阿佐田哲也
ヤバ市ヤバ町雀鬼伝 2
目 次
東一局 夜は楽しい悪の園
東二局 ここが地獄の一丁目
東三局 魔人ドラキラー
東四局 ポチの災難
南一局 博徒出陣
南二局 鼠の散歩
南三局 ゴールドラッシュ
南四局 親に孝行子に不孝
東一局 夜《よる》は楽《たの》しい悪《あく》の園《その》
一
「おめでとう」
「や、おめでとう」
「今年もよろしく、あんまりムシらんでよ」
「なにいってんのォ、銭がみんな、そっちへ集まってっちゃうよゥ」
「馬鹿いっちゃいけません。正月だ。今日ぐらいは正直に、和《なご》やかにやりましょう」
「和やかにやってますよ。ただね、銭がそっちへばかり行くから」
「あたしは勝っちゃいない。家電屋さんが払ってくれないから」
「家電屋、家電屋って、あともう五十万ばかり残ってるだけじゃないか。あたしなんかこう見えても、ガミ喰った小切手をたくさん持ってる。こうなると鼻紙にもならないからね。――ホラ、のたり寿司の波ちゃんの紙」
「ああ、首|吊《つ》りの波ちゃんね」
「死んだ奴の小切手なんか持っててどうするの」
「こうなるとあたしは収集するよ。ばくち文化館なんか作って飾ろうかな」
「手前が殿堂入りするよ」
「――これが刑事の飛び梅」
「あの人もどうしたかな」
「大阪で地下道に居るとさ」
「めでたいなァ、皆死なないで。ばくちやってこの年齢《とし》までしのいでるっての、めでたいよ」
「ええ、おめでとうございます。皆さん今年もよろしく」
とオレンプが顔を見せた。ピンクゾーン鬼ケ島≠フ、いずれも一筋縄でいかぬ人間たちの寄合いでも、殺人前科の肩書がぐっと光って、座の中心になる。
「おめでとう、オレンプ。あいかわらず嬉しそうだね。なにかいいことあったかい」
「エッヘッヘェ。娘がね、アメリカからやってくるんですよ」
「アレ、オレンプに娘があったの。そんな話は今まできかなかったね」
「あたしも忘れてたんですよ。みんな生み捨てだからね。何人居るかわからんです。でも、やっぱり変なもんですねえ、親娘《おやこ》って奴は。楽しみなもんですよ、会うまではね。会えばたいていがっかりするんだが」
「幾つだい」
「さァ、ねえ――」
「見当もつかずか」
「あたしは知らないが、向うが覚えていて手紙をくれたんですよ。ホラ、これが写真」
オレンプは胸のポケットから、パスポートにはりつけるような小さな写真をとりだした。
「おうい、誰か眼鏡を貸してくれェ」
「あッ、これ現在の写真かね。若いね」
「美人だ。オレンプに似てるぜ」
「なるほど、アメリカ風美人だな」
「亭主持ちかい」
「そいつは手紙に書いてない。でも、一人で来るらしいですよ」
「何してるんだ。OLかい」
「さァ。どうせあたしの娘ですからね。ろくな喰い方はしてないでしょう」
「それにしても、今頃、どうしてこっちに来る気になったんだろう」
「ロスの女子刑務所を出たらしいですね。それで、当面身を寄せるところもないし、この機会に訪ねてくる気になったんでしょう」
「まちがいない。オレンプの娘だ」
「まァとにかく、美人だ。ね。それでオレンプの娘だ。お近づきを願いましょう」
扉が静かに開いて、飯場《はんば》にでも居そうな体格の青年が入ってきた。彼は体格のわりにおとなしい足どりで、まぶしそうに一同を見た。
「こんばんは。おめでとう」
しかし誰も返事をしない。
「なんだい。今日は新年の寄合いだ。ばくちはやってないぜ」
と学生のヤー坊が敵意をむきだしにしていう。ヤー坊はこの前、この青年にやられてる。
「そうかい――」と青年もひるまずに答えた。「じゃ、今度またやろうぜ」
「ズンベさん、でしたね」
とオレンプが笑いかけた。
「ランちゃんとは、うまくいってるかな」
青年は軽くうなずいた。
「ちょうど皆さんが揃《そろ》っていてよかった。こんな話は大勢の前でいうに限りますからね。オレンプさん、百万ほど、廻してもらえませんか」
オレンプは吸いかけた煙草を手放して笑った。
「新年早々へんな人が来たな。何に使うの」
「ばくちのタネ銭ですよ。それ以外に借金はしません」
「担保は、何――?」
「ランです。ランを預けます」
オレンプは又笑った。
「ご自由に使ってください。もし返せなかったら、どう処分して貰《もら》ってもかまいません」
「早くもランちゃんに飽《あ》きたんでしょう。ヘヘヘ、それはあたしも昔よく使った手だよ」
「それじゃちょうどいい。お互い、損のない取引きでしょう」
「あたしはもう女なんか興味はありませんよ。どなたか、ランちゃんを百万で預かる人は居ませんか」
その時、また扉が開いた。
長い髪の毛の、燃え立つような濃緑のコートを着た娘が入ってきた。
「パパァ――、パパはどこゥ――?」
オレンプが立ちあがった。
「あたしがパパですよ。よく来たね」
「ああ、パパ――」
娘は駈け寄ってオレンプの身体に手を廻した。
「よかった。あたしのイメージとちがってないわ」
「お前も綺麗だよ。写真とそっくりです」
「マイネーム、ジーンよ。ジーン浜田、覚えてね」
彼女は扉にもっとも近いところに居たズンベを指さして、
「貴方、わるいけど外に荷物を持って運転手が待ってるの。此方《こつち》へ運んできて。あ、それから、メーターのキャッシュもついでにお願いね」
娘はズンベを見返りもせず、オレンプの腰を抱くようにして、
「皆さん、よろしくね。パパのところにしばらくお世話になるかもよ」
家電屋がからかうようにいった。
「ほう、パパ。しばらくお世話するかね」
「あたし、パパを気に入ってます。もっと早く会えばよかったわ」
「しかし――」と家電屋。「Windserの社長が彼女を気に入るかな。パパはね、女社長のヒモだからね。同居はむずかしいだろう」
「かわいそうに、パパ、そんな身分だったの。お手紙では隠してたのね」
「あたしはもう老人だから、これでいいんだよ」
「女社長はギャンブルをやる――?」
「――やらんこともないがね」
「だったら大丈夫よ。Windserはパパの物になるわ。あたしが居れば」
ズンベがトランクを両手にさげて部屋に入ってきた。
「優しい娘だね。でも今のままでいいんだ。べつに不足はないし、しのいで行けばいい」
「駄目よ。死ぬときは誰だって、自分にふさわしい肩書が必要だわ」
「あたしはまだ死なない」
「駄目。パパを助けなきゃ。とりあえず、一万ドル頂戴」
二
「ははァ、お前も文無しかね」
「出所してすぐ来たんだもの、当り前でしょ。別荘の中じゃパパのことばかり考えてたわ。どうしてかわからないけど、日本に行きさえすれば、ラッキーが重なるように思えたの」
「かわいそうに。若い娘が、パパのことしか考えないなんてなァ」
「きっとツクわよ。あたし、ここずっとツカなかったんだから。もうそろそろよ。ツクとすごいのよ、あたしって。こう見えても、イタリーのお城を持ってたことだってあるんだから」
ズンベが一歩進み出た。
「オレンプ、俺が先口ですよ」
ジーン嬢が振り返った。
「先口って、なんのこと?」
「ほんのちょっと前に、俺がオレンプから借りることになっちゃったのさ、百万」
「シャラップ、お退《さが》り。あんた何なの、垢《あか》だらけのチワワみたいな顔して」
「まァお待ち。あたしはどっちに廻すともいってやしませんよ」
「俺の担保は、絶対お徳用だがな」
「ズンベさんの方は、この際だからはっきりおことわりしておきましょう」
「パパ、大好き!」
「ジーン、貴女にはなんでも廻してあげたいけどねえ。パパは確実な担保をとってお金を廻す主義なんだよ」
「着のみ着のままで日本についたのよ。担保なんか無理。第一、パパ、借りるんじゃないわよ。娘のお小遣いよ」
「よし、じゃこうしよう――」とズンベがいった。「俺が先に借りて増やしてから、君に廻そう」
「シャラップ、あんたと口をきくのもごめんだったら」
「よし、じゃ、利権は君にゆずろう。レディファーストだ――」とズンベは静かな声でいった。「そのかわり、そのお金で今夜は遊ぼう」
「ノウ ザッツ イムポシブル! なぜ、あんたと遊ばなくちゃならないの」
「何が得意なんだい。ポーカーなんかやるのかい」
「やるのか、だって? 馬鹿にしないでよ。カリフォルニア州のカップだって持ってたわ」
「じゃァ、ダイスは――? チンチロリンなんて知らないだろう」
「チンチロリン――?」
「クラップスより簡単で面白いよ」
ズンベはドンブリの中に三個のサイを投げ入れてみせた。ルールを説明しながら、■と■を出した。
「ツルツルのドンブリだからね、|インチキ《フエイク》できない。おぼえて帰ってアメリカで流行《はや》らすといいぜ」
ジーンがサイをつまんで振ってみようとした。
「親をやるかい、じゃ、親をゆずってもいい」
「親――?」
「先に振るのが親だ」
「じゃ、先にやりなさい」
「親が振る前に、子は賭け金《レート》をきめる」
「練習《プラクテイス》よ、まだ賭けない《ノウレート》」
「冗談じゃない。誰かチンチロリンを賭けないでやった奴、居るかい」
「あたしが親をする。あんた、賭け金を定《き》めて」
「よし、百万だ」
「あんた、無いんでしょ」
「オレンプが払ってくれるよ。俺は信用があるんだ」
ジーンがいきなりサイをドンブリに投げた。
■■■――。
「もう一度《ワンスモア》」
■■■――。
「はい、それで終り。■が二つで、同数が二つ出たら、それ以外の目が君の持ち目になる。君は■だぜ」
ズンベは軽く三個を投げ入れた。二度目を振ろうとして手を伸ばしかけ、おや、といった。
■■■――。
「どうしたの――?」
「目が出ちゃったよ」
「■が二つで、あとが■ね。■より■の方が強いわね」
「そうさ」
「あたしの勝ちね」
「簡単だろう。さ、今度はまた百万だ」
「払ってよ」
「オレンプが払うよ。払ってください」
「冗談いっちゃいけない」
「娘のためですよ。それに、すぐ返る金だ」
「少ゥし調子に乗りすぎるよ、君は」
「俺は担保があります。ばくちの負けをトボけるような男じゃない」
「それなら現金《キヤツシユ》で勝負したまえ」
「ですがね、オレンプ。気楽な銭でばかり勝負するのはド素人だ。ばくち打ちなら無理に無理を重ねた弾丸《たま》で打《ぶ》たなくちゃ。覚えがあるでしょ」
「でも、そういうときは負けませんがね」
「ええ、だから一瞬、介錯《かいしやく》をつけてください。ワンチャンスじゃひどい」
「まァひっこんでなよ、ズンベ」
と学生のヤー坊が出てきた。彼はいい役を演ずるチャンスをみつけたように、冴《さ》え冴《ざ》えとした表情でジーンにいった。
「俺が相手をするよ。同じく百万だ。さァ、親を続けたまえ」
「あたしが先に振ってもいいのね」
■■■――。
■■■――。
「三回まで振れるんでしょう」
「そうだよ」
■■■――。
「これは何――? さっきの説明だと、スペシャルケイスね」
「倍づけだよ――」とオレンプ。
「さァお振りなさいな」
「いや、親が役を振ったら、もう子はできない。バカラのナチュラルナインと同じ、勝負はそれまで。ヤー坊は二百万の負け」
ヤー坊は声なくサイを見つめていた。ただ出てきただけで、二百万の損失だ。
ズンベがそっと出て行こうとする。
「どこへ行くの。垢チワワ!」
ジーンが叫んだ。
「レディにお金をつけないで、どこへ行くのさ。アメリカなら射ち殺されても文句がいえないんだよ。最低のフールボーイね」
ヤー坊が、口惜しそうに、小切手にサインした。その紙を、ジーンは人差指で、ぴッとはじいてしまう。
「キャッシュオンリーよ。それがゲストに対するマナーでしょ」
ヤー坊はその紙をひろって、オレンプのところに差し出した。
「チェンジ、頼みます」
オレンプは、おッ、といって上衣の裾《すそ》をまくり、胴巻から札束《ズク》を二つ出した。
「はい、二百万」
「持ってけ、泥棒――!」
ジーンは、ズンベからまだ眼を離さない。
「どうすんの。フールボーイ。払えなきゃあたしの馬におなり。西部《ウエスト》じゃそうするんだよ。お前は最低なんだからね。早くおし」
「よし、なんでもやってやる」
彼女は這《は》いつくばったズンベに横向きに腰をおろした。
「アハハハーイ、歩け、フール!」
「どこへ行くんだ」
「トイレよ。トイレにお行き」
やがて、顔じゅう濡《ぬ》らしたズンベが、うっすらと笑みさえ浮かべて戻ってきた。
「あばずれェ、まともじゃアメリカに帰さねえからな」
三
「パパ、あたしはどこに寝るの?」
「今にお家に連れてってあげますよ。とりあえず、そのへんの椅子でおやすみ」
「こんな空気のわるいところで?」
「東京はどこもわるいさ」
「パパはまだこの人たちと一緒に居るの」
「そうだよ。パパは夜は遊ぶ。一日おきにしか寝ない」
「じゃ、あたしはホテルで寝ようっと」
「そうしなさい」
「どこへ行ったらいいかわからないわ」
「どこも予約をしてないのか」
「パパが居るのに、どうしてホテルを予約しなくちゃいけないの」
「それはまァそうだね。あのね、じゃァこうしよう。好きなホテルに行って、そこからパパに電話しなさい。おやすみ」
彼女はしばらく一同の様子をうかがっていた。
「不親切な人たちねえ。あたしに自分でタクシーをひろえっていうの」
「当り前です。ここはアメリカじゃない」
「野蛮人ねえ」
「日本の暗黒街ですよ。娘じゃなけりゃ、今頃料理されちゃってる」
「ホテルもそうかしら。それじゃ続き部屋なんかないんでしょうね」
「続き部屋が必要かね」
「アラ、あたしに木賃宿《フラツプハウス》みたいなところで寝ろっていうの」
「日本はせまいんだ。寝るだけなんだから一人部屋《ワンルーム》で我慢しなさい」
「いやよ――!」と彼女は叫んだ。「いやァアアよ!」
「なんて声を出すんだ」
「あたしはパパの娘よ。パパがなんにも面倒みないもんだから、一人でここまで大きくなったんじゃないの。そういうあたしを見たらかわいそうで、誰だって五万や十万は、黙ってたってプレゼントしてくれるものだわ。あたしは愛情に餓《う》えてたの。パパは優しい言葉ひとつくれなかった。それでもあたしはじっと我慢してたんだわ。ああ、なんて健気《けなげ》な娘でしょう。――あたしはパパが、今まで放っておいたお詫《わ》びに、黄金の部屋と執事《バトラー》と五人の小間使いを用意して迎えてくれると信じて日本にやって来たんだわ。それが、なんですってェ! 一人部屋《ワンルーム》に泊れ、ですってェ! なんて残虐なんでしょう! あたしが一人部屋《ワンルーム》なんかで眠れないことを知ってるくせにィ!」
「刑務所も続き部屋だったのかねえ」
彼女は黙った。しゃべっているよりももっと雄弁な沈黙だった。オレンプの前に進み出ると、右の平手に全身の力をこめて、オレンプを張り倒した。
「二度とその言葉をいったら、死刑よ、パパ!」
オレンプの老眼鏡が卓の向うまで飛び、オレンプ自身は床の上を二度転がった。彼は、口中から飛び出た入歯をいそいではめ直した。
「やれやれ、こりゃァまだ手錠が必要だぞ」
ジーンは部屋から出て行こうとして、もう一度、オレンプの方に向き直った。
「明日、眼がさめたらすぐに、訴えてやるわ。婦女暴行罪と侮辱罪で全員が検挙されるわねえ。楽しみですこと」
彼女が出て行ったあと、しばらく誰も言葉を発しなかった。皆が似たようなことを考えて、感慨にふけっていたのだ。
ついに、家電屋が口に出した。
「まちがいないよ、オレンプの娘だ。こわいもんだねえ、血筋というものは」
「あたしは、乱暴じゃありませんがね」
「でも、人を殺したんだろう」
「乱暴じゃなくたって、殺人くらいしますよ。もののはずみもあるし」
「しかし、どうする?」と医者がいった。「あれは君、手こずるよ」
「そうだ。かかわらない方がいいね」
「男なら君、殺せばすむが、女って奴はねえ、どうにもならん。破滅のもとだよ」
「いったい、覚えがあるのかね。アメリカに産みつけたって覚えが」
「さァねえ――」とオレンプ。「男ってえものは、こればかりはねえ。たしかなことは母親しかわからない」
「でも、アメリカだぜ」
「母親はどこへだって移動できますからね。まァあたしが悪いんでしょうよ。昔、方々に産みつけてるから」
「覚えがあろうがあるまいが、かかわりあってプラスはないね。飛行機の切符とわさび漬《づけ》でも買ってやって、アメリカに送り返すんだな」
「まず、簡単には帰らないねえ」
「面白くなってきたねえ。彼女は帰らない。オレンプが痩《や》せ細る。チャンスだな。俺たちに風が吹いてきたぜ。あの娘をかかえてたらオレンプだって、絶対ばくちで勝てるもんかい」
電話のベルが鳴った。
オレンプが受話器を取る。
「はいはい、ああ、ジーン。――なんだって? ――センズリ?」
オレンプは受話器を耳から離して、信じられないように眺めた。
「センズリを、かいたのか? ――センズリも知らんのかね。まァ君は女だからな。センズリはねえ、オナニーのことさ――」
彼はあわてて受話器を耳から離した。
「まァそう怒鳴りなさんな。ホテル? センズリのホテル? ――ええと、皆さん、そんな変なホテルがありますかね」
「センチュリイ・ハイアットだろ」
「もしもし、わかった、センチュリイ・ハイアット、つまり贅沢《ぜいたく》な世紀だな、――馬鹿ッ、お前のじゃない、二十世紀の世紀だ。――うん、――なにッ、――そうかい、うん、まァね、それじゃ、おやすみ」
オレンプの声がだんだん弱まって、受話器を力なくおくと、椅子に戻った。
「あの小狐|奴《め》。一泊二十万の貴賓室をとりあえず一ヵ月頼んだんだとさ」
今度は皆が笑い出した。
「そうすると、一ヵ月で六百万の出費だ。部屋代だけでね」
「一年で、――七千万か」
「しかし、女社長のところには連れていけないだろう。娘だっていっても信用するまい」
「娘だって遠慮しないよ、この人は」
「オレンプ、どうしますか」
「もちろん、善処しますよ」
「どうやって――?」
オレンプは苦笑した。それから、
「まァ皆さん、いずれにしても、とんだ恥さらしだから、このことはしばらく御内分に願います」
「いいとも、オレンプ。わるい正月で気の毒だね」
家電屋が上機嫌の声を出した。
四
■■■■■■■■■■■■■
ここに■をツモってきて、不動産屋はじっくり考えこんだ。彼は青々と剃《そ》りこんだイガクリ頭が唯一の特徴で、顔も身体つきもなんにも目立ったところのない小男なので、イガクリ、乃至《ないし》クリと呼ばれている。ただ無口で、ほとんど笑いもしないで、そうして考えがやたらに長い。
どこのレギュラーにも一人くらい居るタイプで、麻雀が下手糞《へたくそ》で、勝つ。皆に軽んじられ、嫌がられているが、しかし、ツキがおちればいつでも勝てそうに思えるから、誰もがつかず離れずつき合っている。なにしろ、不動産屋といえば、現在は、銭持ちと同義語なのである。
「早くしておくれよゥ、クリさん」
しかし返事もしない。
ややあって、初牌《シヨンパイ》の■を切り出してきた。
ワレ目リーチがかかっている。親の家電屋も仕かけて■と■を鳴いている。オレンプはのらりくらりと、オリてるようなそうでないような。
ドラは■。東風《トンプウ》戦の東三局だから、大事な場だ。イガクリでなくとも考えたくなる。
次に■をツモってきた。■打。
■はドラ。は初牌。家電屋がワンズ傾向にも見えるし、リーチにもワンズが高い。
リーチが■をツモ切りした。
「おや、その筋はいいんだね」とオレンプ。
ほとんど同時に、ポン、とイガクリがいった。そして長考。
「リズムが狂うねえ。クリさん、もう少しなんとかしてよ」と家電屋。
「いっても無駄ですよ」とオレンプが笑いながらいう。「これが戦法ですものね。クリさん。早打ちなんかするもんですか」
イガクリ、思い決したように、■打。
オレンプが眼を細くしてそれを喰った。
「勝負だな」
そういって■を切る。
「カン――!」
イガクリがリンシャンから持ってきたのは■。そして■打。これも強い。
「当らないの――?」とオレンプ。
誰も声を出さない。
■■■■■■■■■■■■■
カンドラは■になっている。
何巡かして、イガクリのところでまたストップし、珍らしく声を発して、
「――さァ、ここだて」
ツルリと頭を撫《な》でた。
それから、■打――。
ポン、と家電屋がいう。
「こいつが出るんならしくじったわい」
ワレ目リーチの医者はあいかわらず無表情――。
そこまでで、流局かと見えた。イガクリが苦吟して振らない。
「考えるところなのかねえ、こんなところで」
「イライラしない。ねえ、ゆっくりいきましょう」
ドラの■がイガクリから出てきたときに、皆顔を見合せた。
「■が当らないの――?」とオレンプ。
ところがリーチの最終ツモが■で、
「あ、それ――!」
とイガクリ。
■■■■■■■■■■■■■ ■
「ははァ、ラス牌ですね」
「あッ、そうか」
「トボけられちゃったな。ハネ満ですね」
■は家電屋の雀頭《ジヤントウ》。リーチは三暗刻《サンアンコウ》トイトイ(ツモリ四《スー》暗刻)で、■と■だという。
「強いねえ、クリさん、貴方の負けたの見たことないよ」
「いや、そうでもありませんよ」
「天才だね、この人は。絶対負けない。なんだか知らないけど一派をあみ出してるね」
その回はこれが山場で、東四局はオレンプ二着|狙《ねら》いの終戦処理。
イガクリは、小学生のような真摯《しんし》な眼つきで自分の浮き点を算《かぞ》えている。
医者と家電屋が、雀卓を埋めつくすほど一万円札を並べて、それがどっとイガクリに入り、
「ああ、死んだ――。帰るよ」
と医者が立ち上った。
「クリさん、まだおやりになりますか。だったらメンバーは呼べますけど、でなければ解散しましょうか。どちらでも」
「あたしも、明日早いから、寝ます」
「はい、それでは解散いたしましょう」
オレンプは、さっさと帰りかけるイガクリを、呼びとめた。
「あ、そうそう、クリさん、寝酒代りに一杯やっていきませんか。ルイ十三世でも奢《おご》りますよ。家電屋さんもどう――?」
オレンプは特有の笑顔になった。
「クリさんの奥さんは、美人なんだろうな」
「いや――、なぜ?」
「いつも終ると急いで帰るからさ。ヘヘヘ、クリさんはどういうタイプの女が好き?」
「誰だって同じだろ。美人で、身体がよくて、面白けりゃァ」
オレンプは二本指を立てた。
「何――?」
「ヘヘヘ。美人でもいろいろあるけどさ」
「そうだな。どっちかというと、大柄《おおがら》かねえ」
「ぴったりの女が、今、ホテルに泊ってるんだけどねえ」
「当節、そんなもん、どこにだって居るだろ」
「それがね――」と家電屋も乗り出してきた。
「どこにもここにもって女じゃないんだ。オレンプの娘だから」
イガクリは黙ってオレンプの方を見た。
「そうなんですよ。アメリカからわざわざ父親に会いに来たんですがね。これが片づかなくて困ってるんですよ」
「幾つ――?」
「二十三かな、四かな」
「――だって、俺じゃなくたって、若いのがたくさん居るだろう。かけ合わせるんなら」
「今さら若いサラリーマンと一緒になって苦労させてもねえ。若い娘は贅沢だからねえ。クリさんみたいにお金持じゃないと駄目なの。なんとかしてくれませんかねえ」
「――あたしは、女房、子が居るよ」
「それなんだよ。ちゃんと家庭を持ってる人でないと、あの娘は駄目だね。ね、家電屋さん」
「そうだな。オレンプ、写真を見せてやりなよ」
イガクリは写真を手にとってじっと見た。
「――月々の手当てだけで、いいのかい」
「いい。かわいがって貰えればねえ。クリさんなんか、受けるタイプだがなァ」
「なにしろね――」と家電屋。「オレンプは女社長が怖くて、家に連れて帰れないんだよ。人助けなんだ」
「もしなんなら、俺、電話しとくから、これからホテルでお見合いしますかね」
「――ウン、どうせ帰り道だからどこで車に乗っても同じだが」
電話でお互いの服装を打合せ、イガクリはセンチュリイ・ハイアットに行くことを定め、一目散に階段をおりていった。
「――フフ、俺、オレンプの考えはすぐわかったぜ。トランプのババ抜きをするつもりなんだろう」
「ヘヘヘ、そんなわるいことは考えませんがね。とりあえず、ホテル代を誰かと肩代りしないと」
「でも、うまくいけば、これでクリの奴、ツカなくなるかもしれないぞ。成功を祈ってるよ」
五
イガクリはこれまで、連夜通いつめたことはない。ときおり、土曜の晩などに、突然入ってきて、むっつりと長考しながら、必ず勝って行くのだ。めったにベタオンリはしないし、かなり強い牌も通す。それが奇妙に、かすって行く。どう見ても、運が強いだけとしか思えない。
ところがそのときは、翌日も皆の巣に現われた。ホテルの帰りで、まだ家には戻っていないらしい。気のせいか、いつもより血がたぎっている感じで、耳たぶのあたりが紅《あか》くなっている。
オレンプも、家電屋も、あの件に関しては何もいわないし、イガクリもしゃべらない。四、五回、東風戦をもんだあとで、小あくびを一つして、
「ああ、疲れた――」
帰っていった。
「オレンプ、特に変化はなさそうだな――」
と家電屋。
「まだまだ、今は昂奮してるから、負い目にならんでしょう」
そのあと一週間ほど姿を見せなくて、突然また現われた。額《ひたい》に繃帯《ほうたい》を巻いて。
「どうしました、額――?」
「うん、ちょっとね」
全然笑わずにイガクリはいう。
「どうです、味は――?」
「――あれかい。うん、コリコリしてるよ。面白い」
「なるほど、コリコリしてますか」
「ただね、毒気がきつい」
「ヘヘヘ、アメリカナイズされてますからね。でも、そのくらいの方がコクがあるでしょ。クリさんは粋人《すいじん》だからなァ」
その日の勝負を注視していたが、長考が一段と烈《はげ》しくなったくらいで、やっぱり最終的に勝って帰って行った。
ところがその後、ばたッと来なくなった。半月も現われない。
「殺されたんじゃないかい――」と家電屋。
「まさか、スポンサーだからね」
「殺す気じゃなくて、軽く打ったら死んじゃったとか」
「いや、クリさんもなかなかですよ。石のようにしぶといよ。長考してね。ひょっとしたらジーンの方が――」
「そりゃァない。最初のきっかけができりゃ女は強いよ。時間がかかるにしろ、クリの奴は蟻地獄《ありじごく》だよ」
ある夜、大仰《おおぎよう》なテンのコートを着たジーンが身体を揺するように入ってきて、
「あのイガクリ坊主、来てない――?」
「こっちはとんとお見限りだよ。どうしたんだね」
「三日ほど、捕まらないのよ。自分の家にも居ないの」
「前途を悲観して首を吊ったんじゃないか」と家電屋。
「首なんか吊れるもんですか。あたしに報告することがあるのよ。きっとそれがみつからないんだわ。あたしの住むお城をね」
「お城だって?」
「不動産屋のくせに、ドジなんだから」
「日本にそんなもんがあるかい」
「アラ、方々にあるじゃないの」
家電屋がオレンプを小突いた。
「いいぞ。奴はもう充分ダメージを受けてる。ぜひ、探して勝負といこう。テキはもうヨレヨレだよ」
「探すといってもね、どこを?」
「どうせばくちだろう。カミさんに内緒の裏金が必要になってるんだから。奴が行く他の賭場はどこだい。他場所で銭をばらまかせるわけにはいかねえぜ」
「わかった。探すよ」
「パパ、あたし淋しい。誰か探して」
「よしよし、それも探しましょう」
「ここより小さいレートのところは行きゃしねえ。でっかくやってるところは限られてるさ。そうだろうオレンプ」
「まァ、そうですね。賭場に居ればね」
賭場を探し歩くというのは存外に手間がかかる。電話では信用おけないし、ちょっと顔をのぞかせて居なければ帰るというわけにもいかない。なにがしか、手をおろすことになる。但《ただ》し、そんな奴ならどこそこに居たよ、という噂《うわさ》はどこかでひろうことができる。
蒸発したように、イガクリはどこの賭場にも足跡を残して居なかった。
そうしてある晩、ひょっこりとジーンの面前に現われたのだ。
もっとも彼が自分で名乗りをあげなければジーンだってわからなかった。第一、彼である証拠のイガクリ頭から首筋にかけて繃帯《ほうたい》でぐるぐる巻きだったし、松葉杖をついていた。そのうえ上着の襟元《えりもと》の下からも、繃帯や油紙が見えかくれしていた。
「どこをうろついていたの。この甲斐性《かいしよう》なし――!」
「ごめんよ――」とイガクリは沈痛にいった。「来るに来れなかったもんだから」
「それであたしはどこのお城に住めばいいの――?」
「私は病院でね、何度も死にかけたんだ」
「あたしの質問に答えなさい。お城が買えたの、買えなかったの」
「お城はまださ」
「それじゃ、若い身空の娘を、二十日もホテルに放りっぱなしで、平気だったっていうの」
「気が気じゃなかったよ――」とイガクリはいった。「この前、お前が酔っぱらわなければよかったんだ」
「なんでもあたしのせいにして」
「もう忘れてるだろう。そうだと思った。お前は私にガソリンをかけて火をつけたんだぞ」
「たとえそうでも怠《なま》けていいってことにならないわ。あたしはいつまでホテルに居ればいいの!」
「不便だろうと思ってね、私の知人の家に移って貰うことにしてきたよ。私が病院を出るまでね。その男は君、以前に不動産王になった男でね。君が望むとおりの家をいくつも持ってるよ――」
「でも、あたしが住んでいいとはいわないでしょ」
「いうさ。君が甘い声で頼めばね。ただ最初のうちは、できるだけおとなしくしてないといかんよ。そいつはケチだからね。ひょんなことでねじれちゃうといかん。もちろん、そつはないだろうけどね」
イガクリはタクシーを奮発して、日本の不動産王の大邸宅まで送り届け、
「ちゃんと話してあるから、君が玄関のベルを押せばいいだけになってるんだ。それからね、君の住まいは、軽井沢でも、日光でも、京都でも、好きなところをいうといいよ。東京なんか空気がひどくて、上流階級の娘の居るところじゃない」
六
イガクリが、突然姿を現わしたとき、オレンプよりも、家電屋が飛び上った。
「どうしたんだい! クリさん、事故にでもあったのか!」
イガクリは、頭から足の先まで繃帯だらけで、松葉杖をついていた。
「いや、人生ばら色ですよ。おかげさまで幸福だ」
「まァとにかく、やろう。近頃、張合いのある相手が居なくてね。久しぶりだ、大きくやろうぜ」
「ああ、いいですよ」
「レートをひとけた上げるか」
「やあ、やあ、やあ――」とオレンプも笑顔で出てきた。「娘は変りありませんか」
「元気だよ。私は死にかけましたがね」
「クリさんが死ぬ男ですか。でも、手は大丈夫なの。牌が持てる――?」
「やりたくて、我慢ができなくてねえ。病院を脱走してきちゃった」
「病院に居たんじゃ、いくら探してもわからないわけだ」
リーチ、と早くも家電屋がかけた。
■■■■■■■■■■■■■
イガクリの手はこういう恰好だった。■をひいてきて、例によって長考したあげく、■打。
「強いね――」とオレンプ。
「うん、廻るの面倒になっちゃったよ」
家電屋がチラッとオレンプの方に視線をよこした。
「おう、こんなもの、どうだ」
初牌の■を家電屋が放り出す。誰も無言――。
二巡ほどして、イガクリの長考がはじまった。そして結局■の拝み打ち。
それからオレンプが何かをツモって、
「うん――?」
場を眺《なが》めまわす。彼の眼線が場を確かめるように動く。その牌が奥にひっこんで、代りに■が出てきた。
「――変な場だな」
イガクリが■をツモ切り。
「案外とおるものだね」
オレンプは完全にオリているらしい。イガクリが、■と強打。
「どうしたの、クリさん」
「なんか通るような気がするんだよ」
その次のツモで、又長考。そのあげく、
「いや、もうアガろう――」
といって手牌を倒した。
■■■■■■■■■■■■■ ■
ツモである。
「長考するかねえ、そんなところで」
家電屋がまたイラつきだした。
「大三元にしようと思って――」
「もうツモがないじゃないの。しかし、どれを切る気だった?」
「筋でかな。しかしそれだとツモってもアガれないから、■打ちかな」
「いいかげんにしてよ、こっちは単騎だよ」
どうも、いつものペースと似てくる。
「クリさん、ジーンとは本当にうまく行ってるの」
「ああ、すばらしい娘《こ》だねえ。さすがにオレンプの娘だよ」
「ふうん。まァそれはようござんした」
「めったにない魅力だがねえ――」とイガクリはかなり雄弁だった。「ただその、お金を喰いすぎる。いや、当然ですよ、あれだけの娘がねえ。でも、私は貧乏人だから――」
「貧乏人だってさ。きいたかい、オレンプ」
「困ったなァ、と思ってたらさ、友だちが見染めてね、ジーンを」
はい、それ、といってイガクリは、ドラ入りチートイツのヤミテンをあがった。
放銃したのは学生のヤー坊。
「それで、ジーンはどうなりました?」
「いや、オレンプの娘さんだし、私もその気じゃなかったんだが、なにしろ私もこの怪我でねえ、入院費もかさむし」
「ははァ、売ったね、あの娘を」と家電屋が叫んだ。「なるほど、その手もあったか」
「いや、相手は大金持ですよ。なにしろ不動産王なんだ。向うが金を積むもんだから」
イガクリは残念そうな表情を作ろうとして、かえって笑顔になってしまった。
「まァそれで、淋しくてしょうがないから、今夜は久しぶりに出てきたと、こういうわけですよ」
「呆《あき》れ返ってものがいえないねえ。それじゃトレードの金の半分は、オレンプに払ったらどうだい」
「いや、だから今日は負けますよ。負けていいんです。皆さんどうぞむしってください」
はい、それ、とイガクリはまたあがって、一局終った。卓上に並んだ一万円札を、例によって小学生のような眼で、イガクリはわしづかみにした。
「オレンプ、やめるか。おんぶおばけの居ないクリさんとじゃ、やったってしょうがないよ。ばかばかしいや」
「クリさん、その不動産王って人は、ギャンブルはどうなんです。やるんですか」
オレンプがそう訊いた。
「やらないんだよ。ケチでねえ。金をためるだけが趣味の男。でも、持ってきようによっちゃわからないよ。ゴルフだって野球だって、なんだって銭は賭けられるからねえ。そうだ、ジーンによくいいきかして、誘いこんだらいい。うんとむしってやってよ。あいつ、昔からの商売|仇《がたき》でねえ。なんとか、つまずかせてやりたいんだ」
「その人の名前と電話番号を教えてくださいな」
オレンプは紙片を受けとると、早速立ち上って電話のそばに行った。
「――ああ、ジーンかい。パパですよ。しばらくだったね。どうしてる。ええ? ハハハハ。――ああ、ありがとう。パパも元気ですよ。お前というものが居るんだから、長生きしなくちゃね。――ああ、クリさんがここに居るんだ。聞いたよ。いい人とめぐりあったってね。――うん、うん、――そうかい」
「本当にもう、いいパパと、いい娘が、会話してるようだな。畜生奴」とヤー坊。
「そうだね、まだ今日はじめてじゃね、でもお城ぐらいすぐ買ってくれますよ。大金持だから。――うん、パパもね、ぜひお目にかかりたいんだ。今度、お旦《だん》を連れてね、遊びにいらっしゃい。ああ、楽しみに待ってるよ。――そんなことありませんよ。お前が幸せになればいい。いやまったく。――そうかい、身体に気をつけてね。また電話するよ、それじゃね」
七
日本の不動産王高橋幸七翁は、次の総理の座を争う一人と目されている佃煮蟹三《つくだにかにぞう》元国務相と二人きりの会食の折り、
「実は先生、自分からいうのもおこがましいが、すばらしい贈り物を用意しましたんで、いつでもご指定の日に、ご指定の場所までお届けいたしますが」
「ほう、高橋さんがすばらしいとおっしゃると、何でしょうな」
「回春の薬です」
「ああ、いや、その方はもう、絶望的でしてね」
「いや、そうでない。私が七十七歳で、蘇《よみが》えりましたぞ。先生、これは国産でない。アメリカ産です」
高橋翁は一段と声を低めた。
「数年前のミスカリフォルニアですからな」
「生き物ですか」
「生き物ですとも。実にもう、めったにない生き物で――」
女というものは、実に不思議な動物で、売り物を二つ持って産まれてはきません。美貌なら美貌、可憐なら可憐、純情なら純情、親切なら親切、実直なら実直、勤勉なら勤勉。けっしてあれもこれもは持ってない。男のように矛盾していないのです。
でもいいじゃないか、とにかく一つは売り物を持っているのだから、と思うのは甘いので、稀に一つも持ち合わせていない女が居る。そういうのに限って、トランプの婆《ばば》のように、いつまでも居座るのです。
東二局 ここが地獄《じごく》の一丁目《いつちようめ》
一
七階建のかなり大きいマンション、でも場所が場所だけに、あまり堅気《かたぎ》は住んでいそうもない雰囲気の、そこののろくさいエレベーターの扉を蹴破るようにして、ジーンが現われた。
今日の彼女、濃いサングラスに、白地のインド更紗《さらさ》を身体に巻きつけるようにし、右掌《みぎて》に大きな水晶|球《だま》を乗せている。そうして一つの部屋の扉の前に立った。扉には、押樫《おしがし》鉄雄、といやに堅い名前の名刺がはりつけてある。
「パパァ――!」
そう叫ぶといきなり身体をその扉にぶちかました。扉は難なく開いてジーンは中に転がりこんだ。
「なんだ、鍵がかかってなかったの。無用心ね」
「盗るものなんかないよ――」とオレンプはベッドで眠そうにいう。
「ここはただ寝るだけの部屋だ」
「駄目よ。ギャングがそんな心掛けじゃ。寝首をかかれちゃうから」
「ところで何の用事だね。こんな朝っぱらから」
「パパ、お願いがあるのよ。この部屋をあたしにくださらない?」
「――わたしはどこで寝る?」
「寝てるどころの騒ぎじゃないのよ。すてきなお金儲《かねもう》けがあるの。それにはこの部屋がなくちゃ」
「何をするんだね」
「お告《つ》げが出てるのよ。占いをやれって。それで事務所が必要なの。それもすぐ。すぐにやらないと一日最低二、三十万は損をするわ」
「占いが、お前、できるのかね」
「アメリカに居たときもやってたわ。それで刑務所に入ったりしたのよ。ばかばかしいったら。でも、あたしが働かなきゃしょうがないでしょ。パパはなんだか、女ボスが居てかわいそうな身分らしいから」
「ありがたいね。パパはそういう娘が大好きだがね――」
「さァ、パパ、出て行って」
「出て行けって、どこへさ」
「女ボスの所へでも行けばいいでしょ。じれったいわねえ。もうすぐデパートから家具が届くのよ」
「ここはわたしの秘密の寝場所だがね」
「ヘイ、ズンベ! 入ってちょうだい」
ジーンは扉の外に向かって叫んだ。
ランちゃんと愛の巣をいとなんでいる筈《はず》のズンベがにやにや笑いながら入ってくる。
「このベッドやなにかを、パパと一緒に表へ放りだして頂戴」
「ヘヘヘ、わるく思わんでください。俺はジーンに雇《やと》われたんでね」
ズンベは、ちゃんと拳銃を手にして構えてみせた。
「西部劇じゃありませんよ。馬鹿だねえ」
ジーンはうろうろしながら、しきりに家具の配置を考えているらしい。
「ええと、私の机がここで、こっちには三点セットをね――。あああ、この部屋せまくって、どうしようもないわ、パパ」
といっても、オレンプはとうに部屋を出ている。
彼は表の道路でまだ生あくびをしながら、マンションを振り返った。他のことは何ひとつまずくない。部屋を使いたけりゃ、使うがいい。たったひとつ、まずいことがある。押入れの中に金庫がひとつ、でんとおいてある。家庭用のより大型の奴だ。中に稼《かせ》ぎ貯めた現金がある。オレンプのようなばくち男もそうだし、セクシーゾーンの人間は大体そうだが、銀行を信用しない。そうして収入が公《おおやけ》になるのをいやがるから、現金で手もとにおいておくのだ。まァ、数字を知らなければ開かないから、すぐに金を持ち去られることはないだろうが、金庫はすぐにみつけるだろう。
あの娘に金庫を見られるのはまずい。せっかく、パパはかわいそうな一文無しと思っているのに、何をいいだすかわからない。
オレンプは短かい煙草を根元まで吸いながらぼんやり考えこんだ。それから、あれを買い求めた金庫屋に行った。
「すまないけどね、いつかお宅で買った金庫をね、お宅でしばらく預かって貰《もら》いたいんだがね。娘があそこを事務所にするもんだから――」
「承知しました。いつですか」
「多分、今夜。――それがね、娘はまだ金庫があるのを知らない。俺は一文無しだと思ってる。だから娘が帰ってから、そっと運び出したい。社会に出る一歩から娘を甘やかしたくないからね。親に助けて貰えないと思ってるのが一番いい」
オレンプは、夕方、マンションの前まで来て、部屋に灯がついているのを確かめた。
足音を忍んであがり、軽くノックしてすぐに扉をあけた。
ズンベが彼女の唇を吸っているところだった。
「無用心ですよ、鍵をかけないと」
「パパどこに行っちゃったの。家具が届いたのに、お金を払う人が居ないんじゃ駄目じゃないの」
「パパはベッドと一緒に放り出されたからね」
「だってパパがここで寝てたって一銭にもならないでしょ。あたしが居れば、じゃんじゃんお金が入るのよ」
「そのわりに、客の姿が見えませんね」
「まだ看板も出してないのよ。そうだ、ズンベ、看板屋に行ってきてくれる」
「オーケイ――」
オレンプは、壁にかけた状差しの中から、合鍵を二つ出した。
「はい、これを持ってなさい。帰るときは戸締りを厳重にしてね」
「帰るって、どこへ――?」
「――君の部屋にさ」
「そんなものないわよ。ホテルはひきはらっちゃったもの」
オレンプはあいまいに頷《うなず》いた。
「ふうん。それじゃ、わたしのベッドはどこに捨ててくれたね」
「奥の小さな部屋にあるわよ」
「ははん、それじゃそこで寝かせて貰おう」
「駄目」
「駄目というと?」
「ここと奥の部屋と二つしかないでしょう。あたしが寝るんだもの」
「やれやれ――」
とオレンプは未練そうに奥の部屋の方を見た。そこの押入れに金庫がある。
「じゃァ、今は君が寝てないだろ。今だけ寝かしておくれ。パパ、眠いよ」
「駄目。女ボスのところへ行きなさい」
「あそこは安眠できないよ」
「男なんか道路でだって寝られるわ。アメリカじゃ珍らしくないわよ」
「ところで、営業時間は何時から何時までだい」
「一応定めるけど、客があれば二十四時間営業よ」
「すると一杯|呑《の》みにも出られないし、ばくちもできないね」
「その間、ズンベに留守番してもらうから」
「信用できませんよ、あんな奴。こうしようか。当分わたしが居てあげようか。親娘で一緒に働けるなんて、嬉しいじゃない」
「パパが――? 変ねえ、パパこそ、ばくちに行くでしょう」
「パパなら一銭もお前から貰わなくてもいいし、客あつかいもうまいよ。娘のためにならないことはしないし」
「そうねえ。――でも、あたしがボスよ」
「そうときまったら、行ってらっしゃい」
「どこへ――?」
「遊びにさ。もうメンバーが集まっている頃だよ」
二
ジーンをやっと送り出すと、中から鍵をかけた。こうしておけば、ズンベはまだ合鍵を持っていかなかったから、看板屋から帰ってきても中に入れない。
オレンプは奥の部屋に飛びこんで、押入れの下段の奥にある金庫を気ぜわしく開けて、一万円の札束《ズク》を両手でつかみだした。百万円ずつをゴムバンドできつく縛《しば》ってある札束《ズク》だから、それだけでも相当の金額だ。が、ポケットがふくらみすぎるし、胴巻の中にもかくしきれない。
ノックの音がする。
オレンプは新聞紙を拡げて、現金を積んだ。簡単に包んで、部屋の中を見廻す。
ガンガンガン、とノックが手荒くなっている。
古ぼけたレコード屋の紙袋を発見、その中に包みを落しこんで、柱の釘《くぎ》に吊《つ》るした。
廊下を立ち去る足音がする。
オレンプはベッドに寝転んだ。なにげなく吊るしたつもりだが、どうも目立ちすぎる。押入れの上段の、こわれた扇風機や使ってない食卓の陰においた。
やっぱりこの隙《すき》にずらかった方がいい、と決めて、手提《てさげ》袋を片手に部屋を出た。マンションの前に人待ち顔のズンベが立っていた。
「おや、オレンプ、居たのかい」
「ああ、ベッドでうとうとしちゃってねえ」
「あの娘ッこは」
「打ちに行きましたよ。いつものわたしたちの巣じゃないかな」
「そいつァなんだい」
「汚れ物。こんなもンおいといたって仕方ないから、洗濯屋に出していくよ」
オレンプは愛想を忘れず、袋を持った片手をちょいとあげて笑ってみせた。
それから、真顔になった。Windserの支配人室におくか。けれどもあそこは、実質女房とはいえオーナーのコニイが自由に出入りする。セクシーゾーンの女性はほとんどそうだが、奇妙に鼻の利《き》く女で、現金なんぞみつけたらすぐに自分の口座に入れてしまうだけでなく、支配人オレンプが売上げをくすねていたとでもいいだしかねない。
コニイの自宅はなおまずい。
こういうときに頼りになるのは男の友だちなのだけれど、残念なるかな、さすがのオレンプも、信用のできる友だちを得ることはできなかった。遊び人の世界は、それぞれ一匹狼で、どんなに親しくても他人の力をあてにするわけにはいかないのである。
オレンプは、とにかく、めったに立ち入らないJR駅の構内に行って、コインロッカーに紙袋を入れた。
「やァ、オレンプ――」
家電屋がうす笑いしながら立っている。
「珍らしい所で見かけるね。オレンプとコインロッカーか」
「そうですか、わたしは愛用者ですよ。これが一番信用できます」
「何を入れたのかな。気になるな」
「何だと思います」
「バラバラ殺人でもしたかな」
「いいとこ突いてますね。当らずといえども遠からず」
「人に見せたくないものだね。裏ビデオか」
「それはお宅でしょう。お宅がここへ隠しに来たんでしょう」
「あたしは今電車をおりたばかりさ。――やっぱり、現金かな」
「そういうことにしときましょう」
「でも、なぜ、外に隠す」
「隠しちゃいません。預けただけです」
「薬《ヤク》じゃないね。そんなチンピラのやるようなことはしない。ええと、面白いな。誰かに渡すのか。誰かから渡されたのか」
「現実はもっと複雑ですよ。家電屋さん、ですがね、あたしも命を張ってるんです。いろいろのことにね。家電屋さんも用心して、他人のことで命を張るようなことにならないでください」
「あたしが? オレンプに殺される?」
「わたしはしない。長生きして貰って、ばくちで取った方がいい。ヘヘヘ、でも、なにしろ、現実はそう単純じゃないから」
「つまり、口外するな、ってことか」
「どうとでもおとりください。あたしは何にもいってませんがね」
その頃、ヤー坊たちが麻雀をしているそばで、ジーンはカードで一人占いをやっていた。彼女は麻雀ができない。ポーカーをやりたいのだが、誰も相手になってくれない。
「パパが来ないわね、どうしたんだろう」
「――珍らしいね」とこれも観戦に廻っていたカマ秀がいう。「この時間はいつも顔を見せてるんだが」
そこへのっそりズンベが入ってきた。
「どうしたの――?」
「看板の件はオーケイだ」
「パパよ。事務所で寝てるの」
「いや、さっき出て行ったよ。洗濯屋に寄るとかって」
彼女は机上に並べたカードを集めて丁寧にシャッフルしなおし、また一枚ずつ並べていった。
「カード占いもやるのかね。君は水晶球で観《み》るっていってたが」
「水晶球の方がよくわかるんだけどね。ちょっと一緒に来てよ、事務所に」
「どうして――?」
「ちょっと来て。どうせすぐにメンバーはできないわ」
ジーンは急ぎ足になって事務所に来ると、大きな机の上の水晶球を引き寄せて、しばらくじっとしていた。
「ねえ――」
とジーンはいった。
「どうも不思議なんだけど、パパってどんな人――?」
「オレンプかい。見たとおりじゃないか。俺もくわしいことは知らねえよ。なんだか殺人前科があるって噂《うわさ》はきいた」
「お金持だって出てるのよ。占いに」
「そうかもしれねえな。だがわかりゃしねえよ。有るかと思えば無い、無いかと思えば有る。ばくち打ちの懐《ふとこ》ろは一定しねえよ」
「今現在、お金持だってさ」
「だからどうしたんだ。占いなんて信じてるのか。信じるのは客だけでたくさんさ」
「あたしには無いっていったわ。お風呂のマネジャーで哀れな身の上だって」
「いや、ばくちじゃけっこう稼《かせ》いでるだろう。俺ァ最近の知合いだが、なかなか貫禄《かんろく》があってうまい。少くとも負けては居ないな」
ジーンは奥の部屋まで行き、そこで魔女のように両手を組んだ。
「話を簡単にしようね。パパがお金があって、あたしは一文無しなら、どうすればいい」
「おい、俺ァ、殺しはいやだぜ」
「そんなこといってないよ。パパのお金をあたしの物にしなくちゃしょうがない。その他に答えがある?」
「まァな。じゃァ、二人で組んで、オレンプとばくちをやるか」
「パパは、今まで離れてたっていっても、あたしの父親よ。あたしと勝負なんかすると思うの」
「誰とだってやるよ。もっとも君は一文無しが見え見えだからな」
「ストレートに、奪《と》るのよ。それだけさ」
「どうやって――?」
「奪る方法はたくさんあるわ。お金の在り場所がわかればねえ」
「ま、常識的には銀行の口座は作らねえな。株券もどうかな。現金《キヤツシユ》がものいう世界だからな。すると現金で持ってるか。そいつは奪りやすい」
ズンベはじろりと押入れを見た。開けると上段はがらくた、下段は金庫。
「ほう、金庫だ」
「どうせ、開かないでしょ」
「開いてるよ。――だが、中は紙片《かみきれ》ばっかりだぜ」
ピンポン――と音がした。
金庫屋とその若い衆、オレンプも一緒に入ってくる。
「奥の部屋の押入れの中なんだ。あれを運んで貰いましょう」
それからジーンに向かって、
「明日、上段のがらくたも捨てるよ。とにかくお前にここは明け渡します」
「オレンプさん、金庫の中は紙片だらけだねえ。なんだいあれは」
「負け潰《つぶ》れた奴の不渡り小切手やら、貸証文やら。今さらどうにもならないけど、一応とってあるのさ。ずいぶん溜《たま》ってるでしょう」
「そうするとパパ、金庫はからっぽと同じだわねえ」
「うん、あ、銀行の通帳もあるだろう。百万か二百万、貯金があればいいとこだがね。なかなか金ってものは溜らないもんだ」
金庫屋が運び去ったあとで、ベッドに腰をおろしているオレンプの隣に、ジーンがすり寄った。
「パパ、ずいぶん髪の毛、黒いのね。染めてるの」
「いや――、前にばくちの目が出なくて、八方手づまり、毎日、一千万以上の現金を借り集めたことがあるが、一週間で、頭がまっ白になったよ」
「それが直って、また黒くなったの」
「ああ。七転び八起きだ。ばくち打ちは地獄と極楽を往《い》ったり来たり」
「今は黒いわ。景気がいいんでしょう」
「おかげさまでね。札束が眼の前を右往左往してる。パパの懐中にはおちつかないがね」
ウフン、とジーンは身体をくねらせた。
「パパにはいろいろお世話になるわ。お客さんを紹介してくれるでしょ。セクシーゾーンの女性はとてもいいお客なのよ。パパ、どんどん紹介してね」
三
「オレンプ――」
とWindserのコニイママが、犬でも呼ぶような調子でいう。
「酒を貰うよ」
「どうぞ。――でも、ずいぶんお見限りなのねえ。呼んでも来ないことが多いじゃないの。前はすぐに来てくれたのに」
「そんなことはない。たいがい来てますよ」
「なんだか、そこいらに若い娘を囲ってるんですってねえ」
「ああ、娘がアメリカから帰ってきたんだ」
「アメリカからねえ、でも、娘さんだって何だって、おかまいなしに喰べてしまうんでしょ、あんたは」
「実の娘なんですよ。占いをやってる。今度一度、会ってやっておくれ」
「夫を殺しといて、その女房を喰べてしまうんだもの、油断も隙もならないわよ」
オレンプはグラスをきゅっとあけて、微笑した。
「今夜は、ご機嫌がわるいね」
「支配人が忠実じゃないからよ」
「ごめん、機嫌を直してください。酒でも呑みますか」
「お酒じゃ駄目ね。以前に戻ってサービスしてくれなくちゃ。ねえオレンプ、貴方が刑務所を出て一文無しだったときのことを憶《おぼ》えているでしょう」
「そうだね。忘れてない」
「だったら、礼儀をつくすべきよ」
「お説のとおりだ。その発想にまったく賛成ですがね――」
オレンプはズボンのポケットに手を突っこんで、コインロッカーの鍵をまさぐりながらいった。
「その前に三十分だけ、麻雀の連中を見てきたいんだ。君も知ってるように、わたしが顔を出さないとまずいこともあるんでね。三十分で帰ってきます。それからにしよう」
「アラそう、娘さんのところへね、ご心配でしょう、若くて美人だそうだから――」
玄関の方で、ポローン、と来客の気配がした。続いてよく透《とお》る声で、
「鍵がかかってないわ、無用心よゥ――」
「来やがった――」
「来たって、誰が?」
「娘ですよ。貴女があんまり噂をするから」
「アラ、みつけた――」
ジーンが扉のところに顔だけ出して、眼で笑った。
「パパ、この人でしょ、パパの女だかボスだかって人」
「ボスよ――」とコニイ。
「今晩は、よろしくね、ボス」
「どうでもいいけど貴女、家ン中は靴を脱いで頂戴《ちようだい》ね。ここはアメリカじゃないのよ」
「ううん、すぐ失礼するの。パパ、四百万ほど、お小遣い頂戴。大至急よ」
「困ったね、ジーン、現金《キヤツシユ》は今、これしかないよ」
オレンプはポケットの何枚かの一万円札をピラピラと振ってみせた。
「じゃ、ボス、貴女でもいいわ。お小遣い頂戴」
「どうして貴女のお小遣いを、あたしがあげるの」
「パパのボスでしょ。それならあたしのボスでもあるわ」
「からかわないでよ、貴女なんか知らない」
「じゃ、マンション買って。四百万で。すぐそこの、二LDKよ。四百万じゃ安いと思うけど、あたしは今、持ち物ったらマンションしかないから」
「どうして、四百万も入用なのかね」
「ちょっと、事故しちゃったのよ」
「事故――?」
「うん。車でね、人をハネちゃったの。示談にする前に、とにかく現金がね」
「殺したのかい」
「ノウ。ただ頭を打っただけ」
「信じられないね。だって、君は車を持ってないだろう。それでどうして人を轢《ひ》いたね」
「うるさいわねえ。そんなこと訊かなくちゃお金が出せないの」
「ジーン、はっきりいいなさい。君は誰の車に乗ってた?」
「マンションの前にあった車を拝借《はいしやく》したのよ」
「じゃ、車泥棒じゃないの」
「おい、おばさん――」
といってジーンは進み出ていきなりコニイを殴《なぐ》り倒した。
「ボスだと思って相手してりゃ、いやに遠慮のない口をきくじゃないの」
「まァ、何だろう、この娘は――」
「ジーン、おばさんに謝罪しなさい。でないとパパは、もう口をきかないよ」
彼女は大きな眼に怒りをたぎらせて、オレンプを見た。
「――それが、二十年も娘をおっぽり放しだったパパのセリフなの。ああ、日本になんか来るんじゃなかったわ。パパ、あたしはねえ、二十年間、何もおねだりしなかったし、何も迷惑かけなかったわ。生まれてはじめてのおねだりが、これなのよ。どうでしょう皆さん、こんなときに普通の親だったら、拒絶なんかしないでしょう」
ズンベが入ってきて、とにかく病院にかつぎこんだ、と報告した。
「どうなのパパ。洗濯屋に行けばいいンでしょ」
「洗濯屋――?」
「汚れ物を洗濯屋に持ってったでしょ」
「――ああ、昨夜ね」
「じゃ、それをまた持ってきて」
「どういう意味?」
「占いにね、出ちゃってるの。パパが本当は大金持だって」
「君の占いも、まだ勉強不足だねえ」
「いいえ、占いって、特に身近な人のことは百発百中なのよ」
「洗濯屋に、お金を持っていって、預けたっていうんだね」
「パパがそういったのよ。洗濯屋に行くって。でもどこだっていいのよ。あたしを連れてって頂戴」
「弱ったね、占いできめられちゃ」
オレンプは笑った。
「パパ――」
とジーンはオレンプの真正面に立った。
「そんなもの娘に隠してどうするの」
「隠してなんか居ませんよ」
「おっしゃい――!」
「まァ、落ちついて――」
「パパ、おっしゃい!」
「ちょっとちょっと貴女――」とコニイ。「他人の家に来てなによ。耳ざわりだから外でやって頂戴。出て行ってよ」
「とにかく――」とズンベもいう。「病院に来てみてよ。すぐそこだから。ほうっとくとまだ面倒なことになるよ」
「そうですね。わたしも行ってみましょう。たいした怪我《けが》でなければいいですがね」
病院への道を歩きながらもジーンはいった。
「パパ、あたし何もパパにたかるつもりでアメリカから来たんじゃないのよ。あたし、お金には無欲なの。ただ、日本の社会が冷たすぎるのよ。こっちに来てから、あたしがどれほど泣いたか、パパ知らないでしょう」
「そうだね。いや、パパにはわかるよ。君は日本に向いてないんだろう。自分が一番ぴったりするところで生きなさい。それでないとね、苦労ばかりして実を結ばない」
「あの女ボスは、パパに向いてるの」
「どうかねえ」
「なんで喰い潰《つぶ》してしまわないの。パパだってその気なんでしょう」
「いや、ちがうよ。だから君の占いも当てにならない」
「不思議ねえ。パパが何を考えてるか、わからないわ」
「そうでしょう。占いでもわからないことはあるよ。パパはね、ちょっとしたことで彼女の旦那を殺しちゃったんだ。だからもうこれ以上、彼女を不幸にはできないよ。なんだろうと、彼女を守ってやらなきゃ」
「センチメンタルねえ、パパ」
「ああ、パパも古いんだよ」
病院に行ってみると、ベッドで赤ン坊のようにスヤスヤ寝ていたのは、なんたることか、家電屋のおっさんだった。
「おや、――この人かい、ハネたってのは」
「そうよ」
オレンプはまた笑い出した。
「ツイてないねえ、この人も」
家電屋が眼を開けた。
「――なんだい、オレンプ」
「とりあえずお見舞に来ましたよ。どんな具合なんです」
「まだわからない。医者が頭をさすっただけで、放りっぱなしだ」
家電屋はオレンプを見、ジーンを眺め、それからまたオレンプに視線を返した。
「――なるほど、あんたは、アメリカから来たっていう例の娘だな」
「縁《えん》があるんですね。面倒くさい人かなと思ったら家電屋さんで安心しましたよ」
「四百万で手を打とう。オレンプなら話が早い」
「なんだか元気ですねえ、家電屋さん」
「無傷のピンピンかもしれないし、頭蓋骨陥没《ずがいこつかんぼつ》かもしれない。そこは勝負だ。そっちの姐《ねえ》さん、どうやら無免許らしいが、いずれにしても四百万で手を打った方が安いんじゃないのかい」
「弱りましたねえ。なんとか都合しますから、四、五日待って貰《もら》えばね」
「駄目。今夜、即金。たった四百万くらい、オレンプにとっちゃ鼻くそだろ」
「わたしはなにしろ、雇《やと》われ人だから」
「昨夜のはなんだい、あの包みは」
「おじさん――」とジーンが一歩進み出た。
「昨夜、包みを、どうしたんですって」
家電屋はオレンプをチラッと見た。
「なんでもないよ」
「包みを、パパが持ってたのね」
「お前さんとは話をしない。そっちに行ってろ」
「あたしはパパの娘よ」
「じゃ、娘らしくしてな。オレンプ、どうだい、あんただから特別に、金は今じゃなくていい。四百万で、あたしは合切《がつさい》黙るがね」
「聞きました。今じゃなければなんとでもなりますよ」
家電屋とオレンプは眼で笑い合った。
「パパ、そうするとあたしはどうなるの」
「君の四百万は、パパが作るよ。安心おし」
「そうじゃないのよ。こんなに娘が侮辱《ぶじよく》されて、パパはなんとも思わないのね。アメリカだったら父親じゃなくたって、男性なら黙ってないわ」
「そうだね。だからアメリカにお帰り。君はアメリカだったら魅力が生きるよ」
「帰れ、ですって、アメリカのどこに帰れっていうのよ」
彼女は眼をひき吊《つ》らせてオレンプを睨《にら》んだ。そうして椅子によりかかるようにふらふらと背後に倒れこんだ。ちょうどそこに、ちゃんとズンベが居たのだ。
「――オレンプ!」と彼は険《けん》のある声でいった。「そいつはないだろう。二十年ぶりの父親からそんなこといわれたら、俺だってショックだぜ」
四
「――あの包みは、やっぱり金かい」
と家電屋が低い声でいう。ジーンとズンベはひと足先に病院を出て行った。
オレンプは笑顔でこう返事した。
「そうならいいんですがね。はずれですよ」
「金じゃないが、金目のものかい」
「わたしにとっちゃ、大事なものですがね」
「娘には見せたくないものだな」
「ええ、まァね」
「よし、じゃ俺に、キイを渡しときな。オレンプが持ってたんじゃ、ヤバいだろう。俺が預かっといてやる」
ヘヘヘ、とオレンプは笑った。
「笑いごとじゃないぜ」
「まったく、笑いごとじゃありませんがね」
「俺はこう見えても堅気の商人だ。なァ、あいつ等にキイをとられるくらいなら、俺に預けといた方がまだいいよ。そう思わねえか」
オレンプは、ポケットから手を出して、掌でキイを小さく放りあげた。
「ありがたいが、家電屋さんじゃ、すこしツキが足りない。大丈夫です。四百万は明日持ってきますよ」
オレンプはゆっくり階段をおりていった。ところが家電屋も、あとから階段のところにやってきたのだ。
「もうよくなった。一緒に行くよ」
「コインロッカーには行きませんよ。当分」
「病院に居てもしょうがない。退屈だからね」
「退屈なら、一勝負やりますか」
「病室に戻ってかい」
「いや、ここで今。娘とズンベさんがどこに行ったか」
「――オレンプの寝場所だな」
「わたしはちがう。この病院の扉の外」
「よし、一丁行こう」
「四百万ですよ」
「いいよ」
オレンプは暗くなった受付の前を通って、玄関を出た。
「あたしの勝です。家電屋さん」
ズンベが、玄関前の車置き場のところに立っている。性《しよう》こりもなくジーンが一台の車の運転席に居る。
「鍵がかかってないのよ、無用心ねえ」
「オレンプ――」とズンベがいった。「乗ってください」
「いやですよ。娘の運転じゃね」
オレンプは背後を見た。家電屋の姿は見えない。
「これがありますよ」
「ピストルかい。西部劇じゃないけどねぇ」
「俺がなぜこんなことをするか、わかりますか」
「それがわからないんですよ。どうしてジーンにくっついてるの」
「乗ってください」
「動かさなければね、車を」
小突かれて、オレンプは後部座席に入りこんだ。
「さァ、ここなら落ちつく」
ジーンがアクセルをふんだ。
「おい、動かさないといったでしょう」
「アメリカではさんざ運転してたのよ」
「パパ、お金を頂戴。あたし、今ほどお金が欲しいと思ったことないのよ」
「わたしが死んだら、君にいくようにしてあげますよ」
「今、頂戴。今欲しいの。どこにあるか教えてくれるだけでいいわ。あたしが取りに行くから」
「俺にまかせろよ、ジーン。この件は俺がとりしきるから」
「わたしを見くびってますよ。ズンベさん」
「オレンプのようになれるんなら、俺も人を殺したいよ。本当だよ」
「わたしを殺したって、一文にもなりませんがね」
「パパは洗濯物だといって、何かを外へ持ってったのよ」
「ジーン、前を向いて、前を見なくちゃ駄目」
道ばたのバーの電気看板が倒れたらしい物音が過ぎ去った。
「ここは一方通行じゃないのかね」
「それははっきりしてるわ。どこへ持ってったのかしら。ズンベさん、考えてよ」
向うからタクシーが来て、警笛《けいてき》を鳴らしている。
「ズンベさん、考えてるの――?」
「俺なら、知合いには預けないな。安全な知合いなんか、ないよ」
「さっきの女ボスは――?」
「あれだって、信用できない」
「でも、金はくさるほどあるんでしょ」
タクシーが前にいて一歩も進めない。向うはバックしろといってる。
「うるさいわねえ、邪魔しないでよ!」
俄然《がぜん》、前の車から運転手がおりてきて怒鳴りだした。ジーンが窓をぴったり閉めてしまったので、ほとんどきこえない。運転手は窓を叩いたり、車を蹴ったりした。
彼女はテコでも車を動かさない。
いきなり扉をあけて、
「レディになんて口をきくの。警官を呼ぶわよ」
「なんだこりゃ、酔っぱらってるのか」
「退かなきゃ、あんたの車の屋根を越えて行くから」
先方が呆《あき》れて車をバックさせはじめた。
「でも、それ以外に考えられる――?」
「店の支配人室。オレンプの私室みたいなもんだぜ」
「隠し場所としちゃ単純すぎるわね」
「じゃ、いつも麻雀やってるマンション。あそこは人眼は多いけど、いつも散らかってるから何をおいたって目立たない」
「あッ――」
ジーンが声を出してバックミラーをのぞきこんだ。
「――犬かしら」
「おい、ジーン、停めなさい」
「パパ、教えてくれるのね」
車が停まった。
「しょうがない娘だね。いったいいくら欲しいのさ」
「パパ、ごめんね。パパをいじめるつもりじゃなかったのよ。ただ、やっと逢えて、甘えたかったの」
「それじゃ、甘えてるだけなのか」
「ううん、お金も欲しいの」
「――だから、いくら欲しい」
「全部――」
彼女はうしろを向いて、エヘヘ、と笑った。
「どうせなら、全部よ」
「それじゃ、勝手にお探し」
「パパ、あたしねえ、今ちょっと思いついたの。友だちとか知合いの家じゃなくて、誰でも簡単に、荷物が預けられるところ」
彼女は身体を揺すらせてはしゃいだ。
「ねえパパ、あたしならとっさの場合はそうするな。駅に行きましょう。あ、その前に、ズンベさん、パパの身体検査をしてみて。ポケットにキイがあるはずよ」
ズンベが手を出して、きつくはねのけられた。
「人の身体に触るな。わたしは昔からそれが嫌いでね。警察でもそれはさせなかったよ」
「パパ、嫌いでも我慢して」
「オレンプ、ここは素直にしてくれよ。俺は若いし、力もあるぜ。それにこんな物だって――」
「拳銃かい。撃ってごらん。撃ちなさい」
「駄目よ、今はまだ、撃っちゃ駄目」
「じゃァ、ごめんよ、オレンプ」
銃の台尻がオレンプの頭に一発きた。
「やれッ、やれッ、もっときつく!」
「血が出てきた。家電屋のより軽いよ。内出血じゃない」
「パパ、あたしを昂奮させないで。血を出しちゃ駄目」
「ジーン、そこらに紐《ひも》はないかい。縛《しば》っちゃおう」
彼女が車を飛び出して、後部のトランクをあけた。
「あったわよ――」
ズンベがポケットを探っている。
「キイがあったぜ。ちょっと灯《あかり》をつけて」
「駅はどこなの――?」
「まちがいない。コインロッカーのキイだ」
「駅はどこなのさ」
「俺が運転するよ。すぐそこだ。なんとかなるさ」
五
一台の車がよろよろと走ってきて、タクシー乗場の立札を押し倒しながら停まった。
もっとももう深夜で、ほとんど人影はない。
ズンベとジーンがほとんど同時に降り立って、しかしジーンは後部をのぞきこみ、
「パパ、お元気でね、すぐ帰ってくるわ」
人影のない構内を二人は走った。
ロッカーのところへ来て、キイの番号を探していると、
「ほうら、やっぱりここに来やがった」
入院中のはずの家電屋が立っている。
ズンベが、キイをさしこむのを見て、
「ほう、えらいな。あのオレンプから、よくキイがとれた」
ズンベが開けると、中に紙袋が。
「待って、あたしが取るわ」
ジーンが両手で、ずっしり重い紙袋をひきだし、左右の男なんか眼にも入れてないように、車の方に行きかけるから、
「ちょっと待った、娘ッこ――」
家電屋が精一杯、貫禄《かんろく》をつけて呼びとめた。
「この俺に挨拶することがあるんじゃねえのか。人を車で轢いときやがって」
「轢いたってピンピンしてるじゃないの」
「お前たちはその袋を預けに来た男とはちがうぞ。俺はそのとき見てたんだ。大きな声を出してもいいのかね」
ジーンが無視して行きかけるので、家電屋がみっともなく追いすがって、
「四百万、払うと約束したぞ」
「パパとでしょ。パパにいいなさい」
「そのパパが居ないじゃないか。よォし、こうなったら俺も許さねえ。泥棒奴、オレンプの銭は俺が守ってやる」
「離しなさいよ、レディに何をするの。人を呼ぶわよ」
「呼んでみろ、お巡りも一緒にな」
「あたしはパパの娘よ。娘が荷物をとりにくるのがなんでいけないの」
「娘だって泥棒は泥棒だ」
「あんたこそ、このお金をとろうとしてるんでしょ。誰か来て! 強盗です!」
ズンベが先廻りして、車の扉をあける。
彼女は袋を運転席に投げこみ、自分も飛びこんで、扉を閉めた。
後部の扉をあけようとするズンベに、
「あんたも、乗っちゃ駄目」
袋の紙包を破いて、札束《ズク》の輪ゴムをはぎとり、十万円の札束《ズク》を一つとって、
「ホラ、ズンベさん、今日の日当よ」
遠くに投げた。
「それから、おじさん、あんたにも」
やっぱり十万円の札束《ズク》。
思わず拾いにかかる二人を尻目に、車をちょっとバックさせ、思いきってアクセルを踏んだ。危うくタクシー乗場の立札に乗り上げようとして、ハンドルを切ったとたんに男二人がはね飛ばされた。しかしもう車はとまらない。大きく弧《こ》を描くようにして驀進《ばくしん》し、赤信号もなんのその、駅前通りを矢のように走り去る。
「パパ、怖かったわ。やっと男たちを追いはらったの」
オレンプは眼は開いていたが、シートから身を起こさずに、
「それより、車をとめなさい。パトカーに捕まらないうちに」
「パトカーが、何ですって?」
「とにかく、君のしていることは目茶苦茶だよ」
「もう安心して、ズンベさんたちは追っかけてこないから」
「安心はできないね。とにかく車をとめなさい」
「そう、パパがそういうのなら」
今度は簡単に車がとまった。
「とにかく、この紐をほどいておくれ」
「その前に、パパ、あたしのいうことをきいて」
「きいてますよ。今度は何を欲しいんだい」
「かわいそうなパパ。まだ血が出てるわ。でも、この他に、もっとお金はないの」
「もうありません。満足したかい。パパのお金をみんなとってしまって」
「心配しないで。あたしがきっと養ってあげる。あの女ボスとなんか別れてしまいなさい。パパはもうお年寄りよ。娘のところに帰るべきだわ」
「帰るって、君は家もないんだろう」
「あるじゃないの。マンションが」
「やれやれ、パパは老人ホームにでも入るとするか」
「そうはさせないわ。あたし、少しばかりお金もあるし、親を見殺しにしたら世間がうるさいでしょ」
「それじゃ、この紐をほどいて貰おう」
「暴力をふるっちゃ嫌よ」
「もうパパは力が出ないよ。娘ってものがこんなものだとは知らなかった」
「ギャンブルで稼いだお金がいつまでもあるなんて、思う方がおかしいでしょう。パパもどうかしてるわよ」
「わかったよ。ジーン、しかし――」
「何なのよ、パパ」
「お前、本当に私の娘かね」
「本当よ。あたしはそんな嘘つきじゃないわ」
「じゃァ、その金を持って、どこへでもお行き。しかし、いつまでもそのお金があるなんて思っちゃいけないよ。パパはここでおりるからね」
「パパ、あたしと一緒に暮らさないの」
「ああ、パパはまた一人で稼ぐよ」
オレンプは車の外におりて、窓ごしに握手を求めた。ジーンがその掌を握り返してきた。
それで、実に不思議なことに、彼女がふっと涙を流したのである。
「パパ大好きよ――」
と彼女は優《やさ》しい声でいった。
「きっとまた、訪ねてくるわ。お元気で」
男というものは、いつも無一文であります。どんなに財産ができようとも、それは婦女子のものなのでして、もっともそれが男をふるい立たせる条件なのですが。
ところで、セクシーゾーンだの、暗黒街だのでは、魔物もあまり目立ちません。誰しも自分こそ魔だと思っているからで、よほどの才能のある魔でなくては、一人前あつかいされません。生存競争がはげしいのです。
いくら稼いだって、結局は無一文のくせに。
東三局 魔人《まじん》ドラキラー
一
卓上に、ぽろッと蝙蝠《こうもり》が飛んだ。
「――?」
束《つか》の間、視線がそこに集中した。
「何――? どうしたの――?」
と大《おお》河内《こうち》がいう。
「あ、そうか、この牌《パイ》のことだね。シャレでさ、職人に彫《ほ》らしてみたんだ。これはなんだよ。鳥のかわりに蝙蝠をね」
「蝙蝠をね、って、あんた――」と家電屋がキナ臭い顔をした。「これは自動卓だぜ」
「左様、知ってる」
「自動卓で、この牌だ。あんたの牌じゃない。蝙蝠なんか混ぜられちゃ、困るね」
「いや、ただ私の手牌に来る■をとりかえて使っとるだけでね。インチキしてるわけじゃないのですじゃ」
大河内|宗安《そうあん》、関西では音にきこえた土地成金で、六甲長者と異名をとるというその男は、自分でひとり頷《うな》ずくようにいった。
「かまわんじゃろう。蝙蝠は、家の紋さ。一局終って流しこむときに、またとりかえて元に戻しておくから」
「かまわんでしょう」
とオレンプは、例によって愛想がいい。
「■の中に名を入れるとか、いろいろ見かけるけど、蝙蝠とは珍らしいですね。ところで、その蝙蝠で、やっぱり当れますか」
「蝙蝠が、当りかね」
「ええ、■に見立てると、一応、純チャン三色ピンフということになるんですがね」
「えらい、あんた、蝙蝠を分捕《ぶんど》られたのはあんたがはじめてだよ」
大河内宗安はハネ満を払い、皆、うっかり牌を中央の穴に流しこんだ。
「あ、蝙蝠がそのまま中へ入っちゃった」
「いや、もう換えてある」
大河内は掌の裏側を見せた。蝙蝠が、ちゃんとそこにひっかかっている。
「いやだなァ――」と家電屋、「それじゃァいつスリ換えられて、あがられるかわからない」
「そんなことはせん。私はイカサマ師じゃない」
「信用しないね。自分でイカサマ師だという奴は居ない」
「疑うなら、あんた、脱《ぬ》けてこっちへ来て私のうしろで見張ってなさい」
「そうだ、家電屋さん、代わりのメンツは居るんだから、気に入らんならやらなくていいんですよ」
オレンプは何故か、大河内派だ。
「なんだい、オレンプ。大体あんたが連れて来た客なんだろう。あんたが取締ってくれなくちゃ困るよ。それとも、喫茶店かね」
喫茶店というのは、あとでそこいらで稼《かせ》ぎを折半《せつぱん》する、なアなアの仲か、ということだ。
「そうじゃないけど、このお人はね、関西に百六十万平米も土地と人脈を持って、そのうち近畿地方はこの方の領地で独立するかという勢いの大河内さんですよ。そんなケチな真似はしないでしょう」
「イカサマ師が土地成金になるケースもあるよ」
「あるけど、いいじゃないですか。お金がわんわんあって、賭場《とば》に捨てようとして見えてるんだから」
「捨てようとしてるかどうか。わからん」
「わからんけれど、捨てて貰《もら》えばいいでしょう。あたしは楽天的だから、いつもそう考える。人を見たらカモだと思いますよ。ねえ大河内さん」
「じゃ、やめるよ。あたしは人を見たら、泥棒だと思うことにしてる」
家電屋は立上って、ゆっくりと大河内の背後に腰をおろした。代わりに、別室でポーカーをしていた学生のヤー坊が呼ばれる。
「沈み分は、そこにおいといたからな」
「沈み分おかれたって迷惑だな。今、風は何なの」
「南入りさ。ヤー坊の親だよ」
不意に、大河内宗安が、奇妙な笑い声をあげた。
「あたしがイカサマ師だって――? ちィちィちィちィ!」
一緒になって笑ったのはオレンプだけだった。
配牌をとり終えて、見るとドラのところに■が乗っている。
大河内がその上で掌を一振りすると、スルリと蝙蝠にかわっていた。
二
その日の明け方近く、大河内氏はひきあげていったが、背後で終始眺《なが》めていた家電屋の感想は、
「なんだい、あの野郎は。ちィちィちィちィ笑いやがって」
であった。
■■■■■■■■■■■■■
こういう手牌があった。大河内氏は■が出ると、いきなり、カン、をした。そうしてさながら透視していたごとく、■をカンドラにしてしまったのである。もっとも、五巡後、初牌《シヨンパイ》のを振って放銃したが。
■■■■■■■■■■■■■
こういう手牌のとき、■が出たのにあがらなかった。そのあとでリーチをかけて、結局流局にしている。
「さっき、どうしてであがらなかったのかな」
と家電屋が話しかけると、
「リーチをかけ忘れとったのですじゃ」
「ヤミテンでもあがれますよ、タンヤオだから」
「だってあんた、裏ドラが見れないでしょうが。ちィちィちィ」
家電屋はあとで、野郎、変則シャンポン待ちがわからなかったんだよ、といった。もっともそういいたくなるくらいの技倆《ぎりよう》で、不要な牌はなんでもかまわず捨てていくから、放銃が多い。一人であがっているように見えて一人で沈んでいたりする。
結局、その日もいくらかの負けになって帰ったはずだ。
「妙な野郎だが、また来るだろうか」
「来るでしょう。相当に好きそうだから」
「土地成金って、本当かい」
「どうかねぇ」
「なんだ、オレンプがそういって紹介したんだぜ」
「あの人が自分でそういうから紹介したまでのことですよ。土地成金じゃなくちゃいけませんか」
「でも、あんたは充分、客あつかいをしていたぜ」
「いや、こうなんですよ。支配人室に居てね、ひょっとみると、廊下の窓からあの人がのぞきこんでいたんです。オレンプさんか、というから、そうだというと、噂《うわさ》をきいてきたんだが打たしてもらえないか、という。それで入ってきて、札束を五つ六つ見せるんですよ。ありゃ一束百万の奴でしょう。だから、ここに連れてきて、皆さんに潤《うる》おっていただこうと思って」
「なんだ、早くそれをいいなさい。俺はやめずにずっとやったのに」
「でしょう。だからあたしを信用してくださいよ。けっして無駄な人間を連れてきやしませんから」
「さっきの裏ドラの件だけどね」
最初からつきあっていた株屋がいった。
「あいつがリーチしてあがると、いつも裏ドラが二枚か三枚あるんだ。ツイてるなァ、とは思ったがね」
「そういえばそうだね――」とヤー坊もいう。「裏ドラ男だったよ。でも、自分の山でもないし、自動卓だし、そこまで仕込めないからねえ」
「でも、あいつの手つきを見たかい。蝙蝠をとりかえるのがわからないくらい早い。裏ドラを見るときにスリ換えるんじゃないのか」
「たしかに、そうかもしれないな。自動卓でツミこみはできないんだから、仕事師の方じゃスリ換えの技術が中心になるだろう。思いがけないような名手が出てきてるのかもしれない」
「はははは――」
とオレンプが笑った。
「皆さん、あんまり神経質にならないでくださいよ」
「神経質たって貴方《あなた》、現に普通の麻雀じゃない。あいつはドラだけで勝負してた」
「あたしの意見ではね、何をやろうと、負けてったんならいいじゃないですか。勝っていくのはまずいけど、結果的に負けるんなら、ツミこもうと、牌をひろおうと、なんでも自由におやりなさいですよ。そうでしょう。むしろ、仕事ができると、多少負けても挫《くじ》けずに来るものです。ちょうどいいカモじゃないですか」
「結果的に負けてったから、オレンプはそういうけど」
「いつも負かして帰せばいいでしょう。銭《タマ》は持ってるんだから、いいお客ですよ。処女の羊みたいなお客を待ってたって、こういうところは来やしませんぜ。いずれひねくれたのを相手にするか、常連だけで同士打ちをするか。それじゃ外資の導入になりませんや。まァ皆さん、機嫌をとりながら、当分あの人を喰いましょうよ」
「そうすると――」
と家電屋がいった。
「あのちィちィちィが勝って帰るようなことがあったら、オレンプが責任を持って賠償《ばいしよう》してくれるのかね」
「賠償はムリだが、できるだけあんたが負けないような工夫をしましょう」
三
ふと見上げると、窓の外に大河内氏が来ていた。
「おや、いらっしゃい――」
オレンプは壁の時計を見た。六時半だ。
「どうぞお入り下さい。お早いお出ましですね」
「東京も退屈ですな。お金を使うところがなくて困る」
「お捨てになりたいのなら、いくらでもいただきますがね」
「面白ければね。今日は東京にある私の地所を少し売ってきました」
「ほう。どのあたりの地所ですか」
「上野のね、谷中《やなか》あたり」
「あのへんなら相当するでしょう。お持ちになってればいいのに」
「いや、いつまでも高値ばかりじゃありません。一時的に少し下るはずですよ。線引きが今度、改正されるらしいから」
「そうかもしれませんな。でも土地は貴方、いずれにしろ貴重ですよ」
「税金も高くなったしね。そのくらいなら、面白いばくちで、遊んだ方がいい」
「いい考えです。皆さんが、そういう考えになって欲しいですな」
「先夜のメンバーもいいが、少しレートが安すぎるねえ。もう少し面白い人たちは居ませんか」
「というと、どのくらいのレートで」
「一飜《イーフアン》一坪くらいのだと、少しスリルがあるねえ。ひと晩やって、千坪や二千坪、使ってみたいよ」
オレンプはごくッと唾《つば》を呑みこんだ。旧市内なら安くたって坪五百万はくだるまい。一飜一坪なら、子の満貫で(ゾロ場をいれなくても)四坪、二千万か。
だが、メンバーだ。セクシーゾーンの経営者たちなら現金《キヤツシユ》がダブついているから、乗ってくるだろうが、技倆がおぼつかない。守備の悪い者同士でやると、往々にしてツキ麻雀になってしまって、ツキだけで勝負が決してしまう。大河内氏の打筋は、そんな麻雀に合いそうだ。
大河内氏の一人勝ちになって、セクシーゾーンで顔を潰《つぶ》すくらいなら、やらない方がいい。
といって、技倆がしっかりした者は、それだけの現金の備えがあるまい。
すぐに思いついたのは、例の代走ゲームである。スポンサーがそれぞれについて、技倆の確かな選手が馬になって走る。
「それなら今夜だって場を立てますがね」
「結構。私はなんだって遊べればね」
そこで召集をかけると、まずWindserの女社長(オレンプ)、ケリーという若い女(カマ秀)、特殊浴場組合の理事長立石宏(ノロ)、それに大河内宗安。この他ヤー坊や家電屋もつめかけていたが、それぞれの意味でスポンサーがつかなかった。
「あのね、鬼ケ島あたりの坪はどのくらいしますのかねえ」
「セックスゾーンはやっぱり相当高いですよ。四、五百万でも買えないでしょう」
「四、五百万ねえ、うん、私の上野の方はもっとするが、それじゃァ一飜五百万としますか。今夜はひとつツイて、鬼ケ島をそっくり買いとるかな。ちィちィちィちィ――」
大河内の声は大きい。それでことさら傍若無人《ぼうじやくぶじん》にひびいて、スポンサー席を緊張させた。
そのセリフを裏づけるように、スタート直後、大河内の長打が二発続いた。一度はドラ3、もう一度は早いチンイチ。ノロが不調らしく、ドラ3に放銃したうえ、チンイチをツモられたときは親だった。理事長が渋い顔でバッグから札束を運んでくる。
大河内の親は、オレンプが軽くあがって落したが、オレンプの親のとき、大河内がまた早リーチをかけてきた。
・・・■(リーチ)
こうした早リーチに、ツキの差がもっとも現われやすい。ノロがでまたぶち当てた。リーチ一飜のみの手だったが、裏ドラが三丁使いの■になった。
「ちィちィちィ、私はこの裏ドラが乗るときが一番好調なんですじゃ」
スポンサー席の方から理事長が歩いてきて、いつものオレンプのかわりに審判を務めるズンベにアピールをかけた。
「選手交替――!」
ノロをひっこめて、ヤー坊を起用するという。
「まだ早いんじゃないの。もう少し使ってみたら」
「いや。点棒を使わないで、一局精算だからな。心理的に失策があとに響く。交替させるよ」
大河内の荒振りが、その晩はあまり彼の失点を呼ばない。たとえばポンのヤー坊にいいところで■を鳴かせ、リーチをかけていたオレンプが当り牌を持ってきたりする。
■■■■■■■■■■■■■ ■
こんな手をツモリあがったときも、大河内が、いつ手牌の■を■にかえたのか、わからないのが不気味だ。
大河内は自分の好調ぶりをいやがうえにも示すように、両手を広げて鳥がはばたく恰好をした。
選手を退ぞいたノロが、スポンサー席で、そっと呟《つぶ》やいた。
「俺、どうも、前に打ったことがあると思う」
「あいつと――?」
とWindserのママ。
「いや、それがあいつじゃないんだ。おんなじように鳥が羽ばたく恰好するんだがね。もっと若い奴――」
「あいつじゃないのね」
「いつだったかなァ。ずいぶん前だが、とにかくね、そのときも惨敗したんだ」
「あいつの息子じゃないの」
「そうかなァ――」
ノロはその席に坐ったまま、穴のあくほど大河内を眺《なが》めている。
「どっちにしても、東京で打ったよ。関西の奴らしくなかった」
卓上では、やっとオレンプがドラ入りチートイツを大河内からあがって、一矢《いつし》をむくいている。
一局精算で半チャン制でないから、黙ってれば永遠に続くわけだ。
大河内が■をポンした。
「おや――」
スポンサー席のノロがまた小声でいう。
「前にもこんなことがあったな。捨牌もほとんど同じだったぜ。今度、■を捨てるんだ。ホラ――」
その言葉どおり、大河内が■を捨てた。
「■も■も一枚も切れてない。少し麻雀をやってりゃァ、四喜和《スーシーホー》がヤバイのはわかるだろう。ところがさ、■をツモ切りしちまうんだ、俺がさ――」
「それさ――! ちィちィちィちィッ」
大河内が手牌を倒した。
■■■■■■■■■■■■■
ヤー坊が呆然《ぼうぜん》としている。彼の捨牌の一番端に■が投げ出されている。
「役満は何倍――?」
「四倍だ。飜数に直すと十五飜」
「七千五百万、いただきましょう」
理事長が顔をまっ赤にさせて卓に近寄った。
「どうした。寝てたのか」
ヤー坊は答えない。
「こんなことがあるか。わかりきった役満を打つなんて。わしを破産させたいのかね」
「摸牌《モーパイ》まちがいさ。■かと思った」
「だって、■と■をまちがえたのか」
「そうなんだよ。どうかしてたんだ。すみません」
「すみませんが七千五百か。オレンプ、皆で打合わせて、わしを殺そうとしてるのかね」
「まァ、理事長、おちついてください」
「わしはやめたよ。七千五百は借りだ」
「ちィ――!」
鳥のように鋭どく、大河内が鳴いた。
「借りは受けつけん。すべて現金だ。なんだね、七千五百ぐらいがつけられんのかね。オレンプ、介錯《かいしやく》をつけてくれるじゃろう」
オレンプは立上って、理事長の肩を抱くようにした。
「借りはまずい。とにかく払ってください」
「ばかばかしい。オレンプが私の立場なら払えるかね」
「でも、ルールですからな。――理事長、大丈夫ですよ。必らずとり返します。奴はツイてるだけですから」
「いや、ツイてるだけなのが一番怖い。とにかく今夜はやめる。小切手を切るから。それで話をつけておいてくれ。わしは帰る」
スポンサーの女たちも立上った。
「では私も帰ろう。しかし、また二、三日うちに来るよ。オレンプ、それまでにその小切手を現金にかえておいてくれ」
大河内は、女性たちに軽く会釈して、部屋を出て行った。
「ヤー坊――」
「俺のせいかい。オレンプ」
「ヤー坊じゃないとしたら、誰の失策だい」
「オレンプじゃないのか。奴を呼んだのはオレンプだ。それで、催眠術でも使ったんだろう。俺は立て替えたりしないぜ。振りこんだような気がまるでしないんだ」
「たとえ寝てたって、エラーはエラーだよ。スポンサーの怒るのもわかる。いや、大変なことをやってくれましたね」
オレンプは煙草に火をつけながら、いった。
「でもまだ終りじゃないからね。また来るといったんだから」
四
本気かシャレか、麻雀業者という看板をあげている変り者のところへ、オレンプから電話がかかってきた。
「やァ、居ましたね。オレンプですが、ちょっと話をしていていいですか」
「どうぞ――」
「つかぬことを伺いますがね、■のかわりに蝙蝠を彫りつけた牌を持っている麻雀打ちを知ってますか」
「蝙蝠――? ああ、あいつかな」
「打ったことありますか」
「打ったことはないがね。噂ではきいたことがある。けれど、敗戦直後の話だぜ」
「すると四十年も前か。まァいいや。どんな話です」
「上野あたりの雀荘《ジヤンソウ》を打ち歩いてる男が居てね、蝙蝠を彫った牌を四つ持っていて、■のかわりにそれを入れるんだとさ。それでなかなか負けないんだ。で、ひと頃は蝙蝠を彫った牌を持ち歩くことが流行《はや》って、他の土地へ行くと、俺は上野《のがみ》の蝙蝠組だ、なんぞいって見得《みえ》を切ったりしたという話をきいたことがある」
「ふうん。若い奴ですか」
「年齢まではきかなかったが、若くはないんじゃないかな。ところが、どこで何をしてる奴か、誰も知らない。あるとき、珍らしく奴《やつこ》さんが負けて、店側がかなりの現金を廻した。暁方《あけがた》近く、奴さんが帰るのを、店の女が尾《つ》けていったそうだ。そうしたら、谷中の共同墓地の中に入っていって、消えたんだとさ」
「なんです、そりゃァ怪談ですか」
「わからんよ。当時のことだから、一面の焼跡で、墓地に仮住まいしている人だっていたからね。でも、その噂がどっと広まって、奴さんも姿を現わさなくなっちゃった。空襲か何かで死んだ麻雀好きの霊が、麻雀やりたさに出てきたんだ、ということだったね」
「あんたも、そんな話を信じてるんですか」
「いや、俺は人からきいた話をただ伝えてるんだよ。それで話はまだあるんだ。奴さんとよく打ち合わせているメンツがね、勝ち負けに関係なく、だんだん痩《や》せていって、皆わりに早死しちゃってるんだとさ。奴さんはメンツの血を吸いとって生きのびてるにちがいないって、私に話してくれた人は恐ろしがっていたよ」
「それだかなんだか知らないけど、出ましたよ」
「――出たというと?」
「あたしンとこへ来たんです。見せ金をするから、例のところへ連れてったんですがね」
「ほほう――」
「自動卓なのに、蝙蝠の牌にこだわって、一局一局とりかえるんですよ」
「手強《てごわ》いのかい」
「それが目茶苦茶な打筋で、なんでも振ってくる。ひどい麻雀だけど、勝っていきました。よくドラがついてね」
「ああ、商売人の中には、わざと下手《へた》を装って、あいつならいつでも勝てそうだと思わせて、客を逃がさないやり方をする奴が居る。もう一つは、ちゃんと心得ていて、出る引くで打ってる奴が居る。この場は自分があがれると思えばなんでも一直線、相手の運気がリードしてる場ならどんないい手でもベタオンリ。これも仕末のわるい打ち手だね。運気で出る引くを判断するから、荒打ちするわりにエラーをしない」
「そりゃ私だって知ってますよ。でも、奴はよく放銃するんです。放銃するけど、よくあがる。ただね、奴の注文で、レートが馬鹿でかいんですよ。だから例の代走ゲームでスポンサーをつけてやってるんですがね。ちょっと面白くないですか」
「面白くないかって、あたしを出場さそうというのかね」
「ご希望ならね」
「望みやしないよ。私はもう年齢《とし》だ」
「あたしだって年齢ですよ。しかし、奴さんも相当の年齢ですぜ」
「魔物に年齢なんかあるものか」
「ありゃァ魔物ですか」
「私なんか呼ぶより、坊主でも呼んで悪魔っ払いでもした方がいい」
「坊主じゃ駄目でしょう。ばくち好きはたいがい無宗教だから、シャカもキリストも、屁《へ》とも思わない」
「じゃァ私だって駄目だ。オレンプ君にお任せするよ。昔に戻って、丁々発止《ちようちようはつし》と打ち合ってごらんなさい」
「ええ、あたしはやりますよ。鬼ケ島セクシーゾーンを占領されちゃっても困るから。ですが、あんたもどうですか」
「ご遠慮する」
「でも、来るでしょう」
「行かないよ」
「待ってますよ。魔物と打つなんてことはめったにありませんから」
五
そういえば、谷中の土地を売ってきた。なんていっていたな、と思う。野郎、やっぱり谷中の幽霊か。
オレンプは、まわりに居る若い者たちにこういった。
「ちょっと、昼のうちに、谷中の共同墓地を探険に行ってみませんかね」
「墓地に行って、どうするの」とズンベ。
「面白いものが見れるかもしれないんだ」
「宝探しか」
「そうじゃないがね」
「墓地で見られるものって、犬の交尾くらいだろう」
「いやですか」
「つまらねえね」
「じゃ、あたし一人で行ってみるか」
オレンプは、鬼ケ島に住みついてから、ほとんど遠出したことがない。ペペルモコみたいに自分の生活圏の中だけで日を送っている。テレビは見ないから、戦争でもまた起こらないかぎり、世間がどうなってるか、関心がおきないだろう。
ところが、タクシーで谷中の界隈《かいわい》までたどりついたとき、タイムマシーンに乗って昔に戻ったような感懐に襲われた。
両親に手を曳《ひ》かれて墓参に行った子供の頃を思い出したのだ。そういえば、墓の場所さえ忘れたが、彼の両親もここの共同墓地に眠っているはずだった。
どんよりとした冬空が、早くも夕べの気配を漂よわせている。
四十年前の大空襲でも焼けなかった界隈の古い街並みもそうだが、共同墓地の中こそ、激変する世間が侵入してこない唯一のところで、昔に変らぬ静寂がたちこめている。
それぞれに特徴のある墓石、五月《さつき》や黐《もち》の木、犬の糞、くろずんだ卒塔婆《そとうば》。
本郷寄りの端からゆっくりと一つ一つ眺めて歩く。大河内と名乗っていたが本姓かどうかわからない。
オレンプは、ふっと足をとめた。
押樫《おしがし》家の墓、というのがあった。これが両親の墓かどうかわからないが、とりあえず軽く頭を下げた。
しばらく歩いているうち、ぽん、と肩を叩かれた。麻雀業者が微笑して立っている。
「墓調べか」
「あれが本当に魔物なら、昼間は出歩けないはずですからね。何してやがるだろうと思って」
「私は日暮里側から見てきたがね、怪しいものは見当らなかった」
「大河内って名乗ってましたが」
「しかし、ちゃんとした墓があるかどうか疑問だぜ。空襲で死んだ死体なんか上野の山じゃ、山のように積みあげて油をかけて焼いたんだし、大概は身許不明で――」
「じゃァ、なぜ谷中に帰ったんだろう」
「墓がなくたって、休み場所なんだろう。そういう霊がいっぱい居るよ。だから俺は墓よりもむしろ、木の股《また》とか、墓石の陰とか、そんなところにとりついていやしないかと思ってね」
「哀れですね。奴さんも」
「我々だってそうなるよ。ばくちだけに気が残って、打ち歩きたくなる」
「戦争のとき、あんたは幾つでしたか」
「俺は小学生」
「あたしは中学だ。あの晩の火煙りを思い出すなァ」
「学童疎開もせずに、俺はよくこの墓地で遊んだものさ。生家が近かったからね」
「京成電車の駅に通じる細道がありましたね。墓地の中の細道をうねうねと通って」
「ああ、上野の山側の方が奥が深い。後から京成電車のトンネルができたものだから、ときどき、ごおッと電車の通る音が、墓の下でするんだ。死者もうるさくてかなわんだろうと思ったね」
「この道かな。四十年たっても同じですね。迷いだすと本当に迷路になってしまって」
麻雀業者が、不意に立ち止まってオレンプの手をつかんだ。
太い楠《くすのき》の幹のわかれ目のところに、蝙蝠の人形が刺さっている。
麻雀業者が手を伸ばして、引き抜こうとした。
「ちょっと待ってください」
「なんだい」
「かわいそうだ。叩き潰《つぶ》さないでおきましょう」
「ははァ、先夜負けた銭をとりかえせなくなるというんだろう。オレンプ君は、此奴をどんどんカモる気だな」
「いや、哀れですよ。お互いに無宗教でなかったら、経でもあげて成仏させたいくらいだ」
「じゃァ、どんどん負けてやったら」
「そうはいきません。丸裸にしてから成仏させてやりましょう」
「それでは、このままにして帰るかね」
「そうですね――」
オレンプは少し考えてから、人形をつまんで、羽をへし折ろうとした。
「こいつ、何でできてるんだろう。固くて折れないな」
「西洋の吸血鬼ドラキュラは、にんにくが嫌いだというが、奴さんは何か嫌いなものはないのかな」
「しかし、長生きしてみるもんですねえ。お化けと打とうとは思わなかった」
「銭さえたしかなら何でもいいんだろう」
「もちろん――」オレンプはにこっとしていった。「しかし私はお客の不幸は祈りませんよ」
そうして蝙蝠の人形をそっと木の股に戻した。
六
学生のヤー坊はあれっきり姿を見せない。常連の中でもヒマは一番ある方で、顔を見せないのは週に一回あるかなしだ。
そのことに誰よりも早く気づいたのは、株屋の愛人のゆみちゃんだった。彼女は中野の奥で歯科医をしているヤー坊の生家に行って、様子をのぞいてみた。
「それが変なのよ。自分の部屋の万年布団で白眼をあいて眠りこけてるの。家の人にきくと、あれから寝たきりで、食事もろくすっぽ喰べないんだって」
「蝙蝠男の熱にでも当っちまったか」
「体温を計っても、熱はないんだって。医者も、どこもわるくないっていうし、ただ本人の気力が萎《な》えちゃったのね。もうばくちはやめるんですって。自分の限界がわかったから、これからは親父に苦労をかけないように、おとなしく勉強する、なんてへんなことをいうのよ」
「それもいい――」とオレンプがいった。「やめたくなりゃやめるさ」
「だって、あんなふうじゃ、学校へ行ったって勉強なんかできないわよ。抜け殻みたいなもんだもの。布団を剥《は》いで、あそこをぎゅッと掴《つか》もうとしたんだけど、死ぬ前の人みたいに、あれが鶉《うずら》の卵くらい小さくなっちゃってるの」
「――ヤー坊の家はどこですかね」
「地図を書くわ。活をいれてきてよ」
オレンプはその夕方、ヤー坊を訪ねた。ヤー坊は痩せおとろえていて、白眼がうす紅く濁っていた。
「あんなこと気にするなよ。皆、もう忘れてらァ。それに馬主だって、エラーを覚悟で乗ってるんですよ。それよりヤー坊が来ないと淋しいよ」
「理事長のことなんか気にしてません。俺自身のことですよ。オレンプがいつかいってたでしょう。たいがいの博打うちが、四十になったらこの道から足を洗うっていい暮してる。でも足が洗える奴はめったに居ないって。ばくちは気力と反射神経だから、二つともにおとろえたらやめるよりないでしょ。僕は少し早いけど、気力も反射神経ももうおとろえた。怪我《けが》しないうちにやめるんだ」
「ばくちやめて、学校へ行くのか」
「とにかく、ばくちはやめる」
「しかし、先日のポカは、ヤー坊の反射神経の問題じゃないかもしれない。蝙蝠野郎は何するかわからないからね。神経がたるむような薬を、ヤー坊にそっと吹き込んだかもしれない」
「薬だって? なんの薬?」
「そりゃわからない。なにしろここ数年で、ばくちも科学戦になってるんですよ。たとえば、この受信器」
とオレンプは腕時計をヤー坊の前に投げ出した。
「受信器――?」
「そう。ゲンバクといってね。あたしはその必要がないから使わなかったけれど、今、ちょっとしたばくち打ちは皆持ってますよ。送信器もある。二人で信号をきめておけば、音でも光でもない、ただピッピッと身体に感じる電流の気配で会話ができるわけです。テンパイのサインだけじゃありませんよ。■をポンさせろ、一四ピン待ちに受けるから■をワンチャンスになるように切り出してくれ、ドラ3だから俺にまかせろ、どんな会話だってできる」
「――つまり、オレンプと組めというのかい」
「あたしはヤー坊の実力を信用してます。大丈夫、今度は勝てるよ」
ヤー坊は弱い眼色でオレンプを見た。
「また俺が、ポカをしたら――」
「しないよ。でも、なるべく、蝙蝠の眼を見ないこと。獣は眼から力を出すんだからね」
「あいつは獣かい」
「そう思ってればまちがいないさ」
× × ×
大河内宗安が椅子に深々とかけて、真正面を向いていた。
「メンツはもう揃ってるんじゃないのかな。五人も六人も居るじゃろが」
「いや、もう一人来るんですよ。業者といいましてね。この男にもあたしは負けるわけにいかないんです。ちょうどいいから、今夜、呼んでおきました」
といっているところに、麻雀業者がのっそりと登場した。しかし大河内宗安は正面を向いたまま、業者の方を一顧《いつこ》もしない。
「場所定めです。二時間で場所を変えます」
とオレンプ。
ヤー坊が東、業者が南、大河内が西、オレンプが北。スポンサーはこの前どおり、但《ただ》し理事長が業者にのりかえ、ヤー坊にはケリーの旦那の岸本という金貸し。
ヤー坊がいかにも気弱に安連チャンをする。三本場、■を鳴かせろというサイン、しかしオレンプに■はない。
せっつくようにまた■を鳴かせろという。鳴けば■は出にくくなるが、アンコになったのか。
■を鳴いたヤー坊が、■はアンコになったらしく、五八万待ちのサインをしつこく二度送ってくる。狙《ねら》い打ちせよ、というわけでもないのに。
五八万は奇妙に出ないで、業者がヤミ受けの通貫ドラ2をツモリ満貫。そのあと親で、鳴りを静めていた大河内がリーチ。スポンサー席がさっと緊張する。
大河内がリーチをかけてきたら、なんとしても安く蹴《け》るつもりで、オレンプはメンツ構成も最初から、喰いやすいように大河内の捨牌に合わせて作っていた。オレンプがヤー坊の上家《カミチヤ》であることが不便だが、とりあえずポン材料をヤー坊に通してみる。
■、■、■。そのうち■がヤー坊から出てくる。
「ポン――」
(端牌から出されても鳴きにくいんだよ)
(これしか無いんだもの)
といいたそうな顔をしている。ところが業者が(ヤー坊が前に一牌捨てている)■をツモ切りしてくれた。
ヤー坊よりもむしろ業者がこのあたりの感じを鋭どくキャッチしたらしい。
次に大河内がリーチときたのは、業者の親のときだったが、もちろんサインでなく、オレンプがうまく鳴かせて、親のあがりに持って行く。
大河内のリーチに対しては、どちらか一方が完全に手を崩して、一方をポンチーさせる。ヤー坊にもサインを入れて、鳴きたい牌を出させる。
なにしろ完全に手を崩してしまうのだから、どんな脂《あぶら》みでも出せるわけで、大河内のリーチ以後二三巡目までにはテンパイさせ、放銃する。うまく鳴かすことができないで長びかせれば、ツモられて裏ドラがあることを覚悟しなければならない。
このやり方は一応無難に行って、大河内のリーチはほとんど空振りに終っていた。但し、オレンプの方も犠牲打ばかり多くて、いっこうに手らしい手にならない。
ヤー坊は手数が出なかった。慣れない連携麻雀のうえに、気持がすくんでいて押す所が押せない。
三廻り目の親で、大河内が、ほう、といいながら珍らしく理牌《リーパイ》していたが、■を切って、
「ダブルリーチ――!」
これは弱った、まず業者が、おそるおそる、■。オレンプが、これも大河内の顔色をうかがいながら、■。ヤー坊は■。
大河内の第二打牌が■で、まだ新安全牌がない。
業者が、■。
オレンプが■。
ヤー坊が、■。
大河内■。業者■。オレンプ■。ヤー坊■。大河内■。
業者ポンして、■打。
「ロン――」
とオレンプがいった。ほとんど同時に大河内も手牌を倒した。
■■■■■■■■■■■■■
「へええ、それがダブルリーチか」と業者。
「惜しかったね。頭ハネです」
オレンプは静かに手牌を倒した。
■■■■■■■■■■■■■
皆の視線がオレンプの手に集まって離れなかった。
「おや――」とオレンプが自分でいった。
「失礼、失礼! こりゃァチョンボです」
スポンサー席がどやどやと卓のまわりに集まった。
「オレンプ――! どうしたの!」
馬主のWindserのママが叫ぶ。
「どうしたんだろう、■があるとばかり思ってた。申しわけない、ママ」
スラリとオレンプは手牌を崩した。
「チョンボ、満貫分です。ママ、堪忍」
大河内は自分の手を崩さずに、対家のオレンプを、節穴のような眼でみつめた。
「にゃァ――!」
一声叫んだ。それ以上何もいわない。しかし皆が牌を中央の穴に投げこんだ後も、自分の手牌を両手で抱えている。
「勘弁してください。そのかわり親は連チャンです」
「そこがあがってないのならば、私のあがりであるべきだ」
「失礼、この勝負はチョンボで片がつきました。一局に二種類の結果はありえません」
「では、誰かにあがらせたくなかったら、わざとチョンボをすればよろしい」
「ロンの声は私の方が早かった。私はチョンボの代を払った。何かルールに反したことがありますか」
大河内は口をすぼめて意味不明瞭な声を出した。
「にゃーあ――!」
「よろしい。外へ出ましょうか。納得いくまであたしを殴ってください」
オレンプはまっすぐ大河内の眼を見返した。誰もなんにもいわない。
「――俺、駄目だ。選手を辞退します」
とヤー坊がいって、ふらふらと部屋の隅に行った。
七
ヤー坊に替って、株屋が入る。そうして二十分後に自動卓がまた廻りだした。
ドラのところに■がひっくりかえる。ドラは大河内の好きな蝙蝠だ。ところがオレンプが第一ツモで暗カン。■を四枚開いた。
オレンプは眼を伏せていたが、頭の中に大河内の節穴のような眼が大きく浮かんで、何かを放射してくる。頭が割れるように痛い。
五巡目、大河内から■が出たところで、オレンプは手牌を倒し、
「大丈夫かな。チョンボじゃないでしょう。■はあたしの風です」
ドラ4、満貫で、
「ママ、チョンボ分をとり戻したよ」
大河内の怒りの視線が一倍強くオレンプに降りかかってくる。彼は威嚇《いかく》するように両手を拡げ、その手を十字を切るようにして、みずからドラを開いた。■が見える。またドラである。
四巡目で、大河内のリーチ。
「もう、チョンボは許しませんぞ。――第一、満貫分は安すぎる。これでは誰だって故意のチョンボをしたくなるときがある」
「いいですよ。罰符を高くしても。どのくらいにしますか」
「役満分ですな。めったにあることじゃないのだから」
「よろしい。ではチョンボは役満分です」
「そうれ、ツモった――!」
と大河内は会心の表情で、■を卓に叩きつけた。
■■■■■■■■■■■■■ ■
そうして裏ドラに手を伸ばした。
「これが、楽しみ――!」
裏ドラも■で、■がダブドラだ。
「おかしいじゃないか――」
と業者が静かに自分の手を開けた。彼の手に■が三枚ある。
「アレ、あたしのところにも一枚ありますよ」
とオレンプも■を一枚見せる。
大河内は怒りのあまり唸《うな》り声も出ず、ガクンと身体を折るように椅子の背によりかかった。
「私が――、私が――、何かしたというのか――!」
そこで気息を整えて、泣くように、
「私はあんた方が生まれる前から牌を握っているが、一度もインチキなどしたことがない。戦争このかた、ずいぶんインチキな連中とも打ったが、こんなことは始めてだ。ああ、天地に満ちる魔界の御一同、皆々御照覧あれ。ひどいいいがかりです!」
「まァ冷静に、処理しましょう――」と業者がいう。
「あたしのはここの牌だ。オレンプ君、君のもそうだね」
「そうですよ」
「ではその蝙蝠はどこの牌ですか」
「大河内さんは、毎局、ご自分で蝙蝠を彫った牌を使うんです。これは困ったことになりましたな」
「侮辱《ぶじよく》だ。告訴してもいい」
「どこへ告訴するんですか」
「麻雀のことは麻雀の場できめましょう。本来なら、別の牌を使っているのは、重大なルール違反で、チョンボどころではない」
「あたしのは二枚とも、ちゃんとここにあります」
と大河内は卓の下から牌を二枚出した。
「余分に使ったのではない。あんた方のこそどこから持ってきたですか」
「他の牌ならともかく、蝙蝠だからねえ。大河内さん、分がわるいですな」
と株屋。なにしろこういう場合は、いつの場合でも他の三人は上りを認めたがらない。
「罪一等を減じて、チョンボですかな。大河内さんをイカサマ師にあつかっちゃいかんでしょう」
「そうだね。チョンボとなると、役満分か」
「役満は十五飜あつかいだから、七千五百万です」
大河内はついに立ち上って、両手を拡げ、ぐるぐる卓のまわりを廻りだした。
「この連中に災《わざわ》いあれ、災いあれ――! こんなひどい連中ははじめてです」
「お払いください、大河内さん。場が進行しませんから」
大河内はバッグをはたくように札束を投げ出し、両眼から涙の筋を落しながら、
「なぜ、私をこんなにいじめるのか。この不幸な男を――。麻雀だけが生甲斐《いきがい》の哀れな老人を――」
「続けましょう、大河内さん。席についてください」
「今夜はやめだ。そのかわり、覚悟しなさい。あんたたちは近いうちに必らず、地獄へ落ちる!」
「もう落ちてます」
「無限の奈落だ。未来|永劫《えいごう》、救われずに銭の虫になって地底をうろつきまわる。呪《のろ》われよ、オレンプ!」
「あたしも、あんたみたいになりますよ。いずれね」
そのとき、部屋の中の電灯がいっせいにはじけ飛び、雷鳴がきこえ、部屋が揺れはじめた。女たちは悲鳴をあげながら扉のところに殺到し、自動卓が白煙をあげて燃え出す。
大河内宗安の姿はもうどこにもない。
× × ×
夜明け方の谷中の墓地に二人の男が入ってきた。
「久しぶりに、汚ない戦いをしたな」
「汚ない――? 勝負はみんな、ああしたもんですぜ」
「あのお化けがかわいそうだ」
「それは同感。あたしはあの人が嫌いじゃないですよ」
「もう帰っているだろうか」
「どこへも行くところがないでしょう。今夜のていたらくじゃ」
楠の大樹のところまで来た。闇の中に、うっすらと蝙蝠の人形が――。
「大河内さん、酒を持ってきましたぜ。一杯呑んで、機嫌を直してください」
すると樹上から、かすかな声がした。
「酒――! 私の大敵だ。まだ苛《いじ》めたりずに君たちは――」
羽音とともに小さな蝙蝠がジグザグに飛んで逃げ去っていった。
今や、企業の時代であります。企業は大きいほどよろしいのです。そうして借金も大きいほどよろしい。借りまくりすぎて返せないとなれば、ますますよろしい。そっくり返すまでは誰もその企業を潰《つぶ》したがりません。
昔のように儲かったから成功するわけじゃない。借りられたから、生きていけるのです。だから返すのはやめましょう。返金は自殺行為です。ただ無限に借りていって、できれば利子だけを払って、ああだこうだいってれば、そのうち年をとって死んじまう。生きるということはそういうことなのです。
東四局 ポチの災難《さいなん》
一
セクシーゾーンの鬼ケ島に、変な店が一軒できた。
曰《いわ》く、手造り徹夜弁当。
べつにどうってことはない。小さくて、貧弱で、どこの横丁にもあるような弁当屋だったが、但《ただ》し、営業時間が、夜の十時から翌朝の十時まで。他の店が看板を閉める頃にオープンして、サラリーマンが出勤する頃終る。
店名は、ポチ。
徹夜弁当というのは、文字どおり徹夜で遊んでいるときにちょっと突っつこうという弁当で、箸《はし》を使わなくてすむように、ひと口ずつに切って串《くし》で刺してある。ご飯だって小さく丸く握って海苔《のり》で包んで串刺し。麻雀やりながらでも簡単に喰える。もちろん店用に手造りギョーザだのラーメンもできるし、朝は納豆《なつとう》と生卵なんかで朝飯も。
界隈《かいわい》じゃ昼寝て夜活動する人間が多いせいもあるが、この店がけっこう繁昌《はんじよう》で、遊び人たちや夜の勤めの女性たちでごったがえしている。
なぜ、繁昌するかというと、これはもう誰にもわかる。界隈で、セクシーゾーンの経営者とはまた別に、現金王といわれる中華料理店満月さんの息子が経営者だからである。
彼は三十にしてまだ独身。このタイプを狙《ねら》うのは女性ばかりではない。ホモだって、ばくち打ちだって、それぞれ胸三寸で集まってくる。特に、このところエイズ騒ぎで客足の減ったセクシーゾーンの女たちが、玉の輿《こし》を空想しながら集まってくる。
ところがどうして、大カモという看板をぶらさげながら、ポチ君は誰にもなびかない。女嫌いプラス男嫌いで周辺に通っていた。
「――ポチよ」
ある朝、朝食を喰い終ったクーパツ屋のフウ公がまじめな顔でいった。
「話があるんだ。店を閉めたら、前のコーヒー屋に寄ってくれ」
「あいよ、でも、ここじゃできない話かね」
「コーヒーを飲もうぜ。たまには朝のコーヒーもオツだよ」
フウ公はいくらか高飛車《たかびしや》にいって、店を出て行った。
ポチはそのあとで、前の店に行って、喰いたくもないモーニングをとった。
「店じゃできない話って、なんだね」
「お前、俺を雇《やと》わないかよ」
「フウちゃんを――?」
「一人で、大変だろ。スタンドを出たり入ったり、それに出前もだ。もう一人居ればいい」
「フウちゃんが、そういうことをやってくれるのかい」
「まア、そうだよ。しかしそれだけじゃない」
フウ公は眼に凄《すご》みを持たせて、
「ヤバイ話があるんだよ。俺、義侠心《ぎきようしん》を起こしちゃった」
「ヤバイって、どんな?」
フウ公はチラッと店内を見廻した。
「ポチ、お前がそんなふうに店を閉めて帰るだろう。そのとき、売上げはどこにある」
「封筒にいれて内ポケットにあるよ」
「それだ。それを狙おうてェ奴が居るんだよ」
「――誰が?」
「いえねえ。俺、小耳にききこんだがね。俺だってこの界隈で生きてるんだ。計画してるというだけでそいつ等を売るわけにはいかねえ」
「だがね――」とフウ公は続けた。「売るわけにはいかねえが、そんなことはさせねえよ。俺がしばらく用心棒についてやる。まさか連中だって、俺を突き飛ばしてまで荒事《あらごと》はするまい。どうだね」
「名前は教えられないけど、実行はさせない、とこういうんだね。そいつ等はフウちゃんの友だちなのかい」
「友だちじゃねえが、知らねえ仲じゃないんだよ」
「それじゃ、うちの用心棒になっちゃまずいだろう」
「ポチが、手伝ってくれって頼むんだから、しょうがねえや。俺が売りこんだんじゃない」
ポチは、貧弱なフウ公の身体つきを眺《なが》めた。
「疑がってるのか。給料なんかいくらでもいいんだぜ。俺アまったく、義侠心でいってることなんだから」
「考えさせてくれ。親父に相談してみる」
「お前の店だろ。お前がきめればいい」
「そうもいかないよ。そんなに儲《もう》かっちゃいないんだから」
その晩、夜食の客がちょっと途切《とぎ》れたすきに、オレンプが入ってきた。
「ラーメン、ください。卵入りでね」
オレンプは老眼鏡をかけて、夕刊新聞など読んでいる。
「フウちゃん、知ってますか」
ポチはカウンターの中から小声で話しかけた。
「空発《クーパツ》のフウちゃん、ああ、昔から知ってますよ。あの男が何かやった?」
「いや、用心棒に雇ってくれ、ってんですがね」
「ほう、この店の――?」
「ええ。ここの売上げを狙ってるチンピラが居るんだって」
「ほうほうほう、危険ですね。で、雇うの?」
「いえ、ことわりますがね」
「ふん、ふん、そうですか。どうして?」
「売上げたって、弁当屋の売上げですからね。狙うというほどの額でもありません」
「でも、現金なら一万円だって大喜びでひったくる連中は居ますよ」
「一日分の売上げぐらい、熨斗《のし》をつけてあげますよ。あげりゃ文句ないんでしょ」
「なるほどねえ。それよりフウちゃんにひっぱられるギャラの方が大きいか」
「それに、狙ってるという話も信用できないし」
「チンピラとフウちゃんがなアなアで、フウちゃんが手柄《てがら》を立てて、それを機会に喰いこんでくるって筋書はあるかもしれませんね」
「やっぱり、そうですかねえ」
「しかし、フウちゃんをことわっても、ごたごたが起きれば誰かが喰いこんでくるでしょう。地《じ》の親分さんとはどんな関係になってますか」
「こんな店で、親分さんに挨拶が要《い》るんですか」
「それは、公式はないからねえ。満月さんの息子さんだと、眼をつけられてるかもしれませんね。どうせなら、フウちゃんを相手にしていた方が、まだ楽かもね」
「オレンプさんなら、どうします?」
「あたし――? あたしが知恵を出せば、あたしがそれだけお宅に喰いこむことになるけど、それでもいいですか」
そういってオレンプは笑った。
「悪いことはいわない。こういうことはポチさん一人で考えた方がいい。それが世間というものですよ」
二
朝、店を閉めるとき、ポチはちょっと考えた。まっすぐ親父のところへ帰るか。それとも銀行に駈けこんでそのまま預金してしまうか。
いずれにしても親父には報告をするのだから同じことだ。
しかし、銀行は駅の向う側で、家に帰る方が距離が近い。わりに近くに小さな信用金庫があって、そこに新規口座を作ることもできるが、あの信金だけは信用しちゃいかんと父親に常々いわれている。また勧誘もうるさくて、そこへこちらから口座を作りにいけば、これ幸いと親父の内懐《うちぶとこ》ろに喰いついてきてわずらわしくさせるだろう。
十万円にも満たない売上げなど、大騒ぎするほどのこともないけれど、いつ襲ってくるかと思うとやっぱりおじけづいて、ポチは、開店したばかりの筋向いのパチンコ屋に飛びこんだ。しばらく混雑の中にまぎれていたかったからだ。この時間に精励《せいれい》しているのはプロまがいの連中ばかりだろうが、
「おや――」
正金銀行の得意先係で、しょっちゅう親父のところに出入りしている内田が、機械に百円玉をはめこんで腕組みしながらやっている。
ポチはその隣りの空《あ》き台に腰をおろした。
「あれ、坊ちゃん――」
内田が笑顔になった。
「パチンコ、やるんですか」
「ちょうどよかった――」
ポチは封筒を内田に渡した。
「売上げだよ。あたしの口座に入れといてよ。八万となんぼかだ」
「はい、わかりました」
内田はその場で封筒から金を出して算《かぞ》えると、
「八万と三千七百円――」
下においた鞄《かばん》から用紙を出して数字を書きこみ、自分の印を端《はし》に押して、
「たしかに――」
「これから毎朝寄ってよ。不用心だから、売上げをすぐに持ってって貰うよ」
「承知しました。けど、坊ちゃんがパチンコ党とはね」
「あたしはやらない。内田さんを見かけたから入ってきたんだよ」
「そうですか、じゃ、これで少し遊んでください」
両手で掬《すく》ってポチの受け皿に玉をわけてくれる。内田の台はもうかなり出ていて、四角い箱に八分目ほど玉が溜《たま》っている。
「――銀行屋さんが、パチンコとはねえ。少しは儲かってるの」
「毎朝一時間、私の日課ですよ。銀行屋がやっちゃいけませんか」
「銀行員って、もっと固い人かと思った」
「固いですよ、日当にはなります。別の支店に居たときの同僚でね、競輪狂が居て、毎朝前売りを買いに行くんですよ。それで給料の三倍くらい稼《かせ》いでるのが居ました」
「へええ、ギャンブルって、儲かるのかね」
「やり方次第でしょうがね」
「そうかねえ」
「今度、行ってみましょうか」
「どこへ――?」
「競輪でも、競馬でも」
「親父に勘当されちまう」
「まさか」
「本当だよ。うちはこう見えても、親戚まで揃《そろ》って固いんだから」
「坊ちゃん、幾歳《いくつ》ですか。そんなこといってちゃ笑われますよ。億万長者の息子なのに」
「皆、そう思ってるらしいが、知らないんだよ、あの親父てエものを。財産とあたしは関係ないんだから。自分も日本に来たときは裸一貫だった、お前にもできる、裸一貫から貯《た》めてみろ、って、これが家訓なんだから」
「でも、いずれ亡くなれば――」
「駄目。財産は全部、華僑《かきよう》の組織に寄附しちまうってさ」
「そりゃばかばかしいや。それじゃ今のうちにせいぜい使っちゃいましょう」
「へんな銀行屋だね、あんたも」
「銀行に預けっ放しじゃいくらも増えませんよ。ね、坊ちゃん、二分で十倍にしましょう。百万円が一千万、一千万が一億、一億が――」
「金がない」
「銀行に来てくださいよ。そのための銀行ですよ。どかッと廻します。お入用《いりよう》なだけ」
「それで、競馬に行くのかい」
「二分で十倍だ」
「失敗したら、元も子もないんだろう。それで通帳にどかッと穴があいちゃう」
「通帳からなんか廻しませんよ。信用貸しです。坊ちゃんならね、あるとき払いの催促《さいそく》なし、どうです、銀行の本職は金貸しなんですから」
「いけません。借金なんかこしらえたと知ったら、親父はすぐにあたしを勘当して、銭だけ持って中国に帰っちゃうよ。息子なんか捨てるのは屁《へ》とも思ってないんだから」
ちょうど、玉がなくなったので、ポチは立ちあがった。
「坊ちゃん、どんどん私の玉を使ってください」
「いや、帰ります。あたしはこういうことは、嫌いなんだから」
どうも変な奴にばかり会って、くさくさしてしようがない。ポチは逃げ帰るように我が家に帰った。マンションの前に赤い小さな車が停まっている。従妹《いとこ》の玉永福のだ。
「ねえ、ポチ――」
「なんだい、タマ」
「競馬に行こうよウ」
「なに――!」
今日はなんという面妖な日だろう。
「競馬につきあって」
「これから寝るんだよ。一人で行きな」
「競馬場じゃないよ。そこの場外売り場までよ」
「君はそんなに競馬狂なのか」
「この前お友達に乗ったらとられちゃったのよ。くやしいからとり返してやる」
「そうれ見ろ。もうやめな」
「とり戻したらやめるわよ。つきあってエ」
「いやだよ」
「機嫌《きげん》わるいんだねえ。なにかあったの」
「ギャンブルは嫌いだ」
「じゃ、お金、貸して」
ポチは呆《あき》れたようにタマを見た。
「お金、ないよ」
「一万円、一万円でいいのよ」
「一万円だって、ない」
「売上げは――?」
「銀行に入れた」
「スッカラカンで歩いてるの。ダサイわねえ。ギャンブルぐらい紳士のたしなみよ」
「自分だってスッカラカンだろ」
ポチは寝室に行った。なにをいやがる。自分は紳士じゃない。金持の息子でもない。裸一貫から成功するために、ケチな弁当屋をやってるのだ。哀しいピエロなんだよ。お前たちなんかにわかるかい。
眼をつぶってたら、いきなり柔らかいもので口をふさがれた。
「ポチ、ごめんね。スッカラカン素敵よ。ポチの気持はわかってるわ。――あたしもここで寝ていい?」
「競馬に行くんじゃないのか」
「いいわよウ、競馬なんか――」
三
ポチは眠そうな眼で、場外馬券売り場の混雑の中に立っていた。あちこちでテレビがレースを映し、それにつれて人波が左右に揺れるが、ポチにはさっぱりわからない。ただ、大冒険でもしてるつもりのタマが、千円ずつ惜しそうに買ってくるのを黙って見てるだけだ。
「――坊ちゃん」
また内田と会った。
「おや、内田さん、またサボってるね」
「今日は土曜日ですよ。これが土日の私の日課なんです。それより坊ちゃん、パチンコ、競馬、なかなか一人前じゃないですか」
「従妹のつきあいなんだよ」
タマはまだノウ和了《ホウラ》で、いくらかしょげている。
「ビギナーズラックって当てにならないね」
「君は二度目だろ。ビギナーズラックなら、あたしが買わなくちゃ」
「じゃ、買ってみせてよ」
「内田さん――」とポチはいった。「ちょっと一万円貸してくれませんか。明朝の売上げで返すから」
「いいですとも――」
内田は内ポケットから分厚い封筒を出した。
「なに、これ――?」
「坊ちゃんのために用意したんです。のぞいてごらんなさい」
中は一万円札の束。
「要らないよ、こんなに」
「銀行の金ですよ。たまには他人の金を使ってみてごらんなさい。気持いいもンですぜ」
ポチは札を一枚抜いて、残りを返そうとした。内田が両手で押し戻す。
「あるとき払いの催促なし、そういったでしょう」
「利子がつくンだろう」
「利子、いりません。お父上の預金の利子からちょいと引いときます。取引きしてくださるだけで銀行としちゃありがたいンです」
ポチはまっすぐに歩いて穴場に行き、一万円を出して、そのとき浮かんだ数字をいった。
「――五!」
「ここは連勝式の穴場ですよ。単勝ならあっち」
「それじゃ、五→六!」
「五→六、一万円ですね、はい」
すると、なんだかビギナーズラックが自分にも来そうな気がする。
「じゃ、私は銀行に戻りますから――」
内田を見送って、タマは、
「なんなの、あれ」
「メフィストフェレスさ。弱っちゃう」
「五→六のオッズは、三千九百円よ。一万円で、三十九万か。当ったら何か買ってね」
内懐ろが、ごわッとふくらんでいる。馬券が当らなくたって、指輪ぐらい買ってやったっていい、とポチは一瞬思い、あわてて身体を振った。
(――いけない、ちょっと懐ろがふくらんだくらいで、もう駄目なことばかり考える)
レースをテレビで見ていると、五→六はまるで駄目で、五着にもひっかからない。
ポチはいさぎよく売り場を離れた。
「帰るの――? まだレースは残ってるよ」
「おそろしい遊びだ――」とポチはいった。
「しかも、面白くもなんともない」
「悪かったわね。誘って」
どっと眠気が襲ってくる。
「さよなら、タマ。今夜も店を開けなくちゃならないからね」
「土、日でもやるの――?」
「年中無休さ。休んでなんか居られるものかい」
チラッと、フウ公の顔が見えたような気がする。
あたりの人波をはずれ、急ぎ足で満月に戻ろうと歩きだしたとき、
「にイさん、おい、ポチ――」
と肩を叩かれた。下駄ばきで半袖シャツの袖をまくって、倶梨伽羅紋々《くりからもんもん》をこれみよがしにのぞかせたのが、
「ちょっとそこいらまで、顔を貸してくんな――」
「なんだい、竹さんじゃないの、用かい」
「なにッ、気易くいうな」
竹の表情がひきつっている。
「どうしたのさ。何かあったの」
横丁をまがったところで、
「おい、売上げを出しねえ」
「――あ、竹さんがその役か」
「おとなしくいってるうちに出せよ」
「売上げなんか、とうに銀行屋に渡しちまったよ。今何時だと思ってるンだい」
「つべこべいうな。なんでもいいから出すんだ」
もう一人の若い衆が、タマが逃げ出さないように見張っている。
竹はポチの内懐ろから封筒をひっこ抜いて、
「おッ、こんなにあるのか」
「それは売上げじゃないよ。フウちゃんが、ここに来るンじゃないのかい」
「なんでもいい。――ちょっと待ってろ。すぐに戻ってくるから」
竹はキョロキョロしていたが、場外馬券の方に走っていった。どうやらフウ公を探しに行ったらしい。
「百十番しようよ。赤電話はどこにあったかしら」
「百十番はまずい。事件になったら、あんな金、借りてたのが親父にバレて、勘当されちゃう」
「だって、追いはぎじゃないか。おちついてる場合じゃないよウ」
「心配しなくてもいい。第二幕がある筈《はず》だからね」
「あの封筒、いくら入ってたの」
「算えてもみなかったけど、百万ぐらいじゃないのかなア」
タマは遠くを眺めるような表情で、ポチを見た。
「大人物なのねえ、ポチって。見直したわよ。いつのまに、そんなに出来上っちゃったの。全然知らなかった」
「あたしだって、男だからね」
「事件がないとわからないものねえ。あたし、身も心も、女になるわよ。ポチを頼って生きてくわ。ねえ、そうしてもいい?」
ポチは黙って、竹たちが消え去ったあたりを眺めていた。
「どうしたのかな、竹さん」
「百万ぐらい、いいわよ、ポチがすごい人だってわかっただけでも惜《お》しくないわ。あげちゃお、ね」
「そうもいかないよ。フウちゃんが返しに来るはずなんだけど」
四
夕方近く、ポチとタマが、支配人室のオレンプのところに顔を出した。
「オレンプさん、追いはぎに会っちゃった」
「ははア、やっぱり出ましたか」
「オレンプさんならどうします?」
「どうするって――?」
「打つ手を教えてくださいよ」
「追いはぎの八百長じゃないの?」
「それが、いまだに返しにこない。本物の追いはぎだったかもねえ」
「どんな奴ですか、そいつ等は」
「竹さん、なんだけど」
「吉田屋親分のところの竹――? なんだ、相手もわかってるんだ」
「ええ、まッ昼間だし、相手はわかってるし、警察にいえばすぐ解決するでしょうが」
「まさか、あの店の売上げぐらいで、お縄つきになりたくないだろうからなア、竹も。――それで被害額はどれくらい?」
「約百万でしょう」
「そんなに現金を持ってたの」
「銀行屋が、むりやり押しつけてったんですよ」
「百万となると、どうですかねえ」
そういいながらオレンプは立ちあがって、金庫のところへ行った。そうして封筒を投げてよこした。
「とにかく、それ持っててください」
同じように分厚い札束が封筒の中に入っている。
「あ、こんなことして貰っては――」
「差し上げやしません。立替えです」
「でも、お金をねだりに来たんじゃないんで、奴等がこれからどう出てくるのか、そのへんを教えて貰いに来たんです」
「あたしにできることはそれくらいですよ。銭が一番簡単です。あたしは老人で、もうそれほど銭は要らないし、なんなら返してくださらなくてもけっこうですよ」
「いや、売上げとちがって、これは大金だし、お借りするわけにも――」
「でも、銀行屋には返さなくちゃならないでしょう。返さないと、無形の借りを作ることになる。その方が大きいですよ」
「だからって、オレンプさんにご迷惑をかけるわけにもいかない」
「こうしましょう。ポチさんの助かりということで、一度、お祭りを開きましょう」
「お祭りというと?」
「ばくちの集《つど》いですよ。そこであがったテラ銭を、ポチさんに寄附する。皆、貴方の助かりときけば喜んで集まりますよ。皆も楽しみ、ポチさんも穴が埋まる。八方めでたしでしょう」
ポチはなんとなく、手にした封筒に視線を落した。封筒はひったくられたものとはちがうが、フウ公が演ずるはずだった役を、オレンプが演じているような気がする。ひょっとしたら、吉田屋の竹を使ったのはオレンプではあるまいか、と思えるほどである。
「来週の木曜日が休日の前夜だから、ちょうどいいでしょう。その晩は、ご苦労さまだけど、ポチさんも来てくださいな」
「あたしは、でも、ばくちなんてわからないし」
「ばくちをするんじゃないんです。助かりのご当人として、顔を出してくださるのが礼儀なんですがねえ。たとえ百でも二百でも、テラ銭が貴方にいくんですから」
「あたし、見たいわ」とタマがいった。「やっぱり映画のように、白いシーツを敷くんですか」
「そうですね。盆ござといってね」
「迫力があるウ。刃傷沙汰《にんじようざた》もあるかしら」
「おいタマ、少し黙っててくれ。――そうすると、身体だけ運んで、眺めてればいいんでしょうか」
「そうですね。ああ、そうだ。廻銭《かいせん》というものが必要なんですがね。皆の手持ちの銭だけじゃ場が盛《さか》らないんで、負けたお客に使って貰う銭を用意しておく必要があるんですよ」
「――それは、どのくらい」
「五百万はすくなくともね。一千万あれば、かなり潤沢《じゆんたく》でしょうな」
「一千万――」
「廻銭が多いと、場が盛るから、したがってテラ銭も多くあがるんですよ」
オレンプは鋭い眼で、チラッとポチを一瞥《いちべつ》した。
「なんだったら、乗りかかった船だから、廻銭も立て替えてもいいですがね」
「いや、そうまでして貰っちゃ面目ないから、廻銭ぐらいは自分で作ります」
「そうですか。お困りだったらいってください。遠慮は無用です。ああ、それからね、普通は助かりの人がプロデューサーになるんですが、こちらで万事やっておきますから」
ポチはタマをうながして、支配人室を出た。徹底的にオレンプにふり廻されたようで、頭がふらふらになっている。
ポチは、辛《かろ》うじて自分をとり戻して、対抗策を考えた。誰か、他に、相談相手をつくらなきゃいけない。そうでないと、オレンプ一人のペースになってしまう。
しかし、誰がいいか。
親父はいけない。親戚も駄目だ。揃って固すぎる。
あとはどうも、皆柔らかすぎるようで、信じ難い。
夜になって、銀行の内田から電話がかかってきた。
「ビギナーズラックはどうでしたか」
「駄目だった。どうもツイてなくてね。――ああそうだ。お手すきならば、明日でも家に寄ってくれないかな」
「承知しました。なにかお金の御用ですか」
「うん。まず、あの封筒をお返ししたい。そのうえで、お願いがある」
翌日現われた内田は、ポチから一部始終をきくと、露骨に不快な表情をした。
「そりゃまずいなア。坊ちゃん。どうして他の人に相談なんかするんです。何かあったらこの内田が居るでしょう」
「だって、銀行はもう閉まってたもの」
「そう軽々に誰にでも相談するものじゃないですよ。そのたびに喰いつかれていくんだから。自分のことは自分で、ってことがあるでしょう」
「まア、そうだね。つまり、内田さんに相談するのもいけないことなんだが」
「それで、なんですって。オレンプって人が助かりをやるってんですか。坊ちゃん、そりゃいけない。名前こそ、助かりですがね、ありゃ助からないンですよ。ツイてない頃合いはね、客の払いがこげついたりして、廻銭だって満足に戻ってこないことがあるンですから。そのうえ、一度助かりをやると、他の人の助かりばくちにも行かなきゃならない義理が生じて、ますます泥沼ですよ」
ポチは吐息《といき》をついた。
「じゃア、どうすればいいの」
「おことわりなさい。銀行の返金なんかどうでもいいから、そのオレンプさんに封筒を突返して、いつもいってることをいえばいいんですよ。ばくちは嫌いだからって」
「でも、もう借りちゃったからなア」
「かまいませんよ」
「オレンプを敵に廻すと厄介《やつかい》だよ」
「じゃ、私を敵に廻していいんですか」
「え――?」
「銀行を敵に廻すと、よけい厄介ですよ」
内田はそれからぱッと笑顔になった。
「いいです。私がオレンプに会ってきましょう。その封筒をお預かりして、先方に返してきますよ」
そのまま、うんでもすんでもない。お金のからんだことだから、気になって、弁当屋を開けてからもオレンプのところに電話したが、代りの若い男が出て、今出かけています、というのみ。
翌朝の八時頃、顔に脂《あぶら》を浮き立たせた内田が、よろよろと店に入ってきて、
「坊ちゃん、口惜しい――」
「どうしたの、内田さん」
「負けました――」
ヒーッ、というような深い吐息をして、内田はぎょろ眼から涙を流した。
「オレンプさんの罠《わな》にはまりました。あの人は大変な人ですねえ。坊ちゃんの使いで来ただけだからという私を、一人メンツが不足だから、やれやれっていわれて、私も嫌いな道じゃないが、昨夜は断固としてことわりました」
「それで――?」
「メンバーを埋めてくれなきゃ、話に乗れないっていうんです。連中もこのところエイズ騒ぎで大不景気なもンだから、メンバーが居ないんですね。で、とにかく、坊ちゃんのためだと思うから――」
「まずその前に、封筒は返してくれたんですか」
「その封筒ですよ。銭《タマ》がない、といっても、それがあるじゃないか、というんです。で、私も、一回だけ、といって卓についたんですがね」
「すると、封筒は――?」
「負けたんだから、ばくちで消えました。これはしょうがないんです」
「しょうがないって、あたしは迷惑だな」
「いや、坊ちゃん、安心してください。私のご用立てした最初の百万は、申し上げたとおり、あるとき払いの催促なしですし、オレンプさんの封筒も、あんなものいつでもいいそうです。そこまで話をつけました」
「いつでもいいって、結局は借金にはちがいないンでしょ」
「いつでもいいんだから、気にしなければいいんです。それより坊ちゃん、八百万ほど、金をこしらえなくちゃ」
五
「なんですか、八百万というのは」
「これは一週間ほどで、ツメなくちゃなりません。ばくちの負けはそうしたもので」
「そんなに負けたんですか」
「ばくちの負けとしては、たいしたことないんです。今、一千万単位ですから。しかし私は、堅気《かたぎ》の銀行員ですからね。それに、坊ちゃんの用事で行ったんで」
「いくらあたしの用事でも、ばくちの負けなんか知りませんよ」
「もちろん、坊ちゃんに払って貰おうなんてことは思いません。私はそんな男じゃない。お願いしてるのはこういうことです。この借用証書に、うちの銀行のですが、サインしていただいて」
「あたしが銀行から借りて、内田さんに廻すんですか」
「そう願えますか」
「やっぱり、あたしの金を払うんじゃないですか」
「いや、これは銀行の金です」
「同じですよ。それとも、銀行の金なら返さなくていいんですか」
内田は顔を一寸ほどずらして憤然となった。
「とんでもない。それじゃ私が使いこんだみたいにきこえますね」
「使いこんだらいいでしょう。自分の負けなんだから」
「銀行員に向かって、それは最後の通告ですよ。坊ちゃん、私を怒らせるんですか」
「あたしの方が怒ってますよ。とにかく、貴方の負けは関知しません」
「こうなったら私も引きませんよ。坊ちゃん、私は本来は、こんなことを申し上げに寄る必要はないんです」
「ええ、あたしもきく必要はありません」
「坊ちゃんの名前で、八百万、借りになってるんですよ」
「あたしの名前で!」
「それを心配してるんです。なんとかしないと、お父上にきこえたら――」
「どうして、あたしの名前で?」
「だって、坊ちゃんの封筒で代打ちしてたんだから。しかし安心してください。私は銀行員です。金は腐るほどあります。私の金じゃありませんが」
「とにかく、オレンプに電話して――」
「事務所には居ませんよ。――じゃ、こうしましょう。この借用証書に、二百だけサインしていただいて」
「サインするって?」
「それを使って、明日、私がとりかえしてきます。石にかじりついても。私は無責任な男じゃない。言葉だけと思わないでください」
「あ、オレンプ――!」
店にオレンプが入ってきて、ラーメンください、といった。
「オレンプ、話はきいたけど、この男とあたしは何も関係ありませんからね」
「いやア、ポチさん――」とオレンプが静かにいった。
「まア、おちついて」
「おちつけって、これがおちついていられますか。あたしは、たった一万円、競馬に使いましたよ。その他には何も使ってません。それが、内田さんから百万、貴方から百万、みんなどこかへ行っちゃって、さらにまた八百万がどうだとかいってくるんです。こりゃいったいどういうことですか」
「そのとおりなんですよ」
「そのとおりというと?」
「つまりね。いくら使ったかじゃなくて、いくら借りたか、ですからね。でも実際は、誰も返済を迫ってないんですから、気にすることはないんです。それはそうと、ラーメンやってくれてますか」
ポチは不承不承に、丼にスープをつぎはじめた。
「ああ、昨夜お話したお祭りの件ですがね。会場もメンバーもきまりました。いいメンバーが集まりそうです。それで、廻銭ですがね――」
「ちょっと待ってください。百万、百万、八百万、それで廻銭が一千万ですか」
「一千万あればいいでしょう。あたしが立替えておいてもいいけれど、ご自分で仕切られた方が気持はいいでしょうがね」
「まったくおどろいたな。あたしは近いうちに借金で首を吊《つ》りそうだ。自分はたった一万円使っただけですよ。みんな貴方たちがグルになって」
「グル――? グルですって?」
内田が叫んだ。
「無礼です。銀行を侮辱《ぶじよく》しないでください。私は坊ちゃんの力になりたいばかりに、一心不乱で――」
「内田さん、ここは貴方を立てましょう」とオレンプがいった。「銀行から、ポチさんに一千万ほど融資してください」
「承知しました。それじゃ私も当夜、参加させて貰って、負けをとり戻しましょう」
「そちらで定めても、あたしがサインしなければ駄目でしょう」
「いいえ、お父上のところへ持って行ってもいいんです。息子さんの後仕末ですから」
ポチは飛び上った。
「それじゃあたしは勘当されちまう。勘当された方がいいかな。こんなことになるくらいなら」
そこへ現われたのは吉田屋の親分だった。
「やア、ポチ。昨夜はうちの若い衆が失礼したそうで、すまなかったな。どうもね、いつもきびしくいってるんだが、野郎ども、懐ろがサムいとどうも無考えなことをやるんでねえ。またここんとこ、賭場《とば》も灯が消えたようなんだ」
「――いえ、どういたしまして」
「竹の野郎がね、どこで使いやがったか、べろべろで朝帰りしやがってね。変だから、いろいろききただしてみたら、お前の銭だとよ。この野郎ッていったんだ。貧乏人の銭だったらすぐに訴えられて、御用を喰《くら》ってるよ。今日日《きようび》、俺たちへの風当りはきびしいんだ。ポチンとこみたいな身代だからいいけどね」
「――あたしンとこだって痛いですよ。よっぽど訴えようと思いました」
「ありがとう、よく思いとどまってくれた。そのかわりね、ポチ、うちの常盆《じようぼん》に来てくれたら悪いようにしないよ」
「ばくちなんかやりません。金輪際《こんりんざい》」
「見学に来るだけでいいんだよ。こっちのいうとおり張ってりゃア、いい思いができるんだから」
親分は、オレンプと内田にチラッと視線を走らせながら、いった。
「なにしろ、うちの盆は、廻銭がたっぷりしていることで有名なんだから」
「その常盆はいつですか」と内田。
「今夜さ――」
「それじゃ、坊ちゃんの名代《みようだい》として、ちょっとお邪魔しますかな」
「負けたってあたしは関知しませんよ」
「いい思いをさせる、って親分がおっしゃってるんだから、ねえ親分」
六
結局、弁当屋なんていうケチな商売をやるのがいけない。タマはそういう意見だった。
「ねえ、ポチ、貴方はやっぱり、財産にふさわしい商売をやらなくちゃいけないのよ」
「というと、どういう商売?」
「ホテルを建てるとか、商事会社を作るとか、三井三菱のやるようなことをさ」
「そんな財産があるもんか」
「だって街の人は、現金王っていってるんだから。貴方のパパのことをね。皆が注目してるのよ。なにか甘い汁が吸えるように思って、皆寄ってくるわ」
「そういうふうにいえば、親父の店のそばでやるということが、甘えてたのかもね。誰も知らない街で、裸一貫からはじめるべきだったよ」
「この街だっていいんだけど、スケールの大きいことをやるべきよ。ポチは本当に、大きいことが似合ってるんだもの。商売のスケールさえ大きければ、タカリ屋が来たって、経費で落せるでしょう。弁当屋じゃねえ、ちょっとばくちをやればすぐ潰《つぶ》れちゃうもン」
「よし。あそこの店は閉店しよう。それで、銀座にでも出よう」
「それがいいわね。あたしも手伝うよ。何をやるの」
「弁当屋さ」
ポチとタマは、自分たちの助かりばくちを、並んで見学していた。
「すごいンだねえ、このスケール」
とタマは、札束が右へ左へ揺れ動いていく様子を、頬を紅潮させて眺めている。
「勝負が簡単で、男らしいわね。あたし、好きになりそうだわ、ギャンブル」
「うちの一族にはそんな血は流れてないはずだがね。タマ、もうおそいんだから、帰って寝なさい」
「いやよ。あとであたしも張ってみようっと。ほんの少しだけよ。そんな顔しないで」
盆ござの白布にふさわしく、古式ゆかしい丁半で、籐《とう》の笊《ざる》だから昔のように、ガラガラポーン、といかず、サラサラチャーン。
先夜の詫《わ》びだといって、紋々の竹が無賃で出方を買って出ている。
「ハイ、五二《グニ》の半です。半方の勝」
ポチが気が気じゃないのは、張り子に並んで張っている内田が、やっぱり取られ続けていて、相当に廻銭を喰っていることだ。内田に廻銭を使われたんじゃ、上客がそれだけ廻銭を使えなくなる。
「私は銀行ですから、日本じゅうの金を全部とり押さえていますから。エヘヘ」
ご機嫌で、
「すンません、胴元、もう一丁放ってください」
「オレンプさん、内田さんに手をとめるようにいってくださいよ。湯水のように使っちゃうよ」
「そうですね。内田さん、じゃ、この一丁で、あと少し気を抜きましょう。波がまた変りますからね」
オレンプは例によって柔らかい。
場況というものはその日によってちがうけれども、当夜は、ニューキャバロザリー≠フ店長の小池と、金貸しの岸田が大好調で、最初から銭を集めてしまい、好調と不調がはっきり色わけされてしまう。こういう夜は、主催者側は苦しい。勝組は銭を掬《すく》いとって、なんとか理由をつけながら早く帰ってしまうし、廻銭ばかり喰っている負け組は、なかなか立たず、したがって傷が深くなって、廻銭の回収にさしつかえんばかりになる。
一千万の廻銭が、三時頃底をつき、場が貧弱になるから、勝組から五百万ほど現金を注入して貰って、いっときそれで賑《にぎ》わったが、たちまち一人のところに集まってしまう。
ポチの心知らずで、タマが見よう見真似で途中から加わって、これまた廻銭の無駄喰いをする。
「あたしの貯金をおろすからいいわよ」
「そんな問題じゃない。もうやめなさい、タマ」
「いや――。ポチ、案外小さいのね」
朝方、お開きになったとき、ポチはオレンプの隣りでうつむいていた。
「どうもね、ポチさん、お疲れでした」
オレンプは、ふうッと吐息をつきながら、
「廻銭の出具合は、そこにきちんとつけてあります」
紙片に、構成メンバーが書かれ、それぞれの名の下に、正の字が記されているが、そんなもの、ポチにはただの紙片にしか見えない。
「それで、テラ銭の方は――?」
「テラは、これです」
やはり紙片が廻ってくる。暗号みたいなものが縦横に記され、端《はし》っこに数字があって、まるく囲みがしてある。
「四百九十八万四千円。ざっと五百万ですね」
ポチはテラ箱をのぞいてみた。空っぽで、一銭も入ってない。
「どうも廻銭が不足で、テラも残らず廻銭に出てますよ。こういう晩もあるんです」
すると、ポチが持ってきた一千万、途中で注入した五百万、その他にテラの約五百万、都合二千万が消えちゃったことになる。
「けれど、それはすべて廻銭で出ているだけですから、すぐに戻ってきますよ。ポチさんはやっぱり、約五百万の儲《もう》けなんです。あたしは只働きですがね」
そういわれても、金がここにない以上、ポチにはただの鼻ッ紙にしか見えない。
「今夜の客を、催促して廻らなくちゃならないンですか」
「いや、それはもちろん、あたしがやりますよ。ポチさんはただ、金が戻るのを待ってればいいんです」
それから十日ほどして、ポチが悄然《しようぜん》たる恰好で、満月の調理場に入ってきた。
「親父さん――」
「何かね」
「――俺、借金を作ったよ」
満月老は、大鍋から眼を離して、ゆっくり息子の方をふりむいた。
「借金――!」
「ああ。街の人たちにだまされちゃった。ばくちをね――」
「ばくちをやったか!」
「いや、一万円、競馬を買っただけだ」
「最低の糞野郎。これで、借金を払ってこい」
満月老はレジから一万円を抜いて息子に渡した。
「いや、借金はその話とは別さ。最初の百万、次の百万、内田の八百万、廻銭の千五百万、ええと、二千五百万、かな」
「勘当だ。すぐに区役所に行って籍を抜く。お前、もう息子じゃない。二度とここへ来るな」
満月老は悪鬼のような顔つきになった。
「勘当は覚悟してる。それで払ってくれるかい」
「チョンボ野郎。わしは関係ない。お前も払うな。懲役《ちようえき》に行って、それで帳消ししてこい」
「でも、皆、親父さんのところへ押しかけてくる」
「誰が――」
「オレンプとか――」
「あのイカサマ野郎か。誰が払うかい」
満月老は、満々たる太鼓腹を波打たせて、はじめてオレンプたちの会員制クラブに顔を出した。
「ちょっと、あンた――」
満月老は、まずどなった。
「今度の一件に、わしをかつぎだそうとしても、無駄だよ」
「どうしたんです。おじさん」とオレンプ。
「誰があンたのおじさんなんだ。いいかね、あンたたちがカモにしたあの馬鹿は、もう息子でもなんでもないんだ。ただの弁当屋さ。あンたたちは一銭もとれない」
「誰も返せなんていってませんよ。そんなもの、いつだっていいんです」
「よくない。全部、帳消しだ。ゼロだよ。わしとあンたとは、何の関係もないんだ」
「そいつはどうかな。返せといわないだけで、ポチさんのしたことは、したことですよ」
「それなら、訴える」
「ほう、どこへ――?」
「警察へさ。あンたたちのしたことを全部バラすよ」
「あたしたちは、何もしてませんよ」
「ばくちをしただろ。常習ばくち。それだけだって、街の連中、一網打尽《いちもうだじん》よ」
「警察へ入るくらいならいいですよ。おじさんさえ払ってくれれば」
「なんだと! ばくちの金なんか、払わなくていいんだ。法律はそうなってる」
「法律はそうでも、払わないとこの街じゃ生きていけませんよ。いくらおじさんでも」
「私は平気だよ。財産全部持って、一人で中国に帰っちゃう」
「あたしも行きますよ、中国へ」
「二千五百ぽっちの金をとりにか」
「おじさんの財産が喰えるうちはね」
「なんで、この孤独な老人を狙うのかね」
「なんだかしらないが、そうなっちゃったんです。返せとはいわないが、返してくれるまで離れません。その出費の方が大変でしょう」
満月老は両手を拡げて、くるりと一廻転した。
「よし、それじゃ、やってやるよ」
「何をですか」
「勝負さ。一発勝負だよ。二度とはやらない。わしが勝てば、ゼロ。あンたが勝てば、二千五百、払ってやる」
オレンプはにこにこ笑った。
「おじさん、ばくち、やるんですか」
「わしのはばくちじゃない。勝負さ。――おい、この部屋にサイコロがあるだろ。一番大きい奴を持って来てくれ。一個でいい」
バックギャモン用のサイコロを誰かが持ってきた。
「これを、あの壁に向かって投げる。壁にぶつからなければ駄目だ。それで出た目の大きい方が勝ち。わしの若い頃、上海《シヤンハイ》でよくやったもンさ」
「なるほどね、いいでしょう」
「あンたからやりなさい。一回だよ。やり直しはきかん」
オレンプは無雑作に投げた。サイは壁に当ってはね返り、■を示した。
満月老はそのサイを拾って戻ってきた。
「わしのは少し、モーションが大きいよ」
野球の剛腕《ごうわん》投手のように、腕をぐるぐる廻し、片足をあげ、肥満体《ひまんたい》を一廻転させるようにして、投げた。
サイだけでなく、満月老の身体も一緒にすべるように転がって、壁近くまで行った。壁に当ってはね返ったサイが、ちょうど身体の陰になって見えない。
「六だ。わしが勝った――」
満月老ははね起きた。サイの目を直したようには見えなかったが、とっさのことで、何をやったかよくわからない。
オレンプは、キナ臭そうにそのサイを眺めていた。
「二千五百が、ゼロさ。どうだい、わしの腕は」
満月老は会心の笑みを浮かべていった。
「日本に来てから慎《つつし》んでたが、勝負も、たまにはいいものだな――」
世の中にはときどき変なことが起きて、番狂わせがおきることがあります。例えば、戦争、地震、最近ではエイズがそうで、不夜城のセクシーゾーンがグラッと来ました。
けれどもオレンプのような存在は安泰です。彼はいつもトップにおどり出ませんから。二番手がいいんです。押し出されてトップになっても、またすぐ二番手にもぐりこみます。オレンプが必死になるのは、三番手に落ちる危険性があるときだけです。
ところで、ハワイはいいですね。うちのカミさんも何かというとハワイに行くんで、困ってます。
南一局 博徒出陣《ばくとしゆつじん》
一
今、全国の歓楽街《セクシーゾーン》でかすかな震動が起きている。エイズ騒ぎで閑古鳥《かんこどり》が鳴きはじめたソープランドの経営者《オーナー》たちが、貯えた資産をなんとか四散させずに、別路線に転向しようとして、ゾバゾバしている動きだ。
昨日まで、つまりエイズ騒ぎが起きる前までは、彼等は王侯貴族だった。警察も、税務署も、その陰湿な世界になかなかメスをいれにくい。儲《もう》けた証拠を示さないために、彼等は銀行筋と取引きせず、現金だけを握りしめる。溜《たま》りに溜ったその現金が、あるときはサラ金や暗黒業種の資本に廻り、またさまざまなセクシー産業の拡大に使われる。そうしてまた鼠算《ねずみざん》式に増える。
誰も彼等を撃てる者は居なかった。このまま行けば彼等の王国ができる。国歌も国旗もないけれど、強大な暗黒王国が。
そこへ、エイズである。
やくざ衆だとか、盛り場の別の部門の人たちが、口をそろえていいだした。
「天罰だよ。奴等に天罰がくだったんだ」
奴等とは、セクシーゾーンのオーナーたちのことである。
火事の前の鼠のように、彼等の動きは速い。表面はさほど変らないけれど、これまでのオーナーたちは、王国から直接間接に手を引きだし、次の動きを決めるまでベンチに退っている。現在それに代っているのは、代理に準ずる者か、従業員の頭株《あたまかぶ》か、火事場泥棒的な第三者が、それぞれの思惑で、及び腰ながら居坐っている。
で、我がオレンプが支配人をしているWindserであるが、オーナーママのコニイは、ハワイにある別荘にしばらくひっこもうとしている。
Windserは、古株の紀美子という女性に、捨値でゆずったらしい。ゆずったといっても店の権利だけで、建物や土地は依然握っている。
「オレンプ、あんたも行くのよ」
「どこへ――?」
「ハワイさ。あんただってしばらく休養がいるわ」
「ハワイへ行って、何をするの」
「きこえなかったの。休養よ」
「休養って、ママと抱き合って遊ぶことですか」
「嫌だとはいわせないわ。あんたはあたしと離れたら生きていけないでしょう」
「――ママは、あたしと一緒なら、生きていけると思ってるんだな」
「どういう意味よ、それ」
オレンプはいつもの微笑をうかべた。
「あたしも年でね。ママのお相手だけというのは辛《つら》いな」
「フン、よくそんな口がきけるもんだね。あたしの恩も忘れて」
「あたしはあまり恩に着ない性分だから」
「オレンプ、まさか忘れてないでしょう。あんたは、あたしの亭主を殺したのよ。それで懲役《ちようえき》に何年も行ってきたんでしょう」
「そうですよ、そのとおり」
「五十歳の遊び人なんて一文の値打ちもないのよ。それをひろったのは誰?」
「ママさ。覚えていますよ」
「のぼせあがらないでよ。あたしの前で一丁前の口がきけると思うの」
「ハワイにばくち場はない。あそこはね。パイナップルの専売とひきかえに、ばくち場は開かないという約定《やくじよう》を、ネヴァダ州と取り交してるんです。そんなところで、あたしが何をして暮すんですか」
「地下賭場くらい、あるでしょ」
「あるかもしれないが、向うのボスが居て、向うのルールです。こちらはただの旅の客」
「へええ、それじゃあんたは店に残るとでもいうの」
「さァね、それもつまらんな」
「ばくち打ちに戻るの。冗談じゃない。老いぼれがたちまちコロされちゃうわよ」
「あたしも、そろそろ死のうかと思うんだ。もう死んでもいい頃ですよ」
オレンプはパイプをくゆらしながらそういった。
「死に水だけはとってあげるわよ。だからハワイに行くの。ハワイが退屈なら、そこからまたどこかへ行ったっていい。カリブ海だろうと、西印度諸島だろうと、自由自在よ。あたしは一生使いきれないくらいのお金はあるんですからね」
「自由自在か。そういいますがね、面白そうなところは、たいがいエイズの巣だよ」
「それじゃ、南極で、マンションでも買うわ」
「ママは、ここに居りゃママですがね。ここはカスバみたいなものだから。一歩外に出ると、ママでもなんでもありませんよ。ただの肥《こ》えた牝鶏《めんどり》みたいなものです」
「あたしが牝鶏? 自分は何さ」
「社会につくしているわけでもない、税金も払ってない、国家権力と手を握ってるわけでもない、それじゃ誰も守ってくれないのが当り前。あたしは鶏ガラみたいなものだから大丈夫だが、ママはうまそうだからね。すぐに焼鳥になっちゃう」
「誰が、焼鳥にするの?」
「誰だってそう思うよ」
「そこをオレンプが守ってくれるんじゃないの」
「あたしは老いぼれだから」
「老いぼれでも、命をかける義務があるわよ。あんたはあたしの亭主を殺したんだから」
オレンプは、紙縒《こより》をとってパイプの穴掃除をはじめた。
「――それを考えてるんだ」
「考えることなんかないでしょ。それ以外にあんたの生きる道はないわよ」
「だから、それをね、考えてるんですよ」
オレンプは陰気にいった。
二
オレンプが支配人をやめるときいて、まずフウ公が現われた。
「ねえオレンプ、今、何がやりたい」
「――何がやりたいかって?」
「うん――」
「どういう意味なのかな」
「いや、つまりね。吉田屋の親分さんがそういうんだよ」
「ああ、そうか、わかった」
「親分がね、オレンプのやりたいことをやらせてみたいな、って」
「つまり、身内にならないかってことでしょう。あたしはね、フウちゃんの前だが、昔から刑事とやくざが嫌いでね」
「親分も新らしいスタイルの地下賭場をやりたいらしいのさ」
「そりゃ駄目だ。タイミングがもうおそすぎる。今、何かはじめようってときじゃないですよ」
「駄目かね」
「駄目ですとも」
現金王満月のおやじさんも来た。
「やめるんだって、オレンプ」
「ああ、もう隠居ですよ」
「いいことだよ。隠居はいい」
「ピーナツでもかじりながら、推理小説を読みますよ」
「あたしの店でもゆずろうか」
「え――?」
「固い商売やりなさい。年とったらそれに限るよ」
「おやじさんはどうするの」
「あたしも隠居して山東省《くに》に帰るよ。故郷で死ぬのがあたしの夢だ」
「盛り場を見限ったね。おやじさんがやめた後じゃ、もう草も生《は》えないでしょう」
「オレンプならできるよ。安くゆずってあげる」
「せっかくですが、堅気《かたぎ》になる気はありませんねえ」
「エイズは革命と同じよ。遊び人なんか生きられないさ」
「だから面白い」
「――なんか計画があるのかね。だったら、相談に来なさい。あたしもひと口乗ってもいい」
「なんだ、隠居するンじゃないンですか」
ロザリーの店長の小池は、もう泣かんばかりだった。
「助けてよ、オレンプ。売上げが半分になっちゃったよ」
「エイズに勝つ知恵は、なかなかありませんねえ」
「女商売が駄目になるとはねえ。オレンプが何か一旗あげるんなら僕をスカウトしてよ。なんでもやるよ」
「あたしは隠居さ」
「隠居の手伝いでもいい」
オレンプが主宰《しゆさい》していた例の代打《だいうち》麻雀はほとんど場が立たなくなった。馬主《オーナー》側がそれどころではなくなったからだ。そのかわり、小規模なメンバーは集まりすぎる。地元商人たちをふくめてなんとなく閑《ひま》なのだ。しかしオレンプが現われないから、場が開かない。
Windserのママがハワイ行の荷造りをしている最中に、家電屋が現われた。
「なんだい。マルコスの真似かい」
「うるさいわね。いそがしいのよ。何しに来たの」
「オレンプは?」
「あの人の番人じゃないわ。勝手にお探し」
「オレンプにいい話があるんだが」
「あたしの知ったことじゃないわよ」
「機嫌がわるいな」
オレンプがパイプをくわえながら、部屋の入口に立っている。
「よゥ、箱根でこれのいい場が立つよ。行ってみないか」
家電屋は内ポケットに手を入れる真似をした。
「いつですか――」とオレンプ。
「二十日の晩」
「じゃ、駄目だ。ママをハワイに送ってかなきゃならない」
「送ってくだけかい」
「ええ。あたしはトンボ帰りさ」
「ママだって子供じゃない。あとから行けばいいだろう」
「ママは用心棒が必要さ。なにしろ現金をばっちり持っていくから」
「おや――? そりゃオレンプが居たらかえって危険だよ。我々も行こうか。ツアーを組んで」
「何をいってンのよ。オレンプはね、あたしを守る義務があるの」
家電屋はキナ臭い顔になった。彼は手招きをしてオレンプをそばに呼ぶと、その肩を抱くようにして廊下に出た。そしてほんの二、三分、話をしたようだった。
「なんの話だったの――?」
「チャッカリしてる。あたしの留守の間、例のマンションを皆で使っていてもいいか、だって」
「あの連中が、ほんとにハワイに押しかけてきたら、いやねえ」
「まさか、皆、仕事がありますよ」
「ねえ、予定を変えようかしら。三日ほど早めて、誰も知らないうちに居なくなりましょうよ。なんだったらハワイの前に、どこかへ寄ってってもいいわ。そうすりゃ誰も」
「まァまァ、そう神経質にならずに」
「いやなのよ。ハワイに行ったら、これまでのことなんか、さっぱり忘れたいの。元貴族って顔して暮したいんだから」
「さしずめ、あたしは家令かな」
ママもやっと笑顔になった。
「そうよ。家令兼愛人兼用心棒よ」
三
ホノルル空港までは上機嫌の旅だった。
「ああ、もう日本に帰りたくない。ずっとこっちに居るわ。何もかも忘れて新らしい私になるの」
「それがいいよ」
「オレンプもそうすればいい。もう帰らないで、こっちに居なさいよ」
「そうもいきませんねえ。ママの東京の家だってそのままになってるし、いろいろ後仕末がありますよ」
「なんとでもなるでしょう。東京の不動産屋に電話すればすむこと」
「あたしだってね、裸一貫じゃない」
「アラ、裸一貫じゃなかったの」
「それは出所したときのこと。あたしだってばくち打ちだもの。ただママに寄りかかっていたわけじゃないよ」
「けしからん人ねえ。あたしを放っといて、あんたの個人資産なんか、認めないわよ」
「わかった。あたしはママを不幸にさせたんだからね」
「当り前でしょう。ほんとに自分勝手なんだから」
税関検査をすませて到着ロビーにさしかかったママが、不意に足をとめた。
「何よ、あれ――」オレンプをふり返って、
「連中じゃないの」
「ははァ、本当だ。皆、来てるなァ」
家電屋をはじめ、ヤー坊、ズンベ、カマ秀、株屋のピーさんと愛人ゆみ、ノロ、いつもはヒロポン係の医者と看護婦まで来ている。
「よォ、大統領!」
「待ってやした!」
「トルコの女王!」
一列に並んでいろんなことをいってる奴等を等分に見渡して、ママは一応強気に、
「皆さんご苦労さまね。いったい何の真似なの、これは」
ヤー坊がレイをママの首にかけた。
「身体ひとつかい」
「荷物は別送よ」
「金は――?」
「現金を持ち歩くわけないでしょ」
「ほう、しっかりしてる」
笑声がおきた。なんだか冷ややかな笑声だ。ママはオレンプをふり向いた。
「あんたの手配なの」
「冗談じゃない」
「では、なぜこの便で到着することがわかったの」
「便|毎《ごと》に待ちましたよ。女王さまをお迎えにね」とズンベ。
「ママの別荘も昨日見ておいた。あとで行くよ」と家電屋。
「来なくたっていいわよ」
タクシーに乗りこんでから、
「オレンプ、何を考えてるの」
「いや、何も」
「あんたの手配でしょ」
「連中が居て、あたしがトクすることはひとつもありませんよ」
「なんだか知らないけど、気分がわるいわ。連中が来ても別荘へ入れないでね」
「どうして」
「ただの遊山《ゆさん》で連中が来るわけないわ。何かあたしをカモにするためでしょ。あんたがいったじゃないの。カスバを出たら、ママはただの肥えた牝だよって」
「しかし連中に何ができますか。ママを殺して、財産を分捕るか、ヘッ」
「じゃ、連中は何を考えてるの」
「そりゃわからん。しかし、現金は、バンク・オブ・トウキョウだ。別荘なんかたいした金額じゃない。殺したって何もとれませんよ。ご安心なさい。――いや、そうでもないかな」
「なんですって――」
「保険に入ったね、ママ」
「保険? 入らないわよ」
「いや、入ったよ。サインをしたでしょう」
「サインは、オレンプのいうとおり、出国までにいくつもしたけれど、あの中に保険もあったの」
「そういったじゃないか。金額まで相談したよ」
「嘘《うそ》。冗談いわないで」
「忘れたんですか。しかし何もなければそれでいいんだ」
「金額は、いくらなの」
「一億円」
「――受取人は、誰?」
「あたしさ」
ママは、きっとなってオレンプをみつめた。
「しかしね、ママ、その点でいえば、連中が来たのは、あたしにとって邪魔さ。あたしがその気なら、ママと二人きりの方がいい。そうでしょう。わるく考えると皆が泥棒に見えます。あたしがママを不幸にするわけにいかない。安心していらっしゃい」
ママはこわばった表情を崩さなかった。
「それよりもね、ママ」とオレンプは優しくママの肩を抱きながらいう。「ちょうどいい。連中が来たんなら、ゲームルームを一部屋作ろうよ。あたしも退屈しなくていい。連中をばくちでカモってやろう」
オレンプの横顔からは何の表情もうかがえない。たった六時間ほど、飛行機で飛んで来ただけだが、オレンプばかりでなく、どの男の声音も、鬼ケ島セクシー街に居たときと、別人のように変っているようだ。
「おかしいわねえ――」とママはいった。
「でも、もうしょうがないわ。あたしだって負けないわよ。特にオレンプ、あんたが悪さをしたら、きっと化けて出てやるからね」
四
別荘はホノルル空港から南下したカハラという静かな別荘街にあって、いかにも住み心地がよさそうだったが、どやどやと闖入《ちんにゆう》してきた男たちで、一挙《いつきよ》に花園が踏み荒されたようになった。
ママは、株屋の愛人ゆみを相手に、こういってこぼしたものだ。
「こんなふうになるなんて、予想もしなかったわ。現地で下男や女中を雇《やと》って女王のように暮すつもりだったのよ。日本人オフリミッツでね。日本人なんか皆玄関払いを喰わしてやるつもりだったのに」
「でもいいわ。ホームシックにならなくて」
「何がホームシックよ。これじゃ、あたしはまるっきり女中だわ」
「テラ銭をとってるんだから、仕方ないよ、ママ」
オレンプは妙に張り切っている。連中が別荘に現われたとき、開口一番、
「皆さん、何をもくろんでいるのか知りませんが、とりあえず遊びましょう」
それで鬼ケ島のときとそっくりそのままの麻雀がはじまってしまったのだ。
「いいですか。ハコテンになった人は、未練を残さず日本に帰るんですよ。お互いの融通《ゆうずう》は無し。皆、順々に消えて、最後に勝ち残った一人は、何をしようと自由」
「冗談いわないでよ。あたしはおことわりよ」
「自由たって、ママ、まさか身ぐるみ剥《は》いで海へ捨てるわけじゃありません」
「なんだろうと、おことわり」
「あたしでもかい。ママ」
「オレンプ、何のつもりか知らないけど、ここの主人はあたしだってことを忘れないで」
「一日か二日で、皆、消えます。なんならママ、残った一人を、ママが喰べたっていいんですよ。それくらいのことはやってきたでしょう」
「いちいち気にさわることをいうわね。オレンプ。あんたもクビよ。出て行きなさい」
「あたしが居なくて、誰がママを守る」
麻雀を眺《なが》めていたヤー坊が、すかさず立ってこちらへ来た。
「それを賭けようよ、皆」
ヤー坊は生き生きとした表情でいった。
「ここに居る間、オレンプが、ママを守るか、それとも、殺すか」
どっと笑声がおきる。
「これは相当に面白い賭けだよ。ママ、いいアイディアだろう。ママにとったって有利だ。オレンプは、すくなくとも殺しにくくなるはずだし」
「あたしが殺されることが、そんなに面白いの」
「そうじゃない。いろんな意味で牽制球《けんせいきゆう》になるだろう」
「あんたたちは皆、あたしが殺されそうだと思って来てるのね。オレンプに」
「殺すというのは、おだやかじゃないね」
と家電屋がいう。
「殺すだの、殺さないじゃなくて、オレンプが、結局、ママの貯めたお金を剥《は》ぎとるか、剥ぐのに失敗するか、それに賭ければいい」
「よし、じゃァ、記名投票だが、誰にも見せないでください。この箱に入れて、テープでふさいでしまおう。さァ皆さんどうぞ」
「あたしも投票するのかい」
「もちろんだよ。オレンプ」
「何を賭けるんだ。それにもよるぜ」
「そうだね。負けた方は、向う一年間、あがり一飜《イーフアン》落ちのハンデをつける」
「まだるっこいね。勝った方が、ママの財産をわける」
また、ドッと笑声がおきた。
「それじゃ、どっちみちママは剥《む》かれちまうのか」
オレンプがもう一度質問した。
「かりに、万一、ママが殺されて財産をとられたら、即、あたしが殺したことになるんですか」
「それは司直の判断だな」
「それじゃ、いっそのこと、こうしたらどうなの」とママがいった。「オレンプじゃなくて、誰でもいい、あたしの財産をとれるか、それともハコテンでこの島を出て行くか、一人一人とやりましょうよ」
「ママ、全員を敵に廻すつもりかい」
「どうせ全員じゃないの。でも、そうしたら、ひょっとするとオレンプが守ってくれるかもしれないわ」
それからママは椅子につんのめって烈しく泣いた。
「ああ、なんで私ばっかり苛《いじ》めるのよ」
「ママ、冗談よ――」とゆみがいった。「皆でからかってるのよ。もうそんな話やめましょう。麻雀を続けたらどうなの」
ゆみはヤー坊にもいった。
「ヤー坊、冗談がきつすぎるわよ」
「でも、皆、オレンプがママを剥ぐだろうと思ってるよ。どうやって剥ぐか、それを見に来たんだから。こうやってコクを増して、オレンプの芸に箔《はく》をつけてやるんだ。面白いじゃない」
ママは頭を押さえて寝室にひっこんだ。
まもなく、軽いノックの音がした。
「誰――?」
「オレンプ」
「一人なの――?」
鍵をあけてから、
「まさか、もう殺しに来たんじゃないでしょうね」
「まだ気にしてるのかい。あんな冗談ぐらい慣れてるでしょう」
オレンプは窓のところに立った。
「ああ、いい夜風だね。――麻雀の音もこの部屋にはきこえないし。やっぱり大きな家はいいね」
「あんたたちさえ居なければね。ここはお城の筈《はず》だったのに」
「あたしもね、ここへ来てから、やや考えが変りましたよ。なにもばくちばかりが花じゃない。たまには、休養してみるのもいいかもしれないね」
「ねえ、オレンプ――」
とママはベッドをぽんぽんと叩いた。
「ここへいらっしゃい。さっきあれだけ苛めたんだから、少しやさしくしてくれてもいいでしょう」
「どうも今夜は、ばくちに乗らなくてね」
「ツイてないの?」
「なんだかファイトが出ないんだ。ここで、もう寝ようかな」
「それがいいわよ。連中が居続けるようなら、警官を呼ぶから」
「それはシャレにならないぜ」
「お互いさまじゃないの。第一、不法侵入なんだから」
「警察ごとになれば、ママだってヤバイだろう」
「ハワイの警察が何も知らないわ」
「すくなくとも捕まった連中がなにかいいますよ」
「――じゃ、いいわよ。オレンプ、抱いて――」
「うん。今夜は疲れてるだろうから、ぐっすりおやすみ」
「眠れないわよ。でも、何もしなくていいから、じっと抱いてて」
ママは眼をつぶってからいった。
「オレンプ――」
「――イェッサー」
「これだけは覚えていてね。あんたは、あたしの亭主を殺したんだってこと」
「――忘れちゃいないよ」
「あんな経験、二度といやでしょう」
「ああ、いやですね」
「あたしを殺さないわね」
「ああ、殺さない」
「よかった――」
ママは少女のように呟やいた。それから突然、かっと眼を開いた。
「ええ、あんたはあたしを殺さないわ。殺せないわよ。でも、連中の誰かにあたしを殺させるように仕向けるわ。そのために保険をかけたでしょう。それで連中を呼んだんでしょう」
ママの唇を、オレンプの口がふさいだ。
「――とにかく昂奮してるよ。もう寝なさい。何も考えずに」
「あたし、あんたをみくびってたわ。皆がなぜ一目《いちもく》おくのか不思議だったわよ。馬鹿ねえあたしって。あんたのボスのつもりで。あんた、知ってる? あたし、天涯孤独よ。保険なんかかけなくたって、あたしの持ち物は、万一のことがあったら、全部あんたに行くようになってるわよ」
「そりゃ有難いね」
「アラ、私、また馬鹿なこといったかしら。なおさら私が死ぬといいわね。保険も財産も両方|貰《もら》えて」
五
朝方になって、麻雀からポーカーに種目が変った。
いつもグレハマが多い家電屋が好調でご機嫌だ。反対に、株屋のピーさんが不調で、早くもタネ銭が尽《つ》きた。
「よし、銀行に行って送金させよう」
「駄目だよ。ハコテン脱落の約束だよ」
「借りるわけじゃない。自分の金だぜ」
「それじゃきりがない。ここは約束どおり、お帰りを願いましょ」
くそッ、とピーさんは立ち上った。
「おい、ゆみ、いくらかタネを廻さないか」
「いくらも持ってないわよ。買い物もあるし。ここまで来てばくちやらなくたっていいじゃないの。それより今日一日、泳いだりして帰ろうよ」
やっぱり不調組のズンベも、一緒に立ち上った。
「俺ァ寝る。ツキが変るまでな。なにもベタにやってなくたっていいんだろ」
「いいけど、この部屋で寝た方がいいんじゃないのか。ひょっとしてママが死んでると、ヤバイことになるぞ」
「オレンプだってここに居ねえや」
そのオレンプが、寝起きの蒼《あお》い顔で部屋に入ってきた。
「ははァ、ポーカーですか。どうです、戦況は」
「家電屋《おつさん》がカイてるよ」
「いやァ、カマさんもいいんじゃないの」
「オレンプ、顔が蒼いぜ。もう殺《や》ってきたんじゃないのか」
「馬鹿いっちゃいけません。そう皆さんの思う壺にははまりませんよ」
そのまま誰も寝ないで、昼すぎにはまた麻雀になった。接待役は医者に従《つ》いてきた看護婦で、彼女もばくちが嫌いでないらしく、寝ないでお茶当番をつとめながら、ときに差しウマに乗ったりしている。
ポーカーでわるかったカマ秀が、腰の重さを発揮して二連勝。あとから加わったオレンプがまァまァの出来。夜に入って家電屋と医者が寝て、ズンベが起きてくる。ノロちゃんはマラソンが利く体質で、まるで寝る気配がない。
カマ秀が退ぞいて、ひとりで酒を呑みだした。腹がへると、てんでに立上って、看護婦が買ってきたハムとパンを口に入れる。
「おかしいな――」とカマ秀がいった。「ママが顔を見せないね。どうしたんだろう」
「とっくに起きてる筈ですがね」
とオレンプ。
「どれ、ひとつ様子を見てきてやろう」
カマ秀がズボン下のまま立ち上った。
広い家の中だ。玄関に続く大広間の扉をあけると、正面の奥の大きな椅子にママが一人坐っていて、じっとこちらに視線を向けていた。卓上のグラスに蒼い色の飲み物がおいてある。
「一人じゃ、淋しいだろう」
「一人がいいのよ。――今、世話人のジョージが帰ったところ。召使を手配して貰ったわ。早ければ明日にも来るでしょう」
「なんだい、その酒」
「カクテルよ」
「俺も貰おうか」
「面倒くさいわ。一人で好きなものを飲みなさい」
カマ秀はブランデーを自分でついだ。
「誰が勝ってるの――?」
「株屋《ピーさん》はゆみを連れて出て行ったよ。医者《ドクター》も、もうハコテン寸前だ。アベックはどうしても女に気が散るから」
「あんたたちは気が散らないの」
「女はばくちに勝ってからだ」
「でも、ハコテンになったら、女も買えないわね」
「ここに居るさ。年増が」
「あたしは金じゃ買えない」
「金じゃ買えなくとも、いろんな方法があるだろうぜ。強姦まであるさ」
「明日、召使が来てからそのセリフをいってごらんなさい。一言で叩き出されるわ」
カマ秀は野づらな顔つきで、ニッと笑った。この一行では彼だけが専門の麻雀打ちで、長年しのいできた度胸も腕っぷしもある。
「ママは、誰が勝ち残ると思うかね」
「さァ、ね」
「誰に勝ち残ってほしい」
「どういう意味なの」
「誰にしろ、勝ち残った奴が、危険だろう」
「あたしって、そんなにまだ魅力がある?」
「だって、それを楽しみに、皆、来てるんだろうからな」
「ヤー坊やズンベも?」
「もっとも、銭だけさらって、身体は喰い残していくかもな」
カマ秀はもう一杯、ブランデーをついだ。
「賭けようか。誰が残るか」
「本当に好きね。賭けるのが」
「さっきの賭けは意味ない。誰が、勝ち残るか、まずそれを当てなきゃ」
「あんたは、さっき、どっちに賭けたの? あたしが剥《む》かれるか。剥かれないか」
「きまってるだろう。ママは剥かれない」
「へえ、そうなの」
「殺されもしない」
「――どうして?」
「俺が勝ち残っているから」
「あんたが、あたしを守ってくれるっていうの」
「皆、多分そうじゃねえかな」
「一人になるまでやるの?」
「それはどうかな。成りゆきだろうぜ」
「誰が勝ち残るかっていえば、そうね、まずオレンプ」
「どうして――?」
「ハコテンになかなかならないわ。あたしのお金を流用するだろうから」
「あいつに流用されて黙ってるのかい」
「オレンプは、あたしを殺せないわ。すくなくともあんたたちにくらべれば」
「よし、じゃ賭けるか」
「――何を賭けるの」
カマ秀は胸のポケットから通帳を出して投げた。
「これと同額。――俺がばくちでやっと貯めた隠し預金だ。但し、ママの金は流用させない」
ママは通帳を開いて額面を見た。
「いいわよ」
「よし。どっちにしてもわるくないよ。俺が勝ち残れば、ママは安全だ」
「強姦まであるんじゃないの」
「口ではいうもののな。強姦はやりたいが、できないよ」
それだけいうと、少し寝てこよう、といってカマ秀は去っていった。
翌朝、ママのベッドの中に、男が倒れこんで来た。身体が触れ合っただけで、ママは夢うつつでいった。
「調子はどうなの――?」
「どうも、ファイトが入らないよ。どうしてだろう」
「――負けたの」
「負けたわけじゃないが」
「カマさんが乗ってるんでしょ」
「それに、家電屋もツイてる」
「カマさんが、あたしを守るっていってきたわよ」
「ほう――」
「ばくちも、いいかげん飽きるでしょう」
「そんな感じですね。――白状すると、連中はあたしが呼んだんだがね」
「そうだと思った」
「ハワイにただ来たってつまらんからさ。あたしが何かワザをするだろうと思わせて、ここまで引き寄せた。ばくちでカモるつもりでね」
「それが眠くなっちゃったのね。珍らしいわね。あんたが負けていて眠くなるなんて」
「年齢《とし》かな――」
「気持はわかるわよ。わたしが昨夜、妙なことを口走ったからでしょう。私の財産が、あんたにいくようになってる、って、あの一言が利いたんだわ。未来が安定したら、老けこむわよねえ」
「――――」
「あんなこと嘘よ。あんたに味方になってほしかったのよ。でも、ここで私にやさしくしてくれたら、本気で弁護士と相談するわよ」
「――――」
「ねえオレンプ、あんたはもう体力がないんだから、決着が早くつくといいわね」
六
三日目の夜、オレンプ、家電屋、カマ秀、ヤー坊、この四人が残っていた。この四人で麻雀を打ち続ける以上、誰も休まずにこのまま打ち続けなければならない。
「どうもじれったいな。レートを十倍にしようか」とカマ秀。
「それはないよ。急に変えるなんて――」
と若いヤー坊が異議を唱える。
「もう一人消えて、麻雀ができなくなったら、別種目で大きくやる。それならいい」
勝ち残っている以上、四人ともかなりの金額を懐中にしているかというと、そうでなく、ほとんどカマ秀と家電屋がとりこんでいて、オレンプとヤー坊は、ハコテンになってないというだけのことだった。
しかしオレンプはあきらかにやる気を見せてきた。その証拠に摸打《もうた》の手さばきが早くなっている。ツモった牌がスルリと手牌の中に入り、間髪を入れず切牌《きりぱい》が卓上に打ち出される。永年つちかった手さばきは流麗で、しかも気合に満ちていた。こうなると、手材料も自然に寄ってくるのである。
オレンプが中堅手をばりばりとあがりはじめた。あおりを喰ったのが家電屋で、連続ラス。こういうときにカマ秀はなかなか崩れない。攻撃力に抜群のものはないけれど、腰が重くて一度や二度の損傷《ダメージ》はじわじわと盛り返してくる。本人が自信を示すとおり、先手をとったらもう沈まないというタイプだ。
ヤー坊が■打ったが、リーチ二人のツーラン(二人上り)になった。オレンプもカマ秀も■を捨てている。家電屋が序盤に目立つように■を捨てていて、三人に安全そうな牌だった。が、逆に考えればこの局のキイ牌だ。
家電屋はヤミテンだが、オレンプが手を延ばして家電屋の手牌を開くと、
■■■■■■■■■■■■■
「ホラ、■受けだろう」
「■は来たって捨てないさ。でも、■がツーランとはなァ」
「寄ってくるんだよ、テンパイが。どうせ皆、目立つ牌を利用しようとするから」
このあたりで、若くて体力があるはずのヤー坊の牌運が尽きた恰好になった。ヤー坊は額に青筋を浮かべながら、三時間後、
「駄目だ。退くよ」
といった。
「そうかい。――じゃァメンバーが割れるな。種目変更か」
「また、ポーカーでもいいぜ」
「レートをあげてかい」
家電屋はしばらく考えていたが、
「いや、俺も退こう」
「へええ、しこたま勝ってるのにか」
「一人で帰るのはヤー坊も淋しいだろう。一緒に帰ろう、な」
「三人でやるのは、勝てないと見たか」
家電屋は勝金を内ポケットにしまいながら、
「もう日当は出てる。これ以上欲ばらないよ」
といって笑った。
二人になって、
「二人なら、いそぐことはない。まァ一杯やろうか」
とカマ秀。上昇しかけてきたオレンプのツキをすかすつもりか。
「サシ勝負だと、種目は何にしますか」
「なんでもいいよ。――しかし、家電屋《おつさん》はばかに見限りがよかったな。なぜだろう」
「あたしが残らないとまずいんでしょう」
とオレンプが微笑しながらいう。
「あの人は、あたしがママを剥く方に賭けてるんですよ。最初から、あたしがただじゃここへ来ないと思ってる」
「なるほど。でも俺が勝ったら同じだぜ」
「この分だと、あたしが逆転すると見たんでしょう」
「そいつは、悪い勘だな」
「じゃァ、こうしましょうか」
とオレンプは、ポケットをはたいて、有《あ》り金を全部出した。それでもカマ秀は、その五倍くらい勝っている。
「じれったいから、鉄火《てつか》で行きましょう。ダイス一回振り」
「ああ、いいとも」
カマ秀は、オレンプと同額を押し出した。
先攻番が定まって、オレンプが皮壺に五個のダイスを吸い上げた。
「やッ、――と!」
■■■■■
「スリーシックス――」
カマ秀がかわって皮壺をにぎる。
■■■■■
「――セームだな」
「ワンサゲーン!」
オレンプの番。
■■■■■
「なんだ、またスリーシックスか」
「それじゃ、勝てんだろ」
カマ秀が無雑作に、
■■■■■
「もったいないくらいのもんだ」
ウフフ、とカマ秀は笑った。
「優勝か。誰も見物が居なくて残念だな」
オレンプが、立上って、自分の内懐を探り、書類を出してきた。
「まだこれがある。もう一度、お願いしましょうか」
「現金《キヤツシユ》に限るぜ。そういう約束だ」
「そうですがね。額面を見てください」
ママが入った生命保険の証書で、額面は一億円である。
「小切手じゃない。保険じゃないか」
「ママが死んだら、いったんあたしが受けとるが、すべてカマさんに差し上げます」
「その保証は――?」
「あたしだってばくち打ちだ。賭金をトボけるようなことはしない」
「俺はそんなに現金《キヤツシユ》を持っちゃいねえぜ」
「カマさんの現金《キヤツシユ》全部。わるいレートじゃないと思いますがね」
カマ秀は一度、背をのけぞらして大きく息を吸った。
「よし、行こう」
「どっちにしても、これがラストですね」
改めて、先攻定め。
今度はカマ秀が先番だった。彼は皮壺を入念に振って、なかなかぶちまけなかった。
「――どうしました?」
カマ秀は思いを決したように、絨毯《じゆうたん》の上にサイをあけた。カマ秀の顔がパッと明かるくなった。
「おい、見ろや――」
■■■■■
カマ秀の顔が、喜悦でゆがんだ。
「有難え。かわいいサイだぜ」
オレンプが無雑作に振った。
■■■■■
「ピンのツラ目ですね。一馬身でもあたしの勝ちだ」
七
カマ秀が、一人で帰国して、連中の溜り場である例のマンションに姿を現わしたとき、おう、と家電屋は唸《うな》った。
「やっぱり、オレンプが勝ち残ったのか」
「やっぱりとはなんだ。オレンプの肩ばかり持ちやがって」
「カマさんじゃ無理だろう。俺が居ればね」
「なにをいやがる。自分から尻尾を巻いたくせに」
「で、どうだい。例の投票箱は、誰が保管してるんだ」
「一応、ママに預けたんだけど――」
とヤー坊。
「カマさん、持って来たかい」
「いや、俺はそんなこと知らねえ」
「じゃ、どうするんだ。もう一度、取りに行くのか」
「オレンプが持ってくるだろう」
「あいつが賭けに勝ってる場合でなきゃ、トボけちまうだろう」
「第一、オレンプがここに帰って来ない場合だってあるぜ」
と家電屋はいって、一同を見渡した。
「とにかく、まだ結果がわからないうちに、ここで再確認しとこうじゃねえか」
「家電屋《おつさん》、いやに熱心だな」
「一度賭けたら、途中でトボけるわけにいかねえよ。ヤー坊、お前はどっちだ」
「半――」
「半てのはどっちだよ」
「ママは健在」
「カマさんは――?」
「大山鳴動鼠一匹も出ず」
「なんだい?」
「やっぱり半だ」
「ええと、医師《ドクター》は?」
「半――」
「ズンベ、お前は?」
「半さ」
「あとここに居ないのは誰だ。株屋《ピーさん》か。電話をかけてみよう」
株屋も、半、という返事。
「ゆみと看護婦は投票しなかったんだろ。すると、丁《ちよう》は俺とオレンプか」
「オレンプが何故、丁とわかる」
「わかってるよ。あいつはそのために行ったんだ」
「そりゃどうだか――」とヤー坊。「俺はなにかのときにきいたことがある。オレンプの刑事事件の相手はママの亭主だったんだ。だからこれ以上、ママを傷《いた》めつけるわけにいかねえってさ」
「甘いぞ、ヤー坊」
と家電屋がせせら笑う。
「あのママが、そんなかわいそうな女かい。誰よりあこぎで、人でなしの銭牝《ぜにめす》じゃねえか。オレンプでなくたって、俺だって罪悪感なく殺せるな、あの女なら」
「殺せば、前歴からオレンプがすぐ疑われるぜ」
「事故死だっていい。住んだばかりであっちじゃなじみがないし、こっちじゃ、二度と日本へ帰らないっていってたんだから、誰もさわがない。簡単だよ」
「殺すかねえ」
「殺さなきゃ、すぐ追っかけてきて小うるさいよ」
「そういえば――」とカマ秀がいった。
「オレンプの奴、ママの生命保険の受取人になってたな。額面が一億円だ。俺は見たよ」
「そうれみろ――」
と家電屋が勝ち誇った。
「今から半を丁にするなんてのは無しだぞ。そうか、一億円か、それくらいは掛けなくちゃなァ」
「危ない綱渡りだな。ひとつまちがえば」
「まちがうもんかい。あのオレンプが。大体あの腐れ年増とオレンプじゃ、最初《はな》っから勝負にならねえよ。オレンプがなんであの年増にヘイコラしてるのか、俺はかねがね不思議だったんだ。なにも支配人なんぞやらなくたって、いいんだからな。この狙いがなけりゃ、あんな年増、相手にするもんか」
家電屋は上機嫌でへらへら笑った。
「オレンプのやりくちなんか、俺はお見通しさ」
そのオレンプが、二日後、帰ってきた。往きにはなかった荷物を三つほど抱えて。
「おい、オレンプ――!」
家電屋が待ちかねた声をあげた。
「あの投票箱、見せてくれ。賭けの結果を見ようじゃないか」
「投票箱――? あっちに残してきたんですか」
「ママに一応預けたんだ」とヤー坊。
「じゃ、あっちだ。あたしは持ってきませんよ」
「へッ――」と家電屋がいった。「トボけてるね、オレンプ。誰がどう投票したか、みんなわかってるんだ。投票箱なんてなくていいよ。それで、結果は丁か半か」
「結果? あたしの口からはいえませんね。誰か向うへ行って、実際を見てきたらいいでしょう。まだあの賭けにこだわっているんなら」
「こだわっているとも」と家電屋。
「まァ、シャレにしましょうよ。あんな賭けは後味がわるいよ」
「冗談じゃない。俺は通り(倍)といきたいくらいだよ」
「家電屋《おつさん》はどっちに賭けたの」
「いえないよ」
「じゃ、その通りを受けてもいいですよ。あたしと家電屋《おつさん》が同じ方だったら不成立ですがね」
「よし、行った。通り!」
「はい、聴きました」
「で、丁か、半か」
「だからそれは、審判員《アンパイヤ》が見に行かなくちゃね」
「ヤー坊、ご苦労だが――」
家電屋は十万円の束《ズク》を二つ渡して、
「これでちょっとハワイまで行ってきてくれ。ママのところをのぞいてくるんだ。賭けの結果を見てくるだけだぞ。まちがっても警察問題なんかにするな。そんなのはよけいなことだ」
ヤー坊は、
「勝った方からご祝儀を貰うぜ」
といい残して、ご苦労にもハワイ行きの航空券を買いに行った。
以前は、暴力団といえば泣く子も黙ったものですが、最近は堅気の方がハバをきかしているみたいです。戦後強くなったものは、女と靴下と堅気。なにしろ民主主義とやらで、一人でメソメソしたりしてません。すぐに新聞に投書する、警察には電話する。テレビには出て行く。
しようがないから暴力団も、組合を作って一致団結をする。合理化反対、警察独裁反対。その効果あって暴力民主主義政府を作り、佐渡島に本部をおく。佐渡の住人は全員マゾ島の方に引越したとか。
南二局 鼠《ねずみ》の散歩《さんぽ》
一
「おいッ、皆、ヤバい――!」
明日は三十日《みそか》だからってんで、まだ窓外の暗いうちに部屋を出て行った家電屋が、エレベーターをトンボがえりしてきたらしく、息をはずませて駈けこんできた。
残って卓を囲んでいたのは、この部屋の持ち主オレンプをはじめ、株ピー、ズンベ、医者の坂口。皆いっせいに家電屋の方を向き、
「これか――!」
ズンベが親指と人差指をまげて丸く形をつけ、帽子の記章のところに持っていった。
「ちがう――」
一応、ばくち麻雀をやっている手前、まず手入れのことが頭に浮かぶ。
「なんだ、それじゃなんだよ」
「死んでる――!」
「――誰が?」
「若い奴――」
「それで――?」
「俺が地下の駐車場からさ、車を出そうとしたら、出口のところにさ、若い野郎が倒れてるんだ」
「知らない奴ですか」とオレンプ。
「酔っぱらいかと思ったらそうじゃねえ。血でいっぱいさ。飛びおり自殺だぜ」
「このマンションの奴かい」
「そこまで知るかい」
「おっさんが突き落したのかい」
「冗談じゃねえ。堅気《かたぎ》の商人がなんでそんなことをするんだ」
「飛びおりなんか珍らしくねえや」
と株ピー。
「まア行って見てみろよ。それに、警察《さつ》が来るとヤバいぜ。今夜はもうよした方がいい」
医者がまっ先に立ち上る。
「先生、あんたの出番だね」
「馬鹿いうな。もう死んでるんだろう。とにかく私は帰るよ。かかり合いになっちゃ困るから」
時計を見ると夜明け近くの四時半。
上衣《うわぎ》を着て帰りかける医者に続いて、一同、ぞろぞろと地下駐車場におりてみた。
なるほど、外の道路に出る手前のカーブのところに、まだ成長しきってない稚《おさ》ない身体つきの死体がひとつ、血まみれになって転がっている。
以前なら弥次馬がすぐたかるのだが、例のエイズ騒ぎ以来、鬼ケ島セックスゾーンも灯の消えたような静けさで、まだ誰にも発見されないでいるらしい。
血汐を踏まないように注意しながら医者がそのそばをすり抜けて帰ったあと、連中は死体を遠巻きにして見守った。
「おや、あれは吉田屋ンとこの若い衆だよ」
といいだしたのは株ピー。
「やくざ屋さんか、それじゃひっかかりにならない方がいいぜ」
などといいながら、一人ずつ、すり抜けて帰っていく。家電屋は車をおいてあるもので、
「しょうがねえな。車をおいて、歩いて帰っちゃおう」
オレンプと一緒に暗い道を歩きはじめた。
「ところでね――」
と家電屋。
「妙なものをひろったんだよ」
家電屋はポケットから封筒らしきものをチラッと見せて、すぐしまいこんだ。封筒の端が黒くどっぷりと汚れている。
「――血だね」
「ああ――」
「さっきの飛び降りに、関係ありですか」
「最初にみつけたときにね、胸のあたりから白いものがこぼれかかってるんだ。ひょいと気をおこして、貰《もら》ってきたんだよ」
「あんた、堅気の電気屋さんでしょう」
「ああ――」
「禿鷹《はげたか》みたいなことをしますね」
「なんか、銭にならねえかなと思ってね。なに、駄目なら捨てちゃえばいい」
「やくざ屋さんだっていいましたね」
「そういえば吉田屋の親分のところで見かけたことがあるな。まだほんの新米《しんまい》で」
「顔がまだ子供でしたよ。あんな子がどんどん自殺しちまうんだからなア」
「これ、中を見てみたくないかね」
「あたしはいい。指紋がつくといやだから」
「でもさ、俺一人じゃ、役が重すぎるね。どうしていいかわからない。俺、堅気だから」
「まア、あたしンとこへお寄んなさい。ブランデーでもおごりますよ」
二
母さんサヨナラ、俺、先に行く。
ヤクザは男の世界と思ったが、タイムレコーダーがあって、遅刻が多いと叱られる。言葉遣いもうるさいし、学校と同じでいじめがある。ケンカもバクチもできない。刃物を持っても駄目。今のヤクザはつまらない。俺、あの世に行ってグレてやる。
保宏
「なんだい、こりゃ」
と家電屋がいった。
「やくざの厭世《えんせい》自殺か、ばかばかしい」
「若い子だからね、何を考えてるのかわかりませんよ」
「銭にゃなりそうもないね。さア帰って寝よう。おやすみ」
グラスのブランデーを一息にあおって、家電屋は帰っていった。
オレンプは、ノートをひき千切ったような紙片に、ライターで火をつけようとして、ふっと気が変った。まア二三日、様子を眺《なが》めていて、それから燃やしたっておそくはないだろう。
吉田屋親分の出身は福島県で、だから一家の若い衆も福島の出身が多い。東京に限っていえば、最近は街の子はあまりこの世界に飛びこんでこないのである。気のきいた不良は組織の人足になろうとしない。叶《かな》うかどうかは別にして、もう少し夢を持っている。
だから若い衆は地方出身が多い。それも環境条件に恵まれず、堅気社会では下積みに埋まるしかないような若者が、それぞれ志を抱いてこの道に飛びこんでくる。彼等にとって、名のきこえた組の組員になることは、大企業に勤めることと同じだ。表街道と裏街道のちがいだけで、家柄も学歴も不要の裏街道の方こそ、自分たちの息をつける場所だと思っている。
都会のインテリどもがいくらやくざ撲滅《ぼくめつ》を唱えても、やくざ志望者は減らない。それどころか、表街道の方の大資本系列化が進み、組織社会が固まるにつれて、ますます増える傾向にある。
それはいいが、翌日、Windserの支配人室に吉田屋一家の若頭《わかがしら》で次期親分と目される今西が現われた。
「やあ、オレンプさん――」
今西は紺のダブルに蝶ネクタイという恰好で、保険の外交員みたいだが、色白の顔にそれがよく映っている。
「昨夜は、迷惑かけたんじゃないのかな」
「どうして――?」
「知らないはずはないんだけどね」
「吉田屋さんから迷惑をこうむったという経験は、一度もありませんよ」
今西は苦笑しながら、
「そら、飛びおりの一件さ」
「――あれは、お身内衆?」
「準構成員で、まだほんの子供なんだがね、警察がさ、なんかあるんじゃないかってんで、組の方を小突いて困るんだ。なにしろ、自殺か他殺かってのも問題だしね」
「ほほう、そりゃ有り得ますね。組の出入りは今|流行《はやり》だからね」
「冗談じゃない。あんたまでそんな噂を立てちゃ困るよ。組《うち》は今、面倒なことはなんにも抱えちゃいないんだ。なアに、坊やがホームシックかなにかでメソメソしやがって、ただ飛びおりただけなんだが」
「そうですか。じゃ、そういっときましょう。世間の奴等に」
「あのマンションの屋上にノートと鉛筆が落ちていたってんだ。警察はね。ノートが一ページ、ひき千切られているんだが、野郎の死体にゃア遺書みたいなものはなかったってさ。遺書でもありゃあ、助かるんだがねえ」
「ははア、自殺だってことがわかるわけだ」
「そうなんだよ。ふだんのよしみでちょっと助けちゃくれないかな」
「――というと?」
「いや、俺たちだって本当に弱ってるんだよ。今、やくざは受難期だろう。なにかっていうと人非人《にんぴにん》みたいにいわれるし、実際、警察に目をつけられたくないんだ」
「わかりますよ。ああ新聞で叩かれちゃ、人権無視でさアね」
「オレンプさんだから話すがね。俺たち、今、パチンコ屋の景品買いで楽にやってけるんだよ。他にヤバいことなんかしなくたっていい。借金の取立てだの、ばくちの盆だの、みんなやめちまったんだ。組《うち》じゃ今、ほとんど月給制になっていてね、一番若いチンピラだって月に五、六十万にはなってるよ。小頭《こがしら》クラスなら一千万にはなる」
「なるほど、たいしたもんですね」
「ヤバいことなんかしたくもないし、しねえように気をつけてるよ。だがまア、稼業《かぎよう》がら警察に目をつけられりゃあ、埃《ほこり》が出てこないわけでもない。それに、エイズ問題で盛り場も転換期だからね。パチンコ屋の縄張りは大切なんだ。ごたごた弱みを突つかれて、他の組に縄張《しま》をとられたくもない」
「小頭で一千万ねえ。そうすると今西さんあたりは大変だね」
「まア、親分クラスなら五、六千万は楽にあるな。誰を泣かすわけでもなしに、それだけの銭になるんだ。誰がヤバいことなんかやるかい。組《うち》なんか今、規律がきびしいよ。面倒おこさないように、若い衆に刃物も持たせない。夜だって、皆でおとなしく酒呑んで、十二時っていやア、もう寝てる」
「そりゃそうですねえ。それだけの甘口を逃がしたくないものね。それじゃア今に、吉田屋の親分は、黄綬褒章《おうじゆほうしよう》でも貰うね」
「ああ、親分は勲章が好きだからね」
「さしずめ今西さんは区会議員だ」
「ところでね、家電屋さんは、昨夜も打ちに来てたんだろう」
「家電屋? ええ、顔を見せてましたよ」
「何時頃帰ったろう。飛びおりの、前かな、後かな」
「刑事さんみたいなこと訊きますね」
「ずっと、徹夜《とおし》だったかね」
「いや、昨夜はいいかげんな頃合に終りましたがね。あたしは長椅子で仮寝したりしてたし、家電屋さんが何時頃帰ったかなア。誰かに訊いておきましょう」
「なアに、いいんですよ。あの地下の駐車場にね、おっさんの車がおきっぱなしてあったもんでね、また徹夜かな、と思って見てたもんだから」
今西が帰ったあとで、オレンプはパイプをくわえてちょっと考えこんだ。
家電屋は、じきに今西に詰問《きつもん》されて、よけいなことをしちまったと後悔するだろう。
車をおいて帰ったのは、死体があって車じゃ出られなかったからじゃないのかい、とこうだ。今西は馬鹿じゃないからな。
歩いて帰るとき、死体のそばをとおったろう。そのとき、なにか悪戯《わるさ》をしなかったかね、と、なるな。
それで押問答して、結局は吐く。今度は今西がまたこちらに来るな。
そんな悪戯をするなって、おっさんを叱《しか》って、ライターで燃やしちゃいましたよ。
そう答えるのは簡単だが、平凡だな。それじゃこちらが頭を下げるだけで、得《とく》なことはひとつもない。
さて、どうするか。
オレンプは支配人室を出て、急いで巣に戻ると、昨夜の血まみれの封筒を胸のポケットに突込み、表通りまで歩いた。
金馬車≠ニいう大きなパチンコ屋の横の入口からエレベーターで最上階まで昇った。
「やあ、大将居ますかね」
「今、お客と一緒にお昼|喰《た》べに行ったけど、じきに戻ってくるでしょう」
と女事務員。
「お昼ね。あたしも喰べてもいいな。どこの店だろう」
「さア、満月さんじゃないかと思うけど」
「なるほど、あたしも行ってみる。それからね、紙袋かなにか、あったら頂戴」
オレンプは、血まみれの封筒を紙袋に入れて封をし、
「これ、あずかっといてね」
といった。
三
オレンプの顔を見るなり、満月楼の親爺さんはそそくさと調理場にひっこんだ。界隈《かいわい》の現金王と称されているが、この前の一件以来どうもオレンプを避《さ》けている感じだ。
オレンプはそんなことは気にしない。
「叉焼麺《チヤーシユーメン》一つ――」
それからパチンコ屋の大将稲田の卓ににこにこしながら近づいていった。
「そんな油っこいもの、昼から喰べていいんですか、大将」
稲田は、|※[#「虫」へん+「豪」]油《ハオユー》牛肉という、牛肉のスブタ風の大皿を抱えている。
「もうね、近頃はなかなか立たなくなってさ。懸命よ。同情してよ」
「喰べすぎですよ」
「いや、精力をつけるには中華料理が一番いいのよ」
「ばくちでも少しおやりなさい。ピチッとしますぜ」
「この年になってオレンプに喰われるのもみっともないなア」
「いや、あたしは大将をカモらない。コンサルタントになりますよ」
「それが怖いんだ」
「ところで、お宅の景品買いは、やっぱり吉田屋さんですか」
「古いつきあいだからね」
「すると、この近辺は大体吉田屋さんで?」
「いや、いろんな組が入ってますよ。パチンコは今やあの衆の重要な財源だからね。利権争いもいろいろあるでしょう。吉田屋一家はむしろ新興に押されてるんじゃないかな」
「今、ライヴァルといえば、どの組ですか」
「そうだね。――あたしもくわしくは知らないがね。たとえば、この猪本《いもと》さん」
オレンプははじめて稲田の連れを見た。名前の通り怖い顔はしているが、茶色のスーツをゆったり着こなして、絶えず微笑を浮かべている。
自分の名前が出てくると、猪本はぴちッと立ち上って、まず手帳をとりだし、その中から名刺をオレンプに差しだした。
「こういう者でございます。よろしくお引き廻しを」
合資会社西運商事、取締役、という肩書がある。
「昔は八洲一家といえば泣く子も黙ったもんだがね」と稲田は鷹揚《おうよう》にいった。「今は商事会社の社長さんだ」
「もうそんな時代じゃござんせんからね。あたしどもも生まれ変りましたですよ」
「結構ですな。それでも若い衆さん方を大勢抱えて、大変でしょう」
「それなんですよ。親兄弟から放りだされたろくでなしばかりですからなア。これらがエラーをせんように、喰わしていくのが大変でして、稲田の大将にもそんなわけで、ぜひひとつ、うちの方にも利権をいただきてえと、こういうお願いに伺《うか》がってるんでやす」
「はい、はい。ただね、うちの方としては、景品買いが二系統に別れるのは困るんで、吉田屋さんか、猪本さんか、どちらかにしぼりたい。そのへんを一つ、話し合ってくださいよ。うちの方からじゃね、どちらかをばっさりとはいいにくいよ」
オレンプ、電話だよ、という店主の声。叉焼をかみながら無雑作に出て行ったオレンプが、受話器をおいて戻ると、こういった。
「今西がここに来ますよ」
「どこの今西――?」
「吉田屋さんの所の今西」
猪本が一瞬、眼をむいた。
「あんた、呼んだんですか」
「とんでもない。向うがあたしを探してるんですよ。別の件でね。ちょうどいい、さっきの景品買いの一件を、ここで相談してはどうです。我々が居た方が平和裡《へいわり》にいくでしょう」
「むろん、戦争はしませんがね。どうも、急だなア」と猪本。
「条件は向うだって一緒ですよ」
「それじゃ、あたしはちょっと――」
と稲田が腰を浮かしかけたが、
「大将が居なくちゃ駄目」
とオレンプに制された。
吉田屋一家の今西は、微笑をたたえて店に入ってきたが、猪本を見ると、笑みを凍らせた。彼は三人の顔を順に見くらべ、やっと自分の坐るべき椅子をみつけたように、オレンプの隣りに坐った。
「ずいぶん探したぜ。オレンプさん」
「いやアどうも、昼飯を喰いに来たら、偶然ご両所と会ったんですよ」
「そうかい」
今西は西部劇の拳銃使いのような尖《とが》った目で、猪本と目礼《もくれい》を交した。
「それで、何か御用ですか」
オレンプは、猪本の前ではいいたくない用事なのを百も承知で、そう訊いた。
「いや、どうってこともないんですがね、お歴々が寄って、また何の相談ですか」
「なに、ざっくばらんにいいますとね、猪本の親分が、大将ンとこの縄張《しま》を欲しいって」
「おいッ――!」
と猪本が叫び、
「なんだと、この――!」
野郎、という言葉を今西がぐっと呑みこみ、片手を泳ぐように懐ろに突っこんだ。
稲田の大将も慌てたように
「オレンプ、それはただ、お茶呑み話だよ」
「大将――!」と今西が叫ぶ。「大将は、茶呑み話でそんなことを話してるんですか。俺たち吉田屋一家が生きるか死ぬかって話をさ。大将のチェーンをはずされたら俺たちは――」
「だからさ、はずしゃしませんよ。吉田屋とは古いつきあいだからと、今もいっていたところなんだ」
「猪本さん、縄張り盗みは昔なら血の雨が降るところですぜ」
「わかってますよ。我々はそんな荒事はしたくない。ただ、大将の気持をきいて、おだやかに話を運ぼうとしたまでのことだ」
「は、話を運ぶウ――?」
「昔でいやア、パチンコ屋さんはテラの稼げる盆だ。その盆を欲しいのは当然だろう。吉田屋さんだって、駅の東口の菊池さんのチェーンに働らきかけてるんじゃないかね」
「我々の世界は、義理と人情が看板ですぜ。そんな義理知らずの、チョボ一《いち》がどこにあるもんか」
「それがねえ今西さん――」と猪本が、やや気の毒そうに、しかし充分優位にたった響きをもたしていった。
「その義理人情にまんざらはずれた話でもねえんだよ。うちの娘と、大将ンとこの坊ちゃんとが結婚することになってね。そうなりゃ親戚だ。大将だって、古いつきあいを捨ててもって気にもなろうじゃねえか」
「大将、そりゃ本当ですかい」
「まアねえ、あたしはそんなことをごっちゃにしたくはありませんよ。けど、伜《せがれ》の代になればねえ、いつかはごたごたするんじゃないかと、頭が痛いんだ」
「その婚約、命にかけても破ってみせる、と昔ならいうところだが――」
今西、そこで口ごもった。
「今西さん、あんたもいつかは吉田屋一家の親分になる人だ。ちょうどここで会ったから、折入っての相談だが、この八洲組だって、坊主丸もうけ式に、大将ンとこを手に入れようとは思わねえよ。また、今すぐに、なんてゴリ押しをしてるわけでもねえ。俺は気が長えよ。なんならあんたが親分になってからだっていい。やわらかく、こちらへ寝返ってくれねえか」
「寝返れだと――!」
「もちろん、それに見合う礼はするし、ポストも用意する。なんだかだいっても、吉田屋さんが落ち目のことはあんたもわかってるだろう。そこで大将のチェーンをはずされたら、つっかい棒がなくなったようなものだよ。親分になったってうまいことなんかあるもんか。そうだろう。男はみはしが利かなくっちゃいけねえ」
猪本は顔に似合わず老獪《ろうかい》な口を利く。
「ねえ大将、今西さんは気ッ風も竹を割ったようだし、頭もいい。使える男ですよ。やる気になれば、大将のチェーンの支配人だってできまさア」
今西は、眼尻を吊りあげて、猪本を見、稲田を見、オレンプを見た。
オレンプはこういった。
「あたしなんかが口を出す筋合いじゃないが、あたしなら、今西さん、簡単ですよ」
「簡単じゃねえやい――!」
と今西は以前の口調に戻っている。
「ドンパチできねえから、苦しがってるだけだい」
「そうだ、ドンパチはできねえ。大将にも迷惑をかける。それに、俺たちが角突きあえば、もっと大きい組織、たとえば国遊会あたりがたちまち入ってくる。国遊会をデパートとすれば、俺たちはお互いに露店商人みたいなものさ。露店商人があんまり綺麗ごとにこだわっちゃいけねえ」
四
Windserの支配人室に、少年が一人、のそっと立っていた。
「なんだい、坊や――」
オレンプはパイプに火をつけてからいった。
「坊やじゃないよ。ヒロってえんだ」
「ここは未成年者はお出入り禁止だがね。ヒロ君」
「ヤスの弟だよ」
「それで、ヤスってのはどこの人?」
「そこのマンションの屋上から飛びおりたヤス」
オレンプは煙を吐きながら、少年を眺めた。
「まア、お坐り」
「お坐りじゃねえ。ヤスは何で死んだんだい」
「おじさんは知らない。チラと死体を見ただけだ」
「おっさんが、ヤスの遺書を隠してるって、吉田屋さんできいてきたぜ」
「隠しちゃいない。君が本当に弟なら、お渡ししますよ」
「おくれ。母ちゃんにいいつかってきたんだから」
「いいとも。君は、高校生か」
「冗談じゃねえ。学校なんかいくかい」
「何してる」
「故郷《くに》でかい?」
「故郷って、どこだい」
ヒロは東北の小さな市の名をいった。
「それで――?」
「飛び出したさ。兄貴が東京に行ったから」
「母ちゃんをおいてか」
「しょうがねえだろ。田舎でくすんでいられるかい」
「じゃ、君も吉田屋一家か」
「ちがう。俺は手に職があるからね」
「ほう、なんだい」
「パチンコ――」
「それだけか」
「今のところは」
オレンプは白い歯を見せた。
「馬鹿にしたな」
「いや。――天才かね」
「ああ、故郷じゃ皆そういう」
「誰でもな、君ぐらいのときには、何かの天才なもんだ。一生は続かないがね」
「遺書をおくれ」
「待てよ。あげるがね。どうだ。パチンコでどのくらい稼げるかね」
「稼ぐ気になればいくらでもさ。どんなひねこびた台だって打ち止めにする自信はある。でも、適当に切り上げるんだ。子供だからね」
「日本一か――?」
「そんなことわかるかい。でも俺は、パチンコで家を建てるよ。兄貴のように組織には入らない」
「よし、坊や。パチンコで賞金狙いをしてみな。近いうちにそういう大会がある」
オレンプは早速、今西のところに電話をかけた。
「――若頭《かしら》ですか。いい話なんですがね」
「オレンプさんですね。いい話ってのは?」
「さっきの、大将ンとこの一件ですが」
「あッ、ばかやろう、まだいってやがる」
「あたしが黙ったって、猪本は黙りませんよ。ぶすぶすいぶるより、こんなことは白黒をはっきりつけちゃった方がいいんじゃないんですか。素人考えですがね」
「どう白黒をつけるんだよ」
「勝負をするんですよ」
「ばくちかい」
「とは限らない。両方から選手を出して、たとえばパチンコで勝敗をきめるとか」
「あほらしい。パチンコなんか、いい若い者のすることじゃねえ」
「だってドンパチできないんだから、しょうがないでしょ」
「で、白黒はどうつくんだ」
「こっちが勝ちますよ」
「何故」
「すごい選手が居るんです」
「信用できないね。オレンプのいうことは」
「あたしは吉田屋さんの味方ですよ。最初っから」
「嘘つきやがれ」
「嘘じゃない。あたしは義理や人情でいってませんよ。あたしの目算があるんです」
「しかし、どうして勝つとわかる」
「いい眼をしてますよ」
「誰が――」
「こっち側の選手。あたしの十六、七の時分とそっくりの眼だ。しばらくぶりでこんな子を見ましたねえ」
「こんな子、だって?」
「賭けてもいいです。あたしゃ、いくらだって賭けますよ、この子なら」
「けッ、いいやくざが、パチンコで果たし合いか」
「いいですね。猪本さんの方にも話しますぜ」
「待ってくれよ。そんな、八洲組と五分の条件で受けられるかい」
「五分じゃない。こっちが勝つんです。勝負のことはあたしにまかせなさい」
「考えてみよう。こっちから電話する」
受話器をおいて、オレンプはヒロの方を向いた。
「君は英雄になりたいかね」
「さアね」
「パチンコの英雄だぜ」
「どうやって、なる?」
「最高のプレイをするのさ。パチンコだろうとボクシングだろうと、柔道だって皆同じさ。最高のプレイをしてみせた者が英雄だ。兄さんのヤス君も、何かで最高のプレイをして見せたかったにちがいないよ。ヤス君にかわって、君がそれをしてやりたまえ」
「いいとも。兄貴が喜ぶんならね」
五
八洲一家の方でも、オレンプの提案に応じて準備をしはじめた。駅東口の菊池系の店を利用して、パチンコ選手権大会を開き、たくさんのパチプロを集めて上位十名を選ぶ。そうしてこの十人に、連日戦わせた。
吉田屋一家も、稲田系列の店でパチプロ大会を開く。こちらも大賑《おおにぎ》わいで、ベストテンを残したが、オレンプの眼鏡どおりヒロが抜群に強くて、何度やってもヒロに迫る者さえ居ない。
その噂をきいて八洲一家が他の盛り場まで手を拡げてパチプロ大会を開いたり、情報を集めて名だたるプロをスカウトしたり。
むろん、表向きはパチンコ名人位争奪戦だから、参加する方も軽い気持で出かけてくる。まさか暴力団の縄張り争いの代用とは思わない。
「オレンプ、なんだか妙なことにひとくち乗ってるじゃないか」
と家電屋がキナ臭そうな顔をしている。
「どうも、あの遺書をおいてったのが失敗だったな。どんな儲《もう》けをしとるんじゃ」
「遺書は全然関係ありませんよ。第一、警察があの子は自殺と判定してしまったから、何も問題がおきないんですよ」
「でも変じゃないか。パチプロ名人戦だなんて」
「あたしは手弁当ですよ。やくざ衆から日当はとれませんからね。なんなら家電屋さん、勝負といきますか。どっちが勝つか」
「冗談じゃねえ。データがないよ。予想新聞も売ってないのに賭けられるかい」
「あたしだってわかりませんよ。相手を知らないんだもの」
「ほう、じゃアオレンプは、どっちなら受けるんだ」
「あたしは、吉田屋さんだね」
「そらみろ、わかってるじゃないか」
「乗りかかった船だからですよ。高校野球だってそうじゃないの。東京の連中は、早実とか、関東一高とかに身びいきで賭けるんでしょう」
「俺はいやだ。そんなチョボ一、誰が張るもんか」
オレンプはまた、稲田の大将にも誘いをかけた。
「大将、面白いですね」
「面白かないよ。どっちが勝っても、あたしはうらまれそうだよ」
「うらみっこなしで、勝負するんですよ。大将、どっちが勝つと思います」
「わからない。第一、パチンコなんかで、きれいに結着がつくのかね」
「結着をつけなくちゃね。そうでしょ。ごたごたしたら皆が損なんだ。ね、正直のところ、大将はどっちが勝てばいいと思ってるんです」
「あたしの口からそんなことはいえない」
「わかってるよ、大将、息子さんがかわいいものね。猪本さんが勝てばいいんでしょ」
「どっちだっていいよ。荒事にならなきゃ」
「正直なところ、データがなくて皆目わからない。こういきましょ、大将は息子さんの方だ。で、あたしは今西の方。五分五分ですよ。スパーンとハンデなしだ」
「うるさいねえ、いくら賭けるんだい」
「いくらかくらって、五千や一万賭けてもしょうがないや。ひとつ、あたしはWindserを賭けましょう」
「大きく出たね。あのソープかい。だってあれは、お前さんの名義じゃないだろ」
「いざとなりゃ、自由になるんですよ」
「じゃ、あたしは何を賭けりゃいいんだ」
「大将はパチンコ屋以外にだってビルをいくつも持ってるじゃないですか」
「ビルをよこせってのか。今のソープとじゃ値がつりあわないぜ」
「なんでもいいんですよ、大将のお気持で。どうせあたしが勝つんだから」
「パチンコなんて、わからないぜ」
「ビルの一室だってかまいません。大将のお気持で」
「ようし。じゃひとつ、紙に書いとこう」
お互いに、賭けた物を紙に書き合って、印形を押した。
オレンプはさすがにこの期間、いつものマンションの一室にも、あまり顔を見せなかった。
※[#歌記号]テンセンツ ダンス
ザッウッツゼイ ペイミイ
ゴシュハウ ゼイウェイミイ ダウン
「知ってるかい、ヒロ」
「知らん」
「うん。ワンタイム10セント、安いチケットでひと晩じゅうダンスの相手をする三流ダンスホールの女の唄さ」
「そいつを、カイてたのかい」
「おじさんが子供の頃、映画で見たのさ。不況時代のアメリカで、なんにも銭になることなんかない。その頃、若い奴等はマラソンダンス大会に行くんだ。ひと晩じゅう、少しも休まずヘトヘトになるまで踊って、最後まで踊り続けたたった一組が、いくらかの賞金を貰う。だから皆、腹ペコで、水ばかり呑んで死物狂いさ。銭になるのはたった一組だ。でも皆、夜になると集まってくる。そうするしかないからな」
「どうしたい、それが」
「パチンコだって馬鹿にしちゃいけない。立派なもんさ、銭が稼げりゃ。おじさんなんか昔はもっとひどいことをして銭を稼いだもんだ。くだらんことだって生命《いのち》を張ってな」
「心配するない。負けるのは大嫌いだから」
「そりゃあいい。おじさんもその気性だったよ」
「だいぶ方々で賭けてるってね。馬にはいくらくれるんだい」
「勝てばなんでもやるよ。だが坊や、ルールはデスマッチだからな。不公平にならないように一時間ずつで、台を交換する。その間、トイレ以外はハンドルを放しちゃいけない。呑み物も喰い物も、やり続けたままだ」
「玉は何発だい」
「最初五百発。あと一時間ごとに二百発の補充」
「そんなにあるんじゃ大丈夫だ」
「最初の五百発が問題だぞ。台の調子をたしかめてるうちに、すぐ無くなる」
「わかってらい」
「ハコテンになればもちろん負けだ。一方が五台、打止めにすれば勝負あり。それ以外は二日でも三日でもやり続ける」
「イカサマは、あるかい」
「台にか?」
「いや、ヤー公同士だろ。パチンコ以外のかけひきでさ」
「わからん。だがおじさんがついてるよ」
「信用していいかい」
「人を信用する癖《くせ》をつけちゃいかんが、まアこの場合はな、坊やはパチンコに集中しな。それからもうひとつ、台をえらぶときだ。当日は客引きのための看板台なんかないぞ。クセのある遊び台か回収台だと思え。その中から相性《あいしよう》のいい台を選ぶんだ。一度、玉をはじきだしたら、選手の希望ではその台は替えられない」
「オーケー、わかった」
「坊やは勝つよ。だが、お前がいうとおりヤー公同士の勝負だ。負けたら指の一本や二本、なくなると思いな」
六
呆《あき》れたことに、当日、吉田屋一家の若い衆連は、揃《そろ》いのジーパンをはいてスクラムを組み、鬼ケ島讃歌という団歌を唄いはじめた。皆、ゲイボーイにでもしたいほど、肩が細く、脚が長い。
一方の八洲一家は、猪本の娘の指揮でブラスバンドが景気をつける。最近の暴力団はクラブ活動が盛んなのである。
審判長は、稲田の大将の伜《せがれ》で、防衛庁の方に出ているのが、役所を休んでこれに当る。
八洲一家の代表選手は、意外に年寄りで、額《ひたい》が少し禿《は》げあがった小男だ。しかし、勝負師がほとんどそうであるように、一点の贅肉もない締まった身体で、オレンプの眼にはそれだけでひとかどの者に映る。
二人とも各台の釘《くぎ》のゲージをにらみ、ハンドルのばねを調べながら行きつ戻りつしていたが、ようやく場所がきまる。
「プレイボール――!」の声。
さすがに最初の一発目から、ヒロのは天四本の、それも一番左の釘の左右に集中している。ほとんど流れるように弧《こ》の一線を造っている。リーンという音。リーンリーンリーンという連続音。
少しおくれて、小男も狙い筋を固めたらしく、リーンという音がきこえだす。こちらは中心から右側に打球を流してストレートやサイドをひろっているようだ。
ほどなくリーンが絶えまなくなった。ヒロの大きな眼が、機械をなめるように睨《にら》んでまばたきもしない。
リーン、リーン、ヒロの打球はまことに正確である。一本目の釘にバウンドしてセンターから天穴に落ちる玉、同じく一本目の釘を巻くようにして天穴に斜に吸いこまれていく玉、三割近くの確率で天穴に入る。したがって下の落しにも間断なく入る。
みるみるうちに玉受けが山になりだした。
小男の方も右側に流しながら、俗に裏門攻めという、天四本から一段さがった右の釘に当てて逆流させ、天穴にも玉を飛びこませている。おそらくこの台は天四本の釘が左高右低になっていて、ストレートには天穴を狙いにくいのであろう。
大将が両腕を組んで、じっと情勢をにらんでいる。
「うまいもんだなア、こんな連中に攻められたら店は潰《つぶ》れちまう」
「昔はどこの世界でも、職人だらけだったんですがね」とオレンプ。「電動式だの、自動卓だの、あれがいけないんですね」
「いけなかアないよ。一億総シロウトで、健全になったんだ」
「なにが健全なもんですか。昔はパチンコだって、一球ずつ、きちんと狙って入れたもんだ。それでコツコツ貯める。努力と実力のゲームでしたよ。今はどうだい、大当りとくるといっぺんに何万発も、ばからしいほど出てくるんじゃないですか。コツコツもなにもねえんだ」
「それで受けてるよ」
「阿呆どもは喜んでるけども、そんなもんじゃないですよ。基本的にはコツコツなんだ。辛気《しんき》くさいが、それでなくちゃ勝ったことにならないですよ。何万発もいっぺんに貰ったって、銭金《ぜにかね》だけのことさ」
ヒロの台からしばらく音がきこえてこない。同じところに玉は集中してるが、わずかにバウンドが大きかったり、生命釘にかすって流れたり。
裏の玉タンクにはコンピューターで玉を補給する。玉タンクが満ちると台の傾斜度が多少変る。しかしどちらも同条件だ。
しばらく、小男の方が一方的に鳴らせ続けている。
「コーヒー、アメリカン――」
とヒロ。係がすぐに脇の小卓にインスタントコーヒーをおく。
猪本が出てきて、小男になにか囁《ささや》く。
一時間がたって、五分休憩。二人とも玉受けの玉を箱に入れ、台を交換する。補充の二百発がくる。
小男が今度は天穴を狙い出した。彼の左|半身《はんみ》のフォームは少しも変らず、ヒロほどの確率はないが、ムラなく入れている。
「コーヒー」とヒロ。
「アメリカンか?」と今西。
ヒロの台もやっとまた音を出しはじめた。電動式でも不思議なもので、打者の個性が出るらしい。ヒロはこちらでも天穴狙い一本。ほとんどが裏門攻めである。コントロールのよさは無類。
その一時間は小男が追いついて、目分量ではどちらのリードかわからない。さすがに二人ともかなり玉数を増やしている。
小男は五分の休憩の間、冷たいタオルを眼にあてて動かない。
「コーヒーはあまり呑むな、かえって疲れるぞ」とオレンプ。
「ゲンのものだよ。コーヒーがなくちゃ駄目だ」
「何を混ぜられるかわからない。呑むなら水にしろ。先は長そうだぞ。水をひと口ずつ」
係員は両方の組の若い衆が買って出ている。選手よりも、バックの方が必死なのだ。極端な場合、相手が勝ちそうになれば毒殺まである。
お互いに最初の台。相性がいいらしくまたヒロが飛ばしている。
「猪本さん、どうでしょう――」とオレンプが近寄った。「今からでも、一丁行きますか」
猪本はニコリともしない。ヒロの方に顎《あご》をしゃくった。
「未成年者かい」
オレンプはチラリと猪本を見る。
「そう見えるでしょうが、ちがいますよ」
「どこでひろってきた?」
「この前飛びおりて死んだ若い衆の弟ですよ」
今度は猪本がチラリとオレンプを見た。
「そうかい。あの若い衆、自殺じゃないようだぜ。警察《さつ》がまた動き出してる」
「なぜ――?」
「そこまで知らねえ。本人にそういってやんな」
オレンプはキナ臭い顔になった。
「吉田屋さんにキズがつかなければいいがな」
また五分休憩。ヒロが大きく引き離している。しかし今度はまた台が替る。
「コーヒー――」
オレンプはわざと氷水を持たせてやった。ヒロはチラとそれを見て、もう一度、
「コーヒー――」
「よし、通りの喫茶店でうまい奴を買ってきてやる」
オレンプは魔法瓶を抱いてきて、ヒロのカップについだ。
「誰かが余計なことを話しかけても、いっさい信用するな。セコンドは俺一人だぞ」
小男がおしぼりで、ときどき顔を拭《ぬぐ》う。しかし呑み物も喰い物もいっさい口にしない。
「そっちにもコーヒーやろうか」
「相手に話しかけるな、反則をとるぞ」
と大将の息子。
小男のペースが少し落ちている。ヒロの方は右のストレートが立て続けに入りだして、それをきっかけに打てば飛びこむ状態。次の休憩前に最初の打止めが入った。
他の台を選ぶか、このままやるか、と大将の息子が訊く。ヒロは、このまま、と答える。
五分休憩。スタートから五時間目だ。若者が小男の右手をもんでやっている。
しかしつい先程打止めた台が、小男がとりつくと不思議にばったり出ない。ヒロは自信満々、オレンプの方にチラリと笑いかけている。
その一時間も、ヒロはがんがんに鳴らし続けた。しかし、小男の方も持ち玉が減ってるわけではない。
小男がはじめていった。
「ミルク――」
「ホットドッグ――!」とすかさずヒロ。
猪本が出てきて、はじめて今西をみつけたように大声を出した。
「やア、今西さん――」
はっはっはっ、と彼は笑った。
「この前の飛びおり小僧ね、ありゃ、他殺らしいぜ」
「なんだって――?」
「お宅の若い衆が殺《や》ったんじゃなきゃ、いいがね」
「ちがいますよ――」とオレンプも大声を出した。「あたしは彼の遺書を持ってますぜ」
すると一座の中から、地味なスーツを着た中年男がオレンプのそばに来た。
「その遺書はどこにあるね」
彼はポケットから手帖を出して見せた。
「それを持ってきてくれないか。一緒に署まで来てください」
オレンプは、ヒロの方を見、中年男に視線を戻した。
「どうした、いやなのかね」
ヒロの打球が、あきらかに乱れはじめていた。
七
訊問は深夜までかかった。警察は母親を呼んで遺書を見せた結果、死んだヤスの筆跡ではないことを確認したという。すると、自殺ではない。誰かに突き落されたのだ。
では、誰か。
「知らない。あたしはひろっただけだ」
とオレンプはいった。
「お前さんは、界隈にくわしいんだろ。心当りをいいな」
「それがあれば弟に話してますよ。第一、今のやくざの若い衆に、そんな度胸のある奴は居ないでしょう」
オレンプはただ、ゲームの推移が知りたい。警察は片っぱしから附近の不良を集めて筆跡を調べるという。ひきたてられてきた吉田屋の若い衆たちは、眼顔《めがお》で、かんばしくない状況を知らせてくる。
ヒロが崩れているのだ。むりもない。コントロールは気合が集中していればこそで、一度崩れたら、電動式の玉のなくなりかたは速い。
十二時近く、やっと解放されてオレンプは会場に直行した。入れかわりのように犯人があがって連行されたという。吉田屋一家でなく、八洲一家の若い衆で、酔ったはずみの喧嘩だったらしい。
オレンプはヒロを見、小男を見た。小男は汗みずくのままうなだれていた。
八洲一家は、猪本をはじめほとんど姿を消している。
「えらいぞ。よくがんばったね」
オレンプはヒロの手を握った。
「なんでも欲しいものをやるぜ。女はどうだい」
「俺、散歩してくるよ」
「散歩って、どこを?」
「どこでもいい。日本じゅうをさ。そうやって、俺、暮すよ。パチンコ一本で」
「大丈夫かい。兄貴のようになるなよ」
オレンプは、いかにも愛おしそうにヒロを眺めて、今西にいった。
「あたしの若いときに、そっくりなんですよ」
「猪本さんも、坊やを揺さぶろうとして、とんだ裏目に出ちゃったね」
「さすがですね、あの人も――」とオレンプは機嫌よく、なんでも讃《ほ》めた。「勝負のためなら、なんでもする、偉いもんですよ」
ところでねえ、今西さん、とオレンプは続けた。
「Windserね、ママがもういや気がさしてるんです。あたしが紀美子から買いとって進呈するから、あんた、経営してみませんか」
「なんだって――?」
「そりゃ、吉田屋さんの跡目《あとめ》をつぐかもしれないが、もうあの稼業もそれほどいいことないでしょう。転身して実業家になってみたらどうかな」
「いきなりなんだい。脅かすない」
「本気ですよ。あたしはとうから、あんたを買ってるんだ」
「俺アやくざ者ですよ。それだけの男だ」
「そうじゃない。なに、ソープが落ち目なら売り飛ばして別の事業をやったっていいし」
「本気にするぜ。なにか落し穴があるだろ」
「一つだけ、条件がある。あたしの一人娘のね、亭主になって貰いたいんだ」
「――この前、アメリカから帰ってきたって、あれかい?」
「会いましたか」
「いや、噂にきいてるがね。あれか、――せっかくだが、オレンプさん、俺はやくざのままで居るよ――」
近頃の土地商売の人たちの金銭感覚は、普通の市民たちの感覚とちがっちゃいましたな。ゴールドラッシュといったって、石油も出ないし金鉱があるわけでもない。ゴールドキャッシュさ、といった人がありましたが。
土地を売ればキャッシュが入る。キャッシュが入れば税金にとられる。税金を払いたくなければ、住民票、つまり籍を抜いてしまえばよい。今に、一億全部、居なくなっちゃったりして。すると、税金は誰からとるのでしょう。
南三局 ゴールドラッシュ
一
タクシーが停まったとき、オレンプは女と腕をからみあわせていて、その腕を解かなかった。
「さ、降りよう――」
ネオンのせいでタクシーの中が赤く染まっている。片手で器用に、ポケットから千円札を一枚抜きとって、
「釣りはいいですよ」
「ここで――?」
と女。
「そうだよ」
「どこへ行くの」
「天国さ――」
若くて、水がつまってるようにしっとりとふくらんでいて、とびきりの上玉《じようだま》だ。
「そっちは嫌よ」
と女は両手をオレンプの腕にからみつけてひっぱった。
「お泊りするところがあるんだもの」
「いいじゃないか。もうおそいし――」
「あッ、このへんにカジノない? ルーレットとか、あれ大好き。ねえ、おじさま、お金|稼《かせ》ぎましょ」
「お金ならいくらでもあげる。馬に喰わせるほどあるよ」
「カジノのお金を貰《もら》いたい。知ってるんでしょう。連れてってエ」
オレンプは顔をあげて、マンションビルの七階のあたりを見た。
「三十分だよ。おじさんは疲れてるんだからね」
エレベーターで昇って、何の変哲もない一室の扉を叩いた。
「大丈夫なの」
「中のテレビが我々を映してるよ」
扉が開く。
「やあ。ご繁昌《はんじよう》――?」
「いえ、ぼつぼつで――」
一応タキシードを着た若者が中に向かって、
「オレンプさんです。マスター」
客は一人しか居ない。老人の客で、これもタキシードを着てる。
「うわア、外国に行ったみたい」
マスターが上玉をチラと見ながら、
「お盛んですね。オレンプ」
「冗談じゃない。失業寸前ですよ」
「カードですか、ルーレットですか」
「どっちにする――?」
「ルーレット」
と上玉がいった。オレンプは財布から一万円を出して、
「この娘《こ》を遊ばせてやって」
これもタキシード姿のディーラーが、最低の百円チップを百枚、上玉の方にすべらせる。
「じゃア続行です。社長、よろしいですか」
ディーラーがスピンした。
老人の客が、手元のチップを掴《つか》んで、やおら張る。10、25、27、三点のみ、五枚ずつだ。
オレンプは、円盤の縁《ふち》におかれている青いチップの上の数字を見た。一○○○という数字がおいてある。これはレートの印だ。
老人客のチップが青。一枚百円が単位で一○○○だから、老人客のチップは一枚十万円ということになる。
「はい、手をとめて――」
くるくる廻っていた球が、カラリと1に落ちた。上玉嬢の赤いチップが一枚おいてあり、彼女が手を打って喜ぶ。
「残念でしたね。いやア、マスター、今夜はツイてる」
1の隣りが27、その隣りが10、25と続く。
「もう一つ伸びたら、恐ろしい!」
「圭ちゃん、完全に社長にはモーション盗まれてるんだから、しっかりしてよ」
とマスター。
次のスピン。
老人は無表情で、4、16、33、と又三点、五枚ずつ。
「やられた、マスター、覚悟してください」
ディーラーが頭を振った。球が次第にゆるくなり、ポトリと落ちるのを、マスターもオレンプも見守る。
「23番――!」
とディーラーが大きな声を出した。33、16、4、の一つ向うが23である。
「ああ、ああ、ああ、汗かいちゃうよウ、ツイてるね、マスター」
老人は無言。
ディーラーが赤のチップを含めて大きくカイていく。
オレンプの視線を感じて、マスターがそっとささやく。
「ほら、山猿組の前社長。大きく勝負してくるんで、しんが疲れるよ」
山猿組は土建の大手で、橋だとかトンネルだとか大きな仕事専門だ。
「ウヘッヘエ、マスター――」
老人が今度は当ったらしく、ディーラーが苦笑しながらチップをつけている。
「マスター、あたしにも百枚くださいな。せっかく来たんだから、少し遊んでみよう」
「百枚ね。レートは」
「同じでいいですよ。現金《キヤツシユ》は明日届ける」
「いいけど、それならポーカーでどう? 社長は本当はカーポがお好きなんだ。一人だからしょうがなくて、コロコロで遊んでたんでね」
店《ハウス》としては客二人に負けるおそれのあるルーレットより、安全にテラ銭をとれるポーカーの方がいいとふんだらしい。マスターが老人のそばに行ってささやく。
「なんでもいいそうですよ。オレンプさん」
「二人《サシ》でかい――?」
「そう。簡単でいいでしょ。ファイブスタッド」
「よろしいですかな」
とオレンプは軽く会釈《えしやく》した。
「どうぞどうぞ、おかげで此方《こちら》も楽しめます」
と老人もあいそがいい。
細かいルールを打合わせている間に、さっきのディーラーがカードをシャッフルし、若い方が一○○チップ(一万円)を十枚、両替えしてくれる。参加料《アンテイ》一○○チップ一枚。
出親《でおや》は老人。札まき《デイール》はマスター。
オレンプがカットしたデッキを、マスターが作法通りテーブルにおいたまま、まず一枚、中央にオープンしておいた。この一枚は双方が使う。次いで裏のまま、二枚ずつ配る。ここで一回目の賭け《ベツト》。
オープンカードはスペードの10。
オレンプの手に来たのは、ハートの4、同じくハートの7。悪い。
親が淀《よど》むことなく五枚。オレンプも合わせる《コール》。
オープンカード、クラブのクイーン。
親が五枚。オレンプもコール。しかし金額にすると五十万だ。
ラストのオープンカード、スペードの7。
「どうもあたしはこれが癖《くせ》でね」と老人。
「五枚ずつ、五枚ずつ行くんですよ」
「なるほど。ではチップを五倍にした方が簡単ですな」
老人はじろりと眼をあげて、
「いや、それでも五枚ずつ行きますから」
オレンプも最後までコウった。
コウった方から手を開く。7のワンペア。
老人の方はノーペアで、ダイヤのエースが一枚。
「ラストで来なければオリでした」
とオレンプ。
再びマスターが配る。
オープンカード、クラブの2。
裏のカード、ダイヤのジャック、ハートの5。
「ではあたしも、ご同様に」
とオレンプが五枚。老人がコール。
オープンカード、クラブの8。
双方、五枚。
ラストのオープンカード、クラブの10。
ふむ、と小さく唸《うな》って、オレンプが五枚。
「レイズ――」
と老人、五枚ずつの山を五個、ポットに押し出した。
クラブが三枚オープンされていて、もちろんフラッシュチャンスだが、ファイブスタッドでは、そんな手が相手に入っていれば負けたってしょうがないのである。普通はワンペアか、ノーペアの高目を考える。オレンプの高目ジャックはいかにも弱い。だがポーカーは常識の虜《とりこ》になってはまずい。
オレンプはいつもの人なつこい微笑を浮かべながらコールした。
「ショウダウン(手を開け)」とマスター。
オレンプがノーペア、高目ジャック。
「社長、開いてください」
老人は含み笑いをしながらゆっくり片手をあげて、持っていってくれとうながした。
「おちついてやりますかな。おい、酒。それとチップ」
上玉嬢は、ルーレットに張りついて若いディーラーと小さく遊んでいる。
二
窓の外が明かるくなっている気配で、上玉嬢は隅《すみ》のソファでかわいく眠っている。
オレンプがスリーカードを作って、大きくチップをかき寄せたところだ。彼はすっかり勝運に乗っていて、十枚ずつのチップの山が団地のように手元に並んでいる。
「うん――、うん――」と老人は頷《うなず》きながら、疲労を呑みこむように、グラスを口に運ぶ。
「さて、と。これでチップはいくら出ていますかな」
「四箱です――」とマスター。
「そう。じゃ、もう一箱、貰いましょうか。それで負けたら、今日はおしまい」
「なんだか、ほんの遊びのつもりが、申しわけありませんね。ツイてしまって」
「いや、なに、今日が最後というわけでなし。貴方、ぜひもう一戦、改めてお願いしたいものですな」
「いつでも。夜なら、マスターが電話くれるでしょう」
オープンカードがダイヤのエース。
終局にふさわしいカードで、双方、手巾《てはば》が大きくなって面白い。
オレンプが片手を屏風《びようぶ》にして、裏の二枚のカードの上端をパチリと見る。
無表情に、オレンプはこれまでどおり、五枚。老人コール。
オープンカード、ハートの10。
オレンプ五枚。老人はひとつ間をおいて、煙草に火をつけ、
「待ってくださいよ。どうせ同じだな。ラストだから、全額、レイズといきましょうか」
オレンプも自分の前のチップを、同じ枚数だけポットにほうった。
「コール。勝った分だし、こちらも面白くいきましょう。しかし、これで一枚開いて即勝負ですかな」
「ちょっと」と老人はいそいでいった。「どうですか。テーブルリミットといっても、ラスト勝負だから、もう少し張らせていただけますかな。ラストカードが開いたら」
「ご自由にしてください。なに、口張りだってかまいません」
「そうもいきません。一応|諒解《りようかい》ねがわないと――」
老人は酔ってとろんとした眼で、ラストのオープンカードを眺めた。
それは、クラブのジャック。
「ふむ――」と老人。
オレンプは眼を和ませながら、チェック、といった。主導権を相手にゆずった形だ。
「ありがとう――、花も実もあるおはからい――」
と老人は内ポケットに手を突っこみながらいった。
「しかし、これだけはいっておきますぞ。私が張らせていただいたからといって、手が入ってるとはかぎらない。ブラフだってある」
「存じておりますよ」
「といって、口張りもできない。私の持馬を一頭張らせてください。ゴールドラッシュ」
「それが名前ですか」
「ご存じないか」
「最近は、競馬、とんとやりませんのでね」
「私の持馬では高い方です。マスター、知ってるね」
「もちろんです、社長」
「よろしいですかな」
「結構ですが、いくらと換算しますかね」
「それは私のわがままからだから、いかようでも結構」
「では、こうしましょうか」
オレンプは卓の上のチップを残らず押し出した。
「ショウダウン――」
オレンプから開ける。手札は、スペードのキング、ダイヤのクイーン。
老人の方が、ハートのキング、クラブのクイーン。
オープンカードのダイヤのエース、クラブのジャック、ハートの10、と合わせると、双方ともハイストレートだ。ファイブスタッドでは実に珍らしいが、できてしまえば納得するほかはない。五枚とも同数カードの場合、スペードを上位と見る。したがってスペードのキングを持っているオレンプの勝ちだ。
「うん――!」
と老人は大きく頷き、
「いや、おめでとう。楽しかった」
馬主会のバッジをはずして、
「証書を持ち歩いていないのでね、私の名誉にかけてこれをお預けしておく。水曜までに申告すれば名義変更がその週のレースにまにあいます。マスターまでご一報を」
「いや、ただお預りするだけで結構ですとも。この次、勝負でお返しいたしますから」
若いディーラーがステッキを持ってくる。老人は酔いのせいばかりでなく、右足をいくらか曳《ひ》きずりながら去っていった。
「たいしたもんだなア――」とマスター。
「ハイストの相打ちか。仕組んだってこうはいかない」
「なんといいましたっけね。馬の名前」
「ゴールドラッシュ」
「ダービーがとれますかね」
「ダービーをとれるようならばくちのかたにおかん。GIレースじゃまずむりだが、その下のところならけっこう走るよ」
オレンプは寝《ね》ている上玉嬢の胸にそのバッジをつけた。
「さア、朝ですよ。起きなさい」
彼女はしばらくぼんやりとオレンプをみつめていた。
「アラ、あたし、寝ちゃったの」
「疲れたろう。さア我々もやすもう」
「あたし帰る。もう寝たもン」
「手足を伸ばさないと健康にわるい。おじさんの家に行こう。うまいコーヒーとお風呂があるよ」
「帰るわ。コーヒーもお風呂もまにあってるの」
「おや、そのバッジはなんだね」
「――バッジ?」
「馬主のバッジだ。ははア、君はサンタクロースの夢を見たね。寐ている間に馬主になったよ」
三
日曜の夜、麻雀を打ってると、地下《アングラ》カジノのマスターから電話がかかってきた。
「オレンプ、やったじゃないか」
「――やったって、なにを」
「名前がいいよ、ゴールドラッシュ、ほんとに金がざっくざっくだ」
「競馬か、あれが出てましたか」
「出てたかじゃないよ。立夏賞っていう、けっこう古馬《こば》の強いのが出るレースで、穴をあけたよ」
「ほう、頭ですか」
「それでね、社長から電話があった。銀行の振込口座を教えてくれってさ。来週、賞金を振込むって」
「賞金――? そいつは社長のものだろう」
「いや、カタにとられている間は、それが筋だそうだ。一着賞金千二百五十万だから、二割を厩舎《きゆうしや》にとられて、でも出走手当その他がつくから、ざっと一千万にはなるよ。ボロい稼ぎじゃねえか。こっちにも少し落してくれよなア」
電話を切ってオレンプは呟《つぶや》いた。ゴールドラッシュ、か。
「なんだい、オレンプ」と家電屋。
麻雀をやっていたヤー坊や、温泉旅館の主人で伊豆から長駆やってくるリュウちゃんなども聴耳《ききみみ》をたてている。
「いや、ちょっとね」
「ゴールドラッシュだって? 景気のよさそうな話だね」とヤー坊。
「まアね、東京はゴールドラッシュだが、土地を持たないあたしなんかは関係ないってことですよ」
オレンプは、おや、といってヤー坊の胸のあたりに眼をとめた。
「――これかい?」
ヤー坊は視線を感じたらしく、胸のバッジをみせびらかすようにして、いたずらっぽい眼で、
「俺、馬主になっちゃった」
「――――」
「それがね、オレンプさん、俺の馬、ゴールドラッシュっていうんだが、今の話、それと関係ある?」
「――なるほど」
といってオレンプは息を大きく吸いこんだ。
「またどうして、馬主になんか――」
「だからさ、オレンプさんが近頃ご執心の女が居るってから、銀座のそのバーに行ってみたよ。俺、貴方のことならなんだって関心があるからね。そうしたら、ハルミって子が、サンタクロースの夢を見て馬主になっちゃったっていうんで、おくれよっていって」
「なるほど――」
「ひと晩寝たら、くれやがんの。存外に気前のいい子だぜ」
「なるほどね。それで馬主になった気分はどうですか」
「最高だよ。今日、一着になったね」
「しかし、残念ながら賞金は行きませんよ。あの馬は――」
「山猿組の山猿猪之介さんの持馬だね。競馬新聞にそう出てた」
「そのとおり」
「それがどうしてハルミのものになったの」
「それは、シャレさ」
「シャレね。でも、シャレじゃ通らないってこともあるよ」
「まア何でもいいから、よこしなさい」
「よこせ――? 只《ただ》で?」
「ヤーちゃん。あたしに楯《たて》をつくんですか」
「だって、親分子分じゃあるまいし、貴方に寐て貰ったわけでもないぜ。只でよこせはひどいだろう」
オレンプはパイプに煙草をつめこんで、火をつけた。
「山猿さんとは、正々堂々と勝負した。あたしたちはお互いに、紳士協定を結んだようなものですよ。言葉には出しませんでしたがね。あたしはバッジをカタに受けとった。でもこれは預かってるだけです。近いうちに再勝負をしなくちゃね。だからヤーちゃんにあげるわけにはいかない。ヤーちゃんだって、ばくちをやるんだから、そういう男同士のルールはわかるでしょう」
「わかりますよ。でも俺は、ハルミに貰ったんだからね。男の約束なら、ハルミにどうしてやったの」
オレンプは、ぷかりと煙を吐いた。
「じゃ、くれないんですね」
「オレンプのことだから、大負けに負けとこう。今日の一着賞金、それでいい。それで手を打ちますよ」
「あたしも老いぼれたな。ヤーちゃんになめられるとはね」
「なめてやしない。オレンプさんだって、俺の立場になったら、落し物ですよって只で返すかい」
「ヤー坊、やれやれ――!」
とリュウちゃんが半畳を入れた。
「オレンプが払わなかったら、競馬会に駈けこめ。俺以外の奴に賞金を渡すな、とね」
「駄目だよ、リュウちゃん――」とオレンプ。「ヤーちゃんはゴールドラッシュの馬主証書を持ってませんからね。バッジだけじゃ何も主張できないよ。バッジはただ、あたしと山猿さんの間で、仮の通行手形になってるだけだから」
「でも返すな――」
とリュウちゃんは面白そうにいった。
「なんでも人のいうとおりになるんじゃないぞ、ヤー坊。理由なしにたださからってりゃいいんだ。世間は神輿《みこし》みたいなもんでな、揉《も》んでるうちにいくらかになるんだから」
家電屋も笑いをこらえている。
オレンプはパイプをくわえたまま外に出た。あの連中が面白がってるところでじたばたしてもしかたがない。よこさないなら奪《と》りあげるまでだ。
およそ物を奪う場合の要領は、一、弱点から入る、二、油断させる、三、これ以上ないほど接近。
Windserの支配人室に戻って電話をかける。
「――あ、ママ、日曜日にお呼び立てしてすみませんね。あのね、急用ができちゃったの。ハルミの自宅の電話番号だけでもわかるかしら。――うん、いやそうじゃない、口で頼めばいいことだから。――ありがとう。うん、どうせ明日でもお店に行くから、じゃアね、おやすみなさい」
オレンプの顔にいつもの愛嬌《あいきよう》が戻ってきた。
「――ル ベベ、コマンタレ ヴ? おじさんだよ。――どこのおじさんはないだろ、ベイビイ。例のバッジをだね、馬主のバッジ、――そうだよ、そのおじさん、名義変更があるんでね、明晩、お店にバッジを持ってきておくれ。忘れちゃ駄目だよ。――いつも胸につけてればいいじゃないか。――そう、今日一着になったね、バッジをおじさんに渡してくれないと名義変更ができないからね。折角の賞金がベイビイのものにならないよ。――え? いくらかって? 一千万だよ、一千万。――ああ、頼んだよ。まさか男にでもくれてやっちまったんじゃないだろうね。――そんなことないと思ってるけどさ。じゃアね」
四
「アーラ、ごめんなさい。お待たせしちゃって。今夜は何故か、いそがしいの」
「あたしは待つのは平気ですよ。何を呑む」
「おじさまは、ブランデー? じゃあたしもブランデーの水割り、いただきます」
「綺麗だよ、ベイビイ、そのドレスは新調かい」
「嘘、もう二年も前に作ったの。とっかえひっかえ、着てるのよ」
「いいねえ、若いと。何を着ても映える」
「おじさま、とっても怖い人なんですってねえ」
「あたしは、老いぼれ」
「ヤー坊にきいたわ。もうご存じでしょう。でもヤー坊と寐たなんて嘘よ。友人に見せびらかすからちょっと貸してくれって、持ってっちゃっただけなの」
「そうかい、そうだろうねえ」
「香港に売られちゃうんですって。そういうご商売なんですってね。あたしなんて、いくらで売れるのかしら」
「君は売らない。君はあたしのお姫さまで居てもらう」
「アラ、そうすると、おじさまがあたしを買ってくださるわけね」
「うん、バッジ付きでね」
「バッジねえ、何度頼んでも駄目なの。君じゃごまかされちゃうから、ヤー坊が直接返すって」
「なアんだ、君も案外、おしゃべり屋さんだねえ。そんなことをまともに言ったら、返す奴は居ないよ。賞金がからんでるんだから」
「じゃ、どうすればよかったの」
「だまって持ってくればいい。ヤー坊が裸になったすきにさ」
「盗めっておっしゃるの」
「もともと君の物でしょう」
「あたし、おじさまみたいに、ギャンブル、したいわ」
「ほう――」
「ギャンブルで奪り上げるのって、最高」
「奪られたら、最低だよ」
「奪られないわよ。だってこの間のルーレットでも、負けなかったもの」
「それはディーラーが遊んでくれたの」
「じゃ、おじさまと、勝負しましょうか」
オレンプは、張合いなさそうに酒を呑んだ。
「君とは商売しない。いったでしょう。君はあたしのお姫さま」
「ねえねえ、百円玉、持ってるだけ貸して」
ハルミはオレンプの財布から、六七個の百円玉をとると、後ろ手でしばらく揃えていた。そうしてオレンプの眼の前に、その百円玉を積んで出した。
「この一番上、100ってあるでしょう。これが表よ。桜が裏。わかった? 裏か表か、この下を順々に当てていくの」
オレンプはチラと彼女の顔を見た。
「君は今、後ろ手で揃えたけど、表か裏か、モー牌でわかるのかね」
「わかるわよ」
これは地獄の博打といわれる手ホンビキと同じ性質の遊びで、玄人《くろうと》の発想だ。なまじっかなバーのホステスがこういう挑戦をしてくるとは思えない。
「で、何を賭ける」
「あたし? そうねえ、ウフフ、身体」
「本気の勝負かい」
「勝負はいつも本気よ」
オレンプはちょっと笑った。
「よし、それじゃ、ヤー坊とそれをやり給え」
「ヤー坊と――?」
「バッジを賭けてさ」
「――おじさまとヤー坊と、どっちかを選ばせるわけね」
「まアそうだね。一千万の賞金がある。ヤー坊からじゃ、賞金は貰えないよ」
「おじさまからだと、貰えるの」
「あたしの物は、皆、君の物さ」
オレンプは思いきりよく立って店を出た。彼女がヤー坊に勝つか負けるかわからないが、どのみち彼女からのルートでバッジを再入手できるどうか、あまり当てにはならない。最悪の場合は金で解決をはかることになるかもしれない。
ヤー坊にしのぎ負けることは耐えがたかったけれど、それ以上に、オレンプは、初対面の山猿氏とのルールを踏み破ることの方が、気持に添わなかった。ヤー坊となら、またしのぎ勝つこともあろう。どんな人間でも全勝は不可能だ。
だが、バッジは勝ち負けじゃない。ルールだ。かたに預かって、再勝負を約束したからには、賞金が振込まれた時点でこちらもかたを返却しなければならない。チンピラ学生に持っていかれたなどと、みっともなくていえたものじゃない。
先夜と同じコースで、オレンプは七階の地下カジノに現われた。ブラックジャックの卓に若い客が二人。
「ツキ男、何をたかろうかな」
とブランデーのグラスを出しながらマスター。
「冗談じゃない。ツイてなんか居ませんよ」
「どうして」
「エイズ以来、客はばったりだし、したがってばくちのメンバーも淋しくなるし」
「だってゴールドラッシュは久しぶりに来たぜ。あんなの、パンク寸前の古馬だったんだ。この調子だともう一丁あるかもしれない。そこまでオレンプがかたを預かりきればね。それで名義変更してすぐに三段飛びで売る。いい儲《もう》けじゃないの」
「いや、ただ抵当にとっただけだから、賞金を振り込んでくれたら、すぐにお返しするつもりですよ」
「そりゃつまらんよ。賞金なんかたかが一千万だ。それより、次の出走まで一月くらい、なんとか社長と会わないようにしたらいい。もう一鞍《ひとくら》稼ぎなさいよ。俺にひと口乗せりゃそれくらいの役はするよ」
「ありがたいね、マスター、気持だけいただくよ」
「気持って――」
「あたしはしがないソープの支配人《マネジヤー》ですがね、ばくち打ちの誇りは捨てたくないのさ。勝負の場ならいくらでもコロすけれど、ルールは守りたい。こりゃ一人合点の見栄ですがね」
「ルールって、テキは文句いわない筈だぜ。あの人、銭払いは綺麗だから。あんまりばくちに凝《こ》って、社長の座を弟さんにとられちゃったらしいがね」
「山猿さんは、今夜あたり、来ないかな」
「さア、日曜日だからね。競馬場に行って、後は家庭サービスじゃないか」
といってるところに、ピンポーンと鳴って、若いディーラーが、
「マスター、社長がお見えです」
朗々と、――鵜船《うぶね》に灯《とも》す篝火《かがりび》の、後の闇路をいかにせん、謡曲鵜飼≠フ一節を吟じながら入ってきた山猿氏が、オレンプを認めて、
「おや、これはこれは――」
「ご機嫌でいらっしゃいますな」
「ちょうど頃合いに酔いました。ははは、先夜はまた失礼を――」
「こちらこそ。棒にツキましてご不快をおかけしました」
「あの馬が走りましてね。マスターからおききでしょうか。賞金はまちがいなくお振込みいたしますので」
「どういたしまして。抵当は抵当だけのこと。あたしに何の権利もございませんが、ではその賞金分を換算するとして、それまでにはまちがいなく、ここのマスターまでバッジをお返しいたします」
「お堅いことをおっしゃる。おついでのときで結構ですよ」
「なにかまちがいがあってもいけませんからね」
「いや、実をいうとバッジだけでは効力がないんで。馬主会の会員証と併用しないと、馬主席にも入れないことになっとるです。いや、アッハハハ」
「なるほど――」
「ところで、今夜はもうお帰りですか」
「いえ、あたしもついさっき、ふらっと寄ったばかりで」
「一戦やりますかな。先夜の奴を」
「結構ですな」
「※[#歌記号]罪も報いも後の世もオ、忘れはてて面白やア――。あハハハハ」
五
オレンプは、ブランデーを二杯でやめた。
山猿氏は、薄い水割り(マスターの配慮らしくだいぶ濃い)を何杯でもおかわりする。
「五枚ですからね、社長。交換もなにもしない、ただ配《くば》りっきりのカードですから、上手も下手もないんです。社長、がんばってください」
マスターがしきりにあおる。
「それが君、ツイてないというのか、弱いというのか、――しょうがないんだよ、君」
「強いからいいカードがくるってんじゃないんですから、社長」
「ええもう、こうなったら、帰しませんぞオ」
「ほら、出た。社長、その言葉が出ると強いんですよ。出ると思った」
「ええと、チップはどのくらい出たかな」
「三箱。がんばってください」
「じゃアもう、一気に二箱貰いましょう。それで今夜は降参」
「帰さないんじゃなかったんですか、社長」
「ええ、帰しませんとも――」
オープンカード、クラブの8、クラブの10、同じくクラブの3。
「ああ、はじめて、やっと入りました」
大きいチップを残らず張った社長が微笑した。
手札は、クラブの5、クラブのクイーン。
「失礼。これは本当に失礼しました」
オレンプの手札が、クラブの4、クラブのエース。
「――ああそうですか。いや、これはまいった。ははア、まいりました」
それでも悠然とカードを放って、山猿氏は五千万の小切手を書く。
「もう一番、いかがですか」
「いや、あたしのリミットは、これくらいでしょう」
「でも、抵当物件をお返ししたくて、再勝負をお約束しましたから、例のバッジを賭けてもう一番。あたしが負ければ賞金も馬もいりません。そっくりお返しいたしますが」
「そうですか。では――。同情していただくようじゃ、もう勝てませんが」
マスターが改めてシャッフルしながら、
「そんな弱気なこといわないで、社長」
この一番は、賭け金がバッジときまってるから、チップの駈引きはなし。ラストのオープンカードを見るなり、社長が、
「やっぱり駄目ですな、ノーペアだ」
「こちらもですよ、社長。これは負けました」
山猿氏の手札が、2と8。
オレンプの手札が、4と9。
「高目、オレンプ――」とマスター。
山猿氏はおしぼりを使いながら、
「これで確定しましたな。ゴールドラッシュは貴方のものです。名義変更を早速いたしましょう」
「かえって失礼をいたしました」
「いやどうも。※[#歌記号]――罪も報いも後の世もオ、ステッキ」
「ステッキは社長、今日はお持ちになりませんよ」
「そんなはずはない」
「はずはないけど、社長、どこかにお忘れになりましたね」
「――あたしもとうとう、ボケましたかな。※[#歌記号]――忘れはてて面白やア」
山猿氏が去ると、マスターは黒い小型の鞄の中に手際よく五千万の現金を詰めこんだ。
その中からオレンプは、十万|束《ズク》を五つ、マスターに、二人のディーラーに一束ずつ置いた。
「ごちそうさーん」
「道中不用心だから送ってくよ」
「ご丁寧ですが、大丈夫さ」
「まアいいじゃないか」
ビルの外に出てから、オレンプがいった。
「チップはおきましたがね」
「ありがとう。だが、それじゃすまない場合《ケース》もあるぜ」
「なるほど」
「この前はツキだったかもしれないが、同じようなことが二度と続くと思うかい」
「仕事をしてくれたのか」
「トボけちゃいけない。オレンプともあろう男が」
「頼みませんでしたがねえ」
マスターは立ち止まって真正面からオレンプの顔を見た。
「オレンプだって、口の利き方は気をつけて貰うぜ。俺は一人じゃない」
「どうすればいいのかな」
「これから先、ゴールドラッシュに半分乗っけて貰おう」
「――じゃア、この鞄は貰っていいんだね」
「当り前よ。うちは堅い商売だ。お前さんのいう、ルールって奴だろ」
マスターは鞄を渡して、オレンプの肩をぽんと叩いた。
オレンプはその鞄を持って、いつものマンションに入る。
家電屋、ズンベ、株ピー、住職の日吉、フウ公、オッチョコ、カマ秀、ノロ、居続けのリュウ、大勢来ている。
「おそいね、どこへ行ってたんだ」
「ほう――」とオレンプはにやにやした。
「ヤーちゃんが、来てませんね」
「来てるよ。さっき来て、あっちで寐てる」
オレンプは鞄を無雑作に放り出して、
「まず、一杯――」
株屋の愛人がブランデーを持って来てくれる。
扉があいて、ヤー坊が顔を出した。バッジを胸につけてる。
「ははは――」
とオレンプは笑った。
「さすがに、ヤーちゃんですね」
「で、どうなったい――」とリュウが甲高《かんだか》い声を出した。「この一件は、どう結着がつくんだ」
「残念ですが、ヤーちゃん、バッジは持ってても、なんの意味もないんだ。だから君にあげるよ」
「てやんでえ。抵当はどうするんだい。山猿さんに返すんだろう」
「いや、今夜リターンマッチをやってね、ゴールドラッシュはあたしの馬になりましたよ。来週名義変更をしてくれます。ヤーちゃんがバッジを持っていようと、いまいと」
「先方がそれで納得するかい」
「バッジなんか、失《な》くしたっていえばまたくれるだろうさ。山猿さんほどの大馬主なら」
「いうことが、がらっと変るじゃないの」
「ああ、もう、あの人とはポーカーはやりませんからね」
「どうして、あの身代《しんだい》、まだひっぱれるだろう」
「いや、今度はどうやら、あたしの負ける番らしい。三度は続きませんよ。あそこのマスターだって、大事な客だ。社長にサービスするでしょう」
「おい、――おい、おい!」
家電屋が突然、声をあげた。
「オレンプ、笑わせるんじゃないよ。大体、お前さんが馬主として登録できると思ってるのかよ。自分が殺人前科があるってことを、忘れてるんじゃないのかい。いくら審査が雑だって、オレンプは通らないよ」
「個人名義にはしませんよ」
「会社にするのか。代表者は誰だよ。誰を代表者にするんだ」
「ハハハ――」
とオレンプは笑った。
「そこですよ。そこさ。あたしも考えましたね。自分の前歴は忘れちゃいませんし、あたしは最初から馬主になる気はない。皆さんの中で、もしその気があれば、買ってやってくださいな。もちろん、お一人でそっくりでなくていいんですよ。会社名義にするから、株主制でもかまいません」
「なんでえ、あんな古馬」とリュウちゃん。
「古馬ったって、まだ五歳ですよ」
「売るって、いくらで売る気なんだ」
と家電屋。
「さアね、あたしは馬にくわしくないから。それにひょいと拾ったようなものだしね。まア、よければ競《せ》りでいきましょうや」
「ちょっと待って、今すぐなの」
「すぐが一番。キャッシュオンリー。もちろん、あんまり安いんじゃ、|〆切《しめきり》を延期して、他に持っていく手もありますがね。しかし、事情は皆さんわかってる。世間並みの値段はいいません。最低のスタートを定めますよ。さア、二百万――」
「この野郎、人をおちょくりやがって――」
と家電屋。
「二百万、声が出ないんですか」
「よし、銭を捨ててやろう――」
とリュウちゃんがいった。
「二百万、買ったよ。但《ただ》し、現金は、まちがいなく会社名義になってから、払う」
「さア、もうないか。二百万。――殺して喰おうというんじゃないからね。二百万はかわいそうでしょ」
「三百――」と株ピーがいう。「現金が後でよけりゃアね」
「三百五十――」
とリュウちゃん。
「痩せても枯れてもサラブレッドだよ。当歳《とうさい》でさえもっとする。まして実績は多々《たアたア》さ。三百五十はかわいそうでしょ」
「俺も、他の人と同じ条件かい」
とヤー坊。
オレンプは、きっとなってヤー坊を見返した。
「なめるんじゃないよ、ヤーちゃん。お前さんは女をパクッただけで充分だろ」
場がしいんとなった。
「さア、もう声がないんですか」
皆、様子を見てる。
「やめた。それじゃ草競馬に売った方が、いいや」
「どうだい、皆さん――」
と家電屋がいった。
「会社だっていうんだから、ここのレギュラー全員で、百ずつでも出し合ってみようか。百くらいなら、俺だって出せる」
「その他に、飼葉代《かいばだい》が要りますよ。月に四十ほど」
「十人居れば一人四万だろ。いいよ」
「十人居るかな」
「すくない方がいいよ。ここに居るメンバーだけで定めちゃおか」
「あと、どのくらい走れるんだい」
「怪我《けが》さえなけりゃ、一年は固いよ。近頃は七歳や八歳だって珍らしくないからな」
「あと一勝すりゃア、元はとれる」
「一勝はするさ。あの血統はわりに奥手なんだ」
「着賞金だってあるしね」
「ここに何人居るの――」とオレンプ。「九人か。ゆみちゃん、君も入るかい」
「もちろんよ」
ノロとフウ公が加わらないといった。その分、翌日になって、ロザリーの店長小池と、特殊浴場組合理事長の立石が加わった。
六
会社名は鬼ケ島商事と決定し、代表者にはヤー坊の父親の水野明宏氏を持ってきた。名前だけだが、歯科医だから審査は通る。
株ピーが設立書を作り、全員がサインし、正式に発足した。
「これでゲンが変って、鬼ケ島もゴールドラッシュになるといいな」
「おや、オレンプが入ってない。どうしてだい。変だな」
「あたしは売り主だもの。それに競馬はあんまり興味ありませんよ」
彼はわざと、マスターの半乗りのことはいわなかった。公式の半乗りでないから、いわなくたって、べつにルール違反ではない。
けれども、ゴールドラッシュが賞金を獲得したら早速現われて、是が非でも半分持っていくだろう。誰が馬主だろうと同じで、マスターにはマスターの考え方というものがあり、取るといったら取っていく。
だからオレンプは、この会社とは無関係でありたいのである。
鬼ケ島商事の持ち馬として、はじめてゴールドラッシュが出走する日、ヤー坊親子が代表で馬主席におさまり、後の連中は、昼間っから全員が集まって、テレビをつけた。
オレンプすら、さすがに気になって、顔を出した。
「けっこう、穴人気になってるんだ。前回走ったからなア」
「人気は関係ない。馬券じゃないからな、俺たちは。賞金泥棒だから」
「泥棒じゃないでしょ。ちゃんとした馬主さまよ」
ゴールドラッシュの返し馬はなかなか優美である。
「でも、馬券買ってる奴も居るだろう。手をあげてみろよ」
「皆、黙ってやがる。ゴールドラッシュが勝つと、実は、なんていって馬券を出して見せるんだぜ」
「オレンプ、あんたは買ったのかい」
「いや、あたしは競馬に興味ないから」
「しかし馬券には興味あるだろ。どうして買わないんだ」
「三度はね、続きませんよ。あたしの勝運はもう老いぼれているし」
ゴールドラッシュは内枠だったが、スタートよく二、三番手のインを、柵すれすれに走っていた。
「よし、気合が乗ってるよ。あの馬、あんな好位で走るのは珍らしいんだ」
二コーナーを廻って、バックも三番手。他馬が外を追いあげてくる。
「大丈夫だ。経済コースさ」
三コーナーからピッチがあがった。そのとたん、どうしたことか、たった一頭、崩れ折れた馬があった。
あッ、あッ、と皆が口々に叫んだ。だが画面が馬ごみを写していて、様子がわからない。
「どうしたッ、ゴールドラッシュか――!」
馬たちがゴールに駈けこみ、それからやっと、カメラがロングで三コーナーを写した。転がって全身を痙攣《けいれん》させているかわいそうな馬が遠く見え、馬運車が走り寄っていった。
「なんだ、こりゃア――!」
「おい、どうなった、薬殺か!」
「何にもいわねえなア、アナウンサー」
「電話をかけろ。ヤー坊を呼び出せ」
皆、自分の脚が折れたように形相が変っている。
オレンプは一人、パイプに火をつけて、うまい煙を吐きながら、こうしちゃ居《お》れん、マスターが駈けつけてくる前に退散しなきゃ、と思っていた。
人は誰でも年をとります。市民とちがって、遊び人の世界には平和な老境というものはありません。もっとも市民世界でもあるかどうか疑わしいが、遊び人は、老いれば即ち喰われてしまうのです。獅子が老いてハイエナに喰われるように。
誰しも、ここを工夫しないわけじゃありません。伜《せがれ》を早く一人前に仕立てて、という作戦は常套的ですが、成功例があまり見られないというのは、伜が親を喰ってしまうので。
若い時に好きに生きて、老いてなお好きな生き方ができれば、天国なのですが。
南四局 親《おや》に孝行《こうこう》子《こ》に不孝《ふこう》
一
鬼ケ島セクシー街の中にも純喫茶なるものが何軒かある。純喫茶というのは、ポーカーゲームだのパチスロだのをおかないで、純粋にコーヒーを呑ませる店だ。そのかわり、ゲーム喫茶とちがって、コーヒー代を払ってコーヒーを呑むのである。
何軒かのうち、最高にシンプルで(つまり上品で)、格を主張してモーニングサービスなどやらず、神経質なマスターみずからサイフォンでいれてくれるという、おかげで一番客の入りがわるいグランブル≠ニいう店が、オレンプの行きつけだった。
即ち、徹夜明けの朝のコーヒーをすすりながら、この店で新聞を読んだりするのである。細身で長身のオレンプが、コーヒーカップを小指を立てて軽く握り、老眼鏡で株式の欄を眺《なが》めていたりすると、イギリスから帰朝した初老の紳士に見えるから不思議だ。
かかるところへ、
「いよッ――」
と叫んで扉口から半身を現わした奴が居る。
「いいかよ、そこに行って――」
クーパツ屋のフウ公が競輪ダービーと染め抜いた帽子をあみだにかぶったまま、悪い、という前にのこのこ入ってきた。
「お疲れさん、今、帰りかい」
「早起きだねえ、フウちゃん」
「ああ、年齢《とし》のせいでね、六時半てえと起きちゃう。それで、これさ」
ミスタードーナツの袋をみせびらかすようにして、
「俺にもコーヒー、おくれ」
ドーナツをむしゃむしゃやりだした。
「こいつ、何時でも店があいてるからね、便利なんだ。俺、近頃、ドーナツ中毒さ」
「景気はどうですか」
「駄目。競輪場も首都圏は、ノミ屋、コーチ屋締め出しでね。商売あがったり」
「なるほど。困っちゃうね」
「コーヒーもなかなか呑めないよ」
「フウ親分ともあろうものが」
ウヘヘ、とフウ公が笑った。
「なんだってねえ、セクシー街も灯が消えたようだってね。エイズで」
「まァね、いつまでもボロイことずくめじゃ罰が当るからね。ちょうどいいでしょう」
「さすが、オレンプ親分」
とお返しをしておいて、フウ公は真顔になり、ここぞの思い入れたっぷりにいった。
「実は俺、今度、会社をはじめるの」
「ほう。ノミ会社――?」
「いいえ、大ちがい。正真正銘の株式会社」
「なるほど――」
といったが、オレンプの口元が半分笑っていた。
「ぜひ、オレンプ親分に、話をきいてもらいたいんだ」
「そりゃア、フウちゃんの話ならききますよ。きくだけは」
「くわしく話さないとわからねえんだよ。実はね、俺の一番最初の女房に息子が居るんだよ。女房が育てたようなもんだがね。こいつがどうしてか俺になつきやがって」
「なるほど。わかるよ。父親だもの」
「高校を出やがってね、競輪選手になりたいってんだ。そういわれてみると、いい身体してやがるんだよ。で、俺はいってやった。いいぞ、身体を資本に稼《かせ》ぐのは立派なことだって。そうだろう」
「貴説のとおりですね。立派ですよ」
「そうしたら競輪学校、一発で合格しやがってね。レーサーにもろくすっぽ乗ったことがなかったのにさ」
「ほう――」
「で、これが近々卒業するんだよ。それで俺は考えた。老いては子に従い、ひとつ子供で会社を作ろうてんだ」
「なるほど、だんだんわかってきたよ」
「ね、ツウてばカーだろう。ゴルフ場の会員権てなもんだ。今のうち、会員を募《つの》っておいて、やがて野郎が選手になったとき――」
「八百長をやらせるか」
二人の声は急に小さくなった。
「当り前よ。やらさなくってさ。親父の俺が舵《かじ》とりになって、人気で消える、不人気で穴を出す。もちろん、やりすぎちゃ駄目だよ。やくざがよく使うように、どかどかっとやらせて消耗品《しようもうひん》にするなんてことはしない。そこは俺は親父だからね。親子の情だ。誠実にやるよ。ふだんはちゃアんと実直に走らせる。ここぞというところで一発だ」
「でもねえフウちゃん。八百長はそれほど易しくはないよ。まず第一に、息子さんは脚力がかなりあるのかい。強くないと仕組みレースはむずかしいし、車券的にも効果ないでしょう」
「それがね、俺も小馬鹿にしてたんだが、なかなか強えんだよ。予想記者の話でも、今期五人の中の一人くらいには入ってるらしい」
「第二に、買いの問題ですね。不自然な売行きはマークされる。今、十台も場内テレビを使って穴場を写してるからね」
「それが大丈夫。おまかせなさい。俺ア専門家さ。絶対に買いで足はつかない」
「ほう、そうですか」
「現場で車券なんぞ買わないんだ」
「なるほど」
「全部、ノミ屋に入れる。俺はこの業界で顔が広いからね。ノミ屋に入れて、ノミ屋から銭を貰う。競輪場はいっさい無関係。もうひとついいことは、ノミ屋ならいくら大量に買っても、配当が安くなることはない」
どうだい、とフウ公がいった。
「――面白いね」
「俺も、頭がいいだろう」
「で、会社というのは?」
「株主募集さ。一株百万円。もちろんお気持があれば何株でも結構」
「百万円ねえ。権利金というわけか。実績なしで、百万は高いな」
「元手だってかかるんだよ。息子を金で抱きこまなくちゃならないし」
「百万円、ねえ」
「それに、やくざ系列はおことわりだ。息子のことを思えばね、安全な堅気《かたぎ》だけで株主を組織したい」
「それで、あたしに話をきいてもらいたいというのは?」
「だからさ、オレンプ、顔は広いし信用もあらア。すくなくとも俺よりはね。皆に口を利《き》いて貰いたいのよ。株主を集めてくれりゃア、あんたは権利金なしで株主にするよ」
「無尽《むじん》の親じゃあるまいし、権利金なしはないでしょう。ま、せっかくのフウちゃんの話だから、ききましょう。山分けで」
「山分け? 五割かい。百万の五十万?」
「フウちゃんのお役に立つなら」
「ひどいよ。殺生《せつしよう》だよ。やくざだってそんなこといわないよ。俺を締《し》め殺そうってのと同じだよ。俺と息子と、親子二代で資本をかけて――」
「でもねえフウちゃん、実績なし、将来の保証なし、うまくいったらという話でしょ。まず普通じゃ誰も乗ってきませんね。ちょっと前ならともかく、この不景気にね。今、誰も遊び金なんか持ってませんよ。時期がわるいよフウちゃん」
「時期がわるいって、息子は今のうちじゃないと自由にならなくなるよ。青田買いの百万さ。安いもんだよ。毎晩ばくちをしてることを思えばさア」
「時期がわるい。ウーン、エイズがなければねえ。それに、失敗すればあたしの名誉にもかかわることだし」
「三割返そう。息子に三割。三人で三つ分けさ。畜生、俺も人がいいなア。オレンプに話すんじゃなかった――」
二
一番先に面白がったのはロザリー≠フ店長の小池だった。
「あたしはね、一生に一度でもいいから、そういうことをやりたかったの」
「そういうことって――?」
「八百長さ」
「なるほど。あんなもの、別に変ったことでもなんでもありませんがね」
「でも、お客さんが居るしさ。たくさんのお客の眼の前で、自分たちが仕組んだことをやる。思っただけでわくわくするねえ。こんな光栄なことはありませんね」
「一株、百万ですが、それじゃ思いきって、大株主になりますか」
「いえ、参加するだけで光栄。一株で結構」
ズンベもオーケイという。彼は若いからなんでも面白がる。
「一株かい」
「まア、何株でもいいけどね。そういうことなら」
「じゃ、書類を作るから、ハンコを押して貰いますよ」
「いいとも」
「何株にする?」
「だから、何株でもいい」
「でも、定《き》めようよ。現金の都合もあるでしょう」
「今度、勝ったときに払うよ。勝ちゃア何株でも入っちゃう」
好奇心が旺盛《おうせい》なくせに、なにか一言いいたい家電屋は、
「けどねえ、早い話が、フウ公が株主の金を集めて、どこかへ居なくなっちゃったら、誰が保証してくれるの」
「フウちゃんが、このあたり以外で生きていけるもんですか」
「フウ公の将来なんかきいてるんじゃないよ。金が、消えちゃったら、オレンプが保証してくれるのかい」
「しませんよ。そんなもの。あたしもその場合は被害者だもの」
「そいつはばくちだなア、やっぱり」
「じゃア、やめとくか」
「うん、まア参加しないってわけじゃないがね」
フウ公が珍らしく几帳面《きちようめん》に、息子がレーサーに乗ってる写真を貼りつけ、名前、本籍、住所、競輪学校での模擬《もぎ》レースの成績、独走タイム、教官評などを記しこんだものを持ってきた。
「こうして見ると、ますます不安になるね。フウ公が、詐欺《さぎ》以外にこんな面倒なことをやるわけないよ」
とヤー坊。彼も、勝ったときに払う組。
「ええとですね。この会社がスタートして、一発あって、皆さんが最初の配当金を受けとるのを見てから、でいいですか」
と日和見《ひよりみ》を主張したのがノロちゃん。
フウ公は、自分は株式会社の社長だといわんばかりに、袖口《そでぐち》の裏布地がちょっと破れたりしているスーツと、大昔のらしい太いネクタイをしてくるようになった。
「この株は、売買は利くの?」
「ええ、ウチは一度売ったものは、買わないイ――」
「そんな株ってあるの」
株屋の愛人のゆみが眼を三角にする。
「大丈夫ですよ。内輪でなら名義変更できます。但《ただ》し額面の値段かどうか、保証なし」
とオレンプが助け舟。
「もし一年後に、増資というときはですよ、それまでの株主は当然、無償で株を貰えるでしょう。ただ額面は五十万になるかもしれんが、配当が増えるわけだから」
「増資ってのは、元金がポシャったときじゃないのかね」と家電屋。
「ポシャる可能性もあるの?」とゆみ。
「そりゃ、株はなんだってそうですよ。日本銀行の株だってポシャるかもしれない」
「そこがばくちさ、ねえ大将」
とフウ公が不気味に笑い、一座がしらけた。
けれどもとにかく、小池、ズンベ、家電屋、ヤー坊、ノロ、ゆみ、と予定株主が揃《そろ》い、創立パーティを開き、
「さア、あとはフウ公がずらからないように見張るだけだな」
「大丈夫だよ。銀行に行って通帳作るから」
「なんでもやりなよ。その通帳を我々に預けるかね」
「いや、元手がかかるんだ。息子にも握らせなくちゃ。諸雑費もかかるし、いそがしいんだよ、俺」
「いやな社長だな。どうにもうさん臭いね。皆、どうする」
「そのかわり配当が天下一品だ」
フウ公の息子は、大谷地《おおやち》ケリー、という名だった。
「フウ公は大谷地って名前だったのか」
「いや、それは妻君の方の苗字《みようじ》」
「――ケリーってのは?」
「本当は、ケリー・ジュニアなんだ。男がケリーって奴でね」
「男ってえと、誰の男?」
「元カミさんの男だよ。当り前じゃないか」
「なんだ、フウちゃんはそれじゃ、父親でもなんでもないじゃないの」
「いや、父親は俺。ケリーは男」
「ますますうさん臭いな」
それでも、卒業記念レースは、伊豆へ行って総見《そうけん》してやろうか、という話が出た。
「そんな必要ないよ――」とフウ公。「まだ、パツ(八百長)はやらねえぜ」
「当り前だ。卒業記念のレースだもの。車券は売らねえ」
「いい頃合いになったら知らせるからよ。それまで内緒にしててくれ」
でもなんとなく楽しみだ。朝顔のタネを植えて、今、芽が出るか、今、咲くか、と待ってるようなもので、小池店長じゃないけれど、わくわくしてくる。
ある日の夕方、フウ公が大谷地ケリー君を連れてきて、焼肉屋で会食をした。髪の毛は赤茶だったが、皆がほれぼれとしたほどいい体格で、明朗|闊達《かつたつ》な青年だった。
ビールも肉もよく喰い呑んだが、煙草を手にすると、少しむせたりした。
ゆみが、ぽっとなって、
「かわいそう。あんな青年が、このおじさんたちに突つき殺されちゃうなんて」
「殺しゃしないよ。大切な財産だ」
「でも、もう知ってるのかしら。株式会社のこと」
「さア、な。俺たちは黙ってる方がいい。ただの後援会だ。万事はフウ公に働かせよう」
「でも、――」
「でも、なんだい?」
ゆみはそっといった。
「あたし、お好みよ」
「駄目だよ。年がちがう」
「ああいう子、年上が好みなのよ。ほら、見てごらんなさい。あの股の筋肉。しびれちゃう」
家電屋が、ふっと振り向いて、ゆみの顔を見た。
「そうだな。ゆみちゃんが、忠告してやる手もあるな」
「忠告って――?」
「フウ公のためになんか働くな、ってさ。あんな奴、父親じゃない。ばかばかしいよ」
ゆみも、家電屋の顔を見た。
「それで――?」
「ゆみちゃんのために働かせればいい。お前、あの子をものにしてさ」
「――そうねえ」
「俺、半分乗るよ」
「おっさんとじゃ厭《いや》。だって勝負弱いんだもの。それならあたしが一人でやるわよ」
「この野郎――」
同じようなことを考えた男が居た。ロザリー≠フ小池店長だ。
「競輪選手って、いいなア」
「今、賞金もいいからね」
「強いと、どのくらい稼げる?」
「個人差はあるがね、中野浩一なんて、毎年、億は稼いでるんじゃないか」
「億、ね。あたしの娘が十七なんだ。いい子なんだがね。ピンクゾーンなんかに出さなくてよかったよ。彼の嫁さんにしてもらおう。そうすりゃ――」
義父として、いつまでも、わくわくするような八百長をさせることができる。
オレンプも、むろん、そんなふうなことを考えた。娘があればな、俺にも。
あることはあるんだが、あの娘じゃなア――、そう思ったとたんに、自動ドアがあいて赤い大きな塊りが眼の中に飛びこんできた。
「パパ――! 元気だったわよ、あたし。また帰ってきちゃった」
「ジーン――!」
オレンプは、ホームドラマの父親のように優しく立ち上った。
「どこに行ってたんだい」
「最高よ。ブラジル。向うの人が帰れっていうもんだから、あたしは帰りたくなかったんだけど」
「誰がそんなバカなことをいったんだね」
「警察――」
と彼女は言い捨ててから、父親ゆずりの直感力で、大谷地ケリーのところに歩み寄っていった。
「ちょっと、あんた」
ジーンはニッと笑った。
「何してる人? 恰好いいわね」
「フウちゃんの息子さんで、競輪選手なんだ。今、激励会をしてるところだよ」
フウ公が必死に、息子の楯《たて》になって、
「あっちへ行きなよ。パパのところへ。此奴《こいつ》はまだ虫がついてないんだから」
「そうよ――」とゆみも叫んだ。「皆、椅子に坐ってるのよ」
「あたしだって、嫁入り前よ」とジーン。
「それでは、ケリー君の活躍を祈って、もう一度乾盃してお別れしようか」
と家電屋が解散説を唱える。
「待ってよ。あたしまだ何にも喰べてないし、呑んでも居ないわ」
「じゃ、別のテーブルでオーダーしたら」
「あたし、ハングリイなの!」
「我々はね、もう三時間前からやっていて、そろそろなんだ。ほら、ケリー君も少し疲れた顔してるし」
ジーンは例によって、はったと家電屋をにらみつけた。
「あたし、今来たばかりよ!」
そうして、ケリー君におおいかぶさるようにして、ぴたっと腕を組んでしまった。
「なんだかわからないけど、あたしがこのヤングマンと親しくなるのがいけないらしいわねえ。ちがう? でもあたしは、仲間はずれにされるのが好きじゃないのよ。さア伺《うかが》うわ。何のお話してらっしゃったの」
「その前に、会費が必要なんだ。百万円だがね」
と家電屋がいい、瞬間、ジーンは黙った。
「――わかったわ。コケインね」
彼女は意気揚々といった。
「それならあたしでなきゃ駄目。ブラジルで仕込みがグラムいくらで、どこのどういう筋をつつけばいいか、なんでも知ってるわ。きいてちょうだい」
「コケインじゃないんだ」
「ヘロなの?」
「ちがうんですよ、ジーン」
とオレンプもいう。
「パパ、その会費、ちょっと出しといて。ミスターヤングマン、あなた、コケインを女のあそこへ詰めて、鼻で吸ったことある?」
三
大谷地ケリーは、はじめからA級二班に組入れられて、しかも無人の野を行くがごとくに勝ちまくった。デビュー場所が111、以来土つかずで十連勝。
「強いね。フウちゃんの息子と思えない」
「なアに、すぐボロが出るよ。最初はね、夢中で走ってるんだ。慣れるとそういかない。怖くもなるし、他の選手にマークされて廻転を合わされる。俺、三十年もレース見てるんだからね」
フウ公はそういうが、勢いは少しも衰えない。二着を一、二度はさんで、なおも勝ち続け、S級特進。
「S級じゃ、さすがにきついだろ。おい、そろそろ消え頃じゃないのかい」
そのS級の第一戦で、逃げられずに八着と惨敗した。そして欠場。フウ公の話によると帰って来て泣いて口惜しがったのだそうだ。
「口惜しがるのはいいがね、株式会社はどうなってるんだ」
「もうちょっと待ってくれ。今度の場所は死んでも勝ってくるって、張り切ってる」
「勝つのはもういい。それより儲けようぜ」
「まア、もうちょっと」
フウ公は、実際、面喰らっちゃったのである。ケリーは、勝ちまくってるのに自信を得て、少しずつ大きな野望を抱きはじめている。レースのない日は、毎日、深夜の三時に起きて、神奈川県境の大垂水《おおだるみ》峠まで街道練習に出かける。
「俺ね、自分の力がどのくらいあるか、ぎりぎりまで試してみたい。きっと大レースに出て、ビッグタイトルをとってみせるよ」
「そうだ、やれ。第一、賞金だってすごい。この分だと一身上《ひとしんしよう》つくれるぞ。やってみろ」
とフウ公はいってから、必らず顔をしかめる。ビッグタイトルはいいけれども、株式会社のこともある。
「中野さんのように、世界タイトルも欲しいな。夢じゃないよ。きっと取ってやる」
「ああ、世界タイトルも、いいな。家も欲しいが」
「家も建ててあげる。金も稼ぐよ。まず第一に母さんの家。それから父さんの家も」
「嬉しいね。俺はもう夢を見てるようだ」
フウ公は、鬼ケ島ピンクゾーンの界隈《かいわい》を歩かなくなった。逃《ず》らかるというつもりはないが、今の息子に、すぐ八百長をやれ、とは言うに忍びない。せめて、大レースに出て、ビッグタイトルをとるまで、といったって一年や二年はかかる。それまで株主が黙って居そうもない。
ケリーは二場所目から、また勝ち進みはじめた。四千人の選手の中でも最強のクラスのレースで連勝するのは至難の技だ。
電車の中で小池店長とばったり会った。ちょろりと客の陰にかくれようとするフウ公の肩をつかんで、
「おい――」
さすがに小池も凄《すご》んだ声を遠慮した。
「次の駅で、ちょっと降りようか」
それで喫茶店に入り、声をひそめて、
「ひどいぜ、フウちゃん」
「すんまへん、堪忍《かんにん》して」
「堪忍て、会社はパーか。ノミ屋のずっこけとはちがうぜ」
「パーなんて、そんなことない。必ず、パツはやるよ。もう少し待ってや。今、息子なア、レースが面白くて、夢中で走ってるところなんだ」
「そりゃそっちは面白いだろう。賞金はガバガバ入る。けどなアおっさん、自分ばかりよいからって、それじゃ世間は通らんぜ」
「わかってる」
「俺の気持にもなってくれ。今か今かと、切なく待ってるんだ。金の問題じゃないよ。たった一つの俺の夢は、八百長さ。その、なんていうかなア、世間の奴等より、一歩進んだところで、ばちッと定《き》める。一度でいい、溜飲《りゆういん》をさげたいよ」
「わかるとも。俺だってそうだよ。溜飲が、喉《のど》のあたりで催促《さいそく》してるんだ」
「やれよ。もう待てねえよ」
「ああ――」
「いつ、やる」
「そいつを息子と打合わせるから、もうちょっと待ってくれ」
別のところで別のしこりが浮上した。
家電屋が、株屋の愛人のゆみに凄い形相《ぎようそう》で詰め寄ったのである。
「この女《あま》、一人でパツをきめやがったな」
「――なんのことよ」
「競輪の坊やに身体をくれてやったろう」
「あたしは知らないよ。あの坊やとはあれから会ったこともない」
「とぼけやがって! S級第一戦の取手《とりで》で負けたとき、◎の坊やが消えて五千八百円しかツカねえ。いくらS級だって予戦だぜ。坊やがカンカンの本命なんだ。万穴になってもおかしくねえや。どうも変だと思って、新聞を切り抜いてとってあるんだい」
「そうすると、あたしが取手まで行って、その車券をとったっていうの。あたしはこう見えたって、競輪場なんか行ったことないよ。取手がどこにあるのかも知らないわ」
「証拠があるんだ。オレンプきいてくれ。この前の激励会のときにな、この女はもう抜け駈けして、あの坊やをたらしこんで一人でパツを作ろうとしてたんだい」
「あれは、あんたがやろうっていったんじゃないの」
「手前は、坊やがかわいいから、一人でやるって、そういったじゃないか」
「いったからどうしたってのよ。そんなの証拠になるもんかい」
「俺が堅気の電気屋でよかったぞ。やくざの筋なら今頃、ヤキをいれられてらア。でもな、甘くみてくれるなよ。俺ア警察にタレこんでやる。あの八百長選手も一緒に御用だ」
「まア、おっさん、冷静になってくださいよ」
とオレンプがわりこんだ。
「なんだろうと警察はいけません。我々共通の財産がおじゃんだ」
「おじゃんだって、どうせそうじゃねえか。フウ公の畜生は近頃姿も見せねえ。なア皆、俺たちはただ株を買わされて――」
「わかりました。それはフウちゃんに説明させましょう。だからね、騒がないで」
「オレンプ、お前もそうだぜ。この一件の肝入《きもい》りだが、お前も何かこそこそうまいことをやってるんじゃねえのか」
といってるところへ、疾風の如く、オレンプの娘が登場した。
「ジーン、びっくりするよ。急に入ってきて」
彼女は何もいわずに机上に万札の札束《ズク》をおいた。反射的に手を出そうとした奴を、ぴしゃっと叩いて、
「小田原記念競輪の優勝戦、やってくれたわよ、ケリーが。スンナリ頭で一万一千二百円。どう、あたし天才でしょ」
「よし、その銭は山分けだ。人数で割りな」
「なんだって――!」
ジーンは破《わ》れ鐘《がね》のような声を出した。
「泥棒、撃ち殺すわよ」
短銃を出す。彼女はときおり無意識に引金をひいたりするから怖いのである。
「なんであたしがとったのを山分けするのよ」
「会社じゃないのか」
「冗談じゃないわ」
家電屋がオレンプに詰め寄った。
「オレンプ――、こいつはどうしたわけだ。お前も抜け駈けで、娘に買わせたな」
「あたしが――? わざわざ小田原まで行かせなくても、あたしはノミ屋で買えますがね」
「どうも不愉快な会社だ。うん、皆が裏ワザをするなら、俺も考えなくちゃなア」
ジーンが家電屋に近寄っていった。
「レディを侮辱したら、アメリカじゃ殺されたってしようがないんだけどね」
そういいながら、両手を頭上で組み合わせると、家電屋の後頭部にふりおろし、彼は冷蔵庫の陰まで吹っ飛んで動かなくなった。
四
「――面目ねえ。オレンプ」
とフウ公が、まん中がまるく禿《は》げかかった頭をがっくりさげた。
「こんなはずじゃなかったんだ。本当だよ。野郎があんな強いなんて、野郎だってまさか思ってなかったろうよ。知ってたら俺だってあんなこと言い出さなかったよ」
オレンプは黙ってコーヒーを呑んでいる。
「会社なんか作るより、まじめに走った方がずっと賞金で儲かるんだ。しかも、誰はばかるところなしに、十年は稼げるんだからね。俺、ころッとそいつを忘れてた。これまで俺もまともになんぞ走ったことがなかったからね。皮肉なもんじゃねえか。黄金の卵を息子に持ったってのに、頭の痛えことになっちゃったよ」
「でもフウちゃん、今になってそんなこといっても世間に通用しませんよ。やっぱり約束したことは実行しなくちゃね」
「わかるよ。わかってますよ。――でも、もう少し待ってよ。息子がビッグタイトルとるまでさア。オレンプだって娘さんが居るんだから、俺の気持わかるだろう」
「あたしはね、あたしの役目は黙って実行したよ。皆だってそうだ。フウちゃんだけが、何もしない。あたしは怒る気はないけれど、皆の手前ね」
「返金して、パーにして貰えないかな。会社を」
「――無理だろうね」
「金ならなんとかする。オレンプの三割も俺が弁償するよ」
「でもね、利息もあるよ」
「それも払います。額をいってください」
「フウちゃんね、こうなってるのよ。あたしは黙って役割を果たしてるといったでしょ」
オレンプはポケットから手帖を出して、フウ公に見せた。二十名あまりの名前が書いてある。
「新入の株主さ。あまり多くても何だから、もう締切ろうと思ってるがね。あたしの顔で入ってくれたんです。中には十株という人も居ますよ」
「――そうすると?」
「返金するにしても、ざっと四十人近くですからね。ざっと四千万、それに利息を加えるとすると――」
「だって、オレンプ、その、あんたの手帖の分は、一株百万ずつ、あんたの手許にあるわけだろう」
「契約が実行されないかぎり、フウちゃんにその金は渡せませんね。あたしだって顔を潰《つぶ》すことだし、そのくらいの保険はいただきます」
「――そりゃ、そりゃひでえ」
「だからさ、フウちゃん、何も心配することないのよ。最初の計画どおり進めることさ。月に一レースでいい。どんな天才だって月に一レースくらい失敗するさ」
「――バレたらどうしよう!」
「なんだい、フウちゃん。毎日やれっていってるンじゃありませんよ。一回だよ。それで連中も納得するんだから。わざわざ負けなくてもいい。ちょっとラフなことをして失格してくれたっていいさ」
「息子は、まだハンドルさばきが下手で――」
「だからいいんですよ。不自然に見えなくて」
「怪我したらどうしよう――」
「フウちゃん、しっかりしなさい。あんた、ボケちゃったんじゃないの。あたしが少し、ヤキをいれてあげようか」
「――――」
フウ公は立って店を出て行こうとした。
「わかったかい、フウちゃん」
口を一文字にして、フウ公はただこっくり頷《うなず》いた。
自分の巣から一時間も離れている大谷地家のアパートに行った。
「ごめん。ケリーは?」
「寝てるわよ。何時だと思ってるの」
「すまねえ、急用なんだ。ちょっと起こしてくんねえか」
「朝練習があるからねえ。今のうち寝かせとかないと」
「わかってるよ。十分ですむんだ」
「何の用さ。お金ならあたしの方にいってよ。息子にいわないで」
「そんなこっちゃねえよ」
フウ公はケリーの部屋に入って、小学生のようにうなだれた。
「後生一生のお願いなんだがね」
それだけいってべそをかいた。
「どうしたの――?」
「今度の配分は、いつだい」
「明後日が前険《ぜんけん》。立川さ」
「うん、じゃそのとき、三日間のうちどこかで消えてくんないか。失格でもいいんだ」
「消えろって?」
「こんなこと、頼みたくないんだがね」
「いいよ」
「いいかい。そうかい。うんと世話になった人が居てな。その人をしくじると俺ア飯の喰いあげなんだ。前からいわれてたんだ」
「二着でもなしに、全然消えちゃうんだね」
「ああ、その方がいいな」
「僕が本命のときに消える方がいいんだろう。そうすると二日目の準決だな」
「うまく消えられるかい」
「なんとかしてみるよ。うまくいけそうなら二日目の地乗りのときに、中バンクを使って走るから」
「よし、じゃ俺も立川に行ってよう」
「ああ、現場で買うんじゃないんだね。そりゃアいい。僕の分も、少し買っといてよ。わかってるだろうけど、僕をはずしたら、僕にマークする奴もいらないよ」
アッ、慣れてるような顔つきだな。此奴、いつもやってるんじゃなかろうか。フウ公はあんまり話が簡単にまとまったので、かえって心配になった。
「ケリー、まさかお前、もうパツをやってるんじゃあるまいな。お前はそんなことしちゃいけねえ。もっと大きいことを考えるんだ。ビッグタイトルをとるといってたろう」
「なんだい、そっちがそういうから、いいよっていっただけじゃないか」
「俺はお前が自慢だよ。俺は何ひとつ立派なことをしなかったが、お前のおかげで生き返ったようなもんだ。これ一回で、やめようよな」
「なんだい。自分の都合ばかりいうなよ」
「とにかく練習しろよ。ビッグタイトルをとって、堂々と稼ごうぜ」
立川の二日目。ケリーから地乗りのときの合図があり、フウ公が電話に飛びついて考えていたとおりの枚数を三ヵ所のノミ屋に分散させていれた。すぐにオレンプにも電話し、どれをいくら買ったか報告する。
それで固唾《かたず》を呑んでレースを見守った。後方待機していたケリーがジャンの直前、静々と追い上げはじめる。ジャン後のホーム前、四、五番手の外を廻っていたケリーがダッシュをかけた。いつもなら一気にぶっちぎってカマしてしまうのに、先行の外をなめるように一コーナーを廻る。当然先行がインから振った。ケリーは大きく泳いで、しかし必死にまた追上げる。二コーナーでもう一発喰らった。はじかれたケリーがバランスを失なってひっくりかえった。
「あッ――!」
まわりの観衆と同じように、フウ公も叫んだ。走路に叩きつけられて動かないケリーのところに救護班が担架《たんか》を持ってかけつける。ゴールに何が入ったのか、フウ公は見て居なかった。選手|控《ひか》え室に駈けつけようとして危うく思いとどまった。血の気がひく思いで救急車のサイレンの音を遠くきいた。
翌日、早速フウ公は病院に行った。ケリーは右の鎖骨《さこつ》を折っていた。
「どんなふうだ。痛かったろう」
「まアね。鎖骨は皆やるんだ。選手になったら避《さ》けられないよ」
「そりゃそうだが、なにも――」
とフウ公はまわりを見廻し、
「落ちなくったって」
「落車でもしなけりゃ、あのメンバーならどこから行ったって勝っちゃうよ」
フウ公は、そっと毛布の中に分厚い封筒をすべりこませた。
「見舞金だよ」
「ああ――」
「もう落車なんてするなよ。俺も見ていて気が気じゃねえ。もっとうまくやりな」
「――というと。またかね」
「いや、その、俺ア、その気はないがね」
「今度のオールスターに出られなくなった。休むと点数が足りなくなる」
「そうか。そいつは痛いな」
「休まずに走ってた方が、見舞金の何倍も稼げるぜ。パツは馬鹿らしいよ」
「そうだ。馬鹿らしいとも」
といってフウ公は、一瞬絶句した。
「今度は駄目でも、次のビッグタイトルは、狙《ねら》おうな」
「父さんのためと思ってこけたがね。もう勘弁してくれな」
「おう。こんな馬鹿なことを頼むなんて、俺も大馬鹿だよ。子供にも孝行しなきゃいけねえな」
ところが一ヵ月近く休場して、ケリーがまたレースに復帰すると、皆が黙っていなかった。
「おい、今度はいつ消える」
「知らねえ。当分はちゃんと走らせるよ。点数が落ちちゃったからね」
「今なら、消えてもおかしくないだろう。休場後だから。早くやろうよ。俺ア辛抱できねえよ」
「駄目だ。大レースに出られる点数を確保しなくちゃ」
「大レースなんかばからしい。一格下で面白く走った方がいいよ」
「お前が走るんじゃねえ。走るのは息子だ」
「だからいってるんだ。俺が走るんなら自分一人でやってらい」
それからまた、こういう註文をつける者もあった。
「フウ公、ケリーの他に子供はないのかい」
「あいつは一人っ子だよ」
「別の女にあるだろう。お前のことだから方々に生み散らしてるだろうよ」
実はフウ公もそれを考えたことがある。ケリーで味をしめて、ひそかに調べてみたが、他の女には、ケリーのような大器は生まれていなかった。
しかし、居ても、選手にはしないだろう。もしひとりでに選手になったとしても、会社だけはやらない。
「ええオレンプさん、実はわけあって、これが最後のパツということになりそうなんだけど――」
「あればっかりだ。まだ二度目じゃないの」
「松戸のS級戦なんだがね。あそこは落車するわけにいかないてえんだ。走路が固いんだって」
「どこも固いでしょう」
「で、これをやらせて、会社をめでたく解散ということに――」
「ところがね、フウちゃん、ちょっとサムい(危ない)んですよ」
「サムい? いや、それは大丈夫」
「いや、気配としてサムいの。皆、なんだか思惑でそれぞれ動いていてね、勝手に競輪場で買ったりしてるみたい。それはいいけど、組織の方にもきこえてるという説もあるし」
「本当かい。だから俺、解散ということに」
「大事をとるならね。首都圏はサムいよ。地方場所でやる方がいいでしょう。あたしも一緒についていきますよ」
「地方じゃ、ノミ屋を知らないよ」
「そいつをなんとか工夫しますかね」
「解散すれば、一番安全だがなア」
「フウちゃん一人でそういったって、誰もききやしませんよ」
実際、それから三日目にフウ公は、吉田屋の親分からおどかされたのだ。
「うちの安んとこで、パツをきめてくれたってなア」
「安さんは、親分の系統なんですか」
「どこの一家と思ってやったんだい」
「いえ、ありゃパツじゃねえんで、あれはね、偶然――」
「義理の息子だってじゃねえか。大谷地ってのはよ。義理の息子が消える車券を大童《おおわらわ》になって買うのが、パツじゃねえのか」
「そうじゃねえんですよ。あれは先妻の子で、まったく往来がねえんです」
「ネタはあがってるんだよ。まアひとつ、このままってことはないだろうから、よろしく頼む。今後ともな」
フウ公、その夜はヤケ酒を呑んだ。この土地を売ろうたって、他で旦ベエを開拓するのは時間がかかる。しかし、やくざがついてしまったんじゃ骨の髄《ずい》までしゃぶられる。
五
やっぱり、オレンプに相談するしか手がなかった。
「フウちゃんは見栄《みえ》坊だからなア、堂々と親子で八百長やって、ヤバそうになったら選手やめて商売でもすりゃアいいじゃないの」
「俺はいいよ。なんでもいいさ。でも野郎はまだ若いし、夢もあるだろうよ。あいつの一生を曲げたくないよ、俺のせいでさ」
「欲ばりですよ。裏も表も儲《もう》けようって。どっちか一つにはっきりしなくちゃ」
「吉田屋の親分、頓死《とんし》しないだろうか」
「念力で、やってみますか」
「駄目だ。俺は念力も強くねえんだ」
「だから、前向きしかないですよ。眼エつぶって前進して、それでうまく切り抜けられれば幸いさ。人生ってそういうもンでしょう」
「やっぱり、前向きしかないかねえ」
「逃げたって、吉田屋の親分にチックリされりゃ、それまでですよ」
フウ公は肩を落して溜息をついた。
「俺は前から利口じゃねえとは思ってたが、こんな馬鹿とは知らなかったよ」
「一つ、手はありますがね。危険だが」
「助かった。それ行こう」
「助かるかどうかね。誰か、殺してやろうと思うような男、居ませんか」
「さア、殺すとまではねえ」
「じゃ、吉田屋の親分のところに、すぐ注進に行きそうな奴」
「――ノミ屋の安かな。あの一家らしいから」
「そりゃいい。その安のところへ、ケリー君の本命のときに、ケリー君からウス目三点、配当のつく所を入れるんですよ。近頃のレースはごちゃごちゃになるから、ウス目が結構くるでしょう。安がすぐ注進する。親分が、それ、パツだてんで、他のノミ屋に買いに走る。ウス目がくれば、パツ成功ということになって、八方喜こぶ」
「来なかったら――?」
「来なくても、フウちゃんが教えたわけじゃないから、安のエラーになる」
「なるほど」
「どっちにしてもヤバいけどね。役立たずとみれば警察《さつ》にチックリして点|稼《かせ》ぎするでしょうし」
松戸のS級戦でそれをやってみた。安のところには、買いを少しにして、これはパツじゃないんだが面白そうだから、と念のためつけ加えた。
来ましたね。大谷地→ウス目で、千二百円。三点買っても充分儲かる。親分は喜こんだが、同時に完全に八百長選手のレッテルが暗黒街でも貼られてしまった。
その年のオールスターは愛知県の一宮《いちのみや》競輪場だった。初日の晩、吉田屋の親分から電話がかかってきて、
「オレンプかい。わたしだけどねえ、フウ公の奴はどこに居やがるんだろう」
「さア、知りませんぜ。今日はまだ会ってませんね」
「名古屋に来てるんじゃないのか」
「行くという話はきいてませんが」
「俺は名古屋なんだよ。もし連絡がついたら至急に電話させてくれ。俺はKホテルだ」
フウ公の巣に電話してみると、眠そうな声で本人が出て来た。フウ公がすぐにKホテルに電話を入れる。
「この馬鹿ッ、オールスターだってのに、なぜ来ないんだ」
「だって大レースは、無理ですよ。パツはできません」
「俺はこっちでケントク買いしてスッたよ。すぐに来い。それでケリーと連絡をとれ」
「あッ、それは駄目だ。奴は選手宿舎だし、大レースは皆一生懸命走るから、とても――」
「なんでもいいから来い! 来ないと警察《さつ》にばらすぞ」
「へえッ――」
フウ公が枯葉のように一宮まで吹き寄せられていくと、吉田屋の親分が、
「朝一番で宿舎に行って会ってこい。手前は義理の親父だから会えるだろう」
「でも係員立合いだから、何も話せませんよ」
「やるかやらねえかぐらい、わかるさ。きっと行ってくるんだぞ」
しようがない。ケリーの好きなドラ焼きをお袋からだといって包ませて、宿舎に行った。面会室でフウ公はひたすら哀しい眼をしてみせた。
それでケリーもわかったらしい。
「とにかく、一生懸命走るよ。準決まではどうしても勝ちあがりたい」
フウ公は、やる、と報告した。
「むずかしいけど、勝つっていってますが」
「そうか、よし」
それは二次予選で、ケリーは穴人気ぐらいのところだった。眼のさめるようなまくりで一着すると、親分が会心の笑みをもらして、
「いい選手だなア、フウ公、信頼できるなア」
「へえ――」
「フウ公はいくら儲けたんだ」
「あたしは買ってませんよ。買うどころじゃねえや」
「どうして。仕組んでるんだろう」
「いや、親分が受かるかどうかだけが心配でさ」
「なんだ、気の小さい野郎だな。明日はどうなんだ」
「勘弁してよ、親分、そう毎日はやれねえ」
「もったいねえじゃないか。どうせ走るんだろ。やるか、やらねえか、それだけきいてこい」
もう宿舎へは行けない。行ったことにして、時間をつぶして帰ってきて、でたらめをいった。皮肉なことに以前はそれが商売だったのだ。
「勝つ気で走るさ。大レースだもの」
「そうか、やるか」
「けどもね、親分、相手は強いのばかりだ。準決だからね。負けて当り前」
「フーン、やらねえのか」
「やるんだけれども、やれるかどうか」
「はっきりしろイ。男の子だ。やるか、やらねえか」
「やるよ、やる。でも失敗もあるから、買いはほんの少しにしてください」
親分は、フウ公の眼の前で、ケリーを頭に百万ずつ六点、買った。フウ公は気が遠くなってくる。六点で六百万、損をしたらその分だけ、フウ公に締めつけがくるにきまってる。
ところが、準決もケリーは勝ったのだ。初出場で初日から三連勝。スポーツ新聞はどこも大見出しで、新星ケリーを讃《たた》えた。
「決勝はどうだ。フウ公。やるか、やらねえか」
「やらねえ。やるったってどうしようもねえよ。準決までは行きたいって本人もいってた。もう用なしさ」
「なるほど、こう穴人気になっちゃ、やらねえとくるのが本道だな。えらいぞ。で、誰がやる――?」
フウ公は、ぐっとつまった。
「そいつは、わからねえ」
「わからねえ、トボけるな。お前等だけで稼ごうってのか」
「ほんとにわからねえよ。決勝戦だ。どれが来たって不思議ねえんだ」
「だからきいてるんだよ。やるか、やらねえか、だ。簡単じゃねえか。それだけ訊いてこい」
「弱ったね、親分、もういいかげんに儲けたでしょう。勘弁しておくんなさい」
親分が火を吐くような眼でフウ公をにらんだ。
「俺の事業を、邪魔しようてのか」
フウ公はとうとう追いつめられて、◎と○の二人の選手の名前を指さした。
呆《あき》れたことには、この二人の裏表に、親分が洗いざらいの銭を賭けたのだ。
レースが終ったとき、フウ公は膝の力が抜けて床に転がってしまった。ケリーが一着なのだ。四連勝土つかずでビッグタイトルだ。そうして同時に慄《ふる》えた。吉田屋の親分がゴリラのように両手でフウ公の胸もとをつかんで抱きおこした。
× × ×
大谷地ケリー君は、オールスター戦で競輪界の新スターにのしあがった直後、一宮警察署に連行された。黒い霧の通報が何度も入っていたからだ。
普通こういう場合は、証拠の有無などをめぐって悶着《もんちやく》が続くのであるが、彼はケラケラッと笑って、すんなり認めたという。
彼自身も、女友達を使って秘密裡《ひみつり》に車券を買っていたらしく、選手をクビになるとすぐに、鬼ケ島界隈にパチンコ屋を買って、悠々《ゆうゆう》と暮している。
「あんまり大きなこと考えないで、このくらいが俺にちょうど合ってるんです。俺はこれで満足ですよ――」
そういってやっぱりケラケラと笑ったという。
●本作品は「小説現代」一九八七年一月号〜八月号に連載されました。
●単行本は、一九八七年十月、講談社ノベルスとして刊行されました。
●本電子文庫版は、一九九〇年一一月刊の講談社文庫版を底本としました。
*
作品中に、身体の障害や人権にかかわる差別的な表現がありますが、文学作品でもあり、かつ著者が故人でもありますので、そのままとしました。ご了承ください。