ラヴクラフト全集〈6〉
H・P・ラヴクラフト/大瀧啓裕訳
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銀の鍵 The Silver Key
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ランドルフ・カーターは三十になったとき、夢の世界の門を開く鍵を失くしてしまった。そのときまで、宇宙の彼方の不思議な古代都市、あるいは天の海をへだてた信じがたくも麗《うるわ》しい楽園の土地へと、夜ごと旅をすることによって、凡庸な人生に欠けているものを補っていたのだが、中年という齢が重くのしかかるにつれ、そうした自由がすこしずつ失われていくのを感じ、それがついには完全に絶たれてしまったのである。もはやカーターのガレー船も、金色燦然《こんじきさんぜん》たるトゥーランの尖塔《せんとう》を尻目にオウクラノス河をさかのぼることはなく、筋模様の入った象牙の柱を擁する忘れ去られた宮殿が、月影の下でつきせぬ華麗な眠りにつくクレドのかぐわしい密林を、象の隊商が重い足音をひびかせて進むこともなかった。
カーターは多くのものを記されているがままに読みとり、あまりにも多くの人と話をかわしていた。悪気のない哲学者たちが教えてくれたのは、事物の論理的な関係を調べること、そして思想や空想が形造られる過程を分析することだった。驚異が失くなってしまったいま、人生のことごとくが頭脳のなかの一連の絵にすぎず、そのなかでは現実の事物から生まれるものと内奥の夢想から生まれるものに何のちがいもなく、一者を他者より重んじる理由とてないことを、カーターは忘れはててしまった。確固として物理的に存在するものを盲目的に崇敬せよと、慣習がやかましくいい聞かせ、幻視のうちに生きることをひそかに恥じいらせたのである。賢者たちから純然たる空想など虚ろで愚にもつかないものだといわれ、カーターがそれを信じたのは、あるいはそうかもしれないと得心するところがあったためだった。現実の行為にしたところで、それをなす者がそうした行為に意味や目的がみなぎっていると主張していることを思えば、闇《やみ》のなかにときとして一瞬ひらめく精神の存在や願いなど、気にとめることも知ることもなく、無から有、有から無へと目的もなく進行する盲目の宇宙と同様に、虚ろで愚にもつかない幼稚なものにすぎないことを、カーターは思いおこせずにいたのである。
こうした者たちがカーターを現実に存在する事物に縛りつけた後、そうした事物の働きを説明して、神秘を世界から失くしてしまったのだ。カーターが不平を訴えて、精神のありがたい連想や鮮明な断片のことごとくに、魔術が形を与え、息もつけない期待や抑えきれない歓声に満ちる景観をつくりだす、黄昏《たそがれ》の領域に遁《のが》れたがると、賢人たちはそういうもののかわりに、新たに発見された科学の偉観にカーターの目をむけさせ、原子の渦動に驚異を、空の広がりに神秘を見いだすようにと命じた。そして既知にして予見可能な法則を備える事物に、カーターがこうした興趣を見いだせずにいると、想像力に欠けているのだとか、物理的な創造の幻視よりも夢の幻想を好むからには未熟だとかいったものだ。
かくしてカーターは他の者たちと同じようにやってみようとして、ありふれた出来事や俗人の感情が、稀有《けう》で繊細な心が思いうかべる幻想よりも重要なのだというふうを装った。夢からぼんやりとおぼえている、玉髄を彫《きざ》みぬいた百もの門や円蓋《えんがい》を擁するナラスの比類なき美しさより、実人生における屠殺《とさつ》された豚や胃弱の農夫の肉体の痛みのほうが大事だといわれても、あえて異を唱えることはせず、賢人たちの導きのもと、憐憫《れんびん》や悲惨を感じる分別を刻苦精励して培った。
しかしときとして、人間の大望がおしなべて、いかに浅薄、気まぐれ、無意味なものであるか、また人が公言してはばからぬ大仰な理想に比して、その真の衝動が、いかに空虚なものであるかと思わずにはいられないこともあった。そんなときには、夢の放埒《ほうらつ》さやわざとらしさに対して用いるようにと教えられた、上品な笑いに訴えたものだが、それというのも、この世界の日常生活が徹頭徹尾、放埒にしてわざとらしいものであるうえ、理性と目的の欠如を愚かしくも認めようとはしないことや、美にとぼしいことのために、およそ顧慮するに値しないことを見ぬいていたからだった。このようにしてカーターは一種のユーモリストになったわけだが、これは調和や不整合の真の基準を欠落する盲目的な宇宙にあっては、ユーモアすら虚ろなものであることがわからなかったためである。
現世に縛りつけられるようになった当初に、カーターが傾倒していたのは、神父たちの純朴な信念をうけて心惹かれるようになった穏健な教会の信仰にほかならず、人生からの逃避を約してくれるような神秘への道がその信仰からのびていると思えたのだった。仔細に吟味してはじめて、うんざりさせられるほど信仰告白者たちの大半を圧倒的に支配している、堅固な真実と称するものの、しかつめらしい厳粛さと荒誕な主張、古臭く凡庸な陳腐さ、そして脆弱《ぜいじゃく》な幻想と美を見ぬくとともに、未知のものに対峙《たいじ》した原始人の怒張した恐怖や臆測を文字通りの事実として生かしつづけようとする不様さを、たっぷりと感じとることになった。鼻高だかの科学の進歩が着実に論破しつつある古い神話から、いかに人がおごそかにこの世の現実をひきだそうとしているかは、それを目にするカーターを倦み疲れさせるほどで、この誤ったひたむきさこそが、紛れもない霊妙な幻想を装った荘厳な儀式や感情のはけぐちが提示されることで満足していたなら、もしかして保ちえたかもしれない、古代の教義に対する愛着を葬ってしまったのである。
しかしカーターは、古い神話をなげうった者たちを調べるようになったとき、そうしなかった者より彼らがいやさらに鼻もちならないことを知るにいたった。美が調和にあることはおろか、はかなく消えては混沌からささやかな世界をつくりだす、夢や感情との調和を除き、人生の素晴しさが、目的のない宇宙の只中で基準というものをもたないことすら、彼らは知らないのだから。善と悪、美と醜が、事物の様相を飾る果実にすぎず、その唯一の価値は父祖たちが何かのはずみで考えたり感じたりしたものとの繋《つなが》りのうちにあり、その微妙な細部が人種や文化によって異なっていることもわかってはいない。彼らは理解することもせずに、こうしたことを完全に否定したり、自分たちが獣や農夫たちとわかちもつ生硬かつ曖昧《あいまい》な本能に転嫁したりするために、彼らの人生といえば悪趣味にも、苦痛、醜悪、不釣合のなかですごすものでありながら、いまだ自分たちをつかんではなさないものとさしてかわらぬ不健全なものから遁れでたことに、莫迦《ばか》ばかしい自負をみなぎらせている。恐怖と盲目の信心をつかさどる愚神を、放縦と混乱の邪神と交換しているにすぎない。
カーターがこうした現代の自由を深く味わわなかったのは、かかる自由のくだらなさや卑しさが、美のみ愛する心を病ませたからであり、かかる自由を擁護する者たちが、かつてなげうった偶像からはぎとった神聖さでもって、獣的な衝動をきらびやかなものにしようとする、その見えすいた論理に対して、カーターの理性が反旗をひるがえしたためでもあった。こうした者たちの大半が、愛想づかしをされた聖職者と同様に、人生には人間が夢想するものとは別個の意味があるという幻想からのがれられず、科学の発見にさらされて人間の本性がすべてその無意識と非人間的な超道徳性を叫びたてているときですら、美の概念とはおよそかけはなれた倫理や義務の生硬な概念を棄てきれずにいることを、カーターは見破っていた。彼らは正義や自由や一貫性という先入観の幻想にこりかたまり、頑迷|固陋《ころう》になるあまり、古くからある信仰とともに往古の教えや習わしを棄て去ってしまい、その教えや習わしこそがいまの思想や判断を生みだす唯一の拠《よりどころ》にして、定まった目的も安定した判断基準もない無意味な宇宙における、唯一の導きであり基準であることを考えようともしない。これら人為的な背景が失くなったことで、彼らの生活は方向づけや劇的な興味を欠いたものになり、あげくにはせわしげな活動やうわべだけは有益なもの、騒音と興奮、蛮性の顕示や獣的な情動に、おのれの倦怠をまぎらわせようとする。こうしたものに飽きるか、失望するか、反動から鼻につくようになったりすると、皮肉や恨みをつちかって、社会秩序のあらを探す。それでいて自分たちの根底にある盲目的なものが、年長者の信奉した神々と同様に、うつろいやすく矛盾していることも、一時の満足がたちまち害毒になることも知らずにいる。静謐《せいひつ》な永続する美は夢のなかにのみあらわれるというのに、世界はこの慰めを、現実を崇拝することで幼年期と無垢《むく》の秘密をなげうったときに、あっさりと棄て去ってしまったのだ。
この虚ろでおちつきのない混沌《こんとん》の只中《ただなか》で、カーターは犀利《さいり》な思考力と豊かな遺産を備えるにふさわしい者として生きようとした。時代の嘲《あざけ》りをうけて夢も色あせ、信じられるものとてなかったが、調和を愛する気持がカーターを自分の属する人種と土地から閉めだしつづけた。人の群れつどう街を無表情に歩きまわっては、やるせない溜息《ためいき》をついたのは、どの景色とて紛れもない現実のものとは思えず、また高い屋根を染める黄色い陽光のきらめきにせよ、柵《さく》にかこまれた広場が夕べの最初の灯りに照らされるのを一瞥《いちべつ》するにせよ、それらはことごとく、かつて知っていた夢を思いださせ、もはや見つける術も知らない天上の土地に対する懐郷の念を、いよいよかきたてるばかりだったからだ。旅は徒労にすぎず、初端《しょっぱな》からフランスの外人部隊に加わったとはいえ、大戦すらもごくわずかな興奮をもたらしただけだった。しばらくのあいだ友を探し求めたが、まわりにいる者たちの露骨な感情や画一的で俗っぽい夢想に、すぐにうんざりさせられるようになった。カーター自身の精神生活を理解してくれるはずもなかったので、親戚《しんせき》がすべて遠くにいて何の交渉もないことに、そこはかとない喜びをおぼえた。すなわち祖父と大叔父のクリストファーを除き、誰にも理解されるはずはなく、このふたりはいずれも世を去って久しかったからである。
やがてカーターは、夢をはじめて失ったときに中断した執筆を、ふたたびはじめるようになった。しかしこれにもまた満足感や充足感はなく、俗世間との交渉が心をふたぎ、かつてのようには麗しい事物を考えることもできなかった。皮肉のこもるユーモアが、かつてカーターの築きあげた黄昏の光塔をさびれさせ、世俗にそまってありそうもないことをあやぶむ気持が、妖精の園に咲く驚くべき繊細な花のすべてをしおれさせた。わざとらしい哀れみを誘う小説作法のしきたりが、登場人物のやけに感傷的なところをさらけだす一方、重要な現実とか意味深い人間の感情や事件とかをもちこむ社会通念が、カーターの深遠な空想のことごとくを、薄いヴェールに覆われた寓話や安っぽい社会風刺におとしめた。こうした新しい長編小説は以前に書いたものとはくらべものにならない出来映えだったが、愚かな大衆をよろこばせる空疎なものにちがいないことを知り、カーターはすべてを焼きはらって執筆活動をやめてしまった。軽くスケッチした夢を上品に笑いはやす、しごく優雅な作品ばかりだったが、そういう悪ずれしたところが作品の生気を害していることを悟ったのだ。
こんなことがあった後、カーターはわざとらしい幻影を生みだすことにはげんだり、あるいは陳腐なものの解毒剤として、異様なものや奇異なものの概念を道楽半分にかじったりした。しかしその大半はすぐに貧困と不毛をさらけだしたし、俗うけのするオカルティズムの教義が科学のそれと同様に無味乾燥かつ頑陋《がんろう》なものであり、自明の理を斟酌《しんしゃく》して教義の欠点を補う融通性など、毛ほどももちあわせていないことがわかった。紛れもない暗愚、虚言、混乱した思想など、およそ夢ではないし、大衆のレヴェルをこえたところまで熟達した精神にとって、人生からの逃避になるわけもない。かくしてカーターはさらに風変わりな書物を買いこみ、奇異な博識を誇るさらに幽遠かつ恐るべき人物を探しだしては、踏みこんだ者とて稀《まれ》な意識の秘奥を探究して、人生、伝説、悠久の太古の秘密の窖《あなぐら》について学びとり、これが後に心かき乱すもととなった。世に稀な生活をおくる決心をつけると、さまざまに変化する気分にかなう調度をボストンの住居に整え、個々の部屋はそれぞれの気分にあわせた色で統一され、それにふさわしい書物や備品が備えられ、適切な光、熱、音、味、匂を生みだして感覚を刺激する装置が設けられた。
いつのことだったか、インドとアラビアから密輸した先史時代の書物や粘土板より冒涜的《ぼうとくてき》なことどもを読みとったがために、人に忌み嫌われ恐れられる男が南部にいると聞いたことがあった。カーターはその男を訪れ、ともに暮し研鑽を積むこと七年におよんだが、そのあげくには、とある真夜中に未知の古さびた墓地で恐怖に襲われ、そこに入った者ふたりのうち逃げのびたのはひとりだけだった。その後カーターは、祖先たちの住みついたニューイングランドの魔女にとり憑《つ》かれた昔ながらの街、アーカムにもどったものの、闇のなか、年古《としふ》りた柳やぐらつく駒形切妻屋根の只中で身にうけた経験から、狂乱した祖先の記した日記の特定の箇所を永遠に封印するはめとなった。しかしこうした恐怖がいざなったのは現実の果にすぎず、若い頃に知悉《ちしつ》していたまことの夢の国のはずれではなかったため、美を愛《め》でるにはせわしすぎ、夢を見るにはさかしらすぎるまでになりまさった世界において、齢《よわい》五十に達したカーターは、もはや憩いも充足もないものと諦観《ていかん》した。
現実の事物の虚ろさと軽薄さをついに悟ったカーターは、隠棲の日々を、夢に満ちた青春の、いまや脈絡のないものとなりはてた、やるせない思い出をしのびながらすごした。生をつなぐこと自体むしろ莫迦《ばか》らしく思い、南アメリカの知人から、苦しみもなく忘却をもたらしてくれる実に珍しい液体を手にいれた。しかしながら惰性と習慣の力はいかなる行動をもさまたげ、決心のつかないままに、過ぎ去った日々の想いをしのんで漫然と日をおくりながら、壁から風変わりな掛物をはずし、住居の改装をおこなって、子供の頃に親しんだもの――紫色の窓ガラスやヴィクトリア時代の家具等――を備えるにいたった。
時がすぎゆくまま、漫然と日々をすごすことに喜びのようなものを感じるまでになったのは、若き日をしのぶことや世間と断絶することが、人生や知的素養をきわめて遠い非現実的なものであるように思わせたからであり、夜の眠りに魔力や予兆めいたものがしのびこむようになっているので、この思いもひとしおだった。何年ものあいだ、そうした眠りはごくあたりまえの睡眠とかわらぬ、日常の事物のゆがめられた反映を落とすだけだったが、それがいまや、これまでよりも奇異で奔放なもののきらめきがよみがえり、あえかに畏怖《いふ》の念をかきたてる切迫したものが、幼年期のゆるぎない鮮明な映像という形をとって、長いあいだ忘れはてていた些細《ささい》なことを思いださせたのである。四分の一世紀まえに墓に眠った母や祖父を呼びながら、急に目を覚ますことがしばしばだった。
やがてある夜、祖父がカーターに鍵のことを思いださせた。髪に白いもののまじる老学者が、生前とかわらぬ生気にあふれ、自分たちの古い家系について、そしてその家系をつくりだした繊細な神経と強い感受性をもつ者たちの不可思議な幻視について、ひたむきに語りつづけたのだった。捕囚の身となりながらもサラセン人の法外な秘密を学びとった燃えあがる目の十字軍騎士のこと、エリザベス女王の御世《みよ》に魔術を研鑽《けんさん》した初代ランドルフ・カーターのことを、祖父は語った。またセイレムで妖術《ようじゅつ》の咎《とが》による絞首刑をあやうくまぬかれ、祖先から継承される大きな銀の鍵を古色ゆかしい箱に収めたエドマンド・カーターのことも語った。カーターが目覚めるまえに、夢の慇懃《いんぎん》な訪問者はカーターに、その箱、二世紀にわたって誰も蓋《ふた》を開けたためしのない、グロテスクな彫刻のほどこされた古の驚異ともいうべき樫材《かしざい》の箱が、どこで見つけられるかを教えてくれた。
大きな屋根裏部屋の塵《ちり》と影のなかで、カーターは遠い昔に忘れ去られていた箱を、背の高い箪笥《たんす》の引出の奥に見つけだした。大きさはおおよそ一フィート平方、表面にほどこされたゴティック風の彫刻はあまりにも奇怪で、エドマンド・カーター以来|何人《なんぴと》も開けたためしのないものと思われた。振っても音はしなかったが、おぼえのない香料の匂がたちこめて謎めいていた。そのなかに鍵が収められているというのは、いかさまおぼろな伝説にすぎず、カーターの父親はそのような箱が存在することすら知らなかったほどである。錆《さ》びた鉄の環がまわされて、頑強な錠をはずす手立とてない。この箱のなかに、失った夢の世界の門を開く鍵のようなものが見つかることを、カーターはぼんやり悟ったが、どこでどう使うものかについては、祖父も何一つ教えてはくれなかった。
黒ずんだ表面から睨《ね》めつける恐ろしい貌《かお》や、妙に馴染《なじみ》深いところを見て身を震わせながらも、年老いた召使が彫刻のほどこされた蓋を力ずくでもぎとった。なかには褪色《たいしょく》した羊皮紙につつまれて、謎めいたアラベスク模様に覆われる大きなくすんだ銀の鍵があったが、容易に読める説明書のようなものはなかった。羊皮紙は大きなものだが、古代の葦《あし》で書かれた、未知の言語の不思議な象形文字を連ねているばかりだった。カーターはその文字が、名もない墓地でとある真夜中に姿を消した、あの恐るべき南部の学者が所有していた、パピルスの巻物で目にしたものと同じであることを知った。あの男はその巻物を読むと決まって身を震わせたものだが、いましもカーターは身をわななかせていた。
しかしカーターは鍵の汚れを落とし、馥郁《ふくいく》たる薫《かおり》を放つ古びたオーク材の箱にいれて、夜ごとかたわらに置いた。そんなあいだにも、見る夢はいやましになまなましいものとなり、かつての日々の信じられない庭園や不思議な都市をあらわすことこそなかったものの、はっきりした傾向をおびはじめ、その意味たるや誤りようのないものだった。夜ごとの夢は歳月を遡行《そこう》すべくカーターに呼びかけ、父祖たちのすべての意志をないまぜながら、何か隠された家系発祥の源へと、カーターをひきもどしているのだった。するうち過去に入りこんで古《いにしえ》の事物とたちまざらねばならないことがわかり、カーターは魔女にとり憑かれたアーカムや、水勢激しいミスカトニック河や、一族のわびしい質朴な屋敷のある北方の丘陵に思いをはせて日を重ねた。
秋の焚火《たきび》が低く燃えるなか、カーターは昔おぼえた道をたどり、うねる丘陵の優美な稜線や石垣の連なる草原をながめ、遙かな谷や傾斜する林地を望み、まがりくねる道を進んで周囲に半ば埋まるようにして建つ農家を通りすぎ、蛇行するミスカトニック河の澄みきった流れに出会い、そこかしこに設けられた木製あるいは石造りの野趣ある橋を渡った。ある曲がり角で巨大な構の林を目にしたが、その只中で一世紀半まえに祖先のひとりが妙な失踪をしたことがあるために、風が意味ありげに吹きぬけるや、カーターはわれともなく身を震わせた。やがてあらわれたのは年老いた魔女ファウラーの腐朽した農家で、小さな窓は凶《まが》まがしく、傾斜する大屋根は北側でほとんど地面に接するほどだった。カーターは車の速度をあげてその農家をあとにすると、丘を登りきるまで速度を落とすことはしなかった。その丘は母や母の父祖たちが生まれたところで、昔からの白い家がなおも、息を呑《の》むほど美しい岩の斜面や緑したたる谷間を道のむこうに見おろして建ち、地平線にキングスポートの遙かな尖塔を望み、目路のかぎりに夢をはらむ太古からの海をしのばせるはずだった。
やがて四十年以上目にしたことのない、カーター家の昔からの地所の広がる急な斜面があらわれた。その麓《ふもと》に達したときには午後もふけていて、カーターは半分ほど登ったところの曲がり角で車を停めると、西日のそそぐ魔力ある斜《はす》の日差を浴びて金色に燦爛《さんらん》と輝く、田園地帯の広がりをながめわたした。最近の夢の不思議さと予兆のすべてが、この静まりかえったこの世のものならぬ風景のなかにたちあらわれているようで、カーターは他の惑星でのいまだ知らざる孤独を思いながら目をさまよわせ、ビロードのような無人の芝生が崩れ落ちた壁のあいだで波打って輝いているのを、妖精の森の木立が丘の彼方の紫がかった丘陵の遙かな稜線をひきたたせているのを、そして樹木の茂ったうつろな谷間が湿った窪地へと影のなかで傾斜して、わずかな水の流れが怒張した根やねじくれた根のあいだで、あるいは低くあるいは高く水音をたてているのを認めた。
どうしたものか、自動車というものが自分の探し求める領域にはふさわしくないように感じられ、森のはずれで車を乗りすてると、大きな鍵を上着のポケットにいれて丘を登りはじめた。いまや木々に完全につつみこまれていたが、住居のある高い山には北側を除いて木がないことを知っていた。一風変わった大叔父のクリストファーが三十年まえに死んで以来、顧みることもなく無人のままほうってあるので、どんなありさまになっているかと思いをめぐらした。少年の頃は長|逗留《とうりゅう》のあいだ大いにたのしんで、果樹園のむこうの林のなかで、薄気味悪い驚くべき発見をしたものだった。
夜が近づき、まわりの影が濃密なものになっていった。一度、右手の木々がとぎれ、うち広がる黄昏の草原の彼方に、キングスポートのセントラル・ヒルにある古めかしい会衆派教会の尖塔を望むことができたが、残照をうけてピンク色に染まり、小さな丸窓のガラスは夕映を照り返して赤あかときらめいていた。やがてまた深い影のなかに入ったとき、いま目にしたものが、子供の頃の記憶からもたらされたものにほかならないことを知って愕然《がくぜん》とした。古色|蒼然《そうぜん》とした白亜の教会は会衆派の病院を建てるためにとり壊されて久しい。カーターがその記事を興味深く読んだのは、教会跡の岩盤に妙な穴や地下通路めいたものが発見されたことについて報じられていたためだった。
カーターの当惑をついて甲高い声が呼びかけ、長の歳月を経た馴染深さに、カーターはまたしても愕然とした。ベニアー・コーリイ老はクリストファー叔父の使用人で、カーターが少年の頃に訪れたかつての日々でさえ年老いていたのだ。いまでは優に百をこしているにちがいないが、その甲高い声はベニアー・コーリイ老が発したものとしか考えられなかった。言葉こそ何一つ聞きとれなかったとはいえ、その口調は記憶にはっきりと残る、聞きまちがえようのないものだった。あの「ベニー爺さん」がまだ生きていると思ったりするとは。
「ランディぼっちゃま、ランディぼっちゃま、どこにいらっしゃる。マーシイ叔母さまを死ぬほどたまげさせるおつもりですか。昼間もお屋敷から遠くへ行かず、暗くなったらおもどりなされと、マーシイ叔母さまからいわれておったでしょうが。ランディ、ラーン……ディ……。まったく林のなかにとびだしてかれると、足の早いことときたら。木立のなかの蛇の巣あたりでぼんやりされとるんじゃろう。おうい、ラーン……ディ」
ランドルフ・カーターは真闇《まやみ》のなかで立ちどまり、目をこすった。どこか妙だった。いるはずのないところにいて、遙かに遠い自分とはかかわりのない地をさまよったあげく、いまやいいわけもできないほど遅くなってしまったのだ。ポケットにある望遠鏡を使えば簡単に見てとることができたものを、キングスポートの尖塔にある時計で時間を確かめることに気づきもしなかったのだが、これほど遅くなったのがきわめて面妖な、いまだかつてないことだとはわかっていた。小さな望遠鏡を携えているかどうかも定かではなく、ブラウスのポケットに手をいれて確かめようとした。望遠鏡はなかったが、どこかにあった箱のなかで見つけだした、大きな銀色の鍵がはいっていた。いつだったか、クリス叔父さんが鍵の収めてある古い開かずの箱について奇妙な話をしてくれたものの、マーサ叔母さんが、おかしな考えで頭がいっぱいになっている子供に聞かせるような話ではないといって、不意に話の腰をおってしまったことがある。カーターはどこで鍵を見つけたかを思いだそうとしたが、頭のなかが妙に混乱しているようだった。ボストンの自宅の屋根裏部屋で見つけたのだろうとあたりをつけると、一週間分の給金の半額を餌《えさ》にして、箱を開けるのをパークスに手伝わせ、他言を禁じたことをぼんやり思いだしたが、この記憶がよみがえったとき、パークスの顔があまりにも妙にさまがわりして脳裡にうかび、さながら長い歳月による皺《しわ》が、元気のいいこがらなロンドンっ子に襲いかかったかのようだった。
「ラーン……ディ、ラーン……ディ、おーい、おーい、ランディ」
揺れる角燈が暗い曲がり角にあらわれたかと思うと、ベニアー老が黙りこくって困惑している放浪者にとびついた。
「まったくひどいぼっちゃまだ。舌でものうなって、返事なさることもできなかったんですかね。わしはもう半時間もまえから呼んどりますから、えっとまえから聞こえなさっとったはずですそ。ぼっちゃまが暗うなってから外におられると、マーシイ叔母さまがさんざ気をもまれることは知ってなさろう。クリス叔父さまがお帰りになったら、このことはきっと申しあげますからな。こんあたりの林がこんな時間にほっつき歩くようなとこじゃねえことは、ぼっちゃまもよう知っとられるはず。誰にもよからぬことをするものがうろついとるんですぞ。わしの爺さまもそう言うとりましたじゃ。さあ、ランディぼっちゃま、早うせんと、ハンナが夕食をかたづけてしまいますぞ」
こうして不思議な星たちが秋の高い大枝ごしにきらめく道を、ランドルフ・カーターは元気よく歩いていった。犬が吠えるとともに、遠くの角に小さなガラスのはまった窓から黄色い光がこぼれ、プレアデス星団のきらめきを望む開けた山の上に、薄暗い西の空を背景にして大きな駒形切妻屋根が黒ぐろとそびえたった。マーサ叔母が戸口にいて、ベニアー老がなまけ者を家のなかに押しいれたときも、きつくしかりはしなかった。カーター家の血筋の者ならさもありなんと察するほどに、クリス叔父のことをよく心得ているのだから。ランドルフは鍵を見せることなく、黙りこくって夕食をとり、床につく時間だといわれたときにだけ文句をいった。目覚めているときに夢をよく見ることがあり、その鍵を使いたかったのだ。
朝になるとランドルフは早く起きて、クリス叔父につかまって朝食のテーブルにつかされるようなことがなければ、木立まで走っていこうと思った。カーペットはすりきれ、梁や柱がむきだしになった倹《つま》しい部屋を、じれったそうに見まわし、果樹園の枝が裏の窓の鉛ガラスをひっかくと、はじめて笑みをうかべた。木々と林が間近にあって、ランドルフの真の国である、時間を知らないあの領域の門になっているのだ。
やがて屋敷を離れるとき、鍵があることを確かめるためにブラウスのポケットを探り、安心すると足取りも軽く果樹園を横切って、木々の茂る丘がまた登りになり、木のはえない小山をもしのぐ箇所を目指した。森の地面は苔《こけ》むして謎めいており、薄暗がりのなか、地衣類に覆われた大きな岩がドルイドの石柱めいて、聖なる神の森の怒張したりねじくれたりする幹の只中で、そこかしこにおぼめく姿をあらわしていた。斜面を登っている途中で一度、ランドルフは流れ急な川を渡ったが、すこし離れたところで滝となって流れ落ちる水は、あたりに潜むファウヌス、アエギュパン、ドリュアスに、秘密の意味をもつ呪文を唱えているようだった。するうちたどりついた森の斜面の奇怪な洞窟は、土地の者が忌避する恐るべき〈蛇の巣〉で、ベニアー老が何度も繰返し近づくなといさめている場所だった。奥は深かった。ランドルフ以外の誰もが想像するよりも深く、少年が一番奥の黒ぐろとした隅に見つけだした裂け目は、その奥の堂々とした岩窟に通じているのである――そこは不気味な地下埋葬所めいた場所で、周囲の花崗岩の壁には、意図的な技巧をもって造りだされたのではないかと思わせるところがあった。このときランドルフはいつものように、居間のマッチ箱からくすねたマッチで前方を照らして進み、自分でも説明しがたい性急さで最後の裂け目をもぐりぬけた。どうしてこうも自信たっぷりに奥の壁に近づいているのか、そしてまた、衝動的に大きな銀の鍵をとりだしながら、どうしてそんなことをしているのかは、まったくあずかり知らぬことだった。しかし進むのをやめることはせず、その夜踊りはねて屋敷にもどったときには、遅くなったことについて何一ついいわけもせず、正午の正餐を告げる角笛をまったく無視したことで叱られても、何ら臆するところもなかった。
ランドルフ・カーターが十歳の年に想像力を高める何かがおこったことは、いまや遠い親戚一同の認めるところとなっている。遠戚にあたるシカゴのアーニスト・B・アスピンウォール氏は優に十歳は年上で、一八八三年の秋を経てこの少年に変化がおこったことをはっきりおぼえているほどだ。ランドルフはほとんどの者が見たためしのない幻想の景色をながめたことがあるらしく、ごく世俗的なことに関して示す能力のいくつかはさらに不思議なものだった。あげくに奇妙な予言の才能を身につけたようで、物事に対して異常な反応をして、そのときには何の意味もなかったものの、あとになって特異な印象が正当化されることもあった。つづく数十年のあいだ、新たな発明、新たな名称、新たな出来事が一つひとつ歴史書にあらわれるにつれ、人びとはふとカーターが何年もまえにもらした何気ない言葉を思いだし、それらが遙か未来のことに歴然たる関係をもっていたことを知っていぶかしんだ。カーターも自分ではこうした言葉がまったく理解できず、特定の物事に特定の感情をおぼえる理由とて知らなかったが、思いだせない夢に関係があるのだろうと思っていた。旅行者がブロア=アン=サンテールというフランスの町の名前を口にしたとき、カーターが青ざめたのは、早くも一八九七年のことで、大戦で外人部隊に所属したカーターが、一九一六年にまさしくその町でほぼ致命的といえる重傷を負ったとき、友人たちはそのことを思いだしたのだった。
カーターの親戚たちがこうしたことをよく口にのぼらせるのは、最近になってカーターが失踪《しっそう》してしまったからである。老いたこがらな召使のパークスは、長年カーターの奇行に我慢強く耐えつづけ、最近見つけた鍵をもって早朝ひとりきりで車を駆ってでるのを見送ったのが、カーターを目にした最後となった。パークスは古びた箱からその鍵をとりだすのを手伝い、そのとき箱のグロテスクな彫刻、そしてしかとはわからない何か別の妙な特質のせいで、不思議な心地がしたという。カーターは家を離れるとき、アーカム周辺の古い先祖伝来の土地を訪れると告げていた。
エルム山をなかほどまで登った、古いカーター家の屋敷の廃墟に通じる途上で、カーターの車が道端に注意深く停められているのが発見され、車内にあった香木製の箱には彫刻がほどこされており、たまたまそれを目にした地元の者をたまげさせた。箱のなかには羊皮紙が一枚はいっているだけで、それに記されている文字は、言語学者や古文書学者ですら解読も同定もできずにいる。足跡が残されていたとしても、雨に消されて久しかったが、ボストンの捜査官は、カーター家の屋敷の倒壊した材木のなかに乱された形跡があることについて、報告すべきことがあった。まるで何者かが最近になって廃墟をかきまわしたかのようだと、自信たっぷりに言明したものだ。廃墟を見おろす丘の斜面の森の岩場で見つかった、ありふれた白のハンカチは、失踪した者の持ちものだとは確認できない。
ランドルフ・カーターの財産が相続人たちに分配されるという話がもちあがっているが、わたしとしてはカーターが死んだとは思えないので、これを断固阻止する立場をとるつもりだ。夢想家だけが予知できる時間と空間、幻視と現実のねじれというものがあり、カーターについて知っていることからして、わたしはカーターがこうした迷路を通り抜ける方法を見いだしたにすぎないと考える。カーターがもどってくるかどうかについては、何ともいえない。カーターは失った夢の土地を欲し、幼年期の日々に憧れたのだ。そして鍵を見つけだしたのだから、わたしはどうしても、カーターが鍵を使って不思議な特性を利用することができたのだと思ってしまう。
わたしたちふたりがよく訪れた、ある夢の都市で、まもなく出会えそうな気がするので、カーターに会ったらたずねてみたい。スカイ河の彼方のウルタールの噂によれば、顎鬚《あごひげ》をたくわえ鰭《ひれ》を備えるノオリ族が奇妙な迷宮をつくりあげているという黄昏の海を見はるかす、なかがうつろなガラスでできた崖の頂に広がる小塔建ちならぶ伝説の邑《まち》、イレク=ヴァドの蛋白石《たんぱくせき》の玉座に、新しい王が座して君臨しているといい、この噂をどう判断すればよいかを、わたしは心得ているつもりだ。まさしくわたしは胸ときめくほどに、あの大きな銀の鍵を目にするのをたのしみにしている。それというのも、銀の鍵の謎めいたアラベスク模様には、くるめくほどに非人間的な宇宙の、その大いなる目的と謎とが、ことごとく象徴されているかもしれないのだから。