて下さい』だって。どう?」
「俺は5・6だな」と雄二。
「ワシは2・7じゃな」と秀吉。
「僕は1・4かな」と僕。
「私は3・9です」と姫路さん。
それぞれの答えを聞いた後、美波はゆっくりとページを捲った。
「えっと、『最初に思い浮かべた数字はいつもまわりに見せているあなたの顔を表します』だって。それぞれ──」
美波が順番に指を差しながら、
「クールでシニカル」→雄二
「落ち着いた常識人」→秀吉
「死になさい」→僕
「温厚《おんこう》で慎重」→姫路さん
と、告げた。
「ふむ。なるほどな」
「常識人とは嬉しいのう」
「ねぇ、僕だけ罵《ば》倒《とう》されてなかった?」
「温厚で慎重ですか〜」
口々に感想を述べている僕ら。
「それで、『次に思い浮かべた数字はあなたがあまり見せない本当の顔』だって。それぞれ──」
さっきと同じように美波が順番に指を差して、
「公平で優しい人」→雄二
「色《いろ》香《か》の強い人」→秀吉
「惨《むご》たらしく死になさい」→僕
「意志の強い人」→姫路さん
と、告げた。
「秀吉は色っぽいのか」
「姫路は意志が強いそうじゃな」
「ねぇ、僕の罵倒エスカレートしてなかった?」
「坂本君は優しいそうです」
心理テストをネタにわいわいと盛り上がる会話。これも旅の醍醐味《だいごみ》だね。
そんな感じでその後も美波の心理テストを何問かやってみる。
そうこうしていると、
「…………(トントン)」
不意に肩を叩《たた》かれた。
「あ、ムッツリーニ。おはよう」
「目が覚めたようじゃな」
「…………空腹で起きた」
「あれ? もうそんな時間?」
携帯電話を取り出して現在時刻を確認する。今は1時15分。いつもならとっくに昼食を済ませている時間だ。
「確かに良い頃合《ころあい》じゃの。そろそろ昼にせんか?」
「そうだね。あまり遅くなると夕飯が入らないし」
滅《めっ》多《た》にありつけない貴重な栄養源《えいようげん》だ。食べきれないなんて勿体無《もったいな》い真似はできない。
「あ、お昼ですね。それなら──」
と、姫路さんが傍《かたわ》らに置いてある鞄《かばん》を手繰《たぐ》り寄《よ》せて中から何かを取り出そうとしていた。嫌な予感が全身を駆け巡る。
「──実は、お弁当を作ってきたんです。良かったら……」
予感的中。姫路さんが取り出したのは大きなお弁当箱だった。
彼女の好意はとてもありがたい。けど、その料理は残念ながら命に関わる新感覚テイストで出来てしまっている。
「姫路。悪いが俺も自分で作ってきたんだ」
「すまぬ。ワシも自分で用意してしまっての」
「…………調達済み」
即《そく》座《ざ》に自分の昼飯を見せる雄二・秀吉・ムッツリーニの三人。自衛策は万全《ばんぜん》のようだ。
「そういうわけで、明久にでもご馳《ち》走《そう》してやってくれ」
雄二が勝ち誇った顔を僕に向けてきた。大方、清貧《せいひん》生活を送る僕がお昼ご飯なんて用意できていないとでも思っているんだろう。
ふふっ。その考え、クヌギの樹液《じゅえき》よりも甘い!
「ごめん。実は僕もこうして惣菜《そうざい》パンを」
「おっと、手が滑《すべ》った(パシッ)」
「…………足が滑った(グシャッ)」
「ああっ! パン! 僕のパン!」
雄二に叩き落されてムッツリーニに踏《ふ》み潰《つぶ》された。
くそぉっ! なんて見事な連携なんだ!何の反応も出来なかったじゃないか!
とは言え、踏まれた程度でパンを諦《あきら》めるほど僕もヤワじゃない。
「あはは。気をつけてよ。まったく、食べ物を粗《そ》末《まつ》に──」
「──してはいけないからな。これは俺が責任を持って処分させてもらおう。明久は姫路の弁当を分けてもらってくれ」
「「…………!!(ガンのくれ合い)」」
「おっと、ゴメン雄二。僕も手が──」
「滑らないようにきっちり掴《つか》んでおいてやるからな」
「「…………!!(メンチの切り合い)」」
「あの、明久君。良かったら……」
姫路さんがおずおずとお弁当を僕に差し出してくれた。すっっっごく嬉しいけど、中身が中身なだけにリアクションが取りにくい。
「あ〜、えっと、その〜……」
「アキ。良かったらウチのお弁当も食べてみる?」
どうやったら上手に腹痛の演技が出来るかを考えていると、美波がそんな助け舟を出してくれた。これはチャンスだ!
「ありがとう! 美波も分けてくれるんだね! それならいっそのこと、皆でお弁当を広げて少しずつ摘《つま》もうよ!」
雄二の『なんてことを提案しやがるこの野郎!』という視線が痛快だ。
「わ、ワシとムッツリーニは向こうの席なので遠慮させて頂こうかの」
「……………!(コクコク)」
む。秀吉とムッツリーニは逃げたか。まぁいい。僕の狙いは坂本雄二ただ一人!
「俺も遠慮しておこう。明久に貰ったパンもあるしな」
和《なご》やかに笑いかけているようでその目はマジだ。
「雄二。そんなこと言わずに──」
「そうか明久! 俺の弁当も食ってみたいか! それなら好きなだけ食え!」
「もごあっ!?」
口の中に何かを無理矢理詰め込まれた。反論を防ごうと雄二がサンドイッチを突っ込んできたみたいだ。これじゃ何も言えない!
急いで飲み込もうと口を動かす。ふんっ! こんなアメリカンクラブハウスサンドなんか、挟《はさ》んである鳥の照り焼きが絶妙な味付けの上にジューシーで──
「(ごくん)──うまい」
カリッと焼いたトーストの表面には水《みず》気《け》が染《し》みこまないよう丁寧《ていねい》にバターが塗られていたし、レタスは葉っぱの真ん中の部分を使ってあった。トマトはチキンと一緒にレタスに包んで汁《しる》気《け》が飛び出さないようにしてあって、厚めに切ったベーコンにはマスタードとマヨネーズがうっすらと塗ってあった。
「これ、雄二の手作り?」
「……悪いか?」
「いや、別に……」
なんと言うか、普通に美味《うま》くて驚いた。本当になんでも器用にこなすヤツだなぁ。
「それじゃ、はい。ウチのもどうぞ」
今度は美波のお弁当が僕の前に用意された。ふむふむ。美波はオーソドックスなお弁当だ。から揚《あ》げやシューマイ、アスパラ巻きなどが綺《き》麗《れい》に並べられている。さっきまでご機嫌|斜《なな》めだったのにこうしてお弁当を分けてくれるなんて、美波も優しいところがあるね。見直したよ。
「それじゃ、早速」
どれから貰おうかな? まともな食事なんて滅《めっ》多《た》にないから迷いが出てしまう。う〜ん……よし、まずはシューマイにしよう! お行儀《ぎょうぎ》が悪いけど手づかみで失礼して、と。
「あのね、その……。勇気を出して言うけどね……。そのシューマイなんだけど、実は、アキに食べてもらおうと思ってね──」
「ん? なに?(もぐもぐ)」
「──二つに一つは辛《から》子《し》を入れてみたの」
「君はバカかいっ!?」
辛ぁっ! これ物凄《ものすご》く辛ぁっ! もう口の中が大変なことになってるよ!?
「明久。それはある意味ラッキーかもしれないぞ」
水を求めてのたうち回っていると、僕の肩に雄二の手が乗せられた。
ラッキーって……そうか! 確かにこの状態なら味覚は完全に破壊されているから、もしかすると姫路さんの料理に耐えられるかもしれない! そうとわかれば、この無敵状態が終わらないうちに──
「姫路さん、お弁当貰うねっ!」
「あ、はい。一杯食べてくださいね」
「いっただっきまーす!」
[#中央揃え]☆
気がつくと僕は知らない部屋で寝かされていた。
「明久、起きたか! 良かった……。電気ショックが効《き》いたようだな……」
心底安心した表情でアイロンみたいな道具をしまう雄二。
……冗談だよね? 僕の命がそんなイチかバチかの状態になっていたなんて。
「ところで、ここは合宿所?」
「ああ、そうだ。まったく贅沢《ぜいたく》な学校だよな。この旅館、文月《ふみづき》学園が買い取って合宿所に作り変えたらしいぞ」
作り変えたってことは、召喚獣を喚《よ》び出《だ》せるようにしていると見て間違いないだろう。その為《ため》の文月学園だし。僕としてはそんなお金があるなら無料の学食とかを作って欲しいところだけど。
「む。明久、無事じゃったか! 良かったのう……。お主《ぬし》がうわ言《ごと》で前《ぜん》世《せ》の罪を懺《ざん》悔《げ》し始めた時には、正直もうダメじゃと……」
部屋に入ってきた秀吉が胸を撫《な》で下《お》ろしていた。
よく生きてるな僕。
「心配してくれてありがとう。秀吉もこの部屋で一緒なんだよね?」
「うむ。ムッツリーニも含めた四人でこの部屋を使うのじゃ」
見たところこの部屋は八人くらい寝られそうだけど、班《はん》分けの関係で僕らは四人で使うことになったのかな。まさか、問題児を一ヵ所に固める為、なんてことはないはずだ。
それはそうと、もう一人のメンバーの姿が見当たらない。
「ムッツリーニはどこに行ったの? 覗《のぞ》き? 盗撮《とうさつ》?」
「友人に対してそんな台詞《せりふ》がサラッと出てくるのはどうかと思うのじゃが……」
ガチャッ
「…………ただいま」
噂《うわさ》をすればなんとやら。丁度良いタイミングでムッツリーニが部屋に入ってきた。
「おかえりムッツリーニ」
「…………明久。無事で何より」
「あ、心配してくれたんだ。ありがとう」
「…………情報も無駄にならずに済んだ」
「情報? 昨日俺と明久が頼んだ例のヤツか。随分早いな」
情報と聞いて雄二が反応した。ああ、僕の盗撮(メイド服激写)と雄二の盗聴《とうちょう》(プロポーズ録音)の犯人を捜して欲しいっていうやつか。
「…………昨日、犯人が使ったと思われる道具の痕跡《こんせき》を見つけた」
「おおっ。さすがはムッツリーニだね」
「…………手口や使用機器から、明久と雄二の件は同一人物の犯行と断定できる」
「そうなのか。まぁ、そんなことをするヤツなんて何人もいないだろうし、断定しても間違いはなさそうだな」
というか、僕らの学年に二人(犯人&ムッツリーニ)もいるだけでおかしいと思う。
「それで、その犯人は誰だったの?」
「…………(プルプル)」
尋ねると、ムッツリーニは申し訳なさそうに首を振った。
「あ、やっぱり犯人はまだわからないの?」
「…………すまない」
「いや、そんな。協力してくれるだけでも感謝だよ」
そりゃそうだよね。昨日の今日でそう簡単に犯人なんて見つかるわけがないよね。
「…………『犯人は女生徒でお尻に火傷《やけど》の痕《あと》がある』ということしかわからなかった」
「君は一体何を調べたんだ」
普通の人は名前や顔を知っている相手でもお尻の火傷の有無《うむ》なんて知らない。この男の調査方法が気になるところだ。
「…………校内に綱を張った」
そう告げながらムッツリーニが取り出したのは小さな機械。これは──?
「…………小型録音機。昨日学校中に盗聴器を仕掛けた」
──ピッ ≪──らっしゃい≫
スイッチを押すと、内蔵されている音源からノイズ混じりの声が部屋に響いた。
「随分と音が悪いね」
「校内全てを網《もう》羅《ら》したのなら仕方ないだろう。音質や精度に拘《こだわ》る余裕はないからな」
辛うじて女子の声だというのはわかるけど、人物の特定はできそうにない。
≪……雄二のプロポーズを、もう一つお願い≫
対する女子の声。こっちも声で人物は特定できない。でも、この独特の話し方と台詞の内容から簡単に割り出すことが出来る。
「しょ、翔子……! アイツ、もう動いていたのか……!」
「よっぽど早く手に入れたいんだね」
霧島さんはこんなやつのどこがいいんだろう?
≪毎度。二度目だから安くするよ≫
≪……値段はどうでもいいから、早く≫
≪流石《さすが》はお嬢様、太っ腹だね。それじゃあ明日──と言いたいところだけど、明日からは強化合宿だから引渡しは来週の月曜で≫
≪……わかった。我慢する≫
「あ、危ねぇ……。強化合宿があって助かった……」
「タイムリミットが来週の月曜まで延《の》びたね」
と言っても土日はほとんど行動できないだろうから、実質はあと四日だ。
「…………それで、こっちが犯人特定のヒント」
ムッツリーニが機械を操作する。
≪──相変わらず凄い写真ですね。こんな写真を撮っているのがバレたら酷い目に遭《あ》うんじゃないですか?≫
≪ここだけの話、前に一度母親にバレてね≫
≪大丈夫だったんですか?≫
≪文字通り尻にお灸《きゅう》を据《す》えられたよ。全く、いつの時代の罰《ばつ》なんだか≫
≪それはまた……≫
≪おかげで未だに火傷の痕が残ってるよ。乙女《おとめ》に対して酷いと思わないかい?≫
それ以降は他愛もない商談がいくつか続いた。
「………わかったのはこれだけ」
「なるほどね。それでお尻に火傷の痕か」
「今の会話を聞いても女子というのは間違いなさそうだな」
「口調は芝居がかっていたけど女子なのは間違いないだろうね」
音が悪いから心配だったけど、自分で乙女と言っているからには女子か秀吉のどちらかなのは間違いない。
「犯人を特定できる有益な情報だけど、お尻の火傷か……。仮にスカートを捲ってまわったとしてもわからない可能性があるし、う〜ん……」
「赤外線カメラでも火傷の痕なんて映らないだろうしなぁ……」
隣では雄二も真《ま》顔《がお》で女子のお尻を見る方法を考えていた。
「おぬしら、さっきから何の話をしておるのじゃ?」
そんな僕らを見て秀吉が首を傾げている。そっか。秀吉は事情を知らないんだっけ。
「秀吉、実はね──(以下略)」
簡単に僕らの事情を説明する。秀吉なら事情を話せば協力してくれるだろう。
「そうじゃったのか。それにしても、尻に火傷とは……」
その可愛《かわい》らしい顔をしかめて一緒に考え始める秀吉。
「そうだ! もうすぐお風呂の時間だし、秀吉に見てきてもらえばいいのか!」
「明久。なぜにワシが女子風呂に入ることが前提になっておるのじゃ?」
ふむ。我ながら妙案《みょうあん》だ。これならいけるはず!
「それは無理だ、明久」
雄二が何かを僕に放ってよこした。これは強化合宿のしおり?
「どうして無理なのさ?」
「いや、じゃからワシは男じゃと」
「3ページ目を開いてみろ」
雄二に言われた通り3ページ目を開いてみる。えっと、
〜合宿所での入浴について〜
・男子ABCクラス…20:00〜21:00 大浴場(男)
・男子DEFクラス…21:00〜22:00 大浴場(男)
・女子ABCクラス…20:00〜21:00 大浴場(女)
・女子DEFクラス…21:00〜22:00 大浴場(女)
・Fクラス木下《きのした》秀吉…20:00〜21:00 個室風呂C[#「・Fクラス木下《きのした》秀吉…20:00〜21:00 個室風呂C」は太字]
「……くそっ! これじゃ秀吉に見てきてもらうことができない!」
「そういうことだ」
「どうしてワシだけが個室風呂なのじゃ!?」
良い考えだと思ったのに、無念……。
そうやって四人でうんうんと唸っている時のことだった。
──ドバン!
「全員手を頭の後ろに組んで伏せなさい!」
凄い勢いで僕らの部屋の扉が開け放たれ、女子がぞろぞろと中に入ってきた。
「な、なにごとじゃ!?」
「木下はこっちへ! そっちのバカ三人は抵抗をやめなさい!」
先頭に立つ美波が、咄《とっ》嗟《さ》に窓から脱出しようとした僕らの機《き》先《せん》を制した。流石美波、できる……!
「なぜお主《ぬし》らは咄嗟の行動で窓に向かえるのじゃ……?」
そこは今問題じゃないはずだ。
「仰々《ぎょうぎょう》しくぞろぞろと、一体何の真似だ?」
窓を閉めながら女子勢に向き合う雄二。僕とムッツリーニも貴重品の入った鞄を下ろしながらそちらを向いた。
「よくもまぁ、そんなシラが切れるものね。あなたたちが犯人だってことくらいすぐにわかるというのに」
美波の後ろから出てきて高圧的に言い放ったのはCクラス代表の小《こ》山《やま》さんだ。後ろで並んでいる大勢の女子も腕を組んでうんうんと頷《うなず》いている。
「犯人? 犯人ってなんのことさ?」
「コレのことよ」
小山さんが僕らの前に何かを突きつけてきた。なんだろう?
「…………CCDカメラと小型集音マイク」
その手の物には圧倒的な知識を持つムッツリーニが代わりに答えてくれた。
「女子風呂の脱衣所に設置されていたの」
ふむふむ。コレが女子風呂の脱衣所に──
「え!? それって盗撮じゃないか! 一体誰がそんなことを」
「とぼけないで。あなたたち以外に誰がこんなことをするっていうの?」
この台詞を聞いて、秀吉が小山さんの前に歩み出た。
「違う! ワシらはそんなことをしておらん! 覗きや盗撮なんてそんな真似は──」
友の無罪を立証しようと、秀吉が声を荒らげていた。この信頼に応えないと!
「そうだよ! 僕らはそんなことはしない!」
「……………!(コクコク)」
秀吉の反論に合わせて前に出た僕とムッツリーニを冷ややかに見る小山さん。
「そんな真似は?」
「……否定……できん……っ!」
「えぇっ!? 信頼足りなくない!?」
僕とムッツリーニが同じ扱いだという事実に少しだけ涙が出た。
「まさか、本当に明久君たちがこんなことをしていたなんて……」
殺気立つ女子の中から一人悲しそうな声をあげたのは姫路さんだった。そうやって言われると信頼を裏切ったみたいで辛い。でも、本当に身に覚えがないんだ!
「アキ……。信じていたのに、どうしてこんなことを……」
「美波。信じていたなら拷問《ごうもん》器具は用意してこないよね?」
ちなみに彼女からは信頼のかけらも感じられない。
「姫路さん、違うんだ! 本当に僕らは──」
「もう怒りました! よりによってお夕飯を欲張って食べちゃったときに覗きをしようなんて……! い、いつもはもう少しその、スリムなんですからねっ!?」
怒るべきはその点なのだろうか。
「う、ウチだっていつもはもう少し胸が大きいんだからね!?」
「それはウソ」
「皆、やっておしまい」
「ご、ごめんなさい! つい咄嗟に本音が!」
素《す》早《ばや》い動きで周りを取り凋まれ、僕とムッツリーニは石畳《いしだたみ》の上に座らされた。これは大ピンチだ。こんな時に頼りになるのは──
「雄二頼むっ! この場をなんとか収めて」
『……浮気は許さない』
『翔子待て! 落ち着ぎゃぁぁあああっ!』
ダメだ! 向こうでは既に刑が執行されている!
「さて。真実を認めるまでたっぷりと可愛がってあげるからね?」
美波のS気質が全開だ。これはご機嫌をとっておかないと命に関わる! ウソは嫌だけど、ここはお世辞《せじ》でも言ってごまかさないと!
「あのね。僕、今まで美波ほどの巨乳を見たことがぎゃぁあああっ!」
「まずは一枚目ね」
褒めたのに! 頑張って褒めたのに重石《おもし》が僕の膝《ひざ》の上にっ!
「明久君。まさか、美波ちゃんの胸、見たんですか……?」
「あははっ。やだなぁ。優しい姫路さんはそんな重そうな物を僕の上に載《の》せたりなんてふぬおぉぉっ!?」
「質問にはきちんと答えてくださいね?」
最近、彼女の笑顔は綺麗なだけじゃなくなってきた気がする。
[#中央揃え]☆
「なんか、今日はいつもより更に生命の危機が多いよ……」
拷問に遭うこと三十分。僕らは証拠不十分という形で解放されることになった。
「酷い濡《ぬ》れ衣《ぎぬ》じゃったのう……。なぜだかワシは被害者扱いじゃったのも解《げ》せぬが」
「ホント、酷い誤解だったよ」
「…………見つかるようなヘマはしないのに」
ムッツリーニ。その返事はギリギリだと思う。
と、そういえば雄二は無事なんだろうか? 返事がないけど。
「雄二、大丈夫? さっきから黙っているけど」
話しかけると、雄二は何かを決意したかのようにその場に立ち上がった。
「……上等じゃねぇか」
少し怒りを孕《はら》んだ低い声が部屋に響く。
「え? 雄二。どうしたの?」
「どうせここまでされたんだ。本当にやってやろうじゃねぇか」
その目に強い光が宿っている。どうやら何か火がついたみたいだ。
「まさか、本当にって……」
「ああ。そのまさかだ。あっちがそう来るのなら、本当に覗いてやろうじゃねぇか!」
よりによってコイツはなんてことを言い出すんだろう。
「雄二。そんなに霧島《きりしま》さんの裸が見たいなら、個人的にお願いしたらいいんじゃない?」
こんな警戒されているタイミングで覗きに行くなんて、頭が悪いにも程がある。
「バ、バカを言うな! 翔子の裸なんかに興味があるか!」
胸を張って言おう。僕は興味|津々《しんしん》だ。
「ふむ。もしや、例の尻に火傷のある犯人探しかの?」
「そうだ。流石《さすが》に覗きなんて真似はやりすぎだと思って遠慮していたが……向こうがあんな態度で来るなら遠慮は無用だ。思う存分覗いて犯人を見つけてやろうじゃないか」
確かにその通りだ。もう既に僕らは覗き犯としての罰《ばつ》を受けている。それなら本当に覗く権利はあるはずだ。それに、そうしないと僕の恥ずかしい写真が世界中に……!
「…………さっきのカメラとマイクは、脅迫犯の物と同じだった」
「なんじゃと? それは本当かの、ムッツリーニ?」
「…………間違いない」
「そうか。それは嬉しい事実だな」
「そうじゃな」
「…………(コクリ)」
三人が腕を組んで頷《うなず》き合《あ》っている。えっと──
「つまり、どういうこと?」
「流石明久、この程度の会話にもついてこられなかったか。つまり、こういうことだ」
雄二が机の上に紙とペンを出して何かを書きだした。
[#改ページ]
[#改ページ]
「俺とお前を脅している犯人は同じで、さっきの覗き犯のカメラとマイクがその犯人と同じ物だった。そして、覗き犯は火傷の痕があるという話だから──」
「ああ、なるほど! その火傷の痕がある人を探したら全部解決するってわけだ!」
そっか。全部同じ犯人の手によるものだったのか。これは不幸中の幸いだ。
「これでもう迷う余地はないな」
「そうだね! やってやろう!」
覗きなんて褒められたことじゃないけど、この際仕方がない。これも僕と雄二、それぞれの幸せな未来の為!
「ってそれにしても、相変わらず雄二は霧島さんのことになるとやる気が凄いよね。どうしてそこまで頑張るのかって疑問に思うくらいだよ」
普段のダルそうな姿とは雲泥《うんでい》の差だ。
「……実はこの前、いつものように翔子にクスリをかがされて気を失ったんだが」
「ごめん。その前置きから既にイロイロと厳《きび》しいと思う」
「目が覚めたらヤツの家に拉致《らち》されていたんだ」
霧島さんの家か。あまりにも雄二が嫌がるから強硬手段に出ちゃったのかな? 霧島さんは本当に一《いち》途《ず》だなぁ。
「ふぅん。そこで霧島さんの両親と挨拶《あいさつ》をしたとか?」
「いや、そうじゃない。ただ、ヤツの家に──」
まさか、両親だけじゃなくて祖父母もいたとか……?
「──俺の部屋が用意されていたんだ」
もうそろそろ雄二も潮時《しおどき》かな。
「あんな台詞を聞かれたら、間違いなく俺は、俺の未来は……!」
最近は雄二の壊れた姿もすっかり見慣れてきたなぁ。もう少し壊れ方にバリエーションがあってもいいと思うな。うん。
「そ、そうとなれば、すぐにでも向かわれば風呂の時間が終わってしまうぞ!」
「…………(コクコク)」
「え? 秀吉とムッツリーニも協力してくれるの?」
「うむ。友人の危機なのじゃ。当然じゃろう」
「…………(コクコク)」
なんて良い友達だろう。苦労も汚《お》名《めい》も顧《かえり》みずに僕らのために動いてくれるなんて。
「……雄二の台詞には責任があるしのう……」
ああ、そういう理由もあるのか。あの台詞を言わせたのは僕なんだし、別に気に病《や》む必要はないのに。
「…………女子風呂の場所なら確認済み」
ムッツリーニがスタスタと部屋を出て行く。その足取りに迷いはない。
「よし。雄二起きて! 覗きに行くよ!(ボゴッ)」
「ぐふっ!──はっ!?」
「明久も雄二の治し方が手馴《てな》れてきたのう」
最近随分|頻繁《ひんばん》に雄二があっちの世界にトリップするからだろう。
「……後半組の入浴時間、残り四十分」
ムッツリーニが腕時計を確認している。
「時間がないね。急ごう」
「そうだな。走るか」
「了解じゃ」
敢《あ》えて靴やスリッパは履《は》かず、靴下で廊下を走る。勿論《もちろん》音をたてない為《ため》だ。
幸いにも男女共に入浴時間のせいか、人通りは皆《かい》無《む》だった。
「…………この階段を降りて、しばらく廊《ろう》下《か》を進めば女子風呂」
ムッツリーニが階段を前に立ち止まった。
どうやら風呂場はこの階段の下にある廊下の先らしい。地下にあるという以上、外からの覗きは不可能だ。この先へと進むしかない。
「よし。時間がない。一気に突っ込むぞ」
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目的地を前に雄二が告げる。
「「「…………(コクリ)」」」
僕らは黙って頷き、素早く階段を下り始めた。
二段飛ばしで走り、ほんの数秒で階段を下り切る。そして、女子風呂へと続く廊下を一気に駆ける。
「君たち、止まりなさい!」
その途中、前方から鋭い声が響いてきた。マズい。見つかったか!?
「更衣室にカメラが設置されていたと聞いて警戒してみたら……まさか本当に覗き犯がやってくるとは思いませんでした」
声の主を探ると、そこには見慣れた男性教師の姿があった。化学の布施《ふせ》先生だ。
「雄二、どうする!? 布施先生だよ!」
「構わん! ブチのめせ!」
「そこは構いなさい坂本君! 私は一応教師ですよ!?」
「了解! 一撃でケリをつける!」
「吉《よし》井《い》君も了解じゃないでしょう!?」
これは僕らの滞れ衣を晴らす為の行動なんだ! あとで真犯人を突き出したらきっと許してくれるはず! そうさ、目的が真実の追求である以上、正義は僕らにある!
「この前の補習の恨《うらみ》みをくらえぇっ!」
「思いっきり私《し》心《しん》で行動しておらんか!?」
僕の正義の拳が布施先生に向かって突き出され、
「ひぃぃいいっ! さ、試獣召喚《サモン》っ!」
──突如現れた小さな身体に阻《はば》まれた。
「し、試験召喚獣……?」
咄嗟に後方に大きく跳び、距離をとる。
先生の足元にはお馴染みの魔法陣が見える。そして、僕の前に立つのはテストの点数に応じた強さを持つ試験召喚獣。あまり成績の良くない生徒が喚《よ》び出《だ》しても人の数倍の力を持つ召喚獣だ。先生の点数でならその力は計《はか》り知《し》れない。ただし、普通の召喚獣は人や物に触れることができないはずなんだけど──
「くっ……! 教師用の召喚獣は物に触《さわ》れるのか……!」
雄二が苦しげに呟《つぶや》く。
今見たとおり、僕の拳は布施先生が喚び出した召喚獣に阻まれた。つまりこれは布施先生の召喚獣が物理干渉能力を持つという証明に他ならない。
「ふぅ、間に合いましたか……。まぁ、吉井君が≪観察処分者≫に認定されるまでは雑用を自分たちでやっていましたからね。物に触れる方が都合が良いのですよ。こういった若者の暴走を止めなければいけない場合もありますし」
ということは、召喚獣の扱いにも慣れているってことか。益々以《ますますもっ》て厄介《やっかい》だ。
「けど、卑怯《ひきょう》じゃないですか! 自分たちが作ったテストで召喚獣を喚び出したら強いに決まってますよね!?」
ほとんど模範解答を書き写しているようなもんじゃないか! そんなの相手に戦うなんて、僕らが圧倒的に不利だ!
「いや、正式な勝負というわけではないので卑怯もなにもないですし、それ以前に自分たちが一方的に暴力を振おうとしたことを棚に上げていませんか……?」
大人は卑怯だ。そうやっていつも詭《き》弁《べん》で僕らを騙《だま》そうとする。
「それに、教師もテストを受けているのですよ? 他の学年の先生が作った問題で」
「え? そうなんですか?」
「そうなんですよ。『教える側にもそれに相応《ふさわ》しい学力が必要だ』というのが学園長の方針ですからね」
そうだったのか。学園長って普段の振《ふる》舞《ま》いの割にはきっちり教育者やってるんだなぁ。
「さて、それでは大人しくしてもらえますか?」
布施先生が召喚獣に構えを取らせる。人より遥《はる》かに強い力を持つ召喚獣が相手となると、こちらも相応の戦い方をしないと勝負にならない。
「こうなりゃ徹底抗戦だ! 布施センを召喚獣ごと叩《たた》き潰《つぶ》すぞ!」
「その意気だよ雄二! ここは任せたからね!」
雄二を盾《たて》に先を急ぐ僕。
「待てやコラ」
その途中でむんずと首《くび》根《ね》っこを掴まれた。なんだよ急いでいるっていうのに!
「一応、お前の化学の点数を聞いておこう」
やれやれ。さては僕抜きで戦う自信がないな? 仕方がないなぁ。
この前受けた化学のテストか。アレはあともうちょっとだったんだよね。惜しかったよなぁ……。あとたったの1点。そう、確かあと1点で──
「あと1点で二桁だったと思う」
「先に行ってろ生ゴミ」
ち、違うんだっ! あのテストは解答欄が一つずれちゃったからで、別に僕の頭が悪いわけじゃないんだ!
「教師相手に一人では辛かろう。ワシも手伝おう。明久とムッツリーニは先に行くと良い」
流石の雄二でも先生相手では勝ち目がないと見たのか、秀吉がフォローに回ってくれた。二人がかりならきっと大丈夫だろう。
「すまないな秀吉。いくぞ、試獣召喚《サモン》!」
「なに、これも友の疑いを晴らす為じゃ。試獣召喚《サモン》じゃ!」
雄二と秀吉が召喚を開始した。この宿泊施設に設置されている試験召喚システムが二人の喚び声に反応し、床に紋様《もんよう》が浮かび上がる。そして、それぞれの姿がデフォルメされた召喚獣が現れた。
「よし、ムッツリーニ! 今言われたとおりここは雄二と秀吉に任せて僕らは先に──って、もうすでにいない!?」
既にムッツリーニは女子風呂へと走り出していた。なんという行動力だろう。僕も追いかけないと!
「こ、こら! 土《つち》屋《や》君に吉井君! 待ちなさい!」
「布施先生。申し訳ないのじゃが、二人を追わせるわけにはいかんのじゃ」
「そういうことだ。しばらく俺たちと遊んでもらう」
そんな雄二達のやりとりを背中で聞きながら、僕とムッツリーニは更に先へと進む。すると、
「そこで止まれ」
その行く手には更に別の先生の姿があった。
「…………大島《おおしま》先生」
ムッツリーニが苦々しく呻《うめ》く。それもそのはず。相手はムッツリーニにとって師匠とも言えるような存在、保健体育担当の大島先生なのだから。
けど、相手が保健体育教師というのはある意味都合が良い。他の科目でのムッツリーニは全国でも稀《まれ》に見るバカだけど、保健体育なら教師にも匹敵《ひってき》するほどの力を持っている。これならきっといい勝負になるはずだ。
「ムッツリーニ」
「…………(コクリ)」
ムッツリーニは真剣な表情で飯き、大島先生の前に歩み出た。
「…………大島先生」
「なんだ」
「…………これは覗きじゃない」
召喚を開始しようとする大島先生が動きを止めた。
意外なことにムッツリーニは勝負ではなくて説得を試みているみたいだ。これは珍しい。
「それなら何だと言うんだ?」
ムッツリーニの言葉を受けてこっちの話を聞く態度を見せる大島先生。鉄人《てつじん》よりは話が通しそうだ。さて、ムッツリーニはどうやって先生を説得するんだ? お手並み拝見といこうか。
「…………これは──」
呟くような声でありながら不思議とよく聞こえるムッツリーニの声が響く。
「──保健体育の実習」
「試獣召喚《サモン》だ」
残念ながら説得は失敗に終わった。
「ムッツリーニ、ここは任せたよ!」
「…………試獣召喚《サモン》」
ムッツリーニがどこか不満そうな声で召喚を開始する。まさかあの話で大島先生を説得できると思っていたんだろうか? だとしたら、どこまでも底の知れない男だ。
「それじゃあね、ムッツリーニ! 先生を片付けたらまた会おう!」
ムッツリーニにそう言い残し、僕は先を急いだ。
「片付ける、か……。いいかお前たち。教師を──舐《な》めるなよ」
『体育教師 大島|武《たけし》  VS Fクラス 土屋康太
保健体育 663点 VS 424点     』
「……は?」
走りながら、一瞬|呆《あっ》気《け》に取られる。
去り際に見えた先生の点数は何かの間違いだろうか。663点って、本当に人間に取れる点数? 何かの間違いじゃない?
「まさか、点数操作とか……」
「俺たち教師がそんな卑怯な真似をするか。バカモノが」
思わず口をついた独り言に対して聞き慣れた声で返事があった。こ、この声は、
「出たな鉄人!」
「西村《にしむら》先生と呼べ!」
女子風呂で入り口を背に立っているのは、僕の天敵である鉄人こと西村先生だった。筋骨隆々《きんこつりゅうりゅう》の身体が僕の行く手を阻んでいる。
「まったく、お前らは知らないだろうが、教師は教師で勉強をしているんだぞ? より良い教育者になる為にな」
「あ、そうなんですか。それは大変ですね〜」
「ああ。教育者というものは大変なんだ」
しみじみと鉄人が呟く。外見によらず苦労しているみたいだ。
「ちなみに、西村先生はどのくらいの点数を?」
「俺はこの前の担任入れ替わりのゴタゴタのせいで試験を受けそびれてな。今は点数がないんだ」
「そうですか。ないに等しい点数ですか。さすがは筋肉バカの西村先生ですね」
「吉井。念の為血液型を聞いておこう」
輸血を想定した台詞に聞こえるのは気のせいだろうか。
「と、とにかくそこはどいてもらいます! 試獣召喚《サモン》っ!」
鉄人を突破したらあとは目的地だ。なんとしても押し通る……!
『補習教師 西村|宗一《そういち》 VS Fクラス 吉井明久
総合科目 NONE   VS 929点     』
「かかってこい」
僕の召喚獣を前に、鉄人は自分の拳《こぶし》を握って構えを取った。
挙って、あれ? 召喚獣は喚び出さないのかな?
知っての通り、召喚獣の力は生《なま》身《み》の人間の何倍も強い。召喚獣には召喚獣でしか対抗できないはずだ。それなのに鉄人は特に召喚を始める様子もない。
「まさか、僕の召喚獣が人に触れる特別製だってことを忘れてます?」
確かに一般生徒の召喚獣は人に触れないから、召喚獣を無視して鉄人本人が生徒を止めにかかってもいいだろう。けど、僕の召喚獣は≪観察処分者≫用の特別製で人に触ることができる。勿論その力で鉄人を叩き伏せる事だって簡単だ。そうさせない為に、鉄人は召喚獣で戦う必要があるはずなのに。
「阿《あ》呆《ほう》。我が校初で唯一の問題児のことを忘れるわけがあるか」
「でも、だったら……」
「さっき言っただろうが。俺は今点数がないと」
鉄人がつまらなそうに僕に告げる。
点数がないってことは、もしかすると召喚ができないってこと? そうなると──これは願ってもないチャンスだ。
「そうとわかれば日頃の恨みも込めて──くたばれ鉄人!」
召喚獣を鉄人|目掛《めが》けて突っ込ませる。そしてそのまま突撃させるかと思わせて横に跳び、死角から木刀《ぼくとう》を──
「ふんぬっ!」
叩きつけようとしたら、鉄人の拳で叩き落とされた。
「…………はい?」
カランカランと床に転がる木刀。
「そ、そんなバカな! 生身で召喚獣に勝てるはずが……!」
さっきのは何かの間違いだ。下手に武器を使わずに、召喚獣本体の力だけで叩き伏せれば問題ないはずだ!
「吉井。どうして俺がお前の召喚許可を取り消さないかわかるか?」
素《す》早《ばや》い動きで肉薄《にくはく》する召喚獣に対して小さな蹴りを放つ鉄人。
「ほぇ?」
ただそれだけなのに、僕の召喚獣は見事に宙に浮いていた。呼吸を完全に合わせられたのか!?
「いやはや。お前が観察処分者で良かった。召喚獣を殴《なぐ》るだけならば──体罰《たいばつ》にはならんからなぁっ!」
高く宙を舞っていた僕の召喚獣が無防備な姿を鉄人に晒《さら》す。
「ええっ!? 今まで一度でも体罰なんか気にしたことなんて──」
「歯ぁ食い縛れぇっ!」
瞬間、一息で鉄拳《てっけん》が五度叩き込まれた。
「ごぶぁっ!?」
視界が裏返るほどの痛みが全身に走る。
な、なんてデタラメな拳だろう……。痛みのフィードバックだけで胃液が込み上げてきた……
「まぁ、男らしく正面から堂々と現れた気《き》概《がい》に免じて、停学は勘弁《かんべん》してやろう。心優しい西村先生が相手で良かったな」
バキバキと関節を鳴らしながら召喚獣に迫る鉄人。
良くない。全然良くない。心優しい先生ならこの時点で許してくれるはずです。
「なに。俺も鬼ではない。きっちり指導を終えたら解放してやる。──そっちの三人もな」
「へ?」
鉄人の視線を追うと、その先には捕《ほ》縛《ばく》された雄二・秀吉・ムッツリーニの三人がいた。
「さて、まずは英語で反省文でも書いてもらおうか。文法や単語を間違えていたら何度でもやり直しだ! 終わった者から部屋のシャワーを浴びて寝ても良し!」
こうして、僕らはよりによって廊下で正座しながら英語の反省文を書かされる羽目《はめ》になった。
[#改ページ]
[#改ページ]
強化合宿の日誌[#「強化合宿の日誌」は太字]
【第三問】[#3段階大きな文字]
強化合宿二日目の日誌を書きなさい。
姫路瑞希の日誌[#「姫路瑞希の日誌」は太字]
『今日は少し苦手な物理を重点的に勉強しました。いつもと違ってAクラスの人たちと交流しながら勉強もできたし、とても有意義な時間を過ごせました』
教師のコメント[#「教師のコメント」は太字]
Aクラスと一緒に勉強することで姫路さんに得られるものがあったようで何よりです。今度の振り分け試験の結果次第ではクラスメイトになるかもしれない人たちと交流を深めておくと良いでしょう。
[#改ページ]
土屋康太の日誌[#「土屋康太の日誌」は太字]
『前略。
夜になって寝た』
教師のコメント[#「教師のコメント」は太字]
前略はそうやって使うものではありません。
吉井明久の日誌[#「吉井明久の日誌」は太字]
『全略』
教師のコメント[#「教師のコメント」は太字]
あまりに豪快な手抜きに一瞬言葉を失いました。
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「……雄《ゆう》二《じ》。一緒に勉強できて嬉《うれ》しい」
「待て翔子《しょうこ》、当然のように俺の膝《ひざ》に座ろうとするな。クラスの連中が靴を脱いで俺を狙《ねら》っている」
強化合宿二日目。今日の予定はAクラスとの合同学習となっていた。
学習内容は基本的に自由。質問があれば周囲や教師に聞いてもOK。要するに自習みたいなものだ。その為、机の並びも生徒同士が向かい合うような形になっている。
「でも、なんで自習なんだろう? 授業はやらないのかな?」
わざわざこんなところまで来て自習なんて勿体無《もったいな》いような気もする。僕としては望ましい事でもあるけど。
「授業? そんなもんやるわけないだろ」
そんな僕の独り言を聞きつけて、これ幸いと雄二が霧島《きりしま》さんを置いて隣にやってきた。膝の上に座ろうとする霧島さんとそれを押しのけようとする雄二の攻防《こうぼう》は見ていて面白かったから少し残念だ。
「やらない? どうして?」
「明久《あきひさ》。お前はAクラスと同じ授業を受けて内容が理解できるのか?」
「むっ。失礼な。雄二にはそうかもしれないけど、僕にとってはFクラスもAクラスも大差はないよ」
どちらも理解できないから。
「……この合宿の趣《しゅ》旨《し》は、モチベーションの向上だから」
雄二を追って霧島さんも僕のいるテーブルにやってきた。ポジションはきっちりと雄二の隣だ。流石《さすが》に膝の上は諦《あきら》めたらしい。
「翔子、それだけじゃ明久にはわからんだろ。つまり、AクラスはFクラスを見て『ああはなるまい』と、FクラスはAクラスを見て『ああなりたい』と考える。そういったメンタル面の強化が目的だから、授業はさして問題ではないということだ」
霧島さんの言葉の続きを雄二が説明してくれる。やっぱり息も合ってるし、この二人は(外見を除けば)お似合いだと思う。
僕は席を外した方がいいかな、などと考えていると、
「あ、代表ここにいたんだ。それならボクもここにしようかな?」
そこに聞き慣れない声が聞こえてきた。いそいそと僕の正面の席に勉強道具を広げている彼女は、確か……
「工《く》藤《どう》さん、だっけ?」
「そうだよ。キミは吉《よし》井《い》君だったよね? 久しぶり」
ニッと歯を見せて笑う工藤さん。ボーイッシュな雰《ふん》囲《い》気《き》と相まって、その仕草はとても爽《さわ》やかに見えた。
「それじゃ、改めて自己紹介させてもらうね。Aクラスの工藤|愛《あい》子《こ》です。趣味は水泳と音楽鑑賞で、スリーサイズは上から78・56・79、特技はパンチラで好きな食べ物はシュークリームだよ」
なんだ!? 最後の方に魅《み》惑《わく》的な台詞《せりふ》が混ざったぞ!?
「ん? どうしたの吉井君?」
「いや、別に工藤さんの特技を疑っているわけじゃないんだ。ただ、その……」
それは特技と言えるのかが気になるだけで。
「あ、さては疑ってるね? なんなら、ここで披《ひ》露《ろう》してみせよっか?」
工藤さんが短いスカートの裾《すそ》を摘《つま》んでいる。そして、隣ではなぜか雄二が目を押さえてのたうち回っていた。霧島さんが指をチョキにして「……浮気はダメ」と呟《つぶや》いているのは関係ないと思いたい。
「…………明久。工藤愛子に騙《だま》されないように」
「あれ? ムッツリーニ、随分《ずいぶん》と冷静だね。僕ですらこんなにドキドキしているんだから、てっきり鼻血の海に沈んでいると思ったのに」
いつの間にか隣にやってきたムッツリーニが不《ふ》可《か》解《かい》なことに冷静にさっきの工藤さんの言葉を受け流してる。カメラは構えなくて良いのだろうか?
「…………ヤツは、スパッツを穿《は》いている……!」
「そ、そんな!? 工藤さん、僕を騙したね!?」
畜生《ちくしょう》がっかりだ! 僕のドキドキを返して欲しい! それと隣で「俺は目を突《つ》かれ損《ぞん》じゃないか……」と落胆《らくたん》している雄二に謝《あやま》って欲しい!
「あはは。バレちゃった。さすがはムッツリーニ君だね。まぁ、特技ってわけじゃないけど、最近凝っているのはコレかな?」
笑いながら彼女が取り出したのは小さな機械だった。なんだろコレ?
「…………小型録音機」
「うん。コレ、凄く面白いんだ。例えば──」
小さな機械をカチカチと弄《いじ》る工藤さん。少し間を置いて、内蔵されているスピーカーから声が聞こえてきた。
──ピッ ≪工藤さん≫≪僕≫≪こんなにドキドキしているんだ≫≪やらない?≫
「わああああっ! 僕はこんなこと言ってないよ!? 変なものを再生しないでよ!」
「ね? 両白いでしょ?」
悪戯《いたずら》っぽい笑《え》みを浮かべる工藤さん。その笑みは何故か僕の背後に向いていた。僕の中の危険感知センサーがガンガン鳴っている気がする。
「……ええ。最っっ高に面白いわ」
「……本当に、面白い台詞ですね」
振り向くと、そこには氷の微笑《びしょう》をたたえた美《み》波《なみ》と姫《ひめ》路《じ》さんがいた。
「瑞《みず》希《き》。ちょっとアレを取りに行くの手伝ってもらえる?」
「わかりました。アレですね? 喜んでお手伝いします」
机に勉強道具を置いて、学習室を出て行く二人。その二人の背中を見送っていると、入れ違いで秀吉《ひでよし》が入ってきた。なぜか首を傾《かし》げて。
「秀吉、どうしたの?」
「いや。先ほど、島《しま》田《だ》と姫路に石畳《いしだたみ》を運ぶのを手伝ってくれと言われたのじゃが、何かあったのかと思っての」
秀吉の台詞を聞いただけで、僕の全身から冷や汗が噴き出した。
「工藤。今のは録音した会話を合成したのか?」
「うん。そうだよ」
そんな僕を気にする様子もなく、隣では雄二が真剣な顔で工藤さんに詰め寄っていた。アイツが真剣な顔をするときは必ず何かがある。僕はまわりに聞こえないように、雄二に小声で話しかけてみた。
(雄二、どうしたの?)
(今の手際を見ただろう。もしかすると、工藤が例の犯人かもしれないと思ってな)
ジッと工藤さんが手にしている小型録音機を見ている雄二。そうか。雄二はプロポーズを録音されていたんだっけ。さっきの行動を見る限り、彼女はこういったことに慣れているようだ。有力な犯人候補と言えるだろう。
(よし。明久、ヤツが犯人か確かめてみてくれ)
(うん。了解)
工藤さんを正面に見据えて、
「工藤さん。キミが……」
と、途中まで口にしてふと思う。『キミが脅迫状《きょうはくじょう》を出した犯人なの?』と聞いてバカ正直に答えてくれる人はいるだろうか? もしも工藤さんが犯人だとしたら、逆に警戒《けいかい》されてしまうだけだろう。それでは何の意味もない。
危ない危ない。これは質問の仕方を変えないと。
「ん? なに、吉井君?」
「あ〜、え〜と、その、キミが──」
頭を使え吉井明久! 相手に気取《けど》らせずに犯人を特定できる質問を考えるんだ! 確か、犯人の特徴《とくちょう》は火傷《やけど》の痕《あと》だから──よしっ!
「ボクが?」
「キミが──僕にお尻《しり》を見せてくれると嬉しいっ!」
やってもうた。
「……ぷっ。あははっ。吉井君はお尻が好きなの? それともボクの胸が小さいから気をつかってお尻にしてくれたのかな?」
そんな僕のセクハラ発言を笑って流してくれる工藤さん。器《うつわ》が大きい。
「ご、誤解だよ! 別に僕はお尻が好きってわけじゃなくて!」
「流石だな明久。まさか録音機を目の前にそこまで言うとは」
「へ?」
雄二は何を言っているのだろう。
「ごめんね。折角だから録音させてもらったよ」
ピ、と電子音を上げて再生される僕の声。
≪僕にお尻を見せてくれると嬉しいっ!≫
「ひあぁぁっ!? これは合成すらしてない分ダメージが大きいよ!? お願い工藤さん! 今のは消して下さい!」
「吉井君って、からかい甲斐《がい》があって面白いなぁ。ついつい苛《いじ》めたくなっちゃうよ」
──ピッ ≪お願い工藤さん!≫≪僕にお尻を見せて≫
「うあぁぁんっ! どんどん僕が変態になってる気がするよ!」
直後、背後から物凄い殺《さっ》気《き》を感じた。
「……今の、何かしらね? 瑞希」
「……なんでしょうね? 美波ちゃん」
表情を変えず、二人は僕の後ろに石畳を設置し始めた。
「まさか、ただでさえ問題クラスとして注意されているのに、これ以上問題を起こすような発言をしたバカがいるのかしら?」
「困りましたね。そんな人がいるなら、厳《きび》しいオシオキが必要ですよね?」
最近姫路さんがどんどん良くない色に染《そ》まってきている。って、そんな余計なことを考えている場合じゃない! とにかく誤解を解かないと!
「二人ともこれは誤解なんだ! 僕は問題を起こす気はなくて、ただ純粋に≪お尻が好きって≫だけなんだ──待って! 今のは途中に音を重ねられたんだ! お願いだから僕を後ろ手に縛らないで! あとそっちの皆も笑ってないで助けてよ! 特に雄二!」
既に僕の腕は関節を極《き》められつつ背中に回されている。
「…………工藤愛子。おふざけが過ぎる」
そんな僕のピンチを見て立ち上がったのはムッツリーニだった。流石は友達だ!
「ムッツリーニ! 助けてくれるの!?」
「…………うまくやってみせる」
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そう告げてムッツリーニは工藤さんと同じように小型録音機を構えた。さてはムッツリーニも音を重ねて工藤さんの音を打ち消すつもりか! よし。ここはムッツリーニを信じて、僕は僕のやるべきことをやろう!
「姫路さん。美波。よく聞いて。さっきのは誤解で、僕は≪お尻が好き≫って言いたかったんだ。≪特に雄二≫≪の≫≪が好き≫ってムッツリィニィィーッ! 後半はキサマの仕《し》業《わざ》だな!? うまくやるって、工藤さんよりも上手に僕を追い込むってことなの!?」
「…………工藤愛子。お前はまだ甘い」
「くっ! さすがはムッッリーニ君……!」
二人はライバルのように睨《にら》み合《あ》っている。そうやって火花を散らすなら二人で直接やり合って欲しい。
「……吉井。雄二は渡さない」
雄二と聞いて霧島さんが反応している。安心してください。僕もいりません。
「アキ……。そんなに坂本のお尻がいいの……? ウチじゃダメなの……?」
「前からわかっていたことですけど、そうはっきり言われるとショックです……」
「二人ともどうしてすぐに僕を同性愛者扱いするの!? 僕にそんな趣味は──」
ない、と言い切ろうとしたところで学習室のドアが開き、見覚えのある女子がつかつかと教室の中に入ってきた。そして僕らを険《けわ》しい目つきで睥睨《へいげい》し、声高《こわだか》に告げる。
「同性愛を馬鹿にいないで下さいっ!」
ああ……、また変な人が増えたよ……。
「み、美《み》春《はる》? なんでここに?」
「お姉さまっ! 美春はお姉さまに逢《あ》いたくて、Dクラスをこっそり抜け出してきちゃいましたっ!」
ドリルのようにロールした髪を左右に垂《た》らしている女子が美波の姿を認めるなり勢いよく飛びつく。熱烈抱擁《ねつれつほうよう》の構えだ。
「須《す》川《がわ》バリアー」
「け、汚《けが》らわしいです! 腐った豚にも劣《おと》る抱き心地ですっ!」
盾にされた挙《あげ》句《く》口汚く罵《ば》倒《とう》された須川君は涙を堪《こら》えて上を向いていた。
「お姉さまは酷《ひど》いです……。美春はこんなにもお姉さまを愛しているというのに、こんな豚野郎を掴《つか》ませるなんてあんまりです……」
美波を愛している? そういえば前にそんなことを言ってる女子がいたような──って思い出した! この子、Dクラスの清《し》水《みず》美春さんだ!
「ちょっと美春! こんなところで愛しているとか言わないでよ! アキに勘違いされちゃうでしょ!?」
いや、勘違いするのは僕だけじゃないと思うけど……。
「君たち、少し静かにしてくれないかな?」
そんな中、凜《りん》とした声が響き渡った。知的に眼鏡《めがね》を押し上げるクールな声の主は学年|次《じ》席《せき》である久保利光《くぼとしみつ》君のものだった。
「あ、ごめん久保君」
彼にだけではなく、この部屋にいる皆に対して頭を下げる。本当に申し訳ない。
「吉井君か。とにかく気をつけてくれ。まったく、姫路さんといい島田さんといい、Fクラスには危険人物が多くて困る」
危険人物が多いのは否《いな》めない。けど、雄二やムッツリーニより先に姫路さんと美波の名前が挙《あ》がったのは意外だった。
「それと、同性愛者を馬鹿にする発言はどうかと思う。彼らは別に異常者ではなく、個人的|嗜《し》好《こう》が世間一般と少し食い違っているだけの普通の人たちなのだから」
「え? あ、うん。そうだね」
なんだろう。久保君の台詞にはまるで実体験のような重みが感じられる。
「ほら美春。くだらないことで騒いでないで自分の学習室に戻りなさい」
「くだらなくなんかありません! 美春はお姉さまを愛しているんです! 性別なんて関係ありません! お姉さま、美春はお姉さまのことが本当に──」
「はいはい。ウチにその趣味はないからね?」
依《い》然《ぜん》収《おさ》まりそうにない清水さんを美波が学習室の外に追いやる。やれやれ。やっと静かになった。
「……性別なんか関係ない、か……」
久保君が妙に思いつめた表情をして清水さんの捨て台詞を反芻《はんすう》していた。その顔を見ていると……なぜだか鳥肌《とりはだ》がたった。おかしいな。なんでだろう。
「性別なんか関係ない、ですか……」
「あのね姫路さん。その台詞を眩きながら雄二と僕を交互に見るのはやめてもらえるかな? きっとキミは誤解をしているよ? 知っての通り、僕は≪秀吉≫≪が好き≫なんだってちょっと!?」
また余計な音声が重ねられたけど、今回は否定できなかった。とは言え、このままにしておくのもまずい。一応|弁明《べんめい》をしておかないと。
「け、けど、誤解しないでね? 僕は秀吉の≪特に≫≪お尻が好き≫なんだ──ってこれだと余計に誤解を招くよね!? ムッツリーニと工藤さん、とにかくその機械をこっちに渡しなさい! 僕を取り巻く環境が変わらないうちに!」
「あ、明久……。ワシはどんな返事をしたら良いのじゃ……?」
「しまった! もう手遅れ!? こうなったら、≪久保君≫≪雄二と≫≪交互に≫≪お尻を見せて≫違う! どうしてこんな場面で久保君のお尻を見る必要があるのさ!」
「吉井君。そういうのは少々困る。物事には順序がある」
「わかってる! 順序|云々《うんぬん》の前に人として間違っていることも!」
「アキ、アンタやっぱり女より男の方が……」
「だからどうして皆僕をソッチの人にしようとするの!? 落ち着いて僕の話を聞いてよ!」
騒がしい教室内のざわめきに僕の声が打ち消される。
結局、この騒ぎは鉄人《てつじん》が怒鳴り込んでくるまで続いた。
[#中央揃え]☆
そんなこんなで地獄のような勉強時間や天国のような夕食タイムも終わって、いよいよ入浴の時間。僕らは割り当てられた部屋で顔を突き合わせて話し合いをしていた。
「僕は工藤さんが犯人だと思うんだけど」
「その可能性は高いだろうな」
雄二が僕の意見に頷《うなず》く。昼間の録音機の使い方を見る限り、彼女はかなり怪しい。
「それじゃ、工藤さんを一気に取り押さえる?」
それで証拠を押さえれば万事解決だ──
「…………それはやめた方がいい」
というのに、珍しくムッツリーニが否定的な意見を述べてきた。
「やめた方がいいって、何か問題でもあるの?」
「…………チャンスは一度きり。失敗したら犯人は見つからない」
ムッツリーニの言っていることは説明不足でよくわからなかった。
「もし取り押さえて間違いだった場合、それを見ていた真犯人がどうするかをよく考えてみろ、ってことだろ?」
「…………(コクコク)」
いつものように雄二が説明を入れてくれた。
真犯人がどうするか? う〜ん。目の前で自分を捕まえようとする連中が動いているのを見たら、僕が犯人なら──
「ああ、そっか。証拠を隠滅《いんめつ》するとか、自分を探さないように更に脅迫するとか、そういったことを考えるね」
「そういうことだ」
なるほど。そうなると確かにチャンスは一度きりだ。よほどの確信がない限り下手な手出しは自分の首を絞《し》めることになりかねない。
「けど、あんなに怪しいのに手が出せないなんて……」
「例の火傷の痕を確認できたら良いのじゃが……」
痕の場所が場所なだけに手を出し難い。
「いっそ、怒られるのを承知でスカート捲《めく》りでもしてみる?」
「…………ヤツは、スパッツを穿いている……!」
「げ。そういえばそうだった」
スパッツを穿いているなんて、ますます怪しい! 話をした限りでは下着が見えるのを気にしているとは思えなかったから、もしかすると火傷の痕を隠そうとしてスパッツを穿いている可能性だって──
「…………確認するには女子風呂を覗《のぞ》くしかない」
「やっぱりそうなるんだね……」
いくら考えても推測は推測だ。ムッツリーニの言う通り確信を得る為には覗きを決行するしかない。
「けど、どうしようか? 何か作戦を練らないと先生たちのあの警備を突破するのは難しそうだよ」
「作戦とは言うが、あの場所はただの広い一本道じゃったからのう。正面突破しかないと思うぞい」
女子風呂の前は見晴らしの良い一本道だった。遮蔽物《しゃヘいぶつ》が全く存在しないあの通路を教師に見つからずに抜けるのは不可能だろう。
「そうだな。作戦を立てる時間もないし、基本は正面から攻める以外はないな」
秀吉の言葉に雄二も賛同《さんどう》の色を見せた。
午前中はあの騒ぎだったし、午後は昨日失った点数の補給の為にテストを受けていた。作戦の準備をする時間が全然取れなかったのだから、多少強引でも仕方がないという判断だろう。
「だが、方法がないわけでもない」
「え? 作戦があるの?」
僕にはさっぱり思いつかない。こういう時の雄二は本当に頼りになる。
「作戦なんて立派なもんじゃないがな。要するに、正面突破を成功させたらいいだけだろう?」
「いや、それが難しいから困っているんだけど……」
向こうの戦力は教師の召喚獣が二体に鉄人が一体。対するこちらは僕を除けばバカが二人と美少女が一人。戦闘力の差を考えると圧倒的にこちらが不利だ。唯一の希望は、向こうは点数の補充をする時間があまり取れないということくらいか。
「正面突破しか方法がないのなら、それを成功させるだけの戦力を揃《そろ》えたらいい。質は向こうが上でも、数で上回れば勝機はある」
「えっと、つまり覗き仲間を増やすってことかな?」
「そうだ」
なるほど。確かに作戦とは呼べないような単純な方法だ。
「それじゃ、すぐにでも話をしてこないと。もうすぐお風呂の時間になっちゃうよ?」
「安心しろ。夕飯時に既に声はかけてある。そろそろ来るはずだ」
雄二がそう言うと、まるでタイミングを測っていたかのようにノックの音が聞こえてきた。
「坂本、俺たちに話って何だ?」
須川君を先頭に、Fクラスの男子がぞろぞろと部屋に入ってくる。うわ、これFクラス男子全員じゃないか。この部屋に入り切るかな?
「よく来てくれた。実は皆に提案がある」
部屋に入りきらなくて廊下にいるメンバーにも聞こえるように、雄二はよく通る声で告げた。
『提案?』
『今度はなんだよ。正直疲れて何もやりたくないんだけど』
『早く部屋に戻ってダラダラしてぇな〜』
全員がダルそうにしている。今日一日勉強漬けで疲れているのだから無理もない。
そうやってざわめく皆を見ても雄二は焦って話を切り出すような真似はせず、静かになるのを待ってから続きを口にした。
「──皆、女子風呂の覗きに興味はないか?」
『『『詳しく聞かせろ』』』
僕はこのクラスが大好きです。
「昨夜俺たちは女子風呂の覗きに向かったんだが、そこで卑《ひ》劣《れつ》にも待ち伏せをしていた教師陣の妨害を受けたんだ」
『ふむ、それで?』
雄二の台詞にツッコミが入らないことにツッコミを入れたい。
「そこで、風呂の時間になったら女子風呂警備部隊の排除に協力してもらいたい。報酬《ほうしゅう》はその後に得られる理想郷《アガルタ》の光景だ。どうだ?」
『『『乗った!』』』
よし。中身はともかく、これで仲間が増えた。雄二が正直に『俺たちを脅迫している犯人を見つけたいから協力してくれ』と言わなかったのはナイス判断だ。単純に覗きが目的と言った方が説明が楽だし、何より協力が得《え》易《やす》いから。
「ムッツリーニ、今の時間は?」
「…………二〇一〇時」
入浴時間は前半組が二〇〇〇時からなので、今から行けば脱衣を終えて丁度《ちょうど》良いタイミングになっているだろう。
昨日と違いFクラスの男子全負が協力してくれるとなれば、警備を突破できる可能性は高い。
「今から隊を四つに分けるぞ。A班は俺に、B班は明久、C班は秀吉、D班はムッツリーニにそれぞれ従ってくれ」
『『『了解っ!』』』
「いいか、俺たちの目的は一つ! 理想郷《アガルタ》への到達だ! 途中に何があろうとも、己《おの》が神《しん》気《き》を四肢《しし》に込め、目的地まで突き進め! 神魔必滅《しんまひつめつ》・見敵必殺《けんてきひっさつ》! ここが我らが行《ゆ》く末《すえ》の分水嶺《ぶんすいれい》と思え!」
『『『おおおおっっ!』』』
「全員気合を入れろ!  Fクラス、出陣《で》るぞ!」
『『『おっしゃぁぁーっ!』』』
一つの崇高《すうこう》な目的の為、今僕らFクラスは一つになった。
[#中央揃え]☆
「西村《にしむら》先生。流石に今日は彼らも現れないのでは? 昨日あれほど指導をしたことですし」
「布施《ふせ》先生。彼らを侮《あなど》ってはいけません。彼らは生粋《きっすい》のバカです。あの程度で懲りるようであれば今頃は模範的な生徒になっているはずですから」
「そうでしょうか? いくらなんでも、そこまでバカでは──あ、アレは!?」
──ドドドドドド!
『おおおおおっ! 障害は排除だーっ!』
『邪魔するヤツは誰であれブチ殺せーっ!』
「サーチ&デェース!」
「に、西村先生! 大変です! 変態が編隊《へんたい》を組んでやってきました!」
「まさか、懲りるどころか数を増やしてくるとは。これだからあの連中は……! 布施先生、警備部隊全員に連絡を! 一人とて通してはいけません! 私は定位置につきます!」
「は、はいっ!」
[#中央揃え]☆
「吉井! 木下《きのした》のC班が布施と接触したぞ!」
「オーケー須川君。皆、秀吉がやり合っている間に一気に駆け抜けるよ! 全員遅れないようにね!」
告げて、僕は一気に階段を駆け下りた。そのまま勢いを殺さずに廊下を走る。背中からは皆がついてくる気配が感じ取れた。
「よ、吉井君、待ちなさい!」
脇を抜けるとき、布施先生の慌てた声が聞こえてきた。待てといわれて待つバカはいない。当然のように走り去る。向こうも慌てて追いかけてきたけど、ある程度走ると布施先生は悔《くや》しそうに顔を歪《ゆが》ませながらも足を止めた。
「あれ? 諦めたのかな? まだ追ってくると思ったんだけど」
「諦めたってよりはれ干渉《かんしょう》を嫌ったんじゃないか?」
隣を走る須川君がよくわからないことを言っていた。≪干渉≫ってなんのことだろう。
「よし。木下の部隊が布施を取り囲んだな。俺たちはこのまま進もう」
「あ、うん。そうだね」
振り向くと、布施先生を囲む秀吉の部隊が数にものを言わせて戦いを有利に進めている様子が見えた。もはや首級《しゅきゅう》をあげるのも時間の問題だろう。
「吉井、いけそうだな」
「そうだね。このままなら無事に辿《たど》りつけそうだね」
須川君と余裕の会話をしながら廊下を曲がる。すると、その先にはありえない光景が広がっていた。
「そこまでです、薄汚い豚ども! この先は男子禁制の場所! おとなしく引き返しなさい!」
「し、清水さん! あと、その他女子多数!?」
広い廊下に展開していたのは、清水さん率《ひき》いる女子多数による召喚獣部隊だった。
「吉井。数も質も、圧倒的にこちらが不利だ……!」
須川君の言うとおりだ。こちらはFクラスの一分隊であるのに対して、向こうは少なく見積もっても2クラス分の女子がいる。戦力差は一目瞭然《いちもくりょうぜん》だ。
「清水さんお願いだ! そこをどいて欲しい!」
「ダメです! そうやってお姉さまのペッタンコを堪能《たんのう》しようなんて、神が許しても私が許しません!」
くっ。清水さんは誤解をしている! 僕の目的は美波じゃないのに!
「違うよ! 僕の目的は美波のペッタンコじゃないんだ! 信じて!」
「嘘です! お姉さまのペッタンコに興味がない男子なんているはずありません!」
「本当だよ! ペッタンコは所詮《しょせん》ペッタンコなんだ! 今の僕には美波の地平線のようなペッタンコよりも大事なことが右肘《みぎひじ》がねじ切れるように痛いぃぃっ!」
「黙って聞いてれば、人のことをペッタンコペッタンコと……!」
清水さんとの言い争いに夢中で美波の接近に気付かなかったとは不覚だ。おかげで僕の右手が酷いことになっている。
「み、美波。今は入浴時間じゃ……?」
「忘れたの? ウチと瑞希はFクラスだから後半戦なのよ。──もっとも、前半組のAクラスからも参加している人がいるみたいだけどね」
美波が廊下の奥を指し示す。目をやると、そこにはこっちに向かって手を振る女子の姿があった。
「やっほー、吉井君。何を見に来たのかな? ボクを覗きに来てくれたのなら嬉しいんだけど♪」
「工藤さん!? そんな! どうしてここにいるの!?」
脅迫犯であるはずの工藤さんが「……浮気は許さない」こんなところにいるなんて「翔子待て! 落ち着ぎゃぁぁあああっ!」計算外だ。これだと彼女が犯人かどうかを確認することができない!
「あ。さてはボクからこれを取り戻そうとしているのかな?」
例の録音機を取り出してニコニコと笑う工藤さん。まるで「全部知ってるよ」とでも言わんばかりの態度だ。やっぱり彼女が犯人か……?
「…………チャンスは一度きり」
踏み切ろうとする僕をいつの間にかやってきたムッツリーニが諫《いさ》める。確かにコイツの言う通りチャンスは一回しかない。もう少し話を聞いて確信を得てからにした方がいいかもしれない。
「工藤さん。質問なんだけど、どうしてキミは録音機なんて物を持っているの?」
そんなもの、普通は売っている場所すら知らないはずだ。何が目的で持っているのか、その答えに詰まったりウソ臭かったりしたら彼女が犯人である可能性が高い。
そんな僕の質問を受け、工藤さんはにこやかな表情のままで返事をしてきた。
「勿論、先生の授業を録音しておいて後から復習する為だよ」
これはウソだろう。彼女はそんなに真面目に勉強をしているようには見えない。もう彼女を犯人と確定してもいいんじゃないだろうか……?
「それより、吉井君たちの目的は? もしかして、脱衣所の盗み撮りとか?」
「くっ……!」
なんて白々しいことを。目的はわからないけど例の盗撮《とうさつ》だって工藤さんが犯人のくせに! 僕らの状況を知った上でとぼけているのか!?
「じゃ、一つイイコト教えてあげるよ」
彼女を捕らえるかどうかの決断に迷っていると、工藤さんが僕に近付いて一言。
(「まだ脱衣所には見つかっていないカメラが一台残っているよ?」)
「……っ! 工藤さん、キミは!?」
「ボクが仕掛けたわけじゃないけど、偶然見つけちゃってね」
偶然見つけた? そんなのウソに決まっている! くそっ! 僕らの状況を知りながらからかって遊ぶなんて、どこまで悪趣味なんだ!
「さて、おしゃべりはここまで。そろそろ始めようか、ムッツリーニ君?」
言うだけ言うと、工藤さんは僕から離れてムッツリーニの正面に立った。
「…………わかっている」
ムッツリーニの声は苦々しい。工藤さんは強敵だし、勝ったとしてもその後には保健体育の大島《おおしま》先生がいるのだから無理もない。
「気にするな! 女子の召喚獣なんかじゃ俺たちは止められない!」
「あっ! 待つんだ須川君!」
一般生徒の召喚獣が人に触れないことを利用して目的地に向かおうとする須川君。その判断は一見正しそうに思える。
「教育的指導っ!」
「ふぐぅっ!」
目的地の前に立つヤツさえいなければ。
『て、鉄人だと!?』
『ヤツを生《なま》身《み》で突破しないといけないの!?』
『バカを言うな! そんなの無理に決まっているだろ!?』
そう。一撃で須川君を床に沈めたのは、僕らの担任である鉄人だった。
男子生徒、特に僕らFクラス男子にはヤツの鬼のような強さが身に染みるほど理解できる。だからこそ、皆はその姿に動揺していた。
「吉井。やはりキサマは危険人物だったな。今日は特に念入りに指導してやろう」
ゆらり、と鉄人が歩を進めてくる。周囲は大勢の女子生徒。これはもう将棋《しょうぎ》で言う詰みというやつだろう……。
僕はこの場での部隊の全滅を覚悟していた。
ところが、
「吉井っ! 諦めるな! 悔しくてもこの場は退《ひ》いて力を蓄えろ! 今日がダメでも、明日にはチャンスがあるはずだ!」
「す、須川君!?」
打ち倒された須川君が鉄人の足にしがみついてその行く手を阻《はば》んでいた。
「吉井。お前はこんなところでやられちゃいけない……。鉄人を倒すことができるのは、≪観察処分者≫であるお前の召喚獣だけなんだから……。だから頼む……この場は逃げて、生き延びてくれ!」
最後の力を振り絞って須川君が訴《うった》えかけてくる。でも、
「須川君っ! 無理だよっ! 皆を見捨てて逃げるなんて、僕にはできない!」
皆仲間なんだ! 大切な戦友なんだ!
「須川。指導の邪魔をするなっ」
鉄人の拳《こぶし》が須川君に容赦なく叩《たた》き込《こ》まれる。けど、それでも須川君は歯を食《く》い縛《しば》って耐えていた。
「こ、この手は離されぇ……! 吉井は俺たちの希望なんだ……! 俺たちには欠かせないエースなんだ……! 皆、吉井の撤退《てったい》を援《えん》護《ご》するんだ!」
『『『おうっ!』』』
「す、須川君……。それに、皆も……」
全員が奮《ふる》い立《た》ち、僕に笑顔を向けてくれていた。僕は、僕は……!
『吉井! お前は召喚獣で女子を押しのけて走れ! 向こうの召喚獣は俺たちが意地でも抑える!』
『この場の全員で血《けつ》路《ろ》を開く! お前は振り向かずに駆け抜けろ!』
『ここが男の見せ所ってやつだな!』
次々と仲間たちが死地《しち》へと赴《おもむ》いていく。そんな姿を見せられて、いつまでもウジウジ迷っているわけにはいかない!
「……わかったよ。ここは皆に任せる! そして僕は必ず生き延びて……目的を果す! 行くぞ、試獣召喚《サモン》っ!」
お馴染みの召喚獣が現れたのを確認して、僕は退路を塞《ふさ》ぐ女子の人垣《ひとがき》に突っ込んだ。
「アキっ!逃がすもんですか! 試獣召喚《サモン》」
「明久君! オシオキは終わってませんよ! 試獣召喚《サモン》!」
目の前に姫路さんと美波の召喚獣が現れる。
『そうはいくか! 試獣召喚《サモン》!』
『吉井の邪魔はさせねぇ! 試獣召喚《サモン》!』
「邪魔よアンタたち!」
「どいてくださいっ!」
二人の仲間が命がけで姫路さんたちを足止めしてくれた。
「皆……ごめん。必ず僕は生き延びて、いつか理想郷《アガルタ》に辿り着くことを誓うから……」
あまりに無力な自分に腹が立った。悔しくて噛《か》みしめた唇が痛かった。涙を堪《こら》えて走る自分が惨《みじ》めだった。だから、強くなりたいと思った。
誰もいなくなった部屋に戻って、膝《ひざ》を抱いて座る。もしかすると誰かが生き延びて戻ってくるかもしれない。そんな淡い希望を砲さながら。
≪──放送連絡です。Fクラス吉井明久。至急臨時指導室に来るように≫
ま、普通そうなるよね。面《めん》割《わ》れてんだし。
[#改ページ]
[#改ページ]
強化合宿の日誌[#「強化合宿の日誌」は太字]
【第四問】[#3段階大きな文字]
強化合宿三日目の日誌を書きなさい。
土屋康太の日誌[#「土屋康太の日誌」は太字]
『前略。(※坂本雄二に続く)』
教師のコメント[#「教師のコメント」は太字]
今度はリレー形式ですか。次から次へとよく思いつくものです。
[#改ページ]
坂本雄二の日誌[#「坂本雄二の日誌」は太字]
『そして翔子が俺の前で浴衣の帯を緩めようとした。俺は慌ててその手を押さえつけ、思い止まるように説得した。ところが、隣では島田が明久に迫っていて妙な雰囲気になっており(※吉井明久に続く)』
教師のコメント[#「教師のコメント」は太字]
君たちに一体何があったのですか? 土屋君が略した部分がとても気になります。
吉井明久の日誌[#「吉井明久の日誌」は太字]
『後略』
教師のコメント[#「教師のコメント」は太字]
ここでその引きはないでしょう。
[#改ページ]
翌朝。
「ううん……」
「うん……? なんだろ……んなっ!?」
目を開けるといきなり秀吉《ひでよし》の寝顔が目の前にあった。
長い睫《まつ》毛《げ》を伴《ともな》う大きな瞳《ひとみ》が今は閉じられている。なんて綺《き》麗《れい》な寝顔なんだろう。
見惚《みと》れていると、秀吉が小さく動いてさらさらの髪が僕の腕をくすぐった。
「ん……」
口が小さく開いて吐《と》息《いき》が洩《も》れる。
彼我《ひが》の距離はほんの数センチ。キスまであと一歩の状態だ。
どどどどうする!? これはまたとないチャンスだ! 今なら事故を装ってイケる! でも、こういうのは相手の同意がないとマズい気もするし……
『やっちゃえよ。お前はいざという時は出来る男だろう?』
はっ!? 貴様は僕の中の悪魔! また僕を悪の道に引きずりこもうとしているな!? ダメだ! やっぱり僕にはそんな卑怯《ひきょう》な真似はできない!
『よく考えろよ。同じ布団で寝ているんだぞ? これはもう何もしない方が失礼だとは思わないか?』
う……。それはそうだけど……。
『悪魔の言葉に耳を貸しちゃダメだよ! 秀吉は明久《あきひさ》がホモ野郎だと信用して布団に入ってきているんだからね!』
僕の中の天使。君はもう永遠に出てくるな。
『さ、一気にいっちゃえよ。秀吉も待ってるぜ?』
そ、そうだね。あまり待たせても悪いし……。
意を決し、秀吉に顔を寄せる。
緊張で心臓がバクバク鳴った。暑くもないのに全身から汗が出てきた。
唇が触れるまであと数センチ……
と、いうところで目が覚めた。
「夢オチ!? がっかりだよ畜生《ちくしょう》!」
『いや、その前に秀吉は男だろ。いくら夢だったからって理性トびすぎじゃないか?』
あ。まだいたんだ僕の中の悪魔。
『まぁ、そう気を落とすな。さっきのは未来の予行練習だったと思えばいいだろ?』
なるほど。いつかくるチャンスの為のシミュレーションか。それはポジティブで良い考え方だね。その案を採用させてもらおう。
「ううん……」
なんて考えているその時、すぐ耳の傍《そば》から声が聞こえてきた。これは、まさか……?
恐る恐る背中の方を見る。
「ぐう……」
「…………最悪だ」
そこには雄《ゆう》二《じ》がいた。
太い眉《まゆ》毛《げ》を伴うガラの悪い目が今は閉じられている。なんてブサイクなんだろう。
吐《は》き気《け》を催《もよお》していると、ブサイクが大きく身じろぎをした。
「んあ……」
口が大きく開いて吐息が洩れる。
彼我の距離はほんの数センチ。大惨事《だいさんじ》まであと一歩の状態だ。
『……やっちゃえよ。お前はいざという時は出来る男だろう?』
やめて! まるでこれが本番と言わんばかりにシミュレーション通りの台詞《せりふ》を使わないで! 僕はこんな事態を微《み》塵《じん》も想定していなかったんだから!
『わかった。僕はもう止めないから、思いっきりやっちゃいなよ……』
天使! 貴様はシミュレーション通りの台詞を言え!
「とにかく雄二! 起きろコラぁっ!」
「ぐふぁっ!」
雄二を布団から蹴《け》り出《だ》す。朝から最悪の気分だ!
「んむ? なんじゃ? 雄二はまた自分の布団から離れた場所で寝ておったのか」
目を擦《こす》りながら秀吉が上体を起こす。それを見ているだけで僕の最悪の気分が癒されてきた。その隣ではムッツリーニも同じような動きをしている。
「秀吉、また[#「また」に傍点]ってどういうこと?」
「いや、別に大したことではないのじゃが……雄二は寝《ね》相《ぞう》が大層《たいそう》悪いようでのう。明け方はワシの布団の中に入ってきておって──やめるのじゃ明久! 花《か》瓶《びん》を振りかざしてどうするつもりなのじゃ!」
「殴る! コイツの耳からドス黒い血が出るまで殴り続ける!」
こんなヤツを生かしておいたら皆の為にならない!
ガチャッ
「おいお前ら! 起床時間だ──ぞ……?」
「死ね雄二! 死んで詫《わ》びるんだ! あるいは法廷《ほうてい》に出頭《しゅっとう》するんだ!」
「なんだ!? 朝からいきなり明久がキまっているぞ!? 持病か!?」
「ええい落ち着くのじゃ明久! 西村《にしむら》先生、済まぬがこやつを取り押さえるのを手伝って頂きたい!」
「……………!(コクコク)」
「……お前らは朝から何をやっているんだ」
皆に邪魔をされてしまい、残念ながら雄二に引導《いんどう》を渡すことは出来なかった。
[#中央揃え]☆
「雄二。そう言えば昨夜妙なことを言われたよ」
「ん? なんだ?」
寝起きのドタバタも終えて朝食中。僕は正面に座る雄二に声をかけた。
「工《く》藤《どう》さんに『脱衣所にまだ見つかってないカメラが一台残っている』って」
「なんだと?」
忙《せわ》しく動いていた雄二の箸《はし》の動きが止まる。
「怪しいよね。そんなことを知っているなんて、やっぱり彼女が犯人じゃないかな?」
「いや、そうとは限らんじゃろ。それならわざわざ怪しまれるようなことを言うとは思えん」
雄二に代わって隣に座る秀吉が返事をしてきた。秀吉にそうやって言われるとそんな気もしてくる。う〜ん。彼女は犯人じゃないのかな……?
「…………確認するしかない」
「やっぱりそれしかないか……」
どうあっても覗《のぞ》きに徹《てっ》するしか手は残されていないみたいだ。やれやれ……。
「だが、工藤の情報はありがたいぞ」
「え? カメラが残っているってことが?」
「ああ。それを工藤しか知らないってことは、そのカメラに女子の着替えが撮影されている可能性が高い。それを手に入れたら入浴していない女子の確認もできるからな」
「…………隠し場所なら5秒で見つける自信がある」
流石《さすが》ムッツリーニだ。変態は変態を知るってヤツだね。
「けど、本当にそんなカメラがあるのかも怪しいよ?」
「いや。最初にカメラが脱衣所で見つかった方がおかしいんだ。あんなに盗撮《とうさつ》や盗聴《とうちょう》に長《た》けている犯人のカメラが素人に見つけられるなんて考えにくい。そうなると──」
「…………二段構え」
「そうだ。最初に見つかったカメラはカムフラージュだった可能性が高い」
「用意周到じゃな」
そうやって油断させておいて本命のカメラで撮影しようってことか。なんて手の込んだ真似をする犯人だろう。
「けど、それならお風呂の時間を避けてカメラを取りにいけば解決ってことだね」
「…………それは無理」
「え? なんで?」
「…………時間外だと脱衣所は厳重に施錠《せじょう》されている」
脱衣所に鍵が? 初日のカメラ設置のせいだろうか。くそっ。なんだか全部が裏目に出ているような気がする。
「諦《あきら》めて今までどおりの方法を貫《つらぬ》けってことか……」
「そのようじゃな」
結局あの警備を突破しなければいけないという状況は変わらない。
「そこで昨日の反省だ。明久、昨日の敗因はなんだと思う?」
「敗因? う〜ん、向こうが女子の半分を防衛に回してきたことじゃないかな?」
教師側が一昨日《おととい》と同じ戦力だったら僕らの勝ちだったはず。少なくとも布施《ふせ》先生には競り《せ》り勝《か》っていたのだから。
「…………敵側には工藤|愛《あい》子《こ》もいた」
ムッツリーニが悔《くや》しげに告げる。よっぽど邪魔をされたのが腹に据《す》えかねたのだろう。それとも、教師を含めた二対一でも保健体育で不覚を取ったのが悔しいのかな?
「そうだ。昨日の敗因はAクラスを含め、敵の戦力が大幅に増強されていたことだ」
覚えている限り、向こうはこちらの三倍以上の人数がいた。その上教師までついている。この圧倒的な戦力差に対して正面突破はあまりに無《む》謀《ぼう》過ぎる。
「そこで、こちらも更に戦力を増強しようと思う。Fクラスだけではなく他のクラスも味方につけて対抗するんだ」
いつものように雄二が作戦を提案する。けど、僕はこの意見に随分《ずいぶん》と違和感を覚えた。なんというか、雄二らしくない。
「む? 明久、どうしたのじゃ?」
「う〜ん。なんか、この作戦がいつものやり方と違う感じがしてなんだか……。ほら、向こうの戦力が大きいからってこっちの戦力を増やすっていうのが、イマイチ僕たちらしくないというか……」
思ったとおりのことを述べると、雄二は感心したように頷いた。
「ほぅ……。明久も頭が少しは回るようになってきたな。その通り。このやり方の目的は正面突破だけじゃない」
やっぱり他の理由もあったのか。道理で方針が違ったわけだ。
「んで、他の目的って何?」
「俺たちの保《ほ》身《しん》だ」
「僕らの身を守る? 誰から?」
「いいか? 今のところは未《み》遂《すい》で終わっているから大した問題になっていないが、覗《のぞ》きは立派な犯罪だ。作戦が成功して女子風呂に至ったとしても、例の真犯人が見つからない限り俺たちは処分を受けることになる」
そうだった。昨日は必死で何も考えていなかったけど、突破が成功しても真犯人を見つけられなかった場合は、僕らの無罪を証明する手立てがない。そうなると僕らはただの性犯罪者だから、何らかの処分が下されてしまう。
「それを避ける為の戦力増強──つまり、メンバーの増員だ」
「増員が処分を逃れる手段になるって?」
「ああ。人数を増やせば相手の特定は難しくなる。向こうだって戦いながらその場にいる全員の顔を覚えるのは厳しいだろうからな」
それはそうだ。ああやって動き回りながら周囲に気を配っておくなんて、そう簡単にできることじゃない。
「でも、既《すで》に僕らは面《めん》が割《わ》れてるよね? それなら無意味なんじゃないの?」
おかげで昨日の晩は呼び出しを受けたわけだし。
「文月《ふみづき》学園は世界中から注目を集めている試験校だからな。そんな不祥事があった場合はひた隠しにするかキッチリと一人残らず処分をするかのどちらかしか選べない。中途半端に一部の生徒だけを罰するようなことになれば、ただでさえ叩かれている『クラス間の扱いの差』についてマイナス要因を増やすだけだからな」
えーと……、つまり僕たちみたいに顔の割れているメンバーは全員がFクラス所属っていうことを利用するってことか。確かに僕らだけが罰《ばっ》せられたら、まるで『出来の悪いFクラスだけが処分を受けて他の優秀なクラスは手心《てごころ》を加えられている』なんて風に見えるだろう。世間の注目度を考えると、学校側はそんなバッシングの元になるような話は避けたいばずだ。
「なるほど。流石は雄二。汚いことを考えさせたら右に出る人はいないね」
「知略《ちりゃく》に富《と》んでいると言え」
そうなると人物を特定させない為にも多くの人数が必要だ。突破の為の戦力にもなるわけだし、集められるだけ集めておきたい。
「ふむ。ならば今日は協力者の確保を主軸に行動するわけじゃな?」
「ああ。幸い合同授業の上に殆ど自習みたいなものだからな。動きは取り易いはずだ」
「そうだね。じゃ、まずはどこから行く?」
戦力を考えるとA〜Cクラスを仲間にしておきたいところだけど。
「当然Aクラスからだ。同じ手間なら能力が高い方が良いからな」
雄二も僕と同意見みたいだ。ま、それはそうだよね。
「Aクラスならば昨日の合同授業で交流もあるしのう。話もしやすいじゃろうて」
「決まりだな。合同授業の間にAクラスと話をするぞ」
「了解。ムッツリーニもそれでいいよね?」
「…………問題ない」
方針も決定したので、僕らは朝食を再開した。固形物が口に入るって、幸せ……。
[#中央揃え]☆
「Aクラスなら久保《くぼ》を説得するのが妥当だな。そんなわけで明久。説得に行ってこい」
「うむ。明久ならば適任じゃな」
「…………頼んだ」
どういうわけか、久保君の説得を満場一致で委《い》任《にん》されてしまった。
「あ、うん。別にいいけど」
特に断る理由もないので引き受けておく。
「でも、どうして僕なの?」
席を立って久保君のところに行こうとしたところで、ふと気になったことを三人に尋《たず》ねてみた。
「「「…………」」」
ただそれだけなのに、どうして皆気まずそうに目を逸《そ》らすのだろう。
「あ、あのさ。なんだか凄く嫌な感じがするんだけど、本当に大丈夫だよね?」
「そ、そうじゃな。一応、久保はお主に悪意を抱いてはおらんと断言できる」
「…………彼に悪気はない」
「なんで二人ともそんな奥歯にものがはきまったような言い方をするの?」
なんだろう。凄く行きたくなくなってきた。
「明久、早く行ってこい」
「え? でも……」
「大丈夫だ。この中ではお前が一番久保に好かれている。自信を持て」
「あ、うん」
「……ただし、いざという時はコレを使え」
雄二が僕のポケットに何かを押し込んできたので、それを横目で確認する。
スタンガン(二十万ボルト)
どうして同じ学校の生徒にお願いをしに行くだけでスタンガンを持たされるのか、僕にはさっぱりわからない。
「そ、それじゃ、行ってくるね」
何か釈然としないものを感じながらも、僕は久保君のいるテーブルへと歩き出した。
流石に学年次席だけあって、久保君は参考書を片手に真面目に勉強している。一瞬邪魔をしたら悪いかな、とも思ったけど事情が事情なので声をかけることにした。
「あのさ、久保君。ちょっといい?」
「吉《よし》井《い》君かい? 僕に用だなんて珍しい。とにかく座りなよ」
そう言って椅子に空きスペースを作ってくれる久保君。うん。その気持ちはとてもありがたい。でも、わざわざ一人がけの椅子に二人で座る必要はないんじゃないかな?
「それじゃ、こっちの空いている椅子を使わせてもらうよ」
「そうか。まぁ、キミがそうしたいのであればそれでも良いが」
「ところで、お願いがあるんだけど」
「引き受けよう」
「実は──って早っ!」
まだ内容も話してないのに。
「いや、すまない。少し冷静さを失っていた。話を聞かせてもらえるかな?」
「あ、うん。実はその……」
覗きの仲間になってくれ、なんて言いにくくて口ごもってしまう。
「遠慮なく言ってくれ」
そんな僕をフォローするかのように久保君は真《しん》摯《し》な態度で接してくれた。こんなにも優しい相手なら、ストレートにお願いしても大丈夫なはず! 余計なことは考えずに相手を信じて頼んでみよう!
「その……女子風呂を覗くのを手伝って欲しいんだ!」
「断る」
裏切られた気分だ。
「女子風呂を覗く? 本気でそんなことを言っているのかい?」
「う……。そ、それにはワケがあって……」
「見損なったよ吉井君。人の集まりにはルールがあり、それを守ることで社会が形成される。だから、人として間違ったことをしようとするキミは社会に不適合な人だと言える。もうすぐ社会に出ようというのにそんなことでいいのかい? そもそも、入浴中の女子の身体を見ようという考え自体が不《ふ》潔《けつ》だよ」
取り付く島もなく僕の反論を切り捨てる久保君。彼はそのまま不機嫌そうに鼻を鳴らすと参考書に没頭《ぼっとう》し始《はじ》めてしまった。こっちの言葉に耳を貸してくれそうな様子もないし、これ以上の交渉は成り立たないだろう。
「邪魔してごめん。それじゃ、僕はこれで」
仕方がないので一旦《いったん》雄二達のところに戻るとしよう。
「……人として間違ったこと、か……」
去《さ》り際《ぎわ》に久保君の呟《つぶや》きが聞こえてきた。何か悩みでもあるんだろうか?
「明久。どうだった?」
「ごめん。失敗だったよ」
「そうか。まぁ、無事で何よりだ」
「いや、そんな危ないことはしてないんだけど」
そうやって心配するならもっと別の時にして欲しいもんだ。
「しかし、そうなると他のクラスとの交渉を迅速《じんそく》に進める必要があるな」
「それはそうだけど、今は一応授業中だよ?」
自習中とは言っても監《かん》視《し》の目がないわけじゃない。今も勉強しているフリをしていなければ監督の先生に注意を受けているだろう。
「それはわかっている。だが、全クラスに声をかけるとなると休み時間程度では全然足りないからな。なんとしても抜け出すしかない」
雄二が鋭い目つきで鉄人《てつじん》の隙《すき》を窺《うかが》っている。するとそんな様子を見て、僕らに近付いてくる人影があった。
「こらっ。アンタたち、また何か悪巧《わるだく》みしてるでしょ」
少し離れた席で自習していた美《み》波《なみ》だ。割と静かにしていたのに目ざといなぁ。
そして彼女の言った『悪巧み』という単語に遠くで鉄人がピクッと反応している。
「美波、別に僕たちは悪いことなんて考えていないよ?」
正攻法で覗きを成功させようとしているだけだ。
「はぁ……。今更アンタたちに問題を起こすな、なんて無理を言う気はないけど、よりによって覗きなんて……。少しは覗かれる方の気持ちを考えてみたら?」
美波の言っていることは正しい。僕も脅迫《きょうはく》を受けていなくて無実なのに拷問《ごうもん》を受けていなくて姫《ひめ》路《じ》さんの胸がもう少し小さかったらきっと考えを改めていただろう。
「よりによってお風呂の覗きなんて……。周りと比較されるし、隠すものはないし、パッドを入れることもできないし、寄せて上げることも……」
「あの、美波。それって一部のピンポイントな箇《か》所《しょ》を見られることを嫌がっているだけに聞こえるんだけど」
美波に今更|取《と》り繕《つくろ》わなくてもいいよ、と優しい言葉をかけようとしていると雄二が目線を送ってきた。
『鉄人にマークされている。島《しま》田《だ》を遠ざけろ』
ん? 鉄人のマーク? どれどれ?
ああ、なるほど。確かに鉄人がジッとこちらを見ている。美波との会話で鉄人の警戒心《けいかいしん》を煽《あお》ってしまったみたいだ。他のクラスのところに行きたい僕らにとって、ここで目立ってしまうのは非常にまずい。ここは雄二の言う通り美波を遠ざけるとしよう。
さてさて、どうやって遠ざけようか。とりあえず誰かが呼んでいた、なんて嘘《うそ》でもついておこうか。ここから離れた席に座っているのは……お、須《す》川《がわ》君が丁度《ちょうど》いい位置にいるな。彼を利用させてもらおう。
「美波、そういえば」
「ん? なによ」
「須川君が話があるって言ってたよ」
「え? 須川がウチに?」
「うん。さっきそう伝えて欲しいって言われたんだ」
よし。美波は何も疑っていない。これで遠くの席に座る須川君のところに行ってくれるだろう。
「ふぅん……。何の用かしらね。ま、後で休み時間にでも聞いてみるわ」
「え? あ、いや、それはちょっと困る、かな……」
「? なんでよ?」
美波は席を離れていく様子はない。それでは困る。ここは今すぐ動いてくれるようにしないと。
「その、とても大事な話だから、すぐにでも聞いて欲しいって言ってたんだよ」
「え? 大事な話って?」
お、食いついた。これはいい反応だ。もう少し大事な話ということをアピールしたら、今すぐにでも動いてくれそうな感じだ。
「すっっっごく真剣な顔だったから、よっぽど大事な話なんだよきっと」
「えぇぇっ!? ま、まさか、それって……? 須川がウチになんて、そんなのありえないよ……。でもでも、旅先だとその手の話は多いって言うし……」
美波が急に赤くなり始めた。何の話だと思っているのかわからないけど、このまま押し切ればうまくいきそうだ!
「今すぐ伝えたいって言ってたから、すぐにでも行かないと可哀想《かわいそう》だよ」
ここまで言っておけば大丈夫だろう。きっと美波はすぐにでも須川君のところへ──
「……アキは、それでいいの……?」
行くどころか、何故か責めるような、どこか寂《さび》しそうな目で僕を見ていた。
「え? それで良いも何も」
「だからっ! アンタは、ウチがその、須川と(ゴニョゴニョ……)」
「ごめん。よく聞こえないんだけど」
美波の言いたいことがイマイチよくわからない。
「ああもうっ! ようするに、アンタはウチが誰かに告白されたりしたらどう思うのかって聞いてるのよ!」
「悪戯《いたずら》かと思う」
「はぁ……。シャツについた血って落とすの大変なのよね……」
「いきなり返り血の心配!? 僕の出血は決定事項なの!?」
どうして僕はこんな目に遭《あ》っているのだろう。
「島田。明久はお前がどこにも行かないと安心しきっているんだ。ここらで焦らせてやるのも一つの手だと思うぞ?」
隣で様子を見ていた雄二が妙なことを言っている。今僕は美波がどこにも行ってくれなくて困っているというのに。
「……そうね。見てなさいよアキ。ウチだって結構モテるんだからねっ!」
僕を一睨《ひとにら》みし、美波は肩をいからせながら須川君のところに向かっていった。
『島田。そんなに血相を変えてどうした?』
『西村先生。ちょっと須川に用事があるんです。スグに終わりますから』
『そうか。だが、その剣幕《けんまく》だとお前が須川を血の海に沈めないかと心配なんだが』
お。途中で鉄人に捕《つか》まってる。これはチャンスだ!
「明久、秀吉、ムッツリーニ。今だ。見つからないように脱出するぞ」
雄二が僕と自習のフリをしている秀吉とムッツリーニに声をかけた。互いの目を見て小さく頷《うなず》く僕ら。そのまま音もなく出入り口に向かい、廊下に出てそっと扉を閉めた。
『大事な話? 何のことだ?』
『騙《だま》したわねアキっ! 出てきなさいっっ!』
扉を閉める寸前、須川君と美波のそんな会話が聞こえてきた。
色々な意味であのタイミングは絶妙だったみたいだ。
[#中央揃え]☆
「……やっぱりこっちにも監督の先生がいるね」
「当然だな」
廊下をこそこそと歩くこと数分。僕らはDクラスとEクラスの合同学習室の前で中の様子を窺《うかが》っていた。
「して、どうするのじゃ? このままでは交渉を進められんが」
「…………侵入も難しい」
よりによってここの監督の先生は出入り口の前に陣取っていた。これではこっそり中に入って話をするなんて不可能だ。
「簡単だ。一人が囮《おとり》になって教師を引きつければいい」
「断る」
こういうのは大抵僕の役割になってしまうので、何かを言われる前に先手を打っておいた。
「やれやれ。それなら、ゲームで決めないか?」
くっ。またもや雄二の提案だ。けど、ここで断ったら勝負から逃げたような気がして悔しい。とりあえず内容だけでも聞いてみるかな。
「ゲームって、何?」
「古今東西《ここんとうざい》だ」
古今東西か。それなら僕にだって勝ち目はあるはずだ。今度こそ雄二に勝って貧乏くじを押し付けてやる……!
「わかったよ。やってやろうじゃないか」
「よし。それならいくぞ」
僕と雄二は向かい合って部屋の中には聞こえないように気を配りながらゲームを開始した。
「坂本雄二から始まるっ」(雄二のコール)
「「「イェーッ!」」」(僕と秀吉とムッツリーニの合いの手)
[#改ページ]
[#改ページ]
「古今東西っ」
「「「イェーッ!」」」
「【A】から始まる英単語っ」
……へ?
パンパン(手拍子《てびょうし》) → 雄二の番
「【Apple】!」
パンパン(手拍子) → 僕の番
「……僕の、負けだ……」
「一つも思いつかんのか!?」
くぅっ! 違うんだ! これは咄《とっ》嗟《さ》のことだから反応できなかっただけで、落ち着いていたらきちんと答えられたんだ!
「で、でも、ムッツリーニもこんなのできないよね?」
こうなったらムッツリーニもこちら側に引き込んでしまおう! きっとコイツもできないはず!
「…………そんなことはない」
そんな僕の予想を覆《くつがえ》す台詞が返ってきた。
「そ、そうなの?」
「…………やってみせる」
僕と入れ替わるようにムッツリーニが雄二の前に出た。
「それじゃ……古今東西、【A】から始まる英単語っ」
パンパン(手拍子) → 雄二の番
「【Amond】」
パンパン(手拍子) → ムッツリーニの番
「…………【AV】」
英単語?
「ちょっと待って二人とも」
「なんだ、明久」
「今のムッツリーニの英単語はどうかと思うんだ」
微妙に違うような気がしてならない。
「何を言っている。きちんとAから始まっていただろうが」
「ああ、うん。一応そうだけど……」
「それなら問題ないだろう。続きをやるぞ」
僕の物《もの》言《い》いは棄却《ききゃく》されて続きが始まる。
パンパン(手拍子) → 雄二の番
「【Agent】」
パンパン(手拍子) → ムッツリーニの番
「…………【AkihiSa】」
僕の名前を呼ばれた気がする。
「はい待って二人とも」
「今度はなんだ明久」
「いつの間に僕の名前は英単語になったのかな?」
「…………【名詞】バカの意。またはそれ相応《そうおう》の人物の総称《そうしょう》。【−ful】で形容詞」
「何!? そうやってまるで本当に辞書に載《の》っているような説明はやめてよ!」
「例文:He is so Akihisaful.(彼はこの上なく愚《おろ》かな人物だ)」
最近バカにされる方法がどんどん高度になっている気がする。
「とにかく、固有名詞や略語は反則だからね!」
「あー、わかったわかった。んじゃ、続きいくぞ」
パンパン(手拍子) → 雄二の番
「【Arrival】」
パンパン(手拍子) → ムッツリーニの番
「…………【Amen】……ボ」
「ねぇ、今小さい声で『ボ』って言ったよ!? 今のは明らかに『アメンボ』だよね!?」
パンパン(手拍子) → 雄二の番
「【Action】」
パンパン(手拍子) → ムッツリーニの番
「…………【A──☆●◆▽┌♪*[#晴れマーク unicode2600]×】」
「ごまかした! 今思いつかなかったから早口でそれっぼく言ってごまかしたよ!」
「ふぅ……。決着がつかないな。もう充分だろう」
「…………(コクリ)」
「くそぉぉっ! 全然納得いかないっ! どうしてムッツリーニへの判定はそこまで甘いの!?」
「おい明久。あまり大声を出すと──」
ガラッ
「廊下で騒いでいるのは誰ですか! 今は自習中のはずですよ!」
「うわっ! 布施先生だ! 雄二、どうする──っていない!? いつの間に!?」
「吉井君、そこを動かないように!」
「やっぱりこうなるのかっ!」
「こらっ! 待ちなさい!」
結局僕が布施先生を引きつけて逃げ回るのか……。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……。なんとか、撒《ま》いた、かな……」
「明久、ご苦労だったな」
「苦労、したよ、途中から、大島《おおしま》先生が、出てきて……」
「そうか。おかげでD・Eクラスの協力を取り付けることができた。良くやってくれた」
とりあえず胸に手を当てて呼吸を整える。ふぅ……。
「それは良かったよ。これで戦力は一気に増えたね」
「ああ。次はBクラスとCクラスだな。もう一度頼むぞ明久」
まるでそれが当然のように告げる雄二。でも、そうは問《とん》屋《や》が卸《おろ》さない!
「そう簡単に引き受けるわけにはいかないよ。さっきの勝負も納得がいってないし、もう一度勝負だ!」
「別にいいが、時間の無駄だと思うぞ?」
「ふふっ。そうかな? 僕をさっきまでの僕だとは思わない方がいいよ」
さっき散々逃げ回りながら英単語について考えたんだ。今度は必ず勝つ!
「それじゃ……吉井明久から始まるっ」(僕のコール)
「「「イェーッ!」」」(雄二と秀吉とムッツリーニの合いの手)
「古今東西っ」
「「「イェーッ!」」」
「【o】から始まる英単語っ」
パンパン(手拍子) → 僕の番
「オーガスト《A u g u s t》!」
「待ちなさい吉井君! どうしてキミは授業中に出歩いているのですか!」
「すいません! 色々事情があるんです!」
五十嵐《いがらし》先生は意外と足が速いということがわかった。
[#改ページ]
[#改ページ]
バカテスト 英語[#「バカテスト 英語」は太字]
【第五問】[#3段階大きな文字]
以下の英文を訳しなさい。[#「以下の英文を訳しなさい。」は太字]
『Although John tried to take the airplane for Japan with his wife's handmade lunch, he noticed that he forgot the passport on the way.』
姫路瑞希の答え[#「姫路瑞希の答え」は太字]
『ジョンは妻の手作りの弁当を持って日本行きの飛行機に乗ろうとしたが、途中でパスポートを忘れていることに気がついた』
教師のコメント[#「教師のコメント」は太字]
はい正解です。
[#改ページ]
土屋康太の答え[#「土屋康太の答え」は太字]
『ジャンは              』
教師のコメント[#「教師のコメント」は太字]
ジョンです。
吉井明久の答え[#「吉井明久の答え」は太字]
『ジョンは手作りのパスポートで日本行きの飛行機に乗った』
教師のコメント[#「教師のコメント」は太字]
手作りパスポートという言葉の意味をもう一度よく考えてみて下さい。
[#改ページ]
そんなわけで、恒例《こうれい》の出撃《しゅつげき》前ブリーフィング。
「結局、手を貸してくれたのはD・Eクラスだけじゃったな」
「仕方ないだろう。Bクラスは代表が代表なだけにまとまりがないし、Cクラスは代表が小《こ》山《やま》だからな。男子連中がしり込みするのも無理はない」
「けど、D・Eクラスが協力してくれるだけでも昨日よりずっと状況が良くなったよ」
「まぁそうじゃな。女子側とて入浴の為に最大でも半数しか出てこられんじゃろうし、教師を抑《おさ》えることができればなんとかなるじゃろ」
昨日以上の戦力を向こうは保有していないはずだから、今日こそなんとかなるはずだ。
「でも、ここまで大きな騒ぎにすると女子の入浴自体が中止になったりしないかな?」
「それはないだろ。教師側にもプライドがあるからな。『覗《のぞ》きを阻止《そし》できないかもしれないので入浴は控《ひか》えてください』なんて言うと思うか?」
「ああ、そっか」
確かに先生たちとしても意地があるだろう。召喚獣を使った勝負で生徒に防衛線《ぼうえいせん》を抜かれるようなことがあってはいけないのだから。
「それとこれは憶測だが……教師側はこの事態を好ましく思っている可能性もあるな」
「え? 僕らの覗きを?」
「ああ。あくまでこの合宿の目的は『生徒の学習意欲の向上』だからな。目的がなんであれ、召喚獣を使って戦闘を行う以上勉強せざるを得ない。女子側も同様だ。防衛の為には召喚獣が不《ふ》可《か》欠《けつ》だからな」
雄《ゆう》二《じ》がもっともらしく説明している。なるほどね。道理でこの時間に僕らを部屋に拘束《こうそく》なんて手段をとってこないと思ったら、そういう理由があるわけか。先生たちも絶対抜かせない自信があるからって大胆《だいたん》な行動に出てるなぁ。
「さてムッツリーニ。作戦開始時刻と集合場所は両クラスに通達《つうたつ》してきたか?」
「…………問題ない」
作戦開始予定時刻は二〇一〇時、集合場所は一階にある大食堂。前半観が脱《だつ》衣《い》を終えて入浴し始めている頃を狙《ねら》って総攻撃を仕掛ける手《て》筈《はず》だ。
「よし。それじゃ、そろそろ出るか」
「そうだね。他の皆が待っているかもしれないし」
D・Eクラスの男子全員が手を貸してくれたことによってこっちの人数は百人近くになった。昨日のような結果にはならないはず──
「吉《よし》井《い》っ、大変だ!」
と、突如《とつじょ》ドアが開かれ、クラスメイトの須《す》川《がわ》君が飛び込んできた。
「須川君、どうしたの? 作戦開始まではあと少し時間があるはずだけど」
「やられた! 大食堂で敵が待ち伏せをしていたんだ! 今は戦力が分断されて各階に散《ち》り散《ぢ》りになっている!」
「なんだって!?」
まさか向こうに先手を打たれるなんて。こっちの情報が洩《も》れていたのか!?
「…………情報が洩れるようなことはない」
ムッツリーニが僕の疑問を払拭するように断言した。ムッツリーニがそんなへマをするはずがないし、もし洩れていたとしても敵側が行動を開始するには相応の準備時間が必要なはずだ。となると……
「こっちの考えを読まれていたか……!」
雄二が悔《くや》しげに呟《つぶや》く。
そう。こっちが戦力を増強して正面突破を図《はか》るのを読まれていたことになる。普通は隠密《おんみつ》行動に出ると考えるはずなのにこの作戦を読むということは、相手はよほど雄二の思考回路《しこうかいろ》を熟知《じゅくち》していると言える。そんなことができるのは一人しかいない。
「霧島翔子《きりしましょうこ》じゃな。流石《さすが》、学年代表の名は伊達《だて》ではないな」
「よっぽど雄二の覗きが許せないんだね」
こっちのアドバンテージは雄二の練《ね》る常識外《じょうしきはず》れな作戦だけだったのに、それすらもされないとなると状況はかなり苦しい。
「…………迷っている時間はない」
「そ、そうだね! 雄二どうする!?」
「どうするもこうするも、こうなっては作戦なんて殆《ほとん》どないようなものだ。分断された戦力を一旦《いったん》編成し直すしかない! とにかく出るぞ!」
「「「了解!」」」
須川君も含めた五人で廊下に出る。すると、そこは既《すで》に戦場となっていた。
『このスケベども! おとなしくお縄《なわ》につきなさい!』
『覗きなんてさせないからね!』
『くそぉっ! どうしてこんなところに女子が!?』
『知るか! とにかく応戦しろ!』
徒党《ととう》を組んで攻《せ》め込んでくる女子生徒を相手に召喚獣を喚んで応戦する仲間たち。でも、その点数の差は圧倒的だった。
『Dクラス 小野寺優子《おのでらゆうこ》 VS Fクラス 朝倉正弘《あさくらまさひろ》
化学   116点 VS 44点       』
朝倉君の召喚獣が簡単に打ち倒される様子を見て、須川君が声をあげた。
「皆落ち着け! 召喚獣は俺たちに触ることができない! 向こうが召喚をしても相手をせずに突っ切ればいいんだ!」
言うや否《いな》や、女子の隣を駆け抜ける須川君。いけない! その判断は間違っている!
「須川君、ダメだ! 気をつけなきゃいけないのは鉄人《てつじん》だけじゃないんだよ!」
慌《あわ》てて声をかけるけど、須川君は既に動き出している。もう間に合わない!
「Fクラス須川|亮《りょう》君ですね? 特別指導室に連行させてもらいます。試獣召喚《サモン》」
女子の陰から出てきたのは布施《ふせ》先生だった。召喚が行われているからには向こうには教師がいる。その召喚獣を倒さない限りここを突破することはできない。だからこそ僕らの作戦は戦力一点集中なんだ。いくら強い召喚獣でも、一度に相手に出来る敵の数には限界がある。教師の数は生徒の数ほど多くはないのだから、こちらの頭数さえ揃《そろ》えばなんとかなるというのに……!
「全員聞け! とにかく一点集中でこの場を突っ切る! 俺の後に続くんだ!」
布施先生を睨みつけながら雄二が指揮を執る。そして向かった先は──
「雄二! そっちは一番敵の層が厚いよ!? 階段を降りる方が突《とっ》破《ぱ》し易《やす》いと思う!」
よりによって向こうの包《ほう》囲《い》網《もう》の中でも一番|頭数《あたまかず》が多い方向。中にはチラホラとAクラスやBクラスの女子の顔もあった。
でも、雄二はそんな僕の意見を即《そく》座《ざ》に却下《きゃっか》した。
「だからこそだ! 層の薄い方を突破するとその先に罠《わな》が仕掛けられている可能性がある! ここは苦しくても一番危険な方向へ進むんだ!」
そう言われてみると、向こうの戦力の分《ぶん》布《ぷ》は不自然に見えた。まるで階段の下に来てくださいと言わんばかりに。これは確かに罠が仕掛けられているかもしれない。流石は雄二だ。こんな状態でもきちんと考えを巡《めぐ》らせている。
『坂本《さかもと》に続け! 先生を迂《う》回《かい》してこの場を逃《のが》れるんだ!』
『一気に行くぞぉーっ!』
方々《ほうぼう》を向いていた全員の視点が一ヵ所に定まる。そして、皆が同じ方向へ駆け出した。
すると、女子の軍勢は道を譲《ゆず》るかのように左右に割れた。僕らの勢いに圧《お》されたのか? いや、それにしてもあまりに諦《あきら》めが良すぎるような……。
とにかく余計なことを考えている余裕はない。僕らは階段前の廊下を駆け抜けて、学習室へと続く廊下を曲がり、
「……雄二。待っていた」
「き、霧島さんっ!?」
その先に待ち構えている霧島さんたちと出くわした。
「翔子、やってくれたな……!」
雄二の歯《は》軋《ぎし》りが聞こえてくる。
これは確かに悔《くや》しいだろう。咄《とっ》嗟《さ》の判断でとった行動が相手の思惑《おもわく》通りだったなんて。
相手の読みがこちらを上回っていたなんて、雄二にしてみればこの上ない屈辱《くつじょく》のはずだ。
「……浮気は許さない。それを身体《からだ》に教えてあげる」
そう告げて、霧島さんは一歩横に動いた。そして、奥から現れた人物が一人。
「あなたたちには社会のルールについてたっぷりと指導する必要がありますね」
「よりによって、引率《いんそつ》は学年主任の高橋女史《たかはしじょし》か……!」
クールで知的な印象を持つその先生は、眼鏡《めがね》のレンズ越《ご》しに僕らに厳《きび》しい視線を送っていた。高橋先生が相手では僕らFクラスメンバーなんかじゃ相手にもならないだろう。
「雄二、ここは撤退《てったい》を」
「ごめんね。そうはいかないんだよね」
来た道を振り返ると、そちらにも人影があった。
「工《く》藤《どう》さん……!」
「やっ。頑張ってるね吉井君」
白々しく工藤さんが手を挙げている。そして当然のようにその後ろには保健体育の大島《おおしま》先生もいた。あの二人が相手となると、いくらムッツリーニでも勝ち目はない。
「アキ。昼間はよくもやってくれたわね……! おかげでいらない恥をかいたわ」
「明久《あきひさ》君。そこまで見たいのなら、どうして相談してくれなかったんですか?」
僕の前にはお馴染《なじ》み美《み》波《なみ》と姫《ひめ》路《じ》さんのコンビ。高橋先生が控《ひか》えている以上は勝負は総合科目。美波の弱点をつくこともままならない。この戦いは完全に僕らの負けだろう。
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でも、だからと言って諦めることはできない! あんな写真が出回ったら僕の学園生活は灰色確定なのだから!
「皆! 最後まで諦めずに戦うんだ! 試獣召喚《サモン》!」
召喚獣を喚び、戦闘の構えを取らせる。狙《ねら》うは学年主任の高橋先生だ。あそこを突破したらまだ先はある!
「先生! アキの召喚獣は見かけよりずっと強いですから──」
「大丈夫です島《しま》田《だ》さん。心配には及びません」
援護しようとする美波を片手で制する高橋先生。
余裕のつもりか! でも、僕だって召喚獣の扱《あつか》いには少々覚えがある! いくら学年主任とは言っても、うまくやれば……!
僕の召喚獣が敵|目掛《めが》けて弾丸のように駆け出す。
「吉井君。あなたには失望しました。少しは見所がある子だと思っていたのですが」
高橋先生はそんな様子を冷たい目で見下ろした後、召喚獣に指示を出した。
スッと敵が得《え》物《もの》である鞭《むち》を構える。向こうの間合いがわからない。まずは一撃目をやり過ごして射程距離を見定める!
木刀《ぼくとう》を正眼《せいがん》に構え、相手の攻撃に備える。すると、突然僕の召喚獣の動きがピタッと止まり──その場に倒れこんだ。
「……は?」
呆《あっ》気《け》に取られる。そして一瞬遅れて、僕の全身に鋭い痛みが走った。
「いったぁぁぁああっ! コレは凄く痛いっ! さすがは拷問《ごうもん》用の道具だよ!」
鉄人の鉄拳《てっけん》とは違い、皮膚を切り裂くような痛みが全身にくまなく広がっていく。
「あの明久が一撃で……。噂《うわさ》に違《たが》わぬ才女《さいじょ》だな……」
『学年主任 高橋|洋《よう》子《こ》  VS Fクラス 吉井明久
総合科目 7791点 VS 902点     』
高橋先生の点数が明《あ》かされる。それはもう比較するのもバカらしくなるほどに圧倒的な点差だった。
「仕方がない。こうなったからには、各自の判断で行動しろ!」
『『『おうっ! 任せておけっ!』』』
事実上の撤退《てったい》宣言が総司令から発《はっ》せられた。
作戦の指示がなくなり、全員がそれぞれの判断で行動を始める。こうなると個人の力量が試される。どうやってこの場を逃《のが》れようとするのか、じっくりと見せてもらおう!
『…………』(←土下座《どげざ》)
『…………』(←土下座)
『…………』(←土下座)
バカばっかりだ。
「吉井君と坂本君は彼らのような真似はしないのですね。指揮官としての矜持《きょうじ》というものですか?」
土下座のポーズを取らない僕と雄二を見て、高橋先生が感心したように目を細めていた。土下座? まったく、相手を見て物を言ってもらいたいもんだ。
「違うな、高橋女史。俺たちにはわかっているのさ」
雄二が口の端《はし》を小さく持ち上げる。
「ええ。雄二の言う通りです。僕らにはわかっているんです。そんなことをする必要はないということが」
僕もそんな雄二に倣《なら》って小さな笑《え》みを浮かべて見せた。
「まさか、助けが来るとでも……?」
僕らの余裕の態度を見て高橋先生が眉《まゆ》をひそめる。
「助け? 違うな。アンタは何もわかっちゃいない」
「そうですね。僕らが言っているのはそういうことじゃない」
コレがテストだったら、高橋先生の解答は残念ながら0点だ。僕らが土下座をしないのは、プライドの為でもなければ援軍を期待しているからでもない。正解は──
「坂本君、明久君。覗きは立派な犯罪なんですよ?」
「そういえばアキには昼間のお礼もしないとね?」
「……雄二。浮気は許さないと言った」
──正解は、土下座をしても許してもらえそうにないからだ。
[#中央揃え]☆
「まさか高橋女史まで参戦してくるとはな」
「あの人、もう反則なまでの強さだったよ……」
勝負|云々《うんぬん》の次元じゃなかった。あの人にタイマンで勝てるヤツなんてどこにもいないだろう。
思い出すと全身が激しく痛んできた。高橋先生の召喚獣と姫路さんと美波のオシオキの後遺症《こういしょう》だ。今後は当分姫路さんと美波の笑顔が夢に出てきそうだ。勿論《もちろん》悪夢で。
「じゃがどうする? このままではお主《ぬし》らは脅迫《きょうはく》犯の影に怯《おび》え、且《か》つ覗き犯という不《ふ》名《めい》誉《よ》な称号《しょうごう》を掲《かか》げられてしまうぞい」
秀吉《ひでよし》は昨日に引き続いて無罪放免《むざいほうめん》だった。ま、女の子が女の子のお風呂を見たからといって犯罪になるわけじゃないから当たり前だけど。
「勿論諦める気は毛頭《もうとう》ない。残るチャンスは明日だけだが、逆に言えばまだ明日が残っているんだからな」
明日はいよいよ合宿四日目。五日目は帰るだけの移動日だから、覗きのチャンスは明日で最後となる。でも雄二の言う通り、まだ明日が残っているとも考えられる。諦めるのは早い。
「そうだね。圧倒的な戦力差だったけど、そんなのは僕らにとってはいつものことだし。こういった逆境《ぎゃっきょう》を覆《くつがえ》す力こそが僕らの真骨頂《しんこっちょう》だよね!」
脅迫と覗き疑惑が背後から迫《せま》り、正面には比較するのもバカらしくなるほどの敵がいるこの状況。時間は残り僅《わず》かでチャンスはあと一回。だというのに、不思議と絶望はしていない。
「…………このまま引き下がれない」
「そうじゃな。こんなことはFクラスに入ってからは慣れっこじゃ。今更慌てるまでもない」
秀吉とムッツリーニの士気も高い。この場にはいないクラスメイトたちもきっと同じような気持ちでいてくれるはずだ。
「そうか。お前らが諦めていないのなら、まだ手は残されている」
「流石は雄二! 何か考えがあるんだね!」
「当然だ。俺を誰だと思っている?」
雄二が二やリと悪そうな笑みを浮かべた。今まで何度も見てきた笑み。コイツがこんな表情をしたときはいつも、(手段はともかくとして)僕たちは逆境を跳《は》ね返《かえ》すことに成功してきた。きっと今回もうまくいくはずだ。
「それで、今度はどんな作戦を考えているの?」
「正面突破だ」
前言|撤回《てっかい》。今回はもうダメかもしれない。
「そんな絶望的な顔をせずに最後まで話を聞け。正面突破の基本スタンスは変えないが、その分事前の準備で考えがある」
「正面突破を続行するってことは、こっちの戦力を更に増やすってこと?」
「そうだ。向こうの戦力はもう頭打ちだ。アレ以上は戦力を増やせない。口惜しいことに今日は負けたが、おかげで相手の戦力を知ることができた。これは大きいぞ」
「…………他のクラスでの目撃情報も集めた」
ムッツリーニが言う他のクラスっていうのはD・Eクラスのことだろう。
「向こうの布《ふ》陣《じん》は教師を中心とした防御主体の形だが、色々と弱点がある。それがなんだかわかるか?」
「微《み》塵《じん》もわからないね」
「チョキの正しい使い方を教えてやる」
「ふぎゃぁあっ! 目が、目がぁっ!」
雄二のチョキが僕の眼球《がんきゅう》にフレンチキスをプレゼントしていった(詩的表現)。
「まったく、少しは考えろってんだ。いいか? 召喚獣を喚び出すフィールドには≪干渉《かんしょう》≫というものがある。これは一定範囲内でそれぞれ別の教師がフィールドを展開すると、科目同士が打ち消し合って召喚獣が消えてしまうというものだから──」
「要するに教師は余《よ》程《ほど》開けた場所以外では複数人数を配置することができないということじゃろう?」
「そういうことだ」
先生同士が近くにいると≪干渉≫とかいうものが起こって召喚獣が消えちゃうのか。
なるほど。だからさっきも先生たちはそれぞれ別の方向からやって来たのか。召喚獣がいなければ男子高校生の体力に対抗する力はなくなるわけだし、≪干渉≫ってやつは最も避《さ》けたい事態なのだろう。
「その現象とムッツリーニが調べてくれた目撃情報を総合して判断すると、明日の相手側の布陣はだいたいこんな感じになると予想できる」
雄二がテーブルの上に紙を広げて配置の予想を書いていった。
「あれ? 高橋先生は今日と違う場所になるの?」
「確実にというわけではないが、俺が向こうの立場ならそうする。絶対に通らなければならない道に主力を置くのは定石《じょうせき》だからな」
雄二の予想では高橋先生の配置は地下へと続く階段の前。女子風呂に至る階段はそこだけだから、向こうも主力を配置してくるという予想のようだ。
「それなら、なんで今日もそうしてこなかったのかな?」
「圧倒的な力を見せてこちらの戦意を挫《くじ》きたかったんじゃないか? 俺たちの進路は予想できていたみたいだしな」
「ふむ。あの点数は圧巻《あっかん》じゃったからのう」
けど、向こうの思惑《おもわく》は外《はず》れた、と。僕たちはこうして戦意を挫かれることなくいるのだから。
「それにしても、こうしてみると随分《ずいぶん》苦しい勝負だよね。鉄人と大島先生(保健体育教師)と高橋先生(学年主任)のいる場所は絶対に通らないといけないし」
かと言って他の先生も無視できるわけでもない。雄二の予想では要所要所に配置されているし、この予想が外れるとも思えない。
現在のこちらの戦力はD・E・Fクラスの全男子のみ。士気は高いけど、Aクラスも協力している女子側に比べると戦力としては見《み》劣《おと》りしてしまう。特にEクラスは試召戦争の経験もないし。
「俺たちの勝利の為には、どうしてもあるヤツを極力無傷で鉄人の前まで連れて行く必要がある」
「あるヤツ?」
「お前だよ明久。お前が鉄人と戦って勝利する。これはどうあっても外せない条件だ」
「それってやっぱり僕が≪観察処分者≫だから?」
「そうだ。鉄人は最後の砦として女子風呂の前に陣を敷いているだろう。ここはどうあっても通過せざるを得ないポイントだからな。だが、ヤツを生《なま》身《み》の人間が倒すのは不可能だ」
それは一昨日に身を以《もっ》て知った。あんなの相手じゃ雄二だって子供扱いだろう。
「猛獣《もうじゅう》と人間は武器を持って初めて対等の敵たり得る。その武器を持っているのは、明久、お前しかいない」
人より遥かに強い力を持つ召喚獣。でも、普通の召喚獣は人どころか物にも触ることが出来ない。≪観察処分者≫である僕の召喚獣以外は。そうなると必然的に鉄人の相手をするのは僕ということになる。僕が勝てるかどうかはわからないけど、他の皆よりは可能性があるのだから。
「じゃが、そうなると高橋女史の場所を無傷で通過する必要があるじゃろう?」
「ああ。大島はムッツリーニにやってもらうとしても、高橋女史と戦う為の戦力が足りない。というか、今の戦力では高橋女史のところに辿《たど》りつくことすらできないな」
教師一人当たり十人くらいの戦力が必要になると考えていいだろう。そうすると二階と三階だけでも八十人もの戦力が必要になる。更に向こうには女子生徒もいるわけだから、こちらの能力が圧倒的に不足しているのは否めない。
「作戦を成功させる為にはどうしてもA・B・Cクラスの協力が必要になる」
B・Cクラスは高橋先生の場所に辿りつく為、Aクラスは高橋先生を打《だ》倒《とう》する為に必要な戦力だというのが雄二の言い分だ。
「前置きが長くなったな。そういった理由から他のクラスからの協力は必要不可欠となる。そこで、明日の作戦時刻まではその根《ね》回《まわ》しに全力を注ぐことにする」
「要するにA〜Cクラスを仲間にするってことでしょ? でも、一度断られたわけだし、そう簡単にいくかな?」
「そこをなんとかするのが俺たちの仕事だ」
そう言って雄二が手に掲《かか》げたのは、デジタルカメラと各客室に備え付けられている浴衣《ゆかた》だった。備え付けの浴衣は使っちゃいけないって言われてたはずだけど、コイツがそんなルールを守るわけがない。
「でも、それをどうするの?」
「着せて写真を撮り、A〜Cクラスの野郎どもの劣情《れつじょう》を煽《あお》る。うまくやれば覗きへの興味が湧《わ》いて協力を取り付けられるはずだ」
「ふ〜ん。なんだか雄二の作戦はいつもそんな感じだよね」
「ほっとけ」
「でも、効果はありそうだしやってみる価値はあるね。はい、秀吉」
「……またワシが着るのかのう……?」
浴衣を渡された秀吉はなんだか不満そうな顔をしていた。
「安心しろ。秀吉だけじゃない。姫路と島田にも着てもらう」
「いや、ワシ一人で着るのが不満だとかそういうワケではないのじゃが」
つまり不満はないわけだ。良かった良かった。
「それじゃ、明久。姫路と島田に連絡を取ってくれ。ムッツリーニはカメラの準備を」
雄二の指示に従って僕は携帯電話を取り出す。え〜っと、二人のメアドは……っと。あったあった。
カチカチとメールの文章を作成する。
【ちょっと話があるんだけど、僕らの部屋に来てもらってもいいかな?】
PiPiPiPiPi
送信ボタンを押して数分もしないうちに返信が来た。──ふむ。姫路さんからだ。
【わかりました。お菓子とか持って、後で遊びに行きますね】
写真|云々《うんぬん》を抜きにしても嬉《うれ》しい返事だ。今度何かお礼をしないといけないなぁ。
PiPiPiPiPi
メールを閉じると、一分もしなういちにもう一度メール着信音が響いた。今度は美波からかな?
【別にいいけど、こんな時間にどうしたの?】
あ、少し警戒《けいかい》しているみたいだ。それはそうだよね。美波たちから見たら僕らは覗き魔なんだし、警戒しない姫路さんの方が変わっていると言えるだろう。はてさて。なんて返事をしたら良いのやら。
美波を納得させられるような文章を考えていると、三度僕の携帯電話がメールの着信を通知してきた。
「ん? 誰からだろう?」
メールを開けてみる。送信者は──須川君か。なんだろ?
【気になったんだけど、お前はなんで覗きにそこまで必死なんだ? そもそも本当に女が好きなのか? 坂本《さかもと》や木下《きのした》の尻《しり》が好きだって言っていた気がするんだけど】
須川君のメールを読んで一瞬|絶《ぜっ》句《く》する。
こ、これはとんでもない誤解だ! この文面を見ると僕は女の子よりも雄二に興味があるみたいじゃないか! すぐにでも認識を改めさせないと!
勢いよく携帯電話のボタンを押して文章を作成する。
なんで女子風呂を覗くのかって? そんなの、決まっている!
【勿論《もちろん》好きだからに決まっているじゃないか! 雄二なんかよりもずっと!】
まったく、どうしてそんなことに疑問を抱くんだ。普通に考えたらわかることじゃないか!
少《すこ》し熱くなりながらも送信ボタンを押す。やれやれ。本当に僕の周りにはバカが多くて困──
【メール送信中…… → 島田美波】
──あれ?
あはは、やだなぁ。僕は随分疲れているみたいだ。だって、メールの宛先《あてさき》の表示が間違っているように見えるんだから。でも、目を擦《こす》ってきちんと送り先表示を見直せば大丈夫だよね?
【メール送信完了…… → 島田美波】
「ゴふっ」
送信先を見た瞬間、口からありえない音が出た。
……まぁ待て。落ち着くんだ吉井明久。そこまで危険なメールでもなかっただろう? 冷静になって送った文章をもう一度見直してごらん?
【勿論好きだからに決まっているじゃないか! 雄二なんかよりもずっと!】
なんて男らしくて力強い告白文なんだ。
「バカぁっ! 僕のバカぁっ! ある意味自分の才能にビックリだよ畜生《ちくしょう》!」
こここコイツは人生最大のピンチだ! よりによって僕のことをウジ虫かサンドバックとしか考えていない美波にこんなメールを送ってしまうなんて! 絶対に振られてしまうだろうし、きっと美波は『振った相手と会うのは気まずいから』と部屋に来てくれることもないだろう。作戦は失敗の挙《あげ》句《く》に僕は予期《よき》せぬ失恋。今日は厄《やく》日《び》か!?
とにかく訂正のメールだ! さっきのメールは事故だってきちんと弁解しないと!
頭をフルに回転させて文章を考える。いや、そんな悠長《ゆうちょう》なことをしている時間は無い! とにかくメールを──
「どうした明久? さっき何か悲鳴が聞こえたが」
「色々と大変なことになっちゃったんだ! 今は僕の邪魔をしないで──」
「大変なこと? それは──っとと」
ツルン(雄二がバナナの皮で滑《すべ》る音)
ドタッ(雄二が僕を巻き込んで倒れる音)
バキッ(雄二が僕の携帯電話を踏《ふ》み潰《つぶ》す音)
「明久。大変なこととは何だ?」
「たった今キサマが作った状況だ」
僕の携帯電話は、今や複数の電子パーツへと分解されて見るも無残な状態になっている。メールや電話での弁明《べんめい》なんて明らかに不可能だ。
「ん? これはお前の携帯電話か。すまん。今度修理して返す」
誰がなんと言おうと、今の僕にはこの男をシバき倒す権利があるはず。
「いや、今はそんなことどうでもいいから、とりあえず雄二の携帯電話を貸して!」
「あ、ああ。別に構わんが」
いかにも雄二が好みそうなシンプル形状の携帯電話を受け取り、すぐに美波の電話番号を探し始める。
坂本雄二のアドレス帳登録……一件 → 『霧島翔子』
「む。翔子のヤツ、また勝手に俺の携帯を弄《いじ》りやがったか……。やれやれ。家でアドレス帳を入力し直さないとならないな」
「…………」
当然美波の番号やメアドを暗記しているわけもない。僕の中で何かが色々と終わってしまった。
「明久。そんなに深刻そうな顔をしてどうしたんだ? まるで間違えて島田に告白とも取れるようなメールを送ってしまって弁明しようとしたところで俺に携帯電話を壊されてなにもできなくなってしまった、なんて顔をしているぞ?」
「あははっ。何を言っているのさ雄二。そんなことあるわけないじゃないか」
「そうだよな。そんなことになっていたら流石に携帯電話を壊した俺が極悪人《ごくあくにん》みたいだもんな」
「まったくだよ。あはははははっ」
カチカチカチ。送信……っと。
【To:霧島翔子  From:坂本雄二
もう一度きちんとプロポーズをしたい。今夜浴衣を着て俺の部屋まで来てくれ】
「うん? 明久、俺の携帯で誰に何を送信し──ゴふっ。ななななんてことをしてくれるんだキサマ!」
「黙れ! キサマも僕と同じように色々なものを失え! どりゃぁぁ──っ!」
「おわぁっ! 俺の携帯をお茶の中に突っ込みやがったな!? これじゃ壊れて弁明もできないだろうがこのクズ野郎!」
「そう! その気持ち! それが今僕が雄二に抱いている気持ちだよ!」
「何をわけのわからんことを! と、とにかく今は翔子の部屋に行って誤解を解《と》いてこないと大変なことに──」
ガラッ(雄二が廊下へと続くドアを開ける音)
ドゴッ(廊下にいた鉄人が雄二に拳《こぶし》を叩《たた》き込《こ》む音)
グシャベキグチャッ(雄二がテーブルを巻き込んで壁に激突《げきとつ》する音)
「部屋を出るな」
「了解です」
ピクリとも動かない雄二の代わりに僕が返事をする。この部屋に対する教師側の警戒態勢は万全だ。
「ちなみに秀吉とムッツリーニはまだ携帯電話買ってないの?」
「うむ。特に必要ないからの」
「…………いざというとき鳴り出すと困る」
最近の高校生としては珍しいと思う。片方の理由は特に。
仕方がない。美波には明日会った時にでも事情を説明しておくとしよう。
「ところで、この部屋は片付けないとまずいのではないかの? これでは布団も敷けぬぞ」
「そうだね。とりあえず片付けて秀吉の撮影を始めようか」
倒れたテーブルを起こし、床に散らばったものを拾い、ゴミはゴミで一ヵ所に集めておく。秀吉の荷物は右(ドサッ)、割れた花《か》瓶《びん》やガラスの破《は》片《へん》は左(ポイッ)、僕の荷物は右(ドサッ)、気絶している雄二はゴミだから左(ポイッ──ザク)
「ぐぁあっ! せ、背中にガラスの破片がっ!」
「あ、雄二。起きたなら手伝ってよ」
「待て! お前には俺の背中の傷が見えないのか!?」
「大丈夫。致命傷《ちめいしょう》ではなさそうだから」
「そう思うならお前にも、こうだっ!」
「ああっ! 僕の着替えがガラスの破片まみれに!?」
「お前もこの痛みを味わえ!」
「それなら浴衣を着るからいいさ! 秀吉とペアルックだしね!」
「…………羨《うらや》ましい」
「お主《ぬし》ら……、ワシの性別を完全に忘れておらんか?」
なんてことをやっているうちに時間が過ぎて、
──コンコン
控えめなノックの音が扉から聞こえてきた。
「あ、いらっしゃい、姫路さん。廊下で鉄人に絡《から》まれなかった?」
「西村《にしむら》先生はいましたけど、お菓子をあげたら通してくれました」
そう言って手作りと思《おぼ》しきお菓子を見せてくれる姫路さん。
「さらば鉄人。安らかに眠れ……」
彼の冥福《めいふく》を心から祈ろう。
「ところで、明久君はどうして浴衣姿なんですか?」
「これ? 部屋にあったのを着てみたんだ。折角《せっかく》あるならと思ってさ。似合うかな?」
実は僕の着替えがガラスの破片まみれになったせいなんだけど、そんなことを説明する必要もないだろう。
「はい。とっても似合ってます! 綺《き》麗《れい》な肌や細い鎖《さ》骨《こつ》が凄く色っぽくて!」
彼女から何か大切なものが失われつつある今、僕にできることはあるのだろうか。
「姫路。よく来てくれた」
「こんばんは坂本君。お邪魔しますね」
「早速《さっそく》だが、プレゼントだ」
雄二が手に持っていたものを姫路さんに手渡す。
「浴衣、ですか? ありがとうございます。ところで話って……?」
姫路さんは何の脈絡《みゃくらく》もなく手渡された浴衣に戸惑っていた。
「話というか、姫路さんにお願いがあるんだ」
「お願い?」
「うん。実はね、その浴衣を着た姫路さんの写真を撮らせて欲しいんだ」
「え……っ?」
突然の話で目をパチパチと瞬《またた》かせている姫路さん。そりゃ、いきなりこんなことを言われたら驚くよね。
「あ〜、その、なんて言うか……」
どう説明したらいいんだろう? 困ったな。
「……その、明久君と一緒なら、いいですよ……」
すると、説明する前に姫路さんが条件付で承諾《しょうだく》してくれた。そっか。一人で写るのが嫌だったのか。
「それくらいお安いご用さ! 僕も秀吉も一緒に写るから!」
それで僕だけフレームアウトさせてもらえばいい。いや、言わなくてもムッツリーニなら勝手に僕を外すだろうけど。
(「……折角お揃《そろ》いの格好で二人の写真を撮れると思ったのに……」)
ふと見ると姫路さんが不満そうに頬《ほお》を膨《ふく》らませていた。条件を呑《の》んだのに、何かまずいことでもあったのだろうか?
「まぁ、明久君ですから仕方ないですよね……。それじゃ、ちょっと着替えてきます」
浴衣を持って着替えに行こうとする姫路さん。
ここでふと思った。撮影する写真を人に見せてもいいか聞いておくべきじゃないだろうか? 変な写真を撮るつもりはないけど、友達としてそれくらいはしておくべきだ。
「姫路さん、ちょっと待って」
「はい?」
姫路さんを呼び止めて、雄二にアイコンタクトを送る。『姫路さんに写真を見せて回ることを教えるからね』と。雄二はそれに対して『まさか教えないつもりだったのか?』といった表情を見せた。
「実は撮る写真なんだけどさ、友達とかに見せてもいいかな?」
「え? 浴衣姿をですか? そ、それは少し恥ずかしいです……」
「何を言っているんだ姫路。浴衣姿程度で恥ずかしいと思っていたら明久の存在はどうなる? バカの上に変態なんて、生きていけないほど恥ずかしいことじゃないか」
「放して秀吉っ! 雄二の頭をかチ割ってやるんだ!」
秀吉が僕の服を掴《つか》んで邪魔をする。なんだろう。雄二のフォローはいつも僕を不幸にする。
「とは言え、何もタダで頼もうなんてワケじゃない。それなりの礼はさせてもらおう」
雄二がそう告げながらチョイチョイと姫路さんを手招きした。
「なんでしょうか?」
特に警戒した様子もなく姫路さんが歩み寄っていく。そして二人はこちらに背を向けて小声で会話を始めた。
(「……明日の朝……久の寝顔写真を……」)
(「……当ですか……なら……くらでも……」)
一体何を話しているんだろう? ちらちらと姫路さんが僕の方を見ているのがとても気になる。
「交渉は成立した。問題ないそうだ」
「はいっ! 少しくらいなら浴衣の裾《すそ》をはだけてもいいですっ!」
なんだ? 何が彼女をそこまで奮《ふる》い立《た》たせたんだ?
「とにかく協力してくれてありがとう。それなら早速準備をお願いできる?」
「はいっ!」
俗衣を抱えて部屋のトイレに入る姫路さん。衣《きぬ》擦《ず》れの音が妙に僕の心を乱していることは秘密だ。
「…………(キュッキュッ)」
ムッツリーニは一心不乱《いっしんふらん》にカメラのレンズを磨いていた。僕はフレームから外されるだろうから、実質は姫路さんと秀吉のツーショットだ。その気持ちはよくわかる。
あ、そうだ。
「ムッツリーニ。一つお願いがあるんだけど」
「…………?」
「あのさ──」
言いかけて少し恥ずかしくなる。僕は雄二と秀吉には聞こえないくらいに音量を落として先を続けた。
(一枚だけでいいから、その、僕と姫路さんのツーショットを……)
(…………貸し、一つ)
ムッツリーニが小さく笑みを浮かべた。
これは皆に内緒の、僕の思い出用ということで。
[#中央揃え]☆
ムッツリーニが血の海に沈んだ為に若干時間はかかったものの、秀吉と姫路さんの浴衣姿はバッチリ写真に収めることができた。まだプリントアウトはしていないけど、きっとそれを見て覗きの為に奮い立たない男なんていないはずだ。もしいるとしたら、その人は同性愛者である可能性が高いと言える。
写真を撮り終えて姫路さんが自分の部屋に戻ると、昨夜は遅くまで鉄人のシゴキに遭《あ》っていたせいか、僕らの部屋は電気を消してスグに寝息が聞こえ始めた。かく言う僕も明日は朝一番に美波をつかまえて例のメールについて説明しないといけないので、無理に睡《すい》魔《ま》に抵抗することもなく眠りについていた。
そのせいだろうか。部屋に誰かが入ってきたことに気がつかなかったのは。
(「……キ、起きて……」)
ゆさゆさと身体を揺さぶられる感覚。
「んむぅ…」
うぅ……。誰だか知らないけど、僕は疲れてるんだ……。寝かせてよ……。
(「……もう、どうして寝てるのよ」)
ユサユサ
「んにゃっ!」
揺さぶる手を払いのける。
まったく、さっきからうるさいなぁ……。
「起きなさいっての」
ゴキッ ゴキン
「────っっっ!?」
な、なんだ!? まるで左手の関節を一度|外《はず》された後で証拠|隠滅《いんめつ》の為にハメ直されたような痛みがするんだけど!?
(「アキ。起きた?」)
「え? ああ、なんだ美波か。それなら納得だよ」
美波がいるのならこの程度の痛みは仕方がないね。
「ってどうして美波がムグゥッ!?」
(「大声出さないの!」)
慌てた様子で美波が僕の口と鼻を塞《ふさ》いでくる。
え、え!? なんで!? どうして美波がここにいるの!?
(「目が覚めた? 落ち着いたなら手を離すけど……」)
「……!(コクコクコク!)」
美波の言葉に一も二もなく頷《うなず》く僕。
こういう場面で塞ぐのは口だけで充分だと今度じっくり教えてあげたいと思う。
(「大きな声を出しちゃダメだからね……」)
そう告げて美波は僕の気《き》道《どう》を開放してくれた。
すぅ、はぁ、と酸素を充分に蓄《たくわ》えてから、もう一度正面にいる姿をじっくりと見た。
(「……えーっと、美波、だよね……?」)
(「……なによその目は?」)
いつもと違って髪を下ろしている。ただそれだけで、美波の印象は随分と変わって見えた。頬《ほお》を赤らめて余所《よそ》の方を見ている姿が妙に──(可愛《かわい》い。)
(「……アキ……?」)
美波が不安げに僕を見上げていた。その姿は、常《つね》日《ひ》頃《ごろ》近くで見ている勝気な様子とはうって変わって心細そうで、まるで普通の可愛い女の子のようだった。
……でも、どうして美波が夜中に僕の部屋にいるんだろう?
こんな時間に女の子が男子部屋に来るなんてよっぽどのことだ。いくら友達と言っても一応は異性だ。好きでもない男にこんな時間に、しかも寝室まで会いに来るなんてありえない。服装だってかなりの薄着なんだから、間違いが起こる可能性は充分にある。なんでそこまでの危険を冒してまで美波はここにいるんだろう。
と、ここまで考えてみてふと思う。もしかしてもしかすると、だけど
……美波は僕のことが好き、だとか……?
いやいやいやいやいや、落ち着け吉井明久! そんな短絡思考でどうする! いつもはバカだバカだと言われているけれども、本当は物事をよく考える頭のいい男のはずだろう? この程度のシチュエーションで向こうが僕に惚《ほ》れているなんて考えるのはあまりに単純じゃないか? もう一度きちんと冷静になって考えてみるんだ。
状況を分析して、じっくりと冷静に考えてみよう。
≪クラスの女の子が薄着で真夜中に僕の前にいる≫
イケるっ![#4段階大きな文字]
「あれ!? やたらと単純!?」[#4段階大きな文字]
(「アキッ! 邪魔者が起きちゃうでしょ!?」)
「むぐぅっ!?」
もの凄い勢いで美波に口を塞がれてしまった。
ちょっと待った。更に落ち着いて考えてみよう。
イケるっ!
でも本当に僕のことが好きなんだろうか?
今までの行動を見る限りそれはありえない。今も口を押さえつけられているし。
そういえばさっきおかしなメールを送ってしまった。
きっと美波は気分を害している。
美《み》波《なみ》は全てをなかったことにしようと考える。
夜中 + 侵入 + 全身|凶器《きょうき》
ふむ。謎は全て解けたっ!
「……美波。せめて苦しまないように頼むよ……」
「……アンタってどういう思考回路《しこうかいろ》しているの……?」
僕はきっとここで始末されるんだろう。
起き上がって正座しようとする僕に、美波は何故《なぜ》か頬を赤らめて恥ずかしそうにこんなことを言い出した。
「……そ、その、ウチだって勇気を出してここまで来たんだよ……? だから、その、ああいうことはメールじゃなくて、きちんとした言葉で……」
「ほぇ?」
メールじゃなくて言葉で? それって遺《い》書《しょ》のことだろうか? 書くものがないから遺書の代わりに遺言《ゆいごん》を聞いてくれるってことかな。随分と細やかな気遣いだ。でも、そこまで親切にしてくれるなら、できれば殺さないで欲しいなぁ……。
よし、少し冷静になってこの場から逃れる為の方法を考えてみよう。まずは周囲の状況を確認して使えそうなものを探すんだ。
今、僕の周囲にあるものは──
・可愛らしい秀吉の寝顔
・カメラを構えているムッツリーニ
・浴衣姿で雄二の布団に侵入しようとしている霧島さん
「…………」
あれ? なんか色々と間違っているような……?
頭を振ってもう一度よく観察してみる。
・あどけない秀吉の寝顔
・静かにシャッターを切るムッツリーニ
・慌てふためく雄二をよそに浴衣の帯を緩めようとする霧島さん
[#改ページ]
[#改ページ]
「困った……。今の僕に役立ちそうなものがない……」
「その前に俺を助ける気はないのかっ!?」
敢《あ》えて雄二の方には目線を送らない。だってほら、霧島さんの浴衣がギリギリのところまではだけちゃっているからね。
「ちょ、ちょっと! 木下《きのした》以外は全員起きてるの!? 早く言いなさいよねっ!」
超至近距離にいた美波が慌てて僕から距離をとった。目撃者が多い中で僕のことを殺《や》る気はないようだ。た、助かった……
(「そ、そっか。周りが起きてたんだ……。だからアキは知らない振りをしていたのね……」)
とにかくこれで危機は去った。あとは先生に見つからないようにお引取り願うだけ
バァンッ!
「お姉さま無事ですか!? 美《み》春《はる》が助けに来ましたよ!」
わかってた。この程度で終わるわけがないなんてわかっていたんだ。
「み、美春!? どうしてアンタがここにくるのよ!」
「さっきお姉さまのお布団に入ったら誰もいなかったから、もしやと思ったら……! やっぱりここに探しに来て正解です!」
清《し》水《みず》さん。キミはなんて凄い子なんだ。『布団に入ったら誰もいない』なんて探しに行こうと考えた切っ掛けからして普通じゃないよ。合宿三日目になって、思い余って一大勝負に出てしまったのだろうか。
「あ、危なかったわ……。昨日で懲《こ》りたと思って完全に油断していたもの……」
え? 昨日も来たの?
「お姉さま! 男の部屋に来るなんて不《ふ》潔《けつ》です! おとなしく美春と一緒に裸で寝ましょう! いえ、勿論イロイロするので寝かせませんけど!」
「やめるんだ清水さん! それ以上の会話はムッツリーニの命に関わる!」
「…………!!(ボタボタボタボタ)」
「……雄二、とにかく続き」
「翔子、お前は本当にマイペースだな!」
「な、なんじゃ!? 目が覚めたら女子が三名もおる上に雄二は押し倒されてムッッリー二が布団を血で染めておるぞ!?」
「ああああっ! 皆してそんなに騒いじゃダメだよっ! このままじゃ、鉄人に気付かれて──」
『なにごとだっ! 今吉井の声が聞こえたぞっ!』
階下から聞こえてくる鉄人の声。
「「「「「「………………」」」」」」
「え? なに? なんで全員が『吉井が声を出したせいで見つかったじゃないか』みたいな目で僕を見ているの?」
どうして僕の声だけはっきりと聞き取れるんだろう? 鉄人の耳はおかしいとしか思えない。
「くそっ! 明久のせいで面倒なことになった! とにかくお前らは見つからないようにここから逃げろ!」
「なんだか納得いかない物言いだけど雄二の言うとおりだ! とりあえずここは僕らに任せて!」
女子が男子の部屋に(しかも一名は浴衣姿で)いたなんてバレたら色々とまずいことになる。ここはなんとしても三人を逃がさないと!
「で、でも……」
「お姉さま、躊躇《ためら》っている時間はありません! とにかく服を脱いで美春の部屋に行きましょう!」
「美春は黙ってなさい!」
この状況でも尚《なお》口説《くど》きにかかる清水さんは凄いと思う。
『吉井に坂本ぉ! お前らだとはわかっているんだ! その場を動くなよっ!』
バタバタしているうちに再度ドスの利いた声が廊下から響いてきた。
「鉄人の声だ! もうかなり近いよ!」
「時間がない! こうなったら俺が『必殺アキちゃん爆弾』で鉄人の注意を引き付けるから、その間に三人は部屋を出ろ!」
「わかったわ!」
「美波! そこはわかっちゃダメだ!」
その技はこの前封印したはずなのに!
「まず僕と雄二が飛び出して鉄人の注意を引き付ける。その隙《すき》に三人はドアから出て一気に部屋まで走るんだ。いいね?」
「うん。……ごめんね。ウチらの為に」
「…………ありがとう」
「お姉さま、愛しています」
作戦は決まった。もう迷っている時間はないし、ここは勝負だ!
「雄二、行くよっ!」
「仕方ない、付き合ってやる!」
ドアの取っ手に手をかけ、一気に押し開けた。
バン! ガスッ!
「ふぬぉぉっ!? よ、吉井、キサマぁああ!」
「げっ!? 鉄人が扉で頭を痛《つう》打《だ》したみたいなんだけど!?」
「それはファインプレイだ明久!」
皆にとってはそうかもしれないけど、その分鉄人の殺意が僕に集中するような!?
「逃げるぞ明久!」
「了か──」
と、そこで計算違いが起きた。
鉄人が頭を打って出遅れたせいで、部屋の中を覗き込もうとしている!? まずい! そんなことをされたら中にいる美波たちが見つかってしまう!
どうするどうする!? なんとかしないとあの三人まで酷《ひど》い目に! おまけに雄二が僕の後頭部を鷲掴《わしづか》みにして必殺技の構えに入っている気がする! これもなんとかしないと僕が酷い目に!
「鉄人! 僕はこっちだよ!」
雄二の手を振《ふ》り解《ほど》き、浴衣の帯に手をかけながら鉄人に駆け寄る。鉄人は僕の声に反応してこっちを向いた。よし、まだ中の三人は見つかっていない!
「貴様は西村先生と呼べと何度言えば──」
「どりゃぁぁあーっ!」
すかさずその顔に脱いだ浴衣を巻きつける。
「こ、こらっ! 何を」
「おまけっ!」
そしてその上から帯で縛り付ける。これで少しは時間が稼《かせ》げる!
「今のうちだ!」
すかさず美波たちに指示を出す。三人は頷いた後、全速力で廊下を走って行った。
良かった。これでなんとか無事に──
「吉井。貴様ばつくづく俺の指導を受けたいようだな……!」
済むわけがないよね。ここから逃げないと鉄拳制裁は確実だ。
「明久、あとは頑張れよっ」
雄二が僕に向かって親指を立てている。おっと。そうはいかないよ?
「西村先生すいません! 坂本雄二がこっそり持ち込んだ酒を隠す為に注意を逸《そ》らせと言ってきたものですから!」
「キサマなんてことを言ってくれるんだ!?」
慌てる雄二に対して、僕も親指を立てて笑顔で応えてみせた。
安心するんだ雄二! キミを仲間はずれになんかいないからね! さぁ、どこまでも一緒に逃げようじゃないか!
「吉井……。坂本……。貴様ら……覚悟は出来ているんだろうなぁぁああっ!」
「「出来てませんっ!」」
鉄人が顔にかけられた浴衣を剥《は》がす前に走り出す僕たち。自慢じゃないが逃げ足には自信がある!
「どうする雄二! なんとか鉄人を撒かないと!」
「どうするも何も、普通に走っていたら逃げ切れないのは目に見えているだろうが!」
「だよね! 向こうは殆《ほとん》どバケモノだもんね!」
「ああ! だから鉄人の入って来られないような場所に逃げ込む!」
「オッケー!」
鉄人の入ってこられないような場所か。そうなるとヤツの通れないような狭い道ぐらいしか思いつかない。そんなところはあっただろうか?
『どこに逃げようとも無駄だ! 観念《かんねん》して指導を受けろ!』
もう追ってきたか。急がないと!
「明久、こっちだ!」
「了解!」
鉄人に追いつかれないように全速力で学習室の脇を駆け抜ける。
「ところで雄二、どこへ向かう気なの!?」
「男で教師の鉄人には入ることの出来ない場所、つまり──女子部屋だ!」
「なるほどっ!」
そうか、女子部屋か! 確かに若い女子が大勢寝泊りしている部屋なら鉄人だって入ってくることができない! 思春期の女の子が一堂に会するその場所は男子禁制の花園なのだから! そこに、パンツ一丁の僕が逃げ込めば──
「──死は、免《まぬが》れない……!」
色々な意味で大惨事《だいさんじ》になるだろう。
「行くぞ明久っ!」
「絶対に嫌だっ!」
見えてきた女子部屋を前に雄二の意見を却下する。
とにかく服を着ないことには逃走すらもままならない!
「く……! この期《ご》に及んでそんなことを……! 仕方ない! 明久、コレを着ろっ!」
雄二が何かを投げてきた。
受け取ってみると、これは──服だ!
「流石は雄二! 以心伝心!」
「早く着ろ!」
「うん、ありがとう!」
素早く袖を通し、ホックを止める。靴下も履いて、よし! 完壁だ!
「雄二、セーラー服の装着完了したよ!」
眩しいほど綺麗な白の上着に膝上の短いスカート。靴下は紺のハイソックス。下着の色は、な・い・しょ☆
──もはや絶対に捕まれないこの状況。警察に突き出されて「他校の生徒です」と言われる様子が目に浮かぶようだ。
「よし、これで逃げ込めるな!」
「待つんだ雄二! この格好はある意味全裸より致命的だ!」
ところで雄二はどこからこの服を調達したんだろう? うちの学校はセーラー服じゃなくてブレザーだし……。
なんて悠長なことを考えている場合じゃない。まずはこの服を脱がないと!
「それじゃ、ここからは別々で逃げるぞ」
再びトランクス姿になった僕に雄二が告げる。
「馬鹿を言っちゃいけないよ雄二。逃げるならどこまでも一緒さっ☆」
こんな格好で一人にされてたまるか!
「断る! そんな姿の変態と並ぶ気はない!」
「黙れ! この姿が嫌ならおとなしく貴様のズボンをよこせぇっ!」
「貴様やはりそれが目的だったか!」
「脱げっ! ヌゲェェ──ッ!」
「脱ぐものかぁぁーっ!」
「……………………お前たち、何をやっているんだ?」
あ、鉄人だ。
「………………」
「………………」
雄二とお互いに顔を見合わせる。
パンツ一丁の僕が雄二のズボンを無理矢理脱がせようとしている画《え》は、客観的に見なくてもかなり見苦しいものだった。
「…………まぁ、女子に縁がないのはわかるが、そういったことはできれば人目につかんようにだな」
「「先生! 指導を受けるから言い訳をさせて下さい!」」
僕らは三日連続で鉄人との熱い夜を過ごした。
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強化合宿の日誌[#「強化合宿の日誌」は太字]
【第六問】[#3段階大きな文字]
この強化合宿全体についてのまとめを書きなさい。
姫路瑞希のまとめ[#「姫路瑞希のまとめ」は太字]
『他のクラスの人と勉強することで良い刺激が得られました。伸び悩んでいた科目についての学習方法や使い易い参考書についても教えて貰うことができたので、今後は更に頑張っていきたいと思います。夜はいつものように騒ぎがありましたが、これはこれで私達の学校らしいと思います。ある人から内緒で素敵な写真も貰えて大満足です!』
教師のコメント[#「教師のコメント」は太字]
姫路さんは全体的にそつなくこなしている様子だったので伸び悩んでいる科目があったということには驚きました。本来なら先生が気付くべきなので申し訳ないです。ですが、無事に解決できそうなので何よりです。やはり姫路さんにはAクラスで学習する方が良い影響がありそうですね。次回の振り分け試験では是非とも頑張ってください。それと、バカ騒ぎについては悪影響を受けないよう気をつけて下さい。
[#改ページ]
島田美波のまとめ[#「島田美波のまとめ」は太字]
『三日目の夜のことが忘れられない。ウチはどうしたいいんだろう。こんなことは誰にも相談できないし、アイツとはあれ以来話ができてないし……。瑞希の気持ちを知ってるのに、これって裏切りになっちゃうのかな……? けど。ウチのは去年からの気持ちだから、こっちの方が先で……。ああもう! どうしていいのかわかんない!』
教師のコメント[#「教師のコメント」は太字]
一体何があったのでしょうか? 友達にも相談できないというのは尋常ではありませんね。良かったら先生に話してみて下さい。一応あなた方よりも長く生きているので少しは力になれるはずです。ただ、気持ちと書いてあるということは恋愛の話でしょうか?
それなら先生から言えることは一つです。自分が後から思い出して後悔することのないように行動するのが一番です。色々と悩んで立派な大人になるのが学生の仕事ですよ。
吉井明久の日誌
『あまりに多くのトラブルがあって驚いた。初日はいきなり意識を失って宿泊所に運ばれたので記憶がない。その後は覗き犯の疑いをかけられて、自分に対する周りの見る目について悩まされた。勉強についても、女子風呂を覗く為に頑張ろうと思ったけれども今のやり方でいいか不安が残るし、色々と考えさせられる強化合宿になったと思う。』
教師のコメント[#「教師のコメント」は太字]
そうですか。
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「ふぁ…… あふ……」
自分でもだらしないと思うほど大きな欠伸《あくび》が出る。
眠い。とにかく眠い。死ぬほど眠い。今が貴重な朝食の時間でなければブッチぎって寝ているところだ。
「流石《さすが》に眠いぞこら……」
隣では雄《ゆう》二《じ》も僕と同じように目を擦《こす》っていた。
眠いのも当然。昨夜は鉄人《てつじん》に朝まで教育について(拳《こぶし》で)語られたのだから。これで三日連続だし、眠くないわけがない。
「お主《ぬし》ら、災難《さいなん》じゃったのう……」
秀吉《ひでよし》が僕らを見て申し訳なさそうに声をかけてきた。僕ら二人だけが説教を受けたことに対して自分を責《せ》めているのだろうか? 秀吉は寝ていただけなんだから気にすることないのに。
「災難と言えば災難だったかも──ふわぁぁああ〜〜」
ダメだ。欠伸が止まらない。今日はいよいよ覗《のぞ》きの最終日なのだから、自習時間にきっちりと点数を補給しないといけないのに……。
「弱ったのぅ。お主らがそんな様子では、今夜はとても……」
「別に全く寝ていないわけじゃないから、気合さえ入れば目が覚めると思うけど──ふわあ〜〜」
口を開くたびに欠伸が出る。これは重症だ。どのくらい重症かと言うと、この僕が鮭《さけ》の切り身やご飯を前にしていながら眠気を優先してしまいそうなくらいだ。
「俺もダメだ……。全然気合が入ら──ふおぉぉおっ!?」
「ど、どうしたの雄二!?」
ダルそうにしていた雄二が、何かを見た瞬間一気に覚醒《かくせい》していた。なんだ? 何を見たんだ?
「…………効果は抜群」
「あ、ムッツリーニ。おはよう」
僕の後ろの出入り口からムッツリーニがやってきた。手に何かを持っているみたいだけど……?
「ムッツリーニ。今しがた雄二に見せたのは何じゃ? えらく興奮しておるように見えるのじゃが?」
「…………魔法の写真」
ムッツリーニにしては珍しく、誇《ほこ》らしげに胸を張っていた。
「どれ、ワシらにもその写真を見せてくれんかの?」
「…………(スッ)」
手にしている写真を僕らに手渡してくる。僕と秀吉はお互いの間に写真を置いた。
「魔法の写真だって? 何を言っているんだか。僕らももう高校生なんだし、たかだか写真程度で気合なんか入るわけがふおぉぉおっ!」
「ほぅ。これはまた……」
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ムッツリーニが見せてくれた写真の一枚目は、昨夜撮影した姫《ひめ》路《じ》さんと秀吉の浴衣《ゆかた》姿だった。
ひ、姫路さんと秀吉が恥ずかしそうに上《うわ》目《め》遣《づか》いで浴衣姿でツーショットで色っぽくて少し胸元が覗いていて……!
「僕、生きていて良かった……!」
別にそこまで肌を露出《ろしゅつ》していないのにこの興奮はなんだろう!? この二人の入浴シーンを見る為ならなんでもできる気がしてきた!
「明久《あきひさ》。二枚目は何が写っておるのじゃ?」
「えっと……」
渡された写真を捲《めく》ってみる。
すると今度は浴衣姿で迫《せま》る霧島《きりしま》さんの姿とハーフパンツ姿の美《み》波《なみ》のツーショットが出てきた。
「す、凄いっ! これも凄いよムッツリーニ! 今僕はキミを心から尊敬している!」
「確かに凄いのう……。うまく明久と雄二が写らんような角度で撮ってあるし、もはやプロの業《わざ》じゃな」
まるでグラビア写真のようにうまく写してある。全員が浴衣姿じゃないのは残念だけど、これはこれで凄い写真だ! 特にあの美波までもが健康的ながらも色気を醸《かも》し出《だ》しているように見えるなんて、ムッツリーニは神の技術を持っていると言っても過言じゃない!
「して、三枚目は?」
「あ、うん。三枚目は──」
更に写真を捲る。すると、そこに写っていたのは──セーラー服姿の僕。
「……綺《き》麗《れい》に撮れたので印刷してみた」
「放して秀吉! このバカの頭をカチ割《わ》ってやるんだ!」
「落ち着くのじゃ明久! よく撮れておるではないか!」
秀吉が僕を羽交《はが》い絞《じ》めにしてくる。一体いつの間に撮影していたんだ!?
「驚いたぞムッツリーニ。まさかここまで凄い写真を撮るとは」
目に輝きを取り戻した雄二がムッツリーニを労《ねぎら》っていた。あまり女の子に興味を示さない雄二ですらこの反応だ。普通の男子が見たら興奮は間違いない。
「これで増援《ぞうえん》も期待できるというわけじゃな」
秀吉の言う通り、これを見たら男子生徒である以上立ち上がらずにはいられないはずだ。それはわかっている。でも、
「……これ、他の皆にも見せないとダメかな?」
できればこのまま僕の鞄《かばん》にしまっちゃいたいなぁ〜、なんて。
「明久。俺たちの目的を忘れるな。大局《たいきょく》を見誤る人間に成功はないぞ」
雄二が妙《みょう》に厳《きび》しい目をして僕に告げた。
「う……。それはそうだけど……」
他の皆に見せるのはあまりにも勿体無《もったいな》い。
とは言え、雄二の言うことはもっともだ。僕らの目的はこの写真を手に入れることじゃない。その先に待つ女子風呂を覗くことなんだ!
「ごめん。確かに間違えていた。この写真は目的の為の手段だし、そんな未《み》練《れん》は断ち切る。後でムッツリーニに1グロス[#1グロス=12ダース]ほど焼き増ししてもらうだけで我慢するよ」
「1グロスは多すぎだろ」
「未練タラタラじゃな」
ほっといて欲しい。
「よし。それじゃ早速《さっそく》──」
雄二がどこからかペンを取り出し、写真の裏に荒々しく何かを書《か》き殴《なぐ》った。
『この写真を全男子に回すこと。女子|及《およ》び教師に見つからないよう注意! 尚、パクったヤツは坂本《さかもと》雄二の名の下《もと》に私《し》刑《けい》を執行する』
なるほど。確かにそうやって注意書きをしておかないと一瞬で盗まれてしまいそうだ。
「おい須《す》川《がわ》。コレを男子に順番に回してくれ」
近くで食事をしていた須川君に写真を渡す。須川君は疑問符を浮かべながらも受け取って、
「ふぉおおおおおお──っ!」
覚醒していた。
「ところで雄二。僕の写真はきちんと抜いておいてくれた?」
「安心しろ。あんなものを流したら士気《しき》がガタ落ちだからな。キッチリ抜いておいた」
「そっか。それは良かったよ」
あんなものが流れたらメイド服姿の流出を止める意味がなくなっちゃうからね。
「うん? ムッツリーニ。お主、他にも写真を持っておったのか?」
秀吉がムッツリーニの手にあるもう一枚の写真に目を留めていた。本当だ。何が写っているんだろう?
「どれどれ、何が写っておるのじゃ?」
「あ、僕にも見せてよ」
秀吉が受け取った写真を隣から覗き込む。
そこに写っていたのは──セーラー服姿の僕(WITH《ウィズ》パンチラ)。
「…………思わず撮ってしまった」
「放して秀吉! コイツの脳髄を引きずり出してやるんだ!」
「見ておらん! ワシは何も見ておらんから落ち着くのじゃ!」
なにはともあれ、僕らの気力はここにきて最高潮《さいこうちょう》に達していた。
[#中央揃え]☆
カチッ カチッ
時計の針の音が妙に大きく聞こえる。昨日まではそんなこと気がつきもしなかったのに、今になってその音が気になり始めた。
「明久。今更ジタバタするな。補充のテストも全て受けたし、写真も回した。やるべきことは全てやったのだから、あとは何も考えずに戦うだけだ」
部屋の隅で目を瞑《つむ》っていた雄二が僕の様子に気がついて声をかけてくれた。こういう時はコイツの神経の太さが頼もしい。
「D・E・Fクラスは昨日に続いて全員参加のようじゃ。あとはA・B・Cクラスが協力してくれるかどうか、じゃな」
今日は点数補充の為のテストのせいで殆《ほとん》ど根《ね》回《まわ》しに行けなかったから、写真を回した結果がどうなっているのかわからない。結果は作戦開始後に初めてわかることになる。
「…………今日こそ借りを返す」
密《ひそ》かに闘《とう》志《し》を燃やすムッツリーニ。あの写真は撮った本人にも会心《かいしん》の出来だったみたいで、ムッツリーニは昼間の補充テストで凄い勢いで問題を解いていた。今夜のムッツリーニは一味《ひとあじ》違う。
「作戦開始も近い。最後の打ち合わせを始めるぞ」
瞑っていた目を開け、雄二が僕の前にやってきた。それに続いて秀吉とムッツリーニも集まってくる。
「俺たちがいるのは三階だから、三階・二階・一階・女子風呂前の四ヵ所を突破しないと目的地には辿《たど》りつけない」
部屋の割り振りは三階にE・Fクラス、二階にC・Dクラス、一階にA・Bクラスといった形になっている。僕らのいる場所は女子風呂から一番遠い。
「三階の敵はE・Fクラスの仲間が抑《おさ》えてくれる。二階の敵はDクラスが抑えてくれる手《て》筈《はず》になってはいるが……」
「Dクラスだけだと少々厳しいじゃろうな」
教師側も各クラスの生徒の強さに応じて戦力を配置している。Cクラス抜きでの二階突破は厳《きび》しいだろう。
「でも、ここまできたらやるしかないよ」
「勿論《もちろん》そのつもりだ。それで、二階を突破すると──」
「…………高橋《たかはし》先生」
「そうだ。学年主任の高橋|女《じょ》史《し》が率《ひき》いる一階教師陣だ。恐らくここには翔子や姫路、工藤愛子《くどうあいこ》もいるだろう」
今回の作戦の大きな課題の一つが、この高橋先生だ。ここをどうするかで作戦の成《せい》否《ひ》は大きく変わる。
「明久とムッツリーニを通す一瞬の隙《すき》は俺が作る。だが、高橋女史や翔子たちをそのまま足止めするのは不可能だと思ってくれ」
雄二が一人でその三人を止められるとは思えない。いや、向こうは三人とは限らない。もっと多くのAクラス女子がいる可能性だって充分ある。そこでの足止めがどれだけ困難か、考えるのも馬鹿らしいほどだ。
「じゃが、足止めできれば……」
「ああ。明久とムッツリーニは前後を挟まれて終わりだ。作戦は失敗。俺は翔子に残りの人生を奪《うば》われ、明久は変態として生きていくことになる」
「作戦が失敗しても大して現状と変わらん気がするのじゃが……?」
なんてことを言うんだ。
「とにかく、高橋女史は根性でなんとかするしかない。A・Bクラスが協力してくれたら勝機《しょうき》は充分にあるんだが」
「ふむ。Aクラスはともかく、Bクラスは大丈夫じゃろ。きちんと全員が、特に代表格が女に興味を持っておるからの。あの写真が効くはずじゃ」
「あははっ。秀吉の言い方だとAクラスの男子代表格は女の子に興味がないみたいだよ?」
「「「…………」」」
え? 何で皆気まずそうに目を逸《そ》らすの?
「そこまで行ったらあとはお前たちの仕事だ。わかっているな?」
「…………大島《おおしま》先生を倒す」
「そして僕は鉄人、だね?」
正直、今までの戦いでもこれほど厳しいものはなかった。今回はあまりにも不確定要素が多すぎる。でも、
「…………大丈夫。きっとうまくいく」
「うん」
「当然だな」
「じゃな」
このメンバーなら何でもできる気がする。不可能を可能にできる気がする。
──ピピッ
どこかで電子音が聞こえた。これは八時を告げる時報。戦闘開始の法螺貝《ほらがい》だ。
「……よし。てめぇら、気合は入っているか!」
「「「おうっ!」」」
「女子も教師も、AクラスもFクラスも関係ねぇ! 男の底力、とくと見せてやろうじゃねぇか!」
「「「おうっ!」」」
「これがラストチャンスだ! 俺たち四人から始まったこの騒ぎ、勝利で幕を閉じる以外の結果はありえねぇ!」
「「「当然だっ!」」」
「強化合宿第四夜・最終決戦、出陣《で》るぞっ!」
「「「よっしゃあ──っ!!」」」
強化合宿四日目二〇〇〇時。今、覗きを巡《めぐ》る最後の勝負が始まろうとしていた。
[#中央揃え]☆
『いたわっ! 主犯格四人組よ!』
『長《は》谷《せ》川《がわ》先生! 向こうの四人をやります!』
部屋を出てすぐのところに長谷川先生率いる女子部隊が展開されていた。どうやら僕らは徹底的にマークされているみたいだ。
「ふん、雑兵《ぞうひょう》どもが。この俺に敵《かな》うと思うなよ。──試獣召喚《サモン》!」
先行してきた女子二名に対して雄二が召喚獣を展開する。相手は見たところEクラスあたりの女子だ。二ヶ月前ならともかく、今の雄二の散じゃない。
『Eクラス 古河《ふるかわ》あゆみ &| 源 涼香《みなもとすずか》 VS Fクラス 坂本雄二
数学     83点 &  77点  VS 221点     』
「勉強してから出直しやがれっ!」
『『きゃぁああーっ!』』
雄二の召喚獣が素早い動きで接近し、それぞれに拳を叩き込む。ただの一撃で決着はついた。試召戦争の経験もないEクラスが勝てる相手じゃない。
「坂本君! 待ちなさい!」
倒された女子二名に遅れてこのグループの頭の長谷川先生が鎚《すが》ってきた。でも、その動き一瞬遅い!
「長谷川先生。残念ながらここは通しませんよ」
長谷川先生と僕らの間に割って入ってきたのは、クラスメイトの須川君たちだった。
「吉《よし》井《い》、坂本! ここは任せて先に行け! 試獣召喚《サモン》っ!」
『『『試獣召喚《サモン》っ!』』』
壁を作るように須川君たちが召喚獣を並べる。
「頼むよ須川君!」
「任せろ! それより、きちんと鉄人を倒しておけよ! そうじゃないとここを片付けた後で覗きに行けないからな!」
「わかってるよ! 女子風呂でまた会おう!」
須川君たちに背を向け廊下を走る僕たち。後ろからは教師を前にして一歩も退《ひ》かない勇士たちの怒《ど》号《ごう》が響いてきた。
『翔子たん! 翔子たん! はぁはぁはぁああっ!!』
『島《しま》田《だ》のぺったんこぉぉ──っ!』
『姫路さん結婚しましょおーっ!』
全員やられてしまえ。
「凄い士気じゃな。これならば三階の制圧は問題なさそうじゃ」
「皆の気持ちが一つになってるからね」
奥側の階段のところまでに配置されていた教師は長谷川先生を含めて四人。供《とも》にした女子を含《ふく》め、その誰もがEクラスとFクラスの男子生徒に圧《お》されていた。もはや三階は安全地帯と言ってもいいだろう。
「でも、ここから先が勝負だね……」
「そうだな。Dクラスだけで戦っているのか、Cクラスが参戦しているのか」
階下では戦闘の気配がしている。もしもDクラスだけで戦っているのだとしたら、先生の注意を潜って二階を通り抜けられる時間は残り僅《わず》かだ。もっとも、二階を制圧されてしまったら通過したとしても挟《はさ》み撃《う》ちに遭《あ》って終わりだけど。
「…………躊躇《ためら》っている時間はない」
「うん。行こう!」
広めの階段を四人で駆け降りる。二段飛ばしで進み、踊り場を曲がって見えた先には、
『俺たちの覗きの邪魔はさせない! 試獣召喚!』
『先生、覚悟してもらいます!』
『き、君たちまで参加していようとは……!』
『化学教師 布施文博《ふせふみひろ》 VS Cクラス 黒崎《くろさき》トオル & 野口一心《のぐちいっしん》
化学  663点 VS       144点 & 132点』
「Cクラス! 来てくれたんだ!」
僕らの待ち望んだ援軍《えんぐん》の姿があった。
「Cクラス・Dクラスの野郎ども、協力に感謝するっ! 二階は──俺たちの背中はお前らに任せるぞ!」
雄二がC・Dクラスを鼓舞《こぶ》するように声高《こわだか》に叫んだ。
『協力なんざ、ったりめぇだ!』
『女子風呂覗かなくて何の為の男でぇっ!』
『てめぇらこそしくじるんじゃねぇぞ!』
凄い。士気が高過ぎてべらんめぇ口調になっている。CクラスとDクラスは意外とノリが良いのかもしれない。
「あのさ、こういうのって凄く嬉《うれ》しいよね」
「そうじゃな。仲間が増えていく喜びとでも言うべきじゃろうかの」
先の試召戦争では拳を交《まじ》えた相手が、教師・女子連合軍という強大な相手に対して一緒に戦ってくれる。なんだか感慨《かんがい》深い。
「その分仲間だった女子が敵だがな」
「そこは気にしない方向で」
これで二階もクリア。残る問題は一階と風呂場前だ。
「この調子ならA・Bクラスもきっと協力してくれているよね!」
「さて、それはどうだろうな」
更に階段を降り、一階に近付く。ここで両クラスが協力してくれてなければ戦闘の音が聞こえないはずだけど……
(『……護してくれっ……』)
(『……メだ! ……倒的過ぎる……!』)
やった! 賭けは僕らの勝ちだ! 一階でも戦闘が行われている!
「よしっ! これで一階の制圧もうまく──」
「いや、違う! 様子がおかしいぞ!」
踊り場で折り返し、階下の様子を見渡す。するとそこには、教師女子生徒連合軍に押されているBクラス男子の姿があった。
『Aクラス 霧島翔子  & Fクラス 姫路|瑞《みず》希《き》 VS Bクラス 加西真一《かさいしんいち》
総合科目 4762点 & 4422点     VS 1692点    』
圧倒的な戦力差に為す術《すべ》も無く仲間が倒れていく。これはどういうことだ!?
「…………雄二。悪戯《いたずら》はそこまで」
「明久君。ここは通しませんよ」
「翔子かっ!」
「姫路さん……っ!」
地下へと続く階段の手前。雄二の予想通り、そこには霧島さんと姫路さんという最強。コンビの姿があった。
既《すで》に彼女たちの周りには打ち倒された召喚獣が死屍累々《ししるいるい》と転がっている。
「Aクラスがおらんようじゃな……」
周囲を観察して、秀吉が悔《くや》しそうに告げた。見回してみるとここの総合科目戦闘でも、離れたところの物理科目戦闘でも、Aクラスの生徒らしき姿は見当たらない。結局立ち上がってくれたのはBクラスだけだったのか……
「オマケに随分《ずいぶん》と用心深い布《ふ》陣《じん》だな、クソっ!」
階段前の向こうの配置を見て雄二が吐き捨てる。階段の真ん前に高橋先生がいて、先生はそこを動く気配を見せない。その周囲に姫路さんや霧島さん、他にもAクラスの女子が何人か立っている。あくまで高橋先生は階段を通過しようとする者を打ち倒すだけみたいだ。先生があの場所を動かない以上、隙をついての突破は難しい。
(雄二、例の隙を作る方法は?)
(それは問題ないが、通過したあとで地下で挟み込まれる。最低でもここの連中を引き付けておく程度の戦力がないと話にならない)
学年の一位と二位に加えて、その二人の更に倍近い点数を持つ高橋先生が道を塞《ふさ》いでいる。他の人たちからも気を抜けないというのに、この状況はあまりにも厳しい。Bクラスの大部分は途中にいる物理の木《き》村《むら》先生と英語の遠藤《えんどう》先生に手間取っているようで援軍は期待はできない。
「……雄二。お仕置《しお》き」
「くっ! 根《ね》本《もと》バリアーっ!」
「さ、坂本っ! 折角の協力者にその扱いはあんまりじゃないか!?」
『Aクラス 霧島翔子  VS Bクラス 根本恭二
総合科目 4762点 VS 1931点    』
ダメだ。霧島さんの召喚獣は格が違い過ぎる。Bクラス代表の根本君ですら一撃で葬《ほうむ》り去るなんて。
「明久君。おとなしく降参して下さい」
姫路さんが召喚獣を従えてゆっくりと僕の方に歩み寄ってきた。近くでは同様に雄二が霧島さんに追い詰められている。
『もうこれ以上は無理だ……。姫路に霧島に高橋先生なんて、勝てるわけがない』
『だいたい、姫路と霧島が入っていないのなら覗く価値がないじゃないか』
残されたBクラス男子二名の弱音が聞こえてきた。
「諦《あきら》めちゃダメだっ! ここにいないってことは、木下《きのした》優《ゆう》子《こ》さんや美波がお風呂に入っているはず! 覗く価値は充分にあるっ!」
向こうだってお風呂に入らずに過ごせるわけがない。つまり、ここにいない女子は今入浴中なんだ!
そんな僕の鼓舞を見て、秀吉が少し驚いたような表情で僕に訊いていた。
「明久。なぜここまで圧倒的に不利な状況にありながら諦めないのじゃ? お主は≪観察処分者≫じゃ。痛みのフィードバックもある。そこまでして写真を取り戻そうとして、苦しい思いをする必要はないじゃろう?」
その程度では今更お主の評価は変わらぬはずじゃ、と続けて秀吉は言葉を切った。
秀吉の疑問はもっともだ。観察処分者用の召喚獣で戦う以上、僕には召喚獣が受けた痛みが返ってくる。ここまで圧倒的に不利な状況であれば、恥ずかしい写真のことなんか諦めて余計な痛みを味わう前に投降するべきだろう。でも──
「──でもね秀吉。そうじゃないんだよ」
「そうじゃ、ない?」
秀吉は間違っている。僕の行動原理はその程度のものじゃない。
「確かに最初は写真を取り戻すつもりだった。真犯人を捕まえて、覗きの疑いを晴らすつもりだった。……でも、こうして仲間が増えて、その仲間たちを失いながらも前に進んで、初めて僕は気がついたんだ」
「明久。お主、何を言って──」
そう。僕はやっとわかったんだ。今まで僕は自分に嘘《うそ》をついていたってことを。理由をつけて、本当の気持ちを隠してきたってことを。
いくら偽ろうとも、僕の目的はただ一つ。これこそが、貫《つらぬ》くべき僕の信念──!
「──たとえ許されない行《こう》為《い》であろうとも、自分の気持ちは偽《いつわ》れない。正直に言おう。今、僕は──純粋に欲望の為に女子風呂を覗きたいっ!」
「おぬしはどこまでバカなんじゃ!?」
もう脅迫なんて関係ない! 真犯人なんかどうでもいい! ただ僕はあの写真に写っていた女の子たちのいる理想郷《アガルタ》を目指して進むだけなんだ!
「明久君。そこまでして私じゃなくて美波ちゃんのお風呂を覗きたいんですね……! もう許しません! 覗きは犯罪なんですからねっ!」
姫路さんが召喚獣に突撃指示を出す。敵わないとしても、僕は信念に基《もとづ》いて最後まで戦い抜いてみせる!
「世間のルールなんて関係ない! 誰にどう思われようと、僕は僕の気持ちに正直に生きる!」
召喚獣を喚《よ》び、姫路さんを迎《むか》え撃《う》つ構えを取る。
するとその時、
『よく言った、吉井明久君っ!』
どこかで聞いたことのある声が廊下に響き渡った。
「だ、誰ですかっ!」
気《き》勢《せい》を削《そ》がれた形になり、召喚獣の動きを止めて声の主を捜《さが》す姫路さん。
「待たせたね、吉井君。君の正直な気持ちは確かにこの僕が聞き届けた」
この声、この話し方、間違いない。彼は──!
「久保《くぼ》君っ! 来てくれたんだねっ!」
「到着が遅れてしまってすまない。踏《ふ》ん切《ぎ》りがつかず、準備をしながらもずっと迷っていたんだが……さっきの君の言葉を聞いて決心がついたよ」
「決心がついたって、それじゃあ……!」
「ああ。今この時より、Aクラス男子総勢二四名が吉井明久の覗きに力を貸そう! Aクラスの皆、聞こえているな? 全員召喚を開始して吉井明久を援護するんだ!」
『『『おおお──っ!』』』
「お主らは何を言っておるんじゃ!? 全員正気を保《たも》つのじゃ!」
「ありがとう久保君! 君たちの勇気に心から感謝するよ!」
ついにAクラスが仲間になってくれた。これで文月《ふみづき》学園第二学年男子全員が参戦したことになる。こんなに嬉しいことはない!
「いや、感謝するのは僕のほうだよ。そうさ、君が言った通り、自分の気持ちに嘘はつけない。世間に許されない想いであろうとも、好きなものは好きなんだ……!」
なんだろう。一瞬妙に寒気が。
「久保君。お仕置きの邪魔をしないで下さい」
「そうはいかないよ姫路さん。僕らは彼の覗きに協力すると決めたんだ。西村《にしむら》先生を打倒する唯一《ゆいいつ》の力を、ここで失うわけにはいかない」
久保君やAクラスの皆が僕を護るように前に出た。今この時こそが最高のチャンス!
「雄二っ!」
「わかっている! 明久、ムッツリーニ! 階段へ向かって走れっ!」
援軍に驚いている霧島さんを抜いて、雄二が高橋先生の前に走り出た。僕とムッツリーニもそれに続く。
「まさかAクラスの皆まで協力するとは思いませんでしたが、問題はありません。ここは誰であろうと通しませんから──試獣召喚《サモン》」
高橋先生の召喚獣が姿を現した。昨日の悪夢が一瞬|脳《のう》裏《り》をよぎる。でも、ここで躊躇っている場合じゃないんだ!
「高橋女史! 悪いがここは通らせてもらうぜ! 行くぞ──|起 動《アウェイクン》っ!」
雄二の掛け声を受け、先の召喚大会で手に入れた白金《しろがね》の腕輪が起動する。雄二の腕輪の能力は、召喚フィールドの作成。つまり──
「干渉《かんしょう》ですか……! やってくれましたね坂本君……!」
「行け明久っ! 鉄人を倒して、俺たちを理想郷《アガルタ》に導《みちび》いてくれ!」
「任せとけっ!」
異なる二種の召喚フィールドが同じ場所に展開され、双方の効果が打ち消される。今この場に召喚獣は一体もいない。そうなれば相手は生《なま》身《み》の女の人。脇を駆け抜けるなんて造《ぞう》作《さ》もない!
『吉井たちに続けーっ!』
僕らに続いて他の男子も走り出す。
「く……! 吉井君と土《つち》屋《や》君は逃がしましたが、あなたたちまで通しはしません!」
でも、その時には既に高橋先生が召喚獣を喚び直していた。
「流石は高橋女史。判断が早い……!」
雄二のうめき声が遠くから聞こえた。どうやら高橋先生は自分の召喚フィールドを消したみたいだ。そうなると雄二のフィールドが残って召喚獣が再び姿を現す。そう簡単に階段へは向かえない。白金の腕輪は点数を消費するから雄二は簡単にフィールドのON《オン》・OFF《オフ》を行えないし、この先は僕とムッツリーニだけで進むしかなさそうだ。
「ムッツリーニ。打ち合わせ通り大島先生を宜《よろ》しく」
「…………了解」
他の階よりも若干《じゃっかん》長い階段を駆け降り、理想郷《アガルタ》への最後の一本道へと辿《たど》り着《つ》く。
階段を降り切ったその先には、雄二の予想通り大島先生と、加えてもう一つ人影があった。
「ムッッリーニ君、待ってたよ。もしかしたら来ないんじゃないかと思ったよ」
「く、工藤さん……」
これは想定外だ。ここの廊下はあまり広くないから先生しか配置されていないと思っていたのに、まさか工藤さんがここにいるとは。
「工藤さん。そこをどいてくれないかな。僕らは君に手出しをする気はないんだ」
「あれ? もうコレはいいの?」
そう言って彼女が取り出したのは、例の小型録音機。
「もうそんなものはどうでもいいよ。僕らの目的は他にあるんだから」
「ふぅん……。でも、だからと言ってここを通すわけにはいかないよ。ボクも一応女の子だから覗きは防がないと、ね?」
もしかしたらと思ったけど、やっぱり説得は無埋だったか。
「仕方ない。ムッツリーニ、援護するよ」
保健体育勝負となるとここのメンバーに対して僕はかなり劣《おと》る。でも、だからと言ってムッツリーニが一人で勝てる相手じゃ──
「…………作戦に変更はない。ここは引き受ける」
「え?」
思わず耳を疑う。そんな馬鹿な! この二人を相手に一人で戦うなんて!
「…………奴らには借りがある」
でも、ムッツリーニの目は本気だった。本気でこの二人を相手に勝つ気でいる。学年トップクラスの生徒と教師の二人組を相手に。
「いけるの、ムッツリーニ?」
「…………当然だ」
尋《たず》ねる僕に小《こ》粋《いき》な笑みを返すムッツリーニ。コイツは自分の力を信じている。自分の力が目の前の二人に負けることはないと確信している。
それなのに、仲間の僕がコイツを信じないでどうする!
「わかったよ! ここは任せた! 代わりに僕は鉄人を倒す!」
ムッツリーニを残し、僕は廊下を走った。そんな僕を工藤さんも大島先生も止めようとする気配がない。
「ムッツリーニ君に免《めん》じて、ここは通してあげる」
すれ違いざま、工藤さんのそんな台詞が聞こえてきた。
ムッツリーニ、負けるなよ……!
[#中央揃え]☆
「土屋。お前には失望した。まさか教師を相手に勝てるなんて幻想《げんそう》を抱くとはな」
「大島先生が出るまでもないですよ。ムッツリーニ君はボクがやりますから」
「そうか。それなら工藤に任せる。一応俺も召喚獣を喚ぶが、後方で待機させて見学に徹《てっ》するとしよう」
「はい。任せちゃってください」
「…………が、決めた?」
「うん? なぁに、ムッツリーニ君?」
「…………生徒が教師に勝てないなんて、誰が決めた?」
「……ほう? 土屋、随分と威勢の良いことを言うじゃないか──試獣召喚《サモン》」
「あははっ。相変わらずムッツリーニ君は面白いなぁ。でも、先生の前にまずはボクに勝たないと、ね? ──試獣召喚《サモン》っと」
「…………試獣召喚《サモン》」
『体育教師 大島|武《たけし》  & Aクラス 工藤愛子 VS Fクラス 土屋|康《こう》太《た》
保健体育 501点 & 383点      VS 774点     』
「………………え? ムッツリーニ君……、その点数、なに?」
「…………信念は、不可能を可能にする」
「な、774点だって!? こんな点数を取れる人がいるなんて、聞いたことがないよ!」
「(ギリッ)土屋、貴様いつの間にここまでの力を……!」
「…………時間がない。二人まとめてかかってこい」
[#中央揃え]☆
後ろで召喚獣が展開された気配がする。ムッツリーニが戦闘を始めたみたいだ。
ここまで来たからにはアイツを信じるしかない。人のことを気にするより、僕は僕にしかできないことをするべきだ。
「皆、ありがとう……」
気がつけばそんな言葉を口にしていた。
不可能だと思われた作戦は、多くの仲間たちに助けられて成功を収めようとしている。あとは、僕が勝つだけで全てが終わる。残る壁はたったの一枚……!
現在時刻は二〇一五時。目的を果すには最適のタイミング。そんな時にここに辿り着くことができたという奇跡を、仲間全員に感謝したい。
「必ず目的を達成してみせる」
ここにあるのは最終関門。そしてその先にあるのは理想郷《アガルタ》。
「……やはり来たか、吉井」
扉の前に立つ最後の敵が目を開け、静かに構えを取る。
「勝負だ鉄人! この僕の本当の力を見せてやる!」
いよいよこれが、長かった強化合宿の最終決戦だ!
[#改ページ]
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バカテスト 物理[#「バカテスト 物理」は太字]
【第七問】[#3段階大きな文字]
以下の問いに答えなさい。[#「以下の問いに答えなさい。」は太字]
『観測者Aが速度vで走っていると、正面から周波数fの音を発し速度‘vで走行してくる救急車がやってきた。音速をVとしたとき、観測車にどのようなことが起きるのかを書きなさい。また、その現象の名称も併せて答えなさい』
姫路瑞希の答え[#「姫路瑞希の答え」は太字]
『観測車Aには車が発する音の周波数が[#数式 (img/mb698_232a.jpg)]になって聞こえる
現象の名称……ドップラー効果』
教師のコメント[#「教師のコメント」は太字]
F1マシンが通過する時もこれと同様の現象が起こっていますね。物理現象は一見難しいように思われますが、意外と身近に存在するものです。
[#改ページ]
吉井明久の答え[#「吉井明久の答え」は太字]
『観測者Aが速度‘v+vで撥ねられる。
現象の名称……交通事故』
教師のコメント[#「教師のコメント」は太字]
きちんと相対速度を補正しているあたりが腹立たしいです。
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「先生! よく僕がここまで辿《たど》り着《つ》くと思いましたね! 他の先生は皆|楽観《らっかん》していたのに!」
「俺は相手を過小評価せんからな! 貴《き》様《さま》は阿《あ》呆《ほう》だが、口《くち》惜《お》しいことにその行動力は並ではないと認めている!」
「それはまた、ありがとうございます──っと!」
鉄人《でつじん》の拳《こぶし》を木刀《ぼくとう》を使ってうまくいなす。
もう前回のように油断はしない。向こうは格上の召喚獣だと思って戦う!
「だが、その行動力は他のことに活かすべきだ! これでは貴様らはただの性犯罪者だ! 停学が怖くないのか!」
外見からは想像もできないような鋭い蹴りが放たれる。これをまともに受けたら吹き飛ばされる!
「脅《おど》そうったってそうはいきませんよ! これだけの人数がいれば全生徒の特定はできないはず! 一部の生徒だけの処分なんて、できるわけがない!」
なんとか屈んでやり過ごし、反撃に木刀を脇腹目掛けて横に薙《な》ぐ。でも、その攻撃は鉄人の太い腕に弾《はじ》かれた。文字通り筋肉の鎧《よろい》ってことかい!
「それは言葉をかえれば、特定されたら停学になるという危険な状態だと、なぜ理解できんのだ!」
「それなら覗《のぞ》きに加《か》担《たん》した全ての生徒をリストアップしてみせるんですね!」
弾《はじ》かれた勢いを利用しての回し蹴り。これは防御されることなく大腿《ふともも》にヒットしたけど、よろけたのは鉄人ではなくて僕の召喚獣の方だった。いくら召喚獣の体重が軽いからといってもありえない身体だ!
「言うじゃないか! ならば貴様らを全員打ちのめし、ゆっくりと名前を記録してやるとしよう!」
「──ぐっ!」
体勢《たいせい》を崩した僕の召喚獣に鉄人の拳が浅くヒットし、壁際まで吹き飛ばされる。それに伴って僕の身体にも痛みが返ってきた。
「まず貴様がその一人目だ!」
追撃の為に召喚獣に駆け寄る鉄人。その戦闘力は圧倒的だ。あのバケモノを相手に召喚獣が一体だけじゃ力不足だ。
だったらどうする? ここで諦《あきら》めて逃げるのか? 戻って皆に土下座《どげざ》でもするのか? いいや、ありえない! ここまで来た以上は石に齧《かじ》り付《つ》いてでも勝利をもぎ取《と》る! 絶っっっ対、負けるもんか!
「行くぞ──っ! |二重召喚っ《ダブル》!」
喚《よ》び声《ごえ》に応じて現れた分身に指示を出す。
「ぐぅっ! 吉《よし》井《い》、貴様ぁ……!」
突然現れたもう一体の召喚獣の攻撃をなんとか防ぎ、鉄人は慌《あわ》てて距離をとった。一体だけで足りないのならもう一体追加してやればいい。幸《さいわ》いにも僕にはその力がある。この前手に入れることのできた力が。
「白金《しろがね》の腕輪か。学園長も余計なことをしてくれたものだ」
鉄人の表情から余裕が消えた。
前の召喚大会で手に入れた賞品、白金の腕輪。雄二が持っている方は召喚フィールドを作ることができ、僕の方は召喚獣をもう一体喚ぶことができるという効果を持つ。うまく使えば鉄人を打倒することだってできるはずだ!
「先生、勝負はこれからです」
二体の召喚獣に構えを取らせ、挟み込むように移動させる。主獣《メイン》は右から、副獣《ダブル》は左からそれぞれ木刀を繰《く》り出《だ》した。
「ぬっ、くぅっ……!」
まったく逆の方向から訪れる攻撃に対して鉄人の体勢が崩れる。すかさず二体同時にガラあきの膝《ひざ》にローを放つ。が、これは鉄人が膝を曲げて丸《まる》太《た》のような腿《もも》で受けた。まるでタイヤを蹴ったようなフィードバックが僕に伝わってくる。
拳、蹴り、木刀を駆使して左右から鉄人に攻撃を加える僕の召喚獣。明らかに先ほどまでとは違って鉄人は劣勢《れっせい》だ。こちらの攻撃がどんどんヒットしている。でも、
「全然ダメージ与えられない……!」
鉄人は頭部や鳩尾《みぞおち》といった最低限の箇所だけを防御し、その他は頑強《がんきょう》な肉体で弾《はじ》き返《かえ》していた。このバケモノめ!
「どうした吉井? 焦《あせ》りが顔に出ているぞ?」
僕の表情を見て鉄人が口の端《はし》を持ち上げる。
一見優勢なようだけど、実は僕の状況はかなり厳しい。なぜなら、僕は主獣の行動に加えて副獣の行動も同時に考えないといけないからだ。放たれた蹴りを避けるのが主獣なのか副獣なのか、それを瞬時に判断して個別に行動する。二人分の動きを一つの脳で処理するなんて、いつまでも続けられるわけがない。
「でも、だからと言って簡単に負けるわけにはいかないんだよ!」
主獣の木刀を振わせ、副獣は右拳を突き出す。木刀を避《よ》け、拳を受けた鉄人は膝を放つ。その目標は副獣──じゃなくて主獣か! 両腕を交差させてガード、その間に副獣は左肘を鉄人の脇腹へ。肘《ひじ》でブロックされたから、今度はローキックを主獣いや副獣の方が──
「動きが鈍っているぞ吉井!」
「くぅっ!」
右腕に鈍い衝撃。これはどっちが受けた攻撃だ? 主獣か副獣か? ってまずい、攻撃の手を緩《ゆる》めると追撃が来る! とにかく木刀を振って──ダメだ! 間に合わない!
今度は拳が、副獣の方に来る──と見せかけて主獣!? やばい、フェイクだ!
「ぐ、ふぅ……っ!」
鳩尾に鈍い痛みが走る。僕は苦しみに耐えかねて、廊下に背中から倒れ込んでしまった。
「ここまでだな、吉井」
決着はついた、と言わんばかりに余裕を見せる鉄人。
分厚い筋肉の鎧に太い腕。こちらの攻撃は効いていない。
確かに二体の召喚獣を同時に操《あやつ》るなんて無茶だったのかもしれない。どうしてもどっちに指示を出しているのか混乱してしまう。いや、そもそも攻撃が届いたってダメージを与えられないなら意味がないじゃないか。
「所詮《しょせん》、下心の為の集中力なんてそんなものだ」
ゆっくりと鉄人が倒れている僕に近付いてくる。
そうだ。鉄人の言う通り僕には集中力が足りないんだ。だから余計なことを考えてそれぞれの召喚獣の行動が混ざってしまう。
けど、そんなことが今わかったところで二体を同時に操る集中力なんてすぐに身に付くわけがない。この場は僕の負けだ。覗きは諦めて、明日からは集中力を鍛《きた》えるような訓練でも始めよう。集中、集中──?
「そうかぁっ!」
全身のバネを使って跳《は》ね起《お》きる。そうだ! まだ手はある!
「ほう……まだやるのか? 根性だけは人一倍だな」
立ち上がった僕を見てどこか楽しげに口元を歪《ゆが》める鉄人。どこまでも余裕のある態度を崩さない。でも、笑っていられるのもここまでだ!
「鉄人、感謝するよ。今アンタは僕にヒントをくれた」
「ヒントだと?」
「今言ったじゃないか。『集中』って」
二体の召喚獣でそれぞれに指示を出すから頭が混乱する。攻撃を別々の箇所に分散させるから相手の防御を貫《つらぬ》くほどの威力《いりょく》が出ない。それが今の僕にとっての問題だ。けど、その二つはたった一つの方法で解決することができる。
「そう。集中だ。狙《ねら》いを絞《しぼ》るんだ。拳、蹴り、木刀。主獣も副獣も、今から放つ全ての攻撃をただの一点──」
一撃で筋肉の鎧を突き崩せないのなら、何度も同じ場所を攻撃すればいい。集中だ。今から放つ全ての攻撃を──
「──アンタの股《こ》間《かん》に、集中させる……!」
「き、貴様、なんて恐ろしいことを考えるんだ!?」
「行くぞ鉄人っ!」
ローと見せかけて金的狙いに変化するキック。足元を狙《ねら》ったと見せかけて股間を突きにいく木刀。鳩尾狙いから下腹部狙いに軌道を修正した拳。これら全ては、たった一度の急所攻撃の為に……!
「こ、これほど執拗《しつよう》な急所攻撃をするヤツは初めてだ……!」
鉄人の表情から余裕が消える。まだまだぁっ!
脇腹狙いから金的蹴り、肘を取ると見せかけて股間に肘鉄、ストレートに急所突き、狙え狙え、とにかく股間を狙え!
気がつくと、向こうは防御に手一杯になっていた。
「悶絶《もんぜつ》しろ、鉄人!」
攻撃が来ないのなら、と副獣が力を溜めて大きく拳を振う。
「く──っ!」
鉄人はその動きを見て股間のガードを固めた。
「なんて、ウソです」
その瞬間、主獣を動かして副獣を踏み台に鉄人の背後へと跳ばせる。今の予備動作はフェイク。本命はこっちの主獣だ!
「しまっ──」
「もらったぁぁーっ!」
下段防御に回した腕は頭部に至るまでに時間がかかり間に合わない。僕の召喚獣の手刀が鉄人の無防備な首へと吸い込まれて、
「ぐぅ……っ! よ、吉井、貴様……」
ドサリ、と重い音を立てて、鉄人はゆっくりと床に倒れ伏した。
「やっと、やっと終わった……!」
本当に長かった。何度諦めかけたことか。絶望したのは一度や二度じゃない。でも、今僕はこうして理想郷《アガルタ》を前にしている。
「待ってろよ、美波のペッタンコ……!」
あの写真に秘められた桃色世界が目の前に! 楽しみで仕方が──はっ! 殺気!?
「食うかっ!」
殆《ほとん》ど本能のような感覚でしゃがみこむ。すると、さっきまで僕の頭があった位置を何かがバチバチと音を立てながら通過していくのが見えた。
「お姉さまの操《みさお》は渡しません……!」
「清《し》水《みず》さんか!」
見覚えのあるスタンガンを構えた清水さんが僕に向き直る。雄二が僕に貸してくれた例の二十万ボルトのやつだ。触れたら服の上からでも一撃で気を失ってしまう。
「昨夜からお姉さまの元気がないのも、美《み》春《はる》に振り向いてくれないのも全て貴方《あなた》のせいです! 死んで美春に詫《わ》びて下さい!」
清水さんが凶器を振り回してくる。けれども、鉄人の動きに比べると清水さんのそれはあまりにも温《ぬる》い。避けてくれと言わんばかりだ。
「このっ、このっ!」
「ほいほいっと」
余裕で避け続ける。このままバッテリー切れを待てばいいだろう。
そんな作戦を考えていると、向こうもこちらの意図《いと》に気がついたのかポケットから何かを取り出して僕に突きつけてきた。
「言うことを聞かなければ、この写真を公表します!」
「え? 写真って──うわっ! 僕の恥ずかしい写真!?」
清水さんが取り出したのは僕のメイド服姿の写真だった。なんで彼女がこんな写真を
持っているんだろう? まさか──
「──まさか、清水さんは僕のことが好き、だとか?」
「吐《は》き気《け》がします!」
ちょっと涙が出た。
「でも、それならどうしてそんな写真を?」
「お姉さまのチャイナ姿を撮ろうと思ったら丁度《ちょうど》いい脅迫《きょうはく》ネタが通りかかったので撮影したまでです! 男なんかに興味はありません!」
男なんかって。まぁ、好みは人それぞれだけど……。
「清水さんってもしかして、お尻《しり》に火傷《やけど》の痕《あと》があったりする?」
「な、なんでそれを知ってるんですか!? さては盗撮《とうさつ》や覗《のぞ》きをやってますね!?」
間違いない。清水さんが例の脅迫犯だ。ってことは、工《く》藤《どう》さんは犯人じゃなかったのか……。彼女が言っていたことって本当にウソじゃなかったんだなぁ……。
「とにかく大人しくして下さい。写真をバラ撒きますよ?」
堂々《どうどう》と僕を脅迫してくる清水さん。う〜ん……これは少しオシオキが必要かな。
「よっと」
「あぁっ! 返してくださいっ!」
スタンガンを奪《うば》い取《と》って出力最低で押し付ける。
バチィッ
「し、痺《しび》れますっっ!」
清水さんは呆《あっ》気《け》なくその場に崩れ落ちた。
「これで全部片付いた、かな?」
悪の元凶《げんきょう》は滅《ほろ》びた。もう僕を止めるものは何もない。
「…………明久《あきひさ》」
背中から僕の名前を呼ぶ声が聞こえた。この声は、
「ムッツリーニ! 無事だったんだね!」
「…………当然」
ムッツリーニの全身からは疲労が見て取れる。余《よ》程《ほど》苦しい戦いだったのだろう。でも、そんなことはおくびにも出さず笑顔を浮かべている。
「明久、よくやったな」
「雄《ゆう》二《じ》! それに皆も!」
更にその後ろからは雄二や各クラス男子の面々がやってきた。全員が一つの目的を達成した喜びに満面の笑みを浮かべている。
『吉井。よく鉄人を倒してくれた』
『お前が今回のMVP《エムブイピー》だな』
僕を称《たた》える言葉がそこら中から聞こえてくる。
「皆の協力があってこそだよ! 本当にありがとう!」
大きな声で皆に呼びかける。この場にいる全員に心から感謝している!
「それじゃ、そろそろ行くか」
雄二が珍しく顔を綻《ほころ》ばせている。コイツも正常な男子。この状況は嬉《うれ》しいのだろう。
「皆! これだけの人数がいれば人物の特定も出来ないし邪魔も排除《はいじょ》できる! 停学や退学の処分もないから思う存分楽しんでくれ!」
『『『おーっ!』』』
廊下を揺るがすような返事が聞こえてきた。
確かにこれだけ人数がいれば誰が参加しているかなんて覚えきれるわけがない。つまり処分は一切ないってわけだ。それなら楽しまないバカはいない!
「全員、心して見ろ! これが俺たちの勝ち取った栄光だ!」
雄二が女子風呂の扉を開けた。
張りのある肌。
しなやかな肢《し》体《たい》。
腰まで伸びる長い白髪。
見知った顔でありながら、衣服に包まれて一度も見ることのできなかった姿。
この機を逃せば二度と目にすることもないと言える、そんな──
[#改ページ]
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「な、なんだいアンタたちは!? 雁首揃《がんくびそろ》えて老人の裸見に来たのかい!?」
そんな、学園長の艶姿《あですがた》。
『割《わり》にあわねぇーっっ!!』[#4段階大きな文字]
僕ら全員が、そのありえない光景に涙した。
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[#中央揃え]☆
「美《み》波《なみ》ちゃん、おはようございます」
「あ、瑞《みず》希《き》。おはよ……」
「どうしたんですか? 元気がないみたいですけど、何か悩みでも?」
「う、ううん! そんなことないわ! ちょっと疲れてるだけ!」
「そうですか。確かに先週の強化合宿は大変でしたからね。疲れが残っちゃっても仕方がないですよね」
「あ、うん。確かに色々と大変だったわね……」
「最後は男子が皆真っ白になっていましたけど、何があったんでしょうか?」
「ああ、それのこと? さぁね〜。よっぽどショックなものでも見たんじゃない?」
「ショックなもの、ですか……?」
「様子を見に来た学園長もビックリしたでしょうね。学力強化合宿があんなことになっていて」
「学年全員での覗き騒ぎですからね……。最初は明久君たちだけだったのに気がついたら凄いことになっていましたよね」
「そうね……。ところで覗きと言えば、例の初日に脱衣所にカメラを設置した真犯人なんだけど」
「え? 真犯人? カメラって、明久君たちがやったんじゃないんですか?」
「ううん。それが、どうやら美春が本当の犯人だったみたい」
「美春って、清水美春さんですか?」
「うん。最後の日に脱衣所からカメラを持って出てくるのを偶然見かけたの。それで問い詰めたら、『お姉さまの姿を残したかったんです』って盗撮を認めたわ」
「ええっ!? それじゃ、明久君たちは……」
「誤解だったみたいね。ま、最後には結局あいつらも覗き魔になったから、今更|謝《あやま》るのもちょっと、って感じだけどね」
「あ、あはは……」
「ちなみに美春のカメラは全部没収しておいたから安心していいわ」
「そうですか〜。それなら安心です」
「ん。そろそろ朝の|H R《ホームルーム》の時間ね。急ぎましょうか」
「あ、はい。そうですね」
「それじゃ、これから一週間、ウチら二人だけで寂《さび》しいけど仲良くやりましょ」
「はい。こちらこそ宜《よろ》しくお願いします」
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処分通知[#2段階大きな文字]
文月学園第二学年[#2段階大きな文字]
全男子生徒[#2段階大きな文字]
総勢149名[#2段階大きな文字]
上記の者たち全員を[#2段階大きな文字]
一週間の停学処分とする[#2段階大きな文字]
文月学園学園長 藤堂カヲル
[#改ページ]
ついムラッときてやった。
今は心の底から後悔している。
[#地から3字上げ]〜とある生徒の反省文より抜粋《ばっすい》〜
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バカテスト 国語[#「バカテスト 国語」は太字]
【最終問題】[#3段階大きな文字]
次に示す四字熟語の漢字を答え、適切な例文を作りなさい。
『あいまいもこ』
姫路瑞希の答え[#「姫路瑞希の答え」は太字]
『漢字【曖昧模糊】
例文【責任の所在が曖昧模糊としていた】』
教師のコメント[#「教師のコメント」は太字]
【あやふやではっきりしないさま】をあらわす四字熟語ですね。読める人は多いのですが、書ける人はそう多くありません。良く出来ました。
[#改ページ]
吉井明久の答え[#「吉井明久の答え」は太字]
『漢字【合間妹子】』
教師のコメント[#「教師のコメント」は太字]
なんとか答えようという気持ちだけは伝わってきました。
土屋康太の答え[#「土屋康太の答え」は太字]
『例文【小野小町・小野妹子・合間妹子の日本三大美女は遣隋使として旅立った】』
教師のコメント[#「教師のコメント」は太字]
一名男性が混ざっているので気をつけて下さい。
[#改ページ]
停学明け。
いつもより少しだけ早く起きた僕は学校を前にある種の感慨《かんがい》を抱《いだ》いていた。
「やれやれ。なんだか随分《ずいぶん》と久しぶりに学校に来た気がするよ……」
強化合宿の期間も含めると二週間ぶりか。こうなると春休みよりも長い。こんな時期に長期の休みをもらえるなんて、ある意味ラッキー──なんて思えるわけがない。山ほど課題が出された上に自宅|謹慎《きんしん》を義務付けられたのだから。
「あっ。明久《あきひさ》君っ」
不意に後ろからタタタッと誰かが駆けてくる音が聞こえてきた。
「お久しぶりですっ。元気でしたか?」
「姫《ひめ》路《じ》さん。久しぶりだね」
一週間と言っても、最近はほぼ毎日顔を合わせていたのだから充分に久しぶりだ。
「実は、その、明久君に謝《あやま》らないといけないことがあるんです」
「え? どうしたの急に?」
僕が謝るならともかく、姫路さんに謝られることなんて何かあっただろうか。
「強化合宿の初日なんですけど──覗《のぞ》き魔《ま》扱いしてごめんなさいっ」
「ほぇ?」
姫路さんが腰を折って深々《ふかぶか》と僕に頭を下げた。
「いや、覗き魔扱いも何も、僕らは覗き魔そのものなんだけど……?」
「あ、いえ。そうじゃなくて、一番最初は誤解だったじゃないですか。その時、明久君を疑っちゃったから、申し訳なくて……」
僕らの仲間にムッツリーニがいる以上、その考え方は決して間違いじゃないだろう。
「あははっ。結局覗きをやったのに謝られるなんて、なんか変な感じだよ」
「そ、そうですか?」
そもそも覗き魔の僕とこうやって普通に会話をしていることも変だと思う。って、そうなると二年生の男子全員と会話できなくなっちゃうけど。
「でも、あの……」
「ん? なに?」
「そ、その……そこまでして、見てみたいものなんですか……?」
「まぁね」
まぁねじゃないだろ僕。
「あ! えーっと、その! 今のは口が滑《すべ》って──じゃなくて、心にもない言葉が咄《とっ》嗟《さ》に僕の口から……!」
「そうなんですか……ふふっ」
あれ? 軽蔑《けいべつ》されてないみたいだ。
「良かったです。きちんと女の子に興味があるみたいで」
「ぅぐ……」
なるほど。確かにソッチに比べたら助平《すけべい》の方がマシだろう。
思わず呻《うめ》いた僕を見て姫路さんは更に楽しそうに笑った。むぅ。からかわれているみたいだ。これは仕返しをしてやらないと!
「も、勿論《もちろん》興味|津々《しんしん》だよ! 特に……姫路さんにはね!」
「え──えぇぇっ!」
姫路さんが耳まで真っ赤になった。仕返しの効果は覿面《てきめん》だ。
「あははっ。冗談だよ。姫路さんが僕をからかうから仕返しを──」
「…………いいですよ」
「………………はい?」
「だから、その……覗いても、いいですよ……」
一瞬意識が飛びそうになった。
「えぇぇっ!? 何を言ってるの姫路さん!? 大丈夫!?」
信じられない言葉に我が耳を疑ってしまう。そんなことがあってもいいのか!?
「覗いてもいいですけど、その代わり──」
「そ、その代わり!?」
「わ、私を明久君のお嫁さんにして下さいね?」
ちょっと待てなんだこの展開は!? 一体どうなっているんだ!? とにかく落ち着こう。まず僕が考えるべきは新婚旅行の行き先だ。今時|熱海《あたみ》は時代遅れだろうか。やっぱり海外旅行の方がいいだろうか。でも、そうなると学校を休んで行く必要が──
「……ふふっ」
「ん?」
笑い声が聞こえたので顔を上げてみる。すると、姫路さんが赤い顔のまま楽しそうに笑っているのが見えた。
え? もしかして、今のは──冗談?
……やられた。更にこうやって仕返しをされるとは思わなかった。流石《さすが》は姫路さんだ。
「あははっ。明久君、顔が真っ赤ですよ?」
「そ、そう言う姫路さんだって慣れないことを言うから真っ赤だよ!」
お互いに顔を見て笑い声をあげる。こういう会話はなんだか凄く新鮮な感じがした。
「アキっ!」
そうやって笑っていると、遠くの方から威《い》勢《せい》の良い声がした。この声は美《み》波《なみ》かな?
「ん。久しぶりだね、美波」
声のした方を向く。すると、元気に走ってくる美波の姿が見えた。
「え? あれ? どうしたの?」
なんだか妙に真剣な表情をしている。何かあったのだろうか?
「美波ちゃん、どうしたんですか?」
その様子を見て姫路さんもキョトンとしている。
「アキ、目を瞑《つむ》りなさいっ!」
「え? は、はいっ!」
目の前にやってくると、美波はいきなりそんなことを言ってきた。
さてはこの前の覗きの落とし前をつける気だな? 仕方がない。諦《あきら》めて一発|貰《もら》うとしよう。
言われた通り目を瞑り、来《きた》るべき衝撃《しょうげき》に備える。
「……瑞《みず》希《き》、ゴメンね……」
「え? なんですか美波ちゃん……?」
? なんだろう。殴《なぐ》られる雰囲気じゃないけど……。
恐《おそ》る恐《おそ》る目を開けてみる。
すると、すぐ目の前には頬《ほお》を染《そ》めた美波の顔があって、
「──っ!?」
気がつけば僕の唇に美波の唇《くちびる》が重ねられていた。
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あとがき[#「あとがき」は太字][#地から5字上げ]井上堅二《いのうえけんじ》
本作を手に取って頂き、誠にありがとうございます。小説担当の井上堅二です。
正直なことを言うと、こんなバカな話を三冊も書かせて頂けるとは思いませんでした。皆様のご声援と編集部の勇気に心より感謝申し上げます。
今回は一風変わって最初に恒例の謝《しゃ》辞《じ》を。イラストの葉賀《はが》さん。三巻の表紙をマイPCの壁紙に使わせてもらいます。いつもどうもです! デザイナーのかがやさんと新担当のN様、今回は特にお手数おかけいました。色々とすいません。諸先輩方、アドバイスやお心遣いありがとうございます。特に櫂未《かいま》先生と野《の》村《むら》先生、コラボ小説感謝です! そして読者の皆様。ご声援本当にありがとうございます! 頂戴《ちょうだい》した読者ハガキやお手紙は全て読ませて頂いております。木下家康《きのしたいえやす》という新キャラの設定を考えてくれたお手紙とかもあって、読んでいると元気が出てきました。今後も頑張ります!
さて。それでは事が前後してしまいましたが、二巻のあとがきの続きについて少々お話をさせて頂きます。
一人暮らしの僕の元に母からの救援物資(枕カバー)が届いたあとのことです。
母『もしもし。堅二?』
僕「ん? 母さん。どうしたの?」
母『アンタに書類を送ろうと思ったんだけど、折角《せっかく》だから他にも何か送ろうと思ってね』
僕「あ、そうなんだ。ありがとう。是非《ぜひ》送ってよ。できれば今度は食べられる物を」
母『仕方ないわね〜。まったく、アンタはいつまでも親離れができないんだから』
僕「そうだね。迷惑かけるね」
しばしの歓談の後、電話を切りました。
これで再び実家から荷物が送られてきます。今度届く物が万が一にも布《ふ》団《とん》カバーや便座カバーであれば、母について一度家族会議を開く必要があるかもしれません。
──そして数日後、荷物が届きました。
内容の欄《らん》には前回と同じように『食料品』との記載が。ダンボールの箱を開けると、まず目に入ったのは茶封筒。これは電話で言っていた書類でしょうか。中身は──保険関連の書類ですね。今度記入して送り返すとしましょう。
そして、その書類の下から出てきたのは──念願の食料品。
良かった。今度はきちんと食べられる物でした。消費期限も大丈夫そうですし、特におかしな点は見当たりません。しかも男の独り暮らしという点を考慮してくれたのか、ボリュームたっぷりのメニューです。
そんなわけで今回送られてきたもの。
【じゃがいも20s】
食べ切れません。
母『もしもし?』
僕「あ、もしもし。母さん?」
母『うん。荷物届いた?』
僕「ああ、うん。確かに今度は食べられる物だったよ。ありがとう」
母『いえいえ、どういたしまして。ちょっと多かった?』
僕「そうだね。19sほど多かったよ」
母『あ、それと奥の方の箱にそうめんとかも入ってるから食べなさいね』
僕「そうだったんだ。箱が大きすぎて奥まで見てなかったよ。ありがとう。それじゃ」
母『はい。それじゃあね』
そんなわけで奥の方を探してみます。すると、箱が出てきて中にはそうめんとかの食料品が入っていました。どうやら普通の食料品も入っていたようです。他にも缶詰や煎餅《せんべい》や、烏龍《ウーロン》茶が入っていました。特に最後の一つは飲み物を切らしていたので丁度《ちょうど》良かったです。ありがたく頂きましょう。パキッとキャップを開けて──って、あれ? 既に開いていたのでしょうか。なんだか手応えがなかったような……。
それでも気にせず中身を口に含みます。そして、舌一杯に広がる──塩辛い味わい。
耐え切れずに部屋中に噴出してしまった液体を掃除しながらペットボトルを確認します。すると、その脇にはマジックで黒々と母の字が書いてありました。
【めんつゆ】
うん。そうめんとセットで送ってくれた気遣いは嬉しい。確かに僕の部屋にめんつゆは存在しません。ですが、この容器は正直どうかと思います。めんつゆを同梱《どうこん》してくれるほどの心配りがあるのなら、もう少しわかり易い容器を使って欲しかったです。
そんな、母親の愛に涙する夏のある日のお話でした。
最後にちょこっと予告を。
次は短編集でも、と考えています。本編の続きが気になる方もいらっしゃるかもしれませんが、どうしても僕は短編集を優先したいのです。それはなぜか? 答えは──水着の話を書く予定だからです! ちなみに刊行予定は冬です。季節感? 何それ? 食べられます? というわけで、ヤツはどんな水着になるのか、ご期待下さい!
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ATOGAKI[#「ATOGAKI」は太字][#地から5字上げ]葉賀ユイ
■高校時代は文化系部活の掛け持ちだったので、修学旅行以外の合宿イベントとは無縁でした。天文部の合宿というのもあったけど、普段の部屋である校舎の天文台に泊まり込むものだったので何も変わらず……。夜の校舎という別の面白味はありましたけど!
▲実は1巻の時点で先生のデザインは既にありました。
ついに初お目見えですね!
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ファミ通文庫
バカとテストと召喚獣《しょうかんじゅう》3[#2段階大きな文字]
二〇〇七年九月一一日 初版発行
著  者 井上堅二《いのうえけんじ》
発行人  浜村弘一
編集人  青柳昌行
発行所  株式会社エンターブレイン
担  当 長島敏介
デザイン かがやひろし
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