ラヴクラフト全集〈6〉
H・P・ラヴクラフト/大瀧啓裕訳
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名状しがたいもの The Unnamable
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わたしたちはある秋の日の午後遅く、アーカムの古い埋葬地で、毀損《きそん》した十七世紀の墓石に腰をおろし、名状しがたいものについて思いをめぐらしていた。古びて碑銘も読めない平石をほとんど呑《の》みこまんばかりに幹を太らせる、墓地の巨大な柳に目をむけながら、大きく怒張した根がその古さびた墓場の地面から吸収しているにちがいない、幻妖《げんよう》にして名もない滋養分について、空想たくましい意見を口にすると、友人が莫迦《ばか》げたことはいうなとわたしをたしなめ、ここでは一世紀以上も埋葬はおこなわれていないのだから、普通のやり方以外で木を育てるようなものなどあるものかといった。それに、とさらに追いうちをかけて、わたしがいつも「名状しがたいもの」とか「いいようもないもの」とかについて話すのは、幼稚きわまりないやりくちで、作家として低い地位にとどまっているのも無理はないなとつけくわえたものだ。きみの好む小説の結末ときたら、光景や音でもって主人公の心身の能力を麻痺させてしまい、体験したことを話す勇気も言葉も記憶もなくしてしまうじゃないか。われわれが事物を知るのは、五感や宗教的な直観によってだけなのだから、事実の厳密な定義や神学の正しい教義――なるべくなら伝統やアーサー・コナン・ドイル卿が提供してくれるような修正をくわえた会衆派の教義――によって、明確に述べられない物体や幽霊じみたものについては、とうてい口にすることも不可能なのだからね。
こう告げた友人、ジョウエル・マントンとは、これまでにもよくものうげに議論をたたかわせたことがある。イースト・ハイ・スクールの校長をしているマントンは、ボストンで生まれ育ち、人生の微妙繊細な意味をはらんでいるものは頑としてうけいれない、ニューイングランド特有の独善的な性向をもっていた。その意見によれば、およそ美的な意味というものは、われわれの正常かつ客観的な経験のみがもつものであり、芸術家の本領とは、行為や歓喜や驚愕《きょうがく》によって激烈な感情をかきたてることではなく、日常のことがらを正確かつ詳細に写しとることにより、穏やかな興味と観賞眼を維持すべきものだという。神秘的なものや説明しがたいものにわたしが夢中になることに、マントンがとりわけ異議を申したてるのは、わたし以上に超自然のものを信じていながらも、文学であつかうものとして十分にありふれたものであることを認めようとしないからだった。精神が最大の歓喜を見いだせるのは、日常の辛《つら》い単調さからの逃避、そして通常は習慣や疲労によって現実存在の陳腐な様式に投げこまれている、さまざまな印象の劇的かつ新奇な再構成にあるわけだが、これとてマントンの明晰《めいせき》、実際的、論理的な知性には、まったく信じがたいことだったのだ。マントンにあっては、事物や感情はことごとく、その大きさ、特性、因果関係を固定したものにすぎなかったし、遙かに不規則で、分類もできなければ実用にも供せないものを、精神がときに夢想したり感じたりすることはマントンも漠然と知っていたものの、これに恣意的《しいてき》な一線を画して、平均的な市民が経験も理解もできないすべてのものを閉めだすことが正しいのだと、そう信じこんでいた。それにまた、「名状しがたいもの」など現実にはありえないと、ほとんど確信してもいた。マントンには理にかなったものとは思えなかったのだ。
陽光を浴びて生きるつきなみな者の自己満足に対して、想像力にとむ形而上的な議論をしかけたところで無駄であることは、わたしとてよくわかっていたが、この午後の対話をおこなった場所には、論争好きなわたしをいつも以上に駆りたてるものがあった。朽ちゆく墓石、年古《としふ》りた木々、そして墓地をとりまく魔女にとり憑《つ》かれた古びた街の歳月を閲《けみ》した駒形切妻屋根、そういったもののすべてがあわさって、自分の作品を弁護するようわたしの気持を奮起させたので、まもなくわたしは敵陣に一矢むくいることをはじめていた。事実、反撃をはじめるのは困難なことではなく、それというのも、教養ある者ならかえりみなくなって久しい数多くの伝来の迷信、すなわち、死にかけている者の姿が遠くの場所にあらわれるとか、人が死ぬまで見つづけた窓にその人の顔が焼きつくとかいったことに、ジョウエル・マントンが半ば執着していることを知っていたからだ。そこでわたしは、田舎の老婆たちが声を潜めて告げるこうした話を信じるということは、霊的なものがその肉体の死後、肉体とは別個にこの世に存在するのを信じこんでいることにほかならないのではないかと主張した。これは通常の概念をことごとく超越する現象を信じられる能力を示すものといえるだろう。なぜなら、死んだ者が目に見える姿や、さわることのできる姿を、地球の半分の距離や長の歳月をこえて送れるものなら、無人の家屋が知覚力のある奇妙な存在にみちあふれ、古びた墓地に幾世代にもわたる恐ろしい無形の知性がひしめいていると思うことが、どうして莫迦げたことだといえるのか。そして霊魂は、そのしわざとされる顕現のすべてをおこなうためには、あらゆる物質の法則に制限されるわけもないのだから、霊的に生きている死者が、それを見る人間にとってまったく慄然《りつぜん》たる「名状しがたいもの」にちがいない形――あるいは形の欠如――をしていると想像することが、何故に埒《らち》もないことだといえるのか。わたしはいささか熱をこめて、こうしたことを考えるにあたって「常識」をもちだすのは、単に想像力や精神の柔軟さが愚かしくも欠如しているからだと、友人にきっぱりいいきったものだ。
いまや夕闇《ゆうやみ》がせまっていたが、わたしたちのいずれも話をやめる気持はなかった。マントンはといえば、わたしの主張にも動じる気配はないらしく、明らかに教師として成功するにいたった持論に自信をみなぎらせ、わたしの論点をやりこめたがっており、わたしはといえば自分の立脚点に確信をもち、敗北を気づかうまでもなかった。夕闇がたれこめ、遠くの窓のいくつかに灯りがほのかに輝くようになったが、わたしたちは動かなかった。わたしたちが腰をおろしている墓石は坐り心地がよかったし、すぐ背後で古ぶるしい墓の煉瓦造りが根に蹂躙されてぽっかり穴を開けていることや、街灯のともる一番近い通りが崩れかけた十七世紀の無人の廃屋にさえぎられ、わたしたちのいるところがまったくの闇につつまれていることを、わが凡庸な友人が気にすることもなかった。かくしてわたしたちは闇のなか、廃屋のそばにあるぽっかり穴の開いた墓の上に腰をおろし、「名状しがたいもの」について話をつづけ、わが友人がわたしの意見を鼻であしらうのをおえるや、わたしは友人が最もあざけったわたし自身の小説の背後にある、悍《おぞ》ましい証拠を口にした。
わたしが書いたその物語は「屋根裏の窓」という標題で、『ウィスパーズ』の一九二二年一月号に掲載されたものだった。多くの土地、とりわけ南部や太平洋岸では、愚かな腰抜けどもが苦情を申しでたため雑誌売場からとりのけられてしまったが、ニューイングランドの住民は戦慄《せんりつ》をおぼえることもなく、話の途方もなさにただ肩をすくめるだけにおわった。まずもって、そんなものは生物学的にありえないと断言され、コットン・マザーが真にうけて、混乱した『アメリカにおけるキリストの大いなる御業』にやたら詰めこんだたぐいの、地方の血迷った流言の一つにすぎず、信憑性《しんぴょうせい》がとぼしいばかりに、著者すら怪異の発生した場所をあえて記さずにいるではないかと、そんなことをいわれたものだ。そして昔の神秘家があらまし書きとめただけのものをわたしが敷衍《ふえん》したやり方については――まったく信じられないことであり、空想にふける軽薄なへぼ文士の典型であるとされた。マザーはいかにもそうしたものが生まれることを語りはしたが、それが成長し、夜に人家の窓をのぞきこみ、生きているときはおろか死後も霊魂として家の屋根裏に潜みつづけたあげく、数世紀後にそれを窓に見た者が自分の髪を灰色に変えてしまったものを描写すらできないといったことなど、安っぽい煽情小説を書く者以外に誰が考えつこうか。そしてこれらすべては悪名高い三文小説の常套《じょうとう》手段にほかならないと決めつけられたわけだが、これを聞いたわが友人マントンは、たちまちそれが事実だと主張したものだ。そこでわたしは、いま腰をおろしているところから一マイルと離れていない家の古文書のなかから探しだした、一七〇六年から一七二三年にかけての古い日記のなかに見いだしたことを話し、その日記が告げているとおり、わたしの祖先の胸と背中に傷跡のあったのは紛れもない事実だと告げた。そのあたりに住む他の住民がこわがっていたこと、傷跡のことが何世代にもわたって声を潜めて伝えられ、そして一七九三年には廃屋に入りこんで、そこにあると思われる痕跡を調べようとした少年が歴然たる狂気におちいったことも、わたしはマントンに話してやった。
空恐ろしいことだった――感受性の強い研究者たちがマサチューセッツのピューリタン時代に震えおののくのも無理はない。裏面で何がおこっていたのか、ほとんど知られてはいないのだから――ごくわずかにしか知られていないとはいえ、すさまじい膿疱《のうほう》が腐れはてて泡立ち、ときおり地獄めいた姿を見せる。妖術の恐怖は凶《まが》まがしい一条の光となって、人間のうちひしがれた頭脳で煮たっていたものを照らしだすが、それすらも些細《ささい》なものでしかない。美はなく、自由もなかった――そのことはいまに残っている建築物や家財道具、偏狭な聖職者たちの有害な説教からうかがえる。そして錆《さ》びついた鉄の拘束衣のなかには、埒もないことをわめきたてる悍ましさ、倒錯、悪魔主義が潜んでいたのだ。まさしくここにこそ、名状しがたいものの極致があった。
コットン・マザーは、何人も暗くなってからは読むべきではない悪魔的な六番目の著書で、言葉をひかえず呪いを吐きつけている。ユダヤ人の預言者のように仮借なく、後の世にたえてない簡潔さでもって、獣以上だが人間以下の存在――片目がそこなわれた存在――を生みだした獣のことや、そのような目をしているかどで絞首刑にされた、叫びをあげる酔いどれのことについて記しているのだ。このことについては手厳しく饒舌《じょうぜつ》に語りながらも、そのあとにつづいたことについてはほのめかしてもいない。おそらく知らなかったか、知っていながらもあえて記さなかったのだろう。知っている者たちも、語る勇気はなかった――忌避される墓のそばに碑銘のない粘板岩の墓石を据えた、子供にめぐまれず、うちひしがれ、憤りをつのらせる老人の家で、屋根裏部屋への階段に通じる扉が施錠されていたことについて、声を潜めた噂があった理由をほのめかすようなものは公にはないが、最も臆病《おくびょう》な者の血を凍らせる、漠然とした伝説がつきとめられるかもしれない。
わたしが見つけだした祖先の日記には、そうしたことのすべて、夜に窓辺や林の近くの無人の草原で目撃された、片目がそこなわれたものにまつわる、声を潜めた中傷や内密の噂話《うわさばなし》がことごとく書きとめられている。何かが暗い谷間の道でわたしの祖先を捕え、祖先の胸には角による傷跡を、背には類人猿じみた爪の傷跡を残したのだが、住民が踏み荒された砂塵《さじん》に残る足跡を探してみると、先が割れた蹄《ひづめ》の跡や、どことなく類人猿じみた足跡がいりみだれていたという。一度などは騎馬郵便配達夫が、夜明けまえのおぼろな月明りのメドウ・ヒルで、悍ましくも跳びはねる名状しがたいものを呼びながら追っている老人を見たことがあり、多くの者がこの話を信じた。確かに一七一〇年に、子供のいないうちひしがれた老人が、碑銘のない粘板岩の墓石が見える自宅背後の墓穴に葬られた夜には、奇怪な噂話が人びとの口にのぼった。屋根裏部屋に通じる扉の錠がはずされることはなく、家全体がそのままに残され、恐れられて近寄る者もなかった。家から物音が聞こえると、人びとは身を震わせながら声を潜めて話をかわし、屋根裏部屋に通じる扉の錠が堅固なことを願った。やがて牧師館で怪事件がおこり、生ける者はおろか五体満足な屍体すら一個もなかったことで、住民たちの願いはとだえた。歳月を経るにつれ、伝説は幽霊|譚《たん》じみた様相を呈してくる――生きているものだったとして、それが死んでしまったにちがいないわけだ。記憶は凶まがしくも尾をひいて残った――あまりにも秘密めいているために、ことさら悍ましいものだった。
こんなことを話しているうちに、マントンが黙りこんでしまったため、わたしの言葉に動揺していることがわかった。わたしが言葉をきっても笑ったりはせず、一七九三年に発狂した少年、わたしの小説の主人公といってさしつかえない少年について、きわめて真剣な口調で質問をした。わたしはマントンに、少年が忌避される無人の廃屋に行った理由を告げ、少年が興味をいだいたのも当然で、窓にむかいあって坐っていたものの姿が窓ガラスに残っていると信じていたからだと教えてやった。窓のなかにさまざまなものが見えるという噂話があるために、少年はその悍ましい屋根裏部屋の窓を見にいき、狂乱した悲鳴をあげながらもどってきたのだ。
わたしがそういったとき、マントンはあいかわらず考えぶかげな顔をしていたが、しだいに何事も分析せずにはいられない気分にたちかえっていった。議論をしかけるために尋常ならざる怪物が存在することは認めたが、自然が生みだす最も病的な奇形にしたところで、名状しがたいとか、科学用語でもってあらわせないとか、そういったものである必要はないわけだと指摘した。わたしもマントンの明晰さと頑固さに舌を巻き、老人たちから聞き集めた伝承をさらに口にした。後の世の幽霊伝説が、およそ尋常な生物を超越する化けものじみた幽霊にまつわるものであり、その幽霊たるや、巨大な獣の姿をしており、目に見えることもあれば感じられるだけのこともあって、月のない夜に漂い、例の廃屋やその背後の墓、そして碑銘の判読できない墓石のそばで一本の若木が生える墓に出没することを、はっきりさせてやった。確証の得られない伝承の告げるごとく、そのような幽霊が人びとを突き殺したり窒息死させたりしたかどうかはともかく、首尾一貫した強烈な印象を生みだしているのは事実で、いまだに高齢の老人たちにはひそかに恐れられているが、若者やその親の世代はおおむね忘れはてている――おそらく思いをよせられることもないままに、伝承もたち消えていくのだろう。さらに、美学を基に推測するかぎり、もしも人間という生物の霊の流出がグロテスクなまでに歪《ゆが》んだ形をとるものなら、それ自体が自然にそむく病的かつ冒涜的《ぼうとくてき》な、凶まがしい混沌《こんとん》とした奇形の幽霊のごとき、ふくれあがった忌わしい曖昧《あいまい》模糊《もこ》としたものについて、筋のとおったいかなる表現がこれを説明したり描写したりできるだろうか。さまざまな要素が組合わさった悪夢をはぐくむ死せる頭脳に形造られた、かような朦朧《もうろう》とした恐怖こそ、忌わしくもまさしく、慄然激烈なまでに、名状しがたいものにほかならないのではないか。
既に夜もかなり更けているにちがいなかった。異様なまでに音をたてない蝙蝠《こうもり》がわたしのそばをかすめ飛び、どうやらマントンの体にもふれたらしく、暗くて見えなかったものの、マントンが腕をあげるのが感じられた。まもなくマントンが口を開いた。
「しかし屋根裏部屋に窓のあるその家は、まだ建っていて空家のままになっているのかね」
「ああ」わたしは答えた。「この目で確かめたことがあるからね」
「それで、何か見つけたのかね――屋根裏部屋かどこかで」
「軒の下に骨がいくつかあったよ。それが少年の見たものかもしれない――感受性が強かったのなら、窓ガラスに何か見るまでもなく、それだけで発狂するに十分だったろうからね。骨がすべて同じ一つの体のものなら、そいつは目眩《めくるめ》く狂おしい化けものだったにちがいないな。この世にこのような骨を残すことさえ冒涜的なことだから、ぼくは袋をもってもどり、骨を家の裏の墓に運んだよ。穴があったから、そこに骨を落としこんだんだ。ぼくを莫迦だと思わないでもらいたいな――きみもあの頭蓋骨《ずがいこつ》を見るべきさ。四インチの角があったけど、顔や顎《あご》は、きみやぼくみたいなものだったからね」
マントンがすぐ近くで体を動かし、ついにわたしはマントンの体に震えが走るのを感じとることができた。しかしマントンの好奇心はいささかもそこなわれることがなかった。
「それで窓ガラスはどうだったんだ」
「すっかりなくなってたね。一つの窓は窓枠《まどわく》ごとなかったし、ほかのは菱形《ひしがた》の枠にガラスの破片すら残っていなかった。そういう窓だったのさ――一七〇〇年以前に使われていた昔の格子窓だよ。ガラスがなくなってから百年以上たっているんじゃないかな――もしかしたら、例の少年がガラスを割ることまでしたのかもしれない。言伝えには何の情報もないがね」
マントンがまた考えこんだ。
「その家を見てみたいな、カーター。どこにあるんだ。ガラスがあろうがなかろうが、すこし調べてみなきゃならない。それにきみが骨を埋めた墓も、碑銘のないもう一つの墓もな――何もかもがぞくっとさせてくれるじゃないか」
「きみはもう家を見てるよ――暗くなるまえに」
友人はわたしが思っていた以上に愕然《がくぜん》としたらしく、いささか芝居がかった、たわいのないこの言葉に、神経をはりつめてわたしから顔をそむけると、あえぎのような叫び声をあげて、いままでおさえていたことで高まっていた緊張を解きはなったものだ。奇妙な叫び声だったし、それに応える音があったばかりに、ことさら恐ろしかった。それというのも、叫び声がまだひびいているあいだに、真闇《まやみ》のなかにきしる音が聞こえ、そばに建つ呪われた廃屋の格子窓が一つ、開いていることがわかったからだ。そして他の窓枠はすべて遠い昔になくなっていたから、あの地獄めいた屋根裏部屋の窓にある、ガラスのない薄気味悪い格子にちがいなかった。
するうち、おなじ愕然とさせられる方角から、むっとする冷気が不快に押し寄せ、それにつづいてわたしのすぐそば、人間と化けものの眠る慄然たる穴の開いた墓に、甲高い声があがった。つぎの瞬間、正体こそ定かではないが、何か巨大な大きさの見えない実体に思いきり打たれ、わたしが薄気味悪いベンチから投げだされ、あの忌わしい墓地の、根が這《は》いまわる地面に大の字に倒れこむとともに、その墓からあえぎや羽撃《はばた》きがくぐもって響きわたったので、ミルトン描く奇形の亡者どもが真闇にひしめくさまを思いうかべる始末だった。ぞっとさせられる氷のような冷たい風が渦を巻き、ゆるんだ煉瓦《れんが》や漆喰《しっくい》が音をたてたが、ありがたいことにそれが何を意味するかを知るまえに、わたしは意識を失ってしまった。
マントンはわたしよりもこがらだったが、回復力はすぐれていて、わたしよりも深傷《ふかで》をおっていながらも、わたしとほぼ同時に目を開けた。わたしたちのベッドはならんでいて、わたしたちは聖マリア病院にいることをほどなく知った。医師や看護婦たちが好奇心もあらわにまわりにひしめき、わたしたちの記憶をよみがえらせようと、わたしたちがどのようにして運びこまれたかを教えてくれたので、あの古びた墓から一マイル離れたメドウ・ヒルの奥のわびしい野原、かつて屠殺場《とさつば》があったという場所で、農夫が正午頃にわたしたちを見つけたことがまもなくわかった。マントンは胸にひどい傷を二箇所うけ、背中にもそれより程度は低いが、切られたような、えぐられたような傷をおっていた。わたしはたいしたけがもなかったとはいえ、はなはだ困惑させられる性質のみみずばれや挫傷が全身にあって、先が割れた蹄にうたれた跡まであった。マントンはわたしよりも多くを知っているようだったが、困惑して好奇心をつのらせる医師たちには何もしゃべらず、わたしたちの負傷の程度を聞きただした。それを聞くと、狂暴な牛に襲われたのだと告げた――さして説得力のない答だった。
医師と看護婦たちが立ち去ると、わたしは声を潜めてこわごわたずねた。
「おい、マントン、あれは何だったんだ。きみの傷からして――あいつはあんなだったのか」
わたしは目がくらみそうだったので、マントンがわたしの半ば期待していたことを囁《ささや》き声でいったときも、勝ち誇った気分にはなれなかった。
「いや――あんなものであるものか。いたるところにいたよ――ゼラチン状だった――ねばねばしていたんだ――それなのに、形はあって、記憶にも残らないおびただしい恐ろしい形をしていた。目があった――傷のある目が。窖《あなぐら》だ――大渦巻だ――最も忌むべきものだよ。カーター、あれは名状しがたいものだったんだ」