ラヴクラフト全集〈4〉
H・P・ラヴクラフト/大瀧啓裕訳
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ピックマンのモデル Pickman's Model
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わたしが狂っていると思う必要はないんだよ、エリオット――これより奇妙な偏見をもっている者は大勢いるからね。自動車に乗ろうとしないオリヴァーのじいさんを、どうして笑わないんだ。わたしがあの地下鉄が嫌いでたまらないとしても、それはわたし個人の問題で、きみの知ったことじゃない。それに、ともかくタクシーに乗ったから、ここへ早く来れたじゃないか。地下鉄を利用していたら、パーク通りから丘を登らなきゃならなかったんだからね。
去年きみに会ったときより神経質になっているのは、自分でもわかっているけど、別に診てもらう必要はないよ。理由はいろいろとあるし、ともかく正気でいるのを幸運だと思っているんだから。どうして第三度だなんていうんだね。きみも以前はそんなに詮索好きじゃなかったのに。
ああ、どうしても聞きたいというんなら、仕方がないだろうな。ともかくきみには話しておくべきかもしれない。わたしがアート・クラブと疎遠になりはじめて、ピックマンともつきあわなくなったのを聞いてから、きみはまるで胸を痛める親のように、ずいぶん手紙を送ってくれたんだからな。ピックマンが行方《ゆくえ》をくらましたことで、いまではときどきクラブに顔を出しているけど、わたしの神経はもう以前のようなものじゃなくなっているんだ。
いや、ピックマンがどうなったか知らないし、想像したくもないね。わたしがピックマンと絶交したのには、何か内幕でもあると思っているんだろう――それがあるからこそ、ピックマンがどこへ行ってしまったのかなんて、考えたくもないんだよ。何がわかるか、警察に調べさせればいいさ――ピックマンがピータースの名前でかりていた、ノース・エンドの古い家のこともまだ知らないことからして、そう多くのことはわからないだろうがね。わたし自身、その家をもう一度見つけられるかどうか、まったく自信がないんだ――いや、真昼でさえ、見つけようとしたことはない。ああ、ピックマンがその家をかりていた理由は、知っているというか、たまらないことだが、わかっていると思うよ。いまようやくわかりかけているんだ。きみもこの話を聞き終わるまえに、どうしてわたしが警察に知らせないのか、その理由が理解できるだろうな。警察に知らせたりしたら、案内させられるに決まっているけど、たとえはっきりした道順を知っていたとしても、わたしには二度と行けやしないんだから。あそこにあるものがいたんだ――だからわたしはもう地下鉄を利用することができないし、(こんなことをいうとまた笑われるだろうが)地下室におりることすらできないんだ。
あのリード先生やジョウ・マイノーやロスワースといった、こうるさい婆さん連中とおなじ理由で、わたしがピックマンと絶交したわけではないことは、きみもわかっているだろう。わたしは病的な絵画に驚いたりはしないし、ピックマンほどの天分に富む者がいれば、どんな傾向の絵画を描いていようと、知りあいになることを名誉だと思うからね。ボストン最大の画家がリチャード・アプトン・ピックマンだったんだ。わたしは最初からそういっていたし、いまもそういうし、ピックマンにあの『食事をする食屍鬼』を見せられたときだって、この意見はいささかもかえなかったよ。きみもおぼえているだろう。マイノーがピックマンと絶交する原因になったあの絵のことさ。
きみにもわかるだろうが、徹底した技法と自然に対する深遠な洞察があってこそ、ピックマンの描いた作品のようなものになるんだ。雑誌の表紙絵を描く三文画家にしたところで、絵具を荒あらしく撒き散らして、それを悪夢だの、魔女の宴《うたげ》だの、悪魔の肖像画だのと呼ぶことはできるが、本当に恐ろしいもの、真に迫ったものを生みだせるのは、偉大な画家だけなんだ。だからこそ、本物の画家は、恐ろしいものの実際の解剖学、恐怖の生理学を知り抜いている――つまり、眠りこんでいる本能や、生まれたときからうけついでいる恐怖の記憶に関係をもつ、正確な線や比率、普段は目覚めていない不思議な感じを刺激させる、色の対照や明暗の効果のことだ。どうしてフューセリの絵が本当にわたしたちを震えあがらせるのに、安っぽい幽霊小説の口絵が単にわたしたちを笑わせるだけなのかは、いまさらきみにいう必要はないだろう。ああいう偉大な画家たちは、生を超越するものをとらえて、それをわたしたちにも一瞬つかませることができるんだ。ドレがそうだった。シームがそうだ。シカゴのアンガロラもしかり。そしてピックマンは、匹敵する者が過去にも――ただそう願いたいが――未来にもいない人物なんだ。
そういう画家たちが何を目にしているのかとは、聞かないでほしい。きみも知っているだろうが、普通の絵画の場合、自然やモデルを基に描かれた、生気あふれて息づいているものと、ちっぽけな蠅のような有象《うぞう》無象《むぞう》の商業画家が、寒ざむとしたアトリエで杓子定規《しゃくしじょうぎ》にさっさと描きあげる、いかにもつくりものめいたつまらないものには、大きなちがいがある。そう、真の怪奇画家は、ある種のヴィジョンをもっていて、それを基にモデルをつくりだすというか、自分の生きている幽冥界から、現実の情景に相当するものを喚起するわけだよ。ともかく、真の怪奇画家の作品が見せかけだけの画家のつまらない夢想とちがっているのは、実物をモデルにつかう画家の作品が、通信教育をうける三文画家のでっちあげたものとちがっているのとおなじようなものなんだ。もしもわたしがピックマンの目にしたものを見たとしたら――いや、そんなことがあってたまるものか。さあ、話を進めるまえに、酒でもひっかけよう。もしもわたしがあの男――あの男が人間であるとして――あの男の目にしたものを見たとしたら、わたしはもう生きてはいられないだろうからね。
きみもおぼえているだろうが、ピックマンが得意としたのは顔だった。ゴヤ以来、顔つきや歪んだ表情に、あれほど紛れもない地獄をあらわせる画家がいるとは、信じられないほどだよ。ゴヤ以前なら、ノートルダム寺院やモンサンミシェル修道院の奇怪な樋嘴《とうし》や怪物像をつくりだした、中世の人びとにまで遡《さかのぼ》らなければならない。中世の人びとはそういったものがすべて実在すると信じていたんだ――中世という時代には奇妙な様相があるから、そういったもののすべてを目にしたのかもしれないね。確かきみは、去っていく一年まえに、いったいどこでアイデアやヴィジョンを得るのかと、ピックマンに直接たずねたことがあるじゃないか。ピックマンに嘲笑われたんじゃなかったかな。リードがピックマンと絶交したのは、あの笑いかたのせいでもあるんだ。きみも知っているように、リードは比較病理学に熱中しているところだったから、精神や肉体のさまざまな症状がはらむ、生物学的意味や進化論的意味について、もったいぶった「専門知識」を山ほどもっていたわけさ。リードの話によると、日毎《ひごと》にピックマンに反感をおぼえるようになっていって、最後にはこわいほどだったそうだ――ピックマンの顔つきや表情がゆっくりと、どうにも気にいらない変化をしていったというんだよ。ある意味では、人間の顔つきや表情じゃなかったってね。リードは食事のことをさかんに口にして、ピックマンの異常さと奇行が最終的な段階にまで達しているにちがいないといっていたね。もしもきみがこのことをリードから手紙で知らされていたら、ピックマンの絵がいかに神経にさわろうと、いかに想像力が悩まされようと、それはそれでかまわないといっていたんじゃないかな。わたしはリードにそういってやったはずだよ――リードがわたしに話したときにね。
しかし心にとめておいてもらいたいんだが、わたしがピックマンと縁を切ったのは、何もこんなことのためじゃないんだ。それどころか、『食事をする食屍鬼』が途轍《とてつ》もなく素晴しい作品だったから、ピックマンに対する敬服の念がつのっていく一方だった。きみにもわかるだろうが、クラブがあの絵を展示することはないだろうし、美術館があの絵を寄付としてうけとることもないだろうな。つけ加えれば、あの絵を買う者もいないだろうから、ピックマンは姿を消すまで自宅に置いていたわけだよ。いまではセイレムにいる父親が所有している――ピックマンがセイレムの古い家の出で、祖先のひとりに、一六九二年に絞首刑にされた魔女がいることは知っているだろう。
わたしはよくピックマンを訪ねたものだが、怪奇画についての論文のために覚書をつくりはじめてからは、それが習慣のようなものになってしまったよ。論文を書こうという気になったのも、たぶんピックマンの作品を目にしたためだろうし、ともかく、考えをまとめはじめてからは、ピックマンが論文に必要な資料や示唆《しさ》の宝庫だということがわかったからね。ピックマンは手もとに置いていた絵やスケッチをのこらず見せてくれた。なかには、会員の多くが目にしたとしたら、確実にクラブから叩きだされてしまいそうな、ペンとインクのスケッチもあったね。わたしはすぐに崇拝者のようになって、ダンヴァースの精神病院にいれられてもおかしくないような、ピックマンの絵画理論や哲学的考察に、何時間も学生のように耳をかたむけたものだったよ。わたしが英雄のように崇拝する一方、一般の人びとが次第にピックマンと疎遠になっていくので、ピックマンはますますわたしを信頼するようになっていったんだ。そしてある日の夕べ、わたしが口をつぐみ、おびえたりしないのなら、いささか異常なもの――自宅にあるどんな作品よりもすこし強烈なもの――を見せてやろうかといった。
ピックマンはこんな風にいったんだ。「きみにもわかるだろうが、ニューベリー通りにはしっくりそぐわないようなものがあるんだぞ――どうあっても、こういうところでは場ちがいで、考えることもできないようなものがな。魂がはらむ意味をとらえることこそ、おれがすることで、埋立地につくられた人工の街のけばけばしい建築物に、そんなものが見いだせるわけもない。バック・ベイはボストンなんかじゃないんだ――まだできあがってまもなく、記憶をたくわえたり地元の霊を引き寄せたりはしていないから、まだ存在していないも同然なんだ。たとえここに霊がいるとしても、塩気のある沼沢地《しょうたくち》や浅い入江のふがいない霊だろうよ。おれが求めるのは人間の霊だ――地獄を見おろし、目にしたものの意味がわかるほどの、高度な生物の霊なんだ。
「画家が住むにふさわしい場所はノース・エンドだ。紛れもない唯美主義者なら、伝統が一つの場所に集中しているために、貧民街に住むことに耐えなければならん。おいおい、そういう場所が単につくりだされたものではなく、実際に成長したものだということがわからんのか。人が何世代にもわたって、住み、感じ、死んでいっている。住み、感じ、死んでいくことが恐れられなかった時代もあった。一六三二年にコップス・ヒルに水車小屋があって、現在の通りの大半が一六五〇年にはつくられていたことを知っているかね。二世紀半、いやそれ以上もまえから建っている家を教えてやることもできるぞ。現代の家なんかでは、粉ごなになってしまうようなものを目撃してきた家をな。生とその背後にある力について、現代人は何を知っているというんだ。きみはセイレムの妖術を妄想だというだろうが、おれの四代まえの祖母がまだ生きていたら、きみに事実をいってくれるだろうよ。その祖母はコットン・マザーが信心家ぶって見まもるなか、ギャロウズ・ヒルで絞首刑にされたんだ。いまいましいマザーの奴は、単調さという呪われた檻《おり》から誰かが逃げだすことを恐れていた――誰かがマザーの奴に呪いをかけるか、夜に血を吸いとってやればよかったんだ。
「おれはきみに、マザーの奴が住んでいた家を教えてやることもできるし、大層なことをずけずけいうくせに、マザーの奴が入るのをこわがっていた家を教えてやることもできる。マザーの奴はあの莫迦ばかしい『マグナリア』や、幼稚きわまりない『見えざる世界の驚異』に書く勇気もなかったことを知っていた。おいきみ、かつてはノース・エンドの全体に、トンネルがはりめぐらされていて、一部の者がたがいに家に行きあったり、墓場や海に行ったりしたことは知っているのか。地上では告訴や迫害をいくらでもすればいい――地上からは手の届かないところで、日々かわりなく生活がおこなわれているし、夜になれば、地上からはつきとめられないところで笑い声がおこるんだからな。
「一七〇〇年以前に建てられて、それ以来まだ建っている十軒の家のうち、その八軒では、地下室で妙なものを見せてやれると誓ってもいいぞ。あのあたりでは、そこかしこの古い家に通じている、煉瓦でふさがれた迫持《せりもち》や井戸を道路工夫が見つけたという記事が、新聞に載らない月がないといっていいくらいだ――去年なら高架鉄道から、ヘンチマン通りの近くにそういうものの一つが見えたな。昔そういうところには、魔女がいて、魔女の呪文が呼びだしたものが存在したんだ。海賊がいて、海賊が海からもちこんだものがあった。それに密輸業者や、私掠船長もいた――いっておくが、かつては人びとが、どう生きればいいか、生活の範囲をどう広げればいいかを、はっきり知っていたんだ。これが唯一の世界でないことは、大胆にして賢明な者なら誰でも知っていた――それが何たるざまだ。当時にひきかえ、この現代ときたら、薄いピンクの脳みそばかりで、画家だと思われている連中のクラブにしたところで、もしも絵がビーコン通りのお茶の集りの雰囲気からかけ離れているなら、震えあがって、ひきつけをおこすんだからな。
「現代に唯一のこっている美点といえば、過去を詳しく探求できないほどに愚かきわまりないということだけだ。地図や記録や案内書が、ノース・エンドについて、何か本当のことを教えてくれるとでもいうのか。莫迦ばかしい。大体の見当だが、プリンス通りの北なら三十か四十、そこに群がるよそ者のうち、まあ十人も気づく者がいないような小路や小路のいりくんだところへ、きみを連れていってやれるな。それにあの|イタ公《デイゴウ》どもはデイゴウの意味の何を知っているというんだ。何も知っているものか、サーバー。こうした古い場所は、華麗な夢を見て、脅威や恐怖、日常からの逃げ道にあふれかえっているというのに、生きている者でそれを理解したり、それから利益を得たりする者なんていやしないんだ。いや、ただひとりだけいるといっておこうか――このおれは無駄に過去を掘りおこしているわけじゃないからな。
「ああ、きみがこの種のものに興味をもっているのはわかっている。もしもおれがそこにアトリエをもう一つもっていて、そのアトリエでなら、昔ながらの恐怖の夜の雰囲気をとらえて、ニューベリー通りでは想いもよらないものを描けるといったらどうだね。当然のことだが、クラブであのいまいましい連中には話してなんかいない――とにかくあのリードの奴ときたら、いまですら、おれが進化の道を急速に退行する怪物のような男だと囁いている始末だからな。ああ、サーバー、おれはかなりまえに、生命から美を描くのと同様に、誰かが恐怖を描くべきだと思って、しかるべき理由から恐怖の潜んでいることがわかっている場所で、いささか調査をしてみたんだ。
「おれはある場所を見つけだしたよ。おれ以外にそこを目にしたのは、生きている者で三人の北欧人だけだろうな。距離ということになると、高架鉄道からそう遠くはないが、精神的には何世紀もの彼方ということになる。おれがそこを手にいれたのは、地下室に奇妙な古い煉瓦造りの井戸があったからだ――さっきいったようなたぐいのものだ。その掘っ立て小屋はほとんど崩れかかっているから、誰も住もうとはしないし、家賃がどれほど安かったかはいう気にもなれないな。窓には板がうちつけられていたが、おれがしようとしていることに太陽の光は必要なかったから、ますます気にいったわけだ。絵を描くのは霊感が一番強くなる地下室だが、一階の部屋には家具を置いた。家主はシチリア人で、おれはピータースという名前でかりたんだ。
「その気があるなら、今晩連れていってやってもいいぞ。おれの絵をたのしめるだろうよ。さっきもいったように、おれもそこでは思いきった絵を描くからな。遠いところじゃない――そういうところへタクシーなんかで行くと、どうしても人目を引くから、歩いていくこともあるんだ。南駅からバッテリー通り行きの列車に乗れば、そんなに歩かなくてすむ」
ああ、エリオット、こんなふうに熱弁をふるわれては、わたしとしても最初に目にした空車のタクシーに向かうどころか、走りだしたくなるのを何とか抑えること以外、何もできなかったよ。わたしたちは南駅で高架鉄道を乗りかえ、十二時ごろには、バッテリー通りの駅の階段をおりて、コンスティテューション波止場の奥にある、古びた海岸通りに行きついていた。どういう道を通ったかおぼえていないから、どんな小路を曲がって歩いたのかをいうこともできないんだが、グリーノウ・レーンでなかったことは確かだ。
小路を曲がると、これまで見たことがないような、古めかしくて汚れきった、人気《ひとけ》のない小路を登っていくことになって、崩れかかっている破風や、小さなガラスがあちこち割れている窓や、月のうかぶ空になかば崩れながら突出している古風な煙突が目に入ったよ。コットン・マザーの時代に建っていた家が、目に入る範囲でも、三軒あったんじゃないかな――屋根のはりだしている家をすくなくとも二軒見ているし、一度などは、好古家たちがボストンにはのこっていないといっている、ほとんど忘れ去られてしまった、腰折れ様式以前のけわしい屋根を見たと思ったほどだ。
ぼんやりした光のあるその小路から、左に曲がって、おなじように静かで、灯のまったくない、さらに狭い小路に入っていったんだが、すぐに闇のなかを右に鈍角に曲がったようだった。このあとまもなく、ピックマンは懐中電灯をとりだして、十枚の鏡板のはめられた、ひどい虫喰いのある、古めかしいドアを照らしだしたんだ。そして鍵をはずして、わたしを何の趣《おもむき》もない玄関ホールに入らせた。かつては素晴しかっただろうような、黒ずんだ樫の鏡板がはりめぐらされた玄関ホールだったよ――もちろん簡素なものだったが、アンドロスとフィップスの時代、それに妖術の時代を不気味にしのばせるものだったね。やがてピックマンはわたしを連れて左手のドアを抜けると、オイル・ランプに火をつけて、楽にしてくれといったんだ。
ところで、エリオット、わたしは世間から「情《なさけ》知らず」だといわれている男なんだが、あの部屋の壁に見たものには、正直いって愕然とさせられたよ。もちろんピックマンの絵がかけられていたんだ――ニューベリー通りでは描いたり見せたりすることのできなかったものが。ピックマンが「思いきった絵を描く」といっていたことの意味がはっきりわかったよ。さあ、もう一杯飲みたまえ――とにかくわたしは飲まずにはいられないんだ。
どういう絵だったかは、とても口ではいえないね。ごく単純な筆づかいから生みだされる、悍《おぞ》ましいもの、冒涜的な恐怖、信じられないほど忌わしいもの、精神的に感じられる強い悪臭は、とても言葉ではあらわせないようなものだったからだ。シドニー・シームの風がわりなテクニックにも、クラーク・アシュトン・スミスが怖気《おぞけ》立たせるためにつかう、幻想的な光景や狂った菌類にも見いだせないようなものだったんだ。背景になっているのは、たいてい古い教会の墓地や、深い森や、海に面した断崖や、煉瓦造りのトンネルや、鏡板のはられた古めかしい部屋や、石造りの簡素な地下室だった。その家からさほど遠くないはずのコップス・ヒル埋葬所が、好んで背景としてつかわれていたね。
前景に描かれた人物には、いいようもない狂おしさと悍ましさがあった――ピックマンの病的な絵は悪魔的な人物画のなかでも抜きんでたものだったからね。描かれた人物は完全な人間の姿をしていることはほとんどなかったけれど、さまざまな程度で人間めかして描かれているものが多かったよ。たいていはなんとか二本足で立っているんだが、まえかがみになっていて、どことなく犬のような感じがした。肌は全般的に不快なゴムのようなものだった。ああ、いまでも目にうかぶよ。そういうものたちがやっていたことといったら――詳しくはたずねないでくれないか。たいてい喰っていたんだ――とても口にはできないようなものを。墓地や地下道で群がっているところや、獲物――というよりも奴らにとっての貴重な宝――をめぐって争っているところが描かれていた。そしてこの慄然たる獲物の眼のない顔に、ピックマンがときとして表現力ゆたかに描いている忌わしいものといったら。ときにはこれらのものたちが、夜に開いた窓から飛びこんだり、眠っている者の胸にうずくまって、喉を狙っていたりする様子が描かれていたよ。一枚の絵は、奴らがギャロウズ・ヒルで絞首刑にされた魔女をとり巻いて、吠えているところをあらわしていたが、死んだ魔女の顔は奴らの顔に実によく似ていた。
しかしわたしが失神しそうになったのが、こうした恐ろしい主題と背景だとは思わないでくれないか。わたしは三歳の幼児じゃないし、こういうようなものは以前からたくさん見ているんだ。顔だったんだよ、エリオット。あの呪わしい顔が、まさに生命の息吹《いぶき》をもって、キャンヴァスからにらみつけ、よだれをたらしていたんだ。ああ、誓ってもいいが、奴らは生きていたんだ。あの嫌らしい魔術師は、絵具で業火をつくりだし、絵筆を悪夢を生みだす魔法の杖にしていたんだ。エリオット、酒の入ったデカンターをよこしてくれ。
『教え』という絵があった――神よ、あの絵を目にしたことをどうか許したまえ。いいかい――いいようもない犬のようなものたちが、教会の墓地で輪をつくってうずくまり、小さな子供に自分たちとおなじように喰うことを教えている光景が、きみには想像できるかい。たぶん、とり替え子にされた子供なんだろうな――異様な者たちが人間の子供を盗み、その子供のかわりに自分たちの仔を揺籠《ゆりかご》にのこしていくことについて、きみも古い伝説を知っているだろう。ピックマンはそうした子供たちにおこることを描いていたんだ――どのように育てられるかをね。そしてわたしは、人間の顔と人間でないものたちの顔に、身の毛もよだつ関係のあることがわかりはじめたよ。ピックマンは、紛れもなく非人間的なものと、退化していく人間のあいだにある、さまざまな病的な段階をすべて示して、嘲笑のこもる繋りと進化を明らかにしていた。犬のような存在は、もとは人間だったんだ。
そして奴らがとり替え子として人間の世界にのこした奴らの仔を、ピックマンはどう描くのだろうかと思ったんだが、そう思ったとたんに、わたしの目はその疑問を具体化した絵をとらえていた。清教徒風の昔の部屋の内部を描いたものだったね――天井に太い梁が走っていて、格子窓があり、木製の長椅子、不恰好な十七世紀の家具が配置され、家族が坐っているかたわら、父親が聖書を朗読しているんだ。ただ一つの顔をのぞいて、すべてが気高さと敬虔《けいけん》さを示しているのに、その一つの顔だけは、地獄の嘲笑を反映していた。少年の顔で、どうやら敬虔な父親の息子らしいんだが、本質的には不浄なものたちの同類なんだ。とり替え子なんだよ――そしてピックマンはこのうえもない皮肉をこめて、はっきりそれとわかるほど、自分に似た顔つきにしていたんだ。
このころには、ピックマンはとなりの部屋のランプにも火をつけていて、わたしのために礼儀正しくドアを支えてくれて、「新作」を見る気はあるかといった。わたしはほとんど感想もいっていなかったが――恐ろしさと忌わしさのあまり口をきくこともできなかったんだが――どうやらピックマンはわたしの気持を十分に理解して、大いに賞讃されていると思っていたようだった。エリオット、またはっきりさせておきたいんだが、わたしはいささか普通でないからといって、悲鳴をあげたりするような腰抜けじゃないからな。わたしももう中年で、いろいろ経験も積んでいるし、きみもフランスでわたしをよく見ているから、そう簡単に失神するような男じゃないことは知っているだろう。もう一つおぼえておいてもらいたいが、わたしはすぐに一《ひと》息ついて、ニューイングランドの植民地を地獄の属領にしてしまっているあの絵にも、慣れるようになっていたんだ。しかしそんなわたしでも、あのとなりの部屋で目にしたものには、ついに悲鳴をあげてしまい、卒倒するのを防ぐために、戸口にしがみつかなければならない始末だった。まえの部屋で示されていたのは、わたしたちの祖先の世界に跋扈《ばっこ》する、一団の食屍鬼や魔女だったが、その部屋は、紛れもないわたしたちの日常生活に恐怖をもちこんでいたんだ。
ああ、よくもあんなものが描けるものだ。『地下鉄の事件』という作品があって、穢らわしい不気味なものたちが群をなして、どこか未知の地下納骨所から、地下鉄のボイルストン通り駅の床の割目を抜けてあらわれ、プラットフォームにひしめく人びとに襲いかかっているんだよ。もう一枚の絵は、背景は明らかに現在のもので、コップス・ヒルの墓場での舞踏があらわされていた。ほかに地下室を描いたものが数多くあって、ばけものどもが石組の穴や裂目からしのびこみ、にやにや笑いながら樽や炉のうしろに隠れて、階段をおりてくる最初の犠牲者を待っているんだ。
胸が悪くなる一枚のキャンヴァスは、ビーコン・ヒルの広大な断面図を描いたものらしくて、有害なばけものが蟻《あり》のようにおびただしく、地中にはりめぐらされた穴を身をよじりながら進んでいたね。現代の教会墓地での舞踏がのびのびと描かれていたが、もう一つの構想が何にもまして衝撃的だった――未知の地下納骨所の情景で、無数の獣にとり巻かれながら、その一匹が有名なボストンの案内書をもって、どうやら朗読しているようなんだ。獣たちはすべて一つの通路を指さしていて、顔という顔が狂気の発作のような笑いで歪んでいるから、その恐ろしい笑い声が聞こえるんじゃないかと思えるほどだった。その絵の題は『マウント・オーバンに葬られたホームズ、ロウエル、ロングフェロー』だったよ。
次第に気分もおちついて、悪魔的で病的なこの二番目の部屋にも慣れるようになると、わたしは胸をむかつかせながらも、いくつかの点について分析をはじめた。まず、こうした絵に嫌悪を感じるのは、ピックマンに自らあらわれている、まったくの無情さとこのうえない残酷さのせいだと、そう自分にいいきかせたんだ。この男は全人類にとって残忍な敵で、頭脳や肉体の苦しみ、精神が宿るものの退化に喜びを感じているんだと。次に思ったのは、ピックマンの絵が恐ろしいのは真に偉大な作品であるからだということだった。説得力のある絵画だった――ピックマンの絵を見ると、魔物そのものの姿を目にして、震えあがってしまうんだ。そして奇妙なことに、ピックマンは主題の選択や主題の異様さから迫真の力を得ているんじゃなかった。曖昧にされたもの、曲解されたもの、様式化されたものは何一つとしてなかった。輪郭は鋭く、生気があり、細部まで胸が悪くなるほどはっきりとあらわされている。そしてその顔といったら。
わたしたちが見るものを単に画家が解釈するようなものじゃなかったんだ。慄然たる妥当性をもって明確にあらわされた、万魔殿そのものだったんだよ。神かけて嘘じゃない。あの男は絶対に幻想家やロマン主義者なんかじゃなかったんだ――あの男は色鮮やかに揺蕩《たゆた》うはかない夢を描こうとさえせずに、たじろぐことなく真っ向から、自分の目で十二分に見た、安定して機械的な、揺るぎのない恐怖の世界を、ひややかに嘲笑をこめて反映させていたんだ。その世界がいったいどのようなものなのか、その世界で走り、駆けずり、這いまわっている冒涜的な姿のものを、ピックマンがいったいどこで目にしたのかは、神ならぬ身の知る由《よし》もないが、ピックマンのイメージの不可解な源泉が何であれ、一つのことだけははっきりしていた。ピックマンはいかなる意味においても――構想と表現において――徹底した、骨身をおしまない、ほとんど科学的といっていいほどの現実主義者だったんだ。
事実上のアトリエのある地下室に向かって、ピックマンが階段をおりていたから、わたしは未完成のキャンヴァスのただなかにあって、その地獄めいた効果に圧倒されないよう、気持をひきしめたよ。そしてわたしたちが湿っぽい階段の一番下におりると、ピックマンは懐中電灯をつけて、広びろとした空間の片隅を照らしだしたんだ。懐中電灯の光のなかにうかびあがったのは、円形に積まれた煉瓦で、どうやら土間に設けられた大きな井戸らしかった。近づくにつれて、さしわたし五フィート、厚みは優に一フィート、地上に出ている箇所でも六インチはあるにちがいないことがわかるようになった――十七世紀につくられたものだと思ったが、もっと古いものかもしれないな。ピックマンが話していたたぐいのものだったんだ――かつて丘にはりめぐらされていた網の目のようなトンネルの開口部ということだよ。煉瓦でふさがれているようには見えないこと、井戸を覆っているのが重い木製の円盤だということに、わたしはぼんやり気がついたね。ピックマンのあられもないほのめかしが単なる言葉の綾《あや》じゃないとしたら、この井戸は確実にあるものに結びついているにちがいないと思って、わたしはぞくっと身を震わせてしまった。やがてわたしは向きをかえて、ピックマンのあとにつづいて踏段を登り、狭いドアを抜けて、床が板ばりでアトリエの調度が整っている、かなり広い部屋に入ったんだ。アセチレン・ガスを出す装置が、製作に必要な光を投げかけていたよ。
イーゼルに置かれたり壁に立てかけられたりしている未完成の絵は、階上の完成された絵とおなじように不気味なもので、画家の骨身をおしまぬ技法を示していた。情景が細心の注意をはらって区分されていて、鉛筆の下書きは、ピックマンが正しい遠近と比率をとるときに見せる、このうえもない正確さを物語っていたよ。確かにあの男は偉大な画家だった――わたしはあれほど多くのことを知ったいまでさえ、そういわずにはいられないね。テーブルに置かれたカメラにわたしが注意を向けると、画材をもって街を歩きまわったりせずに、アトリエで写真を基に描けるように、背景にする情景を写真に撮っているんだと、ピックマンはいったよ。ピックマンは、不断に仕事をするうえで、写真が現実の景色やモデルと同等のものだと考えていて、よく写真をつかっているときっぱりいってのけたものだ。
その部屋のいたるところからにらみつけている、吐き気を催すようなスケッチや、未完成のばけものじみたものの絵には、どこか妙に不安にさせられるものがあって、ピックマンが突然、そばにあった巨大なキャンヴァスから覆い布をとって光にさらけだしたとき、わたしは自分を抑えきれずに大きな悲鳴をあげてしまった――その夜あげた二番目の悲鳴だったわけだ。わたしの悲鳴は、あの硝石のこびりつく古びた地下室の薄暗い穹窿《きゅうりゅう》天井に反響して、それを耳にしたわたしは、思わずヒステリックな高笑いをしそうになって、必死にその衝動を抑えなければならなかった。ああ、慈悲深い神よ。しかしね、エリオット、どこまでが現実で、どこまでが熱にうかされた妄想だったのか、わたしにはわからないんだ。地上であんな夢が幅をきかせられるものか。
赤い眼をぎらつかせる、巨大で名状しがたい冒涜的なものが、骨ばった鉤のような指で、かつては人間だったものをつかみ、子供が飴《あめ》をしゃぶるように、頭をしゃぶっていたんだ。かがみこんでいるような姿勢をしていて、じっと見ていると、いまにも手にしている獲物をすてて、新鮮なごちそうに向かってきそうに思えるほどだった。しかし何にもまして忌わしいのは、その絵をありとあらゆる恐慌状態をひきおこす源泉にしている、地獄めいた主題でさえもなく、つきたった耳、血走った眼、平板な鼻、よだれをたらす口をした、犬の顔などでもなかったんだ。鱗のある鉤のような指でも、黴《かび》に覆われた体でもなく、なかば蹄《ひづめ》のある肢でもなかった――そのどれであろうと、興奮しやすい者なら発狂させられてしまうようなものだったが、そういうものではなかったんだ。
まさしく技法だったんだよ、エリオット――呪われた、冒涜的な、尋常ならざる技法だったんだ。わたしは生きている人間として、実際の生命の息吹《いぶき》を、あれほどキャンヴァスに溶けこませたものは、ほかで見たことがない。ばけものがまざまざと描かれていた――にらみつけながらしゃぶり、しゃぶりながらにらみつけているばけものが。そしてわたしは知ったんだ。自然の法則がくつがえされたところで、人間があのようなものを、モデルなしに――悪魔に魂を売りわたしていない人間が絶えて見たことのない、地獄の世界を垣間見たのでないかぎりは――描けるはずがないということを。
キャンヴァスの空白部に画鋲でとめられている紙が、ひどく丸まってしまっていた――おそらくかなり誇張して、悪夢のように恐ろしい背景を描くつもりで利用するための写真だろうと、わたしは思ったよ。それで手を伸ばして、その紙を広げて見ようとすると、そのとき突然、ピックマンが撃たれでもしたかのように、びくっとしたのが見えたんだ。ショックのあまりわたしのあげた悲鳴が、暗い地下室でいつにない反響をおこして以来、ピックマンは異常な熱心さで耳をすましていたんだが、それがいまでは、わたし自身のものとは比較にならないとはいえ、精神よりも肉体にかかわる恐怖に圧倒されているようだった。そして拳銃をとりだし、わたしに黙っているよう合図すると、アトリエにしている部屋から出ていって、ドアを後手に閉めたんだ。
一瞬、わたしは、体が凍りついたようになってしまったようだ。ピックマンが耳をすましていたのをまねると、どこかで何かがこそこそ走っているような音と、どことも知れない方向から、一連の鳴き声が聞こえるような気がした。わたしは巨大な鼠を思って身を震わせたよ。するうち、何か押し殺したような、うち叩く音がして、全身に鳥肌がたってしまった――こっそり手探りしているような音だったが、それがどういう音だったのかは、とても言葉ではいいあらわせない。重い木が石か煉瓦の上におちでもしたかのような音だった――その音からわたしが何を思ったか、きみにはわかるだろうか。
また音がして、今度はまえよりも大きかった。木がさっきよりも深いところにおちたかのような反響があったんだ。それにつづいて、耳ざわりな甲高い声がして、ピックマンがわけのわからないことをわめき、ライオンの調教師が効果をあげるためにはなばなしく宙に発砲するような、六連発の拳銃がすべての弾を撃ちつくす、耳をつんざく音がした。こもった鳴き声がして、うち叩く音がした。そしてまた木と煉瓦のこすれる音がして、すこし間があってから、ドアが開いた――正直いって、わたしは震えあがったよ。ピックマンが煙の出る武器を手にしてあらわれて、古い井戸にはびこるふくれあがった鼠のことを毒づいたんだ。
「奴らが何を喰っているか、わかるか、サーバー」ピックマンはそういって、にやにや笑ったよ。「あの古いトンネルは、墓場や魔女の棲家や海岸に通じているんだからな。しかしやっきになって出たがっているから、喰うものが何であれ、とぼしくなっているにちがいない。きみの悲鳴が奴らを刺激したんだろうよ。こういう古い場所では用心したほうがいいな――齧歯《げっし》類の友人たちはここの欠点の一つだが、雰囲気と彩《いろどり》という点から考えて、はっきりした利点だと思えるときもあるほどだ」
ああ、エリオット、それがその夜の冒険の終わりだったんだ。ピックマンはアトリエを見せてやると約束してくれ、その約束をはたしてくれたわけだよ。そのことを知っているのは神だけだがね。ピックマンはこみいった小路から連れだしてくれたが、どうやら来たときとは別の方向だったようだ。街灯が目に入ったとき、わたしたちはアパートや古い家がこもごも単調にならぶ、どことなく馴染《なじみ》のある通りにいたからね。チャーター通りだったんだが、わたしは度を失っていたから、どこからチャーター通りに入ったのか、まったくおぼえていないんだ。高架鉄道に乗るにはもう遅すぎたから、ハノーヴァー通りを抜けて、下町まで歩いて帰ったよ。その道筋はおぼえている。わたしたちはトレモン通りからビーコン通りに出て、ピックマンはジョイ通りの角でわたしと別れ、そしてわたしは脇道へ入っていったんだ。それ以後ピックマンと話をすることは、もう二度となかった。
どうしてピックマンと絶交したかだって。そうじれるもんじゃないよ。コーヒーを頼むまで待ってくれないか。酒はもう十分に飲んだけど、すくなくともわたしには別の飲物が必要なんだ。いや、そうじゃない――わたしがあそこで見た絵が原因じゃないんだ。あそこにあった絵にしたところで、ボストンの家庭やクラブでは、十中八、九、ピックマンが叩きだされて当然のようなしろものだったし、わたしが地下鉄や地下室を避けなければならない理由は、もうきみにもわかっているだろう。それは――明くる日の朝、上着のポケットのなかから見つけだしたもののせいなんだ。ほら、地下室のあの恐ろしいキャンヴァスに紙が画鋲でとめられていて、それが丸まっていたといったろう。ピックマンがあのばけものの背景としてつかうつもりの、どこかの景色の写真だと、そうわたしが思った紙のことだよ。わたしがその紙を広げようとしたときに、最後の恐怖が訪れたんだが、どうやらそのまま無意識にポケットにつっこんでしまったんだろうな。しかし、コーヒーが来たね――エリオット、きみも賢明なら、ブラックで飲みたまえ。
ああ、その紙が、ピックマンと絶交した理由なんだよ。リチャード・アプトン・ピックマン、わたしの知っている最大の画家――そして生の範囲を超えて伝説や狂気の地獄の窖《あなぐら》に飛びこんだもっとも邪悪な存在――と絶交したのは、その紙のせいなんだ。エリオット、あのリードのいうとおりだったんだよ。ピックマンは断固として人間じゃなかったんだ。奇怪な影のなかで生まれたか、禁断の門を開く方法を見つけだしたかのどちらかだ。どちらにしたって、いまではおなじだがね。ピックマンは行方をくらましてしまったんだから――好んでさまよっていた法外な黯黒《あんこく》のなかにもどってしまったんだから。さあ、シャンデリアをつけよう。
わたしが燃やしてしまったものについて、説明を求めるのも、自分であれこれ推測するのもやめてくれないか。ピックマンが鼠としてかたづけたがった、土龍《もぐら》が立てるような音の実体についても、たずねるのはやめてくれ。きみも知っているように、古いセイレムの時代から伝わっているかもしれない秘密がいくつもあるし、コットン・マザーにしても、さらに奇怪なことを記《しる》しているんだからね。ピックマンの描いていた絵がどれほど真に迫っていたか、きみも知っているじゃないか――わたしたちはみんな、ピックマンがどこからああいう顔の着想を得るのかと、不思議に思ったじゃないか。
ああ、そうだよ――あの紙は背景に利用するような写真なんかじゃなかったんだ。単にピックマンがあの慄然たるキャンヴァスに描いていた、ばけものじみた存在を示しているだけのものだった。ピックマンがつかっていたモデルだったんだ――そしてその背景は、細部まではっきりしている地下室のアトリエの壁にしかすぎなかった。しかし何ということなんだろう、エリオット。それは紛れもない実物を撮った写真だったんだから。