死せる神の島(上)
原案:安田均
著 :下村家恵子
アレクラスト大陸南東の都市オランに、若き冒険者たちのパーティがいた。
戦士のバート、魔法使いのリザン、エルフの|精霊使い《シャーマン》シラルム、グラスランナーの女性であり、レンジャー・シーフのプラム。
四人の若者たちは、冒険中に手にいれた飾《かざ》りものの剣がきっかけで、つぎつぎ新たな試練《しれん》に直面する。
ドワーフの鉱山《こうざん》、砂漠の民の遺跡《いせき》、古代王国の監獄島《かんごくとう》、そして〈墜《お》ちた都市〉レックス――。
さまざまな冒険をくりひろげる冒険者たちの前に、しだいに巨大な謎が姿を現わしはじめた!
コンピュータ・ゲーム版『ソード・ワールドRPG』原作長編。
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目 次
フォーセリア・創世《そうせい》の詩
序 章 悲劇《ひげき》、そして出会い
第一章 神像の斧《おの》
第二章 砂漠《さばく》の民
第三章 消えた商船
第四章 堕《お》ちた都市
間 章 新しき司祭
あとがき 安田 均
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フォーセリア・創世の詩
太古、世界には独りの巨人がいた。
彼は唯一であり、彼の他には無だけがあった。
かの巨人を偉大なる一つ≠烽オくは万物の始祖≠ニ呼ぶ。
巨人の死によってすべては生まれ出でた。
巨人の肉体は大地となり、息は風に、血は海に、悲しみにいきどおる心は炎となって、世界をつくりあげた。
こうして我らが世界フォーセリア≠ヘ誕生した。
巨人の体からは、また数多くの神々が生まれた。
巨大なもの、小さなもの、強きもの、弱きもの。
多くの神々が生まれたばかりの世界に形を与えた。
神々は混沌によどむ大地を、風を、海を分かち、三つの世界をつくりあげた。
一つは精霊界
一つは物質界
そしてその二つを結ぶ妖精界
精霊、妖精、植物や動物、あらゆる生き物がそれぞれの世界で生まれた。
生き物は神々と共に世界を形づくっていった。
この幸福に満ちた時代を「神話の時代」と呼ぶ。
世界の創造が終わった後に訪れたのは、神々の争いであった。
理由もわからぬ争いは、光の神々と、闇の神々、そしてそれぞれに仕えるものとの大きな戦いになった。
そしてそれは世界にあるすべてを巻き込む大戦争となった。
多くの神々は肉体を失い、さらに多くの生き物が滅び去った。
美しき神々の時代は終わりを告げた。
その混乱の中から一つの王国が誕生した。それが後に古代王国≠ニ呼ばれることになるカストゥール王国≠ナある。
カストゥール王国は神々の力を受け継ぐ、偉大なるルーン・マスターたちによって治められた。
ルーン・マスターが操る魔力は都市を空に浮かべ、幻《まぼろし》によって人々を養い、精霊をしたがえて楽園をつくりあげた。
偉大な知性によって治められた王国は終わりを知らないかのようだった。
しかし、その王国を支える魔力が暴走を始めた時、魔法の王国はなすすべもなく滅び去った。
一千年の繁栄、強大なる古代王国の滅亡。
王国が滅びたのち、世界を治めたのは王国にあっては、卑しい身分とされた奴隷や蛮族だった。
魔術を操る力は弱いが、強靭《きょうじん》な生命力にあふれた彼らは新たな国々をつくり、今にいたっている。
彼らは剣の力によって、国を世界をつくった。よって今の時代を「剣の時代」
ソード・ワールド≠ニいう。
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序 章 悲劇、そして出会い
部屋の中は暖炉の明りで赤く照らし出されていた。だが、火は灯されたばかりらしく、部屋はさほど暖まっていない。薪《たきぎ》の弾ける音と煙の匂いが快《こころよ》い。バートは胸に抱いた形見の大剣を抱えなおすと、その明りの中に踏み出した。
暖炉のそばには杖を手にした少年が立っていた。
歳はバートとほとんど変わらない。気の弱そうな、大人しい顔がバートの方を向く。その顔に、不審とかすかな恐怖の表情が浮かんだ。だが、それはバートの後ろに立つ人影を見ると安堵にほころんだ。少年が言った。
『父さん、母さん、うまくいった?』
バートの後ろから、二人の戦士が進み出た。男の方がバートの背を押して、少年の前へ連れていく。そして言った。
『彼は今日からおまえの兄弟だ。仲良くやるんだぞ』
『え?』少年はとまどったように、バートを見る。バートは息をついて、重い剣を抱えなおすと手を差しだした。
『僕はバート。よろしく』
相手も慌てて手を差しだした。
『ぼ、僕はリザン』
二人はとまどいながらも、しっかりとした握手を交わした。
* * *
バートの父親は傭兵《ようへい》あがりの冒険者だった。
小さかったバートには、父はまさに見上げるような巨漢で、頼もしい人だった。
大きな手、太い手足は力を入れると岩のように堅くなる。肩幅は広く、太い首の上には、顎髭《あごひげ》に包まれた顔があった。
その顔は本当に様々な表情を見せた。だが、涙を見せたのは一度きりだった。母が死んだ時、誰もいなくなった部屋で、母の手をとって肩を震わせていた。ただその時だけだった。
母を失った後、バートはその無骨ではあるが、たくましく勇敢な父の手で育てられた。
バートが剣を持てるようになると、父は待ちかねたように、彼を連れて冒険の旅に出た。海も凍る北の村を去り、奇妙な砂漠のそばをよこぎる。いくつもの村や町を抜け、にらみあう国々や、孤高の都市、滅びた街、古代の遺跡をめぐった。
幼《おさな》いバートには、すべてが目新しく新鮮であった。人混みの町中や、野宿の時の気の遠くなるような闇の静けさの中。広々とした草原や、天へ届けと伸びる遺跡の尖塔。そのすべてには、どこかに何かの秘密が隠されていた。
バートの父は、息子に自分の知る大きな秘密を話して聞かせ、バートは父に自分の見つけた小さな秘密を語った。
少年には父の語る多くの事は、ほとんど理解できなかった。父と共に通ってきた地名や国の名も、ほとんどを忘れてしまった。
しかし、草や木の名とそれから得られる物、動物の名と狩りのやり方、モンスターの名と戦い方、そういった冒険者の知恵は、日々の中で彼の中に自然と蓄えられていった。
そして父はバートにゆっくりと、時には身をもって、男として戦士としての勇気と、自分に恥じることのない生き方を教えていった。
『自分の生き方を見つけるんだ。自分の本当に望むもの。命を賭けても惜しくないものを探すんだ。見つからなければ自分で創れ。そしてそれを握って、決して離すな』
『父さんは見つけたの?』
バートの問いに父は微笑む。
『ああ、見つけた』
『なに? それは何なの? いま持っているの?』
目を輝かせるバートを、父はじっと見おろし、大きな手で頭をなでる。そして言った。『持っている。いま、この手にな』
その言葉の意味に気づくまで、バートは長い時間がかかった。そしてその意味がわかった時、父はすでにこの世にいなかった。
その時、バートと父はグロザムル山脈にある小さな村にいた。そこは南からやってくる|とかげ人間《リザードマン》の襲撃にあっていた。父とバートはリザードマンを倒すため、村人と共に、リザードマンの住む沼地へ向かった。村人のほとんどは戦いの経験がなく、わずかに一組の冒険者の夫婦がいただけだった。
戦闘は激しいものだった。多くの村人が傷つき倒れた。が、それ以上のモンスターを倒した。沼にたくさんの死体が倒れ込んでは、泥の中へ沈んでゆく。村人はリザードマンを追いつめた。
しかし、リザードマンのリーダーは、虫の息の村人を捕まえて人質にした。
『武器を捨てろ!』
爬虫類《はちゅうるい》の命令に、人々は苦《く》悶《もん》の表情で武器を落とした。父もバスタード・ソードを手放す。大きな剣がゴトリと倒れた。バートも剣を放った。
逃げだしかけていたリザードマンたちが、再び周囲に集まる。張りつめた空気の中、急に父が叫んだ。
『人質が死んだじゃねえか!』
すべての目が人質の男に向けられた。その一瞬をついて父が走り出た。それに気づいたリザードマンは、人質を放すと逃げようとする。父はとかげ人間に飛びかかると、組みふせ短剣を突きつけようとした。だが、太い尾が足をすくう。リザードマンと父はもんどりうって沼に転がり込んだ。水音とともに、泥がはねあがる。もつれあう人影がその中にのみこまれる。
『父さん!!』バートは父に駆け寄ろうとした。父の大きな剣を拾い上げて胸に抱え込む。
だが、そうやっているうちに、周囲の人々が動きだしていた。二人の戦士が剣を取って走り出す。村人がおたおたと武器を拾い上げる。バートの目から父の落ちた沼が見えなくなった。それは運命のくれた、ある種の慈悲だったのかもしれない。
戦いはすぐに終わった。リーダーを失ったリザードマンは散りぢりに逃げだした。バートは人々の間をぬって沼に駆け寄った。だが、父の姿はなかった。二人の戦士が悲痛な表情で、沼と立ちつくすバートを見ていた。
戦士の一人、男の方が口を開いた。
『すまない……間にあわなかった』
バートはぼんやりと男を見た。父によく似た戦士だった。ただ、父はバートと同じ金髪だが、彼は栗色の髪をしている。彼はじっとバートを見た。
『彼は最後まで戦いを止めようとしなかった。沼の中では人間はリザードマンにかなわない。だが君の父さんは、あのモンスターを倒したんだ』
もう一人の女戦士は目をそらした。彼女の目に光るしずくが現れて、頬《ほお》を伝って流れ落ちた。
バートは沼に目をやった。沼は何もなかったかのように静まり返っている。ただ、思いだしたように、小さな泡が現れては弾けた。
バートは剣を落とした。そして叫んだ。信じられなかった。あの父が、あの強くたくましい父が死ぬなんて!
沼へ駆け寄ろうとしたバートを男が止めた。バートはもがいた。沼の泥をかきだすつもりだった。父があそこにいるなんてウソだ。確かめてやる。だが、彼を押さえている腕は頑強だった。
バートは空しくもがいた。もがいているうちに涙があふれてきた。次第に父の死が胸に押し寄せる。やがて少年はうなだれ、すすり泣いた。
『すまない……すまない!』
男がかすれるような声で言った。彼の妻が力を失ったバートを抱き寄せる。優しい抱擁《ほうよう》と涙に濡れた頬を感じて、バートは声をあげて泣きじゃくった。
激しい悲しみが過ぎたあと、バートはぽつりぽつりと今までの旅の話をした。二人の戦士が聞きたがったのだ。
話は何度も途切れた。そのたびに二人はバートをはげまし、彼が話し出すまで待ち続けた。
バートが話し終わると男はうなずいた。そしてバートの顔をのぞき込むように言った。
『バート、私の家に来てくれないか? 私の家にも君と同じぐらいの息子がいる。体が弱く、友達も少なくて寂しがっている。君が来ると喜ぶだろう』
バートは男を見上げた。そしてもう一人の戦士、彼の妻を見た。女戦士は優しくうなずいた。
『お願いするわ。来てくれますか、バート?』
バートはうつむいた。そしてややあって小さくうなずいた。
バートは二人の家に案内された。小さな家だが二年間、宿や野宿で暮らしていたバートには、なにやら不思議なものに見えた。煙突からは、すでに暗く紺碧《こんぺき》に沈んだ空へ煙がたちのぼっている。
「さあ、入ってちょうだい。ここがあなたの家になるのよ」
新しい母の声にとまどいつつ、バートは扉に手をかけた。
* * *
部屋の中は暖炉の明りで赤く照らしだされていた。だが、火は灯されたばかりらしく、部屋はさほど暖まっていない。薪の弾ける音と煙の匂いが快い。バートは胸に抱いた形見の大剣を抱えなおすと、その明りの中に踏み出した。
暖炉のそばには杖を手にした少年が立っていた。
歳はバートとほとんど変わらない。気の弱そうな、大人しい顔がバートの方を向く。その顔に、不審とかすかな恐怖の表情が浮かんだ……。
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第一章 神像の斧
「おやじ、話がちがうじゃねぇか! 約束では一人百五十の、全部で六百|銀貨《ガメル》払ってくれる約束だったろう!?」
その声に店の中にいた冒険者たちは、何事かとカウンターに目をやった。
薄汚れたカウンターに身を乗り出すように、一人の青年が店主に向かってどなっていた。青年の背には大振りのバスタード・ソードが背負われ、身につけたアーマーは、ほどよくくたびれている。
まだどこか幼さを残した顔は、不条理な出来事に赤く染まっており、全身からは俊敏《しゅんびん》な馬に似た、若さと力がわきだしている。
その青年の後には、仲間らしい魔法使いの青年が、おどおどと様子を見ていた。
一方、カウンターの向こうにいる店主は、年老いており丸腰だった。しかし腕や胸の筋肉は未だ衰えておらず、全身からは貫禄がにじみでている。店主と青年の間には、銀貨の入った革の袋が置かれていた。
「取って帰ってきた品物が、ちょっと欠けていたからって、半額の八十ガメルはないだろう!?」
青年は青筋を立てんばかりの剣幕だったが、店主の方は平然と、どこか楽しげに若い冒険者を見おろしていた。
どなる青年の後ろで、肩身のせまい思いをしていた、もう一人の青年が声をかけた。
「バート、やめるんだ。約束の品物を壊してしまったのは、僕たちの落度なんだ。仕方ないよ」
バートもリザンも、あの出会いの日から大きく成長していた。バートは実の父、そして育ての父同様の戦士として。リザンは魔術を自由に操る魔法使いとして、腕前を上げていた。
二人は村を出て冒険者となっていた。小さな村では学べるものは少ない。そのことを実感している両親が送りだしたのだ。
二人はグロザムル山脈のふもとにあった故郷の村を出ると、まっすぐオランヘ向かった。オランで仲間を見つけ、すでにいくつかの冒険もこなしてきたのだった。
今度の仕事はさほど難しいものではなかった。ゴブリンに奪われた魔法の鐘≠取り戻すだけだったのだ。しかし……。
バートは振り返ってかみついた。
「あれが壊れたのは、ゴブリンのボスのせいじゃないか。俺たちが壊したわけじゃない! くそっ、あのボスが自分の仕掛けたワナにはまって押しつぶされなきゃ、無傷で取り返せたんだ!」
「そうだけれど……」リザンはバートの剣幕にひるんだ。落ち着いた、言い換えれば引っ込み思案なリザンが、バートの剣幕にかなうわけはない。
「よぉ若いの。立場を変えて考えろや」店主がのんびりと言った。
「取り返してくれ、と頼んだ品物が壊れて戻ってきて、おまえは約束通りの金を払う気になるか?」
バートはぐっと言葉につまった。
「本当なら半額以下の六十ガメルぐらいしかもらえないところを、八十ガメルにしてもらったんだ。感謝するのがスジってものだ」
「……しかし」
「世の中、いつもうまく行くわけじゃない。その事を勉強できたと思うこった」
店のおやじは、カウンターの上にある、ガメル銀貨の入った革袋を押しやった。バートは憎々しげに袋をにらみつける。
「……わかったよ!」
ひったくるように革袋をつかみあげた。
* * *
賢者の街にして、アレクラスト最大の都市オラン。北に古代王国の遺跡「レックス」を望み、南には大きな港を持つ。
中央には華麗なる王城がそびえ立ち、それを守り慕《した》うように、至高神ファリス、大地母神マーファ、知識神ラーダ、戦神マイリーのそれぞれの神を祭る四つの神殿。そして魔法使いギルドの「三角塔」が建っている。
町を流れるハザード川には、数えきれないほどの、はしけが行き来している。大通りにも、裏通りにも人々があふれ、都市は活気に満ちている。
その活気を支えているのは、この町に多く集まる冒険者たちであった。
「堕《お》ちた都市」の異名を持つ「レックス」は、現存する古代王国の遺跡の中では、最大の物といわれている。そのレックスのそばにあるここオランは、一攫千金《いっかくせんきん》を夢みる冒険者たちの拠点として有名であった。
冒険者たちの本拠となる「冒険者の店」も数多い。老舗《しにせ》と呼ばれる店で三つ。もぐりの店まで入れれば三十を超えるかもしれない。冒険者の店の周囲には、冒険者目当てのマーケットが建ち並び、独特の裏通りを形づくっていた。
その通りをバートとリザン、そしてエルフの若者とグラスランナーの少女が連れだって歩いていた。
先頭を歩くエルフは機嫌よさそうに鼻歌を歌っている。エルフの好む緑と青に染められた革鎧を身につけており、腰にはショート・ソードを下げている。しかし、戦士や野伏《レンジャー》というよりは、どこかの道化者が遊びほうけているように見えるのだ。
「そっこのお嬢さぁん。冒険者ぁ? ネ、今度ぼくと冒険しませんか? 僕が手取り、足取り冒険者の極意をおしえてあげますよ……。わ、わ、わぁ!?」
エルフは間抜けな声をあげて、ひっくりかえった。見るとグラスランナーの少女が、ショート・ソードで彼の足をすくったのだ。
「あら、ゴメンなさいね、シラルム。手が滑っちゃった」
「いててっ、これで四回目じゃないですか。矢は落とす、足は踏む、うっかり突き飛ばす、で、今度は剣で僕を転がす。全部、僕が女の子とおしゃべりしてる時ばかりじゃないですか」
「じゃあ、女の子とおしゃべりするのを止めてはどう? きっと運がよくなるわよ」
怒ったふりをして、にらみあったエルフとグラスランナーは、すぐさま吹き出して笑いだした。
グラスランナーの名はプラムという。ぱっと見ただけでは人間の少女にまちがえそうだが、彼女はれっきとした成人の女性だ。身長は一メートルそこそこしかないが、グラスランナーの女性の中では高いほうだ。
グラスランナーというのは、この世界、特にアレクラスト大陸では、ごく一般的に見られる種族だ。身長は一メートル前後の小人族で、気まぐれな旅人である。村で定住することはなく、一生のほとんどを旅に費やす。性質は陽気で考えなしだといわれている。
プラムとシラルムのこのようなやり取りは、いつものことであり、二人はそれを楽しんでいる。ひょろ長いエルフの青年と、小さくてかわいいグラスランナーのやり取りは、どこか道化めいて、見ていて楽しい。
やや後ろを歩いていたバートは、むすっとした表情でそれを見ていた。先刻のことが、まだ納得できないのだ。いや、納得はできるのだが、命をかけてやった冒険が無駄にされたように感じていた。
並んで歩いている魔法使いのリザンは、エルフとグラスランナーを見ながらくすくすと笑っている。
「やっぱり腹がたつ!」
バートは不平をもらした。その声にプラムが振り返った。
「店を出てからずっとそれじゃない。バートらしくないわよ」
同じようにシラルムも振り返り、服をはたきながら笑いかける。
「バート、いいじゃないですか。三百二十ガメルあれば、一週間は宿に泊まれる。別の仕事を見つけるには十分ですよ」
「シラルム、おまえはくやしくないのか?」
バートの問いにエルフは笑顔のままうなずいた。
「生きて帰れて、お金ももらえた。ゴブリンの巣では宝物も手に入った。万々歳じゃないですか」
「宝物って、ゴブリンが持っていた小さな剣の飾り物か? あれが値打ち物には見えなかったがな」
バートはなかなか機嫌をなおさない。リザンが言った。
「僕が調べた限りでは、わずかながら魔力があったから、最低でも百ガメルにはなるはずだ」
「たったの百じゃないか」
「一ガメルを笑う者は一ガメルに泣く≠チて言うわよ」
グラスランナーがおどけてみせた。エルフが相づちをうつ。
「プラムの言う通りですよ。それに交渉しだいでは、もう少しは値があがるかもしれませんよ。ほら」
エルフはくるりと前へ向きなおると、一件の店を指さした。
「あそこが僕のいっていた店ですよ。あそこなら、ギルドじゃ買ってくれないような物でも、高く買い取ってくれるんです」
シラルムが示した先に、小さな店屋があった。まだ新しい看板がかけられている。店の名は奇跡の店≠ニあった。
* * *
店の中は様々な品物に満ちていた。短剣や杖、鎧やブーツ、ロープなどといった品物もあったが、大半が使い方も名前もわからないようなガラクタばかりだ。だが、店はけっこう繁盛しているらしい。
「おやじさん、おひさしぶり」シラルムが声をかける。奥から痩《や》せて頭のはげ上がった男が現れた。
「おお、シラルムか。相変わらず、調子がよさそうだな。で、今日は何の用だ?」
「これを見てもらえませんか?」
リザンが懐《ふところ》から包みを取りだした。解くと中から長さ三十センチほどの、小さな剣が現れた。三日月のように刃がそった曲刀で、柄《つか》には小さなルビーがはめ込まれている。そして刃には文字らしい文様《もんよう》が一面に彫り込まれていた。
店のおやじは剣を受け取ると、熱心に調べ始めた。
「これは……どこで見つけたのかね?」
「ゴブリンの洞窟にあったんだ。リザンが言うには、魔力がかかっているらしいけど、いくらになる?」バートが尋ねた。
「そうさな、百か三百のどちらかだな」
「なんだよ、その値段の差は?」
「わしはちょうど、ある物を探しているんだ。それを探してきてくれるなら三百ガメル。いやなら百ガメルで買い取ろう」
「ひでぇ商売しやがる!」
バートは声を荒げた。リザンも同意し、プラムは頬をふくらませた。しかしシラルムだけは笑みを浮かべると言った。
「おやじさん、また何かたくらんでるんでしょう?」
「まあ、これを見てくれるか?」
おやじは奥へ引き下がると、一つの像を持って現れた。
奇妙な像だった。黒い石から彫り出された肌が、明りを受けて濡れたような光を放つ。その姿は男とも女ともとれない。半裸で首や手足には豪華な飾りがついている。端正にして美しい顔は不気味な文様でくまどられ、薄く開かれた唇は、あざけりに似た冷笑を浮かべている。目はつり上がって半眼。その瞳の奥から何か邪悪で冷たい炎がのぞき見えるような気がして、バートは鳥肌がたつのを感じた。
髪は炎のようにさかだっている。腕は七本あり、曲がりくねりながら四方へ差しだされている。腕はおのおの何かを持っていたようだが、今は棒切れと弓と鎚が残っているだけだった。
おやじは先刻の剣を彫像の手にはめ込んだ。それはピタリと収まる。
「そいつは……?」バートが問いかける。
「だいぶん前に幸運のお守りだと言って、持ち込んできたやつがいたんだ。正真正銘の本物の神像だ」
「幸運の? 俺には気味の悪い邪神像にしか見えないな」バートは顔をしかめる。
「何か由来でもあるのですか?」リザンは食い入るように像をながめた。
「くわしくは知らんが、カーン砂漠に住む蛮族に関係があるらしい。蛮族の守り神を祭る像で、本来は七本の腕すべてに何かの武器があったらしい」おやじは像の手を示した。
「あと、台座に上位古代語で文が彫ってある。すり減っていて全部は読めんが、大体はこうだ。
光と闇争うとき、我は現れ出でた。おろかな……≠アの辺りははっきりと読めん……を滅ぼし、わが主であり、民の国を守り築く。時すぎて我は眠る。再び我が力に……。我が武器を揃えよ。まこと、その時、我の目覚めるにあたいするなら、我は……目覚めさせし者。その望みかなえられるであろう≠ニ、ここまでだな」
「あの折れた棒はなぁに?」プラムが指さす。
「おそらく斧の柄だと思う。剣と弓、鎚の三つがそろったが、まだ四つも残っている。そこでさっきの話なのだが、頼みというのはこの像に合う武器を捜し出してほしいんだ」
「捜すといっても、何か手がかりはあるのか?」
「斧がどこぞのドワーフの村にあるといううわさを聞いたことがある」
「うわさだけじゃいま一つ信用できませんね」と、シラルム。
「斧があるかどうか、確認してくれれば、この剣は三百ガメルで買い取ろう。斧があり、それを持ち帰ってくれたなら、剣とあわせて六百ガメル……いや、七百二十出そう。一人頭百八十だ。どうだ?」
「そうだな……俺はかまわないが」バートは仲間の顔を見回した。全員がうなずく。
「ではとりあえず剣は……百ガメルであずかっておこう。吉報を待っているよ」
おやじはうれしそうに笑顔を浮かべた。
* * *
竜はまどろんでいた。物質は一切存在しない光と音と流れに満ちた世界。竜はその中で心地よい流れに身をゆだねて眠っていた。
だが、遠くから小さな音が竜を呼び起こそうとしていた。ずいぶん以前に竜がいた世界から、その音は響いてくる。竜は物《もの》憂《う》げに音に意識を傾けた。軽やかな三つの音が和音となって響く。だが、それはごく小さな音であり、竜の気持ちを呼び起こすには弱々しすぎた。
竜は周囲から音を締め出すと、再びゆるやかなまどろみに落ちていった。
* * *
この国には多くのデミヒューマンと呼ばれる者たちが住んでいる。一般によく知られているのは、ドワーフ、エルフ、グラスランナーである。
彼らはもとは妖精界≠ニ呼ばれる世界の住人だったが、神々の時代にこの世界──物質界という──へやってきて以来、人間たちと共に暮らすようになったのだ。
昔は人間とデミヒューマン、そしてデミヒューマン同士での争いが絶えなかったという。今も小さなこぜりあいはあるが、昔のような戦争ざたになることはまずない。
オランのスラムに近い、デミヒューマンたちの冒険者の店。ここには多くのドワーフ、エルフ、エルフと人間の混血であるハーフエルフ、そしてグラスランナーがたむろしている。
奇跡の店≠出たバートたちは、斧の情報を得るため、この店を訪れた。
斧はドワーフの武器であり、そういう物ならドワーフに話を聞くのが一番だろう、というリザンの提案である。
店の中にドワーフはたくさんいたが、ほとんどがオランの中に住むドワーフであり、オランの外の情報を知るものはなかった。だがやがて、店の片隅で酒を飲んでいる、冒険者のドワーフを見つけることができた。
「ああ、そんな斧の話を聞いたことがあるな」
あっさりと答えるドワーフに、バートは驚き、意気込んで尋ねた。「それはどこだい?」
もじゃもじゃの髭と、髪の毛に埋もれそうな中から、小さな目がバートを見かえす。ドワーフはのんびりとビールをあおると、髭に残ったしずくを払った。
ドワーフは革と鉄でできた鎧を身につけていた。頭には額飾《ひたいかざり>りをかねた、牛の角をかたどった銀色のバンドをはめている。かたわらには、テーブルにもたせかけるように、大振りのグレートアックスが置いてあった。
店のどこかでわっと歓声があがった。見ると若いハーフエルフと人間の戦士がにらみあっている。どちらも剣に手をかけ、険悪なムードだ。周囲の客から野次が飛ぶ。
振り返ったバートは、その場の空気にムズムズと血が沸き立つのを感じた。自慢ではないが、ケンカには自信がある。故郷の村でも一目おかれる存在だったし、冒険者となっても負けた記憶はわずかだ。まあ、酒の上でのケンカだから忘れているだけかもしれないが。
ドワーフもそちらへ目をやったが、物憂げにテーブルヘ向きなおった。そして口を開いた。
「わしの村、トルガにそんな斧があったはずだ。幸運のお守りだとか言って、村長が大事にしていたはずだ」
「本当?」プラムが明るい声をあげる。「ねぇ、すぐに行きましょうよ」
ドワーフはちらっとプラムの方を向いたが、急にその表情がけわしくなった。そして怒りの声をあげるとグラスランナーめがけて飛び出した。突然のことにプラムは小さな悲鳴をあげて身をすくめる。
ドスツと鈍い音が響いた。ドワーフの大きな手が、よろめきながら倒れ込んできた男を張り飛ばした。さきほどの人間の剣士だ。ドワーフはどなった。
「このトンマ野郎ども! ケンカなら外でやりやがれっ!」ドスのきいた声が店に響く。
張り飛ばされた剣士は、うなり声をあげながら立ち上がった。
「なんだときさま、よくもやりやがっ……」その言葉は、ドワーフの顔を見ると立ち消えた。
「なんだ、この雄牛のガラード≠ノ文句があるってのか?」
ドワーフが一喝すると、剣士はあとずさった。そして何やら口の中でもごもご言っていたが、そのまま逃げるように店を出ていった。気がつくと、もう一人のハーフエルフも姿を消している。
事のなりゆきに、バートはア然とした。残りの客たちは、もっと続けさせればよかっただのと文句を言ったり、こうなって当り前だと言いたげにうなずいていたりする。
バートはドワーフを見た。彼は何事もなかったようにジョッキを傾けていた。
「あ、ありがとう!」プラムが言う。
「あんた、すごいんだな」
バートの声にドワーフはくだらなそうに、ふんと鼻を鳴らした。そしてジョッキに残っていたビールを一気に飲み干すと振り返った。
「おまえらトルガヘ行くなら、わしも同行させてもらおう。わしの名はガラードだ。まさか、一緒に行くのはいやだとは言わないだろうな?」
「あ、ああ、そりゃもちろんだけど……」
バートの返事を聞くと、ガラードはアックスを背負ってさっさと店を出ていく。バートたちは顔を見合わせると、ドワーフの後を追って店を出た。
* * *
東の大都市オランからは街道が何本も広がっている。その中でも大きな街道は、オランからアレクラスト大陸を横断して、西のパルマーヘ至る自由人の街道≠ナある。この他にも南東のカゾフヘ行くもの、北東のパダへ行くものの二本の本街道が通っている。
バートたち一行はその大きな街道からはずれて、細い道を北西へ進んでいった。草原と森が何度も入れ替わりながら、行く手に広がっている。はるか彼方にはエストン山脈が横たわっていたが、その姿は日に日に大きく高くなった。
彼らが旅を始めて十日がたつ頃には、エストン山脈は目の前にそびえたち、なだらかな山道がバートを誘っていた。
ガラードはバートたちを率いて山道を登っていった。エルフのシラルムやグラスランナーのプラムは平然と登っていく。また、バートも重い装備品を背負いながらも、同じペースを保っている。しかしリザンには辛い登山となった。
リザンは急な上りになるたびに、何度も息をつまらせた。そしてそのたびに自分自身に悪態をつく。
見かねたバートやガラードが手を貸そうとするが、リザンは首を振ってそれを断わった。
そんな小休憩の時、プラムが山道の下の方を指さした。バートは下を見おろす。はるか下の道に小さな人影が動いている。最初は冒険者か、近くの村の人が狩りにでも来ているのかと思ったが、どうも歩き方がおかしい。
同じようにのぞき込んだシラルムは、顔をしかめた。「あれはゴブリンだ」
「なに!? ゴブリンだと!」ガラードは鼻息も荒く下を見おろす。そして怒りのうなり声をあげた。
その声が聞こえたわけではないだろうが、ゴブリンはそそくさと、森の木々の陰へ姿を消した。ガラードは腹立たしげに言った。
「昔はこの辺りには、あんなやつらはウロウロしておらんかったわい。どうせこの辺りの洞窟に巣を作っておるのだろう。村へ戻ったら、仲間を連れて叩きつぶしに行ってやる」
その後、ゴブリンの姿は現れなかったが、ガラードの機嫌はなおらないままだった。
悪戦苦闘の一日の終わり近く、ガラードが行く手を示した。森が切れ、巨大な谷が見える。そこにはいくつもの洞窟があり、何人ものドワーフたちが行き交っていた。
「ここがトルガの村ね」プラムが目を輝かせる。
「僕が行っても大丈夫かな?」エルフであるシラルムが心配気にガラードに尋ねた。
森に住み風と水を愛するエルフ族と、洞窟に住み火と土を愛するドワーフ族は、互いに相いれない者同士だと言われている。ガラードは笑い声をあげた。
「大丈夫だ。そんなバカなやつは、わしが礼儀を教えてやる」
谷の入口には大きな門があった。しかし、門番はガラードの姿を見ると門を開いた。
「これはすばらしい……!」リザンが感嘆の声をあげ、バートも息をのんだ。
谷は思いがけない美しさに満ちていた。象牙色から赤茶色の間の色に染まった小さな谷は、一つの彫刻となっていた。エルフの村や町の美しさは多く語られているが、ドワーフの彫刻の腕によって磨き上げられたこの谷は、それらエルフの町に負けるとも劣らぬ場所に思えた。
村長のもとへ案内される道すがら、バートたちは周囲にみとれていた。巨大で重厚なアーチ。精巧な文様の刻み込まれた丸天井。地下水の吹き出す噴水と水路。
「わあ、魚が泳いでる」プラムが水路に手を入れたが、水の冷たさにキャツと声をあげた。
たいまつやランプはなく、水晶のはまった明り取りの窓や、ほたる石≠ニ呼ばれるめずらしい石の柱から放たれるやわらかな光が、周囲を照らしだしている。
金銀財宝のようなハデハデしい豪華さはないが、落ち着いた心に染み透る美しさがあるのだ。
「どうも僕はいままでドワーフを誤解していたような気がする」リザンのつぶやきにバートも同意した。
間もなくバートたちは一つの広間で待つように言われた。ほどなくして、二人のドワーフにつきそわれて村長が入ってきた。ガラードは村長に近づき、二人は再会のあいさつを交わした。
「元気そうでなによりじゃ。グドンの子、ガラード。斧の腕前も上がったようじゃな。よく帰ってきてくれた。我らが神、ブラキ様に感謝を」
「ブラキ様に感謝を」ガラードが応える。
続いてガラードがバートたちを紹介してゆく。村長はうなずいた。
「あいにくと村は少々とりこんでおるがゝゆっくりとしていかれるがいい」
「あの、斧についてだけどさ……」
「ぶしつけだよバート」
バートをリザンが止める。長老が言った。
「客人がたを部屋へ案内しなさい。ところでガラード、少し話があるのだが……」
バートたちはドワーフの女性に連れられて、一つの部屋へ案内された。部屋は人間やエルフに合わせて造られており、何度か使われたあとが残っていた。
人間サイズの寝台が四つ、床には飾りと滑り止めをかねた細かい文様が入っている。小さいがしっかりとした机と、それに合わせた椅子が四つ。机の上にはほたる石のランプが置かれている。ランプには蓋がしてあり、明りは奥にある小さな窓から入ってくる。窓の外には、一面に広がる深い森が見おろせた。
「食事の用意ができましたら、お呼びしますので」ドワーフの女性は、そう言って去って「ドワーフの村って静かなのね。あたし、もっとにぎやかな所だと思っていたわ。金鎚《かなづち》やつるはし、のみの音がして、あちこちでふいごが動いてるの」プラムがベッドの上を転げ回りながら言った。
「ドワーフの村のぜんぶが鍛冶屋ってわけじゃありませんよ。石《いし》工《く》もいれば革細工や彫物をやっている者もいます。この村は鉱山を持っているようですから、そっちに行けばにぎやかになりますよ」シラルムが言った。
「しかし、それにしても静かすぎないか? 外には何人かのドワーフがいたが、中は気味が悪いほど静かだ」バートは剣を外すとベッドに腰かけた。
「僕もそれが気になっていたんだ」リザンが言う。
「それに村長の様子もおかしかった。ガラードと話をしているとき、もっとうれしそうでもいいのに、元気がなかったようだ」リザンは続ける。「何かやっかい事が起こっているのかもしれない」
「そうだとしても、俺たちにどうこうできるものじゃないかもしれない」バートはベッドに倒れ込んだ。清潔な布の香りが眠気を誘う。バートは面倒くさそうに鎧を外した。
「手助けが必要なら、ガラードが何か言ってくると思う」言いながらベッドにもぐり込む。まだ眠る気はなかったのだが、山登りの疲れと寝床の心地よさが、眠りの精霊を招いたようだ。バートはたちまちのうちに深い眠りに落ちていった。
* * *
夕食は質素ではあったが、味や量は十分に満足できる物だった。酒も色々な物が取り揃えてある。しかし、その場はどこか沈みがちであった。上座についた村長、数人のドワーフ、そしてガラードも口数が少ない。話題があがっても、それは続くことなく立ち消えてしまう。最初は場を明るくしようとしていたバートたちも、やがて黙々と料理をつつくだけになった。辺りには不安の影があった。ドワーフたちには、何か大きな心配事があるようだった。
食事が終わって、ドワーフたちは煙草をふかしはじめた。紫色の煙が、木や石などの様々なパイプからたちのぼる。刺激の強い香りが部屋に広がった。やがて、ガラードが口を開いた。
「村長。私はやはり彼らの助力を求めることを勧《すす》めます」
ガラードの言う「彼ら」が自分たちのことであると気づいて、バートたちは村長の方を向いた。村長は細長い陶器のパイプを口から離した。そして長々と煙をはきだした。それは胸にたまった何かをはきだしているようにも見えた。村長が顔をあげな。
「できうるならば、我々の力でなんとかしたかったが、ここまで来て事態に何の進展もないのは我々の力不足以外のなにものでもあるまい。ガラードが戻ってきた事も、彼が冒険者たちと一緒であったのも、すべてはブラキ神の御心であろう」
「俺たちで力になれる事なら、なんとかするが」バートは仲間を振り返った。シラルムは笑みを浮かべ、リザンとプラムはうなずいた。バートは村長へ向きなおった。「話してもらえるかい?」
村長のこわばった表情が和らいだようだった。「この村は近くにあるバルウィル≠ニ呼ばれる鉱山で成り立っている。バルウィル≠ノはブラキ神の神殿があり、神の火床と伝えられる炎がある。その炎はどんな鉱石をも溶かす聖なる火。その神聖な鉱山に、モンスターどもが押し入った。モンスターどもは司祭を捕らえて神殿を乗っ取ったのだ」
「モンスターってどんなやつら?」プラムが尋ねる。村長のそばにいるドワーフが答える。
「ゴブリンがほとんどだ。だが、頭《かしら》に魔法を操るやつがいる。そいつはゴブリンではないようだが、正体はわからない」
村長が続けた。
「我々は何度となく神殿と司祭を取り返そうとした。しかし、そのたびに敵の魔法に阻まれた。あげくに敵は我々が再び鉱山へ近づいたならば、精霊を使って聖なる炎を永久に消すと言ったのだ。我々は悩んでおる。鉱山を捨てるか、鉱山を取り戻そうとして炎を失うか、もしくは……」
「……鉱山を取り戻し、かつ炎も守るか」ガラードが言葉を続ける。ガラードはバートたちを見すえた。バートはうなずき、リザンヘ目をやった。魔法使いは答えた。
「魔法は封じ込む事ができる。問題はいかに早く気づかれずに親玉の前へ行き着けるか、にかかっているね」
「少人数で中に入り込み、一気にかたをつける。僕たち向けの仕事ですね。相手が精霊を使うなら、僕の力で邪魔ぐらいできますし」シラルムが言う。
「力を貸してもらえるか?」
村長の問いにバートはうなずいた。
* * *
ドワーフたちの山、すなわち鉱山である「バルウィル」。そこはトルガの村から半日の荒れた山間《やまあい》にあった。
山はさほど大きくはない。荒れた山肌の中腹に、鉱山の入口が黒い口を開いている。
「こっちだ」ガラードが示したのは、その入口とは正反対の斜面にある小さな穴だった。
「土砂を捨てる穴だ。ここにまで見張りを立ててはいないだろう」
バートたちはドワーフの後について、小さな穴にもぐり込んだ。外は初夏の太陽のおかげで暑いほどだったが、中はさすがにひんやりと涼しい。ガラードが奥をのぞき込む。うなずいて奥へ行こうと指で示した。リザンが呪文を唱え、杖の先に魔法の光が灯った。光は周囲の洞窟を照らしだす。
細長い洞窟は奥の方で、やや広い空間に出ている。シラルムが先行すると、その暗がりの中をのぞき込んだ。しばらく辺りをうかがうと戻ってくる。
「大きな縦穴があって、それをとりまくように、螺旋を描いて通路がついてます。通路を少し行った所に、ゴブリンが二匹いますよ」
バートはうなずくと、先頭に立って洞窟を進んだ。ガラードが隣に立つ。二人は出口でとどまる。
「ゴブリンまでは、どれぐらい離れている?」
「十メートルありませんよ」
リザンとシラルムが呪文の準備をする。魔法使いのリザンは杖を握りしめ、小さく口の中で呪文を唱える。精霊使いのシラルムは、ひらひらと奇妙に手を動かして精霊を呼び出そうとしている。プラムはしんがりで、矢を弓につがえた。
「いくぞ。一、二の、三!」
バートたちは通路に躍りだした。魔法の明りに照らされて、二匹の妖魔が驚いて振り返った。武器を抜いてはみたものの、かなわないと感じてか、ゴブリンは逃げだそうとする。その足元の土が突然、盛り上がった。先に走っていたゴブリンが、それに足をとられて転がった。もう一匹も倒れた仲間につまずく。その二匹を包むように、ぼんやりとした霧のようなものが現れた。|眠りの雲《スリープ・クラウド》≠フ呪文だ。雲に包まれた二匹のゴブリンは力を失う。バートとガラードがとどめをさした。
「ふん、妖魔めが」ガラードはいまいましげに吐きすてると、通路の一つを示した。「神殿はこっちだ。はぐれるな」
バートたちは坑道の奥へ進んでいった。坑道はいくつもの縦穴とそれを囲む広間を、横穴がつないで広がっていく。そのあちこちにゴブリンの姿があった。ゴブリンたちは好きかってに坑道を荒しており、何度かガラードは怒りのあまり、ゴブリンたちのまん中に飛び出していきそうになった。
ドワーフにとって、ゴブリンなどの妖魔族は汚らわしく憎い敵なのだ。これはコボルトに対しては絶対的な憎しみにまでなっている。何故《なぜ》ならコボルトはドワーフたちが愛する銀を腐らせるといわれているのだ。
坑道のあちこちにあるドワーフたちの仕事場は、ゴブリンによって無惨に荒れ果てている。そのたびに怒り狂うガラードをなだめすかし、バートたちは先へ進んだ。
やがて、ガラードは行く手を示した。そこは広い空間になっていた。そして小さな寺院が建っている。寺院の周囲や中には炎が燃えている。
「あれがブラキ神殿?」
プラムが尋ね、ガラードはうなずいた。バートたちは神殿に忍び寄った。中からは規則正しい鍛冶の音が響いてくる。神殿の中を照らす炎の中に、何人かの人影がゆらいでいる。通路を奥へ行く。神殿の広間では、何人かのドワーフたちが働いていた。彼らの周囲には溶けた鉱石や、精錬された金属のかたまりがある。ドワーフたちはそれを使って様々な装飾品や武具をつくっていた。ドワーフたちから少し離れた所から、武器を手にしたホブゴブリンが見張っている。
「くそぉ、いま助けてやるからな!」ガラードが戦斧を構える。
「待った。ここから飛び出しても、見張りに見つかって騒がれるだけだ」バートはリザンを見る。魔法使いはうなずいた。
リザンは杖をかかげて呪文を唱えた。見張りのホブゴブリンの周囲に眠りの雲が現れる。ホブゴブリンは一瞬ふらつく。バートとガラードが飛び出した。しかし二人の剣が届くまえに、ホブゴブリンは意識を取り戻した。そしてバートたちの姿を見て慌てて神殿の奥へ逃げ込もうとする。
そのホブゴブリンの後ろ頭に、金鎚《かなづち》がうなりをあげて食い込んだ。叫び声をあげようとしていたホブゴブリンは、そのまま前のめりに倒れた。
「思い知ったか。汚らしい妖魔め!」金鎚を投げたドワーフが吐きすてる。銀色の髭が炎の照り返しを受けて紅《あか》く輝いている。鍛冶仕事で鍛えられた腕と肩の筋肉が、岩のように堅く盛り上がっている。ガラードがそのドワーフに呼びかけた。
「ガザンどの、無事でしたか!」
ガザンと呼ばれた銀の髭のドワーフはうなずいた。「わしは大丈夫だ。それより、あのゴブリンの親玉は神殿の奥だ。聖なる炎の近くにおるはずだ」
ガザンは周りにいるドワーフたちを見回した。「わしらも奥にいるやつに恨みをはらしたいが、ここに誰もおらんと騒がれてしまうだろう。わしらはここで仕事を続けるふりをしよう。ガラード、聖なる炎を頼んだぞ」
ガラードはうなずく。バートたちは神殿の奥へ走り込んだ。
ガラードが足を止めた。通路の奥から炎の吹き上げる轟音が聞こえてきた。轟音が響くたびに通路の奥が明るく照らしだされる。
バートたちは通路の角から、炎の燃え盛る広間をのぞき込んだ。丸い円形の広間の中央に、輝く炎の柱が立っていた。それは轟音をたてて脈動している。炎が弾け、何枚ものかけらを周囲にまき散らす。その舞い散る炎の下に黒いローブの男が立っていた。炎の熱も感じないかのように柱のそばに立っている。そして、細長い柄杓《ひしゃく》のような物を、炎の中に差し込んでいる。ややあって柄杓を引き抜き、床の上にその中味をあける。柄杓からは小さなかたまりが転がり出した。それは冷えると黒い宝石のようにきらめいていた。
男はじっとそれを見ていたが、首を振りその石を踏みにじった。男は再び炎に向きなおる。それを狙ってバートたちは部屋になだれ込んだ。物音に振り返った男は、視線を隠すローブを払いのけた。切れ長のアーモンド形の目と尖った耳。
「エルフ……ダークエルフっ!!」相手の正体に気づいたシラルムが叫ぶ。
エルフとダークエルフは宿敵といっていい。ダークエルフとは、かつての神々の争い≠ナ暗黒神に加担した闇の種族をいう。
シラルムは精霊に呼びかけた。ダークエルフの背後の炎がシラルムの呼びかけに応えて大きくうねる。ダークエルフは憎しみの目をエルフに向けた。そこヘバートとガラードが切りかかった。
ダークエルフは懐から何かをつかみ出して床にまいた。そして精霊語で何かを命ずる。床から砂の帯が持ち上がると、バートの足に絡《から》みついた。
「うおおおおぉぉ!!」バートは獣のような叫びをあげる。ひるんだように砂の帯は引き下がった。
ガラードがダークエルフに切りつけた。しかしダークエルフは身軽に戦斧の一撃をかわした。ダークエルフは炎に呼びかける。しかしシラルムの支配下にある炎はダークエルフの呼びかけには応えない。
バートのバスタード・ソードが黒いローブをかすめたが、ダークエルフに手傷を負わせる事はできない。ダークエルフは呪文をシラルムにぶつけようとした。しかしその魔法はエルフの前で立ち消えてしまった。リザンが抵抗《カウンター・マジック》≠フ呪文を唱えたのだ。ダークエルフは杖をかかげる魔法使いを見た。懐に手を入れる。そこに一瞬のすきが現れた。
「うおりぃやぁぁー!!」ガラードの満身の力を込めた一撃!
不意をつかれたダークエルフの体は、その一撃を受けてのけぞった。そして床へ叩きつけられる。戦斧を押さえ込んだまま、ガラードは叫んだ。
「我らが神、ブラキよ。御身の怒りをこの忌まわしいものに与えたまえ! 我に力を!」
押さえ込まれたまま、ダークエルフが体を起こそうとした。そしてまだ呪文を唱えようとする。だがその表情は苦悶に変わり、呪文は絶叫に変わった。ガラードの斧が真っ赤に焼けている。そして突然ダークエルフの体が燃え上がった。助けを求めるように伸ばされた腕も、たちまちのうちに黒ずんで崩れ落ちる。炎を吹き上げてダークエルフの体は燃えつきた。ほんの一、二分で床の上には一かたまりの灰が残るだけになった。
だがダークエルフを押さえ込んでいたガラードは火傷《やけど》一つおっていない。立ち上がったドワーフは小さく祈りを捧げると、斧を引き抜いた。
炎のうねりが止まった。炎の柱は最初にバートたちが見たときと同じ、規則正しい脈動を始める。シラルムが息をついて体の力を抜いた。
「まだ安心はできない。次はここに巣くっているゴブリンを追い出さなくてはならないからね」リザンが言う。
「なに、残りはザコばかりだ。さっさとかたをつけてやるさ」バートが答えた。
ガラードは床の上から、ダークエルフが作っていた石のかけらを拾い上げた。それは黒曜石に似ているが、さらに透明がかっている。中心部にはかすかに赤みがかっている。シラルムが近づいてくると、興味津々といった様子でそれをのぞき込んだ。そして首をひねった。
「精霊石かな?」
「精霊石?」バートも石をのぞき込んだ。シラルムはうなずいた。
「魔晶石と精霊を封じた石の中間的なものですよ。古代遺跡でたまーに見つかるんですけどね。これはたぶん、この聖なる炎の力と魔力を石の中に封じようとしていたんでしょうね」
外から騒ぎの声が聞こえてきた。ガラードは石を投げ捨てると慌てて走りだした。
「いかん、こんな事をしとる場合じゃないんだ!」
バートたちも武器を手にドワーフの後を追った。神殿の入口では鎚《つち》やできたばかりの武器を手にしたドワーフたちが、ゴブリンと戦っている。ドワーフたちは強いが、ゴブリンの数はかなりのものだ。バートたちもドワーフの間に入って剣を振った。
リザンが大声で叫んだ。ゴブリンはとまどったようだった。さらにリザンは奇妙な言葉でゴブリンに呼びかける。ゴブリンたちは互いに顔を見合わせたり、甲高い声でささやき交わした。やがて、ゴブリンたちは蜘蛛の子を散らすように逃げだした。勢いづいたドワーフが後を追うが、ゴブリンの逃げ足にはかなわない。
「何の魔法を使ったんだ?」バートはあっけにとられてゴブリンの後ろ姿を見送った。リザンは笑みを浮かべた。
「魔法じゃない。おまえたちの親玉は死んだぞ。逃げるなら今のうちだ! とゴブリンの使う妖魔の言葉で説得しただけだよ」
「逃がしてしまうのはしゃくだが、神殿をあいつらの血で汚すこともあるまい」銀の髭をゆらしながら、ガザンがバートたちに近づく。そして短いががっしりとした腕を差しだした。
「改めて礼を言うぞ。冒険者どの」
バートはガザンの手を握った。
* * *
次の日は朝から頭痛がひどかった。バートはうめき声すらあげる事ができなかった。調子にのってドワーフのふるまい酒をジョッキで四、五杯飲んだような気がする。
ドワーフの酒はまさに火のようだった。飲むと腹の中から喉にかけて、炎が駆け昇るようだ。ドワーフたちが言うには、この酒には火の精霊が宿っているのだそうだ。
リザンの忠告を聴けばよかった。バートは後悔したが今となっては後の祭りだった。
寝床で悶々としていると、シラルムがやたらと苦い茶を持ってきた。そのおかげだろうか、強烈な頭痛は、午後にはなんとか治まった。
その夜もまた宴会の夜となった。いや、正しく言うと宴会は凱旋した朝から続いていたのだから、バートたちはリターンマッチといったところだ。
プラムは宴会が始まると同時に姿を消してしまった。時折、ドワーフたちの間に姿を見せる。なかなかの人気者のようだ。食事や酒の壺を手に走り回っている。
シラルムは最初はドワーフたちに敬遠されていた。しかしエルフとは思えない気安さと、話題の豊富さがわかるにつれ、彼の周囲にもドワーフが集まった。気安さといえばバートもなかなかのものだ。
ドワーフの酒を飲めるのはバートしかいない。バートが現れるとドワーフたちは、我さきにバートを誘っては乾杯の音頭をとる。
「まったく、あんたは他人のような気がせんぞ!」ドワーフの一人に背中を叩かれ、バートはむせ込んだ。
「村の恩人にかんぱーい!」頭の上からエールの滝が降ってきた。バートもお返しに、エールをかけた相手に、ジョッキの酒をあびせかける。調子にのって手近にあった壺をつかむと、周囲で飲んだくれるドワーフたちの頭上へ雨のように振りまいた。
「さすがに背丈があるから、よく飛ぶなぁ」
ドワーフの一人の声に、バートはふらつきながらも、壺をかかげてポーズをとった。まわりから、やんやの喝采が沸き起こる。
「わはは、ボクもやりますよぉ!」シラルムの声が聞こえたかと恩うと、周囲にあった酒だるの蓋が弾け飛ぶ。酒が噴水のように飛び上がると、弧を描いて開いた壺やジョッキに飛び込んだ。
その一つがバートの顔を直撃した。はずみをくって、彼はドワーフたちの上に転がりこむ。どうやらそこにガラードがいたらしい。
ガラードはバートを引きずり起こすと、酒をなみなみとたたえたジョッキを持たせた。
「よおーし、一気に飲んでくれ!」ガラードが音頭をとる。バートはぼんやりとドワーフを見た。目まいがして、ガラードの姿が何人にも見える。
「俺、死んじまうかもしれないなぁ」
バートはやけくそ笑いを浮かべつつ、ジョッキを一気に飲み干した。
* * *
宴会の騒ぎを避けてリザンは石造りの回廊をそぞろ歩いていた。ほたる石のあわい光に照らしだされて、魔法使いのくすんだ長衣《ローブ》は、石壁と暗がりの中に溶け込んでいる。彼は一人だった。
背を丸めるように杖によりかかり、ぼんやりと壁の彫刻をながめている。
宴会の音は遠くかすかだ。振り返って遠い明りを見る。誘われるように一歩踏み出した。
しかし、あきらめたように立ち止まった。
行ったところで、仕方ないか……#゙は思った。
宴会の騒ぎの中にいても、彼は自分がその場から、浮き上がっているように感じていた。明るい場の中にいても、自分の周囲だけ壁があるように、誰も近づかない。
ドワーフの太い声の合間にバートの張りのある声が聞こえる。それを聞いたリザンの顔に、たとえようのない悲しげな表情が浮かんだ。
壁ができるのは、自分が壁を持っているからだ。その事はわかっていた。しかし、どうすればその壁を取り払えるのかはわからない。
いらだたしさは、自分に対する嫌悪感に変わっていく。生まれた時から、彼は無力で誰の期待にもそえなかった。両親しかり、友人しかり、恋人、そしてバート。
バートは何故《なぜ》、リザンを守るのだろう。リザンの両親に育てられた恩返しのつもりだろうか? 実の息子でもない自分を愛してくれた、二人への感謝の気持ちなのではないか? そのつながりさえなければ、バートもリザンなぞ、目にもくれないのではないか? いや、そうにちがいない。
そんな自分の暗い心に、リザンはいたたまれなくなって、明るい騒ぎの中から逃げだす。これはいつもの事であった。
バートはすばらしい。もちろん欠点はある。しかし、それをしのぐ力、明るさが彼にはある。人付き合いの下手なリザンに比べ、バートは誰とでもすぐに親しくなれる。熱血漢で優しく悪意を持っていない。物おじをせず、ほどよく間抜け。彼が人気者になるのは当り前であった。
しかしそれが、本来ならば左右されてはいけない存在まで、揺り動かしたとしたら……。
リザンは首を振った。こんな事を考えていてはいけない。こんな考えを持ってしまう自分がなさけない。他者となじめないのは、自分に自信がないからだ……。
青年魔法使いは、ため息をついた。杖を持ちなおすと、通路を覆う闇の中へ消えていった。
* * *
バートたちがトルガ村を出発したのは、二日後であった。
長老から斧を受け取った彼らは、ガラードとガザンをはじめとする村の人々に見送られながら、オランヘの帰路についたのだった。
* * *
相変わらず三つの音は竜《どらごん》に呼びかけていた。それはまるで虫の喰った魔導書の呪文を、丁寧《ていねい》に詠唱しているかのようだった。切れ切れの音が意味もなく空間を震わせる。竜はその音の源《みなもと》へ向かって低く声をあげた。しかし、その呼びかけがまったく無視されたのを感じて、竜もまた不揃いな和音を無視することにした。
だが、そう決めても竜はいつしか音にひかれていった。それは呼び声だった。昔、ある生き物と交わした契約の一部。その呼び声がはっきりとした言葉を持ったなら、竜は動かなくてはならない。
だが、まだだ……。竜は体を丸めた。そして光のため息をついた。
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第二章 砂漠の民
「何でしょうあれは。誰かが追われているようですけど」シラルムが街道を振り返った。
村に残ったガラードと別れて、バートたちはドワーフの村からオランヘの帰路についた。山をおりて、ひとまず彼らは自由人の街道≠ノ出た。
夕闇がせまり、それまで活発だった人通りが途絶えはじめていた。二百年もの長い年月、人々の足で踏み固められた街道は、乾いて黄《おう》土《ど》色《いろ》のほこりを巻き上げている。道は東西にまっすぐ伸びている。
その道を馬に乗った人影が、すごい速さで向かってくるのが見えた。それも一頭ではない。四、五頭が前を走る一頭を追っているようだ。
馬が近づくにつれ、先頭にいる人物が奇妙な服装の女性であるのがわかった。後ろから追う者もよく似た服装をしていた。リザンが言った。
「あれはカーン砂漠の住人のようだが……。なぜ彼らがこんな所にいるんだ?」
馬がすぐそこまで来た。バートたちが馬を避けるため街道から離れようとしたとたん、女性の乗った馬が、どうとばかりに横倒しになった。はずみで鞍から転がり落ちた女性は、そのまま身動きしなくなった。
「きゃあ、どうするの!?」プラムが悲鳴をあげる。
「助けるに決まっている!」バートは女性に駆け寄った。仲間も後に続く。
「しっかりしろ」
肩をゆするが女性は目を覚まさない。しかしかすかに指先が動いた。
「バート、来たぞ」シラルムが言う。それを聞くまでもなく、多くのひづめが大地を打つ鈍い音が近づいているのがわかった。
「プラム、彼女を頼む」
グラスランナーと入れ替わりに、バートは立ち上がり、街道を見た。
女性を追っていた四人の人影は、バートたちを見て馬を止めた。彼らの馬もまた泡を吹き汗まみれだった。中には膝を折り倒れ込むものもいる。男たちは馬から降りると、剣を抜いてにじりよってきた。構えにすきがない。バートは全身に殺気を感じた。
「彼らは暗殺者だ。毒や変わった攻撃をすると聞いている。気をつけて!」リザンが忠告する。
男たちはじりじりと近づいてくる。彼らの持つ曲刀《フォールチョン》や短曲刀《ジャンピア》は濡れたように光っている。毒が塗ってあるのだろう。バートは背負った大剣を引き抜いた。
突然、男たちが飛び込んできた。怪鳥のような叫びをあげて切り込んでくる。その素早さにバートは恐怖の声をあげた。
まるで剣自身に意志があるかのような、なめらかな動きにバートは舌をまいた。一瞬で懐《ふところ》に入られたため、バスタード・ソードが思うように動かせない。バートをあざ笑うように暗殺者の顔に暗い笑みが浮かぶ。バートも引きつった笑顔を浮かべた。
「うれしいかい? 俺もうれしいよっ!」
バートは突きこんできた男の腕を、力いっぱいシールドで叩き伏せた。ゴツ、と鈍い音がする。男は弾かれたようにあとずさる。剣を持つ腕が、肘《ひじ》から大きく横へずれていた。
「折れなかったか」バートは舌うちすると、バスタード・ソードを構えなおす。
「バート、うしろ! きゃあぁぁ!」
プラムの声に、振り返りざまシールドでカバーする。金属が擦《こす》れる音と衝撃が腕に響いた。もう一人の暗殺者が切りかかってきたのだ。見るとプラムが男の一人に蹴りあげられ、倒れている女性が連れ去られようとしていた。
「プラム!」
バートは暗殺者を蹴散らしてプラムに近づこうとする。しかし暗殺者はバートの動きをかわすと、再び切りこんできた。目の端に先刻の腕を外した男が、剣を持ち代えて身構えるのが映った。目の前の男の剣を、ソードで弾き飛ばす。そしてもう一人へ向きなおろうとしたが、間にあわない!
しかし暗殺者はそれ以上踏み出すことはできなかった。その顔が驚愕にゆがみ、ゆっくりと前のめりに倒れ込む。その背にシラルムのショート・ソードが突き刺さっていた。
武器を失ったシラルムは、しかし光の精霊を呼び出し、それを暗殺者に叩きつける。白い光が弾けると肉のこげる悪臭がただよった。
女性をかついだ一人が素早く下がった。すると残った男たちも潮が引くように下がって行く。
「くそっ、あいつら!」
「止めたほうがいい。深追いは禁物だ」リザンの声にバートはしぶしぶ踏みとどまった。
「大丈夫かい、プラム?」
「うん、ごめんね、あたしがついていながらあの人を守れなくって」
シラルムに助け起こされたプラムはうなだれた。が、何かを思いだしたらしく、顔をあげると手を差しだした。手の平には変わった形のイアリングがある。
「さっきの女の人がこれを渡してくれたの。これをオランにいる兄さんに渡してほしいって」
「兄さん?」
「ツーレという人で、オランの辺りで冒険者をやってるはずだって。彼に渡して、すぐに村へ帰るように伝えてって」
全員の視線がイアリングに集まる。
「どうする、バート」リザンが問いかける。
バートはプラムの手から、イアリングをつまみあげた。手の中でそれを転がす。赤や青の小さな宝石がキラキラ輝く。
「どうせオランヘ行くんだ。人捜しぐらい、そう面倒じゃないだろう」
* * *
薄ぐらい路地裏には、ボロ布のような洗濯物がぶらさがり、その下には汚水でできたドロと水溜りが散らばっている。住人よりも丸まると太ったドブネズミが、雨どいから転がり落ちると、慌てて物かげへ走り込んだ。
細く入り組んだ通りのそこここには、目つきのよくない男や女が立っている。そして自分たちの領域に入り込んだ冒険者の一団に、冷たい視線を送っていた。
「あたし、こんな所きらい」シラルムの背後に隠れるようにプラムが言う。
「本当にこの辺りなのか?」バートが言うとリザンがうなずいた。
奇跡の店≠ヨ行き、報酬のガメルを受け取った彼らは、冒険者の店のおやじから、ツーレという名の冒険者の居所を聞き出した。ツーレはオランにあるいくつかの裏町、スラムの一つに住んでいるという話だった。
スラムの通りは、ますます暗く汚れてゆく。
「この辺りのはずだが……」
リザンが一つの家の前で立ち止まった。周囲がしんと静まりかえる。しかし無人の静けさではない。うなじの辺りにピリピリと殺気を感じる、息をひそめて何かをうかがっている、あの静けさだ。
「町の中というより、野獣の森って感じだな」バートは擦り切れた石段を踏むと、扉をノックした。
ややあって扉の向こうから、冷たい声がした。「誰だ、何の用だ?」
「あんたがツーレか? あんたあての預かりものを持ってきたんだ。あんた、ラテリアって人を知っているか?」
男は息をのんだようだった。ややあって、声が答えた。「……入れ」
扉が開かれる。バートたちは中に滑り込んだ。
中はさほど大きくない部屋だ。小さなランプと朽《く》ちかけた窓の、わずかな明りが部屋を照らしている。しかし床に敷かれた敷物や、壁にかかった小さなタペストリー、机の上の置物などは上等だ。
中央に一人の男が立っていた。背格好はバートとあまり変わらない。丈の長い上着を着込み、帯には短剣《ダガー》と曲刀《フォールチョン》をたばさんでいる。
「私がツーレだ。預かりものとはなんだ?」
バートはイアリングを取りだした。ランプの明りに、宝石と金がきらめく。男が手を差し伸べた。しかしバートはイアリングを渡さない。男はいらだたしげに問いかけた。
「おまえたちがどうしてそれを持っている? ラテリアはどうした?」
バートは街道であった出来事を話した。ラテリアと名乗った女性が、暗殺者に追われていたこと。助けようとしたが、かなわなかったこと。そして連れ去られる間際にイアリングと言づてを頼まれたこと。
それを聞き終わって、男はやや警戒心を解いたようだった。
「暗殺者が妹を……。何か大変なことが私の村で起こったのだろう……よく無事にここまで来れたな。普通ならば、すでにおまえたちは暗殺者の手で……」
そこまで言って、ツーレは急に体を固くした。何かをうかがうように周囲に目をやる。そして声をひそめて続けた。
「……いや、どうやらおまえたちは、私を捜すために泳がされていたようだな」ツーレは曲刀《フォールチョン》に手をやった。
「本当だ。表と裏に誰かいますね」精霊を使って周囲をさぐったのだろう、シラルムが言う。
バートにも周囲にただよう張りつめた気配が感じられた。わずかに身構える。
それが合図であったかのように、窓と扉が破られた。強烈な気迫を発しながら、街道で出会ったのと同じような男たちが躍り込んできた。
曲刀《フォールチョン》がきらめく。剣を抜くことができないまま、バートはかろうじて相手の攻撃をかわした。部屋の中はたちまちのうちに乱戦の場となった。
「うわぁ!」リザンの悲鳴があがる。
「リザン! ちくしょぉ!」
バートは切り込んできた男の腕をつかむと、曲刀《フォールチョン》をもぎとった。しかし反対に足をすくわれて、床に倒れ込む。
胸に強烈な蹴りを受けて息がつまった。二度目の蹴りを感じて、曲刀《フォールチョン》を離すとその足をつかむ。抱き込むように満身の力をこめてひねると、足の骨の砕けるミシッという音が響いた。
「むうっ!」暗殺者は低くうめきをあげたが、それ以上の声はあげない。
バートはさらに力をこめて、男をひきずり倒す。そして倒れた男に殴りかかった。拳を振り下ろす。だが、苦痛にうめいたのはバートの方だった。腕に衝撃があり、鋭い痛みが広がった。男は小さなダガーを構えていた。
「どけっ!」
ツーレがバートを押しのけると曲刀《フォールチョン》を振った。暗殺者ののどからくぐもった音と、血の泡がわきだした。苦しげに男がのたうつ。
「なさけだ」
ツーレはもう片方に持っていたダガーを、男の額に叩き込んだ。大きくけいれんを起こして男は息絶えた。
バートは息をついて、辺りを見回した。襲ってきた男たちは三人。そのどれもがツーレのものらしい曲刀《フォールチョン》の傷を受けて倒れていた。
「リザン、大丈夫か?」
「僕は大丈夫だ。それより君のその傷は洗ったほうがいい。毒があったら事だ」
壁にもたれて荒い息をついているリザンが言った。やわな革鎧のあちこちに、大きな傷が入っており、頬には青あざがある。しかし、大きなケガは負っていないようだ。
シラルムは額に切りつけられたらしく、髪飾り帯が切れてぶらさがっている。目に流れ込む血をぬぐいながら笑いかけたが、バートの手を見て慌てたようだった。
バートはうずく右手を見おろした。二の腕に大きな傷が口を開けている。鮮血がボタボタと床にしたたる。興奮がおさまってくると、強烈な痛みが徐々に感じられた。
「あの、これですか?」
いつの間にかいなくなっていたプラムが、ツーレに一つの壺《つぼ》を差しだした。ツーレはうなずくと壺を受け取り蓋を開けた。壺からはきつい酒の臭いがただよう。
ツーレはバートの手をとると、傷に酒を吹きかけた。強烈にしみる。バートは叫び声をかみ殺した。ツーレは手早く傷を調べる。
「毒はないし筋も切れてない。十日もすればふさがるだろう」
ツーレは振り返って、シラルムに酒の壺を放り投げた。
「こいつらは何者なんです?」
酒の壺を受け取ったシラルムが尋ねる。ツーレは首を振った。
「私と同じ砂漠の民≠ナはあるが、部族はちがう。こいつらは砂漠の民≠フ中で最も下《げ》賤《せん》とされる名なき部族≠セ」
「あんたも砂漠の民≠ネのか?」バートが言う。
「見ればわかると思うが」ツーレが答える。
「いや、俺がいままでうわさに聞いていた砂漠の民≠ヘもっとおっかなかったから」
バートは目の前の、物静かな男を見た。確かに戦っている時は、鬼神のように恐ろしい。だが、それは戦いの最中のみだ。バートがいままでうわさに聞いた砂漠の民、残虐無情の魔性の一族には見えない。
「砂漠の民≠ヘ人殺しをなりわいにする、邪悪な魔術を操る魔物だと思っていたのだろう?」ツーレは笑った。
「砂漠の外の人々が見る砂漠の民≠ヘ、暗殺者や、この名なき部族=c…つまり特別な者やつまはじき者ばかりだ。だが、確かに砂漠の民≠ヘ外の人々をきらう。よそ者が砂漠に入れば容赦なく殺す」ツーレの笑顔が消えた。「掟だから仕方がない……皆はそう言う。だが私は納得できなかった。私は兄にすべてをまかせて砂漠を離れた」
ツーレは手の平にのせたものを見つめた。いつの間にか、そこにはイアリングが輝いていた。
「私は砂漠を捨てた男だ。ラテリア、この兄に何を伝えたいのだ?」
ツーレはイアリングを握りしめ、バートを見た。
「一緒にくるか?」
「一緒にって……俺たちがか?」バートは驚いてツーレを見た。
シラルムがうなずきつつ言う。「バート、彼と同行した方がいいかもしれませんね」
「どうして? イアリングは渡したし、この暗殺者たちはあたしたちが目当てってわけじゃないのでしょう?」プラムが不満そうに声をあげる。
「残念ながら、ちがうでしょうね。彼らは僕たちも狙ってますよ。僕たちはラテリアとツーレを知った。そしてその故郷の村砂漠の民≠フ村に何かが起こったことを知ってしまったんです。彼らは僕たちを殺そうとするでしょう」
「たったそれだけの事で!?」
「それで十分なのだよ」ツーレは言った。
* * *
カーン砂漠、別名「悪意の砂漠」
アレクラスト大陸の北にある「無の砂漠」に並ぶ、二大砂漠の一つである。「無の砂漠」は名の通り、草一本、生きるもの一つとして住む事のない地だといわれている。
一方「悪意の砂漠」は「無の砂漠」に比べればごく普通の砂漠だ。しかし、ここには「悪意の砂漠」の悪名の源だといわれる砂漠の民≠フ一族が住んでいる。
恵みをもたらすことのない砂漠に住む彼らは、ほとんどが遊牧民や旅芸人となって、アレクラストの各地を放浪している。
しかし、わずかな集団が部族となって、今もこの荒れた砂漠に残り、古代から伝わる部族の伝承、伝統、遺跡などを守っているのだ。
彼らの持つ文化や文明は独特のものである。だがその文化を知ることができるのは、同じ砂漠の民、そのまた同じ部族の者のみだといわれている。彼らは独自の神を信仰しているが、その神については外の人々は知ることはできない。
彼らの秘密をあばこうとした者は、暗殺者によって命を断たれるといわれ、事実、多くの冒険者や賢者、商人が殺されてきた。
そのカーン砂漠の南には「職人たちの王国」と呼ばれるエレミアがある。
エレミアはアレクラスト大陸の西と東をつなぐ大街道「自由人たちの街道」の中継点であり、また大きな港もそなえている、工業と商業の町なのだ。
ツーレはバートたちをエレミアにある一つの建物に案内した。暗殺者の目を逃れるため、昼夜を問わない強行軍が数日間続いており、さしものバートもねをあげそうになっていた。
ツーレが案内してくれた場所は、エレミアのはずれにあるあばら家の集まりだった。そこにはシェイラという名の老婆が住んでおり、突然の訪問に驚いた様子だったが、彼らを暖かく迎えてくれた。彼女はツーレを息子のようにあつかい、バートたちのケガの手当てをしてくれた。
老女のおかげで、夕食を終えてツーレがラテリアと暗殺者の話を終わらせる頃には、全員がゆったりと落ち着いた気分になっていた。
「ツーレよ、どうしてバルリアの葬儀に戻ってこなかった?」
「バルリア……兄上の葬儀? 兄が死んだのか!?」
ツーレの驚きに、シェイラは困惑の表情を浮かべた。
「知らなかったのかえ? 伝令士が行ったのではないのか?」
「いや。この冒険者たちが来るまで、砂漠の知らせは一度と届いてはおらぬ。シェイラ、兄上はどうして亡くなったのだ?」
「一月ほど前に、麻薬で狂わされた男に刺し殺されたのじゃ。おそらく何者かが裏で糸を引いておるだろうが……」
「兄上……」
ツーレは声もなくうなだれた。手にしたカップの中のワインが、かすかにゆらめいていた。
「今は誰が族長に?」ややあって、ツーレが尋ねた。
「族長はまだ選ばれてはおらん、だが、ダライアが跡を継いだといってよかろう。憶えておろう、ダライアの事は」
ツーレの表情が和らいだようだった。かすかにうなずく。
「ダライアならば兄の跡を継いだとしても、何ら不思議はない。多くの従兄弟の中で、彼がもっとも、兄や私と親しかった」
「村の民もほとんどの者が、ダライアを族長に迎えようとしておる。だが、私はダライアこそがバルリアどのを暗殺した張本人ではないかと思っておるのだよ」
「馬鹿な! あのダライアがそのような事をするはずはない。シェイラ、何を証拠にそのような暴言を吐く?」ツーレは身を乗りだした。「ダライアは我ら兄弟のためならば、命を投げ出す事もいとわない男だ。我らを傷つけるぐらいならば、己の身に刃を突き立てるだろう。ダライアが兄上を殺すなど考えられん」
「私もそう思いたいのだよ、ツーレ。しかし……」
「ちょっと待った。そのバルリアとかダライアって人について、俺たちにも説明してくれないか?」
バートが割り込む。シェイラをにらみつけていたツーレは、体の力を抜くと椅子に沈み込んだ。
「あ、ああそうだな。すまない。バルリアというのは我が兄だ。父亡きあと、我が部族の長となった。ダライアは私の従兄弟であり、乳兄弟だ。私が砂漠を去ったあと、私のかわりに兄の右腕として働いていたはずだ」
「ダライアは実によく働いていた。バルリアも感謝しておったようだよ」
シェイラが静かに言った。ツーレは再びシェイラに目をやった。
「ダライアは兄上を尊敬していた。ダライアが兄上を殺すわけがない。シェイラ、おまえは何を知っていて、そう言うのだ?」
シェイラは目を伏せると、ゆっくりと首を振った。
「私は何も知りませぬ。ただ、バルリアどのがこのおいぼれに、話してくだされた一言が気になっておるのです。ダライアは私を憎んでいる≠ニいう一言が」
「兄上がそのような事を?」
沈黙が訪れる。バートが口を開いた。
「差し出がましいとは思うけれど、ここで言いあいをするよりも、実際にそのダライアとやらに会ってみてはどうだい?」
「わざわざ殺されに?」リザンが眉をひそめる。
「このままじっとしていても、暗殺者が襲ってくるのを待つようなものだろう? ならば大本をつきとめて、根元から始末するしかないじゃないか」バートの声が大きくなる。
ツーレがうなずいた。
「そうだな。それが正しいかもしれん。ダライアに会い、真意を尋ねたい」
ツーレは立ち上がった。部屋を出ていこうとする。シェイラが止めた。
「お待ちなされ。今夜はもう無理じゃよ。ここへ来るまでにさんざん無理をしてきただろう? 今《こ》宵《よい》は体を休めねばならんぞ」
「正直言って、僕はゆっくりと眠りたいですよ」目をこすりながらシラルムが言う。その隣ではテーブルにつっぷして、プラムが寝息をたてていた。シェイラが言葉を続けた。
「明日になればマザイが来る。あれならおまえの知りたい事に答えてくれるだろうて」
席を立ったシェイラは、子供をあやすように優しくツーレの腕を叩いた。
「ラテリアを心配する気持ちはわかるが、今は自分の身を大事になされよ」
「……わかったよ。シェイラ」ツーレは大きく息をついた。
* * *
翌朝、朝食の場に、一人の男が加わっていた。男は砂漠の民独特の衣装に身を包み、ツーレのそばにかしこまっている。
「これが私たち一族に仕えてくれる影≠フ一人。マザイだ」
ツーレが紹介する間も、彼は彫像のように動かない。バートは彼は何かの魔法で時を止められているのではないかと、本気で心配したほどだった。
マザイの話によると、ツーレが戻らなかったので、村では新たな族長を決める選びの儀式≠フ用意がなされているらしい。族長の資格を持つ者は何人かいたが、ダライアが族長となる事は、ほぼ決まっているようだった。
マザイはさらに大切な知らせを携えていた。
「ダライアの守る遺跡に、ラテリアがいると?」
「はっきりとは言い切れませぬが、まずまちがいなく。日にちもラテリア様が卑《ひ》族《ぞく》に捕らわれた頃からでございます」
ツーレの顔が怒りと悲しみの苦痛にゆがんだ。「では、シェイラが言うた通りダライアが兄上を殺したのか? 何故《なぜ》だ。なにゆえに」
「その遺跡に入り込む事はできないのか?」バートが尋ねる。ツーレは首を振った。
「無理だろう。ラテリアを虜《とりこ》にしているならば、手だれの戦士に守らせているはずだ」
「いくら強いやつがいても、一気に押し込めばなんとかなるんじゃないのか?」
シェイラが半ばあきれたように、バートを見上げた。
「冒険者らしい考えだの。だが、そのような事をすれば、ツーレの方が不利になるのだよ」
「どうしてだ?」バートが尋ねる。リザンが口を開いた。
「バートのやり方は強盗なんだ。いくら盗まれた物があるからといって、他人の屋敷に剣を振り回しながら入っていって、無事ですむはずはない」
「じゃあ、どうやればいいんだよ」
「交渉するか、こっそり盗みかえすか……でしょうね」
プラムが瞳を輝かせながら言う。しかしシェイラは眉をよせ、首を振った。
「簡単に言うが、遺跡を守る者たちは、おまえさんたちが会った暗殺者以上の強者なのじゃぞ」
「ツーレさんの知りあいに強い人はいないの?」
「おらぬわけではない。族長に仕える者すべてはツーレどののために戦うじゃろう。しかし、ダライアとてそれを考えておらぬわけではあるまい。気どられないでおることはできん。このマザイを呼び出す事すら危ういのじゃからな」
「一つ方法がある」
じっと考え込んでいたツーレが顔をあげた。
「私はダライアと選びの儀式≠ナある、呪術比べを行おう。儀式の間は、双方の家に仕える戦士、術師のすべてが、その場に立ち会わなくてはならない。自然と遺跡の守りは弱まるはず。ラテリアを救う機会はその時をおいて他にはない」
ツーレはバートを見た。
「もちろん、その間は私も、私の影や戦士も動かすことはできない。だが……」
「僕たちは関係ないから、その遺跡へ乗り込んで、ラテリアさんを助ければいいんですね」
シラルムが言い、ツーレはうなずいた。
「うまく行くだろうか?」リザンが言う。
「うまくやるさ」バートは明るく答えた。プラムの声が重なる。
「頑張るっきゃないわよ、ね」
シェイラはうなずくと、部屋の片隅にある木箱から、何枚もの服を取りだした。色鮮やかな砂漠の民の衣装が広がる。
「ではこの服に着替えるがいい。その格好では、砂漠には入れんぞ。よそ者だと一目でわかってしまう」
ツーレがバートの肩に手を置いた。
「ラテリアの命、おまえたちにあずける。頼んだぞ」
「そっちこそ、呪術比べに負けたりしないでくれよ。命をあずけているんだから」
バートは片目を閉じて笑いかけた。
* * *
「なに? ツーレが呪術比べを申し出ていると?」
緋《ひ》色《いろ》の敷物の上に座っている男が、わずかに前へ身を乗りだした。ターバンの端が男の端正な、しかし厳しいともいえる顔の横でゆらぐ。まだ若いはずだが、年老いた者が浮かべる冷やかな表情が、その顔に浮かんでいる。
「はい、その通りでございます。ダライア様」
彼の前にかしこまる下僕が、かすかに身を引いたかに見えた。それほどダライアの気迫は強烈だった。
「ツーレ殿は外でお待ちですが」
「お通ししろ。大切な従兄弟どのだからな」
下僕はほっとしたように身を引くと、部屋を出ていく。ダライアの口元に笑みが浮かんだ。
「ようやく来たか」
その冷笑は、ツーレの姿が見えると同時に、温かい笑顔に変わった。ダライアは上座を立つとツーレの前にひざまずいた。
「これは久しぶりですな、ツーレ兄《けい》」
「ダライア兄《けい》。私はバルリアの死も知らず、今ごろようやく外より帰ってきた愚か者だ。礼をもって迎える必要はない」
しかし、ダライアはさらに深くひざまずいた。
「いいえ、私はしょせん従兄弟の身。血は濃いでしょうが、兄者の比ではありませぬ」
「顔をあげてくれぬか。親しく話がしたい」
ダライアは体を起こし、立ち上がった。ツーレよりもわずかに背が高い。たあいのない優越感が笑みとなった。ツーレはダライアを見ていたが、やがて口を開いた。
「村は我らが育った幼い時より、何一つとして変わっておらぬように見える。おまえも昔と変わらぬようで安心した。いや、さらにたくましくなったか?」
「ツーレどのは変わられたようですな」
「どのように変わったかは聞かずにおこう。自分でわかっておるつもりだからな」
ツーレは苦笑を浮かべた。その笑みが溶けるように消え失せた。しばしの沈黙があって、ツーレは言った。
「ダライア、これの片われを知らぬか?」
ツーレが差しだした手の平には、赤と青の宝石のはめられたイアリングが輝いていた。それを以前に見たことがある……ダライアは記憶をさぐった。そうだ、ラテリアのイアリングだ。
ツーレが探りをいれてきたわけだ。ダライアは大声で笑いだしたくなるのを抑えた。しかし隠しきれない笑みが顔に浮かぶ。それを隠すつもりはなかった。ラテリアはツーレに対する切札。手の内にあることを、はっきりさせておかなくてはなるまい。
ツーレの表情がこわばった。
ダライアは答えた。「さて、私にはわかりかねますな」
「何故《なぜ》だ……ダライア?」
ツーレのうめきに似たささやきが聞こえたように思った。ツーレは唇を引き結ぶとイアリングを懐《ふところ》に入れた。目をそらし、上座を彩《いろど》るタペストリーを見つめる。
ややあって、ツーレが沈黙を破った。
「すでに選びの儀式を用意していると聞いたが」
「兄者の消息がないばかりに、先走りしてしまった私の非にほかなりません。兄者が一声、族長の座を継ぐと申せば、すぐに取りやめさせましょう」
「申せば、いらぬ混乱が起こるのではないか? 我ら二人の上だけでなく、愛しい我らが妹、ラテリアの上にも。そうではないか?」
ツーレが振り返る。ダライアの目とツーレの目が出会ったが、どちらも微動だにしない。
「……そうかもしれませんな」ダライアは含み笑いを押し殺した。
ツーレは視線を落とした。気持ちを決めるかのようにしばし沈黙したが、やがて顔をあげて言った。
「私は選びの儀式の一つ、呪術比べを申し出る」
「異存はありませぬが……」ダライアは意外だといわんばかりに驚いてみせた。そう、少々嫌みなほどに。それは十分ツーレにも通じたはずだ。いま、ここで行われているやりとりは、儀礼に乗っ取っただけのののしりあいなのだから。
ツーレは無表情のまま、言葉を続けた。
「異存がなければ、私は貴《き》兄《けい》と選びの儀式に出よう。時は?」
「ほかに選びに出る者はおりませんゆえ、早々に。明日、日が空を紅《くれない》に染める頃では?」
「承知した。では明日、紅の時に会おう。我が従兄弟ダライア」
「明日、紅の時に。族長の血、全き血の兄者ツーレ」
歩み去ろうとしたツーレは、振り返るとダライアを見た。困惑に似たそのツーレの表情に、ダライアは何故か不快をおぼえた。
「ダライア、おまえは兄上を尊敬していたのではないのか?」
「深く尊敬しております。ツーレ兄と同じほどに」
ツーレはさらに何か言いたげに唇を開いた。が、そのままきびすを返すと歩み去った。
それを見送るダライアの顔に、再びあの冷笑が浮かんでいた。
* * *
夜の闇にまぎれて、バートたちは砂漠を渡っていた。日が沈んだあとの砂漠は、驚くほど寒い。だがシェイラが用意してくれた服は体の温もりを逃さない。
先頭に立ってバートたちを案内していたマザイが注意をうながした。
「見えるか? あれがダライアの遺跡だ」
砂丘の丘の向こうに、岩がいくつも転がっている広場があった。その中央に石造りの遺跡が見える。いくつかの明りも見える。見張りが交代でもしたのか、明りが入れ替わる。
「砂漠の民は、みんな自分の遣跡を持っているのかい?」リザンが尋ねる。
「いや、遺跡は選ばれた血筋の者だけが守ることができる。このような場合でなければ、おまえたちがここへ来ることは到底できない。それを忘れるな」
マザイはそう言うと姿勢を低くして砂丘を下ってゆく。バートたちもその後を追った。砂はサラサラと細かく軽い。マザイの滑るような踊るような歩き方をまねしなくては、とても彼の速さにはついてゆけない。岩場にたどりつくとマザイは振り返った。
「私がおまえたちを連れてこれるのはここまでだ。ここから先はおまえたちにまかせるしかない」
「あなたがいてくれたら、心強いのに」
プラムの言葉に、少しだけマザイの表情がなごんだようだった。砂漠の民の服を着たプラムは、遊牧民の少女のように見える。
「わたしがツーレ様のそばにいなくては、ツーレ様の立場が悪くなる。明日の夕刻、空がむくなる前に、必ずラテリア様を救い出すのだ」
マザイはそう言い残すと、暗がりの砂漠の中へ姿を消した。
「じゃあ、行くか」バートが声をかけた。遺跡に目をやる。入口には見張りらしい男が座っている。
「しかしどうやって中に入ろう?」
「僕だけなら姿を消して、そばまでゆけますよ」
「じゃあ、シラルムに頼もう。うまく一発で気絶させてくれ」
シラルムは空中に何か模様を描く。小さく呪文を唱えると、その姿がみるみる消え失せた。注意しているとわかる程度の足音が、バートの前を通って岩場を進んでいく。
「大丈夫かしら?」プラムが心配そうに言う。
変化が起こるまで、長い時間がたったように感じたが、実際はほんの少しの間だった。見張りの男が急に前のめりに倒れる。それと同時に入口にシラルムの姿が現れた。バートたちに向かって手招きをする。
バートたちは遺跡の入口へ駆け寄った。シラルムは見張りを縛り上げると、さるぐつわをかけているところだった。
「中の様子は?」
「物音は聞こえませんよ。大丈夫でしょう。で、この男はどうしましょうかね?」シラルムはさるぐつわをかけ終わった男を指さした。
「少し離れた岩の陰にでも放っておけばいいんじゃないか?」リザンの提案にバートは顔をしかめる。
「俺が運ぶんだろ? まあ、いいけどさ」バートは気を失ったままの男をかつぎあげた。思ったよりも軽いのは助かりものだ。急いで岩場へ戻ると、まず誰も来ないだろう場所に男を放りだした。
「一生、見つからないなんて事はないと思うが、そうなったら自分の不運を呪ってくれよ」
捨て台詞を残して急いで入口へ戻る。中に入ると、ほんのりと暖かい空気が辺りをとりまいた。
ここは入口の広間といったところだろうか。円形の広間の周囲には、どこか悪魔めいた彫像の群れがバートたちをとりまいている。リザンの持つ棒杖《ワンド》の先に光が宿った。いつも使う杖の代わりに、シェイラから渡された棒杖《ワンド》だ。
バートもバスタード・ソードの代わりにブロード・、ソードを持っている。バスタード・ソードに比べて、あまりに軽くて華奢だ。しかし、右手のケガを考えると、これぐらいの剣の方があつかいやすいかもしれない。
「すごいな……遺跡の中なのに、色々な精霊がいますよ」シラルムが感嘆の声をあげた。
「その分、魔法の罠がある可能性が高いわけだ」リザンが言う。
彫像たちの間に、下へ向かう階段がある。バートたちはその暗がりの中へおりていった。
遺跡は丁寧な手入れを受けているらしく、造られた当初の美しさを保っていた。通路の石組も彫像も、これまでバートたちが見てきた遺跡のように朽ち果てたり、打ち壊されたものはない。
「しかし、どこにも明りになりそうな物がないじゃないか。たいまつもろうそくも、スス一つ落ちてない」バートが疑問を口にするとシラルムが答えた。
「おそらく砂漠の民は、僕のような精霊使いなのでしょう。精霊と通じあうことのできる者は、暗闇でも物を見ることができますからね」
「ふうん、便利なのねぇ。その魔法をあたしにも教えてくれる?」
「魔法じゃなくて、精霊と仲良くなると自然に身につくものなんですよ。プラムはあきっぽいから精霊の声を聞く前に、たいくつさで死にそうになるんじゃないかな?」
「あたし、そんなに短気じゃないわよ!」
はしゃぎすぎて、声が大きくなりそうな二人をリザンが止める。
その時、冷たい風が通路を吹き抜けたように感じた。バートは体を硬くした。周囲を見回す。魔法に通じていない彼の目には、特別なものはなにも映らなかったが、戦士としてのカンが何かが起こるだろう事を予測していた。
「リザン、感じないか?」
リザンも辺りをうかがう。
「気をつけて、幽霊や精霊のようなものが近づいてくるように感じる」
「何だろう? こんな感じは初めてだ。そこから来る!」シラルムが彫像の一つを指さした。
彫像から冷気のかたまりが滑り出した。それは宙を飛んでバートたちの方へ飛びかかった。
「幽霊《ファントム》……いや、怨霊《おんりょう》じゃないか?」リザンが言う。
「おぼけか? やっぱり司祭の資格を持っているやつを仲間に入れた方がよかったかな?」
「今じゃあ、遅いですよ」シラルムの手がめまぐるしく動く。バートの頭上に、彼の十八番というべきウィル・オー・ウィスプが現れた。
「それを怨霊に突きつけるんだ。ぶつける必要はない!」
リザンの言葉に、シラルムはウィル・オー・ウィスプを怨霊に近づけた。死者の怨霊は、光の精霊を避けようとするが、ウィスプは怨霊を追いかける。精霊と怨霊の攻防はしばし続いた。やがて怨霊は恨みの声をあげながら彫像へ戻っていった。
「やった!」息をのんで様子を見ていたプラムが声をあげる。
しかし、ホッとしたのも束の間、怨霊の恨みの声は徐々に大きくなってゆく。それは通路の両端にある彫像すべてから聞こえてきた。
「これ全部から出てこられたら、俺たちもおぼけになっちまう。突っきるしかない」バートは通路を走りだした。仲間も続く。
彫像と彫像の間に扉があったが、扉を開けようと立ち止まると、怨霊の起こす冷たい風がバートの顔や腕を捕らえようとする。
バートはあきらめて通路を走った。通路は突き当りで下への階段に通じている。振り返って仲間に合図を送ると、バートは階段を降りていく。
「だめよ、バート! そこに罠が……!」プラムの叫びと、バートの足下が抜けるのは同時だった。シラルムとリザンの叫びも聞こえる。
四人はスロープになった縦穴を滑り落ちていく。怨霊のあざけりの笑い声はすぐに遠ざかり、四人は小さな穴の中を転がっていく。急に視界が広がって、バートは頭から砂の中に突っぶした。砂煙をあげて、プラム、リザン、シラルムも転がり落ちてくる。
口に入った砂を吐き出しながら、バートは辺りを見回した。腕をついたすぐ脇が、底無しの闇へとつながっていることに気づいて、慌てて手を引いた。リザンの明りが周囲を照らしだす。どうやら大きな谷間の途中のようだ。頭上と足下には切り立った崖があり、黒い闇にのみこまれている。バートたちはその崖の途中にある岩棚の上に放り出されたのだ。
頭上数メートルの所に、転がり落ちてきた穴がある。もうほんの少し勢いよく放り出されていれば、バートたちはこの崖の底へ、まっさかさまに落ちていただろう。運よく一命は取りとめたわけだが……。
「地獄の入口へご案内ってところか」バートはつぶやいた。
岩棚には砂が溜っている。その砂のあちこちには骨が散らばっている。ほとんどは砕けて白いかけらになっているが、いくつかの骨は人骨の形を残している。鎧らしい金属の板も目についた。砂漠に入った冒険者の末路かもしれない。
「なかなか素敵な場所に落ちてきたみたいですねぇ」シラルムが言う。彼は岩棚から下をのぞき込んだ。
バートも同じようにのぞき込む。バートの目には暗闇しか見えないが、エルフには何かが見えたようだ。片手がめまぐるしく動くと、光の精霊が現れた。シラルムが暗がりの中を示す。
「すぐ下の方に横穴が見えますよ。ウィスプくん、行っておくれ」
ウィスプが縦穴の中をおりてゆく。明りがむき出しの岩肌をなぞるように下へ向かう。間もなく、人一人が通れる程度の横穴が見えてきた。
「ここからその場所までなら降下《フォーリング・コントロール》≠ェ使えるよ」恐る恐るのぞきこんだリザンが言う。
「でも、大丈夫か? 全員に魔法をかけるのは大変だろう?」
バートは心配になって尋ねた。リザンはうなずく。
「でも他に方法はあるかい? ないのならば使うしかないよ」
バートはもう一度岩棚の下をうかがった。崖の岩肌にはいくつか手がかりがないわけではないが、石畳のように隙間に剣の刃を差し込んで登るような芸当はできない。シラルムも首を振る。リザンは縁から離れて杖を構えた。
「最初は誰がゆく?」
リザンの問いに、バートよりも早くシラルムが言った。
「僕は以前にも降下《フォーリング・コントロール》≠やった事があるから、僕が行きますよ」
リザンがうなずく。シラルムは岩棚の縁に立った。リザンが呪文を唱える。
「大地の力よ、すべてを引き寄せる力よ
我らに翼はない。だが呪文よ、心の力を、見えない力として、我らを空中にとがめたまえ」
棒杖《ワンド》をシラルムに向ける。シラルムは岩棚から飛び出した。その体は虚空の中を、鳥の綿《わた》毛《げ》のようにゆっくりとおりていく。
弧を描いて向こう側の壁にたどりつくと、壁を伝うようにおりる。入口にさしかかると、余裕たっぷりに中へ姿を消した。少しの間のあと、姿を見せておりてくるように合図を送ってきた。
「次は俺が行くよ」
バートは縁に立った。切り立った壁の下に広がる暗闇が、深い恐怖をかきたてた。しかし暗い方が明るいよりはましかもしれない。
リザンの呪文が聞こえる。向けられたワンドから魔力を感じた。リザンの声が途切れる。
「……いいのかい?」
「うん。ただ、あせらないで。さっきのシラルムのやり方をまねすればいい。鳥の綿毛のようにふわりと降りるんだ」
バートはうなずくと、意を決してジャンプした。落下するゾッとする感覚と、恐怖感が襲ってくる。バートは一瞬、混乱に陥った。呪文が失敗したのではないか? このまま暗闇の中へ落ちていくのじゃないか?
「鳥の羽だ!」
リザンの声が聞こえる。バートは目を閉じた。そして鳥の羽が、草や木の綿毛がゆったりと舞い降りる様を思い浮かべた。
すっと重さが消え失せた。目を開く。バートの体はゆっくりと舞い降りていた。壁がせまってくる。シラルムがやっていたように、壁に手をつく。跳ね返りそうになって、バートは慌てて岩につかまった。そしてそっと降りていく。シラルムがいる入口へたどりつくまで、恐ろしく時間がかかったように感じた。平らな地面にたどりついたと同時に、魔法は消え失せた。
次のプラムは魔法の落下を楽しんでいた。落ちる速さを変えては笑い声をあげる。入口でシラルムにつかまった時も、名残おしくジタバタしていたほどだった。
最後はリザンだが、さすがに手慣れた様子で、早くも遅くもない速さで降りてくると、助けもかりずに入口に入ってきた。しかし、さすがに魔法の使いすぎがこたえるらしく顔色がよくない。
「リザン、少し休むか?」
「いや、時間が限られているんだ。のんびりできない。早く行こう」
だが、シラルムが反対した。
「まだ夜明けにも時間があるはず。二、三時間眠っておいた方がいいですよ。かく言う僕も頭がふらふらするんですよ」
この新しい通路は空気取りの穴のようだった。石組の通路を少し進んだ所で、バートたちは交代で浅い眠りについた。
* * *
薄明るい朝の光が、砂漠に並んだ色とりどりの大きな丸テントを照らしている。テントの中や周囲には、何人もの砂漠の民が働いている。
昼間、砂漠を覆っていた気の狂いそうなほどの熱気も、夜の間にすべて消え失せ、凍りつきそうな冷たい空気が、辺りをとりまいている。その冷たさも太陽が高く昇り、砂漠が熱く熱せられるまでのこと。人々は朝のこの一時の間に、水をくみ、家畜を追い、その日一日の準備におわれる。
ツーレは族長の大きな天幕の中から、村の様子をながめていた。その顔に浮かぶ表情は硬い。ツーレが村を去ってから五年近くたっている。しかし村は昔とまったく変わらない。外の国の人々には、恐ろしい蛮族の村かもしれないが、ツーレには何よりかけがえのない故郷なのだ。
「ツーレ様」
振り返ると影≠フマザイの姿があった。
「日が沈んで後、おおせの通り夜更けにあの冒険者たちを遺跡へ連れていきました」
「そうか……ご苦労だった。夕刻には儀式が始まる。おまえも支度をするといい」
ツーレは言葉を切ると、再び外の情景に目をやった。しかしマザイは去らなかった。ツーレは肩ごしに影≠見た。
「何かあるのか、マザイ?」
マザイはふかく頭をさげた。
「あの冒険者などにやらせずとも、われわれにおまかせいただければ……」
「その事か」ツーレの口元に笑みが浮かんだようだった。
「われわれの先祖は、神をも狩る力を持っていた……しかし、そのような力だけがすべてではないのだと私は知った。外の世界にはわれわれにはない知識や能力を持ったものがたくさんいる。その事を知るべきではないか?」
「あの者たちが、われわれよりもすぐれていると?」マザイの口調には、かすかないらだちが感じられた。ツーレは目を伏せる。
私の感じている事を、村の者に理解してもらうのは、今はまだ無理だろう。もしかすると永遠に無理かもしれない。しかし、このままでは砂漠の民は、内側から朽ち果てていくだろう。おごりたかぶるものは滅びる。このわかりきったことを、何故《なぜ》人は忘れてしまうのだろう……
ツーレは村の広場に作られてゆく、儀式の場である二つの円陣をながめた。
ラテリアがさらわれたと聞き、シェイラに兄バルリアの死を知らされた時、ツーレは自分の理想を求めるには、族長となって村に砂漠の外の考え方を取り入れるしかないと思い至ったのだった。
自分が逃げるだけでは何の解決にもならない。ツーレはその事を思い知ったのだ。
「マザイ、私の考えはおかしいか?」
「族長の考えとしては……危険でございます」
「……そうか」
我が妹、ラテリアもそう考えるだろうか?
「……だが私はダライアには負けぬぞ」
「我らの長《おさ》はツーレ様お一人です」
マザイの言葉には偽善の響きはない。本心からそう思っている。ツーレにはありがたくもあり、また、悲しくもあった。
「マザイ、私の杖を。神殿へ行き心を清める」
「ただちに」マザイは部屋を出ていく。
ツーレは一族の象徴である、砂漠を渡る風を模様として織り込んだ肩帯をつけた。そして時をはかるように空をあおぐと、天幕を出ていった。
* * *
空気取りの穴をさまよい出して、かなりの時間がたっていた。穴はせまく入り組んでいる。しかし、ワナなどが見あたらないことは大いに助かった。
やがて空気穴は行き止まりになった。穴はまっすぐな縦穴になって、頭上高く伸びている。
「登れなくはなさそうだが、どうする?」
「空気穴が上へ行くものしかないなら、ここが最も地下深い場所じゃないかしら。そうだとすれば、ここにラテリアさんが閉じ込められているかもしれないわよ」
プラムの意見にリザンもうなずいた。
「この穴は安全だけれど、いつまでもここにいては、ラテリアさんを捜すことができない。さっきの横穴から外に出よう」
バートたちは空気穴を引き返した。横穴はグラスランナーならば立って歩けるが、人間やエルフは背を屈めなくては通れない。
バートは先頭になってその穴にもぐり込んだ。すぐ後ろにプラムがリザンの棒杖《ワンド》をかざしていた。棒杖《ワンド》に宿っている光がバートの後ろから通路を照らしている。
穴は別の空間につながって終わっていた。バートは用心ぶかく外をうかがった。通路だが、誰もいないようだ。
窮屈な思いで体の向きを変えると、バートは通路に降り立った。続いて降りてくるプラムに手をかす。リザンとシラル以が降りてくる間に、バートは通路の先をうかがった。人の気配はなさそうだが……。
「あっちから何か聞こえるわ」床や壁に耳を近づけて、物音をうかがっていたプラムが言った。
通路にはやはり彫像が並んでいる。最初に見たものは悪魔めいた人の姿だったが、ここにあるものはドラゴンに似ている。
「この姿にふさわしい物が出てきたら、大変な目にあいそうだな」バートはぼやいた。だが、ありがたい事に彫像やその周囲に変化はない。
「明りを消さないと、気づかれてしまうわ」プラムが警告した。
「僕が見てきますよ」シラルムが言う。
リザンは光を放つ棒杖《ワンド》を、懐に入れた。まったくの闇が彼らを包み込んだ。白い明りが消える。バートたちは身動き一つせずに立ちつくした。シラルムが離れたのも、戻ってきたのもわからなかった。急に人の気配がするとシラルムのささやき声がした。
「少しさきに、扉があって見張りが二人いますよ。上への階段は、その向こうにあるようです」
「このまま進むしかなさそうだ。リザン、俺のベルト帯につかまれ。プラムもはぐれるなよ」
バートは片手で壁をさぐりつつ、通路を進んでいく。足音をしのばせて、ゆっくりと進んでいたが、ふとシラルムが押しとどめた。バートたちは一かたまりになって頭をつきあわせた。
「もう数歩先で右に曲がると、見張りがいます。曲がり角まできたら合図しますから、明りをつけてくださいよ」
「わかった」バートがうなずく。再び前へ進んだ時だった。
「気づかれた!」
シラルムが叫び、バートは壁に叩きつけられた。通路に光が戻る。目の前に剣をかざした砂漠の戦士と、ショート・ソードでそれに対抗しているシラルムの姿があった。バートはブロード・ソードを抜くと、砂漠の民に切りかかった。
二人の砂漠の民の一人が、バートに向きなおった。その手の曲刀が躍るようにバートの剣をくぐって切りつけようとする。バートは盾のかわりに予備の短剣を左手で抜いた。相手も空いた手で短剣を引き抜いた。
二人は激しく切り結んだ。剣の腕は同じぐらいのようだ。しかしバートは慣れない剣を使っていることと、鎧を身につけていない頼りなさが動きを鈍らせている。敵の剣はどうにか払いのけているが、このままでは分が悪い。バートは一かばちかのかけに出た。足を引き、ふらついたふりをする。
戦士はここぞとばかりに曲刀を振り下ろした。短剣で受け止める。戦士が一歩踏み込み、短剣がせまる。だがバートはそれを避けない。かわりにブロード・ソードを踏み込んでくる男の胸に突き出した。
短剣がわき腹を裂く。苦痛を怒りに変えてバートはソードに力を込めた。砂漠の戦士の目が大きく見開かれ、口の端から血があふれる。ごぼっと血の泡を吹きながら、男は倒れた。
ソードを抜いて、バートはもう一人の戦士に向きなおった。わき腹が焼きごてを当てられたように痛むが、気にしているヒマはない。
リザンと男が向きあっていた。リザンはシラルムのソードを右手に、棒杖《ワンド》を左手に持って身構えている。
それに対する砂漠の戦士は、リザンと対照的な男だ。剣を使うよりも格闘戦が得意そうであり背も高い。
その男もかなり手傷をおっていた。服には炎による焼けこげがあり、左腕は魔法の直撃を受けたらしく、肉が弾けて崩《くず》れている。しかし、目の前の魔法使いは組みしやすいと知って、余裕の笑みを浮かべている。リザンの後ろには気を失って倒れているシラルムと、弓を構えているが、撃つに撃てないプラムの姿があった。
戦士が切り込む。リザンはなんとかそれを受け止めたが、それはただのフェイントだった。戦士の蹴りがリザンを吹き飛ばす。
「ぐうっ」
くぐもったうめきをあげてリザンが倒れた。ショート・ソードが床に落ちて固い音をたてる。
「きさまぁー、俺の兄弟になにしやがる!」バートは怒りの叫びをあげて、戦士に切りかかった。
不意撃ちの一撃は、まちがいなく砂漠の戦士の胸を叩き切った。戦士の体は背後の壁にぶつかって床に倒れふした。石畳に血があふれる。それでも男はさらに立ち上がろうとする。振り下ろしたバートの剣を曲刀で受け止める。だが、さすがにそれが精いっぱいのようだ。バートは相手の曲刀を払い落とすと、男の頭に剣を叩きつけた。骨の割れる音が響く。男は横倒しになって動かなくなった。
荒い息をついてそれを見ていたバートは、リザンのうめき声に、義兄弟のもとへ走りよった。
「リザン、大丈夫か?」
リザンは小さくうなずいた。そしてシラルムを見る。バートはシラルムに近づいた。エルフはピクリとも動かない。不安にかられて胸に耳を押しあてる。確かな鼓動が聞こえて、バートはほっとした。
「あいつに頭を壁に叩きつけられたの。死ななかったのが不思議なぐらいよ」涙声でプラムが言った。
バートは見張りが守っていた扉に目をやった。一枚の石でできた扉だ。開けたいが、うかつに触るわけにいかない。
「あたしが見るわ」プラムが声をかけると、扉に近づいた。用心深く扉を調べはじめる。
見張りが鍵を持っているかもしれない。バートは見張りの死体へ屈み込んだ。持ち物を調べる。だが奇妙なお守りや、何枚かの貨幣が見つかっただけだ。
そのお守りの中に見慣れた物を見つけて、バートは思わず手を止めた。黒曜石でできた神像。半裸の体に多くの飾りをつけ、踊るように七本の腕を四方につきだしている。
「これは……?」
そのとき、プラムが言った。
「罠はないけれども、魔法の鍵がかかっているみたい」
「じゃあ、僕がやるよ」壁にもたれてあえいでいたリザンが立ち上がる。
バートはお守りをポケットにしまい込むと、リザンに手をかした。扉の前に来ると、リザンは握りしめていた棒杖《ワンド》を扉にあてて、呪文を唱えた。
少しの間があって扉が開いた。バートは中をうかがった。暗闇を白い光が溶かし、殺風景な部屋が浮かび上がった。その奥にこちらを見すえる人影があった。その女性はこちらをうかがいながら油断なく身構えている。プラムが呼びかけた。
「ラテリアさんでしょう? あたしたちです。オランのそばの街道でイアリングをあずかった」
きびしい眼差しでこちらを見ていた女性の表情がやわらいだ。街道で会った時ははっきりと見ていられなかったのだが、実に美しい女性だ。輝く栗色の髪がターバン風のかぶりものの下から流れ落ちる。砂漠の民独特の布地を大量に使った衣装が、彼女の華奢な体型を強調している。わずかにのぞく手足の肌は、かすかに日焼けしており、金の飾り輪が棒杖《ワンド》の光にきらめいた。
「どうして、あなたがたがここへ? ツーレは、私の兄には会えましたか?」気品をたたえた声が返ってきた。プラムが今までの出来事を話しはじめた。
聞き終えたラテリアは静かにうなずいた。
「ダライアは私を使って、兄を失墜《しっつい》させようとしているのでしょう。比べの儀式の時、ダライアは兄に失敗するように言うでしょう。そうなれば兄は二度と村へ戻ることもできなくなります。村を捨てた力なき男として村を追われるのです」
「じゃあ、早くここから逃げだして、村へ戻りましょう」シラルムの声に、バートは振り返った。「シラルム、大丈夫か?」
エルフは頭を押さえながら戸口によりかかっていたが、いつもの笑顔を浮かべた。
「僕の頭は石頭なんですよぉ」
「石頭のエルフなんて聞いた事ないわ」プラムはそう言うと、うれしそうにシラルムに駆け寄った。
「行こう」バートが言う。
ラテリアがバートの腕をとった。
「待って、ひどいけが」
そして心配気にわき腹の傷をうかがった。血はまだ止まってはおらず、服を染めながらにじみだしている。痛みはしびれるような感じに変わっている。
「先に私に傷の手当てをさせてください」
ラテリアは呪文を唱え、両手の指を組んで不思議な印を結ぶ。その手が魔力に包まれる。ラテリアの手が触れると、バートのわき腹の痛みはうそのようにひいていった。同じようにリザン、シラルム、プラムヘとラテリアは癒《いや》しの力を送った。
「いやぁ、楽になった。さっきまで頭の中でオーガーが走り回ってるような状態だったんですよ」シラルムがうれしそうに言った。
「この遺跡の造りはわかりますか?」リザンがラテリアに尋ねる。
「部族のそれぞれが守る遺跡は、他者には決して踏み入れさせないのです。でも、大体の造りはわかります」
「では出口のあるらしい場所へ」
ラテリアはうなずいた。
* * *
砂漠を見おろす天蓋《てんがい》の頂点に、日は高く昇っている。
砂漠の村では、新しき族長を決める、選びの儀式の前祝いが行われていた。ギラギラと照りつける日差しは、その下にあるものすべてを焼きこがす。
村の広場には二つの円陣が描かれている。砂漠にある円の中に、泉《いずみ》を呼ぶことがダライアとツーレ、二人の呪術の技を比べるための課題だ。
泉を作るぐらいは簡単だ。族長となるほどの人物ならば、病人になっても可能な技だ。だが二人の呪術師が、同時に同じ種類の精霊を呼んだ場合。現れる精霊は一つだけ。その一つの精霊をめぐって、純粋な魔力の勝負になるのだ。勝負に勝つには、相手よりも大きな力で精霊を呼ぶしかない。勝った方の円陣にのみ、泉がわきだす。
ダライアには勝つ自信があった。呪術の枝はツーレと同等のはず。そしてこちらには切札がある。しかしダライアはイラついていた。広場をはさんで向かいあう天幕の、下に座るツーレがあまりにも落ち着いていること。そして一度とりにがしたあと、消息をつかみきれない冒険者の四人組のことが、ブーツに入った小石のように、ダライアを悩ませていた。そして今朝の知らせ。
ラテリアを幽閉した遺跡に、何者かが忍び込んだというのだ。ツーレの部下に欠けた者はいない。
「ツーレめ、冒険者とつるんだというのか? それが真《まこと》であれば、どこまで魂《たましい》が腐っているのだ!? 砂漠によそ者を招き入れるだけでも重罪だ。そのよそ者を私の遺跡に踏み込ませるなどと……!」
ダライアは瞑想するかのように、目を閉じて座るツーレをにらみつけた。視線が鋭くなり、ツーレの額を見すえる。
自分が邪眼の呪い≠使おうとしている事に気づき、ダライアは慌てて視線をそらした。邪眼≠ノ気づいているはずなのに、ツーレは身動き一つしない。
「ツーレ、一族の恥さらしめが!」
ダライアの中には、ツーレヘの激しい憎しみと、嫌悪の怒りがうずまいていた。
ダライアは身分の低い戦士を呼び寄せた。戦士は恐縮しながら、彼の足下へひれ伏す。
「おまえの仲間を集めて、我が神殿へ行け。そして日が沈むまで、何人たりと遺跡より出すな。出ようとする者は殺せ。たとえ、それが……ラテリアであっても!」
* * *
バートたちは弾かれたように、通路を走っていた。彼らの背後では、追っ手の騒ぎの声が大きくなってゆく。何かが風を切って頭上を飛んだ。それは壁に当たって火花を散らした。金属でできた丸い円盤だ。
「戦輪《チャクラム》? 私たちを殺すつもりなの? ダライアは私を殺すつもりなのかしら!?」
ラテリアの驚きの声が聞こえた。バートは言った。
「前から聞こうと思っていたんだが、どうしてあんたは殺されずにすんでいるんだ? わけでもあるのか?」
「私は族長の象徴の一つなのです。私は族長の妻となって、村の象徴の一つとならなくてはなりません。だからダライアも私を殺すわけにはいかないはずなのです。しかし……」
「どうも俺たちは、ダライアのだんなを、いたく怒らせたみたいだね」
「あなたたちが遺跡に入ったからです。遺跡は代々受け継がれた聖なる場所。同族ですら招かれずに入ることはできないのです」
「つまり、僕たちは王宮に入ったゴブリンみたいなもの。というわけですね?」
シラルムの声に、ラテリアはうなずいた。彼女は一方を示した。
「こっちです。一つ抜け穴を思いだしました。あの扉です」
バートはラテリアが示した扉を押し開いた。両開きの扉の一つがゆっくりと開く。罠があったとしても、調べているヒマはない。バートたちは扉の向こうへ転がり込んだ。扉を閉める。リザンが呪文をつぶやく。とたん、扉はぴくりとも動かなくなった。リザンはよろめくと、床に倒れ伏した。
「リザン!?」
「魔法を使いすぎて気絶したんですよ。心配はいりません」そう言ったシラルムも、同じように倒れる寸前といった様子だ。「リザンは僕が見てますよ」
バートはうなずくと、リザンの手から棒杖《ワンド》を抜くと辺りにかざした。
祭壇の間のようだ。円形の広間の奥に、ドラゴンをかたどった像がある。
中央の大きな像のほかにも、周囲にはいくつもの彫像が並び、バートたちをねめつけている。彫像はみんな戦いの衣装を身にまとっており、手に手に奇妙な形の杖や武器を持っている。
ラテリアは振り返ると乱れた髪をかきあげた。
「この部屋のどこかに、隠し通路があるかもしれません。探してください」
「明りを持ってきて。暗くてよく見えないの」
祭壇の向こうからプラムが呼ぶ。
バートには罠や隠し扉を見つける事ができない。彼は大人しくグラスランナーの後について、手元を照らしだした。
扉の向こうから物音が聞こえる。何かで扉を破ろうとしているのかもしれない。
「あら、これは……?」プラムの声にラテリアがのぞき込んだ。
祭壇の下の石段の一つが外れる。それを外すと小さな銀の輪が現れた。引戸の取っ手に似ている。ラテリアがそれを引いた。低いきしる音と共に彫像の一つが持っていた石の盾がずれて、上へ向かう階段が現れた。
「やった、あれを上れば外に出られるかしら?」
「私の知る遺跡では出口になっているのですが……」
「きっと出口さ」
バートは棒杖《ワンド》をラテリアに渡すとリザンとシラルムに近づいた。
中で起こった物音を聞いたらしく、扉を叩く音は激しくなっている。シラルムは眠り込んでいたが、肩に触れると飛び起きた。ラテリアとプラムは抜け道に入っていく。バートはリザンを背負うと、シラルムと共に抜け道をくぐった。
階段の途中にも同じような銀の輪がある。ラテリアがそれを引くと、入口がふさがる。
プラムを先頭に、バートたちは上への階段を上っていった。
「たぶん、まだ昼を少し過ぎた頃のはず。これが地上に通じていたら、儀式の刻限までには村へ戻れるでしょうね」
疲れた声でシラルムが言う。バートは祈る思いで階段の上を見上げた。しかし階段を上りつめたバートたちの前に広がったのは……。
「迷宮……」ラテリアが絶句した。
砂漠の民は多くの争いを経験してきた。他民族との争いもあれば、同じ部族同士の抗争もあった。遺跡が荒され、残った者が逃れるとき、部外者を引き留める最後の罠であり、関門として複雑な迷宮が作り出されたという。
バートたちの前に広がる無数の通路こそ、その迷宮であった。
「正しい道を知らない者には、ここは越えられない。もし、偶然が味方しても、外へ出られるのはいつの事か……」
「それじゃ、間にあわないわ!」
プラムの声が、いくえものこだまになって、いにしえの迷宮に広がっていった。
* * *
弦楽器と不思議な音階を持った笛の音が、祭り騒ぎに酔いしれる人々の頭上を流れていく。
日は傾き、砂漠の砂からは昼間の熱気が失われようとしていた。その砂を前に、相対する二人の男がいた。ダライアとツーレである。
二つの円陣を挟むように二人は立っていた。二人はよく似ていた。顔形が似ているわけではなく、体つきも似ているというにはほど遠い。しかし二人の持つ雰囲気は、どこか共通していた。それは、幼い頃から共に育った従兄弟だからだろうか? いや、もっと奥深い部分で、この二人は通じているのかもしれない。
二人の背後には、それぞれに仕える者たちが、大きな円を描くように座っている。二つの交わる場所には、村の二つの長が座っている。事によっては、族長よりも高い力を持つ呪術の長≠ニ剣武の長≠ナある。
二人の長が立ち上がった。周囲に沈黙がさざ波のように広がった。ついさきほどまで耳を聾《ろう》せんばかりだった音楽も止み、時すら歩みを止めたかのようだった。
二人の長が詠唱を始めた。
「 砂漠の民よ聞け 砂漠の民よ聞け
渡る風≠フ長はいずこ 我らが長はいずこ
血は絶えたか さにあらず
血は継がれるか いまここに
いにしえの技を継ぐもの 竜《ドラゴン》をよぶ者
残されしものを守り 伝承をつむぐ
我らを導くもの 我らが求め集う者
継ぐ者よ名を告げよ 継ぐ者よ名を告げよ」
「我は流れる風≠フダライア!」
「我は渡る風≠フツーレ」
円陣の二人は名を告げた。長たちはうなずき、各々の手にした杖と剣をかかげた。
「流れる風≠フダライア 寂る風≠フツーレ
砂漠の精霊よ いにしえの光よ
儀式を見たまえ 儀式を守りたまえ」
ダライアとツーレは円陣の中へ踏み出した。ふと、ツーレの視線が足下に向けられる。表情がこわばり、冷たい怒りの目でダライアを見すえた。
ツーレの足下には、ラテリアのイアリングの片方が落ちていた。それはダライアからのメッセージだった。ラテリアが大事なら、さからうな
ツーレの視線を受けて、ダライアは低く笑っている。ツーレは視線のすみにいるマザイを見た。マザイは小さく首を横に振った。
「バート、ラテリアを救い出せなかったのか?」ツーレは小さくうめいた。
呪術の長≠ェ杖を二つの円陣の中央に立てた。
「儀式は厳粛にして絶対。おのおの、忘れめさるな。では今より始める」
立てられた杖が、薄い水色の光に包まれた。円陣の中の二人の男は、おのおのの印を結ぶ。低い呪文の詠唱が流れた。
詠唱される呪文は、どちらも全く同じものだ。二人は精霊を呼び寄せた。
水の精霊界にただよう精霊の一つが、その呼びかけに応じて、精霊界から出現しようとした。
しかし、実体化する寸前で精霊はとまどった。どこに出現すれば良いのだろう? 二つの場所で呼びかけは行われ、二つの場所が精霊を引き寄せる。
精霊はより強い力へと身をゆだねた。精霊は一つの場所へ引き寄せられる。だが、それを知ったもう一つの呼びかけが力を増す。精霊は引きはがされるようにそちらへただよった。精霊を奪われた方は、さらに強い力で精霊を引き寄せる。
それが幾度続いただろうか。小さな精霊は力の奔流に耐えきれず、引き裂かれるように消滅してしまった。
「道≠セ」カッと目を開いたダライアが言う。
「わかった」同じように目を開き、ダライアの視線を捕らえたツーレが答えた。
二人の呪文が変化する。その呪文はこの世では失われたとされる精霊界への道≠開く呪文であった。しかしこの呪文で開かれる道は、精霊界のごく浅い部分にしか通じない。それ以上の侵入は、精霊のためにも、彼ら砂漠の民のためにもならない……そう言われているのだ。
精霊界と物質界の間にダライアとツーレは出現した。肉体は今も砂漠の村で詠唱を続けている。精神の一部がこの空間に現れたのだ。
「ツーレ、退け」ダライアが言った。「おまえはすでに村を捨てたのだろう? なぜおめおめと戻ってくる?」
「私は村を導く」ツーレが答える。
「おまえに何ができる?」ダライアの思念があざ笑いを放った。「外の世界にかぶれ、兄も妹も放り出して逃げたおまえに」
「私は気づいたのだ。私がやらなくてはならない事に。確かに私は逃げだした。己《おのれ》をかえりみずに外ばかりを見続けた。そしてその代償を払うことになった。我が兄の命という形で」
ツーレは叫んだ。
「ダライア、なぜ兄上を殺した。尊敬していたのではないのか?」
「ああ、尊敬していた。敬《うやま》っていた。おまえたち兄弟はわたしのあこがれだった。それゆえに、わたしはおまえたちと同等に扱われようと努力した。剣技も、呪術も、狩りも毒学もすべておまえたちを超えた。わたしはおまえたちのそばにいる事で満足だった」ダライアの意識は震えた。
「だが、ツーレ、おまえが村を捨てた事が、わたしの中に欲≠生み出した。そうだ。わたしは思ったのだ。わたしがおまえの後がまとなって、族長の一族となれるやもしれぬとな。馬鹿馬鹿しい。わたしは所詮《しょせん》、おまえたちの従兄弟。汚れた血の者なのだ。わたしがどれほど努力しようとも、わたしはおまえの代理でしかなかった」
ダライアの意識が放つ、あざけりと悲しみと怒りに、ツーレはゆらめいた。ダライアは続けた。
「わたしは憎んだ。認めようとしない人々を、自分の汚れた血を、そして純粋な血を持つおまえとバルリアを。ツーレよ、何故おまえが族長の血の者なのだ? 何故《なぜ》わたしは汚れた血の者なのだ? おまえよりもわたしの方がすぐれているはずだ。何故おまえでなくてはならない!?」
「……真《まこと》に、そうだな……ダライア」
「わかっていると言うのか!? ならば、退くがいいツーレ! すべてをわたしにゆずりわたすのだ!」
「そうできれば、それが正しいのかもしれない。だが……いや、私は退かん。私にはやりとげたい事がある。ダライア、おまえは感じたことはないか? 砂漠の民のゆがみを。長らく己だけのカラに閉じ込もった者の滅びいく様を? 私はそれを救いたい」
「滅びだと? 笑止! 我らはすぐれた者。滅びなどありえぬ。我らは外の蛮族どもとはちがうのだ。あのような下賤の者とはな」
「だが、そのおごりが王国を滅ぼした。そうではないか? 己の持つ力への過信。陶酔が神を精霊を追放し、あわや世界を滅ぼそうとした! そしてダライア、おまえを苦しめた血≠焉Aそのおごりではないか? 力ではない。我々はもっと大切な物を失おうとしている。それを失ったとき、我々は、けだもの、悪魔……それ以下の存在となる。ダライア、おまえになら、おごりの生み出す邪悪がわかるはずだ」
「たわごとを!」
ツーレとダライアの放った力がぶつかりあった。強烈な衝撃が周囲を震わせる。精霊たちが危険を感じてその場から姿を消す。
二つの思念からいくつもの力が飛び交った。物質界では魔力と呼ばれる力だ。
力はうねり、伸び、堅く打ちつけたかと思うと、やいばとなって切りつけた。ツーレが言った。
「兄上を殺したおまえを許すことはできない。だが、私の考えを理解できるのはおまえしかおらぬ。いま一度……」
「考え? 外の汚らわしい蛮族の知恵か!? どこまで腐りきった、ツーレ!」
ダライアは容赦なくツーレに襲いかかる。
「おまえがそこまであてにしている蛮族どもは、今ごろ化物の腹の中だぞ」
ダライアの声と共に、二人の周囲に様々な死体が転がった。無惨に食い荒されたバートたちの死体もある。肉と骨をさらけ出した戦士の虚ろな眼球が、ツーレを見つめる。その死体のそばに、ぼんやりとたたずむラテリアの姿があった。
ラテリアはバートの死体から離れると、プラムだったらしい肉塊に近づく。そして彼女の持っていたダガーを手にすると、それを白いのどめがけて……。
「こけおどしはやめるんだなダライア」
ツーレが思念を飛ばすと、それら幻の情景は消え失せた。
「こけおどしだと思うか?」ダライアがあざけり声をあげる。
「なに?」
「わたしも初めはラテリアを生かしておくつもりだった。族長となる上で、最も豪華な飾り物だからな。だが、もうこれ以上、手をかけるわけにはゆかん。邪魔な者はすべて始末する」冷たい思考が流れる。
ツーレが叫んだ。「ラテリアは必ず取り戻す。もし彼女が死んだなら、ダライア、おまえを殺す。おまえがあくまで戦うと言うならば、やむをえん」
「こちらも手加減はせん。死ぬがいい。おろかな男よツーレ!」
ダライアは力を集めた。その輪郭《りんかく》が輝きはじめる。ツーレもまた己の力を高める。二つの存在は、それ自体を武器としてぶつかりあった。音のかわりに光が飛び散り、二つの存在は離れた。
ツーレの周囲に、刃物を思わせる強烈な力がみなぎった。その力の激しさにダライアはひるんだ。いままで彼が知っていたツーレの力ではなかった。強靭な気迫によって生み出された力。
「去れ、ダライア!」
ツーレの声にダライアは怒りに震えた。
「なにを言う! わたしは去らぬ! 滅びるのはおまえだ! 我が力を受けるがいい!」
ダライアの作り出した輝く槍がツーレを襲う。それはツーレの作り出した盾を貫《つらぬ》いた。だが、その一瞬、ツーレは盾を使って槍をからめとる。そしてそのすべての力を、自分のものとしてダライアヘ投げつけた。
白銀に輝く槍は、恐ろしい力となってダライアを捉《とら》え、貫いた。
「ツーレ!」ダライアの絶叫が精霊界に響きわたった。
詠唱を続けていたダライアの体が硬直した。驚きに目を見開き、何か言おうと唇を開いたが、そのまま砂の上へ崩れ落ちる。ダライアの配下の者が駆け寄った。しかし、すでにその男の魂《たましい》は消え失せていた。
ツーレは瞼《まぶた》を開いた。組んでいた印を変える。静かに精霊を呼ぶ。そして視線を足元に下ろした。
足元には生まれたばかりの泉が、清浄な水をたたえている。その水底にラテリアのイアリングが輝いていた。
呪術の長≠ェ杖を手にした。水色の光はすでにない。彼の低く通る声が響いた。
「儀式は終わった」
歓声がわきおこった。ツーレの名が高らかに呼び交わされる。
しかし、ツーレは表情を失ったまま、水底のイアリングを拾い上げた。赤と青の小さな宝石がきらめいた。つぶやくように語りかける。
「ラテリアよ。私のこれからの道のりは長い。おまえが側にいてほしかった。だが、私の考えを知ったら、ダライアを、バルリアを死に追いやったのが、私であると知ったならば、おまえも私を憎んだかもしれない……」ツーレの顔に、悲しい自虐《じぎゃく》の笑みが浮かぶ。
「……ラアリア……」
ツーレはそっと妹の名を呼んだ。
その頬に触れるかすかな物があった。手を伸ばす。それは淡く輝く細い糸だった。糸はツーレを誘うようにゆらめく。ツーレは振り返った。
そしてその顔に驚きと安堵の表情が広がった。円陣のすぐ外にラテリアが立っていた。栗色の髪は乱れ、白かったローブはほこりと血に汚れている。しかし、その微笑みはすべての汚れを払うように輝き、静かにツーレを見ていた。輝く糸は風にゆれながら、彼女の手の中に消えていく。そこには小さな糸玉があった。
プラムのポケットにあった不思議な魔法の糸。それが彼女たちを迷宮から助けだし、まっすぐツーレのもとへ導いたのだった。
「ラテリア!」
ツーレは泉から走り出るとラテリアを抱きしめた。やわらかく、温かな彼女の体を破かめる。
「無事だったか、愛しい妹よ!」
ラテリアは小さくうなずいた。ツーレは妹であり、妻となる彼女をしっかりと抱きしめた。
激しい喜びがおさまって、ようやく彼は人混みの後ろからこちらを見ている冒険者たちに気づいた。疲れきった様子だが、うれしそうにツーレたちに手を振り、呼びかけている。その声は周囲の歓声にまぎれて、ここまで届かない。
ツーレは彼らのそばへ行き、感謝の気持ちを伝えたかった。しかしそれはできない。彼らがよそ者であるとわかったとたん、たとえ族長のツーレが止めたとしても、彼らは村人によって殺されてしまうだろう。それが砂漠の民の掟だ。
「すまぬバート。私は人を介してしか、おまえたちに礼を言うことができぬ……」
「兄さま……いえツーレ。彼らにはわかっていますわ。兄さまがいかほど感謝しているか」
ラテリアの静かな声に、ツーレは彼女を見おろした。
「ラテリア。私はおそらく部族でもっともあざけられる族長となるだろう……」
言うべき言葉を失って、ツーレは目をそらした。ラテリアの手が、そっとツーレの頬《ほお》に触れる。ラテリアはうなずいた。
「ツーレ。私は未だ、砂漠の外の人々には心を許せません。でも、彼らはなんだか違います。彼らには私たちにない生きる力≠ェあります。まるで石の上で芽《め》ぶいた種が、石を割ってまで根をおろすような力。ツーレ、あなたはそれを見つけたのですか?」
「生きる……力?」
ツーレの顔が新たな光に照らされたようだった。彼はうなずいた。力強く。ラテリアも微笑みを浮かべてうなずく。
二人は厳しいが晴やかな笑顔を、冒険者たちへ向けた。
* * *
和音に新たな音が加わった。竜はゆるやかに体を起こした。呼び声は確かなものに変わってゆく。だが、まだ意味はつかめない。
その呼び声がはっきりとした呼びかけに変わる時を思って、竜は不思議な感情にその体を輝かせた。その感情は恐怖と呼ぶべきだろうか、期待と呼ぶべきなのだろうか?
竜は閉ざしていた感覚を開いていった。いままで無視していた様々な音や力、光が竜の中に流れ込んだ。竜は目覚めようとしていた。
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第三章 消えた商船
「うみってぇのは、ひぃろいなぁ!」
「シラルム、止めてよ。ようやく気分が良くなったところなんだから!」
オランから南へ向かって、商業船「黄金のアヒル」号は、青く輝く海原を進んでいる。しかし、その晴やかな空と海とは裏腹に、バートの気分は最悪だった。船酔いである。
バートは船べりの手すりにぶらさがるようにして、遠くなったり近くなったりする海面をながめていた。胃が腹の中で裏返しになったような気分だ。船長の話では「こんな穏やかな時に酔ってどうする? 荒れた時はこんな物じゃない」そうだが……。バートは蒼白な顔をしかめた。ああ、陸が恋しい。
「おう、どうした兄ちゃん、まだなおらねえのか?」水夫のカインズが声をかけた。水夫にしておくにはもったいない、筋骨|隆々《りゅうりゅう》の大男だ。
「どうだ、一緒に甲板そうじでも……いや、やめとくか。汚されたらおしまいだからなぁ。ま、頑張れよ!」
カインズの大きな手が、思いっきり背中を叩く。
「む、が、うぐっ……」
ショックで胃がのたうつ。溺《おぼ》れかけたゴブリンのような声をあげたバートは、手すりに爪をたてつつ、それを耐えしのんだ。
最近、オランから南東の海を渡る船が、次々と行方不明になっていた。
大きめの商船までが狙われているところを見ると、かなり大きな海賊組織があるにちがいない。そう踏んだオランの自衛軍の船が、何度もその海域を調べた。しかし、手がかりは一つもえられない。その間にも船は行方不明になる。
仕方なく商船の船長や積荷主は、個人で傭兵や冒険者を雇いはじめたのだ。バートたちも、その一団、というわけだった。
「あーあ、見てらんないねぇ。男だろ? しっかりしなよ」
目の前に湯気の立ちのぼるカップが差しだされた。見上げると、赤い髪をした気の強そうな娘の顔があった。大きな緑の瞳が、げんなりとしているバートを映している。
「酔どめだよ。料理人のマーディにもらったんだ。飲みな」
「ん、ありがとう」
バートはカップを受け取った。何も胃に入れたくなかったが、このままひどくなるぐらいなら、薬ぐらい我慢しよう。飲物はほろ酸《す》っぱく、強い薬草の香りがした。
飲み終わったカップを受け取った娘は、小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。「大の大人が船酔いだなんて、なさけないとは思わないのかい? たるんでるから酔ったりするのさ。海賊退治のために乗ってるとかいうけど、あてになるのかしらね」
彼女は少し離れた手すりにもたれかかる。結構かわいい娘だし、薬を持ってきてくれた。好意を感じていただけに、その嫌みな口調にバートは顔をしかめた。彼女は続けた。
「大体、あたしは冒険者や傭兵は信用しないのさ。どっちも金のためだけに働いてるんだろ? 何かあってもすぐに逃げだすし、金さえ積まれれば寝返っちまう。ギルドとやらが一生懸命手綱を握っているっていうけど、お宝を持ったまま逃げだした冒険者の数は星の数いるからね。あんたたちもその一つになるんじゃないのかい?」
バートは怒りの表情を浮かべた。しかし彼女は逃げもせず、面白そうに彼を見ている。
「怒ったの? でもあたしは嘘はついていないわ。冒険者は信用できないし、傭兵は裏切り者だもの」
「そんな事はない。確かにそんなやつもいる。だからといって、すべてがそうじゃない。俺の父さんは傭兵だった。だが裏切り者ではなかった!」バートは赤毛の娘をにらみつけた。彼女も険悪な表情でバートをにらむ。
が、急にその表情が和《やわ》らいだ。にっこりと微笑むとバートの胸を手の平で叩いた。
「うふふ、むきになってかわいいんだから。あたしだって、冒険者にも傭兵にもいろんな人がいるって事ぐらい知ってるわよ。ちょっぴり、あなたの怒った顔が見たかっただけ」
そう言うと人差し指でバートの鼻の頭をはじいた。くるりと背を向けてかろやかに甲板を走っていく。やや行ったところで、思いだしたように振り返った。
「あたし、アネリーっての。船酔いなおったでしょ?」
バートははじかれた鼻の頭をさすっていたが、そう言われて船酔いが消えていることに気がついた。バートがうなずくとアネリーは笑顔を浮かべて走り去った。バートはしばらく考え込んでいたが、やがて彼女の消えた方へ向かった。
* * *
夜の当番に当たったバートは、同じ当番となったアネリーについて甲板にあがった。
あのあと、バートは何かと彼女のそばにいた。一応、建前はあった。冒険者に対する彼女の考えを変えたい。しかし彼の本心は別にあった。どうも彼女に惚れてしまったらしい。この感情に一番とまどっているのはバート本人だった。
「ん、んん〜。ああ、船室は人の住む所じゃないよ。暗くて臭くて湿っぽい。ゴブリンの巣だよ」
甲板に出たアネリーは、大きく背伸びをした。薄着のせいか、星明りの中に浮かび上がった彼女のシルエットは、女らしい体のラインをくっきりと描き出している。
日の光の下では燃えるような赤だった髪も、今は暗がりの中にかすかに赤みがかるだけ。踊るように階段を駆け上がると、くるりっと振り返った。その顔にはいたずらっ子のような無邪気さがある。
彼女の後について甲板にあがったバートは、ぼんやりと彼女に見とれていた。見おろしたアネリーが不審そうな顔をする。
「ぼーっとして、どうかしたのかい?」
「い、いや、なんでもないよ」
バートはとびあがると、慌ててあとずさった。不運だったのは、その下にロープの束があったことだ。ロープに足をとられたバートは、そのまま、はでな音をたてて後ろ向きに転がった。
「なぁにしてんだ?」物音に驚いたのか、マストの上の見張りが顔をのぞかせた。
「このバカが、一人でロープにじゃれついてんだよ。ほら、寝ぼけてないで、さっさと立ちな」
アネリーは肩をすくめると、さっさと歩いていく。バートは跳ね起きると、ロープを適当にかきよせて、彼女の後を追った。
「君はどうして船乗りになったの?」
「なんだい、どうしてそんな事を聞くんだい?」
「ん、別に……。ただ、聞きたくなったんだ」バートは照れくさくなって、そっぽを向いた。
「変なやつ。特に深い理由なんてないさ。海には宝物がいっぱいあるかもしれないな……って思ったから、船乗りになったのさ」
「じゃあ、冒険者になればよかったのに。それともやっぱり冒険者は嫌いなのかい?」
ちらりと横目でうかがう。アネリーは肩をすくめた。
「昼の事、本気にしてたのかい? あれはあんたを元気づけようと思って喧嘩をふっかけただけ。でも、あたしは冒険者は遠慮しておくわ。剣を持って化物《ばけもの》と戦うなんてぞっとするし、世の中には、もっと楽しい仕事がたくさんあるもの」
「冒険者自身も遠慮したいのかな?」
バートはぼそりと言った。アネリーがバートの顔を見る。その大きな瞳を見るのがはずかしくて、バートは空を見上げた。耳たぶが熱くなる。アネリーは小さく笑った。
「どうかしら。相手にもよるんじゃないかしら?」
バートはアネリーを見たが、彼女は歩みを速めて先へ進んでいく。おもわせぶりな言い方にバートは自分でも滑稽《こっけい》なほどに喜びと不安を感じていた。
月はなかったが、満天の星から降りそそぐ光があった。風の中に潮の音が染みとおるような夜だった。アネリーは甲板を音もなく軽やかに歩いていく。彼女の歩みは静かだった。まるで妖精が歩いているように。
本来ならば、別々に見回るはずを、彼はアネリーのそばについたままだった。わかっていてか、わからずにか、アネリーは何も言わない。二人は船首に出ると、前方に広がる海をながめた。
船首が沈むたびに、波をかきわける音が聞こえる。帆が風を受けてゆったりとはためき、マストやあちこちの木材がきしりをあげる。バートは水平線に目をやっているつもりだったが、実際は何も見ていなかった。
どうして俺はこんなにおたおたしているんだろう?
バートは自問した。そしてそっと彼女を見た。確かにかわいい。飾り気がないがその分、磨けば光るように思える。眉や鼻すじ、あごのラインは女らしいが、どこかりりしさがある。そのまま、白いうなじと肩への曲線に目をやる一が、その柔らかさにドキリとして目をそらした。
しかし、見れば見るほど、知れば知るほど彼女は船乗りには見えなくなる。船乗りというよりも狩人《ハンター》や野伏《レンジャー》に見える。それは彼女の動作の一つ一つが滑らかに流れるようだからだろう。それにどこか謎めいた様子がある。
「すごい霧のかたまりだわ」
彼女の言葉で、ようやくバートは前方に現れた霧のかたまりに気づいた。それはかなりの速さで船にせまってくる。
「霧が出ると寒いよ」
さりげなくアネリーの肩に手をやろうとしたバートは、彼女の様子がおかしいことに気づいた。彼女は手すりから身を乗り出して、せまってくる霧をくいいるように見つめる。
突然、彼女は振り返ると船室の入口へ走りだした。
「アネリー!?」
突然のことにア然としていたバートは、慌てて彼女の後を追った。
「兄ちゃん、下手な口説き方したんだろ?」
見張りがニヤニヤ笑いながらバートに声をかけた。
「若いやつはせっかちだからねぇ。余裕を特ってなきゃ女は口説けねぇよ」
今までの事は全部見られていたのだと気づいて、バートは顔が赤くなるのを感じた。
バートは霧に目をやった。白い霧は渦巻きながら海の上を近づいてくる。それはますます深く大きくなり、船を覆っていく。満天の星空だったものが、煙のような霧に閉ざされていく。霧にとりまかれたとたん、バートの意識が遠くなった。
これは霧じゃない!
冒険の旅で、バートはこの霧のことを聞いたことがあった。もっと早く気づいてもよかったのだ。ただ、あまりに大きく、大量に押し寄せたので、まさかそれ≠セとは、気づかなかったのだ。
こいつは「|麻痺の雲《スタン・クラウド》」!
みんなに知らせなくては。その考えが浮かびはしたが、バートにはそれ以上の事はできなかった。体中の力が抜け落ち、崩れるように甲板の上に倒れ伏した。
* * *
周囲がグルグル回っているようだった。暗闇の中で彼は一人っきりだった。遠くから彼を呼ぶ声がする。その声は急速に近づいてくると、耳元での大声になった。
「バート!」
「うわぁ!」バートは跳ね起きた。
「ほぉら、一発じゃない」プラムがニコニコとバートを見ている。
バートは事態がのみ込めず、ぼんやりと辺りを見回した。シラルムもリザンもいる。船長と見張りもいるが、他の人々は見あたらない。その代わり、一人の見知らぬ老人がいた。そしてどうやらここが牢屋らしい部屋の中だとわかった。
石壁の部屋に彼らは閉じ込められていた。部屋の壁の一方は頑丈そうな鉄格子。その向かいの壁には小さな明り取りの窓が見える。
持ち物を調べる。鎧はつけたままだが、剣や装備品はすべて取り上げられていた。みんな同じ状態のようだ。
「一体ここは?」
バートの問いかけに、全員の目が見知らぬ老人に集まった。老人は壁ぎわに座って真っ白な髭をしごいていた。が、みんなの視線が集まっているのを知ると、驚いたように姿勢を正した。
「なんじゃい、またわしが話さなくてはならんのか? ここはカゾフの西にある小島じゃよ」
まだ、何か話があるみたいだったが、老人はそれだけ言うと、再び髭の手入れを始めた。リザンが口を開いた。
「彼はノーランドという賢者だよ。この島全体が古代王国時代、様々なモンスターや犯罪人を閉じ込める場所だったそうだ。今は海賊のアジトというわけだがね。ノーランドはこの島に住んで、遺跡を調べていたんだそうだ」
「ああ! あの|麻痺の雲《スタン・クラウド》≠ヘ?」
「あの霧にまかれて、みんなが寝込んじまったところを、海賊にとっつかまったんだ」見張りのノリスが言った。
「あの|麻痺の雲《スタン・クラウド》≠ヘ、本来はこの島の周囲を覆う、麻痺の壁だったんじゃ。だからとても強力なものじゃよ」ノーランドと呼ばれた老人が顔を上げると続けた。
「わしが様々な文献を元に、島の頂上に残っておった|麻痺の雲《スタン・クラウド》≠生み出すカラクリを復元したわけなのだが、今では賊どもの武器になってしまった」
「この辺りの海で行方不明になった船は、みんなここへ運ばれたっていうわけかい?」船長が老人を見る。
「そうじゃ。二、三日に一隻ぐらいの割合で、船が捕らえられては、ここへ来た」
「その割には静かじゃないですか?」
シラルムの言葉に、みんなが耳をすませた。
部屋の奥にある、小さな明り取りの窓から、波の打ち寄せる音が響いてきた。そして壁の向こう、隣《となり》の牢から話し声がする。しかし、それ以外の物音は一切なかった。
「ここへ連れてこられたやつらはどうなったんだい?」
バートの問いにノーランドは首を振った。
「わからん。船が捕らえられてくると、乗っていた者たちは、しばらくはここに閉じ込められている。しかし二日もたたないうちに連れ出されてそれっきりじゃ。どこかへ売り飛ばされているのじゃないかの」
「じいさんはどうして大丈夫なんだ?」
「|麻痺の雲《スタン・クラウド》≠フカラクリが万が一壊れたら、なおせるのは世界広しといえどもこのわしだけじゃ。殺せるわけなかろう」ノーランドは当り前だと言いたげにバートをにらんだ。
「バート、この牢には見張りがついていないわ。さっさと逃げだしましょうよ」
格子ごしに外をうかがっていたプラムが言う。
「道具もなしで開けられるのかい?」船長が気のなさそうに尋ねる。
「道具はあるわよ」
そう言うとプラムはベルトや腕輪、ブーツをいじりはじめた。またたく間にピンや小さなこて、鏡が現れる。船長が小さく口笛を吹いた。
「じゃが、ここから出たとしても、海へ出たとたんに、また|麻痺の雲《スタン・クラウド》≠フ霧に捕らえられるだけだぞ」ノーランドが言う。バートは答えた。
「じゃあ、そのカラクリとやらを壊してしまえばいいわけだ」
「やれるか?」
「やるしかないだろう?」
それを聞いたノーランドの顔が明るくなった。
「わしはその言葉を待っておったのかもしれんな。冒険者ならできるかもしれん。杖さえあれば、わしも手伝いができる。おまえさんたちの腕前を見せてくれんか」
「じゃあ、まずは私が頑張るわけね」プラムはそう言うと、ニッコリと微笑んだ。
「シラルムさん。足台になっていただけるかしら?」
「ハイハイ、お嬢様どうぞお登りください」
シラルムが格子にもたれるように座る。その肩にプラムが登った。そうするとちょうどカギの高さにプラムの胸がくる。
プラムは鏡とピンを手に、カギにとりかかった。小さな物音だけが辺りに響く。隣の牢にいる仲間たちと話を交わす船長の声が、やたら大きく聞こえた。
カギの開く音が聞こえた。プラムがピョンとエルフの肩から飛び降りた。格子が開く。
バートたちは牢からでた。そこは広い通路になっており、同じような牢がずらりと並んでいる。ざっと見ただけで五十近くあるだろう。隣の牢には水夫や操舵士がいたが、アネリーの姿が見えない事に気づいて、バートは不安にかられた。
「アネリーは?」
「俺たちはそっちにいるもんだと思ってたよ」
「アネリーだけじゃない。料理人のマーディも、大男のカインズもいないんだ。どこか別の牢に入れられているんじゃないか?」水夫が答える。しかしノーランドは首を振った。
「牢があるのはここだけじゃよ。猛獣用のオリならないこともないが」
バートはやりきれない思いで、連なる牢を見た。プラムがもう一つのカギを外した。水夫たちが喜びの声をあげつつ、牢から出てきた。
「出口はあちらじゃ」ノーランドが一方を指さした。
「武器はどの辺りにあると思う?」
「牢の外だとしかわからん。この島には大小様々な部屋があるからの。物を置いておく部屋には困らんはずじゃ」
「武器を取り戻すまで、敵に出くわさない事を祈るしかありませんね」肩をすくめてシラルムが言った。
* * *
遺跡の広い通路を、三つの人影が渡っていく。先頭を行くのは頭にターバンを巻いた、ひょろりと痩せた男。次に行くのは赤毛の女。最後は、グレート・ソードを背負った、たくましい大男だ。
三《さん》叉路《さろ》にさしかかった。先頭の男が立ち止まる。警戒するように片手であとの二人を制した。そしてそっと曲がり角をうかがう。制していた手が上がると、指で二≠示す。
女が大男にうなずく。大男が先頭に立つ。背からグレート・ソードを引き出すが、鞘と剣がこすれる音はほとんどしない。大男は剣を振り上げる。そしてそのまま止まった。
沈黙が訪れると、遠くから波の音が聞こえた。しばらくの沈黙のあと、曲がり角の先から、乾いた音が聞こえてきた。
カシャリ、カシャリ
音は徐々に近づいてくる。三人はピクリとも動かない。振り上げたグレート・ソードの先がかすかにゆらぐだけだ。
音の主が姿を現した。乾いた死体。それも肉がこそげ落ち、ぼろ同然の服とひからびた海草がその表面にこびりついている。そんな二体の骸骨《スケルトン》が歩いてくる。間髪を入れず、大男が剣を振り下ろした。乾いた骨の折れる音が響き、二体のスケルトンは一撃で切り伏せられた。倒れたスケルトンの頭蓋骨を、大男の足が踏みつぶす。まさに、あっという間の出来事だった。
大男が剣を鞘に収める。再びターバンの男が前に立つ。三人は、通路の突き当りへ進むと、そこにある小部屋へ入り込んだ。
部屋の中には数多くの武器や、細々とした装備品がある。三人はそれを漁《あさ》りはじめた。いくつかの武器や、宝石、魔法の品物を見つけたようだが、女は不満らしく、ターバンの男へくってかかった。ターバンの男は天井を指さした。遺跡の上へ行けば、もっとなにかが見つかるかもしれない、というわけだろう。
女はうなずくと、さっさと部屋を出ていく。ターバンの男と大男は顔を見合わせて肩をすくめると、女の後を追って部屋を出ていった。
* * *
牢の出口から外をうかがったバートは、二人の見張りの姿を見つけて、慌てて首を引っ込めた。見張りは後ろを向いて立っているが、まるでどこかの衛兵のように、しゃちほこぱって立っている。
「なんだか様子が変ですね」同じように様子をうかがったシラルムが言った。
「様子がおかしかろうが何だろうが、不意打ちをして、倒すしかないさ」
バートは船長に合図した。緊張した面もちで船長が隣にくる。バートが船長に耳うちす「憎たらしい相手に、いつものようにケンカを売るんだ。と思えばいいんだ」
「後ろから殴るのは、初めてなんだよ」船長はニヤリと笑った。
バートと船長は、そっと見張りの背後へ回り込んだ。ジリジリと間合いをつめる。あともう少し。だが、気配を感じたのか、見張りの一人がゆっくりと振り返ろうとした。
「それっ!」
バートは見張りの首を締め上げ、船長はタックルして床にねじふせた。が、次の瞬間、二人は叫び声をあげて、見張りから飛びすさった。
バートが首を締め上げた方は、首の骨が外れて、横にずれている。船長がねじふせた方は腕が両方とも折れてしまい、肉のすじだけでぶらさがっていた。どちらも溶けかけた目の玉で、ぼんやりとバートたちを見ている。
「ゾンビだ!」リザンの声がした。
ゾンビはゆっくりとバートと船長に向かってきた。日頃、モンスターを見慣れているバートはなんとか立ち向かう心構えができていた。しかし船長の方は、おぞましい死者が歩み寄るのを見ると腰を抜かしてあとずさった。
シラルムとリザンが飛び出す。シラルムの呼んだウィル・オー・ウィスプがゾンビの目の前を飛ぶ。ゾンビの注意がそれる。その間にリザンが船長を助け起こした。
バートはゾンビの攻撃をかわすと、蹴りをいれた。ぐにゃりと柔らかな感触にバートは顔をしかめた。ゾンビは倒れたが、さほどこたえてはいないようだ。平然と起き上がってくる。
バートはゾンビの足首をつかんだ。腐った肉が指の間から落ちる。吐き気をこらえて骨をつかんだ。そして満身の力をこめて、それを振り回した。死肉と腐った液体が、床に広がって悪臭を放つ。
「シラルムツ、どけぇ!」
振り返ったシラルムは、大慌てでゾンビから離れた。バートはつかんだゾンビを、もう一匹のゾンビヘ叩きつけた。熟《じゅく》しすぎた果物がつぶれるような音をたてて、二匹のゾンビは壁にぶつかった。文字通り一かたまりになったゾンビは、それでもなお動こうとする。
肉がそげ落ちて骨の見える手足が、未練たらしく動いていたが、やがて全く動かなくなった。バートは吐きそうになるのを押さえて、手に残っている腐った物を払った。
「冒険者ってのは、図太くなくちゃいけねぇんだな。見なおしたぜ」
ようやく人心地を取り戻した船長が言った。
「半分、あきれかえっているって顔にも見えるけどな?」
「ああ、まったくだ」
プラムがゾンビが見張っていた扉を調べる。
「大丈夫、罠もカギもかかってないわ」
バートは扉を開けた。幅広い通路が続いており、確かにあちこちに扉がある。通路は先の方で三叉路になっていたが、そこに白いかたまりが落ちている。
「骨のようだが……」
バートはそっと三叉路へ進んだ。スケルトンだ。二体ある。胸の下で二つに切られ、頭蓋骨が砕かれている。
「みごとに、やっつけられてますねぇ」後をついてきたシラルムがささやく。
バートはうなずくと曲がり角の先をうかがった。一枚の扉がある。首をひっこめると、振り返ってプラムを呼んだ。プラムは駆け寄ってくると、ほっと息をついた。
「早くしないと、みんな卒倒しちゃうわよ。本っ当に臭いんだもん」
「じゃあ、あの扉を調べてくれるか?」
プクッと頬をふくらませて、プラムは曲がり角から扉をうかがった。そして用心深く近づく。バートとシラルムも続く。プラムは扉を調べていたが、肩をすくめて扉を押した。扉は簡単に開いた。「カギなんか、かかってないわ。本当に不用心な所ねぇ」
「何かワナがあるのかもしれない」バートは中をのぞき込んだ。
「わぁ、すごい!」不機嫌だったはずのプラムが、中にあるものを見て歓声をあげた。
部屋には多くの武器、金属鎧はもとより、様々な装備品、杖などが山のように置かれている。
ワナはないと言い切るプラムを信じて、バートは残りの人々に来るように合図した。リザンが先頭になって彼らを連れてくる。
バートたちは部屋の中を調べた。真っ先にバートは父の形見である、バスタード・ソードを手にした。剣帯で体に固定する。なじみの重さが安心感となって、バートを勇気づけた。すぐそばにリザンの杖がある。バートはそれを部屋に入ってきたリザンヘ放った。
船長たちはこの略奪品の山に、目を丸くしていたが、リザンにうながされておのおの武器を手にしていった。
「わしの杖はないのぉ」
あちこち見回していたノーランドが、悲しそうに言った。バートはリザンの杖と一緒に置いてあった杖を差しだした。飾り気のまったくない、どちらかといえば無骨な杖だ。
「じいさん、これでしばらく我慢しなよ」
「なんじゃ、この杖は。弟子見習いでも、もう少しはまともな物を持っておるぞ」
ノーランドはぶつぶつ文句を言っていたが、他に杖がないことを知ると、しぶしぶ受け取った。
プラムがバートの持ち物の入った小袋を差しだした。周りを見ると、みんな何かの武器と品物を手にしたようだ。だが、この先も同じように全員で動くわけにはいかない。
「船長、ここから別々に行こう。俺たちは島の頂上にある|麻痺の雲《スタン・クラウド》≠フカラクリを壊しにゆく。船長たちは船を探してくれ」
「港まではそう遠くない。わしはどっちに行こうかの? やはり、この冒険者と一緒に上へ行く方がよさそうじゃな」
「そりゃあ、じいさんがいてくれたら、道案内ができてうれしいんだが……大丈夫か?」
心配気に言うバートの胸を、杖で叩きながら老人は笑った。
「危なくないように、わしがついて行くのではないか。心配するな」
ノーランドは船長に向きなおった。
「では港までの道順を言うから、しっかり頭に叩き込め。忘れて道にまよっても、わしは知らんぞ」
老人が船長に道順を話している間、バートは先ほどから何かを探しているリザンに近づいた。
「何さがしてるんだ?」
「海の男は商売の神や、航海の神を信仰しているだろう? なのに、ここにはその類の護符や、ホーリーシンボルの刻まれた品物すらないんだ」
「さすがにそればかりは、盗る気がしなかったんじゃないか? ああ、そういえば……」
バートはふと思いだして、ポケツトをさぐった。そして砂漠で手にいれた神像のお守りを取り出した。
「何か忘れていると思ったら、こいつを奇跡の店≠フおやじに渡すのを忘れていたんだ」
「それは?」リザンがお守りをのぞき込んだ。小さな神像は、二人を見すえている。
「ラテリアを見張っていた砂漠の民の一人が持っていたんだ。これはやっぱり、あの神像だよな」
リザンはうなずいた。バートはそのお守りをリザンに渡した。
「俺だと忘れちまうから、持っていてくれるか?」
リザンは受け取ると、長衣《ローブ》のひだの中にそれをしまい込んだ。
「では行こうか、冒険者どの」
ノーランドがバートに歩み寄った。船長が手を差しだした。
「頑張ってくれ。おまえたちがうまくやってくれんと、こっちは逃げるに逃げられんからな」
「そちらこそ、ちゃんと帰りの船を用意していてくれよ」
バートは船長の手を取った。
* * *
隠し扉が開いた。ターバンの男が中をうかがう。大丈夫と判断したらしく、扉をくぐって中に入っていく。
隠し通路は狭い。それを見てしかめっ面をしている大男に、赤毛の女がなにごとか言う。男はしょんぼりしたようだ。女は男の太い腕を叩くと、さっさと隠し通路に入っていった。大男は仕方ないとばかりにため息をつくと後に続く。
通路は並の人間なら余裕をもって通れるが、大男にはモグラの穴もかくや、と言わんばかりだ。しかし、先を行く二人はおかまいなしに進んでいくし、大男も文句を言わない。
通路の先から薄明りが見える。ターバンの男がそっとうかがう。通路は崖ふちの道に変わっている。眼下はるか下には洞窟の中に造られた小さな港があった。男は続く二人を呼んだ。
港には「黄金のアヒル」号と、もう一まわり小さな船の二隻がつながれている。小さな方は、海賊たちのもののようだ。海賊たちの船には、何人かの人影が見えたが、その他には全く人の気がない。打ち寄せる波の音と、ゆれにあわせて船がきしむ音が聞こえるような気がする。
赤毛の女が先へ行こうと身振りした。崖ふちの道は、ゆるやかな上りになっている。そしてその先で再び、岩壁に開いた通路につながっている。
三人が進もうとしたとき、かすかに剣が打ちあわさる音が響いてきた。再び港を見おろす。海賊船の男たちが、慌てて船を降りていく。遺跡の中から、スケルトンを押し出すように、十数人の男たちがなだれ込んだ。
大男がほう、と感心したような表情を浮かべ、女は笑みを浮かべた。しかしターバンの男は何かに思い当たったらしい。女に早く行こうと言う。
女は一瞬、とまどったようだが、遺跡から出てきた男たちがスケルトンを圧倒したのを見て慌てたようだ。まだ見物している大男をつねる。そして、ターバンの男を行く手の通路へ追い込むと、その後を追って通路に姿を消す。
この通路は大男がゆったり歩けるほど大きい。通路の両端には、のたうつ海蛇の模様がえんえんと続いている。通路全体に何かの魔法の力が働いていたが、それの正体はつかめていないようだった。
通路は扉に行き着く。扉の前にはまばらに骨が散らばっている。二、三人分はありそうだが……。ターバンの男が近づこうとするのを、赤毛の女がひきとめた。彼女は呪文を唱える。古代諾の呪文が終わる頃には、彼女の瞳に魔法の光が宿っていた。魔力感知《センスマジック》≠フ呪文だ。
彼女の目には、魔力が淡《あわ》い光となって映った。骨の中に小さな光がある。護符か魔法の品があるのかもしれない。壁にも細いすじが浮かび上がる。が、その向こうにある扉は、こうこうと光を放っていた。その光が扉から離れて、宙に浮かんだ。存在を知られた幽鬼が、獲物を求めて現れたのだ。
赤毛の女は二人の男を下がらせる。扉から離れた幽鬼は徐々に形をとりはじめた。爬虫類の口を持った、いびつなミミズのようなその姿が、実体を持ちはじめる。やがて魔法の視力を持たない者にも見えるようになった。
女は再び呪文を唱える。幽鬼が裂けんばかりに口を開くと、まっすぐ彼女に飛びかかる。女は左手の指にはめた指輪を、幽鬼の口へ突きつけた。白い稲妻がモンスターを貫き、焼きこがす。稲妻に貫かれた幽鬼は床に落ちてのたうっていたが、やがてチリのようになって崩れ落ちた。
彼女は会心の笑みを浮かべ、扉に近づいた。勝利感に気をよくしている彼女は、壁にあった光のすじをすっかり忘れていた。ターバンの男が異変を感じて叫んだが、間にあわない。
女の体が壁に吸い寄せられた。そしてそのまま壁の中に消えていく。
二人の男は駆け寄ったが、その時にはすでに女の姿は壁に消え失せた。あわてて壁をさぐるが、ただの石壁にすぎない。二人の男は怒り、とまどいながら、その場に立ちつくした。
* * *
バートはスケルトンをなぎ倒すと、剣を振って頭を打ち砕いた。そして海賊が逃げ込んだ部屋の扉を蹴り開けた。
追いつめられた二人の賊は、武器を構えて扉の側で待ちかまえている。入ってきたところを二人がかりで殴ろうというわけだ。バートも扉から下がると身構えた。
背後で続いていた戦いの音が終わり、シラルムがバートの視界の隅《すみ》に入ってきた。リザンも入ってくる。敵の数が増えて、海賊はうろたえたようだが、構えを崩さない。
「長びきそうだね」リザンが言い、バートはうなずいた。
「まだ終わらんのかね?」
ノーランドとプラムがやってくる。さらに人数が増えたので、海賊の顔色が悪くなってきた。
「どうだ、さっさと降伏しちゃどうだ?」
トンボを捕る時のように、剣先をグルグル回しながらバートは言う。
「うるせえ、誰が降伏なんぞするもんか! おととい来やがれ」
台詞《せりふ》は勇ましいが言葉に力がない。
「そぉ〜んなに、痛い目にあいたいとは、不幸な人たちですね」
シラルムが脅しの時に使う、エルフの冷笑を浮かべた。彼がエルフの表情を浮かべるのは、こんな場合だけだ。
「ねぇ、これ使ってみてもいい?」
プラムが腰の袋から、鳥の卵のようなものを取り出した。
「なんだい、それは?」リザンが尋《たず》ねる。
「ほぉ、クラウド・エッグではないか」ノーランドじいさんが言った。
「クラウド・エッグ?」
「割れると魔法の雲が出てくるんじゃよ。大抵は麻痺や眠りの雲が入っているが、たまに毒や呪いの雲が入っている事がある」
「これはなにかしら?」
「さあて、中味は割ってみるまでわからん。ちょうどそこによい実験材料がおるではないか。あの床に投げてごらん」
海賊は蒼白になった。
「ば、ば、ばか野郎! 扉は開いているんだ。そんな事をすれば、おまえたちも同じ目にあうぞ」
「大丈夫。シルフに頼んで、こちらには来ないようにできますからね」と、シラルム。
「じゃあ、投げるわよ。せぇ、のぉ、でぇ……」
「わあ〜っ、止《や》めてくれ! 降伏する! 命だけは助けてくれっ!!」
海賊たちは武器を放り出した。バートは賊のいる部屋へ入ると、放り出された剣を足で外へ蹴り出した。
「いろいろと聞きたい事があるんだが……」バートは大剣の切っ先を向けた。
「まず、いままで捕らえた船と、乗っていた人々はどうなった?」
海賊たちはお互いに目で相談をした。答えにくいらしく、もごもごと口ごもる。
「喉《のど》の通りが悪いなら、この剣で通りをよくしてやろうか?」
「い、言うよ。船は……いけにえにされるんだ。乗っていた人々と一緒に、海の底に沈められるんだ」
「人の乗った船がいけにえ? 邪神の儀式みたいで気味が悪いわ」プラムが顔をしかめる。
「そうさ、神へのいけにえだと司祭が言っていた。ミルリーフヘのいけにえだと……」
「ミルリーフ!?」リザンとノーランドが声をあげた。
「知ってるのか?」
「荒ぶる海の神。海で死んだすべての死者の主にして、死者の船を統べる者≠ニ伝えられている暗黒神だよ」
「しかし、あの神は太古の神々の戦いで滅んだと伝えられているのじゃが……」
「船を捕まえて、ぶん取り品を売りさばいたら、代わりに手に入ったお宝のほとんどをもらえる。船長があの司祭とそう取り決めたんだ。それ以外のことは俺は知らねぇ」
バートはじっと海賊を見すえる。二人の海賊は泣き声をあげた。
「本当だ、これ以上は知らねぇんだよ!」
「どうやら、本当にこれだけの事しか、知らないようだな。こいつらをどうする?」
「僕がここの扉にロックをかけよう」リザンが杖で扉を示す。バートは剣を突きつけたまま、あとずさる。
「と、閉じ込める気か? 助けてくれ」
「一日たてば扉は開く。それぐらい我慢するんだな。それよりも卵≠フ方がいいのか?」
海賊がひるんだすきに、バートは扉を閉めた。リザンが呪文を唱えると、扉はガタとも言わなくなった。
ノーランドじいさんがつぶやいた。
「そうか、海の邪神のいけにえだったとは……」
リザンがうなずく。
「邪神の配下を造るために、多くの船を沈めたんだ。早く頂上のカラクリをなんとかしなくては。船長たちが苦労する」
部屋を出たバートたちは、スケルトンをけしかけられる前にいた広間へ戻った。広間から通路が何本か伸びているが、ノーランドじいさんがその一本を示した。通路の奥には上への階段がある。バートたちは上へ向かった。
その踊り場に着いたとたん、バートの体が塹に向かって引き寄せちれた。それはあっという間だった。叫び声をあげる間もなく戦士の体は壁の中に消え失せた。
「バート!?」プラムが叫ぶ。
シラルムが壁をさぐる。しかしそこには何も見つからない。ただの石の壁があるだけだった。
* * *
暗闇の中を転げ落ちたバートは、ほどなく小さな部屋の中に放りだされた。石の床に落ちたショックが、鈍痛《どんつう》になって全身を襲う。その波が去ったあと、バートはゆっくりと手足に力をいれた。ありがたいことに、どこもケガはないようだ。ほっとして目を開くと、思いがけなく白い光が目に飛び込んできた。そして、すぐ目と鼻のさきにブロード・ソードの切っ先があった。
ソードを伝って視線を動かす。剣を持っている手はさほど大きくない。ほっそりとした、しかし鍛えられた腕。赤い革鎧の上から、知っている顔が彼を見おろしていた。
「アネリー!?」
バートは驚きの表情で彼女を見上げた。自分を気づかったものではなく、彼女の無事を知った安堵の笑顔が広がる。彼女もまたソードを鞘に収めると笑みを浮かべた。バートは体を起こした。立ち上がる元気はないので、床の上に座り込む。
「アネリー、君がどうしてここに?」
アネリーは赤毛の髪をかきあげた。
「変な罠に引っかかっちまって、この上の方から落っこちたのよ。そう、あんたが落ちてきたのと同じ穴から」
「ケガはないかい? 大丈夫かい?」
「なにをジロジロ見てるのよ。大丈夫。あたしは、ちょっとやそっとの事じゃケガしない主義なの」
バートはあらためて彼女の姿を見つめた。船の上ではごく普通の服装をしていた。あれもよかったが、いま身につけている赤く染め上げた革鎧もよく似合っている。ブロード・ソードと小さめのショート・ソードを下げている。ベルトにはいくつもの袋がさがっていた。
「冒険者はいやだ、って言ってなかったっけ?」自然とその言葉が口からでた。
「冒険者はね」アネリーはいたずらっぽく微笑んだ。「あたしは冒険者じゃないわ」
「そうかな、俺にはご同業者に見えるけれど」
「あたしと同じ仕事をしていたら、あんたもあたしの名前を知ってただろうね」
「名前?」
アネリーは妖しい笑みを浮かべた。そして名乗った。
「あたしの名はナイトシェード。盗賊仲間の間ではちょっとは名の知れた女盗賊」
「ナイトシェード!?」バートは目の前の女性をまじまじと見つめた。
「酒場のうわさ話で聞いたことがある。その女盗賊がなぜ商船に乗ってたんだ?」
「この島に来たかったからよ。オランで海賊騒ぎを聞いて、こいつは大きいかもしれないうて思ったの。だって行方知れずになった船の数はハンパじゃないでしょう。その全部が、なにかしら品物を積んでいたわけよ」
アネリー……女盗賊ナイトシェードは瞳を輝かせた。
「この海賊のアジトには宝が山のようにあるにちがいない。あたしはそう考えて、商船の乗組員になったの。なにしろこの場所を知るには、海賊に襲ってもらって、あとをつけるしかなかったからね。
しかし、そのあたしも、あの|麻痺の雲《スタン・クラウド》≠フ雲のかたまりには驚いたわ。あの時、あたしが大慌てで下に降りたのは、手下と一緒に部屋に立てこもるためだったの。あんたを置いてけぼりにしちまったのは、悪いと思ってるわ」
「手下ってのは、カインズとマーディの二人かい?」
「ええ。部屋を一つ借りきって、中で隠れていたの。船の中ってのはけっこう隙間が多くてね、カインズが支配したシルフを連れていなかったら、あたしたちも眠りこけていたはずよ」
「カインズが精霊魔法を?」
バートは一瞬、あの筋骨隆々の大男が精霊やフェアリーに囲まれている様子を想像していた。
「そうよ。いけないかしら? それより、どう? 立てる?」
ナイトシェードは手を差しだした。一人で立てなくもなかったが、好意がうれしい。バートは彼女の手を握ると立ち上がった。
ここは小さな部屋で、出入口となりそうな扉も窓もない。ただ、部屋の一箇所に焼けこげた細長い動物の死体が転がっている。
「ああ、あれ? 大蛇《バイソン》よ。|明り《ライト》の魔法を使ったとたん、怒って襲いかかってきたのよ。おかげで無駄に魔力を使っちゃったわ」
バイソンは弱いモンスターというわけではない。どちらかといえば強い方だろう。それを一人で倒してしまったのだ。彼女の力量は驚くべきものかもしれない。
「あのバイソン、外からここに出入りしていたみたい。ここに住みついていたなら、食べた動物の骨が残っているはずだけど、そんなものは見あたらないのよ。どこかに外へ通じる穴があるはず」
「なるほど。わかった、手伝おう」
バートはうなずくと周囲を見回した。不自然に周りが明るいのは、ナイトシェードが天井に明りの魔法をかけていたからなのだ。
ナイトシェードは壁に近づいて、風の動きを調べている。バートはバイソンに近づいた。
バイソンはかなり大きなものだ。頭に魔法の炎か稲妻を受けたらしく、そこは黒くこげている。他にも剣で受けた傷がいくつもある。バートは蛇がどの辺りをうろついていたか、考えることにした。
まず、部屋の床と壁の合わさる、隅を移動するだろう。次に、壁はまっすぐだから、出入りしていたとなると、その穴はそんなに高い場所にはないはずだ。
バートは壁ぎわにはいつくばると、そのままゆっくりと壁を調べ始めた。やがて、バートは壁の一部に泥がはねかかったような場所を見つけた。まわりの壁にも、同じような泥のかたまりがある。
その泥のようなものは、かすかに風でゆらめいていた。盾の端でそれを持ち上げると、その向こうに石組が抜けてできた穴が見つかった。とても狭いが、頑張れば抜けることのできる大きさだ。バートはナイトシェードを呼んだ。
「へえ、あんたけっこうめざといのね」穴を見た彼女は言った。
「でも、その泥の布みたいなものは何?」
「大土蜘蛛の巣の名残だ。この蜘蛛の巣は網《あみ》のようなやつじゃなく、細長い筒のような形をしているんだ。そして巣を隠すために表面に泥や石、砂をまぜる。だからこんなふうになるんだ」
「物知りなんだねぇ」
「いや、俺が子供の頃、親父に教わったんだ」バートは照れながら言った。
「じゃあ、物知りさんが先に行ってね。あたし、蜘蛛は好きじゃないから」
バートは革鎧とソードを外すと穴にもぐり込んだ。動くたびに細かい土ぼこりが舞い上がる。狭いので、進むには腕の力だけがたよりだ。しかし、出口はすぐそこだった。バートは穴のふちに指を引っかけると、ぐいと体を引っ張った。
頭を出すと、低い灌木《かんぼく》のしげみにぶつかった。さわやかな潮風が吹き上げる。どうも、きりたった山肌のただ中に出たらしい。バートは穴から出て、山肌にしがみついた。
足場がないわけではないが、かなり狭い上に角度がある。見おろすと、山肌は三十メートルほどで途切れ、そこからは断崖になっている。断崖絶壁のはるか下に、波に洗われる岩々と舞い飛ぶ海鳥の姿がある。
上は山肌が続いているが、その山の頂上には丸い屋根と小さな塔が見えた。あれがカラクリのある遺跡の頂上だろう。
「バート?」ナイトシェードの声がする。
バートは穴のそばに戻ると、中をのぞき込んだ。バートの鎧と剣、そしてナイトシェードの剣が押しだされる。バートはそれを受け取った。続いてナイトシェードが出てくる。手を貸そうとしたが、彼女はきっぱり断わると身軽に穴から這いだした。
鎧と剣を身につけて、バートは山頂に見える遺跡を指さした。簡単に|麻痺の雲《スタン・クラウド》≠フカラクリについて話す。
「じゃあ、あそこへ行って、そのカラクリとやらを壊せばいいのね。変な罠の多い、遺跡の中を通るよりも、この山を登る方がよさそうだわ。お宝もあそこにありそうだし」
ナイトシェードは、バートに向かってにっこりと微笑んだ。
* * *
バートとナイトシェードは山肌にしがみつくように登っていった。遺跡の中にいた時は、生き物の気配のない陰気な場所だと感じた。しかし、外に生える木々や草むらの間、そしてやがて暮れようとする空には、多くの生き物が生活している。
ここの生き物は人間を恐れない。灌木の下で卵を抱えていたうずらは、バートがすぐ隣に近づいても、少しばかり警戒しただけだ。海鳥が激しく鳴き交わしながら、絶壁にある巣へ戻ろうとしている。その力強い羽ばたきの音が、幾《いく》度《ど》もすぐ頭上をよぎっていった。
「一息つこうか?」ナイトシェードが振り返った。
彼女は土の上へ、無造作に座り込んだ。バートは彼女のそばまで行くと、同じように山肌に座り、乱れていた呼吸を整える。海鳥を舞い上がらせる潮風が、木と草を波だたせながら頂上へと駆け登ってゆく。太陽が空を紅《あか》く染めながら水平線の向こうへ沈んでゆくが、東の空にはすでに暗い青が忍び寄っている。
バートは自分がいま、冒険のさなかにいる事を忘れそうだった。すべては平穏で事もなく過ぎている……そんな気がした。
「気味が悪いわね、なに笑ってるの」ナイトシェードが尋ねる。
「しみじみと夕焼けを見たのは、何年ぶりだろうと考えていたんだ」
「変な人ね。私は早くお宝に逢いたいわ」
「ムードがないなぁ」
「あら、女の方が現実的なのよ。その分、夢を見るときは際限ないんだって、言われるけれど」
「誰がそう言ったの?」
「あたしの義理の親父」
「詩人だな」
「顔を見たら、その台詞を撤回したくなるわよ。まったく、厄介な親父だわ。だらしないし、女と見ればすぐに手を出すし、仕事以外の事では考えなしだし……」
「でも、好きみたいだね」
「……まあ、ね」
沈黙が訪れた。しかし心地よい沈黙だ。できればこのまま、しばらくすごしていたい。本当に久しぶりだ。昔はよく、こんな風に夕焼けを見ていたように思う。
子供の頃は一日の流れが、もっとゆるやかだったように思えた。義父《ちち》に剣の稽古をつけてもらった後。家の手伝いもあって、帰る頃はいつもこんな夕焼けの中だった。家へ行くと義母《はは》がかまどの前におり、大きなテーブルに向かって、勉強をしているリザンがいた。
リザンはバートの方を見ると、静かに笑いかけた。その笑みが寂しげに感じるのは何故だろう? その頃のバートにも、今のバートにもわからない。ただ、ぼんやりと、自分が何かすれば、それは解決できるのではないかと感じてはいた。何度かリザンに尋ねたこともある。
何かいやな事でもあったのか?
しかし、リザンは決って首を振って、こう答えた。
ううん、何でもないよ。バート
リザンとは実の兄弟のように育ってきた。ある程度の分別を持つ年齢になって出会っただけに、無知によって結びあわされた者にはない、信頼があると思っている。
だが、時々、二人の間に深い亀裂が見える時があった。それが何なのか、何故起こるのか、バートにはわからない。リザンは知っているのだろうか? それもわからなかった。そんな亀裂が見えた時には、バートは沈黙し、静かにその亀裂が消え失せるのを待っていた。
「バート」
現実に名を呼ばれて、バートは物思いから覚めた。肩にナイトシェードの手がのる。彼女はもう一方の手で、海の彼方を指さしていた。
夕焼けに染まる海原に、ぽつんと黒い染みがあった。それは一隻の船だった。細い船体に、一枚の三角帆と多くの艪《ろ》を持つ黒いガレー船。
「あの船が|麻痺の雲《スタン・クラウド》≠ナ眠らされた船を、ここへ運んでくるのよ」
「あの船がここへ戻ってきたら、船に戻っている船長たちが危ない」
「あれは船を捕まえた時にだけ、ここへ来るみたいよ。でも、急いだ方がいいという意見には賛成だわ」
二人は立ち上がった。バートは猛然と山を登りはじめた。眠りにつこうとしていた鳥や小動物が驚いて騒ぎだす。
ナイトシェードはもう一度、ガレー船を振り返った。黒くまがまがしい船は、さまようように海原を進んでいく。
死人の船≠サんな言葉が彼女の頭に浮かんだ。生理的な嫌悪を感じて、彼女は船から目をそらすと先に行く戦士の後を追った。
* * *
不慮の出来事でバートと離ればなれになつたリザンたちは、なんとか幻の通路を抜け出して、遣跡の最上階へたどりついていた。彼らには、さらに二人の道連れができていた。頭にターバンを巻いたやせっぽちの男マーディと、グレート・ソードを背負った巨漢の男カインズ。
リザンたちがスケルトンに襲われて苦戦しているところを、マーディとカインズが助けてくれたのだ。もっとも、隠し通路から突然現れたので、驚き慌てたうえに顔も知らなかったシラルムとノーランドから、攻撃魔法をくらうところではあった。
「バートは大丈夫かしら」プラムが言う。
彼女は何度もつぶやいていた。少々耳にさわるほどだったが、本人が無意識のうちに言っていたし、リザンたちにしても同じ思いだった。
「大丈夫よ。きっとアネリーと一緒にちがいないわよ。元気をだしなさいって」マーディが通路の先をうかがいつつグラスランナーを励《はげ》ました。
リザンは先頭に立っているカインズとマーディを見る。油断のない身のこなしを見せるマーディと、巨木のようなカインズの姿は、とても頼もしい。腕も確かそうだ。ただ、マーディの女言葉はどうにかならないかな? リザンは思った。
間もなく、通路は一つの扉で遮《さえぎ》られていた。
その扉は他の部屋の扉よりも、やや大きい。カギはかかっておらず、簡単に開いた。マーディはそれが気に入らないらしく顔をしかめた。用心深く中に入りこむ。続いて中に入ったリザンたちは息をのんだ。
「ここは……ごく普通の広間だったのじゃが……」ノーランドが低くつぶやく。
部屋は全体に黒と紫、そして赤に彩《いろど》られている。胸の悪くなるような香の匂いがたちこめ、奇妙な形の燭台が立ち並んでいる。
床にはカサカサした荒い砂のようなもので、文様が描かれていた。そしてそれらを見おろす位置につくられた祭壇は、船の錨と様々な種族の骨でできている。
神像はない。ただ、神像のあるべき場所は黒く塗りつぶされている。それはまるで、その暗黒こそが神ミルリーフ≠表現しているかのようだ。
「いけすかない場所ねぇ」
マーディが言う。その言葉に返ってくる言葉があった。
「下賤なチャ・ザなぞを信じる者に、この場にある神聖な力を、感じることはできまい」
「誰だ!」カインズが吠える。
プラムは弓に矢をつがえ、リザンとノーランドは杖を構える。
「祭壇の向こうに、誰かいますよ!」
シラルムが言うと同時に、黒く塗りつぶされた壁から、同じように黒いローブをまとった男が歩みだした。
「さっさと立ち去れ。私にはやらねばならないつとめがある。船へ戻るがいい。そうすれば、おまえたちも神の軍勢となれるのだ」男が言う。その声は穏やかで、自信に満ちている。
「ケッ、なにぬかしやがる。さっさと立ち去るのはおまえの方だ!」カインズはソードを抜き放った。
マーディが呪文を唱えながら、リザンに触れる。リザンの中に魔力が流れ込んだ。マーディが小声でささやく。
「あたしの魔法はハデさがないから、あんたに頑張ってもらうわ。頼むわよ」
リザンはうなずき、呪文を唱えはじめた。
ローブの男はカインズヘ向かって腕を突きつける。小さなかまいたち≠ェカインズを襲った。カインズの髪が逆立ち、腕や顔に小さな傷ができる。
しかし、そのかまいたち≠ヘカインズの体を覆った魔力に触れると、溶けるように消え失せた。リザンの唱えた防御魔法だ。
ノーランドが杖を振ると、大男のグレート・ソードに炎がまといつく。シラルムがローブの男を指さすと、グレート・ソードに燃える炎から火の玉が飛び出した。火の玉はローブの男に命中してパッと飛び散った。しかしローブに焦げ目をつくることすらできない。
ローブの男は両手をかかげた。祭壇がゆらぐ。祭壇を形づくっていた骨が、ゆるゆると組み合わさってゆく。同時に、いままで燭台や彫刻だと思っていたものが、形を変えてゆく。たちまちのうちに、リザンたちの周囲は生ける屍に取り囲まれてしまった。
「ザコばかり出しやがって、自分で勝負しろ!」
カインズがグレート・ソードを振り回すと、一度に四体、五体とスケルトンが吹き飛ばされて崩れてゆく。しかし、ローブの男が手をかざすたびに、新たなスケルトンが現れる。
もちろんスケルトンの数にも限りはあるはずだ。ローブの男もいつかは力を使い果たすだろう。しかし、それよりも先に、リザンやカインズたちの方がまいってしまう。
「あの、男の所まで行ければ、方法はいくらでもあるのにっ。動けないじゃないのさ!」
マーディが言う。マーディは二度ほど神聖魔法を使って戦っていたが、敵の多さに、今では剣を抜いて戦っている。シラルムも同様に、魔法をあきらめて剣を使っていた。
リザンの前にもスケルトンは押し寄せる。魔法を唱える余裕もなくなり、杖でスケルトンに殴りかかった。だが、杖で殴った力など、たかが知れている。周囲からつかみかかる骨の指に、柔らかな革鎧に深い傷がつく。上着やそでが引き裂かれ、傷つけられた皮膚に血がにじむ。
ノーランドの唱える呪文が、スケルトンやローブの男を襲うが、どれほどの効果があがっているのか、確認することもできなかった。ひたすら、眼前にせまる骸骨の群れを殴り、払い、押し返す。
剣や杖が骨を砕く音と、カインズの獣《けもの》じみた怒りの声、乾いた海草や衣服の切れ端をぶらさげてせまる骸骨の群れ。リザンはめまいを感じた。
あまりに現実離れした状況に、まるで夢の中にいるような気がした。いつも先頭に立って戦っているバートの姿がない。それがその幻覚に拍車をかけようとしている。
我しらず、リザンは叫んでいた。
「バート……どこにいるんだ、僕じゃだめなんだ。バート、バート! 助けて!!」
突然、頭上から石組の崩れる音がしたかと思うと、天井だった巨大な石が落ちてきた。石はスケルトンを押しつぶす。穴の開いた天井から魔法の光が差し込む。
そして声が聞こえた。
* * *
「リザン、みんな、大丈夫か!?」
床に開けた穴から下の様子を見たバートは大声で叫んだ。
仲間はいまにも死者の群れに押しつぶされんとしている。バートの目と、下から彼を見上げるローブの男の目とが合う。バートはギリギリと歯ぎしりをした。
ナイトシェードが呪文を唱える。指輪から火のかたまりが現れ、うごめく死人の群れを押しつぶした。さらに弾けて周囲のものもなぎ倒す。
それを見たノーランドが杖を振り回し、同じような火の玉を周囲に投げつけた。死人の群れがわずかに下がる。ここぞとばかりに先頭に立っている大男が暴れ回る。
「カインズ! マーディ! 負けるんじゃないよ!」
新たな呪文のための集中に入りながら、ナイトシェードが叫ぶ。
ノーランドの火の玉は、ローブの男にも飛んでいく。破裂した炎が男を包み込んで燃え上がる。新たに群れへ加わろうとよみがえったスケルトンが、炎になめられて砕け落ちた。
しかし、炎の渦が消えると、ローブの男は無傷で立っていた。胸にある何かが、強い魔力で炎を打ち消したのだ。それは男の胸で、紫のリン光を放っている。
バートは周囲に転がる、大きな石のかたまりを、死人へ、そしてローブの男へ叩きつけた。しかし、こんな方法ではらちがあかない。
「バート、降りるのよ!」
ナイトシェードが呪文をかける。それが降下《フォーリング・コントロール》≠セと気づいたバートは剣を抜き、ローブの男を見すえた。そして飛び降りる。
男は呪文でバートを迎えうつ。落下の呪文がうち消され、バートは転がり落ちた。しかし、ほんの二、三メートルの高さだ。バートは立ち上がると身構えた。
スケルトンがバートににじりよる。スケルトンに取り囲まれては、どうしようもない。バートは行く手をさえぎる死人を切り払い、ローブの男の懐に飛び込んだ。男は恐怖の表情を浮かべて、必死に呪文を唱える。ガン、と魔力の衝撃があり、バートは一瞬、押し戻された。そのスキに、次のスケルトンがにじりよってくる。
「うおぉー!」
バートは叫びをあげて剣を振り上げ、そしてそれを男に投げつけた。このような攻撃を予想していなかった男の動きが止まる。バスタード・ソードはねらいたがわず、男のローブを裂き、肉と骨を断ち切った。
スケルトンの動きがにぶる。バートは死にぞこないの化物を蹴り倒して、ローブの男に近づく。剣を取ってとどめの一撃を見舞った。
男の顔に驚愕の表情が浮かぶ。それは怒りにかわった。男は絞り出すように、呪いの言葉を吐いた。
「呪われよ……我が神よ、この男に……苦しみ……と……恐怖……を……」
男の体から力が抜けた。そして動かなくなる。
男の死とともに、カラカラと乾いた音をたてて、周囲のスケルトンが次々に崩れ落ちてゆく。バートは振り返った。
死人の群れがいた所には、骨の小山があるだけだった。疲れた表情ではあるが、喜びに満ちた仲間たちの笑顔がある。
人の気配に振りあおぐと、ナイトシェードが降りてくるところだった。降下《フォーリング・コントロール》≠ナはなく浮遊《レビテーション》≠使っているようだ。彼女は自分の仲間である、大男とターバンの男のそばに舞い降りた。バートも剣を鞘に収め、仲間へ歩みよった。
仲間たちは傷だらけだった。多くの死人の爪に、服も皮膚も切り裂かれ血に染まっている。
「すまない。遅くなっちまって」
「無事だったんだね」笑顔を浮かべてシラルムが言う。プラムがバートに抱きついた。
「心配してたんだからぁ!」そして泣き顔を知られないように、怒ったふりをしてブイと横を向いた。
リザンは杖にもたれかかるように、床に座り込んでいる。
「リザン、大丈夫か?」
バートが手を差しだす。リザンは大丈夫だと言うふうにうなずいて立ち上がった。
ナイトシェードとカインズ、マーディが近づいた。
「お互いに、がんばったわよね」マーディが言う。
「でも、じいさんが炎球《ファイア・ボール》を出し惜しみしてたのは、見すごせねえな」と、カインズ。
「出し惜しみしておったわけではないわい! ただ……ちょっとばかり、あの呪文があることを、忘れとっただけじゃ」
カインズとマーディはうたがわしげな眼差しでノーランドを見る。
「だぁ〜! 本当じゃ! 命がかかっておる時に、魔法の使い惜しみをしてどうするっと言うんじゃ!? ただ、わしが憶えておった魔法が戦いには関係ないものだっただけじゃよ! |鍵開け《アンロック》≠竍発火《ティンダー》∞魔法感知《センスマジック》∞|明り《ライト》∞力場感知《センスオーラ》∞読解《トランスレイト》≠ノ……いや、それよりも!」
ノーランドはバートとナイトシェードを見た。
「おまえさんら、もしかして上にあったカラクリを、本気で壊したんじゃなかろうな?」
「あたしが炎球《ファイア・ボール》≠ナ、どかん! と一発くらわしたけど?」
ナイトシェードが答えると、ノーランドはガツカリしたようだった。
「せっかく修復したのにのぉ」
「じいさん、あんな物があると、いろいろ厄介なことが起きるぜ。いいじゃないか。また別のものを見つけて頑張ればさ」バートは老人の肩を軽く叩く。
「そりゃそうかもしれんが……わしはちょっと、上を見てくるわい」
ノーランドはトボトボと広間の奥へ向かってゆく。
「あたし、ついてってあげるわね」
ナイトシェードがノーランドの隣にゆく。カインズとマーディも後に続いた。
ノーランドは奥の壁を調べるが、望むものが見つからないらしく、壁に向かって文句を言っている。そこに扉があったはずなのに、と言っているようだ。マーディが隠された扉を開く。
「あたしたちも行きましょうよ」プラムが言うと、後を追って走りだした。
扉の向こうには、ゆるやかな螺旋階段が上に伸びている。上の階に通じる踊り場でも、ノーランドが扉を探して文句を言っているのが聞こえた。
「こりゃまたはでに壊しおったな!」
部屋を見回したノーランドが声をあげる。ナイトシェードはおどけたように肩をすくめた。
上の階はさほど大きくない一つの部屋だった。中央には古代王国の遺品だったカラクリが、石の山となって崩れ落ちている。ドーム形の天井には、いくつか明り取りの天窓があったが、その一つは無惨に破られ細いロープが下がっている。バートたちはここから入ってきたわけだ。
部屋の壁や床には複雑な文様が描かれている。これがこの場に集まる魔力を、望みの力に変える魔法陣なのだろう。
老魔法使いはため息とぐちを繰り返しながら、カラクリの周囲を回っていた。時折、崩れた石を杖で押し退け、未だに不思議なリン光を放つ柱を調べる。
「ノーランドおじいさん、何をさがしているの?」プラムが尋ねた。
「う〜む、おかしいのぉ。石が見つからん」
「石?」
「カラクリを動かす源になる魔晶石があるはずなんじゃが……」
バートは思いあたってナイトシェードを見る。女盗賊は慌ててソッポを向いた。
「あたしは知らないわよ」
ノーランドが不思議そうな顔をしてナイトシェードを見る。事の次第をのみこんだらしいマーディとカインズが面白そうな表情で、顔を見合わした。
「カラクリのそばで何かしていたと思ったら、そういうことだったのか。ナイトシェード、抜《ぬけ》駆《が》けはよくないぜ」
バートが言うと、ナイトシェードはうらめし気にバートを見た。
「ナイトシェード?」プラムがすっとんきょうな声をあげた。「あなたがあの悪名高い凶悪女盗賊なの?」
「悪名高い凶悪女盗賊ってひどい言い方ねぇ。華麗なる女盗賊と言ってほしいわっ!」ナイトシェードがグラスランナーをにらみつける。
「こりゃ、魔晶石を返さんか。あれはわしの財産じゃぞ。こんな老人から宝を奪う気か?」
ナイトシェードはしぶしぶ五つの宝石を取り出した。オパールによく似た宝石で、光のかげんで様々な色が表面に浮かび上がる。普通、魔晶石といえば、小鳥の卵ぐらいの大きさの物が多い。しかし、ナイトシェードが取り出したものは、赤ん坊のこぶしほどの大きさがあった。
ナイトシェードは名残をおしむように、一つずつノーランドに手渡していった。一つ渡すたびに表情が険悪になってゆく。
「こいつは早いところ、お宝を見つけないと、あねごの雷が落ちそうだ」カインズが首をすくめた。
「そうだけど、いままで調べたところでは、大したものは無かったわね」マーディが言うと、ナイトシェードが突っかかった。
「そんな事、ないはずよ。よぉ〜く探したの? ここには捕まった船から盗られた宝が、山のようにあるはずよ!」
「あ、あたしに言われても……」強烈な剣幕にマーディはあとずさる。魔晶石をしまいこんだノーランドが思いついたように言った。
「ふむ、ひょっとすると、わしの部屋に何か残ってるかもしれんな。多分あそこをそのまま使っておると思うから……」
ノーランドの台詞に、女盗賊は目を輝かせた。
「きっと、そうよ! ね、おじいさん。そこへ案内してくださらない? ネッ!」
「かまわんが……おい、こら引っ張るでない。危ないじゃろう!?」
ナイトシェードは鼻歌まじりに、ノーランドの手を引いて部屋を出ていく。
「んじゃあ、あたしたちもお先」マーディとカインズも後に続く。
「あん、あたしたちも行きましょうよ。しっかり見張ってないと、持ち逃げされるわよ」未だむくれているプラムがじだんだを踏む。
じゃあ、行こうか、と振り返ったバートは、リザンの姿がない事に気づいた。
「リザンは?」
「あれ、そういえばいませんね。下に残っているんじゃないですか?」シラルムが見回す。
「もう! 置いていくわよ」
プラムの声にバートとシラルムは慌てて部屋を出た。
階下の広間は、邪神の司祭が死んだはずなのに、一向にその邪悪さを失おうとしない。反対に乱戦のあとが、より一層の生々しさを生みだしている。あちこちに散らばる骨の山と、祭壇のあった場所に倒れている司祭。司祭の黒いローブの下からは、真っ赤な血が広がっている。その死体のそばにリザンはいた。
彼はローブの男の死体にかがみこんでいたが、バートたちの姿を見ると、サッと体をひいた。リザンの様子に不自然なものを感じたバートは、義兄弟の顔を見て驚いた。
「リザン、大丈夫か? 顔色が悪いぞ」
「ん、別になんでもない。疲れたからだよ」
リザンはそう言って、破れた上着をかきあわせた。リザンがそのまま倒れそうな気がして、バートは手を差しだした。が、リザンはそれが焼けた火《ひ》箸《ばし》ででもあるかのように、顔をこわばらせてあとずさった。
「リザン、どうしたんだ?」
「いいんだ、放っておいてくれないか!」
リザンの鋭い口調に、バートは傷つき手を引く。シラルムとプラムが驚いて魔法使いを見た。リザンはうつむいたまま離れる。
とまどったままバートは、足元に転がるローブの男の死体を見おろした。死体は苦悶の表情を浮かべて、カッと虚空を見上げている。胸に刺さった剣を引き抜こうとするように、両手が虚空をつかむ形で胸の上にのっている。だが、その剣は今はバートの背に収まっていた。
今にも起き上がり、道連れを求めて襲いかかってくるのではないかという幻想にバートは身震いした。リザンも同じような気分になって、気が高ぶっているだけかもしれない。
ふとバートはこの男の胸で輝いていた紫色の光を思いだした。何かあるかもしれないと思い、男のローブをさぐり、手をどける。しかし何も見あたらない。
「ね、早くここから出ましょうよ。ここにいると気分が悪くなりそう」プラムはおどおどと言うと外へ走り出た。
バートは男の死体から離れた。出口へ行く。リザンは黙ったままついてきた。あいかわらず上着をかきよせ、寒気を感じているかのように前かがみになっている。手をかしてやりたかったが、リザンの周囲には敵意にも似たきびしい何かがとりまいている。
だが、その気配も部屋を出てしまうと、さほど気にならなくなった。やはり、あの部屋がよくなかったのだろう。
「こっちよ。こっち」
通路の先からプラムが呼ぶ。暗闇から抜け出したような安心感を覚えて、バートはグラスランナーの方へ歩きだした。
* * *
リザンは首にかけた護符の力を感じ取ろうと、護符を抱きしめるように前かがみになった。小さな護符は冷たくも熱くも感じられる。それには強い力が、強力な魔力が潜んでいるのだ。それを引き出せれば、リザンは強大な力を手にすることができるだろう。
リザンは黒いローブの司祭が持っていたこの護符を見たときに、その事を知った≠フだ。宿主を失い、輝きを失っていた護符をのぞきこんだ時、リザンにはそこに秘められた力をかいま見たような気がした。気がつくと彼はその護符を取り上げ、身につけていた。
魅入られた……としか言いようがない。それを手にした時、彼は自分の悲願を痛感したのだ。
「強くなりたい」それがリザンの望みであり、一生をかけて手にいれようとしているものだった。
リザンはいつも誰かに助けられていた。先ほどの戦いでもそうだった。彼は心の奥底で、バートがいなくともなんとかできるのではないかと考えていた。しかし現実は死人の爪に傷つけられ、子供のようにバートの助けを求めて叫んでいたのだ。
「強くなりたい」リザンは痛切にそう思った。その望みがかなうかもしれない。これに秘められた力を解放できれば……だが、どうすればよいのだ?
その答えはあっけなく見つかった。突然、リザンは何かを感じて顔をあげた。さっきまではバートの後について通路を進んでいたのだが、今はどこかの部屋の中にいた。
ノーランドとかいう老人と、女盗賊、女盗賊の手下が二人。そしてバートたちがその部屋を引っかき回している。リザンだけが、ぼんやりと入口でたたずんでいた。
「こら、乱暴にあつかうんじゃない! わしの持ち物もあるんじゃぞ」
女盗賊がつまらなそうに放り投げるガラクタを老人とシラルムが一生懸命集めている。奥ではカインズとバートが宝箱を見つけたらしく、プラムが開けさせろとせがんでいる。箱の中からはいくつかの武器と、布に包まれた杖が出てきた。
「おお、わしの杖じゃ!」
老人は集めたガラクタを放り出すと杖に飛びついた。シラルムがあきれたように老人を見ている。
リザンは奇妙な力にひかれて部屋に踏み込んだ。部屋の奥にある机へ向かう。そこではマーディが一冊の本を読んでいた。リザンが近づくと、マーディはぎょっとしたように彼を見た。
「ど、どぉしたのリザン、顔色が真っ青じゃないの」
リザンは本へ向かって手を差し伸べた。
「それを……僕にくれないか?」
マーディは本とリザンを見比べた。が、病人の頼みだと思ったか、すなおに本を渡す。本に触れたとたん、リザンはこれが彼を力へ導く鍵≠セと知った。
ページを繰《く》る。古ぼけた古文書で、中に記されている文字は、いままで見たことも聞いたこともないものだ。しかしリザンにはそのすべてを理解する事ができる。
「あんた、魔法も使わずにそれが読めるの?」
マーディが目を丸くしてリザンを見ている。その目に好奇心の光を見てとり、リザンは本を閉じた。そしてあいまいにうなずく。あまり詮索されたくない。
「少しぐらいは……以前に書物で見た事があるから……」
リザンが答えると、マーディは一応はそれで納得したようだった。リザンは本を抱え込んだ。そうすると、護符の力が強まるような気がしたからだ。本を得たことで張りつめていた何かが切れた感じがした。急速な脱力感に意識がふらつく。目を閉じると体がゆらめき、リザンは膝《ひざ》をついた。しかし本はしっかりと抱えたままだ。
マーディが慌てて彼をささえる。誰にも触れられたくはなかったが、それすら気にできないほど疲れていた。
「リザン!?」バートの声がする。
マーディが呪文を唱えた。治癒呪文をかけたのかもしれない。だが、リザンの意識は暗闇に落ちていった。
* * *
「黄金のアヒル」は再び海原を帆走していた。船倉には積荷が戻り、甲板には戦利品の入った樽が並んでいる。それをながめつつ船長が豪快な笑い声をあげた。
「まいったぜ。船に追い込まれて、さすがにもうだめか……と思ったら、海賊の頭が出てきて俺たちは逃げるぜ、アバヨー≠ニ来たもんだ。一瞬、耳をうたがったぜ」
ノーランドじいさんが感慨深げにうなずく。
「あやつらも、あんな死人の島におることが苦痛になっとったんじゃろう。雲のカラクリは壊れたようだし、死人は崩れていなくなる。逃げだすのに最高の機会だと思ったんじゃな」
「初めはあの司祭と協力すれば、ボロイもうけになると思ったんでしょうね。ひょっとすると、あの司祭がミルリーフ≠フ司祭だなんて知らずに手を組んだのかもしれないわね」
マーディが手にいれた宝物の品定めをしながら言う。「で、司祭の正体を知った時は、逃げるに逃げられない状態になってたのよ。きっと」
「なにはともあれ、万事解決。宝も手に入ったし、この顛末《てんまつ》をカゾフなり、オランの自衛軍に報告すれば賞金も出るぞ」
船長はうれしくてたまらないようだ。バートは腰に下げたショート・ソードの柄《つか》をもてあそびながら、その様子を見ていた。ショート・ソードは魔法の品で、刃には魔力が込められている。
「しけた顔して、どうしたの?」
すぐ隣にナイトシェードの声を聞いて、バートは振り返った。彼女は樽の上に腰かけて、バートを見ている。その後ろには大きな影《かげ》法《ぼう》師《し》のように、カインズが立っている。
「せっかくのお宝なんだから、もっと喜べばいいのに」
「ん、喜んでるよ」
「そうかしら?」
ナイトシェードの手がバートの顎《あご》をつかみ、ぐいっと振り向かせた。そしてその顔をのぞき込む。
「ほぉら、目が死んでるじゃない。リザンが心配なんでしょう? 大丈夫よ。単に疲れてただけみたいだし。あんまり心配なら、マーファの寺院の治療院へ連れていけばしっかり治してくれるわ」
「そ、そうだね。ありがとう」バートはどぎまぎしながらうなずいた。ナイトシェードもニッコリ笑ってうなずく。そこにマーディの声が割り込んだ。
「あ〜ら、あねご。また、いたいけない青年を誘惑して。罪つくりなんだから」
振り向くと、甲板にいる全員の目が二人に集まっていた。
「マーディ! いたいけない青年って、あたしの方が年下なんだからっ! それにまた≠チてなによ! あたしはガルード親父とはちがうんだからね」
ナイトシェードはすねたように、プイっと後ろを向く。ちょうど後ろで声をおさえて笑っていたカインズと向き合うことになった。
「ちょっとカインズ、何笑ってんの?」
「ああ、いえ、別になんでもありませんぜ。本当ですってば」大男はそう言いながら、少しずつあとずさる。
「何故逃げるのよ。ちょっとお待ち!」
大男は悪ガキがいたずらを見つかったかのように、一目散に逃げ出す。樽から飛び降りたナイトシェードが追いかける。二人は甲板中を走り回る。全員が笑いに包まれた。
バートはその騒ぎから離れると、船室へ降りていった。薄暗くゆらぐ通路を通って船室の扉をノックする。シラルムの声が答えた。
小さな部屋のベッドにリザンが横たわっている。バートは枕元にいるシラルムに小声で尋ねた。
「まだ、目を覚まさないか?」
シラルムがうなずく。
「熱もないし、原因らしいものは無いんですけど……」
「ありがとう。俺が見ているよ。上で一息いれればいい。急いで行けば面白い見せ物が見られるぞ」
「そりゃ、急がなくちゃ。しばらくしたら戻ってきますよ」
バートはシラルムと入れ替わりに、リザンの枕元に座った。扉が閉まると波と船のきしむ音だけが残った。
バートはリザンをのぞき込んだ。眠っているというよりも、気を失っているように見える。しかし、マーディが精神力付与《トランスファー・メンタルパワー》≠フ魔法をかけても、リザンは目を覚まさなかった。
そして奇妙な事に、彼は手にした一冊の本を、決して手放そうとしなかったのだ。今も、リザンは古ぼけた本を握りしめている。
「呪いというわけじゃないみたいよ」
リザンが倒れたとき、神聖魔法を使って原因を調べたマーディの声が蘇《よみがえ》った。
「本に魔力はあるみたいだけれど、どちらかというと、その魔力で本が離れないのじゃなく、彼がどうしても本を手放したくない……。その強い気持ちがこうなっているみたいだわ。しばらく様子を見るしかないわね。どのみち、カゾフヘ戻るにしても、三日はかかるんだから」
三日か……。バートは悲痛な気持ちで兄弟の顔を見おろした。
「リザン、おまえにもしもの事があったら、俺はどんな顔をして、故郷に戻ればいいんだ? 目を覚ましてくれよ……リザン」
バートはうなだれた。後悔の気持ちが戦士の心をかきみだす。
低いうめき声をあげて、リザンが身動きした。苦しげに眉をよせ、うわごとをつぶやく。やがて、ぱっと目を見開いた。
「リザン、大丈夫か?」
「……バート? 万華鏡《カレイド・コープ》は? 赤い宝石は?」
「万華鏡? ああ、夢を見ていたんだな」
「夢?」
ぼんやりとバートを見上げていたリザンの表情が、おびえたものに変わる。彼はベッドの中でもがいた。
「本! 僕の本はどこ!?」
「本はおまえが持っているじゃないか。ほら」
バートは本を握りしめるリザンの手を軽く押さえた。本の感触を感じ取って、リザンは安堵のためいきをついた。固くこわばっていた手が、ゆっくりといつくしむように本をさぐる。バートはそんな様子を、そこはかとない不安を抱きつつ見ていた。
リザンが目を閉じる。再び目を開いた時、先ほどまでの弱々しい姿は消え、冷たいまでの強さがあった。
「バート、僕はこの本から、学ばなくてはならない事がある。しばらく一人にしてもらえるかい?」
「その本は何なんだい? 学ぶって一体?」
バートがのぞき込むと、リザンの顔にいらだたしげな表情が浮かんだ。
「僕の人生にかかわることなんだ。この本には、僕の希望が隠されているはずなんだ。僕を一人にしてくれ!」
リザンは強く言い張った。その口調にバートはとまどいと怒りを感じた。ついさっきまでの心細いほどの不安が、リザンの傲慢な口調に激しい怒りに変わる。おさえる間もなく、バートは叫んでいた。
「ああ、わかったよ。出ていけばいいんだろう、出ていけば!」
バートは荒々しく立ち上がると、部屋を出ていく。扉を閉める時に、一度だけ振り返った。リザンが後侮して、許しの目で彼を見ているかもしれないと思ったからだ。
しかしリザンはバートのことなぞ無視したように、ベッドから半分体を起こして本を広げようとしていた。
「くそっ!」バートはやり場のない怒りを吐き捨てるように、音をたてて扉を閉めた。
* * *
「黄金のアヒル」は三日遅れでカゾフの港に入港した。船が着くと同時に、いつの間にかナイトシェード、マーディ、カインズの姿は(取り分の宝物ともども)消え失せていた。
ノーランドじいさんも東のアノスヘ旅立った。二日後、カゾフの自衛軍から賞金をもらった一行は「黄金のアヒル」に乗り込んだ。
「めずらしい宝物がけっこう残ってるから、奇跡の店≠ノもっていけば、おやじさんがとっても喜ぶと思うんだけど」
かなり減ってしまった宝物を見ながら、プラムが言う。宝物は本当に驚くような早さでなくなっていた。どんな宝も冒険者にとっちゃ、あぶく銭≠ニ言われているが、まさにその通りだ。
「それじゃあ船長にかけあって、僕たちの取り分は宝石じゃなくて、品物にしてもらいましょう。バートはどうします?」
「ん、俺の分もリザンの分も同じでかまわないよ」
「錨《いかり》をあげろ。オランヘゆくぞ!」船長の張りのある声が響き、錨が引き上げられる。船は岸を離れ、向きを変えるとオラン目指して北上を始めた。
* * *
竜はかすかな異変に気づいた。開いたばかりの感覚の端に、冷たい流れが触れたのだ。その冷たい流れは竜にとって、ある種なじみの深いものと言えた。竜は首をもたげ、翼を広げた。彼は目的を見つけ出した。この冷たい流れが行き着く先、それとも流れ出る源か? そこに竜の目的がある。
竜は体に力をみなぎらせた。そしてその世界への出口を求める。しかし、出口は開いていない。竜を解き放つ力はまだ満ちてはいない。和音はまだ四つの音でしかない。竜はいらだたしげに翼を打ちつけた。だがやがてあきらめたように体を落ち着ける。そして改めて感覚を開くと、それをとぎすました。再びあの冷たい流れをさぐるために。
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第四章 堕ちた都市
賢者の街オランより北東へ四、五日の所に、遺跡の町パダがある。そしてそのパダの北には、アレクラスト大陸最大にして謎多き古代遺跡「レックス」がある。
「レックス」は古代カストゥール王国時代に造られた、空中に浮かぶ都市である。
大魔術師ブランプによって造られた空中都市は、その後に造られた魔法都市、精霊都市のはしりであり、古代王国一の大都市であった。このレックスに使われた石や土砂をとったあとが一つの湖そのものとなったことからも、その巨大さが知れる。
レックスにはすぐれた魔法使いや身分の高い者だけが住むことを許された。空飛ぶ都市は洗練された建物に覆われ、この都市に住むことは王国の人々の夢とされたのだ。
だがレックスは、古代王国のどん欲さと虚栄心を表すように巨大化し続け、やがて己の巨大さに滅びたと伝えられている。空中都市は己を支えきれず、地に「堕《お》ちた」のだった。
レックスは様々な財宝の宝庫であり、モンスターの巣窟《そうくつ》である。レックスを支えるために集められた強力な魔力は、今もレックスを取り巻いている。その魔力によって姿や性質を変えられた魔物や怪物が、数多くレックスの遺跡の中に徘徊《はいかい》しているのだ。
レックスに眠る財宝を求めて、多くの冒険者や賢者が遣跡に踏み込む。その何人かは生きて戻らず、ほとんどの者は夢破れ、わずかに残った幸運な者だけが、財宝を手に戻ってくる。パダにはそんな、夢を求め、夢を追う多くの冒険者たちが集っていた。
パダはつくられた当初は、城壁に囲まれた小さな町だった。しかし、冒険者が集まり、人口が増えると、町は城壁の外へも広がっていった。城壁の外には急ごしらえのあばら屋が立ち並び、闇市やいかがわしい魔法の品物売り、まがいものの古書を並べた本屋などが並ぶスラムと化している。
冒険者の店も内と外の二つがある。バートたちはオランの冒険者の店から受け取った紹介状を手に、城壁の中の冒険者の店へ向かっていた。
「紹介状が必要なんて、ヘンな所ね」プラムが言う。
「この町の冒険者の店は、外と中で対立しているようなところがあるんですよ」シラルムが言う。「外の冒険者の店はどんな冒険者でも仕事をもらえるけれど、中の店はある程度は名をあげていなくては入る事もできないんですよ」
「めんどくさい所なんだな」とバート。
「でも結構うまくいってるんですよ。堕ちた都市の奥深くは中の店の縄張りで、外の店にいるような初心者は入れない。奥へ入れるぐらい経験を積んだ冒険者になったら、自然と中の冒険者の店に移っているんですよ」
「じゃあ、あたしたちは堕ちた都市の中へ入れるぐらいに強いってわけ?」プラムが目を輝かせる。
「あんまり自信はありませんけどね」シラルムは苦笑を浮かべた。
一人の物売りが、威勢のいい声をかけながらバートに近づく。薄汚れた上着から、大切そうに宝石のついたペンダントを取り出す。それを売りつけようとしているようだ。
「兄ちゃん、これを買っていかないかい? レックスで見つかった魔法の品だ。浮遊《レビテーション》≠フ魔法がかかっている貴重品だよ。二千五百ガメルでどうだい?」
男はなれなれしくバートの肩に手をかける。男からたちのぼる悪臭にバートは顔をしかめた。男はなおもすりよりつつ、ペンダントを目の前にかざす。緑色の石のはまった金のペンダントだが、金の色ははげたように黒ずみ、いかにも安物といった感じだ。バートは男を払いのけようとした。
「ちょっと、何のつもり?」
プラムの声がして、男が顔をしかめる。見ると肩にかかっていたはずの男の手が、バートのベルトにつけた金の袋を外そうとしている。プラムのダガーがその手を押さえていた。
男はゆっくりと痩せてふしくれだった手を引っ込めた。
「行け」いまいましげにバートが言うと、男は路地の暗がりへ逃げ込んだ。その姿はすぐに見えなくなる。
「油断もスキもないんだから」プラムはダガーを鞘に戻す。
「プラムがいなかったら、まんまと盗まれていたでしょうね」
シラルムがショート・ソードの柄に手を置いたまま言った。
「あと、この辺りの店にある魔法の品物は、ほとんどが偽物だから気をつけた方がいいですよ」
「まったくの偽物というわけじゃないね」リザンが口を開いた。
「あれは魔法の品物だよ。ただ呪いの品物だというのが問題だけれど」
「え、どんな呪いなの?」プラムが尋ねる。
「そこまでは、わからない。しっかりと鑑定したわけじゃないから」リザンが笑顔を浮かべて言う。
シラルムがそっとバートに近づいた。
「リザンの事は、バートの思いすごしだったようですね」
バートはうなずいた。オランヘ戻ったあと、リザンの様子は昔通りになった。熱にうかされた様子も、なにかにせかされているような行動もなくなり、大人しく落ち着いたいつものリザンに戻っている。
ただ時折、宿屋の部屋に閉じ込もったり、魔法使いギルドヘ調べ物に行ったりすることは続いていた。パダヘ行きたいと言ったのもリザンだった。魔法使いギルドから戻った彼は、熱っぽく語った。
「見つかりそうなんだ。僕の探す宝、一生をかけるべき宝が。バート、パダヘ、堕ちた都市レックスヘ行こう」
「彼の探しているもの……をバートは知っているのですか?」シラルムの声にバートは首を振った。
バートも幾《いく》度《ど》かそれを尋ねようとした。しかしそのたびに何故か思いとどまってしまう。何事もはっきりさせたがるバートにとって、その感情は奇妙であり、不快だった。だが、自分がそれを問いただすと、ようやく戻ってきたリザンが離れてしまう。リザンとのつながりを断ち切ってしまうような恐怖があった。
シラルムはバートの台詞《せりふ》を待っていたが、それ以上なにも言わなかった。
バートたちは迷路のような通りを抜けて、パダの門へ向かう。城壁はそんな薄暗いスラムをはねつけるように、高くそびえている。本来はレックスのモンスターにそなえて造られたその頑強な城壁が、今は中と外をへだてる壁の象徴となっている。
門を入ると周囲の風景は一変した。オランそっくりの整然とした石造りの街並みが並んでいる。
「パダはオランができて間もなく造られた街だからね」リザンが言う。
「これじゃ、外に住む人たちが中をうらやむ気持ちもわからなくはないな」バートはつぶやく。
「中の人が外をいやがる気持ちもわかるわ」
プラムは背後の門を振り返り、ごみごみとしたスラムに目をやった。
「行こう」バートはみんなをうながして街の大通りを進んだ。
* * *
冒険者の店も石造りの重厚な建物だった。冒険者の店というよりも、ラーダの学院か、魔法使いギルドのように見える。磨き込まれたオーク材の扉を開けて中に入る。刺すような視線が集まった。
店の中には二人のドワーフと一グループのパーティがいた。奥のテーブルでジョッキを傾けていた二人のドワーフは、バートたちを一見すると、すぐに自分たちの話に戻った。しかしもう一つのグループ、バートたちと年の変わらぬ一団は、冷笑を浮かべてこちらを見ている。あからさまに嫌みを言っては、ニヤニヤと笑う。
「いやなやつ」プラムが言う。
「無視すればいいんです。相手にする必要はありませんよ」とシラルム。
バートは店の奥へ進むとカウンターに近づいた。店のおやじが目をあげる。紹介状を差し出すと太い指が受け取った。
「へ、ヒヨッコがお駄《だ》賃《ちん》をもらいに来たのか?」あざけりの声が聞こえた。さっきの男たちが笑い声をあげる。プラムがむっとしたようにそちらを向こうとしたが、シラルムに止められた。
「おい、おやじ。そんなやつらに仕事をやる必要はないぜ。どうせ見かけ倒しだろうからな」手にしたジョッキを突き出すようにして、リーダー格の戦士が言う。
「見かけもよかぁないぜ」
「せいぜいコボルト一匹を相手するのがいいところかな」
「それも四人がかりでな!」
他のメンバーが合いの手を入れる。再び大笑いが起こった。
「なぁによ失礼しちゃうわ!」
プラムは鼻の頭にシワをよせる。本気で頭にきているようだ。シラルムが肩を押さえていなければ、飛びかかっていきかねない。
おやじは紹介状を懐にしまいこんだ。そしてカウンターに手をついて、バートたちともう一つのパーティをながめる。バートはおやじが何か言うのを待ったが、おやじは面白そうに、二つのパーティをながめているだけだ。
「ここに入るための、試験みたいなもンってわけか……」バートは男たちへと振り返った。
おやじが何も言わないのを見て、男たちはさらに勢いづく。
「はっ、おやじさんも、おまえらにやるような仕事はないそうだとよ。外の店で残飯あさりの仕事でももらってきな!」
「おまえらが漁ったあとじゃ、残飯も残ってねぇだろう? 後生大事にゴブリンのクソも拾ってきたんじゃねえか?」
バートが言う。あ〜あ、と言いたげにシラルムがプラムの肩を離す。プラムも言った。
「どうせあんたたちもここへ来たばっかりなんでしょう? 顔を見ればわかるわよ。間抜けな顔してるもん!」
どうもその台詞《せりふ》は図星だったようだ。リーダーらしい男が立ち上がる。バートよりも頭一つ高い。根っからの戦士らしく、金属鎧に戦《せん》斧《ぷ》をかついでいる。
「素人がなに言いやがる!」男が吠えた。
「バートもプラムも、酔っぱらいのケンカを買うなんて軽率ですよ」
「シラルム、その台詞では火に油≠カゃないか?」
シラルムとリザンがのんきに言う。男はジョッキをテーブルに叩きつけた。顔が真っ赤に染まる。残りの四人も立ち上がる。
「誰が酔っぱらいだと! おい、外へ出やがれ! 礼儀を教えてやる!」
「ああ。だが人数はそっちの方が多い。ここは、あんたと俺の一騎打ちってのはどうだ?」
バートは男と自分を指さした。
「望むところだ。グラスランナーや魔法使いを殴ったところで、つまらんからな」
男が顎《あご》をしゃくり、バートは店を出た。男も出てくる。その後ろからにらみあいながら男の仲間とリザンたちが出てきた。
通りに出た男は鎧と斧を外す。バートも剣帯を外して鎧をぬいだ。久々のケンカに対する期待が、かすかな震えになって体中に広がった。
「バート……ごめん」
怒りがおさまってきたらしいプラムが心配そうにバートを見上げた。バートはニヤリと不敵な笑顔を浮かべた。
振り返る。バートと男は通りの中央でにらみあった。
「俺はフォーシスってんだ。おめえは?」
「バート」
バートは短く答える。フォーシスと名乗った男が身構えた。バートも腰を落として低く構える。互いにスキをうかがう。それは一瞬だ。
次の瞬間、フォーシスが殴りかかってきた。その太い腕をくぐって足払いをかける。しかしそれはかわされた。肘《ひじ》が飛んでくるのを腕で受け流す。そして無防備になった顎に向かって頭突きを入れた。ガツンと衝撃があって、二人の体が離れた。
くらくらする頭を振って、バートは拳を男の顎に放つ。男はそれをかわして体をひねる。回し蹴りが横っ腹に決まり、バートは通りに転がった。が、よろけつつもその反動で立ち上がる。フォーシスが感心したようにニッと笑った。
再び拳と蹴りの応酬が始まる。時にはつかみあい、投げ飛ばしあう。だが、フォーシスは汚い手は使ってこない。もちろんバートもだ。互いにケンカ慣れしている。バートは怒りよりもうれしさを感じていた。
ここ数か月間、こんな楽しい気持ちになったことはなかった。冒険の中でモンスターと殺しあう、そんな中には今バートが感じているような熱い気持ちはない。体の奥から湧いてくる闘志が、血をわきたたせ、体中を熱くさせる。忘れかけていた何かを見つけたように感じて、バートはおたけびを上げて拳を振った。
拳や足に相手の堅い筋肉がぶち当たる。そして自分の体や顔に鈍い痛みと衝撃がぶつかる。だが、苦痛や不安はない。
相手の腕をとり足を払う。二人は石畳の通りに転がると、上に下にともつれあいながら殴りあった。目の端に、通りに集まってきた野次馬の人垣と仲間たちの姿が映ったが、気にとめている余裕はない。
押さえ込んでくる男の腕を、ずらすように押し退ける。大きな拳が頬を張り飛ばす。痛みに頭の芯がしびれ、視界が灰色にぼやける。だが、今の一撃を放ったために、男の体は傾いている。バートは体をひねり、全身で男を払いのけた。そして見えないまま、男に馬乗りになると、えりくびを押さえた。
視界のもやが晴れ、バートは相手の顔を見た。にらみ返す男の顔は腫《は》れ上がり、青あざができている。バートも目が開けにくいことに気づいた。目の前の男と、そう大差ないひどい顔をしているはずだ。バートはそう思い、目の前の男を見て吹き出した。ひきつるように肩を震わせて男を放す。そして石畳に転がると大声で笑いはじめた。
男は殴りかかろうとしたようだが、やはり途中で吹き出して大声で笑いだす。二人は店の前、いつの間にか集まってきた野次馬たちの中央で笑い転げた。涙を流しながらフォーシスが言った。
「おまえ、なかなかやるな。気にいった」
「こっちもだ。こんなに楽しいのは久しぶりだ」
バートは立ち上がって男へ手を差しだした。その手につかまって立ち上がったフォーシスはニヤリと笑顔を浮かべた。
「さあ来いよ。俺に一杯おごらせてくれ」
フォーシスはバートの腕をとると、店の中に入ってゆく。残った二つのパーティも、少々こだわりを残しながらもリーダーの後についてゆく。
店に入るとおやじが満足そうにうなずいている。店の奥にいたドワーフの一人が声をかけてきた。
「どうやら無事に、この店の仲間入りができたようだな。バート」
「おや、あんたガラードか?」
「ガラードさん、どうしてここに?」
バートとプラムが尋ねると、ドワーフの斧使い雄牛のガラード≠ヘ髭の間から歯をむきだして笑った。
「村もいいが、やっぱり冒険が一番だ。息抜きをかねて、ここまで来たんだ」
「なんだ、ガラードのおっさんと知合いなのか?」フォーシスがバートの首をぐいっと引き寄せた。「みんなで俺たちをけしかけてたのか? 人が悪いぜ」
「名前だけで仲間になっても面白くなかろう?」おやじが言う。
「それに楽しんでたじゃないか」とガラード。
バートとフォーシスは顔を見あわせて笑った。
「よし、来てくれ。仕事の話だ」おやじが手を打ちあわせてぐるりを見回した。
バートとフォーシス、そしてその仲間たちがカウンターのそばの椅子に、思い思いに座っていく。おやじが言った。
「二日前にこの辺りで大きめの地震があったのは知っているか?」
「街道を歩いてたら急に地面が揺れて、びっくりしたわ」プラムが言う。
「あの地震でレックスにいくつか新しい入口が開いたようだ。中にいた運のいいやつが、けっこう値の張る品物を持って戻ったからまちがいない」
フォーシスが口笛を吹く。
彼の仲間の一人。革鎧にショート・ソード、杖を手にした魔法使いが言った。
「俺たちにその新しい穴を探して、調べてこいって言うんだな」
おやじはうなずいた。「早いところ入口を見つけておかなくては、外に盗《と》られちまうからな」
「うおお、燃えるぜ。まだ誰の手も入ってない遺跡か!」フォーシスが吠えた。
バートの胸にも徐々に最大の遺跡、そして未知の遺産に対する衝動がつきあげてきた。プラムがバートの手をとった。グラスランナーの瞳が大きく見開かれている。
「ね、早く行きましょう。レックスに行くのは初めてだもの。わくわくするわ。何があるのかしら」
「よおし、行くか!」バートが言う。
ガラードはいままで一緒にいた相手のドワーフと別れのあいさつをすませて、バートの前に来た。
「よし、久しぶりにわしも同行させてもらうぞ。わしの目と力が必要になるかもしれんからな」
「善は急げ。レックスまでは俺たちが案内してやる。安心しな」フォーシスの太い腕が再びバートの首を抱え込む。
「おまえらの幸運を期待しているぜ」おやじが言った。
* * *
いにしえの時代、栄華をきわめた天空都市レックス。
その美しい魔法の都も、今はただ打ち捨てられたがれきの山でしかない。はるか高みより落ちた都市は、その時の信じられないような衝撃に、崩れ、折れ曲がり、砕け散っている。
あの大都市オランの十数倍の広さにわたって、古代都市の残骸が広がる。周辺部の遺跡は多くの冒険者によって荒され、今は何も見つからない。だが、その奥深くには古代王国の魔法使いたちが残した財宝が眠っているはずなのだ。
レックスが近づくにつれ、バートは期待に胸が高まるのを感じていた。
道すがら、フォーシスは仲間のことや、いままでの冒険談を語った。フォーシスの仲間はマイリーの神官戦士、精霊使いのハーフエルフ。魔法使い。そして盗賊の四人。
バートもまた、仲間を紹介し、いままでの冒険について語った。ガラードを加えて、総勢十名の冒険者は遺跡へ向かった。
日が昇り、まだ天空高くかかる前に、古代遺跡のシルエットが大きくせりあがってきた。傾いた塔や崩れた建物が密集している。あちこちには巨木が生えている。レックスに植えられていた木々が根づいたようだ。
木々は異質な姿になっていた。太い幹が触手のように、朽ち果てた建物の壁にのしかかっている。バートたちはその幹の林を通って、レックスに入った。
木々の間には巨大な石の柱が立っていた。その多くは建物の名《な》残《ごり》の岩だったが、中にはもとから巨大な石柱として、この場に立てられているものもあった。
「うわぁ、あれ見て、すごい!」
プラムが指さす先には、ひときわ大きな石柱が集まっている。その上にはかなり大きな岩や土砂が宙に浮かんでいた。
「この街を浮かばせていた魔法の名残だ。奥へ行けばもっとたくさん見られるぜ」フォーシスが言う。
彼が示す先を見ると、同じように宙に浮かぶ小島がいくつも浮かんでいた。
先へ進む。がれきの間にいくつもの人骨やそのかけらが転がっている。どこかの冒険者がつけたのか、落書きのような文字や文様が、遺跡の壁に刻みつけられている。意味もなく窓や石像が打ち壊されていたり、たいまつの燃えかすが落ちていたりもする。
だが、それら人の入った痕跡は、奥へ向かうにつれて少なくなり、やがて見られなくなった。バートたちはがれきや土砂の山を乗り越えながら、さらに奥へ進んでいく。やがて日がかげり、夕闇が近づいてきた。
「この辺りで野宿するとしようか」雄牛のガラード≠ェ言う。
夜になると、レックスはさらに異様で不気味な姿を見せた。焚火のゆらめく光が、遺跡の暗闇にいもしないモンスターの姿を想像させる。
「ここには腐るほど幽霊が出るって話は知ってるか?」
一緒に見張りになった僧侶戦士のケヴィンがバートに言った。もう一人のエルフ娘のライザは面白そうに二人を見ている。
「レックスが落ちた時、ここに住んでいた人間のほとんど全部が、逃げだすこともできずに街と運命を共にしたんだそうだ。これだけの大きさの街だ。オランに住む何倍もの人が死んだわけだ。
突然の死に人々の魂は、報われることのない怨雲となって、この遺跡をうろついているのさ」
「見たことはあるのか?」
バートの問いにケヴィンはうなずいた。
「一度だけだが、二度は会いたくないな。青白い光でできた人影のようなもので、すさまじい怒りや悲しみ、恐怖の表情を浮かべて襲いかかってくる。そいつらが現れた時は、辺りが雪の夜のように……いや、それ以上に冷たくなる。
事実あいつらは生きている者のぬくもりを求めて近づいてくるんだ。それを手にいれれば、幸せになれるとでも考えているのだろうか……」
「哀れよね。そんな事をしても自分と同じように、さまよい浮かばれない幽霊を一人、増やすだけなのに」ライザが焚火の火をかきたてながら言った。
翌朝、再び彼らは遺跡の中を進んでいった。朽ち果てた建物の中に、生活の名残を見つけるたびに、バートは死んでいった多くの古代人を思った。
「フォーシス、新しい入口があったぞ!」
やや先を進んでいた盗賊と僧侶戦士が、遺跡の壁に開いた穴を指さして手を振っている。バートたちは近寄った。
厚い石の壁が内側から破られている。天井の石も崩れている。上を見上げると、傾いた塔の下にいるのだとわかった。
「柱が倒れて、壁をぶち抜いたようだな」雄牛のガラード≠ェ言う。
「もう一つ、あの建物の壁も崩れて穴が開いている」
盗賊が指さした建物にも、大きな穴がぽっかりと口を開いている。
「どうします? この穴に入るか、あの穴に入るか? 一緒に行くか、バラバラに行くか?」シラルムが尋ねた。
「遺跡の中では十人もいては、反対に邪魔になってしまうわ」
「よし」フォーシスは一枚のガメル銀貨を取りだした。
「じゃあ俺の仲間とバートの仲間のどちらが、どの遺跡に行くか、こいつで決めようじゃないか。表が出ればこの塔へ、裏が出れば向こうの建物だ。投げていいか?」
バートはうなずく。フォーシスの指がコインをはね上げる。輝きながら銀貨は宙に舞い、再び落ちてくる。フォーシスの手がそれを押さえ込んだ。手を開くとオランの紋章が輝く。
「裏だ」
フォーシスは銀貨をポケットに戻した。
「俺たちはあっちの建物を調べる。じゃあなバート。一日たったらここで会おう。がんばれよ!」
「わしはバートのパーティに加わるんだろうな」ガラードがフォーシスたちを見送りながら言う。
「ガラードさんがいてくれれば、心強いですよ」シラルムが言った。
リザンとプラムが塔の中をのぞき込んでいる。バートも近づいた。
「まあ、待て。わしが見よう。下手に入ると崩れてくるかもしれん。塔だから、崩れられると面倒だぞ」
ガラードがバートたちを止めると、前に進み出た。崩れた石組を丹念に調べる。そのまま暗がりに入ってゆく。バートたちも後に続いた。
* * *
太陽が天頂にかかろうとしていた。ガラードはむっつりと、遺跡で見つけた軟玉のかたまりを削って、枝に止まる鳥を作ろうとしている。シラルムとプラムは地面に砂を敷いて、そこで簡単なゲームをやっており、リザンは物陰に入ってあの古文書を広げて没頭していた。
バートは岩にもたれかかりながら、ぼんやりと空を流れる雲を見ていた。
結局あの塔で見つかったものは、燭台や皿、ポットといった物ばかりだった。頂上では魔法に使う道具がいくつか見つかったが、それだけだ。バートたちはいくつかめぼしいものをポケットにねじこんで、フォーシスたちと別れた場所へ戻ってきたのだった。
抜けるような青空に、触れれば弾力のありそうな雲がぽっかりと浮かんでいる。その手前に何の支えもなく、岩が浮かんでいるのが現実離れした気分を誘う。
ガラードがため息をついた。そしてフォーシスたちの向かった遺跡へ目をやる。今朝から何度もやっている行動だった。プラムが顔をあげてガラードを見る。シラルムが言った。
「遅いですね。迎えに行った方がいいんじゃないですか?」
バートたちが塔から戻ってきて、半日近くが過ぎようとしていた。フォーシスたちとの約束の時間はとっくに過ぎている。バートは立ち上がった。
「ガラード、行こう。もしもの事を考えたら、早いうちに行った方がいい」
ガラードがうなずくまで、少しの時間があった。ドワーフはほぼ形になっている軟玉を荷物袋にしまいこんだ。そして立ち上がる。
「うむ、おまえさんたちの言う通りだ。行こう」
プラムは服についた砂を払い、リザンは古文書を長衣の懐にしまいこんだ。
フォーシスたちの入っていった建物は、大きくはあったが、ほとんど全部が貸《かし》間《ま》のようだつた。小さ目の部屋がたくさん並んでいるが、目につくような物は何もない。
「見習い魔法使いの寮といった感じだな」
リザンの杖を借り受けて、部屋を照らしたバートはつぶやいた。机や寝台などはあるが、それ以上の贅沢品は数えるほどしかない。部屋から出たバートは杖を返した。
「フォーシスたちもがっかりして、ずっと奥へ行ったのだろう」ガラードが言った。
「ここが見習いたちの寮だったなら、この近くに学院か何かがあるはずですからね」次の部屋をのぞき込みながらシラルムが言う。
そのさらに次の扉は短い通路につながっており、通路の突き当りにも扉がある。その扉にはガラスがはまっており、薄く開いている。ただし、そのガラスはひび割れてかけらが床に落ちている。開いた隙間とガラスから外の光が入ってくる。
バートはガラスを散らさないように、そっと扉を開いた。まぶしい外の光が差し込む。そこは小さな中庭だった。水の涸《か》れた噴水やベンチがある。
「草がかき分けられているし、噴水を調べたあとがあるわ」庭を調べたプラムが言う。
中庭からは建物に入る扉はたくさんあった。しかしガラードはその中の一つの扉を示した。
「どうしてわかるんだ?」
バートが尋ねると、ドワーフは足元の草を指さした。草は曲げられて結び目がつけられている。
「レンジャーが使う合図よ」プラムが言う。
バートたちはその合図にしたがって、一つの建物に入っていった。その建物は背は高くなかったが、とても大きく造りがしっかりしている。通路には未だに魔法の光が薄く輝いている。そのあちこちにある扉は、すでに開けられており、冒険者の手が入っていた。
曲がり角には、今度はシーフの使う印がつけられている。それがけっこう高い所にあるので、プラムは曲がり角のたびに文句を言った。
「しかし、フォーシスたちはずいぶん奥へ行ったんだな」バートが言う。
「いや、まだまだ奥へ行ったと思うぞ。あいつらは腕は確かだし、戦いにも強い。だが、どうもそれを過信しすぎているところがある。冒険者みたいなヤクザな商売では、自《うぬ》惚《ぼ》れなくては強くなれんが、自分の力を知らなければ生き残れん」ガラードが真剣な目でそう言った。
やがて通路の様子が変わった。さらに重厚になった通路は、淡い光に照らされている。だがやはりどこか薄暗く、不気味な雰囲気に包まれている。しん、と静まり返った遺跡の中では、剣帯と剣の柄が触れあうわずかな音が、やけにそうぞうしく響いた。
建物の中は魔法の力に満ちていた。レックス全体に魔法の力は働いているが、この建物の中は特にその力が強いように感じる。
「ここは……特別な場所のようですね」シラルムが言いよどむ。
リザンは何も言わなかったが、その瞳には何かを期待するような光がある。バートは落ち着きなく辺りを見回した。
「ねぇ、血の匂いがしない?」プラムが言う。
バートは周囲の空気をかいでみた。かすかに、だが確かに血の匂いがする。それとともに、遠くで起こっている戦いの物音が聞こえてきた。そしておたけびの声。
「フォーシスだ!」
バートは走りだした。暗い通路を駆け抜ける。戦いの物音と叫び声は大きくなっていく。
行く手の通路に誰かが倒れている。フォーシスの仲間の精霊使いだ。バートとシラルムは駆け寄って抱き起こす。だが、その骸は冷たい。死体のそばには大きな扉があった。
通路の突き当りにあるその扉は、豪華な装飾に覆われ、取っ手はリン光を放つ銀の鎖で封じてあったようだ。しかし、今は鎖は解かれ、扉は開いている。その中から壮絶な戦いの声が聞こえる。だが、その声も、途切れ途切れになっている。
バートはバスタード・ソードを引き抜いた。そして扉に駆け寄る。
「一人じゃ無茶ですよ」
シラルムは通路を見る。遅れてプラムとリザン、そのまた向こうにドワーフの姿が見える。彼らに急げと合図を送って、エルフもバートの後を追った。
バートは扉を押し開いた。魔法の白い光が流れ出す。中に滑り込む。その場の光景に息をのんだ。
広間の床には魔法使いと神官戦士が倒れている。そして部屋の奥にはフォーシスが倒れていた。その上に何かがゆらめいていた。邪悪な人影。魔神だろうか? それはかき消すように消え失せた。
バートはフォーシスに駆け寄った。血が石の床の上に広がっていく。フォーシスの顔にはまだ血の気がある。しかし戦士の魂は、すでにそこから立ち去っていた。
ガラードが近づいてきた。バートはすがるようにドワーフを見た。ドワーフの手がまだ温かい戦士の体に押し当てられる。白い光があふれでたが、それは空しく消え失せた。ドワーフは首を振って小さく印をきった。
「もう少し早く来ていれば……」ガラードが小さくつぶやいた。その場に重苦しい空気が満ちた。
「バート! リザンが一人で奥に行っちゃうわ。追いかけなくていいの?」
プラムの声にバートはフォーシスの死体から目をあげた。プラムは惨状の広がる広間から続く、広い廊下を指さしていた。廊下の向こうにリザンらしい人影が動いている。
「バート、ここは僕たちにまかせておいてください。僕もこの五十年ほどで、死体には慣れましたからね」シラルムとガラードがうなずく。
「すぐに戻る」バートは早足で廊下に駆け込む。プラムが慌ててその後を追った。
* * *
大きな通路は天井もはるかに高い。あちこちに名残の魔力が光を放っているが、床に届く前に闇の精霊に打ち消されてしまう。リザンのかかげる杖の明りだけが、五百年近く閉ざされていた闇を追い払う。
その光に照らされて白く浮かび上がるリザンの顔には表情がなかった。あまりにも静かで冷ややかな気持ちが魔法使いを支配している。望んでいたものがすぐそばにあるかもしれない。そんなかすかな予感が、この廊下の奥から彼を誘っていた。
前方の闇の中に、扉が浮き上がった。強力な魔力が満ちた扉は、鋼《はがね》の色となってリザンの目に映る。
背後から二つの足音が近づいてくる。リザンはいらだたしげに眉を寄せた。しかし振り返った時には、その表情は柔らかな笑みに変わっていた。バートが声をかける。
「一人では危ない。また何が現れるかわからないぞ」その声には非難の色があった。
「せめてフォーシスたちの埋葬をするまで、持てなかったのか?」
リザンは下を向く。埋葬なぞ馬鹿馬鹿しい気分がした。その表情を見られまいとしたのだが、バートは彼が反省しているのだと思ったようだ。
「ねえ、あの扉はなぁに? すごく大きいわ」
プラムの声にバートが扉を見る。リザンも扉を見上げた。よく見えるように杖をかざす。
扉はさほど大きくはないが、その両わきに立っている巨大な柱が威圧感を与える。扉の表面に銀のプレートがあり、光を受けて輝いた。そこには奇妙な幾何学模様が浮かび上がっていた。大きな丸の中に三角形が三つ。
リザンは喜びにうち震えた。「古代魔法学院の紋章だ!」
「古代魔法学院? それってオランの魔法使いギルドみたいなもの?」プラムの問いに、リザンはうわずった声で答えた。
「もっとすごいものだ。古代王国の魔法学院の封印の扉。この向こうには驚くようなすばらしい宝が眠っている」
「どんなのだろう。あたし、想像できない!」グラスランナーははしゃいだ。
リザンはくいいるように文様と、その周囲の古代語を読みふけった。やがて顔をあげ、杖をかかげる。片手をプレートに置き、古代語で何かを唱えた。
しかし、次の瞬間、プレートが白く輝くとリザンの手を弾き飛ばした。
「リザン、大丈夫か?」
よろめく魔法使いの体をバートが受け止めた。リザンはいまいましげに手を握りしめる。はじかれた指はしびれて感触がない。
「大丈夫だ。今のは脅しでしかない。どうもこの扉を開けるには、特別な何かが必要のようだ。学院の賢者である証の品物が……」
「それが何なのか、わかんないの?」
プラムが尋ねる。リザンは答えずに憎々しげに扉を見つめた。ややあって、魔法使いは言った。
「僕は賢者の部屋を探す。ようやく見つけたんだ。なんとしても開けてみせる!」
語気の強さにバートは驚いたようだった。リザンはバートから離れると、通路を引き返して行く。プラムが走りよる。一呼吸おくれて戦士も後を追った。
* * *
「賢者の部屋でなにを探すんだ?」
ドワーフの問いかけにリザンは顔をしかめた。
「僕にもまだわからない。ただ賢者が持っている何かが、あの扉を開くはずだ。ふだん、賢者が身につけていて、なおかつ身分を表すもの。あの扉はそれを持った者でなければ、どんな魔法使いでも開けることはできない」
バートたちが戻った時には、ガラードとシラルムの手によって、フォーシスたちの埋葬は終わっていた。もちろん建物の中なので、本式のものはできない。服と装備品をととのえて、死体が荒される事のないことを祈るしかない。
バートはやりきれない思いで死者を見た。あまりにあっけない別れだった。
「この建物の近くに、もう一つ塔があったような気がしますね。そこへ行ってみますか?」シラルムが提案した。
「では一度中庭に戻った方がいいだろう」
ガラードが言い、バートたちは扉の並ぶ小さな中庭へ引き返した。
中庭にくるとガラードは目を閉じて、太いが器用な指をこめかみに押し当てた。この辺りの地形を思いだしているようだ。ややあって一方を指さす。
「こっちだ」
ドワーフのあとに続いて、彼らは新しい通路へ踏み込んだ。
古代王国の学院ははてしないほど大きく広がっている。この建物だけで、バートとリザンの故郷の村一つはすっぽり入ってしまうだろう。いや、もっと大きい。二人の村は十数軒の家がかたまっているだけの集落にすぎない。その村を放り込むなら、学院の寮だけで十分だ。
この都市が空に浮かんでいた頃、ここはどれほど活気に満ちていただろう? すぐれたルーン・マスターとなるために、多くの魔法使いたちがこの学院で己のワザを磨いていたのだ。
巨大な都市を空に浮かべ、ドラゴンを操り、上位精霊を呼び出すことのできた古代王国人。神話の時代の神の血を引いていたともいう。彼らが滅びた理由ははっきりとはわかっていない。
オランの創始者であり、魔法使いギルドの最高導師でもあるマナ・ライによれば、古代王国の滅びた原因は魔力の暴走によるという。しかし、その魔力の暴走も何故起こったのかはまったくの不明というしかない。
上位精霊の反乱、魔神の出現、移動手段であった移送の扉≠竍門≠フ暴走など、多くの原因があげられているが、そのどれもがはっきりとした決め手を持ってはいない。そのいくつかが併発して王国を滅ぼしたのかもしれないし、まったく知られていない大きな原因があったのかもしれない。
寮の単調な通路が途切れ、バートたちは狭いが重厚な建物の中に入った。彫刻やタペストリーが廊下の両側を飾っている。厚い砂ぼこりがここにも積もっている。
階段がある。頑丈そうな手すりには、彫刻がほどこされている。多くの人々の手にこすられて、滑らかな曲線を描いている。階段は上と下の双方に向かっていた。行く手を覆う暗がりをのぞき込みつつ、バートは言った。
「やはり上だろうな」
「今度は階段が平らだから助かるわい」ガラードがほっとしたように言う。
リザンの杖の明りが、かすかにゆらいだ。
「魔法の効果がなくなってきたんだ」リザンが答える。
「もうそろそろ夜になりますよ。この辺りの部屋を調べて、休んだ方がいいんじゃないですか?」シラルムが廊下にある扉を指さした。
リザンがもう一度、明りの魔法をかける。光が強くなった。プラムが扉を調べる。カギがかかっていたが、彼女は簡単に開けてしまった。
中は来客の間を思わせる場所だった。椅子がいくつかとテーブル。小さな棚や台座テーブルがあるが、すべてが一方の壁に押しやられている。レックスが落ちた時の様子がわかるような気がする。五百年前の椅子や机は、少し力をいれるとあっけなく壊れた。
壊れた家具を押し退けて、バートたちは床の上へ横になった。まだ、眠くないと言うガラードとリザンを見張りに残して、彼らは眠りについた。
* * *
肩を揺り動かされて、プラムは目を覚ました。見上げるとリザンがのぞき込んでいる。
「見張りをかわってくれるか?」
プラムは目をこすりながら起き上がった。大きく伸びをする。リザンは暗がりにさがり、壁ぎわに座り込んだ。リザンの杖が床に置いてあり、そのそばでガラードが軟玉の細工をやっている。彼女は立ち上がり、あくびをしつつドワーフに近づいた。
ドワーフの手の中で、緑色の石は透き通るような緑の羽を持った鳥へ、姿を変えようとしている。もう一度あくびをして、プラムはガラードの隣に座り込んだ。
「あまりあくびばかりしないでくれんか。こっちも眠たくなるだろう?」言いながらドワーフも大あくびをした。
「何かおもしろい事はあった?」
「あればさつさと叩き起こしておるわい。別に何もない」
ドワーフは小刀で鳥の羽を彫り込んでゆく。プラムは感心しながら、それを見ていた。ドワーフの細工物はたくさん見ていたが、目の前で造っているのを見るのは初めてだ。
ただの石ころが、ドワーフの待った刃物が触れるごとに、柔らかさと温かさを持ったものに変わってゆく。石に刻まれた単なる溝が、鳥の綿毛や堅い風切り羽根に変わる。プラムは自分でもやってみたくなった。
「ねえ、それ、あたしにもやらせて」
ガラードは慌てて石をグラスランナーの手が届かないように持ち上げた。
「だめだ。素人にやらせたら、特におまえさんにやらせたら、何ができるか分かったものじゃない。その辺りの木の板でも削って練習すればいい」
プラムは頬をふくらませると、机や椅子の残骸をあさりはじめた。しかしほとんどが朽ち果てていて、ナイフを当てただけでボロボロに崩れてしまった。しばらく悪戦苦闘をしていたが、五本目の木から白アリが現れたのを見て、プラムは怒って木片を放り出した。
「石の方がいいな。あれならいっぱいあるし」
プラムは周囲を見回した。しかし残念ながら、この部屋には削って面白そうな石はない。でも、ここへ来る途中の通路に、いくつか色のついた石があったはずだ。
「あたし、石を探してくるね」
鳥の顔の細かい細工に入っていたガラードは、面倒くさそうに生返事を返した。プラムはポケットから、以前の冒険で手にいれた白い石を取り出した。服に思いっきり擦《こす》りつけると、石は淡い光を放ちはじめる。プラムはそれをかざしながら廊下へ出ていった。
ややあって、鳥の顔を彫り上げたガラードは戸口に人影があるのに気づいた。背が小さいのでプラムだと思った。しかし、人影は戸口から中をうかがうばかりで中に入らない。くちばしの形をなおしながら、ガラードは声をかけた。
「何をしてる。早く入ってこんか」
人影は恐る恐る入ってくる。そして壁ぞいに部屋の隅へ行く。ガラードは手早くくちばしの先端を丸くけずった。
「変なやつだな。何かドジでもしたのか?」
そう戸口にいる人影に話しかけて、ガラードはハッとなった。入ってきたはずの人影は、部屋の隅の暗がりにいる。なのに、もう一つの影が戸口にいるのだ。
ガラードは戦斧をつかんで立ち上がった。プラムだと思っていた人影をよく見る。それは黒い小人だった。グラスランナーによく似ている。だがその顔つきは妖魔のものであり、痩せこけた手足には細長い指がついている。
「な、なんだこいつらは……バート、シラルム、リザン、起きろ!」
ガラードはあとずさりながら、そばに眠っているバートを蹴った。しかし戦士は動かない。魔法の眠りに捕らわれているのだ。黒い小人が笑顔を浮かべた。ガラードは戦斧を握りなおした。そしていやらしい笑みを浮かべている小人へ切りかかった。
小人は細長い指を突き出して何かを唱える。とたん、ガラードの目の前が真っ暗になった。暗視の能力を持つドワーフにとって、盲目は初めての体験だった。ガラードは恐慌に陥った。盲滅法に斧を振り回す。そのドワーフにクモの糸のような物が幾重にも絡みつく。戦斧もそのねばつく糸にむしりとられた。ドワーフは体の自由を失って床に倒れた。
ふと出かけたままのグラスランナーの事が頭に浮かんだ。
「プラムーっ!」
ガラードはもがいた。しかし頭に鈍い衝撃を受けて、彼は気を失った。
* * *
遠くから名前を呼ばれたように感じて、プラムは暗い通路をうかがった。
思っているような良い石はなかなか見つからなかった。ほとんどが砕けて小さかったり、ヒビが入っていたりしているのだ。あちこちの彫刻を調べながら歩いていたプラムは、気がつくと仲間のいる部屋から、ずいぶん遠く離れた場所にいた。
グラスランナーは耳をすませたが、同じような声は聞こえない。しかし、何か嫌な予感がする。プラムはようやく見つけた赤い石をポケットにねじ込むと、早足で通路を引き返しはじめた。
「あん、夢中になってたとはいえ、ちょっと遠くに来すぎたわね」
いつしかプラムは走りだしていた。その速さはかなりのものだ。グラスランナーの名はダテではない。彼女が本気を出して走れば、どんな相手にも負けることはない。ただ、仲間と一緒の時はそんな勢いで走っても仕方がないだけなのだ。
グラスランナーは遺跡の中を風のように走り抜けた。プラム自身は走るつもりはなかったのだが、何か虫の知らせとでも言うものが彼女をせきたてていた。
仲間のいる部屋が見える通路に出た時、彼女もその奇妙な黒い小人を見た。
「なに、あいつらは……?」彼女は物陰に身をひそめた。
小人の数は十数人を超えている。ぞろぞろと部屋のまわりに群がっては、甲高い声で話し合っている。その小人たちに引きずられるように運ばれる、バートやシラルムの姿が見えた。戦士たちの体はぐったりと動かない。
小人たちの周囲が明るいのは、小人の一匹がリザンの杖をかかげているからだった。
プラムは飛び出していって仲間を助けたかった。しかしあまりにも敵は多い。
バートたちを運びだした小人たちは、そのまま通路を進んでいく。
「塔の上にでも住んでいるのかしら?」
しかし、彼らは階段には向かわず、壁の前で立ち止まった。一匹の小人がそばにある彫像に登る。すると壁の一部が奥へ下がり、隠し通路が現れた。小人たちはその中に入っていく。全員が入ってしまうと、仕掛を押さえていた小人は彫像から飛び降り、急いで通路に飛び込んだ。隠し通路はゆっくりと閉じていった。
通路が閉じたのを確かめて、プラムは物陰から出た。誰か残っていないかと部屋の中をのぞき込む。しかしそこには何もない。あの小人たちは、バートたちの持っていた物はすべて運んでいったらしい。
プラムは部屋を出ると、隠し通路のある塹に近づいた。そしてその隣にある魔法使いの彫像によじ登った。
あの小人はよくこの通路を使っているらしい。彫像の持つワンドに通路を開ける仕掛けがあるが、その部分はすっかりすり減っている。プラムはワンドの先端を押してみた。
かすかな物音をたてて、隠し通路が開く。通路は細い上り階段になっている。プラムは彫像から滑り下りると、階段に飛び込んだ。その背後で隠し扉はゆっくりと閉まっていった。
* * *
ゆっくりとバートは意識を取り戻した。体が重く、頭がくらくらする。ゆっくりと体を起こす。すぐそばにシラルムとリザン、そして少し離れた所に、白い糸で縛り上げられたガラードが倒れている。
「シラルム、リザン、大丈夫か?」
バートは二人の肩をゆする。二人が身動きしたのを確かめて、ドワーフに近づく。ドワーフはすでに気がついていた。魔力でできた白い糸も、半ば薄れてきている。
「すまん、わしがうっかりしておったから、こんな目にあってしまったんだ」
「プラムはどこだ?」
「わからん」
プラムがいなくなった顛末と、その後の黒い小人の襲撃を聞いたバートは考え込んだ。
ここは大きめの部屋の中だった。中にあった物はすべて運びだしたらしく、壁の飾り金具などが残っているだけだ。持ち物もベルトの小袋に入っている小物以外、すべて取られている。
シラルムとリザンが近づいてきた。バートはドワーフを捕らえている白い糸をほどいた。ガラードはほっと息をついて体を起こした。こわばった体をほぐすように手足を動かす。
足音が近づいてくるのが聞こえた。ややあって扉が開いた。バートたちは振り返りざま身構える。細い針のような武器を持った小人が三人、中をうかがっている。その内の一人が奇妙な言葉で話しかけてきた。
「何て言っているんだ?」バートはリザンを見る。
「表へ出ろ。しかし変なまねはするな。針は痛いし、魔法はもっと痛いぞ@d魔の言葉だ」
「実際、痛そうですね。ここは大人しく出たほうがいいんじゃないですか?」
シラルムが顔をしかめながら言う。バートはうなずいて立ち上がった。ドワーフは不服そうだったが、他に方法がないのでしぶしぶ立ち上がる。小人は不気味な笑みを浮かべて後ろに下がった。両側から鋭い針を突きつけられながら、バートたちは部屋を出た。
どうやらここは塔の上の階のようだ。しかし、バートたちが目指していた塔なのか、別の塔なのかはわからない。明り取りの小さな窓から、朝の光らしい薄く冷たい光が差し込んでいる。
小人たちはバートたちを一つの扉の前へ連れていく。小人の一人が扉に向かって声をかける。扉がゆっくり開く。魔法の光に満たされた広間が現れた。
巨大な柱にはめ込まれた石が、白くやさしい光を放つ。広間の奥には色鮮やかな布や金、宝石などでできた山がある。それを王座とするかのように、体中に装飾品をぶらさげた一人の小人が、頂上に座っていた。
周囲には二十人近い小人たちが、ものめずらしそうにバートたちを見ている。
小人の針がバートたちをつつく。四人はその宝の山でできた王座の前に進みでた。
黄金をきらめかせながら、小人の王が何か言う。
「いままで多くの獣《けもの》を捕らえたが、人間を捕らえたのは久しぶりだ≠ニおっしゃっている」あざけるようにリザンが訳す。
「俺たちをどうするつもりだ? まさか食うつもりじゃないだろうな?」
バートが言いリザンが妖魔の言葉になおす。小人の王はじっとバートたちを見た。ややあって話しだす。
「人間は『主《あるじ》』様に貢《みつ》がねばならない。だが妖精族の二人は食ってもよかろう=v
「わしを食うだと!? やれるものならやってみろ! ただでは食われんぞ!」ガラードが吠える。
「『主』とは何者なのか聞いてもらえますか?」シラルムが言う。
リザンは王に向かって長い問いかけを行った。王は甲高い声をあげ、身振り手振りでそれに答える。それを聞いていた周囲の小人たちも、歓喜に似た声をあげた。
「『主』はこの建物の頂上におられる。我々よりずっと長命で、なんでも知っておられる。しかし『主』は動くことができない。かの人は動くための入れ物を欲しておられる。入れ物が見つかったら『主』は真の王となられるのだ=v
「わけのわからない話だな」
喜びの表情を浮かべたまま、小人の王はガラードとシラルムを指さした。そして連れていけと身振りする。
ガラードは殴りかかろうと拳を固めたが、針の剣に囲まれて、身動きできなくなった。飛び出そうとしたバートの前にも針が突きつけられる。
「おぼえていろよ、この栄養失調のコボルト野郎!」
言葉は通じなくても悪口はわかるようだ。小人の一人が針でドワーフを突く。ガラードはうめいた。ドワーフとエルフはそのまま連れ去られていく。バートはどうすることもできずに歯がみした。
小人の王が何か言う。
「僕たちを『主』の所へ案内してくれるそうだ」リザンが静かに言った。
針を持った小人たちが、バートとリザンの周囲を取り囲んだ。
* * *
「シラルム、なんとかならんのか?」
ガラードが小声でささやく。小人の一人がドワーフをにらみつけ、針を突きつける。ドワーフとエルフは無言のまま、通路をひったてられてゆく。ややあって、シラルムが答えた。
「なんとかしたいのはやまやまですけど、今は無理ですよ……いてっ!」
針で足をつつかれて、シラルムは顔をしかめた。しばらく待ってから言葉を続ける。
「……これですからね。呪文どころか手を動かすこともできませんよ」
ガラードはうめいた。神聖魔法のフォース≠ネらば精神集中をすればよいだけだから、簡単に使えるだろう。が、どちらかといえばガラードの場合は殴った方が早い。一方、腕力のないエルフは、この状態では魔法を使うことができない。
二人の周囲には三人の小人が立っていた。おまけにその一人は、死角になる真後ろに立っている。
広間から連れ出された二人は、細い通路を連れていかれた。小さな部屋がいくつかあり、そこから小人たちが、めずらしそうにドワーフとエルフをながめている。
この塔は彼らの町になっているようだった。女性や子供もいる。日の光を嫌うわけではないらしく、塔の壁の一部は、わざと壊して大きな穴を開けてある。そこからレックスが見おろせた。
小人たちは二人を細い階段へ連れていく。その下の方からは胸の悪くなるような匂いがただよってきた。
「うっぶ、何だこの匂いは」
「台所だったりして。僕たちもあんな匂いのシチューになるんでしょうかね」
「うむむむ……、わしは嫌だぞ!」
ガラードは叫ぶと小人の一人につかみかかった。小人は針を振ろうとしたが、ドワーフの怪力に締め上げられて動けない。しかし残った二人が切りかかってくる。シラルムは一人は受け流したが、もう一人の針にあとずさった。
その二人の小人の頭上から、薄汚れた布が落ちてくると、小人をすっぽりと覆い隠した。
「早く早く、そのまま階段の下へおっことしちゃえ!」
声に見上げると階段の上からプラムがのぞき込んでいた。シラルムは小人を包むように布を引っ張った。そしてそれを急な階段の下に放りだす。ガラードも捕まえていた小人に一発くらわせると、同じように階段の下へ放りだした。
「プラム、無事だったか」
「当り前じゃない。それより早くしないと捕まっちゃうわよ」
グラスランナーは階段を上っていく。エルフとドワーフがそれに続いた。階段を駆け上っていく三人を、何も知らない小人たちが見送る。
「彼らも根っから凶悪なわけじゃ、ないみたいですね」
プラムに追いついたシラルムが言う。ガラードは少し遅れてついてくる。下の方から騒ぎの声が聞こえてきた。
「凶悪ではなくとも、仲間を、殺されたら、襲いかかって、くるぞ。ここから、逃げ、ださなくては」ガラードは息をきらせている。
「下へ行くならこっちよ」
プラムが踊り場から通路に向かう。通路はやがて下へ向かう階段に行き着いている。しかし、そこを降りようとしたプラムが叫んだ。
「下からあいつらが上がってくるわ!」
三人は向きを変えて、階段を上へ駆け上った。その下から針を持った小人たちが追いかけてくる。シラルムが振り返りざまに闇の精霊を放った。階段の途中がすっぽりと暗闇に包まれる。多くの小人たちは、その異様な闇に驚いて立ち止まったが、何人かはそのまま上ってくる。闇に害はないとわかった小人たちは再び三人を追い上げた。
プラムがポケットから何かを取り出すと階段の下へ投げつけた。それは床に当たると割れて煙を噴いた。煙にまかれた小人たちは、バタバタと倒れていく。
「クラウド・エッグよ。もったいないけど、仕方ないわ」
三人は階段を上っていく。プラムは元気だがシラルムは肩で息をしており、ガラードにいたっては、歩くよりは速い程度だ。
小人の数はかなり減ってきた。眠りの雲で眠ってしまっただけでなく、どうも上の方へは行きたくないといった様子だ。やがて階段が終わり、踊り場と大きな扉があった。ガラードは踊り場に座り込んだ。シラルムも階段を見おろして、追ってくるものを待った。
しかし、小人たちは現れない。シラルムが階段の下をのぞき込むと、一かたまりになって上を見上げている小人たちと目があった。彼らはエルフの姿を見ると、手にした針を振り回し、怒りの声をあげたが、何故か上ってこようとはしない。
「ここは『主』の部屋なのじゃないか? あいつらは『主』を恐れているのかもしれん」
一息ついたガラードが踊り場にある、大きな扉を指さした。その時、扉の中から絶叫が聞こえた。その声の主に気づいた三人は体をこわばらせた。
「あれはバートの声だ!」シラルムが叫んだ。
* * *
最上階へ連れてこられたバートは、周囲にいる小人たちの様子がおかしい事に気づいた。
みんな何かを恐れるように、おどおどとしている。
先頭に立っていた王が、扉の前へ頭をたれる。そして何か崇《あが》めるように扉へ呼びかけた。扉はゆっくりと開いていく。小人たちがわずかにあとずさった。
扉の中は先刻の広間と同じように、白い魔法の光に満たされている。しかしどちらかといえば、薄明り程度の明るさだ。王はその中へ入っていく。針で押されるようにしてバートとリザンは後に続いた。
部屋の中は様々な魔導の品に、埋めつくされていた。見たこともない動物の標本や骨、魔導書、図面、錬金術を思わせる金属の壺に窯《かま》。棚には多くの壺や筒が並んでいるが、ほとんどは砕けて壊れている。
壁にはタペストリーがかかっているが、バートたちがよく見るような、風景や人物の描かれたものではない。文字と図形が一面にちりばめられている。隣にいるリザンの顔に驚きと期待の色が浮かんでいる。魔法使いはくいいるように周囲を見回した。
小人の王が部屋の奥を指して、バートたちに命令した。示す先には大きな机があり、その向こうに誰かが座っているようだ。バートたちを取り囲んでいた小人たちは、恐れるように後ろに下がる。バートは危険にそなえて拳を握ると、リザンを押さえて踏み出そうとした。
恐れる必要はない。二人とも来るがいい
重圧感のある声が頭の中に響いた。バートはぎくりとして身を引いた。小人の王がいらだたしげにバートヘ叫びたてる。
「バート、行くよ」リザンがつかつかと部屋の中央へ進んだ。バートも兄弟の隣に並んだ。
机の向こうには、一人の男の骸があった。金色の刺繍でふちどられた、ゆったりとした紺碧《こんぺき》の長衣《ローブ》をまとい、背の高い大きな椅子にもたれかかっている。ひからびた右手はゆったりと肘かけの上にのっており、左手にはブラックオパールを思わせる魔晶石のついた杖を持っている。再び声がした。
よく来た。最初におまえたちのことを聞いた時は、さほど期待していなかった。だが、失望する必要はなさそうだ
「おまえは何者だ!?」
バートはひからびた魔法使いのミイラに向かって叫んだ。
私はこの塔の主人。名はエルドース
「俺たちをどうするつもりだ?」
私の入れ物になってもらう。ご覧の通りに私の肉体は滅びている。しかし私の魂は永遠に生きる事ができる。私は私の宿るべき肉体を探している。そのために「シー」におまえたちをここへ連れてこさせたのだ
「シー? この小人たちのことか?」
彼らは私が造りだした魔法生物。なかなか賢いとは思わんかね?
声は笑い声を響かせた。
私は待ちくたびれた。早く新しい体を使って外の世界が見たい。さあ、私のそばへ来るんだ
「うるさい。誰がおまえなぞに乗っ取られるために近づくものか」
バートは叫んだ。エルドースと名乗った声が冷ややかに答える。
ここからは逃げられんぞ。おまえたちのどちらかが、私のもとへ来ればそれでよいのだ。そうすれば残った方は無事に塔の外へ出してやろう
バートの顔が怒りに赤くなる。戦士は堅く拳を握りなおした。たとえ魔法使いとはいえ、相手はただの死体。一気に襲いかかればなんとかなるだろう。バートは軽く身構えた。そして気をそらすために何か言おうとした。
が、その前にリザンが口を開いた。
「わかった。言う通りにしよう」
バートは驚いてリザンを見た。リザンはまっすぐ魔法使いのミイラを見すえている。リザンは進み出た。慌ててバートは義兄弟の腕をとった。
「何を言うんだリザン、馬鹿なことはやめろ」
リザンが振り返った。
「バート、僕は犠牲になるつもりはない。学院にあった扉を開くカギが見つかった。ふだん、賢者が身につけていて、なおかつ身分を表すもの。つまり杖だ」
「あの杖を取るつもりか? 止めてくれ、リザン。危険だ。危なすぎる……」
「ここから出られなければ、どのみち同じだ。それに僕には、あの杖の魔力と知識が欲しい。エルドースの魂はあの杖に入っている。あれを支配できれば……」
「だめだ!」
「離してくれ!」
思いがけない力でバートは振りほどかれた。リザンは魔法使いの骸へ歩み寄る。彼の目には、再びあの取りつかれたような熱っぽい光があった。リザンは杖に手を伸ばす。杖が魔力のモヤに包まれる。リザンは杖を握りしめた。
リザンの体がこわばった。杖の光が強くなる。それまで杖を支えていた魔法使いの骸は粉々に砕け落ちた。
「リザン!」
バートは叫んだが、その場から動けなかった。リザンの目は、杖にはまっている大きな魔晶石にすえられている。
杖に宿るエルドース≠フ魂とリザンが、互いの存亡をかけて戦っていた。リザンの額に汗が浮かぶ。歯を食いしばる。しかし、杖を取り巻く魔力のモヤは大きく、強くはなれど弱まる気配はない。リザンの体がゆらめいた。
蛮族の魔法使いごときが、我に勝てると思ってか!<Gルドースの声が響きわたる。
「リザン! 止めろ、止めてくれーっ!」バートは絶叫した。
兄弟の危機に何もできない自分がくやしい。今すぐ走り出て、リザンをあの呪わしい杖から引きはがしたい。しかしバートの足は根が生えたようにこわばり、その場から一歩も動けないのだ。リザンが倒れる。バートは顔を覆った。
しかし、いつまで待ってもエルドースの勝ちどきの声は聞こえなかつた。バートは顔をあげた。
リザンは杖と向きなおっていた。つい先ほどまでの危なっかしげな様子はない。新たな力に満ちたように、背を伸ばして杖をにらみすえている。空いた手は胸の前で、何かを握りしめているように見える。その手から紫色のリン光が流れ出ている。光はリザンを包み込み、杖をものみこもうとしていた。
杖を覆うモヤは、懸命に紫色の光を追い払おうとした。しかし、紫色の光はモヤに染み込むように広がっていく。紫色がモヤにすりかわる。やがてモヤは消え去り、同じように紫色のリン光も薄れて消えた。
リザンは大きく息をついた。ゆっくりと肩で息をする。
「リザン……」バートは兄弟へ近づこうとした。
その時、とてつもない音をたてて、扉が押し破られた。小人たちを押しつぶす勢いで、ドワーフとエルフ、そしてグラスランナーが飛び込んでくる。バートは振り返った。グラスランナーと目があう。不安に曇っていたプラムの顔が、パッと明るくなった。
「バート、大丈夫? すごい声で叫んでいたから、何があったのかと……きゃぁ!」
小人の一人が驚きから立ちなおると、グラスランナーに針を突きつける。
「止めろ!」
リザンが杖を突きつけながら叫んだ。小人たちの動きが止まった。リザンは妖魔の言葉で小人の王に話しかける。王はとまどっているようだった。しかし、リザンが杖をかかげて示すと納得したように、深くひれふした。
王が何か言うと、小人たちは潮が引くようにいなくなった。
「リザン……だよな」
バートが心配気に尋ねる。リザンはちらりとバートの顔を見た。そしてうなずく。リザンは新しい杖を握りなおした。
「鍵は手に入った。エルドースの持っている知識も、やがて僕のものになるだろう。あとはあの封印の扉を開ければいい」リザンの顔に笑みが浮かんだ。
「一体なにがあったんだ? どうしてやつらはあんなに大人しくなったんだ?」
ガラードが困惑した様子で、リザンとバートの顔を見比べる。
バートが口を開く前に、彼らの前に一人の小人が現れた。彼はビクビクと震えながらリザンに何か言う。リザンが手を振ると、小人は安心したように階段へ走り去った。
「僕たちの荷物がそろったようだ。下へ行って取り戻そうじゃないか。ただし、僕の杖はもう用なしだがね」
リザンはそう言うと階段へ向かって歩き出す。
後を追いながら、バートはシラルムとガラードの問いかけるような表情に、リザンとこの塔の『主』だった魔法使いの話を始めた。
* * *
「さすがにあそこの食事だけは、食べる気にはなれませんよ。なにせもう少しで僕やガラードが、ああなるところだったんですからね」シラルムが笑いながら言う。
リザンが言った通り、王の間にはバートたちの荷物がそろえてあった。リザンは小人たちに『主』は出かけるが留守を守るように言いつけたのだ。
「どうする、本当に封印の扉へ行くのか? わしとしては一度パダヘ戻って、疲れを取りたい気分だがな」
ガラードは顔をしかめながら、首筋と肩を押さえる。バートも賛成したい気分だった。食料も心細くなっている。宿屋で温かいスープと焼きたてのパンを食べたい。酒もいい。エールを一気に流し込む感触を思い浮かべて、バートは喉を鳴らした。しかしリザンは首を振った。
「パダヘ戻れば、次にここへ来るのは三日後になる。僕は三日も待てない。あの扉の向こうには、すばらしい品がある。あと半日あればそれが手に入るんだ」
リザンはイライラと歩き回った。「嫌ならば僕一人で行く」
「別に嫌というわけじゃないですよ。まあ、せっかくの大発見を目の前にして、引き返せというのは酷《こく》ですね」シラルムがうなずく。
バートたちは再び遺跡の中へ戻っていった。帰り道はプラムと、リザンの杖に宿るエルドースの記憶が見つけ出した。
隠し通路を抜け、小人たちにさらわれた部屋を通って、学院の通路へ戻る。学院へ戻れば封印の扉へはすぐにたどりつけた。
フォーシスたちが命を落とした広間を抜ける。その奥、通路の突き当りに立ったバートたちは、古代王国の魔法使いたちが残したものを見上げた。
二本の巨大な柱にはさまれた大きな封印の扉は、以前と変わらず強力な魔力に包まれている。扉にはめこまれた銀のプレートには、魔法学院の紋章が脈動するように輝いている。その前に立ったリザンは、杖に額をあてて、しばらくたたずんだ。やがて、顔をあげると杖をかかげた。片手をプレートに置き、古代語で何かを唱える。少しの間があって、扉はゆっくりと開いていった。
「おお、開いた」ガラードが息をのむ。
バートも期待と不安に、開いていく扉を凝視した。扉の内側は暗闇が支配している。しかしリザンは恐れる様子もなく、中に踏み込んでいく。
「明りよ!」リザンが古代語で命令すると、さっと部屋に明りが灯った。
中に入ったバートは、部屋の巨大さと、中にある様々な品物に圧倒された。横倒しになっているが、水に浮かべればすぐに使えそうな小型の船がある。そばには金属の翼を持った鳥が眠っており、何に使うのか見当もつかない、巨大で長い筒《つつ》が寝かせられている。鉄の柵《さく》のようなものもあれば、笛や竪琴《たてごと》といった見慣れた品物もあった。
バートは先へ進むリザンの後を追った。彼は周囲に目をやりはするが、そのまま先へ先へと歩いていく。バートは魔法使いの隣に追いついた。
「リザン、何を探しているんだ? 俺も探すよ」
魔法使いはいらだたしげに首を振った。
「僕にもはっきりとはわからない。見ればわかる。だが言葉にはできない」
部屋の奥には上へ向かう、梯子のような階段があった。その階段はリザンが乗ると、ひとりでに上へと動いていく。バートは驚いてあとずさったが、リザンは平気な様子で上までゆくと、奥へ姿を消す。バートは部屋の中の品々に、目を奪われている三人に声をかけると階段に飛び乗った。転げ落ちそうになって、慌てて手すりにしがみつく。
体が持ち上がっていく感触が、船の大揺れを感じさせてバートは目を閉じた。しかし目を閉じるとさらにその感じが強くなったので、慌てて目を開く。二階の床が下がってゆき、さらに先に向かう通路を曲がるリザンの姿が見えた。バートは二階の床に飛び上がった。
バートは急いで通路を進んでいく。曲がり角を曲がると、そこにはいくつもの扉の並ぶ、幅の広い廊下だった。扉にはそれぞれ銀色のプレートがはめこんである。リザンはその一つの扉の前に立っていた。胸の前で手を握りしめている。
リザンはその握りしめたものを扉にかざした。それはペングントのように見えた。そのペンダントのような物の周りに、再びあの紫色のリン光が現れる。
バートが近づくと、リザンはそれを服の中に落とし込んだ。
「バート、僕はこの扉の封印を解く。みんなを近づけないようにしてくれないか」
バートはリザンの立つ扉を見た。ここにも銀のプレートがはめ込んである。しかしそこに書かれている上位古代語は、バートの手におえる物ではない。
「ここにリザンの探しているものがあるのか?」
リザンはうなずいた。彼は長衣の中から古文書を取り出した。そのページを繰りはじめる。しかし、バートが立ったままなのに気づくと、険しい表情で彼を見た。
「バート、集中のじゃまになる。下がっていてくれないか」
幾度目かの非難に、バートは声をあげそうになった。しかし、その言葉をのみ込むと、黙ってその場から立ち去った。背後からリザンの詠唱の声が聞こえた。
エルフたちは、ようやく階段を上りきり、通路を向かってくるところだった。バートは彼らを押しとどめた。
「リザンが別の扉の封印を解いているんだ。近づかないでくれと言われた」
「この奥にも封印の扉があるの?」
そう言ったプラムは、バートが止めるスキもなく通路の奥へ行く。奥をのぞき込んだ彼女は興奮した様子で戻ってきた。
「すごいわ。扉がいっぱいある! あそこ全部に、やっぱりいろいろとすごい宝物が入っているのかしら?」
エルフも興味をひかれたらしい。リザンの様子が気になるバートも、一緒に通路の奥をのぞき込んだ。
「これはたくさんありますね。でも、こんなに分けて置くってことは、一つ一つの力が強いのでしょうか。それとも何か別の理由があるのでしょうか?」
通路の奥で詠唱を続けていたリザンの声が大きくなった。杖でプレートを軽く叩くと、素早く退く。扉は音もなく静かに開いた。
バートたちは魔法使いのぞばへ近づく。新しく開いた扉の中は、さほど大きくはない部屋だ。中央には二メートル半ほどもある、細長い銀色の箱がある。
「入ってもいいのか?」中をうかがいつつバートは尋ねる。
「もう魔法の罠はないはずだ」リザンはうなずく。
バートは部屋の中へ踏み込んだ。部屋は殺風景な場所であり、中央の箱以外には装飾品も家具も何もない。リザンが不思議そうな表情で箱を見る。
「何だ、考えていたのとちがうのか? 部屋をまちがえたのじゃないか?」
ガラードが言う。リザンは困惑気味に首を振った。
「確かにここだ。でも、この箱は大きすぎる」
「では要注意ですね。罠がかかっているんじゃないですか」
「じゃあ、あたしが調べるわね」
プラムが箱に近づいた。箱は銀でできている。表面にはのたうつような、奇妙な文様が描かれている。あちこちに魔晶石がはめこんであり、高価そうに見える。プラムは箱から離れた。
「何も罠らしいものはないわ。カギがかかっているけど、魔法のものだからあたしには手が出せないわ」
リザンがうなずいて前に出た。ゆっくりと精神集中をする。杖で箱の表面に触れながら、呪文を唱えた。しかし、変化はない。リザンは唇をかんだ。
「封印の魔法が強力だ。もう一度やるから静かに」
再びリザンは呪文を唱える。同じ呪文を繰り返し、意識を深くカギに集中してゆく。軽い音をたてて箱の蓋が開いた。微笑みを浮かべて中をのぞき込んだリザンは、息をのんであとずさった。
箱の中には巨大な人が横たわっていた。背丈は二メートル近く、全身には古びた細い麻布が巻きつけられている。布には古代語が書き記してあり、全身からは淡い金色の光を放っている。それはゆっくりと体を起こした。そして腕を伸ばすとリザンにつかみかかった。バートはとっさにリザンを押し退け、盾でそいつの腕を叩き伏せた。
ガツンと思いがけない堅い衝撃を受けて、バートの腕がしびれる。そいつはもう一方の腕も伸ばして、つかみかかろうとする。バートは飛びすさった。ガラードが戦斧を抜き放つ。シラルムも精霊を呼び出す。エルフの指先から炎のかたまりがそいつに向かって飛んだ。しかし、その炎は表面の麻布をこがしただけで消え失せた。
「なんてことだ。あのミイラは特別なものですよ。普通のミイラならば炎を受ければ、あっと言う間に燃え上がるはずなんです!」シラルムが叫んだ。
ミイラが喋《しゃべ》った。
我が封印を解きし者よ。立ち去るがいい。我が封じしものは、未来永劫放たれる事なし。我が封印解かれたならば、暗黒の時がよみがえるであろう
ミイラは体を起こし、ゆっくりと立ち上がる。バートは剣を構えた。突然、入ってきた扉が閉ざされた。駆け寄ったプラムが首を振る。リザンも同じく首を振った。
ミイラはバートたちに迫ってくる。リザンの呪文が聞こえると、バートの剣に炎がまといつく。ガラードも戦斧をかかげるように祈りを捧げる。戦斧の刃に白い光が宿った。
ミイラは金色に輝きながら、バートにつかみかかった。バスタード・ソードを振う。しかし、ミイラはソードをつかむと、反対にバートを投げ飛ばそうとした。バートはとっさに剣を離す。ミイラは大剣を壁に叩きつけた。
ガラードも斧を振った。斧はミイラにわずかに食い込む。ミイラの体を覆っている包帯がほどける。そのほどけた部分から、ひからびた死体が現れるものと思っていた。が、その下には何もない。ガラードは驚きに目を見開いた。ミイラは気をとられているドワーフを、殴り倒そうとしたが、ガラードは危ないところでその攻撃を避けた。
シラルムは|戦いの精霊《バルキリー》を呼び出して、光の槍を投げつけた。何本かの槍が、同じように包帯を切り裂く。包帯がほどけた場所には、やはり何もない。
プラムがバスタード・ソードをバートヘ押しやった。バートは剣を拾い上げた。そこヘミイラが腕を振り下ろす。背に強烈な一撃を受けて、バートは床に叩きつけられた。うめきながらも、次の攻撃をかわすために、床を転がってミイラから離れる。そのバートのすぐそばに、二体のスケルトンが現れた。
スケルトンの攻撃を予想して、バートは盾を構える。しかしスケルトンは、バートを無視してミイラヘ切りかかった。
「竜牙兵《スケルトン・ウォーリアー》だ。味方だから壊さないでくれ」リザンが声をかける。
ガラードと二体のスケルトン・ウォーリアー。そして起き上がったバートがミイラに切りかかる。スケルトン・ウォーリアーはミイラの腕の攻撃を受けると、すぐにぼろぼろになって崩れ落ちる。しかし、その間にバートとガラードはミイラを切り刻んでいった。
包帯がはがれ落ちる。包帯がなくなるにつれて、ミイラ自身も消え失せていった。腕や肩、腹が虫の食った穴のように消えていく。胸の包帯が破れた。その中から小さな筒が転がり落ちた。筒は石の床の上に落ちると、硬い澄んだ音を響かせた。それと同時にミイラを覆っていた黄金色の光が消える。ミイラは崩れ落ちると、ひとかたまりの布切れになった。
筒はころころとバートの足元へ転がった。バートはそれを拾い上げた。筒の上下には水晶板がはめ込んであり、振ると中で何かが転がる音がした。水晶板の片方は落ちた時の衝撃で、ひびが入っている。
水晶板をのぞき込むと、筒の内側に鏡が六枚組みあわせてあるのが見えた。そこに生まれる無数の虚空の空間の中に、一つの真っ赤な宝石が入っている。その宝石は震えた。脈打つようにふくらみ、縮む。宝石がどろりと動いた。腐臭を吸い込んだような気がして、バートは筒から顔をそむけた。
「それは万華鏡《カレイド・コープ》というんだ。それを僕に渡してくれ」リザンが手を差しだす。
「万華鏡? どこかで聞いたことがあるな」バートは悩んだ。筒をリザンに差しだす。
リザンは筒を受け取り微笑んだ。その笑みは魔性の笑みだった。その顔には再び熱にうかされたような、虚ろな表情が浮かんでいる。バートは驚いて兄弟を見た。リザンもまたバートを見た。しかし、それはリザンであってリザンではなかった。リザンは筒をひねった。水晶板の砕ける音が響いた。
「リザン、何をするつもりなんです!?」シラルムが叫ぶ。リザンは笑いだした。その笑い声は徐々に哄笑《こうしょう》に変わっていく。その中に狂気を感じ取ってバートは愕然となった。
筒の中から赤いものが流れ落ちた。リザンは不要になった万華鏡を投げ捨てた。そして低く詠唱を始めた。
赤いものは床に広がり、たゆたっていたが、突然音をたてて膨れ上がった。暗褐色の光が流れ出す。それと共にリザンの胸に紫色のリン光が輝きだす。紫と暗褐色が部屋にうずまいた。赤いかたまりは床から伸び上がった。何かを求めるようにゆらぐ。紫色のリン光に包まれたリザンがそれに手をかざす。赤いものはリザンの手に触れる。とたん、部屋中に紫と暗褐色の光の嵐が吹き荒れた。光は荒れ狂い、やがて赤と黒と青の混乱となる。混乱は閃光に。バートは顔を覆い、恐怖の叫びをあげた。
何かが解き放たれたことがわかった。それは歓喜していた。長い封印の時は終わり、新たな時が来る。それは安らげる場所を探していた。と、その声が聞こえた。
……水……我が……体……
うめくような声は、それだけ言うと聞こえなくなった。光も消えうせた。何もかもがうそのように、静まり返っていた。バートはよろよろと立ち上がった。かすかな音に振り返ると、扉がゆっくりと開いていった。
部屋にはあの赤いかたまりの痕跡はまったくない。一瞬、今起こったことは夢だったのではないかとバートは考えた。しかし、その望みは床の上に転がる、壊れた万華鏡によってはかなく断たれた。
ドワーフが、エルフが、グラスランナーが、呆然と周囲を見回した。だが、リザンはいなかった。バートは万華鏡を見つめた。そしてつぶやいた。
「これが……おまえの求めていたものなのか? これが一生をかける宝だったのか? リザン、おまえは何を求めていたんだ。おまえはどこへ行ったんだ? 答えてくれリザン!」
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間 章 新しき司祭
一瞬、引き裂かれるような恐怖と苦痛が彼を襲った。深い後悔の気持ちと、すべてが消えていく悲しさを感じて、彼はすすり泣いた。
赤い闇は彼を焼きつくし、ただれ、溶かした。彼の握りしめる杖も、なくしたはずの苦しみにのたうつ。苦しさは彼が首にかけている護符を通って流れ込んでいる。彼は護符をもぎとろうとした。しかし彼の体は溶け落ち、握る手も腕もなくなっていた。
その苦難の時が過ぎ去った後、彼は赤い闇の一部になっていた。
闇は恐れ、苦しんでいた。肉体を失い、魂だけがよりどころを求めている。闇には帰るべき場所があった。海の底深く、死者の軍勢によって守られた神殿。
しかし、今の闇にはそこへ行くだけの力すらなかった。たかが下賤の人間と、それらが操る竜《ドラゴン》によって、闇の宿っていた肉体は滅ぼされ、神殿は打ち壊された。魂すらも鏡の中にできた無限回廊に閉ざされていたのだ。
赤い闇は自分を呼ぶ声を聞いていた。それは水の底の神殿から聞こえる。
飢えを満たす血の香り、そして新たな肉体となる死人の群れがいる。闇にとってはほんのわずかな捧げものであったが、今はそれで十分だ。力を取り戻せばもっと多くの血と死人が必要になるだろうが。
湖の底にその神殿はあった。湖は闇が捕らわれていた遺跡から北東の方にあった。大きな湖は緑色に輝いている。闇は声にひかれるまま、湖に入ると神殿に近づいた。
神殿は小さく、造りもぞんざいだった。しかし水の底にある事が、闇を安心させた。そのまま奥へ向かう。
闇を迎える祭壇には子供の骸があった。そこからたちのぼる強烈な血の匂いに、闇は狂喜した。闇は血をすすった。飢えがいやされ、力がよみがえってくる。
子供の骸にもぐり込もうとして、闇は自分の中にある「生きたもの」を思いだした。
面倒に思い、殺して肉の一部にしようかと考えたが、それが自分を解放したものであることを思いだして考えなおした。
闇は子供の骸の前で、目を見開いておののき、喜ぶ男を見た。その男は闇に呼びかけた。
「神よ、我が神ミルリーフよ!」
男の祈りの声が、闇の中に残る記憶を呼び覚ました。
闇は遠い昔、自分に仕える「生きたもの」たちがいたことに気づいた。神に仕える司祭≠ニそいつらは名乗っていた。この、いま自分の中にいるものも、その司祭とやらにすればいい。ちょうどよい事に、こいつは護符も持っている。これがあれば力が伝わりやすい。
闇……ミルリーフは「生きたもの」を解放した。そして代わりに居心地のよい子供の骸にもぐりこんだ。
* * *
リザンは目を開いた。目の前に司祭に服装をした男が立っている。男は驚いたように彼を見ていた。リザンの頭上では、鈍い粘着質の物音が聞こえる。見上げると、むっとした臭気と血のしずくがリザンの頬にこぼれた。
リザンは石でできた祭壇にもたれかかるように座り込んでいた。全身がけだるい心地よさに包まれている。立ち上がろうとして、片手に杖を握りしめている事に気づいた。ふらつきながら彼は立ち上がった。司祭があとずさったが、気にもとめなかった。
祭壇の上では、肉のかたまりが己からにじみだす血をすすっていた。以前のリザンなら、顔をそむけて吐いただろう、おぞましい情景だった。しかし、今のリザンには当り前であり、親しみさえ感じられた。
リザンは祭壇の上で血をすする肉のかたまりを、愛しそうに見ている。
「おまえは誰だ?」
司祭がようやく口を開いた。リザンは振り返ったが、その表情は夢みるようなものだ。司祭を見てはいるが、質問に答えようとはしない。
司祭はとまどっていた。彼の祈りに応えて祭壇の上に現れた真紅のかたまりが、望む神ミルリーフであることは疑いもしない。しかし血をすすっていた真紅のかたまりが、子供の死体に入っていくのと入れ替わりに、この男が現れたのだ。
司祭も最初は恐縮していたが、男の様子が僧侶というよりも魔法使いにしか見えない事と、話しかけても完全に無視された事が、怒りの気持ちとなって現れた。司祭は眉を寄せ、怒りの表情を見せた。
「魔法使いごときが、この神殿に何用だ!? さっさと立ち去れ!」
司祭はリザンを押し退けた。魔法使いの長衣が乱れ、古文書が床に落ちる。司祭は驚いたように本を見た。
「これは失われた教典!? なぜおまえがこのような物を……」
司祭は古文書を拾い上げようとした。が、それは果たせなかった。彼が本へ手を伸ばしたとたん、それまで夢みるようだったリザンの表情が豹変した。激しい怒りをあらわにしたリザンは司祭の頭をつかむと、顔を上げさせた。
無理やり顔を上げさせられた司祭は、魔法使いの怒りの形相に身をこわばらせた。
「本に……触れるな」
魔法使いののどから獣のうなり声に似た低い声が聞こえた。司祭はうなずく事ができず、目で意志を伝えようとした。
リザンはふと呼ばれたように、祭壇の上のかたまりを振り返った。司祭は魔法使いの手から逃れようとしたが、頭を押さえる手は万力のようにビクともしない。
魔法使いは司祭に向きなおった。その顔に楽しそうな笑みが浮かぶ。
「彼は……ミルリーフはまだ血と肉を欲しがっている」
その言葉の意味するものに、司祭は恐怖の表情を浮かべてもがいた。しかし、その抵抗は魔法使いの呪文に封じこめられた。
「感謝する事だ。おまえは自分の崇めていた神の力となり、肉となるのだからな」
魔法使いの顔に、妖魔のような笑顔が浮かんだ。司祭の持っていたダガーを引き抜く。そしてその刃を、黒い司祭のローブに深々と突き刺した。心臓を貫かれて、司祭は恨みの視線を残して息絶えた。魔法使いはその死体を祭壇の上に放り上げた。
肉のかたまりは、まだ温かい死体にすりより、血をすする。やがて死体の肉も、うごめくかたまりとなって、ミルリーフの体の一部になるのだ。
ミルリーフが血をすすって力を得ると、リザンの体にも力が流れこんでくる。胸にかけた護符を通じて、暗黒の神と魔法使いは結びついていた。
魔法使いは床に落ちた古文書を拾い上げた。懐にしまいこむ。祭壇のそばには、いままでにいけにえにされた人々の白骨がある。リザンは片手をかざして命令した。白骨がゆらゆらとゆらぎながら立ち上がった。そしてリザンの前に来ると、従順な犬のように次の命令を待つ。リザンはさらに多くのスケルトンを呼び出した。
「夜の闇とともに、人々を捕らえ、ここへ連れてこい」
スケルトンは軽い音をたてながら、祭壇の間から出ていく。
新たに生まれた邪神の司祭は、満足そうにうなずくと、満面に笑みを浮かべた。
[#地付き]「死せる神の島」 上巻 ─完─
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あとがき
[#地から2字上げ]安田 均
『ソード・ワールドRPG』には、いろんな楽しみ方があります。もちろんRPG≠ニいう名前が付いているのを見てもわかるように、これはゲームです。しかし、この作品を展開していくにあたって、最初ぼくたち(グループSNE)は、ロールプレイング・ゲームが持っているさまざまな分野への広がりの可能性を思い切り試してみたいという気持ちがありました。もともとのロールプレイング・ゲームがすでに、ゲームでありながら、勝敗を競うよりも、ストーリーや演技への指向を持っている幅広《はばひろ》いものであるというからにはなおさらです。
そのために、じっさいソード・ワールド≠ヘRPGの持つおもしろさを目一杯紹介《めいっぱいしょうかい》していくという形でここまで来ています。本体のルールが単行本として出るという通常の形式の前に、水野良が雑誌ドラゴンマガジンで、その世界の魅力をワールドガイド(ファーラムの剣、アレクラストの博物学など)で示《しめ》し、また、山本弘はゲームの遊び方の紹介を兼《か》ねながら、リプレイをそれ自体が作品としても楽しめるような形で提示《ていじ》してきました。
もちろん、ロールプレイング・ゲームはゲームとしての部分も重要ですが、こちらは清松みゆきを中心にしっかりしたものを組み立ててきたという自負はあります。じつはルール(ゲーム・システム)についても、いろいろと考えていて、これらはRPGのルール面からも、そのおもしろさをいろいろと引き出していきたいと企画しています。お楽しみに。
そして、RPGの最大の特徴は、いうまでもなくストーリー性を持つゲームということですから、それに沿《そ》ったRPG小説という方向も重要でしょう。この前出た『レプラコーンの涙』は、そうしたRPGらしさ(共有世界)からおもしろい小説をと考えたものです(まだお読みでない人は、ぜひ一度読んでみてください)。
もっとも、『レプラコーンの涙』は短編集というのを見てもわかるように、RPGでならシナリオ集に該当するものかもしれません。それぞれ、ある一つの状況を解決していき、その状況のおもしろさが作品のおもしろさと表裏一体となっている形。これは切れのいいものなら、だらだらと続くつまらない長編よりも、ずっとすぐれたものになりますが、反面、欠点としては短い、あっというまに終わってしまう、もっとゆっくりと続きを楽しみたいという点があります。
ロールプレイング・ゲームはよくできていて、小説でいうなら、こうした長編に対応する形式ももちろんあります。それがキャンペーン・ゲームといわれるもので、一つの大きな事件が背後で動いていく中、主人公となるキャラクターたちが、目前のいろんな事件を解決していきながら、徐々《じょじょ》にその大事件に関わっていくものです。いわば、連続シナリオと一つの大きなプロットが重なり合ったものといえるでしょう。『ロードス島戦記』や『ドラゴンランス戦記』がこうしたキャンペーン・ゲーム風のRPG小説の代表例かと思います。
本書『死せる神の島』も、もちろんこうしたキャンペーン・ゲームを意識した長編です。ソード・ワールド世界にはさまざまな地域がありますが、その中でも最大の奇観《きかん》を見せる遺跡堕《お》ちた都市<激bクス、その南にあり、賢者の街にして、これも大陸最大の規模《きぼ》を誇《ほこ》る街オラン、あるいは西北の悪意の砂漠≠ニ呼ばれる謎《なぞ》のカーン砂漠、南にはるか呪《のろ》われた島≠のぞむ危険な海域……これら、ファンタスティックな舞台で起こる、彩《いろど》りにみちた事件を主人公たちが追いながら、ソード・ワールド世界創造にかかわる一大事件に関わっていくなら、いかにもRPGの魅力《みりょく》を取り込んだ長編小説になるのではないか、そんなふうに考えました。作者の下村家恵子さんは、すでに『風の谷のナウシカ』のゲームブックや『レプラコーンの涙』の「契約の代償」でご存《ぞん》じのように、ゲームを充分に理解した、壮大なストーリーを組み立てるのにすぐれた人です。その腕前は、本書でも充分に発揮《はっき》されているのではないかと思います。
それと本書のもう一つの特徴は、これがソード・ワールドのコンピュータ・ゲームと連動したものであるということです。『ソード・ワールドRPG』のようなテーブルトークは、基本的に二〜六人が集まって行なう多人数ゲームです。ゲームブックやコンピュータRPGはこれを一人でも楽しめるようにしたものといえます。一人で行なう分、テーブルトークの持っていたコミュニケーション(会話)の楽しみはありませんが、ゲームを一人でいつでもゲームとして楽しめるという点では非常にすぐれたものです。RPGのおもしろさを伝えるという意味では、こちらも重要であり、近々『ソード・ワールドコンピュータRPG――オラン篇』(クリスタル・ソフト)がリリースされる予定になっています。
本書はそのコンピュータ・ゲームの原作に当ります。ゲームは遊び手の意向によってさまざまに変化するので、小説と細部まで一致はしませんが、この二つはストーリーを盛り込む器として、それぞれがお互《たが》いを補《おぎな》う特徴を持っているとぼくは考えています。小説でキャラクターたちに感情移入しながらストーリーを追い、ゲームで自分が主人公になったつもりで、思う存分活躍する。二つのメディアがそれぞれを補強するなら、これは単なるメディア転換《てんかん》の枠《わく》を超《こ》えた新たなメディア共有≠ニいえるものかもしれません。
RPGはそうしたさまざまな可能性を秘めた手法だと思います。本書『死せる神の島』を読まれたら、ぜひコンピュータRPGも試してください。
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付録 (割愛)
本書に登場する主要キャラクターのデータ。
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ソード・ワールド・ノベル
死せる神の島(上)
平成2年5月25日 初版発行
平成?年?月?日 ??発行
原案――安田均(やすだ・ひとし)
著者――下村家恵子(しもむら・かえこ)
……本文はママ。挿絵・あとがきを追加。ピョ