僕の血を吸わないで
阿智太郎
プロローグ
月の光が涼《すず》やかに辺《あた》りを照らす夜。
女は闇《やみ》の中を駆《か》けていた。
彼女の目的はただ一つ、悪しき血族をこの世から抹殺《まっさつ》することである。
たとえそれが女であろうが子供であろうが……赤ん坊であろうが、彼女には関係なかった。
その血族でありさえすれば 彼女にとって相手を葬《ほうむ》る正統な理由になるのである。
女は冷淡な瞳《ひとみ》をすぐ前を走る少女に向け、右手に装着された鍵爪状《かぎつめじょう》の武器を振り上げた。
何をするかは一目瞭然《いちもくりょうぜん》であった。
女はなんのためらいもなく、目の前のきゃしゃな背中に強烈《きょうれつ》な一撃を突き立てた。
月明かりに映る女の横顔は、依然《いぜん》として感情を持たなかった。
が、その表情とは裏腹《うらはら》な、一粒の涙が女の頬《ほお》を流れた。
その姿はまるで、涙を流す無表情なロウ人形のようであった。
強烈な一撃を浴び、少女は小さな叫び声を上げ地面に倒れた。
小柄《こがら》な肩が小刻みに震《ふる》えている。
おそらく激しい痛みと強い恐怖《きょうふ》からであろう。
闇《やみ》は本来、この少女の世界だった。
それが今は侵入者に支配され、少女は命までも奪《うば》われようとしていた。
女が再び爪《つめ》を振り上げる。
力の込めようが先程とは大きく違うことが、女の腕に隆起《りゅうき》した筋肉の束《たば》からうかがえた。
「さよなら。お嬢《じょう》ちゃん」
女は心情を表さない口調で呟《つぶや》くと一気《いっき》に爪を振り下ろした。
女が目を閉じる。
まるで映画の見たくないシーンを飛ばすかのように。
その時、完全に力を失ったと思われた少女がその体を素早《すばや》くひねった。
爪はわずか数ミリの差で大地をえぐった。
女の顔に初めて表情が現れる。
焦《あせ》りとそして少しの安堵《あんど》の表情だった。
女は爪を抜き三度《みたび》振り上げようとするが、少女はそのスキを逃さなかった。
ゴブッ。
鈍《にぶ》い音が響いた。
女が大量の血液を赤茶《あかちゃ》けた大地にぶちまけた。
少女の放った一撃が見事に女の腹部にきまったのだった。
少女は立ち上がると大地を蹴《け》った。
とその体はまるで魔法を見ているかのように空へと浮かび上がる。
背中の傷がかなり深いのであろう、流れ出る鮮血が小雨のように辺《あた》りに降り注いだ。
女は口元を拭《ぬぐ》いながら遠ざかる影を見つめ、そして上ずった声で叫んだ。
「すぐに、狩《か》ってやるからな!」
女は狂ったように笑った。
すべてを放棄《ほうき》した、この世の全《すべ》てを放棄した笑いだった。
女の笑い声が闇の中に木霊《こだま》した。
第一章 窓からの侵入者
1
「う――――――む」
苦しげな声である。
「う――――――――――――――む」
やはり苦しげな声である。
一体何をしているのか、すこし心配になる一歩手前。
もしや心臓|発作《ほっさ》では………。
不安が最頂点へと高まる瞬間《しゅんかん》。
「解《わ》からん」
どんな学生も一度は呟《つぶや》くこの言葉を類に漏《も》れず少年は呟いた。
いや少年と呼ぶのは適切ではないだろう。彼は今年で十八歳。
正確に言えばあと二月《ふたつき》で十八となる花の高校三年生なのである。
しかし彼が発する重苦しい波動からは青春を謳歌《おうか》している様子は微塵《みじん》も感じられなかった。
「さっぱり解からん」
劣等生《れっとうせい》、花丸森写歩朗《はなまるしんじゃぶろう》は三十四回目の敗北宣言を吐《は》き出した。
しんじゃぶろう。
この奇妙《きみょう》な名前は彼の父親がつけたものであった。
森のような心を写し歩き続けて欲しい。そんな意味が込められているらしかったが、彼にしてみればせめて『しんざぶろう』にして欲しいところだった。
まあ『ちんじゃぶろう』にならないだけ良かったと最近では諦《あきら》めている。
第一、グチをこぼそうにも相手がいないのだ。
典型的な独《ひと》りっ子。
父一人子一人の気楽な家庭。
母親は彼がまだ幼いころに他界《たかい》した。
と聞いているが実際は捨子《すてご》だったらしい。
いや冗談《じょうだん》ではなく本当の話だ。
ただし、父親の分かったいる捨子。
つまり、父親がどこかで植えつけてきた種が見事に発芽《はつが》し、畑《はたけ》さんが父親に届けた。これが真相である。
したがって、戸棚《とだな》の上の小さな仏壇《ぶつだん》は父親の苦しい言い訳の産物、ただそれだけの物であった。
もっとも、近所のおば様達にも既に周知の事実であるため、今更隠《いまさらかく》し立てする必要もなく、森写歩朗《しんじゃぶろう》自身も仏壇の写真をオードリー・ヘップバーンにしてみたりしては自由気ままに遊んでいる。
昔は母親がいないことをつらく感じたが、ここまで大きくなるとある意味では気楽であった。
しかも、彼の傍若無人《ぼうじゃくぶじん》な父親も今はここ長野《ながの》県にはいない。
仕事で一週間ハワイである。
旅行代理店でツアーコンダクターをしているのだ。
断っておくが森写歩朗ハーフではない。
父親が種を植えたのはれっきとした日本人だ。
とにかく森写歩朗は今、3LDKのマンションとは名ばかりのアパートの一室で、誰《だれ》にも邪魔《じゃま》されることなく数学の問題集と格闘《かくとう》しているのであった。
やり始めてから一時間が過ぎていた。
まだ一問も解けてはいない。
時計の針は既に一時を回っている。
彼の少ない脳味噌はすでにショート寸前であった。
「チクショウ!なんで僕がこんなことしなくちゃいかんの?」
南信州《みなみしんしゅう》の方言が色濃く目立つ口調で森写歩朗はわめいた。
「こんなの解《わ》かんないよ。僕は文系だよ」
森写歩朗は数学の問題集を文字通り放り投げた。
当然のことながらこんなことで状況が変化するわけがない。
ただ問題集が放物線を描いて落下するだけだった。
「もう寝よ。いくら考えても解からんもんは解からん」
ベッドに横になって天井《てんじょう》を見上げる。
目の前に数学教師の恐《こわ》い顔が浮かんだ。
「怒《おこ》るだろうなー」
明らかである。
「さぼったら補修だしなー」
彼が習っている数学教師は厳《きび》しいことで有名だった。明日宿題をやっていかなければ罰《ばつ》として一週間補修をやらされることは必至《ひっし》である。
悔《く》やむべきことは選択で数学を取ったことであった。
劣等生《れっとうせい》である森写歩朗の進路は専門学校か就職。
どちらにしても数学は必要なかった。
そんな彼がなぜ数学を取ったのか?
それは永遠の謎《なぞ》である。
「やらにゃ、いかんもんなー」
せめてさわりの計算だけでも書いておこう。それだけでもだいぶ違う。
森写歩朗《しんじゃぶろう》は意を固めるとじゅうたんの上でひしゃげている問題集を拾い上げ、再び机へと向かった。幸い学校でしっかり眠ってきたため、それほど睡魔《すいま》は強くない。
つらつらつら……。
どうでもいい計算を書き連《つら》ねてノートを閉じる。
一見したところやってあるように見えなくもない。
名付けて『何か書いてあればそれでよし作戦』だ!
「よし」
何がよしなんだか定かではないが彼は満足そうにそう呟《つぶや》くと薄い鞄《かばん》にノートを放り込んだ。
「最初からこうすりゃよかった」
森写歩朗は大きく伸《の》びをすると立ち上がり割合大きめに設置された窓へを歩み寄った。
目の前の大き目の窓に映る自分の姿を見つめる。
すこしたれ目のぼんやりした顔がこちらを見ていた。
自分でも情けなくなるほどぼんやりとした顔だった。
「う―――――ん。このままだと彼女いない歴が十八年になっちゃうな」
森写歩朗はにが笑いをしながら新鮮な空気を入れるために窓を開けた。
九月に入ったばかりの夜はまだまだむし暑かったが、アパートの八階ともなるとかなり涼《すず》しい風が吹いている。
森写歩朗は月明かりに照らされる町並を見つめながらもの思いにふけっていた。
とりたてて大したことは考えてはいない。
明日の昼飯は何にしようかな? そんなことだった。
コンビニのおにぎりか? はたまた購買でコロッケパンを買うか、甘納豆《あまなっとう》という手もあるな。
「ん?」
森写歩朗が不意《ふい》に怪訝《けげん》そうな顔つきで目を凝《こ》らす。
何か飛んでくる。それもすごいスピードで………。
闇夜《やみよ》のカラスとはよく言ったもので暗闇の中その黒い物体は全容を表しきっていなかった。
なんなんだろう?
森写歩朗は二、三度目を擦《こす》ると再び窓の外へ目をやった。
そいつはすぐ目の前まで来ていた。
叫び声を上げる暇《ひま》もなく、当然逃げる暇もない。
ドカァァァァァン。
森写歩朗《しんじゃぶろう》は窓から飛び込んできた謎《なぞ》の物体と見事に正面|衝突《しょうとつ》をしたのだった。
避《よ》けられない事故(?)だった。
後ろの壁《かべ》に叩《たた》きつけられる森写歩朗。全《すべ》ては一瞬《いっしゅん》の出来事だった。
「な、何だよ!」
森写歩朗は後頭部と背中に激痛を感じながら誰《だれ》にと言うことなく叫んだ。
彼にぶつかってきた未確認飛行物体は森写歩朗に覆《おお》い被《かぶ》さるようにしてその行動を停止している。
「これ、何?」
森写歩朗はその黒い物体をあらためて見つめた。
黒いローブに黒いフード。
森写歩朗が見る限りそれは人間だった。
ただしフードに隠れていて顔は見えない。
かなり小柄《こがら》だ。もしかしたら子供かもしれない。
しかし、この世に空を飛ぶ人間がいるという話は今まで一度として聞いたことがなかった。
間違いなく森写歩朗の上でうつ伏《ぶ》せになっているこの人間は夜の闇《やみ》を鳥のように、いやロケットのように飛んできたのだ。
「どういうこと?」
森写歩朗はまだまだ混乱し続ける頭を落ち着かせながら考えを蜘蛛《くも》の巣のように張り巡らした。
カオス状態の脳味噌はうまく作動してはくれない。
彼が納得《なっとく》いくような答えは出てはこなかった。当然と言えば当然である。
たとえカオス状態でなくともこの状況下できちんとした説明をつけることができる奴《やつ》はいないだろう。
「あぁぁぁぁ、もう!」
動くに動けず、森写歩朗は声をあらげた。
「ねえ、君。ねえ」
軽く肩を揺さぶるがぴくりともしない。
「あのさ、ねえ」
やはり反応はない。
「困ったな。どうしよう?」
タラリ。
その時、衝突の際顔面を打ったせいか、鼻血がせきを切ったかのように流れ出した。
慌《あわ》てて思い切り鼻をすすったが間に合わず、一雫《ひとしずく》の血液がぽかんと開かれた口へを流れ込む。
血液の生暖かい感触《かんしょく》が口の中へ広がった。
鉄分の味だ。
森写歩朗《しんじゃぶろう》は顔をゆがめこれ以上の出血を防ぐため上を向こうとしたその時、飛び込んできた謎《なぞ》の人物がむっくりと顔を上げた。
少女だった。まだ十五、六ぐらいであろう。
目を覆《おお》い隠《かく》すほどの長い髪《かみ》は見事な銀髪。
容姿《ようし》から見て日本人ではない。
そしてなんと少女は少し体を伸《の》ばし、森写歩朗の唇《くちびる》へ自分の唇を押しつけたのだった。
鼻血は流れる。少女はキス。
森写歩朗の小さな脳味噌の中でウサギさんと猫《ネコ》さんと豚《ブタ》さんがフォークダンスを踊り始める。
パニックを起こした森写歩朗は目を丸くして接触《せっしょく》しすぎる程接触した少女の顔を見つめた。
少し顔色が悪いがかなり可愛《かわい》い部類に入るだろう。
こんな娘にキスされてラッキーといえばラッキーかも、そんな考えが森写歩朗の頭に浮かんだ。
がその思いはすぐに、上からペンキをぶちまけられたように打ち消された。
森写歩朗は気付いたのだった。
少女のしているキスが、愛情のキスとは百億光年ほどかけ離れたものであることを。
少女は森写歩朗《しんじゃぶろう》の口内に充満する血液を必死になって舐《な》め取っているのだった。
そう、まるで吸血鬼《きゅうけつき》のように。
『○(有)?§★▼▽?(株)?±?¥=↑〒!!!!!!!!!!!』
森写歩朗は言葉に表すとこんな感じの恐怖《きょうふ》を感じて少女を振り払った。
「な、何するんだよ!」
森写歩朗は立ち上がると慌《あわ》てて少女との距離をあけた。
少女は小さな赤い舌《した》で自分の唇に付着した森写歩朗の血液を舐め取ると、すまなそうに森写歩朗を見つめた。
グリーンの瞳《ひとみ》が前髪《まえがみ》の隙間《すきま》から見えた。
「ソーリー」
少女の口から発せられたのは英語であった。
森写歩朗の脳細胞が拒絶《きょぜつ》反応を起こす。
森写歩朗は文系だが英語も苦手《にがて》だった。
今のが詫《わび》の言葉ということは理解したのだが、どう返事をかえしたらいいのか全く分からない。
森写歩朗は素直に混乱した。
「アイアム、ジャパン、ジャパン」
自分でも何を言っているのか分からず森写歩朗は必死にそう連呼《れんこ》した。
高校三年生として涙が出る程情けない英語力である。
だが少女に森写歩朗が英語が話せないことは伝わったのだろう。
少女は少し考えてから、
「ゴメンナサイ」
とかなり片言と思われるが完全な日本語で呟《つぶや》いた。
良かった。日本語分かるんだ。
と、安堵《あんど》の息を吐《は》き出すのも束《つか》の間《ま》のお茶の間劇場。
「アノ……」
少女が森写歩朗に近寄りながら呟く。
「血ヲ下サイ。少シデイインデス」
やっぱりそうくるか!
森写歩朗はさらに後退《あとずさ》りながら叫んだ。
「絶対いやだ」
「オ願イ」
「やだ」
「オ願イ」
「やだ」
少女は少しずつ距離を縮めている。
森写歩朗《しんじゃぶろう》も後退《あとずさ》ってはいるのだがいかんせん八|畳《じょう》の小さな部屋。しかもベッドがかなりのスペースを占めている。逃げ回るのも限界があった。
「痛クアリマセン」
「やだって言ったらやなの!」
少女の口元からは鋭《するど》い犬歯《けんし》が覗《のぞ》いている。
森写歩朗はますます恐《こわ》くなった。
と、森写歩朗の視界《しかい》から不意《ふい》に少女の姿が消えた。
「あれ?」
次の瞬間《しゅんかん》、森写歩朗は首筋に冷たい感触《かんしょく》を感じた。
少女の犬歯の当たる感触であった。
いつの間にか後ろへ回り込まれていたのだ。
「ギャ――――――」
森写歩朗は情けない叫び声を上げると渾身《こんしん》の力を振り絞って少女を突き飛ばした。
少女はベッドへと倒れ込む。
森写歩朗は机の上にあった二本のシャーペンを掴《つか》むとそれを十字《じゅうじ》にして少女へと向けた。
「どうだ!」
少女は苦しそうにもがくとすぐにぐったりとしてベッドに横たわった。
ただし、森写歩朗の作った十字架《じゅうじか》など見もせずにである。
「あれ?」
どうやら少女をぐったりさせた要因が十字架でないことを悟《さと》った森写歩朗はシャーペンを机に置いた。
とにかく危機はまぬがれたようだ。
「しかし」
森写歩朗は自分のベッドにうつ伏《ぶ》せになっている奇妙《きみょう》な訪問者をまじまじと観察した。
彼女の行動、言動、そして長く伸《の》びた犬歯、人間とは思えないスピード、そしてここ八階へ飛び込んできたことから考えて普通ではないことだけは確かだ。
森写歩朗の頭に浮かぶ単語はただ一つ。
「NA《ナ》SA《サ》で開発された人造人間………」
すぐに頭を振って馬鹿《ばか》な考えを吹き飛ばす。
「吸血鬼《きゅうけつき》………」
そう言われれば顔色も映画で見たように青白い。
しかし、現代に生きる彼にとってそのような常識外れなことはすんなり受けいられるものではなかった。
「そんなはずはないよな……でも飛んできたし、いやいくらなんでも吸血鬼《きゅうけつき》なんて馬鹿な話……でもなぁぁ」
そして最終的結論。
「どうしよう?」
森写歩朗《しんじゃぶろう》は思案《しあん》にくれながらおそるおそる少女に近寄った。
もちろん、護身用のとがった鉛筆を握《にぎ》り締めてである。
少女は眠っているようであった。
やはり可愛《かわい》い顔立ちである。
ドキッ。
こんな状況でもどきどきしてしまう自分が情けなくなり、森写歩朗は少女の顔から目をそらした。
「おや?」
視線を動かした矢先、森写歩朗は少女の背中にこびり付いている黒い物に気付き、眉《まゆ》をひそめた。黒いローブが保護色となり見えにくくなってはいるが確かに何かがこびりついている。
「なんだろ?」
森写歩朗は顔を近付けた。
「…………血だ…………」
そしてローブの裂《さ》け目《め》から見える少女の背中には、
「怪我《けが》してるんだ」
まるで鋭《するど》い爪《つめ》か何かで深くえぐられたような傷口であった。
森写歩朗は少女がなぜ倒れたのか理解した。
森写歩朗は頤《あご》に指を当てしばらく室内をうろうろうろつき回り、不意《ふい》に狂ったように机の引きだしを開け、そしてまた狂ったように引きだしを閉めると、二、三回腕立《うでた》て伏《ふ》せをしてから、困惑《こんわく》気味の表情で一言。
「どうしよう?」
かなり動転《どうてん》している様子だった。
救急車を呼ぶべきか?
はたしてそれがベストの選択なのだろうか?
普通の人間相手ならともかく少女は……。
人間? 自信ないなあ――。
森写歩朗は頭を抱え込んだ。
こんな時どうしたらいいのか? 部屋に散らかる教科書にものっているはずがない。
せめて父さんがいてくれたら。
森写歩朗《しんじゃぶろう》は生まれて初めて父親の早期帰宅を懇願《こんがん》した。
彼の父親はツアーコンダクター。
当然英語はペラペラである。
しかも思い立ったらそく行動、をモットーにしている男であった。
彼がこの場にいたならばなんらかの判断をすぐに下してくれるであろう。
もっとも、その判断がいつも余計《よけい》なトラブルを生み出すことになるのではあるが。
どうするべきか、どうするべきか。
森写歩朗は少ない脳味噌を時速百五十キロで回転させた。
『カラカラカラカラ』
空《から》回《まわ》りするだけであった。
「あぁぁぁぁ、もう。落ち着け。落ち着け。この女の子は怪我《けが》をしている。そんな時はどうすればいい?」
森写歩朗は自分に言い聞かせるように叫ぶと何か閃《ひらめ》いた様子で手を打ち、エイトマンでも追いつけない超《ちょう》スピードで部屋を飛び出した。
戻《もど》ってきた森写歩朗の手には、大きめの救急箱がぶら下がっていた。
さんざん考えた末の結論であった。
いい悪いはともかくとして。
「とにかく、手当てだ!」
少女のローブに手をかけた森写歩朗はその手を静止させた。
ひょっとして僕はいけないことをしようとしているのではないか?
無抵抗《むていこう》の少女の服を脱がす。はたから見なくてもいけないことであった。
「いいや、違う! これは手当だ! やましい気持ちなんてないぞ! 上着だけだし」
森写歩朗は言い訳がましくこの世のどこかにいるという理性と貞操《ていそう》の神に向かって叫ぶとローブを脱がせる作業に入った。
上からスッポリのローブである。
森写歩朗は少女をうつ伏《ぶ》せにしたまま器用《きよう》にローブをたくし上げた。
そして目を丸くした。
少女はノーブラだったのである。
森写歩朗は鼻の奥が熱くなるのを感じ後退《あとずさ》った。
彼女イナイ歴十七年と十ヶ月二十四日を更新中《こうしんちゅう》の彼にとってかなりのダメージを与えるものだった。
「危ない。もう少しでさんずの川を渡るところだったぜ」
森写歩朗は窓際に立ち、傷口だけに専念することをお空のお星様に誓《ちか》うと、再び少女に歩み寄った。
「すごい!」
少女の傷口を見た森写歩朗《しんじゃぶろう》は感嘆《かんたん》の声を上げた。
よく見るともう薄皮がはり始めているのだった。
傷のまわりにまだねとっこい血液が付着していることから、傷を付けられてからまだいくばくもたっていないことが窺《うかが》える。
それなのにこの薄皮である。
少女の異常な再生能力に驚きつつ、森写歩朗は消毒をすまし、そしてガーゼを貼《は》った。
「よし。こんなもんだろう」
少女のすらりとした背中に貼られたガーゼを森写歩朗は満足気に見下ろした。
後は服を元通りにしておしまい。
森写歩朗はたくし上げたローブをおろすため手を伸《の》ばしたその時……、
ごろん。
少女が寝返りをうった。
小振りながらしっかりと形づくられた美しいバストが森写歩朗の目の前に出現した。
少し手を伸ばせばその果実を掴《つか》むことができる。収穫祭だ!
そんな位置関係だった。
森写歩朗の頭が熱くなる。ついでに鼻の奥も同様に灼熱《しゃくねつ》する。
彼女イナイ歴十七年と十ヶ月二十四日の脳味噌は今にも富士山の大噴火《だいふんか》を起こしそうだった。
ドッカァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ。
推定三リットルの鼻血をぶちまけ、森写歩朗はのけ反《ぞ》り倒れた。
運悪くそんな時はかならず後ろに何かあるものと相場が決まっている。
森写歩朗の場合それは新品のCDラジカセであった。
ゴッツゥゥゥゥゥゥゥン。
後頭部|激《げき》打《だ》。
購入後一週間にしてCDラジカセは見事に大破した。
そして森写歩朗の意識も悠久《ゆうきゅう》のさい果ての深淵《しんえん》を転げ落ちていったのだった。
2
「フワ〜〜〜〜〜〜」
聞いているだけで眠気《ねむけ》が伝染しそうな森写歩朗の欠伸《あくび》である。
その欠伸に対して黒ぶち眼鏡《めがね》をかけた人の良さそうな学生がコーラの空缶《あきかん》をペコペコさせながら呆《あき》れたように言った。
「で、お前が欠伸してるわけはその吸血鬼《きゅうけつき》の手当をしていて寝るのが遅《おそ》くなった。って言うのか?」
「そうなんだ。西尾《にしお》」
「で、朝起きるとその吸血鬼《きゅうけつき》はいなくなっていた」
「ああ。壊《こわ》れたCDラジカセだけがあった」
西尾は鼻で笑うように、
「馬鹿《ばか》らしい。どうせ寝惚《ねぼ》けてたんだろ?」
「でもね、実際、鼻血の跡《あと》もあったし」
「スケベな夢でも見たんだろ。お前らしいよ」
そう言う西尾の顔には、お前の世迷《よま》い言《ごと》なんか聞いていられるか、とマジックの太字の方で書かれていた。
「そうかな――。フワ〜〜〜〜〜」
「顔洗ってこいよ!」
森写歩朗《しんじゃぶろう》の悪友…もとい親友の西尾はあきれ顔で言った。
ここは森写歩朗の通う飯波《いいなみ》高校。
長い長い授業が終わり楽しい楽しい放課後が始まるところである。
高校三年の九月ともなれば大学受験をする者にとってはこんな馬鹿げた会話をしている暇《ひま》などないであろうがこの二人はそれではなかった。
残り少ない学園生活を楽しめる立場にあるのである。
こうやって部室へ向かう姿がその証拠《しょうこ》であろう。
断っておくが二人は同じクラブではない。
ただ部室が隣《とな》りあっている。それだけのことだった。
「じゃあな」
西尾は軽く手を上げバイバイの意志を伝えると合唱部と書かれた扉《とびら》を開けて中へと入っていった。
「いいな〜〜」
森写歩朗はその豪華《ごうか》な扉をうらめしそうに眺めた。
ジト目というやつだ。
「隣はこんなにきれいなのに」
瞳《ひとみ》をスライドさせる。
「どうしてこっちは腐《くさ》ってるんだ?」
そこには、演劇部と書かれたぼろぼろの扉が申し訳なさそうにたたずんでいた。
隣といっても、比較的日の目を浴びる合唱部とは別の棟《むね》なのである。
何故《なぜ》、彼が演劇部なんかに所属しているのか?
それはいわゆる抱き合わせ販売であった。
いや、魚心《うおごころ》あれば水心である。
いや、千里の道も一歩からである。
全然違うなこの例え。
簡単に説明すると、高一から高二への進級の際かなり危なかった古典。
その古典を教えていた教師が演劇部の顧問であった。進級を懇願《こんがん》する森写歩朗《しんじゃぶろう》に古典教師は悪代官《あくだいかん》に小判煎餅《こばんせんべい》を渡す成美屋成左衛門《なるみやせいざえもん》のように顔を歪《ゆが》めて、
「入部すれば進級させてやる」
その結果がこの状況だということは説明するまでもない。
まあやってみれば何事も面白くなるものであり彼は彼なりにこの部活を楽しんでいた。
「こんちわ〜〜」
その腐《くさ》った部室へ元気よく踏《ふ》み込む。
せめて挨拶《あいさつ》だけでも新鮮でいかなくちゃ。
森写歩朗もいろいろ考えているのだ。
「あっ花丸先輩《はなまるせんぱい》」
散らかりきった部室の中には一人の少女が座っていた。
掃《は》き溜《だ》めに手乗りブンチョウ。
そんな比喩《ひゆ》がピッタリくるといったプリティコケチッシュな少女だった。
「あれ? 三石ちゃんだけ?」
「うん。みんな今日は都合《つごう》悪いって」
「みんなか………」
「みんな…」
「僕達合わせて、三人だよな」
「いいの」
三石と呼ばれた少女は意固地《いこじ》にそう言うと頬《ほお》を膨《ふく》らませた。
「それより三石ちゃん。ちょっと聞きたいんだけど」
森写歩朗はこのおかっぱの後輩《こうはい》がオカルト関係に詳《くわ》しいことを思い出した。
「吸血鬼《きゅうけつき》が十字架《じゅうじか》とかニンニクとか嫌《きら》うって本当のこと?」
「どうしたの? 花丸先輩《はなまるせんぱい》」
「いや、ちょっとね」
「珍《めずら》しいですね」
「興味を持ったんだ」
「そうですね〜」
三石は小首を傾《かし》げて、
「伝説ではそうなってますけど……私としてはニンニクはともかく十字架の方は信憑性《しんぴょうせい》ないと思うんですよ」
「それを言ったら吸血鬼《きゅうけつき》だって信憑性《しんぴょうせい》ないんじゃないの?」
「それを言ったら元も子もないでしょう先輩《せんぱい》。所詮《しょせん》中世に実在したドラキュラ伯爵《はくしゃく》の非情さを元にして作った想像の怪物《かいぶつ》だけどその知名度といったら世界一でしょ。例えばもし純粋に他の生物の血液を吸って生きる種族がいると考えたら彼らが十字架を恐《こわ》がるとは思えないですよ。ニンニクは嗅覚《きゅうかく》の関係からありえるかもしれないけど」
「相変わらずだな」
「好きなんです。こおいうの。でも本当どうしたんですか?」
まじまじと質問され森写歩朗《しんじゃぶろう》は言葉を詰まらせた。
「いや、そのね」
西尾《にしお》に馬鹿《ばか》にされた直後であの話をする気にもなれず森写歩朗は困った顔をした。
「あっ、分かった」
三石が声を張り上げる。
「花丸《はなまる》先輩! 脚本書こうとしてるんでしょう」
「えっ!」
「十月の演劇コンクール。今年は人数が少ないからなかなか合った台本がないって話してたでしょう。だから花丸先般三人でできる劇の脚本書くつもりなんでしょう?」
「そ〜ゆ〜わけじゃ」
「すごく楽しみ」
「いやだから」
「早く仕上げて見せてください。もうそろそろ練習始めないといけないから」
「違うん」
「良かった。これでコンクール辞退は免《まぬか》れる」
森写歩朗は場に流されたことを知った。
今更《いまさら》いくら騒《さわ》ごうがすでに下流まで来ている森写歩朗に勝ち目はない。
ま、いいか。どうせなんだかんだ言っても毎年|既成《きせい》の台本になるんだから。
森写歩朗はため息をつきつつそう思った。
そのいい加減《かげん》さがのちのちどえらいことになることを彼はまだ知らなかった。
3
部室でのくだらないおしゃべり。本屋での立ち読み。ゲームセンターでのしばしの格闘《かくとう》。ペットショップのウサギと会話。いつも通りの日課をこなし森写歩朗が帰路についたのはすでに六時半、あたりもだいぶ暗くなる頃《ころ》であった。
「レンコンの穴はいくつあるの〜〜〜。サボテンのとげはなん本あるの……」
彼の十八番であるレンコンとサボテンの曲≠口ずさみながら森写歩朗は今晩の夕食であるインスタントラーメンの入った袋を振り回している。
学校から家まで歩いて一時間というのは結構《けっこう》な距離だが別段《べつだん》苦しいと思ったことはなかった。
アパートの八階、エレベーターを使わないのも彼の日課である。
とんとんとんとん。
早すぎもせず遅《おそ》すぎもせず、そんなペースで駆《か》け上がるのがコツであった。
飛ばしすぎると貧血《ひんけつ》になり、のろのろすると余計《よけい》に疲《つか》れる。
この道十数年の彼だからできる見事なペース配分だった。
「到着〜〜〜〜」
軽く息を弾《はず》ませ、森写歩朗《しんじゃぶろう》は八階の我が家の扉《とびら》の前に立った。
財布から鍵《かぎ》を取り出し鍵穴に差し込む。鍵の開く軽い振動が伝わってきた。
「ただいま〜〜」
誰《だれ》も居ないのは分かっているがつい出てしまう言葉である。
「んっ?」
玄関へ足を踏《ふ》み入れた森写歩朗は鼻をクンクンとならした。
「この匂《にお》いは……」
玄関まで漂《ただよ》ってくるこの香りは間違いなくなにか旨《うま》いものの香りであった。
「そうか」
森写歩朗は頷《うなず》いた。
「父さんが帰ってきたんだ」
予定では帰国は来週のはずであるが多少早くなったり遅くなったりすることもないわけではない。父親もかなりいい加減《かげん》な性格なのだから。
「父さんが自分で料理するなんて珍《めずら》しいな」
家事は交代制であったが、父親の番の時は外食かほか弁《べん》と相場が決まっていたのだった。
「しかも、すごくおいしそうな匂いじゃないか」
森写歩朗は匂いにつられるようにしてフラフラと台所へと向かった。
「なんだろう? カレーかな? ハヤシライスかな?」
満面の笑みを浮かべながら森写歩朗はキッチンの扉を開けた。
「おかえり。父さん。何か作ってるの……………………!」
森写歩朗は絶句《ぜっく》し、そしてインスタントラーメンの入った袋をその場に落とした。
森写歩朗の言葉に振り向いた人物は彼の父親ではなく、昨晩のあの吸血鬼《きゅうけつき》少女だったのだった。
「おかえり。森写歩朗」
少女が鋭《するど》く尖《とが》った犬歯《けんし》を見せながらニッと笑った。
昨晩とはうってかわった流暢《りゅうちょう》な日本語だった。
森写歩朗《しんじゃぶろう》は、太平洋の真中でナマケモノでも見つけたような表情で少女を見つめることしかできなかった。
4
「どう? おいしいかな」
その見たこともないような料理はとてもおいしかった。
少女がこのようなおいしい料理を作れるとは信じられなかった。
しかし何より信じられないことは自分がものすごい貪欲でその料理を食べているという事実だった。
人間食欲と睡魔《すいま》には勝てないものなのだ。
「おいしいかな」
少女が森写歩朗の顔を覗《のぞ》き込む。
「ああ」
何はともあれ返事をしてしまう森写歩朗。とにかく場に流されやすい木の葉のような性格なのだ。
「良かった。私|味見《あじみ》できないから心配してたの。あ、名前、玄関の所に書いてあった森写歩朗でいいのよね」
「えっああ」
「森写歩朗。変わった名前」
少女はクスッと笑うと森写歩朗の向かい側のテーブルについた。
もちろん自分の前にはなんの料理も置かれてはいない。
「お代《か》わりあるから好きなだけ食べて」
「き、君はいいの?」
「私? 私はさっきすませてきたわ」
「そ、そう」
森写歩朗は背筋に冷たいものを感じながらスープを飲み干した。
「あのさ、君ってさこんなこと聞くとあれなんだけど」
一息ついた森写歩朗がオズオズと尋《たず》ねる。
「何?」
「きゅ、がつく人?」
「は?」
「だから、きゅ、がつく人?」
「きゅ?」
少女はしばらく考え込んでいたがすぐににっこりと微笑《ほほえ》んだ。
「吸血鬼《きゅうけつき》って言いたいの?」
「そんなことないよな。ハハハハハハハ」
「そうよ」
森写歩朗《しんじゃぶろう》の笑顔は硬直《こうちょく》した。
人間が液体|窒素《ちっそ》をかけられてもこうは見事に固まらないであろう。
「あなたの思ってるとおり、私は吸血鬼よ」
少女の瞳《ひとみ》が怪《あや》しく光る。
森写歩朗は立ち上がると一気《いっき》に後退《あとずさ》った。ゴキブリのように。
「どうしたの?」
「来るな!」
「何言ってるの?」
「近寄らないでくれ〜〜」
森写歩朗の必死の形相《ぎょうそう》に少女は悲しそうに目を伏《ふ》せた。
肩が小刻みに震《ふる》える。
「わぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん」
女の涙は最後の武器なのである。
少女が泣きだした途端《とたん》見えない力が森写歩朗を後ろへ突き飛ばした。
「ぐおっ」
そのまま壁《かべ》へ押しつけられる。足は床《ゆか》から離れたままだ。
「ぬぬぬぬぬぬ」
かなりの圧力に苦しむ森写歩朗《しんじゃぶろう》を見もせず、少女は速射砲《そくしゃほう》のごとく叫んだ。
「いついつもいつもいつもいつも、みんなみんなみんなみんなみんな。私達が何もしなくても、悪魔《あくま》の血族だとか呪《のろ》われた化物《ばけもの》とか言って嫌《きら》うんだ。確かに血を吸って生きてるけど、致死量《ちしりょう》は吸わないで献血《けんけつ》程度の量で我慢《がまん》してるのよ。それなのに、それなのに、私だって好きで吸血鬼《きゅうけつき》になったわけじゃないの。好きで血を吸って生きてるわけじゃないの。それなのにみんな私のこと知るとくいを心臓に打ち込もうとして………私はただ生きてるだけ、それだけなのよ!」
「分かった! 分かったから降ろしてくれ〜〜〜」
森写歩朗の悲痛の叫び声に気付いた少女はすぐに目を向ける。と同時に森写歩朗を拘束《こうそく》していた不可視《ふかし》の力が消滅した。
ドスン。
「いててて」
「ごめんなさい。森写歩朗」
少女は森写歩朗を抱き起こしながら、
「でも、あなたはそんな私を救ってくれたわ」
とはにかむように言った。
「えっ」
「私の傷を治療《ちりょう》してくれて、なおかつ自分から大量の血を提供してくれたわ」
前者には覚えがあったが後者にはない。
森写歩朗は首を傾《かし》げた。
「ベッドについた血もちゃんと掃除しといたから」
森写歩朗は気付いた。
あの鼻血だ!!
どうやらあの失神《しっしん》の際ぶちまけた鼻血が少女の糧《かて》となったらしい。言うまでもなく偶然《ぐうぜん》の産物だ。
「このディナーはそのお礼よ」
「そ、そう。それはありがとう」
「で、今日一日この家を掃除してて気が付いたんだけど」
「一日!」
「ええ」
少女は当然といった顔で頷《うなず》く。
「朝はいなかったよね?」
「いいえ、いたわ」
「でも」
「朝日に当たるといけないからクローゼットの中にいたの。私達ってすごく日に弱い体質だから」
「あっそ」
「で、一日かけて掃除して、もちろんカーテンは閉めてね。テレビで言葉を完全にして」
「一日で言葉が完璧《かんぺき》になったの!」
英語平均評定1・5の森写歩朗《しんじゃぶろう》には信じられないことだった。
「ハハ、私八十年くらい前日本に住んでたことがあったから。大体は覚えてたの」
「は、八十年!!」
森写歩朗は素《す》っ頓狂《とんきょう》な声を上げた。少女の年はどう見ても十五、六だ。
「君は一体幾《いく》つなの?」
「私、私は……」
少女は少し考えてから、
「百八十歳ぐらいかな?」
「百八十!!!!!」
森写歩朗の驚きの声を聞いた少女は不思議そうに尋《たず》ねた。
「どうしてそんなに驚くの?」
「だって、君どう見ても僕より年上には見えないから」
「当たり前でしょ。私が吸血鬼《きゅうけつき》になったのは十六の時だもの」
分からない世界だ。
「パパが人間だった私を娘にしたいと思って吸血鬼にしたの」
「ちょっと待って。君のお父さんは何だったの?」
「私の本当のパパは人間よ。でもパパは吸血鬼なの」
「わ、分からん」
「つまりね」
少女は立ち上がると昔話をするかのように語りだした。
「昔昔、ヨーロッパのある冬の夜の空を一人の吸血鬼が飛んでいました。男はとても長い時間をたった一人で生きてきました。そんな男の目に十六歳の少女が孤児院《こじいん》の前で倒れているのが飛び込んできました。少女は両親が死に最近この孤児院へやってきたのですが、意地悪な院長のイジメによってこの寒空の下そとへ放り出されてしまったのでした。男はすでに食事はすませてきたものの何か心に引っかかるものを感じ少女の側へ降り立ちました。男は凍《こご》えた少女を孤児院の中へ運ぼうとしました。しかし、少女は抵抗《ていこう》し、そして激しく咳《せ》き込《こ》みました。その時男は少女の命があとわずかであることを知りました。少女は重い重い病気だったのです。男は少女を救うため、そして自分の寂《さび》しさを紛《まぎ》らわすため、少女を自分と同じ血を持つ者にしました。そして少女はその男の娘となったのでした。男の名前はフロイデッド・アブソリュートゥ・アンキュサス・ブロード。そして少女の名はパテキュラリー・ジルコニア・ブロード。二人は仲良く暮らしました。おしまい」
「つまり、君はそのパンチラリー・ジルヤニアで」
「パテキュラリー・ジルコニア・ブロード。ジルって呼んで」
「つまりジルは、そのフロオケベッド・アブラカタブラ……」
「フロイデッド・アブソリュートゥ・アンキュサス・ブロード」
「そうそう、その人によって吸血鬼《きゅうけつき》になったっていうこと?」
「そうよ」
「どうやって?」
「う〜〜〜ん。話すと長くなるけど、一般的に言われてるちょっと噛《か》みつくだけでなるってのはウソよ。もしそうだったらこの世の中は吸血鬼だらけになっちゃうわ。詳《くわ》しい方法聞きたい?」
「いや、長くなるならいいよ」
森写歩朗《しんじゃぶろう》はそう答えてから思い出したかようにジルに尋《たず》ねた。
「で、君の」
「ジルって呼んでよ」
ジルが膨《ふく》れる。
「あゴメン。で、ジルのお父さんはどうしたの?」
「どっちの?」
「え〜と、フロオケの方」
ジルは森写歩朗の間違いを訂正《ていせい》もせず、遠い目をして言った。
「パパは…………死んだの」
「ごめん。すごいお年寄りだったんでしょ」
「確かにパパは私なんかの五、六倍は生きてたけど死因は老衰《ろうすい》なんかじゃないわ。私達は年をとらない。血液をちゃんと補給して、日光に気を付けてればほぼ永久に生きられるのよ」
「じゃあ」
森写歩朗がさらなる返事を求めるとジルは静かに呟《つぶや》いた。
「殺されたの」
「殺された!」
「ええ、六十年くらい前に。アメリカで。あいつらに殺されたの」
「あいつら?」
「吸血鬼《きゅうけつき》を捜《さが》し出しては滅《ほろ》ぼしていくハンター達。私達はそいつのことをブラックウイナーって呼んでるわ」
「人間なの?」
「分からない。全然分からないの。分かっているのはそいつらに目を付けられたらおしまいだってことだけ。どこへ逃げても必ず追いかけてくる」
「さっきみたいな力を使ってもだめなのか?」
「あいつらは普通じゃないの。まだ夜なら逃げ切れるかもしれないけど昼間だったら間違いなく殺されるわ」
ジルはそう言うと森写歩朗《しんじゃぶろう》に顔をグイッと近づけて懇願《こんがん》するような瞳《ひとみ》を向けた。
「お願い。私をしばらくの間かくまって!」
「ええっ!」
「私、ブラックウイナーに目を付けられてるの。昨日ももう少しで殺されるところだったわ。今日掃除しててここには森写歩朗しか住んでないって分かったからお願いするの。十分な力が蓄《たくわ》えられるまでの少しの間だけ。お願い。あなたしか頼れる人がいないの」
あなたしか頼れる人がいないの!!
一度は聞いてみたいセリフだった。
しかしこんな形で言われようとは想像してもいなかった。
「そう言われても……」
森写歩朗は言葉を濁《にご》した。
「来週、父さんが帰ってくるんだ」
「一人|暮《ぐ》らしじゃないの?」
「ジルが間違えたのもしょうがないよ。服も二人で共有してるからタンスも一つしかないし、寝る時もそこのソファーを使ってるからベッドもないし……」
森写歩朗の言葉にジルは意気|消沈《しょうちん》した様子で肩を落とした。
「森写歩朗のダディが帰ってくるの……ハハ。私なんかいたら大変よね。ごめんね。変なこと言って」
ジルは力なく笑うと窓へと向かった。
「どこ行くの?」
「夜のうちに新しいねぐらを探さないとね。いろいろありがとう。森写歩朗」
「ジル」
「ちゃんとパンツは洗濯《せんたく》したほうがいいよ。じゃね。バイバイ」
ジルは窓を開けるとその桟《さん》に足をかけた。
森写歩朗は黙《だま》ってそれを見ていた。
厄介事《やっかいごと》から開放される。
恐怖《きょうふ》から開放される。
しかしなぜかしっくりこないものがあった。
彼の優《やさ》しすぎる良心かもしれないし、はたまた目の前の吸血鬼《きゅうけつき》に同情の念を覚えたにすぎなかったのかもしれないが……。
ここでジルをほっておくことは彼にはできなかった。
頭の中でいろいろな感情が飛び交い、
「ジル」
無意識のうちに森写歩朗《しんじゃぶろう》はその名を呼んでいた。
「何?」
今まさに飛び立とうとしていたジルが振り返る。
「どうしたの?森写歩朗」
「あのさ」
後悔《こうかい》の念もかなりあったが、森写歩朗は軽く息を吸いこむと、
「いいよ」
「えっ」
「いいよ。ここにいても」
「でも、森写歩朗のダディが」
「父さんなら大丈夫。簡単に誤魔化《ごまか》せるよ」
「本当に、いいの?」
ジルが確かめるように聞いた。
「ああ。ただし一つ約束してほしいんだけど……」
「何?」
森写歩朗は頬《ほお》を掻《か》いてからジルから目をそらし囁《ささや》くようにして言った。
「僕の血を、吸わないで」
「森写歩朗!」
ジルは森写歩朗に飛びかかった。
いきなり約束を破ったわけではない。
ジルは森写歩朗を抱擁《ほうよう》するために飛んだのだった。
「森写歩朗」
ジルに抱きしめられた森写歩朗はまんざらでもない顔をしていたがすぐに、
「く、苦しい」
「森写歩朗」
「は、放して…」
「森写歩朗」
「ギ、ギブアップ」
森写歩朗《しんじゃぶろう》の意識はゆっくりと薄れていった。
こうして、花丸家《はなまるけ》に奇妙《きみょう》な居候《いそうろう》が誕生したのだった。
第二章 居候はお静かに
1
ジルが居候《いそうろう》し始めてから早くも三日が過ぎていった。
朝食だけは彼女の悲しい体質上作ることはできなかったが、夕食は森写歩朗《しんじゃぶろう》が今まで食べたことがないようなデリシャスな料理を作りその腕前を披露《ひろう》していた。
森写歩朗は名前も知らないような数々の料理を前に涙を流した。
そして毎晩十二時ぐらいになると食事をしに、つまり血を吸うために窓から飛び立っていく。
彼女に言わせると自分はかなりグルメな方で若い処女《しょじょ》の血液しか飲まないそうだ。もっともそれがどんな味なのか森写歩朗には知るよしはなかったが。どうりで時間がかかるわけである。
それでも何とか夜が明ける前に戻《もど》り、森写歩朗の部屋のクローゼットを少し整頓《せいとん》したベッドで眠りにつく。
これが彼女の一日だった。
さて森写歩朗《しんじゃぶろう》はどうしているかというと、ジルの存在にも慣れ恐怖心《きょうふしん》もうすれ本来なら寂《さび》しいはずの帰宅後の時間をすっかり打ち解けたジルとのおしゃべりで費《つい》やしていた。
そして知ったことは、伝説は信憑性《しんぴょうせい》が薄い、ということであった。
ジルは鏡にしっかりと映っていた。
伝説では吸血鬼《きゅうけつき》は鏡には映らないとされている。
よく考えたら実体のある物が鏡に映らないわけがないのだが伝説に文句《もんく》を言っても始まらない。
さらに十字架《じゅうじか》を恐《こわ》がるというのも嘘《うそ》。ジルはヨーロッパにいた頃《ころ》、彼女を吸血鬼にした父親と共に夜の礼拝《れいはい》にいっていたという話である。
しかし、吸血鬼が協会で祈《いの》っている姿なんて誰《だれ》が想像するだろうか?
おそらく誰も想像しないだろう。
あくまで伝説上は悪魔《あくま》の血族として神にあらがう姿を描かれ続けてきたのだ。
唯一《ゆいいつ》近かったのはニンニク。
なまじ能力が優《すぐ》れているため嗅覚《きゅうかく》も常人《じょうじん》のそれとはケタ外れに鋭《するど》い吸血鬼は当然嫌《きら》いな香りもしっかりと嗅《か》ぎつける。
ジルはピーマンに弱かった。
一度森写歩朗がピーマンの千切り入りサラダを食べてきた時はその日一日近よらないほどであった。
さらにこうもりになったり霧《きり》になったりするというのも全部嘘。
一度変身シーンを見てみたいとジルに頼んだところ、そんなことできるわけないでしょと一笑に付されたのだった。
伝説とは眉唾物《まゆつばもの》であることを森写歩朗は痛感した。
2
「とうとう明日《あした》父さんが帰ってくる」
シャレではない。
森写歩朗は夕飯を食べながら、いつものようにその様子をじっと見つめているジルに話しかけた。
ピンクのエプロンを身につけすっかり若奥様といった様子のジルは思い出したかのように、
「森写歩朗のダディが!」
「そう。明日の夜にね」
「やっぱり私出ていった方が」
「気にしなくてもいいよ。しかし問題は君のことをどう説明するかという点だ」
森写歩朗は食べるのを一時中断すると腕を組んで考えこんだ。
決してこれまで何も考えなかったわけではない。
彼は彼なりに少ない脳味噌で試行錯誤《しこうさくご》していたのだ。
「父さんのことだから何言っても信用するとは思うけど……」
「こういう時はどんな言い訳があるの?」
森写歩朗《しんじゃぶろう》はジルの問いに軽く微笑《ほほえ》んで
「いろいろあるよ。例えば、友達が泊《と》まりにきてるとか…………ちょっと無理《むり》かな。駅前で知り合った外人さんを泊めている…………きついな〜〜。ウ〜〜ン」
森写歩朗は少ない脳味噌をフル回転させた。
「君は女、そして外人……」
「恋人ってのは」
ジルの言葉に森写歩朗は赤くなり慌《あわ》てて
「ば、馬鹿《ばか》。そんな演技僕はできないよ」
「演技じゃなきゃいいのよ」
ジルはニコニコしている。
「どーゆーこと?」
「つまり、あなたが本当に私のことを好きになればいいのよ」
「はっ?」
「そして私も森写歩朗のことが好きになれば、すべてOK]
「何がすべてOKだよ。そんなにうまくいくわけないだろ」
顔を赤くしながらご飯をかきこんだ森写歩朗は突然《とつぜん》立ち上がった。
「ほふは(そうだ)」
「何?」
「ひひはんはへはふはんは」
「何言ってるのか分からないわ」
森写歩朗はなんとか飲み下すと満面の笑みを浮かべて言った。
「ホームステイだよ」
「ホームステイ?」
「そう、君はここにホームステイにきてるってことにするんだよ」
「でも」
「心配いらない。父さんは細《こま》かいことは気にしない人だから絶対信じるよ。後は君がまだ日本語がよく話せない外国人を演じてくれれば問題ない」
「朝はどうすればいいの?」
「そうか、学校行かないとおかしいかな。でも父さん起きるの九時ごろだからずっとクローゼットの中にいれば大丈夫だよ。夜の食事は一度ベッドに入ったふりをしてから飛んでけばばれないだろう。よし忘れないうちに倉庫から簡易《かんい》ベッドを出しておこう」
「私は恋人の方がやりやすいわ」
「僕はジルと違ってそーゆー演技は苦手《にがて》なの。よし、これで問題はない」
森写歩朗《しんじゃぶろう》は再び旺盛《おうせい》な食欲を見せ始めた。
「じゃあヨーロッパの出身は、チベットってことにしようか」
「チベットはヨーロッパじゃないわ」
「そうだっけ。地理あんまし得意《とくい》じゃないんだ」
「私の出身はイギリス。それでいい?」
「うん」
「後は適当につたない日本語でいえばいいのね」
「あっ父さんはこれだから」
「森写歩朗は口の前で二、三度手を動かし英語が話せることを伝えた。
「ツアーコンダクターやってるんだ」
「へ〜〜〜ということはあんまり出鱈目《でたらめ》も言えないわね」
「そこんところは君に任せるよ。君の長い人生で培《つちか》った知識でうまく誤魔化《ごまか》してちょうだい」
「やってはみるけど……大丈夫かな」
「大丈夫だよ。何度も言うようだけど父さんは僕と違って結構《けっこう》いい加減《かげん》な性格だから」
「OK。わかったわ」
ジルは笑顔をとり戻《もど》すとからっぽとなった森写歩朗の茶碗《ちゃわん》にお茶を注ぎこんだ。
3
「じゃあ、父さんが帰ってくるまでには帰るから」
森写歩朗は欠伸《あくび》をしながらクローゼットへそう話しかけた。
クローゼットの中には日に弱いジルが眠っているのである。
トントントン。
了解《りょうかい》の合図《あいず》が返される。
森写歩朗は満足そうに微笑《ほほえ》むとアパートを出た。
朝七時半。始業時間までギリギリ間に合う出発時間である。
森写歩朗は鼻歌なんぞ歌いながら階段を下りていった。
ちょうど階段を下り切った時、
「花丸《はなまる》さん」
後ろから呼び止められた森写歩朗は誰《だれ》が見ても明らかな嫌悪《けんお》の表情を見せた。
彼の記憶が確かならばこのカエルが潰《つぶ》れたような声はこのアパートの主、大家《おおや》のオバタリアンのものであった。
ゆっくりと振り向く。
大正解のピンパカパンであった。
「おはようございます。大家《おおや》さん」
一応丁寧《いちおうていねい》にあいさつをする。
このアパートでは大家が法律、大家が大統領、そして大家が私生活監督管理職and死刑|執行人《しっこうにん》、つまりさからえない存在だということだ。
「家賃はちょっとまってくれませんか。今日父さんが帰ってくるんで」
先日とりたてられたことを思い出し森写歩朗《しんじゃぶろう》は愛想《あいそ》笑いを浮かべた。
「ええ、それは聞いています。それより花丸《はなまる》さん」
シーラカンスのような顔をした大家は森写歩朗をジロッと睨《にら》み上げ、
「このアパートの規則はしってますよね」
とティラノサウルスでも吐《は》き気《け》を催《もよお》すような意地悪い声で言った。
「規則?」
森写歩朗は首を傾《かし》げた。
「動物は飼ってはいけないこと」
「もちろん知ってますよ」
「最近、花丸さんとこの窓から夜大きな鳥が出ていくのを見るって話があるんですけどね」
「鳥!」
「ええ」
ひょっとしてジル? いやひょっとしなくてもジルだ。
「まさか鳥を飼ってるなんてことは」
大家の言葉に森写歩朗は青くなった。
「今までにもいたんですよ秘密でペットを飼う人が、もちろんすぐに出ていってもらいましたがね」
「ハハハ、何言ってるんですか大家さん。鳥なんか飼ってるわけないでしょう。きっと何かの見間違いですよ」
嘘《うそ》は言っていない。鳥などいないのだ。本当は吸血鬼《きゅうけつき》。
しかし彼の頬《ほお》には冷たい汗の雫《しずく》が。
「本当ですか」
「本当ですよ」
「本当ですか」
「本当ですよ。それじゃ僕|遅《おく》れちゃうんで」
さっさと切り抜けるべし。
そう判断した森写歩朗は軽く頭をさげると足早に大家の前から立ち去った。
「今度確かめに伺《うかが》わせて戴《いただき》きますよ」
大家《おおや》の声が森写歩朗《しんじゃぶろう》の耳にかすかに届く。
「かまいませんよ」
森写歩朗はそう叫ぶと顔をしかめながらアパートの門を出ていった。
4
キーンコーンカーンコーン。
強引《ごういん》でいささか恐縮《きょうしゅく》ではあるが勘弁《かんべん》してもらいたい。
いきなり放課後である。
ここは半分|腐《くさ》っている演劇部の部室。
可愛《かわい》い後輩《こうはい》の三石秋子《みついしあきこ》が一人本を読んでいた。
タイトルは、『血統書《けっとうしょ》つきの畜生《ちくしょう》』、ごく普通のライトファンタジーである。
彼女は本を閉じるとうっとりとした目で腐った天井《てんじょう》を見上げた。
その瞳《ひとみ》には星なんかが浮かんじゃったりしている。
「いいな」
どうやら小説の世界にトリップしてしまったようだ。
「私もいつか狼男《おおかみおとこ》の恋人がほしいな」
残念だがそれはおそらく不可能であろう。
ちなみに狼のような男だったらそこらじゅうにいるだろうが。
そのまま地球|滅亡《めつぼう》の日まで延々《えんえん》と続くと思われた彼女の妄想《もうそう》タイムはすぐに中断された。
部室の扉《とびら》が勢いよく開けられたのだった。
「こんにちは。三石ちゃん」
入ってきたのはどんな睡眠《すいみん》不足の男でも一発で目の覚めるような美人。意外《いがい》なことに演劇部員なのである。
「あっ、倉地先輩《くらちせんぱい》」
三石は元気な笑顔をその美人、倉地|香《かおり》に向けた。
数少ない演劇部員三人衆最後の一人である。
「あれ、トーマスは?」
倉地は室内を一瞥《いちべつ》すると三石にそう尋《たず》ねた。
トーマス。倉地が森写歩朗につけたあだなである。
ただ森写歩朗の雰囲気《ふんいき》が機関車トーマスのそれと似ているというだけの理由であった。
「花丸《はなまる》先輩なら今日用事があるから補修終わったら帰るって」
その言葉を聞いた途端《とたん》倉地の顔が険悪《けんあく》なものへと変わった。
「許せない」
「えっ?」
「せっかく私がオニューの服着てきたのに」
「あの」
「帰らせるもんですか」
「倉地先輩《くらちせんぱい》」
「まだ補修終わってないよね?」
「ええ、まだ」
「連れてくるわ」
倉地はそう言うと立ち上がり憤然《ふんぜん》として部室を出ていった。
「花丸《はなまる》先輩、大丈夫かな?」
やさしい三石《みついし》は哀《あわ》れな森写歩朗《しんじゃぶろう》のことを思いやった。
倉地はこの高校の名物のような美人だった。
彼女が廊下《ろうか》を歩くだけで数十人の男子生徒がまえかがみになると言われている。さらに下駄箱《げたばこ》にラブレターが入ってない日がないとまで言われている。本人公認のファンクラブまで存在していた。
そして美人にありがちな傾向として倉地もやはりプライドがチョモランマのように恐《おそ》ろしく高かった。
自分こそが一番。
そんな思いが常にあった。
男は皆私の思い通り。
私が頼めば何でもしてくれる。
思わず殴《なぐ》りつけたくなるようなことを当然のことと思い続けていた倉地はある日敗北という二文字を知った。
ザマアミロ!
森写歩朗である。
あれは今から半年程前、新春の風が心地よく吹く頃《ころ》のことじゃった。
その日倉地は隣《となり》のクラスでそれなりに面識《めんしき》のあった森写歩朗にこう尋《たず》ねたそうな。
「ねえ、花丸君。今日の私の服、どう思う?」
完全に決めたコーディネート。絶賛《ぜっさん》を予想しての問いかけだった……のだが。
森写歩朗はポカンとした顔で答えた。
「どう思うって。いつものとどこか違うの?」
倉地にとってそれは生まれて始めての敗北だった。
そしてこのままで終わらすには彼女のプライドはあまりに高すぎたのだった。
次の日、倉地は演劇部に入部した。
動機は森写歩朗に自分の価値をみとめさせるためだけである。
その日から倉地《くらち》対|森写歩朗《しんじゃぶろう》の激しいバトルの日々が始まった。
そして早くも半年が過ぎたのだった。
「痛い痛い痛い痛い」
数分後倉地に耳を引っ張られた森写歩朗が登場した。
本当に耳を引っ張られている。
傍目《はため》から見ても倉地がかなりの力を入れているのが分かる。
手加減《てかげん》無用の扱いだ。
「痛い痛い倉地さん」
「トーマスが抵抗《ていこう》するのがいけないのよ」
倉地は平然といた顔でそう言うと、森写歩朗を固いソファーに放り出し、その前でオニューの服が一番|際立《きわだ》つポーズを決めた。
「さ、どう思う」
森写歩朗は考えた。
思えばこの半年いつもいつもこのパターンでひどい目にあっている。
ある時は殴《なぐ》られ、
ある時は叩《たた》かれ、
ある時は蹴《け》り飛ばされ、
思い出せば出すほど体の古傷が痛み出す。
当然のことながら倉地《くらち》のオニューの服などに気付いてはいない。
しかし彼も彼なりに成長していたのだった。
「うわー。すごくいいよ倉地さん」
森写歩朗《しんじゃぶろう》は心にもないおべんちゃらを並べた。
「分かる? やっと分かるようになったようね」
倉地はプライドが満たされた笑顔を見せた。しかし、
「床屋《とこや》行ったんだね」
倉地の顔が般若《はんにゃ》の形相《ぎょうそう》へと変わった。
これから起こる戦慄《せんりつ》の宴《うたげ》を予感した三石《みついし》は哀《あわ》れな森写歩朗に向けて静かに合掌《がっしょう》する。
「ギェェェェェェェェ」
今日もまた森写歩朗の叫び声があたりに木霊《こだま》することになった。
「じゃあ、コンクールどうするか考えましょう」
倉地の言葉を森写歩朗は三石の手当をうけながら聞いた
全治二週間はかかりそうはひどい引《ひ》っ掻《か》き傷だった。
「花丸先輩《はなまるせんぱい》。服が新品なの気が付かなかったんですか?」
「そんなの知らないよ」
「こらトーマス。部長の話はきちんと聞くように」
倉地に怒鳴《どな》られた森写歩朗は頬《ほお》の引っ掻き傷を抑えながら首をすくめた。
「三石ちゃんの話だとトーマスが書いてるんだって」
「へっ、何を?」
キョトンとした顔で聞き返す。
「脚本」
「あっ」
「そうなんですよ。吸血鬼《きゅうけつき》が出てくるお話らしいですよ」
「いやそれは」
「トーマスの脚本ね、どうせろくな物じゃないとは思うけど見せて」
なんだか妙《みょう》な話になっているようだ。
森写歩朗は少しだけの危機感を覚えた。
ここいらでハッキリしておかないといけないだろう。
「あのさ」
「何? トーマス」
森写歩朗《しんじゃぶろう》はばつがわるそうに、
「やっぱ書けないよ」
「なんですって」
倉地《くらち》が声を張り上げた。
「とうするのよ。トーマスが書くって言うからもう創作《そうさく》やりますって言っちゃったのよ」
僕は書くなんて言ってないぞ。
森写歩朗はそう言いたかったがそう言った場合の倉地のアイアンクローはあまりにも恐《おそ》ろしすぎた。
「でも」
「でももくそもへったくれもない。とにかく今週中に持ってきなさいよ」
「そう言われても」
「先輩《せんぱい》。心配しなくてもいいですよ。おかしいところはみんなで手直ししますから」
「そうじゃないんだ」
「つべこべ言わない」
「だから」
「ぶつくさ言わない」
「あのさ」
「くどくど言わない」
取り付く島がない。
海に放り出されてはや数時間もう泳げないというのに身を休める島がないという意味。
森写歩朗の場合、島どころか取り付く板切れも取り付くとび魚も取り付く霊媒師《れいばいし》すらいなかった。
口は災《わざわ》いの元。
森写歩朗の頭でその言葉がフヨフヨと浮かんだ。
さて、一方そのころジルはジルで災難が近寄っていたのであった。
大家《おおや》のオバタリアンが森写歩朗宅へその魔手《ましゅ》を伸《の》ばし初めていたのだった。
今度確かめに伺《うかが》わせて戴《いただ》きます。
今度は今度だ。たとえ同じ日でもいいのだ。
大家は森写歩朗宅にペットがいないかを見るため、そして自らの知的探求心を満喫《まんきつ》させるため鍵穴《かぎあな》にスペアキーを差し込んだ。
この時間に誰《だれ》もいないのを知っての行為、いや犯行《はんこう》だ。
「家捜《やさが》しは〜〜〜大家のお仕事」
とんでもない自作の歌を歌いながらドアを開けて中へとその身をすべりこませた。
「なんだか薄暗いね」
カーテンが締め切ってあるせいか室内はまるで夜のようだ。
「カビがふきそうだよ」
大家が玄関の電球をつけようとした時だった。
「森写歩朗《しんじゃぶろう》?」
ジルが欠伸《あくび》をしながら出てきたのだった。
二人は顔を見合わせた。
片方はしまったといった顔。もう片方は対照的にいいもんみっけたの好奇心バリバリの顔。
お分かりであろう。前者はジル。後者は大家《おおや》である。
「あの、どなたですか?」
「大家です」
「ここの?」
「はい」
「あの家賃のことは森写歩朗が帰ってこないと」
「いえいえ家賃のことじゃないのよ」
カエルをみつけた蛇《へび》のごとく大家はジルの頭のてっぺんから足のつま先まで舐《な》めるように見つめた。
「あの」
「あなた外人さん?」
「ええ」
「へ〜〜」
大家は猫《ねこ》なで声でいやらしい笑みを浮かべる。
「あの、なんの御用ですか? 出来れば森写歩朗のいる時に」
「いやちょっとね」
「なんですか?」
「森写歩朗か、そーゆーことなのね」
「あの」
「あらごめんなさい。失礼するわ」
大家は他人のゴシップを見つけて嬉《うれ》しくてしょうがないといった表情でぐふぐふ笑いながら出ていった。
この手のおばさんがろくなことを考えないのはいずこも昔も変わらない。
「ちょっとまずかったかな」
ジルが顔をしかめた。
事実それはとてもまずかった。
「あら、石井《いしい》さんとこの奥さん。知ってらした? 花丸《はなまる》さんとこの森写歩朗《しんじゃぶろう》君外人と同棲《どうせい》してますのよ。いくら父親がいない時だっていっても最近の若い子はすごいわね。もちろん私も大家《おおや》としてほっとくわけにはいかないからさっきその外人の娘に会いに行ったら森写歩朗森写歩朗ってそりゃあもうお熱いのなんの。やっぱり母親が誰《だれ》だか分からないような子はしょうがないわね。そうよね。悪影響を受けないように気をつけなくちゃね。そうそう今日花丸さん帰ってくるらしいからちゃんと知らせてあげなくちゃ」
以後、十数件に同じことを言って回る。
この数時間後にはジルの存在がアパート中に広まっていたのだった。
5
「ん〜〜〜アイラブジャパン。ユーラブジャパン。おうマイサンはどうしてるかな?」
妙《みょう》な言葉をのたうち回りまがらステップを踏《ふ》んでいるこの男。
「ランランランラリラリラン」
アロハシャツにサングラス。白髪《しらが》混じりの頭を左右に振りながらそのヒョロリとした長身でアロハダンスなんぞを踊《おど》っている。
当然人の目などおかまいなしだ。
「おみやげたっぷり借金たっぷりきっと明日《あした》はホームラン」
言わなくてもお分かりであろう。
彼こそが森写歩朗の実父、花丸|辰太郎《たつたろう》その人なのであった。
辰太郎はひさしぶりの我が家へ向けてうきうきした足取りで階段を上がっていった。
「あら花丸さん」
「どうも、石井さん」
「花丸さん今日お帰り」
「ええハワイからの生還《せいかん》ですよ」
「その格好《かっこう》見てアラスカっていう人はいないわよね」
「はは、明日あたり荷物が届くんで大したもんじゃないけどおみやげ持って行きますよ」
「いつもすいませんね」
「いえいえ。どうせ一個五ドル程度のチョコレートですから」
「ありがたくいただきますわ。ところで花丸さん。お聞きになりました?」
「えっ? 何をです」
「森写歩朗君のことで」
「愚息《ぐそく》がなにかしたんですか」
「ということはまだ聞いてないのね」
石井さんとこの奥さんは軽くガッツポーズを決めた。
「大したことじゃないんですけど。実は……」
一時間後、森写歩朗宅《しんじゃぶろうたく》の前でうろうろする大家《おおや》の前へ辰太朗《たつたろう》が少々グロッキーになった様子で現れた。
「花丸《はなまる》さん」
「どうも、大家さん。家賃なら明日《あした》」
「いえいえ家賃のことなんてどうでもいいのよ。それより大変なんです」
「何が?」
「もう大変なんです。大変なんです。ああどうしましょう」
「早く言ってくださいよ」
「ああ驚いて心臓|発作《ほっさ》をおこさないように気を付けてください」
「大丈夫ですよ。心臓は強い方ですから」
「分かりました。そこまで言うのでしたら教えましょう」
「聞きましょう」
「実は森写歩朗君のことなんですが」
「聞きました」
「へっ」
「愚息《ぐそく》のことなら聞きましたよ」
「誰《だれ》に?」
「石井《いしい》さんとこの奥さんに斉藤《さいとう》さんとこの奥さんに山崎《やまざき》さんとこの奥さんにそれから」
辰太郎は指折り数えた。
「じゃあ知っていますの?」
「ええ」
「そんな」
大家は氷河期《ひょうがき》のマンモスの表情を見せる。
この種の人間にとっては他人の秘密をあばきそしてそれを告《つ》げることこそが最大の楽しみなのだ。
実際、傍迷惑《はためいわく》な奴《やつ》らである。
「さてと、なんでも悪徳《あくとく》不動産の社長を刺し殺して逃亡してたところを愚息が新宿《しんじゅく》の歌舞伎町《かぶきちょう》でみつけてそのまま家へ連れてきて妊娠《にんしん》させたというイギリス皇室の親戚《しんせき》のブラジル育ちのフランス人のおかまさんに会うとするかな」
尾ひれどころか背びれ胸びれまで付きまくっている。
そのまま滝《たき》でも登っていきそうな勢いだ。
第一この世に妊娠したオカマさんなるものが存在するのであろうか?
おそらくテレビドラマの見過ぎであろう。
主婦のネットワークは伝達は早いが信憑性《しんぴょうせい》におおきくかけることを覚えておいてもらいたい。
呆然《ぼうぜん》と立ち尽くす大家《おおや》をそのままにして辰太郎《たつたろう》はドアの鍵穴《かぎあな》に鍵をさしこんだ。
ジ――――――――――(熱い視線の音)。
「なんですか? 大家さん」
「いえ、ちょっといいドアだと思って。ほほ」
オバタリアンはそう言うと名残惜《なごりお》しそうに扉を見つめながら後退《あとずさ》っていった。さっさと帰ると思いきや近くの消火器の陰《かげ》にその身を隠《かく》す。
さらに情報を仕入れようとするおそろしいまでの執念《しゅうねん》であった。
辰太郎は消火器の陰からはみでる肉の塊《かたまり》を見ながら嘆息した。
あれで見つかってないつもりだったら国民|栄誉賞《えいよしょう》ものだな。
辰太郎は鍵を開けると扉を開け中へと入っていった。
6
「やれやれ」
珍《めずら》しく森写歩朗《しんじゃぶろう》が重い息を吐《は》いている。結局来週までに脚本しあげてこいとのお達しだ。
守れなければ、お代官様のきついお裁《さば》きがある。
『お代官様。おらんとこの脳味噌にはそんは力ありませんや』
『ならぬならぬ。来週までに一本仕上げてこなくばそのカスの詰まった頭に厳《きび》しい沙汰《さた》があると思え』
『お代官様』
第三者の声『ホーッホッホッホッホ』
『誰《だれ》だ?』
『ワシは越後《えちご》のちりめんじゃこ問屋《とんや》の隠居《いんきょ》でミツエモンと申す者じゃ。これは連れの伸《の》びた君』
『肛門様《こうもんさま》ぁ。お助けくだせえ』
『ホッホッホッホホ。印籠《いんろう》を出す前からそう言われるとちとムッとくるの。しかも黄門《こうもん》の字を間違っておる。さらばじゃ』
『肛門さまぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ』
無力な農民森写歩朗は代官の言う通りにするしかなかった。
「まいったなー」
森写歩朗は鞄《かばん》の中に放り込んだレポート用紙の存在をまるで鉄の塊のように感じた。
「書けっていわれても」
アイデアはない。
才能もない。
そして何よりやる気がない。
ないない三拍子《さんびょうし》だ。
手拍子すら叩《たた》きたくなってくる。
しかし書かなくては倉地《くらち》のアイアンクローが炸裂《さくれつ》してさんずの川を渡ることになるのは明白だった。
「適当にすましとくしかないか」
最終的結論にたどり着いた森写歩朗《しんじゃぶろう》は気を取り直すと自宅への階段を上り始めた。
部室でのすったもんだのおかげですっかり遅《おそ》くなった。
もう父さんが帰ってきてるかもしれないな。
森写歩朗は少しピッチを上げながら階段を上り切った。
ノブに手をかける。
鍵《かぎ》はかかっていない。
ジルだけの時には鍵をかけろといってあることから父親が帰ってきている可能性が高かった。
「ただいま〜」
森写歩朗が声を張り上げる。
とキッチンの方から二人の楽しげな笑い声が聞こえてきた。
片方はジル。もう片方は…………。
「父さん」
森写歩朗はホッと胸をなで下ろした。
あの笑い声から推測するにどうやらうまくいったようだ。
「父さんお帰り」
森写歩朗はキッチンへと足を進めた」
「おう森写歩朗か。お帰り」
辰太郎《たつたろう》は湯上がりのパジャマ姿でジルにビールを注がれている。
久しぶりの父親はやはり無責任そうな面《つら》の皮を張りつけていた。
「森写歩朗、お帰り」
「ただいま。ジル」
「おいおい森写歩朗。聞いたぜ」
「何を?」
「ジルさんのことだよ」
「ああ」
森写歩朗は軽く笑ってから、
「突然《とつぜん》のことで驚いたと思うけどそうなったんだ」
「しかしな――」
辰太郎《たつたろう》はニヤニヤ笑いながら、
「お前もいつの間にか大人《おとな》になってたんだな」
ん?
森写歩朗《しんじゃぶろう》は首を傾《かし》げた。
どうしてホームステイをさせることが大人になることなんだろう。
「しかしおかまさんでなくてよかった。ったく、おばさん連中はめちゃくちゃ言いやがる。でもまあこんな可愛《かわい》いお嬢《じょう》ちゃんならたとえ殺人犯だろうがブラジル育ちのフランス人だろうがどうでもいいことだがな」
「はっ?」
「森写歩朗。お前けっこう幼いタイプが好みだったんだな」
「へっ?」
「いやー。ジルさん。森写歩朗のことよろしく頼みましたよ」
ジルはジルで嬉《うれ》しそうに頷《うなず》く。
森写歩朗はすっかり蚊帳《かや》の外だ。このままでは蚊に刺されてしまう。
「あのさ、なんか話が飲み込めないんだけど」
「隠《かく》さなくてもいいぜ森写歩朗。お前とジルさんの熱い熱い仲は知ってんだから」
「熱い仲?」
「行くとこまで行っちゃったんだろ」
「どこへ?」
「とぼけるな。さ、お前もこっちに来て未来の花嫁《はなよめ》からビール注いでもらえ」
森写歩朗はこの時になって初めて父親が何を言っているのか理解した。
「ジル!」
「何? 森写歩朗」
「ちょっと来い」
ジルを呼んだ森写歩朗は辰太郎に聞こえない小声で、
「どーゆーことだ」
「何が?」
「何がじゃないよ。どうしてこんなことになってるんだ」
「私のせいじゃないわ。森写歩朗のダディーが最初からそう言ってきたんだもの」
「だったら違うって言えば良かったじゃないか」
「そんなことできる隙《すき》なんかなかったの」
ジルの言うことも頷けた。
辰太郎は思い込んだら試練の道を傍若無人《ぼうじゃくぶじん》に突っ走るタイプの人間だった。
しかしあまりにもこれは当初の予定と違いすぎる。
当初の目的地が熱海《あたみ》ならこれ火星あたりまではぶっとんでいるだろう。
「おいおい何を痴話喧嘩《ちわげんか》してんだ」
「ほら、ダディーもそう言ってるしこのシチュエーションでいきましょう」
森写歩朗《しんじゃぶろう》とは対照的にジルは嬉《うれ》しそうだった。
「いきましょうって言われても」
「大丈夫。なんでもまた来週からハワイだって言うから」
「しかしなぁ」
「大丈夫。私に任せて」
ジルはにっこりと微笑《ほほえ》む。
「森写歩朗。早くつきあえ」
テーブルではすっかりできあがっている辰太郎《たつたろう》がビール瓶《びん》を振り回している。
「父さん。もうやめとけよ」
「馬鹿《ばか》。息子《むすこ》がフィアンセを作ったんだ。こんなめでたい時に飲まずにいられるか」
「めでたくなくても飲んでるじゃないか!」
「つべこべ言わずに飲め」
「僕は未成年だよ」
「親が許せば飲酒可能という法律を知らんのか?」
森写歩朗は辰太郎にひきずられテーブルへとついた。
「はい森写歩朗」
ジルまでもが笑顔でグラスにビールを注ぐ。
ったくこいつらは。
「しょうがない。一杯だけだよ」
森写歩朗はしぶしぶそのビールを飲み干した。
カ――――――――――。
頭が熱くなる。くらくらする。
アルコールには強いほうではなかったがビール一杯でこんなになるのは初めてだった。
「父さん、これ」
「うまいだろう。ハワイの闇市《やみいち》でかっぱらってきた極濃《ごくのう》ビールベイビーキラーだ。アルコール度数がはんぱじゃないんだぜ」
「父さん」
「感想きかしてくれ。おい森写歩朗。おーい」
「と・う・さ・ん」
バタ――――ン。
そして、キュ―――。
森写歩朗《しんじゃぶろう》はのけぞり倒れた。
「ちっ、やっぱこいつには強すぎたか」
辰太郎《たつたろう》はその極濃《ごくのう》ビールを一息でらっぱ飲みすると酒臭《さけくさ》いげっぷをかました。
「か―――いいね。この脳味噌につーんとくるアルコールがたまんねーよ」
ジルは森写歩朗を抱き起こしながらそんな辰太郎の様子をあきれ顔で見ていた。
7
「う〜ん、う〜ん」
森写歩朗は目を覚ました。
頭ががんがんする。気分が悪い。
この痛みを説明するなら、頭蓋骨《ずがいこつ》の中でつるはしを持った体育会系のお兄さん達がバリバリのロックをかけながら力一杯つるはしを脳味噌に突き立てる。
そんな痛みだった。
いわゆる二日酔《ふつかよ》いというやつ。
まさに地獄《じごく》である。
森写歩朗は脇《わき》にあった時計に目をやった。
午前二時。
あたりはしーんと静まりかえって不気味《ぶきみ》なほどである。
「誰《だれ》かベッドに運んでくれたんだ」
父親の性格からそんなことをしてくれるとは思えない。
おそらくジルであろう。
森写歩朗《しんじゃぶろう》は上半身をよっこらしょと起こした。
「良かった。森写歩朗」
「あれ? ジル」
森写歩朗はベッドの脇《わき》に座るジルの姿をみつけた。
「君の食事は?」
「今日はもうすましてきたの」
「早いな」
「選《い》り好《ごの》みしなかったから」
見ると水を張った洗面器とタオルが枕元《まくらもと》においてあった。
「ジル」
「はは、これでいいのか分かんなかったけど森写歩朗とっても熱かったから」
「ありがと。ジル」
森写歩朗はなんだか照《て》れくさくなるのを感じ、そっぽを向いてぼそっと言った。
そういう年頃《としごろ》なのだ。
「父さんは?」
「ソファーで眠ってる。ほら」
耳をすますと、
ゴガ―――――。グガ―――――。
「うん。そのようだ」
あのカエルとゴジラの合の子のようなイビキは間違いなく父親のものである。
「森写歩朗、大丈夫?」
「えっ。ああ、だいぶいいよ」
ここで正直に言わないとこが彼のやさしさなのかもしれなかった。
実はまだ頭はガンガン。気分は最悪なのだ。
「ちょっと体が熱いけど」
「大丈夫?」
「そんなに心配しなくてもいいよ。そうだ、夜風に当たれば」
森写歩朗は立ち上がると窓際へと向かった。
窓を開ける。ひんやりとした風が森写歩朗の頬《ほお》をくすぐった。
「いいね涼《すず》しくて」
「どう?」
「気分が楽になってくよ」
事実それは本当だった。
「ねえもっと涼《すず》まない」
不意《ふい》にジルが話しかける。
「えっ?」
「もっと涼もうよ」
「えっ、ああ」
何かふくむところのあるようなジルの言葉に思わず森写歩朗《しんじゃぶろう》は頷《うなず》いた。
するとジルは微笑《ほほえ》みながら森写歩朗の手を掴《つか》み窓枠《まどわく》へ足をかける。
「ジル、もしかして」
ジルは無言で微笑んでいる。
「ちょっとそれは」
「いくよ森写歩朗」
「まずいよ…………」
ジルが窓枠を力強く蹴《け》った。もちろん森写歩朗の手をしっかりと掴んだままの状態である。
「ヒィィィィィィィィィ」
二人は夜空へと飛び立った。
風を切る音が森写歩朗の耳にジンジンと伝わる。
ジェットコースターに乗っているようだった。
「森写歩朗。目開けてよ。奇麗《きれい》だよ」
森写歩朗はソロモンのそれよりも固く瞳《ひとみ》を閉ざしたままだ。
「ねえ」
森写歩朗はかすれた声で叫んだ。
「僕は高所|恐怖症《きょうふしょう》なんだ」
「すぐに慣れるって」
「いやだ――――」
「もう」
ジルはいたずらっぽく笑うと近くのビルの屋上に着地した。
「森写歩朗。降りたよ」
「本当?」
「足が地面についてるでしょ」
「あっそうか」
森写歩朗は目を開いたが、すぐにその表情が凍《こお》る。
「ねっ、涼《すず》しいでしょ」
そこは高層ビルの屋上。
「ひ、貧血《ひんけつ》が」
森写歩朗《しんじゃぶろう》はその場にへたりこんだ。
「フフフ」
ジルがそのすぐ隣《となり》に座る。
月明かりのなかよりそう二人のシルエットが映し出された。
「どう、涼まるでしょ」
「ああ、身も心も」
森写歩朗は青い顔でそう答えた。
「私ねいつも何か悲しいことがあると高い所で下を見下ろすの。そして自分に言い聞かすの。私は吸血鬼《きゅうけつき》。人間じゃない。って」
地面が見えないせいかかなり落ち着いてきた森写歩朗はジルの悲しそうな横顔を見つめた。
「ジルの悲しいことって」
「独《ひと》りぼっちのこと。いつもいつも独りぼっちなこと」
「ジルの父さんもういないんだ」
「ええ。それにこうやって森写歩朗のように人間と仲良くなれても、いつかお別れしなくちゃいけないの。寿命《じゅみょう》が違うから」
「そうか」
森写歩朗の命が数十年たらずなのに対してジルは半永久的なのだ。
「私は吸血鬼。だからしょうがないって言い聞かしてきたけど。もういやになっちゃった」
ジルは軽く笑いながら呟《つぶや》いた。
「吸血鬼としての変えられない運命か」
「そう。でも変える方法もあるのよ」
ジルは森写歩朗の瞳《ひとみ》を真剣《しんけん》に見つめた。
「私達吸血鬼には生殖能力がないわ。子孫って言い方もへんだけど仲間を増やすには一つの方法しかないの」
「方法?」
「そう。この方法で私達は子供を作ったり、永遠の友達を作ったり………永遠の恋人を作ったりするの」
「へ―――」
「すべての吸血鬼とはいえないけれど、私達は普通血を吸う時これを使ってるわ」
ジルはローブのポケットからなにやら細長いものを取り出した。
「何それ?」
銀色のそれをしげしげと見つめる森写歩朗《しんじゃぶろう》。
血管注射の針を長くしたようなそれはジルの手の中で怪《あや》しく煌《きら》めいた。
まるで鉄製のストローのような外見《がいけん》だ。
「ストローよ」
ジルは事もなげに言い放った。
予想はしていたものの実際にそう言われるとなんとなく拍子《ひょうし》抜けしたものを感じる。
「このストロー何に使うの?」
何とも間抜《まぬ》けな質問をする森写歩朗。
「血を吸うのに使うの」
当然のごとくそう答えたジルはそのストローを軽く口にくわえて見せた。
確かに先が鋭《するど》く尖《とが》っている。これを使えば吸血《きゅうけつ》も可能だろう。
しかし、吸血鬼がストローを使って血を吸う場面なんて誰《だれ》が想像するだろうか?
なんだか巨大な蚊《か》のような印象を受ける。
あまり格好《かっこう》いいとは形容できない光景だった。
「どうしてこれを使うか分かる?」
森写歩朗は分からなかった。
だから素直に首を横に振った。
「伝染しちゃう可能性があるからよ」
「何が?」
「吸血鬼となる因子《いんし》が」
「…………………」
「私達の唾液《だえき》の中には血液の凝固《ぎょうこ》を抑《おさ》える成分と、もう一つ危険な成分が含《ふく》まれてる」
「何が?」
ジルは森写歩朗の顔から目をそらし眼下に開ける町並みを見つめた。
そしてそのままの状態で口を開いた。
「相手を吸血鬼にする成分よ」
しぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ。
森写歩朗は先日ジルの牙《きば》が触《ふ》れた首筋を慌《あわ》てて押さえた。
その様子に気が付いたジルは安心させるかのごとく、
「大丈夫。ちょっとやそっとの時間じゃ感染しない。このストローだって念を入れてのことなんだから」
「そうか……」
「本当に相手を吸血鬼にしたかったらね」
ジルは淡々《たんたん》と語り始めた。
「一分や二分の吸血《きゅうけつ》なんかじゃ追いつかない。少なくとも十分は必要なの」
「十分……か」
「言い換えれば、十分間、相手の首筋に牙《きば》を食い込ませることに成功したら、その相手は数時間後には私と同種になる。同種となって幸せに暮《く》らせる。吸血鬼として」
「幸せにか」
「そう幸せによ」
ジルは虚空《こくう》に向かってそう呟《つぶや》くと不意《ふい》に森写歩朗《しんじゃぶろう》の瞳《ひとみ》を見つめた。
とってもデンジャラスな光をたたえていた。
「森写歩朗。まだ分からない?」
「何が?」
「私はあなたを選ぼうとしてるのよ」
ジルの言葉に森写歩朗の青い顔がさらに青くなった。
ジルはゆっくりと森写歩朗の首筋へと手をかける。
冷たい感触《かんしょく》だった。
「ジル。冗談《じょうだん》だろ」
森写歩朗が苦しい笑いを向けるが、
「いいえ冗談なんかじゃないわ。もう独《ひと》りはいやなの」
ジルの目が怪《あや》しく輝くのが銀髪《ぎんぱつ》の隙間《すきま》から見えた。
「やめろ」
かすれた声を上げる。
「森写歩朗。お願い」
「やめろ」
「森写歩朗」
「やめろ」
「森写歩朗」
ジルの白い犬歯《けんし》が森写歩朗の首筋に刺さった。
チクリとした痛みが感じられた。
「やめろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ」
森写歩朗は力任せにジルを突き飛ばした。
「ジル。約束したよな。僕の血は吸わないって」
「森写歩朗」
「頼むからこんなことはしないでくれよ」
「森写歩朗」
「そのなんて言っていいか分からないけど。やっぱりいやなんだ。それになるのは。人間をやめるのは。なあ、ジル」
ジルはその場にうずくまると肩を震《ふる》わせ始めた。
ジルが本気をだせば森写歩朗《しんじゃぶろう》をねじ伏《ふ》せることなどた易《やす》いことであろう。
しかしジルはそれをしなかった。
ただ静かに嗚咽《おえつ》し始めたのだった。
「ジル…………ごめん」
ジルは無言で首を振った。
「ごめんな」
「森写歩朗が悪いんじゃないわ」
ジルは泣き笑いのような表情で立ち上がった。
「普通の反応よ」
「ジル、帰ろうか」
しかしジルはきっぱりと言った。
「私はもう森写歩朗のとこには帰れない」
「えっ」
思いがけないジルの言葉に森写歩朗は驚いた。
「どうして?」
「私は森写歩朗との約束を破ろうとしちゃったから」
「いいよ。もうそんなこと」
「それだけじゃないわ」
ジルは涙に濡《ぬ》れた頬《ほお》を向けながら、
「私きっと我慢《がまん》できなくなる。きっと森写歩朗の血を吸っちゃう。吸血鬼《きゅうけつき》にしようとしちゃう。だから」
森写歩朗の首筋の小さな傷口から血液が流れ落ちた。
「もう森写歩朗とは一緒《いっしょ》にいられない」
「ジル」
「さようなら」
ジルはそう言うと飛び立った。
数々の言葉を飲み込んだまま。
「ありがとう森写歩朗。私とっても楽しかった」
「ジルー。待てどうするんだよ。追われてるんだろ。独《ひと》りでなんとかできるのかよ。ジルー。戻《もど》ってこい。ジル―――――――」
ジルの姿は見えなくなっていた。
「ジル…………。馬鹿野朗《ばかやろう》」
森写歩朗《しんじゃぶろう》は辺《あた》りを見渡した後、縁側の老人が渋茶《しぶちゃ》をすすった時に呟《つぶや》くようなしみじみさで一言。
「どうやって帰ればいいんだよ」
高層ビルの屋上に森写歩朗は独《ひと》りで突っ立っていた。
寒かった。
第三章 森写歩朗の受難
クンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクン。
匂《にお》うわ。
あいつの匂い。あの娘の匂い。
私の肝臓を砕《くだ》いたあの娘の匂い。
私から逃げられると思わないことね。
私は狩人《かりうど》。
汚《けが》れた血族を狩る聖《せい》なる狩人。
ブラックウイナー。
汚《けが》れた名前だわ。
でもきっとそれが私にふさわしい名前なのね。
この世からあの忌《いま》わしい血族が抹殺《まっさつ》されるまで私は死ねない。
わたしの魂《たましい》は救われないのよ。
我に力を。
我に力を。
完全なる非情の心が欲しい。
1
早朝六時三十分。花丸森写歩朗《はなまるしんじゃぶろう》はビルの屋上で居眠りをしていたところを掃除婦のおばさんに発見された。
どうやって登ったのかと不思議がる彼女に対し彼は、「黒い魔法使《まほうつか》いに連れてこられたの」と意味不明なことをのたまい姿を消した。
のちのちこの事件は『九月早朝の怪《かい》』とビル内で語られるようになるのだがそんなことはどうでもいいだろう。
森写歩朗は重い足取り帰路についた。
独《ひと》りはいやだ。
母親のいない森写歩朗にとってジルのその言葉は痛いくらいによく分かった。
ジルは森写歩朗が想像もできない程の長い時をたった独りで過ごしてきたのだ。
その心細さ寂寥感《せきりょうかん》は尋常《じんじょう》なものではなかっただろう。
しかしだからといって「はいどうぞ」と首筋を差し出すわけにはいかない。
こちとら慈善《じぜん》事業で人間やってるわけではないのだ。
「はぁぁぁ」
森写歩朗はベッドに倒れこむと推定三百キログラムの重いため息をはいた。
父、辰太郎《たつたろう》の豪快《ごうかい》なイビキが聞こえてくる。
森写歩朗は生まれて初めて父親の脳天気《のうてんき》さをうらやましく感じた。
「どうすりゃいいんだよ」
森写歩朗は力なくそう呟《つぶや》くと目を閉じた。
目蓋《まぶた》の裏だけは彼を全《すべ》ての厄介事《やっかいごと》から守ってくれる。
昨晩うとうととしか眠っていない森写歩朗はすぐに眠りの世界へと旅だっていった。
「学校はどうしたんだ?」
『今日は休む」
「そうか。俺《おれ》はパチンコ行ってくるから。そうそうジルさん知らないか?」
「知らない」
「そうか、買い物でも行ったのかな。じゃあな」
途中辰太郎が顔を覗《のぞ》かせたが特に学校をさぼることについてお小言《こごと》を言うことなく出ていった。
そういう父親なのだ。
森写歩朗《しんじゃぶろう》は暗澹《あんたん》たる心持ちを抱えながら夢うつつの時を味わっていた。
どれくらいそうしていただろうか。
森写歩朗の耳に玄関の戸を叩《たた》く音が鳴り響いた。
うるさいな。
蒲団《ふとん》をかぶる。しかしいつまでたっても音はなり止まなかった。
「何なんだよ」
森写歩朗は起き上がった。
「ピンポーン押せばいいじゃないか」
インターホンが見つけにくい所についているという記憶はない。
当然|壊《こわ》れていることもないはずである。
「しょうがないな」
森写歩朗は立ち上がると玄関へと足を進めた。
ドンドン。ドンドン。
「はいはい分かりました分かりました」
鍵《かぎ》を開ける。
警戒不足だと言われるかもしれないが誰《だれ》がこんな住宅街の貧乏《びんぼう》ツアーコンダクターの家に危険が迫《せま》ろうと思うだろうか。
森写歩朗はなんの躊躇《ためらい》も感じることなく扉《とびら》を押し開けた。
「はいはいどなた」
「失礼」
森写歩朗の目の前でその女性は静かに会釈《えしゃく》をした。
シスターだった。
森写歩朗の妹ではない。
あの教会で美しい歌声を披露《ひろう》する、神に仕えるもったいない女性。
黒いローブのような時代|錯誤《さくご》の服も、汚《けが》れなき純白のローブも、首からかけられた十字架《じゅうじか》も、そしてえりあしから覗《のぞ》く白い肌《はだ》も、柔《やわ》らかそうな耳たぶも、全《すべ》てがシスターを語るために作られた姿のようだった。
しかもその顔は端正《たんせい》で驚くほど美しい。
日本人ではなかった。
大きめの瞳《ひとみ》から淡《あわ》いエメラルドグリーンの光がきらきらと反射する。
森写歩朗のハートはすっかりブレイクダンスのストリートパフォーマーだ。
なんの用だろう。
ここいらに宗教の勧誘《かんゆう》が来ることは珍《めずら》しくない。
そう思った森写歩朗《しんじゃぶろう》は顔をしかめた。
「あのうちは仏教なんです」
対キリスト教対策である台詞《せりふ》を森写歩朗はおずおずと言った。
ちなみに対仏教対策の台詞は「うちキリスト教なんです」である。
もし二つが同時に訪れた時は「うち神道《しんとう》なんです」。
もし万が一、三つが同時に来た場合は、「うちはイスラム教なんです」と嘘《うそ》ぶく。
そしてなんだか分からない奴《やつ》が来た場合は、こちらも対抗して、「うち、ハナモモンガ教なんです」と何だか訳が分からないことを言う掟《おきて》であった。
この場合相手は明らかにキリスト教だと判断されるため森写歩朗はためらうことなくこの台詞を選択した。
「そういうことですから聖書《バイブル》買えって言われても買いませんよ」
「違いますよ」
シスターは思わずとろけてしますような声で言った。
森写歩朗は思わずとろけチーズでパンの上で踊《おど》ってしまった。
「安心してください。勧誘《かんゆう》とかじゃありませんから」
シスターがにっこりと微笑《ほほえ》む。森写歩朗の心臓はドッキンドッキン必要以上の鼓動《こどう》を始めた。
「日本語お上手《じょうず》なんですね」
ニトログリセリンを補給したかのような心臓の乱調を必死に抑制《よくせい》しつつ努《つと》めて冷静、平然とした声で森写歩朗は言った。
「ふふ、びっくりしましたか?」
シスターは目を細めた。
「もう長いですからね」
シスターはそう言うと声を潜《ひそ》めて森写歩朗に近寄った。
「ところで」
「はい」
「最近この辺《あた》りで妙《みょう》な物を見たりしませんでしたか?」
「えっ?」
「匂《にお》うんですよ。ここいらで」
「何がです?」
シスターの瞳《ひとみ》に一瞬《いっしゅん》かいま見えた赤い光にゾクっとくるものを感じながら森写歩朗は質問した。
シスターはすぐに笑顔を取り戻《もど》して、取り繕《つくろ》うように鞄《かばん》から小さな本を取り出す。
「携帯用《けいたいよう》の聖書です。よろしかったら暇《ひま》な時にでも読んでください。あっ無料ですから」
タダと言われたらもらわないのも失礼だろう。
森写歩朗は、どうも、と頭を下げるとその本を受け取った。
小さい割にはずっしりとくる本だった。
「それではどうもお手間を取らせました」
「あの」
「くれぐれも悪魔《あくま》の誘惑《ゆうわく》に乗らないように」
シスターは相変わらず深遠《しんえん》な笑顔を森写歩朗《しんじゃぶろう》に向けた。
「私はあなたのような若者を葬《ほうむ》りたくはありませんから」
「どういうことだろ?」
玄関で呆然《ぼうぜん》と立ち尽くしていた森写歩朗はポツリと呟《つぶや》いた。
「でも可愛《かわい》かったな」
森写歩朗はへへと破顔した。
男の悲しい性《さが》である。
しかし、なぜか背筋が強《こわ》ばっているのが感じられる。カエルが蛇《へび》ににらまれるとこんな風になるのだろうか。
今度カエルに出会ったら聞いてみようかな?
「まっいっか」
手にした聖書《バイブル》をとりあえずパラパラとめくってみた。
手が止まる。
再びめくって止まる。
「なんだよこれ」
森写歩朗は困惑《こんわく》気味の笑いを口端《くちはし》に浮かべながら聖書を玄関の下駄箱《げたばこ》の上においた。
「ねなおそ」
寝室へ向かう森写歩朗。
聖書が風もないのに開かれた。
タンタンタヌキノキンタマハカゼモナイノニブラブラ。
一旦《いったん》目が覚めてしまうとなかなか眠れないもので、森写歩朗はベッドの上でごろごろしていた。
今から行けば午後の授業には間に合うだろうがそのつもりもない。
しかしこうやっているのにも何かつらいものがあった。
ジルがいりゃあな、よた話でもできるのに。
森写歩朗は天井《てんじょう》の染《し》みを数えながらそんなことを考えた。
かわいそうなのは分かるんだけどな。
森写歩朗《しんじゃぶろう》の耳にはジルの嗚咽《おえつ》の声がこびりついていた。新発売の洗剤でいくら洗っても取れないのだ。
「吸血鬼《きゅうけつき》か」
森写歩朗はそう呟《つぶや》き、そして青くなった。
「台本どうしよ?」
急に頭に浮かんできたのだ。
どうせなら来週まで沈んでいてくれればよかったのだが……今更《いまさら》重りを付けて沈めるわけにもいかない。思い出してしまった以上何か打開策を考えなくてはならなかった。
ベストは何かを書く、であろうがその気力は宇宙の酸素がごとしに全くない。
しかし書かなかったら倉地《くらち》のアイアンクロー。あれはとても痛いのだ。
「倉地さん、手加減《てかげん》しないからな」
森写歩朗は暗澹《あんたん》たる気持ちで脇《わき》に放り投げてあった鞄《かばん》に手を伸《の》ばした。
「えーと」
鞄の中をまさぐりレポート用紙が入った袋を取り出す。
白かった。
これからこの紙にびっしり字を埋《う》めなければならないと思うとすぐにでもサイババに会いに行きたい気分だった。
森写歩朗はたっぷり三十秒間紙をみつめてから立ち上がった。
「よっしゃ」
珍《めずら》しく凝固《ぎょうこ》した決意を胸に抱えて、森写歩朗は机へと向かった。
「舞台はまず学園でなくちゃいけない」
森写歩朗は自分に言い聞かせるように頷《うなず》いた。
深意《しんい》はない。ただその方がイメージが沸《わ》きやすいかなと思っただけである。
「それから、やはり勧善懲悪《かんぜんちょうあく》でないといかんな。当然最後の印籠的《いんろうてき》切り札も」
水戸黄門《みとこうもん》ファンとしてはここは譲《ゆず》れないところだった。
「そして吸血鬼が出てこないといけない」
思案中《しあんちゅう》。
「一番大切なことは三人でできなければいけない」
森写歩朗はたった数秒で頭を抱え込んだ。
「だめだ! 僕にはできない」
倉地のアイアンクローが迫《せま》ってくる。
「いかん、ここで諦《あきら》めれば、僕は倉地さんのアイアンクローの餌食《えじき》になってしまう」
自分を戒《いまし》め森写歩朗《しんじゃぶろう》は頭を回転させた。
でました必殺|空回《からまわ》り。
カラカラカラカラ。
いい音がなった。
「よし」
三分三十五秒後、森写歩朗は目を見開いた。
「とにかくこの条件を満たす台本を書こう。舞台は学園で水戸黄門的勧善懲悪《みとこうもんてきかんぜんちょうあく》そして印籠的《いんろうてき》切り札、そして吸血鬼《きゅうけつき》が出てくる。登場人物は三人」
今世紀最大の難行《なんぎょう》な条件だった。
2
「トーマスはどうしたのよトーマスは?」
倉地《くらち》はヒステリックな声を上げた。
狭《せま》い部屋の空気がビリビリと震《ふる》える。
凡人《ぼんじん》にはできない見事は発声だった。
ある意味では倉地が演劇部に入ったのは正解だったのかもしれない。
「花丸先輩《はなまるせんぱい》は今日は来てませんよ」
「そういえば三限目の体育の時もいなかったわね」
「もしかして学校休んだんじゃないですか?」
「かもね」
倉地は近くの椅子《いす》に腰を下ろした。
「風邪《かぜ》でしょうか?」
「あのトーマスが風邪引くと思う。悪いけど世界中が病原菌で死んでもあいつ一人だけアリの巣ほってそうよ」
よく分からない例えだがそういうことなのだ。
森写歩朗がとりわけ頑丈《がんじょう》そうというわけではないのだが、病原菌ごときではサイクルを乱されないような天下無敵ののほほんとした雰囲気《ふんいき》の持ち主なのだ。
「きっと少ない脳味噌丸めて叩《たた》いて伸《の》ばして練《ね》ってペーキングパウダーまぶしてオーブンに入れて焼きながら脚本書いてるんじゃないかしら」
驚くことに図星《ずぼし》であった。
「楽しみ」
「あのね、三石《みついし》ちゃん」
倉地が優《やさ》しい目を向ける。
「あなた誤解してるようだけど。トーマスの書く脚本なんてそこらに転《ころ》がってる煙草《タバコ》のすいがらよりもクズよきっと」
「見てみないと分かりませんよ」
「分かるの。あいつの成績知らないの」
「知りません」
「よく地を這《は》ってるって表現があるけどあいつの場合ミミズよ。地に潜《もぐ》ってるの。よく三年になったなあって感心するくらいよ」
「そんなに悪いんですか?」
「お尻《しり》から数えて一番か二番じゃないかしら」
倉地《くらち》は鞄《かばん》の中から小さなノートを取り出した。
「それは」
「トーマスのデーターをまとめたものよ」
「そんなもの持ってるんですか?」
倉地は当然と言った顔で、
「私はあいつに屈辱《くつじょく》という二文字を知らされたの。あいつが私の良さを理解するまで調教してやるわ」
調教、という言葉に吐《は》き捨てるような力強さを加えて叫ぶと倉地はトーマスの生態と書かれたそのノートを開いた。
「ほらやっぱり。高校に入ってからのテストで後ろから十番以内にいない時はないわね」
「でも、文学と成績は関係ないっていうし」
「これ、あいつが書いた読書感想文よ」
「そんなのまで持ってるんですか」
「当然よ。悪いけどトーマスを語らせたらこの学校で私が一番よ」
語るなよ!
三石《みついし》は作文を受け取った。
夏目漱石、我輩は猫であるを読んで
三年三組 花丸森写歩朗
「すごいじゃないですか、夏目漱石《なつめそうせき》なんて」
「いいから続きを読んでみなさい」
三石は再び原稿用紙に目を落とした。
猫に名前がないのはいけないな。
僕がつけてあげよう。
ニャン太郎。
「これだけなんですか?」
「これだけなのよ」
「なんなんですかこれ」
「正確に言えば最初の一行の感想ね」
三石《みついし》は目をぱちくりさせた。
「よく国語の先生が許しましたね」
「これでも書き直させたそうよ。最初は我輩《わがはい》は猫《ねこ》であるを読もうとしてって題だったから。読む?」
倉地《くらち》がもう一枚原稿用紙をノートから取り出す。
夏目漱石、我輩は猫であるを読もうとして
三年三組 花丸森写歩朗
やっぱ止めた。だって難しいんだもん。
三石は改めて森写歩朗《しんじゃぶろう》のすごさを知ったような気がした。
「でも。こういう変わった感性してるから意外《いがい》と面白いものができるかも」
「甘《あま》い甘い甘い甘い。三石ちゃんは全然トーマスのこと分かってないわ」
倉地は指を唇《くちびる》の前で振った。
「あいつの変わった感性はね、世間の許容《きょよう》範囲を超《こ》えてるのよ」
「そうなんですか?」
「私を見て何も感じないのが一番の理由だわ」
それが一番言いたかったらしい。
「私のオニュウーの服に気が付かない馬鹿《ばか》なんてこの学校中探してもいないわよ」
倉地の観点からすれば、自分にちやほやしない男イコール馬鹿、なのである。
「さてと、トーマスがいないんじゃしょうがないわね」
倉地が立ち上がった。
「帰るんですか先輩《せんぱい》」
「そうしようと思ったけど」
倉地はしばらく考えてから言った。
「三石ちゃん。トーマスの家知ってる?」
「花丸《せんぱい》先輩の家ですか? えーと。確かマンション矢吹《やぶき》とか」
「マンション矢吹」
「場所は分からないんですけど。そうそう合唱部の西尾先輩《にしおせんぱい》なら花丸《はなまる》先輩と仲がいいからきっと知ってるんじゃないですか?」
「あの黒眼鏡《くろめがね》か」
西尾のトレードマークである。
「じゃあ行きましょう」
「でももう練習始まってるんじゃ」
「フフ」
倉地《くらち》は不敵《ふてき》な笑みを浮かべた。
「正常な男がどんなものか教えてあげるわ」
「いやーようこそおいでくださいました倉地|香《かおり》さん」
倉地に椅子《いす》を用意しておべっかを使っているのは少々|老《ふ》け顔《がお》で悩む合唱部部長|宮下政則《みやしたまさのり》だった。
「ありがと」
倉地は見事に計算された笑顔を向けながら三石《みついし》と共に椅子に座る。
軽く足を組んであげるのもサービスの一環《いっかん》だった。
「おお」
練習室の男達はすかさず床《ゆか》にしゃがみこむ。
半ズボンの隙間《すきま》から禁断《きんだん》の世界を覗《のぞ》くためである。
数人の男子が床で失神《しっしん》した。
「ねっ三石ちゃん、これが正常な男の反応なの」
「これはちょっと極端過ぎると思いますが」
三石は床に這《は》いつくばる男達を苦しい表情で見下ろした。
「ところで、西尾君は?」
「それがあの馬鹿《ばか》今、出かけてまして。もう少ししたら来ると思います。しばらくゆっくりしていってください」
「しょうがないわね」
倉地は大きく伸《の》びをする。
抜群《ばつぐん》のスタイルを誇《ほこ》る体がムチのようにしなった。
「ぉぉぉぉぉ」
「先輩。それぐらいで」
「いいじゃない。別に」
「でもあっち」
三石が目で指す方向にはこめかみに血管を浮き上がらせた合唱部女子部員達が陣《じん》をくんでいた。
彼女らにしてみれば倉地《くらち》は自分達の島へ飛び込んできたメス猫《ネコ》なのである。
「気にしない気にしない」
倉地は軽い口調で言った。
「すいませんね。あいつどこ行っちゃったんだろ」
宮下《みやした》はわざとらしく辺《あた》りを見渡した。
「まいったな、倉地さんを待たせちゃって」
できればこのままずっといてほしい、そんな顔だった。
「しょうがありませんね。あの馬鹿《ばか》が来るまで私がお話相手になりましょう」
宮下がギラギラした目を向けながら倉地に近寄る。
その時、練習室の扉《とびら》は開かれた。
「ちわす」
「くそっ」
宮下は小声で舌打《したう》ちした。
「あれ、練習は?」
「西尾《にしお》、お客さんだ」
西尾は倉地に目をやった。
「うっ」
森写歩朗《しんじゃぶろう》から倉地の恐《おそ》ろしさを知らされている西尾は素直に喜べない。
「こんにちは。西尾君」
「や、あ」
男子部員全員の恨《うら》みがましい視線が背中に突き刺さるのが感じられた。
「何か?」
「教えてほしいんだけど」
「何を?」
「トーマスの住所知ってる」
「トーマス?」
西尾は小首を傾《かし》げたがすぐに、
「ああ、森写歩朗のことか」
と頷いた。
「えーとね、マンション矢吹《やぶき》の三十五号室だったな」
「そのマンションがどこにあるか聞きたいの」
「前原《まえはら》町、電車で行けばすぐ分かるよ」
「前原町ね」
すかさずメモをとる三石《みついし》。さすがだった。
「駅からは」
「行けば分かるよ。駅の立て札に書いてあるから」
「どういうこと」
「行けば分かるよ」
西尾《にしお》は含《ふく》むところがあるかのように、「簡単はレクレーションみたいなものだよ」
「……そう、分かった。ありがとね」
「森写歩朗《しんじゃぶろう》のお見舞いにでも行くのかい? まっ多分あいつのことだからさぼりだと思うけど」
「そんなところよ。じゃあ、おじゃましました」
「おじゃましました」
「もう行ってしまうんですか倉地《くらち》さん。倉地さ―――ん」
宮下《みやした》が何故《なぜ》かハンカチの端《はし》を噛《か》みながら名残《なごり》おしそうに叫ぶ。
閉じられる扉《とびら》を前に宮下は豪快《ごうかい》に鼻をすすり上げた。
「はあ、行っちゃった」
「何そんな悲しそうな顔してるんだよ」
「畜生《ちくしょう》! 森写歩朗がうらやましいぜ」
「あいつは結構《けっこう》苦労してるらしいぞ」
「噂《うわさ》じゃ倉地さんは毎日森写歩朗に見せるためだけにファッションを変えてくるそうじゃないか」
「そうらしいな」
「部室で森写歩朗にだけポーズを決めてるそうじゃないか」
「そうらしいな」
「チクショ―――ウ」
「さっきも言ったがあいつはかなり苦労してるらしいぞ」
西尾は一人アヘアヘと悶《もだ》える宮下にぽつりと言った。
「本当だわ」
倉地は驚きの声を上げた。
電車を下りたすぐの前原《まえはら》町の地図の脇《わき》に油性マジックでこう書かれていたのだ。
花丸辰太郎、森写歩朗の家。ここから東へ三百メートル。
「行ってみましょう」
東に延《の》びる道を三百メートル進むと電柱に新たな文字が。
西へ三百メートル戻って駅員さんにこう言おう。花は女の心です。
「ふざけんじゃないわよ」
ぶつくさ言いながらも戻《もど》る二人。
「あの」
倉地《くらち》はかなり年配の駅員に話しかけた。
「花は、女の命です」
「なんだって」
駅員は数歩|後退《あとずさ》った。
「五年ぶりに花丸《はなまる》ウォークラリーに参加する人物がでたか」
「いいから早く森写歩朗《しんじゃぶろう》の家教えてよ」
「よしよし、この道をずっとまっすぐに行って最初に右に入る道で曲がる。いいね」
「分かったわ」
右へ曲がると電柱が立っていた。
「なんか怪《あや》しいわね」
案《あん》の定《じょう》文字が書いてある。
向かい側の公園へ入り巨木の根元を調べろ。
「何考えてるのかしら」
「ねえ、警察で聞いたほうがいいんじゃない」
「そうね」
巨木にはこう書かれていた。
警察へ行って聞こうと思っている者よ。すでに駅員のゲンさんから派出所へは連絡が行っている。教えてはくれないぞ。次はこの木に登れ。
「やってやろうじゃないの。ここまで来たらもう勝負よ」
市役所が見えるだろう。その駐車場へ急げ。
「行くわよ。三石《みついし》ちゃん」
「あった先輩《せんぱい》。看板よ」
留吉さんに神の言葉を聞け。
「留吉《とめきち》さん。どこのどいつよ」
「見て、下の白線がかわってない?」
「そういえば、あそこの小さな家を指してるみたい」
「あそこが留吉の家かもしれないわね」
「おじいちゃんは一年前に他界《たかい》しました」
二人は言葉を失った。
カウンターパンチを食らった気分だった。
「…………そうですか」
「あのもしかして花丸《はなまる》ウォークの」
「はい」
「手紙を預かってます」
勇者よ、よくぞ呆《あき》れることなくここまで来た。あと一歩じゃ。橋を渡れ!
目の前の自動販売機でブツブツオレンジを買って、百メートル先のクリーニング屋の親父に渡せ。
近くのスーパーですき焼き用の材料を買え!
二人は前原《まえはら》町中を駆《か》け回った。
ある時は電柱に登り、ある時は川を渡り、そしてついにその看板が現れた。
おめでとう。貴殿の努力に感謝されたり。この道を真っ直進み駅に向かうべし。
「また駅」
「しょうがないわね」
駅へと歩き続ける二人の足が不意《ふい》に止まった。
「そんな」
駅の向こうにはでかでかとした文字でこう書かれたマンションがその姿をみせていたのだ。
マンション矢吹
この一時間半はなんだったんだ!
二人は呆然《ぼうぜん》と立ち尽くした。
3
「できた」
午後五時。森写歩朗《しんじゃぶろう》はルーズリーフの束《たば》を見つめて呟《つぶや》いた。
「はは」
自分の努力に敬服したい気分だった。
「僕って意外《いがい》と才能あったりして」
そんなとんでもないことを吐《は》き出す始末《しまつ》。
「学園が舞台で、水戸黄門的勧善懲悪《みとこうもんてきかんぜんちょうあく》で切り札があって吸血鬼《きゅうけつき》がでてきて、三人で上演できる。見事に当てはまってるじゃん」
問題は内容である。
しかし森写歩朗は自身があった。
「悪くないな」
少し読み返した森写歩朗《しんじゃぶろう》はほくそくと微笑《ほほえ》んだ。
「これでアイアンクローを食らうこともない」
肩に伸《の》しかかっていた三百キログラムの重りが外《はず》れたような解放感を味わいながら森写歩朗は背もたれにもたれかかった。
「ふぅぅぅぅぅ」
ゆっくりと息を吐《は》き出す。
しばらくはこうしていたい。
しかしこういう時に限って訪問者が来るものである。
ピンポーン。
「誰《だれ》?」
森写歩朗は少し不機嫌《ふきげん》な顔を騒《さわ》ぎ出した玄関へ向けた。
ピンポーン。
「しょうがないな」
森写歩朗はいやいや立ち上がり足を進める。
「どなたですか?」
扉《とびら》を開けた。
森写歩朗は鬼《おに》でも見たような顔で叫んだ。
「倉地《くらち》さん、三石《みついし》ちゃん」
二人はすっかりグロッキーとなった顔で森写歩朗を見つめている。
森写歩朗は二人が大きなスーパーの袋を持っていることに気が付いた。
もしかして、
「あのさ、それってすき焼きの?」
「そうよ」
倉地が険悪《けんあく》な表情で即答した。
「あれをやったの?」
「ええ」
森写歩朗は目を丸くすると同時に、
「ちょっと待っててね」
と家の中へと駆《か》け込んだ。
数十秒後、小さな球状の物を持ってくる。
「それでは」
森写歩朗はそれからでている細い紐《ひも》を引いた。
ゴールインおめでとう!
薬玉《くすだま》は景気よく割れ中からそう書かれた垂《た》れ幕《まく》が垂れ下がった。
「おめでとー」
拍手《はくしゅ》する森写歩朗《しんじゃぶろう》を二人はうつろな瞳《ひとみ》で見つめたのだった。
「父さんの趣味なんだよ」
森写歩朗は二人分の梅こぶ茶を用意しながら呟《つぶや》いた。
「トーマスのお父さんか。恐《こわ》いわね」
「今パチンコに行っててね。しばらく帰ってこないと思うよ」
「ふーん」
二人はソファーに座りながら辺《あた》りをキョロキョロと見渡した。
「意外《いがい》ときれいじゃない」
「これから汚くなるよ」
「えっ?」
「ううんなんでもない。ところで」
森写歩朗は二人の向かい側に座るとおずおずと話を切り出した。
「何の用」
「トーマスが風邪《かぜ》でも引いてると思って見舞にきたのよ、とでも言うと思った?」
倉地《くらち》が手を出す。
「さあ台本を見せてごらん」
「先輩《せんぱい》できたところまででいいんです」
森写歩朗は笑みを浮かべた。
「できたよ」
「本当?」
「ああ、さっき完成したんだ。自分でも意外《いがい》といい出来にびっくりしてるんだ」
「あなたの自信ね、関東|大震災《だいしんさい》よりも恐《こわ》そうだわ」
「いいからいいから。ま、読んでごろうじろよ」
「あなた日本語の使い方間違ってるわよ」
倉地の皮肉《ひにく》もなんのその、森写歩朗はルーズリーフの束《たば》を持って現れた。
「さっ」
「どれどれ」
倉地はそれを受けとるとタイトルに目をやった。
三石が横からのぞき込む。
「なんか楽しみ」
「えーと題名は」
二人は仲良く絶句《ぜっく》した。
『ニンニクマン』
「まあ、味があると言えばあるんじゃない先輩」
「そ、そうね」
二人は読み進めることにした。
『ニンニクマン』
CAST
・花野真太郎
・倉伊奈緒
・三岩晶子
舞台は学園
花野「今日も良い天気だな」
突然の悲鳴。三岩が駆けでてくる。
三岩「助けてください助けて」
花野「どうしましたお嬢さん」
三岩「吸血鬼に追われているんです」
花野「それは大変。さ、ここに隠れなさい」
花野、三岩を近くの木に隠れさせる。
倉伊登場。
倉伊「我こそは、今世紀最大の美少女吸血鬼、倉伊奈緒なり。月に変わってお仕置よ」
花野「変わった人だ」
倉伊「ここに今女が来たでしょう」
花野「知りませんよ」
倉伊「ふざけるな。私の鼻はごまかせないわよ」
花野「知らないものは知らないんですから」
倉伊「仕方がないわね。女にあったらこうお言い。お前の大切な花柄のハンカチは預かった。返してほしければ今夜校庭に来い。いいな」
倉伊、高らかに笑いながら退場
三岩「どうしよう」
花野「そんなに大切なハンカチなのかい」
三岩「ええ、スーパーのバーゲンで買った三百八十円のハンカチ」
花野「そいつは大変だ」
三岩「私、行くわ」
花野「えっ」
三岩「私、あのハンカチを取りに行く」
花野「しかし血を吸われてしまう」
三岩「でもあのハンカチをほったらかしておくわけにはいかないの」
花野「たった一枚のハンカチにそこまで執着《しゅうちゃく》するとは、もしかしてそのハンカチは」
三岩「そう、プリントがずれてるの」
花野「なんてこったい」
三岩「愛のために私は行くわ」
花野「分かった僕も一緒に行こう」
三岩「あのあなたは?」
花野「はは、ただの通りすがりの演劇部員ですよ」
暗転、校庭
倉伊「おそいわね。このハンカチで鼻をかんでしまおうかしら」
三岩「待って!」
倉伊「来たか」
三岩「さあ、そのハンカチを返して」
倉伊「ふふその前にあなたの血をいただくわ」
襲いかかる倉伊、その時花野登場。
花野「待て待て待て待て待て待て」
倉伊「お前は」
花野「いたいけな少女から花柄のハンカチを奪いそれに乗じて血まで吸おうとは、例え日本献血協会が許してもこの私が許さない」
倉伊「ふふ、夜の私に勝てるかしらん」
倉伊が目をかった開けると、花野吹き飛ばされる。
倉伊「ふふふふふふふ、どうこれが夜の吸血鬼のちから」
花野「ニンニクリンニンニクリンニンニクリン」
倉伊「なんだ」
花野「できれば正体は隠しておきたかった」
倉伊「なんだと」
花野「これが目に入らぬか!」
花野ニンニクを出す。
倉伊「げっニンニク」
花野「私の家は代々ニンニクを作る家系だ」
倉伊「ふん、そんなニンニク一つくらいで私がまいるとでも」
花野「そして、この家系に産まれてきた長男はニンニクマンとして世界平和のため世界中のニンニクをかっぱらってくるという使命が与えられるのだ」
倉伊「ニンニクマン」
花野「肉饅《にくまん》の上に人という字を買いてニンニクマン。へーんしん」
花野ニンニクをかじる。
花野「つ―――――きっく――」
ヒーロー物の音楽の中ニンニクマンに変身。
ニンニクマン「とぉぉぉぉ、今日も元気に遊びましょう。スタミナばっちりお口臭い。強い香は蜜の味、ニンニク戦隊。ニンニクマン!」
三岩「戦隊って、一人じゃないですか」
ニンニクマン「愛は相対性理論をも超えるんです」
倉伊「なんて香りなんだ」
ニンニクマン「必殺ニンニクパンチ」
倉伊「ぐわあ」
ニンニクマン「必殺ニンニクキック」
倉伊「うぁあ」
ニンニクマン「止《とど》めだ。昨日焼肉食った息ビーム」
倉伊「ぐわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
吸血鬼倉伊、倒れる。
ニンニクマン「ふっ自意識過剰の馬鹿が。新しい服着てきても俺《おれ》にはよく分かんねえんだよ」
ニンニクマン倉伊のポケットからハンカチを抜き取り三岩に渡す。
ニンニクマン「もう、奪われるんじゃないよ」
ニンニクマン去ろうとする。
三岩「ニンニクマン」
ニンニクマン「さらばだ」
三岩「ニンニクマン」
ニンニクマン「私の正体は永遠に謎《なぞ》なのだ。ニンニクそれは大きな希望、君が見た明日《あした》」
お線香の宣伝テーマで、ニンニクマン、ギターをひきながら退場。
一人中央でハンカチを握り締めたたずむ三岩。
三岩「ニンニクマン。ありがとう」
幕
「どうけっこういいでしょう」
森写歩朗《しんじゃぶろう》の言葉に倉地《くらち》、三石《みついし》の両名は冷たい目を向けた。
ジト―――。
ダブルジト目という奴《やつ》だ。
「ちょっと短いかもしれないけど。そこのところはどうとでもできるから」
「あんたさ」
倉地《くらち》が崖《がけ》から突き落とすような声で言った。
「人生|真面目《まじめ》に生きてる?」
「なんなの急に」
倉地は表情一つ変えずにそのルーズリーフの束《たば》を一気《いっき》に引き裂《さ》いた。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
東北地方のぼたん雪のように華麗《かれい》に舞い落ちるルーズリーフの中、情けない声を上げる。
「あんたが普段《ふだん》あたしのことどう思ってるか分かったわ」
倉地のアイアンクローが迫《せま》る。
森写歩朗《しんじゃぶろう》は地獄《じごく》を待つ気分だった。
「くそっ」
森写歩朗は彼にしては珍《めずら》しくやり場のない怒《いか》りを言葉に吐《は》き出した。
「どこがいけないんだよ」
そこに気が付いていないのはもはや重症であろう。
とにかく問答無用に書き直しを命じられたのだった。
「畜生《ちくしょう》」
時計の針は既《すで》に十一時を超《こ》えている。
森写歩朗は鉛筆を投げ出した。
「白紙だよ白紙」
これが四時間の成果だった。
「森写歩朗」
部屋のドアから辰太郎《たつたろう》が顔を出す。
顔が赤い。かなり飲んでいたのだろう。
「ジルさんは?」
「ジルは……家へ帰ったよ」
森写歩朗はぶっきらぼうにそう答えた。
「なんだと! せっかく今晩は二人でこの極濃酒《ごくのうしゅ》『親知らず』を飲み明かそうと思ったのに」
一抱《ひとかか》えもある酒瓶《さかびん》を抱えた辰太郎は部屋にずかずかと上がり込むと森写歩朗に酒臭《さけくさ》い息を吹きかけた。
「帰ってくるんだろうな」
「えっ?」
「愛想《あいそ》をつかされたわけじゃないだろうな」
「ち、違うよ」
心なしか声が震《ふる》える森写歩朗。
「それならまあいいが、いいか森写歩朗《しんじゃぶろう》。男はな時には女の言うことを素直に聞き入れなくちゃいけない時もあるんだぞ」
「父さん。かなり酔《よ》ってるよ」
「俺《おれ》は酔ってない。酒に飲まれても俺に飲ませろ」
「はいはいはい、お休みお休み」
「いいか、男と女の間にある暗くて深い耳の穴について聞きたければいつでも俺の所へ来い」
「分かったから」
「いいか森写歩朗」
「はいはいお休みお休み」
辰太郎《たつたろう》を追い出した森写歩朗はほっと息をついた。
「女の言う通りか、それじゃあ僕は吸血鬼《きゅうけつき》になっちゃうよ」
「それから森写歩朗」
辰太郎が再び顔をドアから突き出す。
「な、なんだよ」
「これをな」
辰太郎は小さなブローチを森写歩朗に渡した。
「ジルさんに渡しておけ。プレゼントだ」
「ああ」
ブローチには小さな紙切れが付いている。
ジルへ、森写歩朗
「父さん」
「いいからいいから。お前からということにしておくんだぞ」
辰太郎はニヤニヤしながら居間へ帰っていった。
「もう渡せないのに」
森写歩朗は暗い表情でブローチを机の上に置くと窓際に立ち外を見やった。
「ジル。大丈夫かよ」
夜空にジルの姿は見えない。
もしかしたらもうこの町を離れてしまったかも。
ブラックウインナーとか言う奴《やつ》に狙《ねら》われているらしいが大丈夫だろうか?
ブラックウインナーである。
フランクフルトソーセージよりは強敵かもしれない。
「ジルの馬鹿野朗《ばかやろう》」
森写歩朗《しんじゃぶろう》は夜空に向かってそう呟《つぶや》いた。
「待てよ」
その時森写歩朗の頭で百ワットの電球が輝いた。
「使えるかも」
森写歩朗はしばらく思案《しあん》した。
「悪くないな」
すぐに机に飛ぶ。鉛筆を握《にぎ》る。真っ白なルーズリーフに森写歩朗は頭の中で閃《ひらめ》いた題名を刻《きざ》んだ。
僕の血を吸わないで
CAST
・ジル
・ブラックウインナー
・真太郎
そこで鉛筆が止まった。
ジルのことを思い出せば出すほど、気分が滅入《めい》ってくるのだった。
「やめたやめた」
森写歩朗はものの数秒で鉛筆を投げ出した。
呆《あき》れるくらい素早《すばや》い決断だった。
「倉地《くらち》さんに大人《おとな》しくアイアンクローされよ」
森写歩朗はベッドに横になった。
「大体|無理《むり》なんだよ僕が脚本なんて」
森写歩朗は目を閉じた。
「お休み。ちくしょう」
森写歩朗は目を閉じた。
全開の窓から涼《すず》しい風邪が吹きこんできていた。
深夜、音もなく森写歩朗の部屋へ入る人影があった。
ドアからではない、窓からである。
影は森写歩朗の顔をじっと見つめると静かに微笑《ほほえ》み、ベッドの脇《わき》に落ちていた毛布をそっと森写歩朗にかぶせた。
次いでタンスへ向かう。
影は小さなマントを取り出した。
その時、奇妙《きみょう》な訪問者の目に机の上のブローチとルーズリーフが飛び込んできた。
ブローチを手に取った影はしばらくそれを見つめてから鼻をグスリと鳴らすとブローチを自らのポケットに入れた。
そしてルーズリーフに目を落とした。
たった数行書かれただけのものであったが訪問者はそれを手に取った。
しばらくの沈黙《ちんもく》。
謎《なぞ》のようだけど誰《だれ》かもうバレバレの謎の訪問者はニッコリ微笑《ほほえ》むと机に座りルーズリーフに何やらカリカリと書き始めた。
カリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリ。
そのせいかその夜、森写歩朗《しんじゃぶろう》はネズミに頭かじられる夢を見た。
第四章 森写歩朗の試練
1
ピヨピヨ……。
森写歩朗《しんじゃぶろう》は小鳥の鳴き声で目を覚ました。
時計を見る。
午前六時。
彼にしてみればかなりの早起きだった。
「珍《めずら》しいな」
こんなに早く目が覚めたことに少し驚きつつ森写歩朗は再び目を閉じた。
「…………………………」
森写歩朗は目をかっと見開いた。
「眠れない!」
眠れない状態でベッドにごろごろしているのも少しつらいものがある。
森写歩朗《しんじゃぶろう》は起き上がると軽く伸《の》びをした。
「へえ」
毛布をかぶった覚えはないのにしっかりとかぶっている。
「無意識ってすごいなぁ」
妙《みょう》に感心しながら森写歩朗はトイレへ行こうと部屋の扉《とびら》に手をかけた。
「おや?」
森写歩朗は見つけた。
机の上に広がる十数枚のルーズリーフを。
しかもそれはびっしりと書かれた文字で埋《う》め尽《つ》くされていた。
「おいおい」
森写歩朗は慌《あわ》てて手に取った。
早春のそよ風のような沈黙《ちんもく》が流れる。
それは見事な筆記体、つまり英語だった。
「くそっ僕は筆記体が読めないんだ」
たとえブロック体であっても森写歩朗にこれを読むことは不可能である。
しかしこんなものを書く人物は…………。
辰太郎《たつたろう》でないことだけは確かだ。父親の字はよく知っている。
ミミズが這《は》いつくばって腕立《うでた》て伏《ふ》せをしているような字だ。
とすれば、
「ジルか……」
森写歩朗はかすれた声で呟《つぶや》いた。
よく見るとブローチもない。
すぐに首筋を触《さわ》る。別段《べつだん》変わった様子はなかった。
血を吸われたわけではなかったらしい。
「なんて書いてあるんだろう」
森写歩朗に読む手段はなかった。
「そうだ!」
森写歩朗はリビングでひっくり返っている父親のことを思い出した。
少なくとも辰太郎は英語に関してはエキスパートだった。
森写歩朗はトイレへ行くことも忘れてリビングへ飛んだ。
「父さん父さん父さん父さん」
「なんだよ」
辰太郎は目をこすりながら起き上がった。
「なんだまだこんな時間じゃないか」
「父さん。頼みがあるんだ」
「あとにしろ」
再び横になる辰太郎《たつたろう》。
森写歩朗《しんじゃぶろう》は辰太郎のシャツの首筋を思いきりつかんだ。
「父さん」
あまりもの迫力《はくりょく》にさすがの辰太郎も息を飲む。
「分かった」
辰太郎は目をぱちくりさせながら言った。
「で何なんだ?」
「これを訳して欲しいんだ」
辰太郎は森写歩朗から渡されたレポート用紙の束《たば》に目を落とした。
「なんだ英語の宿題か、駄目《だめ》駄目。英語なんて机で勉強したってなんもならないぞ。俺《おれ》はジュディーのベッドの中で覚えた。ああ、ジュディー。今頃《いまごろ》なにしてるんだろう」
「父さん」
「へいへい分かった分かった。え――と…………こりゃ台本だな」
「台本?」
「ああ」
「訳せる?」
「愚問《ぐもん》だな。俺《おれ》は日本語より英語が得意《とくい》な日本人国籍を持つくせに海外にいるほうが長い男だぞ」
「よく分かんないけどがんばって」
辰太郎は近くのノートを開いた。
「でっいつまでだ?」
「できれば、早い内に」
「楽勝だな。この程度その気になれば二時間あれば十分だ」
「その気になってよ」
「その気になってよか、男に言われても嬉《うれ》しくないな。しかも息子《むすこ》に」
「頼むよ」
「分かった分かった。お前がこんなに頼み事をするのは久しぶりだからな。父親としてちょっと嬉しいよ」
「父さん」
「三千円な」
「ちょっと」
「俺《おれ》をこんなに朝早くから叩《たた》き起こしといてただはないだろただは」
これさえなければちょっとホロリときてたのに。
森写歩朗《しんじゃぶろう》は嘆息した。
「分かった三千円払うよ」
「肩もんでくれ」
「はいはい」
「コーヒー入れてくれ」
「はいはい」
「飯《メシ》作ってくれ」
「はいはい」
「トイレ行ってくれ」
「はい、え?」
「それは俺が行かないと駄目《だめ》か……」
「ありがとうさん」
森写歩朗は父が訳したノートを抱えて玄関を飛び出した。
この日の三限目は現国。
最近さぼってばかりいたため少々出席日数が怪《あや》しくなっていた。
手にしているノートはまだしっかりとは読んでいない。
しかしこれで今日はなんとか倉地《くらち》のアイアンクローを食らわずにすみそうである。
ただし出来がそこそこであればだが…………。
森写歩朗は足に込める力を強くした。
昼休み。そっと森写歩朗はノートを開いた。
『僕の血を吸わないで』
それは自分とジルの出会いをそのまま戯曲《ぎきょく》したものだった。
自分の名前こそ違っているもののなぜかこっぱずかしい気持ちが抑《おさ》えられない。
午後の始業開始のベルが鳴る。
森写歩朗は目が放せなくなりそっと教室を抜け出した。
誰《だれ》もいない部室へ向かう。
久しぶりの読書タイムだった。
ガラーンとするほどスペースのない部室の小さなソファーに腰を下ろす。
先ほどの続きに目をやった。
ミミズが這《は》いつくばって腕立《うでた》て伏《ふ》せをしているような字が羅列《られつ》されている。
父親の字はかなり読み難いが慣れている森写歩朗《しんじゃぶろう》にとってはさほど苦にもならない。
というのもかなり自分の字と酷似《こくじ》した部分があるからだった。
こんなところにも親子の証明が現れるものだなぁ。
脱線しかかる心に紐《ひも》を縛《しば》り付けて森写歩朗は文字の行列に目を落とした。
自分を拒《こば》まれたジルは、一人|闇夜《やみよ》に去っていく。
真太郎「ジル―――――――。好きだったんだよー」
「おいおいおいおいおいおいおいおいおいなんなんだよこの台詞《せりふ》は」
森写歩朗は苦笑した。
ジル「新しいねぐらを探さなくちゃ。あいつが来ちゃう。あいつが……。でもこの町を離れるにはまだ力が足りないわ。あれ、そうだ。ここにしよう。滅多《めった》に人も来そうにないし。それに、真太郎とも近くにいられる」
場面が変わる。
真太郎「ジルはどこへ行ったんだろう。僕の責任だ。探さなくては」
場面が変わる。
ジル「狭いし埃《ほこり》っぽいしあまり居心地がいいとは言えないけど。でも贅沢《ぜいたく》言ってる時じゃないわね。早く力を蓄《たくわ》えて出ていかなくちゃ。あいつに嗅《か》ぎつけられるわ」
場面が変わる。
真太郎「どこだろう。ジルがいそうなところは、どこだ。見落とした所があるはずだ。朝日のまほろばのように。彼女の笑顔は夜の世界のものだけど、それは月が太陽に嫉妬《しっと》される原因になってる。太陽がいくら彼女の笑顔を要求しても、彼女の笑顔は闇の中でしか生えない。しかしもう一つ生える場所がある。それは僕の心の中だ。僕の心の中で彼女の笑顔は永遠に輝き続けるだろう。でも僕はそれを望まない。有限でもいいから、闇の中ででもいいから、彼女の笑顔を吐息《といき》が感じられる距離でこの目に映したい。この手で彼女の笑顔に触れてみたい。それは禁断《きんだん》の扉を開ける行為だろうか? 許されない行為なのだろうか。いいや、僕は僕の方法で人生を感じたいだけだ。川が川、山が山、海が海、そしてジルがジルであるように、ジルを必要とする僕の心も決して異端《いたん》なものではないはずだ。それを確かめるためにもジルをこの手で抱きしめなければ、ジル。どこなんだ。どこにいるんだ」
「…………うぅぅ。すごい台詞《せりふ》だな」
森写歩朗《しんじゃぶろう》は途切《とぎ》れがちにそう呟《つぶや》いた。
ちょっと汗ジト。
やがて舞台はクライマックスへと進んでいく。
訳が分からない超抽象的《ちょうちゅうしょうてき》表現の箇所もかなり見られたがまあなんとかものにはなっていた。
ジルと真太郎は苦心の末ブラックウインナーを葬《ほうむ》ったのだった。
ジル「やったわ」
真太郎「ああ、やったな」
ジル「これで私たち一族を脅《おびや》かすものはなくなった。闇の中に自由が生まれたんだわ」
真太郎「よかったな」
ジル「ありがとう真太郎。私のために」
真太郎「いいってことよジル」
ジル「真太郎」
真太郎に飛びつくジル
「けっこう感動的だな、これで別れ行くのか」
森写歩朗は鼻をすすった。
「そこがいいんだろうな」
森写歩朗はさらにクライマックスを読み進めた。
ピタ。
表情が凍《こお》る。
「ちょっと待ってくれよ」
森写歩朗は抑揚《よくよう》のない声を上げた。
「なんなんだよ。この最後は」
ジル「真太郎、噛《か》んでもいい」
真太郎「………ああ」
ジル「もう光の世界には出てこれない。成長も止まる。おいしいものも食べれない。人間でなくなる。それでもいいの」
真太郎「ああ、ジルが一緒だから。闇の世界でもかまわない。ジルと共に永遠を生きるよ。孤独《こどく》を感じることなくね」
ジル「真太郎」
ジルの唇《くちびる》がそっと真太郎の唇に触《ふ》れる。そしてそのまま首筋へ。
永遠の愛のテーマが流れる中、ゆっくりと幕が下りる。
完
「なにが完だよ」
森写歩朗《しんじゃぶろう》は紙の束《たば》を机に放り出した。
「どうしてあそこで『ああ』なんて返事しちゃうんだよ?」
そこさえなければまあまあだろうに。
最後だけ書き直すか。
森写歩朗は近くのペンを取った。
感動的に別れるか、また居候《いそうろう》を続けさせるか。とにかく噛《か》まれちゃだめだ。
森写歩朗がペンを当てようとした時、背後《はいご》から声がかけられた。
「何しようとしてるの?」
この声は倉地《くらち》のものだった。
「倉地さん」
森写歩朗は慌《あわ》てて振り向いた。
そこには何やらハンカチを握《にぎ》り締めた倉地、そして同じくハンカチを目頭《めがしら》に当てる三石《みついし》の姿があった。
「いつからそこに」
「もうずっと前から、トーマスそれいい」
「はっ?」
「その台本最高。私もうジーンときちゃった」
「へっ」
「先輩《せんぱい》。絶対才能ありますよ」
「これは、僕が書いたわけじゃ」
「何言ってるのそれはどう見てもトーマスの字でしょ」
倉地が原稿を指さした。
やはり素人《しろうと》には辰太郎《たつたろう》のミミズが這《は》いつくばって腕立《うでた》て伏《ふ》せしているような字と森写歩朗《しんじゃぶろう》のミミズがひっくり返って腹筋をしているような字との区別がつかないようである。まだまだ甘《あま》い。
「でも、最後がマズイから変えないと」
「馬鹿《ばか》言わないでよ!」
倉地《くらち》の罵声《ばせい》が飛んだ。
「そうですよ」
三石《みついし》も口を揃《そろ》える。
「これは最後二人が永遠の愛を選ぶところが最高なんですよ。男は人間を捨てなくてはならない。血を吸って生きる化物《ばけもの》と呼ばれる存在にならなければならない。それでも選んだんです。人間を捨てて愛を選んだんです」
三石がハンカチを広げてビームと鼻をかんだ。
「もうこれしかありませんって」
「そうよ、トーマス。これを上演することにするわ」
倉地が天の一言を発声した。
「本当にこれでいくの?」
「当たり前でしょ。丁度《ちょうど》三人」
「でもこの真太郎《しんたろう》っていうのひどいですよね。どうして最初の時に噛《か》ましてあげなかったのかな」
三石が物騒《ぶっそう》な発言をした。
森写歩朗はなぜか自分のことを言われているようで心に五寸釘《ごすんくぎ》がささる痛みを感じた。
「本当。そうよね、私がジルだったらねじ伏《ふ》せてでも噛みつくな」
くわばらくわばら。
「じゃあ早速《さっそく》清書して印刷するわ」
「待って」
森写歩朗は思い出したかのように叫んだ。
「あのさ、けっこうきわどいシーンあるけど」
「きわどいシーン?」
「そのさ」
シャイな森写歩朗は少し顔が熱くなるのを感じながら、
「例えばキスシーンとか」
「やるわよ」
「え――――――――」
「当たり前でしょ。このキスが美しいんだから」
「すぐに首筋へ行かないところにジルの愛が溢《あふ》れてるじゃないですか」
「そ、そうかな」
「忠実にやるわよ」
「しかし」
森写歩朗《しんじゃぶろう》は頭に血が登るのを感じた。
ジルもブラックウインナーも女性。
つまり真太郎は自分しかいないということだ。
その事実が意味するところはこの二人のうちのどちらかとキスをしなければならない、いやできるということである。
あまりの大それたことに今度は血が引いていく。
森写歩朗はソファーに埋《うず》まった。
「心臓に悪い」
しかしそれと同時に別の考えが浮かんだ。
忠実にやるとしたら多分どちらもジルをやりたがらないだろう。結局は書《か》き替《か》えることになるだろうな。
考えれば考える程その可能性が大きくなっていく。
森写歩朗は一瞬《いっしゅん》でも目の前の彼女達の唇《くちびる》が自分に向けられることを考えた愚《おろ》かさに自嘲《じちょう》した。
しかし、現実は全く違ったのである。
「じゃあ早く台詞《せりふ》覚えなくちゃ。やだ、ジルの台詞けっこうあるじゃないですか」
三石《みついし》の言葉に目を丸くする森写歩朗。
しかしさらに驚愕《きょうがく》の出来事は続いた。
「何言ってるのよ。ジルは私がやるわ。三石ちゃんはブラックウインナー」
丸くした目の玉が飛び出る森写歩朗。
「いくら先輩《せんぱい》でもこれは譲《ゆず》れません」
「私の方がこの役をやるのに向いてるわ」
「そんなことありませんよ」
「どういう意味」
「さっき先輩言ったじゃないですか。私だったら力ずくで噛《か》みつくって。ジルは愛があったからそんなことできなかったんです。ジルはそういう乙女《おとめ》なんです」
三石の瞳《ひとみ》がすでにあっちの世界へトリップしている。
森写歩朗は見てはならない瞳の奥をかいま見たような気がした。
「私だって、あーゆー場面に接したら、やっぱり血は吸わないと思うわ」
嘘《うそ》だ。平気で一発|殴《なぐ》って気絶《きぜつ》させといてからゆっくり吸うんだ。そうに違いない。
「さっきはあれよあれ、言葉のあやよ」
「本音《ほんね》でてましたよ」
「いいの! こういう時は先輩《せんぱい》に譲《ゆず》るもんでしょ」
「いいえ、やはり倉地《くらち》先輩にはブラックウインナーみたいなのが似合ってます」
それは分かる。
森写歩朗《しんじゃぶろう》の心の中ではブラックウインナーは倉地のようなイメージだった。
「三石《みついし》ちゃん」
倉地は優《やさ》しい口調ながらも拳《こぶし》を固めている。
「なんですか?」
三石も攻撃に備えて鞄《かばん》を盾《たて》のように持ち替《か》えていた。
一触即発《いっしょくそくはつ》。
血を見る前になんとかしなくては明日の朝刊に流血の記事が載ってしまう。
さすがの森写歩朗もここは勇気を出すしかない。
「あのさ」
森写歩朗は本当におずおずと、申し訳なさそうに二人の間に割って入った。
本当に申し訳なさそうだった。
きっと腰が低いというのはこういうことなのだろう。
「こういう時は普通、あれでしょ」
「あれってなによ」
「ジャンケンか」
「冗談《じょうだん》言わないで」
倉地《くらち》が鬼《おに》のような形相《ぎょうそう》で森写歩朗《しんじゃぶろう》を睨《にら》み付ける。
森写歩朗は震《ふる》えあがった。
「続きがあるんだよ。ジャンケンするか、あれだよ」
「だからあれってなに」
「ここは人数が少ないからやったことないけど多いところはやってる、えーとなんていったかな」
肝心《かんじん》の言葉が出てこない、ここまで出かかってるのだが。
「オーデションですか」
「そうそう三石《みついし》ちゃん。そのオーデコロンだよ」
森写歩朗は得意気《とくいげ》に胸を張った。
「やはり役を決めるにはそれしかないでしょ。僕はそう思うよ」
「確かに普通はオーデションで決めるわね」
「でしょ倉地さん」
「でもやっぱり年功序列《ねんこうじょれつ》っていうし」
「先輩《せんぱい》、自信ないんですか?」
三石が平然と言い放つ。眠れる獅子《しし》の鼻の穴に割箸《わりばし》を突っ込むように。
森写歩朗の背中を冷たい汗が流れた。
「ふん、悪いけど私が勝つわよ」
「それはやってみないと分からないじゃないですか」
「で、誰《だれ》が審査《しんさ》するの」
「それは」
森写歩朗の動きが止まった。
もしかして僕はとんでもないことを言い出したのではないか?
事実その通りだった。
「真太郎《しんたろう》役に決定の花丸《はなまる》先輩に決まってますよ」
しまったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ。
「そうトーマスがね」
倉地の目が怪《あや》しく光る。
その目は森写歩朗をいたぶる時の目だった。
背中に氷を放り込まれたような感触《かんしょく》が走る。
倉地さんで決まりだね。
思わずそう言いかけた時、三石《みついし》が突拍子《とっぴょうし》もないアイデアをあげた。
「演技力も大切ですけど、やっぱりこの場合はジルの心にどれだけ近づけるかが重要なんじゃないですか」
「当然よ」
「だからここは花丸先輩《はなまるせんぱい》がどちらがふさわしいかを選ぶべきでしょう」
「どういうこと」
森写歩朗《しんじゃぶろう》が尋《たず》ねる。
「つまり」
「普通のオーデションのようにトーマスの前で演技するとかじゃなくて、日常の生活でまさにジルという方を選んでもらうということね。演技でない姿で」
「そうです」
「ふふ、上等じゃない」
倉地《くらち》が軽く笑みをこぼす。
「悪いけどこの勝負、トーマスを知り尽くしている私に分《ぶ》があるわね」
「さあ、どうでしょうかね。倉地先輩、花丸先輩を脅《おど》すようなマネはしないでください」
「分かってるわよ」
「それから花丸先輩がどちらを選ぼうと決して文句《もんく》を言わない」
「分かったわ。トーマス! いいわね」
「は、はい」
森写歩朗は飛び跳《は》ねるように言った。
「結論は?」
「明日の放課後に出してもらうことにするわ。聞いてるのトーマス」
「は、はい聞いてます」
「そういうことだから、明日はしっかり審査《しんさ》してってね」
「……………………」
「固く考えないでください。素直な気持ちで判断すればいいんですから」
「素直な気持ちね」
「じゃあそういうことね。楽しみだわトーマス」
倉地の笑みに森写歩朗の背筋はゾクッときた。
やはり僕は馬鹿《ばか》だった。
後のお祭りドンドコショである。
そして森写歩朗は更《さら》なる苦難の日を迎えるのであった。
2
絶句《ぜっく》。
翌日、玄関を出た森写歩朗《しんじゃぶろう》の表情はまさにその一言であった。
口をぽかんと開けて、目をぱちくりさせて、もう一度目を擦《こす》ってから目の前の人物を凝視《ぎょうし》する。
やっぱり倉地《くらち》さんだよな。
しかしその服装が意外《いがい》や意外。
倉地はセーラー服だったのだ。
森写歩朗の通う公立|飯南《いいなみ》高校では一応《いちおう》制服はあるものの服装は自由とされているためあまり人気はない。
特に女子の間ではダサイの代名詞がここのセーラー服とさえいわれる代物《しろもの》であった。
森写歩朗はあの妙《みょう》に中途|半端《はんぱ》なスカートやシャツにもわりと好感を抱いていたのだがいかんせん入学式以来お目にかかったことはない。
それが今目の前に出現している。
しかも着ているのはあの人一倍ファッションにうるさい倉地。
散々《さんざん》服装のことで森写歩朗をこづき回した彼女なのだ。
「お…はよう。……倉地さん」
「おはよう。森写歩朗君」
倉地は可愛《かわい》らしく微笑《ほほえ》んだ。
ちょっと待て! 今森写歩朗君って言ったよな。
森写歩朗の脳味噌は既《すで》に混沌《こんとん》の渦《うず》に巻き込まれてエーゲ海まで流されていた。
もしかして宇宙人が地球|侵略《しんりゃく》のために送ってきたコピーロボットではないだろうか?
そんなしょーもないことまで考え始める始末《しまつ》。
しかし目の前にいるのはやはりあの倉地だった。
「どうしたの森写歩朗君」
「あのさ、倉地さん」
森写歩朗は真剣《しんけん》な顔で倉地に尋《たず》ねた。
「何か悪い物でも食べた?」
倉地のこめかみがピクリと動く。出るか倉地必殺アイアンクロー。
「何言ってるのよ森写歩朗君。さあ学校行きましょう」
「あ、ああ」
「大丈夫。私も一緒《いっしょ》に歩いていくから」
「そ、そう」
「さ」
倉地《くらち》が森写歩朗《しんじゃぶろう》の手を握《にぎ》る。
パンパカパ――――ン。
森写歩朗の頭の中でイギリス皇室《ロイヤル》交響楽団によるときめきのファンファーレが鳴り響いた。
まるで某《ぼう》恋愛ゲームのシチュエーションではないか。
しかし残念なことに森写歩朗にはこのシチュエーションを楽しむだけの余裕《よゆう》はなかった。
頭はまだカオス状態だった。
狸《タヌキ》と狼《オオカミ》と狐《キツネ》と蛙《カエル》がコロブチカを踊《おど》っている。ゲスト出演で大きなパンダもいた。
倉地に引っ張られるようにして森写歩朗はマンションを出た。
「おい森写歩朗」
三限目が終わると同時に西尾《にしお》が駆《か》け込んでくる。
その間わずか三秒。
西尾は息を整えながら詰め寄ると深刻《しんこく》な顔で言った。
「おいおい、まじかよ」
「何が?」
「今朝、倉地|嬢《じょう》と仲良く登校したそうじゃないか」
「ああ、本当だよ」
「お前……マゾッ気があったのか」
「違うよ西尾」
森写歩朗は手短《てみじか》に昨日のすったもんだを説明した。
自分が判断しなくてはならないこと。
自分を選んでほしいがための倉地の行動。
「というわけなんだ」
「……なかなか複雑な事情だな」
「でしょ。倉地さんもよくやるよ」
「しかしな、お前少しまずいぞ」
「何が?」
西尾は森写歩朗に小声で囁《ささや》いた。
「かなりの数の男子生徒がお前を抹殺《まっさつ》するために動いている」
「まさか」
「嘘《うそ》じゃない」
西尾が目を廊下《ろうか》へチラリと動かした。
「顔は向けるな。そっと見ろ」
そこにはいっちゃった目をした男子生徒が数人。こっちを睨《にら》んでいる。
中にはナイフを手にした生徒も。
「西尾《にしお》ぉぉぉぉぉ」
「寄るな。俺《おれ》まで巻《ま》き添《ぞ》えを食う」
「なんとかしてくれよ」
「無理《むり》言うなよ。あいつらはおそらく倉地《くらち》ファンクラブの一員だ」
「そんなんできてるのか」
「ああ、ちなみに会長はうちの部の部長。宮下政則《みやしたまさのり》」
「だったらなんとか話しておいてくれよ」
「………まあいいだろう」
西尾は丸っこい手を差し出した。
「なんだよ」
「五百円」
「どうして僕の周りってこんなんばっかなんだろう」
森写歩朗《しんじゃぶろう》はしぶしぶと五百円を渡す。
さすがに命には替《か》えられない。
「お前はほとぼりが冷《さ》めるまで、そうだな校舎裏にでも行ってろ」
「分かったそうするよ。でもまだ飯《メシ》が」
「おいおい、購買になんか行くなよ。刺されるぞ」
「………分かった。頼むよそっちは」
「まかせとけ。金をもらったからには全力を尽くす」
「金をもらわなければ全力を尽くさないのか」
「まあ細《こま》かいことは気にするな。それより森写歩朗」
西尾は森写歩朗の目の前に指を立てた。
「たぶんもう一人の娘」
「三石《みついし》ちゃん」
「その娘《こ》も何かしらくるぞ」
「まさか」
「いいやくる。俺には分かる。なぜか分かる。気を付けろ」
何をどう気を付ければいいのかよく分からないが西尾はそう言うと風のようにいっちゃった目の集団へ近づいていった。
「まあまあまあ」
「殺してやる」
「まあまあまあ」
「俺達《おれたち》の倉地《くらち》ちゃんを」
「まあまあま話を聞けよ、あっち行こう」
さすがにそのクロぶち眼鏡《めがね》からくる人当たりの良さは伊達《だて》ではなかった。
西尾《にしお》は危ない男達をうまくごまかしながら去っていく。
ありがとな。
森写歩朗《しんじゃぶろう》は西尾の活躍に心の中で拍手《はくしゅ》を送った。
新たなる刺客《しかく》がくる前にこの場を離れよう。
森写歩朗は逃げるようにこそこそと校舎裏へと向かった。
校舎の裏側。
少し湿《しめ》っぽいが日当たりはそれほど悪くなく座る場所さえ注意すれば快適だった。
森写歩朗はたまにここで昼寝をしたりするのだ。
言わばみんな場所は知ってるのにその快適さは知らない穴場であろうか。
森写歩朗はグースカ鳴る腹を押さえながら空を見上げた。
口は災《わざわ》いの元とは誰《だれ》が言ったかよく知らないけど確かにその通りだな。
まさか命まで狙《ねら》われる結果になろうとは誰が予想しただろうか?
森写歩朗は嘆息した。
「はぁぁぁぁぁ」
グゥゥゥゥゥ。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
グゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
グゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ。
「せーんーぱーい」
「うっ」
突然《とつぜん》その耳に飛び込んできた声は、まごうことなき三石《みついし》の声。
森写歩朗は錆《さ》びたロボットのようにきしみ音を立てながらゆっくりと振り返った。
「先輩《せんぱい》、探しましたよ。やっぱりここでしたか」
「やあ三石ちゃん」
森写歩朗がひきつった笑顔を向ける。
「先輩。お昼、食べましたか?」
「いや」
「良かった。お弁当作ってきたんです」
三石《みついし》はさわやかな笑顔で小さな包みを差し出した。
「どうぞ」
グゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ。
空腹には勝てない。
これを受けとったら汚職《おしょく》かな。
グゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ。
考えすぎだな。
森写歩朗《しんじゃぶろう》はありがたく頂戴《ちょうだい》することにした。
かわいいおにぎりとおかずセット。
タコさんウインナーを始めとする男が泣いて喜ぶ手作り料理のオンパレード。
森写歩朗はついつい涎《よだれ》を滂沱《ぼうだ》してしまった。
「さぁどうぞ」
三石は水筒のお茶をカップに注いでいる。
森写歩朗は好物のウインナーに手を伸《の》ばした。
その時、
「ちょっと待った!!」
振り向いて確かめる必要もない。
森写歩朗は先ほどとは別の涙が流れ出るのを感じた。
「賄賂《わいろ》を送るなんてなかなかやるわね」
「人聞きの悪いこと言わないでください。私はただ花丸先輩《はなまるせんぱい》にお弁当でも作ってあげようかなーって」
「どうして突然《とつぜん》そう思ったか不思議ね」
「うっ」
思わず三石が言葉につまる。
倉地《くらち》は勝ち誇《ほこ》ったかのように言った。
「それだけ自信がないってことね」
「そーゆー倉地先輩の手に持ってるのはなんですか」
「こ、これは」
しどろもどろになる倉地。
「サンドイッチよ」
「へ―――」
「ちょっと作りすぎたから。おかしくないじゃない。唯一《ゆいいつ》の男子部員にたまにはね」
「じゃあ私のもおかしくないじゃないですか。さ、花丸先輩。どんどん食べてください」
「トーマス。お昼はサンドイッチのほうが消化にいいわよ」
倉地《くらち》がサンドイッチを突きつける。
「先輩《せんぱい》」
三石《みついし》がお弁当を突きつける。
森写歩朗《しんじゃぶろう》はどんどん後退《あとずさ》った。
「あの」
「さあ」
「気持ちだけで」
「さあ」
「あのさ」
「食べて」
「食べてください」
困った!
遂《つい》に壁《かべ》ぎわまで追いつめられた森写歩朗は心底《しんそこ》まいっていた。
進退|極《きわ》まった状態という奴《やつ》だろう。
こちらを立てればあっちがこける。
ベストは両方流し込むことである。
今の腹の調子なら不可能ではない、不可能ではないが………、かなりつらい作業となるだろう。
しかし他に方法はない。
森写歩朗は大きく息を吸い込むと決心を固めた。
その刹那《せつな》。
ガゴオォォォォォォォォン。
頭と植木鉢《うえきばち》が衝突《しょうとつ》した鈍《にぶ》い音が鳴り響いた。
森写歩朗の頭には小さな植木鉢が上の階から落ちてきたらしい。
目の前に火花が飛び散ったかと思うと次の瞬間《しゅんかん》カーテンが下りてくる。
森写歩朗は薄れ行く意識の中、この食べて食べて地獄《じごく》から抜け出せたことを幸運に思った。
スッゲー痛いけど、植木鉢落とした奴に感謝しよう。
でもなんで植木鉢なんか落ちてきたんだ?
初歩的な疑問を胸に森写歩朗は夢のお花畑へと旅立っていった。
3
森写歩朗は保健室のベッドで目を覚ました。
頭がずきずきするが我慢《がまん》できない程ではない。
森写歩朗はこめかみを押さえながらカーテンを開けた。
「あら、意外《いがい》と早いお目覚めね」
そこでは白衣《はくい》の保健婦が机に向かってなにやら書きものをしていた。
もう十年前なら白衣の天使《てんし》だったのに。
森写歩朗《しんじゃぶろう》はそんなことを考えた。
「植木鉢《うえきばち》が落ちてきたそうね。それにしてもすごい石頭。軽い脳震盪《のうしんとう》ですんだみたいね」
「頭蓋骨《ずがいこつ》厚いですから」
「今度レントゲンとってみたいわ」
「今何時?」
「丁度《ちょうど》五時間目が終わるころよ。もうすぐあの女の子達来るんじゃないかしら。ずっと看病《かんびょう》してるとか言わせちゃって。もう憎《にく》いねこの!」
三十代前半の保健婦は大げさにマネをしてみせた。
「先生は知らないからだよ」
森写歩朗はよいしょと立ち上がる。
「どこ行くの」
「帰ります。どうもお世話になりました」
「もうすぐ女の子達が来るよ」
「それが恐《こわ》いんです」
ポカンとする保健婦をそのままに森写歩朗は廊下《ろうか》へと出た。
外へと向かう。
安息の地を求めてのゲルマン民族の大移動だった。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
森写歩朗は重い重いため息を吐《は》き出した。
あまりの重さにため息は障害となって森写歩朗の行く手を遮《さえぎ》る。
前へ進めなくなった森写歩朗は近くのベンチに腰を下ろした。
ここは学校の近くの小さな公園である。
まだ遊ぶ子供達の姿もまばらにしかなかった。
森写歩朗が選んだ安息の地であった。
「どっちか選ぶのか」
ジル役にはどちらがふさわしいか。
あっちを立てればこっちが怒《おこ》る。
こっちを立てればあっちが怒る。
あっちこちあっちこっちあっちこっちヨイヨイヨイヨイヨイ。
森写歩朗の頭の中ではお祭りが始まってしまった。
「どうすりゃいいんだよ」
森写歩朗《しんじゃぶろう》は生まれて初めて究極《きゅうきょく》の選択という場面を体験するような気がした。
カレー味のウンコとウンコ味のカレー、もし両方食べればこの状況をどうにかしてくれるというならば食べてもいいとさえ思った。
とにかく、どちらかを決めなければならない。
しかしそのことはもう一方を突き落とすということになってしまう。
森写歩朗のやさしさか、優柔不断《ゆうじゅうふだん》さか、倉地《くらち》に対する恐《おそ》れか、やはり結論を出すことは不可能だった。
こんな状態に陥《おちい》った時の打開策はあれしかない。
旅に出よう。
森写歩朗がなかば本気でそう考え始めた時、その声は背後《はいご》からかけられた。
「悩んでおいでですか」
そのエメラルドのように澄《す》み切った声は…………、森写歩朗は振り返った。
「あ」
「どうしました?」
そこには宝石のように深遠《しんえん》な輝きを込めた笑顔をたたえるシスターが立っていた。
「そ、そ」
シスターのあまりの荘厳《そうごん》さに森写歩朗は口をパクパクさせながら、
「な、悩んでおいでなんです」
とのたまった。
「そうですか。やはり」
シスターはゆっくりとした動作で進み出る。
「ここよろしいですか」
森写歩朗はあわてて隣《となり》のスペースを手で払った。
「ありがとう」
シスターが腰を下ろす。
ラベンダーの花のような鼻孔《びこう》をくすぐる香《かおり》が漂《ただよ》った。
「えーと、確か花丸《はなまる》さん、でしたね」
「は、はい」
「お名前は?」
「森写歩朗です」
「森写歩朗。変わったお名前ですね」
「はい変わっておいでになります」
少し脳味噌のテンションが高くなりすぎているらしく森写歩朗は日本語の使い方さえもままなっていない。
「私はシスタークラレンスといいます。クラレンスと呼んでくださいね」
「は、はい」
「で、何をお悩みですか」
「はあ」
「よろしかったらお話していただけませんか? 悩める子羊《こひつじ》を救うのが私の仕事ですから」
森写歩朗《しんじゃぶろう》はクラレンスの瞳《ひとみ》をじっとのぞき込んだ。
なんの邪《よこしま》も含《ふく》まない神聖《しんせい》な光がそこにはあった。
「あのクラレンスさん。そんな大したことじゃないんですけど」
「そうなんですか?」
「いえ僕にしてみれば大したことなんですが」
「どうぞお話しください」
森写歩朗はクラレンスの姿に何故《なぜ》か心温まるものを感じた。
「でも、なんか悪いです。こんなことでシスターの時間を」
「いいから話なさい」
クラレンスが大きな声を上げる。
「人の悩みなんて多かれ少なかれ本人以外にとってはつまらないものなんです。そんな悩みを心の奥にしまいこまないでください。吐《は》き出してください。そんな言葉を聞くために神はいるのです」
クラレンスは少し顔を赤らめると、
「すいません。大きな声を上げて」
と恥《は》ずかしそうに顔を伏《ふ》せた。
「いえ」
森写歩朗はなんとも言えぬ暖かい心が胸に湧《わ》き出たような気がした。
そうだ。
森写歩朗は気がついた。
自分が思い描いていた母の図にクラレンスがピッタリだったのだ。
よくあるパターンではあるが森写歩朗は目の前のこの女性に言葉にできないほどの親近感を覚えた。
「じゃあ、聞いてもらえますか。実は僕、演劇部にいまして、部員の女の子二人の中から主人公を決めなくてはいけないんです。あの細《こま》かく言いますと」
森写歩朗があらかたの事情を話した。
無論《むろん》、その脚本を書いたのが吸血鬼《きゅうけつき》だということは言わなかったが。
クラレンスは時々|頷《うなず》きながらその話に聞き入っていた。
「というわけで、今日、どちらかを選択しなければいけないんです」
「そうですか。確かにつらいですね」
「つらいんです」
「あちらを立てるとこちらが立たず。よくある話ですが当事者にとっては深刻《しんこく》そのものですからね」
「ええ」
「でもどうしてそこまでしてその吸血鬼《きゅうけつき》役をやりたいのかしら」
「それは僕にもわかりません」
森写歩朗《しんじゃぶろう》は素直に首を振った。
「台詞《せりふ》は多いし難しいし。まあヒロインという言葉に引かれてるだけかもしれませんが」
「そうですね。で、あなたはどちらを考えているのですか?」
「それは…………」
「義理も人情も暴力の恐怖《きょうふ》も捨ててただ素直にどちらと考えたらどうします」
「そうですね」
森写歩朗は口元に手を当てて考えた。
「どちらがやってもいい味を出してくれると思うんです。倉地《くらち》さんが演じればより大人《おとな》びたジルを、三石《みついし》ちゃんが演じれば少女|漫画《マンガ》に出てきそうな清純なジルを」
「あなたはどちらがいいと思いますか」
「僕は」
実際のジルは二人をたして二で割ってそこにレモン水をかけた感じだ。
個人的に考えれば純真なジルの方が好みにはまっている。
「個人的には、三石ちゃんに」
「だったらハッキリそう言えばいいんですよ」
「でもそうしたら倉地さんが」
大魔神《だいまじん》と化して襲《おそ》いかかってくる。
森写歩朗は背筋が凍《こお》るのを感じた。
「心配しないであなたには選択する権利があるの。それは二人とも認めているはずです。森写歩朗さんが思っているほど彼女達は子供ではないと思います」
「でも」
「勇気を出してハッキリ言うの。あなたが判断したことに彼女達は文句《もんく》は言えないはずです。ただこれだけは注意してください。簡略《かんりゃく》な言葉は悲劇を生むもの」
クラレンスは軽く目を細めると、森写歩朗の手をとった。
ヒンヤリとした手の感触《かんしょく》が伝わる。
森写歩朗の心臓は躍《おど》り上がった。
「どうして三石《みついし》さんを選んだのかを説明して。それから倉地《くらち》さんにはこれこれこういう魅力《みりょく》があるから是非《ぜひ》こちらの役で発揮してほしい。そうハッキリ言うんです」
「そうか」
「そうですよ。義理と人情も大切ですが、時にはハッキリしないことの方が失礼になる場合もあるのですよ」
クラレンスは軽く息を漏《も》らすと、
「すいません。偉《えら》そうなこと言って」
「いえ、大変とってもこれでもかというくらい参考になりました」
森写歩朗《しんじゃぶろう》は深々《ふかぶか》と頭を下げた。
「なんか勇気が湧《わ》いてきました。これならちゃんと言えそうです」
「そう、よかった」
「本当にありがとうございましたクラレンスさん」
森写歩朗は時計を見た。
五時三十分。
十分あれば部室に到着するだろう。
「ありがとうございました」
森写歩朗は立ち上がってもう一度深く礼をすると、
「それじゃあ。失礼します」
「ああ、森写歩朗《しんじゃぶろう》さん」
クラレンスが声をかけた。
「なかなか悪くない脚本だけど、最後を少し変えた方がいいと思いますよ」
「ああ、僕もそう思いました。まずいですよね。でもしかたないんです。二人があれでいくって言ってるから」
森写歩朗は軽く笑うと、
「さようなら。クラレンスさん」
「また機会があったら会いましょう」
森写歩朗の小さくなる背中をみながらクラレンスは小さな声で呟《つぶや》いた。
「やっぱりあれは直したほうがいいわ。吸血鬼《きゅうけつき》が滅《ほろ》びるように」
第五章 ジルは何処
1
「嘘《うそ》つき」
森写歩朗《しんじゃぶろう》はとぼとぼと帰路に着いていた。
「何が大人《おとな》だよ」
その顔には見事な引《ひ》っ掻《か》き傷がその存在を主張している。
「痛いなぁ」
いつものこととはいえこの痛みは慣れるものではなかった。
『ジル役は三石《みついし》ちゃんに決定だ』
そう言った結果がこの生傷《なまきず》である。
もちろん教えられた通りにハッキリ言った。
『倉地《くらち》さんは万人の背筋をゾクゾクさせる恐《おそ》ろしさがあるからやはりその魅力《みりょく》をブラックウインナーで発揮して欲しい』
「ちょっとストレート過ぎたかな」
森写歩朗《しんじゃぶろう》はようやく自分の愚《おろ》かさに気がつき始めていた。
しかしまあジル役が三石《みついし》に決まったことはハッキリした。
この程度の傷ですんで良かったのかもしれない。
森写歩朗は物事を明るく明るく考える主義だった。
なにせ彼の父親、辰太郎《たつたろう》の人生教訓が、『どんな暗い話も軽く話せば明るく話せる』である。
おそらく会社が倒産しても彼は「父さんの会社倒産しちゃった」などと言いながら笑いころげるであろう。
その息子《むすこ》である森写歩朗が過去にこだわらないのも頷《うなず》ける話だった。
「さっ帰ろう帰ろう」
森写歩朗は歩くスピードを上げた。
辺《あた》りはすっかり暗くなっている。
それもそのはず既《すで》に時計は八時を回っていた。
混沌《こんとん》と混乱を呼ぶ話し合いの結果ここまで遅《おそ》くなってしまったのだった。
空を見上げる。
今日は満月だった。
森写歩朗はしばしば足を止めて満月の美しさに見入った。
「きれいだな」
この月の美しさというものは何かしら高揚感《こうようかん》をもたらす。
意味もなく心臓が高鳴ったりまた止まってはいられない衝動《しょうどう》に駆《か》られるのがその例だろう。
森写歩朗はなんだか自分が今にも何かを爆発させるような、自己の中のもやもやを吹き飛ばすようなそんな言葉にならない気持ちを覚えた。
「いいな、月って」
森写歩朗の瞳《ひとみ》には月がしっかりと映っていた。
「おや?」
森写歩朗は目を凝《こ》らした。
はるか上空を不規則な動きで飛行する影。
鳥にしては妙《みょう》な動きだ。
視力がそれほどいいほうではないからハッキリ見えたわけでもないが森写歩朗の頭はすぐに結論をたたき出した。
「ジル!!」
既《すで》に影は点にしか見えない所まで進んでいる。
こんな夜中に空をふらふら飛ぶ奴《やつ》はジル以外には考えられない。いや夜中でなくても空を飛ぶ奴《やつ》など彼女以外には考えられなかった。
「ジル!!!!」
森写歩朗《しんじゃぶろう》は走りながら叫んだ。
相手は吸血鬼《きゅうけつき》のジル。聴覚も視力も人一倍いいはずである。
このまま呼び続ければ少なからず伝わるはずだ。
森写歩朗は全速力で走った。
ランナーの音楽が頭の中に流れる。
「ジル!!!!!!!!!!!」
しかし彼は運が悪い人間だった。
駅のトイレに駆《か》け込むと必ずトイレットペーパーがない! そんな人間だった。
しかもそんな時に限って誰《だれ》もこない。そんな人間だった。
何か紙はないかとポケットに手をつっこむと、財布しかはいってなく、しかもたまりにたまったレシートは前の日かなんかに始末《しまつ》してしまったりしている。
さらに極《きわ》めつけは財布の中身は一万円札が一枚しか入っていない。
そして泣く泣く一万円札を使用し流した瞬間《しゅんかん》、足元に転《ころ》がるティッシュペーパーを発見する。
そんな人間だった。
したがって足元に石ころが落ちているのも当然といえば当然だったのかもしれない。
森写歩朗は見事にけつまずいた。
顔面を打つ。
森写歩朗は道路で悶《もだ》えた。
「あれ」
ジルははるか空高くから地上へと目を落とした。
「今、誰かの呼び声が聞こえたような」
彼女の視力を持ってしても森写歩朗の姿は見つからない。
見えるのは道路で寝転《ねころ》がる酔《よ》っ払《ぱら》いだけ。
「気のせいか」
ジルは自分の迷いを打ち破るかのようにさらに高度を上げた。
月が近くなる。
壮大な球体がジルの目の前に広がる。
ジルは小さな学校もろくに出てはいなかったが、その後の長い生活の中で月が地球よりも小さな星であるということは理解していた。
地球が太陽の周りをぐるぐる回っているということも、地球が丸いということも、頭では理解しているつもりだった。
どうして下に来た時落ちないんだろう、そんな疑問を数十年前までは抱いていた。
ふふ、馬鹿《ばか》だったわ。
懐《なつ》かしい回想がジルの憂鬱《ゆううつ》な心を少しだけ癒《いや》した。
ジルは後悔《こうかい》していた。あの時|森写歩朗《しんじゃぶろう》の元を離れたことを。
そこには空虚《くうきょ》な幻《まぼろし》しかなかった。
しかし今更《いまさら》帰るわけにはいかない。
森写歩朗はおそらく自分を恐《おそ》れているだろう。
それでもジルは森写歩朗の近くにいたいと思った。
恋と呼べる感情かどうかは自分でもよく分からなかった。
ただ、吸血鬼《きゅうけつき》というハードルを飛び越えて優《やさ》しくしてくれた森写歩朗を何かしら手放したくないものを感じたのは確かだった。
初めての感情だった。
血のエネルギーの充電はあとしばらくかかる。
ブラックウイナーも最近は見かけていない。
もっとも油断は禁物《きんもつ》だが。
「そういえばあれどうしたんだろ?」
ジルは思い出したかのように呟《つぶや》くと笑みを浮かべた。
先日森写歩朗の家へマントを取りにいった時に書いた台本である。
森写歩朗が芝居《しばい》をやっていることは聞いていたがまさか脚本まで書くとは。
白紙のルーズリーフを見ているうちにジルの心に小さないたずら心が生まれた。
森写歩朗を驚かそう。
ジルは自分の思いを全《すべ》てあの脚本にぶつけてみた。
読んで貰《もら》えればそれだけで十分だった。
「いけない」
ジルは声をもらした。
「森写歩朗、英語|駄目《だめ》だったんだ」
ジルは自分の愚《おろ》かさに腹が立った。
おそらく今でも読まれないまま机の隅《すみ》にでも追いやられているのだろう。
そう考えると一度は晴れた心が再び陰鬱《いんうつ》な、憂鬱《ゆううつ》なものへの変化していった。
ジルは闇夜《やみよ》をゆっくりと舞っていた。
「うおりゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
はてさてこちらは森写歩朗。
彼は全速力で走っていた。
顔面がかなり痛いがそんなことを気にしている場合ではない。
上空に見える黒い点を見失わないように必死だった。
小さな鞄《かばん》を背中に背負い、命をかけた形相《ぎょうそう》で走る森写歩朗《しんじゃぶろう》の姿ははたから見ればかなり危ない人と思われそうだが、そんな細《こま》かいことに神経を回してしまえば足の筋肉の働きが怠慢《たいまん》になる。
森写歩朗は走り続けた。
どうしてそこまでするかは分からない。
当然ジルに血を吸わせるつもりなどなかった。
しかし会わずにはいられない衝動《しょうどう》が体をかけ巡《めぐ》っていた。
『これって恋?』
とまではいかない感情だが少しの間でも寝食を共にした(食は共にしてないか)仲として笑顔を交わし会いたいという願望はあった。
「うりゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
森写歩朗の目の前に川が立ちはだかった。かなりの大きさの川だ。橋が架《か》けられているもののあと数十メートルは迂回《うかい》しなくてはたどり着けない。
「うりゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
森写歩朗は躊躇《ちゅうちょ》することなく川に飛び込んだ。
九月の水は冷たかった。
とても冷たかった。
思わず心臓ちゃんが止まってしまいそうになるのを、なだめてすかしてねだっておどして必死の根性《こんじょう》で免《まぬが》れると森写歩朗は大きく足を伸《の》ばした。
水泳はわりと嫌《きら》いじゃない。この程度の川を渡るぐらい。
ビクン。
足にきた。つったのだ。
「げっ」
しかし体は既《すで》に足がつかない所まで来てしまっている。
森写歩朗はまるで地獄《じごく》を見たような表情で流され始めた。
黒い点がどんどん遠ざかっていく。人混みはなかった。
もう届かない、ああ、贈《おく》る言葉。
「くそったれが」
森写歩朗の根性か足が復活する。
「いい足だ。後でマッサージしてやるよ」
森写歩朗はなんとか向こう岸までたどり着いた。
息をつきながら空を見上げる。
はるか遠くにかすかに影が……。
「まずい」
見逃したらアウトである。
森写歩朗《しんじゃぶろう》は地を蹴《け》った。
疲労《ひろう》は足にきていた。思うようにスピードが上がらない。
「くそ、マッサージしてやらないからな」
自らの足に文句《もんく》を言う森写歩朗は直ぐ脇《わき》にあるものを見つけた。
ニヤリ。
森写歩朗は今にも音が聞こえてきそうな勢いで微笑《ほほえ》んだ。
彼は今全力で自転車をこいでいた。
空に見える一つの黒い点に向かっての疾走《しっそう》だった。
この自転車はどうしたかだって?
それは近くに落ちていたのを拾っただけである。
道に落ちていたのだ。
誰《だれ》がなんと言おうと落ちていたのだ。
まだ新しいようだが落ちていたのだ。
宮下政則《みやしたまさのり》と書かれた名札が付いているがとにかく落ちていたのだ。
持ち主は朝になってカンカンに怒《おこ》るだろうがそれは道に落とした彼が悪い。
森写歩朗は全力をかけてペダルを踏《ふ》んだ。
「よく考えたら僕がやってることってトライアスロンじゃん」
マラソンして水泳してサイクリング。
順番は違うが立派《りっぱ》なトライアスロンであった。
さすがに走るよりは数倍も早い。
ジルの姿をなんとか見逃すことなく追いかけることができた。
「どこかに降りてくれないか」
森写歩朗は荒く息を吐《は》きながら、ハンドルを切った。
「どこに行く気なんだよ」
暗い中、上空を見上げながらの運転はかなり困難だったが幸い舗装された道がわりと平坦《へいたん》だったためにそれほど危険は感じなかった。
石ころもない。
しかしすぐに疲《つか》れた。
疲労が足に溜《た》まり始める。
どんどん足が重くなっていく。
重い重い重い重い重い重い。
森写歩朗《しんじゃぶろう》は限界を感じ始めた。
それはそうであろう、全速力で走って、泳いで、ペダルを踏《ふ》む。
鍛《きた》えている体育会系のお兄さんならともかく森写歩朗である。
しかも休みなし。
疲《つか》れるな! と言う方が酷《こく》なことであろう。疲労《ひろう》は根性《こんじょう》で補佐するしかないがちっとやそっとじゃない疲労はさすがにカバー仕切れない。不可能なのだ。無理《むり》なのだ。ひどい話なのだ。
スピードがどんどん落ちていく。
足が鉛《なまり》のように重い。
ついに森写歩朗の足はどうにもこうにも動かなくなってしまった。
「くそ」
地面にへたり込む森写歩朗。
自転車が脇《わき》へ転《ころ》がっていた。
「ここまでか」
森写歩朗が限界を知った声を漏《も》らした時、天の助けかジルが降下し始めたのだった。
「わぉ」
森写歩朗は歓喜《かんき》の声を上げながら、黒い点を目で追った。
場所は把握《はあく》した。
森写歩朗はのろのろと立ち上がると自転車にまたがりジルが降り立ったと思われる地点へむかってゆっくりペダルを踏んだ。
体中が痛かった。
2
「ここは」
森写歩朗は目の前にズドォォォォンと立ちはだかる建物を見上げた。
森写歩朗が見た限りはこの付近に降り立ったはずである。
もしかしたら新しいねぐらがこのあたりにあるのかも知れない。
「しかし」
森写歩朗は息を漏《も》らした。
「ここだったとはな」
目の前に立ちはだかる建物。
それは彼の通う飯波《いいなみ》高校校舎だったのだ。
「道が違うからまさかここへ向かっているとは思わなかったよ」
森写歩朗は校門の脇に自転車を止めるとふらつく足取りで校門の柵《さく》をよじ上った。
たいした高さではない。
森写歩朗《しんじゃぶろう》の残り少ない体力でも苦なく乗り越えることができた。
「ジル――――」
時間が時間だけにあまり大きな声を出せない森写歩朗は小声で叫んだ。
下手《へた》に騒《さわ》げば警備会社へ通報が行ってしまう。
「ジル――――」
なんの音沙汰《おとさた》もなかった。
森写歩朗は正面玄関の生徒昇降口の階段に腰を下ろすと思案《しあん》にくれた。
「どこにいるんだろう」
彼の直感からしてここらにジルの言うねぐらがあることは間違いなかった。
当てにならない直感だがこの際信じるしかない。
本音《ほんね》を言えば自分の記憶よりは当てになる直感だった。
どこだ?
暗くて、ジルが隠《かく》れていられそうな場所。
たくさんあるようで意外《いがい》と少ないようだがけっこうあるかもしれないような気がした。
「うぅぅぅぅぅん」
お決まりの脳味噌|空回《からまわ》しも役に立たない。
カラカラカラカラカラカラカラ。
相変わらず中身のない音を立てるだけだった。
「ここまで来て何もせず帰るってのもな」
ヒュウ―――――――。
風が吹いた。
変色した木の葉が孤《こ》を描くように森写歩朗の前を通り過ぎていった。
汗でベットリした体は予想以上に体温を奪《うば》われる。森写歩朗は体を縮込《ちぢこ》ませた。
「しゃむい」
どうにも我慢《がまん》できない。
そうだ、部室へいこう。
部室なら風はしのげる。それにソファーもある。
森写歩朗は立ち上がった。
鍵《かぎ》を開ける。五|桁《ケタ》の番号を合わすタイプのものである。
彼はなんと一回教えられただけで全《すべ》てを暗記していた。
どうだい驚きだろう。
ハハハハハ。
覚えたからこうして出入りが自由なのである。
12345。
………………。
彼を怒《おこ》らないで欲しい。
この番号を決めたのは先輩《せんぱい》なのだから。
森写歩朗《しんじゃぶろう》は小さな電球をつけるとソファに体を埋《うず》めた。
「ふぅ」
やはり風がないだけかなり暖かい。
もう冬がそこまで来てるんだな。
ついつい哀愁《あいしゅう》の念に駆《か》られてしまうところを森写歩朗はなんとかジルの居場所について意識を向けた。
「落ち着いて考えよう」
森写歩朗は自分に言い聞かせた。
「昼間でも暗い所」
「そして生徒が出入りしない所」
「夜中警報機を鳴らさずに出入りできる所」
「………………………………………………………………………………………………………………………………………」
森写歩朗はたっぷり三十秒考えてからぽつりと呟《つぶや》いた。
「そんな所あるのか?」
彼の知る限りこの学校にはあちらこちらに警報装置が設置されており少しでも反応すると警備会社へ連絡が行ってしまうのだった。
警報装置がついていないのは部室ぐらいなものである。
しかし部室は第二条件に当てはまらない。
「うぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅん」
森写歩朗は考える人となった。
頭を抱え込む。
やがて考える人は眠る人へと変化をとげる。
それが世の摂理《せつり》である。
森写歩朗の目蓋《まぶた》がゆっくりと下がってくる。
コックリコックリ。
森写歩朗は目の前のテーブルに突《つ》っ伏《ぷ》した。
ゴン。
「いててててててててて」
少々スピードが付きすぎたらしい。
森写歩朗《しんじゃぶろう》はおでこを摩《さす》りながら起き上がった。
「馬鹿《ばか》だな、僕って」
彼はノートで顔を扇《あお》いでいて自分の頬《ほお》をビンタする男である。
これぐらいのドジは日常|茶飯事《さはんじ》であった。
「おや」
森写歩朗はテーブルの上にあったノートに手を伸《の》ばした。
「そういえば清書するとか言ってたな」
森写歩朗はパラパラとページをめくった。
「ここに書いてあればいいんだけどな」
ジルの居場所については台本でもハッキリとは書かれていなかった。ハッキリとは……。
「待てよ」
森写歩朗は鋭《するど》い目つきでノートに目を落とした。
ジルの台詞《せりふ》の一つに自分のねぐらについての言葉があったのだ。
もちろん具体的には書かれていないがその台詞にはなぜか心に引っかかるものがあった。
森写歩朗はその台詞を読み上げた。
「そうだここにしよう。滅多《めった》に人も来ないし、真太郎《しんたろう》とも近くにいられる。ちょっとうざったいおちびちゃん達がいっぱいいるけれどそれが寂《さび》しさをまぎらわしてくれるかもしれない」
ちょっとうざったいおちびちゃん達? この表現に何かヒントが隠《かく》されていそうだった。
森写歩朗はさらに読み進めた。
「夕方、日が沈んでいくのを牢屋《ろうや》の中から眺める気分で私は目を擦《こす》る。これから飛び立つために」
「???????????????????????」
シャーロックホームズと明智小五郎《あけちこごろう》と金田一耕助《きんだいちこうすけ》に助けを求めたいそんな気分だった。
●おちびちゃんとはなんぞや?
●牢屋の中から眺める気分?
「うぅぅぅぅぅぅぅ」
彼の脳味噌が少しだが身のある回転を始めた。
「夕方日が沈んでいくのが見えるということは、つまり西向きの窓があるということ」
森写歩朗は近くの紙に『西向き』と箇条《かじょう》書きにした。
そしてそこはおちびちゃんがいっぱいいる。
『おちびちゃん』
なぜか牢屋の中から眺める気分。
『牢屋の中』
それにさっきの条件を合体させれば、
『昼間暗い』
『人が来ない』
「……なんだか、余計《よけい》分からなくなった」
森写歩朗《しんじゃぶろう》はボールペンを放り出すと天井《てんじょう》を見上げた。
諦《あきら》めにも似た感情がもやもやと胸の中で大きくなっていく。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
森写歩朗は嘆息した。
小さな裸《はだか》電球を見つめる。
妙《みょう》に寂《さび》しい気分となってくるのが感じられた。
元来夜の学校なんてあまり気分のいいものではない。
帰ろうか。
森写歩朗がそう思った時だった。
チュウ、チュウ。
何やら声が聞こえそうろう。
森写歩朗は声のしたぁ方向へ顔を向けた。
チュウチュチュチュチュウウウ。
何やら顔を出しそうろう。
それは一匹のネズミだった。
「へえ」
別段嫌悪感《べつだんけんおかん》は感じられない。むしろ可愛《かわい》らしいとさえ思った。
「何してるんだい。こんな所で」
チュウチュウチュウチュウ。
「そうかそうかチュウをしたいのか」
チュウチュウチュチュウ。
「違う、注意したいのか」
チュウチュウチュウ。
「それも違うか」
断っておくが森写歩朗がネズミと会話できるわけではない。
そんなドリトル先生のような世界|超人《ちょうじん》伝説的|芸当《げいとう》は彼には不可能だった。
ただ単に彼は遊んでいるだけである。
「はは、お前けっこう可愛いな、ちっちゃくて」
森写歩朗ははっとした。
おちびちゃんとは、ネズミのことではないだろうか?
つまりおちびちゃんがたくさんいる所、ネズミがたくさんいる所…………屋根裏」
森写歩朗《しんじゃぶろう》は昔用務員のじいさんがネズミが屋根裏に出て困るとぼやいていたのを思い出した。
「牢屋《ろうや》から眺める気分というのは、格子《こうし》のことじゃないか」
妙《みょう》に冴《さ》え始めた森写歩朗のすかすか脳味噌。おそらくこの機にぎゅっと凝縮《ぎょうしゅく》して隙間《すきま》を埋《う》めたらしい。
「通気孔《つうきこう》が西側に付いている所か、うちの学校の西側ってどこなんだろう」
普段《ふだん》考えてもみないことで少し思案《しあん》する、西側西側、確か正面の入り口が東門と呼ばれてるから、
「西側は」
森写歩朗は息を飲んだ。
「裏じゃないか」
森写歩朗が昼意識を失った所、あそこが西側だった。
森写歩朗は部室を飛び出した。
校舎の裏側。森写歩朗がたまに昼寝をする穴場。
今日気を失った所。
ん? どうして気を失ったんだっけや?
そうだ、上から植木鉢《うえきばち》が落ちてきて……。
どうして植木鉢が落ちてきたんだろ?
確かここに立ってて。
上をツツーと見ていくと、そこにあったものは大きめの通気孔。
網目《あみめ》のあれである。
夏の暑さ防止用に特別に設置されたものだった。
森写歩朗は確信した。
ここだ、と。
おーいジル、と声をかけようとも思ったが彼の頭にちょっとしたいたずら心が生まれた。
「はは」
森写歩朗はほくそくと微笑《ほほえ》むと部室へいったん引き返した。
3
「ふう」
ジルは重いため息をつきながら横たわっていた。
屋根裏は埃《ほこり》だらけであったが一応《いちおう》自分の眠るスペースだけには先日近くの民家からかっぱらってきた毛布をしいてあった。
しかし住めば都という言葉もあるがやはり快適とはいえなかった。
唯一《ゆいいつ》の窓である通気孔《つうきこう》から月明かりが差し込んでくる。
月明かりは見るものの心情によってその姿を幾通《いくとお》りにも変えた。
ジルは月明かりに物寂《ものさび》しさを感じ取った。
食事はすましてきたため空腹感はないが心にぽっかりと開いた穴は埋《う》めようがなかった。
胸に付けたブローチだけがその空虚《くうきょ》な心を少しだけ温めてくれる。
早くこの町を出ていこう。
ジルは目を閉じた。以前なら自分の時間である夜をこんな風に過ごすことなどなかったのに。
ジルは脱力感を忘れるために眠りに落ちようとした。
「ジル。ジル。夕飯はまだかよ」
「えっ?」
「腹減ったんだ。何か作ってくれよ」
聞き慣れた声が、心の隙間《すきま》を埋めてくれるとぼけた声が外から聞こえてくる。
「そんな」
ジルは飛び起きると格子《こうし》に駆《か》け寄りそれを押し上げた。
首を出す。
誰《だれ》もいない。
「気のせい」
その時眼下の茂みからハッキリとした声が響いた。
「幾千《いくせん》もの星を眺めてきた。美しかった。星達はその姿を夜にしか現してはくれない。だから僕は夜が好きだ」
この声。間違いない。森写歩朗《しんじゃぶろう》の声だ。しかもこの背筋がかゆくなるような台詞《せりふ》は……。
「夜に美しく闇《やみ》を舞う君は星のようだ。いや、星は単調な光しか発しないが君は違う。君は七色の光を常に僕の目に焼き付けてくれる。七色の光は君の表情。僕が一番好きな色は、赤。生命を司《つかさど》る色。そして君の笑顔の色。君は闇の中でその美しさを輝かせる。僕はその光をずっと見ていたい。ずっと」
「森写歩朗!!!!!」
ジルは叫んだ。
その叫びに応《こた》えるかのように茂みから、開いたノートをペンライトで照らす森写歩朗が姿を現す。
森写歩朗はノートを閉じると満面の笑みで叫んだ。
「久しぶり。ジル」
ごく自然な軽い口調だった。
「森写歩朗。どうして」
森写歩朗《しんじゃぶろう》は得意気《とくいげ》に胸を張って、
「僕の華麗《かれい》な推理がここを突き止めたのだ」
と言った。
そして混乱するジルに優《やさ》しい笑顔で、
「さっお家へ帰ろう」
「でも」
「父さんがうるさいんだ、ジルさんはどうしたとか、お前|愛想《あいそ》つかされたんじゃないかとか」
「私は」
「いいからいいから」
「でも、私は森写歩朗の血を」
「これ書きにきた時何もしなかったじゃないか」
森写歩朗はノートを高く掲《かか》げて見せた。
「あっ、でもそこの方が居心地がいいっていうなら無理《むり》にとは言わないけど」
森写歩朗が背を向ける。
ジルは堪《たま》らなくなって飛び出した。
「森写歩朗おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ」
闇《やみ》の中へ躍《おど》り出る。
そしてそのまま森写歩朗の元へと落下していった。
「うわぁぁぁぁ」
森写歩朗はジルの突進に地面へ叩《たた》き付けられた。
「痛てててて」
「森写歩朗」
ジルは森写歩朗をしっかりと抱きしめていた。
「ジル」
森写歩朗は目を白黒させながらもジルの肩に手を回した。
「一つ聞いていいか?」
「何?」
「植木鉢《うえきばち》落としたの、ジル?」
「そうよ」
「痛かったよ。とっても」
「森写歩朗がでれでれしてるから」
「それからさ」
「何?」
「苦しいんだけど」
ジルは慌《あわ》てて森写歩朗《しんじゃぶろう》の体から手を離すと恥《は》ずかしそうに体を起こした。
「まっ、とにかく元気そうで良かったよ」
「森写歩朗も」
二人の顔に笑みが生まれる。
楽しげな笑みが。
「でもあの台本」
「父さんに訳してもらったんだ」
「森写歩朗のダディに」
「ああ。ああ見えても知っての通りプロだから」
「でも本当に驚いた。あの台本通りの展開なんだもの」
すっかりいつもの元気な口調に戻《もど》ったジルは楽しげに森写歩朗の腕に手を回した。
「はは、驚かそうと思ってね」
「あの台本おもしろかった?」
「…………」
「その間《ま》は何よ」
「いいからいいから、さ、ジル」
森写歩朗はしゃがむと手を差し出した。
「確かこうだったね」
「ええ、それで私が微笑《ほほえ》みながら手を取る」
「そして二人で振り返ると」
「後ろにブラックウイナーが」
「そこまで一緒《いっしょ》になったら困るな」
「そうね」
振り返った二人は絶句《ぜっく》した。
お約束にも数メートル先に人影が、歩み寄ってくる。
森写歩朗は安堵《あんど》の息を漏《も》らした。
「なんだ、クラレンスさん」
そこには聖母《せいぼ》の笑みを浮かべたクラレンスが立っていた。
「どうしたんです。こんな所で」
「森写歩朗!」
ジルがかすれた声をあげた。
「そいつが」
「えっ何?」
「そいつが」
森写歩朗《しんじゃぶろう》はジルの顔をのぞき込んだ。
顔面|蒼白《そうはく》。まあ元もと血の気がないような青白い顔してるが。
「そいつが、ブラックウイナーよ」
「はっ?」
ジルが指さした先をピ―――と目で追っていく。
クラレンスで止まった。
森写歩朗はジルとクラレンスの顔を交互に見つめてから、
「またまたまたまたまた」
冗談《じょうだん》きついっすよ〜〜ってな感じで掌《てのひら》をピラピラと振った。
「本当なの? ねえクラレンスさん」
森写歩朗はクラレンスに向かって微笑《ほほえ》んだ。
「まさかねえ」
「森写歩朗さん」
「は、はい」
「この世界の汚物《おぶつ》とつきあうのはあまり感心しませんわ」
「あの」
「少しお時間いただけるかしら」
「はあ」
クラレンスは突然《とつぜん》二人から離れてひときわ月明かりが強い一角へと飛んだ。
「このすさんだ現代に舞い降りたシスターは世を忍《しの》ぶ仮《かり》の姿」
クラレンスが華麗《かれい》に舞う。
「しかしてその実体は」
クラレンスのローブが宙に舞う。
そしてその陰《かげ》から出てきた者は!
「呪《のろ》われた血族を狩《か》る狩人《かりうど》。その名も、クラレンスレンバチュウーノサカッチナイトカイタンホースコピマイチラククルスアゲンスト」
復唱しにくい名前である。
エメラルド色に輝く金色の髪《かみ》。
美しく伸《の》びた四肢《しし》。
かなり際《きわ》どいボンテージファション。
思わず鼻血ブ―――――――だ。
「吸血鬼《きゅうけつき》、ジルコニア!」
その手には鉤爪《かぎつめ》のような武器が備えられている。
「地に帰りなさい」
「まずいことになったわ」
ジルは森写歩朗《しんじゃぶろう》をつついた。
森写歩朗は鼻血をたらしながらボーっとしている。
「森写歩朗!」
ジルはおもいっきり森写歩朗の足を踏《ふ》んだ。
「ぐわああ」
「しっかりしてよ。殺されちゃうのよ。私たち」
「いえ、私の目的はあくまで呪《のろ》われた血族ですから。森写歩朗さんには危害を加えませんことよ」
「そう。そりゃあ良かった」
「森写歩朗!」
「じゃなくって良くない」
森写歩朗は慌《あわ》てて頭を振った。
「すまん。ちょっと頭がボーっとしてたんだ。本意じゃないんだ。分かってくれ」
「分かったから」
「いーや。その目は疑ってる目だ」
「本当に分かったってば」
「本当?」
「本当」
「本当の本当?」
「本当の本当」
「本当の本当の本当?」
「え―――い。やめ――――い」
クラレンス。もといブラックウイナーが声を張り上げる。
「だから東洋人って読めないのよ。訳の分からない行動にはいるから」
「すいません。ブラックウインナー」
「ウインナーじゃない!」
「じゃあ」
「クラレンスでいいわ」
クラレンスは疲《つか》れた表情で言った。
「あのさ、本当にジルを殺そうとしてるの?」
なんともお間抜《まぬ》けな質問だった。
「ええ」
「ジルを殺さないで欲しいんだけど」
「森写歩朗《しんじゃぶろう》」
「ジルは人を殺したりしない。血は吸うけど献血《けんけつ》程度で我慢《がまん》してる。血を吸う時だってちゃんとストローを使ってるし」
森写歩朗は彼には珍《めずら》しくシリアス百パーセントの顔で言った。
「人に生きる権利があるように、ジルにだって生きる権利があるはずだよ」
僕ってかっこいい!
思わず自分で感動してしまった。
「森写歩朗さん。いいこと教えてあげるわ」
クラレンスが森写歩朗に一歩近寄る。
「ない!」
「へっ?」
「吸血鬼《きゅうけつき》に生きる権利なんかない!」
「でも」
「確かに、現代を生きる吸血鬼のほとんどが自分のことを理解してるわ。ストローを使ったりナイフを使ったり、とにかく相手に直接|牙《きば》で触《ふ》れないようにする奴《やつ》らの方が多いでしょうね」
「だったら」
「でもやはり伝染性の危険な因子《いんし》を保有していることに変わりはないわ。いつどこで広がるか分かったもんじゃない。いったん広がったらどうなるか分かるでしょう」
「どうなるの?」
「……あなた馬鹿《ばか》?」
クラレンスは馬鹿を見るような目を森写歩朗《しんじゃぶろう》に向けた。
「こう見えてもこの高校で一番二番を争っているぞ!」
「おしりから?」
「うん」
森写歩朗は胸を張って答えた。
「自慢《じまん》になってないって」
ジルが呆《あき》れた顔で呟《つぶや》く。
クラレンスは嘆息した。
「B級ホラー映画のような事態が起きるでしょうね。ねずみ算式に吸血鬼《きゅうけつき》の数は増加する。吸血鬼が生きるためには血液を吸うしかない。長時間の唾液《だえき》の注入が危険だという事情を知らない若手《わかて》吸血鬼が増えでもしたら、国一つ滅亡《めつぼう》しても不思議はない。いえ世界が滅亡したって」
「そんな大げさな」
「じゃ説明してあげるわ」
クラレンスはどこからか電卓を取り出すとそのスイッチをオンにした。
どうでもいいことだが一応《いちおう》説明すると、ソーラーシステム対応だが今は夜であるため内臓バッテリー使うしかないのだ。
「例えばここに一人の新米《しんまい》吸血鬼が存在するとする。唾液の成分のことをよく知らないから一日一人じっくり時間をかけて味わい吸血鬼にしてゆく」
クラレンスはポンポンと電卓を叩《たた》いた。
「それによって新たに生まれた吸血鬼が同じように血液を吸っていくとどうなるか計算すると」
ポンポンと電卓を打っていたクラレンスの手が静止した。
理由は簡単である。
計算がいきづまったのだ。
彼女はあまり数学が得意《とくい》ではなかったのだ。
「とにかく十日で千二十四人になるんだから」
これは驚きの数字である。
「嘘《うそ》!」
「疑り深いわね。もう一度計算してあげるわ」
クラレンスはもう一度電卓を押した。
沈黙《ちんもく》の時が流れる。
「ほらぁ。やっぱり十日で千二十四人になるわ」
森写歩朗《しんじゃぶろう》を驚かすには十分な数字だった。
「なんてこった」
「ブラックウイナーとは、世界保健機構に秘密裏《ひみつり》に設けられている闇《やみ》の部署。吸血鬼《きゅうけつき》による人類|滅亡《めつぼう》を防ぐために日夜戦い続ける集団よ」
クラレンスは、そこまで言うとフッと顔を伏《ふ》せて、
「実際は時代|錯誤《さくご》のジジイがやってる吸血鬼|狩《が》りの集団だけど」
「なんだかどえらいのを相手にしなくちゃいけないようだな」
世界保健機構なんて難しい熟語が出てきた時点で森写歩朗は象《ゾウ》さんを前にしたアリ君の心境になった。
「森写歩朗どうする」
「どうするってたって」
森写歩朗はあたりをきょろきょろ見渡してからおもむろに口を開いた。
「クラレンスさん。ちなみに一ヶ月だとどのくらいになるの」
「一月《ひとつき》だとね」
計算を始めるクラレンス。
「え〜と、2かける2かける2かける…………………………………嘘《うそ》! こんなになるの!」
自分で驚いたらしくもう一度計算し直すクラレンス。
「やっぱり。聞いて驚かないでよ」
クラレンスは電卓のディスプレイを見下ろしつつもったいをつけると、
「なんと三十日で十億七千三百七十四万千八百二十四人になるんだから」
クラレンスの目の前からジルと森写歩朗は忽然《こつぜん》と姿を消していた。
秋風に吹かれ枯《か》れ葉だけがクラレンスの前を通り過ぎていった。
クラレンスは手の中の電卓を握《にぎ》り潰《つぶ》すと不気味《ぶきみ》な笑顔と共に呟《つぶや》いた。
「どこまで逃げられるかしら」
クラレンスが飛び出した。
人間とは思えない脚力だった。
クラレンスは二人を追って闇《やみ》の中へと飛び込んでいった。
「森写歩朗!」
「なんだいジル」
ジルは不意《ふい》に森写歩朗の手を握り締めた。
「飛ぶよ」
「こら止めろ」
森写歩朗《しんじゃぶろう》は知っての通り高所|恐怖症《きょうふしょう》なのだ。
必死に抵抗《ていこう》する。
「僕は高い所は」
「あいつはすぐに追いつくわ」
ジルの言う通りすぐ後ろに森写歩朗は人の気配《けはい》を感じた。
チラリと振り向く。
クラレンスが笑みを浮かべていた。
「うわぁぁぁぁぁぁ」
「森写歩朗、行くよ」
ジルが地を蹴《け》った。
二人の体が宙に浮く。
「ぬぉぉぉぉ」
ジルも必死なため前回のような手加減《てかげん》はしない。
森写歩朗は一気《いっき》に地上十数メートルの所まで持ち上げられた。
「ここまで来れば」
「でも…………できれば早く降ろして欲しい」
「とりあえず夜が終わる前に逃げれる所まで逃げるわ。ここからなら静岡《しずおか》の辺《あた》りまでは行けるかしら」
「静岡!」
「ぎりぎりね」
「明日の学校は」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ」
「あのさジル、一人の方が早く飛べるだろ。僕をそこらに置いて」
森写歩朗の言葉にジルはとんでもないと言った口調で、
「いや」
と答えた。
「もう離れないって決めたんだもん」
「そう言われても」
「そうだ!」
ジルが目を輝かせた。
「森写歩朗も飛べるようになれば」
数秒の沈黙《ちんもく》。
「それって、僕をもしかしてやっぱり」
日本語になっていない。
「ピンポーン」
ジルが茶目《ちゃめ》っけのある目を向ける。
森写歩朗《しんじゃぶろう》は心のそこから叫んだ。
「絶対いやだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
カコ――――――ン。
その石は見事なストレートで森写歩朗の頭に炸裂《さくれつ》した。
時速三百キロはあっただろうか。
当然いくら石のような石頭を誇《ほこ》る森写歩朗であってもそのダメージは相当なものがあった。
森写歩朗が握《にぎ》り締めていた手が緩《ゆる》む。
ジルも予期せぬ出来事で戸惑《とまど》いがあったのだろう。
森写歩朗はジルの手から離れてスカイダイビングを始めた。
生まれて初めて体験するスカイダイビング。
ただ一つの相違点はパラシュートを着けていないことだけ。
つまりこのままでは大地と熱い抱擁《ほうよう》をしてバタンキュー、ということだ。
ポクポクポクポクチーン。
効果音が挿入《そうにゅう》された。
「森写歩朗!」
ジルは慌《あわ》てて急降下し始めた。
「ああ、僕、死んじゃうのかな」
落下する中、森写歩朗は走馬灯《そうまとう》のように生まれ落ちてからの数々の出来事を思い出していた。
産湯《うぶゆ》でむせ返ったあの日。
幼稚園、父のバイクに乗せられて事故。
小学校、父が一月《ひとつき》行方《ゆくえ》不明、餓死《がし》寸前の恐怖《きょうふ》を味わう。
中学校、生活費が底付く。親子二人で新聞配り。
高校生、ジルとの出会い。
「クソッタレ!」
森写歩朗は叫んだ。
「死んでも死に切れねえ」
「森写歩朗!」
ジルの急降下。
間に合うか間に合わないかそれは神のみぞ知ることであった。
間に合わなかった時は、
ポクポクポクポクチ――ン。
間に合った時は、
…………。
効果音が思いつかない。
とにかく生と死の狭間《はざま》にいることは確かだった。
しかもそれは一瞬《いっしゅん》で決まる。
森写歩朗《しんじゃぶろう》の運命はいかに?
「森写歩朗!」
ジルが細く白い腕を必死に伸《の》ばす。
森写歩朗もジルの意図《いと》するところを悟《さと》り手を伸ばす。
地上まであとわずか数メートル。
あと一メートル。
あと八十センチ。
あと七十センチ。
あと六十センチ。
あと五十センチ。
ガシッ。
ジルの手が森写歩朗の手を握《にぎ》り締めた。
一瞬喜びの表情を見せる二人。
しかし数十メートル上空からの落下による加速によって生じた力は想像を超《こ》えるものがありった。
「くっ」
ジルが精神力と筋力の全《すべ》てをかけて下方向への力を殺そうとする。
ジルの不可視《ふかし》の力が二人のクッションとなった。
「ふう」
ジルはぶら下がる森写歩朗に肩で息をしながら、
「大丈夫」
と聞いた。
「ああ、でも」
「どうしたの?」
「なんかやばいみたいだよ」
「どうして?」
森写歩朗《しんじゃぶろう》が泣き笑いのような表情で後ろを指さす。
ジルはゆっくり振り向いた。
「ハ――――イ」
そこにはジルの背中にピッタリと鉤爪型《かぎつめがた》の武器を押し当てたクラレンスの姿があった。
「少しでも動いたら、分かってるわね」
ジルは静止するしかなかった。
どうしょーもなかった。
第六章 決戦の時、勇者の名は森写歩朗
1
僕は無力な人間だ。
森写歩朗《しんじゃぶろう》は自室でコンニャクのようにうなだれていた。
あの後、クラレンスの一撃を食らってお花畑へ旅立ち、目が覚めると既《すで》に午前0時、ジルの姿もクラレンスの姿もどこにもなかった。
散々《さんざん》町中を探し回ったが二人は発見できなかった。
かすかな希望を胸に自宅へ帰ってきたが、やはり無駄《むだ》だった。
森写歩朗はガックリと膝《ひざ》をついていた。
「ジル」
今頃《いまごろ》どんなことをされているのだろうか?
もしかしたら鼻の穴に割箸《わりばし》を突っ込まれているかもしれない。
溶かしバターのシャワーを浴びせられそのまま犬小屋へ放り込まれていたりするかもしれない。
そして、まさかとは思うが、すでにこの世の者ではなくなっているのかも。
頭の中に胸に杭《くい》を打ち込まれて絶命するジルの姿が浮かび上がった。
なかなかリアルな想像だった。
「ジルゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ」
森写歩朗《しんじゃぶろう》は叫んだ。
「絶対助けに行ってやるからな!」
ただし居場所が分かればである。
森写歩朗は再び頭を垂れた。
クラレンスの鉤爪《かぎつめ》なんか恐《こわ》くなかった。
倉地《くらち》のアイアンクローでならしている彼にとってはあの程度の武器、赤ちゃんのガラガラのようなものに思われた。
もっとも食らってみなければなんとも言えないが。
頭を殴《なぐ》られたせいかまだボーっとしてはいるがダイヤモンドよりも固い決心が胸にはあった。
ジルにもしものことがあったら、僕は坊さんになる。
ガチャ。
不意《ふい》にドアが開かれた。
「森写歩朗」
「と、父さん」
そこには酒の匂《にお》いをぷんぷんさせた辰太郎《たつたろう》が立っていた。
しかも燃える瞳《ひとみ》で。
「どうしたのこんな夜中に」
「話は全部聞かせてもらった」
「何が」
「いい、何も言うな」
思い込んだら試練の道を、のテーマがかかりそうな父親の雰囲気《ふんいき》に思わずたじろぐ。
「あのさ」
「ジルさんを取り返すために戦う。うんうん男として当然の戦いだな」
「父さん」
「相手は例のヤクザか?」
駄目《だめ》だ。
森写歩朗は首を振った。
この子にしてこの親ありの辰太郎。
しかもかなりの酒が入っている。
「お前もついに戦う時が来たんだな」
一人で分かったように頷《うなず》く辰太郎《たつたろう》を説得《せっとく》することは菊池桃子《きくちももこ》と山口智子《やまぐちともこ》以外には不可能だった。
「じゃあ、そういうことで」
脇《わき》を通り抜けようとした森写歩朗《しんじゃぶろう》の襟首《えりくび》をつかむ辰太郎。
酔《よ》ってるわりには意外《いがい》なほど力強い。
もしかして酔えば酔うほど強くなるという酔拳《すいけん》の達人なのでは?
森写歩朗の頭にそんなしょーもないことが浮かんだ。
「あの……」
「居場所は分かるのか?」
「…………」
「やはり正解だったな」
辰太郎は重々しく頷きながら自分の腕時計を外《はず》した。
「これをお前にやる」
「時計?」
「いいからよく見てみろ」
森写歩朗がその文字盤に目を落とすと、何やら赤い点が点滅《てんめつ》している。
「何これ?」
「ジルさんに付けた発信器だ」
森写歩朗は軽く三十メートルほどぶっ飛んだ。
「な、な」
「この間渡したブローチ。あれが発信器だ」
「どうしてそんなもの」
森写歩朗の問いに辰太郎は当然といった顔で、
「息子《むすこ》のフィアンセが逃げた時に捕まえにいくためだ」
と言い放った。
森写歩朗は父親が独身の理由が分かったような気がした。
「お前には思えば戦い方というものを教えてなかったな」
「あの」
「しかし敵は待ってはくれない。これを持っていけ」
辰太郎は首にぶら下げたお守りの中を片手の人差指でまさぐると小さな鍵《かぎ》を取り出した。
「ソファーの下に引き出しがあるだろう」
「ああ、あそこの鍵?」
「そうだ」
辰太郎《たつたろう》は鍵《かぎ》を森写歩朗《しんじゃぶろう》に手渡した。
「この鍵であの禁断《きんだん》の開かずの扉《とびら》を開け父さんが集めた戦《たたか》う術《すべ》を持っていけ」
「あの」
「分かったな」
グイと顔を近づける。
とっても酒くさい。
「分かった。ありがたくもらってくよ父さん」
森写歩朗は鼻を摘《つま》みながらコクコクと頷《うなず》いた。
辰太郎は満足そうに頷くとその場に崩《くず》れ落ちた。
グォォォォォォォォ。
ガアァァァァァァァァ。
すぐに河馬《カバ》のようなイビキをし始める。
「ありがたく頂戴《ちょうだい》するよ」
父親に毛布をかぶせた森写歩朗はリビングのソファーへと足を進めた。
物心つく前から開かずの引き出しであった鍵穴へそっと鍵を差し込む。
こんな状況ながらも心臓が少し高鳴った。
ガチャ。
重々しい音、まあ森写歩朗にそう聞こえただけだが。
森写歩朗は横幅一メートル近くある引き出しをゆっくり引き出した。
「何が出るかな。何が出るかな」
森写歩朗は硬直《こうちょく》した。
引き出し一杯に肌色《はだいろ》の世界。
一昔前の異様《いよう》に露出度が高いランジェリー。
妙《みょう》に大人《おとな》びた高校生がスカートをまくり上げる表紙。
十八歳未満お断りの禁断の世界。
それは、古ぼけた成人指定書籍の山だった。
「馬鹿親父《ばかおやじ》!!!」
森写歩朗は少しでも期待した自分に嫌気《いやけ》がさした。
すぐに引き出しを閉めようとするが、森写歩朗の頭の中で悪魔君《あくまくん》が囁《ささや》いた。
『見ちゃえよ』
すぐに天使君《てんしくん》が登場する。
『駄目《だめ》だ! 森写歩朗。こんな時に』
『こんな時だから少し体を火照《ほて》らしといたほうがいいんだよ』
「そうだね」
森写歩朗《しんじゃぶろう》は悪魔君《あくまくん》と仲が良かった。
取りあえず好みのタイプの娘が表紙に載《の》っている一冊を手に取る。
「おや?」
森写歩朗は小首を傾《かし》げた。
取り去った本の下に、茶色の木目らしきものが姿を見せているのだ。
森写歩朗は近くの本も退《ど》けてみた。
やはり木目だ。
かなり広範囲。
木箱だ!
てっきり全部このいけない御本だと思ったのに、どうやらこのいけない本は木箱を隠《かく》すためのカモフラージュにすぎなかったのだ。
森写歩朗は次々と本を取り去った。
数秒後、全容を現した巨大な木箱に森写歩朗は手をかけた。
鍵《かぎ》はかかっていない。
ギギギギギギギギ。
鈍《にぶ》い音を立てて蓋《ふた》が持ち上がる。
森写歩朗は中をのぞき込んだ。
今度も硬直《こうちょく》した。
しかし先程の硬直とは比べものにならないくらいカチンコチンに。
「嘘《うそ》だろ」
森写歩朗は宇宙空間で泳ぐナマケモノを発見したような顔でそう呟《つぶや》いた。
「まじかよ」
声は完全にかすれていた。
これが本物だったら。
「父さん」
森写歩朗は生まれて初めて父親に恐怖《きょうふ》を感じた。
2
「ふふふふふふふ」
クラレンスの笑い声である。
「ふふふふふふふふ」
ジルの笑い声である。
「ははははははは」
「はははははははは」
「あーはっはっはっはっ」
「あーはっはっはっはっはっ」
「対抗して笑うな!」
クラレンスは髪《かみ》の毛を逆立《さかだ》てた。
「あなた状況理解できてるの?」
「できてるわ」
ジルが厳《おごそ》かに答える。
廃ビルの屋上にクラレンスが設置した十字架《じゅうじか》にジルは張り付けになっているのだった。
わざわざここまでする必要があるのか定かではないがそれは言わないでおこう。
お約束だと思っていただきたい。
とにかく、今ジルは手首足首は鉄枷《てつかせ》で拘束《こうそく》されているのだ。
真夜中ならともかく既《すで》に五時を回り明るくなり始めている今ジルにそれを引き千切ることは不可能だった。
「五時ね」
クラレンスが腕時計を一瞥《いちべつ》すると誰《だれ》にともなく呟《つぶや》いた。
「あなたの命もあと三十分。まあ百年近く生きてるなら未練《みれん》も湧《わ》かないとは思うけど」
「このままですむとは思わないでよ」
ジルの目が怪《あや》しく光る。
最後の力を振り絞って不可視《ふかし》の力を発動させようとしているのだ。
クラレンスを見えない力が襲《おそ》った。
クラレンスの髪が風もないのに後ろへなびく。
「ふふ」
クラレンスは一歩|後退《あとずさ》ると目をカッと開いた。
不可視の力の流れが反対となる。
ジルは十字架へ押しつけられた。
「うっ」
「何度やれば気がすむのかしら」
クラレンスは平然とした顔でジルに歩み寄った。
「あなたは私には勝てない。絶対に勝てない」
「くっ」
ジルが顔をしかめた。
「森写歩朗《しんじゃぶろう》が助けにきてくれるもん」
ジルの言葉にクラレンスは決然として、
「来ない!」
「……」
「絶対来ない! 人間が自分の危険も顧《かえり》みず来るわけない!」
「森写歩朗《しんじゃぶろう》は」
「森写歩朗、森写歩朗、森写歩朗、森写歩朗って言うけど、あなたは吸血鬼《きゅうけつき》、彼は人間。住む世界が違うのよ。だいたい彼が勇気ある人間に見えて。きっと今頃《いまごろ》震《ふる》えながらベッドで包《くる》まってるんじゃないかしら」
「でも」
「しかもあなたは彼を襲《おそ》おうとした。彼にとってあなたは敵なのよ」
「そんな」
「第一にどうやって彼がここを知るのよ」
ジルは押し黙《だま》った。
「人間とざれあったってどうにもならない。人間はただの食料。そう考えなくちゃね」
ジルはいぶかしげにクラレンスを見上げた。
彼女がここまで人間を罵倒《ばとう》する理由は一体?
「あなたは」
ジルの疑問を知ったのかクラレンスは笑みを浮かべながら右手で自分の唇《くちびる》を押し上げてみせた。
そこには、小振りながらも鋭《するど》く尖《とが》った犬歯《けんし》が見えていた。
この牙《きば》。そして力。
「もしかして」
ジルはかすれた声を上げた。
「そう、私もあなたと同じ一族。残念なことにね」
クラレンスは遠い空を見上げて言った。
「どうして、どうして」
ジルは混沌《こんとん》の渦《うず》に巻き込まれている。
「どうしてこんなことしてるか? でしょ」
クラレンスがぽつりと呟《つぶや》いた。
「どうして同族を殺し回ってるか?」
「そうよ」
「それは生きるため」
「生きるため?」
「そう、生きるため」
クラレンスが近くの廃鉄骨に腰を下ろす。
バックが暗くなり哀愁《あいしゅう》のメロディーが流れ出す。
「今から十数年程前、私はブラックウイナーに追いつめられたわ。昼間、体には無数の銃弾。私は死を覚悟《かくご》した。それほど恐怖《きょうふ》は感じなかったわ。もう何百年も生きてたから。孤独《こどく》を味わい続けてたから。でも死ぬのはいやだった。その時こう言われたのよ。お前は力も強ければ太陽に対しての免疫《めんえき》もある。吸血鬼狩《きゅうけつきが》りに手を貸すなら命を救ってやるってね。ブラックウイナーなんて人類滅亡の危機を救うとかかっこいいこと言ってるけど実際は狂人《きょうじん》気違いの集まりよ。私は当然OKを出したわ。回復したらトンズラしてしまえばいい。そう考えてた。でもボスはお見通しだった。私は命を人質《ひとじち》に取られたわ」
クラレンスはそこでジルをチラリと見た。
「ク――ス―――」
なんとも可愛《かわい》らしい寝息を立てている。
クラレンスのコメカミに血管が浮き出た。
「人がしんみり回想してる時に気持ちよさそうに寝るんじゃないわよ」
たたき起こす。
「ごめん。朝になると眠くなっちゃって。それで、命を人質ってどういうこと?」
「聞いてたの?」
「夢の中で」
「器用《きよう》な人ね。…………………まあいいけど、とにかく、命を人質に取られたの」
クラレンスな自らの右胸に指を当てた。
「ここに小型爆弾が入ってる。私が命令に背《そむ》けばすぐにでも上の連中はスイッチを入れるわね。いくら私たちの生命力でも心臓が粉々《こなごな》に吹っ飛べば生き残ることは不可能」
「手術で」
「無駄《むだ》よ。外《はず》そうとすれば即《そく》その場で、ズガァァァァン」
クラレンスは右手を開いてみせた。
「ところであなたに相談なんだけれど、生き残りたければブラックウイナーに入らない。少なくとも生きさせてはくれるわ」
「いや、絶対いや」
ジルは少しも考えずに言った。
プイとそっぽを向いて、完全否定のポーズだ。
「ふふそう言うと思ったわ」
クラレンスが微笑《ほほえ》む。
「その方が賢明《けんめい》な選択ね」
クラレンスが時計を見る。
ちょうど五時三十分になるところだった。
「それじゃ。お別れよ。あなたを殺せば私には数年の生きる権利が与えられるわ」
「…………」
「人間なんてそんなものよ。私にこんなことをさせる人間達なんて」
クラレンスの口元が初めて苦痛に歪《ゆが》んだ。
ジルは悟《さと》った。彼女も決して嬉々《きき》として手を振り上げるわけではないことを。
「再生能力の少ない朝の方が苦しまなくてすむわ」
どうやらそれがジルの処刑《しょけい》を朝まで待った理由らしい。
クラレンスが腕を振り上げる。
鉤爪《かぎつめ》が朝日を浴びて怪《あや》しく輝いた。
「バイバイ」
ジルが目を閉じる。
その時、階下で銃声が響いた。
ズキュ―――――――ン。
「何!」
嵐《あらし》の後の静けさのような静寂《せいじゃく》の中、屋上の扉《とびら》がゆっくりと開かれる。
ヒーロー登場だ!!!!
そしてそのヒーローの名は我らが森写歩朗《しんじゃぶろう》。
「ははは」
およそヒーローという名にはふさわしくないひきつった笑顔で彼は登場した。
「森写歩朗!」
ジルが喜びの声を上げる。
クラレンスは森写歩朗の手にある異様《いよう》な物に目を向けた。
大型ライフル。
クラレンスは目をぱちくりさせた。
「森写歩朗君。見学に来たの? それとも妨害《ぼうがい》に来たの?」
「妨害かな」
「そんなオモチャで」
一般人が本物のライフルを持っているはずがない。
クラレンスは罵倒《ばとう》したような笑みを浮かべた。
「それがね」
しかし森写歩朗は泣き笑いのような表情で言った。
「さっき試したらね」
今にも泣きそうな雰囲気《ふんいき》だ。
「ちゃんと弾《たま》が出てさ、壁《かべ》に穴が開いちゃった」
さっきの音は…………………。
クラレンスは背筋が寒くなるのを感じた。
「どうしてあなたが」
「僕も分かんないけど、どうしてかあったんだよ」
森写歩朗《しんじゃぶろう》は銃口をクラレンス向けた。
「というわけで。ジルを外《はず》してよ」
「くっ」
「早くしてよ。指が震《ふる》えてて今にも引き金を引いちゃいそうなんだよ」
脅《おど》しではない。本当のことだった。
目がこれでもかってくらいマジだった。
クラレンスは悟《さと》った。
朝日はこうこう。
いくら日に対しても免疫《めんえき》があるクラレンスも森写歩朗だけを弾《はじ》き飛ばす自信はなかった。下手《へた》をすれば銃の暴発ということにもなりかねない。
「分かったわ」
クラレンスはジルを拘束《こうそく》している鉄枷《てつかせ》をゆっくりとした動作で外した。
「森写歩朗!」
自由となったジルが駆《か》け寄る。
「近寄るなジル!」
「どうして?」
「手が離せないんだ。硬直《こうちょく》して」
森写歩朗が情けない声を上げた。
「どうしよう」
泣き笑いのような表情で立ち尽くす男。
こいつは第三の脅威《きょうい》になってる。
クラレンスとジルは期せず同じことを考えた。
「指が震えて、はは」
「落ち着いて森写歩朗」
ジルがゆっくり近寄る。
「ジル」
「ほら、深呼吸して」
クラレンスもそう叫ぶ。
「いい、ゆっくり指を離して」
「それが少しでも力入れると引き金引いちゃいそうで」
「大丈夫、ほら、銃口を上に向けて、そうそうそれならもし引いちゃっても誰《だれ》にもあたらないから」
「でももし飛行機が飛んでたら」
「そーゆーことは深く考えないように」
「分かったやってみる」
森写歩朗《しんじゃぶろう》が震《ふる》える指をゆっくりとトリガーから離す。
息を飲む瞬間《しゅんかん》だった。
「やった」
「ふう」
ジルが完全にトリガーから手を離した森写歩朗からライフルを受け取る。
「こんな危ない物は手にしちゃ駄目《だめ》よ」
ジルはライフルを投げ捨てた。
「ああ、森写歩朗」
改めて森写歩朗に飛びつくジル。
「来てくれるって思ってた」
「恐《こわ》かったよ」
二人はお互いに異なった理由で感動の涙を流した。
そんな二人を呆《あき》れた顔で見つめるクラレンス。
「あなた達。馬鹿《ばか》」
クラレンスはそう呟《つぶや》いた。
「さあ、形成逆転ね」
ジルが勝ち誇《ほこ》った声で振り返る。
「どこが」
「あなたもいくら免疫《めんえき》があってもここまで明るくなったらもう本来の力が出ないはずよ。それにこっちには強力な武器が」
「だからどこによ」
「ここに」
ジルは先ほど投げ捨てたライフルを探した。
「あれ?」
「これのこと」
クラレンスが足元から拾い上げる。
「そうそう、ありがとう拾ってくれて」
「いえいえ…………なんて言って渡すと思ってるの!」
クラレンスが銃を構える。
「本当にあなた達って頭に超《ちょう》がつくほど馬鹿ね」
「もしかして僕のせいかな」
「たぶんあたしのせいよ」
二人はあっという間に窮地《きゅうち》に立たされてしまった。
スペースシャトル級の速さだ。
「さあ、てっとり早く終わらせて」
クラレンスが銃の引き金に手を当てた時、ジルの双眸《そうぼう》が怪《あや》しく光った。
不可視《ふかし》の力がクラレンスを吹き飛ばす。
油断していたクラレンスは後ろへ吹きとんだ。
「まだこんな力を」
「森写歩朗《しんじゃぶろう》。逃げるよ」
「えっ」
「こんなに明るくちゃもう飛べないわ。走って逃げるしか」
「なんか逃げてばっかりだね」
「いいから」
ジルは森写歩朗の手を引っ張って屋上の扉《とびら》を開けた。
「まだ死ぬわけにはいかないの」
「どこへ逃げようとジル。こんな小さなビル。お前の匂《にお》いはすぐに分かるからね」
痛みを癒《いや》しながらクラレンスが叫ぶ。
「せいぜいお別れをなごんどきな」
二人は階段を落ちるように降りていった。
「ジル」
「何? 森写歩朗《しんじゃぶろう》」
「顔色悪いな」
「もとからよ」
「いつも以上に悪いな」
「…………」
少し日光に当たりすぎたせいか、ジルは強烈に気分が悪くなるのを感じていた。
「ちょっと日光に当たりすぎたかな」
「大丈夫か」
「平気平気」
そう言いながらもジルの足はふらつき始めている。
そして小さな亀裂《きれつ》に足を取られたのだった。
「大丈夫か?」
「はは、やっちゃったな」
ジルが足首をさする。
「夜だったらこんなへましないのに」
「立てるか」
「なんとか」
「ほら」
森写歩朗は背中を向けてかがんだ。
「森写歩朗」
「どうぞ」
「いいよ」
「いいから。言う通りにしろ」
いつになく森写歩朗の強い口調にジルは言われる通りに森写歩朗の背中におぶさった。
ジルの体は驚くほど軽かった。
「父さんから耳にタコができるくらい言われてるからな。女の娘《こ》には優《やさ》しくしろって」
「森写歩朗。あなたは私のことを女の娘だと思ってるの」
「えっ?」
「こんなことして違和感《いわかん》とか恐怖心《きょうふしん》とかは感じないの?」
「そうか、よく考えたらジルのほうがはるかに年上。女の娘《こ》じゃおかしいな。でもおばあちゃんとは言えないし」
「違う。私が、うまく言えないけど。吸血鬼《きゅうけつき》でも関係なくその、恐《こわ》くないのかって」
「何言ってるか分からなかったけど。恐かったらこんな所まで来ないよ」
「だってあたしは吸血鬼だよ」
「どうしたんだよ。急に」
「いいから答えて」
森写歩朗《しんじゃぶろう》は軽く鼻の頭をかいてから。
「だから、僕が恐いのは、血を吸われてミイラみたいになった人間を抱えて笑ってるようなので、献血《けんけつ》みたいなことしかしないジルにはもう恐怖心は感じないよ」
「本当?」
「本当」
「本当に」
「森写歩朗|嘘《うそ》つかない」
森写歩朗はおどけて言った。
ジルの頭の中で木霊《こだま》していたクラレンスの言葉。
あなたは化物《ばけもの》。
所詮《しょせん》は人間。
この二つが音をたてて弾《はじ》け飛んだ。
「そうよね」
「そうだよ」
「森写歩朗」
首にしがみつくジル。
暖かさが伝わってきた。
見ると汗ばんだ首筋が目の前に、
「森写歩朗」
「何?」
「噛《か》んでいい」
「駄目《だめ》!!!!!!!!」
「冗談《じょうだん》よ冗談」
そう言いながらも舌《した》なめずりをするジル。
森写歩朗はかっこいいことを言ってはみたものの少し恐怖心を覚えた。
そんな気持ちを悟《さと》られないためか取《と》り繕《つくろ》うように森写歩朗は口を開いた。
「もうすぐ三階だな」
3Fと書かれた壁《かべ》が見える。
しかし、その前には何者かの人影が……。
クラレンスだ!
森写歩朗《しんじゃぶろう》は慌《あわ》てて方向転換し、階段を離れ四階のフロアに飛び込んだ。
「どうして僕達よりも先に来てるんだ」
「森写歩朗。後ろ」
迫《せま》るクラレンスの姿があった。
手にはライフル。
「ひい」
森写歩朗は全速力で足を進めた。
廃ビルはかなり入り組んだ作りになっていてうまくいけばクラレンスを撒《ま》くことができる。
森写歩朗は角という角を曲がりくねり相手を混乱させた。
命をかけた鬼《おに》ごっこだった。
が、その逃げなければならない要因の一つを自分が作り出したと思うと馬鹿《ばか》らしい気持ちで一杯だった。
「クッ」
森写歩朗は立ち止まった。はるか廊下《ろうか》の先には壁が、行き止まりだったのだ。
背後《はいご》の角の向こうからは足音が、森写歩朗は辺《あた》りを見渡した。
無数の部屋があった。
すこしの間でも時間を稼《かせ》げれば……。
森写歩朗は近くの部屋に飛び込むと鍵《かぎ》をかけた。
ジルもすぐに森写歩朗の背中から飛び降り椅子《いす》やらテーブルやらを扉《とびら》に押しつける。
そして二人は部屋の隅《すみ》で息を殺していた。
カツーンカツーン。
後に森写歩朗は語ったと言う。
廊下に響く女王様の足音ほど恐《こわ》い音はなかったと。
カツーンカツーン。
ドンドンドンドン。
扉を叩《たた》く音。
「森写歩朗君。ジルコニア。ここでしょ」
いきなり見つかっとるやないか!
「分かってるわよ」
なんでや!
「埃《ほこり》だらけの中、足跡がくっきり」
しまったぁぁぁぁ!
初歩的ながら馬鹿《ばか》さ百倍のミスである。
「クラレンス」
ジルが声を張り上げた。
「十分だけ時間をくれない」
「時間」
「そう。十分だけ」
おそらく考えているのだろう。
扉《とびら》の前で微動《びどう》だにしないクラレンスの気配《けはい》が感じられた。
「分かったわ」
クラレンスが静かに言う。
「五分だけ別れの時間を与えてあげる」
クラレンスが扉から離れるのが曇《くも》りガラスのシルエットで分かった。
「ジル」
「森写歩朗《しんじゃぶろう》。大丈夫死ぬのは私だけだから」
「そうもいかないよ」
「何が」
「ジルを連れて帰ってこなかったら父さんに殺されるよ」
森写歩朗は立ち上がると一つの小さな窓から外を眺めた。
「だめだな。高すぎる」
「飛び降りるの」
「何かあるはずだよ。諦《あきら》めないなら」
森写歩朗は毅然《きぜん》とした態度でそう言った。
自分でも僕ってなんて男らしいんだろと思った。
「ちょっと待ってて。考えるから」
「森写歩朗」
「僕が本気になって考えるとすごいよ」
カラカラカラカラカラカラ。
確かにすごかった。
こんなにすごい空回《からまわ》りはそうそうお目にかかれるもんではないだろう。
しかし所詮《しょせん》は空回り。役に立たないことは説明するまでもない。
「ジル」
森写歩朗は天井《てんじょう》に目を向けながら呟《つぶや》いた。
「ジルのあの台本の最後ってどうなってたっけ」
「最後?」
「そう、ブラックウイナー倒すところ」
「駄目《だめ》よ。あの中じゃ設定が夜だったもの。今の私は扉《とびら》一つ壊《こわ》すことが」
森写歩朗《しんじゃぶろう》は無言で着ているジャンパーを開いて見せた。
ジルは絶句《ぜっく》した。
たっぷり数秒後。
「それ、本物?」
「多分」
二人は顔を見合わせゆっくりと頷《うなず》いた。
ドカァァァァァァァァァァァァァン。
ドアが吹き飛んだ。
「何?」
クラレンスが慌《あわ》てて飛び交う破片を腕で防ぐ。
爆煙《ばくえん》の中を駆《か》け抜けていく人影が二つ見えた。
「手投弾《てなげだん》? やられたわ」
クラレンスは立ち上がると二人を追って走り出した。
一人は階段を上り一人は下る。
クラレンスは当然の事ながら黒いコート、ジルを追って階段を上り始めた。
「ここまできて無駄《むだ》なあがきを」
クラレンスの鉤爪《かぎつめ》が光る。
ターゲットは五階フロアに飛び込んだ。
「逃げられると思ってるの」
クラレンスが銃を構えて引き金を引く。
と、前方を走るジルが黒い塊《かたまり》を転《ころ》がした。
ちょどぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉん。
爆煙と瓦礫《がれき》の中からクラレンスは顔を突き出した。
「なんであんなもの持ってるのよぉ」
今の爆発で手にしていた銃はどこかへ吹き飛んでいた。
「クソッ」
クラレンスは階段を上る影を追いかけ跳躍《ちょうやく》した。
「死ね!」
鉤爪を追いついた背中に突き刺そうとするが、目の前の黒いコートの裾《すそ》から今度は小さな筒《つつ》が音をたてて床《ゆか》に落ちた。
シュ―――――――。
筒《つつ》からは白い煙が放出される。
クラレンスの視界《しかい》はあっと言う間に白銀の世界となった。
「ゴホゴホ」
目にしみるわ喉《のど》は痛くなるわ踏《ふ》んだり蹴《け》ったりである。
それでもなんとか黒の色を見失わないように追いかける。
「次から次へと」
クラレンスはジルを追って四階へと駆《か》け上がった。
「ただでさえ昼間は力が出ないというのに」
ジルはどんどん階段を駆け上っていく。
クラレンスもどんどん追いかけていった。
五階、六階、七階。
ちゅどぉぉぉぉぉん。
ちゅどどぉぉぉぉぉぉぉん。
ちゅどどどどどどぉぉぉぉぉぉぉぉん。
激しい爆発と爆音が二人がかけ巡《めぐ》る先々で起こった。
ジルが屋上の扉《とびら》に手をかける。
体中ススで真っ黒くなったクラレンスは荒い息を吐《は》きながら、
「追いつめたわ」
二人は屋上へ躍《おど》り出た。
すっかり日が高くなった炎天下《えんてんか》の中、クラレンスは背中を向けたジルに叫んだ。
「覚悟《かくご》はできている?」
コートをかぶったジルは無言だった。
「こんな炎天下では何もできないだろう」
それは自分にも多少はいえること。クラレンスは少しの目眩《めまい》を覚えていた。
「ん?」
クラレンスは眉《まゆ》をひそめた。
気のせいかジルの肩幅が幾分《いくぶん》広くなったような気がしたのだ。
ジルは無言でうずくまっている。
クラレンスは暑さに耐《た》えかね止《とど》めを刺《さ》すことに決めた。
ゆっくりと歩み寄る。
そして鉤爪《かぎつめ》を振り上げた。
「今度こそ本当にさようなら」
ガバッ。
ジルがコートを脱ぎ去った。
いや、それはジルではなかった。
コートの下から姿を現したのはなんと森写歩朗《しんじゃぶろう》だったのだ。
「くっ」
森写歩朗が息を切らしながら、
「人違い!」
「何故貴様《なぜきさま》が、畜生《ちくしょう》!」
一杯食わされたことに気付いたクラレンスが後ろを振り返る。
すると屋上の扉《とびら》の奥。薄暗い中に森写歩朗が先ほどまで着ていたジャンパーを羽織《はお》ったジルの姿があった。
そしてその手には先程クラレンスが投げ捨てたマンモスでも一撃で倒せそうな大型ライフルが握《にぎ》られている。
「やったわね」
クラレンスがむしろ感服《かんぷく》するように呟《つぶや》いた。
森写歩朗はすぐにクラレンスから離れた。
「森写歩朗君を囮《おとり》にしてか、そういえばあの台本もそうだったわね」
「…………」
「さぁ撃ちなさい」
ジルの手は硬直《こうちょく》していた。
「さぁ」
ジルは目を閉じた。今ここで引き金を引かなければ、自分の命はなくなる。
正当防衛、やむをえない場合なのに、ジルの指は引き金を引くことはできなかった。
「さぁ」
「できない」
ジルはゆっくりと首を振った。
「どうしてよ」
「だって、あなたは被害者だもの」
「私はあなたの父親を殺した組織の一員よ。実際同族だって幾人《いくにん》かは狩《か》ったわ」
「でも」
「そんな甘《あま》いことを言っている場合じゃないのよ」
クラレンスの口調は死を望んでいるとも思われた。
「できない」
ジルは銃を放り投げた。
「ジルぅ」
森写歩朗《しんじゃぶろう》が慌《あわ》てて駆《か》け寄る。
「君殺されちゃうよ」
「森写歩朗。いいの」
「よくない。君が殺されたら。僕は坊《ぼう》さんにならなきゃいけないんだ」
「坊さん?」
「そうだ。頭ツルツルにしてさ、毎朝早くたたき起こされてそれから漬物《つけもの》と玄米《げんまい》だけの朝食を食ってそれからお経《きょう》唱えて、それからえーとえーと」
「大変ね」
「とにかく。僕は戦うからな」
森写歩朗は腰のベルトからリボルバーを取り出した。
一体彼の父親はどこでこんなものを手に入れてきたのだろうか?
緊迫《きんぱく》状態が流れた。
「フフ」
クラレンスの顔に笑みが産《う》まれた。
優《やさ》しい笑みだった。
次いで右腕に付いている鉤爪《かぎつめ》を外《はず》す。
攻撃の意志はない。そう告《つ》げるかのごとく。
「クラレンス」
ジルの静かな呟《つぶや》きにクラレンスは笑顔で言った。
「私の負けよ。私の」
「でも、あたしを殺さないと心臓の爆弾が」
「本当なら今ので死んでいた。だからいいのよ。でもまさかあなたが来るとはね」
クラレンスは森写歩朗に天然記念物でも見るような目を向けてから空を見上げた。
「昼間ってだるくて気持ち悪くて肌《はだ》が荒れるけど。この青い空は好きだったわ」
とその目を森写歩朗に向ける。
「森写歩朗君」
「はっ、はい」
「あなたみたいな人が十六年前に私の前に現れてくれてればきっと今の私はなかったのにね」
クラレンスはまるで芝居《しばい》のセリフでも読むかのように淡々《たんたん》とした口調で呟いた。
「私が今まで葬《ほうむ》ってきた仲間達の数は五人。私は確かに自分の命を守りたい心もあったけれど、長い孤独《こどく》と寂《さび》しさの命に終止符《しゅうしふ》を打ってあげる気持ちもあったわ、でも、あなた達みたいなのもいるのね。ジル。あなたにピリオドを打つ必要はないわ。森写歩朗君が来た時点で私の負けは決まっていたのかもしれない」
「…………」
「私が間違っていたのよ。もっと早く決心をすべきだった」
クラレンスはポケットから携帯《けいたい》電話を取り出した。
「ありがとう。二人のおかげで決着をつける勇気が湧《わ》いたわ」
ピ、ポ、パ、ポ。
プルルルル プルルル。
『もしもし』(えーごです)
「あ、ボス」(こっちもえーごです)
『クラレンスか。やったのか?』
「やっぱり止めたわ」
『……もう一度言ってくれ』
「もうブラックウイナー止める」
『それがどういうことだか分かっているのか?』
「当然」
『そうか、ならばスイッチを入れさせてもらうよ』
「御自由に」
クラレンスは受話器を離すとすくっと立ち上がった。
「クラレンスさん」
「離れて!」
強い口調だった。
クラレンスはゆっくりとした足取りで二人から離れる。
「これからドッカーンだから」
「駄目《だめ》!」
ジルが叫ぶ。
「そんな、そんな」
「私はブラックウイナーよ」
「分かってる。分かってるけど。やっぱり仲間じゃない」
クラレンスは目を細めた。
「やはり十六年前に死んでおくべきだった」
クラレンスはカッと目を見開いた。
駆《か》け寄ろうとしていたジルが不可視《ふかし》の威圧感《いあつかん》で後退《あとずさ》る。
「私はもう八百年も生きてるの。残念だけどあなたの倍は力があるの」
クラレンスが再び受話器に耳を当てる。
「最後に一言言わせて」(えーごです)
『なんだ?』
「糞野朗《くそやろう》」
『お誉《お》めの言葉ありがたく頂戴《ちょうだい》するよ。なーにお前がいなくなっても代わりはすぐに作れる。お前は長持ちした方だよ。しかし不思議なものだな。お前のような境遇におかれた奴《やつ》らは大抵《たいてい》数年で自ら死を選ぶ。お前を捕えたお前の先輩《せんぱい》にあたる奴も自らの存在を拒《こば》み爆発した。所詮《しょせん》消耗品ということか』
受話器の向こうから嘲笑《ちょうしょう》ともとれる笑い声が聞こえる。
『それではスイッチを押させてもらうよ。今までご苦労だったな』
下卑《げび》た声を耳にクラレンスは目を閉じた。
これから心臓が破裂《はれつ》する。
一瞬《いっしゅん》のこととはいえ痛みはあるだろう。
やるんなら早くやれ!
まな板の鯉《こい》の気分だった。
しかしいくら待っても一向《いっこう》に爆発する気配《けはい》がない。
「ちょっとせっかく覚悟《かくご》決めてんだからさ。さっさと押してよ」
『それが押してるんだが』
「何よ」
『爆発しないのか?』
受話器の向こうから聞こえてきたのはなんともすっとぼけた返事だった。
「しないわよ」
『おかしいな』
ガチャガチャと計器をいじくる音が聞こえてくる。
『はぁ』
男のため息が聞こえた。
『一つ聞くが』
「何よ」
『お前の心臓に埋《う》め込んだのはいつだったかな?』
「十六年前よ」
『しまった!』
「何?」
『電池交換を忘れていた』
クラレンスは開いた口が閉まらなかった。
『十五年毎に交換が必要だった』
「ボケ!!!!」
『だがこんなこともあろうかと別のものを用意しておいた』
「別のもの?」
『お前の首にかけているロザリオには発信器が取り付けられている。これに向かって我がWHO保有の人工衛星から小型ミサイルを飛ばす。お前がいくらあがこうと半径一キロ四方は瓦礫《がれき》だ』
「嘘《うそ》」
『これが本当なんだな。ほらもうスイッチをいれてしまった』
クラレンスは受話器に向かって叫んだ。
「そんなもの用意するくらいなら電池交換しておけ」
受話器を地面に叩《たた》き付ける。
軽く煙を立てて受話器はゴミとなった。
「どうしたの?」
ジルがおそるおそる尋《たず》ねる。
「それが、ミサイルが飛んでくるの」
「はっ?」
「ミサイルが飛んでくるの」
キツネにつままれたような表情を見せるジルと森写歩朗《しんじゃぶろう》。
「嘘《うそ》」
「本当らしいわ。まったくあの男は何を考えてるのかしら」
ジルが不意《ふい》に眉《まゆ》をひそめた。
「聞こえる」
クラレンスもそれにならう。
二人の感覚は人間のそれをはるかに凌駕《りょうが》している。
「本当に向かってきてるわね」
クラレンスが憎々《にくにく》しげに吐《は》き捨てた。
「僕には何も聞こえないけど」
「まいったわね」
クラレンスはジルに目を向けるとすまなそうに目を細めた。
「せめてあなた達を遠くへ逃がしてから反抗すべきだったわね。ごめんなさい」
クラレンスが頭をさげる。
その顔には少しの希望もなかった。
「待ってよ」
ジルが声を張り上げる。
「なんとかがんばってみましょ」
「がんばる?」
「ええ、なんとか押し返せないかな」
ジルはあのテレキネシスのことを言っているのだ。
「無駄《むだ》よ」
クラレンスが即座《そくざ》に否定する。
「今は昼間よ。そんなに強力な力」
「でも」
「それにエネルギーの補給もなしに」
エネルギーの補給!
クラレンスとジルが顔を見合わせた。
そのまま時速五キロのスピードでゆっくりと視線を移動させる。
「え?」
そこには困惑《こんわく》する森写歩朗《しんじゃぶろう》の姿があった。
「ちょっと待って」
森写歩朗が困惑して言う。
「なんかいやな予感がしてきたけど」
「森写歩朗。お願い」
「ジル! 約束が違うぞ」
「森写歩朗君。こんな時でしょ」
「ちょちょちょい待ち。どうしてクラレンスさんまで、冗談《じょうだん》でしょ」
「冗談じゃないわ」
「ジル。まじになるなよ」
「森写歩朗君。それしかないの」
追いつめられる森写歩朗。
その顔は恐怖《きょうふ》で埋《う》まっている。
「絶対いや。いやって言ったらいや」
「森写歩朗君」
クラレンスが一歩前へでる。
「あなたいま幾《いく》つ?」
「へっ?」
「年は?」
「十七」
「女の子と付き合ったことは?」
「ない……けど」
「SEXしたことは?」
森写歩朗《しんじゃぶろう》は思わず咳《せ》き込んだ。
「ないよ!」
「ふーん。やっぱりそれくらいの年頃《としごろ》の子って強い性欲を持ってるものよね」
「クラレンスさん」
「血を提供してくれたら、私がしてあげる」
森写歩朗の頭の中で花火が上がった。
ドンドン、たーまやー。
「じょ、冗談《じょうだん》やめてよ」
森写歩朗は顔をトマトのようにしながら叫んだ。
「あら大丈夫よ。生殖能力はないけど普通にできるわよ」
「ちょっと」
さすがに堪《たま》り兼《か》ねたジルが口を挟《はさ》む。
「少なくともジルコニアより気持ち良いはずよ」
ジルが頬《ほお》をプーと膨《ふく》らます。
確かにクラレンスのほうが格段《かくだん》にプロポーションがいい。
「どうかしら」
「いやそのあの」
森写歩朗はすっかりカオス状態だ。
それを不満の色と見取ったクラレンスは自らの服のボタンに手をかけた。
「肉体は二十五のままよ」
パラッ。
クラレンスの胸がはだけられる、森写歩朗の目の前で。
鼻筋が熱くなる。
森写歩朗の頭は見事に爆発した。
森写歩朗はのけぞり倒れ、そして気絶《きぜつ》した。
ミサイル弾は回避《かいひ》された。
たっぷり血液を補充したジルとクラレンスの力で、小型ミサイル弾は明後日《あさって》の方向へ飛んでいった。
昼間に力を使ったせいで二人はすっかりグロッキーになってしまった。
しかし目的は達成された。
これも森写歩朗の血液のおかげである。
森写歩朗は今も廃材の陰《かげ》に倒れている。
その鼻に詰められたティッシュが、彼の献身《けんしん》ぶりを語っていた。
彼の純情さが町を救ったのだ。
3
「じゃあ、行くわ」
時計は既《すで》に七時を回っていた。
ようやく暗くなった空を見上げながらクラレンスは二人に別れを告《つ》げた。
「これからどうするの?」
ジルの質問にクラレンスは軽く笑みを浮かべて、
「ブラックウイナーを潰《つぶ》してくるわ。その後は、どこかの山奥で静かに暮《く》らす。静かにね」
「そう、元気で」
相手は父親を殺したブラックウイナーの一員のはずなのに、ジルの胸には不思議と憎《にく》しみの感情は湧《わ》かなかった。
「血を吸う時はくれぐれも気を付けてね。この世が吸血鬼《きゅうけつき》だらけになって人類滅亡もありえるんだから」
「大丈夫よ。ストロー使ってるから」
「そう、それから」
クラレンスはすっかりげっそりとした森写歩朗《しんじゃぶろう》に目を向けた。
「ほうれん草やレバーを思いっきり食べさせてあげてね」
「分かってる」
「森写歩朗君。ありがとね」
「いえいえ」
「やりたいならここでしてあげてもいいけど?」
森写歩朗は青くなって叫んだ。
「結構《けっこう》です」
「そう、残念。でも何かお礼がしたいわね」
クラレンスが小首を傾《かし》げあれこれと思案《しあん》し始める。
森写歩朗はおずおずと話しかけた。
「あの」
「何?」
「一つお願いがあるんですけど、いいですか」
「いいわよ。私にできることなら」
「実は」
森写歩朗は恥《は》ずかしそうに頭を掻《か》いた。
「写真くれませんか?」
「はっ?」
「いえ、あの僕母さんいないんで。なんかイメージにピッタリだなって」
しどろもどろに説明する森写歩朗をクラレンスは微笑《ほほえ》みながら見ていた。
「いいわよそれくらい」
「本当ですか?」
「その写真どうするの?」
「仏壇《ぶつだん》に飾《かざ》ります」
クラレンスが眉《まゆ》をしかめる。
「できれば普通の写真立てにしてほしいわね」
「分かりました」
「そうか、私とお母さんのイメージがね」
「ええ」
クラレンスは茶目《ちゃめ》っけのある目を森写歩朗に向けて、
「じゃあ、私のことママって言ってくれないかな」
「えっ?」
「私のこと」
「でも」
「いいから」
「………ママ」
「小さいわ」
「……ママ」
「もう一声」
森写歩朗《しんじゃぶろう》は顔を赤らめながらそっと上目|遣《づか》いにクラレンスの目を見つめると大きく息を吸い込んで言った。
「ママ」
「良くできました」
クラレンスが森写歩朗を抱きしめた。
森写歩朗は生まれて初めて母親に抱かれるような錯覚《さっかく》を覚えた。
それをおもしろくないように見つめるのはジル。
「さてと」
クラレンスが屋上の縁《ふち》に立った。
「それじゃあ。二人とも元気でね」
「クラレンスさんも」
「写真はすぐに送るから」
「どうも」
「それからジルコニア」
クラレンスは膨《ふく》れるジルの耳もとで囁《ささや》いた。
「森写歩朗君から離れちゃだめよ」
「えっ」
「離れたら、吸血鬼《きゅうけつき》としての苦痛を味わうことになるわ」
ジルは満面の笑みで答えた。
「隙《すき》を見つけて噛《か》んじゃいなさい」
「ううん。森写歩朗がいやがることはしないの」
「そう、とにかく幸せにね」
クラレンスは最後に二人の顔を見ると、一気《いっき》にビルから飛び立った。
「さようなら」
手を振りながら去っていく。
森写歩朗もジルも大きく手を振った。
「バイバイ」
長い戦いは終わったのだった。
「さてと、帰ろう森写歩朗《しんじゃぶろう》」
「ああでも」
森写歩朗は情けない顔で、
「足がフラフラ」
一体何リットルの鼻血をぶちまけたのだろうか?
「ふふ」
ジルはすぐに森写歩朗に肩を貸した。
「飛んでいく?」
「絶対いや」
「じゃあ歩いていこ」
二人は寄《よ》り添《そ》うようにして屋上を後にした。
「だいぶ結末は違っちゃったけど、台本通りにめでたしめでたしで終わったね」
「そうだな」
「ねえ森写歩朗」
「何?」
ジルは世間話でもするようにサラっと言った。
「噛《か》んでもいい?」
「あ…」
思わず返事をしかけた森写歩朗は慌《あわ》てて激しく首を横に振った。
「絶対いや。いいかこれだけはハッキリしておく。僕の血は吸わないでくれ」
「はは、うまくはいかないね。やっぱり」
ジルがぺろり舌《した》を出す。
「でもあたし諦《あきら》めないから」
ジルは小声でそう囁《ささや》いた。
「何か言ったか?」
「ううんなんでもない」
ジルが森写歩朗に首を振って見せる。
「ただの独《ひと》り言《ごと》だから」
「そうか」
「それより森写歩朗。あなた結構《けっこう》もてるみたいね」
不意《ふい》にジルの口調が少し険悪《けんあく》なものへと変化した。
「へっ?」
「いつもあんな風にお弁当持って迫《せま》られてるの?」
ジルの心は一つである。
明日からは何がなんでも自分が森写歩朗《しんじゃぶろう》の弁当を作る!
「弁当?」
あの植木鉢《うえきばち》ドッカ――ン事件の背景を知らないジルに森写歩朗は初めて気がついた。
「ああ、あれは、はは、ただ単に役の取り合いだよ」
「役の取り合い?」
「うん、ほらジルが書いてくれた台本。丁度《ちょうど》三人だからやるって決まったんだけどさ。どっちがジル役をやるかでもめにもめて僕が決めることになったんだ。それであの騒《さわ》ぎになったってわけ。僕がもてるわけないっしょ」
森写歩朗はカラカラと笑った。
しかしジルはなぜかうかない顔。
「あの劇やるの?」
「うん」
「いつ?」
「来月」
「そのまま?」
「そう。いやキスシーンとかさ、やばいと思ったんだけどどうしてもそのままやるって言い張るから」
「で、どっちがジル役をやるの?」
「三石《みついし》ちゃん。あ、名前を言っても分からないか。あの眼鏡《めがね》のかわいい娘《こ》」
「そう」
ジルは静かに軽く目を閉じると、唐突《とうとつ》に叫んだ。
「駄目《だめ》!」
「へっ?」
「作者としてあの台本の上演は認めない」
「ちょっとちょっとどうして」
「絶対だめ」
チンプンカンプンの森写歩朗は首を傾《かし》げた。
「でももう決まっちゃったんだよ」
「駄目! 絶対駄目」
ジルの表情は妙《みょう》に凄味《すごみ》を帯びている。
森写歩朗にジルの乙女心《おとめごころ》など分かるはずもなく、ただただ困惑《こんわく》するばかり。
「どうしてさ」
ジルは森写歩朗の目を見つめると毅然《きぜん》とした口調で言った。
「森写歩朗は、好きでもない女の人とキスができるの!」
「はっ?」
「それともあの眼鏡《めがね》の娘《こ》が好きなの!」
なぜか咎《とが》めるような勢いだ。
「ジルちょっと」
「駄目《だめ》。絶対駄目!」
「ジル。何か勘違《かんちが》いしてないか?」
「何よ」
森写歩朗《しんじゃぶろう》は噛《か》んで含《ふく》めるように説明し始めた。
「あの後、ジル役は三石《みついし》ちゃんだって言ったんだけど。倉地《くらち》さん、あの背が高いモデルみたいな人だよ。倉地さんが、絶対悪役は嫌《いや》だって駄々《だだ》こねたんだよ」
森写歩朗は自分の頬《ほお》の傷を指さした。
「だからそういうこと」
「そういうことってどういうこと?」
「だから、その、倉地さんは」
森写歩朗はなぜか言いずらそうだ。
「悪役はいやだって言ったって他《ほか》の役はないじゃない」
「だから、一個残ってる」
「残ってるって…………」
ジルは目をぱちくりしてから、
「…………真太郎《しんたろう》役」
「そう、あの人背高いから化粧《けしょう》すればけっこう宝塚的《たからづかてき》美男子になると思うよ」
「ちょっと待ってよ、じゃあ森写歩朗は」
「僕は、一つ残ってる」
時計の針の音まで聞こえてきそうな沈黙《ちんもく》が流れた。
「ブラックウイナー役?」
「そう」
「女装《じょそう》?」
「…………そう」
森写歩朗の重い重い答えにジルは吹き出した。
「あはははははははははははははは」
「しょうがないんだよ!」
「絶対見に行くから」
「来なくていい」
森写歩朗がプイとそっぽを向く。
ジルは微笑《ほほえ》みながら体を密着させた。
「絶対行くから」
「来るな!」
「絶対行くから。絶対に」
ジルは森写歩朗《しんじゃぶろう》に回す腕にさらに力を込めた。
月はその日も奇麗《きれい》だった。
後日談
父|辰太郎《たつたろう》はあの夜のことは何も覚えてはいなかった。当然武器を与えたこともである。森写歩朗は黙《だま》って武器を禁断《きんだん》のソファーの下に返し鍵《かぎ》も父親のお守りの中へ滑《すべ》り込ませておいた。よって辰太郎がなぜあのような兵器を所有していたかは今回は謎《なぞ》のまま終わるのである。
それから数日後、一枚の写真が送られてきた。それは聖母《せいぼ》のような微笑みを浮かべるクラレンスの写真だった。森写歩朗の机にはその写真が入れられた写真立てが静かに立っている。ママと書かれて。
飯波《いいなみ》高校演劇部による『僕の血を吸わないで』は、異色の作品として高い評価を受けた。シリアスなはずのストーリーに男が女役、女が男役といったギャップで面白味を入れた部分が思いも寄らない反響を呼び、三週間という練習量の少なさに反して県大会へと駒《こま》を進めることとなった。
ジルは今、県大会が行われているホールで静かに目を細めている。
その瞳《ひとみ》に移るものは、女王様ルックを身に着けた森写歩朗の恥《は》ずかしい姿だった。
ジルは終了と同時に盛大な拍手《はくしゅ》を送った。
舞台の上で礼をする世界で一番恥ずかしい宝石に、ジルはいつまでも拍手を送り続けた。
あとがき
確かこれを書いていたのは高校三年の夏ごろだったような気がします。当時はまだ若かった。車の免許もなかった。勉強せずに落第の恐怖《きょうふ》を背中に感じつつ、演劇部でめちゃくちゃおちゃらけた台本を書いていたころでした。
それは本当におちゃらけた話で、あまりの下《くだ》らなさに僕自身自分が情けなくなりました。
「このままじゃいかん。僕の脳味噌はトコロテンになってしまう!」
拳《こぶし》を握り締めたがまじめな台本を書いても誰《だれ》もやりたがらないことは目に見えていました。
したがって小説に手を伸《の》ばしました。
思い切り真面目な恋愛小説を書こう。
そう決め込んでたはずなのに……。どこで間違ったんでしょうね。
半端《はんぱ》でも誇張《こちょう》でもない落第の危機を担任のお情けで乗り越え、英語もまったくできないくせにアメリカへやってきてしまった僕に明日《あした》はあるのでしょうか? 多分ないでしょう。
はるばる海を越え出席した授賞式で、同じく電撃3大賞を受賞した方々に尋ねられました。
「英語できるんですか?」
僕は元気に答えました。
「できません!」
嘘《うそ》ではありません。おそらく今の僕の英語力は一般的中学生とさほど変わらないはずです。
バカ一直線で走ってます。頭からヒマワリの花が咲くほどバカです。
さて、『僕の血を吸わないで』いかがでしたでしょうか。
「ほんのちょっぴり面白かったよ」
なんて言ってくれる人がいると、ものすごく嬉《うれ》しくて天空の城へ旅立っちゃいます。
審査員の皆様。メディアワークスの皆様。本当にお世話になりました。
金賞受賞の橋本さん。ネクタイと格闘《かくとう》していた僕に手を差《さ》し伸《の》べてくれたこと、本当に感謝しています。
それでは皆さん、次があったら(あるかな?)またお会いしましょう。
スイカばっかり食べてトイレがめちゃくちゃ近い阿智太郎より
おまけ
登場人物として快く名前を貸してくれた知人友人の方々に、ここで改めてお礼を言います。
へっへ〜〜ん。勝手《かって》に使わしてもらったぜ!
発 行 一九九八年二月二十五日 初版発行
発行所 株式会社メディアワークス
[#誤字など]
11-6 ありさえすれば 彼女に
20-3 避《よ》けられない事故
24-4 『○(有)?§★▼▽?(株)?±?¥=↑〒!!!!!!!!!!!』
立て表示時に正しく表示されます
27-17 受けいられる
38-7 こおいうの
46-5 いついつもいつもいつもいつも
92-12 選《い》り好《ごの》み
109-2 躊躇《ためらい》も
110-6 嘘《うそ》ぶく
113-4 口端《くちはし》に浮かべ
117-11 ペーキングパウダー
121-8 オニュウー
126-6 「簡単なレクレーション
改行されていない
143-4 という字を買いて
182-3 まあまあま
186-13 進退|極《きわ》まった
289-15 あっちこち
209-6 数倍も早い
219-17 屋根裏」
。
239-8 早く飛べる
243-5 ありった。
262-5 クラレンス向けた。
304-15 言いずらそうだ。
307-5 瞳《ひとみ》に移る