ラヴクラフト全集〈7〉
H・P・ラヴクラフト/大瀧啓裕訳
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霊廟 The Tomb
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死ぬるとも、せめて平穏な場所で安らぐことはできましょう。
[#地付き]ウェルギリウス
この精神病院に監禁されるにいたった経緯を述べるにあたり、わたしの目下の立場によって、話の信憑性におのずと疑いが生じることはわかっている。不幸な事実として、おおかたの人は脳裡に思い描けるものがごく限られているので、ありふれた経験の埒外にあって、霊感のある者だけが見たり感じたりする孤立した現象を、忍耐と知性を用いて慎重に考慮することができない。知性豊かな人であれば、現実と非現実を截然《せつぜん》と区別するものがないことや、あらゆるものの見かけは個人が事物を意識する繊細な心身の伝達媒体によるものでしかないことを承知しているが、理解しやすい経験論のヴェールを刺し貫く超視野のひらめきを、大多数の人は愚昧な唯物論でもって狂気だと非難する。
わたしはジャーヴァス・ダドリイといって、ごく幼いころから夢想家であり神秘家である。働く必要もないほど資産があり、型にはまった学問や知人との交流には向いていない気質なので、世間とは没交渉の暮しをおくり、年少のころから思春期まで、ほとんど世に知られていない古書を読みふけったり、祖先伝来の家に近い野原や林を歩きまわったりしてすごした。そうした古書で読んだり、野原や林で見たりしたものが、他の少年たちが読んだり見たりしたものとまったく同じであるとは思わないが、これについては多くを語るわけにはいかない。こと細かく述べたところで、わたしのまわりでこそこそと看護人たちが声をひそめて話すのを聞いたことがある、わたしの知性に対するひどい中傷を裏書きするだけだからだ。原因を分析したりせずに、出来事を語れば十分である。
世間とは没交渉の暮しをおくったと記したが、ひとりきりで暮したとはいっていない。人間にはそんなことができるわけもなく、生者との交わりがないなら、生者にあらざるものや、もはや生きてはいない者との交友を避けがたくもひきよせてしまうのである。わたしの家の近くに樹木の茂った風変わりな谷間があって、その薄暗い奥で本を読んだり、考えごとをしたり、夢を見たりして大半の時間をすごした。よちよち歩きをしたのは苔に覆われた斜面でだったし、子供のころに最初の夢をつむぎあげたのは、グロテスクなまでに節くれだった樫の木々のまわりでだった。それら木々を支配するドリュアスをよく知るようになり、葉叢《はむら》ごしにほのかに射し入る月明かりのなかで、ドリュアスが荒あらしく踊るのをしばしばながめた――が、これらについて語るわけにはいかない。丘の斜面の木立のなかで最も暗いところにただ一つある霊廟《れいびょう》、わたしが生まれる遙かまえに直系の末裔が黒ぐろとした奥処《おくか》に葬られた、由緒ある高貴なハイド家の霊廟についてだけ述べることにする。
この霊廟は古びた花崗岩造りのもので、長い歳月にわたる霧や湿気で崩れて褪色していた。丘の斜面を彫り抜いているので、外部からは入口しか見えない。扉は近寄るのもはばかられるどっしりした平石で、錆びついた鋼鉄の蝶番《ちょうつがい》で支えられ、半世紀前の恐ろしい慣習にしたがって、妙に薄気味悪くもわずかに開けたまま、重たげな鉄の鎖と南京錠で鎖《とざ》されている。子弟がここに葬られている一族の住居が、霊廟のある急な斜面の上にかつてあったが、凄まじい落雷によって起こった火災で失われて久しい。この重苦しい館を破壊した真夜中の嵐について、このあたりの年配の住民たちは、ときおり声をひそめて不安そうに語ることがあり、「神の怒り」をほのめかすものだから、林の闇に包まれた霊廟に常々感じていた強い魅力がそこはかとなく高められた。焼死したのはひとりだけである。ハイド家の最後の人物が人目につかない静かな霊廟に葬られたが、それに先だって悲しくも死体の灰を収めた壺が遙かな土地からもたらされており、そのために修復がなされていた最中に館が焼け落ちたのだった。こうして花崗岩造りの入口に花を供える者はいなくなり、雨に打たれて摩耗した石のまわりに不思議とわだかまっているような、重苦しい影をものともせずに近づく者などほとんどいない。
ある日の午後、半ば隠された死の家をはじめて目にしたときのことを、わたしは決して忘れないだろう。おりしも夏の盛りで、自然の錬金術が樹木の茂った景色を、目にしみいるほぼ均一な緑の色調にかえ、土や植物のいわくいいがたい匂いや湿った新緑の波打つうねりでもって、五官をほぼ酔ったようなありさまにさせる季《とき》だった。そのような環境のなかでは、心が物事を正しく捉えられなくなって、時間や空間が取るに足りない非現実的なものになり、忘れさられた有史前の過去の谺《こだま》が陶然とした意識にしきりと響く。わたしは一日じゅう谷間の神秘的な木立をさまよって、議論するまでもないことを考え、名をあげるまでもないものたちと言葉をかわしていた。十歳のわたしは多くの者が知らない驚異を数多く見聞きして、いくつかの点では妙に老成していた。棘《とげ》の多い茨の茂みのあいだを思いきって通り抜け、いきなり霊廟の入口を目にしたときには、何を見いだしたのかもわからなかった。黒っぽい花崗岩の石塊、奇妙にもわずかに開いた扉、そして迫持の上にある弔《とむら》いの彫刻を目にしても、哀れみを誘うものや恐ろしいものが心に思いうかぶこともなかった。墓や霊廟のことはよく知っていたし、あれこれ想像をめぐらしてもいたが、特異な気質のせいで、教会付属墓地や共同墓地には一度も行ったことがなかった。樹木の茂る斜面にある見慣れない石造りの建物も、わたしには興味と揣摩《しま》憶測の源泉にすぎず、もどかしいほどわずかしか開いていない隙間から虚しく覗きこんだ、冷たくじっとりとした内部に、死や腐敗をほのめかすものがあるとも思えなかった。しかし興味をかきたてられたとたん、狂おしくも無分別な欲望が生まれ、そのあげくこの地獄めいたところに監禁されるにいたったのである。林の悍《おぞま》しい魂から発したにちがいない声に刺激され、重おもしい鎖が行く手を塞いでいるにもかかわらず、招き寄せる薄闇のなかに入りこむ決心をつけた。日差しが弱まりゆくなか、石の扉を少しでも開けようとして、錆びついた障害物を鳴らしたり、細い体を隙間からすべりこませようとしたりしたが、どちらもうまくいかなかった。最初は好奇心をそそられただけだが、いまや気も狂わんばかりになってしまい、暮色が濃くなりまさるなか、ようやく家に帰ったときには、わたしに呼びかけているように思えた暗く冷えびえとした内部に、ぜひともいつか入りこんでやると、林の神々に誓いを立てていた。毎日わたしの部屋にやってくる、鉄灰色の顎鬚《あごひげ》をたくわえた医師がかつて訪問者に語ったところによると、この決心こそが哀れな偏執狂のはじまりを示しているそうだが、最終的な判断はこれを読みおえてから下していただきたい。
つづく数ヵ月にわたって、かすかに開いた霊廟の複雑な南京錠をこじあけようと虚しい試みを繰り返したり、霊廟とはどういうもので、どんな構造をしているかについて、用心深く遠回しの質問をしたりしてすごした。子供というものは耳にしたことを素直に受け入れるので、多くのことを学びとったが、こうした知識や自分で決めたことは誰にも話さなかった。霊廟がどういうものであるかを知ったとき、驚きもしなければ震えあがりもしなかったことは、おそらく書きとめておく価値があるだろう。生と死に関するわたしなりの考えから、冷たい骸《むくろ》を生きている肉体に漠然と結びつけ、焼け落ちた館の不気味な家族がどのようにしてか、わたしが調べようとしている石造りの霊廟の内部にいるはずだと思ったのである。古さびた広間での過去の罪深い宴や凶《まが》まがしい儀式にまつわる、とりとめもない話をあれこれ知って、霊廟に対する新たな興味を強くいだき、その扉のまえに毎日何時間も坐りこんだものだ。一度かすかに開いた隙間に蝋燭を差しこんだが、下方に通じるじめじめした石段が見えただけだった。内部の臭いは不快ではあれ、わたしを魅了するものだった。ずっと以前、記憶の彼方の遙かな過去、わたしがいまの体をもつまえから知っているような気がした。
はじめて霊廟を目にして一年後に、本に埋もれた自宅の屋根裏部屋で、虫に食われたプルータルコスの『英雄伝』の翻訳書を見つけた。テーセウスの生涯を読んで、途方もない重量をもちあげられるほど成長したときに、少年だった英雄が運命の品を見いだすという、巨岩について語られる一節に強く胸を打たれた。この伝説は霊廟に入りたくてたまらないもどかしさを消してしまう効果をもたらし、わたしはまだ期が熟していないのだと思った。その後、鎖で塞がれた扉をやすやすと開けられるほど、力と創意の才が身につくまで待ちつづけ、それまでは運命の意志に従えばよいと自分にいい聞かせた。
こうして冷たく湿っぽい入口で長ながと目をこらすようなことはなくなり、多くの時間を他の同じように普通ではない気晴しに費やした。夜に静かに身を起こし、両親に禁じられていた教会付属墓地や共同墓地にひっそりとでかけることもあった。そこで何をしたかについては、いまやある種のことが現実にあったとは確信もなく、記さずにおくほうがよいだろうが、そのような夜の散歩をした翌日に、何世代ものあいだほとんど忘れさられていたことを口にして、まわりにいる者をよく驚かせたことは知っている。一七一一年に埋葬され、頭蓋骨と交差した骨を彫りこんだ粘板岩の墓石が崩れかけている、金持ちで著名な郷土史家の郷士ブルースターの葬儀について、奇妙な考えを口にして、近隣の人びとを愕然とさせたのは、そのような夜が明けてからのことだった。子供の空想を発露して、葬儀屋のグッドマン・シンプスンが埋葬前に、故人の銀の留金のついた靴、絹の長靴下、繻子《しゅす》の小間物を盗んだばかりか、郷士が完全に死んではおらず、埋葬の翌日に土に埋もれた柩《ひつぎ》のなかで二度にわたって体を回したとも断言したのである。
しかし霊廟に入るという考えは頭から消えることがなく、死滅したと思われるハイド家に、母方の祖先が少なくともわずかな繋がりがあるという、思いがけない系図上の発見によって元気づけられた。わたしは父方の家系の末裔であるとともに、この遙かに古い謎めいた家系の末裔でもあったのだ。霊廟を自分のものだと思い、石の扉のなかに入って、闇のなかのぬるぬるした石段をくだれるようになるときを、熱心に待ちこがれるまでになった。いまでは奇妙な監視のために深夜の静まり返った気に入りの刻限を選び、かすかに開いた入口で一心に耳をすますのが習慣になっていた。丁年に達したころには、丘の斜面の繰形石も汚れきった正面のまえで、藪のなかをささやかに切り開き、まわりの植物が東屋《あずまや》の壁や屋根のように取り囲んだり覆ったりするようにしていた。この東屋めいたものがわたしの神殿であり、聖堂の閉ざされた扉であって、苔むした地面に長ながと横たわり、奇異なことを考えたり、奇異な夢を見たりしたものだ。
驚くべき事実がはじめて明らかになったのは蒸し暑い夜だった。わたしは疲れきって眠りこんだにちがいなく、声を耳にして目覚めたことをおぼえている。口調と抑揚については語る気にはなれないし、声の特徴については語るつもりもないが、語彙《ごい》、発音、発声のしかたに特定の不気味なちがいがあったことは述べておいてもよいだろう。清教徒の植民地住民の音節がぎくしゃくしたものから、五十年前の正確な発声にいたるまで、ニューイングランドの方言のすべてが、あの気味悪い会話のなかにあったようだが、その事実に気づいたのはあとになってからのことだった。事実、たちまちわたしの注意は別の現象に捉えられた。つかのまのことだったので、はたしてそれが現実のことであったのかは、宣誓することもできない。目覚めたとき、霊廟の内部で光が急に消えたような気がした。驚くこともパニックにかられることもなかったと思うが、わたしがその夜のうちに、一生消えることのない大きな変化をしたことはわかっている。家に帰ると、すぐに屋根裏部屋の朽ちた大箱に向かい、そのなかに鍵を見いだして、久しくてこずっていた南京錠を翌日やすやすと外した。
訪れる者とてない斜面の霊廟にはじめて入りこんだとき、午後遅くの快い日差しがふりそそいでいた。わたしは魅了され、あらわしようのない歓喜に胸を高鳴らせていた。扉を閉ざし、一本きりの蝋燭の光で濡れた石段をくだったとき、どう進めばよいかがわかっているように思えた。息苦しい悪臭のなかで蝋燭の炎がはぜたが、わたしは黴《かび》臭い納骨所のなかで妙にくつろいでいた。まわりに目を向け、数多くの大理石の平石の上に、柩やその残骸があるのを見た。封印されて無傷のものもあれば、ほぼ消えうせて、白っぽい奇妙な灰の山に、銀の把手《とって》や銘板が散らばっているものもあった。ある銘板には、一六四〇年にサセックスからやってきて、その数年後に当地で亡くなった、ジェフリイ・ハイド卿の名前が読みとれた。目につきやすい壁龕《へきがん》に、かなり保存状態のよい空の柩が一つあり、そこに記された名前を見て、わたしは笑みをうかべるとともに、ぞくっと身を震わせた。奇妙な衝動にかられ、幅広い平石に登ると、蝋燭の火を消して、空の柩に横たわった。
夜明けの灰色の光のもと、霊廟からよろめきでて、扉の鎖に南京錠をかけた。冬の寒さを味わったのはわずか二十一回だけとはいえ、わたしはもはや若者ではなかった。早起きの村人たちが家路につくわたしを目にし、いぶかしげに見つめ、生真面目に孤独な生活をおくっていた者に浮かれ騒いだ形跡があるのを不思議がった。わたしは長く眠って気分一新するまで、両親のまえにあらわれなかった。
それからは夜ごと霊廟を訪れて、決して明かしてはならないことを見たり、聞いたり、おこなったりした。常にまわりの影響を受けやすいわたしの話しぶりが最初に変化して、急に古風なしゃべりかたをするようになったのがすぐに気づかれた。その後、妙な図太さや無頓着さが振舞いにあらわれ、孤独に暮していたにもかかわらず、無意識のうちに世慣れた者の態度を身につけるまでにいたった。かつては寡黙《かもく》だったというのに、フィリップ・チェスターフィールドはだしの快い優雅さや、ラチャスター卿ジョン・ウィルモットもかくあらんと思えるほどの悪辣《あくらつ》な皮肉をたたえ、弁舌さわやかにしゃべるようになった。幼いころに夢中になって読んだ修道士の奇怪な伝承とはまったく異なる、尋常ならざる学識をひけらかして、ジョン・ゲイ、マシュー・プライア、新古典主義隆盛期の陽気な才子やへぼ詩人を思わせる即興の警句を、蔵書の遊び紙にやすやすと書きこんだ。ある日、朝食の席で、十八世紀のバッコス祭めいた浮かれ騒ぎをあらわした詩を、酒に酔ったような口ぶりでまくしたて、あやうく大失敗にいたりかねないところだった。本には記録されていないジョージ王朝時代のふざけた詩で、次のようなものだった。
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ここに来たれ、わが若者たち、タンカードをエールで満たして、
消えさるまえに、いまのひとときに乾杯せよ、
各自の大皿に牛肉をたっぷりとよそえ、
われらに慰安をもたらすのは飲食なれば、
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だからグラスを満たせ、
人生はたちまち尽きる、
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死ねば、王にも女にも乾杯することはできぬ。
アナクレオーンは赤鼻であったという、
幸福で楽しければ、赤鼻がどうだというのか、
ああ、わたしはここにいるあいだ、赤く染まっているほうがよい、
一年の半分は死にたえている、百合のように白くなっているよりは、
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だから、ベティ、わが女よ、
ここへ来て、口づけをしておくれ、
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地獄にはこのような旅籠《はたご》の娘はおらぬ。
背筋を伸ばしてあらわれた若いハリイも、
すぐに装飾用の鬘《かつら》をなくして食卓の下にもぐりこむだろう、
しかしゴブレットを満たして、皆にまわせ――
土の下にいるよりも食卓の下にいるほうがよい。
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だから浮かれ騒いで軽口をたたけ、
喉が渇ききっているように鯨飲しているのだから、
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地面の六フィート下に横たわれば笑ってはいられぬ。
悪魔がわたしを青ざめさせる。背筋を伸ばして話すことはできようと、
ほとんど歩くこともできぬ。
旅籠の亭主よ、ベティにいって、輿《こし》を呼んでくれ、
わたしはしばらく家に帰る、もはや家内もおらぬ家に。
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だから手をかしてくれ、
立っていることもかなわぬ、
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しかし地上にいるあいだは陽気でいられる。
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わたしはこのころ、火災と雷雨に恐怖をいだくようになり、それがいまもつづいている。以前はそのようなものを気にもしなかったというのに、いまではいいようもない恐怖をおぼえ、空が雷光を放ちそうになると、家の一番奥にひきこもったものだ。日中に好んででかけたのは、焼け落ちた館の荒廃した地下室で、往時の姿を思いうかべるのが常のことだった。あるとき、何世代もまえに忘れさられ、目にすることもできないというのに、わたしはよく知っているような気がして、自信たっぷりに村人のひとりを浅い地下二階に導いて驚かせた。
そしてついにわたしが久しく恐れていたものが訪れた。両親はひとり息子の振舞いや容貌が変化したことに驚き、親心からわたしの行動をひそかに監視させるようになったので、取り返しのつかないことになりそうだった。秘めた目的は子供のころから細心の注意をはらって隠しこみ、霊廟を訪れていることは誰にも話していなかったが、いまや樹木の茂った迷路じみた谷間を進むにも、あとをつけている者をふりはらえるように注意しなければならなかった。霊廟の鍵は紐で首に吊るし、誰にも知られないようにしていた。霊廟のなかで見つけたものは、何一つ外にもちださずにおいた。
ある朝、じめじめした霊廟から出て、震える手で入口の鎖を施錠したとき、近くの茂みのなかに、恐ろしくもわたしを監視する者の顔を見た。破局が迫っているのは確かであり、東屋めいた空地が見つけられ、わたしの夜の旅の目的が知られたのだった。男は声をかけることもしなかったので、わたしは急いで家に帰り、心労にやつれた父に男が報告するのを盗み聞きしようとした。鎖をかけられた扉のなかにわたしがとどまっていることが、ついに明るみに出ようとしているのか。わたしを監視していた男が用心深く声をひそめ、わたしが霊廟の外の東屋めいたところで夜をすごし、南京錠がかかってかすかに開いている戸口を眠そうな目で見ていたと、そう父に知らせるのを耳にして、どれほどうれしい驚きを味わったかを想像していただきたい。いかなる奇蹟でもって、わたしを監視していた男はこのようにたぶらかされたのか。わたしは超自然のものによって守られていると確信した。この天与の境遇にはげまされ、わたしが内部に入るのを目撃されることはないと確信し、公然と霊廟に足を向けるようになった。一週間にわたって、くわしく語るわけにはいかないあの納骨所の宴を満喫していたとき、あることが起こって、この呪われた悲しくも単調なところに運びこまれることになった。
あの夜はでかけるべきではなかった。雲には雷が起こりそうな気配があったし、谷間の底にある不快な沼から凶まがしい燐光があがっていた。死者の呼びかけもちがっていた。丘の斜面の霊廟ではなく、斜面の頂きにある黒焦げになった地下室から、そこを支配する魔物が見えざる指でわたしを招いたのだった。介在する茂みから廃墟のまえの平地に出たとき、靄《もや》のかかった月光のなかに、これまでずっとぼんやりと期待していたものを目にした。一世紀前に焼け落ちた館が、恍惚としたわたしの目のまえに堂々とそびえ、すべての窓が多数の蝋燭の明かりによって輝いていた。長い私道をボストンの名士たちの大型四輪馬車が進む一方、近くに点在する館から酔った伊達男たちがおびただしく徒歩でやってきた。わたしはこの群衆に立ちまじったが、自分が客よりも主人側の人間だとわかっていた。玄関ホールに入ると、いたるところに音楽、笑い、葡萄酒があった。いくつかの顔には見おぼえがあったものの、死や腐敗によって萎《しな》びたり崩れたりしていれば、もっとよくわかっただろう。放縦で無鉄砲な者たちのなかでも、わたしが最も奔放で破廉恥だった。冒涜《ぼうとく》の言葉が口から陽気にほとばしり、けしからぬ感情の発露のうちに、神、人間、自然の法を頓着することもなかった。にわかに雷鳴が轟き、豚の大騒ぎのような喧騒をもしのいで響きわたり、屋根そのものを揺るがして、騒々しい一同に恐怖の沈黙をもたらした。炎の赤い舌と凄まじい熱風が館を包みこみ、導きのない自然の領域を超越したような災難がふりくだったことで、飲み騒いでいた者も恐怖に打たれ、金切り声をあげて夜の闇のなかに逃げ出した。わたしはかつて感じたこともない圧倒的な恐怖に襲われ、その場に釘づけになって、ただひとりのこっていた。するうち二番目の恐怖がわたしの心をわしづかみにした。生きたまま焼かれて灰になり、四方に吹きとばされてしまえば、ハイド家の霊廟に横たわることができなくなる。わたしの柩が用意されていたのではなかったか。わたしはジェフリイ・ハイド卿の子孫のなかで永遠に安らぐ権利をもっているのではないか。ああ、わたしの魂は長い歳月にわたり、納骨所の壁龕のあの空っぽの平石の柩に横たわる別の体を探していたとはいえ、死という生得権を主張する。ジャーヴァス・ハイドはパリヌールスの悲しい運命を分かちもってはならないのだ。
燃えあがる館の幻が消えたとき、わたしは二人の男の腕のなかで悲鳴をあげながら激しくもがいていたが、男のひとりは霊廟までわたしのあとをつけてきたことのある監視だった。雨が沛然《はいぜん》とふりしきり、南の地平線では既に遠ざかった稲妻が閃《ひらめ》いていた。わたしが霊廟に横たえてくれと叫びたてるなか、父が悲しみの皺を顔に刻んでそばに立ち、わたしを押さえこむ二人の男に、わたしをやさしくあつかうようにと何度も注意した。荒廃した地下室の黒ずんだ輪は、天から雷がふりくだったことを告げており、そこから落雷によってあらわれた古風な造りの小箱を、角灯をもった好奇心旺盛な村人たちがのぞきこんでいた。わたしはもはや目的のなくなった無駄な抵抗をやめ、村人たちをながめた。彼らはあらわになった発見物に目をこらし、見つけたものを分けあえばよいと告げられた。小箱を地中からあらわした落雷によって留金は壊れ、なかには多数の書類と価値あるものがあったが、わたしはただ一つのものに目を向けていた。こいきに髪がカールした袋鬘の若者を描いた磁器の細密画で、JHの頭文字があった。その顔を見るにつけ、鏡を見ているような気がした。
翌日、わたしは鉄格子のはまったこの部屋に入れられたが、わたしが幼いころから好み、わたしと同様に教会付属墓地を愛している、年老いた実直な召使いから一部のことを知らされた。わたしが勇気を奮い起こして霊廟のなかでの体験を話しても、みんなは哀れむような笑みをうかべるだけだった。父がよく訪れて、わたしが鎖のかかった戸口のなかに入りこんだことはないと断言し、よく調べてみたが、錆びついた南京錠には五十年前からふれられた形跡もないと告げた。また父は、わたしが霊廟を訪れていることは村の誰もが知っており、ぞっとするような霊廟の外にある東屋でわたしが眠りこみ、半開きの目を内部に通じる隙間に向けていたことはよく目撃されていたとも語った。あの恐怖の夜にもがいているうち、南京錠の鍵を失ったので、こうした主張に対抗する明確な証拠は何もない。夜に死者と出会って学びとった過去の異様なことも、父はわたしが幼いころから自宅の書斎で古書を読みあさった産物だとして退けた。老いた召使いのハイアラムがいなければ、わたしもこのころには自分の狂気を確信していたことだろう。
しかしあくまでもわたしに忠実なハイアラムが、わたしを信じてよくつくしてくれるので、少なくとも話の一部くらいは公表しようという気になっている。一週間前、ハイアラムは霊廟の扉を永遠に鎖していた南京錠を破り、角灯をもって真っ暗な地下へとくだった。壁龕の平石の上に、古びてはいるが空っぽの柩を見いだしたが、変色した銘板にはただ一語、「ジャーヴァス」と刻みこまれていた。その柩、あの霊廟にこそ、わたしが埋葬されるのが約束されているのである。