死せる神の島(下)
原案:安田均
著 :下村家恵子
バートたちはミードの村にいた。霧にとざされた村で、|生ける死者《アンデッド》の軍勢と死闘をくりひろげる冒険者たち。そのさなか、バートは海の邪神《じゃしん》ミルリーフの司祭として死者どもを操《あやつ》るリザンと再会した。
リザンの目を覚《さ》まさせようとするバート。だがリザンは嘲笑《ちょうしょう》して去った――。
邪神の復活と時を同じくして、オランに奇怪な事件がつぎつぎに起こる。
砂漠《さばく》の民の暗躍《あんやく》、死者の船の来襲……。
魔法使いギルドの最高|導師《どうし》マナ・ラの命をうけたバートたちは、邪神の本拠地《ほんきょち》、〈真の神殿〉へと向かう。
光と闇、そしてバートとリザンの対決の時が、今まさに来ようとしていた――。
コンピュータ・ゲーム版『ソード・ワールドRPG』原作小説、待望の完結編!
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目 次
古《いにし》えの竜の詩
間 章 死者の鼓動《こどう》
第一章 死者の神殿
第二章 死者の船団
第三章 死者の軍勢
第四章 死者の島
終 章 別れ
あとがき 下村家恵子
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古えの竜の詩
神と神が、魔と精霊が、人と人、獣と獣が戦い続けた巨大な戦に、
われらの考えすらおよばぬ、力を秘めしものたちが多く存在した。
その時代、神はまさに大いなる力をしめし、
獣ひとつにしても、摩訶不思議《まかふしぎ》な力をその内に秘めていた。
人もまた、神と肩をならべ、その血を受け継ぎ、大いなる技を用いて多くを統べた。
その中に竜の姿もあった。
竜は原始の神の力、破壊の力を秘めた魔獣。
竜はその力を用いて、敵を滅ぼし合った。
戦い終わりて、多くのものは力を失い、
あるものは滅び、
あるものは衰え、
あるものは永遠といえる眠りについた。
神も人も倦《う》み疲れ、
竜も多くの同朋《どうほう》を失って、姿をひそめた。
時流れて、人はわずかに受け継いだ神の血と、
古えの力〈魔法〉を使いて、帝国を築き上げた。
定命の者たる人だけが、戦いを忘れる事ができたのであろう。
神も精霊も沈黙を守る世界
人は魔法の技にたより、やがてそれのみが全てと思い至った。
神も精霊も妖魔も悪魔も、
すべては愚かな存在でありて、憎むべきもの
すべては人、己れの操る魔導のみが真実=c…と。
人は世に残る神、精霊の悪しきものを滅ぼすために、竜を呼び覚ました。
竜は、その力で、神々と精霊を滅ぼし、世界より追放していった。
人はやがて、善なる神、精霊までも滅ぼそうとした。
それが、いかにして行なわれ、いかにして止められたか、伝承は語らない。ただ、今の世、神々の力は遠く、
精霊の声は遥かに小さい。
そして、竜もただの獣となりはて、
真、偉大なるものは、全て、その姿を消した。
それでも、あるものは語る。
竜は今も存り。
ただ、深き眠りの中にあるのみ……と。
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間 章 死者の鼓動
オランの夜。空には星々だけが輝き、月は黒い円盤となって、闇に沈んでいる。
石畳の通りからは、湿気が湯気のようにたちのぼり、ゆらめきながら消えていった。
耳の痛むような静寂が周囲を満たし、ときおり、よっぱらいのがなり声や、ねずみや猫、犬といった小動物のたてる物音が聞こえる。
全てが眠りについているような、静かな夜。
そこに、黒い影が滑り込んだ。
一つ、二つ、三つ……。影は星々のきらめきを掠《かす》めて走っていく。その足元で薄い瓦《かわら》屋根が、かすかなきしりをあげる。
ひそやかに、素早く。影たちは通りを渡っていく。その動きが止まった。
一軒の店。建物は古いが、中に入っている店自体は、ここに来て間がないらしい。まだ、木の白さを残した看板がかかっていた。
奇跡の店
影たちは互いを見て、かすかにうなずく。
体に巻きつけた黒いマントが風にはためく。三つの影は路上に降り立った。
* * *
おやじは、ふと目を覚ました。
どうして目が覚めたのだろうと、いぶかしがりながら、おやじは周囲を見回す。ほこり臭い部屋の中は、暗闇におおわれていた。
商売物であり、おやじの宝でもあるさまざまな品物が部屋中に置かれている。その中にいくつかある、からくり仕掛けの品物が、かすかな物音を響かせていた。
いつもと変りない様子に、おやじは身じろぎをして、再び寝入ろうとした。しかし、妙に目が冴《さ》えてしまい眠れない。
骨と肉の間に空気が入ったような、奇妙な不快感が襲ってきた。おやじはそっと身を起こした。そして、枕元にある太い杖と、奇妙な枠の眼鏡を手にする。
くそっ、また、こそ泥か?
虫の知らせ、とでもいうのだろうか? 商売がら、おやじはこの奇妙な不快感を何度も経験していた。
おやじは眼鏡をかけた。すると、周囲の様子がはっきりと見えるようになった。暗視≠フ眼鏡だ。
寝台から滑り出ると、店につながる戸口へ近づいた。そして、こんな時のために開けておいた覗き穴をのぞきこんだ。
店の中をぐるりと取り巻く台には、さまざまな品物がならんでいる。壁には武器や盾、タペストリーや銅版、鏡などが所狭しと並んでいる。
その一画に大小さまざまな像が置いてある。そこに三つの影が集っていた。
影たちは迷う事なく、その中の一つの像を取り上げた。七本の腕をもつ、黒い肌の神像。腕には剣、斧、弓、槌《つち》、短い槍が握られている。
よりによって、あれを盗む気か。そうはさせんぞ。あいつには元手がかかってるんだ
おやじは杖を握る腕に力をこめると、もう一方の手を扉の取っ手へのばした。が、その動きがぴたりと止った。
影が振り返った。その時に、黒いマントがわずかにめくれた。その下には、場違いに思える鮮やかな衣裳が見えた。
ありゃあ、砂漠の民!?
おやじの脳裏に、砂漠の民についての噂が蘇った。
冷酷無残、残虐無比。怪しげな呪法を操り、砂漠に立ち入る者は、すべて殺すという恐ろしい者たち。
あの神像は本当に砂漠の民のものだったのか……
冷や汗が頬を伝っていった。もし、ここで見つかったなら、どんな目に会うか……。
影は神像を丁寧に布に包んだ。その内のひとつが何かに気づいたように、周囲を見回した。その目がこちらを向く。おやじは石になったような気がした。
その影が近づいてくる。腰が抜けそうになるのを踏ん張りつつ、おやじは神に祈った。
我があがめる神、幸運の神チャ・ザよ。なにとぞ私をお守りください
影はおやじのいる戸口まで来ると、ふと脇にずれた。次に視界に入ってきた時、一本の曲刀《フォールチョン》を手にしていた。
神像の武器を集めてくれた冒険者、バートたちが土産に置いていった曲刀だ。
影は不思議そうに曲刀を見ると、仲間にそれを示した。三人は何やら指をつかって会話していたが、神像と曲刀を持って、音もなく店を出ていった。
影が出ていってからも、おやじはじっとしていた。ややあって、物音も人影も戻ってこない事をたしかめると、ようやく体の力を抜いた。とたんに、おさえこんでいた緊張と恐怖に、膝頭ががくがくと震えはじめた。崩れるようにその場に座り込むと、大きく安堵のため息をついた。
* * *
白い光の中、竜は驚きをおぼえた。
自分を呼ぶ声が、突然、力強さを帯びてきたのだ。
それは、懐かしさと心地好さを竜に与えた。
古《いにし》えの記憶が、竜の意識に蘇る。
今一度、戦いが始るのか?
魔法使いたちの魔力を全身に受け止め、その力で物質世界の空間を飛ぶことができるのか?
物質の翼を広げ、風とよぶ力を楽しむことができるのか?
怒りや、苦痛といった恐怖と、そのようなものを感じることのできる喜びを、再び得られるのか?
竜は待ち望んだ。
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第一章 死者の神殿
霧が大きな湖の波打ちぎわを満たしている。月も星も見えない、白濁色の世界が周囲に広がっていた。
生臭い匂いと恐怖に、空気までが重く沈み込んでいる。生暖かく凍りついた気配が、その場にいるものすべてを浸している。
ミードは活気にあふれる村だった。
漁と旅人の村、ミード。
エア湖に次いで、アレクラスト第二の大きさをほこる湖、ミード湖のほとりにある村。
北の国々と南の街オランを繋ぐ街道ぞいにあるこの村は、旅人や商人たちの拠点であった。そしてミードでとれる魚は、燻製《くんせい》や干物になって、それら商人の手で南北に流れていく。
しかし、いま、暗く沈むミードにその面影はなかった。
家々は堅く門戸を閉ざしていた。その窓や戸口には、ところどころ板切れが打ちつけてある。人気はなく、打ち捨てられたような網や干し台、ひっくりかえった桶《おけ》を包むように、白い霧だけが流れていく。
家々は墓標のように、黒く、物悲しく見えた。
土の通りには裂けた木ぎれや、布切れ、そして白骨が散らばっていた。
白骨、信じられないほど大量の骨。
人間を形造る骨のすべてがあった。そしてそのほとんどが、へし折られ、砕け、踏み潰されている。
シャリッ、ザリッ
骨が踏み砕かれる軽い音が聞こえてきた。霧が揺らぎ、ぐうっとかき乱されて一人の男が現れた。
霧を避けるために、厚手のマントをまとっている。その下には、使い込んだチェインメイルとブロードソードが見えた。傭兵のようだ。
とぎれとぎれに鼻歌を唄っていたが、急に身ぶるいすると、顔をしかめて周囲を見回した。しかし、周囲に見えるのは濃い霧と、その向こうにぼんやりと浮かぶ、幽霊のような建物の影。
男はペッとつばをはくと、再び歩きだした。木ぎれを、わざと音をたてるように蹴飛ばす。しかし、木ぎれは湿って音をたてない。男は腹立たしげに木ぎれを踏み潰した。
木は押し潰されて、じわっと水をにじませた。
霧が生暖かい風に動く。男は肩をすくめて再び身ぶるいした。かすかに湖の波音が聞こえた。男はきびすをかえすと、もときた道をもどろうとした。が、背後に何かを感じてふりかえった。
剣を抜いて構える。
しかし、そこには霧があるだけだった。
男は神経質そうに笑うと、剣を鞘にもどそうとした。
その手が止まる。
濡れた足音が聞こえた。そして骨を踏み砕く音。黒い巨大な影が白いもやの向こうにせりあがった。
奇怪な馬。金色に燃える二つの目が男を見下ろしていた。細長い顔にはうろこが生えており、海竜蛇《シーサーベント》のように見える。薄いヒレが、たてがみのように眉間から首すじを飾っていた。
その馬が笑ったように見えた。口が薄く引き開けられ、細かく並んだするどい歯が見えた。その間から触手のような舌がのぞく。
「そこの男……」
声が聞こえた。男はひるむ。馬がさらに笑ったように見えた。
男は剣を抜いて身構えた。そうして気合いとともに切りつけた。
馬は驚いたように首を引き、歯をむきだした。素早くジャンプする。
馬は軽々と飛び上がり、男の剣を避ける。思いがけない動きに見上げた男の顔に、水かきのついた爪が振り下ろされた。
「ウェブ、止めろ!」
吹き飛ばされる一瞬、男は馬上に人影を見た。ローブをまとった男だ。
頭蓋骨の砕ける音がした。
傭兵の体は崩れるように倒れた。馬上の男は、未だ前足を振り上げ、死体を威嚇している馬の首をたたいた。
「この男には聞きたいことがあったのだよ。殺してしまっては駄目じゃないか」
馬は低く唸り声をあげた。馬上の男は死体に目をやった。
「役に立たないことはないな。起きろ」
男が命令すると、死体はふらふらと立ち上がった。
「ついて来い」
男は馬を湖へ向けた。死体はその後をついていく。水をかきわけるかすかな音がしたあと、あたりは再びもとの静けさに包まれた。
* * *
「岸に血のあとがあった。殺られたようだな」
マントを脱いだガラードがぼそりといった。暖炉のそばにいる人々がドワーフを見た。
宿屋には十数人の剣士、傭兵、冒険者たちがいた。暖炉の炎が霧の湿気を消してくれるので、部屋の中は乾いている。人々は雑談や武器の手入れをしているが、どこか疲れた表情をしていた。
ガラードに続いてバートが部屋に入ってきた。青年の表情は暗い。マントをハンガーにひっかけると暖炉のそばへゆく。エルフの精霊使い、シラルムが場所をあけた。バートはかすかに笑顔をうかべて、そこに座った。
「早いとこ、援軍がきてくれなきゃ、俺たちゃ全滅しちまうぜ」
ナイフを研いでいる盗賊風の男がいった。
「おやじ、オランに伝令は届いたんだろうね?」
暖炉わきに立っていた長身の女剣士が、カウンターにもたれている男の方をむいた。この店のおやじは目を開いた。
「行ってるはずさ。あっちには死人はいないはずだ。村を囲む土塁もバリケードも壊された様子はない。当分はもちこたえられるはずだ」
「おやじの考えが当たってることを祈るぜ。これ以上のやっかいごとはごめんだからな」
窓の外をうかがっていた傭兵の男がいう。同意の笑いがかすかに広がった。
ぱちぱちとはぜる暖炉の炎に手をかざしながら、バートはついさっき見てきたばかりの村の様子を思い起こしていた。
生けるものの何もない死の村。重い霧と散らばる屍《しかばね》に覆われた不吉な村。
しかし、こことて一か月前は、ごく普通の平穏な村だった。広大なミード湖の恵みをうけて、繁栄している村だと聞いていた。だが、一か月まえのある日、ミード湖に奇妙な赤い光が落ちた。赤い光は音もたてずに湖に吸い込まれていった。その翌日、湖が底の方からにごりだし、村人の糧《かて》である魚たちが、白い腹を見せて水面にただよいはじめた。それだけでも、小さな村には大きな打撃だったろう。だが、本当の恐怖はその後からやってきた。
村から、鳥や猫、犬の姿が見えなくなった。次に家を持たない浮浪者や、附近を通る旅人や狩人たちが、何人も行方知れずになった。そのうち、霧の深い夜に湖へいけば死んだ知人に会えるといううわさが、村人の間に広まった。それを確かめようと、霧の夜に何人もの人々が家から出ていった。彼らはそのまま帰ってこなかった。……いや、帰ってはきたのだ。新たな死者となって。
間もなく、村の夜は死者のものとなった。霧は毎夜たちこめるようになり、通りを死者たちが徘徊した。村にいた司祭や冒険者たちが、死者を追い払おうとしたが、はたせず、そのうちに死者たちは人々の家の扉をやぶって、襲いかかるようになった。
村人は逃げ出した。わずかに残った者は、たちまち死者の仲間入りをした。オランやパダで集められたバートたち冒険者が駆けつけた時、生き残っていたのは、この冒険者の店に立てこもった、おやじと傭兵の二人だけだった。
死者の群は今も、霧の中をさまよっている。彼らは湖から這い上がってくるのだという。すべての元凶は湖の異変であり、湖をおかしくしたのは、空から落ちた赤い光……。
その光が落ちた日は、リザンが万華鏡を壊した、あの日であった。
バートはいらだたしげに、身じろぎした。再びあの情景が浮かび上がる。ミイラの中に封じられていた万華鏡を手にして、狂ったように笑うリザン。十数年共に育った義兄弟の変貌に、バートはなにひとつできなかった。
万華鏡の中から流れ出た、真紅の塊。
おそらくはそれが『ミルリーフ』だろう
魔法使いギルドの導師バレンの声がよみがえった。
君の弟は邪神の封印を解いてしまったんだ
ミード湖で、奇怪な事件が起こっている。死者の群が村を滅ぼそうとしているのだ。『ミルリーフ』は死者の神。おそらく関係があるだろう
「バート、お前たちが追いかけているのは、ミルリーフとかいったな?」
店のおやじの声に、バートは自分でもうろたえるほど、ぎくりと体をおこした。
「そいつと関係あるかどうかはわからんが、一つ思いだしたことがある」
おやじはカウンターの端から、細いパイプをとると暖炉へ近づいた。火ばしで真っ赤な炭を拾い、火をつける。甘いタバコの匂いがバートの鼻をくすぐった。
「この村に、ときどきへんな男が来ることがあった。服装をみると司祭らしいのだが、そいつは湖の底に住んでいるんじゃないか、とうわさになったことがあったんだ」
「湖の底だって? その男、エラでも生やしていたのか?」盗賊が茶化す。
「湖の底には、古代王国時代の遺跡がある。ミード湖が堕ちた都市≠フ土台の土《ど》砂《しゃ》を取った跡だってことは知ってるだろう? 賢者の話ではその時に作られた建物の名残りだそうだ。天気の良い日には、光のかげんで湖面からも、建物らしいものが見えたりもした。そこに住んでいるんじゃないか、っていう話だったのさ」
「誰か、それを調べたりしなかったのか?」
「ずいぶん以前に、物好きなやつが見てきたことがある」
「ごくろうなこったね、湖を潜っていったのかい?」と、女剣士。
「いや、地下を通ってだ。湖ぞいの崖にある遺跡がそこに通じているって話だ。それを通って湖底へいくと、大きな空気の泡の中に、小さな社《やしろ》みたいな建物があったそうだ。何か神様をまつっていたらしく、祭壇のまわりの壁には、船や骸骨の絵が描かれていたらしい」
「その神殿が、そのミルリーフとかいうやつと関係がなかったとしても、この村の異変には関わりあるんじゃないか?」傭兵の男が、意気込むようにおやじに迫った。
「おやじ、その遺跡へいこうじゃないか。このままここで、じっとしててもラチがあかないぜ」
「ちょっと、あんた、物事を考えていってる? 援軍もなしに敵の本拠地かもしれないところへ突っ込もうっていうの? 無茶よ」女戦士があきれたように肩をすくめた。
「行くも戻るも、援軍が来てからか……」盗賊がつまらなそうにつぶやいた。
* * *
真夜中。暗がりの中、バートは体を起こした。まわりでは傭兵たちが浅い眠りについている。その規則正しい寝息を確かめて、バートは立ち上がった。
そっと部屋から滑り出る。廊下の突き当たりへいくと小さな窓を引き開けた。生臭い風が吹き込んでくる。湖から来る風だ。バートはかすかに眉をひそめた。
窓枠に手をかけて、足から先に外に出る。壁についた小さなひさしにつま先をかける。外に出ると、今度は宿のそばに生えている大きな楠《くすのき》に乗り移った。ゆっくりと木を降りていく。
相変らず深い霧が周囲にたちこめていた。バートたちがミードヘ訪れる以前から、霧はこの村を覆いつくしていた。日が昇って日射しが強くなれば、霧も薄くなる。しかし、日がかげれば、再び満ちる。晴れることのない霧に、村のすべてのものがじっとりと湿っていた。
地面に降りたバートは、マントを体に巻きつけた。灯りが欲しかったが、見つかってしまうのでがまんした。それに、この霧では灯りをつけても、さほど変りはなかろう。
バートは歩き出した。
「一人でいく気かい?」
呼び止める声に、バートは顔をしかめてふりかえった。
笑みを浮かべて盗賊が立っていた。破かルークスとかいったはずだ。
「おっと、そんな怖い顔をするなよ。別に引き止めようとかいうんじゃねぇ」
盗賊はバートに近づくと、唇の端をまげてニヤリと笑った。
「俺もその神殿とやらを見てみたいのさ。どうだい、一緒にいこうじゃないか」
「俺が神殿へ行くとはかぎらない」
「いいや、行くさ。ドワーフのだんながミル……っと、神さまの名前を軽々しく口にしねぇほうがいいな。その海の邪神の話をしてるときの、あんたの顔つきには、かなりのものがあったぜ。俺がふんだところじゃ、あんたはあの神さま関係に、なにが恨みがあるんだろ? それにここから逃げ出すなら、出口は反対がわだぜ」
「……ついてくるなら、勝手にしろ」
いい捨ててバートは背を向けた。盗賊は軽く肩をすくめた。
二人は湖の方へ足を進める。しかし、三歩といかないうちに、バートは再び足を止めた。
木陰からシラルムが現れた。
「バート、行かせませんよ」
いつもならば呑気な表情を浮かべている顔が、堅く引き締められている。エルフはバートたちを追い返そうとするように、軽く両手を広げて歩み出た。
「さあ、宿へ戻ってください」
「いやだ」
バートは冷たくいう。エルフは悲しげな顔をした。
「リザンが心配なのはわかります。でも、バート一人で何ができるというのです?」
「リザンを助けることができるのは、俺だけだ。俺はあいつを助けなくちゃいけない」
「助けに行くなとはいいません。でも、死者の軍勢がいるだろう神殿へ、あなたたちだけで行ってどうなるというのです? 今はここで援軍を待つのが……」
バートは拳をにぎりしめた。そうして、何かをふりはらうように叫んだ。
「黙れ! おまえたちは他人だから、そんな事をいうんだ。他人だからあいつがあんなふうになったのを、当たり前のようにいう! ちがう、リザンはミルリーフに操られているんだ。あいつは助けを求めている。俺はいく!」
「バート!」
「どけっ、シラルム!」
怒りの形相でバートはエルフを押し退けようとする。シラルムの顔に怒りの表情が浮かんだ。シラルムは手を振り上げた。
バシッ!
平手打ちの乾いた音がした。バートの頬に痛みがはしる。バートはキッとエルフを見た。
シラルムも若い戦士を見返した。
「こんな無茶をして、万が一バートが死んでしまったら、それこそ誰がリザンを助けるんです? 本当にリザンが心配なら待つんです!」
「理屈なんか、聞きたくない!」
バートはシラルムに殴りかかろうと身構えた。その時、宿の方からガラスの砕け散るすさまじい音が響いた。二人ははっとなってその方を向いた。
「お二人さん、勝負はおあずけだ。何かあったみたいだぜ!」
離れて高見の見物を決め込んでいた盗賊がいう。バートはほっとしているシラルムに、するどい目をやったあと、宿へ走りだした。
* * *
砕け散ったガラスの破片の上に、一羽のフクロウがおちていた。気を失っているのか、死んでしまったのか、ぴくりとも動かない。
「フェルナンの使い魔だ」
大慌てで飛び起きてきたらしい、ハーフエルフの魔法使いがいった。
「急いで窓を開けようとしたんだけど……」真っ青な顔でプラムがいう。
駆け込んできたバートたちを見て、おやじはわずかに眉をひそめたが、何もいわずに自分の戦斧を手にした。残りの者も武具を身につける。
「二手にわかれるぞ。エリディンとディックたちはここに残れ。イェルとガラードたちは俺について来い」
「どうしてあたしが居残りなんだい?」エリディンと呼ばれた女戦士が、おやじに喰ってかかる。しかし、おやじはさらりとかわした。
「おれ並みに役に立つのはあんたぐらいだろう? しっかり仕切ってくれ」
「プラムも残って」シラルムがついて来ようとするグラスランナーを押しとどめた。
「どうして、あたし……!」
「お願いですから、残っててください」
シラルムの真剣な顔に、プラムはしょんぼりと部屋の奥へ戻った。
「バート、行くぞ」ガラードが声をかけた。
* * *
バートたちは小走りに霧の中を南へむかった。霧が水滴になってマントに染み込む。
霧の中に急ごしらえのバリケードが見えた。相手は骨や腐った死体だから、ちょっとしたバリケードでも足止めになるだろう、という考えで作られたものだが、今のところは役にたっている。
しかし、バートにはこのちゃちなバリケードが役にたっているというより、相手に外へ出る気がないのではないかと思えた。
ミード湖は、古代の空中都市レックスの土台になる土を掘って、できた湖だといわれている。そのためか、岸辺のほとんどがきりたった崖になっている。ところどころに岸が水面に近い場所があって、ミードやフロスはそんな所にできた村だ。
ミードには湖への降り口が二か所ある。一つはバートたちのいた宿のそば、もう一つが今むかっている南の船つき場だ。
湖から這い上がってくる深い霧のせいで、すぐ隣にいるガラードすら霞《かす》みはじめる。剣帯や盾のわずかな音と足音で、仲間たちがそばにいることがわかる。だが、その物音も、霧の中へ吸い込まれるように消えてしまう。
行く手に淡い黄金色の光が見えたような気がした。
「近いぞ、気をつけろ」
おやじのささやくような声がきこえた。それが思ったよりも遠く離れているのに気づいて、バートはひやりとした。遠くから戦いの物音が響いてくる。その方へ目をやると淡い光が見えた。バートは剣を抜いた。
おやじの、低く押し殺した、しかし鋭い声とともに、バートたちは仲間が戦っているだろう方向へ飛びだしていった。
黄金色の光と、音をたよりに走る。だが、光は一向に近くならない。戦いの音も奇妙なまでに空ろだ。周囲から一緒に飛びだした仲間の、かすかな叫び声があがる。
さらに走る。今までの戦いの経験からすれば、すでに敵に出会っていなくてはならない。おかしい、何か変だ。そう思った瞬間、バートの体は柔らかいものの中へ沈み込んだ。生臭い匂いがまきおこる。足をとられそうになって、バートは懸命にもちこたえた。下を見る。ねばりをもった黒い水面が、しっかりと彼の足をくわえこんでいた。
いつの間にか、ミード湖に飛び込んでいたのだ。湖の水は、奇妙に粘りをもっている。動くと腐ったような匂いがした。仲間が気になって周囲を見る。しかし、霧がすべてをおおいかくしていた。
突然、何かが足首をつかんだ。バートは水の中へ仰向けに倒れ込んだ。ぬめりをもった水を飲み込みそうになって、夢中で手足をふりまわす。足を大きく振ると、何かが折れる感触がした。足が自由になる。バートは立ち上がった。むせかえりながら、腐った水を吐きだす。その眼前の水面が割れると、どろどろと腐った死体が姿を現した。恐怖に顔をこわばらせて、バートは後ずさった。死体はバートにつかみかかろうと、折れ曲がった手を突きだしてくる。バートは剣をふるった。
屍は一撃であえなく吹き飛んだ。しぶきをあげて水中に倒れる。その水が不気味ににごった。
息をつく間もなく、水面にさざ波がたつ。新たな敵を感じてバートは周囲に目をやった。岸に戻りたいが、霧が深くて方向がわからない。だが、ある一方の霧が薄いことに気づいて、バートはそちらへ走った。
行く手をさえぎるように、湖の中から次々と死人が現れた。その姿はさまざまだ。すっかり骨だけになっている者から、まだ生きているかのようなもの。その多くはこの村で暮していた人々だった。
バートは剣を振り回した。奇妙に気の抜けたような手ごたえとともに、腐臭がわきあがった。吐き気をこらえつつ、何体かは切り伏せる。しかし、死人には恐怖の気持ちがない。たとえ腕や足が切り落とされても、動ける限り獲物を追い続けようとする。
目の端に仲間の傭兵の姿が見えた。同じように死人に取り囲まれている。バートはそちらへいこうとした。しかし、傭兵は大きくバランスを崩して水面に倒れ込んた。死人が群がってゆく。水しぶきと死人の姿。その合間から傭兵の剣と腕が見える。しかし、それらも黒い水面に呑まれてゆき、やがて死人の背しか見えなくなった。
間に合わないだろうと思いつつ、それでもバートは走った。しかし、バートが近づく前に、死人の背すら湖に消える。バートはあきらめて立ち止まると、自分を追う死人たちに剣を叩きつけた。
不思議なことに、湖の上は岸よりも霧が薄いようだった。月灯りの下、水面に薄く霧が流れている。その湖の上に新たな影を見つけて、バートは剣を構えた。
大きな影、馬に似た獣がバートを見ている。切りかかろうとしたバートは、驚いて動きを止めた。
「お、おまえは……」
奇妙な馬が低い威嚇の声をあげる。その背に乗った青年が、なだめるように馬の首筋をたたいた。
「暗いな。よく見えない」
青年は杖をかざした。黒い魔晶石が淡い光を放つ。
「リザン……!?」
「やっぱりバートか。なぜここに?」
リザンは落ち着いた声で問いかけた。彼が軽く手をふる。バートにつめよろうとしていた死人たちが退いてゆく。バートは嬉しさと警戒心の入りまじった声で叫んだ。
「お前を助けにきたんだ!」
「助けに?」
リザンは首をかしげた。ひそやかな笑いがその顔に浮かんだ。バートはリザンに近づいた。
「リザン、帰ろう。お前はミルリーフに操られているんだ。正気を取り戻せ!」
「僕は正気だよ」リザンの肩が笑いにゆれる。
「どこが正気なものか! この死人の群を見ろ。この村で暮していた人々だぞ。おまえにこんなことができるわけがない」
「できないも何も、僕はやったし、これからもやってゆくよ。我が神のためにね」
「ミルリーフのためか!?」
「その通り」勝ち誇ったようにリザンは顔をあげた。
バートのうしろのほうで、水音がした。動きをとめていた死人たちが、音の方へ向かっていく。バートは振り返った。霧の向こうから人影が走り出た。戦斧をふりまわして、死者を振り払ってくる。宿のおやじだ。おやじはバートを見た。そしてリザンに目を止めた。
「バート、そいつが親玉か!」
リザンはいらだたしげに眉をひそめる。水中から新たに死人が現れると、おやじの方へ向かっていく。
「リザン、止めろ!」
「ここではゆっくり話ができない」
「リザン、止めさせるんだ! 早く!」
リザンは真っ直ぐバートを見た。その視線を受けたとたん、バートはなぜか体がすくむのを感じた。
「バート、もう二度と僕の前には現れるな。この場は見逃してあげよう。しかし、今度会った時は、僕は君を殺すかもしれない」
「リザン……」バートは不吉な笑みをたたえる弟の顔を、茫然と見上げた。
「あんなに優しかったお前がどうして?」
「優しい? そうじゃない、弱かったのさ。僕が他のものを傷つけるのが嫌だったのは、自分が傷つけられるのが嫌だったからだ。他者に優しかったのは、自分に優しくしてもらいたかったからだ。すべては他人にたよらなくてはならない僕の弱さが原因だったんだ」
リザンの顔に酔いしれるような笑みが浮かんだ。
「しかし、今の僕には力がある。この杖に宿る古代の魔法使いの知恵と、我が神の大きな力が」
「死者の神だ、邪神の力だ!」
バートの叫びにリザンは冷笑で応えた。
「バート、君の力はなんだ? 手にする剣はなんだ? 剣は命を奪うものだろう? それもまた、邪悪と呼べるのじゃないかな」
リザンは馬に語りかけた。馬はきびすをかえして湖の奥へ進んでいく。この時になってようやく、バートはその馬が水面に立っていることに気がついた。
「リザン、待ってくれ!」
「約束だ、二度と現れるな」
「リザン!」
馬は歩みを早めた。軽くジャンプすると頭から湖へ飛び込んだ。しかし、波紋も水音もしない。
バートはいいようのない脱力感に、その場にへたりこみそうになっていた。リザンは邪神の封印を解いた。いつかは悪しき者となった彼と出会うだろうと覚悟していたつもりだった。しかし、それでも心のどこかでは、そんなことは起こらないのではないか、あの封印は何か無害な精霊を封じていただけであって、そのうち、少しばかり戸感った顔をして帰ってくるのではないか。そう望んでいたのだ。
だが、今、バートは動かしようのない事実に出会ってしまった。この村を滅ぼし、人々を殺したのはリザンなのだ。
バートは茫然と黒い水面をながめていた。
* * *
戦《せん》斧《ぷ》が仲間だった者の死体に振り下ろされた。肉と骨を断ち切る鈍い音が聞こえる。バートは顔をそむけた。
朝が来た時、仲間は半数にへっていた。南の岸辺を見張っていたグループは、ほぼ全滅だった。
そのまま埋葬することはできない。埋めた死体は生ける屍となって仲間を襲う。火葬をするのは、暖炉にくべる薪すら事欠いているここでは無理な話だ。残る方法はただ一つ。死体を切り刻むしかない。
おぞましい葬儀が終わり、死体は埋葬された。「残りは十三人か……これじゃあ、二か所の守りは無理だな」
おやじの声にみんながうなずいた。バートは扉も窓も打ち壊された船頭小屋を見た。この岸の見張りはこの小屋でやっていた。この小屋には十人近い戦士がいた。だが生き残ったのは一人。
「しかたない。西はあきらめてこっちへ移ろう。次の砦は通りの脇の道具屋でいいだろう。あそこなら二階があるから、おれの店なみに守りは堅くできる」
おやじは元気よくいった。
「おやじ、援軍はあと何日ぐらいで来ると思う?」
傭兵の問いにおやじはいいよどんだ。
「早ければ二日。遅ければ……」
「門を出ようとしたところで、死人さんとこんにちはかい? 笑えない冗談だぜ」
盗賊が後を続けて肩をすくめた。バートと同行したがったルークスだ。彼はバートの方を見ていった。
「よう、バートっていったっけ。どうだい、死ぬ前にもう一つ冒険したいと思わねぇか?」
ルークスのいわんとしていることに気づいて、バートはうなずいた。おやじは苦々しげにいった。
「神殿のことか?」
「そうさ。ここでこうやってるよりも、どうせなら敵の陣地へ突っ込んだほうが、いくらかましだと俺はおもうぜ」ルークスは不敵な笑顔を見せる。バートもいった。
「俺は冒険者だ。だから家の中よりも冒険の中で死にたいね。それに、俺の目的はこの事件の原因を調べることだ。俺は神殿へいく」
バートはシラルムを見た。エルフはしかたないといいたげな笑みを浮かべた。
「どちらを取っても大差ないなら、やりたい方をやるべきだと僕は思いますね。未練があると魂まで悪霊になってしまいますから」
「俺たちもここで待つぐらいなら、こっちから仕掛けたいぜ」傭兵の男も声をあげた。
おやじは全員の顔を見渡してため息をついた。だが、諦めのため息というよりは、何かを振り切った決断のため息だった。
「わかった。西へ戻って全員で決めよう。まぁ、その前にこっちの通りに頑丈なバリケードをつくらなきゃいかんがな」
* * *
「まったく、ぞっとしねぇところだぜ」盗賊がぼそりとぼやいた。
湖の崖に開いた洞窟から、曲がりくねった通路が地下へと続いていた。洞窟と建物の中間点といえそうな遺跡の中は、不気味に静まりかえっていを。ただ、バートたちのたてる物音だけがよどんだ空気を渡っていくのだ。
普通、どんな洞窟や遺跡でも、植物や昆虫、小動物などが住み着いているはずだ。だが、ここには生き物の姿はまったく見当らない。壁からにじみだした水が水たまりを作っている。藻《も》ぐらいは生えているかもしれない。
「コウモリ一匹、ネズミ一匹見当たらないってぇのは、まったく気味が悪いぜ。お宝になりそうなもンもないしなぁ」
「よくしゃべる盗賊だね、あんたは」
女剣士はあきれかえったようにルークスを見る。
「俺は肝っ玉が小せぇんだ。しゃべってなきゃ足が震えてすくんじまう」
盗賊はおどけてみせる。
神殿への決死行に加わったのは七人だった。残りの六人は伝言を携えて、オランヘ向かったのだ。
出発の時、プラムはどうしてもバートたちと同行するといってきかなかった。結局、シラルムが彼女に同行することになって、ようやく彼女も納得してくれた。
深い傷をおった者、戦いから逃れようとする者。六人が南への街道を歩み去る後ろで、バートたち七人は、最後のバリケードを築いた。そして、湖底の神殿へ続くといわれる崖の遺跡へ向かった。
遺跡は、レックスなどにある華麗なものとは違い、無骨で荒造りであった。おやじの話によれば、この遺跡はレックスが造られていた時、ここの土砂を掘り出して運ぶ、人足や下級魔法使いの住み家だったらしい。
遺跡は下へ下へと進んでゆく。土砂を掘り進むと同じく、この遺跡も下へ造り広げられていったのだろう。
「モンスターに出くわさないのは、ありがたいですね」
明りをかかげながら魔法使いがいう。
「出くわす時は、大物だと思わねばな」ガラードがいった。
「でもよ、この通路を使ってるやつはいるぜ。足跡がある」盗賊がいう。
「死人どもが使ってるのか?」
剣の柄に手を置いたままの傭兵が、あたりを見回しながらいった。
「死体は息をしないから、わざわざここを使うこともねぇだろう。俺が聞いた話じゃ、あの死にぞこないどもは、生きた人間をさらったこともあるんだと。そんな人間をここから神殿へ運んだのかもしれねぇ」
「生きた人間を何に使ったんだろう?」と、傭兵の男。
「知りたいか?」
「ん……いや、遠慮しとこう」
「まあ、まずは考えて愉快なこととは思えねぇ」盗賊は肩をすくめた。
奥へ、下へと進むにつれて、壁や床に水がたまりはじめた。心なしか息苦しくなってきたように感じる。だが、ありがたいことに、まもなく下へ向かう階段はなくなり、通路は平坦になった。湖底を進む道にたどりついたのだろう。
「ここまではすんなり来れたが、ここから先は気を入れたほうがいい」
おやじが振り返った。
「ねぇ、確か宿の地下室に上物の酒があるっていってたっけ。生きて戻ったらそれを開けて乾杯しない?」女戦士がいう。
「おいおい、どこでその話を聞いたんだ? ありや、俺の秘蔵だぜ。だが、今回は大盤ぶるまいだ」
「うひょぉ、こりゃ何としても戻らなくちゃな」盗賊がいう。
「だからといって、今から引き返すのはなしだぞ」ガラードがとっちめる。
「あれま、見抜かれてる」
呑気な言い回しに親しみを感じていたバートは、それがシラルムの言い回しと同じだと気づいた。バートはガラードに近づいた。
「ガラード、今度シラルムに会ったら、俺がすまなかった≠ニいってたって伝えてくれるかな?」
ガラードは不思議そうにバートを見た。
「なんだ、えらく神妙な顔をして? そんなことは自分でいうのが当たり前だろう?」
「いや……もし、戻れなかった時だけれど」
「何をいっとる。今からそんな情けないことをいっとっては、死に神を招き寄せるぞ。いつもの元気はどうした?」
「さぁ、行くぞ」
おやじの声に、バートは喋りかけた言葉を飲み込んだ。そして代りにガラードの肩を親愛をこめて叩いた。
おやじを先頭に、そのすぐ後にバートと女戦士が並んだ。ガラードは傭兵と一緒に一番後に下がった。七人は湿っぽい通路を進んでいうた。
* * *
ミード湖の湖底、濁った水の底にその神殿はあった。湖底にこびりつくような背の低い建物は、空気に満ちていた。建物全体にかけられた古えの魔力が、その神殿の周囲に空気を作りだしている。神殿はまるで空気の泡の中に建っているようにも見えた。
石造りの神殿は、リザンが受け継いでから、大きさも美しさも見違えるほどになっていた。
ただの石の積み重ね程度だった壁や柱は、多少のいびつさは残るものの、美しく整形されている。土がむきだしだった床も石畳になった。全体の形も神殿らしくなり、今は外周の回廊と中庭を残すだけだ。
回廊と中庭を造っているのは死人たちだった。死者の群は土をならし、石を積み上げる。一通り仕事を終えると、死人はその場で動きを止めて、次の命令を待つ。この仕事は、どちらかといえば、リザンが己れの死人使い≠フ能力を訓練するために行なつているものだった。別に神殿を完璧にする必要はないのだ。ミルリーフがここに落ち着いたのは、ただここが近かったからにすぎない。長い封印で弱っていたミルリーフには「真の神殿」へ行くだけの力はなかった。ここは仮の住いなのだ。
できあがったばかりの回廊を、リザンは祭壇のある広間に向かって歩いていた。
神殿の中には湿った空気が満ちており、リザンの足音が少しくぐもって聞こえる。
回廊の石柱の外には、湖の水がゆらめいている。腐った匂いを放つ水は、どす黒くにごっており、とても美しいながめとはいえなかった。
水がにごっているのは、ミルリーフが力を得るために、水の精霊力を吸い取ったからだろう。事実、この湖に水の精霊はいない。
その水の壁を死人たちが出入りしている。何体か動きを止めているものを見つけて、リザンは新しい仕事を命令した。
動き始めた死人を確かめて、リザンは神殿の奥へ入っていった。リザンの目には神殿の奥で脈打つ、赤と黒の魔力の脈動、ミルリーフの姿が見える。リザンは笑顔を浮かべた。
祭壇の間に入る。胸の悪くなるような匂いと、むせかえりそうな湿気、そして巨大な魔力がリザンを包んだ。
広々とした祭壇の間。そこには巨大な肉の塊があった。青く太い血管が、薄桃色の肉塊の表面に走り、規則正しく脈動している。肉塊自身もまた、呼吸するかのようにゆっくりと伸縮をくりかえしていた。
リザンはその前にひざまずいた。首にかけた護符が紫のリン光を放つ。おぞましくも強力な魔力が、その護符を通じてリザンにわけ与えられる。
神の力に酔いしれていたリザンは、手にした杖に宿る魂の反発に我に戻った。
リザンは手にした杖を見下ろした。
「邪魔をするな」
蛮族めが。私を支配したからといっていい気になるな
杖からあざけりと怒りに満ちた声が聞こえた。杖に宿る古代王国の魔法使い、エルダースの声だ。
「静かにしろ」
リザンは憎々しげに杖へ向かって命令する。エルドースは笑い声をあげた。
お前の命令など聞く価値はないな。私やその無様な肉塊がなければ、お前に何の力がある?
リザンの魔導の技の多くは、このエルドースの知識だった。事実、エルドースがいなければリザンの知識はたかが知れている。事実をつかれて、リザンの顔がゆがんだ。怒りのまなざしで杖を見る。その瞳がかすかに淡い水色に光ったような気がした。
!?
巨人にひねられたように、杖がねじれはじめた。ミシミシときしむ音が不気味に響く。エルドースの思念がひるんだ。
エルドースが沈黙したのを確かめて、リザンは力を抜いた。杖を絞め上げていた魔力が消える。リザンは再びミルリーフに祈りをささげた。顔をあげると、ミルリーフの周囲に描かれた魔法陣を見た。
いや、むしろミルリーフの周囲に魔法陣があるのではなく、大きな魔法陣の上にミルリーフが乗っているといったほうが正しい。
魔法陣のぐるりには、八つの小さなくぼみが均等に並んでいた。そのうちの七つには、魔晶石がはめこまれて、淡い魔力を放っている。残った一か所に歩み寄ったリザンは、ローブの隠しから一つの魔晶石を取り出した。それを空いているくぼみにはめこむ。
魔法陣がかすかに輝き出したように見えた。リザンはミルリーフを見上げていった。
「我が神よ。まもなく門が開きます。御身の真の神殿はすでに戒めより解かれ、御身を待っております」
ミルリーフの巨体がふるえた。神の喜びを感じ取ってリザンもまた、体をふるわせた。
「まもなくです。この陣に力が満ちれば、すぐに……」
ミルリーフはまどろみはじめた。リザンは静かに祭壇の間から出た。夢を見ているような空《うつ》ろな笑みを浮かべて、リザンは自分の部屋に向かった。
自分の部屋といっても、たいしたものはなかった。机と椅子は、地上へいく時にときおり通る遺跡から運ばせたものだ。その机の上にはこの神殿の見取図があった。その図の上で小さな石がいくつも動いている。石は骨のかけらで、神殿内にいる死人を示していた。
羊皮紙に描かれた線の上を、白いかけらが動き回るさまは、奇怪な玩具のようであり、リザンは時々、これをのぞきこんでは、あきることなくながめていることがあった。
この時のぞきこんだのは、鑑賞のためではなく、死人の仕事のはかどり具合をみるためたった。しかし、図面をのぞきこんだリザンは眉をしかめた。地上につながる遺跡に置いておいた、見張りをしめすかけらがくだけ散っている。
リザンは机を離れると、急ぎ足で部屋を出た。遺跡に向かいながら片手で何かをまねきよせるしぐさをした。暗がりから、死人たちがリザンのまわりに集る。リザンは死人たちを遺跡に向かわせた。
「ウェブ!」
呼ぶとどこからともなく、あの馬が現れた。大きな馬はリザンのそばに来ると前足を折ってしゃがみこむ。リザンはその背にまたがった。
死人の群は遺跡への通路に入っていく。リザンもその後に続いた。
遠くから、かすかに戦いの音が響いてきた。
* * *
行く手に死人の群が現れて、バートたちはたじろいだ。
「どうやら気づかれたようだな」おやじがいう。
「じゃあ、こちらも本気を出すとするか。不意打ちばかりで退屈しとったんだ」ガラードが神聖語で祈りをささげる。戦斧が白い光に包まれた。
バートも剣を構え直した。ガラードと傭兵が前に出られるように脇に動く。冒険者たちは広い通路に扇形に広がった。死人がざわめくような音をたてて、押し寄せてきた。バートは剣を握る手に力を込める。
「うおおーっ!」
雄叫びをあげて死人の群に切りかかった。剣の重さを生かして、曲芸師のように両手の間で剣を踊らせる。四体、五体と死人が叩き潰される。
「腕が上がったな」
ガラードの声にバートはドワーフの方を向いて笑う。
「これだけ出くわせば、いやでも慣れてくるさ」
「そいつぁ、そうだ」
ドワーフは死人の腕をかいくぐり、戦斧の先についたスパイクでそいつを突いた。
目の端で女戦士が、鮮やかな剣さばきで死人を切り伏せるのが見えた。
戦いの中でできたすきまに、死人が歩み寄る。バートが振り返るよりもはやく、魔法使いが踏み出して杖を振り下ろした。
「いかずちよ、出でよ!」
一瞬、洞窟の中が淡い白に彩られた。稲妻が死人たちを薙ぎ倒しながら通路の奥へ走ってゆく。
「気をつけろ、あいつが……死人使いがいるぞ」
おやじの声にバートはハッとなって通路の奥を見た。
焼け焦げた死人の群の向こう、馬に乗ったリザンの姿があった。
「あいつを殺せばいいってことだな」
ギリッと弓をひきしぼる音が聞こえた。振り返ったバートは盗賊が石弓でリザンを狙っているのに気づいた。
「ルークス、止めろ!」
バートは思わず盗賊を止めようとした。しかし、一瞬早く太矢が電光のように飛び出した。
馬が野獣の唸りをあげた。リザンは印を組み、するどい気合いをこめてその手を突き出した。太矢は魔力にはじかれて地面に突き立った。
「邪神の司祭でも、司祭は司祭ってわけだ。フォースを使ってきたか」盗賊はいまいましげにいう。
ガラードがバートに近づいた。
「バート、あれはリザンか?」
バートはうなずいた。おやじがバートを見る。
「そういえば、湖であいつと話し合っていたようだったな……知り合いか?」
バートは再びうなずいた。そして、
「俺がいって止めさせてくる」
「わしも行こう」ガラードがいう。
「そんなことしてるヒマはないわよ」女戦士が新たな死人を切り伏せた。一度はひるんだものの、死人たちは再び勢いを盛り返そうとしていた。
「大丈夫だ。かなり数が減っている。一気に突っ切れ!」傭兵がいう。
バートたちは再び死人を押し返した。それをじっと見ていたリザンは、急に背を向けると通路の奥へ姿を消した。
「リザン、待て、待つんだ!」
バートは弟の後を追おうとした。しかし、死人の群はしつこく襲いかかってくる。
「バート、さがって!」
魔法使いにいわれるまま脇に退くと、再び稲妻が走った。白い電撃をうけた屍は砕け散る。
「今だ!」
バートははじかれたように走り出す。女戦士と盗賊が同じように飛び出した。残った死人を払い除け、通路の奥へ進む。やがて、行く手に開けた空間が見えた。バートは足を早めた。
視界が開けた。バートは息をのんで立ち止まった。後に続いていた二人も、同じように立ち止まった。
両脇と頭上に水面があった。黒く濁った水がかすかにゆらめく水面が、アーチのようになつていた。そのアーチの向こうに神殿があった。石組でできた神殿。
パードは神殿の入口に駆け込んだ。
小さな広間。そこに二体の骸骨兵がいた。鎧をまとい、ブロードソードを構えている。一体は小さな盾を持っていた。
骸骨兵が広間に入ったバートめざして襲いかかってきた。バートはグレートソードを振りかぶった。
一刀のもとに切り伏せようとしたバートの剣を、骸骨兵の剣が受け流そうとする。だが、力が流しきれずに骸骨兵はよろめく。しかし、今までの死人とは格のちがう敵だと判る。バートはあとずさった。
盾を持った骸骨が切り込んできた。バートはかわす。が、次の瞬間マントを切り裂かれ、冷や汗をかいた。
一度振った刀を戻す時に、もう一度切りかかってきたのだ。
切り戻し≠ニ呼ぶ剣技で、剣技としては初歩の技だ。しかも、まさか骸骨がこんな剣技を使ってくるとは……。
一呼吸遅れて女戦士が飛び込んできた。彼女は不意を突いて、起き上がろうとしていた骸骨兵に切りかかった。骸骨は剣で受け止めようとしたが果せず、頭を打ち割られた。
バートは剣を引き、わざと甘い踏み込みで敵の注意を引きながら彼女に合図した。
女剣士は骸骨が振り返る隙もあたえずに、一気に切り捨てた。骸骨は崩れ落ちると溶けるように消え失せた。
「竜牙兵《りゅうがへい》を一刀両断。おみごと」
ひょっこりと盗賊が入ってくる。女戦士が肩をいからせた。
「役に立たないやつだね、あんたは」
「俺が前に出たってしかたあるまい?」
バートは奥へ続く通路へ向かった。通路はまだ造っている途中らしい中庭に出る。そこにも先刻と同じような骸骨兵がいた。
女戦士がいった。「あたしが引きつけるから、その隙に先にいきな」
「大丈夫か?」
「まかせておきな」
そういうと彼女は中庭に走り出た。激しく竜牙兵と切り結ぶ。
「ほい、まかせて走るとするか!」
そういうと盗賊は走り出す。バートも続いた。そのまま向かいがわに開いた通路に駆け込む。突然、盗賊は横っとびに転がった。
「ルークス!?」
「馬だ! 気配を消してやがった!」叫びながら彼はさらに横へ転がり、別の通路へ駆け込んだ。
暗がりからリザンが乗っていた馬が現れた。しかし、今はその背にリザンの姿はない。
怒りに、ヒレのようなたてがみを大きく開いている。低い威嚇の唸り声をあげては、鋭い爪の生えた前足で床を引っかく。そいつは盗賊の逃げ込んだ通路へいこうとした。どうやら、バートには気づいていないようだ。
バートは剣をかざして切りかかった。馬は驚いて飛びすさる。しかし、狭い通路だ。バスタードソードの切っ先がその首を切り裂く。手ごたえがあった。
「だめだ、効いてねぇぜ!」
バートは馬の首を見る。しかし、本当にそこにはかすり傷一つない。
馬は怒りの声をあげてバートに躍りかかった。反射的に剣をふるう。が、その刃に馬が噛みついた。そのまま押え込まれる。潮の生臭い匂いがした。魔物の金色の瞳が怒りに燃えている。恐ろしい力にバートは床に倒れた。馬の顎に力が加わる。剣が不気味な音をたてた。折れるのは時間の問題だろう。
「くそっ、普通の武器じゃ駄目だ! 魔法の武器さえあれば!」
盗賊の声にバートは叫んだ。
「俺のショートソードを使え!」
馬が鼻息をたてた。金色の目がぎろりと端を見る。盗賊の姿があった。
盗賊はバートに近づこうとする。馬が身動きする。うろこに覆われた太い尾が盗賊を打ちのめそうとした。盗賊は慌てて飛びのく。
「だめだ、そっちへ行けねぇ!」
バートは歯ぎしりした。馬はバートの手から剣をもぎとろうとする。バートは一瞬ためらったあと、手を離した。
馬は勝ち誇ったように剣をくわえあげると、そのまま放り投げた。その隙にバートはショートソードを抜いた。そして向き直った馬が異変に気づく前に、その無防備な胸に剣を突き立てた。
人間の悲鳴に似た叫びをあげて、馬はあとずさった。バートは剣を抜いて構えた。しかし、馬は戦意を失っていた。馬は呻き声をあげて床に爪をたてたが、その姿は溶けるように消えうせた。バートは大きく息をつくと立ち上がった。
「すまねぇ、また役にたてなかったなぁ」
盗賊が投げ飛ばされたグレートソードを差し出した。バートは受け取る。刃には深い歯型がついていた。
剣を握りなおして、バートは通路の奥をうかがった。肉の生臭さを思わせる腐臭がただよってくる。バートたちは奥へ進んだ。進むにつれて匂いも強くなってくる。低い呪文の声がきこえてきた。胸騒ぎを感じて、バートは走りだした。
「お、おい」盗賊が慌てて後を追う。
通路を抜ける。まばゆい光に満ちた広間に走り込んだ。光は床に描かれた魔法陣から放たれている。その魔法陣の中にあるものを見て、バートは呻き声をあげた。
不気味に脈打つ肉の塊。見上げるほどに巨大なそれは、腐臭を吐き出しながら身じろぎした。目も鼻も口も、いや、それ以前に手も足も頭もないただの塊。これがミルリーフ≠ネのか!?
「来るなといったのに……どうして僕を放っておいてくれないんだい? バート」
バートは声の方を見た。肉塊の影からリザンが歩み出した。無表情な目でバートを見る。「放っておけやしない! 俺はおまえを連れて帰るぞ」
「なぜ? 僕は満足している。生れてこのかた、今ほど幸せだったことはない」
リザンは晴れやかな笑みを浮かべた。つかつかと歩みよってくる。たしかに目の前にいるリザンはバートの知るどんな時のリザンよりも、自信に満ちて力強く見えた。そのリザンの首に小さなペンダントがかけられているのを見てバートはハッとなった。
あのペンダント……。あれはもとはミルリーフの司祭が持っていたもの。あれのせいでリザンはおかしくなってしまったんだ。あのペンダントを奪えば……。
バートはリザンに哀願した。
「……わかったよリザン。もうおまえを引き止めはしないよ。ただ、もう一度ゆっくりと話がしたい」
「だめだ。あまり時間がない」
リザンは足下の魔法陣を見下ろした。魔法陣の放つ光は、鼓動のように強くなったり、弱くなったりを繰り返している。バートはそっとリザンに近づいた。
「時間がないって……いったい何をするつもりなんだ?」
「心配することはないよ。僕たちはここから出ていく」
「出ていく? どこへ?」
「真の神殿へ行くんだ」
リザンは嬉しそうにいった。バートはさらに近づいた。
「真の神殿?」
「……これ以上は話せないよ」
魔法陣の輝きが強くなった。
「さあ、帰ってくれ。やっぱり、僕にはバードは殺せない。そこの人も見逃してあげるよ。我が神も今は満足しているからね」
リザンが身を引こうとする。
今だ!
バートは踏み出すと、つかみかかるように腕を伸ばして素早くリザンの持つペンダントをつかんだ。そのまま満身の力をこめて引きちぎる。
のけぞるようにあとずさったリザンの表情が、驚きから恐怖、苦痛に変った。体をまげて胸を押える。そしてペンダントを奪いかえそうとバートにつかみかかった。
バートは身を引いた。祈るような気持ちでリザンを見た。たのむ、もとのリザンに戻ってくれ!
しかし、バートを見るリザンの表情は優しくなるどころか、激しい怒りに変った。バートはうろたえた。
「この……きさま!」リザンのものとは思えない、野獣の唸りのような声がした。
リザンは呪文を唱える。その指がバードに向けられた。
バートは唖然としてその指を見ていた。逃げろという本能と、今にもリザンの様子が変るのではないかという期待が入りまじる。バートはその場に立ちつくした。何かを求めるように、引きちぎったペンダントを握りしめた。
次の瞬間、バートは突き飛ばされて床に転がった。目のくらむような光がはじけ、何かが焦げる匂いがする。呻き声が聞こえた。
「う……馬鹿野郎! なにをぼーっとしてやがる!」
「ルークス!」
盗賊の肩から背中に、黒い焼け焦げができていた。バートはリザンを見た。魔法使いは怒りの表情を浮かべたまま、次の呪文を唱えようとしていた。バートはペンダントを脇に投げ捨て、剣を構えた。
二人はにらみあった。
その時、ミルリーフを囲む魔法陣の光が柱のように吹き上がった。リザンはハッとその光に目をやった。
「門が開いたか」
そうつぶやいたリザンは、身をひるがえすとその光の中へ飛び込んでいった。
バートは光に駆け寄った。白い壁のような物が立ちはだかっている。触れようとすると激しい音とともにはじきかえされた。
なすすべもなく見ている前で、壁は徐々に薄れ、やがて消え失せた。魔法陣の上にいた肉塊も、リザンの姿もない。しばらく呆然としていたバートは、盗賊の押し殺したうめき声に我にかえった。盗賊に近づく。盗賊はわずかに身動きして、バートを見上げた。
「バート、何があったのかは知らねぇが、もうあいつを追いかけるのはやめるこった……それがおまえにも、そしてあの……リザンとかいったか? あいつのためにも……そうじゃねぇかな」
バートは黙っていた。ペンダントは何の解決にもならなかった。ミルリーフの支配は、もうとりかえしのつかないまでになっているのか? それとも、リザンがいう通り、彼は自分の意志でミルリーフに仕えているのか……?
バートはあきらめた。もう自分の力ではどうすることもできない、いや、どうすればよいのか分からないのだ。
足音が近づいてくる。通路から仲間たちが姿を現した。
* * *
呼びかけは高まっていた。だが、それと同じぐらいに、あの冷たい流れも、その力を強めていた。
竜はいらだちを憶えた。あまりに早く大きくなっている。放っておけば、とりかえしのつかないことになるかもしれない。
だが、今は待つしかない。今、竜がいる場所と、冷たい流れのある場所は、あまりにかけはなれている。竜は待った。己れにかけられた封印の解かれる時を。
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第二章 死者の船団
オランの冒険者の店。紫《し》煙《えん》と人いきれが渦巻く酒場には、多くの冒険者たちが集っていた。まだ昼前だったが、職を探しそこねたり、一仕事終えた人々が、カップやジョッキをかたむけている。
シラルムはカウンターに座って、ワインをすすっていた。いつになく真面目で、どことなく悲しげな表情で物思いにふけっている。その隣に誰かが近づいた。
レンジャーらしい女性だ。彼女はカウンターに近づくと、銀貨を置いて酒の入った壺《つぼ》とカップを受け取った。ちらりとシラルムの方を見る。
けっこう美人かな。シラルムはニッコリと笑いかけてウインクする。続いて声をかけようかと思ったが、どうしてもそんな気になれず、ため息をついて視線をおとした。
「おや、シラルムらしくないじゃないか? あの娘を誘わないのかい?」
おやじが笑いながら声をかけてくる。シラルムは肩をすくめた。
「今日はちょっとね」
おやじは小さくうなずいた。
「仲間のことが心配なんだろう? 大丈夫だよ。援軍も出発している。悩みすぎると体をこわすぞ。だいたい、おまえは悩んだりすることに慣れちゃいないだろう?」
「ひどいなぁ僕だって悩みごとぐらいありますよぉ」シラルムは明るい声を出した。そして空になったカップを差し出す。おやじは受け取ると樽からワインをそそいだ。
「ワインもいいが、寝酒に少し強いやつはどうだ?」
「ありがとう。でも遠慮しときます。眠りたくない気分ですから」
シラルムはカップを受け取った。甘い香りを吸い込んでゆっくり口をつける。
「あの娘は眠ったのかい?」おやじが尋ねる。
シラルムはうなずいた。そしていった。
「プラムがあんなにだだをこねるなんて」
「だいぶん、怯えていたようだが」
「ミードヘ行った頃から様子がおかしかったんですけれど、バートが元気がないのに影響されただけだと思ってたんですよね」シラルムはカップをゆっくりと揺らした。店の中を照すランプの灯りが、黄金色の波になってワインの上でゆらいだ。
「あ、そうだ。忘れないうちにいっておこう」おやじが声をあげた。
「奇跡の店に泥棒がはいったらしい。おまえたちが戻ってきたら、顔を出してくれと伝言をたのまれていたんだ」
「泥棒が? あそこのおやじさんは、盗賊ギルドと仲よしなんじゃなかったでしたっけ。そこに泥棒? もぐりなんでしょうか?」
「それなんだが、どうもこのところ、同じような事件が何件も起こっているんだ。盗賊ギルドもやっきになって犯人を探してるんだが、今のところ捕まえたって話はないな」
「ふうん、僕たちに犯人探しをやれっていうのかな? だとしたら、よっぽどの物をとられたんでしょうね」
シラルムは少し考えこんだが、カップの中のワインを一口含んだ。眠気ざましに奇跡の店へ行ってみようか。
「おやじさん、僕、ちょっと……」
シラルムがそういったとき、軽い足音が階段を駆け降りてきた。
目をやると、泣き出しそうな表情のプラムが現れた。彼女は店の中を見回していたが、シラルムを見つけると、わっとぱかりにとびついてきた。
「プラム、どうしたんです?」
目を覚まして、そのまま駆け降りてきたらしく、ほとんど下着姿にちかい。彼女はシラルムにしがみついた。かすかに震えている。
「プラム?」
「怖いの……」プラムがいった。「とっても怖いの。わたしを置いて行かないで!」
「怖いって……何がです?」シラルムは驚いて尋ねた。プラムは激しく首を振る。
「わからない。でも……何だかわからないけれど怖いの。暗くて悲しい場所に置いてけぼりにされたみたいに怖いの。お願い一人にしないで」
プラムは急にがたがた震えだした。シラルムは彼女の額に手をやった。しかし熱はなく、うっすらと浮かんだ汗で冷たい。おやじが身を乗り出すように話しかけてきた。
「シラルム、上へ連れていって寝かしてやった方がいい。かなり気がまいってるようだ」
シラルムはうなずいた。笑顔をつくってプラムをのぞきこむ。
「わかりました。もういなくなったりしませんよ」
シラルムはプラムをうながして、店の二階へ向かう。おやじの声がした。
「ついでに、おまえも寝ておいたほうがいいぞ。やっぱり顔色が悪い」
シラルムは肩越しにふりかえって、小さくうなずいた。
* * *
とても寝つけないだろうと思っていたのだが、プラムを寝かせた後、寝台に横になると、気がつかないうちに眠り込んでいた。
しかし、その眠りはあまり気持ちの良いものではなかった。何やらはっきりとはしない悪夢にとりつかれていたようだった。目覚めた時、手足が萎《な》え、体の芯に砂がつまっているような気がした。
寝覚めはよくなかったが、起きてしまうと気分はよくなった。外を見ると、日がかなり傾いていた。まだ空は赤く染ってはいないが、夕暮れが近い。
プラムが寝返りをうって目をひらいた。シラルムが近くにいるのを見て安心したようだった。シラルムは彼女をのぞきこんだ。
「気分は?」
プラムはニコッと笑った。シラルムは安心した。プラムが起き出そうとするのを見ていう。
「ここのおやじさんに聞いたんですけどね、奇跡の店のおやじさんが僕たちに店へ来てほしいっていってたそうですよ」
「何の用事なのかしら?」
「それだけでも聞いてこようかと思うんですけどね。出かける元気はありますか?」
「うん」うなずいた彼女は、しかしふと下を向いた。ややあって「……ごめんね、わがままいって。あたし、どうしても一人っきりになりたくなかったの」
シラルムは元気づけるように彼女の肩に手を置いた。
「気にしない事ですよ」
プラムは安心したようにうなずいた。
* * *
夕暮れの通りをシラルムとプラムは歩いていた。店が閉るまえに買物をすませようとする人や、仕事を終えて酒場へ向かう人、さまざまな人々が通りを渡ってゆく。路地の奥に建っていて、陽が届かなくなった店の入口には、すでに明りのともったカンテラや、ランプがさがっていた。
奇跡の店≠フ入口には、まだ明りはともっていない。扉を押して中に入ると、呼び鈴がわりの金属のかけらが澄んだ音を響かせた。
その音に店の奥、カウンターの向こうに座って品物の品定めをしていたおやじが顔をあげた。
「おお、シラルムか」
「何か用事があるって聞いて来たんだけど……泥棒に入られたんだって?」
おやじは肩をすくめると部屋の一画を示した。そこには大小さまざまな像が置かれている。その一か所がぽっかりと空いていた。
「あの像がないわ」プラムが声をあげた。
「あれを盗まれたんですか?」
おやじはうなずいた。
「誰が盗んだと思う?」
「犯人を見たの?」プラムがいう。
「腰が抜けるほどしっかりとだよ。なんと砂漠の民だ」
「砂漠の……? 本当に砂漠の民だったんですか?」シラルムも問う。
「ああ、たしかだよ。あの独特の服装をしてるやつらは、あそこの連中ぐらいだからな。砂漠の民が三人、あの像とおまえさんたちが土産《みやげ》にくれた曲刀《フォールチョン》を盗んでいったんだ」
「曲刀? あぁ、砂漠の遺跡で拾ってきたやつですね。神像が盗まれるのはわかるけれど、あの剣がどうして」
「あれには何か由来があるのか?」
「さぁ、遺跡にいた兵士の落とし物ですからね」シラルムは首をかしげた。
「でも、あの像、ようやく五つの武器がそろったのに」
「まったく、わしもそれが残念なんだ。六つ目の武器のありかもわかったというのに」
おやじはいまいましげにいった。
「で、その六つ目の武器なのだが、この街のタディアスという商人、通称イタチ≠ェ持っている。まだ、やっこさんのところにあるはずだ」
「砂漠の人たちが盗りにいったりしないかしら?」
「たぶん行くだろう。神像に用があるなら武器を集めようとするはずだからな。イタチ≠ノそのことを忠告してやったんだが、てんで聞こうとしない。あいつは盗賊が大嫌いで、屋敷に腐るほど罠とか仕掛けを構えておって、それがあるから大丈夫だといいおる」
「盗賊ギルドには話したんですか? 砂漠の民のことや、そのイタチ≠ニかいう人の持ち物が狙われそうだとか?」
「話はしたが、商売がら砂漠の民の怖さは知っているだろうし、イタチ≠ヘ先刻いった通り盗賊ぎらいだから、ギルドの方でも煙たがっている。あまりあてにはできんな」
「ふうん」シラルムは眉をひそめた。「で、僕たちに何をしろと?」
「いろいろ言っていても、タディアスは親友でな。すまんがあいつを見ててやってくれんかな。おまえたちなら砂漠の民にも会ったことがあるしな」
「でも、今は僕たち二人だけですからね」
「何とか都合をつけて、行ってはくれんか? イタチ≠フ館は港の商業地区にある」
「う〜ん、わかりました。明日にでも行ってみますよ」
おやじの顔がほころんだ。
「よろしくたのんだよ。事の顛末は教えてくれ」
おやじと別れたシラルムとプラムは、薄暗闇の通りを歩き出した。
「さて、宿に戻って夕食にして、もう一度眠りますか」
シラルムがいうとプラムが答えた。
「ねぇ、どこか遊びに行きましょうよ。あたし、眠くないし、じっと待ってるのはいやだもの」
シラルムにしても、戻ってこないかもしれない仲間をじっと待つのは嫌なものだ。バートやガラードなら無事に帰ってくるだろうとは思うが、そう考えていても、二度と会えなくなる時は必ずやってくる。長命なエルフであるシラルムは、今までにも幾度かそれを体験していた。
「そのガーランドとかいう人のお屋敷を見にいきますか?」
シラルムは南の商業地区へ向かう、大きな通りを見ていった。プラムはうなずく。二人は、夜になってもにぎやかな、船乗りたちの集う場所へ向かった。
オランの中央を流れるハザード川。そこにある港の東に商業地区はある。倉庫や安い船宿が所狭しと立ち並び、入り組んだ路上には積荷や荷車や馬車が見える。安酒場では人足たちがその日のあがりで酒と賭博に興《きょう》じていた。
「こっちの方かな?」
なだらかな坂を下って港へおりる。港には大小さまざまな船がある。すべてが帆をおろして川のかすかな揺れに身をまかせていた。
イタチ≠フ屋敷は、そんな港を少し北へ登った川沿いにあった。ぐるりを高い塀《へい》で囲み、門もまた、華麗な紋様に彩られているが、頑丈な鉄で作られている。門の紋様をすかして、頑丈そうな石と煉《れん》瓦《が》でできた館が見えた。
「本当に泥棒がきらいなのね」プラムが感心したように屋敷を見上げた。
日は完全に沈んでしまい、空には半月よりは少し細い月が輝いている。通りを荷馬車が音をたてて通り過ぎた。二人は屋敷の裏へまわった。
川に面した方にも高い塀は続いている。裏口にしては大きめの扉がある。川岸には専用の桟橋があって、そこには一|艘《そう》の船がもやってあった。
「小さいけど、きれいな船ね」プラムは船に駆けよった。シラルムも続く。桟橋の先に行くと川風が吹き渡った。
「見て見て、すごーい」プラムがもやい綱を示す。綱には鍵がついている。
「よっぽど盗賊に嫌な目にあったんでしょうかね?」
シラルムは引き返そうと振り返った。その時、屋敷の二階に黒い影が動いたように感じた。いや、気のせいではない。黒い人影が窓から中に忍び込んだ。
「どうしたの?」プラムが尋ねる。
「屋敷の二階に人影が……」
「? あたしには見えないわ」
精霊使いであるシラルムには、闇を見通す暗視の力があるが、その力のないプラムにはあの黒い影は見えないようだ。
「ちょっと様子を見てくる。プラムはここでまってなさい」
「え、あたしも……!」
プラムがいう前に、エルフは屋敷へ走りだした。屋敷の横へ回り込んでゆく。
シラルムは、人影の消えた窓を見上げた。一見すると閉じているようだが、わずかに開けられている。この頑丈な塀をどうやって越えたんだ? シラルムはさらに回り込む。屋敷の人間は侵入者に気づいているのだろうか? 気配をうかがうが、頑丈な屋敷は中の様子をまったくうかがわせない。
屋敷の住人を起こすべきだと考えて、シラルムは表門へ行こうと向きを変える。
突然、物影から人影が飛び出すと、シラルムの背後をとった。エルフの首筋に冷たい刃先が押しあてられる。しまった!
シラルムは相手の腕から抜けだそうと、体の力を抜いてしゃがみこんだ。思いがけなくあっさりと腕がはずれる。ふりかえりざまショートソードを抜いた。
「待った、待った。人違いだった」
短剣をさやに戻しながら相手はいった。柔らかそうな革鎧に黒に見える緑のマントをはおった男は、親しげにいいながら、片手で奇妙なサインを送ってきた。盗賊が仲間を見分けるために使うサインだ。
「僕は盗賊じゃないですよ。奇跡の店には出入りしてますけどね。そっちはギルドの人かな?」
「なるほど、どうやら同じ目的でここにいるようだな」男はそういうと、親指で窓を示した。「見たかい?」
シラルムはうなずいた。男は窓に目をやった。
「まったく、あきれた手際のよさだぜ。奇妙な棒一本でこの塀を飛び越えちまうんだからな。手伝ってくれるんなら、そこらの影に隠れな。出てくるまで待つ方がよさそうだ」
「屋敷の人たちに知らせた方が……」
「とんでもない。下手に起こして騒ぎたてたら死人が出る。知らぬがほとけ≠ウ」
盗賊の言い分が正しいと感じて、シラルムは彼と一緒に暗がりに身を潜めた。
「俺はシアンってんだ。おまえは?」
「シラルム」
「お互い貧乏クジかもしれねぇが、頑張ろうぜ」
* * *
走ってゆくシラルムを追いかけようとしてプラムは立ち止まった。これ以上わがままをいうのはよそう。彼女は塀に沿って回り込んでゆくエルフを見送ると、しょんぼりとため息をついた。
しばらく屋敷を見ていたが、何も変った様子はなく、すぐに退屈してきた。桟橋《さんばし》に座りこみ、つま先で水面を突っつく。波がたち、水面に映った月が砕けては集り、ゆらゆらと揺れる。
しかし、その美しい情景にもすぐに飽きてしまい、グラスランナーはあたりを見回した。
強い川風が吹く。川べりの木々が大きくゆらいだ。その木陰から、わずかに船の船首が見えた。
さほど大きくない船だ。人目をさけるように、ひっそりと岸につけられている。風がおさまると、それは再び木の影にかくれてしまった。
プラムは、何か惹かれるものを感じて立ち上がった。
船にくわしい者なら、その船の竜骨の曲り具合や、船首の飾り、細いマストと帆《ほ》桁《げた》の組みかたから、それが異国の船だと察する事ができただろう。そして旅慣れた船乗りなら、さらにこういって首をかしげたかもしれない。
いろんな船を見てきたが、あんな船は初めて見たぞ
プラムはその船のある岸辺へと走っていった。通りから外れた小さな林を抜けて、背の低い木々をくぐりぬけると、岸辺にその船があった。
「わぁ、きれいな船」
かなり古い船だが、船底から船首への曲線や船全体の形は、オランの金持ちが持つ、どんな遊覧船もおよばない、上品さと優美さを持っていた。プラムは船に近づいた。
何か動物が刻まれた船首飾りがプラムの頭上で揺れている。プラムは川に入るとさらに近づいた。
船は硬い革でできているように見えた。プラムはそっと叩いてみる。しかし、思いがけず、金属のような音が返ってきて彼女は驚いた。ますます興味をひかれて彼女は船を見上げた。船べりが誘うようにゆれる。プラムはベルトのポケットから鉤《かぎ》のついた、細いが丈夫な革紐を取り出した。投げ上げ、引っ張る。小さく鉤がかかる音が聞こえ、しっかりとした手ごたえがかえってきた。プラムは身軽に船腹をよじのぼった。
甲板に降りた彼女は、興味津々であたりを見回した。しかしプラムが知る船とさほど変ったところはない。少しがっかりした彼女は、船尾にある舵《だ》輪《りん》に近づいた。
舵輪は鈍い銀色をしていた。プラムはちょっと触ってみた。次にしっかり握って引っ張ってみた。しかし舵輪は動かない。
「この船って飾り物なのかしら?」
プラムは改めて甲板を見渡した。飾りかもしれない。船倉へおりる梯《はし》子《ご》がある場所には、手すりはあるのに、肝心の下に降りる穴がない。
「なーんだ。がっかり」
彼女は口を尖らせると、その枠《わく》に近づいた。丁寧に枠をつけるなら、穴と梯子もあればいいのに。そう思って見下ろしたプラムは、そこに細い溝を見つけた。……‐
「上げ蓋なのかしら? でも取っ手はないし……」
軽く足でつついたプラムは、板が沈み込むのを感じてあわててあとずさった。罠だろうかとあたりをみまわす。しかし、何も起こらないのを確かめると、もう一度、こんどは強く踏んでみた。
板が沈み込む。穴が口を開き、階段が見えた。気がつくとプラムが踏んでいた板が二つにわかれて、階段の一番上と二段目になっている。
「わぁ、面白い」
プラムはその階段を降りていった。暗いのでポケットから白い石を取り出す。服にこすりつけると、ぼんやりと光りはじめた。
下は船倉だ。しかし、荷物はほとんどなく、いくつかの箱と樽があるだけだ。プラムは何かないかとその箱の方へ近づいた。箱の中には堅パンや干し肉といった保存食が入っていた。次に樽をのぞこうとして、かすかな物音に気づいた。慌てて振り返ったが、船倉の中は暗く広いだけで何もない。ほっと安心して樽に向き直ろうとしたプラムは、背筋が冷たくなるような恐怖を感じて振り返った。
階段がない! 心臓が飛び上がりそうな気持ちで、彼女は階段のあった場所に駆け寄った。見上げると、薄明りに照された天井に、折りたたまれて梯子のようになった階段が見えた。
天井までは、プラムの背丈の三倍はある。飛び上がってみたところで、手は届かない。プラムは鉤のついた紐《ひも》を取り出すと、その階段めがけて投げつけた。しかし、何度やっても鉤は引っ掛からない。そのうえ石の光りが弱くなってきた。
「どうしよう……出られなくなっちゃった」
プラムは周囲を見回した。しかし外へ出るための手助けになりそうな物はない。そのうち、光りが薄れ、消え失せた。
「シラルムーッ! 助けてー!」
暗闇の中でプラムは悲鳴をあげた。
* * *
窓が静かに開いて黒い人影が滑り出た。一人、二人、三人。影たちは窓を閉ざすと、ひさしに跳び移った。ほとんど物音がしない。
「さすがだな……」
シアンの声にシラルムはうなずいた。
三つの影はひさしを渡ってゆくと、さっと飛び降りた。
「待ち伏せるぞ」
シアンがいう。二人は物影から出ると塀に貼りついた。シアンが指で頭上を示す。それにうなずく間もなく、塀の向こうでかすかな気合いの声が聞こえた。シアンが頭上に向かって身構える。
布が風をはらむような音とともに、塀の上に人影が舞い上がった。
予期していたとはいえ、その迫力にシラルムは一瞬気押された。シアンが剣を抜く音が聞こえ、シラルムも反射的に剣を抜いた。
下りてくる人影に、シアンが切りかかる。突然の攻撃にひるんだ相手は、バランスを崩して地面に転がった。シラルムはそいつを押え込んだ。
ふいうちは成功したかに見えた。しかし、残りの二人が異変に気づいて、武器を手に飛び降りてくる。
「戦いの精霊!」
シラルムは精霊語でバルキリーに呼びかける。バルキリーは光り輝く槍を、敵に向かって投げつけた。しかし、槍は男の前で輝きを失った。そいつはそのまま曲刀《フォールチョン》を構えて切りかかってくる。しかたなくシラルムは取り押えた男から離れた。
もう一人の男がシアンに向かってゆくのが見えた。シラルムはもう一度、|精霊の槍《ジャベリン》を投げつけたが、どうしてもぶつかる前に打ち消されてしまう。男はじっとシラルムの動きをうかがっていたが、はじかれたように跳びかかってきた。
間一髪、剣で受け流すが、技量に差がありすぎる。シラルムはよろめいた。あいてはさらに切り込んでくる。
「土の精霊よ!」
シラルムは足元の地面に呼びかけた。それに応えて、切りかかってきた男の足下に、大きな穴が開いた。避け切れずに男は穴に転げ落ちる。
一息つく間もなく、最初に取り押えた男が向かってくる。シラルムはそれを避けて、苦戦しているシアンに駆け寄った。
二人にはさまれて、砂漠の民は一瞬ひるむ。
「ありがとさん! 今のうちに逃げたほうがよさそうだぜ」
そういったシアンは、あっさり背を向けて逃げ出した。
「シアン?」
取り残されそうになったシラルムは、慌ててその後を追った。二人は細い路地に駆け込む。
後から追いかけてくる気配を感じて、シラルムはあらん限りの速さで走った。住人が捨てた汚水でぬかるんだ地面を飛び越えて、暗闇の路地を走る。すぐにシアンに追いついた。
「二手に別れようぜ。運があったらまた会おう。元気でな」
シアンは右の通りへ走ってゆく。シラルムはもう一方の通りへ駆け込む。背後のかすかな気配も二手に別れた。その気配は徐々に近づいてくる。このままでは追いつかれてしまう。しかし、人通りの多い場所へ行けば、逃げ切れるかもしれない。
しかし、細い路地は迷路のようになっている。気がつくと行く手に黒い水面がゆれていた。ハザード川だ。路地はそこで終わっている。
振り返ると、黒い人影が近づいてくる。一瞬のまよいのあと、シラルムは川へ身をおどらせた。
追跡者は波紋の広がる川の表面を見ていたが、きびすを返すと街の暗がりに溶けていった。
* * *
船のへさきが波を切る音に、プラムは目を覚ました。いつの間にか眠っていたようだ。プラムは慌てて眠気を払った。
船は動き出していた。全体が大きく揺れている。わずかな日の光が天井から差し込んでくる。そこから流れ込むかすかな潮の香りに、プラムは息をのんだ。
「やだ、海に出ちゃったの!?」
外を見たくとも窓もなにもない。プラムは耳を澄ませた。大きくゆったりとした波音、それをかきわけるさざ波。かなり沖まで出ているようだ。それを確かめようと、プラムは周囲をみまわした。しかし、船倉の中は暗闇におおわれており、外をうかがえそうな隙間すらない。
この船はどこへ行くのだろう? いや、それよりも、誰の船なんだろう。プラムは心細さに部屋の隅へ身をよせた。見つかったら、怒られるだろうな。でも、見つけてもらえなければ、このままここに閉じ込められたままになっちゃう。
頭上の甲板から、波音にまじって、かすかな足音が聞こえた。プラムは顔をあげた。誰かがいるんだ。ここから出られるかも。プラムは声をあげた。
「誰か、ここから出して!」
足音が止まった。プラムはもう一度叫んだ。だが、何も返事はない。こちらをうかがっているらしい、息をひそめたような沈黙があった。ふと、その気配が消えた。プラムはなぜかわからない不安に口を閉じた。
ひょっとして、自分はなにかとんでもないことをしたんじゃなかろうか? この船が『まっとうな』人の船とは限らないんだ。海賊や密輸船かもしれない。いや、きっとそうだ。川岸にこっそり隠してあったほどだ。大きな港街によくある話で、オランにも密輸船がたくさん出入りしている。最近では奇妙な麻薬が運び込まれていると聞いた。この船はそんな船の一つなのではないか? そうだとしたら、無事ではすまない……!
足音が戻ってきた。ただ、今度は一人ではないようだ。話し声が聞こえる。恐怖に震えながらも、この船の正体を知りたい一心で、プラムは声の方へ忍び寄った。
「密航者だと?」
男の声が聞こえた。
「よりによって、このような時に……一人か?」
誰かが答えている。だが、それまでは聞き取れなかった。
「……あの品は、一刻も早く届けねばならん。いまさら進路は変えられん……」
「早々に、始末しましょうか?」
別の男の声がした。プラムは飛び上がりそうになった。始末って、殺すってことよね。私を殺す相談をしてるの?
「我らの行く手の邪魔となるなら、確実な死を与えるのみ」同じ声が続ける。
「……血は儀式のさしさわりになる……」最初の声が答えた。
「血が不吉ならば、海へは?」新たな声が加わった。
「我らの敵のことを忘れたか? 敵の力を増すつもりか? それでなくとも、古えの昔に滅ぼした神殿が蘇ったのだ」その声に、べやしさに似た響きがあった。
「では、いかがされます?」
「……今しばらくは捨ておけ」
足音が去ってゆく。プラムは茫然とその場にたたずんだ。
どうしよう。私、とんでもない船に乗ってしまったんだ。あんなに平然と、始末だの殺すだのいうなんて……よほどの悪党ぞろいの船なんだ。早く逃げなくちゃ。でも、どうやって?
とてつもなく心細かった。彼女はまったくの一人だった。外には恐ろしい男たち。この船がどのあたりにいるのかも分からず、逃げ出そうにもまわりに広がるのは海原だけ。街からも、仲間からも遠く離れてしまった。
シラルムはあのあとどうしたんだろう? バートとガラードは無事だろうか? みんなどうしてるだろう? あたしを探してくれてるかな?
でも、どんなに探したって見つからない。まさかこんなところにいるなんて、わかりっこない。
プラムはその場に座りこんだ。
* * *
冒険者の店の扉をくぐったバートは、心のそこからほっとした。あのあと、村へもどると霧はうそのように晴れ、明るい日射しが荒れ村を照していた。援軍も到着し、後のことは彼らと、宿のおやじや村に残る何人かにまかせて、バートたちはオランヘ戻ってきたのだ。
そんなバートたちを待っていたのは、ずぶ濡れになって疲れきった様子のシラルムだった。
宿の二階にある小部屋で、事の顛末を聞いたバートはいった。
「プラムがいなくなっただって?」
真新しい服に腕を通したエルフは、ぐったりとうなずいた。
「危ないからと思って桟橋に残して行ったんですけど、追っ手をふりきって戻ってみると……」
「まわりも探したのか?」
ガラードの問いにもうなずく。
なんてことだ。バートは唇をかんだ。
「その男たちは確かに砂漠の民だったのか?」
「ええ、砂漠の遺跡でいやというほど出会った彼らと、同じ雰囲気を持ってましたよ。あの独特の気配は、まずまちがいありません」
「で、結局そいつらは六つめの武器を盗んだのか?」ガラードがいう。
「ええ。みごとに盗まれていました」
「プラムもやつらにさらわれたのだろうか?」
バートがいうと、ガラードは暗い表情で肩をすくめた。
「さらってどうする? 意味がないと、わしは思うがな」
その通りだ。バートは不吉な思いに顔を曇らせた。
「俺、探してくるよ」
バートは立ち上がった。一度は外した剣帯を身につける。ガラードとシラルムも立ち上がる。
「商業地区だったな?」ガラードがいい、シラルムはうなずく。
三人がでかけようとした時、部屋の扉をノックする音がした。応えると宿で使い走りをやっている少年が顔をのぞかせた。
「あんたたちに客だって、おやっさんが呼んでるよ」
「わかった、すぐに行くといってくれ」ガラードはいって、小銭を放った。素早くそれを受け取った少年は、ニッと歯を見せると姿を消した。
「客?」バートは仲間の顔を見たが、二人とも首をふる。
三人は部屋を出て、一階へ降りていった。紫《し》煙《えん》の霧が渦巻く酒場。そのカウンターで一人の魔法使いがおやじと話をしていた。冒険者ではないようだ。革鎧ではなく、上品そうなローブを身につけ、薄いマントをはおっている。おやじがバートたちに気づき、手まねきした。
近づくと魔法使いは振り返り、上品に挨拶した。バートも軽く手をあげて礼をかえした。この見知らぬ客は誰か、バートがおやじに尋ねる前に、男は話しだした。
「私は魔法使いギルドからまいった者です。導師バレンどのの命で、あなたがたを呼びにまいりました」
「バレンどのが? 用件は何だ?」バートが尋ねる。
「海の神について、あなたがたの力が借りたいのです」
「またミルリーフか?」ガラードがうめくようにいう。
「くわしい話はギルドで導師どのからお聞きください」
魔法使いは先に立って、店を出ようとした。シラルムが慌てて声をかけた。
「今すぐでなくては、いけないのですか?」
「ああ、俺たちは行かなくてはならないところがあるんだ」バートもいった。
魔法使いはふりかえると、小さく首をふった。
「私はあなたがたを全員、お呼びするように申しつかっただけで、その質問にはお答えできません。ひとまずギルドへいらしてはいただけませんか?」
口調は静かだが、有無をいわせない強さを感じてバートは折れた。
「わかった行こう」
「バート、プラムのことなら俺のほうで何とかしてみよう」
おやじの声に、バートは振り返った。安心させるようなおやじの笑顔にバートは感謝した。
「ありがとう、おやじさん」
「お願いします」シラルムがいう。
おやじはうなずくとい大きく身を乗り出してエルフの肩を叩いた。
魔法使いが歩き出す。バートたちは後に続いて店を出た。
* * *
オランで、いや、おそらくアレクラストで最も高い建物。賢者の学院の「三角塔」。
その黒大理石で造られた巨大な塔を見上げて、バートは我知らず拳をにぎりしめていた。ここには、あの封印を破ってしまったあとすぐに、訪れたことがある。
「堕ちた都市」から戻ったバートたちは、恐ろしい呪いに襲われた。封印を解くものにふりかかるように仕組まれていた古代の呪い。パダの町の大地母神神殿で手あてをうけて、一命はとりとめたものの、その呪いのあまりの強大さに、バートたちはそのままオランの魔法使いギルド、つまりこの三角塔へ送られたのだ。
案内してきた魔法使いに導かれて、バートたちは三角塔の中にはいった。幅はせまいが天井の高い通路を進む。衛兵の立つ二つの扉を抜けると、広々としたホールに出た。
この三角塔は三つの塔「知識の塔」「真理の塔」「魔術の塔」から成り立っている。案内人はバートたちを左奥に見える巨大な扉へ導いた。真理の塔への入口だ。
中に入ったバートは、場違いなところにいるという不快感に落ち着かない気分になった。案内人は上へ向かうなだらかな階段を登っていく。
階段を六階まで登って、ようやくバートたちは一つの部屋へ案内された。魔法使いは扉の前でバートたちを連れてきたことを告げる。扉が開いた。
広い部屋は会議に使われるものらしく、中央に大きな机がある。その机の表面にはオランの南の地図が浮かび上がっている一机を囲むように三人の魔法使いが立っていた。
一人はすでに顔を知っている。導師バレンだ。あとの二人はずっと高齢で、身分の高い導師と賢者のローブをまとっている。
バレンがバートたちに近くへくるようにいった。いわれるままに近づくと、バレンはバートたちを奥にいる二人に紹介し、次に奥の二人をバートたちに紹介した。賢者のハルマと魔法使いギルド最高導師マナ・ライ。
その名はいくら魔法使いギルドについてうといバートでもよく知っている名前だった。このオランの街を創った創始者ともいわれ、名実ともに魔法使いギルドの長《おさ》である。そんな大魔法使いがいるとは……。
最高導師はそんなバートの様子を見てか、驚くほど明るい笑みを浮かべた。
「よく来てくれた。まずはその机の上をみてはくれぬか」
バートたちはうながされるまま、机の上を覗き込んだ。オランの南の海域が実物そっくりのミニチュアとなって描かれている。
「これは……絵ではなくて本当の景色ですよ。ほら」
シラルムがいってハザード川の河口をしめした。麦粒のような船がわずかに動いている。目をこらせば中で動く人影すら見える。
その絵がゆっくりと動いて、南西にずれた。
ナムゴーのある半島にそって滑り、やがて一面の海原が広がった。ポツリポツリと船の姿がある。
「その船団は四日ほど前に現れたのだ。通りかかる船を襲いながら、ゆっくりとこちらへ向かっている」
バレンがいう。また海賊さわぎだろうか? しかしそれぐらいのことでマナ・ライ導師がのりだすわけがない。それに呼びに来た魔法使いは海の神≠ニいっていた。
「この船は他のものと形が大分ちがうな」
ガラードが黒い船を指さす。それを見たバートはハッと身をのりだした。黒いガレー船! あの監獄島で見たガレー船だ。
「見覚えがあるのかね?」賢者が問う。バートはうなずいた。
周囲の船もよく見ると、半ば朽ち果てた幽霊船のような物ばかりだ。
「荒ぶる海の神にして、死者の船を統べる者=c…?」シラルムのつぶやきに、賢者ハルマがいった。
「やはりお主らも、これをミルリーフの船団と見るか? 我らもそう思い、お主らを呼んだのだよ」
バートは顔をあげる。
マナ・ライがいった。
「堕ちた都市での事は、このバレンから聞いた。ミード湖の件も先刻、知らせを受け取ったところだ。確実に、そして着実にミルリーフは力をのばしている。死者を操り、人々を襲う邪教の司祭の話が聞かれ、このように死人の船も姿を現しはじめた。その数は日に日に増えている」
マナ・ライが合図すると、バレンは机の片隅にある魔晶石に手をかざした。ふたたび、絵が南へ、西へ滑ってゆく。ポツリポツリだった船の数が増えてゆき、やがて数十隻の船が視界に入ってきた。しかし、絵が乱れ始め、南西の端から黒く霞んでゆく。さらに南西へ進めると、黒い霞がその絵をおおった。
「バレン、もうよい」
導師は手を離す。机の上の絵が消え失せた。
「このように、強大な魔力が南西から押し寄せている。恐ろしい力だ。今のまま放っておけば、一月もたたぬうちにオランはこの死人の船団と魔力……ミルリーフとの戦いの場になるだろう」
マナ・ライの言葉をハルマが継いだ。
「ミルリーフ自身はやってこずとも、死人の船はこれから先、永遠にあの海に陣どり、行き交う船を襲うだろう」
「俺……我々に何を?」
苦しげなバートの問いに、マナ・ライは静かに答えた。
「明日、南西へ向かって船が出る。陸に近づきすぎる船を沈め、魔法ではうかがい知ることのできなんだ、南西にある魔力の源を調べるためにだ。おまえたちに、その船に同船してもらう。これは依頼ではなく、命令だ。よいな」
バートは一瞬ひるんだ。ふたたび死人の群と戦うのか? その向こうにはひょっとするとリザンがいるかもしれない。バートはリザンに剣を向けた時の、いいようのない気持ちを思いだした。
バレンがいった。「バート、君が行かなくとも、誰かが行き、そして行き着くだろう。いざとなれば私も行くことになる。そしてミルリーフを鎮めるために、その司祭を殺すだろう。それは君の弟かもしれない」
バートは元は冒険者であった導師の顔を見た。バレンはいい聞かせるようにいった。
「いつかは起こることだ。君がやらねば誰かがやる。バート……行ってくれるな」
バートは目を閉じた。そして答えた。
「わかりました。俺がやります」
* * *
竜は喜びに身をおこした。ようやく、呼びかけの声がはっきりとしたものになったのだ。七つの音が、美しい音色となって竜を呼ぶ。竜はそれに答えた。
竜が赴くべき世界から、魔力がそそぎこまれる。その魔力は竜に仮の肉体を与えてくれるはずだ。そして、竜が肉体をそなえ、存分な魔力を吸い取れたなら、門≠ヘ開かれる。
竜の全身が白く、まばゆく輝く。時はまもなく満ちようとしていた。
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第三章 死者の軍勢
オランの戦船《いくさぶね》がそろうのは、王宮の祭事をのぞけば、本当にまれなことだった。色とりどりの旗をマストにひるがえしながら、七隻の大型船は一路南西へと向かっていた。
どの船にもオランの軍の兵士や傭兵、そしてギルドや寺院から派遣された魔法使いと僧侶が乗り込んでいる。
バート、シラルム、ガラードの三人は、そのうちの一隻に乗り込んでいた。頭上で大きな帆が、風を一杯にはらんでふくれている。マストと帆桁のきしむ音と、水夫たちの掛け声が飛びかっていた。
魔法使いギルドで調達した、新しい革鎧とマント、小さな盾を身につけたバートは、甲板に立って、輝く海原を見ていた。鎧と盾にはそれぞれ、ごくわずかではあるが、防御の呪文がかけられている。また、右手にはめた指輪にはコモン・ルーンの魔力付与≠フ魔法がこめられている。
後ろでは、同じように新しい鎧を手に入れたガラードが、鎧をなじませようと体を動かしていた。
軽い足音がして、隣にシラルムが立った。彼も同じようにギルドで魔法の品をもらっていたが、鎧ではなく丈の長い上着だった。薄い紫にそめられた上着の縁には、魔法文字の縫い取りがある。その銀色の文字が、日の光りにきらめいた。
二人はじっと海を見ていた。バートは水平線に目をやった。死人の船はあの向こうにいる。リザンもいるのだろうか? いたらどうなる? 俺はあいつと殺し合わねばならないのか?
バートは迷いを捨てようとした。リザンを止めるためだ。このまま放っておけば、リザンはさらに深くミルリーフに支配されてしまう。そうなれば、しょせんは破滅だ。バレン導師のいう通り、ミルリーフを滅ぼそうとする人物によってリザンは殺されるだろう。
見ず知らずの、何も知らないやつに殺されるぐらいならば、俺自身のこの手で……そう思う。しかし、いざ、あいつを目の前にむて、あいつに向かって剣をふるえるのか? バートには自信がなかった。
急に船の上が騒がしくなった。前方で先導していた船の旗が取り替えられ、敵を見つけた合図にかわる。
「右舷、二隻!」見張りが叫ぶ。水夫たちが目まぐるしく動き回り、帆桁がゆっくりと回る。船の向きが変って、大きな揺れがきた。バートは船べりにつかまった。よろめいて転がり落ちそうなガラードに気づいて片手でドワーフをささえる。
「すまん」ガラードは慌てて船べりにしがみついた。
先陣の船の向こうに、薄気味悪い船の姿が現れた。寒気を感じたバートは、いつの間にか周囲に薄く霧がかかりはじめているのに気づいた。
「全速!」船長の野太いがなり声が聞こえる。一杯に張られた帆を、水夫たちが最もよい角度へ動かす。
武器を手にした兵士や傭兵が甲板に集まりはじめた。弓兵が火矢の準備を始める。
先陣の船が速度を落とした。死人の船が近づいてきた。霧が濃くなり寒気を感じる。生臭い匂いがただよってきた。
死人の船はついさっき、海の底から浮かび上がったかのようだった。マストは折れ、帆は引きちぎれて海草といっしょになって、力なくぶらさがっている。船全体がどす黒く腐りはて、今にも崩れ落ちそうだ。
船の上には、多くの死人が立っていた。それぞれ、武器らしいものをふりかざし、骨だけになった顔をこちらに向けている。
先導の船が向きを変えて、死人の船に船首を向けた。そして突き進む。しかし、死人の船は思いもがけない動きでかわすと、船腹に擦り寄ってきた。鉤のついたロープが投げられた。兵士や傭兵たちがロープを切ろうとする。そこへ死人の群が殺到した。
バートたちの乗った船は、その死人の船めがけて突っ込んでいった。衝角が腐った船首を砕き、まきぞえを喰った死人が海に転げ落ちた。船板をはぎとるように、衝角はさらに食い込む。
船べりのバートたちの前で、死人の船が引き裂かれる。悪臭ふんぷんたる死人の群が、こちらの船に飛び移り、しがみついてくる。バートは剣を抜くと、今しも乗り込んでこようとする死人を叩き落とした。
衝突の衝撃から立ち直った兵士たちが、船べりに集ってくる。乗り移ろうとする死人と激しい戦いになった。死人は次から次へとよじ登ってくる。
「反転するぞ。落ちるな!」
船長が叫ぶ。船がきしりながらあとずさる。船首が大きく首をふり、衝角がさらに死人の船を押し潰した。しつこく登ってくる死人を叩き落として、バートは船べりをつかんだ。
もう一隻の船も死人を払い落としながら、ゆっくりと向きを変えた。
二隻の戦船にはさみこまれて、死人の船は崩れはじめる。竜骨がへし折れたらしく、急に船体が曲ると、そのまま再び海の中へ沈んでいった。
向こうの戦船に乗っている男たちが手をふる。バートたちも手をあげて応えた。
離れたところで同じような木の砕ける音がする。船が再び回頭した。音の方を見ると、他の戦船が別の死人の船に船首を突き当てていた。
バートたちの乗った船が向きを変え終わるまえに、あらたに戦船が近づいてくると、白兵戦に入っている死人の船に襲いかかった。
気づくと後ろには、残りの三隻の船の姿もあった。
「これからは、互に互いを守れるように、かたまって行くようですね」
後ろに下がっていたシラルムが戻ってきた。
「けっこう、あっけないな」
バートは、まだマストの先とあぶくの残る水面を見た。
「一隻を二隻がかりで潰したんですから、そりゃ簡単ですよ」
「ギルドで見たのは十数隻だったが、おそらくはもっとおるはずだ。これからが大変だぞ」
ガラードはそういうと、戦斧に残った海草をはがした。他の兵士たちも、武器を鞘にもどしてくつろぎはじめる。バートも剣を収めた。
死人の船は消えたが、霧はまだかすかにあたりにただよっている。
「まだまだ、油断はできないってわけか」
「でも半面、まだまだ先は長いですからねぇ。あまり力みすぎると、途中で疲れてしまいますよ。さぁ、気を楽にして」
シラルムが笑顔を浮かべた。ガラードもうなずく。バートはいわれるままに肩の力を抜いた。何とはなく気分が軽くなった気がした。
まだ、先は長いのなら、今は思い悩むのは止めよう。すべてはきっと、その時に決るのだろうから。
バートは自分にそういい聞かせる。そして二人の仲間にうなずいてみせた。
* * *
船が大きく向きをかえて、動きをとめたようだった。ゆれがわずかになって、甲板に三人の足音がする。プラムは暗闇の中で、その様子をうかがっていた。
外は夜らしく、天井の隙間からは淡い白々とした光が差し込んでいた。
叫びかわす声が何度か聞こえ、やがて船腹が何かに当る鈍い音と衝撃があった。
どこかに着いたんだ。でも、どこだろう?
プラムはさらに耳を澄ませた。
慌ただしい足音とかすかな話し声。甲板になにか軽い物が当たる音がする。もう一隻、船がいるのだろうか、波にきしむ船の音が聞こえる。
しかし、しばらくの間は、聞こえるのはそんな物音だけだった。そのうちに甲板を行き来していた足音も聞こえなくなった。プラムは心細さを感じた。
敵とはいえ、人の気配がなくなるのは、とっても怖い。もう、このまま、ここにとじ込められて終わっちゃうのかもしれない。プラムはそんな事を考えて身を震わせた。
いや、まだそれはましな方ではないか? 誰かに聞いたことがあるけれど、手足を砂漠に立てた杭に縛りつけて、そのまま放ったらかしにして殺す方法があるそうだ。ここは海の上だけれど、船の甲板に手足を縛られて放り出されたら、きっと干からびて死んでしまうだろう。
それとも、鶏《にわとり》みたいに一思いに殺されてしまうんじゃないだろうか? ああ、バート、シラルム、ガラード、そして、無理だとおもうけどリザン、お願い、助けて!
時間にすると二時間ほどだろうか。耳を澄ましているつもりで、いつしかうとうとしはじめていたプラムは、階段が降ろされる物音に飛び起きた。
階段が降りて、ひとつの人影が入り込んできた。ゆったりとしたマントをはおった男だ。フードを目深にかぶっているので、顔は見えない。プラムは一瞬、逃げ出しそうになったが、ここで逃げようとしても、むだだろうと感じてじっと座り込んでいた。男はつかつかとプラムに近づき、彼女を引き起こした。
プラムは船倉からつれ出された。階段を登るとき、満天の星空と甲板に立つ人影が見えた。人影は三つある。彼らの話し声が聞こえた。
「子供か?」
「いえ、グラスランナーの女です。どう始末をつければよろしいでしょうか?」
始末!? とうとう来たんだ! プラムは身をすくませた。
プラムは階段を引きずりあげられると、甲板に立つ男たちの間に放り出された。彼女は自分を見下ろしている四人を見上げた。月の明りがあったが、男たちの顔は、マスクのようになったかぶりもののせいで、よく見えない。
このうちの三人は、この船に乗っていた三人だろう。で、もう一人はどこから来たのだろう? この船はどこの港についたんだろう? 港なら隙を見て逃げ出せるかもしれない。プラムはあたりを見回した。
しかし、陸地は見えなかった。ただ、男たちの背後に大きな影があった。大きな船。いま乗っている船と同じような美しい船だ。
「どういたします?」
男の声に、プラムは身を震わせて男たちを見た。新たに増えた男は少し考え込んでいたが、腕をのばしてプラムを捕まえた。
プラムは小さく悲鳴をあげた。心臓がちぢみあがるのを感じた。逃げなくては! しかし、恐怖のためか、手足がこわばって動くことができない。プラムはただただ、体をすくませて、震えるばかりだった。
「この役目が終わるまで、船倉に閉じ込めておくしかあるまい」
どこか聞き覚えのある声に、プラムはその男を見上げた。男はまわりにいる三人にいった。
「もうよい、行って己れの持ち場につけ」
三人の男たちは命じられたままその場を去り、黒く大きな船の方へ行く。
それを見送って、男はプラムの腕を握る力をゆるめた。そして顔を隠している布を降ろした。日に焼けたその顔に見覚えがある。彼は……! プラムは安堵の声をあげた。
「マザイ? マザイさんね」安心したあまりに、涙がこみあげてくる。
マザイはプラムを見下ろした。
「たしかプラムといったか、いったいなぜこの船にもぐりこんだ?」
「別にもぐりこむつもりも、ここまで来るつもりもなかったの。ただ、あるお屋敷の見張りにいったら、近くにこの船が見えて、あんまりきれいな船だったから、ちょっぴり中も見たいなぁ、って思っただけなの。そしたら、あそこに閉じ込められちゃって……」
マザイはしばらくプラムを見ていたが、
「うそではなさそうだな。安心するがいい。おまえを死なせる気はない。我らの恩人であるのだからな。エレミアヘ戻った時にシェイラのもとへ送ってやろう」
「ありがとう!」
「だが、うかつな事をしでかさない限りだ。当分、船倉の小部屋で暮すことになるが、決して逃げ出そうとはしないことだ」
マザイの強い口調に、プラムは何度もうなずいた。それを見て、マザイの表情がかすかに和らいだ。
「恐れることはない。できうる限り、すごしやすくはからおう」
「ありがとう、マザイ」
マザイはプラムを大きな船の方へ連れてゆく。プラムはその船を見上げた。船の上には何人かの砂漠の民の姿がある。かすかな香の匂いと、祈るような声が聞こえた気がした。
マザイはプラムを肩にかつぐと、その船べりに下がる縄梯《なわばし》子《ご》に手をかけた。
* * *
オランを発って四日ちかくが過ぎようとしていた。船の周囲は、すっかり霧に覆われ、隣にいる船の姿も、おぼろにしか見えない。南西へ進むにしたがって、死人の船と出会うことがおおくなり、このうっとうしい天気もあいまって、乗っている兵士、傭兵、水夫までもが疲れの色を見せ始めた。欠けた人数こそないが、怪我をおった者は何人かおり、司祭たちが神聖魔法を使って治療していた。
バートも死人の剣でうけた傷を、ガラードに癒してもらっていた。かなり深く切り裂かれていた腕が、神聖魔法の力で見る見るうちに塞《ふさ》がっていく。ほぼ塞がった傷にシラルムが薬草を当てて、手早く布を巻きつけた。
船首の方で、水夫たちが先の戦いで痛んだ衝角を修理している。
「今度の船は頑丈でしたからね」その様子を見ながらシラルムがいう。
「沈んでから、さほど経っていない船だったんだろう。乗っていた死人も、まだ肉がついておったからな」と、ガラード。
「あれが肉と呼べるならな」
ガラードの台詞《せりふ》にバートは顔をしかめた。
「ああいう中途半端はよくない。いっそ、骸骨なら、さほど気味悪くもないんだが」
「そうですね。まったくもって、溺れた人間は、あんな風になるんですねぇ。僕は間違っても溺れ死なないようにしましょう」
「また一隻……いや、二隻来ますぞ!」見張り代りに立っていた司祭が声をあげる。
「まだ街角は使えねぇ! 下がれ、速度を落とせ!」
船長の声に、帆が巻き上げられて船足が遅くなる。甲板の上にいた兵士たちは、武器を手に船首へ向かう。バートたちも続いた。
霧の向こうから、幻のように二隻の船が現れた。商船らしい大型船と、それよりは一まわり小さな船だ。どちらも一見しただけでは、一度海の底へ沈んだものとは見えない。ただ、帆だけはどす黒く汚れており、ところどころやぶれていたりする。その大型船がへさきをこちらに向けた。
「ひょっとすると、あの船あたりはあの監獄島の司祭が沈めた船かもしれませんね」シラルムがいう。
「そのようだな、事故や嵐で沈んだとしては、きれいすぎるようだ」ガラードがうなずいた。
船がせまってくる。
「回頭! 急げ!」
船腹に突っ込んでこようとする船をかわそうと、再び帆が広げられる。マストがきしみ、船は大きく向きを変えた。しかし、敵も向きを変えて回り込もうとする。
「今度の操舵手の頭の中は、まだ腐っていないようだな」
その動きを追いながらバートはいう。シラルムが叫んだ。
「こちらの方が足が遅い。回り込まれますよ!」
「精霊使い、風の精霊で何とかできんのか?」ドワーフがいう。
「駄目ですよ。あの船は何か違う力で動いてます。邪魔は……」
「なら、こっちの船を動かさんか、この間抜けが!」
「あ、そうか」
シラルムは両手をかかげると、精霊語で風の精霊に呼びかけた。その両手にまといつくように風が巻き起こる。それは大きな流れとなって、バートたちの乗る船の帆をふくらませた。
ぐん、と速度があがって皆がよろめいた。バートはシラルムの脇に立って、精霊使いの集中が乱されないように、彼を支えた。
「うまいぞ精霊使い! よおし、このまま接舷するぞ!」
冷や冷やしていた船長が号令をかける。船はそのまま、今度は反対に敵を押え込むように擦り寄る。
「船長! 右舷っ!」
見張りが叫ぶ。見ると小さい方の船がすぐそばまで迫っていた。
「舵そのまま! 抜けろ!」
しかし間にあわない。激しい衝撃と、木の折れる嫌な音が響き、バートたちは甲板に突っぷした。甲板を通じて木のあげる悲鳴が響く。
「もう一隻も来るぞ!」
今度はもっと大きな音がして船が傾いた。大きな商船が向きを変えて突っ込んできたのだ。二隻の船から死人たちが乗り移ってくる。
「バート、シラルム、大丈夫か?」ガラードが尋ねる。
「くそっ」バートは立ち上がった。
衝撃から立ち直った兵士たちが、船べりに向かう。バートは剣を抜くとその後を追った。
よじ登ってきた死人たちは、溺れ死んだ者特有の、ガスにむくんでふくらんだ体をしている。バートは不気味なその死体に剣を叩きつけた。ぐしゃりと肉がはがれて、悪臭のする腐った水が飛び敷る。その匂いをもろに吸い込んで、バートは胸が悪くなった。
胃の中のものがせりあがるような感触に、バートはわずかにひるんだ。後から後からよじ登ってくる死人が、そんなバートヘ切りつけてくる。
戦斧がきらめき、死人は断ち切られて転げ落ちた。ガラードがバートの前に立つ。
「大丈夫か? 気を抜くな!」
ドワーフは戦斧を操《あやつ》って新たに登ってくる死人を叩き落とした。
「すまない」
バートは剣を構え直すと、苦戦している男のところへ駆け寄った。死人を切りふせる。と、急に足元が傾いた。船がきしみ音をあげた。傾きは止まらず、船はゆっくりと倒れはじめた。
「やばい、沈むぞ!」誰かが叫んだ。兵士たちがひるむ。
船が傾こうが、一向に意にかいさない死人たちは容赦なく襲いかかってくる。その様子に魔力を温存していた魔法使いたちが攻撃をはじめた。雷や光の槍が死人を打ちすえ、聖なる光が死者への縛めを解き放つ。
そうしているうちにも船は傾き、やがて立っていられないほどにまでなった。
バートは死人の一人を打ち払うと、死人の乗っていた商船へ飛び移った。同じように何人もの兵士が後に続く。海草や腐肉に足をとられながらも、広い場所に出た有利さを生かして、バートはバスタード・ソードをふりまわす。行く手にふさがる死人を蹴散らし続けた。
やがて、動いている死人は見当たらなくなり、バートは息をついて剣を下ろした。まだ戦いの物音が聞こえていたが、それもすぐにおさまった。周囲を見回したバートは、マストの根元に何か光るものを見つけて近づいた。
マストの根元に小さな板のような物がくくりつけてある。それを覗き込んだバートは怒りの表情を浮かべた。リザンが持っていたペンダントと同じ紋様があった。おそらくミルリーフの紋章なのだろう。バートはそれをマストから切り離した。怒りをこめて海へ投げ捨てた。
そのとたん、船が大きくゆれた。船尾の方から徐々に沈みはじめる。バートは慌てて周囲を見回した。すでに、バートたちが乗ってきた船はマストと右舷の船べりを残して、海に沈んでいる。ガラードとシラルムの姿をさがすが見あたらない。
「早く海へ飛び込め、船に引きずられて溺れるぞ」
傭兵らしい男が、横を通り抜けざまにそういうと、波間に身を踊らせた。バートも同じように飛び込んだ。
剣と盾の重みで、水中に深く沈みこむ、バートは慌てて盾を外した。水をかいて海面に顔を出した。まわりにいる兵士や水夫が、船から遠ざかろうと泳いでいる。バートもその後に続くと、後ろを振り返った。
船は半分以上が海にのまれ、船首が突き出していた。見ているうちにも、その船首が持ち上がり、まるで船が垂直に立ち上がろうとしているように見えた。そのままゆっくりと沈んでゆく。周囲のものを道連れにするかのように、渦をつくりながら海の中へ姿を消した。
もう一隻の船も、兵士たちが乗っ取ったようだった。しかし、そちらの船は沈むことなく、ゆったりと波に浮かんでいる。
「まったく、こんなことじゃったら、向こうの船に移るんだったわい!」
板切れに戦《せん》斧《ぷ》を乗せたものを押しながら、ガラードが近づいてきた。
「シラルムは?」
「あちらの船じゃろう。要領がいいというか、運がいいというか……」
バートは残った商船を見た。船はゆっくりとへさきをめぐらせて、波間で泳ぐ者たちを拾い上げている。その向こうに黒い影が現れた。
新手か? そう思ったバートは、現れた船が味方の戦船だと気づいて、体の力を抜いた。
が、商船は戦船が近づくと、突然大きく向きを変えた。そして、戦船へ近づいていく。
「何をしとるんだ? はやくこっちを拾ってくれんか」ガラードがいう。
商船は速度をあげた。
どうも様子がおかしい。バートは目をこらした。遠目でも船の上の人々が、あわてふためいているのが見える。人々は次々に、海へ飛び込んでいった。戦船も異変に気づいて回頭する。
「何が起こっとるんだ?」ガラードが唖然としていう。
「たぶん、あの船は死人が動かしてたわけではなくて、自分の力で動いていたんだ。おそらく、魔力で味方以外の船を襲うようになっているんだ」
商船が戦船の横腹に突き剌さった。二隻の船はそのまま、よろめくようにただようと霧の向こうへとかすんでいく。ガラードが慌てていった。
「いかん! このままではわしらはここに置いてけぼりになるかもしれんぞ!」
「だが追いつけるだろうか?」
「やってみなくてはわからんぞ」
ドワーフは懸命に泳ぎはじめる。バートも船が消えた方へ泳ぎ出した。
しかし、霧で視界が悪く、気がついた時には自分たちがどの方向からきて、どこへ行こうとしているのかが分からなくなってきた。
水をかく腕が重くなってくる。最初は気にならなかった水の冷たさが、体の奥へとしみこみはじめた。
ガラードは泳いでは板につかまって休むことを繰り返していたが、だんだん板につかまっている時間のほうが長くなった。ついには板につかまったまま、じっと動かなくなった。
「ガラード、大丈夫か?」
バートが声をかけると、ドワーフは少し身動きした。
「なさけないが、泳ぎはどうも苦手だわい。疲れてきた。少し休ませてくれ」
ドワーフの生気のない声に、バートは何か役にたってくれそうな物を求めて、周囲を見回した。しかし、板切れ一枚すら浮かんでいない。同じように海に取り残された者たちはどうなったんだ? それも見えない。バートは声を限りに叫んだ。
「おーい、誰かーっ!」
しかし、声は霧に吸い込まれるように消えてしまい、答えるものはなにもない。海の冷たさ以外の、内側からくる寒気にバートは体を震わせた。このまま、海の底へ沈み、あの邪神の手先となるのか?
一瞬、バートは自分が……自分の骸がリザンの前に立っている姿を思い浮かべていた。
リザンはどうするだろう? 笑うだろうか? 何も思わないだろうか? それとも……。
それもまた、いいのではないか? 不思議な心地好さにバートは体の力が抜けてゆくのを感じた。
気がつくと、頭上に水面がゆらめいていた。意識を失いかけていたのだ。バートは慌てて海面に顔を出した。ガラードのそばに泳ぎよる。ドワーフはぐったりと動かない。バートは荒っぽくドワーフをゆすぶった。
霧の向こうに、黒い影を見たように思った。目をこらす。確かに何かが見える。船ではなさそうだ。あれは?
バートは残った気力を集めて泳ぎだした。ドワーフの乗った板を押しながら、少しずつ、少しずつ、その黒い影の方へと進んでいった。
* * *
小さな商船の方へ移っていたシラルムは、突然、背筋に寒いものを感じた。それとほとんど同じくして、商船は大きく向きを変えた。速度を上げながら進んでいく。その先には味方の戦船がいた。奇妙な胸騒ぎにあたりを見回したシラルムは、そばにいた司祭らしい男と目があった。相手も何かを感じ取ったようだった。
「舵が、効かない!」
操舵手の悲鳴が上がる。船は引き寄せられるように、仲間の乗った戦船へ突き進んでいく。船首に立った水夫が、戦船に向かって逃げろと叫んだ。
戦船の方も異変を感じて、船首を回してぶつかるのを避けようとする。
「こりゃ、間に合わねぇ!」
誰かが叫び、船べりから海に飛び込んだ。みんながそれに続こうと、船べりに殺到した。
シラルムはその不吉な気配を探った。おそらく、この力が船を操っているに違いない。それはマストのあたりから感じられる。シラルムはマストに駆け寄った。マストにはバートが見つけたのと同じ紋章があった。
「これが原因か!?」
シラルムは剣を抜くと紋章を切り取った。次の瞬間、激しい衝撃とともに、彼は甲板に叩きつけられた。ふりかえると、船のへさきが戦船の船腹に突き刺さっている。悲鳴のような軋《きし》り声をあげて、二隻の船はさらに押し合った。
戦船の船倉に水が流れ込むのが見えた。商船の方も傾きはじめている。シラルムは残った人々と一緒に海へ飛び込んだ。冷たい水がエルフを受け止める。その冷たさに、魔法を使えばよかったかと後悔した。しかし、これから先、何があるかわからない。魔力は温存しておく方がいいだろう。
それに、この濁った海水からは、精霊の力があまり感じられなかった。無理して呼び出すと、思わぬ反撃をうけることもある。
二隻の船は、あぶくと渦を起こしながら沈んでいく。シラルムはその渦に巻き込まれないように、船から遠ざかった。
引き戻されるような流れがなくなっても、シラルムはしばらく泳ぎ続けた。周囲には同じように泳ぐ者や、もう大丈夫かと止まって船の方を見ている者がいた。
シラルムも振り返った。船はほとんど沈んでいる。気がつくと、先刻、奇妙な気配を感じた時に目があった司祭が、すぐそばにいた。シラルムは声をかけた。
「やぁ、とんだ目にあいましたね」
司祭はシラルムを見て、苦笑いを浮かべた。
「邪神の船なぞ、乗るものじゃないって痛感したよ」
「僕ぁ、シラルムっていう精霊使いです。あなたは?」
「私はクルド。ファリスの司祭だ」
「あ、ファリスですか」
シラルムの声の中に、かすかに困ったような響きがあるのを感じたのか、クルドは笑顔を浮かべた。
「怖がる必要はないよ。できることなら宗旨変えをしたい方だから」
いいながらクルドは周囲を見回す。
「これからどうしよう。あと四隻残っているはずだが、この霧ではどこにいるのかわからない」
「僕も霧の精霊とおつきあいできるほど、修行は積んでませんからねぇ。これは拾ってもらうまで、浮かんでるしかないでしょうか」
「いざとなったら、魔法をたのむよ」
二人はなすすべもなく、その場で助けを待っていた。しかし、いつまでたっても、残りの戦船は姿を現さない。腕や足が冷えきって感覚が鈍ってくる。追い打ちをかけるように、霧が徐々に深くなってきた。
「精霊使い、大丈夫か?」
「まだ何とか。そっちは?」
「なさけないが、ちょっとやばい」
クルドの顔色が悪い。顔が青白くなり、唇が紫になっている。自分も同じようなものだろうな。シラルムは思った。
ときおり霧の向こうに、同じように浮かんでいたり、木片につかまってただよう人々の姿が見える。しかし船の姿はない。
「こいつは、通りかかった船なら、死人の船でも乗っ取らなきゃならないようだな」
クルドが呻くようにいう。彼の体が沈みそうになる。シラルムはそばに行くと肩をかした。
ふと水をかく音が聞こえたような気がして、シラルムは周囲を見まわした。
「どうした?」
「水音がしませんか? オールで水をかくような音が」
二人は耳を澄ました。確かにかすかに水音がきこえる。それはだんだん近づいてくると、やがて、たくさんのオールが水をかく、規則正しい音になった。
霧がゆらぎ、黒い影が現れた。それはそのまま黒いガレー船の姿になった。
「これは、もしかするとバートが見たといっていたガレー船?」
シラルムは黒い船を見つめた。他の船とちがい、この船は沈没船ではないようだ。クルドが脇をつつく。
「あれを見てみろ」
よく見ると、船の上に人影が見える。マントのフードをかぶっているので、よく見えないが、動きなどを見ると、生きている人間のようだ。
「さっき、クルドがいっていた手でゆきますか」
「乗っ取るっていうのか? どうやってだ? 船べりまでは高い。古代語魔法でも使えなくては……」
「あそこに穴があるじゃないですか」
シラルムがオールの出ている細長い穴を指差すと、クルドは目を丸くした。
「馬鹿な。オールを伝って登るとでもいうのか? こんな動きのとれない状態じゃ、頭を叩き割られるのがオチではないか?」
「これならどうです?」
シラルムは精霊語で水の精霊を呼ぶ。クルドは、自分の体が急に浮かび上がった驚きに声をあげた。クルドの体は、水に持ち上げられるように水面へ出た。水上歩行≠フ魔法だ。
「これは奇妙だ。しかし、冷たい水から出られたのはありがたい」
クルドは水の上に座り込むと、腕や足をこすりはじめた。シラルムは同じ呪文を唱える。彼の体も水の上へ浮かびあがった。
「水面がいつもより柔らかいですね……魔法はあまり長続きしないかもしれません。いそぎましょう」
水に温りを奪われることがなくなったので、体中が温かくなってくるのを感じながら、シラルムはガレー船へ近づいた。巨大なオールが力強く水をかき進んでくる。
シラルムとクルドは、オールと船体の間に入りこんだ。オールのつくる波が、足の下でうごめく。
「オールが水中に入って、動きが鈍る時にとびつきますよ。せぇ、のぉ……」
オールが水の中に入る。それが水をかく瞬間をねらって、シラルムは長いオールに飛びついた。そのまま、足をからませて落ちないようにする。
「僕ぁ、木登りは得意なんですよ」
そうつぶやいて、オールを登ろうとする。驚いたことに、ひと一人がしがみついたというのに、オールの動きは止まろうとしない。
「く、振り落すつもりか?」オールに必死でしがみつきながら、クルドが呻く。
「いえ、これを動かしているのは、死人か、同じ程度のおつむしかない手合いなんでしょう」
長い間、冷たい海につかりすぎたようだ。今一つ力が入らない。それでもシラルムは少しずつ登っていった。ふりまわされて、頭がくらくらしそうだ。クルドは登るよりもしがみつくので精一杯に見える。
シラルムは歯をくいしばって、木枠に手をかけた。そして体を引っ張りあげる。
中を見たシラルムは、一瞬、身構えた。オールの端を三体の骸骨が動かしている。しかし、そいつらはエルフが入ってきても、まったく反応を示さない。シラルムは急いでクルドを助けあげた。
「仕事熱心な骸骨たちだな」一息ついたクルドがいう。骸骨たちはまったく何もなかったかのように、船を漕ぎ続ける。
オールを漕ぐ骸骨たちの間に、細い通路が通っていた。通路の端には上へ向かう階段がある。シラルムたちはその階段を登ると突き当たりの上げ蓋を、そっと持ち上げた。
そこはすでに甲板だった。甲板の上をマントをはおった一人の男が歩き回っていた。男は船べりから下をのぞきこんでいたが、急に向きをかえて船室の壁にある鉄の管に近づいた。
「漕ぎかた止めろ!」
その声は背後から聞こえた。ふりかえって骸骨のならぶ部屋をよく見ると、管の端がある。これで命令を下すようだ。その証拠に骸骨たちは行儀よく漕ぐのを止めて次の命令を待っている。
シラルムとクルドは顔を見合わせると、再び上げ蓋を持ち上げた。
マントの男はロープのような物を、船べりから投げ込んだ。クルドが肩をつつく。彼の指さす方には、死体が転がっていた。
「あいつは、死体を拾い集めているんだ」
シラルムは顔をしかめた。見つけた死体を引き上げようとしている、マントの男の背を見た。ふいに、激しい怒りを感じて、シラルムは甲板に飛び出した。
自分では、気にしていないといいきっていた、エルフの持つ生命を尊ぶ信仰の気持ちが、沸き起こってきたのだ。
無意識に戦いの精霊を召喚していた。まばゆい精霊の槍が、物音に振り返ろうとしていた男の背に突き刺さった。そいつは呻きながらも振り向いて呪文を唱えた。
放り出されていた死体が起き上がるのが見えた。一足遅れて出てきたクルドが、その死者に向かって手をかざす。
「聖なる光よ!」
神々《こうごう》しい光が輝き、シラルムも一瞬、目がくらんだ。死者はたじろぎ、中にはすでに崩れ落ちるものもいた。
マントの男は恐怖の表情を浮かべた。正面きって見ると、ただの小物だと判る。シラルムはもう一度、精霊の槍を投げつけた。槍を受けた男は絶命したようだ。男は大きくのけぞると、船べりを越えて落ちていった。
「この死人どもはしつこいぞ」
クルドの声にシラルムは振り返った。クルドは四人の死人と戦っている。
疲れている上に魔法を使ったためか、頭が痛くて集中できない。バルキリーを解放すると、今度は光の精霊を呼び寄せた。それを死人にぶつける。
クルドはもう一度ホーリーライトの魔法を使う。聖なる光を浴びて、さらに二体が倒れた。残りの二体を倒すのに、それほど時間はかからなかった。
戦いが終わって、シラルムはその場に倒れ込みたい気分だった。しかし、周囲の海にはまだ生き残って助けを求めている者たちがいるはずだ。シラルムは船べりから周囲をうかがった。少し離れたところに人影がある。
船を止めなくては。鉄の管に近づこうとしたシラルムを、クルドが止めた。
「私が骸骨に命令するから、精霊使いは生き残りを探してくれ」
シラルムはうなずいた。「まずは前方に一人。近いからゆっくり近づいてください」
「微速前進!」クルドが伝令管に叫ぶ。オールが動く音がして、ガレー船はゆっくりと動きだした。シラルムとクルドは顔を見合わせて笑った。
それからしばらく、ガレー船は生存者を求めて霧の中をさまよった。
そうして二十六人が助けられたが、それがすべてだった。
* * *
机の上の海原にあった小さな戦船が海の中へ消え失せた。
その様子をじっと見ていた若い男は苦しそうに目をとじた。高齢の魔法使いが静かにいった。
「全滅したようだな」
「おそらく……」
その部屋にいたもう一人の老人も、大きくため息をつくと、首をふりながら深く椅子に沈み込んだ。
「海はあやつらの領域。そこへ乗り込むのはやはり無謀であったか」
若い男、導師バレンは、死者の船だけが残った海原を見ていたが、顔をあげていった。
「マナ・ライ様。どうか私に行かせてください。船団が無理でも、足の速い船が一隻ならば、なんとかなると思います!」
窓を背にした上座についていたマナ・ライは、しかし首をふった。
「まずは、王の判断をあおがねばなるまい。すぐに用意できるとしても、一週間は後になるであろう。さらにバレン、お前を行かせることはできん。お前は導師なのだ。冒険者であった頃の気質を、そろそろなおさねばいかんぞ」
「一週間? それでは最初の死人の船が、ナムゴーの半島や、南の小島群にたどりついてしまいます!」
いきり立つバレンをなだめるように、賢者ハルマがいう。
「それについては、ナムゴーには軍を派遣してもらい、小島群には伝令を送る手筈だ」
「では、一週間の間、なにもせずにいなくてはならないのですか?」
「そんな悠長なはずはないぞバレン。やらねばならぬことは多い。まず、手始めは王へこの失敗を報告することだ。次に必要な船と船員、乗組員の手配。役に立ちそうな品物の表もつくらねばならん。バレン、急いで用意させるのだ」
「わかりました」バレンは一礼すると部屋を出ていった。
「マナ・ライ様、私もクロードロッド殿に助言をもらってまいります」
ハルマも部屋をさがった。
一人になったマナ・ライは、窓の外からオランの町並と、その向こうにあるはずの海へ目をやった。
老いた顔に、かすかな苦悩と悲しみの色が浮かんだ。
* * *
竜は肉体を得ていた。その純白の体は神々しく光り輝き、魔力に満ちていた。だが、なおも魔力は送られてくる。
竜は待ち遠しげに門≠さぐった。まだ門≠ヘその姿すら現していない。だが、まもなくだ。まもなくでなくてはならない。敵は力を蓄えている。いそがなくては。
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第四章 死者の島
そこはグラスランナーには、少しばかり広すぎる部屋だった。その部屋にぽつねんと座り込んだプラムは、とても退屈していた。
プラムをここに連れてきて以来、マザイは姿を現してくれない。日に二度、無愛想な顔をした兵士が、食べ物を置いてゆく以外に、訪れてくれる者もない。
もとより忍耐とかいうものに縁のないグラスランナーとしては、まさに気が狂いそうなほど退屈なのだ。
マザイに逃げ出すな≠ニきつくいわれているし、もし逃げ出して捕まっても、もうマザイは助けてくれないだろうと分かっていた。
約束したのだ。ツーレが族長となった祭の夜、シェイラはプラムたちにいった。
「今度の事件に、あんたがたは何のかかわりもなかったんだよ。恩知らずないい方だけれども、こうしなくては、あんたがたの命が危なくなるやもしれないからね」
ツーレもラテリアもマザイも、お友達だけれども、知らないふりをしなくちゃいけないんだ。プラムは自分に言い聞かせたのだった。
でも、全然来てくれないのは残念だった。少しぐらい来てくれてもいいだろうに。いろいろと聞きたいことがあるのだ。
ここに入れられてから三、四日たつけれど、いつになったらエレミアヘ着くのだろうか、とか、船中にたちこめる変な匂い(お香の匂いに似ているけれども、もっと苦いような変な匂い)と、呻くような低い声は何なのか、とかだ。
それに、これ以上退屈してしまうと「ちょっとした散歩」に出ていきたい気持ちを、押え切れなくなってしまいそうだった。
部屋の中を探検していると、片隅に鉄格子のようなものがはまった、小さな穴があった。それは金具でしっかりと止めてあったけれど、退屈しのぎにいじくっているうちに、全部が外れてしまった。
格子が取れると、その向こうには、小さな通路があった。もぐりこんでみると、他の部屋にも通じているらしい。そのまま、隣の部屋をのぞきにいったのだが、ふとマザイとの約束を思い出して──別に逃げ出したわけじゃなくて、穴があったから調べていただけなのだが──もといた部屋へ戻ったことがあった。
プラムはちらり、とその格子の方を見た。格子は今は一本の止め金でとめてある。だから出入りしようと思えば簡単に行き来できる。それに、さっき食事が運ばれてきたばかりだ。次に誰かがここに来るのは、ずいぶんと後になる。
え〜い、ちょっとぐらいなら大丈夫!
プラムは格子に近づくと、するりと中に滑り込んだ。
小さな通路の中はほこりっぽく、あの奇妙な匂いとまじりあって、本当に変な匂いがした。プラムは腹這いになったまま、その通路を進んでいく。真っ暗だけれども、ところどころさっきと同じような格子があり、そこから明りが入ってきた。
格子に行き着くたびに、プラムは外をうかがったが、船倉や通路ばかりで、特に変ったものは見えなかった。つまらないので、さらに先に進む。波のゆれを感じながら、ごそごそと進んでいったプラムは、行く手から、あの呻くような奇妙な声が聞こえるのに気づいた。
興味を感じてその方向へ進んでいく。すると、あの奇妙な香りも強くなっていった。やがて、呻き声は低い詠唱に変る。広い部屋があるのだろうか? プラムは外をうかがった。
船の中で、おそらく一番広い部屋だろう。そこに十人近くの人が円陣を組んで座っていた。みんな、丈の長いローブみたいな服装をしている。
床に置かれた小さな置物みたいなものから、あの匂いのする煙が立ちのぼっていた。円陣の中央には彫像のようなものが置いてあるのが見えた。見覚えのある彫像。黒い肌に七本の腕を持つ神像。
奇跡の店にあった像だわ
その像の向こうに立つ二つの人影に気づいて、プラムは身を乗り出した。あれはツーレとラテリア。よく見ると、そのさらに後ろにマザイの姿もある。
ツーレとラテリアは何かを話し合っているようだったが、ラテリアは円陣を離れると、プラムのいる格子の、すぐそばにある通路へ姿を消した。プラムは一つ手前の格子まで引き返して外を見た。ちょうどラテリアが通り過ぎてゆく。
プラムは好奇心のおもむくまま、ラテリアの後を追っていった。ラテリアが通ると誰もが頭を低くさげて道をゆずる。
あ、そうか。ラテリアさんはツーレさんの奥さんになったんだっけ
ときおり、まわり道をしたり、見失いかけたりしながらも、ようやくラテリアが一つの部屋へ入っていくのを見届けた。次にまた、かなりの苦労をしながら、その部屋の見える格子へとたどりついた。
部屋の中は豪華なカーペット、タペストリーなどに彩られた、美しい部屋だった。その部屋のかたすみで、ラテリアは小さな窓の外をながめていた。窓はもう一つあって、そこからは青く静かな海が見える。
ふと、ラテリアは両手で顔をおおった。泣いているのだろうか? 心配になったプラムは身を乗り出した。とたん、格子が甲高い音で軋んだ。
ラテリアは驚いたようにサッと顔をあげた。プラムは急いであとずさろうとした。しかし慌てていたので反対に、格子を押してさらに軋ませるはめになった。
「誰? 姿を見せなさい!」
ラテリアの鋭い声がとぶ。奥へ引っ込みかけたプラムは恐る恐る顔を出した。ラテリアの顔に驚きの表情が浮かんだ。
「あなたは確かプラム……いけない、隠れて!」
緊迫したラテリアの声に、プラムは通路の奥へ引っ込むと、息をひそめた。部屋の外から女の人の声がして、兵士らしい女の人が二人入ってきた。
「ラテリアさま、いかがされたのです?」
ラテリアは微笑んで、
「うたた寝をしていて、嫌な夢を見てしまっただけです。少し気がたっているようだわ。心配しないように」
それでも女兵士二人は部屋の中にすばやく目をやった。プラムは通路に伏せて目を閉じた。
「大丈夫でしょう? さ、お退りなさい」
二人の兵士は部屋を出ていく。ややあって、ラテリアが呼びかけた。
「もう大丈夫。出てきなさい」
プラムは格子の止め金を外して、部屋に這い出した。ラテリアはグラスランナーを見つめた。プラムは居心地の悪さに体を動かす。それに気づいたラテリアは、笑みを浮かべると、プラムに戸口にあるカーテンの陰に座るようにいった。そこなら、入つてきた者からは見えないからだ。
プラムは大きなクッションの上に座った。ラテリアは小さな水差しから、甘い香りのするワインをそそぐとプラムに渡した。向かいがわの敷物の上に座る。
「元気そうで何よりですね。でも、どうしてあなたがここにいるのですか? まさかとは思うけれども、残りの三人もこの船の中にいるのですか?」
プラムは首をふった。渡されたワインに口をつけた。あまりのおいしさに笑顔が浮かぶ。そのまま、一気に飲み干してしまった。
警戒心のかけらもないその飲みっぷりに、ラテリアは顔をほころばせた。
「もう一杯飲む?」
プラムはうなずく。二杯めも堪能して、満足のため息をついてから、ようやくラテリアが自分に尋ねていた事を思い出した。
「えっと、どうしてあたしがここにいるのか、っていうと……、どこから説明すればいいのかしら? たぶん、奇跡の店っていうお店にあった、神様の像が盗まれたって聞いたことが、原因だとおもうの」
プラムは話し始めた。
* * *
「そう、ではマザイがあなたを……」
プラムの話を聞き終わって、ラテリアは考え深げにつぶやいた。プラムはあわてていった。
「マザイさんを叱ったりしないわよね?」
「叱る? どうして?」
「だって、あたしをかくまってくれたんだし……」
ラテリアは微笑んだ。
「マザイは一番賢明なことをやったのです。落度があったとすれば、わたしやツーレに知らせなかったことと、あなたの冒険心を見抜けなかったことでしょうね」
ラテリアは軽く手を二回打ち合わせた。誰かが部屋に来る物音を聞いて、プラムは驚いてとびあがりそうになった。しかしラテリアはそのまま座っているように目で合図する。
「お呼びですか?」
真横にあるカーテン越しに声が聞こえて、プラムは緊張に体をこわばらせた。ラテリアは静かに、
「マザイと、できればツーレも呼んでちょうだい。マザイには急いで来るように、と」
「かしこまりました」
足音と衣《きぬ》ずれの音が遠ざかるのを聞いて、プラムはほっと力を抜いた。ラテリアは楽しそうにいった。
「この部屋で、そこが一番安全なのよ」
「あの……奇跡の店にあった神様の像を盗んだのは、やっぱりラテリアさんたちなんですか?」
プラムの質問に、ラテリアの顔から笑いが消えた。プラムは慌てていった。
「さ、さっき、大きな部屋の真ん中に、あの像があったように見えたものだから……」
「あの部屋も見たの?」
プラムがおどおどとうなずく。ラテリアは唇をかんだ。
「どれぐらい見たの?」
「え……魔法使いみたいな人が、像のまわりをとりかこんで、唸り声みたいな変てこな呪文を唱えてて、床の置物から煙が出てたっけ。その向こうでラテリアさんがツーレさんと話をしてたの。ラテリアさんがあの部屋を出たので、あたし、そのままついてきちゃったの」
「そう、あなたの事だから、うそはついてないと思うわ。儀式の最中でなくてよかった。そうだったら、あなたは一生ここから出られなくなるわ」
ラテリアはプラムの目をのぞきこむようにいった。
「お願い、儀式の様子を見たことは、これからさき、どんな人にも話さないで」
プラムはうなずいた。ラテリアは疲れたようにため息をついた。
「えっと、何の話だったかしら……ああ、あの神像ね。あれはもともと私たち砂漠の民のもの。あの神像を守っていた部族は、砂漠の外から来たよそものにほろぼされ、あの神像もながらく行方がわからなかったのです。私たちは自分たちのものを、取り戻しただけ。でも、本当なら盗み以外の方法で取り戻したかった。こんなに突然、邪悪な神が蘇らなければ……」
「劣悪な神様?」
そう、プラムが尋ねようとした時、外からマザイの声がした。
「お呼びですか? ラテリアさま」
「お入り」
カーテンを開けてマザイが入ってくるのが分かった。ラテリアがにっこりと微笑みながらプラムを示す。マザイが何事かとカーテンの影を見る。プラムは約束を破ったはずかしさに、真っ赤になってうつむいた。
「マザイ?」
ラテリアの声に、マザイはひざまずいた。
「申しわけありません、どのような罰でもおいいつけください」
「どうして罰などというのです? マザイ、よく彼女を守ってくれました。一歩まちがえれば、私たちは恩人を手にかけるところだったのですから」
マザイはさらに身を低くした。
「さぁマザイ、行ってお前の部下に、捕虜は別のところへ移したといってきなさい。さもなくば、もうそろそろ、血相を変えてあなたを探しにきますよ」
「わかりました」
マザイは立ち上がる。出ていこうとするマザイにプラムはやっとのことで声をかけた。
「マザイ、約束破ってごめんなさい……それと、ありがとう」
マザイの顔がかすかにほころんだようだった。彼の姿が消えて、ラテリアは小さな笑い声をあげた。
「マザイが照れるなんて、私は初めて見ました」
マザイと入れ替わりに、ツーレがやってきた。ラテリアの示す先にいるグラスランナーを見て、彼も一瞬唖然としたが、ラテリアから事のあらましを聞いてうなずいた。
「本来なら、小舟を使ってオランヘ送り届けてあげたいところだが、外海にでてしまった今では無理な話だ。しばらくはこの船で私たちと同行してもらうよ」
ツーレがいい、プラムはうなずいた。ラテリアが夫に尋ねる。
「準備はまだかかりそうかしら?」
「あともう一日は必要だと呪術の長≠ヘいっている」
ラテリアは肩をおとすと、憂いをたたえた目で窓の外を見ていった。
「船は……沈んでしまったわ」
ツーレはうなずく。プラムだけはわけがわからず、二人を見ていた。ラテリアは続けた。
「早くあの邪神を鎮めなくては……。あと一日」
「あの……」プラムは口を開いた。「邪神って何ですか?」
二人はグラスランナーを見た。そして互いの顔を見る。ツーレが口を開いた。
「誰かが遠い昔に封じられた、邪悪な神を目覚めさせてしまったのだよ。そのために、死者が墓よりよみがえり、人々に害をなしはじめた。海にも死者の船が現れ、多くの人々が命を奪われている」
「その神様って、ミルリーフ?」プラムがいう。
「何か知っているのか?」
ツーレの問にプラムはとまどつた。しかし、やがて彼女は、ぽつりぽつりと堕ちた都市≠ナ起こった出来事を話しはじめた。
* * *
そこはあまりにも静かだった。太陽のぎらつく日射しも、深い霧によって、淡い光にかわる。風もなく、ただ静かに霧がただよっている。
そこにはまた、木々や草花もなかった。木々の代りに周囲に立つのは、朽ち果てた船の残骸。折れたマストには帆の名残りや、長い海草がからみついていて、奇怪な森と化していた。
動物もいない。空を飛ぶものも、地を走るものもない。ただ、静けさだけがその場を支配していた。
その沈黙に包まれた森の中に石造りの神殿があった。かなり巨大な神殿である。巨大な石を多用して築かれた神殿。古い物らしく、岩の角は丸みをおびている。その表面には、湿り気を含んだ海草や藻《も》がこびりついている。
神殿へは、幅の広い石畳の道が続いていた。両脇には石柱があるが、すべてが折れて倒れている。もちろん、その柱も海草に覆われて黒く見える。
その道の両側は、庭のように大きく開けている。そこここに、彫像らしい影が立ち並んでいる。
道の奥にある神殿の入口は、大きく開かれている。両脇には武装した骸骨をかたどった彫像が立っている。よく見ると、庭にあった彫像も、同じように武装した骸骨をかたどったものだとわかる。
神殿の中もまた、静けさに満ちていた。死のもつ物悲しい静けさ。
ただ、その奥、神の玉座のある場所だけは違った。
そこでは力が脈動していた。巨大な塊がそこに体を落ち着け、腐臭と体液をにじませている。
それを前にしてリザンは喜びを感じていた。とうとう、神を真の神殿へ連れてくることができたのだ。
古えの昔、この神殿はミルリーフが封じられると同時に、深い海の底へ沈んでいった。それからどれだけの年月が流れたのかはわからない。しかし、今、神の復活とともに、神殿もまたその姿を現したのだった。無数の死者の船団を引き連れて。
ミルリーフが血と肉を求めた。リザンは脇にかしこまる男たちに合図する。
彼らはミルリーフの信者たちだ。リザンが呼んだわけではない。彼らは崇める神の力を感じ取り、それに誘われるまま、いつしかこの島に渡ってきたのだ。
信者たちは、死体を運び込む。傭兵や水夫などの死体が、うやうやしく死者の神に捧げられた。
戦船《いくさぶね》の乱入は、ミルリーフにとって好都合だった。海のただ中に浮かぶ島にある神殿に移ってから、捧げられる死体の数は減っていた。ときおり、商船を襲わせては、その乗員を捧げるが、神は飢えていた。
いま、大量の死者に神は満足していた。
リザンはあとを信者の一人にまかせて、島の周囲が見渡せる展望室へ登っていった。
階段を登って、小さい円形の部屋に入る。部屋の中央には一人の男が座っていた。目を閉じて集中している男にリザンは尋ねた。
「あの船は、まだいるのか?」
「はい。相変らず沖でこちらをうかがっているようです」男は身動き一つせずに答えた。
「攻撃したのか?」
「無傷だった四隻を向かわせましたが、守護魔法が強く、近づけぬうちに滅ぼされてしまいました。どうやら、かなりの数の手だれの呪術者が乗っているようです」
リザンは眉をよせた。七隻の戦船は簡単に沈める事ができたのに、ただ一隻、異様なまでに強い守りで、死者の船を近づけない船があった。その強さはリザンに不安を与えた。
その船は数日前に現れたきり、近づきもせず、といって遠ざかることもなく、この島を見張るように、沖に浮かんでいた。
ミルリーフ自身が、その船に恐怖を抱いているようだった。その恐怖心はかすかなものだったが、神が恐れているということがリザンたち信者に、深い恐怖となっていた。
「引き続き見張っていろ。異変があれば私を呼べ。すぐに現れる」
「御意のままに」
リザンは展望室をでると、自室のある一画へ向かった。
幅はせまいが、天井の高い通路。そのあちこちには、海底に沈んでいた長い年月を示す、海草や貝殻がある。それらがこびりつき、浸食しているにもかかわらず、神殿は堂々とそびえていた。
古えの神の時代に造られたこの神殿。神が完全に復活されたなら、ありし日の美しさをとりもどさせよう。リザンはそう考えながら、一つの部屋に入った。
魔法陣のある部屋。リザンの魔術室だ。リザンは扉を閉めると、魔法の錠の呪文を唱える。片隅の戸棚から、儀式に必要な品物を取り出した。
また魔獣を召喚する気か?
小脇にかかえた杖が、皮肉のこもった声をあげた。リザンは無視をする。エルドースは続けた。
おまえごときが、たびたび夢幻界との接触を行なうのは自殺行為だと考えることだな。一番おとなしいウェブは、当分は呼び出せんぞ
リザンは黙って、魔法陣に必要な物を並べてゆく。香炉とろうそくに火をつける。部屋の片隅にあるオリの中で、鳴き声をあげていた鶏《にわとり》をつかみだすと首を切り裂いた。鮮血があふれる。苦痛にもがく鶏を、陣の中央に投げ込んだ。血に染った手でエルドースをつかみ、詠唱をはじめた。
「この世に三大世界あり、現、妖、精の三つなり。その外、次元と呼ばれる間の向こうにありし世界よ。夢、幻《まぼろし》の世界へ、我は呼びかける。
妖魔よ、悪魔よ、名もなき異形よ、
命なくて生きるもの、存在する無よ、
形あるもの、交わるところより、現れいでる獣よ。
幻の牙で、肉を裂く妖獣ロガランディス
九つの鼓動と黄金の一つにおいて、我はなんじを召喚せり!」
陣の中央で転がりまわっていた鶏が、奇妙な声をあげた。内側から締め上げられたとしか表現しようのない声だ。
鶏の体がふくれあがり、骨の割れる音がする。リザンは油断なくエルドースを構え、その様子を見ていた。
鶏だった物は、形を変えて大きくなる。のたうちながらふくれあがった塊《かたまり》は、やがて巨大な狼を思わせる獣に変った。
獣はでたらめに生えた牙をむきだして、リザンを威嚇した。鶏のような蹴《け》爪《づめ》の生えた、三本の前足が振り回される。しかし、リザンが鋭い声をあげると、獣はひるんだようにおとなしくなった。
「お前にはトゥースという名がよさそうだな」
リザンがいう。
「トゥース。さあおいで。僕のいうことを聞けば、この世界で遊ばせてあげよう」
リザンは獣に手を差し出す。獣は低く呻いていたが、身構えると、その手を喰いちぎろうと飛びかかった。リザンの表情がけわしくなり、茶色の瞳が青白く変る。
強烈な魔力の衝撃に獣はひるみ、あとずさった。そして胴に生えた触手をたらして、服従の気持ちをあらわした。
リザンは薄く笑いを浮かべた。
「よし、おいで。おまえのやる事を教えよう」
獣はおとなしく魔法使いのそばによる。奇怪な獣を引き連れて、リザンは部屋を出た。
* * *
息苦しい……。胸が苦しく、体全体が熱い。耳元では、ひっきりなしに轟音が渦巻いている。その音は呼び声やがなり声になったかと思うと、突然、聞き取れないほど甲高く早い話し声になる。
頭の芯に鉛《なまり》が入っているような感じに、呻きをあげる。その呻き声が本当の聴覚を呼び覚ました。
轟音はうすれて、波の打ち寄せる音にかわる。体が持ち上げられたり、引きさらわれそうになる感触が、波の動きだと気がついてぃバートは目を開けた。
どす黒い砂が目の前にあった。むっとした悪臭が立ちのぼる。重い体を起こして、ぼんやりと周囲を見回した。
バートは波打ちぎわに倒れていた。目の前にはなだらかな丘が広がっている。
その波打ちぎわには、多くの流木、船の材木が流れついていた。丘には墓標のように、朽ち果てた船、そのマスト、へさき、ありとあらゆる船の残骸が並んでいた。
じっとりと重い空気が流れて、体に纏《まと》いついてくるような気がする。波の音以外に、何の音もしない。ただ、バートが動くたびに、砂が湿った音をたてた。
空も、打ち寄せる波の向こうも、灰色の霧に包まれている。全体が暗くかすむ。
バートはドワーフのことを思い出して、砂浜を見目した。少し離れた場所に、同じように打ち上げられている人影がある。ドワーフではなく、傭兵の一人のようだが……。バートはよろめきながら、その人影に近づいた。
「おい、大丈夫か?」
肩をゆすって、その体が異様に固いことに気づいた。もう死んでいる。バートは死体から離れて、もう一度あたりを見目した。
視界を邪魔する船の船首を回り込む。その向こうにドワーフらしい人影を見つけて、バートは駆け寄った。ガラードだ。バートは板にしがみついたままのドワーフに触れた。
かすかに湿りがある。バートは乱暴にガラードをゆさぶった。
「ガラード、しっかりしろ!」
指先がかすかに動いた。ドワーフのベルトに革袋を見つけたバートは、その中身を確かめた。ドワーフ火酒の強烈な刺激が舌を刺す。
バートはそれを、意識を取り戻しはじめたガラードに飲ませた。氷のように冷え切った手足をこすってやる。ガラードは大きく身動きすると目を開けた。
「ガラード、大丈夫か?」
ドワーフはぼんやりとバートを見上げていたが、起き上がると周囲を見回した。
「わしらは……助かったのか? ここはどこだ?」
「わからない。このあたりに島があるとかいう話は聞いていなかったけれど、大陸まで流れついたとは思えない」
バートは陸地に立ち並ぶ、不気味な船の残骸をしめした。ガラードが息をのむ。
「ここは、もしや……いや、まちがいなく死人どもの拠点だぞ!」
バートは立ち上がった。ガラードもよろめきつつ立ち上がる。二人は岸辺を離れると、船の墓場のような丘に踏み込んだ。
足場が悪く、よろけたバートは体を支えようと船に手をついた。しかし、板はあっけなく割れてしまった。他の板もその衝撃で砕けはじめ、あっけにとられているうちに、その船は腐った板の山になってしまった。
物音に振り返ると、少し離れた場所でも、船が崩れてゆく。
「ここにある船は、恐ろしく古いぞ。気をつけて行かないと生埋めになりかねん」ガラードが肩をすくめる。
二人は用心深く、船の間を通り抜けていった。
「あっちの方がすこし高くなっているんじゃないか?」
バートが指さした先を見て、ドワーフはうなずいた。丘のようになった場所に登っていく。この丘も、古くなって砕け散った船の残骸なのだろう。
丘から周囲を見渡したバートは、立ち並ぶ残骸の向こうに、石造りの建物を見つけた。ここからはずいぶんと遠い。それでも建物は視界の両脇にまで広がっている。
「神殿か寺院のように見えるな」ガラードが背伸びをしながらいう。
「行こう」
バートは丘をその建物めざして降りていく。
「危険だぞ!……とはいっても、他にやる事はないか」
ガラードもそうつぶやきながら、バートの後を追った。
近づくと神殿はさらにその大きさをはっきりさせた。レックスの遺跡を思わせる巨石が、その神殿を形造っている。
「ううむ、わしらドワーフでも、これだけのものを造れるかどうか……。薄汚れとるのがもったいないぞ」ガラードが唸る。
バートは違った目で、この神殿を見ていた。ここがリザンのいっていた真の神殿≠ナはないだろうか?
バートは期待と恐怖を感じた。ガラードを見る。
「ガラード、行くか?」
「浜で待っていて、援軍がくるなら、待つほうを選ぶ。しかし、この島にくるのは死人か、わしらと同じ運命のやつらぐらいだろう。餓死するぐらいなら、最後のあがきも良いかもしれん」
そういってドワーフは笑い出した。
「どうも聞いたような台詞だと思ったら、ミード湖でも同じことをいってたなぁ。あの時も大丈夫だったのだから、今度も大丈夫だ!」
ガラードはバートの背を叩くと、神殿へ向かって歩き始めた。その後に続きながら、バートはそうなることを願っていた。
* * *
八人の呪術師に囲まれて、神像は白い魔力に輝いていた。その円陣の外から儀式の進み具合を見ていたツーレは、新たな死人の船の出現を聞いて、甲板へあがっていった。霧の向こうに島の影が黒く見える。その前に、死人の船が波をけたててやってくるのが見えた。数は六隻か?
ツーレは船首で守護の陣をひく呪術師を見た。その頭に声をかける。
「ヴァルルード、六隻だが大丈夫か?」
ヴァルルードと呼ばれた男が振り返った。
「おまかせください。あのような操り人形の船。何隻やって来ようと大差はありませぬ」
ツーレはうなずいて、再び死人の船を見た。確かにヴァルルードたちの守護陣は強力で、死人の船は、この船には触れることもできないはずだ。
ヴァルルードたちが詠唱を始める。船を包むように、強力な魔力の場≠ェ生れた。
見ているうちに、死人の船が真っ直ぐこちらにぶつかってきた。しかし、それはこちらのへさき寸前で向きを変えられてしまう。
脇を滑っていく死人の船に、呪術師たちが魔法の光を投げつける。その光は船にかけられた魔法を打ち破る。死人の船は力を失って沈んでいった。
二隻目、三隻目と、同じ運命をたどってゆく。
「敵はこちらを疲れさせようとしているのだろうか?」
敵のがむしゃらな攻撃を見て、ツーレは疑問を口にする。そばにいたマザイが答える。
「確かに。あの動き、とてもこちらを攻撃しているとは見えません」
こちらの人数が限られていることを察しての作戦だろうが……ツーレは考えた。
このような作戦がたてられるほど、敵の数は多いのだろうか? それとも何か切り札があるのか?
五隻目までが海にかえってゆく。六隻目も同じように突っ込んでくるのを見て、ツーレは敵の数が多いのだと考えた。ならば、こちらも適当にあしらって、力の消耗を防がねば。
神像に対する儀式は、ほとんど終わっている。あとは目覚めさせるだけだ。
六隻目も、守護陣にはじかれ、空しく脇を通り過ぎていく。ツーレは儀式の間へ戻ろうときびすをかえした。その時、
「何かが陣を破った!」ヴァルルードが叫んだ。
悲鳴と叫び声があがった。六隻目の死人の船が滑っていった方向だ。ツーレはそちらを向く。
狼に似た、奇怪な獣が呪術師の一人にのしかかっていた。獣は軋《きし》るような声をあげると前足や胴の触手で、そばにいる術師を襲う。
術師の何人かが、魔法で攻撃するが、それは獣の前ではじけてしまう。中には当たるものもあったが、効果はあがっていないようだった。
「陣を解け、もう不用だ! ヴァルルード、あの獣をおさえるのだ!」
ヴァルルードたちはすばやく獣の前へ移ると、印を組み、呪文を唱える。
獣は一見、無防備に見える彼らに飛びかかった。しかし、彼らの体に爪がかかる寸前で、それは阻まれる。
弓のつるが鳴る音がした。高みに登ったマザイが矢を放ったのだ。それはたがわず、獣の首筋に剌さった。
「呪術師は下がれ! 動きが封じられたら、剣でとどめを剌すのだ!」
ツーレは命令する。ヴァルルードたちが何かを押え込もうとするように、片手を下にむけて突き出した。獣は甲板にはいつくばった。怒りの声をあげてもがくが、強い力に押え込まれて動けない。その隙に剣士たちが駆け寄る。
満足気にそれを見ていたツーレは、獣の中から強い魔力が出てくるのを感じた。それは見る見る力を増してゆく。
「いかん、退け!」
ツーレとヴァルルードが叫んだのは同時だった。獣の体から紫の魔力がはじけた。獣を押え込んでいたヴァルルードたちが吹き飛ぶ。剣士たちはあわててとびすさったが、何人かが、怒りに燃える獣の一撃を受けて倒れる。
獣はさらに周囲の者に襲いかかろうとしたが、思い直したように向きを変えると、船室への入口ヘジャンプした。
獣を引き止めようと、入口と獣の間に剣士たちが立ちふさがった。襲いかかる獣に曲刀《フォールチョン》をふるう。その刃は獣の肩を切り裂いた。しかし、獣はそのままその剣士を押し倒す。人と獣が階段を落ちていく音がした。
剣士たちがあとを追う。ツーレもその場へ駆け寄ると、マザイの制止を振り切って階段を駆け降りた。
船室は混乱に陥っていた。ツーレは騒ぎの聞こえる方へ走った。
「通路に出るな! 部屋に入れ!」
何事かと通路へ出てくる人々ヘツーレは叫んだ。騒ぎの声は船尾へ向かっている。そちらには儀式の間がある。ツーレは走った。
通路にはときおり、血にまみれた剣士の姿がある。ツーレは歯をくいしばって走り続ける。
儀式の間に飛び込んだツーレが見たのは、獣から神像を守るように立つ、呪術師たちと呪術の長《おさ》≠フ姿だった。
ツーレが前に出るより早く、獣は飛びかかった呪術の長≠ェ叫ぶ。
「九つの鼓動と黄金の一つにかけて! 己れの世界へ還れ!」
呪術の長の突き出した杖が、獣の胸を貫く。獣は無念そうな呻きを残して、幻のように消え失せた。乾いた音がして、長の杖が割れた。長自身も崩れるように倒れる。まわりの呪術師たちが受け止めた。何人かは慌てて部屋を飛び出す。治療師を呼びにいったのだろ ツーレは長に駆け寄った。
「呪術の長! しっかりされよ」
年老いた長は、荒い息をしていたが、ツーレにいった。
「何ということだ。あれは夢幻界の獣だ。この時代にあれを召喚できる者がいるとは……まして、それが邪神の手先とは……!」
長はツーレに、鋭い目を向けた。
「我らが長、ツーレよ。あれは使い魔でもあった。あれの目を通じて、この場の秘密、神像を知られてしまった。敵は何としても我々を滅ぼそうとするだろう。急げ、今すぐに神を目覚めさせるのだ!」
長は神像を指さした。そのまま気を失う。ツーレは彼を、治療師のもとへ運ぶように命じた。そして、長い時間をかけて与えられた魔力に淡く輝いている神像に近づき、そっと手に取った。
彼は振り返ると、呪術師たちに命じた。
「今より、目覚めの儀式を行なう。死を招くやもしれぬ儀式だ。それを知りても、我が力となる者よ。進みでよ!」
* * *
魔法陣の間で意識を集中していたリザンは、胸に激痛をおぼえて目を開いた。胸を押えた指の間から、血がにじみだす。
あの枯れ枝のような老人が、これほどの使い手であったとは……。油断をしてしまった。リザンは小さく呪文を唱える。痛みが薄れて血が止まった。
それにしても……トゥースが夢幻界へ戻る直前に見た神像のことが気になる。あれは奇跡の店にあった像。
あの船が砂漠の民のものであったこと自体、驚きではあった。彼らがあのような場所で何をしていたのか? あの神像にどのような意味があるのか?
あの像は何かとてつもない武器で、砂漠の民はそれを使って、何かをしでかそうとしているのでは?
あることに思い至って、リザンは教典≠開いた。そして、ミルリーフ神が滅ぼされたいきさつを記したページを探した。
……古代王国時代。魔法使いの中に、神や精霊を狩りつくそうとする一派があった。神を狩る者≠ニ名乗る輩《やから》である。
彼らは竜を自在にあやつり、その竜の力で多くの神々、精霊を消滅させ、あるいは追放した。
この竜を神狩りの竜≠ニ呼び……
「神狩りの竜? 砂漠の民は古代王国人の末裔ともいわれている。もしや、あの神像が竜≠呼び覚ますカギなのではないか?」
リザンは教典≠閉じると、急ぎ足で部屋を出た。大声で信者たちを呼び集めながら、神の間へ行く。神の玉座の前にひざまずいたリザンは、沖の船と神像、神狩りの竜について話した。
ミルリーフの巨体が縮み、次に激しくのたうつた。神の怒りにリザンはゆらぎ、祈りを捧げていた信者は、恐怖におののいた。
ミルリーフの記憶が、混乱した映像の細切れとなって、リザンに押しよせた。
「神々の戦い
鏡の中の無限回廊にとじ込められた怒り
壮大な数の死者の船
燃える大地
白い巨大な竜
沈んで行く神殿
魔法使いたち……」
古代の神々の戦いで、力を失いかけたミルリーフは、長い年月をこの島で過ごしていた。
しかし古代王国時代、すべての神を滅ぼそうと考えた魔法使いたち神を狩る者≠ノよって、この神殿は封印され、ミルリーフの魂もまた、万華鏡の中の無限回廊に幽閉されたのだ。
ミルリーフは怒り狂っていた。ようやく目覚め、己れの体をとりもどし始めた矢先に、またもや神狩りの竜≠ノ邪魔されようとしている。
ミルリーフは命じた。殺せ! 壊せ! それを現させるな!
リザンは立ち上がり、背後でおびえる信者たちを振り返った。
「我らが神を滅ぼそうとするものがいる! この島の沖に一隻ある船がそうだ。我らが持てるすべての力を、我が神を守るために投げ出すのだ!」
「そのためには、我らは何をなせばよいのでしょう?」
「船に乗り、戦うがいい。恐れることはない。おまえたちがいることによって、その船には我らが神の力が及ぶ。神の力がある限り、我らは敗北することはない! 我らが神を、お守りするのだ!」
ミルリーフの怒りが、リザンの中で荒れ狂っていた。リザンは両手を掲げた。その瞳が再び青白く輝く。
「いでよ! 神のしもべたちよ! 今こそそなたたちの目覚める時!」
その叫びとともに、その島にあるすべての死者、彫像、魔物が目覚めた。
神の間を彩《いろど》っていた魔物の彫像が身じろぎして、その異形の翼を広げた。庭の骸骨が動き出し、船の残骸のあいだに埋れていた屍が体を起こした。
浜辺に横たわる兵士の骸も、ゆらりと立ち上がり次の命令を持つ。
波間から、一隻、また一隻と、朽ちた船が浮かび上がり、そこに眠っていた死者もまた、目覚めて戦いを待っていた。
「私もまた、持てる力すべてで戦う。行くがいい。神の信者にして、我が同朋よ!」
リザンの神がかった声に操られるように、信者たちは神殿の外へ向かう。
リザンは両手を降ろしたが、その瞳はまだ青く燃えていた。その目は何も見ていなかった。ただ、敵を思い、それを滅ぼすことだけを考えていた。
ミルリーフが吠えた。リザンもまた、怒りに叫んだ。もはやリザンという者は存在せず、ミルリーフの怒りを示す一個のものがそこにあった。
その手に握られたエルドースは震えた。恐怖を感じた。しかし、それを察する者は、誰もいなかった。
* * *
船の残骸を潜《くぐ》り抜け、ようやく神殿のそばまで来たバートたちは、庭に立つ多くの骸骨を見て、身を低くした。
「動かないな……」バートがいう。
「あれは彫像のようだが……油断はできんぞ」
ガラードは戦斧を抜こうと肩に手をやって、おや? と声をあげた。そしてすぐに斧のない理由を思い出した。
「くそっ、身につけていると、沈みそうになったので外したんだ。今ごろは海の底か!」
「これを使うか?」
バートはショートソードをドワーフに手渡した。
「心もとないが、ないよりはマシだろう。ありがたく借りておくぞ」
二人は武器を手に、そっと彫像に近づいた。ガラードが地面から、何かのかけらを拾い上げると、それを彫像へ投げつけた。それは彫像に当たって跳ね返ったが、彫像に変化はない。
「いかにも動きそうなんだがな……」
「見張りは本物の骸骨がやるんじゃないかな? この彫像は目くらましかもしれない」
「そうだとありがたいんだがな。なにせ、彫像あいてでは、神聖魔法は効果がないからな」
二人は用心しながら、神殿の入口に近づいた。入口の両脇には、同じような骸骨の彫像がある。
急に神殿の中が騒がしくなった。ローブをまとった男たちが行きかうのが見える。バートたちは神殿に駆け寄ると、柱の影へ身をひそめた。
慌ただしく行き来していた人影が消える。バートとガラードは互いに顔を見合わせた。
「入るか?」
「この彫像は大丈夫だろうか?」
バートは骸骨を示す。ガラードはじっと見ていたが、首をひねった。
「魔法の品物は、その時にならないとわからんからな」
「じゃあ、入ってみよう」
二人はおそるおそる彫像の脇をすり抜けた。しかし、彫像はピクリとも動かない。
そこは小さな広間だった。天井は高く、壁や柱には、さまざまな絵や彫刻があるようだったが、すべては海草におおわれて見る影もない。
通路は左右にわかれている。どちらに行くか尋ねようとしたバートは、ガラードの様子がおかしいのに気づいた。何か物音をうかがうように、宙に目をやっている。
「どうかしたのか、ガラード?」
ガラードはハッとなった。
「うむ、何か奇妙な力を感じたような気がしたんだ。怒り……だろうか?」
「それはいったい?」
「わからん。奥に進むしかあるまい。右の通路を行こう。彫像や柱が多い。隠れやすいだろう」
バートはうなずくと右へ曲った。神殿の中は静かだ。壁にあるろうそくのおかげで、通路はかなり明るい。ただ、そのろうそくは安物の獣脂ロウソクのような悪臭を放っていた。
しばらくは、柱や彫像の陰を縫うように進んでいたバートたちだったが、まったく誰にも、何にも出会わないので、普通に廊下を歩きだした。
突然、ガラードが声をあげた。
「また、あの奇妙な力だ。今度のは強いぞ!」
かすかな物音にバートは柱を見た。
柱に刻まれていた魔獣の、まぶたが震えたように見えた。もう一度、よく見る。バートを魔物の目が見下ろした。
「うわっ、彫刻が!」
「バート、こっちもだ!」
ガラードが指さす先でも、彫像が動き出す。二人は通路の中央に、背中店わせで立つと武器を構えた。
しかし動き出した彫像たちは、二人には目もくれず、通路を出口へ向かって歩き出した。
「何が起こったんだ?」バートは驚いて尋ねた。
「わからん。見ろ、まだ奥からもくるぞ」
通路の奥からも、無数のモンスターや死人が外へ向かって進んでいく。
「何かのはずみで襲われんとも限らん。隠れよう」
ガラードが、彫像のいなくなった台座の陰を示す。バートたちはそこに隠れた。魔物たちはその前を通り過ぎてゆく。
「まさか、化け物どもは、オランヘ向かうのじゃないだろうか?」ガラードがいう。
「そうかもしれない。早くなんとかしなくては」
化け物たちが通りすぎる。台座の影から出ようとしたバートは、新たな影が近づいてくるのに気づいて、再び台座に隠れた。
五、六大ほどの人影だ。ローブや革鎧に身を包み、何かに浮かされるような表情を浮かべて歩んでいく。彼らもまた、出口へ向かっているようだった。
彼らを見送ったバートとガラードは互いの顔を見た。どちらも、えたいのしれない不安を感じているようだった。通り過ぎていった彼らの表情には、狂気を思わせる何かがあった。
「急ごう」
バートがいい、ガラードはうなずいた。二人は彫像がなくなって、空ろになった通路を、奥へ進んでいった。
神殿の中は、外から見た以上に広く、入り組んだ通路や回廊がバートたちを惑わせた。
二人は奇妙な力が放たれた方向へ、神殿の中をさまよった。疲れは耐えがたく、二人は通路の端で眠りについた。しかし眠りは浅く、あの彫像どもが、オランヘ向かっているさまを考えると、いても立ってもいられなくなる。
重い気持ちで目をさましたバートとガラードは、再び奥へ進んでいった。そして一つの部屋にたどりついた。
そこは部屋というよりも、ホールのようだった。円形の部屋には三つの通路と、閉ざされた一つの扉がある。
「あの扉があやしいな」ガラードがいう。
バートはうなずいて扉に近づいた。そして鍵がかかっていないか確かめようと、剣の先で押してみた。その途端、三つの通路すべてが扉で閉ざされた。
「しまった! 罠か!?」バートは身構えた。ドワーフも油断なく周囲を見る。しかし、特に変った様子はなかった。バートは尋ねた。
「いったい、どうしたっていうんだ?」
「わからん。単に閉じ込めただけかもしれんな」
「ここでじっとしているわけにもゆかない。この奥の扉を破ってみよう」
扉は木でできているようだった。バートは体当りした。そのとたん、目の前が暗くなって床にひざをついた。
「バート、どうした?」
「いや……急に体の力が抜けたように感じて……」
首をふって眩暈《めまい》を振り払ったバートは、バスタードソードの柄で扉を殴りつけた。扉は軋みはしなかったが、表面に大きな傷が残った。
「柔らかそうだな。剣で打ち壊せるかもしれない」
「バート、扉を見てみろ!」
ガラードの驚いた声に、扉に向き直ったバートは目を見開いた。扉の傷がふさがってゆく。バートは今度は剣の刃で切りつけた。
扉は大きく切り裂かれた。しかし、それもまたもとの姿に戻っていく。
「そいつには、魔法しか効かんのだろう。バートどくんだ」
ガラードの手から、魔力が飛び出した。それは扉に当ると扉を軋ませる。しかし魔力はそのまま、扉に吸い込まれるように消え失せた。
「なんてことだ。あいつは魔力を吸い取ってしまうのか?」ガラードは歯ぎしりした。
「剣も、魔法もダメでは、どうすればいいんだ?」
「魔法をこめた武器なら、魔力を吸い取られるまでの間に、傷をおわせられるはずだ」
「そのショートソードで?」
「いや、すまんがそのバスタードソードと、ルーン・リングを貸してくれんか?」
「俺がやろう」
「わしの方が力が強い。わしにまかせろ」
バートはドワーフに指輪と剣を手渡した。代りにショートソードを受け取る。
ガラードは指輪を手の平に隠すように剣をにぎる。そして騎士の槍のように、剣を水平に構えた。
ドワーフが命令すると、剣は魔法の光に包まれた。ガラードはバートを見上げた。
「わしがあの扉を開けたら、すぐに向こうへ走るんだ。扉をやっつけられるとは限らんからな」
そういうと、ドワーフは扉にぶつかっていった。バスタードソードの切っ先が扉に突き刺さる。その刃から光が消えそうになった。
ガラードは再び魔法をかける。剣の魔力が強く、弱く、明滅する。ドワーフはふんばった。
扉が音をたてた。少しずつ、隙間が開いてゆく。バートは身構えた。扉が大きく間く。その瞬間、勢いをつけて扉に体当たりした。扉は大きく傾くと、ちょうつがいを引きちぎりながら倒れた。
軽い金属の折れる音がした。バスタードソードは、あの奇妙な馬につけられた歯型の場所から、二つに折れた。床に転がったバートは、同じように転がったドワーフに近づいた。ドワーフはぐったりとして動かない。バートは彼をゆすぶった。
ガラードは目をあけた。
「大丈夫だ……力が入らないだけだ」
ほっとしたバートは、しかし、背後に何かを感じて周囲を見まわした。油断なく自分たちが転がり込んだ部屋を見る。
大きめの部屋だ。明りが少なくどんよりとしている。向かい側に通路が続いていて、奥から、かすかに歌うような詠唱の声が聞こえてきた。
「あの奥だな……よし、行こう」
ガラードはよろめきながらも立ち上がった。バートはドワーフを支えた。
「無理をするな。少し休もう」
ガラードは口を開いたが、何かに気づいたように部屋の一点を見つめた。バートもその方を見る。そこには大きな雄牛をかたどった彫像があった。鉄かなにかでできているらしく、ところどころに錆が浮かんでいる。
「彫像が残っている……」バートは体をかたくした。「ただの彫像なのか、それとも番兵なのか?」
「ここではゆっくりはできんな。行こう」
二人は奥の通路へ歩みよった。それを待っていたかのように、彫像が軋みをたてた。金属の音を立てながら首を倒し、炎を吐いた。
「バート、走れ! 通路に逃げ込むんだ!」
バートとドワーフは、弾かれたように、通路へ跳び込んだ。足が重い。バートは自分を叱咤しながら走った。背後で金属の雄牛が轟くような鳴き声をあげた。その音が遠いことに気づいてバートは振り返る。そしてドワーフの姿がないことに気づいた。
「ガラード!?」バートは叫んだ。
雄牛がまた吠えた。部屋で雄牛と向かい合うドワーフを見つけて、バートは引き返そうとした。
雄牛がドワーフに突っ込む。危うく身をかわしたガラードは叫んだ。
「馬鹿者! さっさと行け! なんのためにわしがこんな事をしてると思う!」
バートは立ち止まった。
「早くミルリーフを……うがぁっ!」
ドワーフの悲鳴が聞こえる。バートはためらった。敵に対する恐怖と、そのような恐怖を覚えてしまう自分への怒りと無力感に呻き声をあげる。
頭を抱えてよろめいた。呻き声が大きな叫び声に変ってあふれ出た。バートはふりきるようにその情景に背を向けた。逃げるように走りだす。
「うわあぁぁぁーっ!」
叫びながらバートは走った。息がきれて声はすぐに出なくなった。それでも走った。怒りと悲しみに、頭の中が真っ赤に染ったようだった。
巨大な轟きが起こった。それは行く手から聞こえるようにも、背後から聞こえるようにも感じられた。
行く手に扉があった。バートはそれに体当たりした。扉は彼を迎え入れるかのように、大きく両側へ開く。中へ入ったバートは、そこに人影を見た。
その人物が振り返る。バートはその名を呼んだ。
「リザンッ!」
* * *
シラルムとクルドが乗っ取ったガレー船は、霧の中をただよっていた。助けられた二十数人の中には、船長や水夫がいたので、操船は彼らにまかせていた。
一休みして、元気を取り戻した全員が、まずもめたのは、このまま当初の目的を進めるか、一度オランヘ戻るか、だった。
大多数はオランヘ戻ることを主張した。食料もなく、人数もたったこれだけで何ができるのか、というのだ。
しかし、いざ、オランヘ戻ろうとしても、深い霧のために、まったく方向がつかめないことに気づいた。
「このあたりに、こんな海流があるなんて聞いたことはねぇ」船長がぼやく。
「どうも、俺の感じたところじゃ、ここの海流は、大きな円を描いて流れているようだ」
シラルムは上着をかきよせた。気のせいか、何だか寒気を感じる。
「風邪ひいちゃったかな?」
シラルムがつぶやくと、クルドが心配そうにエルフを見た。
「エルフでも風邪ひくのか?」
「めったにないですけど、こんなふうに精霊たちの力が弱かったり、邪悪に変えられている場所だと、病気になることもありますよ。不老不死じゃ、ありませんから」
「治療しようか?」
「いえ、大丈夫ですよ。この感じは風邪というよりも、何か奇妙な場所に入り込んだ信号じゃないかと思うんです?」
クルドは軽く目を閉じて、意識を集中させているようだった。
「確かに、不気味さが強くなって、邪悪な力が大きくなっている。あちらの方かな?」霧の一点を示す。
「そうか、憎侶にはそんな力があったんだっけか」舵輪のそばに立って、霧をにらみつけていた船長がいった。
「その力が長く続くのなら、この霧を抜け出せるかもしれんぞ」‐
「どうやってです?」シラルムは尋ねる。
「その邪悪なやつに背中を向けて、一目散に漕いでいくのさ。いままで、出られなかったのは、海流で船の向きが変っちまうからだったんだ。何か目標にできれば万事解決だ」
「でも、今、感じてる力が死人の船の力だったら、どうするんです? 動きますよ」
「いや、死人の船にしては、大きすぎる。それに……おや?」
そういったクルドは、急に眉をしかめて、別の方角を示した。
「あちらにも、何か邪悪な力がある。こちらは小さいけれど、数が……」
シラルムは目をこらした。しかし、霧は深い。
「近くなってくる」目を閉じたまま、クルドがいう。
ややあって、波を切る音が聞こえた。船長が叫ぶ。
「右舷回頭、準速用意!」
鉄の管のそばに立っていた水夫が「準速!」と叫んだ。ガレー船は向かってくるものを避けるように、大きく首をふる。霧の向こうに大きな影が現れた。船のようだ。上空に小さな影を引き連れている。魔法だろうか、ときおり、火花や光がまたたいた。
「魔物と戦っているのか?」集中を解いたクルドがいう。
霧を割って現れたのは、今までに見たこともない船だった。どことなく、古代の遺跡をほうふつとさせる船は、こちらに気づくと大きく向きを変えた。
「ありゃ、一度だけエレミアで見たことがある。異国の船だと聞いたが……」船長が叫ぶ。
その船を追うように、霧の中から死人の船が進み出た。
「襲われているのか?」とクルド。
大きく向きを変えた、異国の船の周囲には、黒い影が飛び交い、魔法の光はそれめがけて放たれているようだった。その船がこちらの横をかすめるように進んでくる。
霧をついてその甲板が見えるようになって、シラルムは声をあげた。
甲板の上で戦っているのは砂漠の民だ。空を飛んで、帆を破ろうとする怪物を、追い払おうとしている。こちらを敵だと思ったのか、何人かの剣士や呪術師が身構えている。シラルムは精霊語で叫んだ。
「私たちも死人と戦っている者だ。攻撃しないでくれ!」
リーダー格らしい男がこちらを見る。そして驚いたように口を開きかけたが、思いとどまる。それがマザイだと気づいて、シラルムは手を振った。
「なるほど、お前たちは、死人でも邪神の手先でもないようだ!」
マザイはそう精霊語で返すと、剣士たちを押しとどめた。気がつくと、ガレー船の船べりに兵士たちが集り、武器を構えている。シラルムは彼らにいった。
「あの船の乗員は味方です。攻撃しないで!」
「あれは砂漠の民だぞ。この騒ぎは全部あいつらが仕組んだことじゃないのか?」傭兵の一人が叫ぶ。
「しかし、あいつらは死人の船や化け者に襲われているぞ」別の一人がいった。
砂漠の民の船は、横を通り過ぎていく。その周囲には奇妙な化け物が飛び交い、船と乗っている人々を傷つけようとしていた。
それを追うように、死人の船が通っていく。化け物も、死人の船も、こちらのガレー船には見向きもしない。
シラルムは船長のそばへ駆け寄った。
「あの船を追ってください。助けなくては」
「俺はいいが、みんなは何ていうかな?」
シラルムは振り返ると甲板の上にいる男たちに呼びかけた。
「たのみます。力をかしてください。あの船の民は友好的な人々です」
兵士たちは顔を見合わせた。じれたようにクルドが叫ぶ。
「あれを助けて恩を売っておけば、食料や水、そしてこの霧から抜け出す方法がわかるかもしれない。助かりたいなら、あの船を追いかけようじゃないか!」
「そうだな、このまま霧の中をグルグルまわってるよりは、何か気晴しがほしいぜ」傭兵がいう。それに同意する声が広がった。
「おっしゃ、回頭するぞ!」
船長が力強く舵輪をまわす。ガレー船は霧の向こうへ消えようとする二隻の船を追って、大きく向きを変えた。薄れそうな影へ向かって進んでゆく。オールが水をかく、力強い響きが聞こえる。
「クルド、ありがとう。みごとな説得ですね」
「商売柄、かな?」
シラルムとクルドは顔を見合わせて笑った。
ガレー船は死人の船の後ろにつく。しかし、死人たちはまったくこちらに注意を払おうとはしない。すべてが砂漠の民の船へ向かおうとしていた。その死人の群の中に、ローブをまとった人影があった。
「邪神の手先が、みずからもおでましというわけか?」クルドがいった。
「気をつけろ、上にモンスターだ!」
声に見上げると、エイに似た奇妙な化け物が滑空してくるのが見えた。一匹や二匹ではない。空に砂をまいたように、びっしりと浮かんでいる。その中にはクラゲのような、ぶよぶよした塊や、ガーゴイルに似た化け物の姿もあった。エイどもは、青白い腹に生える何本もの触手を揺らしながら、砂漠の民の船へ向かう。どれもが、こちらをまったく無視していた。
「あの船には、何があるってんだ? よおし、死人の船に着けるぞ。殴り込みたいやつは用意しろ!」
船長はそう叫ぶと、ガレー船を死人の船に押しつけた。兵士たちは、へさきへ行くと、雪崩をうって死人に襲いかかった。シラルムとクルドも後に続いた。
ガレー船は味方だと思い、まったく注意を払っていなかった死人たちは、完全にふいをつかれた。
兵士たちの雄叫びが広がり、それに死人の打ち砕かれる音がまじった。シラルムは乱戦を避けて回り込むと、ローブの人影を探した。
ローブの男は、船べりに立っていた。突然の敵襲に慌てながらも、上空のモンスターを呼び寄せて襲わせている。
シラルムは呪文を唱えた。風の精霊を呼んでローブの男の言葉を封じさせた。男は声を失ってうろたえた。
一人の兵士が、そのすきに男に襲いかかる。剣が振るわれ、男はのけぞった。倒れながら、男は手を宙にのばし、何かを祈り求めたようだった。兵士がとどめを剌す。
魔法のまばゆい光に向き直ると、クルドやマイリーを信仰する僧侶戦士たちが、神聖魔法で死人を押え込んでいるのが見えた。
簡単に決着がついたように思って、シラルムは安堵の笑みをうかべた。しかし……
「な、何だこのモンスターは!?」
兵士のあげた驚きの声が、苦痛の叫びに変る。見ると先刻までローブの男がいた場所に、奇怪な化け物が立ちはだかっていた。そいつが兵士たちに襲いかかっている。
二本足で立っているそいつは、鱗の生えた腕で傭兵を殴り倒す。するどい爪に、鎧はあっさりと切り裂かれ、鮮血が甲板に広がった。
シラルムはバルキリーを呼ぶと、精霊の槍を投げた。光の槍はモンスターの鱗をはじきとばした。化け物は怒りの声をあげてエルフを見ると襲いかかってきた。
シラルムは恐怖を押え込むと追ってくる化け物の顔へ槍を放った。化け物はそれを避けようとする。しかし、精霊の槍は向きをかえて、化け物の顔に襲いかかった。
化け物は悲鳴をあげた。顔を押えてのたうった。だがすぐに立ち直ると再びエルフに襲いかかった。また、光の槍が飛ぶ。周囲からも、魔法の援護がある。化け物は呻き声をあげて、崩れ折れると動かなくなった。
シラルムは力を抜いた。眩暈がする。魔法を使いすぎたかもしれない。しかし、この化け物はいったい何だろう? 見た事も聞いたこともない。
死人たちは、ほとんど倒されてしまっていた。シラルムは倒れているモンスターに近づいた。
オーガのような体格をしているが、全身は魚のような鱗に覆われている。水かきのある手足には、長い爪が生えていた。その手がかすかに動いた、と思う間もなく、モンスターの鉤爪がシラルムを打ち払った。
腹部になぎ払われるような衝撃をうけて、エルフははじき飛ばされた。わずかな痛みを感じた。慌てて体を起こそうとしたが、力が入らない。倒れた甲板の上に、真っ赤な血が広がってゆくのが見えた。
これは自分の血だろうか? 実感がない。シラルムはもう一度、立ち上がろうとした。
モンスターが立ち上がるのが見える。死んだふりをしていたのか?
一人の傭兵が近づいてきて、治癒の魔法を唱えるのが判った。
暗闇に引き込まれそうだった意識がもどってくる。傭兵が助け起こしてくれた。
「血は止った。ここでじっとしてろ」
そういって、彼はモンスターのほうへ向かっていった。
モンスターは激しく暴れ回っている。その狂暴さに、兵士たちもうかつに近づけず、遠まきにして武器で牽制していた。この間に魔法で攻撃するべきなのだが……。もはや充分な魔法を唱えるだけの力を残しているものはいないらしい。
シラルムは立ち上がろうとして、反対に甲板に倒れ込んだ。くそっ、このまま何もせずに見ていなくてはならないのか?
モンスターをにらみつけたシラルムは、その後ろ、霧の中から砂漠の民の船が出てくるのに気づいた。
うるさく飛び回っていた化け物は見当たらない。船はこの死人の船へ真っ直ぐ向かってくる。砂漠の民が魔法を飛ばしてきた。
電光や白い光が、兵士たちを襲っていたモンスターに降りかかる。モンスターは悲鳴をあげて近づいてくる船に向き直った。
モンスターは身を縮めるとジャンプした。砂漠の民の船に飛び移ろうというのだ。だが、その瞬間、まさに目もくらむような魔力が、そのモンスターを貫いていた。
断末魔の声をあげることもできず、モンスターは海に転げ落ちた。
砂漠の民の船は、滑るように横付けしてきた。甲板にいたマザイが叫んだ。
「この死人の船は沈める。己れの船にもどられよ!」
その横柄な物言いに、兵士たちは反感をもちながらも、ガレー船へ戻っていく。
取り残されそうになって、ひょっとすると置去りかと心配したシラルムにクルドが駆け寄ってきた。
「ひどいありさまだな。癒し≠かけようか?」
「いえ、別の人にかけてもらったから、かまいませんよ」
「立てるか?」
クルドはシラルムに肩をかす。持ち上げられた時に傷が痛み、呻き声をあげそうになるのを、歯をくいしばって押えた。
「おまえ、けっこう重いんじゃないか?」よろめきそうになったクルドがいう。
「クルドに筋肉がないんでしょう」
「蒼白な顔で、冗談をいうな」
「冗談じゃないんだけど……」
よろよろと進んでいた二人の横に、砂漠の剣士が現れた。彼は無表情なまま、シラルムを助ける。シラルムはほとんど、その剣士に運ばれるようにしてガレー船へ戻った。
シラルムをガレー船に届けると、剣士は自分たちの船へ戻っていく。気がつくと、怪我人の多くは砂漠の民に助けられてガレー船へ戻ってきていた。
人がいなくなると、呪術師らしい男が死人の船に向かって呪文を唱える。木が軋む音が響いたかと思うと、突然、死人の船は沈み始めた。二つの船はそのそばから離れる。
「あっちの船につけるぜ。食い物とかの話をつけなくてはならねぇからな」
船長はそういって舵をきった。ガレー船は死人の船を迂回して、砂漠の民の船へ近づいた。
再び、マザイが声をかけてきた。
「窮地《きゅうち》を救ってもらい、感謝する。して、何用か?」
「俺たちは仲間も船も失い、ご覧の通り、敵の船を使ってようやく海に浮かんでる。なさけねぇが、一度オランヘ戻ろうと思う。できるなら、食料と水、そしてこの霧を抜ける方法を教えてくれんか?」
船長がいう。マザイは考え込むと、そばにいた剣士に何かを命じた。剣士は姿を消す。それきりマザイは何の動きも見せない。周囲にいる砂漠の民たちも、傷の手当てをしたり、多少の会話をする程度で、ほとんど身動きしない。
「薄気味悪いやつらだぜ」兵士の一人がつぶやいた。
その砂漠の民たちがざわめいた。人々が道をあける。白い長衣をまとった女性が現れた。身分の高い人物であることは、周囲の人々の反応を見れば、一目瞭然だった。ラテリアだ。
ラテリアが近づくと、マザイはひざまずき、何事かを話した。ラテリアはうなずき、ガレー船の方を向いた。
「勇敢な方々。話は聞きました。充分な量とはいえませんが、いくばくかの食料と水を分けましょう。また、予備の方角石も差し上げます。それを使えばオランヘ戻れるはずです」
砂漠の民の間に、意外だとでもいいたげなささやきが広がったが、それはすぐにおさまった。
ガレー船に乗っている人々を見回していたラテリアは、シラルムを見つけて微かに微笑んだようだった。彼女は再び人々の中へ消えていった。
「なんとか先が見えてきたようだな」クルドがささやいた。
砂漠の民の船がガレー船へ近づいてきた。
「今すぐに用意はできぬが、運べるものはそちらへ渡そう。それと、こちらで助け上げたおまえたちの仲間がいる。彼女もそちらへ渡す」
二隻の船はよりそい止った。船べりの高さに差があるので、縄ばしごが降ろされる。鉤が互いの船をつなぐ。ある種の緊張をただよわせながらも、二つの船はつながった。
砂漠の民の船の甲板に、樽が運び出された。鉤と綱をつかって、それが降ろされる。元気の残っている兵士たちがそれを受け取り、船倉へ運び込む。
黙々と働いている砂漠の民たちだったが、近づいた今、よく見ると全員が疲労の色を浮かべていた。
クルドが水を持ってきてくれる。シラルムは礼をいうとそれを飲んだ。驚くほど新鮮な水だ。気がつくとマザイがこちらを見ている。
「そちらの仲間をかえそう」
マザイが振り返って合図する。小さな人影が縄ばしこを降りてきた。見覚えのある姿にシラルムは声をあげた。‐
「プラム!」
はしごを降りてきたグラスランナーは、その声にふりかえると、一目散に駆け寄ってきた。
「シラルム!」
エルフは飛び込んできた彼女を受け止めた。傷の痛みに小さく呻いたが、それよりも仲間の無事に、深い安堵をおぼえていた。
「まったく、心配したんですよ」
「ごめんなさい」
「詳しい話は後で聞くとしましょう」
シラルムは見上げると、立ち去ろうとするマザイに声をかけた。
「この娘を助けてくれて、ありがとう。感謝します」
マザイはうなずくと姿を消した。
「よかったな、仲間がみつかって」
そんな様子を見ていたクルドがいった。シラルムはうなずく。
落ち着いてきたプラムが顔をあげた。
「ああ、本当に会えてよかった! ねぇ……バートとガラードはどうだった?」
一瞬、グラスランナーの質問が判らなかった。が、彼女はミード湖以来、二人に会っていないことを思い出した。
「無事にオランで会いましたよ」
「よかった。今はどこに?」
エルフの顔がこわばった。目をふせて首をふる。「ここにはいません」
「一緒に来なかったの?」
「いいえ、同じ船に乗ってました……」
きょとん、とシラルムを見ていたプラムは、その言葉の意味に気づいた。驚きと恐怖の表情が浮かぶ。
「うそ、無事よね。あの二人だもの、きっと無事よ!」
シラルムはうなずいた。そして自分でもそのことを信じたくて、もう一度小さくうなずいた。
急に砂漠の民たちがざわめきはじめた。緊張した空気がただよう。運んでいた樽を急いで降ろすと、彼らはあわてて自分たちの船へ戻っていく。けげんな表情を浮かべた船長が、砂漠の民へ呼びかけた。
「おーい、何かあったのか?」
ややあって、マザイが現れた。
「周囲を囲まれた」
「なに?」船長は聞き返した。
「死人の船らしいものに、我々の船は取り囲まれてしまったのだ。数はおそらく十隻近いだろう」
「十隻だと!?」
マザイはうなずく。
「だが、案ずるな。我らが長《おさ》が手立てをお考えになる」
「敵は近いのか?」
「かなり近い」
それだけいって、マザイは姿を消した。船長は頭をかきむしった。
「なんてことだ! ようやくオランヘ帰る望みが出てきたとおもったのによ」
ふと、疲れを感じてシラルムは目を閉じた。一瞬、もう、どうでもいいという気になる。リザンもバートもガラードも、みんないなくなってしまった。自分も、もう魔法を操る力も、体力も使いはたしている。
プラムがここに現れたのは、嬉しくもあり、また悲しくもあった。
「寝たのか?」
クルドの声に、シラルムは目を開ける。クルドとプラムが心配そうに彼を見ていた。
「気をしっかり持てよ。砂漠の民は何か手があるようなことをいっていたじゃないか。まだ道はある」
シラルムはうなずいた。
「本当だ。見えてきやがったぜ……!」
兵士たちがざわめく。霧の向こうに船の姿があった。こちらを取り巻くように、死人の船が視界をふさいだ。
「本気だな、あれは」クルドがいう。
砂漠の民の船から、詠唱の声が聞こえてきた。クルドが驚いたように空を見上げる。
「なんだ? 壁のような物が見える」
シラルムも見上げた。淡い魔力が壁となって、まわりを覆いはじめたのだ。
その向こうに黒い影が現れた。まるでクラゲを思わせる化け物だ。それはただようように、こちらへ向かってくる。
化け物が触れたとたん、魔力の壁は明るく輝き、化け物ははじきとばされた。見ていた兵士たちの間から喚声があがる。
「すごい魔法だ。しかし、いつまでもつだろう?」クルドがいった。
長くて半日……砂漠の民なら一日は持ちこたえるかもしれない。しかし、この魔法は敵を倒すものではない。どう見ても、今のままでは敵が有利だ。
聞こえていた詠唱が途絶えた。周囲を覆っていた魔力も消える。思ったより早すぎる終わりに、シラルムは身じろぎした。
壁がなくなった事に気づいた化け物たちが、舞いおりてくる。クラゲ以外にも、ヒレのような翼をもったエイのようなモンスターや、悪魔めいた彫像が飛びかう。死人の船がさらに近寄ってきた。
化け物との戦いに身構えた皆の上を、あらたな詠唱の言葉が流れた。
「あれはツーレの声よ」プラムがいった。
死人の船の数は二十をくだらない。その甲板には屍《しかばね》がむらがり、空にはあの奇妙な化け物が浮かんでいる。空も海も、すべてがモンスターに覆いつくされていた。そのただ中、冒険者たちのガレー船と砂漠の民の船だけが、波間にゆらいでいた。
むせかえりそうな臭気をともなって、空のモンスターが舞い降りてきた。クラゲじみた不気味な化け物が、長い触手を伸して人々をからめとろうとする。触手を払いきれなかった何人かが、そのままよろめくように倒れた。クラゲの体が真紅に染ってゆく。血をすすっているのだ。
かすれた雄叫びとともに、傭兵たちが切りかかった。クルドはそちらへ走っていく。シラルムもよろめきながら、立ち上がった。
「むりよ、シラルム」
「だ〜いじょうぶ。プラムこそ、危ないから船室に隠れてなさい」
止めようとするプラムを抑えて、エルフは甲板に躍りでた。血を失ったせいか、吐き気と眩暈がする。だが、そんな事をいっている暇はなかった。甲板の上は、まさに血みどろの戦場だった。化け物に血をすすられ、なおもクラゲやエイの化け物を体に喰らいつかせて絶命しているもの、ひきちぎられた触手、致命傷を負ってのたうつエイ。
頭上から飛びかかってこようとする影をみつけて、シラルムは光の精霊を叩きつけた。パン! という音とともに、クラゲの体が弾けた。腹一杯血をすすっておきながら、さらに獲物を求めた貪欲な化け物から、真っ赤な鮮血が飛び散った。その温かい鮮血を浴びて、シラルムは顔をしかめた。
悲鳴に振り返る。剣士の一人にエイが喰らいついている。駆け寄ってショートソードをふるう。肉のほとんどを削ぎ落としても、エイは剣士から離れようとしない。
急に顔の脇にむっとする臭気と、生暖かさが張りついた。肩に激痛がはしる。エイが喰いついたのだ。革鎧が破られ、肉が切り裂かれる。その傷口へぬるぬるとした物がねじこまれてゆく。シラルムは恐怖と嫌悪に叫び声をあげた。夢中でその腐肉のような体に、剣を突き立てる。だが何度剣を剌して、ひきはがそうとしても、化け物は離れない。
剣を持つ手に、新たなエイが喰いついた。シラルムはそいつをつかんで引きはがそうとした。化け物は傷口深く吸盤を喰い込ませる。その青黒い体が、少しずつ赤く染ってゆく。目がかすんで、エルフは甲板に膝をついた。
肉の焼ける匂いと、化け物の叫び声があがった。肩から重みが消える。乱暴に引き起こされる。腕の化け物もひきはがされた。目をあけると燃え盛るたいまつの炎が映った。
「大丈夫か、エルフ?」マザイの声だ。シラルムはなんとか笑顔を浮かべた。
「ありがとう。大丈夫ですよ」
いったものの、目はほとんど見えない。自力で立ち上がろうとして大きくよろめいた。マザイらしい腕が支えてくれる。
わずかに視力がもどった。霞んでぼやけた風景の中に、惨状が広がっていた。化け物と人々の、引き裂かれ、切り裂かれた死体。その合間合間で、わずかな人々とたいまつを持った砂漠の民たちが戦っている。
甲板の端のほうにクルドの姿があった。兵士たちとともに戦っている。そのクルドの背後の霧の中から、何かの影が現れた。叫ぶ間もなく、それは海蛇竜のような、奇怪な姿の化け物に変る。それがクルドに喰いついた。
「クルドーッ!」
シラルムは駆け出そうとして、甲板につんのめった。荒い息をついて体を起こそうとする。血だまりと死体の中に手が沈み込む。苦悶の表情を浮かべた死体。それに取りついて、さらに血をすすろうとむらがる化け物。
激しい衝撃に、シラルムは倒れ込んだ。そのまま血でぬめった甲板を滑る。ガレー船は大きく傾いた。死人の船が体当りしてきたのだ。向こうの甲板から、死人が乗り移ってくる。味方は……仲間はどこだ? シラルムは怒りと恐怖にもがいた。
そんなエルフを見下ろすものがある。シラルムは霧の空をあおいだ。海草と泥でできているかのような、巨大な海蛇竜。それがエルフを見下ろしていた。狙いをさだめるように、頭をゆらす。半開きになった口から、赤い肉片と衣服の切れ端がのぞいた。あれは……。
シラルムは怒りに震えた。しかし反撃するだけの力は残っていない。
甲板に突いた手に、ぬめった触手が絡みつく。はっ、とそちらを向いた瞬間、海蛇竜が襲いかかった。洞穴のような黒い深淵が見えた。
その時、船の上に、恐ろしいまでの魔力が広がった。
砂漠の民の詠唱がたかまり、周囲を震わせる。
そして、光が現れた。
純白の光がうねり、はばたいた。
それは周囲をふるわせて、内に秘めた光を吐き出した。
それは、空にいた魔物を消し去り、海に浮かぶ船を焼きつくした。
白い光の竜=B
神狩りの竜≠フ目覚めだった。
* * *
身を焼きつくすような光の力に、リザンは石畳の床に膝をついた。
あれが……あれが神狩りの竜!?
一瞬にして、手持ちの船団の四分の一は消滅してしまった。このままでは……。
神殿を震わせるような、ミルリーフの怒りと恐怖の声に、リザンは立ち上がった。恐怖に体が震える。脇腹に奇妙な熱さを感じた。
しかじ、なんとしても、我が神を守らなくてはならない。神はすなわち自分。自分の源なのだから!
ミルリーフは姿を変えようとしていた。リザンはミルリーフに向かい力を貸し与えた。
ただの肉塊だった体に、ある形が生れてゆく。骨と筋肉が造り出され、戦いに必要な姿が形造られてゆく。急激な魔力の消耗に、リザンはよろめく。しかし、狂気というべき執念でもちこたえた。
肉がうごめいた。巨大な肉塊のあちこちが、おのおの別の生き物であるかのようにのたうち、引きつれ、肉芽を噴きだして膨れ上がった。全体が大きく広がってゆく。
肉が割れて濁った色の目が現れた。泡がはじけるように、あちこちで同じように肉がはじけて、大小さまざまな目が現れる。バクン、と空気を吸い込む鈍い音がして、横一文字に巨大な口が開いた。その中から、無数の触手が這いだしてくる。太さも長さもバラバラな触手は、無作為にうごめき、あえぐように先端の口を動かす。そのたびにいびつな歯が見え隠れした。
全身が今までの薄桃色から、青みをおびた黒に変っていく。
ずるり……ミルリーフは身動きした。
巨大な暗黒がその場に現れたようだった。強大な魔力がうねり、吸いこまれていく。おぞましくも、美しいものが、そこに生れ出ようとしていた。
神は古えの時代に失ったものを取り戻した。ミルリーフは肉体を得た。それは奇怪なエイに似ていた。
黒い皮膚が脈打ち、震えた。翼を広げて打ちふるう。神殿が揺れて、腐臭と胸が詰りそうな風が満巻く。リザンは顔をそむけた。
巨大な体が、歓喜と怒りに震えながら浮かび上がった。体をふくらませて轟音のごとき唸りとともに、息をはいた。天井が泡立ちながら溶ける。灰色の空に邪神は身を躍らせた。ゆっくりと、ゆっくりと、己れの力を確かめるように、強く身をうねらせながら霧の中を泳いでゆく。
満足感に浸りながら、リザンはそれを見送った。疲労感によろめきながらも神の玉座へ近づく。そこには真紅の塊があった。
万華鏡に入っていたものと、まったく同じもの。ミルリーフの魂《たましい》=B
これがある限り、神は永遠。肉体もまた永遠の回復力をもつ。
あとは神狩りの竜≠呼び出した砂漠の民を、滅ぼす方法を考えればいい。神狩りの竜≠ウえ消えれば……。リザンは微笑んだ。
静かに魂≠すくい上げようとする。その時、背後に人の気配を感じた。
「リザンッ!」
バートの声がこだました。
リザンは振り返った。扉にもたれるようにあえいでいるバートがいた。
二人は睨み合った。
* * *
竜は天空に駆け登った。白い魔力に包まれた竜のまわりから霧が消え、同じように、邪悪な化け物も溶けるように消えていった。化け物たちは恐れて逃げようとしていた。竜は白い息を吐いて、そのおぞましい生き物を消し去った。
消されなかったものたちは、自分たちの領土である海へ逃げ込む。時に、白き竜にいどむものもあったが、それも、竜の体を包む魔力に触れただけで、崩れさった。
竜は、自分を悩ませ、駆り立ててきた冷たい流れをたどった。それは眼下の黒い船団に繋がっているようだ。死人がうごめく船。竜はそれへも光の息を吐きかけた。
船はあっけなく溶けて消える。竜は、まだ黒い船が残っているのを見て、さらに光の息を吐きかけた。
光の息を浴びて、船は次々と消えていく。波間から頭をもたげていた海蛇竜は、慌てて海へ逃げ込もうとする。逃げ遅れたものは、たちまち海草と泥の塊になって崩れ去った。しかし、まだあの冷たい流れは、周囲に満ちている。竜は首をめぐらせると邪神の島を見つけた。
黒くまがまがしい島。そここそが、この邪悪の源にちがいない。竜は島へ向かって滑空した。
しかし、それを拒むように、島から黒い影が這いだし、舞い上がってきた。竜は嫌悪に身を震わせた。
目の前に現れたのは、黒くただれた醜い化け物。邪悪な冷たい流れは、このものからにじみ出しているのだ。
それは竜に向かって怒りの声と黒い息を吐きかけてきた。
竜はそれをかわして、同じように息を吹きつける。相手も軽くそれをかわすと、突然、間合いを詰めて竜の喉に喰いついた。
自分の体を包む光の魔力が、そいつを喰い止められないことに気づいて竜はおののいた。黒いエイの口から、無数の触手が這いだして竜に噛みついた。竜はエイの体へ鉤爪をたてた。鋭い爪は、ずぶずぶとエイの中へめりこんでゆく。エイは苦しげに身をよじった。が、突然、竜の鉤爪はエイの体を突き抜けた。その部分だけ、エイの体がなくなったのだ。
とまどいながらも、竜は首をめぐらしてエイに噛みついた。だが、その鋭い歯も空を噛み切っただけだった。竜が噛みつく前に、エイの体はするりと逃げ去る。まるで水に噛みつくようなものだ。竜がもがく間にも、触手とその先にある吸盤が、魔力をすすり取ってゆく。竜は敵の背へ強烈なブレスをはきだした。
肉が焼けて溶ける。はじめて黒い化け物は苦痛に、竜をつかむ力をゆるめた。竜は続けてブレスを吐いた。化け物は体の半分近くを溶かされてのたうった。竜から離れると、そのまま海へ落ちてゆく。やがて、巨大な水しぶきを上げて海の中へ沈み込んだ。それを追って、竜は海面に近づいた。
海面に竜のブレスで溶けかけた肉片が浮かんでいる。それはまだ生きていた。うねりながら、ひとところへ集ろうとしている。その下、黒い海の下に巨大な気配を感じて、竜はとびすさろうとした。しかし、間に合わない。黒い海が割れて一まわり巨大になったエイが躍り上がった。その口が竜に喰らいつく。そのまま竜は海中に引きずりこまれた。
水の中では、化け物は本領を発揮できるようだった。驚くほどのすばやさで竜に噛みつき、肉を引きちぎる。竜はもがいた。ブレスで敵を弱らせようとする。
しかし、いくらブレスで傷つけても、次に襲いかかって来る時には、その傷は消え失せている。こころなしか、さらに大きくなっているようだ。竜はあせりを感じた。このままでは自分が滅ぼされてしまう。まずは空へ戻らねば。
竜は空中へ飛びだそうとした。しかし、その動きを読んでいたのか、化け物が飛びかかり、押え込むようにして、再び竜を海中へ沈めた。
竜はその化け物に噛みついた。ブレスを吐く。化け物のヒレが溶けてゆく。
化け物もまた、竜の肩に噛みついた。エイの腹にもう一つの口が開いた。その口はまるでサメのようだった。鋭い歯が幾重にも並んでいる。その口が飢えたようにぱくぱくと開く。
竜はもがいた。だが、その体はエイの体にからめとられた。腐肉のようなその体が、ぬめるように竜を包んでゆく。竜はブレスを吐く。エイの肉は溶けていくが、すぐにその傷はふさがった。
ふいに竜は気づいた。こいつは肉体でしかない。本当のこいつ……本体は別のところにある。それを滅ぼさない限り、こいつは無限に再生するだろう。
だが、その本体はどこだ?
エイの歯が、竜の肉を喰いちぎろうとする。竜はブレスを吐いて、それを押し止める。しかし、いつまで持ち堪えられるだろうか? 竜は死の恐怖に震えた。
* * *
バートはショートソードをかざして、リザンに切りかかった。リザンは呪文を唱えた。しかし、魔力を使いすぎたか、効果はない。あやうく手にした杖で受け流して、床に転がった。
バートは再び踏み込む。リザンは気合いの声とともに手を突き出した。魔力の衝撃にバートは吹き飛び、床にはいつくばった。
二人は起き上がると、再びにらみあった。
リザンはもう一度、呪文を唱えた、エルドースをかざす。電光がバートを襲った。戦士は苦痛の叫びをあげて膝をついて床に突っ伏す。
リザンは空いた手で短剣を抜き出した。バートヘ近づくと、大きく振りかぷった。
バートが跳ね起きた。リザンの短剣を払うと拳を腹に叩き込んだ。
ぐぅっ、と声をあげてリザンは崩れおちた。バートはリザンを押え込み、剣を振り上げ、そして……。
そして……その動きが止った。
リザンを見るバートの顔が、悲しみにゆがんだ。涙がその頬を伝って落ちる。彼はつぶやいた。
「だめだ……できない。俺には……俺にはできない!」
バートは苦しみに息を詰らせた。リザンがかすかに身動きする。バートに呼びかける声があった。
バート、玉座を見ろ。あの上にある「魂」を砕けば、ミルリーフは滅ぶ!
バートは驚いて周囲をみた。そしてその声が、リザンが持つエルドースの声だと気づいた。
早くしろ。リザンが意識を取り戻さぬうちに!
バートは部屋を見た。奥に奇妙な形の台座がある。それが玉座だろう。バートは立ち上がり、それに近づいた。
その上には、真紅の塊があった。バートは怒りにふるえた。忘れもしない! これが、これがリザンを狂わせた元凶だ!
バートは玉座に駆け寄った。憎しみをこめてショートソードを振り降ろす。
「や、止めろーっ!」
リザンの怒りの声が聞こえた。しかし、バートは剣を赤い塊に突き立てた。塊に剣が突き剌さる。同時に、バートの背に激痛と不気味な感触が伝わった。
ミルリーフの魔力に、ショートソードの刃が砕け散った。バートはふりかえった。
怒りに満ちたリザンの顔、その手には、血ぬられた短剣が握られていた。
バートの体から力が抜け落ちた。そのまま横倒しになる。短剣が床に落ちる甲高い音と、リザンの叫びが聞こえたような気がした。
* * *
リザンは茫然とバートを見ていた。彼の背には小さな穴が開き、そこから鮮血が流れ出ている。バートはふりかえると、そのまま崩れ折れた。
脇腹が強烈に熱くなる。その熱さに、リザンは目がさめたような気がした。
なぜ、あれほどに憎んだのだろう。なぜ、自分は怒り狂っていたのだろう。なぜ、力など欲しがったのだろう?
リザンの手から短剣が滑り落ちた。床に当たって甲高い音をたてる。金縛りから解けたように、リザンは身じろぎした。そして叫んだ。
「バート!?」
ひざまずき、兄を抱え起こそうとした。何度も名前を呼ぶ。
しかし、バートは答えなかった。
「僕は……僕は……」リザンはつぶやいた。リザンは今までの出来事はすべて憶えていた。自分が何をしたかも、なぜそのような事をしたかも。
リザンは慟哭《どうこく》した。抑えきれずに泣きふした。動かない兄にすがって泣きじゃくった。
「僕は馬鹿だ! 自分だけを哀れんでいた。自分だけが不幸だと思っていた。僕は自分の弱さに溺れて、悪魔に魂を売ったんだ!」
リザンは顔をあげた。玉座ではまだ、ミルリーフの魂≠ェ、邪悪な光を放っていた。その中央には、バートがつけた傷が深く残っている。リザンはあたりを見回した。そして血にまみれた短剣を拾い上げた。ミルリーフに切りかかった。
短剣はミルリーフを突いた。しかし、傷一つおわせられずに砕け散った。
真紅の塊が光る。リザンは弾き飛ばされると、床に叩きつけられた。脇腹がさらに熱くなる。それを探ったリザンは、ローブの隠しから、小さなお守りを取り出した。
バートからあずかったお守り。あの神狩りの竜≠フ神像をかたどったお守りが、光を放っていた。
リザンは祈る思いで、それをミルリーフヘ向けた。真紅の塊は逃れようともがいた。リザンは玉座に近づいた。させじとミルリーフは魔力でリザンを押し戻そうとする。リザンの体は大きくかしぎ、床に押しつけられた。ミルリーフの怒りととまどいが感じられた。
リザンは床を這うように玉座へ近づいた。玉座に手をかけ、ひきずるように体を起こす。魂≠フ強烈な力に吹き飛ばされそうになって、石の肌に爪をたてた。爪が割れてはがれる。
リザンは祈った。神狩りの竜≠ノ、自分が奪った人々の命に。
たのむ僕に力を! 償《つぐな》いの力を!
リザンは満身の力をこめて、真紅の塊に神像を振り下ろした。
「滅びよ、邪神よ! 滅びよ、僕の邪悪よ!」
閃光がすべてを覆い隠した。
* * *
助けを求める声に応えた瞬間、突然、化け物の力がゆるんだ。その体から、魔力が薄れてゆく。
竜は全身から光を放った。エイのヒレや触手が消し飛ぶ。エイは逃げようとした。それをつかみあげ、一気に空へ飛び上がった。水面を突き抜けて灰色の空へ舞い上がると、のたうちまわるエイにブレスを叩きつけた。
化け物の体は溶けて崩れてゆく。今度はいつまで待っても元通りにはならない。エイは慌てたように逃げ回ったが、急に向きを変えて島へと向かった。
竜はそれを追いかけて、さらに繰り返し、繰り返し、光のブレスをはいた。
化け物は形を失い、崩れながら島に落ちた。這いずりながら島の中央にある建物へ潜り込む。
その建物の不浄さに、竜は怒りを憶えた。すべての力を集めて、光の塊を島めがけて投げ込んだ。
その瞬間、強大な光の力に周囲は白く浮かび上がった。霧が消えた。船の残骸は消し飛び、神殿は砂になった。島はくだけて海に沈んでゆく。
光が消えたあとに残ったものは、広大な海原と、流木や、いくつかの破片だけだった。
竜は身をひるがえすと、己れを呼び出したもののいる場所へ戻った。ガレー船と砂漠の民の船。二隻の船は青い海の中に浮かんでいた。
竜はため息をついた。そして自分の世界へ通じる門をさがしあて、くぐりぬけた。
* * *
シラルムは目を開いた。真っ青な空が見える。日の光のまぶしさに目をしぼたたかせる。一瞬、自分は死んだのだろうか? 死んで妖精界へ還ってきたのか? そう思った。だが、破れた帆をなびかせるマスト、心配気にのぞきこむプラムと、僧兵らしい男に気づいた。
「シラルム?」プラムが呼ぶ。エルフは微笑んだ。
おそらく、とても笑顔とはいえないものだっただろうが、グラスランナーは嬉しそうに笑顔をうかべ、涙もうかべながらシラルムにすがりついてきた。
海は青く輝いていた。空は澄み渡り、白い雲が浮かんでいた。風がここちよく吹き、ただただ、うつくしい情景が広がっていた。
生き残った者たちは、言葉もなく、その景色を見ていた。
「終わったのね?」プラムが尋ねた。
シラルムはうなずいた。終わったんだ。消えてしまった。霧も、船も、化け物も、竜も。そして仲間たちも。
プラムが肩をふるわせた。シラルムは彼女を抱きよせ、そっとなだめた。
縄ばしごと鉤が外された。砂漠の民の船はゆっくりと離れていく。船長が驚いたように声をあげた。
「おい、何のまねだ? 置き去りにするつもりか?」
船べりにツーレとラテリアの姿が現れた。
「心配することはない。君たちの仲間の船が見える。もうすぐ、ここへ来るだろう」
シラルムは手を振った。二人もわずかにだが、手を振りかえしてくれた。
砂漠の民の船は遠ざかってゆく。それとは逆に、北の方から、べつの船が来るのが見えた。マストにひるがえる旗の色でオランの船だとわかった。
皆は喚声をあげた。ようやく戻れるのだ。オランの街に。
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終 章 別れ
とても暗くて深いところに行ったような気がした。それをくぐりぬければ楽になるのが判っていた。だから急いでそこをくぐろうとした。
が、それを止める声がした。
もがいた。向う側へ行きたくて、その声を振りきろうとした。でも、その声はあまりに悲しく、何度も何度も呼ぶ。
そのうち、とても強い力をもった声がそれに変った。それに引き戻されて、どこかへ落ちていくような感じがした。
落ちて、落ちて、落ちて……気を失った。
バートは目を開いた。かすかな風が頬《ほう》をなでながら通り過ぎてゆく。風は開いた窓から入ってきていた。窓の外には深い緑の木の葉がゆらいでいる。木もれ日がきらめいた。
バートは寝台に寝かせられていた。清潔なシーツが心地好い。バートは柔らかな布でできた寝間着を着ていた。
部屋はさほど大きくはない。絵や花が飾られていて、寝台の他には小さな机と椅子があるだけだ。その椅子に誰かが腰掛けていた。
「リザン?」
バートは起き上がろうとした。
ぼんやりと物思いにふけっていたらしいリザンは、慌てて近づくとバートを押しとどめた。
「だめだよ。まだ寝てなくては」
「リザン、俺は死んだのか?」
「あぶないところだった。もう半日、寺院へ来るのが遅ければ、蘇生できなかった」
リザンは微笑んだ。久々の優しい笑みだ。バートはそんなリザンの顔をみて、ほうと寝台へ体をあずけた。
「おまえも無事だったんだ」
バートがいい、リザンは少し悲しげにうなずいた。ややあって、リザンは口を開いた。
「ありがとう、兄さん」
バートは晴れやかな笑顔を浮かべた。リザンの腕を軽く叩く。
「また、一緒に冒険ができるんだな。まぁ、当分は遠慮したいけれど」
リザンは首をふった。「僕は……駄目だよ。もう一緒にはいられない」
「なぜ? 俺はかまわないし、シラルムもプラムも、ガラードも……」
ドワーフの名をいって、バートは気づいた。
「ガラードは? ガラードも助かったのか?」
「バート一人が……精一杯だったんだ」
リザンはうつむいた。
「僕はとんでもないことをしてしまったんだ。これは、たとえ兄さんが許してくれたとしても、他の人は許さない……そして僕自身が許すことのできないものなんだ」
リザンはそういうと、ゆっくり立ち上がった。机に立てかけてあった杖を手にする。黒い魔晶石のはめ込まれた杖。
「兄さんありがとう。兄さんの人生に、大きな祝福がありますように。父さん、母さんをよろしく」
「リザン!」
部屋を出てゆこうとするリザンを止めまうと、バートは立ち上がった。しかし、そのとたん眩暈がして、ふっと気が遠くなった。
目を開けたバートは、二つの顔が心配そうに覗き込んでいるのに気がついた。
「あ、目を覚ましたわ!」
「プラム、静かに。バートは病人なんですからね」
プラムをたしなめたシラルムは、バートを見て笑顔をうかべた。
「気分はどうです? 痛いとか、苦しいとがはないですか?」
「ああ、大丈夫」いいながらバートは、周囲を見回した。
寝台のすぐ横には、開かれた窓があって、微かな風と木もれ日が射し込んでいた。さほど大きくない部屋には、机と椅子があり、絵や花が飾られている。なにもかも、先刻と同じだ。
「ここは寺院なのかい?」
シラルムはうなずいた。「マーファ寺院の治療院ですよ」
そういってエルフはため息をついた。
「本当に信じられない。バートがここにいるなんて」
「俺はいったいどうなったんだ?」
「僕が聞きたいですよ。僕とプラムがオランヘ戻ってくると、マーファ寺院へ来るようにって伝言があったんですよ。慌てて来てみたら、バートがここにいて……」
「俺を、だれがここに運んでくれたんだろう?」
「魔法使いギルドの導師らしいです。それ以上のことは分かりませんでしたし、ギルドも教えてくれませんでしたから」
バートはぼんやりと天井を見た。先刻、リザンに会ったのは、夢だったのか?
大切な事を思いだして、バートは声をあげた。
「そうだ、邪神は? ミルリーフはどうなったんだ?」
「滅ぼされましたよ。神狩りの竜≠ノよって」
「神狩りの竜?」
エルフはうなずいた。
プラムがバートの腕をとった。
「早く元気になってね、バート。そうしないと、せっかくの宴会が終わっちゃうわよ」
「宴会?」
「ええ、生き残りたちのパーティーですよ。今日もかなり盛り上がってましたからね」
「そうか。楽しそうだな」
つぶやいたバートに、プラムがうれしそうに笑いかけた。
「じ、つ、は、いいもの持ってきてるのよ。ほら」
プラムは酒の入っている壺をかかげた。
「病人だからダメだっていわれたんですけど、こっそり持ってきちゃいましたよ」
シラルムはカップを三つとりだした。「ここで宴会の予行をやりましょう」
香りの良い酒が、カップにそそがれてゆく。三人はカップをとった。
「では、乾杯!」
木のカップが音をたてて打ち合わされる。そしてバートはカップを空中にかかげた。目に見えない相手に向かって。
この旅で出会い、別れたすべての者たちへ。ドワーフの戦友へ。そしてリザンヘ。
酒はさほどきつくはなかったが、不思議に体にしみわたった。一気に飲み干した三人は、顔を見合わせて笑い出した。
三人は肩を抱き合い、笑い、そして泣いた。
* * *
オランの街の通りを、馬に乗った一人の青年が通り過ぎてゆく。魔法使いらしく、手には黒い石のはまった杖を持っている。
手綱をゆるめて、馬に歩みをまかせたまま、のんびりと進んでゆく。
やがて、街の一画でお祭騒ぎが起こっているのにでくわした。歌や陽気な音楽が聞こえ、焼いた肉や、パン、さまざまな酒の香りが立ち込めていた。
通りにまで机が出され、その上にはそんな食べ物や、酒の壺、樽が置かれていた。
酒を飲んでうかれた男が、通りがかった青年にジョッキを差し出した。
「よお、兄ちゃんもどうだ?」
青年は困ったように男を見る。彼が答える前に、馬が机の上の樽に顔を突っ込むと、音をたててワインをすすりだした。
「こら、止めないか、ウェブ!」
男は毒気を抜かれたように、ぽかんとワインを飲む馬を見ていたが、堰《せき》をきったように笑い出した。
「こいつはいい。この樽の酒はみんなこの馬のもんだ。いい馬だねぇ。酒好きとは。さては兄ちゃんも、かなりイケルくちじゃないのか? ほら、ぐっと行きなよ」
「あ、あの、これは何の祭なんです?」
「ん、よくぞ聞いてくれましたってんだ。なんでも幽霊船を操って、オランを滅ぼそうってしてた魔神を退治した祝いなんだとよ。それにかかわって、生きて帰ってきたやつらが、奥にいるのさ。どうだ、見にゆくかい?」
「僕は急いでるので……」
「じゃ、行く前に一杯やってけ。ほれほれ」
ジョッキを突き出す男の、嬉しそうな顔に、青年は意を決したようにジョッキをうけとると、それをー気にのみほした。
「お、やるやる〜」
青年はジョッキをかえすと、次を勧められないうちに、そこを離れた。
まだ、名残りおしそうな顔の馬をなだめながら、青年は街の門を抜けて、街道へ出ていった。
青年は一度だけ、オランを振り返った。しかし、その後は二度と振り返らなかった。
[#地付き]「死せる神の島」 下巻 ─完─
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あとがき
[#地から2字上げ]下村 家惠子
その一
ようやく「死せる神の島」(下)をお届《とど》けすることができて、ほっと一安心。
生れて初めての長編小説(それも上下二冊!)を、皆さんに読んでもらえる嬉《うれ》しさと、不安でくすぐったい気分です。
いかがでしたでしょうか?
安田先生からこの本の話があったとき、私はびっくりしました。だって、今までにゲームブックを何冊か書いたことはありますが、小説については青葉マーク≠ナある私に上下二巻の長編小説を書くようにおっしゃったのですから。
本当にびっくりしました。と、同時にムラムラと何か≠ェこみあげてもきました。
「小説かぁ……それも長編。やってみたいなぁ」
この小説は『ソード・ワールドコンピューターRPG――オラン編』のシナリオの小説化でもあります。原案はあるわけですから、とってもおいしい仕事だなぁ〜と、思ったわけですね。(おいおい!)
「はい、やります!」
元気よく承諾《しょうだく》した私でしたが、そのあとが大変。原稿の字数はまちがえるわ、ストーリーは破綻《はたん》しかけるわの大騒ぎ。安田先生の御指導と、担当を受け持って下さった編集さんの御助力がなければ、一体どうなっていたやら……恐ろしいばかりです。
思えば、この小説を書くにあたって、さまざまな人々の協力がありました。安田先生はもとより、ミルリーフ≠ノついてアドバイスくださった水野良氏。コンピューターゲームのメインプログラマーである本多直人氏。キャラクターの性格設定に大きく貢献してくださった米良仁女氏。すばらしいイラスト。特にかわいいプラムを描いて下さった草弛琢仁氏。
そして何より、今、この本を手にしている『あなた』。
本当にありがとうございます。
次回、どういう形で皆さんにお会いできるかわかりませんが、その時はどうぞよろしく。
その二
『ロードス島戦記』のビデオを観《み》ました。
いろいろ意見はありますけれど、やっぱりキャラクターたちが動く≠チてのはいいものですね。うらやましい限りです。
で、『ロードス』を見ながら、コンピューターゲームのスタッフ二人と、こ〜いう話をしてました。
「アニメってやっぱりいいねぇ」
「そやね。けっこう細かいところまで描《えが》いてあるからね」
「なぁ、ソード・ワールドはアニメにせぇへんの?」
「OVAやね。いけるんとちゃう?」
「しっかりとしたもンをつくれば、資料にもなるしね」
「今のアニメのファンタジーって、かっこよさばっかりで、重みがないと思えへん?」
「生活の匂《にお》いがほしいね」
「じゃあ、監督は……?」
「お〜、恐ろしい」
「音楽なんかも、ユーロトラッド風がいいよね」
「リュートやハープを使ったオーソドックスなものがいいよ。変に現代風にするのって、特徴がなくなっていやだな」
「本当のファンタジーをめざせたらいいね〜」
ソード・ワールドのOVA。いいと思いませんか?
『すちゃらか冒険隊』や、シナリオ集、短編小説の登場人物を使ったり、完全に書き下ろしの物語やキャラクターの登場するOVA。
考えれば考えるほど「燃える!」んですよね。
誰かつくってくれないかなぁ……。手紙がいっぱい来たら、つくってもらえるようになるんじゃないかな?
さぁ、みんな! ドラゴンマガジン編集部に、アニメ化のお手紙を出すんだっ!!(笑)
平成二年八月
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ソード・ワールド・ノベル
死せる神の島(下)
平成2年9月20日 初版発行
平成?年?月?日 ??発行
原案――安田均(やすだ・ひとし)
著者――下村家恵子(しもむら・かえこ)
……本文はママ。挿絵・あとがきを追加。ピョ