ラヴクラフト全集〈6〉
H・P・ラヴクラフト/大瀧啓裕訳
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ウルタールの猫 The Cats of Ulthar
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スカイ河の彼方に位置するウルタールでは、何人《なんぴと》も猫を殺してはならないそうだが、暖炉のまえに坐りこんで喉《のど》を鳴らしている愛猫《あいびょう》に目をむけるなら、まことにさもありなんと首肯できる。それというのも、猫は謎めいた生きものであり、人間には見えない不思議なものに近いからだ。猫はアイギュプトスと呼ばれた太古から流れるナイル河の魂であり、古代エチオピアのメロエやアラビア南部はオフルの忘れ去られた邑《まち》の物語をいまに伝えるものである。密林の支配者の血縁であり、蒼枯《そうこ》たる不気味なアフリカの秘密を継承するものでもあるのだ。スフィンクスは遠戚《えんせき》にあたり、猫はスフィンクスの言葉を解するが、スフィンクスよりも齢を重ね、スフィンクスが忘れはてたことをおぼえている。
自由民が猫を殺すことを禁ずるまえ、ウルタールには、近在の猫を罠《わな》にかけて殺すのを好む、年老いた小作人とその女房が住んでいた。ふたりが何故《なにゆえ》このようなことをしたのか、わたしは知らないが、ただ多くの者が猫の夜の鳴き声を嫌い、黄昏《たそがれ》どきに猫がしめやかに庭や花壇を駆けぬけるのを不吉とみなすことくらいは承知している。しかし理由が何であるにせよ、この老人と女房は、おのが荒屋近くにあらわれた猫をことごとく、罠にかけて殺すことに喜びをおぼえており、暗くなってから聞こえる物音のなかには、村人の多くによほど尋常ならざる殺し方をしているのだろうと思わせるものがあった。しかし村人たちは老人と女房に面とむかって問いただすことはしなかった。ふたりの皺《しわ》だらけの顔にいつもうかんでいる表情のせいでもあり、ふたりの荒屋があまりに小さく、見捨てられた庭の奥で枝を広げる樫《かし》の陰に、黒ぐろとした姿を潜めているためでもあった。事実、猫を飼っている者はこの奇妙な夫婦を憎むこと激しく、それ以上に夫婦を恐れていたが、残忍な暗殺者として非難することはせず、慈《いつくし》む猫が暗い樫の下の荒屋にまでさまようことのないよう、気をつけるだけのことだった。避けがたい手ぬかりによって猫が姿を消し、暗くなってから異様な物音が聞こえると、飼い主はなすすべもなく嘆くか、このように消えたのが子供たちのひとりではないことを運命の女神に感謝して、みずからを慰めるのだった。というのも、ウルタールの住民は純朴であり、すべての猫がそもそもいずこより来たのかを知らないためである。
ある日、南の土地よりやってきた風変わりな放浪者のキャラヴァンが、ウルタールの玉石敷きの狭い通りに入ってきた。放浪者は髪が黒く、一年に二度ウルタールを通過する他の流浪の民とは異なっていた。市場において、この放浪者たちは占いをおこなって銀貨を得ると、商人たちからきらびやかな数珠玉《じゅずだま》を購《あがな》った。これら放浪者の国がいずこなのかを告げられる者とていなかったが、彼らが異様な祈りを好むことや、人間の体に、猫、鷹《たか》、牡羊《おひつじ》、獅子の頭部を備える奇怪な姿が荷馬車の側面に描かれていることは、誰の目にも明らかだった。そしてキャラヴァンの長がかぶっている頭飾りには、二本の角と、角のあいだに奇異な円盤があった。
この尋常ならざるキャラヴァンには、父も母もなく、小さな黒の仔猫だけをたいせつにする、幼い少年がいた。疫病は少年に辛くあたったが、この柔毛《にこげ》に覆われた小さな生きものを残して、悲しみを和らげてくれたのである。ごく幼い頃には、黒い仔猫の活溌なおどけた振舞に安心感が味わえるものだ。かくして黒い髪の人びとからメネスと呼ばれる少年は、奇妙な絵の描かれた馬車のステップに坐って優美な仔猫と戯れ、泣くことよりも笑みをうかべることのほうが多かった。
放浪者がウルタールに腰を据えて三日目の朝、メネスが仔猫を見つけられず、市場で泣きじゃくっていると、例の老人と女房のことや、夜に聞こえる物音のことを村人たちから教えられた。そしてメネスはこうしたことを聞くと、泣くのをやめて考えこみ、最後に祈りをささげた。太陽にむかって両腕をのばし、村人には理解できない言葉で祈ったのだが、理解しようとさしたる努力もなされなかったのは、村人たちの注意がもっぱら空にむけられて、雲が奇妙な形をとりはじめるのを目にしたためだった。はなはだ異常なことだったが、少年が祈りを口にするや、頭上に影のごとく朦朧《もうろう》とした異様な姿があらわれはじめ、いずれも円盤のついた角を備える、さまざまな要素の組合わさった生物だった。自然は想像力たくましい者を感動させる、かような幻影に満ちているのである。
その夜、放浪者はウルタールを離れ、二度と姿をあらわすことがなかった。そしてウルタールの家長たちは、猫が一匹とて見つからないことに気づき、不安をつのらせた。すべての炉辺から、大きいのも小さいのも、黒いのも、灰色のも、縞《しま》のはいったのも、黄色のも、白いのも、猫がことごとく姿を消してしまっていた。市長のクラノン老は、メネスの仔猫が殺された意趣返しに、黒い髪の民がウルタールの猫を連れ去ったのだと言明し、キャラヴァンと少年をののしった。しかし痩身《そうしん》の公証人ニスが、あの老人と女房の猫に対する憎しみは隠れもなく、いよいよ大胆になっているために、疑うべきはあのふたりだといいきった。とはいえ凶《まが》まがしい夫婦にあえて苦情を申したてる者もなく、宿屋の主人の幼い息子アタルが、黄昏どきにウルタールのすべての猫があの呪われた庭の木陰に集って、何か前代未聞の動物の儀式をおこなっているかのごとく、二列になって荒屋をとりかこみ、いかめしくも悠然と歩いているのを見たと告げたときでさえ、あの夫婦を問いただす勇気をもつ者はいなかった。村人たちは幼い子供の話をどこまで信じてよいのかわからず、凶悪な夫婦が猫に魔法をかけて殺したのではないかと懸念しながらも、暗く不快な庭の外で出会わないかぎりは、年老いた小作人を譴責《けんせき》することを好まなかった。
かくしてウルタールはやりきれない怒りのうちに眠りにつき、住民が夜明けに目を覚ますや、何ということか、すべての猫が馴染《なじみ》の炉辺にもどっていたのである。大きいのも小さいのも、黒いのも、灰色のも、縞のはいったのも、黄色のも、白いのも、猫はすべてもどってきた。あまつさえ、いつにもまして毛並もつややか、腹をふくらませ、満足げに喉を鳴らしていた。市民たちはこの事件をたがいに話しあい、驚くことひとかたならぬものがあった。クラノン老はまたしても、猫が老夫婦の荒屋から生きてもどった試しはないのだから、猫を連れ去ったのは黒い髪の民だと主張したものだ。しかし誰もが認めることが一つあり、すべての猫が肉を食べず乳を飲まないのは、いかさま奇妙なことだった。そしてその後二日にわたって、ウルタールの毛並つややかな猫たちは、ものうげに食事にふれようともせず、暖炉のそばや日だまりでまどろむばかりだった。
夜になっても木陰の荒屋の窓に灯りが見えないことに、村人たちが気づくようになったのは、ちょうど一週間がすぎてからのことである。そのとき痩身のニスは、猫が姿を消した夜以来、あの老夫婦を目にした者がいないことをもちだした。翌週になって、市長はおのが恐怖を克服し、義務として妙に静まりかえった荒屋を訪れる決心をつけたが、そうするにあたって用心おこたりなく、鍛冶屋のシャンと石工のトゥルを証人として同行させた。そして脆《もろ》い扉を打ち破るや、三人の目にはいったのは、土間にあるきれいさっぱり肉を失った人間の骸骨二体と、陰になった隅を這《は》いまわる無数の甲虫だった。
その後ウルタールの自由民のあいだにおびただしい噂《うわさ》がとびかった。検視官のザスが最後に痩身の公証人ニスと議論を戦わせ、クラノン、シャン、トゥルは質問責めにあった。宿屋の主人の息子である、幼いアタルさえ、根掘り葉掘り問いつめられ、その褒美《ほうび》として砂糖菓子を与えられた。年老いた小作人とその女房、黒い髪をした放浪者のキャラヴァン、幼いメネスとその黒い仔猫、メネスの祈りとその祈りのあいだに空におこったこと、キャラヴァンが立ち去った夜に猫がなしたこと、そして不快な庭の暗い木陰にある荒屋で見いだされたもの、こういったことについて住民たちはさかんに話しあったものだ。
そして最後に、ウルタールの自由民たちは、ハテグの交易商人が語り、ニルの旅人が議論する、あの驚嘆すべき法律を制定し、ウルタールにおいては何人も猫を殺してはならないとしたのである。